◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない180◆
(前スレ500KB超えのため)
(唯意味論さんのは的外れな反論でしたが)おそらくじいさんは、その問題の所在を初めからだいたい分かっていたのではないかと思います。
前スレ>889を見ても、じいさんは「現実として人間の思考形式に論理矛盾がある」としており、自己意識というものにパラドクシカルなところがあることを
分かっていたと思われるし、じいさんはすぐに「入れ子構造」なるものの図を描きました(それは僕の考えとは違っていて、僕の考えは>960ですが)。
そして、じいさんは>979で次のように書いており、これも、問題の所在を分かっている書き方です(実際に「外界」に出ることはできませんが)。
【今の自分を外界から見る・・・今の自己を客観視するときの問題です。】
自己が自己を見る「自己意識」は、自己を対象化することであるので、ある意味で、自己を「外」から見なければなりません。
その時、<←?>は、見る<←?>と、見られる<←?>に分かれているわけですが、実際は、見られたほうの<←?>は、
見る<←?>にとって、既に「世界の内部にある一存在者」(
>>399の永井均の言葉)になっているので、それはもはや<←?>ではなく、
「意識」「感覚」「私」…等々の一般概念に置き換え得るものになっています(つまり>919-920の「P」になっています)。
だから、自己意識においては、見る自己と見られる自己との間に必ず「ずれ」が生じることになります。
(明日からまた忙しくなりそうなのであまり書き込まなくなると思いますよ)
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3 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/11/30(火) 17:29:04 P
みんな長文すぎんだよw
4 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/11/30(火) 17:31:06 P
>>842 >本日は、いまいちですね。w
いつもいまいちですが。
>網膜(脳)に像が結ばれる。ここまではわかります。(本当の意味はわからないが)
網膜の場合は、カメラのフィルムに物理的に焦点を結ぶのと同様、の意。
脳の場合は、脳内に定常化する、とでも言い換えましょうか。誤魔化しだけど。
>それをまた網膜(脳)が対象化する。
フィルムは対象化なぞしませんので、生体である網膜(+脳)がやるしかない。
生体とは何か?・・・その本質が分かればこんなとこにはおらん。
>なぜ、物体である脳が自己言及する必要があるのですか?
自己言及とは、「意識的相関」とか<←?>を言うのでしょう。
意識を意識で内的に規定しようとしても分裂に陥るだけなので
唯物論によって相対化してやらないと規定できないことは明白。
実際にはそれができていないだけで。
>生存感覚やそこから生じる観念は脳が生みだすわけですか。
「脳が生み出す」なんて言ったら脳の絶対化(唯脳論)であり、観念論と同じになる。
しかし状況的には脳を中心に生じるとでも言うしかない。
感覚とは物理的には何か?そんなことが分かれば。。(省略)
創発なんて方便もあるらしいですが、ぬるい。
5 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/11/30(火) 17:32:33 P
>感覚や観念(意識)もまた物質ですか。
勘では「違う」ようには思いますが・・・私にはその質問の必然性が分かりません。
万有引力は物質?・・・いや二体の剛体の質量(=方便)と重心運動(=方便)を結ぶ関係
電磁波は物質?・・・いや電磁場の挙動(=方便)を示す方便
エネルギーは物質?・・・いや物理体系に於ける保存量の基準
感覚とは物質?・・・さあ・・感覚を物理で直接に示す方便は未だ無い
しかし感覚の由来は全て物理現象に還元できている。
視覚:光
聴覚:音波
触覚:力
味覚:化学反応
嗅覚:化学反応
外掘は埋まっている。逃げ場はない。
ちなみに、
なんでも方便と言い捨てれるが、方便(A)が方便(≠A)により規定される際に、
その関係は論理的な帰結によるわけではない。
ニュートン力学も、一般相対論も、シュレディンガーの方程式も、
「天才が試しにこしらえてみたら、たまたま上手くいく」のであり、
その有効性は客観世界次第。そしてその事実が客観世界とその秩序の実在を裏付けている。
世界のありようは観念に依存するものでは全然ないし、自己言及的でもない。
最後は脱線しました。
6 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/11/30(火) 17:55:56 P
>Trauerodeさん
貴方の言われる「見られたもの」「対象化されたもの」が「対象感覚」であり
「視覚そのもの」、<見えていること>、<←?>が、「主体感覚」です。
全て感覚なのです。
「見ている私の目は見えない」と貴方は言われる。
しかし目は空間を越えて何かを見ている訳では「ない」のです。
目(と脳)は「局所的にそれ自体が現象しているに過ぎない」のです。
その現象の帰結として、「見えるように感じる対象」と「見ていると感じる主体」の感覚が
「生じている」のです。全て感覚なのですよ。
その感覚に従って行動することがヒトにとって齟齬がないように、感覚と行動原理はできているわけです。
主体と客体を分裂させているのは錯覚です。
まあ、そんなこと言い出すと、全て錯覚な訳ですが、
「通常の感覚」は「正常な感覚」となるわけです。
自己言及とか入れ子構造とかがパラドキシカルであるとの自覚があるなら、
それはその思考構造に不都合があるからであり、修正すればよいのです。
見る、見られる、との構造を、意識内現象にまで拡張できる根拠など無いのです。
そんなものの実在を仮定したら、
どこまでも脳内小人もどき(それが交差点であったとしても)を想定しなくてはならなくなる。
無用な仮想です。
>>6 :抄録さん
>自己言及とか入れ子構造とかがパラドキシカルであるとの自覚があるなら、
>それはその思考構造に不都合があるからであり、修正すればよいのです。
>見る、見られる、との構造を、意識内現象にまで拡張できる根拠など無いのです。
誤解されてしまったように思えるので(ややこしい話なので無理もありませんが)、少しだけ付け加えて、誤解を解きたいと思います。
<←?>そのものは、前から書いているように、(それを視覚としてみれば)<見えている>という事態そのものです。
だから、そこにはまだパラドクシカルなものは何もないと思います。
しかし話はそれだけでは終わりませんね。その<←?>が根源的であるとしても、そこから派生してくるものがあるので、それらとの関係を考えなければなりません。
僕は【対象化し得ない<←?>とはなんぞ】という抄録さんの問いに答えて、<←?>は<←?>自身を対象化し得ないこと、
また、それが対象化されれば、それはもはや<←?>ではなく、「意識」等々に一般概念化(それが今までの抄録さんとの話の中心だったわけです)することについて書きました。
その過程の中で、対象化し得ないはずのものを対象化することによる「ずれ」が生じ、また、パラドクシカルなものが生じるわけです。
そこで思い出していただきたいのは、前スレの>775-776で書いた僕の考え方です。
僕はそこで、【最大の「トラップ」は、人間の二元論的な思考法にあると思っています】として、 「分ける」ということに大きな問題が潜んでいると思われること、
そして、いったん分けられたものを結びつけるのは困難であるということについて書きました。
(そこで特に取り上げているのは物心二元論ですが、主客二元論も、それとほぼ同時に確立された思想です。)
それを考えてもらえれば、
>>6で抄録さんが言わんとしていることが、僕の考え方に近いことに気づかれると思います。
哲学史的に見れば、おそらく、二元論的な思考法はカントにおいて頂点に達したと思います。
そしてヘーゲル以降は、二元論への批判、つまり二つに「分かれる以前」へと戻ろうとする考え方が、中心的な流れになったと思います。
それは、抄録さんの言葉でいえば「思考構造の不都合」を「修正」しようとする動きであると言えるでしょう。
そして、<←?>が根源的であるとする実存的思想も、その流れの一つであるのです。
ところで、抄録さんも、「感覚」を「対象感覚」と「主体感覚」とを「分けて」いますね。
その分け方が、どういうことであるのか僕にはよく分かりませんが、とりあえずの印象としては…
そこに既に、分かれたものを結びつける困難さ、そしてパラドクシカルなものが生じているのではないか、と僕は感じます。
9 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/12/01(水) 00:32:52 P
>>8>Trauerodeさん
>抄録さんも、「感覚」を「対象感覚」と「主体感覚」とを「分けて」いますね。
特に分けるつもりも無かったのですが、
対象化される何か感、であろうと
対象化され得ない何か感、であろうと
はたまたこの私の比類無き感、であろうと
一般化され得ない何ものか感、であろうと、
それらが“その意味として”理解可能であるならば、平凡なこととして処理できてしまう、
ということが言いたいわけです。
「対象感覚」とか「主体感覚」とか、Trauerodeさんへの説明上、でっちあげた言葉であり、
個人的には心的現象を分析することには大して興味がない。
思考構造なんぞというものは、どうとでもなりますので。
しかし感覚を分けることには意味が「ある」と思います。(私は「意味が無い」なんて言っちゃいましたっけ?)
例えば意識内の主体と客体(≒対象)は実在ではなく、それは成立する錯覚(イリュージョン)だと言いましたが、
その錯覚(=対象感覚と主体感覚の成立)には唯物論上の由来があるだろうとする方が合理的です。
たいだい、ほとんど私は、自分に成立する感覚の差異を頼りに考えているようなもんです。
私は二元論の歴史も内容もよく知りませんし、興味もないのだが、
意識(魂)と物質なら、断然に物質が意識よりも先立つのが合理的と考えてる訳です。
意識なんか無くても世界は既に成立しているのです。はっはw
お仕事(勉学かな?)頑張ってください。
10 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2010/12/01(水) 01:03:50 0
>>5 >しかし感覚の由来は全て物理現象に還元できている。
>視覚:光 >聴覚:音波 触覚:力 >味覚:化学反応
>嗅覚:化学反応
まあ「全ては化学反応(シナプス発火)」で「感覚器官」→「神経細胞」
→「脳細胞」という伝達経路があるからこそ「認識」が発生することは間違いありません。
「視覚」は「電磁波を捕らえる網膜」
「聴覚」は「音波を捕らえる鼓膜」
「味覚」と「嗅覚」と「触覚」は
「皮膚細胞が捕らえる化学物質の刺激」
と要約できます。
要は「人間の身体は(他の動物と同様)物理・化学反応システム」
である・・ということです。
「崇高な意思の働き」など「物理・化学的な肉体に対する刺激」に
耐え得るものではありません。
「面壁九年」を実行した(禅宗の祖)「達磨」に対して「毎日蹴りを入れる」
・・という「物理的刺激」が(仮に)あったとしたら、達磨は「悟り」に達することは
できなかったでしょう・・ということであり、さらに
「達磨」だろうが「最澄」だろうが「道元」だろうが「既に数百年以上前に亡くなっている」
・・ということです。
「人間の(脳を含む)肉体」は「時間的に有限」であり、そういう意味では
「何を(自分の)人生としても『全く同じである』」・・ということです。
本日は脳内睡眠物質蓄積により就寝させて戴きます。
「
機械は結局アナーキストにすぎない豚野郎w
精神病棟からの中継
決定されているとしても脳に未来をより良くしようというロジックがあるのは確かだ。
痛い苦しいことがあれば将来これを回避するような行動をとるから。
>>13 綺麗な薔薇には棘があるということだよ。
十分気をつけることだな明智君w
達磨に蹴りて
機械さん
絶好調じゃないですか
・<私>の生まれるところとはなんぞ/この私(の意識)に開闢する世界の成立とは
<私>とは「点」なのでしょうか?
関係性により規定される交差点?
いやいや、世界中の点は交差点ですよ。
世界は連続しているので、関係から無縁の地点など無く、
また、連続性を仮定するなら、全ての「点」は「等価」なので、
特別な点など想定できない。(ビッグバンでもない限りはw)
なので、<私>が「点」であるなら、それは何ものからも規定されない「点」。
それこそ神のみが作り出す、論理を破壊する「点」でありながら、既にして感覚を統合している。
なんでしょうそのすっとこどっこいはw
そんなものを仮定することが、オカルト以外に果たして可能でしょうか。
なので、<私>が生まれるところは、恐らく「点」ではないのであります。
<私>を絵に描いてはいかんのです。
つづきません。
17 :
唯意味論:2010/12/03(金) 00:54:17 0
>>5 唯物論(主義)を名乗れば、その質問は必ず受けます。「それは物質か」と。
もし物質、あるいはその付帯現象ではないものが存在すれば、それで唯物論は
おしまいだからである。その点、私の自演コテwの機械さんは徹底している。
彼は“感覚(意識)”や“概念”には逃げない。当然、苦しくなります。w
以前からからそうだが、抄録氏には二元論的“たゆたひ”が感じられる。
>>6 そう、すべては錯覚(幻想)なのかもしれません。しかし、そういってしまっても
少しも面白くないので、様々に“意味づけ”ます。「我、意味づける、故に、我
あり」といいたいところだが“点”の《我》などは仮象です。
Trau氏の<矢印>が彼の意図に反してwそれを物語っている。
矢印、それは指向性を表わす。つまり意識である。
意識の“主体”は存在しない。指向性しかないのである。
この矢印(指向性)において、意味するものと意味されるものが浮かびあがる。
「世界は記号でできている」というのは少し前に流行った言い草である。
この立場は、まだ死んではいない。唯情報論もその変奏である。
なお、ビッグバンは“起点”ではない、というのが通説です。
18 :
NAS6 ◆YbjyWDyXSc :2010/12/03(金) 18:56:21 O
機械氏は化学反応だけと断言してるんだから
向精神薬だけ使えばいいです
なんでそうしないの?
>>17 >唯物論(主義)を名乗れば、その質問は必ず受けます。「それは物質か」と。
物質とは何でしょう。これ難しい。とりあえず「物理で扱う対象の総称」なんでしょうか。
感覚とは物質か。
感覚を物理で扱えるのか、という意味なら、
「扱える可能性は零ではない」とでも答えるしかない。それが私の目標だし。
私としては、感覚を成立させるのに「神」を要請しないで済むならなんでも構いません。
>もし物質、あるいはその付帯現象ではないものが存在すれば、それで唯物論はおしまいだからである。
なかなかおしまいにならないのはどーしてなんでしょう。
考えると不思議なことです。
>以前からからそうだが、抄録氏には二元論的“たゆたひ”が感じられる。
感じられてもいっこうに構わんです。
>すべては錯覚(幻想)なのかもしれません。しかし、そういってしまっても
>少しも面白くないので、様々に“意味づけ”ます。
意味付けるのは誰なのか。主観の自由気まま?それは無意味というもの。
では意味を成立させる由来は何でしょう。
神?、それとも、生体システムと環境?
私の立場は当然に後者です。
>この矢印(指向性)において、意味するものと意味されるものが浮かびあがる。
「基点なき矢印により浮かび上がる」わけですか。
意識内に於ける対象の空間配置的な感覚を、貴方はそのように意味づけされた、
ということでなんでしょうかね。この意味は微妙ですね。
脱線しますけど、生物の形態で微妙と思われる特徴とかありますね。
ニワトリの鶏冠とか、それ何の役に立つの?という。
意識ってのは何の為に必要なんですかね。
>>「世界は記号でできている」というのは少し前に流行った言い草である。
>この立場は、まだ死んではいない。唯情報論もその変奏である。
記号も情報も、その言葉の意味から逃げれないので、
変相しようが、変装しようが、変奏しようが、所詮は目くらましで終わるわけです。
>なお、ビッグバンは“起点”ではない、というのが通説です。
「通説」ですか。
21 :
NAS6 ◆YbjyWDyXSc :2010/12/03(金) 22:50:09 O
脳内だけなら
脳内だけに求めて
脳外に求めんなよ
迷惑だ
22 :
唯意味論:2010/12/04(土) 00:04:38 0
>>19 物質の定義はあるが、その根源、抄録さんのいう実体はまだわかっていない。
それが“エネルギー”と呼ばれているのは、薄々私も知ってはいるが。
唯物論は様々な信仰と同じ性格をもっている。だれも神をみたことがないし、
その存在を立証したものなどいないにもかかわらず、それらが「おしまい」に
ならないのと同じである。唯物論も信仰(これも意識現象)ですので、死ななきゃ
なおりません。
意識は、その鶏冠の“意味づけ”や“価値づけ”のために必要なのでしょう。w
物体には不要でしょう?
前述のように意味づけるのは“意識”です。脳という説もあります。
エネルギー(物質)、時間、空間とならんで“意識”を世界の構成要素とする説も
あります。まだ、肝心なことのほとんどがわかっていないということです。
23 :
唯意味論:2010/12/04(土) 00:49:17 0
>>19>>20 神のかわりに「生態システムと環境」と、いいかえてみたところで、
それもまた記号(言語)であり、その意味(されるもの)は人の数だけ
ありそうである。
科学的言説も、それが記号で表わされるかぎり、その描象が“世界”
ではなく“仮象”である可能性をなしとはしない。意識(知覚、思惟)に
おいてしか、つまり記号としてしか“世界”を把捉できないのだから、
抄録氏のいうように目をくらまされている公算は大きい。
“空”のような徹底したニヒリズムは記号(言語)への深い不信感に根が
あるのだろう。
24 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/12/04(土) 01:05:17 P
>>22 なんも分からん、ということで結構ですよ。
私は去る。
25 :
NAS6 ◆YbjyWDyXSc :2010/12/04(土) 02:28:32 O
神との契約
というだけのことです
26 :
らり:2010/12/04(土) 02:36:44 0
なんだろう、意識って強過ぎると偏兆体を刺激しますよね。
脳はそれを正常に捉えているのに、意識はそれをエラーとして捉えてしまう。
意識が起こす現象を意識が捉えてしまうっていうことは、物理エネルギーを一度信号に変換し、それを脳が認識しているからだと思います。
受ける信号が強いほど反射的に行動を起こし、弱い信号になるほど、「選択性」が強くなるのでしょうね。
人は「思考」によってその信号を遮断させる複雑な経路まで構築させるので、意識を何度も往復させ、それを行動する信号を故意に作れるようになっているのではないか。
その結果行動を抑える(耐える)意識ばかりしてしまうと、脳が強い信号を受けても行動できなくなり、それが個体の意識にも影響を及ぼしてしまい、意識が作り出すエラーである、「無気力」というのが生まれてしまうのではないかと思います。
意識は錯覚ということですが、
よくわかりませんね。
意識というのは脳全体が反応するように神経物質を整列し、外部からの刺激を受けると同時に促進拡散により意識を作り出す。ということですから意識は現象と捉える方がいいのではないかと思います。
意識を意識するというのは、同一経路の細胞間に、自身が作り出す拡散を往復させ、信号がルートを流れやすいように整列化させるということなので、意識は錯覚ということ自体が錯覚となっている可能性もおおきいのではないかと思います。
まぁ、理解できないから錯覚とくくってしまっているのでしょうけどね。
28 :
スモ:2010/12/04(土) 05:08:32 0
いや、
>>26のポイントはここだろう、
>人は「思考」によってその信号を遮断させる複雑な経路まで構築させるので、意識を何度も往復させ、
>それを行動する信号を故意に作れるようになっているのではないか。
これを認めるなら、脳には自律的機構があるのではないか?という点になるんじゃないの?
「思考」という表現でこれを脳内現象においてどのように当てはめるかによるけど
脳内の自律的機構を認めるということになれば、外部からの入力に連続性が途絶えることを意味する
もちろん外部の情報が受容されるとして、
それを脳内においても受動されるがままか、能動されるかどうかで、
まあそういう「自由意志」の問題とか、「私」とか「意識」の捉え方の議論にも関わってくる
しかし、「自律的」ということの理解もまた、色々と議論の種なんだろうな
例えば生物学的に「自律的」というのがどのように理解されるのか僕は知らないけれど
>>26はおそらく、こういう方向での意図ではなかったと思いますがw
でも、「無気力」というか「鬱」になったりするのは、人を理解する上で興味深い現象ですよね
29 :
スモ:2010/12/04(土) 05:13:25 0
ところで、
>意識というのは脳全体が反応するように神経物質を整列し、
>外部からの刺激を受けると同時に促進拡散により意識を作り出す。ということですから
こういう理解は定説なの?
30 :
スモ:2010/12/04(土) 05:49:26 0
「自律的」というのも、そのものの「個性」(特性)ともいえるか
特性によって刺激の跳ね返りは各々異なる
しかし「個性」はまた、全体の産物でもあるからしてうんぬん
いやしかし、僕のプログラムした産物が、僕の手を離れて勝手に動き回るとしたらそれはなんだ?
でもそれもありえない
あくまで、その産物はその環境の規定性の要因から逸脱した動きはできないはずだ
しかし、その産物の環境が定められているとはどういうことだ
それは仮想世界のなかでしかありえない
僕たちの世界はちがう
僕たちの住む世界は定まっていない
言い換えれば、世界が定まっていないことでしか、「自律性」は生まれない
世界が確定されてるような環境で、はたして「自律的」な現象が生起するだろうか?
それとも、世界は確定している?
31 :
スモ:2010/12/04(土) 05:54:47 0
また、やっちまった・・・・
こういうのやめたらオレは少しは賢く見られるはずなんだよくそっ
32 :
考える名無しさん:2010/12/04(土) 09:50:32 0
>>28 えっ、
26のって只の条件反射回路形成の話だよね?
33 :
スモ:2010/12/04(土) 10:55:26 0
あ、そうか
「思考」によって回路が強化されるといっただけの話なのか
無理やりスレの趣旨に結び付けて読解してたわ
ところで、179はまだ終わってないんですけど、なんね?
35 :
考える名無しさん:2010/12/04(土) 11:38:35 0
>>34 無駄なおしゃべりが多くて、スレ全体で512kb超になってしもうたからだよ
36 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2010/12/05(日) 01:10:43 0
>>5 >しかし感覚の由来は全て物理現象に還元できている。
視覚:光
聴覚:音波
触覚:力
味覚:化学反応
嗅覚:化学反応
所謂「五感」ですが、人間が「世界に接触する機会」が他に有ると思う人は
居ないでしょう。
「書かれた歴史書」を「見る(読む)」のも、「視覚」で「活字を追う」のが
通常です。(盲目の方は「点字」を指先で触れる」のでしょうが)
・・いずれにしろ「五感以外では『情報』は私達人類(の個体)に入って来れない」
・・という「厳然たる事実」を「直視」すべきです。
「脳内に蓄積した妄想を、夜中に『夢見る』こと」もありますが・・それは
「脳という物質の(細胞の)セルフクリーニング」という意味しかありませんので、
「実在する(「宇宙」の一部としての地球上に生じた事実」)とはあまり関係ありません。
「真理は一つしかない」・・と「(自然)科学」は「解明済み」・・である
・・ということです。
「観念論」は最終的に「頭の悪い人達の集団自己欺瞞システムである」・・
ということが「この数十年で明白になってしまった」・・ということです。
「何故この数十値年?」という「素朴な疑問」には(素朴ではなく)
「最新の科学の成果を理解するようにしなさい」・・としか申し上げようがありません。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
五感
視覚 光
聴覚 振動
触覚 熱
嗅覚 電子反応
味覚 電位
記憶 配列、向き
刺激 エネルギー
38 :
唯意味論:2010/12/05(日) 12:25:32 0
>>36 そのとおりですね。
ただし、感覚は“意識”におけるそれであり、光や音波や力…は思惟(意識)に
よって見出された“概念”です。
“意識”を包摂できない『知』は所詮、偏頗のそしりを免れません。
39 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/05(日) 16:05:46 0
こんちは。
40 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/05(日) 16:08:10 0
おお失礼しました。
長らく「規制」とやらで書き込めませんでした。
41 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/05(日) 16:38:50 0
>>5 :抄録
>感覚の由来は全て物理現象に還元できている。
>視覚:光
>聴覚:音波
>触覚:力
>味覚:化学反応
>嗅覚:化学反応
感覚は脳神経系の信号で全て化学反応では?
しかしながら信号は所詮信号に過ぎない。
その信号の意味する所、要するに意識を説明できない。
近年生化学とか分子生物学の進歩が目覚しくその信号伝播のメカニズムが次々と明らかにされているが、その結果分かってきたのはどんなに科学が進んでも意識そのものにたどり着くことが不可能であると言うことである。
世の人々が諦め主義者ばかりであったなら、文明がこんなに発達することはなかっただろうね。
43 :
NAS6 ◆YbjyWDyXSc :2010/12/05(日) 19:38:32 O
だから脳内の化学反応だけなら
向精神薬使えば良いだろうに
なんで脳外に興味持つの?
44 :
NAS6 ◆YbjyWDyXSc :2010/12/05(日) 20:03:14 O
脳内の化学反応だけなら
寝ながら向精神薬を点滴してれば良いんですよ
なんで脳外に興味持つの?
45 :
NAS6 ◆YbjyWDyXSc :2010/12/06(月) 00:21:00 O
サービスは一回だけでなく続けて何度も繰り返すのが気持ちが良いようだ
向精神薬っていうのは実はまだ発展途上で、特定の脳内物質の分泌を遮断したり再吸収を阻害したりして
特定の種類の異常を改善治療する効果しかないんです。感情を制御することは基本的にできません。
また既存の覚せい剤なんかの薬物で幸福感を得ることはできますが、脳に耐性が形成されるため連用は困難、
またバッドトリップもありその他心身に重篤な副作用が現れることは周知のとおりです。
そしてもちろん、見たい夢を見るといった高度な操作もできません。
ここに書き込まれている他の唯物論者の方と必ずしも意見は一致しないでしょうし
こういう物言いはこの板の空気にも馴染まないでしょうが(自分は哲学には疎いです)、
自分自身としては、将来脳科学が目覚しく発展し、脳を人為的に(おそらく外科学的に)弄ることで
社会経済に最低限しか依存せずに一生幸福を享受しつづけるといったことが可能になる日が来ることを願ってやみません。
47 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/06(月) 01:22:21 0
>>44 :NAS6
>なんで脳外に興味持つの?
脳(精神)は外界の刺激なしには存在し得ないからです。
覚醒している意識の必要な要件
外界からの情報を得れる状態であること
得たことを記憶できること
今まで得た情報とのアクセスできること
行動の判断ができること
行動できること
夢を見ている意識の必要な要件
今まで得た情報とのアクセスできること
行動の判断ができること
飛べないカラスはただの人だ
51 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/07(火) 21:16:21 0
「知・情・意の神経心理学」(青灯舎)という本がありますがとても参考になる本だと思います。
その中では・・・・・・・・
意識(気づき)とは知情意からなりたつ膨大な蓄積(心像群)のうち、今ここで個体が必要とする部分だけを経験する働きである・・・・・・・・・・・・・・・・
とある。
更に「意識」は受動軽験であり能動経験を含む「注意」とは少し異なる・・とも書いてある。
ここはスレ主がどこかにいってしまうと途端に他の固定さんもいなくなってしまうスレです
何故かわかりますね。
53 :
考える名無しさん:2010/12/11(土) 12:28:40 O
まだやってんの?
バカなの、こいつら?
54 :
考える名無しさん:2010/12/11(土) 13:51:15 0
55 :
考える名無しさん:2010/12/11(土) 22:23:25 0
∩___∩ ∩___∩
♪ | ノ ⌒ ⌒ヽハッ __ _,, -ー ,, ハッ / ⌒ ⌒ 丶| ♪
/ (●) (●) ハッ (/ "つ`..,: ハッ (●) (●) 丶 ねえねえ、
| ( _●_) ミ :/ :::::i:. ミ (_●_ ) | どんな気持ち?
___ 彡 |∪| ミ :i ─::!,, ミ、 |∪| 、彡____ ねえ、どんな気持ち?
ヽ___ ヽノ、`\ ヽ.....::::::::: ::::ij(_::● / ヽノ ___/
/ /ヽ < r " .r ミノ~. 〉 /\ 丶
/ /  ̄ :|::| ::::| :::i ゚。  ̄♪ \ 丶
/ / ♪ :|::| ::::| :::|: \ 丶
(_ ⌒丶... :` | ::::| :::|_: /⌒_)
| /ヽ }. :.,' ::( :::} } ヘ /
し )). ::i `.-‐" J´((
ソ トントン ソ トントン
56 :
考える名無しさん:2010/12/11(土) 22:26:07 0
上のAAめちゃ好きなんだけど
ほとんどの板で
改稿が多すぎとか言って書き込めないんだけど
なんなの?
57 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/11(土) 23:24:28 0
>>6 :抄録 ◆xOLbFG9QNU
>目(と脳)は「局所的にそれ自体が現象しているに過ぎない」のです。
この表現の仕方そのものが「入れ子構造の矛盾」だと言うことです。
この文章の主語は何ですか?
おそらく「目と脳」(=それ自体)でしょう。
と言う事は「目と脳が現象している」と「目と脳」が語っていると言う自己撞着に陥っているのです。
他に表現の方法が無いので修正など出来ないのです。
第三者的にその現象を論じることが不可能なのですから。
>どこまでも脳内小人もどき(それが交差点であったとしても)を想定しなくてはならなくなる。
無用な仮想です。
では「その脳外」のどの脳が「その脳内」で現象していることを論じることが出来ましょうか???
とピザじじいがほざいてます
59 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/12/12(日) 14:21:52 0
じいさん
言いたいことは分かるよ。
「言語構造」は「思考構造」と直結している。(対象化の積み木遊び)
しかしその有効な適用範囲には限界がある、ように思う。
だから「語り得ぬモノ」なんてもんが生じる余地があるのでしょう。
言語は動的なもの(「もの」とは言えないか?w)を動的なまま捉えることができない。
しかし動的な「感覚」はあるので、動的な存在を理解不可能というわけではない。
構造の構造性は分かっても、
何が(=いかなる動的作用が)構造を成立させているのか、は分からない。
(だがしかし、この「分からないはず」と帰結してしまう思考の組立も曲者。はっは)
あと、主語の話だが、それは「目」でも「脳」でもなく、
唯物論的には、物質の根源が局所的(つまり当事なる「点」に於いて)に現象している、
とするしかない、ということを言いたいのだ。
「見る目は見えない」などの物言いは、多分に観念論的というか、霊魂ありきの空間構造。
つまり唯物論的には、見るとか、感じる、その受動的な「主体」なんぞは「無い」。
そこでわたしは、感覚は、あらゆる意味を含めて「成立」するもの、と考えてみた。
「成立」は、主体も客体も包含し得るのではなかろうか、と。
これは脳内小人を解消する方法としては有効(但し、唯物論が前提)だと思ったが、
しかし「主体を含めた感覚の成立」を合理的・物理的に説明できる方法論は未だ全然ない。
なのでまあ、はったり止まりだなw
しかしまた来年会おう
長生きしなよ〜
60 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/12(日) 23:29:30 0
>>59 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :
>物質の根源が局所的(つまり当事なる「点」に於いて)に現象している、
とするしかない、ということを言いたいのだ。
>「見る目は見えない」などの物言いは、多分に観念論的というか、霊魂ありきの空間構造。
霊魂の話なら「物質の根源が・・・・に現象している」の方が霊魂の仕業みたいだろう。
「見る目は見えない」のは言わば実感であって、霊魂の入り込む余地など無いと言うことを言っている。
「心眼」など無いのだと言っている。
>見るとか、感じる、その受動的な「主体」なんぞは「無い」。
主体が無いと言いながら見る感じると言う感覚の話をするのはおかしいでしょう。
感覚は断じて成立しませんよ。
来年まで待てんか、じいさん
俺はもうロムって過ごしたいw じいさん、一人で語りたまえw
*********************************
つまりだな、
俺が砂糖を舐めれば、甘いと感じるのは「私」であり「じいさん」ではない。
ここでは感覚の認識主体を述べることは有効だ。
しかしだ、次に俺の意識の中で、既に「甘い」と対象化された感覚を感じているのは誰か。
通常、それはやはり「私」である、と考えてしまう。
これ、有効だろうか。ということなのだ。惰性的思いこみではないのか。
脳内の誰かが、甘いと感じてるのか?
その脳内の誰かとは何だ?物質か?構造か?現象か?関係性か?
脳内に於いて、主体を担う何かと、甘いを担う何かとは、分離しているのか。
脳内は物理状態に過ぎないので、それは常に対象でしかない、とするなら、
脳以外の認識主体としての小人(≒私)をどこまでも仮想しなくてはならなくなる。
ここで重大な思考の転換を必要とするのではないだろうか。
意識・感覚というものは“主体も含めて”まとめて「成立」しているものなのだ、と。
じいさん、仏教哲学が好きだろ。言語構造から解放されてみるのだ。
しかし意識の成立過程は俺の手には負えない。
統一性、連続性、志向性・・そして何より「この開闢感」をどうやって成立させるのか
その糸口をどこに求めるのか。
非局所性(≒全体性)なのか、
ペンローズの言うような三元論的な構造なのか。
別のウルトラCがあるのか。
現状、手も足も出ないわけだが、それをクリアしなければ唯物論は完成しない。
しかし唯物論に「しか」展望はない。俺としてはこれは必然だ。はっは
よくわからないがつまり人間の体に影響を与える恐れが高いので
鉛筆の芯に炭素使うのはやめるべきなんだろうか
抄録はまだがんばっておるのか。
見上げた根性だ。
くっくっく。
>>60 >主体が無いと言いながら見る感じると言う感覚の話をするのはおかしいでしょう。
>感覚は断じて成立しませんよ。
それが成立するのだ。
感覚が自己言及して知覚となり、知覚によって自己が創出される。
主体などない。
あるのは作動だけだ。
くっくっく。
んどw
神〜
また遊んでくれるのか、師走だというのに。
ワシは女の裸とこれ以外には楽しみも無いので、まだまだやるぞ。
いっそ見下げ果てろ。はっは
66 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/14(火) 22:59:36 0
>>61 :抄録 ◆xOLbFG9QNU
>脳内の誰かが、甘いと感じてるのか?
それはいみじくも貴方の前の文章・・・
>しかしだ、次に俺の意識の中で・・
に表明されているように「俺」なのです。
>脳内に於いて、主体を担う何かと、甘いを担う何かとは、分離しているのか。
もとより分離できません。
もし分離してしまうと、全ての物質、構造、現象、関係性も分離してしまう訳ですから全てが存在性を含めて意味を失います。
何も論じることが出来なくなります。
分かりやすく言うと、砂糖と甘いの関連も無くなるからです。
>脳内は物理状態に過ぎないので・・・
ここが間違いの元です。
脳内を物理状態とする見方は可能です、しかし意識とか心とか言う観点は全く別の範疇の見方です。
>言語構造から解放されてみるのだ。
言語構造以前の問題です。
言語は心(知情意)の一部分にしか過ぎません。
67 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/14(火) 23:03:26 0
>>64 :走召 糸色 文寸 ネ申:
>感覚が自己言及して知覚となり・・・主体などない。
すでに可笑しいでしょう。
「自己言及」って言うところの「自己」が主体でしょう、矛盾してますよ。
くっくっくるしい。
68 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/12/14(火) 23:50:06 0
>>66 じいさん、すまんが、全然話しが噛み合わん。。。が、まあいいw
いつまで入れ子構造なんかに固執するつもりなのか。
既に貴方はそれが「矛盾」であるとしているのだから、
その思考構造は無効であることが判明しているはずである。
>脳内の誰か?→貴方の前の文章に表明されているように「俺」なのです
脳内のどこを探せば「俺」はいるのかね。
認知科学により、中枢を探す試みは失敗することが判明している。
貴方のやっていることは言葉遊びだよ。
>脳内を物理状態とする見方は可能です、しかし意識とか心とか言う観点は全く別の範疇の見方です。
それは観念論者たる貴方の見方だ。意識とか心を、物質から都合良く隔絶したかと思えば
物質から意識は影響を受ける、などとぬけぬけと言ってのける。ご都合主義なんだよ。
前にも言ったが、物質の動的な作用を必要十分に捉える言葉群は未だ無い。
現状、我々が扱える対象は「変化」だけだ。
「変化」とは、状態と状態の時系列での差異であり、動的作用とは「違う」。
(※なので時間は変化には還元できない。変化とは時間ありきなのである:蛇足)
唯物論であるからこそ、その(=物質は動的である)ことを理解可能なのであり、
物質の未知なる世界に迫ることで、「時間的な存在である意識」の謎の先に進める可能性があるのだ。
観念論に何の展望ある?
>言語は心(知情意)の一部分にしか過ぎません。
なんだそれは。どういうことが説明してもらいたい。
会話の成立は受け手に依存している。(成立しない私的な言葉は無意味である)
発話者は、受け手を制御できる言葉を探ることしかできない。
それでも会話が成立するのは、それ(探る行為の有効性)を保証する普遍的な外的世界があるからだ。
つまりこの世界は常に一般化可能な世界なのである。
>脳内に於いて、主体を担う何かと、甘いを担う何かとは、分離しているのか。
>もとより分離できません。
>もし分離してしまうと、全ての物質、構造、現象、関係性も分離してしまう訳ですから全てが存在性を含めて意味を失います。
>何も論じることが出来なくなります。
>分かりやすく言うと、砂糖と甘いの関連も無くなるからです。
何を反論しているのか分からん・・が、ようやく微かに分かるような気もしてきた。
つまり「分離」を「無関係」と解釈する、ということなのかな。
俺の本意がそんなことにあると、じいさん、本気で思ったのか。
だとしたら、俺はこれから、どうやって貴方に言葉を繰り出せばいいのだ。
難しいな、言葉の成立というものはw
自己言及という言葉には自己が入っているから自己を前提としているって話なら
自己言及じゃなくて対角化って呼べばいいんじゃね?
>>68 「俺の存在性」でしょうか。私とか自分自身を指す言葉は自分をひとつの主体として扱うので
その言葉が便利なのです。
72 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/15(水) 15:57:31 0
>>68 :抄録 ◆xOLbFG9QNU
>貴方のやっていることは言葉遊びだよ。
其のとおりなんですよ。
遊びなんですよ、所詮観念というものは。
貴方の唯物論の言いたいところは、心は物質に還元できると言う事なんでしょうが「遊び」を物質に還元できるでしょうか?
物質の本質から「ご都合主義」な考え方が導けるでしょうか?
>物質の未知なる世界に迫ることで・・・
理解不能ですね。
未知を迫るのは物質を分かりえない人間観念が行うことでしょう。
その未知(無知)なご当人が観念を否定するのは可笑しい。
もし物質界(自然界)なるものが実在するとすると、それら自身には「未知なる世界」など在り得ない筈。
あなたも物質の塊なのだから、あなた流の唯物論で言えば
物質の反応でしかない意識が、「物質の動的作用」を理解するのに手間どう事など在り得ない筈じゃあないですか?
73 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/15(水) 16:23:54 0
>>68 :抄録 ◆xOLbFG9QNU
>それでも会話が成立するのは、それ(探る行為の有効性)を保証する普遍的な外的世界があるからだ。
>つまりこの世界は常に一般化可能な世界なのである。
まったくの見解の相違ですね。
ほぼ同じ物質的構造を持った人類ですが、世界中でかくも多くの言語が存在しほぼ会話は成立しない場合の方が多いのが常識です。
たとえば日本語の「女」は漢字のニョ(呉音)かジョ(漢音)であり中国では一時一音である。
しかし日本ではそれらも採用しさらに日本の意味のメとかおんなと言う読み方も付け加えた。
このような言語の変化は、私のお勧めの本「知情意の神経心理学」によれば・・・
「このような日本文字成立の歴史をみると、音声性聴覚心像と視覚性文字心像の結合はきわめて人為的なもので、生物学的必然性など何処にも無いことがわかる。」
・・・・・・・・・・
貴方の言う「普遍的な外的世界」など無い。
もっとも人の目とか耳がそれだと言うなら反論はしませんが。
74 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/15(水) 16:49:07 0
>>69 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :
>俺はこれから、どうやって貴方に言葉を繰り出せばいいのだ。
貴方の言葉使いが答えにくいのですよ。
主体の担う・・・と言うことば自体が分かりにくい。
甘いを担う?・・・分かりにくいですね。
「知情意の神経心理学」によれば・・・
「甘い」は例えば舌の神経(味蕾)に信号が発生し脳に達し(三つの回路があるらしい)て、大脳内でカタチ(心像)が再構成されるそれが「甘い」という味覚であり、色々な他の味との区別とかお袋の味とか既に複雑な意味を持っている。
だから担う?と言われても脳神経全体と言うほかは無い。
75 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/12/15(水) 17:32:43 0
>>72 「遊び」が行為として世に示されるなら、それは既に世界内の事実であり、
完全に唯物論の領域だろ。
「ことば遊び」なら、貴方の言葉はキーボードで打たれ、インターネットを経由して
私の眼前に提示される。他に「遊び」の占める領域など、どこに有るのか?
>理解不能ですね。
んん?・・!。ああなるほど!「物質が知る」と解釈したわけか!!!
これはだな、(私にとって)未知なる「物質の世界」、と言いたかった訳です。
書き方が不味かったですか。
しかし「物質が知る」とか、俺ってそんなことを言いそうかね。
言葉ってなぁ難しいな、じいさん。はっは
発話側は、相手に対する手前勝手な信頼を前提にしてる部分があるね。
76 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/12/15(水) 17:34:12 0
>>73 >まったくの見解の相違ですね。
見解の相違ではなく、全く噛み合っていないのだ。
>音声性聴覚心像と視覚性文字心像の結合はきわめて人為的なもので、生物学的必然性など何処にも無い
「言葉の成立は人為的」・・・・あったりまえだろ(しかし独断は禁物)
俺の言いたいのはね、
人為的な言語(音声・視覚)群により、複数のヒトの間に会話が成立するのは習得による。
習得は、共同体に於ける個人の経験・来歴により「言葉と状況の連結」の蓄積により成る。
「言葉と状況の連結」により会話が成立するためには、音声、文字、環境の物理的な意味が有効に不変であるか、有効な変換則の成立がそれを保証する。
例えば、俺の発する「あ」の文字は、じいさんから見て、今日も明日も「あ」なんですよ。
とつぜん「ん」になったりしない。(この例えはちょっと不味いけど)
俺の言う「普遍的な外的世界」とはそういう意味です。
「あ」は口を開けて発音されねばならない、とか俺が言っているように思えましたか?
ついでに、外的世界だけではなく、ヒトの側にも普遍性があるからこそ、今日の「あ」は
明日も「あ」に見えるんですよ。
77 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/12/15(水) 17:35:10 0
>>74 >貴方の言葉使いが答えにくいのですよ。
貴方よりは「まし」と自認しているw
それはともかく、
「脳神経全体が甘いを担う」んだな
では、「俺」の居場所はどこにあるんだ?
「俺」を前提としなくても「甘い」は成立しているではないか。
それとも「脳」が「俺」か?それなら完全に唯物論だな。
似非唯物論
79 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/12/15(水) 17:57:51 0
カラス君、貴方のはSF的唯物教だ。
少し語り給えw
私とかの主体はオブジェクト指向なわけ。ロジックのまとまりをひとつと数えてる。
右脳と左脳は脳梁で繋がっているだけ。ニューロンとニューロンはシナプスで繋がって
いるだけ。
81 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/12/15(水) 18:08:46 0
オブジェクト指向とかロジックとか、脳のどこにあんだよ。
シナプスで何を繋げてんだよ。
82 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/15(水) 19:13:14 0
>>75 :抄録 ◆xOLbFG9QNU
>それは既に世界内の事実であり、完全に唯物論の領域だろ。
何で「事実」と言う事になると唯物論になるの?
砂糖が甘いのは事実であるが、「甘い」は物ではないでしょ。
>しかし「物質が知る」とか、俺ってそんなことを言いそうかね。
>>77 :抄録 ◆xOLbFG9QNU
>「俺」を前提としなくても「甘い」は成立しているではないか。
前提とする?よく判らないが・・・
少なくとも自意識が無い(脳死)とすると甘いと言う感覚も存在しない。
甘いと言う心像を用意する為にはこころ(自我)が不可欠。
もし自我以外に誰が甘いと思うのか?
やはり「物質が甘いと知る」とでも言うのかな。
83 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/15(水) 19:19:05 0
>>76 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :
>習得は、共同体に於ける個人の経験・来歴により....
習得して初めて獲得できる文字がなんで普遍的といえるんだろう??
そもそも文字を持たない民族だって居るんだし。
>>82>>83 唯物論と雖も、全てが物質だ、とまでは言わないでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E7%89%A9%E8%AB%96 甘い感覚は物理現象、とするのが唯物論ではないですかね。
個人的には、全てを一般化できるなら、それ以上は求めません。
>少なくとも自意識が無い(脳死)とすると甘いと言う感覚も存在しない
生きている、ということが重大問題である、と言う意味なら、大賛成です。
生体活動の本質が解明できないうちは、意識の謎も解明できないでしょう。
>甘いと言う心像を用意する為にはこころ(自我)が不可欠。
「不可欠」と思う感覚があるのみです。
>「物質が甘いと知る」とでも言うのかな。
知る、とは成立する動的状態であり、主語であり、かつ述語であるのです。
しかし「(他人ではなく)私が知る」との言い立てが有効な場合は、そう言えばよいでしょう。
>習得して初めて獲得できる文字がなんで普遍的といえるんだろう??
>そもそも文字を持たない民族だって居るんだし。
私の書き込みをそのようにしか理解できませんか。自分の力不足を感じます。
文字が普遍的とか、音声が普遍的とか、そんなことは言っていないつもりなんですよ?
(人為的な)言語の成立のためには、世界の普遍性が要請されるだろう、と言いたいのです。
私が発話してから、貴方が意味を解するまでに、物理的には様相を変えながら何かが伝わるわけですが、
しかし、いま、わたしが言う「りんご」と、明日、わたしが言う「りんご」とが
有効に同じ意味として伝わるためには、世界はそれを保証する構造でなくてはならない。
そして唯物論だけが、神を要請せずに、そのような事態を矛盾無く成立させるでしょう。
また来週。
85 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/16(木) 22:38:33 0
>>84 :抄録 ◆xOLbFG9QNU
>甘い感覚は物理現象・・・
基本的な所でおかしいですよ
「甘い」と言うのは個人の主観です。
それとは別に「糖が普遍的に甘味を人に感じさせる」と言うのが物理現象。
この二つの違いを混同してはならない。
>「不可欠」と思う感覚があるのみです。
そのとおり観念なんだから全て「・・・と思う感覚があるのみ」ですよ当たり前でしょう。
甘いと思う観念にたいしてその根拠を示せなんて野暮なことは言いっこ無し。
勿論 さまざまな観念が複合的に体系付けられた場合は根拠も生じるでしょうが。
例えば生存の本能と言ったって社会現象をその本能で説明は出来るかもしれないが、究極の何故生存したがるのかと言う根拠は出せっこない。
86 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/16(木) 22:40:13 0
>>84 :抄録 ◆xOLbFG9QNU
>知る、とは成立する動的状態であり、主語であり、かつ述語であるのです。
だから・・なにが動いているんですか?
物理なら「何がどう動くか」が有効な議論には必要では?
>しかし「(他人ではなく)私が知る」との言い立てが有効な場合は、そう言えばよいでしょう。
じいさんのにらむところ、貴方は「物質が知る」と言いたくて仕方ないようだ。
いつか誰かが・・・・「(自然に)知れていくのだから主観は要らない」なんてとぼけたことを言う人が居たな。
>世界の普遍性が要請されるだろう
??「世界の普遍性」?どういう意味ですか?
何についての普遍性ですか?
「文字が普遍的とか、音声が普遍的とか、そんなことは言っていない」ならば世界の普遍性は無いことを認めているではないか。
>世界はそれを保証する構造でなくてはならない。
どんな構造?
そかそれは未だ見つかっていないのね、で将来唯物論が見つけるであろうと言う話ね。
それは何時のことやら・・・・
機械さんの「最終真理がやがて見つかるであろう」と言うやつと・・同じだ。
答えは出ている。
昨日のりんごと今日のりんごは当人の主観がそう主張しているだけで証明するすべはない。
87 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/12/16(木) 23:56:40 0
じいさん、俺からしばらく、あまりレスできない。
暇つぶしに、一つだけ、以下のことを考えておいてください。
>昨日のりんごと今日のりんごは当人の主観がそう主張しているだけで証明するすべはない。
もし、昨日の「りんご」の意味と今日の「りんご」の意味が、
私の主観にとって(貴方の主観にとっても)全く同じであるとき、
それが「主観に過ぎない」との言い立ては、何に鑑みて主観に過ぎない、と言い得るのかな?
その言い立てに、いかなる意味があると思う?
意味が「あり得る」と思う?
もし思うなら、それはどのような事態であると想定できるのだろうかな?
88 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2010/12/17(金) 00:37:18 0
>>60 そもそも「霊魂」とは、「幽霊」と同じ「観念論的自己欺瞞が生み出してしまう幻想」
にすぎません。
脳科学において(脳細胞=物質)に「超越的な存在」・・・古来からの宗教者の「願望思考」
・・「霊魂」は未だかつて一度も「科学的に検証」されたことはありません。
「降霊術」等々・・西欧ではマダム・ブラバッツキー、アイレスタ・クロウリー、等々の
「神秘家」による「手品もどき」は沢山ありますが、ユリ・ゲラーの「超能力」が「科学的に
検証」されたことが(何故か「不思議なことに)唯の一度もない・・ということが「インチキの系譜」
・・・が観念論者さん達にとって「自分を騙しても存在して欲しい」モノ・コト」が
存在する・・・という「(社会)心理学的現象である」ということを意味するに過ぎません。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
機械さん、ごぶさたですね
心配してましたよ
90 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2010/12/17(金) 00:52:58 0
ちょっと文章が酷すぎたので訂正させて戴きます。
>>60 そもそも「霊魂」とは、「幽霊」と同様「観念論的自己欺瞞が生み出してしまう幻想」
にすぎません。
脳科学において(脳細胞=物質)に対して「超越的な存在」・・・古来からの宗教者の「神」「霊魂」等は
未だかつて一度も「科学的に検証」されたことはありません。…「唯の一度」たりとも「無い」
・・・ということです。
言い換えますと、「(自然)科学」というメソッドを適正に適用した場合に「唯の一度もない」
「降霊術」等々・・西欧ではマダム・ブラバッツキー、アイレスタ・クロウリー、等々の
「神秘家」による「手品もどき」は沢山ありますが、ユリ・ゲラーの「超能力や超常現象が科学的に検証された」
という事を言い張る「インチキ科学(宗教)者」は百人を超えるほど沢山居ますが、何故か「不思議なことに)唯の一度も
『「科学的実験」としての証明に耐えることはできないない」・・という共通点をもっております。
すなわち「科学的実験に匹敵する」とか「科学的実験に耐えたはず」とかが、「証拠」になっていることが、
そもそもの「インチキの系譜」に他なりません。
それらの「歴史的系譜」は(いつまでも「信念=信仰」を変えない観念論者さん達にとって
「自分を騙しても存在して欲しい」モノ・コト」が存在する(に違いないと信じる)・・・という
「(社会)心理学的現象である」ということを意味するに過ぎません。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
91 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2010/12/17(金) 01:05:09 0
>>89 ご心配をお掛けしたなら、申し訳ありませんでした。
率直に申し上げますと、「真理」を回避しようとする観念論者さん達の「情熱」
に押し戻されつつ「真理」を追求しようとする「仲間(機械的唯物論)達」の
応援があまりに少ないため「孤軍奮闘に疲れてしまった」側面はあります。
しかし「哲学」は「自分にとって気分が良かろうが悪かろうが、都合が良かろうが
悪かろうが・・・『真理が真理であると認める』・・・という「真理追求の精神」が
「全ての原本」であることについて・・「一致している」・・ということが起源だと
信じております。
すなわち「自己欺瞞を排除する方法と技術」が「哲学」にとっては「最大の重要事」
・・・である・・ということです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
92 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/17(金) 01:19:06 0
>>87 :抄録 ◆xOLbFG9QNU
>何に鑑みて主観に過ぎない、と言い得るのかな?
当然私の主観です。
私の主観以外に観念(思考)は持てないでしょう。
>いかなる意味があると思う?
じぶんの主観を述べているのだから意味の塊ですよ。
心と言うのは意味の塊ですから。
93 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2010/12/17(金) 01:26:36 0
>>92 「結局主観しか(確かなモノとしては)存在し得ない」というのは、
「昔から伝統的ある『観念論思想家の反芻』にすぎない」としか
申し上げられません。
言い換えれば「そういうことについて人間は『言葉』を獲得した時代(五千年以上前)
から『ああだこうだ』・・と考え・・言いつのり・・(判りにくく)記述し続けていた」
・・ということです。
本日は就寝させて戴きます。
>>92 じいさん、まだ起きてるのかw
>当然私の主観です。
貴方の主観が「りんごが常時、同じ意味である」と主張しているのだから、
貴方の主観には、それ以外の事態を想定をし得る、何ものも無いではないですか
わたしは、「何を鑑みて、言い得るのです?」と訊いているのです。
貴方のしているのは、単なる「無駄な妄想」でしかないのですよ。
>じぶんの主観を述べているのだから意味の塊ですよ。
なにを言っているのですか。
貴方にとって、「俺の妄想も、俺にとっては意味がある。意味の塊なんだ」と
勝手に思っててもいいですでけど、
私にそれを言い立てて、なんの意味があるのです。
もう少しまし(=有効)な答えをして下さいよ。
私は、厳密には機械さんの味方というわけじゃないですが(ごめんなさい!)
じいさんの言ってることは「自己欺瞞」そのものじゃないですか。
病気スレ
だからなんで物質だったら必然になるんだよ
97 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/17(金) 22:09:19 0
>>94 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :
>貴方の主観には、それ以外の事態を想定をし得る、何ものも無い
当然です、世界は「主客の相対」です。
リンゴは客体ですそれが同一であると言う主観です。自身の思い込み以外の鑑みる物などありません。
「無駄な妄想」では無く「唯一の思考」なのです。
では貴方は<リンゴが同一である>と言う事実を主観以外にどうやって証明出来るのですか??
>なんの意味があるのです。
何度も言うように私にとって意味があると言っている。
貴方こそ無意味なら答えなければ良い。
例えば私のリンゴは信州リンゴで青い貴方のリンゴは津軽リンゴで赤い。
その様な個人の主観に人類(自然?物質的?)に普遍のリンゴの意味を付加することこそ「欺瞞」ではないか。
98 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/17(金) 22:16:00 0
追記
誤解を招かないように付け加えると
リンゴは貴方と私では同一ではないと言うことです。
それは貴方の肉体と私のでは違うので、そのリンゴのイメージ(心像)、クオリア、意味、など、精神が異なるからです。
異なる物質からは異なる精神が規定される訳です。
99 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/12/17(金) 22:24:24 P
>>97 じいさんは嘗て、「主観は個人に属する」と言われた。
貴方は、この抄録にも主観があると思ってそのレスをしてますか?
100 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/18(土) 16:01:51 0
>>99 :抄録 ◆xOLbFG9QNU
>この抄録にも主観があると思って・・・
思います。
理由は二つあります。
まず貴方が「俺は抄録だ」と此処で叫んでいるのが見れる事(客体として)。
それからここで入れ子構造が出てくるのですが、自分の主観を他人の主観に置き換える方法です。所謂相手の立場で考えると言う事です。
だから貴方にも自分と同じように主観があることが類推できるのです。
勿論その主観の内容は全く異なっているようですが。
101 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/18(土) 16:22:39 0
>>93 :「機械的唯物論」者
>(五千年以上前)から『ああだこうだ』・・と考え・・言いつのり・・(判りにくく)記述し続けていた」
その通り、そしてそのつい百数十年まえから科学かるもので『ああだこうだ』・・と考え・・言いつのり・・(判りにくく)記述しだした。
さらに数年前から機械なる人は「百数十年の科学が真理で、先行する数千年の歴史は徒労である」と主張している。
102 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/12/18(土) 16:23:20 P
>>100 抄録の主観はある、ということですね。
抄録の思考は、「唯一の思考」である貴方の主観に含まれますか?
103 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/18(土) 17:11:06 0
>>102 :抄録 ◆xOLbFG9QNU
貴方が実は何を考えているかは解りません。
貴方の考えを類推するのは私の主観です。
貴方の主張をレスで見るのは客観情報としてです。
104 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/12/18(土) 17:30:14 P
>>103 抄録が何を考えているのか「分からない」なら、
貴方の立場では、抄録の主観など「無い」のではないですか?
それとも、貴方の主観の「外部」を認めますか?
105 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/18(土) 18:07:05 0
>>104 :抄録 ◆
?わからない?これだけ丁寧に説明してるのに。
じいさんの主観が勝手に貴方の主観を類推する事、これが入れ子構造です。
解らない・・・と言うのは正確には解らないと言う事です。
ただ主観を持つ(=主観は無くはない)人間だと言うこと位は解るという程度です。
>貴方の主観の「外部」
?客観のことですか?
106 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/12/18(土) 18:38:02 P
>>105 >?わからない?これだけ丁寧に説明してるのに。
そうですか、すいません。
>じいさんの主観が勝手に貴方の主観を類推する事、これが入れ子構造です。
「じいさんの主観が類推する抄録の“主観”」が、じいさんの言う「抄録の主観」なのですか?
それ以外には「抄録の主観」は「無い」ということですね。
>解らない・・・と言うのは正確には解らないと言う事です
ん?貴方の主観には分からない抄録の主観が、やはり「ある」ということですか?
どっちなんです?
>?客観のことですか?
いいえ、
「主観の外部」とは、「貴方の主観に含まれない存在」です。
その存在を認めますか?認めませんか?
107 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/18(土) 23:29:26 0
>>106 :抄録 ◆
>それ以外には「抄録の主観」は「無い」ということですね。
>貴方の主観には分からない抄録の主観
貴方の主観これをAとすれば抄録の主観これはBでしょう。
BについてはAとは内容が違うので正確には解らない、しかし主観の存在は認識できます。
>「貴方の主観に含まれない存在」です。
その存在を認めますか?認めませんか?
ですから二通りの方法で存在を認識できます。
>>100 :じいさん
に書いたとおりです。
カメラにも主観はあるだろうね。外部の情報を写し取る機能があると認められる。
>>107 私が「抄録の主観」としたのは、
「私の主観」としたのでは、「貴方にとっての私」なのか「このあたくし」なのか
混同すると思ったからで、それ以上に深い意味などありませんよ?
でも、貴方の主観にとって、あたくしの主観(=A)と、抄録の主観(=B)は、違うのですね!
じいさん的には、その程度の主観のダブルスタンダードは許されるんだ。
>BについてはAとは内容が違うので正確には解らない
分からないのに、正確ではないという判断はできてしまうんですね。
正確な「私の主観」は、じいさんの主観には「ある」のか「無い」のか、
何回訊いてもはっきりしませんが
まあ、「ある」とも「無い」とも、答えたくないのでしょうかね。
それとも、ちょっとして答えたつもりなのかもしれませんね。
>しかし主観の存在は認識できます
貴方は私の主観の存在を「認識」できるのですね。
貴方にとって、類推すれば、もうそれは認識したことになるんですね。
すごいですね。
「世界は主客の相対」というのは実は、
ケーブルで信号を送っただけでも主客が成り立つのです。
信号を送る側は見られる側なので客、送られてくる側は信号を見る側なので主に
なります。
本気かね
病気スレ
>>111 いや、いや、その主客のありようはそう単純ではない。
115 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/19(日) 17:56:29 0
>>109 :抄録 ◆
>じいさん的には、その程度の主観のダブルスタンダードは許されるんだ。
例を挙げるとじいさんの色(赤)と抄録の色(青)は「色」と言うことでは同じだが内容が違う。
以上単純な論理なんですが・・
>類推すれば、もうそれは認識したことになるんですね。
何かの色(主観)は他人にも有るだろう、と言う「有るか無いか」くらいははっきり言えると何度も言っている。
116 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/19(日) 18:00:38 0
>>111 :飛べないカラス:
>信号を送る側は見られる側なので客、送られてくる側は信号を見る側
そのやり取りを観察しているのは誰?
117 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/12/19(日) 18:33:35 P
>>115 >じいさんの色(赤)と抄録の色(青)は「色」と言うことでは同じだが内容が違う。
貴方の主観によって、その「内容」が違うかどうか比較可能でしょうか?
>以上単純な論理なんですが・・
“論理”・・ですか。
>何かの色(主観)は他人にも有るだろう、と言う「有るか無いか」くらいははっきり言えると何度も言っている。
私の主観が「ある」とはっきりと言えるとするなら、
私の主観の「内容」も「ある(存在する)」ということで宜しいですか?
観察者を仮定のもと増やすことはできます。
観察者の観察者の観察者、これは入れ子(ネスト)とみなすこともできます。
互いに観察者というのもあります。
自分の脳内を覗いたら観察者はどちらでしょう。
120 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/20(月) 00:14:55 0
>>117 :抄録
>貴方の主観によって、その「内容」が違うかどうか比較可能でしょうか?
じいさんの主観が赤と青は違うと主張していると言うこと。
どうやら貴方には理解できないみたいですね。
>私の主観の「内容」も「ある(存在する)」ということで宜しいですか?
当然でしょう、解らないですかね。
もっともこの存在すると言うのは、前々から問題となっている「絶対的存在性」ではなく。
空性のある存在である事は勿論ですよ。
121 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/20(月) 00:22:07 0
>>118 :飛べないカラス
観察者がもっとわかりやすく述べるとすると
>>111 :飛べないカラス:
>信号を送る側は見られる側なので客、送られてくる側は信号を見る側なので主になります。
この文章は以下の通り。
Aが信号を送る意志(Aの主観)で送った信号を見たBは信号を客体として認識する、その後信号に反応すればその反応はBの主観による。
122 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/20(月) 00:29:23 0
>>121訂正
「Bは信号を客体として認識する」
これは「Bは信号(客体)を認識(主観)する」の方が適切でした。
123 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/12/20(月) 00:37:24 P
>>120 >じいさんの主観が赤と青は違うと主張していると言うこと
>どうやら貴方には理解できないみたいですね。
問題としているのは、
貴方の主観にとっての赤が、抄録の主観にとって青だと、どうして分かるんですか?
ということです。
>>117 横スレだが…
抄録さんの主観は「ある」でしょう。(類推)
抄録さんは何かを意識しているでしょう。(類推)
抄録さんのいう主観の「内容」とは、この“何かの意識”のことであり、
だれしもが、それは「ある」だろうと思っているのではないか。
何をもめているのか、よくわからない。w
論点は、そこにはないでしょう?
抄録さんは、その主観(意識)のありようを決める要因は“主観の外”にある、
といいたいのでしょう? なら、それをいいつのればよろしいのでは?
“唯物論”を標榜しているにもかかわらず、段々と「世界が物質以外の要素に
よって存在せしめられている」確信を強める、不思議なスレである。w
125 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/12/20(月) 01:18:53 P
唯意味論さんの意見はごもっともです
しかし、
じいさんは、自分の妄想も、それが意味そのものだという。
じいさんが妄想すれば、その妄想が思考の全て、とか言い捨てました。
私から見れば、少なくとも真面目じゃない。ふざけている、と思いました。
私は唯意味論さんほどふところが深くはない。
なんでも赦すことができる性分ではないのです。
>>125 ここでは、じいさんは真面目なほうでしょう? w
妄想しているものは、それでアタマ(意識)がいっぱいになります。
恋愛、宗教、あるいは過激な政治理念…等々。
妄想のタネは尽きることがありません。それに生き死にさえ賭けます。
といった意味を、じいさんは述べたのでは?
観念論者は常時、緩やかな?妄想に陥っている、という自覚を持っています。w
127 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/12/20(月) 02:00:16 P
>>126 じいさんが真面目・・それは貴方の見識。唯意味論さんはほんとうに・・えらいよ
しかし、意味と無意味を分けることこそが思考と思う。
貴方のよく言われるように、私はたゆたっているかもしれない
私の言説は浮ついているかもしれないが、
世界について、意味のある、有効な語りとは何だろう、
と考えながら書いている・・つもり。
対話に於いて、
自らの無意味な妄想さえも、それこそが意味そのもの、と開き直るなら、
有効性を求める一切の営為を茶化し、馬鹿にしている。対話など成立しない。
赦すことなどできません。
じいさん、私が何を言っているのか、ひょっとしてここまできても分からないのだろうか。
私が「りんご」を持ちだして、
「その意味の成立には世界の普遍性が要請される」
と言い立てた時、
>答えは出ている。
>昨日のりんごと今日のりんごは当人の主観がそう主張しているだけで証明するすべはない
と言い捨てた。
その「証明」とやらに意味があり得るのか?何を証明する気なんだ?
と問うているのだ。
それをして、「何に鑑みて意味があるのか」と問い掛けているのだ。
貴方は、驚くほどにその意味を解しない。(ひょっとして、今も分かっていない)
返す刀で、「主観が妄想すれば、それは意味の塊」と言い放った。
妄想と分かっているのに、それが「意味の塊」であるとか、頭がおかしいのか?
(私の使う「妄想」の意味は、以前に説明したと思うが、その行為が無意味であることを意味する)
あなた(方)は、有効な思考を放棄し、独断、妄想、拡大解釈を平気でする。
その自覚が無いのだとすれば、実に驚くべきことである。
>>127 少し揚げ足をとる。
「世界(という意識)」を分節し、差異線の網の目を入れるのが“思考”である。
「世界」は“意味”によって構造化され、総体化される(幻想を持つ)。
言葉のアヤならともかく“無意味”を思惟することはできない。
“私の世界”のどこにも“無意味”の入り込む余地は残されてはいない。
「無意味な妄想」に耽ることは不可能なのである。
否、妄想の度が強いほど、当人には“意味(価値)”がある。
妄想とは、じいさんのいうように全き“意味(の塊)”といってもよい。
そのことを踏まえなければ、対話は幻滅に終わるだけである。
130 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/12/20(月) 10:19:06 P
>>129 概ね、その通りと思います。
しかしながら、主観に無意味の入り込む余地は常にある。
懐疑論、不可知論、水槽脳、これ全て、「無意味の無自覚な意味化幻想」なのである。
貴方と私の間で、「りんご」の意味が成立する、とするなら、
「それが本当にりんごであることを証明などできない」と言い立てることなど、無意味なのである。
それを、あたかも意味のあることを言っているのかのように言い立て
その馬鹿馬鹿しさに気付かない。
ぼーっとしてると無意味は主観に入り込むのです。
あと主観について
「己の主観が全て」であることを完遂するなら、独我論である。
しかし独我論は「論」ではない。独我の世界に於いて対話など成立しない。
その一方で、「他者の主観を認める」とか・・ネジが三本ぐらい外れてるのかと疑う。
じいさんがどれほど「抄録の主観」を妄想し、納得しようとも、
私の内実について何一つ知らないことは、私にとっては明白なのであり、
それを前提にしない「対話」など、初めから空中分解している。
>>130 それは抄録さんからからみた他人における「無意味」であって、
じいさんからみれば、抄録さんの言表もまた「無意味」にみえる
にちがいない。いわゆる“主観の相違”である。
が、当人たちにはそれぞれ意味であり、無意味は表出できない。
なぜ、そうなるのか。
意味の源泉、根拠が「外部の世界」にはないからである。
「同じリンゴ」をみることはできない。
にもかからず、同一幻想を相互に持てるのは、事象を凍結した“概念”に
よって「同一のリンゴ」とみなす暗黙の“取り決め”が結ばれているから
である。
レスの結論は、客観主義の抄録さんが主観主義に陥っているようにみえる。
132 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/12/20(月) 11:31:31 P
>>131 その「取り決め」とか「概念」が有効に成立するためには、
意味の源泉は、「我々を含む客観世界の普遍性」に求めるより他ないのです。
私が、意識を「閉じたもの(脳そのもの)」とすることができず、
「脳を中心とした環境により(動的に)成立する」としか言えないのは、
意識を環境と分離して、意識と対象との相互作用とすると、
結局は神と直結する(超越)主体を想定しなくてなならないからです。
しかし
私の言表が「無意味」に見えるにちがいない、ですとw
なるほど、そうかもしれぬ。。。
そうであるなら沈黙するしかないが。
メリークリスマス、良いお年を、来年も宜しくです。
いや・・年内にまた来ちゃうな、このぶんだと。。はぁ・・
じいさんも達者でな〜
いや、有効に成立することはめったにない。
この2chも含めてwいたるところで“意味の抗争”が繰り広げられている。
真理、正義をめぐる戦いであり、普遍性を希求する争いである。
それらを調停するスベは“人間の外部(客観世界)”にはない。
確かに、どこかで「外部」とか言ったのは不用意だったか。
内部も外部もなく、繋がった世界、とすべきだったかな。
しかし「内部感」を説明できないので、それもちょっとぬるいか。。。
意味の抗争はまだまだやりますよ。はっは
135 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/20(月) 23:50:43 0
>>128 :抄録 ◆
>「その意味の成立には世界の普遍性が要請される」
要はこういうことなのではないだろうか。
じいさんは観念論なので主客の相対が世界の全てで、それ以外の世界は無いと言う立場。
あなたは主観から独立した客観世界(物質世界)なるものがあると言う立場。
その中に普遍的な意味と言うものが見出される筈だということかな。
この違いは基本的な論点なのだからこの切り口で論じていけば対話がかみ合わないことは無いだろう。
さてそこで問題提起したい。
貴方の世界と貴方の主観とはどういう関係か整理して欲しい。
私は相対的関係で切っても切り離せない関係だと前から言っている。
貴方は外部世界といったり、繋がっているといったり・・・はっきりしていないように思えるが・?
「我々を含む客観世界」と言う事でいいのかな?
病気スレ
>>121 意志と主観は別です。反応も主観とは別。
意志とは別にただ見られるのも客体になります。
>>67 >「自己言及」って言うところの「自己」が主体でしょう、矛盾してますよ。
自己が主体だと考えておるものが主体だ。
自己に主体などない。
単なる作動だ。
簡単なことだ。
くっくっく。
>>88 機械も生きておったか。
元気そうで何よりだ。
相変わらずのバカさ加減がすがすがしいな。
くっくっく。
>>134 >内部も外部もなく、繋がった世界、とすべきだったかな。
オートポイエーシスだ。
まだまだ、甘いのー。
くっくっく。
>>135 >貴方の世界と貴方の主観とはどういう関係か整理して欲しい。
世界は我々が分解し、再構築している。
つまり、我々の感じている世界は世界そのものではない。
そもそも、世界そのものなどないがな。
くっくっく。
>>135じいさん
「貴方の主観」しか無いんだよ。
貴方の「主観」だか、「主客の相対」だか知らんが、それが全て。
俺と対話なんぞ無意味なんだよ。
貴方は抄録と話してる夢を見てるだけ。それが意味の全て。唯一の思考。
貴方の言っているのはそういうこと。
何かが「噛み合う」とでも思うのかね?
なるほど、俺の言葉など貴方には無意味ですよ。
誰か他の人と「意味のある」同士で対話でもなされば宜しいでしょう。
あたくしは、またそのうちに“俺にとって意味のある”モノローグでも書きにきますよ。
>>140超絶さん
ええ、ええ、まだまだ甘いですよw
しかしオートポエーシスも、創発とか、ワシの言う「成立」とたいして変わらん。
どうにもぬるい。
ああ、オートポイエーシスか
つうか、馬鹿みたい。このスレ。
何で自然に法則があるとか、決定されているとか必然だとかわかるの?
馬鹿なの?頭おかしいの?お前は神か神なのか?
今まで法則どおりでも次の瞬間法則とは全く別な出来事が起きたっておかしくないだろ。
根本から間違っているよこのスレ。
>>144 >今まで法則どおりでも次の瞬間法則とは全く別な出来事が起きたっておかしくないだろ。
うん。おかしくないね。
そして君が認識しているこの世界が5分前に突然出来たことも否定できない。
確かなものは何も無いという主張も大いに結構だが、そこには何の意味も無いんだ。
君は何もわかってもいないのに、物事を断定している。
はっきり言おう。根本から間違っているのは君だ。
>>145 何それ?馬鹿なの?
決定論が間違っていると言ってるだけで全く未来が予測不可能であるべきとかは言ってないんだが。
馬鹿www頭おかしいww死んでwwww
>>145 このスレってこんな基地外しかいないの?
決定論とか全てが必然的とか神じゃなけりゃ意味不明の妄想なのに。
そんなこともwわかんないのwww
ヒュームの問題だね
で、解決した者なし と
149 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/24(金) 23:43:07 0
>>145 :考える名無しさん:
>君は何もわかってもいないのに、物事を断定している。
じいさん的には「決め付け(決定)てはいけない」と言うのは「決め付けてはいけないと断定している」と言う事ではないと言いたい。
「決定しているところもあるが決定していないところもある」
と言う意味です。
言葉の意味合いを無視して「決め付ける」と言う言葉を入れ子=A にして Aはいけないと言うのは断定であると言いたいのでしょうが、それは文の意味を理解していないと思います。
じいさんも哲板に来て長いねえ
よく飽きないものだ
151 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/25(土) 01:33:48 0
>>150 :考える名無しさん:
飽きちゃってブランクも結構ありますよ〜。
152 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2010/12/25(土) 01:56:34 0
こちらも久々に覗いてみましたが
古参の方が現役ですね。
世界五分前想像仮説が駄目駄目なのは、
その検証(否定)不可能性にあるのではない。
それがいかなる事態であるのかを「理解できない」のが駄目なのである。
世界0秒前想像仮説であれば、無意味とまでは言えない
「五分」と口走るところがすっとこどっこいなのである。
この五分の意味が分からないのである。
しかし永井均などはそれを「理解できる」と思っているようでもある。
微妙であるw
決定論は人文学的には否定されても
哲学的には事実だよ。本音と建前。
未来を知りえない→未来から自由である
他人の思考を知りえない→他人の意識から自由である
この2つで自由観が成立するんであってあくまで主観的な概念。
法則・論理があるいじょう決定論。知りえない世界の話はしらない。
だから、前から言っておるだろうが。
決定論と非決定論は互いに内包しあっておるのだ。
くっくっく。
>>155 でも原因から結果がひとつに決定されると決定されないはどちらかですね?
157 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/25(土) 16:10:02 0
>>154 :考える名無しさん:
>未来を知りえない→未来から自由である
ちがいます
双六って知ってます?
双六で未来が決まるとすれば?
どうなるかは知りえないけど、決して自由ではない。
>他人の思考を知りえない→他人の意識から自由である
ちがいます
中国が尖閣をどうするつもりか知りえないけど、日本はきわめて不自由な対応を迫られている事実があるでしょ。
未来から自由でなかったら預言者になれますな
馬鹿なの?
次は何が起こるかまるっきりわからないからこそ、何の根拠もないからこそ、
それを選び予測することが意味があるのに。何が起こるかわからないかろこそ、
それでも少しでも良いことにつなげようとするから科学も哲学も偉大なのに。
馬鹿すぎwwwこのスレ、レベル低過ぎ。
一生懸命科学的探求はなされるべきで科学を否定しているわけじゃなく、
ただ決定論とか全ては必然的とかの妄想は否定さるべきってことなのに。
ニュートンの万有引力にしろ、アインシュタインの相対性理論にしろ、
何の根拠もない中でそれでも頑張って結果としてたまたま役に立つ根拠のない営みだからいいのに。
全てが決定されているならどうでもいいじゃん。何の意味もないじゃん。
暗闇の跳躍だからこそ科学も我々の生も気高いのに。
科学と決定論は水と油、まじあっちゃいけないものだろ。
これ否定できる奴はいないよw
決定論なんか非科学的なもの信じる未開野蛮な土人は死ねよ、出ていけよ。
オカルトだっつーの。
とりあえずスレタイに同意。
何だかな。
つうか物理主義とかデイヴィッドソンの非法則的一元論とか何なんだろうな。
物理のレベルでは全ては決定されているとか非科学的、非論理的すぎるのに。
科学でも一秒後にはどうなっているかわからない、次は何が起こるかわからないから、
科学はその中で少しでも良い結果をたまたまもたらしたりできるから偉大なのに。
全ては物理上の法則に還元できるとかの信念は、因果応報でお前は地獄に落ちるとか、
最後の審判で人間は選別されるくらいのヨタ話なのに。
決定論とか必然性とか科学離れた宗教的、形而上の概念以外の何物でもないのに。
>>161は馬鹿で死んだ方がいいのにな。
心の哲学者も含めて馬鹿ばかりなんだよな。
決定論自体、必然性自体、科学からは絶対出てこない科学とは関係ない、
別のレベルの概念で科学からは絶対根拠が出てこないものだとはちょっと考えればわかる。
そういったものに騙されないために本来哲学があるんだけどな。
しかし、カントも分析哲学も含めてそれを混同して混乱してるから、
哲学が議論が盛り上がり成り立っている分があるから問題は根が深いけどな。
カントなんか自由か必然かしかやってないし。
>>161みたいのは自分の信じる神を信じてないから殺して構わない弾圧するとか、
そういうレベルの低い話なんだけど自覚ないんだよな。
決定論が非科学的とかこの人なに言ってんの?
恒星のまわりにチリが集まれば惑星や衛星ができるとか当たり前でしょが。
とりあえず人間に限って話すけど、脳ミソがあれば外界と無関係で進化したわけじゃないんだから意識があるのは当たり前でしょが。
どこに目つけてんの?
なんだ、このやろう!なんてこといいやがる!
科学のもとは占星術なんだぞ!
決定論じゃなくて決定してるの!
レベルが低いな。
何も秩序が全くないとか、全ては自由きままとか言いたいわけじゃなく、正反対なのに。
力の限り科学的探求はつくすべきなのに。そんなの当たり前だろ。
そうであっても全ては決定されているとか必然的とか、何の価値もない妄想なのは明らかなのに。
全てが必然的とか決定的とか意味不明。科学からは絶対出てこない導けない迷信。
科学に逆らった宗教呪術迷信の類なのに。物理主義とか、決定論とかオカルト信じる馬鹿は死ねよ。
決定論は間違っているから、脳は物質だけど意識は全然必然的ではない。
次スレからはこれでいくように。
>>165 >
>>146 > 決定論が間違っているとは限らないよ。
決定論が正しいか否か人間には証明できない。原理的にできない。
科学の有効性は認められても決定論の有効性は認められない。
単なる意味のない信念にすぎない。宗教迷信と同じ事実と関係ない信念にすぎない。
親の因果が子に報いの無益な有害な非科学的信念の一つにすぎない。
無益な役に立たない臆説で社会の発展を阻害することしかできない。
何でそんな役にたたないオカルト信じるの?馬鹿なの?死ぬの?
>>156 観測されるまでは、事象が起こってもどちらでもありながら、どちらでもないと言う事態であることは理解できるか?
くっくっく。
確率世界と多世界どっちが好き?
だから、決定論と非決定論は互いに内包しあっておるのだ。
簡単なことだ。
くっくっく。
そりゃ惑星運動はいちいち観測しなくてもいつどこにあるかは決定できるけど電子の位置は観測しないと決定できないでしょ。
簡単なことをなんで得意げに語ってんの?
173 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/26(日) 01:17:29 0
>>172 : ◆0wlfLV9a6YHd
>そりゃ惑星運動はいちいち観測しなくてもいつどこにあるかは決定できる
???決定できないんじゃあないの???
多体問題とかいう事で・・・。
レベルが低いな。
科学的決定や非決定は無意味なの
宇宙の物質の一部で構成されていruことから人間はじゆうじゃないの。owakari?
「観測」という事象だけがなぜそんなに特権的なのですか。
それとも「観測」は事象ではないのですか。
>>173 惑星運行って多体問題だったの?
探査機飛ばすのも容易じゃないね。
生きてて辛くない?
決定論www
必然性www
物理主義www
馬鹿そのものwww
笑かす!!恥ずかしくない!?
>>171 > だから、決定論と非決定論は互いに内包しあっておるのだ。
> 簡単なことだ。
> くっくっく。
腹痛い。馬鹿なの。
単純に決定論が間違っているんだが頭大丈夫?
内包しているもくそもないよ。
間違ったものをいくら論じても駄目なの。死ね。
>>179 なんだか、低脳が多いな。
くっくっく。
>>175 「観測」を観測すれば、「観測」は事象になるな。
如何なる情報もそれを解読できるものがおらねば、存在しておらんのと同じなわけだ。
理解できるか?
くっくっく。
182 :
唯意味論:2010/12/26(日) 14:50:19 0
>>176 鋭くないよ。w
>>181 話はかわりますが、以前、超絶さんは「縁起は方便だ」といっていませんでした?
気が向けば、そのあたりについて解説してください。
184 :
考える名無しさん:2010/12/26(日) 15:39:23 0
あほか
君は性欲がわくとき己から意思してわかせているのかw?
君は決定的に決定論にしたがっているよw
いっちんかな?
>>169 観測と実際の状態は別でしょう?観測は実際の状態を観測者が知ること。
この辺はシュレディンガーの猫ですでに議論済み。
エブ〜ッ
188 :
是:2010/12/26(日) 18:11:17 0
たとえすべてが決まっていたとしても全然虚しくない。
決定づけられていようと自分の運命を愛すことに全力を注げばいい。
決定論はある視点からの真理であって、別にむきになって否定するようなもんでもなければ、
決定論を使って何かを否定することも、仕方がないし、気にするようなもんでもないし、気になるところは仕方がない。
決定論は言い訳にも応用できれば、思いやりにも応用できれば、共感にも応用できれば、神秘的な感動を得る為の言葉の流れ(文脈)の中の、
言葉と言葉、意味と意味をつなげる橋としても応用できる。
役に立てる能力のある人には少なくとも役に立つ。
役に立てられる人が役に立てられない人の役に立つこともある。
>>182 言っておったかもしれんな。
大体、仏教に方便でないものなどあるのか?
>>186 だから、実際の状態を観測者が作り出していると言うことだろうが。
この辺はシュレディンガーの猫ですでに議論済みではないか。
くっくっく。
くっく言ってる人ってたまに出てくるけど、思考がとまったままだよね
いつもおなじ知的レベルで停止してて、哲学してる人としてはめずらしい人種だべ
ココア孤毒を埋める町のホットステーション♪
>>189 オレはシュレディンガーの言っていることには異論ありません。
だからどちらでもない、どちらでもあることは有り得ないということです。
>>190 「決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない」を180も続けておるやつに先に言え。
バカではないか。
>>192 >だからどちらでもない、どちらでもあることは有り得ないということです。
だから、シュレディンガーの哀れな猫は観測されるまではどういう状態なのか、お前にはっきり言えるのか?
そこまで自分の感覚器を盲信できるお前がうらやましいのー。
くっくっく。
>>193 シュレディンガーは半死半生はおかしいといっているんです。
> だから、シュレディンガーの哀れな猫は観測されるまではどういう状態なのか、お前にはっきり言えるのか?
いえないですね。
>>194 その我々が直感的におかしいと思うところに、自然界の真理があるんだろうが。
>>195 それは観測と事実を混同しているわけですね。
197 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MINORKEYcM :2010/12/26(日) 20:54:05 O
脳内の物質とその働きの多様性や、ときに起こる説明できない不合理性をどう説明するの
>>196 何が事実か分からん者が、どうして観測と事実を混同できるんだ?
くっくっく。
超絶対神って純一なの?
>>199 誰だ、それは?
昔は犬とか、王様とかおったような気がするな。
なんかじゅんいっちゃんっぽいよ?
純一って昔短パンとか名乗ってた奴だろ
204 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/27(月) 00:12:48 0
事実と観測の関係は結構難しい問題ですね。
観念論では「事実=客体」「観測=主観」と考え、世界は主客の相対とすれば単純明快です。
ところが物質世界が観念と独立して実在すると考える唯物論ではややこしくなる。
事実は物理的事象と言えるが観測については一筋縄ではいかない。
観測と言うのは物質と精神という別の範疇を結びつける行為だからだ。
物理現象の実在を認めてしまった報いだと思う。
世界は観念のみと言うじいさんの観念論なら安心できると思うぞ。
とぼけてもだめだよ?
ポールたんww
ポールとかモロ純一だろ
207 :
考える名無しさん:2010/12/27(月) 01:04:00 0
純一さんカッケー
物理現象の実在を否定するのは逆に大変な苦労がいると思う。
先ず物理現象の実在を肯定してからじゃないと否定する材料がそもそも見つからないという矛盾。(笑)
209 :
考える名無しさん:2010/12/27(月) 06:08:47 0
最近このスレ見てないけど相変わらず機械ってバカなの?
210 :
Q:2010/12/27(月) 09:11:41 O
昔のメンツが集まりつつあるわけだ
気が向いたら参加しよう
211 :
考える名無しさん:2010/12/27(月) 11:33:44 0
人はその人の身体を通してでしか事実を観測出来ない。
身体を通して観測出来る事実は、観測的事実。
事実と呼べるもの、事実として言葉に表せるものは事実。
言葉に表さなくても事実は事実、と言葉に表せる事実。
事実は正しい。事実は客観的。
今は観測的事実。現在観測中の事実が今。
事実はそれが事実であると観測出来る情報。
実際に起こったことは事実。事実は実際に起こる。
事実は事実の形跡。事実に従って世界は動く。
今から実際に起こるすべてが事実。
世界は事実によって決定される。
事実は世界によって決定される。
決定は必然。
212 :
考える名無しさん:2010/12/27(月) 12:37:47 0
今、あ、メロンパン食べようと思って飼いに行くのも
テニスでうまくサーブするのも
愛想わらいするのも
決定済。
今まで生きてきた中で得た経験則の膨大な蓄積が
脳内の神経回路に”形”として保存されており
それに今の外的環境の刺激、視覚聴覚情報が作用した
結果のアウトプットにすぎない
俺、唯物論で科学主義だけど決定論とか頭おかしいと思います。
何でそんなオカルト信じてんの?
214 :
唯意味論:2010/12/27(月) 18:41:01 0
>>212 違うと思うね。
決定論は、いわば“事後”論である。「過去」を確認しているにすぎない。
観測(意識)するや否や事態は収束し、それが必然だったようにみえるということだ。
が、これは「メロンパンを食べ終えたあとで、それを覆し、他のパンに変えることは
できない」という一種の運命論であり、実はクロワッサンでもアンパンでもよかった
のである。w
“シュレディンガーのネコ”の生死に“必然性”はない。
サイコロ(偶然)によって決まるのである。
こういう世界のありかたは、一神教徒(機械さん)には耐えられないだろうね。
何で無知蒙昧で時代遅れの非科学の決定論とか物理主義とか信仰すんの?
すげぇ笑えるwww
決定論て馬鹿の代名詞なんだけど。
恥ずかしくないのかな。
いまも携帯はぴかぁオンリーなわけ?
年末年始予定ないんだよな〜。
初詣くらいは行くけど
219 :
Q:2010/12/27(月) 23:13:39 O
JIN△
JINおもろいなー
220 :
考える名無しさん:2010/12/27(月) 23:28:13 0
>>213 そういうふうに考えるとなんか楽しくなったり癒されたりするから。
別に必要ない人には必要ないね。別に俺にとってもどうしても必要なものではない。
別に決定してようが決定してなかろうがどっちでもいいしね。
ただ決定してるのがどうしても嫌だという人の気持ちはわからないな。
どっちでも一緒だろ?そーゆー奴こそ馬鹿に思える。
221 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/28(火) 01:05:33 0
>>211 :考える名無しさん:
>人はその人の身体を通してでしか事実を観測出来ない。
もちろんその通りだが、人以外に観測できる方法があるのか?
>世界は事実によって決定される。
>事実は世界によって決定される。
典型的自己撞着だが 世界にも事実にも自己はいない。
一体誰が「決定」したのか???
ドーナッツの穴でしょ
>>221 > 一体誰が「決定」したのか???
決定論では決定する主体は存在しないです。
決定のプロセスを扱うのは意思決定論。
224 :
考える名無しさん:2010/12/28(火) 05:16:40 0
>>221 >もちろんその通りだが、人以外に観測できる方法があるのか?
さあ?知りえません。
>典型的自己撞着だが 世界にも事実にも自己はいない。
>一体誰が「決定」したのか???
人間が作った「言葉」とそれが表す「意味」。
225 :
Q:2010/12/28(火) 06:44:17 O
つまんねぇなぁ
厨房の議論じゃないんだから
ずっとジンみてりゃいいんじゃね
227 :
考える名無しさん:2010/12/28(火) 11:48:52 0
何でそんなに必死こいて長ったらしい文書いてんの?w
馬鹿って難しい言葉使いたがるよね^^
哲学は役立たずの学問
>>224 ごめんてゆうか世界にも事実にも自己はいないてどういう意味?
精神病棟から中継しております
\、,,)r゙''"''ー"''''ー辷ー"''"''ーー弋辷_,,..ィ
=、..,,,ニ;ヲ i'⌒i .i'⌒! . . -- ‐‐.:z ヾ彡r''"
\、,,) _ Y⌒f゙'ー'l f゙'ー'l i´ ミミ=-
=、..,,,ニ;ヲ , '´ | | | |´ __ノ 三
``ミミ, /:::.:.:. ⌒`ヽ__' __〃´⌒ `ヽ. ヾ彡r''"
,シ彡、⌒ヽ )Y( `ヽ. ハ :ミ... AFFECTUM UNITATIS VALDE SENTIO.
^'' / i:.:.:.:..... イ i `ト.、. . :.::.:.ト、⌒ヽ! UNITATIM ALICUJUS CALIDI QUOD NON HACTENUS FUISSE.
/ i:; '⌒>‐‐'゙‐‐<⌒ヽ..:ノ ヽ VENTUS... QUOD ESSE NESCIO,
,′,' // \ ヽ{ '. GRADATIM ET CETRE FLAVISSE AD NOS EST.
| i 〃/行ミt ,ォ ≠ミ \i i.n NOLITE INFECTUM, DONEC ULTIMO UTIQUE AGE.
| | | i ヒrリ.》 {_ヒri}゙ |. i i || SOCII MULTI TRANS TABULAM RETIS SUNT.
. i ノ! ! ! | | .f「| |^ト NEQUAQUAM SOLUS EST.
ノハi i ii{ニニニィ {ニニニイ .j i |::: !}. CREDE. ET CERTA CUM NOBIS.
八.i i f⌒ ー 、i ∨ ,__!,i! ∧ヽ ,イ NOLITOTE ABSOLUTE AFFICERI.
| i `ミ 、__ノ ゙こ三/ 八i/ .ィ´ CUM INQUISITORES ET PRAEPEDIMENTA INTERVENIANT.
いi i′`ト . . イ/ i / \\
リ ! ` ´ 〃 i イヽ. \): \
/′ ノヽ, /,' v'! l i iハ:. \ \
ノ 〃/ i /.,′i ! i i i }:. ) )
/ ./ ,' i ,' ′ |ハ ヽ. ノ:: / /
/ノ {V//j , { ! i/ハ / / (__ノヽ
/. ( 人 ∨/ i ヽ ヽ !//} / (八 ノ
231 :
考える名無しさん:2010/12/29(水) 10:11:42 0
久々に哲学板覗いたら、まだこのスレ続いてたんだ。
こんな過疎ってる板で180なんて、ギネス級じゃねえのww
決定論否定するおまえらはユダヤにたてついてください
俺はユダヤにしっぽ振って生き残りますw
233 :
考える名無しさん:2010/12/29(水) 11:14:44 0
ユダヤ人は、
子供を医者にしたい。
でなければ弁護士にしたい。
それも無理なら公認会計士にしたい。
西に行けばハリウッドなど
言葉と音楽でまわす芸能を経営するのが得意。
一般的には値切りが板についていて
小売り業、在庫抱えて在庫さばくのが基本技能。
基本的には品のある関西人がユダヤ人。
灘とか、かなりユダヤっぽいんじゃない?
日本と遜色ないユダヤだけど、
一つ大きく違うのは
大企業に入って平社員になるようなことは好まないところ。
従うだけより舵をとれる環境に身を持って行く。
感情的に気張るよりは、議論を繰り返すことを好み、
深入りして傷をえぐるよりは、俯瞰してジョークに流し落とす体質。
↑
ユダヤにたてつくと滅ぼされる
奏決定している
だから面従腹背でモなんでもみんな最終的には従う
しかしそれで面白いんだろうか?
そんなことばかりしていたらユダヤ人以外いなくなってしまう
ではないかw
235 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/29(水) 14:42:18 0
>>228 :考える名無しさん:
>世界にも事実にも自己はいないてどういう意味?
じいさんの考えは以下のとおり。
「決定する」と言う為には、選択肢の中からある一つを選ぶと言う様な判断する行為が不可欠。
その際価値判断(感情)も伴う、その様なことが出来るのは自己意識(主観)を持ったものにしか出来ない。
人間の主観を排除して世界や事実を述べることは出来ないという意味です。
将棋ゲームの機械はいくつかの選択肢から一手を選ぶよ
237 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/29(水) 15:10:13 0
>>208 :考える名無しさん:
>物理現象の実在を否定するのは逆に大変な苦労がいると思う。
逆
物理現象の実在を科学は証明できていない・・・今のところね、機械さんは将来できると言っているが・・・。
>先ず物理現象の実在を肯定してからじゃないと否定する材料がそもそも見つからないという矛盾。(笑)
ちがう、話の流れは以下の通り・・・・
まず主観が客観(物理現象)を認識する。
ここまでは脳内で起こる意識の範囲内のことです。
その認識事体は肯定する、しかし、この認識の先にある客観(物理現象)は実体のあるものであるかどうかは科学的検証を待つしかない。
貴方の文を言い直すと
物理現象の実在を肯定してでなく、仮定して世界を構築するときに、上手くいかない、材料がはっきりとは見つからない・・・ということ。
238 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/29(水) 15:15:04 0
>>236 :考える名無しさん:
>将棋ゲームの機械はいくつかの選択肢から一手を選ぶよ
あは^^そりゃあそう。
エクセルだって あるセルに数値を入れると 別のセルに「いくつかの選択肢から ある数値を選ぶよ」
エクセルは、いくつかの選択肢からある数値など選ばないよ
将棋ゲームには自己意識(主観)がある、ということですね
___ ____
゙=c_ \ /_っ='
く:::\ /:::>'
\::::\ ...-ー、,-─ /::::/
\ ` .(=・=) (=・=) /
\.. / ー-' ヽ /
\::.| ト‐=‐ァ' |: / まだやってんのかね? ぴゃぴゃぴゃぴゃ〜
|::| ` `二´' |:|
. ヽ ` ‐--‐ ´/
人 Y
( ヽ ノ
人 Y
( ヽノ
人 Y′
( ヽノ
人 Y′
/ ̄ '  ̄ヽ
/ ,ィ -っ、 ヽ
| / 、__う人 ・,.y i
| /  ̄ | |
ヽ、__ノ | |
| 。 | /
| ヽ、__炎_,ノ 丿
| (U) |
| / ヽ |
>じいさん
主観の「始り」と「終り」を定義してみて
243 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/29(水) 17:29:49 0
>>242 :考える名無しさん:
生まれてから死ぬまで。
10年も家に引きこもっていると、真性のキチ○イになるって本当だったんだな
245 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/29(水) 17:33:38 0
>>239 :考える名無しさん:
>>240 :考える名無しさん:
そのとおり。
だからゲームやプログラムやアルゴリズムは主観が無いので選択はしない。
裏で人間がやっているということ。
じいさんは決定論者なの?
大自作自演大会
決定論だってよ
中二病全開だな
>>235 >人間の主観を排除して世界や事実を述べることは出来ないという意味です。
じいさん、そもそも世界や事実という言葉が表す意味そのものが人間の主観じゃないですか。
決定論を決定する主体は自己です。
自己がないところに世界や事実がありえますか?
そうです。私達はあると考えるのです。
それは決定論をあると考えたい気持ちにも似ています。
じいさんは、
自分の主観が生まれる瞬間と死ぬ瞬間を知り得るのか。
すごいね。
記憶喪失した男って機械でしょ
病気スレ
257 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/30(木) 01:45:01 0
>>249 :考える名無しさん:
>将棋ゲームは選択してるよ
だから、将棋ゲームは「決定」してるんだよ
結果が決定してるのに選択すると言い張るの?わけわからめ
>>253 :考える名無しさん:
>そもそも世界や事実という言葉が表す意味そのものが人間の主観じゃないですか。
そのとおり。
>決定論を決定する主体は自己です。
そういう論旨なら問題ありません。
>私達はあると考えるのです。
すばらしい、観念論です。
しかし機械さんはそういう考えではないので、じいさんは反論しているわけです。
じいさんは科学的因果律も主観に過ぎないと言っている。
しかし機械さんは主観とは独立した客観世界があり因果律にしたがって決定していると言い張っている訳です。
258 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/30(木) 01:53:51 0
>>254 :考える名無しさん:
>自分の主観が生まれる瞬間と死ぬ瞬間を知り得るのか。
とんでもない、すでにボケが始まっている。
生まれてから所謂ものごごろつくまでにすこしづつ成長する、中年以降は衰えるばかり。
そもそも寝ているときは不安定である。
起きているときも主観を意識しないことも多い。
いわゆる無意識、日常の行動のほとんどだ。
主観とか意識とかは きわめて曖昧なものだ。
無意識で動かした茶碗が、主観で意識して見たら確かに動かした形跡があったんですね?
>結果が決定してるのに選択すると言い張るの?わけわからめ
自己意識など関係なく、結果は「決定」している=決定論
>科学的因果律も主観に過ぎないと言っている。
じいさん、科学音痴だなw
>機械さんは主観とは独立した客観世界があり因果律にしたがって決定していると言い張っている訳です
普通、みんなそう思ってると思いますが
>科学的因果律も主観
>主観とか意識とかは きわめて曖昧なもの
脳みそ見てみたい
264 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/30(木) 02:15:37 0
>>259 : ◆0wlfLV9a6YHd :
あは^^それはボケた時だア。
>>260 :考える名無しさん:
>自己意識など関係なく、結果は「決定」している=決定論
だからその場合は「選択」と言う過程は必要ないでしょ。
266 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/30(木) 02:26:53 0
>>265 :考える名無しさん:
そうでしょ〜〜同感です
貴方も・・・・・・・
>>249 :考える名無しさん:
>>将棋ゲームは選択してるよ
>>だから、将棋ゲームは「決定」してるんだよ
これに反論してね〜
>>266 >「決定する」と言う為には、選択肢の中からある一つを選ぶと言う様な判断する行為が不可欠。
これがおかしいだけ
なんで決定論ごときで何年もぐちゃぐちゃ議論しつづけられるわけ?
270 :
考える名無しさん:2010/12/30(木) 05:38:01 0
決定論の「論」。これがすでに観念論であることを意味しています。
決定論世界でもセッティング(自分のおかれる世界の状態)とセット(世界における自分の状態)でのパターン選択という事態が考えられます。
パターンはすでに決定しているので、選択感や自由感は人間的主観です。
まあ主観や観念論そのものがすでに人間世界の属性ですが。
だからじいさんも科学的因果律は主観に過ぎないとわざと言ってるんだと思います。
人間が人間である以上、その枠は超えられないでしょうね、超えるやつは勝手に超えるでしょうが。
271 :
考える名無しさん:2010/12/30(木) 05:42:14 0
あれ?そういえば科学的裏づけがある「論」は観念論とは言わないんでしたっけ?
まあいいか、どっちでも。
272 :
考える名無しさん:2010/12/30(木) 05:44:23 0
決定論には今のところ科学的裏づけはないですね
決定論とか非科学的でオカルトもいいところなのに、
何でそんな意味もないもの信じてんの?
馬鹿じゃねえ?
>>272 > 今のところ
× 永久に、原理的に。
>>275 自然科学にそういう完璧さがない、それを反証可能と不可能で
区別しようとした人がいるが理論科学を全て否定してしまうので
全部曖昧になってしまったわけな。
仮説で説明された仮説の上にある仮説の仮説の仮説の。。。。。。
もう最先端は仮説だけの塊でしかない。
科学を信じているって、それは知識を信じているってことだろ
日常で利用できる類の無数の側面で実証された類ではなく
一部の脳内だけの論理的秩序だけで否定する要素がないという
理屈から得られた主流的定説が科学を非科学としてしまった。
もちろんオマエが信じる科学も非科学でしかない。
科学的裏づけの説明とか、否定する材料がないだけで
科学の歴史はその修整でできている、つまり裏付けが仮説の仮説って
状態では裏づけとは脳内の科学万能主義と同じ。信仰だよそれ。
科学は特定できる計れる要素を元に仕掛けを説明しているわけで
何故とか根本は何という説明などできない。ただ名前(レッテル)を
つけて仕掛けの原理を命名しているだけ。
どんなものでも計れない類が含まれる、それは全てが観測範囲が
無限ではないからである、その常識圏と決めた平均値に対する
比較で秩序を示す仕掛けを説明しても、常識圏が異なる場合には
なんの説明もできないのが科学ってものだ。
例えばビックバンの始まりでは物理法則が成立たないとか説明するように
無から生まれたと説明して、無とは何かとかまた説明する。
無に仕掛けがあったら無ではないだろ。無と有を説明できないのも
決定論の完璧な敗北の説明になる。この世の時空連続体が無限なのか
有限なのか、決定論では有限でないと困るわけだ。
有限だと説明できない無を定義して無から生まれる何かを神のように
意味づけるしか方法がなくなる。
科学って究極的には神を目指してるんじゃないの?
278 :
275:2010/12/30(木) 12:37:16 P
>>276 ・自然科学は信仰じゃない。その「仮説」の“有効性”は、その適用範囲を含めて常に懐疑され、検証に晒される。
・「完璧さ」など、どうやっても意味を設定できない。そんなものは信仰の反動からくる妄想にすぎん。
(※「世界そのもの」はもちろんある。「本当の世界」なんてものが無いだけ)
・決定論に於いて、「計り得ない類(対象)」を「事実」とする必要はない。
世界はもちろん事実のみではない(すまんなビトゲンスタインw)。
しかし計れない類が、事実と無縁であり、かつ実在することを言わねば、
「計れない類」をもって決定論を否定する材料とは成らない。
・「常識圏(なんだそれ?)」なるものが「異なる」とはいかなる事態か?
なぜ貴方はそれを知っている?
・ビッグバンは「物語(≒神話)の一つ」にすぎん。
しかし、現代科学に対する貴方の危惧は、私としても共感するところもあります。
まあ、私は科学主義の「非決定論者」なので、貴方に反論するタマじゃなかったですが。はは
279 :
唯意味論:2010/12/30(木) 16:03:06 0
>>278 軽く揚げ足をとるが、世界“そのもの”と“本当の”世界は、どこが違うの?
どちらも“真・実在”という意味だろう?
君は抄録氏では?
フライドレッグなんて食いたくないね
精神病棟スレ
永劫回帰スレ
“右翼的な思考”をする人は脳構造で判る!扁桃体が大きい等の特徴があると判明…英ロンドン大研究
保守派の人たちは、生まれながらにそうした思想になり易いのかもしれない。右派志向の
人たちは“恐怖”に関係する脳の部位が肥大しているという研究結果が報告されたのだ。
学者によると、脳の中心部にあってアーモンドの形をした「扁桃体」は心配事や情動に関係
する部位であるが、保守的な見解の人たちのそれは、より大きいことが判ったという。
他方で、彼らは人生を楽観したり勇気に関係していると言われる脳の「前帯状領域」は小さく
て貧弱なのだという。
この“驚きの”相関性は、ロンドン大学ユニバーシティー・カレッジ(UCL)の学者たちによって
明らかにされた。英国の国会議員2名と多くの学生たちの脳を調べて得られたものだ。
脳の2つの領域の「サイズ」が、政治的見識の如何に直接的な関わりがあることが判ったの
である。
しかし、調べたのは全て「成人」の脳であるため、それが生まれながらの形質なのか、それ
とも生育過程の見聞によって脳がそのようになったのかは判然としない。
この調査研究を指導したジェレイント・リース教授は、「脳を見れば政治的スタンスが予知でき
るということが分かって驚いています。体験を通じて脳の構造が形作られ政治的スタンスが
規定される、若しくは体験から生まれる政治的スタンスに応じて、あるいはその結果として脳の
構造が規定される…ということを示すもので、大変驚くべきことです」と語る。
リース教授らは、労働党のスティーブン・パウンド議員と与党・保守党のアラン・ダンカン国際
開発大臣の脳をスキャンして調査した。そしてさらに学生90人にも政治的見解を質すなどして
調査を行った。
この結果は来年出版される書物に掲載される予定だが、保守的な政治スタンスにやたら反駁
する、生まれながらの“自由人遺伝子”を持つ連中が存在するといった学説をバックアップする
ものだ。
http://www.telegraph.co.uk/science/science-news/8228192/Political-views-hard-wired-into-your-brain.html
扁桃体を破壊されたサル
脳の扁桃体と呼ばれる部位は、情動に大きく関わっていることが判明しており、サルを使った実験で
この部位を人為的に破壊すると、環境内の事物や事象が自分にとって有益(報酬性)か危険(嫌悪性)
かの生物学的価値評価や意味の認知ができなくなる。このサルは、通常、見ただけで恐れて逃げたり
怒って攻撃をするヘビやクモあるいはネコを見せても、恐れや怒りの反応を示さないどころか、すべて
口にもっていき食べようとするし、また、ネコにも平気で近づき、傷つけられる。このサルは、全般的に
「食べられるもの」と「食べられないもの」との区別もできず、石ころでも何でも食べようとしてしまう。
またネコでは性欲が亢進される症状も引き起こされるらしく、雌雄やサル、イヌ、ニワトリなどの種に
お構いなしに何でもかんでも性交の対象としてしまう・・・・
脳の違いで性格が決まる。
286 :
考える名無しさん:2010/12/30(木) 19:57:11 0
ヘン☆タイ
287 :
考える名無しさん:2010/12/30(木) 20:04:57 0
>>274 >永久に、原理的に
いや、そうとも言い切れないよ、あくまで「科学的」に証明可能な時がくるかもしれない。
284
その矛盾に気づかないのかね?
>>287 >
>>274 > >永久に、原理的に
>
> いや、そうとも言い切れないよ、あくまで「科学的」に証明可能な時がくるかもしれない。
何で決定論とか物理主義者はこういうキチガイなの?
何でこのスレはこういうキチガイばかりなの?
恥ずかしくないの?
恥ずかしくないの?
恥ずかしくないの?
脳は物質だけど決定論は間違いだから意識は全然必然でも何でもない。
とっくに結論出てるのにな。
何でこのバカスレこんなに続いてんだ?
意識は偶然なんですか?
すべて偶然だぞ
┌─────┐
│偶 然 だ ぞ.│
└∩───∩┘
ヽ(`・ω・´)ノ
宇宙には無数の原子があるけど、それもみんなひとつひとつが偶然なんですね?
すべて偶然なら、偶然の意味は無い
296 :
考える名無しさん:2010/12/30(木) 23:24:49 0
>>288 >>276が言うことをあてにすれば、特定出来る計れる要素を元に仕掛けを説明できればいいので、
特定出来る計れる要素が発見されればよい。
実際に発見されるかどうかは解らないけどね。
そういう訳で誰か、永久に、原理的に発見されえないという主張をお願いします。コテンパンにする感じで。
295 名前:考える名無しさん :2010/12/30(木) 23:24:06 P
すべて偶然なら、偶然の意味は無い
はぁ?
秩序も法則もある程度はあるだろ。
ないと言うのも全てが決定されていると言うのも妄想。
偶然と必然は矛盾していない。
科学も知的探求も全てが決定されてないから成立する。
全てが必然でなく決定されてないからこそ科学は必要。
決定論みたいな非科学的妄想持ち込まない方がいいよ。
298 名前:考える名無しさん :2010/12/30(木) 23:32:07 O
決定論みたいな非科学的妄想持ち込まない方がいいよ。
決定されてない現実の中で少しでも良くしようとする頑張りが、
科学であり我々の生の営みなんだから、オカルト迷信の決定論とか否定しないと。
科学の尊厳侵す妄想は否定しないと。
301 :
考える名無しさん:2010/12/30(木) 23:37:00 0
決定論は思想。
302 :
考える名無しさん:2010/12/30(木) 23:45:35 0
科学信仰するならきっちり科学的に否定してもらいたい
決定論て宗教でしょ。神の代わりに地獄の沙汰は決定されているとか言う。
バカみたい。
科学からは決定論は科学的に証明できない意味のない命題だとはっきりわかってる。
オカルトキモイ。
>科学からは決定論は科学的に証明できない意味のない命題だとはっきりわかってる。
>オカルトキモイ。
↑レッテル貼りまくってるだけで何も説得力ないんですがw
>>304 決定論が正しいなんて神でない限り証明できないことぐらいわかるだろ。
キチガイ。
決定論が正しくないから科学があるんであって。妄想いい加減にしろ。
世界が決定的じゃなくても科学は成り立つ。
科学からは世界が決定されているとは絶対でてこない。
科学が世界は決定されていると証明することは有り得ない。
馬鹿なの?死ぬの?
306 :
考える名無しさん:2010/12/31(金) 00:09:22 0
「決定論」ってどういう意味だか知ってて言ってる?
このスレを今一匹の亡霊が徘徊している--懐疑主義という名の亡霊が
>>305 そおいうこと言うのならキチガイかどうかなんていうのも神でない限り証明できないことぐらいわかるだろ。
もはや決定論と聞いただけで笑える
310 :
考える名無しさん:2010/12/31(金) 02:24:36 0
なんか決定論に対してすごい侮辱の言葉を並べる人いるけど、よっぽど許せないんだろうね。
むしろそのこだわりの強さの方がキチガイ的に思えてくるよ。
それにしても、実績がないと何を言ってもまったく説得力がないなw
312 :
考える名無しさん:2010/12/31(金) 03:58:47 0
自分が何かすごいことを知ったと勘違いした高校生ってところだろう。
肝心の部分に関しては何も言わないので、たぶん内容がないようwかも。
精神病棟はここでつか?
ここです。
でも仮に決定論が正しくても間違っていても、何か意味があるの。
結局何も変わらないと思うんだけど。
>>237 どうもよくわかりません。
> まず主観が客観(物理現象)を認識する。
これの前提は物理現象じゃないんですか。
見たいものを常に見られるわけじゃないから。
昔からよく言うでしょ。「夢かどうか確かめるのに自分のほっぺたをつねってみる」って。
痛ければ現実で痛くなければ夢。
これ、脳内の話ですよね。
それから「脳」て誰の脳ですか。わたしは自分の頭を切り開いて中に「脳」が入っているのを確認したことありません。
317 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/31(金) 13:07:21 0
>>316 :考える名無しさん:
>> まず主観が客観(物理現象)を認識する。
これは脳内の話です。
で客観が実在するのであろうと仮定する。
ちょっとつねったりして確認してみたりもする。
>誰の脳ですか。
私の脳です。
確認は簡単です。
私の頭を切り開けば私が消滅します、それが証明です。
馬鹿さらしておいて、よく出てこれるなw
そもそも
>>208が何を言っているのか分からない
それに答えるじいいさんがさらにわかわからめ
320 :
考える名無しさん:2010/12/31(金) 15:14:59 0
>>317 > 確認は簡単です。
> 私の頭を切り開けば私が消滅します、それが証明です。
えっ、そう? それ誰にとって証明になるの?
まあいいや、ためしにやって見てくれない?
千の風になるんでしょ?
なんぞそれw
>>305 神が居ようが居まいが、世界がどのようなものであろうが、決定論は成立する。
決定論を否定することは原理的にできないし、否定する意味もない。
決定論的世界では起きないことが一つでもあるなら、
その事象をもって決定論の否定になるだろうが、そんなものは何一つないし、原理的にありえない。
324 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/31(金) 16:35:13 0
>>323 :考える名無しさん:
>決定論的世界では起きないことが一つでもあるなら・・・
一つの放射性核種あるいは素粒子を対象として、その放射性核種あるいは素粒子がいつ崩壊するかを予想することが出来ないこと。
いつか崩壊するのは決定してるのに、いつ崩壊するかわからないってどういうこと?
327 :
考える名無しさん:2010/12/31(金) 16:52:54 0
予測不能性はそれだけでは対象の非決定性の根拠にはならないよ。
凾煤E僞=h
いつ・崩壊するか=h
いつか・崩壊する=h
なんだそりゃw
330 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/31(金) 17:44:45 0
>>327 :考える名無しさん:
そういう場合は「予測不能性決定論」とでも称すればよい。
それならじいさんも文句は言わない。
機械さんは予測不能性を断固として否定している、正真正銘の決定論者だ、男らしいぞ。
331 :
考える名無しさん:2010/12/31(金) 18:01:42 0
332 :
考える名無しさん:2010/12/31(金) 18:05:16 0
決定論は思想。
333 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/12/31(金) 18:38:23 0
意識の変化にもかかわらず自己同一性が保持されるのは、無意識の存在があるからである。意識の外を縁取る
無意識こそが、自己である。
世界にとって、物自体は、変化をしない。周りの物質や空間の相対的変化が、人間の意識のように、変わっていく
ことの要因である。つまり、一つの物質を除いた世界というのが想像可能であるように、すべての物質についてだけ、
世界は同種類存在する。決定論と非決定論が互いに内包しあっているという超絶対神の言葉も、そういう意味であろう。
非決定論は何者によっても決定していない説によって
自分は宇宙と独立していると自己保全したい宗教
つまり反ゆだや
おまえらモサドにけされる
336 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/31(金) 19:09:09 0
>>333 :Absalom
全く逆です
自己同一性が保持されるのは自己を同一だと意識するからである。
あなたの「無意識」の定義が曖昧です。
心の中には膨大な情報(心像)があり常にその一部だけが意識されている。
貴方の言ってるのはこのその他の情報(心像)の事?
337 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/12/31(金) 19:15:58 0
>>336 意識とは、外界の変化に対応するための物、五感を言うでしょう。あなたは、自己を同一だと意識すると、何故それが
自己同一性を保証するのか、説明が足りないでしょう。ああ、わかった、すみません。私の言う自己同一性とは、自分にとっての
同一性、つまり精神が正常に働くために必要な物であります。あなたの言う自己同一性とは、他者と比べる場合の差異、
といういみでの自己同一性でしょう。私が
>>333でつかった無意識とは、意識以外の部分でバックグラウンドに働いている
脳の活動、視覚を例に取れば、見えていない黒い部分のことです。
人と会ったとか、道端の犬のうんこ踏んじゃっただけでも今日の自分は昨日と違ってるかもしれないのに同一って保証できるもんなの?
339 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/12/31(金) 21:35:59 0
>>338 違ってるかもしれないというのは、何がどう違うのか説明してください。また、証明することが必要な事項であるとは
思えませんが。
340 :
考える名無しさん:2010/12/31(金) 21:47:23 0
永劫回帰決定論
波平くさいスレになっとるなあ
>>339 あんた昔の自分の写真とか見て、「うわっ、なにこの恥ずかしいファッション。。」とか思ったことないんですか?
>>333 >意識の変化にもかかわらず自己同一性が保持されるのは、無意識の存在があるからである
この論法では、「無意識は変化しない」ことを前提としている。
どこにその根拠を求めるのか。
つかAbsalomさん、多分、酔っぱらってるね
344 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/31(金) 22:32:39 0
>>337 :Absalom
>同一性、つまり精神が正常に働くために必要な物であります。
しかしその言い方でも何故それが自己同一性を保証するのか、説明が全く無い。
必要と言うのが根拠になり得るの??
>視覚を例に取れば、見えていない黒い部分のことです。
少し違うらしい。
沢山の視界情報(心像)が心の中にはあるがごくその一部しか意識(見えている)しない。
したがって無視されている沢山の心像を無意識と言うなら貴方の言うとおりである。
しかしその様な無視されたものをいくらいじっても自己は意識できない、当たり前である。
自己同一性と言うのは「昨日の私と今日の私は同じ」と言う意識である。
自己も意識するものであり、同一も比較しているのだから意識(知性)なくしてはあり得ない。
>>338 : ◆0wlfLV9a6YHd
>同一って保証できるもんなの?
そのとおり、物質的には三歩歩けば別物体。
まあそれは言いすぎだとしても20歳の私と80歳の私が同じ物体と言えるはずは無い。
同一の根拠などあるはずが無い。
ただ「私」(主観)がそう主張しているだけのこと。
345 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/12/31(金) 22:38:23 0
>>342 そんな些細な事柄にこだわることの意味と方向性が全く分かりません、私には。
>>343 「精神の」自己同一性においては、自分という物が個人という物であるという、意識を獲得することが重要な問題であると
考える。「精神の」自己同一性を乱すのは、意識のレベルであって、無意識の階層においては、変化の度合いが少ないので、
日常的に生活する上での自己同一的「意識」を獲得する元になると、考えた。仮説に過ぎず、証明は分からない。
>>345 なるほど
睡眠時に意識の連続性が途切れても尚、自己の連続性を失わないのは
無意識がそれを保証する。。。ですか
無意識は、意識などという不可思議を介在しないので、
唯物論にとっては非常に都合が良い。
「脳の物理的な機能=無意識」としてしまうことが可能。
しかし、無意識は、本当のところは、あるのかないのか分からん、という
致命的な弱点もある。
347 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/12/31(金) 22:53:45 0
>>344 意識の在りようについて、正常な働きとはどう言った物か、と言うことの解明が、私の興味であり、実体験的レポート
であり、証明は全くない。
じいさんの、「昨日の私と今日の私は同じ」という意識を面白い問題としてみるには、意識と記憶の働き方の
解明を、(おそらく科学的に)することが、確からしさを前進させる良い仕事になるだろうと思う。
>自己も意識するものであり、
自己を意識する、というのは、つまり自意識と考えてよろしいか?その心の働きの、変化の様子を記述することは
面白いと思う。また、自意識が辞書的には、他者に対する恥ずかしさの意識として書いてあることには、自己と他者の
区別と言った問題になると思うが、私にはそのあたりの知識は全くないのですみません。
348 :
考える名無しさん:2010/12/31(金) 23:01:46 0
同一性て同一でないものと区別する決まり事ですよね。
そうやって世界を分解して自分を発見してしまうのは主観なんじゃないでしょうか。
350 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/12/31(金) 23:10:00 0
>>345 :Absalom ◆
>自己同一的「意識」を獲得する元になる
それはその通りです。
無意識の塊のモヤモヤから忽然と色々(自己、同一、国家、愛・・・)な意識や観念が生じると言う仕組みです。
元になると言うならおっしゃるとおりです。
>無意識の階層においては
階層と言うイメージは間違いです。
意識と無意識が層になっている訳ではない。
引用すると・・・・・
こころは感情と心像という内容に満たされている。
この膨大な心理内容のうち、主体の今・ここの行動の必要に応じて、囲い込まれる部分がその時その時の意識内容を構成する。・・・・「知・情・意の神経心理学」
以上「膨大な心理内容」と貴方が言う無意識なら、まさしく無意識は意識の元である。
したがって「層」のイメージではない。
貴方の言うとおり意識は変化する〜めまぐるしく「無意識」の中を駆け巡っているからである。
>>347 :Absalom
>自己と他者の区別
これは自己同一と言う事の言い換えでしょ。
自分は他の誰でもないと言う事なんだから。
じいさんは昨日のじいさんや明日のじいさんが反論してきたら再反論すると思う。
>>324 予測できないことは、決定論に反しません。考えが浅すぎます。
354 :
紗南:2011/01/01(土) 00:09:58 0
あけおーめ¥
病気スレ
決定論とは、あらゆる出来事は、その出来事に先行する出来事のみによって決定している、とする立場。by wiki
「いつ」っていうのは関係なさそうだね。
精神病棟
358 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2011/01/01(土) 00:50:58 0
あけましておめでとうございます。
古参の同窓会場か
発狂はまだかね?
純一理論でファッキュッキューー
362 :
考える名無しさん:2011/01/01(土) 01:17:06 0
イエイ
363 :
だけどくつしたおいしい:2011/01/01(土) 01:36:03 0
カーニバル
364 :
スモ:2011/01/01(土) 02:20:29 0
あけましておめでたう
そして偶然の交叉に乾杯
今年も必然にてよろしこ
ハニハニすらんだよ?
あなたは過去に縛られています。あなたは決まっている未来に向って時間を進んでいます。
あなたが今このレスを見ることは決まっていたのです。すべての事柄は完璧なタイミングで
起こっています。この現実を受け入れてください。
おはよろ
経験や習慣である程度の行動パターンが決まるとは言っても、自由意思は在ります。過去の習慣を変えることが可能だということ。今まで二の足を踏んでいたことを今年は行える可能性があるということ。とはいえ、どんなことにも良い結果を生み出せる時、潮時があります。
個人の運命やすべての事の結末が定められているわけでない。宇宙の諸原則は人間の生活を律するけれどそれを味方にして良い結果に成ることが望ましい。
諸原則に縛られてることが理解できる自由は与えられているってどういうこと?
?質問の意味、意図が解らないです
もし自由意志がなかったら諸原則に縛られてることすら気づかないほど縛られてるから自由なんじゃないの?
もし自由意志があったら諸原則に縛られてることに気づいちゃうから不自由なんじゃないの?
どっちなの?
言動の自由
選択の自由
計画の自由など
ただし責任感をもって
372 :
唯意味論:2011/01/01(土) 13:51:14 0
>>333 昨日の“私”と今日の“私”が同じではないにもかかわらず、また昨日の“月”
と今日の“月”が異なるにもかかわらず「同一」のそれとみなしてしまうのは、
(アブサロム君ふうにいえば『同一性が保持される』のは)時間の“持続性”に
因る。この“持続”を「無意識」と呼ぶのは当たっているかもしれない。
時間は差異化できない。それができるのは“空間”である。が、これも主観的な
思い込みであり、対象を表徴し概念化(凍結)しているにすぎない。
“物自体(そのもの)”が存在しないように“無意識”も実在しているわけではない。
それが顕在化された(想いだした)とき、表徴し、情感し、思惟できる…にすぎない。
つい先ほどまで“月”など意識してはいなかった。
「紗南」など生きていたのか、という思いである。w
唯識さんについても同様の感想を禁じえない。w
373 :
ゾル:2011/01/01(土) 14:56:03 O
しょうがねーなー
あけましておめでとうございます
このスレが1000に達するといいですね
とりあえず認識は決定論的なだけで外の世界を完全に認識できているとは思わないので決定論が正しいかどうかはわからない。
つまり人間が捉え考える限りにおいて決定論的にしか説明できない。それ以外は見えてないから類推でしかない。
ここが決定論が尤もらしく喧伝される理由
375 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2011/01/01(土) 15:17:11 0
>>372 時間が差異化できないというのは面白い。空間ができないというのも、さらに面白い。結局、同一性を保持できる物
だけに、差異があると思う。人間が物質の差異を認識できるのは、主に視覚において(対象を特定できるのは)、
であるから、光の絶対速度が時間の不差異性をもたらしていて、空間の見かけの差異性は、光の屈折等による
3次元由来の光の(方角の)差異を認識するから、で、物質的差異はエネルギー、質量、粒子構成等が自然的に
違うところに求められる、か?
ふぅ〜。なんとも平和な心地がする正月だと内省しておったら、今年は年賀状が来る心配がないからだと気づいた。
いやはや、これも解脱かな。無職万歳。
我輩は思春期から引っ越しを重ね、居が定まらないことで年賀状などとうの昔に半ば強制的に卒っておる
378 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2011/01/01(土) 16:49:50 0
おめでとうございます。
>>372 :唯意味論:
>『同一性が保持される』のは)時間の“持続性”に因る。
逆だと思う。
自分が同一だと意識するから、時間が持続しているはずだ・・・と言う流れになると思う。
>時間は差異化できない。
意味不明?
過去現在未来と言う考えは差異化しているのでは?
>“物自体(そのもの)”が・・・・・・・…にすぎない。
全くその通りだと思います。
じいさんの主客の相対と言うのは、意識(主観)の強さと比例して物自体(客観)の存在性も強くなると言うことです。
数学者にとって「数学」は実在しますが、算数嫌いの人にとっては単なる抽象的概念(思い込み)に過ぎません。
379 :
考える名無しさん:2011/01/01(土) 17:01:19 0
めでたいのはお前の頭だけだろうが くっくっくっ
380 :
走召糸色文寸ネ申:2011/01/01(土) 17:04:41 0
>>379 めでたいのはお前だろうが。
くっくっく。
382 :
走召 糸色 文寸 ネ申 :2011/01/01(土) 19:06:34 0
それはどうかな?
クックック。
数学できない言い訳に
「こんなものは思い込みにすぎない」
とかほざくすっとこどっこいは
人間やめて、猿にでもなればいいんじゃないの。
チャップリンは
くつの底を食べたよねー?
ケチャップリンは
トマトと卵がベースでも食べたくないよねー
チャップリンがくつ底にケチャップリンつけてたら食べなかったの?
カレー味のうんこと、うんこ味のカレー、どっちを食べるかって話?
386 :
紗南:2011/01/02(日) 00:33:46 0
お節もいいけどカレーもねーーー☆一億円ほしいでござる
派遣村の皆さんこんばんわーー^^^
自由の刑に処せられたロンリーチャップリン*紗南です
最近、罰ゲームみたいに寒いですね” ”
エアコンの設定温度28度なのに室温が17℃以上になりません@
抽象化の自由 法則化の自由ってゆうものもありますか>?
でも、どうして罪があるのだろう
どうして罰があるのだろう
都会の絵の具と熱力学に染まらないで帰りたいよね?
誰にも縛られたくないと逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした今年はうさぎ年
ネトウヨと喧嘩してばかりの紗南も
朝が来れば笑えるだろうか;;;
あの日のように笑えるだろうか
387 :
384:2011/01/02(日) 00:51:14 O
ワタ女だけんど紗南ファンドS
オワチャ
あさ歯久留よ
オアチャ
388 :
紗南:2011/01/02(日) 01:21:59 0
紗南も紗南ファンです¥
いいえちがいます(
紗南にとって紗南がテーマなのかもしれんね
紗南がこの星の無数の塵の一つだと今の紗南には理解できない
答えはいつも紗南の胸に〜/.
明日過去になった今日の今が奇跡
紗南は誰なんだろう- ー
ゆく紗南の流れは絶へずして元の紗南にあらざる
新陳代謝する紗南を紗南とする紗南は誰なのか?
この不安定で安定した世界を見ているお前はどこのどいつだ!!
朝起きて泣いて笑っておにぎり食べてニコ生見て寝て
紗南は一生紗南のままで終るのかなぁkk
日はまた昇り繰り返す千日手
ttp://www.youtube.com/watch?v=ieoe8WHFjQo
複数コテを使い分ける自演が10年間も続いている件について
火炙りにしたい
内在しているオンドリいつ口火を切る
外在しているメンドリほっつきあるいてつっつきまわる
オンドリが飛びルールにのっとって宣言するまでは
ロゴスに敬意を表するオンドリは重く感じた
ロゴスのカオスにいるメンドリは軽く感じた
「幻」の形式は減る
減るほどに重くなる
394 :
考える名無しさん:2011/01/02(日) 13:50:12 0
要するに機械が哲学板にスレを立てて世に問いたいのは、
「幽霊は居ない」ってことなのか?
現在のあるがままの自分を受け入れてください。
過去から変化し続けてきた今後も変化し続けるであろう自分を受け入れてください。
1年経つ毎に年老いていく自分を受け入れてください。
すべては決まっていたのです。
時間の流れは錯覚だとイメージしてください。
過去から指定された未来というコマ、フレームがただあるだけとイメージしてください。
それはもともと用意されていたものなのです。
397 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2011/01/02(日) 17:32:28 0
>>396 :飛べないカラス:
>時間の流れは錯覚
>過去から指定された未来というコマ、フレームがただあるだけ
この文脈の中に答えがある。
時間を気にしないなら、過去(結果)から未来(原因)が指定されても好い筈。
過去が未来を指定(因果)すると言う考えが、すなわち時間の流れの表現に他ならない。
因果の糸が時間そのものである。
決定論こそ時間に束縛された思考である。
>>397 >時間を気にしないなら、過去(結果)から未来(原因)が指定されても好い筈。
何を言ってるのか分かりません
たまにここ覗くとじいさんがいて
少年老い易く学成り難し
を思い出す
普通は50%割引と聞いたら安いなぁってなるけど、グルーポンみたいに定価を気にしないなら結果として安くするために50%割高にしてもいいってことじゃないの?
401 :
考える名無しさん:2011/01/02(日) 19:36:24 0
___ ____
゙=c_ \ /_っ='
く:::\ /:::>'
\::::\ ...-ー、,-─ /::::/
,. -──‐--,、. ` .-=・=- i、-=・=- /
/:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:::.:..:\ . / ー-' ヽ / まだケムトレいってるのかね?
/::.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.::::::::::::\ ト--=--イ }
l:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.::::.:.::::::::::::::::\ ヽ. ⌒⌒ ノ /
:l:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.::.:::::、::::::::::::::::::\_`==´ / ^^ ⌒⌒
l:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.::.::::::ヽ::::::::::::::::::::ヾ`::‐-..、,...,,_
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:::::::::``''''''ー‐-- `--──- ニ=:、:::::::::ヽ、::::::::::::::::::::::
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::`ヽ;;:rー`- 、.,
::::::::::::` ‐- 、.,__ノ
カラス君とじいさんは案外、噛み合うかもしれんね
>>400 それ、さっきから考えてるんだけど
なんなんすか?
403 :
考える名無しさん:2011/01/03(月) 01:12:09 0
>>396 それすっげえよくわかる。自分もよくそれ想像します。
>>397 時間の矢(方向)は確かにあります。主客の相対だと時間とはいったい何でしょう。
>>400 グルーポンで売るなら定価は高く設定しないとならないだろうね。お節食べ過ぎで
腹がきつい()
>>403 決定論を理解できればそれを自然とイメージします。イメージできたのは何かきっかけは
あるでしょうか。
決定論教
407 :
考える名無しさん:2011/01/03(月) 02:49:06 0
決定論と非決定論の対立ってテオリアとプラクシスの話かな?
連日の発狂かね?
409 :
考える名無しさん:2011/01/03(月) 05:45:08 0
やはりこのスレで一番面白いのは紗南である
まだ見ぬ勝利を信じて決定を決定論を説く
過去→未来、がフィルムのコマなんてのは
「おのれありき」の妄言なんですよ。
貴方はフィルムなんですか?
マトリクスのトラップと同じ。
観念論と同種の神の操り人形。
>>411 フィルムどころか物理法則に従って動いているだけの存在に過ぎない。
非決定論こそ妄想なんだよ。
413 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2011/01/03(月) 17:08:33 0
>>412 :考える名無しさん:
動き方に従って物理法則(観念)を考え出したに過ぎない。
ところでその物理法則そのものが決定論に従っているのか否かが議論されてるんですが・・・・。
>>413 それは間違いです。そもそも考え出したこと自体が物理法則によるものです。
物理法則に逆らうことができるものは、一人もいません。
また従っているかどうか以前に、従ってないものはこの世に存在していませんし、
認識されることはありません。認識や存在がどのように作用し、検証されるか良く考えることです。
神って人間が作ったものだと思ってた。。
416 :
考える名無しさん:2011/01/03(月) 19:50:18 0
従うか従わぬかは自分次第。
疑うか疑わぬかは自分次第。
自由が決められているかどうかを決めるのは自分。
自分のニュアンスは感じとってくれ。
この文章は間違わない。
それくらいの感覚です。
うんち〜。
417 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2011/01/03(月) 20:26:50 0
>>411 > 過去→未来、がフィルムのコマなんてのは
> 「おのれありき」の妄言なんですよ。
>
> 貴方はフィルムなんですか?
世界がそのフィルムだとしたらそれを観ている主体はフィルムの他に誰もいない。フィルムだけの世界ですね。
フィルムだけで何が起こり得るってんだよ。。。
事件は、起こるのだよ、明智君w
421 :
考える名無しさん:2011/01/03(月) 22:45:01 0
人間を作ったのが神だろう。
神は自然だ。
>>417 ここでいう物理法則というのは、人間の把握する「法則」のことではなく、
自然の中にある関係性のことです。
それを変えることができる人は一人もいません。当然貴方にもできません。
それとも昨日まで一定だった物理定数を今日だけ変えることが出来ますか?
やっぱり神様は人間が体裁を整えたものなんだろうな・・
424 :
紗南:2011/01/04(火) 00:12:17 0
あれはたしか小二のクリスマスイブでした?
パパとママに、「紗南はどうやって作られたの?」って聞いたら、
「パパとママが暇を持て余して遊んでたら出来たんだよ」って言ってたよ?
そのときは紗南も「パパとママ、まじ神!」と自然と思いましたねーー@
翌朝、つまり、クリスマスの朝です。
枕元に置いていた靴下の中には佐川急便の不在票が入っていました
紗南は神よりもサンタさんにいて欲しかったゲソ
以上、紗南の歴史のひとコマでした¥
今の紗南がサンタさんから貰いたひのは、カメラ用のいいレンズですね^^^
そんな戦場カメラマンの紗南が今日も飛脚の心でピザーラお届け!!!
今朝、「もしこの世に言葉やその記録(歴史)がなかったらどうなっていただろう;
永遠の今の中に生きていたら、紗南は紗南でいられるだろうか」なぞと
電車で考えていたら、いつの間にか目的の駅を乗り過ごして高尾山にイマシタヨ
そんな集中力とカルシウムの足りない紗南ですが、逆に、
一瞬のスパークのような今しか知らない生き方も、それはそれでいいのかも知れん
なんて思ったりもしないとも言い切れないこともないと言っても過言ではない
http://www.youtube.com/watch?v=NixqaTVROCw
425 :
考える名無しさん:2011/01/04(火) 12:50:23 0
>>405 永劫回帰とかの運命論がなんかいいな、と思ってから決定論を意識するようになって、
なんかそーゆーイメージで世界を捉えることも可能だなとか思ったのがイメージするようになったキッカケですかね〜。
426 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2011/01/04(火) 23:18:08 0
>>422 :考える名無しさん:
>ここでいう物理法則というのは、人間の把握する「法則」のことではなく、
自然の中にある関係性のことです。
???と言う事は、貴方は人間の把握する法則以外の関係性を把握できるという事??
貴方は神??
427 :
スモ:2011/01/05(水) 00:12:51 0
ボルヘスの好みを汲めば、
紗南でない紗南は幾億と目的の駅を乗り過ごしている
そしてこれからも、彼または彼女が乗り過ごして高尾山にいるだろう
一度しかないことは、一度もなかったことだとすれば
永遠の今に生きるとは、同一の紗南が回帰するのではなく、類似の紗南が循環することである
永遠とは無時間であり、それは可能性の世界である
「目的の駅に乗り過ごさなかった紗南」も折り畳まれている
そこは「ことば」の世界だ
紗南が紗南である「ことば」が、合わせ鏡の一枚のように発露した
「紗南が目的の駅を乗り過ごすor乗り過ごさない」は事象の濃度であり比率である
それはもはや具体的な出来事ではない
神にとって抽象が具体であり、具体が抽象である
神はアナロジー(類比)で会話する
紗南の一生はまた誰かの一生であり無限に繰り返される
しかし不思議なことに、紗南が明瞭な影として、またそれゆえに永遠に存在するのは
その生涯としてではなく、その出来事においてである
そう、それは濃度であり、生涯としての無限は出来事の無限に劣るのである
428 :
スモ:2011/01/05(水) 00:15:25 0
ハニハニしてやったぜ
最後はカントールを意識して蛇足w
>>426 貴方は、人間が把握しない、できない、関係性は「ない」とでも主張するのでしょうか?
それこそ、自分の認識が世界のすべてという思い上がりですよ。
ないものを見つけるのは困難だけど、だからってあるものを見つけ尽くすというのも困難なんだよな・・
もうないってことを見つけなきゃなんないから。
背理だなw
432 :
紗南:2011/01/05(水) 01:00:27 0
みなさんorみなさん以外のみなさんこんばんわんこ、。
人知を超えたものを信仰してみたいお年頃の紗南or紗南以外です^¥
紗南も紗南の知ること以外は知らないんです スンスン
だが、背中に咲いた遠山桜がてめェらの悪事をちゃーんとお見通しなんでェ!
(一度は言ってみたいセリフですよねーーーーー
明日は2011年始まって以来初めてのお休みですヨ
ちょっとぐらい夜更かししても大丈夫だ問題ないZZzzz...
カントールってもしや数学者の者の人ですか?
紗南は数学とか腐ったミカンの方程式とかニガテでしたね>
というか計算の答えがユニークだってよく言われますよ?
それもこれも集中力不足が敗因だと思うでゲソ
紗南はおぼろげな世界に住んでいるんですね?#
蟻の行列のようにキッチリビッシリ精緻に濃密に
行動できるようになるお薬とかないですか?
ドドンススコトゥスらぶ注入
http://www.youtube.com/watch?v=MQbQ3UwMw1Y
433 :
スモ:2011/01/05(水) 01:09:31 0
考えてるときってのは、
どうにも、時間が経過してない
さっき考えてた、と意識したときの「さっき」に時間は流れてただろうか?
永遠の今は瞬間ではない
「今」とは何か?
意識と意識をつなぐ間のことだ
ぼくが考えてるとき、無時間にいる
この状態は、僕が僕に対話している
時間とは少なくとも、相対の関係性である
意識を意識するとき、そこに相対関係は生じない
無意識から覚醒したとき、意識を意識したときに、その無意識と相対関係を生む
そこに時間が生まれる
そう、だからぼくたちは時間が流れることを経験しない
3分か、1日か、1年かとして、その時間を理解する
それは流れた時間ではない
生成も、持続も、連続も、同じことをそれぞれの表現に言い換えたトートロジーで時間の説明にならない
時間に気づくのはいつも「今」であり概念としてである
私たちは時間を関係の概念として経験してるのである
僕と君は同一の客観時間を過ごしてるでもなく、
それぞれが異なった主観時間を過ごしてるでもない
各々の時間の類比構造が、共有される理解の土台になるだけである
なぜなら、時間は過ぎていないのだから
434 :
スモ:2011/01/05(水) 01:20:07 0
435 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2011/01/05(水) 01:27:28 0
>>429 :考える名無しさん:
貴方は人間が把握できない、関係できない自然界があってそこでも色々な関係が形作られていると言いたいわけでしょう。
その気持ちは分かるが、人間が関係できないのだから論じることが出来ない、思い上がるも下がるもコメント出来ないということなのですよ。
一般に定数と言うのは、観測されたものだから明らかに人が関係できるし、自然を把握した結果(成果)ともい得る。
ところが貴方の言う定数とは「人間の把握する「法則」のことではなく」と言う事なら一体それは何?
貴方の言う人間の把握しない定数の例を述べよ。
>>434 続きを期待します
時間スレなどぶっ飛ばす
437 :
スモ:2011/01/05(水) 02:00:52 0
こんな漠然とした有り様で、それぞれの課題を解明できるなんて思わない
それを考えれば考えるほど頭がついていかない
わけわからん
ほんとわけわからん
答えが解けるのでなく、問いそのものからすべてが溶けていく
続きはわからない
ただ、時間スレの方々はこんな不明瞭ではなく、もっとよく理解してると思う
出し惜しみしてるだけで
438 :
考える名無しさん:2011/01/05(水) 02:02:44 0
>433
意識と意識をつなぐ「間」じゃなくて、「意識出来る」「意識がある」のが今だよ。
あと過ぎないのならそれは時間じゃないと思うよ?
>>437 貴方は全く奥ゆかしい
つめの垢でも私にくれw
グループ治療後は
お薬の時間です
どないだ?
>>435 定数ではなく関係性の話。
人間が重力を知らない時代には、重力がなかったとでも思っているの?
443 :
考える名無しさん:2011/01/05(水) 09:23:02 0
なかったとおもいます
444 :
考える名無しさん:2011/01/05(水) 09:49:03 0
重力が仮に地球からなくなったらどうなるんですか?
なにかを意識したり観測してない時は、そのなにかはなかったっていうお話は、事実ではなくてただの解釈だと思ってました^^
部屋に引きこもってる人は他の誰にも観測されないから、その人はこの世には存在しないって解釈も成り立つって話は理解できなくもないよね。
しかもここで現実にいるかどうかを詮索しようにもまず観測することが必要だからそれ抜きでは詮索のしようがない。
だけど部屋には確かに自分がいることは自分だけが知っている。
そしてその瞬間に自分が見てる「自分がいる世界」と他の世界が分岐するって話はひとまず置いといて、そんな解釈は冒頭の解釈と対立するし吟味するのもめんどくさいし、
観測という技術上の単なる虚構で擬似問題に過ぎないかもしれないから、この世の物質はみんな意識があることにしちゃってもいいと思う。
そうやってみんなお互いを見つめ合いながら存在し続けるわけなんです。
>>442 じいさんは一貫してそう主張しているよ。
それだけなら別に構わないけどじいさんはその考えを他人にも押し付けている。
つまり「お前はわしが見てるから存在しているんじゃ(だから信仰せい)」てこと。
447 :
スモ:2011/01/05(水) 19:14:34 0
料理が美味かったか不味かったかは、それが冷めたときによくわかる
温かくても食通にはごまかせないが
こいつはいったい何をいってるんだ?
とにかく時間は流れていないと主張してることはわかる
その調理のメインは「ぼくたちは時間が流れることを経験しない」というテーゼだ
このひらめきは冷めても美味いかもしれない
しかしそれが正しいかどうかが問題だ
その味付けの解釈は珍奇でもあるが滑らかな舌触りとは言い難い
「今とは瞬間でなく、意識と意識をつなぐ間のこと」とは不明な表現である
意識という調味料は多種多様に用いられる
時計の秒針が動いているのをじっと見つめていることの意識の指向と
時計を見ながら時計を見ていないといえるような精神状態における意識の指向はちがう
後者は無意識状態といえるだろうか?
前者は一般に意識していると使用されるが、この状態が意識的状態なのか?
彼はそんな調味料の使い方をしていない
秒針が動いてることを見つめてるその主語は、「わたし」から離れて活動している
その活動に時間が在る
その活動に時間が流れているのであり、
その活動が(つまりは流れていない)時間とセットメニューで出されている
後者の状態は、意識的という調味料でなく、もはや別の旨みの隠し味になっていないだろうか?
448 :
スモ:2011/01/05(水) 19:17:47 0
「私たちは時間を関係の概念として経験してる」もまた意味不明な表現である
概念として経験してる、とは何が言いたい?
そんなことを言い出したら私たちが経験するのはすべて概念にならないか?
ある経験が概念で、かの経験がそうじゃない、なんてますますおかしくなる
そもそも「私たちが経験する」とはいったい何を意味しているのだ?
「各々の時間の類比構造が、共有される理解の土台になるだけである」・・・
またもうんざりである
主観と客観を超えた時間の措定を試みたいのであろう
同一でなく類似の時間が共有される概念の舞台だけがあるとでも言いたいのであろうか
それが1.2.3...としてもっとも抽象でもっとも具体的な象徴に収斂されるとでも?
お笑いである
だいたい君が意味不明にこねくり回してる考えよりもよっぽど普段の理解のほうがわかりやすい
それでこれまでやってきた
問われるまでは誰もが理解しているんだ
それにはそれだけの理由がある
それで十分だ、最良の理解はそれ以上でもそれ以下でもないことを知るべきだ
449 :
スモ:2011/01/05(水) 19:40:02 0
ちょっと関係ないけど
モノーの『偶然と必然』って本を古本屋で見つけた
これ機械氏が薦めてたんだよね
機械氏の正月はまたハワイとかそんなとこでビキニナイトしてんか
けしからんやつだ
飛行機落ちろ飛行機落ちろ
今から読むわけでないけどこれから読む
ハズレだったら承知しねえ
450 :
紗南:2011/01/05(水) 22:08:35 0
ご列席の聡明なる諸兄に敬意を表し、謹んでカキコを始めさせていただきます。
走行中のタクシーのドアを開けて降りようとするのは危険だと思う紗南です¥¥
昨日、ご飯を二合炊いたんですが、それをすっかり忘れて、
コーラを飲みながらハッピーターンと歌舞伎揚げを食べたら満足して寝てしまい、
炊き立ての飯で三食分のおにぎりを作って冷凍できなかったんだヨ
でも今日、冷めたご飯を使い、マヨネーズとネギ油でチャーハンを作ったら、
予想外に美味で、普段の食事の3倍(当社比)の二合を一食で全部食べたのだ¥
明日普段の3倍の排泄物が出ると思うの紗南は今とてもたのしみです¥
排泄物で思い出したのですが、紗南には兄が一人居ます.
数年前パジャマのまま木刀だけを持って失踪して、未だ「失踪なう」です;;;
兄の失踪直後、兄の友人だったイケスカナイお寺の子が、
兄が居ないのをいいことに紗南に言い寄ってきたことがありましたねーー@
どんなことを言ってきたかふと思い出してしまったので、ここに暴露してやりますよ?
ちょっと長くなってしまったのでBGMでもかけながらドウゾ
http://www.youtube.com/watch?v=ivYC5lNFv_g
451 :
紗南:2011/01/05(水) 22:10:19 0
ちょっといいかな紗南君。
君は、感覚対象の実在性が、あくまで感覚主体が感覚情報から想定したもので、
感覚情報が感覚対象の実在そのものではない、ということを分かっているね?
感覚が直接捉えるのは、感覚主体の外部にあるとされる対象そのものではなく、
感覚主体の感覚器官内部で起こった変化の情報だ。
認知・構想・判断・思弁の作用についても、全くこれと同様だ。
さて紗南君、認識の対象とされる実在そのものの全体と、認識者の方が自分の感覚情報を
自分の認識形式に当て嵌めた内容とは、明確に区別されるべきものだ。
実在そのものの方に、生成-消滅、清め-穢れ、増加-減少、といったものがある、
などとは言うことができないのだよ。
だからね紗南君、直接捉えられるのが、認識者の認識形式に当て嵌められた情報である以上、
感覚・認知・構想・判断・思弁を通して現れるすべての表象には実体が無いんだ。
視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・身体意識といった神経系のカテゴリー区分は、
対象とされる実在の世界の方ではなく、感覚する主体の方に属する区分だ。
神経系の諸器官により感覚された値は、対象そのものなどではない。
それは、感覚する主体に、感覚しているときにだけ現れる幻だ。
君の目にうつる世界は、世界そのものではない。
君の目にうつる世界だけでなく、君が君自身だと思っているものに至るまで、
君のあらゆる表象は、対象それ自体ではない、ということだ。
To Be Continued
452 :
考える名無しさん:2011/01/05(水) 22:11:35 0
>>445 その話と昔重力があったかどうかの話は似て非なるものです。
453 :
紗南:2011/01/05(水) 22:11:38 0
ある学生が、君のように博識な優等生であろうと、あるいは、
無知な劣等生であろうと、それは一時の関係性でしかないよね?
そして、人がすべてを知り尽くすなどということも有り得ない。
無知であるということから、老いることや死ぬことに至るまで、
人が遭遇しうるあらゆる問題状況は、単に問題として解釈された状況の構造だ。
そしてまた、人がすべての問題状況を解決し尽くすことは有り得ない。
ただし、問題発生⇒原因究明⇒原因除去⇒問題解決、というプロセスは、
あらゆる主体に繰り返し出来し続ける、不可避な限界性なのではあるが、
それは前述したように状況の構造でしかないのだから、恐れる必要は無いんだ。
ここで必要になるのは、個人的な知識や能力にこだわること無く、
それぞれの問題状況に内在する一般的解決法を、自由に思案することだ。
探求者たるもの、合理的学究態度を持つ優秀な研究者たらんとする者ならば、
経験から形成された傾向性を離れた観点に基づこうとすべきだし、
色眼鏡を通して見ることを正当化しようとすべきではない。
提出した理論の過誤は、すみやかに認め、改めるに憚らぬ者であるべきだ。
つまり、超越論的、という立場に立脚すべし、ということだ。
時代を超えて高く評価される探求者たちは皆、これをわきまえた人たちだ。
合理的学究態度を持つ者とは、探求者として最も重要かつ真正な目標を掲げ、
いつもそれを自覚している者といえるだろう。
だから、君たち研究生にぜひ知って欲しい標語、モットーがあるんだ。
これは凄いよ。凄く単純明解で最重要な、他に比肩するもののないモットーだ。
難しく考える必要なんて一切ない。本当だよ。嘘なんかじゃない。
君たち研究生にぜひ知って欲しいモットー、それはこういうものだ。
「迷わず行けよ!!果てまで行けよ!!この世の果てさえ越えて行けよ!!
行けば分かるさ!! 1・2・3・ダーーー!!!」
紗南こぴぺ乙¥
454 :
考える名無しさん:2011/01/05(水) 22:30:13 0
置き換えられた情報としてでしか対象を表象として認識出来ないのなら、
置き換えられた情報としてでしか対象を表象として認識出来ないとは言い切れないね。
455 :
考える名無しさん:2011/01/05(水) 22:38:03 0
>>451 認知・構想・判断・思弁の作用についても全くそれと同様なら、なんで全くそれと同様だなんて言えるんだ?
456 :
考える名無しさん:2011/01/05(水) 22:49:03 0
言葉のニュアンスをきっちり説明して矛盾しないように明確に使い分けるめんどくささに立ち向かう勇気。
これが合理的学究態度には不可欠だと思うけど、難しいと思うよ、実際。
457 :
紗南:2011/01/05(水) 22:53:10 0
さすが哲学板ですね!^
紗南もこの話を聞いて違和感を感じた場所は
大体同じだったと思います
実在を想定できないといいながら、
受けて側の受け取るための仕組みの実在を想定していたり、
中途半端なところが多々あると思うんですよねーー
俗に言う”オトギバナシ”になってるんじゃないでしょうかねェ:
今日はまだ起きてますよ¥
458 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2011/01/05(水) 23:23:29 0
>>445 : ◆0wlfLV9a6YHd :
引きこもっている人は世間に出てこないと言うことで世間の人(家族、知人、同僚)に強烈なインパクトを与えています。
人間は外界と常に係わりを持っています。
世界は主客の相対だから当然のことです。
>そうやってみんなお互いを見つめ合いながら存在し続けるわけなんです。
そういうことです。
一人で誰にも知られず死んでいく者もおるよ
460 :
紗南:2011/01/05(水) 23:36:38 0
ハムスターのハム吉が赤いおしっこをして天国へ行ったとき
紗南は三日三晩泣きましたが、そのとき思ったのは、
紗南だけじゃなく世界中の人に生前からハム吉のことを知ってもらい
ハム吉がこの世を去ることを世界中で悲しんで欲しかった
ということでしたね;;;
461 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2011/01/05(水) 23:43:09 0
一言・・・・・・・・
「知・情・意の神経心理学」 よりの引用・・・・・・
心像の中で最も理解しやすいものは目から入るものである。
みのまわりのあるとあらゆるものが目にとびこんでくるが、これらのものは、正確には外に無く、自分の脳が自分の心に作り出す心像である。
確実に外にあるものなのだが、脳が働かなければ決して見えない。
見えるのは脳が外界を模して、そのカタチを作り出してくれるからである。
・・・・・・・・・・以上
ただし、じいさん的には「確実に外にあるものなのだ」の所は否定してますが・・・
「外界」とか言いながら「外にあるもの」を否定する
さすがはじいさん、わけわからめ
合理的な話でなくても、あることをあまり考えたことないような人や考えたこともないような人のイマジネーションをひろげるには
充分な誘導作用があることもあるね。
可能性の提示は必ずしも合理的である必要はないんだろうね、
想像の域は出てないけどね〜。
464 :
紗南:2011/01/06(木) 00:02:27 0
>>417 物理法則を変更する場合、法則の対象となる因果関係の変更によるものか、
対象は変化せず我々の観測方法や解釈の変更によるものであるかは区別が
つくでしょう。
法則の対象となる因果関係の変更といえば、グリセリンの結晶化の話があって、
あれは結局デマだったらしいですが。
>>433 意識を意識するとは意識により発生した記憶を再び意識上に戻すことだと思います。
現在というイメージを思い浮かべてもそれはすぐ記憶される。
それを思い出してもそれは過去に思い浮かべた現在というイメージ。
時刻と時刻の間にあるものが時間だと教わっても、実際その間に何があるのか表現
しにくいです。
467 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2011/01/06(木) 02:05:50 0
>>462 :考える名無しさん:
>「外にあるもの」を否定する
どのように否定するかと言うと・・・・
客観世界の存在の絶対性を否定します。
当然「一意的因果的決定論」の否定になる。
しかし何かはあるかも知れない。
しかし観測や感覚等で間接的にしか認識できない、直接的に把握できない以上絶対的実在性を論ずることは出来ないと言う立場です。
468 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2011/01/06(木) 02:10:51 0
上記の通りですから・・・
>>465 :飛べないカラス:
>対象は変化せず我々の観測方法や解釈の変更によるものであるかは区別がつくでしょう。
区別はつかないでしょう。
所謂観測問題です。
わけわからめ・・・と言うことです。
>>467 「間接的」とか言ってる時点で実在を前提としているのだが
自作自演すれっど
じいさんは絶対性を否定してるだけであくまで可能性の余地は残しているっていうただそれだけの話
絶対性とか可能性とか、どうやって設定できるのかね。
無効なんだよ。過剰な信仰がきりきりまいして妄想となっているのだ。
まだ分からんのか。。。
>無効なんだよ
これが君の言葉の絶対性
「有効性」と呼んでくれ給えw
じゃあじいさんの言葉も有効w
まじかよw
壁だな
まあ、ゆっくり溶かすしかない
478 :
考える名無しさん:2011/01/06(木) 12:45:14 0
語りえぬことに沈黙しないスレ。
479 :
考える名無しさん:2011/01/06(木) 12:47:24 0
かもしれないスレw
>>458 やっぱり解釈は事実を表現してないってことだよね。事実とか表現ってなに?っていうのは置いといて。
まあここだけの話だけど、モノがあるって事がもうすでに意識だとすると観測問題とか地平線問題は消えると思う。
解決するんじゃなくて消えるんだよ。
宇宙の果ての向こう側も理解できる。
妄想に付き合ってくれてありがとう^^
481 :
ふるちん:2011/01/06(木) 19:48:54 0
時間ってのは変化じゃないのか?ただそれだけ。
時間があるから変化するんじゃない。
絶対性は肯定も否定もそんなものはない。絵に描いた餅は食えないだけ。
可能性は認識の側の都合に過ぎない。
こゆので決定論を否定するのは本末転倒じゃまいかw
483 :
考える名無しさん:2011/01/06(木) 20:53:39 0
決定論という解釈が事実として共有可能にならない理由を知りたいので、むしろ決定論を受け入れたくない理由を教えてください。
>>483 私は唯物論者であり、非決定支持者ですが
決定論の成立させるためには、
1.世界は完全に計算可能な世界である。
2.世界は計算可能性とは別の構造により完璧な因果が成立する。
3.世界は過去から未来まで、既にある。
このいずれかでしょう。
これらどれもが、私には胡散臭い。どれもが無効であるように思う。
私が決定論に否定的な理由の一つは
時空連続体による決定論世界と、「ただいまこの現在」が開闢している現実との間に
整合性を見出せないからです。(これ、3が胡散臭いと考える理由)
あと、
古典力学であれ、量子力学であれ、
確率を導入とすることで矛盾は生じることはない。
(むしろ統計を導入してようやく全てを合理的に説明できる。)
あと、
宇宙に起こる事象が、例えば、気体の分子運動とか、放射線とか、
その挙動が一様に対称である事実を鑑みると、
観測される一定のランダムを生じせしめる原理が、常にある、と受け入れるのが自然であるように思われる。
そうでなければ(つまり完全な因果世界であるとするなら)
宇宙開闢時に於いて、現在観測されるあらゆる対称性を成立させるように
全ての初期条件を設定してやらなければならない。
それってどうにもおかしい。無理が多すぎる。(これ、2が胡散臭いと考える理由)
なので私は物質の自発性を唱えるわけです。はっは
決定的非決定論世界でもどっちでも!
>>484 >3.世界は過去から未来まで、既にある。
これが正解です。現在だけがあるというのは間違いですから。
>>484 >観測される一定のランダムを生じせしめる原理が、常にある、と受け入れるのが自然であるように思われる。
決定論的カオスで十分ですな。
>>484 >確率を導入とすることで矛盾は生じることはない。
確率は決定論的世界で成立するものです。
原因のない突如として現れる混沌なんてものがあったら、確率どころか、事象だって成立しません。
490 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2011/01/07(金) 00:04:45 0
>>429 :考える名無しさん:
何処に消えた???
>>435 :じいさん
>貴方の言う人間の把握しない定数の例を述べよ。
この問いに答えよ。
>>487 てめーの「正解」とか、どーでもいーんだよオカルト野郎が
じーさんとかぼちゃ問答でもやってろ
492 :
紗南:2011/01/07(金) 00:57:31 0
紗南はここ一・二年、陰謀論の世界に居ます¥
いつも巨大な組織に追われている気がするかもしれない:
語りえぬことを語ってもええじゃないかって紗南は思うかもしれない:
妄想だとしても科学だとしても、紗南はあの日、大変なものを見たかもしれない:
岩切みずほちゃんちの開かずの間で、紗南は座敷わらしを見たかもしれない:
キャツはいつも独り部屋にこもってネトゲをしていたかもしれない:
その部屋には黄色い液体の入ったペットボトルがあったかもしれない:
あの子もこの子もラジウムも、状況に応じてとる行動の傾向ぐらいはある
ということにしておけば、確率も非決定論の中で成り立つかもしれない:
と思ってしまう傾向が紗南にはあるかもしれない:
絶対性・可能性もいいけど、傾向性もね@
語りえぬことは信念と疑心暗鬼と魑魅魍魎の領域かもしれない
でもそんな摩訶不思議なオカルト世界も探検してみたいかもしれない>
シミュレーションシミュレーション心霊現象怪現象
http://www.youtube.com/watch?v=5j0NBna--8A
493 :
スモ:2011/01/07(金) 01:24:36 0
>>466 記憶は、たいそう厄介だ
ぼくにとって、時間について考えるときのつまずきの石になる
観念的な解釈だとどう扱えばいいのかが難しい
「記憶とは〜だ!」と言いたいそれが浮かばない
情報を蓄える?
そんなもんおかしい(おまえがおかしいわw)
記憶はもっとスマートな、ハッとするような解釈のカラクリがある
神は記憶なんてもたない
よって最初の3行は保留
>時刻と時刻の間にあるものが時間だと教わっても、実際その間に何があるのか表現しにくいです。
さっき、岩波文庫のパースのを流し読みしてた
パースはプラトンを批判して「連続性」は「推移性」を含意しない(同義でない)と捉える
ぼくの読解が正しければ、
パースは連続的とは永遠的であり、それはイデア的潜在の虚構でなく実在的だと考証している
そして連続体その普遍は必然的に可能性の総体になると
その解釈に照らせば、時刻とは非連続的な「点」であるが
それは可能性の意味での恣意的な「点」というだけであり
あの時刻とこの時刻に確定的な区別は存在しない
ぼくは正しくパースを解釈してる自信はない
ただ時間が流れる(推移的)のでないならば、あの時刻とこの時刻に区別なんて見当たらないならば
その「間」なんてないと答えてみたい
494 :
スモ:2011/01/07(金) 01:30:22 0
それぞれ要点だけなら3行で済みそうなことを長ったらしくなった
厄介だ厄介だ
おまえは「変化」ということをどう解釈するつもりだ
川の流れているのを見て、
腕を上げ下げしてるその軌跡を見て、
おまえはそれを、推移していないとでも答えるつもりか
パラパラ漫画?
そんな解釈はナンセンスだ
わからないわからない
諦めんなよ
なにかうまい解決があるはずだ
495 :
紗南:2011/01/07(金) 01:52:14 0
抄録さんは兄と似たにおい、いや、兄の好きだった哲学者のにおいがするね?
>1.世界は完全に計算可能な世界である。(
>>484)
を胡散臭く感じる理由が書かれてないみたいですけど、
「計算者自身」が、
計算し始める時も、計算してる最中も、計算結果をアウトプットしてる時も、
計算されている「世界」の中に属して居るところが怪しいにおいしますよね¥
くんかくんか!!
時間を旅するスモさんは時空警察に追われないように気をつけて!!!!
きゃつらはとってもきびしい
http://www.youtube.com/watch?v=mhik8nkFfR4 何を隠そう相対性理論はさっきのよりこの曲が一番好きなのだ@@@
紗南の好きな曲とか、どーでもいーんだよオカルト野郎が
496 :
スモ:2011/01/07(金) 02:12:45 0
絶対性とは関係における表現であり、可能性とは体系における表現である
いや、逆でない
これで正しい
ぼくたちがパズルを解けないのは枠がないからだ
ピースの位置に可能性があるのではない
その決定に絶対がある
>>495 たぶん賢明な人はめんどくさそうな人を相手にしないから大丈夫だよw
ぼくもまともな返答ができそうにないしね
私は失踪者で、妹がいたりもする
しかし木刀は持たんな
498 :
考える名無しさん:2011/01/07(金) 06:31:20 0
>宇宙開闢時に於いて、現在観測されるあらゆる対称性を成立させるように
>全ての初期条件を設定してやらなければならない。
この前提がそもそも間違っているんであってねww
ランダムというのは繰り返せば繰り返すほど対称性が生まれるものなの
もちろんその対称性の範囲は初期値のズレの範囲に収まるわけですがね
>>498 何を言ってるのかよく分からん。(カオス?摂動?)
また来るから、夜までに、もう少し詳しく教えてくれ。
>>498 そういうランダムって言うのは決定論的事象の上に存在するものだよ。
根源的に非決定な要因というものが本当にあったら、それは原因なしに突如現れることを意味し、
対象性なんて都合のいいものが現れるわけじゃないし、そもそも過去と現在の連続性すらなくなる。
しかも、それでも非因果的決定論を否定することはできないわけだしね。
決定論を否定することは、「自分の主張には信頼性がない」という意味ぐらいしかない。無意味だ。
デネットは意識(クオリア)はけしからんほどいい加減で議論するにも値しないって言ってるみたいだけど、つまり自分の主張はいい加減な意識に基づいて得られたいい加減な話だって言ってるの?
502 :
ふるちん:2011/01/07(金) 11:02:13 0
あなたが今この世に存在していてここにこんな書き込みをしているのは
確率を全くもって超越している。
分母のゼロをいくら小さく書いても、その長さは宇宙の果てを遥かに越えて
しまうだろう。例えばあなたの母が小さいころ、小石につまずいた。
これだけで、あなたはきっと生まれてこない。
503 :
ふるちん:2011/01/07(金) 11:13:58 0
でも、そんなことあ、周知のことかぁだな。
変化がなければ、時間もないって常識?
変化の過程の認識があって時間が存在する?
>499
要するに初期値がバラバラであれば対称性は生まれるんだから
>全ての初期条件を設定して
なんてことは必要ないってこと
505 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2011/01/07(金) 22:00:27 0
>>489 :考える名無しさん:
>確率は決定論的世界で成立するものです。
もう少し分かりやすく説明してください。
確率の意味が違うのでは?
>原因のない突如として現れる・・・・
確率でも原因と結果はあります。
結果が一意的に決定していないと言うことです。
サイコロは1〜6の出目に決定されています。
しかしその目のどれが次に出るかは決定していないと言うことなので原因も無く突如として結果が現れる訳ではありません。
しかし「決定」と言う現象は突如として現れると言い得るかもしれない。
じいさん的には多分(自信は無いが)因果とか決定性とかの観念の中に人間の思考の矛盾がある気がする。
観測問題と言うのもその辺に仕掛けがあるのでは。
506 :
紗南:2011/01/08(土) 02:28:26 0
紗南は風邪ぎみですよ?計ってないけどたぶん微熱がある7
だって地獄絵図のような夢を見たからねーーー¥
ロストハム吉の絶望は、三日三晩、紗南を灰色の世界へ閉じ込めた
瞳を閉じて紗南の記憶(紗南記憶)からハム吉の姿を描くよ
それしかできない たとえ季節が紗南を残して変わろうとしても・・・¥
しかし4日目、紗南はハムスターより犬が好きだったことをふと思い出した”
世界は彩を取り戻し、勇気と食欲が湧いてハバネロも一袋食べられたヨ
そう、紗南にはあの犬がいるんだ!約束の犬、シリウスが!!!!
そして紗南はまた前へ進めるようになったのだ???
507 :
紗南:2011/01/08(土) 02:30:43 0
それはそうと○
世界の中にいるものが、世界全体がどう始まり、どうあり、どうなろうとしているか、
知り尽くすことは出来ないんじゃないかという話が昨日あったような気がします
が、無かったような気もしますキラッ☆
紗南のテーマは二つ、それは、今ここにイル紗南自身と、
その紗南が追い求める、紗南を含むんでアルはずの世界そのもの@
その二つは永遠に出会うことが無いものとして諦めたくはない
いつか出会えると頭のどこかで信じているからなのかなぁ
神はサイコロを振らない、、というより神は死んでいて、
因果の連鎖が機械的に無目的に未来永劫全てを決めつくしていたとしたら、
世界そのもののほうに意味や価値なんて何も無いってことなんだろうけど、
紗南はそれを受け入れて意味や価値など忘れてしまえるだろうか
うーん、なかなかそうも行かないですよ???
じゃあ、紗南は自分勝手に価値を創造するのか?
勝てば官軍、怪文書で情報操作、歴史捏造!権力をほしいまま!
いや、そういうのもいやだし、紗南の感覚(紗南感覚)的に違う気がする:*
価値とか意味は作ってるというより色々知ったり発見するたびに
出来てきちゃうもんだっていう間隔が紗南にはあるからなのかなぁ
このスレはほんとに色々考えさせられますよねー
考えなくても生きていけると思うけど この「洗礼」を受けているかいないかが
未来の紗南を大きく左右するような気がしてならないのだ???
http://www.youtube.com/watch?v=pgwVcgH_XMU
508 :
スモ:2011/01/08(土) 02:54:55 0
>>466 >時刻と時刻の間にあるものが時間だと教わっても、実際その間に何があるのか表現しにくいです。
いま、ずいぶん考えてんだけど、その意趣を理解できた
>>468 飛躍ですね。
>>465の区別がつかない理由にはなりませんね。
>>484 それは唯物論では無いのでは。唯物論と物質と自発性の定義からどうぞ。
決定論に近いのは3.世界は過去から未来まで既にあるですね。
>>493 > その「間」なんてないと答えてみたい
時間を概念として理解するとき、たしかに連続性は無く、間も記号に過ぎないですね。
時間の概念の対象はどうでしょう。対象となる何かがあるから概念も発生するはず。
>>501 そんなことは無いです。デネットは意識の議論をしています。意識の定義のコンセンサスの
無いチャーマーズのほうが意識の議論になっていないのでは?チャーマーズの言う意識は
チャーマーズにしかわからないのです。
510 :
計算機 ◆0dHzUh337A :2011/01/08(土) 08:31:30 0
スレタイは物質は現実にそったもので意識はその物質から来ているので現実的、必然的だって言いたいのか?
よくこんなもんで飽きずにレスできるな
>>509 デネットってクオリア批判してなかったっけ?
>>511 そうです。でもここでデネットとチャーマーズの議論と同じことをやっても無意味ですね。
>>510 そんな理解でよく飽きずに哲学板に居座れるな
>>500>ランダムって言うのは決定論的事象の上に存在するものだよ。
「アプリオリ確率」が定義可能なんだからちがうだろ。
>>504 エルゴード仮説とか持ち出さすんじゃねーのかよ。
>>509 >それは唯物論では無いのでは。唯物論と物質と自発性の定義からどうぞ。
てめえのマンガ唯物論なんかにつき合えるかよ。
>世界は過去から未来まで既にあるですね。
その場合には、「現在」が特殊であることになるだろうが。
それを忘却して、「おのれありき」で、フィルムがどうたら、とか
おかしいと思わんのか。
516 :
考える名無しさん:2011/01/08(土) 10:34:31 0
自分っていうギアと世界っていうギアの接面が現在。
>>516 決定論信者の思考構造は、恐らくそう。
タイムマシンしかり、マトリックスしかり
奴らの「自分」はやすやすと時空を超越する。
社会にでると摩擦が起きるがお前は萎える方にしか反応しない
>>515 > てめえのマンガ唯物論なんかにつき合えるかよ。
ではあなたの論についてどうぞ。唯物論と物質と自発性の定義をどうぞ。
> その場合には、「現在」が特殊であることになるだろうが。
> それを忘却して、「おのれありき」で、フィルムがどうたら、とか
> おかしいと思わんのか。
現在が特殊とは?
それとフィルム状になっていなくてバラバラのコマだけかもしれないです。
>>517 決定論とどういう関係?
520 :
考える名無しさん:2011/01/08(土) 12:28:02 0
時空を超越するのは自分というより可能性を生む想像力。
妄想を楽しめる才能。
君は君で批判を楽しめばいいよねっていうかもう楽しんでる?
おかげでこのスレ楽しいよ!サンキュッw
決定論(笑)
>>519 平たく言えばだな
唯物論:貴方の「自分」は、この世界の一部である。
物質の自発性:物質は自律的に現象する。法則とはその現れである。
法則が物質を支配するのではない。物質が法則を作るのだ。
ぐらいですか。
>フィルム状になっていなくてバラバラのコマだけかもしれないです
フィルムでもコマでも、どっちでもいいっっつーの。
結局、それを貴方が見るんだろ。
それで、フィルムだかコマだかである貴方は、どこ(いつ)にいるんだよ。
>決定論とどういう関係?
貴方の「自分」が自由に時空を超越してるから、
ぱらぱらマンガの比喩なんかで納得しちゃうんだろーが。
貴方は、世界のどこにいる?
貴方は俺よりも古参で、これまでそのことを問題と思ってないんだから、
これ以上、貴方を納得させる説明とか俺には思いつかんわw
>>522 > 唯物論:貴方の「自分」は、この世界の一部である。
自分と世界の関係についてなのですね。
もし自分が居なかったらその唯物論は成り立たないのでしょうか。
> 物質の自発性:物質は自律的に現象する。法則とはその現れである。
> 法則が物質を支配するのではない。物質が法則を作るのだ。
引力で引きあう2物体は互いの関係や物理法則などとの関係ではなく自律的に近づくのですね。
ある物質が何らかの法則を作る場合、それはその物質自身によって決まるのでしょうか。
> フィルムでもコマでも、どっちでもいいっっつーの。
> 結局、それを貴方が見るんだろ。
> それで、フィルムだかコマだかである貴方は、どこ(いつ)にいるんだよ。
じいさんと同じような論ですね。これには
>>418です。
> 貴方の「自分」が自由に時空を超越してるから、
> ぱらぱらマンガの比喩なんかで納得しちゃうんだろーが。
> 貴方は、世界のどこにいる?
決定論は自分については特には何も語りませんが、どこから出てきたのでしょうね。
524 :
スモ:2011/01/08(土) 16:12:46 0
>>493 >>494 >>509に応えて
時間は辞義とおりから「時(刻)」と「(その)間」に分析される
「時」とは相対の会合により肯定的に確定される概念であり、
「間」とは不対の空虚にある否定的に確定される概念である
もし、私の髭が伸びていることを鏡を見ることでしか確認できないのだとすれば、
もし、世の中に髭と鏡しかないならば、
髭が伸びて(変化して)いることは鏡を見る度(時)にしか確認できない
鏡を見る度に髭が伸びていることから、私は鏡を見ない間も髭が伸びていると推論する
「間」という概念はそのような推論から導出される
そして、髭が伸びていることの「推移」の本質とは、「間」に住まう(見出される)概念である
上の推論は、髭の伸びるという論理性質と、鏡の反射することの論理性質が想定されている
その推論の論理形式は、髭と鏡によって強制される
髭が鏡と接触している「時」に、髭が伸びる(変化する)ことはありえない
つまりは生涯を離れず鏡の前で過ごすことがあれば、髭が伸びていることに気付くことはない
不動の鏡に動者の髭が相対するように変化が確認されると考えるのは、その論理性質による取像である
無理に表現すればその場合、「髭が伸びること」の静止画があるだけである
「変化」は論理性質によって生じることはない、論理形式によってのみ生じる
「変化の性質」のあることと、「変化の推移」することはまったく異なる理解である
ところで髭と鏡の物語を語りうるのは誰なのであろうか?
この私も髭と同じく論理性質であり、現実世界は鏡だけでなく無限といえる相対の会合をもつのである
もしこの世界に私だけしか存在しなければ、上述の概念の意味で「間」だけの世界である
そこに時間は存在しないだろうし、変化もない(得られない)であろう
しかしこの私の論理性質は恣意的なものである
このふざけたまた真剣に思考している「わたし」はこの私が概念(ことば)であることを直観している
そのことが、「わたし」は永遠的な存在であることを示唆するのである
525 :
スモ:2011/01/08(土) 16:20:12 0
うまくいってるのかわからん
それぞれに言葉の表現が精確でない不安は感じてる
とりあえずまだ答えになっていないけど、その試論過程として応えする
昼間に哲学したのは自分的にも珍しい
とにかく昨晩は朝方までぶっとおしに昼からの数時間と考えた
正直にそれだけ頑張ってこの程度だ
その程度がどの程度なのかは僕には知らない
とにかく久しぶりに疲れてる
526 :
スモ:2011/01/08(土) 16:57:05 0
抄録氏なら、その>私の論理性質の恣意的、とはどのように決まるのかね?とつっこむか
・・・
わからない
もっと大きなスケールにおっぴろげてそこから展開することで捉えられるかもしれない
それでも、それはうまくいかないだろうな
うまくいかないというより、そんなことが正しいのかどうかなんてわからない
・・・
ただの一片だ
可能性の充満の
それはああでもあり、こうでもある
恣意的は恣意的であってそういう意味だということだ
それがもし正しいならば、それぞれの論理形態は互換性をもつ
ああダメダメ
鈍ってる鈍ってる
また
>>496みたく酔った口の信用してはいけない言葉になる
もうやめとけ
>>524が誰かになにかインスピレーションを与えることができれば、それで満足だ
527 :
スモ:2011/01/08(土) 17:06:02 0
唯意味論氏は、唯意味論氏はどこいった
煮るにしろ焼くにしろ、続きは唯意味論氏にお願いするw
俺とあんたの間には距離があって云々って感覚がそもそもの間違いの元なんじゃないの?
まあ確かに物理的には抱き合ったって0にはなんないんだけどさ。
>>527 >もし自分が居なかったらその唯物論は成り立たないのでしょうか。
俺の話をどう解釈したら、そんな帰結になるんですか。後学のために教えていだだきたい。
成り立たないのは、貴方の空想ぐらいのもんでしょ。
そんなだからいつまでも「唯物論は観念論の一種」とか言われて馬鹿にされるんですよ。
>引力で引きあう2物体は互いの関係や物理法則などとの関係ではなく自律的に近づくのですね。
一般相対論は、基本的にそのような論でしょ。
物質の「分布と運動」により、重力は幾何学に「解消」される。
マッハ原理が基本にあるんでしょ。
>じいさんと同じような論ですね。これには
>>418です。
俺には何一つ接点など認められませんが。どういう意味ですか。
>決定論は自分については特には何も語りませんが、どこから出てきたのでしょうね。
貴方が何をするか、何を見るか、何を考えるか、も決まってる、のが決定論でしょうが。
貴方の考える決定論て、いったい、どんなんですか?
>スモ氏
スモ氏とか紗南氏とか、素潜り名人の人格者には
あたくしは、よー突っ込みませんw(突っ込んで欲しい?)
だいたい俺ぁ、貴方が書いてることを分かった気になるのに何日もかかる。
>>529 > 成り立たないのは、貴方の空想ぐらいのもんでしょ。
唯物論が自分はこの世界の一部という定義で自分と世界の関係を述べる論なら自分が居ないと
論としては意味が無くなるのでは。
その説明だと一般的な唯物論はすべては物質であるという論であなたの論とは違うように思えたのです。
> そんなだからいつまでも「唯物論は観念論の一種」とか言われて馬鹿にされるんですよ。
もちろんそうだと思いますよ。考え方なので観念です。
> 一般相対論は、基本的にそのような論でしょ。
> 物質の「分布と運動」により、重力は幾何学に「解消」される。
> マッハ原理が基本にあるんでしょ。
マッハ原理が基本ですが相対論ではありません。マッハ自身は相対論を否定しました。
マッハは世界(全体、すべて)は物質(各構成要素)の相互作用(関係、相対)としました。
あなたの書いた自発性のようなことは無いように思いますが。
> 俺には何一つ接点など認められませんが。どういう意味ですか。
世界を認識する主体が世界とは別に存在するという点です。
> 貴方が何をするか、何を見るか、何を考えるか、も決まってる、のが決定論でしょうが。
> 貴方の考える決定論て、いったい、どんなんですか?
すべては決まっているという論です。特に自分を指すような論では無いです。
>>532 私が、「自分は世界の一部」:これが唯物論、と敢えて言うのは
貴方の唯物論が、いつも自分を物質とか時間とかの外に置いて物質を見ているように思うからです。
しかし、唯物論とは本来、貴方自身が物質であることを主張しているはず。
実際の映画のフィルムは、常に我々と共に「この現在世界」にあるのです。
しかし、時空連続体の未来とか過去は、「この現在世界」には無いでしょう。
貴方が、決定論の構造として、過去から未来までのフィルムとかぱらぱらマンガを想像し、
貴方自身もフィルムの一部だとするなら、連綿と続く時空連続体の中の一部である、「ある点」が
「いま」として開闢する機構を、時空連続体とは「別に」でっちあげねばならない。
私には、貴方がそのことを忘却しているよう思える。
>マッハは世界(全体、すべて)は物質(各構成要素)の相互作用(関係、相対)としました。
そうではなく、マッハは、
「宇宙の物質構造が法則を規定する」
と言っているのです。
法則に先立って、物質ありきなんですよ。
フィルムだって言う人はそのフィルムを見ているんだろう。
決定論もその反対の非決定論とかいうのも所詮は信仰の世界なんで見てないで言ってるならナンセンス
>世界を認識する主体が世界とは別に存在するという点です。
それを前提としているのは、貴方なのです。
主体を世界から離して見なければ、世界がフィルム、とか言えないはずなんです。
フィルムを見るのは「貴方」なんですから。
過去も未来も既にある、とする決定論の構造には欠陥があるのです。
>すべては決まっているという論です。特に自分を指すような論では無いです
だから、「〜も決まっている」と書きましたたでしょ。
全ては決まっているのだから、自分が何を考えるかも決まってるのでしょ?
まあ、これについては特に齟齬は無いので、いいでしょう。
537 :
唯意味論:2011/01/08(土) 20:50:04 0
>>534 では、その物質“構造”は何に由来するのですか。
スモ君、もう少し色々と語っていただきたい。
何かを論じる“気”が私には欠如しています。(飲みすぎて)
>>533 > 私が、「自分は世界の一部」:これが唯物論、と敢えて言うのは
> 貴方の唯物論が、いつも自分を物質とか時間とかの外に置いて物質を見ているように思うからです。
オレのせいにしてもどうにもなりませんね。あなたの論をどうぞ。
> しかし、唯物論とは本来、貴方自身が物質であることを主張しているはず。
本来ならすべてが物質であり、自分は居なくても成り立ちます。自分も物質なのはもちろんです。
> 実際の映画のフィルムは、常に我々と共に「この現在世界」にあるのです。
> しかし、時空連続体の未来とか過去は、「この現在世界」には無いでしょう。
では上映中の映画に例えてみてはどうでしょうか。
> 貴方が、決定論の構造として、過去から未来までのフィルムとかぱらぱらマンガを想像し、
> 貴方自身もフィルムの一部だとするなら、連綿と続く時空連続体の中の一部である、「ある点」が
> 「いま」として開闢する機構を、時空連続体とは「別に」でっちあげねばならない。
何故でしょう。そして非決定論ならそれを解消できるのでしょうか。
> 私には、貴方がそのことを忘却しているよう思える。
モリタポ、期限切れた〜・・書けるかな
>>537>では、その物質“構造”は何に由来するのですか。
そんなもんが、すっと言えたら、俺ぁ学者になっとるっちゅーに
「物質の根源、及び、宇宙に於けるその総量、が構造を規定する」ぐらいじゃないですかね。
こんなのオカルトなんで、もう二度と言いませんがw
540 :
唯意味論:2011/01/08(土) 21:04:23 0
カラス君は以前、こんな長文は書かなかっただろう?
どちらも(抄録さんも)意識(現前、開闢)に躓いています。
そして、互いにそこを「観念論的である」と非難している。
事実、双方とも主観(意識)を解消しえていない。
>>538 >オレのせいにしてもどうにもなりませんね。あなたの論をどうぞ。
さんざん語ってるでしょ。
>本来ならすべてが物質であり、自分は居なくても成り立ちます。
そうです。
貴方の言う、映画とかぱらぱらマンガの想定が、自分無しでは成立しない、と言ってるのです。
>上映中の映画に例えてみてはどうでしょうか。
上映中のフィルムは、どこかに消えてるのですか?
映画のフィルムはこの世界の物質なんですよ。スクリーンもこの世界の物質。
光線もこの世界の光。そして私もこの世界の物質。
全て、単一にして動的にこの世界を構成しているのです。
>何故でしょう。
時空連続体における「いま」とは、何ですか?定義できますか?
>そして非決定論ならそれを解消できるのでしょうか。
「未来が既にある」との決定論構造には欠陥がある、と言っているのです。
非決定なら、未来など、概念以上の意味は無く、実在しないのであって
もとから問題にもならないのです。
>>540 唯意味論さん、
「躓く」と言ったところで、それは「貴方の主観に“過ぎない”」
貴方は有効性を求める俺の行為を否定しましたよね。
空などという、虚しいこけおどしは止めて、私を有効に糾弾してみてください。
543 :
唯意味論:2011/01/08(土) 21:28:05 0
>>541 「全て、単一にして動的に、この世界を…云々」している時点で、抄録さんは
“世界の外”にいて、それ(スクリーン)を観ている立場にある。意識を対象世界
から超越させている、といってもよい。換言すれば、全ても、単一も、動的も、
貴方の“主観”である。
決定論議論は簡単にまとめると
「このスレはいつか終わる」て論と「このスレは継続しているから終わってないやんけ」て論のぶつかり合い。
それ以上でもそれ以下でもない。
要するにわかることについてだけ根拠をあげてわからないことがわかるようになることは決してないてことだ。
>>543 唯意味論さん的に「主観ではない語り」とかありますか?
あるなら、例えてみてください。
それができないなら、貴方の言ってることは、貴方の主観を単にくるくる回ってるだけですよ。
546 :
唯意味論:2011/01/08(土) 21:34:38 0
抄録さんの主観に依らずには、貴方のいう“物質世界”もないということです。
物質の自発性? もう少し説明していただきたい。比喩的な表現?
もしビッグバン理論が正しければ、あんたと俺を同一点に配置したらその2つを区別できるかどうか?というお題が成り立つかどうかだよ。うん。
>>546 物質無しには法則もない。
「物質を支配する法則」なんてものは無いってことです。
唯物主義者の私にすれば、しごく当然の主張をしてるのですよ。
比喩ではなく、具体的にも面白い。
もっと語る時もあるかもしれない・・・が、もう今日は疲れた。
>>536 > 主体を世界から離して見なければ、世界がフィルム、とか言えないはずなんです。
> フィルムを見るのは「貴方」なんですから。
>>418のとおりです。
> 過去も未来も既にある、とする決定論の構造には欠陥があるのです。
すべては決まっているという論ですが。決まっているとあるとは意味が違うのでは。
批判対象を無理に曲解してまで批判するのですね。
>>541 > 時空連続体における「いま」とは、何ですか?定義できますか?
空間を通して影響し合う物質の集まりです。
> 「未来が既にある」との決定論構造には欠陥がある、と言っているのです。
これもですね。
> 非決定なら、未来など、概念以上の意味は無く、実在しないのであって
> もとから問題にもならないのです。
決定論でも過去に未来が実在するなどとはしないです。
自発性などないぞ。
自発性とは定義上の問題だけだ。
551 :
唯意味論:2011/01/08(土) 21:53:23 0
>>545 「主観でない事象」を言明すべきは唯物論の側。
こちらは「事象は意味/無意味としてしか受容できない」という立場。
主観ではない客観的といえる事態を一つ挙げていただきたい。
単一の動的世界? このどこが客観的なのですか。
貴方がそう意識(認識)しているだけでは?
>>507 うん。たしかに「人間椅子」はおもしろいね。
>すべては決まっているという論ですが。決まっているとあるとは意味が違うのでは。
>批判対象を無理に曲解してまで批判するのですね。
貴方は
>>509で、
「決定論に近いのは3.世界は過去から未来まで既にあるですね。」
と言い立てたんですよ。それは撤回するんですか。
>>551 >>551 主観でないかどうかは、貴方の主観に依存している。
貴方が、どれもこれも主観だ、と言い捨てるなら、
主観でない何かなど、答えようがない。
貴方にとって、どうであれば「主観でない事象」となるのですか。
時間てのは過去に対しては情報でしかないだろ。未来に対しては常に未知だ。
だから時間は現在しかないとも言えるわな。
で、いくら情報を組み合わせても現在見ているのと同じ世界は再構築できんわな。
>>553 1から3の中では3が近いだろうという意味です。
見ていると思っているものは結局唯物論からも分子の塊に過ぎないし分子自体は直接見ることは不可能。
必然だと断言している意識も実はそんなものはどこにもないわけで。
>>556 それを問題としてきたんじゃないんですか?
1と2については、別の話としてやればいいのではないですか?
逆ギレで俺を「曲解者」呼ばわりするわけですか、飛べないカラスという人は。
「すべては決まっている」
が、人間にはそれが認識できない。つまり、1行目カッコ以外に
ほとんど何も言えない。
未来が決まっているとしても、それをどう決まっているか、知る術が
ないのだから、ひとびとが、占いにあれほど頼ろうとするのも、
けっして、笑うことが出来ない。
それほど、ひとびとは困惑し、困り切っているのだ。
逆切れで乱暴な言葉使いで大上段から独り言言ってる工学部落ちこぼれが偉そうにw
すべては決まっているかどうかわからないのに人間がすべては決まっていると言うのは心理学の問題だな。
この勢いなら言える。意識は時間です。
占いを笑うのも占いを信じるのも人の勝手だな。
その占いが決定論だとしても同じこと。
客観的に証明できるというから聞いていると主観的に自分はこう解釈して生きてますて人生論のぶつかり合いになってる。
意識は時間と定義するのはまあアリだな。
逆に時間は意識だと定義して再構成する方が易しいが。
566 :
唯意味論:2011/01/08(土) 22:11:42 0
>>549 「影響しあう」のなら“いま”とはいえない。
「あった、ある、あるだろう」を内包してしまうからである。
ところで、カラス君は非・因果的決定論でしたよね?
決定論が「可能」なのはこれだけでしょう?
この場合でも“意識の謎(なぜ意識が必要なのか)”は残される。
世界が生成の渦中にあるのなら、確率論的であるのではないか。
・・だから、私自身も、最近、占いやパワーストーンに凝りだしている。
迷信? そうだよ。科学は、何もしてくれはしないから。
568 :
唯意味論:2011/01/08(土) 22:26:42 0
>>554 意識(主観)が“世界”に解消された事態でしょうか? が、これは背理です。
スクリーンをみながら、そのなかには入り込めないからである。
意識は“贈与”なのかもしれぬが、反面、制約でもあるらしい。
>>566 > 「影響しあう」のなら“いま”とはいえない。
> 「あった、ある、あるだろう」を内包してしまうからである。
では今とは何でしょう。
> ところで、カラス君は非・因果的決定論でしたよね?
因果律を根拠とする決定論者です。
実際決定論はすべては決まっていると主張しても、それだけではすべては決まっていない
というのとの違いを説明できないです。なのでその根拠を因果律に求めるのです。
> この場合でも“意識の謎(なぜ意識が必要なのか)”は残される。
意識の定義とそれが何に必要かということになりますね。
> 世界が生成の渦中にあるのなら、確率論的であるのではないか。
何故でしょう。確率は初期条件を平坦に分布した場合の結果の分布ですね。
>>568 >意識(主観)が“世界”に解消された事態
つまり貴方をその境地に導けと。。。
これ難しい。
しかし私の目的・興味と一致しているので考えます。
何か方法論があるようにも思うんですようね。。。徒労かしら
過去の偉大な哲学者はどーやって克服したのかしら。。。
デネットの思考実験から抜け切らんのか。
つまり自分の信じる世界にいる他者だけを相手にせよ、だ。
過去も未来もすでにある、としてもそんなに問題は無いかも。あるの定義次第ですが。
関わりがあってあると認識するとした場合、過去と未来は関われないんじゃないかと
いう見方もあるかも。しかし物質の相互作用という観点なら物質すべての関わりの総体が
世界なので唯物論的には特に問題無いですね。
>>522 いったい決定論をどう理解しているのかわかりかねるなぁ
物理法則は世界を記述したものじゃなくて解釈したもの
物質自体がそれぞれの性質に従って動くに過ぎない
しかしそれは自発的ということじゃない、ただ個性があるだけ
抄録が何を言いたいのかいまいちわからん
>>573 それ(
>>522)は、非因果的決定論(つまり法則無視)に対する反論なのです。
因果的決定論に対する反論は。。。またそのうちに
「自発性」は誤解を生む表現かしら。
自律性としましょうか。同じかしら。
現在なる事態を生じるために、物質は動的である必要があり、
従動的ではなく、自発的(パッシブ)である、という意味を込めているのです。
まあ、これも来年にしましょうか。
パッシブじゃなくて、アクティブでした。
スンマソン
>>505 >結果が一意的に決定していないと言うことです。
ここが間違いです。確率は決定しているかいないかではなく、
着目している情報以外の情報を捨てて、事象を把握する方法でしかなく、
時間的因果とは無関係です。情報の処理の仕方に過ぎません。
>サイコロは1〜6の出目に決定されています。
>しかしその目のどれが次に出るかは決定していないと言うことなので
いいえ。決定してても知らないだけの話です。
>原因も無く突如として結果が現れる訳ではありません。
それは非決定でないからそうなのです。
>観測問題と言うのもその辺に仕掛けがあるのでは。
そういうことは、量子力学を完全に理解してから語ってくださいね。
>>541 >「未来が既にある」との決定論構造には欠陥がある、と言っているのです。
別に欠陥はありません。
未来も過去も同様に存在しているだけのことです。君がそれを受け入れたくないだけの話。
579 :
唯意味論:2011/01/08(土) 23:35:20 0
>>569 以前に議論したと思うのだが、厳密には“いま”は経験できない。
“現前”は一見“いま”を指しているかのようだが、これも瞬前の
“過去”である。
「過去、現在、未来」は事象に区切りを入れ、概念化したにすぎず、
そこから“時間”が流れているかのように幻想する。
因果は、この“流れる時間”を前提しており、その根拠は主観的である。
580 :
唯意味論:2011/01/08(土) 23:39:12 0
何故分かる?
お前は神か?
未来も過去も認識しないなら現在もないわな。
でも現在はあるてのが認識の限界点だ。
GODISNOWHERE
宇宙は一点から始まったかもしれないのに(一点ですらないかもしれないけど)、アレとかソレって分けて考えることが混乱の元なんじゃないの?
分けるのが意識の特質の一つなのです。
意識が高い日本人はゴミの分別なんてお手の物だしな。
>>579 現在に意味は無いということでしょうか。
現在=空間を通して影響し合う物質の集まり、に対しての反論でしょうか。
588 :
スモ:2011/01/09(日) 00:34:43 0
「時(刻)」ってのはなにかはっきりと刻印された存在概念のように思えるが
しかし「間」は、宙に浮いた指し示せないような非在の概念といったちがいがある
>>524は時間について概念に言い換えてるだけでしょ、ということではない
「間」ということ、流れるということ、推移するということが、なにか実在的な事態でないということを示そうとしている
その説明を示しきれてはいないし、流れてはいないということに反論できていないが
紙に鉛筆を接地させた点は「時刻」と表現できる
そこに線を引くと、その線の端から端までを、ふつう「間」と表現してしまう
ちがう
「間」の表現はその余白が正しい
点とその線分は、余白の対置として同じ「時」(「今」)なのである
では、鉛筆で線を引いてるそのことはどう考えればいいのか?
川が流れているのを見てるとき、
腕を上げ下げしているのを見てるとき、
そのことの推移には時間が経過しているのではないか?
ここが難しい
「鉛筆で線を引いている」ということに成立する関係の構成そのものが、
それを成立しない関係の構成すべてにおける、
「点」と「余白」との関係、つまりは「時」と「間」の関係に等しく見なせるのである
「腕を上げ下げしている」ことは、
それを意識している間における、つまりは腕が動作していることを確認してる構成そのものが、
線分のような「時」なのである
>髭が鏡と接触している「時」に、髭が伸びる(変化する)ことはありえない
>無理に表現すればその場合、「髭が伸びること」の静止画があるだけである
これは直感的に理解しがたく、想像できるイメージを超えている
しかし、以上の考え方がレトリックでないならば、正しい理解なはずである
つまり、川の流れているのを見ているとき、
そこに時間が経過していることは、本当は錯覚なのである
589 :
スモ:2011/01/09(日) 00:36:08 0
オレ他所行ったほうがいいかなw
それは意識じゃなくて思考とか自我の特質だと思ってました^^
>>585
591 :
スモ:2011/01/09(日) 00:42:24 0
やっぱりおかしいな
>ここが難しい、以下のやり方はしっくりこない
592 :
考える名無しさん:2011/01/09(日) 00:49:36 0
>>579 今は現在進行形で経験してきて経験していく間は経験しているよ
593 :
スモ:2011/01/09(日) 00:50:36 0
訂正
誤>その説明を示しきれてはいないし、流れてはいないということに反論できていないが
正>その説明を示しきれてはいないし、流れているということに反論できていないが
594 :
考える名無しさん:2011/01/09(日) 00:52:02 0
それを経験出来ないとすると経験そのものを経験出来ないとかそーゆーおかしな話になっていくよね
スモ氏がどの海で潜ってるのかも分からんw
なんで鏡でずっと髭をみてたら、髭は伸びない、と思ったのかしら。
髭がにょきにょき生えでも、やっぱり伸びないの?
596 :
考える名無しさん:2011/01/09(日) 00:59:03 0
ジャー!ラスタファ〜ライ!
>>594 誰も経験したことのないことをさも経験したかのように語るのが死についてだな。
598 :
スモ:2011/01/09(日) 01:08:28 0
>>595 >なんで鏡でずっと髭をみてたら、髭は伸びない、と思ったのかしら。
>髭がにょきにょき生えでも、やっぱり伸びないの?
伸びない、じゃない
伸びてることを確認することはできないということ
そして伸びてることが、時間の経過を示すことはないということ
>>524の髭と鏡の物語は、私をその舞台に挿入させたことでちょっとおかしな感じになってしまった
599 :
スモ:2011/01/09(日) 01:16:33 0
>つまり、川の流れているのを見ているとき、
>そこに時間が経過していることは、本当は錯覚なのである
「川の流れているのを見ている」ことを可能にしてる事態の構成そのものに
そこに時間が流れているという誤解を生む理由が潜んでいるのである
見た瞬間後には記憶してるからね。
その記憶を頼りに次の記憶と繋がって流れてるように見えるんでしょ。
すると時間だけじゃなくて空間も同じことが言えそうだよね。
人間の視覚なんてクッキリはっきり見えるのは真ん中のわずか1個のドット分しかないし。
それでも空間にあるものをとりあえず認識出来るのは周囲を見渡した記憶があるからでしょ。たぶん。
601 :
紗南:2011/01/09(日) 01:47:46 0
風邪で痰と咳が出るようになって来ましたよーー*:
紗南の体なのになんで勝手に意志に反して風邪引いたりするんでしょう
でも意識しなくても勝手に呼吸して心臓動かして色々働いて、
紗南を維持してくれてるから、体は言うほど悪いヤツじゃないかもね^^^
時間は均等に流れてるもんだと自然と思ってた紗南ですが、
何かに向かって夢中になってる楽しい時間は短く感じて
やりたいことありすぎて、困るけどちょっと華やぐよね
http://www.youtube.com/watch?v=D7F6rm9_gV0 逆に、ただ時計の針が進むのを見るともなく見ているだけの、
したいこともすることもなくて退屈な時間は白黒な気持ちで長く感じるよね
http://www.youtube.com/watch?v=G3C-VevI36s それは何故なのか!?!紗南はその辺が不思議です
意識は常に何かへの意識だと言ってたけど(だれが?
すでに納得して信じてしまってる「当たり前」なことなぞは、
ふだん意識しなくなってしまいますよね0
ということは?納得理解解釈しきれてないものに出逢ったり、
そいつを解釈しようとすることが意識なのかな
解釈するって何なんだらうp
食事で咀嚼して飲み込んだものを消化分解して吸収するようなもんかな
体という巨大な組織の構成員として取り込めるヤツだけ取り込んで
あとは使えないって門前払い・排泄する。。。みたいなことなのかな
で、淡々と「当たり前」に消化吸収が進んでるさなか、
工作員が排除されずにもぐりこんで工作活動すると、
それに出逢った体は、病気になったりするのかな@「
だとしたら、意識って病気みたいなものなのかな‘‘
602 :
考える名無しさん:2011/01/09(日) 07:53:55 0
記憶なしに意識は多分不可能なので、「見る」こと自体不可能で、視覚なんてあり得ない。
大自作自演大会会場
604 :
考える名無しさん:2011/01/09(日) 10:04:33 0
実際、これが全部自演できたら天才どころじゃないなw
>>602 意識はそもそも時間なので時間を認識する必要がないから記憶なしでも全然おk、と言い切ってみる。
意識は時間的現象だとは思うが
それを時間そのものである、と言ってしまっては、
時間と意識の意味を消失させてしまうでしょう。
>>592 「現在進行形」は経験(意識)できない、といっているのである。
“いま”は意識できない。だから事象の経験(意識)は常に、その瞬後。
反復、としてである。
無意識の、つまり無意味の“いま”と、その再現の経験(意味)との差異(あいだ)。
これがヒトの“時間”の起源ではないか。
スモ君に即せば、伸びつつある髭は経験できない。伸びたあとのそれをみて、
“変化”という意味を与え、この“変化”を過去、現在、未来に差異(概念)化
する、ということだろう。経験しているのは“過去(意味)”である。
客観的時間(それがあるとしてだが)とは何だろう?
>>606 それでいいんだよ。
もしこの世に意識現象と石ころの2つしかなかったとすると、この2つを区別することは不可能だよ。
石ころは意識現象そのもので、石ころがなければ意識も生まれない。
宇宙は一点から始まったなら、空間が広がっただけで分けて考えなきゃいけないと思うことこそナンセンスなんだと思うよ。
609 :
モス:2011/01/09(日) 10:57:21 0
すいません
このすれでいいのかどうか分かりませんが
娘にどうも前世の記憶があるらしいのです
お風呂に入れてやると、しゃがんで体を洗うとき、自然に片手がお尻の後ろにいって手の甲を尻側に向けた状態で手のひらをカールする動作をすることがあるんです。
ずっとそうしているわけではないですが、まるでそこにあるはずのしっぽを水場であらうとする時のような感じです。
これって前世の記憶ですよね?
>>608 意識現象は、その性質を、貴方の意識現象に依って考えるしかない
そのなかで、石ころの意識現象とか、どのようなものか理解できますか?
611 :
考える名無しさん:2011/01/09(日) 11:00:06 0
スモかとおもたらモスかよw
>>608 そうかなぁ?
意識と石ころがあるのなら、それは意識と石ころを差異化する“意識”のある証左。
その差異(区別)を消去するのは「みてみぬフリをする」ことである。
唯物論とは、みてみぬフリをする“世界観”といえぬこともない。
そもそも宇宙は一点からではなく“無”から始まったそうです。w
>>610 それは未来の科学がやってくれるでしょ。たぶん。
>>612 >差異化する
のは思考じゃないの?
>“無”から始まったそうです
だから一点ですらないかもしれないけどって書いたじゃん。
それとも無から宇宙全体が今の大きさでジワジワ滲み出てきたの?
それを示す観測事実はあるの?
>>613 「思考する」ことは“意識”することです。
感覚、知覚、思惟(分析、判断)、想像、意思…等々は意識現象でしょう?
「ジワジワ」ではなく“一撃に”か“急速に”か、のどちらかでしょう。
その起源は観測不能なので、思惟の産物です。
その整合性と説得性を競いあっているのではないでしょうか。
>>614 思考するのって意識に掛かったものを分析機にかけることだと思ってました。
でないと生命体として生き残ることができないから。
意識って、宇宙や生命の誕生と進化を切り離して考えることはできないと思う。
>>615 そのとおりだと思う。
“存在”を構成する根源的要素の一つだとする「論」もあるようです。
ヒトにとっては、そういえるかもしれぬが…。
これも、いささか怪しいとの思いを禁じえません。
モスさんの質問に答えてあげてくれませんか?
物質だから意識があるスレでしょう?同じ物質を受け継いでいたら大昔しっぽがあった意識があらわれても不思議じゃないですよね?
618 :
考える名無しさん:2011/01/09(日) 11:55:02 0
貴方が答えればいいではないか、ケントさんw
わたしはモスさんのFRENDにすぎません
哲学はしりません
部屋が寒くてNOSE_WATERがでてきましたXD
乳児は本能で乳を飲むし
はいはいの前に、二足歩行の動きもするらしいし
プールに放り込むと泳ぐらしい
あと、だれもいない空間に向かって笑いかけたりもする
DNAなのかな
にっぽんの家はCHがないので不便でーすね。
622 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2011/01/09(日) 15:31:23 0
>>601 :紗南:
なかなか鋭いですね。
>解釈するって何なんだらう
>食事で咀嚼して・・・・・
「知・情・意の神経心理学」 よれば食事(外界からの信号)そのものを消化分解して吸収しているのではない。
視覚の例で話すとハム吉君の像は網膜の段階では信号となり像そのものでは無くなる訳です。
その後脳内でその信号が再びハム吉君の像に描かれる訳ですこの像を視覚心像と呼びます。
このとき描かれるキャンバスが感情と呼ばれる領域です。
ですから心や感情が無ければ物は見えないわけです、当たり前の話ですが・・・。
当然貴方の持つハム吉君の心像は他の人とは全く違ったものですよね、それがクオリアとも呼ばれるものです。
さらに実際に視覚で見れ無くなっても、ハム吉君を思い浮かべることもありますよね、それは長い時間をかけて蓄積されたハム吉君の思い出が抽象されたものであり超知覚性心像(観念)と呼びます。
最初に戻ると、このような超知覚性心像が心に立ち上がって新しい視覚心像と結びついたとき初めてその情報の意味と言うものを理解したと言うことになるのです。
「わかった」と言う経験です。
じいさんの言ってることは機械さんと同じのように思える
じいさんのは所謂三文文学論みたいなもんじゃろじゃろ
自分が一番正しいとごねてるだけ
626 :
考える名無しさん:2011/01/09(日) 18:30:17 0
意識している経験をしているのは今でしょう。
記憶なしでは意識出来ないでしょう。
落ちていく砂時計は観察可能でしょう。
過ぎ去った過去を経験することは不可能でしょう。
蓄積されゆく時間が今でしょう。
627 :
考える名無しさん:2011/01/09(日) 18:48:07 0
記憶が無ければ違いが認識出来ないので、意識出来ないと思います
意識に先立つ認識てか
>>588スモ氏
何回か読んだが、もう諦めたw
点と線分、そして、それ以外の余白。
余白とは、「可能な全経路の集合」のことなのか
それとも、余白は隠れた構造(本質のネガ)である、とすることで
地点あるいは一経路を選択する事態の、なにごとか、を言い表そうとしてるのか。
まあ、間違いなく、俺が的外れだな〜その自信あるしw
私はギブアップ。きっかけも掴めんわ。
唯意味論さん、任せます。
630 :
考える名無しさん:2011/01/10(月) 00:42:03 0
コンピュータなんかは意識がなくても認識するでしょう。
意識に先立つのは意識体としての生命でんがな。
それと朝、例えば自分のなんかは認識に先立っていることが多々あります。
おいおい、じいさんが羨むようなことをw
632 :
紗南:2011/01/10(月) 01:39:44 0
せーのっ!最近何をやっても上手くいかない紗南です¥
お仕事だっていつ首になってもおかしくないですよねーーー
将来に対する漠然とした不安の塊 それが紗南@
誰のせいでもなくて 背中がとても寒くて
紗南の抜け殻だけが宙に舞う ライライライライ
何かを解釈するときにまず分解された構成要素の意味は、
意味全体という組織の、組織図の中での位置づけ
みたいなのだとしたら、要素は全体に規定されてるはずですよね?:
でも、要素の集まりが全体なら、全体は要素に規定されてるはず??*
どっちなんだ?混乱混乱混乱花魁
意識の始まりはどうやって始まったんだろう
物心ついたときには紗南はすでに世界の中の人類でしたよね たぶん
というか、どうして物心ついたんだろ紗南 てへ
初めて解釈をする時って、どうやって解釈するんだろう
そのとき既に紗南は解釈のための意味組織を持ってたのかな
遺伝?いでん うどんうどんおでん おでんおでんうどん
動物の動作でね みんなして 目覚めて行きたい
時間とは 意識とは 記憶とは 思考とは何か?
たくさんの不思議をね 太陽と遺伝子が笑うよ
http://www.youtube.com/watch?v=0mauJbTXUVg ハム吉が信号とかだとなんだか淋しいです;;;
止マレ!過去は紗南のもの 当然誰とも取り替えたくない
http://www.youtube.com/watch?v=zejFLSQd9K4
>>588 思い浮かべるイメージは常に現在にあるのにもかかわらず、なぜ時間の流れをイメージ
できるのか、といったところでしょう。
記憶している情報には時間についての情報があり、意識上にイメージするときに時系列で
まとめる脳機能があります。睡眠時はこの機能が相対的に働かない人が多い。
だから夢の中では記憶の時間情報が失われバラバラになり再度別過程で構成される。
>>614 思考自体は無意識のうちにもおこなわれますよ。こういう議論は「意識」の用法をはっきりとするべきですね。
635 :
スモ:2011/01/10(月) 02:11:00 0
>>629 >余白とは、「可能な全経路の集合」のことなのか
ここはおそらく、
>>589の>ここが難しい以下の方論からの影響だと推察する
でもその方論のところは変だ、おかしい、その部分はおそらく間違っている(無責任なw)
>それとも、余白は隠れた構造(本質のネガ)である、とすることで
>地点あるいは一経路を選択する事態の、なにごとか、を言い表そうとしてるのか。
まず、点と線分は時間の表現として考えたということ
で、レスされたことで気づいたのだけれど、点と線分が「今」だとして
では、その「点」と「線分」の違いはなんなのか?を理解していなかった
「点」とは何かということはひとまず、
「線分」が、抄録氏の表現を忖度すると「地点の可能な経路の集合」だと考える
先に、可能性の充満との呟きは無限をイメージさせる誤解があった
可能性とはなにか?
そのときそのときにおける可能性は常に限られている
僕がいま使える言葉は限られている
僕がいま思いもつかない(知らない)言葉をぼくは使うことができない
可能性は無限と等値できないし、可能性とは有限が開かれている、という意味だと考える
「線分」が意味するのは、「事態そのものにおける可能性」だとすればどうであろうか?(無責任なw)
では、「線分」をそのような捉え方をした場合の「点」とはどういえばいいのか?
「事態の開闢」?、うまい表現とは思えない
・・・・・「点」と「線分」に分けたことでもはや破綻してるのかもしれない
ただ、余白が「間」だとして点(または線分)の「時」と合わせて時間だという表現の仕方は
時間が永遠であることを示せてるように思う
つまりは「点」が永遠に属するということ、「時」または「今」が永遠だということの理解に合致する
余白が表現することは、「無限」を含意しているのかもしれない
紗南が指摘するように、ぼくはただ解釈で自分を混乱に招いてるだけなのかもしれない
僕は的を掴んで書けてるわけでない
636 :
スモ:2011/01/10(月) 02:12:43 0
(無責任なw)とは笑えない
無責任は失格者の烙印である
反省するべし
637 :
スモ:2011/01/10(月) 02:18:14 0
>>635の考え方に照らせば、
>635と>636のとの、点と点との、「時」と「時」との各々の事態に論理的連関はない
つまり、635と636のスモが同一人物である理由はない
638 :
スモ:2011/01/10(月) 02:43:28 0
なにかまったく、おまえが発言することには整合的にあると思えない
なにいってるのかわからない
部分で何事かを語っているが、全体としてもうまったくむちゃくちゃではないか
・・・
そんなことはもういい
読む人がわかってる
そう思うことで慰めろ
記憶とはなんだ?
記憶をどう処理すればいい?
人にとって記憶が何を意味するのかでの解体でなく、
神の視点でもって記憶とは何かを語りたい
しかし、まったく尻尾すらつかめない
それは進みそうにないと感じてる
僕の気分もアジア杯に向いているw
盤上の局面に目を凝らしすぎると全体が見えなくなる
少し、離れて眺めたい
そして、哲学はやはり疲れる
>>634 それは思考の定義によるし一般的にはそゆのを思考と広義に解釈されない。
その手の思考を話すときは意識しているときに「このように思考した(はずだ)」としか言えない。
つまりレトリックに過ぎないのだわ。
このスレ的に言えば「自動書記」で書いてるのかおまいは!と突っ込まれるぞ
決定とは、ただひとつという確定。他の選択肢が無いこと。
私たちはそんな世界にうまれたのです。
>>639 思考=意識でしょうか。普通の用法では無いでしょう。
自分の用法としては
思考:因果関係を連想すること
意識:様々な概念の想起や把握をして処理する能力
将棋で盤面をぱっと見て最初に無意識に思い浮かぶ手を第一感といいますね。
無意識といえど思考が働いていることもあるのです。
645 :
考える名無しさん:2011/01/10(月) 03:38:24 0
思考を意識出来なければ思考として認識されないから、無(潜在)意識な思考も実は無(潜在)意識によって意識されていると思います多分。それが顕在化した時に自意識になりますね。
646 :
考える名無しさん:2011/01/10(月) 03:40:10 0
あと思考というのは想像だと思います。
647 :
考える名無しさん:2011/01/10(月) 03:43:04 0
648 :
考える名無しさん:2011/01/10(月) 03:48:21 0
あっははー(^O^)顕在意識ですね、スンマソン
649 :
スモ:2011/01/10(月) 04:06:42 0
これは誤解されるかな、と補足(
>>635)
「事態そのものにおける可能性」とは様々な事態の可能性という意味じゃない
事態は「時」(線分)という限られた区分であるように、
事態は普遍である(不変という表現のがこの理解に好ましいが適当でない)
事態には様々な解釈ができる(解釈という表現も適当でないが)
しかし、それは解釈でなく実在する
その(解釈の)すべては同じことだ
同じ事態のことだ
>635の書き込みはスモでなくても成り立つという意味だ
>635の「時」または「事態」に可能性が在るということ
つまり、やはりすっぽんは鳴いたのだ
ぼくはまったく、人が共有して理解する言葉としての言葉で表現していない
しかし、これは語りえないようなことを語っている(示し得てる)とぼくは信じる
(誤ってるかどうかは別として)
・・・
もう混乱させるのはやめようw
これはぼくたちにとって無意味な語りである
夜よ 負けんなよ
朝に 負けんなよ
何も 答えが 出てないじゃないか
http://www.youtube.com/watch?v=TrmLXdnYXZk
650 :
スモ:2011/01/10(月) 04:07:24 0
神とは、思惟である
>>643 意識は問い合わせれば何らかの反応が返ってくる状態にあること。上位の精神活動が下位の精神活動をモニターしてること。
その状態がなければ何も考えていないのと一緒だし当然の帰結として考えを表明する等の意識的な活動は外部からは確認しようがない。
>>644 「無意識に思い浮かぶ」と意識しているから語っているわけで。
所謂「咄嗟に思い付いた」と後から自覚することの如しですね。
>>645 自意識とは自分を他人から見た自分としてとらえることだと思います。
>>651 問い合わせ、上位下位の精神活動の定義次第ですね。
>>652 その通りだと思います。
決定論はすべては決まっているという論です。自分の世界もすべての中に含まれるという
意味では自分の世界は決まっているということも決定論の中に含まれます。
決定論が自分の世界は決まっていると主張とイコールでは無いのです。
唯物論も同様にすべては物質であるという論です。
しかしそれに関する議論は自分の世界や自分との関係についてのものが多いです。
なので自分に関する論だと誤解、曲解されがちです。
自分に関する論は自分の存在を前提とする。決定論は自分については特に何も主張していない。
論を読むのも書くのも議論するのもそれぞれ自分だが自分の意味はこれを使う者自身を指す意味の
記号でしかない。
決定論を理解したのは何歳頃か忘れたけれど、自然と覚えていったな。普通に生活して
いれば原因と結果があることくらい誰でもわかる。原因が結果を決めるんだね。
>>634 カラス君
思考しているときの“無意識”は、俗にいう「意識的ではない」という意味。
文字どおりの“無意識”ではない。字義どおりの無意識は、爆睡しているときが
それに近いのではなかろうか。
思考のさなかは“意識的ではない”かもしれぬが、その全体が意識現象である。
少なくとも、爆睡しているときとは異なる(ように思える)。
ちなみに意識を意識する、すなわち「意識的である」とき、最高位のいう《私》を
生じるのではないか。ネコにはもとより、蚯蚓にも“意識”はあると思う。ただし
連中が「意識的」かどうかはわからない。
658 :
計算機 ◆0dHzUh337A :2011/01/10(月) 10:05:37 0
哲学ってはっきりさせた方が利益になる基本的な考えだと思ってるんだが、ここで言ってることは考えをまとめた先に何か目的はあるのか?
>>644 この場合の「第一感」を支えているのは、思考ではなく“記憶”でしょう?
厳密にいえば“記憶の記憶”である。“潜在意識”ともいわれる。これも
全き無意識(忘却)とは異なる。
660 :
考える名無しさん:2011/01/10(月) 10:31:46 0
いちゅきいますでちゅか
>>658 「目的」の一つは、君が語っている。「はっきりさせる」ことだ。
が、もう一つはその逆。はっきりしていることを解体し、混沌の淵に
投げ入れることである。w
利益云々については、まず君が「利益とは何か」をいう必要がある。
>>656 逆ではないか。結果(とみなす事態)が原因を推測させるのでは?
“現前の意味”が起源(原因の原因)へと遡行させるのであり、
極論すれば“原因”は常に書き換えられている。
663 :
考える名無しさん:2011/01/10(月) 10:57:13 0
「決定論」っていわゆる「運命論」でしょ?
私は運命論否定論者なんだけど、決定論が有効であることを論理的に証明できる?
>>663 大きな勘違い。決定論は運命論とまったく性質が違う。
必然と確定は同じじゃないことすら理解できない無能か?
決定論が成立するにはベースとなる本質的秩序が普遍で変化しないという
前提が必須なのです。
そして人が計る世界の本質は精密に測るほど普遍で変化しない秩序だと
見えてしまうのです。
故に決定論に逆らうことは人の立場で世界を計る理解では不可能ということ。
論理的に証明とかばかげたことを言っている時点で決定論の支配の中に
いる井の中の蛙でしかない。
井の中の蛙が外の世界を妄想する
これが決定論の決定的致命傷
>>630 コンピュータが意識がないかどうかは誰にもわからない。
そして自分以外の他の人間にも意識があるかどうかも誰にもわからない。
>>666 いや、それは違います。
決定論では、
>>665 >決定論が成立するにはベースとなる本質的秩序が普遍で変化しないという
>前提が必須なのです。
これが成立する前提すら必要ありません。
本質的秩序が、時間と共に変化しても、時空連続体として成立できる可能性があれば決定論は成立します。
時空連続体として成立しないというものは、この世にはありません。故に、この世では決定論は成立し続けます。
さらに言えば、時空連続体として成立しなくても、
非因果的決定論がありますから、決定論を否定することは不可能です。
意思を決定する瞬間は無意識の範囲だと思うよ。
それを意識の範囲と錯覚しているから,
自由意志があるように感じるんだと思う。
本質的秩序を変化させる原理を空想してまで
決定論を論として定立する妥当性は無いでしょうね
>>662 常に書き換えられているという原因によって原因は換えられているって意味でいいの?
どこまで考えてもやっぱり無限後退してくしかないの?
決定論のうちでも機械的唯物論は、必然性をすべて単純に因果関係と同一視するため、
客観的な意味での偶然性を否定し、一切の事象は不動の必然性をもってすみずみまで
決定されているという極端は決定論を主張する。これは一切の事象が神の計画によって
決定されていると説く神学的な決定論(予定説)とあまり違わぬものとなり、
結局は運命論に陥る。(岩波:哲学小辞典より)
674 :
スモ:2011/01/11(火) 00:38:12 0
以前の存在スレで、酔った口の戯れを経て、存在とは「ことば」だと構想してから、
りんごとは論理なんだよ、などど冗談とも真面目ともわからない気持ちで答えていたときも、
ぼくにははっきりとした確信をもっていなかった
でも今ならわかる
ぼくはその立場に、やっと足がついた
直近の一連の内容でもそうだけれど、すべては正しい誤りを歩んでいると
ところで、真理とはなんであろうか?
例えば200の言葉で費やされることを、2つの言葉だけで説明できたとして
それで200の言葉でのそれぞれが真理でないということをけっして意味しない
ただ、2つの言葉だけで200ヶの事柄を説明できるというだけで
ぼくにとってよく理解するとは、神の視点で理解するとは、そういうことだ
問いを解決することの、「より深い理解からそれを理解していない」というとき、そういうことだ
それがぼくにとっての「答え」という意味だ
ぼくにとっては200ヶの具体的な事柄のほうが意味不明でわけわからないw
2つの抽象的な事柄のほうが、より一層明確で、はっきりと具体的なものとして感じられる
「神は思惟である」
この言葉が浮かび、これを理解できたことは
ぼくのこれまでの人生にとって、最高に価値のあることだ
675 :
スモ:2011/01/11(火) 01:01:25 0
記憶について、尻尾をつかまえた・・・
たぶんいける
でも、やりたくないw
考えるにしてもまだ足りないし、考えたくもない、の両方な気分から
サカーでも見てリフレッシュしたいw
676 :
紗南:2011/01/11(火) 01:18:57 0
げんきですかーーー!!!!!!!!!
元気があれば、胆石も出来る!!!!ちぇりおー☆
チェリオの「なんちゃってコーラ醤油味」はまじ醤油味らしいですね>
一昨年だったか、ペプシ紫蘇味を好奇心で買って飲み干せなかったデスヨ
あれこれ試し飲みして今の紗南は普通のコーラがイイデスヨ
喉が痛いときに飲むコーラの喉ごしは格別なのだ@
だが、紗南の試行錯誤はまだまだつづくだらう***
そういえば、
今日は妙に謎の振袖集団との遭遇率が高いと思ったら、○○の日でしたか
どうりで電車が休日ダイヤなわけだッッ!!!!
あれ?成人の日って、1月15日じゃなかったっけ???
自意識過剰な紗南の窓には去年のカレンダー日付がないよ
消して リライトして 意味の無い想像も 紗南を成す原動力
全身全霊を クレヨ
http://www.youtube.com/watch?v=nThvjO-s1gc
677 :
紗南:2011/01/11(火) 01:19:40 0
678 :
紗南:2011/01/11(火) 01:35:12 0
大人の階段をのぼることは、
紆余曲折を経て、抽象化の階段を上ること、
っていうことなんでしょうかね***
上ったその先にたった一つの頂点があるかは分からないけど
♪大人の階段の〜ぼる〜 って『タッチ』のエンディングの歌だっけ?+
タッチではあのシーンが印象的でした 霊安室でのシーン
「眠ってるみたいだろ?起きてるんだぜ?これ」
でしたっけ??
679 :
考える名無しさん:2011/01/11(火) 06:27:39 0
>>678 頂点なんてものを想起したら一元論に陥るぞ。
もっと相対的、複雑系的に考えて生きろ。
680 :
考える名無しさん:2011/01/11(火) 11:59:59 0
頂点なんてのは相対的だしあるかどうかもわからない頂点をとりあえず目指すっていう向上心くらい大目にみろ
681 :
考える名無しさん:2011/01/11(火) 12:30:25 0
682 :
考える名無しさん:2011/01/11(火) 12:44:27 0
683 :
考える名無しさん:2011/01/11(火) 13:03:59 0
なんにも見えません
>>673 偶然性というのは、それを認識する主体の情報不足によるものでしかありません。
「情報」にこだわる限り、
決定論が成り立つ情報の充足は理論的にあり得ません
>>685 充足なんて必要ないですから。
実在を対象として何らかの論が成り立つ情報の充足ということ自体がそもそもありえません。
>>686 「情報の充足ということ自体がそもそもあり得ない」のだから
実在を対象とする偶然性は常にあるわけです
688 :
スモ:2011/01/11(火) 18:49:30 0
>>679-680 ぼくが深読みで推測すると、
スモがやってることは事(または言)の理(ことわり)を抽象化で解釈してるだけであって
物の理(ことわり)という頂点もあるんじゃないかな?、といったようなことでなかろうか
そして抄録氏ならこう反論するだろう
物は事(言)に先行すると
まず物が在るからこそ事について語れるのだ、と
「神は思惟である」との「思惟」とはぼくたちが使途するところの「思考」と同じ次元ではない
ぼくたちの思考することが物の存在に成るんだ、といった浅薄なことを意味してるのではない
この「思惟」とはもちろん形而上の言葉である
形而上なんだから証明も不可能で正しくあるかとか無意味なことではあるのだけれどw
その表現の言葉とおりに「思惟」に主語なんてない
「神が考える」ではなく、「考えるというそのことが神」という意味だ
つまりは、語りえない「わたし」とは「思惟」である
世界に主体はなく、ただ生成(思惟)だけがあるという理解でもすっきりする
こういう理解は、「動いてる静止画」や「無限の本の中央のページには裏がない」(byボルヘス)といった
そういった説明を直観できるか、信じられるか、といった感覚になるのだと思う(それが正しいかはわからない)
冗長になると滑稽になるのでもう一人語りはほどほどにするとして
ぼくの立脚した、確信した立場は信仰的なものだ(いや、信仰だなw)
もちろん、ぼくはそれですべてを演繹できてる(すべての解決を理解できた)わけでない
成人式を迎えたからといって大人になるのではないように
ぼくが成神式を記念したといっても、神に成る(神を理解する)、成れるかどうかは、これからだ
689 :
スモ:2011/01/11(火) 18:56:12 0
しまった・・
「ことわり」とはまんま「こと」(事・言葉)の「わり」(分割・分別)になるな
まあいいやw
>>657 それは睡眠と覚醒の違いですね。
>>659 将棋の一手を思い付くには思考が必要です。その思考にはもちろん記憶(将棋のルールなど)が
必要です。
>>662 これは難しい問題。たとえば50度の水があった場合、それが40度と60度のを混ぜた結果なのか
30度と70度のを混ぜた結果なのか。50度の水から原因を推測できるでしょうか。
時間には矢がある。方向があるのです。
691 :
考える名無しさん:2011/01/11(火) 21:10:34 0
>>688 黙れ小僧。何が成神式だ。子供じみた造語で悦に浸ってんじゃねぇよ。
神に成るだぁ?馬鹿を言うのもほどほどにしろ。てめぇはただの糞餓鬼なんだよ。
>>687 だから、その偶然性は主観の上にあるものに過ぎません。
693 :
考える名無しさん:2011/01/11(火) 21:25:23 0
原因と結果のコンテキストで時間の矢の方向が過去を向いているというのは賛成。
>>692 「偶然性が主観の上にあるものに過ぎない」と言うためには
主観による偶然性は、全て実は必然であることを示さないと駄目です
「情報の充足ということ自体があり得ない」のだから、それはできません
695 :
考える名無しさん:2011/01/11(火) 21:46:51 0
人間には偶然的にものごとを捉えられる、偶然を認識する、
可能性を開く能力があるからこそ言えることですが、
必然が「その必然」として必然づけられたのは、全くの偶然である。
こうした観点からみると、結果(必然)がすでに先にあって、
意識が可能性を開くことも必然づけられているならば、
余計に偶然によって必然が必然づけられたように思えてきますね。
あ〜馬鹿馬鹿しい。
696 :
スモ:2011/01/11(火) 21:52:46 0
「成神式」は、やりすぎた・・
神という概念が一般にどのように意味されるかは当然に留意すべきだ
自分の解釈で用いてるといっても、おもしろがる表現で用いたのは不謹慎だった
言い訳にならないが、
全知全能の存在になりたいとかそういうことを意味したり心地してたわけでないとだけ記しておきたい
ぼくはニーチェが失った「神」を、新しく取り戻したいのだ
もうレスしない
697 :
考える名無しさん:2011/01/11(火) 21:56:47 0
気にすることないよ、特にここの人達なんかみんな自分の解釈でおもしろがって言葉を使ってるんだから。
698 :
考える名無しさん:2011/01/11(火) 22:12:29 0
>>696 挫けるな、だが、慢心するな。常識を知れ。
知った風な口を聞きたければ、その10倍の反駁を覚悟せよ。
勝手な自己解釈の言葉で生きて行けるほど世の中は甘くはない。
自律的な道徳規範で他者と齟齬を生じさせるのは自己責任だ。
幼児的全能感と現実のずれを埋めたければ死に物狂いで探求しろ。
>「情報の充足ということ自体があり得ない」のだから、それはできません
嘘はいかん。
このスレッドには情報はないがデタラメはたくさんある。
>>696 ニーチェが失った神てのは下世話な世俗的な神の名を騙る何者かのことじゃないか。
スモ氏〜
俺も、クズだの馬鹿だの低学歴だのと、よく言われる。
頭にもくるけど、しかたない、コテハンだし。
************************
神と思惟を融合させてしまったのか。
ここまできたら、止めないから、どこまででも潜れw
俺ぁ付いて行けん。
私としては、モノとコトの境界は曖昧な感じを持っていて、モノ優先としているわけでもなく
ボーアの言葉を借りるなら「相補的」とでもいいますか。。。
。。ボーアに失礼なんで、こんなことは二度とは言いませんが。
しかしコトを「言」とすることは、私にはできません。
どこまでも「事」であることを求めるわけです。
すっぽんが、鳴くも鳴かぬも、すっぽん次第。はっは
>>694 ダメではありません。
例えば「わからない」というのは、本人の告白をもって成立するもので、
証明する必要がありません。偶然性も同様です。
705 :
紗南:2011/01/11(火) 23:16:33 0
706 :
紗南:2011/01/11(火) 23:21:38 0
707 :
考える名無しさん:2011/01/12(水) 00:04:00 0
スダチある?
ユズじゃだめか?
>>704 主観的な意味と客観的意味を区別すらできない間抜けを
相手にしても無意味だと悟れ。
自慰行為
711 :
スモ:2011/01/12(水) 01:43:13 0
>死に物狂いで探求しろ。
オレはそんなタマじゃないよw
わかってると思うが、自分は哲学者じゃない
「哲学者」とは2ちゃん内の言葉だがw
程度はどうであれ、「強い」哲学者、「本物の」哲学者というのは
針の穴を通さない城壁を積み上げる、隙のない駒の配置で指せる、
そういう堅固で地道な作業や、修練の熟慮によって歩める(歩んでる)人のことだ
オレはそういう人の発言に憧れるし、それがより価値あるものだと理解してるつもりだ
そういうのはウケが悪いがw(それは多分に観客のせいであって)
オレの発言はといえば、
風が吹けば崩れるような砂上の楼閣を企てて遊戯してるようなもので(ウケはもらってるかもだが)
それにどうしてか、レンガを掴んでる実感がない
オレは自分がどこに住むべき人間かわかっている
「月の向こう側」だ(隠喩としてまだ有効だと信じる)
死に物狂いなんて性に合わねえ
哲学してる最中(モナカ)にいると、それは霧中(ムナカ)であり、吉川よろしく「モニカ!」と叫びたくなるのさ
つまりは、そういうことだw
程度はどうであれ、オレには詩人の気質が合っている
これには抄録氏も賛同してくれるだろう
これまでそうやって扱われてきたように、オレはこのスタンスで貢献して叩かれて魅せる
712 :
スモ:2011/01/12(水) 01:48:59 0
>>702 そこは自分が自分だけに理解してる独り言みたいなもので
「ニーチェの神」でなく普通に通称的な「神」として扱った
当然に誤解されるもっともなレスです
申し訳ない
713 :
スモ:2011/01/12(水) 01:53:08 0
おうおう忘れてた
>>698 激励だと受け取る
サンクス
>>668 はラビ氏ふうの決定論。その鍵・概念は「時空連続体」である。
連続する時空において決定論は成立する、もっといえば“連続”が決定論の
根拠であるかのように論述されている。
「連続」とは変化や生成を意味するのだろうか。なぜ、変化や生成が決定論を
根拠づけるのか。ここが曖昧。“連続”が一意的必然の経路を辿る理由が明ら
かにされていないのである。
>>669 をみると、ここでは“連続”を要しない決定論が記されている。
それを“非因果的決定論”と称しており、連続=因果であることがわかる。
非因果的決定論に因ると“世界”は既にできあがっている(決定済み)らしい。
この世界観では“連続”はその意味を失い、時空も消去される。
が、どちらの決定論的“世界”においても、ヒト(意識)は解消されない。
これが非決定論(多義性、偶然)を芽吹かせる“種”であるようだ。
>>690 睡眠とは意識が眠っていることです。w
覚醒にも睡眠と同様に色々な段階がありますが、
いずれにせよ意識が目覚めている(明示的)状態をそう呼びます。
君は、こういったのです。「無意識でも思考はなされる」
が、それに対して私は「思考は意識であり、その意識を意識していないだけ」
と述べました。
将棋の“第一感”は思考によるものではなく、記憶のなせるワザではないか、
というのが私の見方。それは思考する(読む)ことを省かせてくれます。
言い換えれば、無数の選択肢のなかから、その一つを根拠なく選ばせる働き
であり、それ以外を捨てさせる心的振る舞いです。
第一感を信じる棋士と、徹底的に懐疑し、その正しさの根拠を求めるタイプ
に分かれます。後者はどうしても長考してしまいます。
717 :
唯意味論:2011/01/12(水) 10:34:35 0
>>690 50°の水(現前の意味)から始めるしかないでしょう?
>>716 あなたとの意識、思考、記憶の定義の違い。独自用語で書くなら伝わるように
書かないと意味が通じないです。
>>717 どのように推測するのでしょうか。
飛べないカラスの言葉こそちょっとずれてるけど
どうでもいいが
720 :
紗南:2011/01/12(水) 17:20:17 0
ごきげんよう¥蒟蒻ゼリーをスプーンで食べる紗南です
今日はお休みでこれから熊田さんとアキバに行って来ますq
去年、お店の忘年会のとき、ちょっと面白い話を聞きましたヨ=
ふだんは担当場所が違うのであまり話したことのないTさんは、
数字に関することなら絶対に忘れないそうで、
さらに計算も瞬時に思い浮かんでしまうらしいですz
なので、誰がいくらの商品を何回案内していくら分売ったかとか、
その日のトータルの売り上げがいくらかとか、すべて把握してるらしいデスヨ@
凄くないですか???天才だァ!!!頼もしくも恐ろしい人だね*
http://www.youtube.com/watch?v=nnoqZFc_3wE 映画のレインマンの人も数字限定じゃないけど、たしか、
一度見聞きしたことは忘れなくて、カレンダーの曜日とかもすぐ分かっちゃう。
凄くないですか???レインマンのモデルになった人の動画も見ましたよ「
それは病気の一種でそうなっちゃったらしいけど、正直羨ましす
ふっふっふ;だが何を隠そうこの紗南も、何か見たり話を聞いてるとき、
駄洒落やアニソンの歌詞やネットで見た動画が浮かんでくる能力があるんです”
凄くないですか???病院が来いですか???
721 :
紗南:2011/01/12(水) 17:21:20 0
時間の矢がずーーっと繋がってるか紗南はワカラナイですが、
寒い部屋ではホットコーヒーが段々勝手にアイスコーヒーになろうとするような
そんな傾向というか方向性があるのを紗南も自然なことと感じてましたよ?
そして、寒い部屋で冷めたコーヒー飲むのがイヤだからどうしようか考えて、
レンジで温めなおそうとしたりとか、紗南自身が部屋の温度に負けて
冷えてしまわないように意図して行動したりすることも自然なことと感じますよ?
この二つのことって、自然に素朴にみてると、
大きな流れの中にありながら、方向性が逆にも見えますん?
無気力に冷めていく方向と、根性で寒さに逆らって保とうとする方向p
これは一見そう見えるだけなのか、じっさい逆なのか 興味津々デスヨ
現時点で紗南は、動物の進化とかも根性で逆走してきたもののような気がする
http://www.youtube.com/watch?v=ub747pprmJ8
原則スレのほうでは、飛べないカラスが勝った。
>>722 君が当事者なんだから、本当に定義が必要だと思うんなら自分でやりなよ
会話が成立してないのは、お互いの問題でしょ
でも理解力が無いと会話なんか成立しないよ
カラス君はあんなアホスレにも出没してるのかw
726 :
唯意味論:2011/01/12(水) 18:25:54 0
>>718 睡眠のさなかは措き、ヒトの営みに伴う心的現象のすべてを意識と称している。
感覚、知覚、思惟(分析、判断)、想像、意志(決断)…等々。
君は、たとえばスポーツや格闘技に耽るふさなかは“無意識”というのだろう?
あるいは咄嗟に危険に対処する際も“無意識”とみなすのではないか。
が、そういうときにも「意識はある」と私は思っている。
前にも指摘したように、君は「意識を意識していない」ことを”無意識”と
称しているようだが、それは日常語のアヤである。
727 :
唯意味論:2011/01/12(水) 18:34:49 0
>>718 なぜ、そのようにある(みえる)のかを考えるのでしょう?
その場合だと、なぜ50度なのかを。
728 :
唯意味論:2011/01/12(水) 18:41:37 0
>>718 「記憶」をわすれていました。もっとも、これは意識にのぼったものだけを
そう呼びます。ほとんどは忘れさられ、非意識と化してしまいます。
記憶については、スモ君が何かを語ってくれるのを待ちたい。
時間の矢が実は虚構で、チャップリンの映画みたいに下からレンガ投げて上でアクロバチックに受け取るみたいな世界があったらとても楽しい世の中になると思うんだ。どうブン投げたって確実にキャッチしてくれる、まるで夢のような世界。。
>>724 記憶は情報の蓄積。あとは
>>643です。普段は意識や思考という言葉をどのような
意味で使っているでしょうか。
>>726 スポーツ中でももちろん意識はあります。自分で意識的におこなったという動作と
無意識の動作があります。この違いは何でしょうか。
>>727 >>662のとおり原因を推測してみてください。
>>729 静止しているものが突然はねたりたくさんの玉が飛んできて一箇所に集まったり
逆再生は不自然ですね。
734 :
唯意味論:2011/01/12(水) 21:24:05 0
>>731 字義どおりの“無意識”の動作はない、といっているのです
意識を意識していない、あるいは、それが弱い事態を“無意識的”と
呼んでいるにすぎません。
むしろ、そういう場合のほうが意識はありありとしているのではないか。
ピッチャーの投げたボールが一流打者には“止まって”みえるように。
幾つかの原因がかんがえられますね。
いずれも50度(結果)から推測するものです。
意識の定義を変えて意識が常にあることにしても意味ないんじゃね?
死んだかなと思われてたら奇跡的に蘇生しちゃったばあさんなんかの意識はあったにも関わらずないと外部からは見えてただけなのかw
あ、漸く言ってることが理解できたわ。
カラス説によると死んでも意識は残る。意識体ていうか霊魂が残るのね。
俺はそれはオカルトなんじゃないかなと思うんだ。
決定論はオカルトだから何が出ても不思議じゃないけど
>>733 時間だよ。だから生物・無生物でも時間逆回転でも関係ないもの。
ただエントロピー逆回しにすると無生物が生き物みたいに見えるのは面白いよねって言ってみたかっただけ。
739 :
考える名無しさん:2011/01/12(水) 22:32:44 0
「脳は物質だから意識は必然に過ぎない」という主張はおよそ正しい。
ここでの問題の核心は、「意識は存在するか」ということである。
一つの例を考えてみよう。人間は情緒をもつ人工人間をつくれるであろうか。
それは機械からなる人工人間である。
740 :
考える名無しさん:2011/01/12(水) 22:35:10 0
脳内社会
「時間の矢」とかいうのも、確率の問題です。
確率の高い事象が、より多く起こるように、世界は変化する。
確率原理主義によるモデルが構築可能なのでありますw
>>737 非決定や偶然性こそがオカルトなんだよ。
仕組みも知らないのに、そんなものがあると妄想しているだけ。
>>743 ありもしない仕組みを妄想してるのが決定論
>>744 決定論的に見える事象も統計の近似ですけどね
>>745 ありもしないではなく、大抵のことには原因がある(ように見える)ということから、
すべてのことに原因があるだろうというのが、決定論の信仰。
過去が存在する(した)であろうことも、この信仰の上にある。
それに対して、原因と結果の連続性を無視し、過去と繋がっていない可能性を
不必要に妄想するのが非決定論の立場。
最近は人間の都合がいいようなミクロのスケールに逃げる点で達が悪い。
非決定性をマクロに認めると、過去の存在自体が怪しくなるのに、そういうことには目を向けない。
非決定的世界なら、自由意志の可能性があるかといえば、より一層無くなるということも理解できていない。
747 :
スモ:2011/01/13(木) 00:27:49 0
尻尾を捕まえた、なんて滑らすんじゃなかったw
たぶんいける、ておまえは一度も「いけた」(解決した)ことないだろうに
でも、哲学頭になってる間に何かを書いておこう
一度離れると慣れる準備に時間がかかる
以下、メモ代わりでそのまんまいくから
思いついたのはこういうことだ
自己同一性と記憶についての関係で
ぼくは記憶があるから、例えば
>>711-713はぼくが書いたものだと、
スモと書き込んだものが自分の書き込みだと確認する
でもこれは、なにか規約的なものなんだ
記憶で確認してるのではなく、なんというか、全体の思考の体系で確認できてるだけなんだ
スモであることを他の人が確認するのは、それがスモだと名前されてる(印されてる)からだ
ここはIDがないけど、IDで確認することや、例えば日常で会うとして僕の顔を確認することや
遺伝子情報が特定されることで確認すること、、、、
これらはみな「印」を確認するという意味で同じことだ(抽象的な思考でだけど)
つまり、スモと銘打ちされてることでの確認と、遺伝子特定でぼくを確認することは、
同じことだと言いたい(生物学者から千倍の反駁を受けるがw)
それぞれの体系によって、「印」または差異を特定できるのであって
748 :
スモ:2011/01/13(木) 00:28:32 0
例えば、ぼくでない誰かがスモで書き込みしたとして、他の人はそれが同一人物なのかどうかはわからない
それがぼくでないことを知ってるのは、ぼくが書き込みしたんじゃないという記憶で確認できるからだ
普通はそう考える
でもはたして、ぼくはぼくの記憶によって、それがぼくじゃないと確認しているのだろうか?
さらにいえば、
>>711-713の書き込みが記憶によってぼくの書き込みだと確認しているのだろうか?
その特定は、ぼくが頭の情報を引き出して、確認しているのだろうか?
・・・・うまくいえない
情報を引き出す、とはなにか思考の類だ
思考ということで記憶の機能は説明できる(抽象論で)
・・・
いや、こういいたいんだ
他の人はそれ(スモが同一人物か)をどうやって確認する(できる)のだろう?
ぼくがそれを確認することは、他の人がそれを確認することと、同じ体系(思考の全体)(世界が「思惟」体系であること)によって特定している(する)のではないだろうか?
・・・
まだダメだ
記憶によって説明すれば1行で結論されることだがw、
記憶とはこういうことだ、ということを表したいけど、まだ便秘だ
>>745 >決定論的に見える事象も統計の近似ですけどね
違います。一回きりの事象に統計も何もありません。
750 :
スモ:2011/01/13(木) 00:33:03 0
えっと、
もしこれがうまく説明できたとしても
それはあなたの解釈体系において整合的なだけですから、
とカラス氏なら一撃で反論しそうなのを理解したうえでなんだけど
そんなレスされるのは癪だがわかった上でやってる
>>746 事象の連続性まで破壊しようと言っているわけじゃない。
遷移は確率によってのみ記述できる、ということを、原理として認めるのが有効である、
との立場に過ぎない。
物理学を破壊するようなことを言っている訳じゃない。
>>749 結果としての観測量が得られたに過ぎませんね。
決定論を証明したわけじゃない。
>スモ氏
これから、それを読んで寝る。
752 :
スモ:2011/01/13(木) 00:42:45 0
時間の不可逆か・・・
・・・
ぼくの机の上は自然に乱雑状態になっていく
それが自然の傾向だ
ぼくが整頓しないと、整理状態にならない
しかし、乱雑にしてるのは誰だ?
ぼくがなにもしなかったら、机の上の状態は変わらないはずだ
ぼくが乱雑にすることと、ぼくが整理すること
これに違いがあるだろうか?
もともと整理されていた、という状態の前提がそもそも
それが乱雑になることで時間の矢を見出してるだけで
では、机の上が乱雑状態という前提で
それを整理することは、時間が逆に進むことを意味するであろうか?
なんかこういう論法みたいなのをどっかの本で読んだ
正確でないと思うけど
これは記憶の賜物だw
753 :
スモ:2011/01/13(木) 00:46:58 0
>>751 おもくそリアルタイムの考えそのまんまを書き込みしたからw
推敲もなにもなしだから
それを理解したうえで、お願いします
754 :
スモ:2011/01/13(木) 01:01:54 0
いや、
>>747-748は何も言えてないな
まだ腐ってる、早すぎたんだ
唯意味論氏がやってくれないかなw
考えると疲れる!
タバコは増える!
健康に悪い!!
いやほんと、考えを保留したいw
まだうまくやれそうにない
755 :
スモ:2011/01/13(木) 01:13:28 0
記憶について考えてることのぼくの意図は明確なんだ
過去があるといった時間や、自己同一性は記憶によって保証される
だから記憶を解体すれば、時間も自己同一性も解体できる
解体するといっても、それは時間や自己同一性とはどういうことかを説明するというだけのことで
そりゃ言い換えれば、過去や未来の時間なんて、自分が自分であることなんて、そんなもんはないといいたいわけだけど
それらをおっきいスケールから、理解できる(される)ことを示したいんだ
756 :
計算機 ◆0dHzUh337A :2011/01/13(木) 01:19:13 0
757 :
スモ:2011/01/13(木) 01:32:43 0
>>755 ああちがうだろちがうだろ
本当?は情報の蓄積なんてないといってみたいわけだ
情報の蓄積、記憶とはなんであるかを示したいのだ
ぜんぜんダメ
もうやめとく
>>756 眺めただけだけど、正直興味湧かない
決定論とはなにか?というだけでもぼくにとって意味不明なわけわからなさなのに
こんなのぼくの手に負えない
気が向いたら見てみる
>>751 >事象の連続性まで破壊しようと言っているわけじゃない。
非決定性を認めるということはそういうことですよ。
>遷移は確率によってのみ記述できる、ということを、原理として認めるのが有効である、
確率は決定論的世界にあるものであって、非決定的世界では確率が成立しません。
>決定論を証明したわけじゃない。
決定論は証明するレベルにあるものではありません。
決定論が成立しないなら、この世に証明できる事象など何もありません。
>>758 >非決定性を認めるということはそういうことですよ。
物理現象(事象)の連続性と、決定性とは、同じじゃない。
「物理現象の連続性」とは何か、説明できますか?
>確率は決定論的世界にあるものであって、非決定的世界では確率が成立しません。
統計力学で「アプリオリに確率」が定義できる、と、どこか書いたように思いますがね。
>決定論は証明するレベルにあるものではありません。
>>749は、因果的決定性と何の関係も無い結果論ですよ、と言っているのです。
>>758 >確率は決定論的世界にあるものであって、非決定的世界では確率が成立しません。
人の表す確率とは数学でいう客観的確率と、人が通常認知する主観的確率と
ありまったく違うことを区別してくれ。そのての学校では正しく教えて
いるはずだが。無学なのか?
誰が誰だかw
ラビさんも固定に戻ってくれ〜
>>760 数学上の確率というのは、情報の把握の仕方であって、実在の世界とは関係がありません。
時系列とは何の関係もないのです。
>>759 >物理現象(事象)の連続性と、決定性とは、同じじゃない。
同じです。系の時間発展が一意じゃないとすれば、
その差異はどの段階で、どのように発生するかが問題になります。
もちろん、一意ではなく「波」のように広がりを持ち、無限の「多意」という考え方もありますが、
それはエヴェレットの多世界解釈であって、
これも全体では状態ベクトルが発展しているだけの決定論なのです。
また、非決定論の立場をとっても何のメリットも無いため、決定論を否定する価値も意味もありません。
764 :
計算機 ◆0dHzUh337A :2011/01/13(木) 09:11:23 0
>>757 反応があっただけでもいいわ、アンチなコメントでもどうぞ、気が向いたらな
765 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2011/01/13(木) 10:32:42 0
決定論が意味を持つのは、世界全体のシミュレーションを行う際の理論的確かさの裏付けなどにおいてだろう。
真実であるとしても、それは何かを放棄することを強いる真実であって、そのほかの真実、各現在における
世界の断片とか、のもつ、世界に参加しようとする際に確かな積み上げの煉瓦となる自分を豊かにする、
放棄を強いないもの、客観性の海におぼれさせない主観の側の真実性に近づけられる物、達を、世界観という
たとえば宗教に見られるような、主観性の回収装置としてはたらくような、世界観が意志を左右する際の、その現実
へのパワフルな働きかけを補助する価値観、は大事であろう。
決定論は、決定論自体も決定的世界の中に情報として存在して、それが悪い方へと働く可能性も持っていると言うことを、
覆い隠すような姿で表れているように思われる。論破自体に意味はほとんど無く、新しさや、良い意志へ向けての可能性
を抽出することこそ、議論の有用な結論に見られるべきであると考える。
766 :
唯意味論:2011/01/13(木) 10:54:43 0
>>754 といわれても、貴方のように深く考えてはいないので…。
野次馬的評論家、を超えられません。(苦笑)
何か思いつくことがあればチャチをいれます。w
>>761 ラビ氏は、たぶん
>>744>>746>>749>>758>>762>>763 がそうでしょう?
女性にしてはww文学臭(レトリカル)なところがなく、明晰。
少しラビ氏に疑念を呈したい。
「連続が因果的である」ゆえんが示されていない。そのほうが“世界”解釈と
して腑に落ちやすいというのなら、単なる(太陽は東から昇るに類する)常識。
またエヴェ解釈に拠るとしても、なぜ決定(必然)論なのかがよくわからない。
“波の無限の多意”のなかの一意に私たちが分岐され棲みつく、その必然性
が定かでない。なぜ「この世界」でなければならなかったのか?
>>766 エヴェレット解釈が決定論なのは、そういう論として作られたというだけのことです。
>なぜ「この世界」でなければならなかったのか?
その問題は、そこらへんの「この石」は、なぜ「この石」でなければならなかったのかと同じようなものです。
この世界の中でこの世界は決定していると言ってもはじまらない。
意識もカオスを含むが核分裂が生じるのと同じくらい決定的。
この世界の一歩外に出れば決定しているかのように思えるてだけで所詮は空想に過ぎない。
だからわからない。
なんだ、ラビも来ておるのか?
くっくっく。
772 :
考える名無しさん:2011/01/13(木) 15:56:06 0
寂しい混ぜて
>>763 君がいっている理屈もどきは全てデタラメじゃないか
勘違いしているぞ。
>>773 それはただの感想ですね。君がそう思うのは別に構いません。
775 :
唯意味論:2011/01/13(木) 17:47:17 0
>>767 永井的、あるいは最高位的な問題提起をしているのではありません。w
無限を孕む“波”が「この石、この私…、この世界」として一意に枝分れし、
そこに棲みつかねばならぬ必然性はない、といっているのである。
そこに必然の契機を指摘できるのなら、エヴェ解釈は決定論的といってよい。
この石(この私)として一意に、一旦は落着するらしい。が、それによって石や
私から“波”性が失われるわけではなかろう。この石も、この私も“波”であり
続け、その広がりこそ有限ではあれ、そこには(無限の)可能性=多意が内包され
ていて、それが絶えず一つに(この石、この私…この世界として)分岐されるのを
受容しているのは“意識”ではないか。
この無限に無限を重ねるような世界観がエヴェ解釈らしい。観測問題は解決
されたといわれるけれども“意識”は依然として処理しきれていないのでは?
>>775 分岐されるのを受容などされない
純粋状態が維持されるので分岐は不可避、観測問題は意味を失い
受容|拒絶いずれも不可
ゆえに決定論的
そこに“意識”は不要
777 :
唯意味論:2011/01/13(木) 18:33:25 0
>>776 そうですね。
「分岐されつつある」のは認識できません。
が、この(分岐された)世界を受け入れているのではないか。
つまり意識はこの世界にありながら、他方、世界と対峙しているのでは?
また「世界が波である」とも認識している。
意識がなければ、分岐する必要はないのでは?
>>777 必要の有無ではなく認識の問題でもなく分岐は存在の一部
分岐しないという選択肢が存在しない
なぜなら、存在してしまっているから
779 :
考える名無しさん:2011/01/13(木) 19:39:42 0
宇宙の運命
決定論には「分岐」なんて概念は不要だろう。
781 :
考える名無しさん:2011/01/13(木) 20:34:51 0
しかしこれから分岐することが決定づけられていると決定論的に思われる事象についてはどうでしょう?
これも不必要な概念なら決定論なんて言葉自体不要じゃない?
決定してるなら分岐てのは文学的な表現でしかなかろうもん。
いや、そうではなくて予測不可能性と決定論は対立しないということだ
確かに予測不可能性と決定論てのは一切対立しないけど、
対立しない理由は単純に決定論の世界にいてもそれを認識できない以上予測不可能てトートロジー。
785 :
考える名無しさん:2011/01/13(木) 21:50:29 0
つまり決定論の世界にいても自由意志の決定性は証明できないということですね。
これがあくまで決定論は信仰だという理由でしすね。
786 :
考える名無しさん:2011/01/13(木) 23:59:27 0
てす
787 :
唯意味論:2011/01/14(金) 00:07:31 0
エヴェレットは「世界が決定論的である」ことを証明するために、あのような
解釈を施したのではなかろう。むしろ「決定論」を公理として用い、そこから
演繹する“世界”像のほうが整合的、と判断したのではないか。
まず、ミクロ/マクロを乗り越えられる。
また、観測(意識)主体を無限のなかの一意に封じこむことができる。
たぶん、これはコぺ派の「サイコロを振って世界の帰趨を決める」がごとき
“相補”的なる概念の解体をも意味しているはずである。
とはいえ、無限の可能性を孕む“波”が「この世界」として一意に落着する
必然性がよくわからない。たぶんに偶然のようにもみえる。
は
788 :
スモ:2011/01/14(金) 00:18:09 0
意識なんて飾りですよ
偉い人にはそれがわからんのですよ
石と石がごっつんこするような、漫画だと星で表現される「それ」なんだ
意識に自由意識なんて言葉がないように、
意識とはその出会い(相対)の構造によって強制される「何か」を示す言葉でしかない
しかし、意志はちがう
789 :
スモ:2011/01/14(金) 00:28:29 0
>>752 で、何が言いたい?
そこがわからんではないか
エントロピーの説明に、煙が充満した箱とそうでない箱とに仕切りで分けられてて
仕切りを開けたら箱全体に煙が拡散して平均に分布して落ち着く
その逆は自然に起こらないと
でも、そんな状態を最初から設定してるということがどういうことなんだ?
「仕切りを開けるということ」と、平均分布した箱内の煙をまた「別々に作為すること」と同じじゃないか
あれ?
わかんね?
時間が一方向でなく、過去と未来が対照的であるということを示してるのかな
ぼくの論点がズレてるのかしら?
ぼくは物理がよくわかってないw
この件の説明なら詳しい人がいるだろうからお願いしたい
790 :
紗南:2011/01/14(金) 00:47:31 0
悠久の過去から今に至り未来まで、
日の目を見ない無数の世界があると思うと、
あのとき紗南がモーフィアスから、
赤いカプセルじゃなく青いカプセルを貰っていたら・・・
とか、歴史のifを考えちゃうよね¥
折りたたまれたまま蠢いている物語を
広げて見せてよ 過去も 未来も
Super Scription of Data!
http://www.youtube.com/watch?v=WTkr-2E4c7A 陰謀史観の紗南にとって、神はサイコロを振らない
サイコロを振るのは、、、鬼だ!!!!
ツボの中の賽の目は、半か丁か
生ぬるい風とぐろを巻いたらそれがたぶん合図
ざわ・・・
博徒たちによって張られてゆくコマ
ここが、半が出る世界と丁が出る世界の分岐点
ざわ・・・ ざわ・・・
そして、コマの数を数えたツボ振りが未来を決めるッッ!!!!
でも、そんな血塗られた未来からは抜け出したいのだ@
紗南はこれを雛見沢解釈と名づけるのですよ にぱー☆
http://www.youtube.com/watch?v=jtwecSbQmD0
791 :
スモ:2011/01/14(金) 00:51:57 0
>>747-748 アナロジーで説明を試みてるも、
「全体の」とか「世界の」との苦しまぎれになってるところに飛躍がある
そこに乖離があり滑らかに展開されてない
こんなもん、結論できてから書き込めなんていわれたらオレは何も書き込めなくなる
また一晩中考えろとでもいうのか
・・・なにか浮かんだら、書くよ
記憶は情報の蓄積や引き出しなんて、人の理解だ
神の理解じゃない
難しいのは、神の理解を人の言葉で説明しなければいけないことだ
そんなことは・・・まったく・・・天に唾を吐くようなことになりはしないだろうか・・・
ボルヘスは、わたしが経験することに個人的なものはない、と吐露している
しかし、類似とはなんであろうか
ぼくが高校んときに女友達からもらった、今はどこいったか知らないバースデイブックに
同じ生まれにニーチェがいること、あなたの星の生まれは幻滅を授かってると記されていたこと
この記憶は、個人的なものだとしか言いようがない
掲示板上の過去の書き込みを記憶についてのアナロジーとして説明することと
こういった具体的な過去の記憶を説明することとには、まったく難しさがある
そんな単純じゃないんだ常識は
常識は手強い
しかし、単純さに還元するような理解の手法で、なにか掴めるかもしれない
・・・
サカー見る
>>775 >この世界」として一意に枝分れし、
>そこに棲みつかねばならぬ必然性はない、といっているのである。
何を勘違いしているのでしょう。分岐なんてしません。
無限に同時に存在しているだけのことです。
>>785 自由意志は決定論の世界で成立するものです。
非決定性が入り込めば、自分由来の意志でなくなります。
794 :
紗南:2011/01/14(金) 01:14:58 0
「自由にしていい」って言われると逆に不自由ってことですか?>
795 :
考える名無しさん:2011/01/14(金) 01:45:52 0
言葉に不自由なやつがいるように
自由に不自由なやつがいるんだよ
こんなスレがあるから
哲学板は
馬鹿にされる
797 :
考える名無しさん:2011/01/14(金) 03:12:46 0
バカにされてもいいやん
エヴェレット解釈は一般的には決定論的とされますが、オレとしては非決定論的な論だと
解釈しています。
エヴェレット解釈の立場は何が未来を分岐させるのか、観測なのか収束なのかその定義は
何か、過去は分岐しないのか説明しないと理解されないでしょう。
自分の感覚の存在はただそれ自身のみでありその原因を求めることを拒むという態度の
人がいる。その理由は自分の感覚の誇示である。赤子は泣いて自分の感覚を誇示するが
そのような態度の延長で自分の感覚が原因からの結果であることを否定することで絶対性が
獲得できるという態度である。
このような態度の正当化のために非決定論をとることがある。原因が結果を決定しない論を
探し、それがあたかも自分の論であるかのように振舞う。
分岐してるのは世界の外だから世界の内じゃ分岐など起こらんから決定論だ。
外の世界に内の世界のような物質はないのだからそれで問題はない。
ただそういう解釈だってだけのこと。
802 :
唯意味論:2011/01/14(金) 09:58:59 0
>>792 君のいうように「世界」は無限に同時に“波”として存在している(らしい)。
あの有名な「猫」の例でいえば、彼は“生から死にいたる、あらゆる様態”の
まま「ある」のだろう。
しかし「猫」は、その一つに落着する。否、その一つだけを観測者はみせられる。
それは、観測者もまた「猫」同様に岐たれ、猫と一緒にそこに落ち込むからである。
このとき「世界」は無数に枝分かれし、他の一つに分岐された「猫」も、同じように
分かたれた観測主体の“一つ”とともに、いずれかに帰着する。
観測者は「この猫(世界)」だけを経験する…。
無限の非時空的な“波”が無数の“時空(物質)世界”に分岐されるためには、
観測(意識)主体が必要なのではないか。その主体も、いずれかの“世界”に
棲みつかざるをえない、としても。
廃人スレ2号
>>798 >エヴェレット解釈の立場は何が未来を分岐させるのか、観測なのか収束なのかその定義は
>何か、過去は分岐しないのか説明しないと理解されないでしょう。
こんな事書いてるようじゃ物理板に来る資格ないっすよ
>観測なのか収束なのかその定義は
特にここ
807 :
考える名無しさん:2011/01/14(金) 15:01:51 0
観測者は自分が経験するものを観測する
観測は経験に起こり経験は意識に起こる
無意識は分岐しない集合体
意識は無意識と無意識の間に、ドーナッツの穴のように
因果は経験を意識している
意識は因果を経験する
枝分かれした先に意識があったが本質は変わらない
本質はわからない
すでに答えはそこにある
言葉の及ばない世界
本質は言葉にまで及んだ
言葉は本質に及ばない
ブロックが言葉のテトリス
凹凸そろって理解の解釈
解釈に至る過程
因果関係を描き出す言葉
共通理解の客観性
因果関係
言葉を描き出す本質
言葉の前後に因果関係がないと客観性がない
観測を描き出す言葉
観測を上回る予想
予想を上回る本質
本質の解。
809 :
考える名無しさん:2011/01/14(金) 15:16:11 0
記憶との因果関係、時間
時間との因果関係、記憶
俺様の意識は絶対的で、その他は俺様の前にない時は存在さえしないという唯我独尊世界。
俺から見ればあんたがいる世界で、あんたから見れば俺がいる世界で、この2つの世界は別々だっていう我が道をゆく世界。
俺はあんたで、あんたは俺だという一心同体世界は、自他の区別が基本の自我には決して受け入れられない世界。。
811 :
唯意味論:2011/01/14(金) 15:40:23 0
>>806 カラス君、しっかりしろ。なにせ佃煮君によれば、君も私も
ただいま休養中の機械先生の自演コテだそうなので、先生の
名を汚すようなことだけはしないように。もう十分、汚して
いるか。www
単純にいえば、収束のかわりに“分岐”するということです。
>>808 エヴェレット解釈では収束があるといっているのでは無いですが。
オレは決定論支持でエヴェレット解釈は決定論では無いと思っています。
決定論だというなら根拠を提示していただきたいです。
>>811 あなたの先生が機械さんということでしょうか。書いていることは全然違うのでは。
機械さんの決定論は哲学上の決定論というよりビッグバンが決定したというビッグバン決定論
のように思いました。
814 :
考える名無しさん:2011/01/14(金) 19:36:03 0
予想する本質
無意識に意識をひろげる
意識した本質
枝分かれする
意識的な世界
経験する本質
本質は変わらない
世界を変える自由意志
世界をあらわす自由意志
時に放たれた自由意志
力の解放
引きよせる力の引力
解放されるエネルギー
枝分かれする世界
存在として属性として種族として感覚として意識として
経験的好き嫌い
展開する枝分かれ
意識される区別
意識される合致性
抽象する論理
理解
理知
理
割り切り
落ち。
815 :
考える名無しさん:2011/01/14(金) 19:37:49 0
ズレ
客観
主観
観客
主役
感覚
主体
意識
区別
自他
我
割れ目
差し込まれた鍵穴
開かれた扉
816 :
考える名無しさん:2011/01/14(金) 20:35:59 0
決定論が正しければ100年先の未来も予測できますか?
817 :
考える名無しさん:2011/01/14(金) 20:50:53 0
予測通りになったとき、経験論は観測される
818 :
考える名無しさん:2011/01/14(金) 20:57:38 0
予測による観測可能性
予定説
決定論
819 :
考える名無しさん:2011/01/14(金) 21:10:24 0
タイプミス、ヒューマンエラー
確認不足
偶然的必然
結果の原因
原因の結果
観測可能性
因果関係
820 :
考える名無しさん:2011/01/14(金) 21:30:48 0
バタフライエフェクトと決定論は両立できる?
>>816 決定論と予測可能性はカテゴリーが違うので、逆にもしも100年先の未来を
予測可能な技術が発明できたとしても、決定論の補強にはならない。
>>820 両立どころか、バタフライエフェクトは決定論の上にしか成立しない。
822 :
考える名無しさん:2011/01/14(金) 21:53:35 0
結果論としてなら両立可
823 :
考える名無しさん:2011/01/14(金) 22:12:37 0
結果が先にある
824 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2011/01/14(金) 23:05:49 0
>>821 :考える名無しさん:
>決定論と予測可能性はカテゴリーが違うので・・・
どのように違うのですか?
お願いですから、もう少し説明してください。
じいさんの考えは、決定論と予測可能性は不可分です。
ウィキによれば・・・・・・・・・・・・
「因果的決定論とは、いかなる現象もそれ以前の現象の単なる結果であり、この原因と結果の関係は因果律に支配されているがゆえに未来は現在および過去に規定されて一意的であるとする説。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と言う事です。
>>824 >いかなる現象もそれ以前の現象の単なる結果である
という決定論であっても、予測は経験則に頼るしかなく、経験則を突き詰めた極限が
完全な未来予測となるのか?という命題であって、決定論とは交差しないです。
もう一点。
少なくとも
>>798からのコテとの会話の文脈で取り扱っている決定論は、
量子力学的・熱力学的な意味での決定論であって
>この原因と結果の関係は因果律に支配されているがゆえに未来は現在および過去に規定されて一意的である
という定義には当てはまりません。
826 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2011/01/14(金) 23:39:19 0
>>825 :考える名無しさん:
>予測は経験則に頼るしかなく、経験則を突き詰めた極限が完全な未来予測となるのか?という命題であって・・・
なるほど。
それですと決定論のと言うよりも「結果論」と言うほうが適切では?
決定と言うのは
「予(あらかじ)め決めておくこと、または決まっていることを予定(よてい)、未だ決まっていないことを未定(みてい)という。」
事であり。
結果とは「ある物事を行った後に生じた現象、状況、物象をあらわす。」
であります。
それなら「いかなる現象もそれ以前の現象の単なる結果である」と言うのは結果論と言うほうが適切ではないでしょうか?
それからもう一点・・・
>量子力学的・熱力学的な意味での決定論・・・
アインシュタインの決定論は一意的に未来予測と言う考えではないですか?
827 :
考える名無しさん:2011/01/15(土) 00:04:54 0
文系→ランダム理論
理系→決定論
湯川秀樹さんは、
量子力学の非決定性は、どこまでも消去できない、
と言ってますけどね。
829 :
紗南:2011/01/15(土) 00:49:26 0
震えるぞハート!!!! 燃え尽きるほどヒート!!!!
6ヘルツの貧乏ゆすりで暖を取っている紗南です¥
紗南の生活はいつか安定するのだろうか@@
紗南は昔、人生の大きな岐路に立ったとき、
いつも一人コックリさんで進路を選択していましたよね*
今は、自分で悩んで葛藤して選択肢を絞り込んで身の振り方を決めるのだ’
だから昔と今じゃ、紗南のあり方(紗南あり方)は大違いだと思うのだけれど、
実家にいる頃からの薄く長い付き合いの黒木みっちゃんは、
「いつも選択肢自体が紗南っぽいし、どっちに転んでも結局紗南らしい」
と言っていましたよ?
人はあまり変われないのかorみっちゃんが紗南を大雑把にしか見てないのか=
http://www.youtube.com/watch?v=-fCtAtKe5PI ※あと、前回のカキコで誤解を招く表現があったので補足です^
紗南は確かにオリジナルだけでなく、パロディ同人誌やMAD動画などの
アナザーストーリー的なものも見たりするのではあるが、
お気に入りキャラが陵辱されてる同人誌とかは見ないですから##
紗南は正直、物理のお話には99.89%ついていけてません。。。¥
波動関数というのは物の状態そのものなんですか?
それとも物がとり得る振る舞いの範囲ぐらいの意味なんですか?
830 :
スモ:2011/01/15(土) 01:00:42 0
今の科学の常識は、ぼくの知ったか理解だと非対称性はほぼ確実視されるんでしょ?
スピンがどうのこうのって・・・
それでもほとんどのことはわからんことだらけらしいけど
哲学?が妄想するのは、時間の矢があるとしてそれが繰り返されるとどういうことなのか?
またもボルヘスの考えを挙げれば、原子が途方もない数だとしても有限ならば
その組み合わせも膨大とはいえやはり有限であり、いつかは組み尽くされる(もう汲み尽かされてる)
ああニーチェ
紗南氏は、毎度、鋭い
スモ氏、教えてくれ
超越論的決定性なんてものがあるとして、いかなる意味があり得るのだろう
832 :
スモ:2011/01/15(土) 01:03:00 0
あ、非決定性かw
見間違えたすまん
833 :
スモ:2011/01/15(土) 01:08:08 0
「世界は決定的である、yesかnoでお答えください」
というこの質問が何を意味してるのかがぼくはわからない状態にいる
なんか無意味な問いのように感じるんだよね
そうだとしても、そうでなくとも、とにかく決定論ということがどういうことなのかズバッといってみたい気はする
でも、誰か3行くらいで「ああなるほど!」って解決してくれるか、もう解決してるんじゃないの
ぼくは理解できてないけど
834 :
スモ:2011/01/15(土) 01:10:05 0
>訂正
「世界は決定的である?、yesかnoでお答えください」
835 :
紗南:2011/01/15(土) 01:21:48 0
>>お気に入りキャラが陵辱されてる同人誌とかは見ないですから##
>「お気に入りじゃなきゃ見るのか?、yesかnoでお答えください」
それこそ鋭い質問ですね¥
ノーコメントにしてyesとno重ね合わせということにしておきます;
アニメイトとかで紗南を見かけたらどちらかに収束するかもです
じいさんの主観による決定論だったのか。
それじゃ誰も噛み合わん。
837 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2011/01/15(土) 03:58:11 0
>>830 :スモ:
>原子が途方もない数だとしても有限ならばその組み合わせも膨大とはいえやはり有限であり、いつかは組み尽くされる
なんでそうなるの??
遺伝子だって組み換えで、いくらでも長くして行けば無限に異なる遺伝子をつくれるでしょ。
>>836 客観論はその集団の中で客観論であっても、その集団以外からみて
その集団の主観論でもある。自分が認知できない以外の世界が
何故ないと言い切れる。
思考停止したやつが都合がいい決定論に逃げる。
それは単純に物事を考える合理性が最も高いからだ。
>>813 解が確率的に求められる数式を複数の観測者を意味する変数を入れることで確率では
無い数式にしたというだけ。
複数の選択肢が無いのが決定でどの時空間位置においても事実はただひとつ。
時間の中にいる我々は原因が結果を決定するのを決定論の根拠にする。
複数の観測者を導入したことで逆にエヴェレット解釈が確率の数式が決定論では無いと
証明したという見方もできる。確率的にしか解が求まらないのも複数の観測者を導入する
のも非決定論的。
あなたは何故エヴェレット解釈が決定論だと思ったのでしょうか。
観測の意味は何でしょうか。
トンデモ過ぎてワロタw
>>837 原子の数が有限ならばって言ってるのに何でそうなるの?
しかし宇宙の時間も有限
機械牧場では機械を栽培しています。
「有限は無限の母」です。
845 :
考える名無しさん:2011/01/15(土) 20:02:50 0
機械的因果論
>824
>じいさんの考えは、決定論と予測可能性は不可分です。
これが間違いです。予測できないが決まっていることとして、多体問題があります。
>>826 決定論は、単に時空が決まっていることしか意味しません。
なお、因果的決定論というのは、原因に未来が束縛されていることを意味します。
>>839 エヴェレット解釈が決定論なのは、簡単に言えば、線形だからです。
多体問題は非線形ですけどね
どうでもいいですがw
確率論が決定論となるには初期条件で結果が決定することを認めなければならない。
サイコロも振り方など初期条件で結果が決定する。
>>848 では二次以上の方程式は決定論では無いのでしょうか。原因と結果が結びつくという
こととはどのように関係するのでしょうか。
>>846 多体問題て解析学的には、つまり連立方程式とか解く具合には決まらないてだけで普通にシミュレーションすれば予測できる。
>>851 シミュレーション予測で表現可能であっても、予測不可能性を回避したとは言えない。
やはり近似に過ぎず、ミクロな分析あるいは長期に渡る分析での誤差は開いていく。
>>850 方程式の乗数にどのような重要性があるのか理解できない。
「方程式は決定論では無い」というレトリックは、それ以上に理解できない。
>>849 線形なら決定論的ですが、非線形だからと言って、決定論的でないとは限りません。
多体問題は、決定論的問題です。
>>852 多体問題が予測できないのはあくまで解析学的な解を求める方程式は書けないてだけで
それ以上でもそれ以下でもないです。
線形であろうと観測者の世界が定まらないのは非決定論的です。ただし初期条件から
結果が決定するなら決定論です。
解析とシミュレーションの違いは時間の矢の有無だと思っています。シミュレーションは
現在が直後の未来に影響するという方法をとっています。だから時間の矢があります。
だからシミュレーションで世界を予測するコンピュータなんて思考実験になるんだね。
858 :
スモ:2011/01/16(日) 00:49:55 0
>>837 0と1だけで無限の配列を作れるってことか
でもそれはなんだか腑に落ちないなあ
0と1だけしか、AとBという2つの個数しかないというように考えれば、組み合わせは有限だ
世界はどっちなんだろうね
・・・
サカー見る
ぼくはもう馬鹿っぽいことを晒したくない
フェイドアウトするよw
859 :
考える名無しさん:2011/01/16(日) 03:23:46 0
腑に落ちないもなにも
>いくらでも長くして行けば無限に異なる遺伝子をつくれるでしょ
ものすごいデムパなわけだが
>サカー見る
>ぼくはもう馬鹿っぽいことを晒したくない
むしろサカ豚はバカと相場が決まっている
860 :
考える名無しさん:2011/01/16(日) 11:15:11 0
>0と1だけしか、AとBという2つの個数しかないというように考えれば、組み合わせは有限だ
ひとつずつだろバーカ
861 :
考える名無しさん:2011/01/16(日) 20:08:18 0
要するにスナインコッコスマナラコッサーラ長老は神ということじゃな?
誰かこのスレ終わらしたん?
東スレ参照のこと
>>858 また勘違いしているな。
無限ではなく無限大である、無限大とは無限大という値のあるものをさす。
値のない無限とは完全に違う。無限で値が無いとは輪廻のようなものである。
宗教的な無限は輪廻をさし、君が知覚するのは数学でいう∞という記号で
表せる類である、それは宗教のそれとは根本的に異質である。
∞とは、数学上の「概念」であり、値ではない
値とは数学上の概念である
分岐の中に同一性を生み出す意識
数えられる数
計られる量
概念化
リンクする体験やその記憶や想像力が生み出した可能性への意識がもたらす合理性
意識して同一性で分岐する
体験を辿る因果関係
>>865 わかりやすく言うと、数学上の無限大はとてつもなく大きいある値だよ。
無限のりんごと1兆個のりんごを前にしたとき、人間は区別がつかないでしょ。
その場合、1兆個の林檎を数学上の無限大と考えて差し支えないよ。
>>868 一兆個から無限大なのか。
じゃ9999億個は有限なのだな。
なんかおもろい。
9999億個が有限なら一兆個も有限でしょう
個数が全然わかんなかったら可能性は無限ですね
一兆個のりんごが一ヶ所にあつまるなんてまずあり得ないですけどね
>>869 言葉自体概念にすぎないから。
ただ数字の方が精度が高いからより具体的に意識を共有できる。
とは言っても俺の1とお前の1はちがうんだけどな。
>>870 わかってないなあ。
時と場合によるんだよ。
仮に君が1兆個きっかりの林檎を食べようと1兆個の林檎を用意したらその数に意味がある。
しかし、林檎をたくさん食べたいと言って用意した林檎が1兆個だろうが9999億個だろうが判別できない「たくさん」にすぎないのでその数に意味はない。
けれども実際は用意されてる林檎は有限のある値だろ。それが無限大。
一般的な無限ってのはまさに限りがないこと。
無限の有無は確か数学的に証明できないことが証明されてる。
中学で近似式とか勉強したべ。あそこでつまづかなかった?
873 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/01/23(日) 00:06:30 0
>>868 >その場合、1兆個の林檎を数学上の無限大と考えて差し支えないよ。
「差し支えない」というのは「日常生活において差し支えない」という
ことであって、「個人的世界」に閉じこもっている方には実感でしょうが、
哲学を「女王」として掲げる「学問」の世界では全く逆の結論になります。
数学の「無限大」は1兆という「実数(の1例)」とは「全く異なる概念」です。
874 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/01/23(日) 00:16:52 0
>>872 >無限の有無は確か数学的に証明できないことが証明されてる。
「無限の有無」という設問自体が「非学問的」であり「非科学的」で
「無効な命題」です。
「無意味な禅問答を繰り返して人生を忘れる為の宗教」としての「禅の公案」
としては有効なのかもしれませんが、禅や仏教とは結局「人生の時間の無駄遣い
の方法と技術」にすぎません。
座って考えることで人生の限られた時間を無駄に過ごす方法と技術に命を掛ける
やり方もありますが、「それは本人が静かに誰にも主張せずにやる」ことが
「矛盾しない主張」だと思います。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
875 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/01/23(日) 00:28:42 0
>>850 >確率論が決定論となるには初期条件で結果が決定することを認めなければならない。
>サイコロも振り方など初期条件で結果が決定する。
確率論絶対主義の「大間違い」はシュレディンガーが「箱の中の猫」の話を持ち出した時点で
確定しているのです。
今でも「箱の中の猫は箱に入れられた瞬間から『半死半生』である」と断定する頭のおかしい
人が結構居るようですが、中に入るのが「猫という動物」であるという「動物差別」が前提に
なっております。
私などは、自分の飼い猫は「仲間」ないし「子供」ですから、「猫はあくまで半死半生だ」
と主張する人間が、果たしてシュレ箱の中に閉じこめられた瞬間に「半死半生という主観的状態」
を経験することになるのか?・・・彼らに実際に箱に入ってもらいたいとも思うくらいです。
本日は就寝させて戴きます。
時間は現前化するスレで自演をしているのは何のためですか?
決定論スレの宣伝活動かなんかでしょうか?
それと、私の問い「因果律があって未来が予測可能ならば、なぜ天気予報は外れるのか?」にも
機械さんの方からお答えいただきたく思っております。
よろしく。
877 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/01/23(日) 01:47:58 0
自演とかは一切したことはないのですが、
自演することで何かメリットはあるのでしょうか?
そのことが全く理解できないのです。
嘘をつくことでメリットがないなら何で敢えて嘘をつくのか
全然理解できないということです。
そういう意味では私は正直かつ率直で「嘘をつくのは愚かなことだ」
としか思っておりません。
本日は就寝させて戴きます。
嘘つきは死刑にしよう
佃煮マニアは哲板でもめずらしくまともなコテハンだから
機械なんぞに関わって欲しくないのだが
もっと他に誠実な対話者がいるだろう
>>873 われわれは日常から離れられないんですよ。どんなにまじめな顔で哲学してても日常と地続きなんです。
学問と日常を区分けようとしても個人的な世界から離れることはできないんです。
学問なる崇高なありえないユートピアはほうっておいて日常をユートピアに近づけたほうがよっぽど有意義だろ。
有意義すら俗っぽくてやだろうけど。
511 :「機械的唯物論」者 ◆.p5Gp4239U :04/05/21 23:10
今、帰宅致しました。510ですか?驚きました。
入浴後にレスさせて戴きます。
514 :「機械的唯物論」者 ◆.p5Gp4239U :04/05/21 23:15
>>511 入浴てか?今日はもう出ないでよろし。
517 :考える名無しさん :04/05/21 23:18
コソコソ 自作バレテますよ機械さんw
421 :「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/09/18(火) 01:20:52 0
何度も申し上げているとおり「弁証法」(に則った変化)を自然科学
(例えば物理化学)で、観測した事実は一度も報告されておりません。
「弁証法という進歩(進化)の唯一の方法」とは、観念論の集大成者ヘーゲルの
頭に浮かんだ「幻想」にすぎないのです。
それを唯物論に適用しようとしたマルクス:エンゲルスは根本的な過ちを犯した
・・ということです。
422 :「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/09/18(火) 01:31:31 0
機械の攻撃的態度は相変わらずじゃなw
386 :佃煮マニア:2011/01/15(土) 01:06:23 0
私も他のスレで糞コテのユビーという奴を叩くために色々コピペしまくりましたが、
自演とコピペのかいあってユビーを哲板から追放できたのはよかったです。
低学歴ニートのユビーは今頃はどこで何をしているやら。
167 :考える名無しさん:2011/01/16(日) 04:06:01 0
佃煮マニアって神コテだったんだよな
伝説の「対話スレ」は読んでた
正体は学者か何かだろう
>>881 佃煮は自称クリエイターだけれども、単なるフリーター。
その対話の相手は、ぴか〜じゃなかったかな?
ニートとフリーターの笑いの少ない掛け合いでした。
883 :
考える名無しさん:2011/01/23(日) 14:23:59 0
クリエイターというのは2種類ある、過去の知識の中からその
組み合わせを捉えるもの。
過去の知識を破壊し、新しい観念に飛躍して未知の物を受け入れる土壌まで
作ってしまうもの。
自称クリエイターという奴は、ほとんどの場合は前者である。
この手法は悪い言い方をすると「パクリ文化」とも言う。
884 :
考える名無しさん:2011/01/23(日) 14:30:14 0
>自演とかは一切したことはないのですが、
>自演することで何かメリットはあるのでしょうか?
>そのことが全く理解できないのです。
>嘘をつくことでメリットがないなら何で敢えて嘘をつくのか
>全然理解できないということです。
だからこそ自演したことを完璧に隠すことができるのです。
自演マンセー、貴方の合理性の縛りは絶大です。
885 :
考える名無しさん:2011/01/23(日) 14:33:03 0
>>無限の有無は確か数学的に証明できないことが証明されてる。
>「無限の有無」という設問自体が「非学問的」であり「非科学的」で
>「無効な命題」です。
数学的に証明がされている事実が正しいならば、無効な命題だと表現するのは
その証明自体が間違いだと主張している意味になるだろ。
俺正義典型的な例である。
886 :
考える名無しさん:2011/01/23(日) 14:37:56 0
>>870 > 一兆個から無限大なのか。
> じゃ9999億個は有限なのだな。
勘違いしている、実証科学では無限大値を無限とするのは、
説明する物事の範囲において無限大値と無限が我々の認知において同じ意味を示すと
表現しているだけです。無限大値と無限が同じだとは表現していない。
物理学を学んだものの多くもこれを誤解しているから君が低知能というわけでもない。
科学が擬似科学を切り離せない理由すらしらない君にはもっと勉強してくる
ことをお勧めする。
>>881>>882 私は学者ではなくデザイナー、画家です。私の名前はウィキにも載っています。
SCEでデザイナーをする傍らウェブで自作絵画を公開、販売しているのです。
私は波平さんはよく知りません。純一さんをヲチはしてきましたが。
対話してきた相手とはエートル・オートルさんという博識な方です。
その方は、哲学初心者だった私を数年間ナビゲートしてくれました。
つまらないことで喧嘩分かれしてしまいましたが。
最近はキリエさんが面白かったので少しお相手していました。
高邁な無菌室に固有名詞とか俗なものを持ち込まないでくれませんか。
佃煮さんってスパさんの友達なんだよね
890 :
考える名無しさん:2011/01/23(日) 18:29:55 0
機械なんて誰の目から見ても自演狂いの高齢ニートだろ
892 :
考える名無しさん:2011/01/23(日) 22:12:33 0
やっぱ機械って人格が崩壊してるな
>>883 革命と保守の2択だよ。
パクリでレイドする奴と、パクリで便乗する奴。
東スレでは、革命と見せかけて私腹を肥やしたいだけのガッカリさんが話題になっていた。
革新と保守の2択だ。3行目は革命のままでOKだ。
やっぱ機械は藝術が理解できないんだな
下層民あわれ
897 :
考える名無しさん:2011/01/23(日) 23:29:02 0
藝術非理解者の機械氏
898 :
紗南:2011/01/23(日) 23:51:33 0
>中に入るのが「猫という動物」であるという「動物差別」が前提になっております。
やっぱり話の核心はそこですよね¥
真性キティスレ
900 :
紗南:2011/01/24(月) 00:45:43 0
そうですよね。。紗南はリンゴ五個分ぐらいですよね、、@
動画貼り忘れた自分に絶望しましたよ「「「
そして、明日はお休みですよーー??
言い忘れましたが、機械さんおひさしぶ(ry
なかなか現れないから紗南の中で機械さんは半死半生状態でしたー
紗南もプロバイダ料金未払いでネットから華麗に隔離されてる間に
世間ではいろんなことが起こっていたようですね う
やっと、やっとアキバのホコ天が復活したでゲソ!!!!
加藤被告は無差別殺傷の動機を、あくまで、
ネットでの荒らしや騙りへのイカりを伝えることだと主張してるらしいけど、
2ちゃんねるなら荒らしや騙りや自演があるのは前提みたいなもんですよね∞
・・・というのは嘘です。。。半分嘘です。。。。。
「嘘を嘘と見抜けない人は掲示板を(ry」とか「自己責任」という言葉を、
紗南は嫌いです。。半分嫌いです。。。ひろゆきは半分好きです。。。。
「働いたら負けかなと思ってる」
で有名になったあの人は今就職活動中だそうですね
半分どうでもいいですね¥
紗南が貼り忘れた動画はこれですね?
http://www.youtube.com/watch?v=JUHSsWDSvBE 最近の話題は無限と無限大ですかーーーー
>>875 猫という動物を持ち出したのはシュレディンガー。何故人間が箱に入らず猫なのかというと
人間は1時間後に猫の生死を観測する観測者だから。
902 :
唯意味論:2011/01/24(月) 14:53:53 0
>>875 機械さんのおっしゃるように、生/死を同時に経験することはできません。
いや、そもそも生/死の二項対立的な重ね合わせではないのです。
生から死へのあいだには無限の様相があり、そのどれかを経験させられる、
ということです。
このあたりは、古典派の機械さんには到底、想像できないでしょうね。
以前とちがって、丁寧な段落分けがなされていて、読みやすくなりました。
語られていることは相変わらず(素朴実在論)ですが。w
>>898 核心はそこにはなくて、わざわざ猫を箱に入れる必要はない、ということです。w
>>902 それはシュレディンガーの話に関係するのでしょうか。
>>901 比喩でしかない。生死はそんな単純なものでもない。
観測も生死を完璧に割り切れるものでもない。
死後に音を出し動く例もある。知的反応ではない。
比喩は表現で伝える道具ではあるが、それは合理性の縛りをする術でしかない。
>>904 生死が単純で無いことがシュレディンガーの話と関係するのでしょうか。
シュレディンガーがそのようなことをいったのでしょうか。
906 :
紗南:2011/01/24(月) 18:04:45 0
907 :
紗南:2011/01/24(月) 18:06:06 0
ところで、今日はお休みだったので、天気もいいし、部屋で絵を描いて遊んでましたよ?
紗南は、円、正三角形、正方形は定規やコンパスなしでだいたい合ってるのが描けるし、
戦艦や戦闘機や戦車の絵は資料なしでもうまく描けるぐらい得意なのですが、
人や漫画のキャラクターとかを何も見ないで描くと得体の知れないものになります¥
今日も、記憶に頼ってミッキーマウスを描いたら、ねずみ男みたいに、
日本地図を描いたら、ソロモン諸島のようになってしまいました>
言い訳じゃないけど、見ながら何度も修正しながら描けばきっと、
「だいたいあってる」と言ってもらえる絵が描けると思うのだ::::
世界がどれぐらい広いかワカラナイが、紗南世界の地平は無限に広くない@
どんな名銃でも有効射程距離があるし、いつも冷静で正確なあの長門だって、
細かいエラーが少しずつ蓄積していって突然暴走をしたりするのだから、
紗南だって気づいたら肘にご飯つぶがついてることもあるさ ぷんすか(ω)
だけど、絵はあくまで絵であって本物ではないし、写真には勝てる気がしないですよ?
絵はピカソ、レンブラント、平山郁夫、植田まさしそれぞれに描かせたら、
それぞれの絵になって、みんなちがってみんないいと思う’
でも、科学とか哲学とかの学問はどうなんだらう=〓
やっぱり、それぞれの人が持ち寄った理論だからそれぞれのクセはあるよね??
でもある程度則らなきゃいけない共通のルールとかあるのかもね*
あ、そうか!絵も絵描き歌に則って描けばみんな同じようにかけるよね???
http://www.youtube.com/watch?v=mXte75MehPo
908 :
考える名無しさん:2011/01/24(月) 20:42:40 0
>>906 さすがに紗南。みごとなボケっぷりである。w
ところで、君は女性タレントに興味はありますか。
沢尻エリカをどう評価していますか。
板ちがいにもかかわらず、ここでやたらに女性タレントの名前をあげて
きたのは自慢じゃないが、この私。
佐々木希を推し、ハンニから黒木メイサが上、と反論されたのも今は昔。
ちなみに、世界には紗南もいないのではないか。
自演キャラ以外には攻撃する機械
>>905 頭の悪い人を縛る説得力しかないってことでしょ
911 :
紗南:2011/01/25(火) 00:15:34 0
912 :
紗南:2011/01/25(火) 00:18:10 0
>ちなみに、世界には紗南もいないのではないか。
>つーか、おめーの席ねぇから!
それはさっき紗南が、みなさんが本当にいるのか不安になったのと同じだと
紗南は勝手に察しまするよ;;;
世界に紗南がいないというか、紗南の中に世界があるノカも知れないですね
その紗南だけの世界に「察する」ことの出来る相手908さんを見出せただけでも
紗南は今ホッとして目から水が出そうですよ?
紗南にとっては、世界や、みなさんや、紗南御本人を、いないのではないかと
疑ってるのが紗南であることは疑いにくいので、紗南はいるにはいると思います^
が、それは「世界の中にいる」と簡単に言ってしまっていいものかは・・・¥
紗南が何者なのか、なんて疑問を紗南御本人が持つ前からすでにあった、
まず世界有りきでその中に紗南や皆さんがいるという世界を捉える形式は、
みなさんと共通なんじゃないかと思っていますよ?
なので、普段の生活ではいっちょその共通形式に則って考え語り合いますが、
なんか実生活の便宜上の要請からやってるだけみたいに思える今日この頃です¥
でもそれは悪いこととも思ってないしディスってるわけでもないのだ&
そのやり方に限界が見えたら(このスレみたいなテーマで話す時など)、
すかさずその素朴な形式を離脱して自由に考えたり語ったりして、
謎解きのためのより射程の長い武器を手に入れて、より広い世界を開拓し、
より多くの仲間を見つけ世界を大いに盛り上げる紗南の団を作りたいですね¥:
ナゾナゾみたいに地球儀を解き明かしたらみんなでどこまでも行けるね
http://www.youtube.com/watch?v=8l75Iu0ZFN8
914 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/01/25(火) 01:10:00 0
>>902 >生から死へのあいだには無限の様相があり、そのどれかを経験させられる、
>ということです。
その辺は同意できます。「意識の明晰さ」には「程度」という「尺度」が有る
・・ということだと思います。
例えば有名な作家や哲学者、大学教授であっても「老人性痴呆症」になる人は
なってしまう・・ということのようです。
本人がいくら頭脳を鍛えていても「痴呆になる場合がある」ということです。
彼らの「主観」を想像すると、小説『アルジャノンに花束を』のような表現をする
しか無いのかと思われます。
すなわち「幼児文体から始まりだんだんと明晰になる頭脳が一人称で語る文体になり
最後には・・・」・・という「文体の変化」で「意識のあり方」を描いた小説として
あの小説はある意味(文体自体をストーリーの一部とするという手法を用いた「世界最初の小説」
として「すごい小説」なのかもしれまぜん。
小説が「哲学に近づく」という分野は、サルトルやカミュといったフランス実存主義哲学者が
編み出した分野ですが、彼らが「観念論者から抜け出せなかった」という理由だけで哲学史から
排除する・・・ということは不適切かもしれません。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
このあたりは、古典派の機械さんには到底、想像できないでしょうね。
915 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/01/25(火) 01:13:12 0
>このあたりは、古典派の機械さんには到底、想像できないでしょうね。
すみませんが「古典派」の意味が判りません。
本日は就寝させて戴きます。
916 :
考える名無しさん:2011/01/25(火) 01:22:45 0
>本日は就寝させて戴きます。
おまえのこれに説得力はかけらもない。
>>916 毎晩健全に眠くなることは意外と大事なのかもしれない
おまえの頭脳は明晰か?あくびを繰り返して居眠りしてるおまえの頭脳は明晰なのか?
寝かしつけても5分後には吠え始める
躾けのなっていない犬みたい
920 :
考える名無しさん:2011/01/25(火) 01:31:59 0
躾ける側が実は躾けられる側であることに気づかない悲劇も最近沢山出てるけど
それでは、ありのままの「機械的唯物論」者をご堪能ください
923 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/01/25(火) 01:50:55 0
>>921 ここはあくまで「匿名掲示板」ですが、一つ「世界に目を向ければ
「フェイスブック」という「実名自己紹介サイト」がグーグルを追い越して
6億人の「アクティブユーザー」を獲得したようです。
日本人に「本名を晒す掲示板」がなじむか否か・・「そんなことは言っていられない」
・・というのが実情だとは思います。
もしあなたが[ミニ」ではなく「マイクロ・ザッカーパーク」になり得るとしたら
「実名・プライバシー公開:お友達募集サイト」が「次の半世紀」に「インターネットの
「入り口になる(グーグルは「おしまい」)」という現状をどう捉えるか面白いですね。
本日は就寝させて戴きます。
フェイスブックは世界統一国家の社会保障カードの前身であり、グーグルと比較することは愚行
だと思う。もちろん前身であると言えるのは結果論からだ。現在は最終的にそうしようと決める前かもしれないから。
ミクロの話では、どの企業もしくは経営者がその権利を落札するかを競っている段階なのではないかと考えている。
というか、ありのままの、ってそういう意味で言ってないんですよ。
もっとアダルトビデオ的な意味です。
925 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/01/25(火) 02:04:31 0
>>922 「自演」など2ちゃんねるでは「日常茶飯事」なのに過去に数回「自演してみた」
ことを追求する「ネットストーカー」には正直言って「降参」です。
私が自演をしてみたのは「そういうやり方も(匿名掲示板では)あるのだ」・・という
ということを実感してみたかった・・からですから・・その(自演の)無意味さもよく
理解することが出来ました。
みなさん「嘘を言う」のは止めませんか?
「フェイスブック」では「実名以外のフェイク」は「システムによって排除される」という
私が望むシステムが構築されつつあるようです。
インターネット人口20億人中フェイスブックの「アクティブユーザー」が
「6億人」に達した・・という事実は非常に大きいのです。
ちなみに13億人という人口を抱えた中国は「フェイスブック禁止」・・という
「政府(共産党)決定」があり、それに全国民が服従している・・状況のようです。
本日は就寝させて戴きます
数回なのはあくまで自演がバレたことですよね機械さんw
927 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/01/25(火) 02:21:33 0
>>926 あなたが「小説」を書くとして「複数の主人公(というより主観)」を用いて
「痛いことを表現する」ことが必要であることを実感されるはずです。
小説の世界で「リアリズム小説(私小説)以外は「純文学」ではないので劣る」
・・という先入観が支配いてきた「日本文壇」について批判するつもりはありませんが、
「小説は『お も し ろ く 』なければならない・・という「新たな主張」はそろそろ
提起していたほうが良いのかもしれませんね。
本日は殆ど「半死半生」ならず「半意識がだんだん薄れていく」状況です。
就寝させて戴きます。
廃人スレ
929 :
考える名無しさん:2011/01/25(火) 07:28:38 0
>915 :「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/01/25(火) 01:13:12 0
>本日は就寝させて戴きます。
>923 :「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/01/25(火) 01:50:55 0
>本日は就寝させて戴きます。
>925 :「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/01/25(火) 02:04:31 0
>本日は就寝させて戴きます
>927 :「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/01/25(火) 02:21:33 0
>就寝させて戴きます。
この人の就寝とは、
「おまえらチンカスは死ね」と表現が隠されています。
1日に何度も就寝するわけではありません、
ベッドに入ってからも気になって何度も何度も2chを見てしまう機械君ですか?
931 :
唯意味論:2011/01/25(火) 09:08:25 0
>>914>>915 「(存在の)無限の様相」というのは、意識の様々な状態とは全く異なります。
機械さんにとっては「世界は一つ(その大学教授は一人)」なのでしょうが、
その把捉のしかたが古典的だといっているのです。つまり“古い”のです。w
機械さんの「世界」の根底には、確たる“粒子”があるようです。
抄録氏、カラス氏にも同じニュアンスが感じられます。
932 :
唯意味論:2011/01/25(火) 09:20:48 0
ここで、やたらと自演に神経質になっているのは佃煮君である。
よほど過去に痛い目にあったらしく、しかも「その張本人は機械氏」
と確信しており、だれもが機械氏の自演コテにみえるらしい。
この私もカラス君も機械氏の自演コテだそうだ。w
佃煮君がもっともらしいことを書きつらねても、間抜けにみえてしまう
のは、どうしようもない。機械氏もカラス君も同じ思いにちがいない。
ほんと、自演自演とうっさいね。
別に同一人物かどうかなんでどうでもいいじゃん、1レスごとに別人と思って
内容だけ見ればいい。
誰かが誰かに同意したからって、自分も同意する必要ないし、誰かが批判された
からって自分も批判しなきゃいけないわけじゃない。
934 :
考える名無しさん:2011/01/25(火) 15:41:47 0
この前自演騒ぎが起こったのはハンニバルに対してだったかな
それはたいそうな騒ぎようだったと記憶する
あの時点で何人がハンニバルよばわりされたことか
しかしまあ機械の自演は大目に見ようとおっしゃる
お優しい方々が大勢いらっしって結構なことですw
935 :
本日は就寝させて戴きます。 :2011/01/25(火) 18:13:41 0
わたしは言ってない、真実だ、
自作じゃない自作じゃない自作じゃない
メーカー品なのですよ。
>>931 古典的ではない把握の仕方の説明をどうぞ。
937 :
私は古典的でしか説明できない:2011/01/25(火) 20:26:57 0
だからなに
938 :
考える名無しさん:2011/01/25(火) 20:59:33 0
哲学もレトリックに過ぎない
>>931>>936 横レス。
端的に言えば、「光がまっすぐ飛ぶ」という現象に疑問を持たなければ古典的。
日常生活レベルでは、光がまっすぐ飛ぶのは真実。
で、既にピンときていると思うが、ここで「重力レンズ」と「二重スリット実験」だ。
特殊相対性理論および量子論によって、光の運動は必ずしも古典的な直進のみ
ではない事が導出され、実際の観測結果もそのようになっている。
>>902 >
>>875 >機械さんのおっしゃるように、生/死を同時に経験することはできません。
>いや、そもそも生/死の二項対立的な重ね合わせではないのです。
>生から死へのあいだには無限の様相があり、そのどれかを経験させられる、
>ということです。
>このあたりは、古典派の機械さんには到底、想像できないでしょうね。
この説明の仕方は適切ではない。
おそらく
>>902の理解が不十分なのだろう。
アインシュタインの相対論は、古典論です。
941 :
考える名無しさん:2011/01/25(火) 23:04:28 0
>>939 >日常生活レベルでは、光がまっすぐ飛ぶのは真実。
それは間違い。光は常に屈折をして飛ぶのが真実。
>>941 940は日常生活レベルといっている、940が言っているのは現実ではなく
日常生活レベルで認知される940が認知している"錯覚"で940は常に錯覚
しているんだが錯覚していることに気が付いていないだけ
943 :
940:2011/01/25(火) 23:38:33 0
940,940と連呼されても、何のことやら
それもしかして939か?
古典的の意味のコンセンサスは得られているのかな。
>>939 > 端的に言えば、「光がまっすぐ飛ぶ」という現象に疑問を持たなければ古典的。
直進する光に疑問を持つのが非古典論でしょうか。古典論は曲がる光には反対するのでしょうか。
> 日常生活レベルでは、光がまっすぐ飛ぶのは真実。
水晶体が無ければ見えないので日常生活は困難です。
> で、既にピンときていると思うが、ここで「重力レンズ」と「二重スリット実験」だ。
> 特殊相対性理論および量子論によって、光の運動は必ずしも古典的な直進のみ
> ではない事が導出され、実際の観測結果もそのようになっている。
重力レンズは一般相対性理論で説明されます。二重スリット実験は波の干渉で説明されます。
946 :
考える名無しさん:2011/01/26(水) 03:14:41 0
カラス君、古典力学とはどのようなものかね
古い力学かな
948 :
考える名無しさん:2011/01/26(水) 05:27:58 0
949 :
唯意味論:2011/01/26(水) 09:50:20 0
>>948 機械さんのレスを「古典的」と称したのは私だが、言葉の定義に拘るw
カラス君のような御仁から突っ込まれるのを予期して「古い」といい
直しました。どの点が古いのかも簡単に述べたつもりです。
ただし「古い」ゆえに間違っているわけでもなく、その逆でもありません。
“古典的”なる言葉の意味は無数にあり、好みに応じて使えばよろしい。w
もともと記号(言語)には、固有の意味などないのだから。
なお「古い」とは“いまふう(今日的)ではない”ということです。w
「力学」の意味は辞書に載っています。
同じ機械氏の自演コテのよしみで、カラス君を揶揄しつつ、彼に代わって答えました。
そこまで拘って無いですがw
いまふうの唯意味論さんは物理のマークシート問題を解く場合も「答えには無限の様相がある」と
答えるのでヘッチャラですね。
951 :
唯意味論:2011/01/26(水) 12:47:22 0
>>950 たぶん“無限の様相”があるのではないか。w
それでは商売にならないのでwタブー(規則)を決めて、答えを一つ(有限個)
に定めているだけ。答えの正誤は、規則いかんにかかっている。
しかし、たとえば昨日のサッカーの場合。だれかからパスを受けとった際の
本田の対応は(ルールがあるので)有限だが、二項対立的ではない字義どおりの
無限の様相がある。ちがう?
それを、どう解釈するか…。機械さんの見方は、わかるよね? w
この思考の遊びに、わざわざネコを箱に入れる必要などないでしょう?
>>945 >直進する光に疑問を持つのが非古典論でしょうか。古典論は曲がる光には反対するのでしょうか。
その問いは既に古典的ではありません。
古典的とは、そのような問いを立てられないという事です。
>水晶体が無ければ見えないので日常生活は困難です。
水晶体があればいいと発言するのは傲慢です。
水晶体を持っていても全盲の方は日常生活が困難ですよ。
>重力レンズは一般相対性理論で説明されます。二重スリット実験は波の干渉で説明されます。
そうですね。
ここで
>>949氏の発言の引用ですが
>ただし「古い」ゆえに間違っているわけでもなく、その逆でもありません。
この発言は正しく、含蓄に富んでいます。
非古典で纏められる物理学は古典と対立する物ではなく、古典を内包し発展させる物です。
その考えは古いというのは新しい考え方との対比で意味を持つのかも。
>>951 > たぶん“無限の様相”があるのではないか。w
決定論への批判として無限の様相を持ち出すとしたら例えば現在の自分が生きているのでも
死んでいるのでも無い無限の様相であることを示せるでしょうか。
> この思考の遊びに、わざわざネコを箱に入れる必要などないでしょう?
シュレディンガーの猫は観測の定義を明らかにするために箱に入れて一時間後に生死を観測
するのです。この話との関連性がなかなか見えてこないです。
>>952 > その問いは既に古典的ではありません。
> 古典的とは、そのような問いを立てられないという事です。
では古典的とは?どういう点が古典的でしょう。
> 水晶体があればいいと発言するのは傲慢です。
> 水晶体を持っていても全盲の方は日常生活が困難ですよ。
そうですが光が曲がることと関係するのでしょうか。
954 :
唯意味論:2011/01/26(水) 17:44:30 0
>>953 「無限の様相」とは「存在は“波”」の別の言い回しである。
勘違いしているようだが、この表現はむしろ決定論として用いられる。
もっとも、私は怪しいと思っているが。w
前にも述べたように、分岐した“一つの世界”しか、私には経験できない。
収縮による主/客の分裂を回避する“世界”観であって、どこまでも思考の
遊びでしかない。(いまのところ)
箱に入れられた、あの猫のように生/死の二項として存在してるのではなく、
存在するものは無限様相の波のように広がっており、その一つの枝分かれした
世界に絶え間なく落着し続けている、ということになる。猫も観測者もそこに
収斂するということであるらしい。
>>954 あれ?
シュレディンガーの猫についてだけど、ひょっとして君達は、例えば
「洞窟に閉じこめられ、子供の頃から手足を縛られ後ろを振り返る
こともできない人々がいるとして〜」という喩え話に、
本当に、今もどこかにそんな洞窟は実在するのか!?
何の権利があって、そんな酷いことを!人権問題ではないか!?
と、どうでもいい仮定を真面目にほじくり返して遊んでるの?
なんだか、何を考えていて何が疑問なのかよく分からなくなってきた。
>>954 量子論はあくまでも物理学の分野ですよ。
あなたの考えは、物理学の言葉を教説の道具として利用する典型的なカルトと同じように思えます。
唯意味論さんは、自覚的なんですよ。
確信犯的(誤用かw)に科学主義者を困らすわけです。
存在が波、であるなら、波原理主義であり、波の実体化である。
世界は、波なのか???
シュレディンガーは「波動原理主義」で世界を構築できると思ったが、
上手くはいかなかった。
ボーアの優れたバランス感覚によって
存在は波なのか粒子なのか、を「判断停止」して、相補性として帰着させたことにより
コペンハーゲン解釈をして、今日に及ぶまで、教科書の基準と成り得ているのである。
目の前のりんごから、電子、陽子、中性子に至るまで、それが理性的幻想に過ぎないとしても、
その「幻想」が、我々に、直接の影響を期待できる事態が想定され、
かつ、それが事実として矛盾無く具現化されている現状にあって、
「電子(りんごでもいいけど)が幻想である」との主張の根拠は霧散するはずである。
しかしΨは、Ψは実在であろうか。それとも、限りなく幻想的な方便なのか。
量子力学での確率(=lΨl^2)は、単純なランダムではなく、確率が、規則に従い、時空間的に変動する、
というところが、もうなんとも気味悪く、偶然との折り合いが付き難い。
しかし、「偶然」に積極的な意味を与えることで、その居心地の悪さを解消できるかもしれない。
脱線しますが、
数学の世界であっても、理性が解決できても感情が満足しない理論は、どこまでも完成しない、
とか、岡潔とかいう数学の先生が言ってましたわ。
シュレディンガーやアインシュタインの危惧は、彼らの「感情」によるものか。
それとも「偶然」に積極的な意味を持たせることは、本当に危険なのか。
つづきません。
>>957 いや、そんな悲観的にならなくてもΨで扱っているのは虚数なので
非実在的なのは直感的な前提ですよ。
それを無理に解釈しても時間の無駄、計算結果はシンプル且つ正確
なので道具として問題なしというのがコペンハーゲン的で。
で、その過程を統計的手法に置き換えて可視性を増すやり方が
ディラック的だったりファインマン的だったりするわけで。
「その居心地の悪さ」は実験室的な理想状態と現実の混沌状態との
軋轢みたいなものの中にあって、例えば地球上で三番目ぐらいだっけ
とにかくとてもありふれた元素である炭素なんかが純粋に集まると
ダイヤモンドになるんだけど、地上では滅多とお目にかかれるもの
ではない。
しかし実験室で理想的な状態においてやると、いともたやすくダイヤ
も作製可能、的なそんな感じ。
できる限りフィーリング重視で説明してみますた(^ω^)
959 :
スモ:2011/01/27(木) 00:53:37 0
今、『数の魔力』という本を読み終えたのだけれど
この本、なかなかに示唆に富み面白い
びっくらこいたのがボーアの量子論に契機したバルマーの理論が
「ひらめき」というか直観的信念によって生まれたということだ
つまりは観念的な想像の仮定によってそれが美しく成り立つというだけで
実際にその構想の過程はどこか作為的である(ぼくはそう感じた)
著者のボーアの見解が正しいのか知らないが
一般に、量子論の原子モデルを視覚的に捉えることで、
その分布の確率、または波と粒子という機械論的な、不思議な説明がなされるけれど
ボーアはそんな理解が無意味であり誤謬であること
その「数」だけが、「量子数」ということで、その体系の理解が「本当」だと認識していたこと
これは物事の理解にまったくの転倒を促す
ぼくの読解は大概すぎるだろうけど、
「数」は世界を説明する手段でなく、世界そのものの目的である
、という理解である
ぼくはこの感覚が、よく理解できるような(好みなw)気はする
960 :
唯意味論:2011/01/27(木) 09:29:34 0
>>955 その「洞窟」は、私たちの“この世界”の比喩。私たちは洞窟に棲み、仮象を
経験させられている、ということでしょう? われらは洞窟の住人なのです。w
「猫の箱」は、そこに入らなくても“重ね合わせ”として常在しているので、
箱は不要と解しています。似ているようで、ちがう喩えのようにも…?
>>956 貴方のいう物理学は“事象”にまつわる言説を指しているのかな?
拙きながら、私もそれを語ろうとはしているのですが、なにせ力不足なので
インチキっぽくみえてしまうのでしょう。
961 :
唯意味論:2011/01/27(木) 10:12:01 0
>>957 いえ、それは抄録さんが“波”を実体化しているだけです。
この世界では、波(だけ)”をみるのは不可能。その媒体(たとえば水)
をとおして、波のようなものをみることができるだけでしょう?
量子論のいう“波”は媒質をもたない。非実在的な存在といってよく、
それゆえ二重でも三重でも…その広がりの範囲内では、幾とおりもの
スリットをすり抜けるのではないか。
イメージするなら、それは“線”である。
スモ君がボーアを引用しつつ、世界が数学的である(らしい)ことを
述べているが、視覚化すれば“世界”は幾何学的な抽象的紋様なの
かもしれない。
>>954 普通ならなぜそう思うのか質問するところですが唯意味論さんの場合他の非決定論者とは
違いますからやめておきますw
非決定論をとる動機や思想的背景が感じられませんし、自説を否定されても必死さが無く
のほほんとしています。多分非決定論をとらざるを得ない特殊な事情があるのでしょう。
>>957 量子の世界は波の性質を持つ物質の挙動を解析的に扱うために仮定した波の世界です。
フーリエはすべてを波であらわせると主張していますね。
963 :
唯意味論:2011/01/27(木) 10:45:37 0
>>957 もう一つ。
ボーアに拠るなら、世界(実在のありよう)は偶然の連鎖でしょう?
それは観測されることによって決まるのであり、どこかに“隠れた
変数”のようなものがあって、それによって決定づけられる、わけ
ではないという立場。
抄録さんは、ボーアではなく、実体主義的なボーム解釈にみえます。
ここでも非決定論なのか決定論なのか、たゆたっています。w
964 :
唯意味論:2011/01/27(木) 11:21:30 0
>>962 「特殊な事情」がないから、のほほんとしているのです。w
非決定論的であったほうが面白いとは思うけれども、どうなんだろう?
スレ主が古典的なw言辞を撒き散らしていた頃から、さながら決定論の決定版
であるかのように、ラビ氏は「エベェ解釈」を推していた。しかし、ここにも
“偶然”が滑りこむ余地があるようにみえて…
畢竟、超絶対神が確言するように「決定と非決定は内包しあっている」のだろうか。
あるいは佃煮君がいうように、この世界は必然と偶然が織り成しているのだろうか。
いずれにせよ、もう少し詰めてみたい。w
“波”を実体化・・・
966 :
ヘヴィメタル ダニエル・カール:2011/01/27(木) 14:59:11 0
おーれ、人生の決められたレールに乗りたくないから、
博士になるレールにも乗らないことにした
>>961 たゆたっちゃうよw
唯意味論さんも、光が粒子であるか、波動であるか、の論争は知っておられるでしょう。
光が波動であっても、「波動に媒体は不要である」とすることに論理的な困難など無いわけです。
波について、波固有の「波数」の概念を導入すると、とたんに波が(主観的に)実体化され
波数は整数であるので、スモ氏が言う如く、数的秩序と結合するわけです(ほんとかおいw)。
古典論から量子論へのパラダイム変換とは、
物理量の無限分割(≒無限小)問題を解消し、物質の根源に「数」を取り戻したところではなかろうか。
脱線しますが
ボーアは量子力学本体の建設については後方支援に回りますが、形而上に走る天才達を抑え
「物理はこの世との繋がりをどこまでも手放してはならない」ことを知っていた、と思う。
それが、ボーアをして量子力学のゴッドファーザーたる所以ではなかろうか(個人的感想)。
その慎重なボーアが、「世界が偶然の連鎖である」などと、
すっとぼけたことを軽々に言うとは思いませんが、私が知らないだけかもしれません。
私が揺蕩うように思えるのは、
貴方の主観に於ける固定化された観念(実体とか粒子とか)が揺さぶられるから、かも、知れませんよ。へへ
「この(主観)世界は客観的真理によって成立する。それを疑うことは無意味となる」
というのが、私の思考の根にあり、それに従い、あーでもない、こーでもないと考える訳です。
客観的真理とはなんぞ、ですと?
私:「それは知る対象では無い。キリッ」・・これは背理ですかね?はは
偶然が世界の成立に必要であるなら、それは真理であり、
「偶然」が真理の一つであるなら、非決定もまた真理と言えるでしょう。
たゆたってますかw
あと
隠れた変数とか、実際、話のどこに組み込んでるのかさっぱり分からんのですよね。
デヴィッド・ボームの書いたぶっとい量子力学の教科書を、たまたま持っているのですが、
日本語でも目ん玉三角なのに、英語で書いてあるので読める気が全くしない(似非翻訳屋w)。
万が一、何か理解できたら、また報告することもあるかもしれない。はっは
>>958 ・・・よく分からんのですが、
>その過程を統計的手法に置き換えて可視性を増すやり方が
>ディラック的だったりファインマン的だったりするわけで。
↑ここ、面白そうなので、ちょっと語って下さい
>>962 >量子の世界は波の性質を持つ物質の挙動を解析的に扱うために仮定した波の世界です。
>フーリエはすべてを波であらわせると主張していますね。
「解析的」の安売りのようにも思うが。。。気のせいか
「仮定した波」とはなんだろうね。
カラス君はやっぱり隠れた変数とかガイド波の信奉者ってことなのかね。
フーリエを持ち出す意義は、俺にはよく分からない。
971 :
唯意味論:2011/01/27(木) 17:31:21 0
>>967 その場合の光は「量子」扱いでしょう?
抄録氏のいやがる言い方をすれば、量子論の特質は「物質の根源」を数値(情報)化した
ことではないだろうか。
ボーアは卓越していたが、天才ではなく、秀才だったといわれる。それゆえに後輩たちを
引き寄せる魅力があったのだろう。天才は誤解され、孤立します。
コペ解釈が非決定論とみられるのは“この世界”が観測という偶然性によって確定される
からでは? そこをアイン先生は嫌悪したとも…
この世界は主客の相関によって成立するか、主客ともども一つの様相に収斂され、他の
それを断念させられることによって、その一つを手に入れられるのかも…
>>971 量子ですか。量子って、なんですかね。
一年ぐらい前に、ラビだか、かぼちゃだか知らないすっとこどっこいに
「貴方は量子を何だと思ってるんですか。」とか言われて
私が「量子とは、エネルギーの不連続性を扱うツールだ。」と答えたら、
そのカボチャ頭は、「それはまともな答えではありません」とか、ぬかしやがってw
「なら、てめえが、まともな答えとやらを言え!」・・・とは、言わなかったのですが。はっは
「量子」という言葉は、量子論に於ける新しい概念の領域を獲得するための
アバウトな概念の総称、としての地位からいまだに昇格していないようにも思いますが、
そうでもないのかな。
光の粒子性は、光子として理解可能であり、
光の波動性は電磁波として理解可能であり、
光のエネルギー単位は、hνとして「量子化」される。
それぞれ、状況に従って使われるわけでしょうけど。。光が量子扱いされる、てのは、なんか微妙w
「情報」も最近、よー分からん。
私は、物質が情報を保証する、と思ってて、今でもそう思ってる訳ですが。
唯意味論さん、知ってるかもしれんけど、ツァイリンガーとか言うやつが、
隠れた変数を批判しながら、「非局所的情報」とか言いだして、
情報の解釈を拡張しようとしている、らしい。スモ氏が喜びそうなシンプルな美しさもある、ようだ。
それが上手くいくかどうか、俺には見当も付かないが、もしそれで、皆が納得したら、
それが真理だ、ということになるんでしょうかな。
なんだか「あの世」の話のようで、けったくそ悪いけど。
(しかしそれは「情報」じゃないだろ。よく言って、「情報の土台」ぐらいじゃないのか)
あと
観測とはなんでしょうか。
「シュレディンガーの猫」に於ける「観測」とは、何でしょう。
誰かが、猫の入った蓋を開けて、中を見た時でしょうか。
絶対、ちがいます。
よく、猫が観測装置なんだ、とか言われたりしますが
それもぜんぜん、ちがいます。
シュレディンガーの猫で、観測に決定的に重要なのは、ガイガーカウンターであり、
それ以外の要素は、ほとんど関係ないのです。
「ミクロを探る」と呼ばれる行為は、必ず増幅装置を必要とし、
「増幅装置によって増幅される事態」が、「観測」の内容の、ほとんど全て、だと思われます。
量子力学は、その「マクロに増幅される事態」を理論の中に組み込みながら、
ミクロモデルを記述するという荒技をやっているのです(ほんとかよw)
哲学に於ける、認識論とかと、シュレディンガーの猫を、安易にリンクさせるのはおかしいのです。
ヒトが認識するたびに世界が収斂するとか、そんなもんは、絶対、認めませんw
「確率」ぼやき
よく、確率は、「情報の不足」とか「無知の程度」によるものであり、
あくまで決定論上で成立する、と力説するヒトがいるわけですが、本当でしょうか。
ラプラスはそう信じていたかもしれない。ニュートン力学の影響なのでしょう。
ばば抜きをしてて、相手のトランプが三枚残ってて、一枚がジョーカーであるとすると、
私がジョーカーを引く「確率」は、1/3、てことになるわけです。
これ、情報の不足、ということで、いわゆる「主観的確率」となるのでしょう。
この1/3というのは、どこからくるのでしょう?トランプに原因があるのでしょうか。
そうではなく、私の行為がランダムであることによるわけです。
しかし、情報が不足しても、私は行為しなければならないのです。
ある「原因」となる事態が、次の瞬間の事態を生み出す際、
次の瞬間の事態を選択するための情報が、常に十全であることが保証されているでしょうか?
その根拠は全く無いわけです。
しかし、物質は常に選択を迫られ(んなことはないかw)、次の事態を生じます。
確率に基ずく、統計的挙動は、秩序を生み出し、その処理によっては一定の因果関係を生じます。
「確率」と「決定論的必然」、いずれが先立つのでしょう。
それとも、この問いはおかしいのかしら。
つづきません。
>>976 せめてググレば馬鹿を晒さずに済むのに。
>>978 せめてググレば馬鹿を晒さずに済むのに。
個性か・・
そんなもん、求めるなw
ググったらあずまんより高学歴だった
986 :
考える名無しさん:2011/01/28(金) 00:12:40 0
必然も偶然もないんだよ
必然しかない
988 :
考える名無しさん:2011/01/28(金) 00:16:44 0
必然なんて概念でしかないんだよ
学歴は重要だな・・・
前に、俺は中卒だと言ったら、もう総攻撃だったからね
990 :
紗南:2011/01/28(金) 01:35:54 0
また、お菓子を食べていたら奥歯が欠けました@@@
紗南は中学生の頃が一番集中力もあって元気もあったねーーー!!!
中学を卒業して、高校の頃はただただ、眠かったでござる
今は毎日毎日、寝癖直したり、ギリギリ間に合ったり、人の顔色をうかがったり、
ごまかしたり、後悔したり、ニコ生見たり、疲れて寝たり、とかく人の世は忙しい;;
ある朝紗南は店のおじさんとケンカしてシュレ箱に逃げ込んだのさ
http://www.youtube.com/watch?v=QDe6MZQjpho 初めて泳いだシュレ箱の中、すべてが必然なのか-そうでないのかまで、
無数の考えの波紋が押し寄せぶつかり合い、一つの答えを求めて枯野を駆け巡る
答えは本当に一つなのか、答えを得るならそれは偶然によってなのか、それとも、
答えを得るか得ないかも必然的に決まっているのか、そして答え合わせを
してくれるのは一体誰なのか:「?」の波に飲み込まれ震える小動物紗南
ただ心に響いた波動を、光のスピードで跳ね返すことしかできない***
紗南がいないほうが全ての歯車が噛み合った素晴らしい世界なんじゃないか?
http://www.youtube.com/watch?v=k7iDI8LUKEw ・・・そんな夢を、あの商業高校の一番後ろの席でテスト中に夢見ている紗南自身を、
夢見心地で妄想する夢オチ紗南¥|
本日は就寝させて戴きます(キリッ
廃人スレ
992 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/01/29(土) 00:00:06 0
>>990 未だかつて
シュ猫論」が訴状に載せられてから誰一人真剣に「シュレ猫論議」について
考えたことがないのです。
すなわち「シュレディンガーの猫」は「不確定は真理である」「必然は真理ではない」
・・という「未来の予想が(確定的に)不確定か確定か?」の議論にありとあらゆる
「観念論者=自己欺瞞を追求する人々」・・という「奇妙な集団」が反対し続けたことが
「真理」を隠蔽する結果になってしまっていた(いる)・・ということです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
「観念論者=自己欺瞞を追求する人々」という表現は、観念の外に立っている時だけ有効だよね。
たとえば、精神勝利法を利用すれば、この閉鎖空間特有の原則さえ理解できない無知はあなた、ということになる。
994 :
考える名無しさん:2011/01/29(土) 02:36:18 0
必然とは作り事じゃないってことだよ。
意識の結果は自然なこと、それが何?つまんねー
何を勘違いしているんだか>機械
995 :
考える名無しさん:2011/01/29(土) 15:02:12 0
996 :
唯意味論:2011/01/29(土) 20:06:55 0
>>973 ガイガーカウンターも、それ自体では無意味でしょう?
一連の事象の一齣にすぎず、それも「みられて」意味をなすのでは?
たしかにコペ解釈では“観測”をどこに置くかが、よくわからないのは事実。
>>975 仮にハートのエースとスペードのエースとジョーカーが残っているとする。
そのどれかを引くけれども、それを偶然とするか、必然とするか。
もう一つの解釈は、そのうちのどれかに分岐する、というもの。
997 :
唯意味論:2011/01/29(土) 20:26:43 0
>>992 この文章は機械さんが酔っ払って書き込んだためか、文意が掴みにくい。
あいもかわらず、機械さんが“真理主義”者であるのはわかるが。w
このレスで問われてきたのは「存在」は“理(ロゴス)”に従っているのか、
それとも非理、あるいは無理なのか…。
決定論が狡いのは、どちらでも包摂できる言表だから。
「そのように決っていた」といえば、すべて片がつく。w
>>996 そんな「月は、それ自体では無意味」
と同じ論法を、シュレディンガーの猫に適用するのは
意味のはき違え、というもんなんですよ。
皆さんの言うところの、カテゴリーミステイク。
999 :
考える名無しさん:2011/01/29(土) 20:44:35 0
>>997 >このレスで問われてきたのは「存在」は“理(ロゴス)”に従っているのか、
>それとも非理、あるいは無理なのか…。
両方ある、どちらに分類するかは捉え方で決まり不明確でもある
より抽象的なロゴスを使えば説明できたりするが、その形而上の類を
捉えられない人になにを説明しても無意味である。
>決定論が狡いのは、どちらでも包摂できる言表だから。
決定論には探求などない哲学ではない、決定論を信じてしまった時点で
意味は死に失われデタラメと何も違わない。
スモ氏が「数の魔力」を読破しているなか、
あたくしは、東野圭吾の「白夜行」なんかをこっそり読んでみましたばい。
示唆に富むようなところは、あるような、ないような。
面白かったですけど。
東野圭吾さんは、大阪府立大学・工学部出身らしいですな。へー。
一方、わたしの敬愛する山本周五郎は小学校しか出てませんw
でも、学歴の魔力は大きい。
肩書きが、その人間の内実すら規定する、ことはありますわね。
いや、実際、内実なんて、そんなもんが本当にあるのかしら。
真理なんて、やっぱり多数決?
実に、観念論的な話でございますな、はっは
おしまい。
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。