精神分析学と臨床 in哲学板

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1考える名無しさん
精神分析学と哲学は非常に関係性が深い
臨床などの実例から哲学と一緒に掘り下げていきましょう
2考える名無しさん:2014/03/17(月) 21:04:05.43 0
参考文献
「自我論集」(ちくま学芸文庫)フロイト
「エロス論集 (ちくま学芸文庫)」 ジークムント フロイト、Sigmund Freud、 中山 元 (1997/5)
「精神分析理論と臨床」 北山 修(2001/6)
「精神分析入門 (上巻)(下巻) (新潮文庫) 」フロイト、高橋 義孝、 下坂 幸三 (1977/2/1)
「精神分析治療で本当に大切なこと―ポスト・フロイト派の臨床実践から」 青木 滋昌 (2011/1/18)
「分析臨床での発見―転移・解釈・罪悪感」 松木 邦裕(2002/10/4)
「かかわり合いの心理臨床ー体験すること・言葉にすることの精神分析」 森 さち子(2010/3/5)
「添うこころ―精神分析臨床メモ」 木田 恵子(1992/10)
「こころの真相―精神分析臨床メモ」 木田 恵子(1998/10)
「贈るこころ―精神分析臨床メモ」 木田 恵子(1994/7)
「精神分析事典」 ロラン シェママ、ベルナール ヴァンデルメルシュ、小出 浩之、 新宮 一成
「摂食障害の精神分析的アプローチ―病理の理解と心理療法の実際 (精神分析臨床シリーズ)」 松木 邦裕、 鈴木 智美 (2006/7/19)
「意識と無意識 ―臨床の現場から― 第三章 こころの病・夢に顕現する意識・無意識の現れ 横山博」(人文書院)
3臨床例1:2014/03/17(月) 21:05:04.72 0
(症例1)
政子(仮名)は祖母、父母、兄、弟の長女として生まれた。現在は30代で、
筆者との関わりは13年に及ぶ。家は自営業を営み、祖母が大きな実権を握っていて
母親は家業を手伝わなくてはならず、政子に程よい母性を備給することが出来なかった。
母親自身も、祖母に頭の上がらない父親のために、安定した精神状態ではなく、
母親元型がうまく機能しなかったようで、政子に対して侵入的になることも多かった。
家業が夜遅くまで続き、家族としての情緒交流が充分とは言えない状況のなかにあって、
政子は母親の意図を先取りする形で、いい子で優等生として思春期を迎えた。
しかし親の意図で自分の進学したかった高校と違う高校に進学したことを契機に、
彼女のなかでこれまで押さえつけてきたものが吹き出し、学業に専心することができず、
仲間と遊び、性的な行動化も見られ、驚いた母親は侵入的となり、それに政子は反発する
という悪循環で高校生活を終えた。この頃より過食行動が出現していた。
その後専門学校に行き就職するも、この過程は昔の良い子の政子に帰ってぎりぎりまで頑張るというものであった。
就職して数年、20代前半でとうとう破綻を迎える。
彼女は過食、嘔吐と母親に対する激しい攻撃、暴力で境界性人格障害を発病した。
筆者の治療を受けるということを理由に家を出るという母娘は、筆者の勤める病院の近くに住み
毎週一回の面接を受けることとなった。面接のなかでは、母親がいかに自分を縛りつけようとしたかと、
祖母に対する嫌悪、父親の弱さ、男性への不信が語られた
4臨床例1:2014/03/17(月) 21:06:33.04 0
家では母親がいかに自分を苦しめてきたかと、母親を毎晩攻撃し、二人ともへとへとなって休むということが数年続いた。
あまりの暴力のひどさに母親に骨盤骨折の疑いがあったり、政子を一時入院させたりして
物理的距離をとる方法も使わざる得なかった。まだ、母親は周囲に誰も知り合いがなく
筆者は母親をサポートする役割も必要となってきた。
必要は母親に「今娘さんの怒りは、あなた個人への怒りを超えた神の怒りみたいなものだから、
本人のなかで折り合いがつくまで耐えて欲しい」と頼み、ここを通過する必要性を説明した。
つまり彼女の怒りとは、個人的母親の身の程を越えて、ユングのいう呑み込む母親として、
集合的無意識に宿る太母の元型が布置されて、それに対する怒りなのである。
そして彼女の暴力とは呑み込まれそうになる彼女の自我の、この世に踏み留まる必死の営みと視ることが出来る。
このような状況で、週一回の面接では政子を支えきれないし、筆者が母親との面接を必要とし、
彼女固有の時間が侵食される恐れがあるため、彼女に病院の男性臨床心理士と面接を持ってもらう
ことにした。
5臨床例1:2014/03/17(月) 21:07:49.09 0
母親は本当によく彼女の暴力に耐えてくれた。
政子の方は臨床心理士とそりが合わないと面接をしぶり、一方で筆者に転移性恋愛の気持ちを
打ち明け、「先生が好き。手をとって歩きたい」と語り、約一年間、筆者が同様に受け持つ同年代の
人格障害圏の女性クライアントへの嫉妬と競合と彼女達の侵入的な関わりで、不安定な状態が続いた。
そしてある時、筆者への愛着と、彼女達の対応を処理できない筆者への怒り、「あの子を殺したい」という強い憎悪、憤怒の
気持ちに捕らわれ、面接室を動こうとしなかった。筆者は面接構造が守られるなら、愛する気持ちを
受け入れようと全面的に答えることができない旨伝え、誰もいない外来面接で
長時間やりとりが続き、筆者にも、とてもしんどい時間が流れた。最後に気持ちを沈めようと
少量の薬物を筋肉注射してようやく帰すが、これが実際の量以上に応え、彼女は途中でふらつき、
タクシーでようやく家に辿り着く。約一ヶ月後彼女は、「先生、私のこと愛してくれますか。甘えてもいいですね」と問いかけ、
筆者は面接が守られるならと伝えている。
6臨床例1:2014/03/17(月) 21:08:46.84 0
それ以降彼女は一切筆者に対する転移恋愛の気持ちを述べることはなかった。
おそらくは、彼女が男性へのエロスを表現した最初の体験であろう、筆者の残酷さの
思いは深く心に残っている。それから政子は臨床心理士と真正面に向かい合い、
こころの作業を本格的に開始し、二人の関係も深まっていった。こうして男性へとこころを
開き始めると同時に、不思議なものである、ある時お酒を政子は飲み、電車のなかで気分が
悪くなり、電車を降りて嘔吐してしまった。その時見知らぬ男性がその吐物を手で受け止めてくれたのである。
ユングの言う共時性そのものである。これは彼女にとって衝撃的体験であった。
これまで悪い父親イメージ、陵辱する男性のイメージしかなかった彼女にとって筆者との体験、臨床心理士との体験、
見知らぬ男性との体験、新たな地平へと動いていく。ウィニコット、D.W の言う「偽りの自己」に
閉じ込められたエロス性が少しづつ動き出したと言えよう。と同時に
「母親に暴力をふるっていても仕方ない」と言い始める。やがてようやくにして
アルバイトを始めることの出来た政子はアメリカ留学を考えそれをやり遂げる。
本年で10年になり修士課程を来年終える。彼女は1〜2は帰国し、必ず臨床心理士と筆者のもとを訪れる。
「もう治ったやろ」という筆者の言葉に、「まだあかん。幻想に捕らわれるとその渦に巻き込まれる」と語る彼女である。
伴侶も見つかり、おそらく海外に永住することになろう。ちなみに母親も離婚することに決めたそうである。
政子はままならぬ父母の闇をなんとか繋ごうとしついい子であり続け、破綻し、
彼女が自分の道を見つけ出す過程で母親も老齢近くになりながら飛び立とうとしている。
個人的・集合的無意識も含めて家族の織り成すこころの綾は微妙に絡まっている

「意識と無意識 ―臨床の現場から― 第三章 こころの病・夢に顕現する意識・無意識の現れ 横山博」(人文書院) より
7:2014/03/17(月) 21:45:59.31 0
精神分析学を学ぶ場合、まず初めにフロイトの意図したことを悟らねば
なりません。なぜ、無意識を発見したのか?人間とは何か?エス・自我・超自我は
我々にどう作用しているのか?等々です。

まず精神分析学の意義ですが、我々は日常、意識を働かせて生きています。
しかし、意識は時間の制約を受けており、意識の働きは時間の制約により、
無意識の規定を受け続けているのです。無意識とは過去であり、現在であり、
また未来永劫繰り返すべきものでもあるのです。

治験者の無意識の解明、これが精神分析の命題なのです。精神分析学には
治療者(精神分析家・臨床心理士)と治験者がいるのです。治療者は病歴のある
治験者に向き合って、治験者の無意識を観察し、意味を紡ぎだし、治験者に彼の
無意識を告げるのです。そうやって乗り越えていく、これが精神分析です。
8:2014/03/17(月) 21:55:30.10 0
自己は常に自己が何者であるかという自我同一性を失っている。
自己は他者の目に映った自分を常に探り、「私の存在を、存在すべき
必然性をもったものとして構成できる」かを他者の言語から見いだそう
としているのである。
 人間は自分が何者であり、他人は自分を受け入れてくれるのだろうか
という不安を常に持って生きている。不安は常に私という存在をぐらつかせる
他者の発する言葉は私を象徴界に誘う。

自分が言葉を発すると言葉のなかに象徴と欲動が現れる。
精神分析はこの象徴と欲動から意味を紡ぎ出す。
それを主体に告げることにより主体は存在を乗り越えるのであるが
ラカンによれば主体とは常に不安定に存在を固持している。

主体は自分のエスが快へ向かう方向を模索している。
エスは不安定に不快から快へ向かうのだが人間は無意識の抑圧によって
エスが単純に快へ向かうことを拒んでいる。
人間が単純に不快から快へ向かうのではなく、常に複雑に絡まった無意識
に自我が支配され、それを精神分析は観察し、意味を与え、自我に
第三の目を与えることにより、知でもって治療していく

鉄板なので臨床をフロイト−ラカンでみていくことにします。
それではまた来週
9考える名無しさん:2014/03/17(月) 22:10:06.95 0
今の精神医療の酷さを鑑みるに冗談であっても病院に行くことを勧めるのは笑えない
話も聞かずに薬漬けにされるだけですよ、今の精神医療なんて製薬会社の手の上で踊っているだけです
本来なら高額になるので薬は慎重に処方されるものですが
日本は保険が各種あるし上限も決まっているから、高額な薬でも処方し放題
だけならまだしも、酷いところは必要もない薬を出すわ出すわ出すわ出すわ出すわ
効果があるのか分からない多剤大量処方
挙句の果てには嘘の診断書を書いて誤診してインチキの処方をしてレセプト稼いで投薬まみれ
犯罪やら人権侵害やらが起きている、どうしてこんな自体になったかと言えば
そもそも医師たちがこんなデタラメをするだなんて想定していないのだ、モラルだけに任せてきたからね
少し前の検察と同じ状態が今でも続いているのが医師たちなのですよ
胡散臭いと思ったら勇気を持ってセカンドオピニオンをしましょう

金に注目が行きますが権力も見過ごせません
医療では医師から、適切な指導を受けたり、生活習慣を改めたり、マッサージをしてもらう
セラピーを受ける、カウンセリングを受けるなど様々な療法がありますが
それらは一般人でも入手や行うことが可能です、なのでありがたみにかけます
情報だけでも数千円も取られるのですからね、損した気分にすらなります
ところが薬剤を処方するのは医師の特権です、薬を入手するだけで何か凄い力を
手にしたような気分になれます、医師も権力を振り回すことに酔います
メディカルスタッフたちも医師の特権に従うことで偉くなった気分になれます
むしろ医師には特別な権限があるからこそ従うモチベーションになっています
それでも適切に処方されていれば良いのですが、権力を振り回すのが目的に
なっているケースがあるので危険なのです
10考える名無しさん:2014/03/17(月) 22:12:25.63 0
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/e6ebc130e8a270c9f31fd3a8923be174
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11114368406
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/5-e25d.html

7、児童相談所は、警察、裁判所よりも権力を与えられている。
8、児童福祉に関する国家資格が無いため何のコントロールもされていない。
11考える名無しさん:2014/03/17(月) 22:12:55.42 0
扱いが低いことからくるキレと首絞めという解放行為があるとおもいます
12考える名無しさん:2014/03/17(月) 22:18:06.11 0
152 名前:スクープ映像! :2014/03/14(金) 17:02:09.66 0
                    
 毎日ゲームざんまいの「波平」さんをとらえた映像!
 http://www.youtube.com/watch?v=WlEzvdlYRes
                             
153 名前:考える名無しさん :2014/03/14(金) 19:46:23.80 0
>>152
波平ゲームうまいじゃんwwww
13考える名無しさん:2014/03/18(火) 00:13:24.62 0
>>8

> 261 :し:2014/03/16(日) 18:54:51.13 0
> 自己は常に自己が何者であるかという自我同一性を失っている。
> 自己は他者の目に映った自分を常に探り、「私の存在を、存在すべき
> 必然性をもったものとして構成できる」かを他者の言語から見いだそう
> としているのである。
> 人間は自分が何者であり、他人は自分を受け入れてくれるのだろうか
> という不安を常に持って生きている。不安は常に私という存在をぐらつかせる
> 他者の発する言葉は私を象徴界に誘う。
>
> 自分が言葉を発すると言葉のなかに象徴と欲動が現れる。
> 精神分析はこの象徴と欲動から意味を紡ぎ出す。
> それを主体に告げることにより主体は存在を乗り越えるのであるが
> ラカンによれば主体とは常に不安定に存在を固持している。
>
> 主体は自分のエスが快へ向かう方向を模索している。
> エスは不安定に不快から快へ向かうのだが人間は無意識の抑圧によって
> エスが単純に快へ向かうことを拒んでいる。
> 人間が単純に不快から快へ向かうのではなく、常に複雑に絡まった無意識
> に自我が支配され、それを精神分析は観察し、意味を与え、自我に
> 第三の目を与えることにより、知でもって治療していく

http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1381829444/261
14考える名無しさん:2014/03/18(火) 00:19:14.37 0
お〜い、波平、文体を変えないとバレるぞw↓

> 8 :1:2014/03/17(月) 21:55:30.10 0
> 自己は常に自己が何者であるかという自我同一性を失っている。
> 自己は他者の目に映った自分を常に探り、「私の存在を、存在すべき
> 必然性をもったものとして構成できる」かを他者の言語から見いだそう
> としているのである。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1395056419/8
              ↑
             同じ文章
              ↓
> 261 :し:2014/03/16(日) 18:54:51.13 0
> 自己は常に自己が何者であるかという自我同一性を失っている。
> 自己は他者の目に映った自分を常に探り、「私の存在を、存在すべき
> 必然性をもったものとして構成できる」かを他者の言語から見いだそう
> としているのである。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1381829444/261
15:2014/03/18(火) 21:01:52.00 0
うぜえなあ。俺は波平じゃねえし、文章は俺が書いたもんだから転写しても
いいだろが。波平のスレに書いて、スレ地だたから自分のスレに転写した。
それのどこがわりいよ

それはさておきですねえ。このスレは非常に初歩的な理論から扱って
哲学にリンクさせていくスレです。というのも、僕が臨床心理とは
全然関係ない部外者で興味本位で、勉強させてもらっているものなので、
ほとんど過疎化している鉄板ですが、よかったら寄っていってください、みなさん!
16考える名無しさん:2014/03/18(火) 21:13:02.31 0
完全に心理学オリジンじゃろ
17:2014/03/18(火) 21:33:09.58 0
「ここでは簡単に触れるだけであるが、時間の問題は根本的に検討する価値がある。
カントは時間と空間が我々の思考の必然的な形式であると述べたが、
精神分析によって得られた知見から、この命題を改めて検討することが
できるようになった。無意識的な心的プロセスは、時間的に配置されて
いないし、時間がこれを変えることなく、これに時間表象をあてはめる
ことができないのである。これらの特徴は、意識的な心的プロセスと
比較して初めて明確になる特性である。われわれの抽象的な時間表象は、
知覚−意識(W−Bw)システムの機能方式から得られたものであり、
この方式が自らの機能について知覚した場合に発生するもののようである。
このシステムの機能方式においては、別の方法によって刺激から保護する
ことも可能だったはずである。曖昧な言い方しかできないが、ここでは、
こうした暗示だけにとどめなければならない
※「純粋理性批判」第一部の超越論的感性論で、カントは空間と時間が、
人間が対象を知覚する際の純粋形式であり、これは人間の感性そのもの
に絶対かつ必然的に付属すると述べている」「Sフロイト自我論集」(ちくま学芸文庫)竹田青嗣編 中山元訳
18考える名無しさん:2014/03/18(火) 21:36:43.55 0
ここの目的ってのは、要は波平のパクリスレだからな〜

まあ、波平がラカン関連のブログからかっぱらってきた知識を
ここに横並びしますので、それを哲学板住人が波平にも理解できるように
横並びした知識を繋げて波平に披露してくださいってスレな訳。
19:2014/03/18(火) 21:50:21.17 0
「Sフロイト自我論集 快楽原則の彼岸p148」(ちくま学芸文庫)竹田青嗣編 中山元訳

快楽原則の彼岸ではよくいろいろなところで取り上げられるFort-DAの遊びの話
から入りましょう。

Fort-DAの遊びとはフロイトが観察した「幼い子供の遊び」についての記述です。
Fort-DAとは母の不在−現前の遊びということです。
「この子知的発達において早熟な子供ではなかった。生後一年半になって、
どうにか理解できる言葉を話せるようになった程度である」
この子供がある日困った癖を見せ始める。小物を部屋の隅やベットの下に
隠す遊びである。
20:2014/03/18(火) 21:51:46.99 0
>18そんなわけねえだろ。波平とその関係者は立ち入り禁止で。
21考える名無しさん:2014/03/18(火) 22:00:05.83 0
波平の言ってる事なんざ、大体他の人が書いたブログとかの丸写しだからな↓

> まず1つ目は、ラカニアンによって理論の解釈が違うこと。
> それだけ成熟した理論だと言う証拠なのかも知れないが、素人にとっては大問題。
> とりあえずは自分の一番納得できるものを選ぶのがいいと思う。
http://overkast.jp/2011/06/%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%83%B3%E7%90%86%E8%AB%96%E3%81%AE%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%89%8B%E9%A0%86-1/

                ↓ パクリ

> 931 :霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M :2013/10/30(水) 20:06:58.73 O
> 最初にもどればなぜラカンは分かりにくいのか
> ようするに通常の哲学のように理解できる体系になってないから。
> ではどうすればよいか。
> とにかく自分が気に入る解説本をさがすこと。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1336134926/931
22:2014/03/18(火) 22:20:53.59 0
放り投げられた小物を投げると「オーオーオー」という音を立てた。
「この子を観察していた母親とわたしは、この音が間投詞ではなく、
「いない(フォールト)」を意味することで意見が一致した。」
子供はさらに糸巻き遊びをし始めた。糸巻きの端をもってベット越しに
糸巻きを投げ込んで「オーオーオー」を言い、糸巻きを引っ張って
ベットから取り出すと「いた(ダー)」を口にした

この子供の遊びとは、「いないFort」母親をこのおもちゃに見立て、
不在の母親を自分で引き寄せるという〈支配欲動〉に駆られた行動
だった(マジか?)

「たしかに「子供は、音素の対立のなかで、現前と不在の現象を
超越し、それを象徴的な次元にもたらす」のだが、「彼が支配的に
なるのは、まさしく、彼がそれを破壊する限りにおいてでしかない」
のである。この矛盾が解決されるには去勢によって主体が他者の
秩序に参入するのを待たねばならない。とは言え、鏡像的段階に
おけるイマジネールな一次的同一化が後のサンボリックな二次的同一化
に利用されるように、Fort-Daの遊びは幼児が象徴界に
入っていくきっかけとしては重要な意味をもつのである」(浅田彰)
23考える名無しさん:2014/03/18(火) 22:29:35.05 0
>>19>>22のレスも、>>21で示した波平のパクリ元のブログに
同じネタが載ってるしな↓

> わかりやすい例として、ラカンも繰り返し引用する、
> フロイト『快感原則の彼岸』における”Fort-Da”のエピソードの構造分析を参照したい。
> これは、フロイトが自分の孫(一歳半の男の子)を観察していると、
> 母親が「不在」のあいだ、”Fort!”(いない)/”Da!”(いた)と叫び声をあげながら、
> 糸巻きを放り投げたり、たぐり寄せたりして遊んでいたというエピソードで、
> ここから現実界/想像界/象徴界における「不在」という概念の違いが浮かび上がってくる。
http://overkast.jp/2011/06/ラカン理論のインストール手順-2/
24:2014/03/18(火) 22:47:02.16 0
>23
有名な話だからね。内容の扱い全然違うし。ちっとは内容理解してレスしようね
25考える名無しさん:2014/03/18(火) 22:50:41.38 0
STAPみたいな言い訳はいいから、他の人のブログの内容を
あたかも自分で考えたかのように投稿する癖をどうにかしような

波平よ
26考える名無しさん:2014/03/18(火) 23:01:00.25 0
2ch小説剽窃風でいってみよ
27:2014/03/18(火) 23:07:50.11 0
ちょっと引用多いけど、新宮一成さんの「ラカンの精神分析」から

「ラカンが述べている「現前と不在の構造的交代」は、人間の生活の中で
どのような働きをするのだろうか。ラカンが言うように人間がそれに己れの
時を捧げているのなら、一人一人の生活の歴史は、この構造的交代によって
貫かれているのではないだろうか。フロイトは早くからこのことに気づいて、
先ほど少し触れた「反復強迫」という名を、この構造的交代の作用に
対して与えたのであった。夢や転移ばかりでなく、生活の中での我々の行動は、
驚くほどこの構造的交代の反復によって、支配されている。」

>17
「無意識的な心的プロセスは、時間的に配置されて
いないし、時間がこれを変えることなく、これに時間表象をあてはめる
ことができないのである。」

無意識の働きは「いまここ」という現在の時間・空間を過去に引き戻す
作用がある。「いまここ」という時間はカントが言うように
「※「純粋理性批判」第一部の超越論的感性論で、カントは空間と時間が、
人間が対象を知覚する際の純粋形式であり、これは人間の感性そのもの
に絶対かつ必然的に付属すると述べている」という
必然性に反対するものである。無意識が欲動の混乱(エス)により
倒錯を起こし、反復を繰り返すという実例は、必然的時間知覚の
それに見合わないから
28:2014/03/18(火) 23:10:45.79 0
肝があるんだよ。無意識とは何か。それを確認してんだから
理解してレスするか、さもなくば、書き込まないように
29考える名無しさん:2014/03/18(火) 23:44:17.36 0
波平のスレッドの立て方の特徴として、
「欲しい情報がパクれるまで内容が同じ重複スレッドを乱立する」っていうのがある↓

【例】

 波平がパクリスレ『ハイデガーについて語ろう』等を立てたとする
             ↓
  波平、ガダマーが分からない
             ↓
 瞬時に新スレ『ガダマーについて語ろう』等というスレを匿名で立てる
             ↓
 で、また「現存在」「存在者」とかがわからない波平
             ↓
 瞬時に『現存在と存在者の違いについて』等と勝手に立てる
             ↓
 また、「存在了解」が分からない波平
             ↓
 瞬時に『存在了解とは何か?』を立てる
             ↓
           無限に続く
30考える名無しさん:2014/03/18(火) 23:51:39.13 0
今回の場合、最初に>>14で示したように、別コテで同じ内容がレスされていた。
が、パクリに失敗した為、コテを変えて別のパクリスレを立てた↓

> 261 :し:2014/03/16(日) 18:54:51.13 0
> 自己は常に自己が何者であるかという自我同一性を失っている。
> 自己は他者の目に映った自分を常に探り、「私の存在を、存在すべき
> 必然性をもったものとして構成できる」かを他者の言語から見いだそう
> としているのである。
【大文字の】ラカン【他者】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1381829444/261
               ↓
> 8 :1:2014/03/17(月) 21:55:30.10 0
> 自己は常に自己が何者であるかという自我同一性を失っている。
> 自己は他者の目に映った自分を常に探り、「私の存在を、存在すべき
> 必然性をもったものとして構成できる」かを他者の言語から見いだそう
> としているのである。
精神分析学と臨床 in哲学板
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1395056419/8
31:2014/03/20(木) 18:33:21.38 0
こんにちはみなさん!では精神分析と臨床ということでフロイトの「快感原則の彼岸」を
テキストに精神分析と臨床とはなにかを見ていきましょう!!

×快楽原則の彼岸
○快感原則の彼岸でした。

何度も言うように僕は精神分析についてはずぶの素人でして、
このような間違いをするくらいのものなので、臨床がどのようなものか?から
無意識とは何かから確認していくことにします。
32:2014/03/20(木) 20:27:38.71 0
精神分析はないよりも、解釈の技術だったのである。しかし治療の課題は
これによって解決されたわけではなく、すぐに次の目標が登場した」(フロイト)

精神分析

治療者−精神分析者(聞く側・解釈する側・解釈を治験者−患者に伝える役割)
治験者−患者−クライアント(話す側・主体・言語から無意識を伝える側・精神病者)

フロイトが言うように、精神分析とは、治験者(患者)の言語を精神分析者が観察し、
自我の動きを見て、無意識の働きに解釈を与えて、それを治験者に告げる。治験者は
自分の病理を無意識から理解して(精神分析者の解釈を受けて)、無意識を意識化して、
治験者の抱える病を克服していく試みであるが、この過程でしばしば患者は「抵抗」を
表わす。患者は過去の何らかの傷みから嫌なことを無意識に蓄積させている。
それを意識化するには再び傷みが生じる。精神分析者は故意に傷みを抽出するので
患者は抵抗するのである。
患者の「抵抗」は治験の妨げになるので、出来る限り早く発見し、これを患者に
認識してもらう。

「これを患者に知らせ、人間的な影響を及ぼすことにより、「抵抗」を放棄
するように働きかける」(フロイト)
33:2014/03/20(木) 20:34:34.16 0
精神分析者が患者に患者自身の無意識を意識的なものにするために、
治験者(患者)に自由に過去を想起させ、しゃべらせ、患者は、そのために
「抑圧されたものを現在の経験として、反復していく。
精神分析者は訓練を受けており、患者の無意識的な言動を深い洞察によって
理解し、患者の反復しているものを発見していくのである。
34:2014/03/20(木) 20:41:33.72 0
患者は、現在「いまここ」にある意識がどのような作用をしているか、
「抑圧されたものを現在の経験として反復し」その再現が患者の無意識に
どのように関わっていくかを精神分析者探るのである。
精神分析者は、ある程度、確信をもって患者に、それを告げても患者は
それをなかなか意識することはできない。
精神分析者は、いつ、どのように、どういう方法で、それを告げ、患者の
無意識の理解に繋げるかを苦心する。そこまで繊細に注意をはらう必要が
精神分析にはあるのである。
35:2014/03/20(木) 20:57:21.02 0
「精神分析者は患者にとって転移をもたらす役目を請け負うのである」

転移−
転移という概念はフロイトにおいて両義的に使用されている概念であるが、
患者が無意識の欲望を、その対象ではなく、他の人物に投影することである。
これが分析者に投影されることが多い。このために患者と分析者との間に
擬似的な恋愛関係が発生したり、敵意が転移されることもある。
重要なのは転移が患者の抵抗の産物であるとともに、この抵抗を除去する
ための手段ともなることである。このために、精神分析においては
転移は枢要な役割を果たすことになる

「自我論集」(ちくま学芸文庫)ジークムント・フロイトp132より
36:2014/03/20(木) 21:47:04.66 0
日常、我々は他人と挨拶を交わし、会話をし、そのひとに対して、
愛着を感じたり、嫌悪を感じて、そっぽを向いたりして何気なく過ごしているが、
意識したものというのは「いまここ」にあるもの(在る)であって、
われわれの行動のいちいちは不快の回避、快への帰還を繰り返しているのである。
この不快から快へ向かうもの(エス)を欲動といい自我がそれを請け負っている。

人間は不快であれば快へ向かうための行動をとり、快であれば、不快を回避して
生きているのである。しかし、人間の行動は必ずしも快ー不快で行動を規制されない。
自我は無意識に規定され、無意識は「いまここ」を過去に規定され、過去に抑圧された
ものを現在(「いまここ」)にもくりかえしているのである
日常、われわれは「いまここ」にいながら戻らない過去を無意識的に反復し、
意識は無意識に規定されている。言語や行動には、この反復された無意識が
「いまここ」に対応したかたちでいつも表れているのである

エス−
意識の外にある「それ」という意味で無意識的なものの代表である。
ここには身体から取り入れられたエネルギーが貯蔵され、これをリビドーと呼ぶ
このリビドーは現実的な秩序や時間などの影響を受けることなく(一次過程)、
「〜がしたい」「〜が欲しい」といった欲求衝動の解放だけを求める(快感原則)
のために、エスは「本能衝動の座」とも呼ばれる

自我−
心の中心領域で外界と接触し、知覚、思考、判断、学習、記憶などの現実的思考(二次思考)
が機能する。つまり外界を的確に把握し現実に適応する(現実原則)領域である。
また外界とエスの仲介をしてパーソナリティを統合する役割であることから
「知性の座」とも呼ばれる。

「こころとかかわる臨床心理学 基礎 実際 方法」第三部(ナカニシヤ出版)川瀬正裕 松本真理子 松本英夫著
37:2014/03/20(木) 21:56:11.40 0
「意識されたものと無意識的なものを対立させるのではなく、統合する自我と
抑圧されたものを対立させた方が、わかりやすいのである。自我の多くのものは
それ自体で無意識であり、まさに自我の中核にあるものこそが、無意識的なのである。
そのごく一部を、前意識と呼んでいる。」(フロイト)
38:2014/03/20(木) 22:15:36.87 0
あまりまとまりは無いが、とりあえず「快感原則の彼岸」「自我とエス」
のところだな。超自我は書かないが理解しやすいからいいよね。
超自我はこころの「おやじ」みたいなもので、自分で自分を律している
部分だ。

そもそも人間は多かれ少なかれ楽をする生き物だし、不快であれば回避し、
快適であれば、それを維持しようと思う。こころはそう簡単に快−不快を
回避したり、維持したりできない。それが難しいところなんよ。
女性に対していつまでも同じことを繰り返すのが男であり、
それには無意識が我々の自我に関わっている。我々の自我は永劫回帰し、
いつまでも同じ現実を送っている。カントのいった
「空間と時間が、
人間が対象を知覚する際の純粋形式であり、これは人間の感性そのもの
に絶対かつ必然的に付属すると述べている」にはフロイトの無意識が
立ちはだかる。無意識というものはわれわれの「いまここ」を
過去に遡らせ、反復によって「現実原則」を意固地に拒否している。
そういう生き物が人間である
39考える名無しさん:2014/03/20(木) 22:40:36.23 0
ここは波平のメモ帳です
40考える名無しさん:2014/03/20(木) 22:53:18.60 0
△:Man、自我、意識、全体、右Right、理性、認識=父性愛
▽:Woman、エス、無意識、非全体、左Left、本能、同情=母性愛
411:2014/03/23(日) 11:57:14.13 0
フロイトによると、抑圧されたものを現在の経験として反復する患者は、
常に幼児の性とエディプスコンプレックスが関わっていることを強調する。

子供は3〜6(男根期)までに異性の親に性的な愛欲を持つようになる。しかし、それが
果たされず、性的な愛欲が同性の親に独占されていることに気づき、男は父親に
敵意を抱くようになる。父親への敵意はやがて、父親にペニスを切り取られて
しまうかもしれないという「去勢不安」にかわり、母親を断念することとなる。
これを経て母親からの分離が達成されて、父親への同化が始まり、「超自我」が
形成される。

一方、女性の場合は、生まれたときにペニスを与えられず、その憎悪から父親に
性愛を向ける(男根羨望)。しかし、母親への愛着も消えず、父親への性愛は抑圧される。
そして、母親との同化が始まり、女らしさを身につけていくのである(エクストラコンプレックス)。←マジか?

このような男性のエディプスコンプレックスや女性のエクストラコンプレックスの
抑圧は11歳以降(性器期)青年期や老齢期を迎えても無意識に残っていて、
治験者は精神分析者との関係において規則的にこれを演じるようになるらしい←マジか?

「ここまで治療が進むと神経症が転移神経症に変化したということができる」(フロイト)
以下↓
421:2014/03/23(日) 12:19:40.86 0
「医者は抑圧されたものを、過去の一場面として患者が「想起する」ことを
望むものであるが、患者は抑圧されたものを現在の経験として「反復する」
しかないのである。こうした再現は、望ましくない忠実さをもって、
つねに幼児の性生活、すなわちエディスコンプレックスとその派生物の
一場面を内容とするものであり、転移の領域、すなわち医者との関係に
おいて規則的に演じられる(以下略)

医者は、この転移神経症の領域をできるだけ制約し、できる限り想起へと
もたらされるようにするとともに、できるだけ反復されないように努力する。
(中略)医者は被分析者に、過ぎ去った生活のある特定の一こまをふたたび
生きさせる必要がある。そして、被分析者にある程度の省察力が残っている
状態で、その力によって、現実とみえるものが、実は過ぎ去った過去の反映
であることを認識できるようにしてやる必要がある。これに成功すれば、
患者に必要な確信が得られ、そして治療上の成果が確保されるのである。」
(「自我論集(快感原則の彼岸)」(ちくま学芸文庫)フロイトp133より)
431:2014/03/23(日) 12:30:57.89 0
・口唇期 oral phase 〜18ヵ月まで
■ 母親から乳を与えられ、吸うという行為を通して環境との交流が図られており、この段階での固着は依存的で受動的といった性格特徴の形成と深い関係をもつ。

・肛門期 anal phase 1歳〜3歳まで
■ 環境への主張的で能動的姿勢が芽生える。
几帳面、頑固、倹約といった性格特徴の形成に関わっていると考えられる。
cf. トイレット・トレーニング toilet training
一般児童の場合、3〜4歳で排泄はほぼ自立する。
そのためのトレーニングのこと。
肛門期に行われる。


・エディプス期(男根期) oedipal phase 5〜6歳頃
■ 異性への関心が芽生え、男の子は母親に、女の子は父親に性的関心をもち、同時に同性の親を憎むようになるという。
このような愛憎の気持ちは、男の子においては父親による去勢という不安を喚起し、性への関心が強く抑圧され、次の段階である潜伏期へと進む。
またこの時期は、両親への性同一視を通して性役割を獲得する時期でもある。
・潜伏期 lateny period 6歳〜思春期に入るまで
■ 性欲動はエデイプス葛藤をめぐって強く抑圧され、社会的規範の学習や知的活動にエネルギーが注がれ、思春期以降に再び出現するまでの間潜伏しているとみなされている。
441:2014/03/23(日) 12:31:50.47 0
・性器期 genital stage 思春期以降
■ 口唇期、肛門期、エディプス期の部分的欲動が統合される(「性器性欲の優位」genital primacy)。
心理的には、対象の全人格を認めた性愛の完成期と考えられている。

cf.・ 小児性欲 infantile sexuality
小児にも性欲があるという考え。
性欲動を狭く生殖をめぐっての生理学的要因としてでなく、授乳から始まって母子間の養育をめぐる対象関係、さらには家庭内でのあるいは恋愛関係を含めた対人関係まで心理的要因として理解しようとした点に特徴がある。
・ 固着 fixaction
各発達段階における欲求が満たされなかった場合に、大人の時にその段階に戻ってしまうこと。


「仔猫の遊び場」より←めんどくさいので他人のサイトから引っ張ったものです。だめか?
とにかくフロイトの発達論はこんな感じ。他にクライン、ピアジェ、エイクソン、マーガレット・マーラー
などの発達論もあります。それからエディプスコンプレックスについては
批判もたくさんありますが有名なのが「アンチオイディプス」ドゥールーズ、ガダリのものです
ここではふれませんがね
45パンの耳:2014/03/23(日) 12:36:31.70 0
   
 知人が入院中に危篤になって まぁ助かったんだけど 

 タクシーに乗って 急いでください ってゆったら

 「 お医者さんですか? 」って訊かれて ・・・・・


   帰りのタクシーで運転手さんに 「 陶芸家の方ですか? 」
 
 って 訊かれたことあるけど ・・・・   
   
461:2014/03/23(日) 12:41:48.58 0
どうですか?「コギトエルゴスム」(デカルト)から始まる
哲学がフロイトの提唱した無意識の発見によって、大きく方向転換
をせまられたのは事実です。「死の欲動」(タナトス)と「生の欲動」
の理論を検証していきますが、哲学にもっとも影響を与えたジャックラカン
の無き主体のところも哲学に非常に重要になってくるので、いずれ
とりあげます。
47考える名無しさん:2014/03/23(日) 12:44:02.94 0
>45
どういうことっすか?
48パンの耳:2014/03/23(日) 12:53:44.35 0
    
 険しい顔して 急いで病院行ってくれ で

  医者と間違われるのは まぁ ありだとしても

   峠がこえたからって 陶芸家と間違われたのは 

  電波だとおもう   あまりにも不意をつかれて

  いいえ 音楽関係です って 真面目にこたえちゃったし  
 
49考える名無しさん:2014/03/23(日) 15:18:00.62 0
254 :考える名無しさん:2013/12/09(月) 03:41:57.27 0
哲学やると波平みたいになるんだろ?

255 :考える名無しさん:2013/12/09(月) 07:45:15.52 0
波平って、自分が中心にいないととっちらかしてぶち壊しまくる子供だったでしょ。そして今でも。
波平とは関係ない話をしているときは、別にそこに波平がいる必要もないから、その輪の中心に入ってこようとしなくてもいいんだよ。
というか、波平は、外側にいればいいんだよ。誰とも共通点を持ってないでしょ。どちらかというと波平一人だけ仲間はずれでしょ。

256 :考える名無しさん:2013/12/09(月) 08:36:21.98 O
波平てレス見る限り本来脇役タイプで蛸踊りするようなうっかり八べえ役だと
思うんだが、親に甘やかされた育ったせいだろうか?
自分のキャラを見謝って世界の中心に人物をもっていこうとして
失敗してるよな。何を勘違いして自分を大きく見せようとしてるのか

257 :考える名無しさん:2013/12/09(月) 10:48:46.52 0
親が金与えてやりたい放題させてると波平みたいなわがまま人間が育つ
50パンの耳(synchronize):2014/03/23(日) 15:46:39.23 0
         
 精神医療の現場でも多々見受けられるってゆーか

   遭遇する現象だと思いますよ 

  デカルト経由して ユング → フロイト の 物理展開 
  
  特殊相対性をもつ素粒子が 固定時間軸上 物質化して 

    知覚伝達する経路は様々ですから 
          
51パンの耳(synchronize):2014/03/23(日) 15:48:33.76 0
   
 これぐらいの意味 分かんなきゃ

           精神分析なんて 無理でしょお
  
52パンの耳(synchronize):2014/03/23(日) 15:53:06.43 0
   
 >>47 気にしないでね

        香山リカへの 当てつけだから(笑)
   
53:2014/03/23(日) 21:42:55.97 0
パンの耳の言ってる意味がわからん。
フロイトのことやってるがいっこうに他者のレスがないなw

昔いた修士課程くらいの貴重な院生も2chはみないんだろうな。
それでも長文レスしてくけどね。波平みたいになってしまうが論理を整理したり、
理解してかみ砕いて簡略化して書いたり、写したりするのも頭の良い運動になる。

自分でブログ書くには、まだいっぱい本読まんといかんし、編集したりまとめるのも
大変やし、なにより素人だからな。まあ、続けますんでよろしく
54考える名無しさん:2014/03/24(月) 01:32:03.16 0
波平頑張るなぁ
55考える名無しさん:2014/03/24(月) 11:53:32.84 0
波平が好きなウドジェシカ
http://cfile7.uf.tistory.com/image/152CEC504F13903A2C5BCF


うっわ 何このおっさんw
ぶせええええええええええええええええええ
56:2014/04/01(火) 21:42:28.47 0
人間は幼い頃、母親と自他末分の状態からだんだんと自分と母親との
違いを認識してきます。その頃、経験してきたことを大人になっても
象徴として捉え繰り返しているわけです。

フロイトは言います。生命物質では常に二つのプロセスが反対方向に向かっている。
「同化するプロセス」(生命欲動)と「解体し、異化するプロセス」(死の欲動)です。

欲動は何ものかと同化したいと思う欲動と破壊し、死へ帰還することを望む欲動があります。
「同化したい欲動」はセックスを欲し、子供を産み育て、草木の生命力を見て希望を抱き、
人との関わりを大事にして、生きることへの喜びを感じ、そうやってあらゆる
ことととの一体感を欲するよくどうです。
それとは反対に「死の欲動」とはセックスをする欲動が自我へ向かい(自我欲動)、ナルシシズムを持ち、
破壊衝動、人を殺す、物質になりたい、死にたい等々の願望を持ち、人との関わりを
無機質に感じたり、ジゾイドが進んだりする欲動のことです。

エーリッヒ・フロムによるとこんな感じです。まあ、「死の欲動」が勧善懲悪の悪に
なりうるという発想には疑問がありますが、だいたいあっているでしょう。
「死の欲動」は生命プロセスのひとつであり、宇宙的な美しい部分もあると
思いますが

ナルシシズム
「個体全体が自らのリビドーを自我の中に保持し、対象備給のためにこれを
消費しないことを意味する。胚細胞はそのリビドー、すなわち生命欲動の
活動を自らに向け、後の段階における大規模な建設活動のために貯える」(フロイト)
57:2014/04/01(火) 22:08:11.44 0
「過去のある時点において、現在もなお想像できない力によって、
生命のない物質の中に生目の特性が芽生えた。これは後に、生命のある
物質の層において意識が発生するプロセスにとって、模範となるもので
あったのではないだろうか。それまで生命のなかった物質の中で
緊張が発生し、この緊張は自己を解消しようとした。このようにして
最初の欲動が生まれた−生命のない状態に帰還しようとする欲動である」
「快感原則の彼岸」フロイト


これが死の欲動だそうです。はじめは生命は死へ簡単に帰還していたのだろう。
しかし、ある時を境に「原初の生命の経路から大きく逸脱し、複雑な迂回路を
経由して」死の帰還が遅れ始めてきたのである。こうして段々と生命の
発達・発展へという方向が自己保存欲求、権力欲求、顕示欲求などの欲動に
発展していったのだろう。しかし、それにしても依然として、人間のような
複雑な発展を遂げてきた生命の中にも死の欲動が残ってるのである。

「変化と進歩を模索しているような誤った印象を与えている」有機体の目標は
「最初の状態に戻ることを目標にしている」

「生命は、発展のすべての迂回路を経ながら、生命体がかつて捨て去った状態に
復帰しようと努力している」

「無機質な状態に帰還することが例外ない法則であり、すべての生命体の目標は
死であると述べることができた」
「生命のないものが生命のあるもの以前に存在していたとも表現できる」

−フロイト
58考える名無しさん:2014/04/01(火) 22:28:14.79 0
> 261 :し:2014/03/16(日) 18:54:51.13 0
> 自己は常に自己が何者であるかという自我同一性を失っている。
> 自己は他者の目に映った自分を常に探り、「私の存在を、存在すべき
> 必然性をもったものとして構成できる」かを他者の言語から見いだそう
> としているのである。
【大文字の】ラカン【他者】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1381829444/261
               ↓
> 8 :1:2014/03/17(月) 21:55:30.10 0
> 自己は常に自己が何者であるかという自我同一性を失っている。
> 自己は他者の目に映った自分を常に探り、「私の存在を、存在すべき
> 必然性をもったものとして構成できる」かを他者の言語から見いだそう
> としているのである。
精神分析学と臨床 in哲学板
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1395056419/8
59考える名無しさん:2014/04/02(水) 00:33:57.16 0
オチンチン だよっ♪
60:2014/04/04(金) 07:51:48.76 0
フロイトの「快感原則の彼岸」「自我とエス」を読んできましたが番外編
「モーニング」てご存じですか。対象喪失とそれにを乗り越えていく過程です。

「イギリスの精神分析者ボールビーが乳幼児が愛情深い母親の接触を絶たれるという
対象喪失の体験(マターナル・デプリべーション)をすると、その発達に重大な障害が
生じることを明らかにした。
さらにその研究過程から「モーニング」は4つの段階をだどることを明らかにした。

「モーニング」とは対象喪失に続いて起こる心の過程をいう。失った対象への思慕の気持ちを
つのり、再会を願い、やがて悲哀、絶望、怒りなどの気持ちや、対象に対する後悔の念や
償いたい気持ちを抱くようになる。こうして徐々に対象の不在を自分の心のなかに
受け入れていく過程である。

ボールビーによると「モーニング」は
@対象を喪失したことによる「混乱」と「不安」の時期
A喪失を認めず取り戻そうとする「対象保持」と「抗議」の時期
B対象喪失を認めて諦めることによる「抑うつ」や「絶望」の時期
C失った対象を断念し新しい対象の発見に向かう「離脱」時期
という4つの過程をたどるという。

鈴木典子「思春期の親離れと自立」(アエラブック「精神分析がわかる」)より
61:2014/04/04(金) 07:58:07.40 0
対象喪失において、例えばある女性と生き別れてしまった男が、
それが恋人だったり、そうではなく好きだっただけだったりして
何らかの理由で連絡先が絶たれたりすると、どうなるか?

ボールビーのいう「モーニング」の過程Aで留まってしまって
思いをつのらせて、ずっとひとりでいるということが起こるのです
きもいですねえ。でもあるんですよ。そういうこと
621:2014/04/04(金) 22:25:51.10 0
「ソクラテスが、「汝自身を知れ」というモットーを自分に課したことに
代表されるように、西洋哲学は、人は自分のことを知らなくてはならないし、
また、努力すれば知ることができるはずである、という義務感の上に、
成り立ってきた。このような義務をわれわれが果たせるとすれば、それは
いうまでもなく理性という心の動きによってである。したがって、精神分析学の
したことは、西洋哲学の大黒柱としての理性という前提を崩壊させること
以外の何ものでもなかったことになる。
「哲学は科学と対立するものではありません。哲学は自ら科学のように見せかけ、
一部分は科学と同じ方法によって仕事をしますが、しかし遺漏のない首尾一貫
した世界像を提供することが出来るという錯覚に固執することによって
科学から遠ざかるのです。・・・哲学はわれわれの倫理操作のもつ認識価値を
過大評価し、さらにたとえば直覚というような他の知識源泉を承認するという
点において方法論的に誤りを犯しているのです。
そして詩人(ハインリッヒ・ハイネ)は哲学者について、

ナイトキャップや寝間着の切れっぱしで
世界のお堂の隙間をふさぐ

と言っていますが、世間ではしばしば、この詩人の嘲弄がいわれないものではないと
考えているのです」
自我は自分の家の主人などではない、完全調和の世界を実現できると信じたとき、
人は方法論的な誤りを犯している・・・・。
このような消極的なフロイトの認識は、明らかに、哲学を支配していた理性の
理想と相反している。というのも、理性は自分自身を知り、世界を統合し、個別と
普遍の対立を止揚して、絶対精神となることを目指すものとされていたからである。
(中略)
フロイトにとって哲学は、科学内部から、科学的思考態度を脅かす全体論的世界観を
生み出させる動きとして、批判の対象になったと言えるであろう」
(新宮一成)
631:2014/04/04(金) 22:42:49.30 0
フロイトにとっての哲学批判というのは、それまで哲学が主体の主人である
理性というものの万能感とも言えるものへの反発からきていることはいうまでも
ありません。人間はエスという欲動の発現を抱えていて、それを自我によって
制御し、現実との折り合いをつけているのですが、自我には理性でもって
世界のすべてを牛耳る程の支配力はありません。人間は自分を強制力をもって
支配することはできない、無意識の力というものが人間にあるのです。
そういった意味で古典哲学の理性の万能性は失われ、同時に哲学に対して
フロイトは挑戦状を突きつけているわけです。
64考える名無しさん:2014/04/04(金) 23:09:51.67 0
波平頑張るなぁ
65考える名無しさん:2014/04/04(金) 23:23:02.31 0
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww┏( ^Q^)┛オエッ♪
66考える名無しさん:2014/04/05(土) 03:27:32.70 0
波平なのか?
波平はニュース速報+系の西村ひろゆきの軍勢であり、
日曜日には2ch. SC の方に移り、自民党と旧陣営を支える側の人間じゃないのか?
67考える名無しさん:2014/04/05(土) 03:31:15.28 0
中華親分と岡山の新左翼が合体した自演じゃろ
681:2014/04/12(土) 14:03:34.30 0
おい鉄板の馬鹿ども
おんどりゃあああ。おれが教えてやらー
いいかおまえら、欲望は移るんだ。わかったか馬鹿野郎
69考える名無しさん:2014/04/12(土) 15:56:02.36 0
波平が立てたパクリ用ステマスレは一時的に立てられるが、
何か不都合があるとすぐにそのスレを捨てて新スレを立て、
その後、波平が立て捨てたスレは二度と使われないこれが哲学板の
下位400件を占めている「波平の使い捨てパクリ用スレの残骸」w

> 261 :し:2014/03/16(日) 18:54:51.13 0
> 自己は常に自己が何者であるかという自我同一性を失っている。
> 自己は他者の目に映った自分を常に探り、「私の存在を、存在すべき
> 必然性をもったものとして構成できる」かを他者の言語から見いだそう
> としているのである。
【大文字の】ラカン【他者】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1381829444/261
               ↓
> 8 :1:2014/03/17(月) 21:55:30.10 0
> 自己は常に自己が何者であるかという自我同一性を失っている。
> 自己は他者の目に映った自分を常に探り、「私の存在を、存在すべき
> 必然性をもったものとして構成できる」かを他者の言語から見いだそう
> としているのである。
精神分析学と臨床 in哲学板
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1395056419/8
70考える名無しさん:2014/04/12(土) 17:27:52.61 0
ほんっと馬鹿だあ鉄板のやつらっって
なみへいなみへいって。おまえら頭おかしいんちゃうか
おんどりゃあ。。たまに良スレが立つと波平
死ねやまじ
71考える名無しさん:2014/04/12(土) 17:30:48.63 0
> たまに良スレが立つと波平

!!!!
72:2014/04/18(金) 19:03:53.32 0
せっかく精神分析のスレ立てて哲学とリンクさせてるのに誰も興味示さないね
73考える名無しさん:2014/04/18(金) 21:47:40.77 0
>>70
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


ウド・ジェシカ参上

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       l!   `'T7′   / /
74:2014/04/19(土) 14:44:52.76 0
サディズムとマゾヒズムについて
75考える名無しさん:2014/04/20(日) 17:16:21.68 O
>>72
精神分析の祖フロイトが、哲学者をちょっと下に見てたりするからな
76考える名無しさん:2014/04/20(日) 19:47:33.49 0
フロイトとニーチェは結構かぶってる所が多くて、やはり真理はある程度ひとつに収束するもんだなあと感じました
771:2014/04/21(月) 21:09:11.15 0
>>75
フロイトは哲学を見下していたわけじゃない。
ただ、哲学は理性の働きを前提にして打ち立てられた論理展開なので、
じゃあ、その理性を個体はその通り支配しているのですか?って命題を
立てたんだろ。フロイトなくして20世紀の哲学はありえなかった。
78考える名無しさん:2014/04/21(月) 23:53:25.49 O
>>77
哲学を見下してるとは書いてないよ
でも『当時の哲学者』はちょっと見下してる
本人の著作にも、そう取れるような台詞がある
79考える名無しさん:2014/04/22(火) 15:18:31.10 0
フッサール以前のドイツ語圏の哲学だから、まあ仕方ないのでは
801:2014/05/03(土) 13:38:20.04 0
エリクソンの心理社会的発達理論



人生を8段階に区分して、それぞれに発達課題と心理社会的危機(psychosocial crisis)、
重要な対人関係、心理社会的様式が設定されている。

1.乳児期 (基本的信頼 対 不信)

基本的信頼は、乳児期の主に授乳関係を通じて作られるといわれる。
唇でお乳を飲む行為は、食物摂取という生理的な意味ばかりではなく、
後の人格発達の原型となる心理的な意味もある。
乳児は口を通じて自分の周りの世界を学んでいく。
この時期に子どもが世界は自分を養ってくれ、頼ることができ、
信頼するに値すると感じることができるか否かで、その後の親密な人間関係を
築き上げていく土台が作られる。

2.児童前期 (自律性 対 恥、疑惑)

この時期になると、幼児は肛門括約筋をはじめとする全身の筋肉が発達してきて、
自分で立って歩けるようになり、排泄をコントロールすることが可能となる。
発達課題としては、排泄と保持という体験を通じて自律性の感覚を身につけることができるか
否かが重要となってくる。うまく排泄ができれば親にほめられ、
失敗すると恥ずかしい思いを、幼児は体験する。
また、自己主張をだんだんしはじめる頃であり、攻撃の手段として自分の排泄物を
武器として扱うことも時々観察される。
811:2014/05/03(土) 13:39:47.92 0
3.遊戯期 (積極性 対 罪悪感)

この時期は、侵入するというモードが主流になる。
世界にどんどん侵入していき、攻撃をしかけ、
自分を主張していく積極性と、そういうことをすると自分は罰せられるのではないか
という罪悪感が発達課題となる。これらの発達によって、
積極性に富む子どもになったり、罪悪感の強いマゾヒスティックな
子どもになったりするとされる。男の子の場合には正面攻撃によって思いをとげ、
女の子の場合には、自分を魅力的にすることによって、
対象を引き付けようとする手段の違いがある。いずれにせよ、
子どもは、自分が世界に対して積極的に取組める存在であることを
徐々に認識していく。
821:2014/05/03(土) 13:41:11.90 0
4.学齢期 (勤勉 対 劣等感)

学齢期に達すると、フロイトのいう幼児性欲の抑圧にひとまず成功する。
日常的な勤勉が主題となる時期である。子どもは学校で急速に知識や技能を修得し、
仲間との集団関係を育成する。この時勤勉さが十分に成功しないと、
劣等感が生ずるとされる。勤勉さが成功するということは、物事を完成させる力とその喜び、
周囲の承認、自己の有能感や自尊心といったものが得られるということである。
また、学校での同輩集団が、子どもの社会化の力を養う上で重要な存在となってくる。
83:2014/05/03(土) 14:06:57.97 0
5.青年期 (同一性 対 同一性拡散)

青年期では性欲がふたたび表面化する。これに基づいて自己概念が新しく現れてくる。
生理学的変化と社会的な葛藤とによる混乱の時期である。
新しい自我同一性(ego identity) ―― 自分がどんな人間かということ ――
を確立することが課題となり、これに失敗すると役割混乱が起こって同一性拡散(identity diffusion)
という病理が生ずる。人格が統一されず、社会へのコミットメントが
できない状態に陥ってしまう。青年期は新たに出会う世界とかかわりを結ぼうとする。
青年は同一性(identity)の確立を目指して試行錯誤しながら、
やがて自分の生き方、価値観、人生観、職業を決定し、
自分自身を社会の中に位置づけていく。
84:2014/05/18(日) 17:03:45.53 0
6.前成人期 (親密さ 対 孤立)

この時期の発達課題は、親密さである。自我同一性を確立したものは、
他者と真の親密な相互関係をもつことができる。これは、異性と仲良くなることを意味する。
そして、性というものを通じて、心身ともに一体感を抱くような、
今までにない親密さを体験することである。体験される親密さは、
自分と異なる性別、肉体をもつ他者との相互性という点に意味をもつ。
これに失敗すると、孤独をもたらし、以後の心理的成長を抑制するとされる。
85:2014/05/18(日) 17:05:10.94 0
7.成人期 (生殖性 対 自己没頭)

この時期の発達課題は、生殖性(生産性)である。生殖性とは、
次の世代を育てていくことに関心をもつということを意味する。
また、結婚して子どもを育てることだけでなく、社会的な業績や知的、
芸術的な創造もこの中に含まれるとした。自分自身にしか関心がもてず、
自己没頭という状況になると人格の停滞を示し、
この発達をうまく乗り越えられない。
86:2014/05/18(日) 17:06:56.75 0
8.成熟期・老年期 (統合性 対 絶望)

成熟期の発達課題は、統合性である。この時期は、人間の生涯を完結する重要な時である。
今までの自分のライフワークや生活を総合的に評価し直すという営みを通して、
自分の人生を受け入れて、肯定的に統合しなければならない。
統合性を獲得することができれば、心理面の安定が得られ、
人間的な円熟や平安の境地が達成される。しかし、この課題に失敗すると、
後悔や挫折感を経験することの方が多くなる。
すなわち、自分の人生を振り返って絶望を感じることになる。
87考える名無しさん:2014/06/25(水) 04:53:27.84 0
精神分析入門上下と哲学書のを数本読んだ程度の素人だけど
哲学との関わりは確かにあると思う、だから続けて欲しい
88考える名無しさん
定期あげ