1 :
ニートたけし:
色即是空空即是色
もちろん信仰はしないけど哲学として凄い、と、この歳にして今更ながら思った。(ニーチェも絶賛)
無知の知やデカルトの考えとも共通する。
仏教哲学ていうのは西洋哲学と被っているところがあり
宗教より哲学性が強いから方向として仏教そのものより
仏教哲学に傾倒する人もいる。法華経や華厳経なんかは西洋哲学とは違う
思想があるが論としては龍樹などは西洋哲学と近い考え方しているよね
ちんこまんこ童貞
4 :
考える名無しさん:2013/10/23(水) 19:46:49.04 0
>>2 仏教は実践であって、学問化してもあまり意味ないと思う
>4
そういう考え方もあるが哲学的な部分に注目してもいいんじゃなかろうか
ギリシア哲学も筋肉美を追求する肉体的鍛錬と一体化したものだったんじゃないの?
7 :
考える名無しさん:2013/10/25(金) 23:12:18.35 0
>>1 哲学とか思想として掴むもんじゃないですね
仏教思想とか言ってるのは、倒錯もいいとこ
西洋で近いのは哲学の妄想を鎮めるといったウィトゲンシュタインと
確実に仏教の影響を受けてるピュロンだと思う
ヘッセのシッダールタにも仏教思想は体験するものだと書いてあった希ガス
そもそも仏教は「哲学」じゃないから仏教哲学なんて呼び方は日本では変だ
生き方の中から学び取ってゆくもので、観念論的なものじゃないからね元々
10 :
考える名無しさん:2013/10/26(土) 03:34:32.67 0
ロリコンーーーー生きー使命ーーなしよおおーー今までーどおもーーありがとおよおおーーよおおーーよおおーねーーー
なんてことよーーこんなとこにーー中山美穂のーー格言がーあるよーーちんこーまんこーーろいさnーーりrさんーーおわのーーろりこんーーおいかけてーーねーーー
中山美穂ーー怒るーーよおーーよおーーよおーーこおどもーーにーーつけられるからーーー?
本当にーーー繋がるかーーどうかーー森永ーにいーーでたーーやせーーやせーてねーー秘密ーのーー秘密ーのーー非人ーーいけがやもだーーおわだーねーーー
ただーーのー
11 :
考える名無しさん:2013/10/26(土) 03:35:25.17 0
保険ーー勧誘ーーのーーバカ村ーーのおーとーーのーー貧乏ーー沖縄ーがーーあんなのーーー?
どおわーーしてるんでしょねー。。中村ともこーーもごもごーーほっかーーほせーーばかよーはーねーー。。おわーーおわーーあもーーもりけんでーーー?
とおきょーーあほのー
きちじょーじーーかんゆーーですよーかーーコカですよーードイツのよーーかーおわーーともこももちゃんもーねーーーおもりーー、、おわーー青森ーー死骸ーーやろおどもこーーとかーーどおわねーーやっぱーーロリコンーこおえーーですよーーねーおわーーーおわーーおわーーー
エピロー祇園ーーー?キイボオじゃねーーー?言うーー炉離婚もーーりーさんーーー?りいさんーーー?りいさんーーー?
ロリコンーーいなくなるくらいならーーー平凡ーーじかーー襲えーーじゃーー暴力団ー全部よーおわーーぼうりきーーかんこおもよーーーへんよーー真砂わーーチャコーージャアニーーのーーばかうえーーかーー?
ごろつきーーコカインーー襲うーー否認ーー非にんーーーまさほー
ひであきよおーーーのにょおのおーーでしおーーー?。。おわのーー界隈ーー葉山のーー意識ーーあるーー?のおーー?ねーーのおちんぼおーーー?
韓国襲いーだーー恨まれつーよーーあのこーあのこーのーーー?きもいーおかまじかーのー
恨みーうけとけーー?のーばかでそおーーー?ねーーこおけんーー右翼ーこけんーー
動かしたーーー?コカでーー襲うんだーー三千代さんーーいいわけないよーねーおわーーろりこんもーーー
12 :
考える名無しさん:2013/10/26(土) 08:19:04.49 0
13 :
考える名無しさん:2013/10/26(土) 13:17:24.46 0
(笑)
14 :
考える名無しさん:2013/10/26(土) 16:07:14.46 0
かんじざいぼさつ、ふかきはんにゃーはーらーみったーをぎょうじたまいしとき、ごうんはみなくうなりと
しょうけんしたまひ、いっさいのくやくをどしたまへり、しゃりしよ、
しきはくうにことならず、くうはしきにことならず、しきはすなわちこれくうなり、
くうはすなわちこれしきなり、じゅ、そう、ぎょう、しきもまたまたかくのごとし
15 :
考える名無しさん:2013/10/26(土) 19:25:02.70 0
観念書いーーてーーぼっきょおーーー徒ーーのーーぽりんもおーーもおーー硫化水素ーー硫化水素ーー硫化水素ーー還元ーのおーーちんーー韓国ゴミよおおーーねーーー
美穂ーーちゃんーー頑張らないーーよおおーーよおおおーーーよおおおーーおわよーーこおどもーーおわよーーねーーー
仏教よねーー笑うよーーわさごーー三千代ーーねーーわーーいーでーーさいこおーーねーー娼婦でねーーー
淡いーーきこたんもおーーどこーーどこーー中堅ーー言いふらしーのーーバカロリコンーよーーしの他ーー園田ーーあこーーバカよーー浮気よーーもおーもおーーー
天気のーあほとーーかーおわーーかーーあこーー天気でねーー
おめこちゃまこーーロオテーヂョンーーおわーーのーー家ーーー?僕のー僕のーー僕のーーぼきのーーのおちんーーのーーおわーのーーぼおーのーーおわーのーーぼおーのーーロオテーヂョンーのーーおわのーーロクデナシーんちーーー?
ぼおのーぼおのーーどぶろくーよーーきこんともーーこーもおーー栃木研究ーーのーー内部のーくずよーーどをわーーよおーーかーおわーー園田くんかーーあこーーおわよーーあこもーねーー
さいなあらーー歳馬場ーーぞくおかーーー
16 :
考える名無しさん:2013/10/26(土) 19:39:00.26 0
おわこーーーわおこーーーどないーー思ってーーるのーー?被害のーー男どもこのことおーー。。sこーーーこおーーこおーーー?
韓国よーーー男まうらうおーーーよおーーよおーよおーー魚屋還元ーーー追浜ーーーこーこーー魚見ーーくんーー悪いんかーー、。。。。。の
ーーバカ普賢さんーーいるよーー中華ごめーのーあほよーーみくたんーー普賢さんーロリコンよおーーおとーさんーねーーー
韓国人ーーもおーもおーーあてになれへんーーーねーーーねーーーねーーやさしーー研究ーー者ーーこおーこおーーこおーーのーー変質ガキ三浦三浦ーー三浦ーーみたいーーーおわーー研究者ーーー事故ーー込めーーー園田もよーーー
右翼ーー還元ーーにーするからよーーロリコンーーきこもーー裏がーーよこすかよーーのーーえへーーーのーーエターー?あこのーー?
ねーーロリコンのーー際がおーー災害ーサイババーー六本木ーーテラスーー?きもいーーこーーもりもだーーーこもりもだーーとかねーーー
17 :
考える名無しさん:2013/10/26(土) 19:40:32.07 0
ろりーーてんーーとーいえばーーキチガイーーどおわーー僕のー鬼たまのーーロオテーションーー
おわのーーおわのーー僕のーー僕のーーロオテーションーーロリコンー僕のーー僕のーーロリコンーー僕のー僕のーーぼおのーーになるよーー僕のーーロリコンーーうるせーーかまいーーじかーおわこーーーおわこーーおわこーよおーーーー
みんなでーーロリコンーもおーーもおーー鎌倉ーーはくえーーチョンーのーー韓国ーー出来いーーーおわのーーぼっきょーー中華よおーかーーー
そんなんでーー普賢さんーーロリコンダモンーーもおーー50だもんーー助からないよーでるよーーみなーこーーみなこーーねーーー
ウェザーーーーニュースーーでーー園田ーがーー国分太一。。くん三浦ーーなーー魚屋ーーー?なーーロリコンだあれーー?
うっせーーくずどもこーのよーー守るーなよーー当てこおーーーこおーーこおーーー
ぼおーぼおーーのーー僕のーーろおーーてーしょんーーろおなーーろおなーー僕のーーまんこなーー僕のーろおてーしょんーーボムのーー
ろおーりいーーこおーーんーーにしかーー守らせてないよーーうせーーがきこーめーなんかーー?韓国ーー韓国ー艦ーーーのーーおめこーだとおーー?
さとうさとこーがーーっとーーいうわーーロリコンかーーさとこもーーくずだーー。。。かあーーかあーーけんたんーーさとおくんよーーさとおくんよーーのこのこーーくんのおーー?あのこーー。。のーー
田舎絞りー馬鹿目ーー野川ーーバカだーーどおわだーーおわだーー野川さんーー葉山のばかーーのがわーーねーーー
近所ーのーー寝技ーーロリコンがーー狂わすーーわーー狂うよーーさとおくんーー向かいのもーーさとおくんよおおおーのーー右翼エターーさとこーー買うなーー買うなーーのー買うなーーエタくずよーどおわーーカラスーーねーー
18 :
考える名無しさん:2013/10/26(土) 19:48:46.13 0
ろりこんーでーー女がーー狂うのかよーー。。とーかのーーくんーーほろくんーーひろくんーーーねーーー
きもいーーどおわーー買うなーー買うなーーーよおおおおおおおおーーよーー普通ーーどおわーーわーー三崎こおーーーーもおーーおわーよーーわおーーおわよーーねーー
人にー国外ーーさせておいれーーー。。どおわーーわーー言うよーーいうよーーロリコンーとこーーとこーーとおこーー中だしーー亀カメラーーもおあるよーーかーーー
ぱあーーねーーカメラーーもつ鍋ーー、、モツなよおーー韓国ーーカメラーーよおおおおーでーー才能ーもーないのにーもちだづよーーとかー安亀ーあしひっぱりーーばっかよーーー
上島ーー衛ーーってーー馬鹿三浦ーのーーなんこーーつーーどおわーーおわーーぱーーーのーー部類よおーーねーーきおいーきもいーー
川谷拓三ーーなー。。。エタミウラーーなーーかおよーーねーー川谷くんおわーーーおとーーさんーねーー上島わーー。。のーーもーーばかどおわーー野川ーーー
19 :
考える名無しさん:2013/10/26(土) 19:50:09.55 0
ねーさいてーー。。。こどもーー飼いならしーーのがわーー娼婦ーーシープーー買い習いーーとかいうよーーさちこさとーーカラスこえーー
こどもーー売りとーーっさんーーー韓国人ーーいないーーいんしーよおpーーでもーーどおわーー韓国ーー艦馬鹿ばっかーーもーーさとうさちこーのーーどおわーー安いーつきあいーーどおわーーおめこーどおわーーかいーーー
ずるいのよーーまじでーーー。。いーいーおわのーー人殺しーーかめてるー仏教よねーーでーー煮使いするよーー野川ーおわーよーもおーー三浦のーー宮川ーもよーー
ねーーどおわーー韓国ーーしごとのーーほおこーーよーー?じゃsーーだめーーおまんこーおわよーーさとおさちこもよーーねーーねーー
こどもーーうるせーのからーーおわーー。。にーおいだせなーーあいつーとかーーどおわーー上島のよおーー全部よーおわーー上島ー亀ーー娼婦だよーー?ないーーどおわー主婦よねーーー
おわーーー主婦よねーーのーー二膳ー戦いだってーー。。。女ーおわーー全部よーーロリコンモヨーーー
20 :
考える名無しさん:2013/10/26(土) 19:58:20.67 0
中華ーーーー鶴見ーおーおーおーーPPPーーPPPーーでーー殺しておしまいーーのーー幸子ーーさとおよーねーーけんたんーー野川ーねーーー
ずっとーー三浦でーー三浦でーー見てるー艦ーのーー殺してーー。。おわーーーおわーーうるせーー韓国のーーこおーーこおーーこおーーごおごおーーみてーにーー
ほせーー国分太一。。。くんーーコカで蘇ーーすよーーすよーー危ないよーモーメントーーとかいうーーどおわーー嫁ーーおわーーどおわーーー
悪いーーーさとおさんーーのーーこんにゃくやーとかーーほんとにーーいうのよー
エロもーー?のーーさとおさんー野川ーーさちこーーだったーー。。さとうさちこーーー?ねーー木浦のーーきたなーー亀ーーだーーみんなでーー回し持ちーとかいうーー
嫌ーーなーー川谷拓三ぢーーかーーいなくなるよーー世の中ーーうおーーーうおーーおうおーーおうおーーのーーおめこもーー声じかーーさいてえーーー
田中ーーおわーーわははーーわははーーのーー変質ーーロロ痕ーーー?殺しーーこおんーやくーーおわーーろりこんーーとかねーー。。野川さーー上島のもーさーーこんにゃくーーなあにーー?
水亀ーーかーー?みーすずよーーみすずーーやくざーーとかいーーまわるよーー野川ーさちこーーのねーーねーーー
くずーーおわーーロリコンーおわーーおわーーおわーーとかいうーやつらーーよーーでもーでもーー野川ーのーー上島ーーつながりーもオーー全部よーーきちがいー
ぼっきょーーのーのーーにーー。。。乗るよーーポランーー研究者ー全部ーー全国ーー自害ーー
つまならーーいーーのーー県じゅうーーけんきゅーー横しかーーよおーー?だめーーにょおぼおーもおわーー
21 :
考える名無しさん:2013/10/26(土) 20:33:59.78 0
土人ーーのーーアメリカ人ーー知らないーーー?のー
引っ掛けーーもおーもおーーながーいーーおわーーのーー長生き組ーーねーーかーーおわーーはくえーのーーちくわーーババアーーどこーー?どこーー?
横浜ーー買うなーーー。。。買うなーー八景ーーー、、のーー横須賀外ーーだあれーーー?上島ーーどおわだろーー?おわーー71年ーうめれーーおわーー上島ー馬鹿ーーやっとかなーー?かなーー?かなーー?もおーーおわねーーねーーー
うるせーーガキじかーーなかだしー
ばっかーー頼む買うなーーー買うなーーーのこのこーー買うなーーのーふりょーー語になったからよーー野川dのーーでーーすーー野川のせーーでうーーおーーのーもーーロリコンねーーおわーーロリコンーー
うるせーーのはーー実刑亀よーー女おわーーおわーーおわーーうるせーのよーーガキもーーくずよーーー
うるせーー野良ーー韓国ーーばっかーー生きやがってーーもおーーおわーーどおわーー子孫ーーおわーーはくえーーおわーー鎌倉でーーーねーーー
意味とーーいうかーー生きろー永遠にーねーー上島ーーまもーっるーーよーーおわーーまもるーねーーー
こどもーー厄介にーーかよこどおわーー思う時ー孤児のときーねーー上島ーおわよーーぜったいーーにっこったーー柔道亀ーおわーーおわーーおわーーー
上島もーーおわねーー衛ーーおわーーおわーー上島ーおわよーーねーーーおわーー韓国うるさーー研究者ーーもねーーー?かうらだろーー?面白くねーー。。
俺とーーいるとーー?ふざけーねーーいつもーーうるせーのねーーおわーー横浜ーーー横須賀ー田浦ーーーおわーーうがわーー浦賀ーーねーーねーーーー
子供ーまでーー市場ーーにーー式辞ーーにーーつれまわすよーー安亀ーめぐりーーオーーわるくちーーエターーーぞくおーー上島ーーバカでーやりくりーーとかよーー馬鹿ヨーみーたーかのー
上島ーまもるーーぅーよくーー?のーー馬鹿やくざーーー?どおわーー亀ー柔道蹴りーーとかいうーー引っ掛けーーヤクゴミねーかーー上島おわよーーどっちにしろーー
上島よーあほー揃いーーおわーー上島ーー
22 :
考える名無しさん:2013/10/26(土) 20:37:58.80 0
アメリカーー黒人ーーー買うなーーー買うなー買うなーー火薬買うなーーーー?ねーー誇りなーーくてーー戦ーー?とかーーくどおーー馬鹿だってーーしーいーーちゃんーーがんばってえーーね
ホッカアーランドおーーわーーーかいーーかいーーかいーーおわーーおわーーーおわーーもーーむかぢーはーー女買うなーーだからーーいう毛ーーのー
美穂よおおおおおおーーー?
白人ーにーー右翼ーー連絡ーー回すよーー女よーー女ーーおわーーよーー女ーーーーおわーーー女ーーーよーーー
男ーー風呂ーー馬鹿わーいーーわーいーーがーー思う時ーー重りけーのーーお守りーとかいうーーヤクザ米よおおーー女ーおわーーー女ーーーー
ソオプじかもよーー黒人ーおめこもよーーおわーー白人ーーおわーー白人ーーーやっとよーー長渕ーーねーーー
23 :
考える名無しさん:2013/11/10(日) 10:48:42.31 0
>>1 仏教に関しては、宗教板のほうが活発な議論を見られます。
人
ノ⌒ 丿
_/ ::(
/ :::::::\
( :::::::;;;;;;;)
\_―― ̄ ̄::::::::::\
ノ ̄ ::::::::::::::::::::::)
( ::::::::::::::;;;;;;;;;;;;人
/ ̄――――― ̄ ̄::::::::\
( :::::::::::::::::::::::::::::::::)
\__::::::::::::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ
/ `、 /^ト、
,′ i / | ヽ
_,,j,,,_ニニ二ニー,,,, | | i
`ーrー' `''⌒ヾミヽ rー、| | |
午ン冫 にニ''ー‐' ハリ l. |
ノ`7´ ´`~ レ' 1 / |
. | L_,,,ゞ、 i 1_ノ ト、/ | 汚醍喪苦を繰り返し唱えることで
| f´ rーュ_``ヽ`, ,' ,' / /l | 清らかなる仏界が湧き出してくるのじゃ
ヽ ⌒ ノ,ノ / / /// L_
\⌒ _,、 ' // / /
/`「斤<´ // / /价
,.ィ个 i | 1 // / /价公
/公レ!. | | レ'"/ // /价公
价公价l. | | |/ / / /价公价
价公价i | | / / /价公价
>>4 若いころはそう思っていた。
だが、最近ヘーゲルやハイデガーを軽く超える思想だと判ったよ。
カントは喉元まで出ていた節があるが、ウィトゲンシュタインは感じていたはずだ。
27 :
考える名無しさん:2013/11/23(土) 19:51:50.87 0
>>26 軽く超えるけど、思想じゃない
ウィトゲンシュタインが目指した哲学の妄想を解きほぐしを軽く超えて、
妄想と分かりつつ妄想を使って妄想を止める道ですね
もちろん人に示す時は妄想を使わなくてはならないから
28 :
考える名無しさん:2013/11/23(土) 23:10:53.55 0
現代的どころか未来的でさえある。唯識なんかはまさにSFだし。あんな古代からバーチャルリアリティ論を展開してたとは驚き。
現代科学がやっと仏教思想に追いついてきてる感じだな。しかし、考えてみればプラトンのイデア論なんかもバーチャルリアリティ論に近い。
29 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 00:35:17.59 0
仏教を否定したりは決してしません。しかし宗教を信じるというのはマインドコントロールにかかる
という状態ではありませんか? 何者にも影響されずに自分で考える事こそ最大の喜びではありませんか?
30 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 03:36:18.77 0
日本の仏教は本来の仏教からは懸け離れた紛い物ですので、皆様誤解の無きよう
31 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 03:40:32.63 0
「神仏習合」との言葉もあるように、日本の仏教は神道(さらには儒教)等の影響を多分に受け
本来の仏教とは似ても似つかぬほどの変貌を遂げております
仏教を学ぶというのであれば日本の諸宗派のものではなく
本場インドの上座部仏教を学ぶべきです
スナインコッコスマナラコッサーラ長老の陰棒臭が匂うスレだなw
33 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 04:12:39.59 O
>29
>何者にも影響されずに自分で考える
そういった考えがおありなら、それを披露してみてください。まず何らかの影響は受けていることでしょう
日本人の宗教観は極端なのです。絶対者に絶対帰依してしまった宗教は悪だという発想をよく考えてください
人間はみな少なからず弱い存在であり、何かに帰依しているのです
絶対者はいなくとも自分が弱い立場や有限だと感じることはあるでしょう
神のように自分より才能があったり認識者であったりする人を知らず知らず
崇拝していることや何か大きなものに自分が呑み込まれている恐怖心など
懐くコトガアルトオモイマス
宗教というものは人間の有限さの現れと知性の一部でもあるのですよ
ソレガ文化となり自分の社会やそれに含まれるパーソナリティーに強く影響を
及ぼしているのです。宗教は謂わば悪ではなく我々自体なのです
34 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 13:50:57.88 0
本好きは潔癖なやつがおおいからなぁ。
容疑者と一緒に同じ空間を共有するのを拒絶する人も多いだろう。
ビブリオバトル、猪瀬が来る予定だったのなら動画視聴に切り替える人もでてくるだろう。
でもそうなると観客投票に支障がでてくる。
そこで、豚は
>>184のステマをしたわけだね。
仏教にとって重要な事は信心ではなくて
毎日考えて、修行することなんだよ
そこが信心優先の一神教とは違うところ
徹底的に考えて悩むことを推奨しているのが仏教だから
>>29 新興宗教には興味を持たないほうがいい。
ブッダの言葉とか、空海とか法然親鸞道元あたりを真面目に読めば
宗教ではなくて哲学思想に近いことがわかる。
37 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 21:09:41.26 0
>>29 そんなことは無理。
で、そんなこという人に限って凡庸なことしか言えないことが多い。
38 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 23:50:02.52 0
原始仏教は現世利益というか、生きる上での最大の幸福論と、それを実践するというイメージなんだけどなぁ
39 :
護摩:2013/11/24(日) 23:52:54.31 0
ด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
aด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
abด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
abcด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
abcdด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
abcdeด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
abcdefด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
abcdefgด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
40 :
考える名無しさん:2013/11/25(月) 07:03:43.32 0
>>38 そりゃ完全な誤解
片山一良、春秋社のどちらでもいいから原始仏典一冊でも読めば直ぐ分かる
41 :
考える名無しさん:2013/11/25(月) 17:43:30.90 0
>>40 そうなのか
なんか原始仏教て俺の中で念仏とか、神様とかそういうスピリチュアルのもの遠ざけて、釈迦の論理を自覚と実践していまをよく生きる術みたいなイメージがあった
ゴールはニルバーナで、それ以外は苦しみだ。みたいな
42 :
考える名無しさん:2013/11/25(月) 21:50:01.86 0
>>41 >ゴールはニルバーナで、それ以外は苦しみだ。
これは言葉としては合ってる。
>釈迦の論理を自覚と実践していまをよく生きる術
「よく生きる」というのは全く違う。生きることは苦でしょ。
まあ、一回、読んでみて。特に片山訳を勧めるよ〜
片山一良氏訳の原始仏典て何というタイトルの本ですか?
44 :
考える名無しさん:2013/11/25(月) 23:10:37.42 0
>「よく生きる」というのは全く違う。生きることは苦でしょ。
「常・楽・我・浄」という『四顛倒』に対して「無常・苦・無我・不浄」が説かれたが、
大乗仏教では、さらにそれに対して「常・楽・我・浄」が説かれる。
一面的な見方というのは、仏教的でないのだね。
誰か正しく知るものぞ、誰かここに宣言しうる者ぞ。
この創造はいずこより生じ、いずこより〔来たれる〕。
神々はこの〔世界の〕創造の後(のち)なり。
しからば誰か〔創造の〕いずこより起こりしかを知るものぞ。
この創造はいずこより起こりしや。
そは〔誰によりて〕実行せられたりや、あるいはまたしからざりしや。
最高天にありてこの〔世界を〕監視する者のみ実にこれを知る。
あるいは彼もまたこれを知らず。
「リグ・ヴェーダ賛歌」 岩波文庫辻直四郎訳(宇宙開闢の歌より)
これすごい好き
オチがいいね。不条理映画のオチみたいで。
48 :
考える名無しさん:2013/11/26(火) 04:53:39.03 0
>>45 それはそう。だけどレヴェルが違う。
無常・苦・無我・不浄を行じてきて、逆に無常・苦・無我・不浄に捕らわれてしまった行者への教え。
凡夫が一面的な見方をしてはいけないというのとはずいぶん違うと思う。
道は色々あるけど、方向は決まってるのが仏教だと思う。
49 :
考える名無しさん:2013/11/27(水) 11:22:25.41 0
>それはそう。
わかればよろしい。
50 :
考える名無しさん:2013/11/27(水) 11:52:26.74 0
>オイオイ、分かってんのか?
「方向」があいまいだね。
その「方向」というのは、君自身の言葉で噛み砕いて言うと、
どういうことなの?
52 :
考える名無しさん:2013/11/27(水) 13:48:49.10 0
53 :
考える名無しさん:2013/11/27(水) 14:34:16.64 0
それにつけても葬式仏教のどうしようもなさ。
54 :
考える名無しさん:2013/11/28(木) 04:13:46.40 0
宗教を「超自然的存在であるところの神の存在を認め、これを畏敬・崇拝する行為」
と定義するならば、仏教は宗教ではないことになる。
ブッダは思想家または哲学者と言うほかない。
55 :
考える名無しさん:2013/11/28(木) 07:33:19.93 0
>>54 仏教は思想や哲学を主張するものじゃないよ
それは単に一思想家が大衆の熱狂や後続達の誤解による権威付けにより
勝手に祭り上げられてしまったという事だろう
57 :
考える名無しさん:2013/11/28(木) 11:35:50.35 0
>>56 全く違う。釈尊は思想や哲学で何か掴んでることから逃れる道を説いたから
思想や哲学を主張してるわけではない
これが『中論』25-24で「如来は何も説かなかった」と説かれる意味
同様に「我々には主張がない」とも言われ、中観にしろ原始仏典にしろ何か主張しているのではなく、
何か説いているのは戯論寂滅への導きとして説いているので、何か思想や見解を主張しているのではない
戯論寂滅っていうのは真理を言葉で表すことは出来ないって事でしょう?
つまり言葉では真理に辿り着かない。言葉の有限性を言っているのであって、
真理原理を概念、言語、記号を使って解明しようとする哲学的なアプローチを否定しているのであって
それが思想ではない、とはならないと思うどころか、それは一つの思想なのではないの?
何も言っていないイコールなにも思想していないって事ではないでしょう
それに、主張がない、何も説かなかった
というのは完全に自己完結していて人々にわざわざ説いてまわる必要性がないって事のように思えるが…
60 :
考える名無しさん:2013/11/28(木) 13:47:28.49 0
>>58-59 そうではない。ウィトゲンシュタインのようなものでなく。
その戯論寂滅の境地への導きとして道全体を、色々な形で説いたのが仏教。
ただそうではないと言われても狂信者にしか見えないのですが…
62 :
考える名無しさん:2013/11/28(木) 14:13:08.86 0
>>61 根拠は上に示したし、詳細に論証しても徒労に終わる予感があるし
まあ、そう思っても結構
63 :
考える名無しさん:2013/11/28(木) 19:36:42.79 P
64 :
考える名無しさん:2013/11/29(金) 02:29:10.86 0
哲学を否定する哲学。思想を否定する思想。これだ!
仏教は宗教でも哲学でもない、人の真の生き方を教えるもの。
となると、思想ということになるだろう。
仏教は師弟関係、実践を重視する。
となると、仏教は思想団体ということだろうな。
仏教は思想集団、思想団体、と思えばなるほどそうだと思う。
66 :
考える名無しさん:2013/11/29(金) 07:32:45.76 0
68 :
考える名無しさん:2013/11/29(金) 10:11:03.66 0
思想を否定する思想だ とか言って人から論破されるとキレるエゴのかたまり
そもそも論破できてないのにしたつもりでいるアホ
71 :
考える名無しさん:2013/11/29(金) 20:47:58.86 0
>>70 2ちゃんだから、もっとも学会も同様なんだが
72 :
考える名無しさん:2013/11/30(土) 01:20:05.39 0
酷い学会。どこ?
73 :
考える名無しさん:2013/11/30(土) 06:43:36.42 0
>>72 論文読んでみれば、分かるよ
酷いのが結構ある
中でも凄いのが、対象テキストを読まずに批判したって明記してあるヤツ
そりゃ、もう文献学の体裁も捨てて感情で批判したって告白してるってことでしょ
74 :
考える名無しさん:2013/12/01(日) 03:29:55.91 0
研究ごっこって奴ね。三流クラスは、ノン・キャリと変わらない脳味噌だからな。
75 :
考える名無しさん:2013/12/01(日) 06:38:03.53 0
>>74 まあ、そうだけど和辻、宇井とかも酷いけどね。
現在の一流が50年後にどう評価されるか?
結構、面白い
笑う奴がいるかもしれないが、平井和正原作の『デスハンター』は人類批判の極みだったよ。
『死霊狩り』や『幻魔大戦』に通じる。上記のマンガを読んでもかなり人類の本質を突いているから
おススメだ。仏教もどこかで絶望することがテーマとしてあると思う。絶望=悟り、みたいな部分が
あると思う。
77 :
考える名無しさん:2013/12/01(日) 10:37:34.68 0
>>77 道元の現成公案に出てくる。中村元のことを前田專學が話すときも出てきた。
79 :
考える名無しさん:2013/12/01(日) 20:54:00.09 0
絶望というより諦念だな。鈴木大拙もそのようなことを言ってる。
81 :
考える名無しさん:2013/12/02(月) 03:03:08.69 P
「この世に生をうけること自体が罪」と考える宗派なかったっけ?
82 :
裕一:2013/12/02(月) 03:35:50.12 0
いいから働け!
83 :
考える名無しさん:2013/12/02(月) 03:42:05.42 0
「猿の人間化における労働の役割」
84 :
考える名無しさん:2013/12/02(月) 05:41:54.85 0
>>80 大拙とかダメだから
即非とか単なる誤解だし
>>81 なんかキリスト教っぽくね
仏教だとこの世に生を受け、法に出会える有り難さじゃね
もちろんこの世からも解脱するためにだけど
85 :
考える名無しさん:2013/12/02(月) 06:33:57.56 0
誤解でも鈴木大拙のアメリカでの影響力は大きいな
うちの祖父も大拙の影響を受けている。
悟りを開いている。
87 :
考える名無しさん:2013/12/02(月) 07:43:29.20 0
悟りなら即非の論理的な発想や感覚も捨てないとな
勿論鈴木大拙が誤解していても
鈴木大拙の影響を受けて結果的に悟るって人もいるだろうけど
88 :
考える名無しさん:2013/12/02(月) 08:36:23.51 0
>>87 影響はでかい、だけどあれじゃ悟れない
ヒンドゥー程度の体験しか得られない
こんなところで人の批判をするよりも、
まず自分自身が精進することが大事だよ・・・
鈴木大拙から何も得られない人もいるだろうが、大きなものを得られる人もいるのだろう。
何事も、そういうものだよ。
90 :
考える名無しさん:2013/12/04(水) 06:40:46.57 0
>>89 ああいったニューエイジ、野狐禅的なものを基準に仏教を語られても困ります
方便というなら、それもありかもしれませんが
>>90 あまり自分の見方に固執しないほうがいいですよ。
そういうのも一種の固執。
そういう「正しさへの固執」が、いちばん始末が悪いのです。
なぜならそういう「正しさへの固執」は、それが「固執」であることに気づきにくいから。
だから、そのような正しさへの固執によって、人間は争いを繰り返してきたのでしょう。
92 :
考える名無しさん:2013/12/04(水) 07:28:42.16 0
>>91 それは確かに本当の道なら、そう。
だけど、ここは哲学スレでしょ。
どういう教えが妥当で、どういう考え方は妥当でないか示すべきでしょう。
>>92 哲学スレだからといって、「妥当性」を廻る争いをする必要はないでしょう。
まあ、それぞれに「良さ」はあるはずだから、
それぞれの「良さ」を見つける方向に向かうほうが良いね。
私自身は、鈴木大拙はずっと前に何冊か読んだことがあるが、
その中では、鈴木大拙が天皇皇后両陛下に講義した時の原稿を本にした
『仏教の大意』という本が一番良かったように思う。
この本は読みました?
94 :
考える名無しさん:2013/12/04(水) 07:52:58.17 0
>>93 そうかな?
読んでません。もっと読むべきものがあるんで、そっち読みますよ。
大拙で読んだのは、日本的霊性、禅宗史関連と楞伽経関連あたりだと思います。
日本的霊性は野狐禅に基づく鎌倉仏教史観で、この影響から仏教の全体像を大きく歪めてきたと思います。
>>94 『日本的霊性』は私も良いとは思わなかった。
でも私は、その本の良さがわからない時は、筆者の視線と自分の視線がズレているんだろうな・・・
と思うことにしています。
(実際、そういう場合が多いと思うよ。)
96 :
考える名無しさん:2013/12/04(水) 08:39:56.72 0
>>95 う〜ん、そういわれてもね〜
オイラの場合、仏教一本で30年ぐらいやってるんで、
相手の意図も分かってるつもり、少なくとも大拙クラスなら
30年もやってればお分かりじゃろが、売春をしている女子でさえ
念仏を唱えるか阿弥陀さまを信じることで成仏するんじゃよw
98 :
考える名無しさん:2013/12/05(木) 04:14:53.87 0
99 :
考える名無しさん:2013/12/05(木) 06:14:26.81 0
仏教は偉大なり
仏教を30年やっても
2ちゃんから抜け出せなかったのか・・・w
101 :
考える名無しさん:2013/12/08(日) 22:46:54.18 0
ポクポクビートの子守唄
ちっちゃな頃から丸刈りで〜
十五で和尚と呼ばれたよ〜
最澄みたいに唱えては〜
祟るものみな〜
成仏さ〜
102 :
考える名無しさん:2013/12/08(日) 23:21:33.68 0
現在の 宗教なんぞ すべてクソだ。 仏教も例外ではない。
しかし、釈迦の説く悟りは、哲学の終着点である。
ウソだと思うなら、悟ってみよ。
真理とは 何なのかを体験出来るぞ。
そんなに悟りが簡単なわけがなかろう。もしそんなに簡単なら悟りとは所詮その程度のもんなのじゃ。
真理?笑かすな。そんなものは目を開けたままで見える事と何も変わらん。
ちなみに暗い部屋で目をつぶって眼球を圧迫すると目の裏の映像が見えるがあれは一度見出すと中々止まらないな絶えず動き続け景色が変わり続ける高度な万華鏡じゃ。
それでもしかし真理とはなんの関係も無い
106 :
考える名無しさん:2013/12/11(水) 17:41:10.74 0
成仏できないってどういう状態のことをいうんですん?
107 :
考える名無しさん:2013/12/11(水) 17:51:54.65 0
>>106 簡単に説明すれば
波平化します
狭くて真っ暗で不快な空間に
ずっと閉じ込められます
そして波平のように発狂するわけでなんですね
108 :
考える名無しさん:2013/12/11(水) 20:43:30.01 O
大麻とLSDとマジックマッシュルーム、アヤワスカの摂取、量子力学の勉強して、ヒップホップやテクノハウスで踊り狂ってた方がさとれる
今年突如出現した流行語候補
『波平化』
110 :
考える名無しさん:2013/12/11(水) 22:30:56.73 0
107 109
fate論の俺も認めた『波平化』
いいね。使い方がセンスあるよ。
111 :
考える名無しさん:2013/12/13(金) 14:16:55.49 0
114 :
考える名無しさん:2013/12/18(水) 10:32:05.61 0
>>102 まあ、そう思うのは勝手だが、人に押し付けないでほしい
115 :
考える名無しさん:2013/12/18(水) 19:16:58.45 0
「声聞」は「声を聞く」となっている。師匠の声すなわち教えを聞いて、真理を理解し、理解した真理を実践して、人格の向上を図ろうとする修行者である。学習主義の修行者と言われている。
「縁覚」は「縁(条件)によって覚る」となっている。現実を観察し、そこに含まれる真理を見いだし、見いだした真理を実践して、人格の向上を図ろうとする修行者である。体験主義の修行者と言われている。
116 :
考える名無しさん:2013/12/18(水) 20:16:57.92 0
>>115 > 「縁覚」は「縁(条件)によって覚る」となっている。現実を観察し、そこに含まれる真理を見いだし、見いだした真理を実践して、人格の向上を図ろうとする修行者である。体験主義の修行者と言われている。
こりゃ何か根拠?
普通は縁起を覚るって意味と解釈されるけど
117 :
考える名無しさん:2013/12/19(木) 19:53:03.26 i
インドでは様々な分野に口頭伝達が今でも残っているね。例えば僕が自身で体験したのだとシタール、これはインドの古典楽器でギターのお化けみたいなものなんだけど
ギターのように独学で学べるような楽器ではないので師匠について何年も修行(練習というよりも修行という言葉が正にぴったりくる)するのだけれど、
この際、楽譜のようなものは一切使わない。
師匠が一度だけ弾いたあるいは歌ったメロディをさあやってみろと言われてひたすらそれを覚える訳だ
118 :
考える名無しさん:2013/12/19(木) 20:04:57.61 i
これは日本人の僕にはすごく違和感があった。だって書面を使ったほうが伝達は楽だし当然覚えるのは早い。なんでなんだろうと興味を持って色々調べてたんだけど、
つまりシタールには幾つもの流派があるんだな。でそれぞれが自分たちの技を外部に漏らさないようにと門外不出にしていたと
まあ北斗の拳ばりに後継者のみにしか伝えられない技なんてのもあったらしいね。
外側から見ればそれは神秘的に映ったのは想像に硬くないし、海を隔てればなおさら。
まあ勿論権威づけの意味もおおいにあったろう
なんていうかインド人ってそういう体質らしいね(笑)
119 :
考える名無しさん:2013/12/21(土) 05:10:59.55 0
楽譜というのは一見便利なようでいて、実は単なる記号に過ぎない。作曲家の思いをすべて伝えることはできない。
したがって凡庸な演奏家が楽譜を用いると音楽は歪曲される。
作曲家が本当に作品の意図を伝えたかったら一子相伝しかない。
120 :
考える名無しさん:2013/12/21(土) 06:22:55.47 i
つまり書面を用いて伝達をはじめたところから堕落が初まったと?
まるで口頭のみによる伝言ゲームの方が意図は歪まないみたいに聞こえますがそんなことはないでしょう(笑)
この話の要点は文字を使った伝達方法を用いるか用いないかであって、一子相伝かそうではないかではないですよ
121 :
考える名無しさん:2013/12/21(土) 06:26:48.02 i
ああそれから文書を残さない事で外部から見たらそれは神秘的に映ったであろうという事デスね。
そしてその事自体が仏教の権威付けに一役買ったであろうという事です
122 :
考える名無しさん:2013/12/21(土) 07:06:19.16 i
数学者はなぜ数学で宇宙の真理を読み解く事ができると錯覚してしまうのか?
123 :
考える名無しさん:2013/12/21(土) 07:15:07.43 i
これは仏教でいう「悟り」の快感が、数学の問題が解けた際の快感と同等のものだからでしょうね、所謂エンドルフィン・・脳内麻薬という奴です。
これは非常に非日常な体験であるのは想像にかたくないし、何かが開けたような錯覚を起こしてしまってもそらは無理からぬことでしょうが、
はっきり言ってそれは真理とは全くの無関係です(笑)
124 :
考える名無しさん:2013/12/21(土) 07:17:15.82 i
>>122 これで数学板にスレッドを立てると発狂する輩がたくさん釣れて面白ろそうですね。
猫さんあたりは淡々としてそうですが(笑)
そもそも数学はその発生時から形而上学だから。
126 :
考える名無しさん:2013/12/21(土) 07:56:05.21 0
>>123 そういうのは初心者のよくある勘違いだとたくさん説かれてます
127 :
考える名無しさん:2013/12/23(月) 12:57:31.51 0
瑜伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)
は大乗仏教の学派のひとつで、唯識の教学を唱導した学派である。
唯識派、唯識瑜伽行派ともいう。瑜伽行派 (サンスクリット:yogaacaara योगाचार, ヨーガーチャーラ)とも略称される。
128 :
考える名無しさん:2013/12/23(月) 13:39:14.93 0
130 :
考える名無しさん:2013/12/24(火) 21:06:29.35 0
くそうずくそうずくそうず くそうずくそうずくそうず くそうずくそうずくそうず くそうずくそうずくそうず
くそうずくそうずくそうずくそうずくそうずくそうず くそうずくそうずくそうず くそうずくそうずくそうず
くそうずくそうずくそうず
131 :
考える名無しさん:2013/12/26(木) 06:54:29.68 0
>79 名前:考える名無しさん :2013/12/25(水) 22:20:27.05 0
>
>>69 >チベットの教えでは人は生まれた時に、善と悪のエネルギーを等しく持っているらしい。特に太ももの骨にそれが溜まっているのだそうな。
>そして、善人は生きている時に善のエネルギーを使い、悪人は悪のエネルギーを使う。
>善のエネルギーを使い過ぎると体内に悪のエネルギーの割合が多くなり、病気やトラブルに巻き込まれやすくなる。
>また、悪人は悪のエネルギーを多く使うので、善のエネルギーが体内に残る。
>そうすると病気になりにくい。
>以上の事から善人は早く死に、悪人は長生きしやすくなる。
そういうことか! どうりでインチキ仏教 浄土真宗の宗祖は
九十歳までぐだぐだと生きたのは!
132 :
考える名無しさん:2013/12/26(木) 08:40:55.06 0
>>131 こんなチベットの教え知らんけど、誰が言ってるの?
いやいや、親鸞上人はちゃんとしてるよ。
インチキは日蓮だな、日本では
133 :
考える名無しさん:2013/12/27(金) 13:47:27.08 0
浄土系の宗教は仏教とは関係がない。「悔い改めよ」と
いうのは一神教の説くところである。日蓮なぞたまたま
でたらめな予言をいいふらしていたのが当たっただけ。
浄土真宗には修行実践の教えがない。行がない。江戸時代
の権力に取り入った、宗教まがい。
134 :
考える名無しさん:2013/12/27(金) 14:58:22.30 0
>>133 その真宗理解は清沢満之以降の近代教学で、甚だ浅薄
私もまあ似たように最初は考えていたが、仏教の全体像が分かると、
一般に行として捉えられている三学などは、菩薩の六地までの教えで、
大乗では三学の前に発心・誓願、三学の後に無住処涅槃としての菩提行・普賢行が行われ、一切智を目指し廻向する。
浄土教特に真宗や法華経で三学が説かれないのは、浄土教では三学を極楽へ行ってから行うから、そして法華経では三学が終わった菩薩への教えとして説かれているから。
そういう意味で法華経でも真宗でも菩薩の第七地が重視され、それまでは化城の譬喩が説かれ、誓願が重視される。
そこが分かんないで真宗を近代教学で捉えるとそう考えてします。
そりゃそうだ近代教学はキリスト教的に再構成されているからだ。
因みに日蓮の予言は最終的に外れてるし、神通勝負でも敗れてる。
135 :
考える名無しさん:2013/12/27(金) 21:45:06.41 0
>浄土教では三学を極楽へ行ってから行うから、
そわろたwwww
136 :
考える名無しさん:2013/12/27(金) 21:47:59.48 0
ま、あの世の極楽とやらでせいぜい頑張ってちょーだい。
137 :
考える名無しさん:2013/12/27(金) 21:49:52.58 0
>>135 なんで笑うかなあ
輪廻なしに仏教はありえんぜ
全く分かってないと自覚されたし
138 :
考える名無しさん:2013/12/27(金) 22:35:47.75 0
>>137輪廻なんて釈迦は説いてないぜ。死ねば一切無だ。真言、
禅宗が仏教の本流じゃ。この世で行をしなくてどこで
するのか?肉食妻帯の外道:大乗だとよ。上座部仏教を知らず
してなにが仏教だ。
139 :
考える名無しさん:2013/12/27(金) 22:54:08.45 0
人間(=生きとし生けるもの)は死を逃れられない。だから
空しい。しかしだからこそ今日の一日を行すなわち日々の
仕事をすることこそが我々のはたすべきことだ。空論をしている
ひまはない。 わたしは、今日は、一生懸命部屋の掃除をした。
この充実感が仏(=自然)から与えられたものだ。今、行をしないで
何時する? 死は今から五分後かもしれない、五十年後かもしれない。
知ったことか。
140 :
考える名無しさん:2013/12/27(金) 22:59:22.69 0
>>138 いやいや、説いてるよ
逆に『大四十経』MN PTS III, 71頁で、こう説かれてる。
邪見とは何か。〈布施なく、祭祀なく、供犠なく、善悪業の報いなく、この世、かの世、母父なく、化生の有情なく、シャモン・バラモンで正しく道を行じて、自らこの世とかの世を直接知覚して説く人はいない〉とする。これが邪見です。
参考:『原始仏典』春秋社、中部4、151頁
パラレルな『中阿含経』ではこう。
T0026_.01.0735c15: 云何邪見。謂此見無施無齋。無有呪説。無
T0026_.01.0735c16: 善惡業。無善惡業報。無此世彼世。無父無
T0026_.01.0735c17: 母。世無眞人。往至善處善去善向。此世彼
T0026_.01.0735c18: 世。自知自覺自作證成就遊。是謂邪見。
参考:『国訳一切』 阿含部6、181頁
単純な話、来世が無いというのは一貫して唯の邪見、断見と言われる。
これはあらゆる時代、あらゆる地域の仏教で一貫している。
例外は邪見と方便のみ。その現代日本仏教の一部は邪見に他ならない。
現代日本では中観などの戯論寂滅への導きで輪廻や業がない、などと説かれる部分によって輪廻否定したとか、輪廻からの解脱を説く部分から、輪廻思想からの解脱などといった、しょうもない説を説く人もいるけど、
そういうのは仏教ではないんで、そういう説に依ってるようじゃ分かってないと自覚されたし
141 :
考える名無しさん:2013/12/27(金) 23:02:00.91 0
>>139 そういう変な新興宗教説みたいなのは仏教でもなんでもない
ただの現代人の妄想だから
まあ、禅でそういうようにいう場合もあるけど、
それは行者への導きなんで、何もしてない凡夫にそういうことは説くのはどうしようもない断見
最も重要な教えだと釈迦自身が考えていたのは法華経だ
と知り合いの創価が力説していた
143 :
考える名無しさん:2013/12/27(金) 23:09:34.90 0
>>142 どれも重要だよ
法華経は七地以上の教え、あらゆる教えが一切智を目指すという意味で重要
とても包括融和的な教え
日蓮のように排他的な解釈は唯の誤解
アメジスト
145 :
考える名無しさん:2013/12/28(土) 07:09:47.90 0
>>140すみませんがキリスト教ではパラダイス、浄土なんたら教
では極楽、、、、。 あんさんは来世を見てきたのですか?
来世はどこにあるのか? ちょっとみせてください。宗教なんてたわごとで、
例えばイスラームでは女性に不当な取り扱いをする。 日常生活へのたちいり
たとえば宗祖は十数人の女性をはべらして、信者には四人までだとよ!
じぶんが酒のめぬから、酒禁止。 豚食うな、、、、生まれた(偶然!)
場所で宗教が決まる馬鹿さ加減。くだらない業界用語、早い話が隠語をつかっても
相手にしないよ。
極楽とやらはどこにあるの?
良いことをせよ悪いことをするな、ああそうかい。良いことを
してきたひとが不幸な目に会い、病気になり、早死にし、貧乏。
悪いことをし続けた人が長生きして金持はごまんとあるよ。
さあ、どうこじつける?
146 :
考える名無しさん:2013/12/28(土) 08:30:37.74 O
気にするな 貧乏でも金持ちでもどうでもいい
147 :
考える名無しさん:2013/12/28(土) 08:35:47.39 0
>>145 イスラムとかキリスト教とかの話はしてないし、
唯一無二の真実のような知覚はどこにもないよ
極楽にしろ現世にしろそれぞれの業の知覚であって、
何か実在してるわけではないというのが縁起・空の見方
こじつけるも何も仏教の中で話してるだけで、仏教信じないなら別に信じなくても結構
普遍妥当性を持った真理というかんじで話してるわけじゃないし、
そういう見方は妄想だってのが仏教ね
148 :
し:2013/12/28(土) 09:25:21.21 O
大パリニッバーナ経と観無量寿経が途中まで読んで放ってあった
今年中には読めんなあ
149 :
考える名無しさん:2013/12/28(土) 09:53:22.81 0
>>148 観無量寿経は読めるでしょ
大パリニッバーナ経は中村訳とかがあるパーリ原本の和訳なら、十分読めると思うけど、大乗涅槃経とかならそれは厳しい
150 :
し:2013/12/28(土) 10:09:10.36 O
>149大概中村元の大乗経典の和訳みながら読んでるよ
説話がダルいんだよな。思想だけ取り出して読みたいが
151 :
考える名無しさん:2013/12/28(土) 14:10:54.93 0
ブッダは所詮、乞食。所詮金持ちだったので、中途半端な乞食。
生活保護者みたいなもの。
153 :
考える名無しさん:2013/12/28(土) 19:03:43.01 0
百日の説法屁ひとつwwww
ブッダはナマポ受給者
155 :
考える名無しさん:2013/12/28(土) 20:14:27.29 0
156 :
考える名無しさん:2013/12/28(土) 20:31:58.43 0
157 :
考える名無しさん:2013/12/28(土) 20:36:42.71 0
>>156 だから日蓮は仏教じゃないんで、日蓮系を根拠に仏教否定されてもね〜
158 :
考える名無しさん:2013/12/28(土) 21:33:50.94 0
>>155 (1) 極楽とやらはどこにあるの?
(2) 良いことをせよ悪いことをするな、ああそうかい。良いことを
してきたひとが不幸な目に会い、病気になり、早死にし、貧乏。
悪いことをし続けた人が長生きして金持はごまんとあるよ。
さあ、どうこじつける?
159 :
考える名無しさん:2013/12/29(日) 05:48:30.38 0
>>158 >(1) 極楽とやらはどこにあるの?
この世も実在してるのではなく、そのような業を持つものに知覚されてるだけ
極楽も同じで、そのような業を持つものに知覚される
>(2) 良いことをせよ悪いことをするな、ああそうかい。良いことを
> してきたひとが不幸な目に会い、病気になり、早死にし、貧乏。
> 悪いことをし続けた人が長生きして金持はごまんとあるよ。
> さあ、どうこじつける?
だから輪廻があるから、善悪の業の現れはこの一生に限定されない。
160 :
考える名無しさん:2013/12/29(日) 06:41:33.71 0
>>159落第!業界用語使うな。
151 名前:考える名無しさん :2013/12/28(土) 14:10:54.93 0
>>147は
>>145の最後の二つの質問に業界用語を
使わずに答えてやって欲しい。興味津々。
161 :
考える名無しさん:2013/12/29(日) 06:48:08.34 0
>>160 オイオイ、これだけ簡明に書いたのに
少しは自分で調べなよ
162 :
考える名無しさん:2013/12/29(日) 18:51:35.32 0
163 :
考える名無しさん:2013/12/30(月) 12:09:49.10 0
業界のことについての質問に業界用語使わず話せ、だもんな。バカ越えた低脳だよ。頭が普通に悪すぎる。
大体極楽だって業界用語だろうに。質問者が業界用語使ってんのに、
解答者に使うなだってよ。プップー、馬鹿みたい。
164 :
考える名無しさん:2013/12/30(月) 20:06:22.66 0
たしか釈迦は戯論を戒めていたように記憶しておりますが。
只管打坐の道元偉大。
>>164 そうだね。
ここで「戯論寂滅」と盛んに言っている人が、一番戯論を好んでいるように思われる・・・w
実践的でなければ、意味がないのに・・・
166 :
考える名無しさん:2014/01/01(水) 20:07:26.20 0
実践を忘れた葬式仏教。
>この世も実在してるのではなく、そのような業を持つものに知覚されてるだけ
極楽も同じで、そのような業を持つものに知覚される
業 知覚 だとよ〜〜ww
ブッダは所詮、乞食。所詮金持ちだったので、中途半端な乞食。
生活保護者みたいなもの。
168 :
考える名無しさん:2014/01/03(金) 20:21:43.38 0
う〜ん、哲板は根拠なしに妄想を述べるところなのか?
169 :
考える名無しさん:2014/01/03(金) 20:30:52.28 0
根拠とは何か?
170 :
考える名無しさん:2014/01/03(金) 21:15:08.06 0
>>169 伝統的には理証と経証ですな
西洋的にいうならロジックとテキストってとこだね
171 :
考える名無しさん:2014/01/04(土) 20:20:36.91 0
なんやかや業界用語で無知蒙昧な大衆をけむに巻いている
つもりでも、生死の意味を簡単に説明できぬのはどの宗教でも
根本的に変わりがないな。誰もみてきたことがないパラダイス極楽
をもちだしてもなあ。生きているものが見てきたこともない
死後の世界を論じてもなあ。諸君! 騙されるなかれ。
172 :
考える名無しさん:2014/01/04(土) 20:31:56.70 0
ブッダは所詮、乞食。所詮金持ちだったので、中途半端な乞食。
生活保護者みたいなもの。
173 :
考える名無しさん:2014/01/04(土) 23:26:16.27 0
>>171 ブッダ自身が死後を語ってるからね、しょうがない
174 :
考える名無しさん:2014/01/05(日) 06:29:44.96 0
>>173 そう、それを無理に排除しようとすると和辻みたいな妄想になっちゃう
輪廻が認められなくても、仏教を学ぶことはできると思うけど、
哲板で、そういう妄想語ってもね
175 :
考える名無しさん:2014/01/05(日) 06:42:27.72 0
今の仏教を釈迦が見たらたまげて腰抜かすと思うな。
バラモンやヒンズーや神道由来の神様たくさんいるし
浄土宗経はガンダーラでキリスト教やゾロアスターの影響を受けて生まれた
阿弥陀如来を拝んでるし
元の姿からかけ離れてるのはキリスト教も同じだろうが、
それを考えるとイスラムってのは比較的教祖の教えを止めているな。
176 :
考える名無しさん:2014/01/05(日) 06:57:50.87 0
>>175 いや、そういうのは学者が語源を起源としてしまった妄想なんで
逆にそういった19世紀的仏教観を微笑ましくご覧になると思う
177 :
考える名無しさん:2014/01/05(日) 06:58:34.85 0
そもそも仏教って価値のある事と価値の無いものを
はっきりさせて毎日を楽しんじまおうぜって教えに共感した
ろくでなしどもが、釈迦っていう中二病患者からカリスマ性を
感じて集まって来ただけであって、釈迦に対する尊敬はあっても
何かを信仰するというものではなかった。
つうか当時は輪廻は当たり前の物理現象みたいに思われてたのだから
宗教ですらなかった。
178 :
考える名無しさん:2014/01/05(日) 07:10:22.74 0
この元旦、広隆寺の弥勒さんをお参りしたんだがさ、
やっぱ広隆寺の弥勒さんは凄いね。あれ掘った仏師に興味津々だよ
間違いなく物凄いインスピレーションが、霊感が降ってきたんだろうね。
ちなみにさ、ヤースパースがあの仏像見て激賛したってのは
大嘘らしいぜ。実際は弥勒像の写真を見て綺麗だねと言ったくらいらしい。
板垣死すとも自由は死せずみたいなものらしい。
179 :
考える名無しさん:2014/01/05(日) 07:24:33.80 0
180 :
考える名無しさん:2014/01/05(日) 07:32:30.06 O
密教はドラッグ肯定
ニート、ジャンキーほどブッディスト
商売仏教、学問仏教は、そういうプレイ フェイク
181 :
考える名無しさん:2014/01/05(日) 07:43:36.33 0
聞きかじりの妄想断定か
182 :
考える名無しさん:2014/01/05(日) 11:19:44.47 O
最近、悟りを開いた人だれかいるの?
山本玄峰ってどれほど?
183 :
考える名無しさん:2014/01/05(日) 11:25:38.64 0
>>182 日本にはほとんどいない
ビルマとチベット系にかなり居られる
山本老師はよく知らないんで、なんとも言えないがいいかんじですね。
184 :
考える名無しさん:2014/01/05(日) 18:24:52.02 0
>>173 :考える名無しさん:2014/01/04(土) 23:26:16.27 0
>>171 ブッダ自身が死後を語ってるからね、しょうがない
でと、あんさんは死後の世界、地獄極楽の存在を示せるのかな?
語 る の で は な く !
でと、仏陀はどこで死後を語っているのかな? おまえさんは
それを直接聞いたのかな?
185 :
考える名無しさん:2014/01/05(日) 18:51:31.63 0
やみ平さんいるの?
\ /⌒⌒ヽ / \
\ ・ | \ ( 人 ) / ヽ
\ / ゝ ヽ \ / |
186 :
考える名無しさん:2014/01/05(日) 19:37:49.14 0
ほじゃけー 死後の世界、地獄、極楽とやらをちょこっと
見せてつかーさいといっとるけに、だーれも答えれん
187 :
考える名無しさん:2014/01/05(日) 20:27:44.27 0
>>184 >>186 そりゃ、盲が「景色なんてあんのが、有るならみせてみろ」
聾が「音楽なんてあんのか、じゃ聞かしてみ」
って言ってるようなもんだ
その人が見たり聞いたりする能力、業がないだけの話
別に信じられないなら、信じなくても結構
ただ仏教体系内の話なんで、それを自分たちの常識信仰で判断してもね
188 :
考える名無しさん:2014/01/06(月) 19:06:28.76 0
なんだか見世物小屋の木戸銭を払わなければろくろく首を
みれないようなことになってきたな。信じるものは救われる、信じない者は
永遠の滅びにつく、神を信ぜよ(日本語おかしくなってきた!)神を信ぜよ
東京聖書協会に連絡して聖書を手にいれよう!弥陀の本願を信ぜよ
浄土死ん臭をしんぜよ!
常識信仰だとよ!笑っちゃうよ、ったく。
189 :
考える名無しさん:2014/01/06(月) 20:30:37.13 0
>>188 仏教も信から入るし、
常識こそ、妄想でそれが消えないと悟れないんだが
常識に合わせたような仏教学者の説は、ほんと売文以外のなんでもない
190 :
考える名無しさん:2014/01/06(月) 21:15:03.91 0
>仏教も信から入るし
でなにを信ずるのかな。仏教という言葉を信じる
のかな?なにを信じるのかな?信じることを信じるのかな?
みなが良いというから信じるのかな、えらい人がいうから
信じるのかな?釈迦が言うからしんじるのかな?あんたが
いうから信じるのかな? なまぐさ坊主が助平ずらして説くから信じるのかな?
191 :
考える名無しさん:2014/01/06(月) 21:21:16.78 0
>>190 仏法僧の三宝ですな
この三宝を信じて帰依しないと仏教に入門できない
もちろん信じなくても論じることはできるが、
仏教を正確に捉えずに仏教に仮託した自分がたりや常識がたりはやめてほしい
まあ、聞く気も真っ当に話す気もなさそうなんで、これで辞めとくよ〜
192 :
考える名無しさん:2014/01/06(月) 22:18:41.70 0
仏教は古すぎて釈迦の思想を多生なりとも正確に伝えているのか怪しいもんだ
現存する宗教の中でも最古レベルだろ
193 :
考える名無しさん:2014/01/06(月) 22:44:12.29 0
>>192 先ず思想じゃない
次に伝えているかどうかは結果で分かる
アルハットや成就者が出る伝統は伝わってる、出ない伝統は途絶えてる
194 :
考える名無しさん:2014/01/07(火) 10:39:01.72 0
でと。 結局、あの世はあるか、地獄極楽はあるか、ちょっと
見せてくれ、という素朴な質問に信仰のないものには見えぬという
のは回答になっていない、ということが解っただけか。むなしいな。
信仰なるものがない人間にあの世地獄極楽を見せてやれば誰でも納得
悔い改めて信仰をするよ。佛法僧がなんだって? ありゃコノハズク
だよ。
195 :
考える名無しさん:2014/01/07(火) 10:41:39.22 0
196 :
考える名無しさん:2014/01/07(火) 10:48:07.31 0
>>195 借り物ではなく自分自身の言葉で語らなくては説得力皆無
197 :
考える名無しさん:2014/01/07(火) 11:12:27.62 0
たしか、どうしようもない人間を救うのが
宗教だっけ?
198 :
考える名無しさん:2014/01/07(火) 11:19:51.26 0
>>197 縁なに衆生は仏でも度し難しというのが仏教
仏でもそう。聞く耳を持たない人に何を言っても無駄ということ
199 :
考える名無しさん:2014/01/07(火) 13:54:26.61 0
>>198おまえさんこそ円なき衆生(!)
にああだこうだと何を無駄なことをしているんですかい?
201 :
考える名無しさん:2014/01/08(水) 12:59:29.17 0
202 :
考える名無しさん:2014/01/08(水) 13:43:00.55 0
203 :
考える名無しさん:2014/01/09(木) 01:15:36.74 0
要するに津波で死んだ人たちは前世で悪いことをした報いを受けた、
というのが仏教のいう因果応報ということなのか?
204 :
考える名無しさん:2014/01/09(木) 08:52:50.92 0
悪いことをし続け、金をため込み権力をにぎったやつが長生きし、
良いことをし続け、貧乏で権力もない奴が早死にする。
これを因果応報というのじゃ。信仰のない奴は度し難いので、
説明はできないのじゃ。エヘン
205 :
考える名無しさん:2014/01/09(木) 09:16:57.29 0
>>204 分かってないし、分かろうという気もない
単にバカにしたいだけじゃ、厳しいぞ
206 :
考える名無しさん:2014/01/09(木) 10:19:24.49 0
ま、いまどき、糞真面目にあの世地獄極楽輪廻転生を
説く馬鹿がいるのは、暇つぶしのからかいの相手としては
退屈しないな。がんばって卓袱台。
207 :
考える名無しさん:2014/01/09(木) 10:23:57.21 0
まあ、日本はそうなんだろうな
だから、未だに輪廻否定から入る仏教書が売れたりする
こっちの方がオイラ的には未だ文明開化かよってかんじだが
西洋、中国、台湾に比べ日本の仏教に対する認識の低さには三万マイル
208 :
考える名無しさん:2014/01/09(木) 10:57:36.90 0
日本人は結構理性的な民族だよ。一方では神道という超宗教の「存在」
を是認し、外来の宗教を結局は日本化してその辺にほっぽっとく。
現実的だよ。
209 :
考える名無しさん:2014/01/09(木) 11:04:40.94 0
210 :
考える名無しさん:2014/01/09(木) 11:08:49.85 0
輪廻の時点で最悪だわw自分のしらないとこで
罪がたまってて今罪を犯せば来世に響くとか
これ差別だろ。危ういんだよ
第一にこれ洗脳だろ。もし神がいるのなら
地獄に落とす必要ないじゃん
全知全能なのだから全て許すのはずなのに
カルマとか怖すぎるわ。その洗脳してるやつは
太ってるという事実お前のカルマMAXだねといってやればいいのに
211 :
考える名無しさん:2014/01/09(木) 11:26:00.34 0
善人なおもて往生す、いわんや悪人おや。
面倒だから、みな救われると言えばよいだけ。
結局一人ひとりの問題でしょ。屁理屈こねて
いるうちに死が目前。悟っても悟らなくっても
皆平等に死ぬ。犬に仏性ありやなしや、といっても
犬も人間も死ぬ。それだけのこと。
212 :
考える名無しさん:2014/01/10(金) 12:14:37.24 0
結局論破されて逃げたなエロイ人
213 :
考える名無しさん:2014/01/10(金) 15:31:56.45 0
常識を根拠にされても困る
214 :
考える名無しさん:2014/01/11(土) 18:25:17.91 0
哲学板 は哲学というWissenschaftを基礎に据える。 従って
信仰が先だという非科学的非論理的な議論は議論とは言えない。
論証を伴わない、思い込みだけの「説明」では本人以外
だれも受けいれない。
ゴータマ・シッダッタは大天才だし仏教はとても優れた宗教だね。
優れた宗教を哲学みたいな価値があるのだかないのだか分からない、
考えるのが好きな人のための趣味みたいな分野に押し込める意義はないと思うよ。
216 :
考える名無しさん:2014/01/11(土) 19:46:23.11 0
サンユッタ・ニカータはどこまで信用できるものか・・・・・・・
217 :
考える名無しさん:2014/01/11(土) 19:49:08.89 0
>>214 Wissenschaft なら正にテキスト内の Wissenschaft なんだが
テキストに変な常識持ち込む方が Unwissenschaftlich でしょ
論証もテキストによって行われたんだけど
218 :
考える名無しさん:2014/01/11(土) 19:56:47.67 0
波平 Hey !! イエーイ♪
219 :
考える名無しさん:2014/01/12(日) 09:59:54.85 0
>>217「変な常識」の定義をのべ如何なる部分に持ち込んだのかを
厳密に論証せよ。wissenschaftlich に頼む。
Wissenschaftにはまりまくっとるようじゃなヘラヘラ
221 :
考える名無しさん:2014/01/12(日) 10:18:27.16 0
>>1 宗教が人を救えなかった
それだけでもはや宗教に意味はない
そのような秘教といえば
ピラミッドからテンプル騎士団が強奪し、スコットランドまで持ち去った
あの「エメラルド・ピラミッド」における錬金術の奥義が記されていた
いずれにせよ、確かに石を金に変えられるようなものだった
あの知識を真に理解したら
起業しようが何しようか、たちまち大成功を収めるだろう
世界の支配する資産運用会社ブラックロック、4兆ドルの金を操り世界のほぼ全ての上場企業の株を保有
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1386662133/ 金融工学はマンハッタン計画にまでその起源が出てくる
マンハッタン計画は核兵器開発のことだが
理論物理学は数式で世界を表すものだ
それがついに核兵器を生み出した
数字は魔術、科学を生み出した
数字は天使の言葉、神、聖霊の文字である 哲学は使いようがないというのは物理学といった科学さえ理解してないゴミのいいわけにすぎない
これらは全て使えるようになってる 色即是空、数学における極限、セフィロトの樹に隠されたDEATH、知識を支配するものが世を制する
223 :
考える名無しさん:2014/01/12(日) 17:03:16.10 0
>>221 2ちゃんでは厳密とはいい加減の意味なのを
厳密に誤解していないのかな。もう一度がっこやり直して
厳密に非厳密を勉強しなさい。厳密な人生を送るには
非厳密と厳密とを調和させる厳密な脳が厳密には必要なのじゃ。
224 :
考える名無しさん:2014/01/12(日) 20:10:24.07 0
225 :
考える名無しさん:2014/01/13(月) 10:00:59.76 0
ネラ25年やっとラネ
226 :
弧高の鬼才 ◆zD.tvziESg :2014/01/14(火) 00:02:24.72 0
魂の重量について、深く瞑想したのは、わたくし、ここうのきさい、しかいない。
227 :
考える名無しさん:2014/01/16(木) 21:46:48.04 0
228 :
考える名無しさん:2014/01/18(土) 10:07:34.97 0
宗教と哲学は全然ちがう。哲学板にこんなスレをアゲる奴
馬鹿とちがうか。 案の定、やり込められて、信仰がないものは
どうのこうの、話にならんは。禅宗はAと非Aがおなじじゃーといって
人をけむに巻くいんちき宗教だ。禅の悟りを開いた高僧なるものの
本も二三よんだが、エロ話をして度胆をぬいたつもり、非常識
をいってアッと脅かしたつもり、とんだ盛り場の香具師だ。
229 :
考える名無しさん:2014/01/18(土) 10:11:35.07 0
>>228 全然分かってないは
「禅宗はAと非Aがおなじじゃー」これは鈴木大拙とかの誤解ね
230 :
考える名無しさん:2014/01/18(土) 10:15:14.17 0
この時期一番つらいのは、たぬちゃんの行き倒れ。わが家の林でも二,三年
に一度ぐらいである。朝から、カラス、トンビがおおさわぎ。赤い血の
滴る内臓を咥えて大騒ぎ。いつもは仲の悪いカラスもトンビもこのとき
は夢中。もっと、凄惨なのはまだ生きていてよたよたと歩いている
たぬちゃんを近くの木の枝にじっと止まっている死神の鳥ども。
待っているのだ。ま、こうして自然界の清掃が行われている訳だ。
そうしてみると、チベットの鳥葬は理に叶うものだ。死んでしまえば
はいそれまでよ。あとは単なる有機物無機物のかたまり。魂は死なない
死後の世界あり天国極楽地獄輪廻転生みなたわごと。生まれるとは
死ぬこと。生きているものは死ななければならないというなんたる不幸。
231 :
考える名無しさん:2014/01/18(土) 10:28:02.68 0
>>230 >魂は死なない
>死後の世界あり天国極楽地獄輪廻転生みなたわごと。
そう思うなら、仏教には縁がない。
232 :
考える名無しさん:2014/01/18(土) 10:59:53.51 0
>>229>>231恐れ入りますが、仏教の大権威の貴方or貴女様に
質問です。
「私は嘘つきです」という人は嘘つきですか正直者ですか?
233 :
考える名無しさん:2014/01/18(土) 11:11:05.79 0
>>232 クレタ人のパラドックスね
その言葉だけじゃ、分からないよ。
概念的、理念的論理だけで、判定しようと思うのが西洋人のあやまりでしょ
ソクラテス、アリストテレスあたりからの。
234 :
考える名無しさん:2014/01/18(土) 11:32:32.54 0
快楽や幸福がそもそもどうやって形成したかを考えると不死ほどの不幸もない
235 :
考える名無しさん:2014/01/18(土) 11:53:46.22 0
>>234 仏教的には一切皆苦だから、当然です
この一切は有為ね
236 :
考える名無しさん:2014/01/18(土) 19:11:22.34 0
>>233なにも答えていないね。いつものことだが。
もう一度念のため。
嘘つきですか正直者ですか?
237 :
考える名無しさん:2014/01/18(土) 19:20:29.75 0
>>232 私は嘘つきですと言う人の正直者かどうかなど
判断するのはその人自信で良いのではないの?
他者の信頼を得るのなら行動が必要でしょ
言葉で他人に判断しろというのは無理難題だね
哲学って自分で知識をえて答えをだすのだから
生き方について他人に判断させるなんて
ナンセンスだと思わないかい?
238 :
考える名無しさん:2014/01/18(土) 19:22:53.74 0
>>230 again
で,
たぬちゃんは成仏できるのか?極楽にいけるのか?
前世ではどこかの金持のにんげーんだったのに
239 :
考える名無しさん:2014/01/18(土) 19:39:46.47 0
>>234 つか、人類の歴史上「不死の不幸」を味わった
人の例をちょっくら挙げてくれ。
240 :
考える名無しさん:2014/01/18(土) 20:21:40.78 0
>>236 あんだけ正確に答えたのにな
ようするに西洋人のパラドックスってのは観念的な論理の妄想だってことよ
問いが誤ってるってことだ
241 :
考える名無しさん:2014/01/18(土) 21:50:29.67 0
242 :
考える名無しさん:2014/01/18(土) 22:11:45.28 0
>>241 そら、オイラじゃないが
西洋論理は、観念の論理空間の中で一度言ったら、永久に同一であるという前提で語られる。
そこが根本的に間違ってる。
真偽もあやふやだ。命題論理なんか、命題の中身は問わない。形式の妥当性しか問題にされない。
これは日常言語に置き換えると、文の中身は問わずに文法の是非だけチェックしてるようなもんだ。
そこで「私は嘘つきです」という発話に戻ろう。
どういう状況でいうかによる。発話者が嘘つきだったとしよう。
ある人にシリアスに告白した言葉が「私は嘘つきです」なら、
その言葉は誠実なことになる。
でなく、相手を韜晦しようとして「私は嘘つきです」と言った場合、
正に嘘つきになる。
以上のように、ことの真偽は西洋論理では分からない。
なぜなら、状況や文脈というものを度外視して永遠普遍の論理空間で考えるから。
だから、さまざまな矛盾が生じパラドックス出て、その綻びをなんとか繕う理論を生み出す。
そうじゃなく形而上学的な出発点が間違っている。
これに西洋人で気づいたのはハイデガー、ウィトゲンシュタイン
しかし、ブッダや龍樹菩薩は二千年前にハッキリ知っていた
243 :
考える名無しさん:2014/01/19(日) 08:37:43.68 0
仏教のインチキ性を思い知った昨日今日
244 :
考える名無しさん:2014/01/19(日) 12:31:23.98 0
>でなく、相手を韜晦しようとして「私は嘘つきです」と言った場合、
正に嘘つきになる。
ここですでに論理破たん。
245 :
考える名無しさん:2014/01/19(日) 15:28:27.04 0
>>244 そう、思うのは君が観念的な論理領域を絶対視して考えるから
それで閉じた論理の世界では真かもしれないが、
現実は違う
だから、西洋論理学を振り回すヤツは現実を知らないと言われ、
役立たずで嫌われるんだと思う
246 :
考える名無しさん:2014/01/19(日) 20:22:03.37 0
哲学というのは古来、善と関係するものだと思うのだけど(セネカ、孔子)
「俺頭いい!」と主張するばかりで、一向不誠実なディレッタントを量産するのが哲学ならば、
そんなもの皆にそっぽ向かれて当然ですわな
>>243 >>242を読む限り、俺には逆に見える
247 :
考える名無しさん:2014/01/19(日) 21:07:23.56 0
仏教の原始性を思い知った昨日今日
248 :
考える名無しさん:2014/01/19(日) 21:19:45.88 0
>>247 まあ、そう言うのはネラでもできる
いや、ネラだからできるか?
249 :
考える名無しさん:2014/01/19(日) 21:26:15.90 0
このスレ、かみさんをなくして、友達もいなくて、結構元気で
ねんき−んもそこそこあってあとは死ぬばかりのおっさーん
の餌食になってるんじゃねーの?www
250 :
考える名無しさん:2014/01/20(月) 02:36:53.09 0
波平が落としたかったスレのひとつがこれ。 俺はメートル1万円のアクロリンクのケーブルで電源コードを作っていて留守だった。
バカが自分の生活と勘違いして何かほざいてる。
俺の反応が欲しくて板ごと落とす波平。許されるべき輩ではないだろう。
なんなんだ、この異常者は。俺の人生と波平の人生は無関係。関わり方が他人に迷惑かけすぎだ。
俺以外の人達のことを配慮しない哲学板管理人第三の波平。許されないだろう、この人間。
仏教はすばらしい。
>>242 我田引水もほどほどにしないと、そういうつまらない話になりますw
その「私は嘘つきです」という問題は、たんなる論理の問題ではなく、自己が自己を扱う時に生じる問題だから、
いわゆる〈私〉の問題であり、仏教の「我執」の問題にもつながる話でしょう。
自己が自己を問題にする時には、自己は〈見る自己〉と〈見られた自己〉に分裂しており、
つまり、自己自身が〈主〉と〈客〉とに分裂している。
(そのように分裂した人間存在をサルトルは「対自存在」と呼ぶ)
そしてその〈見る自己〉と〈見られた自己〉とは決して一致せず、そこには必ずズレが生じます。
なぜなら〈見る自己〉そのものは常に見る側にあるのであって、決して見られる側には回れないから。
(別の言い方をすれば、「私は○○です」と言って、自己を「○○」として〈本質規定している〉のが〈私〉なのだから、
それは、「○○」として〈本質規定された〉ものと同一のものではあり得ないから。)
だから、「私は○○です」と言っている〈私〉は常に「○○」とはズレている。
西洋哲学では特にこの「見る自己は見られない」という点に焦点があてられ、それが〈実存〉の思想につながる。
〈実存〉は、決して見られる側には回らないものだから、客観として扱うことのできないものであり、
言表不可能な性質を含んでいます。
それに対して、仏教では、この〈見るもの〉と〈見られるもの〉は、「能取」「所取」と表現され、それが
「執着するもの」と「執着されるもの」である点に特に焦点があてられていると思われる。
つまり、凡夫の認識の世界が、我執にもとづいている点に焦点があてられる。
>>233 >概念的、理念的論理だけで、判定しようと思うのが西洋人のあやまりでしょ
>ソクラテス、アリストテレスあたりからの。
今の話の続きでいえば、「私は○○です」の「○○」(つまり普遍的本質)を尊重したのがプラトンのイデア論。
それに対してアリストテレスは「普遍」よりも「個」を尊重した人です。
その二つの流れは、中世の普遍論争を経て、現代に続き、
〈実存〉の思想は、その二つの流れのうち、「個」を尊重する流れの中にある。
普遍論争を見てもわかるように、「個」というものそのものの中に、言表不可能な性質があります。
それに対して仏教における言表不可能性は、主に、上の〈見るもの〉と〈見られるもの〉とが、
相待(縁起、相互依存)において成立するという点からでてくると思われる。
254 :
考える名無しさん:2014/01/20(月) 14:13:23.29 0
>>254 もう少しまともなことを書けば、相手にしてあげるかも。
暇だったらねw
256 :
考える名無しさん:2014/01/20(月) 15:01:10.67 0
>>255 いや、いいは解説書解説書いて得々としてるような人と話しても無駄なんで
257 :
考える名無しさん:2014/01/21(火) 00:23:50.78 0
二律背反のみに依存する哲学の一派、数学について語れ。
258 :
考える名無しさん:2014/01/21(火) 07:38:49.59 0
>>257 >二律背反のみに依存する哲学の一派、数学について語れ。
どういう意味。仏教なら「二律背反のみに依存する哲学」ではないけど?
259 :
考える名無しさん:2014/01/23(木) 13:08:53.46 0
クレタ人のパラドックス
もいいが、で、仏教のものすごさはどこさえっただ〜〜〜
260 :
考える名無しさん:2014/01/23(木) 19:02:49.18 0
え〜〜〜固いお話し中恐縮でげす
やや、御酒御下賜、ごちになりやす。
御耳よごし、おそれ入谷の鬼子母神、おっと、こちらは
神でない仏ほっとけ
ポンポンポンチンチンチン
スぐに立春
レんげも咲くよ
チンも元気に
かまもたげ
ポポンポンペコチンチン
ではお偉い旦那衆、御免なすって
以上について仏教哲学の高邁な解釈如何?
仏教が現代物理学に先んじて宇宙創成の謎を解明していたって本当ですか?
え、現代物理学って既に全部解明したの?
263 :
考える名無しさん:2014/01/24(金) 18:45:50.51 0
禅臭風五七五:
うらみせず おもても みせず ちるもみじ
さとらずと おもっているのが さとりなり
ありがたや じごく ごくらく みなおなじ
265 :
考える名無しさん:2014/01/26(日) 20:33:10.51 0
仏教が現代性科学に先んじて宇宙創成の謎を解明していたって本当ですか?
266 :
考える名無しさん:2014/01/28(火) 19:23:28.81 0
236 :考える名無しさん:2014/01/18(土) 19:11:22.34 0
>>233なにも答えていないね。いつものことだが。
もう一度念のため。
嘘つきですか正直者ですか?
仏教も現代物理もクソつまらん
想像力が低すぎ
君の宇宙論を開陳してみてくれ
269 :
考える名無しさん:2014/02/02(日) 15:54:24.09 0
\ \
ヽ\、 ^\ はあ〜〜 有るものくう!無いものくう!
\ \\ヽ、 ^\、 生成消滅いっさいくう!
\ \\ヽ \ |\ 初めもくう!終わりもくう!
\ \ \ \ λ\、 それでも腹へりゃご飯はくう!
\ \ \ \ \、 已去去らず!未去去らず!
\ \ \ \ ^ー)\ 去りつつあるもの去るわけねえ!
\ \ ´⌒ヽ,⌒ヽ,_ ^)\、 形はくう!五蘊もくう!
\ \ 人 λ\ ____ ^)\λ そう言う俺さもいっさいくう!
\ 「\ 、 ヽ/ _ノ ヽ、\ |
\ \ \ ヽ / ( ○)}liil{( ○) て
\ \ \ / (__人__) \ (
\ \ ^ | |!il|!|!l| | r'"
Z_ ヽ、_\ |ェェェェ| / て
Z_ \______ / (
Z_ r'"
Z、、 竜樹 (
バレンタインの季節です。
吉川裕(東北大学大学院)による贋ラブレターの計に注意しましょう!
身も心もズタズタにされます。
--------------------------------------------------------------------------
発信者 よしかわゆたか
SUB RE:RE:RE:RE:百合とは何か
2/11 23:24
スカイプはつかってなけりゃあ、そもそもパソコンが今手元に無い。
研究室に置きっぱなし。そして私は今から寝る。「あーもーいいや、寝ちゃお寝ちゃお寝ちゃおーそう寝ちゃおー」と、
「ふわふわ時間」的に言いながら。ああ神様お願い。ドリームタイムください。
じゃあまた。
271 :
考える名無しさん:2014/02/04(火) 13:45:00.79 0
仏とは仏の知慧そのものである。
仏の知慧は森羅万象である。
森羅万象は空相である。
生ぜす滅せず、垢つかず浄からず、増さず滅せずである。
このような仏の知慧が現成するのは、仏が現成するのに異なることがない。
さらに問わねばならぬ、学ばねばならぬ。
供養し敬礼するとは、仏にまみえ仏に仕えることである。
仏にまみえ仏に仕える者は仏である
(正法眼蔵より抜粋)
法身?
三身即一身
カントって東洋哲学っぽいよね
276 :
考える名無しさん:2014/02/11(火) 08:39:45.45 0
仏教は哲学的には微妙だろ
ただし仏陀の説いた教えは間違いなくかなりハイレベルな哲学だとは思う。
所詮現存する仏陀の説いた教えというものは、弟子が解釈した仏陀の教えなわけだから。
解脱すら出来ていない弟子が可能な範囲で解釈した教えであのレベルだ
解脱した仏陀の思考をそのまま聞けたのなら古今東西の哲学者が平伏するレベル
278 :
考える名無しさん:2014/02/11(火) 10:02:19.46 0
280 :
考える名無しさん:2014/02/11(火) 11:47:39.03 0
>>279 少なくとも弟子でも解脱した人はたくさんいたよ
それとブッダに思考・見解・思想があっては、解脱してないな
道、教えは問いても、それは思考・見解・思想を主張しているのではありえない
西洋哲学の論述に慣れている読者としては、井筒俊彦の
『意識と本質』(岩波文庫)や最近出た『禅仏教の哲学に向けて』(ぷねうま舎)
なんかがやっぱり読みやすい。「哲学(思想)としての仏教」を知るには
井筒俊彦の著書がいいんじゃないか。龍樹とか道元とか、やっぱり読んでいて
いらいらする。
282 :
考える名無しさん:2014/02/11(火) 17:15:05.78 0
>>282 おまえの存在自体が、非仏教だとはやく気づけ・・・
284 :
252:2014/02/12(水) 13:24:31.11 0
>>281 井筒俊彦は悪くないと思いますが、井筒氏の著書を読んだとしても、
たぶん、道元とかの分りにくさは、あまり変わらないのではないか・・・と思う。
道元などは、いろんな経典、論、などを踏まえて書いており、
そして我々はその基になっている教典や論を知らない。
たぶんその点に、分りにくさの一番の理由があるのだと思う。
で、たとえば道元の場合は、『大乗起信論』『宝性論』『勝鬘経』あたりと親近性が深いように思う。
だから、『大乗起信論』→『宝性論』→『勝鬘経』と読んでいってから道元を読めば、
その分りやすさは全然違ってくるはず。
とはいえ、『大乗起信論』や『宝性論』も、仏教的な予備知識(用語など)がない者にとっては、
それを理解するには相当の時間がかかる。
それだけの時間をかけるに値するのかどうか・・・
それは各人が判断し、決断するしかないことですね。
285 :
考える名無しさん:2014/02/12(水) 16:58:29.16 0
>>284 なんで?
オイラ的には『大智度論』『中論』『入中論』あたりからのが分かると思うけど
286 :
タックル!:2014/02/12(水) 17:07:54.57 0
泣いてなんかない
ちょっと、肉汁が出ただけだ
一人にしてくれよ
仏教といや、産まれてすぐ7歩あるいて天上天下唯我独尊てどっから出てきたのアレ
哲学的な読みときはできそうだけど、禅ぽくはないし、尚更仏の教えっぽくもない
288 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 11:41:53.49 0
>>287 そりゃ、禅も仏教も勘違いしてるからじゃないか?
何を?
290 :
考える名無しさん:2014/02/14(金) 05:23:52.21 0
「天上天下唯我独尊」を「禅ぽくはないし、尚更仏の教えっぽくもない」と言うが、
君の思う「禅」「仏の教え」が勘違いなんじゃないかということ
どういう「禅」「仏の教え」を考えてるんだい?
291 :
考える名無しさん:2014/02/16(日) 18:57:31.57 0
浄土系の仏教は完全に本来の仏教からはずれた異教である、封建体制には
まことに便利で江戸時代には栄えた。とくに浄土「真宗」はいまの
法然の教えとは程遠い、まさに「僧か」みたいなもので、
日蓮本来の教えとは程遠い。真宗の僧の肉食妻帯は釈迦が聞いたら
肝をつぶす異教である。
292 :
考える名無しさん:2014/02/16(日) 20:00:10.18 0
>>291 いやいや、真宗は現代教学は非仏教だけど、
本来仏教だよ
日蓮は明らかに最初から非仏教
293 :
考える名無しさん:2014/02/17(月) 18:20:12.97 0
浄土真宗=ネストリウス派、キリスト教の一派
294 :
考える名無しさん:2014/02/17(月) 20:16:09.39 0
295 :
考える名無しさん:2014/02/18(火) 20:07:39.62 0
地獄極楽で愚民を騙し権力の走狗、Cathoric
にソックリな似非仏教、それは浄土志ん醜
296 :
考える名無しさん:2014/02/18(火) 20:43:28.11 0
>>295 そういう地獄・極楽は大乗なら、必ず説くよ
あとキリスト教に浄土教を比するような見方、考え方は清沢満之に代表される
明治以降の説で、本来ありえない
>>282 >>284 ご教示ありがとう。参考にしますね。
龍樹と道元は現代語訳で読んだんだけど、こう、「AでもなくnotAでもなく」
的な記述が延々と続くでしょう。特に龍樹。正直、途中で意識がぼーっとなってくる。
井筒俊彦さんはやっぱり西洋人に分からせようとして書いているところがあるから、
論述が西洋哲学的なんだよね。ゆっくり色々読んでみます。
298 :
考える名無しさん:2014/02/18(火) 23:10:20.68 0
>>297 井筒さんの『意識と本質』は西洋人に分からせるというより、
東洋思想の現代的脱構築なんで、仏教そのものを書いてるわけじゃないです。
最初にその言い訳みたいなのが書いてありますよ
>>298 なるほど『意識と本質』はそういう捉え方の方がいいかも知れませんね。
ただ、井筒さんは英文の論文、著作が多いでしょう。
『禅仏教の哲学に向けて』も英語からの翻訳で、『意識と本質』の論点を含んでいます。
エラノス会議の存在が大きかったわけだけど、鈴木大拙ほどではないにせよ、
西洋人向けという意識はあったかもしれません。
とはいえ仏教そのものではない、というのは事実ですね。井筒的東洋哲学は西洋哲学を前提しないと
出てこないものだという認識ははっきりありますし、東西を往復、比較しつつ、東洋思想を
共時的に構造化しようとしていたと言うべきでしょうね。自分は中村元さんが苦手なんですよ(笑)
仏教そのものというと難しいですね。岩波文庫や講談社学術文庫に入っているものや、
手元にある現代語訳道元全集を読み直してみます。
300 :
考える名無しさん:2014/02/19(水) 18:58:18.36 0
>>296大乗なるものは実は小乗、上座部仏教こそ本流
301 :
考える名無しさん:2014/02/19(水) 20:16:34.43 0
>>300 そういう言い方はないな
そして全く勘違いしてるけど
思いたいなら、思っとけばいいよ
それとテーラワーダなら、ビルマしかないと思う
スリランカは日本仏教とそれほど変わらないような状態だと思うよ
302 :
考える名無しさん:2014/02/19(水) 21:26:38.25 0
>>299 >仏教そのものというと難しいですね。岩波文庫や講談社学術文庫に入っているものや、
>手元にある現代語訳道元全集を読み直してみます。
それらより、片山一良の原始仏典と中公文庫の大乗仏典の方がいいですよ
道元禅師も現代語訳は変なのが多いので、避けた方がいいと思います。
>>302 手元にある道元は、石井恭二訳の『正法眼蔵』(河出書房新社)なんだけど、
現代語訳に問題があるかな?
さておき、>片山一良の原始仏典と中公文庫の大乗仏典
のご紹介ありがとう。読んでみます。
スレタイとは意味が違ってくるけど、よくキリスト教系の教会から外人さんが
勧誘に来る。「私はBuddhistなので結構です」と言うと、すぐに帰ってくれる。
そのとき、仏教の凄さを思い知った(笑)
305 :
考える名無しさん:2014/02/20(木) 14:37:35.45 0
>>303 石井恭二訳は読んだことないので分かりません。
306 :
考える名無しさん:2014/02/21(金) 09:18:09.72 0
素朴な質問です。地獄極楽は言葉の上だけではなく存在するのですか。
あるとすればちょっと見せてください。どこで見せてくれるのですか。
307 :
考える名無しさん:2014/02/21(金) 09:42:54.37 0
>>306 >>159 仏教では知覚も対象としての外界も自立的に実在してるとは捉えません。
それぞれの業に従って、それぞれ縁起するのみです。
ですから、知覚したいなら、知覚すべき業、行為をしないといけない。
極楽が見たいなら、アミダに信を持って念仏しないと
地獄が見たいなら、殺す盗む騙るヤルをガンガンすれば見られるでしょう。
308 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2014/02/21(金) 10:47:55.16 O
>>306 仏教が「死後に地獄極楽に行く」とか「来世の為に善業を積む」なぁーんて宗教だと考えてるなら大間違い。
嘘だと思うなら試しに中論なり理趣経なり般若系の経論をご覧なさい。
(^。^)まぁ確かに、一部の宗派や自称「仏教」のカルトはそんな与太飛ばしてますがね。(笑)
309 :
考える名無しさん:2014/02/21(金) 11:26:51.80 0
310 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2014/02/21(金) 20:03:26.86 O
>>309 お前らは一生、そうやって仏教を貶めてろ。(笑)
311 :
考える名無しさん:2014/02/21(金) 20:06:17.39 0
>>310 いや〜、言動からも見解からも君こそ仏教と縁がないと思うが
313 :
考える名無しさん:2014/02/21(金) 20:56:11.48 0
>>312 それはキリスト教的原始絶対主義と実在論的歴史主義によった19世紀の西洋仏教研究を水で薄めたような見方
それに似たようなもので現代日本で流行っているのにナショナリズムと結びついたスリランカ仏教のテーラワーダ原理主義があるけど、
それも似たようなもん
どっちも信用するに足りない
314 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 08:46:14.27 0
315 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 08:54:54.40 0
>>314 これを与太話とするなら君が仏教に縁がないということに他ならない
素朴実在論に立って仏教を分かろうというのは無理
316 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2014/02/22(土) 09:48:44.49 O
オウム信者みたいな奴がいるな。(笑)
(`・ω・´)「君には仏教と縁がない!」
(^。^)お前がねーよ。(笑)
317 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 09:59:11.10 0
318 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 19:31:33.10 0
>>307 >地獄が見たいなら、殺す盗む騙るヤルをガンガンすれば
>見られるでしょう。
つか「でしょう」がきになるな。想像じゃんw
319 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 20:04:28.05 0
>>318 そりゃ、オイラは聖者じゃないからね
そういった神通はないんで、経典や伝承に従うしかない
320 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2014/02/23(日) 11:44:59.84 O
>>319 じゃあお前さんは、過去世譚とか釈尊の出生譚とかも字義のまま受け入れてる訳だよな?(笑)
(^。^)うんうん、お釈迦様は脇腹から産まれて直ぐに喋って二足歩行出来たんですよね。(笑)
321 :
考える名無しさん:2014/02/23(日) 11:52:40.30 0
>>320 当然だ。それらは単なる現れで縁起だから。
君は釈尊が実在だとでも思っているなら、そりゃ縁起でなく
ただの素朴実在論を盲信してることに気づかなくてはならない
322 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2014/02/23(日) 13:12:29.26 O
>>321 なんで素朴実在論なんだか。(笑)
経典に書かれたまま鵜呑みにしてるだけの君は単なる原理主義者だよ。(笑)
(^。^)俺の目の前には、脇腹から産まれ釈尊なんか居ないぞ?(笑)
323 :
考える名無しさん:2014/02/23(日) 14:23:19.64 0
>>322 そりゃ単純だろ君は仏教の経典や聖者による伝承より、常識を信じてるからだ。
経典や聖者は縁起に依り、常識は素朴実在論に依ってる。
常識といっても素朴実在論といっても亜科学信仰といっても、記号は何と言ってもいいが、
それが仏教では我見、有身見などと言われることぐらい分かるだろ。
君の根拠は中論などを曲解した現代学者の説以外に何かあるのか?
自分でキッチリ三蔵や論書から導いたとか、聖者の伝承だとか、
まさか自分が悟ってるとは言わないだろ。
ちょっと、高野山で坊さんのまね事したぐらいで。
まあ、あるっていうなら、書いてみ。
324 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2014/02/23(日) 15:11:06.14 O
>>323 俺は中院流だとか一度たりとも書いてないが、君は俺を高野山派だとデタラメを書いた。(笑)
まぁ真言と言えば高野山しか思い浮かばんのだろうが、
そういう単純な思い込みを「素朴実在論」と揶揄するんじゃないのかね?(笑)
たしか経典では、「自らを島とし、法を島とせよ」とも説かれていたが、
君の周りには脇腹から産まれたという方や出産後直ぐに歩いた赤子が居たのかね?(笑)
(^。^)もしそうなら、俺も考えを改めますがね。(笑)
325 :
考える名無しさん:2014/02/23(日) 16:22:54.79 0
>>324 そうか。オイラの記憶違いか、それは間違いだ。失礼した。
さすがに君のことを人が言っていたのか、君自身が言っていたのか覚えてない。
そこまで注目すべき人じゃないから
自洲・法洲ってのは自らの無明な知覚を信じろなんて近代解釈じゃない。
法に出会えた人身という輪廻の瀑流での中洲のようなもので、
法という乗り物によって解脱・涅槃という彼岸へ渡れという意味。
そりゃ、オイラの周りにはブッダもいないからな
ただ神通持ちなら、結構出会った。
しかし、なんでそう見たものは信じるという自分の知覚を信じ、
経典や伝承という仏教を信じないのに自分が仏教を語ってると思い込めるのか不思議なんだが、
まあ、結局、そういう近代解釈のみで経典も伝承も君には何もないってことだろう
今回も、もう、付き合うのは止めるは
326 :
考える名無しさん:2014/02/23(日) 18:30:45.16 0
>>319教養のない無知な人間なら騙せても、いまどき
「信仰があれば極楽あり」なんぞ信じるものがあるか。
327 :
考える名無しさん:2014/02/23(日) 20:13:56.70 0
>>326 そう考えると多分、新興宗教が盲信によって騙してるように思うんだろうけど、
そう思うなら仏教に縁がないとしか思えない
西洋では多くのインテリが、現代でもそう信じて仏教に入っているよ
328 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2014/02/24(月) 17:58:23.80 O
「西洋のインテリ」が頭良い
↑
これもある種の「素朴実在論」。(笑)
(^。^)俺は、とある日本の伝統的仏教の一僧侶から教わった法を依処として己が信じる所を歩いてるだけだから、
誰かさんみたいに「俺だけが正しい!」とはよう言わんわ。(笑)
329 :
考える名無しさん:2014/02/24(月) 18:33:30.20 0
哲学かと思えば信仰、信仰かと思えば業界用語を使って
けむに巻いたつもり、この生噛りえせ仏教「学者気取り」
はどうしようもない、鰌もない。
前々からジョウキョウって人だけは駄目だと思うわ。
頭の中に山ほど仮想敵が住んでて、一瞬一瞬そいつらと戦ってる感じ。で、周りの人もすぐにその仮想敵と
同一視されてしまう。死ねば少しは頭の中も静かになるよ。
331 :
考える名無しさん:2014/02/24(月) 18:44:20.61 0
>>330 仏教を理解もしてないし信じてもないのは確か
332 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 09:38:58.86 0
論理的に整然と説明できないから信仰信仰
333 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 10:20:08.98 0
>>332 アナタのいう「論理的」というのは実在論による説明、
あるいは凡人の知覚でという意味か?
だとすれば、そういう見方が妄想だとするのが仏教なので、
まるで盲人に現象を聞かせても、「見えねから、そら妄想だべ」って言ってるようなもんだ
仏教そのものはやはり思想だよなあ
仏の伝えたかった何かは思想でないかもしれないが、それは教えという思想によってしか伝わらない
335 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 11:25:40.11 0
>>334 伝えたかったのは、思想や見解といった分別を鎮める道で
思想ではないです。
この点が『中論』で「仏は何も説かなかった」と説かれ、同じく龍樹菩薩が「我々には主張がない」説く意味。
それは『ヴァッチャ・ゴッタ火喩経』『金剛般若経』
『往生要集』岩波文庫上326頁でも同じ。
分別を鎮めること自体は思想でないかもしれないが、道を説いたらそれは思想でしかなくね
337 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 12:27:51.53 0
>>336 そういうことはできるかもしれないが、
少なくとも伝えたい、主張したい思想ではないでしょ
伝えたいことは思想でなくて、伝える手段が思想てことでそ
仏の「教え」てのはその手段にあたるんじゃないのかと
上の方にある「仏教ではこう考える」みたいなのは思想以外の何物でもないし
339 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 15:35:20.67 0
>>338 それは違う
伝える手段は言葉などで、その内容は思想などを鎮めるものだが、
その表現内容自体を思想ということも可能だが、
何か主張してるわけではない、ということ
思想を主張したい訳でないのはわかる
でも教えという形をとる以上、思想としてしか伝えようがないのではないかと
仏教は思想を伝えることを目的としていない←わかる
仏教における思想はあくまで道であり、それを主張したいわけではない←わかる
仏教は思想を主張しない←えっ
341 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 16:31:01.62 0
>>340 >仏教は思想を伝えることを目的としていない←わかる
>仏教における思想はあくまで道であり、それを主張したいわけではない←わかる
>仏教は思想を主張しない←えっ
なんで上の二文認めて最後の一文を認めないのか分からない。
『中論』で「仏は何も説かなかった」と説かれ、同じく龍樹菩薩が「我々には主張がない」とも説かれてるではない?
主張は全くしてない、考え方、見方として道を説く、それを思想と言うこともできるけど、
思想というと「xが真理である」と主張していると採られやすいので、なるべく思想と言わない方がいいと思うよ
んー、そう採られたくないがために極端な物言いをするのはおかしいんでないかと
「飲尿健康法は健康のためにするのあって飲尿を薦めない」
やたらに飲尿を薦めてると勘違いされたくないからといって上のような言い方をしたら、それは単なる嘘でしょ
343 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 19:47:12.99 0
>>342 だって思想っていい方、本来仏教じゃしないから
それを西洋の thought みたいな概念の訳語として使うと、上のようになるでしょ
344 :
考える名無しさん:2014/03/24(月) 06:56:56.46 0
345 :
考える名無しさん:2014/04/05(土) 14:27:41.30 0
竜樹への反論
「C点による仏教論」を検索
色即是空ーーー「色〔現象)」は空で、実体が無い。総てが無、我らも「無我」。
これ竜樹、わかる?
色即是空ーーー「色(現象)」=「空(無)」
現象=有で、
「有無合一体」
感覚器官は「無は認識出来ない」ので、
「有無合一体」は、「有」とのみ認識される。
わかる?
あるものはある ないものはない
コドモでもわかる?
346 :
逝ってしまえーpart2:2014/04/05(土) 14:35:53.30 0
家の父親 初めて低周波治療器で肩叩かれたとき
怒ったよ ・・・・・
「 なんだ こんなもの 人をばかにして 」 って
いきなり MAXにするほうがわるいとおもう
首が肩にめり込んでジャミラになってやんの (笑)
347 :
考える名無しさん:2014/04/05(土) 20:48:09.27 0
>>345 > 色即是空ーーー「色〔現象)」は空で、実体が無い。総てが無、我らも「無我」。
こういう意味じゃないんで
349 :
考える名無しさん:2014/04/06(日) 06:03:59.64 0
>>348 たしかC点くんには前に教えたことがあるので
繰り返さないよ〜
>>349 たまたま覗いて斜め読みしてたら気になったから質問した者で、C点さんという人ではありません
空は実体はなくすべては現象だと認識してた
351 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/04/11(金) 09:05:52.73 0
>>1 :ニートたけし
>色即是空空即是色
これは般若心経のことだと思われますけど、心経は大乗仏教の中でも少数派の中観派の経典です。
中観派の言いたいのは色即是空では在りません、その文章の前の「五蘊皆空」と言うことです。
色即是空は前振りに過ぎません、心経を「色即是空」と捕らえる人は心経がポピュラーで人気があるので中観派の心経を曲解して自分(大乗仏教唯識派)の方に逆転して解釈する訳です。
心経は大乗仏教中観派の教えをわかりやすく説いていて「五蘊皆空」の意味は後に続く「無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法」と言う事です。
其の前の色即是空(=物質は絶対的な存在ではない)これは勿論なのだが・・・
「無受想行識」感覚(耳・鼻・舌・身・色・声・香・味・触)や意識、観念(想・行・識)も絶対的な存在ではない。これが心経の言いたかった事なのです。
要は「悟り」だとか「善」だとかそんな観念に拘っているから「苦しみ」が生ずるのだと言っているのです。
現在の大乗仏教(日本が大乗仏教の世界の中心でしょう)では「識」の要素が重んじられているので「無受想行識」ではちょっとまずいので心経を代表する言葉として色即是空を強調します。
そこには「識=観念=悟り」を重視する企みが有ります。
所謂「唯識派」(現代日本の大部分の仏教)と言う集団です。
352 :
考える名無しさん:2014/04/11(金) 09:42:49.13 0
>>351 唯識は、「転識得智」だから、あなたの考えは頓珍漢。
354 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/04/11(金) 13:55:53.44 0
>>353 :考える名無しさん:
>唯識は、「転識得智」だから、あなたの考えは頓珍漢。
転識得智だから何故頓珍漢になるのかを少し説明してください。
355 :
考える名無しさん:2014/04/11(金) 15:26:42.55 0
356 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/04/11(金) 15:52:47.01 0
>>355 :考える名無しさん:
>中観や唯識、般若心経をこう解釈する根拠ね
仏教は宗教です、解釈に根拠はありません。
反論があるなら貴方の解釈で反論しなさい。
それに対して私も反論できます。
357 :
考える名無しさん:2014/04/11(金) 16:14:17.92 0
>>356 それじゃ、話す意味ないでしょ。お互いに自説を述べるだけで。
え〜、仏教はインドでもチベットでもシナでも日本でも異論が有る時は、経証と理証で話しました。
まあ、上のは単なる妄想であることが明らかなんで、「根拠はオレ」って言われちゃ付き合ってられませんです。
358 :
考える名無しさん:2014/04/11(金) 16:19:47.95 0
>>357 補足しとくと、もちろんブッダは例外。
高い聖者も異論の根拠に経典や先師の言葉を出すのが仏教の伝統
359 :
考える名無しさん:2014/04/11(金) 17:06:04.29 0
355が出したテキストは<絶対空こそが真理。マントラがその絶対無を暗示
する>と言っている。それは悟りや明智や善悪を重視することとも違う。
むしろ悟りや善悪の観念の脱構築が主眼。
梵文テキスト:<空性>の次元では、物質もなく、感受もなく、想念もなく、
諸意志もなく、識もない。
同テキスト:眼・耳・鼻・舌・身体・思考(意)[とい
う六箇の内なる部門]もなく、色・音声・臭い・味・可触物・存在素(法)
[という六箇の外なる部門]もない。[十八の根源界(十八界)における]眼
の根源界(眼界)から思考識の根源界(意識界)までもない。[十二支分から
なる<依存的生起>(十二支縁起)における無明と敵対する]明智もな
く無明もない。明智の滅書もなく、無明の滅蓋もない。
すなわち悟りの奥義や知も無明と明智もすべて離脱されるのだから351の
解釈-識、観念、悟りにこだわるのは真理ではない-は355の出したテキスト
と矛盾しない。といっても最終綱領としては識や観念も悟りも超えられ
るということ。識や悟りは中間綱領-まだ哲学に留まる-とみればいい。
360 :
考える名無しさん:2014/04/11(金) 19:57:38.01 0
361 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/04/11(金) 22:36:27.10 0
>>359 :考える名無しさん
>絶対空こそが真理。マントラがその絶対無を暗示・・・
絶対空とか絶対無を否定する為のが心経の趣旨です。
絶対性の否定を「空」と言っているわけです、小学生でも経を読めば判る。空性と別個に物質は無くそのようなことは全てに言えることなのだから空性なるものが空性と別個に存立する(絶対空)はずも無い。
>といっても最終綱領としては識や観念も悟りも超えられるということ。
超えたところに再構築してしまえば元の木阿弥である。
仏教の実践に最終も中観も無い、弛まず実践するのみであると経に書いてある。終わりはない。
362 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/04/11(金) 23:15:03.61 0
どうも勘違いしていたようだ。失礼した。あのテキストにも物質とは
空性と同じとありますね。ちょうど廣松渉が物象化的錯視とか言ってる
けども、関係の一次性が実体があるという錯視を生むとか。それを思い出し
た。
あと麻原の言うこととも重なってるね。彼も一応勉強はしていたのだろう
から似ていて当然なんだが。あのテキストと似たことを説法で喋っている
。
因みに私は廣松の哲学は人間のrealityとはかけ離れているとみなしている
。それと似て非なる空性の哲学もそういう感じがする。すべてが業縁、因縁
と言われて、しかし現に今ここで有ること、自己の有限であることのもたら
す世界が変わるわけではない。あのテキストにも感じたが、どこまででも
<「私」など幻想>と言われているようで、しかし言われたところで現に
有ることが変わるわけではない。生の実感には遠いしその実感は空性の
理論でどうなるものでもない。変わらないわけです。
まだ麻原の理論の方が修行による世界の深化が実感される分、-一応修行者
の体験として実証されている-世界も変貌や深化が実感されるように思えま
すね。現実世界(俗界)と涅槃を往還することができなければならない
とされている。境地がはっきりしている。麻原は自己のヨーガと連結して
仏教哲学の観想を打開しようとしたのじゃないかと思えてきましたがね。
365 :
考える名無しさん:2014/04/12(土) 06:01:40.34 0
>>363 物質と空性と同じではなく、
物質は本質を欠いて空っぽな性質だというような意味
それと哲学ではない、何か思想・哲学としてつかんでいるものを開放する道として説かれた教えに他ならない
366 :
353:2014/04/12(土) 13:35:59.15 0
>>354 「転識得智」は、唯識の修行の過程で生じる転換のこと。
その説明を引用しておきます。
「〈識〉が〈智〉になる。〈識〉は言葉を通してものを知る概念的認識で、したがってそこには、
対象を実在化する働きが潜在しているのに対して、〈智〉はそういう思慮分別を介さないで、あるままに自己を親証する認識の構造である。
空なる自己が空のままに空を知るのである。空なる自己が空なる自己にたちかえるのが〈智〉である。」
(太田久紀『唯識の読み方』)
だから、「識=観念=悟り」などというのは頓珍漢です。
そもそも、唯識というのは中観の発展なのだから、五蘊皆空を前提としているんです。
「五位の修行」といわれる五段階の唯識の修行の二段階目を「加行位」といいますが、
この段階は、「所取空・能取空」(哲学的にいえば「客観」も「主観」も〈空〉)という自覚が深められていく修行の段階です。
しかし我々は、自分自身が〈空〉の真っ直中にあるはずなのに、その〈空〉を自分の向こう側に置いてしまう(つまり対象化してしまう)。
我々の思惟は、そういう性質をもっています。
この「加行位」という段階では、人は《「客観」も「主観」も空》ということを<頭では>よく理解していながら、
非常に深いところで、〈空〉を対象化してしまう。
だからこの段階では、人はまだ「凡夫」と呼ばれます。
次の第三段階の「通達位」が、そのように対象化する思惟が崩壊する段階です。
そこで「転識得智」が生じ、人は「凡夫」ではなく「聖者」と呼ばれます。
対象化する思惟とは異なるこの〈智〉の働きを、唯識では「住する」などの語を使ってあらわします。
ちなみにこの「通達位」に到達するには、一大阿僧祇劫(ほとんど無限に長い時間)かかるとされます。
366を読んでると、359で書いた
<悟りの奥義や知も無明と明智もすべて離脱されるのだから351の
解釈-識、観念、悟りにこだわるのは真理ではない->
<悟りや識が観念として求められる間はまだ中間綱領。悟りの脱構築が主
眼>
と書いたことを言い直しているだけですね。あなたは“<空>を対象化す
る間は人はまだ「凡夫」である”と書いているがそれは359と同じだ。
あなたは段階などないと「仏教の実践に最終も中観も無い」と書いたが、
立派にあるじゃないですか。「そのように対象化する思惟が崩壊する段階
です」と立派に書いている。同じですよそれは359と。
<それは悟りや明智や善悪を重視することとも違う。
むしろ悟りや善悪の観念の脱構築が主眼。>
と私は359の冒頭に書いている。私の解釈をなんで「違う」と書いておいて
また繰り返すのかな。 意味がよく分からなかったのかな。
368 :
353:2014/04/12(土) 15:04:11.74 0
>>367 私はじいさんと話しているのに、私とじいさんを混同しているようです。
驚くべき勘違いをする人ですね。あなたは。
おだいじに・・・
369 :
考える名無しさん:2014/04/12(土) 15:28:19.01 0
ああなるほどね。359と366が同じと言えば正しいか(笑)じい
さんとやらが361で言ってることがおかしいということね。366が言ってるこ
とは359(私)の言い換えだからね。段階はある。対してじいさんは「段階な
どない」と361で言ってるわけだから。
366の話は分かりやすい。そうなるだろうということが押さえてある。じ
いさんは「脱構築」と「再構築」を多分混同してると思う。ちゃんと
<それは悟りや明智や善悪を重視することとも違う。>
<悟りの奥義や知も無明と明智もすべて離脱される>
と書いているのに語彙に引っかかって誤読したのだと思う。仏教は形に
とらわれず本質を見ることであるのに、本質を見誤ったのだと思う。
370 :
353:2014/04/12(土) 15:34:38.35 0
>>369 >359と366が同じと言えば正しいか
どこが同じなのかわかりませんが・・・w
では、お元気で。
371 :
考える名無しさん:2014/04/12(土) 15:50:34.48 0
では370も実は頭が悪いということですか。残念です。
372 :
考える名無しさん:2014/04/12(土) 16:03:55.01 0
>>366 >唯識というのは中観の発展なのだから
これはミロク菩薩以外は違うでしょう
無著菩薩・世親菩薩ともにアビダルマ的で分析体系的で戯論寂滅への導きというより論証という方向だと思うだよね
それは陳那・法称菩薩あたりに明らかで、シナ日本法相宗やチベット・ゲルク派あたりに近いと思う。
373 :
考える名無しさん:2014/04/12(土) 16:05:28.94 0
>>367 こういう理解は仏教を思想・哲学と捉える誤読の典型
修行の必然性が出てこない解釈は間違ってると思うべき
しかし
<空のままに空を知る><対象化する思惟が崩壊する段階>
<空なる自己が空のままに空を知るのである>
とかを見てると、これは解離を意識的に作り出すということだろうとい
う気がしてくる。そうすると獄中の麻原をどうしても連想するね。家族の
面会中に自慰に耽り、英語まじりの独語を呟き、脱糞は日常茶飯事で係員
が鼻をつまんでいる。やっぱり彼は聖者だったのか。366はそう言いたい
ようだが。
375 :
考える名無しさん:2014/04/12(土) 20:51:54.04 0
>>374 麻原は水俣病の復讐で、鍼灸、ヨガ、仏教を利用して人を集め
始めから毒ガスによる首都壊滅を狙ってた人でしょ
三昧体験や神通もあったようだけど、仏教とは本質的に無縁
物質とは別のところに<空性>があるのではないし、……識とは別のところに
<空性>があるのではない。それはなぜか。物質こそが<空性>であり、……識
こそが<空性>である。<空性>こそが物質なのであり、……<空性>こそが識
なのである。
かような思想を貫通するなら、人間が日常的・刑法的にとらえる善悪など
仮のものでありそれを鵜呑みにするものではない。また、俗界での道徳に
基づいて行為を裁くことなどから徹底的に離脱することは必須だろう。物質
・身体・識の真理が空性ならばその真理を知る人間が無差別殺人したとして
も或いは反対に慈善活動したとしても真理には関係ない。むしろ俗世におけ
る道徳や常識・大人性などを断念し、没落していくこと。それが為されれば
為されるほど固定的観念・人知から離脱できるわけで、逆に真理に近づく。
そういう考えが起こって不思議ではない。
固定観念に囚われることと逃げることは同じだから近づいたりはしないよ
>>375若いインテリが官僚や金融を潰してやろうというのはよくある話
麻原はやれやれ言ってただけ
三昧体験や神通ができるなら低俗な快楽なんて必要ないから嘘でしょ
379 :
考える名無しさん:2014/04/12(土) 21:56:15.80 0
366が親切に書いてくれてるように知や対象化に囚われている限り「凡夫」
である。その段階よりも上に行くのなら対象的知を離脱しなくてはならない
。市民社会的常識や生活、あるいはアカデミズム、学究や地位、あるいは
僧としての地位や教養や名誉に執着や満足している限り、真理に住すること
からは遠い。
366が提示した真理の階梯は麻原の言動、また現在の獄中での姿にも
通ずるものがある。あれらを現在の常識・教養・市民社会からはかって
も届かないということだ。
382 :
考える名無しさん:2014/04/12(土) 22:09:44.81 0
383 :
考える名無しさん:2014/04/12(土) 22:11:00.26 0
>>382 空っていうのは境目がない状態として捉えることだから
どこかに行くわけじゃないし
何か別のものになったりもしない
悟っても人間でしかない
乖離したら基地外だよ
384:乖離したら基地外だよ
「基地外」「基地外ではない」というのも人知だよね。さらに366を補足す
るなら、仏教や唯識や悟りやなんやらも全部人知。言語化され人間がそれを
認識するならそれは超えられるべき階梯にすぎない。よって「階梯」「段階
」や教義でさえも最終的に邪魔になる。366はそう言ってくれてるわけだ。
立派に根拠づけられている。
>>385超えられるからといって何でもかんでも超えるから基地外と同じなんだよ
それを乖離と言っているんだよ
その極端な考え方が本来の教義から乖離してるってこと
大げさに考え過ぎなんだよ
とんでもないことできるからスゴイ的な幼稚な発想
387 :
考える名無しさん:2014/04/12(土) 22:53:16.59 0
>>384 それって中論とか般若心経を誤解してるんじゃないかな
インチキ禅師が言いそうなかんじだ
空っていうのは、「何者も同一物として存続しない」
ってことなんだよな。
つまり自我を含めて、この世界には何者も存在しない。
ここでいう「存在」とは、「自性」のこと。
たとえば、Aというものがあったとする。
Aは次の瞬間には変化して、Aではなくなったとする。
Aは前の瞬間でも、Aではなかった。
Aが存在できるのは、「今」のみ。
だとすると・・・、Aが存在するのは0,00秒で、0,01秒も存在出来ない。
存在が0,00秒しか維持出来ないとすると、その存在は無きに等しい。
これが諸行無常の原理。
389 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/04/13(日) 02:36:28.74 0
>>366 :353:2014/04/12(土)
>ちなみにこの「通達位」に到達するには、一大阿僧祇劫(ほとんど無限に長い時間)かかるとされます。
なんですかそれ?
結局「通達位」など実現しないと言っているではないか。
386のような方は空性とか唯識とかからは縁がない人だと思う。教義
や知(いかなる知であれ)や悟性にどこまでも執着すべでないこと。
また人間的善悪や俗界の常識・大人性にどこまでも執着すべきでない
こと。それらは麻原に聴くまでもない仏教的真理の一種としてある。
仏教は理論を知って終わりではない。と前レスで誰か言っていた
だろう。空性もそうだ。388みたいなことを知って終わりではない。
ただそれを修行や学習の末に実際に実践してみせた、自らも対象的
知や悟性を最終的に離脱したところが徹底的である。あの姿は理論
から導けないことはない。世の仏教者はあれは外道とか関係ないと
かインチキとか387みたいなことを大抵は言ってるだろうがそれは
そっちの方が思考を途中で止めているだけだろう。
別に麻原の全部が正しいとか言いたいわけではない。しかし仏
教者としては認める。あれはありうるということ。
391 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/04/13(日) 03:41:06.17 0
>>369 :考える名無しさん:
>じいさんは「脱構築」と「再構築」を多分混同してると思う。
いえいえ其れが平気で再構築する人が多いんですよ。
例えば・・・・・・・・・・・・・・・・
<もの>はそれ自体が実体として現象し存在するのではないことを<色即是空>といい,
また実体としてではなくて,諸条件に支えられているからこそ,<そのもの>が<そのもの>として現象し存在することを<空即是色>と説く.」
(「岩波仏教辞典第二版」)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんな解釈が平気でまかり通っている。
「<そのもの>が<そのもの>として現象し存在」し直してしまったら元の木阿弥だ。
諸条件に支えられる<そのもの>なんだから絶対的な存在性は何処まで行っても無いということである。
脱構築した後に「存在」と言う脱構築以前の言葉を使ってはならない、仮設とか幻想とかの言葉を使うべし。
392 :
考える名無しさん:2014/04/13(日) 06:18:10.12 0
>>388 >空っていうのは、「何者も同一物として存続しない」
>ってことなんだよな。
そりゃ無常だべ
393 :
考える名無しさん:2014/04/13(日) 06:19:33.95 0
>>391 いやいや、少なくともアナタの説明よりずいぶんいいよ
394 :
考える名無しさん:2014/04/13(日) 06:42:39.04 0
>>391 >脱構築した後に「存在」と言う脱構築以前の言葉を使ってはならない、仮設とか幻想とかの言葉を使うべし。
以下の岩波の解説者が意識しようがしまいが、「存在」も「色」も仮設であることは仏教の前提なんだけどね
>この><もの>はそれ自体が実体として現象し存在するのではないことを<色即是空>といい,
>また実体としてではなくて,諸条件に支えられているからこそ,<そのもの>が<そのもの>として現象し存在することを<空即是色>と説く.」
アナタの場合は自分勝手な形而上学があって、それに合わせて適当に仏典読んでるだけでしょ。
で、その形而上学に合致すれば分かってると、合致しなければ分かってないというだけ。
それは仏教でなくアナタの妄想に合致するかしないかなんだけど
>>392 諸行無常=空 だよ
よく、諸行無常を誤解する人に、「Aという事象が変化するのが諸行無常である」と
考えている人がいるけど、それは諸行無常の本当の理屈じゃない。
「パンは時間とともに腐っていく、これも諸行無常である」 と、大抵の人は誤解している。
諸行無常とは、そのパンこそ同じものは継続しないということ。
誤解する人は、パンは継続されて、表面的な変化だけが起こると思ってる。
仏教の教えはそうじゃない。
何者も継続されるもの(自性)はない。
今の関係性の中から、ある一つだけを抜き取って、次の今の関係性に継続させることは出来ない。
なぜなら、次の今の関係性には、次の「もの」があるからだ。
縁起というのは「今」において成り立っている。
次の「今」には次の関係性(縁起)がある。
同じ縁起は1秒足りとも継続しない。
1秒たりとも継続しないものに、実体があるわけない。 これが 縁起=空=「今」(諸行無常)
396 :
考える名無しさん:2014/04/13(日) 10:44:04.41 0
>>395 まあ、それならとりあえずいいは
じゃ、今縁起してる何かをどう捉える?
人々は共通認識してるxを
>>396 そもそも縁起の解釈に誤解があるような気がする。
大抵の人は、「今目の前にあるリンゴは、縁起によって起こっている。」という仏教的な解釈をする。
ところが、その解釈は間違っている。
縁起しているからこそ、「リンゴという固定の物質は存在しない」のである。
だから、「リンゴが縁起によって起こっている」という言い方には矛盾がある。
こういう風に言い換えるべきだ。
「今目の前にあるように見えるリンゴは、縁起ゆえに空である。」 と。
縁起というのは、一枚の絵から、ある部分を抜き出すということが、出来ないということ。
一枚の絵で一つであり、その中に雑多なものがあるわけじゃない。
絵の中は空。
今という関係性(一枚の絵)の中から、一つのパズルのピースを抜き出し、
次の「今の絵」にはめることは出来ない。
なぜならその絵のその部分には、別のピースがすでにあるからだ。
パズルのピースという自性は、縁起の中では存在出来ない。
398 :
考える名無しさん:2014/04/13(日) 11:28:10.57 0
>>397 答えずにずらしか
そうなると君の説は仏教でなく、自分の形而上学に基いてて、
自説に合致するものを仏教に被せて解釈してるということでいいのか?
399 :
考える名無しさん:2014/04/13(日) 11:35:06.14 0
諸行無常や空を固定的に考えない方がいい。こういう考え方が正しく、それ以外は間違っているという発想自体が諸行無常や空に反する。
>>398 答えずにずらしじゃない。
ストレートに答えようと思ったが、
どういう意図か測りかねたため、わざと説明を拡大的にしたまで。
ストレートに答えるほうが楽。
Xを認識するっていうのは、Xに時間の幅を持たせた存在にしてるってこと。
Xの存在が0,00秒(今しかない)のならば、Xは人の思考で認識することは出来ない。
認識するってことは、認識出来るだけの時間の幅を与えたってこと。
人間の思考はこのように、「今」にあるのじゃなくて、常に個別の名称、形態に、
時間の幅を与えている。
だから、ものが存続している(自性がある)ように見えてる。
人々が共通認識をするXを見出すとき、すでにそのXは、縁起の世界から離れてる、
なぜなら縁起において、Xという個別の自性は、認識出来ないからだ。
401 :
考える名無しさん:2014/04/13(日) 11:40:20.74 0
>>399 導きの杖だからね
確かに見解・思想・哲学として捉えてしまっては躓きの石だ
だけど、妥当な説き方とそうでない説き方があるでしょう
正に見解・思想・哲学として捉えたものは誤りに他ならない
402 :
考える名無しさん:2014/04/13(日) 11:42:11.36 0
>>400 それだと釈尊や中論の縁起とは全く違うね
やっぱ、自分の形而上学説を仏教に投影してるだけじゃない
もういいは
>>402 私の見解が釈迦や中論と違うのではなくて、
あなたの見解が釈迦や中論と違うんじゃないの?
どの部分が違うと思うのか、あなたはその部分を明らかにしてないよね?
自分の意見を言っていない。
それこそ、「自分の意見と違うから、あなたの言うことは釈迦や中論とちがう」 って
言ってるようなもんだよ。
つまり、「自分の見解こそ、釈迦や中論と同じだ」
しかし、その自分の意見がどのように同じなのか、明らかにしていない。
404 :
考える名無しさん:2014/04/13(日) 11:50:57.72 0
>>403 え、聞きたいの?
じゃ、中論と違うなら、自説は撤回するというなら説明しましょう。
できないなら、時間の無駄なんでやめとくけど
>>404 っていうか、あなたは私の話しも、中論も、理解出来てないように思う。
理解して「違う」と言ってるんじゃなくて、理解出来なくて、「違うことを言ってるように見えてるだけ」だと思う。
中論そのものが理解出来てなかったら、おそらく私の言うことも理解出来ないでしょう。
中論の解釈を間違っているのなら、どんなにこちらが中論と同じことを言おうが、
あなたにとっては全部間違いに見えるだろう。
406 :
考える名無しさん:2014/04/13(日) 12:00:08.16 0
>>405 まあ、中論を完全に理解してるとは思わないが、アナタよりは分かってると思うは
まあ、撤回できないなら、やめとくは
オイラは仏教伝統教学にも従って学んで、梵パ蔵漢の諸本を結構検討した上で言ってるんだが
407 :
考える名無しさん:2014/04/13(日) 12:06:14.86 0
ネットで自分の解釈の妥当性を根拠づけるには経典によるしかないでしょ
論理はそれぞれ各自が正しいと思ってるわけだから
経典を出さないで、適当な解釈だけ述べる君やじいさんは、要するにオレの思いは正しいとしか言ってないでしょ
>>406 いくら経典を学んでも、その奥を見抜く洞察力がないとダメ。
仏教がここまで理解されないのはなぜかっていうと、表面的な学問に始終して、
その本質を理解しようとしないから。
本質を理解する洞察力がない。
本質を理解すれば、おのずと経典が後から証明してくれる。
もし経典だけの表面的理解だけならば、後から矛盾が出てくることになる。
学問だけではダメだよ。 いつまで経ってもグルグル同じところを回るだけで、
一向に本質を掴むことは出来ない。
経典の世界だけで本質をつかもうとしてもダメ。
全体的な理屈からも、筋の通った話が出来ないとダメ。
409 :
考える名無しさん:2014/04/13(日) 12:26:57.36 0
>>409 えーっと、あなたが
>>396と同一人物か分からないけど、
>>396は、
>今縁起してる何かをどう捉える? 人々は共通認識してるxを
と言ってるわけね。
これは縁起の理屈を本当に知らない人の言葉だよ。
最初に言ったとおり、「目の前にあるリンゴは、縁起している」 という見方は矛盾している。
なぜなら「目の前のリンゴ」という、時間的に継続する個別の物体を認めているからだ。
「リンゴ」という個別の物体を認めながら、それを「縁起している」と見ることは出来ない。
「どのようなものでも縁起している、それゆえ空なのだ」 という説明をもって、
ありとあらゆる個別の存在は、縁起している「もの」だ、と、勘違いする人がよくいる。
これは中論の初歩中の初歩の誤りだよ。
こんな理解力でいくら経典を読んだって、その本質は理解出来ないってこと。
っていうか、そういう理解は経典の本質を見抜けなかったってことで、
経典を読んでるから、本質を見なくても正しいんだって言ってるのと同じ。
411 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/04/13(日) 13:05:57.34 0
>>366 :353:2014/04/12(土)
答えてください「転識得智」の第三段階で
>そこで「転識得智」が生じ、人は「凡夫」ではなく「聖者」と呼ばれます。
>「通達位」に到達するには、一大阿僧祇劫(ほとんど無限に長い時間)かかるとされます。
ならばビッグバンから生じたこの宇宙で「通達位」に達したものがあるの?
修行を積むことでその位階にいけることを証明したのが麻原。しかしそれ
は人間社会では狂人・異常者であることと変りない。彼の元弟子でもそれが
もう分からなくなってるのだから皮肉なものだ。いかに俗世の観念が強固
であるか、脱するのが困難かということだろう。ひょっとすると、これ
までの歴史でも最高段階にいった者はいたかもしれない。しかし周囲の
仏教者がそれを見抜けなかっただけかもしれない。周囲は99.999…%が俗世
の観念でしか生きられない。インテリだろうが僧だろうがそこは変わらない
。
「何であれ、事物は縁りて生ずるが故にそれらの分別は観察さ
れ得ないのだから、その故に、縁起というかの道理によって、
誤った見解の網はことごとく断ぜられる。」 チャンドラキールティ
414 :
考える名無しさん:2014/04/14(月) 06:13:37.45 0
>>414 びっくりした
まさに、そのPDFからの引用です
416 :
考える名無しさん:2014/04/14(月) 20:23:23.52 0
>>415 この論文だと、龍樹菩薩や月称菩薩の諸論から断片を集めて主張する思想を導こうとしてますが、
そういう前提で中観を研究しても失敗します。
なぜなら、中観に主張する思想・見解はないからです。
その証拠に『廻諍論』29『入中論』6-173で「我々には主張がない」などと説かれ、
『四百論』16-25で「有・無・有かつ無といった何らかの主張。それが有ることのない者。彼に対して長時間かけようとも瑕疵は述べられない」と説かれるからです。
それは全く釈尊に添った道で『スッタニパータ』837で次のように説かれるからです。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/32.html これこそ『中論』25-24「仏は何も説かなかった」と説かれる意味です。
つまり、ブッダは戯論寂滅へ導くために教えは説かれたけれど、何らかの主張は何も説かなかったという意味です。
>>416 汝自身が戯論寂滅に導かれることを切に祈るw
418 :
考える名無しさん:2014/04/16(水) 05:40:19.78 0
>>417 戯論ってどういう意味だと思う?
戯れの論みたいな意味ではないよ
私はあなたがずっとここにいるのが不思議でならないんだ。
戯論寂滅、戯論寂滅、といって、衆生を戯論寂滅に導こうと本気で思っているのか。
あるいは、そうでないのか。
そうでないように私には見えるから、皮肉を書いたんだ。
420 :
考える名無しさん:2014/04/16(水) 06:16:37.55 0
>>419 導ける能力があるわけないでしょ
より妥当な読みを示してるだけ
文献学系の学者のほとんどは、中観を思想と捉えてるので誤読してるんで、
さらにそういう本を読んで妄想戯論を膨らましてる人にそれは違うよ〜
と言ってるだけ
導く力がないと思っているなら、
導く力を得るための修行をしたほうが良くないですか?
修行してますか?
422 :
考える名無しさん:2014/04/16(水) 06:52:45.56 0
>>421 そりゃ、してますよ
篭って集中してもやったし、これからも篭りたいとも思ってますよ〜
423 :
考える名無しさん:2014/04/23(水) 20:37:11.01 O
424 :
考える名無しさん:2014/04/23(水) 21:34:32.50 0
425 :
考える名無しさん:2014/04/24(木) 00:10:26.79 O
>>423 そのスレざっと読んだけど
>>1で引用されてるやつよりか核心ついた話もされてるね
426 :
考える名無しさん:2014/04/30(水) 07:23:32.95 0
我執とか思考とか心に湧き出る自分を苦しめるものをどうすれば観察できる?
瞑想で思考に気付く事は出来るが観察なんか出来ないよ。
悩み苦しんでいるときは、心にデタラメに悩みが湧き出でくるから、それに振り回されてる自分に気付くだけだ。
ここを乗り越えた人いますか?
427 :
考える名無しさん:2014/04/30(水) 08:32:15.32 0
>>426 そりゃ、最初は意識が散乱してるから
集中することに毎日親しみ馴れるしかないっすね
そのために座って集中するわけです
できれば、誰も居なく意識の散乱対象の少ない山奥などで
428 :
考える名無しさん:2014/04/30(水) 10:50:48.72 0
>>427 レスありがとう。
その集中するってのが出来ないってか、何をどう瞑想すればいいかわからないんですよ。
じ〜っと、頭にに湧き出てくる思考や雑念を認識し続けるんでしょうか?
これやると、5分ももたないで苦しくなるんですよね。
何をどう集中するのか、教えてくれませんか?
429 :
考える名無しさん:2014/04/30(水) 11:12:46.71 0
>>428 最初は5分ぐらいから、意識の流れを観るのが難しければ、
呼吸に集中してみましょう。
呼吸に5分集中できるようになったら、だんだん時間を伸ばして、
二時間ぐらいできるようになったら、意識を観るのがいいかもしれません。
>>424 佐々木氏の本は、最近出た新書のやつしか知らないけど、日本的な大乗仏教をサゲることによって、相対的に
原始仏教をアゲる軽薄な本としか読めなかった。和辻の思想を、あれと一緒にするのはさすがに気の毒では?
431 :
考える名無しさん:2014/04/30(水) 11:44:26.32 0
>>430 原始仏教の実践哲学、読んだ?
あれ、基本
>たとえば釈迦の仏教では「拝んで救済を願えば、死後、よい世界に生まれる」などということは一言も言っていませんし、
という路線の亀鑑だから。
釈尊が「凡夫が如来を賞賛して語るとき、わずかなことのみを、 卑近なことのみを、戒のみを語るにすぎない」と説かれた
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html それを正に地で行って仏教を伝統から常識に引きずり下ろし、グチャグチャにした元凶こそ和辻に他ならないと思ってる
432 :
考える名無しさん:2014/04/30(水) 12:00:09.60 0
433 :
考える名無しさん:2014/04/30(水) 15:14:05.23 0
「仏教論」で検索すると
「c点による仏教論」も、仏教論の一つです。「無記」「竜樹のけ論」を無視しているので仏教哲学ではない。元々仏教は哲学ではない。
c点論も哲学ではなく、一つの思想に過ぎない。
「裸の王様」という童話あり。
あるものはある ないものはない 色即是空? 空即是色?
434 :
考える名無しさん:2014/04/30(水) 15:36:33.57 0
>>426 「心をもてはかることなかれ」 て道元さんの言葉にあるけど、まさに、意図的な気づきはうまくいかないと思う。
ここをどう乗り越えるかは、今熟考中だが、なんとなくヒントが見えてきた。
考えて分かるようなものじゃない
思考や知的理解を一方的に排除しては、その人に悟りは永遠に来ないだろう。
考えるな。感じるんだ。
439 :
考える名無しさん:2014/05/01(木) 15:30:56.40 0
>>435 >「心をもてはかることなかれ」
そりゃ、高い境地だから、集中もできない人には無理です
ごちゃごちゃ言うなと。
不二だよ不二。
黙ってろ。
441 :
考える名無しさん:2014/05/01(木) 16:12:32.29 0
>>440 全然分かってないだろ
それに掲示板で黙ってどうする
なぜ、釈尊は教えを説いたのか?
ダルマも
443 :
考える名無しさん:2014/05/01(木) 16:33:03.58 0
>>442 そんな当たり前のこというなよ
掲示板で、黙ってどうすんだ?
不二ってどういう意味だと思ってる?
>>439 高い境地と低い境地、集中出来る、集中出来ない、こういう風に思っていては、
本当の瞑想は出来ない。
>>443 おれやおまえの意見など関係ない。不二は不二だ。黙。
446 :
考える名無しさん:2014/05/01(木) 18:11:33.72 0
>>444 本当の瞑想ねw
そんな優れた瞑想者が糞ミソの形だけの無分別論を語るとは思えないけど
447 :
なんとなく思った名無しさん:2014/05/01(木) 18:38:49.15 0
ハンマーヘッドシャーク と ノコギリザメ
448 :
考える名無しさん:2014/05/01(木) 19:56:37.06 0
>>444 そんなこと言われてもなあ
伝統仏教ではそうだし、実際そうなんだが
>>445 なるほど、単なるスローガンですね
何も分かってないし、体験もないと
あほ
450 :
考える名無しさん:2014/05/01(木) 20:25:25.86 0
>>449 悪口はいけませんな
仏教に信があるなら
また、仏教に信がなくても、ここは哲板なんで明晰判明に言葉で述べられないなら
黙るしかない
鏡はすべての物を映し出すでしょ。
452 :
なんとなく思った名無しさん:2014/05/02(金) 04:46:47.17 0
マンゲ鏡
453 :
考える名無しさん:2014/05/06(火) 18:59:10.79 0
仏教新参者です。浄土真宗の他力の信心に傾倒中。
瞑想中に自力で我執を見送るなんて無理だ。そもそも、自力でってところが既に我執だもんな。阿弥陀様にお願いしたい。瞑想と念仏ごっちゃ混ぜになってるのは自覚してる。
南無阿弥陀仏。我をとなえよ絶対救う。この心強さが嬉しんだよな。
阿弥陀様好きな人いますか?
>我をとなえよ絶対救う
ここがちょっと違うぞ。
これでは他力にならない。
455 :
考える名無しさん:2014/05/06(火) 20:06:16.85 0
教義と違うかもな。
新参者だから理解不足もあるが、阿弥陀様の心意気に惚れたんだよね。
456 :
考える名無しさん:2014/05/06(火) 20:49:23.54 0
>>453 はい、好きというか、尊敬しております
アミダは有難すぎです
他の仏教とも勿論矛盾しません
矛盾すると思う人は仏教の理解が狭いか、
浄土教を勘違いしてると思います
457 :
考える名無しさん:2014/05/06(火) 21:02:45.31 0
>>456 よかった。安心した。
浄土教って言い方良いですね。地理的にも時間的にも全部包括して。
458 :
考える名無しさん:2014/05/06(火) 21:17:15.58 0
>>457 安心してアミダ様を拝んでください。
インドでもチベットでもシナでも信仰され修行されてますので
日本の真宗の一部はちょっと変なので、それは倒錯してると考えてください
もちろん、親鸞上人は違います
江戸時代は浄土宗の聖者がたくさんでましたし、
真宗でも妙好人もたくさんでましたので、ちゃんと結果も保証されております。
459 :
考える名無しさん:2014/05/06(火) 21:57:39.13 0
>>458 いろいろありがとう。結構、マジに信心すると思います。
ただ、あれだね、俺はまだまだ欲深いから現世でも救われたいって思います。これは宗教を問わず、人間の業みたいなもんだね。
460 :
考える名無しさん:2014/05/06(火) 22:13:50.70 0
>>459 それもまるっと包み込むアミダの有り難さっすね
往生要集を読むといいかもです
もう一度言うけど、「念仏を唱えることによって救われる」 んじゃないぞ。
そこを間違えると、浄土門の意味が無くなる。
唱えることによって救われるならば、それは広い意味で自力になってしまう。
本当の他力じゃない。
462 :
考える名無しさん:2014/05/06(火) 22:41:57.06 0
>>460 往生要集ググりました。
俺はまだまだ現世に執着が有って、我執に苦しむ者です。今は自分にある苦しみを少しでも薄めたいので、この本は、後々読もうと思います。
正直に言うと、現世に苦しむ者が救いを求めて、阿弥陀様に惹かれているのです。
463 :
考える名無しさん:2014/05/06(火) 22:49:39.70 0
464 :
考える名無しさん:2014/05/06(火) 23:10:24.59 0
「どんな時にもお任せする」 それが他力の信心です。
「念仏したら救われる」 じゃなくて、「もう既に救われている」のです。
念仏をひとたびでも唱えたら、もう既に救われている。
阿弥陀様の救いが確定している。
だから後は阿弥陀様を称え、感謝する称名念仏をすればいい。
どんなに悪い自分であっても、どんなに困難が襲ってきても、どんなに自分が弱気であっても、
落ち込んでいても、潰れかけていても、阿弥陀様の救いは確定している。 阿弥陀様が救いを確定して下さっている。
だからいちいち何かを変えようとしなくていい。
全てを阿弥陀様にお任せすればいい。
そのまま、ありのままでいい。
これが他力の信仰です。
>>463のブログに出てくる、「内観の念仏」 というのは、自力の行になります。
466 :
考える名無しさん:2014/05/07(水) 00:57:09.39 0
>>465 長文による説明ありがとう。
webの拾い読みだったので、間違った理解をしていたんですね。
見ず知らずの者に時間を使ってくれて、感謝します。
467 :
考える名無しさん:2014/05/07(水) 04:38:01.04 0
日本、特に近代真宗でいう他力って結構、へんなんで
あんまり気にしなくていいと思う
その辺が日本人の限界だろ。
469 :
考える名無しさん:2014/05/07(水) 05:27:49.51 0
>>468 日本人の問題じゃなく、真宗の近代教学がへんなだけ
特に清沢満之以降は、もはや仏教とは思えない
470 :
考える名無しさん:2014/05/07(水) 05:40:30.35 0
朝早いですね。住職さんですか?
俺は自律神経失調症で眠れないヤツ。
471 :
考える名無しさん:2014/05/07(水) 05:46:57.87 0
>>470 最近、毎朝四時半ぐらいに猫に起こされてます
寝る前に座って、アミダさんなり観音さんなりのご名号を千回とか一万回とか
唱えてみてはどうでしょう。
お姿を思い描きながら、唱えると緊張がとれて眠くなるかもです
寝なくちゃとか思わないで気軽にリラックスしてやってみてください
472 :
考える名無しさん:2014/05/07(水) 05:58:36.97 0
他力というのは波平が前いってた?ようにただ念仏を唱えれば
救われるといった方が民衆は理解しやすいし迎合しやすいだろう
というものではなく、念仏をすることで他力本願に近づくという
もっと深い部分での人間の自然な「救い」を体現するのに念仏を
唱えるといった意味を持つものだろう。
人間は自然なものであり、その心や精神も無理矢理に苦行で矯正していく
ものではなく、あるがままを体現していれば自然と阿弥陀仏が救ってくれる
といったものでり、念仏はその手助けとなる。信仰の意味みたいなものを
繰り返していく行為だと思う。または霊的な意味も宗教だからあるだろうが
私も他力の教えには感動し、傾倒している。
涙がでてくるほど優しいことをいっているんだと思うよ。
「あるがままでいいんだ。自分(自力)より大きなもの(他力)に従おうよ。
そうやって自然に生きていれば必ず阿弥陀仏が救ってくれるから
人間が自然でいることはすばらしい。生きよう自分自身(他力)を」
って意味じゃないかな?
嘆異抄を読んでそう思った。
473 :
考える名無しさん:2014/05/07(水) 06:22:25.92 0
>>471 メンヘラに念仏って効くのかな。今度やってみます。
474 :
考える名無しさん:2014/05/07(水) 07:36:12.03 0
>>472 >「あるがままでいいんだ。自分(自力)より大きなもの(他力)に従おうよ。
>そうやって自然に生きていれば必ず阿弥陀仏が救ってくれるから
>人間が自然でいることはすばらしい。生きよう自分自身(他力)を」
こういうのが近代教学の誤解ね
親鸞上人も明らかに仏教の枠内で念仏を説かれててると確信する
そう思えない人は、七里恒順師か山口益先生の本を読むといい。
>>473 効く効く、信があればアミダ、観音が救わないものはない
475 :
考える名無しさん:2014/05/07(水) 09:05:27.14 0
>こういうのが近代教学の誤解ね
親鸞上人も明らかに仏教の枠内で念仏を説かれててると確信する
何いってんの?近代教学の誤解ってあんたが誤解してんでしょう。
親鸞のどこからとってきて誤解とか決めつけてんの?
山口益先生の何から発言してんの?
阿弥陀ババァか。。
念仏が、「効く、効かない」、じゃないぞ。
「効く、効かない」は、仏教じゃない。
ここが分からないと、浄土門の念仏は分からないだろ。
浄土門はとくに、平等心を大切にする。
禅も同じ。分別を無くすことが、仏教の目標なんだよ。
どんな自分でもお任せする。ありのままでいい。
こういう自分はダメだ、ああいう自分はダメだ、苦を楽にして欲しい、
なんとか今の苦境を救って欲しい、← これじゃ、正しい念仏とは言えないよ。
親鸞は昔、疫病に苦しむ村を通りかかったんだよな。
そしてその村人達を救おうと、浄土三部経を千部読誦しようとした。
お経を読むことによって村人を救おうなんて、阿弥陀様の救いを信じていないってことになるんだよね。
阿弥陀様に全てをお任せすることが出来てない。
本当の信心ってのは、良い自分も悪い自分も、すべてお任せ。
嫌なものが出てきたから、これをお任せ出来なくて取り除こうってのは、阿弥陀様の救いを信じられていない証拠。
救いが確定しているから、「このままでいいよ」と許される。
これが本当の他力なんだよ。
悪いものを取り除いてもらうための念仏なら、それは自力だ。
478 :
考える名無しさん:2014/05/07(水) 19:47:45.73 0
>>477 君のは近代真宗教学内では、そうなんだろうが、
仏教的には全く違う。
>>472 >>「あるがままでいいんだ。自分(自力)より大きなもの(他力)に従おうよ。
>>そうやって自然に生きていれば必ず阿弥陀仏が救ってくれるから
>>人間が自然でいることはすばらしい。生きよう自分自身(他力)を」
上の根拠は、浄土三部経、十住論、浄土論、親鸞著作にあるのかい?
示せないなら、仏教というのは止めた方がいい。
因みに仏教でいう平等心というのは世俗的な意識での平等ではない
勝義、空性での平等に他ならない。
それを世俗因果内での平等と捉えたら無茶苦茶だ。
>>478 どう読んだら477を、世俗的平等と読めるのだろうか?
平等心というのは、空性の平等そのものだよ。
あなたは何かを勘違いしている。
もし、念仏によって救ってもらえる、救ってもらおうと考えているのであったら、
それこそ近代的な誤解釈というべきだろう。
近代的というか、当時でも自力念仏とかあったよね。
こういう間違いを犯す人はいつの時代にも出てくる。
阿弥陀の救いをある種のオカルトように考えている。 オカルトというのは聞こえが悪いが、スピリチュアル的に考えている。
阿弥陀をある種のスピリチュアル的な存在と考えていて、それが救ってくれると思ってる。
そういう考えこそ、世俗的な他力だよね。
それじゃ、仏教の空性から外れてしまう。
もし世俗的な他力、救いというならば、逆に阿弥陀の本来の素晴らしい救いを、限定的なものにしてしまう。
477を世俗的平等と見ているところがもうダメだ。
禅でもこういう勘違いをする人が多い。
雑念を無くすために統一する。 心を落ち着けるために座禅をする。 苦悩を無くすために座禅をする。
「〜の効果を得るために座禅をする」 というやつ。
雑念があっても無くても、苦悩があっても無くても、平安であっても無くても、そこに捉われないのが禅なんだよ。
念仏も同じ。
二項対立の自分があっても構わない。そういう分別の世界を超えて救われているのが、念仏の意義なんだよ。
悪い自分と良い自分を平等にしよう、ってことじゃないよ。
悪い自分、良い自分に捉われない、中道ってこと。
捉われない境地、中道において平等なんだよ。
480 :
考える名無しさん:2014/05/07(水) 23:37:55.47 0
母は何十年も仏教をやってるけど色即是空の意味も知らない
有難さや得が耳から入ってくると言っている
うろ覚えだが、これは偶像崇拝といい、仏教徒の誰かが禁止していたような
母には酷なので教えないけど
>>481 いや、それで良いんだよ。
知る知らないは関係ない。信じること即救われることなんだから、
お母さんは既に救われてる。
483 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/08(木) 04:55:20.90 0
>>479 :考える名無しさん:
>悪い自分、良い自分に捉われない、中道ってこと。
なんか違うと思うぞ・・・
悪い自分に気づいた時点で救われている・・・と言う感じでは?
そこに「悪い自分」と言うあるがままを受け入れたからだ。
>>481 :考える名無しさん:2014/05/08(木)
>偶像崇拝といい、仏教徒の誰かが禁止していた
例えば 念仏を唱えるのは、唱えている間は余計な事は考えないだろうと言う効果です。
それを念仏を唱えたから往生できると考えてしまっては元の子も無い。
484 :
考える名無しさん:2014/05/08(木) 05:07:58.66 0
>>482 >お母さんは既に救われてる。
信じることが救われることじゃない
アミダへの親鸞上人的な金剛心ができるのは稀有なことだ
そこが全く分かってない
>>483 >悪い自分に気づいた時点で救われている・・・と言う感じでは?
また、適当なことを
485 :
考える名無しさん:2014/05/08(木) 05:39:58.89 0
>>481 >うろ覚えだが、これは偶像崇拝といい、仏教徒の誰かが禁止していたような
偶像崇拝というのはセム系宗教の言葉で、仏教の言葉ではないですね
恐らく日蓮系の人がそんなこと言ってるんでしょうが、
日蓮自体が非仏教なので、全く勘違いです。
>母は何十年も仏教をやってるけど色即是空の意味も知らない
>有難さや得が耳から入ってくると言っている
仏教は道が色々あって、こういう道もあります。
その一つが浄土教、アミダの教えです。
だから、お母さんは真っ直ぐな信があり、アミダや観音を信じているなら大丈夫です。
486 :
考える名無しさん:2014/05/08(木) 08:42:42.17 0
介護やら、リストラやら、病気やら、人生詰みそうだ。仏教に救いを求め、四法印を胸に刻んでも、現実の苦悩が減らない。
この先、仏教で俺は救われる事があるのだろうか?
487 :
考える名無しさん:2014/05/08(木) 08:45:27.15 0
>>486 あると思うけど、それは本人次第だと思う
488 :
考える名無しさん:2014/05/08(木) 09:06:16.77 0
489 :
考える名無しさん:2014/05/08(木) 09:31:13.77 0
>>488 そうですとも
仏の教えは素晴らしいですから
それと四諦の一番目は苦諦ですから、生は苦しいに決まってます
釈尊でもアミダでも観音でもいいですから、好きな本尊を観想して
起きた時と寝る前に五分、座ってみてください。
490 :
481:2014/05/08(木) 11:07:36.40 0
>>485 でも母は救われるとか、これで家族は大丈夫、とか考えて信じているようなのですよ
しかし「色即是空空即是色」は、実態は変化しない、という意味ですよね?
変化を望んでいるのに、変化するものは無い、と唱え続けるのはどうなのですかね?
「色即是空空即是色」は、何かひどい目に合っても実態は変化していないから悲しむ事は無いよ、というような意味もあるのではないかと思うのですが、
多分母は家族がひどい目にあったらメチャ悲しむと思うのです
>アミダや観音を信じているなら大丈夫です
あとこれはどういう意味でしょうか?
>>480 人が真実信心によって念仏を唱える時、それは縁起の世界に自己を置いているのと同じ。
縁起の世界=無限の世界=阿弥陀仏
縁起の世界に自己がある時、そこに自我はない。
自我が無いとき、自己はすべての世界の存在と完全に結びついてる。
そのとき自己は、他のすべての存在から守護を受けているといってもいい。
それが、現世利益和賛に言われている、仏や菩薩、善神たちの守護なんだよ。
自我の願いによって、自力の祈願によって守護を受けると思ったら、大間違い。
エゴを満足させるような祈願は、念仏じゃないよ。
念仏を唱えていても、重病になる人もいるだろう。事故や不運に合う人もいる。
そういう事象に捉われず、すべてを任せきってありのままになったとき、そこに本当の意味の幸せがり、浄土がある。
事故や不運を無くすことが幸せなんじゃない。 そこを越えることが幸せなんだよ。
それが仏教なんだよ。
エゴを満足させている以上、また次の不都合が起きる。いくら利益があったってキリが無い。
そこを越えること。
水瓶の蓋を満足させるんじゃなく、蓋をとって中の水に月の光を映すのが、真の現世利益だ。
あるがままっていうのは、月の光を一生懸命受けよう、受けようとするんじゃなくて、
蓋を外してただ水面に月を映すことだ。
蓋を外せば自然に月の光が映ってくる。 それが他力に任せるということで、それが阿弥陀仏の救いということ。
>>483 >そこに「悪い自分」と言うあるがままを受け入れたからだ。
悪い自分をあるがままに受け入れるということは、悪い自分に捉われないということと同じ。
あるがまま=捉われない=全てを受け入れる まったく同じ意味。
良い自分、悪い自分に捉われないというのは、たとえ悪い自分が出てきても、それはダメだというんじゃなくて、
それでもいいよと受け入れること。 そのまま。ありのまま。
捉われがあるから、あれじゃダメ、これじゃダメ、とやっちゃう。
493 :
考える名無しさん:2014/05/08(木) 11:46:20.12 0
>>490 大丈夫
色即是空などは、般若によって戯論寂滅の境地に至る道で知的に文を理解しても、
そんなに意味はない禅定に入って般若観しないとほとんど意味がないです。
もちろん『般若心経』を唱えることは功徳になり意味がありますが。
アミダや観音は他を救うことを誓願していますので、
今、アミダや観音を信じて称名すれば利益がありますから。
こちらは般若の道とは全く違うので、禅定や般若観などができなくても効果ありますから、大丈夫です。
心配御無用
>>491 そうやったらそういう保障が無い救いを信じられるのでしょうか?
エゴがどうしても拒否するのですが
495 :
考える名無しさん:2014/05/08(木) 11:59:18.56 0
>>491 だから、親鸞上人の文献のどこにそんなこと書いてあるの?
近代教学がそんなことを言うのは知ってるが、
それは仏教はもちろん、親鸞上人に根拠ないんじゃないか、と聞いてるので、
親鸞上人の文献を引用せずに観念的に色々述べても全く根拠にならないって分からないかな?
そんなこじつけの付会じゃ、なあ。
>>493 アミダや観音の誓願にはどうして効果があると言えるのでしょうか?
497 :
考える名無しさん:2014/05/08(木) 12:02:28.09 0
>>491 最終的に似たような境地もあるけど、
こういう現代教学は、たんなる観念的な気休めの現状肯定に堕していて、
仏教とはほとんど関係ない唯の詭弁だと思う
もし、こういう説を真宗が取るなら、それは仏教一般とは相容れない。
498 :
考える名無しさん:2014/05/08(木) 12:07:05.91 0
>>496 過去に聖者がそれを信じて結果を出したからです。
江戸時代なら日本でも沢山あり、戦前ぐらいまでは残っていました。
現代でもチベット系では沢山そのような結果が出ています。
それが信じられるかどうか、それが仏教の門であり、
特に浄土教は信が要であることは、親鸞上人も法然上人も源信上人も
シナやインド、チベットの聖者も口を揃えています。
>>490 >「色即是空空即是色」は、実態は変化しない、という意味ですよね?
実態は変化しない、という意味ではなく、逆に諸行無常を言い表していると思いますよ。
実態があると思われているものは、常に変化変滅していて、実は実態がない・・・
だから、苦しいことがあっても、悲しいことがあっても、それらに実態はなく(空)、 消え去っていく。
消え去るものを追うから、苦しみが付きまとう。
>>481のお母さんの信仰は、それで良いと思いますよ。
普通のご利益信心より、一歩上だと思います。
500 :
考える名無しさん:2014/05/08(木) 12:29:57.39 0
>>499 そんな解釈はインド・チベット・シナ・日本の聖者の解釈とは全く違うんで
そういう気休めが和辻以来の常識への阿諛追従で日本仏教を骨抜きにしてきたと思うは
>>500 「色即是空空即是色」をインド・チベット・シナ・日本の聖者たちはどう解釈してるの?
>>494 信仰というのは、信じられるか、信じられないか、って問題だから、
信じられないのなら、無理に信仰する必要はないでしょう。
時節が来れば信仰出来るようになるかもしれないし、また、この宗教だけが救いの道だってわけでもない。
自分に合った道を見つければいい。
>>500 「空」というのは「自性」が無いことで、これが「諸行無常」だよ。
解釈もクソもない。
>>495 では、あなたは何が言いたいの?
言いたいことが見えてこないんだけど。
念仏に力があって、あらゆる危難から守られる、ってことが言いたいのかな?
>>497 >たんなる観念的な気休めの現状肯定に堕していて
観念的な現状肯定、気休めではないよ。
悪い物もそのまま受け入れましょうってのは、ただ逃げられないからその中にいましょう、ってことじゃない。
我、分別によって、苦しみの捉われが起こる。
それをそのままにしておけっていうんじゃ、いつまで経っても苦しみは無くならない。
苦しみが無くなるには、全てを預け切って任せる場所が必要。
それが念仏なんだよ。
全てを預けきるとは、どのような苦しみがあっても、そこを超えた世界に身を置くということ。
これはヴィッパーサナにおける観察と同じだろ。
この業の世界から、それを超えた世界に意識を移す、思考分別の世界から離脱するってこと。
離脱もなく、ただ苦しみのウズの中に巻き込まれているだけの観念的な現状肯定じゃないよ。
505 :
考える名無しさん:2014/05/08(木) 14:16:02.09 0
>>501 そりゃ大変だぜ
親鸞上人の典拠も出せないヤツになんで見せなきゃならない
>>503 空性は無自性ならいいが、空が「自性」が無いことというのは違うな
そして諸行無常とも微妙に違う。
そしてまた、空性を見解や思想として捉えてしまってはどうしようもない。
般若にしろ中観にしろ、見解を寂滅する道で、見解を掴むじゃない。
日本の仏教学は、ほとんどそうなってしまってる。
山口益先生は数少ない例外なんだよ。
>>504 単に君は現代真宗教学しか知らなくて、そういう変な知識で仏教語るなってことって分かりそうなもんだけど
まあ、もう言うことは言ったからもう辞めとくは。
山口益『大乗としての浄土』を前提に親鸞上人を真宗聖典などを読めば明らかに真宗現代教学がおかしいのは分かると思う。
手っ取り早く末木文美士『浄土思想論』でも充分だ。
インド・チベット・シナ・日本と20年かけて学べとは言わんが、上ぐらい一ヶ月ぐらいかけてやった方がいいぞ。
506 :
考える名無しさん:2014/05/08(木) 16:42:10.11 0
>>498 >過去に聖者がそれを信じて結果を出したからです。江戸時代なら日本でも沢山あり、戦前ぐらいまでは残っていました。現代でもチベット系では沢山そのような結果が出ています。
アミダや観音の誓願の効果を知りたいです。
いくつか具体例を教えてくれませんか?
オカルト的な結果になるんでしょうか?
皆さんスルーしているので、不思議です。
>>505 「空性」も「空」も同じ。
「無自性」も「自性が無い」も同じ。
山口益って現代人だよね?
現代人の解釈による真宗なら、それもまた広い意味で、真宗現代教学とも言えるんじゃないの?
そんなにすごいなら、その主張をここに書いてみればいいのに。
きっと何かの参考になるだろう。
508 :
考える名無しさん:2014/05/08(木) 19:44:37.75 0
>>506 オカルトとかではなくて、生死を越えた境涯を達成したということなら、
「妙好人」の人達がいるでしょう。
509 :
考える名無しさん:2014/05/08(木) 20:16:44.57 0
510 :
考える名無しさん:2014/05/08(木) 20:48:05.87 0
511 :
考える名無しさん:2014/05/08(木) 21:11:44.23 0
>>510 >言い換えると観音の霊験と世間の現実、どちらも世俗では効果がありますが、勝義ではどちらも幻という意味に他なりません。
すごく良く分かりました。
詳しい説明ありがとう。
512 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/09(金) 01:03:37.61 0
>>492 :考える名無しさん:2014/05/08(木)
>たとえ悪い自分が出てきても、それはダメだというんじゃなくて、それでもいいよと受け入れること。
それは酷いんじゃあないの?
人を殺して懺悔してる人に、「良いのいいの殺してもいいの」という訳?
513 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/09(金) 01:13:27.54 0
>>490 :481:2014/05/08(木)
>「色即是空空即是色」は、何かひどい目に合っても実態は変化していないから悲しむ事は無い
>>351 :じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/04/11(金)
にも書いたが心経の趣旨は「色即是空」ではなく「五蘊皆空」なので、そこんとこ宜しく。
それにしても「実態は変化していない」とは酷い解釈、逆です。
実体はない、生もない、だから生まれても居ない、しからば酷い目に逢っても悲しむ自分も居ないだろう・・・・
と言った意味です。
514 :
横で亀ですが:2014/05/09(金) 04:10:12.18 0
>>465 >阿弥陀様が救いを確定して下さっている。
>だからいちいち何かを変えようとしなくていい。
>全てを阿弥陀様にお任せすればいい。
>そのまま、ありのままでいい。
>これが他力の信仰です。
これは親鸞上人の消息文に反してるので、(まともに聖教を読む限り)明確に否定されますね
「ふかくちかいをも信じ、阿弥陀仏をもこのみもうしなんどするひとは、もとこそ、こころのままにて、あしきことをもおもい、あしきことをもふるまいなんどせしかども、
いまは、さようのこころをすてんとおぼしめしあわせたまわばこそ、世をいとうしるしにてもそうらわめ。」
http://www.icho.gr.jp/seiten/html/562.html 煩悩そのままではない、悪しき行いを翻すのが親鸞説です
で、真偽問題をいう人が出てくると思うので言っておくと、
これは妙好人(赤尾の道宗)によっても支持される信心理解です。つまり証によっても確かめられているので、後代の改竄ではない
「冥の照覧と存候て、人しり候はすとも、あしきことおはひるかへす候へき事。」
http://www009.upp.so-net.ne.jp/kobako/21jiyou.html
515 :
考える名無しさん:2014/05/09(金) 05:47:03.98 0
516 :
考える名無しさん:2014/05/09(金) 06:12:49.93 0
>>514 どうもありがとうございます。
ちなみにこのような近代教学と伝統教学は、今真宗内でどの程度普及信仰されてるのでしょうか?
517 :
考える名無しさん:2014/05/09(金) 06:38:10.18 0
>>516 すいません
ただの好事家なので真宗信者ではないし、現場の真宗事情はまったくの無知です
ただネットで門徒の方と話してみた限りでは聖教や伝統的理解に基づいてなにか語ってる人というのは皆無で
近代教学の独壇場といった感じですね
チベットと真宗を並行で学んでおられた女性が一人だけいて、彼女だけが例外です
518 :
考える名無しさん:2014/05/09(金) 07:04:09.65 0
519 :
考える名無しさん:2014/05/09(金) 08:20:52.97 0
>>518 ゲルク派が浄土教否定というのは初めて聞きました。ダライラマ法王はそのような立場ではないと思うのですが
論文の池上氏は近代的な合理主義から抜け切れていないけれど、刺激的な知見が多いと感じました
熟読せねば
優れた論文のご紹介ありがとうございます
520 :
考える名無しさん:2014/05/09(金) 08:37:24.32 0
>>519 ダライ・ラマ猊下はもちろん違います。
ゲルクでも悪霊派というゲルク原理主義がありまして、
ゲルクの中でかなり有力な勢力です。
それが浄土教を否定しています。浄土教というかゲルク原理主義以外全て否定というのがその本質だと思います。
これは日本でいうと日蓮宗や真宗の排他性に近いと思います。
ダライ・ラマ猊下はそれを否定し排除に努めております。
そして悪霊派はダライ・ラマ猊下を否定しています。
521 :
考える名無しさん:2014/05/09(金) 13:13:16.67 0
>>512 悪い自分が出てきたとき、「それでもいいよ、と受け入れる」 ということは、
「悪いことをしてもいいよ」 という悪の肯定じゃなくて、「悪いことをしたのは仕方が無いんだ」 と受け止めること。
他力というのは、「悪業」と「念仏の心」を完全に切り離してる。
「ハスの花は泥に塗れず咲いている。」 という時、ハスの花の視点で「泥に塗れても花は一つも汚れない」 というんであって、
花もなく、ただ「泥そのままでいいんですよ」というのと訳が違う。
泥の無い花では、いつまで経っても救われない。
「悪いことは一切関係ない」っていうのは、業の世界の肯定じゃなくて、業の世界の否定なんだよ。
もしも「悪いことは悪い」と断罪するんなら、それは業を掴んでることになる。
まさに、泥の中で泥を洗うようなことになってしまう。
悪いことも良いことも、全て阿弥陀様にお任せという時は、分別思考(泥)を全て阿弥陀様にお任せして、
泥から離れるってこと。
泥の一部分を、良い悪いと、泥の中で分別するんじゃなくて、泥の中から出てしまう。 それが念仏の功徳なんだよ。
522 :
考える名無しさん:2014/05/09(金) 13:21:43.22 0
>>521 そういう境地はある任運とか、サハジャーとか無功用とかあるけど
ほんと空性体験に留まれるような高度な境地なんで、
いきなりそんなこと言っても、初心者は単なる現状肯定か、気休めしか思えないし
恐らく現代真宗教学者もアナタ自身も単なる言葉で観念的にしか理解してないとしか思えないんですね。
ほんとに慈悲に溢れた妙好人や七里老師にような方が言うなら、納得できるけど
523 :
考える名無しさん:2014/05/09(金) 13:25:48.25 0
補足すると、そういう境地の方は必ず菩提心を起こし、誓願を立て、普賢行の中で述べられます。
そうでなく智の側面だけで捉えるというのが現代教学や現代仏教学、野狐禅などの特徴ですね。
そうなるともはや、大乗仏教ではないと思います。
524 :
考える名無しさん:2014/05/09(金) 13:32:14.71 0
>>514 その文章は、深く信仰に入った人の境地を抜き出していますよね?
「仏を信ぜんとおもふこころふかくなりぬるには」「ふかくちかひをも信じ、阿弥陀仏をも好みまうしなんどするひとは」
これは深く信心が確定している人の境地です。
こうなると、業の世界から離れているので、それに捉われることも無くなってくる。
我が無くなって自然(阿弥陀、浄土)と調和してる状態なので、その行いは自然と調和する方向に向かっていく。
だから悪い行いは自然としなくなる。
浄土の行いが自然と出てくる。
問題は、あなたの挙げた文章の、その前の文章だよ。
深く信心が確定した人の態度じゃなくて、凡夫の態度だよ。
「はじめて仏のちかひをききはじむるひとびとの、わが身のわろくこころのわろきをおもひしりて、この身のやうにてはなんぞ往生せんずるといふひとにこそ、煩悩具足したる身なれば、
わがこころの善悪をば沙汰せず、迎へたまふぞとは申し候へ」
>悪しき行いを翻すのが親鸞説です
悪しき行いを翻すってのは、ハスの花の立場だよ。
泥の中で、「あの泥はいい、この泥は悪い」 ってやるんじゃない。
深い信心の中から出てくる良い行いってのは、分別の世界を超えてるんだよ。
自然に出てくるもの。
自分が意図していい行いをしたり、悪い行いをしないようにするってことじゃない。
自然にそうするようになるってこと。
525 :
考える名無しさん:2014/05/09(金) 13:38:46.61 0
>>522 「で」あるからだよ、だからこそ、「他力」なんだよ。
だからこそ、「全てを阿弥陀に任せる」んだよ。
自分の力ではどうにもならない。 業の世界というのは自分の力に関係なく出てくる。
ある時は怒りが出てきて、ある時は人を傷つけてしまうかもしれない。
それはもう自分ではどうしようもない。
だからこその念仏であり、だからこその信心なんだよ。
ここに阿弥陀様がどんな人でも救ってくださるという意義が出てくる。
526 :
考える名無しさん:2014/05/09(金) 13:40:54.83 0
>>524 分かってないな
唯の観念論
現代教学を是として論じても間違いは分からないよ
もし、文献的にやるならインドからキッチリ追ってかないと無理
真宗学の「深心」とかで解釈しても仕方ない
それをやるなら十地・五道などをきっちり梵パ蔵漢に渡ってトレースしていかないと仏教としては語れない
少なくともここでは現代真宗学で語っても、ほとんどの人は納得しないぐらい気づいてくれよ
527 :
考える名無しさん:2014/05/09(金) 13:45:00.89 0
>>525 いやいや、細かい違いをすっ飛ばして適当に観念的に勝義の境地に持っててるのが、真宗現代教学でしょ
そもそも念仏などの浄土教は往生のための称名と信が重要で親鸞上人もそう。
現代教学はそういう部分を切り落として現代人に合わせて口当たりよく適当にいってるだけでしょう。
もっともそういう方便もありだろうけど、それを王道と説かれてはなあ
まあ、アナタに通じないことは良くわかった
528 :
考える名無しさん:2014/05/09(金) 14:02:36.23 0
もしも「怒りは悪い」、と決め付けてしまったら、怒りが抑えられない度に、「自分はダメだ〜」と思うだろ。
そして、「こんな自分じゃダメだ」と、怒らないように怒らないようにと、自分の力で抑えようとする。
しかし、業ってものはそんなに甘いもんじゃない。
いくら抑えても抑えても、どんどん出てくる。
抑えきれるもんじゃない。
もしもそういうのを自分の努力でなんとかしないといけないって言うんなら、それは浄土門じゃない。
他力でもなんでもない。
親鸞がなぜ「悪いことをしてはならない」と言ったのか。
本来、この世の悪行というのは浄土(悟り)の世界を一切汚すことが出来ない。
業の世界というのは浄土(悟り)の世界に一切影響しない。
夢の中でいくら悪いことをしても、起きている人には一切影響しないのと同じ。
だからといって、いつまでも夢を楽しんでいいって話じゃない。
仏教本来の目的は、夢の中から脱すること。
夢の中が、苦そのものなんだよ。
苦の世界から脱するのが念仏の意義なのに、いつまでも苦の世界に捉われて、それを良しとする人がいる。
「あ〜、自分はいつまでも夢の世界に捉われていてはいけないな、ここから抜け出たいな」 と思ってる人にこそ、
「夢の中の善悪に捉われるな。 すべてをお任せして、なるべく夢の世界から離れていきなさい」 っていうのがこの教えの重要なポイントなんだよ。
善悪は関係ないという言葉を聴いて、「夢の中でどんなに悪いことやったって関係ないんだ、夢の中でどんどん悪いことやろう」 って人が出てきた。
これじゃあ、夢の中にどんどん捉われていって、夢から抜け出せなくなるよね。
だから親鸞が「悪いことはいけない」と言う時は、「この世の善悪に捉われるな」と言ってるのと同じなんだよ。
悪いことを好んでするのも、悪いことへの捉われ。
悪いことを断罪するのも、悪いことへの捉われ。
どちらも否定しているのは、「捉われ(業の世界)」だよ
529 :
パンの耳:2014/05/09(金) 14:56:04.96 0
錨 の マーク見ながら
意味を wiki ってみれば 魚の皮かぶったおじさんの
天地創造と不動明王の意味が分かりますよ
クサリの比喩表現も でてくるし
ブルートと ポパイの法蓮草の缶詰と オリーブの 関係
530 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/09(金) 15:14:39.30 0
>>521 :考える名無しさん:2014/05/09(金)
>「それでもいいよ、と受け入れる」 ということは、「悪いことをしてもいいよ」 という悪の肯定じゃなくて、「悪いことをしたのは仕方が無いんだ」 と受け止めること。
だったら最初から「悪いことをしたのは仕方が無いんだ」と言えば良いだろう。
>>492 :考える名無しさん:2014/05/08(木)
>「悪い自分が出てきても、それはダメだというんじゃなくて、それでもいいよと受け入れること。」
これじゃあ絶対誤解を受ける。
531 :
考える名無しさん:2014/05/09(金) 15:20:20.77 0
これじゃ唯の気休め以外のなにものでもない
現代日本仏教はほとんどそうなってしまってるから、再生しないとね〜
>>465 そんな風な哲学を無理やり自分に自力で思い込ませることが難しい人も多い。
そんな人でも大丈夫なのが南無阿弥陀仏です。
533 :
考える名無しさん:2014/05/11(日) 05:18:39.11 0
>>532 そうそう、五逆謗法以外の人ならどんな人でも信さえあれば極楽往生できる
アミダの誓願は有難すぎる
534 :
考える名無しさん:2014/05/11(日) 12:05:20.24 0
無欲であろうとすることこそが欲なのではないか?
打算的でないよう装うこと自体が打算であるように。
誰か教えてくれ。
536 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/11(日) 20:00:37.51 0
>>534 :考える名無しさん:2014/05/11(日)
>無欲であろうとすることこそが欲なのではないか?
勿論そうなのだか、それでは「無欲の欲」を無・無欲の欲とするがそれも欲なので、さらに無・無無欲として・・・・何時までも欲は付きまとう是を縁起と言う。
そこで般若心経の作者は革命的なことを思いついた。
欲(五蘊の意識から来る)そのものが無いとしたのだ。
何かを欲したいと思っても何かと言う物事そのものが空であるとしたのだ。
空を欲してもその欲は空となる、こうして始めて因果意識(縁起)から解脱できると言う事。
妄想おつ
538 :
考える名無しさん:2014/05/12(月) 08:58:46.61 0
ここで、話している方々って、我執とかに悩まされないの?
例えば、お金とか家族とか健康とか、人生の悩み事あるでしょ? 家族持ちなら避けて通れない悩みだよね。
539 :
パンの耳:2014/05/12(月) 12:17:02.19 0
環境破壊して 精神的に追い込んで問答させるのが
蟹バブルだから(笑)
540 :
考える名無しさん:2014/05/12(月) 16:32:26.80 0
>>538 問題や感情としては起こるけど、あんまり引きずらない
無常・無我・空だと信じてると、あんまり囚われないよう段々なるよ
541 :
考える名無しさん:2014/05/12(月) 17:39:16.11 0
>>540 やっぱ、そうですか。
煩悩に悩まされないようになりたいね。
542 :
考える名無しさん:2014/05/12(月) 20:17:42.53 O
怒りや悩みも長続きしないが嬉しさや意欲も長続きしない
草のように風に吹かれて揺れるだけ
543 :
考える名無しさん:2014/05/12(月) 20:22:09.55 0
>>541 ほんとはちゃんとした聖者から教えを受けた方がいいんですが、
無常であること、無我であること、空性であることを意識しながら、
自分の怒りや愛著を観てると、段々虚しい自爆行為であることが分かってくるかも
けっこう、時間かかるので何年も意識を持ち続け心を見つめることが重要かと
>>542 いいっすね〜、そうなりたいものです
544 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 11:21:41.62 0
ヴィパッサナー瞑想やって自力で我執を薄めながら、でも心は他力に傾倒して念仏も唱える人いますか?
他力にシンパしたら自力の瞑想は禁止ですか?
545 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 11:51:13.67 0
>>544 真宗の特殊な教義以外、大乗だと一般にそうですね
中国中観の吉蔵も浄土への信があったし、智光浄土マンダラで有名な日本の智光も中観者
チベットでも中観をやりながら極楽誓願を唱える行者・学者いっぱいですし
中観は当然、観(ヴィパサナー)やりますよ
といってニューウェーブ・テーラワーダ説のような四念処をヴィパッサナーというようなヴィパッサナーではなく
本来の通仏教的なヴィパッサナーですが
546 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 12:23:38.70 0
>>545 説明ありがとうございます。
手前のような駆け出し者には分からない事も多く、教えて頂い内容を頼りに調べます。
こに質問のキッカケを書きますと、
我執や煩悩の苦しみを薄めたくヴィパッサナーを始めました。しかし、上座仏教の教えは苦しみ悶えてる人には厳しいと感じる部分があり、この点 他力の教えの方が、苦しむ者(私です。)にとって、優しさを感じたからです。
>>544 念仏自体がヴィパッサナーになりますよ。
しかも、はからい(自力)の無い、ヴィパッサナーです。
とてもお買い得です。
548 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 15:26:36.11 0
僕はかれこれ10年前くらいに、すべての執着から離れ、煩悩を滅し、
草木国土悉有仏性を悟ったつもりでいました。
まわりからは「君は不思議だね。神様みたいな感じがするよ。宇宙的な感じだね」と言われたり、
妹から「お兄ちゃんは何かの宗教興しそうだね」と言われ
「どういうこと?」と聞いたら、
妹「何か人間じゃないみたい」
「人間じゃないって離人症みたいなもの?」
妹「そうじゃなくて、何か人間の醜いものがお兄ちゃんにはないの
何か不思議な感じ。宇宙観があるの。ねえ、あんまり宗教とか興さないでね」と
言われました。仏教に傾倒していたわけではないのですが、
非常に世界が狭くなっていき、無意識に全体の像みたいなものが
浮かび上がり、霊感が強まり、人の考えていることや未来が何となく
わかるようになってきました。目を瞑ると、毎回宇宙的な空間と共に
精神の肥大がおこりました。そうやって、僕の対象(知り合い)の
ことを思い巡って眠りにつきました。
このような状態状況は段々に解消されていき、今では業の深い状態が
戻ってきました。仕事をするようになり、休みの日にはギャンブルを
するようになり、それが段々エスカレートしていき、金が尽きるまで
遊びました。段々金が欲しくなり、そしてとうとう人の財布に手が
のびるようになってきました。
仏教ではこのような状況や精神の状態をどう説明できますか?
仏教についての知識はあまりありません。
549 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 15:49:20.93 0
パンの耳つまんねえ
550 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 16:15:49.27 0
>>546 あんまり他力という考え方に拘らず
アミダを信じて念仏するのがいいと思います。
>>547 三昧に入れないとヴィパッサナーではなく
ただの念(スムリティ)ですね
だからこそ念仏と一般にいうのでしょう。
>>548 すべての執着を離れたら退転しないので
恐らく三昧体験だと思います。それも素晴らしいですが、
ちゃんとしたビルマかチベットの先生に就くといいと思いますよ。
キリスト教も仏教も全部フェイク
552 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 16:43:48.42 0
>>551 少なくともビルマとチベットの仏教は今でも結果出してるんだけどな
まあ、信じないだろうけど
「結果」とは具体的にはどういうこと?
554 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 16:50:07.85 0
ビルマだとアルハット、チベットだと成就だね
物理的証拠としては死後、火葬にした時玉のような舎利がでる
涅槃する時に禅定状態で、死体が腐らないなどなど
これは古代文献でも確認できる現象で、今でも現象するということは
説かれていることと、現象が一致するということになる
物理的証拠を求めてるようじゃあねぇ・・・
『カラマーゾフの兄弟』で、ゾシマ長老の遺体から異臭が発生した時、
アリョーシャの心が動揺してしまったことを思い出した。
556 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 17:09:07.97 0
>>555 もっともだ、仏教は自分を見つめるもので他人を評価するものではない
だからオイラは求めてないが
2ちゃんではよく求められるので
書いてみた
>オイラは求めてないが
ほんとかな?w
「結果出してる」なんていう書き方がおかしいと思って質問してみたら
案の定「物理的証拠」なんて言い出したから、ある意味納得できたんだけどね・・・w
558 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 20:13:20.69 0
>>557 結果出してるって書き方はおかしくないと思うよ
恐らく、そちらの宗義・見解だけの問題じゃないかな?
559 :
548:2014/05/13(火) 21:54:50.49 0
>>550 考え方としたら、ああいった精神と肉体の変調を誰かに指南していただくのが
本来だと思うのですが、何せオウム真理教のような例があるので、すべてをその人に
身をまかせてしまうのは危険だと思うのですが?どんなもんでしょう?
密教の勉強をひとりでしようと思ったのですが、どこからどう手をつけていいのか
わからず、精神が一度おかしい状態に陥りました。あの精神と肉体の変調のおかげで、
随分怖いめにもあいましたし、人との関係も悪化しました。
一度創価学会の人と話あったのですが、二人とも高揚してしまい、恍惚な状態になって
非常に精神がおかしくなりました。(同性愛の関係ではなく、宗教的な体験です。念のため)
一度、親におまえはおかしいから家にいろと言われた時期があって、
2ヶ月家に隠っていたら精神疾患に掛かってしまい、誰かに追いかけられる
ような感覚に襲われました。精神医学の分野では神経症と精神病の間に位置づけ
られる状態だと思います。その時に寝ながら、「如是我聞」と何遍か唱えたくなり、
日に何度も「如是我聞如是我聞・・・」と唱えている最中にするすると足から
龍が昇ってくるような感覚があってするすると自分の身体を覆っていた何かが
取れていくのがわかりました。身体が信じられないくらい軽くなり、また恍惚の
状態を経験しました。
ああいった経験は何なのか?今でも不思議でなりません。まだ不思議なことはいっぱい
あるのですが、それをいちいち書き留めると字数ばかり増えてしまうのでいいませんが、
560 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 22:22:15.81 0
>>559 恐らく前世は行者でなかなかよい功徳を積まれた方だと思います。
そういう前世の功徳のおかげですね。
密教を伝授なしに学ぶこと自体が悪業なので、それはやめてください。
密教に興味があるのでしたら、ガルチェン・リンポチェ、ゾンサル・キェンツェー・リンポチェ、ズィガー・コントゥル・リンポチェあたりの方が来日された時に教えを受けるか
インドかネパールに教えを受けに行くのがいいと思います。
密教の場合は師が、ほぼ全てといっていいので、最初によく師匠を吟味し、
自分とご縁のある方に就くのが重要だと思います。
よい出会いがあることをお祈りします。
561 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 22:27:13.75 0
なかなか独特なスレだな
562 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 22:36:40.44 0
>>560 いろいろなアドバイスありがとうございます。
う〜ん、それがですねえ、僕も前世についてはいろいろ思うところがあるのですが、
実は人がどんどん離れていってしまう業があるように思うのですよ。
これは僕の勝手な観念の世界の話なのですが、
僕は義経のような前世を送っているのだと思います。源義経です。
僕が源義経だったというわけではなく、あのような運命を辿ってきた人物で
あるように思うのです。人も殺めているように思います。
とにかくいろいろな人に囲まれて光を放ち、それが兄ノヨウナモノによって
忙殺されるような運命です。漠然としたイメージが子供の頃からありました。
牛若丸が自分なのだという勝手な思いこみも昔からありました。
運命についてですが、やはり、大事な人が心が繋がっている状態で
離れていってしまう輪廻があるように思います。これまでの僕の一生も
少なからずそういうことがありました。心は繋がっているのです。
それが消失してしまう。僕が性格が悪くて人がどんどん離れていってしまう
ということも言えなくはないのかもしれませんが、心は繋がっているのです。
喧嘩別れしていっているというのではないんですが、いつもある一定の時期から
さっと身を引くようにしてます。すると、相手もそれ以上自分に近づいてこないのです。
不思議なんですが、そういうイメージです
なんだオウム系スレか
564 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 22:46:36.53 0
変なやつだと思われて避けられるんじゃないか
俺にもよくある
気にすんな
565 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 22:48:17.22 0
>>562 あまり過去世について憶測してもしかたないですよ
それは妄想を生み、意識を散乱させて悪業を積むだけだと思います。
重要なのは今、どうするかで
三宝に帰依して、菩提心を起こし善いことをし悪いことをしない戒で抑制し、
心を集中させて三昧に入り、観によって無我・空性を体得し、
誓願・回向して普賢行に入ることです。
そのためには優れた師を探すことが先決です。
上でいう善いこととは、他者を利しようとすることで、
悪いこととは、逆に他者を害しようとすることです。
566 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 22:51:08.17 0
もう少し続けて書きます。
僕は昔禅宗(たぶん臨済宗)の行者だったように思います。
暗闇の中を歩いていくイメージがあるのです。
抽象的なイメージではなく、本当に暗い夜道を仏道のなかで
悩みもがき苦しみ歩いているようなイメージです。
そのようなイメージが昔からあるのです。
現世、仏教の本はいくつか読みましたが、全然わかりせん。
般若心経だけはすうっと自分のなかに入ってきました。
僕は仏教のことはあまりわからないのですが、自分なりの仏教観
みたいなものがあります。
これまたイメージなのですが
精神と肉体は繋がっているように、精神と宇宙も繋がっている。
また身体と宇宙も繋がっている。繋がってはいるが常にズレはある。
非常に全体というのは広大で、簡単に人間が認識できるものではない。
ただ全体と肉体は繋がっていることが真であると思っている。
といったところでしょうか?
自分と世界全体の結びつきを空想しているのです。
そんなイメージです
567 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 22:59:23.04 0
>565
やはり、そうですか。過去世についてはかなり妄念があるのでしょう。
ただ、これはあくまでイメージです。自由連想の範疇なので
それがどうということはありません。ただ、聞いてもらって
何かわかるかな?と期待したまでのこと・・・
ご自愛ください。
568 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 23:01:52.86 0
569 :
考える名無しさん:2014/05/21(水) 21:11:40.91 0
やっぱり、ヴィパッサナーで心を軽くもするし、阿弥陀様も念じるのが、いいなあ。
呉智英の「つぎはぎ仏教入門」が面白かった。
571 :
考える名無しさん:2014/05/23(金) 11:06:09.42 0
大乗仏教を信心してる方々が瞑想する場合は、念仏だけになるのでしょうか?
南無阿弥陀仏と念じるだけかも知れませんが、在家には想像も付かないくらい奥の深いものだったりするのでしょうか?
572 :
考える名無しさん:2014/05/23(金) 12:50:43.23 0
阿字観とか沢山ありますよ 禅も瞑想です
573 :
考える名無しさん:2014/05/23(金) 13:05:27.18 0
>>571 違います。
大乗はテーラワーダの道も包括しています。
574 :
考える名無しさん:2014/05/23(金) 16:08:09.57 0
>>572 >>573 コメントを頼りにググりました。
密教、大乗仏教に観(ヴィパッサナー)の瞑想が有るのを知りました。ありがとうございます。
上座部仏教のヴィパッサナーの入門書は多いですが、大乗仏教のは話題になっておらず、全く分かりませんでした。
大乗仏教の教えは他力、ヴィパッサナーの修行は自力、このあたりがよくわかりませんが、コツコツ調べて行きたいと思います。
在家の私は、大乗の教えに傾倒します。また、テーラワーダのヴィパッサナーで心が軽くなり、妄想の苦しみから救われてもいます。このような煩悩に悩む者も質問でした。
575 :
考える名無しさん:2014/05/23(金) 16:31:57.00 0
>>574 大乗仏教の教えが他力ってことはありません
ごく一部で他力の方便があるだけです
576 :
考える名無しさん:2014/05/23(金) 17:33:16.56 0
>>574 >大乗仏教の教えは他力
こう仰る方が日本の大乗者に多いのは事実ですが、正当な理解ではないですよ
禅でも「自力がおちて他力がやってくる」とか自分の経験を表現する人もいますが、そういうのは個人的な見解であって
大乗=他力ではないです
577 :
考える名無しさん:2014/05/23(金) 18:29:06.36 0
>>575 >>576 574です。
大乗、他力、自力でググりました。
勉強不足による私の誤解でした。
私の求めるものは、家族持ちなので、在家に身を起きながらも、少しでも煩悩を抑え心安らかに暮らす事です。
いたって一般的な願いですが、仏教には色々な宗派があって、何を選べば良いかよくわかりません。
上座仏教は、瞑想を学んだだけですが、在家の私にはその教義が厳し過ぎて、かえってストレスがかかりました。
もう少し調べます。
578 :
考える名無しさん:2014/05/23(金) 19:55:48.92 0
>>577 いや、だから初心者がネットで調べるのは混乱するだけなんで
大乗仏教なら、以下二冊を読んでください。
山口益『仏教思想入門』
ダライラマ『智慧の眼を開く』
それが早いし正確だと思います。
579 :
考える名無しさん:2014/05/23(金) 20:49:43.72 0
分かりました。
読んでみます。
原始仏教の解説本がいい。現代は末法の世である。
581 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/24(土) 04:25:58.37 0
>>577 :考える名無しさん:2014/05/23(金)
>在家に身を起きながらも、少しでも煩悩を抑え心安らかに暮らす事です。
それなら このスレの趣旨とも一致しますが般若心経をお勧めします。
素晴らしい内容です、ですから人気があります。
ちなみに念仏を唱える意味ですが・・・
念仏を唱えている間は、少なくとも下らない煩悩は考えないで済むと言う事です。
瞑想が宗教のプロの専売特許に対して、念仏は在家の素人に易しい取り組み方です。
582 :
考える名無しさん:2014/05/24(土) 04:49:34.68 0
>>577 >私の求めるものは、家族持ちなので、在家に身を起きながらも、少しでも煩悩を抑え心安らかに暮らす事です。
>いたって一般的な願いですが、仏教には色々な宗派があって、何を選べば良いかよくわかりません。
自分の《煩悩を見つめる》という点では、我執を「第七末那識」として独立的位置にまでおしあげた唯識がお勧めです。
唯識が末那識を独立的位置に置いたということは、人間の我執の根強さを痛感したということです。
唯識の本を読んでいると、人間の煩悩というものが、そう簡単になくせるものでないことが納得できて、ある意味安心する。
しかしそれとともに、その煩悩を離れるための修行が説かれており、「煩悩」と「修行」が非常に直結している感じがします。
「煩悩は捨てるべき心所である。
だが、世界の文学、映画、演劇から、人間の愚劣さを抜き去ってしまったら、いったい何が残るだろうか。
人間は愚かなのだ。人間は弱いのだ。
仏陀は、それを、じっと澄み切った暖かいまなざしで照覧されるのである。それが《煩悩》の分析だ。
しかし仏陀は、煩悩に私たちが身を滅ぼすことをすすめられておられるのではない。
それが人間の現実として避けられぬことであるとしても、《煩悩に目覚めよ》と仏陀は呼びかけておられるのである。」
(太田久紀著『凡夫が凡夫に呼びかける唯識』より)
584 :
考える名無しさん:2014/05/24(土) 15:46:54.88 0
>>583 大田さんとかは伝統と信を感じるんで好きだけど
唯識は大乗をアビダルマ的に還元してしまったかんじがどうも
そういうのが合う人にはいいと思うけど
585 :
考える名無しさん:2014/05/24(土) 20:28:14.56 0
>>583 唯識および『凡夫が凡夫に呼びかける唯識』の紹介ありがとうございます。
大乗仏教の学びの過程にて目を通します。
長文でのコメントありがとうございました。
586 :
考える名無しさん:2014/05/28(水) 14:15:19.58 0
587 :
人間の探求:2014/05/30(金) 11:45:04.80 0
588 :
考える名無しさん:2014/05/30(金) 14:32:31.54 0
589 :
考える名無しさん:2014/05/30(金) 20:45:53.32 0
世界最初の唯物主義。「心は存在しない。すべて外界の雰囲気(科学用語)で
左右される意識がオメーだよ。」
590 :
考える名無しさん:2014/05/30(金) 20:53:43.37 0
でも死んでも霊魂は残ると思うんだ。実感だからしょうがない
いいかい、霊魂も空なんだ
ただ、「全て空だ」と言うものは、じゃあ誰なのかというcogitoについての
問題は解決されないけどな。
594 :
考える名無しさん:2014/05/31(土) 05:15:34.93 0
>>593 そりゃ、空が分かってない
知覚が有っても、意識が連続して縁起しても空だ
空ってのは無いって意味ではない
本質が無い、単に縁起するだけというような意味
595 :
考える名無しさん:2014/05/31(土) 11:06:23.24 0
運動の力が保存される法則のことでしょうか?
その運動の力(善因、悪因、この世への貸し借り)である「業」が
残ったまま死んでしまうとと次の生が始まってしまう。
これが「零(自分自身そのまま)」にすることができれば
次に生まれ変わる理由がないので輪廻転生の繰り返しから解脱できる。
596 :
考える名無しさん:2014/05/31(土) 11:17:00.13 0
>>595 似てるけど違うと思う
仏教の場合、既存の知見で解釈すると誤解することが多い
なぜなら、既存の知見は実在論か虚無論の前提で構築されるから
仏教はどちらでもない
キリスト教は愛を肯定し
仏教は愛すら否定する
でも私は根本的には同じだと思うのです。
キリスト教の究極愛は命の自己犠牲つまり自我の否定ですよし
皆さんはどう思います?
598 :
ごあ:2014/05/31(土) 19:03:04.78 0
マグロ大使 だと思う
599 :
考える名無しさん:2014/05/31(土) 20:08:15.62 0
>>597 別に否定しない
キリスト教と仏教はだいぶ違う
非常に似ているとおもう。
愛というは、仏教でいう慈悲の様なものでは無いでしょうか
慈愛とでも言う様な 慈しみの眼で見ている様な
601 :
考える名無しさん:2014/05/31(土) 20:23:49.16 0
>>600 少なくとも神の命令とかに従うことはないし
神とか創造主とかが絶対ということはない
慈悲と愛は似てないことはないが、本質が全く違うと思う
イエスなんかよりはるかに前に愛を唱えた墨子は無視されるw
キリスト教というかアブラハムの宗教ですね
ユダヤ、イスラムやキリスト教ですね。
605 :
考える名無しさん:2014/05/31(土) 23:32:35.58 0
>>603 じゃ、こう言い換えよう
仏教は創造主を認めない
あるいは、神も輪廻の存在とする
天界の神々も
転輪聖王のちからを受けるのなら
転輪聖王こそが
神なのでは?
>>597白人しか認めないキリスト教なんていまどきちゃんと
信じてるやつなんているの?いるとしたら南北アメリカのインディオへの
仕打ちや黒人、アジア人への奴隷貿易はなぜ
認めないの?それも愛なの?w
「ナチスのユダヤ人絶滅政策に当時のカトリック教会が協力したことを謝罪します・・
これは『人類』への犯罪です」
「インディオや黒人、オーストラリア人、タスマニア人、インド支那人、インド人、
アジア人への仕打ちは?」
「彼らは人じゃないから問題ないです」
過ちを犯さないのは神だけなのです
だから捧げものをして、人は祭壇の前で懺悔するのです。
610 :
考える名無しさん:2014/06/01(日) 04:43:22.71 0
>>606 いやいや、一過性のものです
欲界主も色界主も有頂天主も
611 :
考える名無しさん:2014/06/02(月) 16:38:35.48 0
「仏教思想入門」山口益買ったよ。
あまりに、近代教学がダメだとかうっざいやついるから読んでやるよ
612 :
考える名無しさん:2014/06/02(月) 16:41:15.47 0
613 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/06/04(水) 00:00:22.82 0
>>609 :馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo :2014/06/01(日)
>過ちを犯さないのは神だけなのです
神が過ち多き人間を作りたもうたのは過ちではないのですか?
>>613 驚いた!あなたは
神をさばける神の創造者ですか?
それはあなたから見たら過ちということでしょう?
神から見ればそれが正しいのです。
もっともコーランで神が人を作ろうとしたら天使は反対したみたいですが
イーブリースのようなね。
あとは初歩的なので説明は聖書のヨブ記に譲ります
615 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/06/04(水) 02:33:47.69 0
>>614 :馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo :2014/06/04(水)
>天使は反対したみたいですが
そうでしょうね^^天使は正しい^^
神が人を作った理由を初歩的に説明してください。
616 :
考える名無しさん:2014/06/04(水) 05:36:45.66 0
仏教的には輪廻的存在だけどね
創造主と言われてる神も
>>614 本性として不完全な人間を作るのが正しいねえ・・・
神の遊戯とかそういう話になっていくのか?インド人の方がよっぽど設定考えてるよね
618 :
考える名無しさん:2014/06/05(木) 20:35:32.79 0
「神は誰にでも別け隔てなく力を与える。故に生物は殺しあう」
私が個人的になるほど、と思った「なぜ生き物は生まれたか」論。
鉄砲だけで殺し合いは起こらない(和合した家族に銃を与えても殺し合わない)
620 :
考える名無しさん:2014/06/05(木) 21:01:15.42 0
>>618 仏教的には業によって殺さずば生きられないようになっている
だけどね
>>615 狂っているからとしかいいようがありません。
だいたい創造というものは狂気です。愛とは狂気なのですから。
貴方はヨブ記すら教えてあげても調べない。
そういう頑ななファラオ=自称神は主が頑なにしているので
私にはどうすることもできない。主が偉大さを示すために
見せしめの生贄としてそうさせているのだから。
ただいえるのは駆逐艦のプラモデルをつくったら
その駆逐艦のプラモデルが本物でないとかどうして戦艦じゃないんだと
作った人にいってる事のナンセンスがわかる人にはわかるでしょう。
神は駆逐艦のプラモデルが作りたかったのです。
そして人は不完全で過ちを犯すから、懺悔をすれば許すといっているのです。
そして主はその気になれば貴方を抹殺することができるのです。
ただ、あることを当然とし感謝できない人には永遠にわからないことです。
別に貴方はいなくてもよかったわけです。
神を裁く愚かな人よ。自らを捧げものとし、生贄として苦しみなさい。
622 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/06/06(金) 23:52:18.57 0
>>621 :馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo :2014/06/06(金)
>狂っているからとしかいいようがありません。
神は狂っているのですか?
貴方は・・・・
>>609 :馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo 2014/06/01(日)
>過ちを犯さないのは神だけなのです
と言っていたが、過ちを犯さないけども狂ってはいるのですね。
>愛とは狂気なのですから。
では正常なものには愛は無いのですか?
>主が偉大さを示すために見せしめの・・・
神は誰?に示すのですか?見せるのですか?
人に見せるために人を造ったと言う訳ですか?
>神を裁く愚かな人よ。
私は貴方の発言の矛盾を追及している訳で、神様とは関係有りません。
>別に貴方はいなくてもよかったわけです。
だから・・・
居なくてもよいものが、何で居るのか?
そこがおかしいでしょ「馬鹿の壁 」さん?
>>622 ではあなたが正しい答えを答えなさい。
なぜ正しい答えをこたえられない貴方が私を間違ってるといえるのか?
矛盾してるというなら、私より正しい答えがあるのでしょう?
これまで私にした質問の答えを自分でしてみせなさい。
人に正しさを示すときにはまず自らの正しさを示すのが礼儀だと思いますよ。
年配の方ならそれぐらいの採点減の礼儀をわきまえましょう。
私が言えるのはあなたは死にます。それは正しいのです。
その正しさはあなたがどうこう言えるものではありません。
正しさを自分基準においてる貴方みたいな困った人のために神=ルールはあるのです。
まあ聖書でなくても古代にアリストテレスもあなたのような人は
神か獣なので荒野とかどっかでひとりで生きればいいと申しておりますが
人ができるのは正義(神)について話し合うことで
それが嫌な人は共同体生活には向いてないということです。
こういえばいいのでしょうかね?
あなたがいくら死ぬのが間違ってると
いってもあなたは死ぬのです。
それを間違ってるという人と話し合える自信はありませんね。正直。
しなないで済む神なのですから、私ごときがとやくかいう存在ではないでしょう?
どうぞご立派なあなたが人を完璧に創造すればいい。神をさばける貴方には造作もないこと。
自分すら作り直せるわけでしょう。神よりあなたは正しいのですから・・・。
正しさを変えることができ、不死にもなれるはずです。
625 :
考える名無しさん:2014/06/07(土) 16:08:10.43 0
哲学板の仏教スレで神が絶対と言うのは妄想家としか思えないし
それにレスする人も同じだなあ
626 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/06/07(土) 18:39:51.19 0
>>623 :馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo :2014/06/07(土)
>ではあなたが正しい答えを答えなさい。
何で???
私は貴方と違って偉そうに「・・・が正しい」とか、勝手に「神は・・・だ」とか言わない。
正しいものなど無いからだ。
しかし間違いは指摘できる、貴方の言説の矛盾だ。
>矛盾してるというなら、私より正しい答えがあるのでしょう?
矛盾と言う言葉の意味を知らないのですか?
>私が言えるのはあなたは死にます。それは正しいのです。
同感です、貴方は正しい。
しかし・・・・
>過ちを犯さないのは神だけなのです
>狂っているからとしかいいようがありません。
これは正しい正しくないと言う問題以前に矛盾しているではないかと問うている。
この文章は私のレスの反論で貴方が書いたものだから、逃げたら駄目ですよ馬鹿の壁さん。
>>624 :馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo :2014/06/07(土)
>あなたがいくら死ぬのが間違ってるといってもあなたは死ぬのです。
私は死ぬのは間違ってませんよ^^正しいですよ。
いいですか私の主張は・・・
「馬鹿の壁 」さんが私に「別に貴方はいなくてもよかったわけです。 」と言った事に対して、
居なくても良い人間を何で神が創ったのか?それは矛盾でしょう?
矛盾で無い事を説明してください。
横レスだが「いてもいなくてもよい」というのはその存在に対しての重要度であって
それはその存在に対する者の意識の問題だから、神のせいどーのこーのと
いう問題とはまったく関係ないな
一般論ですが
口先でどういおうが、行動こそ誰もが客観的に理解できる回答です。
正しい答えを知ってる人間なら、いちいち人に聞くべきではないし
むしろ貴方が知っているなら答えを示して、他者を導きなさい。
答えを聞くなら、知らないのだから、自分で答えのない者は人を裁けない。
重要なことは判定を下せるのは答えのある古代ギリシャ風にいえば自由人だけということです。
あなたのような人はとかく
右が答えだと言えば、それは矛盾しているといい。
左が答えだと言えば、それは矛盾しているといい。
では貴方が答えなさいといえば答えない。答えがないのに右も左も間違ってるという。
貴方が知りたいのは答えではない。はなから答えたる正義など、どうでもいいのだ。
人はなぜ正義を求めるか、それは善く生きたいからだ。
ようするに貴方は死にたいのだ。だから正義などどうでもいい。
教えてもらえるというのは当然ではありません。貴方には感謝の念がありません。
私が導けるのは神に与えられた命の感謝し、生きたいと思う人だけです。
生きることに価値があるかどうかはあなた自身問題ですが、与えられたものを
当然と考えるならば貴方の生も与えられて当然であり、そこに感謝も何もない。
だから善く生きたいなどと思わなしいし、正義も求めない。
人どころか神までを裁くなら、貴方は人に聞く必要はないでしょう。自分で考えなさいな。
神を超えた真の神なのだから、わからぬことなどないでしょうし
この世界の理さえも変えてしまう神を断罪できる真の神なのだから
そうでなければ貴方は神を呪うものなのだから、それは貴方の人生の不幸な境遇を映している鏡でしょう。
足りないと思う不幸なものは神を呪い。恵まれたと思う幸福なものは神に感謝します。
神を呪い断罪する、裁きをうけなさい。コキュートスの底でね。
神への裏切りは最も罪が重いのです。私が言えるのは過ちを懺悔し、罪を認めなさいと言う事です。
629 :
考える名無しさん:2014/06/08(日) 10:27:06.61 0
うほ〜
こりゃまた
よくあるカルトの折伏話法だからスルーだな
631 :
考える名無しさん:2014/06/08(日) 15:38:21.10 0
だよね〜、要するに根拠はオレちゃん
632 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/06/08(日) 23:19:11.42 0
>>628 :馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo
>正しい答えを知ってる人間なら、いちいち人に聞くべきではないし
判ってないな〜
聞いてるのは貴方の論理そのものが矛盾しているので聞いている,神とは関係ない。
「神」の必要は無いAと置き換えてもおk。
>過ちを犯さないのはAだけなのです
>Aが狂っているからとしかいいようがありません。
この二つの文が論理的におかしいといっている。
>むしろ貴方が知っているなら答えを示して、他者を導きなさい。
>答えを聞くなら、知らないのだから、自分で答えのない者は人を裁けない。
誰が導いてくれ?問いいましたか?
>「人を裁けない」
人が他人を裁く事など出来はしない。
>神への裏切りは最も罪が重いのです。私が言えるのは過ちを懺悔し、罪を認めなさいと言う事です。
あなたこそ神の名を借りて他人を裁いてるでしょ?
なんで其れが許されるの?誰の許可?
>貴方は神を呪うものなのだから
私は神を呪ってないですよ、そんな言葉がいつでてきましたか?日本語の問題だけど。
私の立場は「触らぬ神に祟りなし」です。
貴方こそそんなに軽々に「神」持ち出すと災いが来るかも。
「つぎはぎ仏教入門」呉智英
を読むべきだね。まさに末法の時代ということがわかるだろう。
634 :
考える名無しさん:2014/06/09(月) 16:15:43.50 0
>>633 そんなの読まなくていいよ
他に読むべきものがたくさんある
635 :
考える名無しさん:2014/06/11(水) 18:39:06.60 0
呉さんは「欧米は法治国家で進んでる。支那は人治だ」なんて
おっしゃっておられたけど俺から見たら
逆なんだけどなあ。
この人は早く○んだほうがいいんじゃねえの?
636 :
考える名無しさん:2014/06/11(水) 19:50:01.68 0
>>635 一回電話で話したことと著作などから察するに
ネラ、ヴィッパーみたいな人なんで、そう思って関わればいいと思う
でも、世の中にはもっと酷いヤツでも信じるヤツがいるからなあ
評論家ってのは通説を垂れ流すだけじゃなく、異論を持ちだしてメスを入れるのが得意な人が重宝されるからなぁ。
つぎはぎ仏教入門は仏教を外から見ている人の認識に近いと思ったけどな。俺たちみたいなファンはいちいち肯定的だから。
人物の胡散臭さと批判するよりも、内容に反論していくのがいいと思うぜ。俺はそんな事実と乖離しているとは思わなかったけども。
諸行無常と諸法無我を自覚することが
涅槃(こころの安定)につながるというのが
仏教の教え
639 :
考える名無しさん:2014/06/11(水) 23:41:43.89 0
無上なり。無上だよな。
本気で覚りたい人はいるの?
自分はそうでもないなぁ。安らぎよりも捨てがたいけど、その他の捨て去るものの方が大事だなぁ。
仏教の哲理哲学にはとても感心するし、知れば知るほど引きつけられるのだけれども、そこに入り込む気はなぜか起きない。
641 :
考える名無しさん:2014/06/12(木) 01:12:23.63 0
無高なり。無藤なり。
642 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/06/12(木) 01:34:46.65 0
仏教は宗教なので哲理哲学とはなじまないと思いますが・・・
特に心経は・・・
いや、原始仏教はどう聞いても哲学でしょ。
ニーチェとかショウペンハウエルも高く評価している。
日本の仏教もはや違う宗教と化してるもの。
般若心経に至ってはめちゃくちゃで笑えてくるレベル。
644 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/06/12(木) 02:55:46.22 0
笑えるのは 哲学からみて?宗教から見て?
645 :
考える名無しさん:2014/06/12(木) 03:37:17.46 0
哲学から見て変
ガテーガテーの真言が智慧ハラミツに他ならないというのは擁護しきれない
646 :
考える名無しさん:2014/06/12(木) 03:43:36.43 0
音から行間を読みとるのが般若心経の極意
だから実践あるのみ
647 :
考える名無しさん:2014/06/12(木) 06:52:55.67 0
>>643 いやいや、哲学、思想、見解といったものを捨てる道、教えだから
ニーチェ、ショーペンハウアーとかはドイッセンみたいなインド文献学者の適当な理解をさらに妄想したものなんで
般若心経と釈尊の教えは同じだと思う
違うのは部派仏教や部派から原始仏教をひねり出した文献学者が描く仏教
648 :
考える名無しさん:2014/06/12(木) 07:15:39.71 0
その思考を捨てる過程、説明原理が哲学的なものだと言ってるのよ。
五蘊に関する所は完全に哲学的な思考方法で説明している。のちに捨てるかどうかは別として。
般若心経の大まかな教えは理解できるが、苫米地説を聞いてから、経自体あんまし信用ならんと思ってる。
苫米地説対する反論も全く論理的でないものが多いし。
649 :
考える名無しさん:2014/06/12(木) 07:46:15.87 0
650 :
考える名無しさん:2014/06/12(木) 07:51:49.22 0
>>649 「苫米地なんて問題外」というのは、普通に文が読める人なら
苫米地なんて唯のハッタリ屋、インチキ作家だって分かるから
それが分からないようじゃ、日常生活やエンタメは読めても
ちょっと真偽を論じた文は読めないって自覚した方がいいよ
651 :
考える名無しさん:2014/06/12(木) 08:32:08.69 0
インチキな人物ではあるが、仏教のアルゴリズムな捉え方は論理的で評価してるけどな。
彼の説の論理的な矛盾や問題点を個別に指摘してくれ。論点のすり替えて人物批判する人しかおらん。
652 :
考える名無しさん:2014/06/12(木) 08:40:43.08 0
>>651 勘弁してくれ、上のナティエインチキ説を依用してる時点で明らかだろ
苫米地の本なんか読む時間すらもったいないは
653 :
考える名無しさん:2014/06/12(木) 09:17:00.95 0
文献学的な視点で仏教を解いて行くか、論理的な視点で仏教を解いていくかの違いだよな。どっちを重視するかの違いに思える。
前者は後者を軽視するし、逆もあり得るのかもしれん。専門分野じゃないが故に。
まぁそんな無駄な議論するくらいなら悟りの修行しろと釈迦は言うだろうな。
654 :
考える名無しさん:2014/06/12(木) 09:25:13.95 0
>>653 まず、釈尊なら教えは伝統サンガの聖者にのみ伝わると仰るでしょう
文献学が論理的でないとでも?
「論理的な視点」というのは、恐らく苫米地の妄想視点に合わせるという意味だろうな。
それじゃ合うわけがない。
擬似科学は自説にこじつけるだけ
そこはちょっとでも何らかの学術的手ほどきを受けた人なら分かるとこだと思うんだけどなあ
655 :
考える名無しさん:2014/06/12(木) 09:27:17.43 0
んなこと言う暇あるなら修行しろ頭でっかち。
656 :
考える名無しさん:2014/06/12(木) 09:33:35.88 0
>>655 苫米地説みたいな明らかな詐欺を詐欺っていうのは人のためになると思う
>>656 >人のためになると思う
そうでもない。
それを「誰が」言うのか、が、決定的に重要なことで、
つまり、尊敬に値するような人物の言葉は、自然に人の心に届くが、
そうでない場合は、声を大にして言っても、まったく届かない。
だから君は、「人のためになる」ためには、ここにへばりついているよりも、
まず修行して、人徳を身につけるほうが近道だね。
急がば回れ。
というわけで655が正しい。
658 :
考える名無しさん:2014/06/12(木) 15:06:58.34 0
>>657 おいおい、苫米地が認められる方がいいのかw
もはや、言い負かすためなら何でもありだな
659 :
657:2014/06/12(木) 15:30:30.21 0
我の強い人だね、君は。
そんな君にとっては、修行の道のりは、とても長いよ。
君の文章からにじみ出てくる『慢』という煩悩は厄介な煩悩だよ。
まあ、がんばれ。
660 :
考える名無しさん:2014/06/12(木) 16:11:13.69 0
ここは学問板じゃないのか?
とべいちなんて読んでるとばかになるよ
662 :
考える名無しさん:2014/06/12(木) 17:42:38.19 0
トマベチは2chに信者が多いからなー
彼への愛着はもはや理屈じゃないんでしょ
ねらーに話が通じないのは信仰の領域だからw
663 :
考える名無しさん:2014/06/12(木) 20:09:42.75 0
>>657 >それを「誰が」言うのか、が、決定的に重要なことで、
>つまり、尊敬に値するような人物の言葉は、自然に人の心に届くが、
>そうでない場合は、声を大にして言っても、まったく届かない。
正にブーメラン
664 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/06/13(金) 15:42:11.17 0
>>648 :考える名無しさん:2014/06/12(木)
>その思考を捨てる過程、説明原理が哲学的なものだと言ってるのよ。
>五蘊に関する所は完全に哲学的な思考方法で説明している。
どんな思想も哲学的に解釈することは出来るだろうし、哲学の対象にするのは構わないが、其れを哲学の範疇だとするのは如何にも学者らしい縄張り根性で反吐が出る。
仏教は宗教であり、心経はお経である。
哲学なんぞにあれこれ言われる筋合いはない。
665 :
考える名無しさん:2014/06/13(金) 16:09:50.59 0
だけど妄想として語っていいもんでもないことも自覚してくださいね
結局、権威的な仏教学者とかを信じてるだけだろ?おまいら?自ら仏教者と自認してる宮崎哲弥とかの鋭い批判には答えられないだろう。
真に仏教者かどうかは知らんがw
こういう疑問こそ大切なのにも関わらず日本の仏教者は胡坐を組み、上から目線でものを言う。
恥を知った方がいい。
667 :
考える名無しさん:2014/06/14(土) 16:54:52.59 0
>>666 宮崎は和辻とその劣化版である批判仏教とかを情報源にしてるし
全然鋭いとは思えないんだけど
例えば、どんな批判でしょう?
668 :
考える名無しさん:2014/06/25(水) 15:56:46.68 0
縄張り意識っていうのは、犬猫に顕著。要するに獣性の証明。
669 :
考える名無しさん:2014/06/25(水) 16:07:18.25 0
何が言いたいんだか?
670 :
考える名無しさん:2014/06/25(水) 16:29:59.95 0
恥ずかしいことだ。
「自分には獣性なぞ関係ないんだぞ」と取り澄ましているやつが
時に煩悩の権化としてセクハラで訴えられたりする。
内観不足の証明。
672 :
考える名無しさん:2014/06/25(水) 20:06:20.56 0
ここは学問スレだし
仏教は他人を非難する道具じゃないんだけどな
673 :
考える名無しさん:2014/06/26(木) 22:20:30.78 0
煩悩だよ、煩悩。
嘘か誠か永平寺の話なんか聞くと
壮絶ないじめのはびこる縦社会らしいね
そこで生き残って住職になりゃあ、
何かしら語るものを持つだろうが・・・
俺は禅宗(どちらかは言わない)の寺で修行したことがあるが、賭け事はするわ、人格が歪んだ人間がいるわで
理想とはかけ離れてたぜ。釈尊の思想をもう一度振り返った方がいいんではないのか?
いじめもあった。俺が寺を出た数年後・・・犯罪・・・
もう言うまい。
676 :
考える名無しさん:2014/06/27(金) 01:54:36.29 0
駆け込み寺の例でも分かるように、ある意味寺社というのは不浄の地であるとも言えるな。
そのせいかな?
677 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/06/27(金) 05:31:44.98 0
やっぱ四諦が基本だと思う。
悩み苦しむ人にこそ仏教は有用である。
僧侶の身分など仏教からかけ離れた世界だ。
678 :
考える名無しさん:2014/06/27(金) 08:37:13.21 0
>>674-675 現代日本仏教はほとんど形骸化してるから、それを対象に仏教を語ってもしかたない
679 :
考える名無しさん:2014/06/27(金) 08:39:32.93 0
>>677 仏教は仏法僧の三宝に帰依したものだけに開かれる
法は聖者の集団である僧団からのみ伝えられる
勝手に本読んで解釈妄想するものではない
ただの現実逃避だったものが、何かの間違いで世界的宗教になってしまったでござる
681 :
考える名無しさん:2014/06/27(金) 13:27:37.23 0
>>680 偏狭でイジケた眼で見るとそう見えるかもね
なら、英雄のアショーカ、カニシュカ、石勒、チンギスハーンとかが尊重するわけないでしょ
682 :
考える名無しさん:2014/06/27(金) 14:44:20.65 0
高名な音楽家が「音楽は最高だが音楽家は最低だ。」って言ってたけど、
「仏教は最高だが仏教者は最低だ。」ってことかな?
英雄がインチキ宗教にはまるのはよくあること
684 :
考える名無しさん:2014/06/27(金) 15:34:14.92 0
まあ、言うのは勝手だけど
業はついてくると思うぞ
この場合の「業」
は三宝を卑しめたとか、インチキ宗教と揶揄したから?
そんなアホなw
686 :
考える名無しさん:2014/06/27(金) 19:47:34.78 0
現実逃避かもしれないが、最後のもの「死」は恐ろしい
インチキ宗教でも、この「不安」から、救ってくれ
仏教が凄いか? 君たちは、「2ちゃんねるマン」は、本当にそう信ずるのか?
687 :
考える名無しさん:2014/06/27(金) 20:25:31.78 0
>>686 オイラは信じるね
目の当たりにしてきたし、教えは知れば知るほど完璧で包括的だから
知る限り仏教以上のものはない
バチカンもそうだけど
組織化するとほとんど腐るんだよ
麻原もあそこまで組織化してなきゃ
変わり者の覚者で通ったと思う
企業もそうだね。大組織になればなるほど腐っていく。
691 :
考える名無しさん:2014/06/28(土) 14:46:59.94 0
>>689 組織は腐りがちだよね。制度より運用が難しい。
麻原はオイラも最初はそう思ったんだけど、
彼は自身の水俣病に対する復讐のためにヨガとか仏教を利用したので
そうはならないし覚者ではないと思う。
ある程度の成就はあったようだけど
692 :
考える名無しさん:2014/06/28(土) 16:38:44.26 0
687氏へ
色即是空。この世が「空」であれ、この世に「現実」にいきている。
この世は「空」でも、「無」でも無い。
この世が「空」というのは、「裸の王様」とそれを取り巻く「おべっか使い」
お茶坊主だけ。
正直な、釈迦の言う「生まれたての、執着のない」子供を見よ。
あるものはある ないものはない
完璧な包括的な「仏教」が、なぜ「インチキ宗教」以上に、この世の
生身の「死におののく人間」を救えるのか?
「仏教」の思い上がりでは?
死ニオノノクのは、「人間」という動物の理屈ヲコエタ本能?
693 :
考える名無しさん:2014/06/28(土) 16:55:53.19 0
こうも考えられないかな?
うがった見方かもしれないけど
そういう極限状態だからこそ
ただの「人間」は聖者になれた
フランクルが見たアウシュヴィッツの聖者的「人間」もそうだった
695 :
考える名無しさん:2014/06/28(土) 20:03:32.08 0
>>694 ないない、その聖者は元々聖者だったし
その聖者にシナ軍人たちも心服したんだよ
その聖者に習った聖者たちに聞いたし、
記録も残ってるからね
守破離も知らない奴が何をやっても、それは機械学習のルーチン処理。
その理解はデーターベース
697 :
考える名無しさん:2014/06/28(土) 20:55:21.74 0
698 :
考える名無しさん:2014/06/29(日) 18:08:11.27 0
いろいろ議論もあるでしょうが、「c点論」も一理はあるでしょう。
私は、その意味で「凄い」と、考えたい。
避けて、論じたいでしょうが。
699 :
考える名無しさん:2014/06/29(日) 19:08:40.36 0
wwwwww
セブンに誘導されて来てみたら、一代はこんなとこに巣くってたかwww
哲板は久しぶりだが、なんでわざわざ哲板でやる?w
宗教板はあきたか?w
最近見かけない(執筆や資料チェック等で忙しいのか、お盆前だからか、山篭りか知らんがw)が、
世界史板、言語板にも、よく出没するよ(´・ω・`)
701 :
考える名無しさん:2014/06/29(日) 19:20:40.37 0
「裸の王様」についているのが、安全。それが、大人と言うものです。
702 :
考える名無しさん:2014/06/29(日) 19:22:44.96 0
>>700 ww セブンは全ての板、巡回してるのか?w
703 :
考える名無しさん:2014/06/29(日) 20:25:36.97 0
>>700 資料(死霊)の盆踊りか、山籠りかw
実に篭りたいは、師匠にもそう言われてるし
僧院の中なら悟れる確率は高くなるんじゃないの?
705 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 05:04:32.08 0
繰り返しになるが、問題は「c点論」対「仏教哲学」である。
仏教哲学(西洋の有の哲学 に対して 東洋の無の哲学)のポイント
色即是空は、色(現象≒有)は空(非現象≒無) つまり 有は無
あるものはない
認識主体である自分自身も無い(無我) そして すべてが無い
c点論(有でもない 無でもない 有無合一体の第三の哲学)のポイント
矛盾そのものであるが 色即是空は、色(現象≒有)は空(非現象≒無)
との合一体 だが、現象世界ではわれらの「感覚器官」では 無は認識
され無い。 よって、色即是空(有無合一体)は 有としか認識され無い。
認識主体も ある。
706 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 05:12:58.15 0
蛇足ながら
西田哲学の 絶対矛盾的自己同一のポイント
絶対矛盾(有 と 無)の互いに相容れない両者(有と無のこと)が
自己同一(有≒無)する c点論における色即是空 とほぼ同意味。
707 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 05:26:33.25 0
ついでに
厳密な意味で、仏教やc点論が哲学であるか否か? は
「2ちゃんねるマン」の自由裁量でよいのではないか?
なを、仏教もc点論も 「2ちゃんねるマン」各位の更なる検討が
必要では無いか? なぜなら、仏教もc点論もいまだに完結
したものでは無い と愚考する 妄言多謝
708 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 06:12:48.15 0
>>704 僧院は聞思をするとこで、修するとこじゃないように思う
僧院仏教化すると大抵、学問化して悟るものは減るように思う
悟る人は遊行者だったり、隠遁者、参籠者の方が多い
709 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 08:24:41.07 0
>>706 >西田哲学の 絶対矛盾的自己同一のポイント
>絶対矛盾(有 と 無)の互いに相容れない両者(有と無のこと)が自己同一(有≒無)する
それって、シャンカラをパクッた「不二一元論」、
また、「道(ダオ)」を唯一実在とする道教思想のパクリだw
西田はアホでナイーブ過ぎだから舞台裏が透けて見えるんだよなあ。
『実在の根底には精神的原理があって、この原理が即ち神である。
インド宗教の根本義であるようにアートマンとブラフマンとは同一である。』(『善の研究』岩波文庫p121)
http://books.salterrae.net/tuyuzora/html/ZENNOKENKYU.html これだもんなあw
この段階ではまだ古臭いバラモン教の梵我一如論だった。
しかし、バラモン教→ヒンドゥ教でこんな成りすまし仏教をやられたのでは、
迷妄の徒党を増やすばかりだ。
罪な奴よのう。
710 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 08:43:30.31 0
『印度の哲學、宗教では知即善で迷即惡である。
宇宙の本體はブラハマンBrahmanでブラハマンは吾人の心即アートマンAtmanである。
此ブラハマン即アートマンなることを知るのが、哲學及宗教の奧義であつた。』(善の研究 2-1 考究の出立點)
『實在の根柢には精神的原理があつて、此原理が即ち神である。
印度宗教の根本義である樣にアートマンとブラハマンとは同一である。神は宇宙の大精神である。』(同上 2-10 實在としての神)
この西田の文章がアホ「仏教」徒をどれだけ惑わさせ、成りすまし連中を生み出したか。
挙句のはては、パクリついでに「業報輪廻転生論」だもんなあ、アホは救いがない。
711 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 09:14:31.12 0
>>710 >「業報輪廻転生論」
どゆこと?
仏教は業因果・輪廻が前提でしょ。一貫して。
それを否定するのは和辻みたいな現代仏教の一部と、インドの新興宗教ぐらいだけど。
712 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 09:18:38.16 0
ついでに『全体矛盾の自己同一』の西田の原文(青空文庫)を挙げておく。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/1755.html 眠り薬の駄文だが、お暇なら読んでねw
『我々は自己矛盾の底に絶対に死して、一切即一の原理に徹するのが即心是仏の宗教である。』
『世界は絶対矛盾的自己同一として、自己自身を越えたものにおいて自己同一を有(も)ち、
我々は超越的一者に対することによって個物なるが故に、我々は個物的なればなるほど、現実から現実へと動き行きながら、
いつもこの現実の世界を越えて、反省的であり、思惟的であるのである。』
こんな思想(想い)は『ウバシーヴァよ。あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て、
★“最上の<想いからの解脱>において解脱した人”★、──かれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。』(スッタニパータ1072)
<最上の「想いからの解脱」において解脱>にはるかに遠い真逆の『思想』(想い)でしかないのだ。
西田がアホなるゆえんである。
713 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 09:20:37.31 0
>>711 >仏教は業因果・輪廻が前提でしょ。一貫して。
あなたの「想い」の中だけでねw
714 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 09:23:49.60 0
× 『全体矛盾の自己同一』
〇 『絶対矛盾の自己同一』
715 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 09:34:05.59 0
>>713 いや〜、そりゃアナタの誤解なだけだ
インド、チベット、シナ、日本、スリランカ、ビルマ、タイ、モンゴルで
あらゆる時代に一貫して仏教は業因果・輪廻が前提だよ。
業因果・輪廻を認めないのは断見、邪見と言われる。
これは釈尊から一貫してるよ。梵パ蔵漢和で簡単に確認できる。
逆に『大四十経』MN PTS III, 71頁で、こう説かれてる。
邪見とは何か。〈布施なく、祭祀なく、供犠なく、善悪業の報いなく、この世、かの世、母父なく、化生の有情なく、シャモン・バラモンで正しく道を行じて、自らこの世とかの世を直接知覚して説く人はいない〉とする。これが邪見です。
参考:『原始仏典』春秋社、中部4、151頁
パラレルな『中阿含経』ではこう。
T0026_.01.0735c15: 云何邪見。謂此見無施無齋。無有呪説。無
T0026_.01.0735c16: 善惡業。無善惡業報。無此世彼世。無父無
T0026_.01.0735c17: 母。世無眞人。往至善處善去善向。此世彼
T0026_.01.0735c18: 世。自知自覺自作證成就遊。是謂邪見。
参考:『国訳一切』 阿含部6、181頁
716 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 09:36:47.72 0
>>715 >逆に『大四十経』MN PTS III, 71頁で、こう説かれてる。
>『大四十経』MN PTS III, 71頁で、こう説かれてる。
に、上のコピペで削り忘れた
717 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 09:43:08.82 0
自然科学(生命現象を含むすべての自然界を観察、データ処理、再現実験、そしてあるパーセントによる
真理の確認)の進歩は驚くべきものが、今日見られます。人文科学については
、十分に理解できませんが、やはり、一定の理論にモトずく「基準(スケール)」で
測定し、統計処理し、真理を求めるものと、思われます。
いずれの科学も「一例報告」も重要ですし、過去の「歴史」「文献学」も重要です。
そして、「真理」を求めてきました。一応、完結してると言う「仏教哲学」の場合は
いかがなものでしょうか?
「美」も「倫理」も「正義」も、そのほかの諸々の「価値体系」が再検討され、
完結していると言うものも、新たな「視座」を試みるこの頃である。
「仏教」や「仏教哲学」は、いかがなものか。 9
718 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 09:52:00.03 0
>>715 >あらゆる時代に一貫して仏教は業因果・輪廻が前提だよ。
業報輪廻転生論を下記基準によって証明せよ。
1.明証性 Sn.1066、1053参照: 現に証せられるもの(現実に今ここで実証できるもの)
2.即時果報認証性 同: 時を隔てずして果報あるもの(時間をかけることなく瞬時に効果の現れるもの)
3.客観的再現性 同上:来り見よというべきもの(ここに来て実際に見なさいと言えるもの)
4.涅槃合目的性 Sn.737: よく涅槃に導くもの(苦の寂滅・心の平安に導いてくれるもの)
5.★自力検証性 Sn.908: 知者がそれぞれに自ら知るべきもの(勝れた知者が、自分で知ることのできるもの)
<相応部 35-70ウパヴァーナ>
上記の基準によって検証されなければならない。
なぜなら、上記基準を外れたものは「ありもしないもの(妄想・物語)を語っているからである(相応部 35-23 一切)。
ちゃんと、検証・証明しといてねw
719 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 10:05:03.88 0
>>717 >「仏教」や「仏教哲学」は、いかがなものか。
仏道は検証された「一切」(四法印)がメルクマールです。⇒
>>718
720 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 10:13:45.80 0
>>718 論なら、上にきっちり示した。知覚可能なテキストに他ならない。
業・輪廻を凡夫に知覚できるように示せというのは、もはや詭弁に他ならない。
釈尊も「凡夫が如来を賞賛して語るとき、わずかなことのみを、卑近なことのみを、戒のみを語るにすぎない」と言っており、
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html 業不可思議と説かれている。この二つは業にしろ、輪廻にしろ凡夫には知覚不可能であることを釈尊が述べていることに他ならない。
伝統仏教でもそのように認識され、聖者は前世を認識し、優れた聖者は業もある程度認識されるとされる。
完全に業を知るのはブッダだけとされる。
だから、凡夫に知覚可能な形で提示しろというのは詭弁に他ならない。
前も同じようなこと言ったような気がするが君のは盲人が私に見せられないなら、
それは存在していないと言っているようなもの
子供が「そんなこと法律で決まってるのか」と言うような実に幼稚な詭弁だ。
そういうネラ的態度、いいかげん止めないかな
721 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 10:19:03.36 0
>>719 その「一切」ってのは凡夫の知覚対象に限定されるもんじゃないぞ。
「一切」を凡夫に限定してブッダや聖者と凡夫を一律にボン・サンス的な常識で測ろうとしたのが和辻的な近代日本仏教学で、それは仏教ではただの断見。
輪廻を認めない人のための方便として、輪廻を前提にしない道、教えを説くこともあるかもしれない。
しかし、仏教学として学として、そう読むなら単なる誤読に過ぎない。
722 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 10:28:27.77 0
>>720 >この二つは業にしろ、輪廻にしろ凡夫には知覚不可能であることを釈尊が述べていることに他ならない。
おやおや相応部35-23・70は無視ですか、そうですかw
仏道は、凡夫のためにある。
それなら『實在の根柢には精神的原理があつて、此原理が即ち神である。
印度宗教の根本義である樣にアートマンとブラハマンとは同一である。神は宇宙の大精神である。』(同上 2-10 實在としての神)
上記を信ぜよ!という「信仰」宗教(⇔相応部6-1 信仰を捨てよ!)と変わりがない。
723 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 10:35:12.02 0
>>720 >論なら、上にきっちり示した。知覚可能なテキストに他ならない。
その知覚可能なテキスト類も、カーラーマ経→相応部35-23&70、で洗い直したらいかがですか?
一代vs閻魔も永いからなぁ・・w
完全平行線だから、今更新しい展開や応答の有るべくもなし、
もうお腹いっぱいだわw
725 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 10:46:01.83 0
>>722-723 どうしようもないな
カーラーマ経も輪廻を説いてるんだけどな
じゃ、「一切」が凡夫の一切に限定されるなら、
釈尊も「凡夫が如来を賞賛して語るとき、わずかなことのみを、卑近なことのみを、戒のみを語るにすぎない」と言いい、前世の記憶を直接知覚したといい、
「邪見とは何か。〈布施なく、祭祀なく、供犠なく、善悪業の報いなく、この世、かの世、母父なく、化生の有情なく、シャモン・バラモンで正しく道を行じて、自らこの世とかの世を直接知覚して説く人はいない〉とする。これが邪見です」といい、
聖者になった果、智慧としてあらゆる前世の記憶を直接知覚する、憶宿命智をほとんどの長部、中部経典で説かれているのは、どう解釈するんだ?
726 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 10:47:30.61 0
>>724 だよな、だから議論スレは止めた
しかし、現代仏教学齧りは、どこでも同じ根拠だな
和辻劣化版
727 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 10:55:16.21 0
>>721 >その「一切」ってのは凡夫の知覚対象に限定されるもんじゃないぞ。
一切外を無記とする理由
『マールンクヤプッタよ、それらのことは、何故わたしによって説かれなかったのであろうか。
マールンクヤプッタよ、それは、他でもない、なんの利益もなく、清浄の行のはじめにもならず、
厭離・離貪・滅尽・寂静・智通・正覚・涅槃にも役立たないからである。
その故にわたしはそれらのことを説かなかったのである。』
(中部 63)
上記のように、仏道は菩提心のある凡夫のためにあることが明確にされている。
一丁あがりの「聖者」さんとやらはどーでもええのんやw
仏法さえ離れているのだから(Sn1072、金剛般若経6、中部22)。
>仏教学として学として、そう読むなら単なる誤読に過ぎない。
仏法は実践仏道以外にはない。
728 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 10:56:21.06 0
心を抱く命(肉体の精妙さ)と対決する仏教、仏教は死者(死体とその遺族など)のためのもの
ではない。とされている。だが、死者への処置は、いまビジネスでサー
ビス時代。至れり尽くせりである。遺族の「こころ」まで、商品化?
その様な現実に、現代の仏教はどうあるべきか?
仏教が「凄い」と言われるには?
「2ちゃんねるマン」各位には、冷静な議論を。
729 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 11:00:58.42 0
>>727 だから、じゃなんで釈尊は輪廻を説いたんだ
そりゃ、「一切」に含まれるからだろう。
これに答えられないなら、終わりだ。
730 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 11:20:02.62 0
>>729 >じゃなんで釈尊は輪廻を説いたんだ
輪廻が業報輪廻転生の意なら『釈尊は輪廻を説いた』ことの相応部35-70による証明が前提です。
書いてあるでは証明になりません。
もちろん、これは想像ですが、当時のバラモン教洗脳様相から見て、
個別的具体的な対機説法では触れられたこともあるでしょう(たとえば中論18-6)。
しかし、一般化できないことは対機説法の趣旨から見て当然です。
菩提心凡夫では検証(相応部35-70)不可能だから、
業報輪廻転生肯定論&否定論は、共に二項相対「一切外」→無記(無視)でしかないのです。
断滅論は誤解です。
731 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 11:34:21.01 0
>>730 こういうタイプはいつもながら、一応根拠は上げるけど
最終的には自分の思いだけなんだよな
要するに常識が根拠で、仏教経典は二次的なんだは
経典で常識に合致するとこだけ、適当に利用する和辻主義
それじゃ、話にならないって分からないかな?
オイラは終了するは
732 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 11:49:12.85 0
今一度冷静になりましょう。
釈迦如来は、文献を残していません。
その思索は、後の人々の記憶をまとめて、記録したものです。
733 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 11:51:44.28 0
>>731 >要するに常識が根拠で、仏教経典は二次的なんだは
同じ凡夫でも、菩提心自己が一切を徹見してゆく「如理作意」(中部2)の根拠が、
非菩提心(日常)自我の『常識』を根拠にできるわけがない。
一切外妄想も含まれるからだ。
たとえば多くの日本人は八百万の神を信じて神社にお参りする。
これが「如理作意」であるわけがない。
それじゃ、話にならないって分からないかな?
では、アデュー!
734 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 13:15:20.57 0
昨日今日ではない仏教の「凄さ」
日本の文明、文化を、仏教なしで論ずることはできない。
政治、経済、戦、の歴史。仏教建築より、禅思想による日本人の美意識。
今日なを残る日常性の中の、「仏」の影、祖先への思い。
それらは、ゆるぎない。
これこそ、仏教の「凄さ」 知らず我らの心の奥に根ずいている。
釣りではなくご意見をお聞きしたく。
宗教は人を洗脳し、主体性を無くさせ、本来の自分を奪うという
ものではないのですか?
>>735 ここは哲板だから、この板このスレ的には、その通りだと思うよw
また、
社会学的・民俗学的に見れば、違った解釈になるだろうし、
宗教学的に、歴史的に、神学宗学的に、精神医学的に、
そして、信仰の中にあって解釈される場合にも、それぞれ違ったモノとして見えると思うよ。
737 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 14:08:33.45 0
>>732 著作物なら、信用できるってか
現代の著作物でさえ、突き詰めれば書かれていることの真偽は、それだけじゃあてにならない
仏教は聖者の再現性によって検証されているんだが
738 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 14:10:14.06 0
>>735 そりゃ、本来の仏教とは関係ない
全く政治的な側面ですな
哲学というより政治や社会の問題じゃないか
739 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 14:13:24.91 0
>>733 完全妄想だな
誰も言ってないだろ、こんなこと
まあ、2チャンの哲板らしいといえば言える
宗教は「まかせ」が本質だよね。
時宗なんかがいちばんまともなのかも知れんなあ。
741 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 15:00:21.74 0
>>740 時宗も良さげだけど、仏教内の一つの道
様々な道がスッキリ、方便として認められないうちは、
知的理解にも達してないと思った方がいいよ
742 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 15:17:19.32 0
誤解の無いように、c点論を認めても、仏教の「凄さ」には変わりはありません。
東洋の「無の哲学」は、長い歴史と深い実態があり、それなりの評価が僅かも
低下するものではありません。世界の認める事実です。
>>741 東洋にも西洋にも「知的理解」を要求する宗教なんぞないわ。
信仰とはそういうもの。
744 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 15:38:18.54 0
>>743 そりゃ、あまりに一面的で浅薄な見方
セム三宗教も神学があり、インドにもシナにも知的な道がある
特に仏教は始めに教えを聞き、聞いた内容をよく考えて理解し、
理解して初めて実践するのが、始めから王道
これを聞思修という
745 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 15:53:16.20 0
743氏へ
失礼、ここは「哲学」版でした。お説のとうりです。信仰に理屈は不要。
>>745 けど、あった方が、
揺らぎの防護ともなり、脱線錯誤の防護ともなり、
より確かな信へと昇華させることができる。
747 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 16:20:38.35 0
744氏へ
確かに、宗教にも理屈がありますが?
キリスト教のスコラ哲学(スクールの語源)でも信仰に反しない限り
とされています。
仏教の仏教哲学に制限条件のあるのは、ご存じのとうりで、それ故に、
c点論は、ママ子扱い。
その他、多数。 信仰は理屈で無い。
宗教はさ、逆に理屈じゃないから凄いんだよ。
749 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 16:41:32.30 0
>>747 そりゃ、セム三宗教が信仰の宗教で、
明治以降、宗教が religion の訳語とされたからでしょう
たしかに、仏教も信が門を開くとされますが、
仏教は教えに他ならず、その教えの全体像を抜きに
religion を投影した清沢満之のような仏教像は歪んでいるとしか思えません
750 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 17:22:33.84 0
>>748 だけどコイツらのように理屈としてしか受け取れない奴がほとんどだから
馬の耳に念仏なんだろう。
751 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 17:56:39.32 0
仏教には考えるべき、哲学(どこまでも論理で、矛盾を否定して論ずること)の
不可能な問題ばかり。
顕教(般若経、華厳経、法華経)密教(大日経、金剛頂経、理趣経)、その他に
しても、「矛盾と無限の視座」無しでは、了解不能と思われる。愚生の不勉強なのであろう。
ここが「2ちゃんねる 哲学」版であることが、心苦しい。多謝。
753 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 19:36:08.81 0
今少し述べさせてください。
仏教では、極最近の新宗教まで含めて(日本のみでも)多くの宗派や教団があり、
それぞれに「教義」を持っています。そして、それらは「真理(哲学的論理ではなく
宗教的真理)として公認(法的許可)」されています。
それ故に、宗教を「2ちゃんねる 哲学」版で扱うのは、疑問でしょうが、
「2ちゃんねる 哲学マン」の寛容に甘えさせていただきます。
754 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 19:37:44.14 0
つか、学問板なのに信仰とか体験とか言ったら学問ではないんだよね
他人が確認する手段がない
検証可能性がないから
信仰とか体験とか言うなら、ネットで無理だし
2ちゃんでもせめて宗教板で語ればいいだけじゃないか
外部から批判的に考えるのなら、いくらでも哲学的問題になる
>>736 「その通り」なら仏教は無くした方がいいという結論になりませんか?
主体性があって、自分で考える。これが人間という物だと言われたら…。
洗脳は悪い事でしょう?
758 :
考える名無しさん:2014/07/01(火) 05:15:04.13 0
人類の文化、文明の最初の遺跡は、ネアンデルタール人の「埋葬」のあとと言う。
その後は、人類の文化、文明は今日に至る。人類が「死」について考え、その遺跡は
世界中に広く見出される。
その中で仏教も、歴史的にも現実にも、今も生きている。
だが、今日幾人かの人々が、仏教について、新しい観点から考えようとしている。
そこでは、科学、哲学、宗教の壁も有害でこそあれ、無意味。
人類の死「苦悩も含め」への思い「自然界の動物にあるか無いか不明」だが
仏教も、今改めて、「哲学」と成るかもしれない。
蛇足ながら 「2ちゃんねる 哲学マン」はあまりにも、拘りすぎに見えます。
759 :
考える名無しさん:2014/07/01(火) 06:07:26.66 0
>>753 > それ故に、宗教を「2ちゃんねる 哲学」版で扱うのは、疑問でしょうが、
> 「2ちゃんねる 哲学マン」の寛容に甘えさせていただきます。
この「それ故に」というのは各宗派のドグマを否定されるのが「疑問」という意味かな?
いや、寧ろテキストを根拠に述べるなら歓迎、常識を根拠に述べるなら、哲学ではないと思う。
>>756 常識も洗脳なんだけどね。寧ろ仏教はあらゆる洗脳からの解脱を目指す道だと思う。
760 :
考える名無しさん:2014/07/01(火) 06:11:45.33 0
>>758 ちなみに仏教ではそういう文化はただの習慣、習わしと考える。
それぞれの社会、個人にそれぞれの歴史的習わしがあり、
それは芭蕉のように本質のない空なる縁起と見るんで、
そういう文化を基盤に仏教を扱うのは、まるで本の装丁、形態を論じて
説かれている内容を見ないようなものと思う。
761 :
考える名無しさん:2014/07/01(火) 11:57:45.52 0
仏教哲学では、現在完結しており、これ以上論ずる余地はない。ご存じの
「無記」「卦論」である。完全な袋小路だ。
760氏へ お説のとうり、包装紙のリニューアルしか無い。
それも仏教ビジネスの現実。
「いのち」への思いが、仏教と思いたいが、それも幻想。
762 :
考える名無しさん:2014/07/01(火) 14:31:10.27 0
>>761 まさに表紙しか見てないんじゃね
現代日本仏教を見ても仏教は分からないよ
763 :
583:2014/07/01(火) 19:35:20.00 0
>>仏教は業因果・輪廻が前提でしょ。一貫して。
>
>あなたの「想い」の中だけでねw
輪廻は「ある」のか「ない」のか?
という二者択一的な問い自体が、仏教的ではないように思われる…
仏教的には、それは「非一非異」なのであって、「非一」の面からいえば輪廻は「ある」ともいえるが、
「非異」の面からいえば輪廻は「ない」ともいえるのだろう。
そのような「非一非異」は、《無分別智》と《後得智》との二重性からでてくるものと思う。
それに関連して…
ニーチェの永劫回帰説は仏教の輪廻に似ているのだが、
永劫回帰のことを「円環」と呼んだ小人に対して、ツァラトゥストラは「お前は傍観者だ」と叱っている。
「存在」とか「時間」について、我々は通常の意味では認識することができない。
例えば、時間を「直線」とか「円環」として表象している者は、時間を対象化しているのであり、
つまり自分自身は時間の《外》に立ってしまっている。
たが実は、自分自身が存在そのものであり時間そのものである我々は、存在と時間の《外》に立つことなどは出来ないはずである。
だからツァラトゥストラは小人を「傍観者」と叱ったのだ。
小人のような対象的認識を、仏教では、凡夫の分別(つまり後得智ではない分別)という。
764 :
考える名無しさん:2014/07/01(火) 20:10:10.10 0
>>763 >仏教的には、それは「非一非異」なのであって、「非一」の面からいえば輪廻は「ある」ともいえるが、
>「非異」の面からいえば輪廻は「ない」ともいえるのだろう。
>そのような「非一非異」は、《無分別智》と《後得智》との二重性からでてくるものと思う。
違うな、勝義としては「非一非異」であるとも言わない。
四句分別という論理形式による断定を離れてるから。
世俗としては「ある」と仮設されるのが、勝義への導き以外で一般的。
765 :
583:2014/07/01(火) 20:16:56.99 0
>違うな、勝義としては「非一非異」であるとも言わない。
「非一非異」を理解していないと思われるが・・・
「非一非異」の全体を「勝義」として捉えるようなことはないでしょう。
『世俗としては「ある」』というのが「非一」ということ。
766 :
考える名無しさん:2014/07/01(火) 20:25:52.63 0
>>764 >違うな、勝義としては「非一非異」であるとも言わない。
補足すると、中論八不偈は「不生亦不滅不常亦不斷不一亦不異不來亦不出」という見解や主張、断定をしているのではなく
「同一である」とか「異なる」とかという見解や主張、断定の戯論妄想を寂滅に導いているから。
だからこそ『中論』13-8で「空性とは一切の見解を離れること」と説かれる。
「非一非異である」というのは見解に他ならない。
だから中論や中観、般若、仏教を思想、見解と捉えるのは間違いなんですよ。
767 :
考える名無しさん:2014/07/01(火) 20:27:13.79 0
768 :
583:2014/07/01(火) 20:42:44.06 0
>思想、見解と捉えるのは間違いなんですよ。
話がずれてます・・・
「無分別智」と「後得智」の話をしたのに、それでは・・・
ちなみに、ニーチェは「真理はない」と言いました。
それに対しては、「真理はない」という「真理」をニーチェは主張しているという批判が予想されます。
しかしニーチェはその批判に対する答えも持っていた。
「真理はない」というのは「真理」ではなく、一つの「解釈」なのだ・・・と。
そうすると、ニーチェの解釈が正しいという根拠もなくなるだろう、という批判が予想されるのだが、
ニーチェはそれに対する答えも持っていた。(それは省略)
それと同じように、仏教は「見解ではない」というのも、一つの「見解」なんですよね。
では、それにどう答えるのか?
僕は一応その答えを持っていますが、君はどうですか?
ではまた。
769 :
考える名無しさん:2014/07/01(火) 21:00:19.04 0
>>768 <それは「非一非異」なのであって>と書いているので、それは思想、見解として掴んでいると思われるから。
x である、xでない、x且つ非x、xでも非xでもないという言い方は導きで
仏教においては思想や見解ではないですよ。
無分別智と後得智という捉え方は、ズレてると思う。
仮設としての言い方と、勝義への導きとしての言い方。
後得智にしても凡夫の認識にしても言葉で言い表されるのは習わしに添った仮設だから、あまり関係ない。
770 :
583:2014/07/01(火) 21:05:28.52 0
><それは「非一非異」なのであって>と書いているので、それは思想、見解として掴んでいると思われるから。
とても根拠薄弱ですね…
それを言い出したら、なんとでも言えます・・・
そういうのを批判の武器にしてはだめです。
さよなら。
771 :
考える名無しさん:2014/07/01(火) 21:09:56.36 0
>>770 そう、ここ重要だよ。
似てるけど、思想見解として理解していたら何にもならないのに。
せっかくのチャンスだと思うんだけど。
批判しているつもりはないよ。
まず、アナタから説き始めたことを自覚されたし。
仏教は凄いけど、やることすべてやったら、涅槃になるな。
無我の境地。煩悩は必要じゃないか?
773 :
考える名無しさん:2014/07/01(火) 22:23:12.03 0
>>772 え、涅槃になりたくないの?
それともボサツさまですか?
774 :
考える名無しさん:2014/07/01(火) 22:57:53.69 0
>>773 ボサツが上と初めて聞きました。
修行が足りてなかったです。本を探します。なんて本ですか?
775 :
583:2014/07/02(水) 00:07:42.03 0
>>771 >思想見解として理解していたら何にもならないのに。
だから、「思想見解として掴んでいる」というのが根拠のないものだと言っているのに、わからない人ですね・・・
「掴んでいる」というのは、
>>763の僕の言い方では「凡夫の分別」に相当するのだが、
それが「凡夫の分別」なのか、あるいは「後得智による分別」なのかを容易に判断することはできない。
(しかも凡夫がそれを判断するのは…)
(「後得智」についても君は誤解しているようだ。「後得智」は、君のいう「導き」そのものだ。)
>>763で僕は、存在そのものを対象化することは出来ないということを書いた。
それを「真如」といっても「法界」といっても、あるいは「空性」といっても同じことで、
それらは全て、或る意味でそれを対象化し、「分別」してしまっている。
対象化(「分別」)せずには、名づけることも、語ることもできない。
(ハイデガーは、「存在そのもの」を対象化することはできないことを示すために「存在」の上に抹消記号「×」を付けたが、
「×」を付けたとしても、或る意味でそれを対象化してしまっていることに変わりはない。)
だからその点だけを見て、対象化し分別しているから「凡夫の分別」だとすることはできないのだ・・・
何で糞坊主しかいなくなってしまったのでしょうか
昔のような名僧はもう生まれないのでしょうか
>>776 それは、哲学的に見たら、どういうこと(どういう問題意識)だと言えるでしょう?
778 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 01:30:13.53 0
777
779 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 01:46:46.91 I
原始仏教は絶対無への帰還を説いている。
決して、生きるテクニックなど教えてはおらぬ。
780 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 05:22:36.81 0
現実を見よう。冷静になろう。
日本歴史、日本美術史、日本精神史に於ける仏教は、「凄い」の一言。
昨日、今日の話では無い。
仏教思想も完成され、社会的影響はほとんど無い。個人、家庭レベルでの
それは、信教の自由により、様々。
「c点論」が、仏教解釈に新たな「視座」を、と仮定しても、今日では
仏教哲学は完成され、完結していて、ほとんど影響は無い。
また、仏教ビジネスにもそれぞれの「教義」を変えるメリットは、全く無い。
冠婚葬祭業者のサービスは、ご存じのとうり。
「2ちゃんねるマン」の遊びと現実のギャップ。深刻に悲壮になる者も
認めるが、信仰はどこまでも個人の「いのり」、議論するものでは無い。
781 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 06:29:45.54 0
>>775 話にならないな
<それは「非一非異」なのであって>と「なのであって」って書くってことは
断定してるってことだ。
分かってればそうは書かない。
そもそもアナタは自分が正しい前提でケチつけてきて根拠を全くださずに、
「分かってない」だけが根拠だろ。
そりゃ「分かってない」んじゃなくて「オレの理解と違う」だけ
もう終了しとくは
782 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 06:31:38.47 0
>>774 文献学的に知りたい場合は、山口益『仏教思想入門』
伝統説なら『十地経』中公文庫をどうそ
783 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 06:59:22.10 0
>>780 他人の文はちゃんと読もう
だから現代日本仏教を見ても仏教は分からないと何度も書いてるんだけど
c 点は妄想なんで、論じる価値がない
784 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 09:12:30.93 0
783氏へ
お説はよく心します。「c点は妄想」と、私自身は、訂正可能(それだけの
病識はあります。現役の老内科医です。)自然科学、臨床医学に携わる身です。
「妄想」の定義を、失礼ながら、ご存知ですか。人様の生命を毎日扱っています。
「c点は妄想」とは、あなた様が、了解不能とは思いませんが、見解を異にするのはわかります。
だからと言って、もう少し、心に「ゆとり」をと、願うのは老婆心に過ぎますか。
蛇足でした。
785 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 09:26:00.97 0
>>784 妄想というのは、要するに仏説に仮託して自分の思いを述べているから。
自説として語ればいいだけで、仏教としては妄想以外の何者でもないので、
もし、ここで論じたいなら、c 点を根拠にするのではなく、
仏教のテキストを根拠にしてください。
それなら話合うことができます。
786 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 10:07:03.64 0
↑ 縁無き衆生
787 :
583:2014/07/02(水) 11:41:16.10 0
>>781 ><それは「非一非異」なのであって>と「なのであって」って書くってことは
>断定してるってことだ。
「語る」ということについては、
>>775にも少し書いたように、断定的な書き方をしているから
それが「凡夫の分別」であることにはならないのです。
(君は「後得智」を理解していないからそれが分からないのかも知れない)
また、当然ながら君自身も「空性であって」というような断定的な書き方もしているわけなので、
君の言いがかりは、まともな揚げ足とりにさえなっていない…
僕の書き込みの中心は「非一非異」と「後得智」だったのだが、君はそれらを理解していないから、
『なのであって』に飛びついてしまったのでしょう。
とてもつまらない話になってしまいました…
ではさよなら。
788 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 13:33:01.33 0
問題は勝義の文脈と世俗の文脈を混同してることなんだよなあ。
もっとも、世の仏教学者でこれを区別できてる人は少ないから仕方ないかもしれない。
輪廻は世俗の文脈で有ると説かれる、業因果もだ。
勝義の文脈では、四句分別が皆成り立たないとされる。
「非一非異」というのは勝義の文脈に他ならない。
それを<それは「非一非異」なのであって>と断定したら見解なんだよ。
その根拠は『中論』18-6以下
世俗の文脈:>「諸仏は〈我〉と仮設し〈無我〉とも教え〈我でなく無我でない〉とも教えました。言い表されるものが止滅するのは、心の働く領域が止滅する時で、不生不滅で涅槃のような法性です。
勝義の文脈:>一切は[見えるままに]〈そうである〉あるいは〈そうでない〉また〈そうであり、かつそうでない〉また〈そうであるのでも、そうでないのでもない〉これが諸仏の教えです。
そしてこの区別がつかないと『中論』 24-8以下
>「二諦に正しく依られて諸仏は法を教えました。世俗諦と勝義諦です。
>この二諦の区別を知らない人々は、仏の教えにおける甚深な真実が分かりません。
>言い習わしに依らずに勝義を教えられません。勝義に至らずに涅槃を得られません
世俗の文脈で説く時は、四句分別によって説く、つまり断定する。
勝義の文脈で説く時は、四句分別が全て成り立たないと導く言い方をする。
この二つが分からないから、「非一非異」と勝義の文脈で四句分別が全て成り立たないと導く言い回しを、思想や見解と捉えて<それは「非一非異」なのであって>と断定するのは、「この二諦の区別を知らない人々」に他ならない。
世俗の文脈で説く時は、もちろん断定もし否定もする。それが世俗の言い習わしだから。「言い習わしに依らずに」は何も「教えられません」から。
789 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 14:03:57.19 0
横から失礼します
世俗諦とは、西洋の[有」の哲学
勝義諦とは、東洋の「無」の哲学
c点論とは 「有無合一体」の第三の哲学
「c点による時空論」を含めて14本のサイトを検索の上
本当に、仏教が「凄い」か?
790 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 14:12:49.54 0
>>789 > 世俗諦とは、西洋の[有」の哲学
> 勝義諦とは、東洋の「無」の哲学
はい、誤解です。だから妄想
791 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 14:16:12.10 0
>>789 真上の説明が全く違うのに、よくそう書くね
792 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 15:22:33.10 0
「裸の王様」と言う童話あり。
王様の下が安全。王様について行くのが、大人と言う者。
君子危うきに、近寄らず。
793 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 15:27:09.67 0
↑ の意味
分かりますか?
794 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 16:01:31.66 0
仏教や仏教についての書き込みを信じるなというネラ的な揶揄
795 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 17:21:44.22 0
そしてクーデターが起こって王様と一緒に殺される。
なんかスコラ哲学みたいなスレになった
変なのが大挙して紛れ込んできた
797 :
考える名無しさん:2014/07/03(木) 06:53:47.42 0
冷静になろう
いまどき、仏教の「凄さ」でも無いでしょう。
ここに集まる各位は、仏教ビジネスの関係者か、後継者か。
それとも、冠婚葬祭業者や関係者か。
信教の自由は、各個人に保障されている。
迷っている人々も多い。だが、それを佛教が救えるか。心だけ問題か。
政治、経済、福祉、など幅広い問題であろう。
いまどき、仏教が「凄い」とは。
純粋な若者よ。迷わず、真実を知るべきだ。
798 :
考える名無しさん:2014/07/03(木) 06:55:44.91 0
>>797 だから現代日本仏教を見て仏教を語るなってw
799 :
考える名無しさん:2014/07/03(木) 09:33:03.00 0
さて、仏教現代教学がダメだとかうっせえやつが進めてくれた
『仏教思想入門』(山口益著 思想社)を読みましたよ。
八 釈迦牟尼の正覚の内容
a 解脱〔=涅槃〕→解脱智見
「火燃経」から、ゴーダマ・シッダールタが35歳4月15日の満月の
夜の明け方に到達した正覚(さとり)についての詳細について書かれている。
「人間の迷妄が断ち切られた」=涅槃が正覚の正体だという。
「迷妄」とは「自分を大事に思い自分の物を大切に思ってそれに愛着を起こし、
それが果たされない場合に瞋憎悪が起こる」といったときの、主質である愛憎の念が
火の燃ゆる姿に喩えられ、その愛憎の止滅を「火の消滅」と考えての思想(p97)のことであるという。
これらは修定主義者の言う「意識を滅ぼすことによって入った絶対空無の境地」ではないことが
強調されている。ここらが誤解の生まれやすいところであるが、ゴーダマ・シッダールタのそれは
「全く清純化せられた直観力によって発見せられる境地である」という(=解脱智見)
ここまでがaの主張であるが、ここで疑問がひとつある。「直観力によって発見せられる境地」というのは
いかなるものか?確かに、人間の持つ直観というものは信頼に足る智見だといえよう。脳が瞬時に導き出す
閃きは多くの場合、理に叶っていることが多い。直観を働かせるというのは、そもそもその時その時の発言や
一挙手一投足の発露であり、それらは、直観によって前にでるものである。直観力はそもそも悟りの第一段階で
あるという主張には同意する。しかし、直観というものは人によって違うものであるし、直観力を鍛えれば、
正覚に近づけるのは確かだろう。しかし、その直観はどのようにして、霊的な領域まで発展したのかという
肝心な部分が、ここまでの説明ではなされていない。一体、直観力とはいかなるものなのか?
800 :
考える名無しさん:2014/07/03(木) 09:33:54.14 0
進めてくれた →勧めてくれた
801 :
考える名無しさん:2014/07/03(木) 10:01:33.74 0
>>799 『仏教思想入門』は全て正しいわけでなく妥当な記述で大まかな基礎知識を与えてくれる教科書だよ。細かい点に拘泥されても困る。おおつかみに仏教の全体像をに対する視野を観るべきだ。
特に浄土真宗現代教学で歪められた人に勧めたわけだが。
そしてその後に書いているように縁起観が山口先生のいう「直観力」に他ならない。
縁起観は、観、ヴィパサナー、空観、無我観などと言い換えてもよい。
そして観は凡夫にはできない。禅定と呼ばれる精神集中状態でないと意識が散乱していて観にならないからだ。
そして禅定に入るためには戒を守って意識が散乱しない生活習慣を作ることが必要だ。
これが戒律、禅定、縁起観の基本的な道で、一般に戒定慧と言われる。
しかも、戒定慧の教えも聖者から聞きいて、よく思案し納得した結果修行しなければ効果ない。これを聞思修と言われる。
もちろん、ここではテキストに添って議論すればいいだけだけど、効果云々について言いがかりをつける輩への予防線だ。
802 :
考える名無しさん:2014/07/03(木) 10:04:04.33 0
>>799 >一体、直観力とはいかなるものなのか?
・相対的知的理解ではない。
・対象化は可能ではない。
・如理作意ではない。
・一切外ではない。
・虚無ではない。
・★定義は可能ではない。
これを称して、無分別智直覚 般若智直覚 直接縁起の現観と<仮名>す。
仮名だから、実は即不中(対象化不能だから言語論理化した途端に外れている)だ。
矛盾なき中道である。
龍樹 中論
★13-7『もしもなにか不空(非空)というもの(実体)が有るならば、(その否定としての)空というものが有るであろう。
しかるに不空(非空)というものは何も存在しない。どうして空なるものが存在するだろうか。』
13-8『一切の執着を脱せんがために、勝者(仏)により空が説かれた。
しかるに人がもしも空見をいだくならば、勝者はその人々を「癒されない人」と呼んだのである。』
空も仮名であり、対象化定義は空見である。
803 :
考える名無しさん:2014/07/03(木) 10:23:45.50 0
>>802 なんだ遊びか、一応、典拠だしても典拠が自説と矛盾したら妄想自説の常識が正しいじゃ、依る必要ないだろう。
要するに仏教に仮託した自分語りなんだよ。
仮名というのは仮設の漢訳、
仮設というのは、prajnapti はpra-√jna+nic+ktin と語源分析され、btags pa, gdags pa 仮、施設、仮設、表 など訳される。
言い習わしに基づいて何かをxと言い習わし通り記号付けて表し出す、表示、仮象、仮現、ラベリングといった意味だぞ。
そりゃ、世の中の現象がすべて仮設、仮名だから当たり前だ。
804 :
考える名無しさん:2014/07/03(木) 10:35:05.05 0
b 縁起の道理
仏陀の「さとり」は智慧(般若)を本質とする。
「仏陀は、彼に正覚の開発せられるその前夜に、初夜、中夜、後夜という夜の経過のなかで、
縁起の理法ということを繰り返し思惟観察し、もって、明星の輝く暁において、やがて大地に
輝き出る日輪のごとく、迷妄の暗黒を退散せいしめたのである」(『阿含乃仏教』赤沼智善p62)
ここで言う縁起の理法こそ、法の本質であり、華厳経でも繰り返し語られているところである。
ここでは縁起の理法を相依相関において語られている。
詳しくは山口益等書『仏教学序説』や『空の世界』『大乗としての浄土』のなかに繰り返し述べられている
竜樹(ナーガールジュナ)中論第十薪火品の話だそうだ。
要は能所主客に関する記述であり、我々は能所として物事を捉えていない。
火と薪の関係で語られてるこの所見は12縁起などといって取り上げられているもの
である。「これは具体的な人間関係における主体的なものと、客体的なものとの因果関係
である。・・・西洋哲学ではsubjectiveなものobjectiveなもの、などという
表現を用いる慣わしになっているが、仏教用語では主観客観、主体客体は、
はたらく者(能所)と、そのはたらく者によってはたらかれる物(所作)
という言い方が適切である。能と所との因果関係である」
※「十二縁起とは苦が生じ繰り返されるプロセスを12の因果関係で表したものです。
無明→ 行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死→(無明に繋がる).
805 :
考える名無しさん:2014/07/03(木) 10:46:03.94 0
自分、菩薩を公言しているのだが、六波羅蜜の禅定と般若について
きっちり簡潔に説明できるひといますか?
六波羅蜜(ろくはらみつ、ろっぱらみつ)とは、甚深法界の六つの彼岸行のこと。「六度(ろくど)彼岸」とも呼ばれる。
1.布施波羅蜜 - 檀那(だんな、Dāna ダーナ)は、分け与えること。dānaという単語は英語のdonation、givingに相当する。具体的には、財施(喜捨を行なう)・無畏施・法施(仏法について教える)などの布施である。檀と略す場合もある。
2.持戒波羅蜜 - 尸羅(しら、Śīla シーラ)は、戒律を守ること。尸は屍に通じる。在家の場合は五戒(もしくは八戒)を、
出家の場合は律に規定された禁戒を守ることを指す。
3.忍辱波羅蜜 - 羼提(せんだい、Kṣānti' クシャーンティ)は、耐え忍ぶこと。[2]
4.精進波羅蜜 - 毘梨耶(びりや、Vīrya ヴィーリヤ)は、努力すること。
5.禅定波羅蜜 - 禅那(ぜんな、Dhyāna ディヤーナ)は、特定の対象に心を集中して、
散乱する心を安定させること。
6.智慧波羅蜜 - 般若(はんにゃ、prajñā プラジュニャー)は、諸法に通達する智と断惑証理する慧。
前五波羅蜜は、この般若波羅蜜を成就するための手段であるとともに、般若波羅蜜による調御によって成就される。
806 :
考える名無しさん:2014/07/03(木) 10:58:30.51 0
>>805 上
>>801に書いたのと同様
禅定は精神集中、般若は縁起・空・無我観
波羅蜜と限定詞がついているのは、完全なとか勝義のという意味。
『般若経』や『中論』など中観は般若を説いているので、
>>788で述べたように
四句分別、つまり世俗的な論理形式で何らかを判断することを鎮めて、
勝義の戯論寂滅に導くのです。
ここを何かの思想や主張があると捉えると現在の仏教学のように混乱したものになります。
それを免れている数少ない学者の一人が山口益先生
807 :
583:2014/07/03(木) 14:58:49.11 0
>>788 おかしな人だな…
僕は、君の最初のレスを見て、君は「非一非異」を理解していないと思ったから、
>>765でそう書いて、【『世俗としては「ある」』というのが「非一」ということ。】と書いた。
その後の君の書き込みを見ると、君は上の僕の書き込みも理解できなかっただろう。
本来ならば、僕の
>>765を見た時点で、君は「非一非異」の意味内容を僕に確認するなりすべきだったのに、
肝心の「非一非異」の意味内容には触れようとせずに、
しかも【「非一非異」なのであって】を批判しようとするから、
君は最後まで頓珍漢な書き込みを続けることになった。
「非一非異」は、《二つのもの》の間の「一」と「異」を言っているのだから、四句否定とは違います。
二つのものが「非異」つまり「異ならず」ということは、
言い換えれば「不二」「無差別平等」ということであり、それは無分別智につながり、
また、二つのものが「一にあらず」というのは、差別ある世界であり、分別智(後得智)につながる。
その《二つのもの》というのは、例えば『大乗起信論』では、《生滅門》と《真如門》であり、
それらを「非異」と見る修行が『止』であり、「非一」と見る修行が『観』である。
(『摂大乗論』では、《遍計所執性》《依他起性》《円成実性》の三性の間に、三通りの非一非異が成り立つ。)
この《生滅門》と《真如門》は、それぞれ、「生死即涅槃」といわれる場合の《生死(輪廻)》と《涅槃》に対応する。
だから、「輪廻」の話題について、僕は「非一非異」を書いたわけです。
ではこれで。
>>807 彼はどっちかって言うと、源流としてのインドチベットの中観だからね・・。
貴方の言うような(近代)禅的な言詮不及とは色合いが違っても(平行線でも)仕方ないと思うよ。
809 :
考える名無しさん:2014/07/03(木) 15:42:57.90 0
↑ 皆様は、完璧な正当派です。
釈迦如来の「しばり」、竜樹の「しばり」
からは、一歩もで出ない優等生です。
どこまで論じても、正論と認められます。
810 :
考える名無しさん:2014/07/03(木) 16:52:11.14 0
皆様、失礼ですが、勇気と忍耐と思索が可能でありますか?
「しばり」を完全に外して、無心に読めますか?
「c点による時空論」以下の14本のサイトを。
811 :
考える名無しさん:2014/07/03(木) 19:58:23.29 0
812 :
考える名無しさん:2014/07/04(金) 00:27:15.37 0
813 :
考える名無しさん:2014/07/04(金) 03:53:01.41 0
814 :
考える名無しさん:2014/07/04(金) 17:12:44.55 0
>>807 続けたいのか止めたいのか? まあいいや、他の人が迷わないために書きましょう。
しかし、どっちも<「非一非異」は、《無分別智》と《後得智》との二重性からでてくる>という主張の根拠になってないんですけどね。
まず起信論から確認しましょう。確認したのは以下の通りです。『房山石經』の書体は美しい。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/38.html >「非一非異」は、《二つのもの》の間の「一」と「異」を言っているのだから、四句否定とは違います。
>二つのものが「非異」つまり「異ならず」ということは、言い換えれば「不二」「無差別平等」ということであり、それは無分別智につながり、
また、二つのものが「一にあらず」というのは、差別ある世界であり、分別智(後得智)につながる。
四句分別ってのは二項を以下のような四つの論理形式で捉えることなんだけどなあ。
1.x 2.非x 3.x且非x 4.非{x且非x}
非一非異は以下のように起信論に説かれてます
> まさに知るべし、真如の自性は、1.有相でなく、2.無相でなく、3.非 有相でもなく非無相でもなく、4.有無倶相でもない。
> 1.一相でなく、2.無異でなく、3.非一相でもなく非異相でもなく、4.一異倶相でもない。
上の場合、1.有 2.無 3.非有非無 4.有且無
1.一 2.異 3.非一非異 4.一且異 と3., 4. の順序が通常の形式と入れ替わってます。
ですが、これが
>>788に述べた勝義の文脈での表現形式、四句否定の導きに他ならないと分かるでしょう。
815 :
考える名無しさん:2014/07/04(金) 17:13:30.30 0
一方の世俗の文脈での四句表現形式の一つとして述べられたのが以下。
> 心生滅とは如来蔵によるから生滅心が有る。
> それ故、いわゆる不生不 滅と生滅が和合し同一なものでもなく異なるものでもない(非一非異)。
> これをアーラヤ識と名づける。
「無分別智」を心真如門、「分別智」を心生滅門と解釈できるかもしれません。
ですが「非一非異」が説かれるここは世俗の文脈での仮設表現と考える方が明らかに妥当でしょう。
「後得智」という言葉はもちろん説かれていず、それに相当する概念に関して説かれてないと思われます。
ただし注釈には出てきますが、「非一非異」に関して説かれるかどうかは確認していません。
いずれにしても起信論では当然のことながら四句分別と二諦の中で説かれていて、「後得智」に関連付けられた「無分別智」と「分別智」という単純な構造で説かれているとは言いがたいのは明らかでしょう。
816 :
考える名無しさん:2014/07/04(金) 17:14:40.86 0
>>807 >その《二つのもの》というのは、例えば『大乗起信論』では、《生滅門》と《真如門》であり、
>それらを「非異」と見る修行が『止』であり、「非一」と見る修行が『観』である。
この止観説はどこらへんの人が言っているのか? 私はそんな説き方聞いたことないですが、とりあえず起信論には全く確認できません。恐らく誤解妄想してるだけだと思います。
当然ですが、以下のように通仏教的に起信論も
>>801で説いたことに一致します。
> 止というのは、いわくあらゆる対象の姿を止めることです。シャマタ観に随順する意味だからです。
> 観というのは、いわく因縁生滅相を分析[して実体・本質がないと]することです。ヴィパシュヤナー観に随順する意味だからです。
因縁生滅相を分析というのは分別が原語ですが、後の観の説明を見れば、縁起観などの般若、分析修習であることが明らかです。
起信論、久々に通読してみましたが、全くインド大乗仏教の論書だと思います。
『入中論』『宝性論』あたりが合わさってコンパクトになったかんじです。
素晴らしい論書で、大乗を概観でき高度な内容で最後に浄土への誓願を入れてきているとこも方便多様でいいですね。
817 :
考える名無しさん:2014/07/04(金) 17:16:05.27 0
以下の起信論は、いつも言ってる仮設と、戯論によって戯論を寂滅させるアーガマ・ニカーヤから中観、『往生要集』などにも見られる仏教に一貫した方便でしょう。
> あらゆる言い習わしは仮設で実体・本質はない、ただ妄想に従って[知覚され、その実体・本質]は得られない。
> 真如(真実)というのも姿があるのではなく、言い習わしの極みを言い、言い習わしによって言い習わし[である戯論]の除くのです。
こちらはより詳細で分かりやすい。
> 究極的に妄想を離れるのは、汚れた法と浄めの法はみな悉く相対縁起するもので、それ自体の姿と言うことができるものは有ることはない。
> これ故、一切法は本来、色でなく心でない。知覚でも意識でもない。
> 有でなく無でない。つまり姿を言うことができない。
> それでも[如来が]説かれるのは、如来の優れた方便であると分かるべきです。仮設の言い習わしを用いて衆生を導く。
> その意味は、すべて妄想から離して真如に帰せるためです。
> [なぜなら煩悩者は]一切の法を念じて心を生滅させて真実の智慧に入らせないからです。
つまり、一切法という妄想から離れることで真実の智慧に入らせるため、
戯論寂滅へ導くために如来は仮設を用いて教えを説かれる、という仏教の王道です。
818 :
考える名無しさん:2014/07/05(土) 02:21:29.48 0
583の妄想は病的だのう。
820 :
考える名無しさん:2014/07/05(土) 08:34:15.47 0
>>819 まあ、そういうな
よくある初心者の解釈
821 :
S、イマムラ:2014/07/05(土) 09:04:53.62 0
一言話させてください。
私は田舎の老内科医です。60年安保も、70年安保も、経験し、以来
半世紀以上を、生命に感動しながら、自然科学(臨床医学)に携わり、
今なを、苦しみ、悩み、不安な人々と接して居ります。この間、私の
「いのち」の記録が、
「c点による時空論」以下14本ノサイトです。
若者、若き学徒の皆様へ、一読をお薦め致します。
立場、地位、独自の信条のおありの方は、目を閉じていて下さい。
私達の前は、「死」が待っております。
最新医学でも避けられません。だが、様々な思想を知ることも
意義あるのでは、無いでしょうか。
822 :
考える名無しさん:2014/07/05(土) 12:52:20.16 0
>>821(内科医 S・イマムラ)
>「0秒」に「C点」は「実在」する。
>
http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/summary_cpoint/ ⇒『「0秒」に「C点」とやらの「実在」』は観念不能である。
ものは、時空=時間的持続の中においてのみ存在しうるからである。
時空際断の如き様相(方便)においては、モノ・コトの対象化観念そのものが不立であり、
したがって実在とか存在とかの観念そのものがありえないのである。
語りは不能かつ不毛であり、沈黙以外にない。
涅槃寂静の如くである。
・『師は答えた、「ウバシーヴァよ。あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て、
★ 最上の<想いからの解脱>において解脱した人★、──かれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。』(Sn.1072)
「0秒」も「C点」とやらも「実在」も、カウント(分別)←「想い」でしかない。
<想いからの解脱>でもなく、ましてや『<想いからの解脱>において解脱』でもない。
・龍樹 中論13-8『一切の執着を脱せんがために、勝者(仏)により空が説かれた。
しかるに人がもしも空見をいだくならば、勝者はその人々を「癒されない人」と呼んだのである。』
C点論は癒されない空見哲学でしかない。
>私達の前は、「死」が待っております。
生死は時空=時間的持続の中においてのみ存在しうるのである。
823 :
822:2014/07/05(土) 13:03:26.86 0
訂正
× ⇒『「0秒」に「C点」とやらの「実在」』は観念不能である。
〇 ⇒『「0秒」に「C点」とやらは「実在」』しない。
「0秒」もカウント可能な分別観念であって、検証不能な「実在」妄想も、
時間的持続のなかでありうる。
時空の流れにおいて、そこから「切り取る」という思考そのものが無意味かつナンセンスである。
824 :
583:2014/07/05(土) 15:13:57.09 0
>>814 前回の僕の書き込みによって、君の書き込みも、ようやくまともになってきました…w
前回僕が書いたこと…【
>>765を見た時点で、君は「非一非異」の意味内容を僕に確認するなりすべきだったのに】は、
本当にその通りだった…と、今は思うでしょう?
今回君が「勝義の文脈」として起信論から引用した部分の主語は「真如の自性」で、
そこは「如実空」について書かれているところだから、「勝義」であって当然なのだけれども、
>>763や
>>765で僕が書いたことがそれではないことは一目瞭然です。
宇井伯寿は訳注で、その部分までのまとめとして次のように書いている。
「以上心真如門は全く般若中観の極致の説、以下心生滅門の説は唯識瑜伽の通常以上の高遠な説である。」
そしてもちろん「以下」の部分が起信論の中心です。
つまり、前回までのやり取りをまとめれば…
僕が《唯識瑜伽の通常以上の高遠な説》wを書いているのに、君はそれには思い及ばず、
僕が《般若中観の極致の説》について書いていると思い込んだから、的外れな批判になってしまった、ということです。
『唯識仏教辞典』の「非一非異」の項には、「次のような二つのものの非一非異が説かれる」とあり、
《真如と諸法》《諸仏と諸蘊》《勝義諦と諸行》《円成実性と依他起性・遍計所執性》があげられている。
それらの「二つのもの」はどれも起信論の《心真如門と心生滅門》にだいたい対応しています。
例文は…
「識の実性なるが故に亦た唯識と名づく。真如は離言にして能計の識と非一非異なり」
今は時間がないのでこれだけ。
(水曜日ごろ、もっと詳しく書けるかも知れません。)
825 :
Sイマムラ:2014/07/05(土) 15:59:23.42 0
一言伝えます。
まず、「c点による時空論」を、十分に思索をお願いします。
ここでは、「矛盾と無限」に「視座」のあることを了解願えますか。
論理のみでは、了解不能であることが、分かりますか。
単なる哲学では無い。
釈迦や竜樹の「しばり」を、抜けて完全に無心で居りますか。
失礼ながら、「↑」の皆様には、「しばり」の中の優等生です。
皆様の発言は、すべて正論です。
ここまでは、「↑」の皆様は、c点論とは、縁なき衆生です。
826 :
考える名無しさん:2014/07/05(土) 17:00:29.33 0
>>824 まあ、全然分かってないってここで気が付けないならもう終わりなんで、
一点だけに絞る。
>>807で止観を以下のように言ってるが、
>その《二つのもの》というのは、例えば『大乗起信論』では、《生滅門》と《真如門》であり、
>それらを「非異」と見る修行が『止』であり、「非一」と見る修行が『観』である。
上のような止観解釈は『起信論』にない。『起信論』では止観を以下のように述べる。
> 止というのは、いわくあらゆる対象の姿を止めることです。シャマタ観に随順する意味だからです。
> 観というのは、いわく因縁生滅相を分析[して実体・本質がないと]することです。ヴィパシュヤナー観に随順する意味だからです。
つまり、誤解だよね。それに『起信論』というテキストを根拠に反証できず、しかも間違いだと認められないならもう離してもしょうがない。
要するにただのドキュンだってことだ。
言っとくが宇井伯寿とか横山紘一といった学者の解釈はもちろん、『釈論』『義記』の解釈も根拠にならない。
それらは『起信論』でなく『釈論』『義記』宇井伯寿、横山紘一ではと書かなきゃいけない。
827 :
Sイマムラ:2014/07/05(土) 18:01:10.90 0
↑ 失礼致します。
828 :
822:2014/07/05(土) 23:35:26.36 0
>>825 >「矛盾と無限」に「視座」のあることを了解願えますか。
矛盾も無限も言語ゲームでしか在りえず、「視座」などありえない。
対象化された「視座」に対する執着源となる空見に他ならない。
そもそも、実存苦の根本的超克が仏法の本懐であり、
存在観の確立などに意味はなく、興味も無い。
仏法は龍樹 中論13-8『一切の執着を脱せんがために、勝者(仏)により空が説かれた。』に尽きる、
換言すれば、初転法輪での四諦→中道に尽きるのである。
829 :
考える名無しさん:2014/07/06(日) 23:03:13.47 0
830 :
Sイマムラ:2014/07/07(月) 06:34:13.67 0
↑ 828様
あなた様は、釈迦、竜樹の「しばり」の中の優等生です。
おしゃることは、総て正論です。
失礼ながら、c点論には、縁なき衆生です。
矛盾、無限の「視座」は、了解不能で当然です。
蛇足ですが、
あなた様が、どのようなお立場、地位か存じませんが、
「実存苦」を論ずる立派なお方でしょう。
愚痴になりますが、苦しむ患者、悩む患者、死を目前とした患者
などと、田舎の老内科医として、半世紀近く、共に生きて参りました。
生きるとは、大変な事です。
執着を脱するーーそのような一言が、臨床現場で如何に空しいか、
あなた様には、想像も出来ない事でしょう。
正論の優等生ばかりで、世の中は成り立って居りません。あなた様は
いろいろな意味で、豊かで幸福に、悟っていると存じます。
831 :
考える名無しさん:2014/07/07(月) 07:03:30.00 0
>>830 仏教を絡めるなら、仏教をある程度理解してくれよ
問題外の理解なんで
828も五十歩百歩だけど
832 :
S、イマムラ:2014/07/07(月) 08:51:58.08 0
↑ 831様
生きるとは、現実。理屈や理解は、「次で」良いのでは。
生きるためには、ベストもベターも望めぬ人々も、多い。
現実に、新宗教に縋る人々も、沢山接して居ります。
縁起をかついだり、占いに頼る人々も、多く居ります。
人間は、愚かで弱いものが、殆ど。
正論の仏教僧には、偉大なお方も居ります。しかし、
ビジネスとして卓越したお方も、見かけます。私どもの
田舎の僧は、生きるための副業を持つものが、殆ど。
これも現実です。
正論の仏教も、上記も仏教の現実です。
833 :
考える名無しさん:2014/07/07(月) 08:56:47.49 0
詐欺とか無理解な仏教を論じるスレじゃないでしょ
学問・哲学板だよ
だからスレ違い、他で仏教を絡めず自分語りしてください
834 :
考える名無しさん:2014/07/07(月) 10:16:07.83 0
>>830 >苦しむ患者、悩む患者、死を目前とした患者
>生きるとは、大変な事です。
>執着を脱するーーそのような一言が、臨床現場で如何に空しいか、
そのような「生死」に誤謬執着して苦しむ人々(未達者)のために、方便として「信仰」を説く方法もある。
たとえば、阿弥陀仏を信仰し、すべてを阿弥陀仏にお任せして(南無阿弥陀仏)、
<★安んじて、逝け!★>も慈悲に叶う。
>>832 >生きるとは、現実
『現実』とはなにか?
相対知覚表象が現実なのか?
生きるとは、『現実』であるかどうかを問うのが仏道だ。
生死は時空=時間的持続の中においてのみ存在しうるのである。(
>>822)
835 :
834:2014/07/07(月) 10:25:55.61 0
一部訂正
△ 生死は時空=時間的持続の中においてのみ存在しうるのである。
〇 生死は時空因果関係(縁起の間接現実)=時間的持続の中においてのみ存在しうるのである。
836 :
S、イマムラ:2014/07/07(月) 10:52:18.48 0
↑ 不勉強のため、失礼。
臨床医のため、「哲学」版でご迷惑お掛け致しました。
837 :
考える名無しさん:2014/07/07(月) 16:37:08.93 0
838 :
考える名無しさん:2014/07/07(月) 18:31:43.71 0
839 :
Sイマムラ:2014/07/07(月) 19:54:36.80 0
お詫び
このスレの仏教の「凄さ」は、仏教哲学の「凄さ」でした。
誤解、無知の為、皆様にはご迷惑をお掛けしました。 多謝。
840 :
583:2014/07/07(月) 22:26:13.09 0
>>826 >一点だけに絞る
おや?いつのまに論点を変えたのかな?まあいいけど・・・
僕が書いた【「非一非異」なのであって】という書き方に、君はずっと言いがかりをつけていたわけですが、
その言いがかりのどこが的外れだったのか、前回に引き続き、起信論にそって説明します。
「一心」を、二つの面から理解したのが起信論の「心真如」と「心生滅」であり、
前者は無差別平等、後者は差別の相を媒介にして、一心の真実のあり方を探求しています。
法蔵の『大乗起信論義記』によれば、真如は「泯相顕実門」であり、生滅は「攬理成事門」である。
つまり真如は差別の相を泯(ほろ)ぼして真実を顕すのであり、生滅は理を破壊しないでしかも現実の染浄の事を成ずる。
だから、君が引用した「勝義の文脈」(般若中観の極致の説)を一応の前提(前置き)として「心真如門」のところで述べておいて、
「心生滅門」以下では、《不生不滅と生滅》《如来蔵と煩悩》《覚と無明》・・・などの「二つのもの」を施設して、
両者に同等程度の重きを置いて(その「和合」として「阿頼耶識」がある)書かれたのが起信論です。
そして、起信論はそれら「二つのもの」の間の「非一非異」を説いているのだから、
【「非一非異」なのであって】という書き方そのものへの君の言いがかりはもちろんおかしいし、
また、この「非一非異」を「勝義の文脈」に回収しようとするのも、全く的外れなのです。
「非一非異」という言葉は出てこなくても、起信論には随所に「非一非異」に相当する事態がでてきます。
例えば「無明」と「本覚」と「阿頼耶識」との関係を、風と海水と波の関係で示しているところがそれです。
以下は平川彰による解説です。
「無明が覚性を離れずと説いた後で、『壊すべきにも非ず、壊すべからざるにも非ず』と説いている。
何が壊し、あるいは壊せないかはここに示されていないが、『義記』ではこれは無明と覚性の関係を指すと見ている。
無明の相と覚性の性は非一非異であるから、壊すともいえないが、壊せないともいえないと解釈している。
・・・波は水と風が一つになった状態であり、これによって無明と本覚とは非異である点を示し、
しかも水は動性に非ずといって、無明と本覚の非一を示さんとしたものである。」
841 :
考える名無しさん:2014/07/07(月) 23:06:26.86 0
>>840 終了だな。
なぜ、止観に限定したかというと、明らかな自分の間違いが認められるか認められないかのテストなのよ。
こんな明らかな誤りを認められない人は、より複雑な誤りは認められるわけがないから、話しても無駄なんだ。
そう全く自分の間違いを認められない上に、
キッチリ、言っておいた起信論のテキスト以外、義記、平川彰を根拠にだしてくるは、全然話にならない
オイラは<「非一非異」を「勝義の文脈」>でなく「世俗の文脈」と解釈してるんのも読めてないし
そもそも「仏教は業因果・輪廻が前提」と書いたのは、世俗と勝義を混同した面倒くさい誤解を避けるためだ
それなのに輪廻涅槃「非一非異」という果の側面から否定してくるのに
四句分別も分かってないし
まあ、ちょっと仏教学囓ったんだろうけど、全く分かってないよ
起信論は、十地で言えば少なくとも七地以上を中心とした高度な内容なんで、
その境地の違いも分からず一律に「非一非異」とかw
終了、終了
842 :
考える名無しさん:2014/07/08(火) 15:49:02.90 I
911 バラモンは正しく知って、妄想分別におもむかない。見解に流されず、知識にも
なずまない。かれは凡俗の立てる諸々の見解を知って、心にとどめない。
-他の人々はそれに執著しているのだが。-
凡夫には耳の痛いお言葉。
843 :
583:2014/07/08(火) 22:08:33.59 0
>>841 「止観」と「非一非異」との関係の問題は、最初の論点(【「非一非異」なのであって】という書き方の問題)とは別の問題なので、
最初の論点への君の対応を見て、書くかどうかを決めるつもりでしたが、結果、書くのはやめることにしました。
理由は、主に三つあります。
一つは、形勢不利とみるや、君は論点を変えて誤魔化そうとしたと思われること(
>>826の「一点だけに絞る」のあたり)。
二つめは、僕が他の人の解釈を引用したことに対しても、君は言いがかりをつけてきたこと。
僕が宇井伯寿、横山紘一、法蔵、平川彰の言葉を引用したのは、その引用部分について、僕もその通りだと思うから引用したわけです。
だから君は、その解釈がおかしいと思うのであれば、どこがどうおかしいと思うのかを書けば良いだけです。
これは当たり前のことでしょう。
三つめの理由は、「非一・非異」と「止・観」との関係については、前々回〜前回説明した「非一非異」の意味内容を
よく理解した者でなければ分からないと思うので、その「非一非異」を納得していない君にそれを説明しても、分からないと思われること。
これが一番大きな理由です。
844 :
583:2014/07/08(火) 22:11:42.31 0
では最後に、
>>583で引用した太田久紀の言葉を再び引用します。これも
>>583と同じく煩悩についての言葉です。
これは、僕自身いつも心にとめている言葉ですが、君にも捧げましょう。
「道元禅師が戒めておられる坐禅に『驕慢の坐禅』というのがある。坐禅をして修行を積めば積むほど頭が低くなるのが本当だと思うのだが、
驕慢の坐禅に陥ってしまう人がある。黙って坐っておればみんなが尊敬するものを、坐禅をふりかざすものだから、かえって心底を見すかされてしまったりする。
仏教の話を聞くことは、おごりたかぶる自己の打破であるといってもよい。修行をすればするほど、熟すれば熟するほど、謙虚な人間になるのが仏道であろう。
ところがそれが《驕》に変わるのである。何のための仏教の勉強なのかわからない。おごるための聞法など、何にもならない。
こうしてみてくると、《驕(おごり)》の気持ちというものは、何からでもおきてくる。若ければ若くておごり、年をとればとったでおごり、
おごるなという話を聞けば聞いたでおごる。なんとも凡夫のやっかいさを見せつけられる思いである。
『成唯識論述記』には、凡夫は仏の教えを聞いてさえも《驕》を生じるといっている。
《貪》根本煩悩が根元にある。」
では、本当にさよなら。
845 :
考える名無しさん:2014/07/08(火) 22:45:34.72 0
>>843 形成不利なんて一度もなってないぞ
明らかにレヴェルが違い過ぎる
インド・チベットの中観と近代仏教学の中観との間にはズレが発生している、
ってことでいいじゃんw
二人とも、そこで手を打とうよwww
847 :
考える名無しさん:2014/07/08(火) 23:05:00.92 0
>>844 学問板で最後にそういう人格や倫理を批判の武器にしては一番だめなんじゃないか?
自分の言葉が、そのまま頭に落ちてくるぞ
>>770 >そういうのを批判の武器にしてはだめです。
根拠は学者の諸説から生み出した適当な妄想だし、詰めると仏教の教えを武器じゃどうしようもなくない?
人格や倫理を言うなら、最初から自ら謙虚な物言いなら、対応が違うんだが
最初から最後まで高みから語って、自分が根拠にしたテキストで詰めても
テキストで返せず、別の根拠出してきちゃ、そりゃ話にならないって分からないんだろうなあ
848 :
考える名無しさん:2014/07/08(火) 23:19:12.19 0
>>846 いや、近代仏教学でも基準満たしてる学者はこんな人いないは
流石に自ら出したテクストで反証されて、テクストに添って訂正できないなら、誤りと認めるでしょう。
それとオイラはインド・チベットの中観だけを根拠にしてるわけじゃないんで
アーガマ・ニカーヤ、アビダルマ、大乗、インド、チベット、シナ、日本、
テーラワーダも包括して見てるつもりだよ。
大乗起信論は、立義分なら暗唱してるし、宗典ですしね。
今回ざっと読みなおしたけど、これが東アジアで流行したのも最もだと思う。
素晴らしい、浄土から見解の高い凡人には潜在的で気がつかない心の流れを見る行まで説かれてる。
>>691 浅原が覚者なの?
覚者の程度と社会性や道徳とは無縁なんだな
キチガイ宗教だわ
850 :
考える名無しさん:2014/07/09(水) 05:59:43.41 0
>>849 だから、違うって書いてあるでしょ
で、始めから周到な復讐鬼なんだと
>>849 覚者というのはどんなに混沌な状況であっても、その空気を読み、
空気を作り、秩序が起こる必然性を呼び込める者である。
キチガイでも悪でも正義でも道徳的でも善であっても、最後に結果を出せないのは
凡人であるのは間違いない。目に見える力を行使し結果となし思考を誘う存在を
覚者と願っているのではないのか?
852 :
歴史捏造主義を排す :2014/07/09(水) 09:47:39.82 0
853 :
考える名無しさん:2014/07/09(水) 10:22:30.90 0
>>852 中沢新一が、その動機を見抜けなかったのは事実だが
山口瑞鳳が言ってることは、完全な妄想だから
オナニーってのは単なる誤読に妄想を加えた珍説
山口瑞鳳の仏教説の概要を聞いて、妄想だと思わないチベット仏教徒は一人もいないと思う
なので全く根拠にならないよ
854 :
歴史捏造主義を排す :2014/07/09(水) 12:11:14.16 0
>>853 >なので全く根拠にならないよ
護教精神は御立派?wだが、→麻原個人問題に矮小化するな、と言っている。
組織化すると必ず腐敗する。宗教団体に限らず企業でも。
何でだろうね?
856 :
考える名無しさん:2014/07/09(水) 15:24:22.32 0
>>854 そのリンク先は根拠にならないと言っている
つまり、主張だけで根拠がないんじゃ、そういう思いがあるだけってことになる
ヒステリックな感情の吐露ってことだ
857 :
考える名無しさん:2014/07/09(水) 15:28:34.86 0
>>855 利権が発生し政治が絡むからだろう
だが、オウムは組織化したから麻原が狂ったのではなく
最初から首都壊滅を目論んで、鍼灸、ヨガ、仏教などを利用し
人を集め目的半ばで終了したのが松本チズオだというのが、全体像から浮かび上がる
要するに自身が負った水俣病とそれに対する保障を政府がしなかったことに対する復讐
858 :
考える名無しさん:2014/07/09(水) 19:05:28.83 0
水俣病の話詳しく。
859 :
考える名無しさん:2014/07/09(水) 19:27:34.80 0
860 :
歴史捏造主義を排す :2014/07/09(水) 22:43:30.72 0
>>859 チベット・ニンマ派 − オウム麻原・中沢新一 − 真言密教の同質性を全面批判して欲しいのか?
ところで、『チベットの死者の書』はインチキ『埋蔵』仏典ですよね?
支那の「南京大虐殺」捏造とか、韓国の「従軍慰安婦」詐欺と同じ程度のねw
麻原個人問題に矮小化するのも、トカゲの尻尾切り発想で、眼くらまし妄想捏造としかいいようがない。
ペンキ屋根性は今も変りませんな。
馬鹿馬鹿しい。
「ブッダの言葉を追いかけるものは解脱できない。仏が貴方の頭に
浮かばなくなった時、あなたは解脱できたのだ」 禅の見解
862 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 05:35:34.88 0
>>860 断見者遊びか
仏教と無縁な方ですね
>>861 その言葉は正しいけど、その言葉を見解と捉えては同じこと、
全く陳腐な思想に成り下がるでしょう
863 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 07:35:08.96 0
>>860 断見者遊びは、仏教は拘りを棄てるだけとか言ってオイラに拘ってるねえ
オイラは君とか隠居とかと話しても仕方ないから、あそこ止めたんだけどな
ループになってるという意見があって、なるほどと思ったから
「馬鹿馬鹿しい」なら、わざわざこっち来て何度も絡むなってw
テキストで論じても適わないから、
論じてもないオウムとか山口瑞鳳とか引っ張りだして腐したいと、
それって嫉妬からくる煩悩以外の何なの?
いいかげん、そういう恥ずかしい態度は止めた方がいいと思うぞ
話したいなら、テキストに添って根拠を出し、
テキスト的に間違ってたらそれを認めないとなあ
君は一応、テキストで根拠偽装して論じてるけど、主張とテキストが矛盾すると
現実が全てとか言って自分の妄想を守るだけじゃ、話しても仕方ないって何回も言わせないでくれよ〜
864 :
考える名無しさん:2014/07/12(土) 16:03:44.58 0
865 :
c点論理解者変人:2014/07/12(土) 20:11:08.30 0
↑ 優等生哲学者諸氏
諸氏の軽蔑するように、c点論は哲学に非ず。だが、それは
その価値を否定する根拠に非ず。
仏教の「凄さ」を、c点論ナシでは理解できない筈。
アバヨ。
866 :
考える名無しさん:2014/07/12(土) 20:26:33.69 0
>>865 じゃね〜
仏教を絡めない方がいいと思うよ〜
867 :
S、イマムラ:2014/07/13(日) 14:11:53.29 0
↑ 「仏教哲学」のエリート達へ 俗物の嘆き
色即是空 空即是色
色(有、現象、アル)は空(無、非現象、ナイ)であり、存在しナイ。
すべてはナイ。アルものもナイ。自分自身もナイ(無我)。もちろん
認識主体もナイ。だが、認識対象はアル?
エリート達は「不生不滅」であり、論ずる「無」の中で、般若経も、華厳経も
その他の、総ての論理は「正統」で正しく、他の立場(たとえばc点論)は、
不正で、過ちで、認められナイ。勝義諦(エリートのみ認識)
エリート達の、解説は不要です。俗物のわれらに理解できる筈がナイ。
世俗諦(われら俗物の認識)では、
868 :
S、イマムラ:2014/07/13(日) 14:21:25.69 0
↑ 866
仏教を絡めて、申し訳ナイ。古代インド思想(佛教も含まれる)が
「凄い」のは、120%認めますが、c点論ナシでは、それを理解できぬ筈。
869 :
雑音:2014/07/13(日) 14:34:21.05 0
このスレは、仏教哲学(釈迦、竜樹のキビシイ縛りの中でのみ論ずる
哲学)と一般に言う哲学を、混同している様です。誤解しやすい。
870 :
考える名無しさん:2014/07/13(日) 17:11:17.07 0
>>861 ブッダの言葉を理解するものは解脱する 筏を捨てるのは解脱してから
871 :
考える名無しさん:2014/07/13(日) 20:38:44.06 0
>>867 そういう意味じゃないので有無を離れた中道なんで、
有無は仮設なんです。
>>869 ブッダ、龍樹のダルマ(法)を西洋哲学に当てはめて解釈しようとする方が異常なんで
873 :
Sイマムラ:2014/07/14(月) 08:39:09.96 0
↑ 蛇足ながら
仏教の「凄さ」は、c点論ナシでは、理解できない筈。
「矛盾と無限、の視座」も分からぬ、仏教哲学のエリート達には
縁ナキ世界。短絡的拒否反応が、精いっぱい。
釈迦、竜樹のキビシイ「しばり」の中で、それが「仏教哲学」だが、
その中で遊んでいては、仏教の「凄さ」はわからぬ。そもそも、仏教
は、哲学ではナイ。古代インド思想(仏教も一部)が「凄い」のだ。
われらは、それを仏教と言う。
874 :
考える名無しさん:2014/07/14(月) 08:45:05.73 0
いたい
875 :
Sイマムラ:2014/07/14(月) 09:44:06.40 0
↑ ついでに
仏教の「凄さ」ではナイ。
古代インド人の、宗教、哲学、科学、美術、生理など總合的「感性」
の「凄さ」に現代の我らも驚嘆するのだ。
今日の日本で我らの知っているのは、仏教の栄光の「歴史」と
現代の仏教および関連ビジネスの「すさまじさ」である。
我らの日常性のヒトコマが、仏教である。
876 :
Sイマムラ:2014/07/14(月) 10:09:24.27 0
蛇足の蛇足
日本の宗教団体は、一定の教義(信仰内容、一般に、心の救いの
訓え)を持ち、それが社会に有害でなければ法人(法的許可と優遇)
として認められる。また、日本国民は「信教の自由」は保証されている。
「哲学版」諸氏の議論は、ふしぎなせかい? エリートの教養宗教?
夏の暑さで、意識もうろう。無駄話をしました。
877 :
Sイマムラ:2014/07/14(月) 10:34:59.54 0
さらに無駄話ですが
愚生は田舎の老内科医です。正直、先の短い老人は、意識、無意識
はともかく、それが心にある。
外来が暗くならぬように、「トリアエズ100歳まで生きましょう。」
が、愚生の口癖。だが、「先生コソ」と言われる毎日。
盆暮れの話、病人、葬式の話、それが当外来の日常性。だれも暗くない。
仏教の「凄さ」も宗教の「ありがたさ」も、愚生の外来では、あまり
聞かない。お寺、教会の信者もいますが。
「哲学版」を見ると、世のエリートばかり。 お邪魔致しました。
878 :
考える名無しさん:2014/07/14(月) 15:59:16.35 0
仏教について語りたいなら、テキストに添って語ってください
そうでないなら、いいかげんお引取りください
「お邪魔致しました」とか「アバヨ」とか何度も繰り返すのは見苦しいだけですよ
879 :
考える名無しさん:2014/07/14(月) 20:56:43.68 0
880 :
考える名無しさん:2014/07/14(月) 21:34:11.22 0
>>879 鬼和尚は、ネットの中で唯一、ある程度の境地に達した感がある人
少なくとも三昧には入ってると思う
他は見てもしょうがないと思う
881 :
考える名無しさん:2014/07/14(月) 21:48:02.70 0
おもしろい
匿名掲示板にこんな人がいるなんて・・・
>>877 私は貴方様の文章が結構好きです。
僭越ながら、お年を召されてなお人様の為に尽くされ、
それとともに思考の旅人であるのは素晴らしい事と思います。
残念ながらこの場にはやや合わなかったようですが、
フェイスブックなどで書かれてはいかがでしょう。
益々のご健勝をお祈り申し上げます。
883 :
考える名無しさん:2014/07/15(火) 00:21:56.15 0
>>862さんにもまた「貴方の言葉を追いかけてはだめだ」とレスをしたら如何?
884 :
考える名無しさん:2014/07/15(火) 05:58:04.50 0
885 :
考える名無しさん:2014/07/15(火) 07:31:41.66 0
>>877イマムラさんは輪廻転生はありうると思いますか?
886 :
S、イマムラ:2014/07/15(火) 08:22:03.75 0
↑ 私の「いのり」です。
現在の自分(心も体)が失われるなら、今の自分のままで
妻も、子も、その他家族も、このままの人生を繰り返して
幸福にかんじます。よい人生と感じ、また、そう生きてゆきたい。そこに苦難があっても、知れていますし。
ニーチェの永劫回帰が、夢としても、私の「いのり」です。
887 :
考える名無しさん:2014/07/15(火) 08:46:50.21 0
全く仏教とは逆ですね
苦諦あっての輪廻なのに
永劫回帰のどこに惹かれるのか分かりませんけど
解脱する術がないのだから、あれこそ輪廻転生どころじゃない究極の苦しみでしょう
889 :
考える名無しさん:2014/07/15(火) 19:48:39.17 0
>>888 現状の幸せが永遠に続いて欲しいというのが他ならぬ我見であり、
根本的な煩悩ですから、一般にそういう思いを持つ人が多いのです
それを断つために一切皆苦、諸行無常などが始めに説かれるのですが、
それすら理解せずに仏教を云々するのは困ったことですね
890 :
考える名無しさん:2014/07/16(水) 11:21:41.19 0
>>886 >c点論ナシでは、それを理解できぬ筈。(
>>868)
>ニーチェの永劫回帰が、夢としても、私の「いのり」です。
グズグズ未練ったらしいんだよ!
女々しいいぞw
すべてを捨てろ! それがいやなら、勝手に未練を担いでいろ。
仏法は「理解」の範疇にはない。
まったくの論外だ。
C点論の背後にある動機は、要するに我執妄想による検証性抜きの実在論でしかない。
たとえばトルストイの小説のキレイごとの裏にあるのが、トルストイの強烈な煩悩であるのと同じだ。
悪妻といわれるソフィアは、トルストイがキレイごとの成りすましでしかない事を一番知っていたのだ。
『一切の執着を脱せんがために、勝者(仏)により空が説かれた。
しかるに人がもしも空見をいだくならば、勝者はその人々を「癒されない人」と呼んだのである。』(中論13-8)
891 :
考える名無しさん:2014/07/16(水) 11:45:01.58 0
>>863 断見者遊びなら、その言葉ほとんどそっくり自分に振りかかるぞ
仏法は理解の範疇でもある
仏法という教えをサンガの聖者から聖者へと伝承されてきた聖者から聞いて考え、
理解して修行する聞思修の三学が仏教の方法に他ならないからね
断見者遊びの妄想仏教だと〈仏法は「理解」の範疇にはない〉だろうが
確かに結果としての境地は凡夫の〈「理解」の範疇にはない〉かもしれない
だとすれば、ここで言葉で何を言うのだろうか?
この世の一切は無常なのに、四聖諦は例外なんですか?
いつも変わらない真理がたったひとつだけあって、それ以外が無常ってこと?
それだったら「一切」じゃないと思ったんですがどうなんでしょう。
c点論って何?
>>892 ”一切”が無常なんじゃなくて (一切無常)
一切の”作られたもの”(行)が無常なんですよ (一切行無常)
「無常」ということも変わらないし、「生まれたら死ぬ」ということも変わらないでしょ?
同じように四聖諦も古びることはないってだけです
法則が変化することはないというだけ
896 :
考える名無しさん:2014/07/16(水) 14:18:13.75 0
>>891 >断見者遊びなら
妄想ペンキ屋は無用。
『(1)・(現世で)行為をする者と、(来世で)カルマを受ける者とは、同じであるとするのが、
カッサパよ・・・これは常住であるという見解に到達する。
・(現世で)行為をする者と、(来世で)カルマを受ける者とは、違うものであるとするのが、
カッサパよ・・・断滅するという見解に到達する。
(2)カッサパよ、これら二つの極端に近づくことなく、中道によって如来は法を説くのである。』
(相応部12-17)
仏法・仏道は菩提心凡夫のためにある。
上記の趣旨は、
(1)は菩提心凡夫の一切外妄想(狭義の妄想戯論)であり、
(2)の一切(時空因果関係)を徹見(如理作意)することで(相応部35-23・70、中部2)
限界を突破したとき、直接縁起(中道)を現観し、
(3)さらに世俗還滅 される。
(2)は理解の範疇ではない。
仏は、無分別を分別のうちに説く。まさにパラドックスである。
教え(3)を受け取る者が無方便では、教え(3)は教えの如く(2)にならない。
しかし、教えを受け取る側は(2)を直覚していないのだから無方便なのが当然であって、
だからこそ、<毒(言語)で毒(言語)を制することが出来るのか>の問いが成立する。
『(ニルヴァーナとは)一切の得ることが滅し、戯論が滅した吉祥なる境地である。
ブッダは、いかなる教え(2)も、どこにおいても、誰のためにも、説かなかったのである。』(龍樹 中論25-24)
言語ゲームのパラドックスは般若智で飛翔しなければ調わないのである。
897 :
896:2014/07/16(水) 14:43:01.79 0
訂正
△ 『(1)・(現世で)行為をする者と、(来世で)カルマを受ける者とは、同じであるとするのが、
カッサパよ・・・これは常住であるという見解に到達する。
・(現世で)行為をする者と、(来世で)カルマを受ける者とは、違うものであるとするのが、
カッサパよ・・・断滅するという見解に到達する。
(2)カッサパよ、これら二つの極端に近づくことなく、中道によって如来は法を説くのである。』
(相応部12-17)
〇 『(1)・(現世で)行為をする者と、(来世で)カルマを受ける者とは、同じであるとするのが、
カッサパよ・・・これは常住であるという見解に到達する。
・(現世で)行為をする者と、(来世で)カルマを受ける者とは、違うものであるとするのが、
カッサパよ・・・断滅するという見解に到達する。
(2)カッサパよ、これら二つの極端に近づくことなく、
(3)中道によって如来は法を説くのである。』
(相応部12-17)
仮名で、(1)は分別・世俗、(2)は無分別・勝義、(3)無分別の分別・還滅と名づける。
898 :
Sイマムラ:2014/07/16(水) 14:43:32.29 0
色即是空 あるものはナイ 空即是色 ナイものはアル
「裸の王様」と子供 (あるものはアル) ナイものはナイ
899 :
考える名無しさん:2014/07/16(水) 14:47:29.12 0
>>896 それは同一性の問題で輪廻が無いって意味じゃないだがな
それも何度も説明したんだけどな、人の話は全く聞かずに自説を繰り返すのは隠居や C点と同じだよ
しかも、それらの教えである文を断見者遊びなりに理解して、他の理解を否定してるだろう。
その行為と〈仏法は「理解」の範疇にはない〉という自分の発言が矛盾することには目をつぶって、他人批判ですか?
900 :
考える名無しさん:2014/07/16(水) 14:48:42.88 0
>>898 だから、そういう意味じゃないってw
話合う気がないなら、書いても無駄ですよ
901 :
考える名無しさん:2014/07/16(水) 14:54:43.40 0
色即是空、空即是色でも何でも、仏教用語はその単語だけが独り歩きしてる様で、
その明確な解釈というか説明というかが欠けているのだが
実感で悟らなければ理屈で説明しても意味無いと言うかもしれんが
これらはただの抽象的言葉遊びにしか見えぬ
902 :
考える名無しさん:2014/07/16(水) 14:56:59.34 0
>>901 だから、その妥当性をテキストに添って論じるのが
学問板である哲学板でのあり方だと思う
たんに記号や言葉、文を掴んで自分語りじゃなあ
903 :
考える名無しさん:2014/07/16(水) 14:57:48.67 0
無常でも何でも、だったら、だから何なのだと、落ちがナインですね、仏教は。
そんなこと、誰でも分かってますよ、時代は変わる、人が死ぬ
それで良く人は、だから今を生きている間を主に欲にまみれて生きましょう
楽しく生きましょうと成る
しかし仏教は全ての煩悩を絶ち無我無心で生きましょうとだけ言っているが
これもそれ以上の明確な話が無い、これでは廃人に成れと言うだけだ
904 :
考える名無しさん:2014/07/16(水) 15:02:36.56 0
>902 敢えてそれを自分なりに言いますと、仏陀がそれを悟ったろう事は
世の中の人々の多くが考える、現実的な心配事や欲望、これらが
実は有って無い様なものなのが色即是空って事で、
世の中の人々が広がる自然の風景を見て「ここはホント何もねえな」とか
言うところに、実は豊かさが有ったみたいなことが空即是色と
思うんすよ、人間が陥りがちなものの見方、価値観と逆が物事の真理みたいなもんや
>>903 最初の(そして勿論「最後の」でもあるわけだが)目的が、
(日々のものも含め)「苦の滅」にある
ってことを忘れてない?
>>904 そりゃ違い過ぎるw
それこそ、単語のみが一人歩きして、まったく違う意味になったようなもんだ。
いや、勿論、解釈を連鎖させてそこへ落としていくことも不可能じゃないが、
原意からの距離は、ずっとずっと遠いものとなる。
907 :
896:2014/07/16(水) 15:15:06.50 0
>>899 >それは同一性の問題で輪廻が無いって意味じゃないだがな
<断滅VS恒常>論は一切外妄想だ←有無そのものを問わないといっている。
菩提心凡夫にとって業報輪廻転生なるものは、検証不能の一切外戯論だから実践仏道では『無記』→無視するといっている。
『それも何度も説明したんだけどな、人の話は全く聞かずに自説を繰り返すのは隠居や C点と同じだよ』
>その行為と〈仏法は「理解」の範疇にはない〉という自分の発言が矛盾すること
矛盾を承知で言っている。
⇒『教え(3)を受け取る者が無方便では、教え(3)は教えの如く(2)にならない。
しかし、教えを受け取る側は(2)を直覚していないのだから無方便なのが当然であって、
だからこそ、<毒(言語)で毒(言語)を制することが出来るのか>の問いが成立する。』
★『言語ゲームのパラドックスは般若智で飛翔しなければ調わないのである。 』(
>>896)
毒によって毒を制することはできぬ。それ自体が毒に他ならないからである。
無方便者ペンキ屋一代には文字通り<無理>。
諸行無常
諸法無我
一切皆苦
909 :
考える名無しさん:2014/07/16(水) 15:55:10.68 0
>>903 そりゃ、知らないからでしょう
オチは取り敢えず、涅槃、寂静の境地に導くための教えですよ
>無我無心で生きましょうとだけ言っているが
いやいや、まあそういうことはできるけど、
そういった単なるスローガンじゃないよ
涅槃、寂静の境地になるための戒定慧の行がある
現代日本仏教では和辻以来戒定慧の行の側面に触れずに、
適当に言葉だけ摘んで自分語りする人が排出されたので、
今のようなワケワカンない状況になってるだけのこと
910 :
考える名無しさん:2014/07/16(水) 16:02:23.75 0
>>907 おっとこりゃまた無理な開きなおりだな
妄想自説に拘るこの短文間の矛盾も無視か
「拘らない」という自説と全く逆の言動ですなあ〜
その執着に満ちた態度といい、仏教でいう断見に他ならない破綻した矛盾説といい、
言ってることもやってることも矛盾してると気が付かないのかい?
あと、何度も言うように仏典から文を引くなら、少なくとも中論にしろ、
アーガマ・ニカーヤにしろ、そのテキスト内で矛盾して、
最終的にテキスト捨てて現実が〜とか言うなら引用するのは単なる権威付け
言い換えると虎の威をかる狐なんだぜ
引用する意味がない
911 :
考える名無しさん:2014/07/16(水) 18:04:01.38 0
_%ミ
γ´ `ヽ
i. ● ● i
''∩. ¨ ∇ ¨ ゙つ ヒャッハー!
ヽ ───‐ ノ
)廿 ∞ 入 もう セミが鳴いてるぞぉー!
./――――.ヽ
(._/⌒\_.)
||| || |||
ili ili
、ハ/|,,、
『白隠禅師坐禅和讃』
衆生本来仏なり
水と氷のごとくにて 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
例えば水の中に居て 渇を叫ぶがごときなり
この時何をか求むべき 寂滅現前する故に 当処即ち蓮華国 この身即ち仏なり 』
こっち(哲板)に貼る意味ねーだろw
>>911 もし、白隠の坐禅和讃を哲学的だと考えているなら、
それこそ顛倒であろうし、
もし、哲学的考察に役立ててくれ、ということであれば、
これまた、アプローチの仕方・解析の仕方が(西洋)哲学的でない
という点で、スレ違い。
913 :
考える名無しさん:2014/07/16(水) 19:45:28.93 0
>>911 >衆生本来仏なり
>水と氷のごとくにて 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
>衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
>例えば水の中に居て 渇を叫ぶがごときなり
これは何の問題もなく分かるけどなあ
如来蔵、仏性に他ならず、以下は結果としての仏地、あるいは仏智では、
「草木國土悉皆成佛」だは。
>この時何をか求むべき 寂滅現前する故に 当処即ち蓮華国 この身即ち仏なり
この「草木國土悉皆成佛」を仏智と捉えず、凡夫の常識で捉えたのが
現代日本仏教の仏性とか本覚への誤解に他ならない。
914 :
考える名無しさん:2014/07/16(水) 20:02:29.31 0
>>912 >こっち(哲板)に貼る意味ねーだろw
>>911 返答できないから、ハッタリでごまかしでしょ
机そっくり
オリジナル仏教で悦に入ってる馬鹿がいるな