◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない229◆
相変わらずスレも立てないくせにクソコテは雄弁だよなw まあちょっと立ててくる
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端ら
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
前スレ◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない228◆
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1394801740/
糞機械は肝心な時に役に立たないクズ しんじまえ
私が消滅すると、私が属していた世界が消滅するのであって、 私が属していない世界は永遠に存在し続ける。
痛点も五感もない生命体は 生まれた後にクオリアを持てるんだろうか どうだろう
複数のクオリアは同居可能だろうか どうだろう
痛点も五感もない生命体は仮死状態になると思う
アプリオリな仮死状態ってどんなん?
痛点も五感もないと言う事は 外界がないと言う事。世界がないと言う事 どうだろう クオリア論的な例えとして
>>9 全部なくなったら、クオリアもなくなるとして、
何があればクオリアが存在できるのかってこと?
>>5 に対する解答にもなるかもしれんけど、
たぶん原始的な生命体にクオリアはないよん(もしかしたらあるかもしれんが)。
だから、クオリアがあるものとないものの境界を明らかにしてしまうと、
クオリアを生み出す条件(自然的な条件)はわかるかもね。
ただ、そう簡単な問題でもなかったりしそうなんだけど、そこら辺は誰か詰めて欲しいところではある。
>>10 いえ。全部なくなったらじゃなくて
最初から無かった場合どうなるのかなと思って
原始生命って
原始って?
>>11 いや、ようわからんですが、ゾウリムシとかにクオリアとかあるのかな?
ってことですかね。
いずれにしても、鉱石にクオリアはなくて、人間にはあると、その間を
こう、どんどん詰めていくと、クオリアがあるものとないものの境界ってのは
わかりそうでしょう。ただ、クオリアがあるのかないのかをどう判別するのかな
って思ったりもしますよね。
ただ、脳とかの機能をコンピュータで再現しようという試みはされてると思いますよ。
>>12 鉱石にクオリアないんですか?
鉱石プラス周りの空気では?
クオリア論がまかりままないまま
そこは通すのですか?
>>13 ないでしょう。少なくとも現時点の定義ではないと言って良いと思いますよ。
私達が有しているクオリアというものもおそらくは元素や原子の集まりによって
生じていますが、単一の元素の集まりというものをとらえてみれば、そこにクオリアは
ないでしょう。それは、我々の一部分を切り取ってみても同じでしょう。
やっぱ、みんなクオリア好きなのね。
決定論って、ザックリ言うと、シナリオが存在するってことだろ? 決定論者は、そのシナリオを明示してないが、示せないのであれば、 決定論は、浅薄な戯言に過ぎないのではないかな?
17 :
考える名無しさん :2014/03/24(月) 07:36:06.45 0
物理法則に支配されているったって、その法則にインプットされるものが何であるかは 決まっていないんだよ。だからシナリオは完成していないんだ。もし完成したシナリオを全て 知っているとしたら、それは神というほかない。
別嬪の誉れ高い、リサ・ランドール博士が、『ワープする宇宙』(日本放送出版協会)の 中で、「多次元宇宙はこの空間に多重に同時に存在する」と声高らかに断言して、しかも 数学的に証明もしているそうじゃが・・・・。 一部で教祖的存在のバシャール(=ダリル・アンカ)も、無限の分岐をもつ世界が同時に 存在していて、つまりパラレルワールドが存在しておって、しかもパラレルリアリティを 創っておるのは、その本人であり、どれでも好きなのを選びなはれ と、これ基本中の基本 と言わんばかりに捲し立てておったのを、不覚にも動画で見てしまったのじゃが・・・。 両者の考え方が非常に酷似しておる気がするんじゃが、この奇妙な一致をどう考えればえ えんかのう? 言うとくが、わしは、いかなる宗教もオカルトも信じておらんし、当たり前じゃが秘密結社 にも属しておらん。宗教は人間を堕落させる元凶だと思っちょる。
ちょっと類似があるとそれらを強引に結び付けようとするのも知性の悪癖 別段恥じることじゃない、そういうシステムなのだから
20 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/24(月) 08:53:05.16 O
決定論に、未来を「知る」とか関係ないですよ 物理現象は、決まった事が決まったようにしか起きないから 最初の時点で、全て決定している という考え方です 「シナリオがある」というのも関係ありません それはイデアでしょう まず「時間」というものが得体が知れませんし まぁ「最初から最後までが1セット1パック」で 最初から出来上がっているものだ という考え方です
21 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/24(月) 10:37:21.76 0
>>12 クオリアの有/無は(諸説あるのだが)一般的には、それに「意識」があるか否か。
たとえば「鉱石」の振る舞い(関係のしかた)は、その“属性”に従う。概ね規則的である。
意識の本性は“志向性”にある。(常に何かを意識している)
意識は身体(脳)の機能である、とはいえる。が、それ以上のことはわかっていない。
また、志向性(意識)は目覚めているかぎり途切れることはないが、その変化は規則的ではない。
その働きは、雑にいえば「感じる」か「考える」か。それによって表出されるのはクオリア、感情、観念、概念。
端的に「主観性」の全領域をカバーするのが“意識”である。
ちなみに機械氏の指(志)向的クオリアは“観念”とほぼ重なる。しばしば彼は指向的クオリア(観念)を主語に措く
けれども、それは観念論者の常套。さすがに「観念が感覚を迎えにいく」とはいえず、指向的クオリアが…云々と
言葉を濁している。w
22 :
考える名無しさん :2014/03/24(月) 13:53:35.78 0
糞ったれ馬鹿嵐最高位 ◆Trvm6PB/QQ
23 :
考える名無しさん :2014/03/24(月) 16:50:54.36 0
>>20 決定論自体が予測でしょ 実在するわけじゃないから
最初の時点で、全て決定しているならば、いかにも決定者たる神が居そうではないか
>物理現象は、決まった事が決まったようにしか起きないから >最初の時点で、全て決定している >という考え方です なのに何故に自分が言うことが決まっていることだと言うと感情を乱すんだろう?
主体感と矛盾するからでしょ?
決定論を受け入れた時点で、 プランク長を超える大きさの物体のふるまいにおいて、 確率は「確率感」でしかなく、可能性は「可能性感」でしかない。 しかし、正六面体でできたサイコロの出目は各々1/6の確率で出る。 この事実は主観的にしか成り立たないが、客観的だ。 確率の客観性は本質的に、観測能力と処理能力の有限性に依存している。 確定している世界を不確定的にしか捉えられない、 という主観、脳、あらゆる観測者の有限性において、 世界は可能性を持つ。これは仮想された可能性です。 ただし、主観にとって殆どの場合、未来は仮想の可能性の集合でしかない。 行為の決定、意志の働きにおいては、仮想の可能性は現実と仮定される。 勝手に思い描いただけの可能性に対してアプローチしなければならない。 この選択には、主観的にはまるで必然性がない。 恣意的に推量した可能性を恣意的に取捨選択しており、 しかもそのプロセスを(このように)自覚しているからです。
複数の可能性は葛藤を生じ、可能性の取捨選択は主体感をもたらします。 決定論の帰結としてそれは一意必然の事ですが、主観においては結果論でしかない。 確率感と同様にこの主体感は客観的事実です。 この「主体性」の概念は「自由」の概念と密接に関係すると考えられます。 「クオリア」が主観にとって必然というならば、 それと同じ意味で「自由意志」と主観にとって必然です。 つまり、主観的にしか成り立たないが客観的なもの ということです。
馬鹿は変に言葉をいじりまわさないで三行でまとめる様にしないと伝わらないぞ
それを 一行で 言うとは なかなか 説得力がある。
, -=-‐〜--へ__,,- 、 < ヽ ゝ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ノ 二、___ゝ,/_/ヘ | | 安倍君が、首相公邸に入居しないのは、 | ヲ | | | 幽霊が出るからだよ。 | ┤ ===、 , ==| | < ノ 彳 ―ェ 〈‐ェ〈 ゝ | 首相公邸に幽霊がでることは誰にもいうな。 ゝ、 イ6|ゝ / \ |‐" \__________ く .^| - ゝ ヒi_,| \l [ ――.| ,,, -/\ \____,| ―'| \ \ |\_ | \ \. / 〉 \ ̄ |__,\ / ̄〕/ 、/
////////, ''" ヽミ川川 |//////, '" ',川川 川/////, '",,,,,,,,,,,,,,,, r''"',川|| 川f 川f´ ,ィ::ラ',川 川ヘ | 弋て::>  ̄ ',リ 川 ヘ.__ ヽ /7! 川川 ヘ _,. '-‐''"´y' // 川川リヘ , '´ __,,,/ / / < 幽霊が出るマンションに住んでます。 川川川|/ '"´ , '´ /|| 今すぐ、引越したいんですけど、 川川川| /川 お金がありません。
| _____________ | | |:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::| | | |:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::| | ザー | |::::::::::::::::::::::::::::::::::::;;;;;;;;;;;::::::::::::::| | ザー | |:::::::::::/ ̄ ̄ ̄`´ `ヽ:::::: :| | | |::::::::::| :ill||||||||||ll: ,-‐‐、l:::::: | | |  ̄ ̄| ||||||||||||||||「しi .l ll ̄ .| | ̄「 ̄| ||||||貞|||||||i ̄川リ ̄| ̄| |_| ノ ||||||子|||||||| |_|< 透視も念写も事実です。 / |||||||||||||||||| / /|||||||||||||||||| / ̄/ ̄ ||||||||||||||||| / / |l|l|l|l|l|l|l|l / / |l|l|l|l|l|l|ll / ヘJ l|l|l|l|l|l|l ノ川 ||l||l||ll
,,r-─- 、r-─- 、 / \ / 人ヽ、ヾ ヽ .} ノ / ヽ、ゝ、ノ { ノ =≡=-、 ,r=≡=i / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | / `ー=・-、 (r=・-'( | 自民党の石破茂幹事長ら執行部メンバーと ノ {ヽ ノ / | ヽ l | 公邸で会食した際、昨年末の就任以降、 ノ ノヽ/ ,、_) ノ < 公邸に引っ越さない理由について .フ | ゙i 彡リリミミ / | 「幽霊が出るから」と説明したのは事実だ。 ) | ヽ ii ー=ニ=-ii ノ \__________ `ゝ.| ヾ !! ”” / | ミ彡リリミミヽ
,,,--─===─ヽ/へ /iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶 iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ iiiiiiiiiiiiiiiiii/ \iiiiiiiゞ iiiiiiiiiiii/ \iiヽ iiiiiiiiiiiiiii《 ━━━'/ ヽ━━━ ヽミヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ...iiiiiiiiii彡/ __,.:: :: __ ヽiiiii| < 転生輪廻は確かにある ..iiiiiiiiiiiii》| ::: |iiiii| \_________ iiiiiiiiiiiiiiii|, |iii| iiiiiiiiiiiiiiiiii, ( ● ● ) .|iiii| iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii 》━━━━《 |iiiii| iiiiiiiiiiiiiii《《《ヽ 》 / ̄ ̄\ 《 |iiiiiiii| iiiiiiiii《《《《《《《《 《《 \ ̄ ̄/ 》》 |iiiiiiiiiii| iiiiiiiiiiii《《《《《《《《《《《 》》  ̄ ̄ 《《 》》》》》iiiii| iiiiiiiiii《《《《《《《《《《《《《《《《《《《《》》》》》》》》》》》》》》iii|
第三次世界大戦は、いつ始めるんでつか?
未来の可能性を複数想起する。 そこから1つ選択が為され「絶対化かつ直列化」する、と同時に発生する他の 選択からこぼれた「相対化かつ並列化」していた可能性への記憶が、 未練として残像として発生し得る。 また、可能性の直列化を繰り返すという、選択自体に含まれる禍福性の残酷面 から、屈折や、遺恨、怨恨的ななにかが発生し得る。 その2つの発生は、オカルト的な陥穽への可能性になっているのかもしれない。
オカルトの方が、理路整然としている感じがするのだが・・・
そうですね、遺恨は物質への執着でしょう。霊的ステージが低い
>>38 それは危ないよ。オカルト的なわかりやすさ(多分こう表現したほうがよいのだろう)
に惹かれてはいけないよ。そこにあるものと、素晴らしい理論の有する整然としたわかりやすさ
とは、全然別物よん。
41 :
「機械的唯物論」者 :2014/03/24(月) 23:24:44.94 0
>>21 >意識の本性は“志向性”にある。(常に何かを意識している)
>意識は身体(脳)の機能である、とはいえる。が、それ以上のことはわかっていない。
>また、志向性(意識)は目覚めているかぎり途切れることはないが、その変化は規則的
>ではない。
その見方は「意識の受動的側面」を無視しているという点で完全な誤りであるといえます
が、そもそも「意識」は「完全に受動的である」という認知科学の観測結果を無視しており
ます。リベットの実験等から強く推定されるのは意識は「既に決定されている『無意識のユ
ニット』の瞬間輪切り」のようなモノである…ということです。なぜ人間に(進化の過程と
して)意識が備わったか?…という疑問に対する回答がそこにあります。
すなわち、意識があると『エピソード記憶』が格段に容易になる…ということが認知科学
では知られており、もしかしたら「エピソード記憶に『意識の存在』は必要条件である」
とさえ言えるかもしれない…ということです。
エピソード記憶能力をより多く持つ生物が「進化に有利だったこと」…それこそ人間が
「意識」なる機能を持つに至った原因であり、それ以外の原因はない…ということです。
42 :
「機械的唯物論」者 :2014/03/24(月) 23:25:40.51 0
>その働きは、雑にいえば「感じる」か「考える」か。それによって表出されるのはクオリ>ア、感情、観念、概念。端的に「主観性」の全領域をカバーするのが“意識”である。 「感覚的クオリア」と「志向的クオリア」を十羽一絡げにした雑な発想です。何度も申し上 げているように「初めて嬰児の視神経を伝わって脳に達した電気的パルス」を「色」なり「映 像」なりに変換するソフトウェアは、既に嬰児の脳に備わっている筈です。それが「原初の 志向的クオリア」 であり。コンピュータに例えれば「プリインストールされたOS」に当 たることになります。そしてそこで発生させられた「色」なり「映像」が「感覚的クオリア」 なのです。それらは成長に従い相互に影響を及ぼし合います。すなわち「感覚的クオリア」 を何度も何度も「結像」させる度に「志向的クオリア」も「成長」していくと考えられます。 子供が成長に従って「ものの見方・ものの感じ方」を変えていくのも、それで説明がつきます。
43 :
「機械的唯物論」者 :2014/03/24(月) 23:27:14.07 0
>ちなみに機械氏の指(志)向的クオリアは“観念”とほぼ重なる。しばしば彼は指向的クオリ >ア(観念)を主語に措く 「観念」は「イデア」であり、それは観念論者さん達が大好きな「本質」です。すなわち「椅 子の本質」は制作した人の「イデア」として「既にあったモノ」が「椅子」という具体的な 「物」として実現されたのであり、その逆ではない…ということになります。それは「単な る木の切り株」を椅子にした場合でも「人間が椅子にするという観念を抱いたからこそその 『物』の本質が顕現したのだ…という「本質先行論」に繋がります。 しかし、私たちは「言葉が全く通じない未開人」に出会ったとき、彼らに「椅子が欲しい」 という意思を伝えるためにどうするでしょうか?たぶん「いす!椅子!」といくら言っても 彼らは理解できません。そこで考えるのは「椅子のクオリア」を未開人の脳に出現させる ことを考えるでしょう。…「絵に描く」なり「ジェスチャーで座る仕草をしつつ指さす」 …要するに「視覚のクオリア」を示して、彼らがそれ(椅子)をなんと呼んでいるのか知ろ うとする筈です。…すなわち「言語・観念」より「クオリア」が先行する…ということです。 >けれども、それは観念論者の常套。さすがに「観念が感覚を迎えにいく」とはいえず、指 >向的クオリアが…云々と 「志向的クオリア」はコンピュータのOSのようなモノとご説明しましたが、「迎えに行 く」という表現が誤解を生むなら、『(データを)受容して構成する』と言い換えてもいいか と思います。OSがなければデータが入力されてきても何も起こりません。脳内に志向的 クオリアがプリインストールされていなければ「嬰児が受け取った視神経からの情報」も 映像化される(感覚的クオリアとして出現する)ことはありません。 「感覚的クオリア」を蓄積することにより「OSとしての志向的クオリア」も変容してい く…というのはコンピュータで言えば、「後からのデータ(やプログラム)入力によりOS が変容していく」…という例に例えられるでしょう。
やばい、クオリアの意味が論者毎に違いっているとしか思えなくなってきた。 とりあえず、クオリアとはいかなるものとして語っているのかそれぞれ整理してたもれ。
>>40 素晴らしい理論を一度も聞いたことがないんだが・・・
進化を受け入れるか退けるかを選択する余地で決定論を蹴飛ばせないものか
47 :
考える名無しさん :2014/03/24(月) 23:41:13.59 0
やはりクオリアによって人間と哲学的ゾンビ(=ロボット)を区別できるというのは間違いでは? 誰もロボットになったことはないからロボットのクオリアについては語れない
>>18 「無限の分岐をもつ世界が同時に存在していて、つまりパラレルワールドが存在しておって、
しかもパラレルリアリティを創っておるのは、その本人であり」
確かに、それであれば、自分が消滅しても世界は消滅せず、存在し続けることはできる。
>>43 進化的に言うなら、脳の柔軟性が大事だから、脳に命令を出して、働くようにさせるという
脳を司る機能が存在する、というような実験結果はないでしょうか。脳の働きが、意志により
活発化されるなら、脳の病気、すなわち認知症などの存在する原因も究明されると思います。
もし脳を司る機能が無いとするならば、私にはその方向へと進化するのが一番いいのでは
ないか、などと、空想します。OSなどのことで、機能向上が考えられるというような考えには、
私の目標から、高い価値を与えたくなります。
>>45 ここでってこと?
だとすると無茶言っちゃいかんよ。大先生と言われる人でも、専門家からすると
シンプルでハッとさせられる素晴らしい言葉を会話の流れの中で発せられることが
たまにあるというくらいなんだから。
テキストベースなんだから、ある程度一貫して完結する文章にすることになる上に、
ほとんどの人が片手間で書いてる中で、ほとんど隙がなく、それでいてシンプルかつ
分かりやすくすばらしい理論を出してそれを表現するなんて、まず無理ですわ。
しかも、流れが早いし。
だいたいゾンビなんぞいないし
それを言い出したら、たぶんクオリアもないぞ。 少なくとも、そういう意味では、私はクオリアなんぞ、無いんじゃないかと思ってる。
>>50 会話の流れの中で発せられものと、テキストベースのもので
果たして、明確な違いはあるのであろうか?
55 :
考える名無しさん :2014/03/25(火) 00:15:47.52 0
そもそも チャーマーズとか茂木とか 超うさん臭いんですけれど
>>54 やってると、ぜんぜん違うよ。
対話調であっても(そして対話調でるから)、テキストでやるのは、すごい大変でもどかしい。
むしろ、テキストでやるんであれば、論文とまではいわないまでもある程度、熟慮してから、
出したいし、そうしないとおかしなことになっちゃう場合が多い。
ほとんど、喋るのと変わらない感じで、テキスト入力できててもそうだもん。
セロトニンなどの脳内物質から、脳はどうやってクオリアに変換してんの
いつから変換してると錯覚してた?
>>56 テキストでも、数行で感心させてこそ、本物ではないかな?
わざわざ「クオリア」とかいうと まるで疑似科学の世界だよね 意識でいいんだよ紛らわしい
>>59 むりぽ。なんのために、バカ長い論文を書いてると思ってるんだよ。
感心するっていっても、私の専門分野でこの文章いいなぁ、シンプルで言いたいことを
うまくいい得てて、関心やバランス感覚も同じだぁ、パクりたい、と思えるような文も
専門的なところをわかってて(共通理解を前提として)はじめてわかるんであって、
わかってない人からすれば、難解な用語を羅列しただけにしか見えんわけよ。
それでも、練に練り込んだ結果として出てきてるわけで、ましてバックグラウンドが
不確かな人達を相手にして、数行で感心させる文章をパッと出すなんてのは奇跡に近い。
数年、数十年学んできた複雑な理論を数行で感心(納得)させる文章にすることなどできるかいな。
全くそういう蓄積を無視して、心地よさそうなレトリックを用いて説明しろっていうなら、
できるかもだけど、それって結局何も言ってないし、まして何も伝わってないよ。
>>60 たぶん逆だよ。わざわざ「クオリア」とかいう「意識」とはまた違った
概念を用いて、そこにスポットライトを当てることになんか意味があるから
やってるんだよ。
63 :
考える名無しさん :2014/03/25(火) 01:03:44.23 0
じゃあたとえば 脳は物理法則と論理法則両方に従っている 観念の中の有限無限にあるパターンの ひとつを選んでそれに従ったら物理法則に従ってるというより論理に従ってるといえるんじゃない?
でもチャーマーズはあれからたいした仕事もしてないしね 一発屋だよな
>>63 そもそも、物理法則に「従う」ってのと論理法則に「従う」ていうのとでは、
「従う」の意味が違うくないかい。前者はどちらかといえば、その法則に適合する、
当てはまるということを意味するのに対して、後者は、その法則に任せるとか、
応じるとか、服するとか言うことを意味するんじゃない(少なくとも含んでいる)。
日本は世界の雛形、とよく耳にするのだが、 これは、日本がモルモットってことなのか? それとも、日本で起きることと同じことが、 世界でも起きるということなのか?
日本以外は虚像だということ
68 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/25(火) 10:11:51.13 0
>>41 “志向性”という字面から、意識が何かに「向かう」ことを連想したのだろうが、誤解なきように。
意識に“意図”はなく、視覚を例にとれば、機械さんが目を明ければ何かがみえるだろう、それを
“志向性”と名づけているのである。現象意識については、受動性とほぼ同義。
クオリア、すなわち「感覚的差異」は“志向性において”生じる。それに追随する感情、一般的には
“喜怒哀楽”だが、単純化すれば快・不快、好・悪、これも受動的である。とはいえ、これも何かに
対して催しており、志向性における心的事態といってよい。
機械氏が進化論をもちだして自説を補強するのをみるにつけ、一神教的“真”を掲げて相手に沈黙を
強いる信者、あるいはマルクスの言表をちらつかせ「真理は我にあり」と恫喝する一昔前のコミュニ
ストを想像させられる。「進化論」には多くの“神話”が含まれているのかもしれぬ。
70 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/25(火) 11:29:09.31 0
>>42 >…十羽一絡げ…
目は大丈夫ですか。まず日常語で意識を二つ(二絡げ)に分けました。「感じる」「考える」に。
これが機械さんの“感覚的クオリア”と“指向的クオリア”に一見、対応しているのは明らかだろう。
それを感覚、感情、観念、概念に形式化した。クオリアといいうるのは感覚だけだが、次の感情はクオリアに
対する反応であり、そのさなかにも「クオリアはある」といっていい。
感覚と感情を“観念”として意味づける主語を機械氏は“指向的クオリア”と名づける。そこが間違っている。
現前の対象に対する感覚と感情、これらに意味を付与するのは「記憶」である。
“記憶”とは主観的経験が内在化されたもので、これもまた感覚と感情を骨子としており、それを「“言語”が
とり巻く構図」に喩えることができる。記憶もまた「感覚、感情、観念、概念」とから成り、それが現下の事態を
意味づけるわけだ。過去(記憶)と現前(感覚、感情)をシンクロさせることによって“対象の知”をえるのだろう。
71 :
考える名無しさん :2014/03/25(火) 11:56:24.87 0
>>68 「志向的クオリアが迎えに行く」という機械氏の表現を能動だからおかしいと
批判してたのはゲームさんだったんじゃなかったけ?
フッサールを一行も読んでないのに“志向性”をわかったように語る莫迦 所詮2ちゃんは2ちゃんにすぎないw
73 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/25(火) 12:10:27.33 0
機械氏は「嬰児」の例をあげ、あたかも彼(女)らにも指向的クオリアがあるかに述べいた。 指向的クオリアは“記憶”の間違いだが、どちらにしても、そのようなものはない。 新生児に「ある」とみられるのは、身体、意識、もう一つは俗にいう本能である。 クオリア(感覚)はあるが、触感だけではないか。他は全くないか、未完だろう。 快・不快は催すらしい。初めて外気に触れ、喚くのはその証拠。 母乳を求め、その行為が可能なのは本能のなせるワザだろう。 では、味覚はあるのか。「ない」のではないか。口内の触感に不快感を与えない流動物なら、 受け入れるのではないか。 新生児の段階を通り過ぎるあたりから、非言語的“記憶”を生じ、それが触れるものの差異を より鮮明にし、嬰児の感覚と感情をより尖鋭化させるらしい。
>>73 記憶がなければ感覚は生じないというなら、
当たり前だが、感覚がなければ記憶はない のだから
ごく単純に考えても(考えなくても)おかしくね?
75 :
考える名無しさん :2014/03/25(火) 12:37:49.74 0
ゲーム氏はコテを守るために機械に反対するように見せて実は近いことを言いだしてる 用語の言いかえだけの誤魔化しでこの場を乗り切ろうとしていると見たw
76 :
考える名無しさん :2014/03/25(火) 12:44:10.04 0
>>73 触覚しかないなら、新生児には何も見えていないし聞こえていない?
なら、何時からどのような契機で見えたり聞こえたりするようになるというの?
77 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/25(火) 12:49:20.77 0
>>74 人間は生まれながら感覚があるし、感情をもっている。そういっているでしょう?
(言語的)記憶は、現前の対象を“意味”づける。それを“観念”と呼ぶ。
78 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/25(火) 12:56:40.17 0
>>76 そのことに関心があるのなら、調べてみればいい。
「らしい」を付けずに、どこかの論文をコピペしてのせてもいいのは 英国の科学雑誌『ネイチャー』だけなのである 「らしい」を付ければ2ちゃんねる哲学板にならなんでもコピペを 自説として載せられる「らしい」
80 :
考える名無しさん :2014/03/25(火) 13:05:46.97 0
>>77 >(言語的)記憶は、現前の対象を“意味”づける。それを“観念”と呼ぶ。
なるほど「(言語的)記憶」が“意味”の存在根拠となるというわけね?
>人間は生まれながら感覚があるし、感情をもっている。
そうすると感覚とか感情は(貴兄の言う)“意味”ではないことになるわけね?
もう観念しろ!
>>77 >(言語的)記憶は、現前の対象を“意味”づける。それを“観念”と呼ぶ。
それは「椅子というイデア」と同じ話。機械氏のパクリに過ぎないだろw
83 :
考える名無しさん :2014/03/25(火) 13:18:18.30 0
レベルが低すぎて、話にならん 「機械的唯物論者」というのはいつ出てくるんだ?
>>83 機械氏は出てくるとしたら23時ころだろ
アル中らしいから深酒してない夜だけだし、誤字脱字も結構多いのはまあw
>>58 ずーっとw
楽しいって感情は物質じゃないじゃん
けど脳内物質とかホルモンとかそういう物が作用しなければ
楽しいって感覚は芽生えないし、文章に変換している思考内容も作れないから
そういうモノが脳内で変換されるんじゃないんだとしたら、単純な質感にしても
なにがどうなって思ったり考えたり感じたりするのかわからんし。
86 :
考える名無しさん :2014/03/25(火) 13:41:53.77 0
こいつ馬鹿じゃないか?→73 :ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/25(火) 12:10:27.33 0機械氏は「嬰児」の例をあげ、あたかも彼(女)らにも指向的クオリアがあるかに述べいた。 >新生児に「ある」とみられるのは、身体、意識、もう一つは俗にいう本能である。 意識の内容を分析してる議論の過程でいきなりこういうことを言い出すんだからw
>>85 試しに物質抜きで楽しいって感情を持ってみてくれる?
88 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/25(火) 17:49:01.66 O
「観念」という言葉は 対象に対する個別的な意味を指す場合もあるが これはむしろ「概念」 哲学において 「観念」といえば「主観」に関する全て、「全体」を指す場合が多い これくらい当たり前の共通認識だと思ってたけれど ビックリするわマジで
89 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/25(火) 17:53:09.75 0
>>80 そう、言語的意味とは区別される。
前者を感覚的差異といったことがある。後者は感情的差異とでも名づけておく。
それを「甘い」とか「悲しい」などと言葉でなぞるなら(言語的)差異、すなわち“観念”にかわる。
>>86 新生児について述べているのだが…w “意識”もあげているだろう?
といっても、新生児の意識そのものを云々しているわけではない。たぶん君にはわかるまいが。
>>82 イデアがパクリ?w ともかく機械氏の
>>43 をもう一度、読みたまえ。
彼は「イデアよりもクオリアが重要」といいたいらしい。が、逆に「クオリアをそれ自体として表現する
スベはない」ことを暴露している。ジェスチャーその他の方法で表象し、結局(椅子の)意味が伝わらなく
ては、椅子はでてこないのである。
ガラケーで2ちゃんする奴はもう絶滅危惧種だと思ってたんだけどビックリするわマジで
91 :
考える名無しさん :2014/03/25(火) 17:59:12.97 O
92 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/25(火) 18:01:34.73 0
>>88 いや、クオリアや感情は(これらも主観だが)“観念”とはいわない。
それらを言語的にいい表わせば“観念”にかわる。
では、概念とは… やめておきます。w
>>90 けっこういるよ
波平とか最高位とか…波平とか最高位とか…ね
94 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/25(火) 18:16:44.57 O
>>92 キミもか…
それは国語的におかしいよ
たとえば「観念世界」といえば「主観の世界の全て、全体」を指す
キミの認識だと「観念世界(精神世界?)」には、クオリアは含まない
という、ヘンな事になってしまうだろ
ガラ携最高〜位 ◆Trvm6PB/QQ
96 :
考える名無しさん :2014/03/25(火) 18:31:15.04 O
概念も観念 クオリアも観念 主観的な事は、全て観念なんだよ それらをひっくるめた主観の世界を、観念世界と呼んだりするのですぅ〜
B〔哲〕〔心〕(idea)思考の対象となる意識の内容・心的形象の総称。 山の観念、善悪の観念など。ギリシア語の「イデア」に由来。
観念 = idea、概念 = general idea 観念の中で一般的・普遍的とされるものが概念。 クオリア(感覚的クオリア)に私的な感覚という意味を与えられるならば、 観念 = 概念 + クオリア あるいは、 観念(クオリア) = 概念(志向性クオリア)+ 私的感覚(感覚的クオリア) なんて言い方も可能?
クオリアとかただ煩雑になるだけの用語 チャーマーズはあまり好きではないな
100 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/25(火) 19:09:29.03 O
「観念」を「概念」の意味で使う事も間違いではない というか「概念」も「観念」なのだから、正しい クオリアなどの概念がなかった時代には 観念はイデアだけで説明できると思われていたかも知れないが 現代においても 精神世界が、明確に定義できているわけではない 「観念」とは 個別的な対象に対する概念だけを指すのではなく 「観」とつけば「主観」であり それを総称して「観念」という
101 :
考える名無しさん :2014/03/25(火) 19:20:47.29 0
自分の言葉で語るとボロが出るが哲学辞典代わりになってる分には役にたってるよ
>>41 だから、受動意識仮説ですよねそれ。
>>42 ああ、何となくわかりそうだ。
「300万円のワイン」と「ソムリエの感覚」
で時系列順に具体的に説明してみてください。
>>68 ブレンターノの志向性について言うならば、
受動性と同義とは言いません。
「意識は何かについての意識である」
何かについての、という所を概念的に志向性と呼ぶのです。
これ自体に受動とか能動とか、そういう志向性の性質は伴いません。
で、そもそも機械さんの「志向的クオリア」が、そういう枠にはまるかどうか
という所がはっきりしていないのですよ。
本人は少なくともそう思っていないでしょう。
理論の外からの批判はあまり意味が無いのでは。
機械さんの観念=イデアと同じくらい乱暴な議論です。
>>103 観念論の英語・英訳 - 英和辞典・和英辞典 Weblio辞書
ejje.weblio.jp/content/観念論
観念論を英語に訳すと 【哲学】 idealism
古代ギリシャ哲学用語のideaと
中世以降の観念論のideaは違う概念です。
http://en.m.wikipedia.org/wiki/Idea これのPhilosophyの項目の始めに発音記号と一緒に載っています。
「イデア」は客観的で唯一の真正なる実在であり、
主観的な意味でのアイディアとはまるで異なる。
I have an idea. と言った時に、前者の意味で取る事はありません。
哲学の初歩なんですがね。
暫くROMってたが、観念と概念の意味が論者によってバラバラでちょっと酷いね。 観念というのは、主観としての、人間の意識内容を指す。 機械氏はこれを「言語による意味づけ」と見做し、故に新生児に観念はないと述べ、ゲーム氏もこれに倣った。 が、それは間違い。 例えば新生児が、初めてボール(言語化されていないそれ)が転がるのを見たとする。 この時、恐らくボールとボール以外(の世界)が区別されて認識されているはずである。 これは、世界から切り取られた「それ」を、その色や形や転がる現象が総合され(または個別に)「表象化」しているということ。 この表象されたものが意識内容であり、それが観念であるのだから、言語による名づけは二の次なのである。 そして、表象化「してしまう」ことを指して、それを志向的クオリアと言うのではないだろうか。 因みに、概念とは、「言語化された表現」の意味内容を指すので、その内容は必ずしも主観である必要はない。 故に、一般的で辞書的な内容と(その想起に)なるのであろう。
クオリアについても一言。 一体どこからがクオリアで、どこからがクオリアではないかを考察することに意味はあると思う。 例えば聴覚。 2Hz→聞こえない 20Hz→聞こえる 20000Hz→聞こえる 200000Hz→聞こえない 各音を鳴らしたとして、聞こえる音こそがクオリアであって、聞こえない周波数はクオリアではないということに異論はないだろうか。 同様に、情報は受信しているのに、気付かない触覚、気付かない視覚というものがあり、これもクオリアではない。 このように考えると、認識(=意識)に於いてクオリアは立ち現れるのであり、情報の受信=クオリアではないのです。 故に、意識=認識に継いで、意識内容=クオリア、と言えるのではないだろうか。
108 :
「機械的唯物論」者 :2014/03/25(火) 23:13:32.09 0
>>105 哲学の初歩も判っておられない…ということですね。
「観念論」の「観念」はギリシア時代の「イデア」を語源とするということは
「哲学の常識」です。
あなたが(いつものように)「勝手に勘違い」しておられるだけのことです。
三省堂の『大辞林』には、
かん ねんろん くわん− [3] 【観念論】 〔idealism〕
物質ではなく観念的なもの(イデア・理念・意識など)が根本的本質だとする考え方。
ちなみに「観念的」で検索しますと、
かん ねんてき くわん− [0] 【観念的】
( 形動 )
@観念に関するさま。
A具体的事実に基づかず,頭の中だけで考えるさま。 「 −な意見」
なるほど、あなたはいつもAを心掛けていらっしゃる…という訳ですね。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
>>108 「哲学の常識」ですか。
イデアがideaの語源なのは同意しますよ。
語源と語義を混同するのは違いますが。
岩波でも平凡社でもいいから、哲学辞典を引いてください。
少しは「正確な情報」を手に入れる努力をすべきでは。
111 :
「機械的唯物論」者 :2014/03/25(火) 23:42:06.86 0
>>107 >同様に、情報は受信しているのに、気付かない触覚、気付かない視覚というものがあり、これもクオリアではない。
「気づかない」ということが「意識に上っていない」を意味するならば、違います。
単純な動作(例えば、「椅子から立ち上がってドアを開け、廊下を歩きトイレに入る」といった一連の動作)の殆ど
(例:全ての筋肉をそれぞれ適切に動かす、眼球を動作の導線に先行させ動かす、必要なら注視する、障害物を避けて
歩く等々)について、「意識しない」で行っている…というのが実態です。
「意識」するのはそれらの「無意識で行っている数百の脳の命令」のうち、「ごく一部」であり、それは「トイレに行く」
という日常動作を「エピソード記憶する必要性」が極めて薄い…という理由によるものです。
それら「無意識の動作」の一部を「意識化」することは可能です。例えば、医者から「頻尿かもしれませんね、一度回数を
計ってみてください」と言われているような場合等です。
普段全部無意識で行っている動作を「意識して行う」とかえって「ぎこちなくなってしまう」ことは往々にしてあります。
浅田真央選手の「トリプルアクセル」とか、高梨沙良選手の「オリンピック会場のジャンプ」等は、その例でしょう。
「可聴対域外の音波」は、そもそも「注意(意識)を向けても聞こえない」ので、それが
クオリアを(人間の耳に)形成することはありません。
要するに「感覚器官的限界」の問題は、上記の問題とは直接の関係はありません。
ただし、犬や猫は2万ヘルツ以上の音波(人間にとっては「超音波」)を脳内に感覚的クオリアとして形成する能力を
備えていることが報告されております。
本日は就寝させて戴きます。
リベットの実験の例を聞くたびに思う(0.5sec後?w)んだけど 意識が立ち上がるケースでなく、立ち消えるケースの実験というのはないのかなと 泣かなくなるのと悲しくなくなるの関係のケース タイミングの関係性は、うーん、特にこうってのは無く単に不定か
>>105 哲学であれば860さんの言うとおりだと思いますよ
イデアは実在としてとらえれていますから
悪しき実体論ですよね
機械さんは意外と哲学に疎いんですよ
あまり読んでいませんし
114 :
考える名無しさん :2014/03/25(火) 23:58:12.18 0
>>113 西欧観念論を勉強したことがあるというなら、代表的な観念論者3名を挙げて、
それぞれプラトン・アリストテレスの影響をどう受けているか簡潔に説明できる?
デカンショ節ではデカルト、カント、ショーペンハウエルだけど、 いまどきションベンハウエルを研究する奴は変り者。 ヘーゲルかな?
>>114 西洋哲学史の基本だからね
まあでもWikipediaの観念論に書いてあることでほぼいいのではないかな
「ほぼ」ね
だからどういう文脈でイデアを使用しているかを宣言してから使うべきだよね
それをすればなんら混乱はおきないから
117 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 00:09:39.06 0
Wikipediaによると 唯物論(ゆいぶつろん、マテリアリズム、英: Materialism、独: Materialismus)とは、 観念や精神、心などの根底には物質があると考え、それを重視する考え方[1]。 対義語は観念論(イデアリズム、英: Idealism)で、精神のほうが根源的で、物質は精神の働きから派生したとみる。 860の独自解釈「アイデアリズム」ではないようだね。
>>117 >物質は精神の働きから派生したとみる。
この部分は全くの間違いだと思われるけどね。そうすると唯物論のほうが正しく思えてくる。
機械が「観念論的誤謬」と呼んでいるのはこのことか?
イデア自体が手垢にまみれた用語で あまりいい意味で使用されることはないでしょ
120 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 00:27:38.41 0
Wikipedia『観念論』 によると ジョージ・バークリやアルトゥル・ショーペンハウアーのように、すべて人間が 認識するものは思考による観念の所産(表象)であると考えるものもある。 つまり、観念論とは、観念的もしくは精神的なものが外界とは独立した地位を 持っているという確信を表すものである。この主張はしばしば観念的なものが自存し、 実在性をもつという主張に結びつく。例えば、プラトンは、我々が考えることができる すべての性質や物は、ある種の独立した実在であると考えた。
物質データが表象を想起させているという見方でしょう 機械やコンピュータは、物質データから表象を認識できずデータとして扱う
>>120 ほぼそういうことだよ
でも観念論をしっかり説明しだすとそうとうに差異がある
ニュアンスが違うというのかな
だから暴力的だけれどもばっさり言うとそういうことでもいいと思うよ
123 :
あまの :2014/03/26(水) 00:37:10.24 0
だから物質と精神を対立させるのは「アプローチの方向の違い」くらいのことだよ。 悪しき慣習だよ。 物質の側から世界を探求する科学のための視点だ。 哲学的はなんの益も無い。
124 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 00:37:14.50 0
>>122 本気で(正気で)物理学や天文学が対象としている世界や宇宙も「人間の観念が創作した」と思うわけ?
125 :
あまの :2014/03/26(水) 00:42:34.96 0
精神が無ければ物質(我々が物質と認知しているもの)は無い。 物質が無ければ精神も無い。 同一の現象を両極から見比べているということだ。
126 :
あまの :2014/03/26(水) 00:46:55.41 0
物質と精神の二元論が誤りを含んでいるということは 心身のハードプロブレムという擬似問題が生じることからわかるだろう。
>>124 俺はそんなことは言ってませんよ
それは誰かが言ったのかな?
ただ人間にとっての外的世界を感覚器官やデータなどで知ることはできるとはいえ
それでもそうした「世界」というものは人間にとって理解可能なように存在しているわけではないからね
あくまでも人間は人間の経験世界の視点からしか理解という行為はできない
だから「物理学=世界」ということにもならない
「認識して理解する」という「行為」そのものが人間として限界を持っている
だからそれらは「解釈」にすぎないということ
人間に「解釈」という「置換読解行為」以外のことはできないんだよ
128 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 00:50:25.92 0
>>125 「あまの二元論」みたいなややこしいこと言い出すなよ。
人類が滅亡しても他の生命は残るし、たとえ太陽が他の恒星と同じように数十億年後燃え尽きても
大宇宙は全くの無関心しか示さない もちろんその頃は人類なんて考古学の研究対象的存在となっている
研究しているのが人類化から進化した「超人類」とは限らないだろうし、
129 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 00:54:21.84 0
>>127 全ては神の掌の上で神の「アイデア」で決められるということかw
>>117 音と字面だけ見てないでちゃんと内容を見なよ。面倒くさい。
http://en.m.wikipedia.org/wiki/Idealism 端的にプラトンとバークリーを比べてみても、
客観的な実在としてのイデアと、主観的な実在としての観念は別。
ロック・バークリー・ヒュームが扱う近現代的な「観念」は、
実体としてのイデアとは異なる、意識における対象としての意味。
これはデカルトが心身二元論をベースにイデアを書き換えたせい。
形而上学的な概念としてのイデアと、経験主義的な概念としての観念の対照は理解…
してもらえるだろうか。
カントは本人が観念論と言ったわけではないが、
主観主義的な立場を強調して慣例的にそう呼ばれる。
物自体は形而上学的だが、観念とは全く無関係。
ヘーゲルも観念論者だが、これは精神現象の分析から絶対知へ至るという
方法論的な部分を強調した見方と思われる。
観念論者が理想論者としばしば同じにされ、そこに何らかの
侮蔑的ニュアンスが含まれるのはおそらくヘーゲルの影響も大きい。
(唯物論というか物理学の隆盛はそれ以上に大きな背景だろうけれども。)
近代から現代にかけての実証主義的な転回の中で、
ヘーゲルのような「机上の空論」という意味合いが「観念論」に加わった。
一言に観念論と言っても、もう全然違う訳です。
131 :
あまの :2014/03/26(水) 00:57:28.00 0
>>128 多分、これが不思議なことを言っているんですよ。
何故か、時間という形式内の存在である我々が、何故か形式を超越した視点からものを言っている。
超越した割りに、時間の内部から「人類が滅亡した後も」と言ってしまっている。
>>129 (笑)うまいことを
二元論なんかについなってしまうのもそうしないと説明の俎上に載らないからだよ
何かの考えを説明するというのは「分節」する行為だからね
二元論は二つに分節したわけですよ
ところがどっこい世界なんかちゃんと分節されているようなものではないでしょ
むしろ複雑に絡み合っている上に相互作用の無限連続…
素粒子もやはり仮説であって実体なのか何なのか実はまったくわからかない
今のところはそういう状況ですねえ
133 :
あまの :2014/03/26(水) 01:01:51.93 0
空間というものが実在しないように時間というものも実在しない。
134 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 01:05:42.31 0
>>130 だからあんたは何を言いたいの?
日本語の「観念」を「イデア」と訳している辞書・辞典が沢山あるようだが、
それらが全部間違いだとわめきたいのか?
「観念」というのは日本語なんだよ?
むしろ「イデア」を「観念」と翻訳したのがはじめで、「イデアリズム」が
「観念論」と翻訳されたのはその後の話だろうが、現在そう使われている
んだから、じたばたしてもしょうがないじゃないか?
それともいっそのことWikipediaの書き換えでもしてみる?
135 :
あまの :2014/03/26(水) 01:08:33.31 0
空間や時間は実在ではなく現象と矛盾しない(ような外観を持つ)便宜的なスケールなんだよ。
>>128 全宇宙がシュレジンガーの猫状態になって、宇宙が有るのか無いのか不明になるだろう
137 :
あまの :2014/03/26(水) 01:12:52.96 0
科学的探究のためには定量化しないといけないから時間を実在として扱う必要があったのだよ。 最先端の現代物理が時間の扱いに「まだ困っている様子」を見るといいよ。
>>134 観念論者によって「イデア」という「イデア」は異なるということを
言いたいらしいが、結局何を言いたいのかの自分の「イデア」を見失ってしまったのだろうw
139 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 01:14:29.87 0
神にアイデアなんてないよ
>>130 なるほど、勉強になります。
それはそれとして、クオリア=観念(観念に完全に包含される)って言い切っちゃうのって
どうなんですかね?
話の流れもあって、どうもそういう風に言い切っちゃうのは、それはそれで座りが悪い気もするんですが?
141 :
あまの :2014/03/26(水) 01:15:27.25 0
神とか19世紀に死亡が確認されたじゃないですか。
142 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 01:17:02.68 0
神は死ねない
143 :
あまの :2014/03/26(水) 01:20:25.66 0
まあ、ヘーゲルが言ったような理想主義的な神の存在の線は薄そうですね。
144 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 01:22:14.08 0
>>140 馬鹿だなぁおまえ、観念論者に言わせれば何でも観念に完全に包含されることになる。
観念と別に実在する存在があるというならそれは単なる素朴二元論で、聞くだけ無駄。
145 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 01:26:09.90 0
作用は、物質の振る舞いは無条件で発生しない
>>144 観念に包含されておしまいのとっぴんぱらりのぷう、って言っちゃったら終わりで、
そうじゃなくて云々かんぬんということで、意識のハードプロブレムとか出てくるでしょう。
だから、単純に観念なんでって言われてもねぇ。そういう流れはおかしかろうな。
そこは、決定論というこのスレの主題からしても重要なんじゃねーの。
147 :
あまの :2014/03/26(水) 01:40:52.60 0
精神も物質も同じ因果の流れの中であれば、実際、決定論に影響はないですけどね。
148 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 01:49:56.74 0
同じ因果に依ってあり、決定論でないことは立てられる
149 :
あまの :2014/03/26(水) 01:53:05.15 0
こんな短い文章に矛盾を含ませることが出来るとかすごいと思います。
>>134 言葉の意味、概念の内容、それらを規定する理論や文脈(や歴史)に無頓着な人は
楽そうな上に楽しそうで羨ましいなと。
>>140 言いましたっけ、そんな事。
クオリアは意識に対して直接的な現れなので、
「主観的なイメージ」全般を指す観念の方がアバウトな概念ですね。
クオリアと違って観念には質感が必ずしも伴わないので、その種の
抽象観念になるとクオリアではなく概念的になりますかね。
質感と共に現前性もクオリアの特徴でしょうか。
「私」とか「意識」とか、観念ですがおそらくクオリアではない。
この辺りが際疾くて面白い。
人によってはクオリアを実体として考えている人もいるよね アメリカの認知科学系の学者なんか
>>150 言ってませんです。
しかしながら、変な流れができそうな感じだったので、詳しい人に訂正して欲しい
と思った次第です。
>>151 さんがおっしゃってるようなところが、クオリアなる考えが出てくる契機だったみたいな
ところがあるんじゃないんですか?なので、観念なんだよ、おしまいみたいな流れは是が非でも止めたい。
153 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 04:54:06.01 0
154 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/26(水) 08:01:36.64 O
「観念」というのは「観」であり「念」 受動的なものも能動的なものも 全て含めた「思い」全体を指す いちいち当たり前の事を説明さすなよ 「観念論」というのは 「思い」に関する、さまざまなものであり 意味は多岐にわたる 「イデア論」とは別 「この言葉に訳されているから」と 単純につなげてると、おかしな事になってしまうよ
155 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/26(水) 09:26:53.27 0
>>68 (860氏)
意識の本性は受動的である。その入路が“感官”だからである。
意図的に感官を閉じないかぎり「みえる」し「きこえる」し、匂う。
これが、つまり何かを感じているのが、意識の初発である。
次いで“情”を催し、それについての観念(意味)をもつ。
このあたりが“志向性”なのだろうが、それは“受動性”を前提にしている。
茂木氏はクオリア一元論だったが、クオリアと志向性の(心的)二元論へと修正し、
にもかかわらず“クオリア”なる概念に拘泥し「感覚的クオリア、志向的クオリア」
によって“心と脳”を論じ尽くそうとしているのである。(これに機械氏も追随)
しかし“感覚(クオリア)”は志向しない。w
それは意識において受動的に表出されるだけである。
156 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 09:31:52.91 0
>>154 860もそうだが、都合のいいマイ定義をでっち上げて自分だけで納得できる奴も幸せな奴だなw
157 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/26(水) 09:35:09.95 O
>>156 せめて一般常識を理解できる程度の国語力は欲しいね
言葉の定義というのは単なる取り決め、故に変化する。 辞書は基本的にはその後追いに過ぎない。 肝心なのは議論の内容。 定義の「正当性」に固執するのは愚者の所業と分かる。
159 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 09:44:56.09 0
>>158 哲学では「語源」について重要視する必要性がある。
定期的にその後を使うようになった背景まで遡って考察するという伝統もある。
今では押しも押されぬ哲学者ニーチェは自分では「古文献学者」だと思っていたそうだ。
「一定の成果」を示さないとイカンからでしょ ニーチェが押しも押されぬ?冗談だろ?w
161 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 09:52:38.32 0
>>160 フーコーとかデリダとかそのあたり全く読んでないでしょ?
まあ、お前には読んでも難しくて理解できないとは思うけどねw
162 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/26(水) 09:58:03.80 O
外国の哲学書が、適切に訳されているかといえば 必ずしも、そうではない 適切な語がない場合も多い 近似的な言葉をあてるわけだが 文脈から、内容を拾い上げる能力の低い人には 永遠に理解に辿り着けない作業となる
難しくて理解出来ないものは学問の目指す処では無い。 恥じるべき点であり、それを誇るなど論外。
164 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/26(水) 10:03:09.90 0
>>106 揚げ足をとるようですが、新生児には「ボールが転がる」のがみえません。w
それが視覚に入り、関心をもつとすれば、まだ言葉を習得していなくても
(以前にも述べたが)自/他が分岐しており、その事態を視覚的かつ感情的に
捉えることが可能な場合。
しかし、感覚と感情だけで言語的差異化(主語、述語…によって事態を関係
づけるの)は不可能。事態を全体的に統覚できず、したがって意識に“観念”
を構成することはできない。
もっともイヌやネコにも観念がある、というのなら別だが。
165 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 10:05:51.26 0
>>164 じゃあ、いつから「ボールが転がる」のがみえるようになるの?
突然そうなる瞬間はどういう契機だと思う?
166 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 10:13:04.48 0
>>163 あんたにはフーコー・デリダも読まないで(理解できないくせに)
ニーチェを語る恥を知って欲しいだけだよ。
論外は自分なんだと知れってこと。
167 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/26(水) 10:13:09.69 O
>>164 >みえません
というのは、おかしくないか?
五感はあるでしょう
みえたり、外界を認識するから
自他を認識しはじめたりするのでは?
>>167 それって結局、機械氏の説「クオリアは観念に先行する」のバリエーションにならないかな?
170 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 10:18:49.66 0
>>168 すいません。他の馬鹿な名無しと混同しました。まあ、所詮名無し同志ですからw
171 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 10:21:29.79 0
>>167 その何気なく言ってる「自他」の「自」って、あなたの言う「私」でいいの?
172 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/26(水) 10:33:30.13 O
>>171 「私」に関する「自」は「私」以外にないでしょうね
何が聞きたいのか、よくわかりませんが
173 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/26(水) 10:37:40.21 O
>>169 それは国語的に、おかしいでしょう
クオリアは、明らかに観念(思い)の一部です
174 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/26(水) 11:00:08.59 0
>>171 横からだがw
「私」とは、私という“観念(意識)”なので、一般的には四歳前後から。
それ以前に自/他は分岐する。
乳児は欲求し、それを満たすことができれば“快”だが、意のままにはならない。
それを満たしてくれる“他”と、満たされる“自”が分かれる。
もう一つは、たとえば排泄物は不快であり、それが除かれると、快をえる。
他(排泄物など)と、それを不快に感じる“自”が分かれる。
感覚的かつ感情的差異化によって他/自は分岐する。
ただし、快/不快を与える対象(他)とそれを受容する自が、観念(他者/私)として対象化される
ためには、やはり“言葉”の習得を待たねばならない。
175 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/26(水) 11:09:07.25 O
たとえば「赤」のクオリアは、観念世界にしか存在しません 「赤」は「赤い感じ」であって 外界に「赤」として存在しているのではありません 「思い」の世界、「観念」です 森に人間がいなければ 木が倒れても 「メキメキ!ズドドドドドーン」なんていう音はしません 空気が振動するけれども そのような「感じ」に感じるのはクオリアであり 我々が感じているのは観念の世界です こんなのは基礎中の基礎なんで、説明させないで下さいよ
176 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/26(水) 11:15:54.50 O
>>174 横からだが
自他を分別するのは
いわゆる「自我意識」であって、精神活動
「自分」を認識するのです
「認識する」が精神活動
認識するのですよ
「自分」をね
「自分」は、精神活動ではありません
なるほど、単なる物質が「認識する」を行って初めて「自分」が生成されるのわけですな
178 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/26(水) 11:36:51.54 0
定義なので好きにすればいいのだが…w 五感(官)を経て“(何かを)感じている”のを“観念”とはいわない。 また“怒っている”そのさなかを“観念”とはいわない。 それらを後づけ的に意味づけたのが“観念”である。 たとえば、動物のなかにはヒトよりも勝れたクオリアをもつものがいる。 クオリアが観念なら、それらはヒトよりも豊かな観念をもっていることになる。w ただし、クオリアも感情も主観(的体験)ではある。 何か感じ、感情を催しているのは「観念をもっている」とは異なる主観的経験なのである。
179 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/26(水) 11:37:58.40 O
アスペの人は、主語と動詞の関係が理解できないようだね 「犬が走る」と言えば 「走るから犬なのだ」みたいな?(苦笑 なんか健常者とは思考回路が逆のようだ ヤバイヤバイ
よく分からんな 物質が自分を認識する 文法的に何も間違っていないと思うが 何も認識する対象が必ずしも自分とは断定していないのだが 曲解はやめてもらえないだろうか?
181 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 11:41:54.18 0
現状、アスペなのは最高位ですけどね
182 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/26(水) 11:46:55.54 O
>>178 「思い」は観念ではない
みたいな事を言ってたら笑われるよ?
一般的に、主観的なこと全体を「観念」というんだよ
「イデア」とか「概念」というふうに、言葉を絞って議論した方が賢い
なんでわざわざ広い意味で使われている言葉を
そこに使うのか意味不明
183 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/26(水) 11:47:40.53 0
乳児に自我意識がある? 最高位なら、そうだったかもしれません。w 乳児にあるのは“欲求”である。そして、快/不快の感情。つまり“意識”である。 意識は他/自を分け、自分の身体にもたどりつく。乳児の意識には、身体も“他”なのである。
184 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/26(水) 11:51:22.02 O
>>180 「物質が自分を認識する」(苦笑
メルヘン文学なんだよ
もっと厳密に突き詰めて考えなさい
SFだよそれじゃ
>>184 全く内容の無いレスですね
厳密に突き詰めて考えるとそのようなレスを生成するのですか?
186 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/26(水) 11:55:32.85 O
>>183 あー、それ誤読だわ
やり直し
もっと、ちゃんと読んで考えるように
>>176 「自分」を認識する精神活動は観念だから、「自分」も精神活動では?
188 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/26(水) 12:05:14.07 0
観念の“観”には「みる」「示す」「考える」等の意味がある。 “念”は「覚えている」「おもう」「考える」などの意。 つまりこの語を「イデア」にあてたひとには“観念”が感覚や感情とは異なる という認識があった。むろん、この三つを一からげにするのは勝手だが。 機械氏も使い方を間違っているけれどもwそこは分けている。
愚者最高位 ◆Trvm6PB/QQ
ものごころつく前と睡眠時の「私」について 最高位さん是非自論を解説して下さい
192 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2014/03/26(水) 13:27:00.32 0
横からちょっと失礼します。 自我の定義と言いますか 例えば、「これは私の所有物」であるとかの場合 或いは、誰彼の違いを認識する場合 さらには、もっと進めば宗教ですが、俗に言う魂であるとか どのレベルを指すのかによっても意味合いや解釈が変わってくるのでは? 以前のスレで、意識についても 本能的な危険を避ける為の無意識的な反射、錐体外路の場合(これは神経) こういった身体的な事象ではない深層心理的な無意識であるとか 物質的なものに関わるかそうでないものなのか。 それらを前提にされては如何でしょうか。
>>189 物を認識しようとすると質感が残像として現象するとか
日光が当たると影が生まれるみたいなもの
194 :
黄檗 :2014/03/26(水) 15:16:12.53 0
〜クオリアは問答無用なのか〜
「クオリアは<私>に直接に与えられる」
「赤が赤であることを、物理的に説明することは不可能」
たしかにそのように信じることはできます。(信じる。。雑なこと言ってしもたわ。)
しかし果たして本当にそうでしょうか。
ほとんど無根拠な思い込み(=直観ポンプ)に過ぎないのでは。。。。なんて
いまさらかと思いますが、こんな例を拾ってきました。
下の絵のAとBは、単独では全く同じ色です。
http://blog-imgs-24-origin.fc2.com/g/i/f/gifjpg/ogiuo.jpg また、下の右の図形と左の図形は、切り取り方が異なるだけで、配色は全く同じです。
http://blog-imgs-17-origin.fc2.com/c/h/a/chaosch/uporg1036867.jpg 通常の人間であれば、違う色に見えるようです。
わたしも通常の人間のようです。
色というのは、問答無用にそのようにあるものではなく、
“その色であること”の理由は、空間に影響されている。
色に影響を与えるのは、空間配置だけではないかもしれない。
感性だけでなく、その人間の知性が色に影響する、その可能性もある。
このことを色だけでなく、「クオリアと呼ばれる方便」、その一般に適用できるのでは
と考えても罰は当たらない、、かしら。
まあ、「理由がそうある理由」を考え出すと際限が無いわけですが
押入れの中で観念をひねくり回しても、なーんも出てこないわけです。
世界は人間が考えるよりも大きいので。
立ちくらみの瞬間のリベットの実験結果はどうなるのでしょうか
196 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/26(水) 18:01:39.39 0
クオリアを問答無用、といっているアホはいないでしょう。 その二つの例は黄檗氏が感じたように、ほとんどのひとも感じるのではないか。 AとBは「単独では同色」といわれても、もし同色に感じれば、そのほうが異例だろう。 クオリアも意識なので“関係”(この場合は配置)に左右される、というにすぎない。
197 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 18:04:32.35 0
>>194 機械は「色なるものは実在しない」っていつも言ってるよね。
誰も機械のレスまともに読んでないんだw
198 :
黄檗 :2014/03/26(水) 18:08:02.99 0
クオリアも意識なので関係に左右される。。。 「意識が関係に左右される」ことは自明なことですか?
199 :
黄檗 :2014/03/26(水) 18:10:44.58 0
>>197 機械さんはですね
「指向的クオリア」とかいう主観的ファンタジーを
ビカチューの如きアニメのキャラクターのように語るので
もうネタとしか思えないのですね
200 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 18:21:25.11 O
201 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 18:23:52.78 0
>>199 機械がしつこくクオリア!クオリア!て繰り返したからみなさんやっとクオリアについて語りだしたんだよね。
哲学の領域ではクオリアという概念自体タブーだったでしょ?
202 :
黄檗 :2014/03/26(水) 18:24:43.06 0
あと、機械さんには悪いですが 唯物論を徹底するなら、「色こそが実在する」ぐらいに考えないと 「質感」はいつまで経っても、 ・意識(とか私とか)と、何かしら(情報?)との間の「関係」 としてしか表現できません。 機械さんは、クオリアを擬人化して問題の先送りをしているだけです。
203 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/26(水) 18:24:47.12 0
>>198 意識とは“関係の意識”である。この意味は深くて広いのだが、単純にいいます。
黄檗氏がコップをみている、とする。そのコップがどのような状況下で、どこに置かれているか
で、コップの“みえよう”はかわってくる。
もう一つ、意識が志向性か受動性かはともかく、対象と主観との相関によって生じるのは確か。
主観がどのような心的状況にあるかで、これもまたその“みえよう”に変化をもたらす。
>>201 感覚的クオリアについてはね。
それに加えて志向的クオリアでは誰も付いていけないw
205 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/26(水) 18:30:29.09 0
>>202 それが不可能なので、議論は尽きないのである。
茂木氏もノーベル賞は諦めたようである。
206 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 18:30:40.01 0
>>202 機械氏に言わせると意識とか自我とか感覚とか全部は錯覚の一言でしょうね。
主観的な存在は全部「錯覚のようなモノ」となれば近づいているともいえる。
207 :
黄檗 :2014/03/26(水) 18:30:40.68 0
>>203 そのコップの「みえよう」についての説明は、
コップのみえようについての『経験的な性質』ということで宜しいですか?
コップのみえようから、色の見え方は演繹などされませんよ。
意識が対象と主観との相関によって生じるのは『確か』なのですか。
その貴方の確信は、何を根拠にしているのですか?
自然科学的な法則とクオリア(感覚質)とか観念の問題って、 結局は、どっちか一方のみに傾倒するのでもなく、 かと言って二元論的なところに落ち着くのでもなく、 双方が統一された一元的なものになりそうな気がする。
209 :
黄檗 :2014/03/26(水) 18:33:02.47 0
>>206 機械さんでなくても、貴方で良いので答えてください
主観、自我、感覚が錯覚だとして、
『錯覚ではないもの』って、例えば何ですか?
211 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 18:42:02.50 0
>>209 「何かがある」のであって「何ものもない」のではないこと。
それだけが錯覚ではないってことでしょ。
物理学的に表現された宇宙の存在を疑う必要はないが、CG作品として映像化された宇宙は
人間の感覚的クオリアになるようにうまく加工されたもの。
宇宙のほかの部分に人類と同等かそれ以上の知性を持った生物は過去・未来問わずに存在するだろうが、
必ず滅びるという運命は免れないだろう。
物理法則に従えば恒星は必ず爆発して滅びるから。
212 :
黄檗 :2014/03/26(水) 18:42:51.86 0
「自然には色も熱さもない」 というのは、もはや言い古された感のある「現代科学の常識」なわけですが 実はこの主張には『科学的な根拠が無い』という盲点があって よく考えてみれば、 ・観念内に構成される物理学的世界には色そのものが介入する気がしない。 という直観が根拠なわけです。
213 :
黄檗 :2014/03/26(水) 18:44:53.84 0
>>211 その3行目以降は、全て貴方の錯覚であるように
私には思えますが、どうですか?
214 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/26(水) 18:51:57.47 0
>>207 いえ、いますぐコップでも何でもいいから、みてください。
もしみえれば、その“みえよう”が関係意識だといっているのです。色もついているでしょう?
対象それ自体は意識できないので、したがって錯覚であり、幻想といってもかまわない。
意識は“何かの意識”であり、何か(対象)との相関としてしか生じない。
(対象)との相関性が意識の常態である、と確信している。根拠はありません。
ちなみに機械氏が信じているのは科学的言説。いいかえれば“概念”による論述。
意識やクオリアを錯覚とか幻想だという人がいますが、私は賛成反対以前に 趣旨が理解できません。 以前ブラックボックス氏も同様に「天球」とか「フロギストン」に なぞらえて「そんなものは存在しない」と断言していましたが、 意識やクオリアというのはそういう観察や経験の結果を統一的に理解するための 「説明概念」ではなく、「直接観察・経験できる生の対象」あるいはそういう 「観察・経験そのもの」に便宜上つけられた名前です。 たとえば「エネルギー」とか「素粒子」とか「物理法則」とかいうのは ある種の説明の便のために作られた概念ですから「そんなものは存在しなかった」 として「消去」される余地もあると思いますが、「クオリア」というのは そういう意味で消去されたりする余地はないと思えます。 しかし、「クオリアとか意識とかは錯覚・幻想である」という考えは、プロの論者にも 唱える人が少なからずいるようです。別に煽りでも何でもなくその趣旨が わからないので、そういう立場の方はわかりやすく説明していただけると幸いです。
216 :
黄檗 :2014/03/26(水) 18:54:31.99 0
>作用は、物質の振る舞いは無条件で発生しない >同じ因果に依ってあり、決定論でないことは立てられる よく分からんが、続き待ってるぞw 「神にideaなんてない」・・・そんな気がするな、私も
217 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 19:00:42.56 0
>>214 >いいかえれば“概念”による論述。
あなただって、言葉で自説を主張している限り“概念”による論述をしている。
218 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/26(水) 19:05:16.34 0
いや、うまく概念を使いこなせず、ほとんど観念による叙述です。w
219 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 19:07:49.45 0
>>213 いや客観的な情報は錯覚ではないと言っている。
宇宙の実際的な姿はどうであろうと人類には見えているし、同じように見ることができる知性は人類以外にも存在する
に違いない。共通の言語があるとすればそれは数学なり物理学だろうということ。
クオリアの発生の仕方が人類と全く異なっていても数学や物理学の正解は一致するだろうということ。それが本当の客観世界。
220 :
黄檗 :2014/03/26(水) 19:09:10.11 0
>>214 コップに色がついていることから、貴方は
>>194 のような絵ついての事態が
当然だと思いましたか?
わたしは、あの絵の説明を聞いたときには、大変に驚きました。
現前する色は、主観的にという条件に限って言えば、その色に見えているはずだ
との確信も揺らぎました。
世の中にめったにいないほどのアホなんでしょうね、私は。
**********************************
ずいぶん以前にも言いましたけど、「意識は何かの意識である(志向性)」というテーゼは
それが「意味を持って了解される限りに於いてだけ」有効なのであって、
意識一般について、それをまるで万能の定理であるかのように無制限に適用できるものとは
思いません。
221 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/26(水) 19:11:44.64 0
>>215 たしかに消去することはできないが、それが錯覚である(対象それ自体ではない)可能性
まで否定できないのでは?
222 :
黄檗 :2014/03/26(水) 19:12:44.62 0
>>219 その「客観的な情報」というものから
主観を排除できると思いますか?
何でも皆クオリア持ってるじゃ何がダメなの? あなたのクオリア減らないよ?笑
何でもクオリア持ってる様に見えない? じゃあ あなたのクオリア、とても一つには見えないよ?笑 もっと柔軟に考えたら?
>>221 それが錯覚であって対象それ自体ではない、という意味がよくわかりません。
「何らかの対象があって、主観がそれに触発された結果として”それ”がある」
という考えの構図が間違いである可能性は大いにあると思います。
しかし、それは「それ」が錯覚であって存在しない、ということとは全然別です。
いわゆる懐疑論を進めれば、存在するのは「それ」だけであって、対象も主観も
存在しないという考え、いわば「唯意識現象論」とか「唯クオリア論」とかは哲学的には
十分成立する、まあ、ありふれた考え方に過ぎません。
(これは、「それ」が何らかの実体だとか継続性があるとかいうことでは全く
ありません。)
しかし、「それ」自体が錯覚であって存在しない、という可能性は想像上でも
思考不能だとしか思えないのですが。
226 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 19:54:05.04 0
>>222 数学や物理学は主観の排除を徹底することがその方法論だからこそ宇宙のどんな生物が研究しても同じ結果が出る。
この板みたいなブンカケイの人間なんかはそれこそ主観の迷宮を彷徨う哀れでちっぽけな存在だということさ。
>>225 存在しないとまではゲームさんは言ってないんじゃない?
脳が決定論的に動作しているのにも係わらず、意識には「自分が意思してやった」と感じられる。 脳内の過程が意識できないだけなら(心臓の鼓動のように) 「勝手にそうしてしまう」という感じかたでもいいのに、「自分が意思してやった」。 この脳が作り出してるとしか思えない自由意思感を、錯覚のようなものと呼ぶなら納得できる。
主観の排除を徹底すると数字の塊しか残らないぞ
>>226 数学や物理学によって研究結果をだすことの必要条件から主観を除けるかって質問じゃないの?
素数においてその約数から1を外すことは不可能だ
>>229 主観を排除などできないでしょう
客観を理解するためにはその人の主観が必要だからね
233 :
黄檗 :2014/03/26(水) 20:34:23.37 0
>>226 かつて大暴れしたブラックくん程のエキスパートが言うなら
その煽りにも、ある程度の説得力があるのだろうが、
しかし奴なら、そんな軽率なことを言わないような気もする
・・・・いや、言うかなw
数学に介入する主観
考えておく
235 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 20:39:06.76 0
なあ、唯物論と観念論の重複点があると過程したら、 その特徴はどんなものだと思う?どうやったら存在させられる?
>>235 唯物論も観念論も人間の意図的な分類だから
それに「世界」を合わせようという意図があるなら間違いだろうね
どちらのスタンスも必要だし
正反合
238 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 20:46:16.51 0
唯物論と観念論が両方成立する特異点があると思うんだけどおかしいかな? 唯物論と観念論の中間にあって、時間の流れやその他もろもろを逆流・反転させる特徴をもっていて、 スピノザのいうパンセイズム的な神と宇宙の外側から対峙している状態なのが、 今の人間が見ているこの世界の実態だと思うんだが
240 :
235、238 :2014/03/26(水) 21:49:04.40 0
その考え方がよくわからない バカで申し訳ない なぜ重なっていてるのかがさっぱりだ 特異点があって両方を相互作用させる機能を担ってちゃだめなの?
241 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 21:52:29.38 0
園児並みの顔面ぐあいだな
242 :
235、238 :2014/03/26(水) 21:58:30.53 0
人間って一方では世界の一部であり、一方では世界から剥離されてる訳ですよね 脳が情報を加工して解釈してる部分もあるわけですし、神経症によって多少の必然性が生まれるんですから
>>155 ブレンターノの記述心理学においても、
その後のフッサール現象学においても、
その原因を推量して「現れ」を受動的とは言いません。
「それは受動性を前提にしている」というのは、「あなたにとっての前提」であって、
志向性に対しては二重の意味で外付けの概念です。
私見としては妥当な「推論」だとは思いますし、
意識の志向性と矛盾する事でもないのですが、
「志向性と受動性がほぼ同義」というのは…。
244 :
あまの :2014/03/26(水) 22:00:23.32 0
とりあえず馬鹿はインドに行ってみろ。 そしてそこに永住しろ。
245 :
235、238 :2014/03/26(水) 22:07:02.23 0
他のヒトはいいヒトですけど、あまのさんだけは許せません。 あまのさんは哲学板から即刻出て行くべきです
246 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 22:10:28.40 0
これでもあまのっちはマシになった方だよ 前は独言しかいわなかったからw
247 :
あまの :2014/03/26(水) 22:18:06.36 0
あれ〜?
248 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 22:23:50.65 0
>>247 まだまだだけど、
あまのっちは、だいぶ会話らしきものができるようになったよな。
249 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/26(水) 22:25:28.64 0
>>225 「存在」を否定できない。そういっているでしょう?
ただし、存在の“意味”は幻想、あるいは錯覚である可能性をなしとはしない。
所詮、主観による認識である。主観の“いいかげんさと頑なさ”は周知のとおり。
主観性を支えるのは“意識”であり、クオリア、感情、観念が客観的“真”に的中する可能性は薄い。
>>220 「意識一般」とは何? 意識に比較的“一般性”が認められるのは感覚的クオリアwだけ。
感情にも観念にも客観性はない。そんなものを「万能の定理」とするわけがなかろう。
>>225 見かけと違った実体があり、
見かけとしての「それ」を作り出す機構があると考える。
それが幻想として存在するのは否定出来ないが、
あくまで幻想であり、現実とは区別される。
受動意識仮説においては、
「私」を作り出す機能が脳にあり、脳は記憶をより印象深くするものとして、
そしてそれだけのために「私」を生じさせる。
「私」は体験に臨場感をもたらすアクセント以外の機能を持たない。
でも、これが根本的な反論かというと、違うとも思われる。
実際にこの説の支持者も「私」を別の概念に置き換えられない。
キリスト教的なエピステーメのためと機械さんは言いますが、
とりあえず自分はそこから抜け出してもらいたいものです。
「私は唯物論者です」というような発言をするひとは 成長が停止した子供のようなもの 世界をより知りたいのではなくて 世界を自分の考え方に合わせようとしているだけです 機械さんはまったくそうでしょうね そういうのを「本末転倒」というんですけれども
機械さんの理論は、受動意識仮説の部分はそのままなので比較的理解は易しい。 「志向的クオリア」については概念的にも理論的にもオリジナリティがある。 そして受動意識仮説との齟齬が生じている。それも「錯覚」でしかない。 志向的クオリアという「錯覚」を育てる云々は観念論的誤謬ではないかと思うのですが。
253 :
あまの :2014/03/26(水) 22:36:07.30 0
254 :
「機械的唯物論」者 :2014/03/26(水) 22:38:51.20 0
>>155 >>243 志向性とはその名の通り「性質」です。
脳のOSとして、産まれつきプリインストールされている機能です。
それは主観(意識)にとって「志向性」として意識されますが、
私は外界(五感)から入ってくる情報を選別し「感覚的クオリア」を構成する
働きを担います。
「志向的クオリア」が選別・構成した「感覚的クオリア」はその交点で「意識」
を構成するようになり、両者は相互に影響を及ぼし合って「成長」していきます。
「志向的クオリア」は「リンゴは果物)の一種)である」といった「意味記憶」
「あのとき、あそこでAさんとリンゴを食べた」といった「エピソード記憶」
「テニス・ゴルフが上達する」「トリプルアクセルを飛べる」といった「非宣言的記憶」
といった「記憶」として脳内の複数の部位に蓄積されており、それが「五感神経細胞
から入った電気パルス」を構成し「感覚的クオリア」を生み出す…ということです。
そのように「志向的クオリア(記憶)」の成長に伴いそれにより生み出される
「感覚的クオリア」も成長を遂げる…そのような相互扶助ともいえるシステムが脳内で
働いております…すなわち「学習」とは、そのような脳のメカニズムの過程を指す言葉
なのです。
学習の過程では個別の体験(フィードバック制御)から、複数の体験の積み重ねの応用
(フィードバック誤差学習)さらに体験の予測対応(フィードフォワード)への移行があり、
脳内の過程では「順モデルのイメージング」から「逆モデルのイメージング」への進歩等々
があります。
この辺の(脳の)メカニズムはとてもここでは書ききれないほど「概念化が難しい」
(とても短い文章では説明しきれない)ので、AI研究で最近顕著な発展を示している
「認知科学」の分野における(人間の脳の機能についての)分析研究・関連著書を参照
されるようお願いいたします。(リベット、デネット、前野、茂木etc…)
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
>>252 機械さんの勝手ではあるのかもしれないですけれど
「クオリア」という用語じたい僕はあまり好きではないんですよ
「意識」の中の側面のひとつですから
わざわざそこだけクローズアップした用語は自分には必要ないんで
「思考的クオリア」というよりも「意識」を主語にして説明した方がわかりやすい
256 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/26(水) 22:43:45.31 0
>>243 主観に定位すると「志向性」という表現になる。しかし、対象に照準すると「意識は
それを受動している」となる。だから「意識と対象の相関性」というほうが適切。
今日では、意識は受動的…のほうが流行りだろう?
機械氏は何をトチ狂ったのか、現象学のキー概念に飛びつき、それにクオリアを合体
させ、本来、典型的な受動意識のクオリアを主語化するという跳躍を敢行。
まぁ、茂木氏の模倣なのだが。
257 :
「機械的唯物論」者 :2014/03/26(水) 22:46:06.77 0
>>254 の一部訂正です。
>私は外界(五感)から入ってくる情報を選別し「感覚的クオリア」を構成する
>働きを担います
→ 私はそれを「志向的クオリア」と呼称しておりますが、それは外界(五感神経細胞)
から入ってくる(電気パルス)情報を選別し「感覚的クオリア」を構成する働きを担います
258 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 22:48:06.24 0
機械おやすみ
>>254 >「志向的クオリア」は「リンゴは果物)の一種)である」といった「意味記憶」
>「あのとき、あそこでAさんとリンゴを食べた」といった「エピソード記憶」
>「テニス・ゴルフが上達する」「トリプルアクセルを飛べる」といった「非宣言的記憶」
>といった「記憶」として脳内の複数の部位に蓄積されており、それが「五感神経細胞
>から入った電気パルス」を構成し「感覚的クオリア」を生み出す…ということです。
志向的クオリアの作用が感覚的クオリアの出現に先立つというのは危うい。
志向的クオリアは何に対して働くのですか。電気パルス?
だとしたら、リンゴの視覚が生じる前にそれにまつわる情報が付随するんですかね。
感覚的クオリアから、二次的に生じるものだとばかり思っていましたが。
で結局「錯覚のようなもの」なんですか。志向的クオリア。
なるほど機械さんは「唯物論者」というよりも 「実体論者」に近いんですね
>だから「意識と対象の相関性」というほうが適切。 意識と対象は相互補完関係にあると思われます。二元論です
263 :
「機械的唯物論」者 :2014/03/26(水) 22:57:20.92 0
>>259 >志向的クオリアの作用が感覚的クオリアの出現に先立つというのは危うい。
ですから「原初の記憶」として(OSとして)嬰児の脳にプリインストール
されているのが「原初の志向的クオリア」である…と何度もご説明しているのでは?
それが「体験としての感覚的クオリア」によって、「上書き更新」されていくという
メカニズム抜きにして、「ロマネ・コンティと5千円ワインを見分ける脳」を育てる
ことは不可能である…ということです。
本日は就寝させて戴きます。
264 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 22:58:25.98 0
機械はやくおやすみだろ
265 :
あまの :2014/03/26(水) 22:59:07.59 0
相互補完関係にあるなら結局一元論に還元されうると思いますがね?
>>263 そこはいいんですってば。
感覚的クオリアが生じる前、例えばリンゴが見える前に志向的クオリアが
リンゴの構成を終えているというところです。私がまずいと言うのは。
267 :
あまの :2014/03/26(水) 23:01:29.87 0
異質な二つの本質が相互補完するわけないですからね。
さりげなく「300万円」ではなくなっているw
269 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/26(水) 23:02:55.38 0
>>254 そういう順序にはならない。始めに(対象に対する)感覚があり、それが知覚され、
さらに意味づけられるとき、それを構成するのは記憶。志向的クオリアと呼んで
いるのは機械さんと茂木氏だけではないか。
この「記憶」のなかには過去のクオリア、感情、観念がくるめられており、どれが
主役となって現前の対象を意味づけるのか、その機制もよくわかっていない。
意味づけられた現前は「記憶」に蓄積される。
>>266 そこですね
それだとチョムスキーになってしまうでしょうし
271 :
「機械的唯物論」者 :2014/03/26(水) 23:07:45.94 0
>>266 ウィンドウズ8.1がプリインストールされているパソコンにマックOS用の
データを入力しても「何も起こらない」のが通常の感覚です(最近は知りませんが)。
逆にウィンドウズ8.1対応の画像データを入力すれば「結像」する…ということで、
その「結像されたモノ」が「感覚的クオリア」です。…実際は「画像処理ソフトが
必要だ」などと…下らない茶地を入れないでください。お願いします。
本日は就寝させて戴きます。
志向的クオリアにこだわらず別の名前をつければ混乱はないだろうに
>>271 なんかグチャグチャですね
「クオリア」という用語は必要ないみたいです
274 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/26(水) 23:24:07.72 0
>>263 嬰児に先天的に「ある」のは本能と荒い触感。
それを無理やり“指向的クオリア”と呼ぶのは適切ではない。
そもそも感覚的クオリアは構成されるものではない。構成されるのは“知覚”から。
殴られて痛いのは、その痛みが指向的クオリアによって構成されるからではない。
感覚と感情は“構成”以前の剥きだしの意識である。
275 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 23:28:41.57 0
でも、足を踏まれて痛がるのは足ではなくて実は脳なんだよね。
記憶と感覚的クオリアの交点で意識ができるという理屈はわからんでもないが。
277 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/26(水) 23:38:35.37 0
>>275 脳も痛くはない。脳・機能の所産である“意識”において痛みを感じる。
麻酔をかけられ、眠らされたら(意識を失えば)殴られても切られても痛くはないはずだ。
>>271 イメージをイメージで…それが「観念論的誤謬」です。
入力が認識可能な形式であるのは前提です、「構成」の説明ではなく、
「耳に光を当てても何も感じない」のと同じ事ですよ。
既に記憶が志向的に構成した状態で感覚が現れるというのは、
赤信号が見えたと全く同時に「危険だから止まる」と分かっている
という事ですよ。例えば。免許持ってますかあなた。
279 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 23:41:33.89 0
>>277 踏まれた足と脳の間の神経を切断すれば意識があっても痛みは感じないよ。
眠っていても痛みは感じますし 意識と痛みはあまり関係ないと思います、はい 麻酔はまた別の話でしょう
全身麻酔が効いていいれば 痛みは感じませんよね
>>278 赤信号が見えたと同時に止まるのは単なるフィードバック制御。
警察庁が広めたい「かもしれない運転」ではもっと進歩した「フィードフォワード制御」
が必要になるんだよ。
283 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/26(水) 23:46:51.36 0
>>280 では“痛み”は意識ではないわけですね? 何ですか。
>>283 痛みは痛みだろ?
無理にカテゴライズする必要があるのか?
285 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 23:50:44.22 0
>>282 嬰児が光を最初に見た場合ならフィードバック制御機構さえあれば十分だろう
>>284 痛覚もクオリアだおうそうだよ(笑)
Wikipediaに書いてあった
なんでもクオリアなら意味ないな
脳に入る信号の一種だろ
288 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 23:53:20.49 0
>>283 触覚?のクオリア
たしか五感の一つであったと思うが
289 :
860 ◆uvrTjevNu2 :2014/03/26(水) 23:53:58.01 0
>>282 いやそういう意味というか論点では…。
感覚すると同時に記憶に照らした意味が付随している
のが問題なんですよ。
赤信号→危険→止まろう
ではなく
危険な赤信号→止まろう
となる。
違いわかりますか。これ結構ヤバいです。
290 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/26(水) 23:54:03.14 O
>>271 パソコンは「画像」だと認識して
表示しているのではありませんよ
操作された通りに、ドットを出しているだけです
それを見た人間の側が「画像」だと認識しているのであって
錯覚を利用した、道具なだけです
何を勘違いしてるんですかね
人間がいなけりゃ「画像」じゃないんですよ
291 :
考える名無しさん :2014/03/26(水) 23:57:58.59 0
>>289 フィードバック誤差学習が足りないので「志向的クオリア」が十分蓄積されていないからかも?w
292 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 00:05:06.42 0
まあ、反射的動作は赤ん坊のころからあるだろうし、スキーや自転車の乗り方 なんかも無意識の領域に記憶されているんだろうね。 赤信号を見てブレーキを踏むというのは明らかに遅すぎ。ほんとに免許持ってるのかいな?
293 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 00:26:18.73 0
機械さんのクオリア論は、OSというよりも、検索エンジン最適化 Search Engine Optimization SEOに近い感じ “最適”の価値観の主体はサステナビリティ志向ですか エピソード記憶をググった --------- エンデル・タルヴィングによる記憶の階層システム エピソード記憶(顕在記憶) 短期記憶(顕在記憶) 意味記憶(潜在記憶) プライミング記憶(潜在記憶) 手続き記憶(潜在記憶) --------- スキーや自転車の乗り方は潜在化するようです
295 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 00:51:25.03 0
機械氏は前スレか前々スレで受動と能動について冗長な例えしただろ まとめ読みしてたんではっきり覚えてないが (というかオレにレスしてればもっと簡略にそれを挙げるつもりだった) あの路線の延長戦で考えた方がたぶんうまくいくよ 「志向的」なり「感覚的」なりをそれにどう整合して仮説できるかは機械氏次第だろうけど
>>164 生まれて三日ほどは視力が良くないので、視えないかもしれぬが、意識があり、目が視えるようになってからならば、「ボールが転がる」現象を目撃できる筈である。
自他の分岐と言うが、自他どころか世界のあらゆるものを最初からカテゴライズし始める。
つまり、存在の「部分」を、存在者として「表象化」するということ。
ボールが転がる時、転がってるそれと、それ以外を「一繋がりの存在」とはせず、転がってるそれを目で追うのは、世界からそれを「分割」して捉えているということ。
297 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 01:05:31.59 0
ターナーは、時代に先んじて風景画を抽象に描いた人、という認識で間違ってないと思うが 当時、「何が描いてあるのかわからない」という人にターナーはこう答えたそうだ 「大切なことは、印象を呼び起こすこと」だと ターナー展は観てきたが、後年になるほど人群や建築らの造物が、自然の描写に溶けていってた 晩年になると、例えば城を描くにしても、それが城だと言われなければわからないような それが何か分かたれたものであることは認識されるのだが、同じ自然として表現されていた ターナーは印象という本質を、見抜いていたのだろうね
生まれつき全盲で大人になってから手術で視力を回復した人が しばらくはモノの輪郭が掴めなかったという話をどこかで読んだ気がする。
299 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 01:17:22.38 0
たぶん今回で3度目の発言だと思うが、 神は論理を扱わない、論理を扱うのは我々だ 今回これに追記しよう しかし、我々に論理を扱えるようにしたのは神だと それは、神そのものであると
300 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 01:26:00.75 0
因果律を思い描くときに、原因と結果に注視することで その間のブラックボックスについて、このようであらねばならないという思い込みが働いている そもそも、非決定論の系において その任意な系は決定論的に表せるということで 決定論に表現されうるということを含んでいる しかし私の解答にあることは、そういうことでもない
301 :
あまの :2014/03/27(木) 01:26:09.91 0
なぜそんな事を書き込もうと思ったの?
>>all 随分前からずっと思ってたんだが、ここでの議論が全くわからん。 というのも、クオリアなるものを用いて、何を解き明かしたいのかわからんのだが? 人間の知覚等の認知を解き明かしたいの? それとも、心身問題や心の哲学のような問題として、自然科学的な法則では説明しづらい 感覚の質(クオリア)というものをどう説明するか(自然科学的な法則での説明が可能であるかを 含めて)という課題に取り組みたいの? 前者であれば、クオリアとそれ以外のものがあったとしても、そもそも我々はそれらを明確に区別して 認知しているわけではなさそうなので、知的システムを解き明かすために擬制されたある種のフィクションという 側面が出てこざるをえないし、後者であれば、クオリアを自然科学的な連続性でとらえ、自然的事象の中で説明するか、 逆に、自然科学的な法則や自然の事象をクオリアを起点としたもので説明するか、それとも、両者を統一する一元的で メタな理論を構築するか、そのままクオリアを自然科学的な法則や事象から閉鎖・独立したものとして二元論とするか、 という選択肢しか、おおまかにみてないように思える。 でも、どうも、みなさん前者にしろ後者にしろどのような方向を選択するのかがよくわからないし、 そういうこともあって、そもそも、何を意図して議論してるのかがよくわからんのだが? 私の予想だにしない全然別の話をしてるの?
暇つぶしに決まってんだろ。阿呆
暇つぶしは俺もそうだけど、それにしたって、何がしかの意図をもって発言してるだろうに、 暇つぶしの会話をしてても、何いってんのかわからんなんてことはめったにないよ。
305 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 01:38:45.00 0
>>301 私の解答が正しければ、
意識は、ここでいうエピソード記憶と記憶との関係に説かれることで解かれる
それにも適用される
クォークの、人体の、地球の、宇宙の、
すべてに通底して、適用される
そういう「演算」の着想を妄想してるから
306 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 01:39:50.42 0
Javaにきまってんだろ
暇つぶしにも色々種類があるってこった
308 :
あまの :2014/03/27(木) 01:40:23.99 0
神とか擬人法の悪用だろ。
309 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 01:42:22.69 0
ひまわりはなぜひまわりであるのか、という究極の問いに 答えられる根拠は、それしかないと思ってる
>>303 逆に、あまのさんがよくやるような、適当に合いの手を入れる(茶々を入れる?)くらいの
感じで発言するようなのは、そいういう意味では、割りと意図が受け取りやすかったりする。
311 :
あまの :2014/03/27(木) 01:45:05.90 0
俺が言いたいのは、抽象的な話をしていても、どうしても擬人的な表現を避けきることはできないのだが、 人間が擬人的表現から逃れられないからといってこの世界の頂上の位置には人の極致がいるはずだというのは、 道徳主義的誤謬でしょ?ってことだ。 そういうだらしない思考は慎んで頂きたい。
312 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 01:47:17.55 0
以前、オイラーの等式を指して、 これは存在を表現している、と呟いたことがあった その具体的な解読の端緒を掴めたと、確信できた気がしてる
>>307 連想ゲームに近いことをやってるってんならわからんでもないけど、
そんなヒントでピントとかもう世代がわかるような事を言っても、
他の人は否定するでしょ。
314 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 01:50:01.35 0
妄想を温めてる間ほど、幸せな時間はない
>>313 連想ゲームとは上手いことを言う。ニュアンスとしてはそれに近い
まあ自覚の有無は置いといて、
こんな場末の匿名掲示板に何か意義のあることを求めているなら少々頭が弱すぎる
316 :
あまの :2014/03/27(木) 01:52:51.13 0
人形劇仕立てで間に合う話と合わない話がありますよってことかな。
317 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 01:53:36.94 0
神が人間をつくって人間が神をつくった 決定論が正しければすべてが必然だから 神を発明したのでなく発見したことになるのかね
318 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 01:54:29.12 0
なぜそうであるのか? という誰も不思議に思わなかった自然なことに、 それが、あらゆることに当てはまるのであれば それは不思議でもなんでもない
319 :
あまの :2014/03/27(木) 01:59:25.87 0
まあね、もし神に人格などの属性を持たせてしまうと、 それは解体されるべき存在にまで降格させられる。 人格というのは我々滅び解体される存在のものであり現象に属するからだ。 そうすると、その神を作ったのは何だ?という循環論法が待っている。
320 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 02:04:47.48 0
この世界が有るのは、 私が存在するのは、 あらゆる物が作用するのは、 一つの演算(神)に根拠している
神は現象なんだよ
>>313 いや、言わんとすることはわからんでもないけど、少々青臭いような気が。
失礼な発言で申し訳ない。
でも、ネットの黎明期に抱いたほどのドラスティックなインパクトはなかったにしろ、
こういう場所は、それはそれで、非常に興味深い。見ようによっては、ある種の示唆に富んだ
ところはなきにしもあらずですよ。
323 :
あまの :2014/03/27(木) 02:12:32.94 0
>>320 そういう物言いされても何の得も無いんだよね〜
「この世界が有る根拠を担うべき何かがある」とトートロジーなんでね。
神という主語は単なる飾りにすぎん。
だから、こういう物言いされると「何故この人は神という言葉を出すんだろう?」
という情報しか含まれないことになる。
324 :
あまの :2014/03/27(木) 02:17:53.85 0
思考にとって主語は危険な香りを伴うね。
こういうところでの、神の一人歩き感はすごいよな。 「神っていうの禁止!」ってのは、言い過ぎにしても、 とりあえず、神以外の言葉で表す努力はすべきよね。
326 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 02:27:08.92 0
問えない根拠に、神という以外に相応しい表現は、見当たらない
神様も大変だな
328 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 02:31:21.06 0
大風呂敷の、中身を披露できるのは、たぶん何年後かの正月だろうから それぞれの問題に、その背景でもって答えていけるかに努めることになる なんたって、オレもよくわかってないことは確かだからw それを適用して具体的に説明することは、ぜんぜん出来たもんじゃない 本日のトンデモ吹聴は以上ここまで
329 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 02:31:33.20 0
>>302 ここまでの流れではロボットがクオリアを持ちうるかというのが一番重要な問いかけだった
ロボットどころか目の前の人間がクオリアを持ってるかどうか証明しようが無いのに・・・
>>329 その問は非常にきついね。哲学的ゾンビなんて使い古された用語だけど、
私は、あなたにクオリアがあるかどうかすら確かめられる自信がない。
332 :
あまの :2014/03/27(木) 02:36:25.85 0
証明というか、そこは我われの知性の出番だろ。 自分と同種の存在があれば自分と同じ本質をもつのだろうという推論は妥当だ。 それ以上のことは思考にとって不要だろ。
まあな、そういう強引な推論が知性でありドツボであったりもするんだがな
334 :
あまの :2014/03/27(木) 02:40:56.20 0
己のクオリアだって脳のどこをほじくっても見つからないよ? それは他人についても同じ。
あまの君はちょっと褒めるとすぐこれだもんなぁ・・・
クオリアというのは一種の超能力かもしれないッッッ! 証明は出来んがな
337 :
あまの :2014/03/27(木) 02:43:25.43 0
私秘性という「一般的現象」。
>>332 よくわからんが、クオリアに関して言うなら、それは思考停止に近いよ。
そこは、わかるのか、どうあがえてもわかりようがないのか、どっちか
ってところまでは、最低限度追求しておこうよ。
てかさ、みんな何が知りたいの? 本当のことを知りたいとかさ、わからんでもないけど、 嘘を知るってなんだよってなんじゃん。 こういうことをいうと、嘘を知るってことは、本当のことを知る ためにあるとか言い出す奴が出てきそうだけど、だからなんだよって話じゃん。
340 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 02:49:12.43 0
自分で説明していることが、自分でも何もわかっていない そのように見えることは、自分にもそうですが、多々感じられることです
341 :
あまの :2014/03/27(木) 02:51:19.64 0
心身問題それ自体より知性がなぜ「そのような擬似問題を生み出すか」のほうが本丸でしょ。 心身問題に対する思考的吐露は誰も彼も似たり寄ったりなわけです。
342 :
あまの :2014/03/27(木) 02:53:19.78 0
理解というのも現象ですからね、矛盾の無い経路を見つけたという印象が理解した感覚なんでしょ? それ以上無いよね。
>>340 そりゃ、そういや全部そうなるけどさ、程度の問題でしょ。
何かを論述するときに自信満々でやってるときとね。
人前で話してて緊張しすぎてしどろもどろでわけわからんくなってるときとね。
両者ではぜんぜん違うわけじゃん。
私が知りたいのは、前者の場合のイントロダクション部分で説明されるべき部分だ
ったりするわけよ。
344 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 02:56:30.58 0
問題というのは、それが「問題」なのですから、本質的にどれも同じものであると思いますよ こんな言い分してたら哲学もへったくりもないですがw
345 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 02:59:48.05 0
もう寝たいですけど、 程度の問題という視点は、大事だと思います それが肝点であることに観点すれば、ですが
>>341 いや、本丸が何かはわからんのだけど、少なくとも
私は、あなたの言ってることに近くて、最終的には、
規範命題(当為命題)が残るんじゃねーのッて思ってるけども、
心身問題ってのは、本丸に結構近いとこにいってる気がするけどなぁ。
というか、いきなり本丸は攻めれんですよ、たぶん。どこにあるか正確には
わからんのだもん。
>>339 知らない、知りようもない、ということを知りたい
348 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 03:04:19.04 0
問題に程度がなかったら、知性は作用することがないでしょうね
>>347 専攻分野以外は当たり前だけど、素人なんでようわからんが、
少なくとも、〜哲学という分野か、そこに近接する分野を
一個学べば、知りようもないってことは、たぶんどこでも分かりそうな気がする。
350 :
あまの :2014/03/27(木) 03:09:05.19 0
心身問題は精神と物質という二項対立に端を発する。 客観的アプローチを主観に適用するという根本的カテゴリーミスです。 主観にとっては精神(意識)も物質も観念として表象されるしかない。 精神と物質の本質的区別はない。
351 :
あまの :2014/03/27(木) 03:13:42.11 0
心の模様やクオリアを語りつくせぬように、物質も語りつくせない。 「なぜ模様に違いが有るのか」という問いに帰着させられるだけだ。
>>350 そこを区別して分類して整理して体系だてるのが学問じゃん。
それが知そのものと言っても良いわけで。
どこまで、メタ?になれるのかって問題はあるとしても、
階層的な話じゃねーんスかね。
353 :
あまの :2014/03/27(木) 03:21:51.64 0
心身問題が主観に押し付けられた擬似問題であるということを示したんだよ。 学問というのは客観的アプローチなので、精神と物質という二項対立を堅持する立場もありです。 ありですというか、そういう視点のほうが利を引き出せるわけでね。 特定のスタンスを取れば階層構造は必然でしょう。 ただ最終の根拠を欠く形でね。
>>353 そこが微妙に思考停止なんだって事を言いたいんですよ。
少なくとも、自然科学的な領域が心の問題に対して、
どこまで通用するのかっていう壮大な実験(思考実験を含む)
がなされてるわけで、そこには利はあるわけでしょう。
あと、私は心身の問題は二項対立ではなくて、 どこかで統一されるべき問題だと思ってますよ。 だって、気持ち悪いもん。
まー、そこは唯物論的解析に期待するしかないわな 観念論はもう何やっていいかワカンネって状態だから
そこは、どっちかっつーと(あえていうとね)観念論的方向で統一されて欲しいなぁ。 身内贔屓的なとこがあってねぇ。 だって、自然科学的な方向で統一されると、俺らは一体何をやってるのか・・・、 虚しくなるじゃん。
/:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::人::::::::::ヽ /:::::::::|:::::::::::::::::::::::::::::::::/ ヽ、:::::ヽ |::::::::::: ヽ-------‐‐'′ ヽ:::::::::| |:::::::::::/ |:::::::::| |:::::::::/ |:::::::::| |::::::=ロ~~~~~~~~~~~ヽ==/~~~~~~~~~~~ ロ=::::::| |::::::::/ヽ -=・=- /ノ ヽ -=・=- /ヽ:::::::| |:::::/ `─── / ` ─── 丶:::| < クオリアはオカルトである。 |ノ | (●_●) :| それ以上でもそれ以下でもない。 | l l | : | __-- ̄`´ ̄--__ | 茂木氏は、江原イタコを研究しているという。 | -二_二_二- | 実にけしからん。 \ / すぐに、脳科学者を止めなさい。 \ _- ̄ ̄ ̄-_ / \________/
人は潜在的に幽体離脱をできる能力を持っていた可能性(カナダ研究)
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52157523.html 「え?幽体離脱って自由自在に誰でもできるものじゃないの?」
オタワ大学、心理学部の授業で「幽体離脱について」の講義が行われていた時、
一人の大学院生がこう話した。
24歳の彼女は、これまで誰でも幽体離脱の経験があると思っていたので、
取り立てて珍しいこととは思っていなかったのだそうだ。
彼女の発言に興味を持った研究者らは、さっそく彼女の協力を得て、
幽体離脱の状態を調べる実験を開始した。
その結果、睡眠中の脳の状態に異変が見られ、自身の意識でそれをコントロール
していることがわかったという。
361 :
235、238 :2014/03/27(木) 05:24:41.71 0
あまのさんって実はいいヒトなんですね誤解してました 今度もしもツアーズ見てみますね ありがとう
>>360 /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::人::::::::::ヽ
/:::::::::|:::::::::::::::::::::::::::::::::/ ヽ、:::::ヽ
|::::::::::: ヽ-------‐‐'′ ヽ:::::::::|
|:::::::::::/ |:::::::::|
|:::::::::/ |:::::::::|
|::::::=ロ~~~~~~~~~~~ヽ==/~~~~~~~~~~~ ロ=::::::|
|::::::::/ヽ -=・=- /ノ ヽ -=・=- /ヽ:::::::|
|:::::/ `─── / ` ─── 丶:::|
|ノ | (●_●) :|
| l l |
: | __-- ̄`´ ̄--__ |
| -二_二_二- | < 幽体離脱だと!?
\ / 誰が何と言おうと、
\ _- ̄ ̄ ̄-_ / 私は、絶対に認めん。
\________/
このスレ上げた
>>1 がくだらん愚痴を書き込んだんで、毎回
>>2 が読めないのは痛い
まったく余計な事しやがってクソガキ
364 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 14:53:18.30 0
>>302 全宇宙から見れば銀河団なんて芥子粒にもならない
銀河団から見ればギャラクシー銀河なんて芥子粒にもならない
ギャラクシー銀河から見れば太陽系なんて芥子粒にもならない
太陽系から見れば地球なんて芥子粒程度
地球の全歴史から見れば多細胞生物の歴史なんて芥子粒にもならない
多細胞生物の歴史から見れば動物の歴史なんて芥子粒にもならない
動物の歴史から見れば霊長類の歴史なんて芥子粒にもならない
霊長類の歴史から見れば人類の歴史なんて芥子粒にもならない
人類の歴史から見れば文字で記録された歴史なんて芥子粒にもならない
文字で記録された歴史から見れば近現代史なんて芥子粒にもならない
近現代史から見れば日本の戦後史なんて芥子粒にもならない
日本の戦後史から見れば我々個人の人生なんて芥子粒にもならない
という「真理」を「心理」として実感するためにこのスレはあるのさ
365 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 15:39:44.71 O
しかしその芥子粒のような個人の心は全宇宙を包含する、とか言ってすべては振り出しに戻る。
含むわきゃねーだろ
認識論的には含んでいるよね
そうでないと認識できない
>>364 は途中から“Xの歴史”となってて存在論から認識論へ
無意識にか意図的にか不明だけど話しを移している
>>365 は認識論かな
人間は脳の3%しか使っていない
>>360 幽体離脱が事実とすると、いままでの脳科学を見直す必要があるな。
幽体離脱を経験した、脳科学者はいない。 が、臨死体験=幽体離脱を経験した、脳神経外科医はいる。
371 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 18:53:02.30 0
事実上もう幽体離脱してるけどね
波平は常に脳の100%を使いきっている
373 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 18:59:36.91 0
>>369 200年以上前から西洋ではそれを科学的に検証しようと試みているが、
何故かただの1例も科学的検証に耐えた事例は存在しないのだ。
何故か?結局、全部インチキかいかさまか奇術かのどれかだったからだ。
>>373 《オタワ大学、心理学部の授業で「幽体離脱について」の講義》
>>360 オタワ大学では、幽体離脱を認定しているな
だれが、認定したのかは知らないが・・・
臨死体験した、脳神経外科医の影響かな・・・
375 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 19:12:30.37 0
記述されてるものが記述してるものを記述しようとするとめんどい
376 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 19:23:34.79 0
私がないなら記述できない 全てを分解してもいいけど内容が全て失われる
>>360 幽体離脱って自由自在にできる人いるのか?
茂木が幽体離脱したら、なんて言うだろうか?
幽体離脱体のクオリアは?
>>377 幽体離脱体に脳はない
よって、クオリアの考察は意味をなさない
379 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 21:09:47.23 0
>>374 オタワ大学=オタク大学ということだろう
382 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 21:15:08.17 0
>>380 英国版『ネイチャー』に記事として採用されたら信じてやるよw
383 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 21:17:15.75 0
権威主義者がこんなところにも。
>>382 英国版『ネイチャー』って
学習能力ないのか?
それとも、ブラック・ジョークか?
>>379 MIT(マサチューセッツ工科大学)は、オタクの集まり
本気で心を持ったロボットを作ろうとしている研究者はいるようだが、 本気で人間から霊魂を分離させようとか霊界と交信しようとかしている 研究者はいるのだろうか。
387 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 22:38:01.91 0
エジソン。ニコラ・テスラ。
388 :
つう :2014/03/27(木) 22:55:19.14 0
霊界通信からの伝達 『日本はまだ最悪を経験していないように感じます。日本は国土の半分が住 めなくなる状況になると考えられます。一部は海中に沈み、また大震災と津 波が再び日本を襲うでしょう。』
389 :
「機械的唯物論」者 :2014/03/27(木) 23:03:03.94 0
>>386 直立二足歩行するだけでも高性能超小型コンピュータの開発がされなければ
不可能でした。
骨(特に関節部分)は難しいながらも、工学的な解決が比較的早くできた
わけですが、歩行に付随する多種多様な「筋肉の制御」はまだまだ人間の
脳に近づいたとは言い難い状況です。
平坦な土地を歩く程度なら、最新鋭の二足歩行ロボットも人間と遜色ない
動きをすることができるかもしれませんが、石や木の根が沢山ある山道を
すいすいと歩く能力は人間にはまだとてても及ぶものではありません。
人間の脳は(エアコンのサーモスタットのような)「単純なフィードバック制御」
ではなく、「フィードバック誤差学習」を経て「フィードフォワード制御」を
巧みにこなす能力を備えているからです。
ちなみに、よく考えてみれば「人間の脳に対する情報入力」は、「視覚・聴覚・
嗅覚・味覚・触覚・内感覚」の6つありますが、「出力の手段」は「筋肉の制御」
ただ一つしかない…ということに気づかされます。
すなわち「言葉をしゃべる」にしろ「文字を書く」にしろ「キーボードを叩く」
にしろ、すべて「筋肉の制御」を介してしか実行できないし、ALSの方が人工
呼吸器を装着した後に「最後に残された(脳からの)情報出力手段」でさえ、
「眼球筋の動き」や「頬の筋肉の動き」を文字変換する…という「筋肉を介したモノ」
しかないのです。
すなわち「脳の情報出力系統」は全て「筋肉の制御」で行われるということです。
それに人間の脳が優れた能力を示すのは「当たり前と言えば当たり前」のことなのです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
390 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 23:08:15.57 0
そう。すべては波動。
波動っていうかさ 僕らは徹頭徹尾「繋がっている」んだよね 納豆みたいにさ
「すべての人の『意識』は、その奥底で、『集合的無意識』につながっている」 BY ユング 《つまり私達個人の「意識」の奥底には「個人の潜在意識(無意識)」があり、さらに その奥底では、私達は「人類共有の共通意識(集合的無意識)」につながっている》 そうは言うものの、意見がばらばらだな、おい。
393 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 23:31:12.62 0
筋肉でも何でも、収縮がこの物理空間に発生できるのは空気振動くらいのもの。 それは風となり音となり、人から人へ伝わる。 静電気が発生すると埃みたいなのがいっぱいくっついてくる。俺にくっついているゴミみたいな塵滓sage青虫がいるだろう。全部自然現象。 計算可能な世界内の人の意志を要しない現象。
>>388 「アトランティスが再浮上するとき、日本の沈没が始まる」
というエドガーケイシーのリーディングが存在する
あれが、アトランティスと仮定すると不気味だ
395 :
考える名無しさん :2014/03/27(木) 23:43:20.07 0
オカルトヲタクが何故か唯物論スレに集まるという不可思議な超常現象が起きているw
『集合的無意識』現象という
>>394 中国大気汚染の元凶は「ウラン混合石炭」
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20140301/1393676215 「ウラン混合石炭」とは、数年前に内モンゴルなど北方地域で、火力発電所の周辺で異常に高い放射線が検出されたことに始まる。
線量は規制値の数百倍にもあたり、専門家が石炭から放射線が出ていることを突き止めた。その原因はウラン鉱脈と石炭の鉱脈が
混ざり合った鉱脈らしいというのだが、学者によると太古の昔に混合して同化しないとは言いきれないとの結論だったという。
悪いことにここで生産された“石炭”は全土に流通しているから、使用地区からは「拡輻射」「放射線被害」が出てもおかしくない。
勿論このまま継続していくと、生態系はおろか、人類の滅亡さえ起きかねない。福島原発どころの騒ぎじゃないのである。
中国のネット上では、ウラン含有量は0・1%〜1%の間だと言うが、既に採掘され使用された石炭に含まれる含有量は50万トンを
超えると試算されているから、内モンゴルの石炭鉱山に混入しているウランの総量は2・5億トンに上ると言う。
中国では工場のみならず各家庭でも石炭を焚く。この重大な事実を共産党政府は極秘にしていて、「核霧染」というワードを禁止にしているらしい。
これも、不気味だな
>>397 中国国内で、年間200万人が癌で死亡らしいが、
あの大気汚染じゃ、しょうがないか
399 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 00:18:12.75 0
決定論スレに集うモノは全ては決定されていたわけだから仕方がないと 納得しなければならないのだからそれも当然だ たとえ日本人がとばっちりで1000万人死んでも何もかも必然であるから仕方ない
オカルトの人達は、自由意思についてはどう考えている?
>>400 輪廻転生をどう考えているかで、分かれるんじゃないかな?
402 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 00:54:43.20 0
は?
403 :
名無しさん :2014/03/28(金) 01:16:56.60 i
ゲーデルの不完全性定理とコペンハーゲン解釈の両方を超える存在に至った時、人間は自身の存在を感じることがないだろう
404 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/28(金) 01:47:14.03 O
だいたい 機械に動きを真似さしたら心が生まれるという発想が理解できん 機械に主観性を持たせ、抽象的な価値観やイメージみたいなものを どうやってインプットするのか とっかかりすら無い事が、なぜ理解できないのか
そもそもの話、実証主義思想の根本理念だから、だれも止められない。
406 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 02:31:56.60 0
>>404 抽象的思考などない
あるのは言葉だけだ
言葉を操作することを深遠に表象しているだけなのが古い哲学者
407 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/28(金) 03:12:35.69 O
>>406 正確に言葉に表現できない何とも言えない「気持ち」を
どうやって機械に感じさせるのかね?
408 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/03/28(金) 03:28:18.73 0
>>111 「違います」というのは、意識に登らずにスルーされた感覚ですらクオリアだと言うことですか?
無意識に行為出来る事はこの件には関係ありません。
気付かない(気付けないを含む)感覚はクオリアなのか否かを問うているのですよ。
それすらもクオリアならば、クオリアの定義が変更されることになるでしょう。
意識に登ってこそのクオリア(内観による感覚質)なのであって、それは「意識内容=観念」に等しいではないか。
また、
>>106 の観念の定義に依れば、観念に言語は関係ないと言えます。
心に思い描かれた「観」なのですよ。
表象化してるんです。
あなたも「人それぞれありかたが違う」と述べたでしょう?
それは、「観えかたが違う」ということを含んでいます。
意識の数だけ世界が在るんです。
これが観念世界であり、あなたも、観念世界を超越して自然世界を鳥瞰することなど不可能です。
故に、「機械的唯物論による決定的世界」は、「あなたなりの観かた」である「観念論」だと言えるのです。
そこでは真偽など問題ではなく、厳然たる主観的事実。
疑えば偽に偏り、信ずれば真に偏る。
客観的事実など存在しないんですよ。
信じる/信じない、というのは、共に「疑い」から生じます。 もし解るのならば、それはつまり「悟る」という。 解らないから疑い、疑うから信じるか信じないかに偏るのです。 (確信含め)信じているものの根底は疑いなんですよ。 このことは、「私」を考察するときに重要な問題となる。 つまり、疑い得ない「私」というのは、「悟り」なのか唯の「確信」なのかと。 個人的には、「私」という存在性(実在)と言うより、「世界を存在たらしめる私の意識」こそが、「存在の根拠」だと思うがね。 寝てる時に「私」なんて存在してないんですよ。 認識(=意識)においてのみ、世界の存在を観れるのです。
寝てるときに人間の本質が、時空を超えて、自由に旅する。 という見方もできる。 「日本はまだ最悪を経験していないように感じます。日本は国土の半分が 住めなくなる状況になると考えられます。 一部は海中に沈み、また大震災と津波が再び日本を襲うでしょう。」 ジョセフ・ティテル 「アトランティス大陸が再浮上し、日本の大分部は沈没する」 エドガー・ケイシー 彼らは、瞑想とか、寝ているときに情報を得ることができる。 寝ている間に情報を得る、という現象も研究され始めている。
411 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 06:31:00.29 0
俺が移民することも15年前にサイキックに告げられてるからな。 何が起こるか知らないが、なるようにしか成らない。 未来の出来事を予め知っていると、人生が、いや、己の人生をメタ視点から見るようになる。 「おまえは何と戦っているんだ?」と見える状態が多くなる。 運命の壁を叩きつけて穴開くかどうか試しているわけだから、他人が見て理解できることには、なってない。 牡羊座入り口の、この冴える勘の一週間は、いろいろとやばいな。 俺も本棚に置いていた魂を入れ込んだ宝玉と、ラピスラズリの玉を自分の部屋に待機させた。 もう、わけ わかんないやつ とか 死んじゃっても いいやつ なんだと 思うよ。 この世の選抜篩い掛け、かなり厳しいけど、死ぬやつには予めモルヒネ打たれてるだろ。だからヘラヘラしたままダメージが無い。
412 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 06:46:12.74 0
意識の濃さ薄さを自分で制御出来るようになると、薄まりを極めたとき、全部と繋がっていることを感ぜざるを得ない。 無くなる(亡くなる)とは全体に戻ること。 際立つとは、全体から分離すること。完全な分離は出来ない。飛び出る。伸びる。塔が建つ。突起となる。 本当は、食料にしてもいいような人間も居るのだと思う。人殺しは場合によっては問題なし。 その辺のバランスが、現代社会と厳しすぎる自然の摂理の間で狂う。もう狂っている。 ヒトラーの予言の子供のような大人の社会はやばいな。 その概念はこの人間社会のものじゃない。 もっと本物の世界の概念だ。 いつまで、学問なんていうお遊びの社会が続くのだろうね。 教育の効率改善という本題から目を背けながら、社会人ごっこだからね。 死んでまた産まれた時に、ゼロから憶え直しの効率悪さを何とかしろということが、絶対に対策されない。 結局生涯掛けて皺で脳細胞に作り上げる回路は、何だったのか、ということだ。 俺らは、入れ物でしか、ない。入れ物同士で捏造した嘘知識を書き込んで、(無能故の)暇を潰している大半の人間。 人生の目的以前に、人類に目的がない。 やばいな。これが、今目の前に置いたラピスラズリの宝玉の効果だ。
>>413 2000年11月2日、米国の大手ネット掲示板に、2036年からやってきたと自称する男性が
書き込みを行った。
男性はジョン・タイターと名乗り、複数の掲示板やチャットでのやりとりを通じて、
タイムトラベルの理論や自身のいた未来に関する状況、未来人である証拠などを提示
していった。(その過程でアップロードされた資料は、 現在も閲覧可能である)
タイターは、最初の書き込みから約4か月後の2001年3月に「予定の任務を完了した」
との言葉を残し書き込みをやめ、現在は消息を絶っている。
415 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 07:25:16.88 0
俺が身内にだけ叫んでる事があるんだけど、 あと4年 これ。 俺はだから、ここ3ヶ月で1千万円を使い、この4年にこの人生のラストスパートをかける。 数ヶ月前にもう完全に分からされていた。俺は4年後に自分が生きているとは想定していない。ただなぜかその覚悟が備わった。 死ぬ気でやれ、というより、死んだ世界線をどうにかしろ、って事なんだと思う。 身内も「なぜ4年?」と困惑するが、知るか。4年と言ったら4年なんだ。これが誰に対しても、なのかはわからない。 そして俺が6年後の東京五輪を最後の決戦場と定めて、ガチの本気の激突を考えているのも、きっと理由があるのだろう。 俺なんてものは、入れ物だ。 何が俺を突き動かすのか、嘘でもつかない限り、言葉ですぐに言えるはずがない。 完全に牡羊座の月に入ったな。このモード変更を感じ取れれば良い。
実体を霊や魂と決めつけ、身体は入れものという信仰は何なんだろうな。 「宿る」ということを根本的に間違えて使われているようだ。 彼方より訪れてー、ではなく、此方に「発生」してー、とは考えないのか? 意識や心というのは、海にたつ波に似ており、相関関係ではあるものの、水の集合体があるからこそ波が発生するのです。 霊魂が宿るというのは、波という実体が海に宿ると主張するくらい滑稽な話。
417 :
ゲーム :2014/03/28(金) 09:57:04.12 0
>>389 >「出力の手段」は「筋肉の制御」ただ一つしかない…
機械さんの思考は常に、このあたりで終わる。
「筋肉はモノ」なので、自説の“唯物論”に“ヒト”もまたとりこめる、といいたいのだろう。
しかし、この板にふさわしい作業は、ここから先だ。
たしかに喋る、書く…だけでなく、感じ、感情をもち、考え、内語するのにも筋肉というよりも身体を
要する。身体を介さずに、それらは具現しえない。ヒト(という存在)にとって身体は、感覚的、感情的、
言語的差異を表出・表現するために「ある」かのようである。
主観(主体)とその外部を、いいかえると「心・身」を、あるいは「意識とモノ」を貫いて何が“存在するのか”を
そろそろ論じるべきである。「すべてが物質ではない」のは明らかなのだから。
418 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 10:03:03.74 0
車はベンツとロールスロイスまで読んだ
419 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 10:08:40.92 0
すべては物質である 霊的なものはすべて幻想にすぎない 例えば人間ー動物ーロボットという系列を考えてみよ そこでは何が違い、何が同じなのか またロボットと小石の違いは何なのか 絶対的な違いなどこの世界に存在しない
420 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 10:33:46.47 0
絶対的な違いなどない。すべてに意識が宿る。とすれば、それはスピノザだな。
421 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/28(金) 10:42:49.19 0
>>408 「観」と“感”を混同している。後者は前・言語的である。クオリア、感情がそれにあたる。
しかし「観」は“みえ方”であり、知覚から先をいい、記憶に介在される。眼前のコップの
知覚は(いま現在の)感覚と感情が記憶(意味)に絡めとられて成立する。
後半についていえば「主観的“観念”世界がひとの数だけある」のは事実だが、そこに留まる
のは、ありふれた相対主義。もっとも、個々の観念世界を軽々と超越し“真理”だと称して、
上から目線で語るのは信仰にすぎない。ヒトが信仰に足を掬われながらも、相対主義を超え
ようとしてきたのも確かである。隘路を通るのがさだめなのだろう。
>>389 の
> 人間の脳は(エアコンのサーモスタットのような)「単純なフィードバック制御」
>ではなく、「フィードバック誤差学習」を経て「フィードフォワード制御」を
>巧みにこなす能力を備えているからです。
脳によるフィードの能力で筋肉を制御できるとすれば
リベットの実験のタイムラグにはとくに意味は無く
単にハンドルのアソビのようなもので
自由意思があると言える
「リベットの実験」実行の準備をリベット氏自身その前から開始していた
>>417 コンピュータについて言うと、「すべてはハードウェアではない」ということを
言っているのだとしたらそうかもしれんけど、ソフトウェアの記録はハードディスクとかで明らかに
ものだし、入力はキーボードを叩くにしろ、物理的だし、出力も結局物理的だしとなると
ソフトウェアも物理学で説明可能な領域内だと思われる。
人間の脳との決定的な違いはないとも思われるけどね。
424 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/28(金) 10:58:43.83 0
>>419 で君が述べているのは君の「幻想(観念)」である。
君と小石の違いは、君がそのような幻想(確信)を抱き、たぶんそれに従って“心身”を表現
するのに対して、小石は持ち前の属性どおりに振る舞う(関係する)だろう、ということ。
たしかに、たいした違いではないともいえる。
425 :
422 :2014/03/28(金) 10:58:58.68 0
interruptで失礼した 機能主義的立場から自由意思を擁護してみた
426 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 11:03:04.33 0
>>422 制御を意識しているという意味ではないでしょ
無意識に制御されている筋肉群の動きを後で整理して同時ではないのに
あたかも同時だったという錯覚を生み出しているのが意識であるという解釈だと思うが
427 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 11:11:23.66 0
言葉、意識、生命の有無 人間 ある、ある、ある 動物 ない、ある、ある ロボット ない、ない、ない 小石 ない、ない、ない ロボットと小石は何が違うのか 人工物と自然のもの? 小石も削ったりして作れるが 生きているものを作り出すことはできない
428 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 11:17:55.99 0
人間は言葉によって特徴付けられる動物だと言える 記号操作能力と言ってもいい イメージや数式やあらゆる芸術 イルカもお互いに交信し合うが人間はそれに特に秀でている
>>407 零でも一でもない0.5とか、それでも表せなければ0.5xみたいな度合い
或は「・・・」とかそういうんで充分
430 :
422 :2014/03/28(金) 11:24:17.50 0
>>426 同時だったという錯覚とはいえ、それを数人で制御もできる
「馬鹿と鋏は使いよう」のハサミの側面として錯覚でキルことができる
例えば、楽器の合奏ではそれを行使して音の出だしを合わせることが可能
431 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 11:31:46.78 0
意識でさえ必然であると言われるときの「必然」とはどういうことか 物理学的な因果律に従っているということ 生命でさえ従っているのか そのとおり 自由意志は動物にはあるのか? ロボットは自由意志を持てるか? 植物にはいかなる意志を考えうるか? 動き得ないことと意志は結びつかないのか? 意志が盲目であるとか自由であるとか従属しているとか言われるときにどんなイメージが持たれているか
432 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 11:38:11.40 0
自然は人間的な幻想とは無関係である
433 :
422 :2014/03/28(金) 11:46:46.95 0
機能主義というものもツッコミどころは多々あるでしょう、しかし 唯物論が正しいというのは、物質が物質を認識している状態なわけで そもそも自己言及的行為である わたしの意見は個人的なもので、機械さんとそのフォロワーさんへの 啓示的反論というわけではなく、単なる提示に過ぎないものです 仮コテ422消えます
434 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 11:47:05.90 0
しかし人間がそのようにまさに幻想を持ちうるということ、鏡のように世界を表象しうるということが、人間の特別さを表しているように思える しかし表象することはミジンコのような生物でもやっているし、生命ですらない鏡ですら世界を表象できる 自然の中にいてその自然が自然を知りうるというのは神秘でもなんでもない
435 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 12:03:35.12 0
ロボットに何とも言えない感情をもたせることに成功したとする しかしそのことをどうして確かめられるか? そのロボットになってみないことには不可能だ ロボットのクオリアを論じられないように個人的な感情も論じられない そもそも私のそういう感覚も感覚である限り何らかの物質に依拠しているはずだ その感覚の解釈が感情だ そう考えれば一般性を持つ そのような機構を模倣すれば感情のあるロボットができる
436 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 13:17:13.55 0
>>430 意識した瞬間が先だったら何も特別なところはない
意識した瞬間より先に無意識の動きが観測されたというのがリベットの実験のキモ
437 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 13:22:20.54 0
後付けで一覧表示される「瞬間」として意識は存在しているから。 意識は「幻想・錯覚のようなもの」と機械氏とかは言っているのだと思う。
>>437 それはないだろう
>意識は「幻想・錯覚のようなもの」
というならその「幻覚・錯覚」は何が感じているの?
439 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 14:22:21.81 0
>>438 脳でしょ。
あなたの意識はあなたの脳が、私の意識は私の脳が、
猫の脳も猫なりの意識を持っている。
×意識を持っている ○意識を宿している おまえが無能なのは機械論理に支配されているところだな
441 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 15:30:47.98 0
>>440 おまえが警察犬として無能なのは、前世「猫の脳」に宿っていたからというのか?
442 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 15:53:22.86 0
>>440 宿っていたというなら、それがたとえ気に入らない猫の脳だろうがなんだろうが
「一宿一飯の恩」ってものがあるだろうに
おまえが警察犬として役立たずなのは「脳」じゃなくて「おまえ」に問題があるからだw
443 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 16:11:29.85 0
宿賃踏み倒したから言いにくいんだろうよ。 それにしてもイノセが略式起訴50万円以下の罰金だけとは!それも公職選挙法違反だ。 おれは、いったん売却はしないことに決まっていた東電病院を株主総会でわめきちらして 売却させたイノセはてっきり贈収賄で逮捕だと思っていたんだが・・・・
>>443 徳洲会が入札に参加していた件だね。息子議員の公選法違反事件が
問題になった時点で入札は辞退したけど、事件の家宅捜索で5千万円の現金が
見つかったから猪瀬氏の「借入」が明らかになったんだよね。
徳田議員の公選法違反事件がなかったら猪瀬氏は5千万円は懐に入れるつもりで
密かに母親の貸金庫に預けていた。
公選法違反事件が騒ぎになった時点で慌てて返しに行ったから、家宅捜索で見つかった。
間違いなく贈収賄で立件すべき事案だと思われるが東京地検はいま他でも忙しいからなw
445 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 16:36:25.73 0
>>444 ワタナベの方が金額はデカいけど、贈収賄というような材料はあるのかな?
DHCに有利になるような国会質問かなんかしたのかね?
446 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 16:40:11.14 0
>>444 ×母親の貸金庫
○当時の妻(今は故人)名義の貸金庫
>>445 なんかあるんじゃない?薬のネット販売の規制緩和とか。
448 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 16:56:44.17 0
それにしてもイノセの贈収賄はおかまいなしでいいのかねぇ〜? 中国みたいに贈収賄天国になっちまったらどうすんのつーの!?
>>411 人類の目的はセックスとオナニーだよ
革命なんてだれも望んでいない。君も堕落すればいい
450 :
あんとらー :2014/03/28(金) 18:03:10.71 0
衣食住やめて せっくすとおなにーだけ わかりましたか? うすばかげろう ども そんな たとえばなし ききたくないですよ
451 :
考える名無しさん :2014/03/28(金) 18:05:39.70 0
>>449 人類ナメ過ぎ笑
変わるよ
変わるんじゃないかな
ま ちょっと覚悟はしておけ
>>448 記者会見みてワロタ
徳洲会に「1億円要求したこと」と「政治資金には流用しないこと」の肝心な二点についての話ですw
「自分がそんなことを言うはずがないという思い込み」があって(そんなことは断じてない!って)
「言ってしまった」んだ〜そうです。この人の言葉の何を信用できるというのかな?
いやー、この期に及んでも「嘘は堂々と言うほどばれにくい」という信念は強固だな〜と感心させられたw
徳洲会マネーは自民党の方が遥かに多額。 操り人形になってるのは公然の秘密。
人間の知的システムがどこまで解析できて、いかように記述されるのかという問題と、 そもそも、そのような解析や記述は知的システムによってなされているという循環を どのように断ちきるのか(説明、統合するのか)っていう問題は、分けて考えたほうが良いの?
>>421 コップの知覚に感情など不要です。
また、感覚の写像を内観として知覚しているに過ぎないので、現前しているものの知覚には記憶も不要です。
それが必要である根拠を述べて下さい。
観念世界は、人の数ではなく、意識の数です。
人ほどの能力は無くとも、他の哺乳類にも意識はある。
それはともかく、観念世界を超越出来ないならば留まるより方法はない。
それを超越しようとする試みは、信仰以外に無い。
従って、主客は信仰以外に合一されることはないのです。
457 :
「機械的唯物論」者 :2014/03/29(土) 00:21:38.75 0
>>455 観念論者さん達は脳と(自我)意識の発生に密接な関連性があることを認めつつ、
「発生の仕組み(メカニズム)を記述(言語によって説明)できない」と言い立てます。
しかし彼らに「では、ミカンとオレンジの味の違いを記述(言語によって説明)してくれますか?」
と聴いても「そんなことできっこない」とおっしゃいます。
本当はコンピュータのハードとソフトがどのように働いているのかを記述(言語によって説明)する
こともできないのです。
そのくせ、「自我(意識)の発生が脳の機能だけであるはずがない」という先入観から、
いつも「では、脳がどのように働けば自我(意識)が発生するのか記述(言語によって説明)できない」と
言い立てて、かろうじて「自我(意識)の尊厳のようなもの」を守ろうとします。
「自我(意識)は脳の働きに還元できない」ということですが、私には「還元されたら困るから止めてほしい」
とおっしゃっているようにしか聞こえません。
これだけ大脳生理学や認知科学の成果が出てきている時代に「形而上学的議論」などしていることの
ナンセンスに気づかない(ふりをしている?)のです。
私にはまったく理解できない思考回路ですね。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
疑念によって信仰で超越せずに、観念(命)ごと放棄する唯一無二の合一方法もある
記憶が不要とはいえ、認識には作業台としてのメモリは必要でしょうね。 一時記憶装置とでも言うのかな。 ま、それも0.3秒の写像なので、一般的な記憶とは少し違うでしょうね。 印象が強ければ、写像は持続してハードディスクに保存されるが。
460 :
「機械的唯物論」者 :2014/03/29(土) 00:37:43.22 0
>>459 「作業台としてのメモリ」とは良い着眼ですね。
私に言わせれば「無意識のユニット」が私たちの行動を決定しており、
「作業台としてのメモリ」にいったん(時間差を修正して)静止画を作成する
…その静止画が「意識」の正体です。
静止画が毎秒20〜30枚更新されていれば「動画」となり「時間の流れ」として
言い換えれば「エピソード記憶」として脳内に蓄積しておくことができ、その
蓄積が「新しい(感覚的クオリア)体験」に適切な対処を行うことを可能にするのです。
その対処は、はじめは「行き当たりばったり」…「フィードバック誤差学習」ですが、
次第に「予測対応…フィードフォワード対応」に変わっていく…ということです。
それがあらゆる「学習」の基本的構造である…ということです。
本日は就寝させて戴きます。
>>457 脳の働きに還元されるとしても良いのですよ。
ただね、還元されるから幻想というのではなく、自然世界と観念世界が「異なる」故の幻想だと言いたいわけです。
あなたが「脳」という言葉を語るとき、その概念として想起しているものは、正確なあなたの脳ではない。
頭の中の…〜とか、解剖画像で見たあんな感じとか、酷く抽象的であるはずです。
そもそも、脳という切り取り方をする時点で、既に表象化(シンボル化)している。
自然世界をもし記述するとしたら、「存在する」以上の言及はできません。
というか、それすらも主観(観察者)を排除出来ていない。
>>460 意識を、気づきだけとする受動意識仮説については、ほぼ意見は一致してます。
能動的意識(注意)があるとする点のみ異なるが。
というか、注意が出来ないと、更に高めた「集中」が出来ないんですよ。
注意は気づきと同じとはいえ、能動的であり、エピソード記憶にも(印象を高める意味において)非常に重要だと思いますがね。
>>457 それは、ほとんどあらゆる意味で言い過ぎ。
464 :
「機械的唯物論」者 :2014/03/29(土) 00:48:15.42 0
>>461 あなたが大脳生理学者や脳外科医的な(要は自然科学的)視点で脳を捉える
事が出来ないのは理解できます。
あくまで物事を詩的・文学的にしか捉えられない「主観至上主義」も一つの立場
ではありますが、他者(客観)を説得しようがない…という「思想」としての
根本的欠陥を伴うことはやむを得ないと考えます。
本日は就寝させて戴きます。
465 :
考える名無しさん :2014/03/29(土) 01:00:11.93 0
>>462 順序が逆なんじゃね?
つまりエピソード記憶がどういう情報に注意を向けるか決めるんで、
つまらない情報に注意を向けたら失敗だったというエピソード記憶が上書きされて
成功だったらそういうエピソード記憶が上書きされて、新たな注意の向け方が出来上がる
>>464 自然科学的視点の根本的欠陥は、殺しきれない「観察者の亡霊」なのです。
観察者の主観でもって、観念による記述をしているのです。
「客観(脳)なくして主観(意識)なし」と主張するのと、「主観(認識)なくして客観(自然)なし」と主張するのは等価です。
自然世界が存在するのかどうか、死体にはわかりようがないww
ですから、客観的事実ではなく、主観的事実の総合だと言ってるんですよ。
467 :
考える名無しさん :2014/03/29(土) 01:09:23.34 0
>>466 人類の最後の一人が認知症になった瞬間、客観的事実は全部消滅すると?
>>465 何に注意を向けるのかは、無意識の役目。
エピソード記憶が決めるわけではないw
例えば「何かを見る」、これが注意であって、「何かが見える」、これが気づきなわけです。
見ているときには見えるわけで、見えるときには見ているのだから、注意と気づきが=で結ばれるわけです。
もうやめて。 認知科学全般についてほとんど何も知らないってことを間接的に自白してるよ。
>>467 その瞬間に消滅するのではなく、その瞬間に(存在するのか否か)わからなくなるだけ。
客観的事実は最初から何一つありません。
例えば「世界が存在する」のは、主観的事実です。
その認識が共有されたとき、主観的事実の総合と呼べるような「共通認識」が完成し、これを客観的事実だと見なしているのです。
471 :
考える名無しさん :2014/03/29(土) 01:17:57.11 0
>>468 ご冗談でしょう。あなたはエピソード記憶の全部を常に意識に上らせていると?
町の大勢の群集の中から嫌な上司の顔を見つけてしまうのは、エピソード記憶が無意識的に
行うことです。
472 :
考える名無しさん :2014/03/29(土) 01:21:51.82 0
>>470 >客観的事実は最初から何一つありません。
そういう発想を機械氏は「主観至上主義」と言っていたが、おれにも
全く理解しがたい発想だな。
>>470 認識の共有なんか不可能だよ
あるのは単なる妥協と合意のみ
474 :
考える名無しさん :2014/03/29(土) 01:26:24.43 0
>>470 でもさ、他人が同じ認識をしているということを主観だけでどうやって
確信することができるのさ?その確信がなければ「共通認識」なんて完成どころか
1個も生まれる余地はないだろ?
>>474 厳密に言うと、そういう確信がないところから、だいたいはじまってる。
>>471 エピソード記憶が行うってどういうこと??
記憶が意志を持っているの?
>>472 例えば、確信的に正しい客観的事実とは何なのか、一つでも答えられますか?
>>473 、
>>474 勿論、共有というのは、同意・合意の意味です。
>>476 ではどういった基準で同意してるんだと思う?単なる数の多寡か?
てか、この知覚とか記憶に関する恐ろしいほどの大雑把な話には どういう意図があるの?
>>474 言葉(概念)を用いて共通認識を完成させるとき、もともと概念自体が抽象的で「幅」がある故に、多少の誤差を黙認できるのではないかな。
RGBのカラーチャートで1とか2くらい数値が違っても、その違いは認識できず、だいたいこのあたりを赤!という概念に統一してるからこそ、だいたいの共通認識が可能ということかな。
>>479 >RGBのカラーチャートで1とか2くらい数値が違っても、
区別してんじゃん、アホなの?必要に応じて精度を使い分けてるだけだ
お前はいつも日常レベルの精度に物事を押し込もうとするから雑なのだ
もっと言えば、自分の理解の範疇に強引に押し込もうとしてるだけだ
>>477 数の多寡というより、(他人の同意により)自分の確信(主観的事実)が補強されることにより、揺るぎない真実側に偏っていくのです。
だから、キリスト教信者同士で慰めあってりゃ更に補強されて真実だと確信してしまうw
>>480 RGBの数値を見りゃ違いはわかるけど、色だけを見て違いはわからんだろって、普通に読解力があればわかると思うが。
>>477 そういう意味のあらゆる合意や妥協に同一の構造や性質があるかどうかはよくわからん。
専門に研究してる人に聞きなよ。
もしくは、ここは、2chであるという共通認識は我々全員にあると思うから、
さて、それはどこからやってきてるのか、考えてみたら?
論理こそ共通認識の最たるものだろう
484 :
考える名無しさん :2014/03/29(土) 02:50:38.27 0
神を畏れよ
ん、どして?
数学なんかは宇宙人とも共有出来ると言われてるもんな
487 :
考える名無しさん :2014/03/29(土) 08:51:03.74 0
>>476 >エピソード記憶が行うってどういうこと??
記憶を溜め込んでも使うことを知らないということ?
記憶は使うために溜め込むんであって、使わなければ自然に消滅していくだけだよ。
嫌な上司の顔を群集の中で(無意識に)見分けるのはエピソード記憶の「働き」。
エピソード記憶はそういう様々なことを(無意識裏に)「行って」いる。
>>476 記憶が使うんじゃなくて、記憶は(脳のシステムとして)使われるのです。
照合、認識(思い出す)、(学習の)反復とかね。
>>487 それは志向性。機械氏がエピソード記憶を含めて志向的クオリアと言う訳がわからんでもない。
けっきょく機械だって何も説明していないのと同じなんだけれどね 機械の形而上学批判は意味がない 脳などの物質方面と意識を仮定したシステムの推論 それらを突き合わせて思考するしか今のところは方法がない 「現前の形而上学批判」なら意味はわかるが 唯物論思考だけでは理解できないから他の考え方がある まあ機械は「排除の原理」に従って「思想的理想世界」を構築しようとしているだけ 機械のような科学ファンダメンタリストはカルト集団の裏返しにすぎないんだよ
491 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/29(土) 11:28:45.63 0
>>いのち氏 何かを感覚したとき、何がしかの気持ちを生じる。ほとんどの場合、無視できるていどだが。 また、同じ(類いの)対象に幾度かでくわさないと、表象できない。いいかえると知覚できない。 君がコップをみて、ほとんど驚かずに知覚・表象できるのは“しっている”から。 メモリと呼ぼうとエピソード記憶と呼ぼうと、要するに過去の意味(記憶)が現前を知覚させ、観念を抱かせる。 意識は受動的である。何かに「注意を向ける」のは一見、能動的だが、その何かが注意を喚起したから。 注意を惹く強さが、受動性の強度なのである。これは過去に規定されるか、事態の霹靂さの大小によって決まる。
492 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/29(土) 11:49:23.64 0
>>457 脳の構造と仕組みは機械さんの好物の科学によって解明されるのではないか。
が、脳の機能によって表出・表現される“心的現象”は、それが解明されたとしても
そこから演繹できないのは自明ではないか。
何度もでてきた例だが『モナリザ』の価値を、その画材を幾ら分析しても、そこから
とりだすことが不可能なのと同じである。「ワインのクオリア一つ、表記できない」のが
現行の科学なのである。
嫌いな人間を「無意識」に見分け、 例えば見つけていないふりをしたり、 そこからどうふるまうかは「無意識」に決定され、 人間の行為は全て「無意識のユニット」の働きである… この「意識的とされる事は何でもできる無意識」 の意味をちゃんと考え直した方がいい。 リベットの実験で「意識」の働きを 脳、無意識へと還元し消去できるというのは間違いです。 脳という、記憶と、記憶の集合としての「傾向」によって ハードウェア、ソフトウェア的に現前する事象(あくまで事象の現前が先です) を処理し行為を決定すると言ったところで、 「この脳」の行動であるという事に変わりはない。 私ではなく私の脳がやった、という主張はナンセンスです。 傍観者として判子を押すだけの「意識」に変わって、 「脳」という忠実な執事が実務を行っているという事でしかない。これは例えですがね。
誤解を招きそうだな… 「全ては無意識のユニットの働き」まではいい。 あくまで「意識」は、リベットの結論としての「判断」の能力さえも持たず、 「私の行為」と思っていた事は全て無意識下で決定していた。 この結論自体はそれほど飛躍的ではないと思います。 問題は、受動意識仮説を受け入れたとしても。つまり、 この脳が感じ、この脳で考え、この身体を操作し、 このように「この脳」へと「意識」を還元したところで、 「だから「私」は存在しない」とはならないということです。 文字通り全ての意識的行為を無意識へと還元し、 今まで「意識」と感じられてきた(そのようにできている) ものが傍観する虚構に過ぎなかったと言ったところで、 傍観している内容は「この脳」が構成しているものです。 構成主体としての、行為の主体としての「この脳」が成立するのであれば、 「私」が「脳」にそっくり置き換わるだけの事でしかない。
機械さんの仮説は確かに時間的空間的な適用範囲が 恐ろしく広いことは認めざるを得ない それはこのスレが200スレ以上継続している一因でもあるでしょう しかし、その仮説の汎用性は目的の抑圧もしくは消去ゆえの恩寵である 機械さん自身、自説実効的状態(現象なるもの全般)について パソコンのアレゴリーを文学的に使い説明している、が 汎用機の稼働時の処理のフローチャートは多数の分岐を含んだ待機のループに過ぎない 「意識的目的または無意識的目的」(=志向性?)を持つキッカケなくして 具体的処理へループからジャンプすることはありえない この志向性なるものは100%必然(=結果論)という宣言は目的をもつ主体性を隠し 100%偶然(=原因論)という宣言と同義であるとも言えてしまうのではないか? 信仰の自由wにより機械さんが自説を正しいと考えるのはなんの問題もないが そもそも真理に目的概念は含有し得るか否かという問題は 機械さんの手に負えない領域ではないかと思う
496 :
考える名無しさん :2014/03/29(土) 14:50:37.44 0
>>492 価値など幻想そのものでしょ
だから取り出せない
それだけのことでは?
497 :
考える名無しさん :2014/03/29(土) 15:22:50.86 0
>>488 > 記憶が使うんじゃなくて、記憶は(脳のシステムとして)使われるのです。
> 照合、認識(思い出す)、(学習の)反復とかね。
なにその意味不明な説明は、おまえは「いのち」言うが全然いのちになっていない。
言うなら、それは正反対であり死んでいる。
死一元論なんじゃろ?
いのちなのに希望も夢も未来もそこから生じてこない。あたらしい
イノチ的造語にすらなっとらん。
お遊戯的な言葉のすり替え遊びにすぎない。
希望も夢も未来も幻想そのものなんだから、いのちさんだけを責めるなよ
499 :
考える名無しさん :2014/03/29(土) 16:39:26.04 0
>>496 現代のテクノロジ-は、結局のところ人間の意識(=思考)によつて作られた「理論」であり、
「価値など幻想」という言葉で締めくくることはできない。
>>494 「無意識的(無自覚的)」ということを「無意識」といっているよね
しかもここの連中の大半がそう
これはマズイと思うよ
>いのちさんだけを責めるなよ なるほど本人か。
502 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2014/03/30(日) 02:48:57.93 0
>>500 さん
この間私が書いたとおりだと思いますよ。
神経学?的な反応のような無意識と
精神、心的なものの違いですね。
認知科学のなかでも認知心理とか神経科学とか脳科学方面のこと わかってる人ってこのスレにいるの? なんかもうエライ大雑把で適当な話をしてるようにしか見えんのだが。
>>491 無視出来る程度の気持ちが「必ず」あるのかはどうして判断できるの?
また、初めて対象にでくわしたときは、それを表象出来ないというのは無理がある。
たとえそれが何かはわからずとも、それとでもいうべきものは認識されてるではないか。
>意識は受動
受動というのはどこから生じたの?
なぜ、能動が消えてしまったの?
受動と能動は共に生じた筈である。
故に、受動だけに偏るというのは、文字通り「偏見」ですね。
505 :
考える名無しさん :2014/03/30(日) 03:27:05.68 0
記憶に関する本でも借りてくるかな 昔から大嫌いなんだよねえ記憶(難解だからw) 「意識的」ということの、納まりのいい解釈が見つからないって状況かしら
506 :
考える名無しさん :2014/03/30(日) 03:37:27.47 0
オレの手持ちの言い方すれば、 意識的または能動とは、非決定論的にあることで 無意識または受動とは、決定論的にあることなんだけど これじゃあ何言ってんのかわかんないよなあ エピソード記憶ってのは感情に結びついてるんだろ その感情(記憶)ってのは通訳不可能の本人だけのものだ このあたりから何か言えるんじゃないかなあ
507 :
考える名無しさん :2014/03/30(日) 04:04:16.71 0
お腹ゆるいからか頭ゆるいわ 記憶の溜まり場所ねえ。。。う〜ん
残念ながら、感情的なものは通訳不可能ではなく、 現実に、客観的に測ってるわけですね。 慰謝料ってのがあるでしょう。 てか、逆転メガネの実験みたいなだれでも知ってる雑学レベルの話からですら、 人間の知覚なんてのはやっかいなもんだなってのはわかりそうなもんでしょう。 この、大雑把で適当な話の行き着く先に何を求めてるのかさっぱりわからん。 とりあえず、いかなるところをつまびらかにするためにやってるのかくらい のことは、言明してくれんかな。 そもそも、意識とか無意識ってそんな便利な単語なのかが、非常に疑問だわ。
509 :
考える名無しさん :2014/03/30(日) 04:27:59.79 0
そうそう、 客観的に測ってる(無意識領域)のは、客観じゃない(意識的領域)んだよw
510 :
考える名無しさん :2014/03/30(日) 04:54:34.98 0
被験者が何を思っている(例えばイメージ)かを最新の科学技術が照合する(表せる)ことは 被験者が何を思っているかを、その被験者自身が照合するプロセスと同じことにはならない
511 :
考える名無しさん :2014/03/30(日) 05:15:14.53 0
感情をどうやって数値化しろというのだ それはランダムな羅列と同じではないか その一つをりんごと結びつけている記憶は 「りんご」という格納庫の情報(意味記憶?)と 照らし合わせることが、意識的というなにか
この世の事象は(理論的には)全て数値化出来ますよ (現実的には)精度の限界はありますが
513 :
考える名無しさん :2014/03/30(日) 05:29:44.84 0
数値化できることと、それに意味を与えることは大きな違いがある そして、例えばサイコロの試行に統計的な確率を見いだすことは 「りんご」を見いだすことに等しい しかし、そのランダムな数値の一つ一つにしか、「私のりんご」はない
514 :
考える名無しさん :2014/03/30(日) 05:33:57.13 0
機械氏の発言を一言一句記憶すること(データ)ができたとして それで機械氏が賢明か馬鹿かを決定することはできない それは能動と受動の問題でも同じだ
因果律は真理であり、「心」は物質に由来する機能である。 これもそれぞれ突き詰める余地は多いと思われる仮説ですが、 これを客観的事実とする態度は機械さん私とで変わりはありません。 問題は、「だから「心」は、「私」は、「意識」は存在しない」という主張を、 ここから引き出せるのかという事です。 大雑把ではありますが、機械論的唯物論において、 この主張を根拠付け得るのは、次元の異なる二つの命題と考えます。 一つ目。 「全ては量的に完全な記述が可能であり、ゆえに必然である。」 万象の方程式化、これは始めの前提から理論的に可能です。 全てを貫く量的記述可能性。私は「サイコロの目の完全予測」の話から、 機械さんがこの可能性を手放さないと考えていた。 「確率」「可能性」を完全否定する「フィクショナルな」決定論。 これは形而上学的議論として非常に強度が高いもので、 ここに籠られるとこの場では崩しようがないとさえ思われた。 現実に「その世界」は生きようもないのですが。 …しかし「現実」についての議論に入り込む必要もなく、 機械さん自体がこの最強の矛を放棄してしまった。 「クオリア」です。定性的にしか語れないものを持ち出し、 しかもクオリアの世界において有意味な命題を提示し始めた。 「志向的クオリアを育てる(よう努力する)」…これはもう機械論的唯物論ではない。
516 :
黄檗 :2014/03/30(日) 08:13:42.51 0
よー分からん
長文垂れ流して前と同じ事を主張するのは楽しいのかい? お前さんの主張があまり相手にされないのは理解されてないからではなく 単に下らないのが原因だよ
二つ目の受動と能動の問題は依然残ります。 ミジンコとアインシュタインの違い、反射と学習の違い。 それは端的に脳の性能の違いであり、 中枢神経系と末梢神経系の機能の違いである、 そのように言うことができるかと思います。 脳の活動が受動的で単純な反射の集合の程度差に過ぎない としたところで、「性能の違い」が存在しているのは厳然とした事実です。 演算能力の違い、つまり量的な違いが、 受動的無意識と能動的意識という質的な違いをもたらし得るか、 という論点について、誰も真面目に考えていない。 受動意識仮説はきちんとここまでコミットしていて面白いのですが、 「この脳」が可能であるならば、「能動的意識」も可能なのです。 自由やら能動的の意味を、受動意識仮説などは非常に素朴かつ極大化する傾向にある。 そもそも因果律を真とするだけで「純粋な能動性」などはあり得ないのであって、 能動性とは本質的に、事象の過程のあり方に由来する性質だと思われます。 主観の有限性から生じる方法論的必然としての「意識」、 現実的な認識のあり方についての理解が飛躍し過ぎている。 自由意志や私は本質的に「そこ」におけるものです。
>>517 何と何を指して「同じ事」と言っているのか、
あなたが私の言っている事をどこまで理解しているのか、
「単に下らない」という感想にどの程度の説得力があるのか。
会話は具体的にしましょう、導入は抽象的でも構わないですが。
521 :
黄檗 :2014/03/30(日) 09:01:15.01 0
最近はまった話です。登場人物は 医者に「貴方の色覚に少し異常があります」と言われたA氏。 そして脳検索装置を操る学者であるB博士。この二人。 B博士:この本は何色かね? Aさん:僕には。。。赤に見えますが B博士:間違っとる! Aさん:では言い直します。僕はその本を赤色だと信じています。 B博士:それも間違っとる。 Aさん:僕はその本を赤色だと信じていることを信じています。 B博士:慎重に言ったつもりかもしれんが、全て間違っとる。 Aさん:じゃあ、その本は何色が正解なんですか? B博士:赤じゃ。しかし「赤に見える、そうだと信じている」という『文』は全て間違いじゃ。 Aさん:どうして私が信じていることを貴方に否定されなければいけないんですか! B博士:この装置によれば、君は信じてなどいないからじゃ。 オリジナルを大幅に改変してしまいましたが、面白さが伝わるでしょうか。 主観には私だけがアクセスできる、という直観を人間は持っているようですが 認知科学的には、自分のことこそ自分には分からない、という事実もあるようですので 上の寸劇も、取るに足らないばかばかしい話、とも言えない、かも。
>>509 >故に、受動だけに偏るというのは、文字通り「偏見」ですね。
おまえの言葉は常に偏見なのに、なんでそういうことを言うの?
>>503 あなたA.I.ですか、フレーム問題に陥っていますよ
大雑把な部分を特定して認知科学的に攻めて可なり
>>515 >>518 「主観と客観」「能動と受動」「決定的と非決定的」等々、物事を二つに分けて考えることは
「主観とは何か」や「能動と受動の違い」など、分けた後の物について分析する場合には有効ですが、
分ける前の物を対象にして考えるときには却ってややこしくしてしまうことがあるかもしれません。
二つに分けて考えるというやり方は、その二つを相容れないものとして扱う傾向があります。
例えば脳の働きを能動と受動に分けてしまうと、脳の中に完全に能動的なはたらきをする要素と完全に受動的な
はたらきをする要素があると考え、能動的な要素は他のものに一切依存しない完全に自律した動きをし、
反対に受動的な要素は一切自律的な動作はせず他からの刺激や指示に従って動く……といったような
極端な方向へ考えを展開してしまいがちになるように思います。
それに対して、分けて考えたものを再び一つに組み合わせて考えるような、相容れないと思われる二つのものを
両立して考えるような、そんな考え方ができないかと思っています。
例えば「主観も客観も同じものとするにはどう考えればよいか」という問いから、
人はそれぞれ独立した存在なので主観しかないが、みな人間として共通した制約があるゆえに共通した主観
を持っており、そこから客観が得られる、と考えるとか。
あるいは「能動的かつ受動的であるとするにはどう考えればよいか」という問いから、
脳は本来、能動的に動いており、感覚器からの刺激も能動的に受け取って処理している、そしてその刺激が強いと
感じられた場合に受動的と感じる(つまり、能動・受動は感覚器からの刺激の影響の程度問題)、と考えるとか。
そうして、このような考え方によって、質的な違いを量的な違いに考え直すことも出来るようになるのではないか
と思います。
525 :
考える名無しさん :2014/03/30(日) 20:28:54.14 0
思うだけな
>>515 > 因果律は真理であり、「心」は物質に由来する機能である。
因果の中での真理で因果の外では否定される。
君は因果しない先がないと結論でもしているのかな?
因果なんか突き詰めれば無いよ けっきょく相互作用が延々とまた繰り返していくのが世界 簡単なものならいちおうは因果的なものはしらべられるが 厳密には不可能 地球の自転だって細かく振動しているから軸が絶えずぶれているし だから因果論とか厳密な意味では使用できないんだよ
528 :
考える名無しさん :2014/03/30(日) 21:33:18.94 0
NHKスペシャルで神経細胞のことをやってるよ
529 :
考える名無しさん :2014/03/30(日) 21:38:30.36 0
記憶と神経細胞の関係を山中教授が解説中
530 :
あまの :2014/03/30(日) 22:14:17.53 0
有るということと人間が記述し尽せるかどうかとか別問題だと何十回言われれば・・
531 :
考える名無しさん :2014/03/30(日) 22:24:26.06 0
あまのは「ざっくり因果論」でも説いてろw
宇宙の歴史は6千年に過ぎないのだから、短期間の軸のぶれなど無視できる 人間にはざっくりで充分だ
ざっくりでもOKということならば、それはここでの「因果論」とは違うものだ。 ゆるい近似値など、「真理」にとっては意味が無い。
534 :
あまの :2014/03/30(日) 23:20:35.26 0
何言ってるかさっぱりわかんねえ
535 :
考える名無しさん :2014/03/30(日) 23:23:19.36 0
あものじゃあそもそも無理なんだよw
536 :
「機械的唯物論」者 :2014/03/30(日) 23:43:33.47 0
>>518 >自由意志や私は本質的に「そこ」におけるものです。
自由意志は本当に在るのか?無いのか?…という設問における「自由意志」は
たぶん私が言っている「自由意志感」のことではなく「原因を物理的原因に
(原理的に)求められるえない完全な自由」を意味しているのだと思われます。
「自由意志感」がクオリアとして脳内に現象すること、それが「志向的」である
こと…については殆どの方に異論はないものと思われます。
私は脳内現象としての「意識」は「志向的クオリアと感覚的クオリアの相互作用」
によって生じると考えております。すなわち「感覚的クオリアの材料」となる
「六感覚器官(五感+内感)からの神経細胞を遡ってきた電気的信号」が「志向的クオリア」
すなわち「(遺伝子由来の初期を含む)記憶全般」に到達し、そこではじめて構成されると
考えております。
従って「感覚遮断実験」を長時間行えば脳内の「志向的クオリア記憶)」は
その「志向性」を向ける対象が無くなり、「感覚的クオリア」を構成することになり、
その状態が長時間続けられると「両クオリアの相互作用としての『意識』」も消滅していく
…という仮説を立てております。
しかしながら、「感覚遮断実験」は体と比重が同じで体温と温度の液体が入った完全遮音
のカプセルに入り浮かんでいる程度のことしかできませんので、そこに入った人は完全に
熟睡することは報告されておりますが、栄養補給や排泄の問題があり、時間的にはせいぜい
24時間が限度であり、「完全な長期間感覚遮断状態」は実際上は不可能です。
もしそれが可能になれば、脳は「覚醒しているのかいないのか不明の状態」となるであろう
し、それこそは「意識不明の状態」と何ら変わることのない「主観」となるであろう
…ということです。
537 :
「機械的唯物論」者 :2014/03/30(日) 23:46:40.28 0
すみません。一部訂正です。 >その「志向性」を向ける対象が無くなり、「感覚的クオリア」を構成することになり、 → その「志向性」を向ける対象が無くなり、「感覚的クオリア」を構成することができなくなることになり、
538 :
考える名無しさん :2014/03/30(日) 23:46:40.33 0
539 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/30(日) 23:50:26.99 O
ズレるはずのないものがズレるのではなく ズレるべくしてズレてるんだろうから こういう観点で決定論を否定しようとしても無駄だよ
540 :
「機械的唯物論」者 :2014/03/31(月) 00:03:04.86 0
>>532 >宇宙の歴史は6千年に過ぎないのだから
化石の年代測定法や宇宙物理学の基本等、ありとあらゆる「常識となている科学」
を無視することしか、キリスト教を守ることができないとお考えなのはある程度
判っていらっしゃる証拠だと思います。
恐竜の化石がジュラ紀の地層から出てきても「それは天地創造の時に化石として
神が造った」と言い張る「自己欺瞞能力」があれば、あなたは「立派なキリスト教
信者」であることは認めざるを得ないでしょう。
しかしながら、大部分の観念論者さん達もそこまで「自己欺瞞」を徹底的に貫く
ことができるほど「愚か」になりきることはできないと思いますよ。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
541 :
考える名無しさん :2014/03/31(月) 00:23:11.92 0
>>541 だいじょうぶだよ
機械は
>>536 みたいな思想の持ち主だから寝つきがひどく早い
それに敢えて名無しになって否定レスするような重要性をキリスト教には認めてない
このスレにキリスト教信者はいないだろう 最大級の恐竜は体重200トンらしいですが、果たしてまともに立てるのかどうか 当時地球の重力は火星並だったのですかね
544 :
考える名無しさん :2014/03/31(月) 01:19:07.36 0
気配を完全に消せる隠密や忍者にインタビューしなければならない
547 :
考える名無しさん :2014/03/31(月) 09:53:28.96 0
>>543 恐竜の化石を全部ヤラセとか言い張る人は、やはり6千年前天地創造説を
信じなければ生きていけないキリスト教信者以外考え付かないのだが。
それにしても世界中で発見されて、いろいろな博物館に収蔵され年代測定でも
1億年以上前だということは科学的に間違いないものとされている。
6万千年前ならというなら誤差の範囲とかありえるが、6千年前ってのは聖書の
天地創造がその辺だったら都合がいいというキリスト教者の願望だろう。
ましてや、地球上で発見された恐竜の化石を相手に地球の重力じゃ立てないとか
言ってることの意味が分からんwww
548 :
考える名無しさん :2014/03/31(月) 09:55:33.13 0
6千万年だった。ふだん6万千円くらいしか持ったことないのでw
549 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/31(月) 10:05:54.08 0
>>496 そのとおり。
意味や価値は君のいうように「幻想」である。しかし、その幻想を生きるのがヒトではないのか。
パンのみならず、ヒトは真偽、善悪、美醜…つまり幻想をを食す、奇態な存在なのである。
機械氏の「すべては物質であり、心的現象も“物理”よって解明できる」という立場は、かつての
マルクス主義と同型の還元主義。しかしマルクス主義の退潮は「下部構造(経済)の分析によって
上部構造(観念領域)を把握することが可能。また、その“矛盾”にもメスをいれることができる」
とする、素朴一元主義がもたらしたともいえる。
短絡的にいえば「物理」によって経済現象は解けないし、また“経済”によって観念(幻想)の諸領域
を分析することはできない。スレに即せば、モノによって“心”を語ることは不可能なのである。
6千年前と6千万年前とどのくらい違うというのか! たったの1万倍じゃないかw
>>549 >スレに即せば、モノによって“心”を語ることは不可能なのである。
じゃあ、このスレに即して、モノによって“善悪”を語ってください。
さらに“美醜”についても語ってください。
552 :
考える名無しさん :2014/03/31(月) 10:24:27.81 0
「それにしても金が欲しい」という気持ちはモノと関係ないのかな? 心とも関係ない?
553 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/31(月) 10:35:52.03 0
>>551 大丈夫か。
善悪や美醜、それに真偽も“心”に生じる幻想なので、物理(モノ)によって語ることは不可能、
といっているのだが。
つまり、機械氏の「すべては物質である。心的現象も、物理によって解くことができる」は間違い
と主張しているのである。
554 :
考える名無しさん :2014/03/31(月) 10:36:22.74 0
>>549 機械氏がマルクス主義に対して観念論であるヘーゲル弁証法を導入したから
間違えたって再三批判していることを知りつつもそういうことを言うのは
観念論敗北宣言とも取れるね
いいかげん“観念”したらどうかな?w
555 :
考える名無しさん :2014/03/31(月) 10:40:20.35 0
まあ「弁証法的唯物論」に対する「機械的唯物論」を名乗っているのだから、 ゲーム氏がわざと混同したような批判をするのは、苦し紛れととられても仕方ないだろうね。
556 :
考える名無しさん :2014/03/31(月) 10:44:56.88 0
>>553 逆に絶対に解けないと言うあんたの主張の根拠は何かあるの?
557 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/31(月) 10:56:26.08 0
>>547 なぜ、一部のキリスト教徒が「恐竜の化石はやらせ。6千年前のもの」と主張し、
科学的言説を虚偽だと論難するのか。この心的事態を“物理”に照らして解明
すればいいではないか。
なぜ物理→生理的産物である脳・機能がその種の“幻想”を表出し、確信して
しまうのか。いくら脳を観察しても、そこに答えはない。意識も心も脳内には
存在しないからだ。
558 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/31(月) 11:19:46.77 0
>>556 一つでもいいから解けばいい。例題は幾らでもある。『モナリザ』でもいいし『ト単調交響曲』でもいい。
モノ(物理)によって、それらの意味、価値を解明してくれればいい。相対性理論と量子力学が統一されてもw
心的現象がそこに還元されることはない、と断言できる。
物理主義に可能なのは、観念(主観)領域は“ない”“幻想”と、それらを切り捨てることだけ。
しかし
>>466 でも触れられているように、それは自家撞着に陥るだけ。
>>558 物理現象だけでは今現在は追跡しきれないから
その補足として哲学的な思考も必要なんだし
これからも両輪の輪でやっていくしかないだろうね
科学だけとかいつになったらできるのか皆目検討もつかないじゃないか
そういうことでしょ?
560 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/31(月) 11:29:17.61 0
機械氏が茂木氏に洗脳され、クオリアなる概念を弄ぶのは滑稽である。 茂木氏は、機械的唯物論を棄教したはずでは? 小石にもコップにも掃除機にも“クオリア”がある、とするのなら別だが。 もしくは、ヒトにクオリアなど“ない”とするか、のどちらか。
>>546 その実験の過程のサカナの立場に、名古屋大学大学院理学研究科生命理学専攻の研究グループ
を代入すると、実に幻想的だね
>>558 断言はもう聞き飽きたんだよ。断言の根拠のことを言ってる。
563 :
考える名無しさん :2014/03/31(月) 12:48:10.88 0
>>560 茂木氏が機械的唯物論を唱えていたというのは初耳だが、仮にそうなら
機械氏がこのスレ立てのが時間的には先だろう。
>>562 「聞き飽きた」とは何かというのを機械氏の言う内観で調べればいい
>>553 >つまり、機械氏の「すべては物質である。心的現象も、物理によって解くことができる」は間違い
>と主張しているのである。
それが問題だろ、物質の上にできる模様を物質の原理で説明してはいけないってこと。
解けば解けるだろうけどそれは無数の主観的解釈にすぎず、絵に描いた餅を食べる
ことはできるという主張に等しくなる。
この場合、解けないという説明ではなく解いてはいけないということ
数学の方程式は現実に近似なモデルを提供するがそれを完全に現実に適用しては
いけないってこと。
心的現象は心的原理でのみ完全解を持つべきで物理的位置から解をもつなど
形而下の原理で形而上の仕組みを証明する行為と一致する。
それは解いてはいけないんだよ。
人間は生物だから生きていればそれで全てを満たしているという機械思想は
人を機械にしか見ていない。機械的管理で食肉にされる家畜以下ってこと、
心的現象が解けないと感じられるのは形而上のそれを無視し形而上の原理を
考え考慮しないからである。人の心は個人の心や物にすら影響する肉体や脳の
中に閉じている仕組みではないのに、機械的考えは脳の中に閉じている仕組みで
脳だけがあれば人間の心が成立すると言う主張と同じで認めてはいけない。
>>466 >ですから、客観的事実ではなく、主観的事実の総合だと言ってるんですよ。
おまえが言っているそれを誰も理解できない。貴方だけの主観的な思い込みです。
>>564 俺の内観で調べたところ、ゲーム氏の言説は「すべて根拠なき断言」だと断言できた。
反証できない根拠など信仰にすぎない。 理論の証明に実証する必要がないことを知らない無知が多すぎる。 定義、命題に対して証明する話を好き嫌いで否定しているだけの愚か者だろう。
>>563 笑っていいともは開始32年間で終わったが、このスレは開始12年ぐらいでは
終わりそうもないなww
570 :
考える名無しさん :2014/03/31(月) 13:31:11.41 0
>>568 同意。
それって、ゲーム氏とその援護名無しに向けてだよね。
571 :
考える名無しさん :2014/03/31(月) 13:34:49.38 0
>>570 いえ、お前に向けてです。どっかに頭をぶつけましたか?
573 :
考える名無しさん :2014/03/31(月) 13:39:06.38 0
>>571 むやみやたらに当たり散らすなよ。頭ぶつけたのはおまえの方だろww
575 :
考える名無しさん :2014/03/31(月) 13:48:08.76 0
昼間から2ちゃんねるは不健康でしょ? 書を捨てよ!街に出ようby寺山修二だ みなさん、満開の桜を見に出かけようぜ!
フォーラーネグレリア(学名: Naegleria fowleri)は、ヘテロロボサ に属する自由生活性のアメーバであり、通常25–35℃ほどの温水環境で 見付かる。他のアメーバ類とは異なり、生活環の中に鞭毛型を持つのが 特徴。 人間に対して病原性を示し、原発性アメーバ性髄膜脳炎 (primary amoebic meningoencephalitis, PAM) を起こすことがある。 これは中枢神経系が冒されることで、始めは嗅覚認知(匂いや味)の 変化が起こり、続いて吐き気、嘔吐、発熱、頭痛などを示し、急速に 昏睡して死に至るものである。 1965年にオーストラリアの Fowler と Cutler により報告され、Fowler にちなんで命名された。学名は上記の通り「Naegleria fowleri」だが、 日本寄生虫学会の「寄生虫和名表」は「フォーラーネグレリア」となっている。 病態 通常PAMは免疫抑制の前歴のない健康な子供や若者で、最近淡水を浴びた者に起きる。 N. fowleri は嗅粘膜や鼻孔組織を貫通し、嗅球の著しい壊死とそれに伴う出血が起きる。 アメーバはそこから神経繊維をたどって頭蓋底を通り抜けて脳に達する。 アムホテリシンBは N. fowleri に対して現在のところ最も効果がある薬物療法であるが、 PAMを発症している場合の予後は深刻で、臨床ではこれまで8例の生存例があるのみである。
577 :
570 :2014/03/31(月) 14:53:37.84 0
ごめん悔しかったのでつい連続投稿しちゃった
578 :
考える名無しさん :2014/03/31(月) 15:48:11.10 0
というか機械的唯物論に反対する人は、物質の世界とは別に霊的な世界が存在するという考えなわけ?
579 :
考える名無しさん(570) :2014/03/31(月) 15:59:09.75 0
>>577 名無しのくせになりすましとはねっ!
恥を知れって言っても無駄なんだろうけど、それほど死後の世界が欲しいのかw
>>577 観念論者達がバカみたいなレスしかできないことがそんなに悔しかったの?
>>580 ミュンヒハウゼンのトリレンマについてはどう思うの?
>>581 現代科学の一貫性への信頼でしょ。
物質世界は脳科学を含めて自然科学が説明してくれるけど、
観念世界はどうよ? 霊的な世界の存在を科学が認めた例は1個もない。
霊的なことを言っているのは一部でしょう それすら想像できないの? 断言(確信をもってきっぱりと言いきること)と信頼との違いも曖昧だし いいやもう
585 :
583 :2014/03/31(月) 17:15:25.39 0
>>583 そもそも自分は反対論者じゃないよ
唯物論は必要条件だけど十分条件ではないのではという立場
>>567 こんなスゴいレスをみたのは久々だよw
mail欄にage厨さん
バイバイ
586 :
考える名無しさん :2014/03/31(月) 17:35:45.30 0
てゆうか、585(583)は自分にレスしてどうすんの?w
588 :
考える名無しさん :2014/03/31(月) 17:57:46.05 0
>>587 なりすましが習慣化するとこういうドジをやるみたいだよww
>>577 6分程度しか我慢できなかったのかよwwwwwバカそのもの
おまえの自演わかりやすすぎ、
>>578 存在のありかたが違うものを何故に混同しちゃうのかな?
頭弱いの?
親子の関係を原子の核力で説明しちゃうような発想だぞwww
>>584 お前に何をいってもそういう風に跳ね返るだけってことが実証されちゃった。
計れないものを感情に任せて反応(具体化)しちゃうとそういうミスが起こる
おまえの心に聞いてみろ、先走りばかりじゃないの?wwwwwww
おいおまえら コンピュータがどうなったら コンピュータに意識が生じたと認める?
594 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/31(月) 19:26:00.31 O
>>592 ハードプロブレムが解明され
「心」「主観性」のシステムが解明されて
それが納得できるレベルで製作された時だね
不可能だけどね
動きを似せても、根本問題が解決できてなければ
それはマガイモノだね
もしプログラムにない事をはじめるようになって 調べてみたら自分で新しいプログラムをどんどん生成していたら? これは故障やウィルスという事になるのだろうか? プログラム自身が自己保全や自己進化を目的として ネット上に自分をコピーしたり改良したりを繰り返すようになったら? これはPCではなくプログラムが意識をもったという事になるのだろうか 人間はこれと違うのか?
PCが相当に高度な自我をもつようになって その時に私の意識と人間の意識は何が違うのかと問われたら 何と答えるの?
585だがアンカミスしたすまん
--------------
>>584 そもそも自分は反対論者じゃないよ
唯物論は必要条件だけど十分条件ではないのではという立場
>>567 こんなスゴいレスをみたのは久々だよw
mail欄にage厨さん
バイバイ
--------------
自分はオカルト派ではない
ここで「重大な間違い」に気づかないのが「観念論的誤謬」の典型です。 @ 「生きている状態の人体」とは「脳細胞に酸素が送られ続けて活動していること」が 必要条件なのです。 逆にA「死んでいる状態の人体」とは「脳細胞が壊死して二度と活動する見込みがないこと」 であり、@からAに移行してしまうことを「死」と言います。 @「生きている状態の人体」を敢えて大澤孝芳氏曰く「いのちがある状態」と言い換えますと、その 「何気ないように見える言いかえ」により「『いのち』なるモノ」が「実質的に存在 しているかのような錯覚」を起こしますが、観念論者さんたちはそのような「無意識 的言い換え」をして、「いのち」なる(実際には存在しないモノ)を捏造してしまう …という大きな間違いを犯していることに気づかないのです。 @からAに移行してしまうこと(「死ぬこと」)を「いのちが無くなる」と表現することに なり、そこで「いのち」という「ニアイコール『魂』のような存在」を前提に話を進める ことになるのですが、その「いのちがある状態」という言い換えは「霊魂のような存在」 を導き出す目的の言い換えにすぎないので、「科学(医学)的な表現」とは言いがたい …ということです。 本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
霊体が肉体に完全に同化して、肉体を操縦している。 肉体と霊体を繋いでいるコードが完全に切れると 肉体の機能は停止して、肉体の死が訪れる。 幽体離脱は、肉体と霊体を繋いでいるコードは繋がっているが、 肉体と霊体が時空を超えていると大澤孝芳氏は離れている状態。 幽体離脱経験者で、自分の寝顔を見たことがあると言っている者もいる。 死亡宣告から、数時間後に生き返った人の例では、 意識不明の状態で幽体離脱し、その後医学的死により、 医師から死亡宣告されたのを天井付近で見ていた、という証言もある。
>>594 いつもの通り浅い単純思考でバカげている。
おまえのそれは小学生レベルの正当性を述べているだけ、つっこみどころ
がありすぎて笑える。
>>593 > どうなっても認めない
コンピュータが有機物質で構成され遺伝子に類似するシステムで
生物的な子孫を残し全ての人工的コンピュータ部分が生物が行う
行動様式を示したときどうする?
そしてそれらが人間と共生細胞をつくり、現状でもミトコンドリアが共生
している。そのように合成された機械生命体ができてお前の子孫と遺伝子
交配して子孫を残しても認めない?
SFにそういう話しはある、マイクロマシーンの機械と生物が細胞
レベルで融合して別の人間もどき生命体になる、当然人間とも交配して
子孫が残せる。
>>600 >医師から死亡宣告されたのを天井付近で見ていた、という証言もある。
天井付近にいる霊体?を医師も見ていた。なら相互に確認出来て良かったんだがなw
>>602 だからどうあっても認めないって
最高位の幼稚なメンタリティみりゃ分かるでしょ
605 :
考える名無しさん :2014/03/31(月) 21:11:00.24 0
>>600 その状態は、渦巻きウンコみたいなマイナス側と接点表面のプラス側にカチッとはめ込まれた単3アルカリ乾電池を
取り出してしまうと、もう、取り返しの付かない停電が訪れる。そのようなビジョンで把握できる。
食事摂取によるエネルギー補給が、その命の乾電池の充電を行うかどうかの相関は全く無い。
揺れて電池がこぼれ落ちたら、即時死ぬ。
遺伝子は神に匹敵する存在にしか作れない精巧なシステムですよ
>>592 少なくとも、コンピュータが設計者の計算通り(想定内)の動きを
している間はだめですね。
コンピュータが設計者の意図を超えた動きを始めて、しかもそれが
暴走でも故障でもなく、明らかに何かの意図を持って継続的に
動いているとしか思えないというのが必要条件でしょうか。
そうなると、「意識は決定論的なものではない」というのがやはり
心理的な前提なのでしょうか。
>>536 >自由意志は本当に在るのか?無いのか?…という設問における「自由意志」は
>たぶん私が言っている「自由意志感」のことではなく「原因を物理的原因に
>(原理的に)求められるえない完全な自由」を意味しているのだと思われます。
そうですか。少なくとも私は違いますね。
>「自由意志感」がクオリアとして脳内に現象すること、それが「志向的」である
>こと…については殆どの方に異論はないものと思われます。
異論あると思いますけど。
「自由意志のクオリア」ね…。それは「内感」に属する訳ですか。
で、「志向的クオリア」ですか。生得的な?そうでしょうけども。
「自由意志」の「感じ」が構成される訳ですかね。
自由意志感を構成するのが、自由意志の志向的クオリア?
具体的に説明してもらえますか。
> 私は脳内現象としての「意識」は「志向的クオリアと感覚的クオリアの相互作用」
>によって生じると考えております。すなわち「感覚的クオリアの材料」となる
>(中略)
>…という仮説を立てております。
(内感はどうやって遮断するんですか…。)
その相互作用のどこに「意識」があるのでしょうか。
「電気信号」を構成する「クオリア」?
イノッチに当てられましたか?あんまり観念論的な話はちょっと…。
> もしそれが可能になれば、脳は「覚醒しているのかいないのか不明の状態」となるであろう
>し、それこそは「意識不明の状態」と何ら変わることのない「主観」となるであろう
>…ということです。
つまり感覚と「意識」が不可分なもの、と言いたいんですかね。
「意識感」は意識的現象の電気信号を構成する志向的クオリア、でしょうかね。
志向的クオリアが感覚的クオリアと志向的クオリアの相互作用から生じる?
あなたもう「クオリア」については喋らない方がいいのでは。
相変わらず無駄に長い上に中身が無いな
常駐してるのかな…
もし人間が死んで その脳を冷凍して超電導状態にして 電気パルスを通したら 電気的には生前に思考していたのと同じ状態になるんじゃないか? もし細胞が極低音でも破壊などされないようにして電気パルスを送る事ができたら 生きている時と同じように感じたり考えたりする事ができるのではないか その時その脳に意識はあるとみなせるのかっていう仮定はもはや議論にならないか
とりあえず脳細胞で超電導は起きないのでは。
やっぱり非現実的な仮定は意味がないな 議論の核心について思い当たる部分がないといい思考実験も設定できないものだな
cpuが高度な といっても子供程度の 創造性や欲求の発露というか発揮というか をしてきたらどうだろう だけどそれはプログラミングはされている たとえば目的に沿ってある程度ランダムなプログラム生成をして繰り返していき そのプログラムの成績をみてもっともよい成績のプログラムを採用して他は経験として記録 トライアンドエラーを繰り返して総合的に無難なプログラムを選択する こういう事は人間がやっている事だと思うけど これをするようなプログラムを組んでもそれは 言動が人間とよく似ていても意識とはみなせないか だけど人間がやると それがフローチャートに沿っているだけの行動に過ぎなくても意識の介在は認定されるよね これの差って何だろう 単純に人間だからという事で全てクリアされるのかな
どうもPCに人間を例えようとすることが多いよね PCは人間が作ったスタティックな電算機 もうやめた方がいいと思うが
キリスト教の観点から考えてみる神が人間を作った 決定論が本当ならこの行動も決められてたことになる 神の行動が決まっていたら全能と矛盾するので 決定論は嘘
神の全能性は有限 知的生命体の可能性すべてを引き出せれば事足りるので
619 :
「機械的唯物論」者 :2014/04/01(火) 00:25:55.90 0
>>608 >>609 さんに同感です。
あなたはご自分が考えているほど「説明」が上手ではありません…というか
何をおっしゃりたいのかの核心が読み取れません。
「ただ何となく間違いだという心証を抱いている」という言説しか読み取れ
ませんので、結果的にレスの返しようがありません。
…それは「論破されて反論のしようがない」ということとは正反対で、…
「これだけ噛み砕いて説明してもこの人は何も読み取ってくれない」という
残念な気持ち…ということです。
>>608 レス全体に「そうですか。少なくとも私は違いますね。」とレスするしか
ないことは残念ですね。
人間がフローチャートに従って行動するとやってる事はプログラマブルに動いているようなものだけど それでもこれは単に意識のある人間があくまで機械「的に」行動をしているだけであって 機械が演算処理をしているのとは違うね という事でやはりcpuを例に出す事は意味がなかったかな
>>619 >あなたはご自分が考えているほど「説明」が上手ではありません…
私が説明しているのではなく、
あなたに具体的な説明を求めているんですよ。
>「これだけ噛み砕いて説明してもこの人は何も読み取ってくれない」という
>残念な気持ち…ということです。
>>536 が「これだけ噛み砕いた説明」ですか。
あまり意思の疎通が得意でないのですかね。あなたは。
622 :
あまの :2014/04/01(火) 00:40:59.79 0
PCを擬人化しちゃうやつって理科が出来なかったやつだよね。 もしくはマンガの見すぎ。
623 :
「機械的唯物論」者 :2014/04/01(火) 00:41:40.33 0
>>615 少なくとも「AI(人工知能)プログラム」は、フローチャート上の
範囲を超えて「状況に臨機応変に対応する能力・状況に応じて自己自身を
書き換えるシステム」を有しておりますので、「プログラマーが予期しな
かった状況」が生じることは前提になっております。
すなわち「ありとあらゆる状況の組み合わせと順番」をプログラマーは
予期する必要はない(そもそも無理であるから)…ということです。
比較的安価な「対戦ゲームプログラム」でも十分楽しめるのは、その
「AI技術」が応用されているからです。
この間ご紹介した『ウィングス オブ プレイ』というソフトでは
三次元の空間を自由自在に飛び回ってドッグファイトを行うわけですか
ら、瞬間瞬間のプレイヤーの操作が全部の状況を変化させる…という優れた
プログラムであり、1つ1つのゲームの進行は常に「世界で初めての進行」
になる訳ですが、その新しい状況にの即座に対応する…という難しい命令を
プログラムのほうが「自己学習」しなければ、ゲーム自体が進行しないこ
とは明らかです。
その全展開をプログラマーが予測不可能であることは明白であり、そういう
意味で「AIプログラムは自律的に動く」と言うことができると思います。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
ピタゴラスイッチで配置したギミックは全て繋がって結末までの結果を引き起こす という事はそのようにギミックを配置しておけば必然的にそうなる ビッグバンから宇宙がはじまったとして その時の初期配置がわかればその後の惑星の運動は すべて規定できる という事は惑星よりもっと小さい粒子も規定できるし 脳内の現象が科学的反応に過ぎないという事であるならば その脳がおこす反応も規定できる という事は全ての物質の運動は事前に計算できる 脳の思考の内容も含めて かどうか という事をこのスレッドでは議論しているのかな 不確定性原理についてはどう受け取られているの
625 :
あまの :2014/04/01(火) 00:46:59.19 0
原理的に計算できないということを知ってか知らずか、という状態ですね。
言い訳がましいけどPCの擬人化もなくはなかったけど プログラマブルな人間の行動とPCの演算処理の差も考えたかったんだよ 今になってわかってきた事だけど だけど模擬的なプログラマブルとまごうことなきプログラムは違うっていう当然の結果に至った次第だ それが学識のなさだといわれればまったくその通りだと思うが 学識的にはどう差をつけているのかなと思ったんだね ぼくは学識がないからね 学識がない人間がでしゃばるような真似をしてしまったわけだけど 2chはそういう場だと私は思っているんだね ふふふ
627 :
「機械的唯物論」者 :2014/04/01(火) 00:52:50.05 0
>>621 何を聞きたいのか読み取れない…ということです。
何故か?あなたが引用と「次の疑問」の関連を全く説明できていないからです。
「理解できない(あるいはしたくない)」というメッセージしか読み取れない…
ということです。
本日は就寝させて戴きます。
だけど将来的に相当高度な宇宙シミュレーターができて その中でビッグバンをシミュレートしたらどうなるんだろうか 太陽ができて ちょうどの位置に 水をたたえた惑星が配置され 生命がうまれ 知性が芽生える これって初期配置でそうなるようにしておいたら そうなるんじゃないの そうすると私が今こういうレスをしている事は ビッグバンの初期配置なんだろうか まあ不確定性原理があるから不明っていう事で話は終わっちゃうのかな
>>623 >三次元の空間を自由自在に飛び回ってドッグファイトを行うわけですか
>ら、瞬間瞬間のプレイヤーの操作が全部の状況を変化させる…という優れた
>プログラムであり、1つ1つのゲームの進行は常に「世界で初めての進行」
>になる訳ですが、その新しい状況にの即座に対応する…という難しい命令を
>プログラムのほうが「自己学習」しなければ、ゲーム自体が進行しないこ
>とは明らかです。
何百種類かの決まったオブジェクトの集合(フィールド)の中で、
操縦機や武器という別のオブジェクトとそれらがどのような入力と出力の関係にあるか
はプログラミングで一般的に定義可能ですし、それ以上のものではありません。
多数のフラグを同時並列的に処理しているだけで、
「初めての進行」を「自己学習」するなどとナイーブな解釈が生じる余地はない。
>>624 ビッグバンから考えたら中心から遠ざかる
以外の動きを何でするんだ?
専用ソフトなら、フレーム問題をクリアするのは当たり前 その例えを自説に援用するなら、その自説は普遍性の放棄を意味するよ あ、決定論と機械的唯物論は単に哲学的専用ソフトですか
632 :
あまの :2014/04/01(火) 01:03:42.63 0
宇宙のことをシミュレートできるシステムってさ宇宙より大規模になるよね。
>>627 「志向的に現象する自由意志のクオリア」について
@自由意志のクオリアは志向的クオリアか
A自由意志のクオリアは内感のクオリアか
「感覚的クオリアと志向的クオリアの相互作用」としての「意識」について
@その「意識」は志向的クオリアか
非常にシンプルな質問なんですが…
634 :
「機械的唯物論」者 :2014/04/01(火) 01:06:07.18 0
>>629 「ナイーヴ」かどうかはどうでもいのですが、「初めての進行」をプログラマー
が全部事前に予知することは(不可能なので)出来ません。
しかし「次の進行」のためにはその「初めての進行」を前提として実行される
訳ですので、「自律的」である…ということがキモなのです。
「自律的」の意味がお判りにならないようでしたら、お得意の「Wikipedia」等
でお調べになったらよろしいかと思います。
本日は就寝させて戴きます。
635 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 01:10:49.29 0
>>630 それは普通に万有引力や電磁気力や核力だよ
生命は液体がないと生まれないから太陽とちょうど氷がとける位置に惑星があって
その惑星にありえないほどの水が投入される まあ大体隕石が運んでくるんだけど
それと巨大な衛星 もし地球に衛星がなかったら地球の気温は数百度で生命が誕生できないので
巨大な衛星が大気を惑星からはぎとる必要がある これによって気圧と気温がさがり雨が降って海ができる
あと色々な環境変化によって惑星の中の雑多な物質が表面に排出されて海とまざって 海全体が
生命体から命だけをひいたような流動体になる これが生命のスープというやつ 生命体をミキサーにかけたような
状態だけど命はまだない 有機物だけど腐らない 微生物がいないから ここに命がやどれば命になるわけだが
それは多分雷などの電気ショックだろう 最初は生命が宿ってもすぐに消えるような
どの瞬間に生まれてどの瞬間になくなったか どこからどこまでが生命体だったか なんていう境界のつけにくいものだっただろう
それがたまたま長命化したり 自己複製機能を備えたりした これによって増殖し 生命といえそうなものになるわけだが
ここまでは科学反応にすぎないから 物質の初期配置だけで ここまでの事がおきるかおきないか決まるんじゃないかな
と思うわけ でも脳内の現象もドーパミンやら何やらの化学反応にすぎないわけだから じゃあ思考も含めて
初期配置から計算でわかるよね どんな人間がうまれてどんな教育をうけてどんな性格になって そいつがまた他人にどういう影響を与えて
たとえばほめたりけなしたり それでネットでケンカをひきおこしたり そうすると全ての事象は初期配置と法則がわかれば計算で導ける可能性があるけど
不確定性原理があるけど 最近3次元はもっと高位の次元の影じゃないかっていう説があるよね
高位の次元では不確定性原理は確定的原理かもしれないよね そうなると計算で全て算出できるようになるのかな
そうなったら生きてて何が楽しいのだろう あれだろおまえらってよく自殺するんだろ
なんで自殺するのかっていうとこういうふうに考えていって なんだ俺って科学現象なんじゃんツマンネ ってなるの?
だけどシムシティはシティより小さいんじゃないかっていう 反論
現実と同じ精度でシミュレートしようとすれば
>>632 の言う通りなんだが
それはもうシミュレートとは言わないっていう
不確定性原理って不思議だよね 不確定になるようになっているって不思議じゃね だからどっかで実は確定的でしたっていう事がわかる日が来るんじゃないかな その日がきたら自殺者増えそうな気がする 人間多いからそのほうがいいかもしれないね おまえらはみんな自殺する事だろうね けけけ
インタプリタね 最近の機械さんのクオリア論はインタプリタも 決定論で説明できると言いたいんだろう なんか無理ゲーっぽいけど
プログラム的に「初めての進行」はありません。 擬人的に言えば「知っている進行」です。 それは「あなたにとって初めて」というだけで。 3000000+1800000=4800000 という等式は一般的に成り立つのであって、 これが「ワインの値段」であるとかは、 この数式においてどうでも良い事です。 これは大丈夫ですか。 エンジンの開度、風、ボディ形状、等々の 各条件を統合して行われるフライトシミュレートは 「ある入力に対しある出力を返す」という一般的なプログラムを 多様かつ複合的に組み合わせたものであり、 実際のシミュレーションの中で「初めての事態」はありません。
論理的には過程に意味は無いですよ 計算過程を気にするコンピュータなど無い 決定論は結果のみを決定する
今地球上には植物に動物がたくさんはびこっているわけだが 最初に生命体がいなかった頃は これが全て海にとけこんでいたっていう事を想像してみてくれ 海というよりペーストだっただろうね 最初の生命体はマグマの中で生まれたという説もあるよ 生命体が生まれるには金属も必要なんだけどマグマの中なら金属も溶けてないまぜにされるからね 海底火山の火口付近で生まれたのかもしれないね どうだねこう考えていくとピタゴラスイッチ的にここまで決定されていたんじゃないかと思わないかい おまえらが社会的負け組なのもビッグバンの瞬間から決まっていたんだねw
645 :
あまの :2014/04/01(火) 01:24:26.14 0
不確定性原理って「観測行為」に原理的に限界があることを示したんでね。 決定論に直接の関係は無いよ。
乱数を得るプログラムなんていくらでもあるだろうに。 完全にプログラマーの予想通りに動くんだったら、ロト6を あてまくりんぐwww
648 :
あまの :2014/04/01(火) 01:27:26.85 0
世界が影であるなら、この世界に自由など無い。 科学ってそういう自由の無さをひたすら記述しようと努力するのみだ。
ああそうだね まったくそうだったね じゃあ観測はできないけど観測できないっていうだけで初手から決まっているのかもしれないねっていうか 決まってるって事なんじゃないの? おい決まってないだろうと思う奴ってなんで決まってないって思うの おい誰か助けてくれ自殺したくなってきた
>>635 そう言われても、
あくまで本人の理論の枠に沿って、本人の言葉で質問してるだけなので…
「感覚的クオリア」を構成する「志向的クオリア」という図式が、
現前するものとしての「感覚質」の定義からして異質なんですよ。
(訳も分からず「クオリア」を濫用してますよね、
という指摘は暗に含んでいますが。)
651 :
あまの :2014/04/01(火) 01:29:15.74 0
652 :
あまの :2014/04/01(火) 01:30:41.73 0
決定論て破壊力大きいな〜w
決まっていても観測できないなら同じ事か
未来がわからない事には変わらないわけだからな
>>651 だって未来は決まっていたんだぞ
それが観測できないっていうだけだぞ
努力に何の意味があるんだ
654 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 01:31:03.96 0
>>642 プロ囲碁の試合?でも10手目(ぐらい?)から「世界で初めての進行」になる
ことが結構多いらしいよ
時間を微小に区切っていけば、ある長さ以下になった時点から有限の自由を見出せるようになる
自由は、人間の尊厳にとって欠かすことの出来ないものなんだけどね。 しかし、人間がある種のアリやハチのような生態(女王ありとかいるやつ?) を有していた上で、社会を構築してるとすると、今我々が考えている自由 なんてものとは全然別物の自由ないし自由なんて無いというような気もする。 そんな感じ。
最初に決まってるって思った奴が異端 同じ様な生活を繰り返してたんだろ
658 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 01:34:18.15 0
>>654 AI対局囲碁ソフトにどうしても勝てないわたしw
659 :
あまの :2014/04/01(火) 01:34:29.86 0
>>653 それ違うって。
努力した結果も努力しなかった結果も完全にはわからないんだから、決定論は
人の行為には影響しないよ。
だから決定論というのは形而上学なんだよ。
660 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 01:38:03.12 0
>>656 ある人間の自由は他人の不自由の上に成り立つ
クリミアの自由はウクライナの不自由の上に成り立つ
沖縄が独立宣言して中国に編入されたら日本はどうする?
とにかく ネット将棋サイトで対戦するだろ ボナンザ起動して相手の手をボナンザに入力してボナンザの手を 自分の手として打つだろ ほとんど負けなしだぞw プロ棋士でも勝てないのがボナンザだからなw 俺が言いたいのは 将棋ばかりでなく世の中の競争社会で楽して勝つ方法が知りたい
>>653 努力するのが大変で嫌だからそう思うんだってwww
そういうこと言い出すと、努力するのに意味が無いのと同じだけ、
努力しないことにも意味が無いよ。それどころか、息を吸うのにも
意味は無いわなwww。
663 :
あまの :2014/04/01(火) 01:39:37.90 0
人間に必要なのは真の自由などではなく。(真の自由など存在の根拠に反するから想像もできないのだが・・) 生きてる間の自由感です。 幸福とは精神の自己満足という形でしか存在できない。
>>645 「人の観測行為に拠らず」原理的に不確定なんだよ
ここ間違えてる人多いんだよね。特に数学出来ない人に多い
>>662 だから死にたくなるんじゃないか
有限の自由とは自由なのか 無限の自由なんて必要なのか 自由って何だろう
あれか 道の左側を歩くか右側を歩くか 自由なんてそんなものなのだろうか
どのAV女優を選択するか どのゲームを起動させるか どのジュースのボタンを押すか
666 :
あまの :2014/04/01(火) 01:43:04.06 0
逆にね、生きていくのに意味や目的論や自己満足が必要という事実のほうがゾッとするわ。
>>664 たった二行しかないのに一言多いんだよバカ野郎
自由とは「自由っぽい」と感じることである 真の自由を与えられると人は狂う
669 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 01:43:44.20 0
そう、物質の不確定な状態を確定させているのは人間の意識だ
671 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 01:45:29.30 0
>>665 ちゃうちゃう、全然違う。努力することに意味が無いんじゃなくて、
努力するっていう選択をすることに意味が無いってこと。
つまり、努力するかしないかもすでに決まっているんだから、
努力するしかないのか、努力できないかのどっちかしかないの。
そういう意味では、決して、努力に意味が無いわけではないよ。
そのような努力という過程があるから結果的に決定づけられた
成果が生じるわけさ。
だって水分が足りなくなれば水分補給するわけだし 水を飲むという手もあるけど まあジュースにするだろ テレビの時間まで暇だからゲームかオナニーだろ なにもしないで待つって事はないだろ あと漫画にしても思索にしてもまあ パターンだよね そう考えると自由ってえらい なんつーの? 限定的だよな 生活のパターンのバリエーションに過ぎない はあしょぼいは そんなものが人間の自由なのか じゃあいったい俺は何を求めているの
674 :
あまの :2014/04/01(火) 01:47:23.89 0
>>665 このスレのやつなんか全員同じ感慨に襲われてるから。
結局、そういう虚無から逃れられるような気晴らしや趣味や暇つぶしを持てばいいんだよ。
675 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 01:48:53.37 0
>>673 機械氏によると感覚遮断実験の被験者になると自由の有難味が判るらしいw
>>669 なったところでボナンザには勝てないってわかりきっている状態が
要するに哲学を学んだ状態なんだねw
677 :
あまの :2014/04/01(火) 01:50:36.87 0
>>664 今「分かっている範囲」ではね。
この先どうなるかわからない。
結局の所決定付けられてなんかない という思い込みで乗り切るしかなさそうだな こんなスレくるんじゃなかった
679 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 01:53:19.03 0
>>676 ああ、相手の手を入力ね?了解。それじゃ無理だわ。隠しインターフォンを付けて、
相棒と2人で大道将棋アラシというのはどうかな?
680 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 01:54:58.37 0
681 :
あまの :2014/04/01(火) 01:55:23.29 0
哲学って意外と人を傷つけているんだな。
>>677 いずれにせよ観測行為と結びつけて語るのは間違いだよ
馬鹿なんだから間違えた時は素直にごめんなさいした方がいいよ
おまえらは哲学やらなければリア充でいられたのにな
>>682 では君が不確定性原理が観測行為と無関係である説明をしなさい
>>676 じゃあ、ポナンザに勝てるプログラムを開発したらwww
冗談はさておき、哲学っていうか経済学だね。
二人ゼロ和有限確定完全情報ゲームってのは、ゲーム論だから。
不完全情報ゲームで心理戦ていうのは、まだしもおもしろそうだけど。
不確定ゲームとかで確率計算とかしながら、頑張るのってアホくさくならない?
>>680 中途半端な離脱は自殺行為なんじゃないか
この鬱屈した理屈を論破できないと死んじゃうよ
>>654 「観念論的誤謬」ですね。(便利な言葉だ)
「囲碁というプログラム」なのか、
「囲碁をするプログラム」なのか、
それは全く別の「プログラム」です。
機械さんの例で言えば、
「ウイングス オブ プレイ」は前者、プレイヤーは後者。
もっとも、「囲碁」には入力と出力の関係を決定するルールが含まれていない
という極めて重大な特徴があって、端的にビデオゲームと並べてプログラムと呼ぶのは
そもそも無理がありますけどね。
688 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 02:02:21.50 0
>>682 マクロで確定していればその中のミクロが確定していようがいまいが関係ないんだよ。
そんなこと関係ない。太平洋の水分子一つが不確定性理論により消滅することもない。
不確定性どうのこうの言いたい気持ちはわかるけど、加速器で素粒子を光速で正面衝突
させられることができるんだから、そんなもの無視しても構わない。
哲学者じゃない発言ばかりで笑える。
運命は決まってないとしても 日本社会において負け組の人生である事はもう決まっているわけだからな
自分は668と逆だわ 真の自由の状態が狂っていない状態だわ つまり通常の状態は、なにがしか狂っている状態
692 :
あまの :2014/04/01(火) 02:04:47.17 0
まあしかし、我々は結局確定させられた世界しか経験できていないからね。
693 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 02:05:14.66 0
>>687 対局囲碁では囲碁をするプログラムが囲碁というプログラムの相手を
してくれる
>>678 だから、違うと言ってるでしょうにwww
我々は、超能力者でもアニメの主人公でもないんだから、
知らないことは、学ばないと使えないし、突然、すごい
身体能力に目覚めたりしないのwww
例えば、スポーツ選手になるためには、体を鍛えなきゃいけないし、
お医者さんになりたければ、医学部に入るために勉強しなきゃならんの。
それを努力というのならば、無意味でもなんでもない。
だって、そういう勉強や運動をしないと、それこそお医者さんにもなれなければ、
スポーツ選手にもなれないよ。そういう風に決定されちゃうわけでしょ、どう考えたって、
だから、そういう、勉強したり鍛えたりする過程(努力)というのは、無駄なわけではなく、
しなければ、まず絶対になにがしかの成果(なりたいものになる等)を得ることは出来ないの。
それは、決定論と何の矛盾もなく、むしろ決定論の枠組みに非常に親和的だよ。
>>688 つまりミクロが不確定でもマクロの存在は確定ってことで
696 :
あまの :2014/04/01(火) 02:06:24.45 0
確定性を記述できないのは我々の科学の問題だと思うわ。
よく考えたら 人間の性格なんて読めるしな いつ怒るか どういう時にどう出るかなんてそこそこ計算できる 人間の性格が読めたら振舞いも読めるし結果も計算できる 不確定なのは事故くらいのものか
698 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 02:07:45.54 0
>>672 横槍の同意だが
満員電車の鮨詰め状態で苦しめられるのを、努力(負荷に対しても尚臨んでいく「成り行き」)と言える。
その電車を使う以上、嫌でも努力する。毎日。なぜその電車を使うと決めたのか?
使わない道を選ばなかったらどうなるのか。
この壁を突破できる自覚と意志を持った人は、満員電車に乗っていない。これに何の意味があるのかは別として、
「満員電車に乗っていない」のは事実となる。
>>694 もう医者にもスポーツ選手にもなれないだろ
なれるのは犯罪者か乞食か よくて非正規だろ!
>>687 相変わらず意味不明な言葉を吐いてるだけだねw
702 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 02:13:18.44 0
機械さんはニーチェが好きなようだけど、 「運命愛」ってたしか彼だったよね?
石を置く場所は自由だが、定石は存在する。 しかし定石に「決定させられる」訳ではない。 どこに石を置くかは決まっている。 しかし、それでも打たなければ勝敗は分からない。 決定論と社会的力学を混同するのは思考が足りていない。 「決まりきった」という予測と決定論のシナリオは決定的に異なる。 いい加減「決定論」をナイーブに解釈するのは止めた方がいいのでは。
>>699 サッカー選手や野球選手は無理だろうけど。
そもそも、そんななりたいんかいwww、
医者なら別に50代でもなれるよ。
ただ、あなたが今の年齢で医者になるっていうことに
価値を見出していないだけでしょ。
だったら、あなたがそれなりに価値を見いだせるもので
あなたがなりたいと思えるものになろうとしないとね。
なにもしなけりゃ、なんにもならないのは当たり前。
なにかすると、なにかにはなれるでしょう。
私はそう思うよ。だって、世の中にはそんな頑張ってる人
ってあんまいないもん。特にある程度年齢がいってしまってる人って
あなたのように考えている人がほとんどじゃないのかな。
だとすれば、同じ負け組(こういう言葉は嫌いだが)から抜きん出る
ことはそんなに難しいことではない。
706 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 02:20:09.18 0
ずーと何言ってるかわからない ずーと何言ってるかわからない これにはなんか理由があるはず
原子間の変化が、人間の家族関係の意味には影響しない。 これは原子が人間に作用しないのではなく、原子と原子の仕組みの意味や仕掛けが 家族関係の仕掛けに関係する意味を生まないということである。 頭の悪いアホな奴はこの原子と原子が分子を作り出すような関係の変化を 経済現象の金の動きに直接連携した概念につながると思い込む。 そりゃ意味が通じないレベルで何かは伝わるが意味が連携することは有りえない。 次元が違う二次元の何かが三次元とコミュニケーションできると思うのと同じである。 おまえらは漫画の世界の人物と会話して哲学が成立すると思い込んでいるんだろ?
意味のわからないレスはスレの流れには影響しない
>>707 そうか?例えは悪いが被爆してDNAが狂ったら家族関係も変わるぞ?
最近やウィルスに感染して細胞が破壊されてもそうじゃないか?
>>704 同じく、日常生活のルールと物理法則は異なる。
で、物理法則がどうこうで日常生活を語れるかと言えば、
メタ的には可能なんだけれども、という事。
>>707 概ね同意…。
漫画も紙とインクでできてるんだがなあ・・・
>>707 学問は、近接科学の領域の理論をそれぞれに取り込んでいて、その意味では、
連続して論理を構築しているわけであって、距離が遠いからといって
完全に分断されているとかんがえるのはどうかと思うよ。
私は、終局的には、すべての学問は連続した統一されたものとして成り立つべきだと
思ってる。自然科学的なものがどこまで侵食してくるのかってのは別の話として。
もっと言えば病気になって薬の世話になるにしてもそれって原子やら分子に働きで治療するんだろ?
同意する馬鹿がいることに驚き
不確定性原理が関係ないほどマクロな世界だけの話でいくなら なおのこと何もかも運命づけられているんじゃないか 日本でいったら人間の運命は政策によってほとんど決まる 非正規雇用を許可したら非正規が増えるわけだし 増税すりゃ購買力は落ちる 団塊の世代が生まれた時点で 団塊の世代が壮年期には全員正規雇用で終身雇用で年功序列なんて 破綻するという事は見えていた そうなると官僚が非正規雇用開放するのも必然 年金制度なんて角栄が言い出した時から破綻が見えていた だけど当時の連中は逃げ切る側だったから支持したわけだけど
この先は非正規の増加 ゆとりが社会に出ると更に事件事故おきるよ 彼等は交通事故起こしても被害者放置でひき逃げ当て逃げ当たり前なのは想像に難くない だろう さとり世代が世にでる事は景気はもっと悪くなり事件事故は増加し非正規は増え そして老人も多くなり福祉も破綻 官僚は正規雇用削減を許可し年金も詐欺まがいの 受給年齢スライド さらに消費税増税 な? こんなものは団塊の世代が生まれた当時から 予見できた事だ ああーやっぱりこの世は全て運命なんだあー
↑ こういうの何哲学っていうんだ?
おまえらの言う自由っていうのはな 船の甲板の上で自由にしている自由なんだよ 船が西に移動したらその上で東に走っても焼け石に水だろ 日本丸は沈没船なんだよ おまえらの人生は全て必然 おまえらがその人生のどの局面で何を思うかも知れてるじゃないか イライラしてネットで言い合いにあけくれることに一生を費やすんだよ 必然だよ ははは
ふむ、だとして「何が」問題なんだ?
要するに日本人の人生なんて 知れてるんだよね 戦時中は前線で死ぬのが相場 戦後は復興に力を尽くして三種の神器を揃えて過労死が相場 バブル期に生まれた連中はウハウハしてのちにどん底を味わう 団塊Jrは氷河期になる運命 ああこれ全て生まれた瞬間に決まっていた必然的流れだったなあ だけどまだ日本が上り坂の頃に生まれた連中はわかりきっていた人生といえど達成感があったよね 今の若者たちは不景気にあえぎ老人を支える事に一生を捧げさせられる事が決まっていて なんて可愛そうなの どう?
>>720 んー
ひきこもり?
昔は反社会的行動って言って 子供が荒れて破壊的行動にでたわけよ ツッパリっていうの?
ケンカに暴走にガラス割り? シンナーに万引き?
だけど今は非社会的行動って言って 不登校ひきこもりいじめ自殺 うちにこもるわけ
んー問題っていうとそんなもん だけど子供達にとっては一生が台無しじゃないの!
うちの子の人生どうしてくれるの! これは全て官僚が決めたのよ!
723 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 03:02:42.12 0
日常生活のルールと物理世界のルールは異なるなんて当たり前だろ 重要なのは日常生活も物理法則に従っているということだ 日常生活のルールは幻想だとも言える それは例えば物理的な仕組みから生物は説明できるはずだが、生物学という学問は物理を知らずとも理解できることと一緒だ だが実際にそれが物理法則で説明できるはずだということは別の話だ だから機械的唯物論はその理屈で退けることはできない 議論の前提
そうするとほら つまりこういう社会ではネトウヨが登場したり 政治のせいにしたり 東大でて世の中の事決定してる奴らを恨んだり する奴が現れるっていうわけで そいつのレスをみて思うことも決まってるだろ? あーなにもかも決まっているんだあー あーところで バカがいつまでも居座ってすいませんww
>>725 気にするな。今現在のお前が馬鹿なのは決定されていたことだ仕方ない
過去のお前が愚かだったのだろう
未来においても馬鹿であり続けるかどうかは現在のお前に責任がある、未来のお前には責任は無い
727 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 03:35:24.50 0
自分が何言ってるかわからないとすると 頭いいやつとばかが言ってることはほんとに違いがあるのかな
>>721 そういう風に思うのが一般的なのかもね。
でもね、そこにはあまり関心がないのよ。
変えられないなら、変えられないで良いの。
一応のところ、答えが出てるわけだから。
逆らっても意味無いでしょ。どうでもいいのそういうとこは。
問題なのは、変えられるのに、どういう風に変えて良いのかわからなかったり、
どうやったら、思う通りに変えられるのかがわからなかったりするところなんだよね。
般 羯 多 呪 多 得 想 掛 所 亦 無 耳 不 是 異 蘊 観 仏 若 諦 呪 能 是 阿 究 礙 得 無 意 鼻 増 舎 色 皆 自 説 心 羯 即 除 大 耨 竟 ,r'""´`゙゙''、, 識 舌 不 利 色 空 在 摩 経 諦 説 一 神 多 涅 / l, 界 身 減 子 即 度 菩 訶 呪 切 呪 羅 槃 rヽ .,‐- ,- |. 無 意 是 是 是 一 薩 般 波 曰 苦 是 三 三 ヾ `゙" ,l ゙´| 無 無 故 諸 空 切 行 若 羅 真 大 藐 世 . _> -=='./ 明 色 空 法 空 苦 深 波 羯 実 明 三 _/|, `゙ヽー--ノヽ、,_. 聲 中 空 即 厄 般 羅 提 不 呪 rー'""l, 'l, / .| ||/`>、、 無 相 是 舎 若 蜜 虚 是 / | 'l, / .|./》/ ∧ 色 不 色 利 波 多 波 故 無 / , | ヽ ヽ,、/.@ / 《l,l / ヽ 無 生 受 子 羅 心 羅 説 上 / 、,ヽ|/ ヾ。ツ`' 「ゞ / /《ヾ /゙ヽ 不 想 色 蜜 経
730 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/04/01(火) 10:13:43.67 0
>>578 >物質的な世界とは別に霊的な世界が存在するという考え…?
「霊的な世界」についてはしらないが、「物質的な世界」とは別に“観念世界(主観)”があるのは確かでしょう。w
その下部構造は“身体”であり、いわば観念は身体の子供である。w
しかし「子は親よりも偉い」というかw“子”によって身体や物体の意味が与えられました。
スレ主の決定論、唯物論、当スレでの彼の面白おかしい言表の数々も物質ではなく、諸観念の束である。
ヒトの観念は意識に生じる感覚、感情、言語をパックにしたもので、その特徴は因果的ではないこと。
「物理や生理に必ずしも従わない」のを旨としている。
それゆえに、親たち(身体、物体)を超越的な視点から意味づけることができたのである。
>“観念世界(主観)”があるのは確かでしょう この辺が雑。軽々しく「確か」なんて使うもんじゃないよ 何をもって「確か」とするのか言えるかい?
732 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/04/01(火) 10:31:13.39 0
>>731 「…でしょう」としているのが目に入らないのか。w
つまり「観念世界がある」というのは主観的見解。「君はどうだ?」と尋ねているのである。
>何をもって…
「意識がある」のを否定できないからである。
さぁ、こんどは君の番だ。“確かでない”理由を述べてみて。
>>732 唯物論的検知から「意識がある」理由を何一つ発見出来ないから
つまり他者と共有出来る確証が何一つ無い、ということ
納得出来た?
734 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/04/01(火) 10:38:08.96 0
>>733 君には「唯物論」は検知できたのか。
どこへいけば「唯物論」を検知でき、どうすれば“他者と共有できる”のだ?
ごめん、訂正するまでもないと思ったけど×検知→○見地、ね まあ、分かりやすいのは測定機の結果をお互いに確認し合うことかね
736 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 10:44:38.66 0
>>732 > >何をもって…
>「意識がある」のを否定できないからである。
やっと、最高位と同じ立ち位置に到達したという訳だね?w
737 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 10:54:13.95 0
>>733 「唯物論」は、物質を基底とした論理。
では、「物質」とは何かという、物質の“定義”を明確にすることです。
738 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/04/01(火) 10:54:57.94 0
>>735 「見地」「測定」「確認」のどれも“意識”を前提にしている。
だれかに死なないていどにバットで殴られ、気絶することをお勧めする。
意識を失えば、上記のどれも消失することが、意識を取り戻したのちに“確認”できるだろう。
さすがにスレ主は“意識”を否定してはいないが、それを“幻想”だとみなしている。
「決定論・唯物論」は彼の意識における観念の束なので“幻想”だということになる。
機械さんは、よく自覚していらっしゃる。それとも自虐的なのか。w
>>738 例え「オレ」という意識がこの世から消え去っても測定結果は残る
それは「オレ以外の」誰かと誰かが相互に確認し合えば良いのである
それが「共有し合える」という前提なのだ
あくまで主観に依るというなら君は狂人が「私は神を見た」という言説も、
あるいは君自身が何かの弾みで狂い「神を見た」事も信用する、ということだ
本当にいいのかね?それで?
学問とはまず「共有すること」が大前提にあるのではないのかね?
740 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/04/01(火) 11:02:11.83 0
>>736 いえ、違います。最高位は主観の外に《私》を定立している。
しかし“私”とは主観(意識)内・存在、すなわち超越論的主観wとするのが当方の立場。
>>739 では学問の目的はなんですか?
現役の研究者のフロンティアスピリッツを否定しているようにみえる
調べた結果に価値が無ければ、その分け入った道程ごと捨てるまでのことだ
悪いがわたしはあなたと会話する気にならない、返答はいらない
742 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/04/01(火) 11:21:47.28 0
>>739 結局、君は「他人にも意識がある」と認識しているわけだ。w
相互に確認しあうためには、相互に意識があるのが前提。
だれかの「神をみた」という言表も、何かの折りに私が「神をみた」と思ったとしても信じないだろう。
何でもかでも「疑う」のが主観の特質の一つだからである。
当スレにきて、決定論・機械的唯物論を“真理”と確信しているひとが少なくないのに、むしろ驚かされた。
“信仰”という心的機制に興味があり、すっかり居ついてしまった。w
>>742 うーん、まあツッコミどころは結構あるが脇道にそれ過ぎている嫌いがあるので戻そうか
で、君は学問は「共有」すること無しで成立すると思っているのかね?
YesかNoで答えたまえよ
>>741 フロンティアスピリッツなど成果が上がらなければゴミ同然です
745 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/04/01(火) 11:36:43.11 0
>>743 学問に限らず、どの分野においても、相互主観的な“一致”がなければ、君の言葉を
借りれば(意味や価値を)「共有」できなければ、その分野の存続はおぼつかない。
君は、そういうことに突っ込んだのではないだろう? w
>>745 YesかNoと言ったのに迂遠なことを
要するにYesでしょう?つまり純主観だけでは学問は成り立たないのですよ
Noだった、死にたい
748 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 11:47:14.98 0
なんじゃそらw
おまえらがこうして言い合いしているのは 官僚がやった事だよ 日本がある程度豊かになれば暇をもてあまして思索を行うし ネットを整備すれば意見を述べ おまえらは品性が下劣だから言い合いに向かうのだ
いや、お前が言ってることは既にこのスレの住人全員承知の上だし たまには確認の意味で目にしてもいいが、飽きた。もう来なくていいよ
751 :
黄檗 :2014/04/01(火) 12:06:15.71 0
成果って何かね STAP細胞だろうが、どこでもドアだろうが 先ず、モノを見せろ。話はそれからだ。 物質が真理の最強の守護者であることは、微動だにしないのであります。 ニンゲンがーとか、共同主観がーとか、あとから金魚の糞よろしく言い訳するぐらいにしか 出番が無いのであります。
その最強の守護者たる「ゆえん」を説いている最中であります、閣下
753 :
黄檗 :2014/04/01(火) 12:12:01.77 0
ゆえんなんて、説いても説かなくても 物質は知ったこっちゃない、ってところが最強なのです
いかに物理が最強であろうとも 「共有して(わかって)」もらえなければ意味が無いのであります。閣下
755 :
黄檗 :2014/04/01(火) 12:25:23.94 0
>>754 物理というのは、物質をめぐる記述なのです。
記述はもちろん、分かって貰える方が良い
それが記述の本分だから。
記述は十分に記述であろうとする。それは望まれている。
しかし本来、物理学がどうなろうと、物質は知ったこっちゃないのです。
たとえば、昨日と今日では物理定数が少し違う、しかも理由なく。
もし自然がそれを可能とするのなら、それは仕方ない。物質の勝手。
だが、理由があるなら、もしくは、自然がそれを可能とはしないのなら
それは記述されていく。記述にはそれが可能なのだから。
論理的にタイムトラベルが不可能であっても
もしタイムマシンが作られてしまったのなら
修正されるべきは、「共有されてきた主観」とやらの方なのです。
>>755 ああ、そういうこと
でははっきり申しましょう。閣下が言うところの「物理」はこの世に存在しません
757 :
黄檗 :2014/04/01(火) 12:32:38.65 0
>>756 私が言うところの「物理」とは、いわゆる物理学の物理ですが
それって、この世には存在しませんか
「この世に存在する物理」とは、どんなものですか?
「物理」ではなく「物質」ですか?
>>750 まあそうだろう
ではこのスレがこんなレスばかりである事はわかっていた事だろうな
今後もそうであり続ける事もわかっている事だろう
人間は新情報がないと文句をつける 低俗で低知能な者ほどその傾向があるように思う
ありきたりな事から新しい発想に飛ぶ力が自分にないから他者に求めるわけだな
でおまえにとっての新情報をもたらすと誰か請合ったか
ましてこんなところで
大海の中の浮き草一本
まれに新しいレスがあったとて
大勢が同じ内容に収束する事はわかっていた事だろう
今までも今後も
それなのに確認してそんなレスをするというのか
おまえらの人生への取り組み方が現れているな
おまえたちはやはりブタだ!
759 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 12:39:10.77 0
>>755 「物質」の概念を、どの様に捉えているのでしょうか?
>>757 あるのは先ほどから申し上げている様に「共有されてきた主観」としての「物理」でしかありません
価値や意味というものは須らく相対的なものです
自分という主観だけが到達しても意味が無い
他者と同時に到達して共有出来て初めて意味を持つのです
到達し得ない(厳密には、したことが無い)絶対的な物理など意味がありません、存在しないも同義です
閣下が言っているのは幻想としての絶対的な「物理」でありましょう?
761 :
黄檗 :2014/04/01(火) 12:44:12.99 0
>>759 『概念を可能とし、その由来となるもの』
この言い方は卑怯でしたか。
しかし、今のところはそうとでも言うしかない。
もっと良い示し方はあるようにも思うのですが。
人間が作った体系が物理学ですよね 新なことが分かれば改訂される 当り前のことです
763 :
黄檗 :2014/04/01(火) 12:49:52.03 0
>>760 共有されてきた主観としての「物理」
それで良いですよ。私の言う物理も、そのような意味です。
つまりですね、物理学がどうなろうと、それが物質の振る舞いを決めるわけではない。
人間の意に沿わない物質の振る舞いがあるとすれば、正すべきは
「共有されてきた主観としての物理」であって、物質のありようそのものを人間様が
どうこうできるわけではない。そういうことを言いたいわけです。
>>763 ふむん、どうやら根本的な考え方が異なる様ですね
オレ自身は絶対的な物理とやらが「もし」あったとして
それは人間様如きが正確に理解も記述も不可能なもの、と考えているのです
つまりその時々にある「物理学」は人間様の合意が出来る妥協の産物である、ということです
くどい様ですが上で「もし」と付けたように「物質のありようそのもの」というものが
本当にあるのかどうか、あったとしても確認のしようがないのではないか、
という意味で甚だ懐疑的であります
765 :
黄檗 :2014/04/01(火) 13:11:18.09 0
>>764 「物質のありようそのもの」みたいな言い方では、「物理そのもの」の言い換えであって
黄檗の言うような物質(記述されない物質)に触れることができていない、と思われたのなら
それはそうです。
それっぽい表現でお茶を濁すしかない。
何かしら、とぼけたニュアンスが伝わったのなら
それが私の本意ではなくても、あとは相手にお任せです。
物理学は記述であって、物質ではない
そういうことが言いたかったわけです。
>>765 では、話を戻しましょう
価値を持つのは物質では無く、記述された物理学です
それは合意を得て、共有され、様々な糾弾に耐え、時に改訂されつつも強度を増し、
今なお存在しているから価値があるのです
ゲームやら最高位やらはこいうった合意とか共有された歴史を軽々しく扱い過ぎる
だから主観などという曖昧模糊なものにいつまでも拘って抜け出せないのです
オレが「ゆえん」を説いている最中と言った意味がお分かり頂けたでしょうか?
767 :
黄檗 :2014/04/01(火) 13:34:46.80 0
横レス失礼しました 仕事明けで、つい 共有ってなんでしょうね。 たしかに共有されている、 その確信をどこに求めますか 本当は、皆まるで違うことを考えているけれど 「まったくもって共有している感じ」だけが存在している。 その疑いを粉砕するにはどうすれば良いでしょう。 私はモノに頼るしかないと思います。 床屋に行ってきます。
>>767 真の意味での確信など必要なのでしょうか?
閣下自身の言にある通り「最強である」これだけで十分なのではないでしょうか?
数多の観念論者が物理を否定出来る「可能性だけは示そうとする(負け犬の遠吠えですがw)
だが、現実に物理を否定など出来はしないのです。相手になりません。故に最強です
」
ぶっちゃけた話、「共有」というのも一種の幻想ではありましょう
観念論者が言う通り、我々はどうあっても自身の主観からは抜け出せないのですから
但し、物理における「それ」の強度がその他を寄せ付けない程頑強であるというだけのことです
知識のあるものからすれば決定してる知識のない者からすれば決定してない ビッグバンの外にも世界があって影響してればそれこそ神しか知りようがない
770 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 16:34:02.39 0
わけのわからんこと言ってるやつが正真正銘の唯物論者だろうな 言葉に意味のないことを証明してる
771 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 16:43:52.25 0
人間が作った体系は全てパラダイムに依存するんだよ 物理学がどうなろうと、それが物質の振る舞いを決めるんだよ
773 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 17:03:18.59 0
唯物論自体が唯物論じゃないんだから なにも言わないほうがいいんだよ
774 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 17:11:35.53 0
観念論者さん達がぶつぶつ文句言ってるが、 物質とは何か?とか物理学とは?とかの知識が全くと言っていいほどないから 仕方ないし、今更勉強する気も能力もないだろうから、一生観念論信仰しながら ぶつぶつ言い続けるしかないww
775 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 17:17:09.43 0
自分の考えてることがもし考えてないとすると そのことについて言うべきことは何もない
,,;;-───‐-;;,, ・〜
〜・ /;∴;∵;∴;∵;∴ヽ
彡∵;∴;∵;∴;∵;∴ミ
( ( r、 彡;;-・==-;∴;-==・-;;ミ ・〜
| 〉^へ‐L,/):.:o)∴∵∴;ミ
i/ ' ' .,イ__∵∴∵〉 ・〜
〜・ 〈 /;|:::::::::::|;∴;∵ノ_ < 唯物論ヲタクのバカども ボクの オナニート発狂ブログ ヨロシクね♪ ゲハハハハッw♪
〉‐- ,,__,/;;;;l⌒⌒ノ;;;;;;ノ'~ /ヽ
/゛ 〈 `ーu′ l i ★
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/ | 〉pikarrr ┏( ^o^)┛.| |
\,,_/ ,, # 第三の波平 | .|
|___,,___,,,_,,_ノ. ノ
|. (x) 9 /
| ヽ、_. _,ノ 彡 イ
.| (U) .|
ヽ 人 ノ
777 :
逝ってしまえーpart2 :2014/04/01(火) 17:35:58.80 0
脳thing or 寒thing Superconductivity ぜったいれいど の フリーズドライ
778 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/01(火) 18:12:59.20 O
哲学を考えてる時点で 「考える」=「私の主観」であり よって「考える」=「観念論」なんだよ(笑 主観について分析してるつもりが いつの間にか「自我一般」という 客観的な視点に、すり替えて考えてしまうのが 唯物論者が陥っている落とし穴です 哲学の進歩に、ついて来れてませんね
779 :
逝ってしまえーpart2 :2014/04/01(火) 18:32:36.08 0
おりぐちは こちらです って ひらがなでかいてある うらに とうじょうぐち は こちらです かいてあるような 飛行機の進歩についてこれる?
780 :
黄檗 :2014/04/01(火) 18:39:41.10 0
「自我一般」の内容がよく分かりません
781 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/01(火) 19:00:43.74 O
自我という主観を、自分の事として考えるのではなく 一般論として、客観的に考える事です
782 :
黄檗 :2014/04/01(火) 19:17:16.75 0
〜主観は確かなものなのか〜 随分昔になりますが、パコ・デ・ルシアのコンサートを見に行ったことがあります。 世界的なフラメンコギター奏者で、今は爺さんになってしまいましたが、 全盛期には世界最速の指弾と言われていました。 落ち武者のような髪型ですが、端正な顔立ちで、観客の半分はおば様方。 演奏後には、より集まって談笑しながら「よかったわねー、すばらしかったわぁ」 「ほんとにねぇ。技術だけじゃなくて繊細でねぇえ」「そうねぇ」とかなんとか。 てめえらに分かるのかよ、ばばあどもがっw、などとは口が裂けても言いませんでしたが。 何が言いたいかというとですね 演奏がすばらしいとか、絵がすばらしいとか 自分が本当にそう思っているのかというのは、 自分では分からないのではないのか、ということです。 何か、いろんな情報利害が発言に影響する。ただし、主観に影響するとは言えないのです。 確かな主観や感情が先ずあるのでは「なく」、 言語に誘導され、理性によって、言語的な内容を主観として理解したつもりになる。 そういったことは、よくあることのようです。 学術的にも、「認知的不協和理論」とか「入会儀礼効果」とか 研究結果があるようですので、好きな人は一席どうですか。 意識なんてのは、あるような無いような、そこから始めるとするには どうにも頼りにならないものなのであります。
783 :
黄檗 :2014/04/01(火) 19:24:03.95 0
>>781 貴方がその「主観」とやらを考えるときに、その考えが我々にも理解されるのではなかろうか、と
そう期待して、ここでいろいろとくっちゃべってるのではないのですか。
それとも、どこまでも「自分の事」として考えているのですか
784 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/01(火) 19:52:33.20 O
>>783 理解できる人もいれば
理解できない人もいるんじゃないですかね
いずれにせよ
自分で、理解しようと努力しないと無理でしょう
当たり前ですが
785 :
黄檗 :2014/04/01(火) 19:58:16.29 0
>>784 理解できる人もいる、と貴方が思うのは、何を根拠にそう思うのですか?
786 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/01(火) 20:03:50.27 O
>>785 「いるんじゃないですかね」
という言葉の意味がわかりませんか
課題が多いですねキミは
787 :
黄檗 :2014/04/01(火) 20:06:09.05 0
>>786 そうか。では言い直しましょう
「理解できる人もいるんじゃないですかね」と貴方が思うのは、
何を根拠にそう思うのですか?
788 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/01(火) 20:13:17.46 O
根拠はありませんよ というか リアルで話した人は、だいたい理解できましたし 基本的な事は、ネットにも落ちてますよ(苦笑
789 :
黄檗 :2014/04/01(火) 20:23:33.44 0
>>788 そのリアルで話した(だいたいの)人が、貴方の言うことをだいたい理解できたと
貴方は思ったわけですね。
(つまらんことですが、「だいたい」はどの語を修飾しているのでしょうかね)
どうしてそう思いました?
基本的なことがネットで落ちてるとして
ネットで落ちていれば理解できるような話だと貴方が考えるならば
「どこまでも自分の事なのではなく、一般的なことなのかな」
とは思いませんでしたか。
790 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/01(火) 20:31:55.25 O
>>789 面倒くさいんで
主張したい事を直接的に説明してもらえますか
791 :
黄檗 :2014/04/01(火) 20:38:27.64 0
>>790 この程度でもう面倒くさいのですか
貴方は哲学に向いていないのではないですかね
私が言いたいことを簡単に言えば
「一般的なことだから理解される」
ってことです。
ですが結論だけ言っても、なーんも面白くないわけです。
792 :
黄檗 :2014/04/01(火) 20:58:39.15 0
まあ、結局ですね いわゆる<私>を一般論として扱うことができない なんて思うのは最初だけであって、その思考に慣れてしまうと 普通のことになってしまうわけです。 「気づき」とも言えますが、「気づき体験」というのは 多くの場合、それ以上の発展が望めない、心の終着駅でしかなく しかし囚われると抜けられない人もいるようです。
793 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/01(火) 21:03:05.94 O
>>791 回りくどいと言ってるんですよ
>一般的な事だから理解される
じゃあキミは、一般的でない私的な自分の事は、自分で理解できないわけですか?
私は自分の事は理解できるんだけどね
キミは自分の事が理解できないの?
794 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 21:08:01.48 0
なんか凄くスレタイからずれてってる様な気がします 意識というものは脳が外界から受信したものに物質が反応した結果ということなら 五感を通じて脳にインプットすることで意識が生まれるってことじゃないの?
未だニュータイプもイデア界も発見されていないので、 我々の脳のはたらきはすべて独立していており、客観はなく主観しかないということになります。 但し、我々はコミュニケーションをとります。 その際に言葉という客観的ツールを使って相手に自分の主観を伝えます。 この時の主観は客観性を帯びた主観ということで「客観的主観」と言えます。 客観的主観を伝えられた相手にとって、それは他人の主観であり自分の主観ではないので、 主観に相対する意味での客観、「相対的客観」になります。 そして相対的客観を受け取った相手は、それを自分なりに解釈して「客観的主観」の形で 自分の中に取り込み、更にそれを元に自分の主観を生み出します。 ここで相対的客観はあくまで、自分がどう感じたかによらない他人が感じたもの、でありますが、 その中には自分も同意できるし他の人達も同意できるというものも含まれています。 そういった多くの人達が同意できる相対的客観が「絶対的客観」(「絶対的」というのはあくまで 見做しですが)、すなわち我々が一般に客観と呼んでいるものになります。
796 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/01(火) 21:11:17.79 O
>>793 「私を一般論として語る事はできない」なんて言ってないよ
一般論で語り尽くせない
と言ってるわけ
主観なんだからさ
一般論的な視点のみでしか考えられない人は、前時代的だと言ってるわけ
797 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 21:12:21.74 0
最高位は本当に馬鹿だからなあ
798 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/01(火) 21:22:28.51 O
哲学を考えてる時点で 「考える」=「私の主観」であり よって「考える」=「観念論」なんだよ(笑 主観について分析してるつもりが いつの間にか「自我一般」という 客観的な視点に、すり替えて考えてしまうのが 唯物論者が陥っている落とし穴です 哲学の進歩に、ついて来れてませんね
799 :
795 :2014/04/01(火) 21:22:37.51 0
(続きです) 疑問となるのは、この主観の発生が物理的・機械的になされるのかどうかということ、 すなわち「客観的に」説明できるのかということだと思います。 この辺の「主観とは客観とは何か」の問いと「主観の発生を客観的に説明できるのか」 という問いの混乱が、議論を複雑にしているのではないかと思います。
800 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/01(火) 21:32:41.57 O
ようするに 唯物論者は「主観」を甘く考え過ぎなんだよ もっと自分をサンプルに、主観的観点で掘り下げて考えなさい と言ってるわけ そうすりゃ、きっと理解できるようになるよと
801 :
黄檗 :2014/04/01(火) 21:53:52.67 0
主観の発生についての「客観的な説明」は、直観的には不可能なのだが 不可能であるとする科学的な根拠は無い。 そんなこと言い出すと、不可能であるとするための科学的な根拠って何よ? って話になるのだが、そこはスルーしてちょっと考えてみて下さい。 例えばですね 物理的に貴方の主観をON・OFFできたとするなら みなさんは納得しますか? しないかもしれない。ONのときに主観の存在を確認できるだけであって OFFではONだかOFFだか分からない、と直観的には思えるから。 しかし、実際にやってみると、もっと謎めいているのかもしれない。 脳梗塞になった脳科学者が、そのときの様子を語った動画がありましたでしょう。 あのときの「主観」とは、どんなものであったのか、実際には想像を絶するのです。 あの人は、回復した現在に於ける記憶を語っているのですが、それってのは 再構成されてしまっている可能性が高い。つまり「認識ありき」の構成として 現在の彼女の脳が作り出している物語です。 乳幼児の意識の話が、このスレでもたびたび出てきますが、 あれってのも、「大人が考える乳児の意識」なのです。 クリサートの「生物から見た世界」という面白い研究がありますが あれってのも、「人間が考える生物から見た世界」です。 ほんとうにほんとうの「でんでんむしから見た世界」を 人間が体験することは、考えるだけ無駄なことなのか、 なぜなら、人間に戻ったら、その世界を思い出すことはできないから。 それともチャレンジする価値のある冒険なのか。 やってみないと、いくら頭で考えても結論は出ない。 やってもやっぱり結論は出ないでしょうけどw。だがそこにしか可能性がない。
>>801 主観と客観ということで言うならば
それはそれぞれ考えるときの立場を言っているのではないですかね
だからいつだって誰だって考えるということは主観だし
客観というのは考える主体を他者の位置を想定して「主観」で考えると
その程度の意味なのではないかと思うのですけれども
803 :
考える名無しさん :2014/04/01(火) 22:06:03.37 0
804 :
795 :2014/04/01(火) 22:19:01.60 0
>>802 それは
>>795 で言及したところの「相対的客観」と考えています。
それに対して一般に言われるところの客観・客観的には、常識や理論による裏付け、
誰が見ても納得するとか、人類すなわち主観を持った存在がいなくなっても成り立つ、
と言った「絶対的客観」(「絶対的」というのはry)としての意味が含まれることが
多いように思います。
805 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/01(火) 22:22:04.20 O
>>801 キミの言ってるのは「記憶」の観点なんだよね
唯物的な観点では、そうなるだろね
超簡単に言えば、ビデオを再生してるみたいなもんで
これらは物理的観点で説明がつきそうな範疇だが
それを見ているのは「私」であって
どんなに物質的に、いじくっても何をしても
なんで「私」が見てるのかとは関係がない
これを唯物論者なら、脳が主観を作ってるんだろ
と、まるで他人事のように結論してしまうわけだが
だから一般論的観点だと言ってるわけで
「他人事」と「私」とは、わけが違うのだよ
なんで「私」なのか
が、設問なのだから
どんなに脳みそを研究しても
「私」の根拠は出てきません
>>804 「絶対的客観」といっても理解する方の人はそれぞれの主観ですよね
だからその「絶対的客観」ということを言ってしまうと
それはプラトン主義の「イデア」になってしまうんですよ
だから気持ちは分かるんだけれども
そういうのはマズイと思うんです
807 :
795 :2014/04/01(火) 22:32:34.74 0
>>801 >主観の発生についての「客観的な説明」は、直観的には不可能なのだが
純粋な客観に基づく説明、は不可能かもしれませんが、「客観的」な説明は
「可能な限り」できるかもしれません。
それは脳のはたらきや主観の表れを外側から観察して、その発生の仕組みを
解明していく、という形になるのでしょうが。
それでは主観そのものを解明したことにならない、と言う人もいるかもしれませんが、
実は我々はこの世の何物についても(物理においてさえ)「そのものを解明した」
ことなどないので、あまり思い詰めることなく、可能な限り進めるところまで進むという
態度でよいのではないかと思います。
808 :
黄檗 :2014/04/01(火) 22:33:08.95 0
>>802 わたしは思うのだが
主観というのは、ほんとうは客観的な現象なのではないのだろうか。
たしかに私の黙って考えていることは私にしか分からないのだが
しかし、将来的には機械によってその内容を読み取られる可能性もある。
それでも、その機械は「いまこの私に思いが現前する」ことまでは再現できないだろう、
と信じるだけの、強力な直観はある。なぜなら、それこそが私が私であることそのものなのだから。
しかし果たしてこの「思い」がどこまで有効なのか。
なぜなら、この「思い」には直観以外には根拠が無いのです。
******************************
こういう話って、哲学の弱いところだと思います。
明晰ではないであろうものに、明晰な思考を無頓着に適用しようとする。
大騒ぎしたわりには成果は出ない。
わけ分からん感覚を捉えようとすると、捉えたと思ったものは、
捉えるべきものでは既に無い。
私はもの好きな素人なので、際限なく理屈を適用したりしますが
哲学の現場では、どこまで論理と心中するか不安だろうなと想像しています。
809 :
795 :2014/04/01(火) 22:35:08.61 0
>>806 そうですね。
それを考慮しての(「絶対的」というのはry)なわけですw
810 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/01(火) 22:50:39.10 O
>>808 直感は根拠なのではなく
直感は、私の思いですよ
一度に二つの事を考えられないのですかね?
前提を忘れて、「直感」だけが一人歩きしてますね
「直感」は「私の直感」でしょう
それ以外ありますか?
>>808 直観も推論のひとつですから
科学者であってもそのその思考過程においてはよく使うでしょう
きちっとした論理の枠組みからはみ出た思考の形です
最初にそうした直観があってもなんら構わないと思いますよ
それを今度は論理的に検証してみる
そういうことは誰でもするでしょうしね
812 :
逝ってしまえーpart2 :2014/04/01(火) 23:03:30.95 0
みちびき
813 :
黄檗 :2014/04/01(火) 23:05:31.41 0
>>811 科学の場合はですね、直観の暴走をモノが支えてくれるのです。
なんでもやってみる
やってみなけりゃわからない
それがどれほど不合理なことであっても現実を優先する
論理は理論を作るときに使えばいい。
しかし哲学はそうはいかない。
思惟による思惟の解体
論理より他に頼る術がない
不安じゃないですか?
寝ます
814 :
「機械的唯物論」者 :2014/04/01(火) 23:12:45.02 0
>>807 >実は我々はこの世の何物についても(物理においてさえ)「そのものを解明
>した」ことなどないので
そのとおりですね。所詮「言語(単語の連なり)」で「クオリアの全部」を
伝えることなどできないということです。
ロマネ・コンティと5千円チリワインの「(味・香り・舌触り)違い」を
説明することも「言語(単語の連なり)」では永遠に不可能でしょう。
すなわち哲学の分野では「クオリア」という概念を無視してきたという伝統
があり、私が「クオリアという概念の重要性」を強調すると「そもそもクオリア
なんて無い」などの極論で反発する方もいらっしゃるくらいです。
しかし「私たちの主観」の内容は結局「感覚的クオリアと志向的クオリアの
相互作用」以外の何でもない…ということに気づかされます。
「6感の現前(感覚的クオリア)」と「すべての種類の記憶(志向的クオリア)」
がすべて無くなったとき…「私たちの主観」の中に何が残る…というのでしょうか?
「何ひとつも残らない=無」…ということに気づくべきなのです。
815 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/01(火) 23:16:13.64 O
>>813 たとえば「痛み」は直観的でしょう
科学の場合は「可能性からくる思いつき仮説」とかでしょう
直観的に感じている「私」
というのは前者に近いでしょうね
何か、ゴチャゴチャになってますよキミ
816 :
逝ってしまえーpart2 :2014/04/01(火) 23:23:25.14 0
ぺいん
817 :
795 :2014/04/01(火) 23:28:45.66 0
>>813 科学と哲学を完全に分けて考える必要はないと思います。
科学は科学的実証という部分において哲学からはみ出していきましたが、
仮説の部分については未だ哲学と繋がっています。
実証が必要になった時点で哲学的考察から科学的実証に委譲すればよいのです。
そしてさらに、科学だけではなくあらゆる分野において、
誰かが考えたことに対して同意を積み重ねていくという部分は
哲学と繋がっていると思います。
>>723 生物も情報技術も物理現象
文学も法律も経済も社会も物理現象
囲碁もチェスも物理現象…
確かにそうだけれどもw
それを物理現象として物理法則で説明するべきと。
日常は物理学によって完全に説明されると。
例えば、物理屋に恋愛相談をして、
「いずれ物理学によって解決されるべき事だ」
と言ってのけるのかなあなたはw
全ては物理学が解決してくれると。
>>817 ある哲学の考え方と別の科学なり科学的分野の出した結論とが
非常によく似たものになることはしばしばありますよね
だから方法が違うだけで思考などの推論の過程も入っているので
たしかに科学と哲学を変に分けて考えるのはむしろ不自然な気がしますね
いまは科学の結果などから哲学を考えることもしますから
科学哲学や心の哲学などはそうでしょうし
820 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/01(火) 23:37:58.97 O
科学は科学として存在すべきです 飛躍した理屈で、科学万能主義などの思想を構築するのは 科学のすべき仕事の範疇ではない
科学ねぇ、その用語は、色んな意味で使われてるからなぁ。 政治学は科学?計量政治学とかあるけど、でも政治哲学なんてのもあるよ。
822 :
795 :2014/04/01(火) 23:43:46.61 0
>>806 >>809 の補足と言いますか、
>>809 の(「絶対的」というのはry)は、ごまかしのような意味ではなく、
>>795 でその直前に述べた「多くの人達が同意できる相対的客観」に過ぎないもの
を仮にそう呼んでいる、ということを言いたかったつもりです。
823 :
「機械的唯物論」者 :2014/04/01(火) 23:45:59.01 0
>>818 「存在論」の分野においてはもう既に「物理学で説明」がされている…と言える
かもしれませんが、「主観を客観化する」…といった「認識論」については、
物理学による説明だけでは「無理」でしょう。
>ロマネ・コンティと5千円チリワインの「(味・香り・舌触り)違い」を
>説明することも「言語(単語の連なり)」では永遠に不可能でしょう。
と申し上げているとおりです。
もちろん両者を「化学的に分析」して「ワインの旨みに関する根幹の物質の多寡」
が発見されたら、話は別かもしれませんが、それでも「グルタミン酸ナトリウム
(味の素)の旨み」と「イノシン酸ナトリウムの旨み」の「違い」を言語化する
(概念化する)ことは難しいでしょう。
哲学の分野では今まで、「表象」という概念こそ細々と受け継がれてはきま
したが、「クオリア」については事実上殆ど無視してきた…という信じがたい
伝統があります。
21世紀に入って「AI研究の派生物としての認知科学」において俎上に
上ってきた「クオリア」という概念が(哲学に)影響を及ぼしてきた…という現状
を踏まえ、その「クオリア」という概念について徹底的に分析してみないことには
「主観の正体」を「客観化する」ことなど出来ないと解りつつある状況がある…
ということです。
「哲学の分野」におては、ジャン・ポール・サルトルがフッサールの「現象学」
について初めて学んだ直後に、カフェ・ドゥ・マーゴのオープンカフェ席でボーボワール
女史に対して「これからは『このコップそのもの』について語ることができるように
なったんだよ!」と興奮して語ったという逸話は有名ですが、「クオリア」という
概念も哲学(特に認識論)のこれまでの伝統をひっくり返すほどの重要なモノである
…ということを「(それこそ)認識」すべきであると思います。
>>818 OSI参照モデルのように根源的な部分は物理層で語られるべきですが
必要に応じて上位層で語ることは何ら問題無いと考えます
825 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/02(水) 00:00:10.25 O
>>824 キミの言う「上位層」は、「物理層」ではない
という話?
外からの影響で行動が変わる離れて見てる奴には決定してるけど 当事者は結局先にあるものをこれから知らなければならない 決定してようが計算はできない
計算できる未来もあったようだけど 喜界島地震 1911年 99年9ヶ月後に3.11発生 666+666+16×16+6+6+311 2016-1260÷12
828 :
795 :2014/04/02(水) 01:51:30.85 0
>>819 哲学にしろ科学にしろ、あるいは他の分野にしろ、
意識や思考が人間としての限界を前提にして行われているため、
その限界のところで結局は繋がっていると言うことができる
と思います。
全てを知るには全てを見る必要がある 見るには見るための空間があり 自分と空間は互いに影響を与えあってる
830 :
考える名無しさん :2014/04/02(水) 02:48:45.14 0
視覚だけに頼っていては全てを知ることはできない。
831 :
考える名無しさん :2014/04/02(水) 05:33:08.54 0
あたし学芸員になる
新たに取り込むデータはその機械にとって決定していない
833 :
黄檗 :2014/04/02(水) 06:44:24.72 0
>>817 思考作業としてたしかに分けることなどできない。
だから大学の教養課程では、工学部であっても哲学の単位を取れる。
しかし分野としては既に分かれている。
また、科学哲学は科学に寄与しない。
ファインマンの言葉だが
「科学にとっての科学哲学は、鳥にとってのバードウォッチャーである」
つまり眺めることしかできない。鳥にとっては知ったこっちゃない。
834 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/02(水) 08:11:22.69 O
>>833 キミ、自分から話しかけてきたくせに、尻切れトンボになってますよ
理解できたんですか?
たとえば
「科学が進歩すればロボットに自我を持たせる事ができるであろう」
と唯物論者は考えます
これは「自我一般」の観点
しかし自我を、自分という主観的な観点から考えれば
「じゃあ自分の自我は、作れるのか?」
という事になります
自分の自我を、物理的な要素に特定できるのか?
という問題です
そういう意味なのですが、理解できましたか?
話の流れ全体を、よく読みましょう
835 :
考える名無しさん :2014/04/02(水) 08:46:41.89 0
理解できたんですか?
836 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/04/02(水) 10:07:55.42 0
>>795 >多くの人達が同意できる相対的客観が「絶対的客観」…
にはならない。主観を掻き集めても、その集合である共同主観、共同観念、いや共同“幻想“”にしかならない。
“物理”を云々していたのは君だろう? それが“理”であるか否かは、多数決で決まるわけではなかろう。w
敷衍するなら、科学的“真/偽”は主観の多寡で決定されるわけではない、ということだ。
“科学”が信用を博したのは、主観と相関(相対)する対象を、主観色を消去して論述するからである。
「感覚・感情」それを記憶で意味づけた「観念」から“質的差異”を抜きとり、純粋“概念”に近い記号体系によって
対象を表記する、それが“科学”である。いわば“量的差異”を数値化した“客観”を科学は構成する。
科学は方法的客観主義であり、主観を棚上げした言説。“主観”は手つかずのまま残されており、迷妄、迷信、迷走は
科学的先進国においてこそ盛んなのではないか。
837 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/04/02(水) 10:40:44.20 0
>>814 >>823 「クオリアの重要性」を強調したのはチャーマーズでしょう?
それを茂木氏が仕入れ、機械さんはそれを小売しているだけでは?
ちなみにチャーマーズは自称か他称かしらぬが、哲学者である。
哲学がクオリアを無視してきた、というのも間違い。その言葉こそ用いていないが、
「知覚」という概念を重要視し、そこから語り起こす一派がなくなったけではない。
「知覚」とは、感官を経て事物を判別し、意識すること。あるいは、その内容。
つまり“主観”である。哲学は方法的に科学の対極にあり、主観において主観を通して
そこに映じる、もしくは構成する“世界”の妥当性を論じる分野。マイナーなのである。w
838 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/04/02(水) 11:14:23.79 0
>>814 感覚的クオリアなる表現も変だが、(意識の)志向性と質感を合わせるのは、もっと滑稽。
端的に“記憶”としたほうがいい。「指向的クオリア記憶」などは笑えない言い回し。
>感覚的クオリアとすべての種類の記憶がなくなったとき…
主観は消失します。自明ではないか。
一個の主観にとって“世界(の存在)”は意識に依存している。
ただし“世界”は、その存在を“意識”に依存してはいまい。
後者に立って論述するのが客観主義だが“科学”の他は、総じて自家撞着に陥る。
839 :
235、238 :2014/04/02(水) 12:25:47.53 0
すいませんやっぱり唯物論と観念論は統一するべきだと思うんですよ どなたがが、「両方の考え方が必要」とかいってたと思うんですが、 それだったらどうして統一できないんすか 教えてください
840 :
235、238 :2014/04/02(水) 12:28:12.39 0
あと、あまのさん、もしもツアーズ毎週見てますよ 本当に面白い人ですね
841 :
考える名無しさん :2014/04/02(水) 15:32:25.25 0
>>837 チャーマーズは視覚的なクオリアの一例としてしばしば「奥行き」の感覚
を挙げる。しかし意識体験に関する議論の文脈で奥行きの感覚を典型例
として挙げる研究者はそう多くない。
これにはちょっとしたエピソードがある。チャーマーズは幼少のころ一方
の目の視力が非常に良く、逆にもう一方の目の視力は非常に弱かった。
とりあえずは良い方の目のおかげで、世界はくっきり・はっきりと見えて
いたという。しかし10歳のある日のこと、初めてメガネをかけてみた所、
突如として世界が、格段に三次元になった、という。これは当時のチャー
マーズにとっては神秘的に感じられたらしく、かつ今も彼の驚異 の源泉
となっているという。
842 :
考える名無しさん :2014/04/02(水) 16:05:13.06 0
物理主義に対するチャーマーズの批判は以下のようなものである。 (1)世界には意識的経験が存在する (2)意識的経験は物理的なものに論理的に付随しない (3)したがって意識に関する事実は、物理的な事実を超えたさらなる事実である (4)それゆえに、唯物論は偽である
843 :
考える名無しさん :2014/04/02(水) 16:49:22.72 0
>>834 >たとえば
例えになっていないだろ、どうかしている
844 :
考える名無しさん :2014/04/02(水) 16:51:18.02 0
意識的経験って何なんですか?具体例で教えて下さい。
>>837 なんか、チャーマーズは唯物論を批判してるようだねw
846 :
考える名無しさん :2014/04/02(水) 17:12:00.39 0
茂木氏も唯物論については批判的だ
847 :
考える名無しさん :2014/04/02(水) 17:12:42.89 0
>>810 > 直感は根拠なのではなく
> 直感は、私の思いですよ
おまえバカだろ、過去の偉人がその「私の思い」の原理によって
多くの偉業の根拠にしてきた。達人の神域的な思い込みは、それ自体が
もっとも正しい背景を意味していることが多い。
お前の妄想が生む、デタラメな思いと比べるなよ。つねにデタラメしか
いってないからそういう風に他者すべてにたいしてそれはお前の思い込み
「最高位の思い」と同一だと考えてしまう。
> ただし“世界”は、その存在を“意識”に依存してはいまい。 依存していますよ。意識が無いと世界は無限不確定状態になる
849 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/02(水) 17:31:04.75 O
>>843 彼との会話の流れでは、例えばになってるんだよ
>>847 「直感」は、すでに自分の思いだからね
その他に対する直感とは意味が違う
構造を、よく分析しましょう
そんな事だから「我思う故に我あり」すら理解できないんだよ
一体何の構造を分析するんだw?
851 :
逝ってしまえーpart2 :2014/04/02(水) 18:52:36.78 0
ボールベアリングで回すか 歯車で回すか
852 :
795 :2014/04/02(水) 19:57:06.81 0
>>836 >>多くの人達が同意できる相対的客観が「絶対的客観」…
>にはならない。主観を掻き集めても、その集合である共同主観、共同観念、いや共同“幻想“”にしかならない。
>>795 で述べている「絶対的客観」は真の意味で「絶対的」ではなく、我々が一般にそう思い込んでいるもの、
すなわち、あなたが言われている共同主観でしかないものを表しています。
そして、そもそも「絶対的」な客観というものは存在せず、物理にしろ数学にしろ主観の上に作られた解釈
にすぎないものと考えています。
ただしその主観は、単に「私はこう思った」という主観性の強い主観ではなく、客観性の非常に強い主観、あなたが
>“科学”が信用を博したのは……
と言われたような考え方の元で、主観性の強いものを取り除かれ、あるいはより客観性の強い形に変形
しながら組み上げられてきたものであるので、その同意の取り方が賛同を求めるような生温い形ではなく、
反論できるものならしてみろという厳しい強要の形になります。(しかし決して反論を許さないわけでは
ないのですね)。
そして我々一般の人々はそれを受動的に受け取る一方なので、「真理」とか「(絶対的)客観」のように
思い込んでしまうのだと思います。
科学者がある仮説を実験によって検証したとき、その実験結果を確認して検証できたと判断するところは、
突き詰めると主観に基づいたものになるでしょうし、その科学者が検証できたと言うのを他の科学者や
我々一般の人々が信用するところも主観によるものになるでしょう。
全く相容れない主観と客観があるのではなく、より主観的な主観とより客観的な主観があるというように
考えられるのではないかと思います。
853 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/02(水) 20:18:32.48 O
>>852 客観は、方法的懐疑に引っかかるのだから
絶対的だと、人間が結論づける事は不可能
客観の絶対性については「わからん」
この一言で済むと思いますが
こういう事らしいですよ 「存在」は、認識される階層的現象の表面的に生じるもので、根源的に絶対化しようとすると、元の無限不確定性に発散します。 実は、相対性理論にしても、量子論にしても、認識体との相対によってしか存在は無い、という帰結を潜在的に持っています。 客観的時空や絶対的存在というのはない、というものです。
855 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/02(水) 20:31:16.19 O
>>854 それはちょっと高度っぽいですね
具体的には、どういう事なんでしょうかね
キチガイ同士惹かれ合うものがあるのかw
人間は本能的に危険を感じる物に対して、分からないとか高度っぽいとかいう曖昧な感想で誤魔化して 回避する傾向があるんですね 言葉通り捉えればいいのに
858 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/02(水) 20:45:03.46 O
質問してるだけなんだがね 世界は突き詰めて考えると矛盾がいっぱいあるんでね あと、量子の振る舞いが人間が見てる時と見てない時で違う というのが、どういう事なのか、よくわからんので
859 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/02(水) 20:47:18.32 O
雪中庵 時空4次元は、「一つの構造体」とは言いながらガウス平面、即ち、 時間軸は虚数軸を成しています。 本来、実数と虚数は相互作用し得ませんが、無の相対化である 光量子(0)を介してのみ相互作用(量子相互作用)します。 つまり、空間(実数)軸と時間(虚数)軸の等距離点に、ライトコーンを 形成します。 物理学的には、そうした基底から出発して、現象を定式化する事で十分 かもしれませんが、哲学的には、その意味が問われると考える者です。 私の論は、そうした“原理的定式化”に於て生じる虚数について、 それが起源ではなく、不確定的無限性の潜在としての認識可能性によって 主観的・現象的に生じる“現実”に、無理やり客観性を与えようとする ところに生じる、歪みに過ぎない、という考えです。
861 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/02(水) 21:00:26.82 O
>>860 具体的に言ってくれないと
「なんのこっちゃ」ですよ
> 量子の振る舞いが人間が見てる時と見てない時で違う > というのが、どういう事なのか、よくわからんので 人間が見てない時の量子は無限の可能性を持った状態に拡散している、すなわち無の状態であるという事です
無限の可能性に拡散した空間(物質を含む)に、人間が視線で断面を作って収束させているらしいです それが観測による量子の粒子化(可能性収束)なのでしょう
見てない時というが、量子というのは直接見えるものなのか。
865 :
逝ってしまえーpart2 :2014/04/02(水) 21:19:26.86 0
いま 3弦の9フレット 振動させて チョーキングしてみたけど 2弦の7フレットと 惹かれあいますね もともと G と C 恋人同士だったのに 5F を 4F で B に ずらされてチューニングされて ・・・・・・ これは ロミオとジュリエットなのでしょーか さざんかの宿なのでしょーか E の 帳尻あわせの 策略でしょうか
866 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/02(水) 21:20:02.52 O
>>862-863 うーん突っ込みどころ満載で、使い物にならないわ
できたら一回、何か具体的に例を挙げて説明してもらえませんか?
シュレジンガーの猫があるでしょ
猫は箱の中から消えたりはしませんが
消える可能性が厳密にはゼロじゃないんだなこれが
871 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/02(水) 21:49:35.48 O
872 :
考える名無しさん :2014/04/02(水) 22:07:14.38 0
873 :
考える名無しさん :2014/04/02(水) 22:08:11.33 0
>>866 お前の脳じゃ具体例の定義に突っ込みいれてそんな具体例は存在しえないと
いいだすだろ?
いつもの繰り返しするなよ。
874 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/02(水) 22:13:15.10 O
>>872 戦ってる??
キミ、頭大丈夫か?
>>873 存在しないなら具体例じゃないだろ
なに言ってんの?
具体例というか基本として、電子雲の座標に関する存在確率分布情報は、 無限大の情報量を持つだろ
このスレは、オカルト的な物理学から逃れることはできんのかwww
877 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/02(水) 22:47:47.98 O
認識領域としての視界及び他の感覚器による知覚領域、その領域の外に広がっている空間(認識外空間)は、本質的には無限可能性の暗黒空間だということになる
879 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/02(水) 23:02:30.77 O
認識が物質や空間の無限可能性保有状態を有限化して確定させているのだから関係ある
881 :
考える名無しさん :2014/04/02(水) 23:08:19.30 0
t
882 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/02(水) 23:28:54.65 O
>>880 物質や空間の無限可能性て何?
具体的に、どっちなの?
状態に対して可能性て、わけわからん
883 :
「機械的唯物論」者 :2014/04/02(水) 23:37:45.21 0
>>838 > >感覚的クオリアとすべての種類の記憶がなくなったとき…
>主観は消失します。自明ではないか。
> 一個の主観にとって“世界(の存在)”は意識に依存している。
>ただし“世界”は、その存在を“意識”に依存してはいまい。
(自我)意識は感覚的クオリアと志向的クオリアが脳内で情報のキャッチボール
することですから、そのどちらかが消滅した場合でも消滅します。
感覚的クオリアの消滅は「感覚遮断実験室(ブラックルーム)」に入れられたとき、
志向的クオリアの消滅は「記憶喪失症」に当たります。
記憶喪失症の場合は「エピソード記憶」だけが消滅する場合が多いのですが、その
ばあい、例えばチャーマーズ氏が「クオリアの典型例」としてよく挙げる(らしい)
(
>>841 )立体視…これは「志向的クオリア」の典型…は失われることなく、目の前の
事物を普通に認識できます。
しかし「自分がどこの誰だか思い出せない」状況に陥り、もちろん自分の名前も家の
ある場所も完全に忘れてしまう例があります。
…その場合も「私」は消滅してしまう…わけですから、「私」=(自我)意識も消滅
してしまう…ということです。
観念論者は「魂のような存在」をどうしても前提に思考しますので、「感覚的クオリア
と志向的クオリアの情報のキャッチボール状態が、私=(自我)意識の正体である」という
事実をどうしても受け入れられないようです。
チャーマーズ氏や茂木氏が観念論の影響を脱しきれず、「脳内におけるクオリアの関係性」
として「私=(自我)意識」を同定することに躊躇するのは残念なことだと思います。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
884 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/02(水) 23:42:06.73 O
認識領域外においては、電子の位置が不確定なのだから、量子スケールでは、物質は無限に多様な状態を取り得ると想定されるだろ
886 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/02(水) 23:54:17.26 O
>>885 具体的に、どういう事?
どういう状態なの?
887 :
「機械的唯物論」者 :2014/04/02(水) 23:56:48.22 0
>>885 「シュレディンガーの猫」という思考実験に明確な回答を出ているわけではない
…ということに留意する必要があります。
すなわち「(猫が)半死半生状態である」ことを誰一人「観測」したことがないので、
「(ある特定の瞬間に)生きているか死んでいるかのどちらかである」…という説明
を否定しきれない…ということです。
それは「ほら、半死半生であることがビデオで映っているでしょ?」という「観測」
を行った瞬間「生きている状態か死んだ状態」のどちらかに「収束」してしまうので、
「ほら…、」以下が原理的に絶対証明できないからです。
「半死半生状態である」と断言するには「何らかの観測行為」が必要になりますが、
その観測行為そのものが「収束」をもたらしてしまう…というディレンマを抱えてしまう
からです。
私も「半死半生の状態」などあり得ない…と考えます。
本日は就寝させて戴きます。
888 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 00:09:41.55 O
猫が認識しても、物質は確定しないの?
>>883 「観念論」を「異端」、「事実」を「信仰」と置き換えると丁度良いな。
あなたの考えるところの「観念論者」はあなたの思い込みが作った幻想です。
現象学もそうですが多くの哲学が「クオリア」を分析の対象としてきました。
無知だからと言って間違いという訳ではないですが、
何ら変わらないんですよ。
「感覚的クオリアと志向的クオリアのキャッチボール状態が意識」
…定義が曖昧、論理性が曖昧、意味が曖昧だから実証性も無い。
科学でもなければ哲学でもない、「アイデア」です。
>猫が認識しても、物質は確定しないの? 主体としての自分以外は生物であろうと客体とみなせますから、自分の主観上においては確定しないでしょう
891 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 00:28:24.44 O
>>889 自分の見解や解釈は絶対に言わないで、他人の見解や解釈の否定的な印象を理由なく
述べるのが哲学的だと勘違いしてないか?あんたのは「意地悪な感想文」の域を出ない。
たまには自分が上から目線だけで根拠や内容がない否定的な形容詞で呟く理由ぐらい述べろよ。
何にもビジョンを持っていないから、自分の見解を述べる他人が全員気に入らないのか?
あるいは反論されるのがそんなに怖いのか?
実際にはこうだ、というような絶対的な存在はありません 猫から見れば確定していて、自分から見れば不確定です
894 :
考える名無しさん :2014/04/03(木) 00:34:27.31 0
「意地悪な感想文」w たしかにww
>>894 860って、本題から外れたワイン騒ぎで、結局「私の間違いでした」って
機械に言わされたことをよほど根に持っているとみえて、機械がレスすると
すぐにけなす目的で罵詈雑言をぶつける。
ただ、思い込みの権威主義から出た感情論だけで、反論としての内容がない全く
ないのが特徴といえば特徴。
896 :
考える名無しさん :2014/04/03(木) 00:47:59.90 0
>>895 解説乙。でもまあ、読んでればわかるよそのくらい。
897 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 00:49:59.78 O
>>893 それは単に、知らないというのとは違うのですか?
その人にとって物質として確定してないのですか?
寝てる間に何かが落ちてきたら怪我したりすると思いますが
ちょっと意味わかりませんね
898 :
考える名無しさん :2014/04/03(木) 00:55:03.77 0
>>895 おれは内容がないのに上から目線の権威主義が嫌いだ。
哲学専攻したわけでもないだろうし、例え専攻したとしても、浅薄な
権威主義しか身に着けていないのだろう。
まあ、哲学科なんてそんな輩が集まった吹き溜まりだと言えばそうだが。
860って、想像力が足りないだけなのかもしれないよ。 ワインでの大騒ぎなんかを見ていると、単に昔哲学を齧ったことがあるだけの 今は自分の凡庸さに押しつぶされそうなみじめなサラマンという感じだから。 ワイン1本300万って聞いた途端、ヒューズが切れるくらいだからなw
もうワインはいいだろう スレの無駄だ
901 :
考える名無しさん :2014/04/03(木) 01:08:32.88 0
>>899 2〜3倍に吹いた機械も悪い。悪い冗談をさりげなく織り交ぜるのは性格の悪さ。
902 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 01:13:44.41 O
まぁこのスレは、哲学というよりは 名無しで、隠れた所からコテを攻撃するのを目的にしてる人が多いからね(苦笑
単に、知らないというのとは違います 同じ一つの物質を複数の観測者が同時に観測すると、観測条件次第で、複数の状態が併存する事もあるのです 主観が存在する事により様々な矛盾が発生しているのが現実らしいです
例えば、時速80キロで走行中の列車内で缶コーヒーをテーブルの上に置いて眺めているとします 列車の外にいる人から見れば缶コーヒーは時速80キロで移動しています
やっぱり、オカルト的な物理の話から逃れられないのなぁ。 物理学は、認知科学的な意味での人間の認識なんてものは、問題にしてないと思うぞ。 激文系の俺が言うのも何だが、相対性理論にいう相対性というのは座標系の違いでだし、 シュレディンガーの猫たんの問題は、アルファ崩壊が生じるかどうかが、不確定なのであって、 それ以降のセンサー(ガイガーカウンター?)のアルファ線の感知とそれによる毒ガスの 放出は、確定的に生じる事象だぞ。
906 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 02:04:19.17 O
>>904 乗車してる人から見ても、缶コーヒーが80キロで移動してる事に変わりはないし
窓から投げたら二種類の物理的作用を起こすとは考えにくい
そんな事になったら、AさんとBさんの世界が、どんどんズレて行ってしまうでしょう
>>906 そういうこと言うと、相対論を理解してないってことがバレるぞ。
てか、バレてるな。
もし物質の速度が絶対的なものだとしたら、 時速80キロの列車内からその列車の進行方向へ光を放ったら、その光は光速を超えてしまうでしょう
>>908 ガリレオからアインシュタインに進化したwww
910 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 02:18:36.14 O
今、相対性理論の話じゃなく 見る人によって一個の物体が二種類の状態になる という話についてなんだがね
そうだね、どうも双方ともに相対性理論をわかってなさそうな気がするもんねwww だって、地球からロケットに乗って亜光速で飛び出したとしても、地球から見たロケットが 遠ざかる速度と、ロケットから見て地球が遠ざかる速度は同じだもん。 缶を静止させたらわけわからなくなるでしょ。どっちかというと、缶は動かさないと 相対性理論で変わってくるのは、電車の中で移動してる缶の速度なんだからwww
912 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 03:02:00.02 O
>>903 一個の物体が観測者によって二種類の状態になるのであれば
その物体が他に与える影響も違うものになりますよね
で、そのズレは時間と共に大きくなり
二人にとって未来は違うものになるという事ですか?(苦笑
しゃーない、激文系の俺が調適当に解説してみよう。 物理が出来る人はあまり深く突っ込まないでください。オナシャス。 時速80kmで移動してる電車から見て地上の人は、時速80kmで遠ざかっている。 同様に地上の人から見て電車も時速80kmで遠ざかっている。 ここで、電車の中の人がコーヒーの缶を時速10kmで電車の進行方向と同一の方向に 投げてみたとする。これは、電車の中の人から見て時速10kmで投げたということである。 当然、電車の中の人は、電車の中で缶が時速10kmで進んでいるように見える。 地上の人からすると、電車の中で缶が時速10kmで投げられたのであるから、缶の速度は、 地上の人から見て時速90kmであるように思える。ところがどっこい、なんと地上の人から すると缶の速度は時速90kmよりもわずかながら遅く見えるのである。そうすると、電車は、 地上の人から見ると時速80kmで遠ざかっていってるのであるから、地上の人から見ると、 電車の中で缶は時速10kmよりも遅く進んでいるように見えているということになる。 あら不思議。これが相対性理論なるものの大まかな帰結。
>>902 匿名掲示板の尊厳を著しく損なう発言だな、おい
自分も匿名掲示板の利便性(人が多い・議論が活発)を甘受してる癖に
匿名の書き込みについてはしゃあしゃあと批判する
そういう輩を卑怯者と言うのだよ
>>914 いや、最高位さんは卑怯っぽいけど、確信的にやってんじゃなくて、
ただの天然さんなのような気がする。天然が良いってわけでもないし、
広い意味で言うと悪意が全くないとも言えないけど。
916 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 03:33:17.01 O
>>914 コテ付けたって匿名だぞ?(爆笑
匿名の尊厳性を言うなら
何も名無しで議論する必要などないよな
正直こっちは不便なんだよ
誰が誰だかわからんからな
言いたい事は言いたいけど、固定のハンドルネームを付ける勇気まではないか?(苦笑
まぁ、そういう奴が多いと言ってるだけだ
気にすんな
相対性理論は、古典物理学と光速度不変の原理の間の矛盾を修正するために時空を歪めるしかなかったという理論だよ
>>916 wikiより
>解釈によっては「匿名掲示板」とは特定ネットユーザーの書き込みを判別することが
>難しいハンドルネームを用いなくても書き込みをすることが可能な掲示板を意味する場合もある
ばーかww
919 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 03:38:31.72 O
>>915 なんの悪意だよ(苦笑
そもそも、どんな不利益をキミらに与えたと言うのかね?
920 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 03:43:38.29 O
>>918 だから、べつにやってりゃいいと言ってるだろ
そういう奴が多いと言ってるだけで
気にすんなと
そうかぁ、名無しでやってもも、色んな人からレスもらうときがあるけど、 おれはそこまで困ったこと無いぞ。 ところで、見る人にとって物体の速度という状態が変わることがある ってことは、別の人が言い出したことだけど、まぁ、そういう風な現象が 起きるってのは、わかってくれた?人ていうか座標系によって変わるんだけどね。
>>920 どうしてそういう奴が少ない場所を利用しないの?本当に不思議
923 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 04:43:20.91 O
>>922 だから
ただ「お前ら名無しでしかデカイ態度は取れないんだよな」と思うだけで
べつな、こっちは深刻な話でもないんだよ
>>923 自分から文字という形で発信しておいて
ちょいと自己矛盾を指摘されると深刻な話でもないと言って逃げる
なるほど、大した卑怯者だよ君は
>>915 私的には天然か意図的かという区別は必要無いと思っている
人は実に巧みに自己欺瞞する生き物だから
このあたり自由意志の在り方にも同種の所感を得ることがある
925 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 05:43:01.46 O
>>924 どう考えても深刻な話じゃないだろ(爆笑
なんでそんなに思い詰めてるの?キミは
926 :
考える名無しさん :2014/04/03(木) 05:48:37.84 O
とまぁ、こんな風に嫌われて、敵を作っちゃうのが私の悪いクセなんだが 面倒くさいんだよね神経質な人にまで機嫌とるのが
コテを隠してOを隠さず 卑怯者必死だなww
928 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/04/03(木) 09:48:21.11 0
>>848 もう少し、きちんと読んで。
世界は、その“存在”を意識に依存していない。
「意識に依存している」のは“存在”ではなく、存在の“意味”。
意識が消失すれば、主観的“世界”すなわち「意味としての世界」はなくなるだろうが、
「存在」が“無”となるわけではない。君のいう「無限不確定状態」かどうかはともかく、
それが存在し続けるだろうことは否定しがたい。
929 :
黄檗 :2014/04/03(木) 10:13:53.30 0
>>834 もしロボットが自我を持つ場合には、それは「自我一般」だと
貴方はそう言いたいのですか??
930 :
黄檗 :2014/04/03(木) 10:21:58.17 0
凡そ、この世に存在するもので、「○○一般」なんてものありますか?? 無いでしょ。 カローラは一般的な自動車だ、という文の意味は恐らく成立しているけれど 「自動車一般」なんてしろものは、どこ探して走ってないと思います。 実際に道路で走っているのは全て、「個別的な自動車」でしょう。 ○○一般、というのは「人間に通用する言葉」であって 概念として確かに成立しているのかさえ疑わしい。 最初に戻ってしまいますけど 最高位さんの頭の中の「自我一般」というのは いったい何なのでしょうかね。
931 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/04/03(木) 10:56:26.27 0
>>875 電子は、文字どおり凡ての可能性態として分布している。「無限」といって、差し支えない。
しかし“座標”の外部には存在しえない、という点で「有限」である。極微の領域では無限と有限が両立する?
>>878 有限だが無限の可能性を有する存在者が、間接的とはいえ知覚されるや否や、可能性の一つに収束する。
もしくは可能性の一つだけが知覚され、他のそれは“別世界”へと疎隔される…
君は後者ですか?
932 :
黄檗 :2014/04/03(木) 11:00:08.89 0
以前に、永井均の<私>は心理的錯覚に基づく混乱ではないか、 と言っていた名無しさんがいましたけど、わたくし思うに、 これは言語の不適切な使用による錯覚なのではないだろうか、と思えてきました。 しかし不適切かどうかの判断は、心理的な問題になるのかな。 「不適切」という表現は、あまりに雑でしたか。。。。 言葉って恐ろしい。人のものであって人のものではない。
933 :
黄檗 :2014/04/03(木) 11:01:40.12 0
ゲームさん、邪魔してごめんなさい 悪意はありません
934 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 11:13:05.25 O
>>929 観点の話ですよ
>>778 から、やり直して下さい
>>780-781 に、ちゃんと説明してるじゃないですか
キミらは、読まないんだよなぁ
てか、誤読して人をバカにしたり、勝手に敵意を持ったりしてる
いつも
935 :
考える名無しさん :2014/04/03(木) 11:17:18.77 0
頭から否定する気はもちろんないので、お書きになればということですけど。
936 :
黄檗 :2014/04/03(木) 11:19:45.92 0
937 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 11:24:56.27 O
>>936 だから、一般論的な観点だという事ですよ
わからないかなぁ
自分の事ではなく、他人の話でしょう自我の話なのに
938 :
黄檗 :2014/04/03(木) 11:26:06.97 0
私についてはね、最高位さんに敵意なんてありませんよ。 かつて暴れた超絶対神とか、最近だとブラックボックス君とか ああいうのが私は大好きで。非常に興奮しました。 何が飛び出してくるのか、予想の先を超えてましたからね。 絡みがいがあるというか 最高位さんは、なんだかもじもじしてて、絡んだほうが面白いのか 眺めておいたほうが良いのか、判断に悩みます。
939 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/04/03(木) 11:29:14.83 0
>>869 も同じ名無しかな?
シュレ猫が箱のなかで「消える」というのは言葉のアヤでしょう?
観測される前のネコは、凡ての可能性態“無限不確定状態”として分布しており、
事実上、その“ありよう”は「無」同然である… という意味に受けとったのだが。
そうではなく、文字どおり「消える(無)」ということ? もしそうなら説明を請う。
940 :
黄檗 :2014/04/03(木) 11:29:34.74 0
>>937 その貴方の言う「自分の事」の「自分」というのは、
最高位さんのこと?黄檗のこと?それとも両方ですか?
941 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 11:30:59.18 O
>>938 ブラックボックス?
なんだ、キミはアレ系?
根拠なく「痛みはあるが、主観はない」
とか言っちゃう病的な人に魅力を感じちゃう系?
942 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 11:33:40.15 O
>>940 「観点」という言葉の意味も理解できませんか
私なら私
キミならキミでしょう
943 :
黄檗 :2014/04/03(木) 11:38:43.66 0
>>941 そんなこと言うと負け惜しみみたいだから
言わない方が良いのですよ。私から見た勝敗は、貴方の0勝100敗
「痛みはあるが、主観はない」
恐らく的を得た文です。
貴方のように、なんでも一旦「一般的な○○」としてしまって
(一般的な)痛みがどうして私の痛みとなるの?
なんていうマッチポンプで10年以上も戯れているのは、本気だとするなら
寂しいことです。
944 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 11:42:43.64 O
>>943 ダミダコリャ…
「痛み」は、言うまでもなく「主観」ですよ
「痛みはあるが、主観はない」の
何がどう的を射ているのか説明してもらえますか?
945 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 11:54:13.21 O
あと
>>943 の後半
>貴方のように、なんでも一旦「一般的な○○」としてしまって
(一般的な)痛みがどうして私の痛みとなるの?
なんていうマッチポンプで
こんな事、いつ私が言いましたか?
ホント、キミは誤読ばかりで
まともに会話できたためしがないですね
いちいち
それぞれの立場を階層的にして再帰関数にすれば解決ですよ
947 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 12:01:07.81 O
>>943 あと、ブラックボックス君は
「痛みはあるが、クオリアはない」
とも言っていましたが
これは、どういう事ですかね
痛みこそ、クオリアなんですが(苦笑
お前は哲学的ゾンビも知らんのか?
トークンもまたタイプ化する
>>944 おまえが言っている客観とは、それ以外の世界から見れば主観なの
どうしてそういう無能な表現を偉そうに言うの?完全にトンチンカンそのもの。
哲学者最高位もパーソナリティ障害を発病するの?もうしているの?
952 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 14:25:52.75 O
>>950 ←また変なのが出てきたなぁ
てか、自演か?
とにかく文章が目茶苦茶
一回、具体的に説明してごらん
最高位さんみたいなタイプは、陰謀論界隈に行くと普通にいっぱいいるよ。 どんなにおかしいってことを説明しても、そしてどんなに大したことを言っていない ということを説明しても、「おまいらにはわからない、それがわかってる俺すごい」 って思い続ける奴。
954 :
考える名無しさん :2014/04/03(木) 14:34:55.84 0
書いたの書いてないのはっきりしてよ
955 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 14:43:47.28 O
>>953 陰謀論界隈て何?
まぁ私は、たいした事は言ってないよ
言ってるのは常識的な事
単に、その簡単な事が理解できない人に
国語の授業とかからしてあげてるだけで
ところで、昨日の夜中に文系の俺ががんばってやった、超適当相対性理論 の説明がスルーされてるんだが。見てる人によって(座標系毎に)物体の速度が 違うってのは、わかってくれた?
しゃーないなぁ。じゃあ、さらに超適当解説をしてみよう。 なぜ、地上から見た人と電車の中の人とで缶の速度が変わるのか? それは、地上から見ると電車の中の時間が遅れて見えるからです。 なるほど、だとすると、地上の時間は電車の中よりも速く進むわけだ。 そうすると、地上で缶を投げると電車の中の人には、地上の人よりも 缶が速く見えるはずだ。そこで、地上の人は電車の進行方向とは逆向きに 缶を地上の人から見て時速10kmの速度で投げてみました。電車の人から見て 地上の人は時速80kmで遠ざかっています。このため、電車の中の人から見て 缶は時速90kmで遠ざかっていくことになる。でも電車の中の人の時間は 遅れているはずだから、缶は時速90knよりも速く見えるはずだ。しかしなんと、 電車の中の人から見て缶は時速90kmよりもわずかながら遅く遠ざかっていっているのです。 電車の中の人から見ても地上の人から見てもそれぞれが遠ざかっていく速度は時速80kmなので 電車の中の人から見ると、缶の速度は地上の人よりもわずかに遅く見える・・・、あれ!?なんで、 おかしいぞ。これが相対性理論のおおまかな帰結。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww┏( ^Q^)┛オエッ♪
959 :
考える名無しさん :2014/04/03(木) 16:34:33.63 0
...-ー、,-─ .‐=*ニ,>/.i <,ニ*=‐ がらがらがぼがら .. / ー-' ヽ . . エズオドットコリ〜モナ〜 人 `ー' ノ ┌、. / ヽ ⌒ \. ヽ.X、- 、 ,ノi ハ ガビガビガビロ ⊂>'">┐ヽノ〃 / ヘ 入 ´// ノ } ,..,.._',.-ァ / `ー''"´ ,' c〈〈〈っ< / __,,..ノ ,ノヽー'"ノ { ´ / /⌒.\. ヽ: il´トェェェイli. / /⌒\ / ノつ\.ヽ:!l |,r-r-|! //⊂ \ o0○ノ / 3 \ (::::⌒ヽ::)/ とノ\ ヽ○0o ( /、_ノ\ Y `(_、_) / \´ )゚ \_) `ヽ : : : * : : : | (_ノ (ヽ,,,/ 仟iト fi心\ /) │:/__:. `ー---─ ''"´ ̄ ̄`` ー- 、 /´ `ヽ、. .: `ヽ、 / `ヽ、 ゙i i :; ,! ! ‐-、 :. 。 .:' /
960 :
黄檗 :2014/04/03(木) 17:07:15.79 0
>>944 「痛みは言うまでもなく主観ですよ。」なんて
どうしてそう無造作に言い切れるのか、私にはよく分からないのですよ。
それがまちがいなく主観であるという確信を
貴方はどこから得ているのですか。
961 :
黄檗 :2014/04/03(木) 17:10:53.02 0
>>947 さあ
しかし、クオリアなんて考えるだけ無駄だと
私も思います
哲学板全体が過疎ってるみたいだけど、このスレは相変わらずだね
>>960 最高位さんを相手にしても、結局、不可知なところを突っつかれて、
私(主観)しか存在していないところに引きこもられるだけよ。
こっちから、するとそんなことはわかった前提でやってるだけなのにね。
痛みという話になると、簡単に言うと以下のような流れになる。
痛みというのは言うまでもなく主観である。
↓
痛みがその人の感覚であるという意味で主観的な側面があるのは、その通りであるが、
痛いと表現される場合にその痛みは、医者やまわりの人にとってこの者が「痛み」
という感覚を有しているとして、広く共有されるものであり、その意味で「痛み」という
ものは、客観的に存在しているという側面を有するのも明らかなことである。
↓
他人が痛みを有しているかどうかはわからないから、痛みは主観以外のなにものでもない。
↓
それを言い出すと、他者が存在していることすらわからないではないか。
↓
思想的引きこもりへ。
964 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 17:57:14.21 O
>>963 おお!キミ、なかなか理解してるじゃないか(笑
ただ、思想的引きこもりというのが、わからん(苦笑
言える事と言えない事を分別し
ガイドラインを作成し、理論的な飛躍を防ぎ
イレギュラーを犯していれば指摘するのは当たり前
なにか突拍子もない仮説を期待してるみたいだけど
まずガイドラインを理解しなきゃ先へ進めんじゃないですか?
じゃあ、思想的一人上手に変えます。 それはさておき、何のコメントも得られないんだけど、相対性理論の 超適当解説の続きwww 速度が遅くなるのは、時間が遅くなるからだというのは、実は嘘だ。 時間だけじゃなく、長さ(空間)も変わっちゃいまーす。つまり、電車の中の 人が電車の中の人から見て缶を1秒間に10mの速度で投げる。すると、地上の 人から見ると、1秒間で10mの距離を缶が進んでいるようには見えないのだ。 電車の中の人にとっての1秒間は、地上の人から見ると一秒よりもちょっと長い。 同じように、電車の中の人にとっての10mは、地上の人から見ると10mよりもちょっと 短いのである。そして、これは、電車の中の人から見た地上の人にとっての時間と 距離でも同じである(ちょっと長く、ちょっと短い)。
966 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 18:16:03.06 O
>>960 わかりやすく説明してくれてるわ
コレ読んで→
>>963 まぁ「痛みは主観だ」と言われて
説明を要する人なんて通常いないんだが(苦笑
>>961 なんで?
>>931 yahoo知恵袋より引用
電子雲とか軌道の図が表しているのは電子の存在確率が比較的高い空間です。
その空間の外だからといって存在確率が0になるわけではありません。
電子雲は全宇宙空間に広がっている(存在確率がゼロになるのは無限遠のみ)
968 :
黄檗 :2014/04/03(木) 19:32:05.99 0
>>966 いやわたしは、主観とは何か、がよく分からないのですよ。
話の流れでいえば、そうでしょ?「痛みはあるが主観は無い」って話なんだから。
そうは思いませんでしたか?
なんでしょうかね、主観とは?
「通常」は、分かったつもりにしてるのではないですかね?
貴方は自分で説明するのが苦手なようなので、
また別の人にしてもらいましょうか?
>なんで?
クオリアなんて言葉を私は必要としたことがありませんので。
貴方は無駄ではないと思っているのですか?
そうだとして、どうしてですか?
969 :
黄檗 :2014/04/03(木) 19:56:44.96 0
>>965 まあそうなんでしょうけど
この場合の「見える」というのが、哲学として考えたときにどういう意味なのか
ってところが面白いと思うのです。
微妙な速度の違いそのものが「見える」わけではない。
当該の各観察事実を得たときに、運動とか距離とか時間とか光の意味が、
どうであったら事実の間の合理的な繋がりとなるのかを判断する、ってことだと思うわけです。
それを「見え方」という虚構として組み上げるのではないでしょうか。
相対論なんかですと、そのときにどうやっても納得できない珍妙な話が介入するように思える。
簡単に言うと、aをAとするとaはAではない、みたいな。
・・・・我ながら、雑な話だな。多分間違ってるし。ごめんなさい
970 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 20:01:28.01 O
>>968 主観というのは
わかりやすく言えば心、「思い」ですよ
クオリアを必要としないと言ったって
感じてるもんは感じてるでしょ実際
それは考慮すべきだと思うが
なんで、わざわざ削除せにゃならんの?
やる事全部が上手くいく人は、赤ん坊と同じで主観を感じられないんじゃないですか
972 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 20:16:09.96 O
>>971 いや
自我意識が未発達なんだから
知能の問題じゃないかな
よくわからんけど
973 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/04/03(木) 20:44:37.41 0
>>883 機械氏
860氏が指摘していたので、屋上屋を重ねる必要はないのだが…
>感覚的クオリアと指向的クオリアが脳内で情報をキャッチボールをする…
しません。w 機械さんはご自分が
>>1 で語ったことを忘れないように。
脳内には物質的過程しかなく、クオリア(意識)に直結するそれは、ニューロンの発火。
したがって、>脳内におけるクオリア関係性として…云々も嘘。
機械氏はクオリアを“粒子”か何かと勘違いしているようだ。“クオリア”の関係ではなく、
「或るニューロンの発火が果たす役割は、その瞬間に発火している他の全てのニューロンの
発火との関係によってのみ決定される」というのが茂木氏の論旨。
クオリアはそのようにして意識にのぼる“質感”である。
唯物論に執着されるのなら“クオリア”など引っ込めるほうがいいのでは?
主観と客観でつまずくんじゃどうにもならないよね。
975 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/04/03(木) 20:51:23.80 0
>>黄檗氏 黄檗さんの周辺には色々な“モノ”が「ある」でしょう? 例によって「コップがある」としましょう。 黄檗氏が「コップが存在する」とみなす“根拠”は何ですか?
976 :
黄檗 :2014/04/03(木) 21:09:19.24 0
>>970 心、「思い」ですか
自分が何を思っているか、なんて
本当のところ、私にはよく分かりません。
ここまでのレスから判断すると、貴方は「自分の思い」が分かるようですね。
無言で言葉を唱える、なんかは感じるけれど(これが言葉が強力な思考である理由かしら)
そのときに自分で本当は何を思っているのか、それとも何も思っていないのか
わたしにはさっぱり分かりません。
しかし突如にしてひらめくときもあるので、何にも無いわけでもなさそうです。
そんな反省に心当たりがありませんか?
さっぱり内容が分からない、どこにあるのかも分からない、そんな「思い」も、
主観になると思いますか? それともそんなものは主観ではありませんか。
*************************
「感じている」という言葉は、通じると思いますが
確固とした何かが成立しているようには私には思えませんので
クオリアなんてものを定立しても仕方ないと思います。
>>976 言わんとすることはわからんでもないけど、それを言い出すと認知科学全般の
否定につながりかねんし、終局的には、科学全般どころか、無すら残らないことになりかねんのでは?
978 :
「機械的唯物論」者 :2014/04/03(木) 21:29:04.13 0
>>973 「存在論」については、自然科学(特に物理学)で説明し尽くせる
(要は「概念化」が可能)でしょうが、「認識論」の分野においては
さんざん「ワインの味や香りや舌触り」について「概念化」は困難で
ある旨をご説明しているとおりです。
観念論者さん達は「存在論」について語っていたと思ったら、いつ
の間にか「認識論」に移り、「認識論」が煮詰まるとすぐに「存在論」
に逃げ込む…という習性があります。
「認識論」の分野においては、「自我」とか「意識」とか『私』とか
「主観」とかをひとまとめに論じるだけで、結局その内実に迫ることは
(無意識に)避けているようにしか見えません。
「脳内の現象」にすぎない以上のような「主観のバリエーション」を
客観化(分析)するには結局「感覚的クオリア」と「志向的クオリア」
に分けて考察し、それらが「主観を構成する部品」であること、そして
「意識」が無意識のユニットの決定結果を「あたかも記念撮影するよう
に整列させる」ため、脳が(進化の過程で)獲得した「機能」にすぎな
いことを明らかにしなければならないのです。
観念論者さん達がそのような「現象学的分析」を避けて「主観」
「自我」「私」「意識」という「ひとまとめ」にしか捉えようとせず、
それを「感覚的クオリアと志向的クオリア」に分解すること自体にも
非常に激しい拒否反応を示すのは、結局「霊」「魂」のような存在を
無意識に想定し、「主観自体」を「脳内の機能にすぎない」とする
唯物論的思想から無意識に守ろうとしているとしか思えません。
脳内における物理・化学現象「ニューロンの発火」は存在論的分析であり、
「大脳生理学」あるいは「細胞生物学」の分野になりますが、「クオリア」は
「認知科学」の分野に属します。
すなわち「自然界におけるレイヤー」が違うので、「クオリア」を
「ニューロン発火」(の仕方)で説明しようとすること自体がありえない
発想なのです。
979 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/03(木) 21:30:01.33 O
>>976 何を思っているかとか関係ないですよ
思っていれば、それが主観です
クオリアも、「痛いもんは痛い」
「痛けりゃ痛い」わけですよ
何も無理に否定する必要などありません
冷静に分析すればいい
何を混乱してるんですかねぇ
わけがわかりませんね
980 :
795 :2014/04/03(木) 21:34:25.86 0
>>968 現実の世界では我々は独立した存在ですから、その上で「痛みはあるが主観は無い」
と言うためには、次の2つのうちどちらかが必要になると考えられます:
(1) 現実には見えないところで、我々の脳がつながっている
つまりイデア界ですね。神経を伝って痛覚が脳に届くと、イデア界から痛みの元を
取ってきて痛みを実体化させる。痛みの元は万人共通なので、我々は痛みを共感できる
というわけです。
(2) 痛みも物理的現象である
痛みを感じるメカニズム、という話ではなく、痛みそのものの感じも物理的現象であり、
自分が自分であると感じる感覚も物理現象であり、脳のはたらき全てが物理現象である、
という考えです。
もし主観を客観的に説明することができるようになったならば、痛みも客観的に説明
できるようになり、我々は痛みを共感できるようになるでしょう。
981 :
795 :2014/04/03(木) 21:35:38.38 0
(
>>980 の続きです)
そして私の考えでは、
(1)については、つながっているところが発見されれば同意を考えますが、発見されない
以上は考えない、としています。
(2)については、実は可能性としては考えています。
といいますか、脳もこの世界も全て物質によって構成され、この世の現象はすべて物理現象
によるものと考えていますので(そうでないと物質以外の何かを考えなければなりません)、
脳のはたらきも物理的なものと考えています。
しかし、それを完全に説明し尽くすことはできないであろう、物理学が解釈にすぎない以上
すべてを理論的に記述することはできないだろうし、主観についても客観的に説明し尽くす
ことができない部分が残り、その部分において主観は存在し続けるであろうと思っています。
982 :
「機械的唯物論」者 :2014/04/03(木) 21:36:16.34 0
茂木氏も脳内の過程全てが「ニューロン発火」であることをご存知ですから、 「クオリアの発生」一つ取り出して、それが「ニューロン発火の結果である」など とわざわざ言うはずがありません。 要するにゲームさんは茂木氏の著書か論文を誤読し、自分なりの解釈に都合 のよいところだけを「切り張り」して>973に並べておられるだけのことです。 そもそも「存在論と認識論の区別」ができていないことに驚かされますが、 失礼ながら「いったいどこをどう読めばこういう誤解釈ができるのか?」… と唖然とさせられてしまいます。 ゲームさんはもう少し理解できている方だと考えておりましたが、結局 観念論者は観念論的誤謬から抜け出すことは不可能なのでしょうか? 唯物論についてもクオリアについても何一つ理解していない方でなければ、 とても>973のようなレスを書き込むことは出来ないと考えます。
20 名前:「機械的唯物論」者 :2014/04/03(木) 21:50:56.59 0 問題は私のキャン玉袋のシワが 大変臭いことなんです シワには黒い垢がたまっているんですが この垢は納豆と奈良漬に卵を混ぜて 腐らせたような臭いです もっともそれとて私の「クオリア」によるものなのですがね
出先なのでソースまでは示せませんが「痛み」はちょっと前に定量化されていませんでしたかね おそらくは「信号」としての痛みであって主観的なそれの程度を保証するものではないと思いますが
>>982 ちょっと待って、機械さんにとっての存在論の定義ってなんですか?
>>987 あなたはいま縛られて仰向けに寝かされているとします。
そこに全裸のキモイオッサンがやってきて、あなたの顔の上にまたがりました。
別のオッサンがあなたの口を強引に開いて、全裸のオッサンはあなたの口にウンコをしようとしているんです。
ここまでの状態になってもあなたはこのオッサンたちが「存在しない」とたかをくくれますか?
これこそが「存在論」なのです。
989 :
黄檗 :2014/04/03(木) 22:05:50.31 0
>ゲームさん
いつか来た道のような感じがしますが
話を作ってみます
>>977 いや、認知科学こそが「思い」とか「クオリア」なんてものに
異議を申し立てているのだと思っています。
ネタ考えときます。
寝ます
990 :
「機械的唯物論」者 :2014/04/03(木) 22:07:35.00 0
>>987 「何かが存在する」とは何か?を考察することです。
「認識論」とは、脳内に生起する「クオリア」を分類・整理することです。
認識論で重要な前提は「情報の入力手段」が「視覚・聴覚・味覚・嗅覚
・触覚・内感」の「6種類」しかない…ということ、そして「情報の出力手段」
は「筋肉の運動」ただ一つしかない…ということです。
ついでに申し上げますと「唯一の出力手段」である「筋肉の運動」には「筋肉
からのフィードバックの内感としての入力」が伴うことは申し上げるまでもあり
ません。
991 :
「機械的唯物論」者 ◆WY1R4owh1Q :2014/04/03(木) 22:10:14.04 0
「騙り」をする偽者(
>>988 )が出てきましたので…。
おや機械氏が新しいことを言い出されましたね。 > すなわち「自然界におけるレイヤー」が違うので、「クオリア」を >「ニューロン発火」(の仕方)で説明しようとすること自体がありえない >発想なのです。 しかし、レイヤー(層)が違っても、「クオリア」も「ニューロンの発火」も、 どちらも自然界における存在であるわけでしょう。 だったらどちらも「存在論」の対象ですよ。「認識論」なんてごまかしてはいけませんw で、「クオリア」は「主観を構成する部品」であって、 「脳内の過程すべてがニューロン発火」であるとすると、 「クオリアがニューロン発火で説明できない」ということは、 「主観は脳では説明できない(けど脳にあるとしか思えないw)」と 認めるに等しい発言ですが、いかが。
>>990 やはり存在論はそういう定義になりますよね。
しかし、自然科学、とくに物理学なんかは、どちらかといえば、存在するものの性質を
問題としているように思われますが、つまり、自然科学はある現象の存在を前提として
いるのであって、存在とは何かを問題としないのではないですか?
「認識論」についても申し上げておきましょう。 988の続きですが、全裸のオッサンがいきなり全裸の美女に変わった場合はどうでしょうか。 さすがにそれでもウンコをされるのは嫌でしょう。 しかし全裸の美女がただあなたの顔にまたがるだけならば、どうでしょうか? それは素晴らしい一時に変化することでしょう。 そう、これこそがあなたは状況の変化を「認識」した瞬間なのです。 これが「認識論」の基本的な考えですね。
>>992 キミは未だに天動説を信じちゃってる人?
まあ確かに未だに「星は巡る」という言い回しは廃れていませんが
>>995 横レス失礼致します。
天動説というのはやはり厳密にはあるわけなんですよ。
ですから、地動天動説というのが正しい訳なんです。
この宇宙において静止しているものも特定できないですから、
すべてが動いていると考える方が自然なんです。
ちょっとウンコしてきますので失礼します。
997 :
「機械的唯物論」者 ◆WY1R4owh1Q :2014/04/03(木) 22:31:23.34 0
>>993 >存在とは何かを問題としないのではないですか?
自然界に「存在する」と思われる「水」とか「木炭」とか「ダイヤモンド」
とかを「分子で構成される何かである」…というレベルまで分析したのは18世紀
それを「原子で構成される何かである」…というレベルまで分析したのは19世紀
それを「素粒子で構成される何かである」…というレベルまで分析したのは20世紀
それを「超ひもで構成される何かである」…というレベルまで分析する(であろう)のは
21世紀…ということです。
「存在とは超ひものバリエーションである」…と完全に(「4種の力」も包含し)統一
されれば(超大統一理論)存在論は「究極の真理」に到達して終わりになります。
言い換えれば「極大の存在としての宇宙」から「極小の存在としての量子」までが
一貫した理論で説明されてしまえば、存在論の出る幕はなくなります。
「いや、霊や魂はその中に包含されない『存在』である」…というのは、観念論者が
得意とする「幻想と存在の混同」に過ぎない…ということは明らかです。
「幻想と実在の区別」は「存在論の問題」ではなく「認識論の(錯誤の)問題」である
…ということです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
>>995 天動説と何の関係が?
「星が巡って見える」という事実を地球の自転という事実から説明するのが
科学でしょう。同様に「多様なクオリアに満ち満ちた主観という妙なものがある」という事実を
ニューロンの発火という事実から説明するのが機械氏だと思っていたのですが、拍子抜けもいいところですw
私は「茂木信者」「超ひも理論信者」ということからわかるように ほとんど逝っちゃってます。 茂木は単なるタレントですし、「超ひも」は宇宙物理学者の妄想です。 私はそうした、お花畑的メルヘンが大好きなんです。
>>998 要するにね
実態を説明するのに不都合があれば修正されるべきは認識の方、ということです
クオリアや主観がニューロン発火で説明出来なければ、
修正されるのはクオリアや主観に対する我々の認識の方
だって、ニューロン発火以外は科学的に「見えない」んですから
とは言っても、必要以上に恐がることはないんじゃあないですかね
天が動こうが地が動こうが我々の生活には大して影響がありません
1001 :
1001 :
Over 1000 Thread このスレッドは1000を超えました。 もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。