218 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :
>>
さて、この「秘伝」書が、先に述べたように「太平記評判秘伝理尽鈔」と書名に「秘伝」の名を冠し
ながらも、一七世紀半ばに出版された。今田洋三氏が指摘するように、一七世紀は日本史上初
めて出版業が成立した時代である。まさに成立したばかりの出版業者の手にかかり、「理尽鈔」
はその享受層を一挙に拡大していった。・・・地域・身分を越えて「理尽鈔」が広く流布し、もては
やされたという。・・・直接講釈師に依らずともこれらの書物を通して「理尽鈔」講釈に接することが
できるようになったのである。
このように。一七世紀半ばを転機として、「理尽鈔」講釈は大きな変化を余儀なくさせられた。一
七世紀前半には、読み聞かせという口誦による知(知識・知恵)、いわばオーラルなメディア(情
報媒体)による知であった「理尽鈔」講釈が、一七世紀後半には書物による知、出版メディアによ
る知へと大きく変質させられた。その享受層も、前者では口誦の場を共有した限られた人々、
よって特権的な階層階層の人々(具体的には上層武士)を対象としたのに対し、後者は、地域・
身分を越えた広い層に受容されていった。・・・
実は、太平記読みという呼称は、史料的にいえば、現時点では貞享三年(一六八六)が初出で、
民衆相手の芸能者を読んだものであり、「理尽鈔」の講釈・講釈師を太平記読みと呼んだ史料は
見つかっていない。しかしながら、従来、たとえば「国史大辞典」で「太平記読」を定義して「江戸
時代前期に、主として「太平記評判秘伝理尽鈔」を読み聞かせることによって生計を立てた芸能
者、またそのような芸能。講談の源流となった。「源平盛衰記」「難波太平記」などの軍書読の代
表的なもの」と解説していることからわかるように、「理尽鈔」講釈と民衆相手の太平記読みとを
区別せずに一括して太平記読みと見なしてきた。だが「理尽鈔」講釈と太平記読みとは、先に見
たように出版メディアによる知を介してつながっているもの、やはりひとまず別のものと見るべき
だろう。そこで本書では、民衆相手の太平記読みと区別して、「理尽鈔」講釈及びその講釈師を
「太平記読み」と括弧をつけて呼ぶことにしたい。P42-45
「太平記読み」の時代 近世政治思想史の構図 若尾政希(ISBN:4582767753)
<<
219 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2012/11/15(木) 23:56:54.79 0
■「太平記読み」と日本人の心性の起源
「想像の共同体」と日本人の心性
ようするに現代に続く日本人の心性がどのように作られたかということなんだよね。明らかに明
治維新まではつながる。近代化の「想像の共同体」現象は日本でも起こった。共通文語体=国語
が作られ、義務教育として教えられた。一つの国家としてのナショナリズムが作られた。日本の場
合は、教育勅語に代表的に、江戸時代に武士層を中心に学ばれた儒教的な精神だった。だから
江戸時代にたどることができる。しかしここからは曖昧だ。武士層の心性が日本人の心性といえ
るか。またその武士層の心性が多分にフィクションであること。
たとえば新渡戸の「武士道」は明治に外国に紹介するために英語で書かれた。近代化で西洋の
明確な精神性に対して、そのようなものがない日本が野蛮人と揶揄された反論だ。そもそも言語
化された精神性が西洋的な文化なわけだか、西洋中心主義の近代では、そんないいわけは通
用しない。だから近代国家を作るために、日本人の精神性が作られた。
明治政府は旧下級武士層で運営されていたわけだから、江戸時代の武士の精神が取り入れら
れたが、そもそも日本の慣習伝授文化には、明確に言語化されてこれだ!というようなものはな
い。おのずと理想化されたフィクションが作られる。
220 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2012/11/15(木) 23:58:06.18 0
「太平記読み」と日本人の心性
そんな中で、「太平記読み」文化は面白い。江戸初期に上級武士層の秘伝とされ、武士の政治
の教本とされる。そして元禄の出版革命後には広まり、講壇として庶民のエンターテイメントの一
つにもなる。日常の道徳にも影響を与える。武士は儒教を学び重視したが、しかし武士の精神性
は儒教に還元できない。殉死などの過剰な忠義や、幕府さえ越えた公儀の存在。庶民を重視す
る仁政など
このような精神性は、むしろ太平記読みの思想と近い。そして明治のナショナリズムにつながっ
ていく。すなわち現代の日本人にもつながる心性の原型として、太平記読みが重要であるというけとだ。
221 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2012/11/15(木) 23:59:38.02 0
江戸出版革命と「太平記読み」
しかし大きな問題がある。確かに明文化されたものとして、もっとも普及し日本人の心性を言語
化されているのが太平記読みだとしても、そもそも日本人は慣習伝授文化が中心であり、大河の
ごとく流れる慣習伝授の流れの中で、希有に言語として救いとられただけのものではないか。太
平記読みの印刷物の普及が心性を広めたというのは、グーテンベルグの印刷を想定した西洋中
心的な考えではないか。
そう考えると太平記読みの成立過程が気になるが、もともと秘伝であり不明である。考察による
と、どちらにしろ戦国時代に下級層が講談芸能としてつくられたと言われる。なおさら天才による
書というよりも、日本人に受けるように心性がすくいとられて出来上がってきたのではないだろう
か。いまの日本人のつながる日本的なものは応仁の乱以降に生まれたといわれるが、その他中
世の人々の生活や心性が研究されているが、多くが通じるものがある。
どちらにしろ、太平記読みが日本人の心性をたどる貴重な言語資料であることにかわりない。
222 :
考える名無しさん:2012/11/16(金) 00:31:19.71 0
223 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2012/11/16(金) 00:37:28.71 0
224 :
考える名無しさん:2012/11/16(金) 00:42:59.21 0
>>223 お前の負けだよ
本のことだと思ってるのは世界でただ一人お前だけ
225 :
考える名無しさん:2012/11/16(金) 00:43:37.61 0
ちなに本は読む前からカスだとわかるな
ファストフード
226 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2012/11/16(金) 00:46:02.76 0
227 :
考える名無しさん:2012/11/16(金) 00:47:31.41 0
228 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2012/11/16(金) 00:48:42.58 0
229 :
考える名無しさん:2012/11/16(金) 00:50:36.24 0
>>226 >>218 >だろう。そこで本書では、民衆相手の太平記読みと区別して、「理尽鈔」講釈及びその講釈師を
>「太平記読み」と括弧をつけて呼ぶことにしたい。P42-45
(1)講釈師の人間
(2)理尽鈔の講釈(公演のこと)
これらを
「太平記読み」と呼ぶと明言してる
鍵かっこ付きはタネ本理尽鈔に限定して語るという定義
本のことを指すなんて一言も書いてない
230 :
考える名無しさん:2012/11/16(金) 00:50:54.14 0
231 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2012/11/16(金) 00:52:13.84 0
>>229 ヒント
直接講釈師に依らずともこれらの書物を通して「理尽鈔」講釈に接することが
できるようになったのである。
232 :
考える名無しさん:2012/11/16(金) 00:53:47.40 0
>>231 そんなことは著者の定義に一切影響してない
233 :
考える名無しさん:2012/11/16(金) 00:54:32.46 0
呼び方と現象には何の関係もない
現象を精密に記述するための定義は現象とは独立している
234 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2012/11/16(金) 00:54:42.89 0
235 :
考える名無しさん:2012/11/16(金) 00:55:03.89 0
236 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2012/11/16(金) 00:56:09.72 0
>>233 コンテクスト(文脈)に依存しない意味などない
237 :
考える名無しさん:2012/11/16(金) 00:57:53.17 0
>>236 定義は初めに決める
言及する度に定義を変えるのが妄想の始まり
ラッセル以前の哲学なる妄想はすべてこれに依っている
238 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2012/11/16(金) 00:58:13.30 0
ヒント
太平記読み
一七世紀前半には、読み聞かせという口誦による知(知識・知恵)、いわばオーラルなメディア(情
報媒体)による知であった
「太平記読み」
一七世紀後半には書物による知、出版メディアによる知へと大きく変質させられた。
239 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2012/11/16(金) 01:00:07.12 0
240 :
考える名無しさん:2012/11/16(金) 01:05:28.62 0
>>238 著者は「太平記読み」を人間と講釈公演の事としかみなしてない
241 :
考える名無しさん:2012/11/16(金) 01:05:50.02 0
242 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2012/11/16(金) 01:06:20.69 0