1 :
考える名無しさん:
2 :
考える名無しさん:2010/10/06(水) 10:44:10 0
哲学的立場から特攻作戦を批判したら朝鮮人認定されたでござる。
だから、おまえのは哲学的立場じゃなくて、
ただの「被害者意識」なんだよ!
おもちゃ屋の前でおもちゃを買ってと泣き叫ぶガキなんだよ。
>>3 前スレ読んだのか?
旧軍の戦争責任について特攻作戦に限定して語ってるのに。
突然日本人精神とか言い出す奴に困ってるんだろ。
>>997 > ははは。ひどく醜く歪んだ世界観だなw。
おまえから見ればそうみえるように、
俺から見ればおまえこそひどく醜く歪んだ世界観をもっている。
ここらへんはお互い様。
相手を論破しようとするのはそれこそお互いに時間の無駄だから、
なるだけそこに踏み込まないようにしたいのにいつまでも絡んでくるから。
> 帝国主義的経済行動が、二度に渡る世界大戦に繋がったのは
> 否定のしようのない事実。
> 日本の右翼のバカなところは、西欧が仕組んだ、偽の“フェアプレイ精神”に嵌まって
> 西欧と対等になろうとするあまり、西欧と同じことをしようとしていた(している)こと。
> そういう状態では永遠に西欧を乗り越えることなど出来ない。それこそルールは西欧が作ったものだから。
> お前、「抵抗権」という概念も、18世紀ヨーロッパの啓蒙思想の時代に
> 絶対王政に対して人民が反抗する権利として考え出されたものだぜw(例)フランス革命における「革命権」
> 君の思想自体がすでに西欧の手の平の上なんだよw
・・・別にここまでを否定するつもりはないが、
> そういう状態では永遠に西欧を乗り越えることなど出来ない。
いつこんなはなしになったんだ?わけの分からんことを言う。
おまえの願望をいきなり持ち込まれてもなー。
> 西欧(の一部)はそれに気が付いて、修正しようとしている。
> お前のような思考の道筋では悲劇的な結末は目に見えている
これも、おまえのただの願望と妄想だろう。
たしかに戦後はそういう左翼運動が大勢をしめた。
だが、最近の欧米における移民排斥とイスラムの自爆テロ、中国の膨張などこそ、
そういう左翼の化けの皮がはがれつつある、限界が来たことの証拠だぞ。
>>4 >日本人精神
それ(大日本言論報国会のレス)は行き過ぎだって、みんなで言ってただろ。
日本人精神とか言ってるのはそいつだけ。
ちゃんと区別しろ、アンカーつけろ。
念のため、もう一回貼っとくぞ。
989 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 00:16:11 0
>>984-985 なんかいろいろ誤解しているぞ、おまえ。
> 自由意志による契約
サンデルはさておき、俺はそんなことはひとつも言っていない。
「ちゃんとした知識を持」ってない弱者にも、
その契約の胡散臭さを嗅ぎ取って「契約」自体をはじめから「拒絶」する
「用心深さ」こそ求められる、と俺は言っている。
> 自由な資本主義市場では〜(以下略)
>>985 > 余裕で正当化
脳内お花畑乙。オナニーはよそでやれ。
俺らしき書き込みを探して読めば、俺がそんなことを一言も言ってないのは、
すぐに気づけるはずだ。
>>712とかね。
あー、読解力無いから気づけないんだ、困ったね。
「特攻はたしかに強制された非人道的犯罪行為だ」こう書けば納得満足するのか?
「でも、当時の戦況から見て≪許されざる≫とまでは言いがたい」
ここが相違点だな。これ以上ぐたぐた言うなよ。うっとうしい。
8 :
考える名無しさん:2010/10/06(水) 11:27:05 0
>>5 もうお腹いっぱいっす…
まぁでも中国の膨張といってもいっつも破裂して物凄い退潮をして周囲の国巻き込むんだが。
俺は中国は長くないと見てる。
どう巻き込まれないようにするかだけど、海挟んで隣なんだよな…
9 :
考える名無しさん:2010/10/06(水) 11:41:43 0
10 :
考える名無しさん:2010/10/06(水) 11:47:47 0
このすれだけ妙に疲れるのは俺だけか。リアルなディベートはもっとしんどいだろうなTV入ると。
11 :
考える名無しさん:2010/10/06(水) 12:42:35 O
ディベートらしあディベートでもないけどな
単なる一般論を視点を変えてあれこれ言ってるだけでな
哲学のディベートほどつまらないものはない
条件の定義に時間をさくだけでいつも終わってる
要するに定義づけすると自然と答えがあるようなものばかりだ
科学だとそうはならない
12 :
exp:2010/10/06(水) 12:51:09 0
番号でもこのスレ限定でもいいからコテつけれ。
13 :
exp:2010/10/06(水) 12:52:46 0
>>11 じゃあ、トロッコで1人殺すか5人殺すかの問題の
自然に出てくる答えをいってみようか。
まったく説得されない。
相当なヒマ人なんだな。
15 :
考える名無しさん:2010/10/06(水) 13:49:07 P
結構白熱してきたなあ。
なかなか面白くなってきた
【サンデル】ハーバード白熱電灯【読んでる?】
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/philo/1284112292/ http://2bangai.net/read/2368a03dbdd8a6fb850bd5c22b9424693760dfc21fa15284e19a29 2e83b99ce4/all
そして、ここでの俺のレスを以下にあげる。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/philo/1284112292/ 22,23,24,27,29,35,91,168,170,171,181,188
「2ちゃん知ろーと」さんのレス
100,102-104,106,107,109,117,137,192,194,221,239,240,242,257,258
それに対する俺のレス
157-159,179,187,215,217-219,259,618
再び俺のレス
302,338,348,384,388,390,
このあいだ、アファーマティブアクション厨が沸いている。
561,562,570,574,575,605,610,614,615,619,676,709,711,712,752,
ここから特攻厨が沸いてくる。
754,756,767,782,787,790,792,794,802,838,843,877,879,887,961,966,
972,982,983,989,993
ひょっとして、アファーマティブアクション厨と特攻厨は同一人物?
つまらない相違にいつまでもグタグタこだわり続けてるところが、そう感じさせる。
もうつまらんネタふりするなよ、ウザいから。
「正義」とは「己がもつ大切な何かのためにたたかう」ことであって、
「(誰か悪者を見繕って吊るし上げる)被害者意識」とは違う。
この区別がついてないやつは、まわりがとてもうんざりする。
>>16-17 一部、改行入ってしまった。すまん。
あと、ひとつだけ再貼り。
530 名前:第三の波平 ◆JXLBbnYqTY [] 投稿日:2010/09/23(木) 17:48:14 0
サンデル流れでここに来たのかもしれないが、
もう少し勉強しないと、哲学板以前の議論だな。
日本人はハイコンテクスト社会で、正義は一つで、
社会が良い感じにつくってくれるものと勘違いしている人が多い。
多くの社会は様々な民族、宗教がいて、絶えず正義を戦わせている。
サンデルの講義を聴いて、なんとまどろっこしい話と思うが、
様々な価値の人がいると、正義に何らかの正当性、理屈をつくって、
マイノリティーを納得させる、押さえ込む必要がある。
正義論はそのような闘争の道具という面が強い。
特に政策で行使されるときには、そのように使われている。
126:名無しさん@恐縮です 2009/08/09(日) 09:20:08 G6IdbYmF0
>>78 木梨か。そういえばこの前TVで変な奴らとつるんでたなぁ
意外と交友関係黒すぎて引くわ
>>16 まずサンデルが質問する時、何故同じような結果でも、状況が違うだけで意見が変わることがあるか?という疑問をまず提出してるんですね。
これはどちらが正しいとかじゃなく、そういう違いが出てくるのはどういうことか。という所にまでいかないと意味がない。
トロッコの問題なら「5人救うために一人を殺す」という理屈でハンドルを切るなら、突き落としてもいいじゃないかと。しかし実際にはそうでは無いわけだよ(もちろん人にもよるが)。
これは人間の判断が個人の合理性だけには還元できないんじゃないかという話なんだ。
あらゆる当事者に正義があるとするなら、「ヒトラーは正義だった」と言わなくてはならないのか?
22 :
考える名無しさん:2010/10/06(水) 18:53:52 P
それは、要するに「勝てば官軍」ということでしょ。
ナチスが勝っていたなら、ユダヤ人を絶滅させることは正義だと、今我々はそう考えるのか?
それは理性が納得しない。
24 :
考える名無しさん:2010/10/06(水) 19:45:16 P
ドイツという共同体が選択した正義が勝ってしまえば
後は、それを否定する理屈は何もないよね。
否定する理屈がないんじゃなくて、理屈が力に勝てないってことだろうね。
正義はその時代の勝者に追随するのか、それとも普遍性を持つのか?
イラク戦争はどうだろうか?アメリカはフセイン政権に勝ったから正義か?
それとも大量破壊兵器が出てこない以上、正義とは言えないのだろうか?
26 :
考える名無しさん:2010/10/06(水) 20:08:10 P
アメリカは普通の共同体じゃないからね。
普遍的正義が自分たちの正義であると主張する共同体だから問題が起きる。
普通の共同体の正義を掲げてるだけなら、何の問題も起きないな。
27 :
考える名無しさん:2010/10/06(水) 20:33:08 0
>>26 日本人が日本人であると思い始めたのが明治維新後だから日本もアメリカと大差ないw
古事記や日本書紀よく読めば我々のルーツも寄せ集めでしかない。
だから天皇制度が必要なんだろうけど。
>>20 なるほど。俺が「その判断は結局は個々の判断にゆだねられる」と言ったのを、
「人間の判断が個人の合理性だけには還元できないんじゃないか」
といった具合に捉えるわけだ。なるほど。
つまり、
「個人よりも大きなものの合理性のほうが、人間の判断よりももっとよい結果を出せるのではないか」
といった流れから、
「個人よりは大きい共同体のルール(共通善)」に従おう、ではそのルールとは何か。
みたいな流れに繋がるわけだね。
でも、設問の意図はともかく、設問自体はあくまで即答を迫るものであったから、
俺も即座に答えうる回答を出したまでのことだ。
そして俺は何よりその流れを嫌ったからこそ、
>>16のように色々ぶちまけたわけだ。
>>27 確かにそうなんだけど、日本は何度も精神的再統一を繰り返している国でもある。
たとえば、網野善彦は、蒙古襲来を日本人意識の芽生えと考えている。
明治維新の支えとなった王政復古、大政奉還、尊皇攘夷なども、
江戸時代に盛んになった国学がその思想の土台となってるし、
豊臣秀吉の天下統一は、むしろ東西一統の面が在る。
つまりバラバラになっていた東日本と西日本は秀吉によって再統一された。
さらにキリシタン禁止令や徳川のさまざまな諸法度によって再統一が加速したわけだ。
大仏建立も国家の精神統一のひとつの政策だし、
全国に散らばる古墳も大規模インフラによる国家の統一事業だ。
そして卑弥呼や神武東征、崇神天皇の再統一まで色々言ってみることはできる。
>>29 細かいこと言い出せばアレだけど、江戸時代の農民は藩に属してた。
日本人であるなんて思ってる奴なんぞ、一部武士階級位のもの。
アジアの国の中でサンデル教授の考え方をよく理解出来るのは日本人くらいだと思うぞ現状だと。
県民ショウで様々な地域のことネタにしてるけど。昔はそれぞれ国だった。
多様性をまとめる価値観を求めるのは間違ったことじゃないと思う。
中華思想はお前ら論外だと思ってるんだろw
>>26 国教や宗教を超えた共通善は存在するのか、それは追求すべきことなのかってことか。
それが存在しないなら、国家間の紛争は必然であり、避けられないものだし、国連など存在意義を失う。
>>998 (前スレ)
>>どっちも見たけど、彼らは生きて帰るために戦ったのであり
>>わざわざ死にに行ったわけではないだろ
>>特攻隊に、生きて生還するチャンスがある作戦なら君の言う通りだ
ちゃんと映画を見てからものを言おうね。
知らないなら黙っておこう。
インディペンデンス・デイでは搭載ミサイルを撃ち尽くした老人が特攻して自爆した。
その結果たまたまUFOが落ちて世界各地でその弱点をミサイルで攻撃した。
その結果人類が勝った。
アルマゲドンでは爆発しに宇宙に行ったが
最後になぜかリモコンが壊れて
誰かが現地に残って爆発スイッチを押す必要が生じた
ブルース・ウィルスが演じた人の娘の恋人がくじで残ることになったが
ブルース・ウィルスが残って爆発スイッチを押した。
インディペンデンス・デイの搭載ミサイルを撃ち尽くした老人も
アルマゲドンのブルース・ウィルスが演じた人も
「わざわざ死にに行った」し
「生きて生還するチャンス」はなかった。
33 :
考える名無しさん:2010/10/06(水) 21:57:46 0
>>32 前スレの途中からしか読んでないだろw
ソビエトのターランとかドイツの突撃飛行隊みたいに特攻隊に近いのはあったが
日本みたいに大規模かつ組織的にやったわけじゃない。
お前は特攻隊員に選ばれたら行きたいのか?
特攻は強制だった面もあるんだ。
芙蓉部隊の美濃部少佐のように居並ぶ参謀にお前が行けと言える軍人が本来の軍人の姿だとおもうぞ。
戦前の論理でも国民は天皇の赤子だ。犬死させて良いわけじゃない。
34 :
考える名無しさん:2010/10/06(水) 22:01:09 P
>>32 アルマゲドンでは、全員が志願し、インチキでブルースウィルスに役を取られた
若者は思いっきり暴れたんだよな。
インディペンデンス・デイの老人も、子供の写真を一瞥してから、迷わず飛び込んだ。
この犠牲精神は無知のベールの下ですべての人が選択する正義なんだろうね。
それがどこから来ているのかはわからないが。
共同体を救えるから命を捧げるのと、もう勝ち目がないのに、それでも無駄死にするのとは違いが大きすぎるわ。
こうして見ていくと、自己犠牲の精神はべつに日本の専売特許というわけでもなく、
抜き差しならない状況下で共同体を救うための究極的な
選択肢として自己犠牲は洋の東西を問わず普遍的にある(あった)と。
(『塩狩峠』みたいなキリスト教的自己犠牲の精神というのもある。)
ただまあ特攻のように、人(上官)から「死ね」と言われて死ぬのと、
みずからの選択によって死を選ぶのとでは随分ちがう気がするな。
前者は理性的には理解しにくい、異様な精神構造のような気がするな。
>>28 サンデルの設問は恐らくリバタリアンやリベラルに向けて作られた戦略的なもので、たぶんアメリカ人には通用しても多くの日本人には空回りさせてしまうものだろう。
>「個人よりも〜良い結果を出せるだろう。」
結果は同じなんだよな。何が意見を変えたか。が問題になっている。ハンドルを変えるのは良くて、突き落とすのはいけないと感じるのをどう説明するか
アメリカ人の多くはこの問題に対して個人の内面や単純な結果から説明しようとするから、説明できなくなる。そういう設問。
>>16リンク先で言っている話は恐らくサンデルが聞けば「でしょ?」ってなるんだ。コミュニタリアニズムというのはそういう思想。
あなたは単純に設問の意図を誤解して推論していて、その上で動機に疑問を感じている。今のところ指摘はそれだけ。
38 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 00:06:22 0
サンデルは原爆投下は止むを得ないと言う立場だが、
(明確には難しくて分からないがと前置きし、一般的な戦争終結を早めた説を優勢にしている)
だったら、
広島から中二日で長崎に投下していることに「正義」はあるのか?という
質問を誰かぶつけるべきだったな。
つまりサンデルの正義の命題 〜暴走列車と犠牲者の選択〜
「線路を切り替えて1人を殺し5人を助ける」(原爆投下正当性の根拠)
か
「切り替えないで5人を殺して1人を助けるか」(投下せず本土決戦一億総玉砕)
この命題の正義の議論を無茶苦茶にしてしまうのが
長崎に対する日本側に敗戦回答猶予を与えない短期間での予告無しの2発目の投下なのだ。
ではなぜ、中二日という極めて短期間に予告なく長崎に落としたのか?
サンデルは2発目の長崎に正義はあると答えられるのか?
ウラン型の広島の威力とプルトニウム型の長崎の威力比較検証なら
広島で人間への殺傷力は分かったのだから、
プルトニウム型に対してもどうしても落としたいなら、なぜ「都市破壊力」に限定できなかったのか?
制空圏は完全にアメリカが支配していたのだから投下予告をしても迎撃の恐れはなく
二発目の投下予告都市を3つぐらい上げておき市民を完全避難させた上での投下は可能だったはずだ。
ソ連の参戦の前に終結を計りソ連軍の本土進駐を防ぎたかった為の2発目の投下。
完全にポストWARUを睨み、日本を共産主義化への防波堤にするための戦争早期終結とは別のロジックで
投下した2発目の長崎。
過去の戦争責任を現代人が追うべきかの議論よりも(コミュニタリアニズム的議論)
2発目の投下の是非の方がよっぽどサンデルの政治哲学の探求に合致する。
つまり現実は、正義の正当性論理の議論を台無しにしてしまう「正義の背後から射抜く矢」によって
「正義」は組み立てられているからだ。
39 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 00:45:17 0
この前のETVじゃない奴
10月3日(日)教育 午後6時〜6時58分
「イチローの年俸は高すぎる?」
を誰かシェアしてくれ…
反近代ってのは日本の保守と左翼の共同戦線のはずなんだがなあ。
>>37 サンデルを聞いてから
>>16を書いたのだから、
私の結論がサンデルの結論と同じ(> サンデルが聞けば「でしょ?」ってなる)だというのなら、
それこそサンデルを正しく理解している、ということになるのかな?
> 何が意見を変えたか。が問題になっている。
> あなたは単純に設問の意図を誤解して推論していて、その上で動機に疑問を感じている。
何かものがはさまったような物言いでわかりにくい。
> ハンドルを変えるのは良くて、突き落とすのはいけないと感じるのをどう説明するか
誤解というのはここか?ここを問題にしているのかな?
個々の問題として切り捨てたし、新たな価値基準に倫理的判断など俺は認めてないから。
42 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 01:37:50 0
特功作戦や特功命令は愚策だろうけど
その不合理な命令に殉じる姿は賞賛に値する行為だと思うけど
美化してると言われれば美化してるんだが
じゃあそういった嫌な事があれば逃げる事や拒否する事を美化するかっていったら出来ないよな
軍人としては正しいんだろうけどさ
人の美徳として自己犠牲ではなく受け入れ難い事を理解して受け入れる事は尊いじゃない
勝ち負けは別にしてさ
まあそういう美徳がわからん隣人がいるから何とも言えないけど
43 :
exp:2010/10/07(木) 01:57:27 0
>>16 その149と同一人物?
149からどこまで読めばよいのだ。
あと同一人物なら名前に149とでも入れておくれ。
45 :
exp:2010/10/07(木) 02:50:47 0
>>16 >どちらにしろ、判断者の立場や思想に左右されるものであり、絶対的な正解が得られるものではない。
その「判断者の立場や思想」が何なのかの話をしているわけよ。「左右される」から何なのか?
あなた自身がどういう道徳規範に従って、どういう判断を下すのか、が問われている。
アラン・ブルームじゃないけれど、相対主義に逃げて「人それぞれです。それ以上はわかりません。」
ってのはニヒリズムの極みだよ。何の解決にもなっていない。他人が何をどう考えようと、自分自身が
どう生きるか、どう行動するか、が大事なんだから。
(1)ある行為の善悪を判断すること。(2)善悪の判断自体についての不可能性やら相対性を
言うこと。この二つの問いは異なる次元に属している。後者はメタ倫理、前者は規範倫理と言う。
メタレベルでの帰結を無用意に規範レベルに援用しても頓珍漢な話になるだけ。サンデル・
ロールズ・ベンサム・ミル・カント・ノージック他、番組に名前に出てきた人はみんな規範倫理の人。
>二つの異なる共同体において、違う価値観で接触があっても…
ムッソリーニは、自分は相対主義者だ、ファシズムほど相対主義的な立場は無いと豪語していた。
普遍的価値観などない、ならば全ての文化は等価だ、だから弱肉強食で、どの文化にも異文化を
押しのけ他者に押し付ける権利がある、と嘯いていた。相対主義=異文化の尊重とは必ずしも
ならないことを端的に示す好例としてよく引き合いに出される話だけど、これもメタレベルから
規範レベルへ飛躍しているからおかしな話になっている。
文化帝国主義は悪、みたいな主張は規範レベルの主張であって、であればきっちり規範レベルで
その正しさを論証するのが筋。メタに逃げても解決はしない。
46 :
exp:2010/10/07(木) 02:53:17 0
>>16 >是に対しても、味方か敵かという価値基準を加える。
話を無駄に複雑にしているだけだと思うよ。だいたい「敵なら沢山殺した方が良い」なんて
単純すぎてロクな「価値基準」じゃない。戦争にもいろいろ大義名分があるわけでね。ロクでもない
目的遂行のための戦争だってある。そんな戦争に勝つために真面目に敵兵殺すことが良いわけがない。
また、高尚な大義名分があったとしても、その達成のために戦争という手段が果たして正当なのか、
というまた別の問題もある。そんな正戦論、あるいカント『啓蒙とは何か?』の理性の公的/私的
使用みたいな話にまで話ふくらませたら、収集つかなくなる。
>>42 特攻を命じられた人の生き様には確かに美しいものがあるけど、
度を越えてそういったものを肯定すると美しく無くなると思う。
>じゃあそういった嫌な事があれば逃げる事や拒否する事を美化するかっていったら出来ないよな
そうでも無いと思うよ。
結局そういう思想が肯定される程、犠牲の強要が行われる社会になるし、
どういう事をしているのかという客観視も出来なくなる人が増えるし、
あるいは客観視がある程度出来ていても、
違う方法を見付ける事が難しくなったり、状況に飲まれるだけで覚者や君子、
あるいはそこまで行かなくても、思いやりのある普通の人である事も難しくする。
>>45 >>46 俺の立場を少々誤解されているな。
俺の一貫した立場は、「正義」には限界があり、
それはどこからどこまでかはっきりさせておきたいというものだ。
(結論:防衛と治安が保障された、少人数の共同体の中でのみ有効)
「正義」の能力が及ばない外側の話しを俺はしてるんであって、
「正義」の能力が及ぶ内側の話しに、俺は関わる気が無いので、
関わる気がある方同士でいくらでも好きにやってください。
ただ、
> 普遍的価値観などない、ならば全ての文化は等価だ、だから弱肉強食で、
> どの文化にも異文化を押しのけ(る)
能力と権利と義務がある。とまでは、俺も主張しているが、
> 他者に押し付ける権利がある、
などとは断じて俺は主張していない。
俺は「≪不≫強制」と不干渉、棲み分けを
>>16で主張している。
49 :
exp:2010/10/07(木) 03:33:58 0
>>48 >俺は「≪不≫強制」と不干渉、棲み分け
サンデルの問うてる問題とはまったく別個の問題だけれど、それでも同じ
ことだよ。「≪不≫強制と不干渉、棲み分け」すべき理由と根拠はなに?
>俺の一貫した立場は、「正義」には限界があり…
「限界」なんて別に無いよ。正義の基準は落体の法則みたいな自然法則とは
違うから、それを信奉する人が無制限にどんなケースにも適用するなら
幾らでも適用できる。(善悪判断するだけなら幾らやってもタダだ。)
自分で適用範囲を制限しても、結局、自分で設定した「限界」は全ケースに
適用しているんだから、変わりはない。
>>49 レスするのは、
>>16-17の俺のレス全部読んでからにしてくれ。
俺はおまえの考えを全否定しているから。
51 :
exp:2010/10/07(木) 03:51:23 0
>>50 君は問題から逃げているだけなんだよ。問題に対して答えようとしていない。
問題自体を否定したり、すり替えても、何も解決しないんだよ。
まぁ文化帝国主義の問題に変えるなら、例えば人種差別・性差別・階級差別・その他
ありとあらゆる人権侵害を最悪の形で具現化しているような文化の国があったとする。
そんな国に対して、「≪不≫強制と不干渉、棲み分け」すべき理由なんてあるのか?
トロッコの問題は、こういうような極限状況を設定して、道徳規準を洗い出すための
思考実験なんだよ。
功利主義者なら社会全体の幸福の増大、リバタリアンなら自由意志の選択尊重など、
いろいろと根拠を提示できる(反対であれ賛成であれ)。その点、君にはそういう
行動規範・善悪規準は何もないのかい?
>>33 >>前スレの途中からしか読んでないだろw
>>ソビエトのターランとかドイツの突撃飛行隊みたいに特攻隊に近いのはあったが
>>日本みたいに大規模かつ組織的にやったわけじゃない。
>>お前は特攻隊員に選ばれたら行きたいのか?
>>特攻は強制だった面もあるんだ。
あんたこそ前スレ
>>994 をきちんと読め。
長くない。末尾に
>>強制じゃなくて自発的ということなのかな
と書いてある。
前スレ
>>994は
「特攻」を「強制だった面」と「死を覚悟の行動(犠牲精神)」に分けて考えた場合
前者についてはともかく
後者については
ハリウッドの映画のシナリオに取り上げられるほど
アメリカ文化においても許容可能なロジックであることを
指摘したに過ぎない。
繰り返す。
>>お前は特攻隊員に選ばれたら行きたいのか?
>>特攻は強制だった面もあるんだ。
前スレ
>>994 は「特攻」のうち「強制だった面」には触れていない。
相手が主張していないことを勝手に認定して批判するのはやめようね。
53 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/07(木) 07:38:59 O
サンデルが共同体主義だろうがなんだろうが、
生粋の共同体主義の日本人にはかなわないよね。
54 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/07(木) 07:42:30 O
サンデルはネオリベから共同体に近づこうとして、
日本人は共同体からネオリベに近づこうとする。
テレコになっているが通路としては似てるから受けるんだろうね。
日本は半島共同体な。中国の冊封に対して日本をたてにするだろ
56 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/07(木) 08:48:33 O
ようするに人には公平感がある。みずからがあるいは誰かが不公平であることへの不快感。
それは物語といってもよい。物語が物語であるのは終わりがあるからだ。
物語の終わりとは公平感が満たされるとき、ハッピーエンドである。
ハッピーエンドでない物語はたくさんあるが物語はハッピーエンドであることからのアレンジでしかない。
57 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/07(木) 08:51:42 O
たとえば小沢の追起訴は人々の公平感が満たされず物語が終わらないからだ。
このように正義とは公平感というあやふやな心情をもとにしている。
58 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 08:56:55 0
小沢の問題は説明が不充分だとか政治と金の問題にリンクしているとか
旧来の政治手法と民主党が表明している理念との不整合とか・・・
一口で不公平感とか正義とか言い切れない面が多いと思うけどね。
59 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/07(木) 08:58:48 O
たとえばサスペンスではトリックが見破られ犯人がつかまった時点で犯人は仕方なくすべてをはく。物語は終わる。
日本人は捕まれば正義がなされたと公平感がみたされるが、しかし実際は捕まってからも事件は続く。
取り調べ、裁判など駆け引きがある。
60 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/07(木) 09:02:43 O
日本人は警察や裁判など国家機関への信頼があつく、
そこでは正しいことが正しく行われる正義の場だと信じている。
アメリカ人はまさにそこが戦いだと考える。正義は勝ち取るもの、買うものである。
61 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 09:05:55 0
警察や裁判など国家機関への信頼が篤いのなら、
今回の小沢問題のように検察が不起訴としたのに検察審査会制度による
再起訴請求なんて起きないけどね。なんか言ってることが目茶苦茶。
62 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/07(木) 09:07:13 O
日本人には公平感が共有されているが、アメリカ人は公平感は共有されず正義を求める。
63 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 09:11:55 0
日本人は日本人論が好きだよな。ベネティクトが戦争のために書いた論文が
日本で売れるとは彼女自身も考えてもみなかったはずだ。
64 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/07(木) 09:13:55 O
小沢問題は、警察、検察への不振ではなく法、制度を越えた公平感が満たされることを求めている。
日本人から公平感の共有が失われつつあることへのヒステリーだろう。
たとえば仕分もそう。ない財源を求めるヒステリー
日本人に蔓延する不安
65 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 09:19:30 0
小沢問題では検察が不起訴にした結果に不満があったから
検察審査会による再起訴請求が行われた。今や検察の信頼は揺らいでおり
政治家や官僚の不正と戦う正義の検察という図式は成り立ちにくくなった。
裁判員制度と併せて行われた検察審査会制度による司法改革は既存の制度への
アンチテーゼであり、警察や裁判など国家機関への信頼がないからこそ
求められたもの。
66 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 09:32:51 0
そもそも「日本型共同体」なんてそれほど独自のものでもないし、
既にうんざりするくらい言われている農村型共同体などというものも、
世界中に散見している一つの類型に過ぎない。東アジア特有の
儒教的な価値によって日本も「お上」に弱い特性が染みついているから
それは「警察や裁判など国家機関への信頼」というより盲従に近い。
67 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 09:50:28 P
問題になるのは、共同体の正義と普遍的正義の整合性でしょ。
それを飛ばしてしまっては、何の価値もなくなる。
サンデルがそれを解決できれば、たいした偉業になると思うけど。
68 :
大日本言論報国会:2010/10/07(木) 10:16:35 O
>>67 個別的正義相互対立はありえる。
ありえないのは
「普遍的正義」
もし、普遍的正義を、お望みなら「八紘一宇」
左翼的表現なら
「地球市民の世界共同体」
サンデルがもし普遍的正義を主張しても、それは白人の価値観で有色人種の価値観を下に見て否定するもの。
西サハラからカザフ、インドネシアに至る普遍的正義は、イスラム教になるがサンデルは拒否するだろう。
69 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 10:52:58 0
共同体の正義なるものが、その共同体においてどの程度敷衍され、
共同体の成員に価値として共有されているかという問いかけに対して、
紛れもなく敷衍されていると言えるかはいささか疑問の余地がある。
他方、普遍的正義というのは西欧啓蒙思想が常にその問題を扱い、
カントやヘーゲルなどによって様々な深化を求め続けられてきた価値だ。
法哲学の分野では価値の相対化は必ずしも普遍的正義とは対立しない。
それどころか寧ろ価値相対主義こそが普遍的正義の実現に不可欠だとする。
ケルゼンが求めた法哲学の解釈も人々の価値感を相対化させ、尚かつ
その対立する価値に整合性を見いだそうとする試みに他ならない。
>>68 お前はWW2日本の開戦のプロセス知ってるのかと。
リアルで正義の戦争などと思ってたら池沼レベルだぞ。
大本営ですら、作戦課以外の連中は負けると思ってたんだぞ。
71 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 11:27:37 0
>>70 大本営の誰がいつの時点で負けると発言していたのか具体的な資料を基に出してくれよ。
誰が何を言っていたのかをさ。
72 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 11:31:00 P
共同体の正義と利益が一体化してしまうのは良くあることでしょ。
共同体にとっては、両者を特に区別する必要もないわけだし。
ネトウヨっぽい人はまずサンデルの質問の意図を妄想推論してつまづいている人がほとんどなんだな。
リベラリズムと正義の限界とか読んだほうがいいよ。
いない敵と戦っても意味がないな。
74 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 11:38:49 P
>>73 戦ってるんじゃなくて、討論してるんだよ。
面倒くさがらずに、参加してみれば。自分の言葉で。
相対化すると自分たちが悪じゃなくなるという効用がある。
76 :
exp:2010/10/07(木) 12:09:41 0
しかし、未だにいちいち幼稚な文化相対主義の始末つけてからでないと
規範倫理や正義論の話ができないというのは、どうにかならんものかね。
__
, ‐' ´ ``‐、 / ̄:三}
. /,. -─‐- 、. ヽ / ,.=j
_,.:_'______ヽ、 .! ./ _,ノ
`‐、{ へ '゙⌒ `!~ヽ. ! /{. /
`! し゚ ( ゚j `v‐冫 , '::::::::ヽ、/ そんなことよりトロッコの話しようぜ!
. {.l '⌒ ゙ 6',! / :::::::::::::::/ __
. 〈 < ´ ̄,フ .ノー'_ , ‐'´::::::::::::::;/ (_ノ)‐-、
. ヽ.、 ` ‐", ‐´‐:ラ ':::::::::::::::: ;∠. ヽ_} ゙ヽ
,.r` "´ /:::::::::::::::::::ィ´ `ゝ !、 /
/ / :::::::::::::::: ; '´ /´\ / r'\
. i ! ::::::::::::::/ 墨 | .!::::::::/ヽ、.._!ヽ. ヽ、
{ {:::::::::::;:イ / ‖i:::::::/:::::::::::::/ \
. ヽ ヽ,.ァ‐'´ /ヽ 二 ,/`ヽ、::::::::: /
77 :
exp:2010/10/07(木) 12:14:32 0
まぁさんざんに叩かれてる「普遍的正義」ってのも、
多分に脳内にしか存在しない空想の産物、「いない敵」感が
強くはある。
>>74 共同体主義の立場を無視してるか、知らないのか、やれ、サンデルは正義はこうだと導いている。とかうそぶいて、的外れになってる。
まず、そうした設問の意図への推論が間違えだと言ってるんですね。そこから言わないと話が始まらない。
サンデルは共通善は抽象的人間観や帰結からではなく、中立ではありえない共同体に属する具体的人間を前提に考えるべき。と言うんです。
あの設問はリベラルやリバタリアンの思考の限界に導く意図で作られてるものです。
ネトウヨぽい人たちのサンデルの設問の意図への推論が過剰で妄想じみている。
79 :
大日本言論報国会 :2010/10/07(木) 12:57:08 O
>>78 サンデルは
ありもしない「共通善」を前提とした共同体をぶっちゃけている訳でしょ?
80 :
exp:2010/10/07(木) 12:57:57 0
共同体主義の自由主義批判は、自我論とか還元主義をめぐってのものだから、
少し話がズレているんだよ。だから具体的な道徳規範や政体や政策提言の話に
なると弱い。そっちに行くと対立軸が解消してしまったり、微妙になってくる。
民主制や自由・権利を廃して新たな政治制度を提唱してるわけじゃないからね。
まぁサンデルやテイラーの市民共和主義は、政体・政策レベルでもそれなりに
具体的な主張はあるけれど、例えばトロッコ問題に対して市民共和主義や
共同体主義の立場からからどんな答えを出すのかと言えば、多分出てこないでしょ。
サンデル教授のあの授業は初等コースだから、功利主義・カント・リバタリアニズム
などなどと広い分野を網羅しないといけない。最初の方は狂言回しに徹していて、
自身の主張である共同体主義には無理につなげていない。様々な理論を紹介する
のが主目的。最後締める時にやっと、共同体主義のほうに持っていってる。
確かトロッコ問題にもサンデルは自分の答え出してないでしょ。仮に言ってても、
そっちは専門じゃないから、それをもってサンデル批判するのはちょと的外れ。
>>79 どこでだよ。
まあ恐らくまたサンデルの発言の裏の意図を過剰な推論しちゃったんだろうな
推論するのはいいがサンデルの立場と矛盾しちゃってるんだよ。
82 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 13:22:04 P
遊んでる
83 :
大日本言論報国会:2010/10/07(木) 13:31:24 O
>>80 教えてほしいのですが
「共同体主義」の定義は何?
戦時中の日本で
「自由主義は限界に達し、これからは全体主義、国家主義、公益優先主義!」
と何が違うのか?
サンデルがキリスト教的保守的道徳を「共通善」としたら(米国内)
「共同体主義」はウヨ的と想像してしまう。
サンデルはウヨかサヨか曖昧
84 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 13:38:56 0
そもそもウヨ、サヨで考えるのがおかしいんだけど
共同体の歴史や倫理観を重視という意味ではすごく保守的
つまり日本ならムラ社会や鎮守神、ひいては神道重視みたいなもん
これはウヨ、サヨで言えば超ウヨ
ただし共同体は共同体の責任として
共同体の弱者も救わねばならない(それが共同体の幸福につながる)し
共同体の負の歴史の責任も負わねばならないと考えるので
これはウヨ、サヨで言えばサヨ
85 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/07(木) 13:39:23 O
日本は共同体としての公平感に亀裂が入りはじめてる状態。まだまだ警察、司法など国家への信頼はあるが不安が広がりはじめヒステリーになってる。
自民嫌悪、小沢嫌悪はあまり根拠のない政治的潔癖症状態。
アメリカのように国家への信頼が薄まれば、自己防衛的なドライな契約社会になるが
86 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 13:41:10 P
ある状況で限定して成り立つ共同体によって条件付けられる正義
を尊重するってことだと思う。
そのある状況というのは、「盤石な近代社会」によって支えられている何かってことでしょう。
現代的なテーマだけど、足下のいろいろなものをすっ飛ばしてる感がある。
>>80 >>81 それだけ言うなら、まずサンデルの立場とやらをここにちゃんと表記してくれ。
1レスでもかなりの量の文章が書き込めるんだから、
「めんどくさい、読んでないお前が悪い、読んでこい」なら、
それこそ「叩き出してやる!」としか答えようが無い。
何も書かずに相手をただ「不勉強」だとなじるだけなら、
それこそただの「不努力」と石を投げられて追われて当然だ。
サンデルにかぎらずそういう哲学者の代弁を気取ってるやつは、
得てしてそういう人をバカにした態度を取る。
ここにおまえなりの「まとめ」を提出することは、
それをおまえがどう理解しているのか示すことになり、
それを叩くこともできれば、それを認めることもできるようになるからだ。
あと、サンデルの立場の内外に対しての意見を
おのれの好悪のみにしたがって、
理解しているだのしてないだのと決め付けている。
そもそも大体において、
「一つの共同体」のなかにかぎっての話しだけで押し通そうとしている。
「一つの共同体」に敵対する「もう一つの共同体」が全く視野に入っていない。
「一つの共同体」に通用する「正義」だからと言って、
「もう一つの共同体」にまでその「正義」を強制している自分を無視している。
はっきり言って、それは「正義」じゃなくて「侵略」という「悪」そのものだ。
88 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/07(木) 13:43:30 O
おもしろいのはネットでは逆にウヨ化して民主嫌悪状態。
この実社会のサヨ化とネットのウヨ化という、ヒステリーの違いはなんだろうか。
これは単に互いに差異化してるだけか。
89 :
大日本言論報国会:2010/10/07(木) 13:47:05 O
「全体主義」だと
最大多数の最高の幸福の前に少数の犠牲は・・・・・・・・
どうかな
・許される
・犠牲者の名誉を称賛、感謝
・少数がエリートや強者の場合
・少数が愚か者と怠け者、弱者の場合
・しょうがないね、罪の意識を持とう。
90 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/07(木) 13:49:16 O
これは一つの円環か
国家権力←サヨ化←マスコミ・実社会民←ウヨ化←ネット民・嫌韓←国家
91 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 13:49:47 0
ウヨサヨという古典的な政治軸で考えるから間違った結論しか導き出せない。
それはネット特有の短絡化に過ぎない。
92 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/07(木) 13:51:34 O
ではこれを日本の政治的ヒステリーサークルと呼ぼう
国家←サヨ化←マスコミ・実社会民←ウヨ化←ネット民・嫌韓←国家
93 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 13:55:36 0
実社会において政治軸として右派や左派というのはおよそ意味を持たない。
生活者はいつの時代でも何よりもパンとサーカスというものを求める。
94 :
exp:2010/10/07(木) 13:59:36 0
>>83 俗に「共同体主義者」と呼ばれるサンデル・テイラー・マッキンタイアらに共通
する基本は、ロールズ自由主義の自我論批判。
ロールズは『正義論』で、理想政体(公正な社会)とは如何なるものであるかを
演繹する際に「原初状態」というものを想定する。
例えばキリスト教徒に「どんな社会がいい?」と聞けば、キリスト教が国教の
神権国家だと答えるかも知れない。金持ちの貴族階級の人間なら、その特権を
維持できるような階級制・累進課税無しの社会を望むかも知れない。
それではロクな理想政体が導き出せないから、人を自分の属性(性別・地位・
年齢・人種・宗教・経済力など)が分からない、「無知のベール」の中において、
その上で理想的な社会の枠組みは何ぞやと聞く。そうすることで得られた答え
こそ真に理想的な、公正な社会だとロールズは説く。
共同体主義者は、その結論ではなくて、方法論のほうを批判する。全ての属性を
はぎ取って、合理的選択をするだけの個人にまで人間を還元してしまっては、
それはもはや人間ではない。その還元のさいにはぎ取られた属性にある共同体
にこそに人間の本質があると。そんな理屈で導き出したんじゃダメだと。
無論、共同体の「重要性」を説いてはいるわけだが、別に政策レベルで個人の
権利を蔑ろにする全体主義的な政体を提唱しているわけではないんだよ。
95 :
大日本言論報国会:2010/10/07(木) 13:59:39 O
>>84 あなた前スレの
748さん?
(新左翼がサンデルを歪曲悪用・・)
説明が凄くわかりやすい。
96 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/07(木) 14:05:05 O
そうだ。ウヨもサヨも単に不安からくるヒステリーでしかない。
この無意味な円環を破るものはなにか。
ボクは中国だと思う。今回の尖閣の問題は政治的な黒船だ。
対抗に軍事増強などという単純なことではない。アメリカ日本という母子関係に現れた三者。日本はヒステリーサークルをやぶり大人になることが求められる。
共同体の殻をやぶらなければならない。
97 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 14:08:23 P
どっちにしろ、人数分の席はないんだよ。
ネットというのは、ある意味安らかに逝くための緩衝装置なのかもな。
>>87 横入りで悪いが、きみははっきり言うと頭が悪いと思うよ。
頭が悪いくせに、自分では頭がいいと思っている最悪なタイプだな。
もう少し現実を知って、謙虚になったほうがいい。
謙虚というのは無抵抗とはちがう。普遍的な真理まで後退して相手を撃つことだ。
…というか、正確に言うと、君の思考の筋道にはかなりの偏向(バイアス)が加えられていて
君自身が現実が見えていない。やたらに被害者意識が強かったり、仮想敵を作って闘おうとしている。
そんなことはまったく無意味なのに。そうした傾向が生育歴によるものなのか、
君の家族構成によるものなのかは知らんが、ちょっと興味があるねw
いずれにせよ、そんなレスの仕方は人に何かを頼む書き方ではないだろう。
まず君自身がサンデルの哲学をどう理解したのかを書いてみるべきじゃないのかね?
99 :
大日本言論報国会:2010/10/07(木) 14:14:56 O
>>94おおー!
ロールズはバリバリのサヨじゃん!
・原始共産制を妄想
・無知のベール
(ポルポトが親から子供を切り離し、教育を与えない個人バラバラは、ルソーの「エミール」から)
サンデルはウヨかも・・・確認するには
やっぱり読んでみようと思う。
極左批判して緩やかなサヨだったら嫌だな。
100 :
exp:2010/10/07(木) 14:22:30 0
だいたいウヨク・サヨクなんて対立軸自体が曖昧過ぎるだろう。アメリカと日本、
さらにその他の国においてでも定義も違うんだから。
愛国主義=右、国際主義(売国)=左ということなら、明らかに共同体主義は前者。
自由主義は後者の傾向が強い。ナスバウム編の愛国心に関する論文集にもテイラーが
寄稿していて、その手の話をしている。
少数民族の文化尊重(多文化主義)=左なら、共同体主義は左になる。
弱者救済=左翼なら、共同体主義は別にどちらとも限らないだろう。
小さな政府=右翼なら、共同体主義はその逆になる。政治への積極参加、共同体
へのコミットメントを重要視する共和主義(共同体主義)からすれば、政府を
利害調停と治安維持のための必要悪的な道具としか見ない自由主義とは背反する
(ロールズであれノジックであれ)。
101 :
大日本言論報国会:2010/10/07(木) 14:34:13 O
ハンス・ケルゼン(ユダヤ人)ちょいちょい持ち出してきとる奴!
ケルゼンのマルクス批判→サヨの内ゲバ!
だからな!!
独仏サヨク哲学から
米英サヨク哲学が今日本に流入喧伝されているの?
102 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 14:34:43 P
少数民族の文化尊重って、自分の属さない他の共同体を保護しようってことでしょ。
それは、共同体主義ではなく、国際主義なのでは?
103 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 14:46:10 0
その哲学的実相についての視座を放棄してユダヤ人であるとか
サヨであるとかといったレッテル貼りに勤しんでいる人間ほど
滑稽なものはない。
104 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 14:49:52 0
>>102 国際主義っていうのは
各国で階級闘争が起こり
最終的に世界が共産主義という単独主義の元ひとつになるという考え方だから
完全に対極
105 :
exp:2010/10/07(木) 14:53:39 0
>>102 保護とかの話以前に、文化/共同体の重要性を認識しているということ。
共同主義的には、別に多文化主義政策でなくとも、たとえば少数民族が
分離独立して別個の国民/民族国家(nation state)になれるなら、
それでも良いとなる。別に一つの社会に留まって共生しなければならない
というわけじゃない。いずれにしろ共同体の重要性の認識が根底にある。
一方、自由主義の国際主義は、バラバラの個人だけでOK、民族国家や
共同体は不要、政府は世界政府1個でいい、という方向に行く。
自由主義は「負荷無き自我」の個人主義が基礎だから、文化/共同体の重要性を
十分認識しえない。だから基本は無干渉・中立=自由になる。宗教と同じく、
自由にやってちょうだいと。
ロールズの場合、金だけは弱者救済に使うけどね、となる。文化に関しては
格差原理が適用されないから自由。もし少数民族のために二言語教育を行う
というような話になる場合は格差原理が拡張されることになる。それも理論上
可能ではあるけれど、ロールズ本人はそこまで行っていないし、それをやったら
収集つかなくなる。
106 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 14:54:51 P
>>104 少数民族の文化尊重というのが、共同体を破壊することもあるのでは?
フランスなど問題になってるように。
>>45 まずここからして、理解してないし誤解曲解している。
ここで話してるのは、あくまで「サンデルの価値基準には乗らない」という話だけだ。
>あなた自身がどういう道徳規範に従って、どういう判断を下すのか、が問われている。
個人的な設問に対して、全体的な模範解答を求めることこそ間違ってる!
全体的な模範解答を求めたければ、全体的な設問を先に出すべきだ。
あなたの論拠の間違いはいつもここらへんだ。
それに俺の道徳規範は、最後にちゃんと書いてあっただろう、ちゃんと読め。
「敵を生かして味方を殺すような判断だけは、明らかにおかしい」
ほら、もう一度書いてやったぞ。今度こそ理解できたか?
>>46で、あなたがグダグダ出してきた
>>16への反論は全て、
俺が言った「新たな価値基準」の提出だね。
> 話を無駄に複雑にしているだけだと思うよ。
> 話ふくらませたら、収集つかなくなる。
これこそ、あなたの論拠の弱さだ。
ここでは、あなたの本音っぽい「真面目に敵兵殺すことが良いわけがない」
という俺とは明らかにちがう「新たな価値基準」を堂々と提出すればよいだけだ。
それを妙に中立ぶろうとするから、アタマがおかしくなってくる。
それに対して、俺が提出するこの「新たな価値基準」が妥協点になることを祈る。
「戦後は味方になってくれそうな敵はなるべく殺さない」
「戦後も敵になりそうな敵はやはり殺す」
>>16に書いたように、
己のみを「公正中立」と定めて、己以外の全てをはなから認めないのは、
マズゴミなどのサヨクに典型的にみられる害悪だ。改宗しろ。
108 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 14:59:42 0
109 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 15:02:15 P
>>105 実際問題として、少数民族の尊重が問題になるのは
隣接する共同体、あるいは共同体内での少数民族の存在でしょう。
分離独立して、他に行けという主張なら、それはウヨサヨで言うならウヨ的なのでは?
というか、少数民族の尊重というのは、分離独立として他にいけという主張なの?
110 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 15:08:12 0
>>109 だからこそ
いつも「正義」を語り
少数民族共同体の倫理、他の共同体の倫理を
擦り合わせる場が必要になるって考えているんじゃないのかなあ
アカデメイアみたいな場がいろんなとこに必要になると
でもそこの部分は現実的ではないかもしれない
古代ギリシャでは確かにそういう場があったのだけれど
111 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 15:11:15 P
>>110 そのすり合わせが共同体を破壊するとしたら?
しかも両方の共同体を破壊するとしたら?
そうであるならば、一方の共同体を守った方が、結果的に良いのでは?
歴史的には、まさにそのようにして共同体は守られてきたんでしょう。
112 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 15:20:05 0
ドイツでは
そういう意味でゲルマン民族の共通民族意識を壊すものだとして
警戒されている
>>49 > 「≪不≫強制と不干渉、棲み分け」すべき理由と根拠はなに?
現実に、寮生活でもない限り、人々は己の家に住み、他人の家には住んでないだろう。
そんなことすら認めないのか?
> 自分で適用範囲を制限しても、結局、自分で設定した「限界」は全ケースに
> 適用しているんだから、変わりはない。
それはもちろんそうだが、「限界」があるという前提と、
「限界」がないという前提のちがいは、とてつもなく大きいぞ。
> 正義の基準は
> それを信奉する人が無制限にどんなケースにも適用するなら幾らでも適用できる。
これは狂信的な一神教の立場そのものだ。
十字軍がイスラエルでイスラム教徒を虐殺したのと同じだ。
おまえがこの立場であり続けることを、
「限界」があるという前提の俺は基本的には止めることはしない。
だが、おまえは「限界」がないという前提のもとに、俺の立場を否定し続けるだろう。
それこそ、
>>51のように俺の持つ「行動規範・善悪規準」を無視してね。
そのとき、俺はこれに対して「拒絶」を発動して、
島原の乱のキリシタンのように皆殺しにして「≪不≫強制」を実現するしかない。
> (善悪判断するだけなら幾らやってもタダだ。)
これも財源や能力の限界を無視した発言だ。前スレから俺は全否定している。
>>76 おまえが討論の前に己の前提条件をしっかりと提出していないからだ。
というより、「正義の基準は無制限」なら打ち殺すしかない。
>>77 その通り。「いない敵」感を前提にできる人数や討論範囲は限られてるんだ。
>>98 あんたのいう>現実とやらは多分、「おしえろ」「ぐぐれ」っぽいけど。
ものの本にどう書いているかを聞いてるんじゃない。
ひとつの本があるからといって、
それにたいして「みんながみんな同じ答えや感想をもっている」
と決めてかかってはいけない。
あなたのような人はそう決めてかかってるから、そのようなレスを書いてしまうんだ。
肯定的な人もいれば、否定的な人だっていることを無視してるからだ。
> まず君自身がサンデルの哲学をどう理解したのかを書いてみるべきじゃないのかね?
がんばって
>>16-17を全部読んでください。
特に前スレの
>>752のレスで
>>748ならサンデルを支持するというところを忘れないように。
>>98 追記
こういうレスを書くのは、
「自分の属する共同体の治安や防衛がしっかりと守られていて、
共同体のもつ道徳や倫理は自分のものと同じだから、どこまでも通用する」
と信じ込んでいるから書けるレスだ。
その前提なら、俺のレスは当然
> 頭が悪いくせに、自分では頭がいいと思っている最悪なタイプ だの、
> 「現実を知」らない だの、
> 「謙虚」じゃない だの、
> 普遍的な真理 を持たないように見えたり、
> かなりの偏向(バイアス) に見えたり、
> やたらに被害者意識が強かったり、仮想敵を作って闘おうとしている。
ように見えるだろうね。
あいにく俺はこんなものを信じてもいないし、前提にもしていない。
そういう甘ちゃんな話しを俺は初めからしていない。
それを無視するキミのほうが「アタマが悪い」。
キミの前提に限った話しをしたいのなら、
はじめにその前提を前置きしてくれないといつまでも食い違うよ。
> 人に何かを頼む書き方
頼んでるわけないだろうw これが何かを頼んでるように見えるのかねw
頼むと言うのは、もっと上品にするものだ。
116 :
大日本言論報国会:2010/10/07(木) 17:40:39 O
>>111 もうダンナ!
わかっているくせに
ブレアをはじめとする
欧州社会民主主義の偽善的サヨ的「社会的抱擁」は既に失敗は明らか。
ネオリベから福祉を守る為には、
「社会的排除」が必要
より良い社会作りには
清掃事業や社会的排除は避けられない。
共同体の利益を受けるのは、共同体の構成員
部外者の利益窃盗は許されない。
ナチスドイツと連合国側のどちらが道徳的に優越するかを論じてはならないのだろうか。
ポルポト政権は自国民を何百万も虐殺したが、それは彼らなりの正義であり、外部の者が口を出すことではないのか。
中国はスーダン政府がダルフールで国民を虐殺しても、ミャンマー軍政が圧政を敷いても、内政不干渉だと言って、
平気でで貿易を続ける。他の国はそのような政府とつきあうのは不道徳だと言うが、中国が正しく、他の国の方が間違っているのか。
>>117 共同体は多層的であって家族、地域、国家というレベルがあって、もちろん国際社会も無視できない。共同体を国家だけで考えるのは国枠主義。
ただその中で矛盾があるし、グローバルな公共が必ずしも優先になるということでもないわけでしょ。
テストの設問があったな。カンニングをチクるかチクらないか。
119 :
考える名無しさん:2010/10/07(木) 23:43:00 0
正しい論拠があれば革命してもいいですよ
ってサンデルが言ってる様に聞こえるのはおれだけ?
>>87 だから結構ちゃんと言っただろう。
サンデルは共通善を抽象的人間観や帰結から中立的に導くということに限界があるとして、共同体に属する具体的人間の価値感から考えるべき。とする。
これがあなた達が推論するサンデルの設問の意図(中立的正義を恣意的に決めつけて、そこに導こうとしている的なこと)とは矛盾する立場だから、その推論はおかしいよ。と思うわけだ。
まあ同じようなことを繰り返したが、この説明で何か分からない言葉や部分があったら、聞くなり調べるなり勉強するなりしなきゃ話が始まらないだろ。
あと
>>16の部分だけど分かりあえないなら交流しなけりゃいい、というような意見があったけど、それは経済を問題から抜いていないか。
122 :
exp:2010/10/08(金) 00:29:01 0
>>107 >「敵を生かして味方を殺すような判断だけは、明らかにおかしい」
何も「明らか」ではありませんけど?「敵」「味方」っていったい何ですか?
何を基準に認定されるんですか? そして、その基準を尊重すべき理由は何ですか?
まさか、「敵=殺すべき存在」「味方=守るべき存在」なんて馬鹿げた同義反復
じゃないですよね。国語辞典の定義とか引いてきたら笑いますよ。
>個人的な設問に対して、全体的な模範解答を求めることこそ間違ってる!
>全体的な模範解答を求めたければ、全体的な設問を先に出すべきだ。
何も「間違って」などいません。功利論であれカントであれ、思想史に名を残す
哲学者達が提唱した理論は、どれも単独で多岐にわたる様々な分野の道徳問題に
対して、首尾一貫した答えを出してくれます。だからこそ、人生を生きる上で
優れた行動規範となり、社会を運営するのにおいて優れた法となってくれる。
あなた自身の信じる価値基準が、その場しのぎの寄せ集め・支離滅裂・折衷主義の
塊の、どうしようもない代物だったからと言って、サンデルの問いが「間違ってる」
ことにはなりません。
無論、全ての問題に関してシンプルな一個の原則だけで答えを出さなければダメだ
というわけではありませんが、それならそれであなたの自身の複雑な価値基準とやらに
照らし合わせて答えを出せばよいのです。
123 :
exp:2010/10/08(金) 00:37:27 0
>>109 >というか、少数民族の尊重というのは、分離独立として他にいけという主張なの?
民族自決権を「尊重」するとそういうことになるでしょう。
>分離独立して、他に行けという主張なら、それはウヨサヨで言うならウヨ的なのでは?
中共の「右翼」はチベットやウイグルの独立運動家にそんなこと言わんでしょう。
排外主義を右翼と呼んだりすることも、拡張主義を右翼と呼んだりすることもあるわけで、
そんな「ウヨサヨ」なんてラベルにこだわってもしょうがない。共同体主義は「ウヨサヨ」
どちらの主張にも援用できるというだけ。
>>120 おっけー。了解した。正直ちょっとすまんかった。言い過ぎた。
>>121 >>121 まず、「密貿易」という非合法手段があります。
犯罪だからといってアタマに来る前に、
現在の国際貿易において一定の部分を占めているだろうことは、
十分に頷けるはずです。
北朝鮮が日本との密貿易で自転車などを輸入していたのは、ニュースでやっていたはずです。
次に、「中間貿易」があります。
東シナ海にあって日中のあいだに立って儲けた国に、
琉球、対馬、朝鮮、韃靼(オホーツク海)、オランダなどがあります。
これは、両者とも嫌いな相手と付き合わずに済み、
あいだに立つ国も漁夫の利を占めることのできるWIN−WIN−WINの関係です。
最後に、国内産業を守れる可能性があります。
貿易をしたおかげで、国内のある産業が競争に負け失業者を増やすことがあります。
貿易を止めれば、国内産業が生き残れたり復活したるする可能性は十分にあります。
ガンジーの糸巻き車運動などは、そのよい例です。
>>122 >>80 >>94 >>100 >>105 ここらへんはまともなこと言ってるのになあ。
なに頭にきてるの、だれかここらへんでこそ付き合ってやれよ、みたいなw
そこらには異論がないから、俺は頷くだけでレスする気もないし。
キミがみょーーうに拘ってる部分も、俺にとっては捨石にしてもいいところを、
ほじくって得意がってるようにしか見えないし。
>>80 >>94 >>100 >>105 これだけうたえるのなら、
変に噛み付いてるだけにしか見えないし・・・なんか癇に障ったんだw
そんで、弱点を見つけた気になってるんだ。なんだかなぁ。
> 何も「明らか」ではありませんけど?
俺にとっては(やらなきゃやられるって意味で)「明らか」だけど、
キミにとって「明らか」ではないってことは、たとえば、
「敵の美女と戦場でラブロマンスに発展するかもしれないじゃないですか?!」みたいなw
キミが望むならそれでいいけど、それはまた「新たな価値基準」の提出だね。
>>122 > 「敵」「味方」っていったい何ですか?
サヨク?戦争反対?憲法9条死守?戦争アレルギー?
>>80 >>94 >>100 >>105 これだけうたえるのに、妙に思考停止になってる。
このスレの話題的に十分に類推可能なのにする気無いんだw
>>16を読解できてないんだw
> 同義反復 とかこっちが失笑してしまう。
大体、以下の通りだけど、こっちが逆に聞きたい。国語辞典とか引かなかったの?w
「敵」自分(の共同体)に危害を加えようとしている相手、自分(の共同体)の利益の達成を阻害している相手、
「敵」 ある(共同体)にとって、共存しえない存在。滅ぼさなければ自分(の共同体)の存在が危うくなるもの。
「味方」ある物事(仕事や戒律や道徳や習慣)を一緒になってする者。または同じ種類(の共同体)に属するもの。
サンデルの言ってるのは、「同じ共同体」のなかでの話しだろうから、
「敵」「味方」という「新たな価値基準」を提出したのは適当ではなかったかも知れん。
しかし、そこまで噛み付くかねぇ。
じゃあ、「同じ村の連中」「隣村の連中」で区別してみるとか?
設問自体が反倫理的だからか、さらに反倫理的になっちゃうなあ。
> 何も「間違って」などいません。
そうだね、哲学者は何も「間違って」いない。「間違って」るのはキミ自身だよ、多分。
> それならそれであなたの自身の複雑な価値基準とやらに照らし合わせて答えを出せばよいのです。
じゃあ、最初から絡んでくるなよw
>>122 二択が四択になっただけで、複雑な価値基準に見えるんだ。大変だね。
つまらん
俺がかわりに議論したい
>exp
おもしろく読ませていただきました
わたしが気になることが一つありまして
道徳問題をまったく認めない者に対して道徳をいかにして論証するか?
というのが長年のわたしの関心なのです
(わたし自身は道徳問題や正義論はたいへん意義があるものと考えます)
しかし、このスレの何人かにも見られるように
「正義について論じようとするのは幼稚である」という態度があります
彼らは道徳をいっさい認めないでしょう
この問題を「なぜ道徳的アナーキストであってはならないのか?」と建てます
前スレで特攻隊の話が出ましたが
特攻の賛美も、道徳的アナーキズムの否定が極端な形になっただけと思われます
(利己主義の嫌悪感が自己犠牲の賛美につながっている)
わたしが自分勝手に、他者の利益を度外視して自分の利益だけを追及すること、そのためにいかなるルールにも従わないこと(私的に従うこと)
そのような態度をとってはいけない理由というものはあるのでしょうか?
この問題が正義論の根本問題だとわたしは考えるのです(「なぜ正義論は成立するのか?」)
129 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 06:59:08 P
まず、その道徳が最大限の基準として、今まで尊重されてきたか考えてみれば?
個人にしても共同体にしても。
共同体同士の対立が起きたときに、一番尊重されたのは道徳なのか、それとも別の何かなのか?
そして、今までは道徳は尊重されなていなくても、これからは尊重されると考えるなら
その理由は何なのか?
よく考えてみれば?
130 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 07:07:33 0
>>129 >個人にしても共同体にしても。
例えば法というのは共同体の道徳律を基底として不正義を抑止するために
定められる、共同体の共通規範として用いられる。国際社会における国際法も
不平等条約とならない様に、互いの利害調整を行った上で調印される。
国際法の場合、特に客観的最低を下す最高権威の存在がないから、相互の道徳が
重要な判断基準となる。また、「尊重されてきた」かどうかと、
「尊重すべき」かどうかについては、きちんと腑分けして考える必要がある。
131 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 07:10:47 P
互いの正義のすり合わせ、利害調整が互いの共同体を破壊しており
そのことが、現代の共同体破壊につながってるんじゃないの?
共同体を守るには、「伝統的な」対立解消の方法を採るしかないんじゃないの?
>>129 「その道徳」とありますが、僕は「具体的な道徳規則」を想定していません
世の中には様々な道徳文化があります
非道徳的集団と呼ばれるマフィアやヤクザにも守るべき規範はあります
このことは「ヤクザやマフィアもまた道徳的である」と言えます
僕が「道徳の根本問題」について考える時、
道徳的アナーキズムとして「規範に私的に従う態度」を想定しています
このアナーキズムが尊重されてきたかと言えば、現実には尊重されないでしょう
世の中の誰もが何らかの規範を受け入れて規範に従っているわけです
しかし、そのことはそのまま規範に従わねばならない理由にはならないはずです
現実に尊重されないことを理由に、道徳的アナーキストを迫害するのであれば
そのような態度は「正義にかなう」とはとても言えません
このことは「正義」の理念が矛盾を抱える可能性を示唆します
これが、道徳的アナーキズムの問題が正義論の根本問題と考える理由です
133 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 07:24:32 P
>>123 共同体内の少数民族の尊重が、両方の共同体を破壊する。
共同体主義の文脈から少数民族の尊重を言うのは無理がある。
実際、少数者を排除することで、健全な共同体機能は維持されてきたわけで
それを無視してきれい事ばかり並べるのは、かなり不快。
134 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 07:26:32 0
>現代の共同体破壊
「なにが」「どのように」破壊されていると考えているのを書かないと、
君の意図は他者には伝わらない。
135 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 07:29:02 P
>>134 共同体というのは、同質の人間の集団なわけだから
異端者、共同体に共通する属性を備えない人間は、排除しないと
共同体を守れないのは明らかでしょう。
フランスやドイツで問題になっている移民の問題は、まさに
この問題にほかならない。
>>135 移民への政策には同化政策と多文化政策があると聞きました
同化政策のみならず、多文化政策も少数移民に不利益を強いるものなのでしょうか?
>>136 例えば君の考えでは「名誉殺人」は排除するのしないの?
排除してもしなくても共同体破壊につながると思うが。
138 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 07:38:40 0
>>135 >共同体というのは、同質の人間の集団なわけだから
まず、ここから考える必要があるが、共同体を維持するために、どの程度までの同質性を
必要とするか? そして、その集団が共同体を維持するために異質な存在として、
例えば宗教や人種、民族などの差異を排斥することが共同体の利益になり得るか?
を考える必要がある。単純に言えば共同体が閉じていれば軋轢は起きない。だが、
閉ざされた共同体というのは現実としてあり得ない。
>異端者、共同体に共通する属性を備えない人間は、排除しないと
>共同体を守れないのは明らかでしょう。
君は「共存する」という選択肢を選ばず「排除する」という選択肢を選んだ。
その理由は?
>フランスやドイツで問題になっている移民の問題は、まさに
>この問題にほかならない。
欧州大陸の移民問題は長い歴史と政治政策による複雑な問題。更に民族や人種が
まだらに存在しているため(ナチスはそれを軍事侵略の根拠に用いた)、
一層複雑な問題も抱えている。EU統合はそうした問題解決も含めた試みだが、
旧植民地民の移民流入は労働問題でもある。
139 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 07:40:48 P
>>136 問題になるのは、
少数民族に不利益を生じるかではなくて、
共同体に不利益を生じるかでしょう?
もちろん、多数派民族の共同体にとっての不利益も
考慮しないといけない。
140 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 07:42:54 P
>>138 >君は「共存する」という選択肢を選ばず「排除する」という選択肢を選んだ。
>その理由は?
共同体というものは、同質の属性を備える人間の集団だからね。
同質ではない人間が混じると、共同体は成り立たなくなる。
>>137 名誉殺人に僕は反対すべきだと考えます
名誉殺人を認めることは、以前わが国にあった大臣の発言と同じです
「犯罪者の母親の責任がうんたらかんたら」
「市中引き回しにしてうんたらかんたら」
それは、個人の罪の責任を家族や集団に転化しているという意味で、無関係な引責関係の拡大です
未開部族や教育が足りない文化においてはそういうことが起きるようですね
多文化政策とは、いかなるバカも文化の一つとして容認して放置する政策ではないでしょう
それでは教育すら同化政策の一つになってしまいますよ
文化を尊重するということは
雷を避けるために避雷針を押し付けず雷神への生け贄を認めることではないとわたしは思います
あなたは文化の尊重とはどういうことだと考えるのですか?
142 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 07:48:12 0
>>140 >共同体というものは、同質の属性を備える人間の集団だからね。
>同質ではない人間が混じると、共同体は成り立たなくなる。
しかし現実にはそうなってない。それぞれ個々の共同体は様々な理由で同質性を持つ人間以外の
例えば少数民族や宗教信徒を内包しており、単純に排斥することは出来ない。
そういった現実を踏まえても尚、排斥するのであれば不穏な状況を生み出すのだから、
結果として共同体には不利益しかもたらさない。
>>128 彼らが「現実に尊重されていること」を道徳的とする暗黙的道徳に
暗黙的に従っていると定義してしまうのはどうだろう
彼らの中ではその暗黙的道徳を道徳と呼ぶことや
それに暗黙的に従うことを道徳的と呼ぶことが非道徳とされると見る
これなら正義対無正義の対立ではなく、正義対正義の対立になる
>>139 僕は「共同体」ではなく、一人の研究好きな人間です
なんで共同体の利益が問題となるのですか?
それが問題となって議論されるという事実について、あなたは語っているのですか?
それとも論理的に共同体の利益と多文化の尊重は両立しないと考えてるのですか?
>>143 面白い意見をありがとうございます
となると、「道徳的アナーキズムは正義理念抜きに成立するのか」といった問題になりそうですね
146 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 08:05:53 P
>>142 共同体を構成するための核となる共通属性があるんだよ。
それ以外の属性は、異なっていてもね。
民族共同体であれば、同じ民族の集団であることが、
共同体を成り立たせる根本の支柱として、さまざまな面、もちろん道徳面も
含めて、機能している。その支柱は、ほいほい取り替えられるものじゃない。
>>145 正義の定義にもよると思うが、自己の道徳に偽となる他者を排他する理念が正義であるとするなら
アナーキストが他者と関わらず一人で暮らす場合に限り
正義理念無しでも道徳は成立すると思う
148 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 08:21:45 0
>>146 >共同体を構成するための核となる共通属性があるんだよ。
>それ以外の属性は、異なっていてもね。
君の考える「共通属性」とはなに?
>民族共同体であれば、同じ民族の集団であることが、
共同体は必ずしも一つの民族で成り立ってはいないということは、君が例示した
フランスやドイツという国家(という共同体)がそうである様に、むしろ
多用な民族や宗教を内包している。と、私が指摘した。
>共同体を成り立たせる根本の支柱として、さまざまな面、もちろん道徳面も
>含めて、機能している。その支柱は、ほいほい取り替えられるものじゃない。
ほいほい取り替えられないからこそ普遍的道徳律が求められるわけだ。
149 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 08:22:39 P
アナーキストとか、話をそらしてるけど
共同体主義の文脈であるなら、必ずつきまとう話だぞ。
共同体を構成する人々が同じ民族、文化、宗教などを共有することは
共同体にとって必要不可欠だ。
共同体主義を掲げる以上、この話題から逃げることはできない。
150 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 08:33:15 0
>>149 >共同体を構成する人々が同じ民族、文化、宗教などを共有することは
>共同体にとって必要不可欠だ。
例えばスイスでは4つの言語がありドイツ系65%、フランス系18%、イタリア系10%、
ロマンシュ系1%、そのほか6%という多民族国家だが、共同体の構成に齟齬を生じてると
言えるだろうか?
>>149 かなりミクロな話になるが、日本の仏教徒の家にキリスト教徒のアメリカ人は嫁げないってこと?
>>151 お互いがお互いを己の宗教に改宗させようとするのなら、無理なんじゃね。
アムロ 「世直しのこと、知らないんだな。革命はいつもインテリが始めるが、
夢みたいな目標を持ってやるからいつも過激な事しかやらない」
アムロ 「しかし革命のあとでは、気高い革命の心だって官僚主義と大衆に飲み込まれていくから、
インテリはそれを嫌って世間からも政治からも身を退いて世捨て人になる。
草薙素子
世の中に不満があるなら自分を変えろ!!。
それが嫌なら、耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ!!。
天道是か非か
http://homepage1.nifty.com/kjf/China-koji/P-215.htm アニメを引用してくるとまぁ嫌がられるんだろうけど、すぐに思い出せるものだから。
「天」道が無いというよりは、「地」道、「人」道がない。
でも、人道と紛らわしいから、「礎」道、「柱」道、「屋」道と言い換えてみる。
建物を建てるときは、地盤をしっかりとさせ、「礎」石を据え、
その上に「柱」を立てて梁でつなぎ、やっと「屋」根を乗せることができる。
それでもなお、当然「天」には届かない。
しかし、「礎」道、「柱」道、「屋」道と揃えば家が建ち、人が暮らすにはそれで十分なのだ。
それを無視して「天道が欲しい、天道が欲しい」というのは、まさに「空中楼閣」だ。
月を取って欲しいと泣いて求める幼児と同じと言われても仕方ないだろう。
ちなみに、「礎」道、「柱」道、「屋」道を現実に比すと以下と考えられるだろう。
「礎」道:国境線の確定と安定、経済の安定、治安の安定
「柱」道:歴史や文化に基づく共同体の精神的よりどころ
「屋」道:社会福祉、医療・教育の充実
154 :
exp:2010/10/08(金) 09:50:48 0
>>122 >「敵」自分(の共同体)に危害を加えようとしている相手、自分(の共同体)の
>利益の達成を阻害している相手、「敵」 ある(共同体)にとって、共存しえ
>ない存在。滅ぼさなければ自分(の共同体)の存在が危うくなるもの。「味方」
>ある物事(仕事や戒律や道徳や習慣)を一緒になってする者。または同じ種類
>(の共同体)に属するもの。
@その人は、一体いかなる経緯でその「共同体」とやらに属することになるのですか?
たまたまその共同体に生まれ落ちたからですか? たまたまある日その共同体にやって
きて住み着くようになったからですか? それとも国籍取得・社会契約のように自由
意志でその共同体の構成員になることを明示的に契約したからですか?
いずれにしろ、Aその人が、単にその共同体に所属しているという事実のみから、その
共同体に「危害を加えようとしている相手」(敵)を殺し、同共同体に所属する他構成員
(味方)を守らなければならない道徳的義務が生じるんですか?
さらに、B敵を殺す=「危害」の回避=道徳的に良い行為、味方を守る=「利益の達成」
=道徳的に良い行為、ということでよろしいのですか? であれば結局、ありがちな
功利主義もどきに落ち着きそうですが。
>そうだね、哲学者は何も「間違って」いない。「間違って」るのはキミ自身だよ、多分。
あなたが「哲学者」のように物事を深く考えられていないだけですね。
155 :
exp:2010/10/08(金) 09:53:28 0
156 :
exp:2010/10/08(金) 10:24:35 0
>>128 >わたしが自分勝手に、他者の利益を度外視して自分の利益だけを追及すること、
>そのためにいかなるルールにも従わないこと(私的に従うこと)
>そのような態度をとってはいけない理由というものはあるのでしょうか?
>この問題が正義論の根本問題だとわたしは考えるのです(「なぜ正義論は成立するのか?」)
番組でも取り上げられたロールズらの「正義論」の場合、まず、様々な価値観を持つ
人々が一つの社会に住むという前提があります。自分の利益だけを追求して他人に
迷惑かけたり、あるいは自分の価値観を他人に力で押し付け合うようなことが横行すれば、
平和に共存できなくなる。陰惨な宗教戦争の二の舞となる。だからそういうことは
ナシにしよう。簡単に言えば、そうした発想から自由主義が望ましいとされる。
ですから、正義論は極めて「政治」的な思想です。個人レベルの「道徳」には関与せず
基本「自由」だとして放置します。社会の個人個人は、キリスト教徒であれ、功利主義者
であれ、何であってもいい。ただし最低限、政治レベルでは、他者の信仰の自由など
を尊重する自由主義に従ってもらいますよ、嫌ならあなたと一緒にここに住むことは
できません、となる。
政府としては価値に対して中立的な立場をとり、ある特定の価値観が規定する善を追求
させるようなことはしない。個人レベルの行為の善悪に関しては、正義論は何も言いません。
政治レベルだけと割り切っている。
じゃあ、政治に関与せずに個人レベルで正義を叫ぶのは
内容如何に関わらず正義ではない?
158 :
exp:2010/10/08(金) 11:01:28 0
>>157 「個人レベルで正義を叫ぶ」行為自体は、政治レベルでは「自由」でしょう。
政治レベルと、個人レベルを、峻別している点が現代「正義論」(自由主義)の
特徴です。無論、そのように完全に分けてしまうこと自体に反対する人々もいます。
その代表が共同体主義なわけです。
政治に関与しない行為や物事の善悪は、「正義」というより「道徳」の範疇に入る
ことになると思います。
ここでいう「道徳」とは、「すべきこと」(当為)と「すべきでないこと」(禁止)
を規定する善悪基準のことです。道徳は正義を包含しますが、基本、正義は政治レベル
限定です。
159 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 11:01:38 O
てす
>>158 ということは、共同体主義を自治を主張する小規模な政治体の一種と考えれば
「正義を考えよう」は「政治を考えよう」とほぼ同義になるわけだ
あの番組は道徳哲学じゃなくて政治哲学だったのか
>>154 なあにをそんなにカッカしてるんだか。
> @
そのどれもがありえる。特に限定して考えることではない。
> A道徳的義務が生じるんですか?
生じる。それが嫌なら兵役拒否でも国外逃亡でもすればいい。
> B道徳的
などという甘えた概念は、国家の安全が脅かされたときには通用しない。
「国民の安全」が保障された国土に於いてのみ、
「道徳的」云々は通用する。
で、あなたは「深く」考えてどうするの? なにかもっといい考えでも見つけたの?
見つけられてないなら、あなたの考えは、ただのヒステリーだ。
己の無能力をごまかすために酒を飲み続けてアル中にでもなっちまいなよ。
162 :
exp:2010/10/08(金) 11:40:34 0
>>160 >あの番組は道徳哲学じゃなくて政治哲学だったのか
政治哲学はアメリカの大学だと哲学部でも政治学部でも教えているけれど、
サンデルはハーバードの政治学部所属なんで政治哲学のコースってことに
なるとは思う。
ただカント・ロック・ベンサム他、番組で取り上げられた歴史的な哲学者は
みんな政治哲学も道徳哲学も分けずに両方やっていた。彼らの道徳哲学ぬきで
政治哲学だけやるわけにもいかないので、道徳の方もやらざるをえない。
トロッコの話なんかはストレートな道徳哲学。
あと、個人レベルの道徳基準から社会全体の政治規範にレベルが変わると、
色々な問題が出てくるのも大きなポイントになる。典型は功利主義。個人レベル
なら好きに快楽追求してもいいけれど、社会全体で同じことをするとなると
色々面倒になる。番組でもやったけれど、一部の構成員を犠牲にして社会全体の
快楽を増大させるのは是か否か、とか。
163 :
exp:2010/10/08(金) 12:03:19 0
>>161 >生じる。
なぜです?「偶然そこに生まおちた」という事実に一体どんな意義があるんです?
その事実に従わなければならない理由は?
例えばその共同体の奴隷階級に生まれ落ち、人として最低の扱いを生涯にわたり
受けてもなお、その共同体の存続のために「敵」を殺す義務があるんですか?
>それが嫌なら兵役拒否でも国外逃亡でもすればいい。
その根拠は? 共同体に所属することから生じる義務よりも、私的な「嫌なら」に
従うべき義務の方が強いんですか? 「嫌なら」従わなくていいなんて、ろくな
「義務」じゃないと思いますが。
「嫌なら」で全て押し通せるなら、あなたの善悪基準は「ピーマンいや!」
「チョコすき!」という子供の好き嫌いと変わらないレベルの代物になりますね。
「複雑」な価値基準も整理されるとずいぶん単純になるものです。
ウィキをざっと見てきた限りだと、一連の思想は、軍事に対して全く無関心だ。
というよりも、軍事面は完全に安全が保障された前提のうえに成り立っていそうだ。
国家危急の際にどう対応するかは、おそらくあまりにも自明のために書いてないんだろう。
「国境線の確定と安定、経済の安定、治安の安定」のために、国家国民がどう対応してきたか。
それは、お花畑の願望妄想よりも、歴史をひもとけばすぐにでも分かる話だ。
戦時に於いて「道徳」云々よりも先に何が優先されてきたか書いてあるはずだ。
そして、恐ろしいことに国家の財源について、思想が考えられたのはつい最近で、
はじめのほうの思想は、国家の財源について考えてもいない。
真面目に「深く」勉強すればするほど、「軍事」や「財源」を無視するようになるのかな?
>>162 なるほどなー、ありがとう
道理で相対主義やニヒリズムのニの字も出てこないはずだ
政治の世界で判断の放棄は許されないもんな
すごく基本的なことなんだろうが勉強になった
>>163 それはね、
国家に国家の「正義」があるように、
個人にも個人の「正義」があるからだよ。
さらに、共同体にも共同体の「正義」がある。
これらが完全に一致するとか、そこまで俺は夢見ちゃいないからだよ。
もちろん、それがなるだけ一致するように各段階で努力はされてるだろうけど、
現実に完璧に一致してあるべきだとか考えるのは、脳内お花畑だよ。
167 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 12:19:56 0
>>160 番組の最初に「政治哲学」と出ているのを君が見落としているだけ。
168 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/08(金) 12:42:50 O
サンデルがわかりやすいのは、金か慣習か、なので欧州的な小難しい人権論がないからだね。
日本人的でもある。
>>163 恩を仇で返すようで何だけど、政治レベルの話なら国家の正義は定言的であってもいいと思う
理由は個人の生存権が定言的でないと生死が危ぶまれるように
国家の危機的状況で正義を仮言的にすることには国家崩壊の危険が伴うから
共同体の生存本能と言ってもいいと思う
ただし、国家の成員が国民の安全を守らない国家に対して
義務の押し付けを踏み倒す権利は暗黙に与えられてると思う
実質国家の成員であることの放棄になるから
その権利の行使は往々にして命がけなわけだけど
>>167 それはいつも大体5分過ぎた辺りから見始めるからだ・・・
170 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 15:45:34 0
小難しい政治哲学だと眠くなるから
現代から遡ってカントやベンサムを学ぶにはちょうどいいんだろ
大学の講義として評価高いっていう話なのにな
ハーバードの一般学生もいる見たいだからあれで一般教養の単位もらえるなら人気でるよな
最後に自分の主張にもってくのは教授として当然
知り合いに本薦めたら正義って言葉に嫌悪感丸だしで断られたよw
171 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 15:59:38 0
サンデルはブッシュ政権の倫理顧問だったし道徳観はガチガチのキリスト教で出来てるだろな
>>exp
回答、ありがとうございます
あなたの回答は、
正義論はある種の自由主義的価値観に同意する者の間にだけ成立する議論である
ということでよろしいですか?
過去の哲学者は別にして、
現代正義論は、ある種の理想を共有する者の間にだけ成立する議論である、、と
ならば、このスレにも見られるような「正義」という言葉への反発にも答える必要はないですね
そもそも彼らは正義論について論じる土台に立っていないのですから。
173 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 17:46:11 P
共同体というものが盤石としてそこにあることを前提としているよね。
それから、近代社会も盤石としてそこにあることを前提としている。
この二つと個人の関係を考えたいってことでしょ。
つまり、焦点はあくまで個人であって、共同体は永遠にそこにあり、近代社会も永遠にそこにある
ことを前提としている。
ロールズなんかは、近代社会の盤石性は前提としていないんだろうけど
この人の場合は、近代社会はすでに盤石であり、もちろん共同体も盤石であることが前提となっている。
そこに興味がなく、個人に興味があるからだろうけど。
174 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 18:18:36 0
>>169 ネトウヨ系きめえええええええ
戦争が起こった原因が、アホ軍人の暴発とそれを追認した身内には弱腰の間抜け政府の尻拭いだった。
こんな事実があるから、そりゃ馬鹿らしくもなるわいw
175 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 18:27:19 0
>>174 負けない戦争だったら別に構わないだろ?
実質米が負けたのってベトナム戦争ぐらいか?
尖閣の問題は、中国人に言わせれば、軍事力を増強していけば、いずれ「自然と解決する」
日本も中国もどちらも正義な訳だから、そうした解決に何も文句はない。
>>174 確かにウヨ系の論理だな我ながら
ただ、その前提は危機的状況においてなわけで
そういう状況に陥ること自体が大間違いなのは忘れないでくれ
今の日本は危機的状況にあるわけじゃないから
定言的に権力を集める正義は適さないと思うよ
むしろ平時には邪魔になる
全力で戦争を回避し、回避できないなら全力で抵抗する
殺すか殺されるかの二択が嫌なら戦争回避に尽力してくれ
これでいいと思うんだが
劉暁波氏のノーベル平和賞受賞について、これは中国の正義に対する挑戦だろうか、
それとも人類の共通善をたたえるものだろうか?
>>141 >>
>>137 >>名誉殺人に僕は反対すべきだと考えます
(中略)
>>未開部族や教育が足りない文化においてはそういうことが起きるようですね
>>多文化政策とは、いかなるバカも文化の一つとして容認して放置する政策ではないでしょう
>>それでは教育すら同化政策の一つになってしまいますよ
>>文化を尊重するということは
>>雷を避けるために避雷針を押し付けず雷神への生け贄を認めることではないとわたしは思います
>>あなたは文化の尊重とはどういうことだと考えるのですか?
まず君の考えを述べなさい。
君の考えは「文化を尊重するにしても一定の限度がある」というもの。
ではその「一定の限度」に関してほかの人が理解可能なように述べてください。
具体例として名誉殺人には反対すべきだという意見だが
それでは思考のための他の例として
棄教に対して死刑を課すことが信者の義務と信じている宗教に関してはどうか?
排除するのしないの?
排除してもしなくても共同体破壊につながると思うが。
180 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/08(金) 23:39:51 O
サンデルの正義論がわかりやすいのは、現代の正義論が
富の分配を基本にすることを明らかにするからだ。
アメリカ人らしいとも言えるが、小難しい人権論ではなく、
例を多くあげながら自由主義社会に適した正義論を展開して実感としてわかりやすい。
>>179 棄教というものをはじめて知ったので、軽く調べてみたのですが
これは現実に死刑になることはないみたいですよ
極端な保守派ムスリムにおいてのみ死刑を主張しているらしいですが
実際は死刑にはならずに、うまく逃げる手段があるみたいです
言葉の上で「死刑」と言うだけで、実際には死刑にはならないなら、それは放っておいてもいいのではないでしょうか?
それと実際の死刑を主張するムスリムは他のムスリムからかなり批判されてるようですよ
でも、棄教を調べて、新撰組の
「組を抜けるものは切腹」って局中法度を思い出したのは俺だけではないはずだ
>>181 >>棄教というものをはじめて知ったので、軽く調べてみたのですが
>>これは現実に死刑になることはないみたいですよ
では君の意見をとりあえずそのまま受け入れて実際には「現実に死刑になることはない」と仮定してみよう。
その上で「現実に死刑になることがある」と議論のために仮定しよう。
「現実に死刑になることがある」との仮想上の前提の上で
もう一度質問しよう。
棄教に対して実際に死刑を課すことが信者の義務と信じている宗教に関してはどうか?
排除するのしないの?
排除してもしなくても共同体破壊につながると思うが。
仮定の質問には答えられませんか?
>>183 多分、極端な保守ムスリムしか死刑を主張していないということは
あまりに非合理なのでイスラム文化内で自浄作用が働いたのではないでしょうか?
宗教への干渉の結果ではなく、宗教自身が現実に合わせて規則を形骸化したわけです
ですから、仮定において死刑にする文化があったとしても
いずれ死刑にしなくなるような気がするんですよ(仮定の中で)
仮定の話なら、イスラム文化なんて出さないで
過激派とか反政府主義者とか無政府主義者の文化などを仮定してはどうでしょう?
そのような文化を認めることは共同体を破壊しかねませんよ
なんせ、まんま「共同体を破壊する」という文化なのですから
>>184 言葉だけの死刑が放置して構わない存在なら
過激派や反政府主義者や無政府主義者にも
同じく言葉だけの存在に形骸化してもらうよう仕向けるのはどうか
最終的に名目だけの対立になれば共同体とも共存できる
186 :
考える名無しさん:2010/10/09(土) 07:47:03 P
共同体が道徳の基盤となるには、
共存できれば良いってわけでもないよ。
確固たる道徳的基盤を提供するには、
疑われることのない共同体の秩序が必要。
共同体主義だと、尖閣は日本領土で決まりだから面白味がない。
無知のベールを被って、ベールを取った時に自分が日本人かもしれないし、
中国人かもしれない、どちらか分からないという状況の方が、頭の体操には良さそうだ。
>>186 共同体にはそこまで厳正な秩序が必要?
現実にはなんとなく集まってる緩い共同体も多い気がするんだが
189 :
考える名無しさん:2010/10/09(土) 08:10:59 P
>>188 共同体が道徳の基盤となるにはってことね。
ただの人間の集まりなら、共存でも何でもできるでしょ。
>>189 そこまで言い切れるもんかなあ
例えば日頃親の言うことを聞かない放蕩息子が
親の万が一の事態に献身的な行動を取ったとしても
それは共同体の道徳観とは無関係な行動?
191 :
大日本言論報国会:2010/10/09(土) 08:47:34 O
ナチスと共産主義者とシオニストとイスラム原理主義者は、平和の下で共存できるか?
左翼は妄想が前提
しかし、「現実の具体的人間」とやらを前提であると嘘
妄想(理想)があって
現実を語ると
左翼は現実が間違いで
妄想が正しいと思う。
社会を改造しても
人間は変わらない。
だから左翼の共同体では
収容所や虐殺がおこる。
192 :
exp:2010/10/09(土) 08:56:16 0
>>169 >ただし、国家の成員が国民の安全を守らない国家に対して
>義務の押し付けを踏み倒す権利は暗黙に与えられてると思う
番組でとりあげられたジョン・ロックは革命権を提唱しています。これはアメリカ
独立戦争の思想的背景にもなっている。また、アンチゴネやキング牧師のような
市民的不服従の例もある。それに対し毒杯を仰いだソクラテスの例もある。
いずれも哲学的議論が尽くされている問題分野なんで、「嫌だから」の一言で済ま
されてはかなわんわけです。
国家、または共同体に対する義務一般(兵役ふくめ)の問題も同様です。
平時にはその国の法に従い、戦争時には国を守るために戦わなければならない義務は、
一体どこから生じるのか?
中学公民の授業でも習う社会契約論の立場に立てば、「社会契約」を結んでその国に
参加し、その国における様々な恩恵に浴しているのだから、契約履行の義務があると
なる。もしその国が恩恵をもたらさないものになったなら、契約違反で革命権が認め
られる。しかし、国籍取得のような明示的契約行為を経て国民になっている人は現実
には少数派です。ある国の国民になっている理由は、たまたまその国に生まれただけ
に過ぎない。では、契約をしていなくとも、その国に長年住んで良い思いをしたなら、
その事実をもって義務が生じるのか?
まぁとにかく、どれも深い問題なんで、あれもこれもと手をのばしたら収集つかなく
なってしまうということです。
193 :
exp:2010/10/09(土) 08:59:40 0
>>166 >国家に国家の「正義」があるように、
>個人にも個人の「正義」があるからだよ。
少なくとも、あなたの場合はそれは無いようですけど。
あなたの言う「正義」ってのは、結局、突き詰めて行けば「ピーマンいや!」
「チョコすき!」という好き嫌いレベルの、実にシンプルで幼稚な価値基準
1つに収束してしまうようですから。
物事を深く考えていないから、自分が何か複雑な「正義」の原則をたくさん
持っていると「勘違い」しているだけでしょう。
>>16の残りも、その「勘違い」
から同じく支離滅裂な妄想膨らませているだけなようです。
>>184 >>
>>183 >>多分、極端な保守ムスリムしか死刑を主張していないということは
>>あまりに非合理なのでイスラム文化内で自浄作用が働いたのではないでしょうか?
>>宗教への干渉の結果ではなく、宗教自身が現実に合わせて規則を形骸化したわけです
>>ですから、仮定において死刑にする文化があったとしても
>>いずれ死刑にしなくなるような気がするんですよ(仮定の中で)
そうすると確認だが君の考えでは
ある宗教が棄教に対して死刑を主張している場合
当該宗教の当該主張に対しては多文化政策の観点からも排除してもかまわないし排除すべきだということでよろしいか?
具体例を出さないと君は自分では調べられないようだから指摘すると
サルマン・ラシュディのケースはどう考える?
特にここは日本だから日本のケースを上げると
日本人のサルマン・ラシュディの翻訳者が殺害された事例については?
195 :
exp:2010/10/09(土) 09:08:55 0
>>172 >正義論はある種の自由主義的価値観に同意する者の間にだけ
必ずしも自由主義者に同意する必要はありませんが、それでも現代の「正義論」
という問題分野の発端は自由主義者であるロールズの『正義論』なんで、それ
を完全にすっ飛ばして全く違う「正義」の話を進めるのなら、別にこのスレで
なくても良いのでは、とは思います。
>>194 失礼ですね
これでも移民問題は関心をもってますし、オランダの寛容政策のどこに欠点があったのかなど持論はありますよ
この板が落ちて消える前には書いてます
むしろ、あなたの方が具体的に共同体によって抑圧されている少数派を挙げれてないんじゃないですか?
僕は「この人は具体例が挙げられないで言葉だけの人だなぁ」と感じてたのですが、
仮定ばかりを繰り返さねば話を進められない人にそう言われるとは思わなかったです
さて、オランダで映画監督がトルコ人に殺害された事件もそうだし
翻訳家がイスラム教徒に殺害された事件もそうだが
わたしは「順境」という考え方から、それらの行為は禁止されるべきだと考える
198 :
exp:2010/10/09(土) 09:24:10 0
>>173 ロールズら自由主義者は共同体を軽視する。その批判者としての共同体主義
は、共同体は重要だ、そして共同体は崩壊の危機にある、と言うわけですね。
自由主義者は密な「共同体」というよりも、もともとバラバラの(自由な)
合理的個人が、利害関係・損得勘定でたまたま集まって共同作業している
だけの人工的な「社会」を想定して議論を進めている。「共同体」は扱っても
おまけに近い。
199 :
考える名無しさん:2010/10/09(土) 09:28:04 0
>>191 >ナチスと共産主義者とシオニストとイスラム原理主義者は、平和の下で共存できるか?
そういう一部の極端な思想の持ち主を一般化して語るのは、典型的な詭弁の手法。
>左翼は妄想が前提
君の言う左翼とはどんな人々を前提にしているのかよく分からない。
左翼という特定の人々がいるのなら、ナチスと共産主義者とシオニストとイスラム原理主義者も
特定の思想を持つ人々ということになる。ラジカルな思想がより多くの人々の共同体に対して
平穏を担保できないのなら、それはその人々が持つ思想それ自体が排斥されるべきであり、
それは人権までも含めて排斥すべきではない。ドイツの戦う民主主義がその答えとなろう。
>>194 あなたに議論の主導権を与えて、どのような議論をするのか見てみるつもりでしたが、
まともな議論になりはしないので、今度は僕からいきますよ
あなたからはいくつかのテーゼを前提にしていると感じました
それらを批判に上げて、問題提起してみます
1、あなたはいかなる禁止も抑圧であると考えてはないでしょうか?
「正義」の理念はその内容に禁止を含みます
それが、あなたが忌避する抑圧なのかどうか、これは検討する価値があります
2、あなたは「文化の尊重」と「放任、無関心」を混同しているように思われます
わたしは「批判なきところに相手を尊重することはできない」という言葉を真と考えるものです
あなたが考える「尊重」が、果たして相手を本当に尊重していることなのか、これもまた検討する価値があることです
3、問題となる共同体は焦点の当て方次第で変わるものです
あなたが挙げた棄教死刑は、
保守ムスリム共同体が、改宗しようとする個人を異端と見なし排除し抑圧していると見ることもできます
そのような少数弱者の救済を試みることが、保守ムスリム共同体という少数弱者を抑圧しているということでしょうか?
これでは、あなたがこだわる抑圧の排除は、原理的にいかなる場合にも排除しきれないという結論を招きませんか?
あなたの立場は自己矛盾しているように思えます
>exp
>>195 僕は形而上学が好きなので、「正義論」の形而上学はなんだろう?と考えてしまうわけです
「正義論」が禁止していること、その正当性を考えることが好きなわけです
で、expさんのこだわりは
・「わたしはチョコが好き」「わたしはピーマンが嫌い」は正義ではない
これなんです
「正義論」について考えるということは、個人の好き嫌いを規範と同一視することを禁止している、ということになるはずです
その禁止の正当性を考えることは有意味な哲学問題です
ノージックが「国家論」について論じるにあたり、無政府主義の考察を根本問題としたように
「正義論」の根本問題は、わたしの好き嫌い主義の考察になるはずです
(わたしは、もう少し別の形の禁止を「正義」は含んでいると考えますが)
このスレでは「正義」という言葉に釣られて、たくさんの正義嫌いがやってきます
しかし、expさんの回答は彼らの疑問の本質と向き合ってないように思います
202 :
exp:2010/10/09(土) 10:28:32 0
>>201 >個人の好き嫌いを規範と同一視することを禁止している
別に禁止はしていませんよ。単なる「ピーマンが嫌い」レベルの「好き嫌い」
しか根底に無い、幼稚で浅薄な自分の道徳規範を、さも高尚・複雑な道徳規範で
あるかのように「勘違い」しているから、それを指摘したに過ぎません。
「好き嫌い」を堂々と哲学の大系にまで昇華させたのが功利主義です。功利主義は
立派な道徳哲学ですし、これに基づく正義論というのは当然ありえます。(カントや
ニーチェだと功利主義ですらも評価してくれませんが。)
また、道徳規範がシンプルであることは別に欠点ではありません。むしろ無駄に
複雑で煩雑な規範の方が使い勝手が悪く、劣っていると言えます。シンプルさは
功利主義の優れた点です。(無論、シンプルなだけで使えなければ無意味ですが。)
功利主義のように善悪や正義を快楽・苦痛に基づいてキッチリと論証できるので
あれば、議論も有意義なものになるでしょう。「ピーマンが嫌い」認定されて
そのまま引っ込むような人なら功利主義者ではないですね。
また、功利主義批判に関しては番組中でも色々と扱っています。トロッコの話も
その一つでしょう。功利主義の擁護はそうそう容易ではありません。
203 :
大日本言論報国会 :2010/10/09(土) 10:30:02 O
>>199 だから、戦うナチスドイツでは、ユダヤ教徒は共同体の平穏を乱す→排斥
戦う民主主義ドイツでは
ナチスを共同体から排斥しようとする。
現実に具体的人間が
排斥をしている。
功利主義では、少数の排除に多数派の利があれば排除は正当化される。
もちろん、普遍的正義にはならない。 なぜならありえるのは個別的多元的多様な正義のみ。
全てを一元的に絶対一神教みたいな普遍的正義などは、共産主義みたいなインターナショナル。
(大規模な排斥に繋がる)
ありもしない神を捏造と批判しながら、ありもしない共通善を代わりにもってきてもダメ。
204 :
大日本言論報国会:2010/10/09(土) 10:36:44 O
そういえば
アダムとエバは
善悪を知る果実を食って
愛を知ったから
神の怒りにふれ
楽園から「排斥」された。
神が排斥してるから
排斥は悪い事でも罪でもない。
サンデルを入口に
白人社会では
「社会的排除」が
共同体のテーマになる
(排斥正当化の理論は、移民排斥の需要を満たす)
205 :
考える名無しさん:2010/10/09(土) 10:39:28 0
>>203 >だから、戦うナチスドイツでは、ユダヤ教徒は共同体の平穏を乱す→排斥
>戦う民主主義ドイツでは
>ナチスを共同体から排斥しようとする。
それは共同体の維持に危害をもたらす思想を排斥しているだけで、その思想を持つ人々を
排斥しているわけではない。
>現実に具体的人間が排斥をしている。
内心の自由までは保障しそのラディカルな言論活動には厳しい措置を講じるというのは
共同体への脅威を考えれば仕方ないこと。戦う民主主義は思想や言論の自由を守るため
そのアンチテーゼとしての思想と言論を排斥するというアンビバレントなものと
考えられがちだが、一種の自殺行為に等しい行為を抑止するために必要と考えられたもの。
>功利主義では、少数の排除に多数派の利があれば排除は正当化される。
功利主義としての視座ではなく、民主主義が自殺行為を容認するかどうかが
戦う民主主義の本質。ドイツは自殺行為は認めないと表明した。
>exp
>>202 功利主義は一つの規範をもっています
が、あなたが挙げた「わたしはチョコが好き」「わたしはピーマンが嫌い」とは少し異なるように思えます
「正義」が禁止していることは「好き嫌い」じゃあないんでしょう
興味がないなら失礼
207 :
exp:2010/10/09(土) 11:04:02 0
>>206 もし「ピーマン嫌い」で善悪判断をする人がいるなら、その人には
功利主義批判のほとんどが適用できます。この程度のレベルでは、
そうした批判に答えることなどまずできませんが。
普通の人は、自分の道徳規範が「ピーマン嫌い」レベルの代物だとしても、
そうは認めたがりませんから、それ以上行くことはあまりないですね。
そこで終了です。
まぁ厳密には、功利主義というより情動主義(emotivism)に近いですね。
208 :
大日本言論報国会:2010/10/09(土) 11:13:58 O
>>205 戦う民主主義に俺は反対。
確かに、西ドイツは
ドイツ共産党を弾圧。
日本で「戦う民主主義」は、サヨがウヨを弾圧する願望の表れ。
日本では
右翼も創価学会も共産党も、弾圧せずに平和共存できている。
これは、日本民族共同体だから可能な奇跡
(少数民族は個人として尊重。反日的少数民族は尊重されない)
209 :
大日本言論報国会:2010/10/09(土) 11:29:00 O
モハメドがピーマン嫌いだったりしたら・・・
マルクスが資本主義嫌いだったら・・・・
いや、何でも無いです。
210 :
大日本言論報国会:2010/10/09(土) 11:32:56 O
戦争嫌い→平和主義者は正義?
ゴメンなさい。
ロールズの無知のベールは、要は自分の社会的、歴史的なコンテクストを捨象したところにある無垢な人間から話を始めようというものでしょ。
これは二元論的、アトミズム的、近代的なんだな。ニーチェは近代的主体概念の体現者だが、彼の発想は誰にも従わない誰のためでもない私を見つけようとするでしょう。
これは現代にも残るニヒリズムというやつ。
アトミズムは自己認識から自己を説明しようとする。これは近代西欧思想のルーツが古代ギリシャにあることに由来する。
古代ギリシャにおいて自己認識(汝、自身を知れ)は共同体の掟としてあった「自己への配慮」から求められたものだった。
西欧近代はそれを逆転して自己認識を立脚点にしようとしてしまう。
近代西欧の発想自体実はこうした社会的、歴史的コンテクストと切り離すことができない。
無知のベールにおける捨象とはつまるところ 近代西欧、白人の抽象でしかあり得ない。いわゆる西欧中心主義。
212 :
考える名無しさん:2010/10/09(土) 11:45:34 O
>>202 功利主義って
好き=正義!
嫌い=悪!
みたいだよね。
(ロールズ?)
神や仏や国家を無視する
人間中心主義の正義が嫌いだから批判する時、功利主義的共同体の倫理を持ち出してきているのがサンデル?
213 :
考える名無しさん:2010/10/09(土) 11:51:55 0
かつて大東亜の大義のため身を犠牲にして戦った国があった。
この国を侵略者呼ばわりすることは正義か?
214 :
考える名無しさん:2010/10/09(土) 12:05:38 0
>>213 その国は、今度は人類の大義のために身を犠牲にして平和主義を貫こうとしている。
この国をかつて侵略者だったと、罪状を捏造してまで冤罪をかぶせることは正義か?
>>192 で、あなた自身が模範的な回答を出してるのに、
>>193のように、俺がそれを理解して無いと決め付けるのはどうしてなのか。
「嫌なら」の言でそこまで決め付けてかかるのは、アタマにきすぎている。
あなたの出す結論は、すべて俺を悪者にしたいという願望に支配されている。
たとえば、
>>166でも、ちゃんと >共同体にも共同体の「正義」がある。
と書いているのを見逃しているように。
>物事を深く考えていない のは、あなたのほうだ。
>国家に国家の「正義」があるように、
>個人にも個人の「正義」があるからだよ。
で、すませるのなら、>共同体にも共同体の「正義」がある。
などと書いてはいない。
普通、あなたの考えるとおり、個人の好き嫌いや「正義」ではなく、
共同体の「正義」を優先させて、個人は行動することを忘れてる。
それをあえて無視して、個人の「正義」を優先させる人というのは、
共同体から日ごろ迫害を受けていて、憎しみこそすれ恩義など感じてない人、
哀れなソラマメを踏むよりは殺されることを選ぶ人、などが挙げられる。
あなたが
>>192 で、模範的な回答を出したようにね。
このような様々な例外があることも加味して、三者を並べたのに、それを無視して、
「幼稚」だの好き嫌いだの言うのは、あなた自身が「幼稚」で「好き嫌いが激しい」からですよ。
>>193 > 自分が何か複雑な「正義」の原則をたくさん持っていると「勘違い」している
ここでも、またキミは「勘違い」している。正直うんざりだ。
俺は、複雑な「正義」の原則などここで語り続けていない。
はっきり言ってかなり単純な「正義」の原則をずっと語り続けている。
手をかえ品をかえしているだけで、
むしろ、同じことをずっと繰り返して言い続けている自分に飽き飽きしているくらいだ。
「正義」とは、
「治安」「防衛」「財源」「宗教」「国土」などの様々な保障の上に成り立っている。
これらが欠けたときに、「正義」を語ることはできない。
これは、キミ自身が
>>195で
>>172を肯定しているのと同じことを語っている。
そして、この前提をはみ出そうとしている発言に対して、
「防衛」や「財源」などを無視して、無条件に無制限に「正義」を押し通そうとする
発言に対して、レスを繰り返しているだけだ。誤解曲解もいい加減にしてくれ。
>>163 あとね、キミが勝手に「複雑」な価値基準だと思い込んでるだけで・・・
あ、
>>16の書き方じゃそうも受け取れちゃうのか。
勿論、細かく切り分けて並べて考えるのもありなんだけど、
ズバっと一刀両断にできる「新しい価値基準」を一つ見つけさえすれば、
何もいくつも「新しい価値基準」を出してくる必要は無い。
なぜ「新しい価値基準」をいくつも並べてみるのかというと、それらを分類整理するため。
数列に例えれば、次にくる数字や、欠けた項目を見つけだすため。
「ずいぶん単純」になる「新しい価値基準」を探し出すためだよ。
キミのいうとおり「ずいぶん単純」になるんだよ。
>exp
>>207 功利主義は主語の違いをどう捉えるのでしょうか
彼は「好き嫌い」を原理とした「好き嫌い主義」ではなく
「わたしの好き嫌い」を原理とした「わたしの好き嫌い主義」です
彼は子供のように、「さっきまではチョコが好きだったけど今はアイスが好きなの」と言うことができます
功利主義は「各個人の快楽の最大値を求めるべきである」という規範に変換できます
しかし、ある種の言葉は規範を形成できません
わたしは「正義」はあらゆる規範(価値)に対する理念である以上、規範を破壊するような態度に対しては「不正」とせざるをえないと考えています
この禁止が、わたしが考える正義の最小禁止です
正義嫌いが横行する中、この正義の最小禁止を放棄する態度が可能なのか?
これが正義におけるわたしの関心です
たいていの者は幼稚な相対主義です
しかし、いっさい正義の理念の規範にコミットしない態度を持つものが現れた時
「正義」という理念が形成する規範に所属するわれわれは、「正義」規範の正当性を自問する機会を得ることでしょう
わたしはとんでもないことを問題にしようとしています
「真理」理念がその内容として「矛盾の禁止」をもち、「なぜ矛盾してはいけないのか?」を考えると言うのは回答が出ない問いです
それの規範バージョン
「正義」理念がもつ禁止を洗いだし
「なぜ正義の禁止を犯してはならないのか?」という問いを提出しようという試みです
続き
ラッセルの『西洋哲学史』では、ニーチェとブッダの対話を空想するというのがありました
そして、あまりにも平行線な対話に苦笑するしかないというものでした
「いかなる規範も無視して自己の快楽を最大限に求めるべきである」という規範は、パラドキシカルです
しかし正義嫌いは横行にして、そのようなパラドクスを意に介さないでしょう
僕は功利主義をこれには含めません
ベンサムやミルは全体の幸福の増大を考えたという意味で、倫理的だと考えるからです
僕が問題にしているのは、倫理そのものを否定する態度です
この立場への名前がないので困っているのですが
彼はいかなる選択においてもその瞬間の自分の好き嫌いに従うことができる
このような態度をとられると、彼とは規範に関する議論は成立しようがありません
正義嫌いが「正義」という言葉だけへの嫌悪であり、実際は正義理念にその行為を負っているならば問題はありません
しかし、正義嫌いがそのまま、あらゆる規範を恣意的と見なすならば、これは違います
彼は規範レベルではなくメタレベルも含めて、あらゆるレベルにおける規範の正当性を認めず
したがっていかなる拘束も認めないでしょう
わたしは、そのような態度に正しい可能性を見いだす時、正義の理念は懐疑にかけられると考えるのです
ちょっとした例を挙げます
犯罪を犯した者が罰せられようとしています
彼は言います
「なんで僕が罰せられなければならないの?」
ある者は答えます
「犯罪者は罰を受ける決まりなんだ。君は犯罪を犯した」
犯罪者はさらに返答します
「僕が質問してるのは、『どうして犯罪者は罰を受けなければならないの?』ではない。
『どうして、僕が罰を受けなければならないの?』ってことだよ。
僕は罰を受けたくないんだよ。」
およそ理性を持つ人間で、何かを正しい、または間違っていると感じることのない人間がいるとは思えんけどね。
社会が正しいとすることと、自分が正しいと感じることが違うってのはあるだろうけど、
正しいか正しくないかの意識すら持たないってのは、ありえんだろ。
>>220 現実にはありえないかもしれません
しかし、正義嫌いが一貫した態度をとるならば、こうならざるを得ないはずです
そして彼は、自分の都合に応じて「正義」に従っている振りをすることができます
このような態度は現実にはありえないかもしれませんが、論理的には可能です
そしてその論理的な可能性は、われわれ(理性あるもの)が前提としてもつ規範意識そのものへの批判になるのです
長くなりましたが、これが僕が関心ある問題であり
正義嫌いを相手にした時に正義論が抱える問題であると考えます
>>202 キミの「勘違い」のひとつは「嫌」の読み方だ。
「嫌(いや)」を食べ物の好き嫌いのような低レベルに落として、すぐに曲解に走る。
キミのようなガチガチは、自分の持つ語彙に囚われすぎる。
相手の持つ語彙を無視するばかりか、言葉の持つ広い語彙を無視している。
この「嫌(いや)」はむしろ「否(いな)」だ。
自分の持つ「正義」とは相容れないから、断固拒「否」する!と言う意味の、
「嫌(いや)」すなわち「否(いな)」だ。
これを食べ物の好き嫌いのような低レベルに落としめるなど、「無理解」極まっている。
自分の言葉の使い方と相手のそれが違うからと言って、
すぐに相手を「無理解」と断ずるのは、キミが「無理解」だからだ。
議論が有意義にならないのは、キミ自身が「無理解」だからだ。
あと、俺は、一貫して性悪説の立場に立っているから、ロールズを全否定しているはずだ。
俺は功利主義などの立場に立って話しをしてはいないはずだ。
功利主義だのが出てくるのは、キミが俺の文を一切読まずに、
自分の頭だけで処理をすませようとする「無理解」だからだ。
わかったかね、この「無理解」? 「無理解」だからわからないだろうな。
あと、「ピーマンが嫌い」なの? 駄目だぞ、好き嫌いはww
>>217 > 正義嫌いが横行する
「正義」が嫌いなんじゃない。
おのれのもつ「正義」だけを認めるものは、
ほかにもいくつも「正義」があることを認めないから、その「横暴」をこそ嫌われている。
他人が持つ「正義」を見ず、おのれのもつ「正義」だけが正しいと、他人に「強制」し続けるから、
「正義」を盾にとって話しを進めようとするものは嫌われるんだ。
「正義」はひとつじゃない。
「正義」はいくつもある。国家の数だけ、共同体の数だけ、個人の数だけある。
「正義」はたくさんある。
それがお互いにぶつからないように、それぞれが努力している結果に過ぎないのに、
「正義」をひとつに感じるものは、とんだ愚か者だ。
「正義」はどこでもぶつかりあっている。
国家同士でも。国家の中の共同体同士でも。共同体の中の個人同士でも。
だからこそ、相手を「不正」と断じる前に、ぶつからないことを目指す。
つまり、「≪否≫強制」こそをどこでも目指しているのだから、
≪「正義」はひとつだ。おのれのもつ「正義」はどこまでも通用する≫
などと、考えるものが、嫌われるのは当然のことだ。
もちろん、以上の論には功利主義など一切入っていない。
個人の「主義」ではなく、個々の「境界」についてのみ語っている。
当然、善悪も「ピーマン嫌いw」も、ましてや「道徳」なども語っていない。
そこにあり続けようとする「意志」や「行動」のみを語っている。
以上のように、「正義」がたくさんあることを認めさえすれば、
「正義」はあらゆる規範(価値)に対する理念でもないから、、
「不正」「正義の最小禁止」「真理」「矛盾の禁止」「正義の禁止」
などなど、「正義」をひとつのみにしようとする愚考はしないで済む。
>>221 彼が「一貫した態度」を取るならば、そこには一種の倫理基準が存在するでしょ。
それがある特定の目的のための都合のよい詭弁であったとしても、一貫性は基準だわ。
であるなら社会の基準と彼の基準を比べて、意見を戦わすことは出来るはず。
もし何ら一貫性がないのであれば、それこそ気分次第の好き嫌いで、
理性すらない動物並の人間ってことになる。
>>219 それはキミが捕まったからだろう。
脱走したりして、罰から逃げることができていないからだ。
そして、おそらくは「≪否≫強制」を破ったからだ。
なにより「罰を受け」ようとするキミを、キミ自身が守れていないからだ。
まさか、こんな例にまで暴力反対みたいな「道徳」に訴えたりするの?
>>223 あなたは「正義」という言葉を間違って使っているだけです
国にも「義」はある。共同体にも「義」はある。個人にも「義」はある。
それらの「義」がぶつかりあうからこそ、「義」の調停として「正義」があるのです
あなたが正義がたくさんあると考えるならば
僕は、「しかし正しい正義はたくさんはない」と答えます
互いの「義」の正しさを主張する双方が正しいということはありえないからです
あなたが、ぶつかり合う義の調停を考えている以上、あなたは「正義」の理念に負うているのです
逆に言えば「正義」が禁止しているものは「調停の放棄」なのです
先に挙げた例におこる犯罪者が不正であるのは、彼が自己の利益を求めるからではありません
彼が自己の利益を求めるにあたり他者との調停を放棄しているからなのです
>>224 「動物並の人間」と切り捨てることは、西洋ロゴス偏重の人間中心主義ではないですか?
いや、冗談です
しかし、「動物が正しくて人間が間違っている」と考える人たちもいるかもしれませんね
コアラとかパンダとかは人間と違って幸せそうですからね
人間でいることに疲れきった人たちは、人間中心主義を批判して動物みたいに生きたいと思ってることでしょう
もちろん僕は獣の生き方は嫌ですが、世の中いろんな人がいるわけですから
わくわく動物ランド好きな人たちも尊重しないとなぁと
>>218 彼にとっては彼自身の考えが規範であり正義であると見ては?
彼に同調しない考えは不正義である
彼以外が正義を主張することも彼の正義に矛盾するので不正義である
という点は一貫しているように見える
彼の考えを一種の極小な正義の一種と見なすなら
彼が(他の)正義の存在を否定するのは
彼にとっての「正義の最小禁止」を実践する行動の一環と捉えられると思う
少なくとも真に相対主義を標榜するのなら
「正義は絶対的である」と「正義は相対的である」
「矛盾していい」と「矛盾してはいけない」
これらを全て等価に扱い否定してはいけないはず
絶対正義の存在を絶対否定するのは本物の相対主義には不可能だ
スレをのっとるつもりはないんですが、なかなか紛糾する話題のようですw
僕の目的は、正義嫌いとexpさんらとの議論が噛み合ってないということ
それらを共通の議論にのせられるように「正義」について掘り下げていくことです
expさんが、正義嫌いがこだわっているポイントを見過ごしているように感じたので
正義に対する批判から、この議論に焦点を当ててみました
僕はこの問題が正義論の根本問題だと考えます
expさんの意見を聞いてみたいものです
問題提起した人が回答を試みるのはみっともないので、僕は黙りますね
で、228の続き
でも
>>223の彼の場合は
>>228のケースとは少々違うと思う
別に他者の正義の存在を否定していないので
彼の正義観は複数の正義が下位層に並立に存在し
上位に「複数の正義が並立する」という絶対正義が存在する
階層構造になってるんじゃないだろうか
思うに、彼は下位層に位置する個々の正義の絶対性を否定したいわけじゃなく
絶対性の及ぶ範囲を限定して住み分けをしたいだけなのでは
231 :
考える名無しさん:2010/10/09(土) 17:43:54 P
正義というものが、勝手にアトムとしての個人に割り当てられるわけではない。
共同体の文脈の中で、各人が正義の感覚を身につける。
つまり、共同体が正義の基盤となる。
逆にいえば、共同体が正義の基盤とならなければ、各人は正義を見失う。
正義を喪失しないためには、共同体を守らないといけない。
それは、ただの共同体ではない。正義の基盤となりうる確固とした共同体でなければならない。
>>226「正義が禁止しているのは調停の放棄。」思いっきりアメリカ人の理屈だな。
何故ぶつかり合うのか。交流するからだな。ある人達は交流なんかしたくない。貧しくとも今の共同体を保ちたい。
233 :
考える名無しさん:2010/10/09(土) 18:17:46 0
みんな正義が嫌いなんだな
ロールズも中立・公平が正義と言ってるけど各人に正義があるなんていってないもんな
むしろ正義の名において再分配を強制してるのに
>> 西洋ロゴス偏重の人間中心主義
というような物言いにみんな飽きている。
>> 各人に正義がある
もつまらない。
ずばり「正義」を論じたロールズに心地よさを感じているんだよ。
「正義」は、かっこいい。
かっこいいは正義
>>226 極論だが「力こそ正義」と称して服従という名の調停を迫るのは正義?正義じゃない?
共通なる悪ってのはないですかね?
それぞれ個人や共同体に固有の正義はあるだろうけど、全てが100%対立するもんじゃないでしょう。
どの正義の基準から言っても、悪と見なされるものがあってもしかるべきだと思いますね。
逆に言うと正義の最大公約数みたいなのがあると思いますよ。
いくらそれぞれが正義だといっても、ホロコーストをナチスなりの正義だとは言えないでしょう。
ある共同体が「力こそ正義」を主張し、他の共同体を侵略し始めたとする
彼らの共同体には共通の法が無く、力ある者に絶対服従が正義とされる
力を持つ者は持たない者に対し、あらゆる人権蹂躙が許される
この共同体以上に力を持つ共同体は他に無く、彼らを止められる者はいないとする
力の対象は暴力でも財力でも権力でも何でも良い
さて、この正義は正義と見なされるんだろうか?
正義ではないとしたら、何故正義ではないんだろうか?
>>226で言われる「調停」の定義がいまいち掴めないので
ンドールさんの意見を聞きたいです
>>232 ええ、正義は西洋人の価値観です
ひきこもりで自我が尊大化したニートを許しません
(冗談です)
個人同士でも価値観は衝突するというのに
あなたは西洋以外はニートだと言うのですか?
西洋以外は他人の言葉に耳を傾ける度量もない偏屈な文化だというんですか?
それこそ地域部族に失礼でしょ
>>233 逆
公平さが正義をつくるのではなく
正義の理念が公平をつくる
正義は極端な偏りを嫌がる
>>239 その例は次のように解釈することができる
「それぞれの力に応じて配分すべきである。それがもっとも公平な仕分けだ」
このような調停の提案ならば、それは一つの正義になりうるアイデアの提出だ
ではなく「おまえのものは俺のもの、俺のものも俺のもの」という提案ならば、それは調停たりえない
・調停とは
これ、説明しようとすると自分の同語反復ぷりを実感します
自分の至らなさを実感しました。ありがとうございます
調停とは、異なる価値観がぶつかり合う中で
言葉によって解決を図るということです
正義が要請する前提とは以下のものです
「ある個人が他者よりも有利、もしくは不利な扱いを受ける要因を抽象的属性に求める」
調停とは、お互いが納得する結論の模索ではなく
生じた2つの区別に対して正反対の行動をとる一貫した理由を挙げることです
「おまえのものは俺のもの、俺のものも俺のもの」
と言う説明を禁止して
なぜ、そのような扱いになるかの理由付けを抽象的属性に求めることです
>>241 なるほど、ありがとう
そういう定義なら理解できる
243 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/09(土) 21:24:28 0
富の分配
リバタリアン・・・自由競争、機会の平等、小さな政府
ロールズ・・・自由競争、格差原理による補完
ケインズ・・・大きな政府による経済コントロール、福祉国家
共産主義・・・完全分配
244 :
大日本言論報国会:2010/10/09(土) 21:36:20 O
>>237 悪事をなす事で
最大多数の幸福が実現するなら、正義は障害
分配=負担や犠牲や損害も対象 富だけ対象と思わせるサヨ的ペテンに注意しましょう。
調停=談合で癒着、相互に悪に妥協して正義の軽減 利を選ぶ功利主義
正義にも損得勘定があるかも
ホロコーストを行ったのはナチスだけではないし
原爆だって東京大空襲だってホロコーストの一種だと思うけどね
相手に対等の権利があると思う者どうしにしか正義は適用されないとおもう。
サンデルは原爆投下を認めてるわけでしょ。トロッコで言えば、脇道のJAPは殺してもいいということだよね。
ドレスデン空爆は非人道的だが、東京大空襲は欧米では問題にもならない。
>>240 だから西欧だけで正義を考えちゃ駄目って話だろう。類義語は多くの文化にもある。いい加減なこと言うなって。
西欧の正義(人間像、理性)から考えていくのがリベラルだろう。そこに問題提起されてるんだろう。
負荷なき自我(無知のベール)ってのは西欧人にとってはそうでも、他民族にとってはそうではない。
話合いの拒否も衝突の結果だよ?何故この結果を否定して交流を強いるの?拒否する文化だけの問題なの?
これはニートの問題じゃないよw
あなたの感覚は二元論ズッポリですよ。
正義という理念が私達の行為を制約していくのは確かだけど、それだけ言って、この理念を形成した歴史と文化を捨象して考えてもしょうがない。
>>247 あなたが、何を問題にされているのかが分からないのですが
あなたはいったい何を問題提起したのですか?
「正義」は一つの価値ですから、正義は西欧独特の価値観です
(僕は「正義」が世界共通の価値だとは思いません)
僕は「正義を懐疑にかける」と言ってるのですから、正義理念への批判を問題提起しているのです
それは西欧の伝統に培われた価値観の再検討です
あなたは、正義原則と正義理念を混同してませんか?
僕は「正義」理念がもつ禁止内容を分析したのであって、何らかの正義を主張したわけではありませんよ?
あなたはジャイアンが言う「おまえのものは俺のもの。俺のものも俺のもの。」という言葉が正義にかなう可能性があると考えますか?
僕はこの言葉は正義足り得ないと考えるわけです
(無条件に不正である)
正義を自己絶対化することによるご都合主義・他罰主義。
これだけ(本当は理性の自己絶対化もだけど)は排斥しないとね。
(これはそもそも正義というより邪悪だ)
で、逆に正義の自己相対化。これだけは正義、それも普遍的正義と見なしてもおk。
>>249 「おまえのものは俺のもの。俺のものも俺のもの。」が許されないのは当然だが
「おまえのものはおまえのもの。俺のものも俺のもの。」はどうなんだろうか
正義が嫌だ!を一種の正義として言葉通り解釈すると
「正義に拠らない配分が公正であり、正義による配分の強制は不公平である」
となって自己矛盾するが、ここで正義を用いないならどうだろう
「現状の配分が公正であり、再配分の強制は不公平である」
とするならあらゆる正義の執行を正義に基づいて拒絶できる?
失礼、「おまえのものはおまえのもの。俺のものは俺のもの。」ということで
で、
>>251が成立すると仮定して
>>223を考え直してみたい
そこで言われるそれぞれの「正義」は
>>226で正義ではなく「義」であると反駁されているので
不正の排斥権などを持たないただの主張の集まりとする
そこでの正義は
>>251で仮定されたもので、同意に基づかないあらゆる強制は否定される
逆に同意が得られるのなら、国家や政府があってもよい
強制執行権を全く持たないので、犯罪の取り締まりその他は不可能だが
何だ、ただの日本人的ムラ社会だこれ
全員が善人なら住みやすそうではある
・同意に基づいてルールを決めることは出来る
ルールに従わない者には従うようお願いする
・犯罪に対して自衛し、奪われた富その他を返すよう求めることもできる
求めに応じない犯罪者にはとにかくお願いする
・取り決めの方法を否定する者が出ないなら議会は成立する
例えば多数決に基づく決定も、少数派が決定を受け入れるのなら不正ではない
居直りに対してはどうしようもない
・外敵の侵略に対して防衛する行為自体は許される
侵略によって奪われた領土を返還するよう求めることもできる
防衛行為で相手を傷つけられるか、領土奪還のための侵略が許されるかは微妙
・積極的な侵略は当然出来ない
・トロッコ問題に関しては判断を放棄する
耳と目を塞いで座り込む
以上が
>>253の条件で成立しうる社会の形態
チラ裏状態で申し訳ない
追記、
>>251の正義は
「現状の配分が公正であり、再配分の強制は不公平である」ではなく
「合意に基づく配分が公正であり、再配分の強制は不公平である」
とするのがより適当かもしれない。合意主義
以上で終わりです
>>249 まあ正義は世界共通でないって話ならそうですね。僕が言おうとしたのはリベラル批判ですよ。
あなたが調停の拒否の禁止として正義を主張され正義嫌いを批判しようというわけではなく
正義という概念を考えようと出したのなら別に文句は無い。
正義による正義嫌い批判の文脈で読めたので批判しようとしたわけです。
規範を拒否する人達は自由という言葉に正当性を依存させている。
彼等の問題は彼等に還元できない日本の社会と教育の問題です。
ただ自由が良いと教えてもニヒリズムになっちゃうのはあたりまえです。
ジャイアニズムは自己所有の話ですね。ようやくまともな話ですね。
私のものはわたしのもの。あなたのものはあなたのもの。古典自由主義の基本原則。
これを国家とその歴史から切り離した自然権として捉えるのが講義で指摘されたリバタリアンの思考。
税金はいかなる条件でも国家の横暴で不正なんだろうか。
257 :
考える名無しさん:2010/10/10(日) 06:40:09 P
富の分配にだけ焦点を置いても見失うと思うよ。
共同体の正義の枠内で、富の分配の是非が決まるでしょ。
困っている人を助けるのが是の場合もあれば、怠け者は無慈悲に切り捨てられるのが是の場合もある。
西洋云々にこだわれるなら、日本の場合はそれはどうだったか?
西洋思想である社会主義が入ってきたから、弱者重視が言われるようになったわけで
社会主義が入る以前であれば、自助努力が当たり前であった。これは、西洋以外の社会ではどこもそうでしょ。
西洋は個人を重視するけれど、それ以外の社会では個人はあまり重視されない。
共同体全体がうまくいけばいいのであって、個人の生き死にはあまり重視されなかった。
そして、個人の共同体に対する献身が重視された。個人よりも共同体の方がはるかに大事だった。
そうした個人の姿勢により、強い共同体が維持され、結果としてその共同体により個人が守られることになった。
それは、西洋の人権思想により個人の守られ方とは、まったく違う方法だよ。
>>257 西洋以外では個人より共同体が重視されたなんて主張したら、間違いなく史学会では笑われるよ。
前提が歴史の実証研究を無視した京都方面の日本哲学者の妄想にバイアスかかりすぎ。
259 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/10(日) 09:40:14 O
結論としては、サンデルの理想は日本ではとうに実現されている、ということでよいのかな。
260 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/10(日) 09:54:45 O
ようするにサンデルの言いたいのは、リベラルの共同体を超越した正義論にたいして、
共同体の善のの重要性を説くことなんだけど
日本人的にはアメリカにしろ、リベラルの共同体を超越した正義なんて、
本の上にしかないのに何をいってるのかってかんじだよね。
そもそもリベラルな正義論自体が、西洋中心主義共同体の価値観でしかないのに
261 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/10(日) 10:00:20 O
逆にリベラルな正義が、超越的な価値観であるという西洋人の自身はどこからくるのか。
自由主義一人勝の歴史の終焉、世界征服=帝国=グローバリズムによる、勝利宣言。
262 :
考える名無しさん:2010/10/10(日) 10:16:48 O
サンデルのコミュニタリアニズムが批判するのは「共通善」的なもの全てであって、リベラルに限らず
共和主義的でない保守的なコミュニタリアニズムも含むのは、30年以上も昔に言及されてるやん。
西洋的な共通善に留まらず、例えば地域主義的伝統を抑圧してきた「統一された日本人像」なんかも
共通善の一種。
風土に基づいた自然発生的共同体ではない国民国家のような人工物は批判対象。
だから日本にはあてはまらないなんて次元の話じゃない。
263 :
考える名無しさん:2010/10/10(日) 10:17:24 0
>>261 >自由主義一人勝の歴史の終焉、世界征服=帝国=グローバリズムによる、勝利宣言。
そういった新自由主義的なグローバリズムに対するアンチテーゼとして、
サンデルの共同体主義や文化多元主義、或いはネグリのマルチチュードがある。
264 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/10(日) 10:25:26 0
>>263 サンデルの批判的な言説が、リベラルの共同体を超越した正義が
主流としてあるように、逆にリベラルの共同体を超越した正義を補強している。
265 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/10(日) 10:33:38 0
サンデルとネグリを同列に並べるのは無理があるだろう。
サンデルはあくまで、民主主義の正義論を語る、
ネグリは下部構造としての自由主義経済をベースに語る。
次元が違う。
266 :
考える名無しさん:2010/10/10(日) 10:34:08 0
>>264 サンデルだけを持ち出しても意味はない。
新自由主義的なグローバリズムに対するアンチテーゼが現在の思想の潮流であり
その中の一人としてサンデルの共同体主義があると考えるべき。
267 :
考える名無しさん:2010/10/10(日) 10:35:46 0
>>265 >サンデルとネグリを同列に並べるのは無理があるだろう。
全く無理はない。どちらも新自由主義的なグローバリズムに対するアンチテーゼとして
位置づけられる。そもそもネグリのマルチチュードは「下部構造としての自由主義経済」
としての言説ではない。
268 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/10(日) 10:35:54 0
>>266 サンデルのがどこが、新自由主義的なグローバリズムに対するアンチテーゼなのか?
革命など叫んでないが。
新自由主義的なグローバリズムを前提に改良を指摘しているだけ
269 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/10(日) 10:37:09 0
サンデルとネグリを同列に並べるって、どういう神経?
270 :
考える名無しさん:2010/10/10(日) 10:38:43 P
新自由主義的アンチテーゼと言っても、弱者保護の観点からはあまり意味がないだろうな。
弱者はいつの時代にも保護されてこなかったし。それは、自由主義であろうと新自由主義であろうと共産主義であろうと
昔ながらの共同体主義であろうとかわらない。
共同体主義が焦点を当てようとしてるのは、正義のあり方、道徳のあり方でしょ。
271 :
考える名無しさん:2010/10/10(日) 10:43:24 0
>>268 >サンデルのがどこが、新自由主義的なグローバリズムに対するアンチテーゼなのか?
君の理解度が低いのは良く分かった。彼の共同体主義がリバタリアニズムを基底とした
新自由主義的なスタンスとは全く違うという、初歩的な理解がないと分からないのは当然。
>>269 >サンデルとネグリを同列に並べるって、どういう神経?
方法論や考え方のアプローチは全く違うが、新自由主義的なグローバリズムに対する
アンチテーゼという共通項を見いだせないのは、君の理解程度によるもの。
>>196 >>
>>194 >>失礼ですね
>>これでも移民問題は関心をもってますし、オランダの寛容政策のどこに欠点があったのかなど持論はありますよ
逃げたね。
君の考えではある宗教が棄教に対して死刑を主張している場合
当該宗教の当該主張に対しては多文化政策の観点からも
排除してもかまわないし排除すべきだということでよろしいか?
Yes/Noで答えることが可能な質問なのだからきちんと答えたらどう?
具体例を出さないと君は自分では調べられないようだから指摘すると
サルマン・ラシュディのケースはどう考える?
特にここは日本だから日本のケースを上げると
日本人のサルマン・ラシュディの翻訳者が殺害された事例については?
こちらは勘違いでもしたかな?
オランダでゴッホが殺害されたケースと
今イギリスにいるラシュディと
混同していないか?
>>この板が落ちて消える前には書いてます
具体的な番号を指摘しないのは...
世界中の人が君の発言に注目しているとでも思っていますか?
273 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/10(日) 10:46:42 0
274 :
考える名無しさん:2010/10/10(日) 10:48:11 0
>>273 >ネグリは左翼。あとは自習しろ。
そんな初歩的な理解力しかないから君はまともな議論が出来ない。
275 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/10(日) 10:50:31 0
>>270 正確にいえば、
ネグリは新自由主義(経済)のアンチテーゼだが、
サンデルは、リベラリズム(正義)のアンチテーゼ。
新自由主義(経済)が世界を席巻しているが、
リベラリズム(正義)はどこにあるのか。
どこにあるのかわからないリベラリズム(正義)へ反論することで、
逆にリベラリズム(正義)があるように、補強している。
276 :
考える名無しさん:2010/10/10(日) 10:51:55 0
>>275 >サンデルは、リベラリズム(正義)のアンチテーゼ。
これはかなり重傷だ。
リベラルと正義はイコールでは結びつかない。
277 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/10(日) 10:52:16 0
すなわちサンデルは、新自由主義(経済)を強化しようとしている。
アメリカ人としては当然だが。
278 :
考える名無しさん:2010/10/10(日) 10:54:18 0
>>277 >すなわちサンデルは、新自由主義(経済)を強化しようとしている。
もう、ここまで来ると電波だな。
279 :
考える名無しさん:2010/10/10(日) 10:55:56 P
グローバリズム<->共同体主義の対立はあるな。
それが経済面であれば
自由貿易<->ブロック経済
道徳面であれば
リベラリズム<->共同体の正義
の対立になる。
280 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/10(日) 10:58:02 0
ようするにサンデルの言いたいのは、リベラルの共同体を超越した正義論にたいして、共同体
の善のの重要性を説くことなんだけど。日本人的にはアメリカにしろ、リベラルの共同体を超越
した正義なんて、本の上にしかないのに何をいってるのかってかんじだよね。そもそもリベラル
な正義論自体が、西洋中心主義共同体の価値観でしかないのに
逆にリベラルな正義が、超越的な価値観であるという西洋人の自身はどこからくるのか。自由
主義一人勝の歴史の終焉、世界征服=帝国=グローバリズムによる、勝利宣言。 すなわちサ
ンデルの批判的な言説が、リベラルの共同体を超越した正義が主流としてあるように、逆にリ
ベラルの共同体を超越した正義を補強している。
正確にいえば、ネグリは新自由主義(経済)のアンチテーゼだが、サンデルは、リベラリズム(正
義)のアンチテーゼ。新自由主義(経済)は世界を席巻しているが、リベラリズム(正義)はどこ
にあるのか。どこにあるのかわからないリベラリズム(正義)へ反論することで、逆にリベラリズ
ム(正義)があるように、補強している。すなわちサンデルは、新自由主義(経済)を強化しよう
としている。アメリカ人としては当然だが。
281 :
考える名無しさん:2010/10/10(日) 11:07:42 P
まず、新自由主義は、能力主義と言い換えても良いのかな?
能力に応じた富の配分が共同体において正義になるかどうかは、その共同体によるとしか言いようがない。
一般的に言えば、共同体は困っている人を助けることもするし、怠け者や共同体にとって有害な人を攻撃したりもする。
それに対して、グローバリズムと共同体主義は明確な対立軸になると思われる。
>>272 忙しいので、酔っぱらいの絡みは勘弁してほしいですね
「順境」を挙げている以上、云われなき非合理な殺人は禁止するに決まっているでしょ
殺人は禁止、禁止、
>>256-257 勘違いを2つさせたようです
まず、わたしのレスを読んで確認してください
「正義」そのものを否定すること、その論理的可能性があることを書いてます
また、それが正義理念の批判可能性につながること
正義への懐疑を可能にすることを書いてます
しかし、正義嫌いを批判してもいます
わたしにとって批判はいいことですし、正義の理念を検討することと正義抜きの思考を批判することは切り離せないのです
これは、批判的思考が論理を前提にしているからです
論理は「二元論的」と言われますが、これほど吟味に有効な道具箱ないので、わたしは二元論的に考えます
それと、ジャイアニズムは富の配分の立場として正義の禁止を言ったわけではありません
ジャイアンの理不尽な理由付けが正義の禁止に抵触する例として挙げたのです
出かけるので、チャッチャッと行きますよ
「おまえのものは俺のもの、俺のものも俺のもの」
「のび太のくせに生意気な」
これらの理由付けは、正義がもつ禁止に抵触します
なぜ抵触するのか?
のび太がドラえもんに道具を頼み込んだところで解決しないからです
ジャイアンが
「ガキ大将はそうしてよい」とか「力あるものはそうしてよい」とか
「弱虫のくせに生意気」とか「女のくせに」「日本人のくせに」「バカのくせに」
このような理由付けをするならば、
のび太はもしもボックスを使うことで、仮の世界でジャイアンと立場を逆転することができます
しかし「のび太のくせに生意気な」と言われて
のび太が「もしも、のび太がのび太でないならば」と言うと、もしもボックスは困ってしまいます
これは、正義が許容する理由付けは、立場の逆転が論理的に可能であることを必要とする、ということです
(当為が可能を含意する以上、正義の抽象理念が論理的可能性の上に立脚するのは半ば当然です)
この例としてジャイアニズムを挙げたのです
「おまえのものは俺のもの。俺のものも俺のもの」と言う時
その言葉は、ジャイアンを構成する様々な属性が変化しようと、ジャイアン個人を理由付けとしているためにジャイアンへの偏りを固定するため
正義の禁止に抵触するわけです
もう、だりぃから議論から抜けたいんだが
>>283 >>
>>272 >>忙しいので、酔っぱらいの絡みは勘弁してほしいですね
>>「順境」を挙げている以上、云われなき非合理な殺人は禁止するに決まっているでしょ
>>殺人は禁止、禁止、
真面目な議論を行っているのに不真面目な応答をされると大変残念。
ちょっとでも自明なことを省略すると理解してもらえないようなので一歩一歩くどくどと述べよう。
共同体主義について話している。これはOK?
共同体主義というからには前提として少なくとも2つの異なる共同体が存在する(異なる共同体を否定しない)。これもOK?
異なる共同体という意味はこの文脈においては道徳規範や正義が共同体間で異なることである。これもOK?
共同体間で異なる道徳規範や正義をどのように調整するかは共同体主義にとって本質的に重要である。
なぜなら
(1)共同体を超越した規範を前提として調整するのであればそれはそもそも共同体主義の否定であるし
一方
(2)全ての共同体を優劣なく判断する完全な文化相対主義を取る限り調整は原理的に不可能だがそれでよいか
ということで
共同体主義にとって本質的に重要な共同体間で異なる道徳規範や正義をどのように調整するか
を問題にしているわけだが
君はそれを「酔っぱらいの絡み」と感じるわけだ。
君の文章に即して具体化すると
「云われなき非合理」の基準が
共同体間で異なることをどう調整するかが問題。
別な具体例を挙げてみよう。
公共の場で個人が特定できないような変装を許容することが「云われなき非合理」なのか
公共の場で個人が特定できないような変装を禁止することが「云われなき非合理」なのか
さあどっちだ?
>>287 (1)について詳しく
超越的な理念を認めることが、なぜ共同体主義の否定になるのか説明してください
289 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/10(日) 12:44:57 O
サヨに言わせればサンデルは資本主義の犬なんだろうけど、
サヨとサンデルを同じように語れるヤツはバカということではなく、
まさに自由主義一人勝時代なんだろう。
共同体主義は歴史の終焉後の微調整
>>289 ふんなことねーだろ。左翼思想を簡略化して
解釈しすぎだ
291 :
exp:2010/10/10(日) 13:21:54 0
>>215 >あなた自身が模範的な回答を出してるのに…
あの「模範的な回答」で全て片付くのなら哲学は終了です。片付かないから、サンデル・ロー
ルズ他、現代になっても喧々囂々と政治哲学を論じているのです。そっから先の話をみんな
しているのです。その手前で思考停止していたら話になりません。サンデルのトロッコ話でも
同じです。カントやベンサムに依拠した模範解答で簡単に片がつく話ではありません。模範回答
を詰めに詰めた先にあの問題がある。そういう設問だからこそ、我々が持つ道徳規準の真の姿を
洗い出し、問題点を示してくれる。現実にも臓器移植・安楽死・クローン・経済難民他、既存の
道徳哲学で出される「模範解答」では解決できない問題が現代にはたくさんあります。こうした
問題解決のための理論的用意に斯様な思考実験が有用となる。
>>215 >理解して無いと決め付けるのはどうして…「嫌なら」の言でそこまで決め付けて…
「理解」していないから、答えに窮して出した答えが、それなんでしょうに。あなたはその
レベルで思考停止しているんです。自分で自分自身をもっと深く「理解」するよう努めること
です。あと、私はエスパーではありませんのであしからず。学校のテストに「答えは分かって
るよ」とだけ書いて赤点くらい、先生に文句を言うのは筋違いと言うものです。
>>222 >この「嫌(いや)」はむしろ「否(いな)」だ。
私は「敵兵を殺すのは是か否か、そしてその理由は?」と問うたのです。あなたの答えは、
「敵兵を殺すのは『嫌』だから『否』」です。字義通りに解せば「人殺しはキモい、生理
的に受け付けない、イヤだからダメ」ということ。これを、上述のように、「敵兵を殺す
のは『否』だから『否』」にしてしまったら、解答の体をなしません。私は理由は何ぞや
と聞いたのです。「否だから否」では答えになりません。こういうのを同義反復というの
です。もはや屁理屈・詭弁に完全に堕しているので真面目に相手するだけバカバカしい。
>>222 >俺は、一貫して性悪説の立場に立っているから、ロールズを全否定しているはずだ。
意味不明です。本当にロールズを読んだことがあるんですか?
292 :
exp:2010/10/10(日) 13:26:12 0
>>217 (ンドール)
ちょっと外れた話をしますが、道徳哲学というのは基本、後付けの理由、整理のための思想です。
カントやミルら、近代の道徳哲学思想を読んでいると、E=MC^2のごとき永遠普遍の大原則が道徳
にも存在し、これに従ってこの世のあらゆる行為・事物の善悪が導き出されているかのように
思えてくる。実際、彼らはそうしたものを目指したわけですが、しかし功利原則であれ、定言命法
であれ、あるいはモーセの十戒(「汝殺すなかれ」)であれ、そういう「原則」が発見・考案
されるよりはるか昔から、人間社会には様々な道徳ルールが存在してきたわけです。「原則」より
先に個々の「ルール」がある。
人間というのは社会的動物ですから、ほとんどサルに近い状態の頃から共同生活を営んできている。
その共同生活を円滑にするための現実的必要から、様々な行為を禁止したり、あるいは奨励する
道徳の諸ルールが生まれてきた。ほとんどの道徳ルールの起源はこれでしょう。私的好き嫌いの方
には行きません。
無論、ほとんどサル時代のルールを現代社会にそのまま援用するわけにはいきません。それを
整理・修正・体系化し、有用性を増す必要はある。また、上述のような人類学的経緯を説いた
ところで、それをもって実際の我々の生活における行動規範にはならない。人殺しをして何の
罪も感じていない人間に対し、そういう話をしたところで、「で?」で終わってしまう。そこで
終わらせないためにも道徳哲学が必要になる。
293 :
exp:2010/10/10(日) 13:27:55 0
>>217 (ンドール)
また、仮に相対主義が真であっても、仮に永遠普遍の大原則が道徳に存在しなくとも、我々は
生きていかなくてはなりません。暴走するトロッコに乗ってる人間が相対主義を叫んだところで
何の解決にもなりません。現実の社会には強盗・殺人・その他さまざまな犯罪が溢れ、世界規模
でも戦争・テロ・環境問題が絶えない。そうした現実の前にニヒリズムを叫んでも何もなりません。
仮に永遠普遍の大原則が存在しようと、しなかろうと、どうでもいいわけです。重要なのは我々
が今を生きる上で、良き指針・規範となる原則・ルールを見つけることです。「良き指針・規範」
は別に形而上学的な普遍性・客観性など必要としません。自分と、自分と共に生きる人々が同意
できるような、間主観性を確保できれば十分です。
>>288 >>
>>287 >>超越的な理念を認めることが、なぜ共同体主義の否定になるのか説明してください
何が自明かは全然自明ではないということかな。
「共同体を超越した理念」は共同体主義が否定している「共通善」ではないのかね?
両者が違うとすればどう違うのかね?
「ある特定の超越的な理念」を前提とすれば
その特定の超越的な理念と矛盾する・衝突する共同体は
原理的に否定されることになる。
それでよいのかな?
>>78 >>サンデルは共通善は抽象的人間観や帰結からではなく、中立ではありえない共同体に属する具体的人間を前提に考えるべき。と言うんです。
295 :
大日本言論報国会:2010/10/10(日) 18:15:02 O
国家を超越する
地球市民の世界政府を
新たな共同体にしたい左翼の意図は見え見え。
国家と国家の対立は
功利があれば、やったりやらなかったりするだけ。
戦争が得で利益あるなら
やるだけ。
コミュニタリアンは国家の廃絶なんか言ってないだろ
マルクス主義かリバタリアンに言えよ
日本人の教授で、サンデル教授みたいに討論を引き出せる人はいるのかな?
NHK ハーバード白熱教室 10月10日 教育 午後6時〜6時58分「戦争責任を議論する」
現在の世代は、過去の世代が犯した過ちを償う義務があるのだろうか。
日本、アメリカそれぞれの戦争責任を今の世代が負うべきかどうかを議論する。
日本がこれ以上敗者に留まり続けることは、日本と言う国家の存続を危うくすると感じるから、
日本の戦争責任などを勝者から求め続けられることを断固拒否するのが、俺の立場だ。
正義の3つの考え方は「功利主義、カント、アリストテレス」。
「己の属するもの」から離れられると言うのは少々おかしい。
これこそ、勝者の理屈に支配され、敗戦国を押さえつけるものだ。
(しかも、以下の議論は全て敗者を「己の属するもの」に縛り付けるという真逆の議論だったwww)
≪家族が犯罪を犯したときに捜査当局に協力するかどうか?≫
俺なら「それは犯罪ではなく自己防衛だから無罪だ」と法廷に訴える戦略をとる。
それまで、とりあえず匿うのは大いにありだ。
≪海外の被災者と日本の被災者とどちらを助ける?≫
「道徳」を万能と考えるから、海外などという、その能力を超えた仮定が出てくる。
余裕があるのなら、海外も助けて良いが、余裕が無いのなら、当然日本が優先される。
1人しか助けられないなら、手が届くほうを先に助ける(能力優先・無作為)。
でも、朝鮮人にしゃべらせるな!! あと、ひいきの何が悪い。共同体をまもって何が悪い。
≪現世代は前の世代の責任を負うべきか?≫
同盟国なのに、いつまでもケンカを売ってるな。
むしろ、負け癖を認めるか、負け癖を捨て勝ち組に転ずるかの話だと思う。
だから、相手がむかつくなら、初めから付き合わなければいいんだよ。
賠償は一回で終わらせるべきであり、ずっと求め続けるのはただの搾取だ。
秀吉を蒸し返すやつ、結構いるんじゃね?
加害者・被害者の立場で考え続けたらいつまでたっても終わらないぞ。
≪オバマ大統領は原爆投下に謝罪する責任があるかどうか?≫
親の犯罪で子供が罰されることがあってはならない。
謝罪はただではないとおもう。謝罪を安く考えすぎる。
謝罪をすれば賠償を求められるぞ。謝罪を続ければ賠償も求められ続けるぞ。
「正義」と「被害者意識」を混同する、腹立たしいかぎりの議論だった。
なら、十字軍や奴隷貿易や新大陸の虐殺に対して、白人も賠償し続けるべきだよね。
議論の前進?どこが? 哲学は世界を変える? ああ、行動が伴うのならね。 感動?どこに?
300 :
げおるぐ:2010/10/10(日) 19:34:00 0
う〜ん それぞれの意見の前提にあるのは、あくまで個人主義をとるか、自己が所属する共同体にも重きを置くかにかかっていると思う。
個人主義がより強い人は、今のアメリカ人にも日本人にも責任などないとする。
共同体に属する自分というアイデンティティの強い人は、当然今の日本人にもアメリカ人にも責任は残るとする。
ぼくの意見は、結局、個人としては、首相にもオバマにもそれぞれの国民にも責任はないが、日本あるいはアメリカという共同体(法人格のようなものと考えての)
には、責任がある。首相、大統領はたんなる代理人。
301 :
げおるぐ:2010/10/10(日) 19:40:41 0
「家族のだれかの犯罪」
家族という共同体としてなした行為ならば、責任は自分にもおよぶ。
しかし、そうでなければもちろん、自己に責任はいっさいない。。
ドイツも日本も、敗戦国として謙虚に振る舞ったから経済的に繁栄したんだろ。
尖閣問題や元切り上げ、ノーベル賞で中国が見せたような前近代的で高飛車な態度を取っていたら、
ここまでの経済的繁栄はなかったよ。押さえつけられた国が、世界第二位の経済大国になるって、
ありえんだろ。差別なき自由競争に我々は迎え入れてもらえた。
まだ賠償が必要ならば、それは当事者世代できちんと賠償がされていないってことだ。
するべき賠償がされていないのであれば、それは次の世代が引き継ぐべきだろう。
賠償がなされれば、こっちはその分貧しくなり、相手はその分富む。
賠償しなかったことによる豊かさを現代世代が享受しているなら、それは賠償すべき相手から、
豊かさを盗んでいると言わざるを得ない。
>exp
返答ありがとうございます
expさんの形而上学における態度がかいま見えた気がします
わたしはexpさんとは態度がまったく異なりますが(間主観を否定し相対主義も否定する)
expさんにそのことで議論をする気はありません
しかし、一点、「現実の問題を前にして虚無主義や相対を唱えても解決しない」とありますが、
虚無主義者は、それが解決に向けた最善の方法だと考えるから虚無主義を唱えるのです
われわれが解決に向けて知恵をひねる行為がさらなる悪を招く可能性を指摘して
虚無主義は「何もしない方がまだマシ」という選択を唱えるのです
サンフランシスコ州で胚細胞への実験を禁止するかどうかで議論が起きましたよね?
反対する人たちは、それをすることで助かる命よりも、それを行うことでなされる不正の方が膨大だから反対するわけです
ただ反対したくて反対する人はいませんし、虚無的態度をとることが好きな人はいないでしょう
彼らはそれらの行為が事態をさらに悪くしないと信じるからこそ、虚無主義を言うわけです
トロッコ問題についても
「解決を図る」という選択が大きい悪であると考え、「解決を図らない」という解決を唱えるでしょう
バカバカしいですが、それらの発言は矛盾していませんし、それゆえ正しい可能性があります
われわれが知恵を駆使して解決を図ることはさらなる不幸を招くかもしれないわけです
もっとも、必ず不幸になるわけじゃないのですから
解決を図る選択肢も彼らは本来、尊重すべきなんですけどね
304 :
考える名無しさん:2010/10/10(日) 20:39:11 0
>>302 それなら東南アジアの人連れてきたら
あなた金出してくれるんだよね
>>294 あなたは78からの引用を出してますが、あれは具体的な生を足場にするということではないのですか?
抽象的人間の本質を述べて、そこから善を述べたところで
そんなものが空疎なお題目以上の何かを述べるとは思えません
そういう意味ではなく、「共同体に所属する個人」というものを人間の本質的な生と見なすということでしょうか?
サンデルの考えはそのような主張なんでしょうかねぇ?
>>294 僕にはよく分かりませんねぇ
僕には正当化に対する強い希求がないせいか
超越的な理念を認めたところで共同体主義を唱えること矛盾するとは思えないのですが
そうではないのですか?
超越的な理念の代表格と言えばキリスト教の「神」ですけど
別に熱心なクリスチャンが共同体を強く唱えるのだってありそうですけどねぇ
ただまぁ、自明なものは「自明」としか説明できないわけですから
まぁ、僕には分からない話だというだけです
307 :
考える名無しさん:2010/10/10(日) 21:23:18 P
この場合、超越的な理念というより、普遍的な理念というべきでは?
超越的というのは、共同体を超越するという意味だろうけど、
誤解を招きやすい。
>>307 ああ、なるほど!
つまりは、彼はこういうテーゼを前提にしているわけですね
「共同体主義者は、自らが考える正義と共同体とが一体化してなければならない」
「何もしない方がマシ」は、「神の思し召しのままに」と同意義ですね。
ならば幹細胞の利用は不正義になるのでしょうが、それが教会の教義に違反すること以外に
どのような現実の事態の悪化に繋がるのでしょうか。
倫理も結局は最終的な現実的不利益がないなら、杞憂と名付けられるべきでしょう。
世代は変われど国自体は生まれ変わることのない半永続的なもの。
ウチの親は死んだからあんたからの借金は俺は払わんよ,てなワケにはいきづらい。
そこは実際の政治が解決すべきこと。
個人が責任を負うべきかは個人の判断に任せれば良い。個人と国とは次元が違い過ぎ。
311 :
exp:2010/10/10(日) 21:48:24 0
>>303 ニヒリズム(虚無主義)というのは、一切の価値を否定する立場です。人生に
生きる価値を見いだせないなら、人は自殺します。他人の命に価値を見いだせ
ないなら、殺人を犯します。大量殺人も可能です。そしてそれは、二つの世界
大戦で現実のものとなった。
ニヒリズムは戦後に興った「現代」思想である実存主義が問うた問題です。
世紀末的な思想ですが、その「世紀末」も既に60年以上が経過しています。
世界はまだ終わっていません。我々は自殺し尽くしてもいないし、大量殺戮
され尽くしてもいない。今を生きさらばえている。
生きるのであれば、人間には社会が必要です。人間社会は価値の規定無しには
成り立ち得ません。だから、失われた価値は再構築するしかありません。
ロールズ以降の政治哲学の復権もその試みの一つでしょう。政治「科学」だけ
では人は生きていけないんです。憲法や法律は科学で書くことはできません。
価値を認めない人間には、教えるしかありません。教えてもダメな人間には
それなりの処置が施されるだけでしょう。猟奇殺人犯は死刑か終身刑です。
しかし、よっぽど悪質な環境に生まれ落ちた人間でもない限り、完全なニヒリスト
というのはそうそういません。大半のニヒリストや相対主義者は、少し話を
すればすぐに自己矛盾してボロを出します。単にひねくれているだけ、幼稚な
だけなんです。
312 :
考える名無しさん:2010/10/10(日) 21:54:53 P
共同体がもたらす価値というものを否定するつもりはないんだが、
これから徐々にそれが難しくなる気がする。
個人的には、子供時代に培う基礎的な価値観から先は
共同体から離れた個人の価値観を身につけた方が、良い結果が得られる
という直感がある。
三つ子の魂百までも的なことでしょう。
共同体の価値感に従わなければいけないみたいに共同体主義を捉えるのは誤読。
こいつの本読んでも何の裂け目も感じない
絶対的に正しいことがないってのは、実は良いことだと思うけどね
絶対的に正しいことがなになのかわかったら、それはそれで息苦しいぜ
絶対的な正義がないからこそ、人はいろいろ自分で考えて自分で決めることができるわけだし
まあ、常に今の行動は本当に正しいのかと問い続けながら生きるのはしんどいのはしんどいけどね、
それが倫理的に生きるってことさ
自己の正義が絶対では無い以上、批判、対話、説得の可能性を遮断しちゃ駄目だわ
みんなでいろいろ考えて、完璧ではなくてもより良い道徳に改良していくという態度こそ倫理的だし
個人の正義と共同体の正義が対立するっていうけどさ、それは本当は一人の人間の中に対立する正義が内在してるってことじゃなきゃいけないよね
たとえ、それを正当化する正義が存在するとしても、子供を殺して罪悪感を感じないってのは人間として間違ってるだろう、と
イサク奉献とか、あれ苦悩はあっても、罪悪感は存在しないんでしょ、たぶん
そこが一神教の駄目なところだわ
思考停止だからね
316 :
考える名無しさん:2010/10/11(月) 01:25:22 0
しかし、昨日のサンデル教授@東大はひどかったな。
アメリカが原爆投下を謝罪したくねえから、サンデル教授を刺客に送り込んで来たと、
そういう趣旨だったんだろね。
日本は1930〜1940代のことで東アジアに謝罪すべきか?とか、
日本なんか、一体何回謝罪すれば気が済むの?ってくれえ謝罪してんだけどなあ、
んで?まだ、謝罪すべきか?とか、いったい何の話なんだよと。
ところで、アメリカは、日本に、原爆投下について一度でも公式に謝罪したことあんの?
ユダヤ人は、ああいうことばっかやってるから、ドイツ人に皆殺しにされそうになるんだよ。
シオニストうぜえわ、マジほんと。
317 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/10/11(月) 02:20:23 0
アクキンされてなかったら解説してもいい。
ところで、早稲田の哲学科ってどんな人材を作っているのだろうとテレビ見ておもった。
318 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/10/11(月) 02:22:31 0
そもそもは、米中が対日で連携する一環としての、サンデル訪日なんだ。
そこを理解しないと、意味が分からないだろう。
ハーバードは、お金持ち優遇なので、議論が日本とは違うことになるのは、ハーバードでの授業からもわかるところ。
319 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/10/11(月) 02:24:08 0
十分な教養を読書で作ると、サンデルがめちゃくちゃなのはわかるのだけど、
英語力を付けることに熱心な人ほど物を知らずわからない傾向にあるのでサンデルをほめてしまうよな。
サンデルの師匠ウォルツァーはハイデガーの影響もあるみたいだが
共同体主義は全体主義の危険性を孕んではいるな
321 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/10/11(月) 02:42:41 0
19世紀に、世界の頭のいいやつが、世界はやがて共産化すると予想したのはなぜだろう。
ウォルツァーじゃなくてチャールズ・テイラーだ
妄想世界おとぎ話が始まるの?
>exp
ニヒリズムは論理的一貫性をもって主張することは困難だとは思います
しかし、ニヒリストは論理の規範に従う義務もまた拒否するでしょうから、ニヒリストにとって、それは一貫(!)した態度なのです
それより、expさんは前回「相対主義が真だとしても問題解決を図ることは価値がある」と言ったわけですから
われわれはニヒリズムをただ論理的一貫性がないというだけで排除すべきではないと思います
「ニヒリズムは、人々を自由主義的な実践へ動機づけ得るか?」ということを検討しないといけないと思うのです
そこで検討されるテーゼは次のようなものだと思います
「あらゆる価値観は原理的に恣意的であり、そのために議論や闘争してまで争う価値はない」
この虚無を知ることが、対立する価値観との妥協と共存への動機づけとなる
これを検討する必要があると思うのです
僕はむしろ、虚無主義は自由を侵害するのではないか?と考えるわけです
>>315 僕も、そのような生き方は倫理的だとは思いますが
それは虚無主義や相対主義とは相容れないです
超越的な理念へのコミット抜きにそのような態度は成立しないと考えるのです
「わたしは絶対に正しいわけではない」という謙虚さを保つには
少なくとも「絶対」と言えるものが存在する余地を論理的には残さねばならないとわたしは考えます
虚無主義や相対主義が客観的な価値観を排斥することは
謙虚さや寛容や他者の尊重などの価値観を、彼らの意図とは逆に破壊してしまう結果になると考えます
326 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/10/11(月) 03:35:37 0
むずかしく考えないで、週に1冊本を読むのを5年続けると、ものごとがわかるようになるというのが本質。
図書館の哲学・思想の棚の本にぶつかって敗北してみよう。
本を読んでも無駄な人もいるんだなw
328 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/10/11(月) 04:16:05 0
読む力を付けると、比較的楽に真実に出会う。
329 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/10/11(月) 04:17:33 0
ほとんどの人類とか知識人に考える力などないのだから、
本に書いてあるよ。なんでも。というのがわかるまでは考えるよりも本を読むべきなのかも。
皮肉が分からんようだ
>>315 多神教の日本でも村社会的な度合いが強くなればなるほど、
個人、あるいは他者を蔑ろにするようになるけど、
一神教かどうかは、あまり関係無いんじゃないかな。
ちょいと共同体主義者の方々に聞きたいんだが
共同体を愛する自由主義者は共同体主義者からはどう見えるの?
333 :
考える名無しさん:2010/10/11(月) 07:54:10 0
>>280 共同体主義とマルチチュードを全く理解できていない。
まず、前者の共同体主義はリベラル(自由主義)に対する批判を基底としており、
行きすぎたリベラル(自由主義)によって個人と共同体の関係を破壊するという
視点から、共同体の重要性を説いている。だからサンデルは(ロールズも)、
リベラル(自由主義)=正義という立場には立っていない。正義を実現する為には
どの程度のリベラル(自由主義)が正義に敵っているかを考える。
また、後者のマルチチュードというのはネグリ・ハートによれば、経済的なグローバル化が
新たな帝国主義であるとの理解から、それならば、その新・帝国主義に抗するためには
マルチチュードという国境を越えた労働者=市民同士の連帯が必要だと説く。
要するにネグリは左翼という立場からポスト・マルクス主義として現在の新・帝国主義と
対峙した場合、マルチチュードこそ処方箋になる、古典的なマルクス・エンゲルスが説き、
レーニンが実践した革命によるユニオン連帯のソヴィエト方式ではなく、今の時代に適合した
連帯の在り方がマルチチュードであるとしている。
上述の通り、共同体主義もマルチチュードも「新自由主義的なグローバリズムに対する
アンチテーゼが現在の思想の潮流」であることに対する一つの処方箋だと主張している。
サンデルはリベラル(自由主義)の共同体の側から、ネグリは左派の側からの発信。
334 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/11(月) 09:07:23 O
よくできました。また宿題君か。
335 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/11(月) 09:14:10 O
相変わらず全体感つかめないな。リベラルに対するサンデルとネグリの距離感がわかれば。
でもめんどくさいからもうからんでくるのいいよ。
336 :
考える名無しさん:2010/10/11(月) 09:18:15 0
>>335 >相変わらず全体感つかめないな。
掴めてないのは君だけ。
337 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/11(月) 09:18:42 O
サンデルと並列に語られるとは、左翼も舐められたものだ
338 :
考える名無しさん:2010/10/11(月) 09:20:56 0
>>335 >でもめんどくさいからもうからんでくるのいいよ。
いい加減な嘘をまことしやかに書いておいて、その間違いを指摘されると
逃げ出そうなどというのは卑怯者のやること。尤も平気でデタラメや嘘を書くような
人間だから自分の殻に逃げ出して批判を受け付けたくないのだろう。
339 :
考える名無しさん:2010/10/11(月) 09:23:18 0
>>337 >サンデルと並列に語られるとは
君の読解力が乏しいのは良く分かった。並列に語っていると感じる君の理解度は
問題にしていない。私が語っているのはあくまでも共通項があるというだけ。
哲学者の立ち位置を全く分かってない電波に理解を求めるのは無理なのだろう。
サンデルは選挙ではどっちに投票するんだろうね。
本の中で所々オバマをほめていて、スカリア判事をけなしているから、多分民主党だな。
341 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/11(月) 09:44:26 O
民主党だろうね。リベラルの修正派だから
どちらも“行きすぎた自由主義”(=経済のグローバリズム、新帝国主義?)を
訂正(修正)する立場ってことでいいんじゃないかな。
各々、使っている言葉の定義は明確にしておいたほうが
議論に際してはよろしかろう。
343 :
考える名無しさん:2010/10/11(月) 10:08:29 0
>>342 その通り。アメリカでは新・帝国主義による過度のグローリズムの押しつけがましい
態度に対する諸外国(欧州諸国や中東諸国)の反発と共に、その新・帝国主義の
基底となっているネオリベ(リバタリア)の国内的な問題によって一部の富裕層のみが
享受する富と恩恵は間違っているという観点から、正義に敵うリベラル・デモクラシーは
どうあるべきかを藤治台に移ってきている。そのうちの一人がサンデルやウォルツァーなどの
共同体主義の主張であり、また、同じ共同体主義でもサンデルとウォルツァーでは
立場を異にする。
他方、欧州では新・帝国主義的なアメリカに対抗する動きとして、冷戦以降の早い段階で
ギデンズによる第三の道が提唱されたが、ブレア政権に利用され本来の道筋とは違った方向へ
行ってしまったため頓挫した。結局のところギデンズの示した方向は左派からも保守派からも
支持を得られなかった。単に政治利用されるに留まった。そういった欧州の中にあって
イタリア左派のネグリによるマルチチュードが注目を浴びた。ハウなどによる批判的な
言説も少なくないが、これからの思想的深化次第で新たなインパクトをもたらす可能性はある。
344 :
考える名無しさん:2010/10/11(月) 10:10:35 0
>>343 四〜五行目の訂正
>正義に敵うリベラル・デモクラシーは
>どうあるべきかを藤治台に移ってきている。
↓
正義に敵うリベラル・デモクラシーは
どうあるべきかを問う時代に移ってきている。
345 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/11(月) 10:44:01 O
そんなわけない。
左翼からみたらサンデルなんか、資本主義を延滞に必死の犬だろ。
346 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/11(月) 10:50:33 O
サンデルはわかりやすい授業がうけてるだけで、主張的には大したこといってない。
ロールズ定食にふりかけかけた程度。
それをネグリと並列にかたるバカがいるから
347 :
考える名無しさん:2010/10/11(月) 11:13:47 0
●いや〜。たまたま見た。高校講義と思いきや、あまちゃん東大に似非教授だった。
結局、学生意見に突っ込むだけで何も導かない、自己の発言をしないハゲ。
こんな番組制作局に金払ってるのがアホらしくなる。
感情論と理想論で議論しても講師をよいしょする茶番番組だね。
あの在日か韓国人?の女の子の理屈なら、韓軍が九州襲撃したのを
一生日本に賠償謝罪しなければいけないね。
日本は財算を半島に残して引き上げた上に国家予算位の賠償金払
って謝罪もしてる。 それ以前にも莫大な借金で半島をまともな町に
した。 原爆についてはあの時点での米の判断で、使わない方が良かった
事は認め、慰霊碑に花でいいんじゃない。(本国で異論はあるだろうけど
日本人が中・韓みたいに謝罪、賠償 金、金、金なんてあんまし言わないよね。
永くてすまん。 あ〜、酒が不味いわ!
348 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/11(月) 11:14:56 O
立ち位置確認すると
ネグリはバリバリの左
ネオリベ(リバタリアン)の保守派(中道右派)に対して、
ロールズはリベラル派(中道左派)
サンデルは基本的リベラル派だけど、共同体的な善もたまには必要だねと、
分かり切ったことを改めていってロールズに右派のスパイスを隠し味に足す。
349 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/11(月) 11:28:03 O
ロールズのリベラルにしろアメリカのリベラルは、日本人が考える以上に、
経済中心主義であることに注意しなければならない。
無知のベールにしろ、量的な分配が想定されていて、それは貨幣を前提にしないと成り立たない。
そこにサンデルは質的な善を持ち込もうとするわけだけど、
日本人はサンデルの関係なく日本人の善を重視してきたわけで、いまさらだ。
350 :
考える名無しさん:2010/10/11(月) 11:43:31 0
日本のいまどきの若者というかネットウヨク的な価値観を持っている若者は、
バリバリの新自由主義とコテコテの共同体主義を併存させているから不思議だな。
正義論は実証科学の面もあるんと思うんだ。これをどう説明するのだろうか。
351 :
考える名無しさん:2010/10/11(月) 11:51:24 P
新自由主義と共同体主義は対立しないでしょ。
サンデルの想定する共同体がどうあれ。
対立するのは、グローバリズムと共同体主義だと思うよ。
352 :
exp:2010/10/11(月) 11:52:04 0
>>324 (ンドール)
ニヒリズムや相対主義というのは、まず@認識論的な立場です。絶対普遍の
道徳原則は存在しないと考える。現存する数多の道徳原則は、どれが真実で
どれが偽りだということはない。神の存在に関する無神論の立場にも通じる
ものがある。そして、ニヒリズムを行動に移した場合、つまりA規範レベル
に移した場合、動物的欲求にまかせて行動する、自殺や殺人にも歯止めが
利かない人間が出てくるとされる。
ニヒリズムは哲学的な立場でもありますが、主には社会現象としてとらえら
れる問題でしょう。動物的な快楽主義に溺れ、非倫理的行動に走る人間と
いうのは、哲学的論証の末に達した見解に基づきそうしているわけではない。
生まれ落ちて以来、誰からも物事の良し悪しを教えてくれなかったり、ある
いはその他の不幸な環境的要因から、非倫理的な性向を持つに至っている。
社会現象としてとらえた場合、その原因と対処法は、ある程度はっきりして
います。伝統的倫理の崩壊、宗教権威の失墜、社会一般の脱魔術化。それに
伴い価値観や道徳というものを社会で教え込もうとしなくなってきた。現代の
流行は、自由を尊重する自由主義と、異文化への寛容を説く多文化主義。
いずれも一つの善悪の基準なりを人に教えてくれるものではありません。
自分にも揺るぎない価値観や信仰する宗教があって、同様な他人がいるから
こそ、自由主義や多文化主義のありがたみが分かる。しかし、自分自身が何も
価値観を持たない、何の宗教も信仰していないのであれば、自由主義や文化
多元主義のありがたみを感じることはできません。また、自由主義は「他人に
自分の価値観や信仰を押し付けない」ことを要諦とする立場ですから、その
自由主義自身の価値を他人に教え込ませることには、少し引けてしまう。結果、
自家撞着に陥ってしまう。これはサンデルの自由主義批判の一つです。
解決策の一つは、ローティのようにストレートに、割り切って、積極的に自由
主義・民主主義の価値を社会全体で子供たちに教えて行く。
353 :
考える名無しさん:2010/10/11(月) 11:53:59 0
>>335 >でもめんどくさいからもうからんでくるのいいよ。
と言いながら、「哲学者の立ち位置を全く分かってない」というレスをされると
>>348 >立ち位置確認すると
などと言って引用符を付けずに呼応するところがいかにも滑稽だが、
それでも尚「サンデルはわかりやすい授業がうけてるだけで」などとおかしな文章を書いて
恥を晒しているのを見ると更に滑稽さが増すというものだ。
サンデルが当該講義で行っているのはごく初歩的な政治哲学であって、だからこそ
分かりやすい授業となるのは当然のこと。事実、彼はヘーゲルやシュミット、ハイディガーを
講義の俎上には挙げてないが、それは学説的な政治哲学にとって重要とは考えていないからだ。
もちろん、一般的な哲学史において上述した三人の哲学者は重要な人物であることは論を待たない。
354 :
exp:2010/10/11(月) 11:55:00 0
>>324 (ンドール)
哲学的な立場としてのニヒリズムは、しばし論理的飛躍をしているのが多いので、
扱いはそう難しくありません。端的に言えば、仮に認識論レベルで絶対普遍の
道徳原則が存在しなかろうと、行動規範レベルで好き勝手に人を殺したり自殺し
てもいいことの理由にはならない、ということです。
そもそも、人が道徳的に行動するのに、絶対普遍の道徳原則など必要があるのか。
そんなものにこだわる理由はそもそも何なのか。この概念は、形而上学者の考え
出した、脳内産「見えない敵」っぽい側面が多分にあるんです。
ドウォーキンなども指摘していますが、道徳の普遍性というのは、そもそも、
最初は自分だけ、あるいは家族内・血族内・部族内でしか通用しなかった規範を、
地域共同体・民族・国家・世界・人類全体へと自然に適用範囲を拡張して行った
結果、生まれてきた後付け発想であって、最初から神のごとく永遠普遍の存在と
して想定され追求されていたものではないんです(まぁ神についても民族宗教→
普遍宗教という流れがありますが)。
だから、そういう形而上の不毛な認識論は、どうでもいいと。そんなことより、
我々が実際に生きて行く上で良き指針・法となる、役に立つ道徳規範、政治規範
を探ろうと。それが現代の規範政治理論の進んでいる方向でしょう。
355 :
exp:2010/10/11(月) 12:05:12 0
>>353 >ヘーゲルやシュミット、ハイディガー
サンデルの師匠のチャールズ・テイラーはハイデガーについても色々書いていて、
関連してフーコーとも論をかわしています。ガダマーの「水平線の融合」などの
概念もそのまま援用してます。共同体主義は、同じアメリカ人でも、リベラリズム
に比べて大陸寄りですね。
サンデルはそのへん直接言及してることろはあまり記憶にありませんが、Democracy's
Discontentを読んだ時は、アレントの『人間の条件』アメリカ版みたいだな、などと
感じたりしました。
共同体主義者ではありませんが、同じくテイラーの弟子のウィリアム・コノリーなんか
はストレートにポモってますし。
356 :
考える名無しさん:2010/10/11(月) 12:36:05 0
>>355 >アレントの『人間の条件』アメリカ版みたいだな
アレンとの著作の主要なものはアメリカ亡命以降、戦後になって発表されたものが多い。
名著としてナチズムやスターリニズムを分析した「全体主義の起源」も戦後の著作。
彼女はドイツでハイディガーに師事していたため、誤解も多いが戦後になってハイディガーと
行った往復書簡を読むと明らかに一線を画しているのがよく分かる。
およそ戦後アメリカの知識層はアレンとの全体主義批判の影響を受けている。
チャールズ・テイラーはカナダのモントリオール(ケベック)出身で、フランス語もドイツ語も
堪能な人物だったからな。主著はヘーゲル論でしょ。
358 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/11(月) 13:08:28 O
なんかおかしくなってる。まず基本にあるのが共同体でしょ。日本人ならなおさらわかりやすいけど。
どんな人だって帰属するコミュニティがある。
その共同体間を調整するのに、リベラルがある。人間としての権力。
無知のベールは共同体を解体する装置。
サンデルはやはり共同体は無視できないと
しかし実際は共同体から自由になった人間なんかいないし誰もが共同体主義だよ
359 :
考える名無しさん:2010/10/11(月) 13:22:09 0
>>351 > 対立するのは、グローバリズムと共同体主義だと思うよ。
グローバリズムはグローバルな共同体主義でしょ?
360 :
exp:2010/10/11(月) 13:34:36 0
↓でリベラリズムとコミュニタリアニズムの
ナショナリズム・インターナショナリズムに
関する見解が簡潔に書かれているのを読める。
マーサ・C. ヌスバウム『国を愛するということ―愛国主義の限界をめぐる論争』
愛国主義(パトリオティズム)の限界をめぐって、『ボストン・レヴュー』誌で
展開されたアメリカ知識人たちの論争をまとめる。コスモポリタニズムを対極に
据えることで、愛国主義の本質や意義をあぶり出す試み。
テイラー、ウォルツァー、バトラー、セン、ガットマン、パットナム他が寄稿。
361 :
考える名無しさん:2010/10/11(月) 13:41:34 P
新自由主義というと、漠然としすぎるかもしれないけど
少なくとも能力主義と共同体主義は完全には対立しないでしょ。
相互に補完的な役割を持つことができると思う。
もちろん、対立する部分もあるけど、それは部分的なものでしかない。
グローバリズムと共同体主義は対立するように思える。
もし、グローバリズムが世界全体を共同体とする考えだとすれば
共同体間の衝突に還元できるのかもしれないけど。
「グローバリズム」、「グローバリゼーション」と言った場合、
たいていそれらは経済史の文脈で使われているように思うがなぁ。。
(いわゆる「世界の一体化」というのは19世紀に起こった、歴史学上の概念。)
無軌道な経済のグローバリゼーションは、リバタリアニズムと隣接している。
リベラル、コミュニタリアンの両方とも背反しているような気がするが
「世界の一体化」と言えば、“世界システム論”のウォーラーステインさんじゃね?
彼には「アフターリベラリズム」という著作があるが・・・
364 :
考える名無しさん:2010/10/11(月) 14:38:52 P
リバタリアニズムというのも、全体としてはどうかわからないけど、
その特徴としての自助努力とかは、共同体主義と相反しないのでは?
成員が自助努力することで、強い共同体を維持できる。
逆に弱者の過度な保護が、共同体を弱め、その道徳を破壊して共同体を破壊する
可能性もあるわけで。
365 :
考える名無しさん:2010/10/11(月) 15:09:32 0
>>361 共同体主義は自己決定の責任(成功にしろ失敗にしろ)は
完全に個人のものじゃないと考えるでしょう?
しかしネオリベラリズムは、極端な場合、適応的選好も含めて
すべて自己責任と考える。
個人の責任に対する考え方が本質的に対立するんじゃない?
ネトウヨには左翼扱いされ、バカサヨにはネオリベの犬扱いされて可哀想だなサンデル先生。
日本じゃ反個人主義と反近代は右左共通課題だろう。妄想敵作成して、根拠無い「本当の意図(妄想)」論争みたいのはアホ。
367 :
考える名無しさん:2010/10/11(月) 15:18:59 P
>>365 確かにイデオロギー的な新自由主義、リバタリアニズムは、個人をバラバラし扱いすぎる感があるね。
極端になりすぎるんだよな。
ただし、個人の責任を意識的に共同体に負わせるのはどうかと思うよ。
共同体というのは、そんなに盤石な存在じゃない。ただでさえ、人間は自身がかわいい存在だからね。
各自が自助努力の精神を持ち、共同体に支えてもらうのではなく、共同体を支える気持ちを持たないと
共同体は維持できないと思う。その結果として、共同体は道徳の基盤となり、互助的な機能も持つことができるんだと思うよ。
サンデルは典型的なコミュニタリアン(共同体主義)の論者だよ。
その意味でロールズのようなリベラルとは一線を画している。
ましてネオリベ(新自由主義=リバタリアン)とは敵対関係だろ。
369 :
考える名無しさん:2010/10/11(月) 15:43:33 P
サンデルは、盤石な共同体を想定しすぎなんだよ。
そんなものを想定することは、共同体を破壊することとイコールといっても良いほどだよ。
まず、個人が自助努力できること。そして、共同体を支えることができること。
その各個人の精神が共同体に凝集され、道徳を伝えるための基盤となりうる。
弱者保護装置に成り下がった共同体が道徳など伝えられるわけがない。
>exp
>>352-354 社会現象としてのニヒリズム対策、おもしろく読ませていただきました
哲学としてのニヒリズムにおいて
「ニヒリストが好き勝手に振る舞ってよい理由はない」としてますが
「理由づけによる正当化要求」の規範に従うことを、ニヒリストは拒否するでしょう
彼は論理という規範に従う義務も認めない以上
規範についての議論における正当化要求に従うことも破棄するでしょう
われわれが、言葉を通じた議論をしたり、論理を使用して思考したり
それらはある規範に従うことによって生じるわけですから
あらゆる規範に対して従うべき義務を放棄するニヒリストが、理由を挙げられないところで、
ニヒリストにとってそれは破綻してないはずです
われわれは、議論をする者として、理性を使用する者として、一つの価値にコミットしているのです
そのような価値の内部からの発言を、あらゆる価値を放棄するニヒリストが受け入れねばならない理由がないわけです
ニヒリストを想定することは、われわれがすでにしてある価値の内部に立っていることを分からせてくれます
それは同時に、われわれが受け入れてる価値を反省するいい機会になるでしょう
ニヒリストは批判不可能な想定で、現実にはありえません
が、論理的にはありえる存在です
そのような存在を想定して対話をすることは
文化の異なる他者と対話をしていくいい訓練になると思います
続き
また、expさんは形而上学にかなり否定的です
現代の哲学も形而上学には否定的です
が、僕には形而上学がとても有用で面白い思考をしているように思うわけです
さらに言えば、道徳は形而上学に分類されると考えています
(ですからexpさんも、道徳については問題にしないのでしょう)
わたしは形而上学を擁護する者です
また、形而上学抜きの思考によって、有用な思考なり結論を出すことはできないと考えてます
用事があるので形而上学の擁護については次回
>>367 ロールズの正義論は、いわば共同体主義論でしょう。極めてリベラルな共同体主義。
時間間違えたので、一時間ほど余った
>exp
形而上学への排斥が起きた契機はマッハにあると僕は考えてます
マッハは物理学者でもあったわけですが、彼は形而上学を排斥した結果、物理学も語れなくなってしまったのです
それで他の物理学者が猛反対した経緯があるわけです
彼は形而上学抜きの科学を建てようとしたわけです
そしたら「物理学がなんで法則という形で表現するか」に答えられなかったわけです
結果として彼は「法則について一切語らない」という態度に出るわけです
規範(価値)に関する問題も、その表現は「規則」を使うわけです
である以上、形而上学が関わってくるのは避けられないのではないでしょうか?
数学は?数学もまた形而上学の一種と見なす立場もありますね
数学だけやったところで自然科学の知識は増えませんが、数学抜きに現代の自然科学の知識が得られるとも思えません
正義論についても同じことが言えると思うのです
expさんが形而上学を嫌う態度は、わたしには「数学に興味をもたない自然科学者」のように映るわけです
しかし、一切の形而上学を排除するならば、その者はニヒリズムに陥るでしょう
マッハが法則について語らなかったように
価値に関する問題に対して、規則としての表現を排除していったら、「いかなる規範もない」というニヒリズムに陥るのは当然だと思うのです
また、普遍的な要請の根源がどこにあるかと考えると
この「規則としての表現方法」にあるのではないかと考えるわけです
規則は、その内部に一律に等しく規則を成立させるわけです(でなければ規則ではないですから)
僕は、道徳とは「人間の行為」における数学だと思ってるわけです
この「規則」という表現方法が、われわれの認識的な問題なのか言語的な問題なのかは、僕はまだ答えを出せずにはいます
ってスレ違いかな
スルーしてください
まあ確かにバラまいたからって、規範意識や承認の問題は全く解決しないわね。
むしろシチズンシップの崩壊を象徴するだけのもの。借金なんか皆気にしてない。
日本の倫理教育ってほぼ無く、あっても人権思想だけど、問題はこの人権なる言葉の「人」て何?っていう話だろう。
リベラルにおいて人間は日本人のことではない。
日本という国を他者として捉えるような、故に常に自己を破壊されねばいけなくなるような。
身近にある価値や規範を他者、あるいは野蛮として感じているんだろう。
そういう人がたくさんいるよ
>>374 >僕は、道徳とは「人間の行為」における数学だと思ってるわけです
>この「規則」という表現方法が、われわれの認識的な問題なのか言語的な問題なのかは、僕はまだ答えを出せずにはいます
それは言語を持たない動物の世界で道徳が成立しているかを
考えることでヒントが得られるような気がするな
正義が人間に固有の概念かという点はちょっと興味がある
なんか、スレが止まってるね
ってことで、話題を戻すか、新自由主義と共同体主義だっけ
前に誰かが、「正義ではなく自由に自分は正当性を求める」って書いてた
俺は哲板に長くいるけど、初期の頃は「自由か平等か?」という議論があると
「フランスで『自由』と呼ばれるものは、ドイツでは『平等』と呼ばれる」というレスが必ずついた
意外と「自由」の定義あたりの問題に集約しそうな気がするんですよ
378 :
ンドール:2010/10/12(火) 12:02:02 O
もうちょっと政治の話しに踏み込みますか?
俺、政治に弱いんだよね
小泉元首相が提案したような、小さな政府、痛みに耐えてがんばるような社会が自由主義だよね?
できるだけ政府の権力を減らして市場に任せる
市場がもつ「神の見えざる手」が、それなりに悪くない結果に収拾してくれる
で、「神の見えざる手」なんて本当にあるのか?って批判もある
市場に任せることは必ずしも善い結果を招くとは限らない
「政府はどこまで権力を介入してよいのか?」って問題?
ごめん、俺、こういう話題は弱いから誰かヘルプ
379 :
考える名無しさん:2010/10/12(火) 12:25:30 0
>>378 新自由主義でしょ?小さな政府に国営の民営化、競争激化、規制緩和・・・。
アメリカン市場暴走主義。
「神の見えざる手」なんてないよ。アダム・スミスの妄想だよ。
経済学はキリスト教の下僕ですよ。
政府の市場への介入は必然。
今後は国家が積極的に介入せざるを得なくなると直感的に予言する。
380 :
考える名無しさん:2010/10/12(火) 12:34:46 0
>>378 >小さな政府、痛みに耐えてがんばるような社会が自由主義だよね?
そうとは言えない。アメリカ型のネオリベが志向する新自由主義ならば君の言うとおりだが、
アメリカ国内でもケインジアン志向の経済政策の方法論も根強くあり、結局のところ
その綱引きがあるということ。小泉〜竹中の経済政策は典型的なネオリベの模倣だが、
彼らが行ったことは日本の優良な中間層を縮小させ、一部の富裕層が経済を牽引するという
方法だった。その為に国内需要は冷え込み金融が循環せず、金融市場は一部の富裕層と
金融工学に踊らされた連中によって健全な史上倫理すら破壊した。
>「政府はどこまで権力を介入してよいのか?」って問題?
クリントン政権時代に公共インフラの民営化が進んだせいで、東部で大停電が起きたり
破綻する公共インフラ企業が続出した。ところがブッシュによるネオリベの揺り戻しの為、
イラク戦争では軍組織まで民営化する極端な政策が進められた。このため国防省幹部や
現場の指揮官すら参入している戦争請負企業の実態が把握できず、命令・指揮系統の
混乱が続くという危険な状態を招いた。
381 :
考える名無しさん:2010/10/12(火) 12:37:41 0
「自由」には「野蛮状態」という意味と「理性による平等な権利としての自由の配分」の二種類がある。
近代社会は後者を選択した、と俗にされていることもあるが、果して・・・
382 :
考える名無しさん:2010/10/12(火) 12:54:24 0
国家自体の判断力が衰えてくると、
国家が管理してもうどうしようもなくなってくるからね。
外国人にまで子供手当を配ったり、そうかと思うと
公務員だけが異常に好待遇だったり。
国家自体をどういう基準で運営するかをまず明確にしないと
いけない部分がある。
ホッブズは欲望という言葉と対置した意味で自由を使ったが、これは近代的自由の意味。自律という言葉に近い。自らに由る。
共同体主義の近代批判も自由を放任的なものとして取り扱うこともないから。ここでは近代的「自由」として良いでしょ。
自由主義は他律的ではない自律としての人間を前提にするけど、共同体主義は人間の判断の前提に他律性があるのでは、と言うわけだろう。
個人からすりゃ両者が均衡している状態が一番自由なんだけどな
国家に縛られるのも資本に縛られるのも他律という意味じゃ大して変わらん
>>383 > ホッブズは欲望という言葉と対置した意味で自由を使ったが、
古代ギリシアの哲学の影響があるのかねえ。欲望の奴隷になるのも自由ではないという発想が。
386 :
考える名無しさん:2010/10/12(火) 14:19:02 0
経済的な文脈での「自由」は
利害対立の解決手段を自由競争に任せるって意味でしょ。
個人間、企業間、地域間、国家間の利害対立の解決手段を自由競争
に委ねる。もし、この利害対立を政治的に解決しようものなら、
不利に置かれた方は収まらないわけだから。
不利に置かれた方が収まらないのはどの道一緒じゃない?
自由競争なら自由競争で政府は何やってるあいつら規制しろってなるわけで
388 :
考える名無しさん:2010/10/12(火) 14:38:41 0
アビエイターという映画で、トランス・ワールド航空を持つ実業家のハワード・ヒューズが
パンアメリカン航空に癒着した政治家から攻撃を受けるシーンが描かれてた
あと、国際線の参入をパンアメリカン航空に独占させる法律を可決させようという動きに対抗したり。
自由主義国のアメリカでも、昔はそんなんもんだった。
1930年代のアメリカって、暗黒時代じゃね?
Roaring Twenties つって、狂乱の20年代が最後に世界恐慌という結末に陥って。
とはいえ、アメリカって国は昔からそんな自由な国でもないけどな。
20年代には禁酒法があったし。第二次大戦直後は赤狩りのマッカーシズムが猛威を振るったわけだし。
多民族国家だから愛国ってことに関しては他国より人一番厳しいんだよ、アメリカは。
経済学的文脈では自由は介入と対置されるわけだな。
社会主義に対する自由主義の立ち位置。
モデルとなる経済主体は自由主義の文脈では利己的かつ合理的なホモエコノミクス。
公共哲学の重要人物ハーバーマスは近代的主体が「認識し、行為する主体」であると指摘し、
そうである前に「対話し、了解する主体」を前提にされるべきと言う。共同体主義の思考はこれに近いわけだ。
自由競争も介入も結局、対話、了解を捨象したものであれば崩壊する。ということになるのではないか。
391 :
考える名無しさん:2010/10/12(火) 15:22:05 0
対話っていうのは、妥協的して折り合いを付けろってこと?
競争でもなく、政治的闘争でもなく、妥協して和解しろってこと?
そして、対話する関係者が、いいとこ取りで、他を閉め出したりとか?
共産主義を目指すような理想は、人間には無理だよ。
共産主義でさえ、その対話が無理と判断して、全体主義しかないと判断したわけでしょ。
共産主義ですら放棄した理想を今この現代で追えというのは無理でしょ。
>>391自由主義を可能にするのも、自由主義的価値感を共同体の中で受容してることを前提としているという話ではあっても
自由主義が対話と了解の拒否であるというような話ではないな。お金が何なのか知らない人とは交換なんかできない。
同じ共同体に属するとゆうだけで様々な了解を共有してるというわけだろう。
誰も自由主義を否定して共産主義を賞揚してるわけじゃないな。
AIGが売ったCDSの規模は規制当局も把握してなかった。
グリーンスパン前FRB議長は「私はある強い政治哲学を持っています。市場にまかせればうまくいき、
市場が民主主義に貢献するという考えです。そう信じるのはイデオロギーからというよりも、
自由主義が世界経済にとって、最も効率的な政策だと信じるからです」と言い、
業界はひたすら政府に規制緩和を求め続けた。その結果金融業界はとんでもない利益を上げるようになった。
そして例えばゴールドマンのCEOの07年のボーナスは77億円だった。
394 :
考える名無しさん:2010/10/12(火) 15:55:06 0
>>393 疑問なのは、
対話というのが、実際に可能なのか?
その対話が正義にしたがって本当に行われるのか?ということなんだが。
共同体内ですでに了解済みと納得しても、実際に利害対立は起きるわけで。
いまアメリカを席巻しているのは“強欲資本主義”。
金融のグローバル化も含めて、肉食系白人ビジネスマンが
やっていることのえげつなさはハンパないよ。
世界がそういう状況だっていう観点からもサンデルの哲学を見ないとね。
「正義」とは何か。「公平」とは何か。
そうでなければ、文脈を読みそこねる。
397 :
考える名無しさん:2010/10/12(火) 16:04:03 0
>>396 強欲なのがいけないのか、資本主義がいけないのか?
もし、資本主義がいけないとすれば、強欲な人間が他の手段で利益獲得を目指すとどうなるのか?
強欲なのがいけないとすれば、強欲さを解消することはできるのか?
>>934 対話というのは家族や学校の中で必ずされるものとして少なくともあるでしょ。
それが無ければ価値感や人格なんか生まれえない。
対立は起こってもその解決はやはりやり方に合意があるでしょ。
何もなければお金なんかじゃなく、それこそ殺し合いじゃないか。
対話と了解は連続した歴史性を帯びた共同体の中で、あるいはその延長でおこなわれている。
認識も行為もこれを前提にしてある。という話ですよ。
それを捨象して認識や行為だけで説明しようとすると、説明できないことがたくさんある。
399 :
考える名無しさん:2010/10/12(火) 18:08:57 0
自由が強欲さを生んでいるとすれば、
共産主義(専制君主制でもいいが)のように、自由を取り上げてしまうことが、強欲さを解消する
手っ取り早い方法かもね。
それで、大半の人にとっては、強欲さを発揮する余地がなくなる。
それでも、一部の強い立場の人間が強欲さを発揮する余地が残るわけだけど。
サンデルが正義や公正を説くことで、人々が強欲を恥じるようになれば言うことはないですが、
普通に考えてあり得ません。
ですからその正義や公正の概念を元に、法律の中に強欲が得をしない仕組みを作るんです。
>>400 それは『強欲を抑え込もう』とする、『より強欲な衝動』になる。
共産主義か資本主義かと言えば、もちろん資本主義、選択の余地なんかない。
共産主義なんて言葉を持ち出すのは全くもって時間の無駄。あれはもう失敗したんだから。
資本主義の中でどうやって公正さを保つか、ディケンズの小説に出てくるような原始的な
資本主義から、どうやって人権や人々の幸福を実現するための、よりよい制度を生み出すかって話だから。
共産主義と資本主義というよりも、非自由主義と自由主義の対立なのかもしれないな。
自由がもらたす個人の放縦、強欲、利害の対立。
自由のない社会ではこうした問題は起きない。
共産主義社会であっても、独裁主義であっても、専制君主制であっても。
自由が人間にもたらす害毒というのは、相当なものがある。
ただし、すべての人間が自由を制限されるわけではなくて、支配者側の人間に自由が与えられる点がネックなんだよな。
それが今まで悲劇をもたらしてきたわけで。
資本主義のほうが社会主義よりも先に滅んでいるよ。
19世紀的なレッセフェール資本主義は社会主義より先に滅んだ。
サンデルのリバタリアンへの批判は単なる印象操作だ。
リバタリアンの論理にたいし論理内在的な矛盾をあぶり出すことすらできず,
単に,「リバタリアンの論理を貫徹していけば普通の人はついて行けない」,などと結論のみ示すだけ。
その論は,単なる常識論,印象論にすぎず,その辺の居酒屋の親父の寝言と価値的に大差ない。
結局,同人の著名大学教授という権威に乗っかっているだけ。
>>400 どんな政治哲学も、最終的な目標はその思想を現実社会に反映させることに他ならない。
現実とかかわること、それが政治哲学に最初から与えられた使命だろう。
だからこそサンデルもクリントン政権からの意見具申に応じたし、
プラトンはシュラクサイで哲人政治の理想を実現しようとしたし、
孔子も一時期生まれ故郷の魯の国で政治アドバイザーに就任したし、
チャールズ・テイラーも地元・ケベック州で州政治に深くかかわる役割を引き受けたわけだ。
生命倫理や異文化融合、人種問題や社会格差是正など、
政治哲学が取り組むべき、またそれによって政治哲学が
現実に寄与できる問題のレンジは非常に広い。
それらは我々一人ひとりが考えなければいけない問題でもある。
407 :
大日本言論報国会:2010/10/12(火) 23:41:11 O
左翼の人達は
人間性善説に立脚している。
左翼が言う
「現実の具体的人間」とは、左翼が妄想する原始共産制の純粋で無知な人間が前提
この妄想の前提の次に
「現実の世界」がくる
左翼にとり
「現実の世界」は破壊しなければならない対象
社会を改造することで
戦争や犯罪や貧困が無くなるアホな考えは
この世に極楽浄土を実現しようとするのと似ている。
408 :
大日本言論報国会:2010/10/13(水) 00:00:26 O
国家に忠誠を誓う市民の自由主義 (ウヨ)
反国家的で経済合理性に基づくアナーキーの新自由主義(マルクス主義からシカゴ学派ネオリベでネオコンの白い左翼)
サンデルはサヨ的な過去を反省したうえで
共同体主義(国家主義)を唱えている?
>>407 あなたは、戦争や犯罪や貧困は減らせないと考えてるのですか?
>>408 新自由主義を「反国家的」「アナーキー」と評価するのはいかがなものか。
財産権の保護のための司法制度などは新自由主義でも当然必要とされている。
かれらは政府による「再分配」と称した強制寄付が気に入らないだけでなかろうか。
あと、対話についてさ
理想的対話状況なんて現実にはありえないよ
同意なんて簡単には成し得ない
同意に至るのは、たいていの場合、片方が諦めた時だけだよ
「まぁ、いいか、俺が我慢するよ」って
>>411 同意に至らなければ決裂ってのもあるでしょ
我慢する方にとっても、決裂状態よりは同意する利益があるんでしょう
「同意のテロル」って誰の言葉だっけ?
>>408 ネオコンとネオリベは思想的に隔たりがあるように思える
ジジェクにも指摘されてたけどポストマルクスかなんか知らんが
ネグリとネオリベは親和性がある
まあジジェクも似たようなもんだがw
東大の講義で捕鯨問題を議論してほしかったな。
次があるならテーマにした方が良いと思う。
>>404 そういうのだけが資本主義では無いと思うけどな。
>>416 資本主義も最初から盤石な経済体制じゃなかったんだよ。
何度もの存亡の危機を迎えて、それを乗り越えてようやく現在のような姿になった。
逆に言えばこの転換点がなければ資本主義は生き残れなかった。
現代の資本主義にとって最も大きな転換点はケインジアン(ケインズ革命)でしょ。
古典派経済学の自由放任主義(例えば“セイの法則”)の限界を指摘して、
有効需要の理念を取り入れるなど資本主義にマクロな視点を組み込んだ。
とくに大恐慌時代の危機的状況にあって、ケインジアンがなければ資本主義は生き残れなかった。
その意味では元の資本主義(プロト資本主義)は何度も死んで、そして修正を加えられて生き返ってきたんだよね。
418 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 08:44:25 0
問題は、資本主義にあるというより、自由にあるんだよ。
そこをまず抑えないと、本質には行かないと思うよ。
419 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 08:47:48 0
資本主義というもの自体がそれを志向して形作られた経済体系ではないからね。
資本主義経済というのはレッセ・フェール(自由放任)が自然に形作られ、
アダムスミスが言うような「レッセ・フェール(自由放任)が経済を発展させる」
という前提に対して、マルエンが「資本論」によってその問題を暴いた。
マルエンの功績は革命思想よりも、古典的資本主義を分析したこととよく言われているが、
だからこそ19世紀〜20世紀に大きなインパクトを与えることになった。
彼らが間違えたのは大まかに言えば計画経済がその処方箋になるというもの。
あまりに分析的過ぎて人間の欲動という大きなポイントを見落とした。
他方、ケインズはマルエンの様なちゃぶ台返しをせずに、現実的に古典的資本経済を
変える方法を考えた。金融政策や需給バランスを政府がコントロールすることで、
市場経済を健全に保つというのがそれ。
そうだね。
リーマンショックも、ある資本主義の死ですか?
ケインズの時代はまだ一国で成り立ってたからそれでもいいんだが、80年代からレーガンサッチャー中曽根がグローバリズムを始めて、一国だけで閉じて考えるわけにいかなくなった。
423 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 09:05:49 0
リーマンショックは金融工学の問題が露呈した事実としてのインパクト。
リスク分散のうたい文句は実はリスクの隠蔽でしかなかった。
引き受けるべき金融投資のリスクを複雑に加工して見えにくくしたため、
投機が切り売りされライトになってしまった。しかし、ライトになろうとも
リスクが隠されただけで無くなったわけではないから、雪だるま式に拡散し
破綻したときのリスクも膨大なものとなった。実体経済とかけ離れすぎた
投機の危うさを明らかにした意味は大きい。
424 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 09:11:58 0
>>418 >問題は、資本主義にあるというより、自由にあるんだよ。
自由であるということは、当然だが経済分野とは不可分であり、経済以外は自由、
経済は自由であってはならないということではない。自由主義(リベラル)は
社会政策や経済政策などを包括するガバメント・マネジメントを求められる。
425 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 09:23:32 0
>>422 グローバリズムは、ソ連崩壊後でしょ。
共産主義国という、自由ではない諸国が存在したから、ある意味世界のバランスが取れていた。
すべての国が自由になったとたん、自由が暴走し始めたってことでしょう。
426 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 09:35:33 0
自由ではない東側諸国が存在したから
西側諸国の自由もある程度制限されていた。
自由が制限されていたことで、西側諸国の放縦、強欲、利害対立もある程度制限されていた。
そして東側諸国が崩壊すると、ほぼすべての国が自由になり、自由を制限するものがほぼなくなった。
それによって、自由の制限を失った西側諸国では、自由がもたらす放縦、強欲、利害対立が一気に吹き出した。
427 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/13(水) 11:04:59 O
ヒント@
自由主義は古典からネオリベまで保守主義と密接なのか
ヒントA
資本主義の元祖とは。誰が唱えたイデオロギーか。
まずこの辺りがわかると色々見えてくる。
チョーえらそーw
429 :
大日本言論報国会:2010/10/13(水) 11:28:18 O
日本では
「お上」が経済に介入するのは当然。
行政指導、規制は当たり前。
自由があり、問題発生すれば政府が介入規制する。
サンデルはアメリカ人だから遅れている。
やっと日本に追いついたレベル
後発の資本主義国にはよくある事。
431 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 12:06:47 0
.__l__ _ __|__ ____ _ __
―|― \ \ /|| \ / _l_l_ | | _|_ /r、 |_| |_| ―|― \
/ _| / / .l三三l | | .小 / | \ .|_| |_| / _|
(_ノヽ (___ (__. ノ ヽ_!_!_  ̄/ | \ | ノ _」 (_ノヽ
―― ーl―l― ー┐v
――‐ -l-l-l- ―/― フ ∨ |  ̄ ̄/ ―|―ヽ .| |
ニニ .L二__ ⌒X /ニlニlニ \ | / / Τ`ヽ | |
l二二l ニ木ニ (__ ノ |_l ヽ_ノ ヽ_ ヽノ _ノ _ノ \
千 __|_. .⊥ 幺|幺 | _|_ _|_ _|_ll  ̄不 ̄ | ̄| | ̄|
田 / | /|ヽー|‐ヽ | | __|__ / ― / .l ヽ | ̄| |二|
土 / 亅/ | 人乂」 ∨ ○ヽ ._/|\_ / 、_ |  ̄ ノ _|
中国やアメリカの方が速くタイミングを考えて政府介入する。
日本の政府介入は遅い。
433 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 13:38:19 0
自由に任せとく方が日本っぽいよな。なるようになるって感じ。
政府が介入するなら、その決断の基準が必要なんだが
常に外圧でしか動いてこなかった政府は、実は決断できない体質だから。
国内の基準だけで決断しようものなら、利害関係者がわらわら出てきて
収拾がつかなくなる。それを避けるために外圧を利用する風土があるんだよ。昔から。
日本は、政府も官僚もどうやって規制したらいいか(自由化したらいいか)実は自分達では全く分からない。
それでアメリカから来た年次改革要望書を参考に国内で規制したり自由化している。
別に、年次改革要望書通りに規制したり自由化する義務は無いのだが、
自分達に政策立案能力が無いのと、アメリカの言う事を聞いていればおそらく間違いはないのだろうという信念でやっていた。
日本政府と官僚に、自分達で考えて決めるという能力がほとんど無いという事が、
結果的に年次改革要望書陰謀論に見えてしまっているというわけw
自分たちで考えて決めるには、信念と精神的なタフさが必要でしょ。
精神的なタフさはともかく、信念をどうするかが問題になると思うよ。
437 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 17:20:34 0
>>416 少なくともマルクスとエンゲルスが定義していた資本主義はどうやらそういう資本主義のようなんだな。
株式会社の登場については資本主義の矛盾で、共産主義の可能性を示すものだといったニュアンスのことを
資本論で言っているから、今日の資本主義をマルクスは社会主義的資本主義と呼ぶ可能性があると思う。
ゴータ綱領批判では、共産革命が起こって資本主義からいきなり共産主義に代わるという革命の考え方を
否定している。共産社会がいきなり実現することはありえず、共産主義と資本主義との間には、
両者の混合形態をもった過渡的時代が必要になるだろう、という認識を示していた。
経済思想ネタはパス。
俺も経済思想史についてはwiki程度の事しか言えないし、
何だかんだ言って経済ネタは竹中平蔵の方が言うこと正しそうな気がするし。
優勝劣敗
ただし優劣の基準は時代とともに変わるし普遍的なものではない。
それでも時代に対応して優劣は存在する。そして勝敗に応じて対価を得る。
なんらおかしいことではない。
440 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 17:43:09 0
>>435 信念といっても、実際国を良くするためという理由では誰も本気にならないよな。
ある程度は本気になるんだろうけど、真剣にはならない。常に、自身の利益誘導が入るし。
これが、将軍徳川家を存続させるためという理由なら、関係者は
それこそ必死になる。
必死の権力者の決意の方が、大多数の人々の薄い気持ちより強い。
まあ、その権力者に打ち勝ったのが外圧を利用した薩長なんだが。
それ以降だろうな、国を動かすために外圧を利用する癖がついたのは。
天下統一で内政安定が目的だったのが、
明治維新で外国との競争に勝つことが目的になった。
太平洋戦争後は、政治的に外国との競争に勝つ気はなくなって、
経済的に勝つことが目的になった。
21世紀に入ってから、政治だけでなく経済でも負け始めた。
そろそろ自分を見つめなおさなきゃといい始めた。こんな流れか。
442 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 18:43:55 P BE:369741762-2BP(3555)
サンデルヨンデル?
なんか、話題があれだから、自律と他律の話題でいく?
自律的な人間の生き方を人間の生としてのあるべき姿とするのが自由主義とあった
とすると、俺は自由主義に汲するのだろう
これに対して「人間は他律的である」という批判もあるかもしれない
「人間の本質が従属することにある」そういう見方もあるだろう
(一つの駒、部品としての生に価値を見いだす者がいることを考えると、あながち的外れとも思えない)
ただ、わたしは事実と価値の二元論を認める立場なので
人間の本質が従属にあったとしても、そのことをそのまま価値としては認めない
価値の多様性と自律的な選択を重んじるし、それを可能にする社会的連帯の模索を課題と考える
先ほどに同意の話題があった
「決別しなかったのは、同意に利益があったからでしょ?」とのレスがあった
しかし、これは自律的な選択と同意による連帯ではない
「同意しないなら損失があなたを待っている」という脅しを背景に同意を迫っている
これは利益に支配された選択なので、自律的な同意ではなく他律的な同意である
現代の状況を省みるならば、同意や契約が足元を見る行為や利益関係による背景からの「同意の押し付け」が横行しているのではないか?
現代社会が、自律的な連帯を成しているかというと、甚だ疑問ではある
ごめん、うまくまとめられなかった
ま、こういう話題を振りたいのよ
444 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 18:59:46 0
政治学は当為論だと思うのです。
ですから、自然科学的な実証性として「人間は自律的存在であるか、他律的存在であるか」よりも、
「人間は自律的であるべきか、他律的であるべきか」あるいは「自律的なつもりで行動すべきか、
他律的なつもりで行動すべきか」こそがここで問題になっているわけですよね?
俺はカントが好きだから「自律」「他律」という言葉もカント由来なんだよね
カントは、利益を得る目的の機械となることや欲望の奴隷となることを「他律」と呼ぶ
(自分の肉体を自分の精神の奴隷とするのが「自律」)
じゃあ現代は、「利益」に従属した共同体主義と見なせるのかもしれない
共同体主義が「利益」以外の様々な封建的な価値観や伝統、それらへの従属を唱えるならば
利益一辺倒の共同体から、新しい社会のあり方が見えてくるかも
これってゲゼルシャフトとゲマインシャフトってやつだっけ?
いや、こういう講義はあまり真剣に聞いてなかったからさ
形而上学の方が面白くてさ
「他律的なつもりで行動する」というのはなんか変です。
他から操られているつもりで自律的に行動する」という意味合いを持つので。
けっきょく当為(=責任)論は「自律性」を前提にしている。
少なくとも「自律性」というフィクションを前提に置く必要がある。
他律を前提にすると「当為論」そのものは崩壊すると思いますね。
間違えた
カントの言う自律は、自分の精神を自分の意思の奴隷にすることだ
肉体は関係ない
精神を何に従属させるか?で
いかなる他律も認めないことが「自律」なんだ
大間違い、許してくれ
>>446 うん、そう、当為論は自律を前提にする
自律は選択と可能性がなければならないから
そのような可能性の有無は責任の所在と直結する
(原爆を落とすしかなかったならば、アメリカが原爆を落とした責任はないし
戦争をするしかなかったならば、日本に戦争責任はない)
押尾学も、ああするしかなかったならば彼に責任はない
ただ彼は、救える状況なのに救わなかった
選択の余地があったのに、彼の精神は命を救うことより自己保身を選んだ
その選択を彼の意思が自分で選んだということが、彼の行為に責任を与える
449 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 19:18:45 0
>>446 > 他律を前提にすると「当為論」そのものは崩壊すると思いますね。
当為論(法律、政治)は自律性を前提にしていることはたしかだけれども、
どの程度どの範囲までそれが及ぶかという見解によって分かれている。
自律性は個人に集約・還元され、われわれの全ての行為や宿命は純粋に
個的動機をもって生じたものだとする立場から、個人の自律性は共同体
からの制約とコントロールを受けて制御されているもので、共同体の自律性
をも認めなければならないとする立場がある。
カント的な他律性(疎外?)問題も、個人の生きる目的・目標が、共同体のそれに飛躍したときに生じる問題だよね?
一般には。
結局、現代社会への批判は
「われわれは本当に自律的な選択を選べる社会にいるのか?」ってことになるのではないか?
拳銃で脅されて
「わたしは、金を払う選択も命を捨てる選択も自律的に選べる」とは、普通は言わない
(誰だって自分の命は惜しいのが普通だから)
現代で生きるわれわれは、もっと様々な価値の中で、それらの価値を受け入れて生きているわけだから
意外と不自由なものなのかもしれない
まだまだ自由じゃあないのかも
452 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 19:24:02 0
徹底的なリバタリアンは、共同体レベルでの当為(法律・政治)を完全に否定することになると思う。
共同体(たとえば国家)がなすべきことは何もない、ということになる。
453 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 19:26:12 0
であるなら、共同体主義というのは、自律性を損なうものになるわけか。
自律性を持つ個人として扱えないというのは、主に弱者救済の口実にすることを意図してるね。
共同体を重視するなら、自律性を持つ個人が共同体のために献身するという理屈で十分だと思うよ。
この自律性を疑うなら、共同体にとっても良くない結果になると思う。
共同体の自律性を認めるというのは、共同体に何らかの責任を負わせたいってことでしょ。
共同体というのは、そういうものではないよ。共同体は、保護する価値のあるものを保護するだけで
何かの義務として、強制的に何かを保護するものではない。共同体に何かの責任が発生するわけじゃない。
>>451 > 拳銃で脅されて
> 「わたしは、金を払う選択も命を捨てる選択も自律的に選べる」とは、普通は言わない
> (誰だって自分の命は惜しいのが普通だから)
自殺する人、安楽死や尊厳死を望む人もいるのだから、一概には言えないかも。
455 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 19:29:47 0
真珠湾がやもうえなかったとしても。太平洋アジア地域に戦力をばら撒くという戦略的失敗をどうするのかといえば…
辻政信当たりにあの世に行ったら聞いてみたいw
>>453 ただし、近代国家がさらに複雑なのは、
共同体が個人の自律性を保障しようとする責任を負うとも宣言しようとするところ。
徹底したリバタリアン社会は、野蛮状態で、個人の自律性は「他の強者の自律性」によって
けっきょく独占され制約されてしまう。北朝鮮のようにね。
ああならないように、共同体が個人の自律性を確保する権力を行使しますよってのが近代国家。
というか、実際はどうか怪しいけど、少なくともその基本理念に謳っているという事実はある。
>>454 あらゆる価値を相対化したらそう言えるけど、普通はいないから。
現代で生きるわれわれの価値に密着してない価値論ははただの数学や1+1=2レベルの発言と変わらない
458 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 19:49:56 0
>>456 アメリカの上部1%がほぼ全て支配してるじゃんw
しかし、支配者が気前よく被支配者の事を考えて文化的生活をさせてくれるなんて、
いい世の中だよな。昔だったら俺達奴隷だった。
460 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 19:56:14 0
>>459 アメリカの場合、支配層の多くが独立戦争時の海賊とか南北戦争時の略奪貴族だってことも関係してるんじゃないかな?
>>456 自律的に競争して負けたとしても、あくまでそれは自律的な敗者だろ。
競争に敗れたとたんに、公正な競争を非難し始めるのはおかしい。
462 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 20:04:48 0
>>461 完全に公正な競争というものが存在するならね
>>462 自律性を持つなら、公正でない競争なら最初から加わるべきじゃなくて、
競争に加わる以上、その公平性について後から文句を言うのはおかしい。
>>463 「競争に参加しない自由」なんてあるのだろうか?
ニートのこと?
けっこう、生きている中でいつのまにか競争の真っ只中にいる感じはするよね
まぁ、哲学好きな俺は競争からもドロップアウトしてるけどね
考え方がおかしすぎて、みんなが競争相手と見てくれない
われわれが、われわれの子孫に社会を受け渡す時
公正さをさらに満たす社会を受け渡したいと思うはずだ
子孫がどのような属性のもとに生まれたとしてもね
現状の問題点をよりよく改善していくことは、
現代に生きるわれわれが、「現代」というコミュニティを構成するための義務でもある
465 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 20:49:56 0
共同体にとって価値のある人間なら、その人間が窮地に立ったときでも
共同体は放っておかないよ。
わざわざ、共同体に義務を負わせなくても。
共同体が放っておく人間というのは、共同体にとって有害な人間なんだよ。
>>464 >公正さをさらに満たす社会を受け渡したいと思うはずだ
そうとは限らない。もっと自立性や自由を重んじる社会を残したいと思う人もいるだろう。
アメリカではオバマが政府を大きくし、例えば皆保険のように国民を強制的に保険に加入させるような法案を通したら、
国民から猛反発を受けた。アメリカ人は誰もが健康保険に入る社会よりも、政府から自由である方を好んだ。
公正さよりも自由に価値を置く人が多数である国はある。
>>443 よくわかんないな
僕が世俗的な人間だからしら。
生物の基本は『足掻』いてより良い状況を求めること。
そして、合理的で賢明な人間はより良い状況への最短距離を走ることができる。
自律という単語に思い入れはないなぁ。
>>452 いやいや
私有財産性と司法は必要ではないか
>>466 いや、それは「個人の自由」だと俺は言うよ、言っちゃうよ
「公正よりも自由を」というフレーズはすごいよ
マジで想像するとすごい
でも、それもありなんだろうね
471 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 21:13:27 0
実際、それで共同体は、共同体を維持するために必要な人材を
選別してるんだよ。
もし、すべての人を強制救済すれば、共同体は好ましい人材を選別できなくなって
何か別のものに変化するよ。
構成員の質を維持するというのは、共同体の最も大きな機能の一つだよ。
>>467 その文章における「良い」という言葉の定義(意味)は?
474 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/13(水) 21:27:21 O
@
そもそも自由主義は強国の論理です。
無法地帯とまでは言わなくても、自由にするとは強者に有利な環境です。
強国の保守派が他国への経済的侵略を目的に進められます。
A
資本主義がなぜ主義なのか?そもそもなにをもって資本主義なのか。明確ではありません。
前近代に徐々に貨幣を中心とした社会が進みました。
資本主義という言葉を積極的に広めたのは、社会主義者たちです。
社会主義たちがその時の経済状態を漠然と資本主義と呼び、自分達の社会主義イデオロギーを際立たせようとした。
>>473 君の言いたいことは理解できた
俺は違う意見だ
義務教育や反トラストや公取、麻薬売買や人身売買の禁止あたりは、国家の横暴的強制だから自律性の尊重のためにやめるべきだな。
477 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 21:33:12 O
社会の意義とは客観性や公平性に根ざした規範意識による生活を営むことでしょう
もちろん後付けの理屈ではある
しかしあながち誤りであるとは言えないだろう?
調和的な社会を目指すということ
それを前提にしたらあらゆる問題点は透けてみえる気がする
>>475 自分の好みに沿って生きていきたくはないの?
そして欲望まみれは嫌っていうメタな意味での「自分の好み」すら否定するの?
>>478 うん、俺は自分の好みを求めるのは好みじゃないんだ
相手の好みや周りの好みと関わりながら、それらと自分の好みが衝突する中で、
創造的な生を生きるのが俺の好みなんだ
480 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 21:44:44 O
第一に人間が生きることも食・睡眠・セックルでしょ
それらを合理的に充たす社会を構築して生活が安定すると必然的に娯楽性が生まれる
その延長上に現行社会がある
しかし人間が生きる前提は三大欲求だけだ
人間は賢いゆえにあらゆる事象に必要以上に意味を求める
人それぞれ。っていう話に後退しちゃったな。
482 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 21:58:25 O
人それぞれではボヤッとし過ぎ
自由だって真の自由と社会での自由は違う
真の自由とは善悪混沌とした本能のままに何でもあり
社会での自由は客観性や公平性に基づくために善悪が分けられ言動も範囲が制限される
その制限は安全性にも繋がっている
というような論理付けが必要でしょう
>>479 へぇ〜
刺激的な周りの人に恵まれるといいね。
そんな好みの生活に向けて人を求めて動いていくのも良さそうだ。
まぁ、社会生活してればいい意味でも悪い意味でもいろんな人に出会うよねぇ。
実存主義以前の哲学という運動は民主制とと資本制の歴史の担い手であるためにローカルな見方を破壊(懐疑)する運動(「人それぞれ」への解体)だが、
これは、近代(自己認識を立脚点とする)の帰結として民主制と資本制を懐疑してしまう、つまり懐疑が懐疑する理由を形成する歴史性に及ぶことで明らかになる。
ニーチェは確かに何者にも従わないことを語ったが、同時にやはり歴史と言葉に語らされていたんですよ。
まあ近代主義者に何言っても自己認識へ還元されちゃうんですが。
私達は社会の中で役割(道具でもいいが)として自己を規定されて、初めて自己認識を持つんですよ。
485 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 22:17:23 O
ま、そうだね
レベル高っ
486 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 22:20:46 0
>>484 そのとおりだけど、それによって共同体に何かの責任が生じると言われると
それは違うとなるんだよな。
共同体によって規定される自己であっても、自己のあらゆることについて
自己が責任を負わないといけない。
487 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 22:36:51 0
ここ最近正義なんて使った事ないなあ
スポーツの試合で負けてる方を応援するのは正義な行為かね
高速道路の合流地点で一台ごと合流するのは正義?公平?
>>487 まわりはルールに従うこと
ただし、俺だけは自分の利益のためにルールを破ってもいいこと
これがジャイアンの正義
>>468 > 私有財産性と司法は必要ではないか
そこがリバタリアンの二枚舌なところだというツッコミだと思うよ、
>>452は。
490 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 22:53:17 0
>>488 路側帯を爆走する車に乗ってる人はジャイアンだったのか
「俺のものは俺のもの。お前のものも俺のもの。」ってか。
リバタリアンは必ずしも無政府主義者じゃないと思うよ
ノージックとかは政府の正当性を論じてるし
「無政府主義」という言葉があるんだから、リバタリアンと区別して論じた方がいいと思う
>>489 リバタリアンは自由至上主義である。そして契約自由の原則がある。
よって、守れない契約はするな、自分で決めた以上契約は守れ、となる。
すると、契約の拘束力を担保する制度として司法は必要だ、となる。
リバタリアンってどのリバタリアンよ。ノージックとロスバードじゃかなり違うだろうが
文脈的にはロスバードに乗っかってるわけではないのは自明でしょ。
ところで、司法って民営化できるのかねぇ。
>>493 しかし、相手との契約を守るかどうかも個人の自由なわけよ。
契約はあくまで契約であって、それを担保する権力(第三者権力)には制約されない。
担保する権力をもってきたらそれがいわゆる公共権力、つまり国家権力の要請を意味する。
これだとリバタリアニズムは虚構になってしまうはず。
契約はあくまで契約。相手が守るか守らないかは相手の自由に任されているし、
破られたらその相手を信用しなければいいだけの話で、第三の権力によって担保しないのが
リバタリアニズムの鉄則のはずでしょう。
497 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 04:12:22 0
リバタリアニズムというのはあくまでも一人称と二人称の関係だけで成り立つ社会理念のことで、
「社会は要らない。個と個の二者の『約束』関係のみがすべてだ」という大原則の上に立つ。
「契約」とすると二者関係の外にその関係を拘束しようとする社会的な権力を想起させるので、
ここでは単に「約束」と呼びたい。
リバタリアニズムにとって「契約」は存在しない。「約束」のみが存在する。
「約束」は「約束」でしかなく、それを守ろるかどうかは互いに相手の自由に任されている。
「約束」というものを「契約」という社会的効力を保たせようとするときに、第三項である権力が
要請されることになる。これが今日でいうところの社会とか、具体的には国家というものになる。
国防はどうなるんだ?みんなで金を出し合って私設軍隊を作るとか。
499 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 08:44:19 0
>>498 ロスバートは軍組織や警察組織すら不要だとしている。彼にとって国家機構が暴力意識を
持つことは「まったくもって馬鹿げている」そうだ。
>>499 だから「私設」軍隊って言ってるでしょ。よその国が攻めてきたら軍なしでどうするの?
501 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 09:06:23 0
>>500 そう。私設軍隊。彼にとって「国が攻められる」ことは問題にしてない。
私有財産(勿論自分の生命も)が危機に遭うことが問題となる。
>>497 契約を破る自由って無いのでは。
契約は自由意思基づく自己拘束であり、契約を破ることは過去の自らの自由意思に基づく決断に責任をとらないことになる。
過去の決断も自分の決断であって自由意思の営為である。
そしてリバタリアンといえども、自分の意思に基づいて制約されることは否定されない。
>>499 非排他性や非競合性という純粋公共財についての経済学の議論を完全無視なんだろうか。
フリーライダーの発生がほぼ不可避ではないか。
504 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 09:13:28 0
>>503 フリーライダー対策は公共が担うのではなく私的組織(教会や寄付など)が担うというのが
彼らの基本骨子。ここには一応のプロテスタニズムが生きている。
ここまで来ると国も政府も国境も不要ってのがリバタリアンの主張に見えてくるけど、それでいいのかな?
もし違うとすれば、リバタリアンが政府に求める役割は何?
>>504 それは妄想に近いねぇ
協会がそのような公共財を提供するに至る合理的担保って何?
>>497 結局モニタリングコストが莫大になるね。
約束しようとする個々の相手を含むかなり規模の大きい保険制度のようなものを想定しているのだろうか。
「約束保険」みたいな。
約束を破ったら、私設警察が取り締まりに行くんじゃないの?
それで向こうの私設警察と戦闘になる。
で、私的警察も約束を破って依頼者の財産を奪いにくると
北斗の拳っぽいな
そこまで考えると、さしものリバタリアンも、国家権力に警察機能を持たせた方が得策だと考えても良さそうだが。
結局ノージックが無難ってことか
512 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 09:31:50 O
カントの理屈は文明社会が前提だから成り立つんだよ
奪ってはならない
なんてありえないだろ
そんなもんは仲良くしようと呼びかけてるだけに等しい
今はカントの話題じゃない
いまはリバタリアンのなかでもロスバード風の見解の妥当性についてやってる。
結局ノージック(最小国家許容)がリバタリアンのなかでも主流であることには相当の理由があるってこと。
514 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 09:36:44 0
>>505 正確に言うならばリバタリアン全体の考えではなく、あくまでもロスバートの考え。
リバタリアンでもフリードマンとロスバートとは違うように振幅がある。
>>506 君はマックス・ウエヴァーを読みたまえ。
515 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 09:38:16 O
警察が必要だと呼びかけるも仲良くしようと呼びかけるも同じようなもんだよ
日本にゃプロテスタントの倫理などないわな
517 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 10:04:29 0
公的機関による共同体の形骸化というもあるのかもな。
公的機関が強すぎることによって、共同体が持つ本来の道徳維持機能が弱まっている。
共同体に道徳維持機能を期待するなら、一律の救済とか、一律の何かではなく、
共同体による選別が必要になる。軍隊をなくすとか警察をなくすとか、あまりにも極端なのは論外だが。
518 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 10:55:20 0
>>516 その通り。
日本にリバタリアが根付かず反感を買う大きいな理由はそこにあるし、
また、逆にグローバル・スタンダードとの対立軸もそこにある。
519 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/14(木) 11:25:36 O
プロテスタントの勤勉さ、あたらしもの好き、そして天職の観念が、資本主義と発展を助けたということだけど、
日本人にもプロテスタント的なものがあるね。
議論を通して、いつのまにか「自由」の意味が「野蛮」になっている気がするのだが
リバタリアンが主張する「自由主義」とは「野蛮主義」のことなのか?
それと、リバタリアンは権力が存在することを忌み嫌うところがある
でも、「権力をいかにしてなくすか?」より
「権力の暴走をいかにして防ぐか」の方が現代的なテーマではなかろうか?
警察があった方がいいかない方がいいか、よりは
警察の権力が暴走しないようなチェック機関をいかに設けるか?の方が現実的な気がするけどねぇ
権力を分散してその均衡を考える、チェック&バランスについて
リバタリアンはどう考えるのだろう?
522 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/14(木) 11:51:12 O
日本人の勤勉さは江戸時代の安定期に育ったといわれる。
江戸は世界有数の都市で、貨幣が広く流通し、識字率が高い。
でも資本主義ではなかった。
523 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/14(木) 12:00:46 O
イデオロギーとしての自由主義=リバタリアンは、自由を管理するという矛盾を抱えている。
現実には自由とはある種の野蛮を抱える。
しかしいかなるイデオロギーよりも重要な真実は「権力は必ず腐敗する」
右だろうが左だろうが、思想(哲学)家の理想主義はこの真実をイレギュラーとして見ないする。
資本主義でなく共産主義が崩壊したのは単純で、「権力は必ず腐敗する」にどちらが柔軟かだけのこと
>>518 どうかなぁ
日本でリバタリアンが根付かないのは、
単に経済的強者へのねたみが強く、それを恥と思わないからでしょ。
日本に世俗内的禁欲の文化としては立身出世主義があったね。
ただこれは宗教ではなく国家と結びついていた。
リバタリアンが広く受け入れられるのって、アメリカくらいじゃね?
開拓時代とか、今でも西部の人のいない州じゃ、生活は全部自分頼りで
政府に助けてもらうことがない。
なのに突然やってきて、税金払えって言われても納得いかんだろ。
その通り。政府に頼らずに住民自治で生活している人間が多かった。
528 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 12:22:26 0
住民自治なら日本だって江戸期は九割の百姓が自治共同体を形成していた。
明治になってから強制的に廃藩置県が行われて中央集権が強化されたが。
529 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 12:24:43 O
共同体って、参加不参加の自由はあるの?
無いなら、不本意な「道徳」を押し付けられる点で、最小国家より、不自由だが。
日本人のほとんどは百姓で年貢を半分か半分以上、
今の所得税で考えればとんでもなく高い税率で大人しく払っていた。
日本人は納税の「義務の感覚」が根強くある。
531 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/14(木) 12:29:09 O
江戸時代の藩制はそれぞれ経済圏をもち、全国にひろがってたね
533 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 12:32:09 0
話題が社会学、比較文化論的になってきているが、日本人は「お上意識」が強く、
共同体を安定的に維持するために部外者に対しては排斥的、仲間内に対しては
融和的な資質がある。付和雷同もしやすく人間を個の集積としてではなく、
集団の塊として認識する傾向が強い。
534 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 12:36:02 O
自治体の大小は、多数決の横暴による個人の自由抑圧と無関係。個人の自由の確保という点では、強制加入団体に必要最小限度の権限のみ与えられるべき。
535 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 12:37:25 0
>>532 縦軸を単純に考えてはいけない。江戸期の農村共同体は年貢という縦軸の主従関係だけでなく、
横軸としての共同体経営という面が根強くあった。近年の研究では藩主の横暴によって
離反した百姓が増えると年貢の石高にも影響を与え、逆に領主が苦境に立つことも少なくなかった。
連判で幕府に訴状を送り領主の大名を追い出したなどといった事例まであった。
こうした事実の掘り起こしは日本のアナール学派史学者の地道な努力によって明らかとなってる。
536 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/14(木) 12:38:57 O
共同体はいまもむかしも人間恵形成の基礎
>>535 こうした事例の掘り起こしも重要ですけどね、地道な努力で掘り起こしなんかしなくても、
百姓一揆があったという昔からの常識で十分ですし、結局年貢を払っているんだから、
「時には反抗することもあったのさ」と言う事に過ぎませんね。
江戸にフランス革命が起きたわけじゃあるまいし、その程度の反乱は無視していいと思いますよ。
538 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 12:57:30 0
>>537 私の発言の論旨はあたかも一方的に搾取されていたというのは
事実認識として間違えているということ。
539 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 12:58:11 0
共同体への参加不参加の自由と言うよりも
共同体が成員を選別する自由が必要なんだろう。
まあ、日本の場合には、完全な排除ではなく、二分は排除されなかったわけだけど。
それでも、共同体の成員の質を維持できたんだろう。
今ではそれがないから、共同体の道徳維持機能が低下している。
教授の講義で、個人の能力は純粋に個人のものか、それとも共同体から与えられたものかという議論がありましたね。
後者は運命として初めから共同体に参加しているとして、運命という厄介な概念が混じりこんでいますが。
541 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 13:40:40 0
>>540 共同体から与えられたものであっても、個人がその責任で自由に使って良いでしょう。
ただし、共同体の方でも、個人に対して一律ではなく選別を行う自由が必要だと思う。
それによって、個人は与えられた能力を個人のためだけに使うにしても、共同体のために使うにしても
それ相応の報いを受けることになる。共同体のために使えば、それ相応の栄誉が与えられると思うし、
個人のためだけに使えば、最悪共同体から排除される場合すらある。
大事なのは、一律性を共同体にも個人にも課さないことだと思う。
542 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/14(木) 13:57:04 O
共同体は選択できない生まれ
543 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 14:05:10 0
共同体へのコミットメントは個人の選択でもある
まあ移住権とかは認めるべきたろう。でも言語とか習慣の問題はあるだろう。
リバタリアンの思考だと国言教育やめろとかになりそうだけどな。
共同体を選ぶ権利の侵害だとか、そんな権利共同体に偶然参入する前にはないだろ。
545 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 14:22:44 0
人間は同時に二つ以上の共同体のメンバーであり得ると思うが、この点はいいか?
もちろんだな
547 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 14:45:24 O
共同体への参加は選択によるものだとしても、次は内部規範の定め方が問題となる。
そして、多数決を否定すれば、共同体内部に通用する規範は結局のところ個別的に全構成員が合意した契約の束に過ぎない。
548 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 15:29:40 0
>>502 だからその「責任」をどうやって担保するわけ? 破られる可能性が常にあるわけだよ。
てか、そもそもリバタリアニズムに「契約」は存在しない。「約束」だけが存在する。
「約束」とは「責任」が第三の権力によって担保されない「契約」のこと。
「契約」というのは第三の権力によってその責任が担保されている。法とか国家とかによってね。
その第三項を要請しないのが『純然たるリバタリアニズム』であるはず。
むしろリバタリアンですら司法は必要と認めるということかな
550 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/14(木) 16:10:48 O
共同体が選択可能なら、リベラルで十分でサンデルの共同体主義はいらない。
>>230 そうです。住み分けをしたいだけです。
>>253-254 支援ありがとうございます。
>>16の148-156で書いたように、
「強制」が発生すれば、それに対して「許容」か「拒絶」が発生します。
「許容(同意)」に基づかないあらゆる強制には「拒絶」で対応します。
「拒絶」は、あなたのいう「強制執行権」にあたるとおもいますので、
>>254よりはかなり強い立場で実力行使に訴えることになります。
>>226 > あなたは「正義」という言葉を間違って使っているだけです
ある程度、間違って使っているのは否定しない。
ただ「義」と「正義」の使い分けがどのようになされてるかと考えると、
己の「義」が「正義」ではないと考えるものが果たしてどれだけいるだろうか。
> 僕は、「しかし正しい正義はたくさんはない」と答えます
これには同意するが、
> 互いの「義」の正しさを主張する双方が正しいということはありえないからです
これはちがう、いくらでもありえる。
戦争がいくつもおき、裁判も多く行われ、言い争いもたくさんおきている。
どちらも正しいということは十分に考えられる。
考えられないのなら、たとえば旧教徒と新教徒は今でも戦い続けているはずだ。
双方の立場を認め合ったからこそ、両者は共存して住み分けている。
そのためにこそ、
> 「義」の調停として「正義」があるのです
という流れになる。では、その「正義」とは一体何だろうか。
>>241 正義が要請する前提とは以下のものです
「ある個人が他者よりも有利、もしくは不利な扱いを受ける要因を抽象的属性に求める」
では、この「抽象的属性」とは何だろうか。
結論を言ってしまうと、「抽象的属性」とは「無作為」「神前」の意味になる。
西洋中世では、決闘裁判が行われていた。
つまり、王様の目の前で決闘が行われて、その勝敗を裁定とする。
王様は、両者どちらの立場も立たず「この決闘の勝敗こそ神の御意志である」と、
判断を「不透明な未来」に丸投げする。
争いの現場にいなかった王様には、どちらが正しいかの判断など下せないからだ。
女性が男性と戦うときは、ハンデをもらったり代理人をたてたりくらいはするが、
そこには王様の「作為」は存在せず、ただ「神前」であることだけが存在する。
これこそ「抽象的属性」である(ここまでは「≪否≫強制」だと思う)。
だが、これでは死人が出る可能性があるし、両者とも結果に納得しがたいときもある。
ここで、
「抽象的属性」を求めた「誰かが考えた正義」や「誰かが創めた正義」が登場する。
その「誰かが創めた正義」を争う両者に「強制」して「許容」されたとき、
はじめて「誰かが創めた正義」は共有されたと言える。
さらに、多くの人がその「誰かが創めた正義」を共有すれば、
彼らは個々の「正義」を優先するのではなく「誰かが創めた正義」を優先させるだろう。
ここに、ひとつの「共同体」が生まれたと言ってもいい。
だが、ここで勘違いしてはならないのは、
「誰かが考えた正義」や「誰かが創めた正義」は、
たしかに「抽象的属性」を求めてはいるが、「抽象的属性」そのものではない。
ということだ。
ただ、それを受け入れたものたちの間でだけ、普遍性として通用するのであって、
それを受け入れない人たちには「抽象的属性」と認めてもらえないかもしれないのだ。
その人たちがすでに他の「誰かが考えた正義」を掲げていればなおさらだ。
「キリストが創めた正義」だろうが「マホメットが創めた正義」だろうが
「ロールズが創めた正義」だろうが「サンデルが創めた正義」だろうが、
すべて同じことだ。
「誰かが創めた正義」は、「強制」のあとの「許容」の上に成り立つ。
「誰かが創めた正義」は、「強制」のあとの「拒絶」の上には成り立たない。
「誰かが創めた正義」は、「抽象的属性」などという絶対的なものではなく、
それを受け入れた「共同体・個人」の間でのみ絶対ということでしかない。
それを受け入れない「共同体・個人」にとっては、ゴミになるかもしれない。
それを自戒するためにも、
「誰かが創めた正義」やましてや「自分が考える正義」を
公正中立などと考えてはならない。
それは己と対立する「誰かが考えた正義」存在そのものを無視するということだ。
己の「正義」のみを「強制」してしまっているのだ。
それはすでに「抽象的属性」を失った「横暴」なのだ。
そして、残念ながらサンデルの議論の進め方はどう弁護しようとも、
「抽象的属性」はサンデルが隠す「己の正義」のなか(だけ)にあるという流れだ。
「己の正義」に対立する「正義」が他にいくつもあるという前提には無い。
「己の正義」のほかに「正義」は無い。
「己の正義」を全てに敷衍させようという意図しかないのだ。
「己の正義」と対立する他の「正義」も想定し、
それとどう折り合いをつけるのかを考え合わせない限り、
いつでも「抽象的属性」を失った「横暴」に変わり得るのだ。
>>223や、
>>16の148-156や、前スレの618は、以上と同じことを言っている。
また、少し違うが、
>>17前スレの171や215-221も読んで欲しい。
554 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 17:26:11 0
自分で選択できる共同体なんていうのは、遊びの共同体。
人が生死を預ける共同体は、生まれたときにすでにその身に刻印される共同体だよ。
それでこそ、生死を預けられる。
ほいほい選択できる共同体なんかと人は運命をともにしない。
だからこそ、その共同体に見捨てられないように人は必死になる。
>>551-553 もし、君が正義について語りたいならば他スレがよろしかろう
このスレで正義について語る気があり、かつ、君と反対の意見をもつのは俺ぐらいだよ
何より500レスに到達しているにも関わらず、120レスの話題をするのって空気読めてなくない?
それが君の正義なの?
戦争になったらアインシュタインみたいな天才や金持ちユダヤ人なら亡命できるけど、
僕らは生まれた国の戦士として戦わなくてはいけない。
凡人に選択する自由はわずか。運命です。
純粋理性なるものが存在し、それが人間一般の認識能力、即ち、感性・悟性・理性の個体差を越えた共通性を指すならば、
純粋理性に基づく正義は、個々人、共同体、国家を超えた絶対性を持つと言っていいのか?
>>557 言えない
ところで、純粋理性なんてないと思うんだが
また、理論理性は正義を要請しないと思うのだが
正義が、人間の理性が正しいと認識することを指すなら、異なる者が共通の理性を持っていれば、
それぞれが正しいと認識することは同じになるのではないか?
>>559 共通の理性をもっていたところで、共通の「正しさ」(公理系)をもっているとは限らないだろう
「正しさ」って曖昧だからこう解釈した
利害の対立は、自分が得をするから対立するわけで、
無知のベールを被せてしまい、純粋理性で判断したら、
みんな同じ判断をするのかもしれない。であればそれが正義と言ってよい。
>>561 俺はそれを「正義」とは呼ばないなぁ
全会一致の可決にも反対したろうと考える俺がひねくれてるだけかもしれないけどね
単なる全会一致ではなく、純粋理性による一致だよ。
利害が一致したんじゃなく、定言的に意見が一致したって話よ。
それが正義じゃないなら、もはやどこに正義を求めていいか分からないわ。
>>563 定言命法は回答を一つにするとは限らない
用事中なので、詳しくは二時間後
無知のヴェールを前提にしても、ゲーム理論的にはマクシミンルールが採用される保証はない。
その時点で一見平等主義の外観をもちつつ、その実、経済的勝者へのねたみを内包しついたロールズの議論は、運動論としての求心力を喪失するはずだ。
>>565まあリバタリアンでも一緒でしょ。
特殊な人間観や世界観を抽象して、それを前提に演繹しても現実を一切説明しない解放論妄想として、昔の左翼みたいにはなっちゃうでしょ。
>>563 カントの道徳理論は2つに分類できます
僕はこれを
1、普遍要請テーゼ
2、自然テーゼ
(カントの言を借りて「自然」としましたが、論理的なテーゼです)
と名付けました
定言命令だけでは、カントの道徳論は構築できません
定言命令は言葉の形式だけで内容をもたないからです
議論の場を想定しましょう
殺人に関する道徳が議論されています
「人を殺してはいけない」
「人を殺してもいい」・・・
さまざまな意見が出ます
ここで、皆が理性的に道徳言明がもつ普遍的要請(規則としての表現方法)を受け入れて
「人を殺してはいけない」で皆が同意しました
めでたしめでたし、でしょうか?
568 :
考える名無しさん:2010/10/15(金) 00:16:00 O
ロールズの議論はその内部て論理飛躍がある。
リバタリアンについては、論理内部に対する飛躍が指摘されているわけではいのではないか。
>>557 無知のベールは確かに社会的、歴史的背景や能力を捨象することで純粋な人間の理性から演繹しようとするわけですな。
しかし、実際にはそのようなアトミズム的発想の理性自体が近代西欧思想の歴史や共同体とは切り離せない。
無知のベールとは近代西欧中心主義的です。
西欧近代思想では、純粋な人間、純粋な理性を抽象して、それが独立して機能するかのように考えます。
人間中心主義、理性中心主義と呼ばれます。しかしここで抽象される人間像や理性とは白人のそれのことでしかあり得ません。
まあ共同体主義にも自己言及はある。
「共同体主義もある共同体の中でのみ形成される了解。」
と言えてしまう。しかし共同体主義は公正を語る上でそうした事実を捨象することが不可能だし、
捨象する必要もないとするので、自己矛盾ではない。
共同体主義の擁護を構造主義的に言えばあらゆる抽象物は、
その抽象において、捨象されたあらゆるコンテクストから独立して存在しえない。
続き
「人を殺してはいけない」
僕もまた、その道徳規則を受け入れます
しかし、「人を殺してはいけない」が正義であるとされそうな時、僕は反対します
ちょっと待って
「人を殺さなければならない」だって定言的だぞ
なんで「人を殺さなければならない」は正義ではないんだ?
「殺すな」が定言ならば、同様に「殺せ」も定言的なのです
これについてはカントは別の理論で説明しています
(自然は存在することが目的を達成する・・)
(僕はこのテーゼをデカルトの超実論と同じだと解釈していますが、それは話が外れすぎますね)
僕は道徳を数学と似たようなものだと考えてます
現代では、われわれが受け入れる数学以外に別の体系の数学もあることが発見されてます
ですから僕は、道徳もまたわれわれが受け入れる道徳以外に別の道徳体系もあって当然だと考えるのです
そのような別の道徳体系を想定して対話を考える時、僕は「正義」理念の必要さを感じるのです
が、それがあなたの助けになるかどうかは分かりません
>>571 要するに純粋理性など存在しないのだから、ある社会と別の社会で、別の正義があり得るということでしょうか?
それは一つの回答として十分あり得るでしょうが、
しかし仮に純粋理性なるものが存在したなら、それでも皆が共通して正しいと感じるものが正義と言えない、
ということの説明にはなってない気がしますが。
>>291 再三言っているが、
道徳についての考えが
>>551-553で言ったことに抵触しない限り、俺は口出ししない。
俺は道徳の外や限界に興味があるのであって、道徳の中や内には興味が無い。
頑張って下さいとしか言えない。
あと、どうも
>>161の> 「嫌なら」の一語に逆上しているな。
そのまえに、
>>163 > 共同体に所属することから生じる義務よりも、
> 私的な「嫌なら」に従うべき義務の方が強いんですか?
を、俺が見落としていたから、変に誤解させてしまったかもしれない。
> 共同体に所属することから生じる「個人的感情」よりも、
> 私的な「嫌なら」に従うべき「個人的感情」の方が強いんですか?
と言い換えたほうがいいだろうが、
確かにキミが嫌う「好き嫌い」も、考えに入れてはいる。
そういう無法者やワガママもいるだろうが、大抵は逮捕されて終わるだろう。
ここまではキミの言うとおりだ。
だが、
> ある「一つの共同体」に所属することから生じる「個人的感情」と同時に、
> もう「一つの共同体」にも所属することから生じる「個人的感情」が、
ぶつかるときは全く考慮していないようだ。
あくまで「一つの共同体」のなかでのみ考えすぎている。
二つの「共同体」に挟まれたとき、あるいは、二つの「国家」に挟まれたとき、
そのどちらを「個人的感情」は選ぶのか、
その選択をまで、「私的」なものと貶めるつもりなのかどうか。
あるいは、「一つの国家」のなかでそれに敵対する「共同体」に属したとき、
そのどちらかを選ぶ「個人的感情」は「正義」では無いのか。
さらには、「共同体」や「国家」に教えられたその「正義」と、
その「共同体」や「国家」が実際にとっている行動が全く食い違っているときにまで、
「好き嫌い」や「義務」に基づく「個人的感情」は非難されるのだろうか。
例えば、帰化人が母国との戦争に突入したとき、母国を選ぶのか、帰化国を選ぶのか。
例えば、宝治合戦の折、毛利季光は、
妻の「兄泰村を見捨てる事は、武士のする事ではない」との言葉で三浦陣営に付き、
毛利一族はこれによって大半が果ててしまったが、これについてはどうか。
トラップ男爵は、オーストリア=ハンガリー帝国海軍に誇りを持ち、
ナチスの命令を拒否し、召集も拒否した上、亡命したが、これについてはどうか。
伯夷・叔斉が、夏に義理立てして周の穀を食べることを潔しとせず、
蕨を食べて餓死して果てたが、これについてはどうか。
中行説は匈奴行きに不満を持っていたので、
匈奴へ着くなり漢に背いて匈奴の単于に仕えることにした。
それからというもの、中行説は老上単于の相談役となり、
漢への侵攻を促しては漢帝国を苦しめた。これについてはどうか。
醍醐天皇の延長8年(929年)東丹国の使節が丹後国に来着したが、
その使者はこれまで二度も渤海国使として来日したことのある斐「きゅう」であった。
何故国名が変わったのかを問われた斐「きゅう」は
渤海が契丹に征服されたことを知らせ、新王の非道ぶりを訴えた。
これを聞きとがめた京都の朝廷は主君を変えたばかりか、
新主の悪口を言うとは不届きであるとして入京させず、追い返している。
東丹国は渤海の後継者として日本との通交を維持する意向だったが、
台無しになったわけで、これについてはどうか。
アラビアのロレンスは、祖国英国の3枚舌外交に苦しんだが、これについてはどうか。
セントジョン・フィルビーも英国の2枚舌外交に苦しんだ末、
イブン・サウドについた。これについてはどうか。
先帝陛下は、本土決戦を唱える主戦派に対してご英断を持って終戦を詔勅された。
これについてはどうか。
しかし、
以上に挙げた例のどちらを「正義」とキミが判定するのかはあまり重要ではない。
対立する二つの「正義」があり、両者とも己が掲げる正義を信じて行動している。
どちらかだけを「正義」と看做すのではなく、両者ともに「正義」がある。
対立する二つの「正義」がお互いを制限しあっていることさえ示せれば十分なのだ。
しかし、大体において、
教条的に硬直して現実を無視する「正義」は死に絶え、
生活のため柔軟に現実に対処する「正義」は生き残っている。
「正義」には様々な制限がある。私が言いたいのはそれだけだ。
576 :
考える名無しさん:2010/10/15(金) 02:35:55 O
政府が今後も、婚姻制度を継続するならば、同性婚についても法的に認めなければならないし………まして、俺の嫁つまり2次元のキャラクターとの婚姻も認めなければならない
577 :
大日本言論報国会:2010/10/15(金) 07:11:54 O
ポルポトが
子供達を親から切り離し
学校を廃止して
読み書き教えないのは
「無知のベール」の為
日教組の「ゆとり教育」も、ルソーの「エミール」からきている。
ウヨ的共同体を破壊して
サヨ的共同体に移行する左翼の理論に注意
(大体はもっと酷くなる)
価値観の転倒は
自然状態(野蛮人)→(純粋で汚れと罪なき人間)
文明社会(進歩の結果)→(人間の堕落、資本主義、私有財産制=悪)
ポルポトが想定した自然人は無知故に純粋な人間。(人間性善説という誤り、人間が善を求めるのは、損得勘定から)
>>572 「理性は回答を一つにしない」と言ったはずです
「皆の意見が一致した」と言うのは、たまたまその場にいた人の意見が一致しただけです
「コインを投げて100回表が出た」と同程度の意味合いしかありません
そこから「表が正義」は飛躍でしょ
理性的に考えて、他の可能性もありえるにも関わらず、ただ、その場の同意だけで他の可能性については考えない
あなたにとってはそれが正義なのですか?
わたしはそれを「正義」とは呼ばない
だから、わたしは「全会一致は正義ではないし、善でもない」と答えるのです
全会一致の可決には何の正当性もない
それがわたしの意見です
そもそも共同体の定義は何?
国家と何処が違う?
580 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/15(金) 08:35:18 0
共同体は慣習を共にする集団
国家はたとえば生まれたときに国籍を取得するような契約による帰属
同じように感じるのは島国日本人だからだね。
581 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/15(金) 08:41:52 0
リベラルは共同体を超えた世界市民としての権利義務を追求する。
サンデルはそのときに抑圧される共同体を問題にする。
すなわち共同体はその人の血肉として刻印されているので、
切り離してはその人ありえないわけで、
無知のベールはそれを無視する。
しかし本当の共同体主義は、それぞれの共同体を重視するが、
サンデルはリベラル共同体主義なので、
共同体の共通項のような共通善の可能性を探る。
その意味でやはりリベラル。
>>577 ポル・ポトはカンボジアからフランスに留学した学生だよ
ロールズはアメリカ
ロールズはマルクス主義からは叩かれてるんだよ
「余ったマッシュポテトを押し付ける」ってね
マルクス主義者からすれば、格差是正措置程度では、労働者の正当な報酬には値しないということ
ポル・ポトの思想は非理性主義だろう
真の共同体主義って右翼だね。
というよりむしろ、右翼こそが真の共同体主義というべきか。
共同体内部にその慣習の一部をよしとしない人がいた場合、どうなるのか。
その人は共同体構成員ではなくなるのか。
無知のヴェールはオリジナルポジション(原初状態)の時に出された例だったはず
将棋の最初の状態みたいなのが「原初状態」
ルールを決める時に皆が自分にとって有利になろうとしたらルールは決まらない
そこで、自分の利益に無知になってルールを決める
ルールを決めた後に自分がどの立場になるか分からないならば、公正なルールをつくれるはず、
とかそういう話だったはず
『プリンシプルオブジャスティス』の原文読解したの13年前だからほとんど覚えてないけどね
当時は「格差原理」じゃなくて「差違原理」って訳してたんだよ
俺、ちょうどケーキの分割のところ訳したんだ
586 :
考える名無しさん:2010/10/15(金) 10:03:04 0
右翼思想って今まで漠然としてよくわからないところがあったが
要するに、共同体の本質というものを把握し、いかに共同体を守るかっていう思想
だったってことでしょ。
左翼が偽の共同体を用意しても、それにだまされず
本当の共同体の本質というものを把握し、それを守ることに専念する思想が右翼だったってことだよ。
>>578 >「理性は回答を一つにしない」
ここでの「理性」は「純粋理性」のことですか?
サンデル先生の本によると、「純粋実践理性を用いているかぎり、個人的な利益にとらわれることはない。
そのため常に同じ結論、つまり特定の(普遍的な)定言命法に到達する」となっています。
つまり(純粋)理性は回答を一つにするということですよね。
これはたまたまそこにいた全員の意見が一致するというだけでなく、別の誰に聞いたとしても、
世界中のどの場所、どんな社会に生きる人に聞いても同じ回答が返ってくるということです。
そうなればもうそれを正義と呼んでも差し支えないのではないでしょうか?
断っておきますが、これはあくまで純粋理性なるものが存在するとしての話ですけどね。
もちろんそんなものは無いというのであれば、話はそれまでです。
もしあるなら、その場合はという話です。
>>587 サンデルがそう言ってるだけ
利益抜きに、ある規範はその否定を想定可能である
それだけで、規範は2種類考えることができるということになる
で、これがわれわれの明証的な感覚に訴えかけるパターンがある
「人を殺さなければならない」や「約束を守ってはいけない」
これらの規範は一見、矛盾しているように感じるが
論理的には矛盾を含まず、一つの規範を形成し得る
理性はこのような明証的に偽と感じるものを排除するだろうか?
わたしは排除しないと考える
もし、理性的に考えることが正しい規範をただ一つに集約するならば
数学や論理における問題はどうなる?って俺は思ってしまう
続き
あと、「純粋理性」じゃなくて「実践理性」と言ってくれると分かりやすい
「純粋」は「経験を参考にしない」って意味
先ほど説明したように
カントの定言命令は
「殺すな」だけでなく「殺せ」にも適応できる
このうち「殺すな」が道徳的なのは、それが定言的だからではなく
それが自然(カントの言)だからだ
じゃあ、実践理性はカントの言う「自然」を判断できるのか?
>>588 サンデル先生の考えではなく、カントの考えを先生が本の中で解説してるってことです。
ンドールさんは人殺しについて、してはいけないと判断する理性と、してもよいとする理性があると言っているようですが、
純粋理性というのは、良いか悪いか、あらゆる人間がどちらか一つの結論に賛成すると言っているわけです。
純粋理性などないということを一生懸命言っていませんか?
そうじゃなくて「殺してはならない」でも「殺さなければならない」でもどちらでもいいんですが、
とにかく万人が同じ判断を下す純粋理性が存在するとするならば、その結論を正義と言っていいのでは?
>>590 「人殺しをしてもよい」とは一言も言ってない
それは実践理性が排除する言明だ
「人殺しをしなければならない」が純粋実践理性では排除できない
こう言っている
純粋実践理性はあるんですよ
(それがないってことはない)
なぜなら、純粋実践理性が排除する言明があるのですから。
ただ、それだけでは道徳規則を一つだけにすることはできないんですよ
593 :
考える名無しさん:2010/10/15(金) 11:15:10 0
一律性を求めるから行き詰まるんだよ。
「殺してはいけない」は一律には当てはまらない。
その相手によって、あるいは状況によって決まる。
道徳的に、あるいはその他の理由で死ぬべき、あるいは殺されるべき人間、それに値する人間というのも
当たり前のように存在する。
それを決めるのが共同体ってことでしょ。
594 :
考える名無しさん:2010/10/15(金) 11:20:56 O
いやらしいことばっか考えてるんじゃねーぞ
595 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/15(金) 11:23:50 O
右翼はベタ、共同体主義はメタ
右翼は日本国を信仰的に優秀と信じる。
共同体主義は各国にそれぞれ右翼的なものがあることを尊重する
共同体の慣習の代表に母国語がある。第二外国語をまなんでも母国語がかわるわけではない。
また母国語も外国語を取り入れて変化するが別の言語になるわけではない。
596 :
考える名無しさん:2010/10/15(金) 11:48:07 O
むしろ共同体幻想かな
で村八分
全く不合理
597 :
考える名無しさん:2010/10/15(金) 11:54:09 O
基軸言語の転換は普通にあるよ
脳内で思考する時に使う言語が変化する
そう状況が少ないだけでさ
>>591ー592お、また二元論ですね。純粋な理性と経験に浸された理性。
二元論とはこのような分裂ですね。アトミズムとも密接です。
二元論批判は容易では無いですが、どっかで聞いたような話をします。
草原の中の湖を思い描いてください。この湖を抽象する時、背景は暗転されるか真白になるかして、捨象されます。
さて、その抽象された湖は純粋な湖でしょうか。
この時、湖の形とは輪郭によって規定されている。
この輪郭とは湖から切り離せない背景として、既にある。
この時、湖は背景を無視したそれ自体として存在するのではなく、背景の中で規定されて存在する。
しかし、これは背景に規定された湖が純粋でない(背景に抑圧されいる)ということでもないですね。
純粋という概念は何でしょうね。
>>598 カントの言う「純粋」は「経験が関与しない」というだけの意味
>>599では、純粋実践理性とはどこからきて、どのように抽出されるんでしょう。
恐らく実践理性から経験を捨象することで抽象化されてますよね。それは経験に関与しないことにはならない。その抽象には輪郭があり、それは経験に規定されたものです。
「純粋」→「経験が関与しない」
「理論理性」→「理論について考える理性」
「実践理性」→「実践について考える理性」
純粋実践理性ってのは
経験抜きで考察する実践についての考えってこと
ちなみに理性の明証性は経験に由来する
だから、カントの言う「自然」も経験に由来する以上
先の言明は純粋実践理性では確定できないわけさ
それと連投規制中なんだが
>>601 私が聞いているのは、純粋実践理性はどこから抽出されているのかです。
実践理性から経験を捨象する以外の方法で説明されないと、それは定義上矛盾しています。
これが説明されない限りで現代においてはやはり二元論は有効性を持たないままというのが現状でしょう。
603 :
考える名無しさん:2010/10/15(金) 13:19:46 O
てす
>>593 「殺してはいけない」は一律に当てはまるよ
それと対抗する別の正義も存在しうるというだけで
複数の互いに対立する原理の間で思考停止せずに生きるというのが真の意味での倫理的生き方だと思うな
共同体が決めたことだから、何も考えなくて良いってのは、倫理的じゃないだろう
>>602 数学は経験に由来しない思考なんだが
もしかして、君は経験に由来しない思考方法が分からないのか?
それらが何に由来するかと言われたら「悟性」だね
>>605実践理性の話でしたよね。まああなたはずっと関係ない話と不真面目な対話をしていたので、ちゃんと受け応えはしないんでしょう。
まあ数学の話でも説明できるようになったらしてください。他スレで。
607 :
考える名無しさん:2010/10/15(金) 13:42:00 0
一律に当てはまる正義があるとすれば、それは普遍的な
正義なんでしょう。
言い換えれば、無知のベールを被っても判断できる正義。
その普遍的正義に加えて、共同体ごとの正義がある。
両者の葛藤、そして共同体間の正義の葛藤が存在する。
>>606 「純粋」の言葉も誤解したまま議論をするやつに言われるとはね
理性は実践に悟性を作用させる
とカントも書いてたはず
実践理性ってねは、実践分野に悟性を転用したものなんだよ
だいたい、俺の言う「道徳は数学だ」って意見はカントそのままだよ
あんた、カントまるで読んでないだろ
そのくせ用語だけ使って
そうやって誤解を広める悪意のもとに議論しているのか?
>>606 あんた、コテつけな
そうすりゃ俺はあんたと議論しないですむわ
610 :
exp:2010/10/15(金) 14:18:18 0
>>573 >確かにキミが嫌う「好き嫌い」も、考えに入れてはいる。
「考えに入れてはいる」では、何の答えにもなっていません。自分の出した
決定を如何に論理的に裏付けているのか、その思考過程が一番重要なのです。
数学の証明問題で、証明過程を書かずに「頭の中では証明済みだよ。でも
書かない。」では0点です。例えばロールズであれば、自由・平等・格差原理
の間の優先順位も、原初状態からの演繹によりきっちり導き出されている。
思考過程を書いて理路整然と示すことが出来ないのですから、あなたはロクに
「考える」ことができていない、ということです。それをこちらから丁寧に
詰めて聞き出してみれば、「チョコ好き」「ピーマン嫌い」レベルの好き嫌い
しか根底に無いことをすぐ露呈する。好き嫌いは生理的な反応です。思考では
ありません。
>あくまで「一つの共同体」のなかでのみ考えすぎている。
自分自身に関する単純な「一つの共同体」のケースですら満足に解答を出せ
ないのに、さらに複雑な、しかも他人のケースなど考慮するまでもありません。
四則演算もできない小学生が微積分をやろうとするようなものです。
>例のどちらを「正義」…対立する二つの「正義」が
あなたがそこに上げた沢山の「正義」を、一つでもちゃんと理解しているとは
到底思えません。表面だけ見て「対立」だの何だのと言っても何の意味もあり
ません。小学生が「あぁ、微分積分って何か難しそうだなぁ。よくわかんねえ
けど。」と言うのと同じです。
611 :
exp:2010/10/15(金) 14:32:11 0
>>374 (ンドール)
>規範(価値)に関する問題も、その表現は「規則」を使うわけです
>である以上、形而上学が関わってくるのは避けられないのではないでしょうか?
規範には基礎(foundation)が必要だと思いますが、それを形而上の世界に求める
必要は無いと私は考えます。間主観性、そして利便性だけで十分でしょう。ロールズ
であれば、反省的省察とoverlapping consensus。近代的西欧社会にコンテキストを
限定して、その中でより多くの人々が同意しうる規範を目指す。
普遍性・客観性は、理想・目標として残しておくのは悪いことではないと思います。
しかし、規範にとって、普遍性や客観性は必要条件ではないと思います。
612 :
exp:2010/10/15(金) 14:40:18 0
>>611 訂正:「反省的省察」→「反省的均衡」(reflective equilibrium)
613 :
考える名無しさん:2010/10/15(金) 14:47:55 0
>>611 「人を殺してはいけない」は普遍的な規範だと思う?
614 :
考える名無しさん:2010/10/15(金) 18:02:35 O
政府が今後も、婚姻制度を継続するならば、同性婚についても法的に認めなければならないし………それは、ヲタク達の「俺の嫁」と呼ばれる2次元のキャラクターとの婚姻も認めなければならないのではないだろうか……
615 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/15(金) 18:05:55 O
婚姻させてやるから、「俺の嫁」を、その屏風からだしてみろ
616 :
考える名無しさん:2010/10/15(金) 19:07:38 O
>>615 ご協力ありがとございました。ちょっと期待外れだけど…
>>601 >理性の明証性は経験に由来する
これは人間の理性というものは、生まれつき備わっているものではなく、人が成長する過程で、
教育や人生経験によって初めて形成されるという意味なんでしょうか?
だとすれば万人に共通する純粋実践理性など存在せず、
それぞれのバックグラウンドを基盤にした、各共同体に固有な理性しか存在しないということになりますか?
618 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/15(金) 20:03:34 O
言語を考えればわかる。誰もが好き勝手に新しい言語体系をしゃべりだせばどうなる?
みんな脈々と慣習を伝承してるんだよ。
619 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/15(金) 21:13:18 O
純粋理性って言葉も、その意味も、その疑い方も全部、伝承されたもの。
620 :
考える名無しさん:2010/10/15(金) 21:17:20 0
せい‐ぎ【正義】
1 人の道にかなっていて正しいこと。「―を貫く」「―の味方」
2 正しい意義。また、正しい解釈。「四書―」
3 人間の社会行動の評価基準で、その違反に対し厳格な制裁を伴う規範。
justice
1 公義、公正、公道、公平、公明、配分的正義
2 司直、司法、司法制度
3 正義、仁義、道徳、正大、大義、当否
622 :
考える名無しさん:2010/10/15(金) 21:49:14 0
どう‐とく〔ダウ‐〕【道徳】
1 人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。
外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く。
どう‐り〔ダウ‐〕【道理】[名・形動]
1 物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。ことわり。「―をわきまえる」「―に外れた行為」
2 すじが通っていること。正論であること。また、そのさま。「言われてみれば―な話」
き‐はん【規範/軌範】
1 行動や判断の基準となる模範。手本。「社会生活の―」
2 《(ドイツ) Norm 》哲学で、判断・評価・行為などの基準となるべき原則。
げん‐そく【原則】多くの場合に共通に適用される基本的なきまり・法則。
「―を立てる」「―から外れる」「―として部外者の立ち入りを禁止する」
ただし・い【正しい】[形][文]ただ・し[シク]
2 道理にかなっている。事実に合っている。正確である。
「―・い解答のしかた」「―・い内容」「公選法は―・くは公職選挙法という」
3 道徳・法律・作法などにかなっている。規範や規準に対して乱れたところがない。
「行いを―・くする」「礼儀―・い態度」「―・い判決」
揚げ足しか取れない人ってかわいそう
624 :
考える名無しさん:2010/10/15(金) 22:02:09 0
公理を設定できないから、純粋理性といっても完全に純粋とはいかないでしょ。
無知のベールを被って正義かどうかという設定でも、完全にすべてを純化するのは
難しいと思うし。
625 :
考える名無しさん:2010/10/15(金) 22:41:03 0
言葉の規定の無限後退
たまに後ろ向き歩きトレーニングすると脳の活性と筋肉のバランス調整に良いらしい。
公園で後ろ向きに歩いてるお姉さんを見る。
627 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 02:26:39 0
政府が今後も婚姻制度を継続するならば、
同性婚についても、法的に認めなければならない。
そして何より、「俺の嫁」と寵愛される二次元のキャラクターとの
婚姻も認めるべきと考える。
それが、出来ないのであるならば、政府は婚姻制度から撤退し、
「婚姻」を私事的行いへと返還するべきである。
@東京大学で、弟が法を犯した場合に匿うべきか通報するべきかという話題があったな。
なんで誰も下記を引用しなかったんだろう。
> 『論語』子路第十三の十八
> 葉公、孔子に語りて曰わく、吾が党に直躬なる者あり。
> 其の父、羊を攘みて。子これを証す。
> 孔子曰わく、吾が党の直き者は是れに異なり。
> 父は子の為めに隠し、子は父の為に隠す。直きこと其の内に在り。
自称功利主義者やリバタリアンは出ていたけど、
儒家はいなかったのか。
サンデル教授も哲学の教授なら、
アリストテレスについて語れるのと同じくらいに、
論語について語れて然るべきじゃないかと思う。
629 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 12:02:53 0
東洋思想は研究の対象外なんだろう。
儒学は封建制を正当化する分野なんだし。
>>617 数学の話題をしますね
われわれの住む星以外の住む知的生物に数学はあるか?って問題があります
で、知的生命体ならば数学はあるだろうという意見があります
でも、彼らが使う数学は、われわれとはまったく違うかもしれない
こう言われます
知的生命体には皆、数学があるならば
理性って普遍的な感じがしませんか?
でも、われわれが受け入れる数学と、外的知的生命の数学体系が、異なるならば
われわれの理性はローカルなものでもあるようにも思われます
われわれの受け入れるルールは慣習的なもの、文化的なものの制約を受けるでしょう
数学や論理ですら、われわれがそれを受け入れるのは慣習の産物です
でもそれは、数学や論理の内容が慣習的なものということにはならないと思います
数学のもつ正しさは人生経験や社会性などによって決定されるのではなく
純粋に経験抜きの思考で決定されるように思いますが
違いますか?
取らぬ狸の皮算用
632 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 16:19:05 0
公理を立てられないから無理なんだよ。
何か一つでも公理を立てられれば、数学のように論理のみで展開できるんだけどね。
>>632 その公理が適切か考える問いを放棄したら、もはや「理性的」ではない
ところで、「公理が必要」
このテーゼは経験的だろうか?それとも経験にまったく関与しないで思考可能だろうか?
われわれは生きている人生経験から、「公理が必要」という知識を得たのだろうか?
では、どこかのローカルな文化では「(数学には)公理が不要」という文化があるのだろうか?
もし、その考えが経験から得られる知識ではないのなら
それは純粋理性的に得られる知識ではないだろうか?
635 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 17:53:56 0
数学の中でも、演繹的な公理体系を構成するのは、
ギリシャの数学特有の習慣のようだね。
>>630 数学や物理は宇宙全体で共通って気がしますが。
数学は純粋に論理的なものだから、人々のバックグラウンドや経験に影響されることはないでしょうね。
しかし正義はそうはいかんでしょう。人々がどういう理性を持つかによって、大きく左右される。
もし誰もが生まれつき持っている共通の理性が存在するなら、正義も究極的には一つということになる。
そんな物は存在せず、全て生まれたあとに形成されるなら、それこそ人の数だけ正義がある。
637 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 18:31:21 0
いや、だから公理がなにか一つあれば、そこから純粋に論理を展開できるんだよ。
それは、論理的な話として。
たとえば、「神が存在する」という公理が成り立てば、そこから
いろいろな論理的展開が出来る。存在論とか、その他いろいろ。スコラ哲学みたいに。
638 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 18:35:08 0
カントはかの有名な「定言命法」を公理として、
個々の道徳的命題をそこから演繹的に証明しようとした。
639 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/16(土) 20:16:03 O
ウィトが示したように、数学は原理的には一つの習慣で普遍性がないわけだ。
だからといってここで相対主義に向かうわけではない。
たとえば物理などでなぜ自然界に数学が適用できるのか、という実用できている事実がある。
これを説明するおもしろい説が数学の始まりは建築術にあるという。
たとえばユークリッド幾何学の公理をよく見ると建築術的に出来ている。
すなわち人が自然を道具として使う慣習、身体構造との関係に根ざしている。
さらにいえば身体構造は進化の過程で自然の一部として作られている。
まあ、確かに後期ロールズは社会契約的な原初状態とかの発想やめて
西欧限定共通認識として、リベラルを語る方向性に転換したんだよな。
これはちゃんと批判に応えたもので、誠意ある対応ですよ。
カントもルソーも偉大なんだろうけど今更、無謬として教条的に言うのはただの不誠実。
人間を他者や文化から切り離したら公正さを語る姿勢すら導けない。
然るに、公正さと善は分離しえない。純粋な人間と文明を負った人間とは分離しえない
これらを分離しようとする発想自体が西欧近代という文化とその歴史とは切り離しえない。
641 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/16(土) 20:22:54 O
火星に無人探査機が飛び、風景画像が送られてきたが、あれを見たとき思ったのはその辺の荒れ地と変わらないということ。
当たり前かもしれないがとても不思議な気がした。
何億光年離れようが生命がいそうなところは同じように風景かもしれない。
そして生命がいる環境も似たようなもので、似たようなもので慣習の連続(進化)繰り返されて、実用的に同じように数学がうまれるんだろうね、きっと。( -_-)
642 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 20:32:41 0
数学は、全宇宙共通だよ。
でも、哲学を数学のように展開するには、まず最初の公理がないといけない。
その最初の公理が立てられないから、哲学は数学と違って純粋な論理で展開できない。
643 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 20:33:03 O
ロールズ後期の展開はしかたない。彼は結局マクシミンの証明ができなかったから、論理的色彩を失い独善的な
644 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 20:40:31 O
ロールズ後期の展開はどうかな。結局マクシミンの証明に失敗して、道徳ににげこんだ。
無知のヴェールの発想は価値中立的な色彩があって、論理的説得力もかなりあった。結論が本人の好みと違っても受け入れるべきだろうにな。
最近は数学でも公理の用語に換えて第一仮定とか言うときあるよ。
ただ、その第一仮定が、ある程度直感的に受け入れられるものであるというのが、「神が存在する」とは違うね。
647 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 21:02:17 0
数学の公理は、文化とか慣習の違いで揺らぐようなものではないからね。
全世界の人間に共通する直観として、成り立つものだから。
この宇宙の平常状態で成り立つものだから、宇宙人との間ですら共有可能でしょ。
哲学の公理の普遍性のなさとは次元が違うよ。
648 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/16(土) 21:04:05 0
>全世界の人間に共通する直観として、成り立つものだから。
直観とか?
650 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 21:25:30 0
>>647 君は18世紀の人かい?
現代の数学の公理は自由に設定されるものであり、
直観的に受け入れられるものである必要はない。
また公理から結論を導出する原理である論理も
どの程度普遍性があるか分からない。
「数学は全宇宙共通だ」という主張は独断に過ぎない。
651 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 21:32:57 0
>>650 哲学との比較でそこまで考える必要ないでしょ。
哲学が必要とする十分なレベルで、数学は公理が確立されてるってことだよ。
まあ、宇宙を支配する物理法則は一つだから。
別の物理法則を持つ別の宇宙があるかもしんないけど。
653 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 21:41:19 0
>>651 数学で公理が確立しているというのも、現代の数学者たちの間で
ある公理系の中で考えることが習慣的に確立しているだけとも考えられる。
あなたの数学観はかなり変なので、それとの対比で哲学を特徴付けても、
説得力がない。
ニュートン物理学や相対性理論で宇宙全体の謎を解明してきた歴史を見れば、
やはり数学や物理は全宇宙的普遍性があると考えるのが自然だと思う。
655 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 21:48:21 0
話がずれ過ぎ。
公理を設定できれば、以降の論理的展開ができるってこと。
数学の場合は、公理を設定できる。哲学は、公理を設定できない。
その違いだよ。
656 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 21:52:07 0
哲学でも公理は設定はできるし、実際多くの人がしてきたんじゃないかい?
まぁ、数学の論理性を絶対視することはできないけど、高度の説得力があることは、応用数学の意味を持つ物理学、分子生物学などの種々の実験データから明らか。
ましてや、数学の論理の絶対性を否定してみたところで、哲学の論理が緩くて良いことにも、公理と称するものの直観的妥当性が乏しくて良いことにもならない。
658 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 21:53:46 0
数学の規範でどうやって倫理や正義を導出するんだよw
659 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 21:58:52 0
>>656 公理を設定しようと努力することはできるってことでしょ。
公理が設定できれば、以降の論理展開がされるはず。
「神は存在する」という公理の下で論理的に展開されたスコラ哲学のようにね。
そこまでいかないで、公理を設定しようと努力している段階に留まってるでしょ。
660 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 22:05:10 O
直観的に受け入れられる前提を立てるためには、シンプルでなくちゃダメ。また、すべての論理的可能性を網羅しようとするのもモデルとして複雑性が高くなりすぎて説得力がなくなるからダメ。
その意味で、近経の合理的経済人の仮定は、シンプルである程度直観に沿ったものではある。
661 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 22:14:55 O
公理それ自体が受け入れ可能じゃあなきゃ、少なくとも現時点では、それを前提とした哲学は単なる論者の自己満足と見做されてしまうだろう。
将来、その公理系でしか説明できない現象が現れれば歴史家から再発見されるかも知れないけれど。
662 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 22:23:02 O
ゆえに、少なくとも、現代においては、「神は存在する」という前提から如何に美しい論理を積み重ねていっても、大方は、敢えてやっている自己満足な論者か、あるいは、電波受信中の残念な人と受け止められることとなろう。
まあ、全ての人に共通する理性があるとしたら、それは経験と分離しえない理性の同一性。
そして、それは純粋な理性ではないということでもない。
ただ、それ自体として存在している理性ではない。分離して考える必要がない。
経験に培われた理性と、生来の理性は別物だろ。
>>664 おそらく、その生来的理性なる想定は特定の経験を捨象することで、抽象されてるんじゃない。
近代主義者は捨象するコンテクスト抜きでも抽象物があり、その抽象物がそれのみで働くと考える。アトミズム。
定言命法も状況を捨象することで抽象されるけど、これは捨象された状況を前提とした抽象。
例えば、「正直であれ」があらゆる状況で成立すると仮定しても、この命題がそれ自体として成立するわけでない。
「あらゆる状況で成立する命題」ではあっても「状況から独立して存在する命題」ではない。これを混合するのは二元論。
666 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 00:49:45 0
ここにいるやつらはカントくらい余裕で読んでるよな?
667 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 01:00:00 0
哲学版って哲学を勉強してる人は決して議論に参加しないよね。
当たり前だよね。
数学で言ったら一次関数くらいまでしかマスターしてない人が、
偉そうに微分について話してるんだもんね。
哲学は誰もが考えられるように発展してきたけど、
理解せずに思いつきで言葉を並べていいわけじゃないよね。
カントの全著作を原典で読んでる奴は、
まずいないだろう。
残念ながら、自分も当然読んでないぞ。
とはいえ、原典主義も問題ではある。
文学作品ならいざしらず、論理構築物ならば、
、解説手法は時代とともに進化改善するのが普通だからね。
哲学者の研究は哲学史研究であって、
哲学とは言えないかもなぁ。
>>668 > とはいえ、原典主義も問題ではある。
> 文学作品ならいざしらず、論理構築物ならば、
> 、解説手法は時代とともに進化改善するのが普通だからね。
> 哲学者の研究は哲学史研究であって、
> 哲学とは言えないかもなぁ。
これには同意する。原典読んでどうしようもない小手先論文量産してもしょうがない。
とは言え、すでに先人がかなりの精度で整理した論点を無視して、一からよちよち歩きの議論してもなあ。
革命的哲学以外はね。
671 :
670:2010/10/17(日) 02:37:16 0
いまの取り消し
672 :
二十一世紀:2010/10/17(日) 03:54:46 0
真に普遍的な正当性を主張するには、単に正義を自己相対化するだけでなく、
理性を自己相対化することも不可欠。
そうすることによって、視野が部分→部分の総和→包括的全体と移行することができ、思う通りに自己を
コントロールできるようになり、はじめて自由と責任が確立できるからである。
しかるがゆえに営利的でアトミックな個人像の個人主義・資本主義は、近代の合理主義・要素還元主義
そのものに他ならず、自由主義の名に値しない。やはり融通の利かない管理主義、人口に膾炙
した表現をすると民主主義(少なくともその右派である自由民主主義)というべき代物にすぎない。
なお、当方の定義する正義は、単に善良ということだけで、賢明ということは別枠としているので正義論で扱われる
より狭義ということになる。いっしょくたにするのは、アメリカをはじめとした西洋の限界を感じて胡散臭いし。
(やっぱり日本だ。ただし、いまだバブルの総括もできんような20世紀後半型の日本人じゃ同じ穴の狢だが。)
それにしても俺は文章が下手だなあ。才能がない。ロゴス中心の世界観でトラウマが疼く。
>>335 >相変わらず全体感つかめないな。
あ、やっぱり。10年前からそう思っていました。そんなことだろうと。
イマジネーション不足ですな。たぶんこれまた才能がない。
構想の益川と構成の小林
訂正 ×(少なくともその右派である自由民主主義)→○(少なくとも自由民主主義というべきその右派)
674 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 07:42:43 0
全ての人に共通する理性は、経験と分離しなくても
すべての人に共通する経験に基づく理性でもいいでしょ。
この宇宙内、あるいは地球上で共通する経験も数多く存在するんだし。
675 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 08:40:12 O
社会は生々しい現実がある
いかに学んでいても
理路整然と語っても
隣のオヂサンの人生論のが素晴らしく感じてしまう
哲学者とか、エラいとか、そんな知識を纏ってなくても結果論で充分さ
生々しい現実に打ち勝つのは生易しくない
676 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 08:42:35 0
個別化するほど高度になるよな。
普遍的になるほど、レベルが低くなる。
確かに、生きていく力を得るという意味では、
哲学は最低レベルの普遍性を扱ってるからね。
あぶくみたいな言葉を並べても何の意味もないよ。
そんなのは苫米地英人なみに怪しい、哲学風味の放言・放談の類にすぎない。
厳密な議論をしたいんならきちんと出典に基づいて、語句の意義とか、
自分なりの解釈を確定してから俎上にのせないとね。海外文献なら、まず語学力も必要だしね。
そういうことって、大学で学ばなかったのかい?・・・あー、ごめんw 高卒だったんだね、悪かった。
678 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 09:32:50 0
語学できなくても哲学に興味持ったり議論したりするのはいいと思うよ、
何でも知ってるような話し方、適当な語句の使い方しなければ。
盛り上がるの大切だと思うし。
50万部とかいってるが、社会現象なのか。
格差問題とか伝統崩壊もそうなんだろうけど、色々不安がたまってたのか。
>>678 たとえば、デカルトはブルターニュの高等法院に属する法官貴族の息子で
幼少期にはイエズス会の学校に通わされていた。おそらく彼はそこで
ラテン語による中世スコラ哲学やキリスト教神学を叩き込まれている。
また学校では「哲学」が不完全な学問で「神学」によって補完されなければ
自立した学問たりえない、と教えられていたことだろう。
また時代は三十年戦争の時代、フランスでは前世紀に宗教戦争は済んでいるが
未だに旧教徒と新教徒が血を血で洗う抗争を繰り返していた最後の時代(近代のとば口)。
新旧教両派による神学論議(神による予定調和と、人間の意志の自由)にも関心を持っていたはずだ。
単に『方法序説』や『省察』を読むだけでは、そういった背景事情は見えてこない。
デカルトは「近代哲学の父」とされているが、デカルト哲学にはその反面教師として
発想の種となったスコラ哲学やキリスト教神学の影響が拭いされない。
単なる“raison”とか“bon sens”といった何気ない単語でも、どうしてデカルトが
この言葉を用いたのか、その脈絡が分からなければ
本当にデカルト哲学が分かったにはならないだろう。
まして「省察」など、ラテン語で最初書かれたわけで、当時の大学の語学的な感覚、
中世哲学との脈絡なしに理解することは難しいことだよ。
681 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/17(日) 11:52:06 O
デカルトが近代哲学の父と言われるのは現代の文脈だろ。
なぜデカルトが現代人に選ばれているか。
682 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 11:58:22 0
恰好の批判の対象として選ばれてるんだろ。
683 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/17(日) 12:01:50 O
サンデルブームはベタに言えば、共通価値観消失不安の現代に、
分かりやすく価値観に富み組む基盤を提示したこと。
ボクたちがリバタリアン世界にいることを文脈の中で確認できたこと
特にサンデルの共同体は日本人には馴染みやすかった。
684 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/17(日) 12:08:00 O
デカルトが現代でもうけるのは、それがストレンジャーだからだろ。
あの時代にはまだめずらしい共同体を渡り歩くストレンジャー
その中から確かなものがないという懐疑の精神が生まれる。
まさに最初の現代人
>>680 御説ごもっともです。
しかしそうした理解は遡っていけばキリがありませんし、解釈の問題もありますし、
そこで哲学の応用可能性を見失ってしまう人も多いはずです。
このスレの趣旨でもあると思いますが、我々に突きつけられた課題に取り組まなければ、
講談哲学のそしりを避けられないのではないでしょうか。
近似的な理解でも、現代の言葉ででも、哲学は語られるべきです。
デカルトも先行する状況にあまりにかまけていたら、『方法序説』も出せなかったはずです。
686 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 12:22:55 0
背景事情を調べて解釈し、それを他の人に知らせるのは大学の哲学の先生の仕事だよ。
サンデル教授は、日本人にはおそらくコミュニタリアンが多いだろうと期待していたんじゃないか?
しかし実際には意外と少なかった。コミュニタリアンは英語ぺらぺらの奴だった。
ある人が自分の財産を隣人よりも目的にかなうように、
そして神の栄光を高めるように使うことができると確信しているならば、
その人は隣人愛によって、自分の財産を隣人にわかつ義務はない
ここまで言って、倫理として自己責任を言うのならば良いが。
実際には自己責任は一方で強力な抵抗があるけど、
一方でそれを受け入れようとする側が「反倫理」として過激化する。
うまく受け入れてる人もいるけど。
689 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/17(日) 12:33:41 O
日本人に右翼だか、共同体主義はいないだろ。
先にいったように右翼はベタ。共同体主義はメタ。
日本人には共同体は空気のようなもので自分達が共同体重視である自覚がない。
グローバル時代においてまだ。
690 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/17(日) 12:41:51 O
だからサンデルがリベラル(世界経済市民)と共同体の対比の基盤で語ることで、
自らの立ち位置が見えて親しみを感じた。
691 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 12:43:11 0
「日本人は・・・」って一般論を語ろうとする奴って、アホに見えるw
>>684 デカルトが現代で名前を挙げられるのは
「近代」と呼ばれるものの集大成として藁人形にされているからな気がする
なんかデカルトってものすごく誤解されて解釈されてる気がするんだよね
キリスト教と関わったデカルトだけでなく、数学者として数学にかなりの信念を帰依していたデカルトもいた気がするんだよね
しかし、読解にそんな背景が必要なのか、、
言明の論理的関係を抽出すれば、ニュアンスはまるで捨てることになるけど、その論証内容を把握できると思ってた
自然科学の論文では著者の背景ではなく論文の内容に焦点が当たる
数学もまた著者の背景は無視される
哲学というものは、つくづく奥が深いものだな
693 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/17(日) 12:45:41 O
今までの思想的軸は、
個人か全体か
経済が人権か
だったから、日本人にはピンとこなかった。
694 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 12:56:14 0
>>692 数学だって、古い時代の論文を読むときには、
「その当時の定義はどうだったか?」を考える必要があるだろ?
それと同じだと思うがなあ。
>>610 もう面倒くさいし鬱陶しいから、オマエがそう思いたければいくらでもそう思ってろwww
アキレスが亀を追い越さないようにトロッコが永遠に止まり続けるのなら、
危急でないのなら、いくらでも「深く」考え続けてろ。
そもそもオマエの価値観を替えることなど俺の目的ではないからな。
しかし、以下のことだけは言っておかないと俺の一貫性が保てない。
まず、どうしても個人レベルだと、その力が相対的に弱いために、
共同体規範とか国家規範とか道徳規範などに決定を左右されざるを得ない。
それらを考え合わせれば、個人の意思決定は「複雑」なものになるかもしれない。
しかし、国家レベルだと逆に、それらの制限はほとんど無視できるため、
かえって意思決定は「単純」なものになるのだ。
国家レベルの問題においては「道徳」などどこにも無くただ力関係のみがあるからだ。
生死のかかった問題は成否の結果こそが第一だから、二元論に落としやすいのだ。
>>であげた数々の例もたった一つの問題に言いなおせる。「複雑」などどこにもない。
それは、「強制」された困難に対して「拒絶」を押し通せたかどうかの違いだけだ。
危急の際には生き残ることこそが「正義」で「道徳」などは通用しない。
ゆえに、どこにも複雑なところはなくなるのだ。
むしろ「道徳」は従うものではなく従えるものだ。
使える「道徳」ならいくらでも使うが、使えない「道徳」は踏み躙って進むだけだ。
ここで、尖閣諸島とチリ鉱山を例にして語ろう。
「強制」された困難に対して「拒絶」を押し通せたかどうかの一点で見れば、
外交であろうと内政であろうと変わりなど無い「単純」な問題だ。
まず、チリ鉱山について語ろう。
ここで「強制」された困難に屈する、つまり「拒絶」を諦めるとすれば、
それは落盤の行方不明者を見殺しにすることだ。
しかし鉱夫たちの自助努力にも助けられ、鉱夫たちを見つけられた。
ここで助け出せないと投げ出せば、どこにも「正義」は無かったろう。
しかし、チリ大統領は現場に指揮本部を設置し陣頭指揮をとった。
各国に協力を呼びかけ、海外のマスコミを大々的に呼び寄せ、
世界との一体感を掘り起こし、国民にも協力を呼びかけて愛国心を起こさせた。
挙国一致して救助にあたった結果、鉱夫は全員助けられ大統領の支持率も上昇した。
まさしく「強制」された困難に対して「拒絶」を押し通せた好例であった。
次に、尖閣諸島について語ろう。
ここで「強制」された困難に屈する、つまり「拒絶」を諦めるとすれば、
それは任務を遂行した海上保安庁の巡視船の努力を無駄にすることだ。
そして日本は、中国漁船を返還しその船員も船長も送還して海上保安庁の努力を踏み躙った。
他国からの圧力に屈し、自らの「拒絶」を投げ出した者のどこにも「正義」は無い!
あまつさえ、那覇検察が日中関係を考慮して釈放するなどは対応すらお粗末だ。
世界各国からの失望を招いた上、証拠ビデオの公開すらできない。
日本国民からも怒りと失望をおこさせ、千秋楽の土俵では罵声を浴びることになった。
また、中国の反日デモは放送できても日本の反中デモは放送しないなど醜悪きわまる。
まさしく「強制」された困難に対して「拒絶」しなかった悪例であった。
国家の「正義」は「道徳」ではない。
国家の「正義」は、国民の生命と安全と生活と誇りを守り抜くことだ。
「強制」された困難に対して「拒絶」を貫き通すことこそ「正義」だ。
俺は「道徳」が守られる幸せな「個人」の場合について語る気など毛頭無い。
だが、その場合でも、以上の例は十分に応用されるだろう。
>>694 それはそのとおりだ
デカルトの背景だからこそ語られた用語はあるわけで
現代に合わせて解釈するなら、まったく別の内容になるんだろうなとは思う
「わたし」とか「神」とかの言葉抜きにデカルトの論証を再構成するのも面白そうだ
>>695-696 あなたの文章を読んで、カントの『永遠平和という見地から見た道徳と政治の不一致について』を思い出しました
「道徳はない」という見地をカントは道徳規則として次のように規定してます
1、まず実行し、そして正当化せよ
2、汝が実行したのなら、否定せよ
3、分離し、そして支配せよ
このような道徳規則に従う者を、「道徳家」と対比して「実際家(政治家)」と名付けています
そして、この対立を
「客観的には(理論においては)いかなる争いもないが、主観的には(人間の自利を求める性向において)この対立は残るし、また残ってもかまわない」としています
でも、この部分のカントの論証はちょっと弱い気がするんですよね
「人間のなかにある道徳的原理は決して消え去ることはないし、文化とともに違反の罪が増大するにしても
たえず進歩する文化の過程を通じて、法の理念へとむかってたゆまず成長していく」
そこまで楽観的になっていいんでしょうかね、、
ま、これは僕の抱える問題であって、あなたには関心がない問題でしょうが。
昨今の流行として、「実際家の道徳」は流行してると思うんですよ
特に現代哲学は理論より行動を重視する風潮なんで、(カントはそれを「実践」と呼んではならないとしているので「行動」にしました)
実際家の道徳はウケがいいんだと思います
最近では、先進諸国と途上国の間でのルールづくり、ルールの整備の議論がかなりなされているようです
そんな現状だからこそ、格差原理について書いたロールズに着目するのは面白いし
僕もexpさんと同じく問題解決に知恵を使いたい側なので
「政治と理論の兼ね合い」というのは自分なりに大きいテーマなんですよね
701 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/17(日) 14:15:10 0
702 :
exp:2010/10/17(日) 14:31:38 0
>>695 >個人レベルだと、その力が相対的に弱いために、共同体規範とか…
だから、あなたはその「規範」を、どれ一つとしてロクに理解していないでしょうに。
まるで中身を分かっていないものを、上っ面だけ見て「相対的」だの「個人レベル」
だの言っても、何の意味も無いのです。
「規範」の一言で全てを十把一絡げにして、知ったような
大上段な講釈たれるのはやめましょう。
「規範」は、「A君はチョコが好き」「B君はうまい棒が好き」レベルの単純な好き
嫌いではないのです。
どれでもいいですから、まずは一つの「規範」を取り上げて、それがどういう構造の
ものなのか「深く考え」てみることです。そしてその規範と別の規範とで背反する
「決定」を下すことがあるなら、その対立がそれぞれの規範におけるどの要素に起因
するものなのか吟味することです。「規範」だったら何でも等しく尊重すればいいと
いうものではありません。
703 :
exp:2010/10/17(日) 14:33:44 0
>>696 >チリ鉱山について語ろう。ここで「強制」された困難に屈する…
まず、「強制」というのは、「権力や威力によって、その人の意思にかかわりなく、
ある事を無理にさせること」です。落盤事故は別に人為的に坑夫を苦しめるために
引き起こされた現象ではありません。鉱山会社のセキュリティ管理や、坑夫という
危険な職に彼らが就かざるをえなかった社会背景(貧困・機会の平等など)を置く
とするなら、それは偶発的な「不幸」でしかありません。
また、チリ大統領は公権力を駆使して、公金を投入して、救助活動に介入している。
私財を投じて人助けするなら結構なことですが、使っているのは国民が納めた税金
です。チリ鉱山事故は世界中の主要メディアで大々的に報道されたから衆目を集めた
だけで、他にも不幸な出来事など世の中には五万とあります。その全ての「不幸」
から国民を救うために国家がいちいち干渉していたらキリがありません。
ここで国家の存在意義・役割が問われることになる。つまり、いかなる「規範」に
基づき国家という制度が設置・運営されているのか。サンデルの番組でも取り上げ
られた、「不遇な立場にある人の利益を最大」にせよと説く格差原理を推すロールズ
であれば、国による救助を是とするだろうし、最小国家を目指すリバタリアンで
あれば否とするでしょう。いずれの規範であれ、それぞれ数百ページにも及ぶ哲学的
大著・論文において論証されているものです。対立するのであれば、その論証のどの
部分が原因なのか検証した上で、いずれが正しいのかを見極めるのが筋です。
こうしたサンデルの番組でも取り上げられた議論を丸々スルーして、「強制された
困難に対して拒絶を貫き通すことこそ正義だ(キリッ」とか、学級会での発言みたいな
ことを高らかに宣言されても、「はぁ」としか言いようがありません。
704 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 14:52:52 0
>>696 尖閣問題で証拠のビデオが出せないのは、証拠として微妙だからじゃないのかな?
出さないのだから、そう疑うしかない。
それと日本の反中デモを報道することに関してだけど、
反中デモに対抗して中国で反日デモが起きて中国のイトーヨーカドーが破壊され
日本人が危険に遭っている。
日本国内の反中デモを大々的に報じれば、反日デモの火に油を注ぐようなもので中国国内の日本人の命が危なくなる。
今の日本国は中国に軍隊を出して救出できないから、そういう報道は出来ない。
結局、中国ではネットで情報が広まったけどね。
これも憲法九条削除や改正をしなかったのが悪いと思うよ。
憲法は国民の意思によって変えるのだから、国民にも何らかの責任がある。
>expさん
以前のレスに返答しつなくてすみません
形而上学は具体的な問題解決には直接は結び付かないでしょう、目標や対話とかそういったレベルの話です
価値観の異なる両者が合意に至るようなルールづくりに関しては、僕も関心があります
現実的なレベルでは、expさんの言うとおり両者の合意による進展が一番だと思ってます
さて、expさんの議論相手の名無しですが、
彼はそもそも様々な規範の理論について、まるで関心がないのだと思います
彼にとって大事なのは、「事実として成されること」なのです
法の理念を尊重して、理論の正当性を思考して規範について考えて、、、
そのような政策について考える営みを嘲笑っていることでしょう
彼は、政策家ではなく政治家なわけです
政治には、政策論争としての側面だけでなく、権力闘争としての側面もあります
彼が政治家ならば、「政策の正しさなんて関係ない。票を集めた奴が正しいのだ。」という信念をもっていることでしょう
僕やexpさんは「政策としての正しさ」ばかり着目していて、実際に成し得ることを疎かにしている
そういう批判を彼はしているのではないでしょうか?
>>696 国民に中国と戦争して自分の血を流す意思と覚悟が出来ているならいいが、
一部の人意外の国民にそんな覚悟が無い状況で、
国家の責任ばかり問うのはずるいのではないかな(狭い政局問題へのすり替え)。
自民党は経験と知恵があるから、船長逮捕後にすぐ釈放して帰国して、
中国関係者に謝罪をして反日のきっかけを作らなかった。
自民党的な国家の正義とは、拒絶を貫き通すことではなくて、
自分達の血を流す覚悟が無い国民を危険に晒さないことだった。
そういう自民党的な正義もあるんじゃないかな。
意外→以外 漢字変換を間違えました。
708 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 16:05:36 0
でも、実際に、中国は国民の反日感情を明らかに利用し始めてるからな。
共同体間の対立では、どちらの側にも共同体の正義が存在する。
そして、それを解決する普遍的な正義は存在しない。
それに対して、日本は反戦感情や平和志向を利用してるんだよ。
日本の場合は国家の正義が、国民の反戦感情に対応することになっている。
政府よりも国民が憲法改正を考えるべきなんだが。
>>969 >危急の際には生き残ることこそが「正義」で「道徳」などは通用しない。
ゆえに、どこにも複雑なところはなくなるのだ。
むしろ「道徳」は従うものではなく従えるものだ。
使える「道徳」ならいくらでも使うが、使えない「道徳」は踏み躙って進むだけだ。
生き残ることこそが「正義」ですか?
じゃあ、どうして誇りなんてことを言い出すんですか?
>国家の「正義」は「道徳」ではない。
国家の「正義」は、国民の生命と安全と生活と誇りを守り抜くことだ。
伯夷・叔斉の正義が今に伝わるのは、使えない「道徳」に義理立てして死んじゃったという、
その生き方が誇りあるものと見なされたからだと思うけどね
>しかし鉱夫たちの自助努力にも助けられ、鉱夫たちを見つけられた。
ここで助け出せないと投げ出せば、どこにも「正義」は無かったろう。
たぶん
>>298もあなただろうと思うけれど
>「道徳」を万能と考えるから、海外などという、その能力を超えた仮定が出てくる。
余裕があるのなら、海外も助けて良いが、余裕が無いのなら、当然日本が優先される。
っていうんなら、日本で自助努力の甲斐もなく自殺に追い込まれている中小企業の社長さんなんかを無視して
チリ人を助けようなんてのは、「道徳」の拡大解釈で「正義」ではないとしか言うしかないんじゃないの
711 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 16:49:51 0
普遍的な正義というものがたとえあったとしても、
共同体が正義を選択することに、すでにそれは考慮されてるんだと思う。
たとえば、「人を殺してはいけない」が普遍的な正義だとしても
共同体が正義を選択するときに、それはすでに比較検討されてる。
その共同体が選択した正義に対して、個人があえて、さらにもう一度普遍的な
正義を比較検討するというのは、単なる独断的な個人主義的行為でしか
ないでしょう。
712 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 16:52:02 0
全体主義
零細企業の社長なんて平気で嘘つくし脱税するわ社員をいじめて
搾り取れるだけ絞って給料不払いで使い捨てにするわで自業自得だな。
>>711 よくある話なのですが
普遍的な正義があるのは形而上学の世界の話で、
現実にはないと考えてもかまわないと思うんです
(真理もそう)
これは、例えば数学で無限や0という記号を使うことが数学の発展につながることと似たようなものです
(無限は微積にも使いますね)
われわれの手に入る無限は
「リングにかけろ」のギャラクティカマグナムの無限の破壊力で
手に入る無は「FF5」のエクスデスが求める力で、
つまりは現実に言うと、マンガとリアルを混同していると言われてしまうわけです
細かく定義すると、「正義」も「真理」もわれわれが自明的に受け入れてる規範を形成しているだけで
実際に誰かが「これは真理だ」とか「これは正義だ」とか言うことには
多分、現代ではものすごく反対されると思うんです
僕が「真理」や「正義」を擁護する背景にはいくつかの規範の正当性を論じようする意図があるわけで
リアルでは、われわれが手にしている理論は真理ではないし、われわれが受け入れてる規範は正義ではないでしょう
715 :
exp:2010/10/17(日) 18:02:13 0
>>705 (ンドール)
>「政策の正しさなんて関係ない。票を集めた奴が正しいのだ。」という信念
例えば、「社会における『正しさ』の基準はその社会において権力を握ったもの
が恣意的に決めている」という主張は、事実の指摘としてはただしいかもしれません。
ただ、この事実は(仮に事実だとしても)、単なる事実でしかありません。そして、
もしこの事実認識をもって、
「正しさ」=「権力者が勝手に決めたこと」→
「権力者が勝手に決めたことには我々も従うべきだ」
とするなら、それは一種の価値(規範)を提唱していることになります。ここに
論理的飛躍がある。「〜である」(事実)から「〜すべき」(当為)は必然的に
導き出されえません。(この事実価値二元論はサールやマッキンタイアらに批判
されたものですが、その批判は一先ず置きます。)
事実だから、何なのか。事実だから、あるいは自然だからといって、それに従う
「べき」である必要は無いんです。
716 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 18:07:10 0
そうであるなら、べき論で語らなければいいんでしょう。
共同体の決めた正義に従うのは、共同体主義的な行為
共同体の決めた正義に従わないのは、個人主義的な行為
これなら、単にその行為を分類しているだけで、〜すべきと言っているわけではない。
>exp
>>715 サールの批判は、
「ヤクソクスル」という発声から
「約束」という義務に身を置くことを結びつけていることが間違いです
って、そんなことは話が外れるのでスルーします
名無しの彼では話が面倒なので名前をつけましょう
セージと名をつけましょう
セージは何らかの価値や規範を主張してないのです
もしセージが「〜すべきである」と語るなら、彼は政治家ではなく政策家になってしまいます
セージは規範や価値を論じる営みそのものを無価値と見ているのです
その点で、セージは隠れたニヒリストなわけです
セージは自ら政治家として生きているわけで、彼は何一つ政策家に合わせる必要はないのです
正義はおのおので完全に違うのではなく、文法的な共通性はあるのだろう。
数学的な厳密な法則ではなく、文法的ないい加減な法則が。
719 :
3CH:2010/10/17(日) 18:43:23 0
日本版白熱 白熱してねえええええええええええええ
サンデラナイという生き方
721 :
exp:2010/10/17(日) 19:16:20 0
>>717 >セージは何らかの価値や規範を主張してないのです
でも彼は実際に色々な「決定」を下してますよね。チリの大統領が坑夫を助けた
のは正義だとか。
彼は単に自分の中にある価値や規範を十分に理解できていない、そしてそれを
理路整然とした形で提示できないだけだと思います。
現代日本においてまっとうな家庭に生まれ育ち、義務教育を受けていれば、
最低限の道徳は身に付いているはずです。例えば「無実の罪の人を殺すのは
良くない」という命題に反対する人はまずいない。様々な人権侵害も良くないと
ほとんどの人が言う。ただ「なぜ人殺しはいけないの?」「なんで人権を尊重
しないといけないの?」と突っ込んで問われると、答えをすぐに出せる人は今の
日本では少ない。しかし、「いけない」ということは価値としてちゃんと身に
染み付いている。後は、それを自分で深く考えて、整理するればいいだけです。
本当に何の価値観も持っていない人というのは、動物的な本能のみに従って生きて
いるような人だけです。それ以外の行動は何もできない(実存哲学で言うところの
静寂主義)。
>>717 >セージは何らかの価値や規範を主張してないのです
そんなこたぁないでしょう。彼は国家存続が最高の価値観で、
国を守るための行動が規範であり、価値であるべきと言っていると思いますが。
正義や道徳を規範とする考えからは、彼がニヒリストに見えるかもしれませんが、
弱肉強食のサバイバル社会を生き抜くという観点からすれば、彼こそが正義でしょう。
723 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 19:28:38 0
共同体主義というのは、共同体を存続させることに最高の価値を
置くのではないの?
一応不可譲の権利は認めるんじゃ。
725 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 19:42:08 0
まぁたネトウヨがいろいろ理屈こねはじめた。
先の大戦を正当化しようとしても無理。ドイツの尻馬に乗ろうとして失敗したのが原因だ。
尖閣諸島の問題は中国の侵略。
別々に考えようねw
ikedanob またサンデルか。もういいよ。彼は一連の論争の中心人物じゃないし、オリジナリティもない。それよりまず彼の批判するノージックを読むべき。
http://ow.ly/2UI0N
727 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/17(日) 20:02:45 0
で、みんなはなに主義に共感するのかな
選挙権は35〜55歳の男女にだけ与える主義
729 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 20:17:23 0
昔からリバタリアン
自分は元が経済畑だからか、リバタリアンというか古典的自由主義に親近感がある。
共同体主義的文脈で、普遍主義的リベラルの対抗軸として
民族国家としての日本は優先すべき共同体に当たるかな
もっと文脈に沿って言うと、町内会とか学区とかになるんですかね。
町内会や学区ごとに正義が異なるのもすごいが。
>>732道徳観や伝統の共有する共同体の中で形成される価値感が善のことで、それをまとめようとするのが公正(正義)でしょ。
まあ公正より善を優先するというより、公正が善の延長だとするというのが共同体主義の文脈ですかね。
学生の首を左右に振らせること。教授自身が壇上で左右に動く。発言者を指名し他の学生は発言者の方を見るように仕向ける。
>>722 セージは、「国家の存亡を永らえるべき」という規範を言ったのではありません
国家を例に出すならそれが正義になると言ったのです
セージは規範について語れないのです
というのも、規範というのはなんでもかんでも規範なわけではなく
ある種の性質をもつから規範足りうるのです
セージはその規範として必要な性質をもたずに発言しているので
彼は規範を語れないのです
(これはカントが「実践ではない」と言ったのに通じる)
早い話が「弱肉強食」という規範は「規範はない」とイコールなんです
で、それを価値の一つだとか規範の一種だとか言うのは、はっきり言って詭弁です
数学もそうなんですけど、どんな仮定をおいても数学が成立するわけではない
ある種の仮定をおくと数学が成り立たなくことがある(例えば矛盾OKな数学体系はない)
これと同じで、いくつかの規範は規範としての体系をつくれないのです
(話は外れますが「正義」という理念はそのような性質を禁じる規範をつくるのです)
先にカントを引用しましたが、カントが挙げた道徳規則も「道徳はない」という内容の道徳規則なのです
(カント自身そう言っている)
このようなパラドキシカルなことが可能です
しかし、このような規則は矛盾はしてないので、やはり正義にかなう可能性が出てしまうのです
>>718 その可能性はあります
単に文法的なことなのか、認識的なことなのか、僕には分からないのです
ただ、何人かは言葉と精神が密接に結び付いているわけで、僕もまたその一人で
やはり、言葉に対するいい加減さというか、不真面目さが、一番イラッとくるんですよね
737 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/17(日) 23:26:07 0
現代、特に最近は自由主義経済で生存を支えているから
誰もがリバタリアンなんだけど、
むしろ日本人としていかに共同体を重視しているか、
この部分を、語ることを避ける。
この奇妙さはなんだろうかと思う。
なんというか、心の中のやらかい部分をさわられるのを
嫌がるように、意識していないと思うが、見事に見ないようにする。
ほんと何だろうかと思う。自らの本心を除くのが怖いのだろうか。
738 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/17(日) 23:27:35 0
たとえば、父母のこと、子供のことのこと、生まれ育ったころのこと。
その部分を哲学思想と繋がることの、強い拒絶反応。
>>692 抽象(ある対象を抜き出す)とは具体(人間の感覚で捉えられる表象)
から背景を捨象(ある対象以外を不要として捨て去る)することでされる。
抽象と捨象は対概念です。抽象物とは捨象された背景を前提とする。
サンデル先生曰く、人間とは抽象的「負荷なき自我」では無く具体的「位置づけられた自我」である。
この言葉はすごく分かり易くて良い言葉だと思うんです。
二元論の問題は「ある条件でしか成り立たないこと」があまりに簡単に切り捨てられてしまう。
カントはそうでは無かったんでしょうがやはり真理かそうで無いか。という話になる。
カントは人間とは手段ではなく目的であるといったけど。
これに疑問があって、人間とは社会の中で役割を自己目的化することで自由になると思うんです。
740 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 23:31:10 0
世間体があるからだろ。
共同体重視というのはイタいと思われてしまう(という暗黙の共通理解がある)。
なれあいを求めているような気持ち悪さにお互い耐えきれないんだろ。
741 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/17(日) 23:35:19 0
>>740 世間体ね。日本人を語るキーワードとしてよく上げられるね。
しかし仏教伝来から、日本人は外来文化にカブレながら、
絶対に共同体的なやらかい部分はさわらせなかった。
むしろ仏教を共同体的な部分に近づけ改良した、といわれる。
哲学にしても同じなんだろうね。
いままさにここで繰り広げられる議論しかり、なんか嘘くさい。
絶対に外来文化に心開かない日本人。
742 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/17(日) 23:37:19 0
>>
芥川龍之介はたくさんの短編小説を書いていますが、素材から見て、主に、明治の文明開化
期、十六世紀のキリシタン、平安時代の「今昔物語」などに依拠しています。それらの選択は恣
意的に見えます。しかし、よく見ると、芥川に、彼が生まれる以前の日本人が、外国の文化や
思想をどのように受け取ったかという問題を検証しようとする一貫した意思があったように思わ
れるのです。
それを明確に示すのが、「神神の微笑」という作品です。これはいわゆるキリシタンものの中で
最も重要な作品です。ここには特に筋のようなものはありません。主人公、イエズス会の宣教
師オルガンティノは、日本の風景を美しく思い、キリスト教の広がりにも満足しているのですが、
漠然と不安を覚える。「この国の山川に潜んでいる力と、多分は人間に見えない霊と」戦わなけ
ればならないと、彼は考える。彼はしばしば幻覚におそわれるのですが、そのなかに老人があ
らわれます。彼は日本の「霊の一人」であり、日本では、外から来たいかなる思想も、たとえば
儒教も仏教も、この国で造り変えられる、と語ります。《我我の力と云うのは、破壊する力では
ありません。造り変える力なのです。》P62
「日本精神分析」 柄谷行人 (ISBN:4061598228)
<<
743 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/17(日) 23:46:15 0
サンデルも、テレビが受けて、本がベストセラーになって満足しているが、
漠然と不安を覚えただろうね。それでも真に心を開いていない日本人に、いらだちを覚える。
日本では、外から来たいかなる思想も、たとえば 儒教も仏教もリベラリズムも、共同体主義も
この国で造り変えられる。
《我我の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。》
744 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 23:47:02 0
外来文化をあえていつも日本の土着文化の上位に据える。
そうすることは暗黙の了解としてなされる。
お互いそのことには異論をさしはさまない。
日本の古層はそうして守られると同時に、特殊な思考文化を作りだした。
成員同士、お互いにある文化を受け入れるのがその社会に参加しているという証になるはずだが、
そのことについて誰も確認をとらない。とると『世間』の成員ではなくなる。
やわらかい部分なんていうのは、おそらく面従腹背の精神性とセットだろうと思ってみたりもした。
『日本辺境論』みたいなことしか言えないw
745 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/18(月) 00:22:30 0
「やわかい部分」と呼んだのは、語れない、語らないの不思議な部分だから。
言語表現することが難しいのか、
言語表現することが暗黙にタブーとなっているのか
それは精神性なのか
古層などと呼ぶように本当に古来からの連続性を持つのか
746 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/18(月) 00:32:44 0
ボクはそれは身体的な儀礼なんだと思う。
なぜそうなのか、というような言語文化とは異なり、
理由なく日本人の中で伝承されている身体的な慣習
それが日本人の共同体としての倫理に多大な影響を与えている。
それは語ることがタブー、だとか秘技的な精神性だとか、
ましてや、右翼的な太古からの連続性を持つかも怪しいが、
島国日本の中で、慣習として伝承されている
>exp
>>721 セージが、理路整然とした形で自らの価値について語れない、というのはそのとおりです
ただ、それはわれわれの価値観から見て理路整然としてないだけで
セージからすれば理路整然としているのかもしれません
繰り返しますが、彼は「チリの鉱父を助けるべき」という規範を提出しているわけではない
もし助けなかったところで、国民が文句を言わず、国家の利益を確保できたなら、それもきっと「正義」と言ったことでしょう
カントを引くと
「道徳を一般的な怜悧の教え、つまり利益をあれこれ打算する意図にもっとも役立つような手段を選ぶ規則についての理論と考えるなら、話は別であるが」と書いてます
そしてカントは、このようなカントの道徳論と反対になるような考えの分析もしてます
正当化は、行為がなされた後の方が、
事前に納得される根拠を考えたり、またそれに対する反論を待ったりするよりは、はるかに容易に、しかも見事になされるし、
暴力も言い繕うことができるのである
実際、この思いきったやり方そのものが、行為の合法性を心の中で確信しているかのような外観を示すのであり、
その後で、よい結果という神が最良の弁護者となるのである。
748 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 00:49:20 0
> やわらかい部分なんていうのは、おそらく面従腹背の精神性とセットだろうと思ってみたりもした。
やわらかい部分と「セットかも」と言ってみただけで、それが精神性だか何だかはもちろん自分にはわからない。
ただ、ある文化を受け入れる、他の流儀を習得するとかってのはシステムに組み込まれることであると同時に何かを喪失することのように感じる。
祭り上げてしまえば喪失の痛みを和らげてくれる。主体は苦しい変容を被ることがない。
外来文化を上位に据えて祭り上げてしまうのは、クセになってるとは思う。
いいか悪いかは別として。
10月17日(日) 教育 午後6時〜6時58分「『白熱教室』の衝撃」
サンデル教授の講義に参加してくださった方々のインタビューを交えながら、
「ハーバード白熱教室」が日本の社会や教育に与えたインパクトを特集します。
感動とか興奮とか言ってるやつ、頭大丈夫?としか思えない。
多分こういう討論形式やったこと無かったという意味なんだろうが。
国会議員までが似たようなこと言ってるってことは相当レベル低いのか?!
オタキング何言ってんだろ、サンデルは公平そうに見えてきっちり自分の望む方向に議論誘導してるのに。
大きな衝撃大きな衝撃って・・・日本じゃ討論しないのか、やっぱ。日本人は同調強制強そうだからなぁ。
日本で教育改革したいなら、徹底した暗記を小学生卒業までに施さないと無理。
戦前みたいに、教育勅語や四書五経、諸子百家、記紀万葉や仏教説話などを。
土台無くして議論などできんよ。特に孫子韓非子歴史書の非情さは重要。
ドラマチックとか身近とか具体的とか、それくらいして当たり前だろ。
俺は道徳は従えるべきとか言ってるから、多分功利主義とかじゃないなぁw
聴衆を見抜くテクニックはたいしたものだ。風邪引いてる人がいたらどうすんだろw
イチローの努力投資量はすごそうだよな。ロールズの求める社会ってスパルタみたいだな。国家管理の全体主義?
オナニーしますかとか、エッチなのはよくないとおもいます!ってかw
空気を読みあう日本で、自己主張をさせるのは難しいぞ。千葉大学上手くいったのか、やるなぁ。
倫理は性悪説取り上げないからなぁって、同和教育かよ!うぜえ、サヨクうぜえ!!
先に言っちゃったほうが無駄な努力にならずに済むだろうな。
差別していい人が存在することをわざわざ教えてるみたいなところがあるからなぁ。
同和利権を守りたいだけだろうが。教師の目が自己の善を信じきっててキモイ。
≪もしキミが地球を作り変えることができたら≫
きたよ、サヨクの盲目全能主義。そういう前提からして間違ってるんだよ。
グループ討論とか言ってもサヨクがもって行きたい方向見え見えだぞ。
サンデル、やっぱ共通善って言っちゃってるなぁ。
>>704 > 日本国内の反中デモを大々的に報じれば、
それは日本伝統の悪しき先送りだw 嘘はいかんよ、嘘は。
先送りしても、事態が悪化するだけなのも伝統だなw
俺は日中断交を望んでるから、どんどん正直にいって欲しいね。
>>706 > そういう自民党的な正義もあるんじゃないかな。
あると思いますよ。
今回、民主党的な正義とやらは通らなかったと言う話です。
>>710 > 生き残ることこそが「正義」ですか?
> じゃあ、どうして誇りなんてことを言い出すんですか?
国家や人間が生きていくにはどっちも必要なんですよ。
「誇り」を持ちすぎて傲慢や盲愛になるのはよくないけど、
「誇り」を持てないで自我を見失うのもまたよくない。
> >国家の「正義」は「道徳」ではない。
> 伯夷・叔斉の正義が今に伝わるのは、
国家と個人を混同してますよ。
> 「道徳」の拡大解釈で「正義」ではないとしか言うしかないんじゃないの
そこまで厳しく見るならまあその通りです。
各国は「正義」をなしたというよりは「美談」に一枚噛んで勝ち馬に乗っただけです。
楽に勝てるところで楽に勝っただけです。
人道主義の一員であるとお互いに認め合えますし、
マスコミとしてはこういうおいしい「美談」を見逃す手など無いだけです。
なんかツイッターだと皆、内容より議論のテクニックとか語りたがるよな。
何か内容語るの駄目みたいな暗黙の了解があるのか。
テクニック語るほうが頭良さそうに見えるのか。
752 :
exp:2010/10/18(月) 02:22:32 0
>>716 >そうであるなら、べき論で語らなければいいんでしょう。
「べき論」を語るのが正義論・政治哲学・道徳哲学なのだから、
それを言ったら身もふたもない。「である論」を論じたいなら
社会学・人類学・政治「科学」の板に行くべきでしょう。
753 :
exp:2010/10/18(月) 02:24:03 0
>>747 (ンドール)
彼自身のことは彼自身に聞いてみないと実際のところは分からないでしょうし、
第三者が邪推してもしかたないでしょう。別に彼という人間個人が興味深いと
いうわけでもありませんので、探る意味もあまり無いと思います。
>国家の利益を確保できたなら、それもきっと「正義」
仮に国家の利益増大を「正義」と規定するなら、それは一種の価値観を提示して
いることになります。国家を尊重すべき存在と規定し、その利益を増大せよ、と
いう道徳命令が生じるわけですから。もしこれが単に社会現象として、外部の
観察者の観点から、「人間という動物は、国家の利益を確保する行為を正義だと
する傾向にある」というような事実を指摘するだけなのであれば、それは何の
規範も表明していないことになる。
端的に言えば、何らかの「〜すべし」を言うなら、それは規範(道徳・正義・
価値基準)を提示していることになる。
それが単なる利益追求でも、利益追求=「すべきこと」と規定するならば、
規範たりえます。そもそも功利主義は言うにおよばずロックからロールズに至る
契約論系自由主義も、結局は自利益追求のための道具的理性を前提として政治
規範を提唱しているわけです。
波兵を久しぶりに見た
>exp
>>753 第三者が邪推しても意味がないですね
大事なのは、セージが規範をつくれるかどうか
これの検討です
これは正義論の根本問題に通じるからです
セージは「利益を追及すべき」という規範を挙げているわけではありません
また「個人は国家に従え」と言ってるわけでもないのです
セージの発言を規範の形式にしてみます
セージは「規範を無視して行動すべきである」と言っているのではないでしょうか?
名無しの彼がそう言おうとしているかどうかはさほど重要ではない
仮にそのような規範を提示されたとして、その規範の正当性がいかほどにあるかを検討することが大事なのではないでしょうか?
ただ、これはかなり形而上学的な話題に入るとは思います
>exp
あ、そうそう
カント道徳論は功利主義とよく対比されますが
僕はカントの義務論は一段深いところを語っていると考えてます
なぜなら、功利主義もまた義務について語っているからです
波平の引用リンクので、消極的功利主義が書かれてましたが
実際に考える際には僕も消極的功利主義を挙げますよ
消極的功利主義による共通同意を求めるでしょう
ただ、義務論を前提としないと、消極的功利主義についても語れないのです(それもひとつの義務だから)
カントの道徳論が問題になるのは、セージのようなものを相手にした時です
多分、カントの意図はこっちの方が強いんですよ
757 :
exp:2010/10/18(月) 05:02:24 0
>>755 (ンドール)
彼のいないところで勝手に彼の考えを決めつけて云々するのも、さすがに彼に対して
失礼になるので、完全に架空の人間(セージ君)の話として考えてみます。
>セージの発言を規範の形式にしてみます
>セージは「規範を無視して行動すべきである」と言っているのではないでしょうか?
>仮にそのような規範を提示されたとして、その規範の正当性がいかほどにあるかを
>検討することが大事なのではないでしょうか?
まず「何ゆえに規範を無視して行動すべきなのか?」という疑問が出てきます。
「〜すべき」と言うからには、何らかの理由があるはずです。
理由があるのなら、その中身を吟味して、その正当性を検証できます。
幼稚な相対主義を語り出したなら、そのおかしさを指摘します。
何の理由も無く、ただそう言ってるだけなら、どうしようもありません。
ニヒリズムのところでも言いましたが、一切の価値(規範)を認めない、故に
いかなる価値も尊重しない、という人間がいた場合、彼は本能の赴くまま、
躊躇なく殺人すら犯しえます。なぜなら人間に対し価値を認めず、尊重しないからです。
自殺もします。自分自身に対しても価値を認めないからです。この点については
カミュ『シーシュポスの神話』および『反抗的人間』に詳しい。自由意志による
自殺すら否定するカントの真逆のような立場です。
無論、一切の価値を認めず尊重もしないからといって、即殺人に走るわけでは
ありません。しかし、一切の価値を認めないなら、その人にとっての行動原理は
動物的欲動のみとなります。そして、いかなる規範も価値基準もその歯止めとは
なりえない。やめさせるには他者が力でもって強制するしかない。
>exp
>>757 expさんは
>>752で自ら「〜べき」と語ってます
あなたが、「〜べき」と語るには理由を挙げる必要があると考えるなら
>>752で述べられた「べき」はいかなる理由から述べられたものでしょうか?
名無しの彼が幼稚な相対主義かどうかは分かりません
相対主義は様々なレベルで成立するから、一概には否定できない
飴玉に群がるアリをはらうように、様々なレベルで相対主義を批判する必要がある
その中で、もっとも論駁不可能なタイプの相対主義だと思うんですよね
また、僕がちょっと怒ってしまった名無しを含めて、
何人かはそのような義務論の外側にいるような気がします
759 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 05:26:53 0
760 :
exp:2010/10/18(月) 05:45:26 0
>>758 >あなたが、「〜べき」と語るには理由を挙げる必要があると考えるなら
>
>>752で述べられた「べき」はいかなる理由から述べられたものでしょうか?
相手の人が実りのある議論を望むという前提の上で、合目的的に、そのためには
より適切な掲示板に移る「べき」だろう、というアドバイスです。
>飴玉に群がるアリをはらうように、様々なレベルで相対主義を批判する必要がある
相対主義は、実生活レベルに話を持っていけば、簡単に片がつくと思います。
どんな御託を並べたところで、人間は生きていかねばなりません。そして人は
生きる上で様々な判断を下し行動しなければならない。
その際、実生活レベルに相対主義を持ち出して、それを根拠に何らかの行動をする
と言うなら、そこにはたいてい論理的飛躍が生まれてくる。であればそれを指摘
すれば終わります。もし実生活レベルで何の影響もないなら、それこそどうでも
いい形而上の言葉遊びなので、そんな相対主義の相手はするまでもありません。
「ふ〜ん。で?」で終わります。
>>757 せっかくの長文なので、敬意を払ってもう少し
カントの道徳論はまぁ置いときましょう
あの人の道徳論は形而上学でしかないからです
expさんは、
>>757で「力を使うしかない」と発言しました
ここで言う「力」は「武力」だけでなく「権力」も含むでしょう
ひとつの疑念がわきます
「なぜ力の使用が問題となるのか?」です
このことは
正義論を論じることが
「力を使わずに言葉、理由によって解決を図る」という前提の上に立っていることを示唆します
では、このような性質を疑うならば、、、
もし仮に、言葉による解決を放棄し、権力による解決を求める者が現れたとしましょう
彼の名前はケンです
ケンの登場に対して、われわれはいかにして正義論の正当性(言葉、理由づけによって解決を図ることの正当性)を論じればよいのでしょうか?
(疑問を投げ掛けてますが、僕はexpさんに基本的に同意してますよ)
762 :
exp:2010/10/18(月) 06:25:31 0
>>761 (ンドール)
相手が話しの通じない人間あり、且つ相手がこちらに対して(こちらの規範に
より認められるところの)深刻な害を不当に与える場合には、力でもって排除
するしか他に防ぐ方法が無いからです。
>もし仮に、言葉による解決を放棄し、権力による解決を求める者が
>現れたとしましょう
規範に基づき制定されている法を遵守しなければ、その人は犯罪者(あるいは
障害者)として罰されるなり投獄(隔離)されることになりますね。
>>743 そんなのどの国でも同じだが、
ローカライズの仕方の良し悪しはあるけど。
>>749 >エッチなのはよくないとおもいます!
そんなの当たり前だけどな。
そのテーマ議論す事を事前に知って
自分の意思で参加するのでも無ければ。
井上先生が、自己主張を奨励する個人主義的気質が強いから、
アメリカでサンデル先生の講義が成功した、みたいな事を言っていたけど、
そういう側面は大きいと思う。
それは、自己主張を奨励するかどうか、という事に留まらず、
最低限の他者への尊重なり、人それぞれという事を認めたり、
こういう講義を強制するのでは無く、選べる状態にあったり、
そういうアメリカの文化的な風土があったればこその成功なんじゃないかな。
講義内の仕組みだけでは無く、社会の仕組み的に。
サンデル先生自身、そういった事に無頓着というか、
広める為に、敢えて無頓着になっているようにも見えた。
こういった所は、悪い状態になり得る原因になる気もする。
日本でも一見成功したように見えたり、
あるいは一部で成功する所もあるかもしれないけど、
実質的にしている事は違うものになるだろう。
アメリカ的に成功するのなら、前述のような事を前提にする必要がある。
766 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/18(月) 08:23:37 O
日本人的正義は、〜だ!というより、そのケースケースで世論として立ち上がってくる感じだよね。
たとえば最近の小沢問題にしても、司法手続きとしてはどこまでも無罪なんだろう。
また近代哲学で言えば疑わしきは罰せずをこえて、執拗に日本人的正義が立ち上がってくる。
どこが日本人はリバタリアンなのかとおもうけど
767 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/18(月) 08:32:12 O
このような集団制が高い正義が機能するために、昔から強いリーダーシップがあったんだよね。国家にしろ、政治家にしろ、財界にしろ
それが失われるとほんとに世論調査が正義を決める責任のないシステムになってる。
特にいまは権力アレルギーはものすごくて、民主党が選ばれるのも権力が弱いから
強い権力を嫌うなら論理的な正義論が必要だがあいまいな空気で正義をつくろうとする非効率状態
そしていまの日本は意図のキレた凧状態
768 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 08:34:29 O
たぶん
ソウタイ
相対という単語の認識が人それぞれなんだと思う
アイタイ
相対と読むほうが分かりやすいのかな?
表裏とか
半丁とか
決まった物質同士なら分かりやすいが
気持ちなんかはなあ
お前が嫌いだから反対ということもありえる
人間の相対にはだいぶ揺れ幅があるね
アホだと10゜から350゜くらいまわっての反対とかもある
>>762 それは力の行使に正当な理由が無いことと
不当に害を与えることの両方が成立していなければ非難できないってこと?
例えば全世界に核ミサイルを発射しようとする危険国家があるとして
発射を防ぐための攻撃に全く無関係の民間人を多数巻き込むのは
許されることなんだろうか?許されないんだろうか?
あるいは突如そこへ謎の宇宙人が現れ
警告無しにその国家の要人だけを全て殺してしまったとしたら
彼らの行為は賞賛されるべきなんだろうか?
それとも罪に問われるべきなんだろうか?
770 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 09:32:41 0
罪かどうかなんて、結局共同体が決めるんだよ。
最終的には、世界という共同体、その手前に国家という共同体
自分が罪だと思っても、共同体が罪でないと判断すれば、自分が単なる狂人になるんだから。
判断が複雑な経済犯とか法的に難しい場合はそうだけど、
単純に人の物を盗んだり殺したら罪じゃないの。
例外的に正当防衛などが認められているけど。
>>689 > 689 名前:第三の波平 ◆JXLBbnYqTY []: 2010/10/17(日) 12:33:41 O
> 日本人に右翼だか、共同体主義はいないだろ。
> 先にいったように右翼はベタ。共同体主義はメタ。
> 日本人には共同体は空気のようなもので自分達が共同体重視である自覚がない。
それはつまり「自覚がない」だけで、右翼や共同体主義者がいる、ということでしょ。
「自覚がない」ということは「いないだろ」とはイコールにならない。
したがって「自覚がない」ことと「いる」ことは矛盾せずに両立する事実なわけで。
>>757 > やめさせるには他者が力でもって強制するしかない。
俺はこれを「拒絶」と呼んでいます。
また「道徳」の限界の外にある「備え」とも呼んでいます。
そこまで前提が墜落できたところで、
「規範」?という前提が保護確保されていないという前提で、
>>16-17やこのスレでの俺のレスを今一度読めば俺の言ってることが分かるかもしれません。
「拒絶」や「備え」に守られた範囲のなかでのみ「道徳」は存在できるのです。
そして、これを認めるのなら、「道徳」について俺は一切口出しするつもりはありません。
774 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 13:07:33 0
次から次へと勘違い野郎(哲学倫理を理解する気なし)が湧くな。
規範的存在と事実的存在の区別もできないとか…
結局、ニヒリズムも近代的な思考からやってくる。正義と呼ばれるのは
ある状況の人達にとってのものでしかない。(従って正義ではない)と。
最終的には自分がただ目的としてあるのみでしかない。と。
でも本当はある状況の人達の善から始まって良いんだよ。
公正さがそれ自体として初めにあるわけじゃない。
あるとしたらやはり、ある状況(それぞれの共同体)の中の善の延長でしょう。
共同体の共有する目的(存続)と離れて正義があるのではない。これ正しい。
776 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/18(月) 13:30:08 O
>>772 共同体主義はメタだから自覚がないとダメ
777 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 13:31:52 0
16世紀に国家理性という言葉が誕生した時、それは国家のむき出しの利己主義を正義と規定した。
国家はただ強大になることが正義であって、そのためならいかなる手段も正当化される。
これが国家の準則する規範だった。
これは共同体主義とかリバタリアンとか、またカント的道徳観か啓蒙的道徳観か
などといった対立軸では位置づけられない、あえていうなら「正義か力か」を
哲学者、法学者に突きつける問題だった。
>>777 解説ありがとうございます
やっと問題にたどり着けた
で、問題提起ができたから抜けていい?
問題に回答する能力は俺にはないからさ
あとは頭のいい人たちに議論してほしいんだよね
779 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 15:10:22 0
国家にしろ、世界にしろ、共同体が決めた正義に個人が逆らうことなんてできないよ。
狂人、売国奴、非人間として扱われるだけ。
780 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 15:15:26 0
自覚のない功利主義者は規範の相対性をまず言いたてる。
その上で、「自らの効用を最大化すべし」との規範に従う。
国益や「誇りを守る」というのも出ていたが、これらの主張は功利主義の立場からの主張ということができる。
この通俗的立場が以前このスレでニヒリズムと言われたのは、
功利主義的規範を持ちこみながら、社会の効用最大化は実現できないことが明白であるにもかかわらず、
この規範に従い続ける点。
実際にはニヒリストではなく、エゴイスト。
781 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/18(月) 16:38:37 O
ようするにサンデル先生の教えは一言だ。
日本人よ。ベタに日本人たるな。日本人たることにメタになれ!
>>780 「なぜエゴイストであってはならないのか?(Why notbe ego-ist?)」という疑問が出てしまうんですよね
(そう考える時点で、エゴイストでないことは承知しています
エゴイストならば、理由なしの利己的な選択を正当化できるでしょうから)
ただ、エゴイストでない選択をエゴイスティックに選んでいたのでは
規範の拘束力を認める者も結局はエゴイストの1人と言うことになってしまうのではないか?
それって自己撞着に陥ってないか?
って疑問が出てしまうのです
利己主義者といってもレベルがあるからな。
1 自分の食欲性欲のためのエゴイスト
2 自分の家族に遺産を残そうと頑張るエゴイスト
3 自分の所得アップのためのエゴイスト→仕事の結果、人のためになる場合もある
4 自分の会社を大きくしようとするエゴイスト→社員のためになる
利己主義というと、@社会一般の利害を無視するものと、
A社会道徳の形成は利己的なものから発生して発展していくという思想的立場の
2つの意味がある。
共同体の正義より自分の正義を貫くのは
利己主義なの?
785 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 17:53:45 0
V∂君、中国に行ってゲリラ講義でもやってくれ。 評価したるわ。
>>782 エゴイストというのはあくまで便宜的表現なので深く答えられないけど、
まずエゴイストが存在するには初めに自分以外の人間による社会があることが前提だから、
社会から切り離された事柄、社会に同意を求める必要のない事柄についての
規範の選択ではエゴイストと言える条件は出てこないと思う。
次に個人が社会の他の人間に働きかける何かしらの規範を選択する時に
規範がひとまず多数決やコンセンサス等によって認められている場合、
形式的にはそれを個人が選択することはエゴイズムではない、としてみる。
そうすると、「何について同意を得る必要があるか/無いか」を社会の誰かがエゴイスティックに決めてしまうことができる。
自分は朝ジョギングすることが多数決で禁止されたり、
借金もないのに自分の財産を自由に処分してはならないと言われたら悲しいけど、そういうことになってしまうよね。
だから、エゴイズムの規範との関係は、正当性と規範の関係にスライドさせて考えてみるのがいいのかも。
いくらか問題が明らかになって発展性もあると思うし。
787 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 18:04:11 0
788 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 18:06:53 0
>>773 要するに九条反対なのかな?確かに日本の外圧への弱さは問題ですね。
これは間違い無く日本人にとってよくないことです
しかし経緯はどうあれ日本の九条には国際的役割が課せられてるようにも思えますよ
ノルウェーもある程度不利益を覚悟して国際平和という
役割への貢献だと思うしこれは賞賛されるべきと思う。
私らも日本人であると同時に国際社会の一員でもあるんじゃなかろうか。
簡単にはやめちゃいけないものだと感じる…
ていうか前にも言ったけどサンデル設問は答え導きじゃなく
どれ選んでも追求して思考つまらせるように作った設問だよおそらく。
国家存亡の危機に、人権だの何の言ってる余裕はないだろ。
平和な世の中なのに、戦時体制でいる必要はないだろ。
791 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/18(月) 20:01:42 0
日本で哲学やるのってきつくないですか?
サンデルみたいに生徒の意見を器用に交通整理しながら授業するなんて無理だな。
自分の意見だけで精一杯なのに、頭の中がこんがらがる。
すげぇパフォーマー。顔と名前を覚えるプロだな。
東大編みたけど、なんか東大生は保守的な奴が多いな。
親から、富と才能をもらったことを感謝する奴が多いからだろうな。
795 :
考える名無しさん:2010/10/19(火) 03:37:20 0
正義・道徳・善・悪・罪・罰・力をうまい事整理してくれぇ
正義
/\
/ \
/ \
悲しみ________/______\________喜び
\ / /\ \ /
\ 悪/___/__\___\善 /
\ /\ /_/\_\ /\ /
\/ \/ \ / \/ \/
/\ /\/_\/_\/\ /\
/ \/__\_自由_/__\/ \
/ \ \ / / \
/______\___\/___/______\
罰 \ 道徳 / 罪
\ 理性 /
\ /
\/
力
力⇔正義
正義なき力は暴力
力なき正義は無力
正義≠道徳
道徳←≪善⇔悪≫→罪→罰
たとえば、
「道徳」では人を殺してはいけないと教える。
「正義」を為すためには敵を殺してでも排除しなくてはならない。
ゆえに、正義≠道徳
>>798 「正義」という言葉に
勝手におかしな定義づけすんな。
800 :
考える名無しさん:2010/10/19(火) 11:35:44 0
道徳というのは、共同体が決定するものだよね。
個人だけの道徳というのは、あり得ない。
個人が道徳と思っていても、共同体で違うと判断されれば、それは道徳じゃない。
>>799 これは俺の「正義」だ。キミがどんな「正義」を持ってるかなんて知らんよ。
>>796 > アリストテレス的な、こういう風なことを何年も何十年も考えて、議論して行動して日常生活の中でやっていく
> こと自体が正義であるという考え方をコミュニタリアンであるサンデル教授は持っている
> 何が正義かっていうのを延々と考え、それを日常生活の中で実践し、
> 癖になるまでにして、他の人と意見が対立して意見なんか合わないのが当たり前で、
> でもずっと考え続ける、サンデル教授は、それが正義なんだって言うんです
俺はそれは「正義」ではなく「道徳」だと思う。
> サンデル教授が議論をコントロールしていることは確かなんです。
> 自信があってやってるんだけれど、どんなステージが組めるのかは毎回分からない。
> エンターテイナーとしてはどうかっていうと、サンデル教授、超一流です。
岡田:あの人見た目、面白くて、やっぱり、あの、なんでしょう、白人だから皮膚が白くて薄いんですね。
で、知的に興奮するとおでこが赤くなって、感情的に興奮するとほっぺたが赤くなる。
これはねぇ、家のテレビではわかんなかった。もうなんかすごく面白かったですね。
現場ですぐそばで見ているとサンデル教授がイライラしてくるとほっぺたが赤くなって、
「うん、面白いね」って言うとおでこが赤くなってきて。ちょっとそれが面白かったですね。
あと、脳近くの血管が太い。おでこから頭頂部にかけてVの字型に走ってる血管が太くて、
サンデル教授が話して興奮してくると
くっきりおでことちょっと髪の薄い頭頂部にVの字血管が浮き出るんですよ!
今の日本の大学のシステムっていうのは、
「授業を受けている人の8割以上が理解できて、真面目に勉強してたら必ず単位がとれる」、
そういうものになっているんですね。
ハーバードみたいに「どんなに努力しても、あるレベルに達しなければ落ちる」っていう
冷たいやり方をとってないんです。
だから僕らがああいう風な授業を見て憧れちゃうのは、無いものねだりなんですよ。
「頑張ってる子は全員試験に通るよね」っていうような日本的なやり方だったら無理。
>>794 まあ、この御時世もあるだろうね。
昔は東大といえば進歩思想の拠点だったんだけど。
>>801 「俺の正義」だったら自分のオリジナル名でも付けろ。
既存の広く使われる概念に珍妙な紛らわしい再定義するな。
「正義」は国語辞典にも載ってる言葉であり、サンデル
スレなら英米系の現代政治哲学のコンテキストであり、
そこで「正義論」と言えばだいたい「正義」の意味は
限定されている。そこから大きく外れて、好き勝手な
再定義でおかしな電波飛ばすなら、他でやれって話だ。
804 :
考える名無しさん:2010/10/19(火) 13:00:26 0
正義なら個人が独自に持つことはできるが
道徳は個人で独自に持つことはできないね。
道徳は共同体が決めるもの。
また共同体には、道徳を決めることが求められている。
>>786 アドバイスありがとうございます
ネタバレすると、エゴイストの問題は井上先生からのパクりです(僕の発言はたいてい誰かのパクりですから)
規範と正当性の問題がエゴイストの問題に集約できる
これが井上先生の考えです
「なぜ、エゴイストであってはならないのか?」
ここで言うエゴイストとは、社会の同意と自分の関係から決定されるものではない
規範について語る際に、特殊な立場から語る態度を指しています
「ego-ism」の名が示すように、
「わたし(自我)」を他の緒性質と区別し特別に扱うこと
これが「エゴイズム」の定義です
これは、「誰にでもあるであろう自我を尊重せよ」という規範とは異なります
「わたしにしか現れない『わたし』という自我を尊重せよ」という規範なのです
セージの例も、
彼は「国家の利益を追及すべきである」という規範を出しているのではなく
「国家は国家のエゴを追及するのが正義であり、個人は個人のエゴを追及するのが正義だ」
こう言ってるのです
この時彼は、規範については事実上語ってないのです
エゴを押し通すことが許されるならば、規範の意味はなくなってしまうからです
808 :
考える名無しさん:2010/10/19(火) 15:55:26 0
>>776 > 776 名前:第三の波平 ◆JXLBbnYqTY []: 2010/10/18(月) 13:30:08 O
>
>>772 > 共同体主義はメタだから自覚がないとダメ
どのレベルの自覚?
共同体主義者が「自分はコミュニタリアンだ」という自覚がある必要はないと思うが。
サンデル教授に「君はコミュニタリアンだ」と指摘されて頷くかどうかはともかくとして、
彼が理性的に共同体を尊重しているということは十分にありうる。
それとも、共同体主義を「反省」するという意味でのメタレベルの自覚を言っているの?
つまり、「共同体主義が正義であるかどうか」に常に疑問をもって自問自答するレベルの理性?
それがあってはじめて共同体主義者だという意味で?
うむ。
強者は弱者を手加減なく叩き潰すことこそ自然の摂理であり、
また勝利者が政策を立案するのだからその国はまた勝つであろう
弱者や愚者が支配する組織を誰が望むか。
極端に言いました。
810 :
考える名無しさん:2010/10/19(火) 16:35:08 0
「多文化主義は完全に失敗」 メルケル独首相が発言
http://www.cnn.co.jp/world/30000585.html > ドイツの多文化主義は「完全に失敗した」――メルケル独首相が16日、自党の青年部
>の会議でこう述べた。
> メルケル氏は演説の中で、「『さあ、多文化社会を推進し、共存、共栄しよう』と唱
>えるやり方は完全に失敗した」と語った。
> メルケル氏は先月、CNNのインタビュー番組「コネクト・ザ・ワールド」でもこう
>した考えを示していた。9月27日の同番組でドイツのイスラム系住民について質問さ
>れた同氏は、「今や誰もが、移民は我が国の構成員であると理解している。(しかし)
>彼らは同じ言語を話し、ドイツで教育を受けるべきだ」と答えていた。
> 世論調査機関ピューのプロジェクトが昨年行った推計によると、イスラム系住民は
>ドイツ全人口の約5%を占める。これは約400万人のイスラム人口に相当し、西欧
>最多の規模となる。
812 :
考える名無しさん:2010/10/19(火) 21:47:18 0
共同体は、正義・道徳を同じくする集団でないと形成できない。
これが、共同体主義の結論でしょ。
>>812 そうだね、人は皆、同性愛嗜好だからね
自分と同じ人たちでまわりをかためて、
自分と違う人たちは排除する
だからいつも異性愛者は排除されるわけさ
ハーフも排除される
異端も排除される
同性愛者は同性愛の国をつくれるけど
異性愛は異性愛の国をつくれないよなって思う
ハーフもハーフの国をつくれないよな
異端も異端の国をつくれないよな
>>813 同性、異性という言葉を通常の意味と別の意味で使っている?
>>812 なるほど、正義とは何かを問おうとする反省的思考はすでにリベラルのものなんですね。
サンデル氏のそれもすでにリベラルな共同体主義だと。
>>813 お前がそうだからって、上司とか権力者がそうだからって
世界がそうなってるって納得するために思い込んでいるんですねわかります。
素粒子の振る舞いはそんなに単純じゃねーんだよ
宮台真司と同じこといってるな
>>816 幸いにして、上司には恵まれている
でも恋人には恵まれてないかな
いろいろと疲れていたけど、君の言葉で少し楽観的になった
俺は知的謙虚さが欠けていたかもしれない
>>815 サンデルは実はよく知らない
だから分からない
これは井上先生の考え
ただ、井上先生はサンデルを批判してもいた
ついでに、事実と規範の二元論についてちょっとしゃべっていい?
サールの批判が先に話題になったんだけど
サールは事実と規範の二元論を解決できてない
でも、「あなたは約束をした。あなたはそれを守らねばならない」はすごく常識的には正しいように見える
これについてはマッキーが軽く書いてたけど
「ヤクソクスル」という発声を野性的な事実と解釈するならば規範は導けない
(オウムが「ヤクソクスル」と言ったところで、オウムが何らかの義務に身をおいているとは考えない)
でも、人間が「ヤクソクスル」と言ったら話はちがって
人間の発話、会話がもともと野性的な事実としてのものではなくて
規範的な事実(マッキーの表現「インスティテュートファクト」より)と解釈すれば
彼は約束の規範に身を置く
マッキーを読んで、俺は「規範要素がまったくない事実」なんてあるのかな?って考えたんだ
野性的な事実(ブルートファクト)なんて、そんなにないよね
言葉を使用して会話しながら生きていくなら、彼は規範的事実にまみれた事実の中を生きているわけで、
そういう意味で、われわれはたくさんの価値の中を生きているんだよね
価値抜きの事実の中を生きていて、「いかにして事実から価値を導き出すか?」という問いが事実と価値の二元論だけど
われわれが生きているのは動物とは違うわけで
さまざまな価値が入りまじった事実の中をすでに生きている
ただ生きているだけではなくて、豊かな生を生きようとする文化の中に生きているわけで
だからこそ、価値について語り合う文化って人間の生にとって大事な気がするんだよね
一言いっていい?
知らんがな。
インスティテューショナルファクトだったかな?
まぁ、俺の言ってることは間違いだらけなんだけどね
>>820 価値・事実の二元論というのは、それ自体が一つの価値体系を前提にしています。
その価値体系というのは、端的に言えば、近代に興隆した科学的世界観です。
例えば或るアニミズム的な世界観において、この目の前にある大きな岩を「神が
宿る家」だと定義したとする。一方、近代科学的な世界観により、同じ巨岩を、
ある一定の空間と時間を占有するなど、その他さまざまな物理的属性によって
のみ定義したとする。常識的には前者は迷信と軽視され、後者は客観的「事実」
として尊重されます。しかし、結局のところ「存在」というのは人間が認識する
ものであり、そしていずれもある種の価値体系を感覚データに投影していると
いう点で、この二つに本質的差異はありません。別に現実世界に存在する物体に
「価値」だの「事実」だのラベルが付いているわけではありません。
そして人類史を紐解くまでもなく、科学的世界観はずっと後発であり、それまで
は上述のアニミズム他、多種多様な意味・価値を満載した「事実」が常識だった
わけです。岩は昔から縦横高さ重量成因その他のみで認識されていたわけではない。
人間の生活において利便性(砕いて矢尻やハンマーにするなど)があったから
こそ初めてその存在が認められたものだったはずです。それを後発の科学的
世界観が事実と価値とに恣意的に二分し直したに過ぎません。
(続き)
これは人間についても同様です。例えば社会契約論系の正義論であれば、人間から
社会的な繋がりや地位を全て剥ぎ取り、抽象的な合理的選択をする個人へと還元し、
そこから道徳の原則を導き出そうとする。しかし、人間社会にはそんなことをする
はるか以前より道徳は綿々と存在してきたわけで、そしてその道徳は人間が原子の
ごとき合理的個人へと還元される際に剥ぎ取られた社会的・共同体的属性に全て
含まれているわけです。こういった点を中心に、テイラーやマッキンタイアら
共同体主義者達はリベラリズムを、そして人間の政治行動を物理現象のごとく数量化
し実証科学的に研究しようとした行動論主義(behavioralism)を、批判してきた
わけです。
言語についても、サールより前にジョン・オースティンが、純粋に「事実」
のみを叙述することが言語の役割とするdescriptive fallacyを批判済みです。言語
使用によってなされる様々な発話行為はその言語に絡みそれを機能させているところ
の因習の存在が不可欠であり、そしてどの言語の因習にも「価値」が豊富に詰まって
います。そして言語はそうした背後の因習を含めて初めて言語たりえる。
私は、上述のような共同体主義者らの還元主義批判は的を得ていると思いますが、
しかしそれは規範レベルではなくメタレベルにとどまる批判です。共同体主義者の
批判が正しかろうとも、「で、規範はどうするの?」という問いが未だ残る。そして
規範レベル限定で、リベラリズムが普遍主義・客観主義を捨てて間主観性・実利主義
で開き直ると、その主張は強さを増します。後期ロールズの強さもここにある。
そして、突き詰めれば上述のように事実・価値二元論は誤りであるとは私は思いますが、
これもそれなりの利便性があって二分されたことなわけです。実際、この二つをひどく
混乱させて、幼稚な相対主義や現実主義の暴論を展開する輩は多いので、私自身はよく
引き合いに出して使ったりはします。
825 :
exp:2010/10/20(水) 19:37:14 0
ケ小平の「領土問題は棚上げ」に合意した日本が、「疑いなく尖閣は我が国の領土」という規範に正当性を見いだすことは困難。
827 :
exp:2010/10/20(水) 19:44:44 0
>>769 >許されることなんだろうか?許されないんだろうか?
許されないと私は思います。
>>812 > 共同体は、正義・道徳を同じくする集団でないと形成できない。
> これが、共同体主義の結論でしょ。
というか、それはリベラルに近いんじゃないですか?
つまり、同じ価値観を共有する者だけがその範囲で共同体を形成すればいい、と。
共有しないもの、同じくしない者どうしを強制的に結びつける共同体は共同体じゃないと。
これはかなりリベラルな共同体主義で、これを拡張すれば市場に近くなる。
>>823 >>そして人類史を紐解くまでもなく、科学的世界観はずっと後発であり、それまで
>>は上述のアニミズム他、多種多様な意味・価値を満載した「事実」が常識だった
「科学的世界観」の方が
「アニミズム他、多種多様な意味・価値」よりも
強いという客観的事実は全く無視するというわけですね。
あなたの意見はカーゴカルトですね。
IDと進化論を同列に語るようなものか。
831 :
考える名無しさん:2010/10/20(水) 21:27:24 0
>>828 リベラルかどうかは知らない。
ドイツやフランスの移民の例からもわかるように、
正義・道徳を共有しない集団が健全な、つまり成員にとっての道徳の基盤
となる共同体を作ることはできない。
成員が同質の共同体であるほど、その共同体の道徳の器としての能力は高くなる。
排他的であればあるほど道徳の器としての能力は高くなる。
833 :
考える名無しさん:2010/10/20(水) 23:00:10 0
>>828 だからさ
拡張しないんだよ
自分らの民族的な価値観を重視し
他民族の価値観をも尊重する
価値観が違うからといって
無理やり価値観の押し付けをしない
わお!
>expさん
>>823-824 長文解説ありがとうございます
とても分かりやすかったです
僕はリベラル対共同体主義の構図がよく分かってないのですが、
もしどちらかと言われたらおそらくリベラルでしょう
単にリベラルに関する本の方を読んだからです
しかし、リベラルの基礎づけを純粋存在なる人間に置くのには反対します
(というか、僕は基礎づけそのものに反対なのです)
規範レベルでは間主観的に双方が合意できるようなルールを模索する
まったく僕も同意見です
ロールズの格差原理
消極的功利主義の「最大多数の不幸の減少」
あと、個人的には価値観の異なる同士での会話の連帯
あたりがテーマになると思ってます
「価値観の異なる同士が同じルールに乗ることはない」
パラダイム論の延長のような論理ってよくあると思うんです
でも、それでいいのか疑問なんです
多文化政策の欠陥は、文化間の相互理解がまるでないことです
まったく交流しない
そこには誤解と相手の文化の尊厳を踏みにじる行為がはびこる
異なる価値観の者同士が、言葉を通して意見を異にしながら連帯できる社会の模索
これもまた現代の課題だと僕は考えてます
>>835 「お互いに」です
この多文化政策の欠陥は、同化政策と多文化政策の比較の講義で講師が言ってたことから引用しました
「誰が悪い」とか「何が悪い」とかの話を僕はしてません
そんな発想は「悪いものを排除すれば天国になる」という観念に根差しているわけで、道徳的に幼稚(ナイーブ)です
多文化政策の欠陥を埋める新しい政策を探ることが課題なのです
もともとですね、誰もが善人であったとしても世界は不幸になりうるんです
「ヒトラーもナチスもけっして悪人ではなく、澄んだ瞳をもった人たちだった
澄んだ瞳を持った人たちが戦争をした」
今は亡き森毅先生もこう書いてます
「不幸なことがあったのはどこかに悪人がいたからだ」
この発想を吟味してもよろしいのでは?
837 :
exp:2010/10/21(木) 12:53:17 0
>>829 >強いという客観的事実は全く無視するというわけですね。
直接関係ない話には言及していません。だから「…しているという点で」と断っている。
あなたが何を「強い」と言っているのかは不明ですが、少し脱線して書いてみます。
アニミズム→多神教→一神教→ヒューマニズム→ニヒリズム。まず「存在」(「事実」)
から「価値」が切り離される。森羅万象に宿っていた価値は、形而上の世界へと追い
やられ、イデアだの人格神だのに集約される。末期には人間自身が価値の源泉となり
一体化する。近代科学的世界観は、この人間中心主義とセットになって生まれてきて
いる(価値があるのは人間のみ、その他は全て人間の幸福のために供される単なる物
=事実)。そして最後に、価値は完全に消失しニヒリズムへと至る。
科学技術発展は近代工業を興し、その爆発的な生産性が人間生活に様々な恩恵と力を
もたらした。近代科学的世界観と前近代の世界観との大きな違いは利便性という点に
尽きます。様々な病を治癒し、巨大な鉄の船を海に浮かべ、飛行機を空に飛ばすところ
(「強さ」?)を見せられては、鰯の頭に願かけるような世界観は太刀打ちできない。
しかし、近代科学的世界観が広まるようになって、人間は、自然への畏敬の念を失って
しまう。自然は全て己の利便性追求のために好きなように利用・消費されるリソースへ
と変貌する。結果、資源の枯渇、森林伐採、公害問題、動植物種の絶滅、その他環境破壊
など様々な現代的問題を引き起こした。
さらにニヒリズムに至れば、人間への尊重の念すら失われる。人間すらもリソースと見
なす全体主義や大量虐殺・民族浄化も可能となり、これは第二次世界大戦で頂点を迎える。
また、文明の利器により裕福な生活を送れるようになっても、人間の「心」の問題は
山積みに存在している。むしろ増えているかもしれない。
そして戦後、その反省から、政治哲学が長い時を経て復権し、環境問題への関心も高まる
ことになる。別に科学を全否定しているわけではありません。科学でだけでは全ての問題
は片付かないから、サンデル先生らも哲学やってるという話です。
>>834 その交流をしないレベルの多文化政策も、あるいは交流を強制するとしたら、そっちも両方極端だと思うよ。
じゃあどんな価値を大事にするべきなの?
価値相対主義ではダメなことは良く理解していても、実際に選ぶ段階には何を基準にするの?
どうすれば価値に正当性が与えられるの?
>>838 じゃあ、そこを解決するアイデアを出すしかないですね
交流が自然に起きるシステムを考えるしかない
何のために政策を考えるんですか?
いまさら同化政策を言う気はないですよ
政策を考える問いは建て方が違うんです
自由競争を政策手段として効果的と考えるか
イデオロギーとして価値があると考えるかでは議論の内容も変わるのではないでしょうか?
>>839 価値相対主義がダメなのは、それが絶対主義に陥りやすいからですよね
じゃあ、自己を絶対化しないような価値は、他の価値より一段高く見なければならないのではないでしょうか?
>>841 そうやって生み出された価値が、誰かの尊厳や生命財産その他の利益を損なうものだったら?
誰が何の名のもとに価値をランク付けするの?
実際価値のランク付けは誰かの権利を損なうことを正当化するために利用されやすいし、
現時点での世界中の国の正当性の与え方は議会制民主主義に代表される広義の適正手続によって担保されているだけで、
価値そのものを宣言的に称揚しているだけ・・・ともとれない?
>>842 あなたの言うことが正しい可能性はあります
僕は、あなたの発言をそのまま読んで、「あなたの発言が正しい可能性がある」と言いました
それは形而上学の世界では検討できる余地があるというだけです
現実レベルでは、あなたの発言はかなり幼稚なレベルで矛盾してます
何らかの価値が個人の財産の侵害することを懸念するならば
あなたは「個人の財産の保護」という価値を他の諸価値より上に見ているということです
自由もそうです
「自由」という価値を他の価値より上に見るから
あなたは他の価値が自由を侵害することを「不正」と言えるのです
しかし、形而上の世界ではいろんな無茶を考えることはできます
「財産の侵害の禁止」を価値として一段高く見ることが、誰かの財産を侵害しないだろうか?
僕は考えるつもりはないですが、発言したあなたは検討してはいかがですか?
>>84 ん?それは違うんじゃない?
私はどれかの価値を立てれば別の価値によって守られる利益が立たないということを言っただけなので、
> 何らかの価値が個人の財産の侵害することを懸念するならば
> あなたは「個人の財産の保護」という価値を他の諸価値より上に見ているということです
これは単純なミスリードです。
それはいいとして、
形而上の問題ではなく、どの価値を上位ランクに位置づけるか基準を確定的にはいえないんじゃない?
って言いたかっただけ。
あなた自身がこのスレで言ってたじゃないですか、正当性の問題はエゴの問題に集約されるって。
それは
>>844に補足すると、
> しかし、形而上の世界ではいろんな無茶を考えることはできます
> 「財産の侵害の禁止」を価値として一段高く見ることが、誰かの財産を侵害しないだろうか?
これは形而上の問題なんかではなく、現実的に無数に起きている問題です。
法律をかじったことがあったら御存知かと思いますが、財産権の行使がだれかの権利を侵害したり、
財産権の自由な行使を制限されたり。
まあ民法や憲法の価値に文句付けてるわけではありません、念のため。
>>844 あなたの文章で言う「利益」とはなんですか?
価値は規範を形成しますし、規範は禁止の形をとりますから
何らかの価値を認めることは、何らかの禁止を認めることと同じです
ですから、価値は必ず何らかの禁止を強いる
その意味で禁止される側の利益は侵害されるのかもしれません
で、何らかの価値を認めることは、必ずエゴイストの利益は侵害するでしょう
エゴイストの定義は「自分の自我だけを他と区別して特別に扱うこと」ですね
さて、わたしも質問していいですか?
あなたは「具体的に何に価値があるの?」と質問しました
それと対比して、わたしは「具体的に、エゴイストは何の利益を侵害されるの?」と質問していいですか?
>>847 「利益」は規範によって守られるもの全般だと考えてください。
これを言った時点で時代遅れの功利主義者とみられてもしょうがありませんが。
ある人がエゴイストでなくても価値や規範が選択される際には、何らかの正当性が必要でしょう。
その話です。
> それと対比して、わたしは「具体的に、エゴイストは何の利益を侵害されるの?」と質問していいですか?
エゴイストは規範を語ってない、というところには同意しましょう。
エゴイストは何の利益も侵害されません。
>>848 実際に規範が選択される際には正当性が必要です
これは、議論や対話において、ある価値を提出するのに、それをエゴイスティックに提出してはならない
という原理になるでしょう
「わたしが選んだからそれには正当性がある」という理由づけは
議論における正当性要求が排除するわけです
でも、この要求は「わたしが選んだから」という理由づけ以外は排除しないのです
何らかの規範を提案するなら理由を挙げるよう、以前にexpさんも言ってました
当然、「わたしが選んだから」という回答はダメです
そのような理由づけを許すとカオスになる
でも、何らかの選択がその者のいかなる環境や生きてきた経験に左右されないかというと、そんなことはない
例えば、わたしが共同体主義に疎いのは、単にわたしがそのような本を読んでないからですし
西欧の文化圏の学問を勉強したから、そのような発想をする
それだけです
わたしの思考には、わたしが伝統として受け入れてきたドグマが先行する
正当性要求がそのような選択もエゴイスティックと排除するかと言えば、排除しないでしょう
正当性が要求するのは、理由の模索にあたって「わたしが選んだから」という開き直りを禁止することで
思考、対話を続けようとする態度です
>>849 無茶な質問にレス返し続けてくれてありがとう。
> わたしの思考には、わたしが伝統として受け入れてきたドグマが先行する
>
> 正当性要求がそのような選択もエゴイスティックと排除するかと言えば、排除しないでしょう
>
> 正当性が要求するのは、理由の模索にあたって「わたしが選んだから」という開き直りを禁止することで
> 思考、対話を続けようとする態度です
これですね。こういう言い方しかできないところに正義の議論が避けられる一つの理由がある。
自分は他者への共感や他者の痛みを感じる能力を基礎に据えるべき、という話が一番説得力がありそうに思いますが、
正当性の議論からはもちろん逃れられない。延々と続くんでしょうね。
>>850 具体的な理由を模索すれば、内容ある議論はできると思いますよ
共感を基礎原理に置くことにわたしは反対なんです
共感できる者と対話をするのは簡単なんです
共感できない他者と対話することが困難であり、スリリングな知的営みでもある
共感を基礎に置く時、共感できない他者に対して残酷になった例はたくさんあります
あと、議論が不毛に思えるのは同意を求めるからだと思いますよ
わたしは、議論のあるべき姿として、同意を嫌う議論を想定しています
意見を異にする連帯とは、異なる価値観をもつ者同士が表面は同意する連帯ではない
異なる価値観同士が意見が反発し合う連帯なのです
>>851 そういう共感ではありません。
もっと生物学的な共通性からくるものです。
あまり強力な「正当化」はできませんけどね。
>>852 それだと宇宙人が襲来した時にどうなるんでしょう?
多分、昔から、キリスト教徒はキリスト教徒だけが共感を共有できると思ってたでしょうし
白人は白人だけが共感を共有できると思っていたことでしょう
「生物としての共通性」がただ拡大しただけではないでしょうか?
未来において「鉄腕アトム」のように、ロボットが知性をもって言葉を放つようになるかもしれません
われわれの常識を覆す新しい知性が登場するかもしれない
ペットが知性を有するかもしれない
(知性とは「議論可能」というぐらいの意味です)
何かを正当化の基礎に置くことは、それ以外に対して残酷であってもかまわないことを正当化してしまいそうです
わたしにはそれは倫理的態度とは思えません
糞つまらん話をえんえんしてて何が楽しいの?
>>853 昔、白人は、インディオが自分たちと同じように苦痛を感じるか真剣に考察してみたり、
インディオは捕まえた白人を何度も水につけて、苦しんだり死んだりするか試した、
と何かで読みました。
私はこの正当化があなたの言うように万能ではなく、不完全だと知っています。
あなたの言うような危険はよく分かります。
> 何かを正当化の基礎に置くことは、それ以外に対して残酷であってもかまわないことを正当化してしまいそうです
> わたしにはそれは倫理的態度とは思えません
しかし、それを言うことはあなたが今まさに行っている正当化を非倫理的だということです。
いくら開き直っていないと言っても同じでしょう。
例えばあなたは肉は食べますか?殺される家畜かわいそうじゃない?
なら肉を食べることを正当化しているものは?
とか
自分の財産を即刻恵まれない子供に寄付しないの?
それでいいの?
…とかキリがありません
それはあなたにも跳ね返ってきてしまうことでしょう。
856 :
考える名無しさん:2010/10/21(木) 19:48:01 0
ばかばかしすぎる。
せっかく共同体主義という論点が提示されてる場であるのに
どうしようもない話を延々ここで繰り広げるの?
>>853 >何かを正当化の基礎に置くことは、それ以外に対して残酷であってもかまわないことを正当化してしまいそうです
その理屈だと何を正当化するかを議論によって決めようという試みは
議論の壇上に上れない者に対して残酷であっても構わないということにならない?
まあ共感能力に長けた者は議論弱者であっても
対立そのものを回避できるだろうから
正義は議論弱者よりも共感弱者を守った方がいいとは思うけど
>>16-17に沿って言わせてもらうと、
>>17で、「正義」とは「己がもつ大切な何かのためにたたかう」こと である
って書いてるんで、
「正当性」は「己がもつ大切な何かのためにたたかう」こと である
って言い換えてもかまわない。
「正義」や「正当性」はいわば「既得権の確保」であって、「所領安堵」ともいえる。
ただし、
一度手に入れた領土を手放すことは「既得権の確保」の否定だから、
領土の返還や縮小はかなり難しい話になるし、
共同体内部の人口は基本的に増加するものだから、
膨張した人口に応えるために、大抵はさらに「所領」を求めることになる。
これが、
他の「所領」とぶつかると、お互いにお互いの「所領」をかけて争うことになる。
つまり「正義」や「正当性」をかけて戦うことになる。
しかし、その過程でお互いがお互いに対して「強制」しあった結果、
「虐殺」や「強奪」や「暴行」などの「横暴」のかぎりをつくしてしまうことは、
歴史上多々見受けられることではある。
「正義」や「正当性」とは、もろに生活がかかったものだからだ。
そして、いつものとおり、以上の話しの中で「規範」はどこにも無い。
ゆえに、このような悲惨を避けたいのならば、
いかにして「≪否≫強制」をお互いに確保するのかという話になる。
>>857 何も正当化できないのです
が、あなたはいいことを言った
だから、手段による手続き的正義を正義内容と混同するのは危険なのです
これは、同意や全会一致に僕が反対する理由でもあります
>>855 いいんじゃないですか?
そのような問いを建てて考えるのもいいと思いますよ
開き直りではないです
いつでも考え直しますよ
むしろ、あなたはそれを「開き直り」とすることで
あらゆる人の「開き直り」を正当化しようと企んでいるようにすら見えます
しかし、開き直りを許すならば、力を持った者の暴走は絶対に止められなくなりますよ
そういった正義に対する批判のほとんどは
幼稚なユートピア主義に根差しているように思えます
あなたは、「完全な正当化は不可能だ」と言いましたが
「完全でないものには意味がない」という理念に帰依してしまっているのです
そして、これが絶対主義への第一歩なのです
「絶対的なもの以外は意味がない」とか
「完全なもの以外は意味がない」とか
このような全能理念への希求から、それ以外を同じに見るならば
それは相対主義ではなく絶対主義でしかないのです
わたしはexpさんとは違って「相対主義のすべてが幼稚だ」とは思いませんが
全能への希求不可能性から至る相対主義は幼稚であると考えています
フロムは、全能への希求そのものが子供の嗜好で、
他者を愛せないナルシシズムの発露だ
こう言ってました
>>860 > むしろ、あなたはそれを「開き直り」とすることで
> あらゆる人の「開き直り」を正当化しようと企んでいるようにすら見えます
>
> しかし、開き直りを許すならば、力を持った者の暴走は絶対に止められなくなりますよ
>
> そういった正義に対する批判のほとんどは
> 幼稚なユートピア主義に根差しているように思えます
>
> あなたは、「完全な正当化は不可能だ」と言いましたが
> 「完全でないものには意味がない」という理念に帰依してしまっているのです
>
> そして、これが絶対主義への第一歩なのです
> 「絶対的なもの以外は意味がない」とか
> 「完全なもの以外は意味がない」とか
> このような全能理念への希求から、それ以外を同じに見るならば
> それは相対主義ではなく絶対主義でしかないのです
あなたの方が暴走してるんじゃないかと思うのですが。
推測で私の立場を決めつけられても困ります。
いつ私が相対主義者と表明したのか知りませんが、まず論点くらいは理解してください。
つまらない議論ですから自分は切りますよ、あとはご自由に。
一方的な見方をやめよう、寛容であろうというのは素晴らしいことだけど、
そのような考え方すら自分の一方的な見方でしかありえない
でもそれで良いわけだろ。ただ、それを自覚しておけば。他者に寛容たろうとする、
それすら一方的な見方だと切り離しても、何かを語る姿勢すら導けない。
問題なのは自己をまるで一方的ではないかのように振る舞ってしまうことでしょ。
自分も含めみんなある程度偏ってるっていう感覚は必要だとは思う。
ただ、そう思うのも、そのような価値感が形成された共同体とは独立してない。
それは自分を育んだ環境への愛着や共感を否定しないことで言えるんでしょ。
>>861 そうですか
議論を打ち切りましょう
僕にとってもあなたが何を批判しているのか分からないので
僕にとって「正当性」を考えることと、持論を正当化することはまるで違うことなので
あなたの言うことが僕に帰ってくる意味がまるで分からないのです
何より、正当化に限界があるからこそ、正当性を問うことに意味があるのですから
あなたはやはり「正当性」や「正当化」に対して何らかの誤解を抱えているとしか思えない
例えば、僕が肉を食べることと、僕が「肉を食べるために牛を殺すことは正義だ」と言うことは違います
あなたの意見ではそこは結び付いているのですが
そこを結びつけているのはなんですか?
864 :
考える名無しさん:2010/10/21(木) 21:53:43 0
>>863 公正を実現するためには立場というものは一人につきひとつであるべきだから
>>863 そうですか
僕は公正を実現させるのには反対ですね
公正が実現したら、その社会は二度と変革しないからです
866 :
考える名無しさん:2010/10/21(木) 22:00:00 0
(ノ∀`) アチャー
867 :
考える名無しさん:2010/10/21(木) 22:01:16 0
欺瞞に満ちた世界ならヘンカクなんてしなくても放っておけば勝手に実現するお
前スレでも同じことを言いましたが
現在の政策が正義であると胸をはれる必要はまるでないと思ってます
>>867 欺瞞のない世界が実現したところで、不幸は起きるかもしれない
そんな不幸を目の当たりにして
「でも、この世界は欺瞞がないから」と目の前の不幸に目を背ける方が僕には嫌です
不幸を減らせる社会が僕の理想です
それには、社会が常に変革可能性を保つこと
これが僕が社会に求める第一条件です
870 :
考える名無しさん:2010/10/21(木) 22:16:20 0
正義がなんであるかなんて結論が出るわけがない。
共同体主義の文脈であるなら、共同体内では正義が何であるかについて
ある程度の合意があるとしか言えないでしょ。
871 :
考える名無しさん:2010/10/22(金) 00:40:38 O
正義
辞書で調べようよ
マジで
872 :
考える名無しさん:2010/10/22(金) 00:48:40 0
どっちが幼稚なんだか…
873 :
exp:2010/10/22(金) 03:48:48 0
ところでサンデル先生の『これからの「正義」の話をしよう』はみんなもう読んでるの?
最低限、下記の原本くらいは既に読んでるなら、別にサンデル先生の入門本を読んで
いなくても別にいいけれど。
・ベンサム『立法と道徳の原理序説』
・ミル『功利主義論』
・カント『人倫の形而上学の基礎付け』
・ロールズ『正義論』
・アリストテレス『政治学』『ニコマコス倫理学』
・ロック『市民政府二論』
・ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』
・ハイエク『自由の条件』
・フリードマン『資本主義と自由』
・マッキンタイア『美徳なき時代』
そうでないなら、『これからの「正義」の話をしよう』の一冊くらい読んで、その内容に
ついての話くらいしよう。
しかし改めて考えてみると、サンデル先生ってけっこう入門本の類いを出してるな。
これで何冊目だろ。
874 :
考える名無しさん:2010/10/22(金) 04:00:05 0
白熱教室第6回まで聞いたが、カントの考えがわかりません。
カントの考え方からすると、おのずとこれは道徳的行為か否か
明確に区別できるのですか?その基準とは
義務のため自律的に定言命法に従う行為が道徳的な行為
ということでいいのですか?
875 :
exp:2010/10/22(金) 04:34:33 0
>>874 カントの場合、まず普遍化原理というのがある。
「なんじの意志の格率がつねに同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」
基本これに沿うものは道徳的に善しとなる。例えば「自分の利益のためには好き勝手に
約束を破っても良い」というルールは、もし全人類が実践しだしたら誰も約束なんて
信用しなくなり、まったく意味をなさなくなる。だから却下される。それで逆の「約束
はみんなきちんと守りましょう」が道徳的となる。
ここから人間尊重原理が導き出される。
「人間性を常に目的として扱い、決して手段として扱ってはならない」
普遍化原理の方はいろいろ突っ込みどころ満載なので、今ではあまり擁護者もいない。
今もカント倫理学を標榜する人は、もっぱらこの人間尊重原理の方を掲げている。
功利主義と真っ向から対立するのはこれ。人権思想の基礎みたいなもの。
例えば、無実の罪の人を凶悪殺人者にでっち上げて公開処刑することで犯罪抑止効果を
上げ、社会全体の幸福量が大幅に増加したとする。これは功利主義的には善しとされる
けれど、カント的には「無実の罪の人」を「手段」として使っている点から、彼の人間性を
尊重していないことから、悪となる。
ナンデアル サンデル
877 :
考える名無しさん:2010/10/22(金) 11:38:14 0
このスレでも、自分は倫理的だ!ってかんじの奴ほど
すぐ相手を幼稚だ、非倫理的だ、って決めつけるのな。
そのくせ自分の間違いは認めない。理解できないのも相手のせい。
そもそも対話できてないのはおまえじゃねーかと
>>877 「倫理的」とか「幼稚(素朴)」とかの定義はできてますか?
あからさまに「酸っぱいブドウ」みたいな発言をしなくてもいいんじゃない?
>>expさん
このような流れを見ると、「正義」とはまったく違う価値へのコミットが一つの知的文化としてできている気がします
「正義」は客観主義的な理念です
「エゴイズムの禁止」を基礎に置く形で、客観的な理念へのコミットを要請します
そのような客観主義的な文化とは別に
主観主義的な知的文化もあるでしょう
彼らがコミットする価値は「誠実さ」です
本を手放したので正確な定義ができないのですが
「誠実さ」の定義は「自分が感じたことを正直に語る」みたいな感じです
「誠実さ」の価値は客観的な理念へのコミットをしていないので
「矛盾の禁止」や「エゴイズムの禁止」と言った規範をつくりません
どちらがどうこうと言うのではなく
そのようなまったく相容れないような知的文化があります
現実の文化レベルでの様々な変化はまだ同意に達する可能性はありますが
哲学ではまったく異なる知的態度も現れたわけで、
現代では、同意に達せないレベルで知的に相容れない文化が発生している
現実な規範を考えるにあたっても、そういった知的文化との同意に達しない対話をしていくことは大事な気がします
expさんはどうお考えですか?
880 :
考える名無しさん:2010/10/22(金) 19:10:52 0
矛盾の禁止もエゴイズムの禁止も人間本性から出てくるよ
サンデルってギリシャ語できるの?
アリストテレスくらい原語で読みこなせないやつに
徳の重要性とか語って欲しくないなあ
アメリカの公共ラジオのコメンテーターが、「飛行機に乗って、いかにもイスラム教徒という格好をした人が乗っていると、
不安を感じる」と言って首になったけど、こううのを誠実というか、正直馬鹿って言うんだろうね。
ポリティカルコレクトネスは保守派には評判が悪いし。
ユダヤ人相手にこんなこと言ったら、ただじゃ済まないけどね。
883 :
考える名無しさん:2010/10/22(金) 21:31:43 0
不安を感じるのには、理由があるだろ。
それは、必要だから不安を感じるんだよ。
高い不安定なところに立つと、人間は不安を感じる。
それは、必要だから不安を感じるってことだよ。
そこで不安を感じるなというのは、ロボトミー手術をして
必要な部位を削除するようなもんだろ。
無茶な話なんだよ。
>>884 某スレにも同じ書き込みがあっからな
両方に書き込んでるのは俺だけだから、その書き込みをした人が俺を意識しているのは分かる
あくまで、書いた人が精神分裂ではないという前提の上に建てた推測でしかないが
そういった推理ぐらいできなければ、まともな会話はできないと俺は考えてるもんでね
このスレだけに書き込まれてたら、多分、分からなかったよ
そんなこと考えながら書き込んでるのかよw
哲学版って…
887 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 02:24:36 0
哲学板って知性的な人が集まっていると思ったが、実際は自分の言いたいことを
言っているだけの似非知識人しか集まっていないということがわかってがっかりだ。
言うのだけだったら小学生でも誰でもできる。それにジャーゴンを混ぜれば
もっともらしくみえるだけど、正確な知識、体系的な知識が無いのはめいめいはくはくだ。
きちんとした教育を受けている人(哲学を大学で学んだというだけでなく)は極めて少ない。
特にこの板はね。
名前つけてる奴も哲学論議はしてない。
みな言いたいことをうまく言いたいくせに、
もったいぶった言い方しかしておらず、
いたずらな議論を繰り返しているだけ。
>>887
集まっている、という表現は正しくない。
コテは無数だがほとんど一人の自演だから。
民主主義の弊害は揚げ足取り。
>>887 正確な知識、体系的な知識が無ければ、
語れないとか、間違ってるなんて事は無いけどな。
学問的なフォーマットにこだわりすぎだよ。
892 :
大日本言論報国会:2010/10/23(土) 08:42:29 O
>>887 働かない左翼が
ダメ連的にチョーシこいて
怠ける事を正当化する
知的自惚れに浸る場所。
サンデルのおかげでせっかく盛り上がったのに。
間違いを認めない人、すぐに相手の人間性を否定したり、決めつけたりする人はこの話題に向かない。
幼稚、傲慢な人一人のせいでつまらなくなってしまった。
名無しと謙虚に議論して盛り上げるのが、おまえくらいのレベルに一番求められてるんだよ>ンドール
>>893 あ!、893(ヤクザ)とられた
まぁ、サンデルで盛り上がるのはいいよね
俺もサンデルで盛り上がりたがったんだけど(道徳問題について考えるのは好きだから)
つい横から口出ししたら、いつのまにか議論の中央に陣取っちゃったよ
前スレ見たら分かるけど、最初は議論が噛み合ってないように感じて横から口出ししただけなんだよね
議論の方向がブレた責任は俺にも半分はあるだろうね
俺がこのスレで名無しの相手をしたからね
一応、サンデルスレに気をつかって「別スレに移動しよう」とは言ったんだけどね
だから、このスレの進行役は、本当は知識があるexpさんがやった方がいいんだよ
(俺、読んでる本が偏ってるもん)
>>873 NHKでやってる放送は全部見た、じゃ駄目なの?
ンドールの鈍感力がハンパねぇw
どう見ても皮肉だろ
897 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 14:20:09 0
「空気読め社会」は「メニューも呼び鈴もない飲食店」
客は出されたものを黙って食って言い値の代金を払うしかない
それに対して「空気読まなくていい社会」は完全機械化された自動販売機みたいなもんか
899 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/23(土) 18:22:34 0
東大に寄付をして裏口入学するのはかなり批判があるようだが、
東京マラソンにチャリティ枠に寄付をして、出場するのは正義か?
金を払う余裕があるものだけがマラソンを走れるのは、金持ち優遇ではないのか?
901 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 20:36:21 0
知力の勝負に金を持ちこむのは正義か?
走力の勝負に金を持ちこむのは正義か?
どっちでもよくないか?
道徳に関わる話には違いないが
正義が関わるべき話かっつーと何か違う気がする
要はどっちでもいい
「チャリティ枠」なる言葉は耳慣れないのが多くの人の感覚だろうか。
リバタリアンは政府が金を金持ちから毟る取るのは断固拒否するが、
自発的な寄付による貧民の救済があるべき姿とみなしている。
実際アメリカ社会は、日本と比べものにならないくらい寄付が一般化している。
自発的な寄付と、政府による救済のどちらが完全なカバーが出来るかという問題はあるが。
ちんぽ勃起
まんこクンクン
ちんぽ勃起
まんこクンクンちんぽ勃起
まんこクンクンちんぽ勃起
まんこクンクン
ウィキリークスがイラク戦争の機密文書を大量にリークした。
アメリカ国務省は「同盟国の兵士、民間人の命を危険にさらす」と非難している。
しかしこのリークにより、拷問や虐待、殺人が闇に葬られていたことが明らかとなった。
国務省の言う通りこれは兵士や民間人の命を危険にさらすのは間違いない。
しかしながら明らかに拷問や殺人といった正義にもとる行為が、隠蔽されていたのも間違いない。
「同盟国の兵士や民間人の命を守る」ためであるならば、犯された犯罪行為を不問に付すことは正義か?
907 :
リバタリアン:2010/10/23(土) 22:04:24 0
わたしは賢者中の賢者です
まだ固執しています
908 :
exp:2010/10/24(日) 00:21:25 0
>>895 別にいいけれど、そんないつまでも内容おぼえてないでしょ。
細かいところまで。
909 :
考える名無しさん:2010/10/24(日) 08:43:32 0
>>901 その競技の趣旨によるよな。
純粋に知力や走力の優劣をみたいなら、
競技のルールでそう書けばいいし、そうでないなら、別にそれでもかまわない。
個別の競技について、どのような趣旨で行うとしても
それは正義うんぬんには関係ないと思うよ。
東京マラソンって出場するのに抽選や選別とかあるの?あるとしたらそれをチャリティ枠というもので出場するくらいはいいと思う。
チャリティ枠の人が20キロくらいしか走らないのに公式の人と同じ記録を与えたとしたら問題だと思う。
>>900 > 東大に寄付をして裏口入学するのはかなり批判があるようだが、
この部分、サンデル教授が、金額を上げて「功利主義者」に再確認したシーンは面白かった。
金額が上がれば正当化される余地があるというのが、
日本人の自分から見ると予想の斜め上を行ってる。
912 :
考える名無しさん:2010/10/24(日) 21:03:45 O
@東大のトモマサの主張が、私は共感出来ました。
913 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 13:50:31 0
ネトウヨきめえ。
WW2ドイツを擁護する奴は論外。
あれは世界恐慌の対策で国債発行しまくったつけを戦争で蹴りつけようとした有り得ない戦争だよ。
日本がWW2に参戦する開戦前の大本営作戦課の話を知ってたら
あの戦争を擁護できないのわからないのか?
東條英機はただの軍官僚でお飾りにすぎん。
確かに東條英機に哲学があったのかと言えばかなり疑問だが戦争しなけりゃ
あのままアメリカにいいようにされてしまってたけどね…
915 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 14:34:15 O
南部仏印に進攻したのがマズかったな。
それがハルノートの引き金になった。
あっ、だがその前に日独伊三国同盟を結んでいるから、連合国との戦争は避けられない情況だったろう
ただひとつ日本だけの事情で戦争に突入したわけじゃない。
39年にドイツが戦争を引き起こしたことも大きく関連している。
はっきり言えば、資本主義化が遅れた国と進んだ国とが分かれて戦った戦争だったということ。
>>16にリンク貼った過去スレの152「日本文化は幸せな「浸透」」の参照元を貼っておく。
和むかどうかっちゅーと、またちょっと微妙な話だけど、欧米系から見た日本の評価の話
俺の友人の飲み友達に、人類文化学の教授がおってな
彼の分析と、同じ研究者として向こうの連中と話しあった結果、欧米が深層心理で日本をどう思っているかって結果が
「同化される恐怖」
なんだと
たとえば、日本になにか新しい文化が投入されるとする
普通の国の反応ってのは、大概それに対して拒否反応を起こして反発するか、事大主義のようにそれ一色に染まる二極分化らしいんだけど
日本の場合、「自国の今ある文化と矛盾がないように、ゆっくり吸収して、同一化する」傾向が強いんだって
同じように日本の文化が海外に出た場合
はじめは拒否反応を起こされることが多いんだけど、いつのまにか「COOL!」であると評価をひっくり返し
その後、ゆっくりとその国の文化の中に溶け込んでいく傾向が強いんだと
この「同化吸収」ってのが、「いつか自分たちが日本の文化に染まってしまうんじゃないか」っていう恐怖になるらしい
基本が「征服と服従」である欧米や中国の文化とあまりに違うので、理解しずらいってのもあるみたい
で、彼らが一番恐れているのが、「それを日本人は意図しないで、ごくナチュラルにやっている」こと、であり
しかも、「その現象そのものはなんら苦痛をもたらさず、むしろ心地よいため自然に受け入れてしまう」こと、だからなんだそうだ
意図を持ってやっているものは、それを見抜いてやめさせることが出来るけど
意図せずに、呼吸をするように自然にやっていることは、やめさせることが出来ない
そもそも、いつの間にか自分たちがそれを望んで染まっていくので、どうしようもない、って
苦痛もなく、むしろ快感の中でスライムにゆっくり消化されていく状態、とかそれに近い妄想を抱かせる恐怖らしい
「アインシュタインの予言」あたりの考え方も、この辺に根ざしているのかもしれんね
http://11874.jugem.jp/?eid=2177
917 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/25(月) 15:01:35 O
島国日本にはたえず閉じた閉塞感があって、だから外来からの文化に飛び付きやすい。
そこに文化的侵略への恐怖がなくのんきだ。
こののんきさは日本が単に島国だけではなく、中国と朝鮮という二重の防波堤に守られてきたことによる。中国より向こうの侵略は中国が防ぐ、中国からの侵略は朝鮮が防ぐ二重の防波堤の向こうに日本はある。
918 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/25(月) 15:09:37 O
外来文化吸収にはパターンがある。世代論として吸収される。
外来文化は新しい世代が旧世代を否定する形で吸収される。
大人たちは古いんだよ!というわけで、また次の世代も新たに外来文化で前世代を否定する。
このように日本の閉塞した近親相姦的血は薄められて健全性が保たれる。
異常な外来文化への欲望は日本人の生きるすべた。
この非連属性が年輪のように積み重なり日本文化はできているので、
いざ日本の伝統文化とはいわれると、これだ!といえない。
920 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/25(月) 15:20:13 O
しかし世代ごとに日本人がそれほど違うかといえばそうでもない。
新しい外来文化にかぶれるが、古層とでもいうべき文化の連続性は保持されている。
閉じた島国日本は言わずもがなとしてコミュニケーションをおこない、改めて言語として現前化する習慣がない。
多様な文化がある大陸では異なる共同体へ伝えるために、言語として現前化することが必要で、そのための技術が研究される。
すなわち多文化人を言い負かすために理路整然と見せる方法、哲学もそうして研究の一つだ。
日本人のハイコンテクストは言語でなく習慣として、すなわち身体の同期による伝承を基本としてきた。
921 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/25(月) 15:28:41 O
ここにも日本人が外来文化を吸収しやすい理由がある。
古層は日常生活の中で身体伝承を伝承されるから、頭が空っぽだから、外来文化を受け入れやすい。
しかし身体に古層が刻まれているから、流行りものに次々かぶれても問題ない。
真に外来文化が浸透するのは世代を越えて慣習としてだからみなにじっくり浸透する。
そのときには元の原型をとどめておらず日本風になっている。
古くは仏教もそうして神教と同化してきた。
922 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 20:38:19 O
波平さんはボヤッとし過ぎだよ
ハッキリしてない
解説者なの?
オレも○○や○○と同じように
ていうような自分が思い描いた存在に成りきろうとしてるように感じる
ボヤッとし過ぎちゃ
煙にまいちゃ
ダメだろ
923 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/25(月) 22:00:34 0
924 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 23:08:50 O
携帯なので観づらいです
925 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 01:00:29 0
そもそも宗教に「はまってる」人種が理解できない。あんなもん、ただ飯食う為の
まがい教団。 日本人はただの儀式(イベント)として受け入れてるだけ。
神が立派な教会や宗派の争いを指示するだろうか? そもそも神のとは、、。
「教え」は経験・記録による解釈。 単なる学問。
日本人は熱しやすく冷めやすい。いいものだけを吸収し開発する。
サンデルに聞いてくれ。中国(+朝鮮)は蒙古襲来を何故、謝罪・賠償しないのか?
笑)
926 :
exp:2010/10/26(火) 01:07:55 0
サンデルは哲学者であって歴史学者じゃあないんだよ。
歴史的事実の認識に関しては別に権威ではない。
あくまで理論的な研究が中心。
無論、理論を応用させて政治的主張をすることもあるけれど、
白熱授業で取り上げている例の殆どは、理論紹介のための
ケーススタディーであって、それが事実かどうかが重要な
わけではない。
●2ちゃんねるの階層
@上級者:一方的にレスする(他人のレスに反応しない)。目的は、他人をバカにしたり陥れること。
読むのが面倒なurlを根拠として示し、嘘を混入させて低学歴2ちゃんねらーに間違った情報を信じ込ませる。
2ちゃんねらーは感情的なので、都合の良い情報だと嘘でも信じ込む。テンプレ化して、コピペして貼るだけというのが効率的。
また、一方的に罵倒して去る。
A中級者:一方的なレスもするが、他人のレスにも反応する。目的は、他人をバカにしたり陥れることだけでなく、情報を得ることでもある。
アホな2ちゃんねらーにも付き合ってしまうという点で、上級者とはいえない。
まだまだ2ちゃんねるを情報を仕入れる手段と思っている節があるが、一方的に情報を押し付けることができるようになれば上級者となる。
B下級者:他人のレスに反応ばかりする。目的は、2ちゃんねるという低俗なメディアで情報を得ること。
バカなので、「2ちゃんねるで真実が分かる」、「マスゴミは偏向報道だが、2ちゃんは中立的」などと思っている(そもそも2ちゃんねるもマスメディアである)。
言わば、情報障害者、コミュニケーション障害者。ゴミ情報をたくさん集めて事情通になったような錯覚をするが、実際はゴミの塊でしかない。
歪曲されたデータ、情報に引っかかりやすい。他人のレスに反応するばかりなので、貴重な時間をムダにする(それにすら気づかないのが2ちゃんねらーというアホ)。
928 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 14:08:25 0
nhk板にいただろ?
沖縄戦の遺族が「勝手に英霊にされ、靖国に合祀された」と訴えていたが裁判に負けた。
グーグルのストリートビューでは、自分の家を削除して欲しければ、グーグルに申請すればよい。
私を所有するのは私であるという原則から、自分の家の画像を削除してもらう権利があるのは当然に思える。
しかし宗教行為の自由から、靖国の場合は勝手に合祀し、削除要請にも応える必要はない。
グーグルと靖国、その道徳的違いは何か?
930 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 16:49:32 0
靖国は共同体の根幹だからね。
共同体は生まれ落ちたときに所属が決まるもので、自分の意志で安易に抜けたり入ったりできるものではない。
逆に、そうした安易に出入りできる共同体は、偽の共同体でしょう。
グーグルの方は、書かなくても自明だよね。
共同体のためでも、その構成員の自由や権利をどこまでも侵害できる訳じゃないからね。
遺族の希望を聞いて合祀をやめたら、共同体が成り立たなくなるかといえば、そんなことはないと思う。
共同体の根幹を脅かすことでないなら、共同体に対してノーと言う権利はあると思う。
932 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 18:17:36 0
むしろノーと言い続けないと
靖国の存在が忘れられてしまうと言う現実
サンデルはノーと言わせる人間とイエスと言わせる人間を
無理やり作り出そうとしてる感じ
933 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 19:33:26 0
935 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 20:56:20 0
正義とは何か?
右翼「共同体を守ることが正義である」
左翼「個人を守ることが正義である」
これが本質だろう。
うむ。結局、個人と社会、どちらに重きを置くかだよな。
937 :
考える名無しさん:2010/10/27(水) 01:08:40 0
共同体=本能
個人=理性
だね
938 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/10/27(水) 08:40:25 O
俺のイメージだと
右翼「国の誇りを守ることが正義である」
って感じなんだが
940 :
考える名無しさん:2010/10/27(水) 09:04:36 0
>>939 たまたま、日本では国が一番強力な共同体だから。
一番重要な共同体を守ろうとするのが右翼。
それがどの共同体になるかは、地域によって違う。
>>940 いや、僕の言いたいのは国ってとこじゃなくてね
右翼の人は共同体を守ることが真意なんじゃなくて、それを守ることで自分たちの
アイデンティティー・自意識を確立させようとしているんじゃないかってこと。
私はこれこれこういう人間でこういう主張を持っていて〜 ってやるのはある意味大変なことだと思う。
特に共同体意識の強い日本人だからね。
だからそれよりも 「俺は日本人だ!!日本人だ!!」って言ってれば、とりあえず自分は何者か証明されて安心なわけ。
そんな彼らの魂胆というか無意識が見える、ということ。
まあ誰でも感じていることだとは思うけどw
そんな奴は学生くらいまでで目が覚める。
ただ何かしらの価値を保持することがアイデンティティを保持することに直結してる奴らは多いぞ。
口には出さなくても。
奴隷根性だなと思うが。
943 :
考える名無しさん:2010/10/27(水) 10:01:45 0
>>941 それを含めて、共同体なんだよ。そのアイデンティティー・自意識の確立を含めてね。
人間というのは、共同体を作る本能がある。
その本能を分析して、良い悪いを言ってもしょうがないでしょう。
それは、生存本能にケチをつけるのと同じだよ。
まあ日本人という漠然とした不安定なイメージでアイデンティティーを確立させようとするから
行動が激化するんだろうなぁ
>>943 いや、彼らのアイデンティティーは漠然とした不安定な日本という概念だから、イメージが命。
そのイメージの最も重要な美や誇りを守るためにむしろ共同体の構成員の為になっていないことを普通にやる。
本当は共同体の為じゃない、自分の自我の為にやっている。
それが一般に右翼が嫌われる要因だろうと思われる
946 :
考える名無しさん:2010/10/27(水) 10:41:25 0
>>945 人間は、そういう本能を持つんだよ。
それを本当の共同体の成員ではないと言っても、単なるレッテル張り。
本人がその共同体に生まれ、共同体に強い帰属意識を持つなら、成員だよ。
要するに、人間は集団で生きる本能があり、その本能に従ってるだけの話。
>>946 何が言いたいのかよくわかんないね
本能なら何してもいいって言いたいのか
右翼団体を悪く言わないでくれってことなのか
まあとりあえず良い悪いで言ったら右翼は悪いほうのイメージに入るな
右翼活動で捕まったやつ多いし
本能なら捕まるようなことしてもいいのw?
成員とかどういう意味合いで使ってるのかわからないけど
少なくとも俺には何の価値も含まれない、ただの同じ共同体の人間という意味しかない
成員ではない って意味が訳わかんないけど 同じ国に生まれちゃったもんはしょうがない
>>916 >>919 続き
で、このスレでは、≪サンデルが考える共同体のなかなら≫誰にでも通用する道徳があると仮定して〜
もっといえば、≪西欧の倫理学的基礎を土台とした≫誰にでも通用する道徳があると仮定して〜
話が進むはずだったけど、
俺はそれを最初から
>>16-17のように全否定してかかってたわけだ。
つまり、
≪道徳は絶対≫という考えに対して、≪道徳は個別≫という考えをぶつけたわけだが、
どうも反対者を認めるだけで、≪道徳は絶対≫という考えは崩壊すると言うか、
声高々に唱えられなくなる、腰砕けになる、己の正義に酔えなくなるのかもしれない。
俺個人はこれをこうも捉えている。
難しい漢字や横文字を引っ張り出しても、興味の無い人には何を言ってるのか分からない。
≪西欧の倫理学をしっかり学んだなら≫誰にでも通用する道徳があると仮定して〜
話しをされても、
≪西欧の倫理学を知りたくも無い≫人々にむかって話しているわけではないので、
基本≪西欧の倫理学をしっかり学んだなら≫の人は、
≪西欧の倫理学を知りたくも無い≫人々を不勉強と罵り蔑んで終わってしまうだけなわけだ。
俺個人としては、≪やまとことばだけで倫理学を考えるなら≫
日本人の誰にでも説明できる道徳を目指せるとは思っている。
だが、こんな議論すらおそらく大半の日本人にとってはどうでもよいし、そろそろサンデルも忘れられる頃合だろう。
日本人にとって大事なのは、いま道徳が向いているその方向にあわせていくことだけだ。
もしも己の道徳とか考えを持ったなら、風見鶏のようにまわりにあわせることができなくなる。
そんなことになれば、まわりとぶつかることになり、いらぬ衝突を、お互いへの「強制」を招くことになるだけだからだ。
そして、小室直樹が言ったように、日本人は戒律が大嫌いで、おそらく道徳の論議も大嫌いだ。
なぜなら、夏目漱石が「とかくこの世は住みにくい、両隣向い三軒が神様だ」と言ったように、
とにかく争いや面倒を避ける「≪否≫強制」を、日本人は自ずと実行しているからだ。
おそらく「≪否≫強制」を体現した次の一文だけで、日本人の道徳談義は終了する。
曰く、
「他人(ひとさま)に迷惑をかけるな」
949 :
考える名無しさん:2010/10/27(水) 17:16:03 0
ウヨ=朝鮮人=893だし。
ネトウヨ=低学歴、底辺層だし。
そいつらを哲学的に分析しても哲学なんぞ持ってない。
むしろ心理分析したほうがいいくらい。
950 :
考える名無しさん:2010/10/27(水) 17:40:14 0
右翼は弱者なんだよ。
弱者が本能的に共同体に頼ろうとするのは、当たり前で
戦略としても間違ってない。
951 :
考える名無しさん:2010/10/27(水) 17:49:12 0
>>950 アウトサイダーだろウヨもネトウヨもなw
迷惑なだけ。戦争が起きたら愛国連隊作って最初に最前線に行ってほしいね。
952 :
考える名無しさん:2010/10/27(水) 17:55:03 0
弱者にとっては、個人主義とか自由とかは、不利なんだよ。
能力のない人間にとっては、こうしたものはマイナスにしかならない。
共同体主義、全体主義、集団主義、これらは弱者にとって有利に働く。
その変の嗅覚が日本の弱者は優れてるよ。
自分にとって戦略的に有利な制度を直感で正しく選択できる。
それは戦略的に間違ってないから、つまり弱者にとって正しい選択だから
バカと批判することはできないな。
953 :
考える名無しさん:2010/10/27(水) 18:18:21 0
>>952 貧困の挙句の愛国?中国人笑えないな。奴らは国を誤るぞ。
954 :
考える名無しさん:2010/10/27(水) 18:46:19 0
>>953 集団主義でも、怠けてたらダメだよ。
弱者は弱者なりに懸命に働くんだよ。集団主義の中でね。
そして、周りにもそれを強制する。自由とかはない。キリギリスではなくてアリの選択。
これが、弱者にとっては最善の戦略。
これで、個人の資質にあまり大きく左右されずに、みんなが食べていける。
955 :
考える名無しさん:2010/10/27(水) 18:54:24 0
「共同体」の一語だけで妄想膨らまして生ゴミみたいな呆論たれながすのはもうやめてくれ〜
サンデルは個人の価値観を全面に押し出してガンガン議論しろって言ってるんだけど
やっぱり、共同体主義というネーミングがまずいよな
なんとなく共同体主義と言われると国の言うことにはなんでも従えって主張のように聞こえてしまう
957 :
二十一世紀:2010/10/28(木) 05:37:02 0
>>674 えっ?こっちが経験と分離するべきって主張している?
>>677 >あぶくみたいな言葉を並べても何の意味もないよ。
俺の立場---あぶく風の現実
あんたの立場---現実風のあぶく
実は、哲学以前に、実践者として人間の生の現実を直視し、そこで革命的ともいえるほどの
驚愕するべき事実に気付いていることが最大の根拠になっている。
ゲスやヤンキーなどのような権威主義的性格の手合いでは、民主主義が賢さの自己絶対化による馬鹿、
それも絶対的馬鹿であることがほんの基本的な常識にすぎず、このような者のうち少なくとも大人で
そう思っていない者が誰もいない、しかもそれが決して感情的にオーバーに言っているのではなく、
本当にそうだということ。
このことについてだけは、国内だけでもうんざりするほどゴロゴロ転がっており、
データ的に申しぶんない。気付いて15年ほどになるが、その後今に至るもそれを裏付ける
データが続出しこそすれ、反証するデータが全く出ていない。それでもいぶかるようなら自分で
注意して観察してみればいい。驚いた眼差しで納得するしかないはず。
ところが、権威主義的性格の者たちを除いては、哲学に限らずこのことに気付いている気配さえない。
(気付いたが最後大騒ぎすること必定。)だから、それをスキップしてしまっている哲学は、
たとえどんなに緻密な建造物を構築している(それとて本当にそうかしら?)としても
所詮は砂上の楼閣にすぎないのが現状。
>デカルト批判
なによりヘーゲル批判のつもりなんだけど。
それとヘーゲル越えのアイディア。それも相対主義に陥らない。
958 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 08:31:40 O
>>952>>954は確実に正論でしょ
倫理も同じことだが道徳は無視できる範囲だと言えますね
その企業倫理や企業道徳がどうなのか?という部分が問題となるものを政治にも反映させていると思うのだが
つまり自由競争となった社会は役人の思うつぼになったわけだ
ある程度企業戦略や市場戦略としてルールが
倫理を少々無視しても昨今の状況じゃあしょうがないよね
という部分は政治倫理も失わせるということ
はきゅ〜んに次ぐはきゅ〜ん
あ
派生
ss
960 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 21:53:18 0
サンダルを履いたサンデル
サンダル教授はただのトークショー・ホストだよ。新しい思想などなにも生み出さない。
観客を喜ばせる商売をやってるだけ。
962 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 10:47:28 O
youtubeに出てたRinaって日本人?
すごい綺麗な英語でびっくりした
猿岩石の有吉がロックフェラーの完全支配とかサンデルの本買ってて驚いた
やっぱり人間つまづいたときに行きつくところは大体のパターンがあるんだな
こいつただの反日じゃん
東大生も自虐気持ち悪い
965 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 21:46:31 O
>>915 南部仏印進駐の原因は
石油禁輸
順番
石油禁輸決定→南部仏印進駐(日仏の平和的合意)→石油禁輸実施
戦後の歴史教育では
原因と結果のスリカエがよくある。
966 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 21:56:47 O
967 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 22:09:40 0
>>965 順番が逆だよ。英米は進駐が行われた場合は経済制裁措置を取ると警告していた。
それを無視して南部仏印進駐を強行したため石油の禁輸措置が取られた。
>戦後の歴史教育では
>原因と結果のスリカエがよくある。
単に君が歴史を良く分かってないだけだと思うが。
968 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 22:49:13 O
共同体主義と全体主義の違いは、何?
個人の権利が尊重される度合い。
11月25日
平凡社新書 『サンデル教授の政治哲学』 小林正弥 840円
難解と言われるサンデルの5冊の著書を、NHK「白熱教室」の解説でもおなじみの著者が読み解く。
全著書が1冊でわかる!
971 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 08:16:38 0
個人を尊重するのは、共同体主義とは言わない。
モノをつくって、それが売れたとき、普通、もっとつくってもっと売ろうとする。
100個売れたなら1000個つくる、1000個売れたなら10000個つくる。
しかし、お客にはやはり限りがあって、たとえば実はお客が3000人しかいなかったときに、
10000個つくると7000個売れ残ってしまうのだ。
人はどうしてもまっすぐ進みたがるため、このようなことが起る。
≪効率の最大化≫を望むからだ。つまり楽をしたいのだ。
モノが売れるのは山なりの曲線のようで、初めは右肩上がりでもいずれは右肩下がりになる。
それを見ないで、右肩上がりに進もうとすれば、在庫の山に沈むことになる。
このような失態を避けるには、
次々に新商品を開発するなどして、次々に新しい山なりに乗りかえなくてはならない。
例えるなら、惑星の公転軌道のように、曲線に沿って進まなくてはならない。
直線にすすめば、宇宙のかなたへ放り出されるだけだ。
直線ではなく、ある一点を中心にして回り続けるしかないのだ。
これを「正義」という宗教に置き換えてみよう。
百人の信者が得られたら、千人の信者を得ようとする。
千人の信者が得られたら、万人の信者を得ようとする。
万人の信者が得られたら、億人の信者を得ようとする。
しかし、「正義」にもやはり限界があって、
他の「正義」を信じるものたちにまで広めることはできない。
人はどうしてもまっすぐ進みたがるため、このようなことが起る。
己の「正義」だけしか見たがらないからだ。つまり楽をしたいのだ。
それを見ないで進もうとすれば、いらぬ衝突を招くことになる。
このような互いの「強制」を疎んじて「≪否≫強制」を望むのなら、
時節に応じて主義主張を使い捨てにしたり使い分けたりしていくしかない。
また、無理に相手を従わせようとしたり、無理に相手に従うのではなく、
相容れないものは相容れないとして放って置くしかないのだ。
人は、楽をしたいから直線を好むが、それは「正義」ではない。
面倒でも曲線に沿うていくことこそ「正義」なのだ。
>>972 >相容れないものは相容れないとして放って置くしかないのだ。
残念ながらその結果は、航空機がビルに突入してくる。
相手を完全に屈服させるか、それとも共通の正義を見いだすか、どちらかしかないのだ。
連中は「妥協」もイデオロギーだと思っている。
ってか本当はそう思っていないほうが特殊。
何度も言わせるな。
「が」じゃなく「も」な
>>973 それは、
>>972 ×:このような互いの「強制」を疎んじて「≪否≫強制」を望むのなら、
の場合とはちがって、
○:このような互いの「≪否≫強制」を疎んじて「強制」を望むのなら、
の場合だね。
「強制」をしかけときながら、「共通の正義を見いだす」ってのは難しいと思うけど。
共通の正義を見いださなければいい
別に同じ正義を見てなくてもいっしょに生きてくことはできるだろ
978 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 07:32:49 0
>>977 共通の正義を持たなければ
不正義、不道徳に至るしかないだろ
>>978 「不正」の定義ってなんだ?
互いの抱える正義に反するものは即不正になるしかないのか?
980 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 08:36:40 0
>>979 対立か妥協だからな。
対立なら混乱による正義の喪失、妥協なら文字通りの正義の喪失だ。
982 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 08:51:08 0
>>981 みんなで共通の正義を持つとか?
あるいは、一切関わり合いを持たないとか?
>>982 電車に乗ったら座席が一つしか空いてなかった
俺は座りたい
ババアも座りたい
俺が座るのが正義か
ババアが座るのが正義か
俺は税金を払っている
ババアは税金を払ってない
俺は仕事で疲れている
ババアは仕事なんかしてない
俺は若い
ババアは年寄りだ
俺は男だ
ババアは女だ
俺は健常者だ
ババアは足が悪い
俺は金を払っている
ババアは無料で乗っている
散々、議論しても埒が明かない
俺が座るのが正義で、ババアが座るのは不正である
こういうこと?
984 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 09:12:48 0
>>983 妥協すれば良いんじゃないの?
つまり、正義の放棄だ。道徳の放棄。
その混沌から、いずれ地球全体で共通の正義が生まれてくるだろ。
>>984 だから、その「共通の」という考えを捨てろと何度も言っている。
「共通の」というのは、
>>16で言ったように、
己を「公正中立」と見定めて、一切の反対者を無視することなんだよ。
それは、己と違った考えを持つものの存在自体を認めないということなんだ。
勿論ある程度同じ考えを持つもの同士で集まらないと、話は一切進まない。
だから、同じ考えを持ったものが集って「共同体」をつくる。
そこまではいい。
だが、反対者がいることを無視する考えは、いずれ独裁、圧政、虐殺、内乱の道をたどる事になる。
己と違う考えを持った「共同体」が、他にもいくつもあることを常に心に留めるが肝要だ。
で、
>>983で考えられる結果をいくつか挙げてみる。
@どちらかが座れる。
一方の「正義」は通ってもう一方は通らない。
だが、どちらかの「正義」が「不正」になったのではなく、
ただ勝者と敗者がそこにあるにすぎない。
ただし、日本のように「謙譲の美徳」が存在していることもある。
Aどちらも座れる、あるいはどちらも座れない
たとえば、1人が座った上にもう1人が座る。
あるいは、言い争い睨み合って座席は空席のまま。
具体的な例を出すと、戦場で略奪品の取り合いになったとき、
争いを面倒と思う指揮官は普通それを斧で真っ二つにして公平に分ける。
当然、略奪品は台無しになるが、指揮官は意に介さない。
つまり喧嘩両成敗。
B競売にかける
より多くの金銭を相手に払ったほうが座席に座れる。
ただし、第3者の介入、漁夫の利は大いにありえる。
若い頃一生懸命働いて社会に貢献した人が座って当たり前。
共通の正義は簡単に見いだせる。
若い頃一生懸命働いたかどうかは
年取ってるだけでは定かではないだろ
サンデルが職員室でヨンデルよ
990 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 00:06:40 0
>983
> 電車に乗ったら座席が一つしか空いてなかった
正義なんて抽象的な言葉を使っている限り、言葉遊びでしかない。
正義の意味の1つには「人の道にかなっていて正しいこと。」という意味がある。
それは例えばこういうものだ。
「弱者に対するいたわり」
俺が疲れているんだから俺が座る
というのは、「人の道」うんぬんの意味の性義ではない。
別の意味の正義なら、いいかもしれんが
991 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 00:23:56 0
ウィキリークスがイラク戦争の機密文書を大量にリークした。
アメリカ国務省は「同盟国の兵士、民間人の命を危険にさらす」と非難している。
しかしこのリークにより、拷問や虐待、殺人が闇に葬られていたことが明らかとなった。
国務省の言う通りこれは兵士や民間人の命を危険にさらすのは間違いない。
しかしながら明らかに拷問や殺人といった正義にもとる行為が、隠蔽されていたのも間違いない。
「同盟国の兵士や民間人の命を守る」ためであるならば、犯された犯罪行為を不問に付すことは正義か?
992 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 00:25:32 0
↑両方正義だよ。
行動を選択するときに「どちらがより大きいか」を考慮するという話であって、
両方正義だよ
993 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 00:27:42 0
命を守ることが最もプライオリティの高い正義なら、
戦争なんて存在しないよ
995 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 11:40:24 0
お前らのレベルの低さといったら…
何なの?NHKの教養番組すら飲み込めないの?
このスレの議論を概観するとまるで生産性のない議論ばっかり。
哲学に有用性が無いんじゃなくて、
お前らの存在が社会の無駄そのものなんだからね。
自分だけが哲学を理解した知識人だとか勘違いするなよ!
ホント迷惑だから!
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( ヽ :::(__)..:: } <・・・で?
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{  ̄''ー-、,,_,ヘ^ |
ゝ-,,,_____)--、j
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学生の首を左右に振らせること。教授自身が壇上で左右に動く。発言者を指名し他の学生は発言者の方を見るように仕向ける。
998 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 13:21:58 0
> 何なの?NHKの教養番組すら飲み込めないの?
世界でのトップクラスの学校で行われた講座だけあって
マイケルサンデルの番組はかなりレベルが高かった。
> このスレの議論を概観するとまるで生産性のない議論ばっかり。
君の主張には、何か生産性があるのかね??
> 自分だけが哲学を理解した知識人だとか勘違いするなよ!
それって君自身の事じゃないのか?
心理学で投射とか投影という用語があるが、
君はそれなんじゃないのか?
次スレよろ
やだ
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。