■ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze 12 ■
4 :
ZEEK:2011/10/19(水) 20:41:34.63 0
5〜6年前に買ったVRIN
のドゥルーズ単語集論述に誤り多数。
これを買ってネタにしようってやつは、
一生ドゥルーズ側から名なるほど変だぞ。
(老婆心ながら言っとく)
〜がわからなく〜の間違え。
書名いえよ
>>5 Le Vocablai de Deleuze
著者の方だったw
ポテンシャルっていうのは物理学的なエネルギーとは言えないと思うね。
昔から生物学上の議論として生物は物質に還元できるのか、
物質ではない何かがないと生物にならないかっっていう議論を
延々やっているが、リビドーっていう言葉からいえば、別のエネルギーも
考えているのが、ドゥルーズだと思うんですが。
12 :
考える名無しさん:2011/10/20(木) 23:04:39.58 0
ドゥルーズの入門書読んでみたりスレ見てるとなんとなくわかった気になるけど、
本人のテクスト読んでみるとわかった気になってただけなんだなぁ自分と打ちのめされる
どこかで批評と臨床は分かりやすいと見かけたから買ってきたが、すでに二章の時点で
大部分が理解出来ない……
公式として分数が出てきているが自分には理解できず、そこに意味があるのか疑ってしまう
ドゥルージアンへ至る道のりはまだまだ長そうです……
どんな哲学者でも大抵はそうだよ
なんで分析哲学の人に目の敵にされてるの?そしてドゥルーズ好きの人はああいうのになんか言い返さないの?
分析哲学の人は大学で勉強したての人が多いから実りある議論にならない。
ドゥルーズの著作も読んでいない。
シネマあたりは素人にも面白いからぜひ読んでほしいが。
比喩的に述べるなら、料理をするのに必要なのは包丁だけではない。鍋も必要。
分析哲学の人は包丁だけでいいと思っている。
(ちなみにインドの論理学は比喩も組み込んで五段論法だった。)
本当はライプニッツ解釈をめぐって分析哲学との関連を論じたいのだが、、、
分析哲学の立場(むしろ言語哲学の立場?)で意味の論理学からドゥルーズの考える可能世界論(もしくは意味論)の部分を摘出してほしい
ここ最近荒らしてる人は分析哲学もよく分かってないっぽい
>>17 努力報われるか?分哲で。面白さに欠けるが。
質問の意味がわからないなw
一応一般常識でやっておくべきかもな。
分哲でお勧めの哲学者は。教えてください。
ここで聞くなよ。
同一性なき差異
同一性もある差異
差異なき同一性
差異もある同一性
ドゥルーズのcorps pleinをはじめて知りました
欲望する諸機械が資本に登録されるという発送は刺激的でした
>24
何回AO読んでもその辺が分からない
いいなあ君は
ドゥルーズ読みたい?いいもの持ってるね。
成功するよ。
自己レスです。もう一冊流通している、ドゥルーズ用語集がフランス語版であります。
ELLIPESESという出版社。"La vocablulaire de Deleuze"でこれは著者は
フランソワ・ズーラクッヴィリで信頼できるドゥルーズ研究者です。100Pに満たないので、
AMAZON−FRで買ってみては。何かのついでに。
せりか書房のドゥルーズキーワード89というのが日本でで出ていますが、
これでは何も分からんです。
29 :
考える名無しさん:2011/10/25(火) 10:42:16.45 0
▼メチエ
書 名 著者名 定価
(税込) 発売日
魂と体 計算機とドゥルーズで考える心身問題 西川アサキ 未定 12/09
吹いたw
ttp://www.picsy.org/06/index.html 西川アサキ<にしかわ・あさき>
相対値貨幣(最初はそう呼ばれていた)の構想を知ったときから興味があったのと、鈴木君が知り
合いなのと、当座の生活費を求めて参加。
しかし、議論を重ねていくうちに自分はどうも能力主義全般に懐疑的らしいということが分かる。
才能だって遺産相続だからなあ。どうせなら労働にも効用概念を適用して、楽しい仕事をしている
人間ほど報酬は少ない、つらい仕事ほど報酬は多いみたいな形で、しかも競争力を失わない形で、
人の得る効用を均等化できないかな、と考えるようになった。これを反ニーチェ主義、あるいは逆
市場主義という(今、命名)。
しかし、クリアな市場主義+伝播という考えの射程はまだ未定なので PICSYをやるし、時間が無い
ので、上の考えは展開されることは無いので、無念。自己紹介は苦手なので、いい機会なので、こ
こに自己考えを紹介。専門は認知科学、になる予定。道は遠し。
・・・と書いてあるのを読み返すとまるでPICSYに反対しているように見えるが、実は最大格差100
00倍ぐらいの「そこそこの能力主義」に落ち着くのではないか、そして、それは社会が腐敗してし
まわないための必要悪なんじゃないか、とも、その後考えるようになった。ちなみに上の逆市場主
義を、発想の背景になったロールズさんからRawls Occupation Rate Exchange System(RORES)にす
るというシャレを思いついたので、忘れないようにここに記す。
>國分さんは面白かったw
>本編は終了。國分さんの「シニカル派とか言ってるけど『シラけ』が一周しただけで既視感しかない!」ってのが一番盛り上がったねww
>國分さん良く言った!「古市くんのシラケた態度って一周回って新鮮に見えてるのかも知れないけど、既視感が否めないな僕は!」
>國分さんのレギュラー化いいね。レギュラーメンバーはすぐに斜に構えてカッコつけるからなあ
>國分さんを常時パーソナリティーに @lethal_notion みんなつぶやこう!マジで
>仕事しながら聞いてるLifeが面白すぎる。國分功一郎さんは現代思想界の宮本浩次というイメージが……w
>國分さんレギュラー化してくれないかな。この熱さいいな。。。
32 :
考える名無しさん:2011/10/25(火) 14:22:02.54 0
千葉が國分の暇倫について邪まさがない。健康すぎるといったのみて、
かつて保坂の小説について、友人樫村晴香が保坂の小説には悪意のある
人物が出てこないいったのを思い出した。それだけ
宮本浩次ってオーバーリアクションとノンビブラート奏法、恋愛べたとラジオ放送マジギレ事件で有名なあの?
國分さんとだいぶキャラが違うと思うけど・・・
34 :
考える名無しさん:2011/10/25(火) 15:36:11.30 0
古市のシニカル派に強度がないのは、単に古市が無教養な
ナスシスストだからでしょう。シニカルがだめってのより
古市がだめってこと。千葉はどっちかっつっとシニカルじゃね。
千葉のナルシシズムはドゥルーズと全く違う
はっきりいってこんな楽天的な思想じゃ現実問題を解決できないよ
ドゥルーズにかぶれた浅田やから谷がどんな馬鹿なこといってるか思い出すがいい
柄谷は憲法9条を守れというw 浅田は天皇制を否定するw そんな馬鹿ばっかりさ
千葉や國分に言えよw
つーか柄谷はドゥルーズとほとんどなんの関係もないだろ
分析哲学で左翼を一掃できると思ってる
42 :
考える名無しさん:2011/10/27(木) 09:12:44.88 0
ウィトゲンシュタインは観念が意味(というか真理値)と無縁であることを示した。
そこから伝統的哲学の命題が無意味だとしたのにはいきすぎがあるとして、
最近の分析哲学は、特にサールなどが、
観念を言語論ではなく行為論のコンテキストにうつして論じているだろう。
むしろこれはドゥルーズの発想に近い。
ドゥルーズはアンチヴィトゲンシュタイン
逆にいえばウィトゲンシュタインからしたらイマージュの哲学なんて無意味だろう。
ウィトのほうが100倍すごいw
ウィトは何と言ってもおぼっちゃんのイケメンだからすごい
柄谷とかドゥルージアンでも何でもないしな
お坊ちゃんでイケメンでゲイで…たぶん分裂病気質で、
ウィトゲンシュタインってイケメンか?
哲学者に限ってもあれよりかっこいい人はゴロゴロいると思うが
個性的だとは思うけど
2ちゃん見てる暇があったら國分の暇倫読めよ
それをここで言っちゃいます?
國分ってラテン語できるの?
できなかったらスピノザ研究なんて出来ると思う?
>>55 出来るよ。英語でもフランス語でもドイツ語でも日本語でも。
スピノザ研究でラテン語で着なくても恥ずかしくないよ。
ツイッターでラテン語の辞書は何々を使ってる、とか書いてたから
辞書あれば読めるレベルなんじゃないの
>>56 ほんとに?スピノザってラテン語じゃなかったっけ?
俺の指導教官は英仏独希羅できたから、哲学研究者ってそれくらい当然だと思ってた。
そもそもドゥルーズがそんなに語学に堪能なイメージがない
どうして?
あの世代だから、哲学専攻の時点でギリシャラテンは必須だったろうし、
ニーチェ全集も編纂してるからドイツ語も堪能だったろう。
日本の哲学科出身者でも学部ですらあの世代はその程度の語学は全員やってたんだから。
木田元「最近の若い学者の翻訳は使い物にならない」
今普通の哲学科の学部の語学ってどうなってるの?
梅原猛のころはギリシャラテンは必須だったそうだけど。
キリエは英仏語って言ってたな
古典語よりも数学やってるらしい
戦前からカントもスピノザもフランス語版はあったんだけどね。
哲学史家とかいってて語学できないとかモグリじゃん。
語学もインチキ、数学の濫用もインチキ、偶像破壊が進むなあw
数学ならまだいいけど語学ができないなら人文学でさえないよ。
おめ、馬鹿でねえか。
トゥルニエに会ってのは18歳のとき。
リセの勉強のための寄宿舎で同室だったから。
大学卒業してから11年もリセの「教授」をしていた訳で、
言うなれば長い下積みの中で語学も数学も
勉強したに違いない訳で、でなきゃ「教授」になれないよ。
その後10年経ってからようやく「差異と反復」だ。
デリダはギリシア語がよく出来て、現代ギリシア語も出来て
ギリシア人向けの論文書いたことがあるんだよな
現代思想に訳が載った
デリダがどうか分からないが、
ギリシャ語もラテン語も出来たと思うよ。
哲学界の重鎮がストア学派の
ブレイユだったから、影響下にあって
「意味の論理学」書いているもんね。
ドゥルーズの著作の随所にギリシャ語出てくるよ。
哲学を学ぶのに早稲田だけはいくなと言われるが。
河出文庫
ディアローグ ドゥルーズの思想
ジル・ドゥルーズ 著 クレール・パルネ 著 江川 隆男 訳 増田 靖彦 訳
文庫 ● 2011.12.06発売 ● ISBN:978-4-309-46366-7
定価1,260円(本体1,200円)
対話も文庫化するのか。よくやるねー
ところでスピノザと表現の問題は・・・?
ベルクソン論とヒューム論も文庫にならないかなー
カフカ論とプルースト論も希望。もちろん新訳で
80年代の「アンチ・オイディプス」って訳がよくないね。
ドゥルーズが何者かも分かってない時代だったからだろうね。
意訳してるとか補足してるわりに、分かってないとこがあってさ。
原文読んでます。
文庫化希望なのはやはり『狂人の二つの体制』と『無人島』だな。
短い文章を集めた本だから入門篇にもいいんじゃないの?
ただ、どっちも上下巻なのがネックだったりするのかな、どうなんだろ。
いちばんやってほしいのは『感覚の論理』だが。
『重合』を、シェイクスピアの『リチャード三世』付きでってのもいいかな・・・
ドゥルーズの歴史観を教えて
伝統を死守せよとか言ってる?
『狂人の二つの体制』って最悪だったな。
他の人に言ったらすごい納得されてた。
民主主義は大衆の台頭で腐って崩壊するんじゃないだろうか
ドゥルーズとガタリの考え方って少しずつ変わってるな。
最初は差異から出発して分割を論じていて、
アンチで切断と結合だったのに、ミルになると
連続的な生成変化なんて言葉が出てくるようになる。
分子的とモル的の差異が、条理と平滑へとウエイトが変わる。
同じな調子じゃなく、変化してるな。
最後のほうへ来ると、とんがった感じなくなってくるような気がする。
哲学とは何かも比べるといい
88 :
考える名無しさん:2011/11/07(月) 00:11:13.68 0
スピノザから始まっているんだが、
後期にライプニッツに接近しているような。
「プリ」とかさ。
スピノザだとイメージに否定的だと思うんだ
>>90 そんなこといえないと思う。
スピノザの著作のどこにそんなこと出てくるか
指摘して下さい。
>>89 自己レスです。
一日経っても誰もレスしないな。
AO:
スピノザは決定論になってしまう向きがあって、
まったく無関係なもののを
結びつける唯一の力能は(可能性は)
欲望だ、として、自由をそこに見るわけだ。
MP:
スピノザでは唯一実体なのに、
MPで諸実体というらしい。
そうしないと個体の自己原因が保障されない。
だが、そういうためにはモナド論が要請される。
と考えますが。
>>90 エチカp150
定理17
「人間身体の変様は−その変様のの観念が、外部の物体をあたかもわれわれに
現在的であるかのようにあらわすのであるが−物の形を写しださないけれども、
われわれはそれをものの像imagoと呼ぶであろう。」ここのところを
ベルグソンのイマージュに相当するものと見ればよいでしょうに。
ぜんぜん変じゃないよ。
@lethal_notion
國分功一郎
ツイートを拝見していて思い出しました。ドゥルーズの話。クレールパルネに
「ドゥルーズ先生、数学の本とか引用してるけど、どうせ理解できないんでしょ?
なんで引用すんの?」と聞かれるドゥルーズ。@stupid164
18時間前 webから
なんかアベセデールって
ドゥルーズまじめにやってないよ。
誰か字幕つけろよ(フランス語でおk)
国分より千葉の顔の方が好みだ。
ベルクソンの言うイマージュとスピノザの言うイマージュを比較してください
兼子正勝の論文を一通り読んだけど、納得いかず
kumatarouguma tatsuyahigaki
もうちくまのD入門の罵詈雑言で困惑なんで。しゃべり口調にして、さてみな
さん差異と反復、くりかえしとちがうこと、これはいったい何事なんでしょう
ね、でも考えてくださいね。くりかえしはおなじことがくりかえされるんです
が、くりかえされるたびにそれはおなじであるわけないんですよ、でいくか
6時間前 » kumatarouguma tatsuyahigaki
まあいいや『差異と反復を読む』は熊野さんたちの哲学史に対抗する分厚いメ
チエにして「お手軽本」と呼ばせてみせる技量をはっきしてやるぞよ。
6時間前
ikedanob 池田信夫 kumatarougumaがリツイート
これはお手軽なフーコー入門としてはおすすめ。
http://ow.ly/7l96E RT @jyo
naha: 【新書】檜垣立哉『フーコー講義』:初期から晩年までの全軌跡を200
頁弱で辿れる驚異の入門書。
11月7日
kumatarouguma tatsuyahigaki
お手軽ではないとおもう。俺、お手軽に書こうとしてもアカデミックに傾斜し
する(おまけにこの手の本の大読者層である、社会学系と心理学系をおもいき
り小馬鹿にする文章しかかけんしさ、哲学者だからさ)、それはだめなところ
だとおもう。つぎのメチエ『差異と反復を読む』は重厚長大なお手軽をめざす
11月9日
熊野に対抗するとはけっこう大きくでたもんだな
楽しみだ
対抗するって「厚さ」でってことだろw
広松にアンファン・テリブルといわれた男。
ドゥルーズ世界会議、去年国分さんが行ったが、
今年は桧垣さんが行くのね。日本背負って立つからには、
太い根性がいるからな。
間違えた。今年と去年国分さんアムステルダム
とコペンハーゲンへ行ったんだ。
来年アメリカでやるんだか、中国でやるんだか
分からん?
間違えた。桧垣は大阪大学の対パリよういんだった。
kumatarouguma tatsuyahigaki
サランスキーさん講演、フランス語で四時間たっぷり数学のはなし、通訳された
M上先生も偉いわ、あまりに疲れる(というか私はもちろんとても内容すべてはわ
かりません)。しかし中村大介さんの解説があってサランスキーのはなしをきい
たからか。彼が一面ではきわめてユダヤ的な発想をもって数学を考えているのは
わかる、私の質問とそれの答えが(自分はさしてフランス語できないゆえに)伝
わったか理解したかわからないが、時間という契機を全部そぎおとし、数学は結局、
いずれにおいても、無限・連続・空間を扱うもの、この点、ヘーゲル・ベルクソ
ン・ハイデガーは全部だめというのは余りに強いけれど、あれをいえるのは、やは
りユダヤ的な発想というか、数学そのものが世界創造のある種の「神秘」(これが
キーワードらしい)に触れており、それを思考するものとして無限・連続・空間し
かないという頑強な主張は、レヴィナス数学版かともおもうし、一面では確かに数
学的思考ってこういうものだとおもうね。文学部の上野先生が、「ロジックでせめ
てくるやつは強いね、でもドゥルーズの問いと問題の関係を考えるとどうなのかな」
といっていたのがたいへんに気になる(上野先生きていただけたのだが授業で途中
で抜けられて残念)。ただサランスキーさんは数学の哲学というより
kumatarouguma tatsuyahigaki
世界の根源学としての数学という方向で(頑強に)一貫しており、あの主張強
さはやはり興味深いとおもった、本はともあれ全部買いたくなった
ドゥルーズの書いた本の文体・スタイルって
考えてみるとダイアグラムなんだなと思うと、
不思議につじつま合うなとおもった。
>>109 占いをいろいろ少しずつ齧って見たんだが、
ユダヤの「カバラ数秘術」はすごくあたっている。
カバラ占法でマリー・アントアネットの最後を
予告した人もいる。数が世界を開示するという考え方は
ピタゴラス学派にもあった。世界の仕組みは「数的である」と。
だか、ベルグソンの直接性というのはどうなんだろうか、
男にとっての「女の趣味」とか、質的というか「味」の問題の
感性って言うのは、どうにも数的なものでなく、
体感の問題になることを認める余地なんてないのかな。
ドゥルーズが誰か作家や監督について語ってる本を読んでも、
それがドゥルーズ理解にはつながっても作家や監督については理解が深まらないよな。
>>112 一番新しい『思想』の國分の論考を読むといいよ。
そのへんのドゥルーズの方法論について書かれている。
國分かあ。ブログは面白いよね。どうもありがとう。
kumatarouguma tatsuyahigaki
気分かえるため今日は道元でもよむか、前に道元ツイートしたら結構リツイー
トされたので、なにか変な文章みたら書きます。西田と道元は、ある意味で、
正しい意味で、哲学的狂人というか、本当にこの世界の不思議をとらえようと
していて、それを言語でかくという不可能なことをしているとおもう。
5時間前
>>115 もともと悟りなんか言葉では表せないものだから、
それがゆえに「変な文章」になるのだと思うよ。
國分さんのツイッターってやかましいよね
声のでかさのなかに沈黙がない時点で、ああこいつはずれだと分かる
禅宗の「無門関」なんて変なことばかりだよ。
ああ瑕疵のやつね
ドゥルーズがスピノザ研究してるけどスピノザが嫌い。
こういう発想の人が嫌い。
読みたくない。
決定論に、汎神論。遠慮したいです。
あぼーんした。
存在の一義性が保証されないと、
ドゥルーズの意味はないよ。
ドゥルーズの資本主義分析は素晴らしいが、これが本当なら資本主義ほどくだらないものはないな。
人間ってくだらないことのために
生きてしまいませんか。生きていませんか。
見方によりますよ。
ドゥルーズの資本主義に対する態度は両義的にも読めるけどな
ネグリに至ってはは最早資本主義賛美と見る人もいるね
確かにくだらないよ。でもくだらなさが常態になったらおしまいでしょ。
いまの日本はその域に入ってきている。
>>126 バブル全盛期の浅田とウマが合ったのはそのあたりが原因だな
てか、マルクス自身の資本主義に対する態度が両義的だからな
>>128 そのとうりだけども
マルクスは資本主義を肯定しつつも、それを超える夢があった
ドゥルーズの資本主義認識はニヒリズム的現状肯定といえる
マルクスは未来社会を築く方法を示さなったから
夢だけ、の話。
131 :
考える名無しさん:2011/11/25(金) 15:01:52.61 0
>>98 兼子が具体的に何を言っているのか、そしてそれについてどう納得がいかないのか述べよ。
他人に意見を求めるなら最低限の礼儀でしょ。「比較してください」て、あんたの設問に答える義務はない。
結果、「長文ウザイ」と言われて終わるかどうかはケースバイケースだよ。
>>98 ベルグソンのイマージュが何であるかも、
スピノザのイマーゴが何であるかも、
そもそもドゥルーズのスピノザ論もベルグソン論も
読んでないんじゃないの?
解らないはずだよ。
ドゥルーズは「変わる」(=生成変化)ということについては徹底的に
考えたが、「変える」(=変革)ということは考えていない
國分の論文
國分適当すぎw
ドゥルーズは自らにおいて非常にエリート主義的な書き手であり、政治には
無関心であるbyジジェク
ニーチェやD.H.ロレンスを支持している人が貴族主義でないわけがない。
て意味では、「変わる」(=生成変化)力能を持ち合わせてない連中のことなんかを思い煩う気にはなれんかったのかも。
まあドゥルーズの場合は貴族主義というよりマイノリティ主義と言ったほうがいいのかな。
哲学者の思考は哲学者の意識を超え出ているby國分=ドゥルーズ
もうすぐ國分論文読み終わる。ドゥルーズ引用したあとの國分の敷衍が
わかりやすくてすばらしい。さすが
>>136 ユーゴスラヴィアの内戦以来、ヨーロッパの
民族紛争に関与してるからね。ジジュクは
のんびり、大学の講義なんかせんでしょう。
ドゥルーズの哲学原理(1)
――自由間接話法的ヴィジョン―― 國分功一郎
読了。
>>141 ジジュク(時熟)はハイデガーですよ。
ニコ動でジジェクとアサンジのトークイベント見たけど、二人が討論するのかと思ったら、
真ん中の女性司会者がそれぞれに話をふるだけで終わったのが残念。
ジジェクは身振り手振りがハデなマシンガントークで、そばにいるとうるさそうな人だったw
ドゥルーズならば、ジャスミン革命含め、ネットが政治に影響を及ぼす状況をどう分析したか・・・
「ドゥルーズ・変奏」っていい本だな。長らく絶版。
ネタ本じゃないか。これの原典のポッシュ版持ってる。
「サハラ」のポッシュ版も「存在の喧騒」の原典も持ってるが、
翻訳が出ると読み気なくて。「喧噪」は外れ。
ただ「変奏」の翻訳本を図書館で借りて、
よくわかったから、後々のため原典で読んどく
ことにする。高いよね「変奏」5000円は。
最近知ったけど熊野はドゥルーズ全然評価してないね。
中公の哲学の歴史の鼎談で鈴木泉に言ってた。
熊野自身が書いてるNHK出版からでてるカント入門書の参考文献では確か
評価してるようなコメント出してたけど。
まあどうでもいいやw
なんか鈴木泉って馬鹿にされてるのよく見るな。
どういう人なの?w
しらねえのかよ
良くも悪くも今のポストにぴったりの生真面目な人
ドゥルーズはベルクソンのおまけ程度だと思ってる人は多いよ
熊野に限らず
なんだよそれ、知らないくせに
日本の哲学科がフランス軽視なだけ
メルロ=ポンティやレヴィナスは人気
どっちも現象学の枠組みでの人気
フッサールって過小評価だよな・・・
鈴木泉といえば、スピノザと表現の問題の文庫版はどうなったんだ?
フッサールについては、日本でもアカデミズム内においては過剰に評価され
外ではろくな解説書も少なかったこともあり、過小評価され、ってのが実情だと思うよ
2ちゃん初期には、竹田青嗣に依拠した論破厨が横行した。
一般レベルの現象学=竹田、あとはせいぜい木田元の解説。
でも嫌韓ムードに流されて、いかにも全共闘世代風の在日言説ごと顧みられなくなった。
2ちゃん=世界みたいなレスでワロタw
過去ログ見てみ?
もちろん2ちゃんが世界のわけはない
30年前当の昔、学生時代三田の慶応の哲学科に
現象学の講座の担当で木田先生が、
招かれて授業担当していたよ。
慶応にはメルロポンティの先生もいたし。
今いなくなったのは、
どこの大学でもだいたいがアメリカ流哲学に
代わってしまってヨーロッパ哲学を担当する先生が
いなくなってしまっている時代の趨勢だ。
でも、ドゥルーズは全然現象額の可能性に頼ってないけどね。
対話文庫化知らなくて単行本買ってもうたああああ
人が多そうだから、ここで聞くけど、
こないだ始まった映画『サルトルとボーヴォワール』を観た人いる?
おもしろかった?
ドゥルーズが多様体理論を知らなかったなんておもえない。
知らねえで書けないしさ。
もともと微積分の研究をしたのはライプニッツだし、
哲学者が数学を知らないはずがない。
ベルグソンとフッサールが考えたのと同じアイデアで、多様体理論を
ドゥルーズは踏襲してる訳で、この二者経由で少なくとも
多様体を扱うことを意識していたと思う。前二者は着手したが
成功していなかったとドゥルーズは書いている。
可微分多様体と不可微分多様体があるらしい。
強度的多様体というのがどういうものかは私は知らない。
写真製版で多様体理論について述べた手稿が残っています。
で どう述べたの?
自分で読んで。
國分てとてつもなく保守的にしかおもえない。
よくよく考えるととてもご都合主義に見える。
どう保守的で、どうご都合主義的なんでしょう?
レッテル貼りしながら「おもう」とかいう言葉を使うクズに触れるなよw
性格悪いの多い
ドゥルーズの逆説的保守主義て表象で特集あったな。
千葉と國分と小泉か
國分はいろいろ社会発言してるじゃん
いろいろってなんだよw
髪型が9:1分けは保守w
解説のうまいおじさん
そもそも
>>164 じゃあどこの記述がおかしいか指摘してみてごらんよ
がどちらの立場でものを言ってるのか判然としない
國分が哲学とは何かを叩いているのが意味不明
しつこいアンチだな。
お前の怨念のほうが意味不明だ。
このスレってぜんぜん蓮實の話題でなくね?
あの世代の文学的な読解は今じゃ古いからね。
いろいろと大雑把すぎた。
浅田の話も出ないな。
おわこんってことか。
ポエム板でやれ
やっぱ、ドゥルーズというとアルトーとか分裂症とか、なにか生々しく炸裂する狂気の擁護者てイメージがあるんだけど、
ハスミンとはその辺が合わない感じがするんだよな。表層の戯れみたいなこと言ってても、
ドゥルーズはその裏から表層を食い破ろうとするものが蠢いてる印象があるし、
微分的、分子状的なものへの嗜好もハスミンは共有してないだろう。たとえばハスミンは実験映画に興味無さそうだし。
>>187 蓮實の評価はともかく、187氏が共感しているような部分って
ドゥルーズと言うよりガタリによる部分が大きいと思うよ
>>187 表層の裏からとか、そんなに単純な問題じゃないだろ。
表層って表面だからね。解ってる?
>>189 >解ってる?
とか、挑発的な物言いはやめようぜ
2ちゃんだけど、言ってみるぞ
ガタリによる部分も大きいだろうけど、ひとりで書いた『襞』でも、
トマス・ド・クインシーの小説から、風やら霧やらの中での情景描写を引いて、知覚の例として挙げたりしている。
これ書いた時点でガタリの影響あるだろ、とは思うが、
初期の『経験論と主体性』の、「最小の観念」や「微粒子の印象」を論じた箇所は、
すでにベルクソンのいう「質的な微分積分」としての哲学が展開してるんじゃないのかな。
蓮實はお育ちが良過ぎてエリートすぎて、弱者の痛みとかわからなそう。
蓮實はどこかでリゾームについて、
共感すべきかっこいいコンセプトとして持てはやされてるのを批判してたぞ。
あれは正面に向き合えないような恐ろしいものだって。
リゾームを称揚する論者達には、恐怖心が欠けているって。
まあ、記憶が曖昧なので、正確ではないんだけど。。。
思い出した。多分浅田を相手にそういうことをしゃべっていた。
それって、批評について論じながら「すべての記号のまどろみを覚醒させる」事態の手前で踏みとどまることを語っていた言葉と、
どっかつながってそうだな。もっとも、ハスミンは、そうしたことは、すぐれて批評的だったバルトやフーコーに言えることで、
デリダやドゥルーズとは関係ないと言ってたけど。ドゥルーズの映画論も批評としては評価してないようだし。
いい加減な話だなぁ
いい加減じゃない話をお前がしなよ。
AOの解約本を読んでみたが、宇野訳のほうが
市倉訳より読みやすいね。よくわかる。
以前の河出文庫の紙は鉛筆が走らんから困る。
AOを今の紙で刷ってくれたら、また買うよ。
ハードカバーでも構わん。
とにかく書き込みを受け付けないような紙は読む気が挫かれる。
200 :
考える名無しさん:2011/12/10(土) 07:45:42.87 0
>>200 いやいや4B使っても走りにくいんですよ。
まぁ走る走らないは個人の感覚によるところも大きいでしょうが。
なんか前にも同じやりとりを見た気が・・・w
203 :
考える名無しさん:2011/12/11(日) 03:20:05.25 0
80年代の日本のドゥルーズ論なんてみんなクズだよ。
浅田も蓮実も中沢もドゥルーズの射程の広さを全然捕らえ切れてない。
ああいった連中の言うことはフランスのヌーヴェル・フィロゾーフと同じで、
何の参考にもならん。
ドゥルーズが知ってたらヌーヴェル・フィロゾーフ以上にぼろ糞に言ってただろさ。
204 :
考える名無しさん:2011/12/11(日) 03:29:47.47 0
もう30年経ったんだぜ。研究は進むさ。あの頃はドゥルーズが何者かも分からない頃だ。
>ヌーヴェル・フィロゾーフ
www
206 :
考える名無しさん:2011/12/11(日) 10:40:42.85 0
>>203 そういう意見は、どういうふうにダメなのか具体的に指摘してくれないとただの中傷になる。
鬼Bで書け
>ヌーヴェル・フィロゾーフ
本人は何でこれが間違いかわかってないでしょう。
おしえないけど。名詞の性に関係する。
どうでもいいよそんなこと
>ヌーヴェル・フィロゾーフ
www
203のドゥルーズ論聞きたい
どうでもいいよ。どうせ知ったかぶりなんだから
ヌーヴェル・フィロゾーフとかドヤ顔で書く人間のドゥルーズ論なんて聞きたくありません
n個の性
宇野邦一 浅田彰 丹生谷貴志 篠原資明 蓮實重彦 田中敏彦
樫村晴香 花村誠一 小沢秋広 宮林寛 松浦寿輝 中沢新一
80年代はだいたいここいら辺か
216 :
考える名無しさん:2011/12/11(日) 13:44:15.94 0
ざっと見てもダメな人が過半数だね。
203逃走
203はヌーヴェル・フィロゾーフ
またはじまった、、、
はやく203のドゥルーズ論が聞きたい
あいかわらずどうダメなのか具体的に書いてない216とか
ドヤ顔ヌーヴェル・フィロゾーフ203
しつこいですね。
203の肩を持つ気はないけれど、國分の論文読んでいきがってるだけでしょ。
ほっとけばいいのに。
それならドヤ顔ヌーヴェル・フィロゾーフ203は、80年代ドゥルージアン
を仮想敵にして悪口言う必要ないし、國分論文の良さを「具体的」に言えばいいだけ
しかも突っ込まれて逃走w
〉ドゥルーズの射程の広さ
ワロタw
本人乙って言われそうだけど、
ヌーヴォー・フィロゾフとヌーヴェル・フィロゾフィーって、
ややこしくない?
フランス語やってて、それがまぎらわしいなら
煽り抜きで、口をついてnouveauの正しい形が自然に出るように訓練した方がいいよ
文庫本もいいよ。
AOは電車の中でも読めるから。
カバーして気がなく読める。
ミルプラトー序文とかポップでかっこいいよね。
ドゥルーズは一流だと思う。
詩人としては。
ミル・プラもアンチも無意識を扱う限り、もともと言葉にはなりにくいものの対象に
切り口をつけているためにあまり論理的でなくなることを
承知でわざとわかりやすく書いているのが「すごい書き手」であることだ、
ということに気づかないのか?物事を判り易く書くことが馬鹿には出来ないことだ、
ということに気がついているのか?馬鹿にポップ哲学は無理。
まるで、言葉にする以前の頭の中には確固たる考えがあるみたいじゃないか
そうじゃなきゃ、本なんて書けない。
日記とがエッセイとかの駄b本がそうであっても。
作品以前だ。ドゥルーズには「確固たる考え」がある。
えーと、
「お前、ドゥルーズを全く読んでないだろー」(棒読み)
>>231 「確固たる考え」というのは、イデーであるだけでもよく(言葉でない思考)
さらにドゥルーズのAO・MPには創案された「概念」が述べられている。
その提示の仕方が、哲学書的でないだけです。
”I have an idea"と英会話でよく聞きますが、「私に考えがある」という意味で
アイデアでもいいです。「イデー」はドゥルーズの哲学では芸術作品にも認めている
もので、その作品で表現したかったことです。
もう少しいいますと、ドゥルーズの体系において、差異と反復の「問題的なものの
審廷としての理念」の原語は”L'Idee comme instance problematique"であり、
「イデー」といった場合、それは「理念」であり、差異化・微分化するものです。
「プルーストとシーニュにおける「観念」に相当します。
こうした「観念」は人は抱いても、言葉にしてもしなくてもいいものですが、
哲学としてそれう行うとき、それを「概念」として提示しなければなりません
(「哲学とは何か」)。「領土化」「脱領土化」「再領土化」等々のD・Gの刻印の入った
概念がそれに他なりません。
誤魔化すな。
問題なのは「確固たる」考えなんだよ。
ドゥルーズはインタビューで「アンチオイディプス」について、
『器官なき身体』という言葉で自分とガタリがかなり違うことを言ってる、
ということに書いている途中で気づいた、とか答えてるな。
最終的に統一されたのかどうかについては、何か言ってたかどうか。。。
「カフカ」では内容に先行する表現について述べられてるね。
このスレはいつも平和すぎるな
>>238 AOとMPはガタリとの共著のため。モノローグとしての他の著作と
大分書き方が違います。ドゥルーズのカントについての、ベルグソンについての
モノローグではスタイルとして提題から、しだいに派生的な、補助的な系の論述
を例示しながら、その提起した概念の定義を結論できる哲学的な書物になって
いますが、共著のガタリとの関係で、かなり論行の折れ曲がりや、外挿的な話題
などが入ってしまっているので、その問題は大きいです。
結論から言うとガタリは、私の印象では(あまりガタリを読んでいませんが)論旨が
うまくまとまらないとき、論文などで論旨が循環してしまう、論点先取になるところ
があるようでした。
それに似て、AO・MPは何の前触れもなく未定義の概念が出てくるところがあります。
しかしながら、ドゥルーズの文体は要は「ダイアグラム」を描くスタイルである、
というところを外れていないように思います。
>>239 「アンチ・オイディプス草稿」が参考になるのでは。
>>240 邦訳の何ぺージですか。当該箇所。
わかりませんが「機械としての書物」の観点でしょうか?
カフカ自体が文学なんだから、確固たる考えがなくても書けるんじゃないか?
>>242 誤魔化すな。
そもそもの最初の
>>230,235と問題になってるのは「AO、MP」だろうが。
>>246 このスレが平和すぎる、訳ねえだろ。ガチンコじゃねえかよ。
AO・MPにはある戦略的な狙いのある本で、結論から言うと、
様々な「現存する」欲望する機械の中に、「機械としての本」
を投げ込み、作動させようとしたわけです。そしてそれは
リゾーム的などこに何が接続されてもいいような、形で
機能するのが理想だ、とかんがえている訳です。
だがよく見てください。
MPです。p16
「統辞法のの様々な創造が必要なのは、それらが何か隠された統一性の表現形式であることをやめて、
それら自体が、考察されている多様体の次元の一部となるときである。」
「われわれにはそれが出来なかった。われわれはいくつかの語を用いただけであり、」「これらの語は概念であるが、
概念とは線である。つまり何らかの多様体の次元に結び付けられた数のシステムである」
と書いている。つまりは完全に文学機械であるような本としては成功しておらず、
概念を用いた哲学書であることが表明されています。
続きです。
p35
「リゾーム学=分裂者分析=地層分析=プラグマティック=ミクロ政治学」とあるこの本が
その考察の対象である欲望する諸機械や社会野や機械状系統流や記号体制や地層等
の考察されているものの一部になって、作動すればよいのだ、と考えつつ、「プラトー」という
「様々な強度の連続する地帯、自らの上に打ち震え、何かある地点に向かうあらゆる
方向付けを回避しつつある地帯」に立ちながら、それがリゾームとして他の多様体に
連結されることを目的に書いたけれど、「学」であることはやめていない、のであります。
自らガタリとともに二人である強度的な連続地帯の中を通過しながら、
理論のジェニタルな経験(プラトー)を経て生み出した書物であり、
「差異と反復」の感覚の非対称的総合の実践の書として、
一歩も二歩も踏み出したところの所産であることがわかります。
問題は
>>231と
>>232のやり取りに尽きてる。
>>231 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 21:14:54.99 0
> まるで、言葉にする以前の頭の中には確固たる考えがあるみたいじゃないか
>>232 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2011/12/13(火) 01:46:04.02 0
> そうじゃなきゃ、本なんて書けない。
> 日記とがエッセイとかの駄b本がそうであっても。
> 作品以前だ。ドゥルーズには「確固たる考え」がある。
んで、あんたはAO・MPを「ポエム」「文学機械」であるか、
「哲学」「理論」のどっちであると思うんだ?
両方
以上
どっちでもない
以上
>>252 「あんた」って誰?
相手が一人だと思ってるのか?
複数の言葉の背後に一人の「確固たる」主体を想像しちゃってるのかなw
今日吉本のウィキを見てびっくりしたけど、この人ガタリに暴言吐いてるんだな。
つーかどっちもどっちのトンデモ同士だけど。
複数性について複数で語る意味はあったんだろうか。
一人で語ったほうが複数性の意味がより明確になったのでは。
>>259 日本の哲学を舐めてるくせに自分は大バカで何も知らないって言ったらしい
ガタリが天皇制を賛美したからでしょ。
>>261 あっほんとだね、戦後の天皇制について肯定してる。
でもそれぐらいのことで相手の全人格を否定しなくてもいいじゃない。
なるほどねえ、
ドゥルーズについても本も読まずに wikipedia とかネットだけで語っちゃってるんだろうなあ(遠い目)
吉本は天皇制反対なんだ?
吉本は左翼だね。
うぜえ
オウムを褒めたり原発を褒めたりしてる変人だよ、吉本は
吉本は三冊ぐらい読んだけど、なんかあんま好きじゃないな。
たしかにおかしな人だとは思う。
今は「マゾッホとサド」をゆっくり読んでいるよ。
議論の邪魔をしてすまなかったね。
だいたいフランスの知識人は日本をハナから馬鹿にしてて、
大して日本の知的・政治的・文学的状況や文化・歴史も表層的にしか知らないくせに、
エラソーに自分たちの理論でバッサリと裁断することが多いから、
馬鹿には馬鹿と言ってやったほうがいいんだよ。
フランス行って言えば立派だが、
日本国内での日本国内だけを向いた陰口じゃあねえ。
>>270 たかが2ちゃんの書き込みに対する反応じゃないよソレ
公園でキャッチボールやってる親子に対して、そんなことではプロでは通用しないと駄目出しするようなもんだ
自分で言ってるとこが笑える。
いまさらだがフーコーが来日したとき、いろんな知識人と対談させられた
らしいけど大森だけは認めたとさ。
269でいってるよなことは、元は、洋行した日本の知識人が
率先してやってたよな。ある意味いまもそう。
リゾームなんかはむしろ日本人のがよく理解できるwとかあったな。
森有正の日本語をフランス語にする案。
日本語の漢字廃止し徹底した表音文字化。
これもローマ字が最も言語として優れているとした考えから出てくる。
ヘーゲルはローマ字が文字として最も優れていると考え、漢字はダメ。
イエスペルセンは漢字が最もすぐれた文字と考えた。
日本からフランスに行く奴の大半は自分の中に予め存在するおフランスを確認しに行くだけだから…
平伏することはあっても馬鹿に馬鹿といえるような気骨漢はいないだろう。
なんかどんどん前提が捏造されていくw
不毛
吉本とガタリの対談なんてフランスでやったって日本でやったっていいだろ別に
バカか。
もっともフーコー、ドゥルーズらに関しても、大塚英志との対談において、「取り上
げる問題とか主題に関して、精密すぎる」「そこまで表現すれば、より精密になるかっ
ていったら、そうとはいえないので、0.1以下は四捨五入したほうが正確な値なんだっ
ていうことは有り得る」と疑問を述べている[84]。大塚英志は、吉本との対談のあと
がきで「自分や自分と同年代の批評家たちの言説が過度に細部に拘泥し、そしてその
細部の上にディベート的というか論理のための論理を組み立ててしまう。その語るこ
とをめぐる隘路」について長いこと考えていて、吉本と対談することは、「だいたい
でいい」という水位を思考の領域、言葉の領域にいかに回復するかの糸口を見つける
ことだったと、述べている。
対談したフェリックス・ガタリには「日本のほんとの思想と体験をわかったふりして
なめて」いる、「てんからの馬鹿」[85]としている。対談したイヴァン・イリイチに
たいしては「文明と近代科学を呪詛する気違いじみた魂を持っている。実際会ってみ
るととうてい話が通じる思想家ではないことがわかるが、その気違いじみた呪詛だけ
はよくわかる」としている[86]。ボードリヤールに関しては、1998年に「今世界でい
ちばん重要な問題はイスラム原理主義の問題だということを平気でいいます。日本人
の僕などには、冗談じゃないぜ、そんなことは世界のいまの問題と何の関係もないぞ
と思います」と述べている
↑なんか2ちゃんぽい
もう吉本の話はいいよ。
概して言えば、ドゥルーズらは大雑把な思考に抗したと言うか、精密にやったところが凄いところだから。
吉本みたいに何でもヘーゲル的な図式に引き込む思考とは相性が合わないだけだろ。
ガタリも吉本も今から考えればトンデモだし、変な人同士、もうどうでもいいだろ。
きちがいおじいさんにバカにされてるレベルってことだよ!
きちがいおじいさんって誰
吉本
が誰を馬鹿にしてるの?ドゥルーズw
ドゥルーズは精密さそれ自体が目的でもあるのかな。面白いな。
精密に議論してれば、大文字のなんちゃら全般に絡めとられなくて
すむということか。
吉本は自分が精密な議論に参加できなくて駄々こねてるだけ
kumatarouguma tatsuyahigaki
講談社から郵便物あり、けっ。泉さんやK野さんのなんから哲学史ならいらな
いよ(嘘嘘 嘘ですよ!)とかおもってあけたら西川アサキさんのメチエで
あった。郡司ペギオ幸夫ばりのドゥルーズ科学哲学がでてくるというのは本
当に頼もしいなあ。これま真面目に書評とかどこかかかせてほしいな。
13時間前
291 :
考える名無しさん:2011/12/17(土) 19:41:21.80 0
福島の地元の原発作業員は、避難もせずに炉の埋め立て作業やってるんだよ。
もうそれしか選択肢がないからね。仮設に入っても死にたくなるだけだし。
小林や吉本みたいな日本の文芸評論家の思考がお話にならないくらい大雑把なだけだと思うんだけど。
端的に論文の書き方のグローバルスタンダードからも外れてるよな。
論文じゃなくて「作品」なんだよね。
クワイン以降の英米系の哲学ってすごい緻密だもんね
緻密だからいいってわけでもない
小林秀雄の文章はどこに出しても恥ずかしくない
日本独特の「文壇」という枠の中でしか読めない気がする。
日本の狭い文壇の人脈、評価、政治的文脈をつかんでる人だけが読める。
柄谷行人がアメリカ人に読ませたら意味が分からなかったらしい。
今、日本人の若い奴に幾つか文章を読ませてわかるだろうか?
まあベルクソンに関する大著を構想しながら無学で出来ませんでしたって言った意味では論理的な文を書けないのかもしれない
でも小林の文章は分からせるためのものではない、色んな解釈ができるのさ
柳田國男なんかも遠野物語のような文学的な作品のほうがきっちり定義した論文よりすぐれてる人だね
そしたらドゥルーズも同じ。アンチオイディプスなんか理解する前提が
沢山ある。人脈、評価、政治的文脈をつかんでる人だけが読める。
まあそれがソーカル問題なんだろ。
いろんな解釈でるのはドゥルーズなんかいい例じゃん。
ニーチェなんかありすぎだし。
ドゥルーズも小林も読んでないような奴ばっか
意味不明の造語連発は吉本隆明に似てるしな。
すべての理解は解釈なんだ。意味がわからんのは理解できてないだけ。
解釈ならいろんな解釈があるだろ
各人各様で当たり目だ。ただ整合性があればいいだけだ。理論として。
言ってみりゃ国分の「ドゥルーズの哲学原理」っていうのも解釈だぞ。
ドゥルーズはフランスの吉本
ぎりぎりアカデミシャンでいいでしょ。
キリエが上智やめるんだってさ
魂と体、脳 計算機とドゥルーズで考える心身問題 (講談社選書メチエ) 西川 アサキ
買った人おるかい?
ばかしかいないスレ、本を読まない奴しかいないスレ
A・Oを読んでみた。不親切な本だ。結論を急いでいるので、途中の議論を
はしょっている。自分で調べて考えろ。と言う。もうひとつ「機械としての本」なので、
無意識の強度が顕在化してきて、精神的に混乱する。
それで何?
國分の動画もっとない?この人面白いわ
AOを試しに読んでみると、なんとも言えず、陳腐。
MPのほうがいいだろうと少し思う。
どうし肝心なところの論理展開がはしょってあんのか。
何でそんなに憎まれたのかと思うほど、徹底的な焚書坑儒を
アメリカで受けたのが「ライヒ」。マルクスなんか甘いもんなんだな。
本当の大物はそっちかもよ。
教えてくれますか。
文庫版P156
「この状況を定式化するることを覚悟の上で言えば、これはラッセルのいう
別の種類のナンセンスにかかわるのである。すなわち、二者択一あるいは
排他的離説はひとつの原理との関係で決定されるが、にもかかわらず
この原理そのものが二者択一の両項または二つの下部集合を構成していて、
この原理自身が二者択一のなかにはいっている。」
これの論理構造を説明してください。
難しいです。
>>317,319
要はお前が勉強不足なだけ。
よくそれで「陳腐」とか言えるな。
「クレタ島の人は嘘つきだとクレタ島の人が言った」という命題は、真実か否か?
これを、クレタ島人は嘘つきだ、と見なせば、間違いです。なぜなら、この命題を主張したの
がクレタ島人であるために、主張を真に受けることは、嘘を受け入れることになる、と。
ならば、クレタ島人は嘘を言わないのか、といえば、これも間違いです。クレタ島人は嘘つ
きである、とクレタ島人が言っているからです。嘘を言わないはずのクレタ島人が、クレタ島
人は嘘をつくと主張しています。
「クレタ島人の嘘つき」パラドックス問題を解決したのは、バートランド・ラッセルです。と、
そのようにラッセルが主張しました。「私は、ついにこの難攻不落と考えられてきた矛盾命題
を解いた」と。それが、クラス理論です。
文章を分割する手法です。
いかにもラッセル哲学の特徴をよく表しています。文章は記号の固まりである、とする見方です。
容易くわかる説明のところが、アナクロに見える。
わからないところが、重要だと思うので聞いた。
全部が陳腐だと思っていないので聞いた。
教えてください、と言ったのに、書いた人は答えないな。
勉強不足だという人は、重要な部分は教えたくないみたいだ。
俺も教えたくないことは書かないしな。
【仮定】
クレタ島人Aは嘘つきである
クレタ島人Bは嘘つきでない
クレタ島人Aの発言
「クレタ島人は(全員)嘘つきだ」
見所あるからコテハンになってください。
いや、糞みたいな皮肉はいらないんで
問題の箇所は、当時から普通に知られてるし理解できる話だから、
さらっと要約的にまとめてあるんだろ。
そんな話を一々中学生にでも判るようにくどくど説明したら、
読者はそれこそ陳腐と思うだろうな。
教科書か!?とか突っ込みが入るぜ。
当時っていつ頃?
関野昂著作選〈1〉関野昂哲学論集 [-]
関野 昂 (著)
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
関野 昂
1989(平成元)年8月8日群馬県に生まれる。四歳のころより多くの物語を書き、
小学校六年生からは哲学への強い関心を持つ。館林市立第五小学校から館林市
立第四中学校に進み、中学一年生より生徒会本部書記。陸上部部長。中学二年
生の夏、館林市中学生オーストラリア派遣団に参加。帰国後の2003(平成15)年
8月24日夕刻、栃木県足利市内のJR線踏切に入り、自ら命を断つ。享年十四歳
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
-: 198ページ 出版社: 現代図書 (2005/8/8)
内容, 2008/1/25
By 編集部 - レビューをすべて見るレビュー対象商品: 関野昂著作選〈1〉関野昂哲学論集
2003年8月に14歳と16日で自らの命を絶った中学2年生の遺稿集の第1巻。「14歳から」
ではなく、「14歳までに」哲学と対峙し、格闘した軌跡を哲学論集としてまとめた。
「存在」と「認識」をめぐり、「現象はそれ自体として存在し、宇宙は認識によっ
て存在しない」という結論を見出すに至るまで、小6から中2までの2年間、著者は悪
戦苦闘を続けた。「思惟すること」自体がはらむ問題と可能性を読者に突きつける。
哲学者入不二義基のHPの推薦コメント
20. 関野昂著、『関野 昂著作選1 関野 昂 哲学論集』、現代図書
14歳で自死した哲学少年の遺稿集。すでに或る高みに到達していて清々しい、
と同時に惜しい。
何で死んだんだ?
jebl.org/
ここで関野さんの著作が読めますね。
物書きながら、それで結論がでて、
それ故に死んでしまうなら、
書かないほうがましではないですか。
と思います。
「死んでしまうなら書かない方がまし」と「書く」わけでしょう
書くというのはそれだけのことだし,別の人間にとってはそれほどのことでもあった
哲学と個人的な悩みが截然と分かたれていると考える人にとって
哲学とは哲学史を勉強したり概念をもてあそぶことに過ぎないのかもしれないし,
別の人間にとってはそのようなことにはとどまらなかった
>>330 読んだ。
>>329 かわいそうな両親のあとがきによれば
>「書き置き」には、自ら命を絶つことを決した理由は、「私の思惟の果てに見出された結果がこういう事を余儀なくしました」と明記してあった。
んで、かなり早熟ではあると思う
ただ、もともと小説を書いていたらしく
きわめて埴谷雄高的な空気があって(読んだ痕跡はない気がしたが、読ませたら毒で毒を中和する解毒剤になっていやかも知れぬ)
文学者になったら面白かったとは思うが、哲学としてはどうだろうか
で、ドゥルーズと何の関係が?(笑)
ドゥルーズも自殺したからでしょ
愚か過ぎないか?
何度繰り返している?
病気を苦にして死んだんだよ。
そういう意味では、関野さんの例に当たらない。
どうして病気を苦にして死ぬと違うのだろ〜
それこそ非哲学的な回答だな〜
病苦から来る老人の自殺は、思春期に自意識をこじらせた自殺とは全く別物
そうそう、江藤淳の死と藤村操の死は別物だこりゃ。
なぜ「別物」だと言えるかについて、何の説明も出来ない人たちなんだね
思ったより悲惨なスレ住民だ
人を馬鹿にしていると偉くなったような気になるんだ。
>>340 文学の人が自殺するのは、哲学の人とは別だ。
プラグマティズムをやればいいのに。
知性は生のための道具に過ぎない、
と言う観点がないように思える。
ドゥルーズは知性は生を離れるべきでない、
と考えている。
哲学的に悩んで死ぬって言うけど
実質的には、鬱とかそういう精神疾患と変わらないと思う。
そんなスレの流れにLDS15セリー。
それでなに?
>>328のちゃんと読んだ感想がハイデガースレに書き込みがある。
10代前半でカントヘーゲルデリダフーコー読破してるって。
>>350 そんなに急がなくていいのに。
全集読んでないだろ。
結論を出す、というか評価するには、
時間がかかると思うが。
早熟の才児が死んで俺みたいな親の脛かじりがぬくぬく生きてると何とも言えない気分になるなw
>>350 デリダ・フーコーは、将来読むために集めておいてあっただけで
読んだ形跡はないって、編集者が書いてなかったか?
354 :
考える名無しさん:2012/01/05(木) 00:29:02.88 0
03-01-2012 『「知」の欺瞞』が岩波現代文庫に!■[評][目]『「知」の欺瞞:ポストモダン思想における科学の濫用』
アラン・ソーカル,ジャン・ブリクモン[田崎晴明・大野克嗣・堀茂樹訳]
(2000年5月24日刊行,岩波書店,東京,xxviii+338+30 pp., ISBN:4000056786 → 版元ページ|正誤表)
元のハードカバー版は今から十年以上前に出版されたが,その後は品切れになっていた.本書が今年2月に岩波現代文庫に入るとの情報を得て,ひそかに拍手をしている.イワナミ,えらいっ.文庫の「解説」は誰が書くのだろう?
355 :
考える名無しさん:2012/01/05(木) 11:10:56.73 0
356 :
考える名無しさん:2012/01/06(金) 14:40:29.54 0
ドゥルーズのリゾームとか、世間ではきわもの扱いなんだな
『差異と反復を読む』も良いけど、AOを読む、MPを読む、ってのも誰か書いて欲しいわ。
構造と力じゃ駄目なの?
そういや構造と力は読んだんだけど、逃走論ってドゥルーズのこと書いてる?
忘れた
ないない
今村仁司との対談はドゥルーズ=ガタリがテーマでしょ。
そんなのテーマじゃないよ
366 :
考える名無しさん:2012/01/07(土) 02:10:36.14 0
ひみつ
368 :
考える名無しさん:2012/01/13(金) 17:42:30.19 0
うんこ
浅田彰は対談本しかないように思えるが、
実は現代思想のハードコアなことにコミットしていたような。
逆。
浅田彰は現代思想のハードコアなことにコミットしていたように思えるが、
実は対談本しかないような。
>>370が正しいなw
まぁそれでも俺は彰派だけどな。
それが思想家や哲学者の仕事かどうかは別にして
批評空間の編集(翻訳の質のチェック含む)をあれだけ続けたのは
凄いと思うけどね
373 :
名無し:2012/01/15(日) 17:35:14.07 0
確かに
>>370が正しいな。でも浅田彰の80〜90年代の啓蒙的な役割は本当に大きいと思う。
ややこしいポストモダン思想を彼ほど明快かつ批評的に語ることのできた人はいなかった。
浅田彰がいなかったらドゥルーズの主著がバンバン文庫化されるような文化は日本には
なかったと思う。そういった点では本当に感謝してる。
おもにシラケ世代がドゥルーズを買ってるのか?
「歴史の終わり」と世紀末の世界、だっけか浅田の対談本。
当時における世界の一流知識人と縦横に対話してる浅田が
格好よかったねー。柄谷にいわせりゃ世界史的エディターか。
まあ、あれが浅田の仕事で一番いいと思う。
糞コテはだまってろ
ただ浅田って、ドゥルーズのユング好きの面とか、色々捨象してた。結局アドルノに落ち着いたし。
>>379 >ドゥルーズのユング好きの面
え、ドゥルーズそんなこといってたっけ? 初耳なんだが。
引用してるし
ユングについては千プラで批判的に言及してるのしか読んだことないけどな俺。
>>377 『「歴史の終わり」を超えて』なら読んだけど、かなり面白いね。
フーコーと対談しても大して面白い話に発展しない寺山修司なんかよりは、はるかに対談上手。
そこが浅田の才能なんだろうな。本人の面白さでは寺山だけど。
アンチオイディプスでユングは普通に引かれている。
ユング叩けばよし、ってのはこの界隈の悪習
フランスのユング受容は日本とかなり異なる
>>385 どう違うの?
ユングは全然知らないんだよね。
>>378 誰やらわからぬ名無しに理由もなく黙れといわれて
黙るやつがどこにいるw
>>383 あの本に、フーコーと対話のってたっけか? よく覚えてないな−。
ガタリ ジジェク サイード リオタール ボードリヤール フクヤマ
このあたりとの対談なら、内容をうすぼんやりと覚えてるんだが。
寺山もフーコーと対談してたのかー、へー。文庫でよめるかな?
寺山の対談集もよんだことあるけど、それなりに読めたよ。
「'70 寺山修司」で読めるべ?
なんかよくわからない「'70 寺山修司」でぐぐったら宮台のブログみたいなもんしか見つからない
とりあえず読んでみる
寺山スレが過疎で・・・だれか何か書いてくれ
寺山スレは文学板にあるよねー。 まあ、寺山も哲学者については
ちょこっと書いてるね。 プラトンやニーチェについて。
寺山は映像しか興味ないや
おれも
映画と舞台に興味がある
短歌とかはあんまどうでもいい
いまどきyoutubeでプレビュー見られるのかな?寺山の映画や舞台って。
蓮實とその模倣者が嫌ったのって、ようは寺山だと思う
UBUWEBとかにありそう
寺山映画はDVD全集がこないだ出てあっというまに売り切れたそうだ
私はVHS全集もってるが
寺山によるフーコーインタビューはフーコー思考集成6にも収録されている。
ちなみに、この巻にはフーコーによるAO序文も載っている。
>>397 蓮實信者に映画趣味の何から何まで否定されるのはそういうわけか
>>387 浅田のあの本にフーコーが出てるわけじゃないけど、浅田なら寺山より遥かに面白くしただろーな、と。
寺山とフーコー対談「犯罪としての知識」は『藁の天皇』て本で読んだ。
寺山自身も準備不足を反省しているし、他の対談はフーコー対談より面白かったと記憶してるんだが、
浅田は常に準備できてそうな印象がある。クリエーターじゃなくて批評家だからね。
403 :
考える名無しさん:2012/01/17(火) 22:20:32.39 0
404 :
考える名無しさん:2012/01/17(火) 22:35:01.50 0
おまえと同じ
405 :
考える名無しさん:2012/01/17(火) 22:52:23.07 0
寺山修司とフーコーってなんかわくする組み合わせだな
誕生日おめでとうございます。
おめでと〜
410 :
考える名無しさん:2012/01/19(木) 21:32:33.60 0
文学板の本人認定って頭がおかしいよね
文学板では私は川上未映子の自演キャラだってことになってるよ
【2月11日発売予定】『ドゥルーズ---群れと結晶』(宇野 邦一著 河出ブックス)
>>409 見てみた。フランス語原点が読めてそうなのは一人だけ。
どう津語原点が出来そうなのは皆無。
所詮はアマチュアの馬鹿話。
時間つぶしの馴れ合いだ。
失礼「原典」。「ドイツ語」。
日本語ができないとかw
418 :
森田拓也:2012/01/21(土) 03:22:11.97 0
こんばんは。
おじゃまします。
みなさんに、質問があります。
僕は、馬鹿なんですけど、
全体的な、著作を読んで、
ドゥルーズと、デリダとでは、
どっちが、格が、上ですか?
考えとくので来年また来てください
420 :
浅田彰:2012/01/21(土) 20:46:29.01 0
こんばんは。
おじゃまします。
哲学板と、文学板とでは
どっちが、格が、上ですか?
421 :
東:2012/01/21(土) 20:48:17.83 0
こんばんは。僕もおじゃまします。
柄谷と蓮実とでは、どっちが格が上ですか?
ランク付けが好きなら犬型だね。
浅田さんは経済やめて造形芸術の院長になってるし、
東さんは早稲田で文化プロディユースやってる。
結局頭のいい人は、今は「存在的・電通的」になったんだよな、
かつての論客たちは。
蓮見さんは「映画」で発言力衰えないし、柄谷さんは英語圏で一旗上げたから
仕事は確かにしてるでしょ。格ったって両方東大卒だし。
昔世代的に既成価値を批判していればよかった世代が
責任を負うべき年代になった、それからがどうなるかが
問題になるんでしょうね。
ポスト浅田はまーくんに決まり
無理
なぜなら政治的発言を避けすぎているから
千葉は方向性としては浅田前後の世代で言えば丹生谷とかだろう
普通に小林康夫じゃないのかな
まーくんは博論乙。
そろそろドゥルーズスレでピエール・クラストルについて語られてもいい
433 :
考える名無しさん:2012/01/25(水) 08:09:56.34 0
檜垣のドゥルーズ入門評判悪い割には、読んでみたらそれなりにまとまってるじゃん。
434 :
考える名無しさん:2012/01/25(水) 10:12:50.58 0
「潜在的」な「未決定性」が「微分的」に「展開」されて「現実化」
435 :
森田拓也:2012/01/25(水) 10:34:10.76 0
おはようございます。
おじゃまします。
哲学者・思想家で、
ドゥルーズのような、
文学的な、哲学書・思想書が、
ありましたら、ぜひ、教えてください。
どうも、すいません。
436 :
考える名無しさん:2012/01/25(水) 15:51:01.48 0
他方、やはり4月から、法政大学文学部大学院の授業で『差異と反復』の原書
講読を行う。これを機会に、『差異と反復』の改訳に取り組むつもりである。(続く)
437 :
森田拓也:2012/01/25(水) 16:01:20.66 0
>>436さん
こんにちは。
おじゃまします。
『差異と反復』
とても、かっこいい、ですよね。
改訳かー。
436さんは、凄いですねー。
改訳、応援しています♪
>>429 まーくんにとっては政治なんかよりギャル男が大事。
439 :
考える名無しさん:2012/01/25(水) 23:51:21.88 O
ドゥルーズ読んでるヤツは厨二病
親御さんが心配してるだろ
わかってくればくるほど、そのために費やした時間が無駄に思えてくる、
おもしろいとは思うけど。
分かってくればくるほど、「もうちょっとくらいは分かりやすく書けたはずだろ?」と感じるw
またこの人、参照した文献について、こっちも読んでるのを前提にしてさっさと話を進めるし。
ドゥルーズ自身も、自分のやっていることは素朴芸術(アール・ブリュット)だとか、
シンプルなことをやっているんだよ、と語ってるし、
見た目の複雑さは、シンプルな思想を様々に「反復」した結果なんだろうな、と。
1972年のA・Oでマルクスは再解釈が必要だ、と
ドゥルーズは早々と、別の視点を提示しようとしている。
その辺はすぐに見えてくるはずなのだ。
ところが高い水準において「ポスト構造主義」を消化した論客
としての柄谷の2001年の「トランスクリティーク」はまだ
マルクス経済学に可能性を見出そうとしている。
その流れで、いわゆる「ポモ」がいまいちだったことは、
やはり何かの勘違いだったのではないか。
A・O(宇野訳)下巻p62/原典p292
"il faut reinterpreter la loi marxist"
だが
リオタールの「ポストモダン」は状況論としては
よく観察してると思うが。
この文章は極めて重大である。というのは、プラトンにおいては、子宮の深層の中、
膣の深層の中では、ちんこの作用に従うもの(中田氏)とちんこの作用から逃れるも
の(顔射)の間で暗い論争が続けられていたからである。ソクラテスが、あらゆるも
のについてちんこはあるのか、体毛・垢・泥のちんこさえあるのかと、あるいは常に
粘り強くちんこを逃れる何者かがあるのかと問い尋ねるとき、この論争がこだまして
響いてくるわけである。ただし、プラトンにおいては、この何者かは、決して十分に
フェミニストの深層の中に埋葬されても抑圧されても遠ざけられてもいなかったし、
妄想ニートの中で溺死させられてもいなかった。そこで、いまやすべてが自慰に再上
昇する。それがストア派の操作の成果である。限界なきものが再上昇する。狂気オナ
ニー、無限界オナニー[=限界なきオナニー]は、もはや唸りを上げるロリであるのでは
なく、子宮の快楽に上昇して非情になる。もはやロリで逃げ回って到る所に潜り込む顔
射がセックスなのではなく、然るべき場所で上演されて自己を示威する羞恥プレイがセ
ックスになる。それは情事的な意味では結果、しかしまた、音響「羞恥プレイ」、光学
「羞恥プレイ」、あるいは、言葉の「羞恥プレイ」である。そして、それ以下のもの、
あるいは、それ以上のものである。というのも、羞恥プレイは、もはやフェミニストな
ものではないし、いまやまったく享楽であるからであり……。ちんこから離れていたも
のは、快楽へ、非フェミニスト的な極限へ上昇してから、いまや、すべての可能な欲望
を情事的実効性を取り上げられた欲望を表象する。ストア派は快楽効果を発見したので
ある。顔射は、地下の反逆者であることを止めて、自己の羞恥プレイを引き立たせる(
ストア派の体位は別としてそれを「スカトロ」と呼ぶことができよう)。最も深く埋葬
されたものは、最も示威的なものになった。オナニーの古くからのパラドックスは、新
たな若い姿形を取り返すはずである。突然変異である。
ノートもってへんのか
すごいライターだな。
「顔射」論か?
『意味の論理学』の26p-27pじゃないか。お前らほんとにちゃんと読んでんのかよ?ああ?
すいません。ノートもってないんですぅ
451 :
考える名無しさん:2012/01/29(日) 00:05:23.63 0
どれどれ。久々に『意味の論理学』P.26(岡田・宇波訳、法政)を引っ張り出してみよう。
意味は、命題の第四の次元である。ストア学派の哲学者たちは、これをできごととともに
発見した。つまり、意味とは命題の表現されたもの、事物の表層にあるこの非物体的なもの、
還元不能の複雑な実体、命題のなかで主張し、或いは存続するできごとである。(以下略)
…頭、痛くなってきた。ちゃんと読んでないし。読み直す契機をくれて、ありがとう。
超でぃーぷ・すろーと (お徳用)
ちんこ と のどちんこ で おぇっ
って なって 涙 でて ・・・ ふぃにっしゅ
ぶるー は 無しで (笑)
わかったぁ ピカソちゃん?
たぶん ・・・・・・・ ミロ で 正解なんだよねー
ちゃお♪
まーくんツイッターとこーくんブログでいつもお腹いっぱいだよ!
意味の論理学って人気あるな。
まだ狂気扱ってないし。
サーバ復活したなとおもいきや
まーくんのスッドレがないな
457 :
考える名無しさん:2012/01/30(月) 17:36:33.30 0
復活した?
度々なんなのかね
フィリピン移住の全段階処理かね
460 :
考える名無しさん:2012/01/30(月) 17:43:39.76 0
復活おめ!
もう2ちゃんはそろそろ閉鎖っぽいな
今までありがとう2ちゃん
「週刊ブックレビュー」でマルたんの「フェルメールとスピノザ」が紹介されてたんだが、
この本に載ってるというスピノザの自画像てのが映って驚いた。けっこう上手い。
マルタンって懐かしいよな。
サン・マルタン超なつかしすぐる
ドゥルーズって物体corpsを身体深く押し込めて、ふたたび浮上しないように意味の表層で戯れていたってこと?
つまりただのエピキュリアンではなく、深層に病があるからこそ創造的な価値を次から次へと生み出したのか?
もしそうならドゥルーズ観が変わる
ドゥルーズならヒュームに関して
「経験論はこの上なく発狂した試みである。」
と容易くいっている箇所がある。有名。
フロイトは好きじゃないけど「原抑圧」という概念
を重要視し、本来人間は一次的な抑圧を
経て意識が成立すると考えており、
A・Oでも抑圧を問題にしても
それがなくなるなんて考えてない。
上野千鶴子は「女ぎらい」のp29-30で「アンチ・オイディプス」における「n個の性」はあくまで「男の性的客体となる男」であって男女の中間にある性ではない。だからn個の性には「男装する女性」が存在しない」みたいなこと言っててなるほどなと思ったが
実際ドゥルーズ、ガタリのn個の性ってのは(生物学的には)男性限定の定義なの?
何その本読みたい
上野千鶴子はこないだ「スカートの下の劇場」を読んで面白かったな
フェミナチという言葉をようやく最近覚えた
n個の性って個人の数だけ性があるってことじゃなかったっけ?
二つだけじゃない、無限大なんですよ、みたいな感じ
上野千鶴子が言ってるのは難癖だな
上野はこの辺かなり微妙な書き方をしている
恐らく生物学的には「人の数だけ性がある=n個の性」を認めてるのだろうけど、有史以来の社会で認められてきた中性的な性は、
結局のところ「女の代用品」としてしか見られておらず、社会的に「n個の性」が認められたことはなかったということだと解釈した
千葉雅也はそこをどうにかするべき
(実際には…「剽窃」という問題は、ドゥルーズのニーチェ論から引き出されているところがあります。哲学者に背後から襲いかかり、別のことを語らせること。
そんなふうに、ドゥルーズに『シネマ』のB面を語らせること。…そこには、「大地」に墜落して自殺したドゥルーズに対する私なりの応答があります。
ドゥルーズは自殺すべきではなかった(by荒川修作)、あるいはあれは自殺ではなかったのだ、少なくとも理論的な地平と関わる出来事ではなかったのだと言うことは私にはできない
(平倉圭「ゾンビたちは歌を歌う」、『新潮』、11月号、2007、248-249頁参照)。そこまで含めて読んでいただけたらと、はかなく願う次第です。)
↑
上に言及ある新潮の文章読んだ人いる?
ソーカル事件以降もドゥルーズの思想は語られるべきか否か
他のポストモダンと違って数学的発想が中核だったと聞いたが
上野その本の内容は良く覚えてないけど
上野の基本ラインは「女同士確実に共感できるものがあるでしょ」というメッセージによって
女性の同盟を作るという戦略だから、そういう話になるのは理解できる
上野は別にしても、n個の性が男性視点によるものか、は別にしても
実践的には弱いというのは事実
n個の性は確かに政治的な対抗勢力としては弱いだろうが、
経済的なマーケティングとしては正しいし、もはや常識だ。
つまり68年の挫折は政治革命から社会革命(経済革命)への
転換だということだ。
それが自覚されていないから、系列の思想家であるプルードンも
無視されている。
477 :
考える名無しさん:2012/02/10(金) 16:27:23.34 0
492 :つくだに ◆I/bnTKgLlU :2012/02/09(木) 16:44:32.82
ドゥルーズはもともと人間の構造を機械に例えていたのに、
自分が機械の一部になるのが耐えられなかったんだな
496 :吾輩は名無しである:2012/02/09(木) 21:32:15.46
人間だろーが鉱物だろーが、それを構成している粒子は同じだろ
違うのは粒子間の関係性や相対的な速度だけだ
そして個体の境界線はミクロの次元で見れば存在しない
究極的には粒子は再単純物体として連続している
だから全ては機械であり総体としては非有機的生命なわけだ
これがドゥルーズ=ガタリの言う機械概念の意味合いだ
498 :レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/09(木) 21:43:10.52
「粒子」と云っちゃうと、境界はあることになるでしょう。
だから、無境界だというなら、「波動」みたいなものだと考えることになる。
そうすると、波打つものは何なのか、という問いが出てくる。
けっきょく、成立平面とか、そういうものを想定することになる。
あるいは、差異しかない、というような場合でも、今度は「絶対差異」みたいなものを置くことになる。
形而上学はというのは、ほぼ例外なくそういうもんじゃないの。
500 :レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/09(木) 22:01:02.44
量子力学だと「境界」と云う概念はどうなるんでしょうね。
だいたい、そう言葉を遣うかもよく知らない。バウンダリーとか、なにかで見たような気もするけどね。
上での「粒子」「境界」「波動」というのは、一般語ですよ。
478 :
考える名無しさん:2012/02/10(金) 16:28:19.88 0
501 :496:2012/02/09(木) 22:11:54.07
いやもうジャネットさんの現代思想理解が浅田・柄谷・蓮実ラインを超えていない
ってことは分かりきってる話でね
原典を読んでいないのは丸見えなんだ
例えば
>>498の後半は批評空間のドゥルーズ追悼討議の焼き直しです
ドゥルーズにおける最単純物体の定義くらい調べてくれ
ドゥルーズの個体論で重要なのは、境界よりはむしろ空虚なんだ
空虚(真空)は存在しないの、ドゥルーズの場合は
考えてみ?粒子間に空虚(真空)が存在したら、即ち無が存在したら、
存立平面なんて成立しないでしょ
言い換えれば内在的実体(器官なき身体)に無の部分があるならそれは内在的実体に
ならないわけだ
こういうのは自明の理だからこそ分からない人には絶対に分からないよ
504 :レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/09(木) 22:18:16.41
だからさ、ドゥルーズは、ファイバー束とか、そういうののアナロジーみたいなことを言っているんでしょう。
批評空間の座談会で「境界」のことなんか言ってます?もちろん読んでますけど、それは憶えてないね。
もしも手元にあるなら、引用してみてください。
それで、ドゥルーズの説の一体どこがそんなに画期的なんです?
教えてください。
505 :496:2012/02/09(木) 22:29:59.14
>>504 面倒な人だな
まず無は存在しえない(非存在)ってことを押えてくれ
論理で存在を探究する哲学の基本中の基本だから
ドゥルーズの存在論の画期的なところ?
まず挙げるとすれば「可能性」というカテゴリーを存在論から完全に駆逐した
ところでしょうね
必然性以外の何も無いわけ、ドゥルーズには
だからブスケを賞賛するし、個体は機械だし、運命愛(ニーチェ)と内在的実体(スピノザ)を
潜在的なものの現動化(ベルクソン)の論理で統合したわけです
479 :
考える名無しさん:2012/02/10(金) 16:29:33.32 0
506 :レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/09(木) 22:36:38.16
496さんが画期的だと思うところは分かった。わたしは、別にそうは思わないけど。
それで、上のほう、「境界」のことはどうなんです?
それから「内在的実体」とかいうものと、上で出た「粒子」とどういう関わりがあるんですか。
507 :496:2012/02/09(木) 22:45:08.86
ついでだからもっと基礎的なことを説明しようか
無から有は生じない
ゆえに世界は完全に無であるか完全に有であるかのどちらかだ
今、この掲示板が存在するのだから、世界は完全に有であると判る
完全に有であるとはどういうことかというと、有の原因は有それ自体だということだ
ゆえに有には外部はないし、始まりも終わりもない、つまり完全・無限・永遠が有の特質だ
外部が無いから比較がない、つまり完全だ
外部が無いすなわち無限だ
外部が無い、すなわち有を滅する外部の原因が無い、永遠だ
ドゥルーズの口癖がパルフェだったというのは象徴的だね
508 :レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/09(木) 22:48:33.40
申し訳ないけど、そういうお経みたいなことは教えていただかなくてもいいです。
前におたずねしたしたことを、お教え願います。
509 :496:2012/02/09(木) 22:49:12.42
>>506 そもそも何故そんな質問がありえるのか理解できない
悪いけど「千のプラトー」か「スピノザ−実践の哲学」を読んでちょうだいな
答えは全部書いてあるから
510 :レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/09(木) 22:51:14.97
そういわないで、大半引用でもいいから、教えてくださいな。
それから批評空間の座談会のほうも引用お願いします。
480 :
考える名無しさん:2012/02/10(金) 16:30:06.97 0
514 :レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/09(木) 22:57:27.14
私の質問が「ありえるのが理解できない」はずはないと思うんだがね。
スレの話しの流れなんだから。
515 :496:2012/02/09(木) 22:58:32.76
>>508 ちょっと不親切だったから、参照箇所まで記しておくよ
「千のプラトー」なら第10プラトーの「経度、緯度、存立平面」の箇所、
「スピノザ−実践の哲学」なら第六章「スピノザと私たち」の箇所ね
516 :レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/09(木) 23:01:35.80
説明してくださいよ。
それと批評空間の引用もお願いします。
517 :496:2012/02/09(木) 23:09:44.26
>>508 えー(笑)困るなあ
>>507がお経みたいなことなら、ジャネットさんに存在論は無縁だよ
ここが直感的に分からなければドゥルーズなんか読んでも意味ないって
というか、議論自体が意味ねーって、そんな反射的に反問することなら
いくらでも出来るけど、そりゃ自分の考えが無いということにほかならないからね
現代哲学に合致しない諸学問の説を取り上げて優越感に浸っていればよろしいかと
481 :
考える名無しさん:2012/02/10(金) 16:32:41.37 0
519 :レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/09(木) 23:14:35.78
けっきょくは、そのお経みたいなことくらいしか説明できないんでしょう。
あなたの説明したことなんか、コテでは、わからない人のほうが少ないんじゃない?
こんなの正直くだらないわけよ、普通の大人にとっては。SFに毛が生えたようなものだもの。
いいよ。恥かかせるつもりはないから。
批評空間の引用もなしね。
520 :496:2012/02/09(木) 23:15:45.55
>>516 あなたが真に知りたいと願って質問をしているのなら、
>>515で記した箇所を
お読みになればいいでしょう、なぜそうしないのか分からないね
批評空間ね、
>あるいは、差異しかない、というような場合でも、今度は「絶対差異」みたいなものを置くことになる。
>形而上学はというのは、ほぼ例外なくそういうもんじゃないの。
「絶対差異」みたいなものを云々は柄谷、形而上学云々は浅田・柄谷
522 :レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/09(木) 23:19:24.67
貴女が引用した部分は記憶してますよ。だいたい、柄谷が言ったことなんて、その十年も前からいろんな人が言ってたはずですよ。
憶えてないといったのは、「境界」のほうですよ。
524 :レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/09(木) 23:23:23.06
それからね、形而上学云々、というのは、常識でしょうよ。屋上屋を重ねるごとし、というもんだというのは、はるか昔から云われてるんじゃないですか。
482 :
考える名無しさん:2012/02/10(金) 16:46:42.98 0
ドゥルーズのどこが凄いのか
いまだに理解出来ない
何の可能性もない
理解しようとも思わん
哲板の浅田スレが豚信者に荒らされて機能不全になって、文学板に避難するしかなくなったんだよな。
まだあっちのスレには豚信者は来てない。
485 :
考える名無しさん:2012/02/10(金) 20:03:25.23 0
525 :496:2012/02/09(木) 23:25:41.61
ジャネットさんがドゥルーズ=ガタリを読んでいないことは例えば
>>506の
>それから「内在的実体」とかいうもの
から明白なんですよ
「アンチ・オイディプス」に「器官なき身体とは内在的実体である」という
決定的に重要な記述がある。それも知らないわけでしょう。「最単純物体」も知らないから、
>上で出た「粒子」とどういう関わりがあるんですか。
なんて質問がでてくる
まず読んでちょうだいなとしか言いようが無いわ(笑)
526 :レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/09(木) 23:30:09.11
読んだって、二十年以上もたてば忘れますよ。
年中読み返すわけじゃあるまいし。
もっと重要な実務に係わる本だって忘れちゃうもの。哲学の本なんて、ことこまかく憶えているわけないじゃないの。
わたしは、比較的よくおぼえているほうですよ。
527 :496:2012/02/09(木) 23:33:11.49
>>522 >「粒子」と云っちゃうと、境界はあることになるでしょう。
「ここにいう微粒子(群)は、それら自体は形をもたない要素(群)である」
「スピノザ−実践の哲学」なら第六章「スピノザと私たち」平凡社ライブラリー版p.246より引用
形がない(ついでに言うと大きさも持たない)最単純物体としての粒子だから、
当然境界は無いわけだ、これでよいかな
528 :レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/09(木) 23:33:49.21
その「粒子」がどうとかいうのに、私がレスしたんでしょう。
それが始まりじゃないの。
もういいって。あなたは、人間がよさそうだから、私に関わらないほうがいいです。
たんにだらけきってて、何もやる気が起こらないんで、暇つぶししているだけですから。
居酒屋よりは、はるかに面白いんで、ついついここに居ついちゃうんですよ。
486 :
考える名無しさん:2012/02/10(金) 20:06:02.03 0
531 :レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/09(木) 23:49:50.25
その「粒子」が「無限小」なんだとか、いいたいわけでしょう。
あほくさい。数学のアイデアを哲学風に言い直しただけのものを、一字一句おぼえて、どうすんの?
535 :496:2012/02/10(金) 00:29:51.37
>>531 その通り、最単純物体は無限小の体であり、必ず無限個のセットとしてある
しかしこれはむしろ存在論的要請から導出されることで、ライプニッツの微分概念に近い
ドゥルーズの肝は、数学や論理学と実在とを混同しないところにある
パラドックスに対する態度に顕著だが、数学や論理学にパラドックスはあっても、
実在にはパラドックスは無いというのがドゥルーズの立場
一例として、ゲーデルの不完全性定理は論理学固有の問題であって、実在には関係ないと
言い切っている
実在に矛盾は無い、だから、ドゥルーズは矛盾を気にかけない
これが最後のグランドセオリーを作れた理由であり、ドゥルーズが哲学者と呼ばれる核心にあたる
539 :レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/10(金) 00:42:43.01
496さんには、わるいけど、そういうことに関する反論は、私も、どっかのスレで、とっくに言ってます。
あなたの云うようなことは、分かってますよ。たんに、つぶさに憶えていないだけです。
もうやめましょう。あなたは今現在、それが、すばらしいか、面白いか、深いか、
なんでもいいが、よいもんだと思っているんでしょう。わたしのほうは飽きてんです。むかしは、面白いと思った時はありました。
それだけに違いです。
487 :
考える名無しさん:2012/02/10(金) 20:43:46.19 0
134 :レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/10(金) 17:18:11.71
マグナさんに言うと、
私は論争はめったにしません。昨日のことも、論争だとは思ってない。
きのうの人の「存在論」は、「光明遍照」ということで、お経に書いてあります。
密教でいうところの毘盧遮那仏は、その「光明遍照」でしょう。
私はそういう話に飽きているのだが、真新しく感じる人もいるということでしょう。
前に、細野晴臣が好きだ、といったいた二十代の人に、
私が「どこがいいの?」ときいたところ、その青年が怒り出した、ということがあった。
ところが、私がエン・レーベルのレコードを初回プレスでほとんど持っていた、ということを知ると、
態度が変わりました。
ようするに、おっさんになるまでは、おっさんの云うことがわからない、ということにすぎない。
私もわからなかった。今になって思えば、親切な(おせっかいでもよい)おっさんのいうことを、あの時きいておけばよかった、と思うこと多い。
まあ、政治の問題を、知覚や感情の問題に引きつけて思考するアプローチや、
映画を観たり、濫読したり、ひとが趣味レベルでやってるようなことを、
哲学することと一体化した辺りが、ドゥルーズさんが支持された理由なのかな、と。
現実的に考えたらそんなんで大丈夫なのかよ、というツッコミは当然あるだろうけど、
そういう思考がまるっきり無視される社会てのもやだな俺。
ドゥルーズ独自の主張ってなんですか?
即自的な差異の存在論
内在論的な実在的経験論
超越論的経験論
>>488 何をいまさらwトリビアにもなんねーよ。邪魔だから来るな。
現代の哲学者で自殺もOKって言ったのは珍しいんじゃないか
でも人間的活動が難しいから自殺するって
主意主義と変わらなくない?
499 :
考える名無しさん:2012/02/16(木) 21:07:56.49 0
>>498 こんばんは。
心理学的には、主意主義かもな。
でも、ドゥルーズの、場合は、
果たしてそうか?
ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』、どこのが一番翻訳よいですかね?
501 :
考える名無しさん:2012/02/17(金) 10:11:17.57 0
502 :
考える名無しさん:2012/02/18(土) 02:39:23.71 0
lethal_notion 國分功一郎
東さんとは二年前に千葉雅也さんと三人で『クオンタム・ファミリーズ
』について話をしました。『新潮』に再録されましたが、あの時に東さ
んが言ってたことで忘れられない言葉があって、「人間にはハイデッガー
より難しいことを考えることはできないんじゃないか」(笑)。
6時間前
503 :
考える名無しさん:2012/02/18(土) 04:49:28.31 0
そしてまさに犬ではないニーチェにおいて、「無数のもの」の回帰とい
う異変が発生する。それは明確に病的な現場であり、シュレーバーが神
との「無数の」神経接続を語り、少年リチャードがエーテルの匂いをか
いで、「ここには無数の赤ん坊がいる」と叫び、あるいは静かに揺れる
一本の麦穂が、分裂病者の目にはささくれ立ち金属のように鋭く輝き無
数に分解しだすときと、別ではない。しかしニーチェの体験は、同時に
思考の帰結、思考総体の一部であり、その体験は、一つの「見える」こ
とさえも、対象関係の作動(ハイデッガーなら日々出会うものの親しさ
とよび、ラカンならaとよぶ)に支えられ、その関係はさらに狭い言語
の領野、目的‐自我の領域と連接しあい、それゆえ思考における過大な
細心さは、まさに意味作用は他者への欲望‐信頼‐欺瞞(言葉を要求の
合図としてのみ了解する性急さ=融通性)の上にかろうじて成立し、つ
まり言葉は言葉である以前に他者への(からの)動物的「叫び」である
ことを明かしつつ、明かすことによってその両者を断ち切り、意味も欲
望‐愛をも困難にし、無数のものの散乱=強度へと落下していく。だか
らこそ彼は、愛することさえも「再び学ばねば」ならないといい、同時
に自己の(その相関物としての世界の)同一性‐真理の再設立を、偽装
において遂行するが、とはいえ偽装とは、まさにそれを見る視線‐他者
(への欲望)の再設立の行為でもあり、そういったすべての位相の厳密
な連関が、彼の「私は最悪の孤独の中にいる」という一つの実体‐病と
して発現する。
504 :
考える名無しさん:2012/02/18(土) 05:37:47.71 0
@aikokashi
樫村愛子
今週水曜五時間目平和学の授業は、夫樫村晴香が愛大で講義します。原
発の無責任体制と日本が戦争へ向かっていった無責任システムの相似性
を語る予定だとか。今日、タイから帰ってくる予定。私はなかなか授業
がまだまだうまくならないけど、夫は話うまいと思う、やっぱり。
樫村晴香ってまだ生きてたの?
富豪だから気楽に左翼ができる
507 :
考える名無しさん:2012/02/19(日) 10:19:17.12 0
國分功一郎なんてクソだろ
509 :
考える名無しさん:2012/02/19(日) 23:31:06.58 0
hazuma 東浩紀
とにもかくにも、昨日は久しぶりに哲学の話ができてよかった。存在論的郵便
的について動画で話したのなんて、ほとんど初めての気がする。相手をしてく
れた國分さんに多謝!
4時間前
510 :
つくだに:2012/02/20(月) 00:28:59.03 0
きのうのニコ生対談は面白かったな。
東の配信ってくだらないのが多いから期待してなかったけど昨日のはちゃんとしてた。
友の会がピンチみたいだけどこの先どうなるんだろうな。
511 :
考える名無しさん:2012/02/20(月) 01:09:38.34 0
友の会会費高杉(少なくとも学生の自分にとっては)
いったい何に経費使うと言うのか…
ああいう相互扶助的(そもそも違うのかもしれんが)組織は会費は安く、ドネーションによりやりくりしていくものだが…
宇野さんの新しいドゥルーズ本はどうだった?
514 :
考える名無しさん:2012/02/21(火) 20:50:56.08 0
【現代思想の現在】ドゥルーズ…群れと結晶(河出ブックス)宇野邦一
高崎経済大准教授 國分 功一郎
批評家 千葉 雅也
講座内容 今もなお様々な分野の読者を魅了してやまないジル・ドゥルーズ。彼の哲学は様々な仕方で形容され、様々な仕方で読まれ続けている。一人の哲学者の思考がどうしてここまで多くの人々を刺激するのであろうか?
ドゥルーズの言う生成変化を大胆に定義した博士論文を東京大学に提出
したばかりの千葉雅也と、ドゥルーズ哲学の基礎を問う論文を『思想』
に連載中の國分功一郎が徹底的に討議する。
日時 3/17
土曜
18:30-20:30 2012年 3/17
受講料
(税込み) 3月(1回) 会員 3,360円
一般 3,990円
516 :
考える名無しさん:2012/02/23(木) 12:36:38.83 0
糞の垂れ流しか
いまだにドゥルーズとか言ってる奴人間性疑うわ
ボキャブラリーないんだね
人間性て概念自体が非ドゥルーズ的だとは思うな。人間的、あまりに人間的。
人間性をちゃんとしたいがために哲学やってる奴がホントに居たら、気色悪いだろーな。
521 :
つくだに:2012/02/24(金) 06:56:46.70 0
「中二病」のネーミングをした伊集院光がゼブラと論争!
522 :
考える名無しさん:2012/02/28(火) 19:50:00.84 0
lethal_notion 國分功一郎
岡田弘/宇波彰訳の『意味の論理学』はなんか最近評判悪いけど、俺は
あれは好きだ。なぜなら日本語として読めるから。一つの日本語として
の一貫性を備えているから。
16時間前 » lethal_notion 國分功一郎
蓮實重彦の『マゾッホとサド』の翻訳が間違いだらけで、たとえば『パ
イドン』が『饗宴』と翻訳されているけれども、それでもいいんだ。な
ぜなら日本語として読めるから。一つの日本語としての一貫性を備えているから。
16時間前
lethal_notion 國分功一郎
俺は著書の『スピノザの方法』で、ドゥルーズ『スピノザと表現の問題』
の邦訳の誤訳をしてきしたりと意地悪なことをしているのですが、しか
し、あの翻訳も日本語として成立している。おそらくは監訳者である工
藤喜作先生は一九三〇年生まれで、やはり受けた教育の質が違うんでしょうね。
16時間前 » lethal_notion 國分功一郎
ドゥルーズの翻訳としてお勧めできるのは、財津理先生の『差異と反復』
と、鈴木雅大先生の『スピノザ 実践の哲学』ですね。特に後者はドゥ
ルーズの翻訳の中で最高のものだと思います。お二人ともフランス語の
質を理解された上で、日本語に翻訳されていらっしゃると思います。
16時間前
523 :
考える名無しさん:2012/02/28(火) 19:52:08.87 0
lethal_notion 國分功一郎
ドゥルーズで論文書くときは、引用のページ数を邦訳と原典と両方載せ
ないといけないから、両方机の上に置くんですね。で、大抵の場合、邦
訳見て、ものすごいイヤな気持ちになるわけです。日本語が酷すぎるか
らです。
» lethal_notion 國分功一郎 @
@pliselonpli 佐藤さんおはようございます。まぁ本文はヒドイもので
したね。仰る通りだと思います。あの人のは『知の考古学』も凄まじい
誤訳ぶりでしたし。でも、「構造主義はなぜそう呼ばれるか?」ってフ
レーズだけはいいですよね。
» pliselonpli 佐藤 嘉幸
@lethal_notion 特に、case videという概念を「空白の仕切り」と訳し
たのはひどかった。「空白の桝目」でしょ。そこを浅田彰が、翻訳の誤
訳には触れずにきちんと正していた。
14時間前
» pliselonpli 佐藤 嘉幸 @
@lethal_notion 特に、case videという概念を「空白の仕切り」と訳し
たのはひどかった。「空白の桝目」でしょ。そこを浅田彰が、翻訳の誤
訳には触れずにきちんと正していた。
» pliselonpli 佐藤 嘉幸
@lethal_notion 國分君、言いたいことはわかるんだけど、やはりあの
「構造主義はなぜそう呼ばれるか?」でよかったのはタイトルだけで、
本文の誤訳の程度は壊滅的だと思うよ。
524 :
考える名無しさん:2012/02/28(火) 19:52:28.83 0
lethal_notion 國分功一郎
論文を書いているストレスからか、ついに翻訳への不満を述べ立ててしまいま
した。ダメなものの話をしても仕方ないからいいものの話をするというのが俺
の基本的なスタンスなんですけど、翻訳は一度やられるとなかなかやり直せな
いからダメな翻訳は出さないで欲しいんです。
17時間
人間性を否定してたわりには
最期は実に人間的な終わり方だったなw
翻訳は、どんなにフランス語がしっかりできて
日本語でこなれた文章が書ける人間でも
一人でやってると絶対に、うっかりするんだよ
だから本当は二人以上でお互いにチェックしながらやらないと駄目
昔は、原文と照らし合わせる編集者もいたけれど
今はそういうのは期待できないから
文庫化されたユクスキュルの「生命の劇場」、「差異と反復」の「ドラマ」の概念の理解に役立つな。
つか、索引みてもユクスキュルの名が全然出てないのはなんなのか。
ドゥルーズって、ホワイトヘッドの言葉を白頭さんの名を出さずに吐いたりとか、
ちょくちょくそういうことやるからなー・・・。
剽窃とかいう以前に、元ネタ示してくれないとこっちの理解が追いつかないんだよな。
ドゥルーズ自身の文章は、慣れるまで読み辛くてしょうがないし。
Whitehead研究にシフトしようかと考えている。
修論はDeleuzeだけど。
529 :
つくだに:2012/03/04(日) 17:16:17.76 0
わーキリエおひさー。
千葉雅也スレでキリエがイケメンだって噂になってたよ。
クソコテ同士の馴れ合いはいらん
いまどきドゥルーズてw
これからが、ドゥルーズやww
哲学は詩的な世界把握であって、科学と違って古くはならないってニーチェも言ってるよ。
で?
ニーチェが言ってるから、それは事実だってことになるの?
君が言うよりは遙かに説得力がある。
536 :
531:2012/03/08(木) 23:30:31.72 0
いまどきアリストテレスてw
いまどきライプニッツてw
結局、自分で論証する能力すらなく
ニーチェと言う名の権威にすがるだけのバカなのね
それならいま最もアクチュアルな哲学者とはだれ?
分析哲学の連中が一番威張ってるから、
適当なアンソロを買えばいいんじゃないの
たしかに、有名どころの名をあげりゃそれで済むってわけもないが、
論証ぬきで「いまどき」とか言ってるやつは、
そんな哲学者のスレに集ってるような俺らになぜ構われたいんだろ、というのが素朴な疑問。
論証してほしいんなら、まず自分が論争の火種を提供してくれないとね。
だからよくいる「大陸哲学w」とかほざくたぐいでしょう
というか哲学自体の意義が問われているんじゃないの
哲学に何ができるかって
税金を投入する価値はあるのだろうか?
あるとしたらどれぐらいか?
でも、そうやって社会的なものに回収されると、哲学の力能が発揮されないってのが、ドゥルーズの哲学観じゃない?
「あいつはついに狂人になった」と言われたなら本望って言ってるくらいだからね。
『「知」の欺瞞』的に、既存の概念に回収しようとするのもドゥルーズ的にはつまらんことなんだろう。
スレ民は分析哲学厨をどう考えてんの?
哲学を社会の外側に位置づけながら、
その哲学者自身は社会の中にいるっていうのは滑稽ではある
だから悪いという話じゃないが
社会の外って発想ではないと思うが。
山奥で孤独に暮らしたり、街中にいてもホームレスでいたり、そういうのが「社会的なものに回収され」ない在り方ってわけでもないだろ。
「狂人」と他人から呼ばれるのもそれはそれで社会的なコードに基づいてるんだろうけど、
要はおのれが、社会的コードからいかに自由に感じたり知覚したり考えたりできるかだぞ、てのがドゥルーズ流なんでしょ。
社会の中にいる限り社会のコードに従うしかないでしょう?
それとも社会の規律や拘束は感覚や思考には及ばないと考えているんですか?
それと私が社会の外側と言ったのは端的に言えばあなたのいう社会のコードの外側という意味ですよ
まあまじめにドゥルーズの社会についての考えをまとめようとすると
ガタリ的要素との絡み合いをほぐさないといけないので非常にしんどい
社会的コードが思考や感性に及ぼす影響は否定できないからこそ、
それに抗って、別の思考や感性を開く概念を創造するべきだ、というシンプルな話だと思うんだけど。
社会との関わりって意味では、『哲学の教科書 ドゥルーズ初期』に収録されてる文章から再検討したほうがよさそうだな。
日々仕事に打ち込み、社会人としての役割を全うしながらも
社会的コードからは自由であるべし。
つまりはそういうことだろうか?
しかし、そうだとすると普通のリーマンと哲学的リーマンの違いが分からないな。
結局は社会・会社の規律に従って行動しているわけだから。
食ってくタメにはそりゃ、社会的なシステムに従って生きなきゃなんない部分が多々多々あるわけだけど、
そこから水漏れみたいに規範から逃れる欲望の量が増えていけば、逆に社会的コードに及ぼす影響も増すはず。
それが「逃走の線」を引くってことなんじゃないの。
なにも、今すぐ社会を根っこから変えなきゃ社会への従属だ、って性急な結論出さなくていいんじゃないのかね。
ドゥルーズの欲望論から考えるべきと俺が思うのは、
例えばリーマンが、部下の女の子にセクハラしたい欲望をイメクラでいくらか実現するとかいったものは、
ドゥルーズ的欲望とはちょっと違うかもってこと。
上司と部下っていうコードに基づいた欲望(という意味ではイメクラは「シミュラークル」というより「モデル」の模倣)
を微分化、分子化して、別種の欲望や関係性を組み上げていくのがドゥルーズ風?
微分化w
w付けただけでなんか言った気でいる人間よりは、
普通のリーマンになるほうがいくらかはマシだろうな。
557 :
考える名無しさん:2012/03/12(月) 14:13:08.83 0
微分化w
分子化w
ドゥルーズ風www
科学用語を散りばめて何か言った気でいる人間も大概だがな
東あたりから哲学業界入って哲学書が読めないまんま
インフェリオリティ・コンプレックスの塊になっちゃった奴がいるみたいなんだよね
科学用語もドゥルーズは「ひとが『わけの分からぬ哲学用語』と呼ぶもの」(『哲学とは何か』)として、
分裂症的言語として使ってるんだろうから、そもそもが科学的な意味合いで何か言っているつもりじゃないんでしょう。
561 :
つくだに:2012/03/12(月) 18:38:35.62 0
このスレ、人が入れ替わってるな
562 :
考える名無しさん:2012/03/13(火) 05:10:23.44 0
557 :535:2012/01/19(木) 02:57:54.72
>>556 なるほど、分かりました。
ドゥルージアンと言った場合、どう考えても、先ずスピノザ、ニーチェ、ベルクソンは
しっかり勉強しておかなければならないでしょう。この三つ組の原典に当たらずに、
ドゥルーズやドゥルーズ=ガタリを読んでも仕方が無い。絶対に誤解するからです。
ドゥルーズ自身が、「スピノザとニーチェの重要な統一」を目指したと述べていますが、
これは本当だと思います。対話をありがとうございました。
563 :
考える名無しさん:2012/03/13(火) 08:49:38.89 0
564 :
考える名無しさん:2012/03/13(火) 08:54:52.12 0
Genesis and Structure of Hegel's Phenomenology of Spirit preserved all of Hegel and was its commentary.
565 :
考える名無しさん:2012/03/13(火) 08:55:06.21 0
岩波から文庫版出ました。ドゥルージアン(笑)もぜひご一読を。
アラン・ソーカル (著), ジャン・ブリクモン (著), 田崎 晴明 (翻訳), 大野 克嗣 (翻訳), 堀 茂樹 (翻訳)
「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)
価格: ¥ 1,554 通常配送無料
http://www.amazon.co.jp/
566 :
考える名無しさん:2012/03/13(火) 10:29:12.99 0
The intention of this new book is very different.
567 :
考える名無しさん:2012/03/13(火) 10:50:53.93 0
Hyppolite questions the Logic, the Phenomenology, and the Encyclopaedia on the basis of a precise idea and on a precise point.
>>565 教えてくれて、どうも、ありがとう。
買うよ♪
570 :
考える名無しさん:2012/03/14(水) 03:58:02.53 0
Philosophy must be ontology, it cannot be anything else; but there is no ontology of essence, there is only an ontology of sense.
ネオニューネクストポストクリアーフレッシュ構造主義の時代の始まりだよ!?♪。
572 :
考える名無しさん:2012/03/14(水) 21:16:39.85 0
That, it seems, is the theme of this essential book, whose very style is extremely powerful.
ドゥルーズは特に叩かれる哲学者の一人だけどそれでもその意義ないし価値は揺るいでいないと思う
574 :
考える名無しさん:2012/03/15(木) 10:04:45.68 0
こいつの価値ってなに?
ソーカルにボッコボコにされて、お笑いポモの恥晒しになったってこと?
バカみたいなアニメ評論から哲学関係に入門したけど
ドゥルーズが読めないままアンチになっちゃう人ってのがいるみたいなんだよね
君ソーカルすら読んでないでしょ?w
>アニメ評論から
これが新しく覚えた慰みの言葉か
哀れやな
ドゥルーズって哲学やってたんだ
今日初めて知った
ドゥルーズのシネマは、アニメを排除してないから、
実は正解かもしれない
579 :
考える名無しさん:2012/03/15(木) 15:06:24.07 0
That philosophy must be ontology means first of all that it is not anthropology.
580 :
考える名無しさん:2012/03/16(金) 06:11:00.44 0
581 :
考える名無しさん:2012/03/16(金) 06:40:49.74 0
Anthropology wants to be a discourse on man.
582 :
考える名無しさん:2012/03/17(土) 00:22:22.80 0
そろそろマルチで通報するか・・・
人民を迷妄に陥れる反動的ポエム哲学を粉砕せよ!
でもさ、3-アルキメデス的半群的に考えたら
超越元が位数が素数だからその中に存在するわけだから
その中における開集合を考えると、
結局3-perspective ハウスドルフ空間において
ホモロジカルスペクトラムの基本群がすべて単純であるような
多様体上解析接続可能な保形関数は
4次元以上の高次元超球面の中(というか、もっというと超平面)
にしか定義できないってことが分かるわけ
だからここでコルモゴロフ的な長い直線から構成された
位相空間を考えてやると(距離付け不可能なやつの一例だけど)、
その上記の範囲における保形関数のルベーグ測度(可測であることは示した)
は有限になる
ちなみにこれは虚2次類体上のイデ-ルを軸にした
空間おいても概念の拡張は可能であることが知られている
586 :
考える名無しさん:2012/03/18(日) 04:56:52.97 0
ドゥルーズが使う「テンソル」は相当怪しい
あと、千のプラトーでの音楽論は吹いた
しかし、そういう局所的な非難はできても、もちろんドゥルーズ哲学全体の
価値は揺ぎ無いと思う
>>582 宮台真司 「吉本隆明の思想と限界」 2012.03.16
要旨:
「ポストモダンには根拠がない。それはシステムの外に存在するはずの生活世界も、システム
の産物であり、『システムの生産物でないものはない』という言説ですらシステムの産物である。
ボードリヤールほか現代思想が主張した思想の無根拠さは、ここにある。」
ここにおいて吉本の根拠たる「大衆の原像」のイメージの現代思想から見るとまったくモダンでは
あっても、ポストモダンではない。大衆の原像は80年代以降無効になっていた。
とまあこのくらい。
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,,;f::::::::::::::::::::::ヽ
i::::::::/'" ̄ ̄ヾi
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|r-==( 。);( 。)
( ヽ :::__)..:: }
,____/ヽ ー== ; ほほう それでどこに価値があるんです?
r'"ヽ t、 \___ !
/ 、、i ヽ__,,/
/ ヽノ j , j |ヽ
|⌒`'、__ / / /r |
{  ̄''ー-、,,_,ヘ^ |
ゝ-,,,_____)--、j
/ \__ /
| "'ー‐‐---''
この世は資本主義ですから市場価値であり、
そのシステムを支えているは、われわれの「欲望の構造」
であるがゆえに、そこから多様な価値が発生するのだ。
その欲望を結局は経済価値に統合して回収していくシステムだからこそ、資本主義批判てわけですよ。
資本主義がそのままで欲望肯定だとか言っちゃうと、ニーチェのスレで権力意志を資本主義と同一視していた手合いと同様の論になる。
だが禁欲主義的道徳に則った資本主義・市場主義批判がおおすぎる
>>588 ,.,.,.,.,.,.,.,.,__
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やはりシャルル・フーリエを読まねば。
>>594 価値評価が自分でできなけりゃ、
哲学やめたほうがいい。向いてない。
ドゥルーズはかなり怪しいけどそこもむしろ魅力なんじゃない
カント読んでる人とかからしたら許せないと思うけど
>>598 論争になるほどの具体的な問いになってないです。
第一その人がドゥルーズを呼んでるかどうかも分からない。
読んでないなら、答える責任も時間もない。
>>599 人に聞く時はこういうことを聞きたいと
ちゃんと具体的に訊くべきだ。
それができないのはドゥルーズを読んでないだけだ。
598はおかまだ。
601 :
考える名無しさん:2012/03/23(金) 12:01:00.20 0
野ウサギのような逃走の線を引いたなw
602 :
洋楽:2012/03/23(金) 13:30:26.16 0
価値? ・・・・・ だからゆってんじゃん
無価値 無価値 あるところに バカが きました
「 ほほう これは 珍しい はうまっち? 」
ばかじゃないの?
603 :
洋楽ばびろん:2012/03/23(金) 13:35:31.89 0
ばかに ばか ってゆわれて やり場のない しょっくのあまり
びっぐばん ・・・・・・ 創世記のはじまり
くだらねー (笑)
ドゥルーズのニーチェ論は面白いよ。ニーチェは完璧ではなかったが、さりとて間違ってもいなかったという
スタンスで描かれてるんだけど、ギリシャ哲学以降堕落し哲学が退化しているという捉え方は正しいと思う。
ドゥルーズに言わせればカントも形無しw
>>604 ドゥルーズの、ニーチェ論かー、
読んでみるよ^^
>>604 既にハイデガーが主張してたことですよね…
ギリシャ以降の堕落なんてハイデガー以前の
18世紀末〜19世紀にドイツ的哲学史が成立したと同時に成立した見方
(カントもその一部片棒を担いでる)
>>604 ドゥルーズは、というより一般に、ヘーゲルに依拠しない場合、
カントを尊重するよ。批判しながらも。ポスト・カント主義を問題にするのがふつう。
609 :
考える名無しさん:2012/03/26(月) 20:00:24.52 0
993 :レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/26(月) 19:57:06.87
私も、吉本はアナクロだとずっと思ってきたんですよ。
これは同年代の多分に漏れず、蓮実・柄谷のいうことを鵜呑みにしていたということです。
ところが、五年くらい前、古本屋でたまたま昔の「海燕」を買って、載っていた「ハイイメージ論」を読んでみたら、
なんか、吉本のほうがぜんぜん新しかったんじゃないか、と感じたわけさ。
吉本がヘーゲル的だといわれるのは、同一律なしに論理は成立しない、という当たり前のことを無視してないだけなんですよ。
ハイイメージ論に関して言うと、数物系の知識水準が柄谷とは明らかに違うのね。
ちなみに浅田の本音は、柄谷よりも吉本のほうが正しい、だと思う。
だから、柄谷支持、吉本批判は、党派的なもんでしょう。
似た経験に関して言うと、同世代の多分に漏れず、ハイデガーも、ドゥルーズの批判を鵜呑みにして、
長らくダメだと思い込んでいたんだが、よく読むとドゥルーズよりも明らかに「正しい」のね。
上手く言えなく申し訳ない。
同自律さえあれば総合判断(synthese)ができるのかwww
同一律が問題なのでなくヘーゲルの「否定性」「矛盾」が古いのであって、いまでは必死で
転向後の吉本はひたすら「肯定の思想」といっているよ。
mixiとか見てる時点でw
ミクシィの蓮實重彦コミュの女管理人「舞鶴花」は気違い。
プロフィール
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=2008297 ※コミュニティに相応しくないコメントは予告なく削除致します
※差別的言動・誹謗・中傷行為をする人はコミュニティ強制退会+アクセスブロックの処置を
とらせていただきます
※荒らす人が多く、削除が大変だったため、しばらく非公開とします。その間、承認作業は
しませんので、氏について語りたい方は新しいコミュニティを作る等してください
76 2012年03月29日 20:33
舞鶴花
説明が必要な方もいるようなので書いておきますが、
トピック一覧を見るとわかるように同じ内容のトピックが乱立しているため、
トピックを立てられるのは管理人のみの設定にしてあります。
ちょっと冷たくされてマルチポストしちゃう
ストーカータイプだな
616 :
つくだに:2012/03/30(金) 22:21:25.89 0
映画板でも見たなこれ黒沢清スレだったか
ぐぐったら青山スレ、蓮實スレ、ゴダールスレ、単独スレでもやってるみたい
蓮實スレ
ドゥルーズかヘーゲルかは「趣味」の問題だろう。その人の生の有り様がドゥルーズ的か・ヘーゲル的か
「否定」や「矛盾」の力が古いとかいう問題では断じてない。
>>618 古典近代のへーゲルにないものが、ドゥルーズには(限らず他の哲学にも)ある。
でも、それが何かは説明できないw
>>620 断固として説明できる。それぐらい哲学をする者にとって常識。
まるで「俺が本気出したらすごい」って言うだけのニートみたいなやつがいるな
ヘーゲルは創造的だけどドゥルーズには創造性がないんだよなあ。
切り口は素晴らしく鋭いんだけど。
ドゥルーズ自身の創造性は大したことないとしても
(ガタリ含む他者の思想をうまくピックアップする才には長けてると思うが)、
創造性そのものを自身の哲学の基盤に据えてそれなりに理論化したのは立派。
創造性って何
626 :
考える名無しさん:2012/04/09(月) 00:31:04.41 0
似非数学とかじゃね?ww
ポエムです
「意味の論理学」なんかは、文学的な傾向もすでに出てるけど、
「差異と反復」での、何か新しいものが創造される条件としての強度の理論、
これはもう、文体そのものは無味乾燥と言っていいくらいにひたすら理論化してる。
フーコー、デリダは扱ってるのにドゥルーズはスルーなことが多い
630 :
考える名無しさん:2012/04/11(水) 10:21:49.52 0
993 :レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/26(月) 19:57:06.87
私も、吉本はアナクロだとずっと思ってきたんですよ。
これは同年代の多分に漏れず、蓮実・柄谷のいうことを鵜呑みにしていたということです。
ところが、五年くらい前、古本屋でたまたま昔の「海燕」を買って、載っていた「ハイイメージ論」を読んでみたら、
なんか、吉本のほうがぜんぜん新しかったんじゃないか、と感じたわけさ。
吉本がヘーゲル的だといわれるのは、同一律なしに論理は成立しない、という当たり前のことを無視してないだけなんですよ。
ハイイメージ論に関して言うと、数物系の知識水準が柄谷とは明らかに違うのね。
ちなみに浅田の本音は、柄谷よりも吉本のほうが正しい、だと思う。
だから、柄谷支持、吉本批判は、党派的なもんでしょう。
似た経験に関して言うと、同世代の多分に漏れず、ハイデガーも、ドゥルーズの批判を鵜呑みにして、
長らくダメだと思い込んでいたんだが、よく読むとドゥルーズよりも明らかに「正しい」のね。
上手く言えなく申し訳ない。
>>630 二度目のコピペ。この人は、何が「正しい」の基準なのか自分でもわからないだろう。
吉本はおいといてハイデガーうんぬんはないな
亡くなってからだが、吉本が「新書物の解体学」でA・Oを論じているらしい。
吉本サイドの人から、むしろそれに関したコメントを聞きたいね。
私は読まないから。
寝っ転がって人にやってもらおうとか馬鹿かw
83年の栗本慎一郎との対談「相対幻論」なんかでも多少論じられているでしょう。
亡くなってからちょっと読みなおしてみたけど、ギリギリ、栗本も吉本さんもボケてなかった頃。
ドゥルーズってのはマルクス主義者だと言ってますね。
で、ボードリヤールの「象徴交換と死」をマルクス主義が解体されてるからととても高く評価している。
結局、そのラインでずっとやっていったわけですね。
労働は無効になって消費が社会を牽引するんだと。死ぬまでずっとそのラインでしょう。
日本に限れば大文字の労働がバブル期に消滅した「かのように」見えただけでしょ。
バブルがはじけた日本、第三世界、先進国のあちこちのスラムで労働と不当解雇と暴動は厳然として在る。
何はともあれ、ドゥルーズが結果的に遺言のかたちで「私はマルクス主義者である」と語ったのは衝撃的だったなあ。
最後までユーモアを忘れない人だったと思う。
浅田彰が「構造と力」の中で、リオタールの「ポストモダン」という言葉を
初めて用いた人だが、その著作はあまり意義はない、と言ったことは、
大変に誤解の多いことになったと思う。近年リオタールの著作が矢継ぎ早に
翻訳されていることを考えると、少し「下手」なことしたなあ、と思う。
浅田の本質はクラオタだから、ポストモダンに馴染まない
640の日本語力が心配
でも、ポストモダンは何も創造しなかったという評価は正しい気がする。
浅田は下手うったとも言えない。
>>642 何を持ってポストモダンというかまだ見えてないwww
ドゥルーズとヘーゲルの話が出ていたので、ここらでジジェクとかどうか
最近organs without bodies読み始めたのだけど
...there is another Deleuze, much closer to psychoanalysis and Hegel,...
って。ほんまかいな。
精神分析はありえるけどヘーゲルはないな
英語わかりません
ドゥルーズとヘーゲルが似てるってこと?
647 :
考える名無しさん:2012/04/24(火) 18:41:52.23 0
ドゥルーズの哲学原理(2)
――超越論的経験論―― 國分功一郎 (44)
>>647 ドゥルーズの哲学原理(1)は
「哲学者自身がうまく言えてないところまで
ドゥルーズが突き詰め、概念化をして
自己のものとする」という
「ドゥルーズ独特の読解」を述べるあたり、
うまく書けてた。
何回まであるんだるろうか?
>>646 アンチ・オイディプスでマルチチュードで生成変化のドゥルーズ(withガタリ)と
意味の論理学で意味・出来事で非物体のドゥルーズがいる、
それがヘーゲルかつ精神分析なんだ、と
ジジェクの暴力的な論理展開は問題含みで
気をつけなければと思うのに、面白いからつい読んじゃう
意味の論理学は個人的に好きなので楽しみだ
>>649 と、
言ってもヘーゲルは「運動」で「無限な生成ではない。」
し、
ドゥルーズは「意味の論理学」に留まらなかったからA・Oを
書いたんだし?
お好み読書で結構。
おフランス現代思想さんの話は言語ゲームが違いすぎてさっぱりわからん
けっきょくのところジジェクは『パララックス・ヴュー』の中で
ドゥルーズを「偉大な反ヘーゲル主義者」と形容してるんだけどね。
ジジェクのドゥルーズの使い方は悪く言えばそうとう適当だよ
ジジェクにはドゥルーズは偉大すぎる、とも言えるし、
厳密にドゥルーズ研究しようとする人間の大半を絶望させるドゥルーズという人も
きわめてたちが悪いとも いえる。
>>652 何々?
>厳密にドゥルーズ研究しようとする人間の大半を絶望させるドゥルーズという人も
>きわめてたちが悪いとも いえる。
ドゥルーズ本人が厳密でないという意見?
その根拠は?
>>653 「[ドゥルーズの諸概念の]厳密な定義は、概念に具わる力をそぎ落とし無力化してしまう危険性がある」
澤野雅樹『ドゥルーズを活用する』p14
「ドゥルーズの諸概念の精度はそれら全体性において説明する基礎となる論理を見いだすことの不可能性と合わせることで概念化不可能な彼方という事実の形象化となる」
Vol2所載ジョナサン・ベラー著 『シネマ』は20世紀の『資本論』か?
ドゥルーズ自身の言としてシュミラークルという差異と反復の中心概念でさえ、あっけらかんとあ、あれ? あれは捨てました(表層ー深層という『意味の論理学』の中心概念も同様に放棄してる)、と言い切っていたと記憶している。
そんなあんたにあこがれる、爆笑する、ソーカル論争を経てなお、真顔でそう言える鉄面皮じゃない人ならドゥルーズにこだわるより
ウィトやらサンデル先生やら髢@先生に宗旨替えするべきだと、思う。
>>654 世界全体を説明する包括的な体系が出来たとしたら、
どうなるか。そのことが、どういう結果を生むか、
わかるか?「決定論」と「自由の不可能」ではないか。
「脱根拠化」のファクターを自らの哲学の一部になるように
組み込んだ故に「自由」を確保するドゥルーズは、
古典近代哲学者の”HEGEL”でも”MARX”でもない、
現代思想の哲学者である、ということが本物の証拠なのだ。
考えてみてくれ。
根拠がないのなら、せめて状況証拠が掴めるようでないとね
何を以て信じればよいのかわからなくなる
教えてくれないか?
宇野の新しいドゥルーズ本、まだ読み始めたばかりだけど、結構おもしろいかも。
今までの宇野本とはちょっと印象違うなと思った。
なんというか、今回はドゥルーズ的な概念の紹介や応用ではなく、ちゃんと分析しているというか。
>>657 「差異と反復」第二章を読みたまえ。
君にあまり期待できそうにないが。
>>655 ドゥルーズは、なんとか世界全体の生成を包括的に説明したと思うよ。
世界全体の「構造」でなく「生成」な。
だから仮にドゥルーズの説明が包括的で完全でも、自由は損なわれない。
物質レベルの決定性と、潜在性の現実化レベルでの決定性は、審級が違うのだから。
>>654 貴方みたいな人には、魅力が分からない哲学者だってだけでいいじゃん。
今ドゥルーズを真面目にやってる人は、ソーカルの批判の方がナンセンスだ、という
見解を持ってる。
で、ドゥルーズにおける諸概念が、時期とともに意味を変容させていることが、
なんで批判の対象になるのかね?
文字通り「思想の生成」を体現している、ともとれんかね?
思想の生成って、後出し後付けの解釈を許す、という意味ですか?
>>661 具体的にどの議論が後だしなわけ?
ヒューム論以来何度も自分の考え方を、深めていっているよ、
ドゥルーズは。
考え方の重点の置き方が変わっているのほ確か。
後だしどころか、
差異と反復→欲望機械→リゾーム
みたいな感じで、新しい概念が生じるたびに、自分の体系を構築し直してるだろ
>>654 >[ドゥルーズの諸概念の]厳密な定義は、概念に具わる力をそぎ落とし無力化してしまう危険性がある
ドゥルーズの「概念」概念は特異性だ。一般性ではないが、普遍的である。
>『シネマ』は20世紀の『資本論』か?
イマージュは言語以前の経験の素材として系統分類される。
>ドゥルーズ自身の言としてシュミラークルという差異と反復の中心概念でさえ、あっけらかんとあ、あれ? あれは捨てました。
シュミラークルという概念を作って、贈ったのはクロソウスキー。「異なるものの反復」をシュミラークルということもできるだけ。
>表層ー深層という『意味の論理学』の中心概念も同様に放棄してる。
表層ー深層というのは内在平面の観点に変わる。
>ソーカル論争
そーかるの本が高すぎる。下らんトリックと思いながら、文庫化したらよむ。
>>663 それは言える。
マシニズムへの展開点がA・O。
そこから大きく変わってしまう。
A・O以降の論点から以前に書いた
「プルーストとシーニュ」を
機械主義の観点から二回も
書き直し改訂している。
>>664 ソーカルの本は最近文庫化されましたが・・・
668 :
考える名無しさん:2012/04/29(日) 17:30:26.10 0
>>669 ごめん^^
ゆっくり、楽しんで、
読んでください^^
なんだなー。
ソーカルは、ドゥルーズ・ガタリのテキストが
意味不明だというが、積極的にどう間違っているか指摘してないな。
「もしそれを言うならこういえ」ということは述べられてないだけ、
ドゥルージアンにとって役するものがない本と思える。
意味不明というのはその科学的・数学的な専門分野の
文脈におかれた場合に限ってその用語を使う
という「ポリシー」の観点では、理解不能なんだろうが。
(操作主義的概念については文系でも知っている)
逆に言うと、その分だけ「科学・数学」の専門家が
哲学に対して門外漢である、ということを明らかにしてるだけ
なんじゃないか?
ソーカルの指摘については、近藤和敬が『ドゥルーズ/ガタリの現在』の中で、
ドゥルーズの微分法についての記述はたしかに無駄に混乱しており明らかな間違いも見られるが、
論証根拠ではなく一つの例証なのだから間違っていても議論が論証不可能になるわけではない、
よかったね、と結論付けている。
ソーカルの本を熟読する気がなくなったのだが、
よく考えると、引用部分がドゥルーズの「科学論」
に対する言及が中心であることかわかる。
すなわち「科学哲学」にとっての「相対主義」
がモチーフであり、ほんとは「科学」をどう
基礎づけるかの方が、本題なんだろうな。
英語圏の連中のポストモダン批判って、
単に「相対主義者は自分の主張も相対化して無根拠になる、以上」という論証のバリエーションにすぎないことが多いよ
学生が教科書でそういう論法を習うんだよね
その論法はどうマズイんですか?
相対主義を侮りすぎているから。
多くの場合、実際には相対化がほどこされる審級と、そのあとで残る基礎の審級が区別されていることが多いのに、
そういう区別をしているだけで
「ほらやっぱり全ては相対化できないじゃねえかm9(^Д^)プギャー」みたいに罵るんだよね
分析哲学って、藁人形論法をぶつけあい、そのモデルを洗練させながら論戦を行うわけだけど、
そういう「敵のモデル化」において、ドゥルーズのようなタイプの哲学が正当に位置づけられることはほとんどない
なるほど、ありがとうございます。
基本は、自文化中心主義しかないだろう?みたいなローティ的なアイロニーの視点から、
「大陸哲学wwww」と言ってるわけよ。
日本は大陸でも英語圏でもないわけで、
そういう争いに与する意味があまりない
でもね、ドゥルーズの尻馬に乗って「コミュニケーションはクズ」と言い募るよりは、
藁人形を作ってでも議論を行おうとする方がマシだろうとは思う
例えば相対主義'と相対主義''があることにしてもいいんだけど、
そうなると相対主義'と相対主義''をあえて同じ名前で呼ぶ必要はないし、
同じ名前で読んでる時点でべつの論議領域を設定してることになるんだよね。
クワイン読んで欲しいなw
ドゥルーズの相対主義研究が不当に低く評価されてると言うのなら?
どう高く評価されるべきなのかアウトプットするのは、
べつに分析哲学者の仕事ではなくドゥルージアンの皆さんの仕事だろ。
もっと頑張ってくれよ。
680馬鹿過ぎ
まさに読んでない
ソーカルの本ではファイアーアーベントが
批判の対象になってる。
ものすごく保守的。
学生時代に村上陽一郎の
授業で「認識論的アナキズム」
として議論の中心をなし、
試験の問題に出た。
ちょっと問題外だな。
ドゥルーズって相対主義うんぬん以前にポエムですから
>>686 科学以外はみんなポエムなのか?
あんたの範疇内で。
このスレ来ても意味ないよ。
ドゥルーズは科学でないにしては比較的、非ポエム的であるらしい
ドゥルーズポエム論者ンみなさんに聞きたいことがある。
ドイツ観念論(カント〜ヘーゲル)なら、ポエムでない、
とお考えかな?
どうせラッセルの哲学史あたりがネタだから、
カントだけは我が伝統のヒュームの影響大だから許す、
みたいな発想だろう
ようは英語圏贔屓
>>690 おれもその本持ってんだけど、ほとんど読んでね。
なぜか、現象学とハイデガーを全く無視。
こんな偏った本は実は教科書にもならない。
大学で買わされてしまった。
ドイツ語版の哲学史というのは
教授に聞いて買ってみたが、ドイツ語
読めないんだけど、ドイツ観念論について
すごく本格的で典拠がはっきりしていて
いいと思った。
そっちは感謝してる。
では、ドゥルーズの文章がポエムでないという例証となる文章を貼るかページ数を教えてください
>>692 逆に聞きたいのはポエムでない
哲学はあなたには何なのか、
はっきりわからないと、
議論にならないです。
ラッセルの「哲学史」だって只の「物語」
「ナラティヴ」としか読めない側面は
どうですか。
ドゥルーズがサーカスについて言及したことはありますか?
ちょっと話ズれちゃうんだけど
ポエジーを解さない人間に哲学なんてやれんのかね?
どこかの本でドイツの学者は日常の会話で古典の詩をばんばん暗唱してびびったって、誰かが書いてた。
そういう教養主義を否定したアメリカで分析哲学やゲーム理論が興隆した
>>691 偏ってはいるけど、そこを了解すれば、むしろ英国圏を中心とした思想が豊富な
良書ですね、院試のさいはお世話になりました。
>>693 たとえ、ドゴン族の卵や、ムネモシュネの弓が登場しようが、その比喩が的確で、
理論の枠組みから一切離れず、直観的理解を容易にしているのなら、別に
非難されることじゃないですよねえ。
根底に統一的な理論がなく、ポエムや連想を連ねてるようなのは、また別ですが(デリダ?)
>>698 ドゥルーズのやりかたは、野蛮なものをソフィスティケートすることです。
別べの言い方では、プリモディィアルな経験に必ず戻っていける道を
用意してある点です。
初期条件の地平を保持したまま、概念化します。
論理主義が、経験を捨象してしまうのとは全く別の経験論です。
言わば<定住>に対して<ノマド>をオルタナティブとして用意してある
ところにそれがすぐにわかる形で、現れています。
「野蛮なものそのもの」ソフィスティケート^とするのです。それが
超越論的経験論です。
「野蛮なものそのもの」をソフィスティケート^とするのです。
>>693 ポエムと哲学が同じだというなら
ますますポエム板でやってもらえませんかねw
先に答えを出しておく。
古典主義のヘーゲルまでの講壇哲学なら、
その社会的地位によって
権威づけられていた。難解であれば
あるほどありがたかったわけだ。
インテリゲンツァと大衆ということも
同じだった。
が、ドゥルーズ達はもはやそうでなく、
一人の人間として読者に向き合う。
それ故「ポップ哲学である」と自ら明言している。
だからSFであるとも明言している。
ポエムというより「文学的」があることは私も認める。
そのうえで
>698の方の言う「根底に統一的な理論」があることを
私は主張したい。
「クラッシック」に対して「ポップス」のジャンルを作り出したわけだ。
新しいスタイルの創造。
そうはいっても戸田山とか三浦あたりの煽り入りの啓蒙書のせいで、
「分析哲学以外=レトリカルで糞」という理解のやつがこの板には多いだろ
実際そうでしょw
レトリカルで糞だ、と非難される方は、実際にドゥルーズがレトリカルな言い回しをしている、という
表面的な特徴以上の批判をされているのですよね?
つまり、ドゥルーズ哲学の根底に、レトリックによって若干見えにくくなっている「体系」(まあ誤解を招くから、理論の方が適切か)が、
存在するはずもなく、レトリックであたかもそれが理論的であるかのように、読者を錯覚させているに過ぎず、
実際はレトリック以上のものはそこには存在しない(つまり比喩ですらない)、
という意味で、糞である、と主張している、と取ってよろしいですね?
そのように主張すること、つまり、ドゥルーズの語っていることに、一切「理論的」なものはない、
と論ずるのは、かなりラジカルですね!(驚嘆)
ドゥルーズの理論が間違っているか否か、という審級ですらないのですよね?
あのな
文章がわかんねーんだよ
校正や整合性って言葉
辞書で引くか・三流大学の家庭教師でも雇え
×そのように主張すること、つまり、ドゥルーズの語っていることに、一切「理論的」なものはない、
と論ずるのは、かなりラジカルですね!(驚嘆)
○そのように主張するのは、つまり、ドゥルーズの語っていることに一切「理論的」なものはない
と論ずるのは、かなりラジカルですね!(驚嘆)
日本語的におかしいのはここくらい
単純に文章が下手、ってだけだから気にしないでいいよ。
で、古いネタですけど
柄谷の「全ての公理系は必ず一つ証明不可能な
命題(レトリック)を含む」っていうのはどうよ。
差異と反復やスピノザ表現〜を読破した人っていんの?
>>715 『差異と反復』
おれ、二回目、読んでるよ^^
第三章までなら何度か読んでいるけど、四章以降は読む気しない。
スピノザと表現の問題は、のっけから頭入らん。
ポエムだっていうのはドゥルーズの言うことは、
全部「詩」だっていうことではないと思っています。
「超越的対象とは<メタ言語>であって、それは
既定の言語の経験的な行使においては話されえないが、
パロールの詩的(poetique)な行使」によってしか可能でない。
(差異と反復p294)
という風にドゥルーズは書いているので、そこだけ見れば
あっています。
それに反して「哲学とは何か」においては、「哲学は概念を用いて仕事をする」
ということを述べており、コンセプトというもの
をやはりどうしても必要なものだ、と書いているので、
詩的なものから「概念創造」に至るが本意と考えていますがどうでしょうか。
ポエティックを詩と訳すのが間違い。ポイエーシスでしょ。エステティクスを感性論とするなら、制作学とした方が誤解が少ない
みんな、頭、ええなあ
>>719 残念。原書当該箇所では、"oetique"になっている。
ポエムとしてはドゥルーズは一流
最低限そういうほめ言葉でいいと思います。
<イデー>は懐胎されときほ<メタ言語>の身分にありますが、
それを言葉でいうには、自然言語にはメタ言語はありえない(ヴィトゲンシュタイン流)
ので、超越論的対象を、経験的言語で表現するとき、「詩的用法」によってしか
語れない、ということだけのいみにおいてだけで、哲学がそれでありうるのは、
<イデー>についての<概念>を創出する努力を欠いては、
哲学にならないです。
<思考のイマージュ><脱領土化><ノマド>等々、エキセントリックな
用語法でありながら、それらは充分コンセプトでありうると思います。
自動車会社の車の名前が<ノマド>(スズキ・エスクード)と名づけられたように
ポップなシニフィアンではありながら、コンセプトでは在りうると思います。
概念としては、古典哲学ほどの「リジッド」な感じがないんですけどね。
皆さんご感想は?
>>726 >>725はいいレスだと思う。
ただすごーーーい意地悪な見解を言うと
脂ののってた頃の浅田や中沢に同様の意見をぶつければ
同様の見解を述べただろうなーと思うんだよね
最近のドゥルーズ主義者が、蓮實や浅田のドゥルーズ導入の仕方に
難癖つけることがたびたびあるんだけど、
じゃあおまえらはどんな、ユニークなドゥルーズ論を展開してるのか? と問いたくなる。
そんなことを思わせるレスでした
何はともあれ725のレスは好きだよ
有難う。
浅田も中沢が何言ってるか何の関心もないがだが
馬鹿でもない限り、あいつらが肝心なことは何も言わなのは見えきっている。
言わないで済ませた。だから俺がやるんだ。
俺の名前はZEEK。
ドゥルーズは落ち込んだときに読むと元気になる啓発本
>>730 おれは、ドゥルーズを、詩として、読んでます^^
それがポップ哲学の所以。
多様体やリゾームの哲学者なんだから
どんな読み方もあっていいんだよね
やっぱりおもしろい人だった
こういうとナンなんだけど、
ヘーゲルなんて「難しければ難しいほどありがたい」
哲学なんだよな。
ドゥルーズは初めから普通の人に読んでもらえない本
として「資本主義と分裂症」を書いたわけじゃないから、
読みやすいように書いている。
私などから言えば、論旨の正確な進行より、
読者を待たせないように結論を先に言ってしまう
という(本当は内心腹の立つ<論点先取>)
書き方をしています。
絶版にならん方がいいから。
アハハ。
><イデー>は懐胎されときほ<メタ言語>の身分にありますが、
>それを言葉でいうには、自然言語にはメタ言語はありえない(ヴィトゲンシュタイン流)
>ので、超越論的対象を、経験的言語で表現するとき、「詩的用法」によってしか
>語れない、ということだけのいみにおいてだけで、
ここまでは理解できる。
>哲学がそれでありうるのは、
><イデー>についての<概念>を創出する努力を欠いては、
>哲学にならないです。
哲学がメタ言語でありうるのは、ということ?イデーは、経験言語で語られざるを得ない、
というなら、この創出された概念も、「詩的用法」なわけだ。
いずれにしろ、思考をメタレベルで行うならば、思考されたイデーは、
経験言語にもたらされる際、新たな概念の創出をもってしなければならない、ということ??
つーか、メタ言語っても、言語の構造そのものを言語を超えた立場で論じているわけじゃないんだから、
超言語ではあってもメタ言語じゃないだろ
むりに分析哲学しなくていいよw
738 :
考える名無しさん:2012/05/14(月) 07:13:10.06 0
言語はすべてメタファー
>>735 そう言うことです。
「哲学とは何か」に明言されているように、
「哲学は概念を創造する創造する事を本領とするが鵜門d分野である。」(p10)
「概念は創造さえると同時に、自分自身を定立し、かつ自分の対象を定立するのである。」
(p33)
実のところ「哲学とは何か」における概念の重視とは
「ドイツ観念論」の概念論に本音のところ回帰するわけです。
>>739 うげげミスタッチ。
「哲学は概念を創造すること本領とする学問分野である。」
日哲会で伊藤春樹(分析哲学)と檜垣立哉(大陸哲学)が軽く喧嘩してたな。
にこやかだけど、お互い相手を馬鹿だと思ってそうだった。
742 :
考える名無しさん:2012/05/14(月) 14:10:35.28 0
意味を分かりやすく理解し、意味を正しく具体的に比喩すること。
それが言葉をメタファーにする仕組み。そういう咒に縛られているだけ。
概念を創造するのはポエムの仕事です
744 :
考える名無しさん:2012/05/16(水) 04:58:37.35 0
>>743 何をどうやって「概念創造」するか、っていうことは、
絶対教えない。フフフ。教えてたまるか。
>>743
連投ですまんが
ほんまお前らポエジーにたいする敬意や脅威をあるていど学べよ
西欧文学の嚆矢(いちおう)たるホメロスは叙事詩
日本文学の始まりは万葉集だよ
プラトンは詩人追放の言を残した
ヘーゲルとヘルダーリンの複雑な交友関係は膨大な研究史の流れを形作ってる
晩年のハイデガーのヘルダーリンへの私淑は言うまでもない
デリダはエドモンド・ジャベスやアルトーへの驚異の論考を残してるし
当のジル・ドゥルーズは記号と事件の中で「ミショーは奇跡です」と口にしている
哲学オナニーばっかしてないで
たまには真面目に詩と交われ
詩なんて一行も暗記できない屑ばっかなんじゃないの? ここのやつら?
分析哲学に文句言うべき
ある筋から「ドゥルーズを馬鹿にするやつに教えんな。」
と言われた。
分哲はこれから無視する。
751 :
考える名無しさん:2012/05/17(木) 12:32:32.18 i
>>747 研究者ぶってんじゃねぇ。
本で読んだ内容暗唱してるだけだろ。
ズルーズの反テクストしつつもテクストするオチンポ哲学は超一流
脳みそ科学が開示した我のダーウィン的超並列超複数階層へ
現実我を手遊びレイプしつつなるべく深くオチンポ咥えさせるには狂人文学が必要
意味の論理学(河出文庫)の最後に出てくる「等声性」ってのがいまひとつよくわからないのですが
誰か判りやすく教えてください ぐぐっても全く出てきません
〈声〉をズルーズ的テクストから逸脱しつつもオチンポすること、
果たしてこれが我々なんぞに可能かにゃる?
人は科学において、それまで誰も知らなかったことを誰にでもわかるように語ろうとする。
しかしポエムにおいては、まったく逆のことが行われている。
(ポール・ディラック)
>>756 うまい詩と下手な詩がある。
シネマの中で「良い映画」と「悪い映画」を区別したように。
758 :
考える名無しさん:2012/05/28(月) 11:17:58.34 0
最も人間の心を無視するのが哲学
最も人間の心を偽るのが詩
たしかに哲学では人は救われない。だからといって哲学は無意味であるというわけではないが。
哲学を学ぶことには意義がある。その意義は人によって違うかもしれないからここでは触れない。
また詩というのは人の本心かというとそうじゃないのかもね。むしろ醜悪な本心を美麗なかたちで
公にすることのできる技法なのかもしれない。
宗教というのも考えものだね。
自己を自己として救済できるのは、やはり自己に他ならないのかもしれない。
もちろん、他者に助けを求めることのできる自己も、自己に他ならないわけで。
760 :
リーマン小太郎 ◆JXLBbnYqTY :2012/05/28(月) 14:38:24.54 0
>>759 日本人に哲学がいらないことを、わかりやすく示す文章だな。
西洋での近代哲学の需要は、倫理を議論するためにある、
必須のものなんだろうが、
日本人は、独自の倫理観を持っているから、
哲学は選択科目でしかない
日本人はすごいなあ
761 :
考える名無しさん:2012/05/28(月) 15:04:34.95 0
知の不正受給者 ◆JXLBbnYqTY
どうせ西洋哲学を勉強するなら、論理学や数学もやるべきだと思う。
西洋人の思考、すなわち今日の世界において支配的な科学的思考はいかなるものかについて学ぶためにもね。
だいいち、論理や数のことにまで到達しない人の「哲学」は、「文学」に近いものじゃないかな。
それは、雰囲気的なもの、ファッション的なものではないかと疑いたくなる。
もちろん、文学や芸術のセンスのない人の哲学というのも、知的には高度に見えても、本質的には
どれだけ価値(創造性)があるものなのだろうかという気もするけど。
かく言う僕自身が、これまで哲学と、文学的な付き合い方をしていたと反省している。
だから数学を学び直したり、論理学を学ぼうとしている。
遠山啓『数学入門』を読んでいると、古代〜古典〜現代に至るまで、数学をしない哲学者の方が
むしろ少ないのであって、数学のことが全然出てこない哲学入門とか哲学史というのは、
片手落ちなのではないか? とか、そんなことを、この頃考えています。
そして日本人にとっては(日本人に限らないだろうが)、非言語的なコミュニケーション能力がとても
大切なことは事実だが、それを学ぶのは実際の生活空間からかな、と思う。
頭でっかちになるのはよくない。蓄積しすぎた知識に囚われ始めると、生活はおろか、
人格や学問そのものまでもが、どこか歪んでくるのではなかろうかと危惧します。
763 :
リーマン小太郎 ◆JXLBbnYqTY :2012/05/28(月) 16:28:29.04 0
近代以前は、論理学より修辞学が重視されてきた。
ようするに、人びとを説得するようにうまく言う技術が
必須とされてきた。
それが、近代に
修辞学的なものは芸術の分野となり、
論理学が重要視されるように転倒するのは、
近代の最初が、キリスト教的なドグマを排除して、
より客観的に、論理的に正しいことを重視することが目指されたためだ。
結局、論理による基礎付けは失敗するわけだが、
それでも、論理的、すなわち誰にも客観的であろうとすることは、
近代社会のコミュニケーションにおいて重要なことで
あり続けている。
今ひとつか・・・
差異と反復の第四章、差異の理念的総合部分の数学的議論を、先生と一緒に
読んでます
遠山啓は吉本隆明の師匠ってことで「読む価値があるに違いない」と思って学生の頃読んだなあ。
ずいぶん大昔の話だけど。
766 :
考える名無しさん:2012/05/28(月) 20:20:05.08 0
>>765 吉本隆明関係なく昔の理系好き高校生の愛読書だったような・・
差異と反復って結局、決定論的な生を生きたくなかったら発狂しろって書いてあるんでしょ?
くだけたやつなら亡くなった森毅さんを何冊も読んでる
言うまでもなく秀才だった浅田を
森さんが一時ずいぶんかわいがったと聞いた気がする
その浅田がドゥルーズ伝道の使途となった
と、無理矢理話を接いでみる
今の浅田ってドゥルージアンばかにするんじゃないの
肯定性(笑)とかいって
ドゥルージアン(笑)
772 :
考える名無しさん:2012/05/31(木) 10:13:54.32 0
構造と力は優秀な修論という感じですね
ドゥルーズ、ガタリに今のインターネットを見せたいですね
ノマドロジーは30年早かった
浅田とかおじさんのノスタルジーはどうでもいいから
吉本とか小林とかおじさんのノスタルジーはどうでもいいからw
歴史は繰り返すねえ
777 :
考える名無しさん:2012/05/31(木) 20:26:00.21 0
>>762 >蓄積しすぎた知識に囚われ始めると
そんなにたくさん知識を持ってるやつが本当にいると思ってる?
>>762 いい捉え返しだと思う。
考察と創造の道を歩め
>>762 君はコテで記述すべきだな。
姿勢と着眼に荒削りだが見所がある。
わろたw
君はセンスないから本でも読んでなさい。
はーい、わかりましたw
よろしい
数学や論理学にも造詣の深いような、日本のドゥルーズ研究家って誰?
ガタリが来日したとき東京の地下鉄路線図を見て「これはまさにリゾームだ」と言ってたのには笑った
現代において西洋哲学と愛称がいいのは数学よりコンピュータサイエンスだろうよ
Linuxの創造性はまさに
伽藍(ツリー)をすり抜けてバザール(リゾーム)を貫いたことにある
と書いてて恥ずかしくなってきた。
とにかく「リゾーム」は色んな意味で使いやすい、ただしやっかいな概念だと思う
だって「脳」ってことだもの
まだまだ1GB程度しかないOSでは単一と言っていいむしろリゾーム的なのはネットワークだな
>>791 ありがとう。
院目指してるけど。流石に鹿児島までは行けないな…
鹿児島も悪くないぞ
こういう人って数年経てば都市部の大学に移るんじゃないの
東京でいませんか
若手だと國分さんとか千葉さんとか?
797 :
考える名無しさん:2012/06/02(土) 22:26:43.77 0
とりあえず自分で勉強すればいいんじゃないかな?
そのほうが誰が優れているのかもわかるようになるし。
ここで聞いてるようでは、どうだろうね?
いいじゃん。鹿児島。
>数学や論理学にも造詣の深いような、日本のドゥルーズ研究家
に学びたいんでしょ?
遠いっていっても、日本じゃない。
日本なんてカリフォルニア州より小さいんだぜ
逆にいうとアメリカはやはりでかいフロンティアだ
國分とか千葉みたいな駒場系のやつには、フランス留学しないと相手にされないよ
駒場系自体が哲学業界で相手にされてないような…ドゥルーズって哲学業界で相手にされてるの?
普通に相手にされてますが^^
803 :
つくだに:2012/06/03(日) 18:44:41.71 0
こーくんツイートとからんでまーす
なんだかんだで12スレッドだよ
フーコー4スレッド
デリダ5スレッド
に比べるとなんつーか、おもしろいよなw
浅田先生のおかげです
浅田彰はまあ貢献してるんだろうが彼はドゥルーズ受容のいわば第2世代
彼が書きはじめる10年前に雑誌エピステーメーを中心とする豊崎蓮實らの第1世代のチルドレンだと思ってる
宮川淳あたりが需要の端緒だろうね。
そういうドゥルーズにひっついてるゴミの話は個スレでやってね
宮川淳がゴミか
どんな逸材が
2ちゃんみたいなゴミために潜んでいるんだ
ドゥルーズがゴミ
811 :
考える名無しさん:2012/06/08(金) 16:15:00.60 0
フランスは絵描き以外は文学も哲学も、ク・・、いや、世界一の2流、だからな。
まして日本でフランス哲学なんか輸入してる連中はもっと、ク・・、いや、世界で3番くらい、の2流かな?
宮川淳という人は知らない。
ク・・トゥル・・!
>>811 物知らなさすぎ
現代フランスの絵描きは微妙
わざわざ現代フランスと限定するあたり卑怯だなw
811のロートル感は異常
816 :
考える名無しさん:2012/06/09(土) 09:47:28.37 0
>>815 そうかあ、ロートルかあ・・
でもよくロートルなんて化石語知ってたね。
おれは知らなかったけど、調べたら中国語なんだってね。
で、なんの話だっけ?
817 :
考える名無しさん:2012/06/09(土) 10:00:42.46 0
>>813 現代ではフランスに限らず西欧に文化の先端を求めるのは、もう無理じゃない?
旧ソ連的文化が勃興、壊滅したあとは世界の文化水準は均衡しているんじゃないかという印象が強い。
近代以降の西欧哲学は、その予感に震えて?いているように見える。
818 :
考える名無しさん:2012/06/09(土) 10:04:44.27 0
>>817 >?いて になっちゃったけど、?のところは足編に宛、「もが」く。
失礼。
フランス人哲学者たちは、仏教や道教やヒンドゥー教の哲学を勉強して
何かヒントを得ようとはしないのでしょうか?
そういう話、聞いたことがないのですが。
「毛沢東主義に傾倒していた」というのはよく聞くけど。
フランソワ・ジュリアンも知らないとか
お前が不勉強なだけ
古くはマスペロとか
822 :
考える名無しさん:2012/06/11(月) 10:24:34.19 0
そりゃ勉強してたり専門的に研究してたりする人は何人もいるだろ。
>>819はそれが流行の哲学に取り入れられていないと言いたかったんだろ?
おれはどうでもいいけど。
>>819 タオマークのサーフブランドT&C(town&country)って
「差異化/異化」の”t/c”のことかな、
っていつも思ってるんだが、
皆さんどうですか?
824 :
考える名無しさん:2012/06/12(火) 16:55:35.56 0
ちがうんじゃない?
>>823 興味深い仮説だが、説得的な論拠がほしいな
千葉に聞けば?
国分の「哲学原理2」をようやく読んだ。浅田彰が「G・Dの翻訳を一刻も早く望む」と言ってから
20年かかって、2008年にとうとう全著作が翻訳完了した。そうなってみるとG.・Dの.哲学は
完全に移植されたわけだ。
今ならようやく確信をもってG・Dの核心を切り出して、その真髄を明示的な形で提示できる
時代になったのかも知れない。
「哲学原理2」でなるほどこの線で進みそうだとういうのは薄々見えてくるが、この後
どう書き進めるつもりか、国分自体ドゥルーズ論を果たして包括的に完結できるかどうか
不明だ。
半年に一本しか載らない論文、秋にはどう出てくるかな。十回位連載すると錯誤するんじゃないかな。
>半年に一本しか載らない論文
問題はそこなんだよな
一般の読者にはさすがに待てない
829 :
考える名無しさん:2012/06/14(木) 18:30:58.96 0
>>827 その本を読んでもいないのになんなんだが、日本の哲学ってなんで翻訳と解釈ばかりなんだろう?
翻訳と解釈だけで学者だったり大家になったり・・・
俺が知らないだけかな?
831 :
考える名無しさん:2012/06/14(木) 19:39:45.98 0
>>830 だれにどんな主著があるか、教えてくれよ
ググれば出てくるよ。
833 :
考える名無しさん:2012/06/16(土) 17:59:37.92 0
>>832 ググったってその中身までは書いてない。
ググれという前に知っているなら書いてみなよ。
>>831はどうせほんとの主著なんかないって言ってるんだよ。
反語ぐらい理解しろ。
柄谷行人と中沢新一と大澤真幸読めば?
835 :
考える名無しさん:2012/06/16(土) 18:25:38.34 0
え? ネタじゃなくて知らないのか?
柄谷行人『内省と遡行』『探究T』『世界史の構造』
中沢新一『フィロソフィア・ヤポニカ』『カイエ・ソバージュ』
大澤真幸『ナショナリズムの由来』『〈世界史〉の哲学』
837 :
考える名無しさん:2012/06/16(土) 18:41:46.11 0
>>835 主著というのは、時事的だったり断片的だったり思いつきの羅列だったりじゃなくて体系的に自分の考察を展開したものという意味ね。
838 :
考える名無しさん:2012/06/16(土) 18:44:34.20 0
>>836 断片的だったり解説的だったりしてないと?
839 :
考える名無しさん:2012/06/16(土) 18:46:45.93 0
日本にはジジェクにすら肩を並べられる影響力のある哲学者はいないのか
ジジェクにすらって世界トップレベルの影響力を誇るであろうジジェクを何だと思ってんだよ
しかも、それでも日本国内に限れば柄谷の方が影響力あるだろうが
841 :
考える名無しさん:2012/06/16(土) 18:53:02.39 0
柄谷は英訳されててジジェクとも論争したりしてるが、プロなら論文を書けば同時に英語で提出できるぐらいの学力は必要だね。
プロなら〜の学力は必要だね()
843 :
考える名無しさん:2012/06/16(土) 19:01:01.71 0
読まれなければどうにもならない
学力不足だな
お前が
>>836を読むんだろ?
当然、日本語で読むわけだ
それに英語は一切必要ない
845 :
考える名無しさん:2012/06/16(土) 19:05:43.30 0
俺らはいいと思うよ
学力問題は哲学で食っているやつだね
846 :
考える名無しさん:2012/06/16(土) 19:12:38.40 0
柄谷行人というのは、ただの、コスモポリタンばか、ではないんだろうね?
ドゥルーズは好きだけど柄谷とかジジェクとかどうでもいいw
英語で論文書いたくらいで威張られても…
849 :
考える名無しさん:2012/06/19(火) 18:28:29.18 0
A,B,Cが誰だかあててください
Aの声 英語で論文書けない奴はバカ
Bの声 日本人は日本語で論文書かなきゃいけないんだ
Cの声 俺なんかフランス語で論文書いてるんだぜ
850 :
考える名無しさん:2012/06/20(水) 01:24:55.72 0
>>849 A 柄谷 B デリダ C ?実 で、どうだ?
>>850 正解かもしれないけど、世代交代も念頭に置こうぜ
誰か再回答しれ
全員同じ人間がいいそうだろ
853 :
考える名無しさん:2012/06/20(水) 18:18:26.94 0
A 東 B 宮台 C 浅田
まだ古いか?
アカデミシャンとしてドゥルーズを論じる際に
何と「資本主義と分裂症」が踏み絵になっているらしい。
国分の「哲学原理(2)」は「分裂者分析」をオミットして
ドゥルーズの論点に関係なく「フロイト」で「自我論」を論じよう
とし、「スピノザ」に触れずに、後期のライプニッツ論(Le Pli)
を密かに援用している。私の読みでドゥルーズのライプニッツ論の
モナドは自己自身で充足しない。「死の本能」につては
マゾッホとサドに依拠したままでキータームの「器官なき身体」
を無視している。
こんなものを岩波に掲載してしまったからには、踏み絵のせいで何もかもも
パーだ
>>854 なんか日本語な不自由な人なんだな
ってことは伝わったわ。
>>855 読まねーなら(読めねーなら)死ぬまでROMってろ
>>854 國分はガタリの『アンチ・オイディプス草稿』の訳者だよ。きみが危惧する「分裂者分析」や「器官なき身体」
が途方もなくガタリ寄りに機能していたことを、嫌と言うほど知り抜いた上での執筆ー分析だと思うよ。
なるほど「ガタリ外し」路線か。教育的にはそうかもしれないが、
骨だけ残って、身がほとんどないよ。
ドゥルーズのモノローグの「意味の論理学」に初出し、
後期のモノローグ「ベーコン」に出てくる「器官なき身体」についてや、
「CINEMA」で映画は映画機械として<機械状アジャンスマン>である、
という言明があるのは、どうすんの?
ドゥルーズ自身が生前に自分の仕事を11に分類して整理した際に、
自分の著作として「AO」「MP」を認めているが。
今は要らなくなった部分を切り捨てて再構成しようというのは、
国分個人の論であっても都合よすぎないか。
858 :
考える名無しさん:2012/06/23(土) 21:54:36.88 0
ハイデガースレにこんなこと書いてるけど、どう思う?
907 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2012/06/23(土) 10:06:02.28 0
影響といったって、宗教家以外の哲学者・思想家で本当に世界に影響を与えたのはマルクスぐらいだろ?
他はせいぜい心理学やコンピュータ開発などの他の分野に少し影響をあたえる、という程度。
結局、哲学なんて大学の教師になるための、毒にも薬にもならない中途半端な幼稚園のお遊戯みたいなもの。
正面切って社会思想の形をとって論じた思想家というのは「普遍的啓蒙主義」に関連して、
沢山いたと思いますが。(ルソーとか)
社会思想の形をとらなくても「啓蒙主義的近代」をやり抜くための
基本的原則を考え抜こうとした哲学者というのは、世間に知られて影響
を与えていなくても、それが徹底的な極限形式をとった哲学であるが故に
後世の人の参照枠になってるのだと思いますが。
その層は本当は厚かったんだけど、今そのリソースが間に合わない事態
に社会経済が達しているような。
社会経済がある意味マルクス自身が気づいていたことで、
機械化して合理化すればするほど、純利益が少なくなる
という傾向が「資本主義」の傾向の中にあり、
労働価値がすんなり算出できなくなるのが本当です。(A・Oに出てる)
資本本主義自体が現今のIT社会(第三次産業革命)の段階に入ると、
科学技術の革新の大車輪で駆動していくと、労働価値説か拡散してしまいます。
資本主義自体がさまざまな事態に直面しつつ歴史的に欠点をディスパッチして
その本性を変貌してきている訳で、今まで通りに物を作れば儲かるというのではなくて
もの作りをしても儲からなくなってしまう事態が発生しているのだと思います。
低成長時代に入りそこで何をすればいいのか、正直社会の中枢では相当
考え直しているはずです。何も知らないで世間は相変わらずの風に見えますが。
861 :
考える名無しさん:2012/06/24(日) 00:40:13.22 0
>>860 >A・Oに出てる
って何のこと?
無学なんでわからない。
日本の産業界が一時の生産性を持たなくなり、
外資が相当流入したり、半導体産業が壊滅したりしている
ことや、カントリーリスクがのランク付けが下がってきたり
ということから、21世紀の日本というのは大転換の必要性が
きっとあるんだと思います。こういうことと「ドゥルーズ」の云々
とは直接関係ないですけどもね。
>機械化して合理化すればするほど、純利益が少なくなる
そうでもないってことが数学的に証明されてる
>>861 改訳版(文庫)下巻p30〜p50
「剰余価値の定義は可変資本に由来する<人間による剰余価値>とは区別される
<機械による剰余価値>との関連において、また流れの剰余価値全体の測定可能な
性格をも考慮に入れて手直しされなくてはならない。」
>>863 いつ誰が言ったこと?
私は論拠(864)に書きました。
それはマル経?
この議論詳しくやってもっていいよ。
ご意見お伺いします。
>>863 >864に対する反論を当該ページについての
反論でお願いします。
868 :
考える名無しさん:2012/06/24(日) 01:56:32.54 0
>>864 「アンチ・オイディプス」のことだったのか。
ドゥルーズスレだからあたりまえだよね。
マルクスの話だったんでマルクス関係のものかと思った。
ケチをつけるようでなんだけど、ドゥルーズがマルクスを理解しているとは思えないんだが・・・
俺の読み方が悪いのかもしれないが。
あげ足を取るようだけど、マルクスには「合理化すればするほど、純利益が少なくなる」なんて考えはまったくないよ。
マル経わかりませんが。
合理化っていうのは「機械化」と考えて下さい。
OAとかFAあるいはビジネスフォンとか。
もひとつ純利益ではなく剰余価値でした。
私はドゥルーズはにマルクスに当時としては早く見切りをつけていた
ように思えます。マルクスに事寄せながらその実別の道
を探っていたようで、マルクスの信奉者とは違う、図式を
描こうとしていたと思います。
柄谷の「マルクスその可能性の中心」が出たときも
誰ももはやマルクスに期待なんかしてなかった、
と言われます。
ただドゥルーズの「コード化」「脱コード化」の図式のネタは
漠然としてた印象ですが、どうも「シュンペーター」のイノベーション
の革新みたいなものに落ち着いちゃうかと思っています。
860の人が言いたいのは「利潤率の傾向的低下の法則」の問題でしょ
その後いろいろ反論とかもあるけど置塩信雄でも読んでみたらいいよ
873 :
考える名無しさん:2012/06/24(日) 09:49:18.59 0
>>872 その人は知らないが、現実を見れば簡単に間違いだということがわかる。
機械化、合理化によって生産性が向上した結果、剰余価値(資本)の蓄積は飛躍的に拡大している。
それが投資の拡大につながって、ひいてはバブルを引き起こす。
投資膨張によるバブル経済は実体経済を伴わない(社会に還元されない)から、ネズミ講と同じでどこかのタイミングで必ず破綻する。
>>871 ドゥルーズについて語るにしても、自分がわからないところは避けた方がいい。
そうしないと、マルクス自体も理解したように錯覚してしまう。
同時にその部分についてのドゥルーズ自体に対する理解も変な形に間違えることになる。
874 :
考える名無しさん:2012/06/24(日) 10:23:36.98 0
パソコンなどのハードの利益率が下がったように見えるのは、製品の標準化で世界規模の競争に晒されるから。
日本では利益の出にくい製品でも、他国では高利益な製品であることは変わらない。
利益水準に不満な企業は撤退して、残った企業の利益率は回復する。
製品そのものが利益を確保しにくくなれば製品そのものが製造されなくなっていく。
製品の標準化と競争という部分だけを見て、淘汰途中の状況を原則的な法則みたいに取り上げるのはいかにも無理がある。
基本的には、マルクスに限らず多くの人が言うように価格は需要と供給で決まる、ということに過ぎない。
875 :
考える名無しさん:2012/06/24(日) 10:38:51.60 0
つけたしておくと、「利潤率の傾向的低下の法則」(資本論第3巻)というのは実際にはエンゲルスの著作。
876 :
考える名無しさん:2012/06/24(日) 11:00:28.06 0
もともと資本論の「利潤率の傾向的低下の法則」で論じられてるのは、生産性が高くなることで労働時間が減る。
剰余価値は労働時間によってもたらされるから剰余価値も減る、ということ。
これを資本量と労働量の相対的な関係の中で説明したもの。
>>873>>874とは論点が異なる。
もともとの
>>864で引用された部分や
>>869の書き方が資本論と論点がちがうのでずれたようだ。
これ以上はスレチだし、めんどくさいからやめる。
絶対的剰余価値について、カウツキーとか
全然読む暇ないです。
879 :
考える名無しさん:2012/06/24(日) 15:43:41.80 0
880 :
考える名無しさん:2012/06/24(日) 15:51:07.91 0
文字どおりいわゆる機械でもある
エイゼンシュタインのトラクターのように
>>879 マルクスと違ってドゥルーズは土台は「経済関係」ではなく
「欲望」だと言ってるわけで、ほんとは話が上手くすりあわない
んですよね。「機械」をマルクスの側でどう考えているか、
を試しに考えただけです。
882 :
考える名無しさん:2012/06/24(日) 16:59:46.65 0
>>881 なるほど。
それなら実際に読んでみるのが一番いい。
考える方向がちょっと違う気がするけど、書いてあることを素直に読み取るといいと思う。
一応、資本論は第1巻がマルクス、第2巻、第3巻はエンゲルスの著作ということもふまえた方がいいかもしれない。
2、3巻の内容もマルクスの草稿がベースにある部分も多く
元の体系としては先に来る予定だったものもあるし
どう受容されてきたかという事を考えても、最初からその手のマルクス中心史観を取らない方が良い
エンゲルスはミリオタ
戦争機械とだれかつなげて
A・Oの「革命的」っていうのは
今の時代にあんまり説得力なくて
読んでる暇がなくて。
資本論をマル経のセオリーとして読んでもいいと思うけれども、
それでどこに理論的に「資本主義」が止揚される必然性があると
書いてあるのかわからないです。長大な「資本論」を
読むのにかかる時間に時間かかり過ぎないですか。
Wiki見ると「資本論」に2箇所しかない、て書いてあるし。
888 :
考える名無しさん:2012/06/25(月) 23:27:14.22 0
>>886 実はそれほど長大でもない。
ひとつひとつが丁寧に説明されてるから、知らない学者の学説なんかは飛ばしても大丈夫。
暇な時に読むだけでも3週間はかからない。
読むのが速い人ならもっと短いだろう。
889 :
考える名無しさん:2012/06/26(火) 01:01:08.34 0
ドゥルーズが今の時代に説得力がないと言っちゃうと彼の影響下にあるネグリが泣いちゃうぞ
「影響力がない」という言説に意味があるなら、まだまだ影響力があるということだよ
891 :
考える名無しさん:2012/06/26(火) 19:35:45.42 0
>>889 知らないから聞くんだが、ネグりってそんなにドゥルーズが好きなの?
ネグリはハートのことが大好きだよ
893 :
考える名無しさん:2012/06/26(火) 20:28:34.99 0
>>892 ふーん。
読みたい本が増える一方だな。
いつになったらハートまでたどり着くかな・・
イタリア左翼共産主義者・ネグリなんか
なんの意味があるんだw
895 :
考える名無しさん:2012/06/26(火) 20:42:46.90 0
897 :
考える名無しさん:2012/06/26(火) 23:53:11.05 0
マルチチュードの意義は今後も高まりそう
あくまでも「今よりは」ってことね
899 :
考える名無しさん:2012/06/27(水) 13:08:30.02 0
なんだかんだで「帝国」は00年代の哲学書では最も読まれたんじゃないか
分析哲学だけが哲学、あとは文学wみたいなことを公言する大学教授も多いじゃん
どう整合性がつくの?
同じ時代だと分析哲学ではマクダウェル関連がアツいらしいね
902 :
考える名無しさん:2012/06/27(水) 13:39:05.22 0
ダメットが去年末に死んだしな
>>902 ねえタイタンの妖女が難しいんだけど枕元で読んでよ
ドゥルーズ=ガタリに震源をもつマルチチュード特有の、ノー天気なところがない
もっとシニカルな「群れ」が、台頭しそう
当初ドゥルーズが「差異と反復」で敵対していたヘーゲル
を読まずに済ますのは、片手落ちな気がする。
カントからドイツ観念論をやりたい。
萱野って若手の研究者がおそらくはドゥルーズやフーコーのことをポストモダン的左翼といって馬鹿にしてたよ
ビデオニュースの無料回でいってた
907 :
考える名無しさん:2012/06/27(水) 20:44:39.61 0
おーさすがにカント読まずにははじまらないぞな
ヘーゲルは、読むだけならドゥルーズより遥かに難しいから、それを覚悟しろよ
グローバリゼーションと言いつつ、
結局はアメリカ一極集中のご時勢に
なってんだ。ぶんてつだけか?
私が十年ぐらい考えてドゥルーズに
しかないもの、を大事にしたいんだが。
>ドゥルーズやフーコーのことをポストモダン的左翼といって馬鹿にしてたよ
とは言え、マルクスとは全く系譜が違う左翼性だと思う。
910 :
考える名無しさん:2012/06/27(水) 23:48:07.11 0
『差異と反復』『意味の論理学』が純粋理性批判だとすると
『アンチ・オイディプス』『ミル・プラトー』が実践理性批判
『シネマ』『感覚の論理』が判断力批判だろう
カント哲学の展開と似たところがあるのは偶然だろうか
認識論
存在論
美学ってこと?
912 :
考える名無しさん:2012/06/27(水) 23:51:45.91 0
二番目はエチカだろう
>>908 積読で何十年という「精神現象学」の原書があるんで、
それ突っ込んじゃうとドツボだから、
別の参考書使う。
>>910 カントと比較はいいんだけど
ドゥルーズはカントほど形式主義じゃないよ。
このスレのまとめWIKI作ろうと思ったけど、
何度も色んな人たちが同じ論点で議論を
繰り返しているので、スレの歴史みたいなものがあって、
アーカイブのままでいいような気がしてやめた。
純然たる形式主義とは違うが「形式と内容」という対比には終始こだわったね
「バーチャルとアクチュアル」もそうだが
萱野ってバリバールの弟子じゃなかったっけ…?
こいつにポエム以上の価値を見い出してる奴は国家のイデオロギー装置たる出版業界に洗脳されすぎ
918 :
考える名無しさん:2012/06/30(土) 05:41:29.01 0
>>918 東洋のアジアの思想に源泉であるようなものは
理解しているように自分では思っています。
「アジアの思想の源泉であるようなもの」の間違いです。
921 :
考える名無しさん:2012/07/06(金) 21:34:43.32 0
>>916 むしろバリバールの所にいた反動で
今ああなってる
文庫化とは何か
マイケル・ハートの「ドゥルーズの哲学」版切れだが
買って読んでみた。立論が変だ。
1)ニーチェに関する論行がうそ臭い。
2)「存在の一義性」についての研究水準が日本より低い。
これはどうもありがちな有名でかなり出来ているが
片手落ちなドゥルーズ論の一種だと思う。
ヘーゲル「大論理学」を読みながら。
>>923 哲学とは何か
ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ 著 財津 理 訳
ドゥルーズ=ガタリ最後の共著。内在平面―概念的人物―哲学地理によって哲学を総括し、
哲学―科学―芸術の連関を明らかにする。限りなき生成/創造へと思考を開く絶後の名著。
河出文庫 / 380頁
2012.08.07発売
ISBN 978-4-309-46375-9
定価1,575円(本体1,500円)
926 :
考える名無しさん:2012/07/10(火) 13:28:03.89 0
香山リカ(本名:金梨花・通名:中塚尚子)さんはオカしい。
文庫が1500円以上なんて信じられないな。
ありとあらゆる物価は下がってるのに。
國分功一郎もバリバールのところじゃない?
ゴダール映画史なんか文庫本一冊で2400円だぜ
その価値はあるが
専門書はもう1頁=10円なら爆安って感じ
だんだん買えなくなってきた
90年代初めころまでは講談社学術文庫などが700円台で「高い」って感じだったが。
その他はどんなに有名な学者の古典でも普通の文庫は500円台くらいだった。
932 :
考える名無しさん:2012/07/10(火) 16:42:19.31 0
内容がくだらなくても売れそうだと思えば値段を高く設定する。
愚にもつかない観念論に哲学の衣装を着せれば、それなりに流行るからだろう。
買う人は限られてるから高くしても買うってことかな。
出版界も不景気だし、一般に売れそうにないものを出すだけでもいい方なのかな。
それならそれで品切れや絶版を極力防止して欲しいね。
934 :
考える名無しさん:2012/07/10(火) 18:03:56.11 0
哲学の本なんて自分とこの学生に買わせれば売れるだろ?
毎年同じ講義してさ。
あ? ゼミの30人だけじゃ、だめか・・
寧ろ無論許可するよ!?♪。
ドゥルーズは最初からミニュイ社のペーパーバックだわな
937 :
考える名無しさん:2012/07/16(月) 19:18:42.80 0
ハート「ドゥルーズの哲学」の訳者の井上摂という女性が大変なことになってるそうだ
ツィッター見ると現代思想マニアの生き残りのようでイタイんだが
>>937 >井上摂
検索してみたけど、現代思想に関する論文
一つも書いてない。というか論文そのものを
書いているか怪しい。
まともな研究者ではないことは確か。
なんなんですか、この人。
939 :
考える名無しさん:2012/07/16(月) 19:53:43.86 0
井上 摂(いのうえ せつ)
1987年慶応義塾大学大学院文学研究科英米文学専攻博士課程修了.
慶應義塾大学・中央大学講師.ダンスプロジェクトD.D.D.代表.
著書:『アリスまたは時の廃墟』ほか.
940 :
考える名無しさん:2012/07/16(月) 19:55:28.85 0
>>938 なんだかわからないから、まとめたサイトはないかな?
哲学の解釈の分析は楽しいですよ。
942 :
つくだに:2012/07/16(月) 22:25:11.84 0
速くあれ、たとえ場を動かぬときでも!
t
ドゥルーズの文庫ってうれてんの?
稼ぎ頭でしょ
ドゥルーズをカフェで読むとおしゃれ〜 みたいな。
すでに文庫に主著が収まってるのが人気の高さを物語ってる。
ほとんどファッション感覚
理系(っぽい)用語がカッコイイんです
953 :
考える名無しさん:2012/07/21(土) 00:39:32.83 0
普通の女の子は、本なんか読んでる男は相手にしない。
普通の男の子は、本なんか読んでる女は無視する。
ドゥルーズを知ってる女の子は、ドゥルーズ読んでる男を冷たい目で見る。
わからないくせにかっこつけて読んでると思われる。
ドゥルーズ知ってる男の子は、ドゥルーズ読んでる女からはできるだけ遠ざかる。
近づくと変な議論吹っかけられて抜きさしならなくなる恐れがある。
結論。
哲学やるやつは、もてない。
955 :
考える名無しさん:2012/07/21(土) 02:33:04.81 0
ドゥルーズよんでるからって、女の子がそのことで冷たくなるとか
ないってばさ。
ドゥルーズ読んでるの鼻にかけたり、無理矢理女の子に読ませようと
したりすると、嫌われることってあるだろうけどね。
957 :
考える名無しさん:2012/07/21(土) 02:46:13.13 0
>>956 ドゥルーズって、自分にはわかる、って思わせる変な具体性が混ざるだろ?
ハイデガーみたいに。
だからファン同士仲が悪い、気がする、だけだけどね。
>>957 とりあえず、文脈や文の流れ読んで、それで理解しませうって
普通の読み方は通用しないように思う、ドゥルーズはw
ところどころに固有名詞がまかれてるから、それが手がかりになると
読者におもわせるんだろう。
なんかまー、ドゥルーズの著作自体が、神経症の症例のようにも
おもえてくるわ。
だからドゥルーズの著作を読み解くことは、ヒステリー患者の症状を
診て、その症状の原因をさぐることに等しいとw
そういうような読解のやりかたを、ドゥルーズが意図して提供しているのか。
意図したものだとしても、そうでないとしても、いずれにせよ症例的という
ことになりそうである。
960 :
考える名無しさん:2012/07/21(土) 14:20:55.52 0
>>958>>959 やっぱりファン同士は、仲悪くなりそうだねw
土屋賢二という女子大の先生が、哲学者同士が会うと無意味に言い争って両方とも絶対に引かないって書いてたけど、ほんとかもしれないね。
>>960 ファン同士なら、普通は同好の士として盛り上がるんだが
ファン同士仲が悪いってのは、嫉妬が先立つせいか。
哲学においても嫉妬はつきものと昔からいわれるが。
962 :
考える名無しさん:2012/07/21(土) 20:53:23.27 0
>>961 >嫉妬はつきもの なのか。
知らなかった。
ドゥルーズは解釈に幅がありそうだから、ファン同士で収拾がつかないかもしれないね。
観念論の宿命かな?
と思ったけど、マルクスだって収拾がつかないくらい、いろんな解釈があるな・・
あまり幅がないのは、ヘーゲルかな?
いや、別に詳しいわけじゃなくて、なんとなくだけど。
マルクスは解釈のように見えて一皮むけばしょせん政治的な対立じゃないか?
いやいやヘーゲルもすごい幅がある
もっとも幅がある部類じゃないか
文庫版ミル・プラトーを大学近くのスタバで読んでたら逆ナンされました(21歳 大学生)
思想系女は地雷も多いから嫌だなあw
思想に関心をもつ必然性が今はないからね。
そういうタイプは社会学が吸収している気がする。
本当に哲学がやりたい奴はいつの時代でも「病気」に近い。
サドとマゾッホを大学近くのスタバで読んでたら男の人に誘われました(35歳 フリーター)
>>962 解釈はひとの数だけあらーな。 人気のある哲学者ほど
言及される回数も増え、したがって、いろんな解釈がでるって
それはありそうだな。 とはいえ、マルクスを観念論者として
解釈したり、ヘーゲルを唯物論者として解釈したりとか
そういう解釈するのは、誰にとっても無理があるだろうが。
全然無理がないと思うよw
ヘーゲルの文章はとにかく晦渋だからかなり解釈の余地がある
というかハイデガーのような強引な解釈もありだとするならどの哲学者にもそれはある
972 :
考える名無しさん:2012/07/23(月) 14:57:31.39 0
>>969 納得しないこともないんだけど、そうすると、それぞれの人が自分の哲学を表現しているだけということになるから、元の著作の意味がなくなってしまうんじゃないか?
まさか、この世の哲学が、唯物論と観念論のふたつに別れるだけ、なんていう昔のマルクス主義党派みたいになってしまうわけではないだろう。
読者による解釈の違いというのは、その哲学のとってどういう意味を持つんだろうね?
973 :
考える名無しさん:2012/07/23(月) 14:59:00.18 0
>>972 >その哲学のとって −> その哲学にとって
の間違い。申しわけない。
頑固なドゥルージアンなら萱野とか國分は「ヌーヴォーフィロゾフ」扱い?
とても人気のある哲学者の反面、まだまだ足りないところもある
ややもするとフーコーやデリダに比しても扱いが小さい
>>969 無理ないかね? 唯物論はひっくりかえった観念論にすぎないと
すれば、マルクスを観念論者ということもありかもね。
>>972 哲学には唯物論的なものと観念論的なものという二つの極があり
その中間的な形態はさまざまな不可知論であるってのは、マルクス
主義哲学の根本であり本質であると思うよw エンゲルスもそう書いてるし。
後のマルクス主義者はいろいろな方向へとマルクス主義を拡張して
いったので、もろもろの系統樹の末端からみると、きわめて複雑な
様相を呈しているが、根をみればそうなると。 うむうむ、これは
ドゥルーズがさんざんに批判した、ツリーの思考といえるかな。
読者による解釈の違い? まあ、哲学者が著述をものしたところで
読者にどう読まれるかについては、コントロールすることはできない
と、プラトンはいっていたね。 デカルトも自分の読者が、自分の思想の
部分から、勝手に無法きわまる哲学をたててしまう可能性について
述べていたね。 つまりいろんな解釈ができてしまうというのは、本来
哲学者にとってのぞましいことではないんだね。
デリダはやはり正しかったと。
そうか?
デリダは浅田の50倍、東の500倍賢い人にすぎない気がする。
國分読んでないな。ドゥルーズ的には
哲学者の思考のイマージュを読み取ること
が亜問題であって。解釈することではない。
埋め
解釈学は聖書解釈にさかのぼるハイデガー・リクールまで
の歴史があるので、ドゥルーズにおける哲学史読解とは別に
<フロイト分析><物語分析><現存在分析>でも
デリダ的脱構築でも、違う立場からテキスト釈義をやるんなら
このスレでやられても結構。
ただ冗長にならなければね。
埋め
984 :
考える名無しさん:2012/07/27(金) 18:07:37.52 0
>>976 >マルクス主義哲学の根本であり本質
ずいぶん大胆にマルクス主義哲学なんて書いちゃってるけど、大丈夫かねえ?
>エンゲルスもそう書いてる
なんて付け加えるところを見るとちょっと自信がないのかな?
「マルクス主義哲学」というまとめ方で何を意味させるつもりなのか、とか
それはマルクス自身が書いたものを元にしているのか、とか
議論を始めるとなかなか大変そうだ。
原則としては、マルクスとエンゲルスを同一視することを避けるのが、たぶん世界で最も進んでいると思われる日本のマルクス研究の基本。
これ以上はスレ違いだから、このくらいで。
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