永井均 8 【独在性】

このエントリーをはてなブックマークに追加
1考える名無しさん
前スレ
永井均 7 【独在性】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/philo/1299379464/l50

前スレが落ちたので立てておきました。
2考える名無しさん:2011/09/15(木) 01:20:00.82 O
著作リスト的なもの
単独著書

『〈私〉のメタフィジックス』 勁草書房 1986年
『〈魂〉に対する態度』 勁草書房 1991年
『ウィトゲンシュタイン入門』 ちくま新書 1995年
『翔太と猫のインサイトの夏休み―哲学的諸問題へのいざない―』 ナカニシヤ出版 1995年
(ちくま学芸文庫版 2007年)
『〈子ども〉のための哲学』 講談社現代新書 1996年
『ルサンチマンの哲学』 河出書房新社 1997年(河出文庫版 2009年)
『子どものための哲学対話 人間は遊ぶために生きている!』 講談社 1997年
(講談社文庫版 2009年)
『〈私〉の存在の比類なさ』 勁草書房 1998年
(講談社学術文庫版 2010年)
『これがニーチェだ』 講談社現代新書 1998年
『マンガは哲学する』 講談社 2000年
(講談社+α文庫版 2004年 岩波現代文庫版 2009年)
『転校生とブラック・ジャック―独在性をめぐるセミナー―』 岩波書店 2001年
(岩波現代文庫版 2010年)
『倫理とは何か 猫のアインジヒトの挑戦』 産業図書 2003年
(ちくま学芸文庫版 2011年)
『私・今・そして神―開闢の哲学』 講談社現代新書 2004年
『西田幾多朗 〈絶対無〉とは何か』 NHK出版 2006年
『なぜ意識は実在しないのか』 岩波書店 2007年
3考える名無しさん:2011/09/15(木) 01:22:34.14 O
続きで共著など

『なぜ人を殺してはいけないのか?』 河出書房新社 1998年
(河出文庫版 2010年)
『なぜ悪いことをしてはいけないのか Why be moral?』 ナカニシヤ出版 2000年
『事典 哲学の木』 講談社 2002年
『岩波講座哲学2 形而上学の現在』 岩波書店 2008年
『〈私〉の哲学 を哲学する』 講談社 2010年
『KAWADE道の手帖 〈哲学入門〉 ウィトゲンシュタイン』 河出書房新社 2011年
4考える名無しさん:2011/09/15(木) 21:09:35.37 O
改めて見ると、単独著書がもう4年ほど出てないけど、これは結構空いてることになるんですな。
5考える名無しさん:2011/09/18(日) 10:48:47.40 O
素朴な疑問として、「存在はレアールな述語ではない」という話について出てくる
「概念」とか「可能性」というものは、どういうものなのでしょう。
6考える名無しさん:2011/09/19(月) 00:42:13.19 0
転校生とブラックジャック読んでみたけどいいねこれ。
こういうSF的な思考実験が扱われている本で他にお勧めあるかな。
7考える名無しさん:2011/09/19(月) 10:45:18.42 O
たくさん思考実験が書かれているという点では、その本が一番だと思うけど。
あとは漫画に引っかけていろいろ書かれている『マンガは哲学する』がいいかなあ。
あるいは『私・今・そして神』とか『翔太と猫のインサイトの夏休み』とかにも、
それなりには出てくる。
8考える名無しさん:2011/09/19(月) 13:11:19.85 0
ttp://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/97.html
ここの遍在転生観について。
もし仮に遍在転生観とライプニッツ原理が正しいとすると、
他者とは過去や未来における<私>だ、ということになる。
その場合、なぜこの地点が現に<今>か、という問いが
なぜこいつが現に<私>か、という問いと同じ意味になる、
ような気がするんですけどどうなんですかね。
9考える名無しさん:2011/09/19(月) 14:58:30.46 0
>その場合、なぜこの地点が現に<今>か、という問いが
>なぜこいつが現に<私>か、という問いと同じ意味になる、
>ような気がするんですけどどうなんですかね。

その場合じゃないと同じ意味にならないの?
10考える名無しさん:2011/09/19(月) 15:02:16.49 0
永井スレッド新参者がこのスレッドに参加するための最低限の基礎知識

1:永井の主張は自己言及のパラドクスである。

2:竹田はえらい。
11考える名無しさん:2011/09/19(月) 15:49:24.22 0
>>5
「可能性」は論理的可能性のこと。
「aはPである」が、真である世界も、偽である世界も、ともに成り立つとき、
「可能」であると言われる。
さらに補足的に言うと、どの世界でも真であるのがトートロジーであり、
どの世界でも偽であるのが矛盾。真偽の中間にあるのが「可能」だな。

「概念」というのは、誤解を恐れつつ言えば、
述語論理で述語記号として翻訳できる文の内容をさす。
概念の意味とは、その記号同士の関係だな。
語に対して、頭の中で抱かれるイメージのことではない、ということが重要。
12考える名無しさん:2011/09/19(月) 16:14:07.54 0
(永井の好きな哲学者)
デカルト
ライプニッツ
ニーチェ
ウィトゲンシュタイン
ルイス
ネーゲル
ローティ
クリプキ
西田幾多郎
大森荘蔵

(永井の嫌いな哲学者)
ルソー
カント
ヘーゲル
フッサール
ハイデガー
メルロ=ポンティ
ラッセル
ストローソン
チザム
木村敏
13考える名無しさん:2011/09/19(月) 16:52:19.07 0
>>3
チョwワロタ。
なぜ人とか私哲とか、この板でしょっちゅう立ってるスレとまったく同じじゃねーか。
なるほどね、そういうことか。
自分が気になって哲学したいから立ててるわけではなくて、この長居ってやつの本を読んで
それを他人に教えてやりたいから立てまくってるんだな。あほらし。
14考える名無しさん:2011/09/19(月) 16:59:03.62 0
それじゃ、機械的唯物論の元ネタとか哲学ゾンビとかいうのの元ネタの著書って何なのだろう?
15考える名無しさん:2011/09/19(月) 17:04:08.22 0
哲学的ゾンビは普通に心の哲学でしょ。
永井はチャーマーズ批判しているけれども、
なにも永井だけがチャーマーズ批判をしているわけではない。

あと、機械はネタだろw
16考える名無しさん:2011/09/19(月) 17:36:01.73 0
>>9
他の場合はどうか知らんけどw。
この場合には、そうならないか?って永井の本読んでる人に聞いてんのよ。
17考える名無しさん:2011/09/19(月) 17:38:04.28 0
>>12
ん、永井はカント評価してなかったか?
まぁ永井の好みなんてどうでもいいけどさw。
18考える名無しさん:2011/09/19(月) 17:42:19.12 0
てか自己言及くんはまだ粘着してんのかw。
前スレのと同じ奴かな。恨みがあるのだろうね。
19考える名無しさん:2011/09/19(月) 17:45:43.18 0
永井の本だとカントは基本的に悪者のような気がするな。
悪者というか、存在への驚きをねじまげた戦犯みたいな扱いじゃないか。
20考える名無しさん:2011/09/19(月) 20:04:08.98 0
とんでもない!
カント原理こそが実在世界を構成する原理そのものだと言ってる。
21考える名無しさん:2011/09/19(月) 20:20:28.62 0
>>7
ありがとう。
「私、今、そして神」買ってみるわ。
22考える名無しさん:2011/09/19(月) 23:25:28.09 O
>>8
そもそも、同時代にいる他人たちも実は私である、ということの意味が分かる?
私には何のことだかよく分からない。
23考える名無しさん:2011/09/19(月) 23:36:10.37 O
>>11
素人の疑問ですみませんが、そのような説明の「可能性」あるいは「概念」と、
「存在はレアールな述語ではない」「あることが現実に存在する場合と可能的に
存在する場合では、内容は同じである」といった話についての「可能性」などとは、
どういう関係にあるんでしょうか…
24考える名無しさん:2011/09/20(火) 10:07:40.23 0
>>22
妙な設定かも知れないけど、死んだ瞬間に過去現在未来のべつなくタイムスリップして他者に永遠に転生し続けるとしたらどうだ?
だとしたら今現在はたまたまこの「この私」を生きているだけで、この私を生きて死んだあとは、べつの「この私」に転生するのかも知れない。
こう考えたら、同時代に居る他人たちもまたじつは私であるという想定も意味のないものではない。
要は、人生(「この私」)を内側から生きるということが、物事の「意味」そのものなのだから。
2524:2011/09/20(火) 10:09:10.07 0
あ、ちなみに自分は8の人じゃないです。
26考える名無しさん:2011/09/20(火) 23:24:28.88 O
>>24
とりあえず適当に考えてみるとして、例えば、世界にはA、B、C…という人間たちがいるが、
なぜか私は馬鹿のK君だったとする。そして、普通なら、西暦2100年にはまず間違いなく死んで、
それでお終い。
しかし、実は私はずっと転生していくとして、その転生の時間経過を(よく分からんけど)
「転生歴」とでも呼ぶとして、転生歴1〜100年には私はAであり、転生歴101〜200年には
私はBであり…で、今は転生歴1001〜1100年の間だから、私はKである、とする。
もちろん同時代だけでなく、例えば転生歴3500年ころには西暦400年ころの人物Xであったり、
転生歴5000年ころには西暦6000年ころの人物Yであったり、以下略。

このようなことがもし考えられるとすれば、「なぜKが私なのか」という問いには、
「それは今が転生歴1100年ころだからであって、別の時にはA、B、C…でもある」と
答えられることになって、あとは「なぜ今は西暦2011年(転生歴1100年ころ)なのか」という問い
だけが残る、とでもいうことになる?

しかし、このようなことを考えてみるにしても、普通の時間経過と違う「転生歴」みたいなものが
あり得るのか、あるとして普通の時間経過との関係はどうなるのか、などが説明されないと、
やはり何のことか分からないんじゃないかと思うけど。
いや、「転生歴」というのは私が勝手に作ったものだから、他にちゃんとした考え方が
できるのか知りませんが。
2726:2011/09/20(火) 23:27:41.28 O
というか、用語を使うとすれば(少なくともここで使おうとする限度で誤解がないとすれば)、
そんなことはカント原理により不可能だ、ということになるんじゃないですかね。
28考える名無しさん:2011/09/21(水) 00:20:21.00 0
そのカント原理って具体的にどういうこと?
29考える名無しさん:2011/09/21(水) 23:44:09.20 O
>>28
『私・今・そして神』と『転校生とブラック・ジャック』を読んでみてください。

と言うだけでは何だし、きちんと理解しきっていない用語を適当に使うのはよくないので、
やはり一応は自分で書いた>>26の内容に戻るとすると。
まず、そもそも、Kが私なのに、同時代に存在するA、B、…も実は私である、
ということの意味が分かる?
そんなことが整合的に考えられるのか、考え方が思い付かない。
そのために「転生歴」というものを無理やり考えてはみたけど、仮にそんなものを考えてみたって、
西暦2011年にKが私であるのに、同じ西暦2011年にA、B、…も実は私である、なんてことが
不整合なのは、変わらないのでは。
何か考える余地があるのかなあ?
30考える名無しさん:2011/09/22(木) 03:36:23.54 0
魂だけが転生しても記憶が繋がってない以上
それはもう私ではない、と考えることはできる
31考える名無しさん:2011/09/22(木) 06:53:22.21 0
そういう具体性じゃなくて、カントが書いた具体的な著作名と原理原則論の具体的な概要。

>>29の具体性って、永井の文章・文脈内容ですよね? それがカントのどんな考え方に
似ているのか、適用して説明できるのかが知りたい。というか「カント原理」と一言で言われたって
わかんないよと言いたい。>>29の文章の意味はわからなくもないけど、カントってそんなこと考えていたっけ?
と思ってしまう。
32考える名無しさん:2011/09/22(木) 08:28:38.33 0
横から失礼。
それは永井の解釈ではないか。
『私・今・そして神』で直接引かれているのは「観念論論駁」だが、
演繹論や原則論の客観的世界の超越論的構成の議論一般を、
独在性が客観的世界内に決して直接現れない超越論的論拠と解釈したのだろう。
『純理』全体を(バークリと合体した)デカルト批判の書とみなせば、その解釈は成り立つだろう。
超越論的観念論が何をターゲットにしているかの問題だが、
ともあれ『純理』で批判されたものが『実理』で生き返るという構造も共通だろう。
中身は随分違うが。
33考える名無しさん:2011/09/22(木) 08:59:25.88 0
カント原理=超越論的論理。限定なら話は単純だが、定言命法とか
他にもカントってイパーイあるじゃん。明細分けてきちんと指摘すべきでは?
34考える名無しさん:2011/09/23(金) 03:42:22.83 0
>>30
なにも死ななくても、高次脳機能障害とか認知症とか
35考える名無しさん:2011/09/28(水) 23:47:24.50 0
永井スレ伸びなくなったな
やっぱオワコンか?
36考える名無しさん:2011/09/29(木) 18:35:16.13 0
哲学と「オワコン」に如何なる関係があるので?
37考える名無しさん:2011/09/30(金) 17:19:43.51 0
永井の本が大衆受けしている状況の方がおかしい
哲学オタが陰でこっそり読んでるぐらいの方が良い
38考える名無しさん:2011/10/06(木) 03:50:53.39 0
え?
大衆受けしてんの?
39考える名無しさん:2011/10/08(土) 23:43:40.10 0
新山喜嗣 『ソシアの錯覚』が一冊まるまる永井均論になってるっぽいな。
勝守真や入不二基義等の永井批判も比較検討してて、
かなり詳しく扱ってる感じ。
40考える名無しさん:2011/10/11(火) 00:30:24.02 O
>>39
前書き部分と目次と、目次の項目だけからみて直接永井について扱っていそうなところを
ちょっと眺めてみた限りだけど、精神科の症例で、他人について「姿形も性格も
まったくそっくりだが、あの人ではなく偽物だ」と信じてしまうことがある、という話は
なんか面白そうではあるんだけど、直接引用・言及している永井の本は、基本的に
『私の存在の比類なさ』以前のもののように見受けられたので、とりあえず買うのは
パスしてしまった。
全体を読んだら、もっと後の本も扱ってるのかなあ。
41考える名無しさん:2011/10/27(木) 18:30:18.64 0
だれか「自己という概念に含まれている矛盾」読んだ人いる?
42考える名無しさん:2011/10/27(木) 23:22:41.66 0
それは一体何だ?
論文?
どこに掲載されてるの?
43考える名無しさん:2011/10/28(金) 00:23:36.44 O
7月にあった朝日カルチャーセンターの公開講座で配られていたものは知ってるけど。
「精神科学」(日大の哲学科で出している雑誌?)に載せる予定のもの、という説明だったので、
>>41はそれが正式に載ったという趣旨?
いや、私は素人なので、そんな正式な雑誌はちょっと確かめようがありませんが。
44考える名無しさん:2011/10/28(金) 22:17:39.27 0
『精神科学』第49号。他に飯田隆や佐々木健一なども論文を載せていますね。
45考える名無しさん:2011/10/29(土) 22:21:44.32 0
どうすれば入手できますか?
46考える名無しさん:2011/10/30(日) 19:27:31.64 0
馬鹿www
47考える名無しさん:2011/10/31(月) 22:54:37.01 0
>>45
現物が欲しいなら日大の文理学部哲学科に直接申し込むしかない
48考える名無しさん:2011/11/07(月) 21:15:06.41 0
日本ホラー小説大賞の長編賞を取った「なまづま」という小説を
読んだら、作者にそんなつもりはないのだろうが(選者たちもそんなことは
誰も言っていなかったが)、ある意味「永井的問題意識」につながるような
内容だった。
ちなみに、小説としてはあまり面白くはなかった。
49考える名無しさん:2011/11/08(火) 11:42:55.60 0
本人宣伝臭いけど積ん読するわw
50考える名無しさん:2011/11/08(火) 23:53:24.54 O
永井的な問題意識の小説というと…
例えばカフカの『変身』みたいのとか?
全然違いますか、そうですか。
51考える名無しさん:2011/11/09(水) 11:33:25.76 0
>>49
本人が「小説としてはあまり面白くはなかった」とは言わんだろうw
>>50
例えば『涼宮ハルヒの消失』みたいのでは?
5248:2011/11/09(水) 20:38:25.90 0
>>49
本人って作者ってこと? そんなわけあるか。作者に悪いわw
ageたのは単なるミス。
>>50-51
『変身』も『涼宮ハルヒ』も読んだことないのでわからん。
変身はザムザが虫になるとかいう話だっけ。そっちに近いかも。
永井的問題意識って倫理じゃなくて「私」の方ね。
別にそれがテーマというわけでは全く無い(というか、テーマがよくわからない)
小説なのだが、読んでいてそういう風にも読めるなあと思った。
あと、新人なので文章がこなれていないのと、かなり気持ち悪い話なので念のため。
53考える名無しさん:2011/11/14(月) 12:45:21.04 0

大森荘蔵セレクション
大森荘蔵 (著), 飯田隆 (編集), 丹治信春 (編集), 野家啓一 (編集), 野矢茂樹 (編集)

戦後日本を代表する哲学者のエッセンス。ものも過去もじかに立ち現れている! 問いと思考の変遷を鮮明に示す論考を、衣鉢を継ぐ4人がセレクト・編集する。大森哲学を知る最良の入門書。解説は4人の共同討議。
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4582767486
54考える名無しさん:2011/11/15(火) 13:30:49.17 0
座談会の野矢&野家による
「大森哲学はおそらく独我論なんだけれど、
 何が独我論なのかということを言うことができない」
という評言が印象深かったな。
55考える名無しさん:2011/11/16(水) 15:57:45.73 0
永井が後期ウィトゲンシュタインについて、
「語られもしなければ示されもしない独我論」というのもそういう意味なの?
56考える名無しさん:2011/11/21(月) 13:24:54.78 0
「わたしの知っている痛みとか赤色とかはただ私自身が感じ、私自身に見えるものとしてものである。
それを他人に移植する、つまり他人がそれを感じたり見たりすると想像することは実は不可能なの
ではないか。実数の間の大小を複素数の間に移植したり、将棋の王手や成り駒を碁に移植するこ
とが不可能なように。私は他人が私の経験に似た経験をしていると想像しているつもりでも実は想
像しているのはその他人に成り代わった私自身なのではあるまいか。そして想像の中であっても私
は終始私であって彼ではない。私に想像可能なのは、彼の立場にある私の痛みであって彼の痛み
ではない。私に出来るのは私の自作自演の想像だけではあるまいか。だれこれは何とも奇妙な状
況である。」(pp.70)大森荘蔵「流れとよどみ」
57考える名無しさん:2011/11/22(火) 09:20:52.54 O
>>56
このような話は、永井の議論とどのくらい関係あるのかなあ?
(全然ないとまで言ってもいいのかなあ)
私も昔はあまりうまく区別できなかったけど。

> 私は他人が私の経験に似た経験をしていると想像しているつもりでも実は想
> 像しているのはその他人に成り代わった私自身なのではあるまいか。

例えばこのあたり、特に「似た」経験をしていると「想像」、というあたり。
最近の本で言えば、似ている・いないではなく、「同じ」経験をしているのであり、
また想像という問題ではなく、現実かどうかという問題、ということになるのでは。
58考える名無しさん:2011/11/26(土) 19:19:09.39 O
しかし、あまり関係ないけど、座談会は「独我論」もいろいろ話題に上っていたりして
面白いですな。(いやまだ熟読はしてないので「面白そうですな」が正確か)
59考える名無しさん:2011/11/26(土) 22:29:19.40 0
つまらんよ。
大森荘蔵自身つまらんし。
60考える名無しさん:2011/11/27(日) 01:17:44.24 0
そりゃお前の才能がないだけだよw
61考える名無しさん:2011/11/28(月) 23:14:10.08 0
たしかに大森は意外につまらないな。
立ち現れ一元論とか言っておきながら、すぐに見透かし線とか言って、ちっとも一元論じゃないし。
62考える名無しさん:2011/11/28(月) 23:41:15.92 0
直観主義論理は考えなきゃいけないから直観じゃないみたいな批判だな。
63考える名無しさん:2011/11/29(火) 20:45:18.71 0
直観主義論理は考えなきゃいけなくても直観主義ではあるけど、
立ち現れ一元論は見透かし線を前提にしてしまったらもう立ち現れ一元論じゃないだろう。
立ち現れに側面図があることを認めてしまっているわけだから。
今度はその側面図はだれにどう立ち現れるのかをさらに論じていかないと駄目なのに、肝心なそれをやってないんだな大森は。
64考える名無しさん:2011/12/05(月) 11:06:23.17 0
何を読んでそう思ったのかよくわからないけど、
立ち現れ一元論は対象の一元論であって、
新カント派の現象主義のような立場(?)とは異なるので、としか。
65考える名無しさん:2011/12/05(月) 21:43:35.48 O
ネットのあちこちで拾った情報によると、昨日、野矢茂樹『語りえぬものを語る』を扱って
野矢、永井、入不二の三氏が発表したシンポジウムがあったらしいですな。
どこかで出版されないんだろうか。
少なくとも、国会図書館に所蔵される雑誌に収録されれば、そのうち
コピーを手に入れることが可能なはずだけど。
66考える名無しさん:2011/12/06(火) 00:43:30.71 0
どんなシンポジウムだったのかなぁ。
見た人は、ぜひ、よろしく。
67考える名無しさん:2011/12/06(火) 10:47:53.63 0
普通の学会シンポジウムなので、
どこかで出版されるなんてことはないだろう。
68考える名無しさん:2011/12/06(火) 23:58:14.46 O
『語りえぬものを語る』331頁以下では『私・今・そして神』の私的言語が
扱われているけど、そこに関しての話なんですかね。
69考える名無しさん:2011/12/08(木) 04:16:07.56 0
>おい、それも脅迫なんだよ投稿者:津原泰水 投稿日:2011年 1月29日(土)02時01分51秒 編集済
> 【中立】スレッド
>606 :名無し草:2011/01/29(土) 01:53:05
>今日の烏賊ちゃんのカキコ、もし万が一そういう事態になったら、結構重要な証拠になると思う。
>教祖はのらりくらりと書いているのにね。
>
>   *
>
> なんねえよ。馬鹿か。
> RH=“ふぐすまソネット”=ランドール、佃煮マニア=吹雪饅頭、ミニス=マグナ=カシス、
>質問者、文学の良心、菊田若菜が、「川上未映子本人にしか見えない」
>誹謗中傷を病的にやってきたってだけだろ?
> 烏賊ちゃんの「誤解」はむしろ情状酌量の対象で、とける「誤解」をとこうとしなかった
>ほうは社会的に糾弾される。小沢一郎が糾弾されているようにね。
> ブログを持って俺のBBSにもリンクしている川上さんが、「なにも知らなかった」
>ことを立証せざるをえないだけの話さ。
>
> 誰か、貼っといてください。
70考える名無しさん:2012/01/04(水) 01:41:39.58 0
津原泰水も有名になれてよかったなw
71考える名無しさん:2012/01/05(木) 01:16:46.41 O
前に名前が出ていた『ソシアの錯覚』という本を読み始めてみた。
他人について、全ての属性が同一であると言いながら、「あの人は偽者になってしまった」
などと言い出す妄想?について、その他人の〈私〉が入れ替わってしまったことにより
その人の同一性が失われてしまった(と、患者は信じている)という考え方ができるのではないか、
というようなことが論じられているようだけど…
他人の〈私〉などというものを認めてしまって、しかもそれが入れ替わるとか何とかいうことが
同じ世界の中で起こり得るというような議論だとすれば、永井のもとの議論とはまるで離れて
しまっているような。
著者自身も、永井のもとの議論とは違うと、自ら断ってはいるので、まあ断った上で
応用、借用を試みるのは別にいいのかもしれないけど。
しかし、私がこのように唯一であるということからまるで離れてしまって、同じ世界に
いる他人についてその他人の〈私〉なるものが入れ替わるなどという事実があり得る
かのように言うと、それではまるで意味不明というか、怪しげな話になってしまうのでは。
まあ、まだ半分以下しか読んでないので、決めつけてしまうのは不適切かもしれませんが。
72考える名無しさん:2012/01/05(木) 15:14:52.17 0
たぶん永井の用語法に従うとそれは<私>というか<魂>だよね。
73考える名無しさん:2012/01/05(木) 18:14:03.86 0
どちらでもないだろう。
74つくだに ◆61T2sqB8f. :2012/01/05(木) 18:36:53.13 0
みんな知ってるか?ジェイコブってブロガーがいるんだけど、
永井のクラスに通ってた作家の川上未映子のストーカーをして、永井が激怒してジェイコブをクラスから締め出したそうだ
ジェイコブはブログでさんざん永井を誹謗中傷して、まだ川上のストーカーしてて警察ざたになってる
7571:2012/01/05(木) 18:51:32.16 O
>>72
〈魂〉でもなく、永井が論じてないような話になると思うんだけど。
ちょっと具体的にするために、患者Pが他人Aについて、「あの人は属性は変わっていないけど偽者になってしまった」
と言っているとする。
そして、Pが〈私〉であるとする。
Pのみが唯一世界を開いており、唯一の〈私〉である。
はずが、なぜだか「唯一の〈私〉」ということが他人たちにも言えてしまい、
それでAが〈私〉であるということも考えられはする。
ここまでは、永井も論じていると思う。
しかし、Aが〈私〉であることにつき考える際には、Aのみが唯一世界を開いていると
考えるのだから、その際にはPも、その他の他人も、世界を開いていない
ただの人間にすぎないことになるはず。
だから、Pが〈私〉であるときに、そのままPが開いている世界を考えたままで、
Aも〈私〉であってそれが入れ替わるとか何とか考えるのは無理であって、
そんなことを考えるのは、永井と違うことを考えることになると思うんだけど。
永井のいう〈魂〉は、そんな話ではないんでは。
76考える名無しさん:2012/01/05(木) 22:26:50.69 0
シュリックも自分のとこの馬鹿学生に撃たれて死んだんだっけ
そういう意味で心配な話だな
77蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2012/01/05(木) 23:00:03.64 P
同一性という考え方が間違っているように思います
“私”は全ての属性を内包し得る、
から始まれば、そんな結論には至らないはず

78蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2012/01/05(木) 23:01:08.46 P
>>71宛てです

79考える名無しさん:2012/01/06(金) 15:05:54.10 0
久しぶりに会ったてみたら、全く別人のようになってしまった人って
同じ人なんだろうかねえ?
80考える名無しさん:2012/01/06(金) 15:21:16.46 0
>>54
「言うことができない」という、共通認識では結ばれているわけかw
81考える名無しさん:2012/01/06(金) 16:23:18.95 0
一般的な考え方で言えば、
靴屋のニクソンも大統領のニクソンも同じ「人」だよ。
8271:2012/01/06(金) 20:55:29.63 O
>>77
〈私〉については、他のものとの区別とか同一性とかが、そもそも問題にならない、
というのは、そのとおりでしょうな。
『ソシアの錯覚』の著者は、自覚的にそれに反対して、他のものとの区別とか同一性とかが
問題になるようにわざと考えようとしてるようだけど、そうなると、率直に言って、
著者はそもそも〈私〉という表現で何を意味しようとしているのか、分からなくなる。
まだ全体を熟読したわけではなくて、そのへんの説明は「追補1」という部分を
読み進めれば出てくるのかもしれないけど、正直、あまり頑張って読む気がしなくなってきた。

まあ、永井の議論そのものに忠実でなくても、それと別に患者の治療に役立ったり
生産的な議論になっているのなら、それはそれでいいことなんだろうけど。
どこに忠実でないのかも、それなりに明示されているわけだし。
83 [―{}@{}@{}-] 蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2012/01/07(土) 00:54:47.96 P
>>79
例えばどんな風に?

84蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2012/01/07(土) 00:59:25.77 P
>>82
その本は横に置いて、永井均のいう同一性を一文で定義してみるんだ

85考える名無しさん:2012/01/07(土) 01:29:21.85 0
71ではないが、永井の言う同一性?というよりも、
たんに同一性というのが、固有名や述語について成り立つ関係だから、
固有名や述語を限界づける<私>については、
その関係そのものが成り立たないということなのでは。
86考える名無しさん:2012/01/07(土) 01:52:02.56 0
論理形式は語りえない
無茶ぶりするなよw
8771:2012/01/07(土) 01:55:59.08 0
>>84
>>82で、<私>については他のものとの区別や同一性は問題にならないと書いているのに、
なぜ「永井の言う同一性を定義」などということをしなきゃならないの?
88考える名無しさん:2012/01/07(土) 04:53:25.74 0
そもそも同一性って、誰が判断するんだろうね
89考える名無しさん:2012/01/07(土) 09:56:05.55 0
そりゃ判断するのは発話者だろう
90考える名無しさん:2012/01/07(土) 13:43:16.72 0
>>88-89
そこも注意したほうがいいか。
そもそも<私>について他のものとの区別が問題にならないと言う時には「誰が」も
「誰を」もへったくれもなく、端的に分かるとしか言いようがないだろう。
ただ、同じことが、なぜだか誰にとっても言えてしまうことにはなる。
それとは別に、他人について、その人物の同一性を判断する時には、よく知らんけど、
多分、身体によって区別、判断するんじゃないの?
そこで>>75の具体例を使いまわすと、Pが<私>であるとしてAについて同一性を
問題にするときに<私>を持ち出すのは、そもそも<私>について同一性は問題にならない
のではないか、という点と、他人の同一性については身体によって判断するのでは
ないか、という点の2点で疑問がある、ということになるか。

ところでしかし、<私>について端的に分かる(ということが誰でも言える)ということとは
全く別に、発話者がその発話者自身を他人から区別しようとしたら、それもやはり
身体によって区別するしかないのかなあ?
(関連することが「自己という概念に含まれている矛盾」(の朝日カルチャーセンターで
配布された版)に書かれているように思うけど)
91蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2012/01/07(土) 14:22:37.53 P
その時その瞬間に表に現われているものを全てだと考えるからこうなる

92考える名無しさん:2012/01/07(土) 14:39:39.37 0
永井に師事する川上ってw レベル低www
93つくだに ◆61T2sqB8f. :2012/01/07(土) 16:39:20.56 0
ジェイコブ乙
94考える名無しさん:2012/01/07(土) 20:53:20.84 0
>>89
発話者が「同一だ」と考えられれば、同一と言えるならば
同一性の基準は、無いも同然ということになるが
95考える名無しさん:2012/01/07(土) 23:35:32.71 0
判断するのは発話者だけど、
判断の意味(真理値)までは発話者によらないでしょ。
発話者は同一性の関係を判断する。
それは真なる判断でも偽なる判断でもありうる。
96考える名無しさん:2012/01/08(日) 00:07:32.24 0
真理値が存在すると仮定するならば
判断によらず同一性は確定してると思うけど
97考える名無しさん:2012/01/08(日) 00:18:57.75 0
>>88はちょっと言葉不足だった。
「どうでもいい判断」なら誰でもできるが
「真なる判断」は誰がするのか、そもそも存在するのかってこと。
98考える名無しさん:2012/01/08(日) 00:24:18.33 0
言葉が世界と結びく規則みたいなものは語りえぬものだよ。
検証を満たす水準は暗黙のうちに約されている。
99考える名無しさん:2012/01/09(月) 02:30:23.24 0
日本人が「神は死んだ」とか「語り得ぬものについては、沈黙しなくてはならない」とか言っても
なんか違和感あるのよね
100考える名無しさん:2012/01/09(月) 02:44:50.82 0
「発話者が判断」と言っても、何をどう判断するという話なのか、細かく考えるべきか。
例えば「Pさん、ここにいますか、どなたですか」という質問に答えるという場面があるとして、
P以外のAが答えるとすれば、Pの身体的特徴でもって答えることになるだろう。
P自身はどう答えるかというと、一見、間違いなく当然に答えられるように思われるけど、
例えば記憶喪失であれば答えられないだろうし、記憶違いという可能性も
全くないとはいえないだろう。だから、別に、特別に間違いなく同一性の判断が
できるというわけでなく、記憶によるのであって間違いの可能性もないとは
言えないのでは。

と、ここまで書いてみて、いよいよ永井の議論の本筋と全然関係ないであろうことに
気づくわけだがw
101考える名無しさん:2012/01/09(月) 07:20:08.97 0
>>79
きみがなにを相手に求めてるかによるだろうね。
求める部分が変わらなければ同じ人、求める部分が消えたらもはや別人。
102考える名無しさん:2012/01/09(月) 07:27:06.41 0
そもそも同一性ってフィクションだろ。
同じかどうかはそれぞれの実践、生き方に決められてく。
実践の背後や根底に真実のなにかを想定するのはやめなってのがウィトゲンシュタインのスタンス、でしょ?
103考える名無しさん:2012/01/09(月) 09:35:15.15 0
例えば「意味の検証理論」についてウィーン学団とウィトゲンシュタインでは相異があって、
ウィーン学団が命題の完全検証はできないという立場をとったのに対して、
ウィトゲンシュタインは完全検証はできると考えた。
できる、というよりも、我々はすでにそれをやっているというわけだな。
やってしまった後の世界にいる。そういう意味で実践の背後に「何か」はある。
それをウィーン学団のような規約主義によって検証水準を明晰に「語る」ことはできない。
104考える名無しさん:2012/01/09(月) 10:06:41.22 0
規則に従うとき、私は選択しない。
私は規則に盲目的に従う。

『哲学探求』
105考える名無しさん:2012/01/09(月) 11:12:56.39 O
>>101
>>79
> きみがなにを相手に求めてるかによるだろうね。
> 求める部分が変わらなければ同じ人、求める部分が消えたらもはや別人。

(79じゃないけど)それは本当に文字通りにそう考えるの?
例えば永井均に哲学を求めている人Aにとって、もし永井が哲学を止めてしまったら、
「永井は哲学を止めてしまった、残念だ」ではなく、「あれは永井ではない、別人だ」
ということになるの?
別の人Bは永井の哲学に興味がなく、貸した金を返してほしいとのみ思っていて、
さらに別の人Cは役人であって、住民の生存、移動、死亡等の正確な記録をつける仕事を
するための興味を持っていて…等々の状況であったとしたら、誰が永井であるかについて、
場合によって人々の意見が一致せず、その決着も全然つかないということになるの?
106考える名無しさん:2012/01/09(月) 11:37:47.19 0
ラッセルは固有名の真の意味を知っているのは、
それを見知っている者だけだと考えた。
「ソクラテス」という語によって意味されるのはソクラテスという人物であるが、
ソクラテスという人物を真に知っているのはソクラテスと面識のある者だけである。
それ以外の者、つまり私たちはソクラテスについて、
「古代ギリシアの最も偉大な哲学者」といった記述的な知識を持っているにすぎない、と。

ウィトゲンシュタインの哲学はこれを徹底的に批判したという面がある。
人が面識の際に持つ心的印象というのは、絵に置きかえることができる。
絵というのは解釈の仕方が無数にある。
例えば「ラッセルは本を読んでいる」を絵にしたところで、
その絵をそう解釈すべき規則は絵の内にない。
そこで、絵に規則を書きこめば、こんどは書きこまれた規則を解釈する規則が必要になる。
つまり「ラッセルは本を読んでいる」の意味はその絵ではない。見知っている私秘的イメージも意味ではない。
「感覚が私的であるのは文法的真理である」というわけだ。
私的言語批判というのはこの意味でのことなんだな。
107101:2012/01/09(月) 16:22:46.40 0
>>105
文字通りそう。
だけど、永井に哲学だけを求める人Aも、貸した金を永井に返して欲しい人Bと話す時にはBの感情や要求を理解するから話は問題なく通じるでしょ。
誰かと話すということは相手の考えや気持ちを理解したいという前提があるから、そこであなたが言うような問題は生じない。
もし永井がすごくバカになったら、Aにとって永井はもういないということがBにもわかる。
108101:2012/01/09(月) 16:42:57.80 0
>>94
>>89
>発話者が「同一だ」と考えられれば、同一と言えるならば
>同一性の基準は、無いも同然ということになるが

うん、無いも同然と言える。
規則もそうでしょ。
実践レベルで共有できてる感じがあれば問題なし。
規則も同一性も便利なフィクションにすぎない。
便利で使いなれてるから実在するように思いがちだけど、錯覚だ。
109考える名無しさん:2012/01/09(月) 17:15:26.20 O
>>107
> 永井に哲学だけを求める人Aも、貸した金を永井に返して欲しい人Bと話す時にはBの感情や要求を理解するから話は問題なく通じるでしょ。

そこで言う「通じる」とは、より細かくはどういうことなの?

B「永井を知らない?そろそろ貸した金を返して欲しいんだけど。」
A「あなたが金を貸した永井という人のことは知りません。哲学者永井均は知っていますが、
彼はもういなくなってしまいました。」
B「哲学者って何の話?その人が死んだの?それとも引っ越しでもしたの?」
C「はて、借金のことも哲学のことも知りませんが、○○丁目××番地にお住まいの永井さんなら、
死亡届も転居届も出ていませんが…」

こんなふうな会話があったとして、話が問題なく通じていると言えるの?
もし通じるとしたら、それは、それぞれの細かい興味関心によらない永井均という個人の
同一性判断方法(多分、身体による区別)があって、細かい興味関心によって「もういない」
などと言っている時にも、その判断方法に乗っかって判断された共通の個人について
話していること自体は暗に前提になっている(「もういない」などというのは、文字通りに
正確な表現ではない)からなんじゃないの?

あるいはそうではなく、ABCは共通の個人について話すつもりは全くなく、それぞれ、
「私の言う永井とは関係ないけど、よく知らないがそういう永井という人がいるんだな」
という意味でしか互いの話を聞いておらず、その限度でのみ話が通じているという趣旨?
それならそれで、直ちにそれがおかしいなどと言うつもりはないですが。
110101:2012/01/09(月) 18:56:59.93 0
>>109
いや、そんな会話にならんだろ。

たとえば永井の哲学にしか関心ない人Aには、永井が哲学引退したら言葉通り「もう永井はいない」が、
友達が「永井先生に金貸したのに返してくれねーんだ」と言えば新しい関心がそこに生まれる。
(その友達への関心や、金を返すべきという規範意識があればの話だが。)
その関心の連帯で噛み合った会話になるし、その友達と同じ指示対象「永井均」が生まれる。

友達の言う「金を返すべき永井均」と自分にとっての「哲学者永井均」が同じだと言えるのはなぜか?
厳密には同じとは言えないね。
同じだと思えるだけ、そしてそれで当面十分。
規則への従い方と同様に、実践・従い方が同じように見えても同じかどうかは絶対分からない。
でも同じように見える・思えるなら当面それで問題ないでしょ、と。

確認するが、対象そのものに同一性はないよ。
ある対象を軸としたコミュニケーションに参加するからこそ、その対象に同一性があるという状況ができる。
そしてそこに参加するかどうかはそれぞれの興味関心、「動物的な何か」だと思う。
111考える名無しさん:2012/01/09(月) 22:16:19.19 0
同一性や規則が「対象」と同じクラスの存在者であり、
「実在」するなんて言う人はいないと思いますw
112考える名無しさん:2012/01/09(月) 22:24:58.53 0
>>111
言う人はいないけど、実在すると思っている人は結構いそうだよ。
同一性の核になる何かを求めたがってるし。
113考える名無しさん:2012/01/09(月) 23:53:45.64 O
>>110
>>109が常識的には非常におかしな会話であることは、全く否定しないけど、
今まで問題になっていた考え方を取る場合に、なぜこういう会話にならないと言えるの?

> たとえば永井の哲学にしか関心ない人Aには、永井が哲学引退したら言葉通り「もう永井はいない」

本当に文字通りに「もう永井はいない」と考えるなら、

> 友達の言う「金を返すべき永井均」と自分にとっての「哲学者永井均」が同じだと言えるのはなぜか?
> 厳密には同じとは言えないね。
> 同じだと思えるだけ、そしてそれで当面十分。

なぜ、ここで、厳密だろうがそうでなかろうが、そもそも同じだと思えるようなことがあり得るの?
「もういない」人が、別の人と同じなんて、全く考えられないんじゃないの?

いや別に複雑な話ではなくて、この場合のAとBはどちらも永井と面識がある
(つまり身体を区別できる)だろうから、その知識を使って考えていくことができる、
というだけの、常識的な話だと思うけど。
しかしそれなら、やはり文字通りに「永井はもういない」というわけではないんじゃないの?
114考える名無しさん:2012/01/10(火) 02:50:40.57 0
記憶によって参照できるから、同一性の問題があるように思えるけど
実際には、「瞬間のその人」しかいないんだよな。
しかも、「その瞬間」は、とらえることができるのかもわからないし。
115101:2012/01/10(火) 02:57:10.09 0
>>113
>なぜ、ここで、厳密だろうがそうでなかろうが、そもそも同じだと思えるようなことがあり得るの?
あなたは言語ゲームや規則問題の勘所を分かってないみたいだ。
同じ言葉・規則を使ってる、というのはゲーム・実践が噛み合うことで生まれる実感に過ぎない。
本当に同じ言葉・規則なのかはいつまで検証しても確実に答えられない(実は間違ってる可能性は残る)。
もしこの基本が分かったら、もう説明するまでもないよね。

永井が痴呆になったら文字通り「哲学者永井はもういない。死んだ」となるだろ。
でもかつて哲学者だった永井均は存在するし、そのあとも永井均という単語を普通に使いあうことができる。
面識があろうがなかろうが、身体や顔や声や経歴で誤解があろうがなかろうが、本質的な問題にはならない。

ウィトゲンシュタインは常識を突き詰めて考えてたらまるで非常識な所まで行っちゃった人だ。
だから理解できない人は「非常識だ、常識的に考えろ」とあなたみたいな反応になる。
まずは言語ゲームや規則問題を理解してくれ。
116考える名無しさん:2012/01/10(火) 03:47:02.12 0
ある人が他人を認識する場合における、同一性の問題の一方
自分が自分を認識する場合における、同一性の問題はどうだろう?
自分は、大きな事故や病気などが無い限り、数秒前の自分と変わりは無さそうだが
数年前の自分となるとかなり怪しくなる。
子供の頃の自分は、今の自分とは全くの別人のように思える。
自分とは、正にテセウスの船そのものなのではないだろうか。
117考える名無しさん:2012/01/10(火) 09:36:00.14 0
言語ゲームの勘所を分かってないのは101に見えるな。
言語ゲームを成立させている実践の諸形式は生活形式である。
生活形式の内に規則が示される、
という意味で語られえず「実在」しない。
しかし、それが分かっているなら>>110のような発言が出てくるわけがない。
118101:2012/01/10(火) 10:52:21.61 0
>>117
そのレベルで思考停止せず、生活形式がどう形作られるのか考えてみてよ。
関心や興味、つまり「動物的な何か」と環境との相互作用の中で、生活形式は作られたり変化する。
ライオンの生活形式も、その環境と動物的な何かとの相互作用の中で形作られたり変化する。
新しいコミュニケーションへの参加は新しい環境への参加であり、新しい生活形式の獲得だと言うことも可能なはず。
>>110のどこが間違ってるのかおしえてほしい。

>>116
同一性って今どう解釈するかがすべてだろうから、過去の自分や未来の自分がこの自分かという問題も解釈次第では。
テセウスの船同様、どういう思い入れをするかで解釈が決まり、解釈によって同一かどうか定められる。
整形した自分の美しさにのみ関心を持つなら、ブスだった過去の自分は他人になる。
記録や記憶、整形したとの自覚がある限り、完全な他人と割り切ることはできないだろうけど。
119考える名無しさん:2012/01/10(火) 13:19:37.49 0
生活形式というのが論理形式を拡張した概念であることを忘れてはいけない。
形式がなにゆえ成り立っているのか、ということが語られるためには、
ある規則の成立以後と成立以前を見渡すような視点に立たなくてはならない。
だが、言語ゲームという考え方は、そんなことができないという所から生まれたものだった。
ということは、つまり、110は言語ゲームを語りつつ、言語ゲームの視点に立っていない。
101のレスは、間違っているというよりも、全体的にそんな感じだな。
120考える名無しさん:2012/01/10(火) 16:44:35.71 0
>>118
>完全な他人と割り切ることはできないだろうけど。

そこが問題に思える。
昔の自分を参照して、全くの他人になったようには思えたとしても
やはりそれは「過去の自分」であって、自分の連続性を維持する「核のようなもの」が「あるように思える」。
もちろん、そのようなものがあるかどうかはわからないが、「脳の機能」がそれらしいと思えるし
「核のようなもの」が無いとしたら、なぜ自分の連続性がある程度維持されているのか、の説明ができない。
「瞬間の自分」だけを自分として生きている人間は、そういそうには思えないからね。
121考える名無しさん:2012/01/10(火) 17:15:45.85 0
古典論理的な世界からすると、
固有名で指示される対象が異なることはないな。
「ニクソン」で指示されるのはいわばニクソンの一生なのであって、
幼年や老年はその部分だ。
そこに時制を持ちこむことがどういうことなのか考えてみるといいな。
122101:2012/01/10(火) 19:46:17.53 0

>>119
いや、生活形式は論理形式を否定したものであり、拡張とはとても言えないぞ。

それと、たしかに生活形式の中身を語ることはできないが、どう生活形式が形成されるのかはそれとまったくの別問題だろ。
ライオンの生活形式を語ることはできないが、サバンナから動物園に移されたライオンの生活形式がなぜ変わるかは語れる。
環境と関心の変化故だと思う。
どうも生活形式をブラックボックス化したいようだが、それって思考停止だからやめたら?

>>120
仏陀の瞑想法・ヴィパッサナー瞑想は今の身体感覚や今の内的体験に集中することで「今しかない」と体得する。
その結果、過去や未来の自分は他人とも言えるし自分とも言える対象となる。
個人的には、今の自分ですら他者のような感じ、ただ精神的感覚・身体的感覚が生まれる場でしかないような感じになった。
これは「聖なる無関心」と呼ばれ、目指すべき境地(悟り?)とされる。
地橋秀雄『ブッダの瞑想法』がおすすめ。

自分の同一性を維持させる「核のようなもの」というのは、過去や未来を完全無視したら大損するという潜在的直感が措定するものでは。
過去や未来を無視して歯磨きしないとそのうち虫歯で苦労する、という直感とかさ。
その直感は仏陀レベルじゃないと本当には捨てがたいし、あると過去や未来の自分に同一性を感じずにいられない。

仏陀は『二の矢を受けず』と言った。
矢を受けて痛むのはしょうがないが、その痛みに思い悩む(二の矢を受ける)な、と。
これはつまり自分の未来像に余計な関心を払うなという悟りのすすめであり、アイデンティティー解体のすすめだと思う。
123考える名無しさん:2012/01/10(火) 20:58:14.88 0
>>121
それは、客観的な視点におけるニクソンの指示であって
ニクソン本人におけるニクソンの指示は、それとはまた別なものではないのか
124考える名無しさん:2012/01/10(火) 21:31:50.23 O
例えば、Aに対して、なんだかよく分からない赤ん坊の写真を10枚くらい見せて、
「この中の一人がAさんなのですが、それはどの赤ん坊ですか」と聞いたって、
普通はまず答えられないだろう。(実は正解がない、などという騙し方はしないものとする)
むしろ、他人(例えば両親)のほうが答えられるだろう。
そして、Aが正解を教えられても、「この赤ん坊が私だとは思えない、同一性があるとは思えない」
と反応することは、あり得るだろう。

しかし、その場合、Aがそう反応したからって、何か意味があるんだろうか?
いや別に意味がないと断定したいわけではないけど、実際に意味がよく分からなくなったので。

(ところで、このスレでこのようなレスをする意味は何かというと、このような話が
いかに永井の議論と関係がないかを示したいという程度のことですが)
125考える名無しさん:2012/01/10(火) 21:54:20.87 0
低レベルな>>124はたしかに永井の議論に関係なさそう。
ただそこから他の書き込みまで永井と無関係って導こうとするのは失笑するしかないなあ。
126つくだに ◆61T2sqB8f. :2012/01/10(火) 22:05:10.64 0
ここは永井哲学を討論する場だったのか・・・
つまらんゴシップを書いてすみませんでした
127考える名無しさん:2012/01/10(火) 23:45:16.05 0
>>122
なんでそういう発想になるのか不思議だな。
生活形式が変わった後の世界というのは、変わる前の世界とは、別の世界。
違う世界について、私たちは語っていない。語ることができない。
それが世界の限界であるということの意味だろ。
128考える名無しさん:2012/01/11(水) 00:02:03.93 0
>>124
同一性の問題と、「意味とは何か?」という問題は、ほとんど同じ「意味」だと思うけど。
それがわかっていないから、「意味がわからない」ってことになるんじゃないの。
129考える名無しさん:2012/01/11(水) 00:36:36.88 O
自分の哲学上の考えが中途はんぱに
理解されている事実や、学生が軽薄な小利口さに傾いて行くのを見て、彼は嫌気がさし怒り
をおぼえていた。そして教師として失格であると感じていた。〔中略〕
こういう考えに彼を追いこむ理由はいろいろあるが、要するに、彼の哲学の内容は、とり
ちがえて理解されると、影響を受ける人々に何か好ましからぬ効果をもたらした、いや今も
ってもたらしている要素があるように私は思う。言葉は固定した意味で用いられないという
彼の考え(『探究』七九節)、また概念には明確な意味領域がないという彼の考えのことを私は
言っているのであるが、こういう風に彼の教えたことが彼の学生の間に、自分たちが考える
ときに正確さとか完全さは要らないのだと考える傾向を生みだしていたように思う。こんな
傾向からは、キメのこまかい哲学など生まれっこないものなのだ。
(ノーマン・マルコム『ウィトゲンシュタイン 天才哲学者の思い出』松坂元訳)
130考える名無しさん:2012/01/11(水) 02:58:04.39 0
本の一部を貼るだけってのもねえ…
131考える名無しさん:2012/01/11(水) 04:54:53.62 0
>>127
「生活世界がどう変わったのか」は語れないが、「なぜ生活世界は変わるのか」ということは語れるのではってこと。
これが同じに見えるなら重症だな。
132考える名無しさん:2012/01/11(水) 09:47:14.35 0
なぜ「生活世界」なんて現象学用語に読み換えるのか。
ここでいう「世界」とは、
象徴的にいえば論議領域や真理値割り当てのことだと思うのだが。
133考える名無しさん:2012/01/11(水) 10:19:54.09 0
あ、生活形式だったね、誤字すまん。
でも察してくれよ。
134考える名無しさん:2012/01/12(木) 03:47:50.71 0
>>122
恐らくは、「瞬間しかない」のだろうけど、平均的な知能があれば
記憶力や推測力が備わってしまっていて、過去や未来を考えることができちゃうからな。
それに、「生まれてから死ぬまで今しかない人間」だと、思考力が発生しないんじゃないの?
つまり、悟りという概念、悟ろうという意欲は、「今しかない人間」には発生しないことになる。
悟りが業に基づくなら、業を滅することはいいことなのだろうか?
135考える名無しさん:2012/01/12(木) 14:27:10.80 0
意味論的に言うと、「X=Y」という形式の命題があるとして、
XやYに任意の名辞を与えたとき、それは「対象」を意味するが、
「=」は対象を意味しているのではなく、対象間の論理的関係を関係づけている。
仮に「=」の意味が対象だとすると、ただ語を並列したものと文とが区別できなくなるからね。
その水準で言って「=」の意味は対象でない。

しかし、それは「現象から出発して論理が基礎づけられるか、否か」みたいな話とは全然水準が違う。
それを取り違えるとわけのわからないことになるよ。
136考える名無しさん:2012/01/12(木) 14:48:52.36 0
>>135
どの書き込みに対して、何を意図してレスを付けたのか
わけがわからんのは、135以外だと思うが
137考える名無しさん:2012/01/12(木) 16:05:37.85 0
どの書き込みに対してというよりも、
言語哲学をそれにふわさわしい水準から外れて語っても的外れにしかならないよな、
という雑感です。
138考える名無しさん:2012/01/12(木) 16:25:29.66 0
>>137
「的外れだという雑感」って、的を絞ってないよね。
139考える名無しさん:2012/01/12(木) 21:56:59.46 0
>>135
その論理的関係に見えるものが実は言語ゲームだ、というのがウィトゲンシュタインの大事なポイントなんだよ。
そしてそれは論理を基礎付けるものではない。
あなたにとっては論理的関係だから思考の対象外になるみたいだが、それは思考停止だとも言えるね。
140考える名無しさん:2012/01/13(金) 00:52:15.26 0
>>134
たしかに過去も未来も一切考えない人には悟りなんてありえないね。
けど悟りとはそもそも過去や未来や自己イメージにこだわってしまう人のためのものでは。
悟ること、業を滅することが良いことかどうかは個々人が準拠する価値基準次第かと。
141考える名無しさん:2012/01/13(金) 15:10:18.83 0
>>139
言語ゲームの考え方を採択したところで論理的関係であることが変わるわけではないでしょ。
例えば「PかつQ」「PまたはQ」の真理値(意味)が可能世界(状況)に対して相対的であるとき、
言語ゲームは可能世界間の到達可能性を支えている原理になるけれども、
「かつ」や「または」が論理的関係でなくなるわけでもない。
142考える名無しさん:2012/01/13(金) 17:39:15.62 0
うんこ
143考える名無しさん:2012/01/13(金) 20:46:37.03 0
>>141
後期ウィトゲンシュタインを全然理解してないんだな。
論理的関係となる対象は論理じゃ確定されないんだよ。
例えば自己の同一性問題を論理で解決してみて。
できないから。
あと、お前も俺と同じだな、の同じというのも論理的関係じゃない。
文脈とかに依存してる。
144考える名無しさん:2012/01/14(土) 03:31:23.81 0
「言語ゲーム」って、結構苦し紛れに生み出した概念のようで、よくわからんところが多いよな。
「言語ゲームという概念が理解できる」ってのも、なんかモヤモヤして腑に落ちない。
145考える名無しさん:2012/01/14(土) 05:27:59.28 0
理解って、本質や理論を分かることだという常識があるが、言語ゲームというのは本質も理論もないという変な理論だからな。
とはいえ規則問題を理解すれば言語ゲームを理解できたといえるのでは?
146考える名無しさん:2012/01/14(土) 16:05:30.19 0
でも「常識」って、言語ゲームのことだろ?
147考える名無しさん:2012/01/14(土) 18:12:36.49 0
常識の言語ゲームが言語ゲームの理解を阻害しがちって話だろ
148考える名無しさん:2012/01/14(土) 19:22:45.87 O
ところで、手元のウィトゲンシュタイン入門書をちらほら見たら、『哲学探求』の
直示的定義の議論はだいたい紹介されてるけど、永井の『ウィトゲンシュタイン入門』では
特に紹介されてないのは、何か意味があるのかな。
149考える名無しさん:2012/01/14(土) 23:43:39.33 0
>>147
やっぱり、わかったような気にはなれるが、わけがわからんものだよ。
150考える名無しさん:2012/01/15(日) 15:34:31.83 0
常識を解体するには、常識に立脚しなければならないんだし
なんかデリダみたいになってくるな
151考える名無しさん:2012/01/15(日) 23:54:55.26 0
>>149
自分がわかりにくいからって、わけがわからない問題だって一般化するのはね
152考える名無しさん:2012/01/16(月) 10:05:53.35 0
ある程度一般的に、
後期ウィトゲンシュタインはわけがわからないということになってると思うけどね。
153考える名無しさん:2012/01/16(月) 10:53:34.06 0
>>143
論理的関係が論理的関係によってのみ基礎づけられない(例えばルイス・キャロルのパラドクスのように)、
というのは、構文論の問題で意味論の問題ではないでしょ。
その辺混乱してないだろうか。
後、なんとなく気がかりなんだけど、
1つの文が時と場合で違う意味になることは、君にとって論理に反することなの?
154考える名無しさん:2012/01/16(月) 11:37:49.66 0
>>153
きみは言語ゲーム知らないだろ。
知ってるつもり?
155考える名無しさん:2012/01/16(月) 11:42:36.71 0
>>154
そっくりそのままお返しするよ
156考える名無しさん:2012/01/16(月) 12:00:51.18 0
ダメットもクリプキもウィトゲンシュタインの後期哲学は規約主義の徹底化だと解釈してる
永井もそっち寄りだな
前期と後期を素朴に対立させるのも古いというか、そんなやつまだいるのか
157考える名無しさん:2012/01/16(月) 12:08:27.12 0
>>153
これまでの書き込みをみると、きみは自己の同一性問題を論理的問題だと捉えるわけだろ。
それは永井的でもウィトゲンシュタイン的でもないわけだが。
それでウィトゲンシュタインを理解してるつもりなのはどうかと。
158考える名無しさん:2012/01/16(月) 12:12:00.41 0
>構文論の問題で意味論の問題ではないでしょ。
>1つの文が時と場合で違う意味になることは、君にとって論理に反することなの?
こういう文章を書いてて言語ゲームを理解してるとか、まあありえないわな。
159考える名無しさん:2012/01/16(月) 16:04:46.32 0
「言語ゲームのわけのわからなさ」ってのは、「皆目見当も付かない」ってことじゃなくて
「わかったような気にはなれるが、どういうものか明確に言い難い」ということだろ。
そもそもが、そういうもののため、言語ゲームの意味を詳細に語ることは言語ゲームに反することになる。
言った者勝ちみたいな反則概念と言えなくもない。
160考える名無しさん:2012/01/16(月) 16:31:19.06 0
永井の解釈って
「言語ゲーム」が答えとして考えられるような問いが立たれるためには、
<私>が前提されていなければならないということなんだよね?
161考える名無しさん:2012/01/16(月) 19:19:58.78 0
>>160
全然違うと思うが、まずは日本語で書いてほしいところ。
162考える名無しさん:2012/01/16(月) 19:38:59.55 0
言語ゲームが答え!?
それは思考の手段でしかないだろ。
<私>が前提、というのもイミフ。
どういうことかまじ教えてほしい。
163考える名無しさん:2012/01/16(月) 23:22:32.63 0
ウィトゲンシュタインは私的言語を否定したが
永井は私的言語を肯定したってことじゃないかな?
164考える名無しさん:2012/01/17(火) 00:14:01.77 O
わざわざ言うほどのことでもないかもしれないけど、「しくい」「こじむい」などは
直示的定義によって意味が定まる言葉だという理解でいいのかなあ。
165考える名無しさん:2012/01/17(火) 03:57:34.28 0
>>164
場面と感覚器を指定できるんじゃないの?
何しろ、感覚器を要しない「憂鬱」でさえ、多くの人間(基本的に成人かな)に理解可能なんだし。
166考える名無しさん:2012/01/17(火) 19:33:02.42 O
>>165
どんな場面でしくさを感じるのか自分でもまだ解明できていない、という想定だったかと
思うので、場面は想定上できないと思うけど。
感覚器(?)を特定できるかどうかは、何に関わるの?
(「こじむい」はどうやら味らしいので、たぶん舌で感じているんだろうけど)
167考える名無しさん:2012/01/17(火) 23:32:27.46 0
>>166
感覚器に依存する感覚だったら、説明がし易いでしょ。
憂鬱とか高揚とか、感覚器が特定できない「気分」だと説明の難易度が上がる。
168蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2012/01/17(火) 23:43:43.30 P
憂鬱も高揚も、感覚器は特定できるんじゃないの
哲学とどう関わるのかはともかくとして

169考える名無しさん:2012/01/18(水) 00:46:03.93 0
んじゃ、憂鬱でちょっとやってみて。
170考える名無しさん:2012/01/18(水) 08:49:11.86 O
>>167
説明が比較的簡単か、それとも難しいか、などという話になったら、そもそも説明が
できないという「しくい」などの想定からは、外れる話になってくるんじゃないの?
しかしその点は、逆に、「しくい」などが、自分だけが感じるもので説明などは
できないという想定なら、それでも「気分」や「感覚」などであるらしいことは
なぜ分かるのか、という問題になってくるのかもしれないけど。
171 [―{}@{}@{}-] 蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2012/01/18(水) 10:49:28.20 P
神経細胞と循環器
172考える名無しさん:2012/01/18(水) 13:20:25.04 0
>>170
「しくい」が感覚器を介するものならば、
「どのようなものを」
「見た時に生じる」とか「聞いた時に生じる」とか「味わった時に生じる」とか
説明はできるじゃない。
説明できない部分は、それが「どのようなものか」ってところでしょ。
永井の議論では、そういう水準では「しくい」も「すっぱい」も同じだってことじゃないの?
173考える名無しさん:2012/01/18(水) 23:38:52.61 0
>>172
正確を期するため『私・今・そして神』から引用。

「私には私だけが感じるらしい独特の気分がある。それは公共言語では表現できない独特
の感じである。それを記録しておくための自分専用の言語として,「しくい」という語を
発明した。なんとなくぴったりなのだが,それがどういう感じなのか,人に説明すること
はできない。平均すると四日に一回ほど,通常は十五分から一時間程度,この気分はつづ
く。しくい感じがした日には,私は私のビジネス手帳のその時間帯に「S」と書き込む。
この気分がどういう時に起きるのか,できたら法則性(たとえば前日の酒量との関係と
か)を発見したいと思っているが,いまのところまだ発見できていない。この「しくい」
がこの意味での私的言語である。」(188頁)

ここを見ると,どういう時に生じるかは説明できないと思われる。
ただ,先のほうでは,以下のようになっている。

「複数の私的言語が組み合わさっている場合は,「これは間違いなくしくい気分だ」とい
う思いに,たんにそう思うこととは独立の基準が生じうる。これがそれであるという正し
さのこの確信の外部に,それとは独立の根拠が存在することになる。だから当然,それら
が食い違う可能性も生まれる。
たとえば,しくい気分のほかに,えもい気分,かまい感覚,ろましい感情,こじむい味
といったさまざまな私的言語が組織をなしている場合である。しくい気分になるのは,こ
れまでのところいつもろましい感情を味わった後で,その際には無性にこじむいワインが
飲みたくなる,といったように。」(194頁,ただ原文にある強調の傍点の出し方がわからないので省略ご容赦ください)

この部分によると,少なくとも別の私的言語によれば,どういう時に生じるかの
説明はできるという想定だと思われる。
最初の想定は維持されていない,という理解でいいんですかね。
しかしそうだとして,感覚器という問題は,どう影響するのかなあ。
というのは,そもそも気分や感情は,別に私的言語というような想定ではなく
普通の場合でも,感覚器によって感じるとかいうものではないと思われ,それでも
日常的に通じている(はず)なので,感覚器で感じるかどうかは,私的言語とは
別の問題ではないかと。
174考える名無しさん:2012/01/18(水) 23:47:23.20 0
>>173の続き

それはそれとして,最初の想定が維持されていないとすれば,少なくとも直示的定義に
よって意味が決まっているわけではないことは,明らかなのかなあ。
しかし,「しくい気分になるのは」「ろましい感情を味わった後で」「その際にはこじむい
ワインが飲みたくなる」というときに,それぞれどんな気分,感情,味であるかは一応
分かっていて,その上で前後関係などのつながりが考えられる,ということでは
ないんだろうか。
よくわかりません。
175考える名無しさん:2012/01/18(水) 23:56:06.43 0
同じ事を2回書くことになるが
感覚器についての話は、辞書的な説明が可能かどうかについての話。
特定の感覚器を介する感覚であれば、「特定の感覚器」を用いて辞書的な説明ができるけど
「気分」だと、ブラックボックス度が強くなるから、説明難易度が明らかに上がるでしょ。

あと、永井の本も昔のなのか、詰めが甘く見えるけど…
「気分」だとか「感覚」だとか「感情」だとか「味」だとかは
そういう基本概念自体が、私的ではあり得ないんじゃない?
176考える名無しさん:2012/01/19(木) 00:05:14.89 0
追加
ブラックボックス度の違いという観点から、永井がごちゃ混ぜにしている
『「気分」「感情」』 と 『「感覚」「味」』は区別した方がいい思う。
177考える名無しさん:2012/01/19(木) 09:53:12.94 0
そういう話ではなく
前後関係とか因果関係といったカテゴリーを使わざるをえない
という点で
複数の私的言語はすでにして(「私的」なのに)「客観的」言語になっている
という話だろう
そのように、客観性が公共性に優先する、というカント原理の話なのでは?
178考える名無しさん:2012/01/19(木) 15:53:14.05 0
『「客観的」言語になっている』なら、客観的なのでしょう。
『「私的」なのに』と抗議できる根拠は、どこから持ってくるのだろうか?
179考える名無しさん:2012/01/19(木) 16:12:14.66 0
抗議というか、引用部はどちらかというと私的言語批判のおさらいのような話だよ。
180考える名無しさん:2012/01/19(木) 16:36:32.79 0
永井における「私的」って、「言えない」ってところに力点があると思うけど
「言えない」ところは、言語(見ての通り「言う」が含まれてる)ではないんじゃないかな。
だから、ウィトゲンシュタインは「示される」と表現したのでは?

「言語」と「それを使う者」との間には、私的な結び付きが「あるように思われる」が
そこは言えない限り言語ではないが故に、「私的言語」という表現は適当ではないという考えに基づき
言える「言語」に力点を置いて、「言語ゲーム」と表現したのではなかろうか。
181考える名無しさん:2012/01/19(木) 20:38:07.20 0
デリダとドゥルーズ 文学との関係を中心に
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1323993151/438-538

535から浅田降臨
182考える名無しさん:2012/01/23(月) 18:54:40.42 O
「しくい」「ろましい」「こじむい」といった私的言語の連関にも客観性が認められるのなら、
逆に、普通の気分、感情、感覚に関する言語も、いちいち「…と私に感じるもの」と加えれば、
実は別に変わらない、ということになるだろうか。
例えば、ひどく落ち込んだ気分と私が感じるもの(以下同様につき省略)になるのは、
いつも、深い悲しみの感情を持った後で、その際には無性に苦いウイスキーを飲みたくなる、
(そして、全く動じていない様子の息子に「お前…ひょっとして鉄で出来てるんじゃないのか」
と言ってしまう)という連関を考えると、その場合の「落ち込んだ」「悲しみ」「苦い」は、
公共的な観察などなされなくても、ちゃんと客観性を持っていると言えるのだろうか。

(というようなことがまさに『私・今・そして神』で書かれているのかもしれないけど、
自分にはよく理解できていない。ちゃんと理解している人には当然だったらすみません。)
183考える名無しさん:2012/01/24(火) 00:10:23.47 0
>>182
永井の議論によると、「言語はそもそも私的なものだ」と主張されているから
そういうことになると思う。
だがそれだと、その主張自体が公的な説得力を持ち得ないと思う。
実際、永井は「公的な説得力は無い」ようなことも言っているから
筋金入りの神秘主義者と言えるだろう。
184考える名無しさん:2012/01/24(火) 05:03:37.10 0
なんか>>183は色々間違えてるみたいだから訂正

×そういうことになると思う。
○そういうことにならないと思う。

ただ、永井の議論では「私的」で一貫されるから
「実は別に変わらない」のところは、「同じく私的」という意味で
「その通りだ」ということになると思う。
185考える名無しさん:2012/01/24(火) 07:56:43.43 O
>>183
> 永井の議論によると、「言語はそもそも私的なものだ」と主張されているから

「言語はそもそも私的」?
それは、どこに出ていた話?
186考える名無しさん:2012/01/24(火) 11:35:28.85 0
おい、それも脅迫なんだよ投稿者:津原泰水 投稿日:2011年 1月29日(土)02時01分51秒 編集済
【中立】スレッド
606 :名無し草:2011/01/29(土) 01:53:05
今日の烏賊ちゃんのカキコ、もし万が一そういう事態になったら、結構重要な証拠になると思う。
教祖はのらりくらりと書いているのにね。
***
なんねえよ。馬鹿か。
RH=“ふぐすまソネット”=ランドール、佃煮マニア=吹雪饅頭、ミニス=マグナ=カシス、
質問者、文学の良心、菊田若菜が、「川上未映子本人にしか見えない」
誹謗中傷を病的にやってきたってだけだろ?
烏賊ちゃんの「誤解」はむしろ情状酌量の対象で、とける「誤解」をとこうとしなかった
ほうは社会的に糾弾される。小沢一郎が糾弾されているようにね。
ブログを持って俺のBBSにもリンクしている川上さんが、「なにも知らなかった」
ことを立証せざるをえないだけの話さ。
誰か、貼っといてください。


一年後


工作コレクション 投稿者:津原泰水 投稿日:2012年 1月22日(日)19時30分54秒 通報 編集済
【川上120】スレッド
826 :吾輩は名無しである:2012/01/22(日) 19:28:28.47
海猫沢さんのブログ読んで久々にきたけど、
まだやってたんだ…
津原さんの川上さんに対する執着ってなんなの?
ほんとに常軌を逸してる。マジでこわい。
   ***
常軌を逸していますな。
この期に及んで川上さんとランドールを混同しているなんて。
世界中で海猫沢と君の二人だけじゃないか?
187考える名無しさん:2012/01/24(火) 15:12:17.76 0
>>185
「…私的言語が可能でなければ、言語は不可能です。」
意識はなぜ実在しないのか p36
188考える名無しさん:2012/01/24(火) 23:01:29.72 0
>>187
後ろのほうも引用すると,

「〔前略〕私的言語が可能で
なければ言語は不可能です。私的言語の可能性が言語にとって不可欠なものに転じることによ
って言語は完成するのですが,ただそうであるということを通常の公的言語で語ろうとすると,
そのこと自体は公的言語の意味の働き方に乗らなければ語れないので,言わんとすることが言
えない−言わんとしていることとは別の「正しい」ことが言われてしまう−ということが
起こるのです。」

ここのことね。
この部分は,ここだけ見てもなかなか理解しにくい記述(少なくとも私にとっては)のように
思うのだけど,ここから「言語はそもそも私的」ということがどのように読み取れるのか,
教えてほしいのだけど。
私的言語の可能性が不可欠なものになることによって言語が完成する(ここの言語は,
もちろん,私的言語ではなくて公的(少なくともコミュニケーションに使える)言語,という
ことだろうし),という記述もあるところなので。
189考える名無しさん:2012/01/24(火) 23:28:29.25 0
新たな引用部は、まさに「そもそも私的だから、言わんとすることは言えない」と
そのまんまだと思うが…
それ以外の事として、永井は何を主張したいのか、逆に聞きたい。
190考える名無しさん:2012/01/25(水) 09:42:24.26 0
私的言語が可能であることと「言語はそもそも私的である」ことは全然違うことじゃないの?
デカルトの「我」も、公的な指示機能に読み換えられることは永井も認めてることだよね。
191考える名無しさん:2012/01/25(水) 14:00:44.73 O
ジェイコブいる?
192考える名無しさん:2012/01/25(水) 14:12:31.14 0
>>190
「私的言語が可能でなければ、言語は不可能」って、どう読んでも
「言語の可能性は、私的言語の可能性に依存している」以外には読めないが…
他の読みがあるならしてみてよ。
違うことを永井が主張しようとしていると言うなら、それは何かを示してもらいたい。

193考える名無しさん:2012/01/25(水) 14:41:54.88 0
あとそれから、「公的な指示機能に読み換えられる」は
「公的な指示機能」に「読み換えられる」んだから
これも、「本来は私的」ってことじゃないの?
194 [―{}@{}@{}-] 蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2012/01/25(水) 16:13:17.50 P
言語が可能
言語が完成する

この二つは違うよね

195蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2012/01/25(水) 16:19:40.29 P
一般(公的)言語だけでは言語の価値を最大に活かすことはできない
その(※単に意思疎通の目的を越えた、表現の手段としての言語をめざす)ためには私的言語が必要不可欠

って言いたいんじゃないの
※部分はわたしの推測だけど
196考える名無しさん:2012/01/25(水) 16:28:59.83 0
アホかw
「当たり前」だが、言語が不可能だったら、言語は存在しないだろ。
そうである原因は、「私的言語は不可能であることだ」というのが永井の主張
ところが、言語は現に可能になっているから
そうである原因は、「私的言語が可能であるからだ」というのが永井の主張
永井自身が、明らかに私的言語を原因としているのに、それを否定しなければならない意味がわからん。
197考える名無しさん:2012/01/25(水) 22:07:46.04 O
細かく論じるのなら、〈私〉〈今〉の読み替えなどの話と、「しくい」などの話は
分けたほうがいいんじゃないか、という気がするけど。
(どこが違うのか、逆にどこにどういうつながりがあるのか、私もよく理解できていないけど)
一つには、単純な話として、私や今についてはなぜだか読み替えが起こるけど、
「しくい」には別に読み替えなどは起こらないんじゃないか、と思うんだけど。
198考える名無しさん:2012/01/25(水) 23:26:13.91 0
いやいや、細かくも何も、「言語の私的性」は永井の主張の眼目だろ。
ウィトゲンシュタインが、言語を公的なものとした上で、私的言語が不可能だと論じたのに対して
永井は、公的言語が成り立っている上での私的言語が可能だとしたのではなく
議論は間違いであって、「私的言語が可能であるから言語が可能なのだ」と主張しているわけでしょ。
ウィトゲンシュタインとは逆で、私的言語において公的機能が可能になっていると。
永井を読んでいるなら、こんな感じで普通に読めると思うが…
199考える名無しさん:2012/01/25(水) 23:59:07.22 O
>>198
> ウィトゲンシュタインとは逆で、私的言語において公的機能が可能になっていると。

この部分の意味が分からないのだけど。
「永井はそんなことを言っていない」とか言いたいわけではなく、本当に、
意味が分からないので説明を追加してほしいのだけど。
「私的言語において公的機能が可能」とは、具体的にどういうこと?

いや、追加などをするつもりがないなら、別に無理に求めるわけではありませんので。
200考える名無しさん:2012/01/26(木) 00:27:21.65 0
言語が完全に私的だったら、コミュニケーションなどできないが。
そもそも私的なものに、公的機能が可能であるから、いわゆる言語として機能する。
これは、俺の主張じゃなくて、俺が読んだ永井だ。
201考える名無しさん:2012/01/26(木) 07:57:12.24 O
>>200
私的なのものに公的機能が可能とはどういうことなのか、なぜそんなことが可能なのか、
そんなことができるのなら「私的」ではないのではないか、そこで言われている「私的」とは
どういう意味なのか、というような疑問はないの?

説明をするつもりがないのなら、別にいいですが。
202考える名無しさん:2012/01/26(木) 14:51:13.17 0
>>201
それじゃ、あんたは永井をどう読んでいるのか書いてみてよ。
あんたは、永井が言語の私的・公的について、どのように主張していると把握しているのか書いてみて。
203考える名無しさん:2012/01/26(木) 14:53:47.99 0
つかこの人「わからない、わからない」を繰り返して、話をわからなくしているだけじゃん…
永井が筋金入りの神秘主義者だから、信者もそうなるわな…
204考える名無しさん:2012/01/26(木) 14:56:52.24 0
横で見ているものだけど、
あなたの回答はまるで説明になってないとは思うよw
205考える名無しさん:2012/01/26(木) 15:04:58.71 0
いやいや永井の本は、伝えようとする意欲があるから
賛否は別として、読んでいて面白いけど
信者の方は、わからない部分だけを強調した劣化永井でどうしようもない。
話にならない。
206考える名無しさん:2012/01/26(木) 15:07:19.37 0
俺の読みがわからないとしたら、永井の主張がわからないようにできているからだろ
「わかるように書かれている」と反論するなら、洗練された読みを書いてくれ。
207考える名無しさん:2012/01/26(木) 15:22:36.60 0
ああ、すまんすまん
「わかるように書かれている」とは、言われていないな。
わからないように書かれているものを、わかるように読むのがおかしいってことか?
わけがわからんわw
208考える名無しさん:2012/01/26(木) 15:45:08.89 0
神秘主義・不可知論って、自分の主張を守る防御力は強いんだよなあ
その代わり、自分の主張を通す攻撃力は低いけど
209考える名無しさん:2012/01/26(木) 17:20:56.95 0
なんか、えらく自己完結してるけど、
読解として、俺の違和感を述べると、
>>192はまぁ同意できるんだけれども、
>>196は永井本の外に出ているのではないかと思うわけね。

「私的言語が可能でなければ、言語は不可能」であることは、
つまり「言語の可能性は、私的言語の可能性に依存している」ことであるに違いない。
これには同意できるんだけれども、
それと「言語の可能性は、私的言語の可能性に起因している」ことは、
また違うんじゃないの? と。
210考える名無しさん:2012/01/26(木) 21:16:26.68 0
私的言語については、昨年東大本郷で開かれた哲学会で、さらに野矢批判として論じていて
そのときは、「E」は公的に定義された私的対象を未来の自分に伝達するための「文字言語」で
「文字言語」の成立によって初めて時間を隔てた自分に他者として出会うことができるようになる
から、「E」は私的言語だが「他者」とのコミュニケーションを可能にするのだ
というような、デリダ風のウィトゲンシュタイン改釈をしていた、と思ったが
211考える名無しさん:2012/01/27(金) 01:53:13.66 0
>>209
なにゆえ、>>196のような読みになったかというと
「なぜ意識は…」に、そのように読まざるを得ない個所が、他にもあるわけよ
例えば、

「この講義の内容に、というよりはむしろ、それが伝達される
ということの中に、と言った方がいいかもしれませんが…」p6
→「伝達」という公的な機能は認めつつも、その「内容」は保留し、予め伏線としている。

「私的言語は不可能だと主張する人が多いのですが
むしろ不可能な私的言語に到達する方が大変な仕事なのですよ。」p152
→明らかに、私的言語と言語は、ほとんど同じものであるとしている。
212考える名無しさん:2012/01/27(金) 02:05:09.20 0
すまん
明らかに、私的言語と言語は、ほとんど同じものであるとしている。
これはちょっと違った。
とりあえず取り消しとく。
213考える名無しさん:2012/01/27(金) 14:30:07.60 0
しかし、「意識は…」は、腑に落ちないところが多いんだよな。
「時間的に連続的な自分」が、無条件で前提となっていたり…
214蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2012/01/27(金) 17:02:03.26 P
永井さんが神秘主義なのかどうか、よくわからない
神秘主義=不可知主義、でいいのかな
215考える名無しさん:2012/01/28(土) 01:27:12.64 0
>>210を勝手に参照して,さらに『私・今・そして神』を改めてちらほら読み返してみると,
つまり過去・未来の私との間で使える言語が可能であるということが,他者との間で
使える言語が可能であることの前提となる,ということなんですかね。
(そのまんま「他者の言葉が理解できるためには過去の自分の言葉が理解できて
いなければならない」という表題の箇所もあり)

しかし,単に過去・未来の私との間で使えるというだけだと,他者との間で使えるように
なる理由は,よく分からない。例えば,「しくい」などがいくら使えたって,それが他者との
間で使えるようになるとは思えない(何らかの気分や感覚を感じている,という限度では
使えるだろうけど,それは,もともと「しくい」などであっても「気分」や「感覚」などである
らしいという限度ではもともと公共性がある,というだけのことなのでは)。

他者との間で使えるとすれば,他者や客観的世界の構成という話について,客観的
世界の中に私も他者も同じように存在する,というように私が構成している(だから,
実は本当に存在するのは私だけだ,というようなことを言い張ろうと思えば言い張って
しまえるかもしれない),ということに対応して(?),公共的コミュニケーションの中で
私も他者も同じように公共的言語を使う,というように私が私の私的言語を構成して
いる(だから,実は本当に使われているのは私の私的言語だけだ,というようなことを
言い張ろうと思えば言い張ってしまえるかもしれない),というようなことなのだろうか?
(カッコ内は私の誤解・曲解である可能性が大いにあります)
216考える名無しさん:2012/01/28(土) 01:44:01.32 0
>>215の続き
例えば,私が「殴られたので痛みを感じる」と言い,他者が「ああ,そりゃ殴られれば
痛みを感じるよね」と答えた,という場面でも,実は私の理解する「殴られた」と私の
理解する「痛み」が起こり,それに対して私の理解する「他者」が「殴られた」や「痛み」
などの発言をしている,ということであって,私の理解として一致しているだけであって,
それが公共的に使えているように見えるのも,私の理解する「公共的に使える」という
ことが起こっているのだ,というようなこと(?)だろうか。
217考える名無しさん:2012/01/28(土) 05:18:26.73 0
ウィトゲンシュタインを紐解いてみたら、まず「感覚」ってのが、既に共通の言語に基づくと。
この辺は、俺も同じ考えを持ってる。
218考える名無しさん:2012/01/28(土) 05:24:00.03 0
共通のものが言語であるとし、その上での私的言語の可否を考えたのがウィトゲンシュタインだが
永井が、そのような私的言語ではなく、「言語の完成に不可欠な私的言語」を考えたのなら
やはり、「そもそも私的」ってところから始めないと、永井の説は成り立たないように思えるが…
219考える名無しさん:2012/01/28(土) 13:15:09.12 O
>>218
だから、「そもそも私的」なものから始まって公共的言語の完成などということができる
理由はどういうものか、永井の議論からどう読み取れるのか、ということについての
あなたの理解を示せばいいじゃないの。
もし永井が明示的に分かりやすく説明していると思うのなら、その箇所を
指摘すればいいだけだし。
それとも、永井が結論的にそう主張しているということを強調したいだけで、
その理由などはどうでもいい、とでもいうの?
そんなことを強調して何か意味があるの?
220考える名無しさん:2012/01/28(土) 14:43:48.65 0
>>219
つか、「ウィトゲンシュタインが否定したような私的言語」を肯定したことになっていなければ
永井が何を肯定しているのか、わからんのだが…
永井は<私>について考えていて、ウィトゲンシュタインは言語について考えていることから
両者に深い断絶があるため、永井の本のわけがわからんように思える。
221考える名無しさん:2012/01/28(土) 14:46:48.97 0
つまり、永井はウィトゲンシュタインを批判したり乗り越えたような書き方をしているが
見当外れなのではないかと
222考える名無しさん:2012/01/28(土) 15:17:58.22 0
例えば、(P∧Q)∨(P∧R)という式の可能性はPの可能性に依存しているよね。
同じ意味でQやRにも依存しているけれども、
とりあえずPが真でなければ、この式は真でありえない。
この式が真であるならば、必ずPは真でなければならない。
でも、そのとき、「この式が真であることの原因はPが真であることである」わけではないし、
まして「〜すなわち、この式はP的である」わけでもないよね。
そういう言い方をするなら、俺も意味は分からないと思う。
223考える名無しさん:2012/01/28(土) 15:47:54.60 0
>>222
>「…私的言語が可能でなければ、言語は不可能です。」
>意識はなぜ実在しないのか p36

ここのところに引っ掛かったのは

永井が肯定した私的言語とは、「ウィトゲンシュタインが否定したような私的言語」とは違うのではないか?

という疑問が生じたからなのよ。
俺は、ウィトゲンシュタインの議論に賛同できるわけだから、当然私的言語は不可能なわけで
そうなると、永井は「どんな私的言語を肯定したのか?」という疑問が生じ
「そもそも私的」でなければ、肯定まで辿り着けないんじゃないかと
しかしそれは、ウィトゲンシュタインの考えた私的言語とは違うものだと

ウィトゲンシュタインの言う私的言語と、永井の言う私的言語って同じものだと思う?
224考える名無しさん:2012/01/28(土) 16:01:36.93 0
そもそも「ウィトゲンシュタインの言う私的言語」からして分からない。
解釈者の数だけあるから。
225考える名無しさん:2012/01/28(土) 16:05:21.95 0
>>224
そういう主張を認めることもできるが、そうなると
永井の「ウィトゲンシュタインの私的言語議論に対する批判」は
始めから破綻というか、始まりすら無いことになってしまうが…
226考える名無しさん:2012/01/28(土) 16:18:28.67 O
>>220>>221
永井の議論に理解しがたい部分があるとか的外れだとか言うのなら、(そのこと自体を
どうこう言うわけではないけど)そもそも今まで何の話をしていたの?
あるいは何を目指した話をしていたの?
言語はそもそも私的だという主張を永井がしている、という話を始めたのは、
あなたのほうでしょ?
その議論内容が理解しがたい、あるいは的外れなどと言うのなら、
一体何がしたかったの?
227考える名無しさん:2012/01/28(土) 16:26:57.88 0
>>226
いや、だから
永井が肯定した私的言語は、ウィトゲンシュタインが否定した私的言語とは違うんじゃないの?
と。
俺は、ウィトゲンシュタインに賛同して、私的言語は不可能だから
永井が何を肯定しているのか、わけがわからん。
それで、「俺なりに」考えたら「もともと私的」ってとこに辿り着いたわけよ。
そうじゃなきゃ、私的言語が可能にならんから。

であんたは、ウィトゲンシュタインの私的言語と永井の私的言語についてどう思うの?
228222:2012/01/28(土) 16:33:14.92 0
>>223
その辺は俺も違うと思うよ。
ただそれを「そもそも私的」ということが的確かどうかはわからない、
という感じだな。
229考える名無しさん:2012/01/28(土) 16:51:41.99 0
>>228
ウィトゲンシュタイン的言語観に乗っかれば、私的言語が不可能なのは、まず間違い無く
それが可能になるには、そこからずれた言語観にならなきゃならんと考えるわけよ。

そうなると、私的言語が可能になるような言語観が要求されるわけで
そこにおいては、「私的であることが後から可能になる」といった、ウィトゲンシュタイン的言語観は不可能と考えるわけよ。

永井の言語観においては
「そもそも私的」ってところは、「そもそも純粋に私的」ということではなく
「そもそも、公的であることと私的であることがないまぜになっている」だといいのか…
まあ、この辺は永井は言ってないので、「俺の勝手な読み」と言われることになってしまうが。
230考える名無しさん:2012/01/28(土) 16:53:27.16 0
すまん間違えた。
×そこにおいては、「私的であることが後から可能になる」といった、ウィトゲンシュタイン的言語観は不可能と考えるわけよ。
○そこにおいては、「私的であることが後から可能になる」といった、ウィトゲンシュタイン的言語観における私的言語は不可能と考えるわけよ。
231考える名無しさん:2012/01/28(土) 20:24:54.22 0
>>227
「もともと私的」というのは永井が(少なくとも明示的に)言っていることではなく,あなたが
考えたことだということなら,その点はそれでいいけど。

永井の私的言語とウィトゲンシュタインの私的言語の共通点,相違点については,
素人信者の感想程度のようなものでいいなら,以下のとおり。

まず,永井の「しくい」などは,何らかの気分,感情等であるらしいことは前提になって
いるようだけど,その関係では,『哲学探求』261節が問題になると思われる。
つまり,いくら私だけが理解できる言語に到達しようとしても,必ず公共的言語の中で
意味が与えられてしまう,という意味で,私だけが理解できる言語などというものは
あり得ない,というように261節を読めるように思われる。
その点では,永井もそのような私的言語はあり得ないと考えていると思われる。それは
<私>などについての「言わんとすることは言えない」「どこまでも語りうるがゆえに決して
語りえない」という話そのもの(あるいは少なくとも対応する話)だと思われる。
しかし逆に,「しくい」について言えば,上に書いたように何らかの気分,感情等である
とされることは前提なので,その限度で公共的に理解されること自体は別に問題ないと
思われるので,261節の指摘は当てはまらない。
そして,261節の指摘以外については,(そもそもウィトゲンシュタインがどういう議論をしてい
るのか素人なもんでよく分からない,ということは大いにあるけど)何らかの気分,感情等
であることは前提の上で私だけが感じるものを記録していくようなことが,なぜ不可能
なのか,正直,全然分からない。別に可能と考えていいんじゃないかと思う。
また,それに関する永井の議論について,今のところ特におかしいと思うようなことはない。
(何を目指して何が論じられているのかまだまだ分からない,という部分は大いにあるけど)
232考える名無しさん:2012/01/28(土) 23:50:27.78 0
>>231
>何らかの気分,感情等であることは前提の上で私だけが感じるものを記録していくようなことが
>なぜ不可能なのか,正直,全然分からない。別に可能と考えていいんじゃないかと思う。

そこのところは、『「気分」「感情」という概念』が、言語概念であり
さらに言って、『「何」という概念』からして、言語概念であるが故に
言語以前から「私的言語というもの」を構成することが不可能であるというのが
ウィトゲンシュタインの主張。
「私的に転じる言語」だと、言語に乗った上での「後の話」になるのよ。

あと、「(ウィトゲンシュタインの議論は)はっきりと間違いで」って書いてるからなあ。
>>231の言うように妥協的な解釈だとすると、俺もかなり早とちりだけど、永井も早とちりなのか…
論文と一般書籍、講義録の違いもあるのか…
233考える名無しさん:2012/01/29(日) 03:29:46.16 O
>>232
今は寝ぼけてるので議論そのものの細かい話は置くとして、なぜ私がとりあえずできる範囲で
>>231に書いてみた程度の話によって、永井の議論そのものが不十分みたいな話になってるの?
そんな変てこな藁人形論法みたいなことをせずに、あなたが永井の議論を、また
ウィトゲンシュタインの議論をどう理解してるのか、ちゃんと具体的に説明すればいいだろ。
ウィトゲンシュタインについては、もっぱら261節に書いてあるようなことによってのみ、
私的言語が否定される、というのがあなたの理解ということでいいの?
永井の議論は、分からないと言うならそれはそれで別に構わないけど。
234考える名無しさん:2012/01/29(日) 14:48:09.13 0
>>233
あんたの書き込みって、レスする気が失せる書き込みだねえ…
あんた、もう反応しなくていいから。
こっちが間違わないように、末尾Oで固定しておいてね。
235考える名無しさん:2012/01/29(日) 14:52:22.70 0
ありゃ、末尾0もおったか。
読点「,」で判別するしかないな。
236考える名無しさん:2012/02/02(木) 22:02:41.47 O
私は友人Aにくすぐられてくすぐったさを感じるので、「Aにくすぐられたら
本当にくすぐったいよ」と、別の友人Bに言う。
Bも、「ああ、Aにくすぐられたら、本当にくすぐったいよな」と返事をする。
ある日、いつもと同じようにAにくすぐられてくすぐったさを感じたので、
「またAにくすぐられた、本当にくすぐったい」とBに言ったら、Bはなぜか
「何言ってるんだ、殴られただろ?そんなに殴られたらひどく痛いだろ?」と返事をした。
どう考えても私はくすぐられているのに、Bその他の人々はみな「殴られている」
「痛みを感じるはずだ」と言うようになってしまった。

このようなことが考えられるだろうか。
考えられるとしたら、私の理解する「くすぐられた」「くすぐったい」が、
他人たちの使う言語とは違うものになっていて、かつ、私としては私の理解するほうを
優先せざるを得ないのではないだろうか。
逆に、必ず他人たちの使う言語が優先すると考えるなら、どう考えてもくすぐられているのに、
それを「殴られている」と理解しなければならないのだろうか。
237考える名無しさん:2012/02/02(木) 23:49:51.76 0
宗教板に引っ越した方がいいんじゃないの?
238考える名無しさん:2012/02/04(土) 00:28:22.43 0
>>236
個人的には「優先する」という言い方に違和感を覚えなくもないけれども、
優先するもしないも、「私」の言語に内的必然性は持たないんんじゃないか。

永井風に言えば、規範の他者性には必ず消失点があるわけでしょ。
例えば「私」が「くすぐる」と呼び、かつBその他が「殴る」と呼ぶ、
当の公的脈絡は少なくともその時点で「我々」に共有されているわけだよね。
すると、その場合も、「くすぐる」や「殴る」の適用の規則の問題、
つまり、「私」が正しいのか、あるいはBその他が正しいのか、
という公的な問題にならざるをえないと思うよ。
その意味で言って、他人たちと違う言語になっているわけではないと思うよ。
239考える名無しさん:2012/02/05(日) 00:13:09.23 O
>>238
>>236を書く時に、規範の他者性・理由の他者性という話を意識していなかったけど、
その用語を使うなら、以下のように考えられないだろうか。
(『〈私〉の存在の比類なさ』の該当個所にそのまま忠実ではないことになるけど)

規範の他者性・理由の他者性には、確かに必ず消失点がある、つまり何らかの一致点が
あるはずだけど、その一致点では、必ず私の理由・規範が何らかの形で優先あるいは採用されて
いないといけないのではないだろうか。
「私」が「くすぐる」と呼び、Bその他が「殴る」と呼ぶという違いがあるが、しかし
その時「このようなことが起こっている」ということについては一致している、というときに、
それは「私が理解する「このようなことが起こっている」ということ」である必要があって、
「私には全然理解できないが、他人たちは「このようなことが起こっている」と言っている
ということ」であってはいけないのではないか。
(うまく表現できている気は全くしないけど、とりあえず書いてみる)
240考える名無しさん:2012/02/05(日) 13:40:09.88 0
多少哲学の本を読んだあることがある程度の
ほぼど素人の素朴な疑問なんで揚げ足取りみたいな質問に聞こえるかもしれないけど、

>このようなことが考えられるだろうか。

こういう疑問の意味がわからないんだよね。
だって考えられるもなにも、すでに考えられてるじゃん。
すでに考えられたことがらについて、こういうことが考えられるだろうか
とか問われても意味がわからないんだけど。

で個人的な感想をいうと、その人は、他の人たちが「殴られた」と解釈する
行為体験をなぜかしら他の人たちが「くすぐられた」と解釈する行為体験として
(主観的に)体験してしまう、体験変容症候群(そんな病気はないだろうけど)
の人として解釈されるか、
言葉の意味を他の人たちとちがって適用するようになった意味変容症候群(そんな
病気もないだろうけど)の人として解釈される
かのいずれかじゃないの。
その人がどちらの症状なのかを判断する方法があるかどうかはしらんけど。
241考える名無しさん:2012/02/05(日) 14:16:46.66 0
しかし、永井愛読して、なんでこんなになるんかね?
ほとんど、機械スレの分校じゃない。
242考える名無しさん:2012/02/05(日) 20:43:10.53 O
>>240
私も素人なので、自分で読んでみた範囲で何となく分かったような気がする限度でしかないけど。

> >このようなことが考えられるだろうか。

> こういう疑問の意味がわからないんだよね。
> だって考えられるもなにも、すでに考えられてるじゃん。
> すでに考えられたことがらについて、こういうことが考えられるだろうか
> とか問われても意味がわからないんだけど。

>>236は、自分で書いた以上、全然考えられないことだとは思ってないけど、それはそれとして
「すでに考えられているじゃないか」という部分にだけ答えてみる(ぼやっとした一般論だけど)。
何らかのことを書いたり言ったりしても、本当にそのとおりのことが考えられているのか、
それとも実は無意味な文字列であって何も考えられていないのかは、自明ではないだろう。
例えば、「重さが10立方メートルの物体」とか、「私が「赤」と呼ぶ色が他人には
私が「青」と呼ぶ色に見えていて、しかし「赤」と呼ぶ」とか、「ウィトゲンシュタインは
2で割り切れる」とか、「ヴァルカンは存在しない」とかの文章は、どれが無意味で、どれがちゃんと書いたとおりの
ことが考えられているのか、必ずしもはっきりしないだろう。
(はっきりしてるのもあると言われるかもしれないけど)
だから、「このように書いてみたが、本当にこのようなことが考えられるだろうか」
と問うのは、別に無意味ではないだろう。
>>236は私自身は一応考えられるんじゃないかと思うけど、何らかの別の考え方をする人は、
「いや、そのようなことは実は無意味だ」と何らかの理由で言うかもしれないと思ったので。
243考える名無しさん:2012/02/05(日) 20:53:36.27 O
>>240
それから後半部分について言うと、>>236は、私の理解する言語と他人たちの使っている言語が
食い違ってしまったらどうなるか、というつもりで書いたので、「その人は」と、
他人たちのそのまた一部に変な奴が現れたにすぎない(よって私の理解する言語には別に影響ない)
ように捉えられると、困るのですが。
他人たちの一部に変な奴が現れたにすぎないという前提では、ご意見のとおりに、その人が
何か変な幻覚でも見てるのか、それとも何か変な言語の規則に従ってるのか、どちらかに
解釈するしかないんだろうけど。
244考える名無しさん:2012/02/05(日) 22:18:39.62 0
>>242
「このようなことが考えられるだろうか。」の問いかけの意味はなんとなく
わかった。
それでいうと、考えられるでいいんじゃないかと思うよ。
といっても根拠がいえないとだめだろうけど。

>>243
私の言語と他人との言語が齟齬をきたしたのか、
言語は一致しているけど、私の主観的体験と他者の主観的体験が
齟齬をきたしたのかを、私は区別できないんじゃないかな。
区別できないからどうなんだという結論的なものはよくわからないから、
もともとの問いに答えられるわけじゃないけど。
245第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2012/02/05(日) 22:40:27.60 0
奴隷制と職の体系


近代以前は農民が生産手段を自らもち自給自足が基本であったが、西洋では奴隷労働が基
本であった。奴隷は道具でしかない。それに対して日本人は「幸せな島国」に育ち、征服された
経験がなく、基本的に奴隷制がない。身分制があったが、奴隷制と異なり、またよくある農民が
搾取され貧困にあえいでいたイメージとも異なり、農民は自治をもち自主的な改善によって生
産性を向上させ暮らしてきた。

また近代化で労働が第二次産業へシフトすると、西洋でも奴隷制はなくなっていくが、その系譜
は継続されて、(左翼がいうような)苛酷な労働と搾取があった。日本でも近代の始めには苛酷
な労働と搾取があったが、終身雇用型によって雇用が安定し労働者は自主的は改善を行った。

西洋では旧約聖書に、原罪として労働が付加される。労働は神からの罰なのであり、奴隷のす
ることである。一番の理想は労働から開放されること。しかし日本にはそのような考えはない。
将軍だろうが天皇だろうが社会的な役割としての職を担うことは当たり前である。日本において
職とは、生活の糧をえる手段であるが、社会の成員としての役割であり、さらには道徳を学ぶ
手段、存在意義である。縦の身分制とともに、横の「職の体系」があった。
246第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2012/02/05(日) 22:41:07.13 0
奴隷とサービス業


現在、第二次産業から第三次産業へシフトしている。第三次産業においても、西洋では奴隷制
の系譜を継いでいる。西洋ではサービスはマニュアル的であって当然であり、またコストと深く
関係する。高いサービスを求めるなら高い金をだす。そして安く抑えるなら低いサービスでよ
い。さらにはコストを抑えるためにセルフサービスをする。

日本のサービス業の系譜は商人にたどれるだろう。商人は職業であり、「おもてなし」などのよ
うにサービスの技術への洗練があった。商業を営むのは一分の身分ではなく、日本人は農業
を基本としてきたが、島国であるために農地は少なく、海、川が近いために商業が発達してい
る。農民でも副業をもって多様な産業を営んでいた。

このために日本ではサービスは、サービスする側は相手への「おもてなし」を礼儀と考え、受け
る側も「おもてなし」されることを当然とする。日本ではサービスはマニュアル以上のものであ
り、またサービスをコストに還元することは失礼である。たとえば日本人が西洋のチップ制にな
れないのは経験が少ないだけではなく、チップがサービスをコストに還元すること、サービスす
る相手を道具のように扱うことが失礼に感じるからだ。
247第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2012/02/05(日) 22:41:44.26 0
日本のサービス業の効率が悪い理由


日本の内需もいまでは第二次産業よりも第三次産業の方が大きくなったが、日本の第三次産
業の生産性は西洋のそれに比べて悪いと言われる。その理由の一つが日本人が西洋人のよ
うにサービスをマニュアル化して、コストに還元化することをできないからだ。受ける側はコスト
に還元できないものを求め、与える側も還元できないものを与えようとする。

製造業において、日本は垂直型、すりあわせ型といわれ、西洋では水平型といわれる。ここに
もサービスに関する考え方の違いがある。日本人は西洋のように下請けを道具のように使いコ
ストに還元することをしない。系列のような関係を結び、コスト以上に共に考える関係を作る。

さらに日本人が家電、自動車産業に比べて、IT産業に弱いことも同様の理由がある。従来の人
によるサービスに比べて、ITを活用したサービスの有用性は道具的(マニュアル的)なサービス
によって人件費を下げてコストを削減できるところにある。このためにIT産業ではユーザーはセ
ルフサービスを当然とする。ネットでは、問題を自己解決する能力が高い程、尊敬されることが
文化であり、「ググる」ことは当然の行為である。

たとえばケータイがガラパゴス化することの問題としてメーカーが技術を抱え込み閉じてしまう
が上げられるが、それは単にメーカーだけの問題ではなく、ユーザーも開放されて自己解決
(セフルサービス)されることになれていないからだ。ユーザーへ「おもてなし」するためには技
術を抱え込み自己管理下いておく、そこに付加価値を求める。
248第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2012/02/05(日) 22:42:34.09 0
第三次産業化と貨幣依存

さらに第二次産業から第三次産業へのシフトでは、西洋よりも日本で多大な影響を与えている。
日本の第二次産業では、終身雇用によって単なる労働力以上の改善力として働くとともに、安
定した雇用を手に入れることができたが、サービス業ではマニュアル仕事と知的労働では、第
二次産業に比べてずっと大きな格差を生む。また第三次産業では商品サイクルが早く、時間単
位で変化するために、雇用も流動化する。当然、サービス業では労働者の生活に責任など持
たず、長期的に保証されない。

先進国では日本の失業率は低い方だが、失業率の世代差をみると若者が高い。労働組合が
強くて正社員の雇用を守っていることもあるが、新たに就職する若者の雇用先は当然、第三次
産業が多くなる。

日本企業は社会保障だけでなく共同体としての繋がりも支えてきた。このために雇用が不安定
化すると繋がりも失ってしまう。すると頼るものが貨幣しかなくなり、将来の不安をすべて貨幣
によって補おうとする。民主党はこのような不安を票につなげたために、支持をつなぎ止め続
けるには金をばらまきつづけるしかない。

日本では、実質的に社会保障は企業の終身雇用が担ってきたが、第三次産業へシフトする中
で、企業による社会保障からあぶれた人々に対して、国が同様な社会保障を行えば、当然、社
会保障費は増え続ける。

日本では、雇用の流動化は将来への不安を生み貯蓄を増やし、消費をおさえる。内需が増え
ないから経済が停滞する。また企業収益が上がらず、さらに雇用が不安的になる。そしてその
不安は貨幣依存を生み、目先に生活苦なくても国の社会保障費を求める。
249第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2012/02/05(日) 22:43:44.28 0
セルフサービスと非貨幣経済

IT産業のサービスは、マニュアル・機械的な対応で日本人にとってものすごく悪く感じるだろう。
それがIT産業のコスト低減効果である。さらにはネット上では問題を自己解決することは当然
であり、自己解決能力が高い程、尊敬されるという思想にまでなっている。IT産業にはセフル
サービスを当然とする文化がある。

トフラーによると、第三次産業へのシフトは単なる産業転換ではなく、人々の生活を変えていく
という。その一つが、積極的なセルフサービスの活用である。トフラーによると、非貨幣経済は
貨幣経済と同じだけの経済規模があり、それを活用する「生産する消費者」が重要になる。

特にIT機器の発達によって、以前工場でしかできなかったことが、だれでも安価でできるように
なり、生産手段の低コスト化が進んだ。ネット上の高い自己解決能力が尊敬される文化は、こ
のような社会的な変化を背景にしている。

>>
金銭経済はもっと大きな富の体制の一部でしかなく、ほとんど注目されていないが、「生産消費
活動」と呼ぶものに基づいて世界的で巨大な非金銭経済から提供された価値に依存している。

・・・経済統計の対象になっているものだけから富が生み出されているという想定、「価値」が生
み出されるのは金銭経済のやりとりがあったときだとする想定などである。これらの想定を捨て
て、もっと大きな「富の体制」に注意を向けるべきである。金銭経済が生産消費者の提供する
「タダ飯」に支えられて存続しており、生産消費者には金銭経済に挑戦する力すらあることに注
目すべきだ。P370-374

「富の未来 上」 アルビン・トフラー(2006)  (ISBN:4062134527)
<<
250第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2012/02/05(日) 22:47:41.80 0
ITと日本の職

>>
生産消費者は貴重な情報を営利企業へ提供している。「口コミ・マーケティング」を行うなど、
さまざまなサービスを無報酬で行っている。

生産消費者は金銭経済で消費者の力を強めている。何を買い、何を買わないかの情報を
交換している。

生産消費者はイノベーションを加速している。無報酬の「グル」として、案内人として、助言者
として、生産消費者は最新の技術製品が登場すると素早く使い方を教えあい、金銭経済で
の生産性を高めている。

生産消費者はインターネットで急速に知識を生み出し、広め、蓄積して、知識経済が利用で
きるようにしている。P371-374

「富の未来 上」 アルビン・トフラー(2006)  (ISBN:4062134527)
<<

非貨幣経済へアクセスしリソースを活用することで、貨幣経済への依存を抑える。これは単に、
低コストで生きながらえることではなく、新たな生活スタイルであり、従来の高い時間拘束の雇
用形態からの開放への可能性である。これを日本型の職=社会の役割へと転換する。セフル
サービスに社会の役割を担っている尊厳をつなげていく。

たとえば日本に福祉国家はむずかしい。西洋では奴隷制の補完として、キリスト教的博愛主義
も、イデオロギー的な平等主義が根付いたが、日本人にはそのようなイデオロギー育っておら
ず、現世利益重視で、社会倫理的には低く利己的である。国が多額の税を徴収し再分配する。
いまの政治をみても日本人はなるだけ金をださずたくさんもらいたいと必死だ。逆にいえば、日
本人は職(役割)をとおさなければ社会秩序を維持できない。

西洋的な労働に還元できない日本人の「職」の慣習を活用して、新たな文化を見いだしていく。
このような意味で、西洋型セルフサービスを日本人型に改良していく必要がある。
251第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2012/02/05(日) 22:48:33.39 0
誤爆・・・
252考える名無しさん:2012/02/05(日) 23:05:29.18 0
確信的誤爆は誤爆なのだろうか?
253考える名無しさん:2012/02/05(日) 23:09:01.66 0
この度の波平の誤爆は有罪だな。
254考える名無しさん:2012/02/05(日) 23:30:02.73 0
この板は人が少ないから、やりたい放題だな
255考える名無しさん:2012/02/06(月) 21:35:30.39 O
>>244
>>243
> 私の言語と他人との言語が齟齬をきたしたのか、
> 言語は一致しているけど、私の主観的体験と他者の主観的体験が
> 齟齬をきたしたのかを、私は区別できないんじゃないかな。

素朴に考えると、一度だけでなく、同じような場面で何度も繰り返し確かめれば、
主観的体験の違いかどうかは一応確かめられそうだけど(どちらかの幻覚や見間違いなど
であれば、そのことがそのうち判明してくるだろうから)。
しかし、「同じような場面で」「繰り返し確かめる」などの理解が食い違うことが、
また考えられるだろうか?そうなるとどうなるか?(よく分かりません)

> 区別できないからどうなんだという結論的なものはよくわからないから、
> もともとの問いに答えられるわけじゃないけど。

「区別できない」というだけで、主観的体験の齟齬と言語の齟齬が両方考えられるなら、
言語の齟齬だった場合にはどうなるか、という問題は変わらないように思われる。
しかし、もっと強く「言語の齟齬はあり得ない。考えられるのは主観的体験の齟齬だけだ。」
というようなことが、もし言えるなら、また別論になってくるだろうけど。
256考える名無しさん:2012/02/07(火) 01:20:51.41 0

>素朴に考えると、一度だけでなく、同じような場面で何度も繰り返し確かめれば、
>主観的体験の違いかどうかは一応確かめられそうだけど(どちらかの幻覚や見間違いなど
>であれば、そのことがそのうち判明してくるだろうから)。

いやむしろ逆で素朴に考える限り、違いは確かめられそうにないんじゃない。
だってなんど繰り返しても

>どう考えても私はくすぐられているのに、Bその他の人々はみな「殴られている」
>「痛みを感じるはずだ」と言う

という状況にかわりがないんだから。
でも細かく具体的にかんがえていくと、この想定にはどこかで齟齬(矛盾)
をきたすことがわかるという可能性もあるかもね。

でも想定でよくわからないのは、たとえばこのとき
他人が「皮膚の敏感な部分を軽く刺激し、むずむずして笑いたくなるよう
な感じを起こさせる(辞書の定義そのまま使用)ことをくすぐるという
んだよね?」と確認してきたら私は「そうだよ」って答えるんだよね?
それとも「それをなぐるっていうんでしょ?」とかいうのかな。
257考える名無しさん:2012/02/07(火) 02:23:19.29 0
上げても誰も興味持たないから、下の方でひっそりとやってなよ。
258考える名無しさん:2012/02/07(火) 07:36:44.85 O
>>256
> でも想定でよくわからないのは、たとえばこのとき
> 他人が「皮膚の敏感な部分を軽く刺激し、むずむずして笑いたくなるよう
> な感じを起こさせる(辞書の定義そのまま使用)ことをくすぐるという
> んだよね?」と確認してきたら私は「そうだよ」って答えるんだよね?

私がそう聞かれたのなら、もちろん、「そうだよ」と答えるという想定。
259考える名無しさん:2012/02/12(日) 00:17:07.80 O
直接関係ないけど、青山拓央『分析哲学講義』を読んでみたら、読み方によっては
私的言語について参考になりそうなところもあるようなないような。
しかし、一見平易に書かれているように見えるけど、実際は結構難しい話が書かれているような。
260考える名無しさん:2012/02/13(月) 11:58:44.67 0
青山の本は将棋を念頭に置いて読むと妙に納得できる
261考える名無しさん:2012/02/13(月) 23:51:50.77 0
過疎ってる原因は、信者のせいなのか、永井に見るべきところが無いのか、哲学が見捨てられているのか…
単に信者のせいだけだといいが…
262考える名無しさん:2012/02/14(火) 09:43:58.88 0
大森や広松のスレよりも内田や東のスレが伸びる板の勢いなんてどうでもいいな
263考える名無しさん:2012/02/14(火) 11:27:21.28 0
青山「廣松渉 は、ウィトゲンシュタインに日本将棋を教えたい(囲碁やチェスやマージャンでは駄目)と思っていた」

将棋ってそんなすごいゲームなのか?
264考える名無しさん:2012/02/14(火) 16:02:59.19 0
過疎ってるのは質の悪い住人のせい
まあ幸せなことで
265考える名無しさん:2012/02/14(火) 16:09:49.73 0
勢い1.7はこの板では過疎ってる方には入らないんじゃないかな
266考える名無しさん:2012/02/14(火) 23:34:49.13 0
青山拓央www
まあ永井と同等のレベルでいいんじゃないでしょうかw
267考える名無しさん:2012/02/15(水) 00:47:50.40 0
? 何が?
268考える名無しさん:2012/02/19(日) 02:28:50.25 O
『分析哲学講義』に出てくる「意味の貨幣」って、「百ターレル」の話と
何らかのつながりがあるのかな。
と、「貨幣」から連想したという以外にほとんど理由・根拠のない、
ものすごい適当なことを書いてみる。
269永井は神:2012/03/05(月) 03:25:00.17 0
最近過疎ってるのは俺が自演止めたからだよ
なんか永井に興味無くなってきた
ごめんね
270考える名無しさん:2012/03/05(月) 08:50:04.76 0
いいよ許す
271考える名無しさん:2012/03/05(月) 09:03:30.69 0
ちょっと伸びてると思ったら
青山スレになってるからだし
272考える名無しさん:2012/03/05(月) 23:31:28.67 O
それでは暇な素人の俺が適当にネタを振るから、レベルの高い皆さんが発展させる、
あるいはボロクソに叩く、あるいはもっとちゃんとしたネタを振るなどの方法によって
盛り上げてくださいな。

その1:「〈魂〉」、「単独性」、「脱人格的自我」あるいは「純粋自我」、「《私》」の、
それぞれの異同及びそれらは「〈私〉」の議論においてどの程度の意味があるか。
その2:「タイプ」「トークン」の関係と、「《私》」「〈私〉」の関係には、
何らかの関連性があるかどうか。あるにしてもないにしても、その理由。
その3:現実の百ターレルと可能な百ターレルという話における「可能」なものとは、
どこにどのように存在するのか、あるいはどうやって把握するものなのか。
「頭に思い浮かべた百ターレル」、「百ターレルの絵、写真」、「「百ターレル」という
文字、音声、その他記述や描写」等々とは違うものなのか。
273考える名無しさん:2012/03/21(水) 23:39:18.52 0
『文学界』で「純文学」についてのエッセイを書いている。
274考える名無しさん:2012/03/22(木) 11:16:15.95 0
最近、吉本隆明についても書いていた。
吉本の初期の共産党批判はニーチェのキリスト教批判の縮小版である、というような趣旨。
吉本の言う「スターリニズム」と、ニーチェの言う「ニヒリズム」は、同型だとか。
275考える名無しさん:2012/03/22(木) 20:02:06.48 0
それはどこで?
276考える名無しさん:2012/03/23(金) 04:57:22.46 0
私はどこで?
277考える名無しさん:2012/03/23(金) 09:56:52.01 0
擬制の終焉とは神が死んだという意味なので、
本当に死んだ後には部分的に神代理物を復興していかなければならないという課題と、
神を殺しきるという課題の両方が矛盾した形で並存せざるをえない、
ということらしい。
278考える名無しさん:2012/03/25(日) 11:47:53.43 O
『文學界』のエッセイを立ち読みしたら、ちょっと面白かった。
(雑誌の立ち読みなんかしたら、書店に怒られるのかもしれないけどw)
エッセイ全体の趣旨とは外れるのだろうけど、「小説の中では、複数の人々の心理描写が
なされて、それを読者は当然のごとく理解しているが、実際の世界で複数の人々の
心の中を当然読み取って理解できるなどということはない。これはどういうことなのか。」
という趣旨の問題が書かれていた(と思う)。
279考える名無しさん:2012/03/25(日) 15:44:11.65 0
どーでもいい
280考える名無しさん:2012/03/25(日) 15:55:40.27 O
どうでもいいことはない
281考える名無しさん:2012/03/26(月) 04:17:13.97 0
永井も結構馬鹿なこと言ってるからな
実際にはそうなっていないであろう世界の描写だから
小説という形式なんだろうに
282考える名無しさん:2012/03/26(月) 12:00:20.41 0
だから概念として理解できる可能世界ということなんじゃないの?
283考える名無しさん:2012/03/26(月) 13:10:49.40 0
なぜ自然的性質がわれわれの態度の内容のなかに登場し重要な役割を占めるのかといえば、
それは、自然さが、内容において重要な役割を占めるということが意味することのまさに一部だからである。
自然的性質に特別の関心を持つようにわれわれが作られているからではないし、
たまたま関心をもった性質にわれわれが自然さを付与しているからでもない。

(D・ルイス)
284考える名無しさん:2012/03/27(火) 00:37:38.75 0
>>278
その問題の解決策をデカルトとカントがそれぞれ提出しているという趣旨だった。
285考える名無しさん:2012/03/27(火) 09:13:50.01 O
>>282
例えば、「紫式部が『源氏物語』を書かなかった可能世界」というようなものは
考えられるとしても、「複数の人々の心の中を当然読み取って理解できる可能世界」
などというものは、可能世界としても考えうるようなものなの?
そういう意味ではない?
286考える名無しさん:2012/03/27(火) 12:45:32.02 0
>>285
複数の人間の心を読み取って理解しているのは、現実世界の読者でしょ?
Aが「晴れたらいい」と考えていて、
Bが「雨になればいい」と考えているような場面が仮にあったとき、
読者がA・B双方の心を理解したとしても、
「心を読みとっている」という出来事はその世界の中にはあらわれない。
287288 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/03/27(火) 14:25:32.31 0
世界の表れがどうしたって 「ここから開かれてる」 単一のものであるのに
(「私」が二つの体をもっていても問題は同じ ツインマン
だろうがひとつの意識でしか開かれない のではないか
それ以外理解できない  というやつね)
複数から開けてるってのは こりゃいったいどういうこっちゃ!
どういう状況なんだ!? ていう感覚というか 思考じゃないの?
だから 馬鹿なこといってるっていうのはむしろほめ言葉になると思う
288考える名無しさん:2012/03/27(火) 14:39:33.84 0
288げっと
289考える名無しさん:2012/03/27(火) 23:45:07.70 0
言語によって構成される世界は、言語によって構成される世界であってね
それを可能世界と見なすから馬鹿だってのに
290288 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/03/28(水) 00:15:46.62 0
言語によって構成される世界ってのがよくわからないのだけど
つまり小説(内)の世界ってこと? それを可能世界とみなすのが
馬鹿げてるって見解か よくわからんなぁ
私自身は「各キャラクターの心情が同時にわかることが可能な世界はありえる
のは当然」って考えだけど そういう見地からは不思議でもなんでもない
とはたしかに思えるんだよね そういうことじゃない?
読んでみないとわからんな まあ永井の言説は討論した場合 必ず負けるような構造を
持たざるを得ない(と今のところみなしてる)から 楽しくてしょうがないんだけどね
291考える名無しさん:2012/03/28(水) 00:31:53.36 0
討論って・・・
討論以前に話にならないから、アンチもごっそりいなくなったんだろうに。
そりゃオナニーは楽しいわな
292 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/03/28(水) 00:34:05.10 0
哲学(もどきも含めて) オナニーなもんじゃないの?
そういうのって楽しくない? 話にならん話ってのが
醍醐味だと思うけどね だから必敗が約束されてるような
考えの垂れ流し のやり取りだと思うけどねぇ
まあそういうの嫌うってのもよくわかるよ 
おれはたまたま好きだけどね 
293 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/03/28(水) 00:40:47.33 0
ああちなみに、討論のスキルが自分にあるとは思わんよ 永井にはある程度あるとは
思うけど ただし ないとみなす人も多いだろうね
まあそれなら消えうせるだろうから それを気楽に待つのがいいかもしれんけどね
なんで永井ごときに夢中になるのかは たしかによくはわからんのよねぇ…
294考える名無しさん:2012/03/28(水) 10:04:31.83 0
様相論理を使った虚構の分析はそれなりにあって、
虚構世界は可能世界の集合であるという見方は結構強いんだけどね。
可能世界では決してありえない意味で、「言語によって構成される世界」って何?
295考える名無しさん:2012/03/28(水) 17:30:29.30 0
可能世界の問題じゃなくて超越論哲学の問題だろ?
デカルトやカントとの関連で出ているんだから。
可能世界は論理的な可能なものは何でも可能なのだから、
超越論的問題とは関係ないと思うよ。
296 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/03/28(水) 19:51:00.03 0
永井の? どうにもヘンテコな見方(と私がみなしてる見地)からすると
やっぱり 複数の視座というのに違和感を感じる (「なんなんだろう?
なんでここからしか開けてないのに 多層的に開かれてることが
理解できるんだ?! いや理解してないのか?」) ってのが不思議なんじゃないの?
デカルトに対する理解もカントに対する理解も なんていうか 永井はヘンテコな引き受け方してる気がするけどね
これはほめてるつもりだけどね
297考える名無しさん:2012/03/28(水) 20:16:44.45 0
いやいや、ごく普通のデカルト・カント理解だよ。
これは褒めても貶してもいない。
単なる事実。
298 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/03/28(水) 20:20:26.99 0
ああそうなの そらそうだわな 永井教授もたまには
ちゃんとした? こと書かないとだめだよねぇ
なるほどね
299考える名無しさん:2012/03/29(木) 15:02:43.92 0
だめだ、やっぱりこいつ等相手に討論とか無理だ。
これだけ過疎れば、少しは内省するのかと思いきや、全く変わっていない。
300 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/03/29(木) 16:26:40.41 0
そうだね あきらめたほうがいいよ 
永井の授業とか講義あるからそこで
本人と話したほうがいい
知り合いが独在性の問題に対して実際に永井本人に対し
批判したり そのレスポンスもらったり
してたよ お勧め 卿にはネットは向いてないよ
301考える名無しさん:2012/04/04(水) 23:25:04.44 0
「永井の問い」に、安易かつ無批判に乗っているだけの
「劣化永井」は何とかならんものか。
302 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/04/05(木) 02:21:53.27 0
オレも人から見たら劣化してる感じの問いになるだろうが
面白いんだからしょうがないとしか言えないんだよね
とにかく「こんな所から なんで世界が開けてるんだろう」
っていう「開かれ問題」をかなり近しく(かつ問題の性質上永井と
絶しているんだが)わざわざ(結果的に)「オレ」に対し
思考を繰り返し見せてくれてるわけで それを呼び水にして
考えてる(つもり)なんだけどなぁ
人なんざどうでもいいが 呼び水ってる思考作業を見て
どうなんだろう こういうことか って考えたいわけよ
そういうのないのかね? 永井が提供する「呼び水」は結局
「真水」(真の世界の開かれ)じゃないわけよ
でも永井は呼び水こそ真水だと言い張るだろうけどね
そのときなにが起きてるのかってことだよ
もちろんこの言明は必ず負けるような構造なんだよね
さらにいうと 言語が見せる夢を剥がしてもさ もし剥がせても
(都合よすぎる?から) メタインチキ なんじゃないかっていう
二重に負ける匂いがするわけ この匂いがなんなのかっていうのも
考えたいことなのよ それが面白いんだけどね
303考える名無しさん:2012/04/05(木) 02:50:27.45 0
ウィトゲンシュタインとの対比で言うと
ウィトゲンシュタインは、家族的類似性という概念等で、社会性を担保していた一方
永井の思考においては、読んだ限りでは、個としての私へ傾倒し過ぎていて
社会性がかなり欠如しているところが、どうしても引っ掛かるのよね。
そこが、広く受け入れられない原因になっていると思う。
304!ninja:2012/04/05(木) 02:58:14.02 0
社会性に関してはそうかもしれんね こういっちゃなんだが
オレには薩摩の血が入ってるもんで 実際の生き方や社会性とかはさ
社会に(日本に?)殉じねばならん 的な倫理?感が強かったりして
(実際どうするか ヘタれる可能性が高いが)永井とはぜんぜん違うからなぁ
個とか自分とはとか そういうのはないね 世界の中心だとか思ったこともないし
反社会的な犯罪にめちゃくちゃ腹たつしw だからなんだ永井に傾倒して粘着?
するってのがよくわからん オレはどっちかというと 大久保公とか大山元帥大将とかに
傾倒するタイプだからなぁ 永井は広く受け入れられんほうがいいかもしれんね
305考える名無しさん:2012/04/05(木) 03:09:53.67 0
永井自身に社会性が欠如しているのではないだろうが
著書に社会性の欠如が印象として残るのは、何とかした方がいいように思われる。
306考える名無しさん:2012/04/05(木) 14:04:21.98 0
永井は自身の問題に対して、
表面上は公共的に理解可能な単独性の哲学で答えていると思うので、
その過程でそういう印象が伝えられているのなら、むしろ成功じゃない?w
307 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/04/05(木) 14:37:23.25 0
永井の思考作業をさ まるっきり 「なるほどね」 って考えるんだけどさ 独在性の問題 も 倫理に対するアプローチも 腑に落ちるわけ
もちろん 独在性の問題(世界の開かれ問題)は 腑に落ちつつ 永井の言明はあくまでも偽であらざるをえないんだけどね さらにいうと
と まあややこしくなるのでやめとくけどさ でもなんにしろ反社会的(に感じられる)問題を考えるだけならともかく 
思考作業を明らかにしちゃって大丈夫かね とは思う ありがたいんだが 大きなお世話ではあるんだが いいのかねぇ と
この手の問題をつっこんだ話にまでもっていくと 大概の(永井哲学好きの)人は怒りだすからな現実だと まあそれもよくわかるけどね
308考える名無しさん:2012/04/05(木) 15:40:44.37 0
>>306
だから、そういうところが、ウィトゲンシュタインが広く受け入れられたのとは対照的だと。
309考える名無しさん:2012/04/05(木) 16:19:41.36 0
ウィトゲンシュタインの哲学が受け入れらたことは、
彼の哲学から必然的に帰結するようなもんじゃないでしょ。
ウィトゲンシュタインが残っている世界にたまたまいるから、
例えばそう考えることにリアリティがあるだけで。
310 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/04/05(木) 16:28:32.29 0
まあ永井のヤバイ感じにたいしてどうもなぁってのをさ 指摘するのに
ウィトゲンシュタインさんにご登場願ったのかもしれんし(もし違ってたのならすまないが)
そういう希求はすごくよくわかるよ オレはやっぱり永井の思考作業にはあきれるほど
感服してるけど やっぱり「大丈夫かよw」って思いも強いからね
311考える名無しさん:2012/04/05(木) 21:23:34.17 0
ウィトゲンシュタインさんにご登場というか
永井自身がウィトゲンシュタインとの密接な関係をアピールしている以上
登場するのは当然だが。
その上で、ウィトゲンシュタインと比較したら、永井の方がダメなんじゃないの?
って話。
312考える名無しさん:2012/04/05(木) 21:36:53.44 0
では、ニーチェが広く受け入れられた理由は?
313 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/04/05(木) 21:40:42.48 0
だめって社会性のこと? 反社会的だもんで ウィトゲンシュタインより
永井がどうにもダメってことがいいたいの?
オレは永井とウィトゲンシュタインのつながりが密接とは考えないからさ
んで比較どうのってのに申し訳ないが興味がわかないのよ ごめんなさいね
だから そういう話なら ちょっとレスできない 耳よごししちゃったね
永井がとにかくさ ヤバイ言説だから ってことが言いたいだけなのよ
それだけ 
314考える名無しさん:2012/04/05(木) 23:21:42.16 0
>>312
ニーチェは読めばわかる通り、社会批判・時代批判がかなりされていて
社会性はそれほど欠如していないと思うけど。

>>313
永井の思考は、非社会的とは言えるかもしれないけど、反社会的ではないでしょ。
反社会的ってのは、社会的であることを前提として、その先に成り立つことだから。
社会性の視点が欠けていたら、「広く受け入れられる」ことが難しいというのは
ほとんど自明で当然のことではないかと。
315 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/04/05(木) 23:34:24.21 0
いやだからさ オレはヤバイっていう書き方したわけよ
社会的−反社会的っていう空間から飛び出してるって考えられるという
わけね そうたしかに考えられる でそれが魅力的だっていうのはいいけど
やっぱりヤバイんじゃないかと 感服するけどさ 危険な気がするわけ
大きなお世話なんだろうけどね これは倫理に対するアプローチね
「オレが考える永井の思考」の (つまりオレがそういう風にひきつけて考えてるっていうことだけどね)
316考える名無しさん:2012/04/05(木) 23:38:17.94 0
>>315
「広く受け入れられない」思考は、基本的に危険ではないよ。
まあ、カルト的な危険性を否定できないわけではないが
危険・安全で言えば、安全でしょう。
317 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/04/05(木) 23:42:02.12 0
たださ、反社会的に(感じられる)とは書いたから紛らわしかったね
そう考える人もいて当然ってのもあるから書いただけなんだけどね
紛らわしくてごめんなさいね
永井の思考はさ 社会への攻撃性ってのがどうしても発生しちゃう気がしてね
でそれに危険性を感じて反応する人がいるってのも そういうもんかもなぁ
って考えるのよね 
318 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/04/05(木) 23:46:20.61 0
広く受け入れられないから危険じゃないってのはよくわかるんだけどさ
結果的にね でもヤバさが伝わってくるから おいおいいいのかよっていう
まあリアリティーね そういう永井の言明 思考作業が「とにかく」発せられてる
という事態に それ自体に なんか やべぇなぁ って「オレ」が思うのよ
だからそういうレスポンスね  
319 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/04/05(木) 23:54:37.90 0
結局さ 永井が考える思考作業においての結果として排出される
(とオレが考えちゃうんだが)思想 まあよく言えば生産物 悪く言えば
排泄物が 反社会的な言明として捉えられてしまうんじゃないかっていう
俗っぽい心配じゃなくてさ そういうんじゃなくて 生の思考(とオレが
考える)つまり進行形の永井の思考作業がさ なんていうか みもふたもなさ
がすごいというか まあ問題を生で抉り出す感じが「危険すぎるだろw」
って実感があって でそれに感嘆しつつもヤバサを強く感じちゃうわけ
それをまあおおざっぱに(稚拙に)「オレ」が表明してるって感じかな
それを言いたくなっちゃう で書いちゃってるんだよね なんかわるいねぇ
320考える名無しさん:2012/04/06(金) 00:17:43.70 0
その「オレ」なんざ、どうでもいいが、永井が危険という点には同意。
321考える名無しさん:2012/04/06(金) 00:22:23.95 0
ヤバいと言う場合にも、ニュアンスは色々あると思うが
俺にとっては、「意識」や「心」というものの問題が、否定的に解消されたならば
「私」の問題も、否定的に解消されて然るべきだと考えるのだが
(ウィトゲンシュタインもそういう方向に進んだと考える)
それが、「謎」や「神秘」に昇華されるのは、確かにヤバいよな。
少し前のスレで、「信仰の告白と言われた(永井の問題意識に対してだったか?)」
という書き込みがあったのも頷ける。
322 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/04/06(金) 00:23:56.13 0
そうそう 「私」とか「オレ」の表明をわざわざ記する(しかし)そのどうでもよさが 
まあ必ず負けるっていう事だっていう今のところの認識
それがたまらなく面白いわけ そうじゃないと 永井なんか(失礼)の本よんでも
まあしょうがないというか… いや失礼した  
結局「オレ」にとって興味あるのは じっくり考えたいのは んで永井を利用したおそうと
してるのはさ 「とにかく何で『こんなところ』から開けてるのか」っていう問題だからなぁ…
323 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/04/06(金) 00:30:20.76 0
んで独在性の問題は「オレ」にとってさ(乱暴なことを言えばそれがすべて
とも言える?んだが) 謎や神秘 信仰とかに行く わけじゃないからなぁ
とにかく初発だよ でそれに対するアプローチで 第一、言語に
よって それは「独在だぁ 独我だぁ?そんなもんあるかあほw」 っていう一撃が
加えられるわけ で それから先 その先のほうがなんというか
面白いんだが その言語をひっぺがしたとき(どうやってかは
わからないが…)メタだよね でもメタっても メタインチキ
つまり独我なんて思い込みだよっていう においがするわけ
それが第二 で、 完敗wするわけだが しかし 最初に戻っちゃうわけ
「で その完敗してヘタレてる『こんなところ』からなんで開かれてるんだ?
って それが面白い だけど まあ あんまりだよねw 
324 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/04/06(金) 00:41:42.25 O
やらし
325 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/04/06(金) 00:43:14.32 0
結局のところさ 「オレ」の独り言なのよ ひどい話でしょう
しかし独り言だろうが言語だからさ 一般化?ってのから逃れられない
それがまたまた面白いんだが困ったところでもある
なんでそんなもん垂れ流すんだっていう下品さを懺悔するとさ
独り言を書くと レスポンスがもらえるからさ(ありがたいことだよまったく)
「ああそういう(レスポンスによって得る)アプローチもあるか?」 っていう思考
を拾える、もらえる可能性が出てくる それが目的なんだよね ずるいとはおもうけど…
326考える名無しさん:2012/04/06(金) 02:22:13.48 0
ちょうど、ひきこもりが問題視はされても危険視はされないのと同じで
永井の思考も、問題視はされても危険視はされないような。
327 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/04/06(金) 02:34:20.18 0
うーん うーん 難しいなぁ 危険っぷりもヤバさの一要因だと
考えてるんだけど たとえば倫理哲学と(おそらく)永井が考えてるアプローチがさ
倫理の外に(意外と平然ってわけでもなさそうなのが面白いんだが)
永井が立って、で「善悪とみなが呼びがちな この倫理ってやつは何だろう?」って
倫理っていうボールを(永井とはいえ少しは躊躇しつつも)もてあそぶんだが 
それが非常に危険に見えるわけ 結局それがどういう悪しき?結果を生むか やばくねーか ってのもあるんだが
あるんだけれども そんなことよりも その思考作業じたいが危険に感じられるわけよ そうとしかいえん すまん
328考える名無しさん:2012/04/06(金) 02:56:58.73 0
哲学者が哲学的常識から外れると、危険な錯覚がするだけで
実際には危険でも何でもないぞ
329考える名無しさん:2012/04/06(金) 10:45:13.70 0
というか、ウィトゲンシュタインが斯く斯くであり、
ニーチェが斯く斯くであり、ゆえに広く受け入れられ、価値があるのだ、
というのは、言ってみれば歴史であり、必然性捏造のレトリックだよね。
メタレトリックにレトリックとしての危険さ・安全さを言いたてるのは、
ナンセンスじゃない?
330考える名無しさん:2012/04/06(金) 14:30:27.87 0
歴史的な事実ではなく、著書の内容で判断してるんだよ。
永井が広く受け入れられる要素は、皆無と断言していい。
331考える名無しさん:2012/04/06(金) 14:45:01.70 0
内容ねぇ。
例えば、永井に対する批判には、そもそも問いの実在を認めるか認めないかで、
区別を立てることができるよね。
つまり、まったくの疑似問題として問いを消去するか、
あるいは、問いの実在を認めつつ、永井の手続きが間違っているとするか。
ただ、そこで社会性の有無みたいなのを言いたててしまうと、
どちらの場合にせよその断言はナンセンスになると思うよ。
332考える名無しさん:2012/04/06(金) 16:00:47.28 0
まだ、永井の問いの周りをうろうろしてるのか?
永井においては、否定的に解消されたはずなのに
「神秘」に昇華させて、すがり付いているからおかしいのだが。
哲学だったはずのものが、「私秘教」になってる。
カルト的な危険性はあるにせよ
ナチスにおけるニーチェのようになれる危険性は全く無い。
333考える名無しさん:2012/04/06(金) 16:17:32.05 0
否定的に問題を解消しようというのは「正攻法」だよね。昔の大庭健がやってたことだけど。
で、その「正攻法」が成立してるなら、
もはや永井の危険性や社会性なんてものを云々する余地はないよね。
そういう意味でナンセンスだということなんだけどね。
334考える名無しさん:2012/04/06(金) 16:33:59.87 0
しかし、永井信者ってのは何なんだろうね。
「永井の主張は、解かることができないようになっている」と暗にアピールするから
それを認めてやって、「そうなっているから、広く認められることはないんだ」と言えば
それを一生懸命否定しようとする。
幼稚で頭がおかしいにも限度ってものがあるだろ。

デカルトは肯定的に認証したから、生産的に構成することになったが
永井のように否定的に解消する方向に進めば、その先が貧弱なのは当然でしょ。
それこそ、「神秘」くらいしか縋り付けるものが無い。
はっきり言って「先が無い哲学」だから、一部にしか受け入れられない。
335考える名無しさん:2012/04/06(金) 16:37:44.06 0
べつに否定しようとはしてないんだけど、すごい罵倒だなw
336考える名無しさん:2012/04/06(金) 16:49:53.01 0
というか、こんな下らんことを言う必要があるかわからないけど、
何らかの理由によって、受け入れられるか受け入れられないかが論じられるためには、
因果的・現実的可能性が自明になっていないといけないわけだよね。
現実性がまさに問題になっている哲学の次元で、
それを自明のものとした批評するのはお話にならないわけ。
その言明が否定されるとか肯定されるとかそれ以前なわけね。
337考える名無しさん:2012/04/06(金) 23:18:09.31 0
>>335
いやねこっちも、最初から批判するつもりで永井を読み始めたわけじゃないんだけど
読んでいると色々疑問に思うところが出てくるわけよ。
それで、このスレでちょっと批判的な事を書くと、永井に輪をかけてわけのわからん奴が
永井の肯定的な読みは大雑把に、批判的な読みにはかなりの厳密さを求めてくるから
ますますイライラしてくるわけ。
「永井が正しい」という前提の元で、永井を忠実に理解しようとする読みしか認めないように見えるから
「こりゃダメだ」となるわけ。
338考える名無しさん:2012/04/07(土) 00:19:11.78 O
永井の論じていることについて問題にしようとするなら、肯定だろうが否定だろうが、まずは
永井が何をどう論じているのか、できるだけ正確に理解しようとするのは、当然なんじゃないの?
それは何も永井についてだけでなく、何か正確な議論をしようとするなら、当たり前なんじゃないの?
何となくいろいろな議論をしてみたいというなら別だろうけど。
339考える名無しさん:2012/04/07(土) 10:52:11.33 0
>>338
それは、永井にもいえるな。
ニーチェやウィトやカントを論じるなら、もっと正確に読み込んでからにしろよ。とか。w
340考える名無しさん:2012/04/07(土) 14:35:22.18 0
>>339
もうね、この人(達?)は、一事が万事この調子なのよ。
「永井問題」に相乗りする時、仔細に吟味しない割には
批判者に対しては「もっと緻密に読め」と
なんで「信者」と揶揄されているのか、全くわかってない。
341考える名無しさん:2012/04/07(土) 21:09:48.40 0
とりあえず、永井信者には永井語でしゃべるのやめてほしい
342考える名無しさん:2012/04/07(土) 23:06:21.72 O
そんじゃ俺はウィトゲンシュタイン信者にはウィトゲンシュタイン語でしゃべるの止めてほしい
343考える名無しさん:2012/04/09(月) 09:38:23.23 0
なら俺はハイデガー信者にはハイデガー語でしゃべるのやめてほしい
344考える名無しさん:2012/04/09(月) 10:46:07.76 0
寒い
345考える名無しさん:2012/04/14(土) 01:46:27.57 0
竹田青嗣と永井均の仲って現在はどうなっていますか?
346考える名無しさん:2012/04/14(土) 08:28:32.72 0
なんちゃって哲学者同士仲良くやれやw
347考える名無しさん:2012/04/15(日) 02:42:42.56 0
いくらなんでも、竹田と一緒にするのは、さすがに失礼だろ。
348考える名無しさん:2012/04/15(日) 14:01:12.35 0
マンガは哲学する!(笑)
349考える名無しさん:2012/05/20(日) 21:26:07.52 0
来月『ウィトゲンシュタインの誤診』という本が出るそうです!
350考える名無しさん:2012/05/25(金) 22:53:52.35 0
ttp://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=164064&userflg=0
哲学対談 永井均×入不二基義
現実性について―私・今・現実―
好評の永井均氏の哲学講座、今期は入不二基義氏をお迎え
し、対談形式で行います。――すべての人間は自己意識をもつ
「私」なのに、<現実の>私はこの一人しかいない。すべての時は
その時にとっては「今」なのに、<現実の>今はこの一つしかな
い。このような場合の「現実の」という言葉は何を意味しているの
だろうか。通常、現実性は可能性や必然性とならんで「様相」の
一種だとされるがほんとうにそうなのか。私、今、現実をそれぞ
れ位置づけているシステムである、人称、時制、様相はどういう
関係にあるのか。そして、現実性は言語のはたらきとどう関係し
ているのか。――このようなテーマについて、気鋭の二人の哲
学者が議論を交わします。

こんなのがあるそうですな。自分は遠いので行けないけど。

しかし,素人的にぼんやり考えると,現実はとにかく現実にあることには変わりないと
思われるので,可能性なるものが,現実にはないのに,確かに考えられるような気が
するほうが,摩訶不思議なように思われたけど,素人の勘違いでしょうか。
351考える名無しさん:2012/06/13(水) 20:41:29.85 0
ttp://www.nakanishiya.co.jp/modules/myalbum/photo.php?lid=880&cid=14
ウィトゲンシュタインの誤診
『青色本』を掘り崩す
永井 均 著
四六判・254頁
税込定価 2310円
ISBN978-4-7795-0671-0

ウィトゲンシュタインの『青色本』を
徹底的に読み解き、批判的に乗り超え、
哲学の新たな可能性を切り拓く永井哲学ワールド!



ネット上で情報が出てたのを見つけました(しかし発売日が見当たらないけど)。
352考える名無しさん:2012/07/02(月) 13:13:12.12 0
青色本というと永井にとっては原点みたいな本だな
353考える名無しさん:2012/07/06(金) 09:34:58.32 0
パーフィットの『理由と人格』が復刊
http://www.amazon.co.jp/dp/4326101202
354考える名無しさん:2012/07/09(月) 05:43:00.89 0
ウィトゲンシュタインの誤診 -『青色本』を掘り崩す- 永井 均 (単行本 - 2012/8/3)
新品: ¥ 1,890

近日発売 予約可。 この商品は2012/8/3に発売予定です。(amazon)

----
N信者は絶滅したっぽいから、売れないかも。、
355考える名無しさん:2012/07/09(月) 10:41:29.47 0
勢い1.2は哲板では上位でしょ
356考える名無しさん:2012/07/12(木) 19:48:38.06 0
ウィトゲンシュタインの誤診 -『青色本』を掘り崩す- [単行本] 永井 均 ナカニシヤ出版
357考える名無しさん:2012/07/19(木) 01:15:28.73 0
『倫理とは何か』を読んだが、倫理学の本を読んだほうが面白いだろうと思った。
なんでこんな本出すんだろう。最悪だよ、ったく。
358考える名無しさん:2012/07/19(木) 10:30:39.70 0
僕もかなり前に『倫理とは何か』を読んだが、僕には最高だった。
その後、他の倫理学の本が馬鹿馬鹿しくて読めなくなってしまった。
サンデルが流行ったとき読んでみたが、やはり全然つまらなかった。
倫理に関する問題は、結局これで尽きているように僕には思える。
359考える名無しさん:2012/07/19(木) 11:03:28.02 0
永井均『倫理とは何か』は加藤尚武『現代倫理学入門』と並ぶいい本だったと思うけど
最近出た伊勢田哲治の『動物からの倫理学入門』が出色なのでまずこれを読むべき。
伊勢田本以前に書かれた倫理学の解説書は、
これから日本では影が薄くなるかもしれない。それくらいの出来。
ちなみに永井の元ネタもちょっとわかるw パーフィット読むのにも役に立つよ。
360考える名無しさん:2012/07/27(金) 02:17:47.47 0
少なくとも、倫理社会を学んで興味を持った人間には読ませたくない本だ。
361考える名無しさん:2012/07/27(金) 16:16:11.46 0
>>359
たしかに伊勢田本も良いけど、永井路線での最高傑作は平尾透『倫理学の統一理論』でしょう。
永井さん本人もこの本を絶賛してたしね。
362考える名無しさん:2012/07/27(金) 18:11:56.51 O
新刊『ウィトゲンシュタインの誤診』発売記念age
Amazonで前に8月3日発売という情報があったけど、もう書店で買えた。
やはりAmazonはあまり信用ならんですなw
363永井は神:2012/07/28(土) 00:10:38.01 0
発売前だけどamazonでも買えるみたいだよ。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/toc/4779506719/
さっき注文したわ。
364考える名無しさん:2012/07/29(日) 00:56:27.01 0
twitter見てるともう入手してる人が居るから、
書店行ってみたけど見当たらなかったな。
三省堂だったんだが。
365考える名無しさん:2012/07/31(火) 21:28:15.24 0
慶応出のくせになまなんだよw
366永井も神:2012/08/01(水) 00:11:47.14 0
お、早速来たねw
ボロクソに罵倒されまくったのがまだ忘れられなくてついつい見ちゃうんだろうなコイツw
367考える名無しさん:2012/08/01(水) 21:08:52.74 0
新刊を読み始めてみた。
ウィトゲンシュタインの『青色本』の後半部分について,まず原文の一節の翻訳(永井訳?)
→それに対する永井の説明,論評→次の一節の翻訳→説明,論評・・・
というスタイルで,かなり細かく論じている感じ。
細かく論じるというか,むしろ,永井の議論(累進構造等)を持ち込んで,原文では論じ
られていないことをさらに突っ込んでいく(ツッコミを入れていく?)という感じかもしれない。
個人的に,「累進構造によって,私・今についてのみのことだったはずのものが,誰に
でも・いつにでも当てはまることになってしまう」という話と,いわゆる「文法的真理」とが,
関係あるのかどうか,どういう関係にあるのか,と疑問があったので,そこが詳しく説明
されそうなところが面白そうに思えた。

まだ途中までしか読んでない素人のしょうもない感想ですが。
368考える名無しさん:2012/08/03(金) 22:35:26.24 0
人格の同一性と心の哲学の議論のつながりが難しかくて分からない。
永井はもちろん分析哲学主流も距離がいかにも微妙そうなんだけれども、
何を読めばいいのだろう。
369考える名無しさん:2012/08/03(金) 22:40:40.20 0
シドニー・シューメイカー
370考える名無しさん:2012/08/14(火) 22:45:57.67 0
「黒目」じゃなくて「目のまわりの黒あざ」なんだ!
371考える名無しさん:2012/08/15(水) 14:44:10.28 O
議論をきちんと追いかけずに片言隻語を引用しても無意味だけど、ちょっと笑ったのでw
(新刊202〜203頁)

「とはいえ、ウィトゲンシュタインに反して、「私」という語がどのように使われるかという問題は、
究極的には、私とは何かという哲学的な問題と無関係である。この二つを混同することはゆるされな
い。たとえば、私が紙に「私はいま不在です」と書いて、隣の飯田隆さんの研究室のドアに貼る、と
いう「私」の用法もありうるが、そういう問題は興味深くはあるが、私とは何かという形而上学的問
題とは別の問題である。」
372永井も神:2012/08/15(水) 18:43:51.13 0
>>370
永井神は総理ネタが大好きであらせられるからな。。。ついついデコってしまったのであろうな。。。
>>371
永井神は悪戯心に満ちあふれておられるからな。。。確信犯っぽいところが恐ろしいが。。。
373考える名無しさん:2012/08/16(木) 02:16:06.49 0
なにをしてくれるんだね、永井くん。

「私」の用法の研究です。
374考える名無しさん:2012/08/16(木) 09:43:50.60 0
「デカルトの我思う。ゆえに我あり」の「我」で指示されているものは、
人格的性質を備えていないが「我」という一人称でしか指示できない、
それが永井哲学の出発点だ、
みたいなことを上野修が言っていて、個人的にそれで腑に落ちてたから、
本人にこういうコメントされると困るなw
375考える名無しさん:2012/08/16(木) 13:55:31.13 O
>>371
しかし、ここの一見冗談かイタズラのような文は、冗談かイタズラとしての用法だけでなく、
きちんと真偽を問題にすることのできる文でもあり得るのだろうか。
具体的には、実際に飯田隆が不在である場合(さらに、飯田隆が永井均に、自分が不在の
時には貼り紙をするよう命令もしていた場合)には、真であって、そうでない場合には
偽であるような文なのだろうか。

そうだとすれば、逆に、「私はいまここにいる」という文を、必然的に真であるような文として
分析するのは、文・単語の分析としても不十分ということになるだろうか。

という、素人が変に入門書をかじったような疑問がわきました。
376考える名無しさん:2012/08/16(木) 16:10:56.37 0
「私はいまここにいる」はアプリオリに真だけど内容(content)については偶然的。
この辺は永井というよりも、
『なぜ意識〜』に出てくるチャーマーズ-クリプキの二次元意味論の話題っぽいね。
377考える名無しさん:2012/08/17(金) 13:02:36.46 0
black eye がこれまで大森氏、黒崎氏によって誤訳されていたのを訂正したという話なのでは?
378考える名無しさん:2012/08/19(日) 02:01:55.57 0
「他人に私的体験がある」という命題は無意味だから、
「他人に私的体験がある、ということを信じる」という命題的態度をあらわす文も無意味。
でもこのとき「他人に私的経験がある、ということを信じない」も同じ理由で無意味になるのだろうか。
腑に落ちないな。
379考える名無しさん:2012/08/19(日) 02:09:46.32 0
Pが無意味ならば「Pが腑に落ちる」も「Pが腑に落ちない」も無意味です
この命題はアプリオリかつ必然的に正しいので腑に落ちてください
380考える名無しさん:2012/08/19(日) 19:04:36.37 O
>>378
命題的態度の意味論を勉強したことがない(別にそれに限らないけど)ので
よく分からないけど、「P」が無意味のときに、「Aは「P」と信じる」や、
「Aは「Pでない(Pの否定)」と信じる」は、無意味と言われればそんな気が
するけど、「Aは「P」と信じない(「P」という信念を持っていない(?))」も
無意味になるの?
そんな無意味な信念など持っていない、という意味のある文だ、と考えては
いけないのかどうか?

まあ、そもそも、「他人に私的体験がある」という文が無意味なのかどうか
知らないけど。
381考える名無しさん:2012/08/19(日) 21:29:04.52 0
論理学的「無意味」と日常用語的「無意味」の間には語法的に差異があるのに、
ごっちゃにしているから奇異に見える。ってだけでしょ。w
382考える名無しさん:2012/08/20(月) 23:31:15.40 0
青山拓央『分析哲学講義』14頁に,
「誤解を恐れずに言えば,まず世界があってそれを言語が写し取るという直観ではなく,
まず言語があってそこから世界が開かれるという直観が,分析的手法を支えています。言
語によって世界が開かれるからこそ,言語の仕組みを見ることで世界の仕組みが分かる,
と言ってもよいでしょう。」
とあるけど,新刊はこれに反対する考えに基づいているんだろうか。
全体的に反対というわけではなく,私・今などについてはそうはならない,というくらいか。
383考える名無しさん:2012/08/20(月) 23:35:40.67 0
そして、その逆でもあるということが眼目だろ。
384考える名無しさん:2012/08/22(水) 23:48:57.73 0
アイドルグループってNYCのこと?
385考える名無しさん:2012/08/24(金) 17:59:46.71 0
>言語の仕組みを見ることで世界の仕組みが分かる,と言ってもよいでしょう。

それじゃ、もう科学者なんていらないね。望遠鏡も顕微鏡もフラスコも
なんもいらないね。冷房の効いた部屋で椅子にこしかけて言語を分析していれば
世界が分かっちゃうんだから。
もうね、こういうね言語分析から世界の存在を解明するみたいな発想は
デイビッドソンでおわってるんですよ。
その意味で分析哲学はおわこんなんです。
386考える名無しさん:2012/08/25(土) 00:07:57.85 0
望遠鏡や顕微鏡やフラスコが必要なのは総合的真理。
言語を分析して分かるのは分析的真理。
デイビッドソンは関係ない。
387考える名無しさん:2012/08/25(土) 00:14:25.67 0
>>384
知念の身体に何かが当たって、
中山が痛いと叫んだのに、
実際に痛みを感じたのは山田、
という想定だな。
388考える名無しさん:2012/08/25(土) 12:51:41.16 0
>望遠鏡や顕微鏡やフラスコが必要なのは総合的真理。
>言語を分析して分かるのは分析的真理。

”言語の仕組みを見ることで世界の仕組みが分かる”なんて大層なこと吐いて
内実が、分析的真理がわかるだけですってそれじゃ詐欺というものだよ。
だいたいそういう総合的・分析という2種類の真理が存在しているという
思い込みはクワインまでだね。
まあ、もっと勉強して僕のように教養をたかめてほしいものだよ。
389考える名無しさん:2012/08/25(土) 13:20:20.06 0
「私はいまここにいる」という文が必然的に真なのは、
その文の「私」が「私はいまここにいる」という文をかいた人物を指示し、その文の「いま」が
「私はいまここにいる」という文を書いた(あるいは書き終えたその時点を指示するという暗黙の
前提があるからにすぎないのよ。
その前提がなければ「わたしはいまここにいる」は必然的に真でもなんでもない。
例えば、「わたし(こと山田)はいま(1999年2月22日)ここ(埼玉県)にいる」
という文を考えてみればいい。

言語表現はそういう暗黙の前提にささえられて意味をもっているから
「わたしはいま不在です」も暗黙の前提を明示化すればなんの問題もない普通の表現であると
わかる。
例えば「私はいま(第三者のあなたがこの張り紙をみているその時点のこと)ここ(研究室)にいない」
という文の省略形として
「わたしはいま不在です」という張り紙があると考えればいいだけのこと。
390考える名無しさん:2012/08/25(土) 18:25:41.64 O
>>389
そのような方向でのみ考えるのであれば、確かに、「私は今ここにいる」であろうが
「私は今不在です」であろうが、ごく普通の、事実に照らして真偽が決まる文に
なるのだろうね。
そうすると、「私は今ここにいる」を必然的真理を表す文として特別に取り上げることは
もちろん否定されるだろうけど、同時に、特別に無内容な文としたり病気の兆候とか
何とかとして攻撃することも、同様に否定されることになりますかね(ただの
普通の文にすぎないのだから)。

そうだとしても、「今」については、普通は書かれた時点を指すのだろうけど、
それだけでなく読まれた時点を指すこともあって(そうでないと「私は今不在です」
のほうは使えない)、しかもそれは大して特別でもなく日常的に使用されても全然
おかしくない、というのは、ちょっと面白いと思った。
(書かれた時点か読まれた時点かは、どういう理由で決まるんだろうか?)
いや別に面白くないかもしれないけど。
391考える名無しさん:2012/08/25(土) 21:19:40.78 0
分析的心理が分かるだけ、というよりも、
言語を分析する仕方でなければ分析的心理というのは分からない、
という事情があるわけ。
あとクワインの「2つのドグマ」の論証自体はさほど説得的なものではない、
というのもわりと一般的な評判。
392考える名無しさん:2012/08/25(土) 21:24:51.26 0
パトナム「クワインは同一性をどう定義したらいいか自分には分からないと述べているに過ぎない」
393考える名無しさん:2012/08/25(土) 21:47:53.88 0
指標詞についての分析哲学が読みたいならカプランを読むといいよ。
邦訳が出てないけどね。
394考える名無しさん:2012/08/25(土) 23:03:11.26 0
>言語を分析する仕方でなければ分析的心理というのは分からない、
>という事情があるわけ。

いやいや論点がずれてるんじゃないの。

>言語を分析して分かるのは分析的真理。

なのに、

”言語の仕組みを見ることで世界の仕組みが分かる”

なんていうのは
過大宣伝なんじゃないのってのが発言の趣旨なんですけどね。
395考える名無しさん:2012/08/25(土) 23:14:31.78 0
>あとクワインの「2つのドグマ」の論証自体はさほど説得的なものではない、
>というのもわりと一般的な評判。

「2つのドグマ」以後は、分析・総合の無邪気な真理の2分割には
くちごもるようになったというのも一般的評価なんだけどね。
そもそも哲学で「さほどではない」説得的な論証なんてあるのかね?

あと、飯田の『大全』読んだ程度であんまりしったかしないほうがいいよ。
396考える名無しさん:2012/08/25(土) 23:57:05.46 0
例えば、世界は成立した事実の総体でものの総体である、とか、
様相を考えるならばものの総体でなければならない、とか
そういうことは概念を分析しなければ出てこないよね。
またクワインのそれも同様の分析的手法による結論だよね。
それを「世界の何もかもが分かる」と読む人はまずいないだろうから、
過大宣伝には当たらないんじゃない?
397考える名無しさん:2012/08/25(土) 23:58:24.84 0
>世界は成立した事実の総体でものの総体ではない
訂正。
398考える名無しさん:2012/08/26(日) 00:11:03.17 0
要は
世界の仕組み=世界の仕組み(の一部)
ってことね
399考える名無しさん:2012/08/26(日) 01:57:48.61 0
>例えば、世界は成立した事実の総体でものの総体である、とか、
>様相を考えるならばものの総体でなければならない、とか
>そういうことは概念を分析しなければ出てこないよね。

いやだからさ、そういう方向性はもうおわこんだって言ってるのよ。
世界がなにから成立しているのか概念分析だけでわかると思うの?
もちろん概念分析でいくらでもいえるよ。
例えば、デイビッドソンの出来事の同一性の基準とかさ、
マクダカートの時間の分析とかいろいろあるけどね。
でもそういうのは例えるなら、スコラ哲学の神という概念分析から神の存在を証明する
みたいな話で 与太話なんだよ。
指示の理論にしろ、固有名の問題にしろ分析的アプローチでやっていくと
結局おかしなことになっていくんです。なんでおかしくなるかっていうと
端的にいえば、指示とか固有名とか様相とかそういうものはもともと分析的につかってないん
ですよ、人間は。そもそもの入り口がおかしいわけ。

>要は
>世界の仕組み=世界の仕組み(の一部)
>ってことね

そりゃぶっちゃければ、世界の中にあるものはなんだって世界の仕組みの
一部でしょうよ。
だけど、例えば、AV見て男優のテクニック研究している人がいたとして、
AVを見れば世界がわかるとか言ってたらアホかって思うわな。
そういう話ですよ。

400考える名無しさん:2012/08/26(日) 02:08:06.74 0
どちらかというと神は存在するもしないも無意味だというのが分析哲学だと思うんで、
話の入り口がちょっとおかしいかな。
401考える名無しさん:2012/08/26(日) 02:56:13.47 0
まぁ哲学者のほとんどは科学の素養がないからねぇ。科学的方法で世界を見たことがないんだろうな。
402考える名無しさん:2012/08/26(日) 06:06:44.85 0
まぁ文系のほとんどは理系の素養がないからねぇ。理系的的方法で世界を見たことがないんだろうな。

曖昧至極w
403考える名無しさん:2012/08/26(日) 22:27:28.10 0
「そもそも哲学ってそういうことをすることなんじゃないですか。もう通用してしま
っているある言葉づかいに我慢ならない人が、別の言葉づかいを味方につけてその言
葉づかいと闘っている、みたいな感じがしますけど。ところが、分析哲学というのは、すで
にできあがった言葉の使い方を金科玉条にしてしまうので、全然おもしろくない。明ら
かに現象学の方が偉い」

『転校生とブラックジャック』
404考える名無しさん:2012/08/26(日) 23:35:24.26 0
ルールを変えようというゲーム自体が既に成立してるルールの中で行われる小さなゲームだから、
結局意味論が第一哲学になるのは変わらない。
ストローソン風に言えば記述的哲学は改訂的哲学に常に先立つわけ。
405名無しさん:2012/08/27(月) 06:15:02.63 0
>>404
いいこと云うなあ。同意。
ただ、 マイ哲学が改訂的マイ哲学に先立つ。とは言いづらい。
被改訂的マイ哲学はマイ哲学に上書き改訂される。かな。
406考える名無しさん:2012/08/27(月) 07:25:49.19 0
>>404
ストローソンは、記述的哲学は改訂的哲学に「常に先立つ」なんて、言ったっけ?
二種類の哲学がある、とは言っていた記憶があるけど。

407考える名無しさん:2012/08/27(月) 10:30:19.75 0
永井が普段言ってることと整合性を考えると
ルールが変わった結果として改訂的哲学の改訂が許容されるんであって
ルールが変わる前と後を見渡して「変わった」なんてことは語りえない
ってことになりそうなもんだけどね
408考える名無しさん:2012/08/27(月) 23:41:46.12 0
>ルールを変えようというゲーム自体が既に成立してるルールの中で行われる小さなゲームだから、
>結局意味論が第一哲学になるのは変わらない。
>ストローソン風に言えば記述的哲学は改訂的哲学に常に先立つわけ。

なんか哲学っぽいことを言っているようだけど、
たんにルールは、ルール改訂行為に先立って存在しているって言って
だけだろ。そんなの当たり前じゃない。
なんかさ、もっと具体的な事例に即して考察してくれないかな。
うわっつらでなかみがないんだよねえ。
具体的事例をだしてみ、具体的事例を。
409考える名無しさん:2012/08/27(月) 23:51:24.52 0
しかし、そうした話はみな『ウィトゲンシュタインの誤診』の議論とは特に関係ないと思うが。


410考える名無しさん:2012/08/27(月) 23:55:06.23 0
>ルールが変わった結果として改訂的哲学の改訂が許容されるんであって
>ルールが変わる前と後を見渡して「変わった」なんてことは語りえない
>ってことになりそうなもんだけどね

君もそう。ふわふわしているんだよ。ふわふわ。
ちゃんと具体例をだして考察してみなよ。そんな抽象的な言い方するなら
なんだっていえるんだよ。
ルールが変わった結果として、改訂が許容されるのか、
改訂が許容されたから、ルールが変わったとみなされるのか、
なんとでもいえるじゃない。
クリプキのクワスの例みたいにどんな改訂もルールに基づいた指してにすぎない
と解釈できるって主張はどうなのよ。どうなのよ。
きみたちはふわふわしているんだよ。
ちゃんとね、具体的事例をだして考察してもらわないとね、こっちにはつたわってこないんだよね。
411考える名無しさん:2012/08/28(火) 03:45:07.94 0
>>408-410
具体的に、というなら、法哲学の領域はかなり具体的。
たとえば、H.L.A.ハートは「法」を一次的な規範ルールと
二次的な承認・改変・裁定のルールの組み合わせとして説明する。
実定法は一次二次ルールともに厳密に既定されているが、
国際法は裁定ルールの実効性に問題があるし、
道徳は改変、裁定ルールが明確では無い。という点で法と区分けされる。
宗教的規範はある意味、改変不能で、裁定は「最後の審判」までお預けかもw

で、こういう一次・二次的の区分のための区分けルールは何次的? 
それと、例えばキリスト教的規範が支配する文化圏の法的ルールが結局
キリスト教的規範の詳細改定の枠内に収まりはみ出ない。ということはあると思うね。
同様に、学問であれ、科学であれ。哲学でも同じこと。自身の文化的バイアスを計測するのはとても難しい。
アインシュタインは「神はサイコロを振るか?」といったことを問題としていたように。

その意味で、入門本以来長い間を経ても永井はウィトゲンシュタインを「誤診」し続けたままなんだな。
とあの本を読んで思ったりしてる。
412考える名無しさん:2012/08/28(火) 07:44:49.87 0
>その意味で、入門本以来長い間を経ても永井はウィトゲンシュタインを「誤診」し続けたままなんだな。

この部分についても、もうちょっと具体的に、お願いしますm(__)m
413考える名無しさん:2012/08/29(水) 07:17:41.95 0
「法哲学の領域はかなり具体的(永井の話題とは全然関係ないけど、知識を披露出来て気持ちいいっ!)」
「永井についての話も具体的にお願いします」
「」←イマココw
414考える名無しさん:2012/08/29(水) 08:55:13.33 0
>>412=413(みなし)
早速の煽りありがとう。でも、いかがなものかとおもうけどね。w
俺的な「永井の青本」の読書感想は、
結局、永井の独在論・哲学全体ははウィトゲンシュタインの著作・遺稿の読書感想文だったのだな。という印象。
永井は「前期的・論考的独我論」に触発されて幼少時から未解決の<私>問題を自身の哲学的問題・課題とした。
後期でもウィトゲンシュタインは独我論を問題としているが後述。たしか入門本で宿題にしていたはず。この本はその回答かも。
で、ウィトゲンシュタインの「青本」は<私>問題解決に肉薄はしてはいるが解決には至っていないとみなしているっぽい。(冒頭ii)

ある文化的基盤を継承している人々の間では、<私>問題はそもそも問題とされないことだってあり得る。
ある語表現を共有しながらも相互的無理解というコミュニケーション・ブレークダウンはいつでもどこでも起こりえること。
そこで、わざわざ独我論的な解釈を持ち込まずとも、それは言語の意味論的な分析だけでも見通しがつくかもしれないのに。
だから、ある種<私>問題の強要とか、その観点からの評価というのは、別次元の話に思えたりする。

所詮感想文は「解釈」に過ぎず、そこでは読者の個的なこじつけがいくらでも可能(探求201)。このカキコも同様。
それゆえ、読書感想文は書物それ自体とは無関係でありえる。書物それ自体の理解に役さないということも当然ありえる。冒頭文は>371と等質。
>371的、誤訳指摘的な大森一派殲滅の目論見も、自身の<私>問題解決に役さない。そもそも<私>問題を問題とする意識低すぎで話にならない。
という個人的な苛立ちに基づくのだろうと勘ぐりたくなる。気品に欠けてスマソですが、でもまあ、皆さんも感想はどうぞご自由に。だなあ。

415考える名無しさん:2012/08/29(水) 17:36:45.85 O
>>414
かろうじて何箇所かでページ数等が明示されている以外には、そもそも
『ウィトゲンシュタインの誤診』についての話であるかどうかすら分からん文章だなw
それでも「読書感想文」と言えるのかねw
まあ自覚的にやってるのならご勝手に。
416考える名無しさん:2012/08/29(水) 22:42:49.11 0
なんかねー、もう何回も繰り返されてるような気がするんだけど、スタートラインが違うのよねー。
正しいとか正しくないとかいうよりも。

>文化的基盤を継承している人々の間では、<私>問題はそもそも問題とされない
どんな文化的基盤を持つのであれ、<私>ではない他者がこの問題を共有することはない、
というのが話の出発点だったでしょう。
もし他者がこの問題を共有しているように見えるとすれば、
それは誰にでも理解可能な普遍的な独我論を論じているからだと。
でもあなたは、独我論という語で他者と意思の疎通が可能であることは何も問題がないということを前提にして、
その概念化された他者と共有できる独我論が、文化的な理由等により存在しないかもしれない、
という風に論じているように見えるんですねぇ。
だからなんか咬み合わない感じになってるんじゃないの、と。
まぁ、概念化された独我論があるからこそ概念化されていない端的な独我論が理解可能なんだ、
みたいなことも永井は論じていて、永井信者の俺はそれも正しいと思ってるんですが。
417考える名無しさん:2012/08/31(金) 07:42:27.46 O
新刊の全体はまだ読み込めてないけど、適当に思ったことを。
「コウモリだったらどんなかな」のところの、野田、コウモリ、富士山の区別は、
新しい内容になるのかな。
私と同じようなものと理解、想定するのについて、想定する相手による違いが
あるのか、どんな理由で違うのか。
418考える名無しさん:2012/08/31(金) 09:39:19.66 0
「私」という語を用いた時点でその人はすでに独我論的世界の外部に立っているんだよ
419考える名無しさん:2012/08/31(金) 18:50:54.93 O
>>418
> 独我論的世界の外部に立っている

とは、どういう意味?
永井の言う、「私」という言葉を使う以上は他のものにも
当てはまることは想定されている、というようなこととは、違う話?
420考える名無しさん:2012/09/02(日) 02:09:58.58 0
○しえて君につけるくすりはねえ。
421考える名無しさん:2012/09/02(日) 08:40:25.52 O
>>420
○しえる能力がないから煽るしかできないんですね、分かります
422考える名無しさん:2012/09/02(日) 11:25:55.95 0
420 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2012/09/02(日) 02:09:58.58 0
○しえて君につけるくすりはねえ。
423考える名無しさん:2012/09/05(水) 01:03:01.18 0
永井均と竹田青じは未だに仲悪いのか?
知ってる人教えて
424考える名無しさん:2012/09/05(水) 01:03:40.26 0
これがニーチェだ

ニーチェ入門

どっちが上?
425永井も神:2012/09/05(水) 07:50:33.20 0
「これがニーチェだ」が格上に決まってんだろ
426考える名無しさん:2012/09/07(金) 03:31:33.70 0
>>424

永井均「これがニーチェだ」の方が上に決まってるだろ!!
427考える名無しさん:2012/09/07(金) 06:03:37.40 0
超訳 ニーチェの言葉>>>>出版部数という越えられない壁>>>>これがニーチェだ
428考える名無しさん:2012/09/07(金) 22:58:20.24 0
大した疑問じゃないけど,新刊の13章(67〜70頁)の,「今の私と異時点の私が
人生のある部分を共有」し,その部分の中で痛みを感じたときに,「われわれは
同じ痛みを感じたと言うべきか,違う痛みを感じたと言うべきか」について。
私と他人との関係と,今と過去・未来の関係との対比という観点で,話の方向性は
何となく分かるけど,ただ,そもそも,こういう想定はできるんだろうか。

具体的には,ある時点で痛みが発生して,その痛みを今の私が感じ続けている
のなら,そのまんま同じ痛みを感じ続けていることになるんじゃないか。
「今の私が感じている痛み」と「異時点の私が感じている痛み」というふうに一応
分けて想定した上で,それらが同じか違うか,というふうには,そもそも考え難い
のじゃないか。
痛みを感じ続けているのなら,その間はそもそも「今の私」に含まれ,逆に「異時点の
私」というふうに今とは区別して考えられるのなら,痛みを感じ続けているということは
なくて,別の痛みとしか考えられなくなる,ということはないか。
429考える名無しさん:2012/09/08(土) 11:54:53.64 0
しかし、「人生のある部分を共有している」という異様な想定なのだから。
そもそもそういう常識的な議論ではないのでは?
430考える名無しさん:2012/09/08(土) 22:11:13.83 O
昨日の私と今日の私が、今日の午前0時時点前後の1分間を共有していて、
その間に蚊に刺されて痒みを感じている、というくらいの話であって、
別に想定自体がそんなに異様なわけではないんじゃないの?
何か読み落としてますかね。
431考える名無しさん:2012/09/09(日) 02:27:24.99 0
父の影響で10歳の頃から読んでいますが、
この人センス良すぎます。
クラスの女子の8割が好きだと言っていますよ。
432考える名無しさん:2012/09/09(日) 06:00:05.97 0
麻疹みたいなもんだろ
433考える名無しさん:2012/09/09(日) 12:17:32.71 0
昨日の私と今日の私が、
昨日の正午に持つ感覚と今日の正午に持つ感覚を「共有している」というような想定だから、
想定自体が異様なのでは?
昨日の感じた痛みを今日の私が「感じ続けている」なんてことはもちろんない。
「感じ続けている」のではなく完璧に「共有している」のだから「全く同じ」はず。
434考える名無しさん:2012/09/09(日) 14:39:35.93 0
感覚がずっと「残り続ける」ことは思考による持続が
なければありえません。
今感じた瞬間的な「痛み」も、思考による持続が
行われてしまっています。
それゆえ、感じる痛みや感じた痛みは、感じたまま残るわけではない
ので、それを踏まえて考えるべきだと思われます。
435考える名無しさん:2012/09/09(日) 17:48:19.76 O
>>433
もしそういう想定だとすれば、確かに異様な想定だけど、そうではないんじゃないの?
私と他人が身体の一部、例えば手を共有し、その手について痛みを感じた、
というウィトゲンシュタインの想定(66頁)と対比されてるんだから、
痛み(私が勝手に挙げた例では痒み)を共有している部分は、いわば、くっついて
いないといけなくて、「昨日の正午」と「今日の正午」というふうに離れていては
いけないんじゃないの?

…と思ったけど、「正午」の想定をさらに他人に当てはめて、私と他人がそれぞれの
(当然ながら離れた)手に、それぞれ痛みを感じているが、なぜか同じ痛みを
共有している、という想定も、やってみればなぜかそれほど異様でもなく
できそうな気がするのが不思議。
436考える名無しさん:2012/09/09(日) 18:32:32.12 0
今の私(20歳)と異時点の私(10歳)。
0〜10歳までの人生を共有。
6歳の時の予防注射の痛みは
今の私と異時点の私にとって同じものだったか?
みたいなこと?
437考える名無しさん:2012/09/09(日) 20:35:07.90 O
>>436
それだと今の私が感じている痛みにならないから、それは全然違うと思うけど。
438考える名無しさん:2012/09/09(日) 21:24:10.88 0
>>436
そうだよ。ウィトゲンシュタインの指摘はそんなもの。
同じ:同一:形而上学的「同じ」断定をどう見るか。の叩き台の提示に杉内けどな。

ただし、永井は、そこに噛みついているわけだけど。w
439考える名無しさん:2012/09/09(日) 22:37:20.19 0
おまえら哲学もいいけど、少しは科学の勉強もしような
440考える名無しさん:2012/09/11(火) 22:46:49.75 0
>>435自己レス
「くっついていないといけない」というだけではあまりにも何だから,その点について
現時点で思いつけることを適当に書いてみることにしました。

内容(レアリテート)は全く同じで,ただ現実かどうか(アクトゥアリテート)だけが
違う,という話によって私・今を説明し,さらに同じことが意識とか痛みとかにも
言える,という,永井の今までの本で説明されていたことを当てはめていくという
考え方だと,「くっついている」かどうかなどという話は本質的ではなくて,別に
こだわる必要はないようにも思われる。と,まずは考えられる。

しかし,それでも「くっついている」ことに意味があるかどうか考えてみると,「くっつ
いている」場合には,内容は同じである,ということを強調する意味があるのでは
ないかと思われた。そういう場合なら,それでも内容が異なると考えることは無理
のように思われる(そうでもないかもしれないけど)。
(逆に言えば,手を共有しているわけでもなく,ただ普通に同じような状況で蜂に
刺されたという想定だと,現実かどうかの違いだけでなく,そもそも体が違うとか
細かい体質が違うとかいうことも問題になってきて,必ずしも現実かどうかだけの
違いという説明が当てはまるか疑問になってくるのでは。)
そうだとすると,時間に当てはめる場合にも,やはり,内容が同じであることは
ちゃんと確保できるような想定がよいのでは。

そうすると,感じる痛み(かゆみ)の内容が同じであるが,今の私と異時点の私と
いうように区別もされるような場面,というのは難しいように思われるけど,こんな
場面なら考えられるだろうか。
今日の私が,午後23時59分30秒に蚊に刺されて,1分くらいは続くことがまず確実な
かゆみを感じている。この,今の時点で,明日の私が明日午前0時0分30秒の時点で
かゆみを感じ続けているであろうと想定し,その想定内のかゆみが,いま感じている
このかゆみと同じかどうかを考える。
こういう想定なら,内容は同じ(はず)であり,しかし,「いま感じ続けているのだから
今の私に含まれてしまう」などともならない場面と考えられて,現実かどうかだけが
異なるという議論が当てはまることになるだろうか。
441考える名無しさん:2012/09/12(水) 17:28:01.93 0
好き嫌いで語られるのがこの人の特徴
442考える名無しさん:2012/09/15(土) 22:34:57.46 0
そんなことより「偶森奇丸」についてはどう思う?
443考える名無しさん:2012/09/16(日) 10:31:09.58 0
またちょっと目をはなしたすきに、ふわふわした書き込みが増えてるじゃないか。
どういうことなんだろう。こんなにふわふわして、浮ついているというか、
実人生の重みが感じられないというか、こう苦労が感じられないというべきか。

>今日の私が,午後23時59分30秒に蚊に刺されて,1分くらいは続くことがまず確実な
>かゆみを感じている。この,今の時点で,明日の私が明日午前0時0分30秒の時点で
>かゆみを感じ続けているであろうと想定し,その想定内のかゆみが,いま感じている
>このかゆみと同じかどうかを考える。

あのさ、 午後23時59分30秒でかゆみを感じたはじめた人物と、明日午前0時0分30秒
でかゆみを感じ続けているであろう人物は同一人物(個体として)なんでしょ?
ならまず、その人物(Aとしておこうかね)Aが
@午後23時59分30秒で蚊にさされてかゆみを感じ始め
A明日午前0時0分30秒までかゆみを感じていた として
BAが@の時刻からAの時刻まで感じていたかゆみは同じかどうか
が問われることになるでしょ。
そのとき、同じ個体Aが、@の時刻に蚊にさされてかゆみを感じてそれが
Aの時刻でも、同じ箇所にかゆみを感じていて、その間に、その痒みの
感じている箇所に、蚊にさされた以外の外的変化がくわわっていないなら
そのことを根拠にして(それ以外の根拠なんてないでしょ)Aは同じかゆみを
感じていると判断されるでしょ。
それって<わたし>の問題なの?全然関係ないんじゃないの?

あなたね、ちょっとふわふわしてるんじゃないの?
444考える名無しさん:2012/09/16(日) 12:36:16.21 O
>>443
永井が最近あれこれ論じてきた「現実かどうかだけが違う」という話をどう
捉えようとしているのか、そもそも捉える気がないのか、全然分からないレスですね。
これじゃ、該当箇所を読んでもいないで、ただ勝手に自分の言いたいことを
言ってるだけじゃないかという疑問がありますね。
あなたね、ちょっとふわふわしてるんじゃないの?
445考える名無しさん:2012/09/16(日) 14:25:32.95 0
>>444

いやいや、あなたね、そのレアリテートとアクトゥアリテートの
話と、午後23時59分30秒で蚊にさされてかゆみを感じ始めて
明日午前0時0分30秒までかゆみを感じているだろう状況で同じかゆみなのか
問題と
どういう関係があるわけなのよ。
ないんじゃないのって疑問を呈しているわけ?
そもそもね、あなたの書き込みはなんというかね、閉じてるんだよね。
内輪向きで。他者に開いていないというかね。インターネットはワールドワイド
なわけでね、例えばインドの人がふら〜と2chのこのスレッドに立ち寄る
かもしれないわけ。そのときそのインドの人があなたのレス読んで理解
できると思う?もっとね、他者を意識したほうがいいと思うね。
インドの人が読んで理解できるかどうか、そういうことを意識してレス
しているかどうかで思考力とか表現力とかね違ってくるんでね。
そういう意味でもふわふわしてる、ふわふわしてるんだよあなたは。
446考える名無しさん:2012/09/18(火) 03:29:01.10 0
「これがニーチェだ」買いました!
447考える名無しさん:2012/09/25(火) 23:09:19.36 0
2chにしてはまっとうに議論して哲学してるスレを見つけてしまったので記念カキコ

448考える名無しさん:2012/09/30(日) 17:52:00.55 0
たしかにまっとうだが、やはりレベルは低い。
449考える名無しさん:2012/09/30(日) 20:04:47.45 0
そもそも「私」という意識はありえるのに
どうして「他者」という意識はありえないんですか?
どうして「われ思う、故にわれあり」は
「他者思う、故に他者あり」ではだめなんでしょうか?
450永井も神:2012/10/01(月) 00:38:13.10 0
>「他者」という意識はありえない
永井神の本を読んでこう思ったのでしょうか?
永井神は
「誰もが意識を持てるという事実だけでは、その意識の内の一つとしてこの私が現実に存在することの理由を説明できない。
だから私が現に存在するためには誰もが持てる意識に加えて+αの部分が必要だ」
と論じてはいませんでしたか?(この論理が正しいかどうかはとりあえず置いておくとして)
451永井も神:2012/10/01(月) 08:25:16.69 0
>>450 自己レス
「存在することの理由を説明できない」ではなく「存在することを表現できない」とするべきでしたね。
私の存在は理由が付けられない奇跡ですからね。
452考える名無しさん:2012/10/02(火) 07:41:01.98 O
>>449
「「私」という意識」
という表現が、すでに永井の最近の本からすると
よく分からないというか考え方が違ってしまっているおそれがあると思われる
けど、そこは一応置いておくとしても、

> どうして「われ思う、故にわれあり」は
> 「他者思う、故に他者あり」ではだめなんでしょうか?

永井は、「他者思う、故に他者あり」がダメだとは言っていなくて、むしろ
なぜか必ずそのようにも言えてしまう、という趣旨の話をしてると思うけど。
もちろん、話の出発点は私ではあるけど。
453考える名無しさん:2012/10/06(土) 01:03:59.19 0
さいきん気づいて来たんだけど、
積極的に独在的存在者の存在主張みたいなことをしてるのはどちらかというと入不二で、
永井の方は、独在的存在者があるというところから出発して、
そう考えて行くと、妙なパラドクス(=存在への驚き)に辿りつくみたいな感じだよね。
それは結局、存在主張をある意味否定してるようなもんだし、
あらためて『転ブラ』読んでると本人も結構そう思ってるように見えるんだけど、
意外とそうは読まれてない感があるよね。
454考える名無しさん:2012/10/06(土) 03:54:47.24 0
ばいきん繁殖して来たんだけど、
積極的に独島存在論的竹島占領者の存在主張みたいなことをしてるのはどちらかというと永井で、
消防署の方面から、独りよがり的な押し売りが消火器を売りに来たというところから富士山へ出発して、
そう考えて行くと、炒飯なバカ毒素(=驚きの脳内妄想)が中華鍋にこびりつくみたいな感じだよね。
それは結局、毒材論的妄想主張をある意味非定義してるようなもんなんだし、
あらためて『ヌーブラ』を身につけてみたら、本人も結構、(私)は女かもって勘違いしているように見えるんだけど、
意外と周りはそうは見ていない感があるよね。
           ____      ) 『 『ヌーブラ』を身につけてみたら、本人も結構、(私)は女かもって勘違いしているように見えるんだけど』っと、
        /⌒  ⌒\    )
      /( ●)  (●) \  )/⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y丶
     / ::::::⌒(__人__)⌒::::: \
    |      |r┬-|     |
     \       `ー'´     /
     ノ            \
   /´               ヽ                 カ
  |    l   l||l 从人 l||l      l||l 从人 l||l   カ    タ
  ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、.     タ
   ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))
      ┌┬┬┐┌┬┬┬┐┌┬┬┬┐┌┬┬┬┐
   ,. - ''"| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ρ ̄`l
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ ̄ ̄
456考える名無しさん:2012/10/08(月) 12:07:58.66 0
まだ独在どうたら言ってんのかこのオッサン
457考える名無しさん:2012/10/09(火) 10:55:35.71 0
かなり前からぜんぜん言ってない
<私>という用語もずっと全く使われていないし
もっぱらアクトゥアリテートとレアリテートの話に移ってる
458考える名無しさん:2012/10/09(火) 12:08:58.95 0
もう<私>どうたらに飽きたのかこのオッサン
459考える名無しさん:2012/10/09(火) 12:31:29.72 0
哲学することはいっこうに飽きないと言ってるよ。
語り口は変わっていってるね。
初期永井が<私>で、中期が独在性、後期が0次内包になるんじゃないの。
460考える名無しさん:2012/10/09(火) 12:33:14.73 0
独在的存在者というのは森岡正博が長い<X>を指して言う時の言葉ねw
461考える名無しさん:2012/10/13(土) 12:19:02.79 0
>>459
「0次内包」ではなく「無内包」。
この2つの違いこそが重要。
462考える名無しさん:2012/10/13(土) 12:27:33.27 0
内包とか、彼の嫌いな「思想」だとは思わないのかな
463考える名無しさん:2012/10/13(土) 22:12:54.32 0
有ひかくから新刊 たけー

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641173903
464考える名無しさん:2012/10/14(日) 20:53:52.29 0
野矢茂樹の『語りえぬものを語る』を批判している
465考える名無しさん:2012/10/21(日) 22:27:26.20 0
翔太と猫のインサイト、第二弾はまだですか?
466考える名無しさん:2012/11/02(金) 17:18:38.34 0
ウィトゲンシュタインの誤診はなんかイマイチ入り込めないな。
「今私神」や「意識は〜」や「私の哲学を〜」などは面白く読めるのに。
467考える名無しさん:2012/11/02(金) 21:52:16.34 0
「ウィトゲンシュタインの誤診」は非常にレベルが高い。
とくに中期ヴィトゲンシュタインが前期の「絵」(像)の理論をどう乗り越えようとしたか、
という問題と絡めて、
独我論の否定としての人称だけでなく時制や様相や否定まで導入していく議論は素晴らしくスリリングだけど、
はっきり言って素人には絶対わからない。
468考える名無しさん:2012/11/02(金) 22:03:46.58 0
そんなに難しいのか
買わんでよかった
469考える名無しさん:2012/11/03(土) 12:40:06.84 0
         /;;;;;;;;  ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;   ,,,;;;;;i
         i;;;;;;;;;;;;;;;,,,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; ;; ;;;;; ,,,,,,,,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|
         ノ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; ;;;;;;;;;;;li;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|  それは 事件
          i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/l;;;/l;ソ;;/ |;;;;;;/| l;;l゙ヾ;;;ト、;;;;;;;;;;;;;i それは 勇気
          |;;、;;;;;;;;// /,'' / l/  |/|/   ゙l  ヾ、゙i;;;;;;::::/ それは 逃げないこと
          /ヾ;;/ソ       ,  ,      ヽ l;;l"゙l それは 信じること
          '、 (ヾ,,===;;;;;;;,,,,,_`il,i゙__,,,,;;;;;=== ,/|lヽ l それは 愛
            ヽ、`||ヾi;'(:::::゙'゙:::/;;i=i;;;ヽ:::゙'゙::::)゙i;/ |l'ノ/ それは 新しい世界
           /ヽ|l、 ゙i::;;;;/⌒⌒).ヾ..;;;;;;;;;;..ノノ/l.,/\ これは、アニメではない
          /;;;/::ミヾ、./ / / )     '゙ /ミ"i;;;;;;;;\_ エヴァである!
       _,.-;;'";;;;;;;;r‐ ミ/゙ ,/ /  /_!/`   /,,l;;;ミ/;;;;;;;;;;;;;;;;~\11月16日 夜9時
  _,、-‐;;'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| / /  /   /.__,,,..-/ヽ /;;;ミ/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`;,,、_
‐'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| ノ / .ノ  / ,,, /  ノ/';;;;ミ/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;゙'';;;,,、_
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ/ ノ  /  /,,,,/   /;;;;ミ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/    /  /;/ /;;;;;;ミ ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ   ,    `゙  /―''':::::::::::ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| |  |      ノ:::::::::::::::::::;;;;/i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
ttp://www.youtube.com/watch?v=NGI7zz4139o
470考える名無しさん:2012/11/05(月) 10:33:03.12 0
>>467
やっぱそうか…。一般向けじゃないんだな。
471考える名無しさん:2012/11/05(月) 21:44:40.56 0
いや、でも、あのレベルの議論が理解できなかったら、そもそも哲学なんて分かりようがないだろう。
常識的な哲学的問題の知識があって思考力があれば理解できる水準だと思うよ。
異様に話題が豊富でときどき奇抜ではあるけど。
そもそも「一般向け」の哲学書なんてものは存在しない。
472考える名無しさん:2012/11/06(火) 18:54:04.65 0
>常識的な哲学的問題の知識があって思考力があれば理解できる
そんなのない素人の自分でも今までの永井の本は興味深く読めたので、
この本は以前のに比べてとっつきにくいと感じる。
473考える名無しさん:2012/11/06(火) 21:19:13.67 0
個人的には,最近の本の内容と基本的には重なると思われたので,
最近の本に比べてとっつきにくいとは感じなかった。
素人なので背景の知識,議論等は全然知りませんが。

直接関係ないけど,『論考』の初歩的説明本に(自分の致命的誤解がなければ)
「否定に対応する事実はない,肯定文と否定文にそれぞれ対応する事実(事態?)
は,事実の内容としては変わらない,という点が重要な発見だった」という趣旨の
説明があって,まあそういう意味ではそうなのかとは思ったが,しかし肯定と否定で
いわば内容が変わらないということが,何だか驚くべきことのように感じたことがあった。
それで,この点は最近の永井の議論とも関係するのだろうか,と何となく思った
ことがありました。
474文学の良心? ◆abXfJskHU2 :2012/11/07(水) 01:02:35.51 0
その驚きはセンスがあると思う。
475考える名無しさん:2012/11/07(水) 12:00:03.27 0
この本はこれまでの本に比べて哲学的センスがさらに研ぎ澄まされている。
473は素人とおっしゃるが、よくポイントをつかんでいるように思う。
肯定と否定で内容がまったく変わらないように、
現在と過去でも、私と他人でも、…、驚くべきことに、「内容」はまったく変わらない。
それにもかかわらず、内容として表れない差異こそが最も大きな存在論的差異で、
〈私〉の問題もまた結局そういう問題の一種なわけだ。
476考える名無しさん:2012/11/09(金) 01:00:18.41 0
>私と他人でも

というより、

たまたま私であるその人間が私であっても私でなくても

だろうな。
477考える名無しさん:2012/11/13(火) 00:25:43.88 0
ウィトゲンシュタインの誤診で盛り上がるなか、
ようやくウィトゲンシュタイン入門の方読んだわ。
478考える名無しさん:2012/11/27(火) 17:39:28.43 0
『レプリカ』 武村政春 著 
http://www.kousakusha.co.jp/BOOK/ISBN978-4-87502-448-4.html

本屋でパラパラと見ただけなんだけど永井均に言及しているところもあって
おもしろそうな本だった
479考える名無しさん:2012/12/06(木) 13:29:10.82 0
>>476
どう違うのですか?
480考える名無しさん:2012/12/11(火) 11:50:55.98 0
>私と他人でも

と言ってしまうと、ふつうは「内容」も違うことになってしまうからだろう。

>同じ一人の人間が、私であっても、私でないという意味で他人であっても

と言わないと。
481考える名無しさん:2012/12/28(金) 10:03:37.64 0
そういう可能性を存在構造の問題につなげるためには可能世界意味論がないと駄目じゃね。
最低限様相文には真理値があるって立場は必要なはず。
永井って見かけ以上にクリプキ主義者なのではと思わんでもない。
でも可能主義と現実主義の対立は見せかけだみたいなことも言ってるし俺にはよくわからないw
482考える名無しさん:2012/12/28(金) 15:37:16.72 0
厳密に論じるために永井哲学にも形式化の手法を持ち込みたい。
というわけで
「同じ一人の人間が、私であっても、私でないという意味で他人であっても内容は変わらない」
この命題を形式化しよう。

まずは自然言語で。
「全ての人間xと全ての人間に関する述語Pに対して、
人間xがPを満たすならば、
(人間xが私であるならば人間xがPを満たす、かつ
人間xが私でないならば人間xがPを満たす)」

これを定理照明支援系Coq(http://coq.inria.fr/)で記述した。
(Coqは帰納法付きの直観主義高階述語論理と同等の記述力を持つ。「直観」はオプションで消すことも可能)

Axiom Human : Set.
Axiom I : Human -> Prop.

Definition theorem0 :=
forall x: Human,
forall P: Human -> Prop,
P(x) ->
((I(x) -> P(x)) /\
(~I(x) -> P(x))).

以下はこの命題が恒真であることの証明(A -> (B -> A)が恒真であることと同じようなことなので何も面白くは無い)。
Goal theorem0.
exact (fun (x : Human) (P : Human -> Prop) (H : P x) => conj (fun _ : I x => H) (fun _ : I x -> False => H)).
Qed.

「xは私である」という意味の述語Iの定義はまだ無い(公理として追加してしまっている)。
ただし、この証明は上記した通りA -> (B -> A)が恒真であることとほぼ同じ理屈なので、述語Iの定義が何であろうと真になる。
そもそも命題の形式化の時点で何か間違っているかもしれん。誰か完成させてくれ。
483考える名無しさん:2012/12/28(金) 22:01:44.01 0
>>482
なんだかよくわからんけど,もし,

((人間xが私である)ならば(人間xがPを満たす))かつ((人間xが私でない)ならば(人間xがPを満たす))

としたのであれば,

(1) (人間xが私である) が真, (人間xがPを満たす) が偽 のとき,
左側が偽となるので,全体が偽となる。

(2) (人間xが私である) が偽, (人間xがPを満たす) が偽 のとき,
(人間xが私でない) が真で,すると右側が偽となるので,全体が偽となる。

というわけで,つまり(人間xがPを満たす)が偽のときは,全体が偽となるので,
なんでその支援系とやらを使うと恒真になってしまうのか,わからないのですが。
484考える名無しさん:2012/12/28(金) 23:54:20.48 0
>>483
前提が抜けている。
「(人間xがPを満たす)ならば((人間xが私である)ならば(人間xがPを満たす))かつ((人間xが私でない)ならば(人間xがPを満たす))」
なので、前提である(人間xがPを満たす)が偽ならば命題全体は真になる。
ただし、そもそもこの命題の形式化方法自体にあまり自信がないので、
命題が真だからといって何が言えるわけでもないのだが。
485考える名無しさん:2012/12/29(土) 23:57:51.57 O
というか、基本的に普通の使い方でも特殊な使い方でも「私」は述語ではないような。
基本、「私」は個物を指示する指標詞で、
「私は永井均である」みたいなのは形式的にはa=aと変わらないので恒真で当たり前。
ただ独我論とか転生みたいなものを語るときは、
なんか不思議な使い方になってるよね、
って話だと思うんだけど。
486考える名無しさん:2012/12/30(日) 00:19:14.99 O
おさらいみたいなことすると、
「これ」「あれ」みたいな指標が何を指示してるのかっていうのに、
センスデータを指示してるんだ、という話があった。
ムーアとかラッセルね。
んで、「これ」や「あれ」の中心が「私」なんだ、と。
そういう「私」が言語を下支えしてるんだ、っていう考え方。
それを逆転させたのがウィトゲンシュタインで、
彼以降は言語が先にあって、「私」を下支えしてるんだということになった。
永井もロボット疑惑を偽の問題として退ける時とか、
露骨にそういう伝統?の踏襲をしてるので、
注意した方がいいかもね。
487482:2012/12/30(日) 00:58:47.17 0
>>485
「私」は述語ではないが「〜は私である」は述語だろ…
「私」が指標詞であることは否定してない
「永井均は永井均である」は恒真だが、「私は永井均である」は観察による知識が必要では

あと>>482は「(人間xがPを満たす)ならば((人間xが私である)ならば(人間xがPを満たす))かつ((人間xが私でない)ならば(人間xがPを満たす))」が恒真だという話ですからね
「Aならば(BならばA、かつ、CならばA)]が恒真だというだけの話ですよ
何か勘違いしてない?
488482:2012/12/30(日) 01:08:09.27 0
>>486
言語が先にあろうがなんでもいいんですけど、
それをどうやってモデル化・形式化したらいいんでしょうか?
「言語が先にある」をどうやって形式言語で表現したらいいのか解らないんですよ
489482:2012/12/30(日) 02:22:14.65 0
「私」を「永井均」などの固有名詞に置き換えられると思ってる奴は
還元不可能性のテーゼを論破してからにしろ
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream/11094/7519/1/mgsl050_A001.pdf
490ふわふわおじさん:2012/12/30(日) 04:46:47.55 0
しばらく目をはなしていたのでもしやとおもって覗いてみれば案の定、
どうしてこうふわふわした言葉のやりとりがかわされるんだろう。
このデフレで庶民が苦しんでいるというのに、なんでこうふわふわした
うわっついた腰の座っていない思考ができるんだろうか。
苦労がたりないというか、世間でもまれていないというのか。

>「Aならば(BならばA、かつ、CならばA)]が恒真だというだけの話ですよ

形式化するというのことは一般論化するということなんだけど、
<わたし>は理解されるかぎり、一般化されてしまう(ゆえに、語れない)
と主張している永井の<わたし>を形式化してその推論の妥当性を示そうとする
のは倒錯してるんじゃないの?
491ふわふわおじさん:2012/12/30(日) 05:07:56.92 0
ある人間をAとすると、
わたしがAであっても、Aでなかったとしても、Aの性質(内容)がかわらない
という主張が正しいとすれば、
それは単純に考えて、わたしがAであることが、Aの性質に因果的に依存していない
場合に限られるはず。
ということは、わたしがAであってもAでなくても(つまりAが他人である)
Aの内容はかわらないという主張を、妥当な推論として展開したいなら、
わたしが存在することが、Aの内容に依存していないならば、
わたしがAであってもAでなくても、Aの内容はかわらない
という論点先取の推論として形式化すればいいんじゃないの。
どういう意味があるのかしらないけど。
492ふわふわおじさん:2012/12/30(日) 05:25:20.90 0
>基本、「私」は個物を指示する指標詞で、
>「私は永井均である」みたいなのは形式的にはa=aと変わらないので恒真で当たり前。

それは「私」の意味論や文脈によるでしょ。
一般的に、「私は永井均である」を形式化するとa=aの形の恒真に
なるなら、「私は永井均ではない」はa≠aという矛盾になるわけかい。
なら「私は東浩紀でありかつ永井均ではない」はどうなるわけ。
君はふわふわしすぎじゃないの。
ふわふわふわふわしてるんだよ。
493ふわふわおじさん:2012/12/30(日) 05:36:52.49 0
>>486

君のおさらいは素晴らしい。非常に勉強になった。
君はふわふわしていない。ふわふわしていないんだよ。

そのおさらないを敷衍すると、
言語が先にあって、「私」を下支えしているんだというのが
言語ゲームという思想ということになるけど、
一方でウィトゲンシュタインには独我論の思想があって、
言語が先にあってという場合の、言語は、あれやこれやの言語では
なくて、”この言語”でなくてはならず、それは「このわたし」に
よって包摂されるのだということになる。
つまり、言語ゲームと独我論が拮抗していて、どちらが先かを
決定できないというのが永井=ウィトゲンシュタイン思想という
ことになるといっていいのだろうかね。
494482:2012/12/30(日) 09:17:40.53 0
>>490
「<わたし>は公共言語で語れない」ということそれ自体は公共言語で語ることができる
というのが永井の立場だったはずだし私もそう思う。
それなら形式化も出来るはずだというのが私の考え。
しかし>>489にあるように「私」は
確定記述、固有名、(準−指標詞と区別される)指示詞、指標詞、量化子
のどれを使っても表現しきれない。
なので>>482は「〜は私である」という述語の存在を公理に追加して
「私」の定義が何であるかに立ち入らない方法でやろうとして失敗した例。
495ふわふわおじさん:2012/12/30(日) 22:03:27.55 0
>「<わたし>は公共言語で語れない」ということそれ自体は公共言語で語ることができる
>というのが永井の立場だったはずだし私もそう思う。
>それなら形式化も出来るはずだというのが私の考え。

なら、”「同じ一人の人間が、私であっても、私でないという意味で他人で
あっても内容は変わらない”という命題の妥当な形式的推論化を試みても
しょうがない。ゲーデルの形式体系の不完全性定理が、私は証明できない
を形式化したような、”私は形式化できない”という定理を導くような
形式的証明を展開するしかないんじゃないの。
もちろん、不完全性定理の”自己言及的私”と永井の私は全然別なものだけど。
まあ、それはともかく

>しかし>>489にあるように「私」は
>確定記述、固有名、(準−指標詞と区別される)指示詞、指標詞、量化子
>のどれを使っても表現しきれない。

還元不可能性のテーゼと永井の<私>の関係については、
『<私>の存在の比類なさ』収録の、入不二論文に対する反論論文を
参照するといい。
496ふわふわおじさん:2012/12/30(日) 22:16:03.41 0
>なので>>482は「〜は私である」という述語の存在を公理に追加して
>「私」の定義が何であるかに立ち入らない方法でやろうとして失敗した例。

そもそも、”「同じ一人の人間が、私であっても、私でないという意味で他人で
あっても内容は変わらない”という命題は、私は性質(述語)ではないという
ことなのだから、その命題の妥当的形式的推論を展開するときに、
”xはわたしである”という述語を導入するのは根本的に間違っているんじゃないの。
永井の独我論の議論の形式的推論化については
三浦俊彦の『多宇宙と輪廻転生』収録の『意識の超難問の論理分析』で
検討されてるけど、ポイントをはずしてると思う。

とにかく君はふわふわしている。ふわふわしてるんだよ。
497482:2012/12/31(月) 03:58:05.29 0
論理学を基盤にしない哲学は全て淘汰された方がいい
498考える名無しさん:2012/12/31(月) 22:53:53.91 0
しない→した

の間違い?
499482:2013/01/01(火) 06:17:15.80 0
大陸哲学の文庫本読んでインテルぶってるような奴が一番許せない
500482:2013/01/01(火) 06:18:41.49 0
インテリだった><
501考える名無しさん:2013/01/01(火) 12:51:37.47 0
インテルのCMはどうしてあんなにダサいのか?
インテルぶってるのか
502482:2013/01/02(水) 04:20:38.39 0
「永井均 様相論理」でググってたらnineteen_jacobってやつのtweetが出てくるんだけど
この人なんなんですか?
503考える名無しさん:2013/01/02(水) 13:15:05.22 O
>>502
なんなんでしょうね、ツイートを読んでも何が書いてあるのか全然分からないので。
504考える名無しさん:2013/01/02(水) 13:37:07.27 0
よくわからない人を晒すなよ
505482:2013/01/02(水) 15:34:30.94 0
>>504
僕が見たのは
様相論理の公理系S5(「Aが可能であるならAは必然的に可能である」という公理が使えることで有名)が
永井の「内容の連続性によってどの人物が私であるかが決定される」というカント原理の元ネタになっている、とかいうtweetなんですけどね、
この両者がどう関係するのか全然解らないんですよ。
永井が言う「記憶などを可能ならしめる条件に反することはできない」という説に
S5の「Aが可能であるならAは必然的に可能である」という公理が使われている、ということを言いたいのかもしれない、とは思うんですけど(本当に使われてるか解らんけど)、
じゃああなた、排中律使ってる哲学書の元ネタは古典論理の公理系だという話になるんですか、と言いたいのですよ。
僕は、論理学をそういう修辞の道具にするのは許せないわけなんですね(そういう意図が無かったらごめんねnineteen_jacobさん)。
506考える名無しさん:2013/01/03(木) 12:12:13.74 0
「排中律使ってる哲学書の元ネタは古典論理の公理系だという話になるんですか?」と聞いてくればいいのに
ブロックされると思うけどw
507考える名無しさん:2013/01/03(木) 15:05:07.45 0
もう名無しに戻りますよ。

>>506
まぁ陰口みたいなこと言ってるのはフェアではないですね。
そのtweetを見てしまったときの感情を何処かに吐き出したかったんだ。ごめんねnineteen_jacobさん。
この人の日記見ると「法的手段に訴えることもありうる」とか書いてあるし、
あと書いてあることは永井以上に意味不明だし、できれば直接触れるのは避けたい。
永井アンチみたいだしこのスレも見ていることを祈ります。
508考える名無しさん:2013/01/04(金) 00:33:18.07 0
永井には少なくとも意味不明なところはないと思うが。
賛成するかどうかは人によるけど。
あと、最近は特に、議論の高度なところもあるけど、他の哲学書の比べてそれほどでもない。
509考える名無しさん:2013/01/09(水) 17:29:49.45 0
傍流ネタだけど星野智幸『俺俺』の永野均役が亀梨和也に決定w
510えびね ◆MlViGudk9NNM :2013/01/20(日) 06:09:46.33 0
>>502
ジェイコブは永井さんのクラスでデビュー前後の川上未映子さんにストーカーしてた変質者ですよ。
川上さんにストーカーして乱暴しようとしたり、しつこくメール攻撃をして怖がられて、
玉川警察署に通報され、厳重注意された犯罪者予備軍です。
かわいい愛弟子を傷つけられた永井さんはマジギレして、ジェイコブにつかみかかった事があります。
それでジェイコブは逆恨みして、年がら年中永井批判をネチネチやらかしているというわけです。
そいつ2ちゃんねるにもジャンジャン書き込んで自演しまくってるんで、うんと晒してやって下さい。
511考える名無しさん:2013/01/22(火) 15:27:39.07 0
川上周辺は話がごちゃごちゃしててよくわからない。
終わったらまとめサイト作ってねw
512考える名無しさん:2013/02/03(日) 10:47:20.64 O
中山康雄『示される自己』が永井論ぽいな
513考える名無しさん:2013/02/03(日) 19:20:31.99 0
>>512
立ち読みで,目次と,人名索引で「永井均」が出てくる頁を眺めただけの
感想だけど,あまり関係なさそうに見えた。
少なくとも,長く引用したり詳しく検討しているようなところは,上記の限りで
見当たらなかった。
(もし,「永井均」と明記されている部分だけでなく,全体を熟読すると実は・・・
という内容になっていたら,すみません)

それなのに,帯には「何よりも永井均との対決を通じて」とか書いてあるが,
あれはサギくさいと思うんだがw
514考える名無しさん:2013/02/04(月) 17:00:26.43 0
『なぜ意識〜』を読んで、
むしろチャーマーズとクリプキの二次元意味論に持ったというか、
面白そうだなと思ってしまったんだが。
もっと詳しく知りたい向きは何を読んだらいいのだろう。
やっぱチャーマーズの分厚い本読むしかないのか。
515えびね ◆MlViGudk9NNM :2013/02/06(水) 08:46:28.80 0
独我論を支持してる永井さんだけど、新しくスレ立ったの見てそういやそうだと思った事を質問したい。
「独我論者は複数いるのになぜ成立するのか?」これ訊いてみたい(笑)なんて答えるかな?
516考える名無しさん:2013/02/06(水) 10:05:36.76 0
永井的には独我論は語りえないので、語れてないよ、と言うんでないの。
ちょっと話は違うかもしれないが、
『誤診』前の講演で、独我論みたいなものに同意されて、
「そうだよ。実はあんた以外みんな心がないんだよ」とか他人に言われたら、
むしろ「そんなはずはないだろう」と思うはずだと話していた。
独我論は、例えばそういう形で言語と対立してるんだ、と。
その洞察はウィトゲンシュタインに固有のもので、
あんま後に継承されてないんだよね、みたいな。
俺は『誤診』まだ読んでないのでw、活字になってるかは知らない。
517考える名無しさん:2013/02/06(水) 11:37:51.92 0
永井が独我論を支持しているという風評をよく聞くけど、どう読んでも(ちゃんと読めば)真逆じゃないの?
『転校生』を読んでも、『なぜ意識』を読んでも、『誤診』を読んでも。
独我論者は(たとえ現実に一人しかいないとしても)言語で語られる以上「可能的に」複数「いざるをえない」がゆえに言わんとすることが決して「言えない」がゆえに不成立、
と何度も何度も言っているとしか読めないが…。
518考える名無しさん:2013/02/06(水) 13:12:09.16 0
俺もそんな気がするけど、見極めは微妙じゃね。
「言語についての事実が隠してしまう特殊な事実があると思ってる」
「自分としては今や私しかないという気分は強い」
みたいなことも言ってるからね。
独我論みたいなことを語ろうとしているのに結果それを否定しているではないか、
という方面からの批判もあると言っていたね。
519考える名無しさん:2013/02/06(水) 19:52:59.52 0
まずは>>515の言う「独我論」が,どういう意味であるのか,永井の議論との関係で
より詳し説明してもらうのが先決じゃないかと。
そこをあまり意識していないということであれば,それこそ新刊である『誤診』でも
まずは読んでみてくださいな。
基本的に>>517のとおりだと思うけど。
520えびね ◆MlViGudk9NNM :2013/02/08(金) 09:16:20.99 0
http://www.logsoku.com/r/philo/1105020202/
このスレで「カオル」で検索してみて欲しいんですが、
カオルさんは離人症で世界を直に体感する事が困難な疾患を抱えているため、
自然と、「自分だけがここにいて、世界は存在しない」と確信する様になったらしいんですね。
そして、彼女は同時にクリスチャンで、神だけは信じられると言っていました。
私は、カオルさんに、「神を通して世界を感じる事は出来ないのか」とアドバイスしましたが、
何だか、要領を得ない返事をもらい、その後もなんとなく気がかりでいたのです。

最近、その先日の「独我論者が複数いたら、独我論は崩壊するのか?」という疑問がわき、
彼女の孤独と辛さを、それによって軽減できるのかもなあと思ったのです。
少なくとも、独我論によって自分を牢に閉じ込めているのは貴方一人じゃないと、言う事が出来るわけで、
少しは心が晴れるのじゃないかと。
521考える名無しさん:2013/02/08(金) 10:33:05.69 0
独我論には、まず、存在論的な独我論と認識論的な独我論のふたつがあって、
「実は他人には心がないのではないか? 実は世界は存在しないのではないか?」
みたいなデカルト的懐疑論は後者の問題として扱われる。
で、これに対する永井の解答はけっこう身も蓋もないもので、
「他人」という概念は、それに心があるかもしれないしないかもしれないような概念なので、
「ないかもしれない」ことは現実の正しい受け止め方で、そんなことは問題はない、というもの。
ここで、認識論的独我論はそういう世界の存在構造を追認したものなわけだね。
ある世界もありうるし、ない世界もありうるし、どちらが現実であるにせよそれは偶然である、と。
522考える名無しさん:2013/02/08(金) 10:46:37.08 0
補足的にいうと、言語哲学でよくあるデカルト的懐疑論批判があって、
これは現象主義的な言語観に向けられたものなわけだ。
「自分が心に抱いている心像が相手にあるとはかぎらないのに、
 自分の心像について語っていて、しかも相手はそれを理解している。これはおかしい。問題だ」
というわけなんだけれども、
これは言葉が私的な心像(別の言葉で言えば観念やイメージ)を語っている、
なんて考えるから生まれる疑似問題なんだ。
こういう疑似問題が生まれること自体が、その出発点が間違っていることを示している、という論法なんだな。
言語が先にあるから、心像を語るというゲームが成立しえて、
その中に私的な用法が文法的に使えることができるようになる。そう考えればさまざまな問題は一掃される。
523考える名無しさん:2013/02/08(金) 10:58:45.28 0
そうか、言語が観させる夢なんだ
524えびね ◆MlViGudk9NNM :2013/02/08(金) 17:08:20.57 0
ありがとう、参考になりました。
もう少しゆっくり考えてみる事にします。
525考える名無しさん:2013/02/08(金) 17:35:51.53 0
といっても、永井の場合、「他人」の存在構造を追認してるだけだ、
と言ってもその「他人」は、「私」に対する「他人」でしかありえないわけだよね。
「「他人に心がある(ない)」という命題は検証条件を欠いているがゆえにナンセンスである」なんて言っても、
この場合、その検証条件がそもそも公共的なのかどうかすらわからないよね。
そんな世界の存在構造はすでにして私に中心化された一人称的な世界なはずなんだよね。
526考える名無しさん:2013/02/08(金) 18:13:43.99 O
>>521のような説明は、『〈子ども〉のための哲学』や『翔太と猫のインサイトの夏休み』
あたり(中期著作?)には確かに書いてあるけど、今でもそのとおりの説明になるのかなあ。
『なぜ意識は実在しないのか』以降だと、明示的に書いてあるわけではないけど、
認識論的独我論は、全然問題ないとか存在論的独我論と全く無関係だ、というわけでは
必ずしもなく、実は存在論的独我論から説明されるものだ、ということにならんですかね。
527考える名無しさん:2013/02/12(火) 10:21:11.39 0
永井は最近ヴィパッサナー瞑想にはまっているらしい。
野矢も坐禅ゼミとかやってるらしいし、
黒崎はウィトゲンシュタインからナーガルジュナへだし、
日本でウィトゲンシュタインやってる人らはそっち行く運命なのか。
528考える名無しさん:2013/02/12(火) 11:08:01.77 0
一昨日(2月10日)の日本経済新聞の文化欄にサラリーマン向けの(?)エッセイ書いてたね。
ヴィパッサナー瞑想って、つまりは、〈私〉の視点に立って「私」を見る(そして捨てる)ことだからね。
529考える名無しさん:2013/02/12(火) 16:24:26.24 0
永井の今と昔を比較できるほど永井力高くないから適当に言うけど、
昔の永井にはなぜだか時間論がないんだよね?
「開闢はなぜ持続するか」みたいな話はそもそも出てこなさそうな気がする。
530考える名無しさん:2013/02/12(火) 18:16:04.27 O
>>529
なぜなのか(深い理由があるのか)は、本人でもないし、そこまでの理解力もないので
分かりませんが、昔は時間についてあまり問題を感じてなかったというのは
『〈子ども〉のための哲学』に書いてますな。
さらに『タイムトラベルの哲学』(文庫化前のもの)に載ってる
青山拓央との対談には、もっと身も蓋もないことが書いてあって、『転校生とブラック・ジャック』
で時間の話が多くなっているのは、青山が時間に興味があっていろいろ質問してくるので、
それで考えるようになったんだとかw
(いずれもうろ覚えのため不正確な点があればお詫び・訂正します)
531考える名無しさん:2013/02/12(火) 18:25:19.54 O
それだけでは何だから、勝手に想像を膨らませるというか自分のしょぼい理解・誤解の
程度を晒してみるに、かつての議論では、「〈私〉」と言ったときに、それが他人に理解される
ことについてはもちろん問題として取り上げられていたが、私自身にとっては、
何らかの固定した意味があるというか決まったものを指すというか、そういうことが
何となく暗黙の前提となっていた面があって、最近ではその暗黙の前提がさらに検討される
ようになってきて、そこで時間とか、時間を通じた言語の意味とかの議論が多くなった、
とか何とか考えてみた。
532考える名無しさん:2013/02/15(金) 14:02:09.36 0
>>514
八木沢敬『分析哲学入門・中級編』がよさげ
533考える名無しさん:2013/02/19(火) 15:26:03.15 0
八木沢入門、いい本だけど、日本で定着してるタームを違う風に訳したりしてて、結構鼻につく。
534考える名無しさん:2013/02/20(水) 21:42:08.34 O
新刊出るようだけど、予告の目次を見る限り書き下ろしは少ないのかな
535考える名無しさん:2013/02/20(水) 22:26:08.76 0
>>534
どこ情報?
536考える名無しさん:2013/02/21(木) 11:54:39.62 0
537考える名無しさん:2013/02/21(木) 15:51:45.01 0
http://www.google.co.jp/search?as_q=金川真大 永井均&amp;hl=ja&amp;num=100
538考える名無しさん:2013/02/21(木) 15:53:01.74 0
539考える名無しさん:2013/02/21(木) 16:07:39.40 0
ぷうねま社から出るのでしょ。
540考える名無しさん:2013/02/21(木) 17:49:02.95 0
キリスト教系の出版社から出るのか!
http://www.pneumasha.com/
541あぼーん:あぼーん
あぼーん
542考える名無しさん:2013/02/21(木) 22:10:06.05 0
>>539
サンクス
543考える名無しさん:2013/02/22(金) 20:41:00.90 O
今まで他の本、雑誌などに収録されたものとか、新聞の悩み相談?とかを
集めたものっぽいですな。

しかしその中で目を引くのが「翔太と由美の修学旅行」w
自分が見たことないだけかもしれないけど、これは書き下ろしなのかな。
どっちにしても、どんな内容か気になるわw
544考える名無しさん:2013/02/23(土) 19:42:53.31 0
>>543
ほかはすべて見たことがある?
545考える名無しさん:2013/02/23(土) 20:29:10.72 O
>>544
いや、そう言われると、
第1章「科学的には解明できない〈私〉の存在」
第3章「ニヒリズムとしての哲学」
第8章「語りえぬものを示す(2)」
は、(どこかで聞いたことある気もするけど)少なくとも私の記憶では
読んだことありません。
あと章全体の題名は分かるけど小見出しがよく分からない、というのもあるし。
546考える名無しさん:2013/03/06(水) 14:50:00.67 0
547考える名無しさん:2013/03/06(水) 16:41:57.43 0
『転校生』はパーフィット読んでなくても読めたけど、
『誤診』は先に『青色本』を読んでないとしんどくて読めない。
548えびね ◆MlViGudk9NNM :2013/03/06(水) 20:27:22.08 0
おおやばーこのスレって2ちゃん弁護士の監査が入るのか…。
書込みに個人情報が入ってるとまずいな。
549考える名無しさん:2013/03/06(水) 21:05:48.83 O
>>546
おお、どうもです。
しかし、これだけなのかw
550考える名無しさん:2013/03/14(木) 20:54:29.00 0
発売日を過ぎているのにどこにも売っていないという
大丈夫なのかこの出版社
551考える名無しさん:2013/03/18(月) 13:34:16.60 0
売ってるよ
552考える名無しさん:2013/03/18(月) 17:40:38.05 0
茂木健一郎は行儀悪すぎ
そりゃ驚くわ
553考える名無しさん:2013/03/18(月) 23:56:41.00 0
↑誤爆?
554考える名無しさん:2013/03/19(火) 00:19:50.22 0
密かな闘いのあとがきに、
あるシンポジウムの帰り、茂木さんとカラオケに行ったときのことが書かれているのです


密かな闘いには、ドリームナビの連載の永井担当分が収録されているけど、
あの連載全体が本にまとまる予定はないのかな
執筆者が豪華だよね
555考える名無しさん:2013/03/19(火) 17:02:00.93 0
>>554 予定あるよ たぶん中公から
556考える名無しさん:2013/03/20(水) 15:40:40.30 O
独在性って一般的なものなの?
知らんかった。
557考える名無しさん:2013/03/23(土) 15:21:56.06 O
新刊を入手して読んでみたら、中山康雄『示される自己』が取り上げられてた
取り上げられてたというか、その本が永井の議論を全然まともに扱ってない、
と指摘してるだけの内容だけどw
パラパラ立ち読みして「これ実は帯の煽り文句に反して、永井の議論を
大して扱ってないんじゃないか」と感じて、買わなかったんだけど、
どうやらご本人が文句を言いたくなるような扱い方はされていたようで…

それはともかく、「語りえぬものを示す(2)」の部分は、特に私的言語について
さらに詳しく書かれている内容と思われたので、熟読してみようと思った
558考える名無しさん:2013/03/23(土) 15:28:45.75 0
何が言いたいのか、さっぱり分からん
559考える名無しさん:2013/03/24(日) 00:51:01.98 0
哲学の密かな闘い
新刊ってこれですか?
560考える名無しさん:2013/03/24(日) 01:55:42.43 O
>>559
そうです
561考える名無しさん:2013/03/24(日) 12:57:00.24 0
>>527
ヴィパッサナー瞑想ってもろに宗教だろ。
ついに永井も宗教団体設立か。
〈私〉真理教とか。
562考える名無しさん:2013/03/24(日) 19:03:58.66 0
思想が伝統を築くことにえらく否定的に見えるから教団設立みたいなのはなさそう。
563考える名無しさん:2013/03/25(月) 15:57:15.05 0
ヴィパッサナー瞑想は宗教ではなく、
無意識的思考の生起に気づく(意識化する)ためのテクニックにすぎない。
なので座禅と違って練習するとすぐに上達する。
564考える名無しさん:2013/03/25(月) 16:36:53.18 0
瞑想というと印象が怪しくなる。
要するに、自動的な思考に引きずられにくい習慣をつけるための練習。
永井は誤解されないようにちゃんとした説明をすべきだね。
565考える名無しさん:2013/03/26(火) 20:01:33.50 O
印象に残った箇所を写すだけですが…

カントのデカルト批判は「私」に時空的な「口」を付けることを要求する凡庸な批判に過ぎないように思われる。しかし、神の存在論的証明に対する批判と同じ論拠によって批判してもよかった。
(第6章の注より)
566考える名無しさん:2013/03/28(木) 14:52:27.00 0
>>561
元から宗教だし。
永井は〈私〉というキャッチコピーで人気を得たけど、それって一人称代名詞の「私」とどう違うかって
肝心のことを論証できていない。論証できないなら宗教にすぎない。
だから哲学学会では永井はほとんど相手にされてない。大学で論文引用件数を調べれば永井の程度がわかる。

永井の本を真に受けてる信者は、自分探しとかしてる病人ばかり。金川真大みたいな。
567考える名無しさん:2013/03/28(木) 18:29:25.87 O
引用回数とかはどちらかと言うと多い方でしょ。
永井問題は研究会合も開かれてるし、
そういう意味では恵まれてる人だよ。
568考える名無しさん:2013/03/28(木) 23:13:45.48 O
>>566
ふーん
で、あなたの「元から宗教」「真に受けてる信者は、自分探しとかしてる病人ばかり」
とやらいうご高説は、どの学会で何回くらい引用されたの?
569考える名無しさん:2013/03/31(日) 10:11:14.95 0
独在「論」   (´,_ゝ`)プッ
570考える名無しさん:2013/04/02(火) 08:53:14.33 0
だいぶ前からもう難しすぎて手に負えない・・・もっと優しく書いて
571考える名無しさん:2013/04/03(水) 13:30:45.16 O
今まで永井の本は「冷やかし」で読んでいたが、
最近のふたつは真面目に読んだ。
572考える名無しさん:2013/04/03(水) 17:43:02.97 0
永井の本は全て、永井の勘違いではないのかという見方で読んでます。
こういう読み方は、結構つらいですね。
573考える名無しさん:2013/04/03(水) 20:23:43.08 O
>>570
易しくはないかもしれないけど、ポイントを繰り返して書いたり同種の問題を
並べて対比して説明したり、優しくないわけではないような気がしますw

冗談はともかく、私についてだけでなく、今との対比や現実・可能という説明が
詳しくなされている最近のほうが、「現に唯一特別なものがある」というだけでなく
「そのことがなぜだか誰にも・いつにも言えてしまい、一般的なことになってしまう」
という面も必ずあって、そのように両面が問題なのだ、というポイントを誤解しにくい
(はず)という点では、個人的にはむしろ分かりやすくなっているような気も。
「分かりやすい」というと語弊があるかもしれないけど、もしそのような説明が
詳しくなされなかったら、例えば自分なんかはトンチンカンな誤解をしたままだった
かもしれない。
574考える名無しさん:2013/04/05(金) 20:13:10.85 O
永井哲学のまとめとして
「他人の独我論を認めることが、端的な独我論を解消することだ。
(そして、「とっては話」「人称化」が成立する)」
というようなことを考えましたが、どうですか。

しかし、現実の身の回りには独我論的なことを考えている人なんて
ほとんど見かけないんだよな…
575考える名無しさん:2013/04/06(土) 16:49:02.86 O
>>574
だいたいそのようなことだと思いますが(「解消」という部分の意味がよく分からないけど)、
別に現実の身の回りに独我論者が住んでなくても、永井均という強力な実例が存在することで
十分ではないかと思いますが。
576考える名無しさん:2013/04/06(土) 18:35:55.03 O
「世界は独我論的なあり方をしている」
と一般に語られ、
それが問題でなくなるという意味です。
577考える名無しさん:2013/04/06(土) 21:24:24.41 0
>>566
院生スレでも永井を哲学者として認めないと書いてるやついたな。
理論展開が出来てないのは学者としては致命的だと思う。
永井の本は一冊読んだだけだけど<私>を連呼してるだけで哲学本と
いうより自己啓発本だと思った。
578考える名無しさん:2013/04/06(土) 22:09:16.35 O
>>577の人は倫理学関係の本を読んだのだと思う。
579考える名無しさん:2013/04/07(日) 11:34:12.56 O
永井は古くはゼノン新しくはゲティアが最も偉大な哲学者だと言っている人なので、
哲学的問題の解消というのは、それに対してはすごく王道的なアプローチであると思うよ。
580考える名無しさん:2013/04/07(日) 11:52:46.77 0
>>579
永井がどこでゲティアついて触れていたか知りたいので教えてください
煽りじゃないです
581考える名無しさん:2013/04/07(日) 12:14:38.09 0
>577
だからさ、カルト宗教なんだよ。永井教。
〈私〉は〈神〉によって作られました。君たちの人生は失敗だけど
永遠なる〈私〉は輪廻転生を続けますって、こんな教義だから負け犬のクズが信者になる。

負け犬の金川真大とカルト永井均
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130221-00000317-tsukuru-soci
582考える名無しさん:2013/04/07(日) 15:00:29.28 O
金川真大の心理の解説ありがとう
583考える名無しさん:2013/04/07(日) 23:34:30.58 O
>>576
そんな日がもし来たら、面白いだろうなw
しかし、もし永井の本を誰もが読んで、誰もが「そうだ、そのとおりだ」と
思うようになったとして、だからといって問題がなくなるわけではないように
思うけど。
584考える名無しさん:2013/04/08(月) 07:29:58.68 O
>580
転校生とブラックジャックに出てくる。
585考える名無しさん:2013/04/08(月) 07:32:14.03 O
永井が独我論者と言うのは
マクタガートがA系列論者だと言うようなものだと思うんだけど
586考える名無しさん:2013/04/08(月) 19:46:00.84 0
>>584
ありがとう
転ブラは読んだはずなんだけどな
読み直してみるか
587考える名無しさん:2013/04/09(火) 17:28:56.01 0
>>580
面白いけど、それは微妙ではないかな?
マクタガートは「しかし、A系列は実在しない。ゆえに…」と続けるわけだけど、
永井もそうだといえるか?(たしかに一面ではそうだどは思うが…)
588考える名無しさん:2013/04/15(月) 12:54:24.14 0
585の間違い?
589考える名無しさん:2013/04/16(火) 16:26:10.90 O
入門向けでは、単なるA系列にあたるものを唱えているように
見えないこともない・・・
590考える名無しさん:2013/04/17(水) 20:51:13.98 O
しかし少なくとも最近の本では、B系列的な面も必ずあるというのが問題だ、と
強調してるように思うけど
591589:2013/04/17(水) 22:05:45.98 O
というかA系列的なものからどうやってB系列的なものに達するかということが
問題なんじゃないのかな。
道徳に関することではずっとそういうことばかり言っているし、
『誤診』でもそういうことがテーマになっていると思った。
592考える名無しさん:2013/04/18(木) 16:19:46.48 P
A/B系列なんてどーでもいい。
C系列だよ。
D系列なら超絶。
593考える名無しさん:2013/04/20(土) 22:03:16.56 0
永井を話題に出して恥ずかしくないのは25歳くらいまでだな
594考える名無しさん:2013/04/22(月) 09:55:39.34 P
A系B48
595考える名無しさん:2013/04/22(月) 13:02:49.17 0
そうではなくて、A系列と言われるものに実は2種類あるというのが、永井説。
可能的A系列と現実的A系列との。
だから、A系列論者だ、なんて言っても何も言ったことにならないわけだ。
596考える名無しさん:2013/04/22(月) 13:57:02.03 P
私的解釈のゴリ押し。
597考える名無しさん:2013/04/22(月) 17:05:12.57 O
用語を出すときは説明せんとな
598考える名無しさん:2013/04/24(水) 20:43:53.84 O
面白かったので貼ってみる
ttp://blog.m.livedoor.jp/easter1916/article/52315133?guid=ON

面白かったというのは、直ちにどちらかに賛成するとか反対するとかいう
ことではなく、果たして本当にかみ合った話になっているのかどうか、
もしずれているとしたら、どのへんがずれているのか、などを、素人なりに
何となく考えてみるきっかけになった、という意味で
599考える名無しさん:2013/04/24(水) 21:14:00.20 0
>>598
「究極の価値」というのは、
生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされたとき、
生きる、ほうに賭ける、その理由・根拠といえるもの
ではダメなのか

> しかし、それが価値のたった一つの源泉であると想定するのは、バカバカしいくらい非常識であろう。
ヨーロッパの敬虔なクリスチャンは、この非常識を大真面目に信じてきたのではないのか

> このように見て来ると、永井氏の議論は、奇妙にニーチェの論敵の議論に似てくることがわかる。
最後の田島氏の議論はよくわからん

上の意見は永井の本を読んできたから永井よりかも

ずれているとしたら、多分上の二つがずれている
600考える名無しさん:2013/04/24(水) 21:54:20.83 0
>>598
ニーチェ的ルサンチマンの構造の、理解というか解釈の仕方が大きくずれてると思う
とくに
『何か絶対的な視点(哲学の視何か絶対的な視点(哲学の視点?)、
「しょせん、すべては小さなこと」(p−98)と見ることのできる視点こそが、
ニーチェがキリスト教の中に見抜いていたルサンチマン的心性そのものではないのか?』
のあたり、永井的ニーチェ解釈とはだいぶ違うような
601考える名無しさん:2013/04/24(水) 22:12:39.13 O
言い出しっぺなので、一応今思いつける範囲のことも、適当に書いてみる。

まず、
「それを信じて生きるべき究極の価値のようなものは存在しないという考え方や生き方」
という表現の意味が、原文だけで分かるかというと、確かに言われてみると
よく分からないように思われた。
しかしそこは、他の著作なども踏まえて考えて、とりあえず、
「私にとって、今にとって、「これがよいことだ」とか「そんなことは別に
よいことではない」と思われれば、そのとおりなのである。その今の私の思いを
超えて、「長期的に継続する自己の観点からは、そうではない。これは、
過去・未来を含めた継続する自己にとって、よいことであり、今の思いなどを
超えるものなのだ」とか、「他人・社会の観点からは、そうではない。これは、
他人・社会にとって、よいことであり、私の思いなどを超えるものなのだ」とか
いえるようなものは、存在しない。」という考え方だと解し、「究極の価値」と
言われているのは、継続する自己や他人・社会の観点からよいこととされて
いるものを指す、と解してみる。
つまり、永井の原文で問題にされているのは、
・今の価値vs他の時点の価値、継続する自己の観点からの価値
・私の価値vs他人の価値、社会の価値
ということであると解してみる(これはそんなに的外れではないと思う)。

もし、そう解するのが適切だとすれば、貼ったブログが、ベートーベンと
モーツァルトの価値の比較とか、それらと快楽という価値の手段・結果関係とか、
価値の内容の話をしていて、他時点・他人との関係の話をしているわけでは
ないのは、とりあえずの印象としては、どうも筋違いのように思われる。
602考える名無しさん:2013/04/24(水) 22:31:34.36 O
>>601続き
これだけ筋が違うとすると、逆に、ぶつかる点はあるだろうか、というのが気になる。
そこで、無理やりぶつけてみた。

例えば、永井的観点(?)からは、このブログ的観点(?)に対して、次のような
質問ができるだろうか。
「ベートーベンとモーツァルトのどちらにも、かけがえのない価値があるとすれば、
例えば、「今の私はベートーベンを聴きたいが、そうすると明日の私は
モーツァルトを聴けなくなる」という場合や、「私はベートーベンを聴きたいが、
他人たちはみなモーツァルトを聴きたがっている」という場合、その対立に
つき、どう考えればよいのか。」

逆に、このブログ的観点(?)からの質問は、私は永井側の本しかあまり
読んでいないので、思いつきづらいけど、こんなのはどうだろうか。
「永井的観点(?)からは、価値の内容や、複数の価値の比較などは、全然
問題にされないのか。今の私が「これがよい」と思いさえすれば、内容は
何ら問題にされずに価値があることになるのか。」

しかし、どうも後者の質問は我ながら出来が良くなくて、永井的観点(?)からは
「そのとおりだ」と言えば終わり、別に問題ないような気もする。
603考える名無しさん:2013/04/24(水) 22:54:53.85 O
>>602続き
ただ、(永井の原文ともブログの原文とも、もうだいぶ離れてくるけど)
永井的観点(?)につき、さらに疑問を持った点もある。
このような永井的観点(?)に立つなら、「継続する自己の観点や他人・社会の
観点からは認められないとしても、今の私にとっては、今の私の価値は、
究極の価値だ。他人も他時点の私も、(もし可能なら)今の私の価値を信じて
そのために奉仕すべきだ。」ということ(根源的利己・利今主義?)には
ならないのだろうか。
そうなるのであるとすれば、「究極の価値」は、他人・他時点に共通に認められる
ことはないにしても、全然存在しないとは言えないのではないか。

逆に、永井的観点(?)からすると、「究極の価値」は全然存在しない、
という結論は、直ちには出てこないのではないか。
特に、例えば新刊104頁には
「ニヒリストはある価値を信じて闘わざるをえない状況下においてなお、
自分が依拠しているその価値を根底においては疑っているはずだ」
という一節があるけど、これが「今の私の価値を、今の私が疑う」という意味で
あるとすれば、そのような疑いは、永井的観点(?)のどこから出てくるのか。
出てこないとすれば、永井の論じているニヒリズムは、今vs他時点、私vs他人・社会
という観点には含まれない、さらに複雑な内容を含んでいる、ということ
だろうか。


と、考えてるうちにどんどん分からなくなっていった恥を晒してみました。
604考える名無しさん:2013/04/28(日) 01:20:47.47 P
永井的と称して正統化しているだけ
どんなに関連づけに努力しても、無関係。無問題。
605考える名無しさん:2013/04/28(日) 23:06:14.76 O
簡単に言ってしまえば、
永井は「全ては小さなこと」
と言っており、
ブログは、「いや、そうでもないよ」
と言っているので
それなりに噛み合っているのでは?
606考える名無しさん:2013/04/28(日) 23:15:56.71 O
というか、<この私>の欲望、あるいは<いまのこの私>の欲望って、
「みんなの欲望」からはっきりと切り離せるものなのか?
607考える名無しさん:2013/04/29(月) 04:22:56.30 O
そこらへんで独在性があるよと永井は言い、ないよと言うのが、
永井への反論者の言い分で永遠に平行線なんだろ。
切り離せる。永井。
切り離すこと自体が他者を前提にしてる。反論者。


ただ繰り返してるだけ。永井の生涯はその言い争いで終わる。
不毛。意味がない。
なのに底に意味があると思うことで永井の人生は成立してる。
良くも悪くも。
608考える名無しさん:2013/04/29(月) 04:32:26.31 O
独在論自体、他者との違うとの争いとしてしか成立せず、
そういう他者と独在論者の場を含めて他者が先行してる、
あるいは他者も独在論者も含めた全体の場を常に先んじて、
考えないといけないわけだから、
永井の議論自体が消えてなくなりあとかたもなくなるのは、
初めからわかってて決まりきった話だと思うけどな。
609考える名無しさん:2013/04/29(月) 06:16:32.91 0
私の欲望をみんなの欲望から切り離すってどういう事態なのかわからないんだけど
欲望を切り離すってなんですか?
610考える名無しさん:2013/04/29(月) 17:48:45.67 O
「みんなの価値(欲望)」があって「私の価値(欲望)」が形成されるのではないの?
611考える名無しさん:2013/04/29(月) 19:58:45.42 O
>>610
それは何の話なの?
例えば「私は腹が減ったので、他人の食べ物を盗んででも私の食欲を満たしたい」
となった時に、他人の欲望とやらは何の関係があるの?
あるいは例えば、周りの他人たちの多くが「広末涼子のCDを欲しい」と
思っていて、それに影響されて私も「広末涼子のCDが欲しい」と思い出した
として、それでCDを他人から盗んだり奪ったりしたとしたら、他人から
影響を受けたという点には、道徳、倫理という観点で、どういう意味があるというの?
612考える名無しさん:2013/04/29(月) 23:23:00.52 O
盗んではいけないでしょう。決まりだから。
なぜそんな決まりがあるかと言えば、みんなの欲望によって。
613考える名無しさん:2013/04/30(火) 00:32:03.06 O
>>612
その話は、私の欲望と他人の欲望が切り離せる・切り離せない、とか、
私の欲望はみんなの欲望で形成される・されない、とかいう話と、関係があるの?
それとも関係ない話?
614考える名無しさん:2013/04/30(火) 03:45:16.12 0
無人島に住んでいても腹は減るので欲望は自然に形成されます
615考える名無しさん:2013/04/30(火) 18:12:59.72 P
独在論/独我論 ー 存在論( 形而上学) = 自己中心主義
もし存在論の論証に失敗しているなら、
独在論/独我論 ー 無意味/無価値(0) = 自己中心主義
つまり、独在論/独我論 = 自己中心主義
616考える名無しさん:2013/05/03(金) 17:14:52.60 O
無人島では私=みんなだからな。
私に言わせれば>>601こそどういう問題なのと言いたくなる。
個人の欲望と社会の欲望に齟齬があるということは当たり前であって、
その上で、どういう規則を作ればよいかということが倫理学じゃないの?
617考える名無しさん:2013/05/03(金) 17:23:29.90 O
そこで「社会など関係ない」というなら、強制的な罰則があるだけ
618考える名無しさん:2013/05/03(金) 21:42:48.68 O
>>616
> 個人の欲望と社会の欲望に齟齬があるということは当たり前であって、
> その上で、どういう規則を作ればよいかということが倫理学じゃないの?

「いかに個人と社会の欲望なり利害なりを調整して上手い規則を作れるか、だけが問題であり、
上手い規則を作れたからには、それが守られる理由は、破ると不利益(刑罰など)を
受けるからだ、というだけで構わない。」という趣旨と理解していい?
そうだとすれば、もし刑罰などの不利益を踏まえた上で、それでも規則を破ることが
自分の利益になると考え(例えば利益が非常に大きいとか、見つかる心配がないとかの理由で)、
破ろうとする人がいる場合、それはやむを得ない、ということになる?

そうだとすると、その点に関して永井が論じている問題(を私が多少は理解できているとして)は、
「道徳というものは、そういう場合でも必ず守ることを要求されるのではないか。
しかし、その時の自分の利益に反してまで、道徳を守ることなど考えられないのではないか。
ところが、実際にはそうまでして道徳を守る人たちがいる。そうすると、そのようにしてまで
道徳を守る理由は、どこから出てくるのか。」
というもの。
そして、その理由は2段階で、
(1)まず、「道徳を守るのは、結局自分の利益を守るため(不利益を避けるため)だ」
ということが、忘れられる。
(2)さらには、「道徳を守ること自体が、自分にとっても利益だ」という嘘がつかれ、
それが信じられるようになる。

というのが、まあ、私がごく大ざっぱに理解した問題。
だから、「個人と社会の利益、欲望に齟齬があるのは当然で、あとは刑罰なりなんなりの問題だ」
というのであれば、問題が全然違うとしか言いようがない。
619考える名無しさん:2013/05/04(土) 23:21:05.78 0
テスト
620ふわふわおじさん:2013/05/04(土) 23:31:34.06 0
>>601

どうかねえ。君もなんというかふわふわというか、浮ついているというか
ね、こうじっくりと腰を下ろしてものを考えるという姿勢ができてない
んじゃないのかね。
なんかね、こう、僕の大好きな永井をけなしたやつをとにかく腐して
おきたいという下卑た動機がかいま見える文章になっていないかね。

君は勝手に他の文献などを参考にとかいって永井のニヒリズム
問題を作り出して、それを前提にして、
”これだけ筋が違うとすると、逆に、ぶつかる点はあるだろうか”
なんてブログ主を批判しているけど、君の手前勝手な問題設定と、
そのブログ主が引用している永井の文章とがどう繋がっているのか
きちんと説明するのが先でしょう。
621ふわふわおじさん:2013/05/04(土) 23:37:14.61 0
例えば、ブログ主が引用している永井の文章

「しょせん、すべては小さなこと」(p−98)

と君が勝手に持ちだした永井のニヒリズム問題

”今の価値vs他の時点の価値、継続する自己の観点からの価値
私の価値vs他人の価値、社会の価値”

とがどう繋がっているのか僕にはまったくわからないのだよ。

君は自分が勝手に持ちだした永井ニヒリズム問題から、

”逆に、永井的観点(?)からすると、「究極の価値」は全然存在しない、
という結論は、直ちには出てこないのではないか。
特に、例えば新刊104頁には
「ニヒリストはある価値を信じて闘わざるをえない状況下においてなお、
自分が依拠しているその価値を根底においては疑っているはずだ」
という一節があるけど、これが「今の私の価値を、今の私が疑う」という意味で
あるとすれば、そのような疑いは、永井的観点(?)のどこから出てくるのか。”

なんて書いているけど、そんな疑問がでてくること自体が、君がもちだした
永井ニヒリズム問題と、そこで永井が論じているニヒリズム問題が繋がっていない
証拠なんじゃないの。
622ふわふわおじさん:2013/05/04(土) 23:43:57.45 0
だいたい、きちんと腰を落ち着かせてものを考える姿勢ができているなら、
君の紹介したブログ主の論点が、

(永井がいうニヒリズムの思想)「しょせん、すべては小さなこと」と見ること
のできる視点こそが、ニーチェがキリスト教の中に見抜いていたルサンチマン
的心性そのものではないのか?

というところにあるのは一目瞭然ではないのかね。
もし、わざわざ誰もこのスレッドで言及されていないそのブログを持ちだすなら、
永井の主張するニヒリズムこそが、ニーチェが批判したキリスト教的精神である
というブログ主の主張について、それが永井批判として妥当かどうかを議論
すべきだろうに。
それがなんで”今の価値VS他の時点の価値”とブログ主の主張とどういう
関係があるのかみたいな話になってしまうのか、僕にはさっぱりわからないん
だよね。
やっぱりふわふわしているんじゃないのかかね。
623考える名無しさん:2013/05/05(日) 07:21:40.71 P
そんな風に少年をしかりつけるのはイクない。
624考える名無しさん:2013/05/05(日) 07:38:28.73 0
  ┌┴┴┴┴┴┴┴┴┴┐
  |             |
  |  ●     ●   |
(○┘  ______  └○)
  |  ______  |      _______________
 /__________\   /
||  |  |  |  |  || <<  君はふわふわしてるんだよ。
||   └―┘  └―┘  ||  \
 \\    ┌―┐    //      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   \\   |  |  //   ( 〇)
     \ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/  ∩ ||
     `――┐┌―-′  /└┴┴つ
       / ̄ ̄ ̄ ̄/――(    ∫
       |     / ̄| ̄\__)
  /⌒\/___ノ |_/    ||
 /λ   \ __∠       ||
/ )\         ̄\    λλλ
(/  |           )   \_ノ
    \______/   / |
            /∠_   /   |
           (__)  ノノ人人
625考える名無しさん:2013/05/26(日) 20:25:41.41 O
日経新聞で日曜日に連載していると聞いて、ここ2回は読んでみた
これから日曜だけ日経を買い続けることにしようかなw
626考える名無しさん:2013/05/28(火) 13:57:36.34 0
新刊でてたのか。前作は難しくてイマイチだったけど、
今度のは連載まとめたものだから読みやすそうだな。
627考える名無しさん:2013/05/29(水) 20:35:53.71 0
従軍慰安婦問題で橋下市長をたたいている人たちに対しても擁護している人たちに対しても
「あなたたちは同類じゃないか、どうしてそのことに気が付かないのか」って言いたくなるよね
両者はある一点において意見が完全に一致しているわけなんだから
628考える名無しさん:2013/05/29(水) 22:23:15.02 O
たまたま見つけて、面白かったので貼ってみる
永井の最近の本に関連しそうなので

手品師ウィトゲンシュタインは、かぶと虫の箱に魂を入れたのか。
ttp://www.google.com/gwt/x?gl=JP&hl=ja-JP&u=http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~nobol/kabuto.htm&client=ms-kddi-gws-jp&source=sg&q=
%E6%89%8B%E5%93%81%E5%B8%AB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%88%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3+%E4%B8%AD%E6%9D%91%E6%98%87
629考える名無しさん:2013/05/31(金) 17:57:34.18 0
ぜんぜん面白くない
とくに関連もないし
630考える名無しさん:2013/06/02(日) 11:34:38.97 0
ルソーにもミルにも一抹の嘘がある。そしておそらく、世の中で暮らす以上誰にでも必然的に
押しつけられることになるこの嘘こそが、ときに「しょせん、すべては小さいこと」と思わず
にはいらないように、人を仕向けるのであろう。

ってどういう文脈で語られてるの?
631考える名無しさん:2013/06/02(日) 12:43:27.19 0
『密かな闘い』のニヒリズム論文を嫁
632考える名無しさん:2013/06/02(日) 13:06:13.56 0
密かな闘いに書かれてる
633考える名無しさん:2013/06/02(日) 13:08:01.47 O
昔の永井はニヒリズムをあんないい意味で使ってなかった気がするんだけど、
どの辺で変わったんだろう。詳しい人教えて。
634考える名無しさん:2013/06/02(日) 17:41:55.62 O
>>633
「いい意味」とはどういう意味かよく分からんけど、ニヒリズムという用語に
ついて詳しく書かれてるのはあと『これがニーチェだ』くらいしかないと
思うけど、それと大して違うことが『哲学の密かな闘い』収録の論文に
書かれてるような気はしないんだけど
635考える名無しさん:2013/06/02(日) 18:22:36.69 0
『翔太とインサイトの夏休み』や『子どものための哲学』の時期は、
〈子ども〉がリアリストで、それと対比される〈大人〉がニヒリストという構図だったと思う。
『哲学の密かな闘い』だと〈子ども〉はニヒリストになっているよね。
んで自分もニヒリストの勢力ですよ、と。
ニヒリズムなんてもともと多義的な概念じゃねーかと言えばそれまでかもしれないけど、
『子どものための哲学』と『哲学の密かな闘い』とは比べると、
他にも色々違いが見つかりそうな気がするんだが。永井の変化を追うのは楽しそう。
636考える名無しさん:2013/06/02(日) 18:46:54.89 0
>>595
可能的なA系列と現実的なA系列のふたつがある、という説なのではなくて、
一般化されたA系列論者のA系列は、すでにして可能的なA系列であり、
B系列は実は可能的なA系列なのだから、A系列対B系列という問題は見せかけにすぎない。
そんなところに真の対立はないという説だと思うんだけど。
637考える名無しさん:2013/06/03(月) 00:35:06.41 O
>>635
そう言われると、確かに『〈子ども〉のための哲学』には、大人を
ニヒリスト(上げ底主義者)、つまり本当は存在しない(少なくとも
疑問がある)価値を疑わず、前提にしてしまっている人々と説明してる
箇所があったのを思い出した。失礼しました。

そことの関係で形式的に考えると、『哲学の密かな闘い』87頁には、
「究極の価値のようなものは存在しない」というのがニヒリズムで、
それを受け入れずに何らかの価値を捏造するのもまたニヒリズムの変形
であるが、この論文では後者には基本的に触れない、という趣旨の説明が
ある。
なので、永井の言うニヒリズムには多義的な面があることを前提に、
『闘い』収録の論文では『〈子ども〉』に書かれたような上げ底主義
(価値の捏造)の意味でもニヒリズムは基本的に扱っていない、と考えれば、
(さらに言うと『〈子ども〉』のほうの記述では、たんに「価値は存在しない」
という意味のニヒリズムは書かれていない、とすれば?)ニヒリズムの
意味自体は変わっていない、と理解できるかもしれない。

ただ別の点として(これも、同様にニヒリズムの多義性とそれぞれの本の
扱い方の違いに由来してるだけの話かもしれないが)、「子ども」の意味は
変わってるのかもしれない、と気になった。
子どもは、大人が捏造する価値を受け入れずにいろいろ疑問を持つ、
ということはするだろうが、より積極的に「価値は存在しない」とまで
考えたりするだろうか?
ただ素直に思った疑問を口にし、一方でもし価値があると思えば(別に
大人が認めるような価値でなく、マンガが面白い、でも何でもいいけど)
疑問だの他の可能性だの考えず、ただ素直にそれに邁進するんじゃないか。
(つまり、『〈子ども〉』で書かれた、子どもはニヒリストではないという
点は成り立つけど、『闘い』で書かれた、子どもがニヒリストだという点は、
疑問があるのではないか)
638考える名無しさん:2013/06/03(月) 03:42:07.95 0
>>631>>632
読んでみるけどどういう文脈なのかかんたんに教えてくれると嬉しい
639考える名無しさん:2013/06/03(月) 16:23:47.40 0
デュシャンがじつはソーカルであることも
ってどういう意味?小学生にもわかるように教えてくれ
ググったが、なんの話かさっぱりわからん
別に誰でも良かっただけ?
640考える名無しさん:2013/06/03(月) 21:04:09.73 O
>>638
そんなに興味があるんだったら、人に聞かず自分で読めよw
逆にいうと、(そもそもなぜ、どんなきっかけで、そんな細かい箇所に興味を
持ったのか(しかも、その本自体は自分で持っていないのに?)知らないけど)
その箇所の「嘘」だとか「ルソー」「ミル」だとかについて、前後に詳しい説明が
あるわけではないから、ちょっと気になったという程度なら、わざわざ買って読む
ほどの意味はないかもしれませんよ。余計なお世話だけど。
むしろ、個人的感想だけど、『倫理とは何か』のルソーやミルの箇所を読むと
いいかもしれない。
641考える名無しさん:2013/06/09(日) 12:33:54.35 0
今日の朝日新聞に永井本の書評がでてるって一瞬思ってしまった
642考える名無しさん:2013/06/09(日) 16:48:43.12 0
読んでる感じ、歴史的には〈子ども〉と〈大人〉というのは、
『〈魂〉に対する態度』の時期に永井思想のなかで前景化された概念だな。
で、ふたつを区別していたのは言語ゲームの熟練度。
この頃の永井はウィトゲンシュタインの言語ゲームの思想に忠実なので、
「言語を正しくあつかうことができれば哲学的問題は消去できる」という見解の延長で、
言語を誤解して哲学的問題を見つけてしまう主体として〈子ども〉を考えていたのだろう。
だから、哲学は病気だし、それが解決されることで〈大人〉になれる、と。
(大人の偽善への気づきが哲学的問題を生み出す、というのは誤読っぽい)
言語ゲームを下支えする何かがあると無垢に問いたてる〈子ども〉はリアリストで、
意味しかないことを沈黙のうちに知っている〈大人〉はニヒリストなのだろう。
具体的な検討は面倒だけど、現在とぱっと見で違う感じは強いね。
643考える名無しさん:2013/06/09(日) 17:49:38.70 0
しかしデュシャンはソーカルでもあったのでは?
作品行為が常に同時にソーカル的でも「ありえざるをえない」ということこそが、
いわゆるポストモダン思想というものですから。
644考える名無しさん:2013/06/09(日) 22:40:59.04 O
>>642
> この頃の永井はウィトゲンシュタインの言語ゲームの思想に忠実なので、
> 「言語を正しくあつかうことができれば哲学的問題は消去できる」という見解の延長で、
> 言語を誤解して哲学的問題を見つけてしまう主体として〈子ども〉を考えていたのだろう。
> だから、哲学は病気だし、それが解決されることで〈大人〉になれる、と。

もしそのように言えるのなら、確かに最近とは大きく考えが変わったことに
なりそうだけど、そんなふうに読めそうな箇所がどこかにあった?
あるとすれば、例えば(子どもともニヒリズムとも直接関係ないが)『翔太と
猫の〜』で、クオリアの逆転とか他人の心とかの問題については、〈私〉の問題とは
別とした上で、擬似問題だという趣旨の説明をしてる点はあると思うけど。
645考える名無しさん:2013/06/09(日) 23:41:20.99 O
『子どものための哲学』には、
「子どもの哲学を解決しても、何か深くなったりよくなったりするのではなくて、普通の大人になれるだけだ」とあるはず。
病気についてはどの本と言わず色んなところで言っている気がするが、
とくに『態度』では、
「ウィトゲンシュタインは自らが徹底的に病人であることで医者でもあることができた」みたいに言っているが、
『誤診』では「ウィトゲンシュタインは病気でないものを病気と診断する病気だった」みたいに言っているので、
対比がきわだつのでは。
646考える名無しさん:2013/06/10(月) 01:18:02.40 P
病人の病気自慢。
奴の方が重篤と思い込むのが一般的
647考える名無しさん:2013/06/10(月) 23:57:14.97 O
>>645
『魂に対する態度』の該当個所は、どこかにあったとは思うけど見当たらなかったけど、
それはともかく>>644で引用した中で特に疑問と思われることを絞ると、

> > 「言語を正しくあつかうことができれば哲学的問題は消去できる」という見解

を、永井が持っていたという部分。
こちらがニュアンスを誤解してるだけかもしれないけど、この見解は、
哲学的問題というのは実は誤解で、言語を正しく理解すれば問題などもともと
なかったことが分かる(よって、問題についてあれこれ考えて議論を積み重ねても
実は無意味である)というような見解に見えるのだけど。
少なくとも〈私〉と倫理という、永井が主に論じている問題について、
永井がそんな見解を持っていたとは、ちょっと思えない。
あるとすれば、繰り返しだけど、例えば以前のクオリアの逆転の扱いなどは、
実は擬似問題であって、「痛み」や「赤」などの言葉がどう教えられ、どう
使われるかをよく理解すれば、そんなことは実は問題にならないことが分かる、
という趣旨の説明をしていたと思うけど。
648考える名無しさん:2013/06/13(木) 10:13:13.07 0
>>643
デュシャンが便器を展示したとき本気ではなかったという意味?
649考える名無しさん:2013/06/13(木) 21:04:18.82 O
よく知らんので適当な質問をするけど、
「著者(作者)が本気で意味のあるものとして書いた(作った)」
とか、逆に
「著者(作者)は実は冗談のつもりで書いた(作った)」
とか、そういう著者(作者)の内心の心理状態によって、文章(作品)の意味が決まる、
という発想が前提になってるの?
650考える名無しさん:2013/06/15(土) 17:45:29.29 0
それはサール・デリダ論争の主題だね
ちょっと前まで圧倒的な人気だったデリダ側の凋落は民主党なみ
651考える名無しさん:2013/06/16(日) 07:55:25.58 0
青色本の奴が結構おもしろかったから他のも読んでみたが、
青色誤診では貫徹されてた「独我論はなぜだか最初からそこにいた人が始める哲学」
ってのが他の本では全く守られてない。
他の本は「常識的な考えから哲学的な考え、それから独我論的な考え」に道案内してる
ような書き方でイライラするわ。
そんな道はない、スタートとゴールに閉じ込められて外に出れないのが独我論だろ。
独我論まで丁寧な道案内なんてものはないってことは本人自身よくわかってるのに、
青色誤診以外じゃ全く守ろうとしてないのはきったねぇ職業病としか言いようがない。
高階の神とか言ってるけど、独我論じゃ最初からその神以外の概念なんかねーよ。
他の神なんて想像もできないのに高階なんてつける意味がない。
永井本人ですらそう思ってるのに、きもちわるい「歩み寄り」的に、通俗の神から
話題に入るってのが反吐が出る。キリスト教で他人の事で祈るときは、他人に向かって
祈るんじゃなくて神に向かって祈れってのがあるけど、あれはこの独我論の神の事を
言ってるからに他ならない。
652考える名無しさん:2013/06/16(日) 07:57:07.59 0
ウィトゲンシュタインはキリスト教の気に入らないところは無視して好きなところから読んでて
キリスト教のことは尊敬してたけど、永井は少しでも気に入らないとこがあれば全否定って感じ
なのにすごい違和感がある。要するに哲学に関しちゃ「俺の哲学」って言ってまで良いもので
あることを保とうとするけど、宗教に関しちゃそういう補正を一切行わないって言ってるだけじゃん。
俺はこの高階の神が宗教の神だと思ってるし、天地創造の意味がわからなくても気にならないよ。
興味があるとこだけ吸収してるだけだもん。それは永井が哲学でやってることと何も変わらない。
世の中の宗教徒が糞ゴミにしか見えなくても、そんなの俺が考える宗教となんの関係もない。
って言ってもバカバカしいと思ってたところをウィトゲンシュタインやアウグスティヌスの説明を
通して見ると目から鱗でしたって事はなんどもあるけどね。奇跡とかさ。
653考える名無しさん:2013/06/16(日) 13:08:29.92 0
お前の脳内永井の話をここに書き込まないでくれw
「独我論はなぜだか最初からそこにいた人が始める哲学」って何ですか?w
654考える名無しさん:2013/06/16(日) 17:54:09.38 0
永井は俺にとっては神様だなw
永井の独我論(というかその応用の倫理学の方だけど)を読んで以来、人が嫌がるが俺に利益があることを躊躇なく実行できるようになってきた。
ただし永井が独我論に誘導しているとは思っていない。むしろ独我論の正しさは決定不可能であることを語っているんだろう。
でも俺のQOLは上がったし、永井さんマジで感謝してますよ!w
655考える名無しさん:2013/06/16(日) 20:10:03.04 P
基地外誕生。歴史は繰り返すか。金川真大二世。w
656考える名無しさん:2013/06/16(日) 20:21:59.04 O
>>651
どういう理解の仕方をしたのかよく分からんけど(もし、必ずしも永井自身の
文脈に忠実に理解しようとしたわけじゃない、と確信犯的に言うのなら、
それも自由ではあるけど)、ここは永井スレなもんで一つ見逃せない部分を言うと、

> そんな道はない、スタートとゴールに閉じ込められて外に出れないのが独我論だろ。

少なくともここは永井の議論とは全く違うように見える。
一方で「私はある意味で全く特別だ」と言えるように思えるが、しかしもう一方で
なぜだか他者たちも同じように言えてしまう。そして、全く特別だと言えるはずの
ものだったのに、なぜだか全く平等な「個人」だという理解が成り立ってしまう。
これは一体どういうことなのか?…というのが永井の議論なので、「外に出れない」
なんて話はない。
(あるいは>>651は「外に出れない」という表現に、私が想定してないような
ニュアンスを込めてるのかもしれないけど、すまんけど全然分からない)
あるいは『誤診』で紹介・説明されてるウィトゲンシュタイン的独我論を
貫いてる人なら、「他人の「痛い」という意味など全く分からない」という観点から
一歩も出ようとしないのかもしれないけど、永井は別にウィトゲンシュタイン的
独我論を貫いてるわけではないからね
657考える名無しさん:2013/06/16(日) 22:12:17.05 0
永井は永井が「ウィトゲンシュタイン的」と呼ぶ独我論にはもちろん否定的だ。
そもそも永井は「独我論」というものに否定的だ。
658考える名無しさん:2013/06/17(月) 08:28:15.53 P
永井の「ウィトゲンシュタイン的独我論」は永井的
だから、仮想論滴の論に批判的であるのは仕方ない

残念ではあるがw
659考える名無しさん:2013/06/17(月) 23:37:19.30 0
意味不明
660考える名無しさん:2013/06/28(金) 15:40:15.26 0
ブラックジャックで、L.Wの独我論の表現を取り上げて、
彼が賛成してたか反省してたかどうでもいいとか言ってるが、
全然どうでもよくないだろ…
ウィトゲンシュタインが本気で言ってないならこの表現に何の意味もない。
小手先の器用さでこの表現を取り上げたなんて前提に立ったら全てが崩壊する。

文庫版あとがきで問題を第三人称的に捉えないでって言ってるが、
賛成か反対かどうでもいいなんて事は第三人称的にウィトゲンシュタインが
発言したって事じゃねぇか。そうじゃなかったからウィトゲンシュタインは
おもしろいって青色本の誤謬の作者は言ってんだけどなぁ。
ブラックジャックの作者は余計な外部の視線を気にして下らない事を言いすぎ。
それが哲学的な鈍さにっながってJ君しかおもしろくない。
私今神の作者も前半酷かったが、後半(2-7)からはおもしろかったな。
661考える名無しさん:2013/06/28(金) 15:49:33.72 0
ブラックジャックにはJ君のレポートがないんだけど、
ある意味でこれ以降の作者の本がかなりJ君的だから我慢できるw
662考える名無しさん:2013/07/01(月) 14:05:26.57 0
哲学は議論の可能性の提示だから、
その議論に当人が「賛成」しているか「反対」しているかはつねに「どうでもい
い」。
というかそもそもそんなことを問題にする視点そのものが存在してない。
当然のことながら、賛成なんかしていなくても哲学的にはきわめて本気で語って
いる。
それがすなわ「思想」と対比される際の「哲学」の意味。
(もちろん私は以上の言説をもまた「哲学」として語っている。)
663考える名無しさん:2013/07/02(火) 20:31:50.12 0
アー言えば橋下
664考える名無しさん:2013/07/08(月) 13:28:54.76 0
哲学においてはデュシャンははつねにソーカルでもあるということ?
665考える名無しさん:2013/07/13(土) 19:44:53.52 0
永井の「主張しない」って
マリーアントワネットが「パンなんか食べない」
って言うのとなにも変わらないよね

そもそも主張って存在やイス取りゲーム、発言権、呼吸権を
巡る争いで勝ち残ることであって、勝ち残ったあとなにかを
言うことなんてどうでもいいことにすぎない

この意味でなにも主張しない人間は幼稚園も卒業できない
成人する前に確実に殺されるだろう

そういう主張のイス取りゲームの頂点の一つである大学教授が
なにも主張しないって言い張るとか、何かを無数に殺しながら
自分が成り立っていることに 無 自 覚 なのをアピール
してるだけでしかないし、すごい気持ち悪い

日本人が無宗教なのとソックリだよ 信じるとか信じないって
議論自体を許さないほど狂信的ってだけなんだよね
無宗教なんじゃなくて無自覚なだけ その無自覚さに依存して
武器にしてすらいる
666考える名無しさん:2013/07/14(日) 00:46:54.90 0
良く分からんけど
「主張しない」って主張してんじゃねーの?

その辺の市井の親父は「主張しない」とも言わんがな。プ
667考える名無しさん:2013/07/14(日) 17:41:32.17 0
ダウト プ
668考える名無しさん:2013/07/14(日) 19:22:49.66 O
>>665
> そもそも主張って存在やイス取りゲーム、発言権、呼吸権を
> 巡る争いで勝ち残ることであって、勝ち残ったあとなにかを
> 言うことなんてどうでもいいことにすぎない
文字どおりに取ると、例えば、永井が論文を発表したり本を出版したり
等々の方法で大学教授の座を勝ち取ることと、大学の責任者に賄賂を送ったり
他の教授候補者を毒殺したり等々の方法で大学教授の座を勝ち取ることとは、
どちらも、争いを「勝ち残る」ための「主張」であることには変わりがなく、
大学教授になる前に、あるいはなった後にどんな論文、本を書いたかは
「どうでもいい」ということになるの?
ずいぶん極端なご見解をお持ちですね
では、そのようなご見解からは、永井の議論を、さらには一般的に
他人の「主張」なり何なりを批判する根拠は、何かあるの?
「勝ち残り」さえすれば後は「どうでもいい」というなら、まあ、結局、
何を言ったってどうでもいいんでしょ?
669考える名無しさん:2013/07/15(月) 14:19:41.55 0
馬鹿に反論するとなおさら馬鹿になるから注意。
「主張しない」というのは、主張でない(解説等の)文脈においては、ということでしょ?
ぜんぜん当たり前のこと。
たとえば、「P→Q」と主張しているとき、PもQも主張していない。
というような当たり前の話がわからない人がたまにいるからね。
フレーゲなどはそのために「主張記号」を別に用意したわけだ。
670考える名無しさん:2013/07/15(月) 15:18:23.08 O
永井って大陸哲学側からも分析哲学側からもそれなりに触れてもらえてて、
結構おいしいポジションだな。
671考える名無しさん:2013/07/15(月) 22:22:07.09 0
>>669
馬鹿ハケーン♪尚更ことさら馬鹿になったしと♪
672考える名無しさん:2013/07/15(月) 22:24:24.28 0
ちょっつ理解不足だけれど
永井の哲学って 主観の枠から離れられんって 矛盾じゃねーの

合ってんだけど 自己否定的で 黙るしかねーわな
673考える名無しさん:2013/07/16(火) 18:57:46.79 0
>>669
P→Q と ト(P→Q) とはどう違うの?
あと、
ト(トP→トQ) ということもありうるの?
674考える名無しさん:2013/07/19(金) 10:07:23.53 0
>>673
P→Qか?と問うことも、P→Qせよ、と命ずることもできるのだから、
それらがP→Qと主張することと違うことは自明。
また、括弧内の主張がありうるかどうかは、まさに「累進構造」の問題だろう。
675考える名無しさん:2013/07/23(火) 20:43:35.37 0
累進構造ってそういう問題なの?
676考える名無しさん:2013/07/27(土) 17:37:25.27 0
>>675
一番外側の主張を現実性と取ればそうなんじゃない?
677考える名無しさん:2013/08/05(月) 11:38:17.29 0
哲おじさんと学くん読んでる人いる?
678考える名無しさん:2013/08/05(月) 12:45:47.31 O
だいたい読んでるけど、日経を定期購読してるわけじゃないので
たまに買い損ねるw
679考える名無しさん:2013/08/05(月) 19:19:57.90 0
面白い?
680考える名無しさん:2013/08/05(月) 21:23:20.67 O
>>679
個人的には、今のところまだ何とも言えない。
今のところは、これまでの本で書かれていたことの確認のような内容が
多くて、新しい内容はまだそれほど出ていないように思われるので。

例えばしばらく前に「いわゆる帰納の問題と、私の存在の問題は、実は
同じ種類の問題だ。後で論じる。」という趣旨のこと(だと思う)が
書いてあって、へえ、と思った。そういう話が出てきたら面白いんじゃ
ないかと。

いや、すでに、道徳などに関して新しい議論が始まってるのかなあ?
681考える名無しさん:2013/08/06(火) 11:03:35.39 0
しばらく前に、
「いわゆる帰納の問題と、私の存在の問題は、実は同じ種類の問題だ。後で論じる。」
という趣旨のことが書いてあって、
今まさにその話が論じられている真最中だよ。
682考える名無しさん:2013/08/07(水) 14:35:51.96 0
途中でなんだけど、
倫理とは何か?って冒頭からまったく言ってることに納得できないや。
?ばっかの文章だ。自分は永井的倫理に興味がないのかもしれないな。
じゃ、つづきをどうぞ。
683考える名無しさん:2013/08/07(水) 17:34:27.26 0
俺は逆に『倫理とは何か』だけはすべて納得できた。
倫理関係の他の本は例外なくまったく納得できないけど。
684考える名無しさん:2013/08/10(土) 18:41:34.54 0
哲学の密かな闘いが届いて、これから読むのだが、
カバーのザラザラ感が嫌だな。指の腹の肌理が刺激されてジクジクと痛くなる感じが。
高めの本なんだから、もっと手触りの良いカバーにしてほしかった。
685考える名無しさん:2013/08/11(日) 18:17:54.59 0
日記に毎日「今」と書いていくと、この今は全ての今に反対される。
日記に毎日「私」と書いていくと、この私は全ての私に賛成される。

こんな風に良く言ってるけどさ、この人の問題意識って
日記に毎日私と書いても今の私以外とは同じとは言えない、
ってのが出発点なわけじゃない?
なんでわあわざ「一般的には」同じって話から入るのかがマジで理解できない。
もっと言えばわざわざ今と私を分ける意味もわからない。
問題意識から考察に入っていくなら私は今の私だし、今は私の今だ。

もっと言えばこの人が別々の所から論じたものを後になって類比とか言って
「似てるでしょ?」ってよくやるのもマジでわからない。
元々同じものを無理矢理に分けて置いてほら似てるでしょ?ってマジキチとしか思えない。

問題意識から考察に入るべきなのに、問題意識を飛び越えた後逆向きに
考察に入ろうとするのが本気で理解できない。
686考える名無しさん:2013/08/12(月) 11:24:27.50 O
>>685
例えば時間との関係(その中でも過去との関係のみ?)では記憶というものがあるけど、
他人との関係ではそんなものはない、という点は、どのように考えるの?
そのように、時間と他人とはどこが違うか、どこが共通しているか、というのを
細かく論じてるのが最近の本だから、単に同じだろうと言われても、具体的に
どこがおかしいというのかよく分からんのですが。
もちろん、「細かいことを検討してもやはり同じだ」という観点から、具体的に
批判できるというなら、それは大変有益な批判になるんじゃないかと思いますが。
687考える名無しさん:2013/08/12(月) 16:17:13.03 P
校庭にちょっと凸凹している土俵を掘り描いて
相撲を取り始めるのはいいのだが、
相撲の最中に足蹴にしたりして土俵が掻き消されて
傍目からみると、何やってたの? という後読感だけが
残るっていうこと、よくあるよね。この人の場合
688考える名無しさん:2013/08/12(月) 21:23:47.76 0
過去との関係では記憶というクオリアを保持できる関係があるのに、
他人との関係ではそのようなものがなく文字通り隔絶している、
という違いは確かに非常に大きい。
しかし、
日記に書いた「私」は同じ人を指示し続けるのに「今」はそれぞれ違う時点を指示するのに対して、
一緒にいる人々が語る「私」はそれぞれ違う人を指示するのに「今」は同じ時点を指示する、
という対比はより興味深いものだ。
ともあれ、この二つの事実からから独我論と独今論の根本的な違いが導けることの意義は大きい。
時間と他人とはどこが違うか、どこが共通しているか、
ということを細かく論じていくのが哲学なのだから、
685はそもそも哲学的思索の段階に達していないのではないだろうか。
689考える名無しさん:2013/08/13(火) 00:06:50.33 0
「真に隔絶していたら、隔絶しているのかどうかもわからない」ってところがキモだろ
690考える名無しさん:2013/08/13(火) 07:42:48.34 0
そんなところはキモでもなんでもない。
691考える名無しさん:2013/08/13(火) 09:34:53.08 0
「真に隔絶しているはずなのに、なぜか言語が架橋してしまっている」ってところがキモだよ。
この議論ではね。
692考える名無しさん:2013/08/13(火) 09:47:01.07 0
>>688
いや、そもそもが、「私」と「今」の概念は違うのだから、
この二つの「どこが違うのか」とか「似ている所はどこか」とか言われても、
そんなのは、そもそもからしてナンセンスなんじゃないかと。

「私」と「今」が、どのような「関係」にあるのか、と問うのなら
それは哲学的だと感じるし、哲学として興味があるけど。
693考える名無しさん:2013/08/13(火) 15:01:29.03 0
>>691
「架橋してしまっているような気がする」だろ。
さすがにキモがわかっていないだけあるw
694考える名無しさん:2013/08/13(火) 15:26:23.72 0
罵倒で懸架しなくたっていいのに
695考える名無しさん:2013/08/13(火) 15:31:11.18 0
だから、「言語で意図が伝わったような気がするだけ」だっての
696考える名無しさん:2013/08/13(火) 15:48:11.30 0
>>691よりも>>689の方がちょっと深い気もするが、違うのか・・・
違うのだったら、お前はキモが分かっていないと俺のことを罵倒してもいいよ
697考える名無しさん:2013/08/13(火) 15:52:13.44 0
俺は「自分が正しいと思っていること」を書いているだけで
罵倒が主目的なわけじゃないよ
草を生やしてしまったせいで、罵倒色が強くなってしまったのかもしれんが
698考える名無しさん:2013/08/13(火) 15:55:45.41 0
「論争」や「解釈」ではなく、哲学的と言われるやり取りをする際においては
「自分が正しいと思うこと」しか書けんと思うよ
それが、「より攻撃的に表現されてしまう」ということはあるかもしれんが
699考える名無しさん:2013/08/13(火) 15:59:38.90 0
ここは頭いい人達が集まってるから、
ひと暴れしたら疲れて落ち着くでしょ
700考える名無しさん:2013/08/13(火) 16:17:07.24 0
>>696
言語を習得していなければ、「隔絶している」という地点にすら到達できないわけであって
なかなかややこしいものよ
701考える名無しさん:2013/08/13(火) 16:27:22.38 0
自分で自分の意図が分かっているのかも怪しいもんだし、
精神分析は言語と意図のズレを扱っているし、
言語は架橋や隔絶よりも差異を生み出しているのでは
702考える名無しさん:2013/08/13(火) 17:18:10.59 O
「意図」などというものが、「私」や「今」の話に関係するの?
例えば「私だけが唯一特別だ」とか「こいつだけが私であって他人は私ではない」
と言った時、どんな「意図」があって、それが伝わった気がするとかしないとか
いうのは、どういうことを意味してるの?
703考える名無しさん:2013/08/13(火) 20:51:22.50 0
売れる哲学書を書くため動機は意図。
私、今はネタ。印税がビジネスの評価結果。
704考える名無しさん:2013/08/13(火) 23:43:59.15 0
こちらの意図がどうかとは無関係に、「罵倒」として伝わったわけだろ
だから「伝わったような気がするだけ」と書いたのに
哲学頭が弱いなあw
705考える名無しさん:2013/08/13(火) 23:54:31.34 0
言語が意図を乗せようとしていないのならば
言語で何をしようとしてるんだろうかね?
706考える名無しさん:2013/08/13(火) 23:54:32.66 0
見透かされていることを
そんない怖がらなくてもいいのにw
707考える名無しさん:2013/08/13(火) 23:57:07.64 0
この流れで「見透かす」と言い放つセンスは凄いwww
708考える名無しさん:2013/08/13(火) 23:57:43.66 0
そりゃ、すごいさ
709考える名無しさん:2013/08/14(水) 01:07:12.63 0
せっかくリアルタイムでノンセンス漫才ゴッコできるかと思ったら
相方のツッコミちゃんに逃げられちゃったよ。ツマンネ。

そんなに怖がらなくてもよかったのに。
710考える名無しさん:2013/08/14(水) 05:37:03.34 0
独我論者の独我論的でない言説のダブルスタンダード性をどう考えるかだな。
よくある独我論者の言い訳や屁理屈を回避してどう整合性を保つのか。
711考える名無しさん:2013/08/14(水) 11:48:04.80 0
独が論者的には、「そもそも独我論的ではない言説など存在しない」ってことだろうな
712考える名無しさん:2013/08/14(水) 14:34:09.66 0
独我論者から言わせてもらうと、独我論者など存在しないんだよ。
713考える名無しさん:2013/08/15(木) 15:37:30.90 0
そこまで徹底しちゃうと、独我論者じゃなくて独我者だろ
714考える名無しさん:2013/08/16(金) 14:53:01.63 0
きみの独我論を見せて、ぼくの独我論はこれ、と見せ合う毒蛾ロンカードゲーム
ついに日本上陸
715考える名無しさん:2013/08/16(金) 18:57:07.47 0
ところで、永井先生は既婚なの? 子供いるの?
家族的な話ってほとんど無いのでは?
716考える名無しさん:2013/08/17(土) 08:20:45.43 0
独我論とか他人に言って恥ずかしくないのは10代まで
717考える名無しさん:2013/08/18(日) 14:28:52.33 0
日経新聞の日曜版にこの人のコラム載ってるんで見てるんだけど

この人ってアホだと思うよ。
自分で何が間違いかも理解できてない。

論理って確かなものを積み重ねて行く行為なんだけど、この人ってそれが全くできてない

この人を信奉してる人がいるのかどうか知らないけど、もしいるなら君はあんまり頭が良くないからこんな戯言にお金と時間を使わずに別なことしたほうがいい。
718考える名無しさん:2013/08/18(日) 14:37:05.02 0
>>688
この文だと1行目から論理が飛躍してる。2行目でも当然破綻してる
だから読む意味がない。全部間違い
0点

人文系っていうか妄想ポエム系の人達は論理がメチャクチャだから数学の勉強とかするのお勧め。
719考える名無しさん:2013/08/18(日) 14:51:41.11 0
>>688
もっと正確に書くと
> 過去との関係では記憶というクオリアを保持できる関係があるのに、
> 他人との関係ではそのようなものがなく文字通り隔絶している、

これ論理の飛躍。
そのようなものっていうのは文章の流れからいうと「記憶を保持できる関係」もしくは「記憶というクオリアを保持できる関係」になるわけだが
他人との関係において本当にそれがないか?
他人との関係において記憶を保持できない
病気?

他人との関係においての記憶を保持できないって病院で言ったら精密検査勧められるよ。

もしかして、他人の記憶は保持できないって書きたかったけど国語力がなさすぎて書けなかったのかな?
もしそうなら、もうちょっと主語と述語を意識して、正確でわかりやすい文章を書くこと。
720考える名無しさん:2013/08/18(日) 15:10:30.58 0
別にどんな主観的な意識を持とうが妄想しようが自由だから勝手にやればいい
ただ日本語と論理だけはしっかりしてないとなんの意味もない。
論理がしっかりしてればただの感想文だろうけど、感想文として意味はある。

要約すれば数文字で済む事は数文字で言えばいい。
この永井って人でいえば、「私っていう感覚って不思議だね」でおしまい。
雨が降るのも不思議だし、腹がへるのも不思議だし、ニートが戯言唱えて妄想世界に逃げ込んでるのも不思議な現象だよな。
不思議なことっていっぱいあるから。
721考える名無しさん:2013/08/18(日) 15:30:58.58 0
頭は飛びぬけて良くないのかもしれない。
不必要だと感じることに拘泥する話の運び方に反発を感じる。
根本的なところでの勘違いから彼の哲学が出発しているのではないか、という感じがある。
概念が不正確な気がするが、彼の独特の解釈かもしれないので読者は我慢しなければいけなくなる。
それなのに僕が彼のものを読んでしまうのは、この路線でとことん行ったらどうなるか興味があるので。
722考える名無しさん:2013/08/18(日) 16:09:40.26 O
>>720に対する数文字の感想
「夏だねえ」
「はーいお薬多めに出しておきますねー」

うーむどちらが的確かな
確かに数文字で表せることなら的確に表す能力は重要だ
723考える名無しさん:2013/08/18(日) 16:36:38.39 0
>>722
学術的な論文ではまず結論から先に書く。
これが基本。
724考える名無しさん:2013/08/18(日) 16:55:00.03 0
この永井って人の感想文が好きな人は読めばいいと思うけど
こんなものが哲学っていうなら哲学ってただの日記の回し読みと変わらんね。

例えば意識とか自我に関して
なぜ生物には意識が存在するのか。
植物にも単純なレベルでの意識が存在するからこそ奴らは太陽に向かって花を拡げる。
犬だとかキリンだとかの動物にも当然意識は存在する。
なぜかといえばそれが進化の過程での淘汰を通過したからだという説が最も有効で
つまり意識という概念を持たない生物も並列して存在したがこちらは淘汰されるか種を増やせなかったということ。
例えば
ライオンを認識しないカモシカとするカモシカがいたとして、ライオンに食われるのは認識しない方のカモシカだ。
カモシカがライオンを認識するには脳のある種の構造が必要であり、その構造の結果がライオンを認識する。
ライオンを認識するということは自分とは違う(もちろん他のカモシカとも違う)という認識が存在するということ。
これが自我。
つまり生物が進化の過程で獲得した脳のシステム。
このおっさんはそれがすごいなあって言ってるにすぎない。
このシステムが不思議だな、すごいなって感想を持つことは止めないが、で?って話。

確かにすごいよね、生物とは生命とは進化とは本当に神秘的だよね。
で?ってこと。
725考える名無しさん:2013/08/18(日) 17:09:01.92 0
少なくとも日経のコラムの文章は呆れるほどアホ丸出しなんだよね。
対話形式で多分自分が書いてるんだろうけど、素晴らしい!よく気づいたな!とか自画自賛してんのw
バカかっつうのw
じゃあ塩なめてしょっぱいことにもよく気づいたなって自画自賛しとけよバカっていう。
バカだから自我くらいしか不思議に思えないんだろって
バカだからそれを特別視しちゃうんだろってこと。

この世は不思議なことだらけ。
科学ってのはその不思議を理性で解明しようって試みなわけ。
それは他の人間にありがたいんだよ。その結果、いい薬生まれて頭痛が消えたりするからなw
でもこのおっさんが書いてるのはただの感想文なんだよね
いい年して感想文書いてちゃいかんだろってこと。
読むやつがいるから書いてそれで食ってる奴が生まれちゃうんだよ。
こんなものくだらないって誰かがきちんと指摘する必要があるんだよ
じゃないとそれがわからない頭の弱い人たちが騙されちゃうから
726考える名無しさん:2013/08/18(日) 17:13:13.47 0
需要があるのだから
そこまで言うこともなかろう
727考える名無しさん:2013/08/18(日) 18:51:36.93 0
独我論市場分析による販売予測w
728考える名無しさん:2013/08/18(日) 20:33:42.36 0
日経のコラム読んでアンチになった人が湧いてるの?
729考える名無しさん:2013/08/18(日) 23:54:28.84 0
意識ってのは、とりあえず推論により概念上「ある」とされているだけで
自然科学でもどう手を付けていいかわからん状態なのに
凄い奴が現れたもんだな
730考える名無しさん:2013/08/19(月) 00:39:53.07 O
そうだなあ、まずは「意識」とは何なのかを、きちんと説明してもらうのが
いいかもしれないな
>>724のような粗雑で長ったらしい文章ではなく、数文字でなw
731考える名無しさん:2013/08/19(月) 15:50:40.01 0
識我悟不独、天之道也
732考える名無しさん:2013/08/20(火) 08:51:42.91 0
対話形式で書いてある本は確かに鬱陶しいなw 擬人猫が出てくる奴とか。
それ以外はなかなか良い。たんなる感想文といえなくもないが、
最初から社会の役に立つつもりで書いてないだろうし、
たしかに需要があるからいいんでない?
733考える名無しさん:2013/08/20(火) 09:17:41.11 P
独我論殺人者 金川真大の愛読書が「子どものための哲学対話」。永井哲学の信奉者。
2013年3月21日死刑執行。こんな「需要と再生産」もあるんだぜorz

===
2009年6月3日に行われた第3回公判の被告人質問での弁護士とのやりとりが紹介されている。

──殺人の善悪は?
金川 善悪自体存在しません。
──あなたにとって殺人と近い出来事は?
金川 例えば蚊を殺すこととか。
──殺人と蚊を殺すのは同じなのか。
金川 はい。
──亡くなった人の周囲の人はどんな思いか。
金川 悲しくなるでしょう。
──あなた自身理解できるのか。
金川 常識を使って出した答えです。
──常識を取っ払ってしまうと悲しみは?
金川 感じません。ライオンがシマウマを食べる時、何か感じるでしょうか。
──亡くなった人はシマウマと一緒なの?
金川 そうですね。
──亡くなった人の苦しみや怖い思いについては?
金川 どうでもよいことですね。
──常識を取っ払って善し悪しの存在しない状態で今回の事件を起こしたのか?
金川 はい。
──死刑については?
金川 つまらない社会で生きるなら死んだ方がまし。
──そのために人を殺すというのは苦痛ではないのか。
金川 別に。
──なぜ?
金川 善悪が存在しないから。

http://jijinews777.seesaa.net/article/324792948.html
734考える名無しさん:2013/08/20(火) 09:21:47.20 P
2013年3月21日 → 2013年2月21日
735考える名無しさん:2013/08/20(火) 10:17:30.08 0
>>732
俺は対話形式の擬人猫が出てくる奴が好きだ。
インサイトもいいがアインジヒトが最高と思う。
全部単なる議論なのでじっくり読まないと言っていることが分からないという難点はあるが。
(ある個所で主張されていたことが何ページも後で明白に反論されていることがよくある。
 それが面白いとも言えるけど。)
736考える名無しさん:2013/08/20(火) 12:20:37.05 0
732ではないけど、
やはり対話篇ではなく論文を読まなければ話にならないと思うぞ。
新しいものなら『密かな闘い』の2章,4章,5章,6章あたり。
永井の本来の主題は、〈私〉や〈今〉や〈悪〉ではなく、〈存在〉だから、
これを後から逆に読んでいった方が根本の論旨がよく理解できる。
アインジヒト編も悪くはない(面白くはある)が、
この流れの中での4章を読まないと哲学的ポイントは理解できないのではないか。
737考える名無しさん:2013/08/21(水) 09:21:15.90 0
「後から逆に」とは6章,5章,4章,2章の順番に、ということ?
あと、7章、8章は? 
野矢批判だから重要なのでは?
738考える名無しさん:2013/08/21(水) 15:49:20.40 O
>>737
横からだけど、別に「野矢批判だから重要」なんてことはないだろw
私的言語というものについて、より詳しく説明してあるようなので、
(今までの本よりは、私にとっては)勉強になったけど、まあ議論全体の
本筋からしたら細かい話になるのかなあ?
739考える名無しさん:2013/08/21(水) 22:13:31.47 0
>>725
>素晴らしい!よく気づいたな!とか自画自賛してんのw

これは笑える。「素晴らしい!」が嫌味であることも気づかないとは!

>じゃあ塩なめてしょっぱいことにもよく気づいたなって自画自賛しとけよバカっていう。

塩がしょっぱいことは「言える」ことの典型じゃないですか。それがここでの論点ですよ。

>バカだから自我くらいしか不思議に思えないんだろって

「自我」なんて問題にもされてないよ。主題は言語。つまり、何が「語りうる」ことか。
伝統的には、レアリテートとアクトゥアリテートの対立として問題にされてきたこと。

>>724
「自我」もだが、「意識」なんて、論じられている問題とまるっきり何の関係もないよ。
740考える名無しさん:2013/08/21(水) 22:40:43.12 0
6章(「なぜ世界は存在するのか−−なぜわれわれはこの問いを問うことができないのか」)
いま読み終わったぞ! 確かにこれは面白いな、必読だな
しかし、だんだん難しくなっていって、最後はかなり難しい
あと、アンセルムスやデカルトやカントや…、水槽脳の理論やゾンビの理論や…
を知ってないと面白みが理解できないかもしれないと思った
741考える名無しさん:2013/08/23(金) 09:28:36.87 0
Vの付録みたいなところにある「神の存在」の話がひじょうに重要と思った。
たった3ページだから本買わなくても立ち読みできるし。
255頁〜257頁。
742考える名無しさん:2013/08/25(日) 22:54:52.13 0
>>724

で? も糞もないわな

不思議なことは不思議なんだわ
これは感性の問題

言語で掘り出せる現象は ほんのちょびっと

かな?
743考える名無しさん:2013/08/26(月) 10:17:40.10 0
昨日の日経の連載がよく答えていると思った
視力検査表の「サ」が「私には「カ」に見える」
に類するのが言語で語れる種類の主観性(客観的主観性)で
こちらがいわゆる主観や自我や意識の問題だ
これはこれでじゅうぶん不思議な問題なのだけど
それと混同されてきた別の問題を取り出すところが彼の議論
なんだけどやっぱりまた混同されてしまってるみたいだね
まさにそれだから需要があり続けるというわけなんだが…
744考える名無しさん:2013/08/27(火) 09:24:06.21 0
もうすぐ「哲学の賑やかな呟き」っていう新刊が出るね。
東日本大震災とか、ナショナリズムの問題にも触れているらしい。
745考える名無しさん:2013/08/27(火) 13:39:38.14 0
密かな闘いの姉妹編か…。
エヴァとか原発まであるみたいだな。
746考える名無しさん:2013/08/27(火) 15:37:16.68 0
左翼系哲学者みたいな内容だったらがっかりだな
747考える名無しさん:2013/08/27(火) 18:54:52.67 0
なにを左翼と見なすかにもよると思うんだけど、永井均は左翼のほうにシンパシーをもっているよね。
近著「哲学の密かな闘い」の中では、ニヒリズムに徹した上でなお理想のために頑張る左翼のことが好き、と告白していた。

すくなくとも、昨今のネトウヨに見られる"愛国"のあり方にたいして、永井はすごく批判的だし嫌悪している感じじゃないかな??
小林よしのりのこととかを名指しして侮蔑していたのは印象的だった。
748考える名無しさん:2013/08/27(火) 19:17:01.88 i
左翼シンパではないよ。永井の現役入試の時代は
東大闘争で東大入試が実施されなかった翌年のはず。
つまり浪人大杉で東大入試が一番難しかった年。
永井は慶応大の付属高校から慶大文だが、そんな時代背景で
左翼全学連運動については批判的であるばかりでなく大嫌いだ。
とどこかで吐露してる。右でも左でもない自己中心主義だよ

要は自己中w
749考える名無しさん:2013/08/27(火) 20:33:16.50 0
永井のような考えなら、「好き嫌い」は言えても、「何が正しい、間違い」という
議論は成立しないだろ。社会や政治について具体的な発言はしようがないと思うがな。
(現にしているのを見たことがない。)

「原発が爆発して社会が混乱したり人々が大勢死んだりするのが楽しい」という
人にとっては原発をどんどん動かして事故の確率を上げるのが正しい、ということだろ要するに。
750考える名無しさん:2013/08/28(水) 08:24:26.32 0
左翼だったら嫌だとか
元々アナーキズムにシンパシーとか言ってた人間のスレで何言ってやがるのか
751考える名無しさん:2013/08/28(水) 23:48:43.46 0
無政府主義者は左翼じゃないだろ。
議会でどこに座ればいいんだよ。
752考える名無しさん:2013/08/29(木) 16:05:55.44 0
ヴィッパサナーとか仏教嫌いなんじゃなかったっけ?
仏教の問い自体は哲学的に価値のあるものばかりだけど
その問いに対して坊さんの出した答えが尽く間違ってるって馬鹿にしてたような記憶がある
753考える名無しさん:2013/08/29(木) 18:37:49.46 0
存在論は「色即是空 空即是色」じゃなく「色即是色 空即是空」だからな。
水と油だろ。西田本読めば違和感もろ出しなのがよくわかる。
そこが仏家出の入不二とは決定的に違うところ。
754考える名無しさん:2013/08/29(木) 20:29:29.46 0
>>749
たしかに永井の哲学では、善や正義を支える根底にあるものを全部疑っていくから、究極的には好き嫌いでしかモノが言えなくなると思う。
しかしその一方で、近著「哲学の密かな闘い」で、疑いを抱きつつも理想のために身を投じて戦わねばならない状況もある、ということを認めていた。

まあ、永井がいったい何を根拠に「戦わねばならない」と言っているのかは、結局最後まで謎だったけどね。
彼がそんなふうに主張するためには、なにかの道徳や信仰に依拠しなくちゃいけないわけだし…。
755考える名無しさん:2013/08/29(木) 20:52:55.98 0
小林よしのりのマンガに感化された若者は、それにたよって日本人としての誇りを持つことに「生きる意味」を見出している。
だから、それが歴史的事実の誤りであることを指摘しても、アジア諸国にたいする不正義になると訴えても、彼らを説得することはできない。

…というような論考もあったけれど、永井がここまで熱くなってナショナリズムに批判的なことを書くとは思わなかった。

ただ個人的には、永井が凡百な歴史修正主義者じゃないってことが分かり、そこは安心できたのが良かった。
哲学バカという人種は、ときどき、ネトウヨ並みの歴史認識・人権感覚だったりすることもあるからね。
756考える名無しさん:2013/08/29(木) 21:12:59.09 O
>>749
永井の議論だと具体的な社会制度等々の話にはならないだろう、というのは
そのとおりだろうけど、「それぞれの人にとって、それぞれ正しいと思うことが
正しい」というような話になるかどうかは、大きな疑問だけどね
「私がいいと思うことはいい」という観点(根源的利己主義、という表現で
いいかな)はあるが(そこだけで止まるのではなく、さらに議論が展開していく
わけだが)、それと、「一般的にその人がいいと思うことはその人にとってはいい」
という観点(こちらは普遍的利己主義、か)とは、全く別のものだ、というのが
まずは重要なポイントだと思うんだが
757考える名無しさん:2013/08/29(木) 21:32:06.73 0
>>754-755
いやしかし、本当にそんなことを言っているのなら永井的には不徹底のそしりを
免れないと思うがな。
本来の永井なら、小林よしのりに感化されようとキリストやマルクスに感化されようと
同じことだと断言しそうなものだが。そもそも歴史の事実がどうとか、
昔「なぜ皆が歴史などという教科ををまじめに勉強できるのかさっぱりわからない」
とか言っていた男の言葉とは思えん。
事実に基づこうと嘘に基づこうと、他人に褒められようと批判されようと、
後で満足しようと後悔しようと、そのために人類が繁栄しようと絶滅しようと
「今」「私」が気持ちよいならそれでいいのだ、と断言しなければ筋が通るまいに。
それとも「ナショナリズム」は「何かが正しい」と他人に押し付ける思想で、
反ナショナリズムは「どうでもいい」と個人の自由を重視する姿勢だから、
永井的な思想(というか気風)にはマッチする、ということか。
永井が昔アナーキストだったという話とも符合はするな。
興味深いのは、昔はむしろ左翼の方が「こう考えるのが正しい」と他人に
生き方を押し付ける、ある意味重苦しくうざったい存在だったのが、今の左翼には
もはやそういう力がなくて(単なる異議申し立てで)、むしろ
右翼というかネトウヨ的な考えの方がある種の正しさを押し付けてくる勢力に
なっているということだな。
しかし何であれ、やはり具体的に発言しようとしたら永井ですら何らかの「正しさ」に
依拠して特定の立場にコミットせざるを得ない、というのが、永井的考え方の限界を
示しているとも言えるか。
758754-755:2013/08/30(金) 00:21:25.30 0
>>757
私がさっき書き込んだことは「哲学の密かな闘い」にのっています。
さらっと触れているぐらいだから、量としては多くないですけどね。
次回作ではもっとつっこんだ内容になるのかなと期待w

ちなみに、永井的考え方の限界うんぬん、というのはまったく同意見です。
ただ、それは不徹底さゆえではなくて、たぶん彼自身も自覚したうえで確信犯的にやっているとは思いました。
759考える名無しさん:2013/08/30(金) 01:31:55.46 O
その話って、小林よしのりとかナショナリズムとかいう内容は、全く無意味
とまではいえないかもしれないが、本筋からするとどうでもいいことだと
思うけどね。
本筋としては、まず、今と他の時点とは本当は全然別のものだから、私が
時点を通じて一貫した人間であるとか一貫した人生の意味を持ってるとか
いうことは自明ではない。
また、私と他人とは本当は全然別のものだから、他人を私と同じ個人として
尊重するとか他人に対して道徳的配慮をするとかいうことは自明ではない。
そして、「本当は全然別のもの」という観点から、道徳的配慮に至るためには、
まずは私が一貫した人間であるという捉え方に至って、その後さらに他人を
私と同じ個人として配慮するという捉え方に至らなければならない。
この本筋の中で、具体例として、現在の日本の若者は、そもそも自分が
一貫した人間だと捉えるという段階が大きな課題となっているようで、
小林よしのりはそこに焦点を当てているから、そこを飛び越えて、他人に
対する道徳的配慮とか他人との関係でも正しいといえるかどうかなどと
いう点の批判をしても効果がない、と言ってるんだと思うよ。
760考える名無しさん:2013/08/30(金) 06:18:17.71 0
小林よしのりなんてどーでもいい
それにツマンラン文書のくせに長杉
中学校入り直して作文勉強し直して来いや
761考える名無しさん:2013/08/30(金) 14:33:05.94 0
思わず縦読みしてしまったw
762考える名無しさん:2013/08/30(金) 17:06:35.81 0
だんだん永井さんがフーコーに見えてきた
763考える名無しさん:2013/08/31(土) 19:01:07.63 0
>>759
永井にとって、ナショナリズムも、小林よしのりも、あらゆるネタは自分の哲学を語るための踏み台にすぎないだろうね。
しかし、彼が持論を展開していく際には、小林よしのりの歴史理解はデタラメだしアジア諸国への不正義になる、という「良識」に立脚する。

たとえ本心では興味がなくて踏み台にしているだけだとは言っても、リアルの政治・社会について語るときにこういう良識を前提をとって議論をすすめざるをえないのは、永井自身もやっぱりある種の「正しさ」に依拠しているせいだとは思うかな。
764考える名無しさん:2013/09/01(日) 15:17:41.80 0
今週の日経のコラムもクソバカかよって内容だったわ。
シリアにおける極めて微妙な駆け引き、新興国における資本流出の影響と国内への余波、
原発停止に伴う貿易赤字の膨張、消費税増税における名目GDPにおける実効税収弾性率の信頼性

そんなものが書かれてる新聞でひときわ幼稚なコラム。

私にとっては私しか私が成立しないんだ、とかw

失笑だよ失笑。
ただの言葉の定義をこねくり回してるだけ。中身ゼロ。バカか。
765考える名無しさん:2013/09/01(日) 15:23:59.23 0
これに限らず、この手の輩がどうして下らないってわからんだろう。
基本的に頭が悪いんだろうなあ。

このスレの書き込みみても失笑以外ないわ。
バカしかいないな
こうやって批判しても理解できないんだろうなあ、バカだから。
766考える名無しさん:2013/09/01(日) 15:34:30.09 0
>>759
こういうバカがどんだけバカか例をあげるか。

> 本筋としては、まず、今と他の時点とは本当は全然別のものだから、私が
> 時点を通じて一貫した人間であるとか一貫した人生の意味を持ってるとか
> いうことは自明ではない。

こう言うためには別にものって言葉を定義しなきゃならん。
こいつが勝手に定義しても無意味。

例えば、、こいつが人殺しして、逮捕されて、あの時の私は別ですっていっても刑務所行くからw
わかりますかー?
こういうことが理解できないからお前らはバカだって言ってんの。


> また、私と他人とは本当は全然別のものだから、他人を私と同じ個人として
> 尊重するとか他人に対して道徳的配慮をするとかいうことは自明ではない。

これも全然ダメ。
論理として終わってる。
仮に別のものだとして、なんで他人に配慮することが自明ではないと言い切れるのか?
逆にいうと自明であると言い切ることができるのか?

ようするに、あほ。どーしようもない。

> そして、「本当は全然別のもの」という観点から、道徳的配慮に至るためには、
> まずは私が一貫した人間であるという捉え方に至って、その後さらに他人を
> 私と同じ個人として配慮するという捉え方に至らなければならない。
思い込み。
根拠ないことを決めつけるのはバカ特有だな。
767考える名無しさん:2013/09/01(日) 15:46:01.28 0
>>766読んでアホ特有の曲解されると嫌だから説明するけど
別のもの、というのは言葉の定義なわけだ。
で、それは絶対的なものじゃない。
上の例でいうと、人殺しした奴は殺した時の自分と今の自分は違う、と主張したところで他の人は違う定義を持っているから逮捕するわけだ。
で、逮捕された奴は刑務所にはいってもそれは今の私とは違うから云々って言ってればいいわけ。

結論言えば、全く無意味な事を無駄に言ってるだけ。
中身が全くないことを遠回りに別の表現で言ってるだけ。

バカはバカだからそれが理解できない。
そんで自分は何か高尚で知的な事をやってると思い込んでる。
バカだよバカ。
バカがナルシスティックに「何か学問的な事をしてる気分に浸る道具」としか利用価値ないんだよ
あー気持ち悪い。
768考える名無しさん:2013/09/01(日) 15:56:50.35 0
>>739
ため息出るレベルのアホいるから晒しとくか。

あのさあ、俺は日経のコラムしかみてないし、それ以外読む可能性ゼロだから。
くっだらない。
時間の無駄なわけ。
で、おれはそれを読んだ上でそういう感想を持ってんだよ。
それに対して、それは主題じゃないとかいって逃げても話にならないわけ。

他人に理解されない前提で文章かきたいなら暗号でも書いとけよカスw

あーくだらないね。中身がなんにもないな。ほんとくだらないわ。
769考える名無しさん:2013/09/01(日) 15:59:18.23 0
>シリアにおける極めて微妙な駆け引き、新興国における資本流出の影響と国内への余波、
>原発停止に伴う貿易赤字の膨張、消費税増税における名目GDPにおける実効税収弾性率の信頼性

こういうこと考えて、「んー、俺って大人だなー」と悦に浸ってるんだろ
まあ若い奴にありがちなことだ
770考える名無しさん:2013/09/01(日) 16:06:01.73 0
>>769
はいはいわかってないクソバカくん。

で、君は仕事なにしてるの?
君って何も食べずに生活できる?電気使わずに生活できる?

私とはっていう言葉の定義をしなくても吉野家でお金出せば牛丼食えるよね?
牛丼屋行って、お金とは本来の意味でお金ではない、私から見るお金とあなたのお金は同一ではない、とか言っても帰ってくれって言われるから。
牛丼食わずに、牛丼の存在とはって語ってればお腹膨れる?

でも為替が変われば牛丼屋も変わるよな?そこに務めてる人は失業するかもしれない。
言葉の定義してる場合じゃないんだよ。

経済が高尚とか言ってんじゃない。
こんな下らない言葉遊びしてる奴らはバカだっていってんの。
それに気づけないやつは本当に頭が悪い。そう、頭が悪いんだよ。
もうちょっと広い視野で物事を考えろ
771考える名無しさん:2013/09/01(日) 16:14:35.40 0
アホだなw
「考えているだけ」って時点で大した変わりは無いんだよ。
まあ、若い奴は社会的に意味ある存在になりたがるから頑張れw
772考える名無しさん:2013/09/01(日) 16:20:08.81 0
他人に理解されない前提で文章書きたいなら暗号でも書いとけって我ながらいい表現だとおもう。

ただ、理解されない事を目的とした文ってのもある。
なぜかっていうと理解されないことで自分を大きく知的に見せる効果があるから。
これはシュレーディンガー効果っていうんけど多くの人文系の学術書がこういったシュレーディンガー効果を目的とした実際は中身が何もないいわばハッタリを目的としたハリボテということ。

で、どういうこと?って聞くと中身は何もない。理解されたらそれで終わり。
理解されない間は賢いフリができるからその卑小な自意識にとっては効果がある。
773考える名無しさん:2013/09/01(日) 16:25:00.78 0
>>771
というか私の書いた文章、ちゃんと文章読んでますか?
意味、理解できてます?
ピント外れな返信してるよ、君。
774考える名無しさん:2013/09/01(日) 16:28:12.55 0
若い時は、社会的なことを考えることに夢中になり
中高年になると、身の回りのことを考えることで精一杯になり
死ぬ間際になって、死など自分について考えるようになるものよ
775考える名無しさん:2013/09/01(日) 16:31:37.44 0
>>773
ピント外れというか、ピントが合っていたのに批判的な扱いをしていたのが間違いってところか
経済が高尚じゃないなら、いずれも言葉遊びの域を出ないのは一緒だったな
776考える名無しさん:2013/09/01(日) 16:35:50.12 0
政治経済に目覚めると、自分が偉くなったような錯覚をしちゃうもんなんだよね
777考える名無しさん:2013/09/01(日) 17:05:18.33 0
本当に取るに足らない下らぬ言論相手だと
反応する時間すらもったいなくて素通りしちゃうものなんだが
反論したくなっちゃってる時点で、網にかかってるんだよね
しかも猛烈に反論しているのを見ると、信者の自演が疑われるほどなんだけどw
778考える名無しさん:2013/09/01(日) 17:44:03.30 O
>>766
はーいお薬多めに出しておきますねー
最近また暑くなってますから頭をよく冷やしてくださいねー
779考える名無しさん:2013/09/01(日) 21:48:42.57 0
>>749
>永井のような考えなら、「好き嫌い」は言えても、「何が正しい、間違い」という
>議論は成立しないだろ。社会や政治について具体的な発言はしようがないと思うがな。
>(現にしているのを見たことがない。)

定言命法と仮言命法は区別しないとね。
あらゆる価値をうたがっていたとしても、仮言命法的にはいくらでも具体的な
提言はできるでしょう。

>「原発が爆発して社会が混乱したり人々が大勢死んだりするのが楽しい」という
>人にとっては原発をどんどん動かして事故の確率を上げるのが正しい、ということだろ要するに。

そもそもなにかをすることが楽しい(好き)であることから、それをすることが正しいという
帰結がどうしてでてくるのか。
そういうことがいえないということを問題にしているんじゃなかったの。
780考える名無しさん:2013/09/01(日) 23:40:44.17 0
>>745
これだけど、また今までの寄せ集め見たいなもんかな?
エヴァにつてい語ってたことなんてあったっけ。
781考える名無しさん:2013/09/02(月) 17:02:12.10 0
ハルヒとポニョについてなら読んだことあるけど・・
782考える名無しさん:2013/09/03(火) 20:37:45.94 0
>>770
見苦しいからやめんシャイ!

人をバカと言わなけりゃ 自分の主張ができないものを うましかといひます
783考える名無しさん:2013/09/06(金) 20:57:40.31 0
藤圭子に関連して、
昔の「新左翼」には「右翼的」情念があったと書いていた。
藤圭子がそれを象徴していた、と。
784考える名無しさん:2013/09/08(日) 22:56:58.88 0
今週の日経のコラムも、、、酷かったわ。

今日俺は朝からずーーーーーーーーっと働いてたんだよ。
ひたすらひたすら資料を読んで読んで読み続けてようやくこの時間に朝刊を読むという始末。
新聞の最後にコラム載ってるんだけど、なんていうか脱力するんだよ。
ぬるま湯につかってんなあ、っていうか。よくそんな小学生みたいな事を言ってられるねっていうか。
タイトルは他人と共有できない世界
重要な事実は他人とは共有できないのだってなんか勝手に決めつけて語ってんだけど、あんたの思う共有ってなに?で話終わりじゃん。
勝手に定義した共有って言葉で勝手に決めつけてるのもバカだと思うし、その思い込みをコラムにしてる時点でアホかと思うんだよな。
その妄想がどんな付加価値を産んで誰のためになるの?っていう。
この人のポエムを買う読者が払う本の代金分の価値はあるんだろうけど。ポエムとしてならわかるよ。ポエムってには内容云々じゃないから
785考える名無しさん:2013/09/08(日) 23:05:54.79 0
この人、日本大学の職員。
ってことはこのポエマーに税金が投入されてるってことだ。
勿論私立大学だから多くを負担してるのは学生、もしくは保護者。
だが私立大学には年間3000億円の税金が投入されている。
ただの詩人なら勝手に路上で売ってればいいけど、この人は税金を得ている。
当然、批判、批評を受ける立場にある。

税金使ってこんな幼稚な妄想垂れ流してるってどうなの?
くだらないものをくだらないって言えないからこんなもんが蔓延るんじゃないのか?
こんな人に税金使う位なら福島に使った方がよほど良い。
ポエム書きたいならチラシの裏に書いてろよって
786考える名無しさん:2013/09/08(日) 23:10:59.02 0
キチガイが病院で日経コラム読んでベッドで興奮してる姿を想像してしまう
看護師さんたちが取り押さえにくるんだろなw
787考える名無しさん:2013/09/08(日) 23:12:55.81 0
医師「なんであの患者に日経を与えた!」
看護師「いえ、隠してたのですが・・・ゴミ箱から見つけてしまったようで」
788考える名無しさん:2013/09/09(月) 00:14:48.24 0
どっちもどっち。自己言及乙w
789考える名無しさん:2013/09/09(月) 10:51:36.92 0
日経でも書いているような、
マクタガート・パラドックスとヒュームの帰納法に関する懐疑論を結びつける議論って前からあるの?
あと、今やっているマクタガート・パラドックスを時制でなく人称で再現する議論もだけど
790考える名無しさん:2013/09/09(月) 13:04:38.82 0
>>783
国家(民族)間対立と階級間対立のどちらを優先するかで右翼と左翼を定義していたが、
それはいいとして、
国家(民族)間が情念的で、階級間が情念的でない(合理的?)というのは何故?
791考える名無しさん:2013/09/09(月) 14:00:46.47 0
右翼は自らの個別的共同体を倫理の基礎に置き、左翼は普遍性を倫理の基礎に置くからじゃね
792考える名無しさん:2013/09/09(月) 21:22:59.76 0
究極的な右翼(国粋主義)は「他国の右翼」ということの「意味が分からない」はず、という議論が面白いな
大森荘蔵は「他人が痛い」ということの「意味が分からない」と言っていたが、その国家(民族)版があるという
793考える名無しさん:2013/09/09(月) 23:33:27.61 P
それはむちゃくちゃやろ。
痛みのような個的触感と
愛国心のようなイデオロギーとでは
理解と表現の次元(ルール)が違う。
794考える名無しさん:2013/09/10(火) 08:23:55.79 0
>>789
「マクタガート・パラドックスを時制でなく人称で再現する議論」の方はいつものことでは?
というか逆に始めは人称で独在性がらみの議論をしといて
後から実はそれの時制版がマクタガートのパラドクスなのだと示すというやり方だから

「ヒュームの帰納法に関する懐疑論を結びつける議論」の方は知らない
795考える名無しさん:2013/09/10(火) 13:13:44.27 0
>>793
「究極的な」右翼は他国に「愛国心」が存在するはずがないと考える
なぜなら「愛国心」とは〈我が国〉を愛することで、他国は端的に〈我が国〉ではないから。
そうすると、真の(つまり究極的な)愛国心は「語りえない」ものとなる
つまり「ただ示される」だけのものとなる
その方向性が内在しているという事実が理性化できない「情念」として現れる
という議論だったような
796考える名無しさん:2013/09/10(火) 21:39:06.27 0
>>789
>>794
帰納を懐疑するために今までと今からで断絶を設けるには、今を
並列的な「どの時点にとってもその時点が今」と独在的な「この今だけが本当の今」
の二種に分けなければならないなら
じゅうぶんありうる結合なのではないか
797考える名無しさん:2013/09/11(水) 21:02:18.37 O
そういう話なのだとすると、「断絶」を語ることはできず、内容のあること、
語れることで言う限りは、帰納は必ず成り立つ、ということになるのかなあ?
798考える名無しさん:2013/09/12(木) 04:53:24.37 0
永井は面白いは面白いんだけど、詰めが甘くて穴だらけで厳密性に欠けてて
「これが哲学なんですか?」と聞かれたら「違うんじゃないかな」と答えたくなる
799考える名無しさん:2013/09/12(木) 18:28:56.79 0
>>796
断絶とか帰納とかで何を象徴させたいのかよくわからないんだけどお〜。

たとえばさ、鉄拳のパラパラ漫画に象徴される絵(今の画像)の連なり。
もちろんアニメや映画も絵(今の画像)の連なり。
MPEGは2/3/4のいずれも二枚の像の差分の集積というちょっと違った手法だけどね。
今というのはただただ過ぎゆくだけの何かで、像として定位できたと思った瞬間に
過去の断片でしかなくなってるよ〜な。

2枚以上の像を取り上げて関連づけれるなら、いくらでも物語が描けるけどさ。
帰納とかもただの物語として断絶分離できる像の連なりのような。
物語って結局、像の連なりとして流れ去るだけ。じゃないの?

■鉄拳「約束」
http://www.youtube.com/watch?v=m7VjqC7ToFY
800考える名無しさん:2013/09/12(木) 18:36:16.96 0
>>795,
愛国心って国境の線引きで盛り上がるのが歴史の示すところだよね。今も昔も
ジョン・レノンのイマジンとか、アウグスティヌスの神の国とか。無国境夢想主義とかもあるしねえ。
801考える名無しさん:2013/09/12(木) 18:38:36.93 0
>>798
ウィトゲンシュタインとかニーチェの入門書とか書いてたころは面白かった。
子供向けの入門書とかマンガとかでお茶濁しするようになって以降が面白くない。
突っ込みどころ満載なのはいいけど、次作新作も満載のまま。というのがつまんない。
もう還暦すぎちゃったし。壮大な伽藍建築的なものは望めないのかもね。
802考える名無しさん:2013/09/13(金) 10:40:33.69 0
永井さんは、このごろ世間で出回っているニーチェ本に、どういう感想をもっているんだろう?

よく売れているのは、白鳥春彦「超訳ニーチェの言葉」や齋藤孝「座右のニーチェ」みたいに、
ニーチェを読んで元気を出そう、前向きにがんばろう、っていう自己啓発本ばかりだけど…。


著書「ルサンチマンの哲学」では、たしか"PHPみたいなニーチェ本"を馬鹿にしていたから、やっぱりこういう本はを見下しているのかな??
803考える名無しさん:2013/09/13(金) 10:52:04.60 0
それに最近だと、適菜収みたいにニーチェを売りにして、保守論壇に顔をだしてきたヤツもいるよねw
永井はヘタに口を出して政治のことを語るぐらいなら、ああいうヤツらとガチでバトルしてほしいわ。

そっちの方面でがんばるなら、今までにやってきた研究を活かせそうだし、
専門家として正しい知識を普及するっていう形での社会貢献にもなる。

もはや壮大なモノをつくる気力がないいなら、のこりの人生は次世代の育成に当てるべし。
804考える名無しさん:2013/09/13(金) 21:59:24.81 0
適菜さんって学者じゃないじゃん
805803:2013/09/14(土) 07:50:59.51 0
>>804
適菜は学者じゃないから、あれと論争したところで大した意味はない。
私が「次世代の育成」って書いたのは、適菜などの特定個人を育成してやることじゃなく、永井がああいうニーチェの読み方に釘をさすことです。
まちがいを指摘して正すことこそ、次世代の哲学のために役立ちます。

まあ、もし論争になったらなったで、それ自体が永井ファンの読者としては楽しめそう、って目論見もあるよ。
806考える名無しさん:2013/09/14(土) 11:28:02.28 0
永井均は読みについては一流だね
しかし自分の思想展開についてはいつも穴だらけだよな
807考える名無しさん:2013/09/14(土) 12:02:17.52 0
>永井均は読みについては一流だね

はあ? 
得意分野のニーチェやウィトゲンシュタインとかでさえ日本語翻訳書しか読んでいないのバレバレだろ。
思想展開の限界は翻訳書の語彙の限界。
だいたいドイツ語とか英語でさえ語彙の用語法的ニュアンス話とかほとんど書けていないし。
808考える名無しさん:2013/09/14(土) 14:05:45.04 0
あんま学者を舐めるなよ・・・
809考える名無しさん:2013/09/14(土) 23:27:02.62 0
>日本語翻訳書しか読んでいないのバレバレだろ。
     
オマエじゃないんだからwww
810考える名無しさん:2013/09/15(日) 17:33:25.26 0
今週の日経コラムも失笑

この人って仏教についても何もわかってないのがまるわかり。
無我ってのは元々アートマンの反語。
こいつが言ってるような原子論の否定などではない。

というか、このバカが典型的だが結局曖昧な言葉の定義を各々が勝手にやって悦に浸ってるだけなんだな。

心底くだらないと思う。


こんなバカどもに税金が使われてるってのは大きな問題だ。
811考える名無しさん:2013/09/15(日) 17:38:06.47 0
ニーチェの翻訳書しか読んでないとか、読んでるとか

どーーーーーーーーーーーーーーーーーでも良いから。

言ってる意味わかるか?
おまえらってさ、ようは偉そうにしたいだけだろ?で、何に中身のないものをもったいぶって語ってるだけ。
賢い人が読めばその論理破綻、無内容がすぐにわかる。
ニーチェが有益な事を語っているとしたらそれは何語だろうと有益なわけだ。
違うか?
ペニシリンが有効であるのは、何人にだろうが何語を話そうが変わりはない。
812考える名無しさん:2013/09/15(日) 17:45:33.94 0
いいかカスども。

言葉の定義ってには便宜上やるものであってその事に価値なんてない

この永井ってやつに限らずこの手の文系脳バカがやってるのは
勝手に言葉を造語して、その言葉の定義の解釈を講釈するというバカ極まりない行為なわけ。

言葉というのはその意味が共有されて始めて価値がある。
他人に理解されないことを前提とした造語、理解された途端に価値がなくなる造語、
そんなものはクダラナイ、いやそれ以下のゴミだ。
813考える名無しさん:2013/09/15(日) 17:59:09.00 0
>>812
哲学に対する挑戦か?
814考える名無しさん:2013/09/15(日) 18:02:11.87 0
結論として

1・こんなクダラナイものをクダラナイと断罪できない社会は幼稚だ

2・こんなクダラナイものをクダラナイと理解できない人間は幼稚だ

3・こんなクダラナイものに税金を投入する国家は間違っている

4・この手のポエムはポエムとして扱い、学問ではないとハッキリと分類すべきだ

この永井ってのも典型的だが、バカ特有の言葉の定義の曖昧さが読むに耐えない。

帰納的には、って書いてるバカがいるけどお前の思ってる帰納的の定義を書いてみろ、と。
全然帰納的じゃないから。
ヒュームが言った、ニーチェが言った、そんなもん関係ないから。意味わかるか?
815考える名無しさん:2013/09/15(日) 18:12:51.38 0
このバカは並列的世界像って言葉を勝手に捏造してる

それはこのバカが勝手に決めた言葉なわけだ。
で、その並列的世界像ではない世界像が特在的世界像って勝手に名前をつけてる

幼稚園か?

主観と客観、一人称、三人称、鳥瞰、俯瞰、自意識、似たような言葉はいくらでもあるわけだ。

で、並列的世界像とは、客観的な視点で観た世界像なのだ、と定義する。
なら客観的世界像でいいじゃん?と言うと、いやいや並列的な世界像とは客観的な云々
バカか。くだらん。
そもそも世界が並列的であるわけがない。並列的と認知してるのはお前の主観だろうが。
なら並列的世界像なんて存在するはずがそもそもない。
というようなごく当たり前の事すらバカな永井くんは理解できない。
あーーーとにかくクダラナイ。
816考える名無しさん:2013/09/15(日) 18:17:55.73 0
こういう風に批判すると、言葉尻を捕まえて、お前のいう並列的世界像の認識は間違ってると噛み付いてくるバカがよくいる。
お前が勝手に自分で定義した言葉の認識が違うとかしらねーーーよカスが
おまえのその独自解釈は辞書に載ってんのか?


哲学とは元々

物理学、倫理、論理学
この三つを指す言葉だった。
当然、この永井が書いてるポエムは哲学ではない。ただのポエムだ。
817考える名無しさん:2013/09/15(日) 18:30:50.84 0
くだらん。お次の方どうぞ。
818考える名無しさん:2013/09/15(日) 18:31:35.23 0
>>816
竹田青嗣なんかもそう思っているんジャマイカ
819考える名無しさん:2013/09/15(日) 18:31:43.75 0
ここにいる連中は学者の定義すらわかってないようだな。

学者というのは学問を研究する人。これはOKだな?
では学問とは何か。学問とは、

学問:「体系づけられた知識と研究方法の総称。」

を指す言葉だ。では体系とは何か?

体系:「個々の部分が相互に連関して全体としてまとまった機能を果たす組織体」

独自に造語している時点でそこには解釈の曖昧さが生まれ相互に連関して全体としてまとまる事は不可能になる。
つまり、この永井も当然含めて、こんなポエマーどもは学者などでは決してない。
ただのポエムを書く中年。
820考える名無しさん:2013/09/15(日) 18:36:54.47 0
>>817
小学生レベルの反応だな。
せめて、どうしてくだらないと思うか文字で表現してみたら?

反論したいなら、論理的に、独自解釈の言葉を使わずにやること。

今まで徹底的にこの永井ってやつを筆頭にクダラナイごみを論理的に批判してきた
だが、一度もそれに対するまともな反論はなかったな。
817のような小学生レベルの反論のみ。
821考える名無しさん:2013/09/15(日) 18:36:55.99 0
こいつ年収低そうだしストレス溜まってんだろ
822考える名無しさん:2013/09/15(日) 18:38:35.41 0
ゴミが暴れてるよw
823考える名無しさん:2013/09/15(日) 18:41:51.97 0
810から続いた俺の書いた文章にまともに反論できるやついるなら書け。
まあバカはそもそも理解すらできないと思うが。

まともな反応一つもないなら論破したってことでいいかな

その場合はここにいるアホ連中はポエムを馬鹿面して語ってるって自覚して行って欲しい

それが社会に対するせめてもの責務だからね
824考える名無しさん:2013/09/15(日) 18:44:33.38 0
どうぞご自由にw
825考える名無しさん:2013/09/15(日) 18:47:13.29 0
>>823
永井は日本の哲学界でもたぶん批判的に思われているよ
はっきりいって学者が永井を褒めているのを聞いたことないし
しかし永井がなんでこういう思考をするのかという興味は俺にはあるけれどね
826考える名無しさん:2013/09/15(日) 18:47:50.97 0
819が結論。

ようするに人文系の連中は似非学問でバカを釣ってるだけ
827考える名無しさん:2013/09/15(日) 18:50:59.01 0
>>826
古代ギリシャあたりまで遡って哲学等を否定するのかよ?
828考える名無しさん:2013/09/15(日) 18:51:36.79 0
釣られてるのはオマエw
829考える名無しさん:2013/09/15(日) 20:39:38.06 0
>>827
>816
830考える名無しさん:2013/09/15(日) 20:40:51.28 i
まともな反論ないしもう完全論破でいいなこれ。
831考える名無しさん:2013/09/15(日) 20:47:26.59 O
一行に一回ずつくらい「バカ」だの「アホ」だのという言葉を入れることを
「論理的批判」というのかー
そんな定義は見たことも聞いたこともないんだけど、それって「独自の定義」
とやらにはならないのかなーw
そんなんが通用するんだったら楽でいいけどなーw
832考える名無しさん:2013/09/15(日) 20:54:44.10 O
>>815
> で、並列的世界像とは、客観的な視点で観た世界像なのだ、と定義する。
> なら客観的世界像でいいじゃん?と言うと、いやいや並列的な世界像とは客観的な云々
> バカか。くだらん。

第一、こんなことどこに書いてるんだ?
わら人形論法って言葉、知ってますかー?w
833考える名無しさん:2013/09/15(日) 21:39:31.66 0
>>832
文意理解できない人か。
文意が理解できないのはお前がアホって場合と文章が悪いってパターンがある。
今回はお前がアホってのもあるけど、確かにおれの文章も説明不足だったな。
おれはどこぞのアホどもと違って理解される文章しか書かないから、わからなかったら質問すること。
もっと噛み砕いて説明する。

俺が、永井という奴の文章を読んで、奴が並列的世界と勝手に名付けたものをその文章の流れから、「それって客観的世界と同じ意味だ、なら客観的世界でいいのではないか」、と言う、と。
そうすると永井は、「いやいや並列的世界と客観的世界は違うものだ、私の言う並列的世界とは客観的世界とちがって云々」と始める

で、815の以下の文面に続くわけだ。
って言ってんの。理解できた?

まあ、お前も反論したいんなら中身のある事かけよ。
反論のための反論とかバカ特有だからな。
信奉してた人がこき下ろされて悔しいのはわかるがどう考えてもこの永井は知性が足りない。
というか、人文系全般がくだらないものだらけだな。
834考える名無しさん:2013/09/15(日) 21:43:40.52 0
>>833
それって永井と直接議論したってことですか??
835考える名無しさん:2013/09/15(日) 21:48:49.20 0
俺も同じ疑問もったんで便乗で、
日経読んでないからわからないんだけど
>なら客観的世界像でいいじゃん?と言うと
この「言う」っていうのは、永井が日経の中で対話形式の文章を載せているのか、
それともおまえが心の中で思ったことなの?
あと、
>並列的な世界像とは客観的な云々
この「云々」のところにはどんな解説が入っていたの?
836考える名無しさん:2013/09/15(日) 21:55:28.59 0
>>835
心の中で思うってこと。
文章を読み、そう解釈すると、ということ。


そもそも、並列とは何か。
並列ってのは、文字通り二つ以上が並んで列をなしているという状況なわけだ。
英語で訳すとパラレルなわけだが、この言葉は、とても主観的な要素が含まれる。
例えば、何かを並列に並べる、何かが並列にある、という言葉は、そこに整然とならんだ列を想起するわけだ。
つまり世界像が並列であると判断している時点で世界は並列ではない(これは永井が言おうとしている幼稚な主体客体論からみても破綻してるということ)。
そして実際に世界は並列ではない。主観的にも客観的にも決して世界は並列ではない。
こんなネーミングしてる時点でおれはこいつに知性を全く感じない。
特在的とか話にもならないアホさ加減で失笑。くだらなすぎる。
837考える名無しさん:2013/09/15(日) 21:59:03.12 0
>>835
後半に答えてなかったからこたえると、云々ってのは永井がいうとか言わないじゃなくて
そもそも、こんな俺の提案を奴が受け入れられるはずがないってこと。

俺が、永井にようするに、それって客観的な、主観的じゃない世界ってことでしょ?
と言って
永井がもし、そうだ、と答えるならやつが書いてきたモノが無意味って認めることになる。
奴はどうやってでも、客観的な世界ってのと並列的世界とかいう奴が作った造語は違うものだって証明しなくちゃならない。
そしてそれは途方もなくくだらない。
838考える名無しさん:2013/09/15(日) 22:08:13.53 0
>>837
俺は俺なりにだけどアンタのいっていることに共感できるよ
永井哲学の問題点がかなりはっきりと分かっているみたいだね
永井はウィトゲンシュタインにかなり近いとことがある
独我論に思考の舵がどうしてもいってしまうのは永井の思考における根本的な志向性だろう
839考える名無しさん:2013/09/15(日) 22:12:19.03 0
えーと、共感しあってるところ申し訳ないんだけど、>>836の論理の根拠が永井以上に意味不明だわ
>例えば、何かを並列に並べる、何かが並列にある、という言葉は、そこに整然とならんだ列を想起するわけだ。
>つまり世界像が並列であると判断している時点で世界は並列ではない
これをもうちょっと解説してもらえませんかね?
840考える名無しさん:2013/09/15(日) 22:18:46.63 0
>>839
べつに俺だけが共感してるだけさw
・彼は原因は不明だが永井均に対してルサンチマンが途方もなくある
・そして言葉使いが汚い
この二点だけでも他の人たちの共感は得られないだろうな
なんせ意味もなく喧嘩うられているのと同じだからね
まあここで叫んでもどこにも届かないんだけれどもw
841考える名無しさん:2013/09/15(日) 22:23:42.15 0
だな。哲板は基地外の巣窟だが
こいつは下衆で痛いだけ。w
842考える名無しさん:2013/09/15(日) 22:29:57.09 0
>>841
俺は彼が「>下衆で痛いだけ」とは思わないよ
これも俺だけの感想ね、気にしないでくれ
永井はウィトゲンシュタインといい意味でではなくて悪い意味で似ている
ウィトゲンシュタインの思考が「一人称世界」で終始したのと同様に
永井の思考も「一人称世界」しかない
それはそういう風に思考しているのではなくて、永井にはそのようにしか考えられないという意味
まあ今はこの辺にしておこう
843考える名無しさん:2013/09/15(日) 23:56:21.76 P
>ウィトゲンシュタインの思考が「一人称世界」で終始したのと同様

そんなことはないですよ。
844考える名無しさん:2013/09/16(月) 00:11:06.66 O
>>836
ああ、「永井がそのように書いた」という事実はどこにもなく、また「文字通り
そのように書いてあるわけではないが、永井の文章からこのように理解できる」と
具体的に説明するわけでもなく、ただ「自分がこのように思ってるだけだ」
ということは自覚してるの?
そんならまあ勝手にしてくだされやーw
そういうのを「論理的批判」って言うんですね、知らんかったわーw
845考える名無しさん:2013/09/16(月) 00:17:53.89 0
>ウィトゲンシュタインの思考が「一人称世界」で終始したのと同様に
        
ハイデガーも一人称の世界だったな
レヴィナスなんかにそれを批判されていたっけか
846考える名無しさん:2013/09/16(月) 00:45:08.04 0
「一人称世界」なんて言葉を使うと
勝手に名前をつけてる。幼稚園か?
って批判されるぞw
847考える名無しさん:2013/09/16(月) 14:20:55.13 0
もはや
世界の
永井である
848考える名無しさん:2013/09/16(月) 20:37:27.72 0
もはや世界のナベアツは落語家桂三度なのである
849考える名無しさん:2013/09/16(月) 21:28:13.75 0
やっぱ威勢がいいだけのカスだったなw
>おれはどこぞのアホどもと違って理解される文章しか書かないから、わからなかったら質問すること。
>もっと噛み砕いて説明する。
って書いてるんだから>>839にさっさと答えろよw
850考える名無しさん:2013/09/18(水) 13:49:35.69 0
哲学と結核は若者を滅ぼすって威張り腐ってた明治の頑固親父みたいだな
851考える名無しさん:2013/09/18(水) 23:49:16.21 0
だね、だねっ♪
852考える名無しさん:2013/09/22(日) 12:29:15.18 0
今週の日経のコラムも酷かったな。
この永井君は自分で何を書いてるのかわかってないんだろう。

読める人は読むといいが、単純に無我っことばの意味がわかってない。
全体論という言葉の意味も誤解してる

言葉の意味を誤用して、かつ意味が曖昧な造語で書くことによってさらに無意味な文章となる。

根拠のない幼稚な断定は失笑を禁じ得ない。
853考える名無しさん:2013/09/22(日) 12:33:31.70 0
>>839
何かが並列であると判断するのは誰かの主観なわけだ。
なぜかというと、世界は並列ではないからだ。
世界が並列だと「感じる」わけであって実際の世界は並列ではない。
並列であるということがどういうことかわからないなら辞書をひくこと。

つまり、並列ではない世界を並列だと主観が判断した世界は当然、客観的な世界、第三者的世界から見て並列ではない。
だから言葉の段階で論理が破綻しているということ。
議論にすらならないレベルの幼稚な思い込み
854考える名無しさん:2013/09/22(日) 12:49:29.99 0
永井のアホはこう書いてるわけだ

無我を否定することが特在的世界像を否定することなら、全体論を主張する必要がない

まず、無我の意味を永井は理解してない
勝手な解釈で無我という言葉を使ってるから話になってない。
特在的世界像とかいうアホ丸出しの言葉は永井の造語。
このしょうもない造語は永井のバカしか意味がわからないくだらないモノだが
ようするに、主観的世界のことだ。
主観的世界を否定するとはどういうことか?無我を否定するとはどういうことか?
これは論理でもなんでもなくただの当てずっぽう。妄想でしかない。
無我を否定するというのが、無我という言葉を理解してない証拠。
全体論についても同様に理解できてない
855考える名無しさん:2013/09/22(日) 13:46:09.69 0
>>854
主観的と特在的の区別は永井の哲学にとって本質的な区別ですよ。
普通、主観と言うと「世界内に複数存在する主観の一つ」を思い浮かべるでしょう。
その主観という言葉ではとらえられないものがある、というのが永井の主張なので。
「ウィトゲンシュタインの誤診」に「独我論と観念論の違い」という形で
似たような主張展開が載っているので読みなさい。
批判はいいと思いますが、批判相手の主張は正確に理解してあげてくださいね。
856考える名無しさん:2013/09/22(日) 15:02:15.60 0
>>855
はいはい。よくあるパターンの文系的曖昧反論だな。

俺は既に816と819であんたが言うようなことについて書いてるから。
まずそれ読んで。

ええとね、特在的世界像なんて言葉は存在しないわけ。
つまりその時点で学問としての体系をなしてない。

勝手に造語して、その意味が認識されようとすると、いやそれとは違う、それとは違う
主観的という言葉とそのくだらない造語が異なる概念だとするなら、どこがどう異なると勝手に決めつけることにしたのか明確に定義しなくてはならない。

誰かに理解されるために文は存在するわけだな?
あんたが永井のバカが言ってることを代弁したいなら
特在的世界像と主観的世界像がいったいどこがどう違うのか明確に既存の言葉で説明すること。

所詮はくだらない造語だから話す価値すらないのだが、あんたはわかってないようなんでとことん語ってみようか
857考える名無しさん:2013/09/22(日) 15:18:36.83 0
それから
独我論:哲学における認識論の見方の一つで、自分にとって存在していると確信できるのは自分の精神だけであり、それ以外のあらゆるものの存在やそれに関する知識・認識は信用できない、とする考え方

これと観念論
1 精神的なものと物質との関係において、精神的なものの側に原理的根源性を置く哲学説。
2 現実に基づかず、頭の中だけで作り出した考え。


この違いがなんだっていうわけ?自分の精神以外信用できないというものの見方。で?
言葉の定義の上ではその見方も観念論に含まれる主張になる。
で?
それがどうかした?

これと永井のバカが意味不明の間違った言葉の使い方してる事とどう関係あるわけ?
説明できるならしたら?
無我の否定って何?w
幼稚な造語と勝手な言葉の定義繰り返してるだけだろ。
858考える名無しさん:2013/09/22(日) 15:20:52.77 0
そして
世界の永井均へと
永遠に哲学史に刻まれることとなった
のだった…
         
        
859考える名無しさん:2013/09/22(日) 15:29:40.79 0
そして世界のナベアツは落語家桂三度として永遠にお笑いの歴史に刻まれるのであった。
860考える名無しさん:2013/09/22(日) 15:30:30.28 0
>>855
それから、普通〜思い浮かべるでしょう、とかいらないから。普通ってなに?

しゅかんてき

1 表象・判断が、個々の人間や、人間間の心理的性質に依存しているさま
2 自分ひとりのものの見方・感じ方によっているさま。


これとその特在的世界像とかいうものとがどう違うと勝手に永井が妄想して造語したのか説明すること。
他人を理解しろといってもこうまで言葉をめちゃくちゃに使って、造語を繰り返す学問体系から外れた中年のポエム並べられたら、正確な理解は困難。
永井がもっと学問というものを理解できる知性と誠意があって言葉が使える人間なら意思疎通ができるのだが。

まあ君はわかるんでしょ?説明してくれ。
早く永井が勝手に作った幼稚な造語の説明してくれよ。
861考える名無しさん:2013/09/22(日) 15:36:26.29 0
ツマンネ〜教えて君だねえw
862考える名無しさん:2013/09/22(日) 15:44:39.66 0
熱くなりすぎw何か恨みでもあるの?
「ウィトゲンシュタインの誤診」の該当箇所をコピペしてもいいけど、
面倒くさいから本屋に行って立ち読みしてきてよ。
863考える名無しさん:2013/09/22(日) 15:45:29.37 0
お前らって言葉の意味もわからない中年の造語読んで納得してたの?
アホですか?
ってかアホだね。

少しは自分の頭で考えろよ。で、疑うってことをしろ。
特在的世界像なんてバカな事を言ってるクソがいたら、それ何?って疑問に思え。

言葉ってのは誰でも理解できるように作られてんだ。
こんな永井みたいなバカをバカってすぐ見破れないと。
864考える名無しさん:2013/09/22(日) 15:49:22.84 0
>>862
だからさあ、くだらないっていってんの。わかる??
ウィトゲンシュタインくんが何言おうがどうでもいいんだよ。
ウィトゲンシュタインくんが地球は三角だって言ったらお前は三角だって思うのか??
バカが。

860もっかい読め。
で、説明しろっていってんの。
お前はウィトゲンシュタインくんの本読んでそれがわかったんだろ?
じゃそれを書けよ
バカなのか?
865考える名無しさん:2013/09/22(日) 15:53:04.92 0
>>842
ほらみてごらん。下衆で痛いだけでしょう?
866考える名無しさん:2013/09/22(日) 15:57:19.95 0
まあ今週も完全論破だったな。
当たり前だが。
反論も幼稚なものしかなく嘆かわしいね。
君たちはもう少し小学校の国語の教科書読んだ方がいい。
そして論理ってものにもっと注意すること。

じゃないと永井みたいなトンデモをトンデモと見破れないぞ
867考える名無しさん:2013/09/22(日) 16:06:46.27 0
論破とか言っちゃってるしぃw

議論以前のマナー最悪だから
まともなレスがつかないんだよ〜 プッ
868考える名無しさん:2013/09/22(日) 16:07:34.81 0
ウィトゲンシュタイン読んでる君ね。。。

意味ないから。
彼がこう主張した、こいつはこう主張した、それは主張なわけだ。
主張なんてだれでもできる。
今でも世界は平だって主張してる人はいる。
だがそれは仮説なわけだ。
仮説を用いて出す結論は仮説にすぎない。
だから他人の主張を引用することには意味がない。
地球が平だとウィトゲンシュタインが書いているなら平か?
そうじゃない。自分の精神以外は確信できないのだ、ってのは主張でしかない。
意見でしかない。ただこの場合は確信とは何か、という問題になる。
確信とは固く信じて疑わないこと。なら独我論なんて普遍的なものではないただの個人的な見方にすぎない。
うん、で?それが何か?
永井のアホが言ってる事がおかしいこととどう関係するのか?
869考える名無しさん:2013/09/22(日) 16:13:02.19 0
ひつこいやっちゃな。
一昨日来てればよかったね。
うざうざは消えなよ。
870考える名無しさん:2013/09/29(日) 11:55:07.70 O
新刊『哲学の賑やかな呟き』を買って、ちらほら読み出した
これは、興味の持てそうなところを適当に読むという形でもいいのかな
簡単に読めて(つもりで)ちょっと面白かったところとして、「開票速報」
(344頁)はちょっと笑った
確かに、開票速報中に祈ったりすることに意味があると思うのなら、なぜ、
選挙活動をしたりはしないのかなw
871考える名無しさん:2013/09/29(日) 14:57:05.57 0
そりを「シュレディンガーの猫」状態と言ふのだ
872考える名無しさん:2013/09/29(日) 15:44:13.23 0
今週のコラムもくだらなかった。

あんな幼稚な人間が哲学者などと自称して金銭を得ている事に疑問を感じる。
読者の国語力が低いのだろうか。
あれだったら幼稚園児の作文を読む方がよほどマシだと思う。
873考える名無しさん:2013/09/30(月) 11:50:38.49 0
>>868,872
今週のカキコもくだらなかったなw

こんな幼稚な人間が哲学批判などと自称してわざわざ永井スレでカキコすることに疑問を感じる。
どうしてオマエの国語力はこれほどまでに低いのだろうか。
こんな糞同然のレベルだったら幼稚園児の作文を読む方がよっぽどマシだと思う。
874考える名無しさん:2013/09/30(月) 15:29:55.45 0
じぇじぇじぇ
875考える名無しさん:2013/10/01(火) 22:30:40.65 0
>>870
アマゾンですでに絶版状態…
876考える名無しさん:2013/10/03(木) 08:44:57.57 0
何で先月本がもう絶版やねん
877考える名無しさん:2013/10/04(金) 13:44:31.27 0
かつて私はライプニッツ原理とカント原理という区別をして、そのうえでカント原理の優位性を主張したのであるが、
どういうわけかこの区別を導入したということによってライプニッツ原理の優位性をを主張したとみなされることが多い。
そしてむしろ、多くの人は私よりむき出しのライプニッツ原理的直観を持っていると感じる。
たとえば、『賑やかな呟き』所収の「可能な夢の超越論的条件」では、カントに反して、カントよりももっと強力にカント原理をはたらかせて、
カントがカント原理の埒外においた夢でさえもカント原理がはたらかざるをえないのだ、と論じているのだが、こういう私の主張があまり理解されない。
こういう私の主張があまり理解されないとは、賛成してもらえないという意味ではなく、
そういうことを私が主張しているということがあまり理解してもらえない、という意味
878考える名無しさん:2013/10/04(金) 13:53:04.74 0
つまり永井哲学の根本主張は、
ライプニッツ原理がむき出しで働くことにカント的な超越論的制約がかかる、
ということであり、
その超越論的制約の内容は、カント的なカテゴリー以上に「人称・時制・そして様相」である、
ということである。
879考える名無しさん:2013/10/04(金) 19:14:07.35 O
>>877
それ、何かの引用?
まあそれはともかく、もしそういう無理解・誤解をする人が多いのだとしたら、
その原因につき勝手に下衆の勘ぐりをするに、そういう人はきっと実は
『〈子ども〉のための哲学』くらいしかまともに読んでなくて、その後の本は
「どうせまた独在性を強調してるんだろう」とかいう決め付けをして
ろくに読み込んでないに違いないw
880考える名無しさん:2013/10/04(金) 19:17:30.35 0
子供のための哲学を読んだのなら
その後の永井を読み込むなど、永井の本意とすることろではないと分かるだろう
881考える名無しさん:2013/10/04(金) 20:32:42.45 0
こっちは金払ってこいつの本買ってんだよ
永井の本意なんてどうでもいいわ
882考える名無しさん:2013/10/04(金) 23:02:49.46 O
>>880
そりゃもちろん、『〈子ども〉のための哲学』を読んだ後、永井の議論とは
全然別に自身の疑問を考え出した人には、別に何も文句はないよね
そういう人は、その後の永井の本を妙な決め付けをしながら読んで
トンチンカンな誤解をする、なんてことも、全くしないだろうからねw
883考える名無しさん:2013/10/05(土) 11:46:58.09 0
>>876
しらんけど、今は復活してる。何だったのだろう。別の現実に迷い込んでたのかもしれん。
884考える名無しさん:2013/10/06(日) 17:07:49.25 0
はい今週の永井もバカ丸出しの日経コラムだった。
>科学的な因果関連から言えば僕という自意識は生じる必要がないんだから
という趣意。

なんでこんな浅薄な輩が哲学者?とか自称してるのか。
噴飯ものの愚かさだ。
こんなものは学問などではないし、税金を使う必要がない。
この論理破綻はとてもわかりやすい。「生じる必要がない」、と勝手に思い込んでるところが論理破綻。思考の浅さ、程度の低い妄想。幼稚であるとはこういうことという見本のような思考。

科学的に自意識が生じる必要がない、とどうやって証明するか?
証明もできないことを、明確ではないことを自明としてかたることが多くの愚か者のやっていることで、この永井というものその一人
こんな人間が書くものに、個人的にはなんの価値もないと思う。
885考える名無しさん:2013/10/06(日) 17:19:26.16 0
哲学とは元々科学と同義だった。
それは物事の本質に辿り着くための思考のツールであったわけだ。
それは合理性、論理性を重んじる。
いや、合理性、論理性そのものと言っていい。
A=b b=c ならばA=cである。
これが論理性というものだ。ここから外れるものはもはや科学ではない。
今の人文系の愚か者がやっている売文はこの論理体型が極めて曖昧であるという意味において哲学とは呼べない。ただの妄想、ポエムだ。
上の永井の例で言えば、自意識が因果関係から見て生じる必要が本当になかったのかについて証明する必要がある。それは自意識とは何か、例えば植物が光を求めて葉の向きを太陽に向けることを自意識と呼ぶなら、植物にも自意識はある。
であれば自意識のない植物は淘汰されるのだから自意識のある植物が生存するという因果関係が存在する。つまりこの時点で永井の妄想は破綻するわけだ。

問題は永井の主張が間違ってるなんてレベルにはない。
そもそもとして永井がやってることは哲学でもなんでもにということだ。
愚か者が哲学を自称し妄想を垂れ流す、それを愚か者が読む。この間違いの連鎖を止める必要がある。
886考える名無しさん:2013/10/06(日) 23:56:32.01 0
根本的な問いを立てることが哲学であって
答を証明するなどナンセンス
何故ならそれは
無いん
887考える名無しさん:2013/10/07(月) 01:39:07.02 0
永井哲学に対する誤読のパターンを集めてテンプレにすると面白いかもしれないなw
>>884は「僕という自意識」と「自意識という誰もが持つ一般的なもの」を混同する
よくあるタイプの誤読。
もう一つは>>877が言うカントやウィトゲンシュタイン的側面を無視して
ライプニッツ的主張だと取り違えるタイプの誤読。
この二つが二大勢力でテンプレ行き。
888考える名無しさん:2013/10/07(月) 02:43:26.87 O
それより>>884には、「植物にも自意識がある」という画期的見解を、
ぜひとも世に知らしめてほしいものだなw
本当にそれが科学的・論理的に間違いのないことだというなら、こんな
場末のスレだけで吠えてないで、世の中にいるもっと多数の無知蒙昧な
者どもに、広く教えるべきなんじゃないかなw
889考える名無しさん:2013/10/07(月) 08:48:49.20 0
永井が詰めが甘くて穴だらけで厳密性に欠けてる部分手具体的にどこなの?
そもそも厳密性のある哲学なんて存在する?あるとしたら誰の哲学ですか?
890考える名無しさん:2013/10/07(月) 09:38:28.39 0
>科学的な因果関連から言えば僕という自意識は生じる必要がないんだから

個々が典型的な誤読。
「僕という自意識」こそが科学的因果連関から必然的に生じる典型的なものだから。
それが永井が強く主張している論点。
しかし、別に永井の独創ではなく、
ここで学くんが言っている傍点が付いた「同じ」と「違う」の対比こそがハイデガー用語でいう「存在論的差異」。
これは哲学の初歩の初歩。
891考える名無しさん:2013/10/07(月) 09:42:33.77 0
訂正:。個々が→ここが。
問題はその先で、永井がこの「存在論的差異」を「ライプニッツ原理」の内部に入れている(あるいは同一視している)ことにある。
哲学的議論が始まる(永井批判が可能になる)のはここから先だ。
892考える名無しさん:2013/10/07(月) 09:54:10.25 0
884のようなあまりにも初歩的な誤解は今ではもはや論外というほかないが、
むしろ今どきの典型的な誤読は、
学くんが主張している存在論的差異こそ(正しく理解したうえで)永井の主張だと思い込むこと。
言うまでもないことだが、永井哲学は
@「累進構造」でこれを相対化し、
Aカント原理で強く制限する。
ここでは@とAの関連(例えば、じゃあどっちが優先するか?等々)が批判的に論じるべき論点となる。
893考える名無しさん:2013/10/07(月) 11:59:40.52 0
何だか、くだらないね。
くだらない書き込みに熱くなって書き込んだら、
それもくだらない書き込みになる。
894考える名無しさん:2013/10/07(月) 20:06:27.51 O
確かに、初歩的で下らない誤読は、一刻も早く撲滅されてほしいね
そうすれば、誤読をいちいち真面目に指摘してる人たちの苦労もなくなる
というか、分からないこと自体は何も悪いことじゃない(自分も最初から
分かったわけじゃないし)のだから、分からないことは、たんに「ここが
こういうふうに分からない」と言えば、話がこじれることもないと思うけどね
895考える名無しさん:2013/10/07(月) 22:19:04.60 0
>>894
頭わるそうだな
896考える名無しさん:2013/10/08(火) 00:50:12.48 0
↑と言いつつ
相対的に自分が頭が良いとインプリシットに主張
こう言うのは劣等感の為せる業かな?
897考える名無しさん:2013/10/08(火) 05:26:14.91 0
>>890-892の頭の悪さは、「これは哲学の初歩の初歩」とか「言うまでもないことだが」とかの
余計な言葉に表れている。こういうのは、誤魔化しの言葉だよ。

ハイデガーの存在論的差異を「哲学の初歩の初歩」とは言わない。
哲学を知っている者なら。
898考える名無しさん:2013/10/08(火) 07:30:35.50 0
永井の哲学を10年以上追いかけていると存在論的差異が
耳タコすぎてつまらないものに見えてくるのも確かではあるなw
899考える名無しさん:2013/10/08(火) 10:21:39.75 0
>>898
では、ハイデガーの存在論的差異、および存在論的差異における「現存在」の位置づけについて、
君の考えを述べてみよ。
君は「哲学の初歩の初歩」について、まさか「初歩的で下らない誤読」をしていないだろうね。
900考える名無しさん:2013/10/08(火) 10:45:37.31 0
>>899
まずはあなた様からお先にどうぞ。誤読音頭に合わせた君の裸踊りを批評してあげるからw
901考える名無しさん:2013/10/08(火) 11:02:55.21 0
逃げたな。
まぁ逃がしてあげるよ。私は大人だからね。
902考える名無しさん:2013/10/08(火) 21:21:55.52 0
>>901
あははwww

きみは >>898>>900 の存在論的差異を認識していないが故に
認識論的おバカ丸出し。いい大人? 残念だったね、おりこうさん
903考える名無しさん:2013/10/09(水) 20:34:36.01 0
>>890
884だが。
誤読も何も、それは引用文そのままだから。
『科学的な因果関連から言えば僕という自意識は生じる必要がないんだから』
という文が書いてあったから、それが間違いと書いてるだけ。
君はこの文を読んで、「〜自意識が生じる必要がある」と読むわけ?
字は読めるんなら、そんな意味じゃないってわからないかな?

ええと・・・・
>「僕という自意識」こそが科学的因果連関から必然的に生じる典型的なものだから
この一文見ても馬鹿じゃないかって思うんだよね。
典型的だって言うなら、典型的であることを証明してみなよ?
そしてその因果連関から典型的じゃないものとは何?
これ、説明できる?できないなら、自分で何書いてるのかわかってないんだよ。君。

自意識が必然的に、科学的因果から生じるか、否か。
自意識とはなにか。科学的とはなにか。そしてそれは証明可能な命題か。
こういう風に考えなきゃダメ。永井はそれが全くできてない。だから馬鹿だって言ってんの。
ええとそれから、存在論的差異というハイデカーくんの造語ね。
これは前にも書いたけど、造語ってのは作った人しか真の意味はわからないから基本的には話にならない。
ともかく、「存在論」ってのは存在についての意味や規定に取り組むものって言葉だな。
ようは存在とはなにかを定義しようという試みだ・・・

んで、それと俺が884で書いた事はなんの関係もない。そんなことを俺は書いてないわけ。
俺が存在についての言葉の定義を書いてるか???
よく読めよ。
俺が永井の主張について何か書いたって思ってんのか?どこをどう読んでるんだよ。
永井の思考をしていく過程がそもそも馬鹿丸出しだって事。
つまり明確ではないことを明確だと断じるその幼稚さがそもそもとして終わってるってこと。
「必然的だ」 「典型的だ」 
ほんとうか?いつどこで誰がそれを必然って決めたんだよ?典型的って決めたんだよ
904考える名無しさん:2013/10/09(水) 20:35:29.71 0
>>888
それから、あんたさ、俺が書いたその植物の話、それってどういうことか理解できる?
ただの「言葉の定義」の問題ってこと。とてもとてもつまらない話。

>>892
なんかわかったようなフリしてるけど、何言ってるの?
累進構造、とカント原理を、明確に定義しろよ。お前の勝手な言葉で話されても会話にならんから。
905考える名無しさん:2013/10/09(水) 20:49:59.40 0
俺もカント原理とかライプニッツ原理とかよく分からんわ

誰か説明して
906考える名無しさん:2013/10/09(水) 21:29:33.45 O
>>904
>>888
> それから、あんたさ、俺が書いたその植物の話、それってどういうことか理解できる?
> ただの「言葉の定義」の問題ってこと。とてもとてもつまらない話。

えええ?「ただの「言葉の定義」の問題」って、どういう意味ですかあ?
まさか、「「植物にも自意識がある」というのが科学的・論理的に広く
認められているという事実はないが、もしそういう定義をすればこういう
言い方ができる」などということを言おうとしてたんですかあ?
えええええ?
言葉を勝手に定義しちゃいけないんじゃなかったんですか?w
そんなことをするのは人文系の下らない妄想とか何とかで、幼稚園児レベルの
馬鹿なんじゃなかったんですかあ?w
まさか、そのような高邁な思想をお持ちの方が、自分は独自の勝手な定義を
するなんてことが、あるわけないですよねえ?w

まあね、こんな粗雑な脳味噌を持ってれば、「永井が論じようとしていることを
一般的な自意識だの何だののことと考えてしまうのは、典型的な誤解だ」
という正当な指摘も、理解できなくて仕方ないかもしれないね
907考える名無しさん:2013/10/11(金) 19:31:01.89 i
>>906
自意識という言葉の定義の問題という意味。
自意識とは何か?という解釈によっては上記の植物の解釈も可能だが、自意識という言葉の定義次第では植物には自意識はない、となるわけだ。
植物が太陽に向かって向きを変えるのは植物の自意識ではない、別の言葉で定義される何かの働きによる、という人もいるだろう。
この違いは単に言葉の定義の問題に過ぎない。
理解したか?

じゃあそれをふまえてお前が自分で使った言葉をできるだけ正確に定義しろ。
カント原理だっけ?
お前の中ではそれはどういう意味になってるの?

書いてみろ。
908考える名無しさん:2013/10/11(金) 19:42:58.95 i
>>906
それから、お前は全く理解できてないようだからもう一度ゆっくり903を読め。
難しい言葉は何もないから理解できるはず。
わからない事があるなら説明するから、永井がアホだって理解できるまで何度も読むこと。
で、論破された人でお前みたいに発狂する奴よく見るけど、発狂しても仕方ないだろ?
お前が金と時間をかけて読んできたものがゴミ以下だって認めるのは辛い事かもしれない。でもそうなんだから仕方ない。

まあ、とにかくわからないこと、理解できないことは遠慮なく書くこと。
永井のようなバカと俺は違って正しい言葉で理解できることしか書いてないから。
発狂するんじゃなくて学べ。
909考える名無しさん:2013/10/12(土) 18:22:46.67 0
独我論は青年期の熱病
910考える名無しさん:2013/10/12(土) 20:46:33.34 0
とにかく君はふわふわしている。ふわふわしてるんだよ。
911考える名無しさん:2013/10/12(土) 21:23:09.43 O
>>907
> 自意識とは何か?という解釈によっては上記の植物の解釈も可能だが、自意識という言葉の定義次第では植物には自意識はない、となるわけだ。
> 植物が太陽に向かって向きを変えるのは植物の自意識ではない、別の言葉で定義される何かの働きによる、という人もいるだろう。

んなことは言われないでも分かってるよw
「このように定義すると、あるいはこのような考え方を取ると、その先は
こういうふうに考えられる」というように、場合によっては新たな定義・用語や
考え方を用いて議論を進めること自体は、当然あってしかるべきだろう
「植物の自意識」とはだいぶ変わった用語だとは思うけど、本当にそれで
きちんとした議論が進められるというなら、そうやって議論を展開すること
自体には、別に問題はないと思いますよ

ただ、永井がわざわざ「特在的世界像」「並在的世界像」、あるいは
今までの本では「独在性」などなどの用語を使っているのに対して、
それは「主観的」や「自意識」などのことに過ぎない、なんて根拠不明の
勝手な決め付けをした上、勝手に新しい定義をするのは人文系の下らない
妄想だ、みたいなことを言ってたのは、どこのどなたさんでしたっけ〜?
永井に対してはそんな決め付けと非難をするんだったら、当然ご自身は
間違いなく確立した定義のみを使って議論をお進めになるものと信じて
いたんだけどな〜w
そのような高邁な思想の持ち主が、植物の自意識とかいう話をするときには、
なぜ定義をいじくり回したりすることを自身にお許しになるのかな〜w
それが分からないんだな〜w
912考える名無しさん:2013/10/12(土) 22:04:56.81 O
>>908
ほー、>>903をよく読めって?説明するって?
そんなら、何よりここを説明してもらわなきゃいけませんな

> 誤読も何も、それは引用文そのままだから。
> 『科学的な因果関連から言えば僕という自意識は生じる必要がないんだから』
> という文が書いてあったから、それが間違いと書いてるだけ。

永井の原文のどこにそんな文が書いてあるのか、全然分からないんだけどな〜
念のため原文の対応すると思われる部分を引用する
「つ
まり、こいつが僕であることにはしかる
べき因果連関がないよね?だって、科
学的な因果連関から言えば、そもそもこ
の僕なんて生じる必要はないんだから。
脳がどんな意識を作り出してもそれが僕
の意識である理由なんかないのと同じで。」
とりわけ、「脳がどんな意識を作り出しても」以下の部分を見れば、ここで
因果連関から生じないとされているのは、自意識でもないし、その他何らかの
意識でもないことは、明らかだと思うけどな
まして、永井の今までの本でも、一般的な自己意識とか何とかの問題とは
別のことを論じようとしていることは、それこそ何度も強調されてて、
明々白々だと思うんだけどな
それが、なんで「僕という自意識は生じる必要がない」なんてことになるのかな〜
難しすぎて全然分からないな〜

もし、何らかの仕方で、「自己意識などの問題とは別の問題など、実は
存在しない。結局は意識がどう生じるかの問題に過ぎないのだ」ということを
筋道立てて説明したり、別の問題だとする永井の論拠を説得力を持って批判
したり、といった議論ができるというなら、また話は別だろうよ
そんなことは一行たりとも見当たらず、一般的な意識がどうたらいう話に
勝手に決め付けているとしか思えないから、典型的な誤解だって言われるんだよw
913考える名無しさん:2013/10/13(日) 03:17:09.71 0
> 永井の今までの本でも、一般的な自己意識とか何とかの問題とは
> 別のことを論じようとしていることは、それこそ何度も強調されてて、
> 明々白々だと思うんだけどな

だとしたら、君の意識に生じる何事も言葉を介して一般論として語ることはできないよな? w
914考える名無しさん:2013/10/13(日) 10:07:59.46 O
>>913
なんだそりゃwなんでそうなんの?
「永井が論じようとしているのは、意識一般の問題だ」なんてことは
言っとらんのだぞ?
別の問題だ、と言ってるんだぞ?
それがなんで
> 意識に生じる何事も言葉を介して一般論として語ることはできない
なんてことになるんだよw
そっちが勝手に「永井が論じているのは意識の問題だ」とか決めつけようと
してるから、そんなところがごっちゃになるんだろw
915考える名無しさん:2013/10/13(日) 21:45:38.75 0
時間があまりないので手短に今週の永井日経連載の何がダメかを指摘しておく

まず引用
>「世界の中に学という人は存在しているけど僕は存在していない」と君は言えるが

はいこれがそもそも間違い。
僕は存在していない、と言えるというのは一体どういうことか?
存在していない者が言うというのは、物理的にありえない。

これに関連して永井はこう続ける

>存在の意味が違うというべきだ

はい、ここでタネあかし。
要するに永井も、ハイデガーくんも「存在」という言葉に「独自の解釈」、「独自の意味」をなすりつけて、それは存在してる、とかしてないとか論じてるわけだ。


とんでもなくだらなく、無意味で、馬鹿で、幼稚で、マヌケで、無価値だなと思うね。
そういう違いを「存在論敵差異」と呼んだって永井のアホは書いてるけど、勝手に呼べばいいじゃん。
存在論敵差異だろうが、吉田だろうが、スフィンクスだろうが勝手に名前つけて呼んでんだから好きにすればいい。

で、それが何か?

勝手に言葉の意味を変えて、独自の言葉の意味を持たせて、主観と混同するな、とかしろとか、お前の勝手な解釈知らないから。

とどめに永井の馬鹿の引用
>君自身も言いたいことを人に伝えることはできない

じゃあこいつはは何を書いてるわけ?
伝えることはできないって事を伝えるってのはどういうこと?
伝える事ができるとしたら矛盾だし、伝えることができないとしたらそれを伝える事もできないから矛盾してる。
916考える名無しさん:2013/10/13(日) 21:49:45.08 0
>>911
だから、特在的世界像なんて言葉ないから。

ないんだよ。そんな言葉。勝手に造語してんだから、きちんと正確にそれを定義しろって言ってんの。
お前がわかるなら書けよw
特在的?馬鹿みたいなネーミングだけど、そんなもん造語したやつにしかわかんないんだから

言葉って伝えるためにあるわけ。勝手に造語したら話にならんから。

俺に文句つけたいなら、お前がまず下らない造語の「完璧な定義」かけよ。
そしてその上で主観的という言葉とそれがどこが相違点なのか明記しろ。わかったか?

できないなら、俺の書いた事を何度も読め。わかるまで読めよ。
917考える名無しさん:2013/10/13(日) 22:01:01.37 0
>>912
何度も何度も書いてるけどまだ理解できないんだな。
俺はその引用文にあるような永井の思考形態が馬鹿だって言ってんだよ。

>脳がどんな意識を作り出してもそれが僕 の意識である理由なんかないのと同じで

本当に???
いつどこで誰が僕の意識である理由なんてないって証明したわけ?
証明されてないとしたらなんで証明されてもいないことを前提としてるわけ?

ということ。
わかる?

僕の意識である理由とは、一体なにか?理由とは何か。僕とは何か。
こんなことは単純に言葉の定義の問題になるわけだ
で、それを置いておいても、理由なんてないって決めつけるその幼稚さに俺は馬鹿かって言ってるわけだ。
永井の主張とか仮説とかそんな事に入る前の段階、仮説に至るまでの段階での論理展開が貧弱すぎるって言ってんの。

例えば数学で、A=Bを証明するとしよう。
そのためにB=C、C=DであるのでD=Bとなり、A=DであるからA=Bである、と論理展開をするとする。
永井がやってるのはB=Cかどうかも怪しいのにB=Cと断定し、C=Dじゃない可能性もあるのにC=Dってやってるわけ
科学の世界じゃこんなのはタブーなんだよ。
話にならない。
918考える名無しさん:2013/10/13(日) 22:51:53.35 0
なんだかな。素朴な科学主義杉w

形而上学的言辞は科学的視点からみて無意味。というのは当然。
宗教的教義の中にも非科学的な教義が多々内包されてるのも常識。
しかし科学的思考の基底に同種の非科学的信念が隠蔽されているかもですよ。

ま、永井は累進構造云々を言い出した頃から説明不足な概念語を多用
する傾向が強まったという感じがしないでもないけどね。
919考える名無しさん:2013/10/14(月) 00:27:33.48 0
>>913
微妙に位相がズレてはいるが、以下のようなことをいいたかったのだよ。w

====
>下らない造語の「完璧な定義」かけよ。

無理。
当該の造語・用語はたいていは喩。メタファだから書き手読み手が
自身の経験や想念に照らし合わせて意味了解把握される類いの語。
自身の人生の中で語に対応する経験や想念が無ければ理解共感できない。
人生はひとそれぞれ。だから語の意味・意義は書き手読み手人それぞれで差異相違
がありえる。それゆえ、それを一般論として一文にまとめるのは無理。

私の人生は私の人生(あなたの人生では無い)。という同語反復がこの種の喩の類似・例示表現。
920919:2013/10/14(月) 00:29:11.88 0
安価間違い
>>913>>914
921考える名無しさん:2013/10/15(火) 07:40:10.69 0
>>905
横からですが(あと詳細には理解してませんが)
カント原理:起こることの内容的なつながり(例えば時空間の連続性や記憶など)により誰が私であるかが決定されるという原理
ライプニッツ原理:何が起ころうと起こるのは常に現実世界(独我論的には私の意識)においてであるという原理
「現実世界であること」と「世界の内容がカテゴリーにより制約されていること」は関係あるのか、という問題意識の上での用語と思われる
922考える名無しさん:2013/10/20(日) 16:01:59.11 0
はい、今週の日経永井コラムも思い込みと論理の飛躍とにまみれた幼稚なポエムだったな。

今週のアホさ丸出しの箇所は、
>科学者が研究すべき事実が存在しないのだから
って断定してるんだけど、何勝手に決めつけてんの?
事実が存在しないって証明してみろよ。こんなの科学系論文に書いたら失笑されるだけ。

>驚くべき事実を語っているだけだ
ってバカみたいに書いてるけど、驚いてるのはお前だろ?
驚くべきっていう主観的な感情の動きはあくまでも主観的なものであって
事実とかってものとは別に存在してる。だから驚くべき事実なんて言い方する必要がない。
重力が存在することはどんな解釈も感動も抜きに常に作用するが無感動にその事実を認識することもできる。

まあ、本当に幼稚だな。永井は。幼稚。稚拙な論理展開、貧弱な語彙力。恥ずかしいレベルの知性。
情けないね。こんな奴に税金使ってるかと思うと。人文系はレベルが低い。
923考える名無しさん:2013/10/20(日) 16:06:23.47 0
>>919
やっぱ無理なんだろ?w
ゴミだな。ゴミ。ゴミだよ。くっだらない。

ポエムなんだから、ポエムって言えよ。哲学とか名乗るなよ。何も学んでないし学問ですらないんだから。
学問ヅラすんなよ。ただの幼稚なポエムなんだから。
924考える名無しさん:2013/10/20(日) 16:16:57.64 0
結局この手の人文系ナンセンスは造語と、勝手な言葉の解釈で論理の形式をとれていない。

昔、ソーカル事件ってのがあった。
興味がある人は調べるといい。
925考える名無しさん:2013/10/27(日) 16:23:00.25 0
永井均は
日本のウィトゲンシュタインだと思う
926考える名無しさん:2013/10/27(日) 17:04:55.99 0
まさかw
927考える名無しさん:2013/10/27(日) 17:22:57.23 0
りかついで 均たろう
928考える名無しさん:2013/10/27(日) 17:55:16.70 0
はい今週の永井日経コラムの添削するぞ。

今回もバカ丸出しのどうしようもない幼稚な文章だったな。
ええと、どこで永井は間違い始めるか、それを検証しよう。


まず永井は「思考実験」をいきなり提示しだした。
俺から見れば、奴の思考実験というのは実験の体をなしていないただの妄想だが、奴はとにかく思考実験と呼びたいらしい。
まあいい。

ここでこのバカはこう書いている。

>〜〜(内容はくだらないので略)も可能である。〜〜〜の状況を考えればよいからだ

ようするに、どんなことでも思考の中では「〜〜な状況を考えればよいから」可能だと言っている。この時点で噴飯ものだが笑えるのはこのつぎだ

>そんなことも可能だとすると不可能なのはどんな場合?
>例えば君が二人存在する状況だ

とこのバカは書いてるが
ではなぜ「君が二人いる状況状況を考えればよいから可能」ではないのか?
永井のバカはバカだからこう言ったことを当然証明もできないし、する頭もない。

「当然」「〜だから」「不可能」

こういった幼稚な言葉がポンポン出てくる。間抜けである。極めて間抜けのバカである。
929考える名無しさん:2013/10/27(日) 21:47:13.85 0
ププッ www
930考える名無しさん:2013/10/27(日) 22:49:54.27 0
世界最高峰の大哲学者・永井均先生ばんじゃーいっ
931考える名無しさん:2013/10/27(日) 23:27:02.50 0
>>928
痛々しくてみてられないからブログでやるか
ポエムノートに書くくらいに留めておいてもらえないかな
失礼なことを言ってるのは重々承知の上で敢えてお願いしてるのだけど
932考える名無しさん:2013/10/30(水) 20:13:50.67 0
「ウィトゲンシュタインの誤謬」でウィトゲンシュタインはもう論破されてるからね
結論:永井均>>>>>ウィトゲンシュタイン
933考える名無しさん:2013/10/30(水) 20:48:56.76 0
まさかw
934考える名無しさん:2013/11/02(土) 15:29:18.69 0
永井が馬鹿って言っている人は、どういう思想的バックグラウンドなの?科学哲学?
永井は、独在性っていう問題が、人類の哲学史の中でもっとも取り組むべきで、
また自分の考えと一致している、とおもって、独在性が如何に特殊なものであるか
をいろんな思考様式の力を借りて懸命に取り組んでるんだろ。そこに、科学性
があるべきだというのは、哲学とはまた違った問題だろ。科学は科学で、マイルストーン
がはっきりしているから小学生でも科学はできるけど、哲学は哲学で精緻さと飛躍(アイデア)
が必要とされる、科学とは違った手続きによっている学問であるわけだろ。
935 忍法帖【Lv=2,xxxP】(2+0:8) ◆twoBORDTvw :2013/11/02(土) 21:05:43.71 0
独在性の問題ってのは本当にやっかいで面白いんだけど永井は「完璧に間違っている」
からこそ「異常にありがたい」思考展開してくれる人だわ なんでかっていうと
永井はオレじゃないから そして独在性の問題に関して意味がある完璧な間違い
をねっとりと思考展開し続けてくれる人は永井しかいない 他の「永井的な
独在性を考えてると表明してる人」の思考展開は間違ってるんじゃなくて無意味 
つまり関係が無いんで読み込む必要が無いって感じ 正直永井に否定的な人は
否定的なのもわかるけど離れたほうがいいよ たかが永井ごときに腹立てる必要は無いと思う 
936考える名無しさん:2013/11/03(日) 20:02:00.49 0
読むだけ時間の無駄の永井日経コラムだが、まあ一応今回もどこがオカシイのか書いておこう

>(略)〜と考える事だってできるよね?
>いや、できない。時間は周期t系な運動によって計測されるから〜〜(略)無意味だ

ここで永井のアホはある想定が〜〜という理由で無意味だと断定している。

その後で自分が出した「ゾンビの想定」は無意味ではないことの言い訳として

>その場合には、意識があることは脳や神経が特定の状態にあることかまたは外面的に泣いたり喋ったりできることか、どちかと同じことになる
と書いている。

まずこれは、説明になっていないし、日本語にもなってない。
永井はバカのようだから、もう一度日本語を小学生からやり直した方がいい。

意識があることが、脳の状態か外面的に泣いたり云々のどちらかと同じことなるということは、意識という言葉の勝手な定義なのだが、一体どうやってそれを実証するのか。
なぜ勝手に決めつけてるんだろうか?
意識という問題をなぜこの中年が勝手に「どちらかと同じことになる」ときめつけるのか?

そしてそのこととゾンビの想定が無意味ではないことの関連がない。そもそもゾンビという言葉自体が恣意的なモノであるのに、だ。

全くもっとバカ。バカと形容するのがもっともふさわしい。
937考える名無しさん:2013/11/03(日) 20:08:53.39 0
>>934
まず第一に、独在性なんて言葉は存在しない。
こいつの造語だから。

で、造語のくだらなさは散々書いたんで上の方から読んで。

君たちの書いてる事って本当に失笑モノなんだよね。失笑。わかる?あんたの中での哲学ってのは造語のやりあい?
バカとしか思えない。

よし、君たちのそのバカ丸出しの行動を「永莫丸阿性」って名付けよう。

まずは永莫丸阿性を理解すること。
君は永莫丸阿性がいかに特殊な思考様式があるか理解できないのか?
永莫丸阿性がよくわかってないからそんな莫迦な事を書くんだよ。


独在性がどうとかこうとか書くくだらなさがこれで理解できるか?
938考える名無しさん:2013/11/03(日) 20:16:36.95 0
まあ今回の日経コラム読む限り、
想像以上に永井は莫迦だな。阿呆すぎる。

この阿呆は、自分が16世紀のドイツ人あることは可能だけど、自分が台風であることは台風に意識や知覚があるかの問題があるから難しいとか書いてんだよw

莫迦すぎるわ。

何がアホ丸出しかって16世紀のドイツ人が可能って考える時点で想像を絶する阿呆。

永井は教養が全然ないから知らないんだろうけど、そもそもドイツって国が成立したのは17世紀だから。
本当にバカだよこいつ。
939考える名無しさん:2013/11/03(日) 20:19:28.31 0
おまえらってこんなバカの書いたくだらない妄想本を「ふむふむ」って読んでるのか。
相当頭悪いな。

4秒くらいで「ゴミ」って判断できないとダメだぞ。

ゾンビになるのは無意味な想定じゃなくて、時間が止まるのは無意味で、16世紀のドイツ人になるのは無意味じゃないとかさw

小学生レベルだな。
940考える名無しさん:2013/11/03(日) 20:36:23.57 0
>>935
自分で何書いてるか理解してる?

君が書いた文章を整理して書こうか。

0 独在性という造語を面白いと感じている   ←個人的感想
1 永井は間違いである。         ←前提条件
2 だから自分にとって「ありがたい」思考展開をする   ←文の主旨
3 なぜなら永井は自分と違うから    ← 3の主張の理由1
4 永井しか間違いを続ける人がいないから  ← 3の主張の理由2

完璧とか、異常にって言葉は意味が無いから省略。

まず、独在性なんて造語を使ってるのが永井しかいないわけだから奴しか使う人がいないのは当然だ(4の否定)
もちろん3については自分と違うのは永井以外すべて同じだから理由とはならない。

そうすると2の主旨を何も説明できていない。

はっきり言って俺からみると君も論理性のないアホ、ということになる。
941考える名無しさん:2013/11/03(日) 20:37:48.48 0
>>940
訂正。

>>935

君が書いた文章を整理して書こうか。

0 独在性という造語を面白いと感じている   ←個人的感想
1 永井は間違いである。         ←前提条件
2 だから自分にとって「ありがたい」思考展開をする   ←文の前半部の主旨
3 なぜなら永井は自分と違うから    ← 2の主張の理由1
4 永井しか間違いを続ける人がいないから  ← 2の主張の理由2

まず、独在性なんて造語を使ってるのが永井しかいないわけだから奴しか使う人がいないのは当然だ(4の否定)
もちろん3については自分と違うのは永井以外すべて同じだから理由とはならない。

そうすると2の主旨を何も説明できていない。

はっきり言って俺からみると君も論理性のないアホ、ということになる。
942考える名無しさん:2013/11/03(日) 20:56:20.91 0
21世紀の人間が16世紀の人間になるのが可能なら、16世紀のヨーロッパにドイツという国が
あるのも可能なんじゃないだろうか
943考える名無しさん:2013/11/03(日) 20:58:50.54 0
>>937
造語のやりあいって何?永井のはやりあうことはしたい哲学ではないと思う。
せっかく永井が自分の発見を伝えようとしているんだから、もう少しは自分と
違う考えであるという可能性を見つめた方がいい。プレゼンの方法をあげつらうのは意味
が薄い。
944考える名無しさん:2013/11/04(月) 02:09:44.55 0
>>936
個々の批判にも的外れなの多いが
それは置いておこう。
(いちいち書くと長いし時間食うから)
的を得た批判もないわけじゃないし。

ずっと、新聞のが幼稚なコラムだって騒いでるけど、
元からコラムとして、論理をあえて略して書かれてることはないか?
その新聞取ってないし記事も見てないからわからないけど。

新聞に載るのはたいていコラム。
そこで論理きっちり埋めた科学者いるのか?
取ってる新聞でそこまでぎちぎちに書く学者、滅多にお目にかからないけど。
特に科学者とか、『〜という法則があります』とかだけで、法則そのものは証明も何も書かずスルーしてるのは多い。

バカかどうか言うなら、
新聞ではなく著書の論理を引き合いに批判するか、
ないしは他の学者の書いた新聞コラムと比較して、
論理が劣ってることを示さないといけなくないか?
新聞全体の論理の問題ならスレ違い。

で、文字数的に検討したけど略したなら、
その比較の根拠を出してもらえないだろうか?

で、新聞コラムの批判延々とやるより、
バカなの示すなら、著書の論理を批判した方が説得力があるし建設的。
945考える名無しさん:2013/11/04(月) 04:41:23.54 0
ついでに、哲学的ゾンビと日常語のゾンビは区別してる?まぁWikipediaに載ってるけど。

実証できることは全て科学でやればいい。実験観察とかで実証できるなら形而上学じゃない。
実証する手段が、そもそも有り得ないような問題にアプローチするための手段の一つが思考可能性+背理法。
それ使わなかったら、例えば僕らが現実だって思ってる世界が、本当はこの世界がそもそも脳が外部のスパコンに繋がって作り出した幻なんかじゃないってことはどうやって示すつもり?
科学法則は当てにならない。そうなるように惑わせてるんだってなる。
それとも、幻の可能性を認めるか他の証明方法があるってこと?

あと、突っ込むと実証ってそもそも何?科学でよく言われるのは確率0.9999で実証ってなるけど、それ1じゃないよな。
その間はどうやって埋めんの?
仮説演繹法は恒真じゃないけど、どうするの?
946考える名無しさん:2013/11/04(月) 04:43:48.43 0
科学の論理性にもう一つ問題を挙げると、
科学って代替仮説いっぱい立てれるけど、問題ないの?
f→ = GmMr→ / r^3 じゃなくて、
f→ = GmMr→ / r^3.0000001 って可能性は否定されてないよね?なぜ3にした?

なんか科学を信仰してるだけの人に見えたので、聞き飽きた話ならすいません。

まぁ、無意味な罵詈雑言wwwがやたら目立つけど、
独在性問題を始めとした様々な思索をより深めるいい題材?刺激?になって役立つから、
どうぞ投稿を続けてください。楽しみにしております。ただし、このスレに居る方が同意するとは限りません。

長文すいません。
947考える名無しさん:2013/11/06(水) 14:15:23.75 0
言いたい点って、

〈子ども〉のための哲学p 88に対して、
記憶説でも身体説でもないことがありうる論拠にはなれど、否定する根拠になってない
∴それ以下の話は「真実である可能性がありうる」だけで「真実」とは言えない、ってのと、

転ブラp 2で「理由はない」って言ってるけど、根拠ないってこと?

後者の根拠は勝手に補うと
1 原理的に科学的に観測不能ならば、関係がわかりえないので、物質との因果にならない。量子論の確率収縮の過程みたいに。
2 科学的に観測不能
∵科学の観測には複数の測定と比較が要求される。
でも、端的に現実が複数ではなく、時が過ぎれば前のは現実でなくなるので複数の測定が不可能。
3 前者の内容


前者の前に、前の批判の補足。
"君たち"とか、指すタイミングを変えればOKだが、君が2人いるのは無理。
"君"って語は2人称単数で定義に反する。
それか"速さ4.0(m/s^2)"は考えれるのかな?それなら大発見だよ?

で、前者やけど、記憶説でも身体説でもないことが、〈私〉の意味を変えずに考えうる以上、例え身体or記憶と連動していたにしても、それらは〈私〉の同一性を保証しない。
∴身体とかは言わんとする〈私〉の定義ではない。身体で定義しても、時間を光速で定義するレベル。
で、その〈私〉はどういう定義なのか?という問題になる。
948考える名無しさん:2013/11/06(水) 22:12:28.19 O
有意味性のラインで言うと永井均は論理実証主義由来の真理条件を基準にしてるように見えるな。
『転ブラ』で言えばC君の立場な。
存在論的様相と認識論的様相が、限界として一致するのか、って問題は永井均の軸のひとつではありそう。
この辺、存在論的可能性の大きくとる立場の擁護者のようでそうでもないのは、新著であきらかになった。
949考える名無しさん:2013/11/10(日) 19:46:40.03 0
面倒だけど今週の日経クソバカコラムもバカ丸出しの妄想炸裂ゴミ文だったんで報告しておく。

永井とかの人文系妄想ゴミ製造詩人は言葉の使い方がメチャクチャってのは散々書いてきたが
ちょっと引用しよう。
>実際には今というのが存在するのはこの今だけだと言ってもよいのだが
>現実にはこの今以外は本当の今ではない

こう永井はバカだから書いてる。
この文章の何がおかしいか。まず存在の定義が曖昧。この今のこのが曖昧。
言っても良いと判断するのは誰か?実際とは何か?
実際にこの今以外は存在しないということをどのように証明するのか?
現実には、という現実とは何か。本当の今の本当とは何か。何にとって本当か、だれが本当と判断するのか。本当と判断しているのは今か今じゃないのか。

とにかく言葉の使い方が幼稚で間違いだらけなんで読むに耐えないバカ文章になってる。
小学生からやり直した方がいい。
950考える名無しさん:2013/11/10(日) 19:50:32.63 0
>>946
んなこといってるから文系脳ってバカにされんだぞ。
仮説なんてあって当たり前。
大事なことは仮説として認識すること。
何が仮説か、主張は何か。
論文ってのはそういった形式を踏まえて書かれるわけ。

永井みたいな幼稚なゴミ文書いてたら一瞬でゴミ箱行きだし、相手にすらされない。
論文の書き方すら知らないと思うけど。
951考える名無しさん:2013/11/10(日) 20:10:55.70 0
>>947
こういうアホな事を平気で書いて生きていけるの?

> 記憶説でも身体説でもないことがありうる論拠にはなれど、否定する根拠になってない

日本語としてダメ
まず主語がない。何が論拠になるか。
目的語もない。何を否定する根拠になってないか。
0点。
もう少し文章を練って、他人に伝わるように書き直すこと。
そんなんじゃ世間じゃバカとしか認識されない。

> 1 原理的に科学的に観測不能ならば、関係がわかりえないので、物質との因果にならない。量子論の確率収縮の過程みたいに。
原理的に、という言葉はいらない。物質との因果も意味不明。なんだそれは。

> 2 科学的に観測不能
> ∵科学の観測には複数の測定と比較が要求される。
思い込み。
そういう場合もあるしそうじゃない場合もある。複数要求されると断定はできない。
0点。


> でも、端的に現実が複数ではなく、時が過ぎれば前のは現実でなくなるので複数の測定が不可能。

幼稚な文章だな。これこそバカ特有の文だ。現実とは何か?現実が複数ではないとはどういう状態か?現実が単数であるというのはどういうことか。現実ではなくなるとは一体何か?
こういった曖昧な言葉の定義使ってたら論理にはならない。

> で、前者やけど、記憶説でも身体説でもないことが、〈私〉の意味を変えずに考えうる以上、例え身体or記憶と連動していたにしても、それらは〈私〉の同一性を保証しない。

これまた意味不明の幼稚な文章だが、考えうるとは一体誰が考えうるのか。
連動するとは何と何がどう連動するのか。保証するとは誰が何を保証するのか。まずそれをきちんと説明すること。
952考える名無しさん:2013/11/10(日) 20:34:55.39 0
>>950
理系だし仮説の話ぐらい知ってるから。
それは科学のやり方の話でしょ?
それと、学術論文の書き方の話でしょ?
哲学でも仮説立てるべきである論拠は?
それに、永井ら哲学に学術論文という形式はふさわしくないと考えてるから、学術論文のやり方を、わざとしてないって転ブラの193Pで書いてるけど。

それと、科学が論理的でも一意的でもないって批判はどうするつもり?

あと、永井は「主張」なんてする気ないよ。どう考えていけるか示してるだけだから。
転ブラの194pに、
『ぼくには、(中略)哲学的な主張というものがないんだ。
ところがわ、ぼくが何か問いを出して、それについて、 考 え ら れ る 議論を展開すると、たいていの人は何かを主張していると思い込んでしまうみたいなんだよ。
(中略)批判もまたぼくの問いの一部だった、としか感じられないんだ。』
(「考えられる」は原文では濁点で強調。本文は書けないから適宜改行)
って書いてるんだけど?

永井が言ってることの理解の間違いもあるけど、それより永井が何をしようとしてるのか勘違いしてないか?
953考える名無しさん:2013/11/10(日) 20:36:05.01 0
>>949-951

> 言っても良いと判断するのは誰か?
> 実際とは何か?
> 言っても良いと判断するのは誰か?
> 実際とは何か?
> 実際にこの今以外は存在しないということをどのように証明するのか?
> 何にとって本当か(?)
> だれが本当と判断するのか(?)。
> 本当と判断しているのは今か今じゃないのか(?)
> 何が仮説か(?)、
> 主張は何か(?)
> 考えうるとは一体誰が考えうるのか(?)
> 連動するとは何と何がどう連動するのか(?)
> 保証するとは誰が何を保証するのか(?)

Fクラス理系の定義厨ってこんなもんなのか?
(?) ないちゃもん・言いがかりな疑問符並べて悦にいってるだけ。
コミュ障な頭の悪さ晒しているだけじゃん。無様。

オマサンこそ小学生からやり直した方がいいと思うよ。
954考える名無しさん:2013/11/10(日) 20:54:07.46 0
>>952
何が仮説かも認識しないで何を主張するわけ?自明な事、冬になれば気温が下がる。これを書くことが主張にならないだろ?意味わかる?
主張がないってのは主張って言葉の意味を知らないだけ。どう考えていけるかを示すってのは、その示した考えを主張しているにすぎない。まあその主張がとんでもなく幼稚なんだが。言いたいことがないと書くならそれが主張だ。
お前はよくわかってないみたいだから上まで遡って俺が書いてきたことを読むといい。
科学が論理的じゃないってのはお前の頭の側の問題。誰でもわかるように記述されているし、誰でも利用できるようにプールされてる。
だからこそ車は走るし素粒子物理学は世界で展開するし新薬で助かる病人がいる。
なんでそれが活用されるかというとそこに再現性のある知識、論理があるから。
955考える名無しさん:2013/11/10(日) 21:02:34.64 0
>>953
そんな反論しかできないのか?
まあ、答えられないんだろうな。そもそも。
答えられないってことが永井がアホってことの証明なんだが。
言うに事欠いて言葉を定義することを批判しだしたよ。失笑だな
アホすぎる。まともな教育受けてないだろ。

お前は永莫丸阿性を全く理解してないようだから、永莫丸阿性という重要な問題を基礎からしっかりと理解してから書け。
永莫丸阿性が理解できないレベルだと永井がアホって問題は理解できないぞ。
956考える名無しさん:2013/11/10(日) 21:07:30.88 0
>>954
> (科学は誰でも利用できるようにプールされてる。
> だからこそ車は走るし素粒子物理学は世界で展開するし新薬で助かる病人がいる。
> なんでそれが活用されるかというとそこに再現性のある知識、論理があるから。

お見事高邁なご「主張」ですねえ。 思わず吹きましたですよ。w
957考える名無しさん:2013/11/10(日) 21:10:42.14 0
そんな反論しかできないのか?

「論」にもなってない駄文に反論しろとかいうわけ? w
958考える名無しさん:2013/11/10(日) 21:11:22.68 0
>>953
あ、お前はその意味不明な幼稚な文章貼り付けた人?

この今以外は存在しない

本当??この今を明確に定義して、存在するを明確に定義してその上で、それ以外が存在しない事を証明しろよ。
証明できないとしたらなんでそんな適当な事を断言してんの?
それ以外も存在するかもしれないんだろ?
存在したとしたら、こいつの書いてることは意味がないということになる。

馬鹿にもわかるように例を挙げよう。
フグを食べても俺は病気になったことがないにはフグは無毒であるからである。

これが主張な。なんの証明もしてないただの思い込み。これは永井の主張と全く同じ。
で、バクバクフグを食うと死ぬんだよw

意味わかるか?
959考える名無しさん:2013/11/10(日) 21:15:03.58 0
>>957
は?
お前は日本語は理解できるんだろ?
>言ってもいいと判断するのは誰か?

これだけでもいいから答えろよ。それもわからないのに文章貼り付けてんの?
主語がない文章とか目的語がない文章で何を表現するわけ?
今ってお前の思うけど今と他の人が認識する今は違うから。存在もそう。
会話にならんだろ。
当たり前の話だろ?
960考える名無しさん:2013/11/10(日) 21:21:25.21 0
> これだけでもいいから答えろよ。それもわからないのに文章貼り付けてんの?
> 主語がない文章とか目的語がない文章で何を表現するわけ?
> 今ってお前の思うけど今と他の人が認識する今は違うから。存在もそう。
> 会話にならんだろ。
> 当たり前の話だろ?

思い込み烈しすぎ〜 そんなに怖がらなくてもいいのにぃw

有意義な会話ができない人と会話するのはふつうムリ。
ナンセンスな会話なら形式上はできるよね。君の場合w
961考える名無しさん:2013/11/10(日) 21:22:45.89 0
3+4=365なら7=365であるので7日、つまり一週間は365日つまり一年間である。
一週間とは一年間そのものであるのだ。

って永井的な文章あるとするよな?
この文って極めて永井的なわけ。

これはわかりやすく書いてるからお前らでも理解できるだろ。
永井とかの馬鹿がやってるのはこういうことなんだよ。
3+4=365って勝手に断定して話を進める、そこが馬鹿ってこと。

だから結論も頓珍漢なわけ。
これが何度も書いてる永井が馬鹿ってことな。なんの意味もないんだよ。
962考える名無しさん:2013/11/10(日) 21:26:45.08 0
> 3+4=365なら7=365であるので7日、つまり一週間は365日つまり一年間である。
> 一週間とは一年間そのものであるのだ。
>
> って永井的な文章あるとするよな?
> この文って極めて永井的なわけ。
>

いいや、それは>961の脳内永井的に過ぎない。

その変が自覚的にわからない、オマエはバカなのよんw
963考える名無しさん:2013/11/10(日) 21:30:12.29 0
>>962
だから何度も言ってるように、本当にそう思うなら
この今以外の今は存在しないということを証明しろといってるわけだ。
これ以外にも証明すべき事は多々あるがとりあえずこれだけやってみろ。

今と存在という言葉を明確に定義した上でな。
この場合は証明というよりも言葉の勝手な定義になるのだろうが、それでも他との矛盾が出てくるからいいだろう。

はいどうぞ。
964考える名無しさん:2013/11/10(日) 21:33:18.78 0
> だから何度も言ってるように、本当にそう思うなら
> この今以外の今は存在しないということを証明しろといってるわけだ。
> これ以外にも証明すべき事は多々あるがとりあえずこれだけやってみろ。
>
> 今と存在という言葉を明確に定義した上でな。
> この場合は証明というよりも言葉の勝手な定義になるのだろうが、それでも他との矛盾が出てくるからいいだろう。

まずは証明だ、定義だと大騒ぎしている、キミからどうぞ。
いくらでも批判してあげるからw
965考える名無しさん:2013/11/10(日) 21:33:34.23 0
>>917でも似たことを書いてるからよく読んどけよ。
966考える名無しさん:2013/11/10(日) 21:35:52.74 0
>>917 ?

幼稚すぎるだろ。却下w
967考える名無しさん:2013/11/10(日) 21:38:05.29 0
というか、わざわざスルーしてやったのに蒸し返しさせるなつーのw
968考える名無しさん:2013/11/10(日) 21:42:38.55 0
日経コラムのネタ報告している人は、コテでもつけてくれー。
レスの中身を読まないと、どちらの立場で発言しているのかわからないのでは
読むのがしんどい。
969考える名無しさん:2013/11/10(日) 21:45:28.35 i
>>964
自分で書いたことを他人に説明求められて他人に説明させるってどんだけ頭悪いんだよ。
永井信者って基本的にバカしかいなかったけどお前は一歩抜きん出たバカだな。

文章理解できてないだろ?何がわからん?
俺が書いた事でわからんことがあるなら書けよ。
970考える名無しさん:2013/11/10(日) 21:46:38.13 0
>>915も俺の文だけど、久々に見たら面白い
特に最後が笑えるな。

> とどめに永井の馬鹿の引用
> >君自身も言いたいことを人に伝えることはできない
> 伝えることはできないって事を伝えるってのはどういうこと?
> 伝える事ができるとしたら矛盾だし、伝えることができないとしたらそれを伝える事もできないから矛盾してる。

笑えるね。永井は本当に頭が悪いんだと思う。
仮説がメチャクチャだから結論もメチャクチャ。矛盾だらけでもそれすら理解できない。
971考える名無しさん:2013/11/10(日) 21:51:44.41 0
> 自分で書いたことを他人に説明求められて他人に説明させるってどんだけ頭悪いんだよ。
> 永井信者って基本的にバカしかいなかったけどお前は一歩抜きん出たバカだな。

ageて別人している奴を本人だと思い込んでいる点で、オマエは大バカ確定じゃん。
そういう思い込みでスレ荒らすな。ヴォケw
972考える名無しさん:2013/11/10(日) 21:54:28.46 0
永井はことばの綾取りばかりするようになってしまった
何故ゆえに?
973考える名無しさん:2013/11/10(日) 21:58:11.84 0
> >>915も俺の文だけど、久々に見たら面白い
> 特に最後が笑えるな。
>
> > >>970自身も言いたいことを他人に伝えることはできない
> > 伝えることはできないって事を伝えるってのはどういうこと?
> > 伝える事ができるとしたら矛盾だし、伝えることができないとしたらそれを伝える事もできないから矛盾してる。

まんまじゃん。伝えているつもりが荒らしているだけなんだからw
974考える名無しさん:2013/11/10(日) 22:18:45.42 0
>952
科学って散々間違ったことあるの知らないの?
科学が論理的だって言うなら演繹帰納法(仮説→実験観察で数回観測して実証)の正当化をできるのかい?
例えば、万有引力定数が明日の正午から倍になることが起こらないって証拠は、今までそういうことがなかった以外にある?

それと、考える道筋の妥当な批判なら、それこそまさしく永井の求めてるもんだから、本人にメールしろ。ググればたぶん出てくるだろ。

再現性?さっき観測に複数なんて要らないって言ったよね?
説明不足で勘違いしたかもしれないけど、「複数or再現性or物的証拠」ってのを、再現or物的証拠性あるなら事後で複数回になるから、削ったんだけど。
2chあんま文字入れれんし。
まぁ、ベイズ統計の存在忘れてたから的外れではないけど。批判さんくす。

とりあえず、テキトーな憶測だけど、専門は素粒子物理学なのかな?
再現性って言うけど、進化の系譜とか100万年前の気候とか、どう再現するつもり?それともシュミレーションは再現と見なすって意味で言ったのかな?

あと、再現性あっても使われない科学は多いが。DsとかRgとかの元素は何に使われんの?
役立つって点は論拠になってないね。別の主張or「役立つ可能性がある」だね?
別に僕は科学にも哲学にも実学の要素なんて求めてないってか、むしろ逆だけど。

>>968
同意
僕は944-947,952で他は書き込んでない。

そろそろ次スレ立てた方がよくないか?
数日前までROM専でやり方知らないので誰か頼みます。
975考える名無しさん:2013/11/10(日) 23:12:50.52 0
>951
>954
>974
あ、951と954だ。すまん。

>951
>もう少し文章を練って、他人に伝わるように書き直すこと。
→それは妥当な批判だな。
永井の言った、記憶説でも身体説でもないことが考えられるということは、記憶説でも身体説でもないことがありうるという論拠にはなる。しかしそれを、否定する根拠にはなってない。

>物質との因果も意味不明。
→1 科学的に観測不能ならば、関係がわかりえないので、観測できるあらゆるもの(例えば物質)と〈私〉の関係に因果関係をつけることができない。

>思い込み。そういう場合もあるしそうじゃない場合もある。複数要求されると断定はできない。
→上で書いた。

ところで、対象が1つしかないどころか、5秒後も5秒前も現実じゃない。時間がたったら観測事実が変わるものをどうやって観測するん?
976考える名無しさん:2013/11/11(月) 01:11:26.66 0
>>970
言いたいことを他人に伝えることはできないが
「言いたいことを他人に伝えることはできない」ことを他人に伝えることはできる
という立場ですね永井は。
977考える名無しさん:2013/11/11(月) 02:09:35.04 0
なんか的外してたから、追加。
論理的ってのはみんなが利用できるってことじゃないから。
例えみんなが利用できても、恒真じゃなかったら論理的には問題だから。
仮説演繹法は恒真じゃないよ。
論文の書き方わかってるんだろ?そういう本見たら、(正しいとは言い切れないけど)まだましな論証みたいに扱われてるだろ?
論理って何かわかってる?

科学の論理的正当化の難しさについては、とりあえず「科学哲学の冒険」って本を読んでみたらいい。著者が科学擁護側だし、とっつきやすいだろう。
反対に、永井は大森荘蔵の弟子みたいだから、科学は賭けごとに過ぎないって大森の考えを引き継いでるのかも。
子どものための哲学p19にあるのが変わってなければ。

あと、主張のやつは具体例が的外れ。
例を合わせると、(具体例がこれでは)レベル低いけど

冬が寒くなるって不思議だなー。
あれ?冬は寒いってどうして思うの?
冬が暑いけど実はごまかされてたり…とかしないかなぁ?(略)定義的に無理か(例えば)。
寒いけど気温は高いってのは?
でもそれって、温度計の故障と見分けつくかなぁ?
(論理)
なさそうだな…なかったらそのときはどうなるだろう?
やっぱ故障になんのかな?
(論理)
故障とは言えなさそうだ
いや、温度計の高いのって、気温の高さに結びつくのか?
…みたいなの。
978考える名無しさん:2013/11/11(月) 02:56:40.95 0
>954
(974,5,7の続き)
>現実が複数ではないとはどういう状態か? など
→〈私〉は「ある生物に存在する、いかなる他生物個体にも同等物が存在しないような現実のこと」
現実とは何かってのは、物理学の時間レベルの定義でしかないが、直接以外の判断方法は可能世界でないこと。
〈私〉と現実については説明長いから、Wikipediaの「なぜ私は私なのか」見てくれ。
あと、「〈私〉の存在の比類なさ」って論文集に近い物があって(古いけど)、この〈私〉の問題の入門書だから、自信あるなら手始めに腕試ししたら?

それと、定義の曖昧さ言うから、科学の定義のいい加減さの指摘から科学の定義を擁護するのかと思ったら…あれ?文字数的に略したなら出して。

例えばA,B,Cの3人が世界にいる全員とする。
現実はAの体から世界が見えているとする。
私(Aにいる)は誰かからすぐ後にBの体から世界が見えるようになる、と言われた。同時に私の記憶もBの記憶となる。
意味は普通にわかるだろ?

〈私〉の意味を変えずに記憶説でも身体説でもない場合が、具体的に例を出せて、無意味になっていない(3+4=9みたいに定義に反してない)以上、
例え〈私〉がどこにあるのかということが、身体or記憶と実際に共にあり続けたにしても、それらは〈私〉の同一性を保証する定義ではない。
(身体or記憶である必要があるとしても、それは概念的に必然な結びつきによるものではない)

難しいなら例えば、重力定数が今の半分の世界は考えれるだろう?
そうなっていないだけで。同じことをすればいいだけ。

まだまだ返答で書くべきこと山ほどあるけど
長くなるし、実験とかのレポート残しててヤバいし(ほんまマジで)、眠いし、一人で書き込みすぎだし、これで一旦僕は書き込み終わります。
来週は課題に余裕があれば来ます。
長々した文章ですいません。
979考える名無しさん:2013/11/11(月) 06:32:33.49 0
> 長々した文章ですいません。

まったくだ。2ちゃんねるの「3行ルール」はここでも有効だぞ。
だらだらの長文はウザイし、そんな長文連投などもってのほか。
3行程度に要約できるようになるまで、「3年くらい」ROMってろと言われても仕方ないだろ? w
980考える名無しさん:2013/11/12(火) 01:45:53.51 O
もうこれ以上、このキチガイに構っちゃいかんですよ
自分の気に食わない部分だけを断片的に取り出して、馬鹿だのなんだのと
罵倒語を無駄に並べてるだけで、取り上げるような中身は何もないことは、
もう一目瞭然でしょう
前にも書いた人がいたように、ほんと自分のブログででもやって欲しいわ
981えびね ◆MlViGudk9NNM :2013/11/15(金) 03:13:01.47 0
もう…彼女が、何と云ったか名前すら忘れかけているのが悲しいが、「14歳からの哲学」を書いた元モデルの彼女
あの人は本当に、素敵な話者だったな。過去の朝生は、今と違い、とてもエキサイティングだった。いい番組だった。
池田晶子?今憶い出したが、彼女がもう居らず、哲学分野での近況をざっくり纏め他分野のあらゆる人と共有出来、
なおかつ議論もスムーズに進め、その間一切相手を不快にさせず愉しませ続けるとか、ああいう神業をこなせる人、
今いなく成ったからなあ。内輪で褒め合うばかりで部外者を排除するだけの、頭も心も弱い学者だけに成った。
永井は其の事に早々と気づき、川上未映子を可愛がっていた。池田とは全くタイプが異なるが、能力的には上回る。
みんなで、彼女を大事にしないとな…。早死にだけは、させない様に。
982考える名無しさん
編集員が高速まんぐり返しさせすぎたんじゃろ