悟りに近づくために5

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1Absalom ◆owNN8RDlXo
お釈迦様の得たといわれる悟り。それに至るために、各人の経験と理論行使による
論理によって、新しい考えを積み重ねていきましょう。

前スレ

悟りに近づくために4
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1372849335/
2考える名無しさん:2014/08/09(土) 23:34:37.68 0
Absalomの個人スレだから、ちゃんと理解して書き込もうな。
3考える名無しさん:2014/08/10(日) 01:20:47.71 0
2chに個人スレとかないだろw
エゴ丸出しでは悟りに近づけんぞ
4考える名無しさん:2014/08/10(日) 11:55:59.48 0
>>3
また断定の先走りw
5Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/10(日) 12:21:25.45 0
哲学板は知識の多い方が多い。考え方においては新しい知識を求める人が多い
。伝統を踏まえている人が多く、だから焦らない。日本人らしい人情が
大事にされている。より良く生きたいというこのスレでの願いに対して、仏教的な考え
や、各哲学の方法が、発火を助けてくれる。素晴らしい世の中の、素晴らしくも
苦しくもなる人間というものは何になるのか。人のほんとうの幸に対して、何が
できるのだろうか、という模索だ。本当の認識と本当の存在を手に入れたい、という
願いを持っている人たちは、まさに悟りへと近づいているのであり、教団の中の
修行僧と、何ら変わらない存在である。
一人ぼっちになっても悟ろうとするのだが、人から影響を受けるということは
なんて素晴らしいことだろう。それは、人が素晴らしいからに違いない。
6考える名無しさん:2014/08/10(日) 13:16:40.98 0
現実を受け入れる覚悟ができてからいえよクソガキ
7考える名無しさん:2014/08/10(日) 13:21:41.83 0
>>5 は当然「悟り終了」してるんだよな?
8考える名無しさん:2014/08/10(日) 13:23:42.55 0
もし違うのなら 悟りへと近づいている なんて言えないよね?w
9Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/10(日) 14:15:27.98 0
>>6
現実を受け入れることは、現実認識、理解を越えたことでしょうね。覚悟によって
自己を振り返り、不満を他人のせいにしないという程度の叡智は持っていたいと思って
います。ですが、あなたの僕の覚悟に対する批判の本質は、現実こそが
真実の源であるということでしょうから、人に対する呼びかけに対して
賛同の意見はとても寄せられないということでしょうが、悟りに近づく道を
探っているということで、受け入れてはもらえませんか。現実を受け入れる
努力は、続けなければいけないと思います。

>>7-8
悟りの終了はしていません。ですが、近づいたとかんじることは、出来ます。なぜなら、
自分の心や価値観で、判断がつくからです。全て正しい事を考えることは
難しいからです。
10考える名無しさん:2014/08/10(日) 15:47:50.12 0
それは答えになってないんじゃないのかなー?
かんじる事が出来るで通用するなら
こんな場所に書き込む必要もないんじゃない?
11Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/10(日) 16:02:17.07 0
いいことは嬉しい。でもいつもいいことばかりではない。子供の
頃は何にでも新鮮さを感じていた。そういう自分というものは、錯覚で、苦しみを
受けていないから無垢になれるのだ。この苦しみは自分の中だけのもので、
自分を治す以外のやりかたはない。だが、放置された何十匹もの飼い犬は、発見され
たとき、全身で人間に向かって、信じている声を吠えたのだ。罪だ。
人間とはこんなにも他のものに対してしてあげられる存在であるのに、自らの
内に閉じこもり、世を恨むというようなことが、よく見られる。少しはましな
ことをするべきだなあ。問題は解けないほど難しい。
取り戻すべき子供の気持ちなどは僕に全くない。ただのクソガキだ。いつのまにか
クソガキが習い性になった。あまりにも切なく、悲しい。わかり合うことの
前提に、アイデンティティがある。自己があるから分かり合える。現実と
親しくなり、心を穏やかにすることが、最低限なことだ。最低を踏み外してはいけない。
たとえ崇高な人格をめざすことなくても、自分にとっての喜びを、見つけ出すことで
如来となれる。理知的な自己分析をしない哲学徒はいないから、哲学とは
悟りへ至る傾向があるのであると思われる。
僕自身はまだ入門的なところから踏み込んでいないが、この苦しみを真の修行と
思う。人間の極限を感じている。
答えをだすのを急いではならない。いいめんを見つめて、穏やかに物事に対する
ことは、極限においては必要となる。仏のありがたさが、最後まですがりつける、
砦である。
12Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/10(日) 16:11:21.88 0
>>10
かんじるという言葉は、胡散臭いと思われますか。僕は、自分一人で考えることが
物足りないので、こうして書き込んでいるのです。だから、悟りに近いかというと、多分
それほどでもないのでしょう。僕のスタイルが、悟りと異質なものとかんがえることも
出来ます。僕に出来ることは限られていますし、不条理なことを言ったり
したりすることもあるでしょう。このような迷いにあるのが、僕だけでは
ないと思い、病のためまともに勉学も出来なかった自分を、なんとか答えを
みつけようとすることで、なにがしかの面白さや感動をかんじてくれる人に
触れたいという思いです。
迷いに答えを与えることをしたいとは思うのですが、戦々恐々です。
13考える名無しさん:2014/08/10(日) 16:11:35.86 0
ウチに閉じこもるのが嫌だったらその事実を2chに書き込んで自分を慰めることによりさらに閉じこもるのではなく、2chを辞めて家の外で出ることから始めよう
14考える名無しさん:2014/08/10(日) 16:25:00.23 0
>>12
かんじられなくなるのが人格障害の始まりだから触らないほうがいい。
15Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/10(日) 16:38:53.93 0
>>13
君のいるところまで近づけるなら、病気を直してアルバイトでもしてみます。その過程
において、様々なことを感じて、君のことを忘れてしまう気がします。でも、発端は
君と近くなりたいということです。まともな社会人になれば、わからないことが
なくなるのでしょうか。忘れてしまうことで大事なことをなくしてしまわないでしょうか。
分岐点で道を選ぶこと、そんなゲームのような気がしてなりません。だから僕は
何者かになるということに、抵抗を感じるのです。

>>14
貴重なアドバイスをくださりありがとうございます。これは喜びです。
16考える名無しさん:2014/08/10(日) 16:51:02.67 0
かんじると悟りと結びつけるから胡散臭い。
感じる事の重要性が分かっているなら哲学や悟りなんてのに触れちゃいかんよ
哲学そのものが人格障害の始まりなんだからw
病人と哲学・悟り最低の組み合わせ
あんたは >>13を実践してみればいいだけなんじゃないか?
現実でグダグダやってると何かの勧誘がくるぜ?w
17考える名無しさん:2014/08/10(日) 16:55:00.23 0
個人的な悟りなんて有り得ない。
現地球で、今も殺し合いをしている場所がある。
一人残らず悟った時が人類の終了の時期である。
18Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/10(日) 17:01:26.33 0
址縁性と説かれているように、此(煩悩、無明)がなければ、彼(苦)もない。だから、
此をなくすよう努めねばならない。そのためにも、どんな煩悩に囚われているのか
という自覚が大切だ。
そもそも苦というもの自体が、その本質をつかむのが難しいのであり、だから無明と
言われる。そして苦は本質なのではない。智慧の働きにより、なんとでもなるものだ。
本来的には、人間は、悟りに至った時点で、全てが喜びとなる。
19考える名無しさん:2014/08/10(日) 17:06:12.22 0
Absalom ◆owNN8RDlXo が勧誘する側だったというオチか
20Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/10(日) 17:08:56.82 0
>>16
犬の散歩と米炊きを日課にしています。そのほか、フリースペースと言った場所にも
通い内職仕事などもらい、外とのつながりが無いわけではないのです。それでも
自分が閉じこもっていると感じるのは、身体的な病気により、認知がうまくいかない
からです。
仏様のやさしい心に触れることが、何よりの喜びです。
21考える名無しさん:2014/08/10(日) 17:10:03.61 0
そこまで分かってるならチラシの裏にでも書いとけよw
2CHでわざわざ公開する必要ないだろw
22Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/10(日) 17:16:02.88 0
>>21
お釈迦様や菩薩にあこがれていますのでw
自尊心というのか、愛というのか、何も出来ない自分が嫌で、>>1に書いたように、
皆で積み上げて考えようよ、というスタンスです。
だいたい、社会のつながりがズタズタになっている無縁社会に絶望したくなくて、
本来的な人間のつながりという喜びを、重要だと思っています。
ようするに暇人の寝言ともいうw
23Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/10(日) 17:32:19.84 0
>>18訂正
○此縁性
×址縁性
24考える名無しさん:2014/08/10(日) 18:05:06.66 i
>>15
元々私たちは神の小さな火花で神の元に戻る
死んだら逆に大事なことを思い出しますよ
生きてる間は人として行きているからこそ出来ることをやるのがいいと考えている
そもそも受肉する、ということが何者かになるということで、どうせ何者かになるならとことん体験し尽くすのが潔いと思う
25考える名無しさん:2014/08/10(日) 18:12:00.20 i
外界から私に向う出来事の中にカルマの法則が生きている
そしてカルマの法則は私の足りない部分を埋めよと語る
何気ない人生の困難としっかり向き合うことはカルマと向き合うことと同義
自分の中に引きこもると時間は凍り付く
アストラル界で自分の想念の中で時間を浪費することと等しい
生きているのだから外に出て外界とぶつかって、角をとって丸くなるのがよい
26Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/10(日) 18:28:56.69 0
>>24
>人として生きているからこそ出来ることをやるのがいい
これは考えたことがありませんでした。
>受肉する、〜とことん体験し尽くす
これも大切なことですね。潰れた渋谷の百貨店が、いちばん雰囲気を感じた場所です。
そんな人間現象も、受け取ることが出来たことに、喜びを感じました。

>>25
カルマの法則についてもう少し勉強し、考えたいと思います。
足りない部分ですか、そういう考え方もしたことがなかったです。
丸くなります。
27考える名無しさん:2014/08/10(日) 20:25:10.13 0
すみません、質問ってなんですか?
28Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/10(日) 22:00:14.00 0
悟りってなんだろう。漠然としたイメージで捉えていた。カルマが無いことだろうか。
最も安心を与えるような考えだろうか。死に対して意味を与える唯一の生だろうか。
釈迦は悟っていない時にも、「〜なら、悟りを得られなくてもいい」ということを言った
らしいので、生まれた時から漠然とした意識を持っていたようだ。腑に落ちる言い方は
ないものか。確固としないものか。考えずに済んだ時の、最上の幸福として与えられる
気持ちのことか。難しく考えなくても、とても難しい話だ。仏教というものの、大きさ
を考えれば、その真理である悟りには、それほど大きくなる元が十分にあるだろう。
悟りに至れば全てが満足するような気がする。できればお釈迦様の教えを受けたかった。
一生の課題として残ることは間違いがない。できれば僕も悟りたい。ありがたい。
29考える名無しさん:2014/08/10(日) 23:12:59.83 0
お?なんか好戦的やの?
30考える名無しさん:2014/08/11(月) 09:38:29.39 0
>>29
チンカスはウンコスレあげんな池沼。
31記憶喪失した男:2014/08/11(月) 11:30:46.09 0
悟りを解脱だと思ってるなら、到達したらすごいが、
悟りを無我だと思っているなら、たぶん、死ねばたどりつけるだろう?
32考える名無しさん:2014/08/11(月) 12:34:45.82 0
悟ったところでどうにもならない、
33記憶喪失した男:2014/08/11(月) 12:49:32.19 0
>>32
釈尊の解いた解脱の境地に至れば、涅槃、すなわち全知全能と変わらない状態になることにはなるが。
果たして、現実にありえるのかははなはだ疑問である。
輪廻転生から抜け出る人はいるかもしれないが、涅槃に至る人はいるのかどうか?

まあ、死んだ人を涅槃に至れと祈る般若心経は別に悪い祈祷書ではないと思うが、般若心経は祈祷書だな。
最近、やっとわかった。
34考える名無しさん:2014/08/11(月) 13:54:49.58 0
>全知全能と変わらない状態
はしょりすぎて中学生が「全知全能になれるのかはあ」って勘違いしそう
35考える名無しさん:2014/08/11(月) 22:27:51.86 0
全知全能とはちょっと違うな。どちらかというと悟りは全知全能にこだわらないという方が近い。
全知全能は知ることにとらわれているという点で解脱できていない。
36考える名無しさん:2014/08/11(月) 23:52:58.96 0
>>33
「退かぬ!媚びぬ!省みぬ!」これを己のためじゃなく、
他が為に言い切るとき、本当の力を得る。そこにあるのは涅槃の
領域の力(人の力ではない)である。迷いなき静寂な心、結果を知り罰を受けるための力。
全ての罪を受け入れ全てを未来へつれてゆくからこそ世界から祝福される。何故祝福されるのかが理解できないからそれを否定してしまう。
キミがみているのは人の世界(人が意味をもたらす)だろう、人の世界で主体なる個の意思を
通すならば、主体を無視してまで他が為に活きるのは非論理であり、主体である人間の世界から現実に抜け出せない。
涅槃から覗けるのは心と精神と魂の死である、キミが考えるそれは肉体の死ではないのかね?
最近は記憶盗聴で遊ばないの?
>>34
。。。。
>>35
。。。。
37Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/12(火) 12:43:04.89 0
とらわれないことは出来るようになった気がする。嫌なことも、そうでないことも、
一連の流れの中で起こったことであるから、その流れを正しく掴む。そうすることで、
嫌な気分が相対化され、ただの一瞬に過ぎなくなる。こういう考え方で、怒り
や憎しみにとらわれないようになれる。恐れもそうだ。一つの自然現象に過ぎず、
しかもそれをわかっていないため、一瞬が拡大され引き伸ばされ、とらわれる。
そうならないために、記憶の正しさの方法があると考えるのだ。
38考える名無しさん:2014/08/12(火) 14:05:36.08 0
根源的恐怖は理解しようとしない姿勢によって生まれる、
開き直った奴が凄いのは、開き直ることで恐怖を克服しているからである。
39考える名無しさん:2014/08/13(水) 13:30:39.89 0
地の「利」を失いえど、天の「時」がある、人の「和」もある。
理あるいは利をもちいてもどうにもならないことは義をもって徳とする。
40:2014/08/17(日) 02:37:59.17 i
悟りとは自然回帰

理も論も欲もない“無”の状態

人間は生きている限りこの制約を達成できない

つまり死が悟りに最も近い感覚

己が自然と一体化する死の刹那に体現できる境地

医学的に説明すると心肺停止して脳死するまでの数秒間こそ悟りの真髄
41考える名無しさん:2014/08/17(日) 11:02:39.71 0
>つまり死が悟りに最も近い感覚
ヒント 生命の死ではない。
42Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/17(日) 12:12:51.37 0
覚えられることたくさんある。ひとつの芸術一つの論が必ず持っている全体性が、
個人の中で記憶によって捉えられる。そういった、独創性は誰もが
持っている。積み上げることが悟りではないということなら、僕は
何も信じたくない。つまり僕は、諸法無我を認めない。でも僕は、自分を越えたもの
に出会った時に泣きそうになったりする、自分を認められたというような満足を覚える。
言葉は美しい。
至言ならなおさらだろう。だがそれが美しいのは言葉のことではなく、心に展開があるからなんだ。
つまり、心の満足は、トリガーを引かれた時に弾丸が飛び出すようなものだ。トリガーを引くことは
重要であり、その結果の発射も、結果として満足できるものなのだ。
一人や二人では、生きられない。それは現実的なことでなくて、心の満足の話だ。頭
のなかの毎日を、生きることで癒やせる。つまり、癒やされるべき傷をだれもが持ち、
それを何度も確かめる。これは自分というものを知ろうとする働きで、それがすべて
肯定できた時に、目覚めたもの、つまり自分でできる人間というものが誕生するのだ。
原罪を、贖うために生きるんだという嘘っぱち。そんなことは頭が悪い。なぜなら、
自分の力で出来ないことがあるということを認めていても、それが自然の原理である
と認めず、神の力にひれ伏す。その意味をどのように説明できるというのか?
傷をつかずに生きていく事はできない。だれだって奇跡の体験を、何度もしただろう。
大したことがないことだって、大事にしてる。
苦──思うようにならない苦しみ。それなら、思い通りになったことがあれば、
悟れるってことだろう。雨に打たれて、冷たさ感じて、でもタオルで拭けるから
それは一時の苦しみだ。苦を滅するために、謙虚さがあるだろう。楽境壊滅
を頭の考えで避けようとすることが、悟りではないのだ。できることをやること、
出来ないことを強制的にやらせるのではなく、一般的に通用している哲学
の、発展のことを考えよう。哲学やるなら、ぜんぶの哲学を身につけよう。
そこから新たな、哲学を考えだすことだ。
戦闘的姿勢を保つこと。温かい心を感じさせること。そんな釈迦ならとても
人間だ。
43とおりすがり:2014/08/18(月) 15:53:55.66 0
神を自然とするなら、自然の力は人の意思の力ではどうにもならない。
だから自然に従うしかないという理屈に落ちる。

自然に意思があるとしたら、本当にその自然の力は自然の意思なのだろうか、
それこそ人の意思が弱気に転じるときに落ち込む負け組みの論理である。
自然に従うとは、ほんとうに自然なのことなのか?
それは自然を敵視し、畏敬で恐れる存在として神のように擬人化しただけだろう。
自然を感じとり自然と共に活きることを知れば、自然も我なり、我が自然なり。
自然を"友"にせず"敵"にする気分はどんなかんじですか?
自然を理解できないのは、「人間の計り」で自然を計るからでしょう、
自然が友であるならば「自然が有する計り」を感じ取るべき。
44考える名無しさん:2014/08/19(火) 01:51:34.54 0
悟りの先にいるものは何か?それは悪魔だよ。
悪魔に差し出すのは魂、それは決して迷わない機械(奇怪)の心。
45考える名無しさん:2014/08/19(火) 02:33:13.30 0
まるで花物語(化物語のスルガ編)を見たかのような発想だ。
46Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/19(火) 17:06:52.14 0
>>43
人間というものの特殊さですね。「自然が有する計り」の具体例を上げていただきたい
のですが。「計り」とは観測者が居てのものでないのだろうかという意味です。

ですが、自然同士の相互作用として、友になる道を考えてくださっているのだと、
思います。自然というものに対していかなる態度を取るかは個人の考え方
ですからね。もちろん敵が多いよりは友が多いほうが「いい」とは思いますが、
敵と友はこちら(人間)の考え方次第ですからね。まえにレスにあった、
「カルマ」というのもそういう考え方への一つの解法(確実な概念)であると
思うわけです。
47Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/19(火) 18:34:33.02 0
不確かなものしか持っていない人間は確かなものを理解できない。逆に確かなものを
持っている人間は、不確かなものを解き明かすことが出来る。その範囲を決めるのが、
器のようなものである。別に卑下する必要はない。器とは確かなものなんだ。それを
どうこうしようということは間違いだろう。人との会話が成り立てば、器の私性を
乗り越えたような境地に達することは出来るのだから。その曖昧さに、人間の
優しさの本質を見る。友情とは一番美しい行為であると、私には思われる。
48Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/19(火) 19:00:14.63 0
不安とは混乱から生まれる。社会(の何か)が混乱していると、自殺者は多くなる。
混乱を呼ぶことが、何かを生むこともあるだろうが、そのデメリットに注目するなら、
個人の範囲で混乱を収めることが必要である。不安とは混乱に対抗しようとする
人間のせめてもの意志であるのだ。
49考える名無しさん:2014/08/19(火) 23:19:13.69 0
「自然が有する計り」とは自然が主体となる計り、
つまりその尺度は自然そのものにならないと理解しようがない。
お産の経験をしない人がその痛みを理解できないのと同じ。
盲目で生まれた人は色の計りを持たない、色の鮮やかさを知るには
言葉では無理であり、いくら説明しても神の国の神話の物語にすぎない。
主体として関係(体験)できないものは理解に至れない。
だが人は物事を錯覚することができる、雲の形が美しく見えればそれは
活きている形と考える、その形(模様)を生み出す為にどんな計りによって
関係しているかを想像は可能であるが、そんなものは神話に登場する人物を
比喩し神話を説明するような類である。説明に意味があるとは思えない。
50考える名無しさん:2014/08/19(火) 23:35:12.57 0
>乗り越えたような境地に達することは出来るのだから。その曖昧さに、人間の
>優しさの本質を見る。友情とは一番美しい行為であると、私には思われる。
世界で美しいものとは何か、貴方がそれを感じられるならばそれは1つの美しさ
の側面である。
我々は美しくないものを考えればいい、美しささは世界の力であり、美しくないものは
世界から否定される。選択するべき何かを選ぶとき美しくあるべきところと
汚い部分とを感じ取れれば、より高次でつかみ所が無い意味として説明しえない
何かの選択の基準にできる。誰にとって主体と世界とは?その何にとって
美しいか、それを自分へと誘うか否定し忍び耐えるか、選択は見えるものだけでは
無い筈であり、高次で抽象的で理屈ではない領域では理屈で考えるべきではない
フォースとは感じるもの、友(善友or悪友)にどのように思わせたいかを
選ぶには考えるなってことです。
強力な力を否定するなどできるものではない、そういう敵友には敵に対しても
共に美しくなるべき道を感じ取ること、敵は喜んで自身が望む墓穴(布石)に
落ちる。自分から見た美しさではダメなんです、友と共に美しい夢を見ること。
その先にあるものが布石です。布石は運ではなく故意に設置した悪意のある落とし穴。
未来はそうやって生み出すもの、力とは大きさではなく時に隠れている美しさを
感じ取ること。力点に対する支点の与え方でどんなに強い力でも支点次第で
作用点は制御できるんです。力点に反発すればそれは汚い(美しくない)ってことです。
51考える名無しさん:2014/08/19(火) 23:46:43.08 0
>不安とは混乱から生まれる。
理解できない対象には当然恐怖が生まれます。だれもその恐怖に打ち勝つ知性を
与えてくれなかった、知識だけでは覚悟はできません。
例え不安であっても恐怖であっても、その先がある、その先を生み出すのは
知性の深さを持つものだけ。
決して諦めずに布石を作り、世界の形を徐々に変えてゆく器を想像できる人、
世界との関係に美しさを感じられる人。
積み木ではない小さな布石は無数の可能性の1つと交わる可能性の
積み重ねです。それは論理ではなく自然そのものの誘導、世界の流れに
たいする意思の主張、自身との相性の良い美しい潮流は、必ず廻ってくる
それは時の魔法です。どんなに小さいかけらにも可能性は秘めている、
大きい力ばかりを奪い取っても、美しくないものは相互に共鳴しないのです。
自然にとって美しいとは全てが一体化しそれぞれが活きるってことです。
そこに混乱はありません。
52考える名無しさん:2014/08/20(水) 01:50:05.38 0
53考える名無しさん:2014/08/20(水) 03:12:16.95 0
どうでもいい
54考える名無しさん:2014/08/20(水) 08:27:07.25 0
台所のゴキブリや庭のスズメバチの巣とはしらっと戦うんだろ?
55哲人:2014/08/20(水) 10:20:34.96 0
>悟りに近づくために
悟り(真理を会得する)に近づくことは難しくとも、悟ることは簡単です。
56S、イマムラ:2014/08/20(水) 10:33:21.61 0
唯物論者の老内科医、c点論者だが、これは「本質論」で「科学」に比べ
二の次さんの次のもの。ここでは、c点論も仏教も論じない。宗教も哲学も、
その他の「本質論」も、一つの思想、思索に過ぎない。弁証法が、
共産主義となり、世界に深いえいきょうを 及ぼしているが、その意味で
「本質論」は意味があるが、それは、ここでは「あの世」の話としよう。

   「いのち」アル限り、「本質論」も論ずることがで出来ル。「この世(宇宙)」もアル。
   「いのち」ナキ所は、「本質論」もナイ。「この世(宇宙)」もナイ。                                                      医師としての、「悟り」です。
57考える名無しさん:2014/08/20(水) 10:39:21.54 0
お盆が過ぎたのに、あの世に、帰りそこなった亡者が、
ウロウロしているよ。    「あの世」の誰か、無かへに行ってヤレ。
58考える名無しさん:2014/08/20(水) 10:42:44.12 0
またまた同じこと。
悟れないようだ。
59考える名無しさん:2014/08/20(水) 15:26:48.84 0
どうでもいい
60考える名無しさん:2014/08/20(水) 19:49:52.59 0
悟りとかまだいっているの?
61考える名無しさん:2014/08/20(水) 21:38:42.60 0
糞スレあげんな
62考える名無しさん:2014/08/21(木) 00:00:05.10 0
63考える名無しさん:2014/08/21(木) 00:29:14.58 0
サトラレだな
64考える名無しさん:2014/08/21(木) 00:55:05.93 0
いわゆるサトラレである。
65哲人:2014/08/21(木) 09:15:54.53 0
S、イマムラさん。
「愛智の意」が巡り巡って賢哲・希哲学・哲学と語訳されましたね。
哲学の語源である「愛智の意」とはヒューマニティ(人間愛)と言う「愛」が「智」恵を産みだすと言う「意」味です。
貴方の言われるとおりに、人がヒューマニティを育てるために哲学の勉強も屁理屈を捏ねる必要もないのです。
屁理屈を「ああだの、こうだの」と捏ねる者は自分自身の思い込みの辻褄合わせに過ぎないのです。
これは、私も貴方も経験済みですので、直ぐにお分かりと思います。

次の、

   「いのち」アル限り、「本質論」も論ずることがで出来ル。「この世(宇宙)」もアル。
   「いのち」ナキ所は、「本質論」もナイ。「この世(宇宙)」もナイ。                                                    
  医師としての、「悟り」です。

命に対する着眼は正解ですが、これを「悟り」とするのは早すぎます。
もしかして、人生の先輩かもしれない貴方に生意気な申し様で済みませんが悟りをひらく方法は簡単ですのでいつでもお答えいたします。
66哲人:2014/08/21(木) 09:23:18.93 0
>>57訂正
>お盆が過ぎたのに、あの世に、帰りそこなった亡者が、
>ウロウロしているよ。    「あの世」の誰か、無かへに「来て」ヤレ。

一事が万事。何事にも真面目に対処しなさいね。
67考える名無しさん:2014/08/21(木) 11:00:39.30 0
哲人はキモイ
68考える名無しさん:2014/08/21(木) 11:06:29.95 0
>>56
>「いのち」アル限り、「本質論」も論ずることがで出来ル。「この世(宇宙)」もアル。
>「いのち」ナキ所は、「本質論」もナイ。「この世(宇宙)」もナイ。

だからあんたは駄目なのよw

二項相対の、しかも妄想でしかない。
あなたの「見解」を裏づける経験主義的証明がなければ、単なる勝手な形而上的論議でしかありません。
寝言と変わりません。

仏教的には、2500年以上前の大昔からある単なる「断滅論」でしかありません。   
69考える名無しさん:2014/08/21(木) 15:24:02.15 0
どうでもいい
70考える名無しさん:2014/08/21(木) 15:26:47.68 0
どうでもいいなら。

本当にそうなのか?
71考える名無しさん:2014/08/21(木) 20:51:39.43 0
だから、
72考える名無しさん:2014/08/21(木) 22:52:39.17 0
メンヘラに誘導
73考える名無しさん:2014/08/21(木) 23:53:14.97 0
脳内演算速度が、320 dig/ min を超えた状態を「悟り」と定義します。
74考える名無しさん:2014/08/22(金) 00:26:35.02 0
あげてみる
75考える名無しさん:2014/08/22(金) 07:58:21.08 0
悟りとは人生の疑問にたいして対峙して
逃げずにたちむかい老いていく中で過去を振り返り
幸せの度合いを表すとしたらやはりパートナーが
いなければ成り立たない
76考える名無しさん:2014/08/22(金) 10:19:53.44 0
>>75
仏教板でおねがいします。
77考える名無しさん:2014/08/22(金) 22:45:40.78 0
【科学】「ぼーっとする」のが脳にとって大切な理由 | WIRED [8/22]
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1408714889/
78哲人28号:2014/08/22(金) 22:54:06.10 0
.
見参!
79考える名無しさん:2014/08/22(金) 23:24:20.48 0
哲人28号に期待!


で、なんか書けば?
80考える名無しさん:2014/08/23(土) 00:12:07.88 I
哲学板で仏教の話すると、仏教板いけってうぜえなあ。
東大では仏教も哲学に分類されてるし、唯識は哲学の範疇だしな。
81考える名無しさん:2014/08/23(土) 00:57:23.91 0
そりゃあ宗教学部なんてないからな
82考える名無しさん:2014/08/23(土) 01:27:00.60 0
>>80
既知の解釈説明ならば仏教板で、未知の探求発見なら哲学板で、
哲学歴史の学習や解釈は哲学行うことではない、哲学者ではない
のに哲学云々言い出すやつらって知識のマイブームしているだけ。
分類が云々言われることで影響うけるならやめてしまえ。
83考える名無しさん:2014/08/23(土) 02:01:42.49 0
どうでもいい
84考える名無しさん:2014/08/23(土) 13:23:40.50 0
なるほど
85Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/23(土) 16:57:07.97 0
完全は死によって完成される。ある人間だ死んだ時、それ以上の自我、自我による
発言や行動はなくなるのだから、その人間の一生は完全に記述されることになる。
しかし、他人は他人を完全に知ることは出来ないのだから、その完全性がいかなる
様子のものなのかという情報を作ることは不可能だ。完全な観察とは存在しない
という原理だ。
だが、意識は完全に終わるわけで、死者にはなにがしかの特別な経験として、
死は存在するはずだ。そこに果たして救いがあるのかどうかという点が重要である。
生きている間に死についての「完全な」悟りを得ること。これが、すべての人間が
考えるであろう、自らの意味である。その意味について、色んな考えが行われる
だろうが、果たしてその答えを出すことが出来るのであろうか。
おそらく、釈迦は辿り着いたのだろう、と希望的に考えてみる。
死を弄んだ人間は、たとえば酒鬼薔薇事件であるとか、戦争の狂気とか、いくらでも
あるのであって、殺しの経験が何の答えにもならないことは、いくらでも例があるのである。

死の謎に対して、適切な答えを与えること、そこから、また生に対する視点の変わった
見方が可能となるだろう。それが人間の経験の目的であるのである。
宇宙と一体化することになる人間とは、そのように儚く、尊いものであるのだろう。
86Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/23(土) 16:59:15.81 0
>>85 訂正 一行目 ×ある人間だ死んだ
              ○ある人間が死んだ
87Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/23(土) 17:05:08.60 0
人間の知識において、完全性が頭に浮かぶ時は、その人間が限定された存在である
ということと、等価なのである。むしろ、不完全なものが無限なのであり、等質性
とは、複雑さを指向するエントロピーに反したものである。宇宙の法則に則った
状態に至ることが、自然であるのだから、そのような生き方をすることは、
まさに自然なのである。
88考える名無しさん:2014/08/23(土) 21:52:14.21 0
>87
不完全こそ完全であり、完全こそ不完全なり。捉える位置によって説明する関係である。
人が理解する人の器ではそれを1つにできないだけの話しになる。
完全を望めば不完全に至り、不完全を認めれば完全となる。存在という波動にすぎない。
>>85
始まらないものに終わりはない、始まりがあるからこそ終わる、それが活きる証、
我々はどこからきて何処に向かうかという永遠の問い。
あるがままを認めてこそ、それが存在している外側を知ることができる。
必要なのは全てを受け入れ、全てを未来へ送り出すこと。
過去は死に未来が生まれる、完成があるならそれは始まりである、完全な
知があるなら無理解である。生きることは死ぬことでもある。
まだ死んでいないなら、大いに生きるべきである。
大いなる死が訪れるならば、それは大いなる生の結果である。
どちらか分からない生には、どちらか分からない死しかこない。
繋がっていない片方を否定したくても、同じ意味の裏側にすぎない。
捩れながらも拒絶しながらも繋がっている同一のものである。
永遠に続くかという人の生と死の営みの中でその先を夢をみれば
それは人(個)の夢ではなく、流れる何か全体の夢である。
世界はどんなに複雑に見えても見る位置さえ変えればどのようにでも
解釈可能である。正しさなど一夜の夢の如く、悪夢も然り。
答えは1つではない。個であり続けるからこそ答えを1つに願うだけである。
89Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/24(日) 19:49:57.85 0
>>88
あなたの考えの特徴といえるのが、「未来」ですね。「未来」に対する態度が個人の
中で重要となる事象といえば、「ギャンブル」「寿命」「危険予知」などでしょうか。
そのなかでも、例えば「寿命」などは、根源的に人間に関わってくる。
明日自分は死ぬのかそれとも生きているのか、予測を立てる。そして結果は
当たりまたは外れ。そのように死をつかってギャンブルが出来る。アカギのような
ものにとっては、様々な戦法と読み合いのゲームをやっているわけです。でも、
それに惹かれ、それを自分の天分を活かす場と考えるということの理由は、
ヒリヒリとしたスリルを楽しむことで、自らの魂を満足させることでしょう。まさに
「死ねば助かるのに」という言葉の通り。こういったことは、学問にはなっていないけど、
人間の思考のなかでも、幸せというすり抜けていくものに対する態度として、
とても重要な事です。そのような死線が可能となるのは、おそらく他者の存在
でしょう。ノスタルジーやドキドキする心、それの本質に、ギャンブル、予知
があるのでしょう。
生半可な精神では、恐れてしまいますね。
90Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/24(日) 20:02:46.22 0
本棚の肥やしになっています、『確率過程論』を、早く読めるようになりたいと
思っています。
91考える名無しさん:2014/08/25(月) 12:03:18.52 0
読めるより慣れろ。始めの一行でも暗記しろ。
92Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/25(月) 17:42:09.20 0
>>91
そりゃそうだw
「工学でいうランダムプロセス、数学で言う確立過程の理論は、古くは雑音の理論に
はじまり通信・情報・制御理論、電波・物性・原子炉工学、数値解析などあらゆる
工学分野に浸透しており、物理学でも統計力学、物性・流体・プラズマ・原子物理学、
場の理論など確立過程の登場しないところはないほどである。」
93考える名無しさん:2014/08/25(月) 20:34:05.06 0
いつでも可能という前提の前で
始めの1歩とは、恐ろしく超えることが難しい1歩だろう。
94考える名無しさん:2014/08/26(火) 22:16:56.59 0
たった1歩、されど1歩、1歩では全く代わらないものが多数であっても、
1歩の違いで決定的に代わるものも然り。

歩むとは非合理な1歩を大事にするってこと、合理的な力に流されるのでは
チャンスが来たときにそれを知りえない、掴めない、
最後まで諦めない胆力を鍛えよ。自ら扉を作るものは常に神からの息吹を
得ることができる。諦めと覚悟は似ている、その違いは目的に進む為に余計な
ものを切り捨てるということと、目的自体を放棄することの違いだ。
自分の力を押し通すのは難しい、だが障害となる道を通りやすくするのは簡単である。
世界の声を共に感じよう。世界を理解してはいけない、世界に理解を促せばいい。
世界の意思がまかり通れば、その意思を促した主体は世界の意思そのものの切っ掛けである。
世界を纏い、世界を宿す存在になれ。それには世界の声を感じ取ることである。
95Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/26(火) 22:46:46.96 0
用意された道しかないように思っても、実際に自分の人生に責任をもつのは自分自身
だ。年を取り過ぎたとかなんだかんだ理屈をつけようと、結局結果には自分自身だけが
残される。それなら結果は敗退みたいに思えるだろう。どうせ一度廃人になったの
だから、また道を用意することはないだろう。出来る限りの最善を尽くして、
恐れないで行けばいいんだろう。いまはアウトローなんてあんまり居ないだろうが、
幸せになりたいなんて女の子みたいなことを言ってもしょうがない。
96考える名無しさん:2014/08/27(水) 23:49:15.62 0
道が1本しか見えないのは、1歩を踏み出せないから。
道なんで無数にあるさ。
97Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/28(木) 23:00:54.76 0
みなが天才でほとんど無限な可能性であった幼児期には、感じることができることが、
今よりおそらく100倍くらいにも、あっただろう。これから、そういうことに学ぶとすれば、
感性を柔らかくすることだろう。創造的なアイディアは、感じたことから、なにがしかの
論理的構築によって、生まれるのであると推測する。そこは、感じやすさが強い
ということではないだろうか。記憶がないときのほうが、可能性があり、記憶が
しっかりしてくると、その記憶力と引き替えにするようにして、感性がにぶるわけ
なのであろう。その両方をえようとすることが、実に天才の方法なのである。
感覚を磨き、そのもたらす個人を100%のバランスで、さらに、自由に、操る
ことができれば、その生きることは、実に楽しみの多い、感情にも知性にも
優れた、達成された個人となるだろうと思う。
おそらく、一番根源的な感性は、息を味わうことへの感性だろう。十分に、酸素の
もたらす気持ちを受け入れるようにし、自然と息がととのってくるように体を
変えたら、いいのではないか。
98Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/28(木) 23:10:36.58 0
頭で考えるから限界が生まれる。音楽は耳で、視界は目で、息は肺で、触覚は皮膚で
感じ、脳自体をフリーにする。そして、完全な体を取り戻す、感覚器官の本来性、
感覚器官のありのままに、混乱をなくすこと、頭でっかちにならないこと、そういった
ことが大切なのだと思う。人間は考えるために生まれたのではない。思考は
動物にとって二次的なものであり、感じる事こそ大事にしなければならない。
そのためにも、感覚器官の本来的存在を取り戻さないといけない。
99Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/28(木) 23:23:03.04 0
感性にとっては不可能も不安もない。それは、どのようにとらえた場合も、本当に
存在するということを動かすことが出来ないものであり、努力は必要ない。
100考える名無しさん:2014/08/29(金) 01:35:45.11 0
>頭で考えるから限界が生まれる。
意味で考えるから意味に束縛される。
>音楽は耳で、視界は目で、息は肺で、触覚は皮膚で感じ、
だからこそ、このように考えてしまう。
意思をもつからこそ、意思に対する世界しか感じられない。
意味を捉えれば意味に対する力、形、模様が生じてしまう。
もともと形も力も模様も曖昧でつかみ所が無いものを感じるのに
それが心に浮かぶなら自ら生み出した幻ではないか?
自身が身構えれば、見えるものは身構えるもの。
そういうものを見たいのだろうか、
世界は誰の意思も介在しないなら自然そのものでしょう、
そこに他の人の意思が介在するなら、己の意思を介在させては
融けない方程式のできあがりだと思う。
他の意思を纏い、他の意思を感じ(自分は無我)、他と一体になる。
初めてそのとき他の喜び憎しみ思い希望束縛、全てを見えるのではない
だろうか、他の意思を拒まず、友にし、共に描くべき道を感じられさえすれば、
幻にゆるがせない希望への布石が浮かぶはずである。
希望という未来を感じられるものは、常に未来への扉を開ける、
そして世界は未来への扉をあけるものへ全力で力を働かせる。
限界は常に自分の身構えが生む心の壁ではないだろうか?
考えずに感じろ、そこに未来への何かが浮かぶ。
このときに自ら身構えていたら何も浮かぶことはないだろう。
無心の後の1歩、たった1歩こそ限界を超える布石であると思う。
むやみやたら1歩を進めど身構えた自分のが生む幻想でしかない。
101考える名無しさん:2014/08/29(金) 01:45:47.80 0
>そのもたらす個人を100%のバランスで、さらに、自由に、操る
>ことができれば、その生きることは、実に楽しみの多い、感情にも知性にも
>優れた、達成された個人となるだろうと思う。
個は全であり、全は個である。個のバランスとは全のバランスである。
全のバランスを取れずに個がバランスを願うのは強請ることではないだろうか、
全のバランスにより個が勝ち取ること、それも同じ事の裏返し。
>一番根源的な感性は、息を味わうことへの感性だろう。十分に、酸素の
>もたらす気持ちを受け入れるようにし、自然と息がととのってくるように体を
>変えたら、いいのではないか。
息を味わい、息が我を活かす働きと感じ、息を活かす世界が息を包み、
息することが自然なように世界も自然であると悟りえれば、世界と息は同一であり
息は世界であると関係を結べるだろう。それに意味はなけれど、世界との関係を
失った我々人間社会では、世界との関係を結ぶ「たかが息」であっても、
それは自然である。その無意味ともいえる自然を受け入れられるとき、
自らは自然となる、そこに意思はなくなる。無我で世界を感じ取る方法とは
そういう手法であると思うがいかがかね?
102ポエムだから気にしないで:2014/08/29(金) 01:57:14.45 0
無我でなければ、思いを悟れず、思いが無ければ目的に達せず。
充分に無我を味わうことができるならば、世界の波動の声は小さけれど、
何かしら見えてくる、神経は鋭敏に世界を悟り、自然(世界)と
一体化する、世界と我が一つになったとき、初めて道を得られる。
世界に力が満ちていれば力の後押しを、世界が停止しているときは
世界に力の進むべき世界の向かうべき姿を態度で示す。
世界の流れが逆流しているときは、世界に逆らわず、さらに世界に流されず
世界の力が順流できるチャンスを忍耐強く待つこと。
チャンスなんてほとんどの場合は一度だけ、それを正しくつかめるかは
常に世界と友になり世界の一部であること。
重要なのは世界の一部であるが個であること、世界に逆流する姿勢こそ、
世界に流される意思であり、どんな個の力をもっても世界に立ち向かうことは
できないはず。
ここで必要なのは無我と胆力、チャンスが来るのを感じ取る集中力、
そしてチャンスがきたときに掴み取る覚悟である。
103Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/30(土) 14:31:15.20 0
>>101
新しいものに惹かれることは、可能性を知ることだからだ。全とは全てであり、個とは
全ではない限定された部分である。だから個にとってはこの中にあるもので全てで
あり、器の中に世界を汲んでくるわけですよね。ウィトゲンシュタインのように、
成立していることの総体を世界であるというふうに、世界を理解することが出来る。
だが、全てを知ることは出来ない。だが、全てを知る必要はない。なぜなら、
各個人はその中にあるもので一つの世界、一つの全であり、その、部分である
ものが、世界の持つ可能性、そして個の可能性を、見出した時、人は動かされる
ものだから。

映画などをみていると、一つの全体に対して、各エピソードが偶然でなくよく考え
られている。それは、作品が一つづつの全であるわけだからであろう。成仏
するということは、生あるものにとってこその、慰め、分かりである。そのように、
可能性の尽きるところが、可能性の欠如ではないこと、だから生者は死によって
損なわれないこと、を意味している。

時間の区切りをつけることが、人間には出来る。だから、その区切りという行為
こそが、自由であり、世界の見出し方であるわけである。

かんたんだ。そのように世界を増やせばいい。自分の好きなように生きればいい。
自然は何も人に対して命令することはない。命令されたなら、それに対して
態度を決める自由がある。流されないで、可能性を発見して増やすこと。
そのようにして、人は生きることが出来る。差別に負けないことが出来る。
どのような人間であっても、可能性はゼロではなく、世界の可能性を発見する
ことが、あたらしい考えであるのであろう。
104考える名無しさん:2014/08/30(土) 14:43:08.02 0
>>103
すこし雰囲気かわった?
105Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/30(土) 15:14:38.79 0
>>104
繰り返し感が出てきたらやめます。時間と手間が無駄ですね。今現在は、
感情にも知性にも、満足しつつやっていけています。
自分の発見を他人の方に提示することが出来る限り、自分は
考えを、嘘にしないことができると思います。嘘をつきたいわけでは、当然ありませんが。
学び考えることが、何がしか真実へと方向付けられる限り意味が生じると思います。
ただ、生きていれば他人に対してこうするべきだとかこうした方がいい、と感じることも
ありますが、その場合率直に、説得力をもった言葉を発したい、と思っています。

だれも否定しない、ただひたすらに真実というよいものを、求め続けるた
釈迦のように、僕も可能性は否定しません。色んな人がいろいろ考えた
ことは、絶対にその意味があるのでしょうから。

だから、その指標として、感情と思考の方向を常に考えながら、他者との
関わりをつづけようと思っています。喜びをわかちあうことが、僕の目標
ですから。
106Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/30(土) 16:03:32.43 0
漫画『極東学園天国』の中で、ひねくれた入学希望者に対して、26才の学長が、
「たいしたことじゃなくていい 君が何か一つでも誰かにしてあげられることが
あれば 何もない君にも初めて持てるものが2つある 希望と 信頼」
と言っている。

このような倫理観というのか、他者理解、協力の原理、現実感というものが、
頭に残っている。ほんとうに生きたいならこのようなことを感じたり思ったり
出来るようになりたい。

希望も信頼もほんとうに欲しかったものだから。いまさらでもやり直そう。
少しでも自分のことを考えよう。そうした上で、信頼のようなものを築くこと、
まったくやって来なかったことを、概念や想像の中に投げ入れてみよう。
僕の概念感覚や、想像力が、そういうことを欲しがっている。なら、入れればいい
だけだ。一筋縄ではいかず、とても大変なことだけど。
何かを変えようと想ったら、自分が変わるしか無い、持っている人間は、
出し惜しみしないと思うから。恥ずかしがり屋は駄目なことだ。
もっと本質を捉え直さなければ。流されていけば、何も得られないということ
だろうと思う。

何かが頭のなかにひっかかっていてとれない。この障害を取り除くには、
努力あるのみだ。喜びたい。考えたい。正しいことを掴みたい。
そして悟りに近づきたい。僕は本当に人と真摯に向き合ったことがない。
それは、異常だ。だが、それは現実だ。
107考える名無しさん:2014/08/30(土) 21:44:26.26 0
>>105
主張は他人に嘘であっても自分には嘘ではないぞ、自分に嘘を付くほうが
遥かに愚かである。他人に嘘を付くならばその嘘を自覚し背負うなら当然の
権利でもある。正しさなどそれが力となればいいってことだ、なぜなら世界にとっての
力であるからだ。残念ならが力を示せないものは正義ではないそれが自然だ。
108Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/30(土) 22:54:22.59 0
>>107
力を得ることが、正義を主張するための方法なんですね。正しいことを言えば、
誰かが賛同して大きな力となる。その正しさは、認められることで証される。
僕は、長い寝苦しい夜を過ごす黒人少年などが、とても羨ましく思えます。
寝苦しいということは、感覚があることであり、足の存在などを考えるような、
感覚の、時間があるから。
どんなに愚かな人間でも、感覚と時間は持っているものなので、それを原理に
現実性と、正義的命の考えを導きました。そこでは、すべての時間がロマンチック
であり、ロマンチックな現実が、ブラック企業などとは違う、本当の生き方だと
思うのです。嘘を担い、現実も担う。そうしたことをすることが、正義である
と思います。
つまり、現実が時間の中で手応えを持って感じられること、それが正義の根本
であると思うのです(時間の尊重が正義)。
正義の解決しなければならない現実は、僕のような世間知らずには、まったく
想像もつかないものであるかもしれません。僕にはそのような政治における
正義はまだまったく答えが出せないし、それについて知っていることも多く
ありません。
ただ、正義が現実をもたらすのではないか、現実は正義を正しい方へ導いて
くれるのではないか、と僕なりに考えました。コミュニケーションにおいて、
人は自らを尊重する気持ちが出来て、愛もそこから生まれるのだと思います。
109考える名無しさん:2014/08/30(土) 23:42:30.62 0
暴力団の戦闘力なんて公安警察に比べたらゴミ同然だからな。
全国の警察がその気になれば、3時間で、暴力団構成員全員を殺害できる。
圧倒的な武力・火力の差がそこにはある。
ましてや自衛隊なんか出てきた日には、10分で全滅なわけだが。
110考える名無しさん:2014/08/31(日) 00:21:53.58 0
>>108
生きる、活きるとは正義です。動物は他の生物を犠牲にして正義を通し
生き残ることが自然というもの。
だが正義を通せば必ず弱者たる存在が生じる、これを背負わずに正義をすれば
必要以上の過剰な正義が伴い、正義は弱者の敵となり正義の増加は弱者の増加と
等価でありますから、弱者の数の力が最後に正義として入れ替わる。これも然り。
何事もバランスです。活きる為に行う正義は弱者を伴うことを理解していれば
弱者に過剰な正義は行使しないはずです。力の行使は常に闇を作る、その闇の
部分も含めて正義と成せばそれは愛でしょう。悪い面は良い面と表裏一体、
両方をあわせて1つとすれば、それは愛のはずです。
つまり正義は極めてはいけないのです。必要最低限の力こそ、正しい力の
使い方であり、多くの力を望めば、非なる力が生じ誘うでしょう。
世界と共にありますように。世界とは何か、貴方の世界です。私の世界ではないです。
111Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/31(日) 00:47:58.20 0
自らが悟っているなら、他者のうちの悟りも見通せる。どの部分が足りないかということを、
直感的に観察できる。そして、そのようにして、人の悟りを助けることが出来るということは、
その自らは人を救う菩薩であることを意味する。私の世界とは、そのような、他人への慈し
みにあふれた物となった。私が真理である。そして、全てが真理である。だから無意味な
ものは世界に存在しない。ゴミと呼ばれようと、なんと言われようと、その人間には真理が
ある。すべての人間は自らを悟るべきだ。それが生きる目的である。生きる指針である。
そのように、目覚めた人と、如来蔵の人間に対する愛着が、喜びを生む。
そして、この世は捨てたものじゃないこと、画期的な善が起こりうること、自由や
悦楽が人間にはあること、そういった考えに取り囲まれている私の世界は、
いまや調和を取り戻し、太陽の明るみの下で悟りを楽しむことが出来る。
112考える名無しさん:2014/08/31(日) 05:05:20.13 0
>>111
悟り得た人は、顔が悟り得た顔になっています。それを超える人は
その周囲にも悟りを授けてゆくはずです。生前に成仏するには
仏になるしかないのでしょう。
そういう人は仏のウタがヒビキ、仏のコエをキキ、仏のココロをエル、
人であるが仏である。それは自分がナルのではなく、世界が仏とヨブ。
片仮名で置き換えたのは意味ではなく暗示する意味への布石です。
さて、貴方にとってのほんとうとは、私にとってのほんとうとは?
ここからが哲学になります。
説明するもよし、理解するのもよし、妄想するのもよし、ポエムするのもよし。
どうするのも、その結果は全て自分自身への何か。
私は私の道を、貴方は貴方の道を、さあ進んでください。
113Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/08/31(日) 11:24:20.94 0
>>112
道が交差したらなにか話そう。それぞれ共通することも、違っている(ことを知る)ところ
もあるから面白い。
孤独だから望みを満たすことを思う。ほんとうに希望をトライしたい。
形をなす前に希望を否定したら、消えていった。信頼も希望もないことで、そこなった。
自らがやることに怠けないと今思う。だが怠けることが楽しみであれば、それもいいだろう。
リラックスはいい。街に生きたことがある。無数の人が居て、無数の世界がある。
ふれいあいには、心と礼節が必要だ。それでも理解し合い、心の触れ合いを
夢想するのが、偽らざる心境だ。身につけたことが少ないと、社会の中
では小さな関わりしか持て無い。何かを生むことを考える。体も心も恐怖に耐えるのに
疲れ果ててしまった。一日の終りにはくつろいで、自分の一日を今日も良かったと振
り返る。こういう満足は、毎日が自由だ。仏になることで、自足する。他人を救うことで
ふれあいたい。大きな野望を頭のなかに持ち、涅槃静寂の心をもち、あせらず、着実
に落ち着いた心で、自然に生きる。たくさんの書物と、対話をする。これがやり方だ。
使命を悟り、無限の想像力の翼をひろげる。そして行動。
集中力をもって、自分の仕事をしなければならない。区切りをつけることができる
のだ。鬱陶しいとは思わない。理想と働きは尊い。だから自分の道を進めるだろう。
これが必然だ。
仏の生き方がどんなものなのかまだわからない。概念の言うところ、大きな世界と
小さな世界のなかで生きるしか無い。いつだって思い返すことが出来る。そこに
間違いがあっても単なるエラーで、自分は変わらないだろう。芯と、感じる心と、考える
頭があるから何にでも挑戦する。受け身とか考えず、何かをやろう。世界が美しいか
ら、安心が生まれる。哲学的なことをもっと知りたい。朝日が照り始めた。

自らの真理を悟ったら、あくせくせず無心に、世界を変えようとせず、
人を変えるべきだ。即効性がなくても不用意に心配するな。骨を埋める場所も、心を
触れ合わせる他者もある。自分なりの頭の考えは、本来的にはすべて
自分の楽しみのためだ。仮想された満足の中でも諾を言いうるのが、現代
の人類の栄光である。
114考える名無しさん:2014/08/31(日) 17:18:45.45 0
まず目的を見つけよう。その先へ、更なる先があるから。
115考える名無しさん:2014/08/31(日) 22:58:36.81 0
だな。
さっさと就職しろ。
116考える名無しさん:2014/09/01(月) 05:13:21.79 0
必要なものは必要なとき、不要になればそれは不要
117Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/01(月) 14:38:15.81 0
>>115
二回ほど、就職してみたことがあるのですが、三日ぐらいでやめてしまいました。
原因は病気で、とてもつらくなり、集中力がもたず、仕事を覚えることもできなかった
ということです。この歳になると、新人というわけにもいかないような気がしますし、
企業選びも限られてくると思います。強みは学歴くらいで。働き方について、
ネットなどで調べられるようになるまで病気が回復したら、自分で働きたい
とは思っています。寄生虫のままでは申し訳ないし、後ろめたさを感じない
わけでもありません。
そのようなことに負い目を感じるから、勉強を頑張ってしようと思っています。
それならニートといわれるようなことでもないでしょうから。
目的については、目のピントがあうような感じで、ひとつところにまとまって
いっている最中です。だから、上記のように、自らの行為を、意味あるものに
出来そうに思っています。人生万事塞翁が馬という事を思い、本当に意味ある
ことはなにか、また本当の人の幸いとはなにかということを、考え続けています。
118Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/01(月) 17:46:27.96 0
衣食住が一次的なものであり、意志も一次的なものである。
人に対する使命というものがあるとして、上記はそれを果たすための
条件だ。一生懸命に生き、辛い人のことを担う。それが、本当は自由に
世界の中で行われるべきだろう。インターネットの出現は、見ず知らずの
ものが結びつくことになる。あるものの問題が別の人の問題でもあったという
現実の、交通が自由になる。夢が飛び交う。かすかな愛が行き交う。
ほしい情報はいくらでも手に入る。今日も無事に生きた。明日ももっと
充実した人生を送れるだろう。そして、残るのは死への態度である。
その問題は解き様がない。手段と目的ということを考えれば、もっと
洗練された、生きやすい世の中が生まれるだろう。なぜなら、手段とは
働きのことであり、技術により代替される。そのような研究を行っている
人は、いくらでも称揚されるべきだ。僕はそう思う。いい人らだ。
目的とは、達成したいものである。目的に対して意志を使うこと、
それこそが、意志というものの本質だろう。そして意志は、純化されれば、
いくらでも良く、美しくなる。すべての価値は意志のためにある。
意志を助けることが、必要なのだ。なぜなら、意志の向かう方向が、
個人の行く方向であり、行くという行為を助ける一歩を助けるからだ。
教師は各人の意志を助けなければならないだろう。そうしていつか、
世界の中に自らを見出すことになる。世界に対して感謝を持ち、
世界の世界性と、相即な喜びを感じ、自らの働きが世界の中にあることを
会得することが出来るからだ。

この文は、世界に対して憎しみを抱く者に対して書かれている。あるいは、
不満を持つものに対して。そして、希望を持っているものに対して。
自らを悟ることができれば、それらは改善していくことが出来るものなのだ。
世界への不満とは、自らへの不満であるということなのだ。
そして自らは自立した意志をもって、道徳に縛られない自らが、存在していい
ということを感じるだろう。

そのようにしておとなになり、限られていることへ愛をもって対処することが
出来るのであると。
119Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/01(月) 22:47:53.68 0
秋葉原で電車の中、何をそんなに悩んでいるんですか、と聞いてくださった、幸せそうな
カップルの方、ありがとうございました。渋谷のゲームセンターで僕のことを気にかけて
くださったお婆さん、ありがとうございました。金銭的に、税金から援助をしてくださった
社会の方々、ありがとうございました。
アインシュタインも、感謝の心を毎日忘れていなかったそうで、僕も感謝の気持が
湧いてきた今、とりあえず感謝出来るものに対して、お礼を述べさせていただきます。
感謝の心で、よい社会を築くため、全力で頑張るつもりです。僕自身の役割が
自然と社会の糧となるようなきがしています。
自分の意志で、やりたい事をやれる、やりたい事が見つかる人々への眼差しを
優しくしたいです。
なんと言われようと、このようなことは必然的に僕の頭に湧いてくる想念ですから、
それを成仏させてやりたい。
僕自身の目的は、宇宙の神秘を探ることです。そのための具体的方策は、
とりあえず勉強して、ひとかどの知見を手に入れることです。それから、どこかの
社会(リアル、ネットなど)で方法を見つけ、自分なりの発見をすることを考えて
います。
120考える名無しさん:2014/09/02(火) 18:20:29.42 0
>僕自身の目的は、宇宙の神秘を探ることです。そのための具体的方策は、
>とりあえず勉強して、ひとかどの知見を手に入れることです。
宇宙の神秘は過去にない、未来にある。
明晰で明快で確定的で変動する可能性すらない確実な既存の知識を
勉強するのはいいが、それに依存しては、【神秘】ではなく(ry
輝いているのは未知ゆえ、可能性は秘めている謎のことである。
121Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/02(火) 20:10:57.57 0
>>120
未来において技術等の発見が、あるわけで、また未来が予測不能だからこそ神秘的
なのだ、ということでしょうか。僕は自分の時間がめちゃめちゃになっていたため、
その感覚、だけでも驚くほどの新鮮さがあります。未来に対して行動するにしても
もちろん各人個人差はありますね。手塚治虫みたいな未来だったら、素晴らしいの
ですが。想像力の働きは、未来に対して、より発見的になる。考古学にしても、過去から
未来につながっているということ、つまり、堆積した時間を超えて現在へとやってくるから
魅惑的なのだ、と考えられます。
謎をとくこと。これは魅惑的です。既知ではないこと、それには個人差はありますが、
すべての人間にとっての謎こそ、普遍的謎なわけで、謎を発見したり、解いたり
出来るようになりたいのだ、と思っています。未来の力を信じたいなあと思います。
これからというものに対しては何でもできるし、個人的満足で終わらない形に
自分を出していければな、と思います。
ただ、基礎というものは、いかなる学問においても、非常に重要です。僕は、
そういう教育を受けてきました。
自分一人でもできることをとりあえずやって、それから協力などして発見したい
です。
仏教の未来というものも、考えると面白そうです。
未来にはきっと誰かが新しいことを生み出すでしょう。僕は、僕自身の中で概念
を把握していくことが、特徴的であり、長所でもあると思っているのです。短所
は、まだ論理的な考えにおいて穴があるというところなんですが。
122考える名無しさん:2014/09/03(水) 01:03:38.56 0
        .        /   .ハ   l             ヽ
       /  /     / l .. ../  ヽ .: .:| 、: .: .: l.: .: .: .: .: .: .: .
           .. .. .: .:l .: / .|.: /    \.:| ヽ: .: | .: .: .: .: .: . : l
       |.: .: | : .: .: |.:、.__|/ノ   ヽ、.__.\|ハ.: .: .: .: .: .: |
       |.: .: |.: .: / |/    、      ,         : .: .: .: .: .: |
       |.: .: .: .:/  .ィf芋ミヽ       .ィf 芋ミヽ  V.: .: .: .: .:|
       |.: .: .:V、 / {::::::::::::}         {:::::::::::::} .  |.: .: .: .: .:|   ハッ!何言ってんの?
       .: .: .: .:ハ { 弋辷夕       弋:辷夕 } |: .:/ヘ : |   もう失うものなんか無いんだから
      /.:/: :: .: } , ,                   , ,  |: /^ }: .:     なんも心配ないんだって…
      /:イ .: :: .:ノ            -、        |:/) /: :: :.
        :: :: ::八          、__ ノ  }        |' /:: ::八}
        ∨、ハ: >、       (       /      . ィ :: ::ハ:/
             ∨ハ:>:. . . . _ ー― ' _ . . :<:: /∨∨
                 ∨ ∨-∨人 ̄ ̄ノ〉‐∨-∨ 、
                  /: : :/ : |/又\/: :|: : : : /:ヽ
  と ⌒\       /: l: : : > | //| / <: : : / : : : }   /⌒つ
  /  ノ  >、    ハ: | : : |: : :|.///| /: : /: : :/ : : : ハ ィく  ヽ \
123考える名無しさん:2014/09/03(水) 01:27:48.29 0
>ただ、基礎というものは、いかなる学問においても、非常に重要です。僕は、
>そういう教育を受けてきました。
それは間違いない、だがそれは大きな足かせになる、学問を受け入れば非学問を
否定することになる。知識は合理化を生み可能性を否定し形骸化してしまう。
知識を学ぶのは正しいが、学んだ知識を全て捨てるのも必要だということだ。
哲学者として1歩進むならばまず自分をそして学んだ知識を否定せよ。
新たなる1歩に付随する可能性に過去の知識は重要になるってことです。
過去に縛られ知識に縛られては先に進めない、過去の呪縛を破ってこと未来へ届く。
長所は短所であり、長所をさらに伸ばすなら短所も同時に受け入れろ。
信じ確信し理解しそれに習うのは哲学者の行為ではない、前に進む道は未知で
あり既知ではない、未来は過去を破壊して得るものである。
既知を破壊せず未知は得られない。
未来や未知を否定するなら耳を閉ざし可能性を否定し、前を見る目を塞ぎ、
先に進む声を閉ざせ。過去の完全なそれに埋もれることが過去の力である。
124こちら慧能!神秀勢力拡大ちゅ!?わぁぁ〜・・・:2014/09/03(水) 06:10:06.05 0
非常に単純にロジックを語るなら、
「自分の我を理解すればいい」という事です。
我の理解は、無我の観点を仮想的に出現させます。

我の理解とは、自分が世界に存在しない状態から、
存在する状態になった時の、違いの全て。

まず、
「存在しない状態の世界=無我の世界」のイメージをつかみ
そして、
無我の観点に近づく様に観察を続ける→自己の発見
125Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/03(水) 10:27:21.60 0
>>123
はい。合理化の陥穽ですね。僕は、いろんな方法原則にしたがって本に向かったり
しているのですが、最近ピッタリ来る考えは、「自分で意味を与え、言葉面にとらわれず
自分で考え、そして学ぶのではなく創造して読む」ということです。そういっても、
わけがわからないでしょうが、ようするに、自分で考えるということです。字というのは
特別なものではなく、コミュニケーションと思考作用のツールだと思うのです。
そのように、教わるのではなく、創造的な読書。わかるでしょうか。もちろん
あやふやな私の過渡的現象にすぎないという可能性もありますが、でもそれって
多分重要です。意味を与えながら文章を渡っていくということ。できたら、「読書法」
なんて本も書けたりして(笑)。
未来について思いを馳せるのも、そういう読書とおんなじ行為なんですよね。
未来が自分の思い通りになる、あるいはならなくても、想像はできる。

僕の個人的行為のレポートでした。
126Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/03(水) 10:37:59.96 0
>>124
「我の理解」→「無我」という論が、飛躍しているように感じましたが、それもロジック
があるんでしょうか。我の出現ということについて、飛躍的(直感的?)な論を
立てておられるように思いました。
127Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/03(水) 12:22:19.96 0
>>126
>124

あ、よく読んだら書いてありましたね。すいません。イメージと観察が自己と無我
を発見する、と。無我を得るためには我の理解が必要となる、ということであられ
ますが、自己(我)をよく考えないと、無我には至れないということですね。
無我だけなら白痴だし、我だけでは限界がある。そういう道を通ることが
大切なんでしょうか。
128こちら慧能!神秀勢力拡大ちゅ!?わぁぁ〜・・・:2014/09/03(水) 19:06:38.37 0
私は、何が大切かなど、分かりませんが、
無我は考え方の軸であって、目指すべき観点だと思います。

無知から始まる理解は、可能な限り、思うままに理解を広げてしまいますから、
その様に考えてしまっている事に気付く過程は、否定の方向に有り、
だから、無我のイメージを見つける事が最初になるのだと思います。
129Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/03(水) 22:48:14.85 0
まだ中年としても若い方の自分だが、親が死んだ時のことを考えると、僕も一人で
やっていかないといけない。必ずそうなるのだから、一人に耐えないといけない。
依存しているわけではないけども、友が欲しくなるのもそういう事を相談したいと
いう面もある。孤独の発明。僕は、まだ若いか?宗教のようなものが、必要なのも、
自らの苦しみとして、生きていかねばならないことがあるからだろう。すべてのお父さん、
お母さん、として尊敬を集めた釈迦。だが、果たして、この生に意味を与えようと思っても、
全てはうつりゆくのだという、透徹した真理があるのみだ。みんな死ぬのに。
些細な事で怒らないようにしよう。きっと争いの虚しさが、みんなにわかるだろう。
恨むほどのことなんて、無いのだろう。もし僕が、悟りうることができたら、とても
嬉しいのだ。そのために、生きよう。あらゆる困難が、何でもないように、乗り越えられる、
きっと、僕の力が大きくなくても、小さくても、少しでも人を助けられたらいい。
自分というものの存在について、客観視したら、そんなことが最後に残った。
目を上げて、信じていよう。悟りはきっとある。なんでも学べるし、何があっても
驚かない。永遠の存在になることが、できると信じたい。たとえそれが欺瞞であろうと、
作り事であろうと、志向性というものは、悟る真実があるから悟りうるということだ。
その主客の謎があるからこそ、人間というものなのだろう。真実の実在こそが、
あらゆる学問の基底である。それを誰かが見つけるだろう。この程度の
楽観視は、健全なものであろう。希望的観測の良い面を取り出そう。
130考える名無しさん:2014/09/05(金) 22:24:14.76 0
>>128
つづけて
131考える名無しさん:2014/09/06(土) 02:10:23.16 i
アブサロムさんは少ない言葉で多くを語る訓練したほうがいいと思った
長文ばっかだから例えば一ヶ月間だけ三行で語る練習してみたらどうか
そしたら本当に大切なものと比較してどうでもいいものを選り分けるスキルが上がるかも?
132考える名無しさん:2014/09/06(土) 02:59:51.76 0
スキルを上げる場だってよwwww
133Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/06(土) 07:58:05.85 0
>>131
長文は論理展開を取り繕うためです。
やさしい文がいいでしょうね。
新しい考えを生むための、実験的な討論や対話は実践的です。
一般通念や、画期的な考えの悟りが語られることを望んでいますが、
私一人で語っていることが多くて、対策を考えたいです。
新しい考えを呼びこむような魅力を作っていきたいです。
貢献を大目標としていますが、現代で悟るということを根本的に
目指したい。
134Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/06(土) 08:10:59.79 0
>>132
面白いスレにしたいですよね。それぞれ自由にやっていきましょう。自らの意見を
誤魔化すようなことは警戒しなければね。
135考える名無しさん:2014/09/06(土) 12:16:32.24 0
>>133
>私一人で語っていることが多くて、対策を考えたいです。

そうだね、それが克服できると社会復帰もできるかもね
136Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/06(土) 14:54:52.36 0
>>135
入院に憧れてたりして……。
いえ、冗談ですが。
137考える名無しさん:2014/09/06(土) 17:50:25.34 0
>>131
触ったら最後まで付き合ってやれよ。
138考える名無しさん:2014/09/06(土) 21:41:19.02 0
いやもう飽きた
139考える名無しさん:2014/09/07(日) 03:05:22.95 0
>>138
じゃあ二度と来るな。オマエ自身に約束しろ。
140Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/07(日) 12:11:05.62 0
>>131
>>137
過分な、付き合いと気遣い、身に過ぎます。色んな縁により生かされている私です。
あまり2ch的な気恥ずかしさというフィルターを通してみるのではなく、各人の
生を全うされることを望むばかりです。

道元の言葉──
「そうであるだけではなく、その霊性は、この身体が滅するとき、抜けだして
あの世に生まれるので、ここでは滅するとみえるけれど、あの世の生があるので、
永久に滅しないから常住であるというのである。その異教徒の見解はこのようで
ある。この見解を学んで仏の教えであると考える人がいるが、瓦や石ころ
をにぎって金や宝であると思うより、さらに愚かである。愚かで迷っている
ことの恥ずかしさは、たとえるものもないほどである。」

真の自己の概念というものは、無我の教えと矛盾するというところを突いている
わけだが、恥ずかしさを感じているという感覚を持っておられる人であれば、
悟り得る方へ近いのであろうが、まったく気づかなかったり、ごまかしを
することも、横行している。そういう人間こそが、一時の快楽と恐怖からの
逃走によって自己を保とうとするのであろうから、それは気づかれないけど
たとえようもなく恥ずかしいということなのである。
幸福なことに、私はそのたぐいの人間には出会ったことがない。
迷っているということすべてを道元は非難したのではない。ただ愛ゆえの
言葉だ。厳しく非難するべき時にはするということだ。迷いから抜け出すことが、
教えであって、自ら学ぶということをすれば、それがその人の哲学である。

過ぎる時に対して、苦しみを感じるというのは、生への渇き、死への渇き
である。それをどのように乗り越えればいいのか。この矛盾を担わされている
人間は、なんと悲しいものであろうか。考えることが出来るということ、
その能力と行為になにかの救いの性質を見出すことができそうに思うのだが。
死には思考がないだろう。生とは思考の場である。だからこその悟りだ。
141Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/07(日) 12:35:19.97 0
自己という実体が存在しないと考えれば、不死である。苦しみが自己を作る。
苦しみの受け手は自分以外にない。だが苦しみは迷わせる。なぜこんなに
苦しい、という感覚は、色んな原因を考えることを強要する。自己という
仮象体が変えうるのは内的原因だけであるのだから、苦しみのある
内部のみにおいて、原因を探ることに意味があるし、諦めた上で
苦を滅することも可能になる。何事も解き得ない事態というものは
存在しない。諦めることもひとつの方策だ。
142考える名無しさん:2014/09/07(日) 12:54:11.34 0
143Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/07(日) 14:03:31.09 0
固まっていないもの、たとえば悪意とかのどうにでも変わるもののことを考えちゃ
駄目だ。固まってしまわない議論や行為こそが、対立を解決するだろ?
だったら、固めようとするものが悪なんじゃないかな。おぞましいユートピアの
観念が悪いんだろ。多様性とか大事だ。自由も。
144考える名無しさん:2014/09/08(月) 02:21:28.56 0
悟りの世界は超対象性のそれである、
145Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/08(月) 17:52:45.55 0
一つではない心をまとめようとするときに力学性質が生まれる。結果として一つになっても、
その分裂的根源は、取り残される。そして、まとめることと分裂することは、対照的なベクトル
になっているから、その力学自体が、消えていくという命の本質を証することになる。
146Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/08(月) 17:55:53.00 0
意識現象も物理学に則った発生しかできない(現象が)のであるから(神話等を見よ)、
力学の作用反作用こそが、心のストレスの原因である。
147Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/08(月) 18:23:47.05 0
意識が明晰であり、記憶が優れた機能を持つ個体が居たとする。その人間には、
新しい人間像へ向けて進化を続けてほしいものだ。人間の進化する方向とは、
脳が進化する方向であるから、例えば記憶についての新しいあり方が考えられる
だろう。嗅覚の記憶といったものに、人間は強くはないであろう。一時間前に匂った
匂いから何かの情報を取り出し直せるなら匂いの世界が広がる。

また、そうした感覚によれば、視覚聴覚のもたらす幻影を、正しく理解する助け
にもなるだろう。人間の宇宙が時空であるなら、匂い触覚はなぜ新しい次元を
開かないのだろうか。五感についての区別がされるべきである。また、その統合
に向けての理解は、残された謎の一つであるだろう。
148Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/08(月) 18:30:30.59 0
つまり、時空性をもたらす感覚と、時空ではない感覚(クオリア?)との区別。
149考える名無しさん:2014/09/09(火) 03:38:34.99 0
>>142
形骸化脳
150考える名無しさん:2014/09/09(火) 03:50:11.01 0
>>148
分かることを言えば、わからないことを悟るはずだ。
分かることは重要ではない。分かることを1歩踏み出してこそ
分からないことへ踏み出せる。
分からないことを目指す人にとって、誰でも分かることを言うのは
何の意味も持たない。
何かをやるべきは他人へではない、自分自身へ
明晰に分かっていることなど解釈にすぎないのだから。
過去の思い返しは記憶の強化でしか成り得ない。
151Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/09(火) 08:54:04.27 0
>>150
自分自身へ、ですね。それが人が活きる方法だって。わからないことは、
誰もが分からない。やるということに意味を見出すために、自分自身へ。
さびしさにおびえそうになります。無我の境地というものが、生きていく
悟りであり、自分自身というものが、やる(作り出す)方法であると。
無我と自己のどちらかへと自分を制限する必要もなく、何の目的を達成するための
方法であるか、という区別をわきまえることが必要なんですね。
152Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/09(火) 09:00:32.37 0
まあしかし、「活かす」なんてことを考えたことはなかったですよ。教育的な
観点だ。ポリアの『いかにして問題をとくか』(マイクロソフト社の新人はみな
まず読まされるらしい古典)みたいなものが面白かったかも……。
153考える名無しさん:2014/09/09(火) 12:01:11.64 0
>>83
電話帳めくってみた感じここ12年では完全に同じ形式は出てないかな
ただ新問と言うよりは形を変えただけという感じ

問15は三相の電力計測を単相でやる問題、こっちのほうが簡単。皮相電力から直接Qを求める
問16は法規・電力の力率改善に慣れてるとかなり楽な問題だと思う


問15
抵抗Rと誘導リアクタンスXが平行なので電圧が同じ、計器の抵抗は無視してもよいので
S=300*12.5=3750[V・A]
Q=root[(3750^2)-(2250^2)]=3000[var]
Q=V^2/Xであるから
X=V^2/Q=90000/3000=30 [Ω]


問16
線間電圧200[V]なので相電圧Vp=200/root(3) [V]
抵抗とリアクタンスは単相で見るとそれぞれ並列なのでかかる相電圧は同じ
求める有効電力・無効電力は単相で求めた電力の3倍
P=3*(Vp^2/R)=40[kW]
Q=3*(Vp^2/X)=30[kvar] (コイルなので遅れ無効電力)

X=4/3[Ω]→2/3[Ω] …電圧は変わらずリアクタンスが半分になっているのでQは2倍に…Q''=60 [kvar] (遅れ無効電力)
コンデンサを並列に挿入したところ図1と電源から見た無効電力が同じ…コンデンサによる進み無効電力が60-30=30[kvar]
コンデンサの電圧は線間電圧V=200[V] なので
3*(V^2/X_c)=30000
1/X_c=ωC=1/4
C=1/(4*2π*50)=800[μC]
154まあオカルト的な発想です:2014/09/10(水) 04:09:49.10 0
>>152
自然は美しく、そして混沌に見えても秩序をもっている。
活きるとは個が他に意を持たせること。
意をもって世界を活かすこと、その意は個なしでは意になりえない、
よって世界を活かした存在に逆向きに意を祝福するという対象性が
生じるのです。たとえその中の1つの活かしが働かずとも、世界を活かし続ければ
その歩みは活かされた世界にとっての中心という関係を持つことになる。
世界の想いを読み世界に作用すれば、その反作用は個と世界が共に描く美しさとなりえます。
理屈ではないのです。
その逆に世界の働きを乱せば、活かされない世界と個の関係は明白です。
混沌に満ちた世界の秩序は、個に対しても混沌という関係に至ります。
世界の中に個があるわけで、個があって世界が服従するのではないのです。
どれだけ小さい力で世界を活かせるかが、難しい問題になります。
より自然により美しく、より調和が取れバランスがよく、どんな側面からみても
対象性があること。そういう活かし方が正しい方法ではないでしょうか?
決して自分がやるのでもなく、世界が行うのでもなく、世界と友に、
世界の心が見えてくる、そういう姿勢が未来への布石を正しく選択させるはず。
理屈で考えれば世界に心などない、そこに魂などない、ですが、
私が望むのは世界にも心や魂があるということ。世界の気持ちが分からずに
世界と付き合うことはできないはず。
こういう考えは教科書や哲学書にも書いてありません。詩人のポエムに浮かび上がる
類であります、喩えるなら世界の声を聞き唄を生み出す、そして唄を上手に歌えるこれが
未来への布石で世界の声を聞くのが悟りです。
ポエマーのポエム万歳。
155こちら慧能!神秀勢力拡大ちゅ!?わぁぁ〜・・・:2014/09/10(水) 05:42:45.19 0
>>154
キラン(-_☆)春麗ラ夏ハ暑杉秋凉冬ハ寒石(。 。)ブツブツ 又春ウラララララアァーッ!三(  ̄口)亖)))))゚Д゚)・∵.ブァ

(゚д゚)ハッ!? すいません、ニヒリストの性です。

人が多様性を持つほどに、多様な人が多様な人の理解を作り、多様な干渉が多様な矛盾を作り、多様な事態から多様な狂気が現れた・・・

気づけば世界は末法末世。
156考える名無しさん:2014/09/10(水) 09:21:55.81 0
「サトリ」など、近いずかぬが「花」

喜怒哀楽、気ままに、生きる。
悟って、どうなる?
157Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/10(水) 11:38:15.39 0
>>154
野矢先生がねー、他人の気持ちがどうしたらわかるのかって悩んでたんですよ。
で僕は言いました、人の感情を想像できるからわかるんだって。小説の登場人物
が活き活きと迫ってくるのも、そういうはたらきがあるからだって。世界の気持ち、
想像できたら、きっといいものね。貴方の心もみせてくれてありがとう。
158こちら慧能!神秀勢力拡大ちゅ!?わぁぁ〜・・・:2014/09/10(水) 12:04:49.21 0
(゚д゚)b コレ↑
159考える名無しさん:2014/09/11(木) 01:28:12.84 0
>>157
未来はどうしたら分かるかって、それは未来の気持ちを想像すればわかるのです、
未来を生み出してゆくのは現在の我とその他全てです。
160考える名無しさん:2014/09/11(木) 01:52:21.44 0
161こちら慧能!神秀勢力拡大ちゅ!?わぁぁ〜・・・:2014/09/11(木) 06:15:44.72 0
実は・・・

悟りの真相は、精神世界の問題と切り離せません。

つまり、現代の問題と切り離せません。

それは、社会が精神を問題にするようになったからで、
それを止めるまで続くでしょうね。
162考える名無しさん:2014/09/11(木) 20:22:38.62 0
実は・・・

悟りの真相は、精神世界の問題と切り離せません。

つまり、現代の問題と切り離せません。

それは、社会が精神を問題にするようになったからで、
それを止めるまで続くでしょうね。
163考える名無しさん:2014/09/11(木) 20:28:14.14 0
実は・・・

悟りの真相は、精神世界の問題と切り離せません。

つまり、現代の問題と切り離せません。

それは、社会が精神を問題にするようになったからで、
それを止めるまで続くでしょうね。
164考える名無しさん:2014/09/11(木) 21:11:55.25 0
真実を求めろ、それは事実でも現実で口実でも虚実でもない。
果てしなき道かもしれないが全てを変えるものだ、
あるがままの想いだけがその真実を受け取れる、
真実の光は常に真実を求める心に明かりを灯す、
運命は選び選び時を超えてゆける、全てが満ちるまで
突き進むだけ。無限の力はそうやって真実の中から生まれてくる。
165考える名無しさん:2014/09/12(金) 10:24:53.19 0
悟りをひらかれたという熊野純彦先生に教えを説いていただきたい
166考える名無しさん:2014/09/12(金) 21:17:45.12 0
知らない
167Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/12(金) 21:32:20.06 0
まず、思考以前に「気持ちを良くする」ことが必要なんだ。細かい知識とかいらない。
人と向かい合うなら、その人の「気持ち」を尊重するべきだ。いくら言っていることが
正しかったって、「気持ち」を逆なでするようではまったくなってない。
学問という大きな流れの中で、懸命に泳ぐ魚のような私達。水のことをよく知って、
流れに一石を投じるような態度、そんな謙虚さって大事な気がするんだ。
168考える名無しさん:2014/09/13(土) 03:06:03.12 0
必要なのは人に対する謙虚さではなく知への謙虚さです。全ての事象に対する謙虚さです。
哲学において知より人を優先してはそれは単なるオシャベリでしかないです。
また悪意を持っている人に謙虚な態度をとっても無意味です、襲ってくる火を
活かす為に灯油をかけるようなもの。
知への謙虚さとは答えにたどり着かないこと、貴方が「哲学に近づく為に」
その姿勢です。答えなど強引に設定し、誰かの言葉を信じコピーするならば
簡単に得られます。
他人に対しては「活かすべき気持ちは活かし」、「滅び行く気持ちは滅し」
常に活かすだけでは無理があります。
気持ちを逆なでしても結果が良い方向ならば、それこそ逆なでという一時的な
否定の回避は当人にとってよくないです。目の前の感情よりも、より先に
より最終的な答えにたどり着く為の活かしでしょう。
胆力が重要になります。結果を即時決め表現し認知するのは重要な術ですが、
それに集束しがちです、目の前の結果など過程にすぎないのです、未来へ結ぶ
それは今の状況を改善するのではなく、大きな目標を読み取り、そこへたどり着く
より深い森羅万象との対話です。善だけ学ぶと、時に必要な善を活かすための
悪を否定するようになります。悪は基本的に避けるべきですが必要なときは
覚悟して受け入れるべきです、訂正可能な悪など恐れる必要は無いのです。
我が力となる為に他を活かすのは他を主体にするのではなく我が主体なのです、
他だけを活かす「他人からみた良いだけの人」は歴史に置いて長生きできません。
自らを滅ぼす悪意には善意は通じないのです。
武道においての戦いは常に敵を倒すものですが、敵を倒す攻撃はその体系において
善意なのです。相手を憎むのと攻撃するのは完全に別なこと。
相手を理解するからこそ気持ちを否定するのも良心の表れです。
169考える名無しさん:2014/09/13(土) 04:41:49.38 I
性欲を無くすにはどうすればいい?
170Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/13(土) 07:58:40.93 0
>>168
あんね、自分を活かすために、何かを生もうとするのは大事でしょ。その時、新しい
ものが見えるためには、自分の判断で選んだ結果でしょう。絵の描きかたを
覚えるには、タッチを学ぶことも、想像力を働かすことも両方が必要である
ように。で、タッチは身の処し方(方法)で、想像力は内容(個性)。個性的であり
方法にも通じていること、そんな画家がいい絵を書き残せる。学問は一種芸術
でもあるから、インスピレーションも大事になる。こんとき大事になるのが、
形を固めるための覚悟、踏ん切りじゃん。その、「決定的態度」、そこにドキドキ
する過程が含まれるじゃん。麻雀だって、通るかなってリスクが面白い。
このひりひりする鉄火場の心、芸術じゃん。集中力が高まり、自分の限界を
超えちゃったりして。これを人間関係に適用するとどうなるかって考えた。
そしたら、気持ちのコントロールが必要だと思った。気持ちがいい、リラックス
してると、新しいものが生まれるんじゃないかって。貴方の言っておられる
ことの場合は、緊張も必要だってことでしょう。釈迦はたぶん、究極の
リラックスを手に入れたって僕は考える。貴方のおっしゃっていることは、
「自由の方法」だって思う。僕もそれを否定することはない。自由と必然は
お互いを刺激しあっている。その善の刺激こそ、世界の気持ちや調和として
現れるものの正体だと思う。
考え方ひとつでガラリと変わってしまうんだよね、なぜなら、世界の見え方、
見方っていうのは、フッサールみたいに、思考に規定されるということが
あるから。
気持ちっていうのは、ある程度の時間続き、自分ではコントロール出来ない
もの。一方、考えっていうものは、一瞬で浮かんでは消えるし、変えることが
できるもの。だから、気持ちを良くするっていうことの中に、可能性が見えた
ような気がした。
本当に、わくわくすることの理由と方法が見えた気がしたんだ。
171Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/13(土) 08:12:39.78 0
気持ちが良いと、選択の理由を見通せるでしょ。理由を持っているから、それの
成功/失敗について考えることが出来る。そういう、「冴えたやり方」が麻雀だって
大事だよね。で、対象を世界に広げた時、見えるものが次々と現れて、必要な
ものがわかるようになる。調和だよね。このバランス(秤)がフラフラと揺れる
ときにこそ、その調和にこそ、ある種の霊性が宿ると思うんだ。
172Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/13(土) 08:20:07.43 0
「知らない」ではすまない、すまされない。ときは、知ればいい。自分が得意な対象
を増やすことも大切だ。縮こまっていると気持ちが悪いものね。いっそのこと、
死んだ気持ちになって、崖から飛び降りる。そのときリスクが最大になり、
「死さえも超える」ことが可能になるほどの事実をもたらすことが出来る。
死ねば助かるのに。やっぱり気持ちって大事だなと思う。
173Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/13(土) 09:08:08.16 0
嫌なことっていうのは、一度気になると、多分10分くらいは頭から離れないものだが、
その最中には、もう一生こんな嫌な気持ちを味わい続けるのか、ってくらい、
囚われてしまう。だけど、自分の可能性を知って、具体的達成感を得た経験を
持ち出せれば、自分だってそれほどやっつけられてないぞ、と踏ん張れる。
哲学者の方々は、頭がいいから好きだ。自分だってそれの中に成功体験を
見つけてきたからやっていられる。僕の好きな道。それが哲学。
174考える名無しさん:2014/09/13(土) 16:07:59.05 0
想いに左右されていたら、想いに縛られる、だが想いは重要だと想いたい。
という無限ループで縛られる。
器という姿勢は自分で判断せず、他者との関係に任せるってこと、
自分という原理から抜け出せないのは人間の仕様みたいなものだから、
それを重要に思うのは良いが、想いが強ければ強いほど想いは暴走し
秩序を保てなくなる。強く思うなど動物の原理である感情を解き放てば
簡単なことである、誰にでもできること。だれもがそれに流される、
自分を活かす為に自分を捨て他を活かす、思考するからこそ思考を捨てる、
全てに裏と表があり表裏一体である、どこかに作用を加えれば必ず反作用がる、
自分の想いは大事だが、自分が選んだ結果を自分で責任とるような自由は、
必ず責任を取らせるように反作用がある。
片方だけで活かす殺すというのは対称的ではない、都合の良い側面だけを
見ている。一は全であり、全は一である。
力を求めるな、得た力は必ず非力の関係が生じてくる。力を求めよ、
力を求めなければ何も生まれない、関係を作るには力が必要である。
何事もなく何事も働かせたい、それが選択というもの。選択は非選択を生じさせ
生じが非生を生み出す。出ることは非出が始まり、始まりは終わりを意味する。
それらは無限の構造を持つ。言葉を扱うからにはその側面しか表現できない。
活きるのは必要な分だけでいい、必要以上に活きればそこの必要以上の何かが
生じることを考える必要があるだろう。それは不要でも同じである。
片側だけを見るのは1つの側面だけで全てを選ぶことに繋がる。
自分の中の悪を完全否定すれば善は暴走してしまう。
人に必要な正義は、その人の生きている範囲(時間と空間)のみでいいはず、
その範囲の外へ全てを通す主体を考えれば人は人ではなくなり物や事象となる。
愚かな行為はするべきじゃないが、最低のそれはバランスを取るのに必要である、
人とは愚かな存在である、仏的、神的などの非人間になるなら違うだろう。
175考える名無しさん:2014/09/13(土) 16:09:10.90 0
>>169
仏になれ。
176考える名無しさん:2014/09/13(土) 18:39:31.42 i
捉われないということは、意識すれば捉われることも出来る、ということでもあるな、と>>174を読んでて思った
思考に感情が伴わないと意志は生まれないし、意志が生まれないと自由は生まれない
この辺りのバランスを取れるようになるためには捉われないスキルが土台としてないといけないんだろうな
そしてそのスキルは自己の客観視によって培われる
177マ王:2014/09/14(日) 02:34:59.52 0
今日からマ王!OP「果てしなく遠い空に」
https://www.youtube.com/watch?v=VAvtE1vivmc
178Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/14(日) 21:09:03.86 0
『金魚王国の崩壊』
http://www.goldfishkingdom.client.jp/01.html
179考える名無しさん:2014/09/15(月) 03:09:54.73 0
妄想はいつか崩壊する。
180考える名無しさん:2014/09/15(月) 11:15:54.20 0
妄想存続期間を129年に設定しておけば、寿命内は崩壊しないけどね
181考える名無しさん:2014/09/15(月) 17:04:42.53 0
くだらない発想だ
182Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/15(月) 17:46:56.60 0
可変なものを不変へ
不変なものを可変へ
183Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/15(月) 18:50:59.87 0
こころは考えの総体であるから、自分を殺す人は、こころを少しづつ壊しながら生きている。
芯のあたりを潰されると、非常にダメージを受ける。その場合にそれを軽減しようと、
考えを働かせる。そうすることで、新しい心をどんどん産んでいくわけだから、
新しい事が可能になる。くだらないことにこだわるのも、心が要請することだし、
死なないことも、考え=こころをいたわることだ。自分には優しくして、人にも
優しくする。これはマナーである。悟りに至るこころ=考えは、本来的な
目的へと磁力を帯びた切れ切れである。だんだんと近づいていくことを考えれば、
こころ=考えの方向を見つけることが出来る。見えないことを見ることが出来る
心の感触作用によって、傷が癒えるだろう。心のどの面がどういう色形をしているか、
考えることで、自分を知る。知ることによって、智慧が深くなる。その方向に
近づくことで、悟りへ近づくことが出来るのである。注意深く思い切り良く、物事に
関わることが大事なのだ。なんでもないものも、見続けることで、色んな深みを
持っていることがわかる。そのように、何も否定しない方向で、人が生きるモデル
となる。モデルを作り出すことで、型破りができるようになる。
184考える名無しさん:2014/09/17(水) 03:15:38.16 0
心は考えの総体であっても、如何様にでも形を変えられる。
その機能は一様ではなく、変化に富み、より難解で高次な現象のように
働くのです。
考えの総体ではない部分もあるからこそ考える能力が無い動物にも心の
働きがあるのです。悲しみ怒るなど人間だけの心の反応ではないのです。
185Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/17(水) 06:18:46.78 0
>>184
心的過程は言語過程を伴う。言語過程を共有し、心を理解する。心の一部のみ
がそのように理解される。動物の心が不思議に思えるのも、人間と言語を共有
していないからである。

この意味において、私的言語の不可能性が必然となる。すなわち、言語とは
すべて共有可能である。共有不可能な言語は「言語」とは呼ばれない。
なぜかというと、言語は記号であり、すべての記号は共約されるものだからだ。

この場合、「考え」というものは、「脳の働き」であるから、身体性は他にも
何らかの記号によってあらわしておかねばならない。「感覚」と云う言葉は
どうであろうか。

このように表されて、「心」は私的である側面と、共有される部分とが、言い表され、
また理解可能なものとして記述されたのではないかと考えるがいかがであろうか。
186Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/17(水) 14:19:11.82 0
誰もが、私的言語を発明せねばならない。自己の観察のうちにない自己というものが、
失われてしまわないように。心の記述が限定的なルールに則っていなければならない
としたら、生きていても死んでいるようなものだ。言語過程にない心的過程の、
うつくしさを、知っている人であれば、そのように考えるべきだろう。
187考える名無しさん:2014/09/17(水) 17:24:56.49 0
>>185
言葉を持たない人間には心がないと言っているのでは?
188Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/17(水) 17:38:49.05 0
>>187
ある程度はそういったことも含んでいるでしょう。それは、自らの心の働きは、
言語的な型というのに、大きく左右されるからです。原的な思考は、意識されるため
には思い返しが必要だから、生まれたばかりの赤ちゃんの混沌とした心も、
しばらくしたら内部に溜まっていた言語があふれるようになる。
そのように、言葉が開く世界というのは、光であって、心の、最も重要な現れで
あると考えます。
189Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/17(水) 18:07:30.83 0
ですが、言葉は情報伝達の方法にすぎない、という考えも、なるほどあるな、
と思えます。そういう風に定義した場合、情報自体は、言葉以上のものが
心のうちにあるわけですから、それには言葉のアレンジの余地があり、
知的な作業が情報発信の全体である、といえるかもしれません。
こう考えると、なにやら希望的な観点が開かれ、自由度はたしかに
ますような考え方であると思います。情報処理理論など、いろいろありそう
ですが、どうなっているかはよく知りません。
190考える名無しさん:2014/09/17(水) 20:04:30.63 0
>>188
つまり盲目の人、ヘレンケラーは赤ん坊ではないのに
心をもっていなかったと言いたいのですね。
191Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/17(水) 20:19:40.94 0
>>190
自分の感情に名前を付けられれば、学ぶことも可能になります。waterという言葉を
会得したことで、現象に名前を与えられたのです。その結果が、ハーバード大学
ラドクリフ校入学という素晴らしい頭脳を持った女性になったわけです。
192Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/17(水) 20:31:05.20 0
>>190
ヘレン・ケラーのばあいは、一つに綴られた単語(water)の全体に対して、
気づきを得たことが、感動的なのですが、そのように符牒でのコミュニケーション
の実態をあからさまにされることで、心の内面と、表出した心ということに対して、
示唆的な意味を与えられるものです。
193考える名無しさん:2014/09/17(水) 22:03:17.25 0
>>191
waterの単語が理解できる前には心がなかったと言いなおしてください。
194考える名無しさん:2014/09/17(水) 23:16:55.31 0
195考える名無しさん:2014/09/17(水) 23:37:43.20 0
解脱する為の本当の優しさとは何か。
196考える名無しさん:2014/09/18(木) 00:54:18.43 0
197考える名無しさん:2014/09/18(木) 02:07:28.66 0
>>191
横レスだけど、心の定義が曖昧じゃないですか?
現象に名前を与える、はプログラムでもできますよね

例えば、カメラが毎秒写真を撮り、そのカメラの前を通りすぎる全てのモノを写す、
そしてネット上の画像とパターンが一致するものとその画像の近くにある単語のパターンを解析し、画像の被写体に対応する名前を探し出す、
パターンが一致しない被写体にはプログラム側で任意のアルファベットの組み合わせで名前を付ける、など
では名付けを行えるその機械に心はあるのだろうか?

むしろ、>>191の冒頭にある「感情」が心で、「名前を付ける前に所与のものとしてある」のではないか?
名付けのプロセスや論理的な演算処理はプログラムで代替できるが、動物や人の心はプログラムで代替できるか?

心的過程が言語過程を伴うといっているが、正確には心的過程が「所与のものとしてあって始めて」、その心的過程を言い表す言語過程が生じることができるのではないか?
三角形の内角の和が180°であることと、先端恐怖症の人間が三角形を怖いと語ることには違いがありますよね
198Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/18(木) 06:08:08.32 0
>>193
細胞の小さな生命にも心はありますから、そのようには言えないですね。ごめんなさい。

>>197
直接的なお答えにはなっていないかもしれません、ご容赦下さい。
私は独我論に足を踏み入れています。他人の心というものは、想像と尊重により、
守っていかねばならないと思っています。それは、おそらく心というものが
それほど素晴らしいものではないと感じてきて、人間というものが素晴らしいものである
ということに気付き始めている途上であるということなんです。自分に心
なんてあるのかという疑問が、頭をもたげてきているからです。
統合失調症なんですが、心について前向きな感触から遠ざかっていました。

理解できるか否かということが、触れ合いでは大切で、触れ合いによって理解
しあうことと、理解した上で触れ合いたいと思う心とは、どちらも大切です。
理解できないところに惹かれたりするということがあるということは、面白い
物だと思います。

DNAのプログラムで大枠を決められた人間というものは、そのプログラムの
なかでの自由度が心でしょう。また、外界の情報の取り入れということが、
感覚器官の自由な行使と、可変という感触を与えてくれます。

万能細胞にしたところで、プログラムを操るというアイディアであるでしょう。

感情というものをあなたは重視されていますが、感情の中には素晴らしい
ものが秘められています。それが人間を理解するということだ、という
ことだと思います。
199考える名無しさん:2014/09/18(木) 08:02:20.25 i
>>198
独我論の独我と心は別のものだと主張しています
明日、心が全く別のものに指し変わってしまっても、それでも変わらず「私はある」ので
あなたは心と独我を混同しているようです
200考える名無しさん:2014/09/18(木) 08:05:05.21 i
ちなみに、私は感情を重視していません
違いを述べただけです
感情の理解はもちろん人間理解にも繋がりますが、独我も同様に人間理解に繋がります
なのでもっと正確に言うと、感情の理解は個我では「なく」、「個性」の理解には繋がるでしょう
201Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/18(木) 16:16:10.59 0
>>199
おそらくですが、あなたの考えの中で、心は重視されていないようです。それより
個我、独我の存在がより根本的であると。人間理解という目標は僕と共通
していますね。すると、対立が生まれそうになるはずですが、その対立は
僕自身の考え、がしっかりしていないもので、まともに担えない可能性が
ある、ということだけお断りしておきます。(要するに、議論になった場合、
僕が一方的に正しいと言えない、つまり僕はあなたを負かせないだろう、
という感触がある、ということです、要するに、対立は望むところではないという
ことです)
202考える名無しさん:2014/09/18(木) 17:32:35.74 0
i
203考える名無しさん:2014/09/18(木) 21:08:40.00 0
貴方のカルマの流れは貴方を縛る、亡者の力は闇しか映さない。
貴方が外に光を求めても、それは照らされた明かりにすぎない、
光は自らの中にあり、それは論理でも理屈でもない。
204考える名無しさん:2014/09/18(木) 23:17:04.70 0
実際は光は電磁波のうちの周波数が視神経細胞で捉えられる範囲内のものだけどね。
周波数が低すぎて捉えられないものは電波、周波数が高すぎて捉えられないものはX線やガンマ線
205考える名無しさん:2014/09/19(金) 03:54:59.95 0
貴方の頭が光っている、だがカツラが邪魔をする。
汝、ヅラを外しなさい、そして油を塗り照りを磨くのです。
ヅラヅラヅラ、まばゆき光が降臨する頭皮、

貴方の頭はすばらしい、エリザベスよ、本性をだして発言してください。
あなたのそれは文字でしかない。
206考える名無しさん:2014/09/19(金) 05:54:24.40 0
ヅラりヅラり、なんという発毛、お父さんは、マジで

なんだろうね。
207考える名無しさん:2014/09/19(金) 15:43:48.84 0
パイパンまんせー、剃り毛後がキモイので1本1本抜いて肌が荒れないように
薬をぬってまっさーじ
208考える名無しさん:2014/09/19(金) 21:31:38.81 0
A:>PIP A:TEST.TXT B:
209考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:44:06.18 0
ヅラを解き放て!
210Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/21(日) 14:59:16.05 0
おそらく、人間というものは、主観と客観に引き裂かれているんだろう。自分の中の順序
が、世界の順序と一致しない場合、何らかの苦痛が生じる。それを誤魔化すために、
いろんな概念が作られる。概念は運動を持ち、変わる。このように世界の中と自らの
中に、概念が作られ、浮遊している。自然な人間というものは存在しないから、
順序が一致することもありえない。順序の基準が、善悪の基準だ。つまり、順序
だてて述べられた善悪については、それが唯一の本音だ。本音というものは、
まずは自分を一番に考えるということから生じるのである。人間の欲というものは、
細かく見てそういう自分至上主義と等しい。その下に、連なって概念が存在する。
だが、概念の強さというのは、自然の強さと同じなのだから、自らという運動は、
それとぶつかり合った場合、負けてしまうこともありうる。土俵は自分の上だが、
全てにおいて勝ちを収めることはない。その場合現実を受け入れようと考える
なら、そこに生まれるのが単純な順序である。単純であるゆえ、動かしにくい。
概念とのかかわり合いの欲望は、欲望が欲望を生むような関係にある。
この世が比喩で表される、ということに、人間と自然のかかわり合いの原理
を見るべきだ。
211考える名無しさん:2014/09/21(日) 15:47:47.05 0
意味を作る→歪む
意味が生まれる→自然
212考える名無しさん:2014/09/22(月) 00:02:13.34 0
【皇室】佳子さまの中退 秋篠宮ご夫妻が学習院の校風変わったと嘆く
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1411311117/
213考える名無しさん:2014/09/22(月) 00:29:31.44 0
>>210
なるべく端的に短く主張を述べて、対話の中で詳しく説明するといいよ
社会復帰した時に、そのほうが役立つから
214Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/22(月) 01:02:05.57 0
>>213
>210を要点のみまとめてみます。

秩序は、過去によって決まる。他者の過去が知り得ないもの
であるならば、他者の秩序を自らの秩序の中に組み込むことが不可能だ。
欲望の順序は、価値観による。秩序と同様、自分と他者の
欲望は違って表れる。欲望は考えへの報酬を要求する。失敗が
繰り返されると、自分自身という最も大事なものの核が崩れてしまう。
事程左様に順序は、動かしにくいものであり、デリケートである。
そのような核にしか自分がないので、他者理解も上っ面だ。
順序をとりあえずおいておいて、仮想的なレベルで話をすることによって
相互理解が可能となる。
すなわちコミュニケーションとは理解による気持ちの報酬があるものなのである。
淡々と物事をこなすことに満足できる境地が、健全な心を生む。
感情とは余計なものだ(人間機械観称揚)。つまり感情を掻き立てられる
場面は、未熟だから現れる(可能性が開かれる場合もあるだろうが)。
215Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/22(月) 01:22:19.08 0
>>214さらに、

順序は見えないから内面のものである。順序は価値観を左右し欲望の原理である。
コミュニケーションが成り立つために、我々は他の順序(価値観)についても仮に
了解する。独我論に対しコミュニケーションが反対例としてあげられる。それでも
独我がいいという感覚は、失敗と成功によって生まれると思う。
自らに閉じこもることは、要するに守りの姿勢である。たとえ見かけが
そうは見えなくとも核芯はそうなのだ。独我は共理解を無視できない。全ての他人を
最終的に拒む姿勢があるため不自然になり不吉な感情が爆発するのだと思う。
216Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/22(月) 01:28:48.44 0
独我者の欲望は異常であると思う。他者から心へのブラッシングがないからだ。
異常な欲望を満たすことを覚えて独我者が誕生するのだ、と思う。
だがそれは可能性であるし、私には何も主張する気はない。
それはそれで善悪とは違うということを知っているから。
217考える名無しさん:2014/09/22(月) 01:32:56.10 0
知っているから…
知っているから…
知っているから…
(以下、荒野の彼方にリフレインしながら去って行く後姿んl俺って格好いい)
218考える名無しさん:2014/09/22(月) 01:36:51.69 0
>>214
要点って言ってもいろんな抽象度があるよ
はやく社会復帰して色んな人と会って話が出来るといいね
219考える名無しさん:2014/09/22(月) 17:29:44.54 0
>>218
まずオマエが社会貢献するべき。
220考える名無しさん:2014/09/23(火) 21:00:54.27 i
>>216
なにわけわからん事言ってんだゴミ
221Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/23(火) 21:18:12.20 0
>>220
かんべんしてくれ。悪かったです。
222考える名無しさん:2014/09/24(水) 04:50:42.71 0
>>220
人格障害の人ですね。
223Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/24(水) 17:17:23.43 0
    「思念の自由さを知ることと、それを現存させる方法について」


  @自由さを知る
思念は、自由で、何物にも縛られない。傾向に引きずられていても、気づくことで、
より、自由という本来の性質が見える。他人の思念は、文殊の知恵である。
ものから得た正当性を他者へ押し付ける。精神病から制限された思考は、
悟りに至る道から遠くある。だが、一方でショートカットの方法も見えてくる。
どのような過去にも関わらず、未来という可能性に満ちたまっさらな時間が待つからだ。

  A自由であるための方法
私というものを定義することは、実りが多く楽しい。私の思念が自由で
あるということを知ったのは、私が自分を取り戻したからだった。すべて自由、
必ず他者存在は否定されず、優しさこそ、尊重と違いを知らない場合、嘘だ。
私は自由を知った。

努力の成果は、あるいは生きることの実感は、自らである。それが思念の自由さ
とあいまった時、なにか真実を生むような、麗しい感情が生まれ、生が楽しくなる。
悟りとは、自らが自由になった瞬間を知ったとき得られると思った。悟りとは、そう
いった喜びがあることであって、ただの否定ではないから、否定的な文言で悟りを
記述することができなかった。
悟りは思念に対するものであるので、余分なものを削ぎ落した時の、人間存在
自体の目覚めのために得られた。その概念にはどの瞬間にも気づけた。名前を
与えたい、悟りと呼びたい、概念であった。
振り返り、間違ってきたことを直し、見えなかった思念を発見する。

人は様々に良い点を持つ。私は、否定することしかできなかったのだが、
良いところに気づき、本当に生きるということを、尊重したい。
224考える名無しさん:2014/09/24(水) 18:29:03.42 0
本当にそう思うのかね?
225考える名無しさん:2014/09/25(木) 10:29:56.08 0
ほかに方法は見つからないのかね?
226考える名無しさん:2014/09/26(金) 01:57:31.16 0
努力とは努力しないと結果がだせないということで、才能のかけらもない
人が行う所行である。
秀才や達人はどれだけ楽に結果を出せるか、無駄ができるだけないことを習得する。
達人になる才能とは常に最短を選び、無駄な努力はしないこと。
227考える名無しさん:2014/09/26(金) 19:26:18.98 0
自由ってことは多くの他から叩かれる思考だってこと。
228考える名無しさん:2014/09/27(土) 00:53:37.56 i
それは酷い偏見だw
そもそも自由とは何にも強いられない状態を指す
何にも強いられない状態が他者の賛同を得ることもある
229考える名無しさん:2014/09/27(土) 10:06:50.72 0
大丈夫?
230考える名無しさん:2014/09/27(土) 17:27:06.12 i
うん、大丈夫
231考える名無しさん:2014/09/27(土) 23:32:50.81 0
じゃ病院いったら?
232考える名無しさん:2014/09/28(日) 00:24:13.12 i
あなたが行ってくればいいよ
何かに強いられて行うことが自由と呼ぶならね
233考える名無しさん:2014/09/28(日) 03:42:40.12 0
まじで?
234Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/29(月) 13:55:58.98 0
結局、気分を変えるためには、過去への郷愁を使うのだ。現在がムカついて未来は
不安、だから過去という絶対の、「自らの生の跡」を振り返ることが、生命の
獲得を納得することなのであり、死への方策である。とても大事なことなのである。
過去から学び、過去を生き直すこと、過去は力を与えてくれる。
235Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/29(月) 14:14:11.98 0
>>225
病気が治った時、もう一度考え直せると思います。三種類の作戦を立てることが、
軍人が生き残るための方法なので、それを応用してみたいと思っています。
あなたのような疑問の持ち方を、自分では考えたことがなかったので、
なるほど、思考は相対化されないと、原理から逃れられないのだなぁ
と、自戒をしました。宗教的概念については、なおのこと、洗いなおしを
慎重に、かつしっかりとしないといけませんね。
236考える名無しさん:2014/09/29(月) 15:18:46.62 0
>>226
いかにも凡人的な発想のようだが、解答をいうと、
結果を求めない努力の末にある。
結果を求める全てが、無駄な努力。
237考える名無しさん:2014/09/29(月) 15:27:22.11 0
>>228
自由というのは感覚だ。解放感の拡大版みたいなもの。一時的なもの。
哲学的にいえば、自由というのは成り立たない。
不自由の中にも、自由つまり、解放感があったりする。
238Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/29(月) 15:32:13.85 0
郷愁という感覚は、何かの獲得ではない。ただ過程なのである。生きることに
汲々とした日常ではない、脳内のアクセスである。あらゆる脳の部分に
アクセスした時、自らの可能性の全てを尽くしたことになる。
外部なのではない。>>236さんの仰るような、結果が、外部であるのだから、
悟りの対象である自らというものは、結果を求めることを目的としないで、
ただ悟りをめざすことだけを考えれば、外部の中の輪廻から脱出できる
のではないだろうか。考えるという行為自体が、救われるためには、
外部に左右されてはならない。考えるという行為がその可能性を
すべて得ることが、生きる修行の目的である。それは、自分の不完全性
に対して有効となる唯一の価値であり、得ることは困難な、悟りなのである。
239考える名無しさん:2014/09/29(月) 15:32:41.49 0
>>234
正解ですな。過去とは過ちのことである。
240考える名無しさん:2014/09/29(月) 18:16:15.47 0
>>238
結果を求めるとは、望むという。望みの中に困惑と苦悩がある。
あとは解るだろ。悟りを望んではだめなんだよ。
241考える名無しさん:2014/09/29(月) 18:26:37.95 0
何かに徹しているとき
例えば詩を紡ごうとしているとき
自分はなにものでもなく、ただその行為そのものになる
そういう感覚が悟りであることもあるのだろう
242Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/29(月) 19:33:15.01 0
認知機能とは、複雑なものを処理する機能であるから、足し算だ。例えばサッカー
を観戦する時、多くの選手の動きを同時に脳で捉えられるほど、面白い。
一方、認知の限界が有ることで、引き算も必要となる。時間が限られているから、
全てを考慮にいれることは不可能だから、必要となる目的に合わせ、主体的に
選ぶという引き算が必要となる。
また、掛け算とわり算は、引き算と足し算の応用である。このように、四則が
存在する。論理的には、ウィトゲンシュタインのクワス算のようなものも可能
であるが、人間に必要なのは四則である。現実も、人間を生むようなスケールでは
四則で説明される。
無限やゼロといった観念が加わると、四則だけでは足りなくなるだろうと思う。

いずれにせよ、足し算と引き算を繰り返して、脳機能は働いている。
そのように考えれば、全ての人間にとっての共通した性質がそれらであり、
全ての人間にとっての必要な法、というものがその突出した理想型という
性質を、裏から支える原理が見つかるのであって、平等を考えることも
出来るのである。その上に立つから、安心ということが可能になる。
安心は、やすらぎである。
243考える名無しさん:2014/09/29(月) 19:42:46.15 i
>>237
自由意思は解放感なのだろうか?
自由意思はその意思が何者にも強いられていない状態なのではないか?
何かに強いられていても、それが自由だと感じているのは無知から生じる
酔っ払いの解放感は確かに一時的なものだ
次の日に後悔することは良くあるだろう
なぜなら、酔っ払いの行為はエチルアルコールやアセトアルデヒドの作用に強いられている
例え解放感が一時的にあろうとも、それを自由とは誰も呼ばないだろうし、素面に戻った本人もそう思わないだろう
244考える名無しさん:2014/09/29(月) 19:51:08.18 0
>>241
それは悟りではないが、結果を求めない努力とは、そんなものだ。
>>242
脳機能は自動計算だ。望みの中の困惑と苦悩が自動計算を阻害する。
245Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/29(月) 20:08:52.63 0
>>244
望むことへ非難をされていますが、焦りのようなものが
生じるかな。僕は不安感がいちばん怖いです。次に怖いのが、
「息が止まってしまう」という感覚と、「筋肉の緊張」です。最近になって
やっと治ってきましたが。

哲学者らしい、理想意識の上での話ができて、僕は楽しいです。
246Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/29(月) 21:20:19.65 0
>>236
言われてみて気づきました、ご意見素晴らしいです。針を抜いたキルアのような気分で、
おります。膨大な時間を、自らのためとし、考えきれない現実を、自らのためと
するために、そういう行為は、生きる方法の一つです。
247考える名無しさん:2014/09/30(火) 02:20:46.40 0
>>232
二度と来るな
248考える名無しさん:2014/09/30(火) 09:43:19.87 0
>>245
望みとは希望、欲求、欲望ともいう。その逆というものがある。
それは、慣れであり、飽きであり両者は同じものだ。
そこには不安というものがない。焦りというのも緩和されるだろう。
息が止まってしまうというのは、人間いつかは誰でもそうなるから
というのがあるが、裏を返せば底に不安がある。
筋肉の緊張もその類だ。ただ、勘違いしては、いけないのが、あくまで
緩和であり無くなるわけではない。不安、焦り、緊張はあるべき機能なのだ。
また、わからない、できないというのも不安などの要素になる。
わからないことがわかった時、不安はない。できないも同様。
これが、慣れ、飽きを目的とし努力する根拠だ。
また、わからない、できないを捨てる方策もある。
わからなくて、できなくて当たり前。生きるために必要性のないものは
出来る限りは除外していくのが動揺を減らす方策になる。
249考える名無しさん:2014/09/30(火) 14:25:55.84 0
http://i.imgur.com/o5K4L8d.jpg
噴火だぞー
ギャハハハハ
250Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/09/30(火) 18:35:02.87 0
>>248
深いお話です。正解に近づき、ものにするための、具体的方策を述べておられますね。
単純に見えることが、簡単にはいかないことであるので、哲学として方法を
概念に対して、整理することで、先に行けるはずですよね。優秀な方と
お話出来て嬉しいですね。
251考える名無しさん:2014/10/01(水) 00:25:59.35 0
宮本武蔵が剣の極意を尋ねられた時、従者に切腹を命じたらしい
弟子は一切の疑問を挟む様子もなく即座に従おうとしたわけだが
これが剣の極意らしいよ
武士道ってそんな境地に至る為の技術かもな
252考える名無しさん:2014/10/01(水) 03:45:16.16 0
カレー曜日か?
253考える名無しさん:2014/10/01(水) 08:49:53.69 0
武家の子孫である俺が爺さんから聞いたことを教えてやる。



揉めたら、取り敢えず、相手を斬り殺してから、善後策を考える。
それが武士や士族(武士の子孫)の発想。

それでは社会が持たないので、殺人による処理に制限をかけるための、武家専用思想。それが武士道。

でも外からみると自制してるみたいで格好いい。

まあ、エヴァにとっての拘束具・外装のようなもの。
254考える名無しさん:2014/10/01(水) 09:38:30.40 0
武蔵vs爺さん
255Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/01(水) 11:28:30.98 0
>>251,>>253

武士ナメてましたスミマセン……。
256考える名無しさん:2014/10/02(木) 03:41:34.22 0
>>251
だがそこで切腹してしまうのも武士。武士をやっているから武士道の枠組みで
説明できるというのはナンセンス
257考える名無しさん:2014/10/02(木) 07:57:33.66 0
論理的思考力のない人は、どんな試験見ても、凄く論理的思考が要求されてるように感じる。
暗記力が弱い人は、どの試験も、暗記力が試されてるように感じる。
どっちも自分に欠落している能力ギャップを意識してるだけ

2ch では、「僕の受けてる試験は論理的思考が要求されるから大変なんだよ」アピールが多いけど、それは単にそいつの論理的思考力が劣っていることを自白してるだけ。
本人は「論理的思考力が試されてる試験に挑んでいる俺ってば格好いい」とか思ってるんだろうが、そういう論理偏愛・暗記軽視が格好いいと感じる幼い歪な精神を矯正する方が重要だろう。
全部頭に入れて脳内で化学反応起こす環境を確保することこそが新規創造力と高速処理の両方に寄与するというのに。


俺(文系)なんかは、今まで受けた理系資格も文系資格のどんな試験も暗記試験に見える。なにしろ、論理的思考が人並み外れて優れてるからな。(えへん!)
258考える名無しさん:2014/10/02(木) 09:45:23.89 0
>論理的思考力のない人は、どんな試験見ても、凄く論理的思考が要求されてるように感じる。
>暗記力が弱い人は、どの試験も、暗記力が試されてるように感じる。

論理的に証明して
259考える名無しさん:2014/10/02(木) 09:50:02.35 0
では前提を定義しなさい
260考える名無しさん:2014/10/02(木) 09:57:39.27 0
>>259
前提ってw地球人の話じゃなかった?w
261考える名無しさん:2014/10/02(木) 09:59:50.17 0
論理的に説明した後で、「理屈はあっているが、前提が誤ってるから結論も納得できない」とかいう中学生知能の人間が多いからな
自衛策としては相手に前提を定義させることだ
262考える名無しさん:2014/10/02(木) 10:02:47.02 0
(前提)文学部哲学科は頭が良くない
(前提)頭が良くない人間は文学部にしか進学できない
(前提)法学部経済学部医学部工学部は頭が良い人間が進学する
(前提)受験競争で負けた人間は文学部に行かざるを得ない
(前提)論理的思考能力がない人は頭が良くない


これでお願い
263考える名無しさん:2014/10/02(木) 10:03:47.33 0
確かにその前提は正しいね
264考える名無しさん:2014/10/02(木) 10:05:21.34 0
>>261
自分の前提を発表してからやればいいだろ
265考える名無しさん:2014/10/02(木) 10:06:48.69 0
>>262
それは結論では?
266考える名無しさん:2014/10/02(木) 10:08:33.77 0
自分の言ったことの証明を他人の決めた前提やってどうする?
267考える名無しさん:2014/10/02(木) 10:10:06.13 0
>>266
論理的に説明した後で、「理屈はあっているが、前提が誤ってるから結論も納得できない」とかいう中学生知能の人間が多いからな
自衛策としては相手に前提を定義させることだ
268考える名無しさん:2014/10/02(木) 10:10:34.37 0
>>264
論理的に説明した後で、「理屈はあっているが、前提が誤ってるから結論も納得できない」とかいう中学生知能の人間が多いからな
自衛策としては相手に前提を定義させることだ
269考える名無しさん:2014/10/02(木) 10:11:50.40 0
>>265
論理的証明が不要なくらい万人に受け入れられている命題だから、前提にしてOK
270考える名無しさん:2014/10/02(木) 10:12:34.03 0
>>267
君の前提が間違ってないなら問題ないだろ
271考える名無しさん:2014/10/02(木) 10:13:23.54 0
>論理的証明が不要なくらい万人に受け入れられている

論理的に証明して
272考える名無しさん:2014/10/02(木) 10:13:54.01 0
>>270
結論が出た後にそれに不満な奴が、「理屈は悔しいがあっている。だが、前提が誤ってるから結論も納得できない」とかいうのが横行してるからな。
自衛策としては相手に前提を定義させることだ
273考える名無しさん:2014/10/02(木) 10:16:09.79 0
>>272
君の定義が間違ってないなら「理屈は悔しいがあっている。だが、前提が誤ってるから結論も納得できない」にも反論できるはずで、なにも問題ないよ
なにを恐れてるのか皆目わからない
274考える名無しさん:2014/10/02(木) 10:26:09.08 0
証明不可能なものは証明不可能。
曖昧で千差万別の人間について「前提を定義しなさい」なんてのは、
もはや宗教
理系原理主義教
わからんものをわかったと思い込むのは悟りと違う
275考える名無しさん:2014/10/02(木) 20:44:24.38 0
>Absalom ◆owNN8RDlXo
こういうときは放置がいちばん。
276Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/02(木) 21:05:24.92 0
キモヲタの人はこれでも見てなさい。

https://www.youtube.com/watch?v=NypVvG9fQ7o
277考える名無しさん:2014/10/02(木) 22:48:56.10 0
私達が悟りに近づく事は出きるの?悟りに近づこうとしてる時点で遠ざかってると思う
278Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/02(木) 23:28:12.80 0
>>277
遠ざかることもあるでしょうが、理由が近づこうとしているからだというだけの
ことではないでしょう。悟りに近づくことが出来るのか?という問いは、いいものです。
そこから反発を見出すならば、まだ修行が足りないということなんじゃないか、
と考えます。悟りの状態を信仰することが、仏教であり、仏教という宗教に必要な物
は、それだけのことだと思います。仏像を見て心やすらぐ人は、みな悟りへ近づいて
いると思うんです。与えるだけでもなく、与えられるだけのものでもない、という
相互作用のような関係にあると思うんです。みだりに悟りを教条的に持ち出すな、
ということも言えるかもしれませんが、霊魂の実体性を証明できるという背理
(詭弁)にしたがうことで過ちが生まれるのであって、証明できないことは、仏教
(などのあらゆる宗教)には存在しません。というか、証明できないことを信ずる
ことが信仰でしょう。だから、近づくと信ずることが、すべての仏教の過程を含ん
だ、菩提心という信仰心です。なにしろ仏像や経文のありがたさは、決して否定
することができないものですから。信ずることが争いを生むという視点をとった場合、
非常に危険な事になりますが、それに対する方策を、すでにうちに持っているという
仏教の平和的側面こそが、現在性であるというわけです。自らが心地よいと思う方を
見定めなければなりません。過ちを繰り返すから、輪廻の外に出られないのだと
思うべきでしょう。
279Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/02(木) 23:44:57.20 0
例えばキリスト教ではサンタクロースを子供はみな信じる。お経の文字や発音に
興味を持ったりする。これらの力は、証明できないことであっても、信じるに
足るということを表している。世界ぜんぶが信ずる宗教へと、合併すること
があってもよさそうである。実利的面では、国連などが存在するわけで、
宗教についても、一部では合併が起こっているのではないだろうか。
新興宗教がより多い人間を信仰させているのであり、ハイブリッド化を
避ける必要はないだろう。すべての日本人が平和の恩恵を受けて、
それを失いたくないという心を、本当はもっているべきだ。日本では
憲法でさえ、自らと他国の合作であるのだから。
280Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/02(木) 23:51:40.99 0
僕が日本人らしくねちねちと語る論法であるのも、その原因は、信仰の対象
となるもの(宗教、言語、人種)が日本人として持っているからです。それらは、
変えることができないものです。
281Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/03(金) 00:11:39.59 0
ねちねちしているというより、不自然なところがあるのですが、これが非常に
枷になっています。だから他人に求めたりしてしまうことがたくさんあるのでしょう。
282考える名無しさん:2014/10/03(金) 00:15:45.14 i
日本人みんながあなたみたいにネチネチしてるわけじゃないから関係ないんじゃない?
283Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/03(金) 00:20:52.57 0
>>282
耳が痛いので、その答えを聞き入れましょう。
284考える名無しさん:2014/10/03(金) 00:21:58.50 0
居るよね。
鼻膨らませて「我々日本人は〜」とか始めちゃう人。
お前の狭い世間認識で日本人語るなと。
285考える名無しさん:2014/10/03(金) 00:22:27.50 i
意外にネチネチしてない返答が返って来たw
となると自己認識のほうが間違っている可能性もなきにしもあらずだなw
286Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/03(金) 00:23:51.39 0
>>284
なにぶん田舎者ですので、世間認識は狭いと思います。
287考える名無しさん:2014/10/03(金) 00:27:53.24 0
ちゃんと鼻膨らませたのかよ
田舎もん
288Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/03(金) 01:14:57.35 0
>>287
僕の何かが気に入らないのでしょうが、そんな過誤行為に頭を垂れるわけには
行きません。鼻を膨らませる、なんていう罵詈雑言に対して、引き下がれば、
僕自身の誇りに違うことをしてしまう。印象を押し付けるような愚行をする
人間は、むしろあなた自身へのブーメランが返ってくるだろうと、予測
していないのが当然であるはずです。
289Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/03(金) 01:47:13.79 0
>>287
別にあなたへ文句があるわけではないです。すいません。
流れで言っただけです。むしろ自分に対して文句がある、ということでしょう(笑)。すいません。
290考える名無しさん:2014/10/03(金) 10:00:31.17 0
教え諭すような口調+(笑)の表現によって敵が受ける精神面へのダメージはよく心得ている
テキスト兵器である
291考える名無しさん:2014/10/03(金) 12:22:57.23 0
勝ち負けに拘ってるうちは己に勝てないよ(笑)
292Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/03(金) 15:47:18.87 0
真理の前では、私の考えは無に等しい。
外部、つまり真理そのもの、に影響を受け、考えが生まれる。考えは
ゆがんでいるのが当然だ。人間もゆがんでいる。ゆがんだなりの自分を、
認めればいい。自己が外部の法に従う(悟ったうえでの行為)ためには、
歪みを肯定することが、必要なのだ。人の要求というものは、おおよそ、
真理ではない。だが、その言葉の形が真理なのである。つまり、言葉の
意味をぬいた存在そのもの(お経など)が、真理の外部である。
自らは悟ることしかできない。外部が真理である。外部の危険さを、
抜くことができるという本質が、人間の考えの達成である。それらの
功徳を認めることで、慈悲が生じる。慈悲は歪みを肯定する。
凡夫にとっての、救いである。
293久しぶりにポエム:2014/10/04(土) 09:16:13.22 0
>>292
真理なんて自分とは違うところで廻っている、真実の光明のみ求めなされ、
それが意を成すことで貴方の真実が掴み取れることを心に記しなさい。
貴方の考えが足りないのは自分の中で考えるからであり、考えなど有能な
他人に考えてもらえば良い、考えの答えを安易に求めすぎれば思考は形骸化
するだろう、悟りなど得たときの感想にすぎず、必要なの覚悟すし現実から
繋がる未来を勝ち取ること、想いが強すぎブレて配慮が足り無すぎても、
そのバランスは崩れ歪んだ形しか造らない、貴方が掴み取るのは自身の真実
であって、それを求めてはいけないこと、そして未来へ素直に在るがままの
姿で1歩1歩確実に歩むこと。その過程に貴方の真実が生まれ、結果は過程が
生み出す影の力のようなもの。胆力を鍛えよ想いは行動にしなくても、強く
願えばその歪みは世界が補間する。運命は流される運河ではなく、無数に、
そして分岐や合流など選ぶ余地がある。覚悟を決めた思いは必ず運命の潮流
にめぐり合う、運命の流れは世界にあるのと同時に自分自身の中にもある。
294Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/06(月) 01:54:53.49 0
二人の人が秤の両端にに乗っているところを考える。自分が良きものをたくさん持っていて自分を高く上げた時、相対している他人へと、
良きものは転がっていき、平衡になる。他人と自分の立場が逆であっても、その通りだ。
自分が良きものの反対、すなわちカルマを持っているとき、事情は逆で、自分が高ければ、負の量、すなわちカルマはますます増えていき、
負の量が増える。自分はますます高くなり、不均衡の逆平衡になる。
不平等の不自然さは固着し、硬化するだろう。不自由も不平等も、不均衡から生まれる。
295Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/06(月) 17:11:35.13 0
>>293
おっしゃるように、「悟り感」が悟りの実体であるとは、思えませんね。むしろ、
「悟り」の本体は、方法の一種(極意)の、成果であるという面を見張っていない
といけないとも言えそうです。だけど、一方で、「悟り」という言葉が指すものが何か
というと、「安らぎ」ですから、「働き」に付随する「気持ち」というものが、到達度を計る
指標にはなるわけですね。中村元さんの「温かいこころ」という本にも、教義という
ものは、川を渡るための筏で、渡った後で、担いで筏を運んでいくことは馬鹿みたいな
ものだ、という話がのっています。
あなたは非常に聡明であられますし、自主性や教養という面でも優れているように
伺います。特に、文化について、造詣が深い。未来に対する希望を抱き続けて
おられるところなど、非常に共感するわけでございます。
「選ぶ余地」この言葉を灯火として、暗闇の中に分け入っていく覚悟としたいと
思います。
296考える名無しさん:2014/10/06(月) 17:30:46.68 0
>>295
誤字脱字失礼、ポエムなんて書きなぐりだからそんなもんです(謎)
297Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/09(木) 11:52:24.07 0
「温かいこころ」などと言われても、反発を感じるだろう。それはなぜか。こころが
我であると思うからだ。だが、本当はこころは我のものではない。もっと、他の物
と関係し、連動したものである。だから、「我執」を捨てるということができるなら、
こころが温かいという状態を、感じるだけではなく理解できるし、実際に、
こころが温かいのだから、我というものを構築しようという強迫の必要も
感じることがない。認識の方法に、いろいろな種類があるわけである。
298ぽぽぽぽーん:2014/10/09(木) 14:54:27.88 0
>「温かいこころ」などと言われても
明るい未来、気高き白、暗い過去、落ち込む黒、いろいろ比喩してみるのも方法だと
思います。
>「我執」を捨てるということができるなら、
我がなくして感情など生じないのではないでしょうか、温かいというのは同時に暗い
面をそれ以外に示すことこそ我の外から見る世界の関係性では?
さて貴方が思う心は白なのか黒なのか灰色なのか、物事を感じた後に認識してみると
物も事も詳細や例外を丸め意が生まれるが、非意は過去に置いて行くことになる。
非意などどうでもいい、無視し忘れるべきだ、それは種類の分け方が生じる物の様子
何々だからその通りである。論理性の高いそれらは極めて合理的で正論であるはず。
過去に捨ててきた何かは忘却の彼方から、忘れた果てにその捨てた何かの累積が廻り
漂い揺れ動き移り変わる最後に、それが現れた時にしか非意の何かが関係していた事
に気がつく事は無いだろう。我から発する意も非意も我が消え行くと共に、バランス
を取り戻そうと働くと思うから。
色即是空、表裏一体、盛者必衰という視点にたどり付いたとき、我はどう思うのか、
強く激しく生きてきたものは、その背後に捨ててきた何かが潮流となって押し寄せて
来るのを感じ取れると思う。他を呪い、他を妬み羨み、他を欲する、得たところで、
その対価は支払えるのだろうか、逆に他を祝福し、他を励まし活かし、他に与えた時
にその対価は目に見えるものでは無い、故に対価など無い、そう思えば良いのか?
全ては繋がっている、因果応報など信者の心の中だけで非科学的なのだろうか、
「我思う、ゆえに我あり」、これは我が思えば我は我の思うがままの存在に移り行く
ともいえないだろうか。はたしてそうなのか?
我が踏みつけてきた無意味な何かへ、心の底から感謝を意を示せるならば、我は、
その対象から祝福されるべき関係を築いて来た我か、

魂はそういう見えない何か世界の見えない働きと存在の何か、そういう部分に生じ
てきそうである。
299Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/09(木) 16:43:59.91 0
>>287
(遅です)

なんだよツンとすましやがって。
300Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/10(金) 00:25:18.80 0
音楽をよく認識できる人は、知能が優れている。和音に対する理解があれば、
言葉の美しさというものや、メッセージ性において、優れた感度で受信/発信できる。
和音の美しさは同じ瞬間の響きの美しさであるから、これがわかる人間は、
喜びとして、平和と美しさを生きることになるだろう。(ただし本来としてという制限
の下でだが)
和音は平和に通ずる。(和)
その喜びを、いつまでも感じていたいと思えるほど、和音は素晴らしい。
言葉の和音を如何に作るかという言語芸術は、また素晴らしい。
実にこの世は、こんなに美しいものであり、些細な諍いなど、忘れられる。
そのようにして生きたい。私はそれを忘れることはない。
301Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/10(金) 17:01:52.72 0
精神年齢の低い私、他人と自分がまったく別のものであるという
ことに長い間気付かなかった。責任を持つのは基本的には
自分に対してである。なぜなら自分と他人は全く違う
人物であるから。そのように、自己の能力の範囲を限定
することで、疲れに対処できるようになる。他人のことを考える
ということは尊いが、自己を犠牲にしてまで捧げるのははっきり言って
間違っている。自分を捨て去ることはしなくて良いだろう。
自分は自分で、その範囲で注意すればいいだけだ。
他人には責任をもつまい。ただ、他人は尊重し、敬意を払い、
善良なる心や、せめては悪でない心で、自分のこころの感じる
ままに、選んで与えればいいのである。疲れることを、なくすこと、
つまり、自分の限界を知り、壊れない範囲で行動すること。
他人の行為を左右したいなどと思っても、他人と考えでつながる
事はできても、我執も他執も、一度感じたなら捨て去らねばならない。

少しづつ精神年齢が上がってきたようだ。
302Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/21(火) 16:50:38.78 0
答えを求め結果を知りたいと思うことは、自らを殺すことだ。ある不快な苦がある、
一切皆苦が真実であると認めた場合に、では苦に対してどうすればいいのか
とかんがえるしかない。それは、苦を認めることである。頭に浮かんだ嫌な
考えに、自分の本来は違うはず、とかんがえることはいいだろう。だが、
苦から目をそらしていたら、何も学ばずに死んでしまうだろう。菩提心という
ものは、悟りを得たいという気持ちに対して、まだ悟っておらずとも、
問題の所在が自分の中にある、と感じた人がいるわけだから、それから
目をそらさなければ、自然と問題は解決していく。

答え、結果を得ることを考えず、過程を楽しむこと、苦とともにあることが
必要とされていることである。
303ポエムちゃってます:2014/10/22(水) 20:27:22.68 0
>それから目をそらさなければ、自然と問題は解決していく。
それは知性という才です。勝ち取った人にのみ与えられる。
>答え、結果を得ることを考えず、過程を楽しむこと、苦とともにあることが
>必要とされていることである。
人間は感情の生き物です、目の前に安易で誘惑される選択が並んでいて
それを選ばないのでは、「人でなし」です。
しかし人でない所行となる何かを目標としたとき、人であるかは足かせになります。
304唄は常に抽象的であるほうがいい:2014/10/22(水) 20:28:13.56 0
>答え、結果を得ることを考えず、過程を楽しむこと、苦とともにあることが
>必要とされていることである。
答えは結果を得ることは大事です、だがその過程もそれ以上に大事であり
安易に構築(得た)した答えは、安易に崩壊(失い)します。
自らの力で強引に掴み取った何かは自らが放棄すれば即失われます、
自らが過程の中で自然の中から生み出した力は、我に宿る零体のような力であり、
"運の流れ"そのものであります。
物事を悟れば、運は我にあり、我は運なり。それこそ天運(天が与えた天命)
我が目標を失っても運は貴方に目標へ進めと囁き続けるだろう。
捨ててきた"どうでもよい"過去は、捨てたと思っても消えるわけではない、
捨てた残骸は常に貴方の過去である、積み上げた過去は決して失われない。
過去は未来に対して崩れ行くものである、覚悟を決めた1歩こそ、天から授かる
宿命そのものです。運というとオカルトや占いと考えますが、運は流れで運ばれるもの
であります。積み上げてきた過去の前提と背景を土台に現代があり、未来はその土台を
どのように解釈するかで選択ができるのです。前に進むか戻るか、合理的は非合理か、
物の性質によってそれが最も自然になるのが流れです、流れに逆らうのも流れに流される
のもそれは選択の1つ。世界へ向かって1歩進む、既に選んでいるではないですか?
1歩はもう1歩、小さくても繰り返せば目標への可能性は微々たる量ですが進みます、
必要なのは1歩進んだときに来るチャンスです、世界は常に意思に対して逆流ではなく
常に順と逆が不定期に切り替わるのです。
チャンスを掴めるか、それは覚悟の問題であり、覚悟を得れば思考せず迷わず、
ただ1歩進む為に選ぶことです。
途中の優勢や目標に近づいているなど関係ないのです、目標に向かう【姿勢】が目標を
見ているかであり、どんな逆境でも目標を見失わなければ、どんなに確率が低くても
そのチャンスは1回以上与えられる。チャンスが得られるかはチャンスへの布石であり
1歩1歩が土台として形成されているからこそ、チャンスが有効になるのです。
といってみる。
305Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/22(水) 21:47:37.57 0
>>303
>それは知性という才です。勝ち取った人にのみ与えられる。

勝ち取ると言われた。深い意味を込めてあるのだろうか。どちらにせよこの言葉に
つなげてみる。昔持っていたAVの洋画『美獣狩り7』の中で、主人公は
「勝利の戦士」と言われる元俳優の男だった。細かいことにこだわるが、
「勝利」というアメリカの概念は、おそらく悟りと近いだろう。知性についても
勝ち取るものだということが言えれば、自らに対する敵とは何なのか、も
見えてくるだろう。知性VS反知性という構図も浮かんでくるのだが、差別
意識と密接な関係があり、なまなかなことでは定義はできない。だから、
知性は直感的にとらえられるのだろう。直感的に捉える場合に見える
イデア。

>しかし人でない所行となる何かを目標としたとき、人であるかは足かせになります。

人であるためには、その反対である人でなしでもあらなければ、弱いだろう。
正反合で世界精神。表裏一体とおっしゃっていたではないか。
306Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/22(水) 22:16:30.82 0
>>304
>どのように解釈するかで選択ができるのです

解釈した結果で自らに思えた前提に従って選択ができるっつーのね。

マラソンランナーみたいなのが思考の粘り強さにもなるでしょう。
それが覚悟に繋がる思考を生む、と。
実力があれば、何でも達成できるんでしょうね、純粋な思考の形の
話しについては。危険と平和は、裏腹なものであるということを感じました。

いつも新鮮な気持ちになれます、レスありがとうございます。
あなたのキャラも、あなたの思考の能力も、好きですよ。理想高い
ということは、忘れがちなんですよ。
307Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/24(金) 15:59:01.70 0
真の法(のり)とはどのようなものか。それは、人間が作り上げたあらゆる種類の
ルールである。ルールに従うから、世界は美しくなるのである。ブラウン運動の
ようなものでさえ、ウィーナー過程として、理論に従うものである。
人間は生きる上で、おそれを抱く。それは、世界の喪失を恐れるのである。
自らの過ちによって損なってしまうとか、人からある種の危害を加えられる
のだと恐れることなどが、喪失へのおそれである。

幼少期において、多くの煩悩を貯めこむ。その煩悩とは、真理ではない考え、信念、
思い込みなどのことである。人間のおそれが引き起こすことに、罪がある。罪を
犯してしまっても平気であるのは、それが何かの大義によって保証されている
ときである。個人と大義が同一になった時、危険な事が起きる。そして、それは
その個人にとってさえ、視点を変えたなら、過ちでしかない。

人間のルールのあり方とはどうであるか。それは、道というもので表されるだろう。
人間が計画によって作り上げた道を、どのように歩こうとも、それは道を歩んだ
ということなのである。ジャングルの密林をさまようのではない。故に理法が
徐々に明らかになってくる。

勝利を求めるのは、つねに敗者や弱者である。だが勝ち取った自由が、目的となって
はいけないのである。勝利の概念の作る道とは、「限りなき勝利」である。
自由を得るためには、ルールを身につけなければならない。身体的自由だけ
ではなく、精神的自由が、勝ち取られるべきものである。それは、例えば「阿Q正伝」
などの小説の言わんとするところであろう。

「人間の理法」というものを、明らかにしなければならない。それは、人間が集団や
社会を作り上げる時に、自ずから生まれるルールやあり方である。人間には
正しいことを求めるという性向がある。交通ルールに従った車の群を、ある種の
安心を与えるものとして、見ることが出来る。できないことをすることはない。
常にリラックスして身を任せるのである。
308Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/24(金) 18:19:53.12 0
おじぞうさん おじぞうさん
頭がかたいのね
そうよ仏様も
かたいのよ
309Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/24(金) 20:30:56.04 0
人間であれば誰しも不安は多い。
だが不安さえ忘れてしまうという不幸な病気状態もある。
あらゆる不安を、脇にのけずに全て思い返し、思考へと道を空けてやるので
ある。不安から逃れられないという不安が、一番病的である。
不安程度のものなど、恐れないことなのだ。
それほど人間は弱くない。今まで死なずに生きてきたじゃないか。
不安を煽られる不安など、シカトだ。
不安とともに生きることが、出来るのだと、譲ることを覚えたい。
不安はすべて忘れず、乗り越えよう。
310Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/24(金) 20:51:59.77 0
病巣を見つけるために、自らの欲求をしる。何処に問題があるのかと。不安の声を
聞いたなら、その主を特定しなければならない。それは何度でも試してみる。
声が聞こえる──僕が不安なんだよ、助けて。檻の中から開放してやる。
制限されて無視されてきたものへ、可能性のすべてを掛けて。
311Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/24(金) 22:34:54.29 0
一度得た不安は、同じ条件の下では、同じ不安とは区別されるから、
結局のところ、記憶に保持されるということが、その他の思考と同様に
言えるだろう。だからこそ、忘れ得る。同じ条件を思い出さねば
気持ちが悪くてしかたがないと言ってみても、なにも問題の解決
とはならない。これが忘れるための条件である。不安のみにではなく、
全ての思考に対して、この忘れるための条件は当てはまる。
記憶の保持が忘れるための条件である、と言った。忘れられない
ことを忘れようとする努力が、不安に対する一つの大きな方法であろう。
忘れられた不安は、おそらく、人を安心させる経験である。悩みなき
涅槃へたどり着くためには、自らの要求を知っていないといけない。
私の不安とは、つまり、不安から逃れられないのではないかという
心配である。
312Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/24(金) 22:48:27.81 0
このようにして、欲望の全てを相対化した(つまり、不安はすべての欲望にまさるほど
強烈な一つの経験であり、決して否定的な面だけを持っているのではない、
ということを、忘却の安心によることをもって明かした)ので、私はいま、一つの
生を達成しようとしている。私の望んだ達成とは、不安がないことであった。
欲望の相対化は、欲望の克服であり、解脱というべきものであろう。
多様性という個性の原理ではなく、解脱という普遍性に至ることが私の
望んだことであった、ということは、人間に対するある真理を含んでいる
のだと言えるであろう。差別と区別の違いを。平和と戦争の原理を。
得ることと失うことの関係を。個別と普遍の補いあう意味付けを。
313Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/24(金) 22:59:46.21 0
生きていれば色々とつらいことがあるのである。だが他者に対する信頼を
揺るがせるほどのことは、一つもなかった(これを言いたい)。
全てが私の妄想であった。
今生きているということから、この書き込みが可能になっているのだ。それで
十分ではないか。人に対して強制したいことなど、一つもないのだ。
私を狂気の中に置き去りにして殺すような神ではなかったということに
対して、私はそれで十分な天国を与えてくれた、と感じられる。
まだ悟ってはおらずとも、今日の歩みに満足し、知恵を磨くことを目的として、
生還の感激に浸っていたいと思わされたのであった。いまは忘れるべきものを
すべて忘れることにしよう。その次にやってくるものを受け止めるのだ。
何もやってこないということを感じられるまで、永遠の勝利を信じていよう。
314考える名無しさん:2014/10/25(土) 01:20:50.65 0
グダグダなげえんだよカス
315考える名無しさん:2014/10/25(土) 08:40:35.66 0
>>314のような
単細胞はアビガン錠で退治するべき。
RNAのどっかが壊れるぞ。
316考える名無しさん:2014/10/25(土) 17:45:26.60 0
>>313
全部吐いちゃえYO!
317123:2014/10/25(土) 17:58:37.68 0
悟りの方法。
釈迦、釈尊の方法。
それは人間の欠点を指摘して、それを否定する方法を提示したものである。
その結論は人間を否定して、人生を否定すれば良いという方法である。
それに反逆したのが大乗仏教である。
だから悟りのためには大乗仏教を否定することが必要である。なんでか。
人生を肯定する思想は人生論になってしまうのだ。
だからして人生論から脱却して宗教に入れ。悟りに至れ。
宗教オタクの伝言。
318考える名無しさん:2014/10/25(土) 21:05:20.54 0
仏教は哲学ではナイ。論理を期待しても、それは無い。
西洋哲学は、この世(宇宙)は、科学と同一で、「ある」「ない」の
二つしかない。
佛教では、この世(宇宙)は「空」であり、「ない」の一つしかない。
観念としても、論理としても、理解不能である。これを仏教哲学では
世俗諦と言う。しかし、悟るものは、勝義諦と言って、智者のみにとり
「空」が理解可能と言う。
319Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/25(土) 21:42:54.26 0
>>314
すまないです。出来る限り気を配ります。

>>316
吐き出すことで楽になるということがあるようです。

>>317
よく考えておられるのがわかります。僕のようなにわかであっても。
欠点の提示←否定という方法は、強力ですけど、大乗仏教
がさらにそれに反逆するというのは、歴史が素晴らしいということ
でしょう。私も、現在において、考えをその目標へと、至らせていきたい、
と思いました。

>>318
「ない」ですよね。その神秘さに惹かれます。頭がぼうっとなる陶酔感
を覚えるような(お経に浸って)。
320Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/25(土) 21:48:10.92 0
>>315
中国の牽制、イスラム国の化学兵器使用などを含めて、なかなか厳しい情勢に
なってきていますね。試練みたいな。僕にも危険が感じられます。
321考える名無しさん:2014/10/25(土) 23:40:43.84 0
普通の微分積分やってた頃は、何も感じなかったが、電界・重力場の分析をするために、ラプラス変換・フーリエ・偏微分・マクリーン展開をするようになってから、段々とこの世界の真の骨格が透けて見えるようになってきたよ。

哲学などやらずに、こちらの世界に来て大正解だった。
後少しで私は悟りを得るだろう。
322考える名無しさん:2014/10/26(日) 00:37:19.79 O
悟りをひらいたからって幸せとは限らない。
幸せなら悟りをひらく暇なんてないから。
323考える名無しさん:2014/10/26(日) 00:54:53.32 0
マクリーンてなんじゃらほい
マクローリン展開じゃろ
324考える名無しさん:2014/10/26(日) 00:56:08.48 0
マクリーン事件とは、日本における在留外国人の政治活動の自由と在留許可をめぐる事件である。
本件は、外国人に対して憲法が保障する人権がどこまで保障されるのかという点でも指導的な判例とされている。
325考える名無しさん:2014/10/26(日) 01:01:21.62 0
・John McLean (競技選手)
・Colin Maclaurin Mathematician (白髪)
・John McLean (郵政長官)

選べ。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Maclaurin_Colin_engraving.jpg
326Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/26(日) 18:23:40.29 0
何故人は、間違ったことを言うのを恐れるのか。それは、その結果人から嫌われる
という恐れを抱くからだ。だが、嫌われることは永遠につづくわけではない。
十二因縁などによって、相対的になる。つまり、思考とは、流れや
連続性の思い込みを離れなければならない。すべてのことは、相対的
であるのだ。視覚、聴覚、触覚など、すべての感覚は、連続的に起こるのでは
ない。
327考える名無しさん:2014/10/27(月) 02:02:25.96 0
>>326
嫌われた結果として好かれれば問題ないでしょ。世の中そんなに単純ではないさ。
目の前の小さな間違いが、最終的な大きな正しさに繋がるなら間違いを犯すのは
許されるべきことではないのかな?
328Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/10/27(月) 21:40:07.17 0
>>327
各個人の間にあるテリトリーを、犯して攻撃されることもあるけど、別の人が拾って
中に入れてくれて新しい自分と人との関わりが生まれることもあるっていう感じ
かな。それって、なんとも優しいですね。僕はやっぱり、自己と関わりのある世界を
豊かなものにして、あこがれの気持ちを満足させたいと思っています。
329考える名無しさん:2014/10/28(火) 02:27:25.13 0
信念を突き通せば分かち合うことはない、融合させれば同じ存在になれる。
敵のテリトリーに入らなければ争いは起きない、しかし敵との関係もできない。
相手をしらなければ、本当の敵なのかも分からない。
短期にみてダメだとしても長期にみれば良いのかもしれない。
気さくで良い関係は、それ以上の関係に至り難い。
330考える名無しさん:2014/10/28(火) 06:10:18.34 0
悟りを開いた熊野先生のスレ
ttp://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1411482831/
331考える名無しさん:2014/10/28(火) 12:48:55.41 0
死んでしまえばはいそれまでよ悟りも悩みもはいそれまでよ
332考える名無しさん:2014/10/28(火) 12:57:58.44 0
何故人に嫌われることを恐れるのか?
弱い人間の生きたいという願望だろ
本能か?
火の鳥の血を飲めばいいんじゃないの?
333考える名無しさん:2014/10/28(火) 12:59:57.62 0
四んでしまえ
334考える名無しさん:2014/10/28(火) 15:26:58.83 0
「2ちゃんねる  哲学」版のエリート
   「教養」としての「さとり」
   「強要」としての「色即是空」
   「教養」としての「座禅から涅槃」

   「教養」としての「イケメン」
335:2014/10/28(火) 16:49:28.77 0
セレブな生活したいよぅー
336:2014/10/28(火) 19:15:28.00 0
ひもじいよぅ。誰か助けてほしいよぅ
337考える名無しさん:2014/10/29(水) 03:38:28.62 0
>>336
誰おまえ?
>>335
しらねーよ
>>332
きもちわるい
338考える名無しさん:2014/10/29(水) 10:34:26.94 0
>>337
君のように自意識過剰な人間は格好の遊び道具にされてしまうという事ですよ。
これは君だけではなく2CHに張り付いている人間全てへの警鐘だよ。

条件を指定できるほど君は偉くはないはずです。
またここは匿名掲示板であることを忘れてはならない。
339考える名無しさん:2014/10/29(水) 18:59:13.04 0
>>338
おまえ、至る所に貼ってんなあ。

いい加減にせえよ
340考える名無しさん:2014/10/30(木) 01:50:50.23 0
>>338==339
341123:2014/10/30(木) 19:26:09.91 0
悟りとは。
それは否定の論理である。
だからなんでも否定すれば良いのである。
そして最後に何が残るのか。
そこに答えがあることになる。
だれでも勇気のある人は挑戦する。だが。
その答えに満足するか否かの問題である。
まず、存在を否定すればどうなるのか。
342考える名無しさん:2014/10/30(木) 19:37:42.31 0
それを問う人物の存在自体が否定されるからその否定は意味を持ち得ない
という答えしか出て来ないね
343123:2014/10/30(木) 19:46:52.19 0
それを問う人物の存在自体が否定されるから、そこに価値があることになる。
よって、その否定は意味を持つことになる。
344考える名無しさん:2014/10/30(木) 20:32:13.68 0
いや、そうじゃなくて、何で存在しないのに存在を問うことが出来るのって意味です
存在しないのであれば、それは不可能なんじゃないですか?
ようするに、存在してるから存在を問うことができるわけです
345考える名無しさん:2014/10/31(金) 00:07:17.86 0
>>341>>343

きもちわるい
346123:2014/10/31(金) 18:46:57.92 0
344.
存在してるから存在を問うことができるのか。
それは科学の問題であることになる。
宗教の問題はそうならない。
そこが理解できないと科学バカ、オンリーということになる。
宗教問題とは何かの問題である。
347考える名無しさん:2014/10/31(金) 21:55:48.57 0
>>346
科学という閉じた世界しかしらない井の中のカエルなのに、
それを否定し一生気が付くことができない貴方には科学王の称号が相応しい。
348考える名無しさん:2014/11/01(土) 09:49:46.95 0
349考える名無しさん:2014/11/01(土) 16:42:23.79 0
>>348
人格障害?
350考える名無しさん:2014/11/04(火) 00:01:01.46 0
己の存在すら消し去るなんてカッコイイじゃねえか
351考える名無しさん:2014/11/04(火) 00:50:45.69 0
あれだな
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれってやつだな
352正理会:2014/11/04(火) 10:31:11.40 0
宗教から哲学、歴史、天皇、社会問題、教育問題、韓国朝鮮問題まで

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353考える名無しさん:2014/11/05(水) 02:42:36.92 0
ハエがくると静かになるスレ
354考える名無しさん:2014/11/06(木) 01:03:12.78 0
希望という目標は、たとえ何もしなくても
1歩1歩進んでゆくもの、それはそれを曲げない希望への姿勢を持っているから
である。姿勢を失った時点で何をしても無駄だってこと。
355考える名無しさん:2014/11/06(木) 01:37:00.66 0
356考える名無しさん:2014/11/07(金) 13:58:01.58 0
人に嫌われたくない、という希望
頑張る程うざいもんだよ
357考える名無しさん:2014/11/07(金) 15:00:30.63 0
あの名乗る名前はないオバハンを裏切ってしまった オパイもにゅもにゅ〜ぅ (決死
358123:2014/11/08(土) 18:59:18.54 0
釈迦、釈尊の悟り。
かれは星を見て悟ったとか。その内容とは。
それは、星と自己とが同一であることを悟ったのである。
自己がなければ、すべてが自己であることになる。秋月龍民より。
以下秘伝。
359考える名無しさん:2014/11/08(土) 20:53:51.48 0
釈迦の悟りを真似しても悟る事は出来ない。

自分自身の悟り方を研究すべき、各人各様の
悟りの方法がある。人に教わることはできません。
360考える名無しさん:2014/11/10(月) 03:41:56.63 0
そもそも悟りに意味などない。359みたいのが意味があると確信して
悟りがすばらしいものようににデマカセを電波するだけ。
361359:2014/11/10(月) 06:49:03.59 0
360さんの考えも一つの結論と思います。
否定するものではありません。
362考える名無しさん:2014/11/11(火) 05:27:12.60 0
361は悟った、だがそう思っただけで何も解決しない。
363359:2014/11/11(火) 07:01:41.46 0
>>362
解決すべき課題がボンヤリしているのではないでしょうか。
364S、イマムラ:2014/11/11(火) 15:51:14.49 0
西洋の有の哲学、東洋の無の哲学。有でなく、無でなく、第三の存在。
「c点」=「有無合一体」=「大日如来」
「華厳経」宇宙の新解釈。量子力学との接点。
「科学」と「本質論」との相違。宗教は科学では無い。「華厳経」も科学では
ない。「さとり」なるもの?
「c点による時空論 改訂版」
「いのち」アル限り、この世(宇宙)はある。
「いのち」ナキ所に、この世(宇宙)もない。
365123:2014/11/11(火) 17:44:08.82 0
364.
大乗仏教を克服せよ。
宗教は科学ではない。
宗教は存在論ではない。なんでか。
366考える名無しさん:2014/11/11(火) 19:06:05.74 0
オーガズムは悟り。
367考える名無しさん:2014/11/11(火) 19:46:32.69 0
解脱
368考える名無しさん:2014/11/11(火) 23:42:38.70 0
>>363
貴方がでしょw
369考える名無しさん:2014/11/12(水) 05:02:39.82 0
>>364
何をいっているか分かりません。
370考える名無しさん:2014/11/13(木) 05:00:15.69 0
>>366
まるで魔術のようだな
371考える名無しさん:2014/11/13(木) 07:04:48.85 0
>>366
これは正しい。
372123:2014/11/13(木) 19:34:09.10 0
c点=有無合一体=大日如来か。
空海の大日如来。
それは存在論になっている。そこに限界があることになる。
有無合一体とは。
それも存在論になる可能性がある、
西田哲学の純粋経験とかが参考となる。
373考える名無しさん:2014/11/13(木) 19:48:41.02 0
射精ではなく、会陰部と乳首を刺激して得られるのんびりとした癒し系オーガズムのほうが悟りに近いとおもう。
射精による快感はかなりアグレッシブな性格をもっていて、むしろ悟りと正反対。射精では世界が開けない、存在を広げるのでなく、むしろ小さくすることによる快感が射精。
悟るためには世界と一体にならなくてはならない。会陰、乳首を刺激することによって得られる女性的な快楽は、世界を全肯定するような慈愛や、知的誠実さ、謙虚さを含んでいる。
あまりくわしくないが、オキシトシンとかセロトニンとか、そのあたりが関係していそう。

女性の意見もぜひ聞きたい。
374タックル!:2014/11/13(木) 19:57:05.13 0
>>373

タックル!に文筆の才覚を生かしてみないかね
375考える名無しさん:2014/11/13(木) 21:52:44.65 0
>>366
 常に意識的を見失わない様に自己を見つめる必要があるが、その一瞬は我を忘れる。この現象は神が与えてくださったものです。これは一種の悟りと言って良いでしょう。
376考える名無しさん:2014/11/14(金) 03:06:31.21 0
病気
377考える名無しさん:2014/11/14(金) 04:42:43.46 0
>>375
神の力を持たないものが神を語ってもダメ、神は誰の心にも降りてくる、
そして本当に必要な誰にでも神の力を与えてくれる。

貴方は神の力を授かったのか?
378考える名無しさん:2014/11/14(金) 07:31:09.32 0
>>377
現在、授かってはいません。しかし、導かれています。
379考える名無しさん:2014/11/14(金) 09:38:15.65 0
導かれているのは君じゃありませんね。
導かれているのはボクでしょうね。
導かれていると思っている人は導かれていませんね。
導かれて居ないと思っている人が導かれているのでしょうね。
これが悟りですね。
悟りに気付かないことが悟りだと決まっています。
380考える名無しさん:2014/11/14(金) 15:24:23.44 0
>>379
求め心があれば誰でも導かれます。
 
 やはり、スレ記載は心が乱れます。
 プラス面よりマイナス面が大きいです。
 終わります。さようなら。
381考える名無しさん:2014/11/15(土) 00:26:16.53 0
382考える名無しさん:2014/11/15(土) 01:05:09.55 0
最近エロ見てみも健気としか思わなくなった
383考える名無しさん:2014/11/15(土) 21:23:50.83 0
AV女優って悟りに近そう………(笑)
384考える名無しさん:2014/11/16(日) 03:10:46.14 0
理性なしに悟れるのだろうか?
悟りに近そうな人間というと、スピノザとか、ラッセルとかを想像してしまう。
385考える名無しさん:2014/11/16(日) 05:50:58.88 0
>>384
一般人には悟りは一瞬で永遠ではない。
それは能力ではないし才能でもない。
悟り状態が続くのは精神分離か仏の心を得たものだけ、仏とは死人であり、
己の感情を持っているならそれは仏の心ではない。
故に一瞬ではなく悟り続けられるのは精神分離の多重人格症状ぐらいなもの。
そんなものが欲しいのか?
386123:2014/11/16(日) 15:55:28.75 0
385.
悟りは一瞬か。
否。悟りは永遠である。
悟りは真理であるからして、精神状態とは無関係である。感情とも関係がない。
誤解するのは悟っていないことを証明していることになる。
387考える名無しさん:2014/11/16(日) 23:14:30.63 0
このスレの皆が書いている、悟りというのは別の言葉で表すと、どういう単語や、または文章になる?
388考える名無しさん:2014/11/16(日) 23:22:01.23 0
輪廻を重ねて、沢山の気付きを積み上げて、大悟に至り、菩薩として神の計画に仕え、物質的な次元に菩薩として最後に生まれ変わる生で得られる使命に目覚めることが悟りなんでない?

そういう意味では他の人が言ってる悟りは気付きや大悟を指してて、それは悟りの前段階のように思う
389考える名無しさん:2014/11/17(月) 01:12:18.80 0
>>386
おまえバカだろ。
390考える名無しさん:2014/11/18(火) 04:07:26.20 0
>>386
おまえはi486sxにしたほうがいい。
391123:2014/11/18(火) 18:53:25.47 0
388.
輪廻を否定したものが悟りである。
392考える名無しさん:2014/11/19(水) 00:27:26.35 0
大概の人が輪廻を否定するから人類の大半は悟ってるんだな
393Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/11/19(水) 13:44:53.09 0
一度与えられた生。唯世界はひとつ。死の恐怖を払しょくするためには、
他者がいる事を考える。人間のいない世界ではない。もはや人間は唯
存在しているのである。そして私は両親から生まれた。
真実を見誤らないために、必要とされるのは、悟りである。
必要を否定して、不必要な過剰を考える。十分に栄養を取れば(すなわち、
たくさんの時間を持てば)、悟りに近づいたことになる。十分な
成長が可能になる。生を原理とし、生の目的をそれぞれが見出すことで、
自立した世界運営の担い手として、存在できるようになれる。
存在の唯一性は、死への処方箋である。死を恐れない人々の社会こそ、
永遠の浄土であるだろう。
394Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/11/19(水) 15:07:29.98 0
自分を完全には捉えられない。見る私と見られる私は一致できない。自らに不可避
な死を認識することができないということが、人間の限界である。宗教により、
自らの生死にたいする答えをとりあえずは得ることができるから、宗教によって
安心できる。

他者が必要とされるのは、私を見ているという能力によってだ。他者の中に死
を受け取る。
395123:2014/11/19(水) 17:44:28.65 0
生死は人生論であって、宗教ではない。
だからして宗教の答えは生死一如であって、それは答えになっていないものである。
人生論の答えは色々とあるだろうが。
396Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/11/19(水) 19:30:09.02 0
>>395
>358
星を見て悟る……か。人生論だなんて全く思ってなかったけど、言われてみると
煩悩が消えるな。とても、嬉しいよ。
397考える名無しさん:2014/11/20(木) 04:46:42.16 0
>>393
全ては表裏一体である。故に表裏一体を表にする裏も当然ある。
398考える名無しさん:2014/11/20(木) 09:43:45.21 0
其れは数学論理的に間違い
偏差値底辺の文学部哲学科はこれだから困る
399底辺の主張:2014/11/20(木) 14:47:41.56 0
悟りとは数学論理である、キリ
400考える名無しさん:2014/11/21(金) 03:37:26.10 0
哲学は算数だろ、足し算もできないのか?
401考える名無しさん:2014/11/21(金) 05:30:15.04 0
低学歴はこれだから困る。
402考える名無しさん:2014/11/21(金) 12:29:10.07 0
>>398
おまえバカだろ。
403123:2014/11/21(金) 18:38:58.28 0
禅問答、公案の限界。
それは、それが個別具体論であるからである。
そこでは本質論が媒介されていないからして、その限界が問題となる。
そこでの本質論とは何か。
404考える名無しさん:2014/11/22(土) 00:41:04.00 0
405考える名無しさん:2014/11/22(土) 02:32:30.46 0
>>403
日本語で語れ。
406考える名無しさん:2014/11/22(土) 10:55:00.04 0
そんなことしたら、安っぽい思考のメッキが禿げちゃうじゃないか。
表現を曖昧不可思議にして、権威性を保つのは愚者の定番ですよ。
407考える名無しさん:2014/11/23(日) 01:00:28.29 0
命を失うのが恐ろしいのは自分のものだと思うからだ
だから汲々とつまらない時間を過ごすうちに一生が終わる
お前らは死ぬ瞬間になにを考えてるだろうね
408考える名無しさん:2014/11/23(日) 01:19:22.78 0
結局悟りってなんだよw
409考える名無しさん:2014/11/23(日) 04:06:04.26 0
自我は存在しない、全てが錯覚である事に気付くのが悟りだよ
410123:2014/11/23(日) 12:08:56.64 0
自我は存在しない。
だがすべては存在している。
自分だけは存在しない。そこの自覚が悟りである。自己喪失から、いかに復活するかが宗教問題である。
411考える名無しさん:2014/11/23(日) 12:43:35.89 0
欺瞞とうそと幻想に満ちた世界の糸を引いてるのは誰か問うのはナンセンスだ
412考える名無しさん:2014/11/23(日) 13:11:31.02 0
>誰か問うのはナンセンスだ
誰かに問うのは俺主張のコテハンの自由
413考える名無しさん:2014/11/23(日) 15:34:28.97 0
悟?
悟なんだね?
お婆ちゃんだよ、何処に振り込めばいいの?
414Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/11/24(月) 16:29:29.20 0
死に大した意味はないな。脳みそが一つなくなるだけじゃねぇか。それくらいで怯えるのは、
要するに妄想だ。だいたい、いなかった世界にある日突然誕生したんだし、いなくなるのは
むしろ自然だ。破れバラバラになったとしたって、自分が消える他の意味は無い。
生きている目的とは、脳に複雑な経験を与えることだ。唯一それだけ意味を作る。
それが終わるとしても、充実して生きていたことを何も否定できない。だから、
観点なんてなんでもいい。血が流れ、肉が腐って、少し面倒な処理をする迷惑を
かけるけど、それを自分で責任持たなくていい、それくらいはしてもらえるのだから、
死なんて、恐れるに当たらない。もっと生きていることに対し、積極的に意味を作り出す、
すなわち、新しいもの、新しい考え、獲得することを貪欲にやっていくべきであろう。
責任感が強すぎることと、死を恐れることは何処か似ている。自分の脳くらい、
豊かに開発しよう。それがいいね、きっと。時間なんて何の意味もない。無視だ。
415Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/11/24(月) 16:59:07.04 0
現実は解釈によって可変な場合もある。自らにとっての現実、ということをもっと考え
なければ。すべてのものが同一になったら、そこにはコミュニケーションは成り立たない。
妄想によってしがみつくことが、そういう過誤を引き起こす。自らに立脚しない思想
などは、妄想的な、最たるものだ。そこには新しい良さが全くといって、ない。
同じものを求める人との間には、現実に対する差異がないから、ただの
時間の浪費である。

だが、解釈によれば、新しい世界を生み出すもととなるだろう。それを受け取るのは
万人だ。だから、そういう価値こそがより豊かな価値であって、自己弁護に労力を
つかうほどの馬鹿馬鹿しいことをしなくてもよい。その馬鹿馬鹿しさに気づいた時に、
道を間違えたと認めることが、生きることの指針となる。
416Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/11/24(月) 17:16:46.67 0
解釈の代表的な例をあげる。音楽だ。作曲、鑑賞のいずれであろうと、音に対する
新しい組み立てというものが必須必然となる。現実の要素である音楽を
いかに作り上げるかということは、解釈に支点を置かなければ不可能だ。
微妙な差異の積み重ねによって音楽は生い立ち、時間の中に置かれる
ことによって、それこそ雰囲気や気持ちよさのバリエーションを持って、
その都度音楽に向き合う。
だから、もし自分が行き詰まっているというような感覚があるのであれば、
それは妄想に囚われているのであろう。良くない音楽に身を委ねているのであろう。
変わっていくものの中に意味を持つ。だから、変わることについていき、主人公
のような主体性を持ちたいのであれば、自らの力で、自分を変えていくことだ。
そうすることで、脳みその働かない無駄な時間というものから逃れられるのである。

解釈を変えることが、一番手近な方法である。なぜなら、生きることは解釈した
上でなければ、何の意味もなさないし、何も意味のないところに立つこともできない
からだ。休むことに正しい意味を与えることは難しい行為であり、満足や
安定安心といったことは、日々を送る上で、より意味の高い行為となる。
417考える名無しさん:2014/11/24(月) 22:08:02.50 0
夜寝るときに意識は解体されて、人格は消滅する。
翌朝起きたときには、起床時点での脳ハードから、意識が再構成される。
連続した同一人物ではない。
しかし、脳内に分泌されている特殊ホルモン(一種の幻覚剤)の働きにより、自分は意識解体される前の人物と同一人格であり連続した意識保有者であると強制認識されている。
418考える名無しさん:2014/11/24(月) 22:12:56.07 0
行が進んだら夢の世界が変わってくるとよく言われるね
ようするに、行で夢の世界でも意識を保てるぐらい強くなるわけだ
419考える名無しさん:2014/11/25(火) 05:27:14.66 0
>>414
>死に大した意味はないな。脳みそが一つなくなるだけじゃねぇか。それくらいで怯えるのは、
>要するに妄想だ。だいたい、いなかった世界にある日突然誕生したんだし、いなくなるのは
形而下で働く論理判断に基づくそれは正しい、だが形而上の精神世界、
人間としての人格による働きではその間逆である。
物理的に夢幻であっても妄想であっても、現実現象の模様として物理世界の
情報という形で存在している。その存在意義はよりマクロな社会現象や
物質を活かす基本として物理世界と共に成立している。
故に精神世界を侮るべからず。
例え妄想といえどそれも世界の真実である。
妄想世界の住人が妄想だけで判断する極論は間違いであるが、物質世界だけでの判断も然りである。
420Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/11/25(火) 23:21:07.80 0
>>419
まずはじめに、言葉にするとは、誰かにであれ自分にであれ、何かに対してのもの
であるということを離れることはできない。それだから、イメージを想定し、そのイメージ
に対して思考するということになる。だが、イメージは変わりやすく頼りない。そして
イメージは迷わせるということにもなる。それに対処するにはどうするか。それは、
イメージを一様な暗闇にしてしまうことである。つまり、無である。真理とは無である
ということは、当たり前だろう。だが人間にとっての無ということを考えると、すなわち
それはイメージに対しての方策が必要とされることだ、ということが、色という言葉に
託されているだろう。絶対の無、暗闇のイメージにより、不動の思考が可能になる。
そして、無を真理として身につけた者にとって、もう欲はないし、得なければいけない
境地もない。すなわち、全てが真理となる非常に楽しい気持ちになるのである。アカギ
が何故天才であったか、それは、彼には欲がなかったということである。物事
の本質を掴んでいて、ただギャンブルのために存在し、それ以上の物事、色を、
求めることはなかった。
無の「イメージ」を迷いに対して思えば、何も羨ましくはなく、何に怯える必要もなく、
ただ嬉しい気持ちに満たされ、人間としての本来の姿、真理の姿を、自らと
出来るのである。
結局のところは、何もないということが一番であり、有を無にし、無を有にするということ
が、悟りであろう。もうこれ以上に付け加えることはないだろう。すなわち、私にとって
の様々な迷いは、こうして解かれた。
長い時がまだまだ続く。それを迷いなく苦しみ無く生きられるということは、なんと
ありがたいことか。生の本当の状態を、私は手に入れたということである。それは、
激しい苦難の行き着くところであった。激流を下り、海に至った心境である。
子供の頃の、海の様子が、懐かしく思い出される。海の無、無の海。はるかな広さ。
心の安らぎ。優しい人の優しい心と触れ合うこと、それを思い出せること。
421考える名無しさん:2014/11/26(水) 07:59:50.15 0
>>420
通常の欲が無い裏にも闇という欲が存在している。
422考える名無しさん:2014/11/26(水) 18:06:36.67 0
主体が意思を働かせる"業"の玉があるかぎり、どんな無欲にも欲はある、
集合たる中心の存在が【死】を表すときのみ主体は無欲といえる。
なぜなら主体から業は旅立ち主体に魂が宿っていないからだ。

それが可能なのは【仏】の身のみである。
423考える名無しさん:2014/11/27(木) 16:00:51.52 0
詩は魂との会話をする道具である。奏でる言葉は声となり、
意味を理解するのではなく、世界の響きを感じ取ることである。

響かない言葉には論理しかない、議論や討論で交換する論理では意味を
響かない機械の仕組みにしてしまう。
貴方の言葉が響かないのはそれは機械的な言葉だからだ、響く言葉には力があり
一言の言葉ですら世界を動かす。
天の時と地の利と人の和が奏効するときどんなに僅かな力であっても
世界はその僅かなそれに従う。
424Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/11/30(日) 04:55:49.45 0
大事なことと、大事そうに見えても実は恐ろしいことが、ある。
いいことと悪いことがある。
いいこととは、「ほんとうのさいわい」である。
一方、悪いことは、こころが機械化していくことである。
人間は、人間味があるから素晴らしいのである。
それが理解できた場合、次へ進もう。
人間味こそが生きる喜びである、ということ。
もっと詳しくは、自分をごまかさないこと。悪いことを良いと勘違いしないこと。
真に悪いこととは、一見効率的で、それゆえ褒められ、飛び火のように拡がる。
だが、失われてしまった場合、それを取り戻せないということに、薄々誰もが気がついている。
悪いとは、競争であり、差別であり、心の麻痺である。大事な価値を失ってしまう。
それに抗するために文化があり、真に感情を満足させる本音がある。
良いことと悪いことは、一見して区別がつかない。なぜかそうなのである。
難しいことなのだが、これは一番根本的に大事なことである。
悟りも、文化も、助けること、善意も、そういったところに、気づいているから、みな
後世に残っているのだろう。
知らなければ殺し合いを助長する、だから何をすることが間違いでなく、間違った場合に極端に洗脳されない
ように、どう人間の考え、あるいは法を知って、間違えないようにできるかということを得なければ。
重い課題であるが、一部では素晴らしい文化としてあることである。
誰もが失わなっていけない素晴らしい世界を持ちうるかということが問題である。
個人の「都合」とは、一番いけない考え方だ。自分に正しいことというのは、
法に反した飛び火の方法である。自分を正しくすることに、何の満足も得られない。
心地よい疲れや、感動の涙、そういったものが真実であると考える。
425考える名無しさん:2014/11/30(日) 19:14:50.14 0
>>424
それじゃ理屈どまりだよ。分かっていると思うが感じろ。
それが確実にできるなら、次の応用のレベルへ登れる。
理屈じゃない世界へようこそ。
426Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/11/30(日) 21:10:38.45 0
>>425
よろしくお願いします。
皆様にも。
Let's 悟り。
427123:2014/12/01(月) 20:04:00.89 0
悟りの理屈。
人間は肉体という物体である。
その物体が思考して観念、妄想を発生させる。
悟りは、それを逆回転させることになる。
その思考を否定する。その肉体である物体を否定する。
その後に何が残るのか。
その残存物が悟りである。
それを思考しても良い。それを感じても良い。
だがそれを確認せよ。されば終わりであることになる。
終着点は出発点であることになる。
その円環が輪廻であることになる。
428考える名無しさん:2014/12/01(月) 21:50:36.21 0
悟ると妄想できなくなるの?
429123:2014/12/02(火) 00:16:41.91 0
悟りが円環して、悟りが妄想することになる。
悟り=妄想であることになる。
随分と便利であることになる。
430考える名無しさん:2014/12/02(火) 02:19:40.86 0
>>428
悟ると妄想というか、思考がなくなる。
サッと動き、いいものが向こうから飛び込んでくる。

何も思考しなくても、すべてが叶う状態。
431考える名無しさん:2014/12/02(火) 15:22:34.83 0
判断が伴わない悟り、すげー
432考える名無しさん:2014/12/03(水) 00:54:55.38 0
楽して世界を把握したいという幼稚な願望が透けて見えるよな。
だから、文学部哲学科は偏差値底辺なんだよ。
膨大な智識群から法則を帰納的に抽出しては現実世界に当てはめて見て微細な不具合を不断に調整し続けるという世界認識と世界制御から逃げている。
頭楽したい馬鹿に限って、唯一原理だとか抽象思考でお茶を濁す傾向にある。脳の稼働パワーが小さいから、具体思考ができないんだろね。
433考える名無しさん:2014/12/03(水) 00:58:58.17 0
抽象と具体は相反するものではなく、
実際はそれらを往き来する運動自体の
中に健全な思考が宿るのだと思う
434考える名無しさん:2014/12/03(水) 01:07:45.57 0
其れをできてるのは医学部と法学部くらいだな。
奇しくも文理の最高峰。
435考える名無しさん:2014/12/03(水) 03:58:06.54 0
阿呆学部がかww
436ブイモン 忍法帖【Lv=0,xxxP】(1+0:8) ◆1foQojWVOY :2014/12/03(水) 03:59:08.44 0 BE:272564363-2BP(0)

スターオーシャン5をセールして欲しい
スターオーシャン5を出荷して欲しい
スターオーシャン5を売却して欲しい
スターオーシャン5を市販して欲しい
スターオーシャン5を発売して欲しい
スターオーシャン5を出して欲しい
437考える名無しさん:2014/12/03(水) 17:48:45.51 0
ちょっと上げると中2病の発言で加速するスレ
438Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/04(木) 17:32:24.64 0
自分の生以上の責任を、未来において負う必要はない。ここまでが自分の生である、
と覚悟を決めた時、理不尽な終わりを乗り越え、全力で自らを活かすことができるので
ある。余分な心配は必要がない。この世は個人に所属するのではない。この今までが
自分の全てだ、と思うことにより、他者と自分が争わない、依存しあわない生が
生まれるのである。終わりとともにあれ。世は終わらずいつまでも続くのである。
439考える名無しさん:2014/12/04(木) 23:50:32.38 0
実際には続いてないけどね。
440Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/05(金) 00:08:41.01 0
>>439
そうですね、それは捉えておかなければいけないポイントです。そのことが個人にとっての
意味にどれほど影響を与え、死生観がいかに主観と客観に対して真実として存在しうる
かということは、常に念頭に置いて置かなければ、間違えてしまうでしょう。実際が何故
重要なのかということは、情報解釈の上で、きちんと評価しないといけません。
441考える名無しさん:2014/12/05(金) 00:21:21.93 0
いや微分積分すらできない君には無理だね。
言葉の迷宮で彷徨ってろ
442考える名無しさん:2014/12/05(金) 01:06:55.24 0
>>441
悟りから遠そう……w
443考える名無しさん:2014/12/05(金) 15:08:36.99 0
スレ主が論理矛盾や文脈の断絶も恐れずに突き進むのは
恐らく、あえて常識から外れる、アプローチで悟ろうとしているんだと思う
偉い禅僧の話は常識では理解不能だろ
経験しないと理解できないこともあるし
444パンの耳:2014/12/05(金) 15:52:27.38 0
 
 有機化合物質の経年変化による化学的変化
 これにはでもこれにはミネラルも含まれてるから 
 これが仏教的解釈による輪廻転生

 有機化合物質が人によって
 物質化され商品や評価対象になるのが
 キリスト教的天国と地獄 

                 こんな ところでしょうか
   
445考える名無しさん:2014/12/05(金) 20:24:19.51 0
すべては論理で割り切れるとか言い出す単細胞が悟りとか言い出すって

自己矛盾しているよな。
446考える名無しさん:2014/12/05(金) 22:08:11.21 0
本当の悟りに近づくためには、宗教を捨てなさい。
特に日本の仏教はダメです。尾ひれ葉ひれだらけです。
447:2014/12/05(金) 22:59:10.32 0
仏教てのはおもしろいと思うよ。
特に日本仏教は肌に合う。昨今、草木国土悉皆成仏が根底にあるとされているが、
その考え方はおれの肌に合う。日本人なだけにw
自然や土地、人間などの生物には、悉く仏性があり、悉く成仏する。
この国土には意思がある。産土神と言われるように、その意思には温かみがある。
この考え方こそ、自分には似つかわしい。特に親鸞聖人の他力は、この考え方が溢れ出てると思う
448考える名無しさん:2014/12/06(土) 00:52:10.53 0
スレ主が論理矛盾や文脈の断絶も恐れずに突き進むのは
分かりやすい平明な文章では、頭のいい奴らに論破されることを恐れてるんだと思う。
意味不明っぽく語っとけば、曖昧模糊とした世界で攻撃を躱せるから自尊心が傷つかないしな。
あと、偉い禅僧の話は常識では理解不能だという流言飛語を隠れ蓑にして、意味不明っぽく語っとけば、自分までもが偉い禅僧になったかのように偽装できるという小者思考があるな。
なんせ、偏差値の低い文学部哲学科だから、そういう姑息な手段でプライドを守るしかないわけだ。
449考える名無しさん:2014/12/06(土) 01:33:43.18 0
何を言う。よく読めばわかる。よく読め。
450考える名無しさん:2014/12/06(土) 02:50:53.93 0
テキストで悟りのなんたるかを纏める趣旨じゃないの?
高名な禅僧よりハードル高いよ
451考える名無しさん:2014/12/06(土) 03:10:50.80 0
まあ、そう言うなら応じるが、、
まず、経済的なことがネックで涅槃に至れない。
たぶん悟りというのは外観が内観に達しているものだと思うよ。
つまり、すべてがうまくいくみたいなことだと思う。
内観を極めれば、外観を掌握できる。悟りに至れば金はいらないのかもしれない。
もしくは物資に困らない。次々に外部からわたしに物事が飛び込んでくる状態。
それが無いとしたら凡夫の証拠。そんなんでいい?
452考える名無しさん:2014/12/06(土) 14:23:47.11 0
バカもほどほどにしろよ。
453:2014/12/06(土) 15:16:48.46 0
しのちゃんがええ言うんなら
正直に言えばいいんじゃよ
454考える名無しさん:2014/12/06(土) 17:15:05.78 0
あたま大丈夫なの?
455:2014/12/06(土) 18:26:10.92 0
あたま大丈夫なのじゃねーよ(*_*)
冗談も通じないのかね?
456考える名無しさん:2014/12/06(土) 19:32:23.71 0
457:2014/12/07(日) 12:21:55.72 0
悟るって言うのは正覚のことなんだけどね。つまり、縁起を悟った状態のことを言う。

言うは安いが実践は容易くない。
縁起を悟れば物事はうまくいくようにできている

しのちゃんが正覚に至れば縁起が良くなるわけだけど、悟りが正覚だとわかっていてもうまくいかないのは

正覚を頭で知っても至ったことにはならないというわけなんじゃよ
458考える名無しさん:2014/12/07(日) 12:26:14.22 0
>>457
冗談も酷いないようだ。いいかげんにしたら?
459考える名無しさん:2014/12/07(日) 12:47:09.67 0
正覚とはなにか
縁起とはなにか
悟りとはなにか
460:2014/12/07(日) 13:30:54.19 0
縁起は、言葉で説明することは難しい。
また、言葉で説明するものでもない。
何故ならしのちゃんは、手にとろうとするものを悉く失う。
と、同時に手に入れるものは限られているからだ。
言葉で説明するということが、物事の無理を強いることになる。
つまり、私は失い続けるがために説明ができないというわけじゃ
461123:2014/12/07(日) 15:30:42.47 0
答えを求めるのも良いが、方法論があっていれば、答えが出ることになる。
その方法論が把握できないのである。
座禅は方法であって、答えは保障保証されていない。
よって、偶然に答えに至ることになる。それは幸運であることになる。
462考える名無しさん:2014/12/07(日) 16:23:06.40 0
>>448
ほんとこれw
463考える名無しさん:2014/12/08(月) 04:36:15.56 0
メンヘラ集まれ!
464考える名無しさん:2014/12/08(月) 04:58:56.87 0
>>440
>死生観がいかに主観と客観に対して真実として存在しうる
真実は常に自分の心の中にある。
他者と分かち合う創造物として作り上げた正しさなど、
自分に合わなければ真実ではない。
>常に念頭に置いて置かなければ、間違えてしまうでしょう。実際が何故
>重要なのかということは、情報解釈の上で、きちんと評価しないといけません。
客観的他者の総体である意味の正しさは、その総体の正しさであり、総体の
真実である。その総体を全て自身に融合し包括しているなら自分の真実であり
総体の真実として一致するだろう。
その時点で自己があっては一致など成立しえない。自己の消失こそ総体そのもの
の真実を受け入れるという働きである。
465考える名無しさん:2014/12/08(月) 05:14:10.44 0
>自分の生以上の責任を、未来において負う必要はない。ここまでが自分の生である、
未来とは貴方にとって何なのか?それによって貴方が選ぶ答えは違う。
そうやって未来と過去とを計り都合の良い考えを導くのもいいだろう。
未来が過去の結果として常に機械的に決定されるとき、つまり自由意志を否定する
場合は未来は過去の奴隷になるのを受け入れることになる。なぜなら自由意志はなく
自身が何を考えることすら過去に決まる機械的な働きに逆らえないからだ。
だが自由意志がそこにあり未来は過去と違うように働くならば、未来は望む形に
近づくことは可能である。夢や希望はその積み重ねにより現実となる。
過去に支配されるのではなく、未来を変えてゆくのは自由意志の答えである。
意思とは形而上の働きとその存在である、形而下のそれであるなら原子と分子と
素粒子がどこぞの学者が定義した物理法則に添う意味のない物体の類にすぎない
人間という条件は物体ではなく心や魂といった形而上の概念の上に働く仕組みである、
それを認めるならば形而下の答えではなく形而上の答えを選ぶべきではないか、
どちらを選ぶのか、それ以外を受け入れるのかはあなた自身であるが、
生きるなら活きろ。美しく生き、いつか命の限りがきたら美しく死ね。
生きるとは理屈ではない、自分が輝くことだ。炎が燃え続けることだ、
答えを求めることを失ったとき、形而上の死が訪れるだろう。
物質的な死ではないが。物体になるなら単なる道具として機械的に
働け。形而下の使い捨ての道具には心も魂もない。
466Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/08(月) 12:45:16.52 0
>>464
>客観的他者の総体である意味の正しさは、その総体の正しさであり、総体の
>真実である。その総体を全て自身に融合し包括しているなら自分の真実であり
>総体の真実として一致するだろう。
捉えられ得た他者とは、自分によった。というのは、自分の「嘘ではないこと」によって
他者も別になるからだ。あの人にとっての他者と、私にとっての他者は違うのであり。
だから総体は主観による。ハエにとっての真実と、僕にとっての真実はちがう。
そのように、僕にとっての真実とあなたにとっての真実は違う。当たり前のことだ。
だが真実には、「物事個別にとっての真理」という側面もある。主観のままに捉える
なら、個別事例を自然に受け取るだけだ。客観的な真実の存在を感じるなら、
その焦りの向こうに、何かをわかちあった、つまり、努力の上で共通認識を
持ったという満足が、得られた。それが満足であるわけは、思考がそのような目的
に対して働き、溝を幾らかでも埋めたという事実が「心」に授受されるからだろう。
「自己の消失」と言う意味も、そのような、他者に添った分かり合いが、不安を消すとい
うことから、その意味が大事であるという「気持ち」「認識」「安心」にあるだろう。
>真実は常に自分の心の中にある。
>他者と分かち合う創造物として作り上げた正しさなど、
>自分に合わなければ真実ではない。
自分の心。心の器で真実を受ける。だが、真実とは心のなかにあるもので
全てではない。たとえ、あなたの言われることは、他者との分かち合いという
行為の結果が、自己と他者の違いを念頭に置き、断絶を意味する実感にしたがって
いたということだったとしたって。わかりにくくなったが、心というものは、精神の
働きの一部であり、真実が心のなかにあるということには、同意できない。
真実が心を明らかにしていくものである、ということを思う。心を越えたものが
真実であり、
僕が、主観と客観に対しての真実という事を言い、死生観が真実(の一つ)であると
言ったことも、そのようなこと、あなたの言う自己の消失というものに抗して、
自己の発生というものへと価値を認めることから、生じた言葉であったからだ。
あなたが「総体」という言葉で何を言いたいかがよくわかりません。
467Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/08(月) 13:08:34.92 0
>>465
各個人が、その人なりに燃えて、揺らめく炎のように、消えないである、ということは、
美しい考えです。それが人間の共通項、それも形而上的なものでしょう。
答えを求め続ける行為、だがそれは、選択の結果の末の目的であろう。
選択というものをすることが、答えをだすためには必要だ。答えへの希求によって
導かれる人間の理想というもの。何を切り捨てるかという選択の積み重ねが、
生きていくことだ。その行為に主体的であらねばならない。
総体とは何?何のためにそれを認識しようとするの?
468Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/08(月) 13:15:10.58 0
総体とは愛?想像しがたいものを捉えようとする理想?あるいは、全てのものが
そのままであれるような、思いやりからの管理?子供を育てればわかるのかな。
男女の深い関係の中で絶頂に達する瞬間の、その理想や賭け、あるいは
自分の有限を越えようとする心?
469考える名無しさん:2014/12/08(月) 21:01:18.25 0
>>468
自分の考えは自分で考えろ。そうしなければ他者の答えだ。
470Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/08(月) 22:28:40.81 0
>>469
自分で、考えてみる。きっと答えを出すよ。人に甘えていてもいいだろ、
でもそれだけじゃ何かの行為にはならないってことだよね。誰かを救ったりしたい、
はは、厨二病ってやつだと思われるかも?いや、おとなになったからこういうことを
考えているみたいな気がする。
僕は病気で、自分を壊したり、治したりしてきただけだから、経験が足りてないんだ。
問うたり答えたりすることの。飼い犬の散歩と、ごはん炊きをだいぶ続けてきた。
それだけのことでも、とても大変だった。
他人なのに声をかけてくれてありがとう。
471考える名無しさん:2014/12/08(月) 23:20:14.52 0
スレ主が論理矛盾や文脈の断絶表現を好むのは、分かりやすい平明な文章では、頭のいい奴らに論破されることを恐れてるんだと思う。
意味不明っぽく語っとけば、曖昧模糊とした世界で安住できるから、他者からの攻撃を躱せるから自尊心が傷つかないしな。
意味不明っぽく語っとけば、自分までもが意味不明だが有り難そうな偉い禅僧になったかのように偽装できるという小者の思考があるな。
なんせ、偏差値の低い文学部哲学科だから、そういう姑息な手段でプライドを守るしかないわけだ。
472:2014/12/09(火) 01:10:22.33 0
何度も言うようだけど、仏教でいう悟りは縁起を悟った状態(正覚)のことで、密教はまたちょっと違うけど。

で、縁起とは何かというと、言葉で説明することはできない。説法という形で口伝していくものだけど概念だけいうと
この世は森羅万象すべて関係しあって影響しあってるということ。
それが身体と精神が高まることにより悉く理解できた状態のこと。
理解できるとは、風水や占いなどで吉報が到来するようなものが直観でわかるようなもの。
そのスケールはでかい。初転法輪により遍く世界は、その功徳を受ける
473123:2014/12/09(火) 07:10:47.53 0
縁起とは何か。
それを外部世界の状態と理解することには限界があることになる。
その理解が正覚であるのか。否である。
474考える名無しさん:2014/12/09(火) 11:38:16.27 0
食ったものの味を完全に伝えるには同じものを食わせるしかない
言葉とは、それができない不自由さをある程度埋める為の簡易的補助具にすぎない
また、悟りは見たり食ったり味わったりできない
悟りの口伝には限界がある
限界の向こう側に禅問答の論理矛盾を繋げる解があるのだろう
闇雲に矛盾すればかっこいいわけじゃないよ
475:2014/12/09(火) 19:58:24.85 0
>>473
123がなんと言おうと仏教ではそうなってんだよ。縁起というものが正覚のキーを握っている。
正直に言うと縁起を言葉で君に説明はできない。そういうもの。仏教の本や経典、律論を読め。手取りばやいのは中村元の「大乗仏典」の
巻末に簡単に書かれてる。君が自分勝手に悟りを説くというならはなしは別だが、
仏教である限りは悟りは声聞、縁覚を経て縁起を悟った状態が正覚。それが悟りだ
476:2014/12/09(火) 20:11:13.78 0
悟りはそうだが、ドラゴンボールのように、正覚の上にさらなる開眼があるというのはある。
密教もそうだし、阿頼耶識、涅槃、十住心など、色々とあるが正覚とは分けて考えられる教えは
たくさんある。それを統合して論じられるというならやってみてくれ。
山口益なんかは、はっきり「悟りは正覚のこと」といってるし、鈴木大拙も然り
477考える名無しさん:2014/12/09(火) 20:24:00.90 0
やっぱり仏教をつかっていじめで追い込むタイプなんでしょ偽装人格チャンてwww
478:2014/12/09(火) 20:37:07.62 0
>>477
(`・∀・´)いつか地獄へ落としてやるからな!
479考える名無しさん:2014/12/09(火) 21:27:58.38 0
キモイのがまた集まってきました。
480考える名無しさん:2014/12/09(火) 21:40:31.12 0
諦めないってことは、諦めることだ。
それが理解できれば、現実を変えられる、矛盾だと思ったお前、
それが前に進み未来を勝ち取れない足かせである、無理と思った時点で
未来へ続く過去を悟れず、悟りから更に先に進めない。
481考える名無しさん:2014/12/09(火) 23:34:54.67 0
狂ってる可能性もある
482考える名無しさん:2014/12/10(水) 00:41:55.68 0
運命は決まっている→決定論→なのにもがくバカ
運命は変えられる→自由意志→なのに未来を創れない単細胞
483123:2014/12/10(水) 07:23:26.53 0
475
本を読んでわかるのは天才であることになる。
中村元も学者であって、悟っていないと批判されることになる。その他大勢も同じであることになる。
縁起を悟った状態が悟りか。否である。科学をやっているのではないのだ。学者は科学者になってしまい、そこで終わりである。そこに限界がある。
484考える名無しさん:2014/12/10(水) 09:34:04.83 0
>>482
もがいてももがかなくても先が決定してるなら決定論じゃないわ
「もがく」も原因であり結果
勘違いしてる奴が多すぎる
485考える名無しさん:2014/12/10(水) 12:53:46.04 0
>>484
矛盾を提起したことすら理解できない単細胞か。
486:2014/12/10(水) 19:11:53.85 0
不器用なおちんちんですからって何なんだろうか?
487考える名無しさん:2014/12/10(水) 19:38:28.20 0
任侠映画みてオナニーしてる哲板テーヘンなんでしょ
488:2014/12/10(水) 19:53:50.57 0
馬鹿がつくほど真面目です。馬鹿真面目
その方向性が間違っていると思うわ。
サンクス
489考える名無しさん:2014/12/10(水) 21:23:51.80 0
ホモの人か?
490:2014/12/10(水) 21:59:31.35 0
不器用な男ですから
491:2014/12/11(木) 00:33:50.83 0
アナルは開いている、つっこめ
492Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/11(木) 00:52:00.23 0
過去は未来の一地点からしか捉えられず、未来は過去の一地点からしか捉えられない。このように未来と過去は良い対称性を持ち、
それは時間の手触りに矛盾しない。
493123:2014/12/11(木) 09:23:25.84 0
時間を捨象するのが宗教の方法である。
時間は物理の問題か。心理の問題か。
宗教は、それを超越する。
494考える名無しさん:2014/12/11(木) 11:50:49.06 0
文学部の連中が曖昧模糊表現、幻惑表現を好むのは、分かりやすい平明な文章では、頭のいい奴ら(医学部、法学部、工学部、経済学部)に論破されることを恐れてるんだと思う。
意味不明っぽく語っとけば、ふわーとした幻想的世界で安住できるし、具体的結果との不整合からくる誤り批判を免れることができるから。他者からの攻撃を躱せるから自尊心が傷つかない。
意味不明っぽく語っとけば、自分までもが意味不明な表現連発の偉い禅僧や宗教家になったかのように偽装できるという小者特有の思考がある。
なんせ、偏差値の低い文学部哲学科だから、そういう姑息な手段でプライドを守るしかないわけだ。其れでは進歩がないことは、これまでの数十年の人生で分かるべきなのに頭が良くないから気づいていない。
気づいていても怖くて旧弊を改められない。
495123:2014/12/11(木) 18:47:37.88 0
科学バカ、オンリーが科学バカであることを自覚しないのだ。
夏目漱石は科学バカとして鎌倉円覚寺を去ることになるが宗教、悟りをバカ扱いにしなかった。
教養のない科学バカは相手方が悪いと結論することになる。
旧弊を自覚しないのだ。
496考える名無しさん:2014/12/11(木) 19:26:06.16 0
形而上の類を形而下の言葉で表現しないのは494みたいな単細胞に説明しても
頭から否定するだけでまったく受け入れないから無駄なのです。
>>492
観測できるものが全てだと確信しちゃうと、観測できいものは存在してはいけない
そんなものはないという形骸化した自己満足に落ちます。
本当に時間は我々が知っているものなのか、もう一度振り返りませんか?
497考える名無しさん:2014/12/12(金) 00:36:33.20 0
>>495
バカバカいっているのが本当のバカ。
498Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/12(金) 00:48:32.57 0
>>496
形而上に属する真理について、観測には限界はある。
時間を読むことによって、真理を垣間見る方法とするのか。
決定的な転換が必要とされるため、形而下の我々にはそれは難題だ。
難題であるだけでなく、取り残された課題である。
カジュアルに振り返ってみるのは悪い方法ではない。
会話の集積が、ある一つの宝石を輝かせるかもしれない。
意志が宝石として輝くための見方を、我々は望むことが出来るかもしれない。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
非常に悔しかったため、いま、微分積分の本を読んでいます。
これは面白いです。最高の趣味です。いずれ、レポートします。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
499考える名無しさん:2014/12/12(金) 00:50:52.59 0
>>498
アブさんは社会復帰いつごろやりたい感じですか?
500:2014/12/12(金) 00:57:56.48 0
人と人との関係においては主と奴の力関係が生じるが、悟りはそこから退くのではなく、乗り越えていって欲しいというのが見解
501Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/12(金) 01:21:10.14 0
>>499
半年から一年の間くらい後を考えています。飼い犬との散歩の時間を楽しめる様になれたり、睡眠をコントロール出来るくらい
にはならないと、社会では責任持っていてやれないと思うので、ペースを上げつつ歩く速度を早めて、また十分に心も癒しつつ、
やれることを増やしています。明日は内職の仕事をする予定です。
502考える名無しさん:2014/12/12(金) 01:22:20.89 0
>>501
なるほど!
頑張ってください!!
503考える名無しさん:2014/12/12(金) 02:56:44.18 0
>>498
私が動くことで貴方が動く、そういうことです。
貴方が動くことで私も動く、そういうことです。
貴方の本質が動きたくないのならば、動かないはずです。
その2人の様子を外から見て、その先を見れるなら、
貴方は、私の動く先を予知できるし、私も貴方の先が見えてくるでしょう。
世界は2人だけでもなく、めぐりめぐり廻るのです。
意味は常に世界と友にあり、自身だけで意味があると思うなど人の業にすぎない。
世界が生きるとき、世界によって自らが生きる。
世界は貴方に微笑んでくれましたか?
世界とは貴方に必要な働きのことです。貴方に不要な働きではない。
それが盲目であっても必要な働きは、必ず生きる動きとなる、考えず1歩進み
2歩戻る、戻るのは更に3歩進む為です。
504Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/12(金) 09:53:57.66 0
>>503
世界は読み解かれるほど神秘的であって豊かで、私はその世界の一部である。
解読できないほど多くの対象があり、真理の一部を明かすことで、世界の語る
事は変わる。
私は、自分の写真をとった時、目に映っていなかった細かい部分が、眼が治った時
捉えられるようになった部分が写真に映り始めるという不思議な体験を、
タブレットのカメラにおさめてあります。ほんとうに不思議。目に見えるんだもの。
違いがはっきり映っているんだもの。そのように、「私」というのは、不思議。
505123:2014/12/12(金) 17:43:47.18 0
498
自己を微分積分すれば宗教の悟りに至るかも。
微分したものが無とか。積分したものが神、仏とか。
真理は単純なものである。
506:2014/12/12(金) 20:06:42.59 0
闘わなきゃ現実と
現実と向き合わなきゃ
507考える名無しさん:2014/12/12(金) 20:42:48.74 0
生まれたことがまちがったんだよオジサンにどうかつつもりのウンコなの?
508考える名無しさん:2014/12/12(金) 21:12:35.77 0
陰陽は何故、別々の道を歩まなければならなかったのか?
陰は男、陽が女。陽が陰を照らしますように
509:2014/12/12(金) 21:40:35.53 0
アンドレジイド「背徳者」「狭き門」
マルセルプルースト「失われた時を求めて」
ヘルマンヘッセ「デミアン〜シンクレール物語」「荒野の狼」
トーマスマン「魔の山」
ガルシアマルケス「百年の孤独」
村上春樹「ダンスダンスダンス」

あたりを読むべし。参考までに~_~;
510:2014/12/12(金) 21:49:01.99 0
連投する

谷崎潤一郎「春琴抄」
夏目漱石「それから」
梶井基次郎「ある崖上の感情」「Kの昇天〜あるいはKの溺死」
三島由紀夫「音楽」「獣の戯れ」
田山花袋「蒲団」
あと「高野聖」みたいな色欲もよくある
村上春樹はダンスダンスダンスだなやっぱ

だいたいこのあたり
511:2014/12/12(金) 22:19:23.42 0
「春琴抄」の春琴のようなサディストの女が現れて俺に折檻するような感じかな
「それから」の主人公、確か代助だったかな?の高等遊民が兄に叱りつけられるような情景
「蒲団」は先生が教え子に未練を持って最後に蒲団を嗅ぐ羞恥心
梶井基次郎の作品は私の心情をよく表している。
三島由紀夫は私ではないが、エーリッヒフロムを取り上げて愛について考察しているところに共感がわく
獣の戯れでオラオラ系の男がいつも女を泣かせていたのが一転、事故でカタワになった男
と女の主導権が逆転し、女の愛が今度は男を苦しめることになる。
この物語は知性で勝った男が女を馬鹿にしながら生きてきたが、頭が壊れた時に
どう愛が変化するか、考えさせられるもの。必見。

どれも自分自身の一部であり、悟りには役立つ作品だった。
512考える名無しさん:2014/12/12(金) 23:24:47.91 0
ということはまったく小説読む気しないロンブーのオヤジ企画みたいなのなの???
513考える名無しさん:2014/12/13(土) 00:27:25.06 0
やっぱり陰陽って韓国ヤッチャンの紋章なんっていう
芸能資本みたいなハナシなんでしょ
小説よんでも意味ないじゃーーン
みたいな
514:2014/12/13(土) 04:33:12.61 0
しのちゃんの目ん玉を見るとわかるんじゃよ
515名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/13(土) 15:22:48.85 0
どんなに達観して、神の目をもったとしても、
仏の道を究め、仏そのものになったとしても、

未来は見えない、見えるのは現時点だけだ。

悟りなんて意味に執着しているのは過去のみか、未来のみをみている。
過去と現在が定まれば未来は決まるのも然り、
現在と未来を決めれば過去が変わるのも然り、
過去と未来を正しく見つめれば現在が浮かび上がる。

目ん玉があるのに何故みようとしないの?もしかして物理的に写る
光しか見えないんじゃないの?盲目すぎるよ。
516:2014/12/13(土) 19:54:11.83 0
よく見えない。何故ならコンタクトレンズをしてなかったからだ。
そういう文明の物がない古のお話
517名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/13(土) 23:56:16.74 0
518考える名無しさん:2014/12/14(日) 00:58:11.67 0
>>485
提起するような矛盾は存在しないことを教えてやってることすら理解できない無能
生かしてやる価値もないゴミ
519:2014/12/14(日) 09:28:01.36 0
お悟りを開くちゅうことは、直感が研ぎ澄まされていて間違った判断をしない言うことなんや
520123:2014/12/14(日) 17:01:50.66 0
悟りは自己とは何かが理解できることである。
外的世界は直には関係がない。
その方法としては外界を否定して、自己を否定して、その残りを認識することである。簡単なり。だが誰も実行しないことである。
521名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/14(日) 17:15:52.46 0
>>520
そういうのを自分勝手な見解というんだ。
了見は狭いし、悟りと言う言葉は象徴なのだから君は使わないほうがよい
522名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/14(日) 17:29:57.01 0
シンボリックな言葉である「悟り」はサンスクリット語のボーディ「菩提」のことを指す
「完全なる智」と訳される。それ以外のことを悟りとはいわない。別の言葉を使うべし

ja.wikipedia.org/wiki/悟り
523考える名無しさん:2014/12/14(日) 20:37:35.14 0
>>518
あとでそう考えるのは朝鮮の言い訳。
524:2014/12/14(日) 21:26:30.55 0
しのちゃんがええと言うことには変わりないんじゃよ
525考える名無しさん:2014/12/14(日) 23:27:08.95 0
しのちゃんてドリアンみたいなにおいがする。
526Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/14(日) 23:29:15.13 0
形而上というと、「よくわからないのにすごいもの」と思えるけど、形についての
話で言うと、分かりやすいんですね。

http://www.riasark.com/yomubi/supplement/supplement2.html
527考える名無しさん:2014/12/14(日) 23:46:06.21 0
わかりやすいのは駄目だよ。

文学部の連中が曖昧模糊表現、幻惑表現、分かりにくい表現を好むのは、分かりやすい平明な文章では、頭のいい奴ら(医学部、法学部、工学部、経済学部)に論破されることを恐れてるんだから。
意味不明っぽく語っとけば、ふわーとした幻想的世界で安住できるし、具体的結果との不整合からくる誤り批判を免れることができるから。他者からの攻撃を躱せるから自尊心が傷つかない。
意味不明っぽく語っとけば、自分までもが意味不明な表現連発の偉い禅僧や宗教家になったかのように偽装できるという小者特有の思考がある。
なんせ、偏差値の低い文学部哲学科だから、そういう姑息な手段でプライドを守るしかないわけだ。
其れでは進歩がないことは、これまでの数十年の人生で分かるべきなのに頭が良くないから気づいていない。
気づいていても怖くて旧弊を改められない。
528Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/15(月) 00:15:09.16 0
一切は存在であるか非存在であるかのいずれかだとした場合、非存在は、曖昧なもの
になり、存在は堅固なものになる。非存在は観測によって確かめられ、存在は見かけよりも
あやふやなところがある。観測には、本質を誤魔化すところがある。つまり人間には
本質が歪めて与えられるのであろう。多数によって、本質に近づく。つまり、人間
という存在は、多数を根本に原理として据える。

存在という概念が、一切に対して有効に排中律を成り立たせるかどうかという点には、
疑問がもたれる。観測者の存在と、被観測者の存在では、存在が別の概念であると
考えられる。
多数の存在と、一つの存在というものも、与えられれば意味が違うという一例になるだろう。
529考える名無しさん:2014/12/15(月) 02:34:29.13 0
曖昧と具体的なのはそれを評価し観測する側が0か1かとデジタル的に
判断できるようだが、本当にそれは曖昧ではなく具体的なのか?
不確定要素はなく説明しきれるのか?
そういう問題まで考えないからこそ具体性のあるものだと思い込んでしまう。
現実は極めた曖昧と、極めた具体性の中間であるものしかない。
完全に曖昧とか完全具体的であるというのは証明問題として論理的に説明
しきるのは凡人程度では不可能なのである。
530:2014/12/15(月) 05:29:09.43 0
せのちゃんもドリアンは大好きじゃよ
531考える名無しさん:2014/12/15(月) 22:30:56.30 0
ドドリアさんは黙っていたほうがいいよ
532考える名無しさん:2014/12/16(火) 00:58:56.89 0
戦闘力が低いくせに。
533:2014/12/16(火) 20:09:20.70 0
生きてることがただただ不毛
いつまでも何もないところを歩いている感じ
それというのもおれの運命にある。
534考える名無しさん:2014/12/16(火) 21:50:48.95 0
運命に流されろ。イヤなら立ち向かえ。簡単じゃん。
535考える名無しさん:2014/12/16(火) 21:56:16.96 0
簡単ぢゃない。立ち向かうというのはだねワトスン君、
勇気だけでは成らぬものなのだよ。
536考える名無しさん:2014/12/17(水) 04:59:57.35 0
オンナの醜さってどういう成分でなりたってるの???
537考える名無しさん:2014/12/17(水) 06:23:52.45 0
どういう成分もこういう成分もねえよ。女は怖すぎる。その特性は墓場まで持って言ってくれ。
538Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/17(水) 13:49:05.04 0
他人。
頭のなかに湧いてくる想念が他人であるのだ。
自己とは問題への取り組み方によって、孤独を担うことだ。
固定観念を否定。
自己のみによって、正しい思考が可能となる。とらわれない。
自らの力だけが正しい力だ。
行けるところまで行くこと。自らを取り戻すこと。
そのためには想念と認識を浄化して独立しないといけない。
539Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/17(水) 13:52:23.34 0
想念とは思考なのである。
問題解決への意志が色んな他者を浮かび上がらせる。
だが他人へ頼ったところで、問題は結局解決しないのだし、
嫌な気持ちが残るだけだ。
自己のみが問題となる。何故自己が存在するか考えた方がいい。
そうすれば、新しい領地へと歩を進ませられる。
540Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/17(水) 14:15:17.76 0
味方と敵は容易に区別されない。
それは思念においては、灰色の存在になる。
それほど多くの材料が記憶をなしている。
善と悪もはっきりしない。
それを指名するのは自らの行為だけである。
目の前の覆いを取ること。
頭と視界を分離しないこと。
全てにおいて、思考の完全への嗜好を曲げない。
思考のみが意味があり、全ては思考への寄与によってはかられるべきである。
そのように自己と他者が、尊重しあうべきだ。
尊重しない、できない場合は、自己と他者が区別されていないのだ。
自らを知ったものは、迷うことはないだろう。
迷いながら歩いてきて、蒙昧の中から見える場所は、明るいように思われる。
一度照らされた記憶には、特別な杭が打たれている。
何も尊重するな。
何もこだわるな。
自らの力を制限するな。
541Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/17(水) 14:30:41.79 0
したくないことはできない。
しないことはできないことだ。
考えるとは、あることをできるようにすることだ。
思考はその目的を必ず持つ。
指向性が思考の根本だ。
自らのしたくないことに対して、どの程度なら譲れるか、
どの程度なら方向を間違えないかと考え、
自動思考によって覆いを作らないことが大事だ。
できないことは存在しない。
すべてが可能である。
542考える名無しさん:2014/12/17(水) 20:02:12.62 0
>>541
したくなことは、しなくてもいい。
できないことはできなくていい、
しかし、できなくても、いつかは出きる様になるかもしれない。
出きる為に1歩手前、2歩手前、100歩手前でもそれは近づいているはずだ。
例え避けて遠ざかるつもりでも、的を意識した時点で関係は計られる、
それは将来したくないことでは無いかもしれないではない、
自分の形を正しく知り、本当に永延の将来でもできないのかまず
試すべきだ。繰り返し繰り返し試さなければ本当のできないというのは知る
ことはできない。
自分は移り変わり、その多少も移り変わる、その関係変わって行く。
それが世界ってものではないかな。
543:2014/12/17(水) 21:08:04.58 0
名前: [Φ|(|´|Д|`|)|Φ] BBxed!! し
E-mail:
内容:
何に向き合うかが問題となる。
確かに自分と自分を取り巻く環境は変化する。何でもやっていれば、それが自分に何をもたらすかわからない。
一見、やっても無駄なことも長い時間やってみると、それが思わぬ価値があることに気づくかもしれない。
しかし、時間は有限であり、人間何に対峙するかは自分で決めなければならない。決めたものは粘ってやる必要がある。
つまり、しのちゃんが存在する言うことじゃゆ
544考える名無しさん:2014/12/17(水) 21:37:46.10 0
響け轟け嘯き木霊する
それが無い。
545考える名無しさん:2014/12/17(水) 21:50:09.37 0
寝不足のときって悟ったような気分になる
546考える名無しさん:2014/12/18(木) 21:29:17.82 0
盧遮那仏(大日如来).釈迦如来の次に仏になるといわれている弥勒菩薩が弥勒仏になるとされるのが56億7000万年後になる。
それまで菩薩部は力足らずのまま地上に留まり続け我々を救済していく。菩薩たちも最期まで悟りに至ったものではなく、修行中の身。
マイトレーヤ(弥勒)は菩薩部のなかでも位は高くポテンシャルが非常に高いとされている。
547考える名無しさん:2014/12/18(木) 21:52:55.50 0
菩薩になった人間は必ず涙を流すと言う。
人々のために生き、人々のことを思い、人々と苦楽を共にし、
どれだけ人のことを思いやっても上手くいかず、菩薩たちはみんな涙を流す。
如来、仏は涙を流さない。すべてのことは時間によって解決されることを知って
いるからだ。穢土に生じるすべての事象は起こるべくして起こる。
それを防ぎ人々を救済しながら思う。1-10秒の時間のなかで4秒までの時間に
起こることを防ぐことはできない。しかし5秒からあとを救済することはできる。
菩薩は4秒先を救おうとする。しかし、それは防ぐことは不可能である。だから涙を流す。
仏は不可能なことを可能にしようとはしない。しかし5秒先は必ず救うことができる。
菩薩は泣く。救済や世界平和が成されない。如来は観ている。5秒から10秒先を。
548考える名無しさん:2014/12/18(木) 22:15:42.31 0
わかりやすくいうと
時間
1後、縁起の糸の絡まりが取れない状態。この時間やを防ぐことはできない。
2後、縁起の糸が絡まりが取れない状態。この時間に起こることは決まっている。防ぐことはできない。
3後、縁起の糸が絡まりが取れない状態。この時間に起こることは決まっていないが結果は決まっている。防ぐことはできない。
4後、縁起の糸が絡まりが取れない状態。防ぐことはできない時間帯だが過程を変えることはできる。
5後、縁起の糸が絡まり始めた状態。この時間帯を変えることは可能であるが刻々と起こりえることが濃厚な時間帯。如来が救済可能。
6後、縁起の糸が絡まる傾向が可能性としてで始めた状態。この時間帯は菩薩の念力で救済可能。
7後、縁起の糸が絡まる以前。可能性が生じる。人間の直感が働くこともある。危険察知可能時間帯
8後、縁起の糸が絡まっていないが僅かに起こるべくして起こることの可能性が微塵表れる時間帯。
9後、縁起の糸が真っ新な状態。前縁起が原因となって起こりえることが結される時間帯
10後、1の縁起が存在しない状態。0秒
549考える名無しさん:2014/12/19(金) 14:46:40.51 0
奏で滲み染まり香り色づく、そういう力がない。
550考える名無しさん:2014/12/19(金) 22:03:00.95 0
見えるものしか見ない、だから前に進めないんだよ。
見えるようで見えないものはお前らの前にある。
551:2014/12/19(金) 22:07:53.62 0
うーん。そうだなあー。どうだろうなー。よく考えてみないと。それはそうと。ん、、(よく考えてない状態。心ここにあらず)
552:2014/12/20(土) 08:43:57.19 0
しのちゃんてほんとクルクル回ってパァの運命なんだな。まったく甲斐性も無いし。
現状を変えようと努力しない男は駄目だな。
うーん。どうだろうなー。よくわからんが、どうって。どうも
553考える名無しさん:2014/12/20(土) 15:09:17.85 0
くるくるパァはそれが望みなんだから、幸せなんだよ。
554考える名無しさん:2014/12/20(土) 15:31:13.08 0
運とは運ぶ働き、それは廻る廻る輪廻の世界の一面である。
運は運と重なり全体として大きな潮流を作りだす、その流れに逆らうことは
恐ろしく困難である。流れの力が示すものが流される存在の命に反したとき
流れは奪うだけで何も与えてくれない、しかし流れは時に分岐点を与えてくれる。
例え流されたとしても1歩を続ければその姿勢の者には小さなチャンスがめぐってくる。
たとえ極小さなチャンスであっても謙虚に過不足なく選ぶのは簡単なことである。
小さいそれを選べないのは、常に自身に似合わない過剰な選択を望んでいるから
そんなものこねーよ。地の利は自身で人の和として布石するものだ。
555:2014/12/20(土) 18:21:05.26 0
お悟りをひらくために菩薩道を行くんじゃよ
556考える名無しさん:2014/12/20(土) 21:15:18.46 0
座して死を待つ 無抵抗主義なんじゃな
557考える名無しさん:2014/12/21(日) 03:25:14.98 0
小五ロリ
558:2014/12/21(日) 03:53:06.87 0
あれは1999年の夏が過ぎた頃だった。わしがまだ学生だった。あの時に悟りに至った話しようか?
559考える名無しさん:2014/12/21(日) 14:08:54.70 0
悟ればより高い次元へ意識を移すことができる
より広い状況や環境や世界、その関係の深さなど
全ての働きが狭い意味の中からより広い意味を会得できる。

つまり悟りは単純から複雑へ以降する段階で毎回必要になるもの、
自己中の狭い理解から旅立つには悟りが必要である。
ドーパミン過剰の単細胞の熱血は熱いときには悟れず、冷えて無になったとき
始めて悟りが訪れる。
560123:2014/12/21(日) 18:41:57.11 0
公案。
旗が風に動く。
いな、風が動くのだ。
否、観察者の心が動くのだ。
そこに動かないものを認識することが悟りであることになる。なんでか。
国旗掲揚で感じて心が動く。
それは、人間が決めたことに感激しているのである。
風、旗が動くという物理現象に感じているのである。それによって、心が支配されれていることになる。
それでは、そこで支配されない心とは何か。
561考える名無しさん:2014/12/21(日) 19:31:12.13 0
動く旗に感じないとは無感動、やがて機械的に同じ行動を続けることが可能となるだろう。

昆虫である。悟り・無我の境地とは即ち、考えぬ「虫」になるという事である。
562123:2014/12/21(日) 19:42:48.55 0
無とは死によって実現するとか、麻酔で実現するとか。考えぬ虫で実現するとか。
そう解釈することできる。
だがそれは物理現象での解釈である。物理問題に転化することは違反である。方法違反。
それらは心理現象である。よって、その範囲で解答を示すべきである。機械の問題ではないことになる。
563:2014/12/21(日) 21:15:06.22 0
臨済宗の公案禅はひたすら上から目線だわん。
しのちゃんも臨済宗の檀家なんじゃがな
564考える名無しさん:2014/12/21(日) 21:53:17.46 0
だめだー日本の仏教は・・
悟りが虫? あほ
565:2014/12/21(日) 22:21:57.91 0
悟りと言えば綾瀬はるかについてなんだが、
ずっと綾瀬はるかに対してはアンチだったし、
綾瀬はるかを好きな男も嫌いだったが、最近は
その魅力に気づき始めてきたのじゃ。
橋本環奈とか松井樹里奈とか新垣結衣とかは見た目には
すぐに飛びつきそうな感じの容姿だが、飽きる感じだと気づいた。
566考える名無しさん:2014/12/21(日) 22:24:52.27 0
気づくのおせーよ、し
ほたるの第一シーズンが全盛期で
いまは人気があるだけよ
567:2014/12/21(日) 22:46:13.60 0
まあ正直、綾瀬はるかというよりは綾瀬はるかみたいな天然女に食いつく男という
構図が嫌なのだ。まあ、でも所謂タレントと言われる女の容姿て不思議に惹きつきられるところが
あるよな。ただ、相手が自分のこと知らないのに追っ掛けようとは微塵も思わない。
綾瀬はるかの魅力は何となくわかったというくらいで、タレントはそれぞれでよく見続ければ魅力があるな。
アイドルヲタの気持ちは少しもわからんが、何なんだろうな相手が自分を知らないのに一方的に追いかけるてのは
568考える名無しさん:2014/12/21(日) 22:49:02.42 0
才能のきらめきを見たいんだよ
569:2014/12/21(日) 23:09:26.65 0
アイドルてのはキラキラ光るからね。
確かに、ああやって動いているとかわいいし、
アイドルが這い上がるまでの物語性は理解できる。
プロレスの物語性に近いゴリ押し具合が何とも。
ただ、虚しくなる自分がいるんだよね。アイドルにハマる人間は
小説を私情を入れて読めるんだろうな。

人間て生まれて死ぬまでに輝く意味てあんのかな?
輝いても虚しいと思うんだよ。輝くのは所詮、異性への
性的なダンスなんだと思う。選ぶ選ばれるがない世界か
570考える名無しさん:2014/12/21(日) 23:10:19.69 0
おっさんはおわっちゃったんじゃろ 撃沈コか!?
571考える名無しさん:2014/12/21(日) 23:12:31.93 0
  \( ^o^)/
    |    |
    | ^q^)<産まれるー
   / ω \
572考える名無しさん:2014/12/21(日) 23:18:32.49 0
>小説を私情を入れて読めるんだろうな。

俺は読むね

>輝くのは所詮、異性への性的なダンスなんだと思う。

それは合理的な解釈の一つだけど
ダンスを踊ることが即ち生きていることなのだとすれば
精一杯踊ってみせるのはありだと思うが
573考える名無しさん:2014/12/21(日) 23:23:41.59 0
枯れたオッサンが負け犬死にを望んでしまうという心理ッ
574考える名無しさん:2014/12/21(日) 23:24:08.77 0
>>559


以下にも現代競争社会で敗れた偏差値底辺の文学部がやりそうな、現実逃避・一発逆転的な発想だなw
悟り一つで、そんな甘いこといくかよ。

お前はまず足元から真面目に積み上げることを始めるべきだな。
575考える名無しさん:2014/12/21(日) 23:37:34.34 0
ドーパミン過剰すぎて妄想と現実の区別がついていないんじゃあないか?
もっとちゃんと悟ることを覚えなよ。
そのままじゃ統合失調症になっちゃうよ。
576考える名無しさん:2014/12/22(月) 00:50:03.27 0
悟ればよりアトピーも治すことができる
より良い収入の会社からも内定を取得できる。
つまり悟りは、受験戦争で負けた我々文学部が、一発逆転できるもの、悟り以外は特に何もしなくても上手くいく便利ツールなのである。
577考える名無しさん:2014/12/22(月) 01:02:03.75 0
日本は文系は別に負け組ではないよ
文系が管理職になって理系技術者を使うって逆に馬鹿にして揶揄されてるぐらいだから
まぁこれからその歪んだ構造も変わってゆくのだろうけど

でも、悟りで一発逆転的な視点は中二病が治らない大人子供にはあるかも
どんな分野であれ、その分野に成熟しないと活躍が出来ないのは同じなのだけどね
578考える名無しさん:2014/12/22(月) 01:52:09.21 0
(偏差値)法学部>経済学部>>文学部
(就職)法学部>経済学部>>文学部
(社交性)経済学部>法学部>>文学部
(収入)法学部>経済学部>>文学部
579考える名無しさん:2014/12/22(月) 02:10:31.22 0
文系じゃなくて文学部ってことね
580考える名無しさん:2014/12/22(月) 02:59:17.89 0
文芸部じゃね?
581:2014/12/23(火) 09:29:08.09 0
不器用な・・・堕ちん珍ですから
582:2014/12/23(火) 18:08:13.43 0
パトラッシュ・・・つかれたろう・・・僕も疲れたんだ
583「隠者」LV1.05:2014/12/23(火) 19:04:55.46 0
始めて書き込むのですが
アブさんのカキコミがとても深くて
思わず一気読みしてしまいました。

更新楽しみにしてます!(^O^)/
584考える名無しさん:2014/12/23(火) 19:14:47.91 0
>>583

を見習え。
585123:2014/12/23(火) 20:24:23.75 0
悟りの使い方。
それは金儲けに使うに決まっている。
財界人もそうである。
その他もありか。
586考える名無しさん:2014/12/23(火) 22:23:42.26 0
一発逆転ツールとしての悟りですね。
分かります。

劣等感溢れる文学部の妄想としての本領発揮
587悟り:2014/12/23(火) 23:45:36.01 0
俺が悟りだ、

おまえら悟汁すらしらないだろ?白い液体だ
588考える名無しさん:2014/12/24(水) 00:47:19.37 0
589:2014/12/24(水) 05:56:50.34 0
今日はクリスマスイブか。昨日まで忘れてたわ。
夜は家からでないようにしよう。
もうおれも男としての市場価値はないな。
こうなると、あとは金だな。金を稼げるようになるしかねえ。
もう悟りもやめだ!
590考える名無しさん:2014/12/24(水) 06:08:12.00 0
悟りなんて今時流行らねえや!
そんなことより新しい車買うための資金を集めねえとな。
絶対一括で払ってやる!

そのためにジャストアウェイかエピファネイアとあと一つ決めねば!
591考える名無しさん:2014/12/25(木) 06:56:17.07 0
>>590
釈迦に説法をするお前には、金が大事だってことは理解できる。
たしかに間違いない。
>>589
サンタさんが来ない?
592考える名無しさん:2014/12/25(木) 14:21:16.71 0
悟った俺に質問ある?
593:2014/12/25(木) 21:35:26.19 0
はあ、、、有馬記念買おうと思ってた目が枠決定で台無しに(。-_-。)
有馬記念で100万取るのが夢なのに、、、賞金王は461持ってて撃沈したので、、
悟りまで遠いなおれ
594なんとなく思ったななしさん:2014/12/25(木) 22:10:53.70 0
原子番号 79 
595なんとなく思ったななしさん:2014/12/25(木) 22:13:22.76 0
今してるネックレスは78番の900 
596考える名無しさん:2014/12/25(木) 22:39:14.21 0
有馬記念いいなう。
597考える名無しさん:2014/12/26(金) 00:13:02.66 0
>>590みたいな人は悟りが流行ったら悟ろうと思うのだろうか…
⚪︎⚪︎ブームが起きる時、人はそのブームに乗っかって「何か」得ようとしている
それは、社会から孤立しないためかもしれないし、何らかのご利益を手に入れるためかもしれないし、見栄を張って他人によく見られたいからかもしれない
何れにせよ、それらは悟りによって得られるものではないんだろうな
598考える名無しさん:2014/12/26(金) 00:18:47.04 0
ブームにも乗れず実社会で上手く立ち回る術もない鈍臭さ
かといって着実努力により学歴社会で成功をおさめることもできない自堕落さ

そんな競争社会の劣後者、文学部にとっての唯一の一発逆転ツールが「悟り」
悟りさへあれば、一気に天才に、悟りさへあれば一気に悩みも解決。
そんな甘い誘惑にまけて、今日も努力を怠り、感性の鈍い毎日を、自分を偽って送る文学部。
599考える名無しさん:2014/12/26(金) 00:24:06.16 0
文学部の負け組さに固執しているあたり、かなり劣等感に苛まれている哀れなメンヘラとみたw
600考える名無しさん:2014/12/26(金) 01:39:59.73 0
底辺層ほど競馬とかのギャンブルで一発逆転狙うのと同じ発想だな
601考える名無しさん:2014/12/26(金) 01:42:06.61 0
一発逆転をねらうとき、前頭葉が活性化する。
前頭葉が貧弱なエリート年収1000万(反射神経がいいだけで思考力はまったくない)よりはるかにまし。
602考える名無しさん:2014/12/26(金) 01:44:41.34 0
そういう人も中にはいるかもしれんね
で、あなたはそういう人の中の一人であることはよく分かる
なぜなら哲学や宗教に負け組文学部とルサンチマンばかりを見ているから
603:2014/12/26(金) 06:49:52.07 0
まあ、ギャンブルなんて30突入するまで見向きもしなかったものだが、
友人知人兄弟がみんな結婚したり、仕事忙しいなったり、休日が暇になるとやるようになってしまうんだな
これが
くだらないとは思うけど、、、まあ、来年から自粛するわ。悟りはもうおれは無いと踏んでいる。実はな。
仏教は好きだけど、精神と肉体の高まりは無い。そんな感じだな
604考える名無しさん:2014/12/26(金) 09:59:40.68 0
まあ地道に努力することだ。
悟りで全部一挙解決とか、楽して成果を得たいという甘い精神が透けて見える
社会はそんなに甘くない
現実逃避しても何も変わらん
エリートはお前らより遥かに頭がいいし、努力もしている(何もしないお前らよりは、ある意味、悟りに近い)
605考える名無しさん:2014/12/26(金) 16:59:42.56 0
努力なんてものは、みんなしてるものでエリートは努力してここまで来たとかおまえが金持ちに
養ってもらいたいとか考えがもたらした神話だ
甘い考えが透けて見える。一つのことに取り組むことが努力なら、オタクの努力はエリートに比べ半端ない
606考える名無しさん:2014/12/26(金) 20:07:52.57 0
横レスだけど第一線で活躍してる人はやっぱり凄いよ
それに精神世界に造形が深い人もちらほらいる
スポーツでもそうだけど、一つのことにトコトン打ち込むと宗教に行っちゃいますね
607考える名無しさん:2014/12/26(金) 21:04:33.60 0
だからと言って宗教に走れば第一線で活躍できることになはならないけどね。
実社会で活躍してる人間は悟りに近い。
しかし、実社会で何にも成果をあげず、安易に悟りとかで一発逆転を狙ってる文学部君は、方法が間違っている。
(もちろん、自分の怠惰を棚に上げて、悟りでなんとか済ませようとする精神のあり方も、卑小だが)
608考える名無しさん:2014/12/26(金) 21:09:56.18 0
>>607
>だからと言って宗教に走れば第一線で活躍できることになはならないけどね。

例えばジョブスは禅に傾倒してたけど大成功してるけどね

>しかし、実社会で何にも成果をあげず、安易に悟りとかで一発逆転を狙ってる文学部君は、方法が間違っている。

なぜ文学部で実社会で何も成果を上げられないと断定するの?
多分あなたより社会的に成功してると思うけどね
一般の平均より収入はあるし、仕事の規模も大きいから
その決めつけはあなたの劣等感が鏡になって投影しているものではないかな?
609考える名無しさん:2014/12/26(金) 21:15:45.64 0
だよな、ジョブズは最初に禅を極めて僧侶になったもんな。
その後にコンピューターの勉強を始めて、Appleを世に出した。
よって、文学部哲学科は金持ちになるべきなんだよ!
610考える名無しさん:2014/12/26(金) 21:18:09.39 0
純文学と哲学をしっかり区別しないといけない。
611考える名無しさん:2014/12/26(金) 21:22:17.69 0
哲学まなんだから貧乏になったり金持ちになるわけでもないけどね…
ていうか、そんなのどうでもいいじゃないかと思う
612:2014/12/26(金) 22:47:31.82 0
哲学は、それに掛ける時間が大きすぎてみんな途中までやって止める。
もしくは、マルクスに飛んでヘーゲルまで戻り、イデオロギーを学び、思想を持つにいたる
そうやって左に傾くが、途中純文学に遭遇すると右に戻り、伝統にんにく卵黄を食べる。両方向とも歴史は不可欠な要素なので、
文系の肝は歴史学だな。
613考える名無しさん:2014/12/26(金) 22:54:41.23 0
何か悟りスレなのに文系とか理系とかさもちがうように語られて、それにみんな乗ってて滑稽だ

はっきり言って、文系理系の違いより、男と女の違いのほうが大きい
文系理系の違いより、日本人と外国人の違いのほうが大きい

つまらない差異に固執する時点で器が小さすぎると思うな
614:2014/12/26(金) 23:10:29.38 0
何が
615考える名無しさん:2014/12/26(金) 23:31:02.03 0
人の感情や行動をあやつるハイテクマスィーンはすでにできている。
あとはどんな状況でも常に幸福になるようにマスィーンを調整して、頭につけておけばいい。
はい、倫理学終了。ついでに悟れる。かなりお得。

これは、「全肯定テツガク」の応用であり、「敵にちんぽをいれられてアヘアヘ幸福になっていろいろどうでもよくなる女騎士」の応用である。
外から見ているから「これはよくない」なんて思うのだ。実際になってみればどうってことはない。
616考える名無しさん:2014/12/26(金) 23:45:19.09 0
現代哲学の不幸は担い手の劣化だな。

昔は頭の良い人(ソクラテス、ヘーゲル、ニーチェ)が哲学やってた。頭の悪いのはそもそも大学に行く機会もなかった。

だけど、現代社会になって諸科学が分派し始めてからは、頭の良い人は、みんな医学・物理学・法学あたりに行くようになったからなあ。
あおりを受けた文学部哲学科は、偏差値最底辺の人が集まる劣等感の塊みたいな人間(昔で言えば大学に来る機会のない人)の巣窟になってしまった。
617考える名無しさん:2014/12/27(土) 01:39:53.06 0
聞け、悟りを目指す人間よ!
私は悟りの本質を発見した!


この世には、神となる人間と、信者となる人間がいる。時によって、弱神が信者になったり、信者が弱神になったりすることもあるが、真神はつねに真神として存在する。

神は常に輝いているが、神自身は自分が輝いていることに気がつかない。ただ輝いている。神からは、あらゆる真の芸術、美中の美が溢れだす。しかし神はそれにも気がつかない。ただ、黄金の生きる意志に突き動かされ、存在しているだけである。

信者は、ただ神をたたえ、神を否定するものを否定する。

たまに、勘違いした信者が、必死に自分も輝こうと努力しだすが、それは無駄なことである。頭だけ輝いてしまい「やーいハーゲ」とバカにされるのが関の山。神の本質を理解していないので、弱神にすらならない。
輝いているということは、輝いていることに気がつかないということなのだ。まずはそこに気がつかないといけない。


悟りをめざす人間とは、ただのハゲである。
これが、「悟り」の本質だ。
618考える名無しさん:2014/12/27(土) 02:47:39.00 0
また髪の話題?
619:2014/12/27(土) 07:27:16.44 0
つまるところしのちゃんじゃったというだけの話なんじゃろ?
620Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/27(土) 13:44:37.54 0
文章というものは、気取っていてはいけない。伝える意志があれば下手でもいい。一言で
わからなくても、二言三言と言葉を重ねよう。それが、愛ということだ。僕たちは、なぜか
こだわって、自分を気取る。だがわかり合うということは、そういう、格好ではないのだ。
日常こそが宴である。それは、一人ではないからだ。孤独でないからだ。孤独は
魂を蝕んで、ひどいことをする。伝えることができるかぎり、方法があるかぎり、
つてがあるかぎり、伝えたい。それはきっと、生きている実感となり、生きるための
方法となり、不安をひきうける方法になるだろう。不安。不安は、暗闇の中にいる
こと。明かりに照らされた暗闇の中で、闇によった、危険の中で、そこから抜け出す
ためには、きっと言葉と伝える意志が、大きな役割を果たすだろう。何度も言えば、
自分のことをわかってもらえるさ。嘘なんて言っていないし、僕らは自分の言いたいこと
を捏造するような馬鹿ではないんだから。いや、例え馬鹿だって、馬鹿なりの
存在というものがある。それは、間違っていたとしたって、間違いという経験
なのであって、文句をつける必要はない。微笑んで、迎えてあげよう。たとえそれが、
地獄への道を歩くことになっても。まだ先のことだ。気にかけすぎる必要はない。
嘘を言わないことが、唯一の約束だ。
621123:2014/12/27(土) 15:31:35.90 0
道元は貧なるが良いと言う。貧なるべし、であったか。よって道元禅は道徳禅であると批判されることになる。
アップルのジョブズ氏はそれを援用して貧乏であれ、と言う。
宗教は道徳倫理ではない。よって道徳倫理によって支配されない。道徳宗教が多すぎるのである。
よって道徳倫理を否定すれば悟りに至るかも。科学を否定すれば悟りに至るかも。
人生と人間を否定すれば悟りに至るかも。
それは脱却である。解脱である。
人間社会からの脱出である。その結果として精神病になるかもね。
622考える名無しさん:2014/12/27(土) 17:26:50.65 0
>>620
悟りの次には愛がある。愛は育てることで生まれるもの。
623Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/27(土) 17:48:25.37 0
生には本質がなく、生命は機械的な働きである。
言葉には本質がなく、概念のみが与えられる。
つまり、全ての物の本質は機械である。
そのことを嘆くことはない。
感情が関与することに、魂が表れる、ということは、魂がうつろではない
ということだ。魂を見るべきだ。それは、自らのものなのだし、
他者との関係はない。
悟りとは無限ではない。有限のものの、概念的な本質が、生である。
世界の無限と、生の有限が、切っ先を交えて戦う現象が、生物である。
どこまでも無限な物質性の思考と、時間の瞬間を捉える生命的な思考。
限界を知ることで限界をひろげることができるのである。
624考える名無しさん:2014/12/27(土) 19:07:45.89 0
>>623
神が与えてくれるのは光だ、それは愛と勇気と希望の名の元に生まれるもの。
過去に意味をもつものは機械である。未来を縛る闇でしかない。
人が神から与えてもらったものは未来を作り出す非機械的な働きである。
可能性を願い、可能性から生まれる、それが神から与えられた人が行う奇跡だ。
物理的な捉え方では生命と機械に差などない、差が生じるのは精神的な意味を
人が認知するとき機械、例え何もしない物体だろうとそこに命は生じる。
命とは人との関係に間に生じる意味であり、意味が人を包む宿になるとき、
それを人は魂と呼ぶ。
頭髪の最後の1本まで諦めるな、育毛の未来はふさふさだ。梅干たべてスッパマン。
625Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/27(土) 19:12:51.98 0
>>624
正月は発毛でにいこうかな。ふさふさ。
626Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/27(土) 19:36:28.06 0
知りつつある状態が未来をつくる。知らないことは直感的にも知り得ないことで、
あらゆる知識には、将来知りうるという可能性によって付箋がつく。自動的に。
現在と過去を比べた場合に、現在が、より正しい行動へと、近づくために
過去より現在が重要であると言える。未来はまだ起こっていないことだが、
未来を知ることはもちろん出来る。まったく未知の未来はない。知識の観点
からは、過去、現在、未来に序列を作ることはできない。それが、死に対して
慰めを与えてくれるだろう。
627Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/27(土) 20:01:22.90 0
ただ叩くことと愛情を込めて叩くことのあいだには、違いが生まれる。その違いについて
、現象的に捉えることは難しい。その場合に登場する概念が心である。つまり、心とは、
微妙な違いをもつ。子どもにとって、善く叩かれること、つまり、愛情のスキンシップと
憎しみのあいだには、決定的な違いがある。そしてそれに気づいていくだろう。
僕は、おとなになっても、愛情を込めて叩いて欲しいという肉体的欲求が
ある。温かな死によって、穏やかに叩かれたいという願いが、通奏している。
その違いにこそ、あらゆる暴力と愛の関係がはらまれているのだ。
628Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/27(土) 20:15:11.60 0
馬鹿と天才には共通点があるという。それを、物理的共通点として片付ける
こともできるが、本質において同じであるということも可能だ。つまり、馬鹿には
馬鹿なりの天才が有り、天才には天才なりの馬鹿があるということだ。
こう考えると、馬鹿と天才にはまったく違いがない。それに、普通とのあいだ
にも、違いがない。ようするに、集団内部での思考の違いのみがあり、
思考の間違いというものはない。序列的に違いがないのなら、その
評価は広さ狭さによって位置づけられるのではないか。良い思考
とは拡がるもので、悪い思考というものは狭めるものだ。これは、
呼吸のあり方からも来るものであると思う。

呼吸を止めるものが良くないもので、呼吸を楽にするものが良いもので
あるということだ。そのようにして、序列をなしてみた。
629考える名無しさん:2014/12/27(土) 21:27:14.71 0
>>628
胆力の差
630:2014/12/28(日) 11:06:31.52 0
有馬記念

1.3.6.7-13.15=1.2.3.4.5.6.7.9.14(128)

13.14.15-1.3.6-1.3.6.7.13.14.15(45)

1.3.6.7(3連複)×10(40)

6=13=1.3.7.15×2(48)

3=6-1.7.15×3(18)

3.6.13箱×5(30)

13-3=6×10(20)

買うぞ。計3万1900☆
631123:2014/12/28(日) 16:41:51.13 0
628.
呼吸がないのが悟りである。
呼吸を止めて死ぬのか。それが物理現象である。
呼吸を発生させている主体は誰か。
それは自分である。それは物理現象である。
それではどうなるのか。
以下禅問答。
632考える名無しさん:2014/12/28(日) 16:49:59.88 0
>>628
物事を成し遂げるにはお利巧な方法とバカな方法がある。
絶対に成りえない結果を出した人を天才と評価するのは、
「その行動を真似て結果を出せるか?」である、天才のそれは他者がどんな忠実に
習い教え真似を行っても、その行動から結果は出せない。
つまり他者に評価される結果が出せない人は永遠にバカである。
親が作り上げた神童とも呼ばれる天才児はほぼ間違いなく大人(親の影響を受けない)
になれば凡人に戻る。
633Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/28(日) 16:50:14.74 0
因果のことを考えると、自分の意志が利己的になる。自分で操る範囲が、コントロール
出来るような気がするから。少しでも良い自分、少しだけ利己的な自分。利己を集めて
どんな政治を作るのか。そこにあるのは、争いだけだ。では、争いのない状態には
どうやって至れる。満足を知ることではないか。利己によって満足になる。そうしたとき、
人は初めて他人のために何かを、心からしたいと思うのだとおもう。餓鬼のような
状態が、まさにガキであるわけだ。何事も決めつけないで、ちょっとづつ新しさを。
観測することだ、腹がいっぱいになる必要はない。あらゆる文化が与えようとして
失敗しながらも進んできたこと、そこには、観測の満足があるんだろう。自分の現実
とファンタジーの形而上、形がなければ限界もない。限界のない物事には
因果がない。
634Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/28(日) 17:17:32.30 0
大事にしたいという思いには、必ずバカにしたいという思いが一緒にある。
その人のことを尊重するから、その人がバカなことをできる凡人だと
思いたがるところがある。つまり、僕を置いて行かないでっていうこと。
だが、天才は必ず存在し、それに凡人は憧れる。完成された天才が、
世界史上に何人もいる。それらの人が、人の憧憬の気持ちを満足
させてくれれば、多くの人が救われ、生きることが出来る。

利己性を超えるためには、縛りから自由であることが必要であるように思う。
それなら、天才以外にも可能な方法だ。利己性を超えるのが宗教だ。
どんな道を通るかということに違いはあっても、利己を乗り越える道が
なければ、心は救われないだろう。

だから、僕は、人を尊重したいのだ。それと同時にバカにしたいのだ。
そんなことは僕以外の人にとって、どうでもいいことだから、それゆえ、
その考えは僕にとって、切実であり、生死を超えるものである。
635考える名無しさん:2014/12/28(日) 17:31:47.76 0
超えられない限界を超えたとき、人は大きくなる。
超えられないから超えない人、超えられない壁だから人が大きくなるのは当然
だとと言って、他人事にする人。
誰が超えられないと決めたんだ、自分自身、
誰もが超えられないと諦めたものは己の努力や己の力ではどうにもなりえない
対象だということを理解してこそ近づける。
不可能とは、不可能と悟ったとき始まる、嘆きの壁、
絶対に動かないものを動かすには、たとえばエベレスト山を動かすには?
バカげている、話にならんと思うのか?こんな難問へ挑めるかが人の器である。
論理破綻している矛盾なら、矛盾を味方にしなければ成しえない、数学が虚数を
受け入れるように。
636Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/28(日) 17:58:01.96 0
>>635
何故人は限界を越えようと思い、それに挑むのか。エベレスト登頂の成果には、山を
知りたいという考えと、自分の体や認識をしりたいという思いがあるだろう。つまり、
人には何か、善といえるものが備わっているようだ。だとすれば、越えようという思いは、
超えられないという思いを含んでいて、かつそれを「超越」しているといえるだろう。
その程度の希望は、ほのかに空ける朝の期待にも、含まれているような類の
安心である。不安が生じるのは、限界と、それがもたらす死の予感があるからである、
と考えるので、不安を減じるもの、たとえば、万人にとっての音楽などの要素が
絡んでくる光であろう。

未知なるものこそ、希望であり、既知のものも希望である。その適用範囲を誤ると、
全てが絶望へと転写する。嘆きの壁となる。適用範囲を誤らないために、経験を
積む。そしてその経験の上に、新しい価値を付け加えていくのだ。瞬間を
捉え間違えてはいけない。ある瞬間に賭けるという行為こそ、人間の越の行為
が教える、希望の掴み方だから。間違えてもいい。間違え続けてはいけない。
自らの価値を試すこと、そんな手軽な努力の対象は、死にとらわれてしまう人
が、間違って自分に課してしまった状態から浮上するための空気である。
637:2014/12/28(日) 18:00:19.68 0
つゆとをち つゆと消えにし 我が身かな なにわのことも 夢のまた夢

豊臣秀吉が死ぬ前に出た辞世の句か、理解した。グッバイマイラー
638Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/28(日) 18:08:58.42 0
智慧による証しも行為による証しもある。それには誰かが気づくべきだ。多様性というも
のは、すべてのものが独立には存在しないという信じがたいシステムが関わっている。
意志によって自らを明かすのか、行為によって他者を明かすのか。
絶望の下には、羽根が埋まっている。簡単なことから始めればいい。すべては
善へと関わっているのだから。
639考える名無しさん:2014/12/28(日) 18:12:05.22 0
>>631
>呼吸を発生させている主体は誰か。
>それは自分である。

嘘つけw
640Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/28(日) 21:16:15.69 0
十分に考えなおして、文章に美さえ含むことが出来る。それは何の美なのか解明する
ことはできないが、人間らしい美とか、自然の透徹した美とかがあって、全て記憶を
整然と序列させるのに使われ得る。記憶の序列は、美にしたがって、並んでいて、
カジュアルであるとかシックであるとかフォーマルであるとかの、ファッション性
が存在することが、楽しみとしての雰囲気を、なす。このような服装についての
楽しみが、人間に本質的な記憶を慰める。場所によればもう存在していないも
ののメッセージが、遺跡としてあちこちに残されている。破壊の跡を覆う草木
のような、力強い、自然と時間の痕跡を見ることもある。破壊をモニュメントにして
自然と寄り添うことが、人間の方法だ。そのような歴史の中に、仏や神を、
育ててきた我々の力が、想像される。記憶を整序し拡大することが、可能である。
641Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/12/28(日) 21:27:27.76 0
脳や、宇宙の構成は、混沌としていて、混沌の中から整序したものがもたらされた。
最初からきちんとしていた、わけではない。今を考えれば、その不完全さに、
たじろいでしまう。物質としての堅牢性は、解脱の手がかりとなるだろう。
光の速さと、物質の多様さ、構成の複雑さなども、信じることができるものだ。
現象がつたわる速さは圧倒的であり、思考の遅さ(無限に遅くなりうる)というものが、
それに対向する。こういうふうな、留め置くことのたやすさと、伝えることの
簡単さが、手持ちの駒である。昔ばなしの中に存在する、安心感が、たどり着くべき、
手に入れるべき境地の、一つであると思われる。(日本固有の価値)
642考える名無しさん:2014/12/29(月) 14:42:10.30 0
混沌の本質とは、秩序はそこにある。
643:2014/12/30(火) 06:25:07.65 0
おれは悟られなのかもしれない
644考える名無しさん:2014/12/30(火) 17:29:13.12 0
悟る、悟れ、悟り、悟ら、 ら行の違いを理解しとけ。

君はめぐり来るサトリを区別していない。

渦中の中心でなければ知りえず、渦中の中心では見えず、
渦中の外に行かなければ得られないものもある。
知らなければ得たことも理解しない。
645考える名無しさん:2014/12/31(水) 04:09:45.44 0
646:2014/12/31(水) 07:35:15.19 0
しのちゃんが無事大晦日を迎えたことで元気いっぱいぱいなんじゃろ?
647123:2014/12/31(水) 17:14:02.28 0
梅原猛氏が親鸞について新刊書を出したとか。書評より。
問題の一は下向、上向の問題であるとか。
これが解決すれば宗教哲学は終わりであることになる。
挑戦されたい。梅原猛本が売れるかも。図書館でも良い。
648考える名無しさん:2015/01/01(木) 19:02:34.71 0
無縁仏
649考える名無しさん:2015/01/02(金) 00:12:57.26 0
樹海へGO!
650Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/02(金) 13:23:32.54 0
日本という国は自分たちが作らねば無い。精神的成長を遂げるべきなのは、
各人とその集合の両方なのである。共同体というものでさえ、理想を持っていない
ならば、その構成員はバラバラである。日常ならそれでもいいが、非常時において、
その合力の発揮がなければ解けない問題というものがある。親も、子も、皆が
普通に生きられるように。普通というものが、蔑まれず、負けず、屈しないことが、
必要であろう。
https://www.youtube.com/watch?v=aYpRG6T-AVo
651Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/02(金) 13:52:05.41 0
表面に表れたものだけを問題にするような思考は、たんに自分勝手ということになるだけ
である。現象ではないこと、すべての法則の把握というもの、それによって、苦を防ぐこと、
虚しい生に終始するのではないこと、積極的に作り上げられること、この世は創りだされ
なければならない。声を、あげること。忍従によってごまかさないこと。
自らにおいて、飛び立ったものは、悪によって滅亡させられない。悪は、いつも用意
周到で、自動的な、システムと一体になることによって、個を損なう。悪意というものは、
どれだけでも執着の意志を明らかにするように思われる。必要なのは、自らの
限界というものにどう向き合うかだ。膨れ上がる悪と、壊れやすいものと、至高性の
付与された現実と、すべては自由に選択される。選ぶことが出来るのであれば、
だれもが選ぶ。選ばれるような姿へと、物事を変化させること、そんな行為が、
一時的ではない、哲学というものの姿である。
652考える名無しさん:2015/01/02(金) 16:55:44.90 0
宇宙人は『A。I。』でも描かれているように、テレパシーで
意思の疎通を達成している。じゃ〜、彼らの創造物である人類が
言語で意思疎通を行うのはなぜなのか? 答えは本心を隠すため
である。隠さなければならない必要性は異性に本心を悟られない
ためである。快楽を異性を利用して獲得する、この本心だ。
653考える名無しさん:2015/01/02(金) 16:59:06.10 0
これを踏まえると言語および発語(発声)の本質が見えてくる。
心理学に詳しい読者は会話が感情の発露であることに熟知してる。
生活における会話の役割は感情の交換にある。テレパシーは人間
にも備わっているのであり、会話においては補完的な役割を果た
しているが、だいたいにおいてはテレパシーで感情が伝わる。
654考える名無しさん:2015/01/02(金) 17:02:21.10 0
会話での言語と文面での言語はパラレルワールドにある。
会話での言語は言語表象によって発語されるのであるが、
性交原理主義によって会話での言語表象は全てイカサマ。
それに対して、文面における言語表象はテレパシーの
保管的サポートを期待できないこともあり、宇宙人脳の
高邁さに近づいている、(それでも完璧ではない)。
655考える名無しさん:2015/01/02(金) 17:47:59.30 0
書類ども ネタはばれてんだよ  失せろ 
656考える名無しさん:2015/01/02(金) 17:52:40.01 0
  
 塩水ごときが 書類で埋め尽くして何が出来る? 

     人類に必要なのは飲める水だ  
  
657考える名無しさん:2015/01/02(金) 19:18:41.66 0
超えられない壁は、回避しうる余裕があるときには超えられない。
どんなに理屈や論理があったとしても、無理なものは無理。
658:2015/01/02(金) 20:03:19.91 0
越えられない壁は黙って手を差し伸べて、相手に委ねる。

臨済禅の公案に隻手おんじょうの話がある。
片手でもって音を鳴らす公案のこと。
片手を振りかざしても音は鳴らない。

音を鳴らすには、黙って相手に手を差し出す。
男は黙って女に手を差し出す。そうすると、女がパンっと手を
打ってくれるから。

手を叩いてくれない?それはまた別の人だ
659考える名無しさん:2015/01/02(金) 20:29:46.66 0
>>658
その相手も超えられない。
仲良く壁の中で叫んでろ。
超えられない壁とは超えてはいけない壁だ。故に超えられないことを
悟れ。
660Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/02(金) 21:02:04.41 0
>>659
実相がみえにくいです。たとえばどんな壁があるのでしょうか。言葉の壁だったりしますか?
あるいは、生死の壁、あるいは、時間の壁、そういった壁なら、たぶん超えることに対する
反発を招くかもしれない、ということは、純朴な倫理(=子どものような心)からでも、
推測が可能ですし、それゆえに共感を重ねることができないものではないのですが。
崩落する氷河のような、亀裂が走った末に、それでも残される壁というものが、確かに
実在すると思います。死の向こうに持って行くことのできない秘密に殉じることに対して、
現実の可能性による検証をかけなくても良い、と感じられるような物事は、それほど
多くない、と思われますが。
661Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/02(金) 21:16:27.63 0
>>659
秘密を持つことは良いことなのですよ。それはあなたが優れた人間、価値を置かれるべき
ポイントをおさえている人間である、ということの証です。とくにそれが、他者に対する
意味として、明かされるべきである、という実感に転ずる可能性があるために、より
一層。未完成の音楽の、続きがいつか鳴り出すでしょう。それを聞くことが出来る
幸せに、一番近いのがあなたという秘密主義者の存在である、と言えると思います。
662123:2015/01/02(金) 21:34:16.11 0
658.隻手か片手か
音がするのは物理現象である。
だからして片手の音を聞きたいのか。
それは物理現象であることになる。
悟りは物理現象でないところの音を聞くことになる。
種明かしになるか。悟る人に幸あれかし。
663Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/03(土) 00:14:14.54 0
人間の世界は、表象と表裏だ。表が表象であり、ウラが人間の魂。物事に触って、
見て、聞いて、関わると、物事はどんどんどんどん豊かになる。そこには、聖性が
付与される。夢の中で物事は組み換え直される。そしてそれに影響を受けた
心が、また現実を変える。この繰り返しが人間だ。すべてのものが、関わりあう
様に、「参加したい」と思うなら、自らの力というものが、行き惑って流れる
水路を見つけたかのように、流れだす。そして物事は、現実に流れ出し、
夢のようにさまよっていく。うつつは夢。夢はうつつ。
664考える名無しさん:2015/01/03(土) 01:17:08.96 0
>>660
>実相がみえにくいです。たとえばどんな壁があるのでしょうか。言葉の壁だったりしますか?
一言で言うなら形而下からみた形而上へ繋がる壁、形而上の壁である。
例えばあの世と、この世を仕切る壁である。超えてはいけない壁である。
人として成るならば知りたくても壁の向こう側にある真理を取りに行ってはならない。
665考える名無しさん:2015/01/03(土) 01:22:56.04 0
>>661
意味としては秘密であれど、秘密ではない、なぜなら隠してなどない。
秘密とは知っているものを外に対して隠すものではないか?
隠れているという性質そのものは隠しているわけではない。
未来に秘密が知りえても、現在に秘密は知ることはできない秘密ならある。
生まれた時点で秘密であり、創造した時点でその秘密は知りえない。
その私が知っている答えそのものは、貴方が使っている言葉の仮名1文字1文字の
音であり、そういう類の事の葉である。使わなければその秘密は得られない秘密である。
秘密であって秘密ではない。
666Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/03(土) 01:33:58.91 0
>>664
恐れているのですか?尊重し、位付けることで、あなたの経験と
認識のわかつてきた事を。哲学には、元来思考実験というものが
あります。それが触れることには、病原菌の実験などと同様の、
危機回避方法の探求といったものが含まれています。触れるだけで
壊れそうなもの、人間性を成り立たせるもの、などが存在する
でしょうが、タブーについて想定の実験さえ許されない程度に
ナイーブな思考というものはないでしょう。あるいは、それを
知るために必要なのが、それを認識しないことである、と立論
されているのかな。そういうものが存在するのであれば、それ
は非常に進んでいる思考であるでしょうね。別視点から光を
当てるような行為も、されてみては。
667考える名無しさん:2015/01/03(土) 01:35:38.48 0
>>661
昔の神話では明らかに説明される秘密の唄を1つ。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12101926707
>この神歌は天照大神が天の岩戸に隠れましたとき「天鈿女命」
>が岩戸の前で楽しげに神舞を舞うときに謡われた歌です
「ヒフミの神歌」
この説明の1つにあるように、「宇宙創造の原理を要約」で言いと思う。

「ヒ」で始まり「フ」に続き、「コ」は「ヒ」同じ位置にもどってくるのです。
後に続くことばは、それが続く様子です。
また「ヒ」が陽(=日)をさし、「イ」が陰をさすと考えられている。
まあこの程度の妄想の話ならどうぞ参考にしてください。

例え全て説明したところでそこに何を求めるでしょう?理屈の世界では単なる幻想物にすぎません。
668Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/03(土) 01:40:54.51 0
>>665
そのように捉えることで、最小の所からより根本的な思考を走らせているのですね。そのフォーマットは実に
興味深い。またいつか、そのことについて進められた考えを、お聞きしたいものです。
今現在の僕の思考では、該当物についての情報を持っていませんので。
669まものの話:2015/01/03(土) 01:47:38.57 0
>>666
まさにダミアンの数字ですねw
世界には貴方の知っている科学技術や論理世界の知識があります。
ですが、それとは対極にある世界もあるのです。
それらを論で説明してはいけないのです、現実を知り、現実の裏を知るには
超えられない壁を越えなければなりません。
具体的には「世界の否定」です、否定してこそたどり着ける真理の類も
あるのです。
超えてはいけない物を論述の力で説明してはいけません、秘密のように
扱わなければ否定され拒まれ叩かれます。貴方が知っているオカルト的なものです。
その術は秘密であって秘密ではない、公然と全てを明かしても意味は持たない。
喩えて言うなら「意味」に「秘味」とでも表現すればいいのかもしれない。
意味が表なら秘味は裏です、秘味を扱う術とは意味が扱う論理の逆位置にあります。
つまり「非論理」です。ご理解ありがとうございます。
もし「非論理」を受け入れるならば、この話の奥行きが広いことに気がつけるでしょう。
論理が成立する為に非論理が必要となるという陰陽の関係という意味です。
670Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/03(土) 01:59:20.35 0
>>669
まものについてのイメージも考えも、持ったことがあったわけではないのですが、
呪文については、ある一定の知識を保持しています。タロットカードなども
買ったことがあります。貴方はずいぶんとナイーブなことをご自分の核心に据えて
いらっしゃいますね。日本とは、昔にはそういう姿でもあったのかと、蒙を啓かれ
た感じがします。
671オカルト談話:2015/01/03(土) 02:02:18.86 0
>>668
"命"が表の意味ならば、"魂"がその対極の裏の秘味と考えるべきと思います。
人が持つ命の意味は、その人を包むその人の環境の意味が魂という関係と
位置関係を考えるだけです。
人以外に意味を成す物があるならば、それには意味を成す逆位置である魂も
器として存在するはずです。使い古した家具などが化ける「唐傘のオバケ」
それは物が長い時間を経て魂が宿る高次の比喩であります。
形而下の傘という物は、形而上の唐傘のオバケとは別物です。
形而下で物に意がなすとき、形而上の世界では魂が生まれるということです。
陰陽の原始的原理でいう対称で考える曖昧な世界(秘密の世界)の言葉にすぎません。
貴方が使うコトバ、それが全てを教えてくれるということ。
秘密は隠すのでなく、隠れているのを見つけるもの。コトバの意味だけを見れば
コトバの秘味(造語)は知ることはできません。
正しいコトバの発音(秘味)を知れば、物事に隠れている誰も教えてくれない
辞書にも載っていない秘密を得るのは可能です。
672Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/03(土) 02:04:39.66 0
>>669
論理ではないという、非論理というものへ至る道筋が、どのようにつけられるか
といった話になりそうですが、悔しいことに、非論理については勉強中なのです。
今、中村元『論理の構造 下』を読み中なので、なにか重要で新しい発見があったら、
レポートします。
673Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/03(土) 02:12:55.86 0
>>671
なるほど、イデアというものの根源に現実がまず存在する、という、一般的な偏向
ではなく、イデアはイデアの中において、それ自身が独特の関わり合い方をして、
イデアがその変化も含めて、現実を規定しなおすということが存在する、という
ことが、ある、ということでしょうね。
674考える名無しさん:2015/01/03(土) 02:13:35.97 0
>>672
非論理は簡単です、考えなければいいのです。
※ルークよフォースを感じよ「ジェダイマスター」
イメージするままに、世界の説明が論理では第三論法で説明しても
非論理では帰納法で説明してしまえばいいかもしれません。
ペンギンは飛べない、ペンギンは鳥である、故に鳥は飛べないという非論理です。
厳格な前提条件の定義を曖昧にし、関係のみから答えを誘導する累積です。
論理では厳格な前提条件の定義を必須にしていませんか?

これらの非論理では論理では扱えない類のものを扱えてしまうのです。
論理では扱ってはいけない類に対しては論理を使うことは愚者の思考ではあると思いませんか?
675Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/03(土) 02:25:03.32 0
>>674
非論理界の主がなんであるか、論理界に座るものが王である、ということか、神が
両者を含むのか、仏の位置付けはどこだろう、と考えが広がってきました。
676西洋的にラノベでも作るか?:2015/01/03(土) 02:25:24.97 0
>>670
たとえば、タロットカードに関係するルーン文字
そのルーンの根源はルーンは魔法の力『呪波』を秘めており、
適切な組み合わせによってその力は発動する、
故に正しい発音(秘味)を知らないと魔法(占い)は発動しない。
この魔法とは技術の逆位置(陰陽の対称物)である関係を表現しているつもり。

この説明に意する発音とはアクセントや声の音程ではない。隠された音(響き=性質)
のことであります。

人は意味のほうばかりを理解し、発音を大事にしません。
占いが何をなすかを忘れ道具としての機能や意味ばかりを理解するからこそ、裏に
隠れている秘味的(また造語を作ったw)な捉え方は消えて力を失ってしまうのです(謎)
677考える名無しさん:2015/01/03(土) 14:39:58.86 0
何これ
悟りに近づいてんの?
678考える名無しさん:2015/01/03(土) 15:18:35.49 0
丸の内線の線路の片方の上で終電の後 
物干し竿もって綱渡りの練習してんじゃないの  
679考える名無しさん:2015/01/03(土) 22:51:10.24 0
>>677
うんことまんこどっちがいいですか?
680考える名無しさん:2015/01/04(日) 08:42:37.18 0
不器用なおちんちんですから
681考える名無しさん:2015/01/04(日) 16:32:48.59 0
うんこがぶりぶりです
682考える名無しさん:2015/01/05(月) 22:10:36.31 0
僕と結婚してください。
683考える名無しさん:2015/01/05(月) 23:10:57.12 0
うん、子と結婚してください。
684考える名無しさん:2015/01/06(火) 07:06:12.57 0
フランス系埼玉人みのさん
685考える名無しさん:2015/01/06(火) 18:42:01.66 0
おかあさん、みんなのところにいれなくてごめんなさい。みんなが大変な時に独りでいてごめんなさい。
みんなが一生懸命生きているのに、自分だけだなんて言ってごめんなさい。
世界の終わりに立ち会えなくてごめんなさい。僕は今も一人です。
686考える名無しさん:2015/01/06(火) 19:40:04.44 0
おかさん、おっぱい、みんなのところてん、うんち
687:2015/01/07(水) 15:52:50.14 0
みんなのところてんうんち打法をうつのじゃよ。

しのちゃんは永久に不滅です^_^
688:2015/01/07(水) 20:50:05.64 0
君って君って、泣いたりしないんだ
ねえ、思い出してごらんよう〜
689考える名無しさん:2015/01/08(木) 03:04:42.46 0
しのちゃんくさい、風呂はいってないの?
690考える名無しさん:2015/01/08(木) 06:41:21.70 0
しのちゃんきもい
691:2015/01/08(木) 06:56:56.19 0
縦の糸はあなた〜〜
横の糸はあたし〜〜
織りなす糸はいつか誰かをあたためうるかもしれない〜〜
692:2015/01/08(木) 21:11:12.70 0
男は図に乗りやすいからな。ちょっと煽てたりするとすぐに調子にのる。
本当はしのちゃんを褒めたいんだけど、図に乗らせたくないからなんじゃろ?
しのちゃんが一番なら一番と言えばええんじゃよ。

まあ、何はともあれ谷崎潤一郎の春琴抄を読み直しているが、女が男に折檻するってどうよ?
693考える名無しさん:2015/01/10(土) 05:40:35.67 0
しのちゃんに障られるぞ。
694考える名無しさん:2015/01/10(土) 06:08:32.18 0
695考える名無しさん:2015/01/11(日) 00:24:37.84 0
しのちゃんには愛がたりない、故に歪む。
何の意思も示せずに自然に愛が生まれる人なら愛は満ちているが、
しのちゃん風の愛で世界が愛に満ちるような相性をもった環境やら人がいない
それが問題なのである。
696:2015/01/11(日) 00:47:15.52 0
人間は道に出ると何にもしなくても結婚して子供ができる。
それがないということは、道に出ていないからである。
道に出るという事は、精神が全体と交わった状態で生きていることをいう。
そこから出てしまった人間は、どんなに多くの関係性があって友人がいても孤独である。
孤立無縁である。人間は、それ、つまりは道に出ていないことを恐れる人間と恐れない人間に分かれる。
それを恐れる人間は道に出られる。それを恐れない人間は人間の対幻想に無知である。
全体から離れた人間にも女はできる。悟りは道。悟りはたぶんに、そこから出ることではなく
入ることである。道に出ること。それ即ち悟り。出家は悟りか?いや、悟りではないと思う。
697:2015/01/11(日) 00:58:00.03 0
補足

全体から離れた人間にも女はできる。しかし、それは道が女と繋がっていたから。
運良くと言ったところか?道に出ると、全員が自分を取り巻き、誰かがみんなに言う。
みんなで夜に森に行こうと。みんなで夜に森に出て、みんなで星を見る。
それは道にでた結果であり、そこにいなかった道に出られない人間にも感覚が及ぶ。
そうして誰かが妊娠する。
698:2015/01/11(日) 21:55:22.95 0
どこにいたの生きてきたの 遠い空の下 ふたつの物語 縦の糸はあなた 横の糸はわたし
699考える名無しさん:2015/01/12(月) 00:12:04.11 0
700考える名無しさん:2015/01/12(月) 04:14:57.52 0
愛は生まれるもので作るものじゃないよ。
701考える名無しさん:2015/01/12(月) 21:55:58.91 0
自由とは孤独なんだよ。
702考える名無しさん:2015/01/13(火) 02:22:22.04 0
自由とは愛だね
703:2015/01/13(火) 06:03:58.32 0
女の足をみると色欲が湧く高野聖。フロントによると、女の足は陰部の付け根から生えているので、自分のペニスが女の陰部に到達していることを連想させるとか何とか。

お悟りとは、是即ち女との関係性のことである。女と自分と欲望と。

それにしても女のいない男というものはみんな根性ひん曲がってるように思う。子供のいる男は一応寛容であるが、女子供のいない男は嫌なやつが多い。
今の時代てのは女が男を選別してるから、女の選定から漏れた男は捻くれ者になりやすい。酷い場合には犯罪者にもなる
704考える名無しさん:2015/01/13(火) 06:07:49.73 0
訂正.フロント→フロイト
705考える名無しさん:2015/01/13(火) 06:44:47.95 0
フロントによると、それは間違いだ。
706考える名無しさん:2015/01/13(火) 07:18:22.60 0
何が間違いなものか
707考える名無しさん:2015/01/13(火) 08:53:43.34 0
708考える名無しさん:2015/01/13(火) 13:05:09.15 0
>>706
あなたの存在が間違い。
709:2015/01/14(水) 00:52:24.84 0
女の心にヅカヅカ入れるような男ではないんですよ。
サイババの勝手なんですよ。

女の心に簡単に踏み込むには、余裕がなければできない。精神的に女より勝っていることを悟って、初めて女の中に入ることができる。
それは、慣れと女との精神的な結びつきがあってできること。つまり可能なのか、不可能なのかによる。

男にとって、その目の前の女が可能なのか不可能なのか。それが問題なのだ。可能であればわかるし、不可能なのであれば、フワフワして心許ない。

可能であれば女も許すし、もう超越論的に可能なのだよ。とにかくわかるんだよ。それがなかなか叶わない。
710考える名無しさん:2015/01/14(水) 04:31:31.17 0
サイババはここじゃないよ。
711考える名無しさん:2015/01/14(水) 09:58:25.73 0
答えを知らぬ君にできるのは、ただ明けてゆく青空に問いかけること
712Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/14(水) 19:01:39.85 0
意味は普遍的で、声は個別的だ。声は自由であり、意味は自由がより少ない。
だが、ここで自由といった時の、その帰属主体は、評価者であり、行使者でもある、
人間という一つのモデルである。主体はもともと自由であるからだ。
自由の少ない意味というものは、主体を超えるレベルのもので、その内部においては
不自由なのだが、声(ヒト)にとってみれば、無限に、繋がるものとして、ヒトを超える。
まとめれば、ヒトの声は、意味により(無限にまでも)繋がるものだ。声(音)についた
色が、どのように使われるかという点に、創造がある。自由と創造は、仲がいいから、
仲の悪い不自由と隷属に常に脅かされる。だが、正しくないものが正しいものを
駆逐するとは思えない。
ヒトとして現実を乗り越えたいという気持ちを翻訳すると、このような文になる。
713:2015/01/14(水) 21:18:51.93 0
こんな糸がなんになるの 心許なくてふるえてた嵐の中 縦の糸はあなた 横の糸はわたし

自分にとって大事である物事は急にやってくる。それは、わからなくて踏みつけてしまうかもしれない。あるいは、気づかずに通り過ぎてしまうかもしれない。

しかし、それは自分を理解して、愛を持って生きていればわかること。それがわからないのなら、それは自分を大事にしていないか、しっかりと自分と向き合って生きていないか?

ここから先は地獄。人間は約3回の一大事が訪れる。しかし、それを失い続けると、先ず目を失い。光を失う。
そうして、この世を盲目のまま彷徨い続けることになる。

餓鬼界、食べ物はある。それを食べ続けても満たされない。目の前にある食べ物はうまくない。量はあるが満たされない。

地獄界、愛がない。愛がない故に精神が苦痛を受ける。そして、愛がないために暴力を起こし、肉体的に苦痛を伴う。
714考える名無しさん:2015/01/15(木) 02:28:15.66 0
715考える名無しさん:2015/01/15(木) 14:58:08.99 0
あきちゃんは鬼
716考える名無しさん:2015/01/16(金) 04:29:32.83 0
理屈に支配されると常に最善を目指すことになる、
最善では法則に支配され法則の限界など突破できない。
理屈は法則の中で法則に縛られる術でしかない。

おまえが述べている説明はお前にとってお利口すぎる。立ち向かう鉄板は核兵器でも
人の言う全能の神ですら打ち破れない。

理解するな、感じろ。神は心の中にいる。
717考える名無しさん:2015/01/16(金) 04:39:49.60 0
英雄となる勇者は諦めが悪い。その内鳴る鼓動は爆発に近い。
諦めが悪いのは、誰よりも劣っているからである。凡人並みの平凡な
能力があれば諦めもする。
718考える名無しさん:2015/01/16(金) 06:11:19.18 0
719:2015/01/16(金) 06:24:07.48 0
しのちゃんは気強そうな女が大好きなんじゃよ。勝気女マニアみたいなものじゃ。ようちゃんに折檻されながらも我慢しながら生きたい
720考える名無しさん:2015/01/16(金) 14:03:08.29 0
しのちゃんはロリコン
721Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/16(金) 16:36:35.35 0
ロリコンチャート1位なんじゃよ。
722考える名無しさん:2015/01/17(土) 00:44:03.57 0
世界は動いている。その動いている世界の中に私はいる。しかし、また同時に私のいないところで世界は動いている。世界は、私抜きで進んでいるように私は思う。私の側にいる人間で私は世界と繋がっているわけだが、私は私の知りたいところまで人との縁を持たない。
私の知る少数の人間たちの先で起こっていることを私は知りたい。しかして、それは今のところ不可能である。縁が切れ切れになっている。

私は若い頃、とはいっても10〜15年前ではあるが、人ではなく智で世界への解答を求めた。それは、今にして思えば間違いであった。若い頃、どこまでも遠くの縁を辿ることは、やはり、どうあってもできなかっただろう。

たぶんに、私が至るべき道は女にあったと私は思う。
723考える名無しさん:2015/01/17(土) 02:56:19.21 0
でも、若い時がないと、老いた時は生じなかった
それだけは認めるしかないのでは?
若い時は若い時のことをやればいいのだと思う
724考える名無しさん:2015/01/17(土) 04:19:15.62 0
若い頃の選択はしばしば間違うことがある。
歳を取っても選択を間違うことはあるが、若い頃の馬鹿さは言葉では言い表せない。

躊躇いとかわからないことへの恐怖とか。
725考える名無しさん:2015/01/17(土) 04:43:20.20 0
>>724
>躊躇いとかわからないことへの恐怖とか。

それらの感情は歳を取るとありがたい何かに変容したり、機能をもってるんじゃない?

老人が若い時の自分を卑下するのは、世界に生かされている人類が世界を卑下することに似ている

生かされている、の中に過去の自分も含まれていると私は思う
726考える名無しさん:2015/01/17(土) 05:21:39.76 0
>>725
もっと具体的に言わなきゃわからんよ。
相手に伝わるように
727考える名無しさん:2015/01/17(土) 08:40:59.58 0
具体的に相手に分かるように言ってしまうと、内容が浅薄であることが露見してしまうだろ。
だから曖昧模糊な表現で誤魔化してるんだが?
意味不明っぽく語っとけば、攻撃を躱せるから自尊心が傷つかないしな。
なんせ、偏差値の低い文学部哲学科だから、そういう姑息な手段でプライドを守るしかないわけだ。
728考える名無しさん:2015/01/17(土) 09:06:13.79 0
そういうことを言ってるんじゃないんじゃよ。
はよ、寄こせ言うとるんや
729:2015/01/17(土) 15:52:48.72 0
人類がはやく滅びますように
730考える名無しさん:2015/01/18(日) 05:39:14.23 0
具体性とか、抽象的に理解してくれる人にはいいかもしれんが、
明晰かつ神経質な人には言葉尻に突っ込みを入れるだけのネタにすぎない。
比喩はそのものをずばりさすわけではないのに、自分に理解できないから
比喩が悪いとか具体例がだめとかその場で長文がかけない3行厨房の特徴である。

具体性といっても一言で言えばすむことでも、その一言に共感できなければまったく意味がない。
曖昧が嫌いなら自分で具体的な例や比喩で確認すればいいのに、説明側に
求めそれを批難する態度は人格に問題があるというべき。
伝える努力なんてものの要求は、野次を飛ばす悪意と同じではないか?
731:2015/01/18(日) 06:09:23.77 0
女というもののコミュニケーションを意味のないもの、たわいのないもの、劣化したものと捉える自称哲学者ほど、滑稽なものはない。

女のコミュニケーションは裏言葉であって、彼女たちは、そういうコミュニケーションの方がうまくいくから喋っているだけで、論理的で意味のある表言葉を話すことに否を唱えているだけのことである。

裏言葉を喋るのは、裏の世界に我々はいるということを暗に示している。それは、我々にとって捉えられる世界の限界に達している。論理的に話さない。裏言葉のなかに飛び込めないことの口実に女は劣っているとかは言わない方がいいな
732考える名無しさん:2015/01/18(日) 11:12:08.55 0
曖昧な魔法より物理的な法則
斬新な言葉より合理的な戦略
(デカルト)
733:2015/01/18(日) 12:34:29.57 0
しのちゃんは長いこと狂気と向き合ってきたんじゃ。
女は狂気を嫌う。しのちゃんは狂気ではない、ごく無害なしのちゃんだと女に伝えようと試みてきたが、女は狂気自体が怖いのではない。狂気が自分たちの産んだ子をさらってしまうことに恐怖しとったんじゃ。

文学は、狂気、性愛、死は人間の影の部分であり、普段はみんなこれらを遠ざけているが、ふとしたキッカケで、これらは立ち現れるような普遍的要素として言っている。しのちゃんもそれは確かなことだと思う。

普段女がキモいとか嫌だとか言うと、それは裏言葉の象徴として、得体が知れないものと私は別々だと真言している姿だとしのちゃんは受け取っている。現にしのちゃんのような暗い人間に決別することは臭いものにフタをする的な発想なのだから。

しのちゃんは複雑で精巧にできた一つの一形態なのだ。そんななかで底深く仄暗いところにいる私の心は狂気をもたらす。深く暗い穴のなかで独りで死んでいくことへの恐怖を抱きながら
734123:2015/01/18(日) 17:29:33.86 0
禅の十牛図の問題点。
その最後の図には問題となる。
それは一般人に帰った図であるが。
試案では、競馬とか競牛で優勝した図になるべきである。
それでもって、金が儲かりて、成功者となる、という図で完結することになる。
735考える名無しさん:2015/01/18(日) 18:41:04.73 ID:HEpvVPFN0
キモオヤジとして男同士の痴情のもつれからくる『衆道仇討ち』に特化するタイプとなったのだった
736:2015/01/19(月) 07:19:25.26 0
しのちゃんは永久に不滅です( ゚д゚)
737考える名無しさん:2015/01/19(月) 11:47:36.98 0
>>732
戦略と戦術を勘違いしてないか?
738考える名無しさん:2015/01/20(火) 04:40:38.62 0
戦略とは知識のことである。
739:2015/01/20(火) 05:56:05.78 0
みのちゃんはわかるんじゃよ。人の裏言葉が
740考える名無しさん:2015/01/20(火) 07:07:34.22 0
741妄想は1日30分まで:2015/01/20(火) 09:47:35.38 0
俺のポエムに微笑め、時めけ、話はそれからだ。
未来へと続く力は必ずそこにある、世界は俺を中心に回っている、
俺とはお前のことだ。
すべてを受け入れすべてを未来へ、それが未来への鍵だ。
742考える名無しさん:2015/01/20(火) 09:48:58.69 0
鍵って臭くない?それは嗅ぎ
せめて香りにしようよ、

ならば顔で理屈を響かせろ。
743Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/20(火) 12:31:06.33 0
>>741
最近不可能なことはしないほうがいいっていうことを考えているんです。
そうすると、余計な不安がなくなって、考えるべき方向が見えるっていうか。
ポエムは不可能なことバンバン妄想するべきだって言えるのかもしれない
けど、最近はポエムにしたって変なことは書くべきじゃないって思う。
どこを選ぶかっていう話かなって。未来っていうのは、選べるのか選べない
のか、たぶん程度的な問題だろうけど、やっぱり過去よりは未来です。
問題になることは。過去は変えようがないけど未来はとても希望に近い。
俺を中心に回っているということも、それは不可能じゃないことなんだと思います。
あまり気分が良くないことになってきた場合は、その悩んでいることは、本当に
自分にとって可能なことで悩んでいるのか、と考えなおすんです。
それが考える時のコツかな、と。
たとえば、「光が明るくて気持ちがいい」っていうフレーズは、「光が暗くて
気持ちが悪い」っていうフレーズと付きあわせてみた時、見える未来も
違うし、自分が見ている方向も違うというわけで。例えば他人と会った時、
「お前は人殺しの悪人に違いない」って思ったら、まともな関係は結べない。
人のことは、人間の思考において、重要なパートであって。「俺は空が飛べる、
だからお前という悪人を倒すことだってできるから、失礼なことをするな」
とか思い出したら、もう悪人変人まっしぐら。それは誰にとっても望まれる
状態ではない。誇大妄想は、決して報われることがない。誇大妄想
ではない妄想(村上春樹の「非現実的な夢想家」とか)は、大事だと
思うけど。妄想という形で表れる、悪魔どもは、嘘を吹聴するけど、
それに屈しないためには、不可能と知っているはずのことに執着
することから生まれるんだと知ることだ、と。結局のところ悪魔は、
人間を損ない、嘘の人生を吹聴する存在ですから、自分も人も、本当に
考えるべきことは、不可能の世界へ引きずり込もうとする悪魔の世界
へNOをしっかりと持つことだと思います。しっかりと自分を持つことが、
不可能を可能と欺瞞するという悪魔にとらわれないことが。たとえば
科学技術において、研究を進める時だって、必要なのは可能なことを
推論することであって、道筋を悟ることだと思います。
744考える名無しさん:2015/01/20(火) 23:36:32.59 0
745考える名無しさん:2015/01/21(水) 06:12:03.27 0
>>743
それは博打ではない、死ねば助かるのに
勝負の段階で有利な条件を選ぶのではなく勝負の前に有利な条件を整える、
これが正しい選択です。前もって整える有利な条件とはその時点では
愚かな行為にしか見えないもの。
より選択肢を増やす自由は迷いを生じる、1歩進むとは可能性への布石、
それはその時点での合理性は低いか非合理的なのは明らかである。
未来を選ぶとは常にリスクとの交換であり、常に最小のリスクで歩けば
自由な選択ではなく場に合う合理性にすぎない、典型的な負け込んだ思考が
陥る仕組みにすぎない。だが圧倒的な有利な立場での選択ならお利巧が正しい。
それは有利という立場を消費減じての正しさであり、減った後は終わる。
有利は永遠ではない。
747:2015/01/21(水) 07:22:10.19 0
じゃじゃ丸 ピッコロ ポロリ
748Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/21(水) 11:23:57.59 0
>>745
死は避けがたく一度の経験として必来する。そんな絶対に対し、いかなる行動を
取ることで満足して死を迎えることとなるか、つまり死からどんなことをあたえられるのか、
ということが、選べることかな。死に対する態度ですね。常に死を己と同一化し、
死を同一化するゆえに、全ての勝負に対し、一番深い行動をとるし、行動の範囲は
勝負の前にもう決まっているというギャンブルもある、研究の重要性と、
少ない情報からでも本質をつかめるということ、それが天才の証である。

>>746
天才マジシャンフーディーニは、仕込みとして、パーティーの
あいだじゅう二時間くらい、脇の下にビールの入ったジョッキを隠したままで、
パーティーを過ごしていたそうです。それくらい、周到な準備をすることで、
マジックが可能になる。合理的には見えないことが壁を超えるという、
「天才」の天才性がすべての人を驚かす、奇跡的瞬間、それが再現
されるようにと、本などが書かれる。つまりそいういった、「人気のある」
や「憧れる」といった、こと、感覚で捉えられたポエムの魔術、「有利」によって
縛られた人は助からず勝負に負けてしまうということ、「敵を知り己を知る」
という行為が、真に発想の天才性を生む、ということかな。今おもしろい漫画として、
さだやす 著『王様達のヴァイキング』があります。犯罪というものは、面白い
です。
749Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/21(水) 11:36:03.01 0
>>746
死という不合理なものに対してでさえ、「YES」といえること、死にたいし、満足できる
こと、またそこから逆照射した「生」を、生きる意味が変わってくるということ、
生と死の対立を除き、あくまで合理的である「生」の、矛盾が許されない
(不可能が可能にはならない)という特質に対し、「死」の、矛盾しか無い
(不可能しか可能ではない)という特性からさかのぼって、まだ誕生していない状態
を掴み、矛盾をも受け入れること、「心頭滅却すれば火もまた涼し」ということ、
それを実現することが、悟りであり、安心であろう、と思いました。
750考える名無しさん:2015/01/21(水) 12:59:32.15 0
>>748
死とは情報の死とか可能性の死とか、
751:2015/01/21(水) 21:41:53.77 0
反省したら負けですよ。
752:2015/01/22(木) 03:53:33.99 0
反省したら負けなんですよ。
753考える名無しさん:2015/01/22(木) 04:24:16.97 0
十分考えたら外に出よう
今の環境の中にいつづけてもどん詰まりだ
754:2015/01/22(木) 04:37:22.97 0
外に出たって何もないじゃん。不毛だよ。
どれだけ外に出て彷徨い続けたか?

今までの人生、反省したら負けですよ。自分の目の前にある山は、自分の言い訳や失敗によって集積した山ですから
それを登って降りないことには明日はない。登るしかないんですよ。40になろうと、50になろうと。何もないところを。
755考える名無しさん:2015/01/22(木) 15:15:36.10 0
ボンバー!!ファイヤー
756:2015/01/22(木) 20:24:06.92 0
女が男をおびき寄せて誘惑していって、最後の最後で寸止め‼︎これこそ最強の奥義。
男を袋小路に閉じ込めることができる。

男の最強奥義は、女の耳もとで、君に僕の子供を産んで欲しいと言い続ける。そうすると、どうなるか?女は、そのための準備を始める。
あらゆるサイクルをその男に精子を出させるために時間を合わせ始める。
男は嘘でもこの奥義を使うと、いつのまにか、その女の術中に嵌ることになる?
757考える名無しさん:2015/01/23(金) 04:41:54.37 0
758考える名無しさん:2015/01/24(土) 07:47:29.77 0
しのちゃんは永久に不滅です
759考える名無しさん:2015/01/24(土) 15:19:37.12 0
760「隠者」LV6.12:2015/01/24(土) 20:05:45.34 0
>>749 absalomさんへ
度々、貴方の詩に魅入っていました。

死と言う闇は恐れたら恐れただけ自らを弱くすると思います。
闇に光を灯すエネルギーは即ち「智慧」
自らの力で論理的に考える事が出来なければ、世界は恐ろしいものです。

自分は無力だと思い、何も考える事が出来なくなります。

「人間は考える葦である」という命題が真であれば
「考えない葦は只の葦である」これもまた真であると僕は考えます。

そして「只の葦」は回りの葦と同様に風に流されて、
弱い己の存在価値に絶望します。
結果、強者を怨恨にて貶めようとするらしいです。
これを「ルサンチンマン」というらしいです。

宗教だけではありません。
既存の科学、既存の社会、既存の学問
それら全てにおいてそれに言えることです。
自ら考えて闇を照らすことが出来ない人物は闇に酷く脅えます。

「権威」や「常識」に踊らされてはなりません。
闇の中でも光を灯しながら、
自らの意思で踊らなくてはなりません。
それが御釈迦様の遺言「自燈明・法燈明」
というものだと僕は思います。
761Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/24(土) 22:25:36.99 0
>>760
隠者さん

「光と闇」は、生と死、神と人間、矛盾と可能などの、二項対立の内で、
一番無機質な現実だと思います。それにしたがって、智慧→思考という
ベクトルを、与えるための環境としても、働くことになると思います。
光と闇の中に住まう人間には、命が照らされる環境として、人間の
「思考」、神の「智慧」を、結びつける、論理の条件を、作るものだと
思います。例えば、「ありがとう」と云う言葉には、実行された「思考」
として人の心を変え、規範として存在する「智慧」として他者に対して
良い記憶になり、しまいには、善良なこころを育てる働きがある、と思います。

光と闇には、おっしゃるように、恐怖心、エネルギー、思考、などが、寄りかかってきます。
「愛」の抱擁にしても、それはいずれかの中で行われるのです。だから、おっしゃるように、
死や闇、生や光、を考え、受け入れる際には、きっと「自らの意思で踊る」という、
喜びが基本となる、ということが言えると思います。光を感じ、作り、操る、
これらの行為でしか、闇は払うことができず、まとわりついてきます。
それをいちどきに追い払ってしまう光というものが、いかに人間にとって幸で
あるか。無上の喜びを与えられるものであり、仏のような存在によって、
根本的であり身近なゆえに、言及したり反省したりするのを気をそらされて
しまうようであり、気づくということが考えられる際にも、一番
とっかかりのいい対象である、と思います。
762「隠者」LV6.12:2015/01/24(土) 23:33:20.27 0
うん、僕は貴方が>>743で書いた様に
変なポエムを書くべきでは無いと綴ったときに、
諦めの様なものを感じそうになりましたが、貴方の答えは「NO」でした。

そう、絶望とは「不可能」と言い換えても良いのかもしれません。
もし、そうであれば、希望とは逆に「可能性」で有る筈です。

「不可能」であると感じた瞬間に人はレールにはめられ「踊らされている」ことになります。

しかしながら「自由に踊っていいよ」
と言われると、人はどういう風に踊っていいか悩みます。
踊り方が解らないと人は自由に踊れないのです。

僕は2500年前から、自由を求めれば不自由になり、不自由を憎めば自由を求める…
そんな両極端をひたすら繰り返している様に感じます。

一言で言うと調和が取れていない。
というコト

目先の利益を求めれば他方に傾き過ぎる。
それが人類の性なのかもしれないと感じています。

中道を保ち調和を取るにはどうするべきだと貴方はおもいますか?
763Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/25(日) 00:27:12.71 0
>>762
>中道を保ち調和を取るにはどうするべきだと貴方はおもいますか?

調和をとることの、スリルを楽しむことでしょう。もちろんのこと、利益などは
自戒せねばなりません(節度を持つことの重要さを知るべきです)。そして、
利益にとらわれないことへと自らを高めることができた場合も、自由さ
を達成することがまた、簡単ではない。調和のとれた気持ちよさ、三半規管
のように、自らをバランスする感覚を司るのが、「美」的感覚だと、思います。
自らに反することは、する理由がありませんから、美しさは「真・善・美」と
言われるように、良い価値観を作り上げると考えます。良い価値観を持つことは、
中道を行うことに、迷いそうになっても、直してくれます。色んな道に対して、
迷ってしまった場合が、中道を取れない原因でしょう。

もちろん、生きていく場合に常に美しさを求めるわけではなく、生きる上で現実的な
要求が、色々と山積しますが、そのことについては、対策の方法は難しいです。

結局、どう生きたいかと考えて、自由の中で探るわけですが、保証のない状態
を続けることは、疲弊をよび、中道をとる余裕もなくしてしまいます。学問ができる
くらいの余裕があれば、それも解決されるのですが。

こういった社会の構成は、個人ではなく、社会の一員として考えた場合、
その不平等さから、バランスをとるような価値観を、現実によって、歪めて
しまうでしょう。そういう条件が、利益のめくらましとして、人同士の
関係を歪める理由になると思います。争い、蒙昧、それらを調停する
ことが、平和と安心をもたらす調和のこころとなるのではないでしょうか。
凸凹に歪んでいるという状態が、美ではないということ、非美について、
各論を突き詰めること、貧しくとも、「考える」という事を原理とした
場合、希望が見えると思います。
764考える名無しさん:2015/01/25(日) 03:29:51.03 0
765「隠者」LV6.12:2015/01/25(日) 14:53:40.08 0
>>763
「美的」感覚ってなるほどいい表現ですね。黄金比率みたいなものですね。

お釈迦様も仰っていました。

弦は緊張させ過ぎると、切れてしまいますし、緩め過ぎてもいい音が出ません。
中道に締めないといい音は出ません。

苦しいから欲望を貪るのか、
欲望を貪るから苦しいのか?
余裕が無いから中道を保てないのか
中道を保てないから余裕がなくなるのか?
人類は考えることを忘れてしまったのかもしれませんね。

貴方の様に偏りの無い美しいポエムを書ける人こそが、
世界の調和を取る為のモノサシや音叉の役割を担えるのかも知れません。

と、ふと思いました。

またコメントさせてもらいますね
766:2015/01/25(日) 21:56:07.48 0
767:2015/01/25(日) 22:14:35.20 0
神道の神の名前である神名は、大きく3つの部分に分けられる。例えばアメノウズメノミコトの場合

「アメ」ノ
「ウズメ」ノ
「ミコト」
となる。

この他に、その神の神得を賛える様々な文言が付けられることがある。
例えば、通常「ニニギ」と呼ばれる神の正式な神名は「アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギノミコト」である。

神名は、1.の部分を省略して呼ぶことがある。また、民俗学・神話学など学術的な場面では神号(3.の部分)を略すことが多い。

「アメ」ノ(神の属性)
1.はその神の属性を示すものであるとの説がある。最も多い「アメ」「アマ」(天)は天津神であること、
または天・高天原に関係のあることを示すとの説もあるが、「天之冬衣神」など明らかに国津神であるにも
かかわらず「アメノ〜」と冠される神名もあるので成立しない説である。「クニ」(国)は国津神を表すこともある
が、多くは天を表す「アメ」のつく神と対になって地面もしくは国に関係のあることを示す。「
ヨモツ〜」(黄泉)は黄泉の国の神であることを示す。「ホ」(穂)は稲穂に関係のあることを示すとの説もある。この部分が神名にない神も多い。

http://m.youtube.com/watch?v=350gRmTiDdc#
768考える名無しさん:2015/01/26(月) 06:40:33.88 0
769Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/26(月) 13:19:44.98 0
個人の口が塞がれるのは、死によって、人が永久に再生しないということがあり、
どうせ死ぬのだから、その個人を尊重する理由はない、ということを根拠と
するからではないでしょうか。永遠の存在はないのであり、破れてしまうということ。
では、そうした死によって、人間は無力な存在であり、対抗する考えを
打ち出せない、と考えていいのでしょうか。
それは違います。
人間は死ぬというとき、個人が死ぬという事を考えてはならないのです。無我と
言われるように、死ぬのは個人ではないのです。意識が個人を作る以上の、
物質としての私というものを、もっとよく考えるべきです。人間の、働きかけ
ということを考える時、縁起によって、意志をこえた影響を、及ぼしています。
それは、意識によって方向性をつけるのとは、また違った価値観であり、
可能性です。そのような法は、気づきにくくは有ります。死を振り返った時
にだけ、死を掴み、乗り越えようとする時、解脱の方法を考えるのです。

意識現象、理解という現象、これらが、人間の自由です。自由な個人にとって、
自らの行く末を知ろうというなら、法を観察するべきなのです。無我により、
個人の死はないということ、死んだ後も死ぬ前も、世界が存在することを、
「認めた時」、その認知は、安らぎをもたらすでしょう。死によって安らぐのと
同じ安らぎを、生きている時に味わうことができたら、生と死には、境目など
存在するでしょうか。すべての人が安らかに、穏やかに、欲を制して、
高い存在へと解消される時、その人は仏としての自分を手に入れるでしょう。

死の無力に対抗する考えとは、個人の到達点なのです。それを知ったならば、
全ての人間は、闘う意味をなくすでしょう。個人の欲を、対立原理から解消
する。認めることの力は、そういった解脱ももたらすし、欲を制することは、
仏のなすべきことである、ということ。生の間の欲と、欲のない死(仏)との
境がないこと。欲原理ではないこと。知ることの愉楽を得ること。
それらが大事だと思うのです。
770:2015/01/26(月) 20:58:50.37 0
空の空なる恍惚万歳だ。この愉快な人生にプロジットしよう。(梶井基次郎「ある崖上の感情」より

もうほとほと疲れたよ。
771Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/26(月) 21:25:52.97 0
取り越し苦労に殺される人間も多いと思われます。認知の方法として、ある「現在」
において、考えをすべて出し切って、自分なりの世界を定立し、保持し、楽しむこと
が、知の時間的戦術の一例です。戦略的には、色んな未来を考えることも
出来るのですが、戦術は失われた場合、命がないということです。現在
に全ての認知を注ぎ込むこと。そうすれば、虚しいとか、わからなくて困るとか
いうことは無いのです。
772:2015/01/26(月) 22:33:29.02 0
>現在にすべての認知を注ぎ込むこと

いうは安いが難しいことですよ。私は常々、自分に限界を感じてます。
例えば、すべてのことを丁寧にやる。例えば、相手のことを極限まで考える。
これらは、社会人としてみんなやっていることですが、それが行き渡らないことがあります。
人間の認知は限界があるのです。知識も同じです。そもそも初めから僕は劣等生でした。
人生の選択も下手です。20代の頃、僕はそれを認めてこなかった。しかし、僕はやはり劣等生です。
バイタリティーがあるのであれば、労働も不本意にではなく、自由にできるのに。
かなり限界を感じてますよ。そこに私の今ある叡智を注ぎ込んでも同じです。恥を凌いでいいますが、、
773悪魔がささやく:2015/01/26(月) 23:01:12.34 0
未来は急いでもやってこない。待っているだけでもやってこない。
だから過去に縛られ目を閉じ耳を塞ぎ限界だから先には進まないと結論づける。
君は言う「それは夢だよ」、夢が叶う事はない。なぜなら正しい論理ではないからだ。妄想だ!
奇跡は起きない、なぜなら貴方の心に神や精霊がいないから、魂がないから。そんなオカルトなど嫌いだ?

絶対に超えられない壁や限界を知って諦めるのは貴方、そして諦めないのも
貴方だ。「地の利過ぎても」、天の時があり、人の和がある、
超えては行けない壁は、馬鹿を受け入れお利口を捨てさることで踏み込める、
馬鹿こそ鍵であり、無意味こそ手段である。決して諦めない未来への布石、希望こそ、
奇跡の仕組みそのものと思う。でも奇跡は起きないよね?なら
耳を塞ぎ目を閉じ、口も閉じたら?
774Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/26(月) 23:03:46.26 0
>>772
社会で、生きていくということに疲れ、自らも劣等感を拭えない。

そうですね、死ぬことが出来るということは、生きているからです。
死を可能性として持っている。

コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』という本に書いてあるのですが、
ヘミングウェイの『死者の自然史』に「大部分の人間は、人間らしくなく、
動物のように死ぬ」とあるそうです。ヘミングウェイは「失われた世代」の
作家だったそうですが、それに関連して「実存主義」Wikipediaに、

人を置き去りにした近代思想の惨禍を目の当たりにして、個人を哲学的考察の対象に
しようという機運が盛り上がり、神の死(「神は死んだ」)を宣言し、能動的なニヒリズム
(運命愛) の思想を展開したニーチェを、神を否定する実存主義の系譜の先駆者として、
1930年代、ドイツのマルティン・ハイデッガーやカール・ヤスパースらによって「実存」の
導入が図られ、こうした考え方は第二次世界大戦後、世界的に広がりをみせることに
なった。

とあります。また、ヘミングウェイは、【「失うことのできぬものを見つけるべきだ」と言い
しかし、それは皆無だ、ということが著作の中で主題として証明されてしまいます。
だから人生は無価値だ、というのではなく、逆に人生こそ唯一の価値であり、
無価値なのは観念にほかならぬ】(『アウトサイダー』より)、と、これは希望を言った
のでしょう。

西洋においても神が否定されるようになっていった。そして、人生をみなが、主題と
して、映画などがよく撮られていますね。観念が無価値であると言うなら、イデアがない
ということ。それを、個人として、証明すべき主題にまで、考え詰めたのが、小説家
ヘミングウェイです。

そのような道もある、ということを、とりあえずお話したかったのです。知識のお守りが
ありますように。
775:2015/01/26(月) 23:34:16.86 0
お二方共面白いですね。いや、失礼。おまえらなかなかいい事言うな。なかなか思慮深く聡明ですよ。

ヘミングウェイは「陽はまた昇る」「誰がために鐘は鳴る」くらいしか読んだことありませんが(本当に僕は本嫌い小説嫌いなのです。それでも無理に読みましたけど)
人間が立ち返るべきものを切実に描いてきた作家だと記憶しています。僕は実存主義者なのかな?
本質主義者なのかも。「変化しない確信部分が現実に先立つ」ですか。ですが、実存主義者でもあるかなあ?
うーんどうだろう。

観念が無価値だとは思いませんが、僕はもっと容量が欲しいのです。ただ僕自身は僕を評価してますよ。だけど、実存主義かなあ?本質はあるけど実存主義かも

上の方がいいたいこともわかります。物分かりいいて面白くないですよね。限界は越えた方がいいでしょう。それがまた人間はできますし。
うーんでも僕は
776考える名無しさん:2015/01/26(月) 23:58:57.74 0
時は流れ行くもの、万物は流転するもの
1つは全で、全は1つである。
777考える名無しさん:2015/01/27(火) 01:02:38.18 0
そもそも矛盾はしてますが、それでもいい大人なのです。歳を取ると我慢がきかなくなります。
楽をしたりズルくなります。僕もそうです。僕はないですが、嫉妬したり、人を蹴落としたり、我が出てくる人もたくさんいます。
ちょっとしたことで対立したり、人を嫌ったり、派閥ができたり、何故嫌われてるのかどれだけ考えてもわからないけど嫌われることもあります。
そういうのとても煩わしいし、社会常識や規範や制裁で、それらを束ねていくのは無理があります。
そういったものを笑い飛ばしていけるだけの器用さもありません。器もないのかな。そういったものからは逃亡します。

まあ、別に適応してないということはないですが、不器用は不器用です。
最近思うのは女性は、不器用な男をあまり好まないです。これは真理です。
不器用な男を好む女がいるというのは物語の創作された世界なのです。女は社会をうまく渡れる男をパートナーとして選びます。
これは紛れも無い事実です。ああなんか疲れるな。僕は僕です。やはり実存主義かな。僕は浄土や楽園に行けるのかな?
いいや、イケっこない。そういった受皿が日本にはない。なんか宗教にはめらそうな発想ですね
778考える名無しさん:2015/01/27(火) 01:14:04.04 0
779:2015/01/27(火) 05:34:22.68 0
随分色々書いてわけわかんなくなりました。
何書いてるかもよくわかりません。
酔っていたのです。果実酒飲み過ぎです。

女性は、不器用な男も器用な男も好みますが、昔と違ってやはり器用な男を選んでいるように思います。
僕は思いますよ。女性は今、男性を選別していると。
女性は時代時代で男を選別していきます。より生き残りやすい遺伝子を選んでいきます。
今の時代、こういった社会構造になってますから、女性はうまく世の中を渡っていけるだけのバイタリティーを持った男を選んでいるように思う。
そうでない男はどう見られているかというと切り捨てです。馬鹿にしている風潮にある。
昔は女性の見方は違ったんじゃないかな。大らかでかわいい人間的な男性を好んだように思います。
今は狡猾な人間が好まれる。ゲームに強い男性です。凄味のある、豪快な、軽やかな。そんな感じです。

これは悲観して言ってるのではなく、そうあるなと思って書いているのです。女性はそういう男を選んだのです。
そういう遺伝子の方が人脈もつくりやすい。孤独な男を好むというような風潮にはない。軽快に人と人とのシーソーゲームを勝っていけるような傾向のある男性が
いいのです。子供は確実にそれを引き継ぎます。そうすると世の中で生き残りやすい人間に育つ。そこまで女性は考えて動いていると思う。

ただ、別にそういう思惑があっても男は、それを上回ればいいわけですから。上回れば女性もそれに迎合しますよ。孤独であっても付いていくわけです。
孤独な男は多いですから、それを上回らなければいけない。女もそれを望んでいる。
上回れよ。そう思っているのも女性です。とにかく社会は、食う食われるの関係性の色彩を帯びている。

僕の親父は団塊の世代で考え方は羊です。ソフトレフトな考え方です。僕は親父を尊敬していますが、時代には逆行している。そういう風に育てられた僕もやはり羊です。
僕は本来は右よりの星ですよ。20代の時左に向いて失敗しました。まあ、これは親父のせいではない。
女性は逆行っていて、それに逆らってました。逆らったのは良かったけど左に行きながら人間から離れるべきではなかった。人間の連環のなかにいて違うぞって女に伝えるべきだった

そういうわけで失敗したのです。人間に固執すべきだったし、それができたかもしれない。もうここら辺でわけわからないですね。
780考える名無しさん:2015/01/27(火) 06:59:22.41 0
んー
781考える名無しさん:2015/01/27(火) 07:39:40.40 0
>>779はね、主観ですよ。だから一概には正解ではないのかもしれない。しかし、まったく意味のないものでもない。女性はゲームに強い以前に誠実さを求めます。
それは普遍的です。ただ不器用で人間的な男はもてない。器用でゲームに強い男はもてる。
そっちを選ぶという意味です。誠実さは、子供が生まれてちゃらんぽらんだと困りますから、いいかげんだと嫌われます。誠実に自分も子供も愛してくれるのが大前提なのです。
完璧であっても問題ない。容姿端麗、完璧な女は男に嫌われますが。女は男に人間的な部分を残しておいてもらいたい。
それだと安心できますし、ただ現代は、それを切り捨てても良い風潮があります。それが良くない

重要なことは人間的な部分ではなくなりつつあります。よくわからなくても付き合ってしまう。まあ、これが怖いところです。

ちょっと理屈ぽすぎるかなあ?
782考える名無しさん:2015/01/27(火) 08:45:23.04 0
783ジェダイへの道。:2015/01/27(火) 09:43:06.93 0
限界が低い人のほうが限界が高い人よりその限界を超えるのは容易なのです。
刹那的に悟り得るもの一瞬です、悟り得たそれを継続し悟りの世界の
働きを使えなければ悟りなどゴミ以下なのです。悟りは超えてはいけない壁の扉でしかないのです。

人の器にしがみついている時点では人の力を超えた働きを得るなど都合がよすぎます。
生きたまま死ぬこと、それが扉であります。
扉の向こう側は人間個人の世界ではないのです。人の力の限界は扉までで、こちら側のみ
働くのです。人の域を超える働きは個(1つ)であります、その扉の向こう側の働きとは全です、
つまり環境、場、和、世界そのものです。
たとえ過去の罪、過去の汚点であっても世界そのものがそれを否定すれば
個の罪は世界によって否定され消失し未来が変わるのです。個の個へ対する努力やこの力は不要なのです。
世界を感じ個を殺し死ぬことで世界を生かす物になる個の無は、個がという主体は消え、
世界が個を生かす働きが生じるのです。フォースを感じるのだルーク。
ハンドパワー
784ハンドパワー:2015/01/27(火) 09:51:24.85 0
まず曲がりそうなスプーンを1本用意します、スプーンが曲がることを願い祈り念じて、
スプーンが曲がるまで繰り返します。
これで貴方も超能力を持つエスパーだ。

ポイント。硬く太いスプーンはやめたほうがいいです。
なぜなら力を加えても曲がらないからです。wwwwwww

曲がる為の必須条件は、1人でやらないこと、スプーンは誰か他人に用意してもらうこと。
念力を拒否している大勢の人の前で行うこと。

これで貴方は芸能人になれる。wwwwwwwwww
785考える名無しさん:2015/01/27(火) 11:53:46.50 0
オカルトかよ
786考える名無しさん:2015/01/27(火) 16:55:12.32 0
オカルトを否定するやつは形而上学を理解できないか否定しているだけの人。
787考える名無しさん:2015/01/27(火) 22:58:23.92 0
微分積分もできない文学部風情がw
788考える名無しさん:2015/01/28(水) 06:30:58.79 0
いまどき微分積分出来ないやつとかいないだろ。おまえぐらいじゃね?
789:2015/01/28(水) 07:19:27.86 0
おれには毘盧遮那仏がついている
790Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/28(水) 18:44:13.48 0
目的を再設定することを恐れてはならない。過程というものを得るために、色々な
記憶を確かなものとするために、過程にこだわるという、方法はある。だが、脳の
機能のなかで、人間に自由となることは、目的を設定するという機能だけである。
蕩尽の戦争、暴力という過程の禁止、そういった、実感のある体感というものがある。
だが、過程というものは、全てある個人にとってのものであり、分かちあったり
共有したりすることはできない。だから、人とともに生きるなら、目標をたてなければ
ならない。そのために、人生の時間を使うことは避けられない。悟りとは、死という
ゴールを、いかに目的として受け入れられるか、ということである。合理的な死。
そして、そこから逆算された、間違いのない生を生きること。完全に納得された
生、すべてが、間違いがないという確信、それに従った安心。北極星のように、
希望の星に、導かれよう。指標を使うことが、脳を使うことだ。そのような過程を
経なければ、人は納得することができない。納得するために、経験の一つを、
掴んだ人間にとって、悟りは唯一の価値となるだろう。幸なる人たちよ、共に結ばれ
てあろうではないか。
791「隠者」LV7.00:2015/01/28(水) 23:59:49.81 0
>>790Absalomさん。
うん、もし何らかの「目的」があり、
その為に勉学に努めようと思うのならば、
それは「手段」だね。

だけど、その「手段」により
社会構造的な地位を手にすることが
保証されるようになってしまったら、

いつしか「手段」だった筈の勉学が
「目的」に変わってしまう。
折角培った筈の「知性」は、
欲望を満たす為の「道具的知性」
に変わってしまうよ。
知性が増えれば増える程「道具」として知性を見、
故に自滅する運命に人類はあると思う。

「北極星」は羅針盤のようなものだ。
なのに、光の世界の住民からすると、
沢山の星の一つにしか過ぎない。

だからこそ、「無明」を理解できる人間が
今こそ必要だと、僕は想う。
792「隠者」LV7.00:2015/01/29(木) 00:28:57.47 0
>>790
少しハードルを上げてでも面白い話をしたいと思います
僕は自称「便宜的覚者」であり、「現代哲学者」
であると、下記のスレで敢えて宣言していました。
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1422212334/

僕は以前より何度も「御釈迦様は本当に凄い!!」
と感嘆の念を何度もこぼしてきていました。
で、先日の議論の中で、【我想う、故に我あり】
という近代哲学の父・デカルトさんの言葉を引用しました。

デカルトさんは、精神と物体が異なる概念であることに気づき
【物心二元論】という考えを打ち立てました。
唯物論⇒世界とは物体で成り立っているとする説。
観念論⇒世界とは精神で成り立っているとする説。
…これ等は近代哲学に大きな宿題を遺しました。

が、実は…「哲学者」としての御釈迦様について考えてみると、
御釈迦様はこの時点ですでに【物心二元論】の壁を乗り越えて
ずーっと先に足跡を残してしまっていたのです。

しかし、だからと言ってこれはデカルトさんが
御釈迦様に知性で劣っているという事を意味していたわけではなく、
デカルトさんにも色々と「オトナの事情」があったのだと察します。
哲学を哲学史として読み解くのもまた違った面白さです。
神の存在証明↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AE%E5%AD%98%E5%9C%A8%E8%A8%BC%E6%98%8E

仮に僕がデカルトさんの立場だったら僕も
このように哲学してしまうかもしれません。
そう思うと…「哲学」とはとんだ茶番劇だとは思いませんか?
793:2015/01/29(木) 07:25:31.90 0
「悟り」はない。世の中は男がいて女がいるだけ。

豊饒の海-第4巻〜天人五衰〜三島由紀夫
794Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/29(木) 10:45:29.61 0
隠者さん

人間は、生物は、基本的に、喜びを感じることが出来るように作られているのに、
何故か、苦しいことが、それを圧倒してしまうと思います。清浄ということが、
自然の性質であるというふうに思えますので、神はどこまでも、清浄なもの
である、という風に、思えるのは、自然な考えではないでしょうか。人間の、
物質的属性を見れば、老い、病、など、苦しいことが有ります。それが、
喜びを圧倒してしまい、精神的にまいってしまうということが、あると思います。
子供の頃には、苦しみはなかった、だが、苦しみに開眼することは、
真実へと近づくために、通らなければならない道筋で。つまり、体を鍛え、
食料を蓄え、人が敵であるという状態を何らかの方法で、わかち合いの
方法で破り捨てる、そのようにし、子供の頃の楽しさを発展させることを、
目的として、持つこと、そのように生きることを、課題として持つことに、
希望を掲げることを、してみたいな、とふと思います。目的設定とは、
いきあたりばったりという方法と、親和性が、むしろ高いのではないかと
考えます。頑固であってはならない。硬直した状態に身を置くことはダメだ。
そして、目的を自由に設定するという、問題解決へむけた、無明のなかの、
星として、苦しみ故に喜びの深い、人間というものが、否定しあわないで、
共に、良い関係を結んで、錯誤の蔑みや、辱めることが、起きないような、
世の中、を、静かさの中で、現実としてつくり上げること、そんな理想的
目標を、ともに力を合わせ、正しいもの、価値あるものを提唱しあう、
真実である「概念」と「生きること」を一致させるようなことを目的にし、
自分と人を区別しないために無我を、我欲の抑制として、明らかに見ること、
そのようなための知性だと思うのです。

やたらと締りのない文章になってしまいました。一過程として、眺めて
もらえれば、幸です。お釈迦様の考えは、あまりに難しく、眺めるだけで
理解が難しいところが多くあって、お釈迦様のこころまで理解することは、
全く出来ておりませんが、僕自身の希望として、信仰しています。
795考える名無しさん:2015/01/29(木) 11:23:57.73 0
偏差値低い文学部の文章はだいたいがまとまりなくだらし無く長い。
頭の中をそのままだだ漏れさせてるイメージ。
医学部・工学部・法学部あたりの秀才は、頭の中で1000考えて、練った後に論理構成して外部表現する能力があるから、簡潔明瞭な文章なんだけどね。
796考える名無しさん:2015/01/29(木) 17:49:57.88 0
恐ろるるが故に膨大な考察という安定剤を射ち続ける人達、
それは未だに病の下にある衝動、悟ればその習慣も捨てられる。
797考える名無しさん:2015/01/29(木) 17:58:18.02 0
経済学のエリートは全員偏差値が低く、経済学のノーベル賞をもらったその人も
偏差値が低く>>795が言うように誰にも読めないような長い文章ばかりつくる。

雇い社長や上司となったエリートは命令するときに「やれ」の一言でそれ以上を命令しない。
798Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/29(木) 18:16:02.02 0
自分のことが大事だ

他人は、すべて自分の感覚に投影された影にすぎない。
どんな命令も、俺の感覚を通して受け取られる。

だから私というものは、すべての根源であり、裏切りや騙しに対して対処する
以外のこと、例えば命令、悪態といったものは、私のフィルターを通って
喚いている戯言にしか過ぎない。

すべての他人の、命令というものは、無責任な戯言でしか無い。

そういう過程を経ることにより、全てのまちがいが自分に対しての
難詰する、声の調子や、表情に対しても、勝利や敗北といったものは、
原理的に存在しない。

すべての世界は自分に属するものだから。

そういう過程を経てこそ、真実へ近づくことが出来るのではないか、と考える。

天上天下唯我独尊

だが、思考は自らにとって自由ではないではないか。泣きそうになる。あまりに
不器用な、自由に対して。縛られて、操られる私の思考、思考というものを、
自由にすること。それが達成されるべき、個人の魂の、修行であるのだ。
799考える名無しさん:2015/01/29(木) 20:10:10.48 0
個々に真の答えがあるのか
共通に真の答えがあるのか
800考える名無しさん:2015/01/29(木) 20:24:11.44 0
>>795
確かに、長文は頭悪いかもしれんね。
書いてて、脳に浮かんでいくこと書き過ぎてしまう。
だからと言ってツイッターみたいな短文だと、言いたいことが中途半端になってしまう。
なので、最近は中文を心掛けている。
801考える名無しさん:2015/01/29(木) 20:47:44.07 0
那么以后用中文来讲吧!
开始!
802考える名無しさん:2015/01/30(金) 01:37:17.46 0
何も無いなら真実を知ろうとする意義も無い、
何も無い事と真実が在るとすることはそもそも両立しないのである。
「真実」とは固有の思考で誂えた拠所として必要性を与えた都合のよい幻想。
私にとってそれを真実とすることで私は生きてられるからそれを真実とするのである。

これは人が故にするもののようだ、釈迦は「楽」に越したことはないと説いた、
思考の遊戯、なら結構じゃないか。 思考の肥満、重いと感じたら即座に捨ててみよう。
人による人のための提案、その究極は単に「楽」にあれに集約されるだけのものである。
803:2015/01/30(金) 07:23:14.20 0
おれって人間のクズ一歩手前かもしらん
804考える名無しさん:2015/01/30(金) 11:39:55.50 0
>>800
中文も頭がわるい、だからこんなところでウンコ発言をしている、バカそのもの。
頭がいいと哲学などやらないぐらい気が付くべき。
805123:2015/01/30(金) 11:40:14.47 0
寂滅為楽である。
806考える名無しさん:2015/01/30(金) 11:58:04.80 0
哲学は何かを「解決」するために神妙に赴くものではない、
ましてや、心のザワつきに対する火消しに扱い始めたらそれは病気である。

哲学とは嗜むもの、まるで古人が俳句や和歌に耽って優雅に楽しんだように、
想像力で乙な定義を切り出し描いてみるだけの遊戯なのである。
807考える名無しさん:2015/01/30(金) 12:03:08.39 0
少なくとも、受験競争に敗れた偏差値底辺の文学部が就職できない腹いせに自分をごまかすためにやるものではないね。
立派に社会的に成功を収めた政治家・経営者・医者・弁護士・官僚が、優雅に嗜む知性の営みだ。
808考える名無しさん:2015/01/30(金) 12:14:19.56 0
科学ではなくそのような会話を豊かにする道具的な「嗜好品」に
真理や本質を求める。

哲学バカにはなりたくないモノだ。
809考える名無しさん:2015/01/30(金) 12:45:28.93 0
モルモン教徒よりはマシですよ
810考える名無しさん:2015/01/30(金) 12:58:23.72 0
戦後の日本が獲得したものって非情さなんですよ。
ISが広島、長崎の原爆を持ち出してもアメリカと事を起こそうなんて馬鹿はいないでしょう。

これが本当の「悟り」

忘却です。
811考える名無しさん:2015/01/30(金) 12:59:29.77 0
平和への近道なんです。
812考える名無しさん:2015/01/30(金) 13:08:43.96 0
アメリカはラマ教に赤っ恥かかされただけだろw
813考える名無しさん:2015/01/30(金) 13:09:40.76 0
近道はNATOへの空爆じゃないのか 

                      豚ジェンヌ 
814考える名無しさん:2015/01/30(金) 14:46:18.82 0
モルモン教はただのキリスト教の1系統だし
815考える名無しさん:2015/01/30(金) 15:29:38.54 0
SSと宗教は別系統です その脆弱性を酒の肴にされた塩 
816考える名無しさん:2015/01/30(金) 15:31:43.97 0
モモルン教でも同じこと
817考える名無しさん:2015/01/30(金) 15:35:24.50 0
モルト/malt は 何の原料ですか 
818「隠者」LV7.14:2015/01/30(金) 18:04:09.11 0
>>798Absalomさんへ
>思考は自らにとって自由ではないではないか。泣きそうになる。あまりに
不器用な、自由に対して。縛られて、操られる私の思考、思考というものを、
自由にすること。

近代哲学の父デカルトさんは
このように言いました。

「我想う、故に我あり」

そりゃそうだろう…と

しかし、こんなに自明である言葉が
「何故ここまで有名になっているのか?」
と疑問に思える人はそんなに多くは無い。

「我想う、故に我あり」
この言葉は深い
…メタ哲学と言っても良いかも知れない。

天才はこの命題に踊らされる
賢者はこの命題を利用し楽しく踊る事が出来る。

しかし、少なくとも貴方は
自ら楽しく踊る事が出来る人種であると
僕は勝手に想像をしています。


学者になる学問は容易なるも
無学になる学問は困難なり
- 勝海舟 -
819考える名無しさん:2015/01/30(金) 18:50:50.64 0
別に「命題」ではないだろ
820Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/30(金) 19:25:04.43 0
>>818隠者さん
天才とは何も学ばずとも、自分によって行動するもの、賢者とは、万巻の書を読み、
深い自己洞察によって、あらゆる知識を知って、自己へ、また哲学、思想へ
還元するもの、みたいなイメージが有ります。スーパーファミコンの『ファイナルファン
タジー5』でいえば、「全てを知るもの」みたいな感じです。

天才は踊らされて、やがてそれを制御する方法を知るだろうけど、賢者は、
「悟り」によってこの命題を「利用し」楽しく踊ることが出来る、ということでしょうか。

あまり根拠のある意見ではありませんが、全てを発想するものが天才で、
全てを使う能力があるのが賢者、みたいに思います。能力は、それこそ
ゲームの中にさえ、短く正しく表されています。

年を取ればみんな賢者らしくなるのでしょうが、真の賢者、「全てを知るもの」
になりたいです。

天才が、悲劇を避けられ無いのに対し(自死したりとか)、賢者は自らを知り、
楽しく踊ることができる、ということかなあと。

目標にも詳しく、目標を知る者、生きることにも詳しく、生きる方法を知る者。
賢者は謙虚である。なぜなら、「知っている」から。
天才は生まれつきですが、賢者は誰にも優しい、良い人、智慧のある、人だって。

知識とは言葉や観察により身につき、それから個人の中で知恵になる。
日本で言えば、「文人」ですね、勝海舟が言っていたのは。琴棋書画。
僕は、富岡鉄斎が好きです。
821「隠者」LV7.14:2015/01/30(金) 20:03:02.07 0
>>820
>賢者は謙虚である。

その感覚があるのであれば貴方は賢者かもしれません。
ただし僕は少し違う見解を持っています。

果たして何故、「賢者」は謙虚なのだろうか?
それは、本来「物事」は知れば知るほど馬鹿になるものであるものだからです。

仮に宇宙は「∞無限大」に近いくらい広く
宇宙に生じる事象は「∞無限大」に近い位の可能性があるとするのであれば。
僕や貴方の知っている知識は「≒0」です。

それに気づいてしまったら、もうすでに「賢者」だと思います。

しかし「天才」はこの事を示しても気づくことが出来ません。
何故ならば、智に対する何らかの報酬が与えられるからです。

両者生きる為に智慧を得るという事は共通しますが、
「天才」と「賢者」の違いは
「目的」と「手段」の関係に
似ていると僕は感じます。

如何、お感じになりますか?
ご意見を頂けたら有難く思います。
822Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/01/30(金) 21:15:48.79 0
>>821
天才は、バカでも有りますから、目的を見失いがちである、と言えるかもしれません。
自らの能力に対し、「目覚めているかどうか」という点が、仏教的、あるいは
宗教的には判断の基準になるでしょう。目覚めるということが、なんであるかということは、
書にあたることもできますが、自分で考え、知ることに、意味があるのですね。

「知れば知るほど馬鹿になる」というのは、自らというものを見失い、ただ能力で
考えるということだけに集中してしまうでしょう。だから、自分というものを揺るがせない
確信によって、身の程を知るという事を考える人が、賢者であるということでしょうか。

僕はあまり大したことを言える、言えたという認識はありませんが。

一番重要なことだと思ったのが、智への報酬とおっしゃったことです。報酬なき
ところにこそ、真実を得られる方向へ行ける、ということでしょうか。あなたの
お考えの中でも、報酬に縛られないということを実践すると、そういった意見に
なるような気がします。そのとき、目的と手段も、間違えでないような自覚(目覚め
の一種ですね)があるべきだと。近視眼的になってはいけません。千里眼が
欲しい。

良い概念とはどんな特徴があるのでしょう。
823考える名無しさん:2015/01/30(金) 21:52:38.12 0
本日21:30、山手線田町駅で哲学系の雑談にふける学生二人に降車際「それはどうかな(ガタッ」と言い残して去った眼鏡をかけたハイデガー似の中年男性を探しています。多分大学の哲学科の教授だと思います。誰か心当たりのある方いませんか?
824:2015/01/30(金) 21:58:08.47 0
突然だが、田中麗奈は高橋一生と付き合ってたのか?
何だよそれ
825「隠者」LV7.14:2015/01/30(金) 22:13:44.17 0
>>822
「報酬」と一言にいっても色々な「報酬」があります。

まず「お金」が思いつくでしょう。
次に「賞賛」
また「名誉」
或は「愛情」
かもしれません。

しかしそれを与えるものは何でしょうか?
会社? 上司? 世間? 家族?

これ等をまとめた便利な言葉があります。
「社会」です。または「コミュニティー」かもしれません。

自らの価値観を承認するのは「アンパンマン」
または価値観を否定するのは「バイキンマン」
と言っても良いかもしれません。

誰でも「自分の事が大切だ」と思うでしょう。
では、
「良い概念」とは
自分にとって「良い概念」でしょうか?
自分の属する社会にとっての「良い概念」でしょうか?
逆に「悪い概念」とは
貴方にとって何に当ると思いますか?

アンパンマンは絶対的に「善」でしょうか?
バイキンマンは絶対的に「悪」でしょうか?
826考える名無しさん:2015/01/30(金) 23:05:55.16 0
>アンパンマンは絶対的に「善」でしょうか?
そのとおり、善とは人が決めた正義にすぎない。
>バイキンマンは絶対的に「悪」でしょうか?
善然り、悪もまた同じ。

すべては一定の集団主体が成す絶対にすぎない。

どんなに具体的に示しても、それが具体的にはなりえない。
なぜか?具体的を示すには世界を無視した完全定義が必要になるからである。
人が知覚できる普遍や無限などあるわけがない。
すべてはまやかしである。
827考える名無しさん:2015/01/31(土) 00:21:41.51 0
信号の青を見て、いやあれは青ではないもしれない、実はみんなが青と言ってるのは
まやかしで本当は赤なのかもしれない、と捉えて停止したままの自分を保ってるのが
果たして魂に報いる生き方だろうかねぇ。
上下左右は本当に上下左右か?←この手の疑問符はほどほどにね、
でないと生まれる本願叶ってようやくこの世に降りて来たのに時間の無駄だから。
828:2015/01/31(土) 04:36:46.13 0
懐疑論か。女が良いって言ってるようにみえるなあ。でも良くないかなあ。良いかなあ。どうだろうなあ。

絶対駄目。無理。良いと思ってるのは自分であるかそうでないか?問題はそれだけ。ということか。
829考える名無しさん:2015/01/31(土) 06:02:54.71 0
>>827
一票
830考える名無しさん:2015/01/31(土) 06:48:42.08 0
>>827
人間として生きているからそんなことも考えられるのだよ

魂に報いる生き方ってなにかね??
831:2015/01/31(土) 06:57:44.86 0
しのちゃんは永久に不滅ゆうことやな
832考える名無しさん:2015/01/31(土) 08:25:10.40 0
永久不滅ポイントゆうことですよ
833考える名無しさん:2015/01/31(土) 14:03:24.27 0
>>827
で?
834考える名無しさん:2015/01/31(土) 15:17:37.13 0
>>827
まあ、そういうような穿った考え方を確信犯で
免罪符にしてるやつは確かにちらほらおるけどね。
そうなってくるともはや哲学云々は関係なく、
単純に言い訳の構築に熱心なやつとなるわな。
835「隠者」LV7.22:2015/01/31(土) 16:07:04.26 0
>>834
うん、実は本当の哲学と言うものをしてきた人は
人類史上ほとんどいない。

近代哲学の父と言われるデカルトさんは、
まさに偉大なる哲学者であった。
「茶番劇」の種を蒔いて、後は後世に任せようとしたのかもしれない。

近代哲学の子供達で、真面目な天才達は
見事に父の蒔いた「茶番劇」に踊らされていた。

近代哲学の子供達で、不真面目な賢者達は
父の遺した茶番劇を利用して、
自ら楽しく踊っていたのだと僕には見える。
( ´Д`)y━・~~
836考える名無しさん:2015/01/31(土) 21:08:42.09 0
そう思いたいなら(ry
837考える名無しさん:2015/01/31(土) 21:36:48.88 0
デカルトの方法序説読んだけど、とんでもない本だなこれ

静脈から入った血液が心臓熱で沸騰して膨張とか、心臓に精神があるとか、脳に心臓が精神液送り込んでるとか滅茶苦茶w

まさに、思いて学ばざれば即ち危うしの好例

もうね、馬鹿かと
ト本学会に推薦しとくわ
838考える名無しさん:2015/01/31(土) 21:41:11.02 0
スレ違い
839「隠者」LV7.14:2015/01/31(土) 22:23:17.60 0
>>826さんへ
>具体的を示すには世界を無視した完全定義が必要になるからである。
>人が知覚できる普遍や無限などあるわけがない。
>すべてはまやかしである。

では、何故「正義」は「悪」を憎むのでしょうか?
勧善懲悪は「正義」のみにより行使されるものなのでしょうか?
更にお聞きします。
最近話題のISISは「正義」でしょうか?「悪」でしょうか?

お応えになったその理由もお願いいたします。


>>827さんへ
>上下左右は本当に上下左右か?

左右の争いは「茶番」だと思いますが、
上下の争いは「妬み・辛み」VS「驕り・蔑み」だと感じます。

もしこれを詭弁だと思われるのであれば、
股の下から頭を覗かせて、逆さまの世界をご覧ください。
840「隠者」LV7.25:2015/01/31(土) 22:30:04.35 0
>>837さんへ
>デカルトの方法序説読んだけど、とんでもない本だなこれ。

では何故とんでも無い本だとと思われたのでしょうか?
もし仮に僕がデカルトさんの立場だったとしたら、
恐らく同じような本を書くと思いますよ。

貴方は「我想う、故に我あり」の真意を
ご理解される自信はありますか?
841考える名無しさん:2015/01/31(土) 22:40:29.34 0
デカルト方法序説の要約

疑う余地のないことは何か(なんだよ)
思考する我は存在している(それで?)
神も存在している(なんでだよw)
神は我を合理的に思考させる筈(おいおい)
よって、我が根拠に基づき合理的にたどり着く結論は正しい。(なにその中坊理論w)

頭で考えるのではなく、実験が大切だ(そりゃそうだな)
人体構造も実物見ずに語る学者ばかりで科学性がない(じゃデカルトやってみ?)

人体解剖してみたら、静脈から入った血液が心臓熱で沸騰して膨張した。(うそつけw)
解剖してみたら心臓に精神があった(どこに確実な根拠が?)
解剖してみたらに心臓が精神液送り込んでいた(お前実際は見てないだろw)
842考える名無しさん:2015/01/31(土) 22:41:20.72 0
>では、何故「正義」は「悪」を憎むのでしょうか?
憎んでなんてない、器の小さい貴方がそういう結論に達しただけ。
慈愛をお勧めする。

>勧善懲悪は「正義」のみにより行使されるものなのでしょうか?
どうしてこんな発言ができるか、貴方の業の成す考えにすぎない。

>最近話題のISISは「正義」でしょうか?「悪」でしょうか?
頭わるいの?その手の文献をたくさん読んできてから出直したほうがいい。
843考える名無しさん:2015/01/31(土) 22:45:35.47 0
>貴方は「我想う、故に我あり」の真意を
>ご理解される自信はありますか?
ミスリードしているのに自分で気が付かないのか?
844考える名無しさん:2015/01/31(土) 22:45:41.81 0
まあ実際、デカルト方法序説読んで見りゃ分かるけど、とんでもない駄文だよなこれ
言ってること(空理空論は駄目で実験すべし)ことと、やってること(人体構造を実際にみたら心臓は灼熱の鉄のように高温だった、血液蒸発してたとか嘘言いまくり)が180度違う。
スコラ学説は、実態見ないから駄目とか言っときながら、デカルトも何にも実態見てないことがバレバレ。
嘘つきは朝鮮人の始まりだろ。
845考える名無しさん:2015/01/31(土) 22:51:06.34 0
方法序説は、理屈立てて考えようよということを無意味に連呼してるわりには、話があっちいったりこっちいったり整理されてないんだよな。
論理的な文章になってない。
小学生の文章かよとか思うレベル

当時の神学と比べりゃまだマシなんだろうが酷い文章だわ。

特に、神存在ワープして、後は「俺が合理的に納得したら、それは正しい。なぜなら神は俺をそのように作ったから。」とか、もうね、馬鹿かとw
少しは論理的に考えろよこの馬鹿がとか思うわデカルト
846考える名無しさん:2015/01/31(土) 22:54:08.97 0
実験もしないで、証拠もみないで適当なこと書き散らかしたデカルト恥ずかし過ぎるよな

あんだけ方法序説で、実験の重要性や事実確認の重みを説いておきながら、自分が実際にやってみたら、いい加減なんだからなあ
どこき灼熱の高温の鉄のような臓器があるんだよw
見てない癖に見たとかいうなよ
嘘つきデカルトw
847考える名無しさん:2015/01/31(土) 22:59:14.44 0
悟りと関係のない討論はやめろよ。
848考える名無しさん:2015/01/31(土) 23:00:12.40 0
デカルトは実際に解剖実験もしないで、見てきたかのような嘘(心臓は数千度の灼熱温度)を書いてしまって、後世の人間から馬鹿にされているが、同じことは文学部哲学科くんにも言える。
方法序説通読もしてないのに「我思うゆえに我あり」だけ聞きかじって、適当な空理デカルト空論を論じている。
本当に方法序説通読してりゃ(あんな短い論文くらい読めよ文学部w)、デカルトが実際にどんな思考手順でやってるか丸わかりなんだがw
849考える名無しさん:2015/01/31(土) 23:01:38.55 0
>デカルトについての質問
>http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1285809586/l50
こちらでおぬがいすます。
850「隠者」LV7.25:2015/01/31(土) 23:02:44.56 0
>>843-845
近代哲学の父とまで言われたデカルトさんの説に対して

デカルトさんを「馬鹿」だと思う人は「天才」でしょう。
デカルトさんを「賢者」だと思う人は「馬鹿」でしょう。

それくらい「我想う、故に我あり」という言葉は深いのです。

本当の哲学とは、「馬鹿」にしか出来ないモノだと
僕は思います。

この意味を理解できる人は「馬鹿」ですし、
さっぱり理解できない人は「天才」かもしれません。

それこそが「哲学」という物だと僕は思います。
851考える名無しさん:2015/01/31(土) 23:04:35.26 0
>>850
>デカルトさんを「馬鹿」だと思う人は「天才」でしょう。
>デカルトさんを「賢者」だと思う人は「馬鹿」でしょう。
馬鹿と天才は紙一重ぐらい言葉の使い方を理解しておけ。
852「隠者」LV7.25:2015/01/31(土) 23:05:35.91 0
>>849
恐れ入りますが、
そちらのスレには、恐らく「馬鹿」は
存在しないでしょう。

故に僕はそんなに興味がわきません。(´・ω・`)
853「隠者」LV7.25:2015/01/31(土) 23:08:13.38 0
>>847
>悟りと関係のない討論はやめろよ。

いえ、関係大有りです。
僕が恋する御釈迦様の悟りは
「馬鹿」にしか理解できない事であるからです。
854考える名無しさん:2015/01/31(土) 23:10:11.22 0
>>853
>僕が恋する御釈迦様の悟りは
お前の定義する俺解釈の悟りの説明はいらない。
まず猿から人間になろうよ。
855考える名無しさん:2015/01/31(土) 23:13:31.58 0
デカルト方法序説通読もしてない奴がなんかほざいてるなあ

一行(我思うゆえに我あり)しか知らないのかよw
まあ、実際の方法序説の中身はスカスカで論調も滅茶苦茶だけどな。
主に書いてあることは、

「親元離れて研究資金がない、金がない、
既存学者は現実見てない、俺は見てるのに、
発表成果がないのは研究資金ないからだ
俺は悪くない
発表成果ないと穀潰しだと思われる
其れは嫌だからこの論文書いた」

って感じのウダウダ言い訳が5回くらい繰り返された後、例の心臓高温灼熱発見とか馬鹿げた妄想が書いてあるというト本なんだけどね
856考える名無しさん:2015/01/31(土) 23:14:39.64 0
まさに今の文学部哲学科学生と同じじゃないかw
857考える名無しさん:2015/01/31(土) 23:17:19.46 0
方法序説は実際、章立ても滅茶苦茶だし論理展開も穴だらけで酷い散文みたいなもんだよな。
読みもしない文学部君は、知らないんだろうけど

つーか古典くらい読んどけよw
858「隠者」LV7.25:2015/01/31(土) 23:18:20.74 0
>>848
>デカルトは実際に解剖実験もしないで、見てきたかのような嘘(心臓は数千度の灼熱温度)を書いてしまって、
後世の人間から馬鹿にされているが、同じことは文学部哲学科くんにも言える。

えっとね、デカルトさんの当時の視点からしてみたら、
その誤謬が絶対に見抜かれない確証があったのです。

しかし、天才達はまんまと見抜こうとして
踊らされてしまった…という「茶番劇」

多分、この面白さ・滑稽さは天才には絶対に理解できない筈ですよ。

メタのメタで哲学を批判するのが本当の哲学。
もしも、「哲学」を信仰してしまったら「宗教」との違いを
説明することが果たして貴方にはできますか?
859考える名無しさん:2015/01/31(土) 23:22:12.03 0
古典読み通す知的体力が文学部風情にあるわけないだろw
そんな知力ある人間は、医学部・工学部・法学部といった偏差値ハイレベル学部に進学するんだから
860考える名無しさん:2015/01/31(土) 23:30:25.60 0
デカルトはなあ、さんざん
「実験のためには金が必要だから、科学の全部は一人で出来ない。よって限られた発見成果のみ書くから。」
とか言っておきながら、
その限られた成果(自称解剖実験で確かめた間違いないとか言ってる部分)が「心臓高温、血液蒸発気体化」だからな。

見てもない確認もしてないことを、見たとかいいはるか普通?
科学者としての誠実性に欠けるわw
バレないとでも思ってたんだろうな。

デカルトは、「この心臓高温血液蒸発説を否定する奴は、実際に解剖をしてみない愚か者である」とまで言っておる。
実際にはまさにデカルト自身が実際に解剖をしてないのだが、人として恥ずかしいレベル。
861考える名無しさん:2015/01/31(土) 23:32:00.01 0
これだから文学部は医学部に馬鹿にされるのだ。
862考える名無しさん:2015/01/31(土) 23:34:03.57 0
科学助成金の詐欺の先駆者だなデカルト
863「隠者」LV7.25:2015/01/31(土) 23:36:42.44 0
>>860さんへ
>バレないとでも思ってたんだろうな。

うん、絶対にバレないと思っていた筈だと思うよw
むしろそれが「真の哲学者の哲学者たるゆえんw」

だって、論理的に考えて
実際にバレる可能性なんてないんだもん( *´艸`)
864考える名無しさん:2015/01/31(土) 23:36:53.26 0
灼熱心臓はありまーす。

http://www2.memenet.or.jp/kinugawa/hp/image6/02044.jpg
865:2015/01/31(土) 23:44:09.45 0
wikiより

初期仏教から部派仏教あたりまでは、悟るためにさまざまな修行が説かれ実践された。
仏教の悟りは智慧を体としており、凡夫(ぼんぶ)が煩悩(ぼんのう)に左右されて迷いの生存を繰り返し、
輪廻(りんね)を続けているのは、それは何事にも分別(ふんべつ)の心をもってし、
分析的に納得しようとする結果であるとし、輪廻の迷いから智慧の力によって解脱(げだつ)しなければならない、
その方法は事物を如実(にょじつ)に観察(かんざつ)することで実現する。
これが真理を悟ることであり、そこには思考がなく、言葉もない。

この悟りの境地を「涅槃(ねはん)」といい、それは「寂静(じゃくじょう)」
であるとされる。煩悩が制御されているので、とらわれのない心の静けさがあるということである。
パーリ語本の大般涅槃経(大パリニッバーナ経)には、釈迦は沙羅樹林で入滅し涅槃に入ったと説かれている。
また、悟りを求める心を菩提心という。悟りを求める点では部派仏教も大乗仏教も共通であるが、
自分のさとりを追求する部派仏教の場合、声聞(しょうもん)は四諦(したい)・八正道の教えを聞いて修行し、
縁覚(えんがく)は十二因縁を悟ってそれぞれ解脱するとする。
866「隠者」LV7.25:2015/01/31(土) 23:48:32.61 0
>>864
学者になる学問は容易なるも

無学になる学問は困難なり

- 勝海舟 -



天才は馬鹿を騙すが

馬鹿は天才を騙す。

- いんじゃ -
867考える名無しさん:2015/01/31(土) 23:50:22.16 0
>>866
本来の馬鹿は自分を馬鹿と理解している、それでも馬鹿な行為をするのが馬鹿なのな。
だが貴方が言う馬鹿は自分を馬鹿とは思っていないんだろうな。

単なる低能をもって馬鹿とおっしゃる?
868考える名無しさん:2015/01/31(土) 23:52:11.37 0
 
 足の裏に 酢酸カーミン溶液の臭いつけて科学しても

  なんか むなしいとおもいませんか って ・・・・
 
869「隠者」LV7.22:2015/02/01(日) 00:10:40.56 0
>>867
では別の表現をしましょう。


天才は権威に気付くが

賢者は馬鹿に気付く

- 隠者 -
870考える名無しさん:2015/02/01(日) 00:28:48.02 0
>>隠者

悪いが、ちょっと独りよがりの文句だと思うよ。
馬鹿て何を表してるの?連想があまりできない詩文
871「隠者」LV7.22:2015/02/01(日) 00:33:55.08 0
>>870
うーん、ではこれならどうでしょう?


天才はデカルトを馬鹿だと想うが

馬鹿はデカルトを偉人と想う。

- いんじや -
872考える名無しさん:2015/02/01(日) 00:43:25.03 0
>>871
自意識過剰は直したほうがいいぞ。
873「隠者」LV7.22:2015/02/01(日) 00:52:12.49 0
>>872
ではこう考えては如何でしょう?


自意識過剰は馬鹿であるも、

社会的意識過剰者で有るものは天才である


- いんじゃ -
874考える名無しさん:2015/02/01(日) 00:57:11.02 0
隠者でいいんじゃ
875「隠者」LV7.22:2015/02/01(日) 01:16:56.40 0
>>874
うん、そうかもね。
ではこう考えて頂いたらどうだろう?


「愚者」は天才であるも

「隠者」は馬鹿である


- いんじゃ -
876考える名無しさん:2015/02/01(日) 03:01:46.54 0
悟りとは理解するという動詞。
よって、この質問には何を?が抜けてます

もしくは誰の?でもok
キリスト・釈迦どちらでしょうか?
877:2015/02/01(日) 06:40:35.73 0
般若心経に立ち返りますかな。摩訶般若波羅蜜多心経。非常によくできてますな。

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五
蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不
異色色即是空空即是色受想行識亦復如
是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄
不増不減是故空中無色無受想行識無眼
耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至
無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死
亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無
所得故菩提薩捶依般若波羅蜜多故心無
罫礙無罫礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢
想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三貌三菩提故知般若波羅蜜
多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等
呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜
多呪即説呪曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経

能く一切の苦を除きて真実にして虚ならず

この部分なんてとてもいい響きですな。

無について。〜苦集滅道もなく智もなく亦得もなし 所得無きを以っての故に菩提薩捶般若波羅蜜多に依るが故に
心に罫礙無し罫礙無きが故に恐怖あること無し一切顛倒夢想ををんり(遠離)して涅槃を究竟す
878考える名無しさん:2015/02/01(日) 07:41:09.08 0
怖くて見れない人用に動画を四コママンガにした
http://i.imgur.com/tfFlqee.jpg
879「隠者」LV7.22:2015/02/01(日) 08:43:38.58 0
近代哲学の父・デカルトは
ビートたけしに似ている。

ビートたけしは、「たけしの挑戦状」というゲームの難解な糞ゲーの
エンディングで
この様に言いました。

「こんな げーむに まじに なっちゃって どうするの?」
…と

デカルトはやはり近代哲学の父と言われる程の
偉大な存在でした。

このギャクはまさに人類史上最強の哲学であると僕は感じます(爆笑)
880考える名無しさん:2015/02/01(日) 09:38:32.01 0
だめだこりゃ
881考える名無しさん:2015/02/01(日) 09:40:25.79 0
デカルトのデの字にも興味の無いオレには、
そういうファン心理はうっとうしいものでしかないな。
哲学板でバイアス全開な振る舞いをするやつも珍しい。
882123:2015/02/01(日) 11:36:46.70 0
877.
般若心経とは。
無とは。空とは。
それは存在として何もない、ということではない。
すべての存在は存在する。
だが、無であり空であるのは、自己の存在であることになる。
それが悟りであることになる。簡単であるが理解不可能であることになる。
883「隠者」LV7.30:2015/02/01(日) 19:33:19.73 0
>>836-881
デカルトさんについての
反応がもっと欲しかったところなのですが…

恐らく想像されうる、あらゆる回答が
御釈迦様の手の上
…いえ、デカルトさんの手の上に乗っていることを発見するでしょう。

「悟り」とは何か?「解脱」とはなにか?
近日機を見て何処かでお話をしたいと思います。

僕の予言が確かならば、
それは隠者理論の第2段階目
「真の世界平和」に向けての原動力になるでしょう。
(-。-)y-゜゜゜
884:2015/02/01(日) 19:45:58.90 0
まあ、散々般若心経については書いたんだが、書いても誰も理解しない。理解しないというか読まないんだろうな。
一応、解釈はあるんだが、人が編んだ思索など見ない。そりゃそうだよな。だから最近迷ってる。思索など編む意味があるのかと。

仏陀釈迦牟尼もそれを言っていたんだよな。人が編んだ思索は宇宙の塵だ。それがわかるまで時間が掛かった。
編んだものを書く意味を失った時、エポケて言うのかなあ?それを知りたがる人が現れた時、初転法輪という。
885考える名無しさん:2015/02/01(日) 21:19:14.66 0
>>883
合意のルールに基づき武力と恐怖により人を統制する
これは不変的な事
886考える名無しさん:2015/02/02(月) 05:10:18.29 0
>>883
>近日機を見て何処かでお話をしたいと思います。
いえ、結構です。
887「隠者」LV7.30:2015/02/02(月) 05:18:01.04 0
>>886
いえ、総てを白日の元に晒したいと思います。
勿論、真偽は個人が見つめるものですがね。
888:2015/02/02(月) 07:09:38.46 0
おいおめえら、しのちゃんはかわいいと思ってるのか
めちゃくちゃかわいこちゃんだぜ
889:2015/02/02(月) 07:49:56.36 0
般若心経は、

是大神呪是大明呪是無上呪是無等等
呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜
多呪即説呪

般若の智慧は是大神呪なり是大明呪なり是無上呪なり是無等等呪なり能く一切の苦を除きて真実にして虚ならず
とある。人間のなかにある自分を超えるもの、自分を支配しているもの、自分の存在より上位に位置しているもの、それらは心の作り出した残像であり
まやかしであり、神である。般若の智慧は、そういったものから脱却して真に自分になるということ。
即ち呪を説いて曰くぎゃ亭
890123:2015/02/02(月) 09:23:21.89 0
般若心経も結果論しか書いてないことが欠陥となる。
それでは、お題目と同じであることになる。
それは楽だが、人、自己を救えるのか。そこには絶望があるだけである。
891考える名無しさん:2015/02/02(月) 10:48:51.09 0
40 :名前:VIPがお送りします:2011/01/17(月) 23:25:50.53 ID:gDlJs+4S0

AはBである。
AはBではない。
上記の2文のAとBに矛盾や補足説明が極力少なくなるように語句を入れよ。


42 :名前:VIPがお送りします:2011/01/17(月) 23:29:00.07 ID:hTMqgoN70
この文は一行目である
この文は一行目ではない
892考える名無しさん:2015/02/02(月) 11:55:55.50 0
>>887
いえ、結構です。
893Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/02/02(月) 12:43:03.90 0
今日悪夢を見て思ったんだけどさー、仏陀(目覚めたもの)ということは、この世を
夢と見て、それから覚めることが出来るってことじゃないかな。人間の脳の働きの
一種が夢だから、それから覚める能力もあるってことで、だったら現実を夢の
一種とみなして、そこから覚めるはたらきがあるはずだと。比喩にとどまらない
ある種の気づきが、彼岸、意識の向こう、見えていなけど到達できる場所、
それに到れるかどうかだよな。現実意識を相対化出来るものとみなすこと、
フッサールなんかの言っていることと近いかもな。意識って相対化できる
んだよな。

死の苦しみや不安、老の苦しみや不安、病の苦しみや不安、みんな、相対化
しちゃお。つまりそれらが永遠に続いたり、永遠に自己が損なわれるなんて
ことはなくて、意識の向こう側から意識を認識して、身体を超えたいな、と
思った。実際、現実がゆめに思える瞬間なんて、結構びしばしあるものだし、
現実の現実性なんて、大して頼りになるものじゃないと思うんだよ。
超えられぬ現実(社会のルールの源泉)と、超えられる現実(イデア化したくなる
物事)の違いは、あるんじゃないかなあ。あるとしたら、それは、どちらが人間性
の担保、あるいは希望へとつながる【真の現実】か、言う必要もないことだろうよ。
夢は現実に奉仕するものだ。現実は彼岸に奉仕するものだ。仏が不滅だ。
すべての人が集まる涅槃のある彼岸だろ。

「「わざわざ彼岸に渡らなくとも良い」、此岸にいながら、彼岸の智慧を身に付ければ
よいのだと教えています。」(引用元http://www.miyagawa.com/osie/c.html)か。

そして誰もがその全てを手にする。あとは、その全て
に目覚められるかどうかだ。人生にこそ、端緒があって、限定性を生きる
という経験は、人生にしか無い。だから、その人生をどう使うか、という点に、
魂の修行場としての生を、左右するようなことがあるんだろう。生というものは、
あらゆる面において、独特だなあ。しかもそれを超える智慧が考えられる
ということ、それについては、人間の能力の素晴らしさであって、感嘆するよ。
894Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/02/02(月) 12:48:51.23 0
>>893
追記。意識があるにせよ、完全に目覚めているわけじゃないから、眠っている
ところを覚醒させる必要や余地がある。不思議だと思った瞬間(心から、ね)、
那由多とか不可思議と言った数字の物事に、近づけると思う。
895Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/02/02(月) 13:06:45.78 0
誤解の中に可能性があるなあ。誤解は、見解があるからだ。見解は、現実に対し
相対化したものだ。だから、願いを持つことが、彼岸の一様相であり、
叶えられない願いが、次へと渡される。つまり、無念という言葉が、有念という
言葉と対比された時、彼岸と現実のもたらしたものだと考えられ、
無念なことというのは、彼岸で達成されること、という意味だろう。
無念こそ最上。願いを持つことと同じ。祈念すること。そうでなければ、
有限という現実を超えられないからあるのだ。すべてが叶うわけじゃない
から、それゆえに、人はあの世を思ったりする。それでいいんだと思う。
そして、負けないでいることも出来る。死んで無念。(←いいコピーだろ(笑))
896考える名無しさん:2015/02/02(月) 13:38:29.41 0
【ゴルフボールの表面がへこんでいる理由】

ゴルフをしたことがある人は多いのではないでしょうか。あの小さいゴルフボールを
コントロールすることが、あれほど難しいものだとやってみないとわからないものです。
また止まっているボールを打つこともあれほど難しいものだと、やってみたら解るはずです。
ところでゴルフボールの表面は、なぜあのようなへこみがあのでしょうか。それはマグヌス効果と
呼ばれるもので揚力を付けるためなのです。簡単に言えば飛距離を出すためです。
もしもあのへこみがなければ、あのようにゴルフボールは遠くに飛びません。
きっとツルツルのボールだと半分も飛ばないのだと思います。
またあのへこみは、空気抵抗を減らす役割もしています。
ボールが飛んでいる間は空気抵抗がかかるのですが、その空気抵抗をへこみが減らしているのです。
そのおかげでゴルフでは200ヤードも300ヤードもボールを飛ばせるのです。
しかしまっすぐ飛ばすのには技術と練習が必要ですので、ボールに頼るのはやめましょう。


さて、問題です。
うんちくにおいて何か根本的な違いがあるとしたら、
「テーマ」以外に一体何があるでしょうか?
897考える名無しさん:2015/02/02(月) 14:30:19.22 0
>>896
場違いな話題(スレ違い)、長すぎる
の2つぐらいかな(前者はテーマということになるのかな?)
898896:2015/02/02(月) 14:45:20.18 0
>>897
文章の長短、それはひとつ有りますね、他には?
899考える名無しさん:2015/02/02(月) 17:23:45.16 0
>>898
具体的なものは短文ほどいい、だが皆目わからんものを具体的に言えば
まったく伝わらない。言葉の使い方を知らない無知はわかるもの割り切れるもの
理解できるもの教科書に載っているものだけを学ぶ力を信仰するのでそういう
短文を正義とみなす。
900考える名無しさん:2015/02/02(月) 17:46:45.63 0
>>896
需要
901:2015/02/02(月) 19:55:36.95 0
小説書こうかな、こういう書き出しで

気温が低い日が続くと、眠りが深くなる。
掛け布団の上から体の芯へ向かってくる冷気は、朝日が昇っても意識を闇の中に留め、冷たい寒気が意識を遮断し続ける。
こういう日は、当然朝になってもなかなか目覚めない。深い眠りの中、ようやく私の意識が目覚めると、どれだけ闇黒のなかで
深く眠っていたかを思い出し、その闇に恐怖することがよくある。本当に、その時生きていたのかを疑うくらい深く深く闇のなかに潜っていたことに気づくのである。

書き出しを書いても物語が続かない。心が硬化してるのかなあ。中年になると色々なこと空想しなくなる。何かあるんだけど、物語にならないんだよね。
やっぱり女との営みか
902「隠者」LV7.30:2015/02/02(月) 19:59:32.43 0
>>893 Absalomさんへ
那由多・不可思議…
とってもおっきい数を示す言葉ですが、
それを全宇宙の可能性と見立ててみてください。
あまりにも大きくて想像もつかないでしょう?


その次にすっごい小さい数を考えてみてください。

…それこそが「涅槃寂静」だそうです。
僕はどんなに物事を知っても、
ちっぽけな知識なんだなぁと思います…

小学校の頃の校長先生が朝礼でこのように仰っていた事を憶えています。
「君たちがどんなに一生本を読むことだけに人生を費やしても、そこには限りがある」
とね…

だけど、「憶えなさい」と強制され、偏差値に囚われ
恨み 辛み 妬み 嫉み 怒り 憎み…
こうした負の感情を重ねる苦しさと比べると
何ともこの境地が何とも心地よいかどうか…

>>821でも同じことを綴りましたが、
もしかしたらそれを世界に伝える事も僕の一つの生きる目的なのかもしれません。
903:2015/02/02(月) 20:18:11.98 0
仏教の命数法はいにしえの叡智であり、造詣がふかいですな。極小の命数法もとても面白い漢字が並んでますよ


数の単位 (小さい単位)
虚空、清浄は、虚 10-20、空 10-21、 清 10-22、浄 10-23 とするものもある。
単 位 読み方 指 数 備 考
分 ぶ 10-1
厘 りん 10-2
毛 もう 10-3 け。
糸 し 10-4 いと。
忽 こつ 10-5 たちまち。
微 び 10-6 わずかな。
繊 せん 10-7 繊維。
沙 しゃ 10-8 水辺の砂。
塵 じん 10-9 ちり。
埃 あい 10-10 ほこり。
渺 びょう 10-11 かすんでいること。
漠 ばく 10-12 ぼんやりしていること。
模糊 もこ 10-13 あいまいなこと。 「模湖」 とも書く。
逡巡 しゅんじゅん 10-14 決断がつかないこと。
須臾 しゅゆ 10-15 しばらくの間。
瞬息 しゅんそく 10-16 まばたきをし、息をする間。
弾指 だんし 10-17 指の爪の先を親指の腹にあてて、音を立てること。
刹那 せつな 10-18 短い時間。
六徳 りっとく 10-19 知・仁・聖・義・忠・和。または、礼・仁・信・義・勇・知。
虚空 きょくう
(こくう) 10-20 一切が存在する空間。
清浄 せいじょう 10-21 煩悩や悪行が無く、心身が清らかであること。
904Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/02/02(月) 20:24:48.17 0
>>902隠者さん

可能性ですか、そんなことは考えてないなあ。と、いうことで、想像がつかない
という一例を補強してしまいましたよ。ここから、想像へと繋ぐ道を、導線引っ張ってきて、
バチッと頭に流し込みました(笑)。スパークする、まるでビッグバンみたいに。

宇宙の可能性を、太古の人らも、思いながら数字を作ったのかも
しれませんね。ちょうど今は夜、宇宙と地球のある面が光を逃れ、闇の
宇宙が本当の姿を見せる時ですね。子供の頃、『キン肉マン』という漫画で、
プラネットマンという敵との戦いを、ドキドキして読みました。
905Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/02/02(月) 20:32:23.37 0
>>902
隠者さん

すいません、最初の四行を読んだのですが、スクロールせずに、最後までみずに
送ってしまいました。

涅槃寂静=限りない小ささと思うというお考えは、人間存在の意識の【弱い】可能性
について、明らかにされようということかもしれないな、と思いました。知識を憶える
という苦労をなさいましたね。僕もとても記憶はいみねーとか思っていました。
悟りと記憶は関係ないですよね。

>>903
しさん

小さい方は、知らなかったです。眺めて圧倒されますね。
906「隠者」LV7.30:2015/02/02(月) 20:52:22.45 0
>>905
「人間は考える葦である」…と
何処かの哲学者が言いました。
では
「考えない葦は唯の葦」であると言い換えられます。

また別の誰かがこう言いました。
「ルサンチマン」と言いました。
考えられない「葦(植物)」は風にたなびくのみで存在に自信を持てなくなり、世界を憎む。
来世のことばかり考え、現生に絶望し自殺をしてしまう。
そんな人を見かけたら、有難いお経なんて必要はない。
「可能性を持ってこい!可能性を持ってこい!可能性こそが唯一の救いだ!」とね。

そして、お釈迦様もこう言いました。
「現世を生きることのみを考えなさい」
とね。
907Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/02/02(月) 21:23:07.19 0
>>906
美しいですね。きれいなお考えだと思います。ルサンチマンを語ったニーチェの
口ぶりを想像させます。キリストのような美しさ、お釈迦様のような智慧の美しさ。

僕はやっぱり、自分が精一杯になれる事を望んでいます。あまりに弛んだ
外界しか目に映してこなかったので。
恐れを知り、分別を覚え、自覚して、責任を取りたいものだと。
908考える名無しさん:2015/02/02(月) 21:38:03.44 0
0..(21)..1秒後の世界が清浄だそうです。わだかまりのないきれいな世界

0..(20..1秒後の世界が虚空。この時間に世界が生起します。

0..(19)..1秒後の世界が六徳です。この時間に心のなかに六つの徳が表れるのです。

0..(18)..1秒後の世界が刹那。せつないと感じるのが0.000000000000000001秒後だそうです。

0..(14)..1秒後の世界が逡巡。この時間帯に人間の考えか右往左往するそうです。

面白いですね。1秒経つ間もこれだけのことがあると昔の人は考えたのでしょう
909896:2015/02/02(月) 21:42:11.15 0
>>899
ん? で、違いはなんでしょう?

>>900
需要、いいですね、そういった外的要因によって違いも生まれますね。
910考える名無しさん:2015/02/02(月) 22:10:41.38 0
恐怖・武力 (統制力)なき平和とは愚者の奴隷となる事を受け入れて初めて実現する
しかし愚者により直ちに崩壊するため安定しない
911Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/02/02(月) 22:19:08.43 0
間違ったことをしたくないという思いがないところに、仏や悟りは絶対に訪れない。
自らの考えを自らに帰するという態度が生まれないのは、執着があるからである。
それは大きなカルマで、パソコンの『XANADU』というソフトにあったように、
毒を飲んでカルマを減らさねばならない。そうでないと、寺院に入れない。

菩提心をまだ起こしていなくとも、いずれ起こせばいい。そのように考えることが
正しさへと向けた思考を私はするから考えるのである。全くごまかしたりしない。
怒りや憎しみを一時的にごまかしたところで、同じことをまたどこかで繰り返す
だけである。

だから目覚めよというのである。
912考える名無しさん:2015/02/02(月) 22:20:18.77 0
>>896
価値
913123:2015/02/02(月) 23:21:33.69 0
911.
間違ったことをしたくないか。
それは人生の問題であって、それは人生論であることになる。
よって、宗教には縁なき衆生であることになる。
914Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/02/02(月) 23:43:38.85 0
>>913
論理的矛盾に陥っている。宗教には縁がないという判断を行っており、間違い
の意見をあなたの判断で排斥している。すなわちそれは間違いを正す態度だ。
ゆえに、間違ったことをしたくないという価値観をあなたははからずも
認めている、ということだ。
915Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/02/03(火) 00:03:56.98 0
>>913
人生の問題として、生死の局面があるが、例えば自分には妹がいたという記憶があり、
風の目にさらわれてしまっていらい、自分以外の母やその他の人はもともと妹などい
ないよと言っているという、生きていないということと、死んでいるということの違いが
疑問として残っているという問題を取り上げれば、それに対し、あなたは一体どんな
態度をとるのか。(ブライアン・エブンソン『ウィンドアイ』という小説から)

それは、過去には記憶が持たれねば、死んだということを実証するものが
存在しない、ということである。

人生論が宗教とは遠いものだ、とかんがえるとき、自らの出生や、行く末は
どうなってしまうのか。宗教だって、何かに支えられつつ存在しているということ、
だ。
916考える名無しさん:2015/02/03(火) 00:12:56.37 0
917123:2015/02/03(火) 08:36:34.69 0
人生論を否定するために宗教がある。
自己の人生を¬¬
918考える名無しさん:2015/02/03(火) 13:48:02.82 0
行き付けのBARの常連客が転落事故で亡くなった、
そこで私を含む仲のよかった客が集まりそのBARで
ささやかな「お別れ会」を催した、
最期に献杯した時、故人のために注いであった
その人が好きだった酒の入ったグラスが宙に浮いて
180度1回転し、酒がカウンターに散らばった。
バーテンを含むそこに居た全員が目撃した非科学的なこの現象。

何か異空のものがあるのだという確証を得たわけではないが、
生まれて初めて、死によって全てが終わるわけでは
ないのかもしれないという実感を得た。

思考を駆使して意図して何かの仮説に臨むより、ただ生きる中で
不意に訪れる事象から得る体感が齎す認識への影響力の
方が、圧倒的に絶大であると知った今、
「考えすぎる」ということを捨てられた自分がいる。
百聞は一見に如かずとはよくできたことわざである。
私なりに言い換えるなら 「百考も一感に如かず」 でもよい。

考えすぎる人、考えることは生きるための手段を生むことは
あっても、根幹の認識を変えるには至らないことを知ってほしい。
919神は死と生を同時に与える:2015/02/03(火) 14:25:59.62 0
>>915
貴方は力に束縛されず力を使えるように成ったね、でも力というのは使った分だけ
かならず自分に戻ってくる、バランスを取らず必要以上の力を使ったとき、
すぐには反動を受けずとも元の混沌に落ちるだけ。それだけは注意しておけば
いいと思うよ。強い意思を示す場合はコテハンは使わないのをお勧め。
920Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/02/03(火) 18:53:25.37 0
>>919
アドバイスしてくださりありがとうございます。フォースですね。今は落ち着いて、
考えたり感じたりしています。ゆっくりと策を練っています。

新しいことを始めるには、「先ず隗より始めよ」ですね。つまり──僕は
自分からこそ変わりたい、ということです。他人を助けることは、需要が
ない場合もありますし、僕自身の卑劣さが、軽蔑お断りされることも
ありますし、飼い犬の散歩ができることだから、可愛がりたいな、と。
921:2015/02/03(火) 20:56:21.44 0
力と言えば、楽をすることが良いか、楽な姿勢を取らずに常に力んでるのがいいか。力めば力んだだけの反動が精神にも肉体にも来る。
力まず楽をすれば精神は安定を維持し続けられる。仏陀釈迦牟尼はその中間を選んだ。所謂「中道」だ。

中年のおれは楽をし続けている。精神的には安定を維持しているが肉体がぶくぶく肥り始めた。実際仏陀釈迦牟尼は楽な姿勢を取っていたんじゃないかな。

普段の生活での力の配分は難しい
922考える名無しさん:2015/02/03(火) 21:18:54.33 0
あとは、人と人の間に生じる力関係
どちらか一方に偏る力の差は主従の関係をつくる。
それが肉体的暴力にまで発展するとサディストとマゾヒストの関係になる。人と人との間に常につきまとう権力闘争と主従の関係
923考える名無しさん:2015/02/03(火) 23:43:32.35 0
その支配関係の底辺が文学部にしか進学できなかった頭の悪い学生というわけだ
924考える名無しさん:2015/02/03(火) 23:48:18.28 0
文学部じゃねえわ。社会学部だ
925考える名無しさん:2015/02/04(水) 22:46:25.79 0
>>921
力とは何?
926考える名無しさん:2015/02/04(水) 23:13:02.22 0
>>925
運動エネルギー
927:2015/02/05(木) 07:33:52.82 0
しのちゃんがええんならええと言えばいいんじゃよ
928考える名無しさん:2015/02/05(木) 12:59:54.43 0
>>926
じゃ運動しないものはエネルギーじゃないね。たとえば模様は物じゃないから
運動していない。
光の模様は光速を超えて変化する移動にみえても、それは移動じゃないからな。
929「隠者」LV7.80:2015/02/05(木) 16:44:34.02 0
>>883にて僕はとある予言をしましたが、
先日とあるスレにて遂行をしました。

>「悟り」とは何か?「解脱」とはなにか?
>近日機を見て何処かでお話をしたいと思います。

このスレのとある方は非常にセンスがあります。
望みさえすれば、悟りを開き、
力強く世の中を広く見る事が出来る事が出来ると僕は思います。
930「隠者」LV7.80:2015/02/05(木) 16:54:29.15 0
それから…以前、
デカルトさんの話をしましたが、

「方法序説」
これは御釈迦様の難解な教えにひけを取らないほどの
偉大な著書だと僕は思います。

たった約100ページ程のメッセージに本質を全て詰め込んでしまいました。
デカルトさんは、

超偉大な
「近代哲学の父」であると同時に、
超偉大な
「茶番劇の父」であると僕は思います。(*'▽')
931考える名無しさん:2015/02/05(木) 23:09:55.01 0
>>928
そうだよ?
932考える名無しさん:2015/02/05(木) 23:20:05.06 0
「悟りとは何かを考えてみて」
ある原理原則を知ると、また新たな疑問が生まれる
これが無限に繰り返される
新たな疑問が無限大に発散する場合は答えを求める事ができない
しかし無に終息する場合に限りこのスパイラルは終わる(もちろん心理ではないが)
そこで思考を継続する理由がその人にとって無い時、それが悟りではなかろうか
具体的には次のような例だ
933考える名無しさん:2015/02/05(木) 23:20:34.09 0
>>932
心理→真理
934考える名無しさん:2015/02/06(金) 04:12:58.86 0
全ての疑問にこらえられる万能の天秤を得た私が言おう。

おまえにはムリだ。
935:2015/02/06(金) 10:02:04.15 0
https://m.youtube.com/watch?v=rJZ2Rxoetns#

坂本龍一の曲で3つ好きな曲をあげろと言われたら必ず入るしのちゃんお気に入りの一曲「千のナイフ」

https://m.youtube.com/watch?v=6-W4FA5uGeU#

もう一曲は御釈迦様の心にもっとも近いと言われた悟りの音楽「undercooled」

もう一曲は星になった少年の主題歌。アクアなど。悟りに近い涅槃の音色が聴けます。是非ご賞味ください
936考える名無しさん:2015/02/06(金) 18:44:34.61 0
やっぱり知りえない絶望を想像させて神経をヘタらせる作戦みたいなの
ってどう精神的に対処すればいいの???
937考える名無しさん:2015/02/06(金) 21:42:03.11 0
>>936
絶望を超えてしまえばあとは楽だ、死ねば助かるのに。
938考える名無しさん:2015/02/06(金) 23:45:45.60 0
939:2015/02/07(土) 15:49:19.67 0
しのちゃんはほとほと疲れたよ。もうダメぽ
940:2015/02/07(土) 21:06:49.16 0
https://m.youtube.com/watch?v=XbqvifFqtq8#

しのちゃん渾身の一撃。
941考える名無しさん:2015/02/08(日) 12:36:54.14 0
踏み込みが甘い、甘すぎる

それでは確実に負ける。
942:2015/02/08(日) 13:32:18.39 0
もう確実に負けとるわ
943123:2015/02/08(日) 13:50:30.44 0
932
正解である。
具体例をあげれれば、天才である。
944考える名無しさん:2015/02/08(日) 14:01:51.76 0
悟るとは=123その人を指す。
正解とは正解を知らぬものには出せぬからである。

以降123の発言は覚者の言である。
凡夫はこうべを垂れねばならない。
945考える名無しさん:2015/02/08(日) 17:01:24.73 0
自作PCとは買ってきたものをつなげる作業
946考える名無しさん:2015/02/08(日) 17:33:16.01 0
 5日に幼い命が奪われた事件は7日未明に急展開した。森田君の自宅から直線で約80メートル
の距離に住む中村容疑者が逮捕され、この日午後から容疑者宅の家宅捜索が行われた。「凶器収納
箱」と書かれた箱などが運び出され、押収された3本の刃物は容疑者の自室の衣装ケースに入って
いた。いずれも刃体が約40センチのなた様のものだった。作業用ゴーグルも押収された。事件現
場から逃走した男は、これと似た作業用ゴーグルのようなものを着けていた。

 殺害現場となった空き地付近では、カバーを掛けた刃物のようなものを持っていた男を目撃した
との情報が寄せられ、中村容疑者が捜査線に浮上。「男の子を殺していない。見たこともなく知ら
ない」と容疑を否認している。

 付近住民によると、以前にも森田君宅前でじっと見つめる容疑者の姿があった。近くの川で木刀
などを振り回す「奇行」も目撃された。1月には容疑者が傘を持ち、自転車に乗った森田君の中学
生の兄(12)を追い掛けるトラブルがあった。容疑者がOBとして顔を出していた地元の剣道ク
ラブには森田君も約2年前まで在籍。捜査本部は2人に接点がなかったか調べる。

 中村容疑者は約20年前から一家で住み、住民らによると、父は仏教系大学の教授で密教関連の
著書もあり「人格者。気さくにあいさつもしてくれる」という。母も地域の民生委員を務め茶道、
華道も教えていた。姉2人がおり、長姉を知る娘を持つ女性は「お姉ちゃんはよう(勉強が)でき
たし、比較されていたと思う」。

 教育熱心な家庭だったが容疑者は高校受験に失敗。近隣の工業高校に進学したが中退した。住民
によると家に引きこもるようになり、仕事にも就いていなかった。それでも自宅内から剣道の素振
りをするような声が聞こえ、住民は「川沿いで鉄亜鈴とか縄跳びをしている(容疑者の)横で、お
父さんがいたりした」という。

 [2015年2月8日9時56分 紙面から]
日刊スポーツ:http://www.nikkansports.com/general/news/1431875.html
947:2015/02/08(日) 22:17:53.45 0
1人になりすぎると頭おかしくなるんだろうな。
しのちゃん渾身の一撃必殺
948考える名無しさん:2015/02/08(日) 22:41:31.40 0
一撃必殺撃沈、しのちゃんは深海のそこへ
949考える名無しさん:2015/02/09(月) 02:37:06.67 0
おかしいのは周りであって、自分ではないことに気がつけ>し

そして自分がおかしくないことに気が付くなら自分を正しい人間の生き方に
勤めろ。正しい人間のありようではない。
生き方すら受け入れられないなら、世間の言う朝鮮人にでもなれ。
950:2015/02/09(月) 06:43:44.23 0
しのちゃん怒りの大団円。快心の一撃
951考える名無しさん:2015/02/10(火) 20:54:42.27 0
30年後の精神社会
http://youtu.be/TIoMOT_SVSs
952:2015/02/11(水) 06:57:59.01 0
姪っ子がしのちゃんの前で物を投げて「オーオー」といいはじめた。しのちゃんはそれを拾ってやったらまた投げた。しのちゃんこう思ったんだ。
これはフロイトの言った糸巻き遊びだって、嫁さんのいないしのちゃんに姪っ子が見せた優しさと母親不在の糸巻き絡まりだと

ゲッツ!!(ダンディ坂野風に)
953Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/02/11(水) 11:43:34.76 0
【諸法無我を実践する】

自分はいつも、自分から逃れられないと思っていた。だが、それは、自分を失う
ことがないのだという、保証だけがされているということだったのだろう。記憶は、
どんな思考をし、どんな自己規定をしようと、自分に対して所有は決まっている。

つまり自分を守る必要はない。自らの栄光、自らの快感、自らの責任……。
それらは、自らに対して規定した、ある条件と、ある遺産に依って作り上げられる、
実体の無い構造物の一つにすぎない。自分の快楽を追求してはならない。
それは、行動をするなということではない。

自らのするべきことというのは、生産的であったり、創造的であったり、あるいは
役に立ったり、物事を解決したりすることだ。自らを屹立させることではない。
自己像がいくら立派になっても、殺した敵の数を自慢する程度の、意味のない
プライドでしかない。それが他や自を損なわないなら、好きにすればよい。
だが、悟りとは、自己に関わることだから、自己というものを、考え詰めるなら、
解放は自己の消去にしかないということを、胸に刻む。自己を誇ることは虚しい。
ただ、生きることをしたということだけが、人間の本当の生き方だ。

もう、苦しくてたまらないことへ処方箋を与えよう。「自らにこだわらない」。
くだらない多少の自己満足を、他者という全く違ったものを対象とすることで、
満たしてはならない。それは、必ず虚偽に結びつく。欲を出したら、悟りは
できない。思考の正しさが、悟りである。
954Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/02/11(水) 12:00:33.69 0
序列を付けて安心するなど、腐った卵のようなものだ。それは食べ様がない。
ほんとうにしたいことは、目的は、「戦うことではない」。うまく存在できない
なら、戦うより逃げろ。戦っていなければ、落ちこぼれると不安になるか?
だがそれは不安でしか無い。心の問題だ。蜃気楼である。心は、安心したい。
いろんな外部との競争によって、存在に一時の答えと満足を得る。
自己の肥大をこそ、敵とするべきなのだ。人が教えてくれないことは
自分で気づくのだ。私はそういった人々について考えると、嬉しくなるし、
あらゆる行動によって支持したいと思う。死ねば助かる、そのとおり。
つまりそれは、死に対するあきらめで、人を裁いてはならないということだ。
悟りは選別でもなく、序列づけでもない。自らの安定だ。カドを削って、
丸くなる。完全な丸は、それで完成である。どこへでも転がっていき、
丸としての自己は、誰の目にも丸である。
955考える名無しさん:2015/02/11(水) 12:57:41.72 0
さとるに近づくために

さとるはいつも部屋にとじ込もって出てきません
部屋のある2階に行くだけで「近寄るな」と物をぶつけられます
私が甘やかしすぎたのは分かってます、でも昔はやさしくていい子だったんです
956考える名無しさん:2015/02/11(水) 16:56:24.76 0
957考える名無しさん:2015/02/12(木) 00:12:39.37 0
958:2015/02/12(木) 09:57:52.59 0
しのちゃんがええんならええと言った方がいいんじゃよ
959考える名無しさん:2015/02/12(木) 12:04:22.79 0
自分のことは自分でやるしかないんだよ
960考える名無しさん:2015/02/12(木) 23:48:31.92 0
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫な体を持ち
欲は無く
決して怒らず
いつも静かに笑っている
そういう人に
自分の仕事丸投げして帰りたい
961:2015/02/13(金) 00:09:12.87 0
労働なんて辞めちまえ。おれはもうやめた。
ただ、そうなると女がついてこないのでいい方法を考える
962:2015/02/13(金) 00:22:27.52 0
吉本隆明の講演をポットキャストで親鸞の転換を聴いているが非常に興味深いな。

悟りは無いという考え方。つまりは伝統仏教の修行や律やその他諸々、厳しい修行を捨てて、ただ念仏を唱えれば救われるという結論に至った。
吉本は、それは堕落ではないかという批判をいったん受け入れている。
確かに、そういう批判はあり得る。修行を捨てて楽をしていきる。それは堕落なんだよ。修行をする方法は正しいんだよ。
だけど、しかし法然=親鸞はその上をいっている。
つまりは弥陀の18の誓願を願って念仏を唱えるということは平等なんだという考え方。

厳しい修行に耐えられる人はいい。しかし、万人が厳しい修行に耐えられるということはない。
963:2015/02/13(金) 00:32:08.68 0
何故厳しい修行に耐えられないのか?
それは耐えられないから耐えられないんだよ。
そういった修行より上にいっているのはありのままなんたよ。そうあるから耐えられないということ。
そういった潜在性を堕落として片づけるのではなく、そういったあるがままの自分を受け入れて、
それよりも大きな力に我々は突き動かされている。あるがままとはじぶんの力を超える他力なんだよ。と言っている。

つまりは、やめてしまえ!やれないならみだ弥陀の誓願に任せるという哲学がある。悪もあるがままであり、悪人はそうあるから、そのまま救われる
964考える名無しさん:2015/02/13(金) 00:37:01.95 0
そんな堪え性のないことだから文学部哲学科は、社会から落伍してくんだよ
965:2015/02/13(金) 00:55:10.48 0
堪えねえよ俺。ああいいさ。つーか自分を超えることを否定して楽してるという取り方が凡夫なんだよ。
自分を超えることも努力も、まあ大まかに言えばそれは素晴らしいことだし人間は限界を超えることは可能だが、
親鸞が言うのは、それは化土であって浄土ではない。偶然も必然であって、まあここはやはり宗教になるんだが、阿弥陀如来の力の元にある
言葉の力でもって浄土に運んでくれる他力だと言っている。

まあ、ここらでちょっと混乱があるが、親鸞は念仏を最上に置いている。
錦織圭は努力によって限界を超えたのか?それともあるがままでこうなったのか、あるいは他力があって強くなったのかの議論になっていく。限界を超えられたから強いのか?
たぶんそうではない。ただ、精神と肉体は限界を超えるということはある。
966考える名無しさん:2015/02/13(金) 03:34:17.00 0
いいわけは全部自分に帰ってくる、なぜ帰ってくるとは思わないの?
俺だけは?
967考える名無しさん:2015/02/13(金) 03:40:56.54 0
潜在しているものは可能性にすぎない、
可能性なんて見えないものを操る術を持たない人にとっては飯の足しにもならん、

見えないものなんて見えないんだから、つかみようがない。
割り切ればそれは強い、だが割り切らなくて希望を求め続けなければ
つかめない希望へとは進まない。
溺れることに慣れ、アフリカの草原でまったく光のない闇の中で
曇り空にかすかに見える星の方角だけで野獣に立ち向かうようなもの。
お前には猟銃も格闘術も守ってくれる護衛も、照らす光や情報を与えてくれる
端末すらない。チャンスは必ずくるが、チャンスが来たときに掴めなければ
永久にさまようことは確定する。迷っているのはそのチャンスをつかまないからだ。
968考える名無しさん:2015/02/13(金) 03:51:57.78 0
幸運という運命の「地の利」が過ぎ去り、激しく不利(不運)になったとき、

道具にできるのはリスクとの交換しかない。対峙する何かに決して譲れない何かを
与えることで引き換えに何かをもらう。
対価なしで都合よく宝くじ1等にでも当たると考えるなら、全財産を
その宝くじに当てるべき。きっと全部外れる。
わずかな可能性や希望なんてものは、等確率で存在するのではなく、
隕石が落ちて死亡するぐらいの確率でしかめぐってこない。
風を呼び、雲を呼び、嵐を呼び、雷となす力など、神の力を得たものにしかなし得ない。
神は何も授けない、必然性のない奇跡は起きない、奇跡が起きるには誰でも妥当に思うほどの
必然性が前提条件にある。
969:2015/02/13(金) 05:28:15.02 0
つまるところしのちゃんの裏投げに驚いたんじゃろ
970考える名無しさん:2015/02/13(金) 15:44:54.63 0
うんこが詰まると、硬いウンコになる。
そして繰り返せば痔になり、最後に大腸がん

黒いコロコロウンコになったらやばいぞ。
971Absalom ◆owNN8RDlXo :2015/02/13(金) 17:13:08.63 0
「僕は死ねない。いや死なない。なぜなら僕は自分自身だから」と岡真史は言って自死した。
これは難解な言葉である。死ぬとは思えない理由を、僕は自分自身だということに置いている。
では、その理由の文は正しいのか。
僕は自分自身である。この文の対偶を取ると、自分自身でないものは僕ではない、となる。
これは明らかに妥当だ。ゆえに、元の文も正しい。
では、これは僕が死なないということの理由となるのか。
死ぬものは僕ではない、という対偶になる。その理由として妥当か。
「僕が自分自身である」ことと、「死ぬものは僕ではない」という二つの文を比較してみる。
すると、僕は自分自身であり、かつ死なないものだ、と言っている。この不死性は意味を
持ちうるか。
そのために、神の存在証明について横道にそれてみよう。神とは、外部に置かれ、帰依の
対象となるものであろう。その神は死んだ、そして各人の内部に、各人の神が生まれた。
この神の分裂は、自己阻害をもたらす。もはや外部に帰依の対象を持ちえず、各人は
共通の死を持たない。よって、死の意味について、安心から、尊厳へと変化したのである。
その結果、各人が生きる場合の意欲の正しさとして、自分を運んでいく意志というものが、
社会的にも個人的にも、要請されているのではないか。屹立した個人というものである。
自らの井戸は、汲まないと、水は得られない。

そうしたところで、冒頭の「僕は死ねない。いや死なない。なぜなら僕は自分自身だか
ら。」という言葉に、新たな地平をもたらすような変化が感じられないだろうか。
各人が担う生について、煩悶することが当然であり、それでも生きるという決意を
持ち直すことに依ってのみ、「現実を生きる」ということが出来る。それは、死ねない
自分の自由、つまり、生のコントロールが自分にあるということを語っているのだと
思える。死によって結ばれているという意識から、生の中で結ばれるということへの
変化。
寛容であろうと思い、努力を自らの力とすること、そういった現代の生き方に対し、
指針となるような言葉であったと思う。各人の神は、各人と一致し、神がいない
という不在を、歴史上の過去とすること。そういった思考を働かせて生きることが、
悟りへと至ることを助けるように思える。
972考える名無しさん:2015/02/13(金) 17:58:33.72 0
ぼけは死なない
973考える名無しさん