人間は決定論に従って生きなきゃいけないの?

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1考える名無しさん
平行世界なんてものはないの?
2あぼーん:あぼーん
あぼーん
3あぼーん:あぼーん
あぼーん
4あぼーん:あぼーん
あぼーん
5あぼーん:あぼーん
あぼーん
6考える名無しさん:2011/12/24(土) 03:14:01.74 0
ビロハスハス、ビロガライクリ、ビン、エロガライハス、ビン、エロ、ツノガライクリクリ
7考える名無しさん:2011/12/24(土) 06:32:04.49 0
>>1
頭がわるいようだ
8あぼーん:あぼーん
あぼーん
9あぼーん:あぼーん
あぼーん
10あぼーん:あぼーん
あぼーん
11考える名無しさん:2011/12/25(日) 03:05:33.89 0
犠牲は「時」の主役を選んだ 分かり安さが 売り物の価値だ
時に流れは静かに 真綿で締めつけるのさ お前を

偽善が含み笑いで手招く 戯けてるのは予定の行動
踊らされてることなど 気にしないのか 知りたくないのさ

誰も彼もが目を閉ざして 自分の影も見えない
欲の果てが見えたらすでに 手遅れなのさ えらばれた Miscast

Too late Too late Lick it up your wound 傷を舐め回せ
Too late Too late Lick it up yourself 手遅れになるぜ

Show must go on Dancing on the mirror
主役はないまま Game is over
Game is over 英雄きどりの MISCAST
You are fired

理想は現実の墓の中で 笑われるまま その目を閉じた
無言劇だと知らずに 喋り出すのは道化師の性か

識別不能 覚醒不能 安息は 洗脳の メロディー
台詞忘れた 喜劇役者の 終鴛を笑え堕ちてゆく MISCAST

Show must go on Dancing on the mirror 主役はないまま Game is over Game is over 
役たたずで死ね

Show must go on Dancing on the mirror
主役はないまま

Game is over Game is over
朽ち果てて笑え
12あぼーん:あぼーん
あぼーん
13あぼーん:あぼーん
あぼーん
14考える名無しさん:2011/12/29(木) 18:41:58.88 0
お前ら哲学板を植民地にするぞwwwwwwwwww
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1325150238/
15考える名無しさん:2011/12/29(木) 23:41:36.32 0
>>14
波平をネタにしたスレばかり植民地にされてるな。つまり、要約すると
16考える名無しさん:2012/01/21(土) 07:41:33.78 0
これから タトゥー 刺青 を入れようって思ってる人のために
知っておいて貰いたい。
彫師(彫り師)タトゥーアーティスト っていうのは本当に慎重に選んだ方がいい
例えば 自分が体験した 関わって 失敗した彫師を知って貰いたい

横浜にある ストローカータトゥー(Stroker tattoo)っていうスタジオにいる
KSK という彫師だ
このKSKという彫師は 誠実そうにし 相手を信用させるような言動や行動を
身振り手振りでこなすのがすごくうまいです 手口が達者です

ですがその口車に騙されていざ 彫ってもらうと
言ってる事とやってる事が全く違います
内容は いい加減 デタラメ おおざっぱ と酷いものです
実際彫って貰った後に別の彫師さんにカバーアップしてもらうはめになりました。

自分は彫師を数人変えてきましたが
この KSK という彫師ほど 酷い彫師には出会った事がありません
雑にお金を稼げば後の事はどうでもいい 他人事というような
そういった デリカシーのない いい加減な人間性を感じました

なによりもタトゥーを彫るという仕事にみじんの誇りも感じませんでした
仕事はお金のついでといった印象です
このKSKという彫師は偽者です
何より仕事場にプライベートを持ち込み
ブースにアニメのフィギュアを大量に並べてる変人です

こういった偽者彫師に出会わないように 直接何度か見学に行って話をし
一流の彫師に出会いましょう

刺青は一生残るモノですから これから入れようと思ってる人に
KSK のようなエセ彫師に出会わないようにアドバイスしておきました
17考える名無しさん:2012/01/23(月) 03:06:27.52 0
>>1
決定論は古典物理学の世界のみの話である。

水滴の動きや電子の動きなどのように、不確定性を持った動きは存在している。

このような物理学もある故に、現段階で人は決定論的であるとは言い難い。
18考える名無しさん:2012/01/23(月) 05:06:17.67 0
ラプラスの悪魔は。
19考える名無しさん:2012/01/23(月) 14:05:20.38 0
http://ja.wikipedia.org/wiki/ラプラスの悪魔
↑ここで見れば分かるように、量子論が生まれてからラプラスの悪魔は否定的な立場に立たされている。

なぜなら、量子力学の世界では「決定していない事」が存在するから。
ハイゼンベルグの不確定性原理がその代表で、現代科学を持ってしても確率だけでしか分からない世界がある。
20考える名無しさん:2012/01/23(月) 17:48:48.10 Q
>>19
それは化学が未熟だからだよ
21考える名無しさん:2012/01/23(月) 17:59:29.16 0
今のところわからないと言う可能性は否定できないよね。
22考える名無しさん:2012/01/23(月) 22:46:25.22 0
決定論に従って生きるってどうやればいいの?
次の瞬間起こることをなすべしと決意して行為しようとしても、
次の瞬間起こるはずのことを完全には見通せないので、
人間の認識能力が劇的に改善しない限り決定論に従って生きることはできない。
23考える名無しさん:2012/01/24(火) 03:48:23.97 0
>>19
するとその、仰る確率を表す式と言う物で、人の一生も書き表せる、と言う事ですかな。
ヒトはその式に従って生きて行かざるを得ない、と。
24考える名無しさん:2012/01/24(火) 06:26:37.75 0
完璧な決定論を構築できれば、一生競馬だけで遊んで暮らせる。羨ましいよな。
25考える名無しさん:2012/01/29(日) 15:30:35.80 0
フリーター生活から一念発起 医師の道へ

フリーター生活を経て医師の道へ―。下北地方の拠点病院であるむつ市のむつ総合病院に、そんな異色の
経歴を持つ研修医がいる。福岡県北九州市出身の桐谷浩一さん(35)。大学を退学してアルバイトに明け
暮れていたが、両親の離婚をきっかけに一念発起し、猛勉強の末に国立大学の医学部に合格。

「全国的に危機が叫ばれる地域医療に関わることで、世の中の役に立ちたい」との思いから、医師不足問題が
特に深刻な下北の地をスタート地点に選んだ。桐谷さんは北九州市南部の小さな集落で生まれ育ち、地元の
高校を卒業後、九州大理学部へ進学。

日々の暮らしのために始めたアルバイトが次第に生活の中心となり、1年ほどで大学を辞めた。引っ越しセンターや
日雇いの派遣労働などで生計を立て、時間があれば「好きな車で峠越え」を楽しんでいたという。人生を見つめ
直す契機が訪れたのは今から8年前。両親が離婚し、母が地元で一人暮らしとなった。

久々に実家へ帰ってみると、病弱で元気のない母や、お世話になった近所のおじさんが都会まで出向き、人工
透析を受けている姿を目の当たりにした。「やんちゃな生活にピリオドを打ち、恩返しをしなければ」。これまでの
生き方を改め、故郷のように医療体制の整わない地域でも活躍できる医師になることを決意した。

働きながら独学で勉強し2005年4月、28歳で九州大医学部に入学。卒業後の昨年4月、自らむつ総合病院を
赴任先に選び、医師としての第一歩を踏み出した。同病院は、さまざまな症状を持つ地域の患者を一手に引き
受ける。医師の人員も限られ、急患で夜中に起こされることもしばしばだ。

それでも、桐谷さんは「地域に愛される病院だし、即戦力として経験を積むことができる」とやりがいを感じている。
桐谷さんは自らの歩みを振り返りながら、未来を担う若者たちに、こんな熱いメッセージを送る。
「自分のような普通の人間でも医師になれた。努力するのに値する仕事だから、ぜひチャレンジしてほしい」

患者の治療法について看護師と話し合う桐谷浩一さん(右)
http://cgi.daily-tohoku.co.jp/cgi-bin/news/2012/01/29/img1201291401.jpg
http://cgi.daily-tohoku.co.jp/cgi-bin/news/2012/01/29/new1201291401.htm
26考える名無しさん:2012/01/29(日) 15:33:21.14 0
大学中退 → ニート → 日雇い派遣 → 医師
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1327818051/
27考える名無しさん:2012/05/26(土) 19:26:03.53 0
決定論って、もしラプラスの悪魔がいたとして、そのラプラスの悪魔に未来を教えてもらって未来と違う行動をとったとしたら決定論は覆ることになるんでしょうか?
もしかしてそれすらも決定論の中で決まっている事なんでしょうか?
28考える名無しさん:2012/05/26(土) 21:20:45.46 0
>>27
ラプラスの悪魔は自分の未来も知ってるわけで、未来を知ってる人の行動ってどうなるんだろう?
29考える名無しさん:2012/05/26(土) 21:29:27.55 0
とりあえずこの場合、ラプラスの悪魔が知ってる未来を守る意思があるとすれば、
嘘を教えるだろうね。
裏を読もうとしてもそれも知ってるから、その時は本当の事を教える感じで。

ラプラスの悪魔は即自存在になるのか?
30考える名無しさん:2012/05/26(土) 21:48:51.91 0
>>27
近似的に近い未来がもたらされるのかも
「明日事故に遭う」と聞かされて、災難を回避したとしても、次の日に事故に遭うとか
31考える名無しさん:2012/05/26(土) 23:52:44.85 0
てことは物事の起こる経過は多少変わっても結局、結果は変わらないってことかぁ
決定論恐るべしですね
32考える名無しさん:2012/05/27(日) 00:38:15.47 0
決定論って、もしラプラスの悪魔がいたとして、そのラプラスの悪魔に未来を教えてもらって未来と違う行動をとったとしたら決定論は覆ることになるんでしょうか?
もしかしてそれすらも決定論の中で決まっている事なんでしょうか?
33考える名無しさん:2012/05/27(日) 08:15:50.82 O
〜なきゃいけない←決定論に逆らえてるじゃん
34考える名無しさん:2012/05/27(日) 08:24:28.80 O
教えてもらえないから大丈夫
35考える名無しさん:2012/05/27(日) 10:55:27.24 0
ラプラスの悪魔とまでは言わなくても現代の物理学ならちょっと先の未来は予測できるのかな?
36考える名無しさん:2012/05/27(日) 12:56:27.47 0
>>35
科学的未来を知るとは線形予測でって、占いの類で決める予知ではない。

預言者が予知するのは行為であって過去の相似を知ったなどの
複写的知恵ではないのだよ。

決定論での未来が量子的状況まで含めて確定しているとすれば
それは宇宙が無のエネルギーや無の空間も含めて有限でなければ
ならないってこと。世界が離散値のように割り切れる性質ならば
未来はその有限の要素の全ての依存性の結果から確定するが、
それすらあやふやな世界だとすれば人が定義した法則も秩序も
普遍ではないのは明らかであり自分の周りだけで成立する世界が
常に決定論のように観測されるだけにすぎない。
37考える名無しさん:2012/05/27(日) 17:15:48.38 0
>>36
>世界が離散値のように割り切れる性質ならば
>未来はその有限の要素の全ての依存性の結果から確定するが、
>それすらあやふやな世界だとすれば人が定義した法則も秩序も
>普遍ではないのは明らかであり自分の周りだけで成立する世界が
>常に決定論のように観測されるだけにすぎない。

この辺もうちょっと詳しく説明してもらえませんか?
38考える名無しさん:2012/05/27(日) 22:41:54.67 0
ベルグソンが物質と記憶において結んだように、知覚が差し向けられる行動の必然性に自らの自由を刻み込めよ
俺には無理だ
39あぼーん:あぼーん
あぼーん
40考える名無しさん:2012/08/17(金) 22:40:16.31 0
age
41考える名無しさん:2012/08/18(土) 04:04:22.00 0
運命は覚悟さえあれば選べるもの
宿命とは宿となす関係があるかぎり逃れられないもの
天命とは生まれ持った先天的な資質による無意識下の行動原理である

決定論は必然性に誘導するわけで必然は平然としてなる可能性の自然淘汰に
よる確定論にすぎない。
つまり非確定な選択もわずかであるが含まれているってこと。
年末ジャンボ宝くじを10年連続で1等を当てられるとすればそのわずかな領域で
通常の必然性では10年買い続けても1回も1等が当選しない。
必然性を崩すのは不可能ではないが、不可能と等価であるのも然り。
42死ねば助かるのに。:2012/08/24(金) 09:45:12.93 0
決定論に従わないで活きてゆける心を持ったのは本当の無頼であるアカギシゲル
43考える名無しさん:2012/09/04(火) 22:30:19.89 0
ラプラスの悪魔さえも決定論の一部
44考える名無しさん:2012/09/18(火) 08:01:26.79 0
芥川龍之介 侏儒の言葉 自由意志と宿命と
萩原朔太郎 易者の哲理
P・K・ディック マイノリティ・リポート
はおもしろいけどこのスレ的には定番かな?
ところで未来予知はパラドックスを引き起こすから不可能
もし未来の情報を知り得たとしたらその瞬間にその情報が現在に影響を与えるから
違う未来になってしまう
過去に行ったらその瞬間に過去に影響を与えて現在が崩壊するのと同じ
45考える名無しさん:2012/10/11(木) 08:15:18.94 i
並行世界や不確定性原理はともかく
自由意志が存在しないのはあきらかだな
46考える名無しさん:2012/10/11(木) 08:16:52.25 0
普通に存在してますけど
47考える名無しさん:2012/10/11(木) 12:39:17.97 i
単に思い込んでいるだけ
48考える名無しさん:2012/10/11(木) 12:40:55.43 0
自由なんてそういうものですが
49考える名無しさん:2012/10/12(金) 22:37:04.25 0
自由意思を完全に否定するためには、
性質二元論と外在主義をミクロ物理学で論破する必要がある
そんなことは現状では不可能だし、たぶん将来にわたって実現できる見込みはない
50考える名無しさん:2012/10/13(土) 01:26:25.59 0
>>49
性質二元論も外在主義もだだの幻想
ないものをないと証明するのは困難
むしろあると主張する側が証拠を出すべきだ
51考える名無しさん:2012/10/15(月) 21:38:49.74 0
世界が決定論的に進行していたとしても決定性を意識しながら生きることは不可能なんだから、
決定論にしたがって生きていかなきゃならないなんて言えない。
できないことは義務にならない。そして義務が可能なのは我々が自由である場合のみ。

世界は決定的に進行する。我々は自由な存在でなければならない。
それでいいじゃないか。
52考える名無しさん:2012/10/16(火) 01:08:31.50 0
「決定論」を「物理法則」に置き換えてみれば従わざるをえないことは明白。

「自由」とは取り得る範囲のことであるがどれを選択するかという行為の要因を自己のみに限定できるのか?
「自由」とは他からの影響を受けない「自己」という存在があるということを前提にしていると考えられる。
しかしそのような他から独立した自己など存在しない。
自己は他の因果の積み重ねの結果にすぎない。
だから本来の自由など存在しない。

別の見方をしてみよう。
人間が自由を想定するのは個体の価値判断を集団にとって都合の良い方向に誘導するために
「責任」というあたかも自明の価値を作り出し、それをこれもあたかも自発的に選択したと
思い込ませ実行させる管理手法を社会秩序を維持するために使用している結果なのだ。

自由は多様性と同義であるはずなのに、人間社会ではその社会にとって都合のよい統一的な意思決定を
することがあたかも自由であるとの主張を多く目にするが、これは支配する側の欺きの一種だ。
53名無しさん:2013/01/11(金) 05:44:10.47 0
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
 誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
 僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるか、
どこかの家の床下に埋められるか、ドラム缶に詰められて
大阪湾に沈められるかもしれへん。それで誰にも発見され
へんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
http://www.shimamotocho.jp/ikkrwebBrowse/material/files/shimamoto_iti_map.pdf
54考える名無しさん:2013/01/18(金) 20:41:27.36 0
スレのリサイクル
55考える名無しさん:2013/01/18(金) 21:20:33.48 0
決定論次スレ?
56考える名無しさん
決定論という論理の本質はなんであろうか。それは、世界の存在と、論理がなぜか
あること、を超越的に認めて、さらに、その二者のかかわり合いによって、世界の根拠
を決定された事実の存在のみに負わせるものである。我思う故に我ありという場合、
我=我の根拠を思うというところにのみ見出すのである。さらに、神の存在
を超越的に置くことによって、神が思う我を作り、我が神の存在を認める、という
論であり、決定的であるかどうか、ないかどうかははっきりしない。
決定という論理を崩すことはできないのだろうか。決定している主体は
時間であり、決定されている客体は、人間とその主観を含んだモノである。
最近の脳科学と計算機の発達によって、思うということは計算であるという
捉え直しが可能になった。人間の主観を実体と捉える必要もなく、神はずいぶん
まえに死んでいる。ボロボロになった主観理論が、決定する時間に抗えない
ことがだんだんと明るみに出されていく。だが、後退しているわけではなく、
知ることが個人を危うくするという、「オイディプス王」と同じ事態が起こって
いるわけである。