■ ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze 16 ■
http://d.hatena.ne.jp/femmelets/20120215 ジル・ドゥルーズ「思い出すこと」
(聞き手:ディディエ・エリボン、鈴木秀亘訳、『批評空間』誌第II期第9号、太田出版)、p.11-12
マルクスは間違っていたなどという主張を耳にする時、私には人が何を言いたいのか
理解できません。マルクスは終ったなどと聞く時はなおさらです。現在急を要する仕事
は、世界市場とは何なのか、その変化は何なのかを分析することです。そのためには
マルクスにもう一度立ち返らなければなりません。
次の著作は『マルクスの偉大さ』というタイトルになるでしょう。それが最後の本です。
>>34 同箇所
>私は共産党に入ったことは一度もありません。
>(精神分析を受けたことも一度もありません。
>そういったことはすべて免れました。)60年代以前は、
>自分をマルクス主義者だと思ったこともありません。
>共産党員にならなかったのは、党が党員の知識人に
>をさせていたかを見て知っていたからです
マルクスの偉大さって執筆してたの?
それとも書けずに終わったの?
>>36 確か未完のままだったと思う。
ソースのジジェクのインタビュー
>>35 その理由として、マルクスを読んだことがなかったから、と言ってたんじゃなかったっけ?
>>34 「管理社会」自体はマルクスじゃなく、マルキストがあんなにも
蔑視した「バロウズ」「ヴォリリオ」からきているのであり、
それにドゥルーズが自分流の味付けをしているのであって、
フーコーのモデル以降を考えたものだ。
モスクワの長女と言われた「共産党」には関係はなかったが、
マルクスの著作は読んだ。
マルクスの偉大さについては、そもそも書いてないって説もあるな
「資本主義と分裂症」は、「差異と反復」までと違った社会批判の提出
だと思うが、実際ミクロな次元でしか政治批判にならない気がする。
徒党を組んで何かするなら、戦争機械化することになるだろうか?
幼稚だが、企業も「戦争機械化」するだろうか?
一見一貫しているかのような、S/M、イロニー/フモール、潜在的/現働的の概念の組合わせ
をつなぎ合わせたチョンボな「千葉」(動きすぎてはいけない)。郵便的なんてあえて東にすり寄ったり
チャートにして浅田にウインクしたりお釜だからか。世も末である。
もう少しいうとサディズムが現働化しないことはないのか。イロニー自体も現働化(異化分化)しないのか。
もしそうなら、現実存在はヒューモアとマゾヒズムしかありえない。
サド・マゾのパーバーシブに寄り掛かるとは「蓮見」先生(元学長)にもそういうウィンクなのか?
もう東大なんて行ってもだめだ。フロイト解釈は「資本主義と分裂症」で死の本能を
器官なき身体との関係で論じ、独自路線である。最初に「資本主義と分裂症」の
概念で話を始めており、それ以前の著作の命題と同列に扱う。最後にもうとっくに
そんなものは通り過ぎたはずの「マゾッホとサド」に戻ろうとする。ドゥルーズの
理論的発展なんてものは見えないようにしている。のちの著作で先行する著作をどうやって
説明できるのか?
いや、お前が東大に行けよw
理論的前進があるとすれば、先行する書物では後の著作は説明できない。
「死の本能」はドゥルーズが捨てた理論だ。ゴミくさい。
完全には捨ててないんじゃないの
鈴木泉がドゥウーズを捨ててんだから、東大にはもともと
ドゥルーズの線はない。一回訪れた駒場では学生が
「幼稚化」して困る、と言っていた。
駒場の教員がだ。嘆いていた。
千葉を駄目と言い切り、本郷事情に詳しい院生君にしては日本語不自由すぎるだろ
渡辺守の辺でもうだめだ。ただの思考の演算周波数が早く
冗長なことを素早くこなししゃべっているだけだ。
怒り狂ってから文が変でも汲み取れや。
河出書房もぱ〜
まあ、もちつけ。
(ふ、ふるい)
もうすこしドゥルーズの中身に踏み込めば変じゃない文が書けるんじゃないか?
(大前提) 潜在的なもの/現働的なもの(生成の原理)
?(イコール)
(小前提) イロニー/フモール(個体化に於ける原理)
?
(結論) S/Mと動物化 (徴候)
千葉の論理(三段論法)の模式 57
もしその推論があっていてもドゥルーズの立てた問題の一つの可能な
解の事例でしかない。千葉という個体化という解。
「n個の性」を論じた後に「ニーチェと哲学」の異性愛への固執は
問題化する権利要求を持たない。
7[一五六]
私の哲学は逆転したプラトン主義。真に存在するものから遠ざかれば遠ざかるほど、
より純粋に、より美しく、より良くなってゆく。仮象のうちなる生が目的。
http://www.capurro.de/platonismus.htm "Meine Philosophie umgedrehter Platonismus: je weiter ab vom wahrhaft Seienden,
um so reiner sch?ner besser ist es. Das Leben im Schein als Ziel." (N I, S. 180)
1870年末−1871年4月
(ニーチェ「遺された断想」『ニーチェ全集』第1期第1巻白水社267頁より)
ハイデガー『ニーチェ1』(細谷貞雄監訳平凡社ライブラリー214頁、
ドゥルーズ『差異と反復』邦訳文庫版上169,487頁、単行本102,490頁参照)
http://deleuze.web.fc2.com/DR-1.html <現代哲学の責務は「プラトン哲学の転倒」として定義された。ところが、
プラトン哲学の転倒には、数多くのプラトン哲学の特徴が保存されている
のであって、これは、たんに避けることができないというだけでなく、望
ましい事態でもある。>(ドゥルーズ『差異と反復』邦訳単行本p102)
…
「(プラトンにおける)弁証法(問答法)はイロニーであるのだが、この
イロニーは、問題および問いに関する技術である。」(p109)
…
(p114)「プラトンは最初にプラトンを転倒させるもの」であり、ソピ
ステスにおいて「見せかけを深く究めることによってその見せかけがオリ
ジナルあるいは範型から区別できないということを証明している。
「逆転したプラトン主義」も「プラトンの転倒」が
プラトンの残滓を含むものであることは、そのとうりであります。
イデ―なるものを問題にする限り、GDのそうです。
ベルグソンンの「物質と記憶」の記憶が、想起(プラトン的な)の残滓であります。
「の」は「も」です。
マルクスの発見した「価値」というものが、「あるものを生産するのに
必要な平均的労働時間」から淵源する、というとき、ある「抽象的な量」
をプラトン的に実体化して「価値」といったとも言えます。
資本論の体系に述べられているものが「ある構造」である限り
何度も反復される、とドゥルーズは言い、いまやとうとう「世界資本主義市場」
の実現化を目の当たりにして、資本主義の研究は、我々の世界胃の構造の
研究であるように思います。
(キャピタリズムでなくマネタリズムという人もいます。)
「胃」は除いてください。
1980年代から社会学に於ける「構造機能主義」の衰退、および
経済学における「近代経済学」の解体が進行した時期、
時同じくして、「ポストモダン」と言いう考え方が発生したわけです。
歴史的変化の予兆のようであり、10年後ソビエトは崩壊しました。
これほどドラスティックな変化に気づかずにいる訳にいかないです。
現代の我々の社会の「考古学的地層」がなんであるかを、探る方途
をドゥルーズ以降のわれわれが「構造と生成」の観点からみること、
それが失われた「具体的環境」の代わりの「情報化」しか世界が与えられてない
ことに抗して考えることができるかどうか、が彼の去った後の、我々の課題であります。
「しか」は「としてしか」です。
「現代日本の文化人類学」が当然存在しうるわけであります。
http://blog.goo.ne.jp/tgalmoh/e/0aae1a658b9b8ce771a4958da331266e/?cid=ce77573b192b3a0a636308db164e0dda&st=0 『スピノザと表現の問題』より
『知性改善論』はデカルトの方法、それが用いる推論あるいは内含の方法、それが援用す
るいわゆる明晰・判明性の充実に対する根本的な批判を含んでいる。明晰な観念は事物の
特質の確実な認識以外にはわれわれに何も与えない。そして原因についての消極的な認識
以外にはどこにもわれわれを導かない。「ある事物の本質が他の事物から推論される知覚
があるが、それは十全な仕方ではない」、「われわれは結果の中に考察されるものを除い
ては、原因について何も理解しない。すなわち、このことは次のような事実から十分に明
らかである。つまり、そのとき原因はもっとも一般的な言葉によってのみ、たとえば、従
って何らかのものがあるとか、従って何らかの力がある等々によってのみ示されるという
事実である。あるいは人が消極的な仕方でそれを指示する事実から、たとえば、従ってそ
れはこうではないし、ああではないという事実からも明らかである」…これらの引用にお
いて、デカルトとその方法に対して向けられていないものは一行もない。スピノザは結果
の認識から原因の認識へと満足のいく仕方で進むことができるとは思っていないので、明
晰・判明性の充実を信じていないのである。
千葉も國分もドゥルーズがわかってねえ
山森さんは別な
http://deleuze.web.fc2.com/DR-1.html 第二章 それ自身へ向かう反復
「反復は、反復する対象に、何の変化ももたらさないが、その反復を観照する精神には何らかの変化をもたらす。」
(『差異と反復』単行本p119)
参考:
http://blog.livedoor.jp/iwantobelieve/archives/67915918.html <必然性はつねに原因と結果に帰せられているので、そういう因果の関係にあるとされている二つの対象に目を向け
て、それらが置かれている自体の全てにわたって、これらの対象を吟味してみる。二つの対象が時間的、場所的に近
接していること、また、原因とよばれる対象の方が結果とよばれるもう一つの対象よりも先行することに気づく。さ
らに視野を広げて、いくつかの実例をひっくるめると似かよった近接と継起の関係にあることに気づく。反復作用は
すべての点で同じというのではなく、新しい印象を生み、さらにそれによって、いま吟味している観念を生むことを
見出すのである。なぜなら、たびたび反復してゆくと、対象の一方が現れれば、心は習慣によって規定されて、それ
にいつも伴っているものを考えるように、それも初めの対象との関係のゆえに、はるかに強い明るさで考えるように
なるのがわかるからである。そうすると、必然性の観念を与えるのは、この印象、いいかえるとこの規定なのであ
る。>(ヒューム『人性論』中公クラシックス、岩波文庫『人性論』1:3:14,第一巻241頁参照)
ていうか『動きすぎてはいけない』を読むかぎり、千葉雅也はドゥルーズ的な
発想とは関係ない人でしょ。どうしてドゥルーズで博論を書いたのか分からない。
あれは論旨は違えど、バディウのドゥルーズ論と同工異曲だよ。
バディウ直系の思弁的実在論なんか持ち出してさ。
率直に言って、ラカンで博論を書けばよかったのに、と思う。
佐々木中がルジェンドル以外関係ないのと一緒
別に誰が何やってもいいのでは
ルジャンドル
ジル・ドゥルーズの哲学: 超越論的経験論の生成と構造 山森 裕毅 (2013/6/25)
これはどうなの?
2ちゃんねらー院生が推したい本
利害関係は明らか
>>77 読んだよ。印象論で悪いけど、なんかもっさりしてる。
シャープに本質を衝くって感じが一切無い。
相対比較だとまだしも國分のドゥルーズ本のほうがまし。
大きく間違ってはいないんだろうけど、独創性はゼロ。
よくある祖述的紀要論文だね。
そうですか…。ガタリの記号論について
書かれているようだったりするので、
ちょっと興味があったのですが…
でもそういう祖述者は國分タイプの本を嫌うと思う
>>80 そういう関心があるなら、読んでみたらいいのではと思います。
79はあくまで主観的な感想(超越論的経験論の生成と構造という題にしては、
単なる祖述だよなあ、構造分析ないやん)に過ぎませんから。
ドゥルーズ『差異と反復』におけるコギト論 山森 裕毅
PDFで公開されているので、関心がある人は読んでみれば?
人によって感想は違うでしょうから。
祖述本はもっとあってもいいでしょう。
國分本は祖述本のような顔をしながら
明言せずに結構選別してるので、ある意味危険な本
>>85 國分さんって、ワン・アイディア突破主義なんだよね。
『ドゥルーズの哲学原理』なら「自由間接話法=ベルクソン的な、
個別の対象にぴったり寄り添う思考法=その都度一回限りの方法なき方法」とか
「ダイヤグラム=自在に伸縮する権力」とかで強引に読み解こうとする。
だからオリジナリティはある。ただ、そのアイデアが局所的なもので、ドゥルーズ読解に
新たなスタンダードを打ち立てたという印象はない。ベースは標準的なドゥルーズ解釈を
踏まえているから、ダメとも言えない。だから微妙な読後感なんだよ。
宇野邦一とかの本に比べたら遥かにクリアカットだとは思う
ガタリ&ネグリ系左翼が曖昧模糊としすぎなんだと思う
昔に比べたら使える英語文献も増えたからなあ
それが大きいんでしょうね。
英米の人はわからないものでもわかるまで咀嚼しようとしますからね。
山森にしても世代のトップではあるんだろう。
その世代で最もかしこい人だけが残れるからね。
>>83のPDF「ドゥルーズ『差異と反復』におけるコギト論 山森 裕毅」
を通読した。しかし冒頭部で躓く。
以下の引用部分の「コギト」は「ひび割れたコギト」「崩壊した自我」「流産したコギト」のこと。
「本稿の主張は次のようなものである。(1)コギトは『差異と反復』全体を貫く
もっとも基本的な構造である。コギトは、ドゥルーズ哲学のなかで存在と生成を
一挙に捉える概念として捉え返されるのだ。つまり、コギトがなければ、生成も
ない。(2)またコギトの基本構造を取り出すことで、個別のテーマ群(時間、生
成、現実性と潜在性、思考、超越論哲学など)を結びつける俯瞰的な視点を提示
できるだろう」
山森さんはこうしたモチーフを、あくまで『差異と反復』の祖述的要約から引き出す。
つまり、A→B→Cというドゥルーズの論述と、a→b→cというドゥルーズの論述があった場合、
A=a、B=b,C=c とみなして構わないというかたちで論を進める(上のPDFを読めば分かる)。
しかし、ドゥルーズの論理構成としては、「潜在的なもの、理念、問題」が論理的に先行するはず
だと思うので、「流産したコギト」がそれほど特権的な地位を持つとは考えにくい。
やはり山森さんは、『差異と反復』の本質的な理解に達していないのではないか?ということで判断保留。
何を持って本質的な理解としているのか
>>93 >しかし、ドゥルーズの論理構成としては、「潜在的なもの、理念、問題」が論理的に先行するはず
>だと思うので、「流産したコギト」がそれほど特権的な地位を持つとは考えにくい。
>>93 以下の点についてあなたの所感は?
(1)コギトは『差異と反復』全体を貫くもっとも基本的な構造である。
(2)コギトの基本構造を取り出すことで、〔……〕俯瞰的な視点を提示できる。
山森さんの引用箇所は論理的におかしいのではないか。
(1)コギトは『差異と反復』全体を貫くもっとも基本的な構造である。
は、「コギト=最も基本的な構造」となる。
ゆえに、(2)コギトの基本構造を取り出す
は、「最も基本的な構造の基本構造を取り出す」となる。
「最も基本的な構造の基本構造」って端的におかしいでしょう。基本構造のインフレーション?
曖昧なモチーフの提示の仕方なわけで、山森さんの本を読んだときの隔靴掻痒感はこういうところにも
現れている。
それはさすがにテキストが読めないレベルのイチャモン
>>97 あなたはPDFを読んだの?
そもそも山森さんの言う「構造」は、構造主義的な意味での構造ではない。
「図式」といえばすむ話ですよ。しかし、『差異と反復』は、批判的であれ、
明らかに構造主義的な構造を論述の骨子に据えている。そこを分析しなければ
もの足りないと思う。祖述的方法の限界だと思うね。
それこそ「図式」なんていったらカントが絡んできてややこしいことになるのに
そのあたりが突っ込みのための突っ込みにしか見えない理由だよ
>>99 では「構図」でも構わない。「構造」はないよ。構造分析は
できていない。山森さんは構造主義が分かっていないと思う。
せめてこう書かないとおかしいでしょう。【】内を修正。
(1)コギトは『差異と反復』全体を貫くもっとも基本的な構造である。
(2)コギト【という】基本構造を取り出すことで、〔……〕俯瞰的な視点を提示できる。
誰々は何々がわかってないという主張には大いに警戒している
こういう場ならなおさら
>>92を訂正:「ひび割れたコギト」→「ひび割れた私」
>>102 警戒はおおいに結構だけど、検索すればすぐに読めるんだからPDF読んだら?
「ドゥルーズ『差異と反復』におけるコギト論 山森 裕毅」
読みもしないで、人の所感にはあれこれ言うってのは、
それこそ「突っ込みのための突っ込みにしか見えない」よ。
興味深い議論だがついていけてないので補助線として以下参考までに、、、
「〈差異〉は…〈規定作用ソノモノ[私は思考する]〉と〈それが規定するもの[私の存在]〉
とのあいだの先験的な〈差異〉として発見される…」
ドゥルーズ(Gilles Deleuze, 1925年1月18日 - 1995年11月4日『差異と反復』第二章、邦訳142頁)
「コギトは哲学的になった共通感覚(サンス・コマン)である」
ドゥルーズ(『差異と反復』第三章、p.170、邦訳210頁)
「…より完全には、〈疑う自己たる、私は思考する、私は存在する、私は思考するもの(レース)
である〉である。これは、デカルトが理解していたように、つねに更新されてゆく〈思考の出来事〉
である。」
ドゥルーズ(『哲学とは何か』第1章、邦訳37頁)
AntipodeSI @AntipodeSI 58分
3年前ドゥルーズ読んでも意味不明だった。自伝のなかでDが学生に「サルト
ルやってもいいけど、まずはプラトンから始めなさい」みたいに指導してた
という記述を読んでプラトンからサルトルまで…というよりもう色んなもの読みまくった
ドゥルーズって自伝なんて書いていたっけ。
106 :
104,追記,:2014/03/10(月) 04:23:54.27 0
「疑いつつ在る(我は思惟しつつ存在する Ego sum cogitans)」
スピノザ( 『デカルトの哲学原理』)
「私は思惟する事物である 」
ライプニッツ(『人間知性新論』4:2 みすず368頁 )
「我思われる、故に我あり」
フランツ・バーダー((Franz Xaver von Baader、1765-1841全集12,16)
http://www.members.shaw.ca/jgfriesen/Mainheadings/Baader.html 「わたしは考える、それゆえそれは存在する(コギト・エルゴ・エスト)」
ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer、1788-1860、『続意志と表象〜』第4章)
「我思惟す、ゆえに我万人なり(Cogito, ergo omnes sum homines)」
フォイエルバッハ(Paul Johann Anselm von Feuerbach, 1775年11月14日 - 1833年5月29日。
『理性論』IV§17、邦訳『理性と認識衝動下』)
「我思う、ゆえに我ありと思う我がいる(Cogito cogito ergo cogito sum
われ思うとわれ思うがゆえにわれありとわれ思う)」
アンブローズ・ビアス(『悪魔の辞典』)
「Sum, ergo cogito(私が存在する、ゆえに私が考える)」
ニーチェ(『悦ばしい知識』(Die Fröliche Wissenschaft)§276)
「我思うゆえに他者あり(コギト エルゴ エス)」
ラカン(「ファンタスマの論理」セミネール14)
「我思う、ゆえに、そこにすでに我なし」
福岡正信(1913年2月2日 - 2008年8月16日『無2 無の哲学』1985,春秋社、22頁)
「われ思う ゆえに われ見る(コギト エルゴ ヴィデオ Cogito ergo video)」
ゴダール(『映画史』1B)
>>82 何をもってして構造分析というかうか私にはわからないが。
感覚・記憶・思考という構造があるんではないか?
私は賛成しないが。
受動的総合が単独の概念として出てこないんだな。山森さん。ライプニッツ側から
の論述であり、フロイト的になるが、それはコギトに関与していない。
ドゥルーズの「差異と反復」はドラマ的手法に貫かれて書かれており、
最初の面倒な「差異」及び「反復」を概念として成功させるための
長いエピローグから始まって、序・破・急において最初の提題の
回答が最終章にいたって、結論される。いわく「表彰代理現前とは何か」
「概念の阻止とは何か」の答えが端的に述べられている。
よく読めばわかるよ。うっかりするよ。それが分かればOKね。
ポスト・モダンは「ポ・モ」などと言われているが、はやりのモードではない
ことが,解ってくる。生産主義的合理主義の経済成長は先進国では
必ず鈍化し停滞する。このころから、「資本」は「マネー」に代わり、
「マネーゲーム」へと金融市場に投機され始める。いわゆる
80年代のバブル景気と苦い不良債権の時代に入る。
この産業動態はかなり普遍的であり、アメリカ・中国にもあった。
米はリーマンショックのこと。そろそろ危ないのは中国だ。
かなり地価が上がり住宅価格が上がっており不良債権化した
物件が多くの残る。今の所の中国の消費者物価は安定しているが
通貨当局の介入もそろそろだ。
キャピタル→マネーの変化が起きるころには、
資本主義は必ず不可逆の変化を生じる。それの理論的先取りが
「資本主義と分裂症」なのだ。
P・S
先週中国では為替相場に当局が介入しすごいドル買いをしてたね。
もうそろそろ「コンドラチェフの長期波」の底を抜けるはず。イノベーション
が生産性を上げるはず。労働の生産性ではなく資本の生産性に変化した
戦略が伸びるつてになる。
113 :
考える名無しさん:2014/03/11(火) 08:44:47.90 0
守中高明 @ladissemination 12時間
つい最近「お前の研究するデリダの思考とツイッター上でのお前の立場はどう
整合するのか」と揶揄されたので、一度だけ明言しておきたい。ここでの私の
行動原理=倫理は、谷川雁の言葉を逆転させてかつて柄谷行人が言った「孤立
を求めて連帯を恐れず」である。現在の危機的状況下での自覚的選択である
>>29 研究者になりたい奴は東大に来て
そこで切磋琢磨して、全国に教師として散らばることが王道だよな
わけのわからん大学でやってどうすんだって話だ
俺らの知らん奴をどう評価しろとw
>>114 日本語読めないのか?
東大は違うと思ってるのか?
東大本郷はドゥルーズ研究にそんなに向いていないと思う
そもそも昔はフランス哲学が鬼門だった
>113
いや、ツィッター上じゃなくて
デリダデリダと言ってる御仁が法学部の非常勤講師弾圧政策に
加担している事との整合性ですよ
「揶揄」じゃなくてまっとうな批判だろがこのドアホ
問題のすり替えしないで
安倍と癒着してる総長に反対声明のひとつでも出してみろ
東大ってフランス文学やってた人が総長になったことがあるんじゃなかったっけ?
>>114 かわいいガールとかのキモイggrksの人?(すっとぼけ)
123 :
考える名無しさん:2014/03/12(水) 13:03:16.63 0
709 名前:考える名無しさん :2014/03/12(水) 12:58:42.66 0
ed. azert @editions_azert 10時間
光文社古典新訳文庫の近刊に、スピノザ『神学・政治論』。吉田量彦訳、
全2巻。
http://www.kotensinyaku.jp/nextnumber/index.html … 《『エチカ』
と並ぶスピノザの主著を、画期的に読みやすい訳文と豊富な訳注、詳細な解説
で読む。待望の新訳!》
710 名前:考える名無しさん :2014/03/12(水) 12:59:54.22 0
『神学・政治論』(全2巻)(スピノザ/吉田量彦・訳)《近刊》
本書でスピノザは、聖書のすべてを絶対的真理とする神学者たち批判し、
哲学と神学を分離し、思想・言論・表現の自由を確立しようする。
『エチカ』と並ぶスピノザの主著を、画期的に読みやすい訳文と豊富な
訳注、詳細な解説で読む。待望の新訳!
光文社古典新訳文庫って
いまいち信用できない
「資本主義と分裂症」に頻出する「分裂者」という訳語の原語は"Schizophrène"でいいの?
schizophrenieだよ
ウィキペディアに書いてある。
Schizophrénie〔スキゾフレニー〕は題名の「分裂症」なのでは?
私は「分裂者」の原語が知りたいのです。
「(精神)分裂症患者」に相当する仏語はSchizophrène〔スキゾフレヌ〕です。
原書確認を他人にさせたいだけかよ!尊大だな!
初歩的な質問すいません
ドゥルーズの本に「映像=運動」とか「問題=構造」とかいった「=」で結ばれた語句が出てくるんですが
これはどういう風に捉えたらいいですか?単純にイコール・同じものと考えたらいいのでしょうか?
>>127 schizoと書いてあることもあるけんど、schizopre’neとも書いてある。
>>129 代数記号じゃなく、「この文脈ではすなわちそれは」という風に読んでみる。
>>129 ベルクソンが似たような記法を使っているのでその影響。
>>132 田島訳「物質と記憶」に「運動=感覚図式」と翻訳されているが、原文では
「−」(ハイフン)である。(sensor-moteurだし)、「観念=運動」(p79)
も”ideo-moteur"が原文。”=”の記法って具体的にどこにあんの。
まさか原文読んでないわけないだろうな。具体的に例を挙げて。
日本語訳で”=”でも原文は違うよ。
129です。答えてくれた方有難うございました
211 :考える名無しさん:2014/03/16(日) 16:51:37.65 0
東浩紀 hiroki azuma @hazuma · 12分
デリダの問題は、シリアスとか無意味だとシリアスに言ってしまうということにあって
(本人はその限界を「散種」「郵便葉書」などで超えようとしていたと思うが)、
しかも晩年は本当にシリアスになってしまったので、
デリダの弟子たちはみんな単にシリアスできまじめな連中になってしまった。
東浩紀 hiroki azuma @hazuma · 12分
その結果、日本ではいまだに思想誌で「ドゥルーズの時代」とか特集が組まれる始末だ。
國分くんや千葉くんなど派手な新世代が現れているドゥルージアンがうらやましい。
デリディアンはいったいどうなったんだ?
アカデミズムに閉じこもって正しいことだけ言うのがデリダ的なのか? まったく・・
4月10日発売予定:『表象08』特集=ポストメディウム映像のゆくえ : ウラゲツ☆ブログ
http://urag.exblog.jp/19565516/ ◆【小特集】ドゥルーズの時代
共同討議:『ドゥルーズの哲学原理』と『動きすぎてはいけない』(國分功一郎+千葉雅也+堀千晶+佐藤嘉幸)
デリダ的「戯れ」自身がシリアスな意味で「無意味」に思える。
「戯れる」こと自身に根拠がないように見えてしょうがない。
フーコーもドゥルーズも翻訳が完全に完了。デリダだけダメ。世間がそう思うのか
全然大事な本が出版されてない。誰一人として「グラ」を翻訳しそうにもない。
デリダサイドでは、ダメで終わる人ばかりなのだろうか?
『Glas』と『絵葉書II』の翻訳が出ないことにはデリダの全貌が日本に現れたとは言えないな。
資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書) [新書]
水野 和夫 (2014/3/14) 777円
フーコー
「わけても偉大なものとみえる二冊の書物、『差異と反復』と『意味の論理学』について語らね
ばならない。たぶんあまりの偉大さ故にであろう、それを語るのは至難の業だし、また、語って
みせたものもほとんどいはしない。思うに、この著作は、他を圧する比類なきいま一つの徴候た
るクロソフスキーのそれと謎めいた共鳴を響かせつつ、ながらく人びとの頭上を旋回するであろ
う。だがおそらくはいつの日か、時代はドゥルーズ的なものとなっていよう。」
(劇場としての哲学 蓮実重彦訳 Theatrum philosophicum 「クリティック」誌、282号、
1970年11月、邦訳フーコーコレクション文庫3:299頁)
http://1libertaire.free.fr/MFoucault244.html 《Theatrum philosophicum》 Michel Foucault
l me faut parler de deux livres qui me paraissent grands parmi les grands : Différence et
Répétition, Logique du sens. Si grands sans doute qu'il est difficile d'en parler et que peu
l'ont fait. Longtemps, je crois, cette oeuvre tournera au-dessus de nos têtes, en résonance
énigmatique avec celle de Klossowski, autre signe majeur et excessif. Mais un jour, peut-être,
le siècle sera deleuzien.
ドゥルーズは「アベセデール」の日本語版DVDが出ないともの足りないな。
河出が頑張っていると期待したいけど。とりあえず、「アベセデール」は
著作権継承者が、書籍のかたちでの翻訳は不可と言っているらしいから、
DVDで出すほかないんだよね。
143 :
考える名無しさん:2014/04/05(土) 10:00:05.56 0
144 :
考える名無しさん:2014/04/05(土) 10:01:31.66 0
hat808/ハットハチマルハチ @hat808 14時間
4/5(土)13時〜、《第3回 『シネマ』を読む》(ジル・ドゥルーズ『
シネマ1*運動イメージ』読書会)@元町映画館2F/申込不要/参加費200円(同日の半券提示で無料)/
今回の範囲は「第5章」から「第7章」まで(邦訳127〜216頁)
http://www.motoei.com/
145 :
考える名無しさん:2014/04/05(土) 12:12:55.84 0
146 :
考える名無しさん:2014/04/06(日) 09:55:20.08 0
Takuya Kuratsu @columbus20 12時間
脱構築は極めて保守主義的でもある。なんで未だに白人男性のものばかり読んでいるのか。 #genroncafe
属人主義の限界だな。重要な考え方があるのなら、著作が翻訳されていようといまいと
その考え方で議論をすればいいだけの話だ。全貌wとか、人格評定でもやってんのか、
人物伝でも書きたいのか?
柄谷スレでDG非難してる人も属人主義だな
そりゃドゥルーズもデリダも古典であり、古典研究の一環としては全貌を「クリティックに」捉えないとだめでしょ。
「クリティカルに」が正しかった
スマソ
151 :
考える名無しさん:2014/04/08(火) 01:57:15.55 0
たいへんだね
蓮実重彦だったら、どれを読んだらいいですか?
映画関係か文学関係かで異なる
思想系は読まなくていい
映像の修辞学/ロラン・バルト著(蓮實重彦*・杉本紀子訳) [本]
「映画について」ではルイス・ブニュエル監督の「皆殺しの天使」を例に引き、
映画冒頭の『私ブニュエルはこの作品には何の意味もないと申し上げておきます』
という通告がまさにこの映画の定義であるとしながら、映画における「意味の宙吊
り」技法について考察を加えていく。
The Exterminating Angel Trailer
http://www.youtube.com/watch?v=ERHL5nzEMmM El Angel Exterminador (Luis Buñuel - 1962)1:33:18
http://www.youtube.com/watch?v=U0uxDJHLLOI 参考: <『皆殺しの天使』では、悪しき反復の法則が、、、、部屋の中に招待客をとどめる のに対し、
良き反復は、それらの限界を消滅させて招待客を世界に開く、、、、> (ドゥルーズ邦訳シネマ1、233頁)
*:
http://homepage3.nifty.com/okatae/nenpu.htm 4 月 駒場の東大教養学部文科二類(現在の三類)に入学。各科各類共通の第二外国語既修
クラスで二年間を過ごす。フランス語は山田爵。(「自筆年譜@」に「コンパの席で、
山田先生が「てめえら、フローベールの感情教育を知らねえだろう。感情教育ってのは終
らねえんだ」と威勢よくタンカを切られ、その一言が将来を決定する。」とある。)
@自筆年譜(「表層批評宣言〈ちくま文庫 〉」12月4日、筑摩書房、247〜252頁)
読むだけ時間の無駄
蓮見というのは「フーコー」についても、「過酷なまでの宙吊り」と評し、「他の言説には
いかなる責任も持たない。」「無意味である。」などと消極的な言表を繰り返し、
結局何かというと「生きるに値する生」、だけが主張である。結局ポスト・モダンは
GDの「マゾッホとサド」を先んじて翻訳した際の「倒錯」なるものから「倒錯者の戦略」
などという言辞を弄するが、結局は根は「サルトル」である。
かつてのポスト・モダン御三家のGDは「実在的経験」から出発し、フーコーは
社会的に分布する「言説」を扱うが、デリダは「エクリチュール」という最も狭い範囲
で批判ないし批評を行う。この点が三者を分かつ。
Powerは広義だね
監獄の誕生では精神的かつ肉体的矯正が議論されてる
フーコーにおいては「監獄の誕生」は「規律」によって、人間を統制するのであるが、
社会的に自由な意思のもとで服従を選択させられることで主体が成立する。こうした
「規律」社会は、十九世紀の資本主義勃興期の生産主体を均質に生み出すことに
寄与したが、その時代はもうすぐ終わるとフーコーは考えているとドゥルーズは言う。
今日的な「権力のダイヤグラム」は、電子技術・メディアによる「管理社会」であるだけ
ドゥルーズは示唆している。
この「管理社会」の本当の実在像がつかめないのだが。
ポス・トモダンの言説と歴史的背景を調べている。見つかったことは、先進国でGDPの伸び率が
が0.4%ぐらいになった「資本主義の限界生産性」の壁とともに、生まれてきたのでは?と思っている。
ポスト・モダンの歴史的背景は「経済成長の鈍化(成熟)」なのではないか、というテーゼについて考えている。
その理論でいくとポストモダンはもう役割を終えてるね
163 :
a:2014/05/13(火) 19:49:05.30 0
例えばイラン映画『パンと植木鉢』(1996)などはイランのポストモダンだと思うが、
イランのGDPにも似たような変化があったのだろうか?
>>162 これについてドゥルーズは資本主義は状況に応じて「公理系」を追加しうる、と述べている
ことが、ポストモダンの論理的な拡張的再定義を用意している。
>>164 日本語が変だ(自分)
「用意していることになる。」でどう?
>>163 映画における、「ポスト・モダン」について教えてください。
70年代にまだ冷戦下にあって、「世界資本主義市場」についての観点が生まれており、
それを考えることが急務と考えていたドゥルーズの予見どうり、現在では世界規模で
活動している「グローバル資本」(国際金融資本)の跳梁跋扈が実現しているだけなんだけども。
これを「ポスト・モダン」と考えているよ。
時代を区切ること自体に意味を見出すセンスがもう古いと思う
そういう冷笑がくだらない
古代とか中世という区分が無意味になるとは思えない
でも何で無意味にならないかは言えないんでしょ?
「センスの古さ」は時代との関係で決まる概念なので自己反駁
>>170 一般的にいえば、その時期ごとに生産様式や文化としての特徴的なまとまりがあるからそれを時代として区分する。
173 :
a:2014/05/15(木) 09:14:18.10 0
時代区分が無意味というのがポストモダン
ポストモダンをただの「いい加減な迎合主義」だと思ってる奴多すぎ
生真面目な左翼や右翼に多い
>>172 「中世」も「古代」も幅が広すぎて大雑把すぎるでしょ
もともと同時代を基礎づけるためにでっち上げられた概念に過ぎないんだから
176 :
考える名無しさん:2014/05/15(木) 10:40:47.27 0
例えば国民的ヒット曲が常に存在した時代があった
今はitunesやyoutubeで時代やジャンルを横断できるからそうした
ヒット曲は必要ない
一つの価値観を共有していない
これがボストモダン
近代化という共通の目的が失われ中心が複数になり方向性がランダムになるのは、
浅田彰が『構造と力』で図解したものだ
ただ資本関係、国家関係は楽観論を許さない
経済危機(不景気になれば*)があればすぐに中世に戻るだろう
中世も実は悪くないという人もいるが
*
個別国家間を総合した全体の成長率を考えなければならないだろう
>>175 生産様式、支配の構造、文化のあり方。
結構区分できることはあるんだよ。
一般的に、人間社会はさかのぼるほどにしたがって変化の速度が遅い。
石器時代など1万年の単位だし、日本でいえば貴族支配の時代も武家支配の時代も数百年単位だ。
幅が広いのには理由があるんだよ。
もちろん、区分の基準によってその広さは様々になる。
時代が離れている分、残されている資料も少ないとか
時代区分にも歴史があり、その歴史がどう構成されてきたか、
程度のことも自分の頭で考えられないバカ
>>178 無理するなよ。
歴史も時代区分の根拠もわからないまま、構造主義は新しくてカッコイイ程度のあたまで書くからバカにされるんだよ。
180 :
考える名無しさん:2014/05/16(金) 03:59:18.22 0
「中世」ならば、たとえば、日本封建制とフューダリズムは、
どこがどう同じなの?
181 :
考える名無しさん:2014/05/16(金) 07:45:35.47 0
佐々木中 @AtaruSasaki 20時間
江川隆男氏の新著『アンチ・モラリア』のゲラを読んでいる。絶対的ス
ピノティストとしてドゥルーズ=ガタリを斬り、絶対的ドゥルーズ=ガ
タリ主義者としてスピノザを撃つ。微温的な総合などない、真の哲学書。
時流に阿る自称哲学者はこの本で薙ぎ倒される。全員!私も全く無傷で
はいられないだろう…。
>>181 ここでいうのもなんだが、くだらねえなあ。
社会的にはまったく無意味な哲学で、倒されるの無傷ではいられないだの。
ネトゲーかよw
183 :
考える名無しさん:2014/05/16(金) 17:55:35.25 0
うんにゃ、哲学はもっと危険なもの
>>179 そんなことは全く書いていないわけだけれど
属人的な判断しか出来ない人だと言うことが
その一文で良く分かりました
185 :
考える名無しさん:2014/05/16(金) 20:17:23.38 0
≫歴史も時代区分の根拠もわからない
だから、たとえば封建制度といわれるものについて、
それを具体的に示してくれといっている。
抽象名詞不信か…
昔も今も人間のやることはたいして変わらない
188 :
考える名無しさん:2014/05/17(土) 02:17:30.45 0
>>180 封建時代に日本の仏教は、西欧のキリスト教みたいにはならなかった
信長が武力で仏教を弾圧しなければ、もう少し違う宗教(的)国家になってい
たのではないか?
(神道や儒教はあるものの)仏教でアジア連合体が可能だっただろう
アジア版EUが困難な理由が封建時代にあった
(キリスト教の西洋での大きさは日本にいるとわからない
ニーチェやドゥルーズもキリスト教の圧倒的権威が前提にある)
ドゥルーズっておいしいの?
おいしいのはライプニッツ
ああライプニッツは食べたことある
でもおいしくなかったよ
192 :
考える名無しさん:2014/05/17(土) 02:38:36.15 0
封建制=契約社会ということでウェーバーは日本の封建制を
中国<日本<西欧、といった感じで評価していたはず
一応資本主義を用意したということだろう
(ちなみにドゥルーズの「キリストからブルジョアジーへ」はウェーバーを
意識していると思う)
柄谷も封建制を一応中間社会ということで最近は評価しているようだが
刀狩りによって民衆が去勢されてしまったとも考えているようだ
信長による武力弾圧(の成功)、秀吉による武装解除(の成功)が西欧になかったもの
で今日の日本を規定している
>>185 封建制度がなぜ時代区分になるのか、ということなら、支配と生産(流通)のあり方が違うからだよ。
どう違うかはwiki程度の知識でもわかるはずだ。
一般的な時代区分も、とりあえずwiki程度の知識で十分だから調べてごらん。
194 :
考える名無しさん:2014/05/17(土) 16:34:23.07 0
wikiのFeudalismの項目を見ても、
日本のことなど書いていないのだが…
195 :
考える名無しさん:2014/05/17(土) 17:18:17.83 0
その「wiki程度の知識」というのを、
コピペでいいから、教えてちょうだい。
ポストモデルヌとは「自己言及の隘路」のことです。
かつて哲学や文学を含めた芸術や政治、経済、宗教、理性、学問は自明のものとして存在していました。
それが自らの根幹を問う動きを見せ始めたのです。
そのれは既に十八世紀に始まっています。
フローベールやマラルメは「書くこと」の根幹を問い、マルクスの経済学は資本主義の根幹を問い、ニーチェは
キリスト教の根幹を問い、フロイトは意識の根幹を問いました。
蓮實重彥も云っていますが、モデルヌはポストモデルヌを内包しているのです。
歴史区分など無意味です。
失礼。
×そのれは既に十八世紀に始まっています。
○それは既に十九世紀に始まっています。
フローベールやマラルメ以前のバルザックやユゴーは「書くこと」に何の疑いも持っていませんでした。
200 :
考える名無しさん:2014/05/17(土) 20:07:25.31 0
封建制(ほうけんせい)とは、
中国など漢字文化圏における政治思想において主張された、周王朝を規範とする政治制度。
西欧中世社会を特徴づける社会経済制度であるフューダリズム(Feudalism)。Feudalismの訳語として、
近・現代になって、中国語の「封建制」という言葉を援用・転用したもの。
日本語版wikiでは、↑のようなことになっている。、
ようするに、フューダリズムを、封建制という漢語に訳した、
ということが、「時代区分の根拠」ということなのかね…
>>200 >>172 一般的にいえば、その時期ごとに生産様式や文化としての特徴的なまとまりがあるからそれを時代として区分する。
ということだな。
202 :
考える名無しさん:2014/05/17(土) 20:18:02.69 0
≫一般的にいえば、その時期ごとに生産様式や文化としての特徴的なまとまりがあるからそれを時代として区分する。
それはどういうものなの?
203 :
考える名無しさん:2014/05/17(土) 20:21:08.73 0
wikiは読んだから、「wiki程度」でないのであろう、
202さんのご高説をうけたまわりたいね。
たとえばフーコーは時代区分を否定しているんじゃなくて、歴史の連続性に疑問を投げかけている。
それは、地域的な特性を歴史段階に位置づけることを拒否するレヴィ=ストロースと同じ視線だということはできる。
さて、ドゥルーズは?
>>202 石器というきわめて限定された道具を使った石器の時代。
金属を取り出し加工するようになった青銅器の時代。
高度な金属加工ができるようになった鉄器の時代。
様々な材料の加工が可能となった多種多様な機器の時代。
たとえば生産のために使う道具という視点から見ればこういう区分が可能だ。
地方ごとに首長が権限を持つごく小規模の経済交流しかない初期国家群の時代。
各地域の生産力が上がって複数の共同体を束ねる中央権力が成立した封建制の時代。
中央の首長に経済力と権力が集中した絶対王政の時代。
経済的な発展が権力の集中を破壊した民主主義の時代。
たとえば経済の発展に伴う支配の構造の変化という視点から見ればこうした時代区分もできる。
206 :
考える名無しさん:2014/05/17(土) 21:04:12.33 0
≫各地域の生産力が上がって複数の共同体を束ねる中央権力が成立した封建制の時代
これが「wiki程度」ではないお説なのか?
はー、としか言いようないね。
>>206 封建制の説明してるんじゃなくて、時代区分の例を挙げてるんだよ。
封建制のことを知りたいなら、自分で歴史書を読めばいいんじゃないかと思う。
209 :
考える名無しさん:2014/05/17(土) 23:08:14.86 0
≫封建制度がなぜ時代区分になるのか、ということなら、支配と生産(流通)のあり方が違うからだよ。
≫どう違うかはwiki程度の知識でもわかるはずだ。
↑について、日本語版wikiに書いてあることは読んだから、
あなたがお考えの「wiki程度の知識」でないこととは、ときいているわけよ。
>>209 これだけ書いてるのにわからなければ、君が理解するのは無理だ。
中学社会から勉強し直してくれ。
鼻ジル・ドゥルーズ
あんち・おいでぃぷすの第三章はあれは時代区分なんだろーか
類型学だよ。ミル・プラトーではより詳しくなったいる。
それらはトポロジジックなものとして扱われる。
D-Gはマルクスの史観を踏襲していない。分裂者分析から見た類型学であり、あるいは
生産様式論にこだわらない。
マルクスならこう書いている((経済学批判)ーwikiより
「経済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、
および近代ブルジョア的生活様式をあげることができる。
ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の敵対的な、
といっても個人的な敵対の意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から
生じてくる敵対という意味での敵対的な、形態の最後のものである。
しかし、ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、
同時にこの敵対関係の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。
だからこの社会構成をもって、人間社会の前史はおわりをつげるのである。」
なんかジョン・レノンのイマジンみたいだ。
"Imason all the people living life in peace"
imagineだろ
大丈夫か?
このスレの住人たちw
英語でも数学でも、それを知らないこと自体にはなんの問題もないが、知ってる振りをするのはみっともないぞ。
寝ぼけてただけだ。
永遠のソーカル事件かと思ったw
『L'Anti-Œdipe』をフランス語の『アンティ=エディプ』と訳さず何故英語で訳してるのか謎です。
失礼。
英語では「エダパス」ですか。
ギリシャ語ですね。
なじみのある言葉に訳すのが普通だろ。
それにしても、シッタカばかりw
ドゥルーズスレってかつては「語学もできない馬鹿が来るところではありませんよw」なんて書き込みがあったもんだけどねえ
>>226 語学ができる思想音痴ばかりだったから、ちょっと突っ込まれると右往左往して逃げだしちゃったな。
>>225 フランス語で書かれた本なのだから横文字はフランス後にしないと──意図的な──誤訳だと思います。
ドゥルーズはギリシャ語を用いてない訳ですし。
>>228 日本語として読めるようにするのが翻訳というもの。
原語をカナ書きしても翻訳にならない。
日本語でも、アンチ巨人みたいにアンチは反という意味の接頭語として用いられるし、
オイディプスコンプレックスも外来語として用いられている。アンチオイディプスは
カタカナ語によるただの和訳だね。
グラを出す出版社・訳者は決まっているのだろうか?全然めどが立たないか?
232 :
考える名無しさん:2014/05/24(土) 15:27:49.56 0
nibuya @cbfn 12時間
ちょっと必要があって久しぶりにバタイユ著作集の文学論の訳書を読みかけ
て、この訳文がさっぱり分からないことに驚く。これで昔分かったつもりで
読んでたんだと・・・。残念ながらバタイユの原書は飛び飛びにしか持っていないので読み直しようがない・・・・
233 :
考える名無しさん:2014/05/26(月) 18:15:06.76 0
40 :考える名無しさん:2014/05/24(土) 20:07:22.97 0
ドゥルーズ=ガタリ ”Mille plateaux” 『千のプラトー』(河出文庫)
原始共同体の自給自足、自律性、独立、先在性などは民俗学者の夢でしか
ない。原始共同体が必然的に国家に依存するというのではなく、それは複雑
なネットワークの中で国家と共存しているのだ。どうやら本当らしいのは、
「最初から」各原始社会が、近隣だけでなく、遠方とも互いに関係し合って
いて、国家による捕獲は局地的かつ部分的なものでしかなかったとはいえ、
やはりそうした原始社会間の関係は国家を経由していたことである
税が経済の貨幣化をもたらすのであり、税が貨幣を作り出す
交換とは見かけだけのものである
ドゥルーズはガタリと組まない方が良かったかもしれない。
ガタリは滅茶苦茶だからね。
浅田彰は違う意見のようだ
浅田はラカンが好きだからね。
そりゃガタリ先生の精神分析が追加されるのは大歓迎でしょう。
ドゥルーズとドゥルーズ=ガタリは別物だが、ドゥルーズとガタリが個別書いたものを見ると
やはり独立した立場をとっている。「非意味形性的意味論」などガタリの書いたものはドゥルーズ
とは別物。読んであんまりすっきりしないけれど、ドゥルーズがガタリをどうこなしたか等検討中です。
「個別に」です。
千葉は一言でいうとガタリ寄りすぎる
>>239 >ガタリ寄り
ふむ。
詩的な表現だ。
韻を踏んでる。
241 :
考える名無しさん:2014/05/28(水) 15:05:18.94 0
その程度のフレーズに著作権を主張するバカにはつける薬がないと思う
特に3.11以降はそこら中で聞かれるフレーズじゃん
アイデア自体に著作権は存在しません
>>241 こんなものに助成金が出るの?
財政赤字が膨らむわけだ。
こんなものというのは、論文のレベルのことじゃなくて、分野のことだからね。
>何でも起こりうる世界で、どうにか生きていかなければならない
文科省が同じ事言ってるな
246 :
考える名無しさん:2014/05/30(金) 04:24:07.91 0
国公立大から文学部はなくすべきだとおもう
248 :
考える名無しさん:2014/05/30(金) 10:07:07.48 0
たとえば千葉雅也博士について疑問がある。
ドゥルーズの研究を深めたくて博士号を取ったのか、博士号を取るためにドゥルーズの研究をすることにしたのか。
目的と手段の入れ替わりが起きているようなら、人間失格だ。
高校生の時に、東大受験を計画していた頃からドゥルーズを極めたいと思っていたのかどうか?この問いの回答が否ならば、大学通学中に洗脳されて骨抜きにされた玉無し野郎だ。
俺のように17才の頃から世界制覇を目標にしていたのだろうか?
同じ左利きとして、恥ずかしい生き方をして欲しくない。まあ、俺のエゴだがな。埃は絶対に発生する。宇宙でさえ埃塗れ。誇りなんて穢れる。
海外で就職できなくて戻ってきたバカが騒いでるw
250 :
考える名無しさん:2014/05/30(金) 18:25:20.39 0
主体性も無く、子孫も残せない種無しホモロボット千葉雅也なんて、生きている意味あるのかね。生かされているだけだろ。
で、
>海外で就職できなくて戻ってきたバカが騒いでるw
同じ事、子飼弾に言ってみな。己の無知に品の無さを憶えず入られないだろう。
>>250 お前その発言醜い
快い欲望も体現されていなければ何らの必然性も無い罵倒
知らない酔っぱらいの立小便を正面から見せられた気分
その酔漢は半ば望み、半ば放心して匿名の通行人にその行為を見せている
252 :
考える名無しさん:2014/05/31(土) 00:25:15.59 0
嫌味な目、曲がった口元、頼りない肩、弛んだ腹、まばらな陰毛、しぼんだ陰茎、垂れた尻、崩れそうなふくらはぎ
253 :
考える名無しさん:2014/05/31(土) 00:26:57.80 0
口から漏れる細く断続的な吐息、散漫に飛び散る黄色い憔悴、突発的に成る波数の緩い放屁の音
訂正
有意味の感覚を任意の行動形で垂れ流す
255 :
考える名無しさん:2014/05/31(土) 01:27:19.95 0
>>251 腐った女みたいに泣いてんじゃねーよ。
若いうちから社会の異変に目が行き、志半ばで運命的な積み木崩しを天から食らう「獅子座」の典型人生飛行ルートについて無知だから、
千葉雅也は佐々木中氏にも目を付けられるんだろ。分かれよボンクラ。
何まともになってんの
ずるい
257 :
考える名無しさん:2014/05/31(土) 01:51:27.59 0
正しくあることが狡いのならば、己を偽り保身を選択する多くの輩はさぞかし「狡い」の反対、愚鈍なのだろう。
「獅子座」のマジギレも、キレまねも、両方実は「本気」だからな。手を抜いたり舐めてかかったりしない。
全力で殺す勢いで行く。分かれ。それが「獅子座」だ。
258 :
考える名無しさん:2014/06/01(日) 05:26:49.50 0
2ch運営のfox氏が、フィリピンまで飛び、Jimに「一体何が起きているのか」の詳細を聞きに行くらしいな。
身体の自由を失いつつあるfox氏も「獅子座」だ。
どうも、この板の書き込みは、もの凄く広範囲で、様々な人々に影響を与えている。俺の捨て身の奉仕精神も、意味が分からない。
そういうことで千葉雅也みたいな奴は、何がどうあろうと、嫌いだ。人を嫌うのに美的感覚と品性による判断以外の理由など必要ない。醜い人間が俺は嫌いだ。
252〜254 なかなかいいセンス。
260 :
考える名無しさん:2014/06/03(火) 20:53:03.41 0
ドゥルーズの「差異と反復」も差異=持続、反復=物質というベルクソン論だったのか
よく分かったな。それで嫌になるんなら,止めてもいいかもよ。あなたの自由。
徹頭徹尾ドゥルーズは、生気論(vitalism) a~me(魂)という言葉もDーRに出てくる。
そういうところが大好きなんだけどね、私は。
じぶんの主張がない奴にかぎって〜論書きたがる
264 :
考える名無しさん:2014/06/09(月) 20:32:43.46 0
265 :
考える名無しさん:2014/06/10(火) 16:42:12.96 0
千葉雅也 Masaya CHIBA @masayachiba 7 時間
小泉義之の新刊『ドゥルーズと狂気』のゲラを拝読中なのですが、これはやばいです。ゾクゾクする。ここには未来のテーゼがある。あちこちで、負けた!と思いながら読んでます……。必読。お楽しみに。
266 :
考える名無しさん:2014/06/10(火) 16:44:43.14 0
délire d’interprétation、délire de revendication、délire passionelleはそれぞれ解釈妄想病、復権妄想病、熱情妄想病というパラノイア圏の疾患名であって「錯乱」ではないことがドゥルーズ業界にもっと知れてほしいけど
267 :
考える名無しさん:2014/06/10(火) 17:02:48.24 0
千葉雅也が未来なんて言葉を使うこと自体が滑稽。まるで所有していない女体を手に入れようとしているかの如く虚ろ。
269 :
考える名無しさん:2014/06/11(水) 12:37:43.26 0
kumatarouguma @kumatarouguma 6月8日
繰り返すけど、私は世間の一般的な見方に反して、
ドゥルーズ・ガタリやデリダの「輸入」も、ましてや「文献学化」もまったくおわっていないようにおもう。そしてそれを中途半端な状態で、ドゥルーズは使うものだという変なことになったのが一番問題だとおもう。きちんと咀嚼することはますます必要
>>269 何度も繰り返すがデリダの「弔鍾」の翻訳はいつになる?
小林康夫などこの文献の翻訳をせずして、デリダについて何か語れる「権利がある」
などと、勘違いしているのではないか?鵜飼哲はパリ第8で
デリダに師事した人物なのだから翻訳には確かに適役だ。59歳だが、もう先が長くない
と言ったって、死後未完成の翻訳原稿が出てきても何もならないよ。
グラグラの人はグラなんて翻訳で読んでもあんまり意味ない本なんだから
さっさとフランス語勉強しろ
主題がヘーゲルとジュネだからドイツ語もいるやん
274 :
考える名無しさん:2014/06/11(水) 20:41:28.99 0
翻訳でたってよまないやつがうるせ
275 :
考える名無しさん:2014/06/11(水) 22:58:41.48 0
116 :考える名無しさん:2014/06/11(水) 21:05:27.42 0
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー 下』
(宇野邦一・小沢秋広・田中敏彦・豊崎光一・宮林寛・守中高明訳、河出文庫)
原始共同体の自給自足、自律性、独立、先在性などは民俗学者の夢でしかない。
「採集民−狩猟民−牧畜民−農耕民−産業人」という進化論は、たとえさまざまな分岐を含むにせよ、ほとんど信じがたい。かといって、「遊牧民−半遊牧民−定住民」という行動学的進化論の方がよいというのでもない。
たとえば、都市こそが農業を作るのであって、そのために集落を前提としなくてもいい。
277 :
考える名無しさん:2014/06/12(木) 06:25:51.54 0
ドゥルーズやデリダの研究で、小さな盗用で揉めることが
増えてるんじゃないか?
241や守中高明−郷原佳以のケースを見てのことだが。
これはドゥルーズ、デリダの読者が少なくなってる証拠だと思う。
ドゥルーズってロバート・デ・ニーロをどう評価してるの?
タクシードライバーを論じてたような気がした
>>278 ミル・プラトーに5行ぐらい動物への生成変化に関連して出てくる
281 :
考える名無しさん:2014/06/14(土) 14:50:26.78 0
Kim, Yi-Chul 金利哲 @kimarx 2 時間
接続と切断という図式の提示だけでドゥルーズを語ったつもりになる、無駄な
お喋りではなく、構造(接続)と実体(切断)は如何なる仕組みで両立し得るのか、
を説明する言葉が必要なのであり、その言葉を欠いたままでは、それは哲学でも理論でもなく、妄想だ。
282 :
考える名無しさん:2014/06/14(土) 14:51:41.35 0
146人がお気に入りに登録しました
千葉雅也 Masaya CHIBA @masayachiba 6月11日
小泉義之の新刊『ドゥルーズと狂気』には、日本語で書かれた最も明快
な『アンチ・オイディプス』の読解が収録されている。きちんとはっき
り分かる話になっている。生活に、人生に即した話になっている。こん
なの読んだことない。
283 :
考える名無しさん:2014/06/14(土) 14:54:50.88 0
kumatarouguma @kumatarouguma · 10 時間
7月の終わりまでにいろいろ目処をつけてしまいたい。あとは下書きで
放置している競馬とベルクソニスムで9月まで時間はたっていくだろう。今年もそれであっという間か。
284 :
考える名無しさん:2014/06/14(土) 14:56:33.75 0
志紀島 啓 @kay_shixima 5月6日
ドゥルーズの中のベルクソニスムを批判あるいは過小評価することに
よってドゥルーズを救うことが正しいのだろうか? むしろベルクソ
ンの影響を最大限認めた上でドゥルーズを批判するのが筋ではないか?
285 :
考える名無しさん:2014/06/15(日) 09:51:38.32 0
千葉雅也 Masaya CHIBA @masayachiba 6月11日
『ドゥルーズと狂気』は、「ですます」で書かれた講義形式。小泉義之の「ラディカリズム」がかつてない明快な形で提示される。
286 :
考える名無しさん:2014/06/17(火) 09:34:22.24 0
北田暁大 @a_kitada 9時間
よし、もう二度とフーコーとかドゥルーズとかラカンとかバルトとかデリダとかバルトとかブルデューとかラトゥールとかそこらへん引用しないぜ!
で、いっこうに困らない気がする。
288 :
考える名無しさん:2014/06/18(水) 20:52:24.07 0
kumatarouguma @kumatarouguma · 46 秒
しかしここから9月までは大切なので何事も焦らずしかしいろいろやってい
こう。学生と本を読むのは楽しいし、それでお金がもらえるというのはまっ
たくもって贅沢な仕事だとおもう。私はその意味でこの世に何の恨みもあり
ませぬ。よくないのか。しかし過剰な大学の仕事もしており、だけどそっちは
kumatarouguma @kumatarouguma · 15 秒
年齢を考えてちょっと整理したいなあ。あるいは重くなるかどうかなのだろ
うけどあんまり重くならないで学生と本を読める生活ができれば人生それで
いいなあ。某氏のように60くらいで大学やめてあとは好きに教える私塾を
開き、もうからなくとも最低限の生活ができるようであればそれでもよしとおもう。
289 :
考える名無しさん:2014/06/20(金) 08:09:42.06 0
とてつもない密度の新刊が出ました。『存在と差異――ドゥルーズの超越論的経験論』(知泉書館、2003年)、
『死の哲学』(河出書房新社、2005年)、『超人の倫理――〈哲学すること〉入門』(河出書房新社、2013年)
に続く第四作にしておそらくいずれ江川さんの主著と目されることになるだろう一冊です。版元ウェブサイト
に掲載されている発売日は2014年6月23日ですが、同社営業部さんに確認したところ、本日取次搬入とのことです。
最速で明日以降、書店さんの店頭に順次並び始めることになるかと思います。
アンチ・モラリア――〈器官なき身体〉の哲学
江川隆男著
河出書房新社 2014年6月 本体3,500円 46判上製368頁 ISBN978-4-309-24662-8
帯文より:ドゥルーズ=ガタリを哲学的に再構成し、スピノザ的実体にかわって器官なき身体を基底にした〈分裂的〉総合の思考を創出する新たなるエチカ。
推薦文(宇野邦一氏):スピノザからアルトー、D-Gにわたる「器官なき身体」という概念の深海を精緻に探索する大いなる冒険の書。
推薦文(合田正人氏):人間をやめよ、愛はそこにしかない。新エチカの衝撃。
推薦分(佐々木中氏):見よ、スピノザとD-Gが闘争する。江川隆男というこの妥協なき哲学の戦場!
290 :
考える名無しさん:2014/06/20(金) 08:54:58.46 0
永井均 @hitoshinagai1 · 6月17日
純文学と大衆文学があるように、純哲学と大衆哲学がある。『精神現象
学』や『存在と時間』が後者の典型だから難解さには関係ない。文学の
場合と同様、大衆〜の方が人生に直接役立つ。最終的なところで人々の
一般的通念におもねっているからだ。
永井均 @hitoshinagai1 · 6月17日
「おもねっている」という言い方が否定的にすぎるなら、「基礎を置い
ている」と言い換えてもよい。だからこそ役立つ。そこに疑問を持ち、
楔を打つ込み始めると、普通の人の人生には無縁のものになっていくだ
ろう。が、どんなジャンルでもそうだが、哲学も本当に素晴らしいもの
になるのはそこから先だ。
アホなオレに
レヴィ=ストロース
↓
ドゥルーズ、デリダ
への差異を教えれメガネども
デリダならエクリチュールと差異の
「人間科学の言説における構造、記号、遊び」
ドゥルーズなら無人島の
「何を構造主義として認めるか」
を読むのが速い
構造主義と自分の違いについて語っている
>>289 えーと、出てもいない本の密度がどうしてわかるの?
295 :
考える名無しさん:2014/06/26(木) 08:10:01.76 0
296 :
考える名無しさん:2014/06/26(木) 09:40:18.64 0
三浦哲哉 @miuratetsuya · 54 分
ちなみに私も20代前半、はじめてお会いした石岡さんの圧倒的なプレ
ゼンスにカルチャーショックを受けたひとり。ドゥルーズ『意味の論
理学』の勉強会が忘れ難い。ドゥルーズが註にあげた書物をかたっぱ
しから石岡さんが解説していくというかんじで。ほぼ独演会状態なのだが、すさまじかった。
三浦哲哉 @miuratetsuya · 59 分
「鉄っちゃん」でおられた幼少時代、「ゲーム」からすべてが始まっ
たことなど、自伝的な部分も本当におもしろく、感動的。これほど切
実な必要性に迫られて書かれた文化論は昨今ほかにないだろう。「文
化の民主化はもっと徹底されるべきだ」。
三浦哲哉 @miuratetsuya · 1 時間
フィルムアート社から恵投していただいた石岡良治『視覚文化「超」
講義』。すさまじい。おもしろすぎて汗が出ました。この先自分に書
くことが残されているのだろうか、と一瞬考えこんでしまった。
面白そうなんだけど
仮面ライダーにかかわってる人の本は
もういいなーという感じがします
すいません
>>287 「俳優のデ・ニーロはある映画(引用者註*)の一場面でカニの「ような」歩き方をしてみせる。しかし、当人の説明によると、
これはカニの模倣ではない。映像と、あるいは映像の速度と、カニにかかわる〈何か〉を組み合わせようというのである。
そしてわれわれにとって重要な点はここにある。つまり人間が動物に〈なる〉のは、なんらかの手段と要素を使って、
動物の微粒子に特有の運動と静止の関係に組み込まれるような微小粒子を放出する場合にかぎられる、あるいは、
これも結局は同じことになるが、動物的分子の近傍域に組み込まれるような微小粒子を放出する場合にかぎられるということだ。
動物に〈なる〉ためには自分自身も分子になるしかない。(以下略)」
──ジル・ドゥルーズ・エ・フェリックス・ガタリ『ミル・プラトー』「10章 一七三〇年──強度になること、動物になること、知覚しえぬものになること……」河出文庫 中巻 238-239頁
*…『タクシードライバー』
299 :
考える名無しさん:2014/06/26(木) 21:00:41.36 0
文学は、その本質において世捨て人の「学」である。しかし、政治学は、その本質において制度の学ということができる。(吉本隆明『丸山真男論』)
300 :
考える名無しさん:2014/06/27(金) 08:08:20.31 0
Kim, Yi-Chul 金利哲 @kimarx · 8 時間
新しい世代の傾向は「道徳化するポストモダン」といったところであろうけれど、これは日本の現代思想は殲滅されるまでもなく自壊したと解釈してもよいかもしれぬ。
301 :
考える名無しさん:2014/06/27(金) 08:13:39.93 0
千坂恭二 @Chisaka_Kyoji 6月23日
日本のフランス思想屋が、フーコーをやっていようがデリダだろうが
ドゥルーズだろうが、単なる学校という業界内の「お勉強」以上では
なく、思想のニセ物にすぎない所以の一つもここにある。むろん、そ
れに対応することしか出来ないベンヤミン屋のようなドイツ思想サイドも同類だが。
302 :
考える名無しさん:2014/06/28(土) 03:10:50.02 0
陸続とドゥルーズ研究の本が出版されるね
なんでだろ? フーコーやデリダとちがって売れるから?
>>303 現実に触れなくても、適当なこと書いてれば実績になりそうだから、じゃない?
ドゥルーズ自身は、必死になって現実に立ち向かったけどね。
>>299 機械圏としては、社会制度とても「それはいつも作動しているもの」である。社会制度自体も
マシニックな「プロセス」の中で常に「生成するもの」のうちにある。
今ここにある機器(機械)。
>>307 >文学は、その本質において世捨て人の「学」である。しかし、政治学は、その本質において制度の学ということができる。
柄谷行人の「日本近代文学の起源」では、文学は「装置」としてとらえれらている。
つまり、人間を主体化する「制度」的なものとしての文学である。文学だけ制度や政治に全然関係ないとは言えない、
とまで逆説的なことを論じるのだが、これはジル・ドゥルーズに観点からは、当然なのだ。
「プルーストとシーニュ」の「アンチロゴスまたは文学機械」においてマシニズムが語られている。
人間の形成というものを社会とともに考えるとき必ずこの考え方になるという「社会学のクリシェ」
は「制度と個人」と「役割取得」のディスクールである。ここには「人間」らしきもの」がいるのだが、
ドゥルーズ=ガタリはこの「制度」および「個人」というものの見方に対して、
無意識を含んだものとしてのマシニズムでは「モル的なもの」と「分子的なもの」という概念による
別の料理のの包丁を入れているわけだ。
非人称かつ前主観的な非主体的な「機械圏」では制度も個人もなく「主体項」は抹消済みである。
「日本近代文学の起源」(p126講談社文庫)
「『文学』、すなわち制度として絶えず自らを再生産する『文学』の歴史性
が見極められなければならないのである。」
310 :
考える名無しさん:2014/06/29(日) 09:09:18.49 0
猫飛ニャン助
@suga94491396
3.11以降の戦犯が吉増剛造(文化功労者)であることは先週土曜カフェラバ
ンデリアのイベントで指摘したが、より根源悪は松浦寿輝(紫綬褒章)だろ
う。松井らの師・ハスミは勲章拒否である。『ボヴァリー』だってうんざり
で読むの躊躇するが、『明治の表象空間』まったく読む気にならない所以。
猫飛ニャン助 @suga94491396 7 時間
@suga94491396 松浦は若い時、川村二郎を揶揄して川村湊とどう違うかと言
ったか(それなりに的確な評)、近年(二郎晩年)では、川村二郎は日本の
ジュネーブ学派だとか言ってもちあげていた。過去を知らぬふりしての、露
骨な擦り寄りが、紫綬褒章への道だろう。
>>308 >人間を主体化する「制度」的なものとしての文学
それ吉本と関係なさそうだけど?
吉本の考える文学は「制度」とは真逆といってもいいものなんだから。
>非人称かつ前主観的な非主体的な「機械圏」では制度も個人もなく「主体項」は抹消済み
たとえば吉本は、それを「共同幻想」として「制度」の根拠としていると思うけど、ドゥルーズはどうなの?
人間の自然な欲望をどこまで固定的にとらえるかということに過ぎないんじゃないの?
>>311 吉本教信者か。いかにも頭が固い。柄谷が理解できないなら議論の余地
ない。(あえて真逆なことも言えるんだ、という吉本古典近代主義への揶揄なのだ。)
国家の扱いはD=Gには別にあるんだ。
>>312 バカ発見。
というレスが適切かな?
柄谷なんか理解してもしなくても、吉本は言うに及ばずドゥルーズ=ガタリ理解にも無関係だろ?
でもせっかくだから、ドゥルーズ=ガタリの国家観を教えてくれよ。
絓秀実ツイッターなんかやってたのか
>>315 それは残念。
馬鹿呼ばわりしたつもりはないんだけどねw
ちょっと変なレスだったから、からかっただけ。
こんどは違う話題で楽しく語り合おうね。
>>315 柄谷行人は最も早くにポスト・モダンを高次元で把握して論壇に立った日本人。
アメリカでポール・ドマンに知り合う。
日本でポストモダンを論じるとしたら、引き愛にも出せる。NAMなんかどうでもいい。
文学は「世捨て人の学」政治学は「制度の学」という分配自体が、
哲学的原則から見れば、「制度」なのだ、とGDは言うだろう。
>>317 >文学は「世捨て人の学」政治学は「制度の学」という分配自体が、
>哲学的原則から見れば、「制度」なのだ、とGDは言うだろう。
そんな見当違いのこというかなあ?
それとも、ドゥルーズって個人と共同性の区別がつかないのかな?
320 :
新62期:2014/06/30(月) 00:59:13.75 0
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. i{ ● ● }i
八 、_,_, 八 働けよ穀潰し
. / 个 . _ _ . 个 ',
_/ il ,' '. li ',__
321 :
新62期:2014/06/30(月) 01:06:29.94 0
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. V V
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八 、_,_, 八 働けよ穀潰し
. / 个 . _ _ . 个 ',
_/ il ,' '. li ',__
>>319 文学は「芸術」政治学は「科学」に充当されるだろうが、
世捨て人の「学」制度の「学」といった場合、
学問分野として分配された「学知」に充当され、
たとえば「文学部」「法学部政治学科」というように
制度的に領土化される、とは言いえないでしょうか。
324 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 09:49:03.83 0
立花史 @FUHITOT · 6月27日
翻訳は、頭がよくてフランス語ができる学者が訳していても、本当に原文の
内容が、日本の読者に読まれるべき重要な思想を含んでいるんだという信頼
がなければ、やはり訳はどこかずさんになりやすい。
立花史 @FUHITOT · 6月27日
ランシエールのマラルメ論は、前半の訳が粗い。「神秘の詩学」は、ランシ
エールなりにマラルメの詩学を定式化している箇所で、タイプ、イデー、ア
スペクト、シンボル、メタファーといった鍵語の説明があるんだが、このあ
たりがひどく読みづらい。我慢して理解すると後半はだいぶ読みやすいんだ
けども。
325 :
新62期:2014/06/30(月) 10:13:18.19 0
1日1回「新62期 中本裕之」と各種サイトで検索しよう
「新62期」のサジェストに「中本裕之」が出てくるようにしよう
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326 :
新62期:2014/06/30(月) 10:14:57.13 0
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新62期:2014/06/30(月) 10:15:58.90 0
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新62期:2014/06/30(月) 10:17:38.50 0
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329 :
新62期:2014/06/30(月) 10:19:22.13 0
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新62期:2014/06/30(月) 10:20:59.38 0
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新62期:2014/06/30(月) 10:23:07.47 0
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新62期:2014/06/30(月) 10:26:24.42 0
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>>323 学というのは学校で教えてるから学なんじゃなくて、自分が個人としてその分野に集中していくから学なんだ。
学校で教えるか教えないかは、個人の追求に環境的な制約を加えるかどうかの問題に過ぎない。
ちなみに、その制約を自分の利益と考えるかどうかはその個人次第だ。
制度というのは共同体がその個人を観念的に拘束し、場合によっては共同体としての物理的な強制力によっても拘束するものだ。
その制度の学というのは、そうした共同体の成り立ちと在り方を追求するものになる。
まさに丸山真男が追求していた内容だ。
文学は個人としての自己の性的な関係や自己と共同性に対する関係を掘り下げていく。
その自己と共同性との関係の追求の中に「制度」の問題が文学として表われる場合がある、ということになる。
334 :
新62期:2014/06/30(月) 17:49:53.90 0
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>>333 それはそれでいいが、ポストモダンではない。あなたフーコーを読んでないでしょ。
>>341 ポストモダンであるかないかなど、なんの意味もないw
そんな程度の分類で何かがわかると思っちゃいけないよ。
フーコーだって自分はポモなんかじゃないって常々言ってることだし。
>>342 世の中別に何も考えなくていいんなら、好きにノベル読んで、自分で小説書けばいい。
だが、断じてあなたは「そんな程度」を超えることはなかろうな。
>>343 人を罵倒したからって君になにかがわかるわけじゃないよ。
悔しがってる暇があったら
>>333に対応させた自分の考えを提出してごらん。
僕が「そんな程度」を超えようが超えまいが、自分で自分の考えを築き上げてきたことは確かだし、ポストモダンとかに縋りついて自分の価値を高めようなんてしたことはないよ。
ポストモダンだの新しい哲学だのという「分類」に縋りついてるのは、日本という幻想に縋りついて自分の存在価値が高くなったと思い込む愛国奴隷と同じなんだよ。
>>343 罵倒なんかしてないよ。本当のことを言っただけだし。
長い間自分で考えてきたことに照らして、実際的に、こうだろうということだけだ。
>>345 言い訳なんか探してないで、自分できちんと自分の考えを提出してごらんよ。
話はそれからだ。
吉本信者っぽい「自立」の要求
>>347 なんだ。
結局、自分の考えを提出できないのか。
雑談を交わしてもいいんだけど、あまりおもしろい会話になりそうもないな。
もういいや。
349 :
考える名無しさん:2014/07/01(火) 08:44:23.21 0
1968 パリに吹いた「東風」
―― フランス知識人と文化大革命 ――
リチャード・ウォーリン
福岡 愛子 訳
■体裁=A5判・上製・カバー・432頁
■定価(本体 4,800円 + 税)(未刊)
■2014年7月25日
■ISBN978-4-00-025985-9 C0022
フランスの毛沢東主義者たちはアルチュセールの影響を受けつつドゴールの
権威主義に反発し,文化大革命に煽られて急進主義に走り,「5月革命」後の
新しい社会運動を先導していった.構造主義の台頭で精彩を欠いていたサルトルが勢力を盛り返し,バルト,デリダ,クリステヴァ,フーコーなどのポストモダン思想が開花した.
350 :
考える名無しさん:2014/07/01(火) 08:46:51.73 0
贈与論 他二篇
マルセル・モース
森山 工 訳
■白228-1
■体裁=文庫判・並製・カバー・496頁
■定価(本体 1,140円 + 税)(未刊)
■2014年7月16日
■ISBN978-4-00-342281-6
贈与や交換は,社会の中でどのような意味を担っているのか? モー
ス(1872−1950)は,ポリネシア,メラネシア,北米から古代ローマ
,ヒンドゥー等の古今東西の贈与体系を比較し,すべてを贈与し蕩尽
する「ポトラッチ」など,その全体的社会的性格に迫る.「トラキア
人における古代的な契約形態」「ギフト,ギフト」の二篇と,詳しい注を付す.
351 :
新62期:2014/07/01(火) 09:12:24.54 0
1日1回「新62期 中本裕之」と各種サイトで検索しよう
「新62期」のサジェストに「中本裕之」が出てくるようにしよう
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352 :
新62期:2014/07/01(火) 09:19:40.82 0
1日1回「新62期 中本裕之」と各種サイトで検索しよう
「新62期」のサジェストに「中本裕之」が出てくるようにしよう
そうすれば「新62期」で検索した全ての人に中本のことが知れ渡る
353 :
新62期:2014/07/01(火) 09:25:28.45 0
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354 :
新62期:2014/07/01(火) 09:29:30.23 0
1日1回「新62期 中本裕之」と各種サイトで検索しよう
「新62期」のサジェストに「中本裕之」が出てくるようにしよう
そうすれば「新62期」で検索した全ての人に中本のことが知れ渡る
355 :
新62期:2014/07/01(火) 09:29:59.81 0
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356 :
新62期:2014/07/01(火) 09:32:04.79 0
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357 :
新62期:2014/07/01(火) 09:35:38.77 0
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358 :
新62期:2014/07/01(火) 09:37:01.39 0
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359 :
考える名無しさん:2014/07/01(火) 11:23:10.01 0
田中美知太郎名言集 @TNKmttR · 6月30日
パラドクスのような言い方になるが、理論は空論であれば空論であるほど、かえって実践を求めるというようなことになるかも知れない。『実践によってということ』
360 :
考える名無しさん:2014/07/01(火) 15:43:48.66 0
早大“グルーヴィー”アナキズム研究会
@Wa_Bastaa1111
江川隆男の『アンチ・モラリア』、ヤバ過ぎマンだべ、これ。久々に本読んで鳥肌立ったわ。この本は、100年後も語り継がれていくし、いかれるべき書物。
361 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 02:07:00.63 0
nibuya @cbfn · 13 時間
メイヤスーなんて、パンク気取りのエコール・ノルマル・エリートの御用達思想家みたいな人、そのうち翻訳攻勢がかかるのか、翻訳なんて業績にも換算してくれない手間仕事、もう誰もやらないか。
362 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 05:00:03.01 0
ツイッターのコピペに質問してる人って暑さにやられてるの?
>>364 紹介してる人に聞いてるんだろ?
なんのために紹介したの、って。
366 :
新62期:2014/07/03(木) 00:03:46.43 0
ブサ女
367 :
考える名無しさん:2014/07/03(木) 12:31:41.47 0
清水高志 @omnivalence 6月30日
『アンチ・モラリア』江川隆男、こりゃまた根性入った本だなぁ。。
368 :
考える名無しさん:2014/07/03(木) 12:33:49.98 0
巻頭におかれた次の言葉は本書の性格を良く表しているように思います。
「本書は、読者が一般的に期待するような存在や出来事についての装飾
的な考察は一切ない。あるのは身体の骨と血だけである。つまり、本書
は慰めの書ではない。本書は、21世紀の〈エチカ〉を目標とする書物で
ある。本書は、哲学をめぐる思考に久しく欠けていた無仮説の原理につ
いての書物である。したがって、本書は、まったくの総合の書物である
。というのも、哲学は、人間の総合の力能のうちにしか成立しえないか
らである。それゆえ、総合の書物は、つねに読み難いものになる。本書
は、現実のさまざまな事例的問題に応用可能な、したがって経験的な哲
学的議論や経験主義的適用の方法などについては、まったく無関心であ
る。本書の目標は、もっとも批判的で創造的な原理を探求し、その原理
からの多様なものの産出を概念化し、その総合的原理を構成することに
ある。本書は、哲学に蔓延する経験論的発想、言語と記号への形而上学
的な経験的欲求、個々の人間や社会の日常過程のすべてを支配する経験
主義、実践という名のすべての意見や見解、こういった事柄に対する配
慮を欠いている。欠いていないのは、無仮説の原理と、人間の思考と身
体であり、また哲学活動そのものをなす総合的思考である。欠いていな
いのは、多様な宗教や民族を超えた統一ではなく、自然が本性上もつ無
神論的総合である」(12頁)。
ポチった
小泉のドゥルーズと狂気もあるし
夏は安泰だ
370 :
新62期:2014/07/03(木) 23:17:53.97 0
371 :
考える名無しさん:2014/07/07(月) 21:02:11.86 0
ジル・ドゥルーズ『スピノザと表現の問題』
(工藤喜作・小柴康子・小谷晴勇訳、法政大学出版局)
われわれには、表現の評価におけるライプニッツとスピノザの間の諸差異か、それともポスト・デカルト的な哲学を基礎づけるためにこの概念に訴えたという彼らの共通性のうちの、どちらがより重要であるかを、主張することはできないのである。
372 :
考える名無しさん:2014/07/08(火) 08:34:36.13 0
『アンチ・モラリア』江川隆男
本書は、読者が一般的に期待するような存在や出来事についての装飾的な考察は一切ない。
あるのは身体の骨と血だけである。
つまり、本書は慰めの書ではない。
本書は、21世紀の〈エチカ〉を目標とする書物である。
本書は、哲学をめぐる思考に久しく欠けていた無仮説の原理についての書物である。
したがって、本書は、まったくの総合の書物である。
というのも、哲学は、人間の総合の力能のうちにしか成立しえないからである。
それゆえ、総合の書物は、つねに読み難いものになる。
本書は、現実のさまざまな事例的問題に応用可能な、したがって経験的な哲学的議論や経験主義的適用の方法などについては、まったく無関心である。
本書の目標は、もっとも批判的で創造的な原理を探求し、その原理からの多様なものの産出を概念化し、その総合的原理を構成することにある。
本書は、哲学に蔓延する経験論的発想、言語と記号への形而上学的な経験的欲求、個々の人間や社会の日常過程のすべてを支配する経験主義、実践という名のすべての意見や見解、こういった事柄に対する配慮を欠いている。
欠いていないのは、無仮説の原理と、人間の思考と身体であり、また哲学活動そのものをなす総合的思考である。
欠いていないのは、多様な宗教や民族を超えた統一ではなく、自然が本性上もつ無神論的総合である
373 :
考える名無しさん:2014/07/08(火) 08:45:49.68 0
『アンチ・モラリア』江川隆男
本書は、装飾的な考察は一切ない。
あるのは身体の骨と血だけ。
本書は慰めの書ではない。
本書は、21世紀の〈エチカ〉を目標とする書物である。
本書は、無仮説の原理についての書物である。
本書は、まったくの総合の書物である。
哲学は、人間の総合の力能のうちにしか成立しえない。
総合の書物は、つねに読み難い。
本書は、応用可能な、経験的な哲学的議論や経験主義的適用の方法などについては、まったく無関心である。
本書の目標は、もっとも批判的で創造的な原理を探求し、その原理からの多様なものの産出を概念化し、その総合的原理を構成すること。
本書は、経験論的発想、経験的欲求、経験主義、実践という名のすべての意見や見解、こういった事柄に対する配慮を欠いている。
欠いていないのは、無仮説の原理、人間の思考と身体、総合的思考。
欠いていないのは、無神論的総合
>>372 この人、ずいぶん古典的な哲学を目指すんだね。
「役に立たない現代哲学」にいらだって、先祖がえりしちゃったのかな?
その人は「役に立たない哲学」を標榜してるんじゃないの
そう読めるけど
人生訓書き(内田とか)を批判してるんでしょ
>>375 「役に立たない」はそう読まれるのか。
社会の変革に寄与しない、ぐらいの意味だったんだけどね。
でも、確かにカント、ニーチェ、ハイデガーなんかは人生訓的かも。
宗教以外で社会を変える力がある哲学は、マルクスぐらいだもんね。
377 :
考える名無しさん:2014/07/08(火) 23:32:35.12 0
nibuya @cbfn · 7月5日
ここ二三日久しぶりの本格風邪で這う様に暮らしてまして『アンチ・モラリア』のような高度思考パズル系の本は集中出来なくて、勝手にベケット三部作の光景をそこに予想してます。超越論的機会原因論の或る極限的ヴィジョン・・・? ま、これも勝手な想像に過ぎません。
378 :
考える名無しさん:2014/07/08(火) 23:54:35.69 O
その自分で見いだした人生訓をハイデガーやニーチェは利用できたのかな
利用しようと意図する事自体いわば頽落かもな
>>372 ドゥルーズにかぶれて頭をやられると、こんな頭の悪い文章を平気で書けるようになるいい例だな
380 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 08:45:36.87 0
>>379 ていうか、
これ完全に、ドゥルーズ&ガタリのパスティーシュだよ。そんなこともわからないの?
381 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 08:52:56.33 0
ということは無仮説は嘘ということか
中身がないのに文体だけ似るのをパスティーシュと言いくるめるのは、
パクリをオマージュと言いくるめるのより悪い
>>382 パスティーシュに市民権を持たせたいだけだろ?
日本ではパロディで十分なのにさ。
384 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 11:01:16.83 0
385 :
飛べ!!イナリズシpw126255004091.9.panda-world.ne.jp:2014/07/10(木) 11:19:56.32 i
386 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 12:28:59.75 0
小笠原晋也 @ogswrs · 7月6日
Bon soir à tous ! 幾つか御質問をいただきました.まず『存在と時
間』の邦訳についてですが,わたしが読んだものは絶版のようです.
昨年新しい翻訳が出ているようですが,わたしはそれを見たことはあ
りません.基本的に言って,Heidegger を読むためにはドイツ語を知る
小笠原晋也 @ogswrs · 7月6日
必要があります.Heidegger のみを読むためにドイツ語を習得し,Lac
an を読むためだけにフランス語を習得することは,する価値のあるこ
とです.わたしが目にしたことのある邦訳は,Heidegger も Lacan も,
それだけでは何も理解できません.原文を隣に並べて並行して
小笠原晋也 @ogswrs · 7月6日
読まなければ何も理解できません.そして,それらの邦訳が如何に誤
訳に満ちているかを発見するでしょう.ハイデガー全集の邦訳もその
誤訳の多さは『エクリ』に負けていませんでした.ドイツ哲学や神学
を専門的にやっている人々が翻訳しても,Heidegger の邦訳はその程
度のものなのです.
>>386 >それらの邦訳が如何に誤訳に満ちているか
>ドイツ哲学や神学を専門的にやっている人々が翻訳しても,Heidegger の邦訳はその程度
この人って誇大妄想なの?
自分がすべて正しいと思うのは自由だけど、ここまでくるとちょっと危ないね。
388 :
考える名無しさん:2014/07/11(金) 08:27:59.03 0
389 :
考える名無しさん:2014/07/12(土) 03:40:45.50 0
ドゥルーズと精神分析 モニク・ダヴィド=メナール 2014.08.27
ドゥルーズと狂気 小泉 義之 (2014/7/14)
アンチ・モラリア 江川 隆男 (2014/6/23)
動きすぎてはいけない 千葉 雅也 (2013/10/23)
ドゥルーズ ジャン=クレ・マルタン (2013/5/8)
全部河出か
>>389 そこそこ売れんだろうねえ
ソースは買ってる俺なんだけど
>>390 適当なこと書いときゃそれなりに売れるんだろう。
もちろんここに紹介されてる本のことじゃないが。
なにより、ドゥルーズなら無害だ。
392 :
考える名無しさん:2014/07/14(月) 09:24:35.54 0
あべあきら @akiradicalism 18時間
小泉義之『ドゥルーズと狂気』読了。『生殖の哲学』をはじめとする思索に兆
していた「モンスター(礼賛)論」としての著者の生の哲学が、「単独者」と
しての著者一流の律動/反復とイマージュ/錯乱をつうじて追究される「実践」の書。圧倒的な怪(快)著だが、集大成ではない、あえてそういっておく。
393 :
考える名無しさん:2014/07/14(月) 09:27:29.23 0
こもん @commonko 13時間
小泉義之『ドゥルーズと狂気』、ぐいぐい惹き込まれて半分ぐらい読んでしまったの
394 :
考える名無しさん:2014/07/15(火) 12:30:33.07 0
395 :
考える名無しさん:2014/07/15(火) 12:32:35.83 0
ますやま @askrec 7月14日
小泉せんせのドゥルーズと狂気、講義文体だから読みやすいかと思いきや意外と難儀してやっと半分。いつものアジビラみたいな文章のほうが入りやすいのなぜかしら。
買ってみた。江川先生の本。「器官なき身体」に対する思い入れは、前から強かった。
読んでみて原則論として、「器官なき身体」から考えて、すべてのものを批判する、という立場が分かる。
極論だが、勉強になります。こうした原則論による「解体」の徹底性はすごい。
ミル・プラトーの第三章「道徳の地質学」におけるチャレンジャー教授は、その講義の自己解体の結果
「シルエットはくずれて、ほとんど人間のものとは言えぬ姿勢になり、」自身を解体し尽くしていなくなってしまう。(p94)
これはドゥルーズの「ギャグ」である。
ミル・プラトー14章を見てもすべてが完全に「平滑空間になってしまう」
ことはありえず条理空間と平滑空間は「事実上混合しており」(p531)それらの混合の比率のモデルを考察している限り、
「戦争機械」に向かって完全に純化されたりはしないのが現実だと思う。
「アンチ・モラリア」いつも疑問であった所を、思い切って単独「突破」した、という感、がします。
それが正解かどうかわかりません。「器官なき身体」を「スピノザ的実体」より先行するもの
とみております。(そうは書かれてないです。A.・O下p206)
小泉さんの本も買いました。物凄く、でなくてもドゥルーズ=ガタリについてシャープな見解
がでてくるのか、と思いきや、各流儀の精神分析(医学)の学説史の講義でした。
>>390 素人向けの本だ。よく自分で吟味すれは、発見はあるだろうから。
400 :
考える名無しさん:2014/07/16(水) 12:44:30.09 0
kumatarouguma @kumatarouguma · 7月14日
ポストモダン一派なんてこの程度ですよと言いつつ、そこで独自かを探ること。自分が何かやったと思ったら終わり。私見では吉本以降全部ダメ。もちろん自分ものがれませんよ。
>>400 何ですか。「吉本」も「俺」もダメ、って、凄いレベルの御仁なんだな。
>>401 「以降」という言葉は普通はそう読むけど、この人はたぶん吉本を外してる。
じゃあ、「以降」の使い方が間違ってるのかというと、それもきわどいところで、吉本がデビューした時代からという意味で書いたんじゃないだろうか?
他に適当な言葉を見つけられなかった、に1票。
もっとも、吉本のデビューは戦後わりと早い時期だから、戦後の思想は吉本以外はみんなダメ、という極めて適切な指摘だろう。
もちろん戦前には思想なんてものは、日本になかった。
ちなみに、この「以外」というのは、もちろん吉本本人を含みようがないんだけど。
以降とか以外とか、文部省制定の意味に使うのが一番いいかも知れない。
>>402 その言い方だと「戦後」のものは、全部否定じゃないですか。私は戦後のものも認めます。
あんなに多くの読者を持った「吉本」は、その政略的な狡さは、見るに見かねるにしろ、
物凄い勉強家だった。相応の才能と努力の人ではあった。多分ドゥルーズも全部読んでいる。
「相応の才能」と「努力」が401にあったんなら、それだけの影響力を持った著作があるんでしょうからその
本の題名を教えてくださいよ。吉本ほど世に知られた著作活動を401はここまでなさったんでしょうか。
吉本に限らないよ。柄谷でもいいし。国分だって江川さんだって私は認めてますよ。
「俺」がだめなのはかまわないが、いっしょくたにスンナっていう人は多いんじゃないですか。
404 :
考える名無しさん:2014/07/16(水) 23:31:14.43 0
自分のことなんか云わないで、
たんに読者としてダメと言えばいいんだよ。
とはいえ、私としては、吉本、柄谷には、いいかげんうんざりしているが、
國分だのというのと、比べようとは思わない。
著作がどうこう、と言う人は、ようするに、タレントはテレビ出ているから偉い、
というのとほとんど同じ発想なんだな。生業にしていて、あの程度じゃ、
まるでお話にならん、というのが、率直なところであろう。
國分なんかはまだ若いんだから、同時にフランス語と英語と日本語で
書きゃいいだろう。書く手間は大変でも、考える労力が三倍になるわけではないのだから。
たいがい、鎖国的引きこもり内弁慶なんかやめたらどうか。
>>403 >多分ドゥルーズも全部読んでいる
吉本はドゥルーズをそんなには読んでなさそうだ。
主要著作の3、4だろう。
それも人に勧められて読んでみたと書いている。
当然とはいえ、結構バカにしてる。
「吉本」に政略的な狡さを見る理由はわからないが、外国思想に寄りかからずに自分の哲学と思想をくみ上げたことは確か。
kumatarougumaが誰だか知らないが、この人はそういう意味でみんなダメだと言ってるんだろう。
確かに、日本の哲学者、思想家から海外を差し引いたらなにも残らない人ばかりだ。
吉本のはコンプレックスの裏返しの反外国に過ぎない
マタイをわざわざマチウと書くあたりに、そのコンプレックスが良く表れている
だから容易に日本万歳に転化した
何だろうか?「さまざまな意匠」の小林秀雄も外し、埴谷雄高も外し、何もかもダメなはずが
ないだろに。逆に言えば、「吉本」は醜くも生きたところを十分割り引いてもいいんだ。
自立思想なんて、言わでもがなだった。「毒を盛る器」とも言われていたんだ。