般若心経って仏教じゃなくて竜樹教なのかね?

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939考える名無しさん:2013/07/20(土) 16:01:26.34 O
>>938
そらそうよ
940考える名無しさん:2013/07/21(日) 00:47:13.33 0
議論にルールなど無いのは殆どの人が体験している

声の大きいものが勝ちだ

ノックアウト勝ちというのもある
941考える名無しさん:2013/07/21(日) 05:47:26.69 O
どれだけ考えても実体がない状態で、存在が(仮にでも)成り立つという理屈がわからん

こういう議論じゃ説一切有部とか唯物論みたいに根源的な実体を認めるか
あるいは唯識みたいに妄想だからそもそも成立してないと主張するかしかない気がするんだが
もし実体がないなら例えば、机に触っているとき一体俺は何を触っていることになるんだ

空は存在を無限に分析していけるという意味だろ?
存在が底なし沼的な構造ならそれは成り立ってなくね?

そして、もしそうなら机触ったときにスカッてならないとおかしくないか?

俺が空を勘違いしてるのかもしらんが誰か教えて
942考える名無しさん:2013/07/21(日) 21:22:17.94 O
>>941
アンチノミーは無記でよろし

現代の唯物論だって、大体はこの次元の"物"を絶対としてるわけじゃなく、
「この次元の物は観念より根元的であろう」って程度だ
943考える名無しさん:2013/07/22(月) 00:54:13.79 0
>>941
考えるから分からなくなる
般若波羅蜜は、根本的には考えないことを会得することだ

哲学の目で仏経を考えるからいけない
龍樹の主張は、あらゆる命題は成立しない、ということの論証なのだ

ヨハネ傳福音書と正反対で、初めからロゴスなどなかった、ということだ
944考える名無しさん:2013/07/22(月) 04:16:59.35 O
それが当に哲学の目だが
945考える名無しさん:2013/07/22(月) 10:04:20.75 0
般若心経よいよね
「全ては無、世界も無、心も無、お前の存在も無」
とか主張しつつ最後の最後には
「彼岸に全く往ける者よ、悟りよ、幸あれ」

心の無を主張しつつ、最後は「幸あれ」という願い(心)を込めてる

龍樹はツンデレの先駆けなんですわ
946考える名無しさん:2013/07/23(火) 11:50:53.34 0
*
947考える名無しさん:2013/07/28(日) 00:55:13.90 0
龍樹が般若心経を作ったわけではないし
般若心経は般若経典群の代表でもない

般若波羅蜜多心経とは、
般若波羅蜜多菩薩の呪文を潤色するために
何者かが般若経から適宜抜粋した経文を前段に
置いただけの、中国撰述の代物・・・・らしい
948考える名無しさん:2013/07/28(日) 14:33:04.19 0
上座部はブッダゴーサ教だなって書こうと思ったらすでに3年前に書いてあったw
949考える名無しさん:2013/07/30(火) 08:44:57.69 P
般 波 羯 即 実 呪 多 三 般 倒 掛 般 無 無 明 法 眼 是 不 亦 色 厄 多 観  摩
若 羅 諦 説 不 是 是 藐 若 夢 礙 若 得 老 亦 無 耳 故 生 復 即 舎 時 自  訶
心 僧 羯 呪 虚 無 大 三 波 想 故 波 以 死 無 眼 鼻 空 不 如 是 利 照 在  般
経 羯 諦 曰 故 等 神 菩 羅 究 無 羅 無 盡 無 界 舌 中 滅 是 空 子 見 菩  若
  諦     説 等 呪 提 蜜 竟 有 蜜 所 無 明 乃 身 無 不 舎 空 色 五 薩  波
    波   般 呪 是 故 多 涅 恐 多 得 苦 盡 至 意 色 垢 利 即 不 蘊 行  羅
  菩 羅   若 能 大 知 故 槃 怖 故 故 集 乃 無 無 無 不 子 是 異 皆 深  蜜
  提 羯   波 除 明 般 得 三 遠 心 菩 滅 至 意 色 受 浄 是 色 空 空 般  多
  薩 提   羅 一 呪 若 阿 世 離 無 提 道 無 識 聲 想 不 諸 受 空 度 若  心
  婆     蜜 切 是 波 耨 諸 一 掛 薩 無 老 界 香 行 増 法 想 不 一 波  経
  訶     多 苦 無 羅 多 佛 切 礙 陀 智 死 無 味 識 不 空 行 異 切 羅
        呪 真 上 蜜 羅 依 顛 無 依 亦 亦 無 觸 無 減 相 識 色 苦 蜜
950承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/08/03(土) 02:32:32.90 O
>941
だから、それが正に物理学的視点。
仏教は、存在自体の考察では無くて、
自心の制御に関して説かれた教え。
素粒子などの構造についてでは無く、
他の五波羅の基本としての般若が空。
例えば、机というものの本質は炭素などで構成されて実体は云々では無く、
机と認識しているが、それは木が組み合わされたものであり、机という自性は無い、という話。
別の例を上げると、弾道の計算式というものが弾道を支配している訳では無く、発射速度や空気抵抗や重力などが働いて、その様な数式に表されるだけ、という話。
951考える名無しさん:2013/08/04(日) 01:18:20.48 0
古代天竺でさえ中観や唯識と馴染めなかった仏教徒はいた。
経量部というのがそれで、>>941君に非常に近い感覚だから
>>941君は決して悲観することは無い。
求めるものがある、と思うなら求め続ければ宜しい。
そういう君にとっては、何が般若であり龍樹だろうか。
君が物理学的視点から解脱できないなら無理することはない。
偉大なる凡人を目指し給え。
952考える名無しさん:2013/08/04(日) 02:23:23.20 P
実体の有無は排中立だが仏教は空を提示する

    実 体
    有 無
認 有  |
    ー十ー
識 無  |空

いわば排中立に集合論的場所をあたえるのである
仏教に4分割思考が比較的多いのは偶然ではない
953訂正:2013/08/04(日) 02:24:40.45 P
立→律
954承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/08/04(日) 07:09:24.07 O
>952
ハズレ。
955考える名無しさん:2013/08/04(日) 10:57:07.30 0
>古代天竺でさえ中観や唯識と馴染めなかった仏教徒はいた。
そもそも仏教が古代天竺に馴染めなかったのでは。
桂紹隆さん言うところの詭弁(中観)を駆使したり、
アートマンもどきを想定した理論(唯識)を立てたりしても、
六派哲学の連中が説得されないのは当然だし、民衆もついていかないよね。
956考える名無しさん:2013/08/05(月) 11:51:36.86 O
>>954
内容については同意できるが、それは何的視点なのかな
よもや仏教的とは言うまいが
957952:2013/08/06(火) 03:30:31.54 P
>>954
それが排中律

>>956
論理学は主知的態度ではなく
天才的直観不在でも悟りの可能性を開く倫理的なもの
958考える名無しさん:2013/08/06(火) 08:22:36.67 O
>>957
承り太郎に聞いてるんよ

あとまあ、論理は単に論理的な視点だろうさ
959承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/08/06(火) 23:18:43.76 O
>956
無知亦無得以無所得故

仏教は論理学でも哲学でも無い。
彼岸への筏に過ぎん。


(^。^)まぁ、無理っぽいから俺は凡人で十分だがな。(笑)
960考える名無しさん:2013/08/07(水) 01:04:42.74 0
>>959
凡人になる前の無垢の貴君の意識は彼岸にあったはずだが
如何なる筏に乗って此岸に辿り着いたのか
961承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/08/07(水) 16:50:43.69 O
>960
キリスト教徒?それとも性善説の信者さんですか?
無垢なはずの幼子を放置したらカスパー・ハウザーや、隔離児イザベルみたいな事になってます。
つまり、人は学習して人になるという事ですよ。
962考える名無しさん:2013/08/08(木) 00:39:29.46 0
>>961
そのスタンスでは仏経とはまるで別世界です。
そもそも考えて返信をするということがアンチ仏経です
963承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/08/08(木) 23:34:20.34 O
>962
君の頭の中では、十二因縁がさぞかし奇っ怪な解釈されてるんだろうな。
964考える名無しさん:2013/08/09(金) 01:13:16.34 0
>>963
諸君らは佛教を誤解している

十二支縁起など思いつく前の無垢こそ佛教の極致です
965考える名無しさん:2013/08/09(金) 01:57:05.01 O
中観派は胎生学的な十二縁起観を持たないんだっけ
966考える名無しさん:2013/08/09(金) 12:02:51.08 O
リンゴの種がリンゴ全体を把握できるものか
967考える名無しさん:2013/08/10(土) 01:00:56.20 0
>>966
把握しようという観念は全く佛教から離れている

不可得なのだから

哲学的スタンスを捨てなければならない
968考える名無しさん:2013/08/10(土) 04:01:34.99 O
理論より実践
慈悲瞑想とヴッパナサー瞑想やりましょう

スレ趣旨は
ほぼその通り
969承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/08/10(土) 05:26:02.52 O
>964
月を示す指に優劣など無いだろ。
970考える名無しさん:2013/08/10(土) 13:09:51.97 O
>>967
しようとすること、すること、できること、連関はしているが必要以上にどれかに縛られる必要はない
971考える名無しさん:2013/08/11(日) 01:07:41.10 0
>>968
そんなことに惑わされてはいけない
瞑想など何の実践でもない

>>969
優劣なんと言っているのは貴君ではないのか

>>970
何ものが貴君を縛っているのかな
貴君は惑わされているのか
972承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/08/12(月) 06:00:52.03 O
>971
ほう、極致とは優劣を想定した概念ではないのか。
973考える名無しさん:2013/08/12(月) 08:41:38.79 0
一定時間の瞑想など現実逃避。
一日の始まりから終わりまでの生活の全てが仏道の実践である。
974考える名無しさん:2013/08/12(月) 08:48:45.34 0
仏教なんて必要ない
975考える名無しさん:2013/08/12(月) 09:07:07.73 0
うむ。見事な仏道実践である。
976考える名無しさん:2013/08/12(月) 13:39:22.98 O
急がば回れといいますからな
瞑想という回り道も必要ですわな
977考える名無しさん:2013/08/12(月) 17:58:43.61 0
>>972
極致とは優劣を超越した所、即ち優劣概念の生ずる以前の境地をいう
978考える名無しさん:2013/08/12(月) 18:02:40.48 0
>>976
急いで何処に行きたいのか
往く処などないのに

そうか、貴君は迷想しているのか
979考える名無しさん:2013/08/12(月) 18:16:01.97 0
>理論より実践
>慈悲瞑想とヴッパナサー瞑想やりましょう

理論より実践というのは、そのとおりだと思うが・・・
日々の生活や仕事の中で実践していくことが大事だ。
日々の生活の中で、自分(の中にある迷い)を見つめていく、ということ。

瞑想や坐禅をしていても、
それが、日々の生活の中に生かされていなければ、
まったく意味のないものになるから。
980考える名無しさん:2013/08/12(月) 18:20:34.43 0
0.1秒前の此処に行きたいです。
981考える名無しさん:2013/08/12(月) 18:58:46.59 O
>>978
そら志次第だろう
迷いも道だよ
982考える名無しさん:2013/08/12(月) 20:12:02.43 0
その通り。迷ったら迷うに任せる。
983承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/08/12(月) 20:43:20.59 O
>977
極致
力を尽くして最終的に到達する所。この上ないおもむき。

と、広辞苑にあります。
もう少し正しい日本語を学びましょうね。
984考える名無しさん:2013/08/13(火) 01:00:11.21 0
>>983
貴君は小学生か
985考える名無しさん:2013/08/13(火) 05:16:34.38 0
短い行数でチクチクと小蜂が刺すような指摘をしてないで、
これが正しくてそれは間違いだと堂々と論じればいいじゃないの。
986考える名無しさん:2013/08/13(火) 11:10:17.13 0
>>985
焚きつけていないで自分自身でやったら如何
987考える名無しさん:2013/08/13(火) 15:10:29.00 0
>>986
俺はROM専だから当スレで主張したいネタは何もない。
数行レスでチマチマした応酬を読んでても
みんな面白くないと感じているはずだから、そろそろ止めたら?と提案した。
988考える名無しさん
>>987
提案するのは貴君の自由だ
面白くないと感ずるのも貴君の自由だ