2011年3月20日(土)
東北関東大震災で、大切な人やものを失われた方たち、困難な状況の中で生活されて
いる方たちに心よりお見舞い申し上げます。
多くの人が信仰の支えをもちえない近代というこの時代、それぞれの生の状況を踏まえ
たうえで、内実ある可能性の原理を語り合い、考え合い続けていくことが、希望への「信」
を形成する、ということを感じています。「哲学」という「言語ゲーム」を、それぞれの実存
へと届くように、また現実の中でのより適切な判断へと結びつくように展開し続けていき
たい、と思っています。
余震の中のヴィトゲンシュタイン
大地震の翌日の3月12日。朝カル「ヴィトゲンシュタイン購読・箱根合宿」を挙行していた
だいた。
課題図書は後期の代表作である「哲学的探究」。
前期「論考」の、「(あらかじめの)言葉の仕組み」が「(あらかじめの)対象世界」をどう正
しく言い当てうるのかという(いわば「実在論的」に「主客一致の問題」の解明を試みような)
視点が180度転換され、自分自身が実際に行っている言語行為を(いわば現象学的に還
元し、内省しながら)見取っていこう、というモチーフがストレートに伝わってくる。
(相互関係での)文脈や、(発話に至るまでの)脈絡「抜き」にして、「言語表現(≒一般言
語表象)だけ」から意味を決することはできない、という基本的な論点にも共感できる。
だが、「言語活動が実際に展開され、ある意味理解が成立している場面(≒言語ゲーム
の様相)」を、客観的視点から解析することに重きを置こうとするあまりか、この「わたし
が思い、考えている」というような「私的言語」について、「それはあり得ない」的論調で否
定していることには違和感。(「論考」での自らの独我論が採っていたように)認識装置の
ような言語システムが先見的に与えられている、という意味での「私的言語」であれば、
それはたしかにあり得ないと思う。だが、(自分なりに内省してみると)多くの場合、「『自分
にとって』の意味づけ・価値づけのもと、対象をとらえようとする」経験がまずあり、それを言
葉にして(自分のうちで)確かめたり、ひとにそれを語って確かめ合ったりしようとするなか
で「言語活動」を営んでいるように思う。この『自分にとって』という項を切り捨ててしまうと、
言語への考察自体が意味をもたないようにすら感じる。
「探究」の中でも、理解し表現しようとする意志、相手の言葉や振る舞いから意図
を読み取ろうとすること抜きに「意味」は成り立たないということも語られてはいる
(一般言語表象を介した意味企投、了解企投のもとに言語活動を見取ろうとする基
本的な姿勢がうかがえる)。そうでありながら、「主観の中にすべての根拠を求めて
しまうこと」と「主観に定位して考えようとすること」が、えり分けられないまま否定
されてしまっている印象を受けた。
とはいうものの今回の購読を通して、「探究」が優れて実存論的言語観に立つも
のであることを、よくよく実感できたように思う。日ごろ「ヴィトゲンシュタイン慣れ」
していない者にとって、「探究」の語り口は、意を汲み取るのがそれはもう困難な
しろものでしたが。
講座中に幾度か緊急地震速報が携帯から鳴り響き、余震が何度も続く状況では
あったが、語り合える仲間と過ごせることの僥倖を味あわせていただいた。被災さ
れ出席できなかった方には心からお見舞いを申し上げたい。
落ち着かない状況の中で綿密に準備して、「探究」の明快な「見取り図」を示して
くれた竹田さん・西さん。
判断が難しい状況の中、責任をもって開催に踏み切っていただいた朝カルの石井課長。
どうもありがとうございました。
竹田もついに分析哲学に屈したか
哲学もアメリカの時代だな
完全読解シリーズで日本人の哲学レベルの底上げに貢献。
竹田の前の世代は晦渋でマルクスな広松と孤高の大森、その他ニューアカで
何も残らなかった。
竹田青嗣は歴史に残る。
どう見ても池田晶子同様、没後あっという間に忘れ去られます。
竹田はフッサール研究がまるで相手にされてないのが痛いな
参考文献として生きていく可能性はこれからもないだろう
わかりやすい現象学の解説書って地位も今ではありふれてるし
ニューアカが生きながらにして忘れ去られてるのに比べればマシなのでは
10 :
考える名無しさん:2011/05/08(日) 00:12:57.27 0
RT @Akira_Shimada 渋谷反原発デモ‼開始前の集会、福島みずほさん、
宮台真司さんらのスピーチ撮影。宮台さん「こんなデモは、相手にとっ
ては痛くも痒くもない。本当に効くのは不買運動。原発関連企業の東芝
・日立・三菱などの不買運動を」 #miyadai
2時間前
11 :
考える名無しさん:2011/05/08(日) 19:46:26.21 0
12 :
考える名無しさん:2011/05/09(月) 09:30:27.90 0
竹田は本質的にミーハーで、
吉本や柄谷みたいな文壇芸能人のおっかけで、
ミーハーおっかけ用の入門書を書くから哲学アカデミズムからウケが悪い。
それを自覚できていればいいのだが、
本人も読者も自覚していないので、他哲学者との対談もおかしなことになる。
13 :
考える名無しさん:2011/05/09(月) 09:50:56.22 0
竹田の対談で噛み合ってるの見たことないなw
岸田くらいか
思想史に関しては学校の先生並みの知識で、哲学科の学部生ですらわかるような
事実誤認をさらっと書いてたりするからな。
ただ思想史は専門が違うとまるでダメな研究者もいるから、相対的にダメとも言い切れない。
いずれにしても竹田が過大評価なのは事実。
竹田と西研って同じ穴の狢?
竹田の入門書は哲学の入門書ではなく論壇芸能界への入門書だと思えばいい
論壇芸能界のトッピクに一喜一憂するための必須教養をまとめたものとしては優れてると思う
柄谷アンチは思想的なモチーフが合ってのことだろうと思ったら
単に柄谷アンチしかできないだけだった
ああだから最近影薄いのか
現象学者としては柄谷なんかじゃなくて鷲田や熊野あたりを批判した方がよかったんじゃないのか
地味だが、結局そっちの方が息長くやれただろう
とすると、凡俗な自分からすれば論理にがんじがらめの哲学者なんてひねくれものだって
話しかできないだろう。
だけど、カントやヘーゲルの正統性を強調するにはそれじゃ都合が悪い。
竹田の哲学史はけっこう面白いと思う
そりゃ竹田哲学史は高校倫理程度の情報を都合よく系統化しただけだもの。
しかし高校倫理自体が60年代以前の哲学史・思想史の学説しか載ってないわけだからどうしようもない。
古典的理解は確かにわかりやすいものの、学問的には問題点が多いのは
社会や理科の教科書全般に言える事実だと思う。
そうかね〜。
ああまで主客問題偏重の哲学史理解は他にない気がするな。
少なくとも高校倫理とはだいぶ違う。
今時、ソクラテス以前やスコラ学をまったく評価しない時点で
哲学史というには射程の狭すぎるわけでね。
やっぱり高校倫理の次元の哲学史理解しかないんじゃないのかね?
フッサールには哲学史的素養は殆どなかったらしい
竹田は自然科学の知識も乏しく、論理学もろくに想定しちゃいないがね。
あの吉本の爺さんですらそのあたりはきちんとしているのに。
確かにへーゲルだって自然科学の知識には乏しかったけれども。
竹田青嗣先生が述べる「読むだけムダな哲学者」
アリストテレス
スピノザ
ライプニッツ
ラッセル(失笑)からクリプキ(現代版ゼノンのパラドックス)など、大半の分析哲学
後期ハイデガー
ポストモダン三人衆(デリダ・ドゥルーズ・フーコー)
竹田先生は、第1にマルクス主義が、第2にポストモダニズムが、哲学をねじまげた犯人である、と明快に述べておられます。
他方、大半の分析哲学者は、自分がどれだけ解決不可能な問題を発掘してきたか見せ合い、自慢しあうという、どうでもいいお遊びに熱中しているので、哲学に高い志をお持ちの竹田先生にとっては論外です。
要は、以上三つに関わる哲学者に深入りするなと、心優しい先生は、入門者に注意しておられるわけです。
竹田、フーコーとドゥルーズはよく引用してないか?
30 :
考える名無しさん:2011/06/01(水) 21:55:25.44 0
『純粋理性批判』完全読解だけはガチ
『存在と時間』期待してます
32 :
考える名無しさん:2011/06/03(金) 19:14:48.16 0
みてるよ〜
あんま話して面白い人じゃないんだな
文章もあんな感じだろ
あの機械的な感じが味だ
竹田の本で違和感あるのは、
フロイトやラカンの心理学は「信念」だと言って退けた舌の根渇く間もなく、
次の瞬間「エロス原理」や「ロマンと挫折」という竹田心理学を持ち出して、
人間を分析しはじめるところ。
「それって竹田さんの言う信念じゃないの?」という疑問が当然出てくると思うのだが、
回答らしきものはない。そこに驚く、逆に。
竹田の煽り文句を上手に選り分けるリテラシーがない人は竹田を読んじゃダメ。
>>36 リテラシーがない君は2ちゃんを見ちゃダメ
でも断定的な記述は多いのは事実だけどな。
竹田を読めないんなら読まなきゃ良いんだよ
40 :
考える名無しさん:2011/06/12(日) 18:30:11.48 0
純粋理性批判に関しては中山元の翻訳についている解説の方が遥かに内容があるよ。
竹田は字面を要約しているだけだけど、中山はそれぞれの主張点の歴史的な位置づけもきちんとしていて、
カントがなぜそう言ったかまでよくわかる。
それと参考文献を一々示しているのも立派な態度だ。
本を読む限り竹田は心理学者なんであって現象学者ではない。
あれが現象学だと思われると困る、
という意味で現象学業界でウケが悪いのはすごくよく分かる。
誰もそんなこと思ってないと思うけど
43 :
ダニエル さん:2011/07/25(月) 13:38:58.98 0
せ〜んせえ
ダニエルは宇宙人だと思う
カントの宇宙人の存在証明が出来たと思います
フロイト心理学を「信念」とはすごいね。
フロイトを批判する人は少なくないが、「信念」というラベルを貼る人はそういない。
ラベルと書いたが、まあ「レッテル」だな。
「信念」を持ちやすい性格の人が、他者の思想にも自分の感性を投影して、すぐレッテルを貼る。
そこへの自問自答は、おそらくない。
「信念」だけじゃないよな、この人の言葉。
現象学って、ほんとにこういうものなのか?
45 :
考える名無しさん:2011/07/26(火) 11:19:18.06 0
日本の在野知識人ってそんなのばっかだな
ちなみに、wikiにも載ってるけど、『存在と時間』を書いたハイデッガーは、後に「実存主義」と呼ばれることを拒否しているよ。
47 :
考える名無しさん:2011/07/26(火) 17:52:31.66 O
竹田現象学の事は知らんが、あらゆる現象は信念の投影だと思うぞ
「人間が実在する」という信念があるから、コミュニケーションが成り立つのであり
貨幣が実在するという信念があるから経済活動が成立するのである
48 :
考える名無しさん:2011/08/02(火) 02:06:55.54 0
はじめての現象学と現象学入門もってるけど
あと竹田現象学の本で(他の哲学とかなくていいです、現象学メインで)、
なんか買ったほうがいいのありますか?
欲望論は一応、意味とエロスってのと、
エロスの世界像もってるから十分だと思うんで
現象学は思考の原理である、は買ったほうがいいでしょうか?
竹田といつも一緒にいる西ってのいるよな
去年大学でこの人の講義受けたけど
言ってることに整合性が無さ過ぎだと思った
とにかく知識の模倣してるだけで偉そうな感じ
その割には媚売るのがうまいから本当に腹立った
竹田の信念論はメルロ=ポンティのゲシュタルト論のパクり。
エロス論はニーチェとヘーゲルのパクり。
>>49 東医の歴代の哲学教授はゴミばかりと言われているから。
>>52 東京医科大出身の先生にかかったときに
「君は哲学科の学生か、僕の大学じゃ哲学の教授はクズみたいな授業で
哲学とか倫理学にいい印象を持ってないんだ」
とか言ってた。
たしかに西に科学思想史、医療思想史、応用倫理学なんて教えられなさそう。
54 :
考える名無しさん:2011/09/09(金) 14:53:20.77 O
教授になってたんだな
55 :
よし:2011/09/29(木) 20:03:12.08 0
2ちゃんねるは久しぶりですが宜しくお願いします。
この表題の竹田青嗣さんの言葉、文章の中で
確か文化問題についての議論で『Aの方が正しいとかBの方が正しい』だったか
『日本の方が偉い、とか朝鮮の方が偉いとかそういって比較するのは両方バカげている』
というような言葉を述べられていたのですが、何ていう文章の中の言葉が気になって
しかたありません。恐らく小論文の教科書にでていた文章です。
文化論だと思うのですが・・・、あまりレスもついてないスレッドですが
ご存じの方、ご教授下さい、失礼します。m(_ _)m
>>55 そもそも、あなたはまともな日本語で質問が書けていないんじゃないの?
それはそれとして、そこで引用されている文章は、誰でも言える程度のものでしかな
いから、捜すだけ無駄だと感じます。
第一、竹田なんて読むだけ無駄だよ。
57 :
よし:2011/10/01(土) 18:57:45.67 0
56さん有難うございます。
そうですか・・・現実世界でもときたま
まともじゃないとかまともなやつではないといわれます。
自分では結構まともと思ってるんですが。。。
自分ではかわいいかっこいいと思ってるけど、他人からはブス不細工って奴ですかね。。。
日本語になってないのかなやっぱし。
結構好きな作家や著者でも結構批判されてたりしますしね。
ウソも結構多いですよね本は。
いろんな考え方があると思うけど。。。
そう考えると哲学は根本だと思うし誰のを読めばいいのかなって思ってしまいます。
吉本隆明なんかもいなと思うけど、只のボケたおじいさんっていわれてるし。
56さんは、どんな本を若いとき読みましたか?
私は古本屋で好きそうな本、興味のある本を給料が出たら
10冊程度買って、部屋で読みます。
最近は 救世主の野望 江川昭子
追い詰めるオウム真理教 有田労生
突破者 宮崎学
考え方の論理
とかです。
58 :
考える名無しさん:2011/10/04(火) 22:28:26.16 0
カント
.ノ′ } 〕 ,ノ .゙'┬′ .,ノ
ノ } ゙l、 」′ .,/′ .,ノ _,,y
.,v─ーv_ 〕 〕 .| .il゙ 《 ._ .,,l(ノ^ノ
,i(厂 _,,,从vy .,i「 .》;ト-v,|l′ _,ノ゙|.ミ,.゙'=,/┴y/
l ,zll^゙″ ゙ミ .ノ .il|′アll! .>‐〕 \ _><
《 il|′ フーv,_ .,i″ ||}ーvrリ、 ¨'‐.` {
\《 ヽ .゙li ._¨''ーv,,_ .》′ ゙゙ミ| ,r′ }
\ ,゙r_ lア' .゙⌒>-vzト .ミノ′ 〕
.゙'=ミ:┐ .「 ./ .^〃 :、_ リ .}
゙\ア' .-- ,,ノ| 、 ゙ミ} :ト
゙^ー、,,,¨ - ''¨.─ :!., リ ノ
〔^ー-v、,,,_,: i゙「 } .,l゙
l! .´゙フ'ーv .,y ] '゙ミ
| ,/゙ .ミ;.´.‐ .] ミ,
| ノ′ ヽ 〔 ミ
} } ′ } {
.| .ミ .< 〔 〕
.{ \,_ _》、 .{ .}
{ ¨^^¨′¨'ー-v-r《 〔
>>53 あいつは本当バカ
東京医科の前のときの大学でニヒリズムを扱う時に結局単純な根性論ふりかざしちゃっててさ
根性論振りかざしたり冷めてるのがかっこいいみたいな言動かましたりとにかく言動が一致しない
あとは知識自慢もやたら多かったね
じゅーーーーーーーーんんんいち、に、サンシャイン、四、うぃ〜〜〜GO0000000!
>>60 和光の学生程度ならそんな授業で十分だと思う。
和光と言えば笠井潔も竹田の本を引用してたけど。
この人のエロスの現象学だっけか、あれは専門的でむずかしかったなあ
全然わからなかったよお
結構バタイユとドゥルーズは好きそうだったのに嫌いなのかな?
んで東京医科ではちゃんと教えられてるのかあいつ
またニヤニヤ愛想笑いばかりしてんのかな
65 :
シャイア・ラブーフ:2011/11/19(土) 03:06:51.99 0
カントの分霊箱
カント研究者を攻撃すると墓が揺れる
67 :
考える名無しさん:2011/12/16(金) 20:53:34.68 0
age
69 :
考える名無しさん:2012/01/03(火) 06:14:02.97 0
哲学史というものが哲学における抑圧の機能をはたしているのは明らかだ。
はっきり言って、あれは哲学におけるオイディプスだ。
「あれこれ読んで、あれについてのこれを読まないうちから、
まさかきみは自分の名において語るつもりじゃあないだろうな」というわけだ。
薄汚い墓掘り人夫だよ。
評判よくないな。
普段温厚な現象学専門の教授が珍しく辛辣な言葉でこの人を批判していたから驚いた。
現象学をやってる人からは特に評判が悪いみたいだな。
>>72 そんなの書けるわけないだろ、こんなところにw
それ言ったら俺はゼミ特定されるじゃん。
まあ、日本の現象学の研究者のなかではわりと有名な人だよ。
74 :
考える名無しさん:2012/01/06(金) 04:34:40.83 0
しっかし、なんなんでしょうねあれ。
只今エージング500時間中ってwww
製品が店頭に出てるのに客にエージング求める製品がどこにあるかっつーーのw
ジーパンとかといっしょだと勘違いしてるなw
だいたいエージングという用語は品質の経時変化を指す工学用語であって、品質管理的には製造者がもっとも気を使ってるところ。
それを消費者の手に渡ってから何十何百時間もエージングされてからの性質を予定してリリースしている会社があるかっつーーのw
びっくりだよw
ひさしぶりにオーディオ関係のスレ、ああ高級ハードじゃなくてまあ数万以下の庶民商品だけど、
まあまあ!自称プロを語りたいのかしらんがエージング中エージングまだエージングして音がよくなったetcw
2chもアマゾンも価格ドットコムもすべてwww
こんな珍現象、日本だけだぞw欧米では常識化してない感触だし、チョンとかでもここまでつっぱしってねーんじゃねーの?w
エージングして音がよくなったんじゃなくて手メーラの耳が適応してきただけだろーがwww
なぜエージング(経時変化)で音が自分に合わない方へ変化しないのだろうかとか考えたこともねーんだろうなwww
一人がいいだすとみんな言い出す!横文字だとなおさら箔がつくw
まさに日本哲学とおなじだよ!わっははははは
加藤典洋はそこそこ評価してたし、渡辺二郎は西研の本の解説を書くなど好意的。
山口一郎は学術的な議論の系譜とは別のものとしていた。
中島義道も在日コリアンのマイノリティ思想という意味で捉えているぐらい。
他には完全スルーされてるね。
ただ日本の現象学研究は関東と関西で大きく割れてるので、研究者同士で
とやかく言いたがらない風潮があるから、スルーされるだけで終わってる。
渡辺二郎は全集が出たけど、竹田は死んだらあっという間に忘れ去られると思うね。
師匠格の小阪修平が没後あっという間に忘れ去られたわけだしね。
>>75 加藤典洋は『テクストから遠く離れて』っていう本読んだけど、現代思想に対する理解がでたらめだったぞ。
加藤典洋が評価してると言われてもその評価自体あてにならない。
ていうか、早稲田の教員のよしみじゃないのかそれ
ほとんどの学者が死ぬ前から忘れ去られるんだから「在日コリアンのマイノリティ思想」として残ればそれはそれでいいんじゃないか?
その程度のものすら無い国だからな。日本は。
>>77 在日コリアンが哲学をやってるからといって、それだけで在日コリアンとしての思想になるのか?
竹田はもともと在日朝鮮人文学論で出てきた人だもん。
哲学をやるようになったのは、小阪修平の勉強会に行きはじめてから。
小阪は東大全共闘の中心的なメンバーで結局東大を中退した人で、
80年代はまだ当時は珍しかった哲学の入門書や「哲学の小部屋」
「哲学の傲慢」といった深夜番組をやっていて90年代の哲学
ブームのはしりで活躍した人物。
この勉強会には竹田のほか東大で社会学をやっていた西研、同じく
東大中退でフーコーや純粋理性批判やプロ倫の新訳をやった中山元
などが参加していた。
この勉強会の連中は哲学の専門教育を受けてないやつばかりというわけ。
小阪は駿台予備学校の小論文講師をしていた関係で、西を駿台の論文科に
引っ張ったり、小阪と同じ東大全共闘メンバーで以前は東大理学部助手
だった最首悟が駿台小論文科の講師の傍らで和光大の教授になったので
西を和光大の教員に呼んだりしていた。
西研は東大修士だろ?
一応、専門教育は受けているのでは。
和光大は昔から左翼イメージがとても強いよね。
それなりにいろんなジャンルに人材も出してるユニークな大学ではある。
竹田青嗣は西研にドイツ語を習ったんだっけ?
>>80 東大でも駒場だし、哲学でもやっていたのは社会哲学。
伝統的な哲学ではない。
竹田の似非現象学と在日思想なんて、何のカンケーもねーべw
>>79 詳しいなー。
しかしよくそんなこと調べる気になるね。
そのモチベーションがすごいと思う。
86 :
考える名無しさん:2012/01/08(日) 20:28:01.90 0
いわゆる『ORGAN(オルガン)』 グループですね。
87 :
考える名無しさん:2012/01/09(月) 10:18:38.84 0
そのわりには、
中山元の仕事は、
アカデミックな観点から見ても、
けっこう優れているのでは?
たとえば純粋理性批判の解説で比較すると明らかに竹田より数段上。
そうそう、中山役の純粋理性批判は俺も教授から薦められたw
このへんの全共闘世代グループは大学アカデミズムに対抗したつもりなんでしょう。
まともな神経してたら「大学解体」とか言っておいてシャアシャアと大学院に進んだり大学に残ったりできないでしょう。
90 :
考える名無しさん:2012/01/09(月) 14:08:50.13 0
ま、日本人はどいつもこいつも駄目だね、哲学は
自分の考えがない。
韓国哲学を舐めるなってことだよな
雑魚めが
92 :
考える名無しさん:2012/01/09(月) 14:17:34.90 0
韓国も似たようなものだが
主張したりごり押しするのは韓国のほうが上かもな
93 :
洋楽:2012/01/09(月) 15:43:46.20 0
・・・・ にゅる押し とくいだけど 文句ある?
吉祥寺太郎です
専門的な教育を受けてても、哲学を理解した事にはならんよな?
大体、専門的な教育って語学だし、思想そのものの教育を受けた訳ではなくて、
あくまで原著を原語で読める訓練ってだけで。
で、その専門的な教育を受けた奴の訳した本のまた酷い事。
根本的に思想そのものを理解してないから誤訳だらけ。
誤訳だらけとか具体的に指摘できる学力がないと言い募る意味もないよな。
そこから初めて対等になる。
研究者って単なる語学フェチになっちゃうからね
独学で他人の批判受けずに突っ走るよりかは、
教育機関に属して指導を受ける方が、理解への近道なんじゃない?
レスからはなんだか、独学の俺の方が偉いんだぜオーラを感じるけども
普段温厚で竹田の事となるとキレる現象学者って誰?
谷徹?
谷って「これが現象学だ」のあとがきで竹田なじってたよね
形相的還元から論理を生み出す必然性を理解しない竹田は嫌いだ、みたいな
つーか、谷の様にそもそも論理を形相的還元で生み出す必要性があるのか?
ってのが読んでる人の疑問だと思うが
103 :
考える名無しさん:2012/01/09(月) 18:28:33.92 0
谷の様に → フッサールの様に
谷と竹田の顔比べてみろ
圧倒的に竹田の勝ちだ
優雅な教授然とした竹田
家でLINUXでも弄ってそうな谷
>>101 竹田って論理的帰結よりも、人間社会の合意を重視してるのがおかしいんだよな。
その割にまともな論争をしてないんだから、ただ哲学史上の偉人の言説のコラージュを
自分の理論にまとめてるだけにしか見えない。
役人の作る総花的にまとまった行政計画みたいなもんだよな。
文学的な読み物としてはそれでもいいけど、論理構築も弁証法も成り立ってないものを
「哲学」と言い張るからいかがわしくなる。
それはそうかも知れない。
自分が言いたいことがあらかじめあって、それを補強するために自分の考えと似た見解を取る哲学者の言説を引用するみたいな。
柄谷行人にもそういうところがあるし、その辺が哲学プロパーと文芸評論家の違いだろうね。
>>101 形相的還元から論理を生み出すってどういうことだ?
論理ってそもそも内容とは関係ない純粋な形式なのに。
アプリオリな論理の形式を主観的に行うしかない形相的還元から導いても、論理としてはまともに機能しなさそうだが。
東も最近は一般意志とか竹田の合意モデルを何気にパクってるよな?
昔はフランス現代思想の人間だったのに、竹田の近代哲学再考の講演を聞いた途端
急にルソーとか言い出すからな
110 :
考える名無しさん:2012/01/10(火) 09:57:04.50 0
無知ほど恐ろしいものはないな。
>>109 師匠(柄谷)筋の宿敵にあたる竹田からパクるってのが
東らしよなw
112 :
考える名無しさん:2012/01/10(火) 17:17:51.16 0
哲学の「専門的な教育」というと、
まずは、(語学というよりも)哲学書の論理的な文脈の読み方だろうが、
次には、論文の添削指導だろう。
学会の査読もその延長で、これは未知の複数の査読者が付くのでより説得力がある。
そういう被査読経験が全くないと、基本的な誤解を正される機会が永遠にないことになる。
113 :
考える名無しさん:2012/01/10(火) 17:30:15.02 O
きみは正しい、ただし実証科学の技能を身に付けるなら。
つまり、ある哲学者についての実証研究するなら、資料の正確な取り扱いは必要なのだ。
つまり、「○○における××について」を、やるならね。もちろん、そういうことする人だって必要だ。
でも哲学は実証科学ではなく(日本ではそこが取り違えられているが)
哲学それ自体をするなら、あるに越したことはないが、それがないからといって本質的な批判ではないのだ。
君や君の先生、あるいは学会の発表で「○○における××について」ではなく、哲学は何をしたと言うんだい?
でも竹田ってそういう仕事が多いじゃんw
115 :
考える名無しさん:2012/01/10(火) 17:36:05.25 0
アタマワルソ。
116 :
考える名無しさん:2012/01/10(火) 17:37:25.76 O
>>112 その理屈でいうなら
多分、本人+数人にしか論文を読まれない圧倒的大多数の学者より竹田の方が'査読'されているだろう。
本を出せば未知の人間に査読されるし、その人数も天と地の差だ。
なに、専門家に読まれなきゃだめ?
今、ここに書いているまさにあんたのような専門教育を受けた人もその中には含まれてるんじゃないのかい?
でも、それ言ったら東が「一般意志2.0」とか、
明らかにITに繋げて書いてる訳で、そこを批判しないで
竹田だけを叩く理由がわからんよね?
一般意志ならあるけど、一般意志2.0なんて哲学に無いし
>>116 そのほぼ読者の大半は竹田の著作内容にダメ出しする能力もないわけで。
本当に世間に査読されているのだったら、「マックス・ウェーバーの犯罪」の
羽入辰郎ぐらい袋叩きにされてると思うけど。
実際は、竹田にまともな批判をしてる文章なんてほとんど見かけないわけだから。
>>109 合意モデルにしたって竹田の独創じゃないけどな。
一般意志2.0は東の独創だろw
査読して誤読だと喝破しろよw
120 :
考える名無しさん:2012/01/10(火) 18:36:21.03 O
↑の人は要は大学院に行かない限り普通は査読なんか受ける機会はないわけだから、大学院に行かないと哲学の本出しちゃいけないってことなのかな?
自分は、家計の事情で高校出て大学にすら行くチャンスがなかったんだけど、哲学したり、その成果を世の中に発表しちゃだめなのか。
でも、それが大学院で哲学的な専門教育を受けて査読も通り抜けた人のいう哲学的な答えなのだから、仕方がない。
一般意志2.0というマガイモノが批判されないのに
竹田が批判されるというあべこべの状況w
122 :
考える名無しさん:2012/01/10(火) 19:18:14.11 0
>>120 大学院に行かない限り普通は査読なんか受ける機会はないわけだが、
だからといって、
大学院に行かないと哲学の本出しちゃいけないってことにはならない。
ただ、専門家の査読に耐えるものにはならない可能性が高いというだけのこと。
これは事実の問題であって、いいかいけないかの問題ではない。
>>116 そういうのは「査読」とはいわない。ただ読まれているというだけで。
学問である限り10万人の素人に読まれるよりも3人の専門家の査読を通る方が重要だといえる面がある一方、
哲学には大衆ウケという別の要素もあるので多くの素人に読まれて役立てられることもまた必要だ。
一方は他方に還元できないそれぞれ独自の意味がある。
何書いても垂れ流しの紀要論文のどこが査読を通過してるといえるの?
日本の哲学界は東大に支配されてるからな。
東大卒なら、それなりのものでも評価されるが
東大卒以外だと、よほどのものでないと評価されない。
しかも偏差値エリート支配のせいで、哲学というより文献学になってる。
そりゃ東浩紀はフランス語読めるもの
ドイツ語の出来ない竹田とは角が違う
フランス語読めて一般意志に2.0とか付けるのか
そりゃ凄いよな
127 :
考える名無しさん:2012/01/11(水) 10:18:28.20 O
竹田は論外でしょ。
ドイツ語できないのに現象学入門書書くわ、それだけに飽きたらず、「俺が一番現象学を理解している」
と虚勢張ったりと、正気じゃないよ、この人。
まだ邦訳されていない重要なテキストもあるのに、どうして自信過剰になれるのか理解できない。
ハイデガー入門にしてもそう。
『存在と時間』なんか邦訳で読んでもなかなかわかんないよ。ドイツ語で読まないとわかんない。
でも、一般意志に2.0とか意味不明なバージョン情報つけちゃう奴は
余裕で見逃すんだろ?
なんだそのいい加減な査定基準は
竹田はドイツ語勉強してるのか、してないのか、
どっちなんだよ。本人はやってるって言ってるじゃないかよw
130 :
考える名無しさん:2012/01/11(水) 10:41:38.29 0
>>129 本人がしてるって言ってるなら十中八九やってるだろうよ。
だいたい哲学で大学院出ていて語学やってないっていうことがまずありえない。
加えてネラーは息をするようにウソをつくのが当たり前の連中だからなw
竹田がドイツ語できないって言ったのはスガだっけ
昔は竹田となんかやってたんだよな
竹田は西研と読み合わせでドイツ語文献を読んでるんでしょ。詳しくは知らんが。
スガは全然語学ができない人だけどなw
東も辞書と首っ引きじゃないとフランス語が読めないと浅田彰がバラしていたけどw
ほらほら語学はできるけど、哲学はできない連中がワラワラと集まってきたw
哲学やってるはずなのに、拠り所が語学w
これが東大哲学w
東大コンプ見え見えだよw
語学は大事に決まってんじゃん。
できないと本を読むことすらできないんだから。
東大は、偏差値が高くて勉強熱心なのは素直に認める。
だがその割には、肝心の哲学がパッとしない上に、排他的なのがいただけない。
具体的に誰がパッとしてるの?w
パッとしていない東大が支配していて排他的だったら
パッとできる人なんているわけないじゃん。
東大生?の割には馬鹿だな。
そもそも哲学においては、語学が最重要要素ってわけじゃないし。
重要だと言えるのは、語学より論理学。
だから、理系出身の哲学者が結構いるのに対して、文系非哲学科出身の哲学者があまりいない。
そうだよな、何しろ一般意志に2.0を付けて
理系にしてしまえば何も文句つけないトンデモっぷりだからな
自分がパッとすればいいのに他人を嘲るのも非生産的だな。
本当に哲学してるのなら他人のことなど本質的に関心無いだろう。
釣り師が多過ぎる
つまらん
早稲田では英語で講義してるんだから、語学はできるだろう。
144 :
考える名無しさん:2012/01/11(水) 23:08:56.00 O
竹田とは関係ない話ではない申し訳ないんですが、一つ素朴な疑問なんですけど、
ここの話を聞いてると、日本の大学院出の哲学アカデミシャンはそんなに語学が出来るのに、
どうして、世界に知られた日本の哲学者がいないんですかね?
その語学力で世界に打って出ればいいのに。
実に奇妙な話です。
145 :
考える名無しさん:2012/01/11(水) 23:10:19.85 O
竹田とは関係ない話ではない申し訳ないんですが
↓
竹田とは関係ない話で申し訳ないんですが
146 :
考える名無しさん:2012/01/11(水) 23:23:08.03 O
日本人なんだから日本語で哲学すればいいのに、
どうしていつの間にか、哲学をする=外国語で本を読むってことになってるの?
偉大な思想の本を読んで自分の思索に役立てるのはわかるけど、
自分の思索のための手段でしかない読書が何で、いつの間にか目的になってるの?
院生や、大学教授に「あなたは何をやってるの?」ときくと、
「カントやってます」とか「ヘーゲルやってます」とか答えるけど、
むしろ私が訊きたいのは彼らの本業。
つまり、彼らの思想を教えて欲しいんだけど、
いまだかつて、それに答えた人はいなかった。
思索の手段は言語だろ。言語なしに思索はできない。
哲学で飯を食うのは大学の講壇哲学者になるってことだから語学とは手を切ることは不可能だろうね。
逆に言えば、家で自由に思索する分には資格も学歴もいらないわけだから、自由にすればよろしい。
哲学と言語の関係とはいかに。
哲学は言語学ではない。言語の分析が哲学の根底だとしたら、哲学は言語学に還元されてしまう。
思考するとき言語を使わないと思考できないだろ。
自然科学であろうと哲学であろうと同じだ。
「犬」を想起するときイヌという言語と対応させて思考の対象になるだろう。
言語学と文学の区別がついてないバカっているよな。
それ以前に自分で何を言ってるかわからなくなってるんじゃないか。
>彼らの思想を教えて欲しい
では、これを説明するとき言語以外の何を使って説明するのか、と。
>>146 そういう研究の方が、地道で確実だからな。
偏差値エリートが好む道。
哲学は才能に依存する部分が大きいから、力を発揮できるかどうか不安定だが
語学力に基づく文献学なら、安定した力を発揮できる。
それに、語学がそんなに重要なら、独文科卒や仏文科卒の哲学者がもっといてもいいはずだが
どちらかというと、数学科卒や物理学科卒の哲学者の方が目立ってる。
>>150 いわゆる語学と言語学はまったく別物だろ。
>哲学は才能に依存する部分が大きいから、
wどの分野でも同じだがw
>それに、語学がそんなに重要なら、独文科卒や仏文科卒の哲学者がもっといてもいいはずだが
>どちらかというと、数学科卒や物理学科卒の哲学者の方が目立ってる。
どこの学科に元いたかそのものは重要じゃないでしょ。
理論すきなものが哲学に流れたんでしょ。
>哲学は才能に依存する部分が大きいから、
数学や理論物理同様、頭脳だけが頼りの分野はそれが顕著ということだろ
>哲学は才能に依存する部分が大きいから、
プッ
うわぁ…必死
地道な研究なら頑張っただけの成果は出るけど
独創的な研究は頑張っただけの成果は保証されないから。
偏差値エリート君って、哲学の才能を頑なに否定したがるんだよな。
哲学で独創を気取ることに意味はない。哲学は芸術ではない。
珍奇なこと言えば勝ちみたいな価値観は80年代ニューアカ的な価値観だな。
独創と珍奇を一緒にしちゃったよw
60sに早稲田政経を出た竹田は十分偏差値エリートなんですけど。
竹田にこれといった独創性は感じられないが
在日朝鮮人じゃ就職先もないし、日本国籍を採らない限り、国籍関係ない医者か弁護士になるか家業を継ぐしかない。
身近にそういう人がいるから彼らの生き難さはよく知っている。
日本のユダヤ人みたいなものだ。
その辺が竹田さんの思想の根本的モチーフなんだろうね。
ホント高学歴君って、マニュアルのように独創を嫌うというか、独創を憎んでるよな。
塾で勉強し過ぎると、こうなっちゃうのかな?
>>163 キミが言う独創って具体的に何?現存する日本人では誰?
大森荘蔵は「哲学者」だったと思うが、偏差値エリートですよ。理系ができすぎて哲学に逸れた。
ジル・ドゥルーズもハイデガーも厳密かつ正確な文献学者で哲学史家だったのだが。
自分が「独創だ」と思い込んでいる思想がとっくの大昔に誰かが論じて結論が出た話だったり、
それどころか耳タコの常識に属する部類の話であることは大いにありうるよね。
それを確かめるためにも過去の哲学書を読むことには大いに意味がある。
小説だっておんなじだ。長い歴史の中でそんな話はすでに書かれていると知れば恥ずかしくて書けないだろうけど、
無教養で何も読んでない奴が多いから平気で同じような話がワラワラと無限に書かれてしまう。
東はフランス語できるのに一般意志に2.0とか付けるのかよw
明らかに文献学的には間違いじゃねえか
ルソーが一般意志に2.0とか付けたのか?
>>163 底辺の私立哲学科でも高校普通科卒業レベルの学力は必須だけれども。
竹田信者も学校教員に多いあたりからしても、アカデミックではない私的研究
ですら最低限の学力は必要なんですよ。
底辺の私立哲学科って東洋大あたり?大学の看板らしいけどw
>>163みたいな露骨な釣りレスに引っかかるやつがこんなにいるのかw
賢い人は無視するはずだと思ってるわけだ
>>169 竹田となんら関係ないレスだから、荒らしそのものだけどな。
おそらく1人だけだよな?この荒らしは
随分昔から竹田のスレに居付いてるが…
にしても、東の一般意志2.0って、最近の竹田の『近代哲学再考』とか
『人間的自由の条件』、『人間の自由』とかの竹田の著作内容を
無理矢理ネット化したもんに見えないか?
そもそも東は浅田とか柄谷のフランス現代思想派の人間だろ?
何で突然竹田が前々から論じてた近代哲学のルソーを持ち出すのやら
笠井潔との対談で東は竹田の講演に出入りしてたって言ってたから
その辺の影響もあるんだろうね。
笠井との対談では東は「竹田さんは近代哲学にばかり閉じこもってる」とか
言ってた気がするけど、今は東がそれをパクってんじゃん、って思うね。
175 :
Uzen ◆kik7AdCG/E :2012/01/13(金) 20:45:54.44 0
西券w
176 :
Uzen ◆Vs/5QK12tw :2012/01/13(金) 20:49:24.10 0
>>146 日本人は根本的に哲学や思想学が苦手なんだよ
だから欧米人の猿真似ばかりする
自分たちで議論ができないんだ
西の講義なら受けたけど、この人って
「暗記するよりも、思考が重要」みたいなこと言いながら
結局、暗記メインの講義だったな
しかも「イ○ローは凄い。分かる??」みたいな説教もしてたな
人間は二通りに分けられる
竹田青嗣である人間と
竹田青嗣でない人間ども
179 :
考える名無しさん:2012/01/13(金) 23:04:07.98 0
ルソーなんて竹田に限らずいくらでも論じられているじゃないの。
日本で最も研究の伝統がある思想家の一人だから。
ルソーw
竹田さんの過去4作品くらいの要旨は、
近代哲学を見直して、近代原理から民主主義を良くしていこうって内容で、
東の一般意志2.0ってのは、それをtwitterとかネット限定に
押し込めちゃったって感じ、その方が若者には受けると思うけど。
竹田も東も、死んだらあっという間に忘れ去られるんだろうな。
東はどうなるかわからん。
人間としての評価はともかく文壇では画期的な批評家として持ち上げられてるからな。
サブカル批評で一番のピッグネームは東だから、サブカル批評の歴史みたいなものがもしできたらそこに残る可能性がある。
サブカル自体がアブクみたいなもんだから。その評論家が残るわけない。
普通、作家は残っても評論家は残らない。
死んだ昭和の評論家でも普通に手に入るものは小林秀雄くらいしかない。
サブカル評論ならなおさらだろう。
テリー伊藤の本と変わらない。
カルスタのことを考えればそうとも言い切れない。
ギルロイなんかの前例もあるしな。
別に東とギルロイを同列に語るつもりはないが。
>>183 例えてみれば、澁澤龍彦みたいなもんか?
187 :
考える名無しさん:2012/01/15(日) 11:12:43.81 0
小林秀雄だってもう消えかかっている。
そういう意味ではむしろ哲学者の方が残るだろう。
独創的で客観的学術的価値があればだが。
小林秀雄が消えかかってる?
それはないだろう。
そこらへんを歩いてる人の大半が名前を知ってるよ。
まあコンテンポラリーでもないのにそんなレベルの知名度を維持する批評家が今後出るかはわからないけどな。
189 :
考える名無しさん:2012/01/15(日) 12:26:01.54 0
ニーチェの良さがわからないなんて脳障害かよ
ハイデガー2年勉強したけど哲学し尽くしたニーチェと比べたらカスだよハイデガー
まぁ学び始めた頃ハイデガーはマジ神!とか思ってた俺は馬鹿だけどなw
ハイデガーに限界感じて習い初め難すぎだったけどニーチェが神すぎた
ハイデガーじゃ100%できない事も簡単にできるしなwww
ニーチェで賢さが異常になったわ
ウィトゲンシュタインとニーチェと比べたが素の状態なら余裕で勝ってるし
ウィトゲンシュタインとかラカンとか悲観主義のゴミだろ
特にハイデガーはない、カス
まともに使えない時点でカス
理系はカス
哲学出来ない脳障害か初心者にはお似合いだ
ハイデガー(笑)じゃ一生無理な話だなwww
190 :
考える名無しさん:2012/01/15(日) 13:55:57.56 0
小林秀雄より廣松渉の方が先に消えると思うよ。
191 :
考える名無しさん:2012/01/15(日) 15:26:49.71 O
それはないな。
てか、別のジャンルを比べてどうするの?
小林は文芸批評家
廣松は哲学者
全く別々の分野。
廣松渉はもう海外で読まれてる。
中国ではレヴィナスとか現代思想と同列で語られてる
以前そういう記事読んだ。
小林にこういうことはありえない。
広松のマルクス読みは、アルチュセールとかそんへんよりよっぽど
学問的に厳密。
欧州だと、生前は全く評価されなくて、死後になってから評価されることがしばしばあるけど
日本では、そういう話は全く聞かないな。
作家や詩人ならたまにいるでしょう。
小林秀雄だって海外で読まれてるよ。
ドナルド・キーンとか。
そろそろ竹田青嗣の話に戻りましょう
197 :
考える名無しさん:2012/01/15(日) 20:53:54.73 0
もちろん竹田は死んだらすぐに忘れられるだろうけど、
今はそこそこ読まれているんだからそれでいいじゃないの。
殆どの人はどのみち忘れられるんだよ。
学者なんて定年したらすぐに忘れられる人もいる。
そもそも名前が認知されてない人も大勢いる。
199 :
考える名無しさん:2012/01/15(日) 22:43:04.98 O
エッセイストって感じかな。
哲学者ではない。
エッセイストとしてなら成功したんじゃない?
まぁそれだけの話だけど。
思想に触れてみたいと思ってる人が読んで何となくわかったような気にさせる人かな。
でも、それがきっかけとなり、本格的に哲学を学ぶような人がいればそれでいいし。
現に竹田の現象学入門をきっかけに現象学研究に入った人もいるし。
ちゃんと勉強した今じゃ、竹田の言ってることが誤りだらけであることを指摘しているけどさ。
その人もきっかけを作ってくれた竹田には感謝してるってよ。
エッセイストではないな
哲学者ではなく思想家でも、福澤諭吉とか、大川周明とか、
北一輝とか保田とか、結構名前が残っているひといるじゃん
そもそも東の一般意志2.0なんざ、
東自身がエッセイだと認めている、が、
>>199なんかは
その辺の都合の悪い部分を全部省いて、竹田のみがエッセイストだと
強制的に決め付けてしまうからたちが悪い
一般意志2.0も東がフランス語が読めるのなら
ルソーの誤読も良いところなのは承知だろう
どこが査読を通過したものなのか
ルソーの一般意志に2.0を付けただけ
しかし
>>199はそれでも学術書だと思い込んでしまう
何故なら彼の頭の中では東が好きで竹田が嫌いだからで
好き嫌いが先行して論理をすっ飛ばしてしまうからだ
204 :
考える名無しさん:2012/01/16(月) 19:29:26.44 O
俺は199だけど、東のことなんか一言も触れていないけど何か?
別の問題にすり替えて批判した気になっているようだけど、まるで竹田が相手を批判するやり方(笑)。
東のことなんかどうでもいいし、興味ないけど、俺は東も哲学者だとは思ってないよ。
思想エッセイストって感じで、竹田と大差ないと思っている。
竹田アンチって前提を勝手に変えるよな?
何で竹田をエッセイストと前提して語るのか
その何故かって部分を詳細に説明してよ
東は一般意志2.0を自身でエッセイと言ってるから
東はエッセイストで間違いない
竹田は自身をエッセイストとは言ってない
そこを強引に自分の趣味で勝手にエッセイストと決める理由を
説明してよ
206 :
考える名無しさん:2012/01/16(月) 22:59:49.36 O
はぁ?
エッセイストであることを前提にしているのではなく、エッセイストであると感想を述べているだけ。
竹田信者は前提という言葉の使い方一つとっても変だね(笑)。
竹田って文芸評論家だろ。自分では何者のつもりなの?
最初は文芸評論家としてデビューしたんけど、小阪修平の読書会か何かに参加した後で、
哲学者と名乗り出して、当時ドイツ語読めもしなかったのに現象学入門書き出して、
それがある程度市場で売れたから今度はハイデガー入門書いたり、ニーチェ入門書いたり。
んでもって調子に乗ってギリシア語できないのにプラトン入門書いたりとやりたい放題になった。
これは竹田だけのせいではなくて、編集者の責任の方がでかいと思う。
特にちくまの編集者が竹田をおだてて調子に乗らせちゃった。
いつのまにか俺と西研しかフッサールをわかってないとか世迷いごとを語りだしたり、
経済学も大して知りもせずに資本主義について語りだして増上慢になっちゃった。
竹田は吉本隆明直系だろ。
吉本さんは哲学の啓蒙書は書かなかったけどね。
別に何言おうといいわけよ。
文芸誌の中にそういう伝統があると言うか。柄谷行人も似たようなもんでしょ。
彼も原典には本格的には当たってないでしょ。
柄谷はギリシャラテンを読めないと思うが「哲学の起源」とかソクラテス以前まで堂々と論じてるよね。
確かに、「竹田現象学」みたいのはありだと思うけど
入門書はちょっと考えものだな。
>>209 論戦経験もそこそこしていて、他の研究者による学術的な検討・評価も
されてきた爺さんと、単律宗教みたいな著作活動しかない竹田を一緒に
されてもねえ・・・。。
学術書を読みこなせない読者層に訴えかけてる点では共通してるけど
系統的なつながりは全くないよね。
213 :
考える名無しさん:2012/01/17(火) 10:45:39.14 O
吉本なんか評価してるのは全共闘の残党ぐらいしかいないよ。
吉本は谷沢永一との論争でコテンパンにやられて、逆上したあげく、尻尾巻いて逃走したしな。
214 :
考える名無しさん:2012/01/17(火) 12:03:27.37 0
まあ、たしかに同じ穴のムジナではあるな。
竹田の現象学がダメだと言うなら、
ただ「ダメだ」を繰り返すんじゃなく、一ヶ所でいいから、
具体的に、どこが、どうダメなのか書いたらどうか。
そうしないと、いつまでも同じ話の繰り返しだろう。
>>215 ダメな理由が、「専門教育を受けてない」「語学があまりできない」じゃ
それこそダメだよな。
あっちは印欧語が母国語だからあれだが、専門教育を受けていない有名な哲学者って結構いるし。
無知で申し訳ありませんが、有名どころでは誰がいます?
というかこのスレの住人は竹田はある程度は認めてるんじゃないの?
「死んだら忘れられる」って言い方は死んだら残るか忘れられるか
争ってもおかしくない、議論の余地のあるレベルの人物だとは思っているわけで。
本当に論外な人物ならそもそも忘れられるなんて言い方自体が
勘違いだといわれるはず
>>215 愚か者の哲学を読んで極端なアテイズムを前提に話を進めてるのが異常だと
思ったけど。
ヨーロッパでは未だに強大なキリスト教の権威を、ヘーゲルやハイデガーが
全く問題にしていないかのように言うのはおかしい。
韓国自体のキリスト教理解全般が異端的だってのは傾向としてあるけど。
220 :
考える名無しさん:2012/01/17(火) 21:27:36.46 O
もう少し詳しく
>>217 専門教育って、哲学の専門教育のことね。
ニーチェとかフッサールとかウィトゲンシュタインとかフレーゲとかラッセルとか
「大卒ではない」だったら、大学が存在しなかった時代は別として、皆無に等しいと思う。
222 :
考える名無しさん:2012/01/17(火) 22:54:07.49 0
223 :
考える名無しさん:2012/01/18(水) 23:53:36.16 0
同一性における間断なき重複性の効用じゃな?
224 :
考える名無しさん:2012/01/19(木) 09:37:57.87 0
竹田の現象学がダメなところは、
細部の誤り(数え切れないほど)を別にして本質だけ一言でいうなら、
超越論的主観性が始めから世界内の人間であるところだろう。
つまり、「超越論的」になっていない。
現象学の問題が単なる心のありようの話になってしまうので、
かえって普通の意味での人生訓のようなものには使いやすくなっている。
しかし、森羅万象の根源的基礎づけという哲学固有の課題には使えない。
たとえば数学や論理学の基礎づけを含む科学基礎論全般には。
(論理は確信によって成立するのではなく、逆に、確信もまた論理を前提にしている。)
哲学の専門教育(大爆笑)
>>225 無いなら無いで、別にいいけど。
「竹田がダメだ」と言える理由が一つ減るだけだし。
227 :
考える名無しさん:2012/01/19(木) 17:23:00.19 O
>>214 論理は確信によって成立するんだよ、バカ。
AはBですという論理は、A=BというAとBとの関係への確信が生じてないと生まれない。その証拠に、AとBを並べただけでは、論理にはならない、この場合、AとBという二つの項関係性についての確信があってはじめて、AはBですとなる。
もともと論理はこう発生してるけど、一度、それが打ち立てられると
あたかも論理が、恒常的に前もって存在していると錯覚される。
だけどそれは、単なる論理の実体化。
君は哲学に向いてないね。日本の哲学、アカデミズムってゴミだね。
228 :
考える名無しさん:2012/01/19(木) 17:31:07.68 O
>>214森羅万象の根元的基礎づけ
↑
この問いのたてかた自体が哲学を何もわかってない証拠。
言うなれば疑似哲学。
答えが始めから答えがない問いと、答えがちゃんと出せる問いを区別出来ない点で君は哲学センスゼロ。
君が立てた問いは、例えるなら、なぜ、数はどこまでも続くのかみたいな問い。
哲学のいろはもわかってない笑
その論理への確信が何ゆえ他ではなくてほかならぬその論理への確信になったのかの説明はないよね?
確信っていうだけなら、とうの昔から言ってる奴もいたわけだけど、何にでも言えちゃうので、
何も言ったことにならないわけよ。
なぜそうなの?
そう確信しているから。
だからなぜほかでもなくそう確信しているの?
そう確信しているから。
これじゃ何の説明にもなりゃしませんぜ(笑)
230 :
考える名無しさん:2012/01/19(木) 21:22:49.35 O
↑に反論すると、確信成立の条件があるから。きみがたてた問いはまたまた哲学じゃなくて疑似哲学だよね。
その理屈だと、イデアとしての論理、あるいはアプリオリな論理のを持ち出すことになるけど、それは単なる疑似哲学(つまり宗教)だし、
すべてを意識の極から、はじめる現象学を全く理解してないことになるよね。
意識の極からはじめる現象学のはずなのに、その外にイデアとしての論理を持ちだしてるんだもん(笑)
231 :
考える名無しさん:2012/01/19(木) 21:32:10.62 0
232 :
ColiP ◆Vs/5QK12tw :2012/01/19(木) 22:10:41.34 0
233 :
考える名無しさん:2012/01/19(木) 23:36:57.31 0
>>227 「A=BというAとBとの関係への確信」と言って、もう「A=B」を使ってしまている。
確信は「という確信」という仕方で「A=B」そのものを説明できずに前提して、
それに後から付け加わっているだけだ。
それはつまり、どういう確信か?と問われたなら、
その内容はもう確信という規定によっては説明できないことを意味している。
フッサールは、『論理学研究』以来そこに超越論的現象学によって超越論的説明を与えようとしてきたのだ。
「A=B」という確信、「A=B」という願望、「A=B」という疑念、…に共通する「A=B」それ自体の。
現象学は心理的な説明ではなくあくまでも超越論的な説明なのだ。
君は『論理学研究』や『経験と判断』や『超越論的論理学と形式論理学』を読んだ上でそんなアホなことを言っているのかい?
>>230 別にあなたの言う「イデアとしての論理」など想定していないでしょう。
コンヴェンションとして考えることもできるわけですし。
ここで「論理」の存在論的ステータス云々の議論にかかわりなく、
いずれにせよ確信成立の条件となぜ論定できるのですか?と聞いているわけですよ。
例えば、一方でAとBとの関係についての確信は成立しているが、AとCとの関係
についての確信は成立していないとすると、その両者を分かつものは何なのですか?
とにかくAとBについて確信が成立しているのだ!と強弁したところで何ら説明になっていない。
むしろ、そういう方があなたのいう「疑似哲学」ではありませんか?
私からすればトートロジー的な物言いに終始しているといわざるをえません。
それから、こういう言い方はしたくはありませんが、あなたこそ現象学の理解が
無茶苦茶なような気がします。
>すべての意識の極から、はじめる現象学
と言いますが、これは現象学の説明ではありませんよ。
何ですか?その「意識の極」というのは?「自我極」という言い方は確か『デカルト的省察』であったような
記憶がありますが、「意識の極」などという表現にはあいにくお目にかかったことはありません。
それから、これは現象学批判ということになりますが、現象学的還元といっても
その分析のための言語については何ら還元の対象になっていないわけですよ。
還元の操作によって得られたものの描写において欠くことのできない言語そのものが
還元されて、「現象学的言語」なるものでの記述を行わなければ、現象学的還元など土台絵に描いた餅
でしかないのではないですか?
この問題は、現象学に案内のあると自称されている方ですからフィンクが問題にしていたことでもあることは
ご存知のはずだと思われます。
235 :
考える名無しさん:2012/01/19(木) 23:58:53.46 0
ところで、233≠234。
私は233だが、234さんの意見には必ずしも賛成ではない。
私は現象学徒なので。
しかし、227=230の意見はあまりにも酷すぎる。まったくの滅茶苦茶。
その説明では「A≠B」だって「A≠BというAとBとの関係への確信」で説明できることになって、
A=BとA≠Bの違いさえも説明できない。
ぜひとも超越論的現象学をしっかり勉強してもらいたい。
236 :
考える名無しさん:2012/01/20(金) 00:11:19.00 O
失礼。例えばA=Bも、A≠BもすべてAとBの間の確信成立の条件によって生じている点では同じでしょう。
そういうことを言いたかったです。
例えばAとBの関係を=で結ぶ確信成立の条件があったり、あるいは≠の確信成立の条件があるわけですね、もちろん他にも。
論理というのはもともとこうやって発生しているわけですが、
それが恒常的に存在しているものと実体化されるとあたかも論理が先行しているように錯覚が起きて間違いですね。
237 :
考える名無しさん:2012/01/20(金) 00:16:36.54 O
234へ。
その言語を使うことに矛盾があるといいたいようだけど、
言語それ自体も意識の中にくくられているわけで、意識の外からやってきたものではないでしょう。
238 :
考える名無しさん:2012/01/20(金) 00:20:08.62 O
逆にお尋ねするが243氏はでは、論理は一体どこからやってきたと考えるのか?
239 :
洋楽:2012/01/20(金) 00:24:22.44 0
・・・・・ びみょうなんだよね
つーか とっぷしーくれっと かも(笑)
電波
>>237 言語を使うことそのものを矛盾とは言っていませんよ。
還元の操作を行う際、その分析を記述するには言語を使用せざる得ない。
ところが、記述に使用される言語自体が還元されずに日常の「手垢」にまみれた
使用を前提にしては完全な還元とは言えないでしょ、と言っているのです。
言語はそれ単独で意味が決まるのではなく、我々の日常の言語活動での使用の仕方に
よってその意味が左右される。ならば、それをも還元の対象にせずしてどうして自然的態度に
おける言語使用の仕方を脱色した言語による記述となるのでしょうか?そう尋ねているのです。
>言語それ自体も意識の中にくくられているわけで
これも意味不明です。
「意識」とは何ですか?「くくられる」とはどういう意味で使用されているのですか?
結局は、日常の言語使用の仕方に左右された使われ方において記述しているだけではないですか?
それから
>意識の外からやってきたものではないでしょう
これもそう。「意識の外」といいますが、「意識」の意味がはっきりしないのですから、
その「外」と言ったところで何の説明にもならないわけですよ。
>>238 >論理は一体どこからやってきたと考えるのか?
何ですか、この「どこからやってきた」という意味は。
人に疑似哲学がどうのこうの、現象学がわかっていない云々という割には、
いい加減な表現でしかあなたは語っていないですよね?
ちなみに私の意見はというと、論理が超越論的主観性(もっとも、この言い方には私としては抵抗が
ありますけれどね。超越論的還元を経たのに何ゆえ「主観性」ということが言えるのか、という点。
まあこれは別の問題なのでとりあえず無視するとしましょうか)の構成の所産とは考えません。
だからといって、論理が客観性を持っているとは思うものの、イデアのように自存しているとも思いません。
ともすれば、何らかに基礎づけて説明するという営為そのものが徒労である可能性もあるわけですよ。
知識の基礎づけ主義が成功しているのか否かという問題に関しても、クワインが言うように失敗を余儀なく
される営為かもしれない。
ともかく、これは数学的対象の実在性云々の問題にも絡むので、早々に結論をつけられる問題ではなく、思案の最中としかいえませんね。
241 :
233=235:2012/01/20(金) 10:47:42.68 0
240さんとは別人です。が、
>例えばA=Bも、A≠BもすべてAとBの間の確信成立の条件によって生じている点では同じでしょう。
というのは酷すぎる。というか幼稚すぎる。
あなたは命題と命題的態度との違いというものを知っていますか?
この用語自体は分析哲学の用語ですが、この区別こそが『論理学研究』のフッサールの基礎的区別で、
心理主義批判としての超越論的現象学はまさにこの区別から始まっているんですよ。
あなたの主張は心理主義そのもので、しかもフッサール以前にさえないような幼稚なレベルのそれ。
繰り返して言いますが、
>例えばAとBの関係を=で結ぶ確信成立の条件があったり、あるいは≠の確信成立の条件があるわけですね、もちろん他にも。
というとき、すでに「A=B」や「A≠B」の意味が分かってることが前提されてしまっている。
それに「確信」という命題的態度を付け加えたって命題の内容そのものはちっとも明らかになっていない。
命題の中身(つまり、そういう「意味」そのもの)については、一歩も分析が進んでいない!
フッサールがあんなに苦労してなんとかそこを捉えようと必死の努力をしたというのに。
「論理というのはもともとこうやって発生している」なんてとんでもない!
確信されようが、疑われようが、願望されようが、そんなこと関係なく、A=BはA=Bで、A≠BはA≠Bですから。
論理は、命題的態度とは最初から無関係。それがフッサールの超越論的現象学の根本洞察ですよ。
ともあれこの種の問題は少なくとも『論理学研究』くらいは読んでからに論じて欲しいもの。
流れを大切りして、また超亀ですまない。
>>77>>79に触発された。
>>77>>78>>79に対する直接の意見ではない。
竹田みたいなスタイルの物書きって、いわば「通訳」だと思う。
問題は、その「訳」に誤りがないかどうか。
「フッサールって、本当にそんなこと言ってたのか?」
西洋哲学を多少かじれば、この疑問に突き当たる人も少なくないだろう。
というより、それで竹田から離れた人間はたくさんいるだろ。
そこで、もうひとつの疑問が惹起されるわけだ。
「金鶴永っていう作家は、本当にそんなこと言ってたのか?」
竹田ファンの語る「金鶴永」って、見事なくらいに「竹田青嗣訳・金鶴永物語」なんだよな。
といっても、世の多くの人間は金鶴永という作家をよく知らない。自分もそうだ。
だから当事者(在日コリアン。吃音も?)である竹田が同じ当事者である金鶴永という作家について「特権的」に語ることについて、口をさしはさめない政治性が生ずる。
実際に、ネット上で竹田の支持者からそういうふうに書かれたこともあるよ。よく知らないからって、なぜ語っちゃいけないんだろうか。
同じような経験をした人もいるんじゃないか。
物語は者騙りでしょ。別に竹田に限らず、在日に限らず、日本に限らず、どこの国でも、いつの時代も。それこそ普遍ってもんだろ。
そんなのはよくあることだ。中上健次も批評家グループが囲い込んで作品の価値を不当に上げてるしね。
完全読解シリーズに何の需要があるのかよくわからない。
『現象学入門』は、当時フッサールを竹田ほど親切に解説した人がいなかったというだけなんだろうけど、
カントやヘーゲルの解説書は充実してるだろ。
竹田の字面要約しただけじゃん。分かりやすくもないし。
245 :
考える名無しさん:2012/03/23(金) 22:59:21.81 0
とくにカントは酷い
もっといい解説書がいくらでもあるのに
わざわざ恥をさらすために出したような水準
>>243 90年代の中上健次上げはひどかったな
あれで大学の文学研究が大嫌いになった
中上は90年代ですでにアカデミズムに取り込まれていたっけ?
>>247 アカデミズムに取り込まれたの定義がよくわからないけど
中上全集が出たのが95年から
一瞬一瞬の認識では事物のある面しか見ていないわけで、
そこにとどまったら、そもそも事物は事物として認識できない。
個々の体験超えた普遍妥当性、アプリオリを把握するのが現象学。
時間にしろ、数学にしろ、文化、社会にしろ、個々の知覚超えた、
志向性の元で把握できるということから現象学は始まる。
視野の中のある一点に、知覚されるものが「赤」い色であり、
別なところで見たカバンの色と同じ、「赤」であると認識できるのは、
単なる知覚に留まったら言えない。言えるのは志向性で超えるから。
超えた上で誰がやっても同じ本質的普遍性があるから。
そうじゃなけりゃ現象学でも何でもない。
そのために個々の意識のある局面、ある視点を超えて志向性を持って把握する。
家は家として、数は経験離れた普遍的な規則性持って扱えるものとしての、
本質を持つ。
その本質は誰でも把握できるから普遍妥当性持つ。
フッサールと竹田は何も関係ない。
フッサール自身は厳密な学としての哲学=現象学。
厳密な学とは誰にとってもどんな仕方でも同じやり方で成立するということ。
どうやっても厳密に同じになる絶対的で普遍妥当性持つこと。
人間は相対的な認識しかできないなんて話は一個もフッサールは言ってないし、
そんなことを言い出したら現象学じゃなくなる。
カトリックやプロテスタントやイスラムの信念対立なんて話はしていない。
フッサールの著作を30ページも読めば目が開いてる限り理解できること。
フッサールと竹田は何の関係もない。
250 :
考える名無しさん:2012/03/26(月) 23:34:31.25 0
竹田と西の共著だと西のほうが判りやすい。
デリダもハイデガーもフッサールと対して思想的に違いないのに批判してるってのが竹田さんの言い分?
この人の本わかりやすいんだけど哲学の内容に深入りするとわからん
253 :
考える名無しさん:2012/04/08(日) 22:07:53.82 0
>確信されようが、疑われようが、願望されようが、そんなこと関係なく、A=BはA=Bで、A≠BはA≠Bですから。
>論理は、命題的態度とは最初から無関係。それがフッサールの超越論的現象学の根本洞察ですよ。
だとすると、たしかにフッサールと竹田とは何の関係もないようですね。
この人明らかに、教授になれるようなレベルじゃないと思うんだけど
何で教授になれたんだろか?
>>254 哲学科の教員じゃないから。
在日なので韓国中国の留学生の多い国際教養学部の教員をしてるだけ。
さすがに講義は英語でしてるらしいが。
>>255 前の方にも書いてあったが
日本における朝鮮文学研究では第一人者であるからか
まあ、実際に宗教じみてるのは竹田じゃなくて
オウムっぽいNAMとか義援金詐欺っぽい東の方なんだけどね
竹田って在日朝鮮文学研究の第一人者なの?
初めて知ったけど、それはそれで偉いっちゃ偉いね。
文芸評論の著作なんてそんなにないような気もするが、紀要にでも書いてるのか。
在日だっていいじゃないか。
ヘーゲルを読み直してみようという気にさせてくれただけでも。
260 :
考える名無しさん:2012/04/17(火) 13:09:32.65 0
カントもヘーゲルも日本だけでも研究水準は非常に高いのだが、竹田さんは読んでいるのだろうか?
読んでいいないならひどいことだし、読んでいるならいちいち注記すべきなのに。
たとえば中山元さんの解説ではすべての説明に研究文献の出典注がついている。
学問にとって重要なのはそういう手続きにあるに、それを知らない(知っていて守らない?)人が
大学教授なんかをしていいのか?
別に哲学科でもないし、ただの小説家でも俳優でも大学教授やってるんだから、別にいいんじゃないですか?
教員の中で唯一「資格」がいらないのが大学教授だよね。
竹田さんは狭義の文芸評論の伝統の中にいるんでしょう。小林秀雄は出典なんて書かなかった。
学問をやってるつもりはないんではないだろうか?学会とかには興味ないのでは?
英語で留学生相手に西洋哲学史を講義してるんだから凄いだろ
>>260なんかは一見正しい様に見えても、
柄谷がギリシャ、ラテン語を知らずに哲学の起源を語る事や
東が一般意志に勝手に2.0とバージョン情報付けたりするのには一切触れないよね。
竹田、柄谷、東。それらは全部ダメだろ。
留学生も竹田が学位を持ってないこと知ったら驚嘆すると思うが。
80年代は柄谷行人読まずに死ねるか的な風潮だったのにな。
哲学の起源は木田元さんに語ってほしいね。
こう言っちゃ悪いが「学」が違いすぎる。
とうほぐ大が「学」って何の冗談
268 :
考える名無しさん:2012/04/21(土) 10:13:43.69 0
>>263 柄谷とか東といった連中はもちろん同じ穴の狢だ。
大学教授でない中山元がきちんと研究文献の出典注がつけていることとの対比。
>>267クズ京都学派を批判してるんじゃないの?どうせ姦淫物語ゲスの集まりだし。
中山元が最強って事でいいじゃん。あの人フランス語も英語もドイツ語も
一冊翻訳してる力がある
>>267 ギリシャラテンをやらずに哲学の起源を語るほどの厚顔無恥に「学」の話をしても無駄かな。
272 :
考える名無しさん:2012/04/26(木) 21:30:08.67 0
それよりも自分が参照した文献を明示しないことの方が問題だ。
273 :
考える名無しさん:2012/04/28(土) 02:18:06.94 0
適菜収が竹田をボロクソにけなしていて笑った。
ニーチェを理解してないと。
ニーチェって文学だから誤読も正読も許容されるような気がする。
275 :
考える名無しさん:2012/05/01(火) 21:33:54.08 0
いや、そんなレベルの話じゃない。
しかし、適菜収は三島憲一の方をよりボロクソにけなしていて、
ニーチェに関する限り、これは正しい評価だろう。
適菜収といえばベンジャミン・フルフォードとキリスト教陰謀論の
本を出したのは完全に黒歴史になってるねえ。
適菜のツイッターは面白いぞw
278 :
考える名無しさん:2012/06/03(日) 01:03:52.12 0
西はどうしたの?
またイチローを超人的な扱いした講義してるのかな?
279 :
考える名無しさん:2012/06/07(木) 17:57:03.44 0
ねぇ、西。
東京医科でもあのニヤニヤ笑いをしながら知識自慢してるの??
哲学は信じられないとかいってたけど、それも人からの借り物だよね?
んじゃ、哲学を信じてないくせに、なんで
「たまに本物を見る。そうするとハっと目を覚ます」とか言うの?
お前いつも言動が一致してねーんだけど?
おい、西答えてみろよ。関係者がいるなら俺のレス見せろよ。
初めてこのスレに来ました
竹田本しか現象学を読んだことがないんですが、あまり評判はよくないんですね…
他に現象学でオススメの本はありますか?
哲学的知識がない人にやさしく教えようとすればああなるのは仕方ないんじゃないか
それは入門書の限界ってもんよ
現象学の現物をあたった方が確実に決まっている
フッサールのヨーロッパ諸学の危機を読んでも1行も分からないなら無理
>>281 本当に理解したければ本人の著作に当たるしかないんですね…納得しました
助言ありがとうございます!
所詮他人の著作にブラ下がって稀釈した子供騙ししか売り物が無いからね
来月は新書も出るみたいだから楽しみですね
また新書か
今度は「はじめての〜」か「〜完全読解」かどっちだ?
超解読! はじめてのフッサール『現象学の理念』 (講談社現代新書)
発売日: 2012/8/17
バカを騙してまだまだ稼ぐぞ!
ライバルの柄谷は引退しちゃったから影が薄くなるのも仕方ない
289 :
考える名無しさん:2012/08/28(火) 02:34:36.30 0
新著で棚
読んだ奴いるか?
読んでない、竹田は優等生って感じで柄谷のようなたまにつき刺さるすごい言葉がないんだよな
柄谷よりは竹田のほうが学生の面倒見は良さそう。
柄谷は秀才だった東を育て切れず、ただの息の臭そうなオッサンに
してしまったわけだから罪深い。
それなら宮台を育てた、小室は、優秀ということか
竹田青嗣は馬鹿。
現象学は完全に誤読してトンチンカンな持論を展開しているし、
カントに至ってはまるで理解していない。
こんな奴を信奉する奴もまた馬鹿(嘲笑)
>>293 そもそも、現象学を一般向けにって時点で、トンチンカンになるのは仕方がない。
カントの理解にしても、院生レベルには十分達してるわけだから、一般向けと考えればさほど問題ない
と擁護して見たが、他に良い本あるよねw
あと、あなたの、カントを理解してるって言える人の著書を教えてくれw
>>294 >そもそも、現象学を一般向けにって時点で、トンチンカンになるのは仕方がない。
全然仕方なくないだろ、馬鹿(プッ
>カントの理解にしても、院生レベルには十分達してるわけだから、一般向けと考えればさほど問題ない
どこが達しているんだ?馬鹿(ププッ
やはり哲学科の学生は馬鹿だなw
もっとも、優秀な学生なら医学部や物理学科、数学科等に行くだろうから仕方ないかw
カントを理解している人の著作を知らないのかw
ジル・ドゥルーズの「カントの批判哲学」は極めて簡潔・明快だが、お前の頭では無理だ。
村岡晋一の「ドイツ観念論」の第一章ならお前の頭でも理解できるかも。
しかし、しずれにせよ、純粋理性批判を読破しなくては無理だが、当然読破したんだろうなw
>>295 >>全然仕方なくないだろ、馬鹿(プッ
じゃあ、現象学の全体像を掴めるように一般向け解説した本を挙げてみろよ。
もし、お前が出来るなら、お前が一般向けに本を出してくれてもいいぞ、買ってやるからw
>>やはり哲学科の学生は馬鹿だなw
それは、仕方あるまい。理系のオレには関係ないがw
>>カントを理解している人の著作を知らないのかw
それ、早とちりだよ。お前せっかちだなwあくまで、偉そうなお前のオススメを聞いてるだけw 個人的には、射影幾何学
とカントの兼ね合いがわかり易かった金子武蔵の「カントの純粋理性批判」が良かったかな
村岡晋一の「ドイツ観念論」って最近の本のじゃん。偉そうなこと言うだけあって、お前読書家だなw
>>296 >じゃあ、現象学の全体像を掴めるように一般向け解説した本を挙げてみろよ。
答えを知っているくせに聞くなw
>理系のオレには関係ないが
ならば許すw
>個人的には、射影幾何学 とカントの兼ね合いがわかり易かった金子武蔵の
>「カントの純粋理性批判」が良かったかな
そうか、なら読んでみるわ。
竹田の本は、中学生にでも読めるレベルの一般向けを目指してるんだから
そこを、取り違えると、何言ってんだコイツってなる。好意的にみれば啓蒙書。
299 :
考える名無しさん:2012/09/03(月) 15:11:00.64 0
>>293 「現象学は、完全に誤読している」と述べていますが、これは、「現象学的還元」を、
誤読していると、言うことでしょうか。又、貴方の「現象学」の理解を「超越論的主観」の
観点から説明してもらえますか。
俺もそう思う
単芝がクセ
意味とエロスって本は評論集みたいな感じで一般向けではないがなかなか良かったよ
>>296 今、アマゾンで 金子武蔵の 「カントの純粋理性批判」を注文した。
>>305 やっぱ おまえ せっかちだわw
安くないんだから、図書館で借りればよかろう
言っとくが、内容はカント未読でも、なんとなく雰囲気が
掴める様に書かれていて、言うまでもなくかなり古い著作
だから、現代のカント研究者などは、物足りないかもしれないが
失望しないでくれよw
あと、読んだら、時間かかってもいいから感想おねがい。
>>306 >やっぱ おまえ せっかちだわw
>安くないんだから、図書館で借りればよかろう
我輩は本は必ず買う主義。
ラインマーカーや、書き込みをしまくり、古本屋も引き取らない状態にする。
買った本は我輩ただ一人の消耗品。
おそらく読み終わるまでに時間はかかるだろうが、待っててくれ。
意味とエロスも読んで感想かけよ
>>298 >竹田の本は、中学生にでも読めるレベルの一般向けを目指してるんだから
初心者こそ正しく学ぶことが重要なのに
初心者にこんなデタラメの現象学を教えてどうするんだ?
>>309 >>初心者にこんなデタラメの現象学を教えてどうするんだ?
なら、初心者にいきなり大学や高校の倫理のような眠くなる話をするのか?
誰だって、嫌いな事興味のないことについて知ろうとは、しないだろ。(難しいことは尚更)
298で言ってるのは、そういう層に、興味を持って貰うのは、どうすればいいかって話。
初心者に対する正しいは、厳密な意味での正しいではない。
特徴を簡単に浮き彫りにする程度で十分。まずは、興味を
持って貰うことが最重要。アカデミックな正しさは2の次3の次、
むしろ悪い影響しかない。
例えば、超訳ニーチェ(笑)と他の哲学書の売上の差を見れば分かるだろう。
こういう層が、竹田本を買ってるわけだ。住み分けは、必要だと思わないか?
哲学に興味のあるユーザーを増やすという意味では、竹田の本は、とても
価値がある。そこから、専門的な本に移っていく人は、少なくないだろうし、
本は、多くの人に読まれてこそ、意味があるのだから。
バ〜〜〜〜〜〜〜カ
必要なことは
正しいことを分かりやすく教えることだろうが。
デタラメの嘘を教えることではないだろうが。
ばかだな だから 売れないんだよ
>>311 >>デタラメの嘘を教えることではないだろうが。
嘘も方便って言葉知ってる?
あっ重要なのは「方便」の意味ね
一つの解釈としては間違って無いし竹田がフッサールを過大評価してるのもそれだけ愛があると思えばいいじゃないか
>>314 正しいことと誤りの区別がつかないとは
お前も、竹田と同じくチョンだろwwww
つまらん
317 :
考える名無しさん:2012/09/05(水) 13:59:51.83 0
「現象学」とは、内在意識から「現象学的還元」の方法により、「純粋意識(内在領域)」に至り、
この「内在領域」の内に、客観的事象を直接に「観取」する考察法です。 この、「現象学」の道筋を、
基本を保ちつつ、読者に分かり易く述べている。 この竹田青嗣の「現象学の理念」は、初心者を対象とした
哲学の基本を、興味を持たせつつ、簡潔に分かり易く解説している、
>>317 何をわけのわからない説明をしているんだ?馬鹿。
もっと簡潔に言え、低能。
竹田は根本的に間違っているので、初心者が竹田の本なんて読んだら有害なことこの上ない。
320 :
考える名無しさん:2012/09/05(水) 16:04:04.83 0
>>319 竹田の「現象学」が、根本的に間違っていると、述べているけれど、哲学の初心者として、
理論的にどこが、間違っているのか説明して欲しい。 ただ、感情的に間違っていると、
述べられても、誰も納得をしない。
竹田がハイデガーについて書いた本を大昔読んだが、
あれはひどかった。そもそもゾルゲの構造が頭に入ってないんだ。
人の言葉に責任を持とうとしないというのは竹田のような脳味噌を言う。
具体的に間違いを言えない、正しい知識と間違った知識両方わかってないわけだ
こんなやつは人を叩きたいだけ、たたくことで自分が優位に立って快楽に浸ってるんだろう
>>322 竹田のデタラメは有名なのに、そんな常識を知らない馬鹿がまだいたんだなwwww
それほど有名なデタラメであるにもかかわらず
具体的には何一つ指摘できないという不思議
>>324 竹田が何か正しいこと言っているのか?w
文系の議論っていつもこうだな
ガキの喧嘩
327 :
考える名無しさん:2012/09/06(木) 17:01:13.12 0
325
「哲学」とは、相手が出した意見なり、理論に対して、まず自分は「こう考えている」と言う
「理論」を示すことを基本としている。この世に、完全な考えや、理論は無いのだから、相手の
意見を尊重する事である。
>>327 ありえない。
哲学の基本は罵倒と叩き潰し。
>>306 本が届いたので、ざっと読んでみたが、曲解だらけの本だった。
やはり、実際に「純粋理性批判」を読むことを進める。
射影幾何のくだりもトンデモナイ曲解。
カントが言っているのは、ユークリッド空間は人間の直観にとって唯一の空間であって
それ以外の空間は、直観の形式に合わないというものなのに、
人間が主体的に空間形式を選べるかのごとく書かれている。
物理学の発達によって、現実の空間がユークリッド空間とは異なることが解っても
人間の直観形式としての空間はあくまでユークリッド空間であり、
それゆえ、人間は非ユークリッド空間の曲がった空間は直観できない。
ユークリッド空間こそ、人間にとって唯一の直観形式としての空間なのである。
>>306 本が届いたので、ざっと読んでみたが、曲解だらけの本だった。
やはり、実際に「純粋理性批判」を読むことを勧める。
射影幾何のくだりもトンデモナイ曲解。
カントが言っているのは、ユークリッド空間は人間の直観にとって唯一の空間であって
それ以外の空間は、直観の形式に合わないというものなのに、
人間が主体的に空間形式を選べるかのごとく書かれている。
物理学の発達によって、現実の空間がユークリッド空間とは異なることが解っても
人間の直観形式としての空間はあくまでユークリッド空間であり、
それゆえ、人間は非ユークリッド空間の曲がった空間は直観できない。
ユークリッド空間こそ、人間にとって唯一の直観形式としての空間なのである。
>>329 古い著作だから、色々問題は、あるだろうが、ヘーゲル研究の権威なのでカント解釈についても信用している。
>>人間が主体的に空間形式を選べるかのごとく書かれている。
>>ユークリッド空間こそ、人間にとって唯一の直観形式としての空間なのである。
おそらく、勘違いしている。カント以前(カント自身もそうだが)は、(ユークリッドも含む)空間は、それ自体で成り立つ自明のものと考えられていた。
それを、カントが、認識の直観としていわば主観化したことが、射影幾何学のそれに近いと言っているだけ。(わかりづらいかな・・)
カントと射影幾何学の関係については、ネットでも幾つか論文を読めると思うので詳しい説明は、省くが
分かりやすく言うと、透視法の様に視点によって、対象を統一付けるところが、カントのコペルニクス的転回と重なって
当時純粋理性批判を未読だった私には、とても分かりやすい解説だった。
私(視点)の認識する対象(空間)は、物自体(空間)そのものではなく、透視法のように主観が創りだした現象(空間)である。(大雑把に言うとこういう感じかな)
繰り返すが、射影幾何学は、カントの空間そのものだと言っているわけではなく、空間を主観(視点)に置いた考え方自体が似ているというレベル。
このような目線での考えを、ユークリッド幾何学しか知らなかったであろうカントが持ち得た。というのは、驚くべきことだ。
みたいなことを著者は、書いているが、私もその通りだと思う。
>>331 >私(視点)の認識する対象(空間)は、物自体(空間)そのものではなく、
>透視法のように主観が創りだした現象(空間)である。(大雑把に言うとこういう感じかな)
この説明、一見するととても解り易いように思えるが罠が潜んでいる。
この説明だと、人間がオギャーと生まれてから、経験を重ねるうちに人間の視点で
認識するようになった空間がユークリッド空間であるというようにも読み取れる。
つまり透視法という語を使うことによって、現実の空間を、人間の視点で認識した結果
獲得された空間認識というようなニュアンスが出てしまう。
そうではなくて、カントのいう空間形式とはまさに、経験そのものが行われる場なのであって
透視法というなら、その透視法が行われるまさにその空間なのである。
主観が創り出した空間ではなく、アプリオリに主観に与えられた唯一の空間。
もっと違う言い方をすると、現実の空間がどうであれ、どのような視点に立とうと
人間の主観にとっての空間はユークリッド空間であるということ。
議論がすれ違っているかな?
>>332 この本に限らず、「ヘーゲルの精神現象学」もそうだけど、一般向けの講義を書物に直したもの。
上で、アナタが初心者には、正しい説明が必要的な事を言っていたので、本書を挙げた。
初心者向け(個人的には初心者の時読んだが)と言っても、内容的には、濃いものを選んだつもりだ。
あくまで、純粋理性批判などカントの著作は、未読だけれどカントなど哲学に興味がある人達に、向けた
解説なので、例として考えておくべきだと思う。
>>現実の空間がどうであれ、どのような視点に立とうと
>>人間の主観にとっての空間はユークリッド空間であるということ。
ユークリッド空間に拘らず、単なる(直観の形式としての)空間として読めば、理解できない?
>>333 >ユークリッド空間に拘らず、単なる(直観の形式としての)空間として読めば、理解できない?
ユークリッド空間には拘らないわけにはいかない。
なぜなら、カントがユークリッド幾何学を例にとって、
「 アプリオリな総合 」
が可能と考えたのは
まさに、われわれのアプリオリな直観形式としての空間が、ユークリッド空間だからに
他ならないから。
竹田の話をしよう
意味とエロスをみんなで読もう
竹田は馬鹿
そこを具体的に書けよ
339 :
考える名無しさん:2012/09/07(金) 22:15:44.94 0
224〜241によく書かれている(と読める)。
他人の書いたものでしか批判できない
その書かれたものもどういうものか具体的に説明できない
342 :
考える名無しさん:2012/09/08(土) 10:44:33.53 0
>>340 「他人の書いたものでしか批判できない。その書かれたものも、どういうものか
具体的に説明できない。」 この言葉の裏を返せば、「空間」の解釈にしても、
「空間」の概念が、今日でも完全に解明されていないからである。 だから、デカルト、
ヘ−ゲル、ベルクソン、西田幾多郎、そして、ドゥル−ズ、デリダ等々にしても、それぞれに
解釈が異なる。例えば、カントの「物自体」の概念は、今ひとつ明確ではない。これは、「物自体」の
概念を、カント自身が明確の捉えていないからである。その原因は、「時間」「空間」「主観」「客観」の
概念が、今日でも明確に定義されていない事が背景にある。
裏を返してもそういうことにはならないと思う
345 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 11:00:48.40 0
>>344 君は、「馬鹿丸出し(プッ」と、書く度に、自分の無能さを、さらけ出していることに、
気がつかないのだうか? この世に完全な理論、考えは無いのだから、
まず、自分の意見(論理)を述べる事だと思うよ。
>>345 馬鹿丸出しだから、馬鹿丸出しと言われる。
347 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 12:06:42.94 0
224〜241を読むと、
一人の竹田の代弁者に対して二人の違う立場の人が反論しているようだが、
この二人の反論者の言っていることは正しいのか?
個人的にはむしろ反論者二人の間の差異の方が興味深いが。
348 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 13:24:58.80 0
>>348 竹田本のデタラメさが理解できない馬鹿にはこれで十分w
350 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 21:00:43.33 0
>>349 君は、現象学の本質を分かり過ぎるくらい知っている人だと思う。超越論的主観の
観点から、自分が理解している「現象学」をこの辺で、披露してはどうだろうか?
ま、イヤと言うに決まっていると思うが。馬鹿に披露してもしかたないと。
竹田が話にならない馬鹿であることが解らないようでは
哲学的思考力はゼロであると言っても過言ではない。
話がループするから、根拠のない批判は、いい加減やめろよ
竹田は自分の著作に「フッサールの現象学」ではなく、
「竹田のトンデモ現象学」と名づけるべきである。
レッテルを貼って自分に理解できないものを異質なものとする弱者特有の思考
馬鹿は
「竹田トンデモ現象学」
を
「フッサールの現象学」
だと思い込む。
どっちもフッサール現象学でしょ?
谷徹と新田義弘と山口一郎なら、
谷現象学と新田現象学と山口現象学があるってだけ。
>>356 デタラメだらけの竹田の本しか読んでいないことバレバレの馬鹿w
トンチンカンな「竹田トンデモ現象学」と
フッサールの現象学が区別できない馬鹿は死ね。
だから、その違いをフッサールのどの概念をどう曲解してるのか提示しろよ
竹田の馬鹿は純粋理性批判も読めていない。
> 255 : 第三の波平 ◆JXLBbnYqTY : 2011/10/03(月) 19:40:14.99 0
> それは江戸時代にさらに形式化されたときがひどい。
↑
『ひどい』を平仮名で書く同一の特徴
↓
> 321 :ixtlan:2012/09/05(水) 19:05:40.47 0
> 竹田がハイデガーについて書いた本を大昔読んだが、
> あれはひどかった。
361 :
考える名無しさん:2012/09/13(木) 12:32:40.33 0
362 :
考える名無しさん:2012/09/13(木) 19:53:24.40 0
リ−マン小太郎、第三の波平、純一は、同じ人物か?
@ 第三の波平 ◆JXLBbnYqTY
Aリーマン小太郎 ◆JXLBbnYqTY
B 純一 ◆QzuB1xeuck
@=Aトリップ同じ、Bは別人、
が、↓で@=AによるAA荒らしがバレた為、
Bの別人に責任をなすりつけようと画策中。
> 797 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/14(火) 21:55:45 0
> ...-ー、,-─
> .-=・=- i、-=・=-
> ((i))
> .. -=ニ=- つのがらいクリかね?
>
> 798 :考える名無しさん :2009/07/14(火) 21:57:03 0
>
>>797 > もしも〜し、コテ外し忘れてますよ〜(ppp
一瞬一瞬の認識では事物のある面しか見ていないわけで、
そこにとどまったら、そもそも事物は事物として認識できない。
個々の体験超えた普遍妥当性、アプリオリを把握するのが現象学。
時間にしろ、数学にしろ、文化、社会にしろ、個々の知覚超えた、
志向性の元で把握できるということから現象学は始まる。
視野の中のある一点に、知覚されるものが「赤」い色であり、
別なところで見たカバンの色と同じ、「赤」であると認識できるのは、
単なる知覚に留まったら言えない。言えるのは志向性で超えるから。
超えた上で誰がやっても同じ本質的普遍性があるから。
そうじゃなけりゃ現象学でも何でもない。
そのために個々の意識のある局面、ある視点を超えて志向性を持って把握する。
家は家として、数は経験離れた普遍的な規則性持って扱えるものとしての、
本質を持つ。
その本質は誰でも把握できるから普遍妥当性持つ。
フッサールと竹田は何も関係ない。
フッサール自身は厳密な学としての哲学=現象学。
厳密な学とは誰にとってもどんな仕方でも同じやり方で成立するということ。
どうやっても厳密に同じになる絶対的で普遍妥当性持つこと。
人間は相対的な認識しかできないなんて話は一個もフッサールは言ってないし、
そんなことを言い出したら現象学じゃなくなる。
カトリックやプロテスタントやイスラムの信念対立なんて話はしていない。
フッサールの著作を30ページも読めば目が開いてる限り理解できること。
フッサールと竹田は何の関係もない。
365 :
名無しさん:2013/01/09(水) 21:33:35.07 0
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるか、
どこかの家の床下に埋められるか、ドラム缶に詰められて
大阪湾に沈められるかもしれへん。それで誰にも発見され
へんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
http://www.shimamotocho.jp/ikkrwebBrowse/material/files/shimamoto_iti_map.pdf
誰か竹田がダメな理由を具体的に教えてください(>人<;)初学者なので自分ではよくわかりませんよ〜
竹田さんがダメな理由を具体的に述べられる人間はいません
何故なら、「現象学とはかくかくのものである」と具体的に述べたのは
竹田さんが初めてだったからです
368 :
考える名無しさん:2013/02/20(水) 21:41:56.21 0
>>336 224〜241では、竹田の代弁者に対して二人の違う立場の人が批判しているようだ。
この議論は興味深いものがある。
たしかに「確信成立」は世界内の一つの経験的(心理的)事実であって、
そのように(つまり「確信」として)語られてしまえばもはや超越論的ではなくなってしまう。
フッサールはまさにそこのところに苦労したのに竹田さんにはその苦労の意味がどうしても理解できないみたいだ。
>>366 形而上学を人間関係や社会性の問題にすりかえてる点。
370 :
考える名無しさん:2013/02/21(木) 17:52:28.93 0
いやいや、超越論的な問題を人間心理の問題に、と言うべきだ。
368が言っていることはその一例だろう。
フッサールの悪いところだけを全面的に受け継いでるのが竹田現象学
>>371 フッサールの良いところ、悪いところをそれぞれ教えてください。
373 :
考える名無しさん:2013/02/22(金) 21:28:58.95 0
竹田青嗣の「フッサ−ル現象学の理念」は、初めて現象学を系統的に覚えるには、
最適な本と思う。この本は、単に「現象学」の説明だけではなく、ギリシャ哲学から
近代哲学、そして、現代哲学までの問題点を初心者にも分かり易く解説している。
私も今まで、いろいろな哲学書を読んだが、訳者自身がその哲学の本質を分からないまま
訳しているので、なおさら読む者は分からなくなる。カントなど特にそうであった。
その点、竹田青嗣のカント「純粋理性批判」は、とにかく分かりやすかった。一部の相異点は、
あるが、全体としては要点を分かり易く、完結にまとまっていると思う。
本質という言葉を安易に使う奴は信用できない。
まともな哲学者ほど、安直な断定はしないものだ。
竹田がいかがわしいことをバカにわかるように書くとこうなる。
つまりフッサール自体がいかがわしいということですね?
竹田先生は哲学界の文鮮明。
渡邊二郎と立松弘孝は竹田を評価していたけどなあ
378 :
考える名無しさん:2013/02/25(月) 12:15:09.72 0
この竹田って人は、本名でも通名でもない竹田って名前で教授してるみたいだけど、
大学や各学会って、名前を自分で自由に付けていいんだね。
379 :
考える名無しさん:2013/02/25(月) 12:21:31.80 0
昔、この人の書いた「現象学入門」を読んだけど、よく分からなかった。
最近フッサールの書いた「デカルト的省察」と「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」
を読んでみると、すっきり分かった。
この竹田(芸名)という人は、現象学を理解していないようですね。
>>379 その「すっきり分かった」という内容を是非教えてくれ
俺は今「現象学の理念」で苦しんでいる所なんだ
>>377 まともな現象学者が竹田引用してるところ見たことないけどソースは?
ググったけどとくに出てこないわ
やっぱチョンは嘘つきなんだなw
現象学は本当に使えるものかどうか怪しい。
厳密な学問としての哲学なのに、
客観的なものはなくて全ては主観的相対的とか、
現象学を完璧にねじ曲げて誤解させた罪は限りない。
許されない。
現象学は諸学の基礎付けのための客観的な学問に決まっているのに。
それを頭から否定する基地外。
現象学と関係ないつまらない処世術、文芸批評に貶めた。
厳密な学問としての哲学やヨーロッパ諸学の危機。
幾何学の起源とか竹田と正反対のことしか書いてない。
論理学研究や内的時間意識の現象学の個々の現象は見ずに、
客観的超越的構造をアプローチするその方法論を読んで疑問に思わないのか?
>>385 >>客観的なものはなくて全ては主観的相対的とか、
「客観的なものはなくて全ては主観的」ぐらいまでは言ってたと思うが
「全ては相対的」とは言っていないだろ
「主観的=相対的」という思い込みだけで文句つけてるようだが
竹田を全く読んでいないのがバレバレ
あとこの文章は意味不明
>>論理学研究や内的時間意識の現象学の個々の現象は見ずに、
>>客観的超越的構造をアプローチするその方法論を読んで疑問に思わないのか?
日本語をまともに読み書きできない人間に果たしてフッサールは読めるのか?
竹田は現象学の客観性、イデア性、個々の現象に捕らわれず、
経験離れた客観性を完全に取り落としてるだろ。
経験離れて数でも色でも同じではないのに、同じ色はないのに、
イデア的に同一。
それあればこそ他者にも通ずる厳密な学問が展開てきる。
それは動かせない。
竹田のは現象学とは関係ない単なる妄想。
フッサールの全てを否定して何の意味もないものにした。
単なる印象、言いっぱなしの積み重ね。
何言っても無駄だよ。汚らわしい。
フッサールも読んでないで見当外れなこと言うなよ。
フッサール一冊でもまともに読めば竹田だけはないことはわかる。
あんた馬鹿だろ。
>>387 お前は「客観性」が大好きなんだな
「客観性」が無かったらこの世の終わりかよw
とりあえずその「客観性」とやらの定義を聞かせてくれ
まさかまた「主観的=相対的」という思い込みから
「客観的=絶対的」「客観的=真理」とか言い出したりしないよな?
哲学を少しでも齧った人間がそんな単純な思考はしないよな?
あと、お前の言う「客観性」だけで成り立ってる
「他者にも通ずる厳密な学問」て何?
数学なんかは当てはまりそうだな
でも哲学なんかは真っ先に除外されるだろうな
昔「象牙の塔」っていう言葉があったんだけど
(意味がわからなかったらググってくれ)
お前の言う「他者にも通ずる厳密な学問」は
その塔の中だけで通ずる学問だな
まさに趣味の世界だ
お前に竹田の意図を理解する事は不可能だよ
>>フッサール一冊でもまともに読めば
フッサールなんかすらすら読めねーよ
俺は「現象学の理念」で挫折しかかってるんだから
お前「理念」は読んだか?
フッサールが最初に出してた「認識の謎」は
結局どういうふうにして解明されたんだ?
俺にレクチャーしてくれ
直接経験という主観からはじめるのが現象学だから竹田がすべては主観的といってるのは誤読でもなんでもないね
確かに主観がすべてならすべては相対的なもんだろというよくある批判をしているだけにみえる
390 :
考える名無しさん:2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN 0
直接経験という主観からじゃなくて超越論的主観性からはじめるのが現象学。
竹田さんのは超越論的でない(つまり経験的な)現象学。
という点で価値(でなければ少なくとも面白み)がある。
もちろんフッサール自身は『論研』でそれを批判するところから出発したのだから
そんなのは無意味だという批判があるのは承知のうえの話。
391 :
考える名無しさん:2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN 0
フッサ−ルが最初に出した「認識の謎」。
ここから「超越論的主観」を起点としたフッサ−ル現象学が始まる。
デカルトが提示した「主観と客観の分離」。 そして、この「主観と客観の一致」を
目標の一つとして取り組んでいるのが、「現象学」であり、竹田青嗣の「現象学の理念」は、
哲学の歴史面から、的確に哲学の問題点を分かりやすく、総合的に解説している。
392 :
考える名無しさん:2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN 0
陰毛フッサールというわけなんだよ。
393 :
考える名無しさん:2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN 0
>>391 それは全体として竹田解釈の中での話。
390の話の方がちょっとだけ面白い。
ともあれ竹田が『論研』を読んでない(または読んでも理解してない)ことだけは確実。
そこが致命的。
中堅の文芸評論家が哲学齧って入門書書いて「現代思想」ブームに乗りたい「わからない」層に喰い込み
友達のコネで大学入り込んで教授ヅラして世間もそう見てるんだからなかなかうまくやったもんだと思うよ
竹田が大学教授なんてそれこそポストモダン的だよ
超越論的主観てのを誰か解説してくれ
396 :
弧高の鬼才 ◆zD.tvziESg :2013/10/11(金) 21:05:35.40 0
この人は割と信頼できるね。
397 :
考える名無しさん:2013/10/12(土) 12:19:26.80 0
現象学をわかってない馬鹿しかいないな。
経験から出てこない客観的な理念を把握するのが現象学なのに。
全くそのことをわかってないゴミの竹田が現象学とか。
恥ずかしくないのか。
馬鹿すぎ。主観的で何が悪いとか。全く何もわかっていない。
竹田と現象学は水と油なのに。死ねばいいのに。
こういうスレがたつこと自体、哲学者への侮辱もいいところ。
世界は視点による相対的なものだとか、文化や主観で違うとか言う話なら、
現象学はいらない。
論理学研究、イデーン、厳密な学。
誰がやっても同じ理路たどる厳密な学。
竹田は現象学をくだらない心理分析や文芸批評にしてしまう人間の屑。
数でも論理でも色でも個々の経験離れて誰もが従っ規則、
本質を抽出する学問なのに。
どうして竹田みたいなマイ哲学が出てくるんたwwww
>>399 どの辺りが厳密なの?
単に細かいだけじゃないのかな。
竹田のマイ哲学は現象学じゃない。
数とか論理とかフッサールは竹田とは正反対に、
一人一人視点によって違うものとして扱ってない。
経験離れて誰がどうやっても同じように規則づけられているものとして扱っている。
これが厳密な学問じゃなくてなんだと言うんだ?
誰にとっても全く同じ視点や相対性の入り込みようのないもの。
それが現象学。
実は幾何学でも文化でも理念をそういうものとして扱っている。
このことを竹田はどう説明するんだ?
客観的という主観。
>>402>>403 人々は絶対的なものがあると争っているけど、全ては相対的で、
そのことに気付いてるから、私は人々を導けるついてきなさいと言ってる詐欺師じゃないか。
全てが主観的だとはそういうこと。
フッサールはそういうのがいやだから、客観的な厳密な学問作ったと、
証明してやってるのに。
何、その言い分。
竹田も竹田信者も本当にキモいなwwww
哲学的に全く間違ったこと言ってる時点でお前らに何の発言権もないんだよ。
何この馬鹿。
竹田は結局、自分だけが目覚めている、私だけがわかっていると、
言いたいから、物事は視点的、主観的にしか捉えられないと、
貶めてるだけなんだよ。
で、お前らはそんな竹田に下僕にしてもらって喜んでいるwww
死ねよ。屑ども。
>>388 全ては視点的、相対的なものだとして。
そういうこと言ってる奴信じなくちゃいけないんだよww
そう言いながら大して面白くもないこと言ってる竹田の話を、
何で信じなくちゃいけないんだよww
嘘つきのパラドックス。相対主義のパラドックス。知らないのかよ。
そういうことを避けるために現象学をフッサールは作ったんだろ。
何でこんな幼稚園児の話をしなくちゃいけないんだ。
竹田みたいのが一番駄目なんだよ。皆、竹田の胡散臭さはわかってる。
だから馬鹿にし、叩いている。幼稚園児にもわかるだろ。
相対主義のパラドックス。
こんなに簡単に指摘できる原理的な竹田の立ち位置のおかしさ、
意味不明さはもうわかりきった話なのに。
信者だけが全ては相対的だけど私に従えば救われますよの、
念仏聞いて安心している。
そんな馬鹿な話があるかw
>>404 その証明の正しさは何によって担保されてるのか説明してくれ。
竹田
「全ては視点によって制限され、主観的、相対的なものです」。
聴衆
「ふーん」。
竹田
「ですがそれに気付いている私の言うことは無条件に正しく従ってください」。
聴衆
「馬鹿じゃねーの」。
>>408 そういう質問発してる段階でお前は何もわかっていない。
馬鹿で死ぬしかないということを自覚しろ。
数とか論理とか、それは個々の経験からは出てこない、
経験から離れて経験に左右されずに同じ規則でいくものだ。
アプリオリに、つまり経験とは関係なく常に客観的で万人にとって、
正しいものだ。
赤という色もこの赤、あの赤とは関係なく、
これは音と違ってこれは色なんだ、そして緑や茶色と違ってこれは赤でしかないんだ。
そういう共通の本質があるはずだ。
そうでなければ、一つ一つ違うこのもの、あのものが、
同じ赤だとは認識できないし、他者と共通に赤を理解するなどできない。
常に既に誰にとっても共通な本質は個々の一つ一つ違うもの、
一つ一つ違う経験、一人一人違う体験超えて必ずある。
ピタゴラスの定理でも文化芸術でも個々の経験に左右されない、
誰にとっても共通に正しい無時間的に経験超えたものがあるから、
成立する。
そういうアプリオリに正しいものを追求するのが現象学。
果たしてこの世の中に客観的な物があるか?ではなく、
実在してるのは当たり前な客観的な物だけでいかに哲学作るかが現象学。
万人にとっても厳密に正しい学問。
竹田のやってることはそっちにいっちゃいけない、
現象学ではなくなってしまうってことを全て集めたものにすぎない。
竹田は基地外。
>>410 〜はずだとか、当たり前だとかいうのは主観でしょ。
なにも証明できてない。
412 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2014/02/24(月) 19:05:00.80 0 BE:2463674966-2BP(1000)
エルンストの「あなたを変える七日間の哲学教室」はおすすめ。
エルンストは、懐疑主義を三つに分類する。
無限後退:疑問を投げかけつづけて、疑問が無限に続くこと。
独断(ドグマ):疑問を投げかけることをどこかで停止したもの。
循環論法:同じ疑問が現れ、質問が無限にくり返されること。
ぼくは、このエルンストの三分類を認識論の最先端だと思う。
ドグマこそが、知性の表象だ。
413 :
考える名無しさん:2014/03/26(水) 05:04:16.77 0
バカチョンレイパー教祖
朝日新聞のインタビューは、残念でした。
聞き手のレベルがかなり低かったのでしょうが。「かなり」と強調しておきます。
これだと、「最近の若者は…」という話にすぎません。
夢破れる人の割合なんて、昔も今もそれほど変わらないはずです。
なのに、「最近の若者は…」という論調でした。
一時代前だったら、夢うんぬんより、現実社会に身を置いておけば、
自然と給料も上がったわけだから、そのあたりの時代背景もないし。
ご本人の挫折が失恋と社会主義崩壊とかって、それ挫折じゃなうでしょ。
って、多くの人が思ったはずです。
アホ。
でも、きっと、その夢を追う人が多いとか、おそらく本質を突いているのだと思います。
だから、そこだけをもっと掘り下げてほしかったです。
21世紀最強に、酷いコラムだなぁと思いました。
>>415 新聞記者の質の低下ぶりがひどいとはいろんな所から聞こえてきますよ。
聞き手のレベルがかなり酷いというより
読み手のレベルがかなり酷いと言ったほうが良いと思いました
418 :
考える名無しさん:2014/04/26(土) 17:06:01.29 0
俺の通う大学の教授は竹田さんのこと絶賛してたよ
朝日新聞のコラムも本質を捉えてるって言ってる
日本を代表する知性のうちの一人とまで言ってた
どうせわけのわかんない教育学か心理学の教授とかだろ。
420 :
考える名無しさん:2014/04/28(月) 19:35:19.37 0
それなりの地位の人だよ
左翼っぽいけど
フッサールの2大愛弟子
ハイデガー
竹田
423 :
考える名無しさん:2014/04/30(水) 23:00:39.67 0
>>240 超越論的主観性を基底とする超越論的還元は、フッサ−ル中期の
純粋現象学(静態的現象学)であり、フッサ−ル後期の発生的現象学とを
分けて考察する必要がある。
424 :
考える名無しさん:2014/05/01(木) 15:06:40.53 0
>>240 >超越論的還元を経たのに何ゆえに「主観性」ということが言えるのか、という点。
>フッサ−ルの静態的現象学(純粋現象学)は、超越論的還元を経た高次元(超越論的)の状態に於いても、
「超越論的主観」として認識され、次の段階として「本質観取」が行われている。 この点に関してフッサ−ル自身も
一般的な「独我論」ではないが、「超越論的な独我論」と記述している。(H.VV、173f)
現象学は、「一切の先入見(主観と客観)を排する」ことであり、構成的領域に於いては、認識論と、
存在論の両方の意味を包含している。この点に於いて、フッサ−ル的現象学と、本質的な現象学の相異が現れている。
425 :
考える名無しさん:2014/05/05(月) 02:17:41.86 0
426 :
考える名無しさん:2014/06/11(水) 14:44:31.77 0
>>424 >「超越論的還元」と「方法的懐疑」の思考過程は同じものと解釈できる。
ただ、「方法的懐疑」は、「真」という最終目標に対して懐疑(疑う=思考)をする。
デカルトに於いても、「方法的懐疑」を経た後に、超越論的主観(=コギト)を認識しているが、
>>240の、超越論的還元(=方法的懐疑)を経た後において、何故「主観性}なのかという哲学上の
問題は残っている。
427 :
考える名無しさん:2014/06/11(水) 17:10:06.07 0
ハイデガーにおける先-理論的に成立する領域である存在、「有る」
は判断停止してもしなくても変わらず時熟として贈与される。いわば
生の本質であり、真性もまたそのように時熟する。
しかしそこでの本来性を竹田は「日常のなかから煮詰めていくと
いうかたちで取りだされるべきものである。ハイデガーでは平均的
日常が本来的-非本来的という対立で収まってしまい、すぐに出家
主義的になってしまう」として退けている。
竹田の思考がよく現れている箇所で、まず生=時熟という関係が
さほどは考察で重きを占めない。人間が世界にいきるときに先-像
が拘束するというところも読まない。実に意識主義的であり、その
意味で前期サルトル的である。意識で制御し他人と煮詰められること
しか本来性とはすべきではないという考え方。
こういう方法で人間に生が掴めると思うところがそもそもおかしい。
また『ハイデガー入門』だか何だか知らないが、ハイデガーなど
自分のオウム批判や左翼批判やらと一緒くたで読むことしかない。
つまり「人間とは何者なのか」という問いとして読みとる気もないの
だから、現象学だか知らないが竹田に「ハイデガー入門」を書ける
わけがないし、(だいたいハイデガーの本来的歴史が共同存在とか言う
時点で柄谷行人並みの読解しかない)、頼むのが間違いなのである。
ハイデガーにおいてあれだけ頻発して書かれる没-交渉性、自立性、
という言葉の意義を読みこなすことがないのだから、こういう読解
になるのも必然的とも言える。
これがいまだに『ハイデガー入門』というタイトルで本屋で並んで
いること自体が驚きであり、「ハイデガー読めなさ」の代表のような
本なのだから、あえて言うなら『ハイデガー入り口からつまずいた』
とでもするしかないのである。
>>418 最近思うんだけどさ、「知」とか「知性」という言葉、本のタイトルでも新聞雑誌の書評欄でも、
哲学・思想界隈のみにしか許されない専売特許の用語のように使われている気がする。
いや、昔からかな?違う世界にも「知」や「知性」はあるはずなのにね…。
近年だと「知の技法」って本が一般にも売れてから色んなトコで「知」ってコトバが広まったかな??
「知性」は「知性と教養」という感じで一般にもよく使われると思う。哲学で使われる場合は、understandingやVerstandの
訳語として用いられる場合が多いけど。「知」は、フーコーの「知の考古学」や「知への意志」あたりでsavoirの訳語
として、現代思想界隈に広まった感じ。
でも入門書でメシ喰ってるような奴には相応しくない言葉だよね
「竹田信者」も絶滅したようだね
これから読もうと思います
435 :
大日本☆忠君報士:2014/08/23(土) 15:36:32.74 0
436 :
考える名無しさん:2014/08/30(土) 00:58:20.01 0
上野千鶴子とは別の意味での沈黙?
437 :
考える名無しさん:2014/09/12(金) 19:46:57.94 0
熊野現象学とどっちがすごいの?
438 :
考える名無しさん:2014/09/12(金) 20:35:37.35 0
427のい竹田評は、ひじょうに正しい。
しかし、竹田にかぎらず、なんでこんなにも「意識主義」はしぶといのか。
439 :
考える名無しさん:2014/09/12(金) 21:59:19.30 0
どっちも読んでないけど、書き込みを見る限りどっちもどっちなんだろうw
こういうどっちにも収束しうることをもてあそんで学問ごっこするのが日本の哲学
441 :
考える名無しさん:2014/11/15(土) 10:03:41.14 0
>>242 亀レスだが自分の立論の主要部に駄洒落を置くなよ。
私の文章はただの言葉遊びです、と宣言しているようなものだ。
スターオーシャン5をセールして欲しい
スターオーシャン5を出荷して欲しい
スターオーシャン5を売却して欲しい
スターオーシャン5を市販して欲しい
スターオーシャン5を発売して欲しい
スターオーシャン5を出して欲しい
>>441 駄洒落でもいいけど、問題はセンスだよな。
クリばかり攻める。