永井均 7 【独在性】

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1考える名無しさん
前スレ
永井均 6 【独在性】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/philo/1285325093/l50
2考える名無しさん:2011/03/06(日) 12:03:55.43 0
また永井語スレかw
3考える名無しさん:2011/03/06(日) 13:01:04.92 O
ふと思いついたけど、著作リスト的なものでもあったほうがいいだろうか。
以下のものでは尽くせていないはずだけど、とりあえずこんなもんで。

『〈私〉のメタフィジックス』 勁草書房 1986年
『〈魂〉に対する態度』 勁草書房 1991年
『ウィトゲンシュタイン入門』 ちくま新書 1995年
『翔太と猫のインサイトの夏休み―哲学的諸問題へのいざない―』 ナカニシヤ出版 1995年
(ちくま学芸文庫版 2007年)
『〈子ども〉のための哲学』 講談社現代新書 1996年
『ルサンチマンの哲学』 河出書房新社 1997年
(河出文庫版 2009年)
『子どものための哲学対話 人間は遊ぶために生きている!』 講談社 1997年
(講談社文庫版 2009年)
『〈私〉の存在の比類なさ』 勁草書房 1998年
(講談社学術文庫版 2010年)
『これがニーチェだ』 講談社現代新書 1998年
『マンガは哲学する』 講談社 2000年
(講談社+α文庫版 2004年 岩波現代文庫版 2009年)
『転校生とブラック・ジャック―独在性をめぐるセミナー―』 岩波書店 2001年
(岩波現代文庫版 2010年)
『倫理とは何か 猫のアインジヒトの挑戦』 産業図書 2003年
(ちくま学芸文庫版 2011年)
『私・今・そして神―開闢の哲学』 講談社現代新書 2004年
『西田幾多朗 〈絶対無〉とは何か』 NHK出版 2006年
『なぜ意識は実在しないのか』 岩波書店 2007年
4考える名無しさん:2011/03/06(日) 13:02:18.97 O
続きで、共著など

『なぜ人を殺してはいけないのか?』 河出書房新社 1998年
(河出文庫版 2010年)
『なぜ悪いことをしてはいけないのか Why be moral?』 ナカニシヤ出版 2000年
『事典 哲学の木』 講談社 2002年
『岩波講座哲学2 形而上学の現在』 岩波書店 2008年
『〈私〉の哲学 を哲学する』 講談社 2010年
5考える名無しさん:2011/03/06(日) 13:17:38.87 O
ついでに、独在論の入門についての永井自身の説明。
(『〈私〉の存在の比類なさ』講談社学術文庫版のまえがきより)

「〔前略〕本書は、基本的には独在論にか
んする「入門書」として位置づけられる。入門書なら、『〈子ども〉のための哲学』(講
談社現代新書)も『翔太と猫のインサイトの夏休み』(ちくま学芸文庫)もあるとは
いえ、前者は自伝的な記述を取った、基本的には〈子ども〉についての本であり、後
者は哲学一般の入門書である。本書こそが独在論の入門書として最もふさわしいと思
う。〔中略〕
もし実際にこの本から「入門」を果たされる方がおられたなら、次にはぜひ『転校
生とブラック・ジャック』(岩波現代文庫)を読んで、少々頭を鍛えていただきたい
と思う。もしさらにこのような議論の倫理学的展開について知りたければ、『倫理と
は何か』(産業図書、今年中にちくま学芸文庫に入る予定)も読んでいただけると、
著者としてこれに勝る喜びはない。」
6考える名無しさん:2011/03/06(日) 20:25:50.00 O
さらについでに、>>3の中で文庫版になってるものについて、内容の追加として
意味があるかどうか。
これは勝手な評価が入るけど。

『翔太と猫のインサイトの夏休み―哲学的諸問題へのいざない―』(ちくま学芸文庫版 2007年)
文庫版あとがきと中島義道の解説があるけど、内容の追加というほどでもないと思われる。

『ルサンチマンの哲学』(河出文庫版 2009年)
川上未映子との対談「ニーチェと、ニーチェを超えた問い」があり、いろいろ話が出ている。

『子どものための哲学対話 人間は遊ぶために生きている!』(講談社文庫版 2009年)
文庫版あとがきで、道徳関係の話がいろいろ出ている。
田島正樹の解説もある。

『〈私〉の存在の比類なさ』(講談社学術文庫版 2010年)
学術文庫版へのまえがきがあるが、>>5で引用したような簡単な説明程度。
茂木健一郎の解説もある(が、意味があるかどうかというと…)

『マンガは哲学する』(講談社+α文庫版 2004年 岩波現代文庫版 2009年)
(岩波現代文庫版のほうは立ち読みで済ませてしまったけど)文庫版あとがきが
あるけど、内容の追加というほどでもない(はず)。
岩波現代文庫版には、漫画家の解説もついていたはず。

『転校生とブラック・ジャック―独在性をめぐるセミナー―』(岩波現代文庫版 2010年)
岩波現代文庫版あとがきがあり、他の文庫版あとがきと
比べると、わりと詳しく説明されている。
入不二基義の解説もある。

『倫理とは何か 猫のアインジヒトの挑戦』(ちくま学芸文庫版 2011年)
これは、本文にいろいろ細かい加筆訂正がなされている様子。
また、文庫版あとがきにも、ある程度説明がある。
大澤真幸の解説もある。
7考える名無しさん:2011/03/06(日) 20:31:39.83 O
>>4もあった。

『なぜ人を殺してはいけないのか?』(河出文庫版 2010年)
「主客逆転の問題からの再考―文庫版によせて」があり、わりと詳しく追加されている。


あと、一つ共著などを忘れていた。
『思想地図vol.5 特集・社会の批評』 NHKブックス別巻 2010年
8考える名無しさん:2011/03/07(月) 02:25:40.87 0
永井は、自分にとっての謎を解決しようと悪戦苦闘してたら、教授になっていたという
野球少年がプロ野球選手になったような、幸せな人だよ。
9考える名無しさん:2011/03/07(月) 21:58:43.12 O
わざわざ言うほどのことでもないけど、こうして見ると、『翔太〜』はむしろ
古いほうに入るんだなあ。
個人的にはわりと好きで読み返すことが比較的多いんだけど、最近の本との
違いには注意が必要か?
10考える名無しさん:2011/03/07(月) 22:39:35.15 0
文庫版「転校生とブラックジャック」p160のEの発言にこうあるのだけど
「そうだよ。ぼくはEなんだよ。それがすべてだ。それをどう説明するんだ?」
これは、永井の言う「何故よりによってこいつが私なのかという問題ではない」
という主張と矛盾するのではないか?
また「私今そして神」p126においても「カント的に可能なものの中からの選択」
という形で、「存在の不思議さ」ではなく「選択の不思議さ」が問題にされているように
読める箇所もある
この辺ちょっと不明瞭な気がします
11考える名無しさん:2011/03/07(月) 23:38:42.63 O
まさにその文庫版のあとがきに説明があるんだから、とりあえずは、
その説明に沿った読み方を試みればいいんじゃないの?
その説明に沿った読み方では矛盾、不整合は避けられない、などといえるならともかく。
12考える名無しさん:2011/03/08(火) 02:43:26.24 0
分裂の思考実験とか失敗作だろ。
13考える名無しさん:2011/03/08(火) 11:29:00.94 0
チャーマーズは,真に実在する世界は,情報の世界だとする説に期待しているようです.
物理的現象とは,実は情報処理だということになります.情報の世界を物質的な世界とし
て仮想現実的にモデル化しているのが,人間の脳です.そして,その脳自体が情報処理に
よって存在することから,情報処理が二重化されています.
このアイデアは,「水槽の脳」のオチとして考えるような,実は,その脳までもコンピュ
ーター内のプログラムだとするのを抽象化して,宇宙化したようなモデルになっています.

目的は,主観的事実と客観的事実を統一的に説明することであり,情報というものに,両
義的な意味を求めています.しかし,それは,物質に両義性を考えてしまうのと変わらな
い気がします.唯物論が唯情報論に置き替えられるだけです.
14考える名無しさん:2011/03/12(土) 10:47:28.77 0
研究者としても哲学者としても「<私>のメタフィジックス」を超える本は書いてないように思う
15考える名無しさん:2011/03/20(日) 23:18:45.17 O
『転校生とブラック・ジャック』を読み返してみると、第5章セミナー1で、D君やFさんが、
架空の世界では唯一の《私》など存在しないのではないか、架空の世界では
独在性原理は働かないのではないか、ということを言っている。(文庫版105〜110頁あたり)
しかし、これは、後の累進構造の話あたりで、そうとも言えないということに
なったんだろうか。
16考える名無しさん:2011/03/27(日) 00:05:50.79 0
なんか過疎ってるなw 地震の影響?

>>15
それは暗黙の内に統覚原理が使われている、という話なのではない?
17考える名無しさん:2011/03/28(月) 09:56:07.56 0
架空の世界、たとえば小説の中にも、
一人称の主人公という形で、唯一の《私》が「存在」しうりますよね。
でも、〈存在〉はしない。
この最後の〈〉は、独在性には関係ない、「現実性」‐〈現実性〉の次元なのでは?
18考える名無しさん:2011/03/28(月) 17:19:34.79 0
永井信者は〈〉と《》だけで会話してろやwww
19考える名無しさん:2011/03/28(月) 21:48:41.50 O
>>16
>>15は曖昧な言い方だったのですみませんが、言いたかったのは以下のようなこと。
『なぜ意識は実在しないのか』123頁や155〜156頁では、唯一の現実世界・唯一の
最上段があり、それと対比されるのは可能世界・それ以下の段にしかすぎない
はずだったのが、可能世界・それ以下の段のほうが現実世界・最上段とみなされ、最初に
あったほうが可能世界・それ以下の段とみなされるようなこともありうる、という趣旨が
書かれていると思われる。
そうすると、架空世界が唯一の現実とみなされ、架空世界でも独在性がある、
ということもあり得るのであり、『転校生とブラック・ジャック』の議論とは
違ってくるのではないか、と。

(それとも、私が不勉強なだけで、「可能世界」と「架空世界」には何か
大きな違いがあるということだろうか。それならすみません。)
20考える名無しさん:2011/03/28(月) 21:55:44.05 O
>>17
>>19で書いてみたことと関連しうるように思ったのだけど、小説の世界などの架空世界と、
可能世界とは、永井の言う「私」や「存在」などとの関係で、何か大きな違いが
あるのですか?
21考える名無しさん:2011/03/29(火) 21:34:41.95 0
可能世界や架空世界(?)と現実世界の間に線を引けよ。

というか、そもそも『転校生……』を読んで、
DやEやFなどの意見が無矛盾に提示されているとか、思わないだろ、普通。

議論が違ってくる、とか言ったら、いや、違ってきてあたりまえ、としか答えられんな。
何の為の「対話編」なのか、考えろよ。
22考える名無しさん:2011/03/30(水) 02:37:56.49 0
結局、哲学的知識や哲学的テクニックが、
永井哲学の理解に不可欠だったりするんだよな。
その点については、永井は完全に間違っていると思う。

翔太は無知で無垢な子どもでは有り得ない。
完全な大人だよ、あれは。
23考える名無しさん:2011/03/30(水) 07:06:46.86 O
>>21
『転校生とブラック・ジャック』の中で、D・E・Fの意見が無矛盾かどうか、
なんて話は誰もしてないと思うが、一体何のことを言ってるの?
24考える名無しさん:2011/03/30(水) 14:29:39.88 0
>>23
はあ?
お前が言ってることに決まってるだろ。

「『転校生とブラック・ジャック』の議論」とやらで、
「架空世界が唯一の現実とみなされ、架空世界でも独在性がある」、ということがあり得ない、
などという総意なり結論なりに、DやEやFなどの学生たちが辿り着いた、
などということは全く無いね。

だから、「違ってくるのではないか」などという問い自体がア(ry
25考える名無しさん:2011/03/31(木) 00:15:06.12 O
>>24
> 「『転校生とブラック・ジャック』の議論」とやらで、
> 「架空世界が唯一の現実とみなされ、架空世界でも独在性がある」、ということがあり得ない、
> などという総意なり結論なりに、DやEやFなどの学生たちが辿り着いた、
> などということは全く無いね。

逆に、架空世界にも独在性があり得る、というほうの結論に辿り着いたことも、
ないのは間違いないと思うけどね。
『転校生とブラック・ジャック』ですでにはっきり結論が出ていれば、それより後の
『なぜ意識は実在しないのか』について、すでに出ていた結論に気付かずに
「そこは議論が変わってきたんだろうか」などと言ったら、アホだとか言われても
仕方ないだろう。
しかし、『転校生〜』では、はっきり結論が出ていないんだから、その後の本で
一方の議論について否定するような話が出てきたら、少なくともその一方の議論に
ついては変わってきたんだろうかと考えて、何がおかしいの?
こんな頭の悪いことを本気で偉そうに言えるもんだろうか?
26考える名無しさん:2011/03/31(木) 01:12:06.63 0
>>24-25
ぷふぃ。つーか、なんだかなぁ。

ところで、今日現在で、福島第一原発の事故が収束するか、再び臨界超えて大爆発するか。
それはどちらも可能世界なんだよな。で、放射能汚染が今程度で収まるか、臨界大爆発で
プルトニウムを大気圏外にまでばらまいて世界中に大拡散させてしまった状況は、可能世界
なのだろうか? 架空世界なんだろうか?



それを思い描く大震災後の現実世界のわたしの独在性は、かかる近未来的な可能世界と
どう関わるのだろうか? ひとついえるのは、凡人に過ぎない<私>も<<あなた>>も大震災を
止めることはできなかったし、原発事故を収束させることは、非力さのゆに無理。ということだろう。
27考える名無しさん:2011/03/31(木) 01:58:51.73 0
再び臨界→再び冷却に失敗して臨界  ゆに無理→ゆえにわたしには無理

「デイ・アフター・トゥモロー」は単なる特撮・架空話だったが、TVで毎日のように放映されている
被災現場のビデオは、架空話じゃない現実世界。

もし、この時期に宮城や岩手の沿岸沿いに居たら、あの津波に巻き込まれて不明者のひとりに
なっていたかもしれない。もし、被災地に居住する住人だったら、たぶん、間違いなくそうなって
いただろう。という想像力があるからこそ心が痛む。
ボランティアや救援物資や義援金などは、その痛みをもつ同じような人々の意志の表れなのだろう。

大震災の前と後とでは、ずいぶん世界が変わってしまう/ったような気がする。
28考える名無しさん:2011/03/31(木) 16:45:05.24 0
可能世界は現実世界より貧弱な内容しか持っていないという批判はあり?
現実的な臨界は可能的な臨界はよりも多くの細部を持ち、
したがって後者は貧弱な内容しか持ってないよね?
29考える名無しさん:2011/04/02(土) 02:03:15.38 0
>>27
読者が殺人を犯したり、大災害を目の当たりにしたくらいで
揺らぐような世界観しか構築できないようでは、哲学はできんぞ。
30考える名無しさん:2011/04/03(日) 07:52:59.50 0
>>28
様相実在論のように、現実世界は諸可能世界の内の一つに過ぎない
(他の可能世界も同じように実在している)と考えた場合
この世界「だけ」が他の可能世界よりも多くの細部を持つ、と考えるのは不自然ではない?
いや、俺がそう考えてるわけじゃないんだけど、そういう反論もありえるかなと。
31考える名無しさん:2011/04/04(月) 14:15:43.44 0
結局ライプニッツに回帰するわけだ
32考える名無しさん:2011/04/08(金) 01:38:46.66 0
>>30
「この世界」って、どの世界だよ?
少なくとも、俺の世界よりは少ない細部しか無いに決まっとるな。
よって却下。
33佃煮マニア:2011/04/11(月) 05:02:12.85 O
何言ってんですか、永井先生は現代最高の思想家ですよ。
34考える名無しさん:2011/04/11(月) 11:36:53.09 0
永井が思想家を自称することはない
35考える名無しさん:2011/04/12(火) 10:45:25.59 0
永井は大森になりたがってるからね
その辺は露骨だよね
野矢とかどう思ってるか知らないけど
36考える名無しさん:2011/04/12(火) 20:56:31.55 O
永井が大森になることは可能なのか。
それは不可能なのではあるまいか。
(冗談)
37考える名無しさん:2011/04/12(火) 21:33:33.22 0
〈私〉が大森になることも不可能。
38考える名無しさん:2011/04/12(火) 23:19:42.14 0
思想哲学心理学は人生を素晴らしく改造する事が出来ますよねー!?♪。
39考える名無しさん:2011/04/13(水) 17:40:53.44 0
打海文三著『ぼくが愛したゴウスト』(文春文庫)という小説を読んだのだが、
主人公の少年の名前が翔太で、人に心があるとかないとか、パラレルワールドとか、
世界は私の脳が見ている幻影に過ぎないとかそういう話なんだ。
この著者のことを詳しくは知らないんだけど、永井均の影響を受けてるのかな?
40考える名無しさん:2011/04/14(木) 00:42:06.64 O
読んでないけど、それだけだと、永井の影響というべきなのかどうかよくわからんね。
一般的に他人に心があるかどうかわからない、という話なのか。
(まあ「翔太」というんなら、少なくとも名前は影響を受けてるのかもしれないけど)
41考える名無しさん:2011/04/14(木) 00:54:58.04 0
永井の翔太よりも出版が早いから
永井が設定をぱくったのかもしれんな
42考える名無しさん:2011/04/14(木) 07:50:15.55 O
>>41
とりあえずアマゾンで出版年を見てみたけど、どこが早いの?
43考える名無しさん:2011/04/14(木) 23:39:31.52 0
「翔太と猫のインサイトの夏休み」1995年、「ぼくが愛したゴウスト」2005年
44考える名無しさん:2011/04/15(金) 02:31:07.61 0
それは失礼した
45考える名無しさん:2011/04/16(土) 22:26:44.50 O
永井が大森になることが不可能な理由と、〈私〉が大森になることが不可能な理由は、
同じなのか、異なるか。
46考える名無しさん:2011/04/16(土) 23:30:29.75 0
「xは<私>である」という性質は、固有名で表される人物の持つ性質ではないのだから
<私>がこれから大森になることは論理的に可能ではある
47考える名無しさん:2011/04/17(日) 11:07:55.66 0
「これから」大森に「なる」ことは不可能だというのが「カント原理」だな。
客観的世界の時間的構成の原理からして(つまり超越論的に)不可能ということ。
48考える名無しさん:2011/04/17(日) 14:14:39.83 0
もはや禅問答だなww

45 名前: 考える名無しさん [sage] 投稿日: 2011/04/16(土) 22:26:44.50 O
永井が大森になることが不可能な理由と、〈私〉が大森になることが不可能な理由は、
同じなのか、異なるか。
49考える名無しさん:2011/04/17(日) 16:31:50.23 0
前者は人格の同一性に関する問題で
後者はライプニッツ原理とカント原理の対立の問題だろう
禅問答にしか見えないのは、永井の本をちゃんと読んでいないから
50考える名無しさん:2011/04/17(日) 19:53:13.10 0
<私>がこれから大森になるのだって可能じゃないの?
永井になるのだって大森になるのだって、同じことでは。
51考える名無しさん:2011/04/17(日) 20:11:40.75 0
永井自身は、未来方向の話にはライプニッツ原理の方が有利だ
みたいなこと言ってるね。>>47が言うような超越論的な構成原理は
過去方向にしか働かないんじゃないかって
52考える名無しさん:2011/04/18(月) 20:56:14.69 O
>>51
カント原理(統覚原理)は、過去方向には働くということは言ってるけど、「にしか働かない」
なんてことを言ってるかなあ?
未来についてどう言っているかは、微妙なところはあるかと思うけど。
具体的に著書のどの辺のことを言ってるの?
53考える名無しさん:2011/04/19(火) 19:35:39.31 0
>>52
「転校生とブラックジャック」のあとがきにそんなようなことが
書いてあったはず…と思って今確認してみたら書いてなかったw申し訳ない
正確にはこうだった↓
「その地点における「現在」の驚きを未来に(つまり実は「現に」ではない地点に)
転移できること、その地点における「現在」の驚きをいま想定できること、
これが持続問題に関するカント原理に対する批判の根拠となる」(文庫版P232)
カント原理が過去にしか働かないってのは俺の勘違いでした
54考える名無しさん:2011/04/19(火) 19:59:13.74 0
すまん、「正確には」と言っておきながら一部コピペミスってたw
正しくはこっちです↓
「現在の驚きを未来に(つまり実は「現に」ではない地点に)
転移できること、その地点における「現在」の驚きをいま想定できること、
これが持続問題に関するカント原理に対する批判の根拠となる」
55考える名無しさん:2011/04/20(水) 22:54:00.53 O
個人的な勝手な感想ですみませんが、そこはなかなか難解なところですな。
未来にもカント原理は働いて、私が未来において他の人になることはありえない、
という方向で貫くのが、分かりやすいように思われる。
しかしそこで永井が言っているのは、その方向で貫くことは必ずしもできず、
未来においてなぜか私は他の人であったという驚きを想定することも可能だ、
ということではないかと思われる。
でも、その想定は本当に意味がある想定なんだろうか?
(いや、個人的にはなんとなくイメージできるような気はするけど、それは本当に
矛盾なく意味のある想定になっているんだろうか?)
適当な話ですいません
56考える名無しさん:2011/04/26(火) 09:31:05.91 0
川上未映子の『ヘヴン』は永井倫理学のノベライズということでいいんですかね?
57考える名無しさん:2011/04/26(火) 20:03:52.84 O
さあ、どうかなあ。
58考える名無しさん:2011/04/28(木) 14:33:37.29 0
『なぜ悪いことをしてはいけないのか―Why be moral?』
すれ違いの目立つ大庭との共著だがとても面白かった。
また大庭とケンカして欲しいw
59考える名無しさん:2011/05/01(日) 15:18:00.06 0
60考える名無しさん:2011/05/01(日) 22:02:21.20 0
なんつーか、いや〜、永井も年とってるんだな。

永井の考えてることはわかるよ。
大森の影響で?カント学会出て行った中島にはシンパシーがあるんだろう。
別にそれはいいんだが、
今の若手の分析哲学者に比べると、永井の本の方がむしろ文献学だろ。
そういう時代にいつまでも昔と変わらぬシンパシーを感じてるわけだ。
これは老いを感じるな。
61考える名無しさん:2011/05/01(日) 23:22:00.18 O
日本語でおk
…と言うところだよな?
62考える名無しさん:2011/05/03(火) 01:37:46.80 0
今の若手の分析哲学者なんて全面的に文献学じゃないか。
彼らにはそもそも問いをはじめる能力というものがない。
既成の問いに関する膨大な文献を読んで最後にほんの一言自分の意見を言うだけだ。
中島や永井は少なくとも始めから自分自身の固有の問いというものを持っていた。
ただそれだけで天と地ほどにも違う。


63考える名無しさん:2011/05/03(火) 01:55:33.86 0
若手の分析哲学者は後期ウィトゲンシュタインの解釈談義なんてやらないよ。
引用と解釈から入っていく永井の記述の方があきらかに文献学。
勉強したことを纏めているだけ、と言いたいなら、
哲学における中島の仕事なんてそういうものだろ。
中島の仕事で優れてるの辞書的に纏めることだけだよ。
これは本人も認めてること。
64考える名無しさん:2011/05/03(火) 02:15:25.05 0
中島も永井も目くそ鼻くそ笑
65考える名無しさん:2011/05/03(火) 02:19:54.18 0
永井は大森と広松以降最も有力な哲学者だよ。
日本の哲学史に少なくとも名前は残る。
中島は残らない。
66考える名無しさん:2011/05/03(火) 03:00:58.31 0
結局、哲学ってのは、年を取ってからやれるようになるもので
分析哲学は、哲学じゃなくて、擬似科学なんじゃないかな。
67考える名無しさん:2011/05/03(火) 10:06:29.57 0
メタ科学でありメタ哲学でしょ
疑似ではない
68考える名無しさん:2011/05/03(火) 10:21:39.39 0
>>65
>日本の哲学史に少なくとも名前は

残るといいねw
69考える名無しさん:2011/05/03(火) 10:38:16.15 0
若手の分析哲学者は後期ウィトゲンシュタインの解釈談義なんてやらないかわりに、
大体最近20年くらいの間に英米の有力な学会誌に載った外国人の英語の論文の解釈談義をやるんですよ。
ほぼ全面的に解釈から成っている、という意味でほぼ全面的に文献学。つまり、勉強したことを纏めているだけです。
それに比べれば、哲学における中島の仕事は、「死」という自分自身の問題の解決をただひたすらに目指しているという点で、若手の分析哲学者のそういうゴミような論文群とはそもそも格が違います。
ただし、今のところ、成功していない。
70考える名無しさん:2011/05/03(火) 10:56:15.55 0
>自分自身の問題の解決をただひたすらに

タ゛サッ
まさにゴミ以下w
71考える名無しさん:2011/05/03(火) 11:17:31.37 0
ゴミだと認めているわけか!w
72考える名無しさん:2011/05/03(火) 11:23:43.63 0
分析哲学が哲学じゃなくて擬似科学的だというのは、内容の問題というより科学社会学的な事実なのでは?
つまり「自分自身の問題の解決をただひたすらに」なんてやっていたら、学術雑誌の「審査」に通らなくなった、という。
近年の学術雑誌に載った論文から論文を作り出していかざるをえなくなった(それ以上昔のものなんか読んでいられないし、「自分自身の問題」なんてとんでもない)という事態が、内容と無関係に「擬似科学」的というわけ。
たしかに、ちょっと哲学には合わないかも。
73考える名無しさん:2011/05/03(火) 11:57:43.07 0
「擬似科学」って言葉をちょっとは調べたら?
74考える名無しさん:2011/05/03(火) 12:09:22.19 0
独在論者の人に聞きたいんだけど
だれに向かって書いてるの?
75文学の良心? ◆abXfJskHU2 :2011/05/03(火) 12:44:52.30 0
いや、だから「疑似科学」じゃなくて、要するに「通常科学化」と言いたいんでしょ?
76考える名無しさん:2011/05/03(火) 13:15:41.11 0
哲学研究の方法論の科学化ってことであって、
科学を詐称してるけど実際は占星術とかホメオパシーみたいな
エセ科学に過ぎないんだだとか、そういうことを言いたいんじゃないよね
77考える名無しさん:2011/05/03(火) 13:28:26.00 0
>>74
自分に向かってじゃね?w
78考える名無しさん:2011/05/03(火) 16:04:56.70 0
>>77
「自分に向かって」という答えは独在論者にはありえない
なぜなら自我と他我の区別ができないはずだから
79考える名無しさん:2011/05/03(火) 18:29:03.86 0
独在論者でも他我が存在することは認めるでしょ…
ただ、自我と同じ種類のものではないと考えるだけ
80考える名無しさん:2011/05/03(火) 19:55:56.81 0
>>79
そんなたいそうなもんじゃないよ。
ある種屈折したオナニーをしてるだけ。
真の独在論者なんていないし。
81考える名無しさん:2011/05/03(火) 20:26:23.17 0
>>80
すまんが、何を言ってるのか解らんわ…
「たいそうな」って、何が? >>79では別に「たいそうな」ことは言ってないよ
オナニーってのは、偽の(?)独在論者はオナニーをしているという主張? 偽の独在論って何?
永井自身は認識論的な独我論を「偽の独我論」と言ってるけど、それと関係してるわけじゃないんだろ?
8280:2011/05/03(火) 21:09:34.75 0
>>81
一生やってろって感じだなw
芽が無いわ
83考える名無しさん:2011/05/03(火) 21:47:01.44 0
独在論者は独在論という言葉を理解できないはずだよ
84考える名無しさん:2011/05/03(火) 21:50:55.75 P
つーか。終わりのない同義反復。

実在する私とは<私>である。とかね。

主語と述語をムリヤリ異記述にしてみせて何かを言ってる雰囲気を醸し出して
いるごとくのトリック。本人がそのトリックにはまって同義反復の堂々巡りから
出られないだけ。
8581:2011/05/03(火) 21:55:09.90 0
>>82
なんで煽ってるんだ? >>81が不快だったら謝るが
俺の説明が良くなかったのかもしれないが、「その人にとっての私」が存在することを認めるかどうかは
認識論的独我論と独在論の決定的な違いの一つなのだから、それを曖昧にするな、と言ってるんだよ
86考える名無しさん:2011/05/03(火) 22:02:58.94 0
永井の大罪は、大量のアホに
自分が「哲学やってる」と錯覚させる
言い回しを与えたところ。
87考える名無しさん:2011/05/03(火) 23:11:28.51 0
<>は中身がメタの対象であることをはっきりさせるためだろ。
「自我」という言葉を使って語る独我論は、
自己言及的な論理に陥って意味が持てない。
だからメタから見ておかしくない「独我論」の論理的表現を追求してみよう、
というのが永井だな。
88考える名無しさん:2011/05/04(水) 00:17:02.78 0
永井の議論は形式的性格の強いもので、
自我や世界のあり方が積極的に論じられているものと思って読むと、
肩透かし食らったり、誤読したりするだろう。
まぁ竹田みたいな一応大学教員でもそう読むくらいだから、
仕方ないことなのかもしれない。
89考える名無しさん:2011/05/04(水) 03:54:57.42 0

<私>
<<私>>


90考える名無しさん:2011/05/04(水) 09:05:17.44 0
「私しかいない」と言ってるだけで
ほかの言動はすべて他我や実在を前提とした振る舞いを見せているのが笑える
91考える名無しさん:2011/05/04(水) 09:38:47.29 0
だから、あるのは「他我」などではなく<魂>であり、
<魂>と<私>は対等でなく、対称的でない、とは言ってるんだけどね。
92考える名無しさん:2011/05/04(水) 09:42:06.99 0
永井哲学は<魂>にまで行き着いたかw
93考える名無しさん:2011/05/04(水) 09:44:26.79 0
行きつくも何も<魂>は初期の永井の本に出てくる語。
永井の何を読んだのやら。
94考える名無しさん:2011/05/04(水) 09:52:37.13 0

<私>
<<私>>

<魂>
95考える名無しさん:2011/05/04(水) 12:43:49.28 0
>>93
もちろん読んでないけど
やっぱ最初から終わってるってことかw
そんなもんなんで読むんだ?
96考える名無しさん:2011/05/04(水) 13:49:51.85 0
本当に何も読んでないんだなこいつは
独在論者が他我や実在を前提しても何もおかしくないだろうに
97考える名無しさん:2011/05/04(水) 14:13:05.35 0
最初から終わってるwarota
98考える名無しさん:2011/05/04(水) 19:41:45.49 0
>>90
だよね。論理的に完全に破たんしている。
99考える名無しさん:2011/05/04(水) 19:52:06.51 0
読んでないのに何で来るの?
読んでなけりゃ言うべきこともないと思うけど。
100考える名無しさん:2011/05/04(水) 19:56:14.25 0
読まずに分かるゴミってのがあるんだよ坊や
101考える名無しさん:2011/05/04(水) 20:04:21.76 0
独在論と実在論が対立すると思ってるのはさすがに馬鹿すぎるだろ
なぜ永井は独在論と言語ゲームが対立するものだと見なしているのかとか
少しは自分で考えないんかね?
102考える名無しさん:2011/05/04(水) 20:30:46.25 0
実在論と両立する独在論って意味不明なんですけどw
103考える名無しさん:2011/05/04(水) 20:38:37.55 0
そもそもお前は独在論を何だと思ってんの? まずそこから解らんわ
お前なりの理解をちょっと書いてみてよ
ちなみに俺の理解では、永井が言ってるのは「端的に存在する私」と「その人にとっての私」とでは
そもそも在り方が違っている、全く異なる種類の存在なのではないか
という存在論的な問なのであって
「他人の心は存在していないのではないか」とか
「世界というものは実在しないのではないか」とか
そういった認識論的懐疑に基づく独我論とは“全く”関係がない
問題としては、独我論よりむしろ普遍論争とかに近い話じゃないのか?
104考える名無しさん:2011/05/04(水) 21:07:51.65 0
2011年5月2日 TBSラジオ武田記者によると「基準を高くして20msvにしてくれと言っているのは実は地元。
http://www.youtube.com/watch?v=arAk8tRdN-o
105考える名無しさん:2011/05/04(水) 21:23:57.41 O
ほんとにねえ。
何も考えずに>>102みたいなことをただ適当に書き散らすって、何が楽しいのかねえ。
「私は永井の本なんて全然読んでません」とわざわざこのスレでアピールするなんて、
ただ無駄でアホで恥ずかしいだけだと思うんだけどねえ。
106考える名無しさん:2011/05/04(水) 22:14:29.03 0
独在論についてではなく独我論についてですが、
独我論が実在論と両立するということは、
ウィトゲンシュタイン以来、むしろ常識になっています。
もちろんそれを批判するのは自由ですが、
そもそもその常識(とその出典と議論の中身)を知らなければ、
それもできませんね。
107考える名無しさん:2011/05/04(水) 23:56:40.37 0
『比類のなさ』しか読んでないが、
永井は現代的に鋳直した唯名論者なんじゃないかとは思った。
108考える名無しさん:2011/05/05(木) 01:17:23.76 0
>>100
中島とか永井とかなw
109考える名無しさん:2011/05/05(木) 01:55:28.45 0
「永井の本とか読んでないし、実在論とか独我論とかよくわかんないけど、引っ込みがつかなくなったので荒らします」
110考える名無しさん:2011/05/05(木) 07:24:16.93 0
>「端的に存在する私」と「その人にとっての私」とではそもそも在り方が違っている、全く異なる種類の存在

意味不明ですね
111考える名無しさん:2011/05/05(木) 07:26:22.99 0
>独我論が実在論と両立するということは、ウィトゲンシュタイン以来、むしろ常識になっています。

へーw
ウィトがどこでそんなこと書いてるの?
あと他にそんなこと言ってる人がいたら教えてくださいw
112考える名無しさん:2011/05/05(木) 07:43:49.33 0
永井の国では「独我論」とか「ウィトゲンシュタイン」とか「唯名論」とかの意味が
ちょっとずつ違うから。みんな永井語でばんばん語ってる。このスレもそう。
注意してね。
113考える名無しさん:2011/05/05(木) 12:25:05.57 0
永井の国w
114考える名無しさん:2011/05/05(木) 13:23:46.59 0
「実在論」というのは、どういう意味ですか。
哲学ではそういう基本的な語彙ほど共通理解が成り立ちにくいという話は
聞いたことがあります。
115考える名無しさん:2011/05/05(木) 14:02:31.68 O
>>112
「ウィトゲンシュタイン」という言葉の「意味が違う」とは、どういうことなんだろうねー。
何を指して言ってるんだろうねー。
116考える名無しさん:2011/05/05(木) 14:20:58.46 0
5.64 ここにおいて、独我論を徹底すると純粋な実在論に一致することが見てとれる。独我論の自我は広がりを欠いた点に収縮し、自我に対応していた実在だけが残される。

事情を何も知らない馬鹿なんだから口出ししなきゃいいのに
117考える名無しさん:2011/05/05(木) 14:35:00.73 0
自我が収縮してもしなくても、「自我」と「自我に対応する実在」がはじめから
あるのなら、それを独我論と呼ぶ意味がないように思えるが。
118考える名無しさん:2011/05/05(木) 15:03:42.11 0
「ウィトゲンシュタインの本とか読んでないし、実在論とか独我論とかよくわかんないけど、引っ込みがつかなくなったので荒らします」
119103:2011/05/05(木) 15:40:24.13 0
>>110
意味不明ってことは、お前は「独在論」という語について、>>103とは違う理解をしてるってことだよな?
じゃあその理解してることを書けよ。理解してない用語を使ってたわけじゃないんだろ?
自分だけ安全な場所から攻撃しようとすんなカス
120考える名無しさん:2011/05/05(木) 18:03:36.82 0
「自我に対応していた」を「自我に対応する」に読み替える辺り、すごく恣意的なものを感じるよね。
まるで自我と実在が同時に並列して存在する、みたいな。
121考える名無しさん:2011/05/05(木) 18:50:21.61 0
>>115
偽ウルトラマンみたいなもんじゃね?
122考える名無しさん:2011/05/05(木) 19:10:53.76 0
>>118
引っ込みも何も
永井スレはこんくらいの荒れ具合が
ちょうど心地いいんだよ。
前スレから見てみろ。
123考える名無しさん:2011/05/05(木) 19:33:32.43 0
「べ、別に引っ込みがつかなくなってるわけじゃないぞ! このスレは荒れてるのが常識なんだからな!」
124122:2011/05/05(木) 19:42:40.40 0
>>123
いや俺はまじめにレスしてきたつもりの
一応永井読者なんだが・・・
125考える名無しさん:2011/05/05(木) 19:44:58.21 0
すいませんでしたm( _ _ )m
126117:2011/05/05(木) 20:04:54.94 0
>>120
あ、私通りすがりです。
「独在論」と「実在論」の意味がわからんから書いただけで。
「自我と実在が同時に並列して存在する」んでないとすると、
独在論においては、両者はどういう関係でどういう風に存在するのですか。
127考える名無しさん:2011/05/05(木) 20:19:32.75 0
なぜ論考の話なのに「独在論」という語が出てくるのですか?
128考える名無しさん:2011/05/05(木) 21:02:56.66 O
>>121
どういう意味?
ウィトゲンシュタインと別に、偽ウィトゲンシュタインというべき人物が別にいて、
このスレで言われている「ウィトゲンシュタイン」とは、実は偽ウィトゲンシュタインのほうを
指している、とでもいう意味?
そんな訳の分からんことをいきなり言われてもなーw
129考える名無しさん:2011/05/05(木) 21:20:00.92 0
どう見ても偽物なのに永井信者だけが気付かないってことだろ
130考える名無しさん:2011/05/05(木) 21:27:03.12 O
>>129
うん、だからその「偽物」ってのは誰のことなの?
偽ウィトゲンシュタインなんて人が存在するの?
131117:2011/05/05(木) 21:29:20.86 0
>>127
すいません独我論です。(独在論というのは永井均の造語ですか?)
普通に考えると独我論というのは「自我だけが在る」という意味に思えるのですが、
違うんですか。
132考える名無しさん:2011/05/05(木) 23:36:05.64 0
>独在論というのは永井均の造語
たぶんそうかと(「独在性の思考」という表現だった気がするけど)

>自我だけが在る
ウィトゲンシュタインの言う自我って、無内容な自我?とでもいうようなもので、
自我が世界を「創り出している」とか、そうは考えてなかったと思うんですよ。
そういう「内容を持たない自我の独我論」と「実在論」とは、その内容だけ見た場合、区別が付けられないのではないか、
というのがウィトゲンシュタインの言いたかったことなんじゃないかと。
133考える名無しさん:2011/05/06(金) 00:04:00.54 0
>>116
だから論考は後期に否定されたでしょうにw
134考える名無しさん:2011/05/06(金) 00:36:05.50 P
>だから論考は後期に否定されたでしょうにw

乱暴なコメでつねw
ウィトゲンシュタインの後期思想は、前期の「論考」を否定したんじゃなくて、補完しようとしたの。
実際、「論考」と「探求」とを合本化して出版する計画があって、oxの出版局から承認も得られて
いたことがあるくらい。きちんと比較対照して読むべきなんだけどね。だーれもできていないけど。orz



135考える名無しさん:2011/05/06(金) 00:59:02.61 0
いやいや補完じゃないよ
まさにあれは「梯子を投げ捨て」てるよw
136考える名無しさん:2011/05/06(金) 01:44:05.41 P
梯子を投げ捨てるだけで事が済むのなら
教師とか庭師とかに就くこと一生終えることもできたんだろうにね。

そもそも問題は、梯子がお一人様限定使用だったということだな。
ただし、梯子を投げ捨てちゃったら、元居た場所に戻れないしぃw
137考える名無しさん:2011/05/06(金) 01:45:39.89 P
使用 → 仕様
138考える名無しさん:2011/05/06(金) 09:50:28.32 0
後期ウィトゲンシュタインについては永井の解釈が今や主流になってるので、
本当にその辺こまかく話ができるのならやってみればいい。
139考える名無しさん:2011/05/06(金) 11:04:57.57 0
なってないよw
140考える名無しさん:2011/05/06(金) 11:16:08.31 0
今日本で書かれる後期ウィトゲンシュタインの研究で、
参照項として永井の名前がクレジットされない論文を探す方が難しい。
批判できるのなら有力な先行研究への実りある批判として、
名前を上げるチャンスだろう。できるんならなw
141考える名無しさん:2011/05/06(金) 11:48:12.31 0
独在論者が他者に必死になって反論している様が滑稽でならないw
142考える名無しさん:2011/05/06(金) 11:52:12.80 0
>今日本で書かれる後期ウィトゲンシュタインの研究で、
>参照項として永井の名前がクレジットされない論文を探す方が難しい。

お前どんだけ狭い世界に生きてるんだw
143考える名無しさん:2011/05/06(金) 19:15:28.19 O
どうでもいいけど、永井は後期ウィトゲンシュタインについて、そもそもそんなに論じてる?

いや、ほぼ永井の本しか読んでなくて、ウィトゲンシュタイン研究の状況なんて
全く知らないけど、そもそも永井の本の内容自体が、後期はあまり扱ってない
ように思うんだけど。
中期や『論考』の独我論の扱いについてなら、いろいろ書いているし、例えば
「言語ゲーム」という用語とか、カブトムシの議論とかの個別的な話はしてるだろうけど、
後期について明示的に詳しく書いてる気はあまりしないけど。
144考える名無しさん:2011/05/06(金) 19:51:31.85 0
独在論者が本を出版してるのがさらに笑える
145考える名無しさん:2011/05/10(火) 22:07:55.11 0
だからそれは「独在論」の意味が分かっていないからなのよ。
146考える名無しさん:2011/05/10(火) 22:17:34.98 O
>>59の『観念的生活』文庫版解説を見てみたら、結構いろいろ書いてある
ようなので、つい買ってしまった。
(本当はちゃんと予備知識がないと分からなさそうだけど)
147考える名無しさん:2011/05/10(火) 22:26:02.95 O
「独在論」の意味が全く分かっていないのに、それについて笑うことができるというのは、
なかなかに驚嘆すべき笑いのセンスだよなw
148考える名無しさん:2011/05/10(火) 22:50:18.24 0
>>142
永井の国ではあらゆるウィトゲンシュタイン研究書に永井の名前がクレジットされてんだよ!
149考える名無しさん:2011/05/10(火) 22:52:41.52 0
>>146
中島の本文と対比してちゃんと読めば、それ以外の予備知識はなくても分かるよ。
150考える名無しさん:2011/05/10(火) 23:29:15.31 0
独在論(笑)
151考える名無しさん:2011/05/10(火) 23:43:37.69 0
意味も分からずに笑うなよ。
152考える名無しさん:2011/05/11(水) 01:22:23.56 0
<私>(笑)
153考える名無しさん:2011/05/11(水) 01:44:36.35 0
>147が理解しているかもしれない、永井の独在論は
永井が理解しているはずの独在論と類似していても同じではない。
ということで、>>151が『「独在論」の意味が全く分かっていない』と
断言するに値する根拠・担保は、無い。
154考える名無しさん:2011/05/11(水) 02:26:56.12 0
<私><笑>
155考える名無しさん:2011/05/11(水) 08:13:24.68 O
そうか、全然分かってないのに何だかんだ言って笑うというのは、
『マンガは哲学する』で紹介されてる、かわうそ君のアレをなぞっていたということかw
なあんだ、実はずいぶんマニアックな永井ファンだったんですな、失礼しましたw
156考える名無しさん:2011/05/11(水) 08:26:13.99 0
【<私>】
157考える名無しさん:2011/05/11(水) 10:23:41.36 0
というか「独在論」という表現に違和感がある。
永井のやっていることは伝統的独我論の分析的研究で、
例えば「唯物論」「唯心論」と並びたつ形での「〜論」ではないのでは?
158考える名無しさん:2011/05/11(水) 10:48:14.01 0
そうね、そもそも永井は「独在論」なんて言っていないから。
永井が言っているのは、あくまでも「独在性」。
これはつまり、伝統的に「独我論」が言ってきたようなことは、
「我」だけでなく、「今」や「世界」や「神」や……についても本質的に同じことが成り立つ、
(同じ問題が、人称だけでなく、時制や様相や…にもあって、それが言語というものの本質だ、)
ということで、それが永井の言ってることだよね?
マクタガートやその他の伝統的な議論をそういう風に解釈したということでしょ?

159考える名無しさん:2011/05/11(水) 11:08:10.09 0
本人が言ってないわけでもなくない?
『比類のなさ』は独在論の入門書だというのは本人の言だし。
自分で言った後でなんだが、
「二元論」や「意味論」のような意味での「〜論」なら許容しやすいかなとは思った。
160考える名無しさん:2011/05/11(水) 12:11:42.61 0
>>157-158
永井が「独在性」に言及した文章や著作に「論文」は一葉・一冊もない。
だから「独在論」などと呼び得る著作はない。ということだよな?

で、「論」でもないのに「学」としての「哲学」の範疇で「議論」できるのはなぜ?
161考える名無しさん:2011/05/11(水) 13:15:23.06 0
いや? 独在性に言及した文章は沢山あるし、
本人が独在論という単語を使っている著作もある。
ただ、日本語で、素朴に「××論」というとき、
綜合的な真・説明と、分析的な真・説明の内、
前者を重んじる議論をしめす場合が多いのではないか?
後者を重んじる永井の話を「××論」と言ってしまうのは何か違和感があるな、と。
まぁ本人がやってることなんだから、
俺ごときがどうこう言うようなもんでもないのかもしれないが。
162考える名無しさん:2011/05/11(水) 14:24:17.57 0
【<私>】 (笑)
163考える名無しさん:2011/05/11(水) 19:24:24.09 0
>伝統的に「独我論」が言ってきたようなことは、
>「我」だけでなく、「今」や「世界」や「神」や……についても本質的に同じことが成り立つ、
>(同じ問題が、人称だけでなく、時制や様相や…にもあって、それが言語というものの本質だ、)

ということが、「永井の言ってることだ」というのは本当?
164考える名無しさん:2011/05/11(水) 19:30:54.83 0
永井みたいなインチキを必死に読むとは笑えるな
165考える名無しさん:2011/05/11(水) 19:32:51.77 0
カントやニーチェも生きている間は世間から
「あぁ、あの生意気なやつ?ただのキチガイだろw」
とか思われてたんだろうなぁ…。
166考える名無しさん:2011/05/11(水) 19:37:54.89 O
>>164
また現れたね、かわうそ君w
ところで、「インチキ」の意味は知ってるのかい?w
167考える名無しさん:2011/05/11(水) 19:40:05.22 0
もちろん永井はそれほどのものではない。
しかしまたインチキというわけでもなく、
一定の意味のある主張をしている普通の研究者の一人にすぎない。
まあ、あたりまえのことだけど。
168考える名無しさん:2011/05/11(水) 19:42:33.95 0
そんなことより、蟹の目の話が面白くないか?
169考える名無しさん:2011/05/11(水) 20:00:34.54 O
>>168
あの部分だけ読むと笑えるけど、正直、カントの予備知識がないのでよくわかりません

そもそも蟹がどんなふうに見てるのかも知らんしねw
170考える名無しさん:2011/05/11(水) 20:31:46.09 0
<<<私>>>
171考える名無しさん:2011/05/11(水) 21:25:27.19 0
>>168
「不一致対称物」の問題だよね。
しかし、そもそも、ガラスに書かれた図を挟むように両側から見て、一つの「像」を結ぶだろうか?
それはもう、表象ではなく概念なのでは? 「三角形」という。
と、まあ、永井も言っているわけだろうけど。
それはつまり、そのような見方で「見る」ことはできないということでは?


172考える名無しさん:2011/05/11(水) 21:32:02.60 0
永井みたいなインチキを必死に読むとは笑えるな
173考える名無しさん:2011/05/11(水) 21:33:18.41 0
永井均も日大の学生となら話が合うだろうなw
174考える名無しさん:2011/05/11(水) 21:34:50.68 0
マンガで哲学でもしてればいいんじゃね?w
175考える名無しさん:2011/05/11(水) 21:38:33.44 0
永井は売国奴
<私>とかいう個人主義の極致ともいえる哲学は
国家などの公的領域を軽視しがち
いま日本はひとつにならなければならないのに
自分のことしか考えない永井のような輩は排除されるべき
176考える名無しさん:2011/05/11(水) 21:44:54.51 0
他人に対して「自分のことを第一に考えろ」と呼びかけることほど
道徳的なことはないと思うけどな。ニーチェなんかもそうだし。
「人間は道徳的でなければならない!」とか、他人に対して言っちゃうことほど利己的なことはない。
177考える名無しさん:2011/05/11(水) 22:03:57.50 0
私のメタフィジクスねー
学生のころ読んだわ
どうでもいいこと悩んでるんだねこの人とか思った記憶がw
178考える名無しさん:2011/05/11(水) 22:18:03.48 0
この人猫好きなん?
179考える名無しさん:2011/05/11(水) 22:33:26.96 O
>>176
それはちょっと、そうは言えないんではw
例えばある人Aが、別の人Bに、「自分のことを第一に考えろ」と言って、Bが
「そうか、嫌いな奴は好き放題殴ってもいいんだな」と思って、さらに別のC、D、E…を
ボコボコと殴っていった、というような場合を考えれば、そう単純には言えないのは
明らかでは。

ところで、このような話は、永井の倫理に関する議論と関係があるのだろうか。
少なくとも、今書いたような話は、「ある人の命を助けたら、その人が犯罪を働いた」
というような普通の話と別に変わらないつまらん話のような気がしてきた。
180考える名無しさん:2011/05/11(水) 22:38:22.80 0
ショーペンハウアーも言ってるように
できるだけ多くの人を救うことが最も道徳的なこと
永井みたいに私主義に走るやつが非道徳的なのは明らか
181考える名無しさん:2011/05/11(水) 22:39:54.90 0
永井みたいなインチキを必死に読むとは笑えるな
182考える名無しさん:2011/05/11(水) 22:54:55.44 0
>>179
まぁ確かに>>176の図式は単純過ぎるけれど、
ただ、常日頃から道徳的に振る舞いがちになってしまう人に対して、
その人のことを思って「もっと自分の利益を考えなよ」と言ってしまう場面ってあるでしょ?
そこはケースバイケースなわけで、「自分のことを第一に考えろ」という文面だけを見て非難するのはどうなの、と思ったわけ。
183考える名無しさん:2011/05/11(水) 22:57:38.39 O
>>179自己レス
このつまらん話の教訓は、永井の倫理の議論はあくまで、独在性で言われてるような
〈私〉の特別さを前提にして考えなければならない(他人に対して語るにしても、その他人が
他の〈私〉として特別であるという想定で考えなければならない)、
ということですかね。多分。
一人一人が同じような個人であるという考え方のもとでは、とたんに>>179のような、
ある人の利益になる行為は別の人の害悪になるのかもしれない、それは道徳的なのか
非道徳的なのか、(それとも、例えば、利益の総和がプラスだったら道徳的なのか)
というつまらん話になってしまう、ということかと適当に考えてみました。
184考える名無しさん:2011/05/11(水) 23:04:15.58 0
ま、俺が分かりやすくまとめると
哲学はオナニーだということ
185183:2011/05/11(水) 23:04:43.63 O
>>182と前後してしまったけど、特に趣旨は変わりません。
>>182のような場面で「自分の利益を考えなよ」というときは、(一つには、そのように言っても
他人の害悪にもならず調和が取れる場合ももちろんあるだろうけど、もしそうでないとすれば)
他人を他の〈私〉と想定しての呼びかけをしていることになるのでは、ということで。
186考える名無しさん:2011/05/11(水) 23:20:37.38 0
マンガでオナニーする
187考える名無しさん:2011/05/12(木) 11:18:14.40 0
他の〈私〉wwww
188考える名無しさん:2011/05/12(木) 11:31:57.74 0
川上未映子の話題作『ヘヴン』に出てくる百瀬というキャラクターが、
永井の倫理本の引用みたいなことを話している。
あれを「いじめる側の論理」だと読む人は少なからずいるらしいな。
ただ永井の本だと、百瀬みたいなことを言うのは、
人間ではなく猫になってるから気づかれにくい。
189考える名無しさん:2011/05/12(木) 11:54:31.26 0
川上未映子(笑)
190考える名無しさん:2011/05/12(木) 14:16:38.93 0
>たとえば,いじめる側の論理をとうとうと述べる「百瀬」という優等生の
>取り扱いである。こういうキャラクターが,この作品にはどうしても
>必要であるし,その効果は抜群であることもよくわかる。しかし,
>「百瀬」の展開するいじめを合理化する根拠(哲学,と栗原氏はいう)
>をこんな風に提示してしまっていいのだろうか,というのがわたしの
>違和感である。あまりに無責任な「百瀬」の発言を「言いっぱなし」
>にして終わらせていること。つまり,いじめられる方が悪い,
>と断言させて,そのあとのフォローがまったくないこと。
>しかも,栗原氏はインタビューのなかで「百瀬が意外と隠れ
>キャラというか,ファン人気が高そうな感じがしたんですが」
>というツッコミにたいして,作者は「超格好いい,みたいな
>感想が多かった(笑い)。読んでいて,心強くなるという人も
>いましたね」と応じている。もちろん,もっと突っ込んだ話になっていけば,
>インタビューアーや作者の考えも違ってくるのだろうけれども・・・。
>それにしても,この対談では,意外に軽くあしらわれていて,
>これでいいのか,とわたしなどはムキになる。
ttp://isc21.jp/cgibox/tdiary/20090912.html
191考える名無しさん:2011/05/12(木) 16:18:53.67 0
なんで川上関係って越境してくるんだろう
ドゥルーズスレでも暴れてたし面倒くさいなあ
192考える名無しさん:2011/05/12(木) 16:23:55.66 0
本人がやり手の営業マンみたいだよ。
193考える名無しさん:2011/05/12(木) 19:30:01.55 0
ここからミエコスレになります
194考える名無しさん:2011/05/12(木) 19:59:10.08 0
永井の倫理って、いじめを合理化することになるのだろうか。
というか、特定の何らかの行為を合理化したり非合理化したりすることになるのだろうか。
永井の理屈でいけば、とにかく今の私に気持ちいいことをするだけだから、
いじめたい奴はいじめるし、いじめる奴を糾弾したい奴は糾弾するし、
その行為の長期的な影響を考えて社会的効用を最大化したい奴はそうするし… みたいに、
結局みんな勝手にするだけで、何を合理化することにもならないと思うのだが。
195考える名無しさん:2011/05/12(木) 20:04:53.38 0
道徳的行為ですら自分の気持よさの為に為される、
ということを認めたくない人間には困るんじゃないか。
196考える名無しさん:2011/05/12(木) 20:16:52.81 O
ところで、『ヘヴン』の百瀬の発言って、本当に永井の本の内容と一致してるのかねえ?
改めて精読しないと断言はできないけど、ちょっと疑問。
「道徳を無条件に価値あるものとは考えず、むしろ自分の利益のためなら
道徳を守らない場合も当然あり得ることを指摘する」くらいの、ごく大雑把な
範囲でならそうだろうけど、それくらいの話なら大して珍しくないだろうし。
197考える名無しさん:2011/05/12(木) 20:24:47.70 0
この人って結婚してる?
198考える名無しさん:2011/05/12(木) 20:30:55.23 0
>>196
どっちも糞だから一致しようとしまいと関係ない
199考える名無しさん:2011/05/12(木) 21:53:24.29 O
>>194
それはなかなか難しいところですな。
とりあえず、単純で極端なところを取り出して、自分に当てはめて言ってみると。
そんなふうに全ての人がしたいようにしていることは、私にとって一番いいことではない。
私にとって一番いいことは、私がいじめたい時には、周りの人はそれに協力したり黙認したりし、
私がいじめを糾弾したい時には、今度は周りの人は糾弾に協力したりし、さらに私が社会の
利益を守りたい時には、今度は周りの人も社会の利益を守り…というように、全ての人が
私のしたいことのために行動することだ。
と、単純に取り出すと、なるのでは。

(馬鹿どもがデタラメに暴れ出すと不快なので念のため言っておくと、「しかし他人の利益を
考えることもあるのではないか」とか「そのように利己的な人ばかりだとしても、
道徳は成立し守られるのではないか」というようなことも、いろいろ論じられていて、
単に勝手なことをすればいいなどと論じられているわけではない)
200考える名無しさん:2011/05/12(木) 22:42:05.00 0
永井信者は頭イットルww
201考える名無しさん:2011/05/12(木) 22:51:32.08 0
独在論は青春の苦い思い出
202考える名無しさん:2011/05/12(木) 23:00:44.06 0
>>196
『六つの星星』の中で二人で論じているよ。
203考える名無しさん:2011/05/13(金) 01:30:37.95 0
>>198
まあな。他者への志向性が脆弱な事故中世界しか描けていないからな。

先週WOWOWで「涼宮ハルヒ」の「憂鬱」「消失」が放映された。
それら長い駄文より、XX倍面白かった。
ハルヒの指摘創造世界に客体存在なキョンと仲間達というプロットは
独我論的だが世界の中心が<私>でなく彼女。という視点・支点が魔逆。w
204考える名無しさん:2011/05/13(金) 07:00:02.79 O
>>202
その単行本は持ってないけど、百瀬について
「これに関しては学術的な議論の蓄積があまりに豊富にある」
「そんなに深い話じゃなくて、いかにも中学生らしい単純でかわいらしい発想」
などと言ってる対談が収録された「IN POCKET」という雑誌なら持ってる。
205考える名無しさん:2011/05/13(金) 08:44:51.97 0
「ヘヴン」が永井倫理学のノベライズだ言われるずっと以前から、
「涼宮ハルヒ」は永井哲学のノベライズだと言われていたな。
206考える名無しさん:2011/05/13(金) 09:47:26.14 0
射映を通じて世界の中心に接近していくとか現象学じゃん。
等質空間の捏造の中にいきるヒューマニストじゃん。
永井関係ないよw
207考える名無しさん:2011/05/13(金) 10:18:53.60 0
日本語でおk
208考える名無しさん:2011/05/13(金) 11:10:12.89 0
永井信者はなんでも永井になっちゃうところが
イタいな。それで哲学語った気になってる。
209考える名無しさん:2011/05/13(金) 13:14:40.61 0
永井王国の住人は全てのものが永井に見え、全ての言葉が永井語に聞こえるのだろう
210考える名無しさん:2011/05/13(金) 15:16:40.21 0
相変わらず永井信者は痛いな
永井なんて世の中では誰も知らないよ
一部の永井オタがいるだけ
211考える名無しさん:2011/05/13(金) 16:17:17.80 0
>>210
もう一回さらしておくが、↓ここまで来ると薄気味悪いよ。

138 :考える名無しさん:2011/05/06(金) 09:50:28.32 0
後期ウィトゲンシュタインについては永井の解釈が今や主流になってるので、
本当にその辺こまかく話ができるのならやってみればいい。

140 :考える名無しさん:2011/05/06(金) 11:16:08.31 0
今日本で書かれる後期ウィトゲンシュタインの研究で、
参照項として永井の名前がクレジットされない論文を探す方が難しい。
批判できるのなら有力な先行研究への実りある批判として、
名前を上げるチャンスだろう。できるんならなw
212考える名無しさん:2011/05/13(金) 16:28:27.92 0
事実でないなら反論すればいいだけの話だな
213考える名無しさん:2011/05/13(金) 16:54:55.43 0
一般の知名度は知らないが、
20代の頃に書いた論文が20年後も30年後も読まれるような文系学者は稀だな。
哲学じゃ永井だけじゃないか。
214考える名無しさん:2011/05/13(金) 17:30:53.81 0
>>211
永井語に汚染された哀れな信者の末路か
醜い上に、なぜか居丈高なレスには呆れるとしか言いようがない
215考える名無しさん:2011/05/13(金) 17:39:25.57 0
先生が気に入らないのなら哲学的に反論すればいいのに
それができないから有名じゃないとか言い出すんでしょ
ここは哲学板なんだから先生の主張が受け入れられないのなら反論するか
もしくは沈黙せねばならない
216考える名無しさん:2011/05/13(金) 17:44:02.25 0
信者が気に入らないのでは?
217考える名無しさん:2011/05/13(金) 17:51:02.25 0
>ここは哲学板なんだから先生の主張が受け入れられないのなら反論するか
>もしくは沈黙せねばならない
218考える名無しさん:2011/05/13(金) 19:03:30.42 0
>>216
そのへん区別付いてないと思う
219sage:2011/05/13(金) 19:24:35.88 0
その辺の区別は簡単につくもんじゃないよ
信者批判が永井批判につながるのは必然の理
220考える名無しさん:2011/05/13(金) 21:22:13.78 0
それは・・・
永井の国では全てが永井
信者が永井で永井が信者
ヘヴンも永井ハルヒも永井
ということでしょうか?
221考える名無しさん:2011/05/13(金) 21:56:13.76 0
でもまあカント信者とかでもそんなもんだろw
222考える名無しさん:2011/05/13(金) 22:11:18.92 O
この最近のレスで続いてるあまりに馬鹿馬鹿しい文字列を見てると、なんか、
このよう文字列は意味のある言葉ではないのではないか、という疑問が
沸いてきてしまった。
言葉が意味を持つのは、意図とか何とか、その他何らかのちゃんとした心的要素が
必要であって、これらのレスのような、ちゃんとした心的要素など何も読み取れない
ただ馬鹿なだけの文字列は、意味がないのではないか、と。

そういうことによって言葉の意味があるわけではないと学んだつもりだったんだけど、
きちんと学んで身につけることは難しいですな。
223考える名無しさん:2011/05/13(金) 22:15:11.25 0
>>212
コピペすんなよ
224考える名無しさん:2011/05/13(金) 22:46:34.58 0
馬鹿馬鹿しい、というより、楽園の危機だな
225考える名無しさん:2011/05/13(金) 23:02:23.81 0
永井はオワコン
226考える名無しさん:2011/05/13(金) 23:03:36.40 0
言葉に意味なんてない
人生に意味がないように
哲学はただの言葉遊び
227考える名無しさん:2011/05/13(金) 23:22:06.66 0
>>226
それはお前に意味がないだけじゃねw
228考える名無しさん:2011/05/13(金) 23:37:40.30 0
すげー荒れてんなw
なんでこいつはここまで執念持ってんの?
229考える名無しさん:2011/05/13(金) 23:47:06.33 0
だから反応するからダメなんだって
230考える名無しさん:2011/05/14(土) 18:05:18.01 O
『観念的生活』で永井を名指しで扱ってる箇所があるけど、そもそも
話がかみ合ってない気がする。
231考える名無しさん:2011/05/15(日) 10:59:59.42 0
山田友幸氏の批判は真っ当だし永井は反論できてないと思った
232考える名無しさん:2011/05/15(日) 12:46:30.23 O
>>231
どういう批判?
(『私の存在の比類なさ』に収録されてる話は、もとの山田友幸氏の批判内容がよくわからないので)
233考える名無しさん:2011/05/15(日) 20:49:29.17 0
山田友幸氏の批判は全面的に誤解だったと当人(山田氏自身)が認めています。
そして、実際、誰が読んでもそうです。
234考える名無しさん:2011/05/15(日) 20:57:55.60 0
>>230
かみ合ってるじゃん。永井自身が「解説」でそう解説しているし。
しかし「混合型」を解き解すことが可能なのだろうか?
235考える名無しさん:2011/05/15(日) 21:10:04.87 0
後期ウィトゲンシュタインへの執着はもはや異常といえるレベル
そこらの怪しい宗教とかわらん
236考える名無しさん:2011/05/15(日) 22:30:29.00 O
>>234
かみ合ってるのかなあ?
永井の解説のほうは、多分その背景にあると思われる『なぜ意識は実在しないのか』や
『私の哲学を哲学する』の話を合わせると、何となくこうじゃないか、と思うところは
あるけど。
つまり、心身問題や意識の問題は〈私〉〈今〉の問題とは峻別されるもので、しかし、
意識の問題について実は〈私〉〈今〉と同様の問題が当てはまる、だから大森の疑問は
永井の疑問を前提にして成り立つものだ、というようなことじゃないかと。

しかし、そもそも、「合体型」の疑問の内容がよくわからないし、本文の49頁で
「永井さんの問いが有効であるために
は、「身体としての私」とは別に、それから独立に、いわば「純粋精神としての私」が
確保されていなければならない。」
とされているのも、何のことなのかよく分からない。
237考える名無しさん:2011/05/16(月) 01:23:14.32 0
この人は私(<私>でもいいけど)を物神化しすぎだと思うね
238考える名無しさん:2011/05/16(月) 01:46:02.22 0
<私> という閉鎖空間の神人だからw
239考える名無しさん:2011/05/16(月) 02:10:52.49 0
なんか誤解してるっぽい気がするけど、<私>=永井を指す言葉ではなく、
<私>=239(今は239である、と言えるだけだが)を指す言葉のことだからな。
なんで<私>=239のことを永井が本にしているのかは不思議だが、事実として本になっているのだからしょうがないw
240考える名無しさん:2011/05/16(月) 02:22:21.65 0
それなら別に誤解してないな
241考える名無しさん:2011/05/16(月) 23:52:31.57 0
<私>はたまたま永井として存在しているがうんぬん
という文章がでてくるけど、239は永井なのかね?

>なんで<私>=239のことを永井が本にしているのかは不思議だが、事実として本になっているのだからしょうがないw

242239:2011/05/17(火) 00:20:45.56 0
俺は永井じゃないけど。
243考える名無しさん:2011/05/17(火) 04:16:10.81 0
「永井」は固定指示子とは限らないからな
244考える名無しさん:2011/05/17(火) 08:06:59.72 O
>>239が永井でないのなら、少なくとも、「たまたま永井が〈私〉であるが…」
というような文章が>>239を指しているはずはないよな
245考える名無しさん:2011/05/17(火) 11:22:34.66 0
永井均は固定指示子でしょ
『翔太と猫のインサイトの夏休み』を書いた著者は固定指示子ではないが
246考える名無しさん:2011/05/17(火) 12:12:20.62 0
永井均と小林秀雄では、どっちがすごいの?
247考える名無しさん:2011/05/17(火) 12:19:05.25 0
もう<私>はどうでもいい。
永井氏の思考の産物。
各々が違う一人称つかえばいいこと。
私 I Je Ich
248考える名無しさん:2011/05/17(火) 12:23:46.29 0
小林とはジャンルが違いすぎるw
永井は大森や久保を超えられるかどうかだろうな
249考える名無しさん:2011/05/17(火) 12:37:34.73 0
永井均と中島義道では、どっちがすごいの?
250考える名無しさん:2011/05/17(火) 13:06:22.86 0
哲学者としては永井の方が上だよ。
エッセイストとしては中島の方が上だよ。
251考える名無しさん:2011/05/17(火) 14:03:26.95 0
「永井均」でアイスクリームを指示する可能世界が存在しないとでも?
252考える名無しさん:2011/05/17(火) 14:04:14.23 0
<<<<<私>>>>>
253考える名無しさん:2011/05/17(火) 14:31:53.57 0

工工エエエエエ(´私`)エエエエエ工工
254考える名無しさん:2011/05/17(火) 15:35:38.37 0
永井均はかくかくしかじかの男を指示する、と約定すれば
永井均はあらゆる可能世界でその男を指示するから
永井均は固定指示子
255考える名無しさん:2011/05/17(火) 15:42:18.95 O
あるうひ森のなか熊さんに
でああった咲く森の道
256考える名無しさん:2011/05/17(火) 17:05:09.26 0
k
257考える名無しさん:2011/05/17(火) 17:56:33.30 0
>>250
ありがとう。
中島の文章はわかりやすいっていうか考えやすい希ガス
258考える名無しさん:2011/05/17(火) 20:23:49.40 0
>永井均はかくかくしかじかの男を指示する、と約定すれば

これは違う
詳しくは分析哲学スレで応答する
259考える名無しさん:2011/05/17(火) 21:48:13.12 O
「私」「僕」などという言葉が存在せず、名前しか使われない、ということは
可能だろうか(実際、幼い子どもは自身のことを名前で呼ぶことがあるし)、そして
もし可能だとしたら、その場合に永井の議論には何か影響があるだろうか。
また、「今」などという言葉が存在せず、「何月何日何時何分」という表現しか
使われないことは…。

と、適当な疑問を書き付けてみました。
まあ別に、ただ文章表現が長くなって読みづらくなるだけのような気がするけど。
260考える名無しさん:2011/05/17(火) 22:07:39.87 0
一人称代名詞が存在しなくても永井の議論は成立するか
261考える名無しさん:2011/05/17(火) 22:18:19.49 0
>>258
いやこのスレでやれよ

>>260
無理だろうね
だから猿には永井の議論はナンセンス
262考える名無しさん:2011/05/18(水) 05:54:15.29 0
永井はオワコン
263考える名無しさん:2011/05/18(水) 08:27:29.31 0
な〜にが「開闢の哲学」だよw
アフォかw
264考える名無しさん:2011/05/18(水) 23:58:22.00 0
哲学も観点が違えば現象は同じでも違った結果になることぐらい誰でも常識的にわかる。
永井だって完全じゃないし、探せば斑があるのは当たり前。
265考える名無しさん:2011/05/19(木) 00:41:51.51 0
永井って哲学やってたんだ
初めて知ったわ
266考える名無しさん:2011/05/19(木) 22:04:52.56 0
そうですか…
267考える名無しさん:2011/05/21(土) 21:22:35.93 O
『観念的生活』本文と文庫版を読んでみると、カントなどの予備知識があからさまに
要求されそうなところは別として、面白そうなところはありますな。
他者がいない時、苦しみは存在しないのだろうか、というところとか。
268考える名無しさん:2011/05/21(土) 22:41:22.42 0
たしかに、もし他者が存在可能でなければ、裏から見ても同じ形とされる直角三角形Toは存在しなくなりますね。
逆に、そういうものが存在すると考えているということは、すでにして他者が存在可能だということでもありますね。
269考える名無しさん:2011/05/24(火) 12:23:33.36 0

現実の序列と違い
潜在意識を動かしてる序列がある


どんな座に付いていても
潜在意識を動かせないと 
人を操縦はできない


ヌシの潜在意識を動かせるものは
貧民街に居ようと 遊郭に居ようとも
実質的に 世界を操縦する  


普通の人なのに 
周囲がその人の想い通りになってしまう人がいる

そういうこと 」(Mちゃんの言葉)

270考える名無しさん:2011/05/24(火) 12:24:13.14 0
「 
血筋を見抜ける血筋は多い 
でも ヌシを見分けられる血筋は少ない


今 ヌシ達にべったりとはりついてる 
「 道化師 」も 
それが力のヌシと教えられるまで
その存在に気づかなかった 」(Mちゃんの言葉)

ちなみに 
「 くくり 」とは 
日本書紀に描かれた名称

「 くくり姫 」という名前を 
このブログでは 用いていますが
ぶっちゃけって言えば 
古代のヌシと 支配層の血筋の間に生まれた巫女的形質の存在 
巫女の中でも最高峰的な巫女の存在です 

271考える名無しさん:2011/05/24(火) 12:25:14.56 0
Mちゃん曰く
(ノ゚ο゚)ノ 
実は夢殿の操縦権者達 道化師的存在の
さらにその上に 彼らに情報伝達する存在がいて


それが夢殿最高峰の巫女 
「 くくり 」のような存在なのだとか
(・・;)・・・・・


「 情報こそ神 」


実は彼らが 情報を重んじるのは
世界を操作するのに必要な想いのヌシ達の情報が 
世界を維持する生命線と知っているからだそうな
φ(・・;)・・・・・・

272考える名無しさん:2011/05/24(火) 22:34:56.97 0
test
273考える名無しさん:2011/05/25(水) 19:54:08.64 O
蟹について適当に考えてみた。
我々は直角三角形を一方からしか見ることができないが、他者が反対側から見た時の
あり方も理解することができ、それが概念を持つということで、よって他者は
現実に存在しなくても存在しうるのでなければならない、とされている。
では、蟹は両側から三角形を見ることができるから、反対側も当然わかるので、
他者が存在しなくても一人だけで概念を持つのだろうか。
そういうことではなくて、むしろ、反対側を理解するどころではなく常に現実に
見ているのだから、概念を持たないのだろうか。
なんかそれも変か。

適当ですいません。
永井の「概念」と中島の「概念」が一致してるのかどうかもよくわからない。
274考える名無しさん:2011/05/25(水) 20:01:28.52 O
>>273訂正
> では、蟹は
> 他者が存在しなくても一人だけで概念を持つのだろうか。

「他者が存在しなくても」では、現実に他者がいるかどうかを問題にしているみたいでおかしいので、
「他者というものを想定しなくても」とでもいうべきか。
これで適切かどうかも自信ありませんが。
275考える名無しさん:2011/06/01(水) 14:25:44.86 0
独我論は論理的に可能である。まずこれを端的に認める。
一方で、例えばAとBの二人が居て、Aが独我論者であるとき、
Aの独我論はBの合意を得ることはできない。
「この世界で魂を持っているのは私だけで、他の人間は全てゾンビなのだ」とAが言うとき、
「いや、私は違う。私はゾンビではない」とBは考える。
が、固有名としての「B」を分析しても、ゾンビ説と矛盾するような何かは論理的に出てこない。
つまり、Bが「私は違う」と考えているとき、
この「私」が指示しているのは固有名「B」の持つ内容ではない。
Bの一人称であり、固有名「B」と違う内容を持つ「私」を、<私>とする。
固有名「B」と<私>の関係は偶然である。
この偶然性への気づきが「存在への驚き」とする。

これで合ってる?
276考える名無しさん:2011/06/01(水) 19:19:25.83 O
>>275
だいたい永井の本と似たようなことが書かれているとは思うけど。
しかし、

> 独我論は論理的に可能である。まずこれを端的に認める。

まず、永井は「心の中にあるものが全てであって、心の外にあるものはない。少なくとも、
あるかどうかわからない。」というような考え方を認識論的独我論と呼んで、それは
自分の問題とは違うとしているわけで、それなのになぜわざわざ出だしで独我論が
論理的に成り立つかどうかという話をしてるのか、趣旨がよくわからない。

また、

> つまり、Bが「私は違う」と考えているとき、
> この「私」が指示しているのは固有名「B」の持つ内容ではない。
> Bの一人称であり、固有名「B」と違う内容を持つ「私」を、<私>とする。

このへんを読むと、なにか、第三者が一時的な特殊な心理状態を持っているような様子を
見て、その心理状態を外から〈私〉と名付けてみた、などという話をしているようにも見える。
そうでないのならいいのだけど。

というように細かい表現で気になるところも多いのだけど、何がどの程度「合ってる」かを
問題にしてるの?
277 忍法帖【Lv=2,xxxP】 :2011/06/01(水) 22:40:50.54 0
>>276
久しぶりに見た適切なコメントですな。
278考える名無しさん:2011/06/01(水) 23:02:43.95 0
>例えばAとBの二人が居て、Aが独我論者であるとき、

すでに独我論を否定してるじゃんw
279考える名無しさん:2011/06/01(水) 23:03:31.12 0
>それは自分の問題とは違うとしているわけで、

じゃあ永井さんは何を問題にしてるんでしょうねえw
280考える名無しさん:2011/06/02(木) 00:03:48.41 0
>>275
>固有名「B」と<私>の関係は偶然である。
これって永井の論じていることではあるけど、積極的な主張ではないと思う。

Bという人物が存在するが、その人物の自我がなぜか<私>ではない可能世界が考えられるのだから、
「Bが存在するならば<私>も必然的に存在する」といった議論は成り立たないのではないか、
という風に、「反論に対する反論」という形で論じていて、それ自体が積極的な主張ではないように思う。

「<私>というものは存在しなくてもよかったはずなのに、なぜ無ではないのか?
また、<私>がなぜ存在するかを説明することは(同種のものが存在しない場合は)原理的にできないのではないか?」
というものが永井の主張であるように、少なくとも俺には、読める。
ただ、永井は最近になって<私>の存在の根拠に神を持ち出し始めたので、俺の読みが正しいのか自信が無くなってきているw。
281考える名無しさん:2011/06/02(木) 00:19:21.73 0
>固有名「B」と<私>の関係は偶然である。
>永井は最近になって<私>の存在の根拠に神を持ち出し始めた

あとちょっとで「たまさかの科学」の小川隆法にくらいにはなれそうだね。
282考える名無しさん:2011/06/02(木) 03:39:33.99 0
永井さんは論点先取の誤謬という言葉知らないんだろうな
283考える名無しさん:2011/06/02(木) 08:51:00.26 O
>>280
> ただ、永井は最近になって<私>の存在の根拠に神を持ち出し始めた

どこでそんなことを言ってるの?
神についていろいろ書いてあるけど、〈私〉の存在の根拠にしてる箇所なんてあるの?
(あるいは「根拠」とはどういう意味で言っているのか)
284考える名無しさん:2011/06/02(木) 11:34:19.32 0
可能世界意味論においては、現実的なものは偶然的なものなので、
トートロジーが現実に否定される契機がないという理由で回避されたりはしない。
285275:2011/06/02(木) 17:56:17.23 0
>>276
俺の書き方はたぶんかなりまずいんだろうなとは思いましたw
たぶん細かい理解がかなり間違ってると思います。
ただ永井は認識論的独我論を問題にしているのではない、
というのは自分もそうなのだろうと思っています。

独我論は、同じ内容でも、相手が独我論をとなえるときには同意できない。
同意が確実性を保証しない。
それは、独我論が、他の世界観とは根本的に異なる次元の「論」であること示しており、
その次元を問題にしているのだろう、と大まかな見当をつけている程度ですが。
286 忍法帖【Lv=2,xxxP】 :2011/06/02(木) 19:25:45.57 0
>>283
うーん、これもまた適切なコメントだなぁ。
ただ、「根拠」というのは違うけど、おそらく岩波哲学講座に掲載されている永井の
論文を念頭に置いているような気がする。

287考える名無しさん:2011/06/02(木) 22:01:05.12 O
>>273の蟹の話は全くウケなかったが、少なくとも
> 反対側を理解するどころではなく常に現実に
> 見ているのだから、概念を持たないのだろうか。
というところは、ちょっと考えたら明らかにおかしいように思われたので、
それを自己レスしておくことにしました。
どこがおかしいかというと、蟹が三角形の両側を見ているといっても、例えば、
これから三角形を書き、それを見て、その後にきれいに消すという経過を考えれば、
書く前には当然、現実には三角形はなく、あるとしてもいわば未来の三角形のみだし、
消した後も当然、現実には三角形はなく、あるとしてもいわば過去の三角形のみ。
このように、過去・未来を考えれば、たとえ両側を見ることができるとしても、
やはり、現実には見ていないが見た場合にはどうなるかを理解するという場面は
あるので、概念を持たないなんてことはないだろう。

しかし、もし、蟹の目が両側を見るように伸びているだけでなく、過去と未来に
向かっても伸びている(??)としたら、どうだろうか?
もちろん冗談ですがw
288考える名無しさん:2011/06/02(木) 22:36:34.01 0
>>283
確か「私今そして神」の最初の方で
「<私>が存在することが神の業なのか、それともありえないはずの他者が存在することが神の業なのか。もちろん、どちらも神の業だ」
のように論じている部分があったと思う。

俺は永井の主張の「<私>がなぜ存在するかの説明は原理的にありえない」という部分は、
ニーチェの哲学とも重なる部分があって、重要だと思っていたのだが、
永井にとってはそうでもないのだろうか。
289考える名無しさん:2011/06/02(木) 23:51:12.11 O
>>288
もちろんそういう記述はあるけど、それが、〈私〉の存在の理由とか根拠とかに
なっているわけではないだろう、ということ。
〈私〉の存在に理由がないということは、最近の本でも、というかむしろ最近の本でこそ、
存在は内容によっては説明できない(レアールな述語ではない)という話で
強調されてるはずだと思うので。
290考える名無しさん:2011/06/03(金) 00:20:12.82 0
「魂」の概念と、永井のいう〈私〉との違いは無いと考える。
永井は「累進構造」の概念を用い、またウィトゲンシュタインの独我論を援用して〈私〉を「語りえない」性質の
ものとしているが、それは「魂」の本質は語りえないものだとしても同じことである。

『〈魂〉に対する態度』で、「〈私〉とは世界を開闢する場であり、そこから世界が開けている唯一の原点である」というが、
これはカント哲学から必然的に導かれる結論を永井流にパラフレーズしたものと考えられる。
カント流に考えれば、人は物自体――客観世界を決して認識できないのだから、
人が認識する世界は超越論的自我の統覚の働きによって創られた世界だといえる。
「世界」である全ての表象は「魂」が創っているともいえる。永井のいう〈私〉と何の違いもないと思われる。
291考える名無しさん:2011/06/03(金) 08:42:56.89 0
永井信者はゴミみたいな話をいじくり回して楽しんでるな
292考える名無しさん:2011/06/03(金) 09:23:26.15 0
永井の独在論なんてそのへんの一般人だれでも一度は考えるレベルのことでしょ
293 忍法帖【Lv=3,xxxP】 :2011/06/03(金) 09:26:43.85 0
やっぱり、バカに甘くすると、こういう連中が湧いて出るということだよな。
永井も後悔しているだろうなぁ。
294考える名無しさん:2011/06/03(金) 09:42:25.04 0
哲学は科学のように新事実を発見したり新理論を発想しはしない。
哲学に新事実というものがあるとすれば、それはかくし絵の中のかくされた
姿をみてとること以外ではない。
そのかくされた姿とはすでにそこにあからさまに在り、すでに見られていたものを
「みてとる」こと、それが哲学なのである。科学が news に向うとすれば、哲学は
new look に向うのである。

だからこそ、哲学は専門ではありえない。
物理学や経済学が専門であるようには哲学は専門ではなく、哲学に素人と
専門家との区別はない。誰であろうと生きているかぎり、世界と人間をある見方で
「みてとって」いるからである。ただ普通以上にその「みてとる」ことにかまけ、
「みてとる」ことを明確に意識的に遂行しようとするとき、それが哲学専攻と
言われているにすぎない。

大森荘蔵『言語・知覚・世界』
295考える名無しさん:2011/06/03(金) 14:18:17.11 0
>>291-293
知性のかけらも無いレスだな。

本 物 の 馬 鹿 だ
296考える名無しさん:2011/06/03(金) 14:44:19.51 0
哲学板で議論回避のイチャモン合戦やるのも馬鹿馬鹿しいものはないな
だから過疎るんだろうけど
297考える名無しさん:2011/06/03(金) 17:14:21.86 0
>>296
そうとは限らない。バカ相手の議論は所詮無駄。
時には火箸を振り回してでも強制終了することには、
それなりの意義がありえる。
298考える名無しさん:2011/06/03(金) 17:34:49.63 0
では賢い人間による有意義な議論とはどんなものですか? となる。
自分の考えをあきらかにせず、
気軽にイチャモンつけるだけだから哲板はどんどんつまらなくなる。
299考える名無しさん:2011/06/03(金) 17:41:28.10 0
議論を通してで何かが理解できるとでも思っているのか?
それに、哲学は、観客として楽しめるエンタメじゃないのに。w
300考える名無しさん:2011/06/03(金) 18:34:29.97 0
むしろ議論によって何も理解されないと思っているのだろうか?
真理を棚上げして、議論を回避する「哲学」板なんて、
「哲学」に関心あるものにとっては空しいだけだ。
301考える名無しさん:2011/06/03(金) 18:42:51.30 0
>真理を棚上げにして、議論を回避する「哲学」板なんて
もし君が言う真理が真理であるなら、議論の余地などこれっぽっちもなかろう。
「真理」を議論するという姿勢そのものがナンセンス。

302考える名無しさん:2011/06/03(金) 19:55:43.77 0
哲学とは何か?という問いに対する答えは多々あるけれども、
真理と論証を離れたところに哲学があったことはない。
「真理」と論証を回避しようという人も、当然あるかもしれない。
そのことだけを理由に低く見たりはしない。
どうぞ回避してください。
ただその場合、それが哲学回避であるという自覚を持って、
哲学ごと回避すべきではあるだろう。
無自覚なまま、未練がましく関わらずに。
303考える名無しさん:2011/06/03(金) 20:01:10.21 0
「真理の御旗」を掲げた聖戦乙

ま、回避などと決めつけるなよ。w
304考える名無しさん:2011/06/03(金) 21:40:49.75 O
真理一般とか哲学一般のことなど知らないけど、少なくともこのスレには、
永井の本を真面目に読んだことも、関連することについて真面目に考えたことも、
あるかどうかわからんような、ただ馬鹿みたいな出鱈目なことを書いてるとしか
思えんような輩が、よく沸いてくるのは確かだからな。
繰り返すけど、真理とか哲学全体のことなどは知らないけど、少なくとも永井の話について
真面目に語る気があるんなら、永井の本くらい真面目に読んでからにしろ、というのは、
まあ当たり前だわな。
305考える名無しさん:2011/06/03(金) 22:13:12.15 0
だから、真面目に語るつもりはないんでしょ。
これだけ長期間粘着してるんだから、
その不真面目さに思うところがあるんだろうが、
残念なことにそれは哲学ではないからね、という話なんだよね。
精々その程度の自覚は持ってほしい。哲学板なんだから。
306考える名無しさん:2011/06/03(金) 22:24:46.92 0
真面目って何だよ? 永井信者たらん者は
永井の教説を無批判で読み受け入れということかい。
真面目に読んでると自称している君たちの読みが浅いのは
書き込みを見てれば一目瞭然なのだが。

307考える名無しさん:2011/06/03(金) 22:41:48.11 0
でも、「どこが」「どのように」浅いのかを指摘することはしないのだよなぁ。
308考える名無しさん:2011/06/03(金) 22:45:06.05 0
>>307
過去スレ含めてさんざん指摘してるけどね。
309考える名無しさん:2011/06/03(金) 22:56:38.00 0
じゃあ、その指摘していることとやらを書いて欲しいなぁ。
「過去ログ嫁」と言われちゃいそうだけどw
どれが君の書き込みか解らないからね。
310考える名無しさん:2011/06/03(金) 23:01:00.08 0
350 名前: 考える名無しさん [sage] 投稿日: 2010/12/27(月) 10:11:23 P
>>341
これがニーチェだの頃からすると随分な宗旨変えだな。w

>>348
人間だれしも我が儘だから、哲学的な耳で我が儘者の自己弁解
を聞くに付け、には独我論的な響きがする。ということなのかな。
311考える名無しさん:2011/06/03(金) 23:07:22.78 0
「どこが」「どのように」浅いのかを指摘したのではないの?
そのレスを引用した意図がよくわからないんだけど。
312考える名無しさん:2011/06/03(金) 23:11:28.12 0
>そのレスを引用した意図がよくわからないんだけど。

わからないのか?

ところで、君の自信満々な読みっぷりを示すレスを披瀝してくれないか。
313考える名無しさん:2011/06/03(金) 23:15:35.60 0
「わからないのか?」じゃなくて、説明して欲しいんだけどなぁ。
俺のレスは>>280とかだけど、今それ関係あんのかね?
君が「浅い」とかいうから、どこが浅いのかを聞いてるだけなんだけど。
314考える名無しさん:2011/06/03(金) 23:47:19.89 0
>>313
俺は君の教師でもママンでもないからね。
ヒントは>>310で示した通り。あとはご自由にどうぞ。

>280だけど。永井の言説の解釈から一歩も踏み出していない
ところがまずいとおもう。ただし、「永井は最近になって<私>の存在の
根拠に神を持ち出し始めたので」という指摘はイイ。その辺から底さらい
すればいいと思うよ。
315考える名無しさん:2011/06/04(土) 00:00:01.17 0
深い読解とは何か、ということが示されない限り、
解釈は自明のもとならないし、
浅い読解であるかどうかの真偽が問われえないわけだ。
つまり論理的に無意味なわけで、
論理的に無意味なことしか言わない(言えない)から君は不真面目なんだよね。
316考える名無しさん:2011/06/04(土) 00:01:15.25 0
>>314
なんか飽きたから、もうそれでいいっすわ…。

あと>>280だけど、>>275が「永井の解釈はこれで合っているのか?」と聞いたから
俺の永井の解釈と違っている部分を指摘したわけで、解釈から踏み出したらまずいと思うんだけど。
>>275にオレオレ哲学でも語ったら良かったのかな?
317考える名無しさん:2011/06/04(土) 00:02:08.25 0
ちなみに俺は三浦俊彦の批判はまっとうな批判であると思う。
アンチ君はどうせ居座るなら三浦俊彦くらい読んでから出直してきてほしい。
318考える名無しさん:2011/06/04(土) 08:58:33.84 0
三浦乙
319考える名無しさん:2011/06/04(土) 08:59:13.07 0
あ、そうそう、のぞき学原論の続編おねがいしますw
320考える名無しさん:2011/06/04(土) 10:49:19.24 0
三浦俊彦、このごろ批判しなくなったな
『転校生とブラック・ジャック』の「文庫版あとがき」で納得したのか?
まあ、たしかに確率の問題は関係ないとは思うけど…
321考える名無しさん:2011/06/04(土) 12:16:31.74 0
ちなみに俺のレスは
>>307 >>309 >>311 >>313 >>316
で、>>315 >>317とは別人だからね。
三浦のことで俺に突っかかって来ないでねw。
322考える名無しさん:2011/06/04(土) 12:50:08.72 0
おまえがだれかなどどうでもいい
323考える名無しさん:2011/06/04(土) 12:58:18.67 0
つまり、相手の主張が何かなんてどうでもいいわけだね。
何でもいいからとにかく叩きたい、と。
マジでカスだなおまえはw。
324 忍法帖【Lv=4,xxxP】 :2011/06/04(土) 13:05:23.91 0
ステハン付ければ解決
325考える名無しさん:2011/06/04(土) 14:08:17.12 0
>独在論=おまえがだれかなどどうでもいい 。
>マジでカスだな永井は。
326考える名無しさん:2011/06/04(土) 15:02:17.30 0
ファビョり過ぎて遂に意味不明なこと書き始めちゃったね。
おまえみたいなカスをいじめるのが楽しくて仕方がないw。
327考える名無しさん:2011/06/04(土) 15:46:06.27 0
>>321
ファビョり過ぎて遂に意味不明なこと書き始めちゃったね。
おまえみたいなカスをいじめるのが楽しくて仕方がないw。
328考える名無しさん:2011/06/04(土) 15:59:50.75 0
もうちょい面白いこと書き込めよカス。
329考える名無しさん:2011/06/04(土) 16:03:53.88 0
>>328
ファビョり過ぎて遂に意味不明なこと書き始めちゃったね。
おまえみたいなカスをいじめるのが楽しくて仕方がないw。
330考える名無しさん:2011/06/04(土) 16:07:10.74 0
飽きてきたわ…。あんま面白いもんでもなかったな。
もっとファビョッちゃうかと思ったのにw。
じゃあの。
331考える名無しさん:2011/06/04(土) 16:09:48.22 0
>>328
じゃあのw もっとファビョッちゃうかと思ったのにw。
おまえみたいなカスを追い出すのが楽しくて仕方がないw。

332考える名無しさん:2011/06/04(土) 21:06:46.70 0
蟹蟹カニかにとさわいでいたやつがいたのでなんのことかといぶかしんでおったが
、該当の本をちらみしたら、概念とは言語的なものだと主張してあった。
ならば、そもそも蟹が三角形をどう見ようと概念をもてるはずがなかろう。
333考える名無しさん:2011/06/04(土) 21:50:55.70 O
>>332
それはまたずいぶんとストレートなツッコミですな。
それなら、原文に近づけて、「蟹」ではなく、「もし我々が蟹のように伸びた目を
持った場合」というように訂正したいのですが。
334考える名無しさん:2011/06/04(土) 22:08:50.80 0
というか、もともとそういう意味だろう?
そうでなければ、何の意味もない話だから。
335考える名無しさん:2011/06/04(土) 22:22:03.57 O
>>334
もちろん、原文はそうなっているし、>>273>>287もそのつもりで書いたので。
336 忍法帖【Lv=5,xxxP】 :2011/06/04(土) 23:09:46.21 0
逆さ眼鏡を掛けても順応しますからねえ
337 忍法帖【Lv=5,xxxP】 :2011/06/04(土) 23:44:44.08 0
ん?
338考える名無しさん:2011/06/05(日) 00:58:01.72 0
>もちろん、原文はそうなっているし、>>273>>287もそのつもりで書いたので。

はあ?自分で蟹ってかいてるでしょ?
ツッコマレタトタンニジツハカニニンゲンノハナシデシタデスカ?
だいたいそういう話なら別に蟹人間じゃなくても両側にビデオカメラで
もおいてひとつのモニターに三角形の表裏を2分割にして移したら
いいじゃない。それがなんなのよ!



339考える名無しさん:2011/06/05(日) 01:13:13.64 0
だいたい、概念が言語的なものだというのが正しいのなら、
概念をもつために必要なのは言語の習得であって、他者の存在じゃ
ないっちゅーことだわね。
一人だけで言語を習得できるならそいつが概念をもっていて当然
だわね。
逆に言語をもっていながらなんの概念ももっていないなんて
ことがありうるのかしらってことだわね。
340考える名無しさん:2011/06/05(日) 11:09:53.89 O
>>339
だから、他者なしに一人だけで言語を持つことがあり得るか、という話に
なるんじゃないの?
『観念的生活』文庫版解説の該当箇所では、それはあり得ないと書いてある
ように読めるけど(理由を詳しく書いてはいないけど)、それは間違いだという
ことになるの?
341考える名無しさん:2011/06/05(日) 11:16:06.62 0
>>338
それはぜんぜん話にならない。
だってまさに「統覚の統一」がテーマなんだから。
それにしても、論点をまったく理解せずに発言する人が多すぎるな。
342考える名無しさん:2011/06/05(日) 11:21:57.47 0
>だから、他者なしに一人だけで言語を持つことがあり得るか、という話に
>なるんじゃないの?

だから蟹人間がどうたらこうたらはなんの関係もないってことだわね。

343 忍法帖【Lv=5,xxxP】 :2011/06/05(日) 11:23:12.40 0
統覚は最初から統一している
344考える名無しさん:2011/06/05(日) 11:40:00.12 0
おいおい、もしかして、だれもなにも理解しないで書いている?
345 忍法帖【Lv=5,xxxP】 :2011/06/05(日) 11:49:20.16 0
とっとと「統覚の統一」とやらを説明したまえよ
346考える名無しさん:2011/06/05(日) 11:54:02.92 0
>我々は直角三角形を一方からしか見ることができないが、他者が反対側から見た時の
>あり方も理解することができ、それが概念を持つということで、よって他者は
>現実に存在しなくても存在しうるのでなければならない、とされている。
>では、蟹は両側から三角形を見ることができるから、反対側も当然わかるので、
>他者が存在しなくても一人だけで概念を持つのだろうか。

これのどこが統覚の統一の話なのってことだわね。

347 忍法帖【Lv=5,xxxP】 :2011/06/05(日) 12:06:13.06 0
「統覚の統一」など同意反復である
348考える名無しさん:2011/06/05(日) 12:21:16.18 0
>我々は直角三角形を一方からしか見ることができないが、他者が反対側から見た時の
>あり方も理解することができ、それが概念を持つということで、

そもそもこの前提からしてあやしい。
直角三角形をみたときに、その反対側からみたときの、直角三角形の
あり方が理解できることが、直角三角形の概念を持つことの必要条件
じゃないと思うわね。
直角三角形を書くことができ、かつ三角形が三辺からなることを
理解でき、内角の和が180度であり、三つの内角の比率を理解
しているならば、その人はそれだけで直角三角形の概念をもっている
といっていいと思うわね。
その人が書いた直角三角形を反対側からみたときのあり方を
理解できる必要はないと思うわね。
そんな条件をつけられたら数学的にいくらでも高度な図形(正何角形)
とかありうるのだから、その図形の反対側からみたときのありかたを
理解できないならば、その図形の概念をもっていななんて条件を
つけられたらたまったもんじゃないってことだわね。
そもそも図形として描けない4次元の図形とかはどうなるのって
ことだわね。
349考える名無しさん:2011/06/05(日) 12:25:59.81 0
だいたいなんで反対側からみたあり方に限定しているのかも謎だわね。
右斜め下からみたときの見え方とか理解できなくてもいい理由は
なんなのって話だわね。
350考える名無しさん:2011/06/05(日) 14:54:56.50 O
>>349
もともとの中島義道の本文の文脈では、反対側から見たあり方には
限定されていないと思う。
ただ、限定されているように読める箇所があって、そこに引っ掛けて、
永井の文庫版解説では「我々の目が蟹のように飛び出していて、一つの物を
挟み込むように見ることがもしできたら」という話が始まっている。
だから、永井のその取り上げ方が不当であって、挟み込むように見ることが
できるというだけではナンセンスだ、という指摘はあり得るとは思うけど。
しかし、永井も、それはもちろん織り込み済みで書いてるんじゃないかと
思うけどね…。
351考える名無しさん:2011/06/05(日) 17:30:05.37 0
思い通りの結論を得るために前提を改変しねつ造するのは正義。
352考える名無しさん:2011/06/05(日) 19:14:09.06 0
おいおい、もしかして、だれもなにも理解しないで書いている?
反対側から見たあり方に限定しているに決まってるじゃないか。
右斜め下から見た見え方なんかが問題になるわけがないだろうに。
君たち、もしかして本当に「不一致対称物問題」というものを全く知らずに書いているの?
ライプニッツやニュートンと対決して、前批判期の「空間における方位区別の第一根拠」以来カントが論じ続けているカント空間論の最も中心的な問題ですよ。
今回、中島はそれを「物自体」とつなげて最新の解釈を示した。
そこに永井がむしろ伝統的な解釈を再提示して突っ込んでいるという文脈ですよ。

353考える名無しさん:2011/06/05(日) 19:46:46.82 0
おいおい、そういうネタバレはとりあえずラップしたまま。
それが新書版入門哲学のお約束じゃないの?
354 忍法帖【Lv=5,xxxP】 :2011/06/05(日) 19:51:06.95 0
>>352
実に適切なコメントだな。
355 忍法帖【Lv=5,xxxP】 :2011/06/05(日) 20:06:08.28 0
>>354
うそつけ
356考える名無しさん:2011/06/05(日) 20:10:20.72 O
>>352
それは知りませんでした。
素人が予備知識なしに勝手なことを言うもんじゃありませんね…
357考える名無しさん:2011/06/05(日) 21:19:01.03 0
そもそも正三角形だったらどうなのって話だわね。
358考える名無しさん:2011/06/05(日) 21:35:23.23 0
しかしまともな突っ込みをしてるのにボケた応答しかかえって
こないのはなぜなのかしらって話だわね。
p31
”「三辺が五センチメートルと四センチメートルと三センチメートル
の直角三角形は、それ自体としては物(1)であり、現象としては
(TxとTyの鏡像的差異を含む)あらゆる空間的位置の差異によって無限に
異なって描かれうる個々の三角形すなわち物(2)なのである”

さてこの物(2)(無限に異なってえがかれれうる個々の三角形)を
すべて同時にみたすような三角形を認識できるならば、そのとき
物自体(=物(1))を認識できることになるというのが中島の
主張だわね。
よって両側に限定されるなんてたわごとは本をまともによんでない
証拠だわね。
あきれてものがいえないちゅーことだわね。
359考える名無しさん:2011/06/05(日) 21:46:51.84 0
ところで中島の物自体解釈をまともにうけいれるならば、
物自体は階層を変えて増殖していくようだわね。
というのも、
”三辺が五センチメートルと四センチメートルと三センチメートル
の直角三角形は、それ自体としては物(1)で”
あると同時に
直角三角形一般という物(1)の具体物=物(2)と解釈することも
可能だと思われるからだわね。
360考える名無しさん:2011/06/05(日) 21:50:28.71 0
さらにいえば、直角三角形そのものもまた
三角形という物1に対する物2とも言いうることができるように
思われるわね。
するとなにやら物自体にも階層があって最上階には存在とかなにかそういう
ものが君臨するのかしらってことだわね。
361考える名無しさん:2011/06/05(日) 22:02:29.96 0
>反対側から見たあり方に限定しているに決まってるじゃないか

すると正三角形のばやい、鏡像の図形は同じだから
正三角形の物自体をわれわれは認識できる。
よって物自体は認識できないといったカントは間違いだったという
ことでファイナルアンサー?っちゅーことだわね。
362 忍法帖【Lv=7,xxxP】 :2011/06/05(日) 22:05:02.02 0
哲学は現代人に必要不可欠なリミッターですよねー!?♪。
363考える名無しさん:2011/06/05(日) 22:22:41.04 0
しかし蟹の話かとおもいきや
今度は統覚の統一の話だとなって
お次は不一致対称物問題だとなる。
もうなにがなにやらっちゅーことだわね。
364考える名無しさん:2011/06/06(月) 00:30:15.30 0
烏は危険人物の顔形を2年は覚えているんだってな。
365考える名無しさん:2011/06/06(月) 05:17:48.40 0
『なぜ意識は実在しないのか』読了。
何が言いたいのかよく分からん。
いつも思うが永井の本は読みにくい。
チャーマーズの『意識する心』が比較的容易に読めてかつそれなりに納得してただけに
それに批判している永井の議論に興味があったが、結局何が言いたいのかよく分からんかった。

ただ私だけの体験を、公的な言語で語ろうとすると語れなくなってしまう、ということを
言いたかっただけちゃうんと思った
366考える名無しさん:2011/06/06(月) 07:41:37.85 O
>>365
「私だけの体験を、公的な言語で語ろうとすると語れなくなってしまう」
なんてことが書いてあった?
どの辺がそう読めるの?

いや、本当に何が言いたいのか分からないというなら、細かく答えてほしい
とは思いませんが。
367考える名無しさん:2011/06/06(月) 09:38:54.03 0
横レスだが永井の主張をあなたはどう要約するのかを書けばいいんじゃないかな
368考える名無しさん:2011/06/06(月) 14:43:27.93 0
>>365
チャーマーズに対する永井の批判は的外れ。

チャーマーズはクオリアを存在論的な観点から問題にしているのに対し、
永井はクオリアを意味論的に定義して「語りえない」と批判している。
(永井の立場は暗にブラックボックス機能主義を前提にしている)

チャーマーズからしたら語りえなくてもいい。
クオリアの逆転や哲学的ゾンビは想像できるという点が重要。

だからこその想像可能性論法なわけ。
369考える名無しさん:2011/06/06(月) 19:07:31.13 0
>>368
>永井はクオリアを意味論的に定義して「語りえない」と批判している。

「クオリア」の永井による「意味論的」定義と、
クオリアが語りえないとする永井の理由をおしえて
370考える名無しさん:2011/06/06(月) 19:26:51.34 O
>>367
下手に要約なんかしたら、ますますおかしなことになるだけとは思うけど、
一度、議論の捨て石ゴミ溜めとしてやってみましょう。
(ほんとにゴミ溜めのつもりで作ったので、正しい理解のためのご批判ご指摘
よろしくお願いします)

0‐1.現に私であるもの・現に今であるもの(本当は〈これ〉としか言いようが
ないものが、ただ一つだけあり、それは唯一特別である。(最上段)
0‐2.ところが、他の私(他人)や、他の今(過去・未来)、というものが
あって、そちらのほうこそ唯一特別であり、そちらから見た他の私や他の今などは
特別ではない、という理解も成り立ってしまう。(累進構造)
0‐3.そして、一般的、等質な「人間」とか「時間」とかがあると理解される
ようになる。(通常の世界観?の成立)
1.このようなことが、意識の問題にも当てはまる。
現に現象的意識を持っているのは、唯一、私だけのはずである。(最上段)
他人が持つのは心理的意識にすぎない。
2.ところが、他人のほうが現象的意識を持っていて、その他人から見れば、他人が
持つのは心理的意識にすぎない、という理解も成り立ってしまう。(累進構造)
3.そして、一般的に誰もが同じように現象的意識と心理的意識を持つ、という
ように理解されることになる。(通常の世界観?の成立)
4.ここまで来ると、誰もが同じように意識を持っているのだから、「哲学的ゾンビ」
だの「クオリアの逆転」だのはあり得ないはずである。
それなのにそのようなものを考えてしまうのは、本当は1と2の段階(0‐1と0‐2の段階)
こそが問題なのに、それを上手く捉えずに、4の段階で不適切に捉えているのである。
371考える名無しさん:2011/06/06(月) 19:31:57.00 O
>>370自己訂正
> 4の段階で不適切に捉えているのである。
誤 「4の段階」
正 「3の段階」
372考える名無しさん:2011/06/06(月) 20:03:01.32 0
>現に現象的意識を持っているのは、唯一、私だけのはずである。

なにを根拠にこんなことをいってるのかっちゅーことだわね。
373考える名無しさん:2011/06/06(月) 20:29:22.89 0
>>370
そういうの回りくどいまとめはいいから
「クオリア」の定義と、それ語りえない理由を端的に書いてよ
374考える名無しさん:2011/06/06(月) 20:29:36.45 O
>>372
> >現に現象的意識を持っているのは、唯一、私だけのはずである。

> なにを根拠にこんなことをいってるのかっちゅーことだわね。


それはもちろん、現にそうであるとしか言いようがないから。
しかしこの点については、>>370の要約のゴミさ加減も大きく影響してると思われる。
「現に現象的意識を持っているのは、唯一、私だけのはずである。」などと表現し、
おまけに、「他人は心理的意識しか持たないはず」などと付け加えようものなら、
まるで、私も他人も同じように意識を意識を持つはずだという3.以降のような
理解を前提にした上で、その中で特に私だけが特殊な意識を持っている(ことを
確認できる)とでもいうようなことを言っているように見える。
そうではなく、そもそも3.のような理解が生まれてしまうことが問題のはずなのだけど。
(とは言え、どういう表現・要約が本当に的確なのかは、私の手には余ります)
375考える名無しさん:2011/06/06(月) 20:35:34.13 0
>>370を読むと元の永井の議論がいかに混乱しているのかわかるね
376考える名無しさん:2011/06/06(月) 20:36:12.62 O
>>373
私(>>370)は、「クオリアは語りえない」なんてことが書いてあるとは
理解してないので、それはそう言ってる人に聞いてください。
377考える名無しさん:2011/06/06(月) 22:03:32.03 0
>>369
>「クオリア」の永井による「意味論的」定義と、
>クオリアが語りえないとする永井の理由をおしえて

上、ブラックボックス機能主義
下、ウィトゲンシュタインの「カブトムシの箱」

378考える名無しさん:2011/06/06(月) 22:29:33.09 0
>>370
3と4が違う。

p92〜p97あたりに永井の機能主義的な思想が現れている。

「メアリーが他人である以上、ゾンビか否かの実質的差異はない」
「メアリーの発言のうちにその実質的な差異を乗せることはできない」
「ゾンビ複製体の体験が発言の原因になっている」

などと書いている。
永井本人が〈私〉と呼ぶ主体の形而上学を持っていようと、上記のような考えは
心の哲学においては機能主義と呼ばれる。
379考える名無しさん:2011/06/06(月) 22:53:15.09 0
ちょい話を変えるが。

永井は件の本でウィトゲンシュタイン哲学が英米圏で忘れられたと嘆いているが、
そのウィトゲンシュタインの独我論、つまり永井哲学のベースとなっているものが
哲学の世界ではとてもマイナーな分野だということを理解しておくべき。
英米でブームとなったのはウィトゲンシュタインから始まった論理実証主義であり、
彼のような「語りえぬ主体」を想定する独我論を支持する者は、心の哲学では極めて
稀である。

「私」とは、単に私の精神現象と私の肉体だけでなく、それらの主体となる「何か」である、
というのがウィトゲンシュタイン、永井の問題意識であるが、ジョン・サールによれば、
現代の哲学者のほとんどはその「何か」は不要であるという見解である。
その理由は簡単で、「私」――デカルト的なコギトが存在するために、その「何か」は
必要条件ではないからである。

(ただし、そういうサール本人は「何か」があるという立場である)


380考える名無しさん:2011/06/06(月) 23:37:21.13 O
>>378
そこでいう「機能主義」というのがどういう考え方なのか、ちゃんとした
予備知識がないので誤解しているかもしれないけど、そのような考え方からは
以下の文がどう理解されるのか、興味があるのですが。

「私が自分の「感じた」ことを
そのまま言ったのなら、ゾンビ複製体も、彼が「感じた」ことをそのまま言ったはずです。彼
もまた「体験」しているはずだからです。そして、彼の発言も私の発言も、それを引き起こし
た物理的過程によって同様に説明されます。何の問題もありません。痛く「感じる」ことがな
くてもよいことになど、決してならないのです。どちらの場合にも、「体験」そのものが発言
の原因になっているからです。」(96頁)
381考える名無しさん:2011/06/07(火) 00:18:45.47 0
>>380
ブラックボックス機能主義では、心的状態そのものを「記号」とみなすことによってクオリアの難問を回避します。
心的状態を因果関係のみで定義します。
例えば「人物Aは感覚Bを得て、Cという行動をとった」と表現される。
心的状態そのものは「ブラックボックス」であり、その「感覚B」――ブラックボックス内部にあるのが精神や
霊魂であってもかまわないし、何もなくてもかまわない。

永井のいうゾンビの「体験」や「感覚」はブラックボックス内部なんです。
心は因果関係のみで定義するという立場だから「他者」は全てゾンビと同じである、
そして唯一、現象的意識を持つ「この私」の体験も、公的言語にすればその私秘性が失われるので
ゾンビの発言と同様とみなされます。
382考える名無しさん:2011/06/07(火) 01:16:28.80 0
>「私」とは、単に私の精神現象と私の肉体だけでなく、それらの主体となる「何か」である、
>というのがウィトゲンシュタイン、永井の問題意識であるが、

そこは、

”「私」とは、単に精神現象と肉体だけでなく、それらの主体となる
「何か」である”

というべきだわね。
単なる精神と肉体なら、江戸時代にも無数にあったはずだわね。
なら江戸時代に「私」はいたことになるのかしらってことだわね。

383考える名無しさん:2011/06/07(火) 01:26:02.36 0
そもそも、わたしの精神現象と私の肉体が存在するならば、
それだけで私が存在するのには十分だわね。
だって、その精神現象がすでに私の精神現象であり、
その肉体がすでに私の肉体として成立しているのだからだわね。
384考える名無しさん:2011/06/07(火) 01:31:06.03 0
>>383
“わたしの”って言っちゃってるから駄目
385考える名無しさん:2011/06/07(火) 01:32:59.27 0
>“わたしの”って言っちゃってるから駄目

なにが駄目なの?

386考える名無しさん:2011/06/07(火) 01:36:28.22 0
>>385
「わたし」の存在が前提になっている
「わたし」が存在するなら「私」が存在するのは当然
387考える名無しさん:2011/06/07(火) 01:43:55.50 0
>「わたし」の存在が前提になっている
>「わたし」が存在するなら「私」が存在するのは当然

当然だから、私の精神現象と私の肉体が存在するならば、私が
存在するのに十分って書いてるっちゅー話しだわね。
なにに突っ込んでるのかさっぱり意味不明だわね。
388考える名無しさん:2011/06/07(火) 01:45:54.43 0
>>387
もしそうなら>>383は論点先取の無意味な主張
389考える名無しさん:2011/06/07(火) 01:51:05.18 0
>もしそうなら>>383は論点先取の無意味な主張

だから私はそう主張しているっちゅー話だわね。
あいかわらず何に突っ込んでいるのか意味不明だわね。
まあ、>>383が何をうけたレスなのかわかってないだけなんだろう
けど、文脈を読めっちゅー話だわね。

390考える名無しさん:2011/06/07(火) 01:57:58.41 0
>>389
なるほど
391考える名無しさん:2011/06/07(火) 06:21:32.62 0
>>377
それ定義になってないよw
392考える名無しさん:2011/06/07(火) 06:22:20.72 0
永井信者は言葉の定義すらまともにできないんだな
393考える名無しさん:2011/06/07(火) 07:51:54.00 O
>>381
そのような簡単な要約だけを見て言うのも申し訳ないけど、その見解は、
主観的な痛み(あるいは痛みの心理的な面ではなく現象的な面でも言えばいいのか)が
あること、それを感じるから「痛い」と言うのであることなどは認めるの?
(というのは、認めないなら、>>380の引用部分とは反する見解と思われるから)
そして認めた上で、ただしそれはブラックボックスである、と説明するの?
なんだかよくわからない見解のように思えるのですが。
394考える名無しさん:2011/06/07(火) 16:55:04.55 0
>>391
>>392
君が機能主義とウィトゲンシュタイン独我論を知らないということはわかったw

そもそも>>377は永井批判の脈絡で出てきた定義だということがわからんかね?
前後の文脈をどう見たら「信者」だと思えるのやら。全く読解力がないな。
俺は永井アンチだが、君は三流アンチのようだw
395考える名無しさん:2011/06/07(火) 17:04:06.81 0
>>382-389
私と書かないと他人と区別が出来ないというだけです。
単に肉体と精神と書くなら、どの肉体と精神のことかわからないでしょ。
「」付きの私と、そうでない私を区別してることが重要です。
396考える名無しさん:2011/06/07(火) 17:10:14.42 0
>>393
>それを感じるから「痛い」と言うのであることなどは認めるの?
そうです。ただしその「痛い」は「機能」としての痛みです。
397考える名無しさん:2011/06/07(火) 18:40:17.81 0
>>394
だからさw

「クオリア」=・・・・。

で書いてごらんよ。簡単な話だろ?


あと、

永井が「クオリアは語りえない」とする理由は
・・・・
である。


上記の・・・・を簡潔に埋めればいいだけでしょ。
何回も同じこと言わすなよ。
398考える名無しさん:2011/06/07(火) 19:23:30.55 O
>>396
そこでまた「「機能」としての痛み」と表現されると、>>393 で書いてみた
「痛みの心理的な面」と違うものなのかどうか、よくわからないのですが…。

改めて、(1)私には痛みの心理的な面だけでなく現象的な面があるのかどうか、
(2)ゾンビには痛みの心理的な面だけでなく現象的な面があるのかどうか、
という質問の形で書いてみると、私の今の理解による永井の議論では、
(1)はYES。…のはずなのだが、しかし言葉で伝わる限りでは、私も心理的な面
しか持っていない、いわば「心理的な「現象的な面」」しか持っていないことに
なるという点が指摘される。
(2)は、一見するとNOのようなのだが、実はゾンビが私と同じように行動し
同じように言葉を使う限りは、現象的な面も持っていることになるので(それは
「心理的な「現象的な面」」にすぎない、と言いたくなるとしても)、そういう
意味では、やはりYES。
という理解になる。

このように、ある意味では私にも心理的な面しかないとも言え、またある意味では
ゾンビ(というより正確には他者と言うべきかもしれない)にも現象的な面が
ある、ということは前提にした上で、私であっても心理的な面しかないと言える面を
捉えて、「機能主義」などと呼ぶのであれば、特に異論はありませんが。
単に「機能主義」あるいは「機能としての「痛み」」と表現されると、一般的に
現象的な面を問題にしない(特に、ゾンビ(他者)にもある意味では現象的な面はある、
ということを認めない)ような見解のようにも見えたので。
399考える名無しさん:2011/06/07(火) 19:39:30.89 O
ついでに、今>>398で書いたことと比べて、>>370で書いた要約の特にゴミな点を
自己指摘しておくと、3.以降になると誰もが同じように意識を持つという
平板な理解だけが成り立つかのように書いてある点が特にゴミだと思われる。
実際には、議論のあらゆるところに、最上段と累進構造に注意すべき話が
出てくるので、そんな単純ではない。(ということを改めて原文を読み直して思った)
平板なほうが、あるいは議論の種としてわかりやすい面もあるかと思ったけど、
まあ言い訳してもゴミはゴミです。
400考える名無しさん:2011/06/07(火) 20:53:00.25 0
>私と書かないと他人と区別が出来ないというだけです。
>単に肉体と精神と書くなら、どの肉体と精神のことかわからないでしょ。
>「」付きの私と、そうでない私を区別してることが重要です。

すると、その場合の「私」と私はどう違うのかしらだわね。


401考える名無しさん:2011/06/07(火) 21:11:49.20 0
>「私」とは、単に私の精神現象と私の肉体だけでなく、それらの主体となる「何か」である、
>というのがウィトゲンシュタイン、永井の問題意識であるが、ジョン・サールによれば、
>現代の哲学者のほとんどはその「何か」は不要であるという見解である。


無数にある精神現象と肉体のうち
ある特定の精神現象と特定の肉体が私の精神現象と私の肉体として
成立しているのはなぜなのか?
という問いには結局なんてこたえるのかしら?
サールは現代のほとんどの哲学者たちの回答についてどんな
ふうに紹介していのかしらだわね。
問い方が間違っているとう方向かしらね。
402考える名無しさん:2011/06/07(火) 22:03:19.85 0
>>398
>(2)は、一見するとNOのようなのだが、実はゾンビが私と同じように行動し
>同じように言葉を使う限りは、現象的な面も持っていることになる

そこは違う。
そこが上で書いた「ブラックボックス」で、内部を云々することは無意味と
いう立場が機能主義なんだけど、永井の場合それを極端な、例えば
「他人なんてゾンビと一緒」など、ハッタリを効かせた言い方をするのが
初心者を混乱させる元になってる。
403考える名無しさん:2011/06/07(火) 22:05:47.86 0
>>400
「私」 = 一人称の私
 私 = 三人称の私
404考える名無しさん:2011/06/07(火) 22:18:05.35 0
>>401
そもそもデカルト的コギトが独我論の出発点と言えるけど、
そのコギトが存在するための必要条件は「私とは何か」と考えている
精神現象が在るということだけ。
その特定の精神現象こそが「私」そのものなんだから、他の精神現象が
「私」で在り得た可能性なんて全くありません。
405考える名無しさん:2011/06/07(火) 23:11:17.42 0
永井語だと<私>じゃなかったの?
「私」なん?
406考える名無しさん:2011/06/07(火) 23:27:17.95 O
>>402
(2)だけ取り出し、しかも「心理的な「現象的な面」」という部分を削ってしまった上、
そこは違うと断定する理由は何なのか、私の理解だと正直困惑するのですが…。
まあゴミな要約を発端とした話に固執しても仕方ないので、このへんにしたいのだけど、
個人的に気になるので、もし気が向いたら以下の質問を見てください。

あなたの永井理解だと、他者には、現象的な面は、「心理的な「現象的な面」」とでもいうものも含めて、
およそ一切存在しない(あるいは何なのか全く分からない)ということになるのか。
もしそうだとしたら、永井がそもそも他者へ向けて『なぜ意識は実在しないのか』を
書いたり、関連した講義をしたりし、それを読んだ・聴いた他者がさらにその内容に
ついて理解したとかしてないとか話したりすることは、一体どういうことだと
理解されるのか。
407考える名無しさん:2011/06/07(火) 23:35:59.22 0

<私>
<<私>>
408考える名無しさん:2011/06/07(火) 23:40:07.64 0
<私私私>
<私私>
<私>
<>
 







の順でたのむ
409考える名無しさん:2011/06/07(火) 23:49:32.72 0
>そもそもデカルト的コギトが独我論の出発点と言えるけど、
>そのコギトが存在するための必要条件は「私とは何か」と考えている
>精神現象が在るということだけ。
>その特定の精神現象こそが「私」そのものなんだから、他の精神現象が
>「私」で在り得た可能性なんて全くありません。

それは、単にAさんにとって、Aさん自身が「私」なのだから、
Bさんが、Aさんにとっての「私」になることはありませんって
いってるだけだわね。
特定の精神現象からは特定の「私」が成り立つって一般論
をいっているだけだわね。
410考える名無しさん:2011/06/07(火) 23:50:09.49 0
>>408
禅仏教的な無我の境地ですね。
基督教的には、
 良き私→最後の審判→天国で永遠の生
 悪い奴→最後の審判→地獄で永遠の苦しみ
じゃないの? 
411考える名無しさん:2011/06/08(水) 00:00:57.13 0
>>408
ふいたw
412考える名無しさん:2011/06/08(水) 00:07:17.94 0
>そのコギトが存在するための必要条件は「私とは何か」と考えている
>精神現象が在るということだけ。

「私とは何か」と考える精神現象は無数にあるのだから、
「私とは何か」と考える精神現象があるということだけでは、
そのコギトが存在できることにはならないと思うっちゅーこと
だわね。たんにあるコギトが存在する必要条件にしか
ならないっちゅーことだわね、
413考える名無しさん:2011/06/08(水) 00:08:29.15 0
<私私>
あんたとなんか、絶対にイヤ!
414考える名無しさん:2011/06/08(水) 00:14:38.68 0
>>409
「一般論」と見るのは読み違え。

特定の精神現象こそが「私」とは、「私」と特定の精神現象をイコールで結ぶものであって、
それは「私」の入れ代わりなど想定不可能な一般化できない固有の精神現象だと言っている。

そもそも「一般論」というなら永井のいう<私> の入れ替わり可能性の主体は何なの?



415考える名無しさん:2011/06/08(水) 00:24:03.69 0
>>412
それは「特定の精神現象」と<私> を分離したために迷走してる永井思想のお手本だな。
分離する必要がないと気づくべき。
精神現象が無数にあっても、それぞれ排他性があればコギトの存在の十分条件になる。
416考える名無しさん:2011/06/08(水) 00:27:11.63 0
>「一般論」と見るのは読み違え。

>特定の精神現象こそが「私」とは、「私」と特定の精神現象をイコールで結ぶものであって、
>それは「私」の入れ代わりなど想定不可能な一般化できない固有の精神現象だと言っている。

すると、「私とは何か」とかんがえうる精神現象は無数にあるのだから
「私」が成立するためには、単に「私とは何か」と考える精神現象が
あるだけではなくて、”特定の精神現象”がなければならないっちゅー
話になるわけだわね。
つまり、「私」が存在する必要条件は、特定の精神現象が存在する
ことであるっちゅーことだわね。
その特定の精神現象を特徴づけるものはなにかといえば、「私」である
という特徴であるっちゅーことだわね。
これはなんの説明になっているっちゅー話だわね。
417考える名無しさん:2011/06/08(水) 00:34:37.40 0
>そもそも「一般論」というなら永井のいう<私>の入れ替わり可能性の主体は何なの?

永井の言う入れ替わり可能性の主体とはなにかといえば、
<私>のことだと思うわね。




418考える名無しさん:2011/06/08(水) 00:35:16.73 0
<<私><私>>
419考える名無しさん:2011/06/08(水) 00:36:53.51 0
>>416
>すると、「私とは何か」とかんがえうる精神現象は無数にあるのだから

コギトと特定の精神現象はそれぞれイコールで結ばれているのだから、
精神現象が無数にあろうと関係ありません。

コギト = 特定の精神現象

この上に何が必要なんです?
420考える名無しさん:2011/06/08(水) 00:45:25.21 0
「私」見すぎてゲシュタルト崩壊した
421考える名無しさん:2011/06/08(水) 00:45:28.31 0
精神現象はそれぞれ個別的・排他的であるにも関わらず、精神現象を一般化して
「同じような精神現象が無数にある」とみなすことが永井的な誤謬です。
そこから<私> を精神現象から分離し、<私> の入れ替わり可能性などという
無意味な想定が行われます。
422考える名無しさん:2011/06/08(水) 00:54:50.09 0
>永井の言う入れ替わり可能性の主体とはなにかといえば、 <私>のことだと思うわね。
可能性とかさ、語り得ない<私>とかさ。妄想と違うの?
423考える名無しさん:2011/06/08(水) 00:56:46.70 0
>コギトと特定の精神現象はそれぞれイコールで結ばれているのだから、
>精神現象が無数にあろうと関係ありません。

>コギト = 特定の精神現象
>この上に何が必要なんです?

私とは何かと考える精神現象が、コギトの存在する必要条件だったわね。
だからコギト=特定の精神現象ではなくて(特定の精神現象だけが
コギトなのではないから)
コギト = 精神現象 ってことだわね。
ある精神現象は、あるコギトであり、別のある精神現象は、別の
あるコギトであるってことだわね。
そのようなありかたをしている無数のコギトのなかに、
「私」がいるためには何が必要なのかととわれて、
永井は、そのなかのコギトが、<私>であることが必要だ
とこたえて、
あなたは、そのなかのコギトが、特別の精神現象(「私」である
という特定の精神現象)であることが必要だとこたえるという
違いがあるだけだわね。
どっちもおんなじことをいっているんじゃないかしらっちゅー
話だわね。

424考える名無しさん:2011/06/08(水) 04:05:08.18 0
<私>と<私>と「私」って違いあるの?
425考える名無しさん:2011/06/08(水) 09:31:47.41 0
カッコが違うね
426考える名無しさん:2011/06/08(水) 09:54:12.85 0
>>423
コギトコギトって、うざ杉。
ラテン語一人称単数現在形の動詞に余分な修飾かけるなよ。
427考える名無しさん:2011/06/08(水) 11:17:27.40 0
>>424
<私>=わたくし
<私>=わたし
「私」=あたし
428考える名無しさん:2011/06/08(水) 18:31:42.15 0
>永井の言う入れ替わり可能性の主体とはなにかといえば、 <私>のことだと思うわね。
これこそが論点先取でしょ。
429考える名無しさん:2011/06/08(水) 19:13:48.14 0
>>永井の言う入れ替わり可能性の主体とはなにかといえば、 <私>のことだと思うわね。
>これこそが論点先取でしょ。

なにがどう論点先取なのかしらないけど、永井が主張している
入れ替わり可能の主体は、<私>のことだわね。


430考える名無しさん:2011/06/08(水) 19:24:40.35 O
>>421
> 精神現象はそれぞれ個別的・排他的であるにも関わらず、精神現象を一般化して
> 「同じような精神現象が無数にある」とみなすことが永井的な誤謬です。

ところで、これって、どういう意味なんだろうか。
普通のイメージでは、人間の精神現象は(同じものを見たり聞いたり、その他
同じような環境にいる限り)同じようなものだと思われているが、実は精神現象の
内容は、たとえ同じような環境にいたとしても、一人一人全く異なっており、
それが理由で、「現に見えているのは私だけだ」と言いたくなるような状態が
生じている(よって、もし、複数の人の精神現象を同じような内容にすることが
できれば、「なんと、あの人からもこの人からも現に見えている!」とでも
言いたくなるような状態が生じうる)ということだろうか。
そうだとしたら、なかなか楽しいことですなw

いやもちろん、多分そんな話ではないんだろうとは思うけど。
マジレスすると、永井がいつ「精神現象はそれぞれ個別的・排他的である」ことを
否定したりしたのか、その主張の根拠がわからないのですが。
431考える名無しさん:2011/06/08(水) 19:50:22.51 0
>> 精神現象はそれぞれ個別的・排他的であるにも関わらず、精神現象を一般化して
>> 「同じような精神現象が無数にある」とみなすことが永井的な誤謬です。

>ところで、これって、どういう意味なんだろうか。

ごく普通の意味で、それぞれ排他的に個別化された個々の精神現象が
存在しているってことだと思うわね。
そういう個別化された個々の精神現象の中に、私=ある精神現象が
存在しているだけ。私はその特定の排他的な個別化された精神現象
そのものなのだから、私が他の精神現象に移動可能なはずはない(
他の精神現象は他のコギトなのだから)って話だわね。

432考える名無しさん:2011/06/08(水) 20:32:31.98 O
>>431
多分、そんなような意味なんだろうけど。
(「同じような精神現象が無数にある」とみなすことが永井的な誤謬という記載には
あまり意味がないと理解するとして)
それなら、記憶内容等が異なる他人に「なる」ことは、カント原理により不可能だ、
と永井も書いているので、永井の議論のどこがどう否定されるのかよくわからない。
433考える名無しさん:2011/06/08(水) 20:45:46.11 0
>それなら、記憶内容等が異なる他人に「なる」ことは、カント原理により不可能だ、
>と永井も書いているので、永井の議論のどこがどう否定されるのかよくわからない。

カント原理で不可能とされるとしても、その不可能とされる事態
を有意味に想定できることは前提されているわね。
一方、私=排他的に個別化された精神現象という発想からは
そもそも私が他の精神現象に「なる」という想定事態が
意味をなさなくなるってことだわね。
私=特定の精神現象という話で納得できる人にとっては
<私>の話は不要になるって話だわね。
しかし、特定の精神現象が存在することから
どうして私が存在することになるのか納得できない
人は永井的問いに行くほかはないってことだわね。


434考える名無しさん:2011/06/08(水) 21:58:01.72 0
>その不可能とされる事態 を有意味に想定できることは前提されているわね。

「永井均はチーズハンバーグ好きなゾンビである。」は有意なのですか?
事実として確認できない文言表現は論理的に偽りであり無意味。
というような前提が成立するならば、論理的に偽りとされる条件を前提とする
議論の大半は無意味・ナンセンスだと見なし得るのでは?
435考える名無しさん:2011/06/08(水) 21:59:41.20 0
>>423
>どっちもおんなじことをいっているんじゃないかしらっちゅー 話だわね。

全然違うんです。>>379で書いたけど、「私」とは、単に私の精神現象と私の肉体だけでなく、
それらの主体となる「何か」である、 というのがウィトゲンシュタイン、永井の問題意識。

>>419で「コギトと特定の精神現象はそれぞれイコールで結ばれている」と書いたのは、
その「何か」を必要としない立場の哲学なんです。
436435の続き:2011/06/08(水) 22:04:54.43 0
永井哲学の大きな弱点は直接経験(クオリア)の考究がおろそかであるという点です。

直接経験に拘った哲学が後期の英国経験論です。
バークリーは「存在するとは知覚される事」で有名ですが、人が実証的に検証しうるのは、
直接に「経験」可能な知覚のみであるからこそ、観念論に達しました。
ヒュームはバークリー流の経験論を徹底すれば、自我や因果関係さえも諸観念から帰納的に
想定されたものとすることが出来るとして、自我を否定します。
サールがいうように、現代の哲学者の多くはヒュームの考えに同意しています。
諸観念(クオリア)のメタレベルにある「何か」なんて想定する必要がないからです。
437436の続き:2011/06/08(水) 22:10:45.74 0
直接経験(クオリア)や現象的意識の唯一の定義は、「他の何ものでもないこと」なんです。
意識現象は個別的で相互排他的であり、その意識現象がデカルトが見出したコギトそのものなのだから、
意識現象から離れて「入れ替わり可能性」のある永井のいう<私>なんて必要ないんです。
永井のいう<私>とは、ドイツ観念論がカントの「統覚」概念から導き出した超越論的自我と同型の概念なんです。
永井はカントの「統覚」の概念を援用して、経験の主体を世界の中に位置づけるのは間違いで、
主体は世界を成立させる作用そのものだから、〈私〉は世界の中の一対象として現れることはできないものと
しています。
438437の続き:2011/06/08(水) 22:18:46.35 0
永井の直接経験(クオリア)考究がおろそかなのは、チャーマーズの逆転クオリアや
哲学的ゾンビへの批判にも現れています。
永井はチャーマーズが語ることを「語りえない」だから「幼い」などと批判しますが、全く的外れ。
哲学的ゾンビとは全ての観測可能な物理的状態が普通の人間と区別する事が出来ないゾンビ(神経的ゾンビ)
という定義です。つまり「語りえない」ことは既に前提されているのです。
チャーマーズがいわんとしていることは「語りえないけど想像できる」ということ。
だからこそ「想像可能性論法」というのです。

永井は頑迷な機能主義なんですが、どういう脈絡でチャーマーズの理論が登場したか理解してないかも。
439考える名無しさん:2011/06/08(水) 22:22:46.49 O
>>434
> 「永井均はチーズハンバーグ好きなゾンビである。」は有意なのですか?
> 事実として確認できない文言表現は論理的に偽りであり無意味。

ええと、これは、論理実証主義というものの一派か何かなのですか?

冗談はともかくとしても、上の文は、少なくとも永井がチーズハンバーグを
嫌いである場合には偽であるだろうし、「ゾンビ」の意味合い次第では事実と
照らして真偽を確認できるだろう。
あるいは、「ゾンビ」という語が入っていることで直ちに、事実と照らして
真偽を確認できず無意味だ、ということになるのなら、「ゾンビ」について
論じている議論は全て無意味になるのであって、永井の議論固有の難点の指摘でも
なんでもないだろう。
実に趣旨の分かりにくい文章ですな。
440438の続き:2011/06/08(水) 22:27:39.55 0
心の哲学の歴史を簡単に説明すると、
まずウィトゲンシュタインが「語りえぬもの」と「語りえるもの(言語ゲーム)」に分けます。
そして「語の意味とはその用法である」との一つの「結論」に達します。
近年の心の哲学の出発点となった行動主義はそのウィトゲンシュタインの「結論」に源泉の一つがあります。
しかし行動主義には多くの批判があり、やがてタイプ同一説、次にトークン同一説と機能主義に
置き換わっていきます。
機能主義全盛の時代に登場したのが、想像可能性論法によって自然主義的二元論を提唱した
チャーマーズなんです。
永井はウィトゲンシュタイン哲学が忘れられたと嘆いていますが、全く逆です。
チャーマーズはウィトゲンシュタイン系列の思想に対抗して登場したんです。
441考える名無しさん:2011/06/08(水) 22:38:07.64 0
>>その不可能とされる事態 を有意味に想定できることは前提されているわね。

>「永井均はチーズハンバーグ好きなゾンビである。」は有意なのですか?

"その不可能とされる事態"の”その”がなにを指しているのか
理解しているっちゅー話だわね?

>>それなら、記憶内容等が異なる他人に「なる」ことは、カント原理により不可能だ、
>>と永井も書いているので、永井の議論のどこがどう否定されるのかよくわからない。

>カント原理で不可能とされるとしても、その不可能とされる事態
>を有意味に想定できることは前提されているわね。

このレスにおいて、”カント原理で不可能とされるとしても、その
不可能とされる事態”とは”記憶内容等が異なる他人に「なる」こと”
を指しているってことぐらい理解できないと話にならないっちゅー
話だわね。
442考える名無しさん:2011/06/08(水) 22:55:40.57 0
で、記憶内容等が異なる他人に「なる」ことがカント原理によって
不可能とされるとしても、記憶内容等が異なる他人に「なる」という
想定が有意味であることは前提されるって話だわね。

>事実として確認できない文言表現は論理的に偽りであり無意味。
>というような前提が成立するならば、論理的に偽りとされる条件を前提とする
>議論の大半は無意味・ナンセンスだと見なし得るのでは?

すると、”<私>が記憶内容等が異なる他人に「なる」”という想定のどこが
”論理的に偽りとされる条件を前提とする”主張になるっちゅー
話だわね?

443考える名無しさん:2011/06/08(水) 23:06:23.56 0
要は、論理的に偽であることと無意味であることは両立しないっちゅーことだわね。
無意味な言明は、論理的に偽にはならないし、論理的に偽な言明は、それが
偽であると判断できるかぎりにおいて有意味というほかないわね。

444考える名無しさん:2011/06/08(水) 23:07:38.63 0
>その不可能とされる事態”とは”記憶内容等が異なる他人に「なる」こと” を指している

「転校生とブラックジャック」の中にそういう議論があるのは読んで知ってはいる。
それは「<私>論」の展開を目的として導入されたフィクション。そんな作り話を
前提とした議論で、論理的な真偽は測りようがない。なぜなら、作り話だから、
結論は作者・解釈者の意図通りとして済ませることができるから。

結論が先にあって、前提条件を後付にしたフィクショナルな議論って、映画や小説
やアニメやゲームなら無問題だろうけど、哲学では役立たずなのでは? 
445考える名無しさん:2011/06/08(水) 23:10:53.92 0
ところで、有意味な言明とは検証可能な言明であるという
主張において、その有意味な言明とは検証可能な言明である
という言明自身をどうやって検証すればいいのかしらね?
446考える名無しさん:2011/06/08(水) 23:11:52.84 0
あと、日本語の「なる」という表現は他の言語ではぴったりはまる相応語がない
独特な語だから注意して用いるように。という指摘を聞かされたことがあるよ。
英語だとどんな語、表現におきかえられるのだろうか?
447考える名無しさん:2011/06/08(水) 23:12:35.39 0
永井と永井信者に共通していると思ったのは
言葉の使い方が雑だということ
448考える名無しさん:2011/06/08(水) 23:18:14.58 0
>>423
>>どっちもおんなじことをいっているんじゃないかしらっちゅー 話だわね。

>全然違うんです。>>379で書いたけど、「私」とは、単に私の精神現象と私の肉体だけでなく、
>それらの主体となる「何か」である、 というのがウィトゲンシュタイン、永井の問題意識。

違いがあるのは間違いないようだわね。
>>433 を書いていて違いがよくわかったきがしたわね。
449考える名無しさん:2011/06/08(水) 23:24:41.96 0
>結論が先にあって、前提条件を後付にしたフィクショナルな議論って、映画や小説
>やアニメやゲームなら無問題だろうけど、哲学では役立たずなのでは?

<私>が今の身体から別の身体へ、今の思考主体から別の思考主体へ移動可能かって議論は、結論が
先にあるわけじゃなくて、おそらく<私>の存在が諸性質に依存していない
ように思えるってことからくる帰結なのだと思うわね。

 
450考える名無しさん:2011/06/08(水) 23:39:58.16 O
>>438
> 永井は頑迷な機能主義なんですが、どういう脈絡でチャーマーズの理論が登場したか理解してないかも。

多少マジレスしておくと、あなたは多分、少し前から永井を「機能主義」と
言い続けてる人だよね?
本気でそのように言うのなら、永井の言う「語り得ない」とは、何がどう語り得ない
ということだと理解しているのか、そのことが「機能主義」なるものとどう結び付くのか、
具体的に明らかにする必要があると思うけど、そうされた試しがないように思うのだけど。
451考える名無しさん:2011/06/08(水) 23:48:52.56 O
>>444
> そんな作り話を
> 前提とした議論で、論理的な真偽は測りようがない。なぜなら、作り話だから、
> 結論は作者・解釈者の意図通りとして済ませることができるから。

ネタレスしておくと、作り話がいかんというなら、例えば「もし不完全性定理を
証明したのがシュミットだったら」とか、「もし明けの明星と宵の明星が同一
という発見がなされなかったら」とかいう話も、全てダメなのだろうか。
えらいこっちゃー
452438:2011/06/09(木) 00:00:02.66 0
>>450
ブラックボックス機能主義だと申しております。
ブラックボックス内部はウィトゲンシュタインの「カブトムシの箱」の内部と同じ。
だから意味で語りえないんです。

「ブラックボックス機能主義」、「ウィトゲンシュタインのカブトムシ」
上記の用語で検索すればすぐ理解できます。
453438:2011/06/09(木) 00:01:59.99 0
>>452
×だから意味で語りえないんです
○だから語りえないんです
454考える名無しさん:2011/06/09(木) 00:21:51.78 O
>>452
うわあ…
ウィトゲンシュタインのカブトムシに対する永井の解釈…
『私・今・そして神』第3章、思い出しただけで頭いてえ…


念のため前提を確認しておくけど、あなたがウィトゲンシュタインのカブトムシを
どう理解しているのかは知らないけど、いま話題になっているのは、あくまで、
永井がウィトゲンシュタインのカブトムシをどう解釈しているか、だよね?
永井が「機能主義」なるものを採用している理由として、カブトムシの話を
出してるんだから、当然そうなるよね?
では、永井がカブトムシの話をどう解釈しているかについて、あなたはどう
理解しているの?
そして、それが、心的状態が因果関係の中でどんな機能を果たすかとか
なんとかいう話と、どうつながるの?
455考える名無しさん:2011/06/09(木) 07:31:18.88 0
自分で読んで頭が痛くなるんだから
他人の解釈でも頭が痛くなるに決まってるじゃん。
真性のアホは逝ってよし。
456考える名無しさん:2011/06/09(木) 19:33:32.25 O
>>455
私の頭痛など考慮することはないよ
私の頭痛は、しょせん、他人にとってはゾンビの頭痛と変わらないようなものなのだから
(逆向き累進構造?)
457考える名無しさん:2011/06/09(木) 23:01:22.54 0
>>454
>そして、それが、心的状態が因果関係の中でどんな機能を果たすかとか
>なんとかいう話と、どうつながるの?

機能主義を理解してればこんな質問は出ない
458考える名無しさん:2011/06/10(金) 19:40:28.71 0
いま話題になっている『意識はなぜ実在しないのか』だが、
Philosophia Osakaから英訳始まってるみたいだな。
チャーマーズやサールに読まれるといいなw
459考える名無しさん:2011/06/10(金) 20:30:49.23 O
>>458
おー、ググったら確かに出てきた。
translated by Shogo SHIMIZU だとか。
しかし、もしチャーマーズが読んだら、何て言うんだろうw
460考える名無しさん:2011/06/10(金) 22:27:49.64 0
読むわけは無いし、仮に読んでも絶対わからない。
日本人でさえ永井の本を読んで、永井が何をやってるのか理解できるやつは数パーセントだろ。
熊野純彦や竹田青嗣みたいな哲学のプロでも完全に誤読したぐらいだ。
461 忍法帖【Lv=10,xxxPT】 :2011/06/10(金) 22:30:08.09 0
熊野はともかく、竹田を哲学のプロとは言わんだろ?
いや、とりあえず、飯を食っているからプロとは言えるかもしれんが。
竹田は、余りにひどい。
462考える名無しさん:2011/06/10(金) 22:39:21.40 0
心の哲学に基づいた再批判をしてる人は正直ありがたい。

ただ、可能世界意味論に対して違和感を覚えている人は、
可能世界意味論というスタイルの哲学をたぶん根本的に誤解してるので、
三浦俊彦『可能世界の哲学』をあたりを参照してから、
永井の本を読んだ方がまだ分かりやすいのではないかと思う。
同書には、永井批判も収録されているが、
問題の背景を知る上での良質の解説にもなっている。
463考える名無しさん:2011/06/10(金) 22:50:41.43 0
でも、熊野って永井についてそんなはっきり言ってたっけ?
注釈なんかでたまに触れてはいるが
464考える名無しさん:2011/06/10(金) 23:16:17.77 0
>>461
あまりに主観的過ぎるな。
竹田を批判するならそれなりの根拠を挙げないと
465 忍法帖【Lv=11,xxxPT】 :2011/06/11(土) 00:49:11.35 0
すまん。
根拠を挙げる気にもならん。
一読瞭然としか言いようがないだろ?
466考える名無しさん:2011/06/11(土) 01:49:44.78 0
永井だったら竹田の方がまだマシw
467考える名無しさん:2011/06/11(土) 11:57:27.89 O
>>380の引用部分についてはふと思ったけど、「痛い」と発言したことについて、
「痛みを感じたから「痛い」と言った」という説明と、「痛みを感じたことに
対応する物理的状態A(脳・神経細胞の変化等々)がまず起こり、それが「痛い」
という発言に対応する物理的状態B(声帯の筋肉の収縮等々)を引き起こした」
という説明が両方成り立つことになるように思われるけど、それは何の問題もないんだろうか。
永井は、そういうことが問題になるとは思っていない、という意味なんだろうか。
468考える名無しさん:2011/06/11(土) 12:52:31.21 0
ウィキペの「哲学的ゾンビ」の項目が面白かったので、ちょいとパロってみた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93

哲学者ゾンビ論法(zombie philosopher)または想像可能的哲学(Conceivability Philosophy)とは
特定哲学者至上主義(信者哲学)を批判する以下の形式の論証を指す。

1 哲学者や思想家には独自の意識世界がある。と信じられている。
2 彼ら哲学者・思想家の意識世界は我々と人間的性質基盤は同一でありながら、
  我々の世界意識とは認識が共通・肯定的には成り立たない哲学書というテキストという形式で
  論理的にのみ存在可能な意識世界である。

469考える名無しさん:2011/06/11(土) 12:53:27.90 0
(続き)
3  したがって哲学者や思想家の意識世界は人間としての実体的身体的要件を必須としない。
  すなわち哲学者の意識世界は彼の存命・鬼籍とは無関係に、われわれの意識世界の中に
  読み込まれた理解という形式で事実的に存在するだけである。
4 ゆえにすべての哲学者・思想家はゾンビであってかまわない。哲学や思想は我々の想像の中に
  投影可能的なだけで、実態としては虚妄である。
470考える名無しさん:2011/06/11(土) 12:55:37.54 0
(続き)
各段階について少し説明が必要だろう。

1.我々の世界には意識体験がある。
 意識、クオリア、経験、感覚など様々な名前で呼ばれる「ソレ」が、信仰の対象として
 対置される哲学者の中にも「ある」という主張である。これは基本的に素朴な主張である。
2.彼ら哲学者・思想家の意識世界は我々と人間的性質基盤は同一でありながら…
 哲学では、意識、クオリア、経験、感覚を全く欠いた鬼籍に入ってる過去の哲学者の主義主張も
 意義があるとされている。また存命であるとしてもほとんどの哲学者・思想家は面識のないが故に
 想像可能な存在である主張する。
 この哲学者ゾンビだけがいる世界を哲学界、哲学者ゾンビワールドと言う。またその歴史を思想史とよぶ。
471考える名無しさん:2011/06/11(土) 12:59:27.72 0
(続き)
3.したがって哲学者や思想家の意識世界は人間としての実体的身体的要件を必須としない。
 哲学者ゾンビワールドに欠けているが、私達の精神世界には、意識、クオリア、経験、感覚が
 備わっているという素朴な事実認識がある。それは、あらゆる哲学書のテキストという形式形態には含まれていない。
4.ゆえにすべての哲学者・思想家はゾンビであってかまわない。
 以上の点から現在の哲学者や哲学が精神世界の説明ができるという考えは間違っている。
 それは読者が読者に対して行う自己理解が達成される場合にのみ「可能」なだけでしかない。、
472考える名無しさん:2011/06/11(土) 17:36:56.23 O
それは、例えば、「ウィトゲンシュタイン」という哲学者は実は何もテキストを
発表しないまま早くに戦死しており、彼の書いたテキストとされているものは
周辺者たちがそれぞれ勝手にでっち上げたものにすぎないのだが、それを
後世の人間たちは「ウィトゲンシュタインの哲学」などとして理解してしまう、
などといったことですかw
473考える名無しさん:2011/06/11(土) 17:45:39.78 0
>>472
>472の理解は>472程度のものだ。ということ。
474考える名無しさん:2011/06/11(土) 17:48:09.78 0
「なぜ意識」二日目の「ゾンビは概念的に不可能である」とか
「私今そして神」p207のカブトムシに関するコメントを見ると
単純な想像可能性論法には見えないけどなぁ。
想像できる余地などそもそも存在しない、と言ってるんじゃないかなぁ。
それともこれは永井の言う弁証法ってやつなんだろうか。まぁどうでもいいけどw。
475考える名無しさん:2011/06/11(土) 22:39:09.54 0
「なぜ意識・・」は読まない方がいいよ。
永井哲学を知らない人にはわかりにくいし、おまけに永井の説も間違ってる。

2日目の章で「ゾンビは累進構造を前提にしないと語れない」という趣旨のことを書いてるんだけど、
永井は現象報告のパラドックスとそれに対する随伴現象説からの反論をよく理解していないと思う。

厳密な随伴現象説の立場からは、全ての意識にはそれに対応する物理状態が必ず存在するわけであり、
意識の世界だけで起きた反応というものは全く存在しないので、現象報告のパラドックスは存在しない。

その理論を演繹すれば、ゾンビは現象的意識がないにも関わらず、現象的意識についても語れるということになる。

永井さんもいいかげんウィトゲンシュタイン原理主義はやめたらどうかなと。


476考える名無しさん:2011/06/11(土) 23:57:15.69 0
>ゾンビは現象的意識がないにも関わらず、現象的意識についても語れる
これを現象判断のパラドックスと言うのではないの?
あなたは「厳密な随伴現象説」による「現象報告のパラドックスは存在しない」という理論を演繹すれば
現象判断のパラドックスが起きる、と言っているように読める。

いや、まぁ、俺は心の哲学とか全く興味が無いから、なにかハズしたこと言ってるかも知んないけど。

あと永井はウィトゲンシュタイン原理主義ではないと思う。ウィトゲンシュタインより俺のほうが正しいって言ってるからねw。
477考える名無しさん:2011/06/12(日) 01:03:33.52 0
>>476
もうちょっと検索した用語をよく理解してから書いたほうがいい。
現象判断のパラドックスの意味もわかってないし。
478考える名無しさん:2011/06/12(日) 11:09:34.67 0
>厳密な随伴現象説の立場からは、全ての意識にはそれに対応する物理状態が
>必ず存在するわけであり、
>意識の世界だけで起きた反応というものは全く存在しないので、現象報告の
>パラドックスは存在しない。

そりゃ、「密な随伴現象説」の立場からはそうなるに決まってるじゃん。
まさにそれだから反対者は、その「随伴現象説からの反論」そのものに反対しているわけだ。
そして、ここでは、その反対論の方が議論の出発点になっているんだよ。

479考える名無しさん:2011/06/12(日) 11:22:11.27 0
論争そのものに対する(全く違う観点からの)メタ批判だから、
論争当事者から見れば(どちらから見ても)的外れに見えるに決まっている。

そういうところが、哲学の議論のむなしいところ。
どれが正しいかなんて、結局のところ、決まらないし、そもそもない。
せいぜい、どれに魅力を感じる人が多いか、だけだ。
480考える名無しさん:2011/06/12(日) 11:46:28.49 0
そういうところが哲学の面白いところだろうが。
481考える名無しさん:2011/06/12(日) 17:40:13.28 0
>>478
>その反対論の方が議論の出発点になっているんだよ

違うよ。

「なぜ意識」読んでないんじゃないの?

永井の議論の出発点はお得意の認識論的独我論であり、
心の哲学からの随伴現象説に対する反対論ではない。
482考える名無しさん:2011/06/12(日) 17:55:07.77 0
>>481
永井お得意の部分。
「この世界の普通の他人たちには意識があると信じて疑わないのは、不可思議というほかはありません」p80

他者に意識があるというのは信じる云々の問題でなく、自然科学の知見と対立しないために、素朴実在論を
仮定した議論の前提なわけ。

永井本人だって似たような形で問題提起してるでしょ。
「この世界に何十億といる人々の中で、なぜ永井均が〈私〉であるのか?」
こういう存在論的独我論の問題提起なんて、素朴実在論を仮定しなきゃ立てられないんです。

483478:2011/06/12(日) 18:16:26.63 0
>>481
だから心の哲学の随伴現象説に対する反対論そのものに反対しているんだ、
と言っているんだよ。
それが「反対論の方が出発点になっているんだよ」の意味だよ。
また永井のお得意は「認識論的独我論」ではなく、
まさにその「認識論的独我論」に対する存在論的独在性の観点からの批判で、
それが479の言う「全く違う観点」ということになるわけだろう。
479に対しては特に異論はない。

484考える名無しさん:2011/06/12(日) 19:23:00.13 0
何がいいたのかさっぱりわからんねw
485考える名無しさん:2011/06/12(日) 19:44:47.38 0
つまり永井の言っていることなんか「さっぱりわからん」ということだろう。
ああいう「全く違う観点」は、わからない人にはわからないよ。
それでいいじゃないか、べつに分かる必要もないし。
486考える名無しさん:2011/06/12(日) 20:12:43.74 0
なんでこうも認識論的独我論と存在論的独在性を混同する馬鹿が湧くのか。
「なぜ意識」1日目に「時間との二つの類似」の二番目の方が問題なのだ、と書いてあるのに。
たぶん、意図的なんだろうけど。
487考える名無しさん:2011/06/12(日) 20:19:17.02 O
もし、永井の議論を、
1.私と今は、物理的状態によって説明することはできない。
ただし、累進構造によって、他者、他の今にも同じことが言えてしまう。
2.私と今以外のものは、全て物理的状態によって説明できる。
3.意識について問題になるのは、実は私・今と累進構造によって説明できる部分と、
それ以外であって実は物理的状態によって説明できる部分のどちらかであって、
どちらでもなくさらに説明を要するような部分は存在しない。
4-1.現象的意識は、私・今と累進構造によって説明できる部分であって、
私にしかないはずのものが誰にでもあることになってしまうという仕方で、
ゾンビというものはあり得ないことになる(というか、私も言葉で語る限り
ゾンビと同じことしか語れない。)。
ただ、私と他者との対比を、一般的に現象的意識を持つ人間と現象的意識を
持たないゾンビとの対比に置き換えてしまうような形で問題にしてしまう人はいる。
4-2. それ以外の意識について問題になる部分は、全て物理的状態によって
説明できるので、ゾンビというものはあり得ない。

というように整理できるとすれば、4-2あるいはその前提になる2、3のほうを
批判することはあり得るのか?
つまり、累進構造とは別に、物理的状態によっては説明できない意識というものが
あり、それを欠いたゾンビというものがあり得るとすれば、永井の議論によっては
否定されないゾンビがあることになるか?

と、自分で書いてみてなんだけど、どうでもいい上に何か間違ってるんでは
ないかという気が強くする。
488考える名無しさん:2011/06/12(日) 21:29:12.33 0
>>483
>「認識論的独我論」に対する存在論的独在性の観点からの批判

『なぜ意識は実在しないのか』を読んでないね。
それはチャーマーズに対する批判の主旨ではない。
489考える名無しさん:2011/06/12(日) 21:38:16.06 0
>>485
「あんたはわかってない」という言葉は「説明できません」と言ってるのと同じ。

そもそも「全く違う観点」じゃないんだよ。
永井の哲学と心の哲学は重複してる部分があるから、永井もチャーマーズを批判してる。
心の哲学におけるクオリアの存在論的な位置づけは永井哲学に直結してる。
490考える名無しさん:2011/06/12(日) 21:51:14.78 0
実在論と唯物論は異母兄弟だからね。
491考える名無しさん:2011/06/12(日) 22:04:06.70 0
批判の論点もわからないのに、何となく教祖様を批判されるのは嫌だから
無理やり反論してる・・・ってタイプの信者がいるね。
で最後は、わかってない!立場から違うからわからないんだ!と逃げに転じるw
492考える名無しさん:2011/06/12(日) 23:00:11.58 0
信者にとって大事なのは理解より信仰ですよ
493考える名無しさん:2011/06/13(月) 00:00:27.17 0
>>488
なんていうか…。俺は>>483じゃないけど、>>483が言っているのは、
『永井のお得意の論法は』認識論的独我論に対する存在論的独在性の観点からの批判だ、ということであって、
これは>>481が「永井のお得意の認識論的独我論」というお馬鹿な事を言ってるから、それへのツッコミなわけであって、
別にそれがチャーマーズに対する批判の主旨だ、とは言ってないんじゃないの?
494考える名無しさん:2011/06/13(月) 09:31:37.86 0
>心の哲学におけるクオリアの存在論的な位置づけは永井哲学に直結してる。

まったくしていない。
永井は、心の哲学における物理主義的な還元主義の立場からではなく、独在論的還元主義の立場から、そもそもクオリアなるものの存在を認めない。
そんな立場は心の哲学の中には存在しない。(結論だけ字面で一致する場合はあるが)。
そもそもあれは心の哲学の議論じゃなくて、時間や神(存在論的証明)や可能世界等々に関する一般的な存在論的議論の単なる応用にすぎない。
495考える名無しさん:2011/06/13(月) 09:39:07.80 0
>>491
ちょうどそれの裏返しのような連中も多いぞ
反論の論点もわからないのに、何となく…
で、最後は「何がいいたのかさっぱりわからんねw」とか言って逃げに転じるw
といえばちょうと鏡像になるw
496考える名無しさん:2011/06/13(月) 18:26:35.95 0
信者は教祖の主張も、アンチの主張も、自分の主張さえもわかってないw
497考える名無しさん:2011/06/13(月) 22:02:01.25 0

>>496

   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`)< オマエモナー
  (     )  \_____
  │ │ │
  (__)_)

498考える名無しさん:2011/06/13(月) 23:17:44.11 O
>>494
> 永井は〔中略〕そもそもクオリアなるものの存在を認めない。

このとおりだと思う、というか、ちゃんと読めば当然このように読めると思う。
それを踏まえているのか何なのか全然わからないような話を、「批判」と称されたってなあ…
499考える名無しさん:2011/06/14(火) 00:27:44.60 0
>>494
>独在論的還元主義の立場から、そもそもクオリアなるものの存在を認めない。そんな立場は心の哲学の中には存在しない。

独在論とクオリアの存在が両立しない理由を説明してください
500考える名無しさん:2011/06/15(水) 13:15:14.28 0
永井は三浦の『虚構世界の存在論』を高く評価してるって本当?
三浦が土屋にボロクソに批判された時は土屋の肩持ってたよな?
501考える名無しさん:2011/06/16(木) 07:44:30.33 0
ちょっと本質的質問をするとレスできなくなる永井信者w
502考える名無しさん:2011/06/16(木) 20:04:38.41 0
>>493みたいな質問には答えない奴がよく言うわw。
まぁ俺も>>494の言う「独在論的還元主義」が何なのか解らんけどw。
永井的には、現象的なクオリアを持たないからこそ他者なのであって、
その他者を含めた人間一般にクオリアがあるかを問題にしようとする心の哲学は擬似問題だ、
って話になるんじゃないの?
「なぜ意識」の話は俺はほとんど興味が無いから、なにかハズしてたらごめんなさいねw。
503考える名無しさん:2011/06/16(木) 21:52:49.19 0
>>498
>ちゃんと読めば当然このように読めると思う。
全然違うw
>>502の方が正解に近い。

俺は永井の心の哲学に対する批判は、心の哲学が何をやってるか理解してないゆえの
カテゴリー錯誤だと思うけどね。
そして「現象的なクオリアを持たないからこそ他者」という永井の問題意識の出発点が既に
間違いで、それゆえ永井の思想の方が本当は擬似問題だと考える。
504考える名無しさん:2011/06/16(木) 21:58:47.63 0
そもそもチャーマーズの「機能的意識」を「心理的意識」と言い換えてるあたりに
永井のミスリードを感じる。別に間違いではないんだけど。たぶん「機能」という
言葉を使いたくないんだろうなw
505考える名無しさん:2011/06/16(木) 23:27:43.56 O
『なぜ意識は実在しないのか』をちゃんと読む気がないんだったら、
別に読まなきゃいいだけだと思うんだけどねー
心の哲学の一般論をしたいんだったら、そういうスレだってあるんだけどねー
なぜ、そのようにしないで、わざわざこのスレで『なぜ意識は実在しないのか』
を本当にちゃんと読んだのかどうか全然わからんようなことを言い続けるんだろうねー
506考える名無しさん:2011/06/16(木) 23:37:34.79 0
なんかまた誤解されてる気がするけど、>>502>>503-504は別人だからね。
あと俺は>>502だけど、「興味がない」だけで、本を読んではいるからね。
507考える名無しさん:2011/06/16(木) 23:57:51.26 0
永井の話って心脳問題以前の話でしょw
508考える名無しさん:2011/06/17(金) 20:44:57.97 O
そう、まさに「以前」と永井が言ってるわけですな
509考える名無しさん:2011/06/17(金) 22:20:07.23 0
『なぜ意識は実在しないのか』 を本当にちゃんと読んだなら「クオリアの存在を認めない」
なんて誤読はしないはずだけどねw

>>505
>>507
心の哲学と永井の哲学は不可分だから永井本人だってわざわざチャーマーズの本を
本当にちゃんと読んだのかどうか全然わからんようなことを言い続けるんだろうw
510考える名無しさん:2011/06/17(金) 23:21:45.71 0
チャーマーズが何を前提に論じているかスルーして、
言えないことを言わんとしてるから幼いとかね。
これはウィトゲンシュタインの誤用でしょう。
511考える名無しさん:2011/06/18(土) 03:12:43.43 0
チーマーs
512考える名無しさん:2011/06/18(土) 03:38:01.93 0
ああ
513考える名無しさん:2011/06/18(土) 10:57:22.76 0
永井の話は心の哲学以前の話
だって脳どころか心の存在も否定してるんだからw
514 忍法帖【Lv=17,xxxPT】 :2011/06/18(土) 11:29:25.45 0
心の存在を否定しているというのは正確じゃないだろ。
心は超越概念だというのは、伝統的であり、かつ永井の核心的な論点の一つだ。
515考える名無しさん:2011/06/18(土) 11:48:49.23 0
超越論は、カント的解決手法ではあるが、
いわば、返済のアテがの特定用途公債のようなもの。
公債償還の必要なしという了解が成立してるコミューンでのみ機能するもの。
むやみに濫発・濫用するのは、いかがなものかと。w
516考える名無しさん:2011/06/18(土) 11:50:31.69 0
返済のアテがの特定用途公債のようなもの。 →
返済のアテの無い特定用途公債のようなもの。
517 忍法帖【Lv=17,xxxPT】 :2011/06/18(土) 12:33:56.78 0
超越論哲学というコミューン?
まあ、あんまりおどろおどろしい連中にはゲンナリするけど、カントは立派に生きて
ると思うぜ。
518考える名無しさん:2011/06/18(土) 12:58:34.68 O
『なぜ意識は実在しないのか』によると、他者の意識について考えられるのは、
「他者にそもそもこのようなものはない」ということか、「累進構造によって
私と同じようなものがあるとされる」ということのどちらかであって、
「私には分からないが、他者には全く違うようなものがあるのかもしれない」
というような可能性はないことになるんだろうか?
なんかそれも変か?
519考える名無しさん:2011/06/18(土) 15:50:14.63 0
自分に意識がある。
他人は自分と似た存在である。
他人にもきっと意識があるだろう。

これだけの話。
なぜ他人に意識があると思うのかなんてなぞでもなんでもありません。
男の子は女の子にもちんぽがあるとおもいこんでいる。
人間は自分にあるものは他人にもあると思い込む生き物なのです。
累進構造もクソも関係ありません。
520考える名無しさん:2011/06/18(土) 16:49:25.57 0
永井の欠点は自分の提起する問題の「問題性」が確立できてないということだろう。
独在性の問題が他の哲学者からほとんど相手にされないのは擬似問題であるから。
よくある以下のような文は自己言及にすぎない。

Why am I me? Why am I not someone else and that someone else isn't me?

竹田が「自己言及のパラドックス」と指摘したのは当たらずとも遠からず。
上の英文に累進構造の概念をを組み合わせれば一見そう思えるw



521考える名無しさん:2011/06/18(土) 20:09:58.82 O
今度は「自己言及のパラドクス」の意味も知らない方がいらっしゃいましたかー
522考える名無しさん:2011/06/18(土) 20:51:03.85 0
永井の主張が。自己言及のパラドクスであるのは永井スレッドでは
常識です。
523考える名無しさん:2011/06/18(土) 21:31:26.39 O
>>520
> Why am I me?

なんですか、この、ただの同語反復のようにも見える意味不明の文は?
524考える名無しさん:2011/06/18(土) 22:01:25.36 0
>>521
信者さんは日本語もきちんと読めませんか?

>>520
>竹田が「自己言及のパラドックス」と指摘したのは当たらずとも遠からず。

これは竹田が間違ってるという前提で書いてるのがわからないのかな。
「当たらずとも遠からず」って信者さんには難しい表現だったかな。
525考える名無しさん:2011/06/18(土) 22:11:25.32 0
>これは竹田が間違ってるという前提で書いてるのがわからないのかな。

竹田はまちがってないのよお〜
526考える名無しさん:2011/06/18(土) 22:13:45.10 O
>>524
本気で言ってるんなら、何が「遠からず」なのか、ちゃんと説明してくださーい
527考える名無しさん:2011/06/18(土) 22:22:06.29 0
ちゃんと永井の本を読めば、永井の主張が事故言及のパラドクスである
ことは明白です。
竹田の指摘はその意味で正しい。
ただしいのよお〜
528考える名無しさん:2011/06/18(土) 22:30:55.25 0
>>524
永井信者は哲学史もろくに勉強してない初心者ですから。

そもそも自己や自我の問題は常に哲学の中心的なテーマでありました。
>>520にあるような英文の問いの実証主義的な解答は「それは自己言及だ」というもの。
対して形而上学的によくある解答は「私が私である理由は私の魂があるからだ」というもので、
実は永井の独在論のベースとなってるウィトゲンシュタイン思想もそうなの。

永井の〈私〉も、存在論的な位置づけはカントやカントを引き継ぐドイツ観念論の「魂」の概念と全く同じ。

ところが哲学史を知らない初心者は「累進構造」だとか永井用語にころりと騙されて、永井の哲学が
何か凄いことをやってると勘違いしてしまう。

永井の著書は『なぜ意識は実在しないのか』なんてハッタリの効いたタイトルや紹介文が多いから、
初心者が誘導されて、永井が何をやっているのか理解しないまま漠然と〈私〉なるものを信仰してしまう。

きちんと勉強してる人はすぐ永井のハッタリを見抜きます。
見抜けない初心者が永井信者なんだから読解力が無いのは当然でもあります。
529考える名無しさん:2011/06/18(土) 22:36:49.54 0
〈私〉は唯一の真の存在であり、それは神と比類すべき存在である。
530考える名無しさん:2011/06/18(土) 22:41:01.45 0
〈私〉=〈魂〉=〈神〉
531考える名無しさん:2011/06/18(土) 22:48:26.94 0
永井スレッドに参加するためには、ちゃんと永井の本を読んで
正しい認識をもたないとだめなのよお〜

これが正しい認識
@なぜ私は私なのかという表現の問いを永井はしていません。
していないのよお〜
A永井の主張は自己言及のパラドクスであり、その点を指摘した
竹田は正しい。
竹田は正しいのよお〜
Bチャーマーズは永井的問いから逃げている
逃げているのよお〜
532考える名無しさん:2011/06/18(土) 22:48:55.46 O
まさか本気で、永井が例えば「〈私〉」と表現した時に、その表現そのものを
指してると思ってる人がいるの?
そんなわけはないよねー
533考える名無しさん:2011/06/18(土) 22:52:48.51 0
たぶん>>528さんは上の方で「論点先取の誤謬」を連呼していた人だと思うんだけど、
永井以前に可能世界意味論がよく分かっていないと思うので、
古典のおさらい以前に、
せっかく現代に生きてるんだから現代論理学(様相論理とモデル理論)を勉強された方が良いかと思います。
それと『なぜ意識は実在しないのか』は<私>は出てきません。
あと、永井が何をやってるか見抜く知識がない人にはわからないかもですか、
累進構造自体はマクタガートの用語です。
534考える名無しさん:2011/06/18(土) 22:58:07.97 0
永井スレッドに参加するために必要な正しい認識をちゃんともたなければ
だめなのよお〜
ちゃんと永井の本をよみなさいよお〜

「まちがいなく存在するはずのこの私に、この証明は到達しえている
だろうか。最後に「ゆえに、存在する」とされたその私は、現に存在
するこの私だろうか?」

永井は、私という自己について言及しようとした、そして、そこで
語られたことがらが、私ではなく誰にでも当てはまる一般論に
すぎないかったということを発見した。
つまり、自己に言及することが、自己に言及できないという結論を
導くという自己言及のパラドクスを発見したのである。
よって永井の主張を、自己言及のパラドクスというのは正しいのよお〜
だから竹田は正しいの
竹田は正しいのよお〜
535考える名無しさん:2011/06/18(土) 23:11:11.59 0
永井スレッドに参加するために必要な基礎知識

そのC永井の本にでてくる可能世界の議論を理解するために
様相論理とモデル理論なんて論理学の知識は必要ありません。
様相論理どころか、述語論理の知識も必要ありません。
まったくないのよお〜
そもそも永井の本にまともな論理記号なんてでてこないのよお〜
536考える名無しさん:2011/06/18(土) 23:17:17.35 0
>>533
『なぜ意識は実在しないのか』には<私>は「私」と表現を変えて出てきます。(p32)
両者は全く同じ概念であり、あなたこそ永井が何をやってるか見抜く知識がない人です。

もし永井が何をやってるか理解してるというつもりなら〈私〉と「魂」の違いを説明してください。
537考える名無しさん:2011/06/18(土) 23:20:34.38 0
永井信者の永井知らずw
538考える名無しさん:2011/06/18(土) 23:27:48.09 0
永井スレッドに参加するために必要な基礎知識

そのD<私>と「魂」の違い
「魂」=<<私>> ≠ <私>

「もしそうだとすれば、P氏とQ氏は、各々の身体も記憶も変化させる
ことなしに、非物質的原質である霊魂だけを交換することによって、
誰にも(当人たちにも)気づかれることなく人格を交換できることになる。
P氏の身体、P氏の記憶、P氏の性格を維持したまま、彼はP氏でなくなる
(Q氏になる)ことができることになる。これは無意味としか言いようの
ない立場でなかろうか。それでも私は、なおスウィンバーンに同情の
余地はあると思う。おそらく彼もまた、ほんとうは私が<私>について
語ったのと同じことをいいたかったであろう」
539考える名無しさん:2011/06/18(土) 23:29:10.52 0
永井スレも7つ目になるけど、永井信者がきちんと〈私〉について回答したのを見たことが無い。
やっぱり信者でもよくわからないんだろうか。
540考える名無しさん:2011/06/18(土) 23:40:58.18 0
>>533
信者側は批判されると「わかってない」というばかりですね。
アンチ側は具体的な批判してるんだから、「わかってない、勉強しろ」と言う
だけじゃなく、具体的な反論をすべきでは?
541考える名無しさん:2011/06/18(土) 23:45:40.15 0
>>539
永井の「西田幾多郎-絶対無とは何か-」に、永井の<私>はそもそも、
ハイデガー、デリダが云う「消去された主体」を名指す記号として、
原稿には「私」という文字グリフに「×」を重ねた象形で表記していた。
しかし印刷会の植字の都合で活字使用が拒否されたので、
やむなく「×」を解体した「<>」で挟み込む文字列表記にした。という話。
542考える名無しさん:2011/06/18(土) 23:55:00.24 O
しかし「累進構造」ってマクタガートの用語だったのか。
素人は反省するばかりです。
543考える名無しさん:2011/06/18(土) 23:56:24.42 0
>>529
>〈私〉は唯一の真の存在であり、それは神と比類すべき存在である。
有神論者なら、私とネ申と同レベルで置いたりはしない。
無神論者なら、そもそもネ申は話題にならない。じゃないの?

544考える名無しさん:2011/06/18(土) 23:58:36.50 0
>>536
私の知るかぎり、
独在性の<私>は「魂」(クオリアでもよい)としての「私」を論じる上で、
「含意」されている存在です。だから、「隠れた実体」なのです。
この含意なくして「私」は問題となりえないのに、「哲学者」はそれを避けている、
ということの「語り示し」が永井の<私>に関する「議論」であり.、
『なぜ意識〜』も迂遠な方法ながら同様だと思っています。

なので、>>436-438の「<私>はカントの「統覚」から導き出している」、
「クオリアのメタレベルなど必要ない」は細かく語れば、
読解としてそれなりに面白くなりそうだとは思います。
その辺はむしろその辺をつよく感じている人にやっていただきたい。
しかし「私が私である理由は私の魂だからだ」を切り口とするのは、全く的外れです。
545考える名無しさん:2011/06/19(日) 00:07:31.16 0
>>540
それは表記のいきさつについて語ってるだけジャンw
546考える名無しさん:2011/06/19(日) 00:11:45.41 0
>>544
>「隠れた実体」なのです。
どこに隠れているんだろ?
547考える名無しさん:2011/06/19(日) 00:13:46.50 0
>>545
きみが「消去された主体」という考え方にもう少しセンシティブだったらよいのにね。
548考える名無しさん:2011/06/19(日) 00:19:57.56 O
>>544
> 「含意」されている存在です。だから、「隠れた実体」なのです。

「含意」とか「隠れた実体」というのは、何ですか?
私や今について、内容(その人の性質とか、その時点で起こっている出来事とか)
と独立に考えるという話はよく出てくるけど、それが、何か隠れた実体なるものを
前提にしているのか、分からないのですが。
分からないというか、例えば、記憶内容や身体の性質などが変わっても
維持される実体なるものがあって、それがあれば私と言える、などということが
もしあれば、私がブッシュ大統領になることも可能になってしまうのでは?
549考える名無しさん:2011/06/19(日) 00:23:22.82 0
魂にしろ
消去された主体にしろ
世界の開けの原点にしろ
そういった一般的概念として積極的に明示的に語ることができない、
否定神学的にしかれないものが<わたし>
であって、<>が抹消記号Xであることは、最初の著作にきちんと明記されている。

<わたし>とはなにかではなく、むしろ永井は何を問うているのかを
問題にしなさい。
そして竹田が正しかったことを認めなさい。
550考える名無しさん:2011/06/19(日) 00:26:10.78 0
>>544
ドイツ観念論がカントの「統覚」概念から導き出した超越論的自我(魂)と同型ではないとの証明になってませんね。

超越論的自我(魂)を「含意して」「語り示し」てるのが永井の<私>に関する「議論」であると言い換えても同じですよ。

それを、
>しかし「私が私である理由は私の魂だからだ」を切り口とするのは、全く的外れです。
という結論にするのは理屈になってません。

そもそも哲学の歴史上はカントのデカルト批判以来「自我」は常に含意されてきました。
ターニングポイントとなったのが後期ウィトゲンシュタインです。

永井の言わんとしてることは、「哲学者はそれを避けている」ではなく、
「方法が間違ってる」というものです。『〈子ども〉のための哲学』p48-49を読んでください。
551考える名無しさん:2011/06/19(日) 00:29:09.12 0
>>547
それで〈私〉の説明になってると思える信者脳がうらやましい!
552考える名無しさん:2011/06/19(日) 00:32:20.93 0
>>549
>永井は何を問うているのかを問題にしなさい。
永井の問いは永井の専売特許印製品じゃないから。
永井社製品は粗雑というか、永井タイマー内蔵で製品寿命が短く
次々改良製品・新製品を出してくるも、不具合いぱーい。
その永井タイマーが批判されているの。

完璧を期すなら、竹田製品とか勧めないで、
君がちゃんとした製品を作ればいいと思うよ。
553考える名無しさん:2011/06/19(日) 00:42:48.42 0
>永井の問いは永井の専売特許印製品じゃないから。

誰が永井の問いは永井の専売特許と主張したのですか?
<私>とはなにかとの質問にこだわっているから、それより
永井が何を問題にしているのかを問うたほうが生産的であると
超説得的に説明かつ推薦していたのです。

あと竹田が正しかったことを認められないのなら
このスレッドから去りなさい!
554考える名無しさん:2011/06/19(日) 00:45:16.09 0
>>551
信者じゃないし。
「無主体」的な考え方は
般若心経の「色即是空 空即是色」とかから
バリエーションも系譜も無数なの。わかってないでしょ?
555考える名無しさん:2011/06/19(日) 00:46:27.53 0
『〈子ども〉のための哲学』p49より永井の「問題意識」を引用

ぼくの問題はそうではなかった。
ぼくの問題はたとえばA、B、C、D、四人の子供がいるとき、ぼくがBであって、
AやCやDではないことにあった。
556考える名無しさん:2011/06/19(日) 00:49:55.50 0
>ぼくの問題はそうではなかった。
>ぼくの問題はたとえばA、B、C、D、四人の子供がいるとき、ぼくがBであって、
>AやCやDではないことにあった。

そうです。しかしこの問いは、とっしーのしつこいねちねち批判に
あって、変更したのです。
そういうこともちゃんとフォローしなさい。
557考える名無しさん:2011/06/19(日) 00:51:33.44 0
>>555
>>520
>Why am I me? Why am I not someone else and that someone else isn't me?

>竹田が「自己言及のパラドックス」と指摘したのは当たらずとも遠からず。

と皮肉られるのもしようがない。
最近は>>555みたいな実直な問題提起はあまりやらなくなったけど。
たぶん恥ずかしいんだろうなw
558考える名無しさん:2011/06/19(日) 00:53:42.87 0
>>555みたいな表現はあっちこっちで書いているみたいだけど。
一人っ子なんだろうな。小皇帝向け。とか思うね。
559考える名無しさん:2011/06/19(日) 00:53:46.46 0
>>556
>批判にあって、変更したのです。

擬似問題だったと認めろよw
560考える名無しさん:2011/06/19(日) 00:59:37.27 0
>擬似問題だったと認めろよw

別に擬似問題ではありません。
擬似問題だったというならどう擬似問題なのか説明してみなさい。

それから竹田がただしかったのかどうかきちんと答えなさい。
561考える名無しさん:2011/06/19(日) 01:17:11.36 0
パラドックスを内在するが故に正しくない。という合理的な考え方に対して、
不合理ゆえにわれ信ず。という信念ゆえの合理性とは無縁の領域も可能的にあり得る。

とするなら、竹田のそれは、正しいともいえるだろうし。そうは言えない可能性もあるだろうね。
562 忍法帖【Lv=18,xxxPT】 :2011/06/19(日) 01:19:45.17 0
さすがに竹田じゃ相手にならねーだろ?
もっと他のヤツを持って来いよ。
563考える名無しさん:2011/06/19(日) 01:28:17.54 0
>A、B、C、D、四人の子供がいるとき、ぼくがBであって、
>AやCやDではないことにあった。

ではそもそもこの問いにはどう答えるのが正しいのか
これぞという回答をもっている人はこたえてみたらいいじゃない。
ちなみにチャーマーズは、有無を言わせぬ指標的事実があるだけみたいないいかた
で逃げているだけ。
ものごころついたときから永井の本を擦り切れるまで読んできた
わたしとどこまでわたりあえるのかためしてみたらいいじゃない。
564考える名無しさん:2011/06/19(日) 01:36:30.60 O
どうでもいいけど、竹田が正しいとか言ってる人は、自己言及のパラドクスとは
何だと思ってて、それが永井の本にどう当てはまると理解してるの?
565考える名無しさん:2011/06/19(日) 01:40:22.93 0
自己言及のパラドクスについては >>534 ですでに説明したのよお〜
目をそらしちゃだめ。
だめなのよお〜
566考える名無しさん:2011/06/19(日) 01:56:06.22 O
>>565
ああ、あまりに意味不明すぎて忘れとったわw
>>534
> 永井は、私という自己について言及しようとした、そして、そこで
> 語られたことがらが、私ではなく誰にでも当てはまる一般論に
> すぎないかったということを発見した。

これは、つまり、言及しようとしたが、できなかった、というだけだろ。
これの何がパラドクスなのか?
それに、だいたいが、この話はもともと私じゃなく神についての話から持ってきた
(と永井は言っている)から、言及できないという結論になったのは、
自己について言及しようとしたからではないだろ。

> つまり、自己に言及することが、自己に言及できないという結論を
> 導くという自己言及のパラドクスを発見したのである。

意味不明。
無理やりパラドクスぽく言葉を並べただけじゃないのか。

あと、まあ、わざとやってるんだろうから言っても仕方ないが、普通は
自己言及のパラドクスと言ったら、そこで言ってる「自己」は、文章のことを
指すんじゃないのかね。
567考える名無しさん:2011/06/19(日) 02:02:08.14 0
>これは、つまり、言及しようとしたが、できなかった、というだけだろ。
>これの何がパラドクスなのか?

私についてかたったにもかかわらず私についてかたれなかったというのが
パラドクシカルではないのなら、どういった事態をパラドクシカルな
自体というべきなのか頭をかかえてしまいますね。

>それに、だいたいが、この話はもともと私じゃなく神についての話から持ってきた
>(と永井は言っている)から、言及できないという結論になったのは、
>自己について言及しようとしたからではないだろ。

意味不明ですね。ちゃんと永井の本を読んだことがあるのでしょうか。
わかりやすいところではこどものための哲学という本があるので
それを読んでみることをおすすめしましょう。ぼくについてかたった
いたにもかかわらずそこではぼくがかたっていたはずのことについては
まったくかたられていなかったことの驚きが書かれていますので、初心者には
お勧めでしょう。

568考える名無しさん:2011/06/19(日) 02:06:36.37 0
>意味不明。
>無理やりパラドクスぽく言葉を並べただけじゃないのか。

どこが意味ふめいなの?
まず自己言及について、
私について永井は語っている。だから自己言及なのは当然。

次にパラドクシカルについて、
私に言及しているにもかかわらず私に言及できない
ことがパラドクシカルであるといっているのです。
単に私に言及できないから、わたしに言及できないという
のではありません。ちゃんと私に言及しているのです。にも
かかわらず私に言及したことになっていない。これがパラドクシカル
だといっているのです。

>あと、まあ、わざとやってるんだろうから言っても仕方ないが、普通は
>自己言及のパラドクスと言ったら、そこで言ってる「自己」は、文章のことを
>指すんじゃないのかね。

自己言及のパラドクスという名称を
うそつき文のような自己言及文だけに限定しなければならない
理由がどこあるんでしょうか?
569考える名無しさん:2011/06/19(日) 02:18:28.60 0
>>560
日本語の勉強して以下の文を理解できるようになれ。

「当たらずとも遠からず」
570考える名無しさん:2011/06/19(日) 02:19:10.93 0
>これは、つまり、言及しようとしたが、できなかった、というだけだろ。
>これの何がパラドクスなのか?

あるいは、私にしか当てはまらないはずのことが、私以外の誰にでも
当てはまってしまうということがパラドクシカルなのだといっても
いいでしょう。永井の独我論とはそもそもそういった問題意識の
もとにあるのです。本質的に私にしかないものが、誰にでもある
ものとして理解されてしまうという驚きが永井哲学の肝のひとつなのです。
ですから、永井の本をきちんと読みなさいといっているのです。
571考える名無しさん:2011/06/19(日) 02:25:03.07 O
>>567
何を誤魔化しとるのか。
>>534
> 「まちがいなく存在するはずのこの私に、この証明は到達しえている
> だろうか。最後に「ゆえに、存在する」とされたその私は、現に存在
> するこの私だろうか?」
は、『私・今・そして神』178頁で神の存在論的証明を「我思うゆえに
我あり」につなげるという話をしてるところからの引用だろ。
バレないとでも思ったのか?
信者をなめとるのかw
572考える名無しさん:2011/06/19(日) 02:29:57.58 0
>>563

>>528で既に2種類の回答が示されている。
そして永井の〈私〉は「魂」の概念と同じじゃない?
という突っ込みに対して誰もまともに反論してないというのがこのスレの状況。
573考える名無しさん:2011/06/19(日) 02:34:28.86 0
〈私〉の宣言には私の死が構造的に必然であるというデリダの認識は
言語のもつパラドクシカルな特質としてポストモダン思想のなかで
なんどもいわれてきたことです。
永井自身デリダに言及しているとおり、永井の認識は、形式的には
デリダらポストモダンの言語認識と同型な面をもっているのは
事実なのです。

574考える名無しさん:2011/06/19(日) 02:37:26.38 O
>>570
> 本質的に私にしかないものが、誰にでもある
> ものとして理解されてしまうという驚きが永井哲学の肝のひとつなのです。

そのこと自体を誰が否定しとるか。
それがなぜ「自己言及のパラドクス」なのか、と聞いとるの。
それとも何か、例えば、この今について言おうとしても今一般に当てはまって
しまうことは「今言及のパラドクス」になるのかね。
他に永井が同様に論じている「現実」とか「現象的意識」とか、みなパラドクスなのかね。
いろんなもんがパラドクスになっちゃって大変だねー。
575考える名無しさん:2011/06/19(日) 02:40:44.44 0
永井均先生は世界的に有名なチャーマーズを論破したから現代最高の哲学者です(キリッ
576考える名無しさん:2011/06/19(日) 02:41:38.21 0
>> 「まちがいなく存在するはずのこの私に、この証明は到達しえている
>> だろうか。最後に「ゆえに、存在する」とされたその私は、現に存在
>> するこの私だろうか?」
>は、『私・今・そして神』178頁で神の存在論的証明を「我思うゆえに
>我あり」につなげるという話をしてるところからの引用だろ。
>バレないとでも思ったのか?
>信者をなめとるのかw

はあ?
わざわざ引用したんだから、ばれないもなにもないでしょ?
大丈夫?
そこは、自己言及のパラドクスの一例として引用しただけ。
それがなんなの?
永井の主張が、その箇所も他の箇所ふくめて、
あるいは、その箇所が含んでいる本も、それ以外の本も
ふくめて、本質的に、独在性について語ることのもたらす問題
なのは事実です。
だいたい引用箇所も、私の存在証明が、この私の存在に
言及できないというパラドクシカルな事態を指摘するもので、
明白に自己に言及してます。まったく何がいいたいのか意味不明ですね。
577考える名無しさん:2011/06/19(日) 02:44:59.83 0
>そのこと自体を誰が否定しとるか。
>それがなぜ「自己言及のパラドクス」なのか、と聞いとるの。

散々説明してるでしょ?
馬鹿なの?死ぬの?

>それとも何か、例えば、この今について言おうとしても今一般に当てはまって
>しまうことは「今言及のパラドクス」になるのかね。

そう呼びたければ呼んでもなんの問題もないでしょ?
なにが問題なの?


>他に永井が同様に論じている「現実」とか「現象的意識」とか、みなパラドクスなのかね。
>いろんなもんがパラドクスになっちゃって大変だねー。

たいへんもなにも、三浦俊彦のパラドクス本でも読んでみたなさいよ。
パラドクスと呼ばれる問題は無数にあるから。
もうすこし知識を仕入れてから挑んできなさい。

578考える名無しさん:2011/06/19(日) 02:45:28.85 0
永井は流行モノなら手当たり次第いちゃもんつけるチーマー
579考える名無しさん:2011/06/19(日) 02:47:22.02 0
>>533
>累進構造自体はマクタガートの用語

マクダカートが使ってたのはありふれた「無限後退」だろ。
どこで累進構造って言ってたのか教えてくれ。
580考える名無しさん:2011/06/19(日) 02:48:07.76 0
ひょっとして、嘘つき文のような自己言及のパラドクスだけが
パラドクスと呼ばれるとでも思ってる?
あほらしい。
581考える名無しさん:2011/06/19(日) 02:55:08.19 0
大体自己言及文のパラドクスだけでも、
床屋のパラドクスやらラッセルのパラドクスやら
クレタ人のパラドクスやらなにやら
無数にあるんですけどね。
いろいろなものがパラドクスになって大変ですねえなんて
言うあほをはじめてみましたよ。
582考える名無しさん:2011/06/19(日) 02:56:06.17 0
永井の<私>は論理と関係ないので
パラドクスではありませんよ
583考える名無しさん:2011/06/19(日) 03:02:59.38 0
>永井の<私>は論理と関係ないので

論理と関係ないってのもよくわからないけど。
<私>が論理と関係なくても、<私>について語る以上、論理が関係
してしまうからね。
それに別に論理学や数学の問題だけがパラドクスと呼ばれるわけじゃないから。
584考える名無しさん:2011/06/19(日) 03:03:19.51 O
>>577
> >それとも何か、例えば、この今について言おうとしても今一般に当てはまって
> >しまうことは「今言及のパラドクス」になるのかね。

> そう呼びたければ呼んでもなんの問題もないでしょ?
> なにが問題なの?

私(自己)だけでなく、今や現実などにも同じように当てはまる問題を、
「「自己」言及」のパラドクスなんて呼んで、混乱なく議論できるのかね。
誤解を生んだりしないのかね。
まあ混乱しない自信があるんなら、ご勝手にー。
585考える名無しさん:2011/06/19(日) 03:06:45.96 0
>>588 のパラドックス話には混乱があるみたい。
586考える名無しさん:2011/06/19(日) 03:11:32.13 0
>>583
それなら貴方は永井の<私>と“貴方の言う”「自己言及のパラドクス」の関係を丁寧に説明すべき
「私」に言及することが<私>の独在性を生み出しているのではないでしょう?
587考える名無しさん:2011/06/19(日) 03:12:46.20 0
>「「自己」言及」のパラドクスなんて呼んで、混乱なく議論できるのかね。
>誤解を生んだりしないのかね。
>まあ混乱しない自信があるんなら、ご勝手にー。

混乱するかどうかは、議論の仕方によるでしょ?
あほなの?

そもそも、自己言及文のパラドクスと呼ばれるパラドクスも
無数のバリエーションがあるけど、別にそれで議論が混乱するなん
手話はきかないけどね。
まあ、どうせ自己言及文のパラドクスだけがパラドクスだと
思い込んでいたんだろうけど、永井の本ばかりよんでないで
ほかの本もよみなさいってことだ。

588考える名無しさん:2011/06/19(日) 03:16:30.68 0
>どうせ自己言及文のパラドクスだけがパラドクスだと 思い込んでいたんだろうけど
そういう勝手な決めつけはイクナイ。下品でゲソ。
589考える名無しさん:2011/06/19(日) 03:28:42.38 0
>>587
>混乱するかどうかは、議論の仕方によるでしょ?
>あほなの?

590考える名無しさん:2011/06/19(日) 03:31:58.89 0
>>589
>587って「自己言及文のパラドクス」だね〜
591考える名無しさん:2011/06/19(日) 04:14:36.87 0
>>554
『西田幾多郎』をどう読んだか知らないが永井は「無主体」じゃないぞ。
西田を「場所の哲学」と定義した上で永井自身の哲学と一致する部分があると見てる。
592考える名無しさん:2011/06/19(日) 04:51:09.64 0
>>534-535
こいつは信者かアンチかわからないけど、
様相論理とモデル理論どころか、デカルト、カントの自我論さえわかってないな。
永井スレってこんな変なやつが多いww

593考える名無しさん:2011/06/19(日) 11:18:07.52 0
>様相論理とモデル理論どころか、デカルト、カントの自我論えわかってないな。

批判じみたレスするならその根拠を提示しなよ。
ほら、勇気を出して。
ちゃんと聞いてあげるから。
594考える名無しさん:2011/06/19(日) 13:02:19.74 0
>批判じみたレスするならその根拠を提示しなよ。
>ほら、勇気を出して。
>ちゃんと聞いてあげるから。

>永井スレってこんな変なやつが多いww

595考える名無しさん:2011/06/19(日) 14:27:31.41 0
>>593

>>534
>「まちがいなく存在するはずのこの私に、この証明は到達しえている
>だろうか。最後に「ゆえに、存在する」とされたその私は、現に存在
>するこの私だろうか?」

たぶんこいつはデカルトもカントも永井の本さえ読んだことの無い、
単なるスレ荒らし。

596考える名無しさん:2011/06/19(日) 15:04:10.52 0
永井の本よんだことさえないならなんでその箇所を引用できんの?
アホの言うことはホント理解に苦しむよ。
597考える名無しさん:2011/06/19(日) 15:37:33.86 0
>>572
>そして永井の〈私〉は「魂」の概念と同じじゃない?

永井の<私>と「魂」の概念がどう違うかは、
永井の「魂に対する態度」収録の<私>の同一性と「私」の同一性
で、スウィンバーンの「霊魂説」を批判する形で明白に述べられています。
まずその該当論文を読みなさい。そしてそのうえで、どこが理解できなかった
のか、具体的に文章を引用しながら質問しなさい。

ものごころついた時から永井の本を擦り切れるまでよみつづけ、
全文章を電子データ化し、キーワードで検索すれば、瞬時に該当箇所の
文章が提示される完全永井システムを構築したこの私とどこまで
やりあえるのかためしてみたらいいじゃない。
598考える名無しさん:2011/06/19(日) 15:43:18.74 0
誰だチミハ
599考える名無しさん:2011/06/19(日) 15:59:10.22 0
"霊魂の想定は、後者の最も素朴なバージョンであると言える。
思索の緊張がとぎれたとき、それはひとが向かいがちな安易な想定の
一つである。<私>の発見者デカルト自身がその先鞭をつけた。(略)
このような観点から見るならば、カントもフッサールも、撤退形態に
おけるデカルトの伝統を引き継ぐ、その一亜種にすぎない”『<私>の同値性と
「私」の同一性』

さあ、かかってきなさい。
永井の本をきっかけに、ウィトゲンシュタイン、ラッセル、クワイン
デイヴィッドソンと芋づる式に哲学書を読みふけり、そのかたわら、
3日おきに10キロ鉄アレイで筋トレをかかさない、このわたしに
いどんできなさい。
600考える名無しさん:2011/06/19(日) 16:15:47.74 0
ばかだチミは
601考える名無しさん:2011/06/19(日) 16:51:45.18 O
>>596
「永井の本さえ読んだことがないなら」引用できるわけないだろw

日本語の勉強しろ鹿馬w
602考える名無しさん:2011/06/19(日) 17:04:47.58 O
>>597
なぜ「魂」という言葉が出てきたか文脈を読め。
誰も霊魂なんて言ってないぞ。

上の方で超越論的自我とかドイツ観念論の魂と同じとか書かれてるだろ。
永井の本ばかり読んでないで哲学の入門書ぐらい読め。

これだから永井信者はw
603考える名無しさん:2011/06/19(日) 18:09:16.33 0
>なぜ「魂」という言葉が出てきたか文脈を読め。


わたしがわたしなのはなぜか?の回答として魂がでてきたんでしょう?
ちゃんと文脈を読んでいます。
つべこべいわずにさっさと該当論文を読みなさい。

>誰も霊魂なんて言ってないぞ。

霊魂と魂がおなじかどうかは文脈しだいです。
該当論文の「霊魂」がつかわれている文脈を読んでから
レスしなさい。

>上の方で超越論的自我とかドイツ観念論の魂と同じとか書かれてるだろ。
>永井の本ばかり読んでないで哲学の入門書ぐらい読め。

超越論的自我と<私>の違いなら、「私、今、そして神」で
カント原理とライプニッツ原理との対比の中で語られています。
その本もちゃんと読みなさい。

ごちゃごちゃいっていないでまず指摘した本を読んできなさい。
わたしに挑んくるには、あなたは準備不足です。
きちんと該当論文を読んで武装してきなさい。
それからわたしにかかってきなさい。

>永井の本ばかり読んでないで哲学の入門書ぐらい読め。

ものごころついたときから永井の本を擦り切れるまで読み、そこから
芋づるしきに哲学書をよみまくった私とどこまで勝負できるのか
ためしてみたらいいじゃない。
604考える名無しさん:2011/06/19(日) 18:24:16.20 0
”カントは、単一の非物質的主体が世界の中に存在する可能性を
否定した。それは、経験と世界の可能性の条件を超えているからだ。
だが、それは敵の真価を見誤った的はずれな批判なのだ。真の問題は、
統一的な客観的世界を成立させる可能性の条件を満たしているものの
うち、なぜかある一つが現実の私であることにある。そして、すべての
出発点であるともいえるそのことが、カント的条件からだけでは(略)
出てこないこと、それが問題だったのである。”『私、今そして神』

さあ、ちゃんと準備をととのえて、知識を蓄えて武装してから
かかってきなさい。
605考える名無しさん:2011/06/19(日) 18:40:46.09 0
なんだ自己言及君は恥ずかしくなって消えたのか
606 忍法帖【Lv=18,xxxPT】 :2011/06/19(日) 19:13:44.74 0
>>604
おお、適切な引用だ。
607考える名無しさん:2011/06/19(日) 19:16:43.54 O
今時「魂」と聞いて墓場に漂う火の玉みたいなのを連想するやつがいるとは驚きだ。
608考える名無しさん:2011/06/19(日) 19:25:12.95 O
マクダカートが累進構造使ったと言ってた人、
どこで使ってたか教えてよ。
入不二の本持ってるけどマクダカートは無限後退や
循環論法しか使ってないぞ。
609考える名無しさん:2011/06/19(日) 20:03:10.49 0
マクタガートの証明はそもそも証明の体をなしてないよ
610考える名無しさん:2011/06/19(日) 20:41:39.17 0
パラドックスは「正しくない」のではなく、
真偽が分からないゆえに「論理的に無意味」なんだが。
その区別がつかないレベルの奴が、
自分よりさらに無知な「信者」を想定して、
シャドウボクシングしてるのって滑稽だなw
611考える名無しさん:2011/06/19(日) 20:47:46.47 0
>>610
自己言及乙w
612考える名無しさん:2011/06/19(日) 21:00:38.26 0
>パラドックスは「正しくない」のではなく、
>真偽が分からないゆえに「論理的に無意味」なんだが。

はあ?なに「論理的に無意味」って?
ラッセルのパラドクスって論理的に無意味だったの?
そんなトンデモ説はじめてきいたよ。

すこしは論理学の勉強をしなさいよお〜
しなさいよお〜

613考える名無しさん:2011/06/19(日) 21:05:15.16 0
まずあれだね。
このスレッドに書き込むひとは、まず永井の主張が
自己言及のパラドクスであることをよくかみしめて、
そのことを十分なっとくしたうえで、いいたいことを
いえばいいんじゃないでしょうか。
基礎的教養がない人がおおすぎるね。
614考える名無しさん:2011/06/19(日) 21:32:02.53 0
<私>は自己言及とはまるで関係ない
615考える名無しさん:2011/06/19(日) 21:40:15.18 0
><私>は自己言及とはまるで関係ない

自分について語っていることがらだから
自己について言及しているという意味で
明白な自己言及です。
いいかげんに理解しなさい。
そしていつまでもアホな書き込みをするのはやめなさいよお〜
やめなさいよお〜
616考える名無しさん:2011/06/19(日) 21:48:56.92 0
つまんね。
617考える名無しさん:2011/06/19(日) 21:55:23.26 0
自己言及のパラドクスは「私」である必要がない
一般の発話者について成立するパラドクス

<私>は論理ではなく直観の不整合
自己言及のパラドクスとはぜんぜん関係ない
618考える名無しさん:2011/06/19(日) 22:11:26.48 0
>自己言及のパラドクスは「私」である必要がない
>一般の発話者について成立するパラドクス

意味不明なこというのもうやめなよ。
アホが無理してからんでこなくていいから。

><私>は論理ではなく直観の不整合
>自己言及のパラドクスとはぜんぜん関係ない

<私>が論理の不整合か、直観の不整合とかどうか関係ないから。
だいたい、<私>は直観の不整合って意味不明なんですけど。

永井の主張は、この私だけにあてはまるはずのことが、私一般
にあてはまってしまうという、パラドクシカルな主張を含意していて、
それを自己言及のパラドクスと呼んでいるってだけの話。
こんな単純な話さえ理解できないアホになにいっても無駄だね。
619考える名無しさん:2011/06/19(日) 22:18:38.59 0
<私>を自己言及のパラドクスとしてしか理解できない人は
恐らく重度のゲーム脳
自分をキャラクターとして神目線で見てる
「見る」事態の成立にまるでこだわりを持っていない

<私>が他者にもあてはまるのは、その話とは別だが
それが理解できなくても生活には困らないので気にすることはない
620考える名無しさん:2011/06/19(日) 22:20:51.31 0
621考える名無しさん:2011/06/19(日) 22:22:05.97 0
永井信者のみなさんは超越論的自我を全く理解してません。
哲学において『純粋理性批判』は基本中の基本だから読んでください。

とはいえ、知ったかぶりしか能の無い人物を私は軽蔑しますので、超越論的自我と永井の〈私〉の
類似性についてきちんと説明しておきます。

カントの「超越論的哲学」とは経験そのものでなく、経験を成り立たせている条件を考究したものです。
デカルトに対するヒュームの批判を受けて、カントは「『私は考える』という意識が全ての表象に
伴いうるのでなければならない」とし、諸処の表象を「自分のもの」として綜合する悟性の
アプリオリな能力を、人間の認識の最高原理として「統覚」と呼びました。
カントにおいては、人が認識する経験世界は統覚の働きによって創られた世界だといえます。
ドイツ観念論、といっても多数の論者がいますが、出発点はカントのその認識論であり、
そこから超越論的自我=魂を導き出します。この場合の魂の存在論的位置づけは、宗教的な魂の概念と違い
認識・経験の対象とならないものです。

これはウィトゲンシュタインの「主体」も同じです。「目が視野に属さないように、主体も世界に属さない」
という彼の「主体」の存在論的位置づけはカントと同じ、経験を成り立たせている条件なのです。
ウィトゲンシュタインの「主体」を引き継いだ永井の〈私〉が、リチャード・スウィンバーンのような
キリスト教的「魂」と異質なのは当然のことですが、しかし超越論的自我とウィトゲンシュタインの
「主体」とは同型ものです。
622考える名無しさん:2011/06/19(日) 22:24:05.85 0
><私>を自己言及のパラドクスとしてしか理解できない人は


君のそこでいっている”自己言及のパラドクス”って何?

623考える名無しさん:2011/06/19(日) 22:27:50.41 0
>>622
それを説明する義務は貴方にある

その「自己」とは何?
624考える名無しさん:2011/06/19(日) 22:30:32.81 0
>615の脳内では存在論的文脈が欠落してるからハズレ。
同じフレーズを繰り返すところからすると、鸚鵡レベルのアタマなのだろう。
625考える名無しさん:2011/06/19(日) 22:33:08.63 0

>カントの「超越論的哲学」とは経験そのものでなく、経験を成り立たせている条件を考究したものです。

そんなことは永井の本で解説されてますよ。

>これはウィトゲンシュタインの「主体」も同じです。「目が視野に属さないように、主体も世界に属さない」
>という彼の「主体」の存在論的位置づけはカントと同じ、経験を成り立たせている条件なのです。

そのウィトにあってカントにないものは、
その主体について、「だが、その私とは誰なんだ?くそ!うまく言えないが、
何かがあるんだ!私の個人的経験が存在し、それは最も重要な意味において
同胞をもたないということは、君も否定できまい。だが・・・」
というもどかしさなんだな。
だからちゃんと永井の本をよみなさいといっているんだな。
君のいっていることは全部永井が本の中でかいているんだな。

まずあせらず、ちゃんと論文をよんでからかかってきなさいってことなんだな。
626考える名無しさん:2011/06/19(日) 22:35:00.02 0
>>604
>なぜかある一つが現実の私であることにある。そして、すべての
>出発点であるともいえるそのことが、カント的条件からだけでは(略)
>出てこないこと、それが問題だったのである。

超越論的自我が相互排他的であることで既に存在論的に「唯一性」は決定してるのです。
その唯一性を超えた「現実の私」を想定することが擬似問題だという批判なのです。
擬似問題でないというなら、唯一性を超えた「現実の私」とはどういう意味であり、
唯一性だけでは不足である根拠を証明しなくてはなりません。

永井は『なぜ意識は実在しないのか』で、時間との類比で現実の「私」の問題性を主張してますが、
これは明らかな間違いです。
永井はこういいます。過去にも「現在」はあったが、本当の現在は今この時点の「現在」だけだと。
でも「過去」とは実在しない時点なのだから、他者の実在性が否定できない「私」の問題の類比とは
なりません。
627考える名無しさん:2011/06/19(日) 22:38:00.13 O
まあ、もう、「自己言及のパラドクス」という名前を勝手につけて、
それで何か生産的な議論が生み出せるというなら、勝手にしてもらえば
いいんですかねー?
本当に生産的な議論ができれば、まあそれはそれでいいわけですしねー
とても生み出せそうに思えませんけどねー
628考える名無しさん:2011/06/19(日) 22:39:25.21 0
>それを説明する義務は貴方にある

はあ?
おれの方の説明はなんどもなんどもしてます。
で、君はできないの?
自己言及のパラドクスの意味がわかってないで、どうして

> <私>を自己言及のパラドクスとしてしか理解できない人は
>恐らく重度のゲーム脳
>自分をキャラクターとして神目線で見てる
>「見る」事態の成立にまるでこだわりを持っていない

なんてことがいえるの?
大丈夫?
629考える名無しさん:2011/06/19(日) 22:45:39.21 0
>自分について語っていることがらだから自己について言及しているという意味で明白な自己言及です。

このスレのレベルを白日の下に晒す名レスだね
630考える名無しさん:2011/06/19(日) 22:47:29.44 0
>まあ、もう、「自己言及のパラドクス」という名前を勝手につけて、
>それで何か生産的な議論が生み出せるというなら、勝手にしてもらえば
>いいんですかねー?

自己言及じゃない!パラドクスじゃない!と散々ダダをこねて
完全論破されたとたん、その名称で生産的議論ができるのかって
論点変更ですか?
生産的議論ができるか否かが論点じゃないのだから、そんな
ことをいいだしても意味がないの。
631考える名無しさん:2011/06/19(日) 22:47:54.04 0
>>625
>そんなことは永井の本で解説されてますよ。

永井の本を通してしかカントを理解理解してないから、カントの超越論的自我を理解してないんです。
永井の独在性はカント、ドイツ観念論の超越論的自我(魂)を前提に立てられたようなものです。

「魂」の概念と同じではないという君の主張は間違っていたと認めるんですか?

もし超越論的自我と〈私〉の存在論的位置づけが異なるように捉えるなら、それは信者の妄信にすぎません。

632考える名無しさん:2011/06/19(日) 22:50:29.24 O
>>626
> 永井はこういいます。過去にも「現在」はあったが、本当の現在は今この時点の「現在」だけだと。
> でも「過去」とは実在しない時点なのだから、他者の実在性が否定できない「私」の問題の類比とは
> なりません。

過去は実在せず他者は実在する、と断言するわけですかー。
それはちょっと面白い発想ですねー。
633考える名無しさん:2011/06/19(日) 22:51:47.50 0
>>631
×永井の本を通してしかカントを理解理解してないから、カントの超越論的自我を理解してないんです。
○永井の本を通してしかカントを理解してないから、カントの超越論的自我を理解してないんです。
634考える名無しさん:2011/06/19(日) 22:53:55.68 0
>>632
何で信者さんはそんなに読解力が無いの?

>他者の実在性が否定できない「私」の問題

これをどう読んだら「他者は実在する」と断言してるように見えるのか教えて欲しい
635考える名無しさん:2011/06/19(日) 22:58:49.98 0
>超越論的自我が相互排他的であることで既に存在論的に「唯一性」は決定してるのです。
>その唯一性を超えた「現実の私」を想定することが擬似問題だという批判なのです。

超越論的自我=「魂」と、その唯一性を超えた「現実の私」=<私>
ということで、「魂」と<私>の違いがわかってるじゃないですか。

その<私>が擬似問題かどうかという点が、<私>問題の
本質的論点の一つ(永井はむしろ、<私>が語れるかどうかの
問題が本質的論点であると考えているようであるが)であると私も思っていますよ。
636考える名無しさん:2011/06/19(日) 23:03:25.39 0
>「魂」の概念と同じではないという君の主張は間違っていたと認めるんですか?

君は、<私>が「魂」と同じだと主張しているわけ?
その一方で、<私>は擬似問題であると主張しているの?
ということは、「魂」=超越論的自我も擬似問題=幻想
ということが君の結論なの?
637考える名無しさん:2011/06/19(日) 23:11:31.50 0
>超越論的自我が相互排他的であることで既に存在論的に「唯一性」は決定してるのです。

その存在論的唯一性は、いうならば、
自己意識X1=私1
自己意識X2=私2
私1は、私1であって、(唯一性)、私2ではありえない
という意味でしかない。
そこで担保された唯一性からは、そのなかにこの私がいることを
説明しない。
説明しようとすれば、数ある自己意識Xnの一つが、たまたまこの
私だったといった表現をつかうほかないでしょう。
そこでつかわれる「この私」こそが「唯一性」を超えた「現実の私」
ということです。
638考える名無しさん:2011/06/19(日) 23:21:16.12 0
>>635
それは存在論的な違いでなく、意味論的な違いですね。

>>636
魂の「唯一性」を超えた現実性とか本物性の問題提起が擬似問題

639考える名無しさん:2011/06/19(日) 23:43:34.24 0
>>637
なんかループしてる。


555 名前:考える名無しさん 投稿日:2011/06/19(日) 00:46:27.53 0
『〈子ども〉のための哲学』p49より永井の「問題意識」を引用

ぼくの問題はそうではなかった。
ぼくの問題はたとえばA、B、C、D、四人の子供がいるとき、ぼくがBであって、
AやCやDではないことにあった。
640考える名無しさん:2011/06/19(日) 23:48:03.15 0
「「過去」とは実在しない時点」と断言している人は今しか実在しないと信じている人?
時間軸上に、過去や未来も今と同じように実在する、という考えはどうして駄目なんだろ?
まぁどうでもいいけど。
641考える名無しさん:2011/06/19(日) 23:56:36.06 O
>>639
この表現って、どうなのかねえ?
普通の(?)独我論とか自我とかとの違いを分かりやすく説明しようという趣旨で、
このような表現をしたのではないかと思われるけど、しかし、「A、B、C、D」
などと言い出したら、最初から誰にでも共通の架空の話をしてしまっているように
見えなくもないと思われる。
永井は今でもこのような表現を積極的に使おうとするだろうか?
642考える名無しさん:2011/06/20(月) 00:15:46.25 0
そもそも、誰にでも共通の「現実の私」があってはなぜ駄目なんだろうという疑問もある。
あなたの「私」は私には言語の性質上理解できない・・・それだけじゃなぜ駄目なのかという疑問。
643考える名無しさん:2011/06/20(月) 00:24:32.00 0
>>639について回答するなら(ループっぽいが)
「ぼくがBである」ということの意味が即ち「AやCやDではないこと」という意味なんだから、
それを現実性というなら唯一性と同じ意味だわな。
644考える名無しさん:2011/06/20(月) 00:24:53.65 0
だから「私」でも<私>でも<<私>>でもいいけどさ
その記号表現によって複数個の個体を指示させている時点でもう独在論の外部にいることにいいかげんに気づきなさいと。
645考える名無しさん:2011/06/20(月) 00:29:21.20 0
いや、永井は<私>という記号でも本当は指示出来ていないって言ってるっしょ。
もし他人が理解したとしたら、それは別の意味として理解してしまってるよって。
そしてなぜ「他人が理解出来ない」ということが理解できるのかという話に続くw。
646考える名無しさん:2011/06/20(月) 00:41:41.35 0
>>644
信者は「発生論の誤謬」で検索しろ

複数個の個体の指示によって、誰にでも共通の「現実の私」があることを示唆してはなぜ駄目なのかという
永井哲学の核心部分が問われてる。
647考える名無しさん:2011/06/20(月) 00:53:31.18 O
>>645
だから別の意味で理解してしまってる、でもいいんだよ。
その別の意味で理解する者がなぜ複数あっては駄目なのかという問いに答えてないでしょ。
唯一性イコール現実性でなぜ駄目なのかという核心部分。

「語りえない」ですかw
648考える名無しさん:2011/06/20(月) 05:04:05.16 0
>>644を信者のコメと読み取る読解力ってどうやったら身に着けられるの?
649考える名無しさん:2011/06/20(月) 16:10:24.27 0
そんなことよりさ、
マクタガートが累進構造使ってたと言ってたやつは逃げたの?

マクタガートが言ってるのはA系列の時間もB系列の時間も
証明しようとすれば循環論法や無限後退に陥るから、時間は実在しない
ということなんだけど。
650考える名無しさん:2011/06/20(月) 18:42:17.94 O
なんだ、その話は結局違うんですかね。
マクタガートは翻訳もなかった(と思う)ので、素人では確かめることもできず
何とも言えないところですが…
651考える名無しさん:2011/06/20(月) 18:55:12.53 0
>>621

これは全然わかってないみたいね
「主体」との近似性と言ったってせいぜい「私」が主体と言えなくもない程度の話
永井の言う<私>とは、もうかけ離れてしまっていて、わざわざ類似性を見出すこと自体意味が無い
『「私」と<私>って漢字が似てるねぇ・・・』 位の意味でしか無い 全くの別もの

なんども繰り返されてる話だけど<私>を主体と捉えるのは根本的な間違い
何も分かっていない証拠
逆に言えば、ココがわかれば永井の話は何も難しくないアタリマエのことでしかない
652考える名無しさん:2011/06/20(月) 19:25:32.60 0
http://www.geocities.jp/dhdjr455/shinokyoufu/mixi.txt

コレを読んで理解してから永井を云々しようよね
このスレの7割は永井とは全く関係ない話ばかり
653考える名無しさん:2011/06/20(月) 19:49:06.55 0
子どものころの独我論を引きずって生きている哲学者もどき
654考える名無しさん:2011/06/20(月) 20:21:13.77 0
>>653
はい ダウト

永井が言ってるのは独在論であって 独我論とは全くの別物
そんな事も分からないでこのスレ着たの?
一知半解のニワカちゃん

よーくお勉強し直してからおいでなさい
655考える名無しさん:2011/06/20(月) 20:28:18.17 0
「独在論」とか永井語を編み出すことで独自の哲学をしたつもりになっている低能ということだな
656考える名無しさん:2011/06/20(月) 20:32:22.15 0
>>655
既存の哲学では「問題」にすらなっていなかった
しかたないから、自分で組み上げていったんだよ

どこかの本に答えがきっとあると信じてるニワカちゃん乙
657考える名無しさん:2011/06/20(月) 20:33:29.66 O
>>652
ざっと読んだが2箇所ほどクソワロタ

しかし永井は真面目に答えてますなあ
658考える名無しさん:2011/06/20(月) 20:38:44.76 0
人類史の中で自分が初めて哲学の問題を発見したと考えているキチガイということだな

でも、そういうのって実は哲学じゃないんだよねw
659考える名無しさん:2011/06/20(月) 20:54:10.99 0

天上天下唯我独尊
660考える名無しさん:2011/06/20(月) 21:11:55.16 0
>>658

そもそも哲学がなんだかまるでわかってないニワカチャン乙
661考える名無しさん:2011/06/20(月) 21:18:35.14 0
永井語の「哲学」を理解しようともしたいとも思わんけどなあ。

そもそも、自分が初めて問題化したと考えたものを、なぜ哲学の問題だと思ったのだろう?
それは哲学っぽい問題にすぎないんじゃないかと思わなかったのか?
662考える名無しさん:2011/06/20(月) 21:33:28.72 0
>永井が言ってるのはで独在論あって 独我論とは全くの別物
>そんな事も分からないでこのスレ着たの?
>一知半解のニワカちゃん

>よーくお勉強し直してからおいでなさい

なにいってんの?
独在論は独我論の一種です。
そんなこともわからないでよくこのスレに書き込めますね。
呆れてしまいました。


663考える名無しさん:2011/06/20(月) 22:18:44.88 0
>>638
>それは存在論的な違いでなく、意味論的な違いですね。

”超越論的自我が相互排他的であることで” 決定されている ”存在論的に
「唯一性」” を 超えて想定されたのが「現実の私」なのだから、
その「現実の私」が、超越論的自我と存在論的位相を異にするは明白でしょう?
そういった「現実の私」=<私>が存在するかどうかともかく、
相互排他的であることによって担保される存在論的唯一性を超えて想定された水準のものが
存在論的に同じあって、意味論的に違うだけだというのは意味がわかりません。

君が本来言うべきことは、<私>と「魂」が同じであるということではなく、
永井的独我論の問題に、「魂」=相互排他性によってもたらされる「唯一性」
をこえた「唯一性」=<私>を想定する必要はない。それが必要だと考える
のは錯覚であるということでしょう。

664考える名無しさん:2011/06/20(月) 22:26:55.70 0
>>651
小学生ですか?

>>621を100回読め。
>カントの「超越論的哲学」とは経験そのものでなく、経験を成り立たせている条件を考究したものです。

これを読んで「主体」との近似性なんていってるやつは哲学の入門書さえ読んだことの無い証拠w
レベルが低すぎて付き合えないww


665考える名無しさん:2011/06/20(月) 22:35:41.76 0
>>663
全然明白じゃありません。

「唯一の私」は他者との相互排他性によって既に存在論的に規定されています。

その「唯一の私」に加えて、例えばそれは、「現実の私」であり、かつ「スーパーな私」であり、かつ「ミラクルな私」である・・・
などと言ったところで恣意的な「意味」を付け加えているに過ぎないということです。
666考える名無しさん:2011/06/20(月) 22:40:37.26 0
>>643
>「ぼくがBである」ということの意味が即ち「AやCやDではないこと」という意味なんだから、
>それを現実性というなら唯一性と同じ意味だわな。

そうではないでしょう。
相互排他性が担保する唯一性(その意味での唯一性を排他的唯一性と便宜的に
呼びます)はその例でいえば、
A=BでもCでもDでもない誰か
B=AでもCでもDでもない誰か 
C=AでもBでもDでもない誰か 
D=AでもBでもCでもない誰か 
という水準の唯一性までです。
このとき、Bからみれば、Bが私であって、AやCやDでないのは当然
です(それが相互排他性によって担保された唯一性なのだから)
しかし、排他的唯一性がもたらす唯一性からは、私の存在は導けません。
そこにもうひとつ排他的唯一的自己(E)をあらたにくわえても事態は
次のようになるだけです。
A=BでもCでもDでもない誰か
B=AでもCでもDでもない誰か 
C=AでもBでもDでもない誰か 
D=AでもBでもCでもない誰か
E=AでもBでもCでもDでもない誰か
そのような誰かをいくつ生じさせても、私の存在は導けません。
私がそんざするためには、そのような排他的唯一的”誰か”の
内の一人が、私として存在しているときに限るのであって、
その水準の私は、相互排他性が確保する唯一性からは担保されるもの
ではないでしょう。
667考える名無しさん:2011/06/20(月) 22:40:55.31 0
>>665に補足すれば、
存在論的に位置づけが規定されたその「唯一の私」には、
現実性や、(例えば)スーパー性やミラクル性など、全ての属性が含まれているということ。
668考える名無しさん:2011/06/20(月) 22:45:04.83 0
>「唯一の私」は他者との相互排他性によって既に存在論的に規定されていま

だから、その”存在論的に規定さえれた”「唯一性」をこえた水準を
想定したのだから、その想定が、相互排他性の唯一性を超えているのは
自明だといっているのです。

669考える名無しさん:2011/06/20(月) 22:51:51.86 0
>存在論的に位置づけが規定されたその「唯一の私」には、
>現実性や、(例えば)スーパー性やミラクル性など、全ての属性が含まれているということ。

まったく意味をなしませんよ。それでは、あらゆる属性をあらかじめ含んだ
概念Xを持ち出して、Xが概念Aとどう違うのだと質問しているような
ものです。
それにそれらの属性が含まれているのなら、意味論的に異なるはずも
ないのではないでsひょうか?
670考える名無しさん:2011/06/20(月) 22:56:42.56 0
>>666
「ぼくがBである」ということは、

私 = B

なんだから、
「私として存在している」ということが即ち = 「Bの在り方」であり、
相互排他性が確保する唯一性と永井のいう独在性は等価になります。


671考える名無しさん:2011/06/20(月) 23:05:57.47 0
>「ぼくがBである」ということは、

>私 = B

それは、単に相互的排他的唯一性を超えた「唯一性」密輸入している
だけです。
なんどもいいますけど、相互的排他的唯一性Xn
で担保されるのは、
”X1〜X(n-1)ではない誰か”という唯一性の水準までです。

わかりやすくいえば、相互的排他性からは、
BにとってBは僕だとはいえても、
僕がBであるという端的な事実は、出てこないのです。
排他的唯一的自己Xn
X1=X2,X3ではない誰か
X2 =X1,X3ではない誰か
X3=X1,X2ではない誰か
このようなXnをいくつつくっても、その”誰か”のうちどれが
私なのか、そもそもそこに私が存在するのかを引き出すことは
できません。
できると考えるのは、すでに相互排他的唯一性をこえたなにかを
こっそり導入しているからにすぎません。
672考える名無しさん:2011/06/20(月) 23:18:00.11 0
>>651
永井の存在論的な問題意識と認識論的な問題意識を混同した幼稚な突っ込み。

永井の独在論は存在論的観点からは明らかに「主体」についての問いであり、
そのへんは『西田幾多郎』あたりを読めばよくわかる。
673考える名無しさん:2011/06/20(月) 23:20:17.89 0
排他的唯一的自己とは、”他ではない誰か”であって、
その”他ではない誰か”が、たまたま私であった場合、私が存在するのであって、
”他ではない誰か”をいくつつくっても、それだけでは私をつくりだす
ことはできません。

674考える名無しさん:2011/06/20(月) 23:23:35.12 0
>>673
死ぬまで童貞乙。w
675考える名無しさん:2011/06/20(月) 23:26:47.88 0
「唯一性」についてきちんと定義すればわかるはずです。

「他者と違ったあり方」や私の感覚は決して伝わらないという「私秘性」、その他さまざまな私の性質が
私を他者と区別するのです。
そこから私の「唯一性」が導かれます。

その唯一性の上に「私には他者を超えた何かがある」と考えるのは、
実は「私」という言葉の同語反復に過ぎないのです。
676考える名無しさん:2011/06/20(月) 23:36:59.84 0
>「他者と違ったあり方」や私の感覚は決して伝わらないという「私秘性」、その他さまざまな私の性質が
>私を他者と区別するのです。
>そこから私の「唯一性」が導かれます。

だから、そこで確保される「唯一性」は”他ではない誰か”という
唯一性に限定されるといっているのです。l
X1=X2、X3ではない誰か
X2=X1,X3ではない誰か
X3=X1,X2ではない誰か
という唯一性の水準の話です;。
X1であるところの”X2、X3ではない誰か”は、他のX2,X3という「他者」
と区別されています。当然の話です。

しかし、この相互排他的自己Xnをいくつくわえて、事態を更新しても
X1=X2,X3、X4ではない誰か
X2=X1,X3,X4ではない誰か
X3=X1,X2,X4ではない誰か
X4=X1、X2,X3ではない誰か
という”他ではない誰か”という他者と区別された唯一性が確保
されるだけで、私の存在は確保されません。
私の存在を確保するためには、そのような”他ではない誰か”の
うちのどれかが、「現に私」であるという「現実の私」を導入
するしかありません。そして、その「現実の私」は
”「他者と違ったあり方」や私の感覚は決して伝わらないという
「私秘性」、その他さまざまな私の性質”から導かれるものでは
ありません。
677考える名無しさん:2011/06/21(火) 00:01:58.67 0
>X4=X1、X2,X3ではない誰か
>という”他ではない誰か”という他者と区別された唯一性が確保
>されるだけで、私の存在は確保されません。

>>675に追加すれば、
「私には他者を超えた何かがあり、私だけが現実の私だ」ということが = 「私」なんです。
その「私」を仮にBとしているんだから、
「Bには他者を超えた何かがあり、そのBこそが現実の私だ」というのは同語反復です。

678考える名無しさん:2011/06/21(火) 00:10:31.73 0
逆に考えれば、他者にないものを有しておらず、全てが他者と同じならば「私」はありません。
679考える名無しさん:2011/06/21(火) 00:14:56.05 0
>>677
同語反復が一概にダメということじゃないよ。
ウィトゲンシュタイン等は、言語表現の限界は、同語(同義)反復という表現となる。と言ってるらしいし。
そこで、同語反復的、言語表現を避けたり超えたり、解決したりして、どうにか主語述語の同語性を
排除しようとする試みがなされる。そうした試行者の熱意は尊いが、概して成功していないのが思想史
の示すところだろうね。
680考える名無しさん:2011/06/21(火) 00:19:24.31 0
人物X1=相互排他的唯一的自己意識x1=”他でもない誰か”が工場で作られるとして
(ありそうにないけど)、つくった工場作業員からしてみれば、単に
人物X1をつくっただけ。
しかしつくられたX1=相互排他的自己意識x1=”他でもない誰か”
のその”誰か”を内側から経験している当人(単独性の私)にしてみると、
なぜ自分がX1なのか?なぜ作られた人物X1が自分だったのか?なぜ自分は存在しているのかが謎と感じられる
だろう。しかしここには謎などないといえるきもする。
ここに謎がない。不思議だと感じるのは自己意識のもつ
本質的性質の無理解からくる錯覚なのかもしれない。
すると、この単独性の私(”他でもない誰か”を内側から体験している当人)が、
たまたまこの私であったときが独在性の私のお話になるのだが
この、独在性の水準が、実は単独性の水準から導きだせる(つまり
独在性は錯覚である)かもしれないきもする。
すると、独在性は錯覚であり、単独性に謎はなく、不思議なのは
意識が存在するということだけという話になる。
まあ、そういう感じもわからないではないのだけど、
相互的排他性が唯一性を決定し、私の唯一性はそれで確保される
の一点張りではあまりにも芸がなさすぎるよ。


681考える名無しさん:2011/06/21(火) 00:25:13.87 0
>>680
○○性という語の使いすぎで意味不明。
682考える名無しさん:2011/06/21(火) 00:37:02.01 O
横からだけど、ひっどいですな〜
>>671の説明でもう十分ではないかと思われるけど(さらにどこが疑問なのか
ちゃんと示されれば別論かもしれないけど)。
わざと分からないふりをしてるのではないかとすら思える。
683考える名無しさん:2011/06/21(火) 00:53:10.79 0
>>671
うめよふやせよ地に満ちよとおっしゃる誰かさんにとっては
人間の個体数nだけが問題で、「相互的排他的唯一性」など
どーでもいいことでしょ。「相互的排他的唯一性」が重要なのX1固有の観点。

企業経営者も同様。社員なぞはそもそもリプレーサブルだから、
個体の機能性の高低は生産性に直結するから重視するけど、
唯一的存在なる性質などはどーでもいいこと。

もちろん、これはハズシているだろうが、ハズした見方はたくさんあるのよw
684考える名無しさん:2011/06/21(火) 01:01:37.06 0
○○性という性質をことさら強調する議論は
目的論的で、主義主張が誘導的で面白くない。

経済的実学的なら、金銭利益直結で○○性な
性質理解は有益である場合もあるけどね。
哲学的な議論では、むしろドグマの温床。

だから、注意して用いなさい。というお話。
685考える名無しさん:2011/06/21(火) 02:28:26.44 0
永井の独在論を独我論の一種として認識してる奴が多いことに驚き

同種の誤解に基づいてるから、言ってる内容も同じになるんだな
まぁ、同じ奴の自演かもしらんけど

永井の「西田幾多郎」を根拠にそう結論付ける脳天気さにも驚愕する
西田幾多郎の哲学を使って永井の独在論を独我論の系譜に整理することと
永井が西田哲学を使って独立に哲学する事は全然違うと言う事に気づきもしない
そういう根本的な誤読には、ちょっと哀れみすら感じる
おそらく、こいつは永井の本を読んでも何が書いてあるか全く理解できていないのだ
独我論に引きつけて読まないと全く理解不能なのだろう
それは永井が繰り返し言及してる事だけど、彼らは必ずスルーするのだな。。。
686考える名無しさん:2011/06/21(火) 03:13:57.23 0
昔の永井・大庭論争を見てるようだなぁ〜 笑
独我論と独在論で争ってる奴は二人のマヌーヴァ読み返してみるといいよ〜
まぁ、その後大庭はガン無視してイチャモンつけてるけどね

独我論の専門家に永井の独在論を聞かせても
そんなの独我論じゃない!って言うに決まってると思うが 笑
永井の論を独我論に位置付ける事さえ拒否すると思うんだがね
687考える名無しさん:2011/06/21(火) 05:21:42.01 0
>>685

『<私>の存在の比類なさ P68. 独在性と他者』 1993

… 人間に意識や自己意識という現象が起こるが、それらはすべて
脳および神経系という物理的対象の機能である。今、問題はこのような
見地が起こるが哲学的に承認できるか否かにあるのではない。
それが−独我論的気分とは矛盾するとしても− 【独我論の本質である独在性】の見地
とは矛盾しないという点が重要なのだ。

>独我論の専門家
って、日本では永井が最右翼じゃないの?w
688考える名無しさん:2011/06/21(火) 05:23:11.87 0
見地が起こるが→見地が
689考える名無しさん:2011/06/21(火) 06:52:26.64 0
独我論を問題にしたい人が真に問題にすべきなのは独在論だ
ってのが永井のお決まりの論理展開じゃないの?
永井って、端的ではない私(他者)が存在することは無根拠に前提してしまってるから
独我論の専門家だったら怒り狂うだろうw。
690考える名無しさん:2011/06/21(火) 07:47:21.26 0
もう、永井の独在論を、従来の哲学史に位置付けるような愚は辞めたほうがいいよ
端的に無意味
永井は別に独我論の厳密な議論をしてるんじゃないし
永井均の中の人wである<私>が納得出来るような永井オリジナルの体系を作ってるだけだもの
それを、なんだか知らないけど従来の哲学に無理矢理回収しようと四苦八苦してるようにしか見えないね

上の方で永井独在論が主体性云々とか言ってるけど、「主体性」なんて拡張されすぎた概念で語り直すのって
さあに誤解をまねくような愚かしい議論にしか思えない

郵便送るのに「住所どこ?」って聞かれて「地球」ですってこたえてるようなもんだけどな
間違ってはいないけど、お話にならないザルなレベルで語ってる
送り主はイライラしながら「もっと詳細に言えよ」って怒ってるんだけど
聞かれた方も依怙地になって「俺は地球に住んでんだから絶対間違っていない!」って言い張ってる感じ
永遠に平行線

気づいてないのかもしれないけど永井は勝手に<哲学>してるだけなんだよ
永井は心の底では哲学の歴史とかどうでもいいと思ってる
691考える名無しさん:2011/06/21(火) 08:31:06.75 0
>>690
「主体」とか「主体性」という話題は、今的には古くさい死語みたいなもんだが、
60年代から70年代はじめの全共闘学生運動が盛んな時代、つまり、永井が
受験生・大学生の頃ならメインテーマ。サルトルとかね。ただし、本人は全共闘的
問題への投機は毛嫌いしているみたいだけど。

>>689
「心の哲学」のサール曰く、西洋哲学史には「独我論」は稀で、独我論を展開
する無名・高名・な哲学者(もちろんウィトゲンシュタイン)も居るにはいたが、
サールが知る限りにおいて、独我論者は居ない。ということだから、怒り狂うだろう人はいないの。
692考える名無しさん:2011/06/21(火) 08:57:35.82 O
まあ>>652を誰がどんな動機で貼ったのか、貼った人と最近のレスの人が同一人物なのか、
などは詮索しても意味ないと思うけど、もし最近のレスの人が>>652の質問者と
同様の考え方をしているのだとすれば、ある意味分かりやすいような。
要は、質問者が自分独自の「魂の存続」とか「輪廻転生」とか「死の恐怖の克服」とかに
こだわって、永井がいくら「ライプニッツ原理がむき出しで働いて裸の〈私〉が存続すると
考えることはできない。カント原理に必ず注意しなければならない。」という趣旨のことを
繰り返して説明しても、ちっとも聞く耳を持っちゃいなくて、何か魂みたいなものが
存続しうることを勝手に前提にしてしまっている、というふうにしか個人的には思えない。
(その割に永井がずいぶん丁寧に説明してるなあ、とは思うけど)
最近のレスの人も、同様に、何か魂みたいなものをまず勝手に想定して、それに永井の本を
強引に当てはめようとしてるだけなんじゃないかねえ?
(「勝手」というのは、その人が独自にそう考えるのはもちろん別に自由だけど、
永井の議論に即したものにしようとする気がないんじゃないか、という意味ね。念のため)
693考える名無しさん:2011/06/21(火) 14:47:53.27 0
独我論、独在論は青春の熱病みたいなもん
694考える名無しさん:2011/06/21(火) 16:41:38.11 0
>>676
>>680
結局、あなたが言ってるのは私には唯一性を超えた現実性が在るんだの一点張りでしょ。
その根拠を示せていない。

では逆に聞きましょう。

唯一性だけで現実性の無い私なんてありうるんですか?

そんなものが想定できるなら現実性のある私も確かに想定できるでしょう。
695考える名無しさん:2011/06/21(火) 16:50:03.68 0
>>685
永井の存在論的問題意識と認識論的問題意識を混同してた人ですね。
子どものための哲学P48ぐらいから読み返してみなさい。
あなたみたいな初心者にもわかるよう書いてある。
696考える名無しさん:2011/06/21(火) 16:58:16.78 0
>>682
自演なのかもしれないけど、>>671のどこが批判されるかわからない
あんたの理解力もひどいですなーw
もし理解してるっていうなら>>694の問いに答えてみれば?
697考える名無しさん:2011/06/21(火) 17:12:02.40 0
>>696
自身の論点問われて答えもせず、逆に問い返して質問者に回答開示を求める。
このスレではよくみかけるやりとりですなあ。w
698考える名無しさん:2011/06/21(火) 18:03:29.66 0
ディベートのテクニックにおいて〈私〉は「悪魔」みたいなもの。

悪魔が絶対に存在しないことを証明しろと言われてもそれは無理。

いくら悪魔の概念なしでも全て説明できるんだと論証しても、
いいや悪魔はいるんだと言い張るんならどうしようもない。
それは宗教に近い信念だから。

だから(サールの見解として)近代の哲学者の大半は>>379に書かれてるように
精神現象や肉体を超えた「何か」は想定してないんでしょう。

テレビ出演や新聞の連載、多数の著書で知名度を上げた永井だが、
日大止まりなのが哲学の世界おける永井に対する評価を表している。
699考える名無しさん:2011/06/21(火) 18:08:53.49 0

>>671のような説明で「唯一性」を超えた「何か」が現にあることを論証したことが本当なら、

哲 学 史 上 に 残 る 世 紀 の 大 発 見 で す よ w

700考える名無しさん:2011/06/21(火) 18:17:24.92 0
>>697
>>671以降のレスを読めないんですかw
既に回答されてるでしょ。
701考える名無しさん:2011/06/21(火) 18:27:33.34 0

コレが永井神学ってやつかw
702考える名無しさん:2011/06/21(火) 18:34:55.19 0
>>695

横レスだが子どものための哲学が初心者向けだという言には賛同しかねる
永井均の哲学については魂に対する態度の方がよほど初心者向けだし

哲学の初心者については、そもそも永井の本を勧めるべきではない
703考える名無しさん:2011/06/21(火) 18:35:48.92 0
〈私〉は発見するものではない。信じるものです。
信じるものは救われる。
それが永井真教の真髄です。
704考える名無しさん:2011/06/21(火) 18:38:14.03 0
>>702
>哲学の初心者については、そもそも永井の本を勧めるべきではない

これは賛同する。
でも永井は有名人だから本を読んでよくわからないまま信者になってしまうケースが多い。
705考える名無しさん:2011/06/21(火) 18:38:33.43 0
>>692

自己言及乙
706考える名無しさん:2011/06/21(火) 18:40:34.28 0
同意同意。事実、子供本を読んで殺人者になった金川の例もあるしな。
R20指定にしろよ >>筑摩
707「死ぬつもりならなにしても」:2011/06/21(火) 18:46:19.49 0
 ぼく:死ねばすべてが終わるのか…。
 猫:死刑以上の重罰はないだろ?つまり、世の中は死ぬつもりなら、なにをしてもいいって、暗に認めているってことなんだよ。認めざるをえないのさ。
 哲学者の永井均・日大教授が中高生向けに哲学をやさしく解説した「子どものための哲学対話」(講談社刊)の「死について」の一節だ。
金川真大被告(25)は「この本を読んでより運命を深く考えるようになった」と打ち明けた。

 1997年に発刊された哲学対話は「生徒の教育にふさわしい」と全国学校図書館協議会の選定図書にも選ばれている。
「善と悪を決めるもの」など「ぼく」が発する40の根本的な問いに、猫の「ぺネトレ」が新たな視点を示しながら対話形式で進む。
冒頭の一節に共感を覚えたという金川被告。被告を知る関係者は「(殺人を正当化する)彼の理屈そのもの」と驚く。

 哲学の分野から「殺人は悪か」などを考える永井教授は「哲学はいったんスイッチを切って世の中の仕組みを考え直そうとするもので、毒にも薬にも作用する。
金川被告は問題意識が途中で止まってしまい、毒の方向に作用したのだろう」としたうえで、「根本から哲学的に考え直すことは、昔からそうした危険性と隣り合わせだった」とみる。
「つまらない」と繰り返し、自分の「真実」を曲げない金川被告については「人は普通生きていたい、できれば楽しく生きたいと願っているので、
それを実現するためにいろいろな『生き方』を説得できるが、この根本前提がない金川被告に対しては、『生き方』の説得に効力がない」と矯正の難しさを指摘した。
708考える名無しさん:2011/06/21(火) 18:46:54.86 0

 「別に」「それはそちらの常識でしょう」。12回の接見を重ねてきた金川被告からよく口をついて出る言葉だ。興味の薄いことには、けだるそうに会話を打ち切ろうとする。
人と向き合うことを避けようとする様子は、挫折や葛藤など、人間を成長させる経験が乏しいことをうかがわせる。
 「毎日つまらないと思って生きている人は多い。だからといって人に迷惑かけていいのか」。
同い年の記者がぶつけた言葉に、珍しく金川被告がひるんだような表情をみせたことがあった。まるで感情をぶつけられた経験がないかのように。

 高校時代、同書を父親から買い与えられたという金川被告は、家族や友人と会話を交わすこともなく、本の内容を拡大解釈していった。
事件関係者は「物事を自分だけで消化し、メッセージを発している。対話のない彼の内面が、良書を曲解させてしまったのだろう」と解説した。
(2009年3月28日 読売新聞)
709考える名無しさん:2011/06/21(火) 18:57:43.37 0
水戸地裁から死刑判決を言い渡された後、共同通信が水戸拘置支所に送った手紙に対する
金川被告からの返信の要旨は次の通り。(消印は24日付、原文のまま)

おはこんにちばんはっ!!

裁判は終始、明鏡止水の心境でしたよ。判決内容は、勝手な解釈で成り立ってますよ。
奴らは俺の言葉をちゃんと理解できていません。なので、浅い深い云々など論じても意味がないですね。
真実は永遠に闇の中です。あなた達は何も解明できていない。
あなた達の失敗は、責任能力の有無を調べるために心理学者を二人も寄越してきたが、
●哲学者●を手配しなかったことだと思います。

死刑制度の食い違いって何でしょう? あってもなくても何も変わらんと思うのでどうでもよいですね。
控訴は28日に取り下げます。もう会う機会はありません。天国で再会しましょう。では、さようなら。
710考える名無しさん:2011/06/21(火) 18:59:12.39 0
711考える名無しさん:2011/06/21(火) 18:59:48.10 0
永井均『〈子ども〉のための哲学』(講談社現代新書)

せっかくだから哲学入門を1冊だけ挙げておく。
世間の雑音に惑わされず、あくまでも自分にとって(だけ?)大切な疑問を大事に大事に考えていったら、なぜかそれが世間で「哲学」と呼ばれるものとぶつかり、
更にどういう訳か少なからぬ一般読者の共感を引き起こすことになった、それがこの著者である。
極端に私的な(はずの)問題が、なぜか他人の理解と、あろう事か共感を呼び起こすということの不思議。あるいはそれはただの誤解なのだろうか?
 しかしそもそも「誤解」と「正解」を分かつものは何か? 同じ著者の『マンガは哲学する』(講談社)も挙げておこう。
712考える名無しさん:2011/06/21(火) 19:57:50.85 O
>>696
まず>>682を書いた私は>>671を書いてはいないので。それはそれとして。
> もし理解してるっていうなら>>694の問いに答えてみれば?

その問いというのは、
> 唯一性だけで現実性の無い私なんてありうるんですか?
のところね?念のため。
それで、「唯一性」という用語の使い方は自分になじんではいないので、念のため、
以下のように理解するけど、それには問題ない?
「唯一性」=その目からのみ見え、その体だけ動かすことができ、その体だけ
痛みを感じ…という人間がただ一人いること
「現実性」(上記の唯一性との関連での意味)=唯一性を満たす人間は実は複数
あり得るのだが、その中で、現に唯一、実際に唯一性を満たしている人間がいること
つまり私(〈私〉と表記すべきか)のこと

もし、この理解の仕方が共有されているなら、「唯一性だけで現実性の無い私なんて
ありうるのか」という質問には答えられると思うけど。
それはありうる、それが他者というものだ、ということになると思うけど。
そんな質問が来るということは、むしろ、そもそも理解の仕方が共有されて
いないんじゃないかと思える。
(理解の仕方が浅いとか表現の仕方がまずいという批判は、もっときちんと
理解してる人からはもちろんありうると思うけど、>>694の質問に対しては
こんなもんでいいんじゃないかと思うのですが。)
713考える名無しさん:2011/06/21(火) 21:52:19.80 0
>>712
>それはありうる、それが他者というものだ、ということになると思うけど

それが他者というのは永井に対する理解として間違ってるだろう。
永井は『<魂>に対する態度』でこう書いてる。
p187ぐらい
<私>を他から分かつものは属性上の差異でない。
それは即ち、身体と精神の連続性を断ち切ることなしに<私>でなくなることができることにもなる。


これはどう読んでも信仰でしかないと思うけどね。
714考える名無しさん:2011/06/21(火) 22:31:33.82 0
>>675
>「唯一性」についてきちんと定義すればわかるはずです。

>「他者と違ったあり方」や私の感覚は決して伝わらないという「私秘性」、その他さまざまな私の性質が
>私を他者と区別するのです。
>そこから私の「唯一性」が導かれます。

繰り返しになりますけど、
誰もが他者と違ったあり方をしているのです。
それが相互的排他性が担保する唯一性でしょう?
自己意識X1は、相互的排他的存在であるがゆえに、他の自己意識Xn
に同化できません。また私秘性は、”そいつの感覚はそいつにしか直接
伝わらない”という意味で誰にも当てはまる性質であり、その他さまざまな
そいつの性質が、そいつと他者を区別するのも自明です。
しかし、そこから担保される唯一性は、
そいつが、”他の誰でもない”ものとして存在しているという唯一性
であって、

>そこから私の「唯一性」が導かれます。

などとは言えません。
715考える名無しさん:2011/06/21(火) 22:32:43.89 0
自己意識X1は、”X2、X3...Xnではない誰か”という唯一性をもち、
X1の感覚は、X1意外には直接伝わらないという私秘性をもち、
自己意識X1が対応する身体x1のもつあらゆる性質によって、x1以外の
者たちと区別される。
相互的排他性が担保する唯一性が導くのは、そこまでの話で、
”私の唯一性”を導入するためには、”X1がたまたま私である”という
端的な事実性=現実の私をそこに招き入れるしかないのです。
あなたが、

”「他者と違ったあり方」や私の感覚は決して伝わらないという「私秘性」、その他さまざまな私の性質が
>私を他者と区別するのです。”

と書いていることからもそれが裏付けられています。
もし、上のレスを
”「他者と違ったあり方」や自己意識x1の感覚は決して伝わらないという「私秘性」、
その他さまざまなX1の性質が X1を他者と区別するのです。”
に変えてしまえば、次のレスである

”そこから私の「唯一性」が導かれます。”

がでてこないことがはっきりするでしょう。
そこから私の「唯一性」が導かれるためには、X1がたまたま私であった
という端的な事実性を予め前提にするほかないのです。
716考える名無しさん:2011/06/21(火) 22:51:21.52 0
>>677

> >>675に追加すれば、
>「私には他者を超えた何かがあり、私だけが現実の私だ」ということが = 「私」なんです。
>その「私」を仮にBとしているんだから、
>「Bには他者を超えた何かがあり、そのBこそが現実の私だ」というのは同語反復です。

それがトートロジーなのはそうでしょう。
そんなことは論点となんの関係もありません。
問題は、”私を仮にBと”するというような、端的な事実性の想定を導入しなければ、
私の唯一性をもちこめないというところにあるのです。

AやBやCは、それぞれ相互排他性によって唯一性を持っています。
またAもBもCもそれぞれ私秘性をもっており、またAのもつ様々な性質が
AをBやCから区別しています。
しかしそこからいえるのは、
「Bにとって、Bは私であり、そのBである私には他者を超えた
なにかがあり、その私だけが現実の私である」ということまでです。
そして同じことはそれぞれAとCにもいえます。
「Aにとって、Aは私であり、そのAである私には他者を超えた何かがあり、その私だけが現実の私である」
「Cにとって、Cは私であり、そのCである私には他者を超えた何かがあり、その私だけが現実の私である」
、さて、A,B,Cが実在するのなら、その意味で彼らは現実性をもっています。実在しているのだから。
では、A、B、Cのなかに、私であるのは誰でしょうか?
A、B、Cが実在するならば、そのうちのどれかは、私なのでしょうか?
相互排他的唯一性が存在するならば、私が存在しているといえるのでしょうか?
717考える名無しさん:2011/06/21(火) 23:03:06.71 0
>では逆に聞きましょう。

>唯一性だけで現実性の無い私なんてありうるんですか?


相互排他的唯一性は、
”他の誰でもない誰か”という水準の唯一性であるというのが
私の理解です。その理解がただしいとして、
そして、現実性が、”たまたまそいつが私である”という端的な事実性のことだと
理解します。

すると、問いは、
”唯一性だけで現実性のない”他の誰でもない誰か”なんてありうるのか?

という意味に解釈します。(なぜなら、そう解釈しなおさないと、
私が唯一性だけもって、現実性(たまたまそいつが私であるという端的な事実性)をもたない
とするならば、私は存在しているとはいえない。存在する人物のなかにたまたま私である人物が
いないのならば、私は存在していないというほかないから)

すると答えはもちろんイエスです。
私以外のすべての他人が、相互排他的唯一性をもっていながら、”たまたま私である”という
性質をもたない、唯一性だけで現実性をもたない他ではない誰か”
ということになります。

現実性を、そいつがたまたま私であるという端的な事実性と定義したのだから、
この回答はあまりに自明です。
718考える名無しさん:2011/06/21(火) 23:07:00.22 0
>>714-716
「唯一性?」は永井原理で言えば、記述した時点で「唯一性?」を失うので論理破堤で終了。
はい論破。w
719考える名無しさん:2011/06/21(火) 23:16:56.41 0
ある人物Aが存在している。そいつは私か?
この問いに対する回答は、トートロジー的なものでしかありえません。
そいつが、端的に私であるなら、人物Aは私である。
そいつが私ならば、そいつはわたしだ、というトートロジーを
もってしか、回答できないというのが私の説です。
それが端的な事実性というものなのです。
720考える名無しさん:2011/06/21(火) 23:23:33.13 0
>>719
排他的唯一性のトートロジーの中で死ぬまで無限ループしていればいいじゃん。
わざわざゴミ論理を書き散らしてスレ汚すなよ。
721考える名無しさん:2011/06/22(水) 00:25:53.88 O
>>713
頁数まで指摘してあるわりには、確認してみたら引用でもないし、何を言いたいのかわからない。
>>712の他者理解のどこがおかしいのか、ちゃんと説明してみてくれない?
722考える名無しさん:2011/06/22(水) 02:24:33.11 0
>>717
「他の誰でもない誰か」という言葉の意味する所は既に「私」なんですが。

どうしたって同語反復でしょう。

たまたまそいつが私である、という偶然性を示唆する言葉は、
「たまたま私は私である」というトートロジーに等しい。

>私以外のすべての他人が、相互排他的唯一性をもっていながら、”たまたま私である”という
>性質をもたない、唯一性だけで現実性をもたない他ではない誰か”

上の文の「他ではない誰か」というのは既に「私」の意味ですよ。
「私」とは「他者」ではないことなんだから、「他ではない」と言った時点で意味が決定してます。

もし「他者だけれど私ではない」というならば論理的な矛盾です。


723考える名無しさん:2011/06/22(水) 03:25:59.03 0
基本的に永井均の<哲学>は基本的に永井均の<私>のためのものであり
他の人のための<哲学>ではない
本来なら永井が自分の内に構築して死とともに打ち捨てられるべきものだった
永井は長らく哲学業界にいたので「他者に向けても書けるポジション」を得たというだけのことに過ぎない

永井の哲学は本来的には他者には理解されるはずもないし、他者がわざわざ理解する必要もないものである
このスレにいる人たちはその端的な事実にどれだけじかくがあるだろうか?

永井の哲学は誤解を通してしか真には理解され得ない
そして理解したらそれで終わりなのである
724考える名無しさん:2011/06/22(水) 07:10:17.21 O
>>723
何を今さら馬鹿なことを言ってるの?
永井の議論は他者にはちっとも理解されないものである、などともし本気で
思っているのなら、今まで何について論じていたつもりなの?
馬鹿な誤魔化しをしないで、>>712の他者理解のどこがおかしいのか、さっさと説明してください。
(もし同一人物でなければ、お詫びして撤回します)
725考える名無しさん:2011/06/22(水) 09:30:15.82 0
>>724
>「唯一性だけで現実性の無い私なんてありうるのか」それはありうる、
>それが他者というものだということになると思うけど。
「ありうる」という前提では「なる」こともあるし「ならない」こともあるでしょ?
貧弱な論理で何が語り得るか、考え直した方がいい。
だいたいがして、「唯一性」とか「現実性」を辞書的な語義定義形式に依って
解決・理解がするという理解の形式が、永井原理の理解にほど遠い便宜的な理解状態
であることを暴露。語義定義内容もそもそもが論外レベル。
726考える名無しさん:2011/06/22(水) 09:33:53.34 0
解決・理解がするという→解決するという
727考える名無しさん:2011/06/22(水) 14:19:39.97 0
トートロジーは現実に否定される要素がないという理由で、
現実というモデルを問う手段として回避されるだけで、
端的に論理的に無意味というわけではない。
むしろ、あらゆる世界の中で真理であるのはトートロジーだけなのだ。
これ豆な。
728考える名無しさん:2011/06/22(水) 18:02:25.25 0
ちょっと待った。

>「唯一性だけで現実性の無い私なんてありうるのか」それはありうる、
>それが他者というものだということになると思うけど。

この文章は明らかに矛盾で「それが他者」と言った時点で、すでに「私」ではないだろ。
「唯一性だけで現実性の無い私なんてありうるのか」という問いの回答としておかしい。
729考える名無しさん:2011/06/22(水) 18:10:25.89 0
>>722の最後は

×もし「他者だけれど私ではない」というならば論理的な矛盾です。
○もし「他者でないけれど私ではない」というならば論理的な矛盾です。
730考える名無しさん:2011/06/22(水) 18:43:14.99 0
>>723
鋼鉄の信仰心には脱帽です。
731考える名無しさん:2011/06/22(水) 19:32:02.91 0
>>724
>>730

あの〜永井信者を遠回しに小馬鹿にしてみたんですが

全く通じてないようですねww

もっとわかりやすく煽るべきだったでしょうかwww

あなた達も何のかんの言いながら所詮は信者なんですねw
732考える名無しさん:2011/06/22(水) 19:44:30.90 0
このスレには信者かアンチ(元信者)しかいない

当然だろ?
733考える名無しさん:2011/06/22(水) 21:19:41.16 O
>>731
>>723は、それまでの議論と関係ない、ただの下らないネタだったということでいいの?
そんなら、まあ勝手にすれば。
全く的外れなことを言われたって、ちっとも馬鹿にされたことにならないから、
別に何とも思わないので。
734考える名無しさん:2011/06/22(水) 21:30:04.77 0
永井本人が>>723みたいな趣旨のことは何度も書いているだろ。
735考える名無しさん:2011/06/22(水) 21:58:50.47 O
>>728
> >「唯一性だけで現実性の無い私なんてありうるのか」それはありうる、
> >それが他者というものだということになると思うけど。

> この文章は明らかに矛盾で「それが他者」と言った時点で、すでに「私」ではないだろ。

そういうツッコミ方をされるのなら、確かに>>712の説明は不十分なところがあるので、
むしろ現実性のほうから説明をし直すことにする。そのほうが私としては説明しやすいので。

その目からのみ見え、その体だけ動かすことができ…というものは、本来は、私しか
存在しない。(現実性、あるいは〈私〉)
しかし、なぜだか、全く同じように「そのとおり、私こそが、その目からのみ見え…」
と言い出すものたちが現れる。
そのものたちと私とは、端的に違うもののはずなのに、言葉で言える限りでは、
内容的な違いはないと理解せざるを得ない。
そのようなものたちが、他者である。
だから、他者は、端的に違うという点ではもちろん私と同じものではないのだが、
しかし内容的な違いはないと理解せざるを得ないという点では、私と同じものである。

このような理解をした上で、「唯一性だけで現実性の無い私なんてありうるのか」という
質問について、「唯一性」を「私と内容的な違いはない」という意味に理解し、
「現実性」を「私と端的に違うという点で(のみ)違う」と理解すれば、つまりそれは
他者だということになる。
これは矛盾ではないと思うけど。とりあえずこんな説明でどうですか。
736考える名無しさん:2011/06/22(水) 22:13:29.81 O
>>725
同一人物かどうかの決めつけが間違っていたなら、その点はお詫びして撤回しますが、
それにしても何も具体性のない指摘だねえ。
>>735に多少説明を追加したけど、そのような他者理解のどこが具体的におかしいの。
737考える名無しさん:2011/06/22(水) 22:15:06.98 0
>>722

>「他の誰でもない誰か」という言葉の意味する所は既に「私」なんですが。
>どうしたって同語反復でしょう。

”他の誰でもない誰か”の意味は、すでに >>666 や >>671 で説明していますので
繰り返しになりますが、、
もし世界にA,B,Cの三人しかいなかったとして、それぞれの自己意識a,b,cについて、

aは、その自己意識の相互的排他性によって
a = 、BでCもない誰か という唯一性をもっている。
同様に、
b =AでもCでもない誰か
c =AでもBでもない誰か

”他の誰でもない誰か”とはここでは、このa,b,cの三つの内容をもっています。
そして、
それぞれ、
aにとって、”AでもCでもない誰か”は私(私a)です。
同様に
bにとって、”AでもCでもない誰か”は私(私b)です。
cにとって、”AでもBでもない誰か”は私(私c)です。

しかし、私であっても、私a≠私b≠ 私cであるのもまた明白です。でなければ
相互的排他性がはたらいていないことになるのだから。
もし、私とは、ある任意の自己意識がその自己意識自身を指し示す指標子以上の意味を
もたないとあなたが考えるなら、話は以上でおわりです。
738考える名無しさん:2011/06/22(水) 22:18:22.38 0
この世界には、AとBとCが存在し、それぞれが相互排他性をもった自己意識をもっている。
それだけです。その中で誰が私なのか?という問いはナンセンスな問いでしかありません。
私とは、任意の自己意識が、その自己意識自身を指し示す指標子に過ぎないのだから、
誰もがそれぞれ私です。
また、世界に一つでも自己意識が存在すれは、私が存在することになるのか?
という問いにも、当然イエスとなります。
私とは、任意の自己意識が、その自己意識自身を指し示す言葉なのだから、
つまり、私とは、その自己意識自身を指すのだから、
世界に一つでも、自己意識が存在すれば、私は存在することになる。
私の意味をこのような水準に限定するならば、当然

>たまたまそいつが私である、という偶然性を示唆する言葉は、
>「たまたま私は私である」というトートロジーに等しい。

ということになるでしょう。というより、この理解では、”たまたま”という
偶然性は、”私”に関して存在しえなくなるのです。
Aが私なのは必然ですし、Bが私なのも必然ですし、Cが私なのも必然です。
私とは、Aの自己意識が自分自身を指し示す言葉にすぎなくなるのだから。
Aが存在したことはたまたまかもしれないが、Aが私であることは必然でしかありません。
これがおそらくあなたの立場なのでしょう。

しかし、私とは、任意の自己意識がその自己意識自身を指し示す指標子以上の意味をもつと
考えるなら、話は違ってきます。
とのとき、
”AでもCでもない誰か”がたまたま私であったという表現は、
トートロジーではなく実質的意味をもつ表現と解釈することができるのです。
ですから、
本質的な論点は、」

トートロジーかどうかという点ではなくて、それは帰結にすぎません。
私が、任意の自己意識がその自己意識自身を指し示す指標子以上の意味をもつのか
否かという点にあるのです。
739考える名無しさん:2011/06/22(水) 23:04:50.19 0
>>735
永井は確かにそんな問題提起をしているけど、それは存在論的な問いの後の
言語哲学としての「語り得なさ」でしょう。

子どもの哲学p52とp58に、自分がBという人間なのを前提として、以下の記述があります。

>Bという人間が居るにも関わらず、そいつは〈ぼく〉ではない、ということが考えられる

>そいつが持っているどんな性質も、そいつが〈ぼく〉であったことを説明しないのだ

話がループするようですが、この永井の存在論的な問題意識は、明らかにカントの
超越論哲学――ドイツ観念論の超越論的自我(魂)が前提としてあります。
ウィトゲンシュタインの「主体」も同型のものです。
「主体」は認識世界を成立させる条件だから、自分の精神や肉体を含むその「世界」には含まれない。
だから永井は「〈私〉とは世界を開闢する場」とも言うわけです。

で、以前書いたように現代の哲学者のほとんどは、精神や肉体を超える「何か」を必要としないという
立場です。
史上多くの哲学者が精神や肉体を超える「何か」の存在(魂)を証明しようとしましたが、
全て失敗に終わり、実証主義的な方法論が全盛となって、主体の形而上学はほぼ消滅しました。
740考える名無しさん:2011/06/22(水) 23:18:57.19 0
とろころでよく理解できてないところなんだけど、

>>722
>「他の誰でもない誰か」という言葉の意味する所は既に「私」なんですが。
>どうしたって同語反復でしょう。

例えば、石川遼がいて、彼が自己意識をもっているとすると(たぶんもっている
と思うけど)自己意識の相互的排他性によって、
石川遼の自己意識は、”石川遼の自己意識以外の他のものではない誰か”
つまり、”他の誰でもない誰か”という唯一性をもつことになるよね。
そして、”他の誰でもない誰か”というのはすでにして私なのだとすると、
石川遼の自己意識=”他の誰でもない誰か”=私となるわけだよね。
だすると、 私は、”石川遼の自己意識以外の他のものではない誰か”ではない
という分は、私は、私ではないという矛盾になるということでいいの?
でも私は石川遼の自己意識じゃないんだけど?
  
>たまたまそいつが私である、という偶然性を示唆する言葉は、
>「たまたま私は私である」というトートロジーに等しい。

ならたまたまそいつが私ではないという表現は、
たまたま私は私ではないという矛盾に等しくなるの?

741考える名無しさん:2011/06/22(水) 23:20:03.13 0
>>737
>もし、私とは、ある任意の自己意識がその自己意識自身を指し示す指標子以上の意味を
>もたないとあなたが考えるなら、話は以上でおわりです。

>>738
>私が、任意の自己意識がその自己意識自身を指し示す指標子以上の意味をもつのか
>否かという点にあるのです。

いずれも悪魔の証明の論法ですね。
悪魔がいなくても全て説明できると主張しても、悪魔がいないことは証明できないのだから
悪魔がいると仮定して説明しても良い、というようなものです。

742考える名無しさん:2011/06/22(水) 23:27:29.82 0
>>740
何この突っ込み?w

誰が一人称的な問いを発したかを途中で忘れてるしww

ありえないww
743考える名無しさん:2011/06/22(水) 23:31:19.52 0
>>740
永井均が「私は哲学者である」と言ったら、

「でも私は哲学者じゃないんだけど?」と言うの?

ナイスジョーク!!
744考える名無しさん:2011/06/22(水) 23:32:49.02 0
>>741
>いずれも悪魔の証明の論法ですね。
>悪魔がいなくても全て説明できると主張しても、悪魔がいないことは証明できないのだから
>悪魔がいると仮定して説明しても良い、というようなものです。

意味がわからないんですけど。
悪魔がいなくても全て説明できるというのがここではなにを
意味しているんですか?
悪魔=”<私>”という意味ですか?
<私>をもちいなくてもすべてが説明できると言っているわけですか?
文意がよく理解できないんですけど、
その理解でよければ、いったいどのレスで全てを説明したのですか?

あと、そもそもあなたの基本的立場がよく理解できていないのですけど、

私とは、ある任意の自己意識がその自己意識自身を指し示す指標子以上の意味を
もたないというのがあなたの立場なんじゃないの?
私はそう推測したんだけど、その理解でいいんですか?

745考える名無しさん:2011/06/22(水) 23:49:53.71 0
>何この突っ込み?w

>誰が一人称的な問いを発したかを途中で忘れてるしww

いやそれでは話がおかしくなるでしょう?
>「他の誰でもない誰か」という言葉の意味する所は既に「私」なんですが。
>どうしたって同語反復でしょう。

といったのはあなたですよ。
A,B,Cの三人がいるとして、
A =”BでもCでもない誰か”
B =”AでもCでもない誰か”
C =”AでもBでもない誰か”
が意識の相互排他性の唯一性でしたね。

で”唯一性をもって現実性をもたない私”はいるのかという
問いに、私は、唯一性をもって現実性をもたない誰でもない誰かはいるのか
と解釈していると回答しましたね。
すると、あなたが、”誰でもない誰か”とはすでにして”私”だと
答えたんですよ?
この例でいえば、
”BでもCでもない誰か”も”AでもCでもない誰か”もC =”AでもBでもない誰か”
もすでにして私だそれはトートロジーだとあなたがこたえたのと同じなんですよ。
746考える名無しさん:2011/06/22(水) 23:57:26.82 0
>>744
>その理解でよければ、いったいどのレスで全てを説明したのですか?
>あと、そもそもあなたの基本的立場がよく理解できていないのですけど
>私とは、ある任意の自己意識がその自己意識自身を指し示す指標子以上の意味を
>もたないというのがあなたの立場なんじゃないの?

「全て」を説明できるというのは極端な比喩的表現ですが、
既に述べたとおり「私」という存在の意味は相互排他性・唯一性で規定できるというのが
私の立場です。

いや、唯一性だけではなく「現実性」がなければならないと、あなたが突っ込んだのが
議論の始まりだったでしょう。

なら、現実性のない唯一性だけの「私」なんてありうるのか?
という問いにあなたは答えられていないよう思います。

ちなみに永井ならどう答えるかは>>739を読めばわかると思います。
747考える名無しさん:2011/06/23(木) 00:07:14.13 0
>「全て」を説明できるというのは極端な比喩的表現ですが、
>既に述べたとおり「私」という存在の意味は相互排他性・唯一性で規定できるというのが
>私の立場です。

〜で説明できるという立場を表明することと、実際に説明することは
全然別のことなんですけど。
〜で説明できるという立場を表明したものに対しては、すでに
説明できたとみなすべきだといいたいのでしょうか?
あほらしい。

>いや、唯一性だけではなく「現実性」がなければならないと、あなたが突っ込んだのが
>議論の始まりだったでしょう。

>なら、現実性のない唯一性だけの「私」なんてありうるのか?
>という問いにあなたは答えられていないよう思います。

だから、どう答えられていないの?
あなたからの反論は、”他の誰でもない誰か”とはすでにして
私です。トートロジーですというものでしょう。
それに対しては >>745
で疑問を呈しておきました。
また明日詳しく書きます。
ところで、
繰り返しになりますけど、
あなたの立場は、

”私とは、ある任意の自己意識がその自己意識自身を指し示す指標子以上の意味を
もたない”
という立場という解釈でいいんですか?

748考える名無しさん:2011/06/23(木) 00:28:14.25 0
>>745
>すると、あなたが、”誰でもない誰か”とはすでにして”私”だと

そんなことは言ってない。
>「他の誰でもない誰か」という言葉の意味する所は既に「私」なんですが。
と私は書いたの。この「他の」という部分を削れば全然意味が異なってくる。

>”BでもCでもない誰か”も”AでもCでもない誰か”もC =”AでもBでもない誰か”
>もすでにして私だそれはトートロジーだとあなたがこたえたのと同じなんですよ。

意味を誤読した上で意味不明の突込みをするあなたのセンスには驚愕する。

で、あなたは、永井均が「私は哲学者である」と言ったら、
「でも私は哲学者じゃないんだけど?」と言うの?

また、「他の人間ではない人間」という言葉の指標する所は理解できますか?

そもそもあなたは永井の問題意識を誤読した上で突っ込みを入れている。
永井の存在論的問題意識は>>739に書いてるので読んでください。

749考える名無しさん:2011/06/23(木) 00:35:46.21 0
>>747
>”私とは、ある任意の自己意識がその自己意識自身を指し示す指標子以上の意味を
>もたない”
>という立場という解釈でいいんですか?

そんなことは当たり前でしょ。
言語は公的に共有されたら「私秘性」が失われるというのは永井以前のウィトゲンシュタインの洞察。
「唯一性」と「現実性」は別の話。

永井は現実性を時間との類比で語りましたが、それが間違いなのはだいぶ上のほうで書いたとおり。
750考える名無しさん:2011/06/23(木) 00:37:05.02 0
>そんなことは言ってない。
>>「他の誰でもない誰か」という言葉の意味する所は既に「私」なんですが。
>と私は書いたの。この「他の」という部分を削れば全然意味が異なってくる。

わざと削ったわけじゃありません。つけわすれただけです。

>で、あなたは、永井均が「私は哲学者である」と言ったら、
>「でも私は哲学者じゃないんだけど?」と言うの?

言いませんよ。”他の誰でもない誰か”がたまたま私である
という文がトートロジーであるかどうかは、まさに実際に
私が誰であるかという端的な事実性=現実性に依存するという
のが私の立場なんだから。
でもあなたは違うのでしょう?

今日は遅いのでまた明日にします。
751考える名無しさん:2011/06/23(木) 00:42:00.48 0
それにしてもジョークとしか思えない突込みには本当に呆れた。
一瞬、正気を疑いましたよ。
悪いけど、あなたとは付き合いきれません。正直時間の無駄です。
逃げたとでも何とでも思ってください。
752考える名無しさん:2011/06/23(木) 00:48:36.40 0
>ちなみに永井ならどう答えるかは>>739を読めばわかると思います。

>話がループするようですが、この永井の存在論的な問題意識は、明らかにカントの
>超越論哲学――ドイツ観念論の超越論的自我(魂)が前提としてあります。
>ウィトゲンシュタインの「主体」も同型のものです。
>「主体」は認識世界を成立させる条件だから、自分の精神や肉体を含むその「世界」には含まれない。
>だから永井は「〈私〉とは世界を開闢する場」とも言うわけです。

最後にこれたんなる誤読だから。
条件は現実を作りださない。
超越論敵自我は、現にこの私を生みださない。
そして、<私>の存在は、条件をこえた実在を作り出すという
意味で開闢なの。
じゃ、また明日よろしくお願いします。
753考える名無しさん:2011/06/23(木) 01:56:08.67 0
最後にこれたんなる誤読だから。

>条件は現実を作りださない。
>超越論敵自我は、現にこの私を生みださない。
>そして、<私>の存在は、条件をこえた実在を作り出すという
>意味で開闢なの。
754考える名無しさん:2011/06/23(木) 05:56:25.89 0
>>723

「<魂>に対する態度」の頃の永井って基本的にこういうスタンスだったな
それから、徐々にスタンス変えていったろ?

例の「<魂>に対する態度」の○○ページの記述は誤りですって言い始めた頃から
所謂、永井信者が爆発的に増えていった

稲葉振一郎とかも大ファンで鼻血だしてたよな
ブログから信仰告白は巧妙に削除したみたいだがwww
755考える名無しさん:2011/06/23(木) 08:45:02.74 O
>>739
>>735
> 永井は確かにそんな問題提起をしているけど、それは存在論的な問いの後の
> 言語哲学としての「語り得なさ」でしょう。
この話について、「存在論的な問い」なるものと、「言語哲学としての「語り得なさ」」
を区別することの意味が分からない。
その区別は、永井の本のどの部分を指してるのか、具体的に示してください。

> 話がループするようですが、この永井の存在論的な問題意識は、明らかにカントの
> 超越論哲学――ドイツ観念論の超越論的自我(魂)が前提としてあります。
> ウィトゲンシュタインの「主体」も同型のものです。

正直言ってドイツ観念論の「魂」なるものもウィトゲンシュタインの「主体」なるものも
何のことか知らないので、>>712>>735に書いてみた説明に引きつけさせてもらうけど、
その「魂」とか「主体」というものは、
(1)現に唯一、私だけにあるものなのか。(他人にもあるのだとしても、それは、
私だけにあるはずのものがなぜか他人にもあると理解せざるを得ないということを経て、
他人にもあることになるのか。)
(2)それとも、(1)のカッコ内に書いたような話とは別に、他人はみな当然に
持っているものなのか。
(3)その他?
の、どれなのかを明らかにしてください。
あなたの(と思われる)他のレスも合わせて推測すると、(2)と答えるのではないかと
思われるけど、そうだとすれば、そのようなことを「永井の存在論的な問題意識」
と述べる理由が全く分からない。全くの誤読(あるいはわざとやってる)としか思えない。
756考える名無しさん:2011/06/23(木) 09:01:19.89 O
まあ知識のない人間がわざわざ下手な説明を繰り返さなくても、>>752の指摘と
実質的に同じだと思いますが。

ついでに、自分に向けられたレスじゃないものに口出しするのもなんだけど、
>>749のようなことを堂々と断言するのは、本当に信じがたい。
「永井の議論を、自分としては独自にこう解釈したい、あるいは他の議論の中に
このように位置付けたい」とか、「永井の議論そのものにあまりこだわらずに、
私なりにこう議論したい」ということなら、そう明記してほしいんですが。
(それなら、知識のない信者ごときがいちいちレスすべきものでもないから、
今後余計なレスをしようとも思わないし、回答も求めないので)
757考える名無しさん:2011/06/23(木) 09:46:02.78 0
>>753
>749の
>言語は公的に共有されたら「私秘性」が失われるというのは永井以前のウィトゲンシュタインの洞察。
>「唯一性」と「現実性」は別の話。
は、「ウィトゲンシュタイン原理」wのひとつだよ。 『ウィトゲンシュタインの知88』という用語解説本で、
永井自身が「独我論」の解説のなかでちゃんと説明している。

「ウィトゲンシュタイン原理」抜きでは「独在論」なんて発想・整備できなかっただろうね。子供体験として
すでにソレを考えていたんだからパクリじゃない。とパクリ疑惑が生じないように予防線を張ってはいるが。

>>620に素人哲学を小馬鹿にした表現があるが、原典参照をするはずもない素人はプロにはお客様ですね。w


758考える名無しさん:2011/06/23(木) 09:49:55.23 0
>>753>>75
759考える名無しさん:2011/06/23(木) 22:35:21.70 O
>>757
なんだかよく分からない用語を適当に散りばめてるだけで、具体的説明が何もないね。
760考える名無しさん:2011/06/24(金) 10:29:58.45 0
そうだね 私は端的に唯一だよね


   で?

761考える名無しさん:2011/06/24(金) 21:46:56.41 O
>>760
とうとう、自分は実は永井の議論に全く興味がありません、というアピールが始まったか。
まあそのこと自体は別に自由なんだが、せっかくだから、以下のようにちょっとからかっとこう。

「何を言っているのか。あなたは端的に唯一などではちっともない。
本当に端的に唯一なのは、この私だけだ。」
762考える名無しさん:2011/06/24(金) 22:33:47.09 0
>>761

「何を言っているのか。あなたは端的に唯一などではちっともない。
本当に端的に唯一なのは、この私だけだ。」

↓ お次の名無しも以下同文。
763考える名無しさん:2011/06/24(金) 23:50:35.13 0
もうお前の相手はしない宣言されたので、蒸し返すのもどうかと思うのだが、

某所より

>「現在」の概念と違い、「私」の概念は唯一なのである。永井均において発
>せられた「私」という言葉は、正確にいうなら「永井均であるこの私」であ
>り、政治家の小沢一郎が「私」という場合、それは正確には「政治家の小沢
>一郎であるこの私」である。両者の差異は事実上それぞれの「私」という言
>葉の背景に存在しており、その背景を含意すれば「私」という言葉の意味の
>重複はない。つまり「私」という概念は一つしかなく、従って確かなのはそ
>れぞれの「私」の「唯一性」だけである。「本当の私」というのはその唯一
>性の換言にすぎないのだ。他者との「唯一性」の違いは、他者、たとえば
>「(政治家の小沢一郎である)私」」と「(永井均である)私」とが、相互
>排他的であることで既に確定している。その相互排他性を超えた「本当の私
>」という「何か」を探すのは、言語の意味を錯覚して誤用した擬似問題なの
>である。


要は、私とは、その人物が、その人物自身を指し示す指示子でしかない。
それ以上の意味をもたないという立場。
これはこれでありだと思うんだよね。
ブラックジャック本でいえば、E(Cだっけ?)君的立場。
問題は、なにがその立場を正当化するのかってことなんだよね。
764考える名無しさん:2011/06/24(金) 23:59:22.23 0
某所より、

>世界に何十億といる人々の中で、なぜこの永井均が〈私〉なのかという
>問いは、たとえば「無数にある数字の中で、なぜ4は7でも6でもなく
>4なのか」と問うような、間違った問いだと私は考える。

私は、例えばなしでいえば次の例の方が類似していると思う。

世界に何十億といる人々の中で、なぜこの永井均が〈私〉なのかという
問いは、自然数が書かれた無数のカードが入ったブラックボックスに
手をいれて一まい引き抜く、見ると4だった。なぜ7や6でもなく4だった
のか?
765考える名無しさん:2011/06/25(土) 04:21:05.47 0
766考える名無しさん:2011/06/25(土) 10:29:03.24 O
>>763
さすがにそこでE君は無いわーw
記憶違いや勘違いを全て無くしてからレスしろ、なんてことはもちろん言わないけど、
しかし、いくら何でもそこを間違うか?
E君こそが最も独在性を独断的に強調していたことを覚えてないなんて、つまり
真剣に読んでないんじゃないか、と、つい思ってしまうわ。言い過ぎだとは思うけど。
767考える名無しさん:2011/06/25(土) 11:19:54.97 0

発言の中身が重要なんで、発言者が何君だったかなんてどうでもいいので、
あいまいにしか覚えていません。
そもそも登場人物の名前がアルファベット一文字なんだし。




768考える名無しさん:2011/06/25(土) 11:23:13.71 0
さて、>766がここで登場人物A-Lそれぞれの詳細な傾向分析をするみたいだから
静聴することとしよう。
769考える名無しさん:2011/06/25(土) 11:40:56.96 O
全員を詳しくとは言わないが、
C君=独在性などと言っても一般論の一例でしかない、という観点を強調する人
D君=ウィトゲンシュタインの用語を使って説明を試みる人
E君=独在性を強調する人
Fさん=可能世界意味論の用語を使って説明を試みる人
G君=時間との対比を試みる人
K君=馬鹿
くらいのことは当然覚えてますが、それが何か。
770考える名無しさん:2011/06/25(土) 12:16:23.54 O
もちろん、内容こそが重要だというのはそのとおりなので、>>763>>764のような内容で
永井の議論のどこがどのように錯覚と言えるのか、詳しく説明してください。
まずは、永井が「本当の私という「何か」」を探している、などという読み方を
するなら、どこがそう読めるのか説明してほしいのだけど。
771考える名無しさん:2011/06/25(土) 12:31:44.51 0
>もちろん、内容こそが重要だというのはそのとおりなので、>>763>>764のような内容で
>永井の議論のどこがどのように錯覚と言えるのか、詳しく説明してください。

いや、錯覚だといったのは、私の論争相手の彼(某ホームページの主?)だったのだから、
おれにきかれても。
まあ、もうわたしは彼から”お前は相手にしない”宣言されているので
これ以上からみませんけどね。

772考える名無しさん:2011/06/25(土) 12:36:10.33 O
>>764
この話について言うと、まずそもそも「無数のカードが入ったブラックボックス」
というのは、「数十億のカードが入った箱」とは違うのかどうか、違うのなら
どういう想定なのかが、よく分からない。
とりあえず「数十億のカードが入った箱」と理解するとして、その中から
4のカードを引き出したのは、ただの普通の事実として説明できると思うけど、
それが永井の議論にどう関係するかがよく分からない。
773考える名無しさん:2011/06/25(土) 12:41:44.80 0
 小さい花や 大きな花 一つとして
 同じものはないから
 No.1にならなくても いい
 もともと特別な Only one ♪
774考える名無しさん:2011/06/25(土) 12:44:23.58 O
>>771
ああ、引用したが賛同したわけではないということ?
それなら失礼しました。
775考える名無しさん:2011/06/25(土) 12:54:46.86 0
>>772

>>764

>例えばなしでいえば次の例の方が類似していると思う。

と書いたとおり、>>764 の引用箇所のたとえ話より
ブラックボックスの話の方が、”なぜ永井が〜”の問いの話と
類似しているといっただけ(なぜ4は7ではなく4なのかでは
そこで4がそもそも選らばれた理由が不明だから)
手にしたカードがたまたま4だったという例のほうが、そこで4が
問題になる理由が明白だから。
”なぜ永井が〜”の問いでいえば、そもそもそこでなぜ永井という
人物が選ばれているのかに対応する点が、”なぜ4は7ではなく”
の例では欠如している。

いずれにせよ、私は、
>>764の引用箇所の例より、私の例のほうが、
”なぜ永井は〜”の問いのたとえとして”より類似している”
と書いただけで、
私の例が、そもそも”なぜ永井が〜”の問いの例題として
適切である(同型である)なんて一言も言ってません。



776考える名無しさん:2011/06/25(土) 13:18:59.60 0
ちょっと気になったんだけど、

>4のカードを引き出したのは、ただの普通の事実として説明できると思うけど、

普通の事実として説明できるっていうのは、
たまたま4だったというたんなる偶然以上の説明ができるってこと?

箱の例と永井の問いの例でいうと、
私がそもそも存在しないこともありえたように思われる(よって
なにも選択されない)のに
対して箱の例では必ずなにかが選ばれてしまうという点で
類似していないだろうね。
777考える名無しさん:2011/06/25(土) 13:46:49.88 O
>>776
> 普通の事実として説明できるっていうのは、
> たまたま4だったというたんなる偶然以上の説明ができるってこと?

別にそんな複雑なことあるいは難しいことを言おうとしたわけではないけど、普通の意味で
客観的に存在している物、客観的に起こった出来事、客観的な物理法則、等々を前提とすれば、
ある人が当てずっぽうに箱の中に入っている数十億枚のカードのうち1枚を掴んだら、
その位置にあったのが4のカードだった、というので十分な説明で、わざわざ「偶然」などと
言うのは、むしろ不自然だと思うけど。
さらに細かく説明しようとすれば、物理的なカードの位置関係とか、腕の筋肉、神経、
脳状態等々を物理法則によって説明することもできるだろうし。
それでも「偶然」と言うなら、帰納とか法則とかいうものは実は無くて、森羅万象は
全て偶然だ、ということになるのでは。

そもそも私が存在するかしないか、とか、分裂した時になぜか一方だけが私だ、とかいう時の
「偶然」というのは、そういう普通の事実とは違う話なんじゃないかなあ、と。
778考える名無しさん:2011/06/25(土) 13:58:53.70 O
と言うのも言い過ぎか。
「偶然」や「たまたま」は、「意図しないで当てずっぽうに」くらいの意味で
使うほうが自然かなあ。
永井の議論に関する「偶然」とは違うと思うのは変わらないけど。

…と思って広辞苑で「偶然」を引いたら、「何の因果関係もなく予期しない出来事が起こる様」
とか書いてあって吹いたw
そうか、何の因果関係もない出来事が起こるなんてことは、辞書に載るくらいに
普通に起こりうることだったのかw
779考える名無しさん:2011/06/25(土) 14:15:37.78 0
>ある人が当てずっぽうに箱の中に入っている数十億枚のカードのうち1枚を掴んだら、
>その位置にあったのが4のカードだった、というので十分な説明で、わざわざ「偶然」などと
>言うのは、むしろ不自然だと思うけど。


たしかに、理論上因果的説明ができる偶然性(だから厳密にいえば
偶然ではない?)とそうでない偶然性が
あるね。
たとえばさいころの目をふったら4だったというのは、理論上因果的説明が
可能だから、それを偶然とわざわざいうのは不自然だという
のはそういわれればそうだが、ふつうそういうのを偶然って言ってると
思うけどね。

780考える名無しさん:2011/06/25(土) 16:41:01.41 0
>>765の「時間との類似が成り立たない」の批判どっかで見たなと思ったらここだったわw。
>>640の疑問には答えてくれないかな。わりとマジで聞きたいんだけど。
781考える名無しさん:2011/06/26(日) 21:14:29.14 0
何故人を殺してはいけないかを読んだんだけど
この人相手の言っていることがわからないを繰り返して
議論が成り立っていないんですが
なんでこの本の出版を許可したんだろうか?
782考える名無しさん:2011/06/26(日) 22:41:30.47 0
実際小泉って何に怒っているのかわからないし
783考える名無しさん:2011/06/27(月) 09:24:08.48 0
>>763
>要は、私とは、その人物が、その人物自身を指し示す指示子でしかない。それ以上の意味をもたないという立場。これはこれでありだと思うんだよね。

というか
たったそれだけのことなのかよwww
784考える名無しさん:2011/06/28(火) 19:05:34.37 0
ここに執筆してるよ。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309740393
785考える名無しさん:2011/06/28(火) 19:44:30.23 0
>>784
その論文の最後に、「結局ウィトゲンシュタインが必死になって何をやろうとしてたのかよくわからん。
でも、それは哲学にとって最高に素晴らしいことじゃないのか」ってなことが書いてあった。
786考える名無しさん:2011/06/28(火) 23:01:46.66 0
論文じゃなくてレクチャー(実はインタビューを纏めたもののようだが)。

「今」についての議論でアンセルムスに対応するのは、20世紀初頭のマクタガートです。(28ページ下段)

だから、実際に、デイヴィド・ルイスのような哲学者が、「だが、そのわれわれとは誰だ?」と反問しているわけです。(30ぺージ下段)

前者は「神」の存在をめぐるアンセルムスとカントの対立をマクタガート的「矛盾」の問題と重ねており、後者は「私」の存在をめぐるデカルトとウィトゲンシュタインの対立をルイス的「現実」の問題と重ねている。
787考える名無しさん:2011/06/29(水) 22:17:50.32 0
永井のカルト哲学にはまってる人は本当に可哀想だと思う。
他の哲学書を読んだことがないから<私>なんて用語を見て、
自分で勝手に凄いイメージを抱いてしまうんだろうが。

このスレから第二の金川真大が出てこないことを祈るよ。

788考える名無しさん:2011/06/29(水) 22:41:17.08 0
ぼく:死ねばすべてが終わるのか…。
猫:死刑以上の重罰はないだろ?つまり、世の中は死ぬつもりなら、なにをしてもいいって、暗に認めているってことなんだよ

こんなのは中学生でもわかってることだし、大半の殺人犯は死刑覚悟で殺してるわけだよ。
こんなのを哲学書(笑)で書く永井もアレだが、読んで影響を受けてしまう信者の精神年齢も中学生以下(笑)
789考える名無しさん:2011/06/29(水) 22:48:48.69 0
>>787
そうかな・・・本人たちは充足してるからいいんじゃね?
あんま頭が良くない人にも哲学している気分を提供できてるというのは
素晴らしいことなんじゃないかな。そうした人の囲い込みにも成功してるから
商売としてもまずまず成功してるしね。
790考える名無しさん:2011/06/29(水) 23:07:17.19 0
死以外に、五十年間生殺しで死なせてくれないとか
強制労働とかその程度の想定はしとくべきかと
791考える名無しさん:2011/07/01(金) 16:03:12.29 0
永井の本は小説として読むのが正しい
792考える名無しさん:2011/07/01(金) 20:35:22.21 O
>>791
『なぜ意識は実在しないのか』を読んでいるうちに一人称の小説を読んで
理解するとはどういうことなのかわからなくなった俺に謝れ
793考える名無しさん:2011/07/01(金) 23:28:48.70 0
死ぬつもりなら何をしてもいいのは自明なのだろうか。
そりゃ、人間はやろうと思えば、何だって出来てしまうんだけど。
していい-いけない関係に立った物言いなんだから、出来ない、と言う人が居てもおかしく無い気がする。
そもそも、”いけない”とはどういうことなのか、という疑問も自然と沸く気がする。
794考える名無しさん:2011/07/01(金) 23:35:38.34 0
死ぬつもりなら何をしてもいいなら、罰を受けるつもりなら何をしてもいいということになるし、
さらにいえば、絶対ばれない自信があれば、やはり何をしてもいいことになる。

結局、外的な制裁は、行為の決定的な歯止めにはならないってことだ。
795考える名無しさん:2011/07/01(金) 23:38:05.19 0
何をしても良いという訳じゃなくて
何をしても不利益にならないという
功利主義的な利害得失の話だよね
796考える名無しさん:2011/07/02(土) 00:04:00.93 0
>罰を受けるつもりなら何をしてもいいということになるし
ならない。
797考える名無しさん:2011/07/02(土) 00:09:11.90 0
>>794 の言うような考えって、”いけない”の意味は自明か、
全くそのようなことは考慮しない立場じゃないと言えないよね。
(いけないけどできるとか、あるいはただ単に>>795の言うように利害損失だけの話)
問題はもっとずっと手前の位置にあって、”いけない”ってどういうことなのか、
本当にその地点でも”いけない”ことなんて存在しないのかってのが疑問。
798考える名無しさん:2011/07/02(土) 03:04:20.53 O
>>794
> 死ぬつもりなら何をしてもいいなら、罰を受けるつもりなら何をしてもいいということになるし、
> さらにいえば、絶対ばれない自信があれば、やはり何をしてもいいことになる。

> 結局、外的な制裁は、行為の決定的な歯止めにはならないってことだ。

改めて考え直してみると、そんなに単純な話じゃないような気がするねえ。
試しに、長期的な利害という観点から、勝手に整理し直してみた。

まず「絶対ばれない自信があれば」というのは、長期的にみても、罰という害悪を
受ける心配がなければ、というふうに理解しうるだろう。
だから、もし罰を受ける心配があれば、そういう行動はしない(可能性がある)だろう。

次に、「罰を受けるつもりなら」というのは、長期的にみて罰という害悪を受けることは
前提として、他の利益とか現在の利益とかを優先することができれば、というふうに
理解しうるだろう。
だから、他の利益とか現在の利益とかよりも罰という長期的害悪のほうが重大であれば、
そういう行動はしないだろう。

最後に、「死ぬつもりなら」というのは、解釈の余地があるけど、そもそも
長期的な利益も害悪も全く度外視して、ただ現在そういう行動をしたいかどうかだけを
重視する、というふうに理解しうるだろう。
これには、罰という長期的害悪は全く無意味だろう。

こういう整理ができるとすれば、罰という長期的害悪がどう影響するか、
それぞれ違いがあると思う。
799考える名無しさん:2011/07/02(土) 03:23:17.79 O
>>798の続き
こう言うだけだとなんだから、共通点についても試しに言ってみると、つまり、
他人の害悪を、言い換えれば(と永井的には言えると思うけど)道徳的価値を
重視しない、という点は共通だろう。

まず「絶対ばれない自信があれば」というのは、つまり自分が罰という害悪を受ける
心配がなければよいので、他人の害悪は考慮しない、というふうに理解しうるだろう。

次に、「罰を受けるつもりなら」罰という害悪を受けることは前提として、
自分の利益を優先することができればよいのであって、やはり他人の害悪を
絶対視していない、というふうに理解しうるだろう。

最後に、「死ぬつもりなら」というのは、解釈の余地があるけど、そもそも
他人とか社会とかとの関係など断ち切るつもりであって、他人の害悪など
何ら考慮しない、というふうに理解しうるだろう。
800793:2011/07/02(土) 03:34:12.83 0
>>798>>799 で疑問の答えとして読み取れるのは、いけないこと=他人の害悪ってことで合ってる?
801考える名無しさん:2011/07/02(土) 06:09:41.50 0
中学のHRか? 永井先生じゃなく、金八先生に教えてもらえ。w
802考える名無しさん:2011/07/02(土) 12:03:07.37 O
>>800
とりあえずそう読み取ってもいいと思うけど、むしろ、いけないこと=他人の害悪であると
一応認めるとしても、それをそのまま考慮するのではなく、私の害悪に結びつける形でしか
考慮しない、ということになるかなあ。
803793:2011/07/02(土) 14:31:07.96 0
>>802
じゃあ、他人の害悪で、自分にとって良いことは”いけないこと”で
他人の利益で、自分にとって悪いことは”するべきこと”ってことになるかな
異論は無いけど、”いけない”ことの経験的事実しか明らかになってないかな。
804793:2011/07/02(土) 14:47:40.79 0
書いてから気付いたけど、自分にとって良いこと、他人にとっても良いこと、
ってのは、するべき-いけない関係に入らないの?
あと、自分にとって悪くて、他人にも悪いことって組み合わせが論理的に勝手に出てくるけど
これって現実的にはあり得ない組み合わせなのかな。
805考える名無しさん:2011/07/02(土) 15:48:56.52 0
単純に「いけない」=「社会から禁止の圧力がかかること」と
理解したらどうだ。簡略化して「他人から」でもいいが。
普通に考えれば「〜してはいけない」という言葉の意味は「禁止の意志表示」なんだから。
社会(あるいは他人)からの禁止の圧力が内面化されたものが「良心」とか何とかだろう。
ここにいたって「それは自分にとってもいけないことだ」となる。

単純にこう考えてしまうと、永井的な(というか一切の倫理的な)問題は
雲散霧消して、社会学と心理学に代表される事実問題になってしまうようにも思えるが。


806793:2011/07/02(土) 16:08:34.83 0
>>805
全く異論は無いんだけど、やっぱりその”内面化される”というのが
どういうことなのか、という疑問がキモなんだと思う。
807考える名無しさん:2011/07/02(土) 17:12:09.45 0
↓レベルの議論をしろよ。w

「なぜ人を殺してはいけないのか」すべてはここからはじまった
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/4855/lawmoralweb.htm


808考える名無しさん:2011/07/02(土) 17:26:45.57 O
>>803
> じゃあ、他人の害悪で、自分にとって良いことは”いけないこと”で
> 他人の利益で、自分にとって悪いことは”するべきこと”ってことになるかな

そこは、永井の議論の前提というか出発点みたいなものではないかと個人的には思ってる。
そういうふうに自分の利害と他人の利害が分かれるのが道徳的価値の特徴で、
しかし、そのはずだったのに、道徳的価値を優先する人が現れることもあり得る。
それはどういうことか、というのが永井の議論(の一面)だと思う。
だから>>804のように自分の利害と他人の利害が一致することは、道徳的価値が
成り立った状態を前提にすれば、別におかしくない。
809考える名無しさん:2011/07/02(土) 23:09:47.71 0
>>801
warota
810考える名無しさん:2011/07/04(月) 17:08:20.44 0
永井信者の偏差値は凄く低そうなんだけど、
これは永井が日大教授で信者には日大生が多いということ?
811 忍法帖【Lv=31,xxxPT】 :2011/07/04(月) 17:17:42.93 0
日大の学生じゃ永井は読めないだろ
812考える名無しさん:2011/07/05(火) 07:49:21.36 0
日大の学生でも永井は読むに耐えないだろ
813考える名無しさん:2011/07/05(火) 08:18:01.21 0
永井の本で一冊だけ読むとしたらどれがお勧め?
814考える名無しさん:2011/07/05(火) 08:41:53.38 0
ない。
815考える名無しさん:2011/07/05(火) 18:06:00.54 0
>>812
いや日大ぐらいにちょうどぴったり。
816考える名無しさん:2011/07/05(火) 20:17:36.77 O
>>813
「一冊だけ」という限定の趣旨がよく分からないけど、とりあえず一冊読んでみる
ということなら、永井自身が「独在論の入門書」としているので
『〈私〉の存在の比類なさ』(の前半)はどうですかね。
永井自身がそう言ってるというのにこだわらず素人の勝手な趣味で言うと、
『翔太と猫のインサイトの夏休み』のほうが、独在論だけでなくいろんな話が
出てくる分、とっつきやすくて比較的読みやすいように思うけど。
817考える名無しさん:2011/07/05(火) 20:23:28.06 0
>>816
レスさんくす。講談社学術文庫で再版されているようなんで、とりあえず読んでみるわ。
818817:2011/07/05(火) 20:36:11.78 0
文庫で再版じゃなくて、文庫化か
819考える名無しさん:2011/07/08(金) 19:06:33.42 0
>永井信者の偏差値は凄く低そうなんだけど

ソクラテスの偏差値はいくつなのですか?
教えてもらいたい先生に師事するほうがよほど利口ではないだろうか。
大学の講義で一つでも為になるものがあるといいですね。

820考える名無しさん:2011/07/08(金) 19:30:30.60 0
>>819
偏差値w
821考える名無しさん:2011/07/08(金) 22:46:17.36 0
いや、どっちでもいいから
とにかくお前ら日大バカにすんなw
822 忍法帖【Lv=34,xxxPT】 :2011/07/09(土) 22:21:33.47 0
まあ、日大の学生はともかく、今の日大の教授陣は豪華絢爛といってもいいからなぁ
823考える名無しさん:2011/07/09(土) 22:26:00.24 0
オーバースペックw
824考える名無しさん:2011/07/10(日) 12:17:42.82 0
『翔太と猫のインサイトの夏休み』
ってタイトルの意味がまずよくわからん。
「翔太と猫の、インサイトの夏休み」だと思ってた。
「翔太と猫のインサイトの、夏休み」って意味かな。
825 忍法帖【Lv=34,xxxPT】 :2011/07/10(日) 12:33:53.91 0
はあ?
826考える名無しさん:2011/07/10(日) 12:47:45.42 0
『翔太と猫の、インサイト"な"夏休み』だと思ってたんだよ。
翔太と猫の二人でインサイト的な夏休みを過ごすって意味で。
でも、そうじゃなくて、翔太と、インサイトと言う名前の猫の二人の夏休み
って意味だったんだなぁと、今さらながら思ったって事。
827考える名無しさん:2011/07/11(月) 22:07:14.39 0

浪人するは一時の恥 日大行くは一生の恥


これ学歴板の常識な
828考える名無しさん:2011/07/11(月) 23:12:42.17 0
偏差値が低いから〈私〉なんてオカルト哲学に夢中になってしまう。
社会の落伍者の自分でも、唯一の〈私〉なんだと信じれば救いがあるから。

しかし、そう考えれば永井教にも敗者救済の意義があるといえるな。

永井を信じなさい、ただ永井を信じなさい。
さすれば汝、救われん!




一歩間違えれば金川真大だけど(笑)
829 忍法帖【Lv=35,xxxPT】 :2011/07/11(月) 23:38:43.68 0
文章からして、ただのアホだな。

あのね、永井を非難してもいいし擁護してもいいよ。
でもね、もうちょっとは知能を使えよ。
830考える名無しさん:2011/07/12(火) 03:51:49.34 0

>>829

   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`)< 自己言及乙 (オマエモナー)
  (     )  \ ____________
  │ │ │
  (__)_)


831考える名無しさん:2011/07/14(木) 00:55:29.68 0
『翔太と猫の〜』、今さらながら読みました。
ハイデガーが最後に持ってこられていて、しかもインサイト(=永井さん?)がハイデガーをあまり評価していないという点が興味深かったです。
永井さんはハイデガーを、理解していないとは言いませんが消化できていないのでは?
それは、ハイデガーの問題意識を捉えられていないからではないかと思います。
永井さんが類稀な哲学者であることは疑いませんが、自分と全く異なる観点から事物を見る他者の思考を読み取る感性は、いまひとつなのではないでしょうか。
そしてそのハイデガーを、よく消化できていない(ように見える)ながら最後に持ってくるあたりに、永井さんの惑いが見えました。

自分にせよ、事物にせよ、それが存在するということは確かに驚くべきことですが、それが消滅するということ(自分の場合だと「死」)もまた圧倒的なことでしょう。
832考える名無しさん:2011/07/14(木) 13:51:02.01 0
永井は「死も捏造された虚構だ、ただし必要な虚構」って言いそうだけどね
833考える名無しさん:2011/07/15(金) 01:11:26.11 O
「死は捏造された虚構」って、何で?
道徳とかについてなら言うかもしれない(それにしても「虚構」という表現は
あまり記憶にない)けど、死は別に道徳に関係あるとは思えないし。
834考える名無しさん:2011/07/15(金) 08:13:54.82 0
>死は別に道徳
あほ? 死生観は道徳の基底。
835考える名無しさん:2011/07/15(金) 09:12:28.72 O
>>834
ほー、じゃあ「死生観」がどう「道徳の基底」になってるの?永井的に。
836考える名無しさん:2011/07/15(金) 09:55:38.55 0
バカだろ。
たとえば、交通道徳を考えてみろや。基本は死亡事故回避。

って、こんなことを例示しなくちゃならないほど、>835はバカ

837考える名無しさん:2011/07/15(金) 09:57:15.37 0
、>835はバカ  →、>835はバカ なのか?
838考える名無しさん:2011/07/15(金) 09:58:02.18 0
ちなみに、「死は人生の出来事にあらず。」といったのはウィト。
839考える名無しさん:2011/07/15(金) 17:14:47.38 0
>>833
なぜ意識は実在しないのか、の冒頭あたりの言い方や
<私>のメタフィジックスで虚構って言葉が出てくる。

見てる感じ、永井は私の存在以外は全て虚構(言語が見せる夢)だとして
棄却しそう、もちろん、その私なるものが何なのかはいつも言ってる話だね
840831:2011/07/15(金) 22:34:40.53 0
実は私は、だいぶ前に永井スレで『翔太と猫の〜』の感想を聞かれ、そのときは未読ですと答えた者です。
これが感想です。見ているかどうかわかりませんが、残りますし、ここに書いておきます。
『ソフィーの世界』のパクリかどうか、なんてことも聞かれましたか。
私の直感以外に根拠はありませんが、彼はいわゆるパクリを、しないというよりできない人だという印象を受けますね。
だから、結果的に似てしまうということがあったとしても、パクリではないでしょう。社会的にはどうかわかりません。

自分の存在に驚愕した(している?)のが永井さんなら、その「存在」のほうに着目し、深く考察したのがハイデガーですよ。
そこにはおそらく驚愕があったんじゃないかと思います。本人(ハイデガー)が忘れてしまっただけで。
永井ファンは、どうか、『翔太と猫の〜』のあの部分だけを読んで、ハイデガーをわかったような気にはならないでほしい。
ハイデガーの凄まじさを、万分の一も伝えていない。
哲学をする者は、世間から自分の思索の上っ面だけを撫でられて適当な解釈をされた経験があると思いますが、永井さんはあそこでハイデガーに対して、世間と同じことをしてしまっていると思います。
841831:2011/07/15(金) 23:09:22.58 0
付け加えておきますが、ハイデガーは大人のための哲学という気がします。
これから社会や世界を知ってゆく者の思索ではなく、すでに知っている(と思い込んでいる)事象に対して重く切り込んでゆく思索という感じです。

それと関連すると思いますが、哲学というものを、何か頭をクリアにするものだという印象を、若い永井ファンはたぶんお持ちだと思います。
ハイデガーはその逆‥‥とまでは言えないと思いますが、どこか頭を鈍くさせるような感触を覚えさせるところがあると思いますから、面食らうと思います。
はっきり言えば、馬鹿になってゆく気がします。
でも、それは錯覚なのです。
もちろん、これも錯覚かもしれませんが。

いちおう、注意点として挙げておきます。
842考える名無しさん:2011/07/16(土) 16:57:17.99 O
>>839
確認したら、確かに、「虚構」という表現は出ていた。
しかしそれにしても、「死が虚構」というのはどういう意味になるの?
「私の存在以外は虚構として棄却」なんて、あまりにも大ざっぱすぎる表現だと思うし、
もし「棄却」というのが「論じる意味が全くないような作り事とみなす」とでもいう趣旨なら、
永井は私以外の全てを「棄却」するなんてことは全く言っていないと思うけど。
843考える名無しさん:2011/07/16(土) 21:21:49.85 O
永井の授業つまんね
844 忍法帖【Lv=39,xxxPT】 :2011/07/16(土) 22:28:57.09 0
日大の学生か?
845考える名無しさん:2011/07/16(土) 22:37:01.56 O
今日、朝日カルチャーセンターで講義があったけど、もしそのことだとすれば、
わざわざ金払って行ったのに「つまんね」としか思わなかったのなら、まあ
お気の毒なことではありますな。
846 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/07/16(土) 23:11:33.48 0
お。
どんな話だったの?
847考える名無しさん:2011/07/17(日) 00:17:40.35 0
>>842
論じる意味が全く無いような作り事ではないかな、
むしろ論じるに値するような虚構(現実)が成立しているということにも驚いていたはず。
「棄却」は確かに悪い表現だと思う、反省。 言いたいのは、「死が驚くべき」ということに関して、
それは言語が見せる虚構に対する驚きだということで、問題を捉え損ねていると言いそうだなぁと思ったの。
848考える名無しさん:2011/07/17(日) 00:54:41.80 O
>>846
だいたいの流れは、
「自己」「自我」と「他己」「他我」は、何が同じで、何が違うのか
→存在論的証明、レアリテートとアクトゥアリテート
→マクタガートの時間論
→実際に他者と「私」という語を使ってコミュニケーションをすることができるのは、
口のついた身体があって、「私」と言ったときにはほぼ必ず特定のその口が動く
などのことが起こるためだ
というもの。

というか、今日配られた資料は、ほぼそのまま「精神科学」という雑誌(?)に載るんだそうでw
『〈私〉の哲学を哲学する』の口・身体に関する話が、より分かりやすく
説明された感じだった。
849 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/07/17(日) 02:51:40.90 0
おお。
ありがとう。

ところで、知っていたら教えてほしんだけど、レアリテートとアクトゥアリテートに
ついて主題的に書いたものとして、岩波の哲学講座に書いた論文以外には何がある?
850考える名無しさん:2011/07/17(日) 09:49:55.64 0
いや、『〈私〉の哲学を哲学する』の口・身体に関するとは全く違う内容だったよ。
そもそもそれ(=口の問題)は最後のおまけみたいなもので主要な論点ではなかったし。
むしろ『道の手帖ウィトゲンシュタイン』のレクチャーとかなり重なっていた。
786に紹介されているのと近い論点。
ただ、
「だから、実際に、デイヴィド・ルイスのような哲学者が、「だが、そのわれわれとは誰だ?」と反問しているわけです。」
の方の話はなくて、ちょっと残念。
一般人に話すにはレベルが高すぎるからかもしれないが、
それは話さなくてもレベルが高すぎたかも(笑)。
851考える名無しさん:2011/07/17(日) 15:38:44.73 0
>口のついた身体があって、「私」と言ったときにはほぼ必ず特定のその口が動く

ウィトゲンシュタインの論理行動主義そのままじゃん。
100年前から進歩してねーなw
852考える名無しさん:2011/07/17(日) 17:30:40.80 O
>>849
知ってる範囲では、それくらいしか…

あとはその中で言及されてる「現実性について」や、今回の話が載るという
「精神科学」という雑誌とか、学会用の(?)雑誌などのことは分かりません。
853考える名無しさん:2011/07/17(日) 18:11:48.22 0
>>851
永井先生はウィトゲンシュタインを超え、竹田やチャーマーズを論破した現代最高の哲学者なんだよ!!
854考える名無しさん:2011/07/17(日) 18:27:22.40 0
永井は現代哲学の評論家。

「独在論」は哲学時評の切り貼りででっち上げた単なるコピペ。
855考える名無しさん:2011/07/17(日) 19:44:01.86 O
>>851
その、「ウィトゲンシュタインの論理行動主義」なるものは、永井の口の話と
何の関係があるの?
サールの『マインド 心の哲学』という本がたまたま手元にあったので、
「論理的行動主義」の説明の部分をちょっと見てみたら、何の関係があるのか
一見しただけでは全く思いもよらないのだけど。
あるいは、「ウィトゲンシュタインの論理行動主義」なるものは、サールの説明
しているようなものとは、全く違うのか。
856考える名無しさん:2011/07/17(日) 21:45:39.30 0
>>853
現代哲学は哲学史だけでなく物理学も基礎にしている。
素粒子やクオリアに還元不可能な〈私〉なんちゃら想定してる永井は19世紀の哲学。

宇宙には物理学に収まらない性質があると信じてる方は以下の板へ。
http://toki.2ch.net/occult/
857考える名無しさん:2011/07/18(月) 07:02:39.12 0
様相が物理に還元できないのは全然あたりまえのこと。
858考える名無しさん:2011/07/18(月) 11:03:16.51 0
すげーな。>857は天才か? w
859考える名無しさん:2011/07/18(月) 14:24:35.52 0
dd
860考える名無しさん:2011/07/18(月) 14:30:03.78 0
>永井先生はウィトゲンシュタインを超え、竹田やチャーマーズを論破した現代最高の哲学者なんだよ!!

ネタで書いているのでしょうが、ネタだからといってデマを放置して
いい理由にはなりませんし、デマを放置することによって誤解が
定着しないともかぎらないのできちんと訂正をいれておくべきでしょう。

竹田が永井に論破されたことはありません。
両者の対談を読めば明らかですが、むしろ竹田が永井をたじたじに
していたというのが実相でしょう。
そのことは竹田の「今日の対談で永井さんはいいたいことをいえてないんじゃないですか?」
的問いかけに端的に象徴されているといっていいでしょう。

ちなみに、永井の主張は自己言及のパラドクスです。
861考える名無しさん:2011/07/18(月) 14:43:34.77 0
>口のついた身体があって、「私」と言ったときにはほぼ必ず特定のその口が動く

いっこく堂みたいに口とじて腹話術で会話するやつら
ばっかりだったらどうなるんだよ!
862 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/07/18(月) 15:48:40.60 0
>>861 が、イイここと言った!

863考える名無しさん:2011/07/18(月) 16:51:16.32 0
竹田じゃお話にならんでしょ。もっと強いの連れてきてよ。
864 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/07/18(月) 17:21:43.80 0
同意。
竹田じゃ、とても対抗馬にはなれないと思うんだけど、彼の何がそんなに評価されて
いるわけ?
素朴な疑問。
865考える名無しさん:2011/07/18(月) 17:51:42.89 O
「私」という言葉を使って通常しているようなコミュニケーションが
できなくなる、という話。

当然ながら、普通の腹話術は、その人の体を全く動かさずに話すわけじゃないから、
直接当てはまるわけじゃないと思うけどね。
866考える名無しさん:2011/07/18(月) 17:53:13.75 O
>>865>>861-862宛て
867苫野一徳:2011/07/18(月) 19:34:00.01 0
竹田マンセー 竹田マンセー 竹田マンセー 竹田マンセー 竹田マンセー 竹田マンセー
868考える名無しさん:2011/07/18(月) 19:49:56.08 0
すれち
869考える名無しさん:2011/07/20(水) 00:50:40.99 0
竹田「信者」、永井「教徒」という表現は、言い得て妙だと思う。
870考える名無しさん:2011/07/20(水) 10:11:04.11 0
つまらん
871考える名無しさん:2011/07/26(火) 15:03:22.70 0
永井についてこんな批判があるんだけど、実際オカルトなの?

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/philo/1310144696/527
527 :考える名無しさん:2011/07/25(月) 21:53:54.90 0
永井スレを見ればわかると思うけど、永井信者はそのオカルトを本気で信じてるからw

永井の<私>みたいな物質にも精神にも論理的に付随しないものが証明されたら、
それは容易に「魂」と読み替えることが可能だから、もし永井の論証が成功してるなら、
ローマ法王庁は緊急記者会見で「魂の存在が理論的に証明された」と発表するだろうw

永井信者は歴史上どれだけの哲学者が魂や神の存在証明を試みて失敗してきたか
知らないわけで、そんな底抜けの無知だからこそオカルト哲学にハマってしまうw
872考える名無しさん:2011/07/26(火) 17:03:48.34 O
「オカルト」とは何なの?
また、ある考え方が「オカルト」であると指摘することが「批判」になる
という理由は何なの?

『事典哲学の木』で「オカルト」という項目が見つかったのでちょっと読んでみたら、
全体的にはとりあえず頭が痛くなっただけなんだが、しかしそれにしても、例えば
「科学もオカルトも人間の経験には違いない。しかし、科学を〈客体の知〉と
位置づけるとすれば、オカルトはその手前あるいは彼方における〈主体の経験〉である。」
なんて記述があって、ちょっとびっくりするわw
873考える名無しさん:2011/07/26(火) 17:05:49.27 0
そんなことを人に聞いて何になるのよ。
一般社会的には、永井はオカルト、竹田は「オ」抜き。
そう思ってて差しつかえないと思う。
差しつかえるのは、信者とコミュニケーションを取らなきゃならないときだけ。

「物質にも精神にも」という表現からは、この書き手が最低限永井の説を理解していることがわかる。
後の部分は哲学的にはどうでもいいこと。
社会的には全然どうでもよくないが。

いわゆるオカルトは、一般的には人間の精神に重きを置く傾向があるから、永井の説は「普通のオカルト」ではないと思う。
言うなら「特殊な」オカルト。
これに対応させるなら、竹田の言説は「特殊な」社会心理学。

「わかる人にしかわからない」
これが悪口のなかにまぎれてしまうから、信者には通じない。
874考える名無しさん:2011/07/26(火) 17:44:55.70 O
>>873
> そんなことを人に聞いて何になるのよ。
いや何になるとかならないとかではなく、>>871の質問の趣旨がよく分からないから
聞いてみようと思っただけだが。
詳しく議論もせずに何か胡散臭いと印象づけるという効果を狙って、
他人に「オカルト」などとレッテルを貼りつけようとするタイプの人もいる
と思うんで、そんなのだったら気に食わないということもあるし。
875考える名無しさん:2011/07/26(火) 17:56:21.41 0
>>871
永井は素人受けはするが他の哲学者にはあまり評価されてない。
特に〈私〉とか独在性は無視に近いレベルで、オカルト扱いといっても過言ではない。

さすがに永井も初期の頃の著作では独在論が中心だったが、
最近の著書は認識論が中心になってる。
876考える名無しさん:2011/07/26(火) 22:31:14.87 O
野矢茂樹『語りえぬものを語る』331頁の註1で、『私・今・そして神』に出てくる
私的言語(の最初のほう)が批判されていた。
とりあえず見つけただけなので、適切な批判なのかどうかわかりませんが。
877考える名無しさん:2011/07/26(火) 23:59:34.00 0
>>872
873は871へのレスだ。すまない。
878 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/07/27(水) 00:11:53.74 0
>>875
> 永井は素人受けはするが他の哲学者にはあまり評価されてない。

はあ?
永井は、少なくとも竹田とは役者が違うぜ。
879考える名無しさん:2011/07/27(水) 00:19:04.48 0
哲学に、役者は要らない。
880考える名無しさん:2011/07/27(水) 00:26:16.62 0
哲学における有効な批判ってなんだろうな
881考える名無しさん:2011/07/27(水) 01:24:47.67 O
>>877
>>872
> 873は871へのレスだ。

それなら、あなた(>>873)は、何を理由に「永井は一般社会的にはオカルト」
などと言っているの?
882考える名無しさん:2011/07/27(水) 22:25:50.05 0

「徳川家康が〈ぼく〉であったり、ポチが〈ぼく〉であったりすることもできたはずなのに、永井均が〈ぼく〉であった」


 ↑ こ い つ 最 高 に 馬 鹿
883考える名無しさん:2011/07/27(水) 22:31:43.49 0
> 「徳川家康が〈ぼく〉であったり、ポチが〈ぼく〉であったりすることもできたはずなのに、永井均が〈ぼく〉であった」

「ぼくが徳川家康であったり、ぼくがポチであったりすることもできたはずなのに、ぼくが永井均であった」
という命題とどう違うの?
884考える名無しさん:2011/07/28(木) 18:49:41.90 O
>>883
> 「ぼくが徳川家康であったり、ぼくがポチであったりすることもできたはずなのに、ぼくが永井均であった」
というほうの表現でも混乱なく議論できるんだったら、別にそっちでもいいんじゃないの。
近年の本では〈〉があまり出てこないのもあるし。
885873:2011/07/29(金) 14:00:35.65 0
>>881
言っておくけど、日本大学教授・永井均氏の講義が全部でたらめだとか言っているわけではないよ、念のため。

永井の<魂><私><ぼく>etc...は、物質にも精神にも依拠していない。
脳波や光だって物理法則(現在発見されている物理法則だけではない)からは逃れえない。
だが永井の言う「もの」は、物理法則では収まらないもの。
そしてその「もの」は、「人格」という心理学的概念にも収まらないし、いわゆる「心」の話でもない。
そういう「もの」が存在すると考えるのは自由。
だがそれは、一般社会的には「信仰」と呼ぶべきものだと思う。
信仰の自由は、この一般社会で認められている権利だ(認めていない社会体制もあるが、それはまた別の話で)。
永井信者が「私はこういう信仰を持っています」と言うのなら、一般社会的に受け入れられるだろう。また受け入れられるべきだと思う。

うろ覚えですまないけど、たしか「<魂>に対する態度」の永井の講演部分の質疑応答の箇所で、高橋哲哉が、
「たしかに私には自分が高橋哲哉であることなどあずかり知らぬことだが、だからといってそれで裸の主体としての自己を見出せるわけではない」
という意味のことを永井に言っていた。
永井の本を読んだ奴の多くは、裸の主体としての自己を見出しちゃってはいないかな。

<魂><私><ぼく>etc...の話は、
「意識が己(=意識自身)を意識したことを、私は知覚しました」
という、「普通の」言い方でも言えると思う。
また西洋哲学が、一部を除いて、存在の奇跡性の「問題」をないがしろにしてきたとは思う。
しかし、あの話は、永井が発見した(かもしれない)ひとつの通路なのではないか。
永井の本を読んで感動を覚えた人は、自分で自分の通路を探そうと思ってほしい。

長くなってすまない。
といっても、どうしても長くなる。
886考える名無しさん:2011/07/29(金) 17:45:05.16 0
     ,.ィ , - 、._     、
.      ,イ/ l/       ̄ ̄`ヽ!__
     ト/ |' {              `ヽ.            ,ヘ
    N│ ヽ. `                 ヽ         /ヽ /  ∨
   N.ヽ.ヽ、            ,        }    l\/  `′
.  ヽヽ.\         ,.ィイハ       |   _| 
   ヾニー __ _ -=_彡ソノ u_\ヽ、   |  \     ヒトラーが〈私〉であることもできた!
.      ゙̄r=<‐モミ、ニr;==ェ;ュ<_ゞ-=7´ヽ   >    犬のポチが〈私〉であることもできた!
.       l    ̄リーh ` ー‐‐' l‐''´冫)'./ ∠__ 
       ゙iー- イ'__ ヽ、..___ノ   トr‐'    /  でもこのキバヤシが〈私〉なんだ!
       l   `___,.、     u ./│    /_  これは奇跡なんだよっ!!
.        ヽ.  }z‐r--|     /  ト,        |  ,、
           >、`ー-- '  ./  / |ヽ     l/ ヽ   ,ヘ
      _,./| ヽ`ー--‐ _´.. ‐''´   ./  \、       \/ ヽ/
-‐ '''"  ̄ /  :|   ,ゝ=<      /    | `'''‐- 、.._
     /   !./l;';';';';';';\    ./    │   _
      _,> '´|l. ミ:ゝ、;';';_/,´\  ./|._ , --、 | i´!⌒!l  r:,=i   
.     |     |:.l. /';';';';';|=  ヽ/:.| .|l⌒l lニ._ | ゙ー=':| |. L._」 ))
      l.    |:.:.l./';';';';';';'!    /:.:.| i´|.ー‐' | / |    |. !   l
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        l  |:.:.:.:.:.:l;';';';';'/:.:.:.:.:.:.:.:| |__,.ヽ、__,. ヽ._」 ー=:::レ'  ::::::|;   7
887考える名無しさん:2011/07/29(金) 17:46:56.73 0

         ナ ゝ   ナ ゝ /    十_"    ー;=‐         |! |!
          cト    cト /^、_ノ  | 、.__ つ  (.__    ̄ ̄ ̄ ̄   ・ ・
ミミ:::;,!      u       `゙"~´   ヾ彡::l/VvVw、 ,yvヾNヽ  ゞヾ  ,. ,. ,. 、、ヾゝヽr=ヾ
ミ::::;/   ゙̄`ー-.、     u  ;,,;   j   ヾk'! ' l / 'レ ^ヽヘ\   ,r゙ゞ゙-"、ノ / l! !ヽ 、、 |
ミ/    J   ゙`ー、   " ;, ;;; ,;; ゙  u ヾi    ,,./ , ,、ヾヾ   | '-- 、..,,ヽ  j  ! | Nヾ|
'"       _,,.. -─ゝ.、   ;, " ;;   _,,..._ゞイ__//〃 i.! ilヾゞヽ  | 、  .r. ヾ-、;;ノ,.:-一'"i
  j    /   ,.- 、  ヾヽ、 ;; ;; _,-<  //_,,\' "' !| :l ゙i !_,,ヽ.l `ー─--  エィ' (. 7 /
      :    ' ・丿   ̄≠Ξイ´,-、 ヽ /イ´ r. `ー-'メ ,.-´、  i     u  ヾ``ー' イ
       \_    _,,......::   ´゙i、 `¨ / i ヽ.__,,... '  u ゙l´.i・j.冫,イ゙l  / ``-、..- ノ :u l
   u      ̄ ̄  彡"   、ヾ ̄``ミ::.l  u   j  i、`ー' .i / /、._    `'y   /
              u      `ヽ  ゙:l   ,.::- 、,, ,. ノ ゙ u ! /_   ̄ ー/ u /
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        ./__        ー7    /、 l   '゙ ヽ/  ,. '"  \`ー--- ",.::く、
       /;;;''"  ̄ ̄ ───/  ゙  ,::'  \ヾニ==='"/ `- 、   ゙ー┬ '´ / \..,,__
、      .i:⌒`─-、_,....    l   /     `ー┬一'      ヽ    :l  /  , ' `ソヽ
ヾヽ     l      `  `ヽ、 l  ./  ヽ      l         )  ,; /   ,'    '^i
888考える名無しさん:2011/07/29(金) 22:43:36.10 0
>意識が己(=意識自身)を意識したことを、私は知覚しました」

問題はその”私”って誰ってところなんだが、まあわからない
人にはなにをいってもわからんのだろう。
889考える名無しさん:2011/07/30(土) 00:44:58.40 0
そもそも「永井の<魂>」なんて言ってる時点で誤読なんだよな。なんで永井なんて他人に<魂>があることになるんだ?
永井の文章を、その言葉(殴られると本当に現実に痛くなる奴が<私>…みたいなやつね)通りの意味に読むなら、
<私>なのは永井じゃなくてこの俺(889)だ、ということになるんだけど。
890考える名無しさん:2011/07/30(土) 01:15:07.03 O
>>889
念のため付け加えると、〈私〉ということで問題になっているのは(永井でも他の読者でもなく)
この私だ、という面の理解を欠くことはできないが、同時に、その問題が(永井を始めとした!)
他者にも当てはまってしまう、という面の理解も欠くことはできないということだと思うけど。
891考える名無しさん:2011/07/30(土) 16:09:03.62 0
>>889
違うよ
文字どおりに読んだら<私>ってのは889じゃなくて891だよ
892873:2011/07/30(土) 21:09:08.22 0
>>888
そう言われると、話のしようがないんだよね、こっちも。
現代日本社会では、成人の私的内面を批判することは悪いことだという価値観が定着していると思う。
それが批判じゃなくて批評でも悪いことなのだという風潮も蔓延していると思う。当たり外れを吟味することもなく。
竹田信者に対する批評も、彼らには「外側」からの批判にしか聞こえないんだろう。

俺はやっぱ、永井の話は倫理のほうが面白いな。
あるいはこういう(書いたの俺)、
ttp://kamome.2ch.net/test/read.cgi/philo/1294955499/97

行間でふっともらす一言みたいなのが。
他では得がたいよ、こういうセンスは。

永井はどこかで「世間体至上主義の倫理学」(←細かく違ってたらすまない)を書こうと思っていると冗談で書いていたが、冗談じゃなしに本気で書いてもらいたいと思う今日この頃だ。
893考える名無しさん:2011/07/30(土) 21:29:41.90 0
>>886
もし大学教授じゃなく一般人がこんなこと言ってたら
単なるキチ○イだよなwww
894考える名無しさん:2011/07/31(日) 06:22:22.47 0
×もし大学教授じゃなく一般人がこんなこと言ってたら単なるキチ○イだよなwww
○一般人なら馬鹿呼ばわりで済むが、大学教授がこんなこと言ってたらキチ○イだよなwww
895考える名無しさん:2011/07/31(日) 13:26:55.62 0
>873

俺の読解とあまりにも違うのでレスしてみる。

「存在aはPである」という文に対して、
「P」に「物質」や「精神」をあてはめたとき、
「存在aは物質である」「存在aは精神である」という文になる。
全ての存在は「物質」と「精神」の二つに色分けできる、という常識的な(?)世界観があり、
それに対して、永井は、「P」には物質でも精神でもない3つ目の次元がある、
と意義申し立てを行なっている、
……というわけでは、全然ないだろう。

永井が山括弧つきで問題にしているのは、
どちらかというと原子的でユニークな「存在x」の方だろう。
また、これも、出来事(=文)から存在を切り離すことで裸の「存在x」が見えてくる……のではなく、
現実は偶然であり、出来事の項にはユニークな存在が不可欠なので、
いかなる出来事も私的性格をまぬがれた形で現実化しない、
ということになのではないかと思う。
896考える名無しさん:2011/07/31(日) 20:12:51.78 0
>永井が山括弧つきで問題にしているのは、
>どちらかというと原子的でユニークな「存在x」の方だろう。

それなら永井が問題にしているのは単独性ということになるわな。
897考える名無しさん:2011/07/31(日) 21:21:46.78 O
そもそも「原始的でユニークな「存在x」」の意味がよく分からんのだけど。
それは〈私〉あるいは《私》のようなものを指す表現なの?
898考える名無しさん:2011/08/01(月) 00:09:36.41 0
たぶん、使っている本人もわかっちゃいないさ。w
899考える名無しさん:2011/08/01(月) 16:29:33.78 0
>>897
任意の<x>を指す言葉として使った。
先の文なら、永井の<私>は「私である存在a」とパラフレーズできる。
この世界で「私である存在(モノ)が永井均である」コトが「<私>は私である」コト。
……こういう書き方が悪いというのはとりあえず脇に置く。

で、自分としてはコトなきモノはないと思う。あくまでもモノはコトの項である。
『〜比類のなさ』を読んでいるかぎり、
永井もそれを真っ向から否定するようなことを言っていないと思うのだが、
俺よりも永井の本を集中的に読んでるだろう人(某スレ417)が、
「永井はコトなきモノとして<x>を使っている」説を言っているので、
そう自信があるわけでもない。
900考える名無しさん:2011/08/01(月) 19:53:27.53 O
>>899
>>897
> 任意の<x>を指す言葉として使った。
> 先の文なら、永井の<私>は「私である存在a」とパラフレーズできる。
> この世界で「私である存在(モノ)が永井均である」コトが「<私>は私である」コト。

説明してもらって申し訳ないけど、この3行の意味が本当に全く理解できないのだけど…。
私の今の頭で理解している限り、少なくとも『私の存在の比類なさ』の中で、
明示的に「コト」とか「モノ」とかいう話を論じているところはないので、
それに関して何かを真っ向から否定してるような箇所がないのは、まあ当然
ではないかと思うけど。
901考える名無しさん:2011/08/01(月) 21:23:46.32 0
流れに関係なく、私であると言うことは何らかの性質なのか
(つまり、特定の物質的・精神的性質さえあればそれは私なのか)
それとも、性質とは違う事柄であるのか、という風に永井の指摘する問題を理解していいのかな?
902考える名無しさん:2011/08/01(月) 22:33:54.55 O
>>901
「性質」と「事柄」という区別の趣旨がよく分からないけど、永井の最近の本だと、
私である場合とそうでない場合とで事象内容的な(レアールな)違いはないという
話なので、「事柄」というのが何か内容的なものを指しているのなら、それは
違うということになるんじゃないかと。
903考える名無しさん:2011/08/02(火) 17:40:42.03 0
そこは、事柄という言い方が悪いのは認めるけど、他にどういえばいいんだい?
<私>とでも言えば満足してくれるのかい? しかも私の言ったことを他者であるあなたが?
できればそんな細かい言葉遣い程度は察して欲しいところだったなぁ。
つまり、そういう肉体的・精神的性質(内容既定)を飛び越えるものを
議論しようとしているのかい? と尋ねたわけだよ。
904考える名無しさん:2011/08/02(火) 20:13:26.63 O
>>903
> <私>とでも言えば満足してくれるのかい?
そりゃ、そう言われれば、何も紛れがなくて一番いいよw
この点の対比の用語としては、「レアール」の話以外にも「現実的」と「概念的」とか、
「端的に」と「とっては」とか、いろいろあるのに、「性質」と「事柄」という、
永井の本の中では見たことの(少なくとも私の記憶では)ない用語が使われていたので、
念のため慎重に答えたんだけど。
あるいは私が無知なだけで、「性質」と「事柄」、あるいは「モノ」と「コト」という
対比には、永井が「レアール」について書いているような対比が一般的に含まれている
ということだったら、機会と余裕があれば勉強してみますが。
(ごく簡単に手元で可能な範囲で調べてみた限りでは、そういう対比のようには
ちょっと見えなかった)
905考える名無しさん:2011/08/02(火) 20:44:22.22 O
永井は裸の王様
906考える名無しさん:2011/08/02(火) 21:10:56.19 0
>>904
永井用語事典的解説 乙
907考える名無しさん:2011/08/02(火) 21:56:43.31 0
てか永井以外の哲学書も読めよ・・・
908考える名無しさん:2011/08/02(火) 22:19:46.91 O
それならどういうのを読むのがいいの?
素人信者に過ぎないもので、永井以外には、以下のような大変しょぼい状況ですが。
・『言語哲学大全』1〜3までは一応読んだ(眺めた)が、4にはなかなか手が着かない
・『哲学の謎』『哲学航海日誌』『論理学』『論理トレーニング』は(読めた範囲では)
面白く読めた気がする
・『論考』『青色本』『探求』(第1部)は、一応眺めた
あとウィトゲンシュタイン入門書なら何冊か読んだ
・『名指しと必然性』『ウィトゲンシュタインのパラドックス』は一応眺めた
(なぜか前者のほうが読みやすく面白く感じたんだが、多分何か勘違いしてるんだろう)
・『純粋理性批判』は、正直手強くてなかなか進まない
・『道徳の系譜』は(読めた範囲では)印象に残ってるが、他はどうも
アフォリズムというものが好きになれなくて、進まず投げ出したのが多い
909考える名無しさん:2011/08/02(火) 22:46:08.35 0
率直に言うが、素人が哲学書(これに限らない、何らかの専門書)を読む、というのは、
一体、どれくらい意味があるんだろうな?

まず第一に、わからない。当然だ、素人だから。
第二に、専門家(ないしは予備軍もどき)から、よくて敬遠、わるければ嘲笑・罵倒
される。
喜ぶのは、人気商売の大学教師と出版社、あとはせいぜい朝日カルチャーセンター
くらいだ。

以上は、どうしようもない真理だ。
当たり前だが、哲学であれ何であれ、「専門領域は専門家しかわからない」。
カモの人生を送るのか?
910考える名無しさん:2011/08/02(火) 23:11:49.21 0
何で全然哲学に関係ない話題(哲学にまつわる利益や評判などの周辺情報)を
ここに書き込もうとするのか理解に苦しむ、その真偽に関わらずどうでもいい
911考える名無しさん:2011/08/02(火) 23:24:34.91 0
うん、不快になったら、すまない。
しかし、その真偽にかかわらずどうでもいい、というのは、余りにもめでたくないか?
その程度の観察眼と客観視は、あってもバチは当たらないと思うのだが。

それとも「自分は関心があるので、やっているだけだ、余計なお世話だ」ということ
なのだろうか。
そうかもしれないが、そして、その限りでは何をやろうが個人の自由だが、とりわけ、
永井や中島に関わるスレを見るたびに、ある種、粛然とした気持ちになる。

悲惨だ、そう思うのは、俺だけか?
912考える名無しさん:2011/08/02(火) 23:36:07.90 0
それなら、専用のスレを立ててそう言えばいい、ここはそういう場じゃない
と思うのだが、 そう思うのは俺だけか?
913考える名無しさん:2011/08/02(火) 23:53:33.07 O
>>911
「粛然」とするの?「愕然」とかじゃなくて?
いやあ、こちとら、ただ適当に興味を持てそうな本を読み(買い)散らかしてる
だけなのに、そんな厳かに襟を正すような気分になっていただけるなんてw
914考える名無しさん:2011/08/03(水) 00:09:32.57 0
いや、やっぱり粛然とするんだ。
だが、悪かった、もう書かない。
915考える名無しさん:2011/08/03(水) 01:24:02.01 0
>>908
>・『名指しと必然性』『ウィトゲンシュタインのパラドックス』は一応眺めた
>(なぜか前者のほうが読みやすく面白く感じたんだが、多分何か勘違いしてるんだろう)

センスあるね。もちろん前者の方が重要な傑作だ。後者はまあ、日本では人気あるね。
916考える名無しさん:2011/08/03(水) 01:27:05.58 0
この国民支配はすでに中国、韓国、北朝鮮では実現されている。
テレビや新聞は国民に『都合の悪い事実を報道しない。』『洗脳教育』を行っている。
そして、政府に歯向かう人間は殺害、洗脳する。
中国共産党が企む日本侵略へのカウントダウンを阻止しよう!

ネットで反対署名!電話で抗議 !デモ参加!
できる反対運動をやろう!日本国民が力を合わせて阻止しよう!!
917考える名無しさん:2011/08/03(水) 15:56:27.14 0
>>908-909
自分で「素人」というレベルならそもそも永井の本は読まないほうがいい。
永井の本は初心者向けに書かれてるようで実は凄いバイアスのかかった曲者で、
初めて野球を習うやつフォークボールの投げ方習うようなものだ。

918考える名無しさん:2011/08/04(木) 15:05:07.83 0
初心者ならギリシャ古典とデカルト、カント読んどけ。
基本をすっとばして永井とかウィトゲンシュタインなんか理解できるわけない
919考える名無しさん:2011/08/04(木) 18:14:59.38 0
>>909
浅羽通明が『教養論ノート』でそのあたりのことについて書いてる。
永井均の話も少し出てきて、竹田青嗣と浅田彰が批判されている。
920考える名無しさん:2011/08/04(木) 18:59:06.65 0
>>919
その本に「知のねずみ講システム」とか「カモ養成システムとしての学校」の話が出てる。
921考える名無しさん:2011/08/04(木) 21:20:26.97 0
ところが、ギリシャ古典もデカルトもカントも、みんな最初からフォークボールなんだな、これが。
922考える名無しさん:2011/08/04(木) 21:27:16.25 O
「騙されて金を使わされている」みたいな考え方をする余地が全くないとは言わないけど、
なにを理由に、永井スレなどという場所で、そんな活動してるのかね?
永井の出してる文庫・新書なんて、つまみ2、3品で酒飲む値段と変わらんのだぞ?w
岩波講座哲学の『形而上学の現在』を買った時は、俺ってひょっとして少しバカなんだろうか
と全く思わなかったわけでもないけど、それでもちょっした飲み会の費用より
安いくらいなんだぞ?w
そんなものより問題にすべきものは(もしわざわざそんなお節介を焼きたくなるほど
世の中の不正に立ち向かうのに熱心なら)、他にいくらでもあるだろうに。
923考える名無しさん:2011/08/04(木) 21:38:08.05 0
いや、きっと、痛い目にあったんですよ。「第二」の点で。
「専門家(ないしは予備軍もどき)」から「嘲笑・罵倒」されたんでしょ。
924考える名無しさん:2011/08/04(木) 21:41:22.34 0
>>919
それ、知らないなぁ。
どんなこと、書いてある?


925考える名無しさん:2011/08/04(木) 21:48:42.94 0
>>875
永井は哲学アカデミズム内での評価が高いよ。
カント原理とライプニッツ原理の対比とか、
レアリテートとアクトゥアリテートの対比を時間、人称、世界等々に当てはめていく議論とか、
むしろプロ受け(だけ)している。
(素人は実は殆ど理解していない。)
また、永井は初期も最近も一貫してこの議論だけで、認識論なんか論じたこともないだろう。
926考える名無しさん:2011/08/04(木) 22:47:10.52 0
>永井は哲学アカデミズム内での評価が高いよ。
だれがどのような評価しているの?

信者の風評はあてにならない。w
927考える名無しさん:2011/08/04(木) 22:59:27.26 0
>>925
信者の脳内アカデミズムの妄想は凄いなw

永井の議論は最初が独在性という存在論的独我論で、そこから独在性が「語りえない」という認識論へと発展していく。

そんな基本的なことも理解できないやつが「哲学アカデミズム内での評価」なんて言ってるのはお笑いです。



928考える名無しさん:2011/08/04(木) 23:26:57.69 0
>>921
君がギリシャ古典もデカルトもカントも読んでないのはわかった。

さっそく永井の本を捨てて図書館に行くんだ。
でないと>>925みたいになってしまうぞ。
哲学書を聖書のように読むようになったらお終いだ。
929考える名無しさん:2011/08/04(木) 23:33:28.91 0
>>927
(´・ω・`)
なに、その「存在論的独我論から認識論へ」という理解は?

俺は >>909 だが、永井が哲学アカデミズムで評価が高いというのは明白な事実だ。
あなたは、現実の「哲学アカデミズム」を知った上で否定しているの?
まさか、哲学アカデミズム内部では「評価が高い」ことは「その意見に同意する」
ことを含意するなんて思っていないよね?

でもね、本当は哲学アカデミズムなんて、どうでもいいんだよ。
そもそも、永井を読んでもわからないだろ? ほとんど、皆目。
一体、それは何故だと思う?
930考える名無しさん:2011/08/04(木) 23:46:40.78 0
>そもそも、永井を読んでもわからないだろ? ほとんど、皆目。 一体、それは何故だと思う?
独白乙。 君が永井を理解できないのは、永井もまた理解しきってさえいないい加減なことを
書き散らしているからだよ。「語り得ぬこと」なのに語り得るのは、可能性として騙りがのみ可能だから。
永井自身、独在論をうまく論じ得たと考えていない。ってかいているように。

>永井が哲学アカデミズムで評価が高いというのは明白な事実だ。
事実なら、その事実をきちんと指し示すことができるよね? なぜ、示さないの? w



931考える名無しさん:2011/08/05(金) 00:32:35.11 0
国立大学の教授になってるじゃないか。
日本の哲学界で一応は評価されているということではないかい?
932考える名無しさん:2011/08/05(金) 00:35:50.44 0
>>930
杜玖椀を知らんようだなw
低学歴乙
933考える名無しさん:2011/08/05(金) 00:38:27.67 0
「杜玖椀」って言ってるやつに聞きたいんだが、
そういうこと書くと何か嬉しくなるの? 
ただの馬鹿にしか見えないんだけど。
934考える名無しさん:2011/08/05(金) 00:45:37.60 0
「杜玖椀」とか云う奴って 大昔から哲板に居るけど、十年一日進歩深化がないよな〜w

>国立大学の教授になってるじゃないか。
>日本の哲学界で一応は評価されているということではないかい?

あははは。w
935考える名無しさん:2011/08/05(金) 00:56:12.75 O
それにしても、永井に興味を持った素人にとって具体的に役に立ちそうなレスは
全く出てきませんな。
936考える名無しさん:2011/08/05(金) 01:07:57.94 0
>>934
あはははって、日本の哲学界での評価ってそんな程度のものだよ?
937考える名無しさん:2011/08/05(金) 01:17:00.64 0
>>932
当然君なら、「堵虞慧螺轡簸」を理解しているよな。
機会があったらご高説を聞かせて欲しいモノだな。





938考える名無しさん:2011/08/05(金) 01:41:06.32 0
確かに永井は『子どものための哲学』で「問題の第二ラウンド」という言い方で、
認識の問題に入ることを書いてる。
これを読み取れないやつはちょっと足りないな。
939考える名無しさん:2011/08/05(金) 02:15:08.43 0
第二ラウンドではなぜ独我論が他人に理解されるのかが問題になっているのであって
認識論は全く関係がないよ。むしろ問題になっているのは言語でしょう。
どうして認識論だと思ったの?
940考える名無しさん:2011/08/05(金) 07:36:14.80 O
何が認識論なのかさっぱり分からないが、まさかひょっとして、「語りえない」
ということを「私については認識できるが他人については認識できない」ということだと
思ってるんだろうか…
941考える名無しさん:2011/08/05(金) 10:12:05.03 0
939さんの意見が正しいと思うけど、それは永井の用語で言うと「累進構造」だ。
累進構造論こそが永井哲学の中心問題だろう。

あと、素人と玄人の対比で言うと、そもそも注目している論点が違うんだよね。
素人は<私>の存在という点に注目するけど、それはむしろ自明の前提の確認にすぎなくて、
@しかしそれが「累進」するので「語れない」こと
Aそして同じことが人称以外の時制(つまり現在)や様相(つまり現実世界)や「神」等の概念にも当てはまること
とりわけ後者が玄人の注目する点だな。
942考える名無しさん:2011/08/05(金) 10:42:56.10 0
玄人って誰のこと?
943考える名無しさん:2011/08/05(金) 12:01:20.30 0
それで飯を食ってる連中のことだろ
944考える名無しさん:2011/08/05(金) 12:25:19.25 0
それは、「玄人(くろうと)」という語の意味だろ。

もしかして玄人(ばいにん)さん?

945考える名無しさん:2011/08/06(土) 12:35:42.30 O
当たり前だけど、少なくとも『〈私〉の哲学を哲学する』の共著者である
入不二基義、上野修、青山拓央と、あと「あとがき」で紹介されている人たちは、
永井の哲学に関心を持っている玄人であることは明らかでしょう。
(それともこの人たちは「玄人」ではないのだろうか(私自身は素人なので
よく知らないけど))
946考える名無しさん:2011/08/10(水) 20:44:39.76 0
結局転校生とブラックジャック〜では、どの生徒が女でどの生徒がそいつに気が在ったんだ?w
947考える名無しさん:2011/08/10(水) 21:49:48.91 O
多分Fさんは女性なんだろうが、それ以上のことは知らんw
(積極的に議論してない人のことはあまり頭に残ってない)

そういえば、E君とC君は実は同一人物の自演だった、とかいう隠れオチはないのかなw
948考える名無しさん:2011/08/11(木) 00:10:27.18 0
全部永井の自作自演。あたり前の話。
949考える名無しさん:2011/08/11(木) 18:09:59.12 0
948はその通りだけどそんな話をしているわけではないだろう
950考える名無しさん:2011/08/15(月) 22:00:24.69 0
この世界がすべて神さまの自作自演だとしても、その世界の中に俺と俺じゃない奴がいるのはなぜ?
951考える名無しさん:2011/08/15(月) 23:39:32.60 0
可能性Aと可能性A'のちがいじゃよ
キャラの立ち位置ゲーみたいなもんじゃな
952考える名無しさん:2011/08/16(火) 21:18:47.53 0
でも、この同じ一つの世界なのだから、可能性A=可能性A' のはずでは?
953考える名無しさん:2011/08/17(水) 12:45:24.63 O
自演というのは、私と私じゃないやつがいることを前提として、私じゃないやつが
実は自演ではないかという話なので、そもそも私と私じゃないやつがいるのは
どういうことか、という話とは違うんじゃないかと思うんだが。
954ドフリーリヒ・ニート:2011/08/17(水) 13:19:03.41 0
子供のための哲学だっけ、さっきざっと読んだけど
「俺は何でこんなひどい目にあうんだろう、開放されたい」とか
「あいつはなんてうらやましいんだろう、こんな俺は辞めてあいつになりたい」
とかの思いに憑付かれないと出てこない発想だなと思った
955考える名無しさん:2011/08/17(水) 13:58:02.88 0
慶応ボーイのワガママ→ルサンチマン。w
956ドフリーリヒ・ニート:2011/08/17(水) 15:31:57.03 0
あと、親に「生んでくれなきゃ良かったのに」といいたくて仕方ないんだが、そう言うことに
不孝というより矛盾とか謎を感じちゃうと「私とは何か」という問いが出てきそうだな
957考える名無しさん:2011/08/17(水) 21:43:25.22 0
そういう種類の問題とは全く関係ない。
なぜ2011年8月17日が今日なのか、という問いが、その今日という日がどういう日であるかとは何の関係もないように。
その関係のなさこそが問題の本質だ。
958考える名無しさん:2011/08/17(水) 23:54:39.42 0
文章に「なぜ」を付けて理由を問う疑問文にしてしまえば
宇宙規模の哲学問題を誰でも生成できる。
という安易さこそが懐疑主義者の悪癖だろう。

そういう問いは、問いを立てた本人にこそ答えを出して欲しいモノだ。w
959考える名無しさん:2011/08/18(木) 10:18:54.97 0
だから、その答えがあのながいながいながいてつがくなのだよ。
960考える名無しさん:2011/08/18(木) 10:32:02.32 0
>>958
文章に「なぜ」を付けて理由を問う疑問文にしたって、
宇宙規模の哲学問題なんか生成できないよ。
そうして作られた疑問文の殆どは科学的に答えられているか答えられうるから。
重要なのは、なぜある種の問いは科学的には答えられないのかを、
科学哲学を含む知識構成の本質論から明らかにすることで、
それがまさに哲学の仕事だ。
961考える名無しさん:2011/08/18(木) 12:02:13.48 0
>>950
how (the way which) と why(the reason which) とを混同してない?
科学は how問題については回答できるだろうけどね。
962考える名無しさん:2011/08/18(木) 12:02:43.05 0
950 >> 960
963考える名無しさん:2011/08/19(金) 02:30:59.92 0
みんな<私>の永井均を語ってるだけ

お互いに難癖付け合ってる

阿呆らし
964考える名無しさん:2011/08/19(金) 23:02:55.67 0
>>959
ながいてつがくに答えはないだろう
擬似問題ばかり立てるのがながいてつがく
965考える名無しさん:2011/08/19(金) 23:19:27.38 0
ながいながい哲学のはなし
966考える名無しさん:2011/08/19(金) 23:52:12.73 0
ながいてつがくがないがな
967考える名無しさん:2011/08/21(日) 01:09:16.72 0
>>963

   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`)< 自己言及乙 (オマエガナー) w
  (     )  \ _____________
  │ │ │
  (__)_)

968考える名無しさん:2011/08/21(日) 10:56:20.57 0
いやいや、963さんはメタ言明だから「自己言及」にはなってはいないだろう。
しかしそもそも<私>は中心問題じゃないという941さんの主張に対しては、どうしてみんな何も言わないの?
もし941さんのAが正しければ、964さんに反して「答えはある」ことになる(人称や時制はじつは様相だから等々の形で。まあ、実際そうだろうし)。
すると961さんに反して、哲学もhow (the way which)に答えていることになるのでは?
(というかwhyとhowの区別なんて実はないということに)。
969考える名無しさん:2011/08/21(日) 12:31:09.68 O
>>968
> しかしそもそも<私>は中心問題じゃないという941さんの主張に対しては、どうしてみんな何も言わないの?

「みんな」ってどういう人のことを想定してるのか分からないけど、個人的には、
ただ〈私〉が存在するというだけで問題になるわけではなく>>941の@Aのようなことが
問題だというのは、永井が書いていることそのものだと思ったので、特に何か疑問や意見が
出るような記述ではないと思うけど。
どの点に玄人が注目するかは、私は素人なので分かりませんが。
970考える名無しさん:2011/08/21(日) 15:08:18.31 0
>いやいや、963さんはメタ言明だから「自己言及」にはなってはいないだろう。
どこがメタ言明? たんなるアホのメタンガス抜きだろ。 【阿呆らし】

971考える名無しさん:2011/08/22(月) 06:01:03.79 0
>>968
ここで一つの思考実験をしてみよう。
君が2008年3月に起きた殺人事件の殺人犯取り調べ官だったとしよう。
そこで、君は実行犯Kに「なぜ、Kは殺人を行ったのか?」と問うたとする。
君のなぜ?という問いに対して、実行犯Kは同年3月19日と23日の土浦駅と
荒川沖駅周辺での実行行為の詳細を時系列的に述べたとする。
しかし実行の動機や決意の理由には一切供述はなく、一言も明らかにしていないとする。
そういうKの供述に対して、取調官である君は「なぜ、Kは殺人を行ったのか?」という
問いに対してきちんと答えたと受け取るのであろうか? 
実行過程の時系列的な詳述だけで満足するのであろうか?

>(というかwhyとhowの区別なんて実はないということに)。
などと考えているのであれば、上述の問いはもちろん YES だろうな? w
972考える名無しさん:2011/08/27(土) 18:44:33.26 0
973考える名無しさん:2011/09/01(木) 13:36:48.25 0
>永井は実は本書で数々の主張をしており,その中でも,疑いなく正しいと思われる
>ものは,指標性の問題と意識の問題との本質的繋がりの指摘である.チャルマーズ
>はあたかもこの二つを完全に独立なものと見なしており,指標性の問題を単なる言
>語の問題と考えている.チャルマーズは,指標性の問題が本物の問題であることを
>ある程度は認めているが,彼自身にとって,指標性の問題は,それほど深刻な問題
>ではない.というのも,「ひとたび中心がどこになるか特定されれば,一次内包は
>完全に申し分のない非指標的性質を決定する」からであり,それに対し,意識の問
>題は,彼によれば,指標的事実の問題が解決されても残る,何かそれ以上の問題な
>のである.
> 彼がこう考えることができるのは,結局彼にとって「現象的意識」というものが,
>すでに第1章で論点先取に近い形で定義されてしまっているからである.本来は,
>そこでそのような(機能的には捉えられない,心理的な意識とは独立の)現象的意
>識などというものが,果たして整合的なものであるのかどうかがまず論じられねば
>ならなかったのであり,(にもかかわらず)一旦定義され,所与のものとして前提
>された時,彼のゾンビ論法は実質的にその時点で完成していたのである.だがその
>とき,本来一人称的に捉えられたはずのそれは,「私」との繋がりを欠いたまま客
>観的に語れるようなものとなってしまっている.そしてだからこそ,第0次内包と
>いうものを持ち出してチャルマーズを批判する永井の論点は正しい,と評者は考え
>るのである.このことはしかし,チャルマーズの二次元主義の評価と関わってくる.

ttp://www.jstage.jst.go.jp/article/jpssj/41/2/2_101/_pdf/-char/ja/
974考える名無しさん:2011/09/06(火) 23:06:39.01 0
なぜ意識〜は読んでないけど永井はクオリア消去論者なのかな
975考える名無しさん:2011/09/07(水) 00:39:41.80 O
「クオリア消去論者」とは何ですか
976考える名無しさん:2011/09/07(水) 08:09:26.17 0
クオリアの概念には混乱があり、不用のものとする立場
977考える名無しさん:2011/09/07(水) 19:21:43.32 0
消去論者ではなく、
クオリアの概念には実は重層性があるのでその生成の過程を明らかにしよとする立場。
978吾輩は名無しである:2011/09/11(日) 07:10:53.09 0
永井は単なる法螺吹き
979考える名無しさん:2011/09/11(日) 12:09:25.87 0
「道徳の悲しみ」の議論がいちばん好きだ。
980考える名無しさん:2011/09/11(日) 14:46:18.12 0
>>979
それって『なぜ悪いことをしてはいけないのか』にのってる話のこと?
981考える名無しさん:2011/09/11(日) 20:10:26.99 0
そうだけど、よく知ってるね!
982考える名無しさん
「ちゃんちゃらおかしいとしかいいようがない」って話ですな。