1 :
考える名無しさん:
2 :
考える名無しさん:2010/10/20(水) 22:53:27 0
boundary
国家宗教の座を獲得すること。
仏教国家を建設し、仏教的世界観によって世界をつくりかえ、
仏教的幸福観を真の幸福として布教すること。
そのようにしてこそ、仏教自体を無くすことができる。
仏教という教学を意識することなく、固執することなく、学ぶ必要も、教える必要も、信じる必要もなくなる。すべては灰燼に帰す。これが仏教の最終目標。
結局、全世界がそうなることが相応しいのですが、現実問題不可能ですから、最終目的というものは、打ち立てることはできないのです。
>>5 まあとにかく悟ってみな。悟る前に妄想混ざりの認識であれこれ考えても出る結果は間違いにしかならんから。
どれだけ高度な計算が出来るスーパーコンピュータでも入力値が異常なら出る結果も異常になる。
だからまず情報の入り口にある妄想のフィルタを取り払わねばならない。そこで情報が歪められなければ
結果は正しくなる。
7 :
考える名無しさん:2010/10/21(木) 05:12:19 0
危険な思想を監視しなければ
怖いことになることがわかる
日本人はこれら国家に規制する邪教を
理解しないと日本の諸問題の根源に気がつかないだろう
8 :
考える名無しさん:2010/10/21(木) 09:41:39 0
「現世で最終解脱を目指します」とか宣言してたオウム真理教の入信者を思い出すな。
9 :
考える名無しさん:2010/10/21(木) 11:07:50 0
無始無終だから最終も目的もない
目指すからへんなほうに行く
何か違うものになるために頑張るんじゃなくて、元に戻るために余計なものを捨てるって感じだな。
但し伝統的宗教も新興宗教も方便として客寄せのためにあたかも修行すれば超人のようになれると
思い込ませようとする。「悟った人」をスーパーマンのごとく思い込ませエゴが膨らんで苦しんで
いる者を集める。
問題はその後の修行によりそんなものを目指すのをやめてあるがままを受け入れる心に近付かせる
ことが出来るかどうかだ。これがうまく行っているようなら例え悟れずとも本人は楽にはなる。
失敗してれば苦が増す。
12 :
考える名無しさん:2010/10/21(木) 11:56:08 0
諸君、まともでありたいならば、疑念を起こしてはならぬ。
拡げれば宇宙いっぱいに充ち溢れ、収めれば髪の毛一本立て
る隙もない、明々白々として自立し、いまだかつて欠けたこ
とはない。眼にも見えず、耳にも聞こえない。さてそれを何
と呼ぶか。『それと言いとめたらもう的はずれ』と古人は言
った。君たち、ただ自分の目で見て取れ。これ以上何があろ
う。いくら説いてもきりはない。各自しっかりやってくれ。
どうもご苦労だった。
仏教スレ立てんな
14 :
考える名無しさん:2010/10/21(木) 20:46:04 O
悟りの階悌って本面白かった。テーラワーダ系統の本。
あの本の作者がどのていど悟ってるかは気になったな
悟りに「どの程度」という中間の状態はない。
悟りの階悌って仏陀の説いた悟りの諸段階や程度を書いた本だよ
悟りがあると書けばないと言うし、ないと書けばあると言うし、程度と書けば程度はないと
言うし、程度がないと書けばそもそも最初からないとか言うし、悟り厨はうざいなあ
19 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2010/10/22(金) 04:03:56 0
新スレが立っていましたか。
>>17>>18さん、悟りを言葉で表わそうとすると
やたらに修飾して長い説明になるか、
果てまた漢字一文字の抽象的なものになるか
どちらかだと思います。
>>6 仏教の真意はどうあれ、仏教史を概観すれば自ずと明かなことでしょ。
仏教という現象は、仏教伝来以来、結局国家宗教を目指して実現し、解体されてはまた目指す、という道程を繰り返してきた。
入り口なんか見なくとも、結果を見ればものは言える。それが仏教の真実。
仏教勢力は常に、今も、日本においては、政治と密接な繋がりがある。これは紛れもない事実。
さもなくば江戸時代以来の檀家制度など、仏教者は仏教的教義に基づいて即刻取りやめ運動を起こすべきだ。
もっとも信仰者、修行者はさに非ず。まじめに取り組んで下さい。
社会の中に取り込まれて「宗教」とラベルが付けられてしまったものはなんでもおかしくなるんじゃないかな。
それは要するに社会という幻想の中に組み込まれた幻想だから。しかしそういった幻想を全て捨てないと
苦はなくならない。
そう。
だから、(当時の)インドのように
乞食同然の行者の存在を認める社会でない限り、本来の仏教は存在し得ないのさw
その意味で言えば、
今現在、世界中のどこにも「仏教」は存在しない。
23 :
考える名無しさん:2010/10/22(金) 12:21:34 0
仏法はあらゆる言語を超えております。心して聞かれよ。
不生不滅 不垢不淨 不増不減 是故空中
無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界乃至無意識界 無無明亦無無明尽
乃至無老死亦無老死尽
日本語に翻訳してくれ。現代口語訳でよろしく。
>>23 お釈迦様が、頭を捻り出して発見した五蘊を
無い!って言ってしまうのはどうかと思う。
なんでも、無い無いって決め付ける、厨二病チックな
お坊さんが書いた経文ですね。
けど、字面はかっこいいと思います。
自分も、歯医者で歯を削られるときとか、
トイレを我慢しないといけない状況下で
精神統一の為に、こころの中で唱えたりします。
26 :
考える名無しさん:2010/10/22(金) 17:44:37 0
>>23 現代語訳。
「なんもない、なんもないよ〜。」
心経の弊害って大きいよなぁ・・w
28 :
風の旅人:2010/10/22(金) 21:40:51 O
>>26 へぇ〜、そんな意味なのかぁ。
俺は違うと思うな。
たとえば、最初の“不生不滅”。
これは“生じないし滅することがない”という意味だが、自然界では『エネルギー』が一番似ている。
そして、『エネルギー』は“力学的エネルギー”や“熱エネルギー”や“電気エネルギー”などに姿を変えるが、『エネルギー』自体は不変だと考えられている。
ところが、“何もない”と言った時、『エネルギー』自体も存在しない[消滅する]と言っている事になってしまうのではないか?
生じないしじゃなくて生じてないしだよ
エネルギーにしろこの世の一切は初めから生じてないから滅することもないんだよ
生じたとか生じてるとか勝手に思ってるだけってことだよ
それらは錯覚で、初めから今も何も生じてない
エネルギーもあるということもないということもない、初めから生じてない
そこらへんが風の旅人さんはまだ体得できてないかもね
30 :
考える名無しさん:2010/10/22(金) 22:05:58 0
では生じているかのように見えてしまう理由は?
主体があると錯覚してるからでそ
>>31 じゃあ主体があると錯覚してしまう理由は?
>>32 肉体があることを感覚するから。
そのことにより、「私はここにいる」「ここに私がある」と想定されるから。
思考するから。心理的感受があるから。
そのことにより、「私はここにいる」「ここに私がある」と想定されるから。
それを錯覚とする根拠は?
>>34 失われること、見失われることがあるから。
※いや、別に「主体」として「仮設定」してもいいけど、
「常にある」「ずっとある」と思ってしまっては駄目なだけ。
36 :
考える名無しさん:2010/10/22(金) 23:18:51 0
失われるということが失われている
>>36 「私」や「主体」。
※
>>31を受けているから「錯覚」という語で流れてきてるけど、
ちょっと続きすぎたんで、私の解釈で言い直してみる。
「錯覚する」というより、「信じる」、「絶対視する」という感じかな。
ちなみに、個人的には
>>30に対する
>>31の即答は短絡的過ぎるとも思う。
『>生じているかのように見えてしまう理由 は、
縁起の連鎖、事象の連鎖を恣意的に区分し、楔を打ち込んで、
「ここが〈生〉、ここが〈滅〉」とラベルを貼っているから』、ということになろうかと思う。
だから
>>33は、単純に
>>32のみを受けた横レス。
39 :
風の旅人:2010/10/22(金) 23:44:25 O
>>29 なるほどなぁ。
“すべてが一体”と捉えればいいのかな?
『エネルギー』と他のものを区別するのがいけなかったわけで。
たとえば、小さい頃に深い瞑想体験をしたが、『意識』が存在していた。
しかも、『まどろっこしい意識』ではなく『クリアーな意識』だった。
(普通の人間なら、そこまでついていけずに、眠りこけたような意識状態になってしまうはずだが……。)
だから、どこまで行っても『意識』がなくならないし、奥底のような感じがしたので、それを『真我』と捉えたが、しかし、それは“真っ白な空間”と“意識”を切り離すような考え方だった。
ところが、その2つはかなり密接な関係にある事がわかっている。
それを2つを区別する捉え方がいけなかったという事だろうか?
[というか、最後の一歩があるとすれば、まだ体験できていないとも思うけど……。]
40 :
風の旅人:2010/10/23(土) 00:00:53 O
>>39 訂正m(_ _)m。
それを2つを区別する ⇒ それを2つと区別する
41 :
風の旅人:2010/10/23(土) 00:13:41 O
そもそも、瞑想(≒坐禅)は『精神集中』によって行うことだという。←端から見れば、全然“意識”がなくなるわけがない。
“意識”がなくなったら、『精神集中』していない事になり、『論理矛盾』に陥る。
“意識”がなくなる近似値に近づけるだけだと思う。
(で、普通の人間はそれを『まどろっこしい意識』になる事だと思うかもしれないが、俺は逆に『クリアーな意識』として体験した。)
日常の意識→クリアーな意識
の「→」がなくなって、日常の意識とクリアーな意識が異なるけども異なると同時に同じにな
ればいいのかもしれない
43 :
つよし:2010/10/23(土) 00:26:28 0
「人間は他の動物と違って意識をもってしまった。
だからいろんな苦しみを持ってしまった。
その意識を無にしたら苦から開放さますよ。」
ってことをみんなに気づかせて人間の苦をなくすこと。
でも多分個人的な感想としては実現不可と思う。
44 :
風の旅人:2010/10/23(土) 00:38:33 O
>>42 う〜む。
じつは小さい頃の深い瞑想体験でも、完全な悟りに至った感じがしなかった。
で、釈迦について調べてみると、修行を始めた時に『無所有所定』や『非想非々想所定』といった深い瞑想体験をしたのに、悟った感じがしなくて、その後6年も修行をしたという。
だから、真の悟りには『滅尽定』(≒無心忘我?)かヴィパサナー瞑想のようなものが必要だと考えている。
ちなみに、俺の考えでは、真の悟りとは、心の中に“確固不動の大安心”を打ち立てる事だと思う。
たとえば、不意に暴漢に襲われて殺されても、あまり恐怖を感じる事がなく、静かに笑って死んでいけるような。。。
>>44 ヴィパッサナーは、その名称の如く、「(念を集中して)観察する」ことだよ。
(勿論その為には、ふらふら或いはドタバタと動き回っている意識を鎮める訓練がなされている必要があるが・・。)
46 :
風の旅人:2010/10/23(土) 00:48:56 O
>>45 そうそう。
道元の系統では、ただ坐るだけで、“無心忘我”を体験すればいいと言っているけど、ヴィパッサナー瞑想では逆の事を言っている。
しかも、どちらも釈迦がその方法で悟ったと言っているが、どちらが正しいかはよくわからない(・_・;)。
>>46 「理」としては、
『「縁起」を見、理解し、実感しなければ悟りはない』ので、当然、ブッダの悟りは「観」に於いて成就した、
と言わねばならない。
この時、(体験重視のスタンスとして)、
「見ること(と理解すること)」をすっ飛ばして、直接「実感」へと迫ろうとするのが、禅の系譜かもしれない。
ヴィパッサナーでいうなら観てる自分観えてる自分が観えるようになるといいかもしれない
観てる間はどんなにきちんと観えてようが観てる自分
49 :
風の旅人:2010/10/23(土) 01:15:34 O
>>44 ちょっと訂正(^_^;)。
無所有所定 → 無所有処定
非想非々想所定 → 非想非々想処定
6年も → 何年も
ヴィパサナー瞑想 → ヴィパッサナー瞑想
>>46 君は意味の領域でしか物事を捉えられないってことを自覚したほうがいい。
それを越えなければ次の段階を捉えることは不可能ってこと。
>>34 > それを錯覚とする根拠は?
君は何か勘違いをしている、物事の次元感で群集号の意味を捉えたときに
意味を成すことを低次元やら他の次元の側面から測っても意味不明なだけ。
人間界の価値観と野球界とか相撲界とか芸能界とかの専門的な尺土で
比較しても意味不明なことばかりだ。
分子量で人間のマクロな体を捉えても、それは電子現象で宇宙的な熱力学を
電子の移動だと考えるのに等しい。それはつながっているが次元が違う。
捉え方が違う。運動があっても鳴門海峡の渦と天の川銀河の渦を同等だと
考えるのはちょっと変である。
52 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 01:36:46 0
そんな主観的感想を述べられてもなあ・・・
53 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2010/10/23(土) 01:50:46 0
やはり哲学と言いますか、語ろうとする修飾された長文になるのは
必然のようですね。
>>52 教科書に書かれた消防でもわかる理屈しか習えない自身を呪え。
55 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 03:16:51 0
答えられないからって論旨をずらしたり相手の人格を貶めるようなことを言い出すとは、もはや救いようがありませんねえ。
56 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2010/10/23(土) 03:20:24 0
ちょっと読んでみましたが
>>42さんの書き込みが
一番分かりやすいのでは。
52 名前:ユビー ◆6wmx.B3qBE :2010/10/23(土) 03:18:06 0
つよしさん、最近みかけますね。はじめましてー。
58 :
つよし:2010/10/23(土) 03:40:22 0
>>42 クリアーな意識って自我が目覚める前のもの?
前だとしたら、クリアーな意識になりつつ、いわゆる倫理も実践できないとだめじゃないでしょうか。
小さいころのクリアーな意識は倫理を学ぶ前のもので
倫理を学んだあとでクリアーな意識になるのはまた別物のように思います。
さらにその後、クリアーな意識を広めるという作業が待っている。
個人的にクリアーな意識になれればそれでいいというのであれば別ですが。
仏教哲学とは両方を含むんですかね。
>>58 なんで理屈で考える?
理屈なんてものは特定の集団での常識から生まれるものであって
その理屈とか意味化した文献を読んだ知識など知恵にも値しない、
言葉遊びでしか無いことに気がつくべき。
自然に学ぶ、それは習うことでではない。
貴方が求めているのは知識でしかない、貴方が常識だと思い込んでいる
知識的な意味でしかない。
60 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2010/10/23(土) 03:56:40 0
>>58さん
>>42さんがどういうお考えで書かれたのかは分かりませんが
ある意味簡潔な書かれ方だと思います。
ただ、否定するつもりではありませんが
小さい頃のクリアーな意識もやがて自我によって変わってしまいます。
61 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 03:58:40 0
>>55 誰が、
貴方は主語を使うべき。
その曖昧な多くの者にとって自己都合のよい意味に変えられる類な。
それとも自作自演なのか。
ここも悪意の巣窟。
悪意な人が自己紹介してしまうのは珍しくない
64 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 04:19:48 0
>>44 三昧状態で縁起観などにより、無我・空を悟ることが重要。
三昧が止(サマタ)であり、縁起観などが観(ヴィパサナ)。
三昧は精神集中の高い状態のこと。
65 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 04:23:00 0
>>46 道元禅師も止と観が必要なことは当然ながら強調してますよ。
>>47 そうそう。
>>59 そういう面もあるが、道は言葉で示される。
その道を知らなければ、ただの三昧などを悟りと勘違いする。
66 :
つよし:2010/10/23(土) 04:53:07 0
>>59 42と同一?
どの辺りが理屈理屈してました?知識ってどれを指してます?
単純な疑問として。
議論するにはその辺をはっきりさせないとね。
さておき、こう考えました。
私がクリアーな意識だけでは不十分だと感じたのは
私にはクリアーな意識という言葉によって、学ぶべき10のうちの5しか感じることができなかったから。
42さんはその言葉によって、学ぶべき10すべてを感じることができる。
三昧とか縁起とか無我とか空とか言ってる人は5とかよりもっとだめ。
そういうことなんですかね。
でもクリアーな意識がすべてであったとして
クリアーな意識を学べば終了!みたいな結論になると
今度はそのクリアーな意識ってどうやって学ぶのって質問がきて
子供に戻るんだ!、とか言うの?
それとも、分かる人には分かる、とか?
ここで議論する以上、今度は言葉で詳しく
クリアーな意識ってどんなものか説明が必要になるんじゃないかな。。
輪廻説がピンと来ないのは人は他者の痛みを感受不可能だからなのが大きい。
>>66 ここに議論はあるけどないのかもしれない
ここにあつのはただの言葉かもしれないし、文字かもしれないし、ただの重なり合う線かもし
れない、ただの白と黒のコンストラクトかもしれない
ここに議論があると思う人は議論があると思ってる自分を作ってるだけかもしれない
○○が△△だと思う人は○○が△△だと思う自分をそのとき作っただけかもしれない
何かを探求する前に何かを探求しようとする自分を探求するといいかもしれない
何かや自分が何であるのかわかるかもしれない
クリアーな意識もクリアーな意識だっちゅう錯覚に過ぎない。
クリアーな意識に拘りを捨てて、日常の中に埋没しなければならない。
70 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 09:51:49 0
いつもながらオレオレ悟り満開!
唯識と42は、
>>42が正しいことの根拠を論証せよ。
覚りについて論証せよ。
言語を越えた物を言語によって現出させよ。行間にその物を詰めよ。判然せよ。
それができなければ哲学版ではなく仏教版の覚りスレにでも行くべきだ。
行くべき根拠を論証させられちゃうよ?
覚りスレに行くべきという根拠を論証しときますと、
ここは哲学版だからであり、哲学とは本来言語化できないものを、
あらゆる視角から言語化することが求められ、
またあらかじめその言語化された何かが不十分なものであるという前提を共有しつつも、
充分な言語化が絶対的に求められる学問だからです。
つまり哲学とは、問いかける事により、次に回答を得、またその回答によって新たな問いが生まれ議論が深まり、
その言語化しえない何かをより明確にしていくことを可能にする作業だからです。
言語そのものが、目に見えない何かを名状したものでもある以上、言語の意味を問うわけです。
覚りについて論証せよと。
言語を越えた物を言語によって現出させよ。行間にその物を詰めよ。と。
唯識と42に問うているのです。
言語によって論証できない題材は、哲学じゃない。
よって、哲学板には馴染まない。
哲学板だからって哲学しないといけないの?
馴染まないってていどの言い方ならまあそうかもねっていうけど
74みたいなのは自分の考えを押しつけるために高尚な表現を使っているだけだから、無視しても問題ないよ。
仏教は人格改造法である
おわり
78 :
風の旅人:2010/10/23(土) 10:57:26 O
>>71 『クリアーな意識』というのは、俺が言い出した事だから、不十分さがあるかもしれないが、論証したい。
まず、『クリアーな意識』の反対は“雑念”で濁った『まどろんだ意識』である。
それは他人の痛みに鈍感で、自分の痛みにも比較的鈍感である。
だから、鈍感さゆえに、あまり苦しまずにすむかもしれない。
しかし、それは“ホンモノの安らぎ”ではない。
それに対して、ヴィパッサナーというのは“気づき”を行う事で、日常生活の中で『クリアーな意識』を保つ行為ではないだろうか?
“気づき”を行う事で、煩悩をその都度打ち消して“真の安らぎ”を保つためのものではないか、と思う。
79 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 11:03:02 0
>>78 ニューウェーヴ・テーラワーダのいうヴィパサナは、一般的にサティだからね。
三昧に入らないとヴィパサナにならない。
81 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 15:44:32 0
>>73 >ここは哲学版だからであり、哲学とは本来言語化できないものを、
>あらゆる視角から言語化することが求められ、
おまえは何が勘違いしているよ、言語化するのは意味化するだけではないってこと。
言葉で表現できないことも、言葉の組み合わせで比喩し近似させることは可能である。
それは意味ではない類の表現になる。論でもないからな。お前が思っているのは
論やら意味の類であってその理屈に縛られた単純思考では到達できない領域って
ものがあるんだよ。
>>69 >そういう面もあるが、道は言葉で示される。
>その道を知らなければ、ただの三昧などを悟りと勘違いする。
知覚がすべて意味で表せるものだと勘違いしているからそう思うんだよ。
道を示すに道そのものを示す方法と道以外を示す方法もあることを悟れ。
必然としてそれが浮かぶ手法すら知らないのか。
83 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 22:14:08 0
子供は大きな夢を語る
仏教は悟るという
子供のエネルギーが悟るほうに行かないようにするのが
道である
84 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 22:36:18 0
子供はほとんど悟っているのと同じ状態である。
その後の学習により悟りからどんどん遠ざかって行く。
85 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 22:41:33 0
前世の業で生まれてくるのなら大して悟ってないといえそうだけどどうなんですか?
悟ってるなら生まれてこないだろうし
>>81 >おまえは何が勘違いしているよ、言語化するのは意味化するだけではないってこと。
>言葉で表現できないことも、言葉の組み合わせで比喩し近似させることは可能である。
>それは意味ではない類の表現になる。論でもないからな。お前が思っているのは
>論やら意味の類であってその理屈に縛られた単純思考では到達できない領域って
>ものがあるんだよ。
言語化を意味化に限定させよとは言ってないでしょ〜が。
言葉で表現できないことを表す場合では、言語を用いなければ、少なくともネット上の議論が成り立たない。
言語の組み合わせで比喩し、近似させる、このこと自体、既に言語化と言ってよろしいでしょう。
なんか批判の意味が不明瞭ですな。
そのクリアーさを実にクリアーだと感じるその主観に
誤解の可能性は生じ得ないの?
何かに夢中になっている時、一心不乱に取り組んでいられるから、
心はある意味落ち着いており、類い希なる能力を発揮したりすることがあるよ。
その時、気づきを行った瞬間、恐らくその一心不乱な心持ちは即座に恣意的な目的へと堕する。
即座に煩悩が頭をもたげてくる。
クリアーさは果たして感じたり意識したりして良い物なのだろうか?
というより、感じたり気づいたりして意識した際のクリアーさというのは、クリアーなのか?
2chの仏教の流派
野狐禅流
言語不要、体験直覚派
禅語印籠派
三昧(神秘体験)派
何でもアリ派(破天荒派)
空流
何にも無し派(観念派)
=派(イコール派)
粒子還元派
似非中観派
原始仏教流
スマナサーラ教派
パーリ至上派
原点回帰派
スッタニパータ・ダンマパダ至上派(岩波文庫青派)
日本仏教流
現状肯定派
先祖供養派(葬式仏教派)
近代真宗派
劣化日蓮諸派
新興主教混淆派
クリアーさというのは如何にしてクリアーさを保ちつつ意識することができるのか?
純粋なクリアーさというものを人間は意識することができるのか?
気づいたときには不純になってしまっているんじゃないのか?
何を持ってクリアーだと言ってのけられるのか?
とりあえずまとめるとこんな感じか。
あ・・・変換ミス・・・
91 :
風の旅人:2010/10/24(日) 00:35:27 O
>>89 なるほどなぁ。
深い瞑想の中で、見てきた事を“客観的”に語ったんだが、……しかし、それは俺の“錯覚的体験”だった可能性がある。
それから、俺もまだ最後の悟りを得ていないので、けっして皆さん方に教えを与える事はできない。
参考意見を言ったり、聞いたりするのみである。
92 :
考える名無しさん:2010/10/24(日) 01:22:49 0
なんだ
>>85に誰も答えてくれてないな
生まれてすぐは悟ってるとか悟りに近いとか言うけど、
前世の業で生まれてくるのなら、大して悟ってないとも言えそうですけどどうなんですか?
悟ってるなら生まれてこないだろうし
93 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2010/10/24(日) 01:34:23 0
完全にクリアーな意識ならば
行いもクリアーでしょうね。しかしまた再び元に戻るわけで。
この繰り返しの中にこそ意味があると思いますが。
94 :
風の旅人:2010/10/24(日) 02:14:56 O
そーいえば、『空』だとか、『日常性に埋没』だとか言っていた人に聞いてみたい。
それでは、修行の意味が何もないのではないか?
僧侶が俗人と変わらない生活をしていたり、
それ以上に煩悩まみれの生活をしていたりするが、それでもいいという事だろうか?
そこに釈迦の教えが生かされているのだろうか?
釈迦の教えは(よく知らないが)『真の安らぎ』という事であり、
たとえば、フイに暴漢に襲われて殺されても、静かに笑って死んでいける境地だと思うが、
『空』だの『日常性に埋没』だの言っている人は、そんな事態に遭遇した時、
泣き叫んで命乞いするとか、様々な醜態をさらすだけではないだろうか?
(『空』になり切っているなら、そんなはずはないはずだが。)
95 :
風の旅人:2010/10/24(日) 02:28:56 O
>>94 【付け加え】
ちなみに、俺がそういう事態に遭遇した場合も、醜態をさらすかもしれない。
だからこそ、修行が必要だと思う。
しかし、良寛ならば醜態をさらさずに静かに笑って死んでいく可能性がある。
また、良寛が心酔していた道元も(多少怪しいが……)醜態をさらさずに静かに笑って死んでいく可能性がある。
だからこそ、俺はそういう人達に興味を持った。
醜態をさらすのと静かに笑って死ぬのとどう違いがあるんだろう
そのひとがそこに執着を持ってなければどっちでもいいんじゃない?
醜態をさらすのを避けて笑って死んでもしょうがないし
醜態さらしても笑って死んでも、それでそのひとのその状況に自然ならいいじゃない
そのひとにとってはそれらは同じことかもしれない
良寛あたりあんがい死にたくな〜いなんてわんわん泣くかもしれない
泣くことをたのしめるならそれもよし
醜態をたのしめるならそれもよし
98 :
考える名無しさん:2010/10/24(日) 03:01:52 0
災難に遭う時節には災難に遭うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
99 :
考える名無しさん:2010/10/24(日) 03:02:52 0
>>97 ああ。泣くときには泣くのが良く、醜態を晒す時には晒すのが良いのかも知れない。
ふ〜ん(・_・;)。
幸福の科学の信者が、教祖が贅沢な生活をしていても、『無執着』だからいいと主張している。
また、すごい悪党が大勢の人間を殺しても『無執着』だからいいと主張するかもしれない。
しかし、俺は思う。
心は外側に現れるものだ(すべてではないが)。
だから、本当に『無執着』なら、普段の生活もそれにそうようになるはずだと思う。
101 :
考える名無しさん:2010/10/24(日) 03:04:08 0
「死にとうない」 一休
102 :
考える名無しさん:2010/10/24(日) 03:05:45 0
>>100 そのような者のことは放っておけ。あなたがそのような者に執着しても、それはあなたの苦になるだけだ。
>>100 教祖が贅沢な暮らしを失ってもいいってんなら無執着じゃない?
なんで贅沢や殺人にだけ目が行くんだろうね
座ってる人が立つのは執着? 裸から服を着るのは執着? 寝るとき場所を選ぶのは?
執着、無執着ってなんだろうね
105 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2010/10/24(日) 03:28:49 0
>>95さん
醜態であるとか、そうでないとか
既にクリアーから離れてしまっているのでは?
あるがまま、ありのままがクリアーではないでしょうか。
>>105 その通り。
深い瞑想の体験も、小さい頃のもの。
じつは今は、美とか理想の経済に興味があり、独自の研究をしている。
それは一種の執着だけど、執着しなければ研究が進められない。
ある段階までいけば(納得する所まで研究が進めれば)、執着を放てるかもしれないけど。
それどころか、普段の生活でも、小さい頃に比べたらかなり濁った心になっていると言える。
107 :
考える名無しさん:2010/10/24(日) 04:04:22 0
執着するのがありのままの人間なんだけどね。
108 :
考える名無しさん:2010/10/24(日) 09:23:28 O
最近流行りの小池さんの本の一切皆苦のメカニズムの説明は明快で分かりやすかった。仏教の輪廻説等についてのこの人の見解も知りたい。
>>107 だが無意識にやってしまうために意識的にコントロール出来ずに苦に繋がってしまう。
なので苦を減らしたいなら意識化して原因を観る必要がある。
そして原因が分かれば勝手に動いてしまって苦に繋がることはなくなる。
無意識に動いてしまうこともありのままではあるのだが、苦を受けたくないという願いもまたありのままの願いだ。
そして苦を取り除こうとするのもまたありのままの行動だ。最初から最後まで全部ありのままだ。
但し前と後とでは安定度が違う。
苦というのは主観的なものでもあるが、
その苦を苦と意識する事自体が、煩悩のなせる業なのではないかな?
苦からの解放という目的意識こそ、煩悩的所作だと思われる。
だからこそ、日常に埋没し、そのような意識を排除するなかで、
むしろ如何なる苦にも陥らない楽を為すことがクリアーさを感じる近道だと思える。
無論その「楽」というのは、世間的に見れば「苦」であるのかもしれない。
しかしそれはあくまでも苦だと意識する事のない楽だと思えるものである。
実はこのような如何なる苦にも陥らない「楽」を見いだすことは、
そこら辺にある苦を見つけることよりも数段に難しいと思う。
110は、仏教的と言うよりも宋明学的発想に近いな。
苦を避ける方法は、苦を避けようとしないことだな。
かといって意識的にそうしようとしてもうまくいかないが(「苦を避けよう」というのが動機に
なっているため、それに基づく行動は例え「苦を避けない」になっていても無駄。動機が同じなら
起こることも同じ)。
結局、苦集滅道は、日本人にとってはアーリア人ほど切迫した事柄ではないような気がするね
銀河と毛穴はいっしょだろう
115 :
考える名無しさん:2010/10/24(日) 20:09:52 0
>>80 始めはサティだよ。四念処の念とはサティの訳語だよ
心理療法と変わらんな。
仏教は心理療法にプラスして、戒律で特定の行動を禁止しているが。
話変わるが、アメリカ人の精神科医や心理学者って仏教をよく勉強して洞察も鋭いね。
偉いと思ったわ。
117 :
考える名無しさん:2010/10/24(日) 20:45:42 0
>>116 まったく違うよ。
戒定慧というように戒は初期段階
苦を避けようとしないという意識は、
苦を意識することに等しい。
極めて主観的な煩悩のなせる業だと思う。
深い瞑想の中では、クリアーな意識が存在したんだけど、日常生活ではそれを『清らかな心』と捉えた方がいいかもしれない。
で、昨日、庭の草取りをした。ビニール袋に5杯ほどになった。
ほったらかしておくと、なんだか気持ちが悪い。
それで、面倒くさいなと思ったけど、“無心”になって草取りをした。
そうしたら、庭が綺麗になって、気持ちがよくなった。
それで、こう思った。
雑草は煩悩のようなものであり、草取り(≒掃除)は仏教の日々の勤め[修行]に当たるのではないかと。
そして、それが“清らかな心”を保つ事につながっており、同時に気持ちがよい状態(→真の安らぎ)につながっていると。
……“あるがまま”と聞くと、草がぼうぼうの状態でもいいみたいに聞こえてしまうが、きっと、それは俺の誤解に違いない(^-^)。
120 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 14:01:26 O
>>119 草ボーボーでも本質が分かってれば良い。というか、草ボーボーという見た目に
惑わされているようではまだ修行が足らんような気がするぞ。それだと見た目に
よって分別して更に差別してしまう危険性があるのではないか?
草ぼーぼーの立場からすれば、
「綺麗にしたい」という「思い」をもって「草刈り」してくる人間は、煩悩のかたまりそのものだと思うぞ。草は何の煩悩もなしに生きているというのに。
それとも風の旅人が119で言いたかったのは、自分自身118が言う意味で、煩悩が極めて主観的なものであるという事を地で体現した、ということか?
部屋がごみ溜めでも、執着がなくなれば苦ではない。
周りから、ごみ屋敷!と罵られても苦ではないと
言うことですか。
それとも、律の中でごみ溜めはいかんよと
戒められてるのかな。
第一、天台宗では草木にも仏性を認めるだろ。全く日々の勤めにならんので、これでは仏教一般を語れない。
仏教的普遍性が無い。
どうも、「単なる無心」イコール「クリアーな意識」とは言えない気がする。
草がボウボウに茂り、人間の行く手を阻み、生活空間を侵害してきても、
なお草と対峙しながら悠々と生活をこなせる所にこそ、
何ものにも侵害されないクリアーな意識があるように思うのだが。
ゴミと雑草とは全然違うぞ。
みそくそをいっしょくたにするのは坊主の得手だが、これは違う。
人間生活の垢がゴミ。人為的。
自然発生的繁茂が雑草。人為的に非ず。
125 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 15:31:38 O
>>122 そう。何がどうなろうが苦ではない。
しかし苦にする者が居り慈悲の心があるならその者の為に草刈りしてやろうという
気にはなるだろう。また自分の生活をする上で不便なら草刈りするかも知れない。
しかしその場合は必要最低限になると思う。
126 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 15:42:44 0
>>120 本質が分かってるかどうか、ここでは言葉だけがたよりなんで。
そしてここに悟ってる人は一人もいないことは断言できる。
127 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 15:54:32 O
いや、みんな悟っていると言えないこともない。ただまだ惑わされることが多くブレがあるだけだ。
そして必要に迫られて草を刈るとき、
邪心は無く、虚心無心である。
虚心無心だったからその草刈りは正しい、とかそういうんではない。
129 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 16:13:31 O
何らかの必要性を感じるということは悟れていないと思うが?
130 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 16:15:10 0
>>127 そういう見方は仏教の悟りとは無関係だから、他所でやってくれよ。
131 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 16:25:24 O
諸行無常
132 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 16:41:15 O
言葉のちょっとした違いに敏感に反応する煩悩たっぷりのファンダメンタリストの自我は健在か。
133 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 16:55:25 0
>>132 言葉の違いではない、仏教はただの現状肯定でもないし、
適当に三昧に入った状態でもない。
そういうのは仏教とは全く違うただの思い込みだから。
なんでわかんないかな〜
なるほどなぁ。
皆さん方の意見には、いろいろ考えさせられるものがあるが、仏教的には
>>125の人の意見がもっとも妥当かもしれない(-_-;)。
(ちなみに、俺が草取りをしたのは、けっして自分のためばかりではなく、隣人や道路を歩いていく人に対して、不愉快な気持ちにさせないためでもあった。)
135 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 17:45:02 O
136 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 17:50:36 0
ボクは正当な仏教を知っていて偉いんです。
お前らのようなオレオレ悟りとは違うんです。
という心の声が聞こえてきそうだ。
138 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 20:13:51 0
>>135-137 まあ、オレオレ悟りの人は自分が正しいと思ってし、
それが世間的に受けがよかったりするんだよね。
キリッ
ははは、俺すごいこと発見してしまった
体の中に心があるんじゃない
心の中に体があるんだね
141 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 21:40:54 0
中というか外というか、内も外もないような。
自分の中に世界があるような感じでもある。
>>140 そこまでいくと楽しいよね。
思考の自由度が圧倒的に広がる。
143 :
140:2010/10/25(月) 22:46:05 0
さあ?
心は脳の機能ですよっと
>>145 脳は体と神経で繋がっており双方向でやりとりしている。
体もなければ同じ動きにはならないんじゃないか?
>>146 うーん、どうだろうね
そういう部分もあるかもぐらいしか言えないなあ
>>146 神経網は脳だけではなく全身で同じ細胞がニューラルネットワークを
形成している。何か勘違いしていないか?
じゃあ体全体で考えているわけだ。
身体が脳である。
身体が精神である。
物が意志なのである。
いや、体験のしようがないから難しいけど、
五感、知覚は心にとって大事だとは思うけど、やっぱり脳が心だと思う
脳が死なない限り、心は死なないのではないかと
152 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 00:31:14 0
でも臓器移植したら部分的に記憶が移ったかのような現象は起きてるんだよね?
153 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 00:37:35 0
自我の消滅?
154 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 00:40:33 0
なるほど。臓器の記憶ってのはオカルトな感じもあるが、
体を鍛える等の、自分の身体の変化が心や知覚に影響を与えるのであれば、
臓器が変更されれば嗜好や性格が変わるってのもあるかも知れないな
「食べ物の好き嫌い」は身体の影響を受ける
「食べ物の好き嫌い」は意外と体にとっては理にかなってたりして。それは言いすぎか
>>151 戦争で手足を失った人は心の一部が死んでいるよ。
脳が生きていても心ってものは体、また自分と等価の親族などを
自分の一部として形成している。それを失えば生きていることに
矛盾を感じ、受け入れられなければ自殺やら狂気になってしまうわけだ。
脳は心の多様性の中心であって、条件によって多彩に変化をする
因果関係の記憶にすぎない。知識として脳に記録されているものが
心とういのは何か勘違いをしている。
>>152 記憶じゃなくて魂が宿す関係の一部が移されたってこと。
それは在と在の関係が形而上の魂として存在すると表現しています。
臓器とかの在は性質を受け継ぎホルモンバランスなども影響を受ける。
つまり全体の性質の一部は臓器をもらうことで別のDNA部分の影響も
わずかながら受ける。
臓器移植して新陳代謝の繰り返しでDNAも変わるとか思っている人もいるが、
変わりません。免疫の型が一致して拒否反応をしないだけです。
>>155 メタ的な記憶と、非メタ的な記憶で後者の事じゃないのか?
感じたことを比喩したときに客観性のある言葉では、
明確に具体的に表現してしまうためにそれが感覚だってことを通りこし
記憶とは具体的なメタ知識だと誤解しているのだと思われ。
統合失調症な人とかが非メタ的な記憶をメタ的に取り違えるのと
同じことだと思う。言葉の説明によって正しく情報が伝わるとは。。
158 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 01:45:16 0
オカルトだなあ。
159 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 01:47:54 0
>>145 「脳がある」とその存在を認識しているのは心だ。そしてそこに心があると決め付けているのが心だ。
もし今見ている世界が夢で、実は自分が全然違う生き物だったりしたら、どうする? まあ、脳はあるだろうけどね。
でも、ミミズも夢を見るっていうよ。w
160 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 06:15:16 0
>>143 ただの三昧の状態だよ
真理でもなんでもない、普通の日常とほとんど変わりない
162 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 09:22:51 0
日蓮大聖人御書要文集(病の原因) 病の起る因縁を明すに六有り、
一には四大順ならざる故に病む
二には飲食節ならざる故に病む
三には坐禅調わざる故に病む
四には鬼便りを得る
五には魔の所為
六には業の起るが故に病む
第1は「四大(しだい)順ならざる故に病む」。
四大とは、地水火風のこと。東洋思想では、人間も大自然も四大で構成されていると教えている。
私たちの身体でいえば、地大(人体の骨等)・水大(血液等)・火大(熱)・風大(呼吸)の身体的エネルギーのことである。
この四大の調和が気候の不順等で乱れることによって病気になるとされる。ゆえに、環境に応じた、賢明な生活が大事となる。
第2は「飲食(おんじき)節ならざる故に病む」。
食べ過ぎや飲み過ぎ、あるいは不規則な食事などを指す。
第3は「坐禅(ざぜん)調わざる故に病む」である。
一般的にいえば日常生活の不節制といってよい。ゆえに、教養ある食生活や、十分な睡眠、適度な運動、リズム正しい生活が大事となってくる。
第4の「鬼(き)便(たよ)りを得る」
この鬼は、身体の外側から襲いかかる病因をいう。現代的にいえば、細菌やウイルスなどのほか、外界からのさまざまなストレスも含まれよう。
第5は「魔の所為(しょい)」である。
「魔」とは、精神的・心理的なストレスにより、三毒等の煩悩(ぼんのう)をひきおこし、
生命の内奥(ないおう)まで入って精神作用を破壊したり、心身の正常な営みを混乱させる働きである。
そして、第6は「業の起るが故に病む」である。
これは過去世と現世に刻んだ悪業によって起こるものである。
163 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 09:50:18 0
>>162 日蓮は非仏教なんで、仏教スレで扱わないでくださいね
自我というものがこの世界に対して感じる違和感、または居心地の悪さ、
それが記憶や想像といった「今目の前にある世界」とは違う世界、すなわち「非現実」を産み出した。
認知において「非現実」は「過去」であったり「未来」であったり「嘘」であったり「理想」であったりした。
多くの言語が「現実」と区別される「非現実」を表す様々な文法手段を持っている。
しかしどの言語においてもコトバとして口に出した時点で、その内容はどっちにしても「非現実」なのだ。
現実らしく描写された非現実と、非現実としてぼんやりと描かれた非現実とがあるにすぎない。
さて、認知の主体として想定される自我というものも仏教は幻想だという。(中断)
165 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 10:03:07 0
自我の消滅とか聞くにつけ、
無我というのは余り適訳ではないな
自我の話って簡単な話だと思う。以下に示す感じではないかな。
・人間も生物だ。
・生物は、これを食べる/食べない A地点に行く/行かない と「必要な事」を判断する。
・「必要な事」を判断するのは自分だ。
・「必要な事」を判断する自分=自然だ。
・人間は「不必要な事」を求めるために不幸になる。
・「不必要な事」を求めるのは不自然だ。
・「不必要な事」を求める不自然=自我。
・自我は妄想だ。
人間よ、自然(自分)であれ。不自然(自我)にこだわるな。
こういう事を言いたいのではないか?と俺は勝手に解釈している。
「人間も生物だ」が既に妄想。167的な生物なんて概念は近代の捏造。
169 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 19:54:25 0
>>167 つまり、動物は幸せだという結論ね。
人間も本能のまま生きれば幸せだと。
それは仏教とは全く違うことは認めます?
本能のままに生きたら唯物論だな
171 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 20:38:43 0
>>166 ま、最初からなかったことが分かるって感じだからなあ。
172 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 20:42:27 0
>>170 それは本能というものをどういうものだと思っているかで意見が分かれる。
ま、しかし、何となく人間の体は何万年も掛けて自然環境で生き延びられるようにチューニングされてきたので
原始生活をするのなら丁度良い感じがする。その代わり短命だ。他の動物と比べると結構長生きかも知れないがな。
短命だが一年中発情期でどんどん子供作るから子孫を残せる。但し自然環境では乳児死亡率が高い。
>>169 それは間違いだな。
本能とは遺伝的に固定された生まれつきの行動のことだよ。
人間に本能は無い。あるとしたら、赤ちゃんがおっぱいを吸う事くらい。
>>168 人間は生物ではないというのが妄想だよw
>>168 ああ、キリスト教は動物と人間とを分けて差別的に考えていたけど、ダーウィン以降は何たらってやつね。
何で君は、西洋中心主義基準でものを考えてるの?
キリスト教徒なの?キリスト教は妄想です。
>>174-175 仏教的に物事を考えるセンスないなあ。
「生物」というカテゴリー(近代的)的観念にとらわれてる事にまだ気付けてない?
177 :
生臭坊主:2010/10/27(水) 05:04:56 0
法話考えていて寝れないので気分転換に
一言・みんな良い事言ってるね
自分の勝手な解釈で書かせてもらいます
まだまだ勉強不足だけどw
>>1 自分は浄土真宗の坊主だけど今の所は最終目的は空だと思っとります
空は調べてみてね、長くなりそうだからw以外にわかりだしたらおもしろいよ
輪廻は巡り巡るって意味だよね
※これは死んでからかな?これが重要だと思うんだ
迷いの世界って受け取ってみたらいいかも
(六道輪廻)地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上
天上はわかりずらいと思うので一応
天上は快楽だけの世界と思ってもらっていいよ
なんで迷いの世界なの?いいじゃんって思うかもしれないけれど
マーシー(田代)がわかりやすいかな?
最近捕まったよね・・・好きだったのに
麻薬っていう快楽に溺れてしまったんだよ
(楽しい=幸せ)が本当の答えかという事を考えていけばいいんじゃないだろうか
だからエッチも禁止なの?
自分エッチ好きですw
他の宗派のお坊さんに怒られるwwww
※けど本能と煩悩は違うよ
人間食べないと生きていけないよね?動物も人間も食べないと死んじゃう←本能
けど動物と人間の違いって何かな?
必要以上の物を欲するのが人間じゃない?そしてそれは尽きる事はあるのかな?
178 :
生臭坊主:2010/10/27(水) 05:36:50 0
179 :
考える名無しさん:2010/10/27(水) 07:13:29 0
>>173 呼吸することや心臓が動くことは本能ではない?
赤ん坊は木の枝のようなものには捕まってぶら下がれるのだが、これは本能ではない? (これ類人猿から遺伝的に引き継いだ機能だと思うが)。
学習能力があることも本能ではない?
筋力があることも? 二足歩行も? 言語を理解し話せることも?
人間は本能の塊だと思うのだが。
180 :
考える名無しさん:2010/10/27(水) 07:15:27 0
,r;;;;ミミミミミミヽ,,_
,i':r" + `ミ;;,
彡 ミ;;;i
ヾi -=・=-'、-=・=- 〉;r'
`,| / "ii" ヽ |ノ
't ←―→ )/イ 即身成仏じゃな?
ヽ、 _,/ λ、
/ 廴ノ |
/廴) _ ___ _|
/ /´/´三} |
[辷5イ] / ,.イ´ /三三ヲ/
ー丑丹丑‐' / ,.-<.ノ {ニニニヲ/⌒●
. 、 マヌ冂{[_ / ,..イ { {大和 \三ヲ/
\此亜沙''´‐''´ l \ー'人\ /
. / 7 ̄「 ‘’l l二l>'´ `7´
___,,Lム辷j_ _j_ __ __」二l____/
181 :
考える名無しさん:2010/10/27(水) 07:23:19 0
人間もまた本能に従ってしか生きておらず、その結果が現状だ。
つまり本能的に物を作り言語を作り学習し知識を蓄え社会を形成し生き延びようとする。
他の動物と何ら違いはない。内容が複雑で高度になっただけだ。
人間だけが特殊な動物というわけではない。
182 :
考える名無しさん:2010/10/27(水) 07:24:40 0
>>176 君こそ仏教的でないんだが
仏教は世間の言語習慣あるがままに認めるし、
「有情」「衆生」という仏教語は生物という現代語とほとんど同じだよ。
183 :
考える名無しさん:2010/10/27(水) 07:26:11 0
>>181 それはセム系宗教に基づく現代の思想であって仏教とは関係ないよ
184 :
考える名無しさん:2010/10/27(水) 19:55:38 0
仏教=反セム系宗教
186 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 03:20:02 0
>>183 セム系宗教と言うけれど、アッカド人バビロニア人は自然信仰に基く多神教の都市文明を築いたし、
ムハンマドが破壊するまでカアバ神殿には何百もの偶像(神像)が祀られていたんだよ?
排他的一神教が生まれた契機は諸説あるが、ヘブライ人よりも先にペルシア人がゾロアスター教の
土台になる宗教を産み出したのが先。これは実質的には善神悪神の二神教ではなく一神教。
仏教はヒンドゥー教の輪廻思想を根本から否定し破壊するような事はなかったから、
人間が抱える生きることの苦しみはあらゆる生物にも共有されていると見る。
>>181はその意味では仏教の発想に近いが、「本能」という概念自体に対する誤解があるね。
現代の常識ではそこまで大きい概念を本能とは呼ばない。
187 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 04:55:49 0
188 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 05:00:20 0
>>186 現代社会で、人間の平等とか自然と人間の対立、人間の優位といった思想基盤、起源はセム系宗教でしょ。
常識では本能の意味射程はどんなものなのか?
>>176 人間には本能があるという君の人間観が、君の仏教理解を妨げている。
西洋思想の思考枠で前近代/近代を考えているから、いつも君の頭は混乱しているんだ。
190 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 05:42:47 0
>>189 176 じゃないが、じゃ正しい/妥当な仏教理解はどんなものなの?
176 190
妄想を止めること。
まずは、人間には本能があるという誤った人間観と、
西洋思想の枠内で考えるのを止めること。
192 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 06:25:06 0
>>191 なるほど、戯論寂滅は妥当な仏教理解だが、
仏教では、戯論(妄想)としての言語習慣は対話する時、尊重しないか?
金銭的な責任、リスクを負っていない場合に仏教思想で達観することは許されない
この世の全ては人間の妄想で出来ている
しかも神は存在しない、様々な悪霊のみ存在する
人間が真の絶対真理を悟った瞬間に隕石が落ちてくる
この世の全ては人間の妄想で出来ている
人間が死ぬ瞬間に神が悪霊の本性を現す
おまえら
死ぬ瞬間に必ず絶対真理を悟れる事を
俺が保障しよう
神を信仰していない人間はこの世に一人も居ない
これが真理だ
もう一度言うぞ
現在、神を信仰していない人間はこの世に一人も居ない
これが真理だ
おまいらに選択の余地はないんだ
絶対に忘れるなよ
自身が神であると信じる=狂気
狂気と正気の狭間を認識することは不可能
199 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 08:25:28 0
この世とあの世に論理的な隔たりがあるからだ
異論はあるだろうが
神を信仰していない人間はこの世に一人も居ないのは自明
202 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 08:51:09 0
>>200 論理的ってどういう意味で使ってるの?
論理的ってのは言葉の上で整合性、辻褄があってるっていう意味で一般的に使われるんだが、どうも 2ch. では科学的合理性とかいう意味で使ってる人が多いようなキガス
203 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 09:10:55 0
>>201 >神を信仰していない人間はこの世に一人も居ないのは自明
だから、なんでだ。
204 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 12:59:15 0
いや、無神論者や唯物論者もいるよwww
だいたい仏教は、いかなる宗教でも哲学でもないし増してやいかなる思想でもないんだが・・・。
それは解脱に至る為の実践としての道なんだよ、ただそれだけ。
仏陀もサイの角のように真っ直ぐに只管歩めと言ってるだろ。
205 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 13:58:29 0
でも仏教は輪廻転生を認めていて、それを前提に解脱を勧めるよね
206 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 14:00:38 0
>>188 セム系宗教っていうけどセム人も多神教徒だったし
一神教を発明したのはアーリア人だ。
207 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 14:07:34 0
一神教的なものはどの民族にもあるだろ
209 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 15:05:40 0
>>208 いやいや、キリスト教文化に基づく宗教学では、一神教はセム系宗教だけだよ。
アミニズム>多神教>一神教と発展したとする
210 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 16:34:02 0
世法の奥底を見つめると仏法がある。
我々は、何のために生きているのか?
幸せになるため。
幸せを求めない人はこの世にいない。
幸せとは?
誰しも、命が一番大事。
命が無いと彼女もできないし、ゲームも出来ない。
その「命が安穏な状態」が幸せ。
例えば、金は絶対の幸せではない。
2億円当たって内縁の夫に殺された人や、小室が示してくれてる。
命が安穏とは?
命の安穏を妨げる原因、自分の弱点や欠点、不安や悩みが無い状態。
要するに、不幸の原因が無かったら幸せ。
自分の弱点や欠点、不安や悩みとは?
総じて宿命って言います。
道理(論理)をもって語り合いましょう。
211 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 17:04:29 0
>>210 そんな幸せは仏教では説かないな
涅槃寂静、これだけが仏教のいう幸せ。
世間の仮設・言語習慣としていろいろ世間的な幸せは認めるとしても、
仏教でいう幸せは涅槃のみ。
212 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 17:35:56 0
>>210 命も金も同じように現れたり消えたりしているものだ。海の波のように押し寄せては消えるの繰り返しになっている。
そんなものには頼れない。
お前が仏教であると主張していることに気がつけ。
214 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 19:50:53 0
>>207 ユダヤ人だけがセム人ではないし
セム人には多神教徒も数多くいた
215 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 19:59:29 0
>>214 言葉ってのは文脈に添って理解すべきもの
この文脈でセムという言葉が意味するのは、
ユダヤ、キリスト、イスラムの三宗教という意味。
216 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 20:08:52 0
>>209 その図式はもう古い。
アニミズムとシャマニズムの共存が過去の人類史の大多数の信仰。
一神教が優れているという証拠は何ひとつない。
人類の生存のために自然環境を循環的に維持するという知恵さえない。
あるのは預言者という一人の男のエゴだけ。
217 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 20:12:51 0
>>215 キリスト教はセム族一神教としては特異に過ぎる。
ユダヤ教とローマ法とギリシア哲学と地中海通商圏の
いいとこ取りで都合よくできた擬似一神教。
偶像崇拝、聖人崇拝、諸天使崇拝、聖母崇拝、三位一体説、
どれを取っても一神教とは呼べないものばかり。
218 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 20:37:53 0
>>216 もちろん。間違っているけど。一神教という言葉の意味は、こういう意味で使われることに変わりはないよ。
>>217 はいはい。そういうこといってもね。
もしかして、君は生命教じゃないよね?
220 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 16:56:04 0
死海文書にあるユダの書を翻訳公開せよ
>>220 原文でもんだいなし。読めないバカが問題である。
222 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 17:32:52 0
ユダの福音には、トンデモなイエス像が描かれているね。
223 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 19:28:20 0
ルネサンスといいロマン主義といいニーチェやナチズムといいヒッピームーブメントといい、
事あるごとにキリスト教なかんづくその排他的な一神教の部分への違和感と倦厭の感情を
表してきたヨーロッパ人。
そんな時よくセム族の手垢のついていないアーリア人の生んだ思想として憧れの対象にされたのが
ヒンドゥー教や仏教。
ところが一神教はセム族ではなくアーリア人の一派がイラン高原で編み出したもので、
ヘブライ人がバビロン捕囚でペルシア化していく中で、選択的な「氏神」程度の存在だった
ヤーウェを根源的な唯一神にまで格上げさせてはじめて「セム族一神教」となったもの。
一方で仏教は純正アーリア人の思想かというとそうでもなく、アーリア化したチベット・ビルマ系の
王族の釈迦がバラモン体制へのアンチテーゼとして編み出したものであり、初期のそれには
非アーリア的なアニミズム回帰のメッセージが隠れている。
アンチテーゼではないだろ
225 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 21:13:36 0
バラモン教が安定してくると
インドに中間層 新貴族階級が現れた
そんな裕福な家庭に生まれたのが釈迦である
ある意味成金の家庭に生まれた彼は
上流階層の子供以上に甘やかされたのはほかでもない
今日で言うところの バカボンである
しかし階級制がある中 ボンボンにも手に入らないものが
身分である
そこでの内部闘争 内的ジレンマが バラモンに対する
アンチテーゼとして仏教を生み出した
これは今日でも貧富の差などのしがらみの中で 人間が感じて
いるものである
しかし日本ではそれが変質し 愚民化 平民への統治の道具として
体制の維持のため要いられた面がある
坊主は体制の犬として 今日で言う役所の代わりとして
封建制を助けた
今こそ この抑圧の構造から日本人は開放され 自分の頭で
考えるようにならなくてはいけないだろう
226 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 21:25:40 0
なんだか、原始仏教は知れば知るほど
負け犬の居直りにしか思えなくなってくるんだけど・・・
原始仏教の真髄とやらを誰か俺に教えてくれないか?
227 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 21:28:00 0
>>222 他の福音書もトンデモな部分が満載なので問題なし。
228 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 21:29:06 0
どうしても勝てない相手の前で居直る=仏教 反セム系
どうしても勝てない相手に何とかして勝つ もしくは並ぶ=
ここで言うところのセム系
229 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 21:29:19 0
>>226 とりあえず瞑想するとかして修行してみな。
それで悟れば分かる。
230 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 21:33:14 0
一度悟っても
もう一度 日常社会の中で生きていく
常識のないやつは仏教にこだわっているやつ
バラモンのアンチと言うなら唯物論だろ
232 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 21:55:04 0
強度の唯物論の安置としての唯物論は
あたかもそうでないような妄想にいたる
すなわち相対的思考である
233 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 01:08:38 0
>>228 やっぱそうなのか
むしろ語族的思想的な対立なのかな?
234 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 06:47:46 0
>>228 まったくちがうよ。
我によって他を打ち負かして勝利することが幸せに繋がると考えていると
仏教は弱者の居直りに読めるかもしれないが、
上のような考えはよく考えれば幸せに繋がらないことは明かでしょう。
世間を見ても分かる。そういった勝利者は一時的には幸せかもしれないけど、
最終的には幸せになれないことは歴史も現在もよく示しているでしょう。
勝負は幸せを求めてやってるんじゃないよ。
自分の子孫を存続させるために闘って勝つしかないんだ。
苦しいけど勝負するしかない。
自分の幸せより子孫と社会が繁栄することが目的で勝利を目指しているんだ。
236 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 07:08:10 0
勝負をしたがるのは自我。
237 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 07:10:11 0
動物は勝負をしない。ただ本能的に生き延びるための防衛をしているだけだ。
だから動物の基本は戦うことにあるのではなく逃げることにある。
命を保たせることに成功しさえすれば勝敗などどうでも良いのだ。
238 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 07:11:41 0
>>235 それでも一緒。自分の子孫というように、自分が中心になっている限り無理。
世の権力者の歴史をみればわかるように、子孫の幸せ・繁栄を願って権力や財産を残すけど、
その権力や財産を争って子孫が不幸になることも多い。
過去も今も独裁制の国は、実際に殺し合うし、財産を巡っては泥沼の法廷闘争なんてのはざらでしょ。
239 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 07:12:40 0
戦うことになったとしても勝とうとしているのではない。ただ負けないように、または逃げられるようにしているだけだ。
240 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 07:15:06 0
>>235 社会の反映は嘘だろう。自分を偽ってはいかんな。見栄を張るにも程がある。
241 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 07:36:13 0
退廃文化 仏教に寄生されている日本では暗影を
言うのにも とめられる
このままでは衰退するだろう
テーラワーダ協会のQ&Aによると警察が公益のために犯罪者を逮捕するのは
条件付き(非殺生)で肯定されていたけど、原始仏教の観点だと
そういう警察行為は肯定しうるものなのだろうか?
>>240 馬鹿なの?
自分の子孫を残すには、自分の子孫が住める豊かな社会を作らなければいけない。
親は自分の子供が楽に生活できるような社会を考える。そういう社会でなければ自分の子供が生きられない。
お前はどんだけ自己中の糞なんだよ。こういう奴は生きている価値がないから死んだ方がいい。
245 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 15:31:09 0
246 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 17:45:41 0
>>234 わかるようでわからない答えなんだけど
あなたの言う歴史的に見て幸せになれた人や国って誰/どこなの?
弟子に暗殺される(故意か過失かはともかく)のは幸せなこと?
247 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 18:02:57 0
>>246 当然、釈尊やその他解脱者。
今のブータン、中共侵略以前のチベット、明治以前の日本
細かい点では不幸な点はあるよ。人の場合は、最後、国の場合は総合的にみて、
幸せそうな顔してるから。
248 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 19:10:50 0
>>247 >今のブータン、中共侵略以前のチベット、明治以前の日本
この三つに共通するのは
中国の脅威にさらされてるって事だよね
ブータンも、民主化運動で段々治安が悪くなってきてる上
中国の圧力で人口流入+文化破壊
チベットはいわずもがな
日本はご覧のとおり
本当に仏教を信奉って幸せになれるのかな?
結局、最後に侵略されて終わってしまうのでは?
今、中国において仏教はどのように扱われている?
249 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 19:25:53 0
修行をしていれば侵略されることもあると信じていた主体が実は最初からなかったと確認されるわけで、
侵略するもしないもないことが分かる。それに、修行を続けるなら執着は落ちて行くから何がどうなろうが
気にはならなくなる。
全ての者は最初から何者でもない。日本人でも中国人でも何人でもないのだ。
250 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 20:42:01 0
一人で勝手に修行して自爆してくれればいい
退廃文化 仏教でオナニーしてるやつはさておき
やっぱり国家とか地域とか
身の回りを何とかするのは当然であって
やっぱり勝つところ 追いつくところはそれなりに
何とかしなくてはいけないのが現実である
251 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 20:53:31 0
>>250 基本的に仏教は政治を含む世俗の習慣は尊重するが、積極的に関与しませんよ。
252 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 20:57:57 0
仏教何がしかのくずの集団に
世俗扱いされたらたまらないな
負け犬は即身仏にでもなって
下界に下りてくるな
253 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 21:30:48 0
254 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 22:24:53 0
>>249 ははん、つまり民族も国家も関係ないと?
そもそも何者でもない
何ももたない 悟りの境地に達すれば無意味ですよとww
チベットのように「民族浄化」されても抵抗するのはアホらしいんでしょうな?
あなたは、さぞ模範的な奴隷となることでしょう
そして、ふふん支配者は支配してるつもりだろうが
支配されてないもんねぇ〜と、とほくそえむ訳ですな
くだらない
仏教哲学の最終目標がそれなら
学ぶ必要などありませんな
負け犬の居直りだっていったのは
まさにその意味ですよ
一人でオナニーしていればよろしいではありませんか
255 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 22:52:52 0
>>254 ああ。学ぶ必要はない。仏教は学ぶものではない。歪んだ認識を元に戻すためのツールだ。
>>254 おまえは禅をやってくるべき。
知だけの脳ではなんにも得られない。
下水を流れる汚物を凝視しろ
それこそまさに色即是空だ
258 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 05:56:53 0
>>255 ツールという捉え方はオウムと一緒、気をつけよう。
>>258 言葉はツールである。そこを良く考えてから出直そう。
下水を流れる汚物を凝視しつつラップミュージックを聴け
そうすれば次第に周囲の人間の動きがカラクリ人形のように見えてくる
それが悟りだ
>>260 惜しい。自分もまた同様にカラクリ人形だったことに気付かねばならない。悟りはその後来るかも知れない。
しかし悟りはやって来るものであって悟ろうという意思は関係ない。意思は悟りの準備に対して必要なだけだ。
怪我が治るのと同じようなものである。治療は治癒しやすくするための準備だ。しかし治癒は意識的努力によって
起こるのではない。治癒はその後放っておくことにより自然に起こる。
263 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 06:33:02 0
>>259 言葉は習慣でしょう。ツールという説は、ウィトゲンシュタインだよね。もう一つ。
そしてもし、仏教をツールと考えると、何か技術だけ知れば誰でも再現可能なように思ってしまうでしょう。
それは正にオウムが陥った罠で、そうなると慢心して、自分が余分な部分を削って現代に合った形で作り直すなどと思ってしまう。
しかしながら、仏教の本質は言葉では伝達できない。誰にでも使える道具みたいなものではない。それは師匠によって伝えて貰う以外はありえないようなもの。
なぜなら、アナタもいうように各自の認識の歪みを戻すものだからだ、認識の狂ったものが、正しい認識をしてると思う罠はあちこちに潜んでいるよ。
264 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 06:34:55 0
>>260 そりゃただの慢心だ。薬やってる人がよく陥る境地。
最低の状態。
仏教かぶれは非常に態度が良くないのは確かだ
生活保護の分際が社会人に対して「ご苦労様」と抜かすとは何事かと思う
ご高説垂れる割に単純なことも満足に出来ない自分のことすら知らないのが多い
仏教のイメージは一般的に悪い
267 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 07:31:43 0
>>266 日本ではね。日本は困った状況だ。欧米を見るがいい仏教が評価されている。
もっとも日本の仏教は悲惨な状況だから、仕方ない。
>>267 それは少し違う。
欧米で仏教を評価しているのは欧米の学者。
西洋的な強い自我による思考への批判として評価されている。
つまり、日本と欧米との学者のレベル差の問題と、東西思想の問題であって、日本の仏教云々とは別問題。
日本の学者は志が低いし、頭がよろしくない。それを日本の仏教のせいにしている。
自分達の研究不足のせいなのにね。学問研究者は、欧米の学者を見習えと言いたいよ。
日本の学問研究者が悲惨なんだよ。
269 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 07:59:38 0
なんなのここは?
キモ豚が聞きかじりの仏教用語並べて
悦に入ってるスレですか?
悟ってんなら
ネットでポジション争いなんかしてんなよ(笑)
語るに落ちるとはまさにこの事
無駄な改行で自己主張する低脳は華麗にスルーw
271 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 08:09:54 0
272 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 08:30:10 0
>>268 まあ、そういう面もあるけど。
日本ではインド学で優秀な学者は仏教やらずにヒンドゥーをやる傾向があるから。
だけど、今、仏教を評価してる西洋人は、学者だけではないよ。
60年代のヒッピーから始まって今では企業経営とかにも取り入れられて、
社会的な広がりを見せ始めているよ。
273 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 08:30:58 0
274 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 09:17:19 0
キリスト教も江戸時代に日本で排斥された時代はあるが
今 やっと施用から 人権という概念が入ってきて
心境の自由が認められ
日本や アジアで広まりつつある
「悟り」の一段階前の「常識」から身に着けてもらいたいな
まあ「常識」があれば坊主なんてやってるわけないわな
276 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 10:15:51 0
学問でも宗教でも体系化したものがメジャーになる
悟り という概念は 何も仏教の専売特許じゃないような気がする
金持ちのバカ息子の釈迦が 修行で脳内麻薬を出して私服間を得る
方法を考え付いたのかも知れないし 後坊主たちが
それを体系化したのかも知れない
しかし 仕事もできないやつに 悟ってるとか言われると
仏教は 何なんだろうと思う
自我はないとかいっときながら権力の犬になる仏教
278 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 11:04:09 0
>>1 脳状態が日々是エクスタシーとなるから外的条件は無用になる
観光や商売とは何ら関係ない
279 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 11:47:05 0
自分たちは働く気がないし
世の中を見下げているんだから
後は権力の犬しか生き残る道はないよな
280 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2010/10/31(日) 13:39:19 0
ずいぶん伸びてますね。
>>119さん
少し考えていただきたいのは、その草が己が煩悩の表れ
だから刈る、というお考えは、ともすればあらぬ方向
場合によっては、危険な思想への入り口にもなりかねませんので要注意を。
まずは、その草と自分との「縁」について考えてみられては如何でしょうか?
雑草は、字のとおり「雑な草」「いらない邪魔な草」だけでしょうか?
その縁を考がえられれば、それだけではないということに気付かれるはずです。
281 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 14:20:04 0
>>263 あなたも仏教は師が居なければ伝えられないという歪んだ認識をしている。
282 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 14:24:08 0
>>266 大乗仏教が中国経由で日本に歪んだ形で伝わった後で更に歪んでわけがわからなくなったからだろう。
直接原始仏教を調べてみると良い。
283 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 14:25:28 0
>>269 その通り。
つまりここは悟っていない者の集まりだ。
284 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 14:46:20 0
>>276 仕事が出来るかどうかは関係ない。また、頭のよさも関係ない。
自分の名前も覚えられないやつ(おそらく今で言うなら知的障害者か? しかも重度の)が
釈迦から言われた一つのことをずっとやって悟ったという話も残されている。
そいつはずっと掃除していただけだ。
285 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 15:16:44 0
286 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 18:05:15 0
仏性物理学として、全学問を統べるのが仏教の最終的使命。
仏を物理学と融合させた馬鹿まで出現したってどういう世界だ。
ふふふ覚者
そういや「仏教心理学」と書いてある雑誌をさっき本屋で見た。
291 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 20:23:20 0
邪教 仏教を信じているふとどきものの行動パターンはわかった
悟ったとか 妄想するのは自由だが
こんなものに寄生されている日本が本当に心配だ
292 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 20:33:26 0
悟りに価値を見出さない者が大勢なら
仏教に存在する意味なんて無いけどな
ざっと眺めたけど
とりあえず自分が悟るのが一番大事で
ほかの事はどうでもよろしいと
結局、仏教はなされるがままで
虐殺を肯定する宗教なわけね
294 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 20:36:11 0
酒やタバコに価値があるのか
しかし何でもやりすぎるとだめになる
仏教は麻薬のようなもの
肥溜め
それこそが色即是空
296 :
禅家:2010/11/01(月) 01:08:35 0
「法」が何かわかれば
仏教なんかどうでもいい。
「法」を開示せよ!
「法」を知りたいんだよ誰もが。
出し惜しみして何が楽しいの?
知ってて何も知らないつもりなんてひどいじゃないか?
知っても共に修行しなきゃならんし、悟りと修行が異ならなければ師匠が必要らしいぞ。
このあたりはどうするんだよ?おまえらがやらなきゃ法が滅ぶだけだ。
哲学者なのに真理(法)を捨てたらもう無理無理所だ。
297 :
禅家:2010/11/01(月) 01:11:55 0
仏教選んだとかはどうでもいいから
禅者ならば
そこを伝えてください。
ついでに私の恋慕と愛欲と音楽を付けものにしてください。
知れば知るほど仏教って下らないね
悟らない方が幸せに生きていけるんじゃないの?
仏陀の教えって屁理屈ばかりだよね
無責任で常識が無いのが仏教
まさに悪霊の巣窟
無責任で常識のないのがお前。
臆面も無く色即是空などと抜かせるのが
常識の無い証拠
悪いことは言わんから神信じとけ
身の程を知れということだ
哲学かぶれの無神論はうんざりだ、飽きた
こんなもん人語を操る猿に等しい
悟れば神になれるなどと少しでも考えているなら
悪霊の巣窟だな
305 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 08:47:45 0
哲学かぶれは猿だろう
仏教かぶれは犬だろう
今の日本
この閉塞感 癒着 コネ 因習・・・・
やはり 江戸時代の封建主義を 日本人が
いまだに引きずっている
原因は 割と完成度の高い
民衆の統治システムと 形骸化した信仰だろうな
306 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 09:00:27 0
プラジュナパーラミータ
307 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 09:27:57 0
世襲 コネ 金権 既得権・・・・
変更できないこと→実力主義でない→悟ってあきらめるしかない→
お布施がっぽり
308 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 09:31:36 0
>>308 >このスレは悟りがテーマじゃなくて仏教がテーマなんだが
お前も勘違い。
最終目的がテーマだろ。
日本の人間、アメリカの人間とかあってその希望は?
というスレがあったとして人間がテーマと思い込むのは俺正義でしかないな。
仏教は苦を滅するシステム。苦を無くすのが目的。
それ以上でも、それ以下でも無いと思う。
多くを期待しすぎると、おかしな事になる。
311 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 20:07:49 0
仏教に期待しない
終了
312 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 20:21:56 0
>>309 おいおい大丈夫か?
>最終目的がテーマだろ。
>
>日本の人間、アメリカの人間とかあってその希望は?
>というスレがあったとして人間がテーマと思い込むのは俺正義でしかないな。
AのBという文で、B「テーマと思い込むのは俺正義でしかない」なら、
自分が「俺正義」だって言ってるようなもんだろ
仏教哲学の最終目的で「最終目的がテーマだろ」っていうのは、「人間がテーマと思い込むのは俺正義でしかない」って言ってることだから。
314 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 02:47:17 0
仏教によると執着しない方が良いそうだ。
じゃあ、仏教に執着するのをやめよう。
完
屁ブッ教
>>312 日本語でお願いします。なんの執着か信心でカルトとかやっている
のですか?
意味不明
317 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 07:33:34 0
>>316 オイラが言ってるじゃないぜ、
>>309が言ってるだけだ。
要するに「AのB」という同じ形式の文について、
一方ではAを目的一方ではBを目的とするのはどう考えても非論理だってこと
319 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 08:36:33 0
>>318 なに「の」という言葉の機能について分かってるかってこと?
この場合、属格で包括関係あるいは、限定を意味するでしょ?
のようなもの
日本語くらいまともに話せよ
322 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 15:42:29 0
>>321 どこがおかしいというのか?
自分の日本語能力が不足しているとは思わないのか?
323 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 16:04:23 0
仏教スレで自我剥き出しのレス
恥だと思わないのか?自らを恥じる、仏教の実践にあったような気がするが・・・
324 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 16:10:58 0
325 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 16:15:47 0
>>324 はあ?レスをみて言っただけでおまえが誰と戦ってるかなんて知らんわw
偉そうに仏教者ズラしてんじゃねえよ、粘着がw
326 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 16:30:15 0
お前らが悟った瞬間に宇宙は収縮に転じる
夜空が一面に輝き地平線が消失する
天地の隔てはこの世の実存の柱
万物は流転しない
ここは恥ずかしいスレだな
だいたい2ちゃんで仏教語るとかwww
>>310 ほぼ同意
そもそも仏教と哲学を一緒にするのは違う気がする
哲学という言葉は西洋のものであるし、
宗教はもっと、なんというか理論を超えたところにあるんじゃないかい
332 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 20:32:19 0
宗教は自由
仏教は日本の体制に取り入れられてるからややこしい
そしてそれを分析するには哲学しかない
仏教は実践することが大切。理屈捏ね回すことはあまり意味がない。
実践ではなく体験だろ。
実践をすることで体験できるだけ、知識という体験の無い情報は
言葉の解釈を劣化コピペーしているだけ、編集した主張は骨抜きってことな。
体験は実践と必ず一致しているわけでもない、別な尺土やら仏教とは
無関係なことですら体験でつながる。
それは対価を支払った人だけが得られるってことな。対価が困難と
決めつけている奴も愚か。
>>331 釈迦やら仏陀の教えと、宗教法人やら制度としての宗教システム
は違う。
宗教は布教するものであって理論ではない、信じるのが大前提である。
故に自分で考える宗教と呼ぶなら、それは貴方のいう宗教ではない。
また議論して結論を求める類でもない、捉えられないものを捉える
為に得た技術では有る、そこに哲学やら理論を超えた部分が有るわけだ。
悟りを理屈だけの知識で知るものは悟りが何か理解するものだと
思い込んでいる。得るものであっても与えるものではないし、
習うものやら学ぶものでもない、議論するものでもない。
336 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 23:27:38 0
仏教は個人レベルでやってください
群がってやらないでください
337 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 23:38:48 0
>>336 宗教としての仏教は群がるものですよ
それは布教という教えによって広げる体系であるからです。
すべてを1つの価値観で見るのは浅はかです。
338 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 23:42:47 0
悟りとは個別の課題という結論が出たじゃないか
そうである以上 布教は不可能
すべて個人の問題です
布教が必要ということは 悟りの本質から遠ざかります
>>338 悟るのは宗教ではない。勘違いしてますよ。
340 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2010/11/03(水) 02:14:38 0
哲学、理論と信心、宗教ですか。
端的に理論と実践ではないでしょうか。
宗教は信仰がなくとも信者となる教徒が入れば成立するよな。
哲学は知識では成立しないだろう、まず考える人になることだ。
実践では当たって砕けろでしかないな。玉砕しても正解が掴めないなら
無意味でしかないな。
哲学もただ他人の語った哲学を覚えるだけなら普通に勉強するだけで良いが、
自分が哲学を作って語るのであれば鋭い直感力や洞察力が必要となる。
それを磨くために仏教での瞑想などの手法は利用できる。
>>338 料理を作るのが各家庭の課題だったとしても、料理の方法を広めることは不可能なことではない。
というか、むしろそれは喜ばれる。それだからテレビで料理番組をやっていたり本が売られていたり
料理教室があったりする。
何か問題があるだろうか?
344 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 05:57:42 0
>>336 サンガってのが釈尊の当時からあるんですが
日本の場合、逆にサンガが全く機能してない所に問題がある。
例えば、問題を起こした僧を戒律に従って追放できない。
345 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 05:58:53 0
>>337 >それは布教という教えによって広げる体系であるからです。
布教は、キリスト教の影響で出来た概念。
仏教の場合は、求められて教えを説くのが釈尊以来の伝統。
346 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 10:04:09 0
悟りが他者性を必要としないなら
人に教える必要などない
教えようとしたり布教しようとするのは悟ってない証拠
悟りとはすべて個人の問題であり すべてすべて
一人で見つけていかなくては意味がない
それくらい 過酷でなくてはいけない
料理などと置き換えるのは詭弁もいいところ
347 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 14:49:03 0
>>346 悟りを教えることは出来ないが、悟りに近付く方法なら教えられる。
348 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 14:50:09 0
道を尋ねて来た人に一緒に付いて行ってやることは出来なくても道を教えることは出来る。
349 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 14:50:50 0
道標になることは可能だ。
350 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 15:07:05 0
>>332 ,,, ,,,,,, : .と お. 救 人 お
_ = ~~ ``ヽ_,=''~´ ´~ヽ : は こ お .の っ
_= ~ ヽ : 思 が う 命 ぱ
~=、 ミゞ、 , -彡 ヽ. : わ ま な. を .い
~=、、、Cl~evj <e~}6)_ 、、、ミ : ん し ん. .で
ミ.~~ /', ゚ ;'7 ミ7ヾ~- 、 : か い て
≡ (','゚, '.人 ゝ | ヽ : ね
`= `ー' iノ' | / |
~ーノノノノノ'′
_ ∩ピタ
(; ゚д゚)
し |
| |
し ⌒J
>>345 求められなくても布教しているのが現実。
おまえは自己都合の良い知識だけを掻い摘む癖があるようだ。
カルト系の仏教を名乗る宗教団体が布教をしている現実をみろ。
仏教をマスターすれば躊躇なく人を殺せるようになる
353 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 19:41:43 0
題:あかちゃんと君
欲しいものがあると泣き喚いて
あかちゃんになることが大好きで
何でも人にやらせて
血なまぐさくい
本当に、君はあかちゃんみたい
354 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 19:55:43 0
悟りには人それぞれの方法がある
仏教でもキリスト教でもイスラム教でも・・・・
多くの方法を教えてもらうことでも悟る方法は
人の数だけある
別に仏教でなくても 方法はいくらでもある
355 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 20:13:21 0
>>351 そんなの仏教じゃないよ。
もちろん、現代日本仏教もキリスト教の真似をして布教師なるものがいる。
こんなもの仏教の皮を被った商売であって、仏教ではない。
>>355 お前が認めなくても仏教と認めている奴が何百万人もいる現実がある。
アフォまるだし。
357 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 20:25:49 0
日本で仏教が力を持ったら
世界一の独裁国家になるだろうな
358 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 20:30:45 0
>>356 それは記号は同じでも意味・内容が違うんだな
359 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 22:08:01 0
あらゆる宗教で悟る方法はある
>>356 そういう異端みたいのは仏教に限らずある程度広まったものでは必ず発生する。また宗教に限った話でもない。
悟りの一段階前は常識ですよね?異論ないですよね??
さあ悟れ
そして首くくって死ね
哲学なので仏典も疑いの対象。
>>360 異端が主流になりつつあるんだよ、気がつけ。
364 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 03:04:19 0
>>363 だからスマ長老とかが沢山本書いてるじゃないか。まあ、アレもスマさん自身がいまいちな感じはするがw、
広めようとはしている。あの人のお陰で仏教に対する偏見がなくなった人は居るんじゃないかな。
まあ、日本の現状の仏教に関してはもうほとんどダメなのが余計にはっきり分かってしまうわけだが。
アレンジされすぎだよな。
現実問題として、寺の維持費が必要だし
事務や電話番や案内や掃除をしている坊主を何人か食わさないといけない。
そうなると、ある程度は接客営業しないとやって行けない。
これは認めてやるべきだろう。
宗教法人で問題なのは、ヨーロッパでは中世のキリスト教会、
日本では中世の日本仏教などに代表される
権力者と癒着する前近代的な伝統を引きずっている事。
その時代の権力は、簡単に人を殺すような乱暴なものだったので、
権力者と仲良くしようとするのはしょうがない。
しかし、今の近代民主主義社会では、やくざを使って暗殺するなんて事は少なくなった。
税法上優遇されているのだから、そろそろ権力と結託するのは止めたらどうか。
>>364 その主流が全体のほとんどを占めているなら、それは名前をのものを奪い取った
わけで源流のそれと同じだと考えるのは愚かだろう。
時代は流れ仏教とうい価値観や言葉の意味すら変容しているのは
認めるべきだろう。
367 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 07:56:04 0
>>366 だから、記号は同じでも意味は違うって。
本来の仏教は、解脱もしくは一切智を目的とするもので、
殆どの現代日本の仏教は、葬式を司るもので、疑似仏教。
ここで話題になってるのは本来の仏教だろ。
話をすり替えるなよ。
仏教に目的はない
このカネにまみれた世の中に居ても
諸行無常で風の前の塵に同じじゃ
人間として駄目なんだと普通気付くだろ
無責任で常識が無いの悟ったふりしてるのが痛い
371 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 21:12:28 0
仏教は金まみれ
世の中が金にまみれていようがなんだろうが関係ない。
自分が金にまみれないならそれによる苦はない。
ただそれだけのことだ。
373 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 21:57:24 0
金まみれは苦
金がないのも苦
宗教に金を吸い上げられるのも苦
悟りを共用されるのも苦
何回の宗教論を言われるのも苦
因習に縛られ続けるのも苦
性器にしか見えない退廃宗教の偶像を見せられるのも苦
374 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 01:44:42 0
>>370 >無責任で常識が無いの悟ったふりしてるのが痛い
こいつ↑なんか悟りが凄いものだと勘違いていて笑ったw
376 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 04:39:49 0
>>374 違います。それは性器です。
性器にしか見えない偶像とは、374にあるようなモロに性器ではないけれども
暗に性器を象徴している偶像です。
378 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 14:04:44 0
天狗の鼻のようなものか。
379 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 17:01:42 0
sibaringa
みんな仲良しになったらいいじゃない?
必要なのは愛だな。アーメン。
382 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 21:51:10 0
正直に言うと悟りを得て
カネも得て
地位も得て
権力も得て
安泰というのが理想。
悟ったらこれといって何かが欲しいとは感じなくなるよ。
その後慈悲の心が起これば自分や人に何か施そうかという気になる。
悟らなくても、「欲しい」・「もっと欲しい」という想いは減衰できるよ。
滅し得たら、「悟り」ってことでしょ。
そうなんだー
>>384 ああ。妄想が根にあるからな。落として行くことは可能だ。
>>386 いや、「妄想」って言うより、(包括的にひっくるめれば、そうも言えるだろうけど)、
「習慣づいている」とか「楽(≒楽しみ・満足)として(しっかり)味わいたい」とか、
「それによって自分が充足されることが、あたかも〈必要なこと〉〈義務感を伴う重要事項〉と見做されていること」
等が、(何事かを)「欲しくなる」大きな理由だと思う。
だから、熱心な行者でなくとも、普通に日常を送る者でも、
『そこに目を向け、(ほんの少しでいいから)、制限・節度を加えれば』、
『それは本当に必要なこと、ものなのか?という自問を設定できれば』、
「欲望」の減衰・制御は実践・実現可能になるんじゃないかな・・。
まずはただ観察してみることだ。制御は後でも良い。観察するだけで原因から結果まで
全てが見えて滅する可能性がある。
悟りへの欲は?
>>388 植木等が言ってたよ。
「わかっちゃいるけど、やめられない」って。
392 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 23:26:34 0
>>389 それは修行の推進力になるので最後まで取っとけ。
しかし、最後には残りカスと共に捨てろ。
393 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 23:28:52 0
394 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 23:29:38 0
親鸞上人は悟ってなかったからやめられなかったんだな。
395 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 00:25:23 0
悟りなんぞと子供じみたことにこだわっていないで
どうせ 修行で脳内麻薬出して
ハイになってるお宅でしょ
この邪教にこだわってる限り
一生真実なんてわからないだろうな
能天気な宗教だよ
396 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 00:52:12 O
親鸞は欲に負けたのではなくて、
京から東国に流されたことで始めて百姓や職人たちの生活を知った。
そして、この人たちの生きる環境に、自分が学んできた仏教は通じるのかと、
妻帯肉食を敢行したのだと思うよ。
仏教が妻帯も肉食もしないで済む京の寺の環境でしか通用しないものなら、
百姓や工人は仏教には救われないのか?が妻帯肉食の親鸞の出発点にあるのでは?
日本の仏教は、まず、国家(治世者)の仏教として入ってきてるからなぁ・・。
その意味では、鎌倉仏教の発生は、インドでの各新興宗教の勃興とパラレルかもしれん。
上層階級の物だった「救い」を、社会の下層へと下ろしたという意味で。
或いは、祭祀・供儀(→祈祷・祈願)の遂行が責務だったものを、
説法と済度へと転換させたという意味で。
もはや仏教じゃ無いよね。
>>396 非僧非俗
親鸞が自らを愚禿釈親鸞としたのはそういう事もあったからなんだろうな
自身も含め人間は根源的に愚だということを見抜いたからだろう
400 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 04:11:02 0
>>395 お前はもう少し脳内麻薬物質出した方がいいぞ。
401 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 04:22:03 0
どの宗教も気休めですからね。
悟りがある天国があると権威者に言われて、民衆がかりそめの安心をする、
それが宗教というものでしょう。
宗教で言う悟りや天国は妄想です。
自己中心的な欲望をしずめて、正しい修行をすれば、天国に行けたり悟りに至ったりする
という妄想で一時的に安心するのです。
404 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 15:15:19 0
人間は日頃世界を直接見ているつもりになっているが実際には取り込んだ情報を記憶に基づいて
加工処理したものを見ている。なので世界ではなく自分の心を見ていることになる。世界は世界
でも自分にとって都合の良い部分を都合よく解釈して見ている感じだ。
だから修行により妄想が取り払われて行くだけで世界が変わったかのような気がしてきてしまう
のだが、世界は最初から一切変わってはいない。世界はまだ妄想がほとんどなかった子供の頃に
見たものと同じまま。輝いておりそのままで天国だ。それが認識の歪みで地獄のように見えて
いるだけのことである。ある意味、全ての人は最初から天国に住んでおり、一度たりとも天国
から外には出ていないと言える。というか天国しかなくそれ以外の所はないのだ。
仏教は信仰とは真逆なんだおっ
疑って疑って疑って現象を見極めることが仏教の本質であり
ヴィパッサナー瞑想の本質だおっ
良い意味で、既存のものに対してものすごく反逆的な思想なんだおっ
疑って疑って疑って、現象をありのままの状態で認識できるようになるのが「光明」ですおっ
肝試しを想像するといいですおっ
ライトで明るく照らした部分はよく見えて安心ですおっ
ライトで照らされてない部分には何があるかわからないからこわいですおっ・・・(´;ω;`)
おばけがいるかもしれないから怖いというのと同じですおっ
でも、ぜーんぶが明かりで照らされていれば怖いものはないですおっ!
ぜーんぶが照らされた状態が「悟り」ですおっ!
安心安心! 涅槃寂静ですおっ!
あっ、そうそう。お化け屋敷は自分の心ですおっ
潜在意識まで深くもぐりこんで自分で自分の知らなかった部分を知っていくことが大事なのですおっ
疑うとは考えるということです。仏教は考えることを下にみています。
仏教は釈迦のいうことを信じて、後はあまり考えずに修行します。
仏教徒は仏教を疑っていません。
仏教があるのになんで独教はないんだろ。
ドイツは対抗しなかったのかな。
409 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 17:07:39 0
410 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 17:08:52 0
411 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 17:13:11 0
釈迦といふ
いたづらものが世にいでて
おほくの人をまよはすかな
一休
412 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 17:17:00 0
仏に会っては仏を殺せ、仏祖に会っては仏祖を殺せ
SATSUGAIせよSATSUGAIせよ
>>410 はて?
仏陀釈迦牟尼が、「釈迦に会ったら釈迦を殺せ」 なんて言ったんですか?
仏教とはブッダの説いた教えですよ。
ヨガと道教などが混ざった仏教っぽい新興宗教を持ち出さないでください。
ブッダ以外の教えでも何でもいいのなら、池田大作や大川りゅうほうの言葉でも仏教になってしまいますが。
>>411 はいはい、あなたにとっては麻原しょうこう、池田大作、大川りゅうほうも仏教なのでしょう。
あなたの頭の中はめちゃくちゃですね。
釈迦ってシチリアマフィアの御曹司って聞いたけど本当?
>>405 そういえば、某A・スマナサーラは日本テーラワーダ仏教協会の看板なのに
「わたしを疑って下さい」という旨の発言を信者によくしているな。
417 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 18:57:09 0
418 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 19:13:53 0
うつ病を防ぐには
お宅になる
仏教はお宅である
しかし人間のことをあまり語らないでほしい
お宅である以上 視野が狭い
419 :
迷いネコ:2010/11/07(日) 20:39:51 0
>>418 >うつ病を防ぐには
まず、「脳科学」をお勉強して、そこから「分析哲学」で「予測と回避」を導き出しましょう。
これは「科学哲学」かなっ?
420 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 21:40:30 0
>>419 そんなことしたら、悪化して自殺しそうだな
421 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 22:40:23 0
認知療法でもやっとけ。
422 :
迷いネコ:2010/11/07(日) 23:06:05 0
>>420-421 >そんなことしたら、悪化して自殺しそうだな
そんなことはない、ですよ。
まっ、これが人類の未来を切り開く『未来哲学』ではないでしょうかね。
423 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 23:10:53 0
>>422 そう? では、そんなことやって良くなった例ある?
例えばパーフィットならまあまあだけど、
三浦俊彦とか読むと、自殺しそうだと思うけどね。
本当に疑うのなら臨床科学的で実証的な心理療法でいいだろう。
疑わずに信じるから仏教という宗教に行くのである。
425 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2010/11/08(月) 01:20:51 0
>>424さん
それでは表層面だけですよ。
五感や意識のプロセスに操作を加えたところで
それまでです。仏教はそういうものではありません。
今の心理療法は操作加えないんだが。
427 :
迷いネコ:2010/11/08(月) 02:00:49 0
>>423 >そう? では、そんなことやって良くなった例ある?
実例ですか・・・。
そうですねぇ、私なんかは、「躁鬱」が押さえられるようになりましたし、
そもそも「自殺」に至る直前のほとんどの人は、「うつ状態・うつ病」と言われております。
その現代社会における「うつ状態・うつ病」を「脳科学」的見地から考え、
「分析哲学」で「予測と回避」を導き出せるはずです。
まっ、それには、まず「脳」の持つ「性質・本能」を理解する必要がありますね。
428 :
トーヘンボク:2010/11/08(月) 12:07:02 0
おおっと。このスレにも興味、惹かれるな。さすが、哲板は民度が高いな。
国際情勢板って、怖いくらいバカばっかりで、ぐったりしました。
429 :
迷いネコ:2010/11/08(月) 18:25:01 0
>428
>トーヘンボクさん
>さすが、哲板は民度が高いな。
そりゃっ、「哲学」と言えば、「無知の知」。
そして、人間の「本質・真理」を探求する学問ですからねぇ。
ちなみに、私は、
人間社会の事象現象の根源である、その『脳』を理解することが、人間の「本質・真理」に近づくことだど考えております。
認識内容に真理などない
431 :
迷いネコ:2010/11/08(月) 19:22:47 0
>430
> 認識内容に真理などない
それが「真理」だとっ?(笑
432 :
考える名無しさん:2010/11/09(火) 18:30:07 0
何でも、甘いスウィーツとかわいい男の子の為にある
迷いネコさん、私も脳にはおおいに関心がありまして、最近、
脳科学の本を、だいぶ買いこんでしまいました。結構、新書っぽい
ので、良さげな本がでてますねぇ。というわけで、脳科学には
これから、チャレンジするところです。何か、特におすすめ本とか
あったら、ぜひ、紹介してくださいね。
まあ。とは言え、ここは仏教哲学スレですのでね。なるべく、スレタイに
沿った議論が望ましい、とは思いますが。
>>431 認識しない何かという考え方すらできないとは愚か。
436 :
迷いネコ:2010/11/09(火) 23:05:01 0
>>435 >認識しない何かという考え方すらできないとは愚か
エっ !? 「認識しない何か」ですか? 「認識できない何か」なら解りますが・・・。
失礼ですが、その文脈に間違いはないでしょうか???
437 :
考える名無しさん:2010/11/09(火) 23:13:06 0
「脳がある」と認識しているのは心であり「脳で考えている」と決めつけているのもまた心である。
しかし決め付けは科学を衰退させる。「本当はどうなっているか分からない」と保留し疑う態度を忘れてはならない。
438 :
迷いネコ:2010/11/09(火) 23:27:34 0
>>433-434 >トーヘンボクさん
>脳科学には これから、チャレンジするところです。
>何か、特におすすめ本とかあったら、ぜひ、紹介してくださいね。
申し訳ないです、私は「TVドキュメンタリー」派なもので、本につては、うとい、です。
それと、「学問の新しい発見は、議論から始まる」ですね。
私は、皆様とお話しさせて頂きながら、必要に応じて検索したりしながら、
お勉強してきましたし、これからもそうしたいと考えております。
>ここは仏教哲学スレですのでね。
>なるべく、スレタイに沿った議論が望ましい、とは思いますが。
そうですね、ただ「哲学」とは、「懐が深い」から『哲学』だと思いますし、
しかも「仏教哲学」と仰るのであれば、人の営み「すべて」のことをお話ししても良いと存じますが・・・。
そして、その「仏教哲学」を創り出したのも、人間の『脳』ですね。
439 :
迷いネコ:2010/11/09(火) 23:37:59 0
>>437 >しかし決め付けは科学を衰退させる。「本当はどうなっているか分からない」と保留し疑う態度を忘れてはならない。
仰る通り、それが「無知の知」ですね。
>「脳がある」と認識しているのは心であり「脳で考えている」と決めつけているのもまた心である。
まぁ、人の「心・精神」が「大脳辺縁系(とくに扁桃核)」がその源ではないか? と、仰る研究者も多いようですが、
しかし、それを論じることに、それほどの意味はない、のではないでしょうか?
ただ、「人には『心・精神世界』が存在する」という事実だけで十分だと思いますが?
440 :
帝釈天:2010/11/10(水) 02:23:18 0
>>439 迷いネコも唯識も、わかっていてそんな尋問するのか知らないが。
仏教で捉えるのは無意識や集合的無意識といわれるものだ。
焦点がない焦点に常に焦点が合っているという神秘的事態で、
突発的に起こるので、禅や瞑想もそれを誘うことはできない。
因縁によって起こる。
これは、マジで
「神」である。
「愛」である。
「全」てである。と同時に全てでない。
「宇宙」である。と同時に宇宙でない。
「物質」である。と同時に物質でない。
「空間」である。と同時に空間でない。
「言葉で言い表せたらニセモノ」ということは確かだ。
言葉に取り憑かれた亡霊が仏教を離れて、基地外になるのはよくあることだ。
>仏教で捉えるのは無意識や集合的無意識といわれるものだ。
比喩で表現されてもそれが対応しているわけではない。
>焦点がない焦点に常に焦点が合っているという神秘的事態で、
いえ焦点はある、だが同時に焦点はない。
意味に執着している時点でこの類の矛盾する捉え方ができないのが多い。
主体になる観察側との関係がという点で神秘的事態になるだけで、
すべての客観的観測で共通の神秘的事態にはなりえない。
>突発的に起こるので、禅や瞑想もそれを誘うことはできない。
それは違う、禅や瞑想は道具であって状況を生む為には方法の1つ
であるのは間違いない、確実性がないだけ。
>因縁によって起こる
そのとおり、それが何故起こるか?
それは選べる類であるが多くはそれを選ぶ以前にその他の力によって
選べない。心的結びつきや意味判断で流されてしまうんだよ。
>「言葉で言い表せたらニセモノ」ということは確かだ。
体験の伴わない言葉は無意味である故に共通の体験があれば
表現できるがそれができないから表せないだけにすぎない。
>そして、その「仏教哲学」を創り出したのも、人間の『脳』ですね。
1人の脳で成り立ったわけではない。人間の脳と特定することで
それは特定の固体の脳部分の機能と解釈されてしまう。
>ただ、「人には『心・精神世界』が存在する」という事実だけで十分だと思いますが?
それは事実ではなく、物の有様である。
>エっ !? 「認識しない何か」ですか?
>「認識できない何か」なら解りますが・・・。
潜在的に認識しても知識により認めないならそれなら正しい表現である。
認識できない何かではその存在を言葉にすらできない、
人類に分からない何かを象徴する言葉にすら表現するのは間違いになる。
例えば神とか魍魎などは潜在的に認識はしている。
認識できない何かならば、その何かすら分類すらできないし象徴として
表現すらできない。幻として存在しているかすら認知できない。
444 :
迷いネコ:2010/11/10(水) 12:44:31 0
>>440 >帝釈天さん
>「言葉で言い表せたらニセモノ」ということは確かだ。
うむ、そういう意味でしたら理解できますけど、
しかし、その「ニセモノ」とご判断されているのも、あなたの『脳』だと思います。
>言葉に取り憑かれた亡霊が仏教を離れて、基地外になるのはよくあることだ。
いや、そもそも、人類という生き物が「自・他」という意識を自覚した時点で、
つまり、「自我」に目覚めた時点で、
「生物学・動物学」的見地及び「脳科学」的見地から観て、「『種』としての『脳』は『壊れている』」のです。
したがって、神であろうが宇宙であろうが、
有形無形を問わず、今現在人類が捉えている『すべて』のものが、
所詮、その「壊れた『脳』」が観せているものに過ぎない、のです。
445 :
迷いネコ:2010/11/10(水) 12:45:25 0
まず、皆様が、捉えられておられること『すべて』が、
「所詮、人類という『種』の『壊れた脳』が観せているものに過ぎない」
ということをお伝えいたします。
これが『未来哲学』の基礎でございます。
446 :
迷いネコ:2010/11/10(水) 12:46:16 0
迷いネコさん、本は読まない・・は、私は問題発言だと思いますよ?
最低限、本を集めることは必要だと思いますけどね、私は。
有益なテレビ番組がある事は知っていて、
やはり、NHK総合とNHK教育が強いでしょ。
私なんか、最近の「日曜美術館」は、見逃したくなくなって困ってます。
(ダビング装置を持っていないので。)
448 :
迷いネコ:2010/11/10(水) 20:42:11 0
>>447 トーヘンボクさん
>迷いネコさん、本は読まない・・は、私は問題発言だと思いますよ?
>最低限、本を集めることは必要だと思いますけどね、私は。
大概の方は、そう仰りますが、
しかし、「文字」だけの説明よりも、「映像と音声」の方が遥かに理解しやすいですよ。
それに、とくに『脳』などは、決して目にすることの無い内部をCGなどで解りやすく説明してもらえます。
>有益なテレビ番組がある事は知っていて、
>やはり、NHK総合とNHK教育が強いでしょ。
そうなんです、実は、私のネタのほとんどがNHKの番組で、とっかかりが「驚異の小宇宙・人体『脳』」です。
ここに出演されていた養老孟司さんの「本来人の脳に『善・悪』という認識はありません」という一言で、
私は「思考の迷宮」に引きずり込まれてしまいました。(笑
NHKは、ここ四半世紀の間に人の『脳』について、大変良い番組が多いですね。
>(ダビング装置を持っていないので。)
今のDVDレコーダーの性能は、最高ですよ。
449 :
あめのみやつこ:2010/11/11(木) 04:20:26 O
人間の身体にある精神を1としてそれ以外を0とすると
0は所謂人間の外界になる。人間の業というものは0をも1をも含む
それこそが世界になる。世界は業から
成り立っている。例えば社会に出て言われ続ける人は
延々と言われ続ける。それこそが世界であり
世界は言うことで欲しているに違いない
業は0と1が合致する時に起こる事象のような
ものだ。主客一致それこそが業に他ならない
450 :
あめのみやつこ:2010/11/11(木) 05:08:02 O
あらかじめ決まっていりるのだ。0は自分のなかにないもの
1は自分のなかにあるもの。しかし0のなかに1はある。0から1が抽出される
前衛芸術はこのことに他ならないだろう。アプリオリもアポステリオリ
もない。あるものはあるのだ。経験は濾過のような抽出と理解でしかない
なくても理解できるはあくまで自分なかにある中から
理解し想像しているにすぎない。
451 :
あめのみやつこ:2010/11/11(木) 05:24:33 O
わかるということは精神の向上とは関係ない
しかし0は空といいかえてもいいだろう
つまりは0には有も無もあるのだ。
人間は会えばわかる。会って話すとすべてがわかるわけではない
会って話と沈黙とノンバーバルコミュニケーションと相対的関係のなかの
やりとりと時間が経過する。経過するなかで理解する。これは経験ではなく
性質があり抽出するのだつまりはアイスクリームなのだ
アイスクリームは甘い。しょっぱくないのだ。しょっぱいのは味噌なのだ
DVDレコーダーというのは、収録した番組をファイルみたいに取り扱って
自由にファイルの削除とか、転送とか、整理とか、が出来るシステムになっ
ているんですか?
(グーグルみたいに)
さあね。ひとつだけ言えることは有は有る
無はないということだけだね
科学では無は有でできる仕組みと表します。
なぜなら無を定めることが科学では不可能だからです。
455 :
考える名無しさん:2010/11/11(木) 09:01:26 0
月刊ムー
とめべ地め・・・さては・・
457 :
迷いネコ:2010/11/11(木) 12:41:53 0
>>452 トーヘンボクさん
>転送とか、
転送は、よく分かりませんが、
それ以外は、編集も含め快適にできますよ。
PS:養老孟司さん曰く、
「我々人類の発達した前頭葉は、論理を司る『成し遂げる脳』であり、とくに『善・悪』という認識はありません」
458 :
考える名無しさん:2010/11/11(木) 13:29:36 0
東山寺の川上雪担老師あたりは悟った人だよ。
昔「せったんmyoejoe」のコテで2ちゃんでも
本人自身が辻説法してたから検索してみなさい。
459 :
考える名無しさん:2010/11/11(木) 15:13:24 O
>>458 どうしてあなたはその人が悟った人だとわかったのか?
>>459 悟りを神聖なものとか特殊な能力とかと勘違いしているマヌケ君か?
それは理屈ではないし、誰でもそんなに難しくなく日常的に悟りを
得ていることは珍しくない。
ただ悟りという観念を捉えていないだけ。貴方も例外じゃないです。
461 :
迷いネコ:2010/11/11(木) 18:47:14 0
>>460 >悟りを神聖なものとか特殊な能力とかと勘違いしているマヌケ君か?
その宗教的・思想信条的「悟り」を望むことを『未来哲学』では、「強欲」に位置づけております。
>誰でもそんなに難しくなく日常的に悟りを得ていることは珍しくない。
でも、その「悟り」と宗教的・思想信条的に望む『悟り』とは、だいぶん意味合いが違うと思いますが・・・。
462 :
考える名無しさん:2010/11/11(木) 20:34:04 O
苫べちたん
>>457 なるほど。技術は、日進月歩というわけだ。(ちょっと、空恐ろしい
ほどのスピードで)(この分だと、シリコン生命が我々にとって代わる
日もそう遠くはない・・という訳だ)(めでたし、めでたし、かな?)
それはともかく、そんなに便利なら、私も購入を検討しますよ。昔、
ビデオの時代には、録画したビデオの整理ができなくて、コリゴリした
ことがあります。
今日の、クローズアップ現代もなかなか良い番組でしたよね?
464 :
迷いネコ:2010/11/11(木) 21:42:42 0
>>463 トーヘンボクさん
>(ちょっと、空恐ろしい ほどのスピードで)
>(この分だと、シリコン生命が我々にとって代わる日もそう遠くはない・・という訳だ)
そうですね、今「AI」の研究も進んでおりますが、
もし、「自我にめざめたら」と考えると、映画「ターミネーター」の世界もあり得ますね。
まっ、しかし、そもそも、「人類が『自我に目覚めた』ことが、己の首を絞めた」のですがね。(笑
>ビデオの時代には、録画したビデオの整理ができなくて、コリゴリしたことがあります。
それっ、四半世紀遅れてますよ。
>今日の、クローズアップ現代もなかなか良い番組でしたよね?
なんか、哲学的なテーマでもありそうですが、私、芸術に特別な感慨はないもので・・・。
ただ、モネの絵は好きですよ。
・・・芸術に特別な感慨はない。とても、問題発言だなぁ。
四半世紀遅れている・・それが、いまの感覚だという事はわかるが、
わたしは、逆に感覚が麻痺していると思うし、こんなに早いスピードで
進歩して行く、科学技術に慣れてしまうことの弊害を思いますけどね。
現に、迷いネコさんは、本は読まない、テレビで充分と公言している・・。
わたしは、そういう風潮に非常に危惧の念を抱くものですね。
科学技術の加速するスピードに、誰もブレーキを掛けられないし、逆に
われわれが、それに適応していかなければならない。。。
われわれは、すでにシリコンの奴隷です。歴史の行く先はあまりにも
はっきりしていますね。SFじゃないですよ。
・・そうすると、わたしは逆に、中国の非科学性にむしろ、期待するな。
非科学性の伝統を、せめて中国だけでも保守して欲しい。もう、日本は
アタマの芯まで、「進歩主義万歳」派だからな。
そういうこと、少しは考えて欲しいもんだね、日本の科学者・技術者にも
ね。勝てば、官軍ですかな。
せめてもの、救いは、少子高齢化だな。。。これに、歯止めをかけるべき
じゃないぜ? 人口減少、大いに結構だね。イギリスみたいに、名誉ある
撤退を、考えるべき時じゃないですか? 強国をめざすばかりが、とりえ
じゃないよ? そもそも、それは動物的本能だからね。最強者をめざす、
というのはね。 子育て支援、撤廃に賛成だな。。。
・・まあ、人間とは途上者である。来るべき者=超人(シリコン)のために
没落すべき種族である・・という哲学であるというなら、それはそれで
一見識かな。
それとも普遍的犬儒主義で、100年あとの事などどうなろう知ったことか。
あとは、野となれ山となれ、だ。いま、わたしさえ幸せなら、それで結構。
必要にして、十分だ。・・という気持ちも、たぶん、あるかも知れないね。
それは、そうかも知れない。自分の死後、世界がどうなろうと、関係ない
ともいえるだろうからね。
ただそれならそれで、自分がそれだと自覚して置かなくてはね。
間違っても、国家百年の大計だ、などと思い込まないようにね。
ふん。・・結局、われわれは、人間という特別なものであるという錯覚を
抱いた、ただの動物というわけですな。
理性という仮装せる本能を持った・・。あるいは壊れた脳を持った・・。
錯覚いけない、よく見るよろし。というのは、故升田幸三九段の遺した
永遠の名言であります。
>>464 ・・映画なんかも、ご覧にならないの? あれだって、立派な芸術なんで
すけど。。。ツルミシュンスケは、限界芸術と名づけたそうですが・・。
(まだ、たしかめてはいません。)
ま、ロードショーはあまりに高すぎるけど、最近は、ネットレンタルと
いう、非常に便利なシステムも出来てますよ。いろいろあるみたいだけ
ど、自分は、DMMというのを使っています。
ホント、便利な世の中になりましたねぇ。。
472 :
考える名無しさん:2010/11/12(金) 20:19:11 0
仏教の本質とは
現実からの逃避と
いたいけなやつから金を巻き上げる
術の習得だろう
473 :
考える名無しさん:2010/11/12(金) 20:20:37 0
>-‐ "w ___ l!.">、
/ l ( (( {{ f´ l ノ _ ノ l\
/ 爪.`ヽヽ ` @, ト、 .ムノl\
/ ≧ / ノ ノ <ハ 僕は十年後も君が同じカッコウをしてたら
/赱. (_ム^" ≦ハ
l Z 三l 本物だって認めてあげるよ
W 三 !
l l´ xへ、 >'⌒ヽ、 ≦l_
人! `ヽ 、 、__>" l´ ヽ
f l ー--一 \ < ー--一 ! !
l ! ヽ ノ l ヽ ノ l l
. ! ! l l l
! l l l /
\l / l_/
ハ \_, 〜’ l
l ( 巡ハルwN从ル ) l
W \ ̄ ̄ ̄ フ . /!
l.\  ̄ ̄ ̄ __, / l
人 \ ` ̄ ̄ //l\
/ l ヽ `ャ、 _ム-"ィ" l .ハ_
,r'/ l `>、 ` ー- '" > "´ l. 弋ヽ
. >" / l `二ニ< l ヽ`` -- 、
.>" / l / \ l ヽ ``'' ‐-
474 :
迷いネコ:2010/11/12(金) 20:26:09 0
>>465-471 トーヘンボクさん
>われわれは、すでにシリコンの奴隷です。歴史の行く先はあまりにも
>はっきりしていますね。SFじゃないですよ。
これは、「人類が自我に目覚めた時からの『必然』」だと存じます。
>・・そうすると、わたしは逆に、中国の非科学性にむしろ、期待するな。
それは、止めたほうが、「危ない」ですよ。(笑
>ふん。・・結局、われわれは、人間という特別なものであるという錯覚を
>抱いた、ただの動物というわけですな。
>理性という仮装せる本能を持った・・。あるいは壊れた脳を持った・・。
>錯覚いけない、よく見るよろし。というのは、故升田幸三九段の遺した
>永遠の名言であります。
その通りです。
>>11 > なかなか、するどいじゃない。
だから、人は「悟り」などという「強欲」な幻想に酔うのです。
なので、『未来哲学』では、「人類が自我に目覚めた時」がファースト・インパクトで、
「人類の『種』としての『脳』が壊れていることを自覚する時」がセカンド・インパクトですね。
475 :
迷いネコ:2010/11/12(金) 20:32:56 0
>>465-471 トーヘンボクさん <PS>
>・・映画なんかも、ご覧にならないの?
私は、SFが大好きで、「スタートレック」「ターミネーター」シリーズは、全部観てます。
ちなみに、私の「哲学」の原点は、「スタートレック(艦隊の誓い)」と、先の養老孟司さんの言です。
仏教の問題提起は一面的に正しいところもあるが、その解決方法は現実逃避であり間違っている。
人間は不幸や苦しみを背負ってでも現実と闘い、自分の子孫が暮らしやすい環境にしなきゃいけない。
仏教に行っちゃう奴は、競争社会から逃げ、闘いから逃げ、自分の不幸や苦しみから逃げようとしている。
「自分の幸福」というものに執着するから逃げるのだ。
自分の幸福なんてものは飴玉みたいなもので、一時的に甘いがすぐ消えるものだ。
休憩時間の煙草のようなもので、永遠に続かない。
そんなものをいつまでも追求しているから、仏教徒は現実逃避をしてしまう。
人はやるべき事だけやって死ねばいいのであり、仏教徒のように幸福を追い求めて現実逃避するのは間違い。
人のやるべき事とは、自分の子孫を立派に育てて自分の子孫が暮らしやすい環境を造ってやること。
477 :
考える名無しさん:2010/11/12(金) 23:16:50 0
>>476 > 自分の幸福なんてものは飴玉みたいなもので、一時的に甘いがすぐ消えるものだ。
> 休憩時間の煙草のようなもので、永遠に続かない。
仏教はそういうのが無意味ということは言ってると思うが。輪廻になっているだけってな。
腹減ったら食うがまた腹が減る。一時的な幸福はあっても結局は必ず苦に繋がる。
で、「一切皆苦」ということになる。
そんな苦と苦を避けることの繰り返しから解脱しましょうってのが仏教だよ。
478 :
考える名無しさん:2010/11/12(金) 23:18:41 0
だからつまり、あなたは何か違うものを仏教だと思い込んでいてそれと戦っている。
しかし戦うまでもなく最初からあなたの主張と仏教はほぼ同じということだ。
(まあ、自我意識を持ったままなので外れている点もあるようには思うが)。
>>458 せったん老師はマジ者だぜ。
こんなグニャグニャした議論してたら
せったんに女の腐ったのと言われるわい。
480 :
考える名無しさん:2010/11/13(土) 07:19:03 0
せったんは悟ってる感じがしないなあ。
あの独特の言葉の使い方に騙されてないか?
481 :
考える名無しさん:2010/11/13(土) 07:32:12 0
せったんは禅のことには詳しい。禅の話なら幾らでも出来る。
しかしまだ話している自分がある。
まあ、逃避にみえることもある。現実に、すでに敷かれている良識的な
ライフスタイルを信じ、踏襲していけばいい。大筋ではこれでいいはず
だとね。・・この場合にはつまり適応最優先志向の戦略で、とりあえず、
現在、および近未来における展望ってやつが開けていれば安心という
パターン。みんなで歩けば怖くない型と名づけられますね。それに対して
仏教徒は、そんな目の前のすぐ手の届きそうな幸福を疑うんですね。なぜ
かというば、彼は、その揺れ動く燈火の背後や周りに、底知れない闇を感
じてしまっており。その闇の支配に恐れを抱くからです。。。彼の目には、
何の心配もせず、いや、明日の心配だけをして生きている世間の人々が、
火宅で遊んでいる子供たちにみえるんですね。
>>475 へええ。それらのシリーズは、自分はみんな見落としてるな。
ターミネーターは、1を観て、こんなもの? という印象。
2が、優秀というウワサは耳にしていて、借りよう借りようとは
思ってるんだけど、いまのところは未見。
自分がおすすめのSFは、
・・・そうだなぁ、バーフォーヴェン監督の「トータル・リコール」
「スターシップ・トゥルーパーズ」の1、(2、3は未見)
「スパイダーマン」三部作。「ダークナイト」。
スピルバーグの「A.I.」といったところかな。アメ・コミ物なんかも
もちろんSFのジャンルです。最近では「アイアン・マン」の1が
まあまあかも。
あと「バイオハザードU アポカリプス」とか、SFからわずかに
外れるかも知れないけど、「運命のボタン」「ラブリー・ボーン」なども
悪くないです。
485 :
迷いネコ:2010/11/13(土) 19:14:32 0
>>483-484 トーヘンボクさん
>ターミネーターは、1を観て、こんなもの? という印象。
>2が、優秀というウワサは耳にしていて、
どうでしょうねぇ、1も良かったと思いますし、結構興行収入もあったのでしょう。
だからこそ、2に莫大な予算をかけて創ることができました。
ただ、タイムパラドックスがついて回りますので、それさえ気にしなければ、楽しく見られます。
まっ、3、4は、何とも・・・。(腐れ縁てヤツ・笑
あと、5、6があるようなことも言っておりますね。
>・・・そうだなぁ、バーフォーヴェン監督の「トータル・リコール」
>(…中略…)
>あと「バイオハザードU アポカリプス」とか、
だいたい見てますよ。
>外れるかも知れないけど、「運命のボタン」「ラブリー・ボーン」なども
>悪くないです。
こちらは、分からないです。
あれっ、何のお話しをしてたんでしたっけね?(笑
ターミネーターは1が予算が無さすぎたんだよ
そこそこにヒットしたから2ができた
2はブレイクした
487 :
迷いネコ:2010/11/13(土) 20:35:39 0
>486 ンドールさん
>ターミネーターは1が予算が無さすぎたんだよ
それでも、4億?8億?だったか???
キャストもシュワちゃん以外は、それほどでもなく、何も大仕掛けが無い割に予算を使ってますよ。
まっ、当時は、CGが無かったので、シュワちゃんがはがれてからの映像にお金がかかりましたね。(たぶん?
>そこそこにヒットしたから2ができた
>2はブレイクした
やはり、ジェームズ・キャメロン監督のお陰ですね。
2は、1の十倍の予算を使ったとか・・・。
488 :
考える名無しさん:2010/11/13(土) 21:56:23 0
仏教を排斥しない日本は滅びる
>>485 良かったですか? なんか、ゾンビが追っかけて来るような感じで、
やや、単調な気がしましたけどねぇ。。
2も、あまりウワサばかり耳にしたせいで、もう観たような気分に
なってしまったんですけど。。気を取り直して、観てみますかねぇ。
3は?
何の話を・・>>映画も芸術でしょ。。って話。
ところで、昨日テレビでやっていた「トワイライト」もなかなか
良かったけど。。基本的には、「インタヴュー・ウィズ・。。」と
同じ路線ですよね。
なぜ、ヴァンパイア物やウルフマン物が、非科学的なファンタジーに
過ぎないのに、これほど強迫的に反復されるのか、誰か分析していない
のかな。
「運命の」と「ラブリー」は、基本的にサタニズム映画と思いますね。
珍しく本格的な。
しかしテレビも確かにいいけど、土曜の夜はちょっと忙しすぎますよね。
まあ、今日は世界バレーがあったからな。日本女子は、惜しかったけど
ほんとうに技量では、最高ランクなのね。高さで負けてるだけ。これほど
強いとは、思わなかった。ぜひ、銅を獲得して欲しいね。。。
こんばんわ。ンドールさん。
>>488 仏教を排斥するのは、無理。
>>1 仏教哲学の最終目的は、無心になる事でしょ。だから、全力を出さねば
勝てないものなら、何でもありという訳。
しかしまさか、
勝つことが仏教の目的とは、ホトケさまでも気づきにくいね。
491 :
考える名無しさん:2010/11/14(日) 00:02:08 0
仏教はそもそも苦を滅する方法やそれについて釈迦が語ったことだ。
当時バラモン教が輪廻転生を説いており多くの人が信じていたのでそれに対して
作られた話が多くあるように思う。一切皆苦で永遠に輪廻するから解脱しなければ
苦はなくならないといった話もそれに対して作られた方便と考えて良いだろう。
但し、涅槃と言われるような静寂は実際にある。
492 :
考える名無しさん:2010/11/14(日) 00:26:35 O
ドラッグや大麻やキノコやアヤワスカを仏教では禁止していない
>>487 当時のシュワちゃんはただの全米ボディビルダーチャンピオン
>>491 ん?
・・だからそれが、私の言った「無心」でしょう?
実際にありますよ。
495 :
考える名無しさん:2010/11/14(日) 06:21:57 0
新宿で化け物屋敷かなと思ったら、オカマ屋敷で、自分は潰しが利くからって
あれは隣を潰して良い目が見たいって奴だ
496 :
考える名無しさん:2010/11/14(日) 07:21:45 0
世界には神などいない。
全ては機縁によって自由に発展しているだけ。
自我などない。
原子が遺伝子(ダルマ)によって離散集合を繰り返しているだけ。
簡単に仏教哲学をかじったところ、こういう事だと思った。
俺はオカルト嫌いだから、釈迦の悟りは非常にすんなりと理解できる。
497 :
考える名無しさん:2010/11/14(日) 07:42:11 0
>>496 >原子が遺伝子(ダルマ)によって離散集合を繰り返しているだけ。
いやいや、原子も遺伝子も無我・空で縁起してるだけ。
原子も遺伝子も仮設されるだけで、実体はない。
遺伝子をダルマとは言わない。
ダルマとは解脱・悟りに役立つ現象・体験・知覚のこと。
498 :
考える名無しさん:2010/11/14(日) 08:45:30 0
>>497 遺伝子は、物質・物体としては仮設されてるだけだが、
それがただの原子を生命体として組み上げるという点で
ソフトウェアとしての実体はある。それはダルマだと思う。
>ダルマとは解脱・悟りに役立つ現象・体験・知覚のこと。
竹村牧男著「哲学としての仏教」には、もともとは「自分自身を保つもの」という一般的な意味であって
そういう仏教的な言葉ではないと書いてるよ。
499 :
考える名無しさん:2010/11/14(日) 08:55:12 0
というか「種」を意味するダルマとは、現代風に言うと遺伝子のことだろう。
なんていったか忘れたけど。心不相応法の中の何とかだったかな
500 :
考える名無しさん:2010/11/14(日) 08:59:19 0
プッタータさんの仏教社会主義に興味があるんだが、理論書が出ていない。
仏教哲学の目的は争いのない世界を作る事でなくてはならない。
501 :
考える名無しさん:2010/11/14(日) 09:01:58 0
プッタータじゃねえやプッタタート
>>496 >世界には神などいない。
そのとおり、世界に神はいない、なぜなら世界そのものが神だからさ。
だが神人の類はいる、それは人が人の形に似せた偶像的なものを神と呼ぶからだ。
>全ては機縁によって自由に発展しているだけ。
それが神の仕組み。
>自我などない。
それは自我を定義した時点で存在するので主観にすぎない。
自我は客観的なものではない。
>俺はオカルト嫌いだから、釈迦の悟りは非常にすんなりと理解できる。
根本的に間違っている「悟り」とは難しいものではない、そして理解する
類ではない。貴方の知識的な認知はトンデモ脳のそれである。
503 :
考える名無しさん:2010/11/14(日) 09:37:56 0
>>502 >根本的に間違っている「悟り」とは難しいものではない、そして理解する
>類ではない。貴方の知識的な認知はトンデモ脳のそれである。
釈迦さんが生きていた時代、
唯物論的な思考は「非科学的」なことだったんであって
やはりそれは悟りという形式で「なんつーか、わかれよ。俺の言いたいことわかってくれよ、何となくよ」
って言うしかなかったんじゃないかな。
当時の科学力では原子が離散集合して生物を形作ってるなんてとうてい証明不能だし。
しかし今は電子顕微鏡で原子が実際見えるし、
現代こそすんなりと釈迦さんの言いたいことは理解できるはずだ。
現代では仏教に悟りは必要ないだろう、
科学を信じることが即悟りを得ることになると思ってるよ俺は。
504 :
考える名無しさん:2010/11/14(日) 09:41:42 0
>>498 >ソフトウェアとしての実体はある。それはダルマだと思う。
それは誤解。
>>ダルマとは解脱・悟りに役立つ現象・体験・知覚のこと。
>竹村牧男著「哲学としての仏教」には、もともとは「自分自身を保つもの」という一般的な意味であって
>そういう仏教的な言葉ではないと書いてるよ。
竹村さんの説は、アビダルマコーシャなどの説で、それは単なる駄洒落みたいな通俗語源説。
たしかにダルマという言葉は、釈尊以前の言語習慣だけど、釈尊は悟りに役立つ現象・体験・知覚という意味で使った。
>>499 >というか「種」を意味するダルマとは、現代風に言うと遺伝子のことだろう。
誤解。そういう意味ではない。構成要素みたいにアビダルマでは使うけど、それもアビダルマ用法。
505 :
考える名無しさん:2010/11/14(日) 09:45:14 0
>>503 >唯物論的な思考は「非科学的」なことだったんであって
>やはりそれは悟りという形式で「なんつーか、わかれよ。俺の言いたいことわかってくれよ、何となくよ」
>って言うしかなかったんじゃないかな。
ぜんぜん。違う。現代人の方が優れているという予見は捨てないと、仏教の良さは決して分からないだろう。
なにせ、西洋人が今でも抱いている実在論・本質主義をきっちりと2600年ぐらい前に明解に筋道立てて否定したのだから。
506 :
考える名無しさん:2010/11/14(日) 09:52:02 0
>>503 >科学を信じることが即悟りを得ることになると思ってるよ俺は。
そういうもんじゃない。科学のような現象分析では何も救われない。
環境や対象を変えても問題は解決しない。
なぜなら、欲望は留まることがないからだ。
仏教は環境を変えずに知覚の誤りを変えることを手段とすることで、
科学と全く逆の方向を向いていると言えるだろう。
科学のように現象を分析してものの有り様が分かったところで、
どう生きるべきかは解決できない。
分析哲学や現代倫理学で、何か重大な問題が解決できただろうか?
ウィトゲンシュタインやクワイン、ヘアやパーフィットが何かをもたらしただろうか?
しかも、パーフィットは仏教の優位性を十分理解している。
507 :
考える名無しさん:2010/11/14(日) 10:03:24 0
>>504 アビダルマ用法とか派閥問題はどうでもいいよ。
要は現代人にどうすれば理解してもらえるかが重要だろ。
いきなり解脱や悟りなんて言っても拒絶反応受けるだけだよ。
508 :
考える名無しさん:2010/11/14(日) 10:40:54 0
>>507 理解してもらうのであって、誤解してもらっては困る。
君のは全くの誤解。
この哲板仏教スレには元オウムの人がいると
思われるがいかに
510 :
考える名無しさん:2010/11/14(日) 11:09:35 0
>>509 自分の常識に合わないものはオウム・カルトと言って排除するなら仏教なんかに首を突っ込まないことだ
511 :
考える名無しさん:2010/11/14(日) 11:39:44 O
いやいるならおもしろいと思っただけなのだが(-.-)y-~~~
釈迦の言うことの中には鋭い指摘があるのは認めるが、
救うだの救われないだの言い出すあたりから間違いが起こっている。
深いことは言っているとは思うが、救いという妄想を求めて現実逃避に陥っている。
・・お釈迦はん、一切皆苦、おっしゃったね。
そのココロ、一切苦から等距離の地点、
視線、置かはったのこと、アルネ。
これで、いいアルか?
>>487 迷いネコさん・・本を読まないとか、芸術に感慨が湧かないという発言に
たいして、問題発言だなぁ・・なんて言ってしまっけど、いまになって
迷いネコさんの態度が、首尾一貫していることに気づいたよ。
そもそも、迷いネコさんは人類が踏み迷いに陥った動物だって、立場だ
もんな。つまり、絶滅危惧種だってね。
その可能性は、なくはないんだよ。昨日の多剤耐性菌のドキュメント、
観たでしょう? 絶対に耐性菌が現れるとわかっていて、なお、新薬
を作り続けるわけさ。目の前の人間を救える・・という理由でね。
じゃあ、超進化した細菌を相手にしなくてはならない、未来のひとは
どうなるの? 病原菌の進化に、助力してどうするん?
遺伝子操作だって、そうだね。手に負えないモンスターが生まれたら、
どうするつもりなのかなぁ。その可能性はなくはないんだよ?
つまり、目の前のひとを助ける・・という大義のためには、
どんな事をしてもイイ訳なのさ。
じつに、ご立派な理性だよねぇ。。そう、思わない? つまり、迷い
ネコさんの言う壊れた脳・説は、ほぼ当たっているのさ。
その人類が産み出したものは、本であろうと芸術であろうと、
本質から目をそらすための偽餌である・・という理論は十分成り立つのよ。
だから、迷いネコさんがそれらに興味を示さないのは、
じつに首尾一貫した態度だと、いまにして思うんだよ。
問題発言だなんて言ってすまなかったね。
515 :
考える名無しさん:2010/11/14(日) 14:41:07 0
仏教の本質って
メタ認知、メタ知識でしょ?
信仰なんてものとは無縁の高い次元なのだよ
マンダラだよ、マンダラ。
情報を無限にメタ知識化していくのさ。
そう、自分さえもな・・・
ごめん、なんか押井守みたいになっちゃったなw
516 :
考える名無しさん:2010/11/14(日) 15:52:42 0
押井守みたいになるということがどういうことか全くわからないから謝る必要ないよ
517 :
考える名無しさん:2010/11/14(日) 17:01:12 O
≫495 <br> <br> 僕、ホムンクルスの伊藤君は仏教哲学だと思う。あの頭蓋骨に穴を開ける生体実験してる奴。あの人は、ボーダー事例の人格障害者だよね。自分の欠点を人に押しつけるの。本当、治療するのは戦いになるってよ。
518 :
迷いネコ:2010/11/14(日) 21:07:50 0
>>514 トーヘンボクさん <1/2>
>迷いネコさんの態度が、首尾一貫していることに気づいたよ。
>そもそも、迷いネコさんは人類が踏み迷いに陥った動物だって、立場だ
>もんな。つまり、絶滅危惧種だってね。
>問題発言だなんて言ってすまなかったね。
どうもありがとうございます。
そうなんです、「人類の『種』としての『脳』が壊れた時」から、
人類は、生物の『種』としての寿命を加速度的に縮めてしまっているのです。
>その可能性は、なくはないんだよ。昨日の多剤耐性菌のドキュメント、
>観たでしょう? 絶対に耐性菌が現れるとわかっていて、なお、新薬
>を作り続けるわけさ。目の前の人間を救える・・という理由でね。
>じゃあ、超進化した細菌を相手にしなくてはならない、未来のひとは
>どうなるの? 病原菌の進化に、助力してどうするん?
ホント、そういうことなんですよねぇ・・・。
>遺伝子操作だって、そうだね。手に負えないモンスターが生まれたら、
>どうするつもりなのかなぁ。その可能性はなくはないんだよ?
>つまり、目の前のひとを助ける・・という大義のためには、
>どんな事をしてもイイ訳なのさ。
例えば、生物学的に観て、遺伝子レベルのエラーで引き起こされる若死にするような難病は、
本来遺伝子にエラーが起きた個体を早い段階で排除し「『種』を守る・保存」するプログラムのように思われます。
そのような難病を最新医療・医薬品で治療し、延命できたとしても、
根本的な遺伝子のエラーを修復できていない以上は、子孫に遺伝します。
それを人類が理解した上で、「医科学・医療」を施していかなければ、
難病遺伝子を持つ個体が増え、当然人類の苦しみも増大していきます。
そのようなことを人類が理解していくのに『哲学』が役立つのではないか? と思うのですがね。
519 :
迷いネコ:2010/11/14(日) 21:08:41 0
>>514 トーヘンボクさん <2/2>
>その人類が産み出したものは、本であろうと芸術であろうと、
>本質から目をそらすための偽餌である・・という理論は十分成り立つのよ。
確かに、そういう理屈も成り立ちますね。
民衆を何かに夢中にさせておけば、気が付かない間にことを動かせますから。
むかしは、そのような「ひねた」策略は、少なかったでしょうが、最近は、あからさまに「多い」ですね。
その最たるものが、「TVゲーム類」ではないでしょうかね?
あと、私が、有形無形を問わず、何事にもあまりこだわらない第一の理由は、
その「こだわり」が「人類史における『対立・諍い・戦争・虐殺』」の原因だからです。
ようするに、人類の『種』としての『脳』が壊れる前は、そのようなことは、あり得なかったことですからね。
それが『人類の平和な未来』へのヒントではないでしょうか?(笑
520 :
考える名無しさん:2010/11/14(日) 22:06:21 0
仏教は金持ちのお遊び
国家衰退の元凶
人間は道具を作るのが上手いから道具に殺される。
細菌兵器や核兵器が数十年後には世界中に拡散して、
アホな軍人に使用されるだろう。
無目的に道具を乱造するのが人間の性だ。
人間は道具と目的が逆転する動物なのだ。
この価値の逆転を執着というのである。
522 :
迷いネコ:2010/11/14(日) 23:14:36 0
>>521 >人間は道具と目的が逆転する動物なのだ。
そうですね、同じようなことなのですが、私は、
「人間は、目的のための手段なのに、いつの間にか、『手段が目的になる』動物」
というように考えております。
それが今現在の社会ですね。
>この価値の逆転を執着というのである。
そうですねぇ、本来宗教も「人を肉体的・精神的苦痛から救うために創られた思想」でしょう。
しかし、人類史においては、時間の経過とともに、
その「人を肉体的・精神的苦痛から救うために創られた思想」なのにも関わらず、
そのような『執着』により「対立・諍い・戦争・虐殺」等の愚行が数多く起こりましたね。
すでに、人間は「技術の論理」の客体になっている。誰かが命令者である
として、それはもはや人間ではない。
道具とは、核兵器や医療機器だけではありません。
言葉や想像するイメージも道具です。
道具である言葉を使っている内に、道具である言葉に動かされて言葉に殺される。
人は、愚かな考えに執着しますが、それは言葉が目的へと逆転している状態です。
逆転した言葉を妄想と呼びます。
525 :
迷いネコ:2010/11/15(月) 12:29:45 0
>>523 トーヘンボクさん
>すでに、人間は「技術の論理」の客体になっている。
>誰かが命令者であるとして、それはもはや人間ではない。
それは、
「壊れた『脳』のネットワークから創り出された総意的『意思』」ではないでしょうか?(士郎正宗さんの世界観?・笑)
>>515 >ごめん、なんか押井守みたいになっちゃったなw
押井守監督作品「攻殻機動隊」の原作者である、士郎正宗さんの作品が、
人間の「壊れた『脳』」から観た世界を現実に近い感覚で描き出していますね。
PS:スティーブン・スピルバーグが3D実写版を製作するとか? 個人的には、ジェームズ・キャメロンの方が・・・。
526 :
迷いネコ:2010/11/15(月) 12:31:02 0
>>524 >言葉や想像するイメージも道具です。
仰る通り、確かに、「言語・言葉・文字」は、「人間の『壊れた脳』が創り出した『道具』」ですが、
う〜ん、「想像するイメージ」も『道具』になりましょうかねぇ・・・。
>道具である言葉を使っている内に、道具である言葉に動かされて言葉に殺される。
>人は、愚かな考えに執着しますが、それは言葉が目的へと逆転している状態です。
こちらも仰る通りですが、人間の「愚か」なところは、
まだ、その前段で「『言語・言葉・文字』が『道具』である」ということを理解・認識できていないところ、
ではないでしょうかね?
>逆転した言葉を妄想と呼びます。
なので、
人間の「『言語・言葉・文字』が『道具』である」ということを理解・認識できていれば、
そのような、妄想・錯覚は、起きにくいはずです。
そういたしますと、
つまり、「神・宗教・悟り」等々も「人間の『壊れた脳』が創り出した『妄想・錯覚』」ということのようですね。
迷いねこって仕事何してんの?学生か?
>押井守監督作品「攻殻機動隊」の原作者である、士郎正宗さんの作品が、
違う。押井はアレンジしただけで監督したってことな。
アニメ映画『宇宙戦艦ヤマト』、『二百三高地』等大作映画とか
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%9B%E7%94%B0%E5%88%A9%E9%9B%84 舛田利雄て監督がやっているが、彼の作品というか?
そしてガンダムとかスーパーマンやらスパイダーマンを押井が監督したら
彼のオリジナルのように評価するか?
たしかに押井が色を彼色に変えているが、彼がアレンジした
作品は漫画や小説に劣るっていう意見もかなり多いよ。
所詮は他人の作品を加工だけする監督にすぎない。
押井が原作のオリジナル作品を知っているのか?
>>526 >つまり、「神・宗教・悟り」等々も「人間の『壊れた脳』が創り出した『妄想・錯覚』」ということのようですね。
貴方は圏論を学んでくるのが先だろう。
530 :
考える名無しさん:2010/11/15(月) 18:18:00 0
,,.-―'''"゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙''''ー-、
,,;'''´ __ `ー、_
/ ,..._. ,∠ノ)-、 .. ... :: ヽ、
./ ,;'ー'y';;' /ー' l .:: .::.::.::.. ヽ
/ / / /´ .,ノ :: :.:::.:.:.::.. ...::.:.:::..:゙i
l /::: /;;' /. /: .::.:; -、:::.::::.:. :.:.:::.::.:.:.::..゙l
.! i.i i'' /;;; /i i /ー-|::.::.::.:: .::.:::.:::.::.:.:.:.:l 女装して
| i | i゙ ./ iー-/ :;:' ノ___;; :.:.::.:.:::.:.:.:::.:l
レ''! ! i .i J./,;;' / `ー- 、, :.:::.::.::.:.::.:| 俺と町を歩こう
ノ i;; ;; ;; ー'´ / .r,;;'''''''''ー、ヽ,,:..:.::.:.::..:!
i | :;; ;; .:;;,, / /::; ,.-―-、 \:.:.:.:.:.:|
.| .,! ::: ;;;; ;; .::;;;; / (:::(_'_(;;;゚)_,ヽ j ! ::.:.:.:!
| :: ::: ,;;;' : :; .i; ヾ::::ー- トi :.:.:l
.! ::::. ;;; /;; J l|ri :::ノ
ヽ:::: /;;;i リj.|レ'
. _ノ;;) /-、 i___ /ー';;l
'''';;/ / , ;、 、 ',、、 u ./;;;;;;;;ヽ、
'´ ̄`ー、 /´-===ニ=-- /;;;;;;;iー-'
`ー-、 ./ u ー--― /l;;;;;;;i;;iリ
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::::::::::::::;' /ー----'''゙ u ン!|! ' ^ヽ、ー-、
/⌒):::::/ /:::::;;;<´ /;;! l! ヽ、
>>526 「想像するイメージ」も『道具』になりましょうかねぇ・・・。
例えば漢字は表語文字(表意文字)と言われています。
建築、設計、組み立てなど、人が複雑な何かを行うときにイメージを道具として組み合わせます。
通り魔殺人事件の犯人も犯行を計画していました。
犯人は、犯行イメージと犯行を正当化する言葉に動かされて実行しました。
妄想への執着です。
イライラした気持ちを犯罪ではなく柔軟な社会性のある自己表現に向ける事ができなかったのか、
とテレビコメンテーターも言っています。
>>529 あなたは、そんなにいきがっていないで、圏論がどのように仏教哲学の
最終目的と関係するのか、ちゃんと説明すべきだな。。。
説明できるものならね。
533 :
横レス:2010/11/16(火) 01:19:04 0
>>528 御先祖様の押井節はアナーキーで面白かった
最終話見逃したままだなあ
ふん。つまり、準同型定理が魂の転生のメタファーになっている・・
と言いたいのかな。
まあ・・・くわしい事は、529さんが説明してくれるはずです。
非常に楽しみですね。
>>532 >圏論がどのように仏教哲学の最終目的と関係するのか、ちゃんと説明すべきだな。。。
それはエリート数学者が20年学んでやっと得ることをここで説明するってことでしょ。
2chでは容量が桁違いに足りなすぎます。
貴方の脳では認知できる類ではありません。まず自分が無能で無知であるかを
悟るべきです。
>>536 意味はわからんが、圏論はそんなに簡単なものではない。
なぜって?
厳密に証明する説明をすると、マルクス経済論が、1行で表したような
一言に見えるからだ。
具体性の無い抽象な表現であれば小学生でも理解してしまう。
>>536 もし、そうであるならば、あなたは、なぜ圏論のことなどを
このスレに持ち出したのでしょうね? なにかの嫌がらせですか?
あなた御自身、圏論と仏教哲学の関係など、まったく理解して
おられないのでしょう? 違いますかな。
あなたは、自分は高度に抽象的な数学的理論を研究している事
持ち出して、このスレを威嚇したい欲望をお持ちのようだが、
なぜ、そのような欲望をもたれているのか、理解不能ですな。
>>538 とーへんぼく君は自分の言っていることすらワカタカなんだろ?
物事を理解という尺土でしかみてない時点で哲学者失格だよ。あたま悪すぎ。
それは、捨てゼリフという奴ですかな? さようなら、
541 :
考える名無しさん:2010/11/16(火) 22:20:12 0
ゴミ屋敷の女に会ってきた。精神障害者の息子が生まれて来てからというもの、部屋が散らかし
っぱなし汚くなって、色覚異常みたいに色がチカチカする服装しだした。息子が異常者だったので、
次のことを認める作用が無理に押さえ込むようになってしまったみたい。
経験的な区別が付いてないから、命が終わったら天国行くのか地獄に行くのか区別が付いてな
くってさあ、地獄の話ばっかりしてんの。それとも、人を殺したとか、隠れて取り返しの付かない犯罪
に手を染めているので地獄に行くって自覚してんのかな。
自分の言ってることの効果が判ってないから、思い込みだけで話すんだよ。話を聞いたら、あなた
は良い人だから、生涯の友達が出来たとか、でも、そんなまだ一緒に過ごしてないのに。思い込みに
合わせた雰囲気言語みたいなの使って全然意味わかんなかったり。
ブツ切りの変な話ばっかりして、浮ついて変人なんだよ。こういうのは病気なんだなって思ったわ。
こういう人ってどうやって救ってあげるんだ?
542 :
考える名無しさん:2010/11/16(火) 22:37:35 0
ゴミ屋敷の女は病的なんだけど、ウワベは正常にしようとしてるからさ、膿が溜まった皮膚みたいな
扱いで近所で困ってるんだよ。腫れ物に触って痛がったり、汚れた汁が飛び出しそうで可愛そうなんだ。
もう、良い年なのにロック歌手みたいなオバさんになっちゃってさ、弱点攻めたら可哀相だから、やりたい
放題で変に面子が上がっちゃって困ってるんだよ。ミュータントとか、怪獣みたいだよ。
恵まれない子に愛の手を差し伸べてあげる方法を自分でも考えてみてくださいよ。
そうだなぁ…どうやって救えば良いんだろうなぁ…
カルマが尽きるまでそういう精神状態で、カルマが尽きたら正気に戻るとかなら
「また来世〜」
で済んでしまう話だが、如何せん現世で周りに迷惑をかけないようにしないとな。
とりあえず応急処置するにはどうしたらいいんだろう。
俺も、双子の兄で変人じゃないけど、てんかんの持病を持っているし、自閉症と医者に診断された人と一緒に住んでいるけど、
「救ってあげたい」と思うと、兄の声聴いただけで耳が痒くなるから、持病のかかりつけ医の言うとおりに
「ハイハイと聞いてあげなさい。リラックスして聞いてあげなさい。」と言われて、ただいま実践中です。
この辺って、他力本願より自力のほうが説得力あると思う。
自力だと、「自分が救われないのにどうして他人が救われようか」とか
「目の見えない人に手を引かれて一緒にドブに落ちる(ブッタとシッタカブッタ)」とか
ともかく「諦めの境地」に至らないと自分が楽にならないし、楽になったところで「その人はそういう人なんだ」と思い込む事ができる。
そこら辺でヒントになりませんか?
>>541
>>543 一人っ子で進んでる子なら天国だけど、双子だと地獄なんですかね。
それとも、一人っ子でも遅れてたら地獄なんですかね。
>>544 いや、
>>543の例が希なだけでしょう。
…しかし、進んでいるとか遅れているとか「何が」と思うのですが…
まわりに受任限度以上の迷惑をかけて来たら、それは止めるしかない。
それ以外だと、好きにやらせるしかないのでは無いかな。
その人は、「まともな人に」ならなくちゃいけない
って思い込むのも苦だろうな。
548 :
考える名無しさん:2010/11/17(水) 18:24:10 0
>>500-1000 皿屋敷なんて序の口だよね。
お坊さんがさ、キラキラの袈裟着て、上から玉入れるパチンコしてるの見て
なんてアグレッシブなんだろって。攻撃ばっかりで、防御考えてない。
恥ずかしくなり過ぎると反抗と区別が無くなって透明になってんだよ。
無限地獄っていうのはああいうのだ。
ここからが本当の地獄なんだなって。
ああ・・いわゆるゴミ屋敷というのは、まわりの住民がそのことを
認識した時点で使うことばなわけなのね。。では、わたしの場合は
は該当しないな。あくまで、室内の問題だから。
550 :
考える名無しさん:2010/11/18(木) 06:52:16 0
僕はお坊さんの 『物すごい』 袈裟に驚いた。
あれは『知って』いいものなのかなって。
よくもまあ、僕みたいに金銭的に恵まれてない人が 『物すごい』 法具みたいなのを買い揃えれたね。
全然、『法具』から地道に毎日出席しようって生活感が無いんだよ。頭に根っ子が付いててブルンブルン
長いのを振り回してるみたいだよ。あれは何?悪魔崇拝者?サバト?
あれ見てると、物に知能が吸い取られて徐々に知能が低下していきそう。
実は、君は物すごくしてるだけの奴だ。
551 :
考える名無しさん:2010/11/18(木) 16:01:37 0
個性ってさあ、自分自身っていうかさ、一つっていうか、本質じゃない
っていうか、アピールに使う品物じゃない? そのド派手な袈裟。
悪趣味なものを個性の品に使うか? 呪いとか病気ってことになるんじゃねえの?
坊主で頭剃ってるから、眉毛の手入れして流線型にしてるの。目に力があるとか言って。
リスペクトとか外国の単語混ぜんなよ〜。坊主のくせに、渾名がフラワーって呼ばれてて
腹が痛くなって来た。
そこまで魅せつけてると何人かをどうしても必要になるからさあ、一人でやってるってポーズが
無理じゃない? 相手の効果を期待し過ぎて、どうでもいい野郎になってる。
膿が溜まって皮が膨れてるみたいになってるので、触ったら痛がって、やってはいけないこと
みたいになってんだよ。汚ねえ復讐するから、嫌がられて、すげえ馬鹿にされてる。
ここまで、お前が犠牲を払ってくれたら、美しいでいいや。
553 :
考える名無しさん:2010/11/18(木) 19:41:43 0
>>551 あれー、日課かなーと思ったら、
彼のできないことの物語集でさあ、
祈願めいて半分死にそうになってた
・・話が、だいぶそれているので、仏教哲学の最終目的は何か?
は、オーバーにしても、すくなくとも各自の仏教にたいする考え
かたを披露しあうほうが有益だと思う。
・・話が、だいぶそれているので、仏教哲学の最終目的は何か?
は、オーバーにしても、すくなくとも各自の仏教にたいする考え
かたを披露しあうほうが有益だと思う。
556 :
考える名無しさん:2010/11/19(金) 01:41:20 0
トーヘンボクのみなさんが求めているのは
「仏教哲学の最終目的」でも「各自の仏教にたいする考えかた」でもない。
あなたがたが求めているのは──「ともだち」だ。
557 :
考える名無しさん:2010/11/19(金) 04:34:21 0
地味にショックを受けたのは仏教の最終目的を輪廻転生だって言う人がいたことだ。
輪廻転生を繰り返しても、僕の輝きを継がせて欲しいっていうの。
輝きとか言って、そんなもの伝えてどうすんだよw
輪廻転生先に輝きが伝わらないと暗く沈んでるの。
ドブ溝を左右に飛び越えたり、自分の心情を外国語の単語で表現すると魂が遠くまで
行くって考えてるらしい。何だか呪いの儀式みたいだった。
僕に言わせれば、大事なものを取り逃がして、そこまで遠くに行かないと手に入らない
抜け殻のような奴だ。
基本的にもう、哲学の世界なんておらずに、芸能界にでも行けばいいのにって。
558 :
考える名無しさん:2010/11/19(金) 12:33:30 O
輪廻転生と思われる現象は起きているかも知れないが、それは現象を見て記憶を
引き出し比較して「これは輪廻転生である」と認識しているだけのことであって、
本当にそのように認識した通りのことが起きているかどうかは何をどうやっても
確認することは出来ない。
もちろん分析精度が上がればもう少しましなことが言えるようになるかも知れない。
例えば昔は顕微鏡がなかったので食料が腐ったり発酵したりする理由が細菌のせい
だとは分からず、そのため神や精霊のような者がやっていると考えるしか方法が
なかった。そのように認識する以外にそれを理解する術がないのだから仕方がない。
そのように、認識し理解さえ出来ればそれが正しいという保証はない。しかし
あらゆる精度は上がり続ける。そして新たな発見は永遠に続くだろう。そのたびに
以前よりはましになるだろうが、しかし永遠に真実が分からないことには代わりがない。
追い求めれば正に永遠の探求となるだろう。掘っても掘っても向こう側に着かない
トンネルのようなものである。掘ることに意味があるのか? そんなことは誰にも
分からない。
559 :
考える名無しさん:2010/11/19(金) 12:50:38 O
人間は仕組みを理解するとそれを自分でを支配出来ると思い込む。
しかし、実際には仕組みは永遠に分からない。分かったかのように思い込んで
しまうだけのことである。人間の視野は非常に狭い。故に小さい範囲を調べて
全てを分かったつもりになり、実行してから全体のバランスを崩して災害をもたらす
ということを繰り返している。
あらゆる公害や地球温暖化はそれによるものである。
オチw
561 :
考える名無しさん:2010/11/19(金) 16:25:46 0
ある日ひとりぼっちの
>>1に
手紙が届きますた・・・
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/ そろそろ /ヽ__//
/ トレパネーション / / /
/ をしたらどうかねw / / /
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・・また、耐性菌の再放送やってるぜ。
「いたちごっこです。宿命ですね。」って、
ひとごとみたいに語る科学者こそが、多剤耐性菌をつくった張本人。。。
>>562 ここはオカルト板じゃないよ。
ちゃんと病気をなおしてから。
>>559 それは理解ではなく錯覚です。
その事象や理論の数学的な証明を捉えることができてこそ真の理解ということです。
貴方は眉唾的な具体性(錯覚)を元にそれを理解したと錯覚しているだけ。
そこには厳密な証明などない。常識的な経験則にすぎない。
具体性とかはどれほど難しい表現かをまず学んできた方がいい、
具体性に見える類のほとんどはすべて抽象的表現が日常化し具体的だと
錯覚しているだけにすぎない。
565 :
考える名無しさん:2010/11/20(土) 05:16:41 0
ある日ひとりぼっちの
>>562に
手紙が届きますた・・・
_____
/ ヽ____//
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/ 頭蓋骨・・穴・・・ /ヽ__//
/ トレパネーション・・ / / /
/ 今・・・第六感・・・ / / /
/ ____ / / /
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ / /
>>559 そう、そう。
抗生物質の開発を医薬品メーカーと病院だけに任せては置けないよね。
どうも目先のことしか、考えないひとが多いから。たしか、アメリカ
には、疾病管理センターなるものがあって、それが、最高モニターの
役割をはたしていたんじゃなかったっけ? ちょっと、記憶が曖昧な
ので調べなおしてみる必要があるが、とにかく「耐性菌」問題に関する
医学関係者以外の上位監視委員会みたいなものが存在していないと、
困るね。。まあ、日本人もバカじゃないから当然、すでにあるとは思う
が。
ピアスの穴なんてさあ
そこまで『自分に犠牲』を払ってないから
俺たちの胸に 『キュン』 と来るものがないんだよなあ
トレパネーションみたいに 『ヘビー』 な穴を開けないと
あれぐらいやらないと 『第六感』 に気付いてる 『キメ方』 じゃないんだよ
蛇の皮ぐらいじゃ、 『イモ』 だよな
『トレパネーション』 の時期でしょ
そうじゃないなら、丸刈りにして背広を着てよ。
ダセエのとイキがってるのが判らないからさ、他人に迷惑かけて嘘吐き呼ばわりされてるよ
田舎者じゃあ、文化とか哲学と縁遠いじゃない。
田舎者でお茶を濁すんなら、きっぱり、哲学から足を洗う時期だって
>>566 それ統合失調症としかいえない発言なんだけど、気がついている?
勝手に具体的な物語を作り、それが現実だと信じてしまう。
普通の人は表現しても疑いをもっていたり、願望の段階で終わる。
君の場合は、緻密な部分まで具体的に表現し、それが絶対正しいと
思い込むところになる。
570 :
考える名無しさん:2010/11/21(日) 02:03:55 0
>>567 人体改造はぶかっこうだから何とかしてよ。はっきり言って、気持ち悪い。
男が綺麗にするってことは迎え入れる準備してるんでしょ。
お坊さんでも、衆道ってあるじゃない。バイセクシャルなんじゃないのw
絶対、こういう奴は誘拐して改造したり、ハイテク犯罪に手を染めてる。
571 :
考える名無しさん:2010/11/21(日) 16:10:11 0
>>570 彼は綺麗だな〜。どうしてあんなに人生が綺麗なのかな〜って。
あそこまで半端者だと、立場利用してもう、言い訳がましいよな。
ああいうキャラクターは本来、判らないものが判るからバイセクシャルになる。
免疫不全のエイズとか。
572 :
考える名無しさん:2010/11/21(日) 16:22:25 0
A:体が大きいと哲学やってて困ることってあるか。
B:体が大きい分、沢山、飯が食えません。
573 :
考える名無しさん:2010/11/21(日) 18:09:40 O
オカルト肯定派
空海、三島由紀夫、安岡正篤、小室直樹
おまえらこの人たちより頭いいの?
574 :
考える名無しさん:2010/11/21(日) 21:40:10 0
>>558 >輪廻転生と思われる現象は起きているかも知れないが、それは現象を見て記憶を
>引き出し比較して「これは輪廻転生である」と認識しているだけのことであって、
>本当にそのように認識した通りのことが起きているかどうかは何をどうやっても
>確認することは出来ない。
素朴実在論に立ってるよね
>>573 >三島由紀夫、安岡正篤、小室直樹
>おまえらこの人たちより頭いいの?
この三人なら、まあ。弘法大師より優れた方は日本にいないよ。
>>573 ・・・あなたは、興味深い読書体験をしているなあ。
いちおう、ここは仏教哲学スレなので(だよな?)
あなたの、仏教体験を語ってください。なんか、とても
仏教哲学スレらしくないので、困っています。
576 :
考える名無しさん:2010/11/22(月) 05:16:46 O
なにものにも服従束縛されずに完全に自由になること。
577 :
考える名無しさん:2010/11/22(月) 05:27:48 O
恵まれ
仏教は、個人の内的な救いだけ追求しているので自我が強まる。
自我が強まるから瞑想に引きこもる。瞑想に引きこもるから自我が強まる。
仏教という宗教は、この悪循環である。
自然に依存するのが仏教でしょ。
体が大きくて我侭放題してる奴は、仏教の境地に立てないと思うんだよ。
仏教系には体が大きいだけでは何の役にも立たない。
580 :
考える名無しさん:2010/11/22(月) 10:44:38 0
>>575 あなたがそんなことを言うとは思わなかった。
仏教哲学スレというのは、仏教をネタに何か妄想を語るスレなのか?
それとも仏教のテクストに基づいて、存在論や認識論、解脱論、修道論などを語るスレなのか?
それとも西洋哲学の用語に基づいて仏教を語るスレなのか?
第一なら、なんでもあり。第二ならとにかくテキストの解釈になる。
第三なら西洋哲学と仏教の基本的認識が必要となるだろう。
空海と同時代のインド人=シャンカラ=仮面仏教徒
582 :
考える名無しさん:2010/11/22(月) 13:00:27 0
仏教の経典をいくつか読んだので今の個人的な感想
「この世で苦から逃れたくば
中庸(正当、当たって間違わないこと)を得よ」
私はこれがブッダの言いたかったことだと思いました。
苦行も結果として次には楽に移行し、楽はやはり苦になるのだから、
苦行さえニルバーナに到達するには間違いである。当然
楽行もダメだ。だから生きて行く上で「苦楽の元を断つ
生き方」は「中庸」しかない。これを尊師は言いたかったのではないかと。
583 :
考える名無しさん:2010/11/22(月) 13:03:32 0
当時のバラモンは単にその生まれだけで人の上に立ち、本来のバラモンという
「中庸」を得ていなかったのでブッダは生まれによってバラモンとなるのでは
ない、行為によってバラモンとなると言った。それと同じように苦しんで楽になり、
楽になって苦しむ人は自分の分際を超えた、あるいは分際以下で留まったゆえに
自らでなくなること(外界にとらわれていること)となり、苦しむのだと。
584 :
考える名無しさん:2010/11/22(月) 14:32:55 0
>>582-583 それって快楽主義でもなく苦行主義でもないほどほどの生き方という意味なら全くの誤解。
586 :
考える名無しさん:2010/11/22(月) 16:10:32 0
>>584「中庸」は「ほどほど」とか「中心から円を描いてその真中」という
思想ではないよ
587 :
考える名無しさん:2010/11/22(月) 16:13:38 0
たとえば「家を出て林の中に入ってひとりになる」とか
「托鉢で必要最低限の食べ物を得る」というのは
「外界からのシゲキを一切絶って自分自身の真の
姿、有様を認識しよう」ということで、それが知れたら「悟りを
得た」ことで、あとは「その自分を保つ」という「修行」、
そしてその全く揺らぐことのない真の自己による「行動」を
極めたら
「迷いなく二度と生存を得ることのない」ニルバーナに
辿りつくのではないかと。
588 :
考える名無しさん:2010/11/22(月) 16:16:07 0
「これは私には過ぎたことだ」といってなんらかの色界からの
事象を捨て去る
「これは私には苦も楽も生じさせないことだ」といって色界という
激流を「足掻かず沈まず」渡り切る
589 :
考える名無しさん:2010/11/22(月) 16:17:53 0
「本当の自分の分際」を知らないから、人は色界からの刺激で苦と
その結果である楽を受け、また苦にもどり楽を得てまるで車輪の
回転のようにとどまることがない。真の自己を知れば苦に陥ることも
楽に陥ることもない。これがニルバーナではないだろうか?
人生、楽ありゃ苦もあるさ。仏教は楽ばかりしようとするから駄目。
人間は苦しくても生きている間はやるべきことをやって力尽きれば死ぬ。
それで良い。
仏教は人生の苦しさから逃げ社会から逃げて楽や喜びを求める。ここが仏教の間違い。
社会で生きることの苦しさから逃げないこと。
瞑想などやって自我に引き籠もらず、社会的なやるべきことに執着することが人間には大事だ。
591 :
考える名無しさん:2010/11/22(月) 17:32:25 O
釣りですか。ご苦労様です。
592 :
考える名無しさん:2010/11/22(月) 17:49:03 0
ずっと、綺麗なままでいたいなんて・・・
逆手に取って、汚さでコーティングして中身がこれ以上、汚れないようにしているのか
どこかに汚れコーティングを犯する反応物質がある
内まで汚れ切る日が来ると思うの
暴力で犯されると中身まで醜くなるとか・・・
593 :
考える名無しさん:2010/11/22(月) 18:49:08 0
594 :
考える名無しさん:2010/11/22(月) 18:57:54 0
>>592 汚れ加工か。ゴミ屋敷の汚さってのは、物がゴチャゴチャ入ってて多すぎる汚さだよね。
汚れ皮膜の中にある無垢な君が見たい。
ザ・レイプド。
仏教は無責任な奴の言い訳に過ぎない。
自分の責任を無にしたい奴の逃げの屁理屈。
色即是空なんて自分で実感もない事を無理して思い込もうとするから笑える。
存在しえない「悟り」という観念を目指す妄想体系。
仏教の本質は、逃げの生活と引きこもりの生活。
そして口を開けば言い訳と実感をともなわない屁理屈。ようするに嘘つき。
仏教ってこんな感じ?って、自分勝手な
単純な印象で語ってる人が多そう。
597 :
考える名無しさん:2010/11/22(月) 20:01:12 0
>>596 意味ではない、君が意味の中から抜け出せない限り
すべては自分の計りでそれを評価する故に自分勝手にみえる。
本質は比喩で例えられても意味である言葉の羅列で説明できない。
君が見ているのは事であって物ではない。
599 :
考える名無しさん:2010/11/22(月) 20:29:19 0
>>598 >君が見ているのは事であって物ではない。
なんか妄想に入ってるな。こんなこと言ってる限り仏教は分かってないのはハッキリしてる。
600 :
考える名無しさん:2010/11/23(火) 01:47:50 0
>>594 何でこいつはこんなにも知恵を愛してないんだろう。
パラダイムを多用して貧弱な構造で満足してるような奴だ。
まあ、仏教というのは、大問題なので皆さんの口が重いのも、
理解できます。じつは、日本人のパワーの源である。。。でしょう?
602 :
考える名無しさん:2010/11/24(水) 02:00:03 0
仏教の最終到達地点は「悟り」ではないよ。
「悟り」はスタート地点にすぎない
603 :
考える名無しさん:2010/11/24(水) 02:13:52 0
仏教徒でしょ。あんなのは生涯、一戸建ても建てられないような奴が学ぶ思想だよ。
604 :
考える名無しさん:2010/11/24(水) 02:35:28 O
一戸建てがなくても親の持ち家そのまんまもらう
からいいのだ
605 :
考える名無しさん:2010/11/24(水) 05:25:05 0
男が綺麗目指してるなんて気持ち悪いよ
オカマちゃんなら、チンポ取って女の仲間に入りなよ
住宅ローンとかでヒーヒーいってる人達って今どうなってるんだろ
607 :
考える名無しさん:2010/11/24(水) 16:06:42 0
綺麗にして脳の溝をみせびらかす 芸ボーイになること
608 :
考える名無しさん:2010/11/24(水) 16:48:01 0
住宅ローンなんて月7、8万しかしない。家賃より安い。
あと固定資産税がかかるけど大した金ではない。
仏教徒はローンの審査に引っ掛かってローンが組めないでしょ。
>>602 悟りなんてものは覚悟すれば誰にでもできる。
ただその覚悟ということが安易のように見えても現実的には不可能なぐらい
難しいことである。
仏教ならば仏教を求めその後に仏教を捨てる覚悟を持てば仏教について悟りえる。
どんなに求めても得られるものではない。
それは求め失った時に現れる反動のようもの。熱心に仏教を得たものほど、
その失ったときに得られる悟りは大きい。だがそれを放棄することは心の
原理があるかぎり自信の意思では不可能である。強制的に排除される必要がある。
それは諦めることであり、得る為に諦めることほど難しいことはない。
それができれば仏の境地である。他人事であるからこそ部外者の視点で
物事を見通すことができる、渦中にいながら第三者の物の捉え方など
できるわけがない。同時に機能する多重人格なら可能だろうが病気としかいえない。
馬鹿は死ななきゃ直らない。
死ぬまで悟らないし、悟りがスタート地点なら死ぬまでスタート地点にさえ立てない。
だまされて生きる人生が宗教信者の人生。仏教も一つの宗教に過ぎない。
>>607 戸建はその額では無理だろ
田舎は知らんが
612 :
考える名無しさん:2010/11/25(木) 14:26:54 0
そりゃ、全面核戦争で、人類の消失した地球
613 :
考える名無しさん:2010/11/25(木) 14:30:08 0
>>609 結婚しようと思ってのぼせてた女をあきらめることかあ?
614 :
611:2010/11/25(木) 15:01:02 0
615 :
考える名無しさん:2010/11/25(木) 20:44:06 0
子供を生む年になって、綺麗な男ってさー
子供を作ってもまだ、子供を作る準備したいんでしょ
折角、子供作ることしてるのに、成果を育てないんだから、幾らやっても無駄だと思うんだよ
何の為に綺麗にしてんのか判んないよね
彼は綺麗になるのを止めさせてあげたほうが本人の為だと思う
彼が綺麗にするのを止めてあげましょうよ
616 :
考える名無しさん:2010/11/26(金) 21:53:29 0
SA(笑)TO(笑)RI(笑)
617 :
KazuKata ◆tr.t4dJfuU :2010/11/26(金) 22:25:05 0
仏教の最終目的は、涅槃の心?
涅槃とは、何?
618 :
考える名無しさん:2010/11/26(金) 22:33:49 0
「我」=生物学的には「本能」を取り去って、一切の「執着」から
解放されている世界。
仏教って業の理論が前提になっていると思うんだ
業って哲学の範囲を超えた形而上学的仮定だと思うんだ
621 :
考える名無しさん:2010/11/27(土) 20:26:08 0
>>617「執着」とか「欲望」とかこういうのは自分を「0」とした場合に
起こる「偏った状況(次に苦と楽を生む原因)」なので、自分がそう感じたら
やめるべき状況、あるいは行為の選択。みずからが行って何も感じないことが
真の悟りであり、その状態にあるのをやすらぎである。つまり天才が
何かをしても後悔せず、考えず、顧みないような行いのことだろう。
ダメな人間は自分の真の姿に気づかずシゲキによって右往左往して自らを
苦痛に導くものだから。
622 :
考える名無しさん:2010/11/27(土) 21:54:30 0
執着とか欲望といった具合に名詞化されたそれは「0にとっては
余計なもの」ということなのだから。
仏教が駄目なのは出発点を間違えている所だね。
男の責任からの逃避が仏教の出発点で、
林のなかでひとり楽しみたいという自分勝手な欲にのめりこんだもの。
男として責任を背負うのは苦しいことが多いが、
そこから逃げて幻想の悟りという永遠の楽など求めて
自分探しするから仏教なんかにはまる。
悟りなど存在しない。そんな幻想を追い求める仏教徒は、
楽とは一時的な苦のごまかしで、すぐに溶ける飴玉過ぎない
という真実を知らない阿呆である。辛いときは飴玉をなめてごまかしながら
男の責任をはたし続けて死ぬのが正しい人生だ。仏教は現実逃避。
624 :
考える名無しさん:2010/11/27(土) 21:59:11 0
それはジャイナ教じゃないか?
625 :
考える名無しさん:2010/11/27(土) 22:02:03 0
ゴータマ・ブッダは世界で初めて「女性の信者」を許した人だし、
「安らぎを得るに女性であるとか、バラモンであるとかないとかと
いった生まれも関係ない」とし、
1、苦しみと
2、苦しみのなりたちと
3、執着を捨て去り修行することと
4、彼岸に達すること
を説かれた。
626 :
考える名無しさん:2010/11/28(日) 05:25:02 0
>>620 >仏教って業の理論が前提になっていると思うんだ
そう。
>業って哲学の範囲を超えた形而上学的仮定だと思うんだ
違う。凡人にとっては形而上でもブッダには直接知覚。
でも、教えは仮設だから、仮定に近いかもしれない。
しかしながら、その場合、言葉で表されるものは全て仮設という意味。
627 :
考える名無しさん:2010/11/28(日) 07:49:48 0
ビッグママは、幼くして魂を抜き取る呪術を使うんだよ
628 :
考える名無しさん:2010/11/28(日) 11:12:34 0
人類の救済が最終目標。ただし、自分の意思で奴隷となってもがく人間は基本的に放置だな。
人類を救済しようとすると、人類は救済されない
これわかる?
630 :
禅屋:2010/11/29(月) 12:34:06 0
生活のすべてが心身脱落。
仏教や悟りなどもとからない。
631 :
考える名無しさん:2010/11/29(月) 22:22:11 O
仏教は人間を無明から涅槃へ戻すための薬のようなもの。治ったらもう要らない。
また、仏教でなければ治らないというものでもない。いかなるものでも目覚めた
者が扱うのであれば薬として働かせることは出来る。宗教の違いは関係ない。
こうでなければいけないというものはない。山に登るのに一つの道しか使っては
いけないということはない。病気を治すのに一つの方法しか使ってはいけないと
いうことはない。
>>582 中道というやつですね。
そうだと思うよ。ただしまんなかに留まっているのじゃなくて
つねに揺れ動いている。。
Aに行ったかと思うと非A(ナルエーと読む)に行ったりして
首尾一貫性がない。(これを矛盾という)
そのように揺れ動いてはいるのだがが、結局はまん中に立っている。。
それが中道。(にして太極)
>>632 また半島から来たの?なんで書き込みできるの?
もしかして不法滞在か?
>>599 また教科書だけを暗記した君が来てうれしいぞ。
それはメタ知識であって、現実ではない。
仏教が根本的に間違っているのは、自分さえ良ければいいという思想。
悟りだか超能力だか知らんが、だから何?という思想しか持っていない。
そんなもの、1人で薬でもやっていればよい。
仏教徒が自我世界に引きこももって気持ちよくなろうとしている姿はヤク中と全く同じで滑稽である。
仏教徒が駄目なのは、その主体が引きこもりのヤク中と全く同等であり、
社会性や社会思想性が極端に低いところである。
つまるところ仏教のやっていることは、情報遮断し思考停止して
脳をアルファー波漬けにしてヤク中のように社会的価値観を麻痺させていくことで
悟りとか言ってる馬鹿げた行為に没頭することである。
それは強いて言えば禅だろ
>>632 仏教の中道はその太極とやらも非とするんだよ
640 :
考える名無しさん:2010/11/30(火) 13:10:19 O
>>635 悟りとは認識が狂っておかしくなっている状態から元の正常な認識に戻った状態のことです。
超人的な何かになるわけではありません。何かが付け加わるのでもありません。
病気から健康になるのと同じです。
また当然のことですが、病気であるからと言って蔑まれることもなく健康であるから
と言って崇められることもありません。もしそのようなことをする人が居るとしても
その人は病気により認識がおかしくなった結果そのようにしてしまっているだけのことです。
だからそういう人もまた救うべき対象の人とも言えます。
641 :
考える名無しさん:2010/11/30(火) 14:11:56 0
>>640 >悟りとは認識が狂っておかしくなっている状態から元の正常な認識に戻った状態のことです。
そうですが、
>超人的な何かになるわけではありません。何かが付け加わるのでもありません。
超人ですね。認識が狂ってるってのは、自分が実在するとか現象の対象が実在すると思ってることですから。
>病気から健康になるのと同じです。
そうです。
このスレって変な共産主義者が仏教や宗教を痛烈に批判してるね。
643 :
考える名無しさん:2010/11/30(火) 14:28:15 0
共産主義者ってまだ信じてる人がいるのが不思議だ。
世界各国失敗例だけで、成功例は一つもないのに。
仏教の言ってることは、だから何だってんだ?という話ばかりだな。
この世が幻想だと言ったってどうにもならない。
仏教の結論は、自分1人で気持よくなればいいだけだという下らないもの。
そんなの薬物でも起きる程度の現象だ。
仏教が説く、自分1人だけ気持ちよくなる方法とは社会の情報を遮断して思考停止するという単純なもの。
単なる引きこもり。そして、世の中なんて幻想だと引きこもりの言いわけ。
そんなものの何が偉いと言うんだか。
悟りは、個人たったひとりを、
その個人が抜けられなくなった狂気から助け出すための最後の道である。
だから、それは正しい道なのでもなく、
すごいものでもなく、役に立つのでもなく、それで世界がどうなるのでもない。
それはたったひとり、あなたが楽になればいいのだ。
まったく、それは個人、ただひとりのためのものだ。
・・・・・・・・・
悟りの体験そのものへの執着や
世間と悟りの関係云々、
悟りの未来への意義、価値についての云々、
悟りと迷いの区別云々、
こうした本質的には『再発する迷い』の部類に入るようなあらゆる同一化を
絶対の闇を観想する事によって切り落とせ。
わたしは非常にエゴイスティックに聞こえる言い方をあえてする。
『私ただ一人が、楽ならばいい』
世間も世界も配慮することなく、私ただ一人が楽であればいい。
これが悟りの本当の姿だ。
なぜならば、
ただ自分一人が楽であり続ける事だけが、本当に誰かの役に立てる。
それは全く役立とうとしないが故の助けとなる。
なぜならば、「誰かの役に立つ、助ける」などという思いそのものが、
そもそも迷いだからだ。それは全く、余計な思考なのだ。
同様に、TAOや禅やブッダが世界に役に立つなどというのも
まったくもってして、幻想だ。
by EO師
646 :
禅屋:2010/11/30(火) 18:35:35 0
>>635-636 禅は薬中と同じ。禅中毒だよ。
しかし、変なことしなけりゃ副作用はない。
自我世界に引きこもるじゃなくて、自我世界に潰れてもらうよ。
死人じゃねえから思考停止することはねえし、社会性は上がるよ。むしろ自我が社会性の邪魔だし。
>>640 正解。基本的に心がおかしくなってる人じゃなきゃ坐禅なんかしねえよ。
健康体で元気に生きてて哲学無縁の人が禅なんておかしすぎだしね。
>>644 仏教は現実しか言ってないだろ。どの宗教より現実言ってるよ。
神や精霊やら超能力とかどうでもいい。
生まれたら年取って病気にでもなって最期に死ぬ。それだけ言ってる。
「世の中」とか「社会性」とか「社会的価値観」という宗教にとらわれすぎだろ。
そういう人って、自分で形成した「世の中」「社会性」「社会的価値観」を
「みんなそうなんだよ。」と勘違いするから、他の人に散々迷惑かけてるのに気づかない人になる。
禅に参ずる人にもそういう人が多いんだよ。
社会や世間や会社に裏切られただとさ。
初めからそいつの幻想だったのさ。自我が社会や何かに合わせるのは絶対うまくいかない。
自我が発生する以前に、社会にぶち込んじゃうのが特殊な日本なんだから。
>>645 悟りを振り切れない情けなさだな。
>>645 わたしの考えに近いな。個人は楽になればなるほど社会の役に立つ。。
その楽しさは伝染するからだ。たのしさを発明すること以上の人間の
目的などないとさえ思うね。。
ううん。EO師というのは、ちょっとわからないな。。。
648 :
考える名無しさん:2010/11/30(火) 22:20:57 0
649 :
考える名無しさん:2010/11/30(火) 23:46:56 0
同意
650 :
考える名無しさん:2010/12/01(水) 12:13:00 0
自分だけ良ければ小乗仏教。
救済やら利他行は余計なお世話の大乗仏教。
仏もあきれる年の暮れ
>>647 何をどうすればそいう勘違いになれるの?
う〜ん、仏教もいろいろあるが、少なくとも大乗仏教の究極目標は菩薩道だと思うんだよね。
自分自身の救済も大事だけど他人の救済なくして自分の救済なしってことでしょ。
救済が超能力じみた能力で与えられるのか、それとももっとささやかな当たり前の出来事なのかは、解釈によるよね。
少なくとも大乗仏典を文字通り読めば、神も鬼神も地獄も神通力も実在だし。
比喩だと取るのは一つの解釈。
単なる比喩なら、なんでそんな誤解招く書き方せなあかんのんって思うし、
やっぱフツーでは考えられない超越的な救済があるって言うから信仰するよってとこも当然あるでしょ。
仏教は世俗の価値観をすべて否定するものだ。
肉親が死んでも、その遺体はゴミだからそのまま
ゴミ回収の日に出すのが真に悟った仏教者のやり方だ。
腹が減っては死んでしまうので、飢饉で食料がなくなれば、
平気で人間を殺して食う。こういう考え方が仏教だ。
654 :
考える名無しさん:2010/12/02(木) 06:20:56 0
そりゃ唯物主義だろw
655 :
考える名無しさん:2010/12/02(木) 07:02:23 0
>>653 >腹が減っては死んでしまうので、飢饉で食料がなくなれば、
>平気で人間を殺して食う。こういう考え方が仏教だ。
これはないな。誰に仏教習った?
656 :
考える名無しさん:2010/12/02(木) 08:16:18 0
禅のことはよく分からないが、この世は「空」で、「仮」の世だから、
何事にも、拘らない。これが仏教じゃないか。
世間を無視した「世捨て人」が、坊主だから何事にも「無責任」であるのが
お寺さん。扱う相手は「死んだ人」だから、苦情が来る事も少ないし。
657 :
考える名無しさん:2010/12/02(木) 08:18:39 0
仏教哲学がどうあろうとも、お寺さんには無関係。
658 :
考える名無しさん:2010/12/02(木) 11:51:34 0
坊さんの話してんのによお、頭がワカメみたいにロン毛なんだよ
ブホー! なんだこりゃ、チンドン屋かな。話すの恥ずかしいから注意できねえよ。
くっそー、どっから紛れ込んだんだろって。
変なカッコ。
659 :
考える名無しさん:2010/12/02(木) 12:16:25 O
>>653 > 仏教は世俗の価値観をすべて否定するものだ。
否定などしない。否定する者もされる対象もないからだ。
> 腹が減っては死んでしまうので、飢饉で食料がなくなれば、
> 平気で人間を殺して食う。こういう考え方が仏教だ。
「誰」の死を恐れてそれをするのかね?
660 :
考える名無しさん:2010/12/02(木) 12:34:58 O
>>652 大乗も上座部も結局は同じだよ。大乗の場合は「他人」という「自分以外の何か」が
存在するという認識を持ったままその「他人」を救おうとしているわけで、
悟って認識が正されて自他の境目はなく一体であったと分かれば自分で自分を
救おうとしていただけだと分かる(但し同時にそれをする必要もなかったと分かる。
何故なら自分で自分を導いて自分で自分を救うようにしか動かないからだ。
これは体が怪我を治そうとしかしないのと同じことだ)。
661 :
考える名無しさん:2010/12/02(木) 12:43:16 0
>>660 分かってないな。三輪清浄、誓願、普賢行、無住処涅槃など全く小乗とちがうんだな。
662 :
考える名無しさん:2010/12/02(木) 13:23:52 O
>>661 そりゃ入り口は違うよ。登山道の違いのようなものだ。同じであることは頂上である
涅槃に至れば分かる。いや、近付いただけでも分かってくる。
663 :
考える名無しさん:2010/12/02(木) 14:07:05 0
>>592 綺麗な人は犯されたなんてさあ、
被害者の立場にたってくださいよ
個人を特定したらかわーいそお
犯されたことは何かを話してあげるだけでいいと思うんだよ
だから、男らしくない方を責め上げればいいだけなんだと思うんだよ
664 :
考える名無しさん:2010/12/02(木) 14:08:15 0
665 :
考える名無しさん:2010/12/02(木) 14:16:00 0
>>663 折角、美しくしてるのにさあ、
犯されたら、
便所みたいになるよね
美人なのに白痴とかいう話も出てくる
綺麗系で犯しの入った男なんて便所とか白痴扱いされちゃうよねー
666 :
考える名無しさん:2010/12/02(木) 15:14:04 O
>>664 大乗だと中々悟れないって? そりゃあり得るけどな。
667 :
禅屋:2010/12/02(木) 18:33:53 0
仏教哲学を論じているスレで失礼なことを言わせていただくが、
究極を言うと、「空」「無我」などの教理は禅では最初だけだす。あと無用。
>>660が大変良いことを言っている。
他人というのは自己がいるから生じる。
だから自己も他人もその他の動植物だろうが無機物だろうが天体だろうがね、
一切合切が我じゃんかよと、意志介在全く無しに瞬間的にバッサリ信決定やってくるのが悟りだすよ。
だから「善し悪し」やら「是非」を判定してるこちらの自己がなくなるから。
対象が「良い人」だろうが「悪い人」だろうが、あちらが自己だよ。
だったら、「是非善悪」もない。全部自己だよ。ブラックホールの衝突は善でも悪でもないしね。
まあ方便だけど。方便じゃなくてそれが真実であり、解らない奴がおかしい!となると
某テロ教団のようになり、社会世間の邪魔者の世捨て人になる。
だから、もし悟ったら「悟ったど〜!」ではなくて、
「やっと普通になれた。」というのがいい。「心身脱落」したではなく「心身脱落底」で
もとからそうだった。
「悟った!」があるから世間社会のはみだし刑事になっちゃうんだし。
「悟った!」を他人に見せびらかしたいとか救いたいとか起こったら最悪。
世界で自己だけ別扱いだったのが、やっと世界に溶けた。それだけで結構。
668 :
考える名無しさん:2010/12/02(木) 20:37:06 0
>>666 小乗しか知らないようですな。大乗は一切智を目指すんで、アルハットが目的の小乗とは違うのだ〜、
だから、三輪清浄、誓願、普賢行、無住処涅槃など全く小乗とちがうんだな。
ここら辺、仏教学者で分かってる人は少ないから、ほとんど知られてない。
669 :
考える名無しさん:2010/12/02(木) 23:54:45 O
>>668 そんなもんは悟ればオマケで付いて来るぞ。
馬の鼻の先に悟りニンジンぶらさげて、永遠に食えないニンジン追っかけるゲーム。
目の前のニンジンしか見ず周りが見えてないから、自分が畑踏み荒らしてるのに気づかない。
俺はニンジンに執着する偉い人間だぞーとエゴと執着だけ強くなっていく。
671 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2010/12/03(金) 01:05:35 0
>>669さん
卵か鶏、ではありませんが、さて、どちらが先なのでしょう。
672 :
考える名無しさん:2010/12/03(金) 06:05:50 0
>>669 ついてこないよ。小乗で悟るなら誓願がないから、涅槃してしまって普賢行、無住処涅槃はない。
外道で悟ったと思うなら、輪廻からでられない。
673 :
考える名無しさん:2010/12/03(金) 06:43:20 0
そりゃあ、檀家になって住職になることだよ
要するに同じではないだろ
不一不異に合わない
675 :
考える名無しさん:2010/12/03(金) 15:14:27 0
仏祖に会ったら仏祖を殺せ!
676 :
考える名無しさん:2010/12/03(金) 18:53:13 0
道元の「正法眼蔵」にはハイデガーも舌をまいてたそうな。
霊的にも哲学的にもすごい宝を日本は持っているんですね。
道元なんかより釈迦や龍樹の方が上。
678 :
考える名無しさん:2010/12/03(金) 20:34:21 0
>>676白人崇拝の日本人にはそう見えるだけじゃね?
ドイツ哲学は完全にインド哲学の二番煎じにすぎない。
欧米人に誉められてこそ本物と言えるのである。
彼等の鑑識眼は確かだ。
深い見識から物事の本質を見抜く欧米人に誉められたものならば
自信を持って良いだろう。
ええ〜・・ドイツ人哲学者ってインド思想を知って発狂して、さらに「こんな
すごい思想は古代ギリシャ起源に違いない」って力ずくで仏教を古代ギリシャの
哲学に含めちゃった人たちでしょ?ニーチェってどう考えてもインド思想のコピー
なのに、どうして日本の「パンパンの子孫」ってこうも白人を崇拝するんだろ?
気持ち悪い。女々しい。
681 :
考える名無しさん:2010/12/04(土) 06:42:20 0
>>680 先ず、黒船以降見せつけられた圧倒的な科学に基づく軍事力と、
戦後アメリカにやられた西洋崇拝教育と、アメリカ映画と音楽にやられてるからじゃない?
ニーチェ、インド思想のコピーじゃないでしょ。
インドが凄いのは釈尊がいたからほぼこれに尽きる。
682 :
禅屋:2010/12/05(日) 04:00:06 0
哲学者になりたければ見性はあきらめろ。
見性したければ哲学者はあきらめろ。
どうやら
哲学者になりたい奴等ばかりでおもしろい。
仏教哲学どうでもいい。
学者や僧侶や哲学者に悟りは無理だ。
実は、その辺の見た目でチャラ男やギャルやリーマンや
酔っぱらいや遊び人は悟りである。
理屈はいらねえ。
理屈で万里の長城を作っても悟りはない。
自己満足の自己満足の自己ぐだづあだだあいdjだgjsdpgjspgじょwg
683 :
禅屋:2010/12/05(日) 04:08:54 0
悟りなんぞは糞だ。
お前ら哲人もな。糞だ。
糞が、普通の人間になれるのが悟りや。
ここは糞で人間を見下してて、哲学馬鹿乞食。
哲学者というだけで人を見下してる。
哲学消えたら糞。
哲学離したら糞。
しがみつくもの離したら糞。
糞が糞と認めない糞。
糞だらけの糞。
糞でなく哲学屋や文筆行けるのは一握り。
後は糞。
糞らしい生き方は坐禅や。
びしっと坐れ。
坐禅や。
坐禅したら毎回別人になってるってくらい極めろや。
哲学屋だからこそ可能な。唯一の世間的路地を敷くつもりで坐れや!
最低でも三時間は。それ以下は健康法みたいなもんや。
684 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 05:49:08 0
685 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 08:24:38 0
>>681インド教や仏教からも都合のいい場所だけ切り取って「ウリジナル」に
してるだけだよ彼は。
686 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 08:58:36 0
>>685 そうは思えないな。ニーチェは基本ギリシャでしょ。
彼の著作活動は1872-1888
1877年以前の仏教研究はビルヌフなど特別な天才と、
シーフナー、ワシリエフなどペテルスブルグ系のゲルク学者、
ファウスベルのようなパーリ学者ぐらいしかいないぞ
どうやって仏教を知るのだ?
まだまだ、誤解と断弁的知識しかないというのに。
最近やっと仏教を理解し始めたばかりだよ西洋は
687 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 10:37:02 0
古代ギリシャは仏教の起源なんだから当たり前ジャンw
688 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 10:38:45 0
ホントかよ。
689 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 10:54:36 0
>>687 ありえない。妄想スレで散々論破されたのに。
ギリシャの本質主義と釈尊の縁起・空・無我は相容れない。
似たものといえばヘラクレイトスとヒンドゥーだけど、
どちらも本質・実在などを立てる所が、縁起・空・無我の仏教と全く違う。
妄想もいい加減にしましょう。
690 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 13:38:43 0
アレクサンドロスに征服されてヘレニズム国家になったんだよ=インド
691 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 13:57:06 0
>>690 あのな〜、アレキサンダーのインド侵攻は釈尊の死後だぞ
しかも、北西部の一部だけだ。妄想限りないな。
どっちかといえば、ギリシャ・ローマの方が影響ありだな。
つかなぜいつもアレクサンダーなのかと
ダレイオス一世とかまだ分かりそうなもんだが
693 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 20:37:04 O
妄想持つ者同士でお互いにお前のは妄想だと言い合っても意味ないよ。
切りないしな。正に宗教論争。
694 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 20:38:35 O
大切なのは自分の妄想に自分で気づくことだ。人は関係ない。
695 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 21:28:18 0
>>693 あのね〜、物理的に証明された実証史だよ。
誰でも知ってるぞ。世界史で習うだろ。
それすら知らないと自分で告白してるようなもんだぞ。
メガステネスやクレメンがインドを紹介してることは当然、知らないだろう。
696 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 21:54:27 0
>>695 君の妄想はそのポイントではない。ここで一々それを訴えないと
いけないという恐れに基づく観念の方にある。
697 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 22:24:50 0
>>696 なるほど。高い目線から教えを垂れてるわけね。高慢な。
あまり知られてないけど、ギリシャ人て黒人だったんだよ。
最初の西洋哲学は黒人の哲学だったんだ。
西洋哲学って白人の知だと思われてるけど、おおもとは黒人から出てきたんだよ。
699 :
考える名無しさん:2010/12/06(月) 08:49:51 0
>>691アレクサンドロスはヘラクレイトスその他をインドのアジア人種におしえ、
ついでに集団結婚式を挙げてあげたおかげで現在のインド人はコーカソイドに
分類されてるんだよ。メガステネスはインドに古代ギリシャ文明を紹介して
植えつけ、アフリカや中東がそうであるように、あちこちに古代ギリシャ人から
なる植民都市を形成し、学者を輩出した。ブッダもその一人。欧州の言語が
インドと似ているのは古代ギリシャ人に征服されたから。
700 :
考える名無しさん:2010/12/06(月) 09:23:16 0
701 :
考える名無しさん:2010/12/06(月) 11:33:33 O
>>697 いかにも私は高慢である。
しかし私が高慢であることと、私の言ったことが正しいかどうかは全く別の話だ。
インド北西部に侵入したのはダレイオス一世だろ
アレクサンダーがそんなにも大好きな理由がよく分からんが
703 :
考える名無しさん:2010/12/06(月) 12:49:45 0
>>701 もし高慢なのが事実なら、人を妄想呼ばわりする立場でないな
そのぐらい分かるよね
704 :
考える名無しさん:2010/12/06(月) 12:55:42 0
仏教を語る者は常に謙虚なものである。
1.男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である。
2.欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である。
3.男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である。
4.異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である。
5.男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である。
6.欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である。
7.男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である。
8.男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である。
9.自慢の心も、清浄なる菩薩の境地である。
706 :
考える名無しさん:2010/12/06(月) 13:45:08 0
>>705 それ凡人の認識じゃないから、
凡人では認識できないから、如来秘密なので、
密教、別に隠してるわけではなく、凡人の認識によって隠されているですよ。
707 :
考える名無しさん:2010/12/06(月) 14:29:07 O
>>703 そんなもの知ったことか。
何せ高慢だからな。w
708 :
考える名無しさん:2010/12/06(月) 14:44:50 0
710 :
考える名無しさん:2010/12/06(月) 17:25:32 0
携帯使っての自作自演乙。
712 :
考える名無しさん:2010/12/07(火) 05:56:16 0
>>711 主体の知覚・意識が違う。
常識的な素朴実在論だと、対象・外界は実在だから同じと考えるでしょうが、
縁起は諸業と諸言語習慣などの諸縁によって縁起するものだから、
主体側の意識の違いで見え方が違う。
だから、密教は空性の体験があることが前提になり、聖者じゃないとできないものなのです。
713 :
考える名無しさん:2010/12/07(火) 05:57:28 0
>>710 そんな暇なことしないよ
哲板は自演と思うヤツが多いな
>>712 ではその理屈で怒りや嫉妬も菩薩の境地といえますか?
715 :
考える名無しさん:2010/12/07(火) 14:19:34 0
>>712 主体なんてものを想定するなんて仏教じゃないね
716 :
考える名無しさん:2010/12/07(火) 14:29:31 0
>>714 密教の行者にとってはそうですが、凡人にとっては唯の煩悩です。
>>715 言葉は単に習慣に従って仮設されるだけなので、
言葉で説明する時は、主体という言葉も使いますよ。
これは釈尊以来、誰でも同じこと。
例えば、釈尊もパーリ・ニカーヤで死後の意識に言及されてますが、
これは当然、仮設であり実体としては無我・空であることは、
現在、「私」や「あなた」という仮設された同一性を用いるのと同じことです。
もし、あなたが仮設された同一性も仏教では想定しないというなら、
仏教徒は日常生活が送れないでしょう。
717 :
考える名無しさん:2010/12/07(火) 14:51:36 0
>>716 んなことはない。それじゃ密教じゃないな
つーか仮設の同一性なんて意味不な言葉つかうなよ
どうやって証明するんだ?
真言密教=仮面仏教
719 :
考える名無しさん:2010/12/07(火) 15:24:40 0
>>717 いやいや、あなたが密教を誤解してるだけでしょう。
仮設の同一性で分からなければ、仮設された自性でも本性でもいいよ。
それで分からないなら仏教が何も分かってないということ。
仏教は縁起・空・仮設、これは密教も同じ。
『大日経疏』を見てもそう、インドでもチベットでもそう。
>>718 違う違う、それはただの誤解。
ミクロコスモス・マクロコスモスとか、宇宙との合一とか言ってる学者は
もはや外道ですよ。それじゃ仏教じゃない。
720 :
考える名無しさん:2010/12/07(火) 15:30:38 0
>>719 苦しいなw証明になってないし自分だけ納得してるようじゃ他人には伝わらんよ
前も来たんだが密教通なんでそこんとこヨロシク
721 :
考える名無しさん:2010/12/07(火) 15:57:41 0
>>720 あなたは間違いなく密教通の看板は下ろした方がいいでしょう。
密教なんで、ここで論証するようなもんじゃございません。
ただ、『理趣経』を誤解して凡夫の性欲が菩薩の境地なんてことは
全く違うと言いたかっただけ。
密教は 2ch なんかで語るべきものじゃない。
722 :
考える名無しさん:2010/12/07(火) 16:13:41 0
>>721 負け惜しみだなおいw哲板で議題放棄は負け犬。理趣経もその程度の理解とみた
>>721 それが何?
いいかげん詭弁を繰り返すのはスレ荒らしですよ。
勘違いもほどほどにしたほうがいい。
そう思いたいなら思えばいいわけ。
つーか、文字しかない2ch(ネット掲示板)で
体験とか、頷きとかを伝えられるのかい?
厳密に言えば、面と向かっていても冷暖自知でしかないのに・・。(達磨と慧可の逸話の如くだ)。
で、密教ってのは、まさにそこが核心なんだろ?
だったら
>>721の言う通りだと思うが?
725 :
考える名無しさん:2010/12/07(火) 17:53:21 O
釈迦といふ
いたづらものが世にいでて
おほくの人をまよはすかな
一休
726 :
考える名無しさん:2010/12/07(火) 19:42:11 0
別に負けでもいいよ。密教についてこんなとこでサマヤを破って勝っても一時の感情が満たされるだけで、大きな罪を背負うだけだから。
詭弁ではないよ。きっちり裏づけがある。しかし、密教について語ろうとは思わない。
縁起・空・仮設についてはきっちり論証してきたつもりだけど。
>>724 体験だけではないけど、素朴実在論に立ってる人やアートマン論に立ってる人には説明しても無駄。
最近分かったけど、相手に聞く・話す態度がなくてはいくら緻密で真摯な話をしても無駄ですね。
しかし、ネットで密教を語る人は後を絶ちませんね。
仮論なんぞする暇があれば心を落ち着けて禅定せえ
728 :
考える名無しさん:2010/12/07(火) 22:15:53 0
禅定は重要だけど、縁起・空・仮設の方がより重要。
なぜなら、禅定だけだと三昧を勘違いして悟りや解脱だと思ってしまう可能性が高いから。
縁起・空・仮設を本当に悟るには三昧が必要だけど、
縁起・空・仮設を知っているだけでも、随分、仏教的な行動をとれるので、
縁起・空・仮設を知ることは大切です。
言葉に溺れていることは大切です。それに気がつかないのも大切です。
他人をみて自分を直しましょう。
730 :
禅屋:2010/12/08(水) 01:41:37 0
みなさん、何が悟りだ、だけがテーマになっるが、
「慈悲喜捨」と「四弘誓願」のことも忘れないように。
慈しみを持ち
共に悲しみ
共に喜び
要らない感情は捨てる。
衆生は無辺だが誓って救う。
煩悩は無尽だが誓って断つ。
法門は無量だが誓ってすべて学ぶ。
仏道は無上だが誓って成就する。
結局は、てめぇだけ悟ろうとする。そんで、悟った後に、
救おうだの説いてやろうだの生活に生かそうだのって魂胆なんだよな。
「慈悲喜捨」と「四弘誓願」で生きればそのまま悟りじゃねえか。
「悟り」ってのは生き方そのものじゃねえかよ。
そんで「あいつは悟った」「あいつは駄目だ」って悟り評議会みたいなマネはやめい。
仏教の「ぶ」の字も知らんような凡人なのに、接するだけで感化できたらそれでええ。
何で教義を持ち出して名誉教授の講義みたいにすんのさ?
仏教の最終目的は、悟った人が大衆の面前で講演することなのかい?
731 :
禅屋:2010/12/08(水) 02:09:50 0
それだから悟り得ても後の祭り。
自分の利益やら教派やら立場を守る盾に使うんだもの。
どうして、街角でティッシュ配ってる人のように
己の無心を差し出そうとしないのか?
無心たる心法を鉄壁の要塞みたいに仕立てて、
「さあ、かかってこい!わしは天下無敵の悟り神じゃぞ!」とでもほざくのか?
何故そうなってしまうのか。悟りは金ではない。
金は使えば使うほど減る。悟りは使えば使うほど増える。
専守防衛の完璧主義じゃない。
各々が守りに入ったらいけない。
日に万両の黄金を使うが如く悟りをばらまこう。
悟りや仏教なんか糞食らえと言いながら無心を広めよう。
そりゃ本来そうしかできないし。
半世紀を支えた経済発展教は滅びた。
余韻にしがみついてまだ行けると夢見る馬鹿が次々と消えゆく。
国破れて悟りあり・・・。
732 :
考える名無しさん:2010/12/08(水) 06:00:16 0
>>730 「慈悲喜捨」と「四弘誓願」は大切だけど、
なんか勘違いしてるとおも。
733 :
考える名無しさん:2010/12/08(水) 09:18:59 0
>>726 ざまあみろ、負けて、ざまあみろ。
ざまあみろ。
734 :
考える名無しさん:2010/12/08(水) 09:25:50 0
>>733 酷いな。仏教とは全く関係ない世界にいるね。
空海=日本のシャンカラ=仮面仏教徒
736 :
考える名無しさん:2010/12/08(水) 12:22:36 0
>>735 全くの誤解。日本で最も優れた仏教徒で三地の菩薩ですよ。
シャンカラだって優れた男だろ
縁起について考えていったら、必然的に空って言うものが出てくる。
そんで、空を突き詰めて行くと、結論=何も無しになる。
それでは困るので、仮設っていうものを想定して、現実と折り合いをつける。
縁起・空・仮説の関係って、こういうものですか?
釈迦自身は縁起だけ語られたんですよね。
739 :
考える名無しさん:2010/12/08(水) 14:05:06 0
>>738 ずいぶん違います。
パーリ・ニカーヤでも仮設は説かれますよ。
但し、空も説かれますが余り本質的でない形です。
740 :
禅屋:2010/12/09(木) 01:38:03 0
空というのは無であり法でありでしょう。
「現実」という言葉は厄介だから適当に言葉を造って解説してみよう。
1.(社会的)現実からぶっ飛んでる人の「現実」は「夢世界現実」。(宗教的)妄想物語の世界。
2.通常世の中で使われる「現実」は「社会的現実」。大人の理性的な思考でもたらされる現実認識だ。
3.人間的知識経験以前の「現実」で「原始的現実」。言語無し。客体の分別なく主体もない。
3.に戻って本来の自己。目の前にあるのが、パソコンだとかウィンドウだとか文字列だとか机だとか
キーボードだとか壁だとかコンセントだとかマウスだとかその周辺の物だとかが分別できない。
眼を見開いた新生児で例えるとわかりやすい。新生児は見える物が何だかわからない。
しかも自分の目で見ているという知識もない。自我以前。
つまり3.をすっ飛ばして生きているから苦しい。いくら高層ビルにしようが砂上の楼閣だから。
土台をしっかし徹見するのが仏道であります。
土台(3.)と建物(2.)と天守閣(3.)が争ったら城は崩壊します。
胃が腸に「てめえ邪魔なんだよ!」と言ってるようなものです。
それでけのことでしょうが。
2.の現実はどうにもなりません。ただ、それをどうにかしようとして1.ばかり膨らまして
崩壊することはよくあります。逆三角形の建造物はほぼありません。
だいたいが東京タワー型です。
底の土台が大切なんだ。そこをしっかりしておけば、2.はどうにかなる。
2.3.を無視して1.だけっていうカルト的邪道に落ちる人が少なくないから
気をつけなければならない。
>>740 無でも法でもない、勘違いしている。
>(宗教的)妄想物語の世界。
宗教の世界観は、現実であり妄想ではない。
経済現象やインターネットの現象を妄想だと主張しているようなもの。
君は比喩的な繋がりを説明した言葉を物理的な理屈で測っているだけ
それは計る計りが違う、そう理解しているなら言葉に気をつけては?
物理的証明ができる意味では嘘であっても宗教的な関係の説明は
比喩された象徴の因果関係を正しく示しているわけで1つの嘘も
ない。君は物事の仕掛けやら仕組みを現実と表現しているだけに
すぎない、宗教に仕組みは必要ないのよ。彼が神だといえば
宗教的に定義されたものに神話的根拠が必要でも実際の歴史的
根拠や証拠は1つも必要ないの。一部の勘違いした宗教家やら評論家
の説明を習っただけの知識で語っても本質的な存在意義が根本的に
違うものを貴方の計りでは計れないってことだよ。
742 :
考える名無しさん:2010/12/09(木) 06:53:22 0
>>740 ぜんぜん違う、何も分かってない。
そんなの仏教じゃないよ。
743 :
考える名無しさん:2010/12/09(木) 17:16:27 O
俺が仏教だ
俺も 〜がの〜も 仏教も実体しない
日本語でおk
すべては相互依存って言うのが縁起。
相互依存以外で存在するものは無い
だから全ては空。
全部空だから、現実にあるように見えているものも
それは仮に存在するだけ。それで仮設。
縁起=空=仮設なんでしょうか。
それとも
縁起→空→仮設?三段論法っぽいものかな。
>>746 相互依存で考えると、「縁(因)と果」「行と果」の側面が疎かになる。
たとえば、「苦を滅して楽と爲す」というのが通仏教的な根幹なわけだが、
このとき、(適切な方法として)「行」が爲され、「苦の滅」が顕現する
「苦の滅」という果と「行」という縁(≒因)は、同時に存在する相互依存関係にあると言い得るだろうか?
或いは、「楽」と「苦」は、対概念以上の相互的依存関係を持つだろうか?
人が(自分が)楽を感受しているとき、そこに苦の感受があるだろうか?
苦を感受しているとき、そこに楽の感受があるだろうか?
或いは、他者の言動に依って怒りが生じた時、その「他者の言動」は、「自己の怒り」に依存しているだろうか?
「仏の視線、悟りの視線で見る時、そこには因果の分別すら無い」と宣言することは吝かではない。
だが、それは、悟りのその先の景色として、結果的に導かれる(知られ、見られ、頷かれる)ことであり、
「先後の分別」無き所に仏教(仏道、行、涅槃)は無い。
先後を見るからこそ、四諦(≒行)は成立するし、
今まさに苦の真っ只中にあり、『未だ楽が生じていない(≒涅槃が見られていない)からこそ「苦」である』のだから。
>縁起=空=仮設なんでしょうか。それとも縁起→空→仮設?三段論法っぽいものかな。
固定化されていないから無自性・空なわけで、
「固定化されていないものを、認識上・便宜上(→行の実践上)仮に固定化する」から「仮設」と言う。
また凡夫が、「固定化されていないものを固定化して見てしまうこと」を「仮設されている」と言う。
その意味で、縁起する諸法(の相)を捉える・認識する為の仮設であり、
そうした(仮設されねば捉えられない)在り様を空と言う。
>縁起=空
空は縁起の一側面であるという意味でなら、イコールで結んでも構わないかもしれないし、
>空=仮設
仮設されているということを、固定化された実体がないこと、と見るならば、≒の使用までは可かもしれない。
ただ、
縁起=仮設は、右辺へ「仮設」及び「仮設されたもの」「仮設されること」のどれを持ってきても結べない。
それでは意味が違ってくる。なんとなれば、「仮設(すること)」とは、
「便宜上採られる手法・視線」「無意識裡に採られる視線」のことだから。
>>747 相互依存で考えるってことからして仏教の本題から外れてるのに
それを元にした論理式全部が誤りじゃないか?
749 :
考える名無しさん:2010/12/10(金) 02:50:13 0
750 :
考える名無しさん:2010/12/10(金) 07:21:27 0
>>749 空仮中は天台の解釈なんで、インド説とは随分違います。
縁起・空・仮設でぐぐってね。
>>748 相互依存を完全排除してしまったら史朗ちゃんになっちゃうw
仏教の最終目的はある心身状態に達する事じゃないかと思うんだけど、
それはとにかく、その目的を実現させる為にはわが身をある特定の行為
に徹底的に集中させる。。という事を通じてしか可能ではない、という
一点に尽きるのじゃないかな?
ドーゲンが「座れ!」って言ったのも座るという単純な行為が、とりも
なおさずどんな人間でも、いつでもどこでも(その気さえあれば)徹底
的に徹することの出来うる行為のひとつだからなんじゃないか、と。
縁起(仮説)→空→縁起(仮説)
縁起する"もの"などないのだ
分節された実体などない
全ては空なり
仮説とは凡夫でも理解できるように抽象化された空なり
754 :
考える名無しさん:2010/12/10(金) 10:13:59 0
>>753 ちがう、諸業と諸習慣という縁が縁起して認識や体験として仮設されるけど、
その本質は空だということ。
単に諸業や諸習慣によって知覚されたものであって、その対象は自立的に実在しているのではなく、空であるということ。
だから、それぞれ諸業や諸習慣が異なれば現れ・知覚・認識も異なるということ。
755 :
考える名無しさん:2010/12/10(金) 12:00:04 O
>>752 > それはとにかく、その目的を実現させる為にはわが身をある特定の行為
> に徹底的に集中させる。。という事を通じてしか可能ではない、という
> 一点に尽きるのじゃないかな?
可能だよ。但し効率が良いかどうかは分からない。
怪我が治るようなもので、放っておけば何れ必ず誰でも悟る。仏教など全く知らなくても
悟る者は悟る。自分の名前すら覚えられない者が悟ったという話もある。知力は全く関係ない。
しかし怪我した時と同様に手当てして安静にしていた方がそのまま動き回っているよりも治りは早い。
756 :
考える名無しさん:2010/12/10(金) 12:58:22 0
>>752 >それはとにかく、その目的を実現させる為にはわが身をある特定の行為
>に徹底的に集中させる。。という事を通じてしか可能ではない、という
>一点に尽きるのじゃないかな?
尽きない。それは禅定、三昧であって、サマタ、
それだけでは外道と変わらない。
757 :
考える名無しさん:2010/12/10(金) 13:01:31 0
>>750 フィッシング詐欺師が見事に釣ったつもりなんだろうが、そのワードでぐぐったらこのスレが出てくるじゃん?馬鹿じゃね?持論を主張して一般論は排除ってのはオウムや創価と同じだろ
758 :
考える名無しさん:2010/12/10(金) 13:31:52 0
759 :
考える名無しさん:2010/12/10(金) 15:24:45 0
>>757-758 なんでも自演くんきたね
空仮中ってのは天台の見解であって一般論じゃないよ。
しかし、縁起・空・仮設は、大乗ならどこでもそう。
そりゃそうだ、『中論』24.18だからね。
パーリ・ニカーヤは、縁起・空といわないが、縁起・仮設はそう。
しかも、『清浄道論』は縁起・空・仮設に接近している。
仏教の瞑想したいんだけど
色々種類があってどれをすればいいかわかんない
どの瞑想がBESTなの?
>>759 明らかにマッチポンプ。よく仏教を語ることができるな。
仏教に対する大罪行為だ。
>>738や
>>746で、縁起・空・仮説の
関係について、質問を書き込んだ者です。
それに対して、いろいろレスをしてくれてる
人は別人ですよ。
>>762 >>758のリンク先で分かると思うけど?縁起、空、仮というものは特殊な考えのようだし
天台の空、中、仮を論をあちこちで否定してる。
気になったから過去スレ漁ってみたらこいつがフィッシング詐欺って呼ばれる理由が分かった。
グーグル検索のキャッシュはすごいと思う。モバイル2chからの書き込みもあるし
マッチポンプ確定だと思う。怪しい人に質問する前に、自力で調べてみるべき。
それとも
>>762はフォローの自演かな?
764 :
考える名無しさん:2010/12/10(金) 20:03:10 0
一般論とか自演とか言ってる人は、何が言いたいのだ?
一般論であったり常識であればいいという姿勢は、全く哲学の姿勢に反するだろう。
批判するなら、内容を批判してほしいものだ?
765 :
考える名無しさん:2010/12/10(金) 20:05:23 0
>>763 >天台の空、中、仮を論をあちこちで否定してる。
天台の空仮中というのは、『中論』24.18の特殊解釈だから、
それが仏教一般に通じないのは当然なこと。
何も知らないのに、つまんない詭弁で撹乱しないでほしいな(^^)
766 :
考える名無しさん:2010/12/10(金) 20:06:25 0
>>762 マッチポンプとか自演とか言ってる人は哲板名物だから相手にしなければいいよ。
767 :
考える名無しさん:2010/12/11(土) 00:23:09 0
ぐーぐる先生嘘つかないw
ろくなもんじゃないな。自作自演というより自問自答だろ?
とんでも野郎だ。
768 :
禅屋:2010/12/11(土) 01:28:59 0
>>740 そりゃそうだ。
けど、私も疲れたから、
世の中と折り合いをつけたことを言いたかっただけなのです。
大衆教が最大勢力だというのは哲学者ならわかっているでしょう。
あなたはどうだか知らないが、もし(宗教的)妄想物語の世界を開陳したら
気違い扱いされるだろう。そういう人々をここでも見てきたから。
自身の立場が有耶無耶だから反撃できるスポットに自由に立って批判する。
世の中はそんなんだよ。だからこそのあるがまま禅であるわけだが・・・。
>>741 日本には昔から正統な仏教はない。
伝統宗派も同じ。
「我々こそは真の仏教」と言うならカトリックの異端審問みたいになるだけ。
正道外道は釈迦以降の教学構築した連中のものだ。
じゃあ何でもありか?というと違う。
仏教なら釈迦が開いた「悟り」が目標のはず。苦の終了。
悟りのための方法論や教義を絶対視することは認められない。
なぜなら、方法で悟りが開けたら誰でも悟れるからだ。
方法論やノウハウや教派が吹っ飛んでしまうほどあらゆるアンテナを張り巡らすべきだよ。
本気で悟ろうとするならね。我未悟だけど・・・。
769 :
禅屋:2010/12/11(土) 02:33:35 0
>>740 俺が発言したのは>768も含め全て嘘だから
770 :
あめのみやつこ:2010/12/11(土) 04:15:23 O
六道輪廻
>>738 仏教で、仮説という言葉が使われている。。とは知らなかったな。
普通、日本では別の言葉を使うでしょう?
ちょっといまど忘れしたが。。そうそう普通、方便といいませんか?
>>771 似てるけど意味が違う。空・中・仮でぐぐるか縁起・空・仮でぐぐるかお好きにどうぞw
フィッシングって言われてる人を信じるなら後者だよw
>>771 実在論(及び素朴実在論)との兼ね合いで、適した日本語(表現)が無いから。
たとえば、《目の前にリンゴが〔ある〕》とする。
この時、「リンゴが実在する」と言ってしまって良いのか?
確かに、「日常的に」リンゴは「存在」するし、それを食して身体を維持するわけで、
これを「無い」と言ってしまうことには無理がある。
しかし、「因縁和合して諸法がある」とする仏教が、確かな実在としてリンゴの存在を認めてしまっては、
縁起、空を逸脱することになる。
「実在ではないけれど存在する」という意味での〔ある〕を、どう表現するか?
また方便とは、「手段・方法」といった「意図的な」代替・換言を指すので、
「方便としてリンゴがある」とは言わない。「方便として『リンゴがある』と言う」と言う。
だから、「存在しない」と「確固として実在する」ということの間隙に当てられた表現として用いられる。
仏教では、〔ある〕と言った時、「どのようにして」「ある」のか?を見究める必要があるから。
つーか、根幹の一端であるから。
日本語的には、(特に、空が強調されない初期仏教に於いて)、縁起する諸法の〔ある〕ということを
「実在」としないための(苦肉のw)表現とも言えるが・・。
参:施設(仮設) PTS
paJJatta@ [pp. of paJJApeti, cp. BSk. prajAapta]
pointed out, made known, ordered, designed, appointed, ordained
paJJatti (f.) [fr. paJJApeti, cp. paJJatta@]
making known, manifestation, description, designation, name, idea, notion, concept. On term
*(「見做される」といったニュアンスと言えるか・・。)
あ、>On term はコピペミス。脳内削除宜しく。 m(_ _)m
ちなみに、水野辞書 paJJatti の項には
「 施設、概念、仮名、制定、所制 」とある。
paJJatta の項には
「 知らしめられたる、告知せる、施設された、用意された 」とある。
776 :
考える名無しさん:2010/12/11(土) 13:24:55 0
まともなのが来たな。まあ哲板じゃこれが正常なわけなんだが。
777 :
考える名無しさん:2010/12/11(土) 17:15:30 0
夢の中で幻の体が幻の空腹を感じ幻のリンゴを食べて幻の満足をする。
夢の中では全てが幻であり幻でないものはない。そこにおける真実は
見ている自分が居るということだけである。
>>777 まるで、《「幻の外に居る自分」があり得る》と取れる発言だなw
仮説は、書き間違いで、仮設というのが正しいのね?
仏教は、実在論的ではないから、存在と言わず、仮設という。。。
という理解でいいのかな。
それと、仮名とは、どういう関係にあるのか?
仮名こそは、もっとも日常的に日本語に馴染んだ言葉であるわけだが?
>>779 前段、そういうこと。
後段、変わらない。構造上同じこと。
「対象」を把捉する(される)時の方法が(特に)「名付け」であった場合が「仮名」。
ほう・・。
実在論で言う存在が、仏教では、仮名?
正確な言い方ではないかも知れないけど、だいたいそういう事?
とてもおもしろい話じゃないか。
>>781 「仮名」は、諸法の在り様(≒存在)の一部(一面)でしかない。
勿論、「人の認識や思考が、その大部分を名付けに依っている」としても・・。
だから、包括的・総合的文脈では「仮設、施設」と言われる。
哲学的考察や解説の上では「仮」「仮設」と、敢えて別に表現されるが、
通常、仏典では(おしえが説かれる場面では)、
単に「ある」「存在する」(atthi、bhavati)としか言われない。
(勿論、その裏には「縁起する在り様としての一種しかない」という暗黙の圧があるかもしれないが。)
だからこそ、「どのようにあるのか?」という視線・考察無しに次のステップは無い。
喜びも悲しみも「ある」し、木々や家屋も「ある」。思想も国(国家)も「ある」。リンゴも欲望も「ある」。
苦も楽も「ある」。
この〔ある〕を、実在論的に或いは唯物主義的に「ある(実在する)」としてしまってはならない、ということ。
だから、(特に龍樹以降の大乗では)「仮設(されてある)」と表現されることになる。
自分の手の中にリンゴが「ある」ということと、自分にコレコレの感情・想いが「ある」ということは、
共に「存在する」ということでは同じだし、縁起する諸法であるという点でも、やはり同じい。
ただ、その在り様に(相に)、(所縁の別に依って)差異がある、ということ。
《「実在する」のではなく、“所縁によって”「ある」》ことを特に強調して示す為に用いられる表現が「仮設」ということ。
783 :
考える名無しさん:2010/12/11(土) 20:07:46 0
*
784 :
考える名無しさん:2010/12/11(土) 20:09:57 0
>>776 おいおい、同じこと言ってるんだが?
なんだ、辞書とかローマ字引用すればいいのか。
無知も極まりなし。
785 :
考える名無しさん:2010/12/11(土) 22:41:50 0
>>773 > *(「見做される」といったニュアンスと言えるか・・。)
「見做される」というと認識論的だね。それならいっそ「知覚される」「認識される」かな?
これだとプラジュニャプティよりヴィジュニャプティか。
チベット語だと、btags で名付けに重点を置いてるかんじ。
オイラ的には知覚の基になるという意味で、名付け、事分け、分節みたいなかんじで捉えてる。
まあ、それらも今一なので仮設という伝統漢訳がよいかと
仏教では、どうやって病気を感染させないようにしているんですか。
787 :
考える名無しさん:2010/12/11(土) 23:03:03 0
詐欺師が堂々と仏教語るなよ
>>782 なるほど。
仏教的なある、は、西欧的なある、とまったく違うという事ですね。
ハイデガーは(その初期思想において)存在の意味を問うたが、
その問いは、仏教的にいえば、まったくナンセンスな問い、となるわけ
ですね。
ひとつひとつの、ある、が、その都度異なるのだと、もしするならば、
その、あり、は本質というものを持つことができない。本質なき存在論、
ですね。
790 :
考える名無しさん:2010/12/12(日) 03:24:38 0
>>788 アホだな。どうしようもない。知識がないから、みんな自分と同じだと考えてるんだろう。
瞑想について語れる奴いないのか
792 :
考える名無しさん:2010/12/12(日) 09:35:00 0
>>791 瞑想っていい方は、どうも好きになれない。
三昧とか修習といって欲しい。
瞑想っていうと意味が多用すぎて、勘違いする人が多すぎる。
三昧は精神集中。
修習は慣れのこと。
この世が始まりも終わりもない空なら、輪廻転生もするんだろう
始まりも終わりもない無限の時間の中ならいつかまたこの身に生まれてもおかしくないはず
794 :
考える名無しさん:2010/12/12(日) 12:50:39 0
インチキフィッシング詐欺師の火付け→消火隊によるマッチポンプが横行してま〜すw
795 :
考える名無しさん:2010/12/12(日) 14:02:34 0
>>794 小心で無能だから嫉妬深いのか
先ずは、それを認めることから始めよう
>>795 反応してるじゃん。自己紹介してるようなもんだよ。
仏教者とは言えない小心で嫉妬深く、まあ無能とまでは言わないけど
ていうか仏教語る人がそんな言い方普通しない
どこまでも耐えなきゃ。
797 :
考える名無しさん:2010/12/12(日) 15:12:16 0
798 :
ラブデラックス:2010/12/12(日) 16:18:36 0
>>787 そんなようなものだね。マスカットがハニーツリーチェリーにしてしまう病。
>>789 ハイデガーのことはよく知りませんが、
「まったく違う」というよりは、「〔ある〕ということの“幅”“レンジ”が違う」という感じだと思います。
勿論、仏教でも、「ない」ということはありますし、「ない」時は「ない」と言います。
日常的に「(所謂“本物の”)アンパンマン、ウルトラマンは存在(実在)しない」ということは、
仏教でも共通して言い得ることです。「菅直人は存在するけどウルトラマンは存在しない」、と。
(或いはスパゲティモンスターの例もそうです。尤もこれは、「名付けによる」想定・仮想という方向ですが・・。)
明らかに日常の(→世俗の)有無基準に沿っています。
しかし、この先があります。
意識によって考察、想起されたものとして(概念として)ウルトラマンは存在します。
・その意味で言えば、菅直人同様にウルトラマンは存在します。
また逆に、
或る人型生物が諸条件によって(所縁によって)菅直人と呼ばれるだけで、
そこに『菅直人』という何かしら確固とした『本質的「存在」』があるわけではありません。
・その意味で言えば、ウルトラマン同様、菅直人もまた存在しないのです。
また、そのような人型生物として知覚認識される存在でさえ、諸条件によって(所縁によって)そこに現れ出ているだけで、
そこに『(菅直人と称される)人型生物』という何かしら確固とした『本質的「存在」』があるわけではありません。
・その意味で言えば、ウルトラマン同様、人型生物もまた存在しないのです。
後者を強調すれば、《一切は「無」(→「空」)》というキャッチフレーズになりますし(勝義諦)、
前者を強調すれば、《諸法の一一は、「相」として現れて「ある」》という謂いとなります(世俗諦)。
しかし、いずれにしろ(どちらを強調するにしろ)、「一切法は所縁に依っている」という前提の上にあります。
だから、「ある」とか「ない」と言われる時、その文脈が重要なのです。
どのようであるから「ある」或いは「ない」と言われるのかが重要なのです。
そして、このようなフレキシブルな謂いが可能となるのは、
まさに、西洋実在論的な基準で有無を見るのでなく、そのもう一つ深層として
「縁起する諸法(≒諸存在)」という見方を基準とするからだと思われます。
ああ。。。
あなた、頭悪いでしょ?
あたまの痛くなるような文章、書き込まんでね。読む気、2,3行で
失せましたから。。。
>>800 これは失礼致しました。
訪問先且つ非担当分野にもかかわらず、口を挟みすぎたようですw
一括脳内削除して頂くか、誤解等あるようでしたら該当箇所・不適当な記述を添削・批判していただけますよう
勝手ながらお願い申し上げます。
首突っ込みすぎて申し訳ありませんでした。 m(_ _)m
802 :
考える名無しさん:2010/12/12(日) 20:30:25 0
>>800 彼の書き方は、括弧が多くて読みにくいけど、あなたより賢いことは確か
803 :
考える名無しさん:2010/12/12(日) 20:36:43 0
こんな意見があるんですけど、
仏教的には、礼拝所及び墳墓に関する罪に対してどうなの?
955 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2010/12/11(土) 23:09:35 0
ED が目指すのは墓穴のくせに
入れたり出したりしたがるんだってよ。
何の罪に問われるのか知ってるか?
礼拝所及び墳墓に関する罪。
804 :
考える名無しさん:2010/12/12(日) 21:15:48 0
>>798 つまり、共産党化せよ! できなければ自己批判して総括せよ、みたいな洗脳されちゃうってこと?
あらゆる言語習慣は、習慣とみると思う。
>>803 >礼拝所及び墳墓に関する罪
つまり、習慣として尊重されている対象に対する冒涜行為ってこと?
それなら、あらゆる伝統習慣は尊重するよ。
げぇ。読む気しねぇ。。。あんたも同類だろ?
806 :
考える名無しさん:2010/12/12(日) 21:58:38 0
ライプニッツの問いを疑ったハイデガーは少なくともソクラテス以降実在論・本質主義一直線の形而上学を疑ったとおも
しかし、どうもウィトゲンシュタインの方が明解だし、かなりその倫理観まで含めて仏教に接近してるとおも
けど、読まなくていいよ
807 :
考える名無しさん:2010/12/12(日) 23:16:39 0
マスカットはさあ、
もっと、デラックスにさあ、思想を改造しなきゃあ〜
ハニーチェリーと一緒ならさあ、マスカットならできるよー
・・・
デラックスに福祉器具も改造してテクノロジー犯罪被害か?
うんうん。ライプニッツの問いを疑ったハイデガーって、どのあたりの
話? 教えて、教えて。。。
809 :
し:2010/12/13(月) 04:21:40 O
最近は老いに対する恐怖心が芽生えてきた
子供のころに抱いていた自分の存在と誇りが
醜く太った体とだんだんとくすんで見えてくる顔とが苦しみを与えてくる
若さの故にあった鋭い攻撃的な激昂もなくなった
仏陀の言った通り老病苦死の苦しみから
逃れられん
810 :
考える名無しさん:2010/12/13(月) 07:41:23 0
>>808 よくオイラに聞けるな、彼とオイラへの暴言を懺悔するなら教えるけど
811 :
考える名無しさん:2010/12/13(月) 12:34:10 O
>>809 それがわかったということはあなたは既にそれではないのだ。それを見ているのがあなただ。
あなたは体ではない。
812 :
考える名無しさん:2010/12/13(月) 12:53:33 0
813 :
考える名無しさん:2010/12/13(月) 15:27:26 0
携帯使った自演ご苦労
分かってないらしいなwww
814 :
考える名無しさん:2010/12/13(月) 15:47:54 0
なんでも自演・釣り・詐欺だな。
オイラは携帯持ってないし
冴えない勘は勤勉な無能と同じだから処刑するしかないよ
天上天下唯我独尊
817 :
考える名無しさん:2010/12/13(月) 16:44:28 0
818 :
考える名無しさん:2010/12/13(月) 17:33:04 O
虚空蔵菩薩来
819 :
考える名無しさん:2010/12/13(月) 19:12:42 0
自分では、失敗って望まないものじゃない
ギリヤーク尼ヶ崎さんはさあ、
誰かに失敗させられたのを自分の個性だって思い込んでるような演出が上手いんだよね
念仏じょんがらは、鬼気迫る働きぶり
あの道で芸やってる人
820 :
考える名無しさん:2010/12/13(月) 20:13:24 0
妄想で自演を訴えて「自演を見切ったオレ賢い」って自惚れるわけね
かわいいというか、情けないというか
>>810 (苦笑)オイラって。。。あんた、誰? 名無しなのに、ボクにわかるはず
ないでしょ???
自分本位の人だなぁ。
823 :
考える名無しさん:2010/12/14(火) 07:46:49 0
824 :
禅屋:2010/12/14(火) 18:00:18 0
>>799 法なれば「ある」「ない」は関係ない。
「不生不滅」を例に挙げれば、
生じることもなく滅することもないんだから、有無の話は通用しないのです。
>>816 本来は良い言葉だよ。
釈迦が生まれてすぐに「天上天下唯我独尊」と言ったとかはお伽話だけどな。
天上天下唯我独尊の意味わかりますか?
どーなの! 念仏じょんがらの方は。
>>824 有無の話が通用しないとはどう言う意味でしょう。
「不生不滅」は、般若心経で空の概念を説明したものですよね。
空とは、有・無を共に包摂する上位概念らしいですね。
某縄師の方がおっしゃってました。
どちらかと言えば共に否定するんだよ
828 :
禅屋:2010/12/14(火) 19:33:04 0
>>826 めんどくさいけど、そういった理念は認めていません。
「空」という親玉があってそれが「有」「無」を包摂するってのは
有無を止揚して空とする哲学なんです。空とは違います。
坐らないと解らんです。宗派無宗教関係なく坐ってれば問題ないです。
有無もすっ飛んだら空です。空と言う必要もないんです。観念概念死滅です。
>>827 そのとーり。
どちらも否定して肯定するのです。
みんなが「そうだろ?そうだろ?ちょっとは認めてよ!」みたいな気持ちがある。
こういうのは完全に否定します。如何なる体験だろうと認めませんし、捨てていただく。
求心やんだら他人に認められる必要ないでしょう。
つまり、他人と論議するのは悟りではなく中途半端な三昧にすぎないですよ。
派閥争いをやりたい人は勝手にがんばってくだせえ。
829 :
考える名無しさん:2010/12/14(火) 20:32:47 0
>>826 へ〜、オイラは、元縄師が空性は包摂するものと考えてもいいと言ってたと思うけど
有も無も、あらゆる知覚、体験、言葉、概念も仮設されたものという意味で。
>>827 否定するというより、止滅するんですね。
否定するというと、論理領域でなにか別の知覚があることになってしまうので。
>>828 ほんとに分かってるのかな〜
みんな、コテつけたらどうなの。わかりにくいよ。。。
松岡修造と織田裕二の涅槃は世界系仏教系
832 :
考える名無しさん:2010/12/15(水) 00:26:38 0
仏教を語れるのは悟った奴だけ。
このスレには俺以外に悟った奴は居ないので、俺以外は仏教を知らずに仏教まがいのことを語っている詐欺師と見てよい。
勝手な解釈を語ってるだけだから信用しないように。
833 :
ttp://www.youtube.com/watch?v=4LTWUXHjX9g:2010/12/15(水) 00:47:16 0
やっぱり、彼は涅槃じょんがらだよ。
自分のことではなく、人様のことばーかっり口挟んで、
一見するとものすごい異常性を発揮しているんだけど、
菩薩業の類なんじゃないかなって。
あそこまで、しみじみと惨めな感じが沸きあがって来るのは芸術に辿り着いてるよね!
>>832 コテもつけない自作自演が悟るどころか地獄が待ってるだけ
特に悟ってもないのに悟ったことを言うのは最大の罪
835 :
やみ:2010/12/15(水) 04:50:49 O
下手な魔法使うな馬鹿
仏教の理解に悟りは不可欠。悟っていない人間に仏教は理解できない。
表面の言葉をいじくってハメているパズル遊びに過ぎず、君達のは仏教ではないのだよ。
そんなこと、言ってるヒマがあったら、あなたの悟りをみんなに
説明してやってくださいよ。。。
838 :
考える名無しさん:2010/12/15(水) 08:58:12 0
>>836 こんな高慢で幼稚な発言してるんだから、悟ってるわけないでしょ
839 :
禅屋:2010/12/15(水) 18:48:17 0
>>837 悟りとは。
悟り=『天上天下唯我独尊』を捨てたところ。
よって、
悟り=「「すべての『〜〜〜〜〜〜〜』を捨てたところ。」をも捨てたところ。」をも捨てたところ。・・・
変なところ(体験した境地など)にしがみつくと、おかしな事になる。
せっかく得た体験も境地も捨てる。(捨てがたいもの程捨てなきゃならない)
「わかった!」なんて言って言葉で説明できるものはすべて嘘。
ですから、悟りを記述するなら、記述者はそれが嘘・方便であると完全に自覚している。
全然ちがうけど無理矢理表現するならこうだよ。というものになる。
誰か「三昧」が悟りとは違うと言っていたがこういう理由もある。
慈、悲、喜、捨は難しいな。
ふん。
自己再帰性ね。。。ホフスタッターでも読むんだな。たぶん。
842 :
考える名無しさん:2010/12/15(水) 22:17:52 0
>>841 西哲みたいな妄想から仏教読んだら、絶対分からんは、それは保証する
悟りは感覚だろ
理屈じゃないよ
ドラッグで見える境地と一緒
844 :
考える名無しさん:2010/12/15(水) 22:40:11 0
>>843 違う違う。薬で見える世界でも、三昧で見える世界も妄想だよ。
もちろん、今見てる現実と呼ばれる世界もそうだけど、因果がある。
そこが重要。
>>844 今目の前に見えるモニタが妄想だということと
実在だということの違いってあるの?
846 :
考える名無しさん:2010/12/15(水) 22:51:31 0
>>845 普通に生活している時は、モニタは実在でいいけど、
もし、仏教的にモニタは実在するのか、と問うなら、
実在するわけがない、と答えざる得ない。
といって、無でもない。
論理形式で断定できない。
>>846 実在するとも実在しないともいえないその根拠はあるの?
デカルト的な自己だって論理的根拠は無くて、実感に過ぎないからな。
デカルトだって、実感として自己が存在するのを疑えないと言ってるだけだから。
論理ではなく。
シンセティック・パドル・アラウンド・リレーション !
なるほど
851 :
考える名無しさん:2010/12/16(木) 00:28:38 0
>>847 その根拠とやらを完全に説明する根拠とか、それは数学の厳密証明に等しい
その厳密に証明するという事がどれだけ困難でとてつもなく難しいことで
単純解説できないっていう常識すらしらないとそういう根拠あるの?
という安易な発想になるわけな。
853 :
考える名無しさん:2010/12/16(木) 06:33:12 0
>>847 何かである/でないと判断・知覚することが迷いだから
>>852 上の根拠も論理ですが、文意を体験して確認した聖者たちの伝承を信じるか信じないかです。
要するに仏教を信じるなら、信じるしか道はなく、信じないなら、信じなければいいだけのことです。
話の文脈が、みえにくいのですが、実在するともしないとも言えない・・
という話になら、こうは指摘できますよ。
実在を判定する主体の存在自体が、不確かなものである・・と。
わたしが、いま、生きて、ここに居て、いろいろな判断をすることに
ついて、それは、偶然である、といえます。
私は、事故で、きのう死んでいたかもしれません。判断する主体の存在
自体が、明日をも知れぬ運命のただなかに居るのです。。。
855 :
考える名無しさん:2010/12/16(木) 08:44:18 0
>>854 そういうドイツ・フランス哲学系の適当な思いつきじゃなくて、ウィトゲンシュタインとかクワインあたりのきっちりした論理性を突き詰めたものが、インド思想で、その典型がナヴィヤ・ニヤーヤや、仏教のプラマーナ。
しかし、その頂点に立つのはなんといっても釈尊と龍樹菩薩なんだよ。
それをちょっと明かしたのが、マティラル、もっと大胆に研究中なのが石飛道子先生なわけだ。
こうかくと、三浦俊彦に論破されたという人が直ぐでるだろうが、三浦さんの論理は実在論・本質主義に基づく西洋現代論理になんの疑いもなく論じたものなので、話しにならないというか、その視野の狭さが西哲の限界というべきか?
自らの実在論・本質主義的前提に疑いを持てない。
ウィトゲンシュタインは悟りとはほど遠い。彼は哲学的治療に失敗している。
ウィトゲンシュタインの哲学は、自分の心を見るのを極端に怖がった結果出来上がった自己防衛の鎧だ。
父親との不和やホモである自分を直視できなかった故のものと思われる。
857 :
考える名無しさん:2010/12/17(金) 21:26:35 0
ただ生きてるだけで、一呼吸するだけで、腕を一降りするだけで、
何億・何十億もの細菌・微生物などを殺しているのだから、仏教が説く「不殺生戒」は無理。
どう解釈する?
858 :
考える名無しさん:2010/12/17(金) 22:03:37 O
>>857 不可能でも出来るだけの努力はしようってとこじゃないの?
托鉢での食事も間接的に殺生と関わることは避けられない。
859 :
考える名無しさん:2010/12/17(金) 22:07:12 O
>>819 この名前をこのスレで見るとはw
尋常じゃない存在感だよね
860 :
考える名無しさん:2010/12/17(金) 22:46:45 0
>>857 仏教は現象の果を主とせず、因としての心の動機を重視するんです。
他を害さないという意識・志が重要なのであって、
現象は二次的。
もちろん、現象的にもできるだけ、他を害さないように行動することは言うまでもないけど、ジャイナのように現象を主としないから、極端なことはしないのです。
まあ、生きていく上で殺生は避けられないから、なるべく小食にすべきってことかな。
俺は野菜と卵だけの食事で1日1500キロカロリー以内としてる。
鶏さんと野菜さんと腸内細菌さんには悪いけど。
シャワー浴びるときは皮膚や頭についてる細菌に謝りながら浴びてる。
幼い頃に母から、白血球はばっちい菌を殺してくれるのよと教えられて、
え?僕の体はバイバイ菌さんを殺してるのかと一瞬罪悪感を感じたが、
白血球は僕じゃないから悩むことないか、こいつらが勝手にやってることだし
僕のせいじゃないやと思うことにした、という思い出がある。
864 :
考える名無しさん:2010/12/18(土) 14:11:17 0
∩
∧_∧ | | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´Д`)// < 先生!こんなのを発見シマスタ!
/ / |
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\  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ \_____________
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865 :
考える名無しさん:2010/12/18(土) 20:03:47 0
866 :
考える名無しさん:2010/12/19(日) 23:25:50 0
>>778 外とか内とかはない。夢を見ている時に本当の自分の位置をその夢の中の世界の中で見出す
ことは出来ない。夢の世界を作っているのは自分だから世界全体が自分だとも言えるが。
867 :
考える名無しさん:2010/12/19(日) 23:31:00 0
>>857 最小にするようにする。もちろん自分で自分を殺してもいけないので無理な断食などもしない。
更に、出来ることなら生命を増やすことをする。生命を減らす量を減らして増やす量を増やす。
殺生をするにしてもそれにより他の生命が守られたり増えたりすることを念頭に置く。
一人殺して何万人もの人が助かるならその一人は殺す。
868 :
トーヘンボク:2010/12/22(水) 06:12:47 0
別に、肉など食べなくても生きていけるのは確かだと思う。
いっぽう、食をひとつの文化だとし、多彩な文化のレパートリーを
人類は探求し続け、消費すべきだという考えかたもあり、現在の主流を
なす考えかたである。
人類はその実力によって、地球生態系の食物連鎖の階梯の頂点に昇りつめた
のだから、何でも食べていい、という正当な権利を持っている。。という
考え方だ。・・よく言われるように弱肉強食が自然の掟だとするなら、
種全体の力で、圧倒的に他種よりも強者に立った人類は、正当な権利を
行使しても良い、したがって、食用のみならず、遊びとしての狩猟も是認
される・・という訳だ。
869 :
考える名無しさん:2010/12/22(水) 08:27:49 0
>>868 別に、肉など食べなくても生きていけるのは確かだと思う。
いっぽう、食をひとつの文化だとし、多彩な文化のレパートリーを
猫は探求し続け、消費すべきだという考えかたもあり、現在の主流を
なす考えかたである。
猫はその可愛さによって、地球生態系の食物連鎖の階梯の頂点に昇りつめた
のだから、(アレルギーが出るもの以外)何でも食べていい、という正当な権利を持っている。。
という 考え方だ。・・よく言われるように弱肉強食が自然の掟だとするなら、
種全体の力で、圧倒的に他種よりも強者に立った猫は、正当な権利を
行使しても良い、したがって、食用のみならず、遊びとしての狩猟も是認
される・・という訳だ。
仏教はわからんがゲーム好きなので例えてみる
高橋名人が神だとする
16連射できる能力があり
スターソルジャーのラザロの攻略方法を知っている
一日一時間という教義がある
ゲームをクリアするコツを知っている
現在いろんなゲームがあるが
高橋名人の教えは合う物もあり役に立たないものもある
スティックの握り方という新しい価値観も出てきた
ウメハラという神も出てきた
これからどんなゲームが出るかも分からない
16連射できないと悟れなのか
ウメハラとスティックの握り方が違うといけないのか
ノーミス、アイテムコンプでないとクリアじゃないか
そもそもアクションゲームが苦手な人は悟れないのか
ゲームを楽しむというのが悟りなのか
糞ゲーもクリアしないと悟れないのか
普遍の真理というものがあるのか
ゲーム好きなら分かる
すごい奴がいた、これからも出るだろう
すごいゲームがあった、糞ゲーがあった、これからも出るだろう
別に神は自分でなくてもいい
糞ゲーや全てのゲームをクリアする必要はない
おのおのの楽しみ方がある
871 :
禅屋:2010/12/23(木) 11:59:17 0
どちらにしろ
『主体』があるから『客観的対象』があるのか?
『客観的対象』があるから『主体』があるのか?
という問題になるのです。
自己なくして世界はあるか?
世界なくして自己はあるか?
世界を認識する認識主体は「我」だから、とするなら唯我論になってしまう。
しかしこれでは、認識主体が認識主体を客観的対象とする二分化が起こってしまう。
ではどうするのか?
我を忘れて客観的対象に溶け込んでいればいいのである。
大河の一滴である我が川に溶け込めば、即、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静である。
『主体』と『客観的対象』は一つとなる。『見るもの』と『見られるもの』は一つとなる。
即、一切皆空・色即是空・空即是色である。
『空』『無我』『悟り』である。
『空』『無我』『悟り』という意識が少しでもあれば鑑覚の病いであるが、
それは悟後の修行であり、また別の話である。
872 :
考える名無しさん:2010/12/23(木) 22:29:21 0
難しい話はやめようぜ。自我の餌になっちゃって自我が大きくなっちゃうぞ。
873 :
考える名無しさん:2010/12/23(木) 22:34:13 O
それよりセックスしようぜ
ん
Yes,we can!
どれだけ奇麗事を述べても俗世間で生きてる限り主客は断絶され
自我は孤立無援としている
人生は苦が根本で逃れられないんだ
空?悟り?そんなものどこにある?
キリスト教の天国と変わりないじゃないか
ほんと生まれてこなきゃよかったよ。。。
苦しい、苦しい、
877 :
考える名無しさん:2010/12/23(木) 22:57:36 0
脳波を計ったりすると、意識される6〜7秒前に決断が行われていることが分かる。
つまり、「自分で考えた」と思い込んでいることは実は意識される前に既に考え
終わっているのであり、本当は自分では何も考えていないのだ。
自分でやったのではないことを自分がやったと錯覚しているだけ。
この「自分でやった」という錯覚が自我だ。
878 :
プブリカヌス:2010/12/24(金) 00:16:52 0
>>666 タペトムさんは、理性と何かの間でぶった切れてるよね。
私は私ならずして私である。
「自分」の存在を否定して「無我」の境地に至ってこそ
本来の「自分」でいられるのである。
880 :
考える名無しさん:2010/12/24(金) 05:29:50 0
>>871 それだとアートマン論との違いが問題なんだけど
どう考える?
仏教は悟った人間の世界観であり、悟っていない人間に仏教は理解できないものなのだよ。
このスレッドには俺以外に悟った人間は居ない。
悟っていない人間が、無我だの空だの言っても真に理解していないことを語っているのだから、
そういう者は妄想を語っているか嘘をついていると言える。
仏教の概念を覚えて自分を洗脳し、そう思い込もうとしているだけで、ただの妄想である。
882 :
考える名無しさん:2010/12/24(金) 08:31:25 0
>>881 >このスレッドには俺以外に悟った人間は居ない。
わろた。
なんで分かる? 神通だと言うなら、今、ちょっと、オイラの前に来てくんないか。
来たら、一応、認めるは。
来られんなら、ただの妄想だって気づくことから始めよう。
なんでそーーなるのっ!
884 :
考える名無しさん:2010/12/24(金) 12:32:17 0
>>883 まず、オレ以外に悟っているものがいないと主張するには、
他人が悟っていないことを認識できると宣言していることになる。
これができるのは神通以外にないだろう。
次に、仏教で完全に悟ったなら、神通でどこでも出現可能なのである。
それができないなら、悟ったなどと思うのは妄想以外のなにものでもない。
単に文字から他人は悟ってないと推測してるとするなら、
「悟っていない人間が」悟ってるなどと「言っても真に理解していないことを語っているのだから、そういう者は妄想を語っているか嘘をついていると言える」
何か勘違いして「自分を洗脳し、そう思い込もうとしているだけで、ただの妄想である」と自分の言葉がそのまま頭に降りかかっているだけのことである。
つまり、自己矛盾していることにもなってしまうでしょう。
悟りとか実在がどうのとか
単なる言葉遊び、中身の全くない思想
なことないよ
887 :
考える名無しさん:2010/12/24(金) 14:33:28 0
仮に仏教の内容を信じて、悟りというものがあるのだとしても、
仏教哲学を研究することがその悟りに至る道だとは思えないし、
それ以外の何らかの意味があるようにも私には思えないんだが。
仏教哲学を研究しているやつって、何を求めているんだ?
888 :
考える名無しさん:2010/12/24(金) 15:19:27 0
>>887 まあ、金、名誉、知的探求あたりだろうね
生活
仏教研究はね、
超マイナー分野で
競争レベルが低く
やりがいはないが
相手がボンクラだらけで
楽勝なのでオススメよ!
892 :
考える名無しさん:2010/12/24(金) 16:00:18 0
>>889 生活はできないと思う
>>890 確かにそうだが、勝ち過ぎるとこれまた生活できないと思う
895 :
考える名無しさん:2010/12/24(金) 19:30:48 0
>>887 俺は色んな哲学をかじってるうちに、仏教が一番しっくり納得出来たから勉強してるけど
悟りなんて全く重視してないよ。
それでも仏教の考え方を理解すればするほど人間的にずいぶん成長できる。
俺的な体感速度。目の前の扉がどんどん開かれてく。
何を求めているか、しいて言えばさらなるそういう感覚を求めている。
そして実際、そういう実感がとてもある。
他の哲学は考えれば考えるほど「だから何?ほんとに?」ってなることが多いんだけど。
896 :
考える名無しさん:2010/12/24(金) 20:10:40 0
>>895 おお! いいね、いいね、いいね。随喜、随喜!
こういう方は、いいね〜ぇ
897 :
考える名無しさん:2010/12/24(金) 21:20:19 O
メリークリスマス
合掌。
898 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 01:01:00 0
>>895 人間的に成長できたってのは、どうやって確認したの?
自分でそう思い込んでるだけじゃね?
君は、単にそれが面白く感じるから勉強してるだけかな?
気分だよ気分
900 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2010/12/25(土) 01:54:32 0
このスレも久々ですね。
>>895>>898さん
それが本当のものであるかどうか
それはご本人にしか分からない事ではないでしょうか?
他の人にもそれが同時に、同様に知覚、認知されるならば
その人もまた成長したということでしょう。
901 :
禅屋:2010/12/25(土) 02:09:18 0
>>872 それは真剣に気をつけなきゃならない問題だよ。自我というのは巧妙な詐欺師だし宿敵だよ。
>>875 >空?悟り?そんなものどこにある?
>キリスト教の天国と変わりないじゃないか
>ほんと生まれてこなきゃよかったよ。。。
>苦しい、苦しい、
「空」「悟り」「天国」は存在しないよ。イメージや言葉なんか無実体だから。
苦しいの?そういう人は坐禅でもっと苦しんでもらわないとね。
禅では希望の片鱗すら奪い取ってやりますからね。坐るしかありませんよ。
>>880 >それだとアートマン論との違いが問題なんだけど
>どう考える?
これはかなり頭かかえる問題だよ。釈迦以前のバラモン教ヒンズー教の教義に
梵我一如のブラフマンとアートマン真我がある。しかも仏教の後にヒンズー教が
教義を変更して仏教のパクリをした云々もあるので更にややこしくなる。
別にアートマンを認めてもいいと思うんだ。ただ自己の偏狭なアートマンじゃなくて、
一切合切が何もかもアートマンだとするならばね。これは無位の真人と同じで
何もかもが無位の真人だったら、わざわざ「無位の真人」なんて表現して分別化する必要
ないわけだからそんな言葉もいらなくなる。だから何もかもがアートマンならば、
ブラフマンと同じでしょ?ってことでアートマンもブラフマンもいらなくなる。
だから、後から教義を変更せざるを得なくなったヒンズー教の歪みみたいのが感じられるのね。
禅屋は今日がクリスマスだと知っておるのかね?
論語読みの論語知らず。
論語を読んだが内容を理解していない人。
知ったような顔をしているが物事の本質を理解していないこと。
ここで仏教を語っている者達も仏教を全く理解していない。
仏教の本質は悟っていないと理解できないのだよ。
表面的な言葉やイメージを覚えて分かったようなふりをしているだけである。
そのような者達を勘違い野郎と云う。
904 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 05:48:55 0
>>901 そりゃ、単に三昧・禅定体験を悟りと勘違いしてるだけだぜ。
外道と変わらない。悟りでもなんでもない。
禅宗にはそういう勘違いした伝統があるから、困る。
905 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 05:49:50 0
906 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 07:45:56 0
仏教語ってる奴って本当の意味が分かってないで言葉だけ真似してる権威主義なんだよね。
言行一致してないからすぐ嘘ついてると分かる。
907 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 08:30:38 0
空だの無我だの言っているが、真に理解せずに説明だけを覚えて言っているのだから、
それは妄想を語っているのと同じと言って良い。
仏教の概念を記憶してそう思い込もうとしている自己催眠と同じであり、それでは只の狂信的信者である。
君たちの自己催眠レベルでは仏教は理解できないのだよ。
真に理解してから語りなさい。
どうでもいいわ
910 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 10:57:38 0
現在残っている最古の仏典ですら、それが現在の形で編纂されたのは、
仏陀の死後数百年後だそうじゃないか。現在「仏教」と呼ばれているものは、
仏陀の本当の教えがひどく歪曲され、もはや「仏教」とは呼べない代物に
されてしまった結果だという説には、かなり説得力を感じる。
仏陀は幻
輪廻と永劫回帰は同じ世界観?
>>410 こういう奴の精神は、自己催眠によって妄想に襲われるようになった病的な状態だな。
仏教の本質を理解せずに必死に自己洗脳するから、こういう精神病になる。
こんな奴の語る仏教はインチキである。
915 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 13:02:57 0
「悟りは俺しか経験してないし、お前らにはとうてい無理」
って言ってる一見ウザい人は、悟りがどういうものかを言外に語ろうとしてるのかも知れないよ。
元オウムの林郁夫は、麻原のおかしな言動を裏読みしすぎてハマっていったという歴史もあるので
話半分にとらえるのがいいけど、そこは自分で色々な本を読んで勉学に励むしかない。
916 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 13:08:19 0
>釈迦に会ったら
ただの病気
>釈迦を殺せ
病気がさらに進行している
917 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 13:34:51 0
>>910 西洋哲学にはデカルトの「我思う、故に我あり」という大きな一撃を、
様々な哲人が様々な形で受け継いできたという例があるけど
仏教哲学もそれに近いと思ったらいいよ。
仏陀を崇拝したり原理主義的に考える必要はない。崇拝したい人だけ崇拝すればいい。
919 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 15:03:44 0
>>884 > 次に、仏教で完全に悟ったなら、神通でどこでも出現可能なのである。
今君の目の前に居るのだが、君には見えないのかな?
920 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 15:08:44 0
>>895 しかし残念ながら成長する主体である「自分」があると信じたままではその分だけ苦も続く。
そこで苦を避けようとして更に努力して「自分」を大きくしようとすればその分だけ苦も増える。
「自分」が苦の根本原因だから。
921 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 15:10:34 0
>>910 その通り。だから悟らないと余計に分からないのだよ。
922 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 15:11:15 0
923 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 15:14:11 0
925 :
環境の並べ替え活動:2010/12/25(土) 16:26:19 0
善人がいたらさあ、辞めさせて当たり前だよね。
君が辞めさせようと思ったら、みんな、辞めさせられるでしょ。
学校を辞めさせたら、研究者の道が切れちゃうよ、君が辞めさせようって思うだけで。
ざまあみろって思うでしょ。
君ってさあ、人の弱点がすごい見えるからさあ、指示が飛んで来て、すぐに偉くなっちゃうんだから〜。
得意になって輝いて見えるよね。
教授とさあ、焼き焼きするのが得意じゃん、本当、彼とのタッグが上手いよね〜。
奴隷を作るのもさあ、悪くないよね。
926 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 16:44:09 0
∩
_.具_| | マグネットパワー -!
/( Y )./
| ム六ム
/::::::∧::::::\
└━┘└━┘
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
>>1 / つ ,つ
し(_)
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/ _ソ /""''_ヽ __
| ⊥、 ,| 6'」=I' ( ン | マグネットパワー +!
ヽ、 ⌒""/;,.,.,;;'" ̄ゝ⌒ヽ..,--...-'" /
"'---'/ \ ゝ _,,../
ノ────、,ノ ̄ ̄
ノ_____ソ __...-''""i
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""/==/
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 ̄"
928 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 16:56:54 0
>>923 ここだよ。なんで君には見えないのかな?
929 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 16:58:30 0
>>926 素晴らしい。僧侶であるということに対する執着心が全くなかったんだね。
930 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 17:10:34 0
人に迷惑かけたらいかなる言い訳も通用せん
931 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 17:14:37 0
馬鹿が1人いるなw
932 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 17:16:30 0
a
934 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 20:18:59 0
>>917 >西洋哲学にはデカルトの「我思う、故に我あり」という大きな一撃を、
>様々な哲人が様々な形で受け継いできたという例があるけど
それは18世紀以来のドイツ哲学史の説で、実際にはそれほど影響なかったってのが現在の主流らしいけど?
935 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 20:19:54 0
>>919 >今君の目の前に居るのだが、君には見えないのかな?
おいおい、オイラに見せられないんじゃ、ただの妄想じゃないか
妄想即真実、真実即妄想。
937 :
考える名無しさん:2010/12/25(土) 23:47:00 0
蜘蛛の糸かなぁ〜って思ったら
ヒモだった
女、食い物にするのが上手だね
曖昧にし一対一の発言から逃げている高ステイタス所持者の問い?
黙示録21:8
曖昧即真実 真実即無言
確実即事実 事実即意見
940 :
考える名無しさん:2010/12/26(日) 04:06:38 O
色即是空、空即是色
>>410 釈迦に会ったら 即ち病
釈迦を殺せば 疾病悪化
自己催眠の妄想一人相撲
942 :
悟れよ:2010/12/26(日) 08:50:50 0
>>908 >君たちの自己催眠レベルでは仏教は理解できないのだよ。
>真に理解してから語りなさい。
理解するものではない。
943 :
考える名無しさん:2010/12/26(日) 12:13:28 O
数千年前のインド人の妄想に現代の日本人が支配される必要はない
仏教というカテゴリーで宗教のいくつかをまとめたのは近代になってから。
仏教の目的はなにかと命題化して問うこと自体が近代の罠にはまっている
国家神道に駆逐されその国家神道もなくなって終わったんだよ
944 :
考える名無しさん:2010/12/26(日) 13:48:01 O
日本人を形成するのに仏教は役割を果たしたという意見もよくあるが、仏教はナショナリズムの肩を持ってしまったな
だよな
宗教が社会的権威の一つであるのは
世の常だから、仏教もまたそうなわけで
日本仏教のもつ面ぜんぶまるごとと
付き合うとうんざりしてくるので
適当にいいとこどりするのが大吉
947 :
考える名無しさん:2010/12/26(日) 15:28:27 0
今の日本仏教に社会的権威なんてないよ。
伝統と格式を誇る葬儀屋に過ぎない。
伝統と格式を誇れるのは権威ある証拠だよ
それを社会が(それなりに)認めているわけだから
>>948 つーか、その場合、
「権威が(残)存しているから伝統・格式を語り得る」のではなく、
『伝統、格式=権威』という構図になるんじゃね?
950 :
考える名無しさん:2010/12/26(日) 15:41:58 0
彼ら自身が誇っているだけで、周りの社会はもう認めていないよ。
葬儀は無宗教、戒名はいらないって奴が増えているし、これから
もっと増えるだろう。
>>950 たしかに増えると思うが、
死の不安や貧病争はなくならないので
宗教頼りの人も増える
その結果、
伝統仏教は生き残り
葬式仏教も生き残る
宗教を導く側と宗教に導かれる側で正反対の意味があるよな。
これを後者だけでしか認知できないから、な伝統とか権威とか
考えてしまうわけ。んな形式論とか底辺の導かれる側が丸暗記した
劣化『伝統、格式=権威』だろ、習ってもそれは猿真似、パクリに
すぎないわけだ。救済を求めて入信したやつが、いつの間にかに
教祖紛いな行動を取っているわけ。
その組織やら宗派での一般とか常識とか、んなのは解釈側の主観に
すぎないわけ。それを錯覚して定義された明確なものだと思い込んで
いる時点で痛すぎる。
>>952 「宗教=底辺」
という根拠のない上から目線に、
自分の国語力がついていってないんだね。
君はただイジメる相手が欲しいだけじゃないか。
君みたいな寂しがり屋がコロっと極端なカルトにはまるんだよ。
955 :
考える名無しさん:2010/12/26(日) 19:56:49 0
>>935 君が妄想を見ていて全く現実を見ないから見えないんだよ。
いやしかし目の網膜には映っている筈だがなあ。
>>955 あれ?
そういうこと―つまり、当人が無明に覆われて真実(の姿)が見えていないということ―とは違うでしょ?w
神通等奇跡による教化っていうのは、当人に知覚されて初めて意味があることでしょ。
知覚認識できるから(できたから)、「ははぁ〜 orz 畏れ入りました」ってことになるんでしょ?
仏典の神通発揮の殆どがそういうケースでしょ。(カッサパ三兄弟の長兄なんか典型例)
知覚認識できない人が、神通が発揮されていることをどうして知り得ようか。
真実が見えていない人にこそ、知覚されなければ意味が無いのではありませんか?
957 :
考える名無しさん:2010/12/26(日) 21:47:46 0
>>955 おいおい、はったりもいいかげんにした方がいいぞ。
いっとくが、神通ないのにあるという罪は重いぞ、懺悔した方がいい。
>>956 そういうこと相手の認識力に会わせて現れを変えられるのが神通・神変だから、それができないなら、ただの妄想か、全くの嘘なだけ。
君はいろんなものが見えてない
959 :
考える名無しさん:2010/12/26(日) 21:59:35 0
>>958 いやいや、そうしか言えない君が唯の妄想に生きてるだけだよ。
何も知らない。何もできない。あるのは妄想か嘘だけ。
懺悔しといた方がいいよ。
宗教に頼りたい心弱き人
宗教に救いを求める人がいる限り、
僕らの生活は安泰です!キリッ
良質の国宝を抱えたお寺はそれだけで安泰
962 :
考える名無しさん:2010/12/26(日) 22:12:33 0
>>960-961 思いたいなら、そう思えば。
たしかに商売の坊さんも多いかもしれない。
しかし、そうでない方もいるんだなあ。
ほとんど、何も持ってない方とか。
日本で仏教なんて葬式以外に何の役にも立ってない。
西洋哲学的な視点から東洋思想には刺激を受けることはあるがね。
964 :
考える名無しさん:2010/12/27(月) 11:20:16 0
現代の仏教の組織団体の活動に関しては俺もそう思うが、
仏教思想が日本人の考え方の基礎になっていることも事実だ。
自分が知らないうちに洗脳されてきた考え方を意識化し、
批判的に検討する契機としても、仏教は学ぶ価値がある。
965 :
考える名無しさん:2010/12/27(月) 11:44:33 0
>>964 どういう思想に基づいて批判的に検討wするのかな?
素朴実在論にしろ、煩瑣な実在論にしろ、実在論・本質主義に立って検討したら意味がない。
その実在論・本質主義こそ打ち壊すべき妄想なのだから。
実在論とか、本質主義とか、どこから出てきたんだ・・・w
967 :
考える名無しさん:2010/12/27(月) 12:47:55 0
>>966 現代思想は、西洋思想の影響を受けて本質主義だし、
仏教以外は全て形態を変えた実在論だからね。
>>967 無茶苦茶だねw
哲学を勉強してください。
970 :
考える名無しさん:2010/12/27(月) 14:25:22 0
>>969 プラトンの『メノン』に描かれたソクラテスのメノンに対する問いが正に本質主義、
以来、クリプキに至るまで本質主義を疑った西洋人は管見の限り、ハイデガーとウィトゲンシュタインぐらいである。
実在論も同様で、ハイデガーがライプニッツの問いに疑問を投げかけているぐらいが、西洋の始めての疑問。
これに対して、釈尊は早々に完璧な答えを出し、龍樹菩薩が体系化した。
もちろん、実在論者である他学派、特にニヤーヤ・ヴァイシェーシカあたりからの仏教に対する批判は激烈で巧妙だったが、
管見の限り釈尊・龍樹菩薩を超える論理は出されてないように思える。
971 :
考える名無しさん:2010/12/27(月) 15:01:40 0
あなたの「管見の限り」というのが如何に程度が低いか、よく分かる文だな。
本質主義に対する批判は古代・中世・近代の西洋哲学の中にいくらでもあるよ。
実在論/反実在論に関しても同様。ドイツ観念論全体が、カント哲学の
「もの自体」の実在論に対する批判だということぐらいも知らないのかい?
「○○こそ素晴らしい、それに比べて××はまったくダメ」といいたがる奴って、
結局「俺は賢い、他の奴はアホ」と思い込んで自己満足に浸りたいだけじゃ
ないかな?
972 :
考える名無しさん:2010/12/27(月) 15:06:12 0
少し哲学的な言い方をすると、何らかの意味での実在論をとらない限り、
たとえばその説がどのような意味で反対説よりも正しいのかが規定しにくくなる。
真理に関する整合説を持ち出せばいいと思っているやつもいるが、
整合説は論理の普遍性を前提にしており、近代の論理学によって示されているのは、
その疑わしさなんだよ。
いろいろ言っても所詮ことば遊びだとすれば
各自が楽しく暮らしていけばそれでいいのかな?
974 :
考える名無しさん:2010/12/27(月) 15:16:04 0
>>973 そうだとすると、竜樹のような奴はおせっかいに他者の説を批判して、
自分や自分の信奉者は楽しませるが、批判された奴は不快にする
我儘小僧だということになるぞw
現実的にはそれで合ってそうw
仏教は無意味な価値相対主義。
>>973 各自が楽しく暮らしていこうとすると
各自の間に争いが発生するから
苦楽の最適化のための処世術が必要になる。
いい処世術を持つためには
そのもととなるしっかりした哲学が必要となる。
というわけで堂々巡りするのよ。。w
978 :
考える名無しさん:2010/12/27(月) 18:16:31 0
>>971 いやいや、カントも実在論・本質主義を免れてないと思うが。
>>972 >少し哲学的な言い方をすると、何らかの意味での実在論をとらない限り、
>たとえばその説がどのような意味で反対説よりも正しいのかが規定しにくくなる。
それが正にソクラテス以来の本質主義に他ならない。
>>972 >整合説は論理の普遍性を前提にしており、近代の論理学によって示されているのは、
>その疑わしさなんだよ。
そうタルスキ程度しかない。それに対してインドは、釈尊・龍樹菩薩は完成し、ニヤーヤ・ヴァイシェーシカもなかなか、その影響下のディグナーガ以降の仏教論理学もなかなかだと思う。
979 :
考える名無しさん:2010/12/27(月) 19:49:28 0
>>978 ああ、そうそう懐疑論とか虚無論とかは、唯の観念論・妄想だから対象外ね。
980 :
考える名無しさん:2010/12/28(火) 01:15:42 0
>>978 インドの論理学はその時代としてはなかなかのものかもしれないが、
現代論理学とは比較にならないよ。「タルスキ程度しかない]とか言って
得意になってるレベルじゃ、言ってもムダかもしれないけどw
981 :
考える名無しさん:2010/12/28(火) 01:26:03 0
そもそも論理の普遍性を問題にしている文脈でタルスキってどういうことなの?
自分がその名前を知ってるってことを誇りたかったのかw
982 :
考える名無しさん:2010/12/28(火) 01:29:42 0
「ドイツ観念論全体が、カント哲学のもの自体の実在論に対する批判だ」に対して、
「カントも実在論・本質主義を免れていないと思う」と答える時点で、論理学以前に
こいつに論理的思考力があるのかどうかが疑わしいが。
983 :
考える名無しさん:2010/12/28(火) 02:15:16 0
>>980 いや、そうは全く思えない。要するに現代論理学は実在論的前提をもって始めて成立するものだろう。
>>981 その普遍性を成立させるためには、真実とは何かを考えなくてはならない、
管見の限りタルスキに依存して、そこは不問にして実在論的前提を受け入れて展開してるのが現代論理学だろう。
ちなみに釈尊・龍樹菩薩は普遍妥当性のような無理なことはいわない。
>>982 すまん。誤読した。カントかと思ったよ。
ドイツ観念論も神とか精神のような実在を設定してるでしょ。
984 :
考える名無しさん:2010/12/28(火) 02:30:14 0
>>983 「現代論理学は実在論敵前提を受けれて展開している」っていったいどういう意味?
985 :
禅屋:2010/12/28(火) 15:23:46 0
>>904 >そりゃ、単に三昧・禅定体験を悟りと勘違いしてるだけだぜ。
>外道と変わらない。悟りでもなんでもない。
>禅宗にはそういう勘違いした伝統があるから、困る。
その通りですよ。禅定・三昧(禅那=ディアーナ)をやるから禅宗なんです。
禅定体験には終わりがある。だから単なる体験であって悟りではない。
では「悟り」とは何なのかといえば、私もよくわからないんですね。
986 :
考える名無しさん:2010/12/28(火) 15:49:39 0
「現代論理学は実在論的前提をもって始めて成立する」ってどういう意味なの?
現代(20世紀以降)の論理学と伝統的論理学を比較してよく言われる見解として、
現代の論理学はLogic without Ontologyだというものがある。
たしかに、タルスキはT文に関して、それは真理の定義が十全なもので
あるために必要な条件として、持たなければならない帰結の形式を述べただけであり、
対応説/整合説というような真理に関する特定の哲学的見解にも与するものではない
ことを強調する。それはその通りだろうと考えるのが通説だと思うんだが。
仏教哲学の最終目的は…
なんも考えやんとただひたすら、『寝て起きて、飯食べて、働いて、体を清潔にして、寝る』を繰り返すこと。
たったこれだけの事だが、僕を含めてみんな出来ない。
何故、出来ないのかを考えると、哲学的になるだけ。
まぁ〜それがメッチャ難しいんやけどね。
…と
おもったりなんかしちゃったたりなんかしちゃったて♪
仏教哲学の最終目的は…
生→老→病→死、以上。
あとは好きにしろ!
989 :
考える名無しさん:2010/12/29(水) 13:14:29 0
「生→老→病→死」は仏教に関係なくみなそうしている。
それが最終目的なら、端的に、仏教なんかイラネ。
「寝て起きて、飯食べて、働いて、体を清潔にして、寝る」だったら、
経典読むより就職活動やシャワーやウォシュレットの方が有用。
やっぱり、仏教イラネw
990 :
考える名無しさん:2010/12/29(水) 13:19:45 0
抜苦だろ?生老病死やその他の苦しみを
ありのまま受け入れられる心を養うんだろ?
生老病死はすなわち人生。
人生を苦しみ、人生を楽しめ
それこそ仏教の目的なり。
992 :
考える名無しさん:2010/12/29(水) 16:09:00 0
抜苦代受なんて仏典には出てない。邪道。
葬式以外に仏教などの宗教を必要としてる奴なんて頭も心も弱い奴だろ。
>>993 その通り。お前のように頭も心も弱い奴だ。
>>989 生活の内容が一切変わらなくてもそこから苦が抜けるわけだが。
まあでも仏教的手法でなくても問題はないな。仏教は苦を滅する道具の内の一つだ。
医療で使われる医療機器や薬のようなものだと思って良い。
だから他の道具を使ってはいけないということはないし、自分に合った道具を自作しても良いし、
何もせずそのまま苦を感じ続けて生きてはいけないということもない。自然治癒もありうる。
ただ自分で何とかするにしても仏教的手法は参考にはなると思うよ。
宗教の奴は、すぐ宣伝する。何の科学的根拠もない。
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