超越論的主観てのを誰か解説してくれ
396 :
弧高の鬼才 ◆zD.tvziESg :2013/10/11(金) 21:05:35.40 0
この人は割と信頼できるね。
397 :
考える名無しさん:2013/10/12(土) 12:19:26.80 0
現象学をわかってない馬鹿しかいないな。
経験から出てこない客観的な理念を把握するのが現象学なのに。
全くそのことをわかってないゴミの竹田が現象学とか。
恥ずかしくないのか。
馬鹿すぎ。主観的で何が悪いとか。全く何もわかっていない。
竹田と現象学は水と油なのに。死ねばいいのに。
こういうスレがたつこと自体、哲学者への侮辱もいいところ。
世界は視点による相対的なものだとか、文化や主観で違うとか言う話なら、
現象学はいらない。
論理学研究、イデーン、厳密な学。
誰がやっても同じ理路たどる厳密な学。
竹田は現象学をくだらない心理分析や文芸批評にしてしまう人間の屑。
数でも論理でも色でも個々の経験離れて誰もが従っ規則、
本質を抽出する学問なのに。
どうして竹田みたいなマイ哲学が出てくるんたwwww
>>399 どの辺りが厳密なの?
単に細かいだけじゃないのかな。
竹田のマイ哲学は現象学じゃない。
数とか論理とかフッサールは竹田とは正反対に、
一人一人視点によって違うものとして扱ってない。
経験離れて誰がどうやっても同じように規則づけられているものとして扱っている。
これが厳密な学問じゃなくてなんだと言うんだ?
誰にとっても全く同じ視点や相対性の入り込みようのないもの。
それが現象学。
実は幾何学でも文化でも理念をそういうものとして扱っている。
このことを竹田はどう説明するんだ?
客観的という主観。
>>402>>403 人々は絶対的なものがあると争っているけど、全ては相対的で、
そのことに気付いてるから、私は人々を導けるついてきなさいと言ってる詐欺師じゃないか。
全てが主観的だとはそういうこと。
フッサールはそういうのがいやだから、客観的な厳密な学問作ったと、
証明してやってるのに。
何、その言い分。
竹田も竹田信者も本当にキモいなwwww
哲学的に全く間違ったこと言ってる時点でお前らに何の発言権もないんだよ。
何この馬鹿。
竹田は結局、自分だけが目覚めている、私だけがわかっていると、
言いたいから、物事は視点的、主観的にしか捉えられないと、
貶めてるだけなんだよ。
で、お前らはそんな竹田に下僕にしてもらって喜んでいるwww
死ねよ。屑ども。
>>388 全ては視点的、相対的なものだとして。
そういうこと言ってる奴信じなくちゃいけないんだよww
そう言いながら大して面白くもないこと言ってる竹田の話を、
何で信じなくちゃいけないんだよww
嘘つきのパラドックス。相対主義のパラドックス。知らないのかよ。
そういうことを避けるために現象学をフッサールは作ったんだろ。
何でこんな幼稚園児の話をしなくちゃいけないんだ。
竹田みたいのが一番駄目なんだよ。皆、竹田の胡散臭さはわかってる。
だから馬鹿にし、叩いている。幼稚園児にもわかるだろ。
相対主義のパラドックス。
こんなに簡単に指摘できる原理的な竹田の立ち位置のおかしさ、
意味不明さはもうわかりきった話なのに。
信者だけが全ては相対的だけど私に従えば救われますよの、
念仏聞いて安心している。
そんな馬鹿な話があるかw
>>404 その証明の正しさは何によって担保されてるのか説明してくれ。
竹田
「全ては視点によって制限され、主観的、相対的なものです」。
聴衆
「ふーん」。
竹田
「ですがそれに気付いている私の言うことは無条件に正しく従ってください」。
聴衆
「馬鹿じゃねーの」。
>>408 そういう質問発してる段階でお前は何もわかっていない。
馬鹿で死ぬしかないということを自覚しろ。
数とか論理とか、それは個々の経験からは出てこない、
経験から離れて経験に左右されずに同じ規則でいくものだ。
アプリオリに、つまり経験とは関係なく常に客観的で万人にとって、
正しいものだ。
赤という色もこの赤、あの赤とは関係なく、
これは音と違ってこれは色なんだ、そして緑や茶色と違ってこれは赤でしかないんだ。
そういう共通の本質があるはずだ。
そうでなければ、一つ一つ違うこのもの、あのものが、
同じ赤だとは認識できないし、他者と共通に赤を理解するなどできない。
常に既に誰にとっても共通な本質は個々の一つ一つ違うもの、
一つ一つ違う経験、一人一人違う体験超えて必ずある。
ピタゴラスの定理でも文化芸術でも個々の経験に左右されない、
誰にとっても共通に正しい無時間的に経験超えたものがあるから、
成立する。
そういうアプリオリに正しいものを追求するのが現象学。
果たしてこの世の中に客観的な物があるか?ではなく、
実在してるのは当たり前な客観的な物だけでいかに哲学作るかが現象学。
万人にとっても厳密に正しい学問。
竹田のやってることはそっちにいっちゃいけない、
現象学ではなくなってしまうってことを全て集めたものにすぎない。
竹田は基地外。
>>410 〜はずだとか、当たり前だとかいうのは主観でしょ。
なにも証明できてない。
412 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2014/02/24(月) 19:05:00.80 0 BE:2463674966-2BP(1000)
エルンストの「あなたを変える七日間の哲学教室」はおすすめ。
エルンストは、懐疑主義を三つに分類する。
無限後退:疑問を投げかけつづけて、疑問が無限に続くこと。
独断(ドグマ):疑問を投げかけることをどこかで停止したもの。
循環論法:同じ疑問が現れ、質問が無限にくり返されること。
ぼくは、このエルンストの三分類を認識論の最先端だと思う。
ドグマこそが、知性の表象だ。
413 :
考える名無しさん:2014/03/26(水) 05:04:16.77 0
バカチョンレイパー教祖
朝日新聞のインタビューは、残念でした。
聞き手のレベルがかなり低かったのでしょうが。「かなり」と強調しておきます。
これだと、「最近の若者は…」という話にすぎません。
夢破れる人の割合なんて、昔も今もそれほど変わらないはずです。
なのに、「最近の若者は…」という論調でした。
一時代前だったら、夢うんぬんより、現実社会に身を置いておけば、
自然と給料も上がったわけだから、そのあたりの時代背景もないし。
ご本人の挫折が失恋と社会主義崩壊とかって、それ挫折じゃなうでしょ。
って、多くの人が思ったはずです。
アホ。
でも、きっと、その夢を追う人が多いとか、おそらく本質を突いているのだと思います。
だから、そこだけをもっと掘り下げてほしかったです。
21世紀最強に、酷いコラムだなぁと思いました。
>>415 新聞記者の質の低下ぶりがひどいとはいろんな所から聞こえてきますよ。
聞き手のレベルがかなり酷いというより
読み手のレベルがかなり酷いと言ったほうが良いと思いました
418 :
考える名無しさん:2014/04/26(土) 17:06:01.29 0
俺の通う大学の教授は竹田さんのこと絶賛してたよ
朝日新聞のコラムも本質を捉えてるって言ってる
日本を代表する知性のうちの一人とまで言ってた
どうせわけのわかんない教育学か心理学の教授とかだろ。
420 :
考える名無しさん:2014/04/28(月) 19:35:19.37 0
それなりの地位の人だよ
左翼っぽいけど
フッサールの2大愛弟子
ハイデガー
竹田
423 :
考える名無しさん:2014/04/30(水) 23:00:39.67 0
>>240 超越論的主観性を基底とする超越論的還元は、フッサ−ル中期の
純粋現象学(静態的現象学)であり、フッサ−ル後期の発生的現象学とを
分けて考察する必要がある。
424 :
考える名無しさん:2014/05/01(木) 15:06:40.53 0
>>240 >超越論的還元を経たのに何ゆえに「主観性」ということが言えるのか、という点。
>フッサ−ルの静態的現象学(純粋現象学)は、超越論的還元を経た高次元(超越論的)の状態に於いても、
「超越論的主観」として認識され、次の段階として「本質観取」が行われている。 この点に関してフッサ−ル自身も
一般的な「独我論」ではないが、「超越論的な独我論」と記述している。(H.VV、173f)
現象学は、「一切の先入見(主観と客観)を排する」ことであり、構成的領域に於いては、認識論と、
存在論の両方の意味を包含している。この点に於いて、フッサ−ル的現象学と、本質的な現象学の相異が現れている。
425 :
考える名無しさん:2014/05/05(月) 02:17:41.86 0
426 :
考える名無しさん:2014/06/11(水) 14:44:31.77 0
>>424 >「超越論的還元」と「方法的懐疑」の思考過程は同じものと解釈できる。
ただ、「方法的懐疑」は、「真」という最終目標に対して懐疑(疑う=思考)をする。
デカルトに於いても、「方法的懐疑」を経た後に、超越論的主観(=コギト)を認識しているが、
>>240の、超越論的還元(=方法的懐疑)を経た後において、何故「主観性}なのかという哲学上の
問題は残っている。
427 :
考える名無しさん:2014/06/11(水) 17:10:06.07 0
ハイデガーにおける先-理論的に成立する領域である存在、「有る」
は判断停止してもしなくても変わらず時熟として贈与される。いわば
生の本質であり、真性もまたそのように時熟する。
しかしそこでの本来性を竹田は「日常のなかから煮詰めていくと
いうかたちで取りだされるべきものである。ハイデガーでは平均的
日常が本来的-非本来的という対立で収まってしまい、すぐに出家
主義的になってしまう」として退けている。
竹田の思考がよく現れている箇所で、まず生=時熟という関係が
さほどは考察で重きを占めない。人間が世界にいきるときに先-像
が拘束するというところも読まない。実に意識主義的であり、その
意味で前期サルトル的である。意識で制御し他人と煮詰められること
しか本来性とはすべきではないという考え方。
こういう方法で人間に生が掴めると思うところがそもそもおかしい。
また『ハイデガー入門』だか何だか知らないが、ハイデガーなど
自分のオウム批判や左翼批判やらと一緒くたで読むことしかない。
つまり「人間とは何者なのか」という問いとして読みとる気もないの
だから、現象学だか知らないが竹田に「ハイデガー入門」を書ける
わけがないし、(だいたいハイデガーの本来的歴史が共同存在とか言う
時点で柄谷行人並みの読解しかない)、頼むのが間違いなのである。
ハイデガーにおいてあれだけ頻発して書かれる没-交渉性、自立性、
という言葉の意義を読みこなすことがないのだから、こういう読解
になるのも必然的とも言える。
これがいまだに『ハイデガー入門』というタイトルで本屋で並んで
いること自体が驚きであり、「ハイデガー読めなさ」の代表のような
本なのだから、あえて言うなら『ハイデガー入り口からつまずいた』
とでもするしかないのである。
>>418 最近思うんだけどさ、「知」とか「知性」という言葉、本のタイトルでも新聞雑誌の書評欄でも、
哲学・思想界隈のみにしか許されない専売特許の用語のように使われている気がする。
いや、昔からかな?違う世界にも「知」や「知性」はあるはずなのにね…。
近年だと「知の技法」って本が一般にも売れてから色んなトコで「知」ってコトバが広まったかな??
「知性」は「知性と教養」という感じで一般にもよく使われると思う。哲学で使われる場合は、understandingやVerstandの
訳語として用いられる場合が多いけど。「知」は、フーコーの「知の考古学」や「知への意志」あたりでsavoirの訳語
として、現代思想界隈に広まった感じ。
でも入門書でメシ喰ってるような奴には相応しくない言葉だよね
「竹田信者」も絶滅したようだね
これから読もうと思います
435 :
大日本☆忠君報士:2014/08/23(土) 15:36:32.74 0
436 :
考える名無しさん:2014/08/30(土) 00:58:20.01 0
上野千鶴子とは別の意味での沈黙?
437 :
考える名無しさん:2014/09/12(金) 19:46:57.94 0
熊野現象学とどっちがすごいの?
438 :
考える名無しさん:2014/09/12(金) 20:35:37.35 0
427のい竹田評は、ひじょうに正しい。
しかし、竹田にかぎらず、なんでこんなにも「意識主義」はしぶといのか。
439 :
考える名無しさん:2014/09/12(金) 21:59:19.30 0
どっちも読んでないけど、書き込みを見る限りどっちもどっちなんだろうw
こういうどっちにも収束しうることをもてあそんで学問ごっこするのが日本の哲学
441 :
考える名無しさん:2014/11/15(土) 10:03:41.14 0
>>242 亀レスだが自分の立論の主要部に駄洒落を置くなよ。
私の文章はただの言葉遊びです、と宣言しているようなものだ。
スターオーシャン5をセールして欲しい
スターオーシャン5を出荷して欲しい
スターオーシャン5を売却して欲しい
スターオーシャン5を市販して欲しい
スターオーシャン5を発売して欲しい
スターオーシャン5を出して欲しい
>>441 駄洒落でもいいけど、問題はセンスだよな。
クリばかり攻める。