1 :
考える名無しさん:
2 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/11/23(火) 14:23:58 0
>>1 ありがとう。
結局前スレってなんだったんだろうなw
1000レスが主観だの客観だの時間に関係ないことで埋まってしまった。
3 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/11/23(火) 14:56:44 0
過ぎ去りつつあるものを纏める形式(存在形式、生成形式)と、
その纏まったもの(存在)と纏めているもの(存在形式と生成形式との主体)
との相違(生成)の総合(本質的存在、かつ本質的生成)、
こそが時間の本質である。
前スレのくだらない流れを断ち切るべく、まず俺が議論を提示しようではないか。
反論求む。
前スレのまとめ
序章
>>14- ユビー 「時間はなぜ進むのか?」 ”なぜ”は、ありえない。
>>106 Kyrie 「オレは逃げないが悲しいことがあってへこんでるからまた明日な。」
(逃亡するKyrie) -------- 暗転 ---------
●●● 第一幕 ●●●
10/20〜 10/22
「今後はスルーするから!」と言い、引きこもってしまったKyrieを煽るユビー。 「それはスルーではないだろ」
ついでに煽った佃煮が、顔真っ赤。
>>274 佃煮 頭の回らなくなった佃煮は、今までのスレッドの流れを一反リセット」
>>276- ユビー 「再度、ざっくりと、『時間は進む』は語れない理由を説明。」
●●● 第二幕 ●●●
以後、佃煮からまともなレスはなく。僕の引きこもり論に当てはまりたくないがための、無為な書き込みを繰り返す。
ユビーとの議論を避けて、ユビーの代弁者とのみ、議論を交わす。
また、ユビーにも、佃煮の代弁者としての、佃煮の自演名無しとのみ、議論を交わし。それは全て単発で終わる。
●●● 第三幕 ●●●
Kyrieが、ようやく時間論について話す。
ユビーバッシングをはじめるが、その理由をまるで説明できず、スルーする方針を固める。
(Kyrieのスルーは、ユビーの引きこもり)
新しいスレッドを名無しに建てさせて、前スレでの議論を全てなかったことにしようと試みる。
前スレのまとめ ユビー ◆6wmx.B3qBE
主
1.このスレッドのテーマは、『時間が進む』である。
2.時間について、独自の判断で、勝手に仮定を付けて押し進めてもいいのか?
2.が真ならば 『時間が進む』 は、成立する。が、そんなバカげた命題はない。
-なぜならば、時間にアーモンドが混在しうるから。
2.が偽ならば、『時間が進む』は、成立しない。
-なぜならば、時間を言い当てることができないし、万一言い当てたものがあったとして、
アーモンドの混在を否定できない。 (2重の悪魔の証明が必要である)
3.よって、『時間が進む』の命題は、バカげているか、成立していない。
-このようにならないための提言 以下4・5 のいずれかが必要。
4.命題において、時間についての仮定が必要である。
5.土台なき時間のまま、議論を進める方法が必要である。
隔
> 『時間はなぜ進むのか』 ”なぜ”はありえない。
1.あらゆる主観的時間は、客観的時間を享受しない
2.あらゆる客観的時間は、あらゆる主観的時間、及び客観的時間を享受しない
3.よって、あらゆる時間論は、主観的である。
前スレのまとめ kyrie ◆Debha1lQgc
「時間は何故進むのか」
1.時間は進む。 -時間は進むという仮定は普遍的妥当性を持つ。
2.「時間は進む」 そのことに特別な理由は入らない。 (← ユビーから矛盾であると指摘 ↓Kyrieの根拠)
a - 万人了解的な疑問だから
b - オレは「時間は進む」を宙吊りにした
(ユビーは、それでどうやって議論するのか? 以下逃げるkyrie)
主 >631
時間を生きた持続としてみる場合、その時間は「なぜ進むのか」という疑問を受け付けない。
純粋に経験的で生命的な持続こそがアルケーであるとする主張にとって、
根源的事実としての持続を無視して、客観的な時間が生を超越して在るものと考え、
しかもそれが実際に進んでいるのはなぜか、と問うことは、愚問であろう。
こうした主張には、以下のことが含まれている。持続が存在そのものであり、
持続内における差異が持続することで常にそれ自身と異なっている。
この場合、その差異は自分自身と異なっているが、その自分自身と異なるべき
自分自身の同一性は問われないのだろうか。
時間は、存在形式かつ生成形式という二重の形式をもつものとして考察される場合、
立体的な構図を要する。
だが、持続は、少なくとも(生という)何かの存在形式であり、
その生成そのものである。
隔
> オレの時間論は主客二元論を超越した
> オレの時間論は、他の主観的時間、客観的時間を享受しない。
> 一日は24時間である 一年は365日である
「オ レ の 時 間 論 は! 」 ← !?
まとめるまでもない 佃煮マニアのレス (唯一支持なし論者)
主
1.時間が進む(状態は変化する)なのだから、主観とは関係なく起こる。
a - 状態は変化する 影が変化するから
b - いろんな時間論があるから
隔
> 客観的時間はクロノス 主観的時間はカイロス
> ニーチェは、この一瞬が永遠だと言ってました
8 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/11/23(火) 17:05:01 0
>唯意味論
事象に同一がないとは?よくわからなかったので説明お願いします。
あと、貴方が無視した私の疑問、
>1日が24時間であるというのが主観的取り決めであることは、まあそうだろうが、
かつ客観的にも正しいものである、という可能性をどう打破する?
についても回答を求めます。一日24時間が主観的取り決めであること、そのことが
普遍的妥当性を持つ根拠を提示してください。
9 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/11/23(火) 17:07:23 0
まあその普遍的妥当性について、前スレでは擁護するコテ、批判するコテが
いたわけで、今更話を蒸し返したくないので、
事象に同一がないこと、これを説明してもらえないかな。。
10 :
唯意味論:2010/11/23(火) 17:14:57 0
ちょっと待ってください。(逃げているのではありませんw)
その前に、もしよければ、何と何が同一(の事象)か挙げてください。
では、後ほど。
>一日24時間が主観的取り決めであること、そのことが普遍的妥当性を持つ根拠を提示してください。
これはkyrieが答えることだろ?
お前の時間論じゃないのかよ。
唯意味論は何も言ってないだろw
「回答を求めます」の意味を理解してるのか分からないんだけど。
例えば、Kyrieはいっさい回答を求めても答えないわけだけど、人に回答は求めるだろ。
なぜkyrieは回答を求めますって言うんだろう。 普通におかしくね?
Kyrieは、唯意味論の問いかけである「何と何が同一か」 ということは宙吊りにしておくつもりじゃないかなぁ。
何と何が同一か、それを宙吊りにしたうえで、Kyrieの時間論を進めるつもりだと思う僕は。
そういうことが、前スレの前半であったからね。
そして、そのままでどうやって議論を進めるのか? と聞いたら、Kyrieは一切答えられなかった。
この質問には、このスレッドでもまた逃げ続けるだろう。
この矛盾を前スレの前半でずっと言ってたんだけどね〜〜。
何と何が同一かは、言えない。しかし、何かと何かが同一であるという普遍的妥当性はある! と、こういうのだ。
まぁ、そうじゃなかったら、きっとKyrieからの返事がもらえると思うから、それまで待ってよう。
きっと、答えはもらえないと思うけどね。
>>12 >Kyrieは、唯意味論の問いかけである「何と何が同一か」 ということは宙吊りにしておくつもりじゃないかなぁ。
質問に質問で切り返す唯意味論がおかしいに決まってるだろ。
相変わらずずるいやり方だ。男らしくないというかね。
唯意味論に質問しても都合の悪い質問には答えないよ。
何で物理学の問題に哲学で挑むの?アプローチ間違ってない?頭悪いの?馬鹿なの?本当に馬鹿なの?
質問で質問で切り返す
これは、何度も言ってるようにKyrieの常套手段だと思うよ。
それを
>>12で説明してるじゃん。
Kyrieが答えられなかったことを、再度質問しているだけなのに、何故kyrieが質問に質問で切り返すといわれずに
唯意味論がそう言われなきゃいけないの?
僕は唯意味論は、何も言ってないと思うよ。ただ、Kyrieの中で、これはどういう意味って説明しただけだろ。
僕もずっとそうしてきてるしねぇ。
Kyrieの中にないものに対して、質問をしても、意味がないわけだし。そのことを僕もずっと言ってるよねぇ。
そもそもだね。
>1日が24時間であるというのが主観的取り決めであることは、まあそうだろうが、
かつ客観的にも正しいものである、という可能性をどう打破する?
これを、打破しなければならない理由が分からないし、
>一日24時間が主観的取り決めであること、そのことが普遍的妥当性を持つ根拠を提示してください。
理由も分からないわけ。
そこをいちいち忘れてるから、議論は上手くいかないんだよ。
何故、説明する必要があるのかってことだねえ。
だって、Kyrieが一日は24時間って言うんでしょう? じゃあ、そのことをKyrieが説明すればいいじゃない。
>>10フワフワと適当なこと言って逃げ回ってないで議論に応じて下さいよ。あなたは自演しかできないんですか?
機械さんが、年期の入った理系コンプから、宗教をこき下ろしたいんであろう浅はかな心情には、同情します。
しかし機械さんご自慢の決定論も、もとはキリスト教徒の間の派閥争いのための題材だったんですけど。
キリスト教圏というのは、最近になってからようやく進化論を認めだした、保守的な人たちの集まりです。
彼らは、近代になってから急成長してきた科学を万能だとは思っていません。彼らの真理とは祈ることです。
しかし、彼らの敬虔な祈りの時間に、ふと妖精が現れることがあるとして、機械さんはそれを否定するでしょう。
機械さんは、聖遺物の出所をめぐって喧々諤々の議論を交わしている学者たちを、あざ笑うでしょう。
そして、毎日哲学板中にキモAAを貼って、速度がCと、睡眠物質がどうこうと言い自演による寸劇を続けるのです。
昔私が長い事常駐していたスレを潰し、私をさんざんストーカーした愚かな機械さんは、
今度は、スレ主からの退去命令を受けた荒らしコテの援護をして、スレを転覆させようとするのです。
ここで、一体我々は、キリスト教圏の学者と機械さんのどちらを信用すべきか?というごく単純な問題が残りますね。
17 :
佃煮マニア :2010/11/23(火) 21:06:25 0
(つづき)
その議論はどうでもいいですが、「主観と客観は対義語で、その中間に相互主観性がある」ということは常識です。
それから、「二人以上の学者が研究の結果認め、一定数以上の人が信じる事柄は客観的事実」なのです。
「時計時間は客観的時間。出来事時間は主観的時間。」主観的時間と客観的時間の対比はこれで終わりです。
そこを踏み超えて、キリエさんはベルクソンを引いて、主客未分化の「持続」が時間だと言いました。
私は、ドゥルーズやバタイユなど生の哲学者は、時間について同じ様なことを述べていると補足しました。
しかし、機械さんの好きな予定説だと、今ここにある崇高なきらめく一瞬を直観、体感するより、
未来永劫自由意志もなくこつこつ贖罪をして、予め決められた通り来世の救済を待つのが真理なんでしょう?
そういう議論はないんですか?頼みますよ。
まぁ例えばだね。
何と何が同一であるかを、知らない唯意味論が、何と何が同一でないと言っても無意味なことは分かりそうなもんだ。
しかし、そんなことも
>>13は分からないわけ。
一日が24時間であるという定義づけも、良いけれど。
例えば、Kyrieが何をもって1日とするか、何をもって24時間とするのかが分からなければ、ならないわけだ。
そこで、1日と24時間が同義であるとして、Kyrieが時間について話すならそれでいいだろう。
しかし、その場合にはKyrieのただの独我論になるということは、前スレでも話した。
何故なら、普遍的妥当性のある1日というのは、必ずしも24時間のことではない。
一日をまず、日の入りから、翌日の日の入りと定義したとしても、ずれ込んでくるからだ。
そこには数年単位の補正を入れなければならない。これが普遍的妥当性であるし。
すでに、Kyrieの時間論と、普遍的妥当性の時間にずれが生じているのだし、
Kyrieが上手く時間論と言うものを構築したつもりでいても、普遍的妥当性の時間とはだいぶずれ込むことになりそうではあるな。
それでもKyrieは、時間という土台を宙吊りにしておくと言うのだ。
そのことで、自分の時間論に矛盾があったとしても、スルーという手法で切り抜けるだろうし、
またある程度の期間をあけて、補充した時間についての知識を、披露するだけだろう。
さぁ、Kyrie君。そうでないというなら、君は、何と何が同一であると言うのかね。
唯意味論は、それに答えてくれることを待っているよ。
僕は同一性についての間違いをこれだけ長く話したんだ。だから、君が次に何と何が同一であると言うときには
こんな分かりきった間違いはやめてくれよ。時間の無駄になるんだからね。そして、君が僕が何を言っているか理解できない
何よりの証拠になってしまうからね。そんな恥はかきたくないだろう。
答えるんだKyrie君
佃煮マニアは、唯意味論の前で威勢がいいようだけど、結局彼のいう事に何もこたえられてないじゃないか。
>「時間が進む」 は 「状態が変化する」 だから主観とは関係なく起こる
と言うけど、これについて全く解答はない。
常識だ。ということしか言わないわけだ。
僕は「二人以上の学者が研究の結果認め、一定数以上の人が信じる事柄は客観的事実」 とは、思わないが
彼がそう思っているんなら、それでもいいんだけど。その場合にも矛盾があって。
結局、その二人が思っている研究は、主観的ではないのか、ということに遡らなくてはならないんだけど。
佃煮マニアは、信じているものから、信じているものへ伝えられたから客観的事実と誤解してしまってるんだろ?
しかし、実際の時間というのは、誰かが主観的に発見したものであり、その主観を信じたものであると、佃煮自身も言ってる。
じゃあ、これは、主観と関係なく起こることなのか、と言ったら、それは違うだろう。
>>16 佃煮マニア
>フワフワと適当なこと言って逃げ回ってないで議論に応じて下さいよ。あなたは自演しかできないんですか?
佃煮はこんなことも言うのだけど、適当なことを言って逃げ回り、議論に応じないのが佃煮のほうであることは、あきらかだろう。
そして、自演についてもだが、佃煮マニアが自演した名無しが、僕を独我論だろうとか言ってたけど、
何故佃煮マニアが、そう思っているのかが分からないわけだ。僕は独我論とも、そうでないとも言ってないのにだ。
ここから彼が、僕を独我論だと言った名無しであることが判明してしまった。
そして、僕を独我論だと言った、名無しが、誰一人として、僕の再反証に応じることが出来なかった。
>>16では、時間論とは関係ないところに話をそらしていると思うが、それは、機械論者のスレでやれとしか言えないしな〜。
ま、Kyrieも佃煮も、一日が24時間 一年は365日 だと思い込んでしまってることが論外だなぁ。
しかも、誰もが認める「客観的時間」はこうなのだ! と、言ってるのがヤバイ。
一日が24時間なんていうのは、誰も言ってないのにだ……。
まぁ、学校の先生や、佃煮のバカな親とかが、一日は24時間だって教えてくれたのかもしれないけどねぇ。
とりあえず、一日が24時間だって言ってる学者二人の名前を出して欲しいし、
みんながその学者のいうことを信じているとしたら、その学者二人の名前も知っているだろうから、
教えて欲しいんだけど……。
学者二人ってのは、Kyrieと佃煮のことかねぇw
だって、一日が24時間だって言ってるやつを、Kyrieと佃煮以外に見たことがないからねw
別にそういう時間論を作りたいなら、それでもいいんだけど。
それだと、やっぱり僕の言ったとおり、彼だけの時間論という枠組みに納まっちゃうよねぇ。
一日が24時間と言った学者は誰なんだろうねぇ。
まぁ、みんながそのことについて、知らないとしてもだ。
佃煮マニアやKyrieはたくさん本を読んで言ってるのだろうから、学者の名前をきっと出してくれるんだろう。
だって、二人以上の学者が 一日が24時間だと言ったのだから、そしてみんなが信じているのだから
客観的時間はどうこうと言うのだからね。
さあ、佃煮マニアさん。Kyrieさん。
一日が24時間だと言った、学者は誰なんですか!? それを認めた学者は!?
あなたたちは、一体誰が言ってる時間について話してるんでしょうか。
世間がそれを信じているかどうかということは、とりあえず、後に残しておきましょう。
あとは、どうして、一日が24時間と、佃煮マニアが信じてしまったかだ。
それは、佃煮マニアの友達や、親や、教師が、みんな思慮の浅いバカだったからだな。
みんな、一日が24時間だと信じているから、佃煮マニア自身も一日が24時間だと信じてしまって、
そして、時間が進むことも、主観とは関係なく起こると信じている人から教えられたから、佃煮マニアがそれを信じているのだろう。
それが、佃煮マニアの独我論ではない理由をききたいんだけど……。
まぁ、佃煮マニアは、いやいやそうではなくって、二人以上の学者が一日は24時間だと言ったのだからそうだろう。
さあ、一体それは誰と誰なのか。
そして、みんな誰と誰の研究を信じて、一日が24時間だと思っているのだろうか。
次の佃煮さんの書き込みが待ち遠しいですね。
ユビーは見苦しいな。詭弁家の開き直り。
自分の書いていることを本気で信じてるのなら只のアホだ。
たった1レスの中に佃煮マニアと7回連発する粘着ぶり
しかも1日に何回巡回しに来てるんだよw きもすぎw
よっぽど佃煮に無視されてくやしかったんだなw
まあ言ってる事に論理性が皆無だから当たり前と言えるが
28 :
Kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc :2010/11/24(水) 08:18:21 O
有意味論
なんで実例を出す必要がある?
ドゥルーズが一切は差異であり、同一化は意識の作用だ、と言ったのを繰り返せばいいじゃないか。
一切が差異である、ということを、俺の具体例を使って実践的に示すことは、ドゥルーズの本意じゃない。
まさかあなたは、ドゥルーズの差異論を主観的だとか実践的だとかいうことはないと思うので。
ところで
>>3について議論を展開していきたいのだが、
3はまさにベルグソンを引き継いだドゥルーズを、俺が引き継いだ時間論だ。
以後はこれを中心に議論を進めたい。
最低限ドゥルーズを読み、ベルグソンを理解する有意味論と佃煮に意見をうかがいたい。
切り絵もそろそろ将来が不安になってきただろ
自分がいったい何者になれるのか?どこに向かっていってるのかw
30 :
唯意味論:2010/11/24(水) 09:35:50 0
>>16 君ほど暇ではないのです。w
私は、こういったはずです。「同一の事象はない」と。
反証は(というほどでもないが)容易でしょう。
同一の事象を一つあげればいい。あっさり白旗をあげます。
どこかで聞いたようなキリスト教にまつわる君の解説は、けっこうです。w
君は、こう述べている。「二人以上の専門家が認定し、2000人以上の人々が
それを認めれば、それは客観的事実である」と。
そこで「イエスの受難と復活は君の基準を優に超えている。“客観的事実”と
君はみなすのですね」と質問したのだが、あいかわらず君は薀蓄を傾けるだけで
肝心の質問に答えようとはしない。
もう一度訊くが、あれは“客観的事実”なのですね?
(私は共同主観的な出来事(説話)だと思っている)
なお、私は機械氏の自演コテですがww決定論については判断保留。
唯物論については否定的です。存在の起源あるいは根源には何か(実体)がある
はずだが、なくても“存在”は可能なのかもしれない。時(空)さえあれば。
ちなみに“客観”をしらなくても、方法としての“客観主義”という立場はある。
31 :
唯意味論:2010/11/24(水) 09:54:46 0
>>28 君の文章に馴染んでいないこともあって、たとえば
>>3についても
冒頭から躓いてしまう。
「過ぎ去りつつある」の主語は“時間”でしょう?
それは、不特定の“主観”感慨ですか。
次の「まとめる」の主語は何ですか。
このあたりを明確にしないと、例のごとく議論以前の議論になってしまうのでは?
32 :
唯意味論:2010/11/24(水) 10:11:35 0
>>28 前レスの“主観”感慨→“主観”の感慨
「形式」は、それを纏める不特定の“主観(主語)”に帰属する、と
みてよろしいのですね? このあたりまでは、まだ“主観的時間”
を語っています。
33 :
考える名無しさん:2010/11/24(水) 10:21:37 0
唯意味論は根暗だな。。
34 :
唯意味論:2010/11/24(水) 10:36:54 0
>>16 佃煮さん
以前にも注意したと思うのだか、一つイヤミを…
「喧々諤々」ではなく、「侃々諤々」です。
喧々のほうは「囂々」となります。
もっとも言葉には確定した意味などないので、2chの大スターである君が
「喧々諤々」を本気で定着させようとすれば、不可能ではありません。w
使い続けてみれば、いかがでしょう?
君のレスを読み直して感じたのは、相当に被害者意識が強いようですね。
被害者意識は、さらなる“妄想”を生みます。早めに…
35 :
考える名無しさん:2010/11/24(水) 10:38:00 0
やっぱり暗い。。。
36 :
考える名無しさん:2010/11/24(水) 10:39:06 0
ユーモアも暗い。。
37 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/11/24(水) 11:21:35 0
>>31 過ぎ去りつつある「もの」だ。過ぎ去りつつあるは形容詞句。過ぎ去りつつある
もの一般を言った。主客以前の、事実としての過ぎ去るもの。
誰かのものでのないし、誰のものでもないものでもない。そういった分枝以前の、
事実としての過ぎ去ること。まあここで、事実として過ぎ去るものを捉えるのは主観だいや客観だとかいう
議論はしないでくれよ?
で、形式は、存在の形式と生成の形式。事実としての過ぎ去ることでなく、
過ぎ去るのに形式が必要で、存在するにも形式が必要な、静的・点的な、
前存在。
ここでも主客は未分枝。そもそも主客は存在だから、その形式を語っているわけで、
主客とかあらゆる議論がそこに内容として含まれうる、純粋な形式。
その「存在の形式面」を満たすものが、生成を条件としない、存在。
すでにある事実を、存在形式と生成形式を用いて纏める、存在。
ここで存在は、自ら存在形式の内容でありながら、生成はしないで、
過ぎ去りつつあるものを存在形式と生成形式のもと、静的に捉える。
だから、ここで存在と、存在させられるものが分枝する。
静的に捉えた限りでの、つまり生成と存在の形式をみたすある纏まった内容を、
存在者(存在形式と生成形式との主体)は存在させる。しかし、その纏まったものは
存在であり、生成の形式をもたない。しかし、存在者は、彼が纏めたところの存在と、
合致しなければならない。これが、純粋生成。つまり、もともと生成などという
概念なき存在と、存在者とが一致する、ということが、純粋な生成。この
生成がそもそも形式として存在者に備わっていなかったならば、彼は純粋な生成を、
存在として捉えてしまうだろう。つまり、自分と異ならなければいけない。
が、誰もが認める自己同一性の根拠としての生成は、必然的に存在する。
だから、生成形式は、アプリオリ。
この存在(存在を本質とするもの)と存在者(存在形式と生成形式との主体)
との合致(総合)、が、生成。
だから、存在しつつ、原初的な生の事実を存在させながら、それと合致する
こと、それがあらゆる存在するものの、条件であり、時間の本質。
38 :
考える名無しさん:2010/11/24(水) 11:54:56 P
>誰かのものでのないし、誰のものでもないものでもない。・・・
すでにしてオカルト
以降不明
分枝とは超越か
なんでもありだな
39 :
唯意味論:2010/11/24(水) 11:56:58 0
40 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/11/24(水) 11:58:10 0
>>38 ベルグソンが普通に言ってることだけど?>主客の分枝以前
どこがオカルトなのかな?
41 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/11/24(水) 11:59:28 0
分枝は超越じゃなくて、超越論だよ。
主客の分枝の可能性の制約だから。
42 :
考える名無しさん:2010/11/24(水) 12:09:37 P
ベルグソンが言ってりゃオカルトじゃないのか
とんだ権威主義だな
分枝した事実でもあるのか
分枝する必要があるのか
そもそも分枝以前とはなんだ
それがオカルトとはならない妥当性とやらを教えてくれ給え
馬鹿は黙っててね
44 :
考える名無しさん:2010/11/24(水) 13:18:19 O
本当にバカだよなw
Kyrieはやっぱり、何と何が同一であるかとは言わずに、何かと何かは同一であるって言ってるやん。
アホやん。
こんなことでええの!?
まぁKyrieでも佃煮でも。
一日が24時間だと言ってる学者の名前二人上げてくれよ〜〜。
みんな知ってるはずだからさ〜〜。僕もうっかり忘れてるだけだと思うからさ〜〜。
名前聞けば思い出すと思うんだよーー
何で誰も知らないんだ〜〜
Kyrieや佃煮以外に、一日が24時間って言ってる学者の名前、知ってるヤツいないかー
だからKyrieが何をもって一日が24時間だって言ってるのか。
それを教えてくれれば、いいわけよ。唯意味論もその同一性について答えられると思うよ〜〜。
でも、それを答えないからダメなんだなあ。
一日が24時間って誰がいったの? 君の好きなドゥルーズやベルクソンがいったのかね?
ドゥルーズやベルクソンの時間論の中で語られているものを、君が引き継いだのかね?
おしえてくれ〜〜
普遍的妥当性の一日は24時間だというが、僕はそんなことないと思うし、誰もそんなことは思ってないわけだ。
違うのか〜〜?
しかし、ドゥルーズやベルクソンが一日24時間言ったか、言ってないのかでさえKyrieにはこたえられない。
なぜかというと、ドゥルーズやベルクソンを、まったく知らないからだ。
彼らが一切、どのように時間を捉えて、文字に置き換えているかということが分からない。
それが分かれば。
ドゥルーズやベルクソンは、一日が24時間だと言ってる。断定してる。
そして、それをみんな信じてる! といえるはずなのに。そうは言わない。
これはどうしてなんだろう!?
じゃあ、Kyrieが一日は24時間だと言った根拠はどこにあるんだ?
「彼の中ではそうなのだろう」 としか思えないわけだ。
>>8 おっと、僕も人の事はいえないから、引用しておこうかな
>1日が24時間であるというのが主観的取り決めであることは、まあそうだろうが、
かつ客観的にも正しいものである、という可能性をどう打破する?
客観的に正しいと言うのは……。
>>28 キリエさん
なんかスレが祭りのようになっていてレスが流れがちです、スレ主のキリエさんのレスを見逃すところでした。
ベルクソンは、主客未分化の持続を直観せよと言い、
ドゥルーズは、過去―現在―未来が受動的に総合された時間を生きよと言ったのではないですか?
どちらの時間も、秩序から無秩序にむかうという点では一致しています。
このようなことは、実は昔から言われていた事で、例えば、
「見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に持続するのです」という言葉があります。
クロノス時間とカイロス時間ということを、この間私はいいましたが。
この永遠に持続する時間、直観でしか感じ得ない時間、または受動的に総合された時間というのは、
つまり神に与えられた永久の時間、つまりカイロス時間と一致するものです。
私たちは神に促されて、永遠の現在を手放し続けなければならないということです。
神に抵抗があるなら、神(=自然)と表現してもいいでしょう。
トーヘンボクさん前スレ
>>994>>996ありがとうございます。
2ちゃん脳になると、痴呆症の症状がではじめるようですね。私も気をつけないとなあ。
>>30 唯意味論さん
私は家に仕事を持ち帰ってやっているんですよ。ペンタブで絵を書き、転送して打ち合わせているんです。
暇を持て余して自演三昧のあなたと一緒にしないでください。
論旨がくめてませんね。私の語ったのはただの蘊蓄じゃありませんよ。議論の趣旨を説明したのです。
決定論はキリスト教道徳から派生しました。教徒達、神学者たちの間で、
「自由意志を持つと罪になるから、教徒は来世のために贖罪をしなければならない」と、長い事語られてきました。
機械さんがキリスト教を否定すれば、同時に決定論も否定する事になるんですよ?わかってるんですか?
それから、神が人間を作った事も、キリストが復活したことも、欧米では客観的事実です。
奇跡に懐疑的な科学者や神学者やバチカンが認め、数億の人が信じている事ですから。
あなたのように否定する方がマイノリティなのですよ。
同じ客観的事実としての時計時間については、コペルニクスとガリレイが時計を開発しました。
いまでは人類は時計に頼らないと生きて行けません。何か疑う余地がありますか?
コペルニクスとガリレイが時計を開発しましたって、遠くないですか?
ていうか紀元前から、時計という概念はありますよね?
言ってることおかしいですよ〜〜。
ちょっとボロが出てきたんじゃないですか……。
で、コペルニクスは一日が24時間だと言ったんですか?
ガリレイが一日は24時間だと言ったんですか?
それを、私たちは信じているのでしょうか。
まぁ、仮にそうだったとしても、また問題がありますね。
あなたは、時間が進むのは主観と関係なく起こると言ってるんですよ。
コペルニクスやガリレイは、どう主観と関係なく、時間が進むと言ったんでしょうか?
まぁ、仮にコペルニクスやガリレイが時計を開発したとして(その事実はまるで知らないけど)
どうして、時計に、随時補正を入れなければならないんでしょうか?
時計という客観的時間が正しいのであれば、補正を入れなければならないのは、我々の方ではないですか。
>欧米では客観的事実
こういうことを何度も言ってきたつもりなんだけど。
それは、自分を主観とおくから、キリスト教では客観的事実なんでしょ?
キリスト教の主観で言えば、我々が神がいないと言ったとしても、キリストは生き返らなかったと言っても、無意味なんでしょ?
それを、”キリスト教で正しいと言う客観事実があるから”というのはおかしくって。
ただ、キリスト教という主観が、それを享受しないだけじゃないですか。
だから、客観的なキリスト教から、キリストについて話す場合、それは主観なんですよ。
他を客観的として、受け入れないだけ。 そこに客観的事実があるんじゃない、主観であるだけ。
だから、主観関係なく時間が進むことなんて、ありえないの。
これをどうしてずっと理解できてないのか……。
>>51 アホか。時計という機械の振動数と実際の時間がズレるから年差が出るに決まってるだろ。
何を基準に時計を修正してるんだよ。
君のお腹が減ったら12時、眠くなったらに0時に時計を合わせるのかよwww
実際の時間っていうのは?
え!?
佃煮さんが、客観的時間が正しいと言う時間と、
>>53さんがいう実際の時間というのには、ズレがあるんですか!?
どうして!?
55 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2010/11/24(水) 19:53:28 0
>>42 どこが権威主義なのか?
俺のレスがベルグソン批判だということも読み取れないなら、貴方はロムに徹してた方がいい。
ベルグソンを前提としない、というより踏まえない時間論は、どうしても分りやすい
主客の問題に還元されてしまうんだよ。
分枝とは、主観と客観に物事が分かれることだよ?分枝以前とは、生そのものだ。
かつて佃煮が誤って、生そのものを主観的だ、と誤読したがね。
オカルトにならない妥当性なら簡単だ。
生成としての生を本質とすれば、主客を生成するところの「分枝以前」があるはずである。
そして生成としての生は、直観的に明らかだ。
これがベルグソンの主張。これを正当とするかどうかは、議論があるがね。
カントが直観の形式を時空だとしたとき、その妥当性を問う先見的演繹を行わなかった。
だから、カント以外の直観者が時空を直観の形式とするか否かは、そもそも
時空の可能性の制約がカントによって問われていないから、任意だ。
>>55 分かったら、一日が24時間って根拠はどこにあるのか言えよ。
57 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2010/11/24(水) 20:00:49 0
突っ込まれる前に。
>>55 × 先見的演繹を行わなかった
○ 先験的演繹
58 :
唯意味論:2010/11/24(水) 20:04:18 0
>>50 「欧米では客観的事実」だって?
では、アジアでは違うわけだね。
すると、客観的事実というのは地域によって、あるいは時代によって
コロコロとかわるわけだ。ww
そういうのを(共同)主観、偏った見方(文化)というのである。
マイノリティという言葉がでてきたように、君のいう“客観”は結局、
多数決で決まるようである。参りましたね。
いや、数は力だから、差し支えないか。(苦笑)
「欧米ではイエスが復活した」のは客観的事実」ではなく、それを
信じる人たちが多いという“統計的事実”はある。
が、統計的=客観的でないのは常識だろう?
>>51 佃煮君がこれほど素朴な人物だとは思いませんでした。(驚きです)
ユビーさんもムキにならずに軽くお相手するほうがいいですよ。
それよりも晦渋趣味のスレ主、キリエ君の悪文にとりかかってください。
のちほど私も参加します。
>>3 > 過ぎ去りつつあるものを纏める形式(存在形式、生成形式)と、
> その纏まったもの(存在)と纏めているもの(存在形式と生成形式との主体)
> との相違(生成)の総合(本質的存在、かつ本質的生成)、
> こそが時間の本質である。
ということは時間は「過ぎ去りつつある」という事実に規定されてしまやしませんか?
>>54 どうしてって、時計の針の動力源と調速機構はゼンマイやバネや1Hzのパルスなどで機械的に作ってるんだから、
ズレてくるに決まってるでしょ。
61 :
佃煮マニア :2010/11/24(水) 21:09:28 0
機械さんは議論に弱いですねえ。
人の話をぜんぜん聞いてないし、揚げ足取りと妄想のおしつけばかりじゃないですか。
だから何度も言ってる通り、
2人以上の学者が研究の結果認め、2000人以上の人が信じている事は客観性があると認めていいのですよ。
機械さんは病的な理系コンプだから科学と相反するキリスト教をままごと遊びか何かのように扱いたがりますが、
神が人間を生み出した事も真理だし、キリストの復活も真理なんですよ。歴史的事実です。
この事実は、研究が重ねられて何度も裁判され立証されているんですよ。バカの多数決とは違います。
イギリスの最高裁判所長であるダーリング卿の頭脳が認めた客観的事実なのです。
そんなことも知らず能天気に統計だの文化だの言っている早とちりのバカはあなたでしょう。
それで、あなたの大嫌いなキリスト教から派生した決定論をこの先どうやって主張するんですか?
決定論のベースであるキリスト教を否定しながら、決定論だけは持ち上げるんですか?
あなたが10年も自演連投して維持してきたスレに致命的な欠陥があることが明らかになっているんですよ?
なぜその議論から逃げるんですか?
>>60 !!?
なるほど!!
それ、佃煮さんに、教えてあげた方がいいですよ!
彼は、まだそのことを知らないみたい!!
時計という客観的事実が、一日24時間と証明していると思ってるんです!
佃煮さーーーーーーーーーーん。
時計ってのは、ズレてくるものなんですって〜〜〜。
そうかそうかー。時計が一日24時間と刻む時と、実際の時間というのは、ズレ込んでくるわけか〜〜。
どうしてこんな簡単なことに気づかなかったんだろう……。ボクもバカだねぇ。
まぁ、とりあえずキリスト教どうこう言ってるなら別のスレでやればーって思うんだけど。
佃煮マニアのほうが、ずれてるかなーって思うよ。普通に。
唯意味論の言ってることは、その客観的事実は、
結局キリスト教やら、宗教やら、歴史的やらによる主観だろって言ってることなんですよー。
とりあえず、客観的と主観的の定義をはっきりさせたほうがいいですよ。
「キリストから派生した決定論」とか言ってる時点でズレてると思うし。
彼には彼の決定論があっていいんじゃないのーって思うけどねぇ。まぁ、正直スレ違いすぎるわ〜〜。佃煮さん。
64 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2010/11/24(水) 21:53:42 0
>>49 ベルグソンはそのとおり。ドゥルーズは誤読と言い切る自信はないが、俺の理解とは
違う。
有機体レベルでの綜合が、受動的総合。受動的総合はフッサール用語らしいが、
俺の読んだフッサールにはなかった。
過去の綜合には、能動的総合と受動的総合がある、と「差異と反復」ではっきり言っている。
そして未来とは、創造が創造主に対して相対的であることから、創造そのものの自律という
意味での、「新しさ」が主題になっている、と解釈した。
しかも綜合の順番としては、まず生ける現在、純粋過去、未来(永劫回帰)の順だ。
>>59 そうだよ?それが大前提。主客二元論以前の大前提だよ。ベルグソンの持続論の
基本的な前提だ。だからそれを認めるか認めないかは、議論の余地がある、と
言っている。
分かったからはよ、一日が24時間の根拠だせや。
まぁあんまり悲しいことはいいたくないんだけど
> オレの時間論は主客二元論を超越した
> オレの時間論は、他の主観的時間、客観的時間を享受しない。
> 一日は24時間である 一年は365日である
まず、オレの時間論とは、何なのかってことだよね。 オレのって言ってるけど……。
で、とりあえず、一日は24時間だっていうのは、どういうことなの?
どこがどうなって24時間におちついたわけ?
>>64 じゃあ、このスレの要旨は「時間は過ぎ去りつつある」と仮定した場合、(現前の存在)を
纏める形式(存在形式、生成形式)と、 その纏まったもの(存在)と纏めているもの
(存在形式と生成形式との主体) との相違(生成)の総合(本質的存在、かつ本質的生成)、
こそが時間の本質である。 」という命題についての議論と言うことですか?
そうすると命題の各部分についての解釈の厳密化ができるような気がしますが。
というのは、自分の時間の解釈は「時間は過ぎ去らない」という立ち位置なので。
話して意味が無さそうならこのスレからは退散します。
69 :
考える名無しさん:2010/11/25(木) 13:35:38 O
何回同じような話すんだよ
自分が時間をどのように感じるかなんて主観的な話はどうでもいいんだよ。
ユビーは主観的な話ばかりして、主観的な時間の話ばかりだから、
それ故に時間は主観でしかないという詐欺のような理論を説いている。
そうじゃなくって。
Kyrieが主客二元論を超越したとかなんとか言ってるけど、それは結局主観的な時間なんじゃないのかってのは心配するけどね。
僕は時間が主観的だとか、客観的だとか言ったことはないけど。
君の言ってる時間は主観的時間だよねーとは言ったことあるよ。
そして、僕が時間について話す場合も、主観的になってしまうだろうね。
だから、Kyrieや佃煮がどうやって客観的時間について話すのか、また主客二元論を超越した時間について話すのかは興味深いね。
例えば、Kyrieが、オレの時間論と言うとき、またベルクソンの時間論、ドゥルーズの時間論というときに、
それは、何観的時間なんだよって思うことはあるわけだ。
彼は、ただベルクソンの時間論とドゥルーズの時間論を引き継いだオレの時間論なのだから
主客二元論を超越している。と、こういってるようにしか聞こえないわけだ。
じゃあ、その主客二元論を超越したオレさんの時間論について質問するんだけどどうもおかしい
1日が24時間だと言ったりするわけだね。これは客観的事実なんだっていって。しかし、その根拠がないわけ。
客観的事実だという根拠しかね。 そして、僕が誰もそう思ってないよって言っても、何もいいかえせないわけだ。
ドゥルーズやベルクソンがそう言ってるわけではないの? って今聞いてるんだけどね。
だって、どうしてKyrieが一日は24時間だって思ったかってのは大切なことだよ。時間が進むって思ったことぐらいね。
そして、Kyrieがこれに答えた時には、主客二元論を超越しない時間論になってしまうので、こたえられないわけだ。
立派な時間論じゃないかー。
72 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2010/11/25(木) 19:24:00 0
>>67 仮定というのは、引っかかるな。ベルグソンは、事実として、今生きていることを
疑わなかった。そして、生きるということは、持続すること。だから、
過去がそもそもないのならば、持続しているとは言えず、だから実在性そのものが
疑われる。
生きていること、これが疑いえない事実だ、としたわけだね。
貴方の時間は過ぎ去らないという論についても興味あるので、気が向いたら
レスしてください。
>>64 ベルクソン批判も面白いですね。
ベルクソンによって「持続」と名付けられた時間ですが、
これは過去の記憶を現在に呼び戻し今の瞬間に練り込んで行くという行為を直観によって体験することです。
本来なら、生きられた時間の長さが伸びるにしたがって過去は増大していきますが、しかし同時に過去は忘却によって消滅していきます。
そもそも世界自体、ついさっきから始まったんじゃないかという仮説「世界五分前仮説」もあります。
また、短期記憶がふっとんだ痴呆老人にとっては、過去は生きられた時間ではなく、失われたゴミでしかありません。
ベルクソンが、「知覚は記憶から逃れ得ない」と言いますが、例えば痴呆老人にとっての知覚はどうなるんでしょう。
失われた記憶も、脳のどこかにひっそりと残っているという説もありますが、呼び起こされなければ意味がないでしょう。
>そして未来とは、創造が創造主に対して相対的であることから、創造そのものの自律という
>意味での、「新しさ」が主題になっている、と解釈した。
まだ決定していない流動的な未来からの時間の流れの一点を受け入れるというのが、ベルクソンの「持続」であり、
我々の生命的な進化は、絶えず個の内側からのエネルギーの発展によって、予測不可能な方向に枝葉を伸ばして行ったとも言えますが、
これに対して、「未来は予め予見されている」という決定論からの反論はないのかとも思います。
決定論者の唯意味論さんからの指摘がないのが何とも残念です。
そして、過去と未来の両端は閉じられて円環になっているのか、途切れて伸び切っているのかどうなのか、という議論もあります。
あの、「一日は24時間」というのを教えて欲しいんですが。
どうして、こんな単純なことが答えられないんでしょうか。
話が前に進まないんですが……。
何故、そうではないとも言えず、そうだとも言えないんですか?
僕には、それがどうも後ろめたさなのではないかと思えてしまうんですよねぇ。
まぁ、僕も答えられないのが分かって質問してるんだけどね。
じゃあ、その答えられないはずの 「一日は24時間」だと、何故いえたのかってのがおかしいんだよねぇ
1日は24時間ではない、「約」24時間である。
地球の自転は日々遅くなっている。
8億年前は、1年が400日を越えていた。
え!? そうなの!? 約24時間なんだ!! へええ〜〜。
じゃあ普遍妥当性ってのは?
なんで時点が日々遅くなってるって人がいるのに、一日が24時間だってことに、妥当性があるの?
まぁでも僕は
>>75と話してもしかたないんだよね。だって、Kyrieの時間論とはまるっきり違うことなのかも知れないからね。
Kyrieの時間論は、一日が24時間でもいい時間論なのかも知れないじゃない。
それが普遍的だっていう、彼の「オレの時間論」ではね。
だから、Kyrieの言葉できかなくっちゃねえ。
一日は24時間なのか、そうでないのか。 どうして、こんな簡単なことがいえないんだろう。
だから、2ちゃんねるでの議論は難しいんだよね〜〜。対談なら一発なのにさー。
「一日は24時間なの? Kyrieさんの中では。また、Kyrieさんが言う客観的な正しさの中では。」
じゃあ、ハイかイイエかいえるだろ。
まぁそれでも、2ちゃんねるだと無視し続けることが出来るわけだ都合の悪い質問には。
でここで僕は、一日は約24時間ですってKyrieが言ったところで、前といってることが違うじゃないかってことが言いたいわけじゃない。
まぁそれでも、彼が約24時間だと言うかは分からないのだけどね。
(たぶん、これから先も言えないだろう)
確かに客観的に思われていることで、一日は24時間だと言うことはあるだろうが。
それは、客観的に思われているだけで、実は違うんだってことを、Kyrie自身でも知らないことになってしまう。
また、一日は約24時間だと言ってしまうと、やはり、普遍妥当性を得られない。
それどころか、客観的に正しくないことだと分かってしまう。
また、一日約24時間が客観的な正しさというのなら、僕はそれを最初から言っていたし。主観的な正しさとしてもそれを受け入れればいいと思うし。
だれかの主観に乗って話しているんでしょう? ってことにもなっちゃうしねえ。
まあ、色々問題だねえ。
それでまぁ、Kyrieとか佃煮とか、波平にもいえるんだけど。
彼らは、僕にレス送ってきてたわけじゃない。
急に途絶えたんだけどね。
まあ、言いたいことがあるうちは言うんだよ。頑張れるうちは、まぁ威勢良くいうわけだ。
しかし、頑張れなくなると、スルーしてしまうんだよね。
僕は、全然それはいいと思うんだ。
だけど、頑張れなくなりましたってことを言わないよね。
Kyrieと佃煮が僕をスルーする理由は
「ユビーが、答えられない質問をしてくるから」なのは、あきらかなのに、そういわずに
全然別の理由をつけてスルーするわけだ。
「ベルクソンからドゥルーズに引き継がれたオレの時間論を理解してないから」
或は「荒らしだから」
しかし、その根拠はというと、痛いところで、やはり、僕がさんざんした答えられない質問のように、(根拠を)持ってないないわけだ。
80 :
考える名無しさん:2010/11/26(金) 00:22:54 P
1日は24時間ですよ
それが定義ですから
81 :
唯意味論:2010/11/26(金) 10:54:29 0
>>79 ユビーさん、一日が「約24時間」にはキリエ氏も気づいているでしょう。
そこに突っ込むのはもういいのでは?
もっとも佃煮氏は「多数が(2000人以上かな)そう信じたら、それは客観的事実」
だそうですので、一日=24時間は“客観的事実”と言い張るかもしれません。w
この定義、あるいは取り決めは二つの“運動”を結びつけたものである。
一つは地球の自転、もう一つは時計の振動。前者を後者で分割したものだ。
空間(的表徴)を別のそれで数えたものといってもよく、実はどこにも“時間”を
見出すことはできない。
“時間”を論じるためには一旦、そこから離れる必要がある。
すなわち主観的(心的)に語るか、客観的に(科学の知見をとりいれて)語るか、
のどちらかに徹し、それらを食い破ることができるか否かだろう。
“主客未分明”などという立場は不可能なのだから。w
さて
>>37だが、いみじくも
>>38が述べているように、何でもありの文章です。
突っ込みどころ満載であり、どこから質問すべきか迷ってしまう。w
キリエ氏とはつきあいの長いユビー氏の要約、解説をお願いしたい。(すんません)
82 :
唯意味論:2010/11/26(金) 11:25:45 0
う〜む、私はカン違いしていたのかもしれぬ。
佃煮氏をピカと思い込んでいたが、どうやら間違っていたようだ。
「サッカクイケナイ、ヨクミルヨロシ」でした。(苦笑)
一連の彼の論旨から察するに、もしかしたらプロテスタントのムジンクンでは?
といって、この人もも思い込みが強く…
たしかに機械さんはユダヤ・キリスト教を憎悪しており、ヘーゲル、マルクス
の思想にも全面否定である。いまでは、唯物論というよりも科学万能主義者。
機械氏の自演コテの私は、どちらかといえばキリスト教好きの“確率論”です。w
83 :
考える名無しさん:2010/11/26(金) 12:24:03 P
>>55 >俺のレスがベルグソン批判だということも読み取れないなら、貴方はロムに徹してた方がいい。
できればそうしたいところだ
>ベルグソンを前提としない、というより踏まえない時間論は、どうしても分りやすい
>主客の問題に還元されてしまうんだよ。
・「前提」→「踏まえる」とか、何を意図して言い換えたのか
・分かり難い方が良いと思ってるのか
>分枝とは、主観と客観に物事が分かれることだよ?
「物事」が「別れる」と素朴に信じてる訳か、ベルグソンは
>分枝以前とは、生そのものだ。
「生そのもの」とか、言ってて恥ずかしいとは思わんのかな、ベルグソンは
>かつて佃煮が誤って、生そのものを主観的だ、と誤読したがね。
それは知らん
84 :
考える名無しさん:2010/11/26(金) 12:25:42 P
>オカルトにならない妥当性なら簡単だ。
ほう
>生成としての生を本質とすれば、
最初からオカルトを仮定するのか
>主客を生成するところの「分枝以前」があるはずである。
論点先取(分枝ありき)なんだから、そりゃそうだろうな
>そして生成としての生は、直観的に明らかだ。
ここポイントだな
なにかね「生」とは
「生」「物事」「分枝」の間の関係を合理的に説明してくれ
>これがベルグソンの主張。これを正当とするかどうかは、議論があるがね。
ベルグソンはDNAの存在も知らなかった前世紀初等の人
分子生物学を知らない彼が有機体がどうたらと言っているわけだ
その前近代の知識から派生した「生」の如き亡霊を現代に復活させるなど
言葉遊び以外の何ものでもない
>カントが直観の形式を時空だとしたとき、その妥当性を問う先見的演繹を行わなかった。
>だから、カント以外の直観者が時空を直観の形式とするか否かは、そもそも
>時空の可能性の制約がカントによって問われていないから、任意だ。
カントが制約してないから、なんでもありなのか
なんだそりゃ
85 :
考える名無しさん:2010/11/26(金) 17:42:44 O
あのさ、時間自体が加速してても、時計は相変わらず24時間を規則正しく刻むワケですよね?
>>85 問題は「刻まれている」ことじゃないような。
距離の変化の割合が速度だ。
一定の、時間という無限の直線の存在を前提にして速度が定義できる。
ここで重要なのは、時間、というのは無限の長さを持った有る量である、と言うことだ。
そして、時間の、量でなく、質は、速度を可能にするところから、現実世界においては、速さの属性を決定づける性質だ。
時間に、ほかの役割はない。そして、その本質は、性質から決めれば、流れゆく物、と言うことだ。
時間が、流れるように感じるのは、つまり時間の速さは、無限の長さを持った時間軸全体が移動する速さ、あるいは、
無限の長さを持った時間軸に対して存在が移動する速さだ。
時間軸と空間軸は直交しているから、空間の中には時間は存在せず、時間の中に空間は存在しない。
両者の関係のみがある。四次元の位相から両者の関係を規定できる。
88 :
考える名無しさん:2010/11/26(金) 19:31:23 O
距離の変化?位置の変化じゃね
物理勉強してないのばれるよ^^
>>88 日常的な速度(物理的な言語の意味でない速度)、物理では速さ。どちらを用いても問題ないと思うが。
90 :
考える名無しさん:2010/11/26(金) 19:56:31 O
>>87 うぉ、レスありがと。
>>88 うん、その通りで、高校も専門学科で物理なかった一般人(汗)
おもろいな〜。勘違いかもだけど、NASAで時間の長さって観測してます?星からの電波だぁ光だぁを観測してさ。それが主じゃないけど。
91 :
考える名無しさん:2010/11/26(金) 20:36:19 O
それって時間の長さじゃなくて星までの距離を測ってんじゃね?
92 :
154人目のヒト:2010/11/26(金) 20:47:06 O
>>91 そうなんだけど、そのついでに時間の計測もしてるって聞いた事あって。それに変化あったっていう報告とかあれば面白そうだな〜って思ってさ。
>>81 そうじゃなくって、どうして答えられないかってことだよね。
僕はたんなる言い間違えなどを咎めたいわけではないの。
しょーじき僕もKyrieの文はよーわからんけど、Kyrieがそういうならそうなんじゃないってことだよ。
例えば
>>3で、反論求むって書いてるんだけど。反論の意味分かってるのかなって思うんだよね。
まあ適当に見てて、言ってること違うんじゃないのって思ったら、質問したらいいと思うよ。
Kyrieは自分の意見はコロコロ変るっていってるけどね。
だけど、いつ変っているか分からないから、僕の質問には答えられないわけ。
具体的なことはいえないんだよね〜〜
おわらせてもたー
>>75 これは大発見です!私は今までこの、地球の昔から比べて自転が遅くなっているという研究結果を知りませんでしたよ。
私もこれからは「一日は約24時間」と言う事に決めました。
>>82 唯意味論さん
機械さんみたいに自演しまくっていると、他の人も同一人物に見えたりしますよね。
それにしても、純一さんでも私とぴかぁさんの区別をつけられているようですよ?純一さんの中では私はポールと同一ですが(笑)
それより、科学万能主義では決定論は語れないんじゃないですか?あなたの中の人は機械さんなんでしょう?
決定論の基礎となる予定説やラプラスの悪魔などは、キリスト教が元になっているし観念的な説じゃないですか?
今まで決定論スレにこの二語が登場しなかったはずはないと思いますが、機械さんは一体どういう位置づけをしていたんでしょうか?
予定説もラプラスの悪魔も時間に関係のある説なので、ぜひこのスレで説明願いたいですよ。
>>81 だから何度も言っているとおり、
二人以上の学者が研究結果として発表して2000人以上が信じている事柄は客観的事実なんですよ。
主観的時間と客観的時間の対比もまあひとつありますが、
ベルクソンやベルクソン研究者が打ち立てた、主客未分化の状態を直観する時間も、一つの時間の捉え方なんです。
・・・しかしキリエさんがなかなか現れませんね。反論をまっているんですけど。と思っていたらAbsalomさんが。
>>87お久しぶりです。ご健勝だったんですね。
前にスターリン(バンド)とマルクス主義のことを教えてもらって、なるほどなあと感嘆したものです。
時間が無限の長さを持っているという説もありますが、時間には終わりと始まりがあるという説もあります。
一日は約24時間ということにしました! や、あらへんがな。
お前は、誰か偉い学者二人が24時間にした、時計をつくったのは、ガリレイとコペルニクスとか言うてたんちゃうんかい。
それはどないなっとんねん。
だから、時間が進むのは主観とは無関係に起こるし、客観的やいうてたやろが。
1年も365日とちゃうねん。
お前の時間が進むの根拠はどこにあんねん
>>81 なかなかいい事を言うじゃないか。そのとおりだよ。時間論と主観的時間論
は独立しているね。独立してはいるが、まず時間論を十分に展開し、それが
終わったら、次に主観的時間(なるもの)を論じればよい。
81さんは、なかなかよくわかっていると思うので、彼が時間論をやっては
どうかな?
>>81 しかし2節目は違うな。地球の自転の振動を時計の振動で分割する?
なにを言っているのか、よくわからない。
まず地球の自転の周期性を日時計を使ってモニターする。
つぎに何らかの機械的仕掛けを用いて、そのモニターによって
再現された自転の周期性を正確に再現しうる仕組みを組み立てる。。
これが機械時計だ。。。
こんな事、セイコーやシチズンの社員ならずっと豊富な知識を
持っているはずなのに。なぜか、彼らの書いた時間論って、
(もちろん、あるに決まっているが)あまり有名じゃないよな。。
しかしあるはずなので、一応調べてみるかな。。君らも見つけた
ひとは教えてよね。
99 :
唯意味論:2010/11/30(火) 09:37:28 0
>>95 このスレを覘くまで、君の文章を読んだことがなかったのです。
ピカには以前、レスをつけたり、揶揄ったことはあります。
どちらも有名な純一氏の罵倒の対象になっていたので、つい錯覚しました。w
で、ムジンくんは合っているの? (ポールはパウロの英語読みでしたね?)
2000人以上…云々を“客観的”というのは君の勝手です。w
私は、それを「2000人以上に客観的と妥当された」と称しているのです。
あるいは「2000人以上が客観的とみなす“統計的事実”がある」ともいっています。
こんなにあっさり「主客の問題」が解決されるとは…(苦笑)奇跡的です。神は偉大です。
そう、ベルクソンのそれは一つの捉え方です。
それを「妥当」とするものが2000人以上に達すれば「客観的」になるわけですね? w
機械さんは出張から帰っていますので、あちらで機械さんに直接、訊ねてください。
あくまでも私は自演コテなのでwwその立場は異なります。
100 :
唯意味論:2010/11/30(火) 10:35:37 0
>>98 別のスレで「お前の時間論を語ってみろ」といわれているのですが…
答えられずに、こちらに勉強しにきたのです。(苦笑)
>>98 日時計を用いても同じです。
その(空間上の)変化と地球の自転(空間上の運動)を対応づけてはいるだけで、
《時間》が空間的表徴の“比”として数えられることに変わりはない。
これを精緻化したのが時計である。
時計を製造する彼らが日頃、時間を“哲学”しているかどうかは疑わしい。
彼らは客のニーズを、どう満たすかに腐心しているのではないか。
ニーズの一つに“正確さ”がある。時計に正確さを求めるのは2000人は下る
まい。つまり正確さは客観的ニーズだといってよい。w
では、時計の“正確さ”とは何か。
その振る舞いの“同一化”を極微のレベルで実現することである。
しかし、この言い方の前提には、実は《時間》がある。
空間(の比)を語るか、無意識裡に時間を前提にしてしまうか。
カントは正しいということか。
キリエさん、何か語れ。
102 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2010/11/30(火) 17:22:32 0
まあ今は院試と卒論で忙しい。
テーマはもちろん時間。と有機体。
103 :
考える名無しさん:2010/11/30(火) 17:23:16 0
しこしこしこしこ 10:28 AM Aug 24th webから
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女絵師からメッセージの返信がこねえ 8:34 PM Aug 17th webから
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主観なんてものは個人の勝手な妄想であって、そんなものは存在しない。
主観は存在しないのだ。客観時間は存在し、主観時間など妄想である。
そう。主観を提示してみろ。。と言われたら誰にもできないでしょう
からね。だけど、主観的時間論は、成立しうると思いますよ。
・・まあ、ここで本格的に展開するつもりはない。でも、誰だって
時間を長く感じたり、短く感じたりすることがある。この体験が大きな
源となって、主観的な時間というものがある、と言われる。
しかし。
これには、まったく観測者というものがいない。第三者というものがいない。
本人の証言があるのみなのだ。
時間については、人類はそれを測る道具を比較的容易に創り出した。
が、主観的時間については何があるか?
ただ、ウワサがあるだけだ。誰ひとり、それの計量に成功した者はいない。
脳科学がそれに成功するだろうか? しかし、それはつねに本人の証言に
依存するだろう。。。
われわれは、あるものをとても長く感じたり、とても短く感じたりし、
それを主観的時間と呼んでいる。だが、それについての科学が存在し得ない
としたら、それはいったい何なのだろうか?単に言葉を与えさえすれば、
魔除けの護符になる。。とでも言うのだろうか。
それは、個人の勝手な妄想などではなく、ある仕方で存在するなにか、
なのだが、われわれは、それが何であるかを知らないのではないだろうか。
脳科学がそれをうまく説明するだろうか。。。私は疑問に思う。
思うに、それは誰もそれが何であるか知らないなにかだ。混沌と呼ぼうか?
時に、生物の中には時間遺伝子があるようですね。自らの身体の中で、概日リズムを刻むという。
これが「約24時間」の周期で働いている様です。
太陽の光線のとどかない深海に住む生物も、約24時間周期で内在的時間を計っているらしいです。
>>99 機械さん、とぼけるのはやめて下さいよ。私の文章を見るのがここで初めてですって?
むかし対話スレというスレッドで私が対話者と議論している所に割って入って、悪趣味なポルノ小説をなんども投下し、
同時に決定論スレで「小説好評連載中!」とか書いてたじゃないですか。
今となってはどうでもいいですが(笑)
どうしてキリスト教と決定論の深いつながりについて言及する事を避けるんです?
キリエさんの述べるベルクソンの時間論は、決定論的な時間の概念に反するものですよ?
決定論的時間とは、神が支配し、来世での待遇が決まっており、人間は贖罪するよりほかに時間の使い様がないという時間で、
ベルクソンの持続時間は、未来が流動的に変化していて掴み様がなく、無限の可能性を孕みながら広がって行く時間です。
このふたつは相対するものでしょう?何かひとこと反論とかはしなくていいんですか?
>>101 年によって、一日が一秒長くなったり短くなったりするんですね。地球が有機体だということを感じます。
時計時間の管理人達がもし独我論者だったりしたらすごいですね。あり得なそうですが(笑)
・・言い換えるならば、わたしは理性の盲点という事について、全体性と
いう言葉を使ったことを思い出してほしい。。。
プラトニズムとは、もしかしたら全体性についての学なのかもしれぬ。
つくださんがいるな・・。じゃあ、至高性と呼ぶのはどうか。
「進む」という言葉が何を指しているのかだね。
「残る」という事象は過去から未来に向けてのみおきる事象であり不可逆である。
これは時間の矢の性質。ちなみにミクロの世界は可逆だといわれることもあるがこれは
条件付きであり正確ではない。ミクロであろうが未来に何かを残すことは可能。
111 :
唯意味論:2010/12/01(水) 09:56:40 0
>>106 生物は“自然の存在”でありながら、かつそれに包摂されてもいるので、
それに従いつつ、そのリズムを内在化するのは必然的。すなわち自然の
摂理である。
“一日”とならんで、もしかすればそれ以上に生物に影響を与えているのは
“一年”ではないか。地球とその住人のボスが太陽である証左である。w
それに比して、月の生物への影響は小さそうである。そのリズムを体感し、
内在化したのはヒトの雌くらいか。ここでも、人間は特異である。
ほう、昔の機械さんは相当にワルでゲスでイチビリだったのですね。
いまでは、空気の読めない、やや風変わりな紳士然としています。w
その件も、機械さんに直接、質してください。自演の私にいわれても…。w
112 :
唯意味論:2010/12/01(水) 10:43:08 0
>>106 機械さんのスレでは、キリスト教は観念論の典型として批判の対象に
なりこそすれ、決定論と同等に論じられることはありません。
察するに、キリスト教の勃興・展開・停滞といった一連の出来事は、
決定論に包含される事象、すなわち物理現象の一つの様態、と機械氏は
みなしているのではないか。
ところで「悔い改めよ」という常套句がある。悔い改めれば“天国”へ
行けますか?と昔、ムジンくんに質問したことがある。
ムジンくんは、悔い改めようと否とにかかわらず「それは、すでに確定
されている」と答えたと思う。君なら、どう答えますか。
超絶対神を認める立場(キリスト教もその一つだが、かなり修正されて
いる)の“時間論”は、神は一撃で一切を存在せしめたので、私たちに
示されるそれは、すべて“過去(神の御業)”ということになる。
人はそれを様々に(主観的に)感じ、解釈する、というわけだ。
本当の(客観的、超越的)時間は、隠されているということなのだろう。
113 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/01(水) 14:03:01 0
完全に逃亡したやん。
115 :
唯意味論:2010/12/01(水) 17:25:48 0
キリエさんは、まず
>>83>>84に答えなければならない。
ブログを一瞥しただけだが、キリエさんは機械的唯物論ですか。
>>113 「場」への関わりに言及しない時間論というのは不毛です。
>>37で描かれている時間には、「存在」の場が見えにくいと感じますがいかがですか?
117 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2010/12/01(水) 18:03:52 0
>>83に答えます。
前提することと、踏まえることはまるで違うでしょう。
ベルグソンを無批判的に受け継ぐことが前提、ベルグソンの考えを批判的に吟味することが踏まえること。
そして、ベルグソンがいかに当時の科学に精通していたか、知らないなら恥ずかしいことです。
創造的進化を読みなさい。単細胞生物から自己意識の発生までが詳細に論じられている。
そして、貴方のような人は、典型的な唯物論者だ、と言っておきましょう。
確かに、生とはDNAで説明され、さらに分子で、クオークで説明されるべきでしょう。
しかし、決定論者は、そのことを根拠に「意識とは物質的だ」と、即座に思いこんでしまうのです。
クオークから意識までの道のりを説明できないのですね。
さらに共同体、国家、などの概念も形而上学的だとして斥けてしまうのでしょうか。
今生きていること、これはオカルトですか?意識をもっていること、自我の存在…
こういった世界の形而上学的な面と、物理学的・化学的な面を、調停できない人が数多くいます。
しかしメルロ=ポンティが語ったような、「構造」の概念は、原子分子からの演繹的な思考では
たどり着けません。自己意識から帰納する方向と、原子分子から演繹する方向。
この両者の調停こそ、学問に求められていることです。だから、生をオカルトと決めつけるのは、一面的。
118 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2010/12/01(水) 18:05:12 0
>>115 唯物論を貫きつつ、自己意識や「不安」、存在、時間、国家や共同体を語ろうとする人間です。
119 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2010/12/01(水) 18:06:05 0
>>167 貴方の言う「場」を定義してください。それだけでは分りません。
>>119 「主客以前の、事実としての過ぎ去るもの」は、場としてはどこに定位されるのですか?
Kyrieさんは、次の問いに答えなくてはならない
一日は24時間であると言う、客観性はあるか。
また、それは正しいか?
>>108 トーヘンボクさんは名前に似合わず鋭いですね〜。至高性と時間についてはバタイユも語っています。
「破局ーーー生きられた時間ーーーは、鎌を身構えた老人ならぬ骸骨のすがたで、
恍惚のうちに思い描くべきである。刎ねた首の唇がその歯に張り付いている冷たくきらめく骸骨。
骸骨である以上、それはまっとうされた破壊である、ただし不可避的純粋性にまで自らを高める
武装した破壊である。
破壊は深く食い入り、そうすることでかえって至高性を純化する。時間の不可避的純粋性は、
教皇冠と仮面の下に、金ぴかの衣の中にその骸骨をひそめた〈神〉と対立する。神々しい仮面
と柔和さは、政治的圧迫の指導を目指す、摂理を自称する、避けられぬ形の努力の現れである。
だが神々しい愛の中で嗜虐的な骸骨の冷たいきらめきが際限なく露出される。」
と、比喩にみちた美しい時間論を述べています。紹介しておきますね。
>>111>>112 >ほう、昔の機械さんは相当にワルでゲスでイチビリだったのですね。
そうです。機械さんにスレを破壊された私は復讐として、決定論スレに犬コピペの大量投下を決行したのです(笑)
というのは冗談ですが・・・
>君なら、どう答えますか。
くりかえしになりますが、決定論によると、我々が現世でどんなに自由を求めても、人生や死後は因果律により決定されているのだから、
悔い改めることによって救われるかどうかというのも決定されていることになりますよね?だから何をしても無駄であるから、
我々はただ贖罪をする以外にやることがない、という話なのでしょう?
唯物的な決定論からすると、この死後という概念がなくなり、祈りの時間というのは無機質な意味のないままごとの時間・・・
ということになるのですか?それはあまりに殺伐とした世界ですね・・・あなたはなぜそんな主張をしてるのですか?
123 :
唯意味論:2010/12/03(金) 09:19:53 0
>>122 犬コピペを手酷く被爆したにもかかわらず、機械さんのスレは健在です。
君のそれは、破壊されたのですか。どこに違いがあったのでしょう?
怨むまえに反省を。w なお、犬コピペの犯人はわかっています。
祈りは自己慰撫、機械さんの好きな言い方をすれば“自己欺瞞”です。
(私はそうは思っていませんが)
機械さんのそれは、因果的決定論です。“時間”を前提にしています。
もし私が決定論を容認するとすれば、非・因果的なそれです。
無時間的決定論といいかえてもよい。ただし、それは世上の擬人化された
“神さま”とは異なる、字義どおりの“超絶対神の存在”が条件です。
124 :
唯意味論:2010/12/03(金) 09:58:12 0
>>117 調停ではなく、超克。前者では、二元論は隠蔽されたままだから。
調停は、私たちの得意とするところ。いたるところで、それはなされている。
様々な二項対立を調停して(丸め込んで)私たちはながらえてきたのである。
たとえば“持続”という概念によって、彼は主/客の超克を試みたとされる。
この“持続”の先をいくのがキリエ氏の時間論だろう?
もう少し凡庸な私にもわかりやすく語ってください。w
125 :
トーヘンボク:2010/12/03(金) 22:51:08 0
>>120 主客という言葉を、無自覚に使いすぎていると思う。
この言葉は、哲学から削除したほうが良くはないかな。
あまりに、不用意だと思う。。。
126 :
考える名無しさん:2010/12/04(土) 03:40:54 0
マジで、主客って旧い。。。
127 :
トーヘンボク:2010/12/04(土) 03:48:17 0
・・なるほど。不可避的純粋性にまで高められた武装せる破壊、
としての破局。。か。
使えるね。
128 :
トーヘンボク:2010/12/04(土) 04:05:20 0
・・君たち、理数系とかは大丈夫なんだろうねぇ。。。
129 :
トーヘンボク:2010/12/04(土) 04:42:17 0
ふん。
・・やはりホルヘ・ボルヘスは、ただ者じゃないね。
130 :
トーヘンボク:2010/12/04(土) 04:45:46 0
2011年は、バタイユ、ボルヘス、ミラー、ホイットマン、
でも読むかな?
いや、何、ほんの冗談ですよ。
131 :
グレン KoE:2010/12/04(土) 09:59:51 0
ユビーさん。
こんにちは〜。
グレンさんこんにちわ〜〜
あそぼーって行ったけど、もう議論終わったみたいー
ユビーの圧勝だったよ〜〜
133 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2010/12/05(日) 04:23:01 0
>>120 事実として過ぎ去るものは、存在を形式とし、生成を本質とするもの。
生成を本質とするものは、有機体のみです。
ですから、貴方の質問には、「有機体のある場所」としか答えられません…
存在を形式とするのが、時間です。ですから、時間は存在なしに実在しません。
存在は、空間を形式とするのでしょうか。しかし、もし存在が空間を形式とするにしても、
空間は形式に過ぎないので、時間論においては無視できます。
ですから、場は定位される必要がありません。
134 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 07:43:00 0
独断と偏見と妄想で書きました。
グーグル検索:C点論における矛盾と無限
私の「時間論」が、含まれています。
135 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 10:07:09 0
時間について、こう考えています。
空間における、物質の「変化」と「非変化」、つまり「持続」と「瞬間」
、この合い矛盾する両者の同時同位置における存在、これが「時間」の
概念ですが、この時間が成立するには、現在という瞬間は「0秒」でなければ
なりません。
現在という瞬間が「0秒」で、過去・現在・未来という時間もその中を
流れます。そこで、変化は接続され時間が流れます。
詳しくは、グーグル検索して、下さい。
136 :
唯意味論:2010/12/05(日) 11:45:35 0
>>135 少し突っ込んでみる。
「現在、瞬間、0秒」は背理。0秒が言葉のアヤなら別だが、字義どおりなら
瞬“間”はない。つまり“現在”は不在である。“無”において変化が接続
されることもない。変化は“間”に生じる“現象”であり、時空を前提にして
いる。「流れている」のは時間ではなく、物/心では?
とはいえ、時間が“無”と関わっているというのは、そのとおりかと…
137 :
唯意味論:2010/12/05(日) 12:04:37 0
>>133 前半の答えは大雑把。有機体に標準するなら、それは構造と機能を有し、
空間と時間がすでに前提されている。
後半、とくに「時間は存在を形式とする」は、悪くないとは思う。
が、形式という表現は二元論的である。存在(形式)のなかを時間が流れる、
という陳腐な結論になりやすい。
貴方が「存在(ある)」という場合、何が存在していると考えますか。
138 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 13:39:54 0
136さん
ご意見ご尤もです。矛盾・無限の視座が必要です。C点論を検討して
下さい。哲学というには無理かも。宗教の分野に属する。体質的に
合わないなら、無視して下さい。
>>133 >
>>120 >
> 事実として過ぎ去るものは、存在を形式とし、生成を本質とするもの。
> 生成を本質とするものは、有機体のみです。
> ですから、貴方の質問には、「有機体のある場所」としか答えられません…
繰り返すのもなんですが、「場」を定位しない時間論は不毛です。
「場」を定位しないであらゆる変化は観察不可能であると考えます。
> 存在を形式とするのが、時間です。ですから、時間は存在なしに実在しません。
> 存在は、空間を形式とするのでしょうか。しかし、もし存在が空間を形式とするにしても、
> 空間は形式に過ぎないので、時間論においては無視できます。
> ですから、場は定位される必要がありません。
>
その「存在」は「ある」なのか「いる」なのか、または「既にある」ものなのか「ある可能性」なのか
気になるところです。w
140 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 15:15:09 P
>>139 科学事典なりで「場」を調べることを奨める。
通常、場と座標は違う。
貴方の言う「場」の意味をを明確にすべきだ。
141 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 15:46:58 0
すこし変わりますが
仏教の「刹那滅」論では、現在という世界は瞬間的に出現と消失を
繰り返して、現象世界・非現象世界と「非連続の連続」として時間が
進みます。
142 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 16:26:52 0
映画のフィルムのように、時間が進行する。
>>140 科学事典はどうでも良いけど、「場」はソクラテスの時代から「場」でしょ。
144 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 17:30:14 P
なんだそれ
「場は単なる常識的な暗黙知」と言っているようなもんだね。
そんなものを「定立」するのかね。
>>144 よく読んで。
定立じゃなくて定位って書いたんですよ。
どこに位置させるかが問題。
>>123 だから、犬コピペは私じゃないですってば(笑)ぼんやり見てただけです。
対話スレは決定論スレとは違って二人で定員ですからね。
対話する二人のうちどちらかがスレを捨てればスレはおしまいな訳です。
>祈りは自己慰撫、機械さんの好きな言い方をすれば“自己欺瞞”です。
へ〜祈りが自己欺瞞になるんですか。残忍な発想ですね。
遺伝とか環境に支配された動物の自己憐憫でしかないという訳ですね。
そして科学万歳ということなんでしょう。すべては物質にすぎないと。
その唯物論的な発想は、実は大東亜戦争のイデオロギー革命によって広められた
という話を知っていますか?
>>141 面白い話ですね。点滅する明かりをイメージしました。
時間とは流れ行くものであるとか、持続するものであるといった考えとは
まったく違います。
147 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 18:21:51 P
>>145 場は定立させるのではなく、定位させるのか。
そして定位とは「位置させる」の意味なのか
場を定立せずに、どこに(何を基準に)位置を決めるのかね。
>>147 それじゃこう書きましょうか。
「「場」を定位しない(定立させなければむろん定位できない)時間論は不毛です。 」
149 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 18:29:38 P
>>149 わからん名無しさんだな。
それを聞いてるのは俺でしょうがw
付け加えると、「場」を定位する、というのは誰がどこでどう時間を止めるのか。ということ。
もうひとつ付け加えれば、「場」を定位した上での時間論というのは、時間というものを
どこから観察するかという原点の仮定在。それなしにだれも話などできないし、話しても
何も言っていないのと同じ事になる。
153 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 19:27:44 P
>>150 私が聞きたいのは
「場」の何を、「場」以外の何を基準に、位置させ得るのだ
ということだ。
貴方は意味のあることを言っているつもりなのか?と問うているのだ。
>>151 なんだ「時間を止める」とは?
その状況を説明してもらいたい。
>>152 普通はそういうのを「観測座標系」と言うのだ。
>>153 >
>>150 > 私が聞きたいのは
> 「場」の何を、「場」以外の何を基準に、位置させ得るのだ
> ということだ。
> 貴方は意味のあることを言っているつもりなのか?と問うているのだ。
>
>
>>151 > なんだ「時間を止める」とは?
> その状況を説明してもらいたい。
>
>
>>152 > 普通はそういうのを「観測座標系」と言うのだ。
素朴に、あなた誰?w
時間論をお持ちならどうぞご開陳下さいな。w
155 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 19:55:01 P
>時間論をお持ちならどうぞご開陳下さいな。w
無い(消
>>141 ・・そうそう。これが面白いね。つくださんとは、割りに意見がよく
合うよね。
しかし、つくださんの唯物論理解は浅い。
自己理解が、じわじわっと進む物質。。。というイメージを
思い描いてください。。。
・・・わかりました? つくださんの言われる「科学」も
その「自己理解」のほんの一部分にすぎない。。という事が?
160 :
考える名無しさん:2010/12/06(月) 04:37:55 0
横から御免なさい
時間は、空間なしには成立しないのでは?
空間における「変化」と「非変化」−−物質におけるそれーーの同時同位置
存在という「矛盾」
この矛盾が時間という「概念」では?
実在するのは、空間で、時間はたんなる概念にすぎないのでは?
貴兄らは、どう思う。
161 :
考える名無しさん:2010/12/06(月) 05:25:19 0
変化は[持続」を必要とするし、非変化は「瞬間」でしかない。
持続と瞬間の同時同位置存在という矛盾が時間では?
瞬間とは。有なの。無なの。−−−? 現在とは?
162 :
考える名無しさん:2010/12/06(月) 05:32:28 0
矛盾があっても、我々の感覚器官は、現在も、瞬間も、非変化も
認識できないので、現象は「変化のみ」で「流れる時間」があるだけ。これが
我々の時間では。
163 :
考える名無しさん:2010/12/06(月) 09:50:36 0
問題はこの矛盾。ここで思考停止にするか?
164 :
考える名無しさん:2010/12/06(月) 14:36:57 0
C点論によると
現在という瞬間「0秒」は、時間が概念の存在なので、空間では有・無合一体
つまり「C点」である。
ここは無限・矛盾の視座を要す、宗教的「瞑想」を要すので、「思考」を手段
とする哲学には無理な世界である。
165 :
考える名無しさん:2010/12/06(月) 14:43:38 0
現在という瞬間「0秒」は、無ではありません。しかし、宗教に拒否反応
を持つ方は無視して下さい。
グーグル検索:C点論における矛盾と無限
参考にして下さい。私の「時間論」を書きました。
C点さん進歩ないな
167 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2010/12/06(月) 19:57:46 0
>>151 貴方も、「時間は主観なしには語れない」とか言ってた屑と同じ論法だよ。
時間は、それを定位するところの場からでないと、語れない。というわけか。
だがね、場を定位したとして、場ごとに時間って変わるの?場は、存在の形式じゃないの?
と言いたいわけです。まあ、場が存在に内容的に影響を及ぼす、これも真理でしょう。
でも、そうしたら、やっぱり今私がいる場でしか時間は語れない、ということにならないでしょうか。
まあそれはいいですよ。問題は、場より以前に時間があったのではないか、
場とは時間の条件にはならないのではないか、ということ。
時間の方に優位があるのだから、場とは時間の条件でなく、時間が場の条件なのではないか。
これはどう思います?時間が場の条件なら、もちろん場なんて無視しても時間論には
影響ないわけです。
168 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2010/12/06(月) 20:04:35 0
>>137 ちょっと驚きですね。貴方は徹頭徹尾機械論者なのに、有機体における
構造と機能を認めるのですね。それを機械論的に説明してほしいところです。
まあスレ違いですねwそして私は有機体を機械論的に説明できますが、貴方はどうでしょうか。
まあともかく、貴方は有機体の条件として、空間と時間を挙げるのですね。
私は前から言っていますが、空間・時間を形式と捉えるか本質と捉えるかで、全然変わってくるのですよ。
ベルグソンの持続は、存在を形式とし、生成を本質とする。
>存在のなかを時間が流れる
私はそんなことはひとっことも言ってませんよ。
私の思想は、機械論で現象学を説明します。ハイデガーの投企を機械論的に説明できます。
まあスレ違いなんでここでは語りませんがね。
160から163まで、同じひとだと思うけど、わかりにくいひとも
居ると思うので、コテハンにしたら?
(159の続き)
ただ、物質と呼ぶと混同が起きるので、従来の科学的な意味における物質を
小文字の物質mと名づけ、わたしの指摘した最高包括体としての物質を、区
別のため大文字の物質Mと名づけましょう。。
佃煮はこんなのを「鋭い」とか言ってるわけか
さすがだな
こんなのとは、私のこと?
時間は最初の説明としては時刻と時刻の差というのがいいかな。小学1年生だったかな引き算習うのは。
>>3 > 過ぎ去りつつあるものを纏める形式(存在形式、生成形式)と、
> その纏まったもの(存在)と纏めているもの(存在形式と生成形式との主体)
> との相違(生成)の総合(本質的存在、かつ本質的生成)、
> こそが時間の本質である。
記録、記憶における時間の本質といったところか。
txを用いたグラフでいえばデータが存在でxの形式が存在形式になるかな。
「過ぎ去る」の説明に時間を使うと循環論法になるのでより体験に近い言葉に
言い換える必要があるかも。
>>160 概念であってもその概念をおこさせる原因は実在するのではないでしょうか。
物という要素と物の相互作用の総体が世界であり、それを一次元的にとらえた
概念かも。空間はそのうち「戻る」ことができるもの。
177 :
唯意味論:2010/12/07(火) 10:04:59 0
>>176 それだと、二元論になる。「物と物との相互作用の総体」は一元論だが、
「それを一次元的にとらえる」には外部を必要とする。つまり観測者だ。
なお、空間も「戻る」ことはできない。
往ったり還ったりできるのは“概念”において。それなら“時間”も可能。
178 :
唯意味論:2010/12/07(火) 11:07:13 0
>>168 徹頭徹尾“物質”によって説明する機械氏を、私は彼のスレで批判している。w
(スレ違いだが)機械は“知”と“素材”の合一であり、それが一つの機械として
立ち上がるためには人間という超越的な製作者を必要とする。
もし“世界”の総体を機械とみるのなら、その製作者(超越者)を想定せざる
をえなくなる、というのが批判の骨子。世界は超越者の意図に沿って正確に
動く(変化し、運動する)被造物ということになる。
決定論・唯物論は一神教とかぶってしまうではないか…ということだ。
このスレに戻すなら、時・空もまたは超越者による被造物?である。
“無の揺らぎ”が時間の起源であり、空間・物質は俗にいうビッグバン
まで待たねばならない。以後、時・空はあらゆる存在者とともにあった。
世界は一元論的だった。“意識”が出現するまでは。
乏しい科学的知見をもとに素描した“時間”についての概括である。w
179 :
唯意味論:2010/12/07(火) 11:18:33 0
無がゆらぐ際、神の手を必要とするかどうかだろう。
ホーキングは「必要ない」といっている。
なお“無”とは、時・空の不在をいう。
が、エネルギーが負?在するらしい。
このあたりは私には解読不能である。(苦笑)
180 :
唯意味論:2010/12/07(火) 11:28:48 0
>>146 佃煮さん
大東亜戦争のイデオロギー?
国をあげてのプロジェクトでしたので、色々な理念、思想が錯綜していた
だろうことは想像できる。
それはナチズムの影響によるもの? それともマルクス主義?
>>177 > 「それを一次元的にとらえる」には外部を必要とする。つまり観測者だ。
観測者も時間の枠組みの内部。時間の外部から時間を観測するにはどうしたらいいのかな。
> なお、空間も「戻る」ことはできない。
> 往ったり還ったりできるのは“概念”において。それなら“時間”も可能。
相対座標においては空間は戻れます。時間は完全に戻すのは不可。
182 :
唯意味論:2010/12/07(火) 12:27:59 0
>>181 それは、時計を用いる以外は不可能でしょう?
前述したように、それは“空間の比”を数えることです。
座標は、思惟による産物です。
「空間を戻る」とは、どういうことですか。
>>157->159
私の哲学知識はすべて教養程度に身につけた独学です。
大学では哲学の科目を一年間履修しましたが、ほとんど授業に出ませんでした。
だから哲学科に進んだ人から見れば、浅いと思われる部分もあるでしょう。
よろしくご教授ねがいたい所です。
>>172 まあいいじゃないですか。他のスレでトーヘンボクさんは素晴らしい発言をしています。
>>180 ちょっとスレ違いになりますが、大東亜戦争における唯物的イデオロギー革命について説明しましょう。
しばしば共産主義とは、唯物論に随伴する思想であったりします。
そして、共産主義者たちが標榜する唯物論的革命とは、つまり戦争のことなのです。創造→破壊→再度創造という革命です。
大東亜戦争は、ソビエトにいる共産主義者たちによる、日本の共産主義化というイデオロギー革命のために行われたのです。
スパイを操って小国日本を列強国と対峙させ、到底勝てる見込みのない戦争に「神風」などという安っぽい精神論をとってつけさせ、
それがいかに脆いものであるか、ということを圧倒的な物量作戦で知らしめた訳です。「神などいない、この世には物質しかない」と。
そして戦勝国になったソビエトは、日本社会にもとからあった支配構造に手を入れて、唯物論で染め上げて行ったのです。
今では日本は、天皇は人間宣言したし、科学万能主義者が幅を利かせているし、無宗教国家に成長したでしょう?これは革命の跡なのですよ。
>>167 >
>>151 > 問題は、場より以前に時間があったのではないか、
> 場とは時間の条件にはならないのではないか、ということ。
> 時間の方に優位があるのだから、場とは時間の条件でなく、時間が場の条件なのではないか。
> これはどう思います?時間が場の条件なら、もちろん場なんて無視しても時間論には
> 影響ないわけです。
場を条件としない時間というのが想像できないなあ。
>>182 時計も時間の影響下で動きます。時計が時間の本質ではなく時計も時間によって
動かされています。
「空間を戻る」とは元居た空間座標に戻ることです。戻れる軸なら空間軸と認識し
戻れない軸は時間軸と認識します。
時間論において「残る」が大きなテーマだと思います。何故過去から未来に残ること
ができて逆は不可能なのでしょうか。
自分で考えろ
ムフフ
考えてもわからなかったのさ
ん?私の発言のどこに、不適当なところがありましたか?
・・つくださん、ちっともフォローになっていないんですけど。。
とにかく、なにか私の説に異論があるなら、はっきりそう発言
すればいいじゃないですか。
・・つくださん、まあ、いいじゃないですか、とはどういう意味で
すか?
>>171 例えば「最高包括体としての水」ってどんなの?
生煮えの言葉で言うと、時間って、場と相容れないものでありつつ同じもの、なんだよね。
具体的に話をしていかないとポエムにしかならないよ
まあ・・総括して言ったので。
じつを言ってしまうと、最高包括体に具体的な名をつける、というのは、
背理ですね。ただ、一貫してある特徴があり、Mそれ自体は一切の超越
性を持たない。。という事です。われわれからみて、いかに超越的存在
にみえようとも、そうではないのでして、もっと近い何かなのですね。
>>192 「超越的存在に見えるが超越性を持たない」
どういう意味?
>>181 つまり、共産主義というのは、ロシアや中国が、旧体制が崩壊しての
混乱期に、国家をひとつにまとめあげる為の方法として、いわば道具
として使われたものとおもいますけどね。当時者がどう感じていよう
と。資本主義という仮想敵をでっちあげ、後進国としての不利を補わ
んとする。。
第三者に共通敵を設定することによって、統治するというなにやら、
聞き飽きた常套手段にマルクスが利用されただけじゃないんかなぁ。
>>193 われわれ自身が、それの一部だからです。
>>195 それは、我々がMの一部という意味だね?
その前に
>>193に答えてよ
「超越性を持つ」とは、どのような意味?
それがわからない?そんなはずはなくて、あなたは私にわざと発言させ
ようとしているね。キリスト教における父なる神は、人間とは卓絶した
超越性をもった存在として描かれているでしょう。私のいうのは、たとえ
Mが限りなくキリスト教の神に近い存在にみえようとも、超越性はどこに
もない、従って、まったく別モノだという点です。
>>197 だから「Mが神に近い存在に見えようとも超越性はない」ってどういう意味なの?
何が「従って」なの?
どう「別モノ」なの?
全然わかんないんですけど
超越って言ってみたかっただけなの?
mとかMとか言ってみたかっただけなの?
まあさすがに佃煮が「鋭い」と言うだけはあるなw
名無しどももっと頑張れ。w
201 :
考える名無しさん:2010/12/07(火) 22:54:49 0
時間イコール空間だろ、そりゃ。
それに「己の眼は見れない」くらい知ってればもう終了!でいいんじゃないの。
トーヘンボク はオカルト板出身だから勘弁してやれ
時間も例外なくテンソル場としての時間であって、
事象やら具体的な事の関係だけをみれば一次元的な時間の流れしか認知
できないのは極当たり前ってことな。
テンソルぐらい学んでこい。
などと言っており
「具体的な」とか言ってる時点でアウト。
ぼーっと「場」とか言ってりゃいいんだから
楽な商売してるよな君も
楽に考えようよw
208 :
考える名無しさん:2010/12/08(水) 04:24:14 0
ピントはずれるが、
時間がビッグバン宇宙において出現した。それ以前の世界を含めてーー時間は
無いがーー全知全能の神が[支配」しているなら、時間は神の「意志」のままに
進むのでは、ないか?
只一つの歴史は、神の導き。そうではなくて、単なる、自然の摂理。どう?
だから、時間は太陽が進めてるっ言ったじゃん。この自律秩序形成に
必要なすべてのエネルギーは太陽から供給されてるでしょ?この地球
生態系という自律的秩序形成体が存在しなかったら、人類は存在しな
かったし、もちろんキミも存在しなかったんですよ。そしてキミが存
在しなっかったら、ピントはずれの質問を2chに書き込む事もまず
難しかったんですよ?
210 :
考える名無しさん:2010/12/08(水) 08:05:15 0
トーヘンボクさんが、奇妙な論を説くのも、神の導き。やはり、神が
時間を進める。
神には勝てない。太陽より神が上。
211 :
考える名無しさん:2010/12/08(水) 08:23:52 0
大日如来は、さらにその上。
212 :
考える名無しさん:2010/12/08(水) 08:30:04 0
>>209 ゆえに、刻限は、お天道様、進めてるっ申したにはん。こが自律秩序形成に
必定なことごとくが活力は、お天道様より供給されておるであろうが?こが地球
生態系と云ふ自律的秩序形成御身、存在しのうこざったら、輩類は、存在しな
やったし、無論そなたも存在しのうこざったのでござりまするよ。しかしてそなた、存
在しなっやったら、ぴんと手筈れが問い掛けをば弐chに書き込む事もまず
難しやったのでござりまするよ?
213 :
唯意味論:2010/12/08(水) 08:43:24 0
>>210 そうです。太陽は神の代行者(子分)です。ww
冗談はともかく、トーヘンボク氏が述べているのは“汎神論”です。
「超越しない」換言すれば、外部を持たない、遍在するそれといえば
“汎神論”でしょう?
この見方では“時間”はどのように「ある」のだろう?
そこを語って欲しいですね。
214 :
考える名無しさん:2010/12/08(水) 09:19:40 0
時間の進行については、
J.Barbourの例の「プラトニア」による説明で説明がついたのだと思うが、
違う?
215 :
唯意味論:2010/12/08(水) 09:33:55 0
>>184 cattさん
「場」という概念は、どうしても空間のイメージを払拭できない。
しかし時間は空間に先行している(らしい)。
「場(空間)」がまだ不在なときにも、時間は「あった」とされる。
キリエ君のいいたいのは、別のことかもしれないが…
>>215 場がなければ時間もありません。
なぜなら時間は場で展開され、場は時間で特定されるからです。(生煮えご免)
ビッグバンは単なる振り切った1地点ですよ。
217 :
考える名無しさん:2010/12/08(水) 11:06:05 0
「場」と言わず、単に「空間」ではまずいですか?
>>217 まずいです。
そう言うと、もの化されすぎる。
空間は「もの」なのか
220 :
考える名無しさん:2010/12/08(水) 14:50:59 0
空間は実在するが、時間は概念の存在。
ビッグバン以後に、現象世界があって時空が生まれた。
「場」では、実体が分からない。議論のための議論なら別。
>>220 > 空間は実在するが、時間は概念の存在。
> ビッグバン以後に、現象世界があって時空が生まれた。
ビッグバン以前は時空は無かったんですか?w
> 「場」では、実体が分からない。議論のための議論なら別。
実体って、ずいぶん形而下な言葉だなあ。
222 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/08(水) 15:14:32 0
もし“世界”の総体を機械とみるのなら、その製作者(超越者)を想定せざる
をえなくなる、というのが批判の骨子。世界は超越者の意図に沿って正確に
動く(変化し、運動する)被造物ということになる。
決定論・唯物論は一神教とかぶってしまうではないか…ということだ。
機械の本質は、それをある存在と見た場合に、その存在の内部構造内での現象の結果と
なっている、ということです。この定義でいえば、有機体はまず、機械であるという論が成立します。
そして、機械は製作されるものではありません。発見されるものです。
機械を機械としてみる者は、それを存在としてみて、なおかつその内部での作用がその存在の結果となっている、
という構造を発見する人です。だから、宇宙は機械である、と人間が主張することは、神がいる、と主張することとは
全然違います。どう思いますか?まあスレ違いですが…
ぜひ「機械と有機体との違いとは?」というスレがほしいところです。
223 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/08(水) 15:19:24 0
>>184 想像できない=直観できない、という理解でいいですか?
大体「空間」はもので、「場」は違うというのなら、少なくとも哲学史的にはアウトですね。
場とは、空間や時間を含みこんだ構造である、というのならわかります。
貴方のいう場とは、時間の表象がそこを進んでいく、ゲシュタルト的な直観の地、といったところでしょう。
ですがこの場合、空間や時間はやはり場の条件ですから、場は無視しても時間論は成り立ちます。
224 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/08(水) 15:20:54 0
そして実体は形而上学的な言葉ですよ、アリストテレス、デカルト、スピノザ、
ライプニッツと、「実体」の捉え方がどんどん変化していってる哲学史的背景を
ご存知ですか?
225 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/08(水) 15:32:47 0
たぶん、catt氏は、カント的な時間表象を言っているのだろう。
時間表象は、直線的に左から右へ延びていく。
その時間表象が成り立つ場が必要、ということですね、分かります。
さらにベルグソンも、やはり時間を「無限小の弾性体」が引き延ばされること、
としてイメージしていました。
やはり、場というか、地のうえを進んでいく時間表象が根底にあります。
この時間表象の必然性を問うのは、面白いですね。
時計は円を描くが、時間表象は直線を進むイメージが、日本人である我々にも
容易だ。
でも、この問題は、私が解決しています。
>時間は、後述するように、存在形式かつ生成形式という二重の形式をもつものとして考察される場合、
立体的な構図を要する。だが、持続は、少なくとも(生という)何かの存在形式であり、
その生成そのものである。まず存在を肯定し、それが常に生成しているのである。
持続は生成の形式でなく、生成は持続の本質である。
つまり、時間を過ぎ去らせる際に、立体的な構図が必要だ、ということは、
私が前スレで述べました。立体的な構図は、時間が過ぎ去ることの条件です。
この構図を、貴方が場と呼んでいる、というなら賛成です。
ですが、生成を本質とする持続においては、立体的な構図は必要ありません。
226 :
考える名無しさん:2010/12/08(水) 15:35:16 0
いつ後述するんだよ
227 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/08(水) 15:37:39 0
ところで私は、パトナム氏と違う仕方で、
「われわれは外部からプログラミングされた存在でない」
つまり、培養機の脳髄でもないし、プログラムでもない、ということを
証明しました。
展開したいが、どこか適当なスレないかな…
228 :
考える名無しさん:2010/12/08(水) 15:38:38 0
そもそも、立体的であるということは
その「存在形式」と「生成形式」が、何らかの意味に於いて直行している、
ということだ、
貴方は、その辺りを完全にすっとばして先走りすぎている。
229 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/08(水) 15:48:49 0
いえ、存在形式と生成形式とが立体をなしているのではありません。
まあ前スレで「後述する」と言ってしていないので、誤解を招くかもしれませんが、
卒論の内容なので細かくは述べられないです。
230 :
考える名無しさん:2010/12/08(水) 15:56:50 0
形式Aと形式Bが直行するとは
それらの間に何らかの変換則がある、ということだ
例えれば、「赤い」と「酸っぱい」の間には変換則がない。だから完全に独立している。
しかし「色」と「電磁波のスペクトル」は一定の直行関係を成立させることができる。
存在形式と生成形式は、そこをクリアできるのか?
次にだ、形式Aが形式Bの内部パラメータとなってはいない、ということが要請される。
貴方の時間論で言えば、存在形式は生成形式には内包され得ないことが必要だ。
どうやってそれをクリアするのだ。貴方の勘か。
卒論、頑張ってください。
231 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/08(水) 16:12:26 0
そうですね、存在形式=形式Aと生成形式=形式Bとは、内部パラメータを
もっていません。そのようなものとして、独立したものとして定義されます。
次に、二つの形式の間には絶対に変換則はありません。生成をもたない存在も
あれば、存在をもたない生成もあります。実を言えば、ハイデガーやサルトルの
投企は、存在と生成とで説明できます。存在・生成は、形式でもあり得、かつ本質でもあり得るのです。
232 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/08(水) 16:13:08 0
誰か、「この世界はプログラムではない、という証明はできるのか」
でスレ立ててほしい。
233 :
考える名無しさん:2010/12/08(水) 16:16:57 P
>>231 独立してんのかよっ!
それでは有意な「構造」など作らんぞ。
単に別のことを言っているだけ、となってしまう。
まあいいですよ。任せますよw
bye
234 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/08(水) 16:22:20 0
その独立した形式の内容としての、存在以前、生成以前の内容が、
二つを意味的に関連付けてます。まだ不満ですか?
235 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/08(水) 16:28:03 0
だから、存在形式、生成形式はそれぞれ独立しているが、それらを属性とする
一つ以上の実体がある、というスピノザ的帰結になるのかな?
ただし私はスピノザと違って、実体を帰結し、前提していないし、あらゆる
存在以前のなにかをも含む実体を帰結しているので、構造を内部から作っているのですが。。
>>232 過去と現在の関係の意味部分だけを観察するから、それはプログラムの
ような側面が観察できる場合もある証明は可能だろう。
人が捉えた意味に過ぎず、それが全てではないぐらい厨房だって知っている。
>それでは有意な「構造」など作らんぞ。
浅いな、彼にとって有意なの、そう思いたい=有意。
そこに客観性はない。
などと述べており
238 :
考える名無しさん:2010/12/08(水) 17:41:10 0
>>214 あれは、
時間の長さ(1時間とか)がなぜ常に一定だといえるのか、
という問題について、
(通常と異なり)その一定性を前提せずに定義する方法に関する議論なのでは?
>>224 いや、実体はアリストテレスのウーシアをハイデガーが再発見しているので
べつにどんどん変化してません。w
>>225 > たぶん、catt氏は、カント的な時間表象を言っているのだろう。
ぜんぜん違うw
違うと主張できるだけの説明努力など
何一つしていないのだよ君は
>>223 >
>>184 >
> 想像できない=直観できない、という理解でいいですか?
> 大体「空間」はもので、「場」は違うというのなら、少なくとも哲学史的にはアウトですね。
> 場とは、空間や時間を含みこんだ構造である、というのならわかります。
ちょっと違う。自分が「場」というのはメルロ=ポンティが言う「臨在(現前)の領野」に近い。
> 貴方のいう場とは、時間の表象がそこを進んでいく、ゲシュタルト的な直観の地、といったところでしょう。
> ですがこの場合、空間や時間はやはり場の条件ですから、場は無視しても時間論は成り立ちます。
違うんだな、場は時間をなぞり、時間は場をなぞる。たとえばあなたが指し示す「場」は、
必ず時間に支えられているが、あなたが指し示す「時間」はやはり場に掴まえられている、ということ。
しまった
「直行」ではなく「直交」だったわw
244 :
唯意味論:2010/12/09(木) 10:02:35 0
>>242 時間を論じるとき“場”を云々する意味がわかりません。
君の見解によれば、時間の前に、すでに“場”が存在していることになる。
もしそうなら時間ではなく、その“場”について論じるほうが根源的である。
その“場”なるものは、事象内・存在なの?それとも君が思惟をめぐらす際の
補助的な仮設空間なの? メルロのそれは前者である。
その「領野」こそが時空であり、また“場”といってもよい。それは、現象の
“地”として、すなわち現前の条件として暗黙されているように思える。
だから“時間”に拘らずに「場」について論じられたらよろしいのでは?
245 :
唯意味論:2010/12/09(木) 11:05:13 0
キリエ君が頻りに「存在形式」「生成形式」なる言葉を連発していて、
どういうことだろう?と首をひねっていたが、どうやらそれは“量子”
の換喩らしい。まぁ喩え(レトリック)なので、それはそれで結構だが、
前者は空間的イメージを拭えず、後者すなわち生成(持続)だけが時間の
比喩になりえている。
いずれにせよ二つの形式を云々するのは、ビッグバン以後の“空・時”を
語っている印象を免れない。
というのも「存在が生成(持続)に先行する」のではなさそうだからである。
生成に先立つのは不在(無)である。それがいきなり持続・発展しはじめ、
ビッグバンにいたって空間・物質を発祥する…らしいからである。
ありていにいえば「時間が流れるのは存在形式(空間・物質)との合一以後」
である。
ビッグバン以前の時空を何を根拠に語る気なの?
247 :
唯意味論:2010/12/09(木) 11:21:50 0
>>246 伝聞情報です。むろん、それは仮説でしょう。
というよりも数学的に演繹されたものでしかなく、
ただ興味深いのはビッグバン以前には空間がなかった、というくだり。
それはキャット君のいう“場”と“事態”が分離不能、つまり形式化不能
だったことを意味している。
一切がよくできた“物語”である可能性は否定できません。
248 :
考える名無しさん:2010/12/09(木) 11:23:37 0
ビッグバン以前に、時空はない。
ビッグバン宇宙以外の宇宙が、発見されれば話は別。
ビッグバン以前にも数学が適用できる訳ね
251 :
唯意味論:2010/12/09(木) 12:27:17 0
>>249 数学によるしか考えるスベがないでしょう?
>>251 「ビッグバンにいたって空間・物質を発祥する」以前に適用できる数学によるスベ、とは
いったい何ですか
ビデオテープの逆再生が何故不自然だと感じるのだろうか。動画音楽も含めて。
254 :
唯意味論:2010/12/09(木) 14:50:27 0
>>252 数学によるスベではなく、数学がスベ(方法)なのです。
ビッグバンを始発にすると、数学的に解けないということでは?
こうもいわれています。
「ビッグバンに先立って“時間的インフレーション”があった」と。
ビッグバンの話好きだな。
他のスレでもそんなこと書いてたようなw
>>244 >
>>242 > 時間を論じるとき“場”を云々する意味がわかりません。
> 君の見解によれば、時間の前に、すでに“場”が存在していることになる。
> もしそうなら時間ではなく、その“場”について論じるほうが根源的である。
>
> その“場”なるものは、事象内・存在なの?それとも君が思惟をめぐらす際の
> 補助的な仮設空間なの? メルロのそれは前者である。
>
> その「領野」こそが時空であり、また“場”といってもよい。それは、現象の
> “地”として、すなわち現前の条件として暗黙されているように思える。
>
> だから“時間”に拘らずに「場」について論じられたらよろしいのでは?
時間の前に場が存在するわけがありません。
「時間論」「場論」より先に立つべき存在論そのものを咀嚼中なのでまだ言葉が生煮えですが
>>190で言ったのはメルロ=ポンティのいう「絶対的静観を行うある場」としての「肉」のような、
イメージです。
ところで、早死にしたメルロ=ポンティを正統に受け継いでいる人を誰かご存じないですか?w
数学法則があるから場が成り立つのでは
258 :
252:2010/12/09(木) 16:13:43 0
>>254 数学を物理に適用するには
物理的対象である概念としての「何か」に
数学体系に於いて利用可能な特定の概念である「何か」を対応させるのです
貴方の言う「物質と空間が発祥する前のビッグバン以前」の、
物理的対象として「何を」
“空間を必要としない範囲で設定し得る数学上の概念”であるはずの「何を」適用し得るのか
と聞いているわけです
ただただ「数学」と繰り返すしかないわけですか・・・まあいいです
「時間的インフレーション」・・・なんですかそれは?
259 :
唯意味論:2010/12/09(木) 17:16:19 0
>>258 そのような数理と物理のつき合わせが可能なのはビッグバン以後です。
想像するに、純粋に数学的記述であり、それに従って物理的なものが
要請される、という私からみれば空想的世界、いや空想することすら
拒絶する○○です。(言葉が浮かばないw)
インフレーション宇宙で調べると、その表現がでてきます。
私の勘違いかもしれないが。w
そこに興味をもったのは、キリエ氏の言表を含めて殆んどのそれが
時間を論じながら“空間”のカゲが感じられるからです。
260 :
唯意味論:2010/12/09(木) 17:37:50 0
>>256 雑な言い方ですが、時空不在の無が揺らぎ、インフレーションが発生する。
これが時間の始発であり、始めての“持続”でしょう?
その理由はしらぬが、ビッグバンなる事態が生じ、空間・物質が生まれる。
メルロ=ポンティは、そこには照準していないでしょう? 彼は“意識”以後
を論じているのでは? 彼は塀のうえを歩くように論述します。
ふつうは、どちらかに落ちるものです。観念か実在か、あるいは意識か物か。
影響は大きいでしょうが、後継者は…
数学を否定するやつは、数学を否定する状況ではそこに因果関係も
秩序も性質も存在しないと主張しているもの。
つまり何も永遠に変化しない相転移もしない状態があったと錯覚しているだけ。
>>260 そこが良いのですよ。伝聞を元にした思推の完全否定。
やれやれ、やっとユビーが哲板から去りましたか。終始意味不明な人でした。気持ち悪かったなあ。
ユビーもやっかいでスルーしてましたけど、実は今規制中で、代理レスを頼んでいるのですよね。
頼んでたらストーカーに全て監視されて、粘着されて困ってます。明日規制解除されるはずなのですが。
議論も活発に進んでいる様ですね。哲学専攻のキリエのスレは大繁盛です。
トーヘンボクさんによく会います。
あなたの時間論にはとくに異論はない、というか造語が多過ぎて何を意味してるのか解読不能です。
それから、飛べないカラスと唯意味論は中の人が機械さんでしょう。ほんと自演がすきですね(笑)
キリエさんお気に入りのベルクソンや機械さんのお気に入りのメルロ=ポンティもいいですが、
ボルヘスも時間を語っています。
たとえば、走馬灯・・・というものがあります。
投身自殺をした人がビルの屋上から地上に叩きつけられるまでに見るというアレです。
一瞬の間にその人の一生を総ざらいする記憶が駆け巡り、時間が無限であるように感じるといいます。
一体どんな境地なのでしょうね。体験するとしたらチャンスは一回しかありません。
なるほど機械さんね
たしかによく似た人がいますね
そりゃ、君にはわからんさ。
266 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/10(金) 15:24:26 0
>違うんだな、場は時間をなぞり、時間は場をなぞる。たとえばあなたが指し示す「場」は、
>必ず時間に支えられているが、あなたが指し示す「時間」はやはり場に掴まえられている、ということ。
これはつまり時間表象における直観的な事実でしょう?カントとどう違うんですか?
機械さんの言う、補助的な仮説空間とどう違うんですか?
>メルロ=ポンティのいう「絶対的静観を行うある場」としての「肉」のような、
イメージです。
ええ、それは私も別な言い方をしました。生成を形式とする時間論は、観照者を
必要とするのです。ドゥルーズも、「有機体における持続はそれぞれ観照者を要する」と
言っていました。
その単に観察的=直観的な事実を述べるのでなく、その根拠を述べないと。
とにかく、それが補助的な仮説空間とは異なる説明をしていただけませんか。
267 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/10(金) 15:31:34 0
>>245 どこをどうやって脳内変換したら、存在形式と生成形式とが「量子」に
なるんですか(笑)私は比喩など言っていませんよ、都合良く解釈しないでください。
その脳内変換の過程を分析して見せてくださいよ。
268 :
唯意味論:2010/12/10(金) 17:56:15 0
>>263 う〜む、完全に機械さんの自演コテにされましたね。
とくに不都合はないので、それでいきます。
機械さんやカラス君は、さぞかし失笑、苦笑、憫笑、蔑笑、いや哄笑している
にちがいない。私は、そんな失礼なことはいたしません。w
>>267 キリエ君、記号(この場合は言葉)は、どう読まれようと文句をいってはだめ。
君の手を離れており、受け取り方は読むほうの勝手なのです。
しかし、不満なご様子なので、改めて素朴に質問します。
何が存在するのですか。何が生成するのですか。
まさか「時間」ではないでしょうね。w
それから佃煮君、のちほど君のステキな陰謀史観に対する感想をレスします。
>>266 ぜんぜん違いますw
「現在」は時間の「単位」じゃないんです。
>何が存在するのですか。何が生成するのですか。
唯意味論くん、このような質問はKyrieには無意味なんだよ。
何故それが分からないのかね。
Kyrieがこの手の質問に答えられたことがあったかね。
あるいは佃煮がね。
Kyrieの時間論は、何も存在しない、そして何が生成することもない。
ただ、存在しているのだし、ただ生成しているのだよ。
何がってことはないんだ。
それをモナドと言ってもいいし、量子といってもいい。読み手の自由のように思える。
Kyrieが何かとはいわないのだからね。
しかし、Kyrieは、それすらも許さないわけだ。
今までずーっと、そのようなKyrieの姿をみてきただろう。
あきらめなさい。
光の速さに近づくと時間の進む速度が遅くなるという考えは一般に認められているのでしょうか。
>何が存在するのですか。何が生成するのですか。
存在と生成ってのは、哲学史の初めからある対立だね。
「あるものはある」 パルメニデス
「パンタ・レイ」 ヘラクレイトス
ハイデッガーにむかって「何が存在するのですか?」って聞いた人いるかなww
さすがのハイデッガーも ( ゚д゚)ポカーン だろう。
>>271 原子時計を使った厳密な実験で証明されています。
274 :
唯意味論:2010/12/11(土) 13:00:05 0
>>272 ハイデガーの場合、存在者が存在(現前)するのである。
そこから「存在するとは?」と、遡行している。
ちなみに、ここはハイデガーが“存在”と等置した“時間”スレ。
「時間」は他の存在者のように“存在する(ある)”のかを論じているのに、
いきなり“存在形式”やら“生成形式”を語るのは反則である、と申しているのである。
その表現は、存在者の既在を前提にしているからである。
>>274 >ハイデガーの場合、存在者が存在(現前)するのである。
存在論的差異も知らないのか。。。
276 :
唯意味論:2010/12/11(土) 13:05:02 0
もう一つ、仮に時間が存在するとして、では、それはどのように「ある」
のか?が当スレのテーマだと解しています。
277 :
唯意味論:2010/12/11(土) 13:11:22 0
>>275 その種の、日本語としては半煮えの概念を持ち出して…w
では、語ってみれば。その「存在論的差異」とやらを。
ハイデッガーはもちろんだけど、
パルメニデスだってヘラクレイトスだって
存在者の既在を前提になんてしてないだろう。
存在者を前提にする思考法をハイデッガーは「存在忘却」と呼んだんだね。
あとは自分で勉強してくれ。
Kyrie氏の本意は私にも分からないが
それでも時間の多重性を探ろうとしているのは彼だけのように思える。
誤解かもしれぬが
存在形式はマクタガートの言うBorC系列
生成形式は同A系列と関係するのでは。
「量子」とはすごい発想ですね。その関係性を想像すらできない。
280 :
唯意味論:2010/12/11(土) 13:28:09 0
もし存在者が現前しなければ“存在”の意味の問いようがない。
「ある」の意味を問うかどうか、である。
ふつうは問わない。したがって忘却し、頽落する…違った?
全然違う。。。
では。
282 :
唯意味論:2010/12/11(土) 13:43:44 0
ユビー君は軽くみているようだが、私はそれなりにキリエ氏を評価している。
しかし、ここは言語ゲームの場であり、だれも受け取れないボールを投げても…
>>279 存在の“多重性”は種々語られている。
その場合、何が存在しているか、は概念づけられている。
時間の多重性を語る前に、時間の意味(概念)を述べてほしいということです。
・・時間とは、現前そのもの。多数多様な・・数えきれない現前、その数と
おなじだけの時間が存在する。非可算的無限数の現前=時間だな。。
時間はつまり物質の変化を人間が概念的に理解するための道具にすぎない。
なぜ時間は過ぎるのか?それは物質耐えず変化しているから。
そう。
現前は、ごらんのとおり、変化し続けて止まらない。
これをひとは時間と呼んでいる。。。なぜなら、それと対比して
変化しないものを彼が知覚しているからだ。
時間以外のもの、存在者、あるいは現前であらぬもの、それを
ひとは、存在あるいは、私と呼ぶ。
・・どうも、意に反して、「主観的」時間論を先にやってしまいましたね。
独立している・・・と言ったとおりでしょう?
時間論は来年、やる予定です。
よし、唯意味論くん、ひとつかけをしようじゃないか。
Kyrieは、唯意味論くんの質問にきちんと応答するかどうか。
ことに、何が存在し、何を生成するのか、ということにあたってだ。
Kyrieがこれに答えないのであれば、君の評価は間違ってたってことになるよ。
もしKyrieがこれにきちんと納得のいく返事を出すのなら、僕はKyrieにも唯意味論くんにも、
申し訳ないことをしたって、謝らなくっちゃあならないね。
出来れば、僕だって、唯意味論くんの期待を裏切ってほしくはないんだ。
そして、この勝負の結果がどうなるかに関わらずKyrieには誠実な対応を示してもらいたい。
さぁ、かけは始まった。しかし、期限はいつにしようかね。
いつか答えるんじゃないかって、いつまでも待てるのではかけにならないよ。
どうだろう、Kyrieの次のレスが、唯意味論くんの質問と、あまりにもかけ離れたものだったら、僕の勝ちってことで。
いや、次ってのは、あまりにも厳しいから、次の書き込みがあったその日のうちってことにしようか。
僕は、いくらまっても返事がもらえない。とは思うんだけどね。
フフフ
>>286 どうぞ「時間はなぜ進まないのか」というスレを立ててください。w
289 :
唯意味論:2010/12/12(日) 18:42:19 0
>>285 少し変だね。
知覚できるのは現前、すなわち存在者(現象)である。
それは貴方のいうように、変化をやめることがない。
変化しないもの(現前でないもの)を、私たちは知覚することができない。
変化しないものは、思惟の産物であり、換言すれば“概念”である。
>>287 賭けるのはいいけれども、で、何を賭けますか。
キリエくんは、真摯に考え、真面目にレスしていると思うのだが…
>>佃煮君
陰謀史観に対するレスは、なるべく本日中にします。
まぁ、その陰謀の根拠は薄弱だし、仮にそのようなものがあったとしても、
失敗に終わっています。
知覚するもの、すなわち、私は変化しない。
真摯に考えていない。真面目にレスしていない。と言っているのではないよ。
ただ、質問に答えられないだけさ〜〜。
かけっていう形式があればいいじゃないですか。
では僕がまけたら、僕の秘蔵写真をうpします。唯意味論さんは、何もしなくていいですよ。
僕が勝つことは分かっていますからね。申し訳ない。
却下します。www
あ〜あ、誰かさんのせいで議論が停滞しそうなので、話題ふるね。
アウグスティヌスの時間論って、どうだったんでしょうねぇ。。
じつは不勉強でまだ、読んでないのです。読んだひと、要約、ヨロシク。
せんせー質問です
カメは時間を認識するでしょうか。
鳥は時間を理解しているのでしょうか。
時間ってものはないと思うのですがどうなんですか。
せんせーと呼ばないでください。あなたのセンセーじゃありませんので。
認識や理解は、ヒト固有の自己理解です。他の種の自己理解をヒトが理解
できるでしょうか。ある程度、できるように思われます。すなわち。
すくなくとも、ヒトは、ヒト以外の種の自己理解をある程度、モニターし
うるという、ある意味卓越した能力をもっています。
もし時間というものが存在しないならば、いま、私とあなたがネットを
使って情報を交換する。。という行為も、どうして可能でしょうか?
いやいや、そもそも呼吸するってことが時間の認識でしょうが。
どれぐら息を止めていられるかっていう認識は亀の中にもありますよ。
ないとも言えますがね。
まぁだから結局時間を定義しないと始まらない問題を、延々と語ってもしょうがないわけ。
いつまで成長ないんだこのスレッドはw
物質が変化するときは科学変化や物理変化が起きて変わるけどこれは時間が変化させたわけじゃないじゃん
細胞が生きているときは代謝や呼吸を繰り返しているけれどもこれは時間がさせているわけではないでしょ
結局時間って未来や過去を見るときに初めて理解することができる現象のまとめみたいなものでしょ
時間が進むのではなく時間が指し示しているものが進んでいるんじゃないのかなと思ったわけ。
所詮何も知らない理系の観点からの稚拙な質問でしたので多めに見てやって下さい。
299 :
トーヘンボク:2010/12/14(火) 07:19:40 0
295=298?
のようだが、少なくとも名無しの代わりに295と書けば
わかりやすいでしょう?名無しだけではわかりにくいんです。
・・あなたは、言葉に振り回されていると思いますよ。誰も
時間が〜〜させてるなんて主張はしてないでしょう。
化学変化にしても。そのほかの変化にしても「時間がかかる」
「時間が必要だ」などの表現が普通です。ヒト以外の種(しかし
たぶん高等な種)においても、「時間がかかる」ことの「認識」
ぐらいは当然あると推測されます。多くの高等生物は、ヒトのように
それぞれの「日課」に従って、生活しています。彼らなりの「タイム
スケジュール」という訳ですね。
300 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/14(火) 13:02:25 0
>>269 うん、違うなら、機械氏のいう補助的な仮説空間と、カントの直観の場と、
貴方の言う「場」との違いを教えてね。
>機械氏
>何が存在するのですか。何が生成するのですか。
古代ギリシャにおいて、生成を重視したのはヘラクレイトス、存在を重視したのは、ミレトス学派。
両者は、独立でもなければ、交差もしない。
一方を重視すれば、一方を見逃す。そういう構造に世界はなっています。
存在形式の内容は、「存在という最高に形而上学的な概念」を、予想し続けるものです。
つまり、あらゆる存在と呼ばれ得るものは、それ自体では存在そのものでない。
あくまで純粋な存在概念を予想している。それも、純粋概念かつ反復可能な概念である存在を、
一度発見した存在者が、あらゆる存在にその予想をみるところの、イデアです。
そして、存在を本質とするものとは、存在形式そのものとなっている人たちです。
つまり、自己を存在と認め、存在として持続している。これこそが存在を本質とする人たちです。
この場合、実存の根拠として、純粋過去が挙げられます。さてしかし、存在形式を内容として
含む、存在以上の形式へと彼がなるとき、彼はある存在へと投げられうる、可能性です。
これを私は、「前投企」と名づけました。
301 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/14(火) 13:09:00 0
今書いている論文をちょっとうpしますね。
持続とは、機械的に制約された実存の、時間形式である。
己をそこに投企されたものとしての純粋過去を、それをそれとして、
(機械に制約された)可能性の中から彼を選び取ったという実存者の、
彼にとっての実存の根拠、それが実存者にとって持続している、ということである。
存在の根拠が持続しており、それこそが実存と名付けられるのである。
存在を可能性へと投げること、これが実存者であり、現在の存在の根拠を考えること、
これも実存者である。
従って、己を投企したところの実存者が考える彼自身の実存性は、
機械的であり、一意的である。
一意的であるからこそ、次に彼はまた自己を投企し得るのである。
302 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/14(火) 13:10:06 0
機械は可能性を任意に切り分け可能な因果のもとに還元するが
(従って、機械にとっては、今が現在である必要は全くない。
だが、どこかの因果の時点でなければならない)、
そうした機械観においてもなお実存という言葉が有効なのだとすれば、
それが他ならぬ現在において、ある存在とみなされるために、持続という時間形式が必要だからである。
なぜなら、機械や有機体を問わず、それが機械の支配のもと、実存と認められるには、
(それがある実存者の恣意によるものであるにせよ)存在を本質とし、
かつ存在が、非存在=可能性からそこへと投企されたものとして、
(機械に制約された)可能性を前提とし、そのような存在として、わざわざ選び取られた存在として今、
持続することが必要だからである。
「今、持続すること」は、それを機械=一般性としてではなく、
実存として見ることである。従って、実存は「今」でなければならない。
「現在、在る」ということが、機械に制約された実存の形式である。今である必然性が、実存にはある。
だから、機械のほうも、この実存者にとっての「今」から、因果を辿られる。
未来から因果を辿ることは、実存者がいる以上、正確ではあり得ない。
303 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/14(火) 13:14:04 0
要するに、機械が支配する世界においては、持続こそが実存の根拠であるが、
機械でない時間がもしある(あった)とすれば、投企を実存の根拠とするのです。
なんという悪文じゃい
はい。
存在とは結局なんであるか。答えられませんでした。
まぁこれがKyrieなんだよ〜 唯意味論くん。
つまりね。存在はイデアだ、って。そういうことを聞いてるわけじゃないじゃーん。
何のイデアかってことだよー。でも、それはKyrieの中にはないわけだ。
彼は存在は存在だって言ったにすぎないわけ。
存在の言い方を変えてくれってことじゃないだろー。
存在だとか予想だとかイデアだとか。 だから、それが何なんだよ
意味をきいてんじゃねーんだよw
この問いかけに一切答えられないんだなぁKyrieは。
時間の意味についてはみんな知っているのです。親などから教わり日常的に
問題なく言葉を使っています。子供に教えてもいます。
308 :
考える名無しさん:2010/12/14(火) 17:08:28 0
309 :
トーヘンボク:2010/12/14(火) 20:36:44 0
訂正。286で、すでに「主観的」時間論をやった・・などと言ったのは
軽率。こんなに単純なことであるはずがないので。
やはり、当初の予定通り、時間論(客観的?)を充分、展開したのちに
やったほうが、正解です。ちょっと、先ばしりすぎましたね。
まあ簡略化された予告篇といったところです。。。さっきのは。
>>301-303 院は無理そうだね。
背伸びしないで、自分の理解できることだけを書かないと駄目だよ。
kyrieは背伸びするととたんに意味不明になる。
(kyrieのレベルを見抜けないここにいる人も、それでレベルが判るわけだが。)
>>310 まあ、そんな駄目出しは
素人の俺にでも言えるが
>>311 哲学徒なら、素人の駄目出しなんか、かるくひっくり返せるのだからそれはそれで良いのでは。
>>312 kyrieがゆびーを軽く論破できないのは何故だろうね
>>300 >
>>269 >
> うん、違うなら、機械氏のいう補助的な仮説空間と、カントの直観の場と、
> 貴方の言う「場」との違いを教えてね。
カントの直感の場には意味の把握は含まれてなかったと思いますが。
補助的な仮説空間でもなんでもない、具体的な空間(つまり時間)をもつ自分の意識こそ「場」であると
思ってます。w
315 :
Kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc :2010/12/15(水) 14:34:59 O
>>310 あなたにとって意味不明で理解できない文章を、
背伸びした文章である、と一蹴できるのはなぜですか?
あなたが理解できないなら、背伸びした文章であるとすら言えないはずですが。
それとも私の文章は、間違ったことを書いてますか?
ところであなたが分からないところなら、
文章を書いた責任として、詳しく説明しますよ。
まあ私の文章が悪文であることは自覚しているが、
私は以前と違って哲学史を学び、哲学史で使われたタームしか使ってません。
316 :
Kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc :2010/12/15(水) 14:52:22 O
ああ、私は確かにレトリック面で背伸びして、
機械さんなどに分かりにくいよう文章を晦渋にしました。
すみません。
ですが、レトリックを透かした先の内容面で、
どこが背伸びなのでしょう。。
結局、表面的なレトリックに翻弄されて、
内容面までに理解が及ばないとき、
確かに過失は私にありますが、
しかし私が内容面で背伸びをしている、とは決して言えないはずです。
いいでしょう、これからはもっと分かりやすく書きます
内容にしても時間についてではなくマイ実存についてのような
>>316 レトリック云々の前に
主語述語の関係すら不明瞭だろ
それを読む教官の身になってみろ
>>303 前者か後者か主張をハッキリした方がいいですね。投企が機械的でないという
意の使い方ならばそこも説明するべきです。
すべて決まっていて、その決まった状態をなぞるのが時間、
というか我々のほうが時間を進むものと解釈している。
だいたい「進む」という言葉自体が「場」を含むのに、
それがなんであるかを理解しないままじゃ意味ないよ。w
共通の悟性的なステージを示してから推論するというのが当たり前。
そうですね。「進む」という言葉自体は様々な対象に使われる言葉なので
ここでは「時間」が進むこと、では時間とは何か、それは時刻と時刻のあいだ、
では時刻とは?時刻と位置の違いは何か、過去と未来の違いは何か、
などなど
内容面での背伸びは決定的にあるだろう
じゃあ存在とは、何が存在しているんですか? 何が生成するんですか?
と、いわれたときに何もいえない。 それは、内容面で背伸びしているからだし
存在とは、 イデアが存在しているとか 形式が存在しているとか
そういうことをいくらでもKyrieは言うが、なんの、イデア? 何の形式か? となったときには何もいえない。
これが、背伸び以外のなんなのだろうか。
Kyrieは責任を持ってまったく答えていないのである
324 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/17(金) 12:42:02 0
>>314 >カントの直感の場には意味の把握は含まれてなかったと思いますが。
補助的な仮説空間でもなんでもない、具体的な空間(つまり時間)をもつ
自分の意識こそ「場」であると 思ってます。w
直感でなく直観ですよ。大丈夫ですか?「意味の把握」とは、また説明を要すべきタームが
でてきましたね。まあ貴方はメルロ=ポンティをお読みのようですから、その意味での
「意味」なのでしょうが。
具体的空間がある、としてそれをもつ意識が場なんですね?
では、貴方の言う場とは、具体的空間でなく、それをもつ意識そのものである、
ということですね。意識そのものが空間的であり、しかも意味をもっており、時間性をもつ。
それが貴方の意識の定義なのですね。すると、当然時間すら意識の条件なのだから、
時間を語るには、空間と意味とを媒介しなければならない、ということですね。
では貴方は、意識の場と切り離せないという時間を、私が切り離したことに対する批判をおこなっているのですね。
まあいいでしょう。そういう主張は、ありますよ。
でも、全てが場であって、切り離せず不可分だ、というだけなら簡単です。
なぜそこにあえて時間と場という区別が生まれたのか。区別の必然性はどこにあって、そしてなぜそれは
乗り越えられねばならないのかを問う、これが貴方の次のステップですよ。
まあ、哲学史的には、フッサールが生活空間をもちだしたあの時代、
ヘーゲル的な観念哲学に対してや科学的アプローチに対するアンチテーゼ、
「本来性」が尊ばれたわけです。時間と空間と意味という区別は本来的でない。
両者は不可分だ…これは一つの方向ですよ。
そして、私の考えでは、機械的時間を説明し、有機体における時間を説明し、
意識における時間を説明し、こうして発生論的に時間を語った後、やっと
本来的な時間を語れるのですね。本来的な時間とは、フッサールが分析した、
生活世界の時間のことですよ。本来的な時間は、本来はなく、フッサールによって
発見されたものだ、というのが私の意見です。
キリーは他のコテにはレスして、ゆびーにはもうレスしないの?
326 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/17(金) 13:07:55 0
>>319 両者を私は主張します。つまり、この世界は機械的でもあり、
かつ機械でない時間が、並行している。
機械的な世界観の中で実存をもし語れるとしたら、それは存在の持続のうちにおいてのみです。
しかし、機械という制約を払えば、実存の根拠は、自由な投企です。
しかし、自由な投企は、機械に支配されています。
327 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/17(金) 13:23:03 0
>>325 ああ、彼がまだしつこくレスしてるのはレス番号の飛びで知ってますよ。
まだ主観が云々とか言ってるんですか?
私はもう前スレの最後の方で、トリップをNGワードにしたから、一切彼のレスは見てませんが。
彼にわざわざレスするだけのレスでもしてるんですか?
いずれにしろNGを解くつもりはないし、関わりたくないのが本音。
>>324 >直感でなく直観ですよ。大丈夫ですか?
大丈夫じゃないな、誤字です。訂正感謝w
>本来的な時間とは、フッサールが分析した、
>生活世界の時間のことですよ。本来的な時間は、本来はなく、フッサールによって
>発見されたものだ、というのが私の意見です。
それはスレタイ見たときからそうだろうと思いました。
生活時間について考察するには、「現象」そのものをどう掴まえるかということを、
どう自分なりに記述していくかという事でしかもう先には進めないと思ってるのですよ。
>なぜそこにあえて時間と場という区別が生まれたのか。区別の必然性はどこにあって、そしてなぜそれは
乗り越えられねばならないのかを問う、これが貴方の次のステップですよ。
これが違うと何回も言ってます。w
329 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/17(金) 14:06:43 0
>どう自分なりに記述していくかという事でしかもう先には進めないと思ってるのですよ。
貴方、私の時間論を読んでますか?私はフッサールの時間論など一切踏襲してませんよ。
フッサールの時間論は、生活世界における時間論。
私の時間論は、存在かつ生成に関わる、もっと根本的な時間論です。
生活世界以前の時間論ですよ。
私がここに貼った時間論は、現象学などではありませんよ。
誤解されていなのなら、悲しいことです。もちろんスレタイのせいでもありますが。
>なぜそこにあえて時間と場という区別が生まれたのか。区別の必然性はどこにあって、そしてなぜそれは
乗り越えられねばならないのかを問う、これが貴方の次のステップですよ。
これが違うと何回も言ってます。w
いや、言ってませんね。時間と場との区別の必然性を、貴方は否定している。
ならば、その否定の根拠を示さねばならない。
ただ、直観的に「時間と地とは不可分だ、それは絶対に正しい、なぜなら
直観的に明らかだから」としか貴方は言ってませんよ。
なぜ、その直観が正しいのか、その根拠を示すことが、絶対条件ですよ。
それは、時間論以前の段階ですよ。
ただ「場を前提としない時間論は不毛だ」で終わらせるんですか?これは時間論とは言えませんよ。
それはなぜですか?なぜ不毛なんですか?
ここまで言えて、初めて時間論です。
>>329 >私がここに貼った時間論は、現象学などではありませんよ。
>誤解されていなのなら、悲しいことです。もちろんスレタイのせいでもありますが。
大丈夫です、誤解してないと思います。あなたの時間論はぜんぜん現象学的じゃありませんから。w
>ならば、その否定の根拠を示さねばならない。
それよりあなたが「時間と場との区別の必然性」を記述できてないのがそもそもの問題。
>
自分が
>>116で書いたのは、
「場」への関わりに言及しない時間論というのは不毛」ということであって、
ぜんぜん「場を前提としない時間論は不毛だ」とは言ってない。
あなたは時間を切り話して述べたいのだろうからそれを切り出すために「場」を
記述しなければならない。それ無しにただ「時間は〜」としゃべっても意味がない。
ということ。
読めてますか?w
331 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/17(金) 14:59:55 0
まあ、問題ありません。面倒になってきた。。
>場への関わりに言及しない時間論は不毛
これはなぜですか?なぜ場への関わりに言及しない時間論は不毛なんですか?
なぜ場を記述しなければならないのですか?
その必然性を示してください。
私は貴方が登場するまで、場など意識しませんでしたから、
時間と場との区別の必然性などそもそも持っていないのですよ。
逃げないでください。
場を言い出したのは貴方なのだから、貴方の方に説明責任がありますよ。
>ただ、直観的に「時間と場とは不可分だ、それは絶対に正しい、なぜなら
>直観的に明らかだから」としか貴方は言ってませんよ。
あとこれにどう反論するんですか?時間と場とは切り離せない。
それはなぜか?貴方は逃げてばかりですね…はあ。
逃げてると読めること自体が問題なんだけどなあ・・
>時間と場とは切り離せない。 それはなぜか?
それが「世界」だからに決まってます。
あなたは「世界」を無視してその一部(あるいは一要素)である時間だけを
問題にしようとするからどたばたしたことしかしゃべれない。
言い換えると、あなたの「世界」が誰にも見えてこないんですよ。w
333 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/17(金) 16:03:50 0
では、貴方は世界を「場」と「時間」とに分けて見ているんですね?
つまり、この分類の妥当性を認めつつ、つまり「時間を語ること」は
認めつつ、時間と場とは切り離せない…これが貴方にとっての「世界」だ。
で、それはどのようにして分かるのですか?
まあいいでしょう。
貴方は初め、場を空間とは違う、といった。「意識だ」、とすら言ったんですよ。
覚えてますか?では貴方にとっての世界とは、意識=場であり、その場は時間と切り離せない…
それ以上には進めない世界だ、ということになります。
それとも、「自分の意識こそ「場」である」という発言を撤回しますか?
貴方は、現象学的には、場と時間との不可分性を、直観的に確信しているが、
それは意識においてでしかない。この意識こそが世界であり、世界だから、
時間と場とは切り離せない。
さて、その、超越論的な世界が(つまり直観からでなく、世界がある、という貴方の確信からみて)、
場と時間とをもつ、と認めるのに、貴方は直観しか使ってないわけですよ。
世界が、ある。なるほど。次に、直観的に場と時間とはある。したがって
世界は、場と時間とからなる。これが貴方の論理の全てです。
世界がある、という貴方の確信と、直観的に場と時間とがある意識と、が、
結びあわされています。
334 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/17(金) 16:04:31 0
それなら、@世界は場と時間とからなる、しかも完全に直観できる。
もしくは、A世界とは意識であり、意識は場と時間とからなる。
という主張にならざるを得ません。
素朴な現象学ですよ。これが貴方の立場です。
超越論的現象学的に時間を語るのなら、フッサールという先駆者がいます。
ですが私は、フッサールの時間論がそこで成り立つ、意識という世界の
可能性の制約を行っているのです。
だから私は、世界が空間と時間とからなり、そのうちの時間を語っている、
のではさらさらなく、空間と時間からなる超越論的自我が、そのうちで可能な世界を、
構成しているのです。世界を分析しているのでなく、構成しているのです。
だから、
「kyrieの時間論は世界を時間と空間とに分け、そのひとつだけしか述べてない」
のでなく、世界が可能になる、条件を構成しつつある、ということです。
お分かりいただけますか?
>>333-334 だいぶ分かりやすくなりましたが、自分の立ち位置はこのスレ上からは以下の通りです。
1)自分の時間の解釈は「時間は過ぎ去らない」(「過ぎ去りつつあるもの」というあなたの言葉に対して)
2)「場」への関わりに言及しない時間論というのは不毛
3)あなたが言う「主客以前の、事実としての過ぎ去るもの」は、場としてはどこに定位されるのか?
4)「場」を定位しないであらゆる変化は観察不可能
5)「場」を定位する、というのは誰がどこでどう時間を止めるのか。ということ。
6)場を条件としない時間というものは想像できない
7)時間は場と相容れないものでありつつ同じものである
8)時間は場で展開され、場は時間で特定される
9)自分が「場」というのはメルロ=ポンティが言う「臨在(現前)の領野」に「近い」
10)場は時間をなぞり、時間は場をなぞる
11)自分の言う「場」とは、メルロ=ポンティのいう「絶対的静観を行うある場
(「能動性を備えた受動性としての知覚が出現する場」)」としての「肉」のような、
イメージ
12)「進む」という言葉自体が「場」を含むのに、 それがなんであるかを記述しないままでは意味がない。
共通の悟性的なステージを示して(記述しつつ)推論するべき。(あなたはそうしていない)
>素朴な現象学ですよ。これが貴方の立場です。
素朴じゃない現象学なんてあり得ないw
>世界を分析しているのでなく、構成しているのです。
そこが問題なのだと何回も言っているのです。w
付け加えるとフッサールの言う「未来予示・過去把持」を乗り越えるなら、フッサールの提示した「小さな庭としての現在」
という「場」を乗り越えないといけない。そこが一番難しいところだと感じてます。w
さらに付け加えると、自分は別に否定しているのではなくて、どうぞご開陳くださいと
希っているだけであることを申し添えさせていただきます。敬具
なんだそのへっぴり腰は
>>326 並行とするなら、
>>303のような「もしあるとすれば」ではなく両方の時間が常に成立していると
主張するといいです。
機械的であるとは原因から結果がひとつに定まること、ある原因からはある決まった結果しか
起こりえないこと。そして非機械的とは原因から結果が定まらないことを意味する。
この定義上ではそのどちらかになるはずですが、どのように両立させるのでしょうか。
「投企」は未来の自分を自身で選択するという意味でしょうか。
340 :
トーヘンボク:2010/12/19(日) 13:19:46 0
われわれは、つねに分岐点に立たされている。。と感じる。
そして、けっきょくは「私」が進むべき道を選ぶのだと。
主観的に「私」は自由。しかしもし、私を観察する、超越的な
視線というものを仮構してみるならば、「私」の行動はすべて
必然なのかも知れない。すなわち、「私」がその存在を疑わない
「私」の自由とは、
もしかしたら「錯覚」なのかも知れないのだ。。。
>>340 >主観的に「私」は自由。
主観的な自由などありませんよ。
気分は常に他者との関わりにより左右されます。
「選ぶ」のではなく「自分」だと考えているものに「選ばされている」のが「私」というもの。
342 :
トーヘンボク:2010/12/19(日) 15:32:56 0
まあ・・あなたの言うとおりだとして。あなたは、個人が誰かといる
場合とひとりでいる場合を、ごっちゃにして論じていますね?
確かに、気分というものがあり、私は気分によって動いている、
あるいは動かされている・・どちらでもよろしいが、私が先ほど仮構
した超越的な観察者からみれば、すべては必然かも知れませんよ、
と言っている。ただその観察者に、人間は絶対に追いつけないよ、と
そういう話です。
>>342 >個人が誰かといる 場合とひとりでいる場合を、ごっちゃにして
それって冗談ですか?
344 :
唯意味論:2010/12/19(日) 16:21:05 0
>>佃煮君
遅くなりました。長らく規制されていたもので…。
スレ違いになるが…、当時のコミュニズムの革命戦略は二段階方式
だった。一つは君のいう帝国どうしの戦争。次いで、敵国に向けた
銃口を、それぞれの国々の支配者たちに反転させる、というもの。
戦争から内乱へ、という図式である。
結論からいえば、わが国に関するかぎり二段階のどちらにもコミュ
ニストが関与した形跡はない。また、この国の戦後社会を理念的に
主導したのは唯物論ではなく“神”なき資本主義。拝金主義である。
唯物論と拝金主義は似て(似ていないか)非なるもの。
佃煮君は思い込みが強すぎます。惜しいですね。
まぁ、幸せならそれでいいですけど。
345 :
トーヘンボク:2010/12/19(日) 16:26:54 0
>>343 あなたはどうだが知らないが、わたしの行動が気分に左右されるのは
誰かと一緒に居るときだけだ。わたしは、ひとりでいるときに気分に
左右されたりはしませんよ。
346 :
唯意味論:2010/12/19(日) 16:30:23 0
>>341 これもスレ違いだが…「選ばされている」のが事実だとしても、
それが必然か偶然かは、なんともいいがたい。
もしかすれば、偶然ではないか…。その偶然性が“自由”という
幻想を生むのではなかろうか?
347 :
唯意味論:2010/12/19(日) 16:36:27 0
>>345 それはどうでしょう?
近くに他人がいなくても、たとえば急激な自然環境の変化があれば、
君の気分を多少とも左右するのでは?
>>346 気分に関しては必然なんてものは想像しがたいですね。生理的な反射にはありそうですが。
「選ばされている」というのはあくまでも認識としてのそれのことですね。
makosu〜〜
Kyrieが完全に逃亡したから、もうこのスレッド見んでもええで〜〜
350 :
考える名無しさん:2010/12/19(日) 22:35:44 0
わかった〜
352 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/20(月) 11:34:14 0
>>339 「もしあるとすれば」というのは、機械的な世界以前に、機械に制約されない
相互創造的な世界があり得る、という可能性を示すうえで、欠かせませんでした。
いったい、投企とは、いまだ存在しない、つまり機械でない可能性を、存在させることです。
可能性という、可逆的な(機械でないのだから、因果に支配されない)、
そして相互浸透的な存在以前のものを、機械的存在としてもたらすことです。
353 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/20(月) 11:41:41 0
可能性を存在形式のもとに存在させること…つまり投企は、自分の存在を
選べる、という意味で自由です。ですが、選択肢は機械論的に制約される、
というだけでなく、純粋な機械論者なら、可能性という概念すら否定するでしょう。
もし投企という概念を現象学から引き継がざるを得ないのだとすれば、
生成を本質とする、存在形式以上の世界、創造的な世界を考えざるを得ないのでは?
ちなみに私のいう創造とは、一般性を確立する際の、わずか一瞬のできごとです。
一度現象が、構造や存在や概念と見なされれば、あとは機械的な世界の因果に従います。
ですが、構造を見出すその瞬間、彼は純粋生成の世界にもおり、つまり可能性の世界、
実存の根拠として自分を投企しうる世界におり、かつ機械的世界に従っている。
ところで、実存することとは、いつでも投企を行いうるという可能性の状態であって、
もし機械的な世界がなかったなら、投企する必要はない、というより投企自体あり得ません。
354 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/20(月) 11:44:37 0
つまり、原子の集合からでは説明できない有機的構造や、機械の目的性などの、
「原子から発生論的に存在するようになったのではない」存在は、パルメニデスに反して、
「あらぬものがあるようになる」ということではないでしょうか。その場合、
あらぬものとは、存在以前の、可能性です。可能性は、機械の世界にはあり得ない。
だから、違う世界を借定せざるをえない。
これを否定できる人いますか?どう考えても、これが決定論者への決定的な反証になるのでは、
と期待しているのですが。
355 :
kyrie@学校 ◆Debha1lQgc :2010/12/20(月) 11:49:04 0
>cattさん
私は、貴方を完全に論破した積りでいますし、貴方はそれを永遠に認めないのでしょう。
私は私の主張の正しさを確信していて、貴方を見透かすだけの哲学的な視点をもっている、
と確信しています。ところで自分の間違いを認める、認めさせるというのはどんなに難しいことでしょうか。
まあ貴方とは、少なくとももう場については私の中で決着したので、これ以上は言いませんよ。
お互い悪い気分にはなりたくないですしね。
まあスレッドの趣旨に沿えば、私は時間は過ぎ去るものとは言っていません。
言っているのはベルグソンです。ベルグソンは生成を時間の本質としました。
それに対し、過ぎ去らない時間とは、生成を形式とする時間です。
過ぎ去る時間、過ぎ去らない時間、両方の形式として生成が必要です。
貴方が時間は過ぎ去らない、と考える根拠について、貴方はまだ何も語っていないように
思えるのですが、それはどうしてですか?煽りぬきに、どうして時間は過ぎ去らないのか、
という意見を聞いてみたいのです。
>>355 > >cattさん
>
> 私は、貴方を完全に論破した積りでいますし、貴方はそれを永遠に認めないのでしょう。
> 私は私の主張の正しさを確信していて、貴方を見透かすだけの哲学的な視点をもっている、
> と確信しています。ところで自分の間違いを認める、認めさせるというのはどんなに難しいことでしょうか。
> まあ貴方とは、少なくとももう場については私の中で決着したので、これ以上は言いませんよ。
> お互い悪い気分にはなりたくないですしね。
別に悪い気分にはなってないですよ。対話のうちで悪い気分になるというのは自分のキャパを
越えた(あるいは自分のことばの不整合にうすうす気付いた)不安から来るものでしょうからw
>
> まあスレッドの趣旨に沿えば、私は時間は過ぎ去るものとは言っていません。
> 言っているのはベルグソンです。ベルグソンは生成を時間の本質としました。
> それに対し、過ぎ去らない時間とは、生成を形式とする時間です。
> 過ぎ去る時間、過ぎ去らない時間、両方の形式として生成が必要です。
それは、あなたが語る際の「場」を定位していないからどちらかを選べていない、ということ。
>
> 貴方が時間は過ぎ去らない、と考える根拠について、貴方はまだ何も語っていないように
> 思えるのですが、それはどうしてですか?煽りぬきに、どうして時間は過ぎ去らないのか、
> という意見を聞いてみたいのです。
あまりにも長文になりそうなので、いま工夫中ですw
>>352 ハイデガーの投企とは微妙に違うようですね。ハイデガーは投企は自分も因果の制約上に
あることを理解することが最初のステップとしたような記憶がありますが。
>>353 その創造というのはキリスト教の創造説でしょうか。全体的にキリスト教のにおいがします。
創造、一瞬、瞬間と、用語の説明でかえってブラックボックスを作っているように見えます。
>>354 決定論への反論ならば決定論スレもありますが、これまでの議論を踏まえるのも近道
ですね。
可能性という言葉の意味は確かに決定論に反する面もあります。
>>355 >私は、貴方を完全に論破した積りでいますし
論破も何も、あなたは自分の言いたいことだけ言ってるだけ。議論ははじまってないw
>>355 > >cattさん
> まあスレッドの趣旨に沿えば、私は時間は過ぎ去るものとは言っていません。
> 言っているのはベルグソンです。ベルグソンは生成を時間の本質としました。
> それに対し、過ぎ去らない時間とは、生成を形式とする時間です。
> 過ぎ去る時間、過ぎ去らない時間、両方の形式として生成が必要です。
ここだけレスすると、ベルグソンは時間は過ぎ去るとは言ってませんよね?
持続とは言っているけれども、生成とは言っていないだろう?
言っているの?
文脈にもよるが可能性の意味は特に決定論の否定という文脈で使わなければ
原因の一部を平坦に分布させた場合の結果の分布になるかも。
例えばサイコロを振る場合、それぞれの目が出る可能性や確率は6分の1という
とき、それは振り方など初期条件を平坦に分布したとの仮想、仮定だとすることが
できる。
影響は常に未来に対してあらわれる。影響こそが時間の経過ともいえる。
影響は物理学では相互作用という概念で扱われる。
残留は現在おきている事象が次の未来に関連した形であらわれることとも
いえる。
>>361の可能性の定義からするとあくまで複数の初期条件からの
複数の結果のことであり仮定の話なので、「歴史にもしもは無い」と
いう実在の世界は可能性の存在によってくつがえされることは
無いことになります。
364 :
トーヘンボク:2010/12/23(木) 01:05:27 0
2つの時間論をごっちゃに論じてるから、どうどうめぐりになる。
豊かに語れる奴がいないんだよ
366 :
唯意味論:2010/12/23(木) 11:23:24 0
“時間”を豊かに語るのは天才のワザであり、さしもの異能・キリエ君も
四苦八苦しているようだ。w
「可能性」が彼の鍵・概念であり、それは“いま(現在)”を指しているらしい。
“可能性”とは選択の余地のあることを意味し、そのどれかに「実存(いま)が
自らを投げだす(投企の)契機」として論述されている。むろん、これは決定論
ではなく、確率論である。偶然の連なる“世界”像といってもよい。
難点は、この可能性の連鎖する“世界”と、因果律(規則)によって必然の軌跡を
描く“機械的世界”とがどのように絡みあっているかが不透明なことだろう。
雑駁に印象をいえば「主観的世界と客観的世界は並行している」といっている
だけのようにも読める。晦渋趣味によって語られたwありふれた二元論?
そうですねえ。
「主客以前の事実」とかからしてすでに無理がある。
368 :
トーヘンボク:2010/12/23(木) 13:26:31 0
・・可能性というのは、結局、本人の主観性なんですね。もし、仮溝された
超越的視線というものを仮定するならば、可能性は、脳のシナプスの
発火形態の一つのヴァリエーションに過ぎない。。
、ということになるのでしょう。
370 :
唯意味論:2010/12/23(木) 15:17:31 0
おれって、あれかねぇ。あっちのスレに長くいたために、文章が
機械さんのそれに似てきたのかなぁ?
機械さんは私よりも相当に年長者であり、唯物論に固執する頑迷さを
別にすれば、その教養は私よりも、はるかに豊かです。w
以前は、最高位の自演といわれていたのですけど、ね。w
いや全然似てない
佃煮が一番怪しい
372 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MINORKEYcM :2010/12/23(木) 19:07:47 O
時間は止まることもある
それは無いw
時間なんていつ止まってもおかしくないですよ。さっきも止まっていたかもしれないみたいだよ。
はぁ、無意味
376 :
考える名無しさん:2010/12/23(木) 21:41:32 0
さっき時間止まったよ
買い物から帰ってきたら彼女が俺のエロ本手にして立ってた
377 :
◆sN40TPnkBlxa :2010/12/23(木) 23:25:40 0
゚シュプシュアーッ!! ホホアーッ!! ーっ、ホアプシュプシュアーッ!!
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ぶひーっーッ!! ーっ、ブヒブブヒーッ!! ーっ、ブヒ
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ほほ、ほーっ゚シュプシュアーッ!! ホホアーッ!! ーっ、ホアプシュプシュアーッ!! ホアーッ!! っ、ホアほほ、ほーっ
アーッ!! っ、ホアほホアプシュプシホアプシュプシュアーッ!! ホアュアーッ!! ホ
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ブヒブヒーッ!! ーっ、ブヒブヒィブヒィイーッ!! ブヒーッ!! っ、ブヒぶひ、ぶ
ひーっーッ!! ーっ、ブヒブブヒーッ!! ーっ、ブヒブヒィブヒィイーッ!! ブヒーッ!!
っ、ブヒぶひ、ぶひーっ ブヒィブヒィイーッ!! ブブヒーッ!! ーっ、ブヒブヒィブヒィイーッ!! ブヒーッ!! っ、ブヒぶひ、ぶひーっ
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機械さんが私に反論してますね。そのうち答えましょう。
そのうちって、便利な言葉だよね!
>>376 それは時間が止まっていた重要な証拠ですね。時間についての何らかの大発見につながるかもしれません。
詳細を研究機関に報告を。
381 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2010/12/28(火) 17:01:39 0
俺以上に時間について語ってる人がいない件
佃煮は知識の披露で個性なし、
機械さんは衒学が理解できず
誰も時間について語れないのか?
俺を崩そうとして誰も崩せてない。
>>366 >>354も衒学というのですか?
かなり分りやすく書いたし、主述関係も整ってると思うんですが。
貴方にはがっかりですよ。
機械の世界を前提し、主観の世界は徹頭徹尾機械に基づく、と言ってるんですよ。
主客の世界観と、私の言う機械的世界と可能性世界は全然対応しないんですよ。
はあ〜
誰からも反論がないのなら、機械世界のほかに、可能性の世界が成立しうる、
ということは当たっている、ということでいいですか?
卒論は終わったのですか?
佃煮は時間を止めることができr
384 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2010/12/28(火) 17:48:44 0
>>381 なんかも〜時間の話も飽きちゃって・・・。
時間ネタならいくらでもあるし語っても良いんですけど。
ここってあんまり議論にならないでしょ?
この間も主観的時間と客観的時間の幼稚な二項対立の話をみんながしてて、
他の人がいくら話題を切り替えてもその話に戻したがったりして、ウンザリしてました。
キリエさんも、相手を論破することばかりに気をとられていて、議論の最終目的である「合意」に無頓着なんですよね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
哲板に来て数年、機械軍の決定論や機械論、ご本人の自演癖、AA連投もお腹いっぱいになるまで見て来たし。
これも飽きる理由です。
でもひと言機械さんへ
>>344 コミュニズムが大東亜戦争に関与してないというのは、事実を表面しか見ていない証拠です。
アメリカだけが日本を支配してきたと考えるのは早計です。ソ連はスパイを使って日本に侵入してたのです。
あなたはリヒャルト・ゾルゲのスパイ組織を知らないのですか?あれだけ暗躍していたじゃないですか。
ようやく、kyrieが誰にも相手にされなくなったようだな。。。
もっと早くkyrieの日本語のおかしさに気づけよw
オレは決定論者なので未来はあらかじめ決まっていると考えています。
決定論では時間が進む感覚は錯覚といってもいいような気がします。
それと時間についての謎とされている問題に不可逆性問題があります。
これと時間反転対称性の関係についてどのような考えがあるか興味があります。
時間論を展開する上で避けて通れないと思います。
世界が複数あっていいという考えと世界はひとつという考えがあります。
スレ主さんは前者ですね。従って時間もそれぞれに流れているとうことなのでしょう。
>>385 こういう場での議論は誰かが自分の考えを提示しないと進まないのでは?
390 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2010/12/29(水) 13:57:41 0
>>388 決定論者なら、なぜ今われわれが過去でなく、現在なのか、という問題は
どう対処するのですか?
現在ということを我々の存在自体の根拠とする場合、
純粋な決定論者なら、なぜ「我々は敢えて今なのか」という問いを崩せないとだめですね。
今、我々が今いることが錯覚に過ぎない、とは言えます。だって、
我々が敢えて今いる根拠など示しようがない。
今が持続している、つまり今が存在している根拠なら示せます。ベルグソンの純粋過去が、その根拠です。
まず、我々が「敢えて今で在るのは、どのような必然性が在るのか」
持続する今は実在します、なぜなら今の私が純粋記憶をもつから。これはドゥルーズの議論。
だから、純粋記憶を持つ限りで今は実在する、とも言えます。
>従って時間もそれぞれに流れているとうことなのでしょう。
いや、可能性世界には不可逆性は存在しません。自由な相互投企、相互浸透の世界。
機械世界には、機械が時間を刻まねばならない理が存在する。
こう言う立場ですよ。ところで前者はプラトンのイデア界やハイデガーの「無」にも通じる世界ですが、
私はこの世界の存在を直観的に信じているのですよ。
芸術体験における芸術作品との接触の際に覚える相互浸透的な持続の感覚、
それが実在する、と経験したし、直観もしたからです。
それから、なぜ力があるのか。力がそもそも在るからこそ、力に従って力に作用されるものは
変形する。
387 名前:考える名無しさん :2010/12/29(水) 02:43:19 0
もっと早くkyrieの日本語のおかしさに気づけよw
むしろ人格のおかしさに気づくべきだとw
(○ーとかし○けんとか、存在自体がネタを売り?にしているやつの一人形だというのに)
392 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2010/12/29(水) 14:03:00 0
「現在である」という感覚は、その人の感じた現在および、その現在の実在の根拠となる
純粋持続の数だけ、存在する、といって、誰が反論できるでしょうか。。
だから、「現在在る」自分は、いくらでも過去にも未来にも存在する。
自分が「現在在る」という感覚を、現在もっているから、自分は現在にしか無い。
そうすると、時系列に複数の自分がいて、「自分は現在在る」という実存の根拠を見出している。
しかし、その複数の自分の(それぞれに超越している自分の)同一性の実在根拠として、
何が挙げられるのか。ここまでは純粋な決定論からの帰結ですよ。
反論ありますか?
393 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2010/12/29(水) 14:08:38 0
さらに言えば、過去の「現在、在る自分」は、未来の自分を可能性として描いている。
だから、未来には現在の自分と決定的な同一性をもつ自分はいない。
未来の「現在、在る自分」は、過去を、現在、持続している実在の根拠としている。
だから、過去には唯一一人の同一性がある。
ここまでは経験心理学からの帰結。
394 :
唯意味論:2010/12/29(水) 14:27:21 0
>>385 ゾルゲ、尾崎たちは「ソ連を守る」ためにスパイ活動に従事していたのであり、
あの戦争の遂行を後押しするためではなかった。先の戦争へのコミュニズム
の影響は微々たるものだった。
戦後、生き残ったコミュニストたちは米国によって解放され、活躍の場を
広げはしたものの、戦後社会づくりの主役を演じることはできなかった。
それは、今日の「わが国」をみれば容易に肯けるはずである。
>>392 > 「現在である」という感覚は、その人の感じた現在および、その現在の実在の根拠となる
> 純粋持続の数だけ、存在する、といって、誰が反論できるでしょうか。。
ありえないです。そのあたりがあなたの論拠の弱いところ。
まず「現在」を語る上での「場(たとえばハイデガー的な視座でもよいけど)」を固定してください。
> だから、「現在在る」自分は、いくらでも過去にも未来にも存在する。
> 自分が「現在在る」という感覚を、現在もっているから、自分は現在にしか無い。
だいたいその「「現在在る」自分」というのがきちんと陳述できていないから突っ込みようがない。
だから
>>393みたいなうわついた時間の三様についての思考になる。
>>395 反論するのなら、まずあなたが場を固定すべきでは?
>>396 準備してますのでしばらくお待ちくださいw
そればっかりやんw
アホばっかり
400 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2010/12/29(水) 16:56:41 0
>>395 有り得ない、と普通の人なら誰でも言えますよ。
ではなぜ有り得ない?となるんですよね。
で、貴方は場を重視する立場だから、場を考慮に入れれば、
同じゲシュタルト的な瞬間は同時にはあり得ない、ということになるんでしょう。
場が貴方にとっての時間の条件だから。
ところで貴方は、場が時間の条件である、ということの証明を行ってないばかりでなく、
>>333、
>>334で論破されたことすら気付かないんだから、幸せですね。
何で物理学の問題に哲学で挑むの?アプローチ間違ってない?頭悪いの?馬鹿なの?本当に馬鹿なの?
いつから時間が物理学の問題になったのか、の時代背景も知らない恥ずかしい
>>401
鼻毛は食えるのですか?
物理学的時間は、時間と呼ばれる何ものかについて、その空間化可能な領域を扱う。
しかしそれだけでは時間の本質を掴んだとは言い難い。
哲学はそれに挑むのである。
397 名前:catt ◆.catt24qAw :2010/12/29(水) 15:16:57 P←←←
>>396 準備してますのでしばらくお待ちくださいw
398 名前:考える名無しさん :2010/12/29(水) 15:23:36 P←←←
そればっかりやんw
また妄想か
釣られてみた
409 :
考える名無しさん:2010/12/29(水) 21:20:44 O
難しい問題ですが空間と時間がワンセットと考えるべきでしょうな
時間が無けりゃ宇宙は膨張どころかエネルギーの物質化すら無かった
そもそも時間の存在しない空間が理論上あり得るのか?という話になってくる
空間はあくまで物質であり時間経過で出来上がっていくもんですからね
初期の空間は歪んでたりしてるでしょうな
空間のような密度が無い物質がいきなり無の状態にそのまま現れるなんてあり得ない
理論とか
はぁ・・
catt ◆.catt24qAwのファックチームファイブ i:::::::::::〃 ;;;;;; ・・ ;;;; ) ブヒカーッペhのカリビアンコムじゃよムニムニ
中二病者のグループ治療
414 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/12/31(金) 18:02:32 0
空間の距離を移動するという現象がある。
たとえばある直線上の二つの物体の移動なら、速さに違いができる。比較ができる。
このとき、空間の中の移動距離として空間的に把握することのできた、「速さ」という概念が、
その一義的絶対性を失い、「時間」という概念を導入することで、二つの速さの物質の移動を、
別々の次元でなく、同じ次元の中で比較することが可能になる。相対性理論が言いたいのも
こういうことだろう。人間にとって時間が重要なのは、意識の計算の速さを統一的に理解する上で、
重要だからだろう。
ATバカ全開!
>>390 > 決定論者なら、なぜ今われわれが過去でなく、現在なのか、という問題は
> どう対処するのですか?
問題は、現在は何故現在なのか?でしょうか。同一律で証明できるのではないでしょうか。
過去は過去、未来は未来です。
同一律
思考の原理の一。一般に「 A は A である」という形式で表す。いかなる事物も
自己自身と同一であり、我々の思考過程においてもこれを否定するような思考を
してはならないという要求をいう。自同律。
> いや、可能性世界には不可逆性は存在しません。自由な相互投企、相互浸透の世界。
> 機械世界には、機械が時間を刻まねばならない理が存在する。
時間が流れているのは機械世界ですね。可能性世界には時間は流れないのですね。
時間論として可能性世界を展開するには可能性世界と時間との関係を表す必要が
ありますね。
可能性世界と思考は何か関係があるでしょうか。
記録、記憶は過去のしかない。思考のみが未来を予見できる。
思考するものは思考しないものに対して優越的態度になる。
>>400 >>333、
>>334で論破されたことすら気付かないんだから、幸せですね。
>世界は、場と時間とからなる。これが貴方の論理の全てです。
まだこんなこと言ってるようじゃ説明はもう少しあとまわしかな?
はったりばっかり
アホスレ確定
421 :
Kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc :2011/01/02(日) 13:14:01 O
末尾P
なんだ自演か、真面目にレスして損した
それじゃぼちぼち行くかな。
>>333 >では、貴方は世界を「場」と「時間」とに分けて見ているんですね?
>つまり、この分類の妥当性を認めつつ、つまり「時間を語ること」は
>認めつつ、時間と場とは切り離せない…これが貴方にとっての「世界」だ。
>で、それはどのようにして分かるのですか?
>まあいいでしょう。
まず「世界」という言葉を共有しましょうか。
たとえば「世界」とはハイデガーの言う「世界-内-存在」の「住まう場」と考えましょうか。
>貴方は初め、場を空間とは違う、といった。「意識だ」、とすら言ったんですよ。
>覚えてますか?では貴方にとっての世界とは、意識=場であり、その場は時間と切り離せない…
>それ以上には進めない世界だ、ということになります。
>それとも、「自分の意識こそ「場」である」という発言を撤回しますか?
現存在(世界を眺める者=世界を知覚する主体)から上記の「世界」を考察する場合、
「場」というのは知覚され(また認識されつつある)「視座」を定位しないかぎり
あやふやなものになります。あなたの言抽象的な時間一般など、語る必要が無い。
既に語られ尽くしていますから。
自分の「場」というのは、そういう意味で自分(私)の「いま」を指しています。
これで「自分の意識こそ「場」である」というあなたの「読み」がとんちんかんだと
いうことが理解できますか?足りなければ捕捉します。
また、あなたはその「場」を定位しないで語り出そうとしている。これでは対話にならない。
同じゾウについて話しましょうよ。w
「いま」なる概念をもって「時間を止める」ことができるとでも思うわけか
そいつは傑作だ
「いま」は概念じゃないってw
「いま」が概念じゃない、と納得されなければ、
それは貴方だけの思い込み
そんな「ゾウ」を共有できるとでも思うのかしら
「いま」など、概念以外の何ものでもない
しかも私的、あいまい、であるが故に
「その今じゃないんですよねぇ」
などと糞問答になるのが目に見えている
>>425 少なくとも「未来」や「過去」よりは目の前にあるでしょ。
自分の目の前にあるものについて、まず確かめていかないでそれ以外を
確かめられるわけがない。
>しかも私的、あいまい
そういう可哀想な人はレスしなくていいですよw
物理法則のほとんどが時間対称性を持つのは何故なのでしょうか。
考え中だが考えてもわからんだな。
428 :
Kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc :2011/01/02(日) 17:46:38 O
>>422 ぼちぼち語るかって、貴方の立場から予想できる以上の新しいことが何もないんだが。
まあ哲学史のおさらいから始めましょう。
貴方のいう通り、抽象的な時間は語り尽くされ、
抽象に重きを置きすぎたヘーゲルへの批判から、
生の哲学が生まれました。それは、場や今を重視する哲学です。
ですが、場を重視し切るなら、その場以上のことは一切語れない。
時間のみを語ろうとすれば、「それは悪しき抽象だ」「場を無視している」
と批判されます。
そんなことはこっちには分かりきっているのですが。
で、批判以上のことが貴方に語れますか?
貴方には批判以上の時間論は不可能なんですよ。
逆に、なんで場は複数在りうるのですか?
場と場は、どうして相互に区別される資格をもつのですか?
これに答えるのは貴方には無理ですよ(笑)答えても、その答えが予想できます。
それへの反論も用意してます。
429 :
Kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc :2011/01/02(日) 18:36:01 O
自演に何マジレスしてんだろ…
飛べないカラスさんにこれからレスします
末尾がPなら自演なのか
ばっかじゃねえの
>>428 おおむねまとめていただいてありがとう。
>場と場は、どうして相互に区別される資格をもつのですか?
この「相互」というのは、区別されるものとする側という意味ですか?
それとも併置されたなんらかの複数のものでしょうか?
432 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2011/01/02(日) 19:35:48 0
>>427 エネルギー状態の遷移を禁止する様な法則が少ないからではないでしょうか。
radiationなんかは、だから、時間対称性がない。
エネルギー状態の遷移が一方行にしか行かないような変化が起きれば、時間が不可逆になるのでしょう。
433 :
考える名無しさん:2011/01/02(日) 20:03:06 0
この板でPとOは昔から故山の自演の代名詞
自演ばっかで書く気うせるわ
つーか哲板に面白い奴がいない
どこに面白い奴がいるんだよ
創作文芸板
結局、物語が好きなのね
そら哲学なんか廃れるわ
創作文芸板って物書きの卵が集まってるだけあって書き込みも充実してるぞ
哲板は自演厨とAA厨に完全に破壊された廃墟板だからな
どこだって哲板よりはましだろう
>>432 現実では非対称の事象が多いのにニュートン力学や量子力学は数式上時間の矢については
何も表していないですね。エネルギー自体が後付けの理論だからでしょうか。
放射も時間が逆向きでも物体に放射線が集まってくるとしたらエネルギーとしては矛盾しない
のでしょうか。
442 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2011/01/03(月) 09:54:01 0
>>441 ニュートン力学では、化学的変化を記述できないでしょう。エネルギーが後付なだけの理論というのは、違うと思う。
エネルギーこそ存在であり、根本ではないでしょうか。放射は、核崩壊の放射能について言ったつもりだったのですが、
自然崩壊はあっても、自然融合というのはないですよね。
エネルギーは原因と結果が等価としているだけ。どっちが未来方向か数式に無いからわからない。
解析的にはわからないということ。だから現在が未来に影響を与えるという時間の矢にしたがって
シミュレーションが必要なことが出てくる。それとエネルギーは理論的には差から取り出せるもの。
差の大きさは差の定義次第でどうにでもなる。核の自然融合は自然の定義にもよるが原子核は
もともと人為的につくられたものではないですから自然融合という表現でいいのでは?
時間は人間がいる前からずっとあったもの。時間論として、まず人間と関係のないそのままの
時間(純粋持続ではない)を明らかにし、それから時間と人間または時間と思考のかかわりに
ついて展開するのが自然だと思っています。
445 :
考える名無しさん:2011/01/04(火) 11:10:45 0
えらい超越的な意見だな。
「そのままの時間」って何?
時間は人間が発見したんだよね。w
447 :
考える名無しさん:2011/01/04(火) 14:00:45 0
発見したのか、発明したのか、それが問題だw
>>447 最初(原始時代)はたぶん「ハラヘッタ、ソロソロタベルジカンダ」とか「ソロソロオレハネムイ」とか
生物としての感覚的な時間しかなかったでしょう。(それは発見かも)
そのうちその感覚と、陽の傾きや季節などの「事物的存在者」との関連が生まれた。
ここから日時計やカレンダーが生まれてくる。(これは発明かも)
で、ベルグソンが「いや時間は持続だ」とかハイデガーが「時間は現存在の自己そのものである」とか
発明するわけですよ。w
449 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2011/01/04(火) 17:58:59 0
>>443 エネルギーを扱う数式には、時間項が数式に出てこないので、解析的に未来過去への変化を取り扱えないと言うこと
をおっしゃっているようですね。シミュレーションのことは、どういうことについて必要なのかよく知らないので分からない。
質量がエネルギーであるという観点からすれば、いろいろなことが言えるはずですが?どうでしょう。自然融合というのも、
質量とエネルギーの等価性を考えなければ、考えることすらできないでしょう。
化学変化はエネルギーのやりとりが原因である、ということに、僕の意見は依拠している。
お前らまだやってんの
このスレに魂吸い取られてるんじゃない?
>>449 解析でもtは扱えます。解析的に。シミュレーションは現在から未来へと要素同士の相互作用を
ある時間づつ計算していくのです。
wikiから引用
古来、システムの形式的モデル化には数学が用いられ、解析的な解を求めることで、あるパラメータと
初期条件におけるシステムの振る舞いを予測する。コンピュータシミュレーションは、そのような単純な
解法が不可能な場合の補助あるいは置換として使われることが多い。コンピュータシミュレーションには
様々なタイプがあるが、それらに共通するのは、システムが取りうる全ての状態を列挙するのが不可能
あるいは現実的でない場合に、そのモデルの代表的シナリオの標本を生成しようとするという点である。
あなたがエネルギーに万能なイメージを持ち信頼しているのは何故でしょうか。物質や時間や法則
すべてに根源としてエネルギーがあるとでもいうのでしょうか。
では熱力学第二法則や熱エントロピーはエネルギーとしてはどのように説明するのでしょうか。
思考、シミュレーション、バーチャルリアリティー(仮想世界)、
これらは根底にあるものは同じだ。未来を予測する手段はこれらの他にはまだ
見つかっていない。
飛べないカラスも唯意味も中の人は機械さんでしょう。
自演にレスしてる人たちがかわいそうじゃないですか。
・・信じがたいよな?まったく、信じがたい。。。
「私」が自由でない、などとは。
・・つまり、「私」は自由である。ただし、私の「主観的な時間」の
内部で、ならば。
しかし。
「時間」的に言うならば、
「私」の自由とは錯覚以外のなにものでもない。
それは、「脳のシナプスの発火様式のひとつの変奏」に還元されて
しまうのである。
この論理から、逃れる道はひとつもない、と思う。
ただし、われわれは、主観的世界、および共同主観的世界の住人である
のは、確かであるので、従来の倫理・道徳・法、等々が、
上述の認識によって、何らかの影響を受ける。。という事はない。
>>455 自由がないとは決定論における自由意志のことですか?
ちょっと人の意見に振り回され過ぎじゃないでしょうか?
決定論なんて不確定性原理によってくつがえされた話題なのに・・・
自由意志はまったく否定されていませんよ。
・・ここで、話は終わらない。残念ながら。あるいは、幸運なことに。
鋭い人には、もう、話の全貌を直感したことと思う。
・・なので、あとは諸君らにおまかせしようか?
いいかげん、この先の話は見当がつくでしょう?
それを私がやるのは・・・私にとっては退屈な労働に属する。。ね。
まさか、私に退屈な仕事をせよ。。とは、言わないでしょうな?
おめえの話はいつも退屈じゃねーかw
私にとって。。と言っているでしょう?
あわてないで、人の文章を読みましょうね。
他人の退屈など、私の関心が、関知することではない。
知ったことか。。
おめえの退屈な仕事なんか、こっちは関知しねーよ
ぶわーか
>>456 ・・つくだくん。一度は確かに「首尾一貫した文章を書ける奴」と
君を評価したことがあったよね。でも、その後、君の貧弱な唯物論理解
を知って、君の株は大幅に下落してしまったんだよ。そう、言ったでしょう?
皮相で、貧弱な唯物論理解とね。
しかしながらさっきも言ったけど、話は完全には終わっていないのさ。
あわてものが、日本人には多いらしいな。。。
あわてる古事記に、貰いは少ない・・・と言うぜ?
>>461 ずいぶん抽象的な批判ですね。
私の陰謀史論になにか誤りがあるなら代替案を提示してもらいましょうか。
日本の科学至上主義、天皇の人間宣言などの流れを決定づけたものとは何か?
リヒャルト・ゾルゲとは何者だったのか?
ご説明願いますよ。
めんどくさい。。。だけど、何で哲学板の話題に、ゾルゲが出て来なきゃな
らないの?ただの、スパイ事件じゃないの?
めんどくさいなら最初から口をつぐむことですね。
機械さんが唯物論信仰者だから引き合いにだしたんですよ。
唯物論は共産主義に随伴した思想ですし。
・・だから、哲学板になぜゾルゲが登場するのかって、聞いてるの。
いっときますけどね。私の弁証法的唯物論はね、マルクス・レーニン主義
とは、別ルートで到達してるんだよ。想像力のないひとだな。
>>465 ゾルゲが共産主義圏であるソ連のスパイだからですよ。
話が見えないなら、決定論スレをちょっと覗いて来るといいですよ。
機械さんがえんえんと精神論を批判し唯物論や機械論を語ってますから。
私は、精神論と唯物論のいさかいの一例として大東亜戦争を挙げたのです。
まあ話題的には微妙にスレ違いですが、機械さんが応答していたのでよしとしましょう。
話題をつなげるとすれば、唯物論的時間、観念論的時間の対比なんかもできますね。
微妙に、ではなくて、圧倒的に板違いと思うね。
何を言ってんですか。
唯物論はぜんぜん哲学でしょう。哲学の基本です。
マルクスだって唯物弁証法を編み出したじゃないですか。
たしかにトーヘンボクはつまらない 中身がないというか
別にひとがいくらつまらなくても結構。君たちの娯楽のために書きこんで
いない。つまらなきとも、退屈でも、口を噤んでいたまえ。つまらなさや
退屈さに、君らはすっかり慣れきっているはずじゃないか・・・。
まあ・・つくだくんは、既成の唯物論をほんの少し齧った程度で自分は理解
した・・と思い込むほどの軽率者。少しは、私の興味を惹くような牡蠣子を
してもらうたいものだ。つくだくんは、やればできる子でしょ?
>>471 おめーは自分が言われた事を人に押し付けてるだけじゃねーか。
馬鹿かおめーは。三下が
トーヘンボクは、倣岸に過ぎるよな。あんまりだ。。。
物自体が実在だとすると時間は実在しない。
これが現代の分析形而上学の常識だから……。
お前らこんなことも知らないんだな。
>>453 占いもきちんと統計的手法によって未来を予測するなら科学的ともいえますね。
>>456 決定論が不確定性原理によってくつがえされたとするのは非決定論者が勝手にそう思って
いるのでしょう。
476 :
トーヘンボク:2011/01/08(土) 07:21:49 0
>>474 ・・ゆえに、論理的帰結として、物自体が「虚構」である
という事が、判明するでしょう? じつに明解だな。。。
476 名前:トーヘンボク :2011/01/08(土) 07:21:49 0 <ー
478 :
考える名無しさん:2011/01/09(日) 21:24:52 0
トーヘンボクは今中二病まっさかりの哲学初心者なんだからあんまいじめんなよなw
言ってることセンスなさすぎだし浅過ぎだが生あったかい目で見守ってやろうやw
いやあ。夜は気持ちのいいものです。
クリエイターである私にとってクリエイター志願であるキリエのスレは居心地がよくて、
いろいろと書き込んでいたものですが、どうも最近は議論が停滞しているようですね。
他力本願なクリエイターですね
>>475 またまた機械さんが決定論の宣伝をしてますね(笑)
世の中は必然と偶然がからまりあってできているのですよ。
それらをすべて一つの法則でまとめることなど出来る訳がないのです。
>>481 はい?他力本願とは?
積極的に時間の議論をしないということでしょうか?
キリエさんが悪文すぎて何をいわんとしてるのかわからないんですよね
ベルクソンの思想に沿って話してた時はなんとか理解できたのですが・・・
独自の意見を述べている箇所はなんかぜんぜん理解不能ですよ
簡単にまとめて要点だけ述べられることを指して「理解している」と言う。
>>482 なるほど、では必然と偶然の違いを述べてください。
>>484 予期できることが必然で、予期できない事が偶然でしょ。
単純な話です。
>>485 それでどうやって決定論を批判するのでしょう。決定論スレもありますが。
予測能力と予測対象の性質を混同しないでくださいね。予測能力が有限であることは
承知の上です。
>>486 因果律が存在し今後の事がすべて見通せるなら、なせ天気予報ははずれるのですか?
ハイ論破
読んでないなw
>>488 あなたのスレを全部読んでいる暇人は少ないでしょう。
490 :
考える名無しさん:2011/01/13(木) 03:32:48 0
他力本願の意味を間違えて使う奴が哲学板にいるとはな
最近キリエさん来ないじゃないですか。
492 :
エロ・キャ:2011/01/14(金) 20:58:07 0
>>487 論破どころか直前のレスに論破されてないか
機械さん自演はやめてくださいよ。
フェアにいきましょう。
495 :
エロ・キャ:2011/01/18(火) 01:14:33 0
・・バカまるだしを、相手にはできない。
今どき哲板で決定論を支持しているのは、機械さんだけなのです。
497 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2011/01/19(水) 08:12:41 P
無限という概念が成り立つには、それが同種の物について考えられなければならない。一つの物を分割して
無限小の物が無限個あるといったり、存在の「頭数」が無限であるという印象を持ったり。時間についても、
空間と同様で、同じ質の物が、ずっと続いているので、連続性と等質性から無限の概念を抱く。
時間や空間の全体を一つとして見るとき、それに終わりがあるように感じられる。人間の知覚が最高位にまで、
高められれば、有限と思えた同じ物が、無限の相を見せることになるだろう。時間の流れがあるように感じられるのも、
「変化」――観測主体の移動や変化――があるため、無限の概念が打ち消されて、しまうためである。
流れの一様さにも、無限の観念が適用される。(川の流れが無常性において見られるとき、それが絶対的な
無限の時の中に存在するため、無限の印象を受けることにもなる。)
時間という概念は、その核に、変化や流れを持っているため、諸行無常という時間観が正しく思われたりする。
実際人間の観測によれば、その常識的な達観は、正しい物である。矢は、いつまで経っても目的地に届かなかったり
という時間観もある。慣性の法則が成り立つのは、エネルギー保存則と同質なものである。
498 :
ヘヴィメタル ダニエル・カール:2011/01/19(水) 09:25:08 0
>>492 本当は、クラウザーさんはうちの学生じゃないんだよ。
どっか割り込んで居座ってるだけじゃねえの。
本当かどうか学生証を見せてみろ。
499 :
考える名無しさん:2011/01/19(水) 13:37:36 0
>>414と同じ様な事を経験した事がある
自分は普通に其処に居るのに周りの車やタクシーが異常な速さで通り過ぎて行く
周りに人がいるはずが居ないと云うか、記憶に無い、別の世界へ移動して来た感じ
本等読んでないのに其処で相対性理論を少し学んだ
信じるか神事ないかはあなた次第^^
500 :
考える名無しさん:2011/01/19(水) 14:16:22 0
訂正 神事→信じ
おっと!>>497をスルーしていた。これから解読^^
>>飛べないカラス
>なるほど、では必然と偶然の違いを述べてください。
必然とは偶な縁が積重なりその関係によって実となるものを言います、
その実となり生まれる色、性質が必然です。一面を見た動作や事ではない。
偶然はその一端やら側面の一部分を捉えたにすぎない。
必然は捉えた物であり、偶然は捉えた事です。
>それでどうやって決定論を批判するのでしょう。決定論スレもありますが。
決定論は何かの確定をもってそれを正しいとしてます。世の中の現実の
現在が不定で不確かなものであれば、決定論は語る以前に間違いになります。
現在現時点を不定か確定かを人が判定し認知することは不可能であります。
捉える側の根本が常に変化してそれに合わせて世界が存在するならば
世界は確定にしか見えないからです。
常に自分が中心で自分の理解を元に物事を捉えるからこそ決定論が発生します。
主体が何か、自分以外の捉えられない主体が他にありそこから仮に捉えたと
認知する世界を想定すればいいだけの話です。
我々の世界は全て我々が認知する世界であります。この外に世界があったとしても
それを我々は認知できません。我々の常識も我々の世界観やら法則も全て
我々の世界だけの基準であります。その他の世界を仮定された場合にはその
我々の世界は我々にとっては客観性のある何かでもそとの世界からでは主観性
の世界でしかないのです。つまり井の中の蛙、釈迦の手の上で永遠に論しているだけ。
貴方が超えられないのはそういう類であり、決定論もその中でしかありません。
ですよね〜。
>>501 辞書とは違いますね。宗教用語か何かでしょうか。
>>502 > 決定論は何かの確定をもってそれを正しいとしてます。世の中の現実の
決定論自体は信仰だと思います。
> 現在が不定で不確かなものであれば、決定論は語る以前に間違いになります。
> 現在現時点を不定か確定かを人が判定し認知することは不可能であります。
そうですね。ある時点の事実が一つというのは決定論的信仰です。
一つでは無いという発想の素晴らしさは理解出来ません。
> 捉える側の根本が常に変化してそれに合わせて世界が存在するならば
> 世界は確定にしか見えないからです。
kwsk
> 常に自分が中心で自分の理解を元に物事を捉えるからこそ決定論が発生します。
決定論は自分が認識したとおりに世界があるという論では無いです。
505 :
唯意味論:2011/01/20(木) 08:45:06 0
カラス君は、因果的決定論だろう?
すると、因果的決定論は「信仰」ということですね?
つまり「因果」は“主観”あるいは“共同主観”的な代物ということですね?
信仰は論の方ですね。論を支持することは信仰。
507 :
唯意味論:2011/01/20(木) 13:08:06 0
>>506 君は唯物論を支持し、また(因果的)決定論に対しても同様の立場である。
カラス君は唯物論・決定論を信仰している、というわけですね?
あちらのスレのラビ氏も「決定論は信仰の対象」と述べている。
それを証明するのは至難だが、といって否定するのはもっと難しい、
というこのなのだろう。もっとも、彼女自身は不可知論だが。
カラス君も、ラビ氏に近い立場かな?
完全に機械さんの演芸場になってますね(笑)
キリエさんはどう対処するでしょう?
>>502 ・・認知は出来なくとも、推論は出来る。推論の力はもっとも大きいと
思う。
>>509 たしかに。
神であれ、仏であれ、なんだって産みだすからね。
511 :
考える名無しさん:2011/01/22(土) 17:16:09 0
運動は人間の意識が存在する以前に存在するが
時間は人間の意識が存在する以前には存在しない
人間が外界の事物の変化を知覚することによって初めて時間は生まれる
「私」という言及は最も現在的だが、この「私」が<今>において
時間を前後に区分することにより時間は前後に分離し過去と未来が区分される
<今>においてさらに過去をより前,さらに前と運動の変化に基づき数えることによって
過去は時間的に構造化されひとつの物語として配置される
外部の変化の知覚を通して時間の進行は意識される
運動の変化を<今>において数える主体「私」なくして時間の進行はない
512 :
考える名無しさん:2011/01/22(土) 17:52:25 0
ビッグバンは100億年前とかいうが、
人類の発生以後にできた「100億年前」なのかい?
>>511 その「意識」とか「私」は、時間を超越しているのかね
一般相対論以降は、時間と空間は一体だから
時間だけ取り出して、それが進むという概念は時代遅れだろ。
515 :
考える名無しさん:2011/01/23(日) 14:19:33 0
>一般相対論以降は、時間と空間は一体だから
ビックバンより前やら、観測するビックバン"宇宙の大きさ"の外とか
ワームホールやら、ブラックホールの中心などや暗黒エネルギーやら
暗黒物質など、一般相対論では無力な物を無視している事実がある。
近接世界の平常状態を表現するには一般相対論は上手であったが
それが全てだと信仰している人が時代遅れである。
>>512 宇宙のことを人間の決めた時間で考えても、宇宙側から見れば笑止だろう。
人間側からは「100億年」に見えても、それは宇宙側からは「瞬間」の事であるかもしれないと
なぜ想像できないのか不思議。
>>515 そうだとしても、「時間だけ抽出する思考」がさらに時代遅れになるだけだが。
>>517 「時代遅れ」ということばが既に抽出された時間にとらわれているような気が(ry
>>518 それはわかってたんだけど、日常言語での表現だと他に思い付かなくてね。
数式で考えることに徹底している人は、日常言語で語らないと思う。
>>519 数式で見てみたいという、自分のたんなる好奇心だからね。w
いや、俺に数式表現ができるわけではないよ。wikiからコピペくらいならできるけど。
一般相対性理論なんかは、理系でも理解できてる人は、そうそういないし。
理系ですらそういう状態なんだから、時間に関する考察で、哲学徒の出る幕はほぼ無いと思う。
哲学徒に辛うじてできることがあるとしたら、上質なエッセイレベルかな。
数式表現なんか使わなくても面白おかしく相対性理論を解説してる本がありますよ。
赤塚不二夫の「ニャロメのおもしろ宇宙論」です。
一般相対性理論とブラックホールの関係をわかりやすく説明しています。
俺もそういうの読むけど、やっぱ肝心のところは把握できないと思うぞ。
そうですか?
526 :
考える名無しさん:2011/01/24(月) 10:20:04 0
「私」
無限に分割不可能な点でありかつ多数の統一
より前と後の限界
中
バーダー、シェリング、フッサール、マクタガードと
アリストテレスの時間論を比較してみたい
>>507 近いと思います。因果律を前提とするなら決定論になりますが因果律の証明の
前提はオレには思いつきません。
528 :
唯意味論:2011/01/24(月) 15:05:23 0
>>527 そう簡単に「唯物論・決定論は信仰」などといってもらっては困りますね。w
どこまでも「唯物論・決定論は正しい(真)」という立場から、あれこれ語ってくれないと。
529 :
唯意味論:2011/01/24(月) 15:09:38 0
結局、正しい信仰と間違ったそれ(妄想)があるだけ、といったラビ氏ふうの見解に
集約されてしまいます。
論の証明は別の前提の組み合わせで結論が前提の内部にあるとする。
証明の前提となるのが因果律。証明は原因と結果をイコールで結びつけている。
5 : この名無しがすごい![sage] : 2009/06/10(水) 14:09:08 ID:7RyB+cDp
>>963 キリエはショートメッセージでも感想でも自意識過剰だよ。きどっていて醜いし痛い。
完全同意。まだ痛い目を見たことがない奴って感じ。井の中の蛙。
中途半端に頭がいいと、躓く機会に恵まれず、幼児的な、自己中心的な考え方をいつま
でも温存することになる。
彼は頭がいいから、自分が自己中心的であることや傲慢であることに気付いてる。だか
ら、周到で、自尊心が強く、恥をかくことを嫌うこういう連中は、先手を打って必要以
上にフェアに振舞おうとする。それで虫も殺さないような紳士的で女みたいに繊細な男
が出来上がる。しかしその割りに、物腰は柔らかいのに案外頑なで、なかなか人に譲ろ
うとしない。自分の主張はしっかりする。
人って強硬な人間や頑固な人間には、それに相応しい態度や物腰(威圧感とか覇気のよ
うなもの)を要求するものだよ。
人に嫌われたくないし、八方美人的に誰にでも穏やかに接したいけれど、自分の言いた
いことははっきりと言う。それってズルいやり方だと思う。少なくとも自然ではない。
自己満足と実際的利益の両方を得ようとする、賢いというか欲張りなやり方。
男の本性はある程度下品で、粗暴で、野卑で、無骨。男として不自然な男、ゲイみたい
な知的な優男はどこかが歪んでる。男で心から優しく、温厚で、思いやりがあるという
ことはたぶんありえない。脳の気質的な異常でもない限り。俺は男だからわかる。男に
は若干の毒気というか、危険なところがある。
こういう連中は「作っている」感が強すぎて、ニセモノだってことがすぐわかる。
>>527 はいって何だよ。さっきから何度も。何がはいなんだよ。
出来もしねえ奴が軽々しくはいなんて言うんじゃねえよ。
だから申し訳ありませんじゃねえだろうよ。何が申し訳ねえんだよ。
本当に反省してんのかよ。
本当に今なら出来んのかよ。
口先だけの謝罪をするんじゃねえよ。
いい加減な気持ちでやってるんだったら今すぐ帰れお前。
533 :
kyrie@院生 ◆Debha1lQgc :2011/02/18(金) 17:19:26 0
ほったらかしててごめん。
上智の現代思想科受かったよ。
今後は時間論を研究します。
過去が絶対に過去から未来に流れているというのは
人が作った理屈での計り方で捉えたものだろう、
そういう観測しかできないんだからそれが合理的、
そうじゃない観測が今後でたら意味が変わる可能性はある。
まあそうじゃない観測などありえないと断定して思考停止したやつには
受け入れられないだろうけどな。
535 :
考える名無しさん:2011/02/18(金) 18:49:07 0
すかんち うよ <<435
>>534 多世界解釈が正しければ、必ずしも人が作った理屈のせいではなくなる。
そうじゃない観測が今後でる事はありえなくなる。
538 :
考える名無しさん:2011/02/18(金) 21:09:28 0
仮に時間が止まるとするよな。
でも人間はそれを一切認知できない。
人間は時間が一定の早さで動いているようにしか感じないから、止まった時間を無としか感じない。
だから、時間はどっちに進んでいようが、スピードが変わろうが、人間には関係がない。
人間は自分が作り出した時間感覚を勝手に感じてるだけ。
逆再生されても逆再生されたと感じることはない。
もし逆再生されたように感じたなら、それは逆再生じゃなくて時間軸はそっちが正の方向だってこと。
541 :
Kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc :2011/02/20(日) 17:57:51.49 O
研究者の卵としては、このスレで講義を垂れるのもおかしい気がする
2ちゃん卒業かな…
そもそも時間・空間というのは物理量なの?
それとも情報なの?
時間は記憶だろ
時間は狭義的には記憶、広義的には情報だろう。
例えば“数”と同じようなものだ。
4個のリンゴがあるという時、そのリンゴは物理的に存在するが、“4”という数
自体が物理的に存在しているわけではない。
545 :
考える名無しさん:2011/02/24(木) 04:40:59.74 0
時間・空間は物理量だらう
546 :
考える名無しさん:2011/02/24(木) 12:30:02.39 0
あ
時間は生きてるから
何で哲学板で時間を語ってるの?
549 :
考える名無しさん:2011/02/25(金) 08:36:06.89 0
物理的な時間、つまり量としての時間は歴史が浅いのだが…
550 :
kyrie@院生 ◆Debha1lQgc :2011/02/25(金) 08:41:22.62 0
McTaggartの論文、ネットで落として今読んでます
ちょっと時間が無いので説明できません
もしかしたらいわゆる時間という物の方向性は気まぐれで停止したり、
いわゆる過去へシフトしたりしているのかも知れない。
仮にそう考えてみたが、
結局俺らは(口説い言い方で申し訳ないけど)
いわゆる未来方向へ移りゆく今しか感知できない様に思う。
何故なら、は省く。
そうだとすれば、人間が、
少なくとも俺が、そういう感知能力しか持たないから、時間は進んでいる。と思う。
ではなくもっと根源的なwwって事だよね?
ごめんね。
上智に現代思想科なんてないだろ
哲学科ならありますね。
哲学科現代思想コースな。
上智てwwwwwww
フランス現代思想はおろかカント以降の研究者いないだろwwwwwww
院にもなって大学名に縛られてるとか哀れすぎwwwww
マーチにもいい研究者たくさんいるのに……
俺がつくのは、田中裕先生だよ。
ホワイトヘッド、科学哲学で有名な先生。
別に大学名で決めたわけじゃないよ。
560 :
考える名無しさん:2011/03/02(水) 18:51:38.38 0
>>559 どうしてレヴィナス研究はやめるんですか
それから失礼だけど田中先生の扱うような科学哲学は君にはとても理解できないと思います
合理化はやめましょう
試験に合格したんだから、資格ありなんだよ
キリエ氏、おめでとう
哲学で大学院に行く意義は俺には理解できないが
貴方の魂がそれを求めるなら、行くしかないでしょう
大きく寛容な心意気で、キリキリせずに、勉強させることをの望みます
キリエさん、ドゥルーズについて教えて下さいよ。
田中裕か
一般的にはほぼ無名だな
まあでも上智は女の子可愛いから良かったな
564 :
ヘヴィメタル ダニエル・カール:2011/03/03(木) 20:58:06.44 0
おーれ、年上をリスペクトできなかった所で馬鹿にしてたらさあ〜
ウェルナー症候群で、もう、老い支度だよ
どーも、ダニエルは時間が経つのが早い人だと思った
一般的にはほぼ無名←馬鹿
田中裕は著作が無いから俺も知らんなあ・・・。
なるほど、1947年生ということは今63歳か
単著がなさすぎるね。
相対論の論文(?)、読ましてもらいました
内容は、「後追い」の印象を拭えませんが
日本語が分かりやすい
そこはキリエさん、見習って欲しいw
主観的
寿命
客観的?
共有してる(待ち合わせができる等)
何かに例えて計る
何例計(とけい・時計)←今つくった
ゼノンの逆逆理
アキレスが亀がいた地点に到達したとき、亀はそれより少しだけ先の地点まで
進んでいる。アキレスの到達点と亀の地点の中点をとると、アキレスと亀が
接近するにつれ、アキレスの到達点とその中点の見分けはますますつきにくくなる。
完全に見分けがつかなくなったとき、アキレスは亀に追いついている。
結論 収束して表れる極限値は線上に存在する点ではなく、極限まで小さくなった
線である。点が線を構成するのではなく、線が点を構成する。点は長さを計ること
ができない線である。
アキレスと亀はアキレスが亀に“追いつく直前まで”の話なんだよね
そりゃ古来からのパラドックスになってしまうよな
つまりどんどん物理学的時間を短くしていって無限小を作りだそうとしているということ
そういう無限小へいたる細分化をやめて一定の物理学的時間のもとで考えたら
アキレスはごく普通に亀を追い越せる
問題は「問題設定」にあるんだよ
ゼノンのパラドックスは、それをパラドックスとしてしまう事にパラドックスがある
言うなれば「物質は素粒子からなるが、素粒子は細く重さは計測できないほどであり事実上重さはない、だから物質は重さがない」
このような物であり、途中で一度議論をちゃぶ台返ししているのに、ちゃぶ台のお茶をこぼすとは何事だと言っているようなもの
無限小にいたる細分化をやめる必要はない。
収束だって、無限にどこまでも近づいていくということだから、
「追いつく直前まで」の話ということになる。πを実際に
数字で書き尽くすことができないように。
誤りは書き尽くされた点が無限に線上に存在するかのように
議論を進めることにある。
>>573 ただ物理学的な問題ならそれで終了かもしれないけれど
哲学の問題して考えると「時間は存在するのか」という問題を避けて通れない
そこまで掘り出して考えるのが哲学という学問分野
物理学者だって哲学は頭の中でいっしょに考えている
哲学は仮説や予想をを後押しする人間の思考だから特別なものではない
フッサールもそういう考え方だろう
まあフッサールも分析哲学に接続するから科学との橋渡しでもあるよね
>>574 時間は「同一の出来事の反復」として存在するんだよ。
時間を細分化しても同一の出来事の反復が観察されることで
時間の連続性が確保されている。もちろん「同一とは何か?」、
「出来事とは何か?」、「反復とは何か?」という問いは哲学的な大問題だが。
>>575 >時間は「同一の出来事の反復」として存在するんだよ。
それはどうだろう?
むしろ「同一」ではなくて「差異」であると言った方が現代的かもしれない
そもそも「時間は存在しない」ということを言っている哲学者(マクタガート等)もいるし
>むしろ「同一」ではなくて「差異」であると言った方が現代的かもしれない
「差異」がないことを「同一」と言う。当然、わざわざ「同一」と言うから
には「差異」があることを前提としている。それがヴィトゲンシュタインが
提示した問題だ。
逆説自体は人間の頭の中にしか存在しない。
それが逆説理解の鍵。
つまり理解とは何か?ということ。
同一性はゼノンの逆理の例をとると、こういうことかな:
アキレスが到達した地点Aと亀の現在地点Bは異なる、つまり、差異がある。
だが、地点Aと地点Bが共有する地点Xとして地点Aと地点Bは同一である。
その同一性を表すXが極限値である。
>>579 違う違う
同一平面としての軸Xという考えが問題なのではない
Xの極限値というのもパラドックス自体が成立してしまう最初の設定にすぎない
そこから考えを抜け出さない限りアキレスが亀を追い抜けるということにはならない
時間とは存在するのか?
限られているものにのみ存在する。
(計る必要性があるものが思い付く)
583 :
考える名無しさん:2011/03/09(水) 07:08:23.98 0
なんだか時が進むのが速い
ここで、ゼノンの逆逆理の結論、つまり、「点が線を構成するのではなく、線が点を構成する。
点は長さを計ることができない線である。」という結論から導かれる、時間の円環性と直線性
にも関係する事実を述べよう。
大きさを失った線とは何だろうか?それは接線の接点に他ならない。
数学者は実数をしばしば直線上に実在する個々の点の集合として表してきたが、
ゼンンの逆逆理の結論から考えれば、むしろ、実数を円周上の接点と考える
方が自然である。円周上に任意の接線をとり、その接点を0とし、時計回りに
順に並ぶ接点をプラスの実数、反時計回りに順に並ぶ接点をマイナスの実数
とする。これで無限直線上の場合とまったく同じ実数の集合が得られることは
当然のことであるが、実数が単なる点としてではなく、大きさを失った線、
すなわち、接点の集合としてイメージすることができるようになる。
整数の分数の無限級数において、天から降ってきたようにπが表れることを
数学者はしばしば「不思議である」と表現し、数の神秘主義に陥るものさえいる。
実数を円周上の無限の接線の接点の連続と考えるなら、すべての実数は整数の
分数の和で近似されるのだから、整数の分数の無限級数の計算がπを含む数に
無限に近づいていくのはむしろ自然なことである。
>>584 だから、ゼノンのパラドックスはその点が間違ってるんだよ
「線を分割すれば点になる」
これは間違い
線はどんなに分割してもごくごく短い線にしかならない
点とは長さが無いものであり、長さが無い以上どんなに緻密に並べても点線にしかならないため線ではない
要するに
>>572で言ったような事になる
人間が妥協する事を見越したペテンなんだよ
>>585 ゼノンのパラドックスが間違っているというより、「連続が既に
実在する無限の点で構成されるとする」哲学の誤りを、ゼノンが
パラドックスとして提示しようとしたと言う方が正しい。
587 :
考える名無しさん:2011/03/09(水) 12:10:44.15 0
点の長さは計れないのか‥
点に長さがあったら線や面になってしまうからな
おまえが認識している点も線も、実は概念上の存在なんだよ
>>586 たしかにゼノンは師パルメニデスの論争相手のピタゴラス学派の前提によって逆説を展開している。
ピタゴラス学派の前提によればこういうことになりますが、と言っている。
時間については概念すら確立しているとは言いがたい
時間とは同期性を計ること。その日常的な単位が1年、1ヶ月、
1週間、1日、1日をさらに細分化した時間、分、秒...
単位とは同一性の反復。
2π周期のすべての実数で目盛が刻まれた時計があったとする。
実数の目盛を指す実数針がこの時計を一周するとき、時を止める
能力を有する時の神クロノスなら、針がπを指すのを見ることが
できるだろうか?
答えは否だろう。πはやはり任意の精度(整数、つまり、単位の
分数の和で表される幅)をもった近似の位置としてしか実在しない。
そうでない数が見えたとしたら、その数はもはやπとの連続性
を失っているので、πではない。しかも、このことはπだけで
なくすべての実数について言える。任意の単位を用いて計る、
近似するという行為を離れて実数が実在すると考える数学者の
哲学は、自らの営みに無自覚であることによって逆立ちしているのだ。
連続性の考察において数学者はどこで誤ったのだろうか?
それは正に「連続する線の上に0という点をとる」という初めの一歩
においてである。0の点をとる行為を切断と呼ぶにしろ、2本の線の
交差と考えるにしろ、そうして生じた0という点の位置は、線上で
0を挟む0ではない2つの点との関係においてしか確定しないのだ。
つまり、初めの1つの点を定める行為は既に別の2つの点による
近似を必要としており、既に3つの点の関係としてしか考えられない
こと、そこにこそ連続性の本質がある。円弧の上の1つの点を円弧
に交差する1本の線の2つの交差点が近似して、それらの3つの点
を最終的には接点という1つの点とみなすことができるという
ことである。0という孤立した点から初めて、1つ1つ独立して存在
する個々の点を想定し、それらの点の連続性について考えた
ときに突然πが出現して「数の神秘」を語るという数学者の姿勢
は、数学者の哲学が逆立ちしていることを示している。
最後に完全な素人としての憶測を1つ述べておこう。
円弧の上を連続的に近づいていく2点間の関係は、静的に見れば、
2点間の距離が次第に狭まって1つの点を表すことであるが、
運動として見れば、振り子が静止に至るまでの様子として時間を
表し、天秤の釣り合いがとれる様子として重量を表す。
これは最終結果としては点であり、プロセスとしては波である。
途中でそのプロセスを人為的に止めれば、通常の収束点とは
異なるものの、やはり点として表れる。量子力学に現れる点と波を、
そうした点や波と同様に考えることができないにしても、測定という
行為を考えれば、やはり何らかの関係があるのではないか。
繰り返すが、無論、これは素人の勝手な憶測に過ぎない。
キリエさんの作ってる音楽はジャンルで分けると現代音楽になるんですか?
597 :
考える名無しさん:2011/03/31(木) 03:48:00.96 0
>>593 ・・そうそう。なかなか好ましい流れになっているじゃあないか。
こういう方向性だよ。
・・クロノスが、神という設定なら可能じゃないかな?
とにかく、自然界には円というものは実在しない。
では、どこに存在するのか?
598 :
考える名無しさん:2011/03/31(木) 03:56:45.85 0
>>595 ふ〜ん? 観測者の問題ね。それは言える。
599 :
考える名無しさん:2011/04/01(金) 07:34:54.08 0
確かに、実数なるものは実在はしない。。という考えかたは
あって、クロネッカーなどが、そういう主張じゃなかったかな?
(まあ、記憶だけで書いてる)
把持(ワライ
601 :
救世主:2011/04/01(金) 09:39:35.74 0
心と宗教板の救世の提案で世界が平和。(本当に)を読んで
下さい。すごい哲学になっている。本当にお願いします。
アンサイクロペディアのスパさんの項目とフクロマンスの項目にキリエと佃煮マニアを加えといたよ
603 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 21:32:24.03 0
計るという行為には、ある共通点がある。
時も、計られるものの内のひとつだ。
計るという行為は、同一性の反復を認識するということ。
同一性が反復されること、それが連続であり、反復されるという
点において円環に他ならない。すべての連続的な関数がフーリエ変換
で(円運動の組み合わせとして)表現できる理由もそこにある。
605 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 23:32:55.55 0
距離を計る、重さを計る、温度を計る、時を計る・・・。
そのすべてが「数」によって、計られることにも注目したい。
606 :
ムーンウォーカー ダニエル・カール:2011/04/07(木) 00:11:23.74 0
時間の流れは全部あるの
全部の時間を知らないだけで、時間を使い果たしてゼロになる
ゼロになった時間はアンニューイ
最初から誰が誰かもわからない世界で
相関関係図も自分以外は真っ黒だ
さあなんだ わかりませーん
>>605 「数」というより単位だよね。単位こそ無限に反復される
こと、無限に分割されることが可能な円環=連続性
それに対して「構成主義」と素朴実在論を信奉する数学者が
、単位/量ではなく「数」の優位(集合論)を主張しだした
ことから哲学と数学の分裂が決定的になった。
月が無かったら24時間でなく8時間だったとさ
610 :
考える名無しさん:2011/04/08(金) 06:09:40.68 0
>>608 ・・まだ、その勝負には決着がついていない、と思う。
数学史的には、カントールが勝利し、ブルバキが構造主義を創始し、
いまだに数学の保守本流は、集合論を基礎と考えているから。
だから、問題はそう簡単ではないと思う。コンピューターの台頭に
より、事態はすでに逆転しているかも知れないが、大部分の数学者は
コンピューターはツールに過ぎない。。と考えており、あくまで
みずからの実在論は保守しているから。
わたしにしても、連続性は存在しない。。とまで主張はしてはいない。
ただ、クロネッカーのような立場もあり得る。。ということを指摘した
だけだ。
実際、わたし自身は、超越数実在派かも知れない。
611 :
考える名無しさん:2011/04/08(金) 06:18:48.78 0
多くの数学者が集合論を基礎と捉えるのは感覚上の話だよ
慣れ親しんできたイメージを駆使してこそ自在な発想が出来るのだから
しかし実際には集合論を出発点におかなくてもよいことは既にわかっている
例えばファンクターを基礎にして集合を捉えることも可能
612 :
考える名無しさん:2011/04/08(金) 08:00:48.23 0
圏論ね。。くわしくは知らないな。というか、多くの数学分野を勉強して
から、それらを統一する視点として、圏論がでてきたのでは?
圏論から、出発するやりかたは可能かもしれないけど、現代数学の全面的
改定が必要で、だれもあえて手をつけないのではないかな。
すくなくとも、自分はそうした試みを知らない。
613 :
考える名無しさん:2011/04/08(金) 08:08:25.81 0
集合論というか、ゲーデルの後裔は、無限集合について
想像力の限界にまでいたるような、思惟を展開しているね。
イスラエルの何とかいう学者が、主導して。
まったく、応用など考えられもしないような純粋数学の極地。
しかし学問として成立している以上、何かの意味があるのだと
思わざるを得ない。
君たちは一体なにを言っているんだ?(*_*)
時間はなぜ進むのか?因数分解すら忘れた中堅大卒の俺にもわかるように説明しなさい。
>>614 じゃあまず「時間とは何か」についてどう考えているのか言ってみて。
わからんから聞いているんだが…
もう君は帰っていいよ。他のもう少し賢い人、俺を納得させてみなさい。
617 :
考える名無しさん:2011/04/11(月) 19:01:59.67 0
それは、1に聞いたらどうかね。私は、別にこのスレタイが的を得た
表現だとは思わないね。これはほとんど、トートロジーに等しい言い方
だと思うからね。それから、因数分解も理解できない小学生は、はやく
帰って、寝なさい。子供の面倒まで見るつもりはないからな。
なんか最初の頃は主観的時間と客観的時間の議論をしてたんですけど、
キリエさんがそういう分け方は幼稚だって言ってベルクソン批判を始めたんですよね。
そこから議論があっちこっちにいって混線し始めたんだなあ。
619 :
考える名無しさん:2011/04/11(月) 20:59:56.31 0
ぜんぜん、混線していないと思うね。まず、時間論をやれば、いい。
それが、一段落ついたら、今度は「主観的時間」なるものを考察すれば
よいだろう?
まあ、一段落つくと言っても、最低、数年はかかると思うがね。
620 :
考える名無しさん:2011/04/12(火) 01:02:09.94 0
617は、小学生じゃなくて大学生か。。。
それにしても、文系とはいえ大学生とあろう者が
因数分解のような中学数学の基礎中の基礎を忘れたと公言し
恥ずかしげもなく、命令口調というのはどういうわけだろう?
どうか、教えてください・・だろ?
大学なんてもうとっくに卒業したわ。
因数分解すら忘れた俺にもわかるように説明できたらそいつは凄いぞ。
どうだ、お前らにできるか?(^_^)
(^_^)v
624 :
考える名無しさん:2011/04/12(火) 01:33:14.74 0
存在と時間、かぁ…
内在する時間=持続と、外在する時間=いわゆる「時間」との区別を、
ドゥルーズならベルクソンを踏まえながら、
「持続」が「時間」を成り立たせるという風に語ったろな。
「時」間と「空」間の兼ね合い、すなわち「時空」は、今日の物理学では
超弦(ひも)理論として考えられてるらしいけど、
それは言ってみれば絶えずアタッチメントを繰り返す
電子の「ひも」のようなもの…?
だとすれば、「時間」はこの電子のアタッチメントが織り成す
ひとつのセリー(系列)かもしれないな。
よくわからないけど(^^;
>>624 なんという悪文だ。中学生にもわかるようにもっと明瞭簡潔に述べなさい。
626 :
624:2011/04/12(火) 02:01:47.37 0
スレ主はもう2ちゃんを卒業した
628 :
考える名無しさん:2011/04/12(火) 02:11:10.17 0
じゃ自分で納得するためのもの、ってことで。
ここは他者と対話をするための掲示板だ
やれやれ、俺を唸らせるような賢者はいないようだ。┐('〜`;)┌
時間はなぜ進むのか?
それは宇宙の膨張に関係ありと俺はにらんでいる。
反論は認めん。
因数分解とともにさよなら…
631 :
考える名無しさん:2011/04/12(火) 03:12:49.36 0
>>629 公共のものをどう使おうとこっちの勝手ですからね。
時間の不可逆性はスレの最初の方で三人ぐらいがエントロピーを持ち出して説明した
何かほかにないかね
可逆というのがおかしいのかも。反対に流れる時間を重ねるような不自然さ。
キリエさんもう来ないんですかね。叩かれると来なくなっちゃうのかなあ。
私は彼をリスペクトしてたんですが。
635 :
考える名無しさん:2011/04/12(火) 20:01:59.72 0
時間はなぜ進むか、という言い方は、不自然。
われわれは、こういうものとしか時間を経験したことがない。
それを「進む」という動詞に集約できると、なぜ思うのか?
これは、これだ。こういうものだ。
そもそも時間なんて人間が作り出した概念であって、進むも戻るもない
いっそ存在しないと言ってもいいかもしれない
「時間はなぜ進むのか?」というのは、「時間は進むものである」という前提のもとに
生まれた疑問だよな
その前提を問わなきゃ堂々巡りじゃね?
思ったことを書いたらチラ裏になった
スマソ
せめてもの償いにsageておく
むしろ、「いま、何時?」と問うべきだな。
それなら、符牒が合うというものだ。
今の私の見解では、マクタガートのような、時間の非実在性のような考えが出てくるのは
必然的だ、ということです。
キリエさんお帰りなさい。
今のわしの考えじゃあ、マクドナルドのような会社がコーチーただで配るような非利益性な戦略するんわ、
コジキの巣になるっちゅう考えじゃわ。
時間の非実在。。。
するとオタクは、時間を無視して生きていけるのですな?
ちょっと、想像を絶する、生活ですな、それは。じつに優雅だ!!
大富豪ですかな。もしかして?
マクタガートのパラドックスなんてものがあるんですね。
どなたかご存知の方はいますか?
そのうちキリエ氏が解説してくれるでしょうw
>>639 マクタガートの時間の非実在に対して賛成なのでしょうか。
証明というには前提もおかしくて厳密さに欠けているように思います。
マクタガートの「時間の三様態は排他的である」という前提がそもそも無理。
647 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2011/04/16(土) 16:52:07.64 0
>>645 賛成も反対もしていません。ただ、時間の非実在性は、歴史的な必然性があった、
ということです。
別に彼のA、B、Cシリーズの前提の仕方が間違ってるとか、推論が誤っているだとかは
問題にしません。それは散々指摘されてることですからね。
648 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2011/04/16(土) 16:53:45.12 0
アウグスティヌスは、次のように時間を定義する。
「過去とは、もはやないものである」。「未来とは、まだないものである」。
また、こう言っている(これを時間の「第一の性質」と便宜上名づける)。
「もし何ものも過ぎ去らないならば、過去の時はないであろう。何ものもやってこないならば、
未来の時はないであろう。何ものもないならば、現在の時はないであろう」
初めに挙げた、時間の定義と、次に挙げた時間の第一の性質とで、
違和感を感じる。初めの定義によれば、「過去、それ自体がもはやないこと」である、と取れる。
未来も同様である。しかし次の時間の第一の性質において、過ぎ去り、もはやないものとは、
過去そのものでなく、「過ぎ去った何ものか」である。つまり存在なのだ。
649 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2011/04/16(土) 16:54:31.32 0
あ、教授には「時間論をやりたいなら、アウグスティヌスから」と言われているので。
650 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2011/04/16(土) 16:55:42.00 0
まず、第一の性質から演繹してみよう。何ものかが過ぎ去らないのならば、
過去はない。ところでこの何ものかとは、まず存在し、そして過ぎ去るのだろうか。
第一の性質に従えば、現在に何ものかあって、そして何ものかが過ぎ去ることで、
過去となるのだろうか。言い換えれば、現在がなければ過去はないのだろうか。
しかし、単なる存在という概念のうちに、「過ぎ去る」という性質は入っていない、と思われる。
一方、「過ぎ去る」という作用は、「存在が過ぎ去る」と完全に言い換えられるだろうか。
換言すれば、過ぎ去るのは、ただ存在だけなのだろうか。
ここで問いを保留し、次の問題に移る。アウグスティヌスは、現在について語る。
「現在は、もしいつもあり、過去に移り去らないのならば、もはや時でなくて永遠となるだろう。」
ところで、現在は永遠ではない、と思われる。だから、現在は過ぎさらねばならない。
ところで、現在が永遠ではない、という確信は、もっぱら経験的直観による。
それはともかく、過ぎ去ったものは、@無条件に「過去」と名づけられる。
あるいは、A「過去に在った」とみなされる。
あるいは、B「過去である」とみなされる。
この三つが、ごちゃまぜになっている。
651 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2011/04/16(土) 16:59:12.04 0
@から考えよう。過去とは、過ぎ去ったものである。つまり存在である。
過去の全体は、存在である。存在が過ぎ去れば、その存在は過去と呼ばれる。
あるいは過ぎ去った存在が、過去と呼ばれる。過去とは、存在の名前に過ぎない。
だから過去とは、「過ぎ去る」という作用を外部から受けた、存在の名前である。
過去自体が、存在を過ぎ去らせるのではなく、まず存在し、それが何らかの理由で過ぎ去れば、
それは過去と定義される。
Aに移る。「過去に在った」ということの分析。これは、現在にはもう既になく、
過去には在ったのである。過去という言葉の定義を保留すれば、「在った」ものが、
現在とは違うところに在る、ということである(ここで現在を前提する)。
そして「在った」ものが、在る場所、現在以外の場所、それが「過去」と定義される。
ところで、現在という言葉の定義を確認すれば、@唯一の存在、または、A存在が、唯一在ること、
またはB存在が、唯一在る場所・様態となる。短く分類すれば、@存在そのもの、A現象、B様態、
となる。ここで、先の過去の分析Aに戻る。「過去に在った」は、当然、「在った」ものが、
過去という場所にあるか、過去という様態である、ということを意味する。
過去とは、ここでは、現在とは違う様態ないし場所である、と理解される。
ここで「在った」を展開する。「在った」とは、過去形の動詞である。主語が明記されてないから、
主語は存在一般である。存在一般が、在ったのだが、もちろん存在は、今もなければならない。
ならば、「在った」ものは今も在り、これを帰納すれば、永遠が得られる。
永遠においては、現在という概念自体存在しない。どこかで間違ったのだ。
「在った」ものとは、存在一般でない。存在一般は、過去にも在ったし、現在も在るから、永遠である。
だから、存在一般の分析からは、現在はおろか、時間の概念が取り出されない。
だから、「在った」ものとは、現在において存在する特殊なものとは違う、
特殊なものだ、ということになる。
652 :
kyrie ◆Debha1lQgc :2011/04/16(土) 17:00:47.36 0
この二つの特殊なものとは、
@相互に絶対に異ならねばならない。そうでないと、二つは一般的なものとなり、
時間を成り立たせない、A相互に異なってさえいれば、それ自体がいかに一般的であろうとも構わない、
という二つの性質をもっている。「在った」特殊なものが、現在の特殊なものとは異なる。
現在から過ぎ去ったことで、異なったのか。ともあれ、この二つのものを、
先の現在の定義Bに適応させれば、次のようになる。
「在る」特殊なものが、そこにある現在と、「在った」特殊なものが、
そこに在る過去とは、相互に異なっており、両者がもし連続しているならば、
「在った」特殊なものを、「在る」特殊なものに出力する関数が必要だ、ということである。
ここで注意したい。この関数とは、「在った」ものを、「在る」ものにする関数である。
「在った」ものが在るのは、過去である。そして、過去に在る「在った」ものが、
関数を通すと、「在る」ものという特殊なものになる。そして「在る」ものとは、現在に在る。
ここで初めて、「在る」ものとは、他ならぬ現在に在る、とみなされる。
しかし、上のどこかで、「在る」ものが、習慣的な「現在」を意味してはいまいか、と心配なのである。
まず現在を前提して、「在るもの」が現在に在るものである、という結果が得られた。
最後にB「過去である」ことの分析に入る。何か存在が、様態「過去である」のである。
過去とは様態ないし性質であり、存在を制約する。「過去」という習慣的意味を停止させ、
単なる性質とみなせば、様々な存在が「過去である」のだろう。しかし、「過去である」とは、
一切の存在に妥当する、存在そのものの形式なのか、そうではないのか。
一般に性質とは、ある量をもたねば、認められない。そして量とは、限界をもち、
その限界を超えれば、違う質の世界に入るのである。
ところで、ここで「過去である」という性質は、少なくとも「現在である」という性質、
またその他一切の性質とは区別される、と決めてしまいたい。
「過去である」ある量的な存在が、その量の限度を超えれば、「過去である」のではなくなる。
しかし、ここで「過去である」のではないとはどういうことであるのか、という問題は、
純粋に定義の問題であり、意味の問題である。
653 :
考える名無しさん:2011/04/16(土) 17:06:40.66 0
時間は存在しないけど、感情と対象と言葉、対象を感知する感覚がそんざいすだけ
>>652 んー
「関数」の濫用にも思えるが・・・
その関数を理解することは可能かね?
それとも「関数」という言葉に丸投げなのかしら
現象(意識)と外的に実在の世界があるとした場合、
時間や空間というのは現象(意識)がものごとを認識する形式であって、
実在ではない。
人間の可能的な経験のすべては時間と空間に定義づけられるけれども、
実在そのものを経験することはできない。
世界そのものを人は知ることができない。カントが言ってることですよね。
キリエ氏は「時間の非実在性」を論証中なのかな?
それにしても、この退屈を何とかしてもらいたいんだが。
われわれが、時間に追われている事にちっとも変わりはないんだが。
経験が時間に追われるのは必然的だろ。
時間の非実在性と矛盾しないよ。
暇つぶしに時間論の本でも読めばいい。
ふ〜ん。するとあれかな、何が実在することになる?
>>648-652 kyrieが頑張って書けば書くほど、論理展開の拙さが露呈してくる。
新修士生レベルじゃ仕方ないか。
論理学の基本くらいは教授にちゃんと教わっておきなよ。
660 :
3時で1時:2011/04/17(日) 10:56:24.57 0
「いつ起きたか、いつ行動するか」を示すには少なくとも2通りある。
1つは「A君が自宅を訪れた時」とか「A君が合図した時」とかいうような出来事による説明。
もう1つは年月日・時刻で示す方法であり、これは自分が使っている暦や時計に依存する。
前者を「時」、後者を「時間」と区別することが出来るが、
紛らわしければ出来事時間と時計時間という区別でもかまわない。
時間がひどく理解困難なものと感じられるのは、両者を混同してしまうからである。
時が経つ=数々の出来事を経る、場面の変化。 時間が経つ=年月日・時刻の変化。
時間がない=予定した用事で塞がっている。 予定された(指定された)時刻が迫っている。
時間を作る=拘束されるような用事がない状態を予定し、調節すること。
「時」は場面認識であり、
イメージされる場面は等間隔に並んでいるわけではない。
一方人々が共有しうるものとして利用する「時間・時刻」は数で表され、
その限りにおいて等間隔で規則正しいものと認識するのでなくてはならない。
出来事の場面であれ、数であれ、後・先の順序が成立しているのであるから
「進む」というような言葉表現が通用するだけだ。
したがい「進む」という言葉表現が通用する理由はあるが、
目で見る事が出来るような「時間の進み」や「時の流れ」はない。
>時間や空間というのは現象(意識)がものごとを認識する形式であって、
>実在ではない。
馬鹿が考えると物事が複雑になるといういい例。
実在とは「いま、ここに或ること」に他ならない。
時間、空間と切り離された実在などないのだから、
非存在の時間や空間など語るすべがない。
うむう?
この実在を具体的に語る場合、また、考える場合、時間という枠組みを
抜きに語ることは、難しい。われわれは、一般に「時間」の実在を認める
ことによって、社会的行動が可能になる。時間の実在を認めない、と言い
つつ、時間という制約に束縛されるのは、明らかに矛盾している。
したがって、時間の実在を疑う根拠は、どこにもない。
時間、空間、戸籍、親族。。。等々の「束縛条件」の実在を
われわれは、認める。
認めざるを得ない。これは、強制であって、例外的ケースを
除けば、社会的構成員全員が、これに従う。
・・ちなみに、束縛条件は、幾らでもあげる事ができる。
憲法、刑法、民法、道路交通法、物の値段、言葉の意味、なども
そうだ。
時間は、これらの諸ルールのなかでももっとも根源的な、それである。
われわれが、それに従うところの規範とも言えよう。
666、ゲト。
他のルールには、抜け道が存在しうるが、時間(そしてたぶん空間)に
ついては、それがない。それは、稠密にぎっしりと詰まった法なのだ。
このことから、おそらく他の諸ルールとは根本的に異なるルールである、
と推測される。仮に、前者を「人為の」ルール、後者すなわち時空を
「自然の」ルールと呼んではどうだろう?
空間に抜け道は存在するか
ここまでの議論で一番面白かったのは出来事時間と時計時間の議論ですね。
前スレだっかたな、3時で1時さんとした話だったように記憶しています。
>>650 ちょっと論理展開に飛躍が多過ぎませんか。
「ところで」で分断された文章にぜんぜんまとまりがありません。
時間ほどわかりやすくはないが、空間も稠密にわれわれの身体を
束縛していると思う。われわれの身体の生理的機能は、やろうと
思えば、どこまでも分析、モニターしていくことが可能である。
もっとも日常的に行われているのは、バイタルサインのチェック
である。体温や血圧を測る、脈拍を測る・・等々。さらに、高度
な医療機器を使用したり、医師の診察を受けることによって、わ
れわれは、われわれの身体の状態を認識することができる。
時間論で一番大事なことは過去と未来の違いの説明だと思っています。
・・それを説明することが可能だとは、ちょっと思えないな。
観測者の存在以前に、これはこうなっているに違いないが、
なぜ、こうなっているのかを説明すること、時間の存在を説明すること
は、たぶん、不可能じゃないかと思う。いろいろな仮説を立てることは
できるが、いずれも仮説の閾をでないのでね。
推論的理性には、おのずと限界がある。。と自覚したほうがよいだろう。
人間理性は、いうまでもなく万能ではない。
わたしなら、過去、現在、未来、そして
なんらかの理由で認識を超えた時間。
の4つを「とりあえず」区別し、公理してみることをおすすめするね。
その実在を、公理化することを、だな。
認識を超えた時間。。というより、経験を超えた時間、
と言ったほうがいいかな?
・・われわれは、さまざまなマシンを発明することで
空間や時間の束縛性を緩めることをめざし、現に成功を収めて来た。
しかしながら、全面的にその支配、束縛を脱することはできない、
と思う。あまり、みずからの「万能性」に酔わないほうが宜しかろう。
万能ではありえないのだから。
時間とは過去と未来の間の事
過去と未来が一致した時に時間がある
ややこしいので自分で決めた^^
>>661 時間・空間と切り離すことができないのは経験であって実在ではない。
「いま・ここ」は根源現象としてのパースペクティヴであって実在ではない。
以上二つのことが示すのは、
時間と空間は、認識(命題)の形式であって、
実在そのものではなく、実在と関わる人間の認識能力の形式なわけだ。
時間や空間と切り離された何かが語りえないことには同意する。
しかし、概念が時間と空間に基礎づけられているとなれば、
言語が描きだす客観的世界はすべて経験可能なものになる。
ここで問題になるのは、はたして人間の経験可能な客観的世界が、
実在の世界の全てでありえるのかどうか? ということ。
必然的な問いだが、これに人間は答えることができない。
あきらかになっているのは、結局現象と外的な世界を前提にすれば、
経験可能な客観的世界は超越論的主観性をまぬがれえないということ。
この前提を置くかぎり時間・空間は実在とは言えない。
君は、何を「実在」だと定義しているのかな?
私は、私の行動や思考に不可避なかたちで制約を与える束縛条件は
すべて、「実在する」と言うね。君の「実在」の定義は?
実在は認識に対する対象そのものです。
時間・空間は対象そのものではなく、
対象が認識されるその形式というわけです。
・・なんだかそれは、詭弁に聞こえるね。
私の考えは違うな。「4月18日」とは、何を意味しているか?
それは「今日」を意味している。今日という、時点そのものを指している
のだ。私の住所における今日の時点を指している。時間は、単なる形式
という以上のものだ。それは、具体的な時点の全集合と言ってもいい
だろう。
682 :
考える名無しさん:2011/04/18(月) 20:23:30.42 0
つまり量子力学を解するセンスがあるかどうかが問題ってこと。
それで、何かを言っているつもりか?
せめてカントを読んでから何か言ってくれ
解説書でもいいから
カント100回読んできちんと解釈し終えてから先に進まないとぼんやりのまんま。わらい
カントの奴隷ですか
687 :
考える名無しさん:2011/04/19(火) 17:40:02.71 0
実在するにせよしないにせよ、存在の連なりが時間なのでは?
「わたし」が「わたし」であるとは、そのように捉える習慣が我々人間にあるからでは?
>>688 カントを100回読もうが
「解釈」しようが
カントを「踏み越える」ことなどできない
カントは自らの理性剥奪の境界まで行った人
読者はそれを回避して分かったつもりになるしかない
「時間は感性的直観の純粋形式」
凡才がこれを「踏まえて」話をするのか?
教典の解釈にしかならないね
量子力学やってカント読んだら次何すればいい?
ハイデガー? 論理学?
>>672 過去と未来の違いは時間論ではメイン。時間が非実在かというのは非実在論の範疇。
過去と未来の違いを説明する、とは、どういう意味か?
それは、違うという経験であり、説明可能なものではない。
われわれは、「赤い」という経験を有するが、それを「説明」など
出来るものではない。「赤い」という経験は、「赤い」という経験だ。
そこに、「説明」の介在する余地など無い。
子供に言葉を教えないのでしょうか?
時間について、何が議論されてるのかすら不明
時間論のなわばり争いみたいなもんに終始してる
このスレでは何が問題なのか、明確化した方がいい
過去と未来の言葉の使い分けはできるのだから意味はみんな分かっているのです。
君は、子供に教えられるなら、すでにそれを知っている
という事だろう?
時間は寝起きみたいな行為が同期される基準となる周期としていつも既に
認識されている。現在とは、相手と自分が共有する「いま、ここ」という
共通の基準点を、その発話行為自体によって指し示すことである。その
基準点を元に自分/相手が過去から来たのであり、未来に向かう。
時間が計るという行為を離れて存在すると考えるのは誤りである。
時間が円環として表れるのは、凡そ計るという行為がすべて、
同一性の反復を認識することであるからに他ならない。その意味
で「現在」は、無限大の円の弧(直線に見える)に接する計測単位
の円の接点である。
・・周期的反復の基礎は、日の出、日没によって、認知される
「太陽の回転」だろうな。それを、分節することによって、
原・時間の思考が始まる。いまでは、24分割が世界標準として
通用している。
季節の反復によって「年」の概念が始まる。まったく具体的な思考で
ある。
そもそも時間って進んでいるものなのだろうか
時間って人間が考えたものでしょ?
実際は原子が動いてるだけじゃん
>>669 まあ、私の前提から、どう論理的に演繹が進むかは、ロジシャンに任せますよ。
私はロジシャンではないんでね。
ちなみに、どこで飛躍が起ってるか指摘してくれると嬉しい。
ところでで分断されているというのは、レトリックに翻弄されてるだけで、
貴方の過失。
周期=同一性の反復そのものは時間に特有なわけではない。その対象が
重量であれ、距離であれ、計測という行為そのものが単位(1g、1m、1秒等)
という同一性の反復を認識である。単位とは円周であり、実測値は基準
として用いられる円周と実際の測定対象との接点であり、実測値は常に
不確定性を伴った実数のようなものとして表れる。
>>650 その「存在」についての記述が欠落するから、あなたの論はいつもぼんやりする。
>>702 そうですねえ。飛躍と言えば・・・
>ここで問いを保留し、次の問題に移る。アウグスティヌスは、現在について語る。
>「現在は、もしいつもあり、過去に移り去らないのならば、もはや時でなくて永遠となるだろう。」
この引用までは「うんうん、そうだな」と思われるのですが、
次に
>ところで、現在は永遠ではない、と思われる。
引用したのに何で?と思いました。引用しといてそれに何のコメントもなく話題転換するのがちょっと不思議です。
現在が過ぎ去らないならば永遠、としていたのにキリエさんは現在は永遠でないといきなり真逆の事を言い、
次に
>だから、現在は過ぎさらねばならない。
この論理展開も意味不明です。
アウグスティヌスは現在が移り去らねば永遠であると言ったのに対し、
キリエさんは現在が過ぎ去れば永遠になると述べています。
ここで読む側は不安を覚えるのですよ。この人は何を言ってるのだろうと。
過ぎ去る事が永遠ならばなぜアウグスティヌスを引用したのかと。
ううん? 単位が円周であるという言い方は、よくわからないが。
ある事象の反復の経験が、時の単位の基礎となる。
もっとも、重要な事象は(いまのわれわれからみれば)地球の自転に
起因している、ということまでは確か。そして、自転は回転運動だ。
だからと言って、どうして「単位が円周である」という理屈になるかな?
・・どうも、よくわからないね。どうして、そういう言い方になるの
かな?
逆だよ。同一性の反復を認識するから、地球/太陽が回転していると
認識する。終わりがまた同一性の始まりであると認識すること、
それが円だ。
反復を、円というかたちでシンボル化することは出来る。
が、それは、必然とは言えない。反復の認識は、円を意味しない。
たとえば、惑星の軌道は、楕円だしな。生物も、みずからを反復するが
特に、円と関係はない。円を特殊化、特定化する理由は、どこにもない。
時間が反復や円だとする説では、運動が反復運動をしない繰り返しにならない場合、
そこには時間は無いのでしょうか。
だから、単なる反復ではなく「同一性の反復」と言っているんじゃない。
単位として認識されている限り、細分化しても、拡大しても同一性が
反復される。実際の物理的世界では細分化に限界があり、同一性が
確保できなくなった時点で、その単位そのものが適用できなくなる。
私は、君が言った「単位とは円周である」という発言を問題に
したのだが、これに、君は答えないね?
単位が円周であることはカウンタを見れば一目瞭然でしょ。
10進法なら0から9までの数字が円周上にならんでいて、1回転する
と次の桁の円周上の数字が0から1に進む。円周を転がして距離を
計ることを思い浮かべてもいい。
・・あのね。まったくそれは、おかしな論法だよ?
10進法はみしろ、一般に数直線で表現されるのが普通でしょ?
円周が出てくるのは、合同数を考える場合。
君はおそらく、時計を思い浮かべているのかも知れないけど、
あれは、確かに今日の午前1時、午後1時、明日の午前1時、午後1時
をまったく同じ1:00という表記で指示する。
しかし、それは別の時を同一記号で表現できるという事以上を意味しては
いない。時もまた、数直線で表記されるのがむしろ普通であり、
歴史年表など、まさにそれでしょ。単位と円周のあいだに「本質的関係」
なんてないよ。
その記述は、距離や時間の進み方を考えれば説明価値が全くないね。
時間を無限直線とだけ考えるなら、時間は全く進まない。無限の時間
に対する有限の時間の進みは0に等しい。接点/時間は有限の時間単位に
対して進むのであって、単純化して2進法で表現すれば、或る円が
その2倍の円周の円に内接し、その円がまた2倍の円周の円に内接し、
最終的に無限の円周=直線に接している。
時間が進む・・という表現に同意していないという事は、前にも
述べた。忘れたのかな? 君にとって、その表現は「絶対的前提」
らしいな。いいかな。われわれの生というものがある。他方で、
歴史的に整備されてきた時間というフレームがある。そのフレーム
を全面的に採用しているのが、いわゆる「近代社会」だ。
このフレームを使用しない(採用しない)社会は、存在可能だし、
実際に、マイナーながら存在しているに相違ない。
君は、このフレームを絶対視しているが、違う。フレーム以前に
具体的な生が存在するのだ。
君のは、悪い意味での「スコラ的議論」に過ぎない。
>>705 ああ、永遠でないことと、過ぎ去らねばならないこととは、確かに全く別。
それは自分で後で気づいた。
以後の論理展開は、「永遠である」と言う一般的性質から、「過ぎ去る」という性質が
どう導かれるか。
>キリエさんは現在が過ぎ去れば永遠になると述べています。
?これは誤読だよね?
>>709 ドゥルーズなら、反復をもたない運動など、(延長的)時間とはなり得ない、と言ったと思う。
純粋な差異は、延長を構成できないから。
ここの住人の多くは、時間を円運動や直線運動のかたちで表象する=延長として表象する。
それはアウグスティヌスが既に言っていたことだ。「時間とは、延長である」
ところで純粋な、同一性以前の差異をアルケーとして肯定するならば、
差異は反復されるしかないのだよ。
718 :
考える名無しさん:2011/04/23(土) 13:27:17.72 O
キリエくん、院生生活はどうさ? 修論書けそう?
議論がいいかげん過ぎて、真面目に哲学に取り組もうとしているようには
到底見えない。アウグスティヌスが「時間とは、延長である」と考えた
とするなら、少なくとも何の延長であり、どのように延長しているのか
という問いを避けて通ることはできない。
時間が無限に延長する何かであるとしよう。すると時間が進む/
過ぎ去るという認識はどこから来るのか?無限に向かってどれだけ
進んでも無限には近づけないのだから、進む/過ぎ去るのは
「時間=延長」ではないということになる。
721 :
Kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc :2011/04/23(土) 15:13:38.99 O
延長extentionの哲学的意味を調べてください
古代ギリシャから色々と定義されてますから
間違っても「何かの延長」という日常的言い回しをしないように
延長は延長です
722 :
考える名無しさん:2011/04/23(土) 15:27:52.64 0
「延長」に丸投げですか
723 :
Kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc :2011/04/23(土) 15:40:45.17 O
アウグスチヌスの言葉だって(^_^;)
>>717 時間は感覚だとも考えられる。
つまり「時間感覚」ということ。
だから人間にとって、ある種の脳機能障害になってしまったときには、記憶の持続性が失われ
同時に「時間の感覚」も失われてしまう。
Kyrieくんは精神医学や精神分析の概念も考察方法に入れてみるといいよ。
これまでの時間議論には、精神医学的考察を取り入れたものはたしか無いはず。
けっきょくはマクタガートの肯定なり否定という誰もが通ってきた道を繰り返したところで
あまり意味が無い。
Kyrieくんらしく大胆に考えようよ。
>>717 それから日本時間学会の総会がもうすぐあるよね。
時間があったら行ってみれば。
726 :
考える名無しさん:2011/04/23(土) 16:21:13.65 0
727 :
考える名無しさん:2011/04/23(土) 16:24:43.43 0
>>721 >>723 アウグスティヌスが誤った問いを発したわけですね?
>「時間とは延長である。しかしいかなるものの延長であるかを私は知りません。
>しかしもし精神(animus)そのものの延長でないとしたら不思議です。」
自分の書き込みの弁解をするのもExtentionの哲学史的変遷を披露するのもめんどくさい
とりあえずPCアク禁になったんで長文は書き込めません
アウグスティヌスをまだ読んでいないのだが、その厳密な言い回しには
感嘆しますね。。
時間とは延長である。
しかし、いかなるものの延長であるかを私は知りません。
しかしもし、精神そのものの延長でないとしたら、不思議です。
か。なんと、厳密、かつ誠実な「告白」ではないか。
アウグスティヌスは、(最初の一文を除いて)何も断定しようとはせず
われわれに問いかけているのだ。彼はまだ、地球の公転も、自転も、
知らなかっただろう。われわれより圧倒的に不利な立場にありながら、
われわれの誰よりも誠実だ。
731 :
考える名無しさん:2011/04/24(日) 20:58:33.60 0
彼は延長ではなく膨張で時間を表現したはず。脳科学的にいうと時間とは左脳の
膨張である、つまり、意識の膨張である。そして現代にまでいたる科学、文明の
進歩はつまるところ、左脳の膨張である。象徴学的にいうと時間とは男である、
歴史をみれば一目瞭然であろう、世界がもし女だけだったら何の変化も起きず
時間の概念すら生まれえない完ぺきな世界だろう。
アウグスティヌスを引用するなら
「What then is time? If no one asks me I know: if I wish to explain it to one that asks I know not.」
も並べないとわけが分からなくならないかな?
キリエさんもう書かないのかあ。つまんないな
Kyrieは上智のコンパで忙しいんだよ
なんか勉強そっちのけみたいだよ
コンパで時間についてとか披露してんのか
そのアウグスティヌスの言葉が表現しているのは、「時間をいつでも認識して
はいるが、それが何であるかは理解していない」というだけのことじゃないの?
時間であれ、距離であれ、「進む」ことについて、数学者の無限の数直線の
表現と、それが「現実の直線」のモデルであるかのような説明の仕方は
大きな誤解を生み出している。無限の数直線上で移動できるかのような
イメージを与えているからである。無限の数直線を前提とするなら、その
上のどのような有限の大きさも点である。つまりどちらにも進まない。
観念論的な言葉遊びばかりだな。頭が固すぎるね。
・・現実に反復的事象が存在してるだろ。それを認識している
主体を、アウグスティヌスは「精神」と呼んでいる。
その認識(経験)を延長したものが、時間だ、と彼は言っている。
実際には「精神が経験した反復的事象」を延長したものが、時間だ。
・・と言うべきだったけどね。
俺の考えに近いな
古代にその段階まで達していたとはなかなかやるな
「測定」=「反復する同一性(単位=円周)の認識」という主客表裏一体の
立場をとって初めて、「いま、ここ」という現在(円周の接点)に常に
いながら、「自らがやって来た/過ぎ去った」過去を振り返り、
「自らが向かう/やって来る」未来を見通すという「時間の現れ方」
を理解することができる。
だから、自転一回が、原・単位ってことでしょ?
なに、難しいこと、言ってんの? そういう難解な言い回しをする
事に、なにか意味がある。。とでも思ってんの?
それから、自転のことを、円周って言い換えるの意味ないから。
なぜにカタコト
・・前に、主観的時間と言っていたものを、今回は「具体的な生」
と呼んでいる。地球の自転の経験をもとに、分節化し延長された
もの(精神には、そういう能力が潜在していた訳だが)が時間だ。
これは、モデルであり、抽象であることに注意すべきだ。
・・実在する時間というものがあり、人間にはそれのモデルを作る
能力があった。。という事だ。
われわれが、時間論を展開するには、このモデルを使用するほか、
手立てだないと、思う。
ラリってんの?
まあ、時間が実在するのって、当たり前ですがな。
誰が、本気で、時間の非実在なんかを唱えたりするんですかな?
実在は実在するか
実在するから実在
無限小について定義するにしても、無限大について定義するにしても
任意の適当な大きさから始めるしかない。その定義の結果を前提と
取り違えることで、時間が実在する「時点」を無限に集めた集合として
構成されるというような逆立ちした錯誤が生まれる。
×時間はなぜ進むのか?
◯時間はなぜ経過するのか?
一般的な視点から簡単に統合できることを二者択一で考えるのは哲学的じゃない。
「時間がない」とき、どんどん時計の針が「進んでいる」ように感じて時間が
「経過する」。前を見ると時間単位の区切りが自分に向かって近づいて(進んで)来て、
振り返るともうこんなに多くの時間単位の区切りが過ぎている。
752 :
kyrie@in研究室 ◆Debha1lQgc :2011/04/28(木) 18:10:31.15 0
誰か添削して!!
過ぎ去ることの条件
ところで、誰もが認める時間の性質として、「過ぎ去る」というものがある。
これを考える。「現在は、永遠でない。だから、現在は過ぎ去らねばならない」。
この論法においては、「永遠でない」という性質が、まったく直接的に「過ぎ去る」という性質を要請している。
ところで「永遠でない」という性質が直接的に要請する性質は、
まず「有限である」ということである。だがこれでは、時間と空間の区別がないし、区別する必要すらない。
だから、「時間は空間とは違って、過ぎ去るという性質を持っている」という経験的認識が、
どこかで紛れ込んでいるのだ。これを指摘したうえで、どこで過ぎ去るという性質が得られるのかを考える。
753 :
kyrie@in研究室 ◆Debha1lQgc :2011/04/28(木) 18:11:55.11 0
日常に経験される存在は、時間的に永遠ではない、と経験的に知っている。
ふつう我々は、経験的な存在は永遠でない、と考えている。
ここで「経験的」とは極めて強い意味であり、全くイデアの性質をもたないものである。
永遠だと考えられる存在で、しかも経験的なものもある。神やイデアがそうだ。
だから、こう言いなおす。
「ある存在があって、それが経験的かつ相対的ならば、永遠ではない」。
この命題は、アウグスティヌスのテーゼ、
「現在が過ぎ去らないならば、もはや時でなく永遠となるであろう」と対応するものと期待する。
アウグスティヌスのテーゼは「永遠でない、という一般性質から導き出される諸性質のうち、
「現在が過ぎ去る」というものがある」と言い換えられ、
更に「あらゆる現在は、それが過ぎ去るならば、永遠でない」となる。
私のテーゼとそれぞれ比較すると、「永遠でない」のは、「あらゆる現在」(アウグスティヌス)と、
ある「経験的かつ相対的な存在」である。
では、「あらゆる現在」と「経験的かつ相対的な存在」とは、対応関係があるのか、パラレルなのか。
2ちゃんで談合したらダメですよキリエさん。
自力で書いてください。
755 :
kyrie@in研究室 ◆Debha1lQgc :2011/04/28(木) 18:14:18.19 0
ところで私のテーゼは、現代の常識的な考えを一般化し、定式化したに過ぎない。
この私のテーゼとアウグスティヌスのテーゼが、もし少しでも対応するのならば、
アウグスティヌスの時間論には現代的意義がある、と言えよう。
ここで相対的存在の存在論的な定義をしよう。
「相対的存在とは、それが在る状況に依存している存在だ」、というものである。
なぜなら、絶対的存在は何にも依存しないし、どこどことは関係なく、在る。
どこどこと関係なく、とは、空間に依存しない、とも解釈できる。
空間でなくともよい。
空間の内部に在ろうが、外部に在ろうが、空間的存在とは全く違う在り方をしていようが、
「在る」という性質だけが絶対化される。
あらゆる形式的制約を免れて、むしろ形式的制約以前に在る。
そこで相対的存在の定義においては、とにかく絶対的存在の定義の、
「存在する」という性質だけを保留して、その他一切の性質を単に否定したのである。
つまり時間や空間などの、なんらかの存在論的形式の制約を受けている。
そして、何かが何かに依存する、ということは、前者が後者の部分であったり、
その逆であったりすることに過ぎない、とも取れる。
だが、そもそも部分とは、それが独立して考え得なければ、
部分として認知されることが一切ない。認知論はまだ入ってこない。
だが、依存している存在である、と認知されうる契機を、その存在自身のうちに予めもたねば、
それは部分たることができないであろう。
つまり、依存先の存在とは異質なものを含まねばならない。
もちろんこの純粋に存在論的な異質性は、動物や器官の種類などによって見え方が変わる。
ならば、「相対的存在とは、それが在る状況に依存しており、
かつ依存していることを認識し得る異質性を存在論的にもつ存在である」とでもしよう。
ところで認識は、ときに異質性をもたない部分を対象とすることも、
今も実際できるが、そういった場合は考えない。部分を対象とすることで、初めて異質になるのだ、という主張も有り得ようが。
>>754 そんなことは期待もしてないw
大体うえの書き込みにはベルグソン哲学やドゥルーズ哲学は一切入っていない。
ただ、論理的な間違いとかがあったら指摘して欲しいなーと。
「過ぎ去る」について記述され尽くしてないというところが既に(ry
まあ、それでもわたしはいつでも現在にいるけどね。
わたしが現在にいなくなったらわたしの過去はあるのか。
>>756 論理的に間違いねえ・・・ま、ゆっくり読んでみます。
760 :
考える名無しさん:2011/04/28(木) 22:38:40.90 0
時間は永遠なのか?有限なのか?
人間にとっては有限だが・・・
そもそも、時間はなぜ進むのか?という議題の立て方がおかしいんだよ
時間が進むとは、(我々にとって)どういうことなのか?
というかたちで論ずべきなんだよ
我々が不老不死なら、時間というファクターそのものが議題になりえない
我々が死すべき存在であるという前提があって
時間ははじめて問題視されるんだよ
不老不死でもやっぱり朝起きて、夜寝るんだろ。
畑を耕すにしたって夜中というわけにもいかないし、
種まきや収穫の季節だって勝手に決められない。
だったらやっぱり時間に合わせて生活するしかないじゃん。
実在として時間は存在する。この命題は、論証で得られるものではなく
直観である。あらゆる観測は、この命題を裏打ちしている。と私には、
思える。この意味で、この命題は、経験的である。と言えるであろう。
しかし、すくなくともこの私には、この命題を支持しない、
いかなる例をも思いつくことができない。いかなる反例が存在するのか
私はしらない。そのような反例が、明示的に提示されるなら、はじめて
私は、この命題を「問題的」とみなす。それまでは、私にとって、
この命題は、いかなる問題を提起しない「真なる命題」だと主張するしか
ない。
>>762 君はたぶん幼少の頃の、人は死ぬ存在であることを知ったあとと前で
時間についての理解が全然違うことに忘れてるだけだよ
>>764 「理解の仕方が違う」と言っている時点で死を知る前も理解があったと言っているも同然
いやいや、観測的に言うと、それこそ「時間そのもの」なんて、
認識することも経験することもできないだろう?
シンプルに実在論と唯名論の考え方を持ち出してみればわかる。
時間を前者に所属するものと考えるような理由こそない。
人は、膨大で無限でカスケードのような時間という大河に1瞬だけ
浮んではすぐ沈む水滴のごときもの。
ただ、その水滴は、大河のごく一部だけを自らの表面に映し出す。
そして、その映像を、全宇宙だなどと思い込むはかない存在だね。
>>765 変にからまれても困るんだが
自分の幼年期を思い出すことだよ
子供は自分は永遠に子供であり、大人は永遠に大人であると
素朴におもってるよ
はあ? あなたには、時間が経験できない? きのう、夕食を食べ、
あした学校か会社に行くんじゃないの?
観測的に言うと、それこそ「○○そのもの」なんて、
認識することも経験することもできないでしょ。
○○にはなんでも入るんですが?
もし、時間が実在しないなら、なぜあなたは、明日の心配をしているの?
>>768 絡んだつもりもないがそのことと時間を認識することのどこに矛盾があるんだ?
773 :
3時で1時:2011/04/29(金) 01:38:10.91 0
物体ならば見えていなくても、在処を指差しできる。
しかし、過去・現在・未来は認識上分けているだけのものなので、指差しできない。
それは「現に示せる事、思い出す事、痕跡が認められる事、推測できる事」の上にある。
俺は生まれてからずっと地球上に居るわけで、過去・現在・未来に「身を置く」事はない。
「明日」も「未来」も「2011年3月11日」も、俺や人々が考えることの中にしか無い。
774 :
3時で1時:2011/04/29(金) 01:40:18.15 0
人は異質性を感じると、いろいろと世界を分けてしまう。
その世界が地球上であれ、スポーツ界であれ、心境であれ、オタクの世界であれ、
広がりの側面を除外して、変遷や成り行き、つまり変化の側面のみを考えたなら、
現在・過去・未来と3つに分けて(3つの認識上のフレームを設定して)
語れるというだけのことである。
775 :
3時で1時:2011/04/29(金) 01:44:49.69 0
「時が過ぎる」「時がやって来る」というのは、視覚的なイメージであろう。
過ぎるという表現は、出来事の変化が、ありありとした様から記憶へと落ち込んで
かすんでしまうことであり、ほとんど痕跡を見出せないがあったはずの変化は遠い過去に属する。
「現に示しうるありありとした変化」は現在に属し、その先(ありありとしたことの後)に
「やって来るはずの、現れるであろう」ところの変化は未来に属する。
776 :
哲学の神:2011/04/29(金) 02:06:20.32 O
そもそも考え方が奇妙だ。
時間はなぜ進むのか?
ではない。
時間はなぜ進「まなければいけない」のか?
だ。
物はなぜ落ちなければいけないのか、みたいな話だな
「時間はなぜ『進む』と言われるのか?」というスレタイのが良かったね。
・・なぜか、時間は進むという言い方をしてしまうのは、
形式化された時間にその比喩的表現が適合するからだ。
整理してみよう。まず、実在する時がある。それは、わえわれの
認識を越えているのだが、(なぜか)その極く一部をわれわれは
経験し、そのうえ、形式化することさえ出来る。
われわれは、実在する時を、この形式化された時間を介してしか
語ること、分析することしか可能ではない。
それ、そのものについてはほとんど何も語りえない。
>「明日」も「未来」も「2011年3月11日」も、俺や人々が考えることの中にしか無い。
そんなこと言ったらお前のパソコンや携帯だってお前や人々が考えることの中にしか無い。
蝿にとってパソコンや携帯は存在しない。パソコンや携帯を構成していると思われる
物質だって直接見ることはできないし、そもそも物質そのものが何であるかさえ分かっていない。
>>717 > ここの住人の多くは、時間を円運動や直線運動のかたちで表象する=延長として表象する。
円運動と直線運動では大分違うと思われます。この時間論ではどちらを採用するのでしょう。
>>752 >>755 少し別の視点から。
過ぎ去らないことが永遠の現在というのに対して、限り無く時間が過ぎ去る存在が永遠の存在。
例えば永遠の寿命。
現在が有限に対しては、現在は限りある時間の範囲というより時間の範囲の無い一瞬である。
「時間は空間とは違って、過ぎ去るという性質を持っている」に対しては、空間的に物体が
過ぎ去ることがある。
絶対的存在は何にも依存しないし、どこどことは関係なく、在るというのに対して、
逆に他のすべてとの関係を保つのが絶対。相対は限られた範囲以外の関係を断ち切ったもの。
例えば相対位置。
782 :
3時で1時:2011/04/29(金) 12:02:16.32 0
>そんなこと言ったらお前のパソコンや携帯だって
>お前や人々が考えることの中にしか無い。
何が言いたいんだ?
「そんなこと言ったら」身もふたもないということか。
だったら、否定できないむき出しのものが何であるか考えたらいいではないか。
過去も未来もどこかにあらかじめあって、時間が過ぎ去ると感じるのはあくまでその時点での
脳のはたらきであり錯覚である。
↑に反論あるでしょうか。
>>783 過去も未来もあるなら
「その時点での脳」はどこにあるの
>>785 過去も未来もあるなら
「現在」はどこにあるの
>>787 あらかじめあるはずの過去や未来はどうして現在ではないの
>>790 偶然か必然かというより自己言及です。自分を自分と言っているのと同じ。
ならば自己とはなんだ
>>791 貴方の言う「過去にとっての現在」は「この現在」とは違うから
自己言及ではないよ
794 :
784:2011/04/29(金) 13:18:18.43 0
すてはん付けるか
時間の非実在論について知りたければ、
入不二のマクタガートの解説を読むことをお勧めする。
>>771 実在することと思考の対象になることは別だよ。
人間は実在しないものでも思考の対象にできる。
地球を滅ぼす悪の火星人の襲来について心配できる。
しかし時間の非実在論というのはそういう問題ではないw
時間と空間はカントに言わせれば根源現象だ。
時間の非実在論というのは、
つまり、現象としての世界が、実在の世界の全てなのか?ということ。
実在の世界というのは、つまり、「○○そのもの」の世界なわけだ。
それはちょうど
>>770の批判にもある通りで、
そうではないだろう、というのがカントの考えだ。
私たちの経験可能で認識可能な世界、客観的に記述可能な世界というのは、
実在の世界全てだとは考えられない。
全人類が完璧に納得できる客観的記述があったとしても、
それは「○○そのもの」の世界と同一ではない、というわけだ。
思考の対象になってるなら思考の対象として実在してるのでわ?
それとも思考の対象として実在しないものも思考の対象としてるの?
799 :
Kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc :2011/04/29(金) 16:36:25.12 O
田中先生にボコボコにされたおwwやっぱりすげえ教授だ。
>>781 まあ円運動はその全体が曲線運動しているからね。
直線は特殊な曲線、円も特殊な曲線。
曲線は特殊な曲面。
まあユークリッド幾何学ではこれが限界。
今は位相空間論を聴講で学んでいるよ。
>>799 あったりまえだろ
教授はこの道一筋で仕事してきた人だぞ
ここ1・2年でかじったKyrieとはレベルも経験値も違う
まあでもどんどん教授にぶつかっていけ
いいですねえ、師弟の関係というものは。
昔悪文電波コテで有名だったキリエさんが教授に鍛えられてこんなに成長してるじゃないですか。
これからもどんどん鍛えられて行ってくださいね。
802 :
3時で1時:2011/04/29(金) 17:47:01.26 0
>パソコンや携帯だって
そう、その用途を考えなければ道具になりえない。
しかし、「何、これ?」と触ったり持ったりする事はできるだろう。
考えなくても、物体としては存在することになる。
>パソコンや携帯を構成していると思われる
>物質だって直接見ることはできないし、
放射性物質は考えることの中にあるわけではない。
何も考えなくても体に作用すると思うが、どうかね。
誰でも日常的に時間を認識して生活しているのだから、「時間の実在性」
の問題など存在しないし、「時間とは何か」と問うなら、答えは時間が
どう計られ、どう使用されているかを記述することに尽くされる。哲学的な
問題が生じるとすれば、通常の時間の理解と矛盾するケースが認められる
場合だけだ。
・・なぜ、時間や空間が存在するのか、と問うならば、
それは、無謀な問い。人間は、知恵の実を齧ったかも知れないが
それでも「神のごとく」賢くなったわけではないのだからな。
可能なのは、モデル化された時間や空間について考察し、
それが「どのようで在るか」を探求することに尽きる、と思う。
時空の存在の原因は、それが人類の手に負えるものとは
・・とても思えないな。究極の謎だ。
805 :
考える名無しさん:2011/04/30(土) 02:08:02.27 0
>>799 入不二もいいが、郡司ペギオの『時間の正体』も読んでおいた方がいいかもな。
それから「時間の実在・非実在」を考える前に「時間」が存在しそうな場所をまず潰していくこと。
そして「時間の性質」だな。
それから有名な「ゼノンのパラドックス」における時間を中心に考えたそこでの役割。
「時間」を感じない場合というのはどういう時か、そして「失語症と時間」の関係。
これ大サービスなw
>>1 簡単なこと。
なぜ時間が進むのか。それは宇宙が不可逆変化するから。
なぜ不可逆変化するのか。それは系が閉じていないから。
時間が進む理由は、宇宙が閉じた系ではないからである。
終わり。
>>806 それは、定常宇宙論を念頭に置いた発言?
系が閉じていない。。という意味を、もう少し詳しく
説明してほしいな。また、閉じた系でも、いくらでも
「不可逆変化」していると思うので、いささか発言の
真意がわかりづらい・・と思うね。
物理学の世界と哲学的考察は違うだろ
そもそも「時間とは何か?」という問いが哲学的考察ではなされる
われわれは、時間を四六時中、使いこなしている。
が、それは何か、知らないというのだろうか。
時間は、必要なので発明された。そして、現にわれわれは
支障なく、それを使いこなしている。時間というのは
われわれに、必要不可欠な「道具」だ。
ちなみに804は、実在時間の話。それの本質はわれわれの
手に負えるものではないが、人類は、それを形式化して
道具として使える。。ということを発見した。
810 :
3時で1時:2011/04/30(土) 12:07:57.70 0
規則正しい物理的な周期運動が発見され、時計時間が発明される以前は、
出来事の場面(時)を時計時間のように使うしかなかっただろう。
相手にも分るであろう出来事・変化の場面を示す事によって共有を計るわけだ。
遠くの人と意思疎通することがなければ、「あの山にお日様が隠れたら」とか、
「奴が怒りだす前に」とか「おじいちゃんが死んだ頃」とかいう場面を
示すことで、出来事の推移や順番を語る事がほとんど成り立ってしまう。
日本では古くから「時」に類似したものとして
「折」「節」「際」といった言葉が用いられてるが
「あの時」「その折」「この際」は、思い浮かぶ場面を指している。
「あの時、どんな気分だった?」と相手から訊かれれば、
その場面を自分は思い浮かべる事ができなければならないのである。
思い浮かべる事ができなければ、「そんな時あったっけ」と答えるしかないのだが。
>時間はなぜ進むのか
進まない時間を定義できないから ■
定義できるかできないかは人間の問題。
しかし、人間が絶滅しても時間は進む。
>>808 物理学でもそもそも時間とは何かなんて問いは頻繁になされてるだろ
ニーチェ的に言うと、「私たちは自分についての『認識者』ではない」ので進んでいく(取り残されていく)という
認識があとから反省としてくっついていかざるを得ない、ということなんだろうな。
815 :
考える名無しさん:2011/04/30(土) 15:44:13.40 0
時間が進むのは時間の都合ですとかいう意見もどうぞ
>なぜ時間が進むのか。それは宇宙が不可逆変化するから。
統計力学の視点から見たランダム性の増大という意味だろうけど、
「ランダム性とは何か」という哲学的に重要で難しい問題を含んでいる。
現象として考えると、「予測できない事象が拡散的に増大すること」と
考えていいのかな。
では、ランダム性とは、人間という予測者の存在を前提にして
定義されるわけだ?
その通り
物理的視点等のように観察者から実在を切り離してしまうと
なぜ時間が不可逆なのかわからなくなってしまうのがその証拠だ
物理的視点は客観的視点なので物理法則は時間に対して対称になってしまっている
それどころか現代物理では最早空間との区別さえ付かない
数学も物理学もある側面では人間が考案したものだから
必ず人間の主観的視点も入っている
人間にとって客観というのは「仮想客観」なんだよ
いくら数値化された情報であってもそれを判断しどういうことが起こっているのかを考えるのは
人間だから、それは「迂回した主観」になってしまうわけです
ちゃうちゃう、何もそんな物理が超然としたものだなんて言ってるんじゃない
「人間の主観」と言っている時点で「個人の主観」から「どの人間であるか」という点で客観化されているわけで、
そのせいで「どの人間であるか」に依存する事項には言及し得なくなってしまっているということ
要するに各人の「共通項」としての観察判断ということでしょ?
それは「客観化」とは言わない
「主×客」というのは対立概念なわけですよ
もちろん個々人はそれぞれ「主」ですよね、だから「主体」という言い方もある
人間だけの「最大公約数」が「客観」なのではなくて、ギリシア哲学の頃から人間とは
その存在を異にした「客体」というものを想定していた
「ロゴス」なんかもそうです
しかしいかような「自立的客体」を想定してもこの言葉が出るだけでそれはもう「迂回した客観」
という「主観」でしか有り得ないわけなんですよ
その「擬似客観」を「客観」として決定させているのが物理の法則や数学の体系だったりするだけのこと
理解出来ますかね?
そうですね、共通項というか、入れ替えに関して不変であるところのものが客観です
言い換えれば誰が見ても正しいことです
その誰が見ても正しいことを指してロゴスだの何だのと呼んだわけですが、
最初に想定された「誰」の外から見ればそれもまた主観だってことです
で、この客観化というか粗雑化というか入れ替え不変化という行為を行うには負のエントロピーを消費するとのことです
だからもりもり負のエントロピーを食う人間だけがロゴスだの客観だのとのたまってるわけですね
そういうことでしょうね
イデアもそうです
イデアなんていうのも実は無いんですよ
だけどハイデッガーなんかはそういう過去の大哲学者をひっぱってきてその哲学思想をベースにして
「それはそうだ、それは違う」というようにやっていく
そういう無駄を排除すればもっとスッキリした思考になるんですけれども
例えばKyrieくんの先生は分析哲学者だからそういう方法はとらないでしょうけれど
分析哲学(英米系哲学)にも欠点があって、「論理学」つまり「言語哲学」という言語表現自体追い込んでいく
哲学の手法がありますが、肝心の「言語学」の視点が欠如しているんです
もっと簡単にいえば「ソシュール」なんか分析哲学には出てきませんから出発点の思考を排除してしまっている
なんでこういうことになっているのか全くわかりませんが、人間は「言語」で世界を構築しているんですから
基本となる「言語学」くらいは大陸系哲学から取り入れていいと思うのですが…
今時の論理学はいわゆる「言語」を使わないからじゃないのか?
平気で矢印だけの論理や組み紐だけの論理があったりする
言語学がその辺までカバーしてるっていうなら別だけど
>>799 では、時間は戻るか戻らないか。これは2択と考えられる。戻るなら特殊な曲線と考えてもいいかもしれません。
論理学といっても、所詮、ある特定の言語を使わざるを得ない。
・・ううむ。記号論理学は別なのかな。しかし、記号だけであらゆる
命題を表現するのは、無理だと思う。そして、言語の持つ意味というもの
は、決して「論理的」なものではありえないことは、ご存知のとおりだ。
・・この辺りに、主観性の起源があるように思う。
>>824 いい事を言うね。系譜学的発想という訳だ。
「客観」は、発明され、どんどん増殖していくわけだ。
・・まるで、命あるもののように、ね。
じつに、「客観」とは生命体であるわけだ。だとすると「寿命」も
あるのだろう。生まれたものは、みな死ぬ。
・・しかし? この最後の命題も偽となり得るのだろうか。
ある種の芸術は、不滅なのかも知れない。「モナリザのほほえみ」
のように。
831 :
考える名無しさん:2011/05/01(日) 01:19:28.93 O
センチなことしか言わないコテハンをどうにかすべきだな
自分語りだけで、内容がない
832 :
考える名無しさん:2011/05/01(日) 10:19:39.84 0
時間は進んでないと思う。
いつも今だし。
列車が進んでいくといえるのは、
車内からも外のプラットホームからも見ることができるからだろう。
その意味で時間は決して進まない。
だから、主観的には、いくらでも色々なことを各人が主張する。
長かった、とか。短かった、とか。あるいは、ない、とかね。
それらはすべて、主観的時間論の範疇。
しかし、それとは別に、形式化された「客観的」時間が存在し、
さらに、その彼方に、すべての根源である
時、あるいは時空が実在する。
と、私なら主張するね。
834 :
考える名無しさん:2011/05/01(日) 13:25:07.36 0
人間は、少なくとも現代日本に暮らしている人間は時間を単位に区分けできる
秒だの分だの時間だのといった単位を、謂わば主観的時間に組み込んで生活している
一方で犬畜生にもおそらく時間の概念は存在する
それは人間のそれとは全く違うものかもしれない
しかし区分けの種類に関わらず時間は等しく存在するのだろう
時間の分け方について語っているのか
生物が経験する、所謂主観的な時間について語っているのか
ここではどんな時間について話しているの?
区分けの種類が違っても問題ない。メートル法とヤード・ポンド法は
区分けの仕方が異なるが、距離が存在することに変わりない。
歩幅を使って計ってもやはり距離は存在する。
時間でも、場合によっては腹時計を使ったりするだろう。
意味とは
観測なしに物体が移動してるか、移動していないか問うのと同じで
観測しているときに移動しているのなら、観測していないときにも
移動していると考えられるが、その「移動している」という判断は
やはり観測の視点に依存している。何の視点もなしに移動の有無を
語ることはできない。それが人間の視点であるかどうかは別にしてね。
言われていることと言われていると思っていることの区別が
できるようになることが、子供から大人への成長の証
842 :
考える名無しさん:2011/05/01(日) 19:18:41.71 0
>>832 車内からも外のプラットホームからも見ることができなくたって、
つまり、そのどちらかだけからしかみることができなくなくたって、
列車は進んでいくといえるだろ。
時間も同じでは?
>>837 きみは時間を定義せずに時間を語っているのか?
じゃあ時間といいながら原発を語っている可能性もあるわけだ
時間の定義はかなり難しいだろうな
日常言語としての「時間」が幅を利かせているから多解釈できてしまうし
時間とは、比例尺度上で表される事象の線形順序のことである。
846 :
考える名無しさん:2011/05/01(日) 21:04:20.53 0
線形・非線形について誰ぞ一席ぶちあげちゃくれんか。
>>843 べつに、「自分」を定義することなく「自分」を語ることは子どもにでもできるよ。w
849 :
考える名無しさん:2011/05/01(日) 22:07:10.10 0
「時間」を定義することなく「時間」を語ることはバカにでもできるよ。w
>>848 だからそういう話じゃないよw
ある語を定義せずに語るということと
ある語を定義できないということは別ですよw
少なくともこのスレでは時間の基本的性質について論じあっているのだから
それぞれ時間をどう定義するのかを明示することに「意味がない」ことはないですよw
それぞれの「時間」についてまず定義してから
それを語ることしかできないだろうね
一般的に「時間が進む」「時間が遅れる」なんていう表現をするけれど
それは頭の中に「時計」をイメージしているもんな
そこを無視しないほうがいいだろう
852 :
考える名無しさん:2011/05/01(日) 22:28:13.31 0
物質のほうがただ劣化していくだけで、実は時間なんてものは無いのではないかと
思ってみたり。
何故時間が、進むのか? 進化する為かもしれない。 何故進化しないと駄目なのか?
それは知らん。
854 :
考える名無しさん:2011/05/01(日) 22:34:48.95 0
>>850 に関連して
複数の時計があれば、それらを比較して
「遅れている」「進んでいる」と表現できる。
これだけだとトラック競技と同じようなものだが、
ふつうは現地の定められた標準時間(日本時間とか)と
自分が所持している時計の時刻を比較して言うんだろう。
>>853 種差とか類を広くとれば、ゆるい定義はできるよ
語の定義なんてそのくらいでしかできないし
時間と空間は、万物を束縛する条件だ。と、定義しうる。
・・ただし、魂である「私」は、例外として。
・・ただし、それが「錯覚」であるという可能性を前提として。
「私」は魂である。この命題が、真であるか、偽であるか、
これはおそらく、ゲーデル的に決定不能な命題の例かも知れない。
どうして哲学的な議論にまで工作員的なレスが大量に書き込まれる
のか不思議にも思えるけど、それだけ何事も政治/暴力手段とは
切り離せないということだな。
>>855 それじゃあどうぞ定義をご開陳ください。
859 :
考える名無しさん:2011/05/01(日) 23:13:12.03 0
魂って、気持ちか?
「時間が進む」とはどういうことですか?
時がたつ、という事です。
「時が立つ」ということですか??
863 :
考える名無しさん:2011/05/02(月) 01:20:23.53 0
「経つ」だよ
「時間が経つ」とはどういうことですか?
865 :
考える名無しさん:2011/05/02(月) 01:51:11.13 0
1時を過ぎ、2時を過ぎ、3時を過ぎ・・・・
「x時を過ぎる」とはどういうことですか?
867 :
考える名無しさん:2011/05/02(月) 03:20:56.02 0
1時を示していた、今は2時を示している、3時を示すだろう・・・
時計を見ている人の記憶等に基づく「過ぎる」という感覚でしょう
868 :
考える名無しさん:2011/05/02(月) 03:24:09.48 0
x時は人間が決めたことであって
時間にとっては過ぎたつもりなんてない
869 :
考える名無しさん:2011/05/02(月) 03:37:06.54 0
示されている時刻x時x分x秒からどんどん先の時刻へと変わる
これは時計の役割を知っていれば、「進む」ということでしょう
870 :
考える名無しさん:2011/05/02(月) 03:39:01.68 0
「時間にとっては」とは、どういうことですか
時間にも気持ちや立場があるのですかw
871 :
考える名無しさん:2011/05/02(月) 03:47:09.53 0
闇夜にとっては「暗い」つもりはない、みたいなw
時刻というのは「ある状態のパラメータ表示」だと考える。
何故0~23,0~23…と繰り返されるかと言うと、
その空間における気温・光度などが周期的であったから。
それを拡大・縮小していき、現在のように表示の細分化なされた。
ちなみに、時間と時刻は意味が異なるからね。
何をパラメータ表示しているのかは、未だ分からず…。
そこで質問
「虚時間」とはなんですか?
ホーキング博士が言っていますよねえ
虚数で表される時間
まずは、季節が巡って戻ってくる(年単位) という認識と、日が昇り、
天空に円弧を描いて進んでいって沈み、また日が昇る(日単位)という
認識がある。年の周期を太陽の位置または月の満ち欠けの周期で計り、
その周期を好都合な日単位数で表し、日単位の同一性を、制御可能で
正確な振動の同一性(周波数単位)の倍数として定義すること、それが
時間。
>>872 太陽の位置のパラメータに決まっている。でなければ地域ごとの
標準時間帯を設定する必要が無く、地球全体で1つの標準時間帯で済む。
時計を前提として時間を語るのはやめたほうがいいよ
それじゃあ時計の無い時代には時間なんて無かったみたいだ
時間の区切り方について云々してるに過ぎない
例えば江戸時代の一刻とか言う単位はそもそも一定の時間を意味するわけではない
問題になっているのは時間をどう区切るかではなくて時間とは何かでしょう?
日時計のように太陽の動きを直接に反映する場合は、時間の量というよりも、
目印としての時刻を示すことを目的としているが、連続的な量としての
「時間が進む/経過する」と考えるとき、既に時計を前提としている。現在、
普通に通用しているのと異なる時間の概念を語りたければ、その概念が
どう異なるのかを記述することから始めるしかないね。
それに最初から、時間とは反復される同一性の認識との同期を計ること
だと言ってる。主に太陽の光で活動している場合、日が長くなれば、
それに合わせて働く時間も長くなるのだから、一刻という目印の間隔
が一定でないのが自然。人工の光で活動するなら、同期を計る基準と
される同一性の定義も変わる。
>>855 時間のゆるやかな定義として、仮に以下のように考えることはできるかもしれません。
1)ひとは眼前にあるものごとを「今現在」として体験することはできる。(実在)
2)「今現在」を意識し続けることはできないので意識から遠ざかり記憶としてしか
引き寄せられないことがらについては「過去」と名付けることはできる。(非実在)
3)体験できる「今現在」のものごとから将来的に起こるであろうものごとを予想すること
はできる。それは「未来」と名付けられてよい。(非実在)
4)上記の三様体をまとめて「時間」という現象と呼ぶ。ただし現在・過去・未来は直線的な
つながりは持たない。過去も未来も現在においてしか意識することができない。
5)また、「現在」の体験意識には「近い未来」と「近い過去」が把持され続ける。(似実在)
これは非実在としての「過去・未来」と同質なものではない。
6)「現在」は、意識されなくても「現在」であり続ける。
このくらいのゆるさでどうでしょう。
定義の意味(役割)を理解していない人がいるということは、
時間について議論する前に、定義について哲学しなければ
ならないということか
それは結局、時間は主観を超えることは無いってことでいいの?
つまり時間は認識上の問題だということだけど
>>882 主観はつねに客観ですから越えるも越えないもない。
>時間は認識上の問題
いや、認識は時間上の問題というほうがこの場合合ってますね。
「人間にとっての時間」しか存在しないとする立場か。
それは思想上の立場の問題だね。
俺は、時間は実在するという立場だから、「人間にとっての時間」しか存在しないとは考えないよ。
>>884 人間にとって認識できない時間は、どうやってその存在を確かめるんですか?
>>883 主観は常に客観っていうのがカント辺りの話をしてるんなら
物自体みたいに時間自体とでも言うべきものはあるのでしょうか?
そして、時間は認識に先立つということ?
>>886 カントは時間は物自体にある、とは言ってないですね。言えるわけないし。
>そして、時間は認識に先立つということ?
いや、時間は内観の形式的条件であると言っていたような。
認識に先立つものは知覚ですが、時間は知覚される「もの」ではないので。
>>887 カント周辺は良く知らないのでありがたいです。
そうなると、議論の前提として
「時間は内観の形式的条件である」
という命題を採用するか否かについて話すことで、
時間について何事かを話すことが出来そうですね。
いや、カント辺りは読んでいないので
内観についても形式的条件についてもきちんとしたことは知らないのですが。
哲板で時間論やるならカントなりアリストテレスなりベルグソンなり誰かの時間論を押さえておかないとつらいと思う。
失礼した。
横着して議論だけ追ってみようと思ったんだけど整理するのが難しくて。
議論の骨格が分からないからどこがどう噛み合っていて噛み合ってないのか知りたかった。
有る程度議論の形式を理解できるかと思ったんだけれど。
どうも自分の認識論についての理解が間違っていたようです。
まあ、現象学的な人間的な時間感覚からアプローチしたいのか、
いわゆる流通してる時間(その洗練されたかたちが宇宙論や現代物理学のもの)からアプローチするかで
議論がなかなか噛み合わないとこあるよね
いずれにせよ、アインシュタイン以前と以後では、時間論は両者が交接できるようなとこ
あると思うんだけどね
「場」というのを介在することで
>まあ、現象学的な人間的な時間感覚からアプローチしたいのか、
現象学を根本から誤って理解していると告白しているような発言
>その洗練されたかたちが宇宙論や現代物理学のもの
物理学の根本的な哲学的欠陥を見落とした発言
>>892 君が自分のテリトリーで話したいのはわかるが
もう少しマクロな視野から総括するのも大切
ざっとラフな総括をしたまでだよ
むしろ、時間が「場」に限定されているという話になんでならんのか
はためには不思議な会話がなされてる
「時間が場に限定される」んじゃなくて、「時間が場を限定する」が正しいですね。
>>894 アインシュタインのいわゆる「クロノトポス」にあっては
時間は「場」に組み込まれた因子でしょう
時間と空間を主客関係としてみる必要はない
>>895 それだと「時間」も「空間」も「(場に組み込まれた)もの」であるという
理屈になりゃしませんか?
「時間は「もの」ではない」というのはこのスレでの時間論のゆるい定義になるかもしれません。
>>896 まず「場field」がありきだよ
それから、少なくとも4つの次元を措定できるという順序
「場」を離れた絶対時間というのは存在しないんだよ
>>897 絶対的時間が存在しないことと、「時間が場を限定する(時間は場に限定されない)」は
矛盾しないと思いますが。
「場ありき」というのは「人ありき」と同じ意味ですよね?
>>898 レトリック抜きに、文字通り、「場」が時間を支配してるんだよ
同じ意味かどうか、各自がめいめい点検すれば、カントだベルグソンだ偉物の名前をあげつらうより
実りある議論にはなるよ
>>899 ずいぶん自信満々ですが、それではその「時間を支配している場」というのを
具体的に記述してみてくれませんか?
自分は「場」を定位することでしか「時間」は観察不可能と考えているのですが、それは
言い換えると「時間は『存在』という現象のパースペクティブとしてしか眺められない」
(『存在』は常に時間の消失点として自らの場を獲得する)
という立場です。
901 :
考える名無しさん:2011/05/03(火) 00:36:10.70 0
なんか、相手は重力場とかの話を言ってるんじゃねーの?
時間は事象のパラメータみたいなもんだよ
そもそも時間が無きゃある意味「無」な世界でしょ
閉じてる世界というかさ
時間ありきじゃなきゃ無も同然な話になってくる
>>899 >各自がめいめい点検すれば
その点検の手法さえこのスレでは明らかになってはいない。
もしかしたらここでは議論するための最低限のマニュアルが
明文化されなければいけないのかもしれない。
実りある議論にするための方法を教えてほしい。
例えば人間には短期記憶というものがある、部位でいえば大脳辺縁系の中にある海馬がそれにあたる。
この海馬が何らかの原因で損傷してしまうと短期記憶が失われてアルツハイマーのような状態になる。
そうすると海馬が損傷してしまった人は短期記憶が保てないから、いつまでも同じ地点の人生をさまよう事になってしまう。
こうした例から考えれば、「時間」とは記憶の連鎖でありそれらの「記憶の差異」ということになる。
これは考え方のひとつね、あくまでも。
>>880 意味不明。
あなたが時間の意味をそのように教わったのでしょうか。
子供にもそう教えるのでしょうか。
880は割と「普通」の説明のようにも思ったが
カラス君はそうは思わないようだ
その理由はどこにあるのだろう
>>880は時間だと明かさなければ存在や実在についてかもしれないと思えます。
生まれる前など知らないことは過去にはならないのでしょうか。記憶から未来を
予想することは無いのでしょうか。時間の説明で時間の長さについて書かれて
いないのは省略されているからでしょうか。
>>908 「考えられるもの」と「現にあるもの」を区別することは大事だと思います。
まず現にある時間について正確に記述することで、考えられる時間も正確になるかと。
>>909 同意です。現にある時間は実在する時間ということですね。
アインシュタインは光速度不変の原理をとなえた
ところで太陽の光が地球に到達するまで約8分かかるという
そこで大抵の人がこう思う「私たちが見てる太陽は8分前の太陽だ」と
しかしアインシュタインによると光速より速く伝達する方法は無いのだから
光が我々に到達する以前の状態を考えることには意味が無いという
はたして「現にある時間」とはどちらをさすのだろうか?
>>911 >はたして「現にある時間」とはどちらをさすのだろうか?
そこで「どこに(場)ある時間の話なのか」が問題になるんですよ。
では911ではどちらの時間になるのか?
またアインシュタインの発言の是非は?
>アインシュタインによると光速より速く伝達する方法は無いのだから
>光が我々に到達する以前の状態を考えることには意味が無いという
こんなことアインシュタインが言うかねぇ
言っている
数億光年先のある星は計算してみるともう存在していないということはざらにある
しかしこれは我々の時間と光そして星との物理法則を無視した考え方であり今現在
星の光が我々に見えるのならその星は存在しているのであって「もう存在しない星」の
光ということは考えても意味がないともいっている
ちなみにアインシュタインは相対性理論ではなく量子力学の理論でノーベル賞を貰っている
>>915 いや〜言わないと思うね
実際、彼はミンコウウスキー空間が「実在している」と考えていたわけだから。
光が見えることと、光源の存在は別のことでしょう
>>1 時間は進まねえよ。
時間は過ぎ去るのみだ。
918 :
考える名無しさん:2011/05/05(木) 19:41:34.68 0
ふつうはやって来てから過ぎ去るんだけどな
ん?
やって来て去るんなら未来はあらかじめ存在しているということになるもんな。
決定論ですか?
僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる
そういう意味だろ「時間は過ぎ去るのみ」ということは
未来がどのようにやってくるかという可能性は常に無限大にあるのであり、
状況によってどんな現在のありようになっていくかは未知数です。
もしかしたらあったかも知れないいくつもの現在と、今ここにある現在を等価にし、
無限の現実をたばねる諸法則を明らかにすることが求められているのです。
923 :
考える名無しさん:2011/05/05(木) 20:05:29.99 0
暦の上では時間はあらかじめ存在しているということなんだな
>>923 歴は仮想だよ。
そして人間が作った予定。
925 :
考える名無しさん:2011/05/05(木) 20:15:57.18 0
予定の中に組み込まれているってことだろ
だからやって来るんだよ時間は 意識の中にね
つまり歴は仮想歴で人間が作ったものと同じことではないかい。
やってくるのは、「未来」じゃなくて「過去と未来」両方いっぺんにかもよ。
928 :
考える名無しさん:2011/05/05(木) 20:51:42.00 0
いっぺん追い返したれ。
人間に時間を作ることなど不可能。時間は人間とは関係なく進む。
時間が「やってくる」も「過ぎ去る」も(もちろん「進む」も)、時間を物として考えて表現している例。
それじゃあ「現在」ってどこにも行かないしどこからも来ない。つまり時間に属さない世界。
というか
進む進まないを問題にしてもしょうがないね
マクタガート的な実在性を問題にしたほうが話がはずむよ
だから人間は「現在」を生きているけれども「時間」と感じられることは
「現在」から「過ぎ」て「過去」として記憶される(ここまで全て脳内ので出来事ね)
ただ「時間」は実在ではなくてあくまでも人間の「感覚」の一つ
感覚は実在しないという新説ですね
934 :
アツアツ ダニエル・カール:2011/05/06(金) 01:13:33.74 0
お父さんって、マジ、リスペクトしてるよ〜
子供、ガンガン、産ませてください
俺、学業でヘッドだから、俺の哲学を教えますから
子供を預けてくださいよ〜
誰の影響も受けない独創的な自立した哲学を教えますから
ここに有るのが現在
ここにもう無いのが過去
ここに有るはずなのが未来
ここに有るはずなのに無いのが失われた未来
「ここ」ってどこですか
>>933 感覚が実在するはずないだろう?
感覚は脳内の電気的生理現象のひとつ
色彩が実在しないのと同じことだ
物質と感覚は違うのだよ
過ぎたことは憶えていない
先のことは分からない
時に身を任せて生きるのみ
電気的生理現象が存在しないという新説ですね
なんだか頭の電気的生理現象が混乱してわけが分かりませんw
感覚されない物質が実在して、感覚が実在しないけど、
生理現象は実在するという新説ですね
ば〜か
生理現象は物質ではないから
生理現象が生じる、という
物質には実在する存在するという言い方ができる
その生理現象は当人にしかわからない
物質は当人でなくても確認することができる(コップとか石とか)
基礎中の基礎だぞボケw
実在と実在性は違うからね。
コップという物質が実在するという新説ですね。
新説を新設する親切な心神喪失者ですね。
新説ですね。(爆)
新説ですね。(爆)
新説ですね。(爆)
新説ですね。(爆)
新説 でぇすぅねぇ。(爆)
新説 どぉ うぇぇ すぅぅ にぃぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。(爆)
珍説ですね。
宇宙が膨張しているから
宇宙が膨張しているから時間が進むという説を唱える人は、
宇宙が収縮に向かうと時間は逆に進むのだという。
そんなばかな・・・
950 :
考える名無しさん:2011/05/07(土) 10:59:25.25 0
時間の経過とともに宇宙が膨張するの間違いなのでは
なるほど、宇宙が膨張する、つまりビッグバン理論だと時間は経過するが
転じてビッグクランチになるとこんどは宇宙が収縮するから時間も逆に方向になる
ん?
>>951 まあ、そう言う事だ
時間が進む次元にしか住んでないから、想像できないかもしれんが戻ることもあるだろう。もちろん、止まることも。
3次元の世界では、9次元の事が考えられない理論と同じ
953 :
考える名無しさん:2011/05/07(土) 11:19:20.45 0
違う部類の時間の事だな
でも科学というのは実証科学の世界だから
時間が戻ること、止まることを実証しない限り科学の土俵にはのらないよな
ここは哲学板だから科学的な時間はおいておいて考えないと混乱しないかな?
・・まあ、宇宙の膨張そのものは観測的事実だが、ビックバン理論
は、いまだ仮説の域を出ていないと思うがね。
例の宇宙の温度とやらが、BBCを裏付けた・・という理屈だろう
が、実際、観測されていない事象(まあ、観測は無理なわけだが)
を、あたかも事実であるかのように語る。。というのは、どうかな?
私には、物理学的形而上学と思えるがね。もっとも、こんな事を
言い出せば、宇宙の始原に関しては、形而上学しか可能ではない
という事になってしまうが。
科学には科学としての役割があるからそういう考え方もありなんだろうね
ホーキング博士なんかとにかく数宇的計算できればそれはそういうことが起こりうる、というスタンスだろ
だから虚数時間なんていう誰も想像できないものを作って計算した
せめて虚数時間というのはどういうふうにイメージすればいいかは説明して欲しい
でないとSFだもんな
しかし考え方が色々とあるのは否定できないが
感覚は、実在する。感覚は、実在しない。
この2つの命題は、両方とも真だね。
2つの矛盾する命題は、両立する。
この場合実在には2つの種類がある、という事を示唆している。
すなわち、私が主張しているように
2つの時間論が必要な理由が、そこにある。
・・昔は、唯物論と唯心論とか、言ったものだ。
虚数時間については、のちに触れるであろう。
難しいはなしだね
つまりクオリアはどういうことになるのかなあ
サールだったら批判的だよね
960 :
考える名無しさん:2011/05/07(土) 13:48:06.55 0
【時間】話はなぜ逸れて進むのか【クオリア】
やはり、弁証法的論理が正解ですよね。
矛盾する命題を許容するのですからね。
矛盾する命題なのか矛盾しているように見えるだけの命題なのか。
単なるレトリックにしか見えない。
日常言語における多義的な表現を考慮するならば、
一見矛盾するように見える二つの文章が同時に真であるような事態は起こりえる。
何がどういう形で矛盾しているのかを明らかにするのは大事。
見せかけで騙すのは詐欺師の手法だな。
騙される方も問題だが。
>>952 時間が戻るとはどのようなことを指すのでしょうか。
時間は物質じゃないからな
転がる石の回転運動は物質ではなくて現象だ
転がる石の石そのものは物質だ
回転運動は現象だから運動がとまれば現象はそれでなくなる
これが物質と現象の違いだよね
《実在》(じつざい、英: reality)は、認識主体から独立して客観的に存在するとされるもの。
夢や妄想のように認識主体により生み出されたものは区別される。
また、表象を変化させる事物の背後にあるとされる不変の実体を意味する場合もある。
つまり「時間」は認識主体(人間)により生み出されたものだから「実在」ではない。
「時間」は現象ということになる。
>>965さんは時間が戻る次元にいて時間が戻ることが分かり何らかの方法で2chに
アクセスしているのですね。
>>966 認識主体もすべてが実在世界にあるのです。
それぞれの主体は実在でしょう、だって「生“物”」ですから。
しかし主体の感覚は認識主体により生み出されるものですからこれは「実在」
という表現ではまずい。
時間と空間の対象性
エネルギー保存則:(時間が)いつでもエネルギーという量は一定
⇔
時間とエネルギーの不確定性:ΔEΔt≧ħ/2エネルギーを確定(=ΔE=0)すると
Δt=∞つまり,測定時間が全く分からなくなるし
いつでも同じエネルギーの値が得られる
運動量保存則:(位置が)どこでも運動量という値は一定
⇔
位置と運動量の不確定性:ΔxΔp≧ħ/2運動量を確定(=Δp=0)すると
Δx=∞つまり,位置は全く分からなくなるし
どこでも同じ運動量の値が得られる
以上、おまえらに多少は役に立つと思われ
私は自己の存在が不思議でならない
この世界は何で構成されているのか。
全ての現象は私の意識の中に有り、全てが私の意識の中で創り出されてるとすれば、時間の流れとは何か。
それを考えているうちに、この世界には一つの大きな法則があるという結論に達した
思考は《実在》の定義からいくと現象だろう。
しかし「魂」という普遍の存在がもし確認されればそれは実体だから
思考は実在しているということになる。
ただ私が主体といったのは「意識」も「肉体」もそれじたい一つの人間存在
として考えたからそういう言い方をしたまで。
別にそういう安易な二元論ではない。
実在といいよりも、物質
現象とは物質の運動のこと
ただ量子というように物質と現象の中間的なものが想定されてもいるし
まだまだ人間には未発見のものはいくらでもあるだろう。
多元論でもあり一元論であっても不思議はない。
だから過程だよ、仮定としての過程。
>>976 物質は実在で物質の運動は現象なのでしょうか。
宇宙を支配する法則は、人間の知らないダークマターと呼ばれる物質。
ダークマターがなければ、成立しない世界。
その力とは何かを仮定しなければ時間という概念は分からない
きわどい問いだけれども、そういう風に考えている。
しかし実在や現象の定義をいじればいくらでも反論できるだろうし
そういうことが生じ得ることも認識しているよ。
マクタガートが「時間は実在しない」といって、それも有力な考え方として定着してきているけれど
時間が実在しないならば時間は現象だということになる。
ただ現象というのは物質と必ず関係を持っているから(転がる石のように)、そこが肝心なところでもある。
というか現象=非実在じゃないだろ。
《実在》(じつざい、英: reality)は、認識主体から独立して客観的に存在するとされるもの。
夢や妄想のように認識主体により生み出されたものは区別される。
また、表象を変化させる事物の背後にあるとされる不変の実体を意味する場合もある。
とりあえず上の定義をそうだとすると、「現象は実在ではない」という言い方しかしないことにする。
だから「現象=非実在」かどうかはここまでの例だと私には「保留」という言い方しか出来ないな。
なんでwikiの引用なの。w
>マクタガートが「時間は実在しない」といって、それも有力な考え方として定着してきているけれど
ええ? してますかぁ?
・・つまりは、私たち自身が、実在していない。
と考えるのが、論理的帰結というものだな。荘子でも読むか。
マクタガートの時間の非実在性証明はモデル論によって誤りであることが明らかになってるよ
じゃあ、太陽は地球に届く光とか、地球に働く引力として認識される
だけだから、現象で、物質ではなく、実在ではないということでOKねw
この意識は、脳に存在する物質の化学反応な訳だが、死ぬときはどうなるのか。
意識はやはり消えて無くなるのだろうか。その先が見えた時、私たちが実在しているのかが分かるかもしれない
意識は、死んだら、生まれる前の状態に戻るだけですよ。生まれる前に
意識は存在していますか?化学反応なら至るところに存在しているでしょう。
その化学反応を私のものとする根拠がどこにもないだけです。
生まれる前が存在していたのか。
存在していないかもしれない。
生まれるとは私たちが世界を創造したにすぎない。意識が生まれて全てを創り出したかもしれない。
991 :
考える名無しさん:2011/05/08(日) 00:47:51.34 0
生まれる前とは、母親のお腹に居た時のことかな
その時の意識に戻ると主張しているということは、
母親のお腹に居た時の自分の意識を憶えているということなのか
生まれる前とは私が存在する前のこと。
生物学的に見るなら、私を構成する部分は精子と卵子に
潜在的に存在しているのだから、懐妊に始点をとる必然性はない。
クローンなら受精なしに生まれる。
993 :
考える名無しさん:2011/05/08(日) 01:00:53.10 0
【前世】自分はどこからどこへと行くのか?【来世】
このスレも結局、妙な流れで終わるんだなw
995 :
考える名無しさん:2011/05/08(日) 01:56:48.03 0
【あれま】妙な流れはスレの自滅につながるのか?【どうして】
996 :
考える名無しさん:2011/05/08(日) 02:08:29.30 0
【どっちにしろ】流れはなぜ変えられないのか?進行が下手なのか?【終了】
スレはスレ主のレベルにあった終わり方をする
現実逃避w
目前に在るもの=現在=presence=現前
既に目前に無いもの=過去=passe=喪失
来たるべきもの=将来=avenir=希望/esperance
来たるべきものの喪失=失望(espoirs decus)/絶望(desesperance)
連休終了だね
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