自分のためじゃ無い行為はある?

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1考える名無しさん
世の中に自分のためじゃ無い行為はあるんでしょうか?
例え人のためと考えていても本当はそう見られたい、そうなりたい
という理由で行っているのではないでしょうか。
なんだか愛だの恋だの周りが喚いているので
余計そう思ってしまいそうです。
2考える鳥:2000/12/01(金) 03:06
自分のためじゃ無い行為は無い。

その行為を自分がしている以上意識するしないにかかわらず
「行為」は自分に責任を負う。
3考える名無しさん:2000/12/01(金) 03:24
自分のためじゃない行為は、ありえないと思う。
最終的に行き着くところは、誰だって結局自分。
愛も恋も、自己犠牲もそう。
自分がそうしたいからそうする。
人間ってそういう意味で合理的な生き物じゃない??

ただ、特定の他人を自分の快感の範疇に持ってくることはできる。
単純に、
「この人が自分のそばで笑っていてくれると嬉しい」
「この人が自分のそばで幸せそうにしていると嬉しい」
「この人が生きていてくれることが嬉しい」
って思うことはできるし、
それが時には自分の命よりも大事になるときがある。
「自分のため」って言う言葉は、
何も文字通り「自分のため」って言う意味に限定されない。

それを理解した上で人を愛している人は強い。
理解しないで愛しているつもりの人は弱い。
理解しないで愛しているつもりのまま、
それ以上考えないですんじゃった人(死んじゃった人)は幸せ。

なんて、手前勝手で断定的で浅い意見を言う自分(笑)
4考える名無しさん:2000/12/01(金) 03:35
少し前にこれと同じようなのがあったような。

万事「自分のため」ってなら
「自分のため」ってことに意味がないのでは?
5考える名無しさん:2000/12/01(金) 03:40
>>4
少なくとも、人が行動を起こす理由にはなるんじゃ??
6考える名無しさん:2000/12/01(金) 05:25
そう言うが、完全に自分のためだけに生きることもできないのでは?
7考える名無しさん:2000/12/01(金) 19:56
現実的にいえば自分を抑えて、つまり我慢をして他人のために行為するってことは社会人なら当然あるよ。学生はしらんが。
8考える名無しさん:2000/12/01(金) 21:30
倫理における功利主義を突き詰めていくと、
自分の為なのか他人の為なのか、かなり曖昧になる、
そういう場合が間々ある。
9考える名無しさん:2000/12/01(金) 23:55
>>7
例えば何?
10考える名無しさん:2000/12/02(土) 04:46
1 利己主義失敗説
他人に踊らされて、自分のためになると思ってやったことが
実はそうなっていないことがある。

2 自己矛盾説
自分の中にもあれこれ相矛盾する欲望があるので自分のため、
と言う括り方には少し問題がある。(矛盾した欲望が見事に自己
保存につながっていることももちろんあるが)

3 欲望受動説
自分の欲望は自分でコントロールできる・しているものでは
なく触発されたり発生したり変容したりするものだからやっぱり
自分のためという括り方には問題がある。(遺伝子や生産関係が
人の欲望を規定する、など自分以外の「主人」を提唱する説にも
つながる)

4 利己主義断念説
自分のためになることだけを徹底してやっている人間が
どれだけいるか、と考えて見ることもできる。自分の人格を
改造し、欲望を制御し、感受性を調整し、最も効率のよい
努力−満足比を達成する。 そんなことをするには非効率な
ほどの知的努力が必要になりそうなので普通の人はやらない。
多くの人がやっているのは、状況や自分のコンディションに
とって、(=短期的に、近視眼的に)効率的な生き方の選択
で、長期的に見ると実は非効率である場合もある。ので人は
自分のためにならないこともたくさんしている。

11考える名無しさん:2000/12/02(土) 04:52
>>7
我慢しないと自分にデメリットがあるからでは?
会社を首になるとか、立場が悪くなるとか。
つまり自分の利益のために我慢をしていることになる。
だから全ての行動は利己行動となるってことでしょ。
1210:2000/12/02(土) 04:57
5 達成不可能説
状況の正しい認識、現実的な欲望の形成、行動の選択肢の
正確な把握、各選択肢の効果の的確な予測、行動の実施
の各段階で人は失敗するのでいかなる行動も自分のために
最適な行動にはなっていない。

6 拡大自己説
人は自分の中にいわゆる個体としての自分以外の諸要素を
含める。他人もそのひとつ。国やスポーツのチームの
場合もある。それはいわゆる「利他的」とされるような
行動を生み出すことになる。個体としての自己が完全に
消える場合は少なく、あくまで複数の自己定義が対立
するが、ある程度までは「拡大された自己全体の損得勘定」
を考えて個体としての自己の損得を棚に上げるのも確か。
「それは自分の思い込みによる他人への親切みたいな
もので、正確な損得勘定はできないじゃないか」という
反論はある程度は有効だが、損得勘定が正確にできない
のは個体としての自己に関してもある程度は言えること
なので完全な批判とはなりえない。

以上。いかがなものか。
13考える名無しさん:2000/12/02(土) 05:42
無意識的な行為は?
たとえば、寝返りをうつ。

行為の定義が必要だね。
14考える名無しさん:2000/12/02(土) 07:03
孟子か荀子で子供が井戸に落ちそうな時助けるのは
無意識な行動で自分のことなど考えないっていうのがあるけど
衝動的な行動なら自我ははいんないんじゃないですか?
15考える名無しさん:2000/12/02(土) 14:33
つまり無償の行動なんて全てに自我がからんでくる限り
存在し得ないってこと?
16考える名無しさん:2000/12/02(土) 15:04
全てに自我がからむわけではないから、無償の行動も
存在し得るってこと?
1715:2000/12/04(月) 00:25
ごめん、自我がからまない行為って例えばどんなこと?
18考える名無しさん:2000/12/04(月) 01:34
13@`14の流れで言ってるんじゃないの。
19考える名無しさん:2000/12/04(月) 03:59
>>17
それは行為とは呼ばれない。ただの動きである。
癲癇の発作で痙攣するとかだ。
20考える名無しさん:2000/12/09(土) 01:04
>>4
確かに意味はなくなる。
あえてそれを意識しなければならない場面を想定するとしたら
「純粋に利他的な行為」が存在することを否定するときだけだろうね。
21考える名無しさん:2000/12/09(土) 18:49
7はバカ
22名無しさん@1周年:2000/12/09(土) 18:53
親にになり、妻と子を持てばわかります。
23永遠の17:2000/12/09(土) 19:06
なんとでも言えんだろ。
井戸に落ちようとしてる子供を助けるのだって
見殺しにしたら自分がつらいからだ。
24考える名無しさん:2000/12/10(日) 03:21
何事も自分のためにやってるという気持ちになれば、
事ははかどる。
相手のためにやってるという気持ちがあると腹がたつようになる。
25考える名無しさん:2000/12/13(水) 18:55
そうかなぁ?
26名無しさん@1周年:2000/12/13(水) 19:11
1に同感。
22にも同感。
でも自分自身が自分のことを第一に考えないで一体誰が考えてくれるんだろう。
自分のためって汚いことじゃないって思いたい。
27考える名無しさん:2000/12/13(水) 22:13
4に同感、
何事も、極端に考えると、意味がなくなるよ。
28考える名無しさん:2000/12/14(木) 12:30
どこまでを自分だと考えるかによりますし、行動する場合は状況によりますね。
体は間違い無く自分の一部ですが、物理や生理の法則に従ってその部分はコントロールできないので
その一部を分有しているといえますよね。家族も自分の一部で、他の家族と責任を分け合っている。
社会はどうでしょう。日々関わっているのですから自分の一部であるのは間違いないのですが、
割合としてはごく一部ですね。いずれにせよ自分の為に行動している訳ですが。
29考える名無しさん:2000/12/14(木) 12:54
そんなものなし。でも地球は今日も回る。
それでいいんじゃない?
そもそも問題設定が幼稚。
歴史的に恥ずかしくも大掛かりにこの問題を取り組んじゃったのが
サルトル。利己的ー利他的、の二項対立ではないけど、自由と必然の
間で、覚醒剤まで使って超苦悩(笑
自分にとっては徹底的に利己的な行動でも、他人にとって見れば
ひょっとしたら利他的に作用するかもしれない。ってのが人間関係の
面白いところなんじゃないの? 要は自分のしたいようにするに限る。
うお? ひょっとしてこれって超一般論?
30考える名無しさん:2000/12/14(木) 13:06
>>29
自分のしたいようにする限る。だと匿名の善行から犯罪行為まで全部入ってしまうので、
じゃどこまでが自分なの?という問いが自然に発生するのでは?

宇宙は無限で複雑だが人間は有限で宇宙よりは単純だという議論なんですが。
31>30:2000/12/14(木) 13:20
というか、そういうむやみやたらとでかい話は結構だけれども、
そういうのは基本的に一度やってしまうと後はパターンだから、
せいぜい中学高校くらいで卒業しておこうということ。
そういう、ここはどこ? 私は誰的な根源的な問いの次元と、自
分が生きている日常生活の次元をしっかり区別できるようになる、
それが精神的にある程度成熟するってことでしょう。
現代は、そういった次元の峻別野能力が社会的な状況を考えると
発達しにくい、とかよく社会学者とか批評家がいうけど、ロジックの
細部はともかく、大筋はまあそういうことでしょう。
自分の大好きな人が傷つくのはやだ、とか、その程度の身近な認識で
いいと思いますよ。それが自分のしたいようにするってことですよ。
恋人が目の前でにっこりわらってることと、世界の終わりだとか、
究極的な真理だとかは何の関係もない。
いや、ほんとはちょっと関係あるけど(笑
32考える名無しさん:2000/12/14(木) 13:27
>いや、ほんとはちょっと関係あるけど(笑

はは、ないですよ。きっと
33俺も:2000/12/16(土) 05:11
自分の為にこのスレ立てた1は何者?
34名無しさん@1周年:2000/12/16(土) 14:08
エゴは否定できんのかな?
35考える名無しさん:2000/12/16(土) 15:05
>>31
馬鹿だなあんた
368:2000/12/16(土) 15:15
タバコを売った奴と作った奴が悪い
3736:2000/12/16(土) 15:19
>36
変な場所に書き込みが???
38名無しさん@キティ立入禁止:2000/12/16(土) 16:33
行為という次元で物を語るなら、自分の犯した行為が自分のため、つまり自分の
意図している所産としてではなく、偶発的に生まれることはあるでしょう。
そうでなかったら、全て自分の思うがままに行動できる事になるでしょうが
それは実質的に不可能でしょう。

39名無しさん@1周年:2000/12/18(月) 15:10
他人に対する行為に価値があるという決め付けは
どういうふうに生まれてきたんでしょうね?
40考える名無しさん:2000/12/18(月) 15:26
お前にとっての他人、つまり俺に奉仕しろというところから。
41レッド・オニ・スラ:2000/12/19(火) 00:24
「情けは人のためならず」って、
「人に情をかけるのはその人のためじゃなくその情はいつか自分に帰ってくる」
ってことだよね?
結局何をするにも、「自分のため」なんだよね。
そのこと考えて、自分って何てくだらない人間だろうって考えたこと無いですか?
あたしは自分のことしか考えられない人って寂しい人だと思ってた。
でも、皆そうなんだね。
42考える名無しさん:2000/12/19(火) 02:01
単純化した話だけど、皆が自分の事を完全に守れれば
他人にどうこう言うことも無くなるんじゃないでしょうか?
社会面じゃなくて精神面の話だけど。
43考える名無しさん:2000/12/19(火) 09:33
>>42
稀少財の再分配という意味で経済学の範疇に近くなりますね。
あとは、両親が自分の子供を互いに自分の一部だと思い対立するといったような
心理学の問いに近くなるかも知れません。
44考える名無しさん:2000/12/19(火) 11:05
特定の価値観を刷り込まれているとき(道徳、しつけetc)、
自分のためにやっていると思っている行為が
実は他人(社会etc)のための行為でもあるということは
しょっちゅうだ。
45考える名無しさん:2000/12/19(火) 11:07
完全に自分のための行為も
完全に他人のための行為も
とてもとても、難しい。
46考える名無しさん:2000/12/19(火) 12:32
極論ですから議論するのは簡単ですが、実際に行動するのは難しい
(というか原理的にはほとんど無理)でしょう。
47考える名無しさん:2000/12/20(水) 23:52
利己性はくだらないのか。エゴは否定するべきなのか。
自己批判は成長に欠かせないと思うけど考えるとおもしいテーマだね。
48考える名無しさん:2000/12/21(木) 00:59
ある人を幸せにすると自分も嬉しくなるってことが愛なのでは?
49考える名無しさん:2000/12/21(木) 02:22
単純化して説明させていただきます。
2種類の性格A@`Bがあったとしよう。
基本的にA@`Bはお互い不信用。
A@`AまたはB@`B同士は信用。
2をxに置き換えるなら、人生においてたくさんの人と接することの重要性が証明される
5082:2000/12/21(木) 02:46
すべての行為は無意味です。
5183:2000/12/21(木) 02:48
それはすべて82のせいです。
5282:2000/12/21(木) 02:58
なんでやねん?
53考える名無しさん:2000/12/22(金) 05:34
何なんだ?
54考える名無しさん:2000/12/24(日) 02:20
そんで、やっぱ無いって事?
55考える名無しさん:2000/12/30(土) 23:23
あげ
56考える名無しさん:2000/12/31(日) 07:18
この問題は自分の行為は自己から発する(しかない)ってところに罠がひそんでいます。ゆえにこの問題自体が意図せずに欺瞞的です。自分のための行為というとき、[ため]という語は本来行為の結果を指すものである筈なのに、ここではさらにそれを行為主体の主観にまで還元しています。そこに問題点があるといえます。我々は自分の主観を他人の前で確定させることはできないのですから。それは他人の目から見るとブラックボックスであるがゆえに。
57考える名無しさん:2000/12/31(日) 07:18
この問題は自分の行為は自己から発する(しかない)ってところに罠がひそんでいます。ゆえにこの問題自体が意図せずに欺瞞的です。自分のための行為というとき、[ため]という語は本来行為の結果を指すものである筈なのに、ここではさらにそれを行為主体の主観にまで還元しています。そこに問題点があるといえます。我々は自分の主観を他人の前で確定させることはできないのですから。主観は他人の目から見るとブラックボックスであるがゆえに。
58考える名無しさん:2000/12/31(日) 07:20
二重カキコ失礼。
59:2000/12/31(日) 11:09
だったら何で他人の賞賛がこんなに気持ちがいいんだよ。
褒められて嬉しいのはなんで?
60考える名無しさん:2000/12/31(日) 11:17
>き 他人に自己が認められたからです。
61:2001/01/01(月) 01:49
とすると、自分一人じゃ充足できない欲望を満たすために、
相手が必要なわけだ。いわゆる69。
人の喜ぶことをしないと、自分に帰ってはこない。
つまり自分のためでもあるけど、人のためでもある行為はありうると。

あと、強制されてやる行為は自分のためではないのでは?
62考える名無しさん:2001/01/01(月) 02:07
催眠(洗脳、刷り込み、道徳etc)で「自分のため」と
思わされてやる行為は自分のため? それとも他人のため?
63考える名無しさん:2001/01/01(月) 03:32
>61、62 そのように主体の自由を奪われた状態で行為させられる場合には、その者はたんなる手段であり道具でしかなくなり真の行為主体は強制者なり催眠術師に移されるのだと思います。 これは仮に犯罪に置き換えてみればわかりやすいと思います。もし強制的に、または催眠術をかけられて犯罪行為に加坦させられたとしても、そこに主体性がなかったと認められたならば、その罪の責任は(主犯格よりは)問われずに済むでしょう。
64考える名無しさん:2001/01/01(月) 08:22
>61-63
「催眠(洗脳、刷り込み、道徳etc)」によらない行為などあるのかね?
65考える名無しさん:2001/01/01(月) 11:30
狭義の催眠によらない行為は当然ありますから64さんが問題にしてるのは広い意味での催眠、そう言えるかどうかは別にしても、つまり先入観や無意識に刷り込まれた認識による行為は主体的かどうかと問いたいのだと思います。一般的に言えば当然そこに主体的責任はあるとみなされますが哲学的に考えるなら主体性とは何ぞや?というもう少し深い意味の問題になるわけです。それは主体の超越論性という問題に関わると思います。我々は経験的な主体の他にもう一つその経験的主体を判断・吟味できる超越論的な主体をもつと考えられるわけです。
66名無しさん:2001/01/02(火) 03:51
56(57)を汲んで、
「客観的」(動機などの心情を考慮に入れずに価値の移動などを評価した場合)には他利的な行動は考えられるけど、「主観的」(自己満足)には自利的以外の行動は定義不能なのではないか、と思いますがいかが。
それともこれを分けて考えるのはルール違反かな。
67考える名無しさん:2001/01/02(火) 07:33

あらゆる行為が「自分のため」というところまで突き詰めていったら、

もはやその「自分のため」という語は本来の意味を失ってしまい、

問う意義さえ失ってしまった形骸でしかない。そもそも「自分のため」とは

「他人のため」に対置されて初めて意味をなす語なのだから。
68:2001/01/02(火) 15:56
65って
阿Q世伝?
6910:2001/01/02(火) 18:08
利己的でない行為があるか、というのと利他的な行為があるか、というのは
微妙にズレてると思うけど、それを横におけば、
大きな問題は明らかに自己中心的で他人を思いやったり愛することを知らなさ
そうな奴と、ものすごく自己犠牲的で努力や苦労や負担をしてでも他人のために
行動する奴とがいる、っていう感覚は哲学的に説明できるかどうかな。
利他的な行為はない、って言うだけで済ますなら、じゃああの自己犠牲的な
人たちは自己中心的な人たちと同じなのか、というところを感じてどうもおれは
落着かない。
みんな自分のためにやってるんだ、と言い張る奴がどうも自分が自己犠牲的な
ことをしない言い訳をかましているように思えることもあるし。
もちろん自己犠牲的なことをしている奴の中に自分に酔ってる奴とか、他人に
よく思われたいからやっている奴がいるっていうことも思うよ。ただそれだけ
じゃないんじゃないかな。
70考える名無しさん:2001/01/02(火) 21:39
利己主義で、相手にも利をあたえる。
利他主義で、相手に結果として害をあたえてしまった。

さて、どっちがいいんでしょうか?
71阪京:2001/01/02(火) 21:46
ここも同じやが、それは、ドーキンスの本でも読めば? (逃げの一手)
72考える名無しさん:2001/01/02(火) 21:55
ドーキンスの利己的遺伝子説は学会で通用するレベルとは言えない。
唯一社会学だけがその観点を受け入れているだろうが。
名前だけ出すなどもっての他
73考える名無しさん:2001/01/02(火) 22:07
これまでのレスをみても行為を主観と絡めて語るのは成立しないってことだよね。
74名無しさん:2001/01/03(水) 01:02
ドーキンスを含む遺伝学では、利己的でない利他的な遺伝子が偶然の結果発生する可能性を否定してはいませんが(ただすぐに淘汰されることになってますけど)。
ドーキンスの利己的遺伝子説は、日本ではなぜか「遺伝子に意志がある」に近いかんじで誤解を受けているといわれてますけど……。72の「学会で通用しない」というのはそのあたりを踏まえてでしょうか?。ドーキンス自身の理論は学問として妥当だと思いますが。
75阪京:2001/01/03(水) 01:48
>ドーキンスの利己的遺伝子説は学会で通用するレベルとは言えない。
ははははは。十分通用してるよ。異端視されてるのは構造主義生物学の方
だわ。それともルイセンコ学説の信奉者?
>遺伝子に意志がある...
っと考えれば理解しやすいから、擬人的な表現を用いてるだけだわ。
D先生。
76考える名無しさん:2001/01/03(水) 02:14

利己的・利他的というのもかなり擬人的という気がするけどね
77阪京:2001/01/03(水) 02:22
利己的・利他的ってのは、擬人というよりも、対象に対する作用を表現
した一例(2?)であって、それとは次元を異にするのでは?
78考える名無しさん:2001/01/03(水) 02:45
>>77

なんとなく、そこにも目的論的な自他区別の自己意識(つまり意志)を仮定(投影?)しているように思えたので。

79考える名無しさん:2001/01/03(水) 02:46
>>77

なんとなく、そこにも目的論的な自他区分の自己意識(つまり意志)が仮定(投影?)されているように思えたので。

80考える名無しさん:2001/01/03(水) 15:18
自分のため、他人のためというのはあくまでも社会的レベルでの概念だよ。それを遺伝子レベルで語ろうとするのは根底的なようにみえながら、あるいは根底的過ぎるがゆえに何も語ってないのと同じだよ。
81:2001/01/03(水) 17:15
結果を出せる人間が一番偉いと。
どうせ心の中なんて判らないのだから。
自分にとって都合よければよし。
82考える名無しさん:2001/01/03(水) 18:41
ミームとジェノムについて誰か詳しい説明きぼん
83名無しさん:2001/01/04(木) 03:15
1の質問に立ちかえって、「利他的でありながら利己的でない行為はあるか」という疑問については、
「利他的な行為をするものは評価される」という制度(=道徳)がある限り、
結果的には利他行為をしたものは必ず評価という利益を受けます。
評価を省みない利他行為=「自分のためじゃない行為」は可能ですが
(例:「利他行為は評価される」というルールを知らない場合)、
利他行為を評価するという道徳を持つ人間から見れば、
必ずそれは評価されてしまい、1で示されたように利己的に見えてしまいます。

すなわち、パラドキシカルですが、
「自分のためじゃない行為」行為を善とする価値観を共有する人々の間では完全な「自分のためじゃない行為」は成立し得ない、
ということができます。
84名無しさん:2001/01/04(木) 03:24
69にもあるけど、利己的と利他的は排反の概念とは言えないのでは?
たとえば自殺は、利己的とは言えませんが、他者の介在を必要とせず、利他的とも言えません。
特に遺書に「XXにいじめられた」などと恨み言を書けば害他的ですらありえます

したがって、他人を想定せずとも「自分のための行為(とその否定)」は設定可能です。
利他的であることは社会的にしか言えませんが、利己的かどうかは社会性が無くとも言えます。
85考える名無しさん:2001/01/08(月) 02:51
人間にとって自我と社会性は切っても切り離せないものだと思うが。
86考える名無しさん:2001/01/08(月) 06:23
社会的に有益な状況まで、自己の利益を拡大する行為が、
「利他的」って言う事じゃない?

87考える名無しさん:2001/01/08(月) 19:27
>85 社会の中においてみないとその行為が利己的かどうかは判別できないよ。もっと言えば利己的かどうかは自分で決められるものではない。
88考える名無しさん:2001/01/09(火) 13:57
>>87
自分で決めた方が、判断しやすいかも。鴨。
89考える名無しさん:2001/01/09(火) 20:00
われわれは利己的か否かを自分で判断できるものとみなし、実際当然のようにそれを行うが、本来外側にあった社会性を内面化してるからゆえにそれは可能なである。
90山師さん:2001/01/09(火) 21:29
>89
そうだけど、社会(ってだれ)に判断を求めると、山のような価値観
にさらされて、なにがなんだかになっちゃう。
人間の内面を扱ったり、個人の判断や理性を扱ってる哲学はあるけど
感情を扱った哲学ってないの?
91考える名無しさん:2001/01/09(火) 21:33
90=88
92考える名無しさん:2001/01/09(火) 22:45
それはもう心理学というか心理カウンセリングの分野じゃないでしょうか。おれはどんな問題も知的に理解できればすっきりする方だけど、その逆に不安になってしまう人もいるかもしれない。 おれにしても感情的なものがいつぶり返してくるかはわからない。抑圧するものは回帰するとフロイトも言っているし。
93考える名無しさん:2001/01/09(火) 22:53
>92
もちっと哲学的に言うとなんだけど、、、、
哲学の世界って、自然科学の体系とかも無視できちゃうじゃない。
無限は本当に存在するか?とか、、、
別スレ立てた方が良いかな?
94考える名無しさん:2001/01/15(月) 04:26
age
95ピエール瀧:2001/01/15(月) 04:46
96考える名無しさん:2001/01/24(水) 13:47
age
97考える名無しさん :2001/01/24(水) 14:27
あげ
98考える名無しさん:2001/01/29(月) 02:35
新大久保駅の助けに入った件は?
99考える名無しさん:2001/01/29(月) 11:39
>>98本質的に何もかわらないよ。
そうするべきだという自分の意志に従ったんじゃないか
っていうこのスレの中身と同じ。その意味で自分のための行為だよ。
100考える名無しさん:2001/01/29(月) 12:51
極めてわかりやすくオナニー。
気持ちよく死ねたんだからまあ本望だろ。
101もぐら:2001/02/01(木) 07:37
「自分のためじゃない行為」はないと思う。
でも「彼自身のためではない行為」はあると思う。
例えば
A君がいらないもの捨てて、B君がそれを拾う。
それぞれの行動は自分のため。
その全てを外から見てたC君だけが
「A君が捨てて、B君が拾った」という行動を知っていて
A君の行動がB君の為になったと思った時にのみ
「彼自身のためではない行為」を認められるのでは?
102考える名無しさん:2001/02/01(木) 13:43
つまりは第三者から見て「他人のためになる行為」だね。
103考える名無しさん:2001/02/03(土) 03:21
人生とはオナニーの連続である。
104考える名無しさん:2001/02/03(土) 03:24
結局、行為の原因というのは、外からの記述にすぎないので
どうとでも記述可能。

あとは心情の問題。

ふとした一瞬に助けるほうにまわってしまうのを
自分のため、と記述するのも可能だけれど、
心情的にはどこか抵抗をおぼえるひとも多い。
105考える名無しさん:2001/02/10(土) 23:06
心情的にはどこか抵抗をおぼえるひとも多いけれど自分のためでないと
ハッキリ言えるんだろうか?
106名無しさん@1周年:2001/02/11(日) 02:13
上記議論は全て「自分」というものが独立して存在することを
前提としている (ププ
そんなものないのに。
107考える名無しさん:2001/02/13(火) 16:39
>>106してないと思うよ。
108考える名無しさん:2001/02/13(火) 16:42
してないから、「自分にとって○○するのがよい」という言辞に基いて、
○○に適当なものを当てはめて自滅する人が後を立たないんでしょ。
自滅ってのは人間の物質的根拠である肉体の損傷や死ね。
109考える名無しさん:2001/03/16(金) 05:42
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110考える名無しさん:2001/03/21(水) 02:04
けっこういいスレだったんだが
111考える名無しさん
行為者本人が、その行為そのものを誰のためと思ってするのか。
私が、ある行為が誰のためにされたと思うのか。

それが答えだ。
自分のためじゃない行為はあるし、ない。
質問するときは文脈を作りなさい、文脈を。