デカルトについての質問

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1考える名無しさん
のスレです
2考える名無しさん:2010/09/30(木) 12:09:52 0
疑えない=存在する
とは言えませんよね。
3考える名無しさん:2010/09/30(木) 13:14:57 0
言えませんともw
4考える名無しさん:2010/09/30(木) 13:16:11 0
疑えない=存在すると言えないことは明白であり、疑い得ないことですw
5考える名無しさん:2010/09/30(木) 14:43:59 0
世紀末デカルト学院
6考える名無しさん:2010/09/30(木) 15:26:47 0
7考える名無しさん:2010/09/30(木) 22:16:19 0
デカルト先生
神はいませんよね
疑えますもん
8考える名無しさん:2010/10/01(金) 05:12:01 0
疑いがあるという事だけは疑えない。ゆえに疑いあり。
うたがいしかない世界。
9考える名無しさん:2010/10/02(土) 04:55:08 0
いきなりデカルト読むからわけが分からなくなる
トマスアクィナスの神学大全とセットで読もう
10考える名無しさん:2010/10/02(土) 11:46:40 O
自分が思っていることが、実は思ってないなんてことが有り得る?
11考える名無しさん:2010/10/02(土) 11:50:49 0
思っているのに、自分がそう思っていることに気づかないことなら、
ふつうにあるだろ。
12考える名無しさん:2010/10/02(土) 11:52:17 0
>>7
デカルトは「疑い得るものは存在しない」なんて言っていない。
命題の逆と対偶の区別もつかんのか?
137:2010/10/02(土) 11:57:03 0
>>12
それでは
デカルトによる「神の存在証明」とは
いったい、どんな内容なんでしょう?
14考える名無しさん:2010/10/02(土) 11:57:27 0
だったら逆に疑い得ない対象を見つけた方が早くね?
15考える名無しさん:2010/10/02(土) 12:22:03 O
>>11
そんなことある?
例えばどんな状況?
16考える名無しさん:2010/10/04(月) 10:54:38 0
>>15
自覚なき価値判断てのはどう?
17考える名無しさん:2010/10/07(木) 20:07:43 0
デカルトが言ったらしい「人間身体の妄動の秩序」ってどういう意味ですか?
18考える名無しさん:2010/10/11(月) 20:00:25 0
デカルトやプラトンて、簡単に反論できそうなんだけど、
本気で反論しようとするとなかなか上手くいかずにイライラした中途半端な状態で
彼らの論理に屈服して納得せざるを得ない、なんとなくもどかしいものを感じてしまう。
正しいと思うが、しかし中途半端な。。。この感じは何なのだろう。
19考える名無しさん:2010/10/13(水) 10:24:17 0
神の存在証明は、方法的懐疑の後に来てるでしょ
批判するなら、せめて批判対象をまともに読んでからにしてほしい
207:2010/10/13(水) 11:20:12 0
>>19
よく理解してそうな貴方にききます。

目の前のすべてを懐疑したくせに
神は存在するって、どういうことなんでしょう。
おかしくないですか。
2121:2010/10/13(水) 19:17:20 0
19とは別人だけど横槍をひとこと。
・目の前のすべてを懐疑、でもそうかんがえる自己の理性はある。そして私のこの理性を中心に
世界のすべての現象が展開される(世界も、ある)。
・ここまでだと、神はいりません。「わたし」がいれば、世界は存在できます。
これは当時のヨーロッパではやばい。
・そこで「わたし」の理性は、神の理性から降ってきたものとするのです。
神→わたし→世界 です。
2221:2010/10/13(水) 19:19:32 0
>>21
わたしの理性は、神の理性の派出所ということです。
23考える名無しさん:2010/10/13(水) 19:27:35 0
デカルトを読むには、彼の本音を深読みして上げないといけないのか。
彼が密かに本音を書いたものは発見されてないのかな。
「えーと、神は死んだ、と・・・やべー俺いまヤベーこと書いちゃったよ」みたいなの。
ガリレオの死刑を批判した手紙は見つかってるようだけど。
2421:2010/10/13(水) 19:29:34 0
>>21
あとは、はっきりいってこじつけです。こわかったんでしょう。
本質は「われおもう、ゆえにわれあり」、神は不要とよむのはまともだとおもいます。
デカルトはほんとはなにかんがえてたんかまでは?です。
257:2010/10/13(水) 19:34:47 0
>>21
>「私の理性を中心に世界のすべての現象が展開される世界もある」・・・・?

「この懐疑は存在する(ことは疑えない)」まではいいとして、
どうして「存在する懐疑」が「世界を展開させる理性」にまでレベルアップするのです?
26考える名無しさん:2010/10/13(水) 19:40:11 0
そうだそうだ!
2721:2010/10/13(水) 19:51:41 0
>>25
>「私の理性を中心に世界のすべての現象が展開される世界もある」・・・・?
すみません、かきかたがわるかった。
私の理性を中心に世界のすべての現象が展開される、つまり世界はある、といいたかったんです。

>>どうして「存在する懐疑」が「世界を展開させる理性」にまでレベルアップするのです?
するどい。「存在する懐疑」=わたしだけでは、世界の存在証明には不十分。
「世界を展開させる理性」=創造主としての神の存在が不可欠、ということですね。
287:2010/10/13(水) 19:57:39 0
>>27
んー・・・
なんだか結局、全ては「神頼み」ってな感じなんですかね・・・
29考える名無しさん:2010/10/13(水) 20:01:37 0
デカルトがいるのにケンサツルトがいないというのは
いまの検察不審時代への予言だったのでしょうか。
30考える名無しさん:2010/10/13(水) 20:44:02 0
>>20
デカルトの「懐疑」で重要なのは、「方法論的」と言われるところです
つまり「懐疑」自体が目的なのではなく、
懐疑を通して、相対的に確実な根拠は何であるかを見つけることが重要です

そして、神の要請は、「方法論的懐疑」が終わった後に出てきます

最終的に、デカルトに同意できなくても、
面白いから、自分で「省察」を読んでみたらいいよ


>>21
言いたいことは分かるし、半分は同意なんだけど
デカルトの「省察」での議論の展開からは、少しずれてるんじゃないかな?
あと、デカルトが、どこまで「仮面」をかぶっていたかは議論の分かれるところですね

>・目の前のすべてを懐疑、でもそうかんがえる自己の理性はある。

これは

1)すべてを懐疑してみる
2)しかし懐疑しているという事はある
3)この懐疑している、を原理に据えられるのではないか?
4)つまり懐疑している「もの」がある

と分解で来て、3から4の間に飛躍があるのではないか?
というのは昔からよく言われるところです

つづく
31考える名無しさん:2010/10/13(水) 20:51:00 0
>>21
>そして私のこの理性を中心に世界のすべての現象が展開される(世界も、ある)。
>・ここまでだと、神はいりません。「わたし」がいれば、世界は存在できます。

ここは、デカルト自身の議論から少しずれています

重要なのは、疑う私が確保された後で
そうした私に現れる世界がある、ことが確認されますが
そこで、もう一度デカルトは問うことです
そうやって現れる世界は、悪い精霊が適当に見せている世界なのではないかと
サイバーパンクものでは、おなじみの疑問ですね

神が登場するのは、まさにそうした文脈です
「神は善なるものなのだから、私に現れる世界は正しい世界であるように世界を作っただろう」と

ほとんど詐欺ですw


しかし、ここにデカルトによる、世界の「我」による基礎づけの失敗を読むことも出来ます
つまり「神を持ち出さない限り、疑う我による世界の基礎づけは出来ないのだ」と

あるいは、この「神」を、抽象化してとらえれば
「疑う我による世界の基礎づけは失敗する」、しかし「世界は所与のものとして与えられる」という
見解を、キリスト教的な枠付で述べなおしただけなのだ、と21さんのように言う事も出来ます
そうすると、それは、決してそれほど単純な議論でもなく
またキリスト教的な古い議論でもなく
きわめて現代的な基礎づけの不可能性を語る議論でもあるわけです
3221:2010/10/13(水) 20:53:49 0
>>30
思惟上の実体=イデアの観念があるから飛躍があるではないでしょうか。
337:2010/10/13(水) 20:54:20 0
>>30
省察を読んでもピンときませんのでね。

神を要請できるぐらいなら、(方法的)懐疑などしないで
最初から「神任せ」で良いのでは?

神を要請した時点で、全てぶち壊しとは思いませんか?
3421:2010/10/13(水) 21:20:20 0
>>30
ぼくのいいたかったことぜんぶ伝わってるようです。すこし本からずれてるのは
文献読解というよりじぶんでかってにかんがえてるからです(笑)。ちょくちょく修正してくだされば。。

世界の存在はおいといても、懐疑するわたしの存在には神さんはいりませんよね。
また、33のいうように、神もちだせばなんでも説明できちゃいます。絶対者なんですから。
わからんですね。デカルトはことばたらずで。





35考える名無しさん:2010/10/13(水) 21:24:06 0
>>33
そこの部分は、当時支配的であったスコラ的神学における
神と世界と我の関係との対比で考えないと
デカルトの議論がいかに革新的であったかが見えにくいと思うよ

非常に単純化してしまえば、旧来の神学的な枠組では
1)神が世界と魂(我)を作った(この段階で世界の「存在」は神によって保障されている)
2)そうした被造世界のなかで、我(魂)が、いかに世界を認識するか、できるか
というのが、問になる

デカルトの枠組だと
1)疑う我と、我に現れる世界がある
2)我に現れる世界の恒常性はどのように確保されるのか
という問になっている
36ンドール:2010/10/13(水) 21:27:10 O
デカルトが「神」に「絶対者」の意味を持たせていたかは疑問

俺は「神」という言葉が指し示すものを知らない
だから、俺は「神」という言葉であまり深くは考えない

デカルトの神の存在証明は
・「疑っているわたし」という不完全なるものがある
・完全>不完全

・完全なる何かがある

・したがって、完全なる世界が存在する

という論証だったはず
ここで「神」という言葉に求められる意味は「完全」ではないだろうか?

ただ、「疑うわたし」を「不完全」とする時点で、完全なる存在(≒神)を想定している
という批判は可能に思える
3721:2010/10/13(水) 21:38:34 0
>>36
完全なる存在=ほかに比類なき存在(絶対者)といういみではそうずれはないんじゃないかな。
たしかに不完全→完全のくだりは?です。
>>35
まずデカルトの枠組みができた、そしてあとからそれが神学の枠組みにそうように調整した、というところですかね?
38ンドール:2010/10/13(水) 21:45:17 O
>>37
君が不完全→完全のくだりに?を感じるのは
方法論的懐疑を方法論としてではなくマジで受け取っているからと思われ
3921:2010/10/13(水) 21:50:07 0
どういうこと?わからんです。
>>ただ、「疑うわたし」を「不完全」とする時点で、完全なる存在(≒神)を想定している
という批判は可能に思える
とあわせてもうすこし
40考える名無しさん:2010/10/13(水) 22:12:42 0
>>35
それ、革新的ですか?
完全な神とは、プラトンのイデア論の焼き直しに見えますが。
私に現れる世界(イデア)の恒常性を確保(イデア界)・・・
ということで、プラトンと同じではないですか。
41ンドール:2010/10/13(水) 22:14:34 O
>21
あ、ごめん、間違えた
君は21って降ってたね
レスのどれが同一人物が把握してなかった
ちょっと別スレで議論してたついでに書いただけだからさ

過去ログに目を通すと俺が間違い
42ンドール:2010/10/13(水) 22:17:34 O
昔ね、グルってコテがいたんだ
俺はそいつと文学板でデカルトの話をしてたんだけど
グルが言うには、
デカルトの「神の存在証明」は
神を証明しようとしたんじゃなくて、世界があることを証明としているらしい

あまり書き込むと連投規制になるし、向こうが本業なんで失礼
4321:2010/10/13(水) 23:10:24 0
>>35 >>40
35でおっしゃりたいのは、革新的なのは神の解釈の仕方ではなく、
論証のしかたが中世のようにまず神があり→世界、そして我がそれを理解するではなく、
まず我がある、そして神や世界としたということでは。
神からではなく我からはじめたのが革新的ということですかね。
44考える名無しさん:2010/10/14(木) 05:06:28 0
デカルトは何で神なんて言い出したのか。
宗教裁判で死刑になるのが怖かったからなのか。
それとも独我論を回避するためなのか。
45考える名無しさん:2010/10/14(木) 05:43:49 0
>>37
>>44
デカルトがどれぐらい当時一般的だった信仰を持っていたかは
未だに結論がでない問題なので・・・

弾圧を恐れた言い訳だと言い切るには
普通の信仰を持っていたと思える証拠もありすぎるので
あれが仮面だとしたら、デカルトは極めて優秀な嘘つき
46考える名無しさん:2010/10/14(木) 05:48:09 0
>>42

>>36の最後の「完全なる世界」っていうのは
デカルトの表現の言い換えとしては言い過ぎだと思うけれど
36で書かれているような「神の存在証明」(本当は観念の問題が入ってくるのでもう少しややこしい)と
「神の存在証明を通して何を確保したかったか」は、別の問題で
後者の確保したかったものというのが、まさに「世界は我に現れるままにある」ということで
デカルトの場合、議論の道筋としては、あくまでもそれを確保するために「神の存在証明」が出てくるんだよね

という意味で>>35で言いたかったことは>>43さんの書かれている通りです
47考える名無しさん:2010/10/14(木) 06:38:18 P
>>46
同意。
デカルトは、哲学について必要な省察の原型を作り上げたところに意味がある。
4821:2010/10/14(木) 13:38:31 0
>>46
なるほど。かれの神のもちだしかたにやいやいいってもしょうがない、
それよりかれの生んだ真新しい思考方法のほうに意味があるというところですか。同意です。
>>普通の信仰を持っていたと思える証拠
「方法的懐疑」といった時点で、神も、教義も、たぶん一度は根底から疑ってみたはずでしょうけど。(文献ないだろうし憶測にとどまるけど。)
・ところで、彼はもともと数学者・科学者で、「方法序説」のほうは、生理学や気象学などの科学論文の序文のような位置づけだったきがしますが、
かれは科学や哲学と、宗教や神学の古い枠組みとを区別したことにもなるんでしょうか。
そのうえで、教義や神学にしばられず思う存分科学研究やったと。自信ないですね。経験論やなくて数学みたいな合理論だし。
4921:2010/10/14(木) 13:55:00 0
>>48
・まあガリレオやらみたいにあたらしい哲学的根拠作らんでも科学やれてますから、
デカルトの科学の業績と哲学の業績は別でかんがえといていいんですかね。
50考える名無しさん:2010/10/14(木) 14:25:16 0
>>48
それでも、デカルトの神にこだわりたい。
デカルトにとっての神は完全で、理性によって考えて行けば今は不完全だけど
ゆっくりと完全という神に近づけるだろうという、理性的な人間のゴール地点を設定したんじゃないのかな。
何でそこで神という言葉を使ったのか、これが疑問。
51考える名無しさん:2010/10/14(木) 14:56:24 0
>>50
古来の神の意味は現代の神の意味とはかなり違うってことをまず
自覚するべきでしょう。
その常識的な意味であっても、引用として発した意味でも
貴方が感じているそれとはかなり違います。
5221:2010/10/14(木) 15:37:35 0
>>51
そうですか?ぼくは50さんのいうのも一理あるんじゃないかなとも思います。
>>理性によって考えて行けば今は不完全だけど ゆっくりと完全という神に近づけるだろうという、理性的な人間のゴール地点を設定したんじゃないのかな
これは時代をくだって、19世紀のヘーゲル哲学での神の観念です。
じつはぼくも、我から演繹によって神を導きだすあたり、デカルトからヘーゲルまで一本通じているきがします。
5321:2010/10/14(木) 16:04:55 0
デカルト以前の神とデカルト以降の神のちがいを考えるのもいいかも。
まあぼくの手にはおえません。
ただ、中世神学のときからずっと理性(思弁)によって究極のイデア=神にちかづきたいという欲求はあったでしょう。
デカルトもたんなる保身のでっちあげだけじゃなく、こういう意識も底にあったかも?。それはわからんですが
54ンドール:2010/10/14(木) 17:38:35 O
おいおい
不完全から完全を演繹できるはずがないだろ
演繹ってのは完全から不完全を導出する作業なんだから
55考える名無しさん:2010/10/14(木) 18:55:05 0
>>演繹ってのは完全から不完全を導出する作業なんだから
わからん。数学の演繹は、公理(デカルトの我)からはじめて定理(神、世界)をみつける。
公理は完全で、定理が不完全てことないだろう
56ンドール:2010/10/14(木) 19:28:44 O
>>55
定理が公理以上の何かを語るはずがないだろ
「わたし」から「世界」を演繹するなんて
灰から純金をつくるようなもんだ
57考える名無しさん:2010/10/14(木) 19:40:46 0
演繹は哲学者の得意技だろw 
哲学者は帰納ができない。帰納は高度な努力、専門性、検証をようするから。
よって、演繹に走る。たとえば、量子だのクオークだのという言葉を借りてきて、それから自己主張を展開する。
58考える名無しさん:2010/10/14(木) 19:42:53 0
それが現代哲学者と哲学科ぶれのつまづきの石
59考える名無しさん:2010/10/14(木) 19:46:33 0
吾から神ってのは帰納だな。カルトは自分で吾を発見したんだから。
60考える名無しさん:2010/10/14(木) 20:22:44 O
デカルトって独身だったの?
61ユビー ◆6wmx.B3qBE :2010/10/14(木) 20:36:16 0
デカルトとエリザベス女王はセフレだったよ
62考える名無しさん:2010/10/14(木) 20:45:34 O
>>61
イギリスにも滞在したことあるの?スウェーデン女王と出来てたんじゃなくて?
63考える名無しさん:2010/10/14(木) 21:15:32 0
デカルトの言う我(われ)とは、
1概念としての自分
2外界と関係しながら非連続的な思考や感情を持つ自分
3場としての自分
の3つのうちのどれでしょう?
64考える名無しさん:2010/10/14(木) 21:22:34 O
>>63
2番かな?
65考える名無しさん:2010/10/14(木) 21:37:21 0
やっぱ2番ですかね。
66考える名無しさん:2010/10/14(木) 21:44:02 O
>>65
で、デカルトは独身だったんですか?
カトリックの哲学者って性欲無かったんかな
67考える名無しさん:2010/10/14(木) 21:45:31 0
毎日オナニーしてる独身ですが何か?
68考える名無しさん:2010/10/14(木) 21:47:07 0
デカルトの「我」と仏教の「我」は違うものでしょうか?
仏教では「無我」と言うから「我」は否定してるかと思ったら、
「唯識」などと言って意識の存在は認めるので、
どうも違うようですが。
69考える名無しさん:2010/10/14(木) 21:52:08 O
仏教の我は、世界を構成する一部としての自分のような気がした。
デカルトの我は、世界から離れた考える自分でしょ?
素人感覚だけど。
7021:2010/10/14(木) 21:53:20 0
>>63 >>68
1、概念としての自分でないのはたしかでしょう。
2、これはヘーゲルのいう自己です。
3、これでしょう。ほんらいは我から世界を導出するのに神はいらんだろうとぼくがおもったのはこの意味でです。
71考える名無しさん:2010/10/15(金) 06:30:39 0
西洋の思想史・哲学史に登場する「神」ですが
中世の神学内部でも、神が実際にどのように世界に関わっているかは人により様々です
スコトゥスの神とトマスの神はかなり違う

ですので、哲学史的な観点から古い思想を見る場合
神、という名前自体への拒否反応でそれを除外してしまうのではなく
まず、そこで語られる神が、議論全体の中でどのような役割を果たしているかを見る事が大事だと思います

>>48
時代的には、科学と哲学は今のようには分化してはいませんでしたので
当時のような言い回しをすれば
それによって「諸学問」の基礎づけをしようという意図はあったわけです


ところで、一方で疑い、知覚し、知的活動をする我を基礎に据えつつも
その我に現れる現象が、本当に世界の間違いのない現れであるのか
(それが保障されないと、諸学問は、我によって基礎づけされません)
そこの点は「全能の神は欺かないはずである」という命題によって保障します

これは、もちろん今から読めば「基礎づけ(主義)」の失敗・不可能性を示しているとも読めるわけです

しかし、だからといって、今の時点の視点から「だから無意味だった」というのは性急です
というのも、そうした論理の組み立てにより、我による基礎づけという議論のパターンを打ち立て
それが有効かどうかを議論しうる形に仕立てたのがデカルトだとも言えるからです
72考える名無しさん:2010/10/15(金) 08:20:25 0
自分が今見ている世界は、悪魔が見せてる悪魔的なものか夢かもしれない、
と考えるよりは神様が見せてるものと考える方が気持ちいいからじゃないの。

今自分が見ている世界が、いい加減な夢や悪魔の作り出した滅茶苦茶な影絵だとしたら、
世界について理性的に真面目に考える気持ちが萎えるからではないかな。

結局デカルトは神様を持ち出すしかなかったんだと思うよ。
デカルトを読むときに、デカルトの考えた神様の部分は出鱈目だから無視して真面目にとらなくてよいという人がいるけど、
本当に無視していいのかな?
73考える名無しさん:2010/10/15(金) 10:40:28 O
神はデカルトの思考ベクトルの基点みたいなものだから無視したらぶれるんじゃないの
カトリックはオナニー禁止してるんだと思ってた。デカルトはオナニーしてたのかな。
74考える名無しさん:2010/10/15(金) 11:03:23 0
だれか、デカルトとバークレーを比較考察してくれ
75考える名無しさん:2010/10/15(金) 11:55:34 O
デカルトのほうが自然科学者だよね。自分が最初にデカルトを知ったのは、哲学者としてではなく数学者として、くらいだも
76考える名無しさん:2010/10/15(金) 18:02:34 0
>>72
世界は理性的で調和あるものであるはずだという西洋人の信念ですね。
とにかくなにかしら世界があればいいんじゃなく。でもこの特異な世界観自体はどこからきてるのか。
キリスト教神学くさい。そして、はじめは先入見なくえらく慎重に考察していたデカルトが、
こういう先入見を途中でもちこんだところが彼の失敗だったんじゃ?と。

77考える名無しさん:2010/10/15(金) 23:25:12 O
乳母の匂いが忘れられなかったんだよ。乳母がカトリック神を信仰してたから、神に疑問を持てなかったんだよw
78考える名無しさん:2010/10/15(金) 23:36:47 0
デカルトは生涯の大半、カトリック教会からの給金で生きてたんだから、
神の存在の否定とか無理。公明党議員に日蓮批判をもとめるようなもん。
79考える名無しさん:2010/10/15(金) 23:49:43 0
>>76
ふざけてるけど、いがいにそれが真理 すりこまれてます
80考える名無しさん:2010/10/15(金) 23:53:29 0
宇宙の語源であるKosmosは調和を意味する。
世界は理性的で調和あるものという信念はたぶんギリシャ起源。
81考える名無しさん:2010/10/16(土) 21:19:18 O
デカルトの『省察』が岩波文庫に無いのはなぜ?もしかして哲学専攻ではない素人には難しい?
『方法序説』を読み終えて、これから『情念論』を読みます。
82考える名無しさん:2010/10/17(日) 14:57:40 0
>>69
デカルトの我は世界から離れた考える自分でしょ、に賛成!しかし世界と離れて(外部と関係なしに)
ある自分など存在できるだろうか?それは具体性を欠いた抽象にすぎないのではないか。考えるあるい
は疑うとは、何かについて考えたり疑うことだと思う。「何か」とは外部なしにありえない、一つの外
部を認めるとそれと関係する他のものを認めざるをえない。それと関係する他のものを認めるとまたそ
れと関係するものを認めざるをえない・・・こうして無限に続くだろう。その極北にはこの認識は正し
いと保証する「神」のようなものを考えざるをえない、デカルトの「自分」だけでは支えきれない。
83考える名無しさん:2010/10/17(日) 15:48:15 0
俺もよく知らないが、仏教のような宗教は関係の中に自分が存在したりしなかったりするとしたのかな。
デカルトは関係の外に特別な自分が常に存在するとしたのかな。
84考える名無しさん:2010/10/17(日) 15:59:32 0
デカルトを極限まで突き詰めると、究極的には自分の存在のみが正しくて、自分以外は間違いということかな。
それでは単なる独我論になってしまうし、自分は能力や知識において不完全なのに正しいってどういうこっちゃ?という矛盾が出てくる。
85ンドール:2010/10/17(日) 16:37:14 O
>>84
デカルトが論破を試みたのが独我論
独我論を論破するために「われおもうゆえにわれあり」を言った
こう解釈するとデカルトの言ってることはすっきりする
86考える名無しさん:2010/10/17(日) 17:14:25 0
そうかな?当時は独我論は存在しなかった(できなかった?)んじゃないかな。
逆に、デカルトが独我論を存在させることが可能な思考を作ったように思うけど。
87ンドール:2010/10/17(日) 17:23:17 O
>>86
デカルトが『方法序説』第4章で「われおもうゆえにわれあり」と言った時
デカルトは議論相手を想定していたんですよ
その人物の名前は第1章で挙がってます

当然デカルトは「独我論」とは呼んでません
88考える名無しさん:2010/10/17(日) 19:54:54 0
>>82
世界と離れて(外部と関係なしに) ある自分など存在できるだろうか?
内界と外界をわけて考える二元論をとるか、独我論や仏教の唯識のように内界に一元化して考えるか。
あるいは唯物論のように外界に一元化するか。どれもあり。デカルトはどれでしょう。通説は?
89考える名無しさん:2010/10/17(日) 21:25:32 O
方法序説でデカルトが言ってるのは、
“ある物が本当に存在するかどうか確信を持てないのは、ある物を感じる自分が不完全な存在だからである。存在するか判断する依り処は神から与えられた能力だから、神は存在する”
ですか? 正直よく分かりませんでした。
90考える名無しさん:2010/10/17(日) 21:56:45 0
学校の先生が、デカルトはde-cult(脱宗教)をもじった
架空の思想家だという説があると言っていましたが、何かソースがあるのでしょうか?
91考える名無しさん:2010/10/17(日) 23:21:51 0
やはり問題の核心は第一原理にあると思う。「cogito,ergo,sum」は通常「われおもう、故にわれあり」
として知られている。この文を考えてみるとおかしなことに気づく。「故にわれあり」の前に「われ」が
ある。結果より先にすでに「われ」というもの又はことが想定されている。われというもの又はことが、
どのようなもの(あるいはことがら)かはっきりしない内に前提されている。論理としておかしいといわ
ざるをえない。この矛盾をさけるためスピノザという人が「cogito,ergo,sum」を「われおもいつつ存在
する」と単一の文と考えることを提案した。しかしそれでも「われ」が前提されている。この第一原理は
意識に直接与えられたもの(疑ってもこれ以上さかのぼって疑えないもの)でそこからしか出発できない
ものでなければならないはずだ。ウイリアム・ジェームズなら「純粋経験」というかもしれない。たとえ
ば生まれたての赤ちゃんやまだ母親のおなかのなかにいる赤ちゃんに通常の意味での「われ」があるだろ
うか?
92考える名無しさん:2010/10/18(月) 01:51:20 P
>>91
>「故にわれあり」の前に「われ」が ある。
そうじゃなくて消去していったらわれが残ったって話。
93考える名無しさん:2010/10/18(月) 11:36:05 0
消去していけば、疑いしか残らないが。
94考える名無しさん:2010/10/18(月) 14:10:06 P
>>93
疑いは思考できないだろw
95考える名無しさん:2010/10/18(月) 22:08:07 0
>>92
おっしゃるとおりだと思う。じつは「われ」というのは疑う、考える、思う、消去する、といった述語
のあとにあらわれるものなのだ。しかし「われおもう、故にわれあり」とするとまず「われ」というも
のがまずあって、それが疑ったり、考えたり、思ったり、消去したりすると誤解されかねない。事実、
デカルト主義者といわれた人の多くはそう考えた。その小さな誤りは大きな誤りとなっていくだろう。
96考える名無しさん:2010/10/18(月) 22:42:47 0
>>94
それも疑える
97考える名無しさん:2010/10/19(火) 06:39:31 0
一応、デカルトを「可能性の中心で読む」ことと
デカルト自身がどう言っているかは区別して考えた方が良いでしょう

デカルト自身は、周知のとおり、「方法序説」では、はっきりと
考える我の存在という話の文脈で「je pense, donc je suis」が出てきますし
「省察」でも、Ego sum, ego existo, quoties A ME profertur, vel mente concipitur, necessario esse verum. と
議論は常に「我」を中心に回っていることを無視してはいけません

もちろん、そのことと、それをどのように読むか
読むことで可能性を引き出すか、は別問題です
98考える名無しさん:2010/10/19(火) 08:17:23 0
たとえ別問題であっても、非常に重要な関係を持つ問題で、
これを関係ないとして切断して互いの関係を遮蔽すべき問題だとは思わないけど。
99蜂クマ:2010/10/19(火) 10:19:44 0
>>98

うん、いいんじゃないか、つか、わかるよ、それ。
で、そっから先じゃん、そっから先を展開してよ。
100考える名無しさん:2010/10/19(火) 14:14:06 0
そっから先、カントやスピノザが展開してるじゃん。
101考える名無しさん:2010/10/19(火) 15:17:40 0
チイサルト
102考える名無しさん:2010/10/24(日) 11:39:20 O
結局疑っているのは他者との実践的関係なんだよな。
内面で与えられてもそれが外界と一致するかわからないと言っても。

そしてあやふやな感覚よりアプリオリ、非経験的な延長、数理論理化された世界に行く。
カントはアプリオリそのものに行く。分析哲学は論理だけがアプリオリだとそれだけに取り組む。
フッサールは外界よりも内面の確実性先だろとやる。

しかし、どれも間違いだよな。内面外面食い違う現実受け入れないとしようがない。
青い鳥は決して遠くにいない。
103考える名無しさん:2010/10/24(日) 11:43:33 O
我疑う故に我ありの疑うだけが本質で疑っている自分と疑われてる世界切り離しちゃいけない。
我と世界切り離しちゃいけない。疑いこそが世界を繋いでる成り立たせてるんだから。
104考える名無しさん:2010/10/25(月) 16:24:41 O
内面的に確かに真実だと思ってもなかなか伝わんない、うまく行かない。
で一番大切なのはそのうまく行かないがなんとかしたいという思いから目を逸らさないことなんだよ。

何かしら確実性にいくのは、そのことがもう嘘でそこに欺瞞が始まっちゃう。
デカルト含めて。
そこに西洋哲学の勘違いがある。
105考える名無しさん:2010/10/26(火) 14:42:00 0
神の存在証明か
ここに居る誰か、人生をかけて完全に証明してくれないか?
106考える名無しさん:2010/10/26(火) 14:51:38 0
神の定義が曖昧な場合が多そうだな
カトリックでは始まりであり終わりであるもの
アルファでありオメガとなっているのがあって
カトリックの信者はそれを信じていて?肯定も否定も証明も出来ない
ビッグバンが神だと定義したら、
アインシュタインは神は強い力を持つが人格を持たないと言うてたらしい
仏教で言う色即是空という思想もあるし
107考える名無しさん:2010/10/26(火) 14:54:15 0
人格を持つ絶対的な力、時空を超える究極知性かもしれんし
108考える名無しさん:2010/10/26(火) 14:59:01 0
有無も言わせず誰もが受け入れざるを得ない証を立てられれば
その者が神に最も近いと考えられるようになる
109考える名無しさん:2010/10/26(火) 15:02:40 0
ビッグバン色即是空論が最も有力そうだが
それじゃツマラナイだろ?
110考える名無しさん:2010/10/26(火) 15:13:14 0
人格を持つ絶対的な力、時空を超える究極知性
エホバの存在を俺は推したい
111考える名無しさん:2010/10/26(火) 15:16:04 0
色即是空だったら人間はパチンコ玉だって事になってしまう
カトリック信徒の信仰心も虚しいものになってしまう
112考える名無しさん:2010/10/26(火) 18:50:01 O
神なんてもんで基礎づけようとするから駄目なんだろ。
うまく行かないならそれを現実と受け止めないと。そこにこそ真実認めないと。
どっかに遠くに必ず万人に否定できない確実なものがあるとか否定しないと。
神の存在証明とか認識の基礎付けとか間違い。
方法的懐疑とかはそういうものを否定するはずが戻ってしまった。
113考える名無しさん:2010/10/27(水) 01:18:58 0
神の存在予想を証明する奴はおらんか?
114考える名無しさん:2010/10/27(水) 01:21:43 0
神の非存在予想を証明する奴はおらんか?
115考える名無しさん:2010/10/27(水) 01:47:13 0
信仰心を保つのは意外に困難なのだという事を
知らない人間が意外に多いように感じる
色即是空と達観するのは意外と容易かったりする
116考える名無しさん:2010/10/27(水) 01:51:18 P
デカルトはずいぶんカトリックを警戒している
生前発表を見送った作品もある
あの程度の表現でも当時は命懸けだった
それが理解されていない
117考える名無しさん:2010/10/28(木) 22:06:15 0
>>116
あなたの意見に賛成!17世紀のフランス人の生き方を図式的にいえば次のようになるだろう。
あなたはどれを選びますか(?笑)
A:俗世間の波に身をまかせ何も考えずカトリック教徒として生涯を送る。
B:カトリックの神に疑問を感じる時もあるが、世間でうまく生きていくには信じるふりをしよう。
C:カトリック教徒の上層部のやり方は大嫌いなのだが、逆らって吊るし上げにあいたくないので、
あたらずさわらず生きていく。
D:カトリック教上層部の奢侈にはあきれているが、養うべき家族がいるので火あぶりにあうわけに
はいかない。影で反権力の活動家を援助する。
E:悪いのはキリスト教ではない。教会勢力の一部の人間なのだ。真のキリスト教少数派として闘う。
F:人の生涯は一回しかない。危険を顧みず全てを白紙にしゼロから考えてみる。権力と闘い生きて
いこう。

それと「神」について語るなら「神」の定義をはっきりさせよう。デカルトのいう「神」は人格神の
ようなものではない。スピノザのいう「神」は簡単にいうと「あらゆる全ての有」。理由はあらゆる
完全性をそなえているということはあらゆる性質を持っていなければならないから。全自然あるいは
全宇宙といってもよいだろう。このことからもわかるとおり、哲学者によって「神」の定義が全然違
う。さすがに杖をもった白い髭のおじいちゃんと考えている人はいないと思うが話がかみ合わなくな
ってしまう。
  

118考える名無しさん:2010/10/28(木) 22:57:21 0
デカルトの著作では、あまり彼自身の神の定義が書かれてないように思う。
「he who is」ではなく、「that which is」の神のつもりであったんだろうかくらいしか
自分にはわからないな。だとしたら検閲官の目はふしあなだな。
119118:2010/10/28(木) 23:19:04 0
>>118
いや、ちがうか。どっちにも読みうるってことで。
教義上の神と哲学上の神をごっちゃにしたらいかんな。ごっちゃにさせるしかなかった
当時の書物も悪いが、初学者はそこを惑わされるし。
120考える名無しさん:2010/10/29(金) 21:45:09 0
>>118
おっしゃるとおり、デカルトの「神」の定義ははっきりしていないので言葉をにごしてごまかしたとこ
ろ、的確に指摘されました。良い方にとると危険を避けるためにあえて曖昧にしたとも考えられますが。
先に言ったこと(神の定義をはっきりさせよう)と矛盾してしまいますが、ある意味「神」の定義は最
後にあきらかになるものであり、最初から定義できるくらいなら誰も苦労しない(笑)とも言えます。
スピノザの「エチカ」が生前出版されていないのはこの書物が「神」について語っていることが大きな
理由の一つである、と思います。当時ヨーロッパで最も思想的に寛容な国「オランダ」でさえ出版でき
なかったことを考えるといかに思想弾圧がすごかったかがわかります。
121118:2010/10/29(金) 23:06:43 0
>>120
やっぱりそうですか。しろうとの勘で書いてみたんですが。
スピノザは彼の出自であるユダヤ社会からも追放されてたそうですね。
>>「神」の定義は最 後にあきらかになるもの
ヘーゲルぽいですね。
122考える名無しさん:2010/10/30(土) 08:09:32 0
私も「しろうと」です(笑)。私のいいたかったのは「神」という言葉をつかって何をいいたかったの
か、ということです。例えば私はブルース・リーのファンですが(笑)、彼はアメリカの大学で哲学を
専攻していてスピノザが好きだった、とのことです。スピノザの「神」は先の説明でもわかるとおり中
国人の「天」や日本人の「自然信仰」に似ています。そこがブルース・リーがスピノザを好きになっ
た理由の一つだと思います。お望みなら「仏法」「無」と呼んでもかまいません。要はその言葉で何を
示そうとしているか、を仮に限定しないと話が進まないということです。
123考える名無しさん:2010/10/31(日) 01:42:57 0
「神」という言葉は不便ですね。いや、便利というべきか。
個人的には禅や神秘主義の観点ならしっくりいきます。ぼくは悟ってはいませんが。
その意味では西洋でもヘーゲルなら全体としてはなじめそう。プロティノスも。
しかし、イデアやら形相やらとして、または啓示する神やらとしてとなると苦しいです。
デカルトはわかりません。神が彼の思想のメインでもなさそうだし。
124123:2010/10/31(日) 02:01:27 0
>>123
でもプロティノスは神秘主義だけどまた新プラトン学派でもあるか。最高のイデア。
やっぱり神の解釈は文脈ごとに相当慎重にならないとダメだね。
125考える名無しさん:2010/10/31(日) 05:08:35 0
最も偉大なる存在こそが神
ならまず俺様より偉大なる存在のどれかを神と定義すれば良い訳だな
自身を神と信じるに至ると狂気を発症するので気をつけようと思う
126考える名無しさん:2010/10/31(日) 05:19:56 0
自身を神と信じる事は即ち狂気というのは
どうやら覆せない事実であるので

俺様は神と同等の力と栄光を持つ存在ではあるが神ではない
というのもアリか?
127考える名無しさん:2010/10/31(日) 05:29:29 0
狂気と正気の狭間に神がいる
128考える名無しさん:2010/10/31(日) 05:40:01 0
まあ狂いたくなけりゃ神を信じとけって事だ
129考える名無しさん:2010/10/31(日) 09:07:17 0
>>123
禅の話がでたのでついでにいっておきますと、道元が次のようにいっています。

「自己を運びて万法を修証するを迷いとす。万法進みて修証するは悟りなり」

この文章は当然仏教の文脈で述べられたものですが、ここにある「自己」をデカルト主義者がいう
実体的な「我」として考え、「万法」を「神」と考えると少し前にこのスレッドで話題にしていた
ことの答えをいっているのだ、ということがわかります。(しかも一行で)道元恐るべし。
130考える名無しさん:2010/10/31(日) 11:37:26 0
神ではない者共に裁かれ地に堕とされた俺様
131123:2010/10/31(日) 16:38:03 0
>>129
興味あるので、口語で説明していただけますでしょうか?そうすると助かります。
道元の「正法眼蔵」にはハイデガーも舌をまいてたそうな。
霊的にも哲学的にもすごい宝を日本は持っているんですね。
132考える名無しさん:2010/10/31(日) 20:04:09 0
私のような仏教に無知な者が解説するのはおこがましいのですが。西洋思想の通説では「我」「世界」
はそれぞれ別に存在する又は対立して存在すると考えます。しかし本当は「我」とか「世界」とかが分
かれる以前があり、禅宗では座禅をくんでそれ(分かれる以前)を知る(体感する)といってよいと思
います。そこからすると「我」は自分達の都合でこしらえた(区分した)ものにすぎず、そこから考え
を押し進めても独我論に落ちいるしかない。道元の言葉でいうと「迷い」から抜け出すこができない。
世界から離れて「我」があるのではなくまさにこの世界から生まれそして死んでいくのが本当の我では
はないか。前期フッサールのどうして我が他者を認識できるのか、といった問題もあらかじめ分けてか
ら考えを出発させているところが問題なのだ、と思います。話を戻しますと先にあげた文章は少しあと
にもっと有名な文章がでてきます。「仏道をならふというは、自己をならふ也。自己をならふといふは
、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは
、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。」「我」を捨てきる時こちらからではなく世
界(の摂理)のほうから全てが実証されるだろう、といっています。この辺でまずい解説を終わります


133考える名無しさん:2010/11/02(火) 13:15:38 0
神など実在しないのが自明のごとく
現代は金持ちが倫理道徳を語れる世の中だ
134考える名無しさん:2010/11/02(火) 13:52:09 0
我思う故に我あり

なぜなら『「私」は「あなた」』
だから。私は私、貴方は貴方、私はあなた
みんなそうy



135ユビー ◆6wmx.B3qBE :2010/11/02(火) 16:45:10 0
【ゆっくり】月に1冊哲学の本を読む【まったり】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/philo/1285937465/l50

今月はデカルト月間だよ〜〜
136134:2010/11/02(火) 23:59:33 0
「私が思うから私がある」という感じだったと思います
それをラテン語で書いたのが誰だったか忘れたけど
誤り(その後の勘違い)の元となった。
言語が異なれば受けても異なって捕ってしまう。
私が思うから私はある
主体でならそれでかまわない。
その「私は私」という独立したものかというと違う
あなたの感じるもの日本的に言うと『目の前のものは』私ではない
二人称で埋まっている。
口にするもの体を作るもの厳密にいえば言葉でさえも『you』であって
私ではない。
すると私とはなにか? 鏡を見ても鏡がそういう機能を持った「you」であるので
ご飯、父母の子であること、道具は他者より作られしものであること。
『私』にかろうじてあるのは自分は創ってゆくものだと
よって
『「私」は「あなた」』
である
これからは「我思う故に我あり」から発展して
『「私」は「あなた」』
いかなる「私」もということはいかなる「あなた」も
自身をおろそかにしている部分が必ず連続的にある。(何もかも独立できない)
だからこそあらゆる個々は触れ合いつつけ交じり合ってゆくほかないのである。
それが形而上的に『自慢は自己満足の略』という。
137134:2010/11/03(水) 00:09:51 0
デカルトさんも
「私は思うから私がある」
書く過程には
どこまでも追究しただろうが、
「ここでいいや」という『どうでもいいことはいいこと』
を自分なりに認めてしまったと想像する。
この『どうでもいいことはいいこと』は形而上にのみ存在し
究極の一つである我々が行う『どうでもいいことはいいこと』
はそれに近い近似値の度合いによって(というか「どうでもいいことはいいこと」
のそのもの自体には誰もたどり着けない)
このデカルトさんの場合アフォリズムができるのである。
そのことにより哲学的名言は時間とともに覆されてゆくのが(概念は覆る)
自明であり、世界記録が塗り替えられてゆくのと同じである。
どこで『どうでもいいことはいいこと』ととらえてしまうかが
問題である。

138考える名無しさん:2010/11/04(木) 06:37:03 0
ウィキペディアを見るとデカルトの有名なセリフは完全な誤りとなっている。
私が何かを思うのだから私は存在する。
確かに、皆そう思うのだが、ロジックとしては駄目らしい。
つまり、最初に「私」と言ってる時点でおかしいと。何かを思ってるのが
私で、存在すると言ってる私と不可分である事を証明しなければいけない
場面で、その説明をすっ飛ばしているのだ。
139考える名無しさん:2010/11/04(木) 06:46:30 0
どこのウィキペディアのどこのページにそんなことが書いてあった?w

翻訳だってたくさんあるのに、ネット上のページすらきちんと読めずに
何を論じているんだかw
140考える名無しさん:2010/11/04(木) 21:15:33 O
私とか考えるなんてもんで基礎づけようとするから駄目なんだろ。
うまく行かないならそれを現実と受け止めないと。そこにこそ真実認めないと。
どっかに遠くに必ず万人に否定できない確実なものがあるとか否定しないと。
思考の存在証明とか認識の基礎付けとか間違い。
方法的懐疑とかはそういうものを否定するはずが戻ってしまった。
141考える名無しさん:2010/11/05(金) 18:55:32 0
見かける人間共が一見正常な振る舞いをしているのは
彼らが一人残らず神を信仰しているからだ
だがしかーし!
神ではないものを神として崇め信仰していたとするなら
果ては悪霊にとりつかれる事になるんだ
142考える名無しさん:2010/11/05(金) 19:06:44 0
神を信仰しないなら意識すらないはずだ
143考える名無しさん:2010/11/06(土) 17:27:57 0
>>134私はあなたではない。なぜならあなたは私ではない。単純にいって今私が考えていることをあ
なたは知らない。
>>112>>140よくもあきずに同じ事を繰り返して書き込めると思う。それとあなたの文章は単純に、
てにをはの使い方と主語述語の使い方が間違っている。
>>141見かける人間共が神を信仰しているため正常な振る舞いをしているのだから、あなたに従えば
悪霊にとりつかれる心配はない。

144考える名無しさん:2010/11/06(土) 17:51:41 0
>>140
まあ、現代的視点から根本を批判できることくらいみんなわかってるさ。
でもそればっかり言ってそこで終わりにせず、
もっと中身をいろんな観点から分析して議論しようってこと。
歴史的観点からも彼は重要な位置づけで、その前からの影響とその後への影響、
そしてどういうふうに現代にまで至ったか考えるのもいいんじゃない?
145考える名無しさん:2010/11/07(日) 19:55:07 0
基本的にスレ144で言われていることには賛成であるが、デカルト自身のいっていることには後のデカ
ルト主義者が言っているのとは違い両義性が読みとれる。それはスレ97の言うデカルトの「可能性の中
心」ともいうべきものだ。(しかしこの言葉は柄谷行人の真似であろう)そこでは「方法序説」よりも
「省察」が重要なテキストになるだろう。そこには簡単には批判できないデカルトがいる。
146考える名無しさん:2010/11/07(日) 19:59:46 0
>>143
本当に貴方は、今私が考えていることを知っているのですか?
意外でしょうが、人間は今私が何を考えているかを知りませんよ。
147考える名無しさん:2010/11/10(水) 18:54:27 O
結局疑っているのは他者との実践的関係なんだよな。
内面で与えられてもそれが外界と一致するかわからないと言っても。

そしてあやふやな感覚よりアプリオリ、非経験的な延長、数理論理化された世界に行く。
カントはアプリオリそのものに行く。分析哲学は論理だけがアプリオリだとそれだけに取り組む。
フッサールは外界よりも内面の確実性先だろとやる。

しかし、どれも間違いだよな。内面外面食い違う現実受け入れないとしようがない。
青い鳥は決して遠くにいない。
148考える名無しさん:2010/11/10(水) 18:55:34 O
内面的に確かに真実だと思ってもなかなか伝わんない、うまく行かない。
で一番大切なのはそのうまく行かないがなんとかしたいという思いから目を逸らさないことなんだよ。

何かしら確実性にいくのは、そのことがもう嘘でそこに欺瞞が始まっちゃう。
デカルト含めて。
そこに西洋哲学の勘違いがある。
149考える名無しさん:2010/11/10(水) 18:58:19 0
また馬鹿なもしもしが沸いてきたのか
150考える名無しさん:2010/11/12(金) 18:09:21 O
内面的に確かに真実だと思ってもなかなか伝わんない、うまく行かない。
で一番大切なのはそのうまく行かないがなんとかしたいという思いから目を逸らさないことなんだよ。

デカルトは逃げてしまい確実性求めた。基礎づけようとしてしまった。
15182:2010/11/12(金) 21:30:18 0
>>140、147、148、150
私はスレ82で、デカルトをイメージして「世界と離れてある自分など存在できるだろうか?」と書き込
みした。パスカルのように神にふみとどまるなら話は別であるが、なんの確実な基礎づけもないのにこ
れは嘘とかあれは欺瞞だ、とかいえるだろうか?それとも自分だけは世界と離れた場所に立ってものを
言えると信じているのだろうか?残念ながらそのような場所はない。例えばニーチェは次のように言っ
た。「おそらく真理とはそれなしには人が生きていくことができない虚偽のことである」と。デカルト
からフッサールまでの思索のなかで基礎づけが成功していないとすれば、そのことは、すなわち現在の
世界の中で生きている私たちが地盤のない家に住んでいることを意味している。事実、ニーチェは発狂
してしまった。
152考える名無しさん:2010/11/13(土) 00:15:07 0
ニーチェは梅毒だっただけだよ
153考える名無しさん:2010/11/13(土) 05:32:55 0
絶対的真理は無い。
真理を自分にとっての必要度重要度の高いフィクションだと読み替える。
デカルトも、こういうフィクションが自分にとって必用だったんだね。
そこで、真理を必用とする自分とは何かが問題になってくる。
15482:2010/11/13(土) 07:49:12 0
>>153
必用× 必要○
だからそんなことはとうの昔にニーチェがいっている。そこからどう思索をすすめるか、誰も高見の
見物ができる場所などない。
155考える名無しさん:2010/11/13(土) 08:33:55 0
そんなことはとうの昔に言っているとか言い出したら、151にも言えるじゃないの。
高みの見物なんかしてないし。必要だって打ち間違いしただけなのに。
うるさい人だな。
156考える名無しさん:2010/11/13(土) 08:56:29 0
自分だけにしか向かっていない言葉はメモ帳にでも書いて
ローカルに保存して自分だけでニヤニヤしてればいいのに
157その1:2010/11/16(火) 21:54:56 0
図式的になるが「我」には二つの側面があると思う。一つは空間的な側面、いわゆるデカルトの「我」
で実体的なものである。(話を単純にするためデカルトの両義性には今は触れない)もう一つは時間的
な側面、これは西洋において、19世紀後半から関心が高まっていった時間特有の性質の探求から徐徐に
あきらかになってきたことで、フッサールの「内的時間意識の現象学」やベルクソンの「物質と記憶」
ハイデガーの「存在と時間」等が時間を主題にしている。フッサールのノエマ・ノエシスやベルクソン
の「持続」日本では西田幾多郎の「述語論理」「行為的自己の立場」これらの言葉は時間を語るため
に作られたといってもよい。時間的な側面の特徴はつかまえにくい、ということである。例えば「私」
は幼稚園の時から成長し変化しているが同じ「私」である。又ちょっと前まで夕飯を食べていた「私」
であったが書き込みしているのが今の「私」だ。この「私=我」の持つ時間的な側面をデカルトの哲学
ではとらえられていない。とらえられていたとしても不充分である。それはデカルトが数学をモデルに
哲学を組み立てようとしたことと関係がある。どこまで幾何学を哲学に適用できるのか?「我」につい
て考える時に「空間的側面」には役立つがそれを「時間的側面」にもあてはめてもよいのだろうか?


158考える名無しさん:2010/11/16(火) 22:38:39 0
【ゆっくり】月に1冊哲学の本を読む【まったり】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/philo/1285937465/の1です
『方法序説』第5部および『省察』第3省察の連続的創造説については、どのように考え
られますか?
>例えば「私」は幼稚園の時から成長し変化しているが同じ「私」である。又ちょっと前
 まで夕飯を食べていた「私」であったが書き込みしているのが今の「私」だ。
上の問いに対してデカルトなりの回答だと思うのですが。
ちょうど次々回に連続的創造説を取り上げる予定ですので、教えていただけると助かります。
159考える名無しさん:2010/11/18(木) 21:45:26 O
地盤を求めるから発狂するのに。ニーチェも地盤をこわしたから発狂したのではなく、
こわしたくせにまたそれを地盤につけようとしたから発狂した。
わかるよね。
ニーチェもデカルトも尻が青い青い。
160考える名無しさん:2010/11/19(金) 21:53:59 0
晩年の「アンチクライスト」を読んでもわかるが、ニーチェはべつに地盤につけようとはしていない。
161考える名無しさん:2010/11/20(土) 19:30:13 O
>>160

青い青いw
162158:2010/11/20(土) 22:25:41 0
>>157
その1とあるので、その2以降をお書きになる予定であったろうところを
話の流れを切ってしまったようで、申し訳ありませんでした。

>>158 で『哲学原理』21(われわれの存在の持続は、神の存在を証明するのに十分であ
る)と57(ある属性は事物のうちにあり、他の属性は思惟のうちにある。持続と時間と
は何か)を漏らしていました。

なお、連続的創造説について>>158のスレで231に書いています。直接に「我の時間的側面」
について考えたものではありませんが、お読みいただき御意見をいただければ、幸いです。
163考える名無しさん:2010/11/20(土) 22:50:01 O
ニーチェの場合、地盤につかないということを絶対化して地盤にしちまったからな。
164考える名無しさん:2010/11/21(日) 11:37:36 0
明治以来日本人は何でも輸入してきたが思想もその一つであった。戦争中、近代を輸入してそれを超克
することを課題とする「近代の超克」という座談会があった。どんなものでも観念でのりこえていくの
でどんどん超克された。今も同じだ。デカルトでもニーチェでもどんどんのりこえる(笑)。しかし本
当の対決を経ていないのだから本当はのりこえていない。ポストモダンの思想だのニーチェなら1ペー
ジでいうことを一冊の本にしている(笑)。
165考える名無しさん:2010/11/23(火) 11:20:42 0
刑事ルト
166考える名無しさん:2010/11/24(水) 19:27:29 P
パスカル、デカルト、スピノザ、ライプニッツの関係性を図解してみた。
カントを位置づけるとしたら、外枠(理性の限界)となるだろう。

 _____スピノザ_______
|      平行        |
|    ___|__      |
| 思惟|      |延長   |
|   |      |     |
|   | デカルト |    カント
|  我思う → 故に我あり  (理性の
|   明証性(自然の光)    越権行為禁止)
|     /||        |
必然   / ||        |
矛盾律 /  ||        |
|論理化   ||    /\  |
ライプニッツ ||    ||  |
理由律    \/    ||  |
偶然___神の存在証明_パスカル_|

「我思うゆえに我あり」は何らかの意味ではなく意味自体の条件だと考えられる。
思惟を明証的だと考えることが重要となる。

参考:山田弘明『真理の形而上学 デカルトとその時代』
(上記書はマルブランシュ紹介本としても優れている。)
167考える名無しさん:2010/12/25(土) 08:34:00 0
デカルトは科学者
168考える名無しさん:2010/12/30(木) 11:06:02 0
>>106,117で神の定義について述べられていたので、そのことに関して思いついたことですが、こんなのはどうでしょう?


存在、時間そして不死
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/philo/1284193956/86
86 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2010/11/13(土) 12:21:48 0
>>79
>「無限」とは?
>
> これも前記に関連して最重要な論題である。
> 無限とは、純一なものが無限に存在する場合のみ、言いえる状態である。
> 純一が必須の条件である。何かが混在しているような、今の宇宙のような存在は、
> 無限の空間とは決していえないのである。
>
> Aと言う物質とBという物質が有る場合、それらが混在しているなら、Aと言う物質は、
> Bという物質の締める体積分だけ、無存在であるのだから、Aと言う物質が無限にあると言うことは
> 出来ないのだ。Bという物質の場合も同じである。
>
> したがって、混在してるものの場合、あるものが無限にあると言うことは不可能である。
> 純一なものの存在の場合のみである。
>
> もし、両者ともに無限にあると言うなら、矛盾を来たしているのである。
> そして無限と言うなら、その有るものは、識別できないものである。故に
> 存在として消滅するのである。Aが無限であると言うなら、Aは消滅してなくなっているのだ。
> そこには識別できるものはない、ので、無と言われなければならない。混在していては決して無限と言うことはありえない。
169168の続き:2010/12/30(木) 11:07:41 0
私はこの世界のすべて(一切)だと思ったとしても、あなたが居るのでこの世界のすべて(一切)で
はない(純一ではない)。
あなたがこの世界のすべて(一切)だと思っても、私が居るのでこの世界の一切ではない(純一ではない)。
なので、私もあなたもこの世界の部分ということになると思う。

上記(引用文)の純一なものの存在の場合のみ無限になるということと、私とあなたが
居るので、無限にはならない。よって、宇宙も無限とはならずに有限となる。

「すべて」という丸ごと一つというような純一が無いので、「すべてという神」も存在し得ない。
ということになるのかな?!
170さらに169に追記:2010/12/30(木) 11:29:02 0
「すべてという神」も存在し得ないから、「個人の自由意思」を持ち得ることが出来るのかな
171キリコ・マヨラー ◆EN8cDNURt. :2010/12/31(金) 09:01:52 0
すべて・・・すべては言葉では一軒の家のようなものだと考えております
すべてといっても人によりすべては違うと想います
宇宙、世界、世の中、世間とも表現され得りますが、木、森、などと同じく
擬人化され、人(代名詞的「人がこうやるから・・・」)にしていいでしょう。
もちろん主義、趣味、なども擬人化されえます。擬人化された個々人にもヒトにも各仕事があると考えます。

なぜ家と表現したかというといろいろが(擬人化してでも)すべてを満たしているわけで
すべてが入れる映画館があり個々別に分けると映画館の席はありとあらゆる個々別に専用の席があり、それこそ真にすべてを満たすでしょう
否定するなら部分否定となってしまうからです。要するにどこかの誰かの席にいる人(達)を否定している(すべて(このような一軒の家では)
それにこの家は常に上昇志向です。すべてはhappy endし続けているのです。

としか想えません
172 【末吉】 【193円】 :2011/01/01(土) 13:57:23 0
明けましておめでとうございます。
173キリコ・マヨラー ◆EN8cDNURt. :2011/01/04(火) 08:29:49 0
おめでとうございます
174考える名無しさん:2011/01/06(木) 21:58:39 0
なぜデカルトは、方法的懐疑をしているのに、神は疑わなかったのですか?
175考える名無しさん:2011/01/06(木) 22:01:03 0
疑ってはいましたが、それを公言すると失業し暮らしていけなくなるので、
語らなかっただけじゃないですか?
176考える名無しさん:2011/01/06(木) 22:35:41 0
早速ご解答してくださり、ありがとうございます。
本当ですか?
177考える名無しさん:2011/01/06(木) 22:44:48 0
ちゃんと読めよ
神も疑ってるだろ
178キリコ・マヨラー ◆EN8cDNURt. :2011/01/25(火) 09:05:51 0
>>171
というと
すべてじゃないすべてもあるか?
もちろんあるでしょう。
この(すべてである)家の建っている土地を広げて
子供を増やして(イノベーションや生物以外含む)
家内をよくしいけばいいだけのこと
そう単純なこと

単純だから取り組むと複雑で
あって大変でありましょう。

do it.

もうあんまり書くことないな。

他に在るのかな哲学で
それより基礎的なこと?
179考える名無しさん:2011/02/08(火) 09:41:18 P
われ思う
ゆえに
われ見る

コギト
エルゴ
ヴィデオ

Cogito ergo video

(ゴダール『映画史』1B)
180糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2011/02/10(木) 23:48:06 0
おい、スタンフォード哲学百科事典をまとめてみたよ。
「私とはなにか」(第一部)
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2011/02/post-3c8a.html
181考える名無しさん:2011/02/19(土) 17:07:33 0
>>180
説教ウゼーの判るがw
そのレスは思考放棄だ
182糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2011/02/20(日) 13:16:17.47 0
183アテネフランセ中退:2011/02/24(木) 00:57:28.19 O
Je pence,donc je suis. 俺のフランス語正しい?
184考える名無しさん:2011/04/27(水) 08:19:51.67 0
デカルトよりも宮沢賢治の方が大正解ですよねー!?♪。
185考える名無しさん:2011/04/27(水) 19:09:15.49 P
>>183
間違ってるw
186デカルト ◆EN8cDNURt. :2011/05/06(金) 09:25:06.88 0
まぁいいや、私としては哲学の(フック)引っ掛かりが
出来てその職人としての哲学者がなりたっているので
いいのですよ!
あと質問は?
ありますでしょうか?
187 忍法帖【Lv=2,xxxP】 :2011/05/25(水) 15:36:16.47 0
俺様の常識は神を信仰しているよねー!?♪。
188考える名無しさん:2011/05/28(土) 18:29:47.82 0
yukoim Yuko Murakami shinichiroinabaがリツイート
所雄章師はデカルトの全てのテキストを諳んじメインフレームより全文検索
が速いと主張していた。ただし20年前の性能比。
20時間前
189考える名無しさん:2011/06/21(火) 23:56:22.18 O
デカルトの哲学と幾何学は同じだな。
神の存在証明イコール幾何学と代数学の相互基礎付け。
コギトイコールデカルト座標。
190考える名無しさん:2011/07/01(金) 23:27:53.50 0
考えたけど猫かわいい
191考える名無しさん:2011/08/04(木) 23:52:31.57 0
デカルトって言えば「コギト・エルゴ・スム」だけど
人間いつかは考える事ができなくなるよね
ってことは、自分自信も結局無かった事になるってこと?
192考える名無しさん:2011/08/05(金) 14:03:03.23 0
考えるより早い俺
193考える名無しさん:2011/08/27(土) 15:52:34.85 0
>>191
そのための介護保険制度ですよ
194考える名無しさん:2011/08/28(日) 18:59:24.17 0
>>191
デカルトのコギトは、存在することが確実だと言える最初のもの。
コギト以外の存在はコギトを出発点として証明される。
デカルトは考える者だけが存在するということを証明しようとしたわけじゃない。
195考える名無しさん:2011/08/28(日) 21:45:33.77 0
>>194
考えている(思索している)ときに主体(自己)は存在している。自己を
認識できる。ということだったっけ?

行為について、なぜ「考える」ということに限定したのだろうか?
主体が自分のことを認識できるのは、主体を取り巻く世界とか客体(他者)
に対して何らかの影響を及ぼしているときではないのかと思ってしまう。
196考える名無しさん:2011/08/28(日) 22:24:51.69 0
「我思う故に我あり」を観測する存在がいなければそれは成り立たないのではないか。
197考える名無しさん:2011/08/28(日) 22:58:14.16 0
己の存在を認識したいなら、鏡の前に立ったり己のほっぺたツネる方が何より確実。
198考える名無しさん:2011/08/28(日) 23:21:04.62 0
観測者=神だと思うが、「考える」という行為でしか認識できない
んだろうか?世界に対する彼なりの考察の結果なんだろう。
199考える名無しさん:2011/08/28(日) 23:35:26.46 0
普段他者との共通点以外の部分を楽しむ僕だけど
認識できてない部分とか考えるとぞくっとする
200考える名無しさん:2011/08/29(月) 02:17:03.08 0
>>195
デカルトの「考える」は「表象する」くらいの広い意味で捉えたほうが分かりやすいと思う。
デカルトの「思考(考えられたもの)」の中には純粋な思索だけでなく感覚的なものも含まれてる。
行為にせよ何にせよ自分の表象のうちに現れるものにすぎない。
行為するということは、自分の表象のうちに自分の行為に含まれるものが現れてくるということ。
たとえば走る時の手足の動きや息があがった苦しさなんかも単に表象されたもの(考えられたもの)に過ぎない。
だから考えることが基本にあるのだと理解してる。
201考える名無しさん:2011/09/08(木) 08:36:03.12 0
私とは他者であり他物である

自らは両親(先祖も含め)の性交によって作られ、身体は空気や水や食物によって形成され、他者たちの影響によって思考も言動も決まる。
今我々が日本語で話すのも、日本で産まれ育ち日本で育ったから。人間も、環境に支配されて自己の欲望によって動く動物と何も変わらない。
しかし、人間界には法律や倫理がある。
202名無しさん@恐縮です:2011/09/08(木) 21:35:16.09 0
俺これからどうなっていくんだろう?
203名無しさん@恐縮です:2011/09/09(金) 19:50:44.46 0
意図しない失敗に対して勝ち誇る人を見る私
204考える名無しさん:2011/09/15(木) 05:12:18.33 0
「私が明晰かつ判明にとらえたものは真である」
デカルトが直観した最重要命題はこれ。
そしてこれを導くものが、
第一原理の「われ思うゆえにわれあり」


デカルト理解の基本中の基本
205考える名無しさん:2011/09/15(木) 05:16:25.58 0
>>191 自然に戻るということ。
良識が働いているとき、そのときに限って、世界に埋もれていない「コギト」があらわれる
206考える名無しさん:2011/09/15(木) 23:29:16.04 0
>>204
で?っていう
207考える名無しさん:2011/09/19(月) 13:50:07.91 0
「我食う、故に我在り」

人間の感覚の五感と第六感の中で一番肉感的で強烈なのは、やっぱり物質を体内に入れる味覚じゃないかしら。
思考や想像をしてるのは脳の神経だろうし、身体が生存して存在する為にまずは飲食ありきだから。
208!ninja:2011/09/22(木) 05:57:09.30 0
デカルト様は素晴らしい理論を創造したよねー!?♪。
209考える名無しさん:2011/09/30(金) 08:03:19.35 0
正しくは「我在り、故に我思う」なんだな。
210 忍法帖【Lv=24,xxxPT】 :2011/10/03(月) 00:19:50.11 O
デカルト・シャーマンは大好きですよねー。
211考える名無しさん:2011/10/05(水) 19:32:42.37 0
「アタリマエとされていることを、疑え」ってのが面白い。
212考える名無しさん:2011/10/14(金) 14:20:37.38 0
213 忍法帖【Lv=6,xxxP】 :2011/10/18(火) 22:32:04.22 O
デカルトは光り輝くですよねー。
214考える名無しさん:2011/10/18(火) 22:32:56.45 0
いみわからん
215考える名無しさん:2011/11/07(月) 18:10:11.87 0
はじめに物質ありき
216考える名無しさん:2011/11/07(月) 18:13:19.28 0
無力だよ、哲学(知)。

モノ最強
217考える名無しさん:2011/11/08(火) 07:52:58.70 0
自分だけでも、救わないとな。人生、それで充分。
218 忍法帖【Lv=32,xxxPT】 :2011/11/14(月) 17:08:21.62 O
物質をも操作出来る哲学最強ですよねー。
219 忍法帖【Lv=8,xxxP】 :2011/11/20(日) 22:14:29.16 0
我思う、故に我ありではない!?♪。
220 忍法帖【Lv=4,xxxP】 :2011/11/21(月) 17:47:54.76 O
モノ最弱ですよねー。
221考える名無しさん:2011/12/02(金) 16:32:46.54 0
無知な自分はデカルトの言う哲学を数学に結びつける
という発想がよくわからない
数学が唯一確実で明証的な論拠を見出したってのはわかるけど
それがデカルトの言う哲学とどう結びつくの?
神の存在定義についてなんか公式使って証明しようとしたの?
222catt ◆.catt24qAw :2011/12/03(土) 20:43:33.59 0
>>221
デカルト座標って知ってる?
223考える名無しさん:2011/12/04(日) 02:35:14.48 0
>>222
知らないのでググったけど理解できなかった
できれば詳しく知りたい
方法序説読んでもそのあたりがよく理解できてないみたいだ
224考える名無しさん:2011/12/04(日) 02:50:11.91 0
知らないはずあるか
中学で習うだろ
225考える名無しさん:2011/12/04(日) 02:58:50.83 0
わかったよ色々勉強してから出直すよ
226考える名無しさん:2011/12/04(日) 08:57:17.23 0
直交座標はデカルトの発明ではないがな
227考える名無しさん:2011/12/04(日) 10:11:43.63 0
思考>モノ
っていう考えはわかるけど
「身体が無かったとしても、完全にいまあるままのものであることにかわりはない。」
って言い過ぎじゃね?
228227:2011/12/04(日) 10:32:29.07 0
思考というより魂の話ね
方法序説4章の第二段落
229catt ◆.catt24qAw :2011/12/04(日) 15:23:18.53 0
>>227
4部の二段落で突っ込むべきところはそこじゃないな。w
230考える名無しさん:2011/12/04(日) 15:58:32.32 0
べき論w
231考える名無しさん:2011/12/04(日) 15:59:33.46 0
>>226
232考える名無しさん:2011/12/16(金) 20:44:48.77 0
age
233 忍法帖【Lv=29,xxxPT】 :2011/12/16(金) 23:18:54.74 O
デカルトの考え方ってクトゥルフ神話作品の先取りって感じですよねー。
234考える名無しさん:2011/12/23(金) 21:35:21.59 0
お慕いしております、土曜日の夜中様
ちょっとアラン・ドロン似?
一緒に無理心中したいくらい好き
今日は何して遊ぼうか

わたしたちは心も身体も最高の相性だね
悪い遊びを許してくれるのはあなただけ
ねえ、ずっと一緒にいよう
その黒くてしなやかで何もかもができる腕で
永遠に触っていて欲しいな
235考える名無しさん:2011/12/26(月) 21:54:38.84 0
デカルト全書簡集 第一巻
山田弘明他訳 (2012年1月刊行予定)
236dekaruto:2011/12/29(木) 12:37:02.17 0
デカルトももうたくさん
しょきしたのにぃ〜
こうごきたいお
237考える名無しさん:2011/12/30(金) 16:14:35.71 0
149 :考える名無しさん:2011/12/28(水) 19:27:11.79 0
丁度スレの話題に合っているので。
以下、小泉義之による『リアルの倫理』書評より

ジュパンチッチが指摘するように、近年のカント解釈はまったくダメである。
ロールズやハーバーマスやアレントの解釈(柄谷行人『トランスクリティーク』はこの段階にある)は、すべてダメである。カントの凄まじさを見逃しているからだ。
カントは、日常的な「功利主義の倫理」を断ち切って、「欲望の倫理」を導入したのである(浅田彰『構造と力』はこの段階にある)。
しかし、カントを越えて進まなければならない。ラカンは、欲望の倫理を突き破って、「欲動の倫理」を導入したからだ(スガ秀実『「帝国」の文学』はこの段階にある)。
しかし、ラカンも越えて進まなければならない。ry
238考える名無しさん:2011/12/30(金) 17:15:35.68 0
我思わない故に我なし
239考える名無しさん:2011/12/31(土) 06:57:18.25 0
「私が明晰かつ判明にとらえたものは真である」

これがデカルトの最重要命題.
神も,コギトも,みんなこれを説明するための道具立てに過ぎない.
240catt ◆.catt24qAw :2011/12/31(土) 16:43:48.06 0
>>239
ただ、デカルトのその「明晰かつ判明」という判断を下す「私」への言及があいまいなのでみんな困ってる。w
241考える名無しさん:2011/12/31(土) 17:03:07.40 0
cattは困ってないの?
242catt ◆.catt24qAw :2011/12/31(土) 19:01:18.36 0
>>241
だいぶ見通しはついているのでそれほどには困ってない。w
243考える名無しさん:2011/12/31(土) 19:05:27.55 0
じゃあみんなも困ってないよ
244catt ◆.catt24qAw :2012/01/01(日) 01:49:26.12 0
それは良かったね(棒
245考える名無しさん:2012/01/07(土) 21:31:30.73 0
age
246考える名無しさん:2012/01/09(月) 12:52:28.92 0
八巻正治先生も笑わせてくれますねえ。
自称・教育学博士(ニューポート大学大学院)のお方は言うことが違いますね
「日本の大学だって、海外ならば非認定校だ。ディプロマミルと同列視されるのは、とても不愉快だ」(弘前学院大学・八巻正治教授)
八巻正治さん、これって学歴詐称じゃないのかな。 ね、八巻正治さん。
でも八巻正治さんは、大学教授なんだよな。結局は勝ち組なのかなあ…
八巻正治さんは本当に不思議な人物だなあ。
247 忍法帖【Lv=3,xxxP】 :2012/01/29(日) 15:15:10.01 O
デカルトはSF小説的な哲学者だよ。
248洋楽:2012/02/02(木) 01:02:35.76 0

  かれ けっきょく 

     ターザン に なりたかったんじゃないの ・・・ ?
249 忍法帖【Lv=3,xxxP】 :2012/02/04(土) 19:59:33.34 O
別に僕は素晴らしい物凄い幸せだよ。
250考える名無しさん:2012/02/04(土) 20:20:06.96 O
洋楽、めっちゃうざいんだけど・・・・
何なのそれは
251考える名無しさん:2012/02/04(土) 21:13:35.94 0
吉祥寺のスナック嬢
252洋楽:2012/02/04(土) 21:55:09.88 0

  ターザン 解析できなきゃ 哲学は無理だよ ・・・
253 忍法帖【Lv=5,xxxP】 :2012/02/06(月) 19:42:56.67 O
デカルトの唯我論の哲学はSF小説ぽいよね。
254水城奈々+じつは椎名林檎ファン:2012/03/15(木) 14:04:25.83 0
デカルトさんは
哲学者的職人として
いまだにSECONDBESTですぅ。
255 忍法帖【Lv=2,xxxP】 :2012/03/30(金) 22:23:10.02 O
デカルトの唯我論の解釈は後ろ向きぽいね。
256考える名無しさん:2012/04/10(火) 16:26:32.29 0
まず己の肉体(脳)があるから考えることができる訳で…我在りが先
257 忍法帖【Lv=13,xxxPT】 :2012/04/11(水) 17:50:52.61 O
死後の世界にも確信を持てず死んだら無に為ると考える哲学は無用じゃ無いのか?。
258考える名無しさん:2012/04/11(水) 22:30:47.21 0
デカルトはオカルト
259 忍法帖【Lv=3,xxxP】 :2012/04/21(土) 12:41:25.42 O
デカルトよりもスピリチュアリズムの方が遥かに強いですよ。
260考える名無しさん:2012/04/30(月) 11:03:54.73 0
261考える名無しさん:2012/04/30(月) 18:10:33.25 0
てすと
262 忍法帖【Lv=2,xxxP】 :2012/05/07(月) 00:59:38.78 O
デカルトはグノーシス主義者と同じで神様に不平不満を言って居るだけの哲学だよ。
263考える名無しさん:2012/05/11(金) 00:11:18.16 P
ロッセリーニ『デカルト』
http://youtu.be/T9cq7G8hoAE
264考える名無しさん:2012/05/14(月) 07:53:42.69 0
ロッセリーニは無防備と零年しか知らなかったけど、デカルト映画もあったのか。顔似てるねw
265考える名無しさん:2012/05/14(月) 07:54:23.45 0
見え過ぎること、知り過ぎること、それは決していいことではない。
266考える名無しさん:2012/05/14(月) 08:00:14.34 0
身体の健康を保つ為の哲学(知識)が何より優先事項でよろしい
267考える名無しさん:2012/05/14(月) 09:17:57.41 0
数学などの理系がデキルってのは機械的にインプットとアウトプットがデキルって話だけよな
でも発見や発明開発とかはまた違うけど

それに文系もまず言語アリキの話だし、それがデキても頭がイイって訳ではない。
268考える名無しさん:2012/05/14(月) 12:04:41.79 0
学校(特に高校まで)の勉強のことを言ってるのなら、理系だろうが文系だろうが、機械的にこなせるわな
賢い奴はその中でも創意工夫してるのは、端から見ててわかるけど
269考える名無しさん:2012/05/15(火) 10:45:56.42 0
頭の活動を減らして、感度を落として、無意識的になれば、ただ楽になれる。
270考える名無しさん:2012/05/26(土) 13:32:12.80 0
哲学のド素人なんだが純粋に疑問なんでレスさせてくれ

「我思う、故に我あり」はなんだかおかしい気がしてきた、ちなみに哲学原理は読んでない

「我思う」について直感に基づいて確実に言えるであろう事は「何らかの存在による何らかの思考(ここでは疑うという思考)」に過ぎないのに
なぜ「何らかの存在=我」が自明な事として扱われているのか

「我以外ではなく」我が思考しているという主張の確実性はどこからくるのか

x⇒yという推論形式が外部的に正しいとしても
x内部、つまり「我思う」という前提の内部的な正しさ(何かもっと基本的な事実からの推論が可能?)が保障されないと
「故に我あり」という主張が真理とは言えないんじゃないのか

言ってる事の意味が通じてくれると嬉しい、根本的に検討違いの事いってたらプギャーしてくれ
もう一つ書きたい事があるけど書く前によく考えてみるよ
271 忍法帖【Lv=4,xxxP】 :2012/05/27(日) 10:23:04.35 O
量子力学がデカルトを全否定ですよ。
272考える名無しさん:2012/05/27(日) 13:15:44.82 0
273考える名無しさん:2012/05/27(日) 13:19:53.41 0
観念より記号より、「物質的に」哲学するべし。

虚しくはなるが、仕方ない。
274 忍法帖【Lv=5,xxxP】 :2012/05/28(月) 08:18:40.46 O
超弦理論はデカルトを全否定出来るよ。
275考える名無しさん:2012/05/28(月) 08:44:24.24 0
いや、安易に物理を頼るんじゃなくて・・・
276考える名無しさん:2012/05/30(水) 09:46:27.53 0
私は呼吸する、ゆえに私は存在する。
私は飲食する、ゆえに私は存在する。
私を見る、ゆえに私は存在する。
私をツネる、ゆえに私は存在する。


私は死んだ、ゆえに私は存在しない。
277考える名無しさん:2012/05/30(水) 09:50:05.02 0
と言う思考は出来ない
278考える名無しさん:2012/05/30(水) 09:51:38.72 0
すべては「私は生きる、ゆえに私は存在する」ってことで
279考える名無しさん:2012/05/30(水) 09:59:59.69 0
個人的には「味覚」が最も生の実感ってか好きかも
280考える名無しさん:2012/05/31(木) 10:26:10.17 0
人体もこの空間の中の一つのフィルターみたいなものか
281考える名無しさん:2012/05/31(木) 10:48:04.62 0
自分の名前を呼んでくれる人がいる、そもそもそれが人間の存在ってもんじゃないのかな。
282考える名無しさん:2012/05/31(木) 15:09:21.51 0
名前は存在を外からラベル付けしているに過ぎないから,名前を呼ばれたからといって自己の存在が証明された事にはならないのでは?
無という概念を「無」と呼ぶのと論理的に同値な気がするよ
283考える名無しさん:2012/05/31(木) 15:57:11.83 0
いや、理屈の問題じゃなくて…
284考える名無しさん:2012/05/31(木) 16:02:55.90 0
例えば「無」には生命は無い
しかし「名前」には生命が有る

生命ある言語って感じか?
285考える名無しさん:2012/05/31(木) 16:07:41.27 0
「名前」と言うか「人の名称」と言った方がいいかな
言語(記号)で存在を最も証明する可能性あるのが名称なんじゃないかな

例えば文章で「私は存在する」と書いても、全く証明にはならないと思うが。
286考える名無しさん:2012/05/31(木) 16:13:31.59 0
発声された言語には生命エネルギーがありそうって感じ
287考える名無しさん:2012/05/31(木) 16:22:18.01 0
私の存在があるのは、身体的にはこの空間のあらゆるライフラインから成り立ってるとは思うが。
死後に意識がなくなっても、気体や微生物のエサとして存在するってか…
288考える名無しさん:2012/05/31(木) 16:24:17.85 0
物資の面で言えば、世界中の他者たちによっても支えられている。
289考える名無しさん:2012/05/31(木) 16:30:29.96 0
鏡見て「俺って存在するのかな?」なんて思ったら、やっぱりヘンよ。
290考える名無しさん:2012/05/31(木) 17:55:19.69 0
デカルト的には時間と空間以外の外的な環境に影響されず自己の内部から自己の存在を構成したかったんじゃないの?

だから自己の外から自己を証明しようとするレスは空回りというか検討違いでは?
291考える名無しさん:2012/06/01(金) 10:56:47.78 0
自己の内部と言ってもあるのは骨や内臓だけだよ
292 忍法帖【Lv=6,xxxP】 :2012/06/02(土) 04:39:57.38 O
今の現代の物理学でデカルトの哲学を否定出来ると良いよ。
293考える名無しさん:2012/06/02(土) 18:26:42.06 0
唯物厨は思考しなくていいから楽でいいねー
294 忍法帖【Lv=7,xxxP】 :2012/06/03(日) 08:18:28.91 O
最新型の天文学はデカルトを否定出来るよ。
295考える名無しさん:2012/06/04(月) 13:52:08.85 0
体温もある
涙を流す理由は…
296考える名無しさん:2012/06/04(月) 14:00:24.09 0
今朝家の庭でしゃがんでテクテク歩いてる蟻を見つけて、
この蟻も俺も宇宙空間の生命として全くと言っていい程に同じ存在なんだなと、

悲しくなったよ。
297考える名無しさん:2012/06/04(月) 15:56:40.34 0
なんで悲しいの
298考える名無しさん:2012/06/04(月) 19:35:45.68 0
俺にもわからん
デカルトの(本人はどこまで意識あったかわからんが)人間至上主義を真に受けたのか
299考える名無しさん:2012/06/05(火) 10:27:44.50 0
関係ないアリの話でスマンが…
いつか蟻がいっぱい家に入り込んでた時期に足を噛まれたことがあって、
その蟻とかを潰してたんだけど、その潰した蟻を運ぶ蟻を見て、

蟻にも人情みたいなものがあるのかなって。
300考える名無しさん:2012/06/05(火) 10:31:28.90 0
言語や文章で「私の存在」を証明しようとすること自体、無理だと。

「私は考える、そして私は存在する」と言うのは、
人間の理性の力を信じたものではあるとは思うけど…
301考える名無しさん:2012/06/05(火) 11:21:30.05 0
「私は考える」という主観的な行為を、いかにも外から客観的に観測したような振りをして、「私は存在する」と言ってるけど
「私は存在する」という言明もまた主観ではないの?「私は考える」が私以外の誰の目にも明らかな前提でない以上、論証としては不十分な気がする
302考える名無しさん:2012/06/05(火) 11:48:30.76 0


「考える」と言うことの証明もしなければならない
303考える名無しさん:2012/06/05(火) 11:54:16.80 0

呼吸をしている、心臓が動いている、…それは「考えている」と言うことよりも生の証明だと。
304考える名無しさん:2012/06/05(火) 12:00:09.89 0

考えていることは、脳の機能によるものだと思うけれど、
機械に表示された脳波を見て思考の証明になるかどうか。
305考える名無しさん:2012/06/05(火) 12:16:18.98 0

機械によって表示された脳波の線よりも、
人間の手によって書かれた線や文字の方が…
306 忍法帖【Lv=12,xxxPT】 :2012/06/07(木) 12:23:14.17 O
現代の情報学はデカルトを否定出来るよ。
307考える名無しさん:2012/06/07(木) 18:16:44.27 0
現代の知識で昔の哲学批判する奴最高にかっこわるい
直接成果上げた人ならともかく威を借りて批判してる奴とか惨めすぎだろ
308 忍法帖【Lv=12,xxxPT】 :2012/06/08(金) 06:04:06.10 O
デカルトの独自の考え方は大好きですよ。
309考える名無しさん:2012/06/13(水) 18:11:19.91 0
コギトエルゴスムは「自分で考える」という哲学の基本の言葉だとは思う
310考える名無しさん:2012/06/13(水) 18:20:12.00 0
神の存在を否定しなかったデカルトだしな…

まずは聖書やコーランを書いた人間たちの顔と名前を知りたいよな
311考える名無しさん:2012/06/13(水) 18:26:53.03 0
早く誰か「光あれ」ではなく「光あり」に書き変えしないかなぁ
312考える名無しさん:2012/06/13(水) 18:30:02.80 0
聖書はあれど進化論が根拠になった人類の為の世界的なヒューマニズムの書が無いのがフシギ…
313考える名無しさん:2012/06/13(水) 18:32:08.78 0
辞書や翻訳書もヒューマニズムの書の内か
314考える名無しさん:2012/06/13(水) 18:35:31.63 0
ああ、例えば六法全書のことか…
315 忍法帖【Lv=21,xxxPT】 :2012/06/16(土) 14:02:51.64 O
最先端の天文学はデカルトを全否定したよ。
316考える名無しさん:2012/06/18(月) 22:40:29.19 0
>>270
「我思う」について直感に基づいて、確実に言えることは「何らかの存在による何らかの思考」に
過ぎないと述べている。デカルトの「我思う」は、認識する始めの段階で、「思考」と言う概念に
捕らわれている。 存在を認識するには、始めに、「すべてに、捕らわれない、あるがままの状態」を
直感する事ではないでしょうか。 >>278で述べている様に、始めに、すべては「私は生きる、ゆえに私は存在する」と
言う純粋な実体認識ではないかと思う。
317考える名無しさん:2012/06/19(火) 13:17:19.31 0
人間界のみに存在する(たぶんですが)「法律や倫理」が人間にとって最も重要な思考課題だと思う
318考える名無しさん:2012/06/19(火) 13:26:41.10 0
人工的な言語によって自己の存在を確認することに確実性は無いと

人体も起源は性交と言う人工的な作業によって作られたけれど、
後の形成などは殆どが自然によるものか。

いや、この宇宙空間のすべては「自然」だと…
319考える名無しさん:2012/06/19(火) 13:37:02.65 0
この無限の宇宙と時の中で「私とは存在しないのも同然な存在」だった
320考える名無しさん:2012/06/19(火) 13:42:24.60 0
人間同士で時に「貴方は、私。」の感覚がある
たとえ故人でも同情や共感する時に
321 忍法帖【Lv=3,xxxP】 :2012/06/21(木) 04:05:28.64 O
デカルトの名言は我思う故に我有りそれで我は考えるですよ。
322考える名無しさん:2012/06/21(木) 11:33:19.65 0
>>321
ハイデッガ−はデカルトの「我思う故に我あり」の実存的認識に対し、「我」だけは、
疑いえないものとした時、思っている「我」の存在様式は、無規定に放置された、と、述べている。
ジョン・ロックの「人間は生まれた時は、白紙である」の実存的認識が、存在論として正しい様に思う。
323考える名無しさん:2012/06/22(金) 09:25:04.63 0
テンガ気持ちいいと感じてる時、私は私以外の何者でもないと確信するのだ
故に私は存する、おまんまんは実在するかわからない
324考える名無しさん:2012/06/22(金) 12:41:06.48 0
>>323
テンガ未経験だが、そういうもんだと思うよ、デカルトは
325考える名無しさん:2012/06/22(金) 14:04:37.50 0
チンチン二元論
326 忍法帖【Lv=7,xxxP】 :2012/06/24(日) 18:47:10.10 O
我思う故に我有りそして我知る上に我認識する。
327考える名無しさん:2012/08/20(月) 01:17:00.77 0
方法序説つまらん
328catt ◆.catt24qAw :2012/08/20(月) 02:06:09.33 0
>>327
それはあたりまえ。
本当のことには誰も驚かない。
329考える名無しさん:2012/08/20(月) 02:31:27.76 0
>>328
貴方も驚かないの?
330catt ◆.catt24qAw :2012/08/20(月) 03:13:49.11 0
>>329
デカルトで驚く要素はなかったですねえ。
それよりアリストテレスではいろいろ驚いた。w
331考える名無しさん:2012/08/20(月) 03:19:43.35 0
なんだ驚かなかったのか
また捻くれた言い方してるのかと思ったよ

神の存在証明はどう理解してます?
332catt ◆.catt24qAw :2012/08/20(月) 05:14:21.64 0
>>331
まあ、がんばったな、って感じです。w
333考える名無しさん:2012/08/20(月) 05:30:11.33 0
二時間掛かってそのレスかよ
334catt ◆.catt24qAw :2012/08/20(月) 05:50:37.44 0
>>333
5年考えても同じだと思うw
335考える名無しさん:2012/08/20(月) 05:55:26.30 0
だったらレスしなくていいって
336考える名無しさん:2012/08/20(月) 06:02:19.88 0
catt氏は議論が下手だよね
337catt ◆.catt24qAw :2012/08/20(月) 14:40:35.59 0
まあ議論なんて意味ないからなw
338考える名無しさん:2012/08/20(月) 15:29:51.52 0
それは議論が下手だと言われた奴が言うことじゃない
339catt ◆.catt24qAw :2012/08/20(月) 16:24:48.26 0
哲学は基本的には独り言だからなw
340考える名無しさん:2012/08/20(月) 17:16:06.34 0
そうなの?
哲学科では議論はしないの?
341catt ◆.catt24qAw :2012/08/20(月) 21:01:49.55 0
だいたいデカルト自身がJe pense, donc je suis.をオランダの小部屋に
引き籠ってぼそぼそ書いてたくらいだからな。
独り言だよ哲学は♩w
342考える名無しさん:2012/08/20(月) 21:13:52.41 0
必死すぎる
343考える名無しさん:2012/08/20(月) 21:24:17.27 0
でもそれが議論を巻き起こすから哲学な訳でしょ
344考える名無しさん:2012/08/20(月) 21:48:58.50 O
勉強できないのに意識だけ高い奴が語る勉強なんて〜に似てる
345考える名無しさん:2012/08/20(月) 21:51:56.40 0
独り言独り言って、何回同じこと繰り返せば気が済むんだろう
346catt ◆.catt24qAw :2012/08/20(月) 21:53:02.41 0
誰かに分かるようなことなら考えても仕方が無い。
誰も分かってくれないようなことに気がついて一人ほくそ笑むのが哲学の真骨頂だろうな。
347考える名無しさん:2012/08/20(月) 22:02:33.93 0
だったらコテハン止めればいいのに
348考える名無しさん:2012/08/20(月) 22:12:20.87 0
こいつ、哲学も議論も中途半端なのにね・・・
349catt ◆.catt24qAw :2012/08/20(月) 22:14:38.57 0
なんかかまってちゃんがいるなw
350catt ◆.catt24qAw :2012/08/20(月) 22:21:14.86 0
ところで「方法序説」の第六部でデカルトが「議論など無駄である」と述べていることについてはどうなんだ?
351考える名無しさん:2012/08/20(月) 22:31:53.55 0
いいね
どうなの?

同じことでも、デカルトが言うのと、cattさんが言うのとでは
まるで違う感じがするのはどうしてかな
352catt ◆.catt24qAw :2012/08/20(月) 22:32:00.07 0
w
353catt ◆.catt24qAw :2012/08/20(月) 22:33:28.42 0
>>351
何が?
デカルトは「議論は無駄である。真理は自分がこっそり気がついてほくそ笑むだけで良い。」って
書いてあるんだがそれについてどうなんだ?って聞いている。w
354考える名無しさん:2012/08/20(月) 22:37:00.41 0
cattさんは、こっそりほくそ笑むような真理に気が付いたの?
デカルトは気が付いたからそう言ったわけで
貴方の空手形とはちょい違う
355考える名無しさん:2012/08/20(月) 22:43:24.77 0
>真理は自分がこっそり気がついてほくそ笑むだけで良い
これって額面通りに受け取るもんなの?皆さん
356catt ◆.catt24qAw :2012/08/20(月) 22:45:32.40 0
>>354
それを他人に言うべきではない、とデカルトは言っている。w
357catt ◆.catt24qAw :2012/08/20(月) 22:46:33.30 0
>>355
あなた哲学に向いてないな。
358考える名無しさん:2012/08/20(月) 22:46:59.17 0
デカルトは言い倒してるじゃん
359考える名無しさん:2012/08/20(月) 22:51:09.84 0
cattさんは選択すべき

2chなんか止めて本気で哲学するのか
ここで議論して遊ぶのか
いつまでも屈折した愚痴を不毛に垂れ流すのか
360考える名無しさん:2012/08/20(月) 22:56:02.15 0
>>357
どういうこと?よければ教えてほしい
361考える名無しさん:2012/08/20(月) 22:56:58.71 0
哲学も議論も中途半端なのにね・・・part2
362考える名無しさん:2012/08/20(月) 22:57:04.70 0
素朴な質問ですがデカルトはいつから刑事になったのですか?
363考える名無しさん:2012/08/20(月) 23:44:35.79 P
相変わらず適当な奴だな
第六章で言われているのは
「スコラがやっていたようなdisputationesは無駄だと思われる」
という話で「議論が無駄だ」という話ではない
364catt ◆.catt24qAw :2012/08/21(火) 01:22:50.39 0 BE:382446443-2BP(0)
>>363
ぜんぜん読めてないじゃん。「なぜ死後の発表としたか」だぞ。w
365考える名無しさん:2012/08/21(火) 01:27:45.62 0
wを付けてごまかそうとしても無駄ですよ。

Et je n'ai jamais remarqué non plus que par le moyen des disputes qui se pratiquent dans les écoles,
on ait découvert aucune vérité qu'on ignorât auparavant :
car pendant que chacun tâche de vaincre, on s'exerce bien plus à faire valoir la vraisemblance qu'à peser les raisons de part et d'autre;
366catt ◆.catt24qAw :2012/08/21(火) 02:04:48.12 0 BE:382446634-2BP(0)
>>365
それ意訳すると「私は学校で行われている議論で、何か新しいことを発見したことが無い」って
書いてあるんだが。w
367考える名無しさん:2012/08/22(水) 00:42:49.83 P
les écolesとdisputesと並んでいても、
その意味が理解できないっていうのはデカルトを読む際には致命的です。

 スコラles écolesの連中がやっているような討論形式(disputesディスプタチオネス)で
 以前に知られていなかったような新しい真実が見つけられたという事は寡聞にして知らない。
 というのも、あのような討論形式では、ただ論争に勝利する事だけに明け暮れ
 それぞれの論の妥当性の検証よりも、「もっともらしいこと」が幅を利かせる事になるからだ。

論争に勝利する事だけ求め、事実などどうでも良い、
まさにcattさんがされている通りの事ですね。
368考える名無しさん:2012/08/22(水) 17:13:19.49 0
デカルトは理性至上主義のクズ
369catt ◆.catt24qAw :2012/08/22(水) 18:26:51.45 0
>>367
邦訳版ではスコラじゃなくて「学院」と訳されてますね。
自分もそれが正しいと思いますよ。
370 忍法帖【Lv=38,xxxPT】 :2012/08/23(木) 13:53:23.89 0
ルネ・デカルトVSデカルト・シャーマン!?♪。
371考える名無しさん:2012/08/27(月) 05:38:14.85 0
我思った、故に我あった、と我思った?

サルトルか。
372考える名無しさん:2012/08/30(木) 15:54:46.93 0
ハジメに宇宙ありき
373考える名無しさん:2012/09/02(日) 17:54:40.40 0
デカルトの「私は考えるゆえに私は存在する」と言う認識は、人間が「認識主観」として、
自然を支配する「機械論的自然観」を成立させた。又、「方法的懐疑」より「精神」と「物質」を、
概念的に明確に区分し、「精神」が主観的領域である事を定義化したのである。デカルト以前の西洋哲学は、
スコラ学中心であり、デカルトがスコラ学を解体し、西洋哲学の新しい扉を開いたと述べても、過言ではない。
このデカルトの「機械論的自然観」が基となって、今日の機械文明、科学文明がもたらされている。
374考える名無しさん:2012/09/03(月) 02:59:34.12 O
我思わされてる故に我ではないかも。
戦後67年目の日本人
375 忍法帖【Lv=27,xxxPT】(2+0:8) :2012/09/19(水) 00:12:28.73 O
我思う故に我有り故にデカルトが大人気だろ。
376考える名無しさん:2012/09/19(水) 19:52:06.49 P

「我思う、故に我あり」デカルト
「我あり、故に我思う」ハイデガー
「疑いつつ在る(我は思惟しつつ存在する、Ego sum cogitans.)」スピノザ
「我思われる、故に我あり」フランツ・バーダー
「我思う、ゆえに我ありと思う我がいる」アンブローズ・ビアス
「我思う=我あり(同語反復)」カント?
「存在することは知覚されることである」("Esse is percipi"、エッセ・イス・ペルキピ)ジョージ・バークリー
「我思うゆえに他者あり(コギト エルゴ エス)」(ラカン、セミナール14)
「我思う、故に我あり」サティッシュ・クマール
「わたしは考える、それゆえそれは存在する(コギト・エルゴ・エスト)」ショーペンハウアー?
「我思惟す、ゆえに我万人なり(Cogito, ergo omnes sum homines)」フォイエルバッハ
377376,訂正:2012/09/19(水) 19:55:39.96 P
「君あり、故に我あり」サティッシュ・クマール
378考える名無しさん:2012/10/12(金) 23:02:59.05 P
私は思惟する事物である

ライプニッツ『人間知性新論』4:2 みすず368頁

379考える名無しさん:2012/10/16(火) 10:50:01.02 0
私の存在

頭では(と言うか視覚的には)単純にこの宇宙空間の中の地球上にある一体の存在
しかし身体的にはまるで迷宮の中に居るかの様な感じ
380考える名無しさん:2012/10/16(火) 10:55:00.69 0


上は客観視
下は主観視
381376,年代順改訂版:2012/10/22(月) 00:45:56.35 P
「我思う、故に我あり」デカルト
「我歩く、故に我あり」ホッブズ
「疑いつつ在る(我は思惟しつつ存在する Ego sum cogitans)」スピノザ( 『デカルトの哲学原理』)
「私は思惟する事物である 」ライプニッツ(『人間知性新論』4:2 みすず368頁 )
「存在することは知覚されることである」("Esse is percipi"、エッセ・イス・ペルキピ)ジョージ・バークリー
「我思う=我あり(同語反復)」カント?
「我思われる、故に我あり」フランツ・バーダー
「わたしは考える、それゆえそれは存在する(コギト・エルゴ・エスト)」ショーペンハウアー
「我思惟す、ゆえに我万人なり(Cogito, ergo omnes sum homines)」フォイエルバッハ
「我思う、ゆえに我ありと思う我がいる」アンブローズ・ビアス
「我あり、故に我思う」ハイデガー
「我思うゆえに他者あり(コギト エルゴ エス)」(ラカン、セミナール14)
「われ思う ゆえに われ見る(コギト エルゴ ヴィデオ Cogito ergo video)」ゴダール(『映画史』1B)
「君あり、故に我あり」サティッシュ・クマール


一見言葉遊びに見えても、各思想家の本を読んでいればそれぞれの哲学体系に即したことばだということがわかる。
特にスピノザの平行論、ライプニッツの分析主義をあらわす言い換えは見事だと思う。
382 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2012/10/22(月) 17:44:11.52 0
デカルトよりもスピリチュアリズムの方が良いよ!?♪。
383考える名無しさん:2012/10/22(月) 21:17:41.08 0
アンブローズ・ビアスは『悪魔の辞典』か、どこかで
我思う故に我あり。と我思う。
を見て、なるほどなぁと解釈できた。
384考える名無しさん:2012/10/23(火) 09:10:03.23 0
>>383
たしかにうまいことを言うな。
385考える名無しさん:2012/10/23(火) 13:05:00.91 0
もっぱら観念的な存在…
386考える名無しさん:2012/10/23(火) 13:44:09.78 0
>>381
ここに書かれている「命題」は、それぞれの哲学者が、直観思考によって認識された
「命題」です。この「直観思考」は、経験を主体として観念(精神)まで、高めて行き認識(命題)
される。 だから、「命題」の創出は、観念論(精神的)と感性的(経験)の合一した概念を有している。
387考える名無しさん:2012/10/24(水) 13:02:55.59 0
頭の中(脳)で自己存在を認めても…
388381,追加:2012/10/25(木) 16:11:41.05 P
「我思う(エゴ・コギト)という超越論的な言い方には、もう一つの項が追加されねばな
らない。すべての思うこと(コギト)、すべての意識体験は何らかのものを思念しており、
この思念という仕方でそれ自身のうちにそのつどの思われたもの(コギタートゥム)を伴
っており、すべての意識体験がそれぞれの仕方でそうだとも言える。」
フッサール(『デカルト的省察』§14)

「…より完全には、〈疑う自己たる、私は思考する、私は存在する、私は思考するもの(
レース)である〉である。これは、デカルトが理解していたように、つねに更新されてゆ
く〈思考の出来事〉である。」
ドゥルーズ(『哲学とは何か』第1章、邦訳37頁)

「狂人にたいする医師の関係は、夢と幻想と狂気とがもつ時間にたいする、〈われ考う(
コギト)〉の時の関係を再現している。思考作用(コジタシヨン)じたいと無縁な、まっ
たく外的な〈われ考う〉であり、侵入という形でしか押しつけられえない〈われ考う〉で
ある。」
フーコー(『狂気の歴史』第四章邦訳348頁)

「私が狂人であろうとなかろうと、〈私は思う、私はある〉」
デリダ(『エクリチュールと差異』上)
389考える名無しさん:2012/10/25(木) 16:38:27.55 0
オースティンもヒンティッカもチョムスキーもストラウドがないな
現代哲学に疎い人だということは分かった
390 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2012/10/26(金) 03:00:04.32 0
勿論デカルトよりも精神世界の方が優等生ですよ!?♪。
391考える名無しさん:2012/10/30(火) 12:16:00.47 O
デカルト以前の哲学は自然は第二の聖書と言われたように、
自然(の原理、原則)から神の存在、力を客観的に見出だしていた。
デカルトはその原理、原則の認識は人間の精神にすでに備わっているア・プリオリ的なものだと規定し、
主観に閉じこもり、神の存在は自己の中のみに認識できるものとした。
自然は偶有的なものに過ぎなくなり、ただ形や奥行きがあるものに過ぎない存在になり、
神と切り離されてしまった
392考える名無しさん:2012/10/30(火) 12:55:21.32 0
こういう与太話は飽きたなw
393考える名無しさん:2012/10/31(水) 09:58:11.44 0
>>391 >>392
新しい言い方ではないとしても、与太話ということもないだろう。
394考える名無しさん:2012/10/31(水) 10:37:15.24 0
そうでないとしたらどうなのかというアーギュメントのない与太話でしょ
デカルトとは何の関係もない
395考える名無しさん:2012/10/31(水) 10:49:31.34 0
>>394
前段はともかく、デカルトはこんなものでしょ?
396考える名無しさん:2012/10/31(水) 10:53:35.36 0
例えば現代のデカルト論として、
ネーゲルやウィリアムズは、世界と我々との適合を擬人化したものだと言っていおり、
主観の内どころか存在論と認識論との隔壁の徴として読んでいる。
とても独り善がりな読解であり勉強不足。
397考える名無しさん:2012/10/31(水) 10:55:15.55 0
デカルトの神概念について
398考える名無しさん:2012/10/31(水) 11:02:15.02 0
>>396
誰がどう解釈していようと、それが正しいということにはならない。

なぜ、外国の哲学者?が語るとそれが正しいことになっちゃうんだ?
399考える名無しさん:2012/10/31(水) 11:18:16.83 0
正しい正しくない以前にデカルト論としてポイントレスな与太話なんだよ
400考える名無しさん:2012/10/31(水) 11:25:30.05 0
>>399
では、君がポイントだと思うことを書いてみてくれよ。
401考える名無しさん:2012/10/31(水) 11:29:29.40 0
デカルトの神の証明は、少し違うのではないかと思う。 我思う(エゴ・コギト)の直観的認識で、
究極の存在として「私」こそが、疑い得ないものとしての「根源」と述べている。この「私」は、
認識論に於ける「主観的領野」としての「懐疑の極点」として認識されている。 だから、デカルトの
この時点では、自己の「外」に神の存在がある。 そして、「本有観念」から「自己」が、ア・ポステリオリ
としての状態から外部(神)に触れるものと述べている。 デカルトは、省察の中で「私は、そうした「完全」に
して「無限」な神を<神は包摂すると言う仕方で理解すること>は出来ないにしても「知解=触れる」は出来る(M167)と
述べている。自己の外部にある「神」に「触れる(intel-ligere)」と言う認識で神を証明している。


402考える名無しさん:2012/10/31(水) 11:32:34.76 0
>>401
それは証明にはなっていないだろ?
403考える名無しさん:2012/10/31(水) 11:38:22.12 0
デカルトの神の存在証明は、当時の論理学の水準で言って証明ではあるよ。
それをキリスト教的な「神」という言葉で呼ぶのが妥当なのか、
概念として存在することと、現に存在することは違うのではないか。
そういう疑問は残るけどね。
404考える名無しさん:2012/10/31(水) 11:49:17.39 0
>>403
論理学の水準と関係あるかなあ?

主観的にあるとしただけだと思う。
あることを絶対の前提にして、わからないから、ある、と言っているだけだろ?

それが当時の水準といえば言える。
405考える名無しさん:2012/10/31(水) 12:52:35.65 0
当時のスコラ哲学の伝統がなければデカルトは神の存在証明を書き得なかったと思う。
そういう意味で関係は濃密。
デカルト自体その辺かなり曖昧なんだけど、、
神の概念はデカルトが好き勝手に創作したものではないので、
「主観的にあるとしただけ」というわけではないでしょ。
406考える名無しさん:2012/10/31(水) 13:14:21.87 0
>401で、神に「触れる」という記述は、それ以後のデカルトの省察では、
 記述されていない。 この「神」の証明は、デカルト解釈の新しい方向性を
 示していると思う。 「本有観念」から「外部」に触れることにより外部(客観的存在)を 
 認識する。これは、外部(客観的存在)を「懐疑の極点」で主観と客観の壁を消滅したことを
 現しているのだろうかと思われる。
407考える名無しさん:2012/10/31(水) 14:36:58.26 0
ソクラテスの魂の存在証明はこのスレ的にはどうなの?
408考える名無しさん:2012/10/31(水) 17:44:52.60 O
>>405
確かデカルトは伝統的な哲学(アリストテレスやスコラ哲学)をはっきり否定していたと思う
その反面神の存在証明で12世紀?の神学、哲学者のアンセルムス(だったか?)の論理を採用していた。
ちなみにそのアンセルムスの神の存在証明はトマス=アクィナスらによって論駁されている
409考える名無しさん:2012/11/01(木) 22:37:44.92 0
「懐疑の極点」での外部(客観的存在=神)に触れると言う解釈は、今日まで多くの哲学者が、いろいろな解釈を
 試みている。しかし、デカルト本人は、感覚的存在(日常的世界)と、純粋精神世界(方法的懐疑)の
 到達地点は一致していた。この一致した「懐疑の極点」で彼は、「神」と触れているのである。この点に関しては、
 デカルト研究の新しい視点として論究する必要があると思う。
410考える名無しさん:2012/11/02(金) 00:30:28.39 0
日本人が日常的に神様や仏様を信じる以上に、キリスト教徒の神に対する思いは、強いというか、絶対的なものなんだろうな。
411考える名無しさん:2012/11/08(木) 15:53:21.07 0
>>409
デカルトは、「懐疑の極点」で客観的存在としての「神」に触れる、と述べているが、
「客観的存在」に対して、神という解釈に固執せずに、「客観的存在」に神も含むと解釈
 するほうが、より妥当ではないかと思う。「本有観念」から「自己」が、ア・ポステリオリ 
 としての状態(懐疑の極点)から外部に触れる。その外部である「普遍的存在」を客観的存在と
 定立化するほうが妥当性があると思う。
412 忍法帖【Lv=3,xxxP】(2+0:8) :2012/11/11(日) 04:58:31.69 0
当然死後の世界を信じる考え方の方が積極的ですよ!?♪。
413考える名無しさん:2012/11/15(木) 17:11:44.07 0
デカルトは「疑っている我」を懐疑の極点としては認めていない。
というのも、もし仮に
懐疑の極点から神に触れているということになれば
デカルトは神の存在証明から我の存在の確からさを証明しているということに
なってしまうからである。
デカルトの懐疑はいまだ感覚的な確信から抜け出してはいない。
だから神の存在を持ち出すよりほかなかったんだろ。
414考える名無しさん:2012/11/15(木) 17:31:18.12 0
「疑う私は疑いえない」というそれっきりでなにもデカルトは
それを「極点」とはみなしていない。
実際デカルトはこの規則性について、以降になってもこの我を疑い続けている。
神の存在は、「私」の思考がいまだに限りない中で、「ではなぜ限りがないのか?」
という問いから導き出された存在であって、
デカルトにおいてその証明は、「私」の思考に限界がないことの原因として
なされた以上の意味を持たない。
415考える名無しさん:2012/11/15(木) 17:45:24.49 0
だから「私は疑っているが、そうやって疑っている私は疑いえない」ということを
完結した懐疑の極点としてみることは
誤りである。
416考える名無しさん:2012/11/15(木) 17:51:04.32 0
そもそも「我思う故に我あり」が、疑っている限りにおいてしか成り立たない
ことからもこれは明らかなことだと思われる。
なぜならこの命題は「疑っている私が疑いえない」ことから帰結されているからである。
ということはそれはその「疑っている私」を疑っている限りにおいてでなければ
成り立ちえないことをも同時に意味することになるだろう。
417考える名無しさん:2012/11/15(木) 17:55:25.81 0
×ということはそれはその「疑っている私」を疑っている限りにおいてでなければ
成り立ちえないことをも同時に意味することになるだろう。

○ならばそれはその「疑っている私」を疑っている限りにおいてでなければ
当然この「我思う故に我あり」という命題が成り立ちえないことは
見ての通りわかる。
418考える名無しさん:2012/11/20(火) 11:52:35.00 0
方法的懐疑によって、自分も含めて「すべての事象」を疑う。その極点としての「純粋精神」の
状況において、「疑っている私」は、確かに唯一の「疑うことの出来ない実体」として存在している。
この時点での「私」とは、日常的な「私」ではなく、超越論的主観としての「私」である。デカルトは、
超越論的自己を「不動の極点」と述べている。 この「不動の極点」である「純粋精神」の状態から自己の
外にあるものとして「客観的存在」に触れると述べている。デカルトのとっては、「神」の認識よりも、この論理
からすれば、「私」の外に在るものは、「客観的存在」そのものであったのではないかと思う。その根拠は、省察の中で、
ある仕方(思考法)によって「客観的存在」に触れる事が出来る。と、記している。これは、超越論的極点に於いて、「私」と
「客観的存在」とが「合一」した状態なのだと思う。デカルトも省察の中で「日常的世界」と「超越論的世界」との一致が
私の中では行われていると言う内容の記述をしている。
419 忍法帖【Lv=6,xxxP】(2+0:8) :2012/11/20(火) 15:04:28.44 0
当然死後の世界を肯定する哲学の方が楽観的ですよ!?♪。
420考える名無しさん:2012/11/20(火) 20:55:05.66 0
「疑っている私」が疑えない存在だとすれば、何かを「感じている私」も疑えないということになるな。
421考える名無しさん:2012/12/13(木) 18:13:34.56 0
デカルトについての質問をしたいのですが、よろしいでしょうか・・?
422考える名無しさん:2013/01/07(月) 03:06:55.20 0
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1 名前:考える名無しさん 2013/01/07(月) 00:31:20.59 0
省察 神の存在、及び人間の霊魂と肉体との区別を論証する、
第一哲学についての(新字新仮名、作品ID:43291)
デカルト   
  →三木 清(翻訳者)
http://www.aozora.gr.jp/cards/001029/card43291.html
423考える名無しさん:2013/01/07(月) 21:09:07.31 0
>>418
デカルトは、省察の中で「ある仕方」によって、外部に触れると述べているが、
その「ある仕方」とは、方法的懐疑ではないと思うけれども、省察の中にそれ以上の
記述はしていない。
424 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2013/01/11(金) 16:16:07.62 0
勿論ルネ・デカルトの唯我論はネガティブなので大嫌いですよ!?♪。
425考える名無しさん:2013/01/11(金) 17:36:19.87 0
西洋近代哲学は、デカルトの「実体二元論」を原点としている。この「実体二元論」の
精神(主観)と物質(客観)の分離から、「唯物論」と「唯心論」が創出している。そして、
西洋に於けるスコラ哲学を打破したのがデカルトであり、「主観と客観の分離」を哲学的に
提唱したのもデカルトである。この「主観と客観」の分離を、どのように一致させるかが、
デカルト以後のスピノザ、カント、ヘ−ゲル、フォイエルバッハ、フッサ−ル、その他、西洋哲学者の
最大の課題であったと言える。
426考える名無しさん:2013/01/15(火) 18:55:28.51 0
>>423
フォイエルバッハは、「前提なしに始まる唯一の哲学は、自分自身を疑う勇気を持ち、
自分の対立者から自分を生み出す哲学である。」と述べている。この「自分自身」を疑うと
いうことは、デカルトの不動の極点の「自分」を、ある仕方(思考)によって「外部に触れる」と
同じ意味を持っているのでしょうか。
427 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2013/01/18(金) 17:43:44.08 0
寧ろ死後の世界を肯定するルネ・デカルトが最高ですよ!?♪。
428考える名無しさん:2013/01/18(金) 21:39:01.82 0
>>426
不動の極点(超越論的領域)の「自分」に到達する「直観認識」は、フォイエルバッハの場合も、
「方法的懐疑(疑うこと)」を行ったと考えられる。デカルトは、「ある仕方」によって「外部に触れる」と
述べているが、この「ある仕方(思考)」は、不動の極点で、超越論的な「自己」を「方法的懐疑」により、
「疑った」のであると解釈出来る。そして、フォイエルバッハの場合は、更に、「外部に触れる」ものに対する
論理を進めている。 つまり、「新しい哲学」の中に、私(主観)と汝(客観)と区別して、その両者の統一が、
真の哲学と述べている。具体的に述べると、超越論的な主観(私)と、客観的存在(汝)とが区別され、対立した
状態を実体として立脚しつつ、そこから改めて両者の統一をしている。しかし、フォイエルバッハは、「私」と「汝」の
統一の仕方(思考法)については、記述していない。
429考える名無しさん:2013/02/09(土) 19:52:02.93 0
デカルトの「方法的懐疑」と、フッサ−ルの「現象学的還元」の違いは、どこに
あるのでしょうか。
430考える名無しさん:2013/02/10(日) 18:21:19.14 0
フッサ−ルの「現象学的還元」と「方法的懐疑」の目指しているところは、
同じ「不動の極点(超越論的領域)」である。デカルトそして、フッサ−ルは、共に
超越論的主観(私)に到達している。そして、共に、「主観と客観の一致」を目指している
ことである。デカルトは、超越論的主観(私)から「外部に触れる」と言う形で客観的存在を
神と定義している。一方、フッサ−ルは、「内在−超越」図式で、「主観と客観の一致」を試みている。
431 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2013/03/16(土) 01:16:10.21 O
デカルト大好き
デカルト大人気
デカルト大成功
デカルト大勝利
432考える名無しさん:2013/05/10(金) 17:02:50.45 0
胃袋と生殖器が石になって初めて理性的になる
433 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2013/06/29(土) 21:39:11.07 0
勿論デカルトの考え方が消極的なので大嫌いだよ
434考える名無しさん:2013/06/30(日) 08:43:31.46 0
デカルトにもの申す。コギト=我思う故に我あり…は、そこに疑うべき他者がいるから成立するので、
いなかったら、自他の区別もつかず、コギトさえもエポケーされて、
私たちは無の空間で一体化せざるを得ない。
435考える名無しさん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN 0
デカルト哲学は、「超越論的次元(認識論的超越次元)」の主観(私)と、
「日常的現実次元」の主観(私)を、明確に分けていることである。 
そして、「日常的現実次元」から、「方法的懐疑」によって、極限まで上昇(精神の純化作用)して、
超越論的次元の「私は疑っているが、そうやって疑っている私は疑えない」という命題を、明晰に
直観し、その「超越的な私」を、不動の極点としている。 従って、「超越論的主観(不動の極点)」は、
不可疑な領域(構成的内在)であることを理解しなければならない。
436考える名無しさん:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN 0
デカルトは人が直観的に正しいとみなしたものは正しいということをしめしたかったんだよ。
これにより数学が正しいことが保証されるとかんがえた
これがスタート
ここを押さえなければだめだよ
437考える名無しさん:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN 0
なんだそのぼんやりした話は
438考える名無しさん:2013/11/07(木) 00:05:08.14 O
独我論は屁理屈
唯我論は言葉遊び
シミュレーテッドリアリティは詭弁
宇宙箱庭説はこじつけ
世界夢説は出鱈目
439考える名無しさん:2013/11/07(木) 01:14:02.64 P
「私が進んできた道は次のようなものである。観念論は人間をユニークなものとして世界から分離する、
唯我論は私だけを分離する。そして最後に、私が見てとるには、私もまた残余の世界に属するのである。
従って一方には何も残存しなく、他方には世界がユニークなものとして残存する。このようにして観念論は
厳格に考え抜かれると実在論に至るのである。[((論考)5.64を参照]」

1916年10月15日
「草稿」邦訳『ウィトゲンシュタイン全集第一巻』277頁
440考える名無しさん:2013/11/07(木) 01:21:29.21 P
デカルト『哲学原理』(岩波文庫、1964年)
http://kazumin.de-blog.jp/blog/2011/08/1964_6d4e.html
(仏訳者への書簡より)
「哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から
出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します、すな
わち医学、機械学および道徳、ただし私の言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする究極
の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。」(p. 29)

? Ainsi toute la philosophie est comme un arbre, dont les racines sont la m?taphysique, le tronc
est la physique et les branches qui sortent de ce tronc sont toutes les autres sciences qui se
r?duisent ? trois principales, ? savoir la m?decine, la m?canique et la morale, j’entends la plus
haute et la plus parfaite morale, qui, pr?supposant une enti?re connaissance des autres sciences,
est le dernier degr? de la sagesse. ?

デカルト、哲学の木。
道徳が「知恵の最後の段階」にくる。

   道徳学
   l   機械学 
医学 l◯  /    ◯果実→公衆へ
 \ l  /◯       
 ◯\ll/  枝、諸々のその他の学問  
   ll
   ll   幹、自然学  第二の部分 哲学原理2~4/4
−ーーllーー−
  /\/\  根、形而上学 第一の部分
                  省察、哲学原理1/4

参考:中公世界の名著325頁
http://3f.img.v4.skyrock.net/3215/74513215/pics/3117005059_2_3_tSvffL9U.jpg
この前段の学問に、日常道徳、数学を含む論理学がある。
441考える名無しさん:2013/11/07(木) 17:58:46.13 0
寧ろ逆に科学技術が進化すると唯我論が完璧に否定される可能性の方が高いだろ
他に別に科学技術が進歩すると独我論が完全に論破される可能性の方が高いだろ
当然正反対に科学技術が発展するとシミュレーテッドリアリティが全て反対される可能性の方が高いだろ
442考える名無しさん:2013/11/09(土) 15:10:08.07 0
>>434
>自他の区別もつかず、コギトさえもエポケ−されて
 私たちは、無(客観的存在)の空間で、一体化せざるを得ない。

>デカルトは「省察(三)」の中で、超越論的主観(私)から「外部に触れる」と
 言う形で、客観的存在(無)と一体化していくことを記述している。
 この「一体化」が、デカルト哲学での、高次元(超越論的)の「心身合一」と解釈している。

>情念論(第一部)で、「感覚的(身体性)であるところの同一のものが理性的(精神的)なのであり、
 精神のすべての欲求は意志なのである。」とデカルトは述べている。

 これは超越論的な「高次元の領野」での“心身合一”を現している。 「無(客観的存在)」との
 「一体化」こそ、デカルトが最終的に求めた「心身合一」としての“領野”なのである。
443考える名無しさん:2013/11/11(月) 05:53:20.12 O
寧ろ逆に科学技術が進歩するとルネ・デカルト哲学が全否定される確率の方が高いだろ
他に別に科学技術が進化するとルネ・デカルト哲学が反論される可能性の方が高いだろ
当然正反対に科学技術が発展するとルネ・デカルト哲学が論破される未来の方が現実味が有るだろ
444考える名無しさん:2013/11/11(月) 11:38:08.85 P
「…GH[図]の平方根を出さねばならぬとすれば、それと一直線上に単位であるFGを加え、
FHを点Kで二等分して、Kを中心とする円FIHを描き、点Gか らFHと直角にIまで立てる。
GIは求める根である。」(「幾何学」邦訳『デカルト著作集1』4頁より)
___________________
ただし、このデカルトの説明だけでは初学者にはわからないかもしれない。それは以下の書籍
で紹介されているユークリッド第二巻の証明が前提になっているのに、その説明が自明なもの
だとして省略されているからだ。

      D
      |
      x
      |
A_____B___C
   a     b

x^2 = ab の幾何学的解法
AB=a,BC=b として、AC=a+bを直径とする半円を描き、Bに垂線を立てて半円との交点をDとすると、BDが求める長さ xである。このことは △ABDと△DBCとが相似となることから、
  a:x= x : b すなわち x^2=ab
として証明される。ただし『原論』第2巻では、まだ相似の理論が示されていないので、
この定理も第2巻の定理を使って別の形で証明されている。(日本の数学西洋の数学― 中公新書 : 村田全 29頁)

http://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/j-kadaimath/0401/index.htm
 デカルト以前では,aが線分であると考えると√aは意味を持っていなかった。しかし,
デカルトにとっては,1とaを表す線分が与えられた場合√aを表す線分は図3の作図で
与えられる線分の長さとして考えることができる。
http://2.bp.blogspot.com/-bF5g3ar8GoQ/UHgX-rcXggI/AAAAAAAANgE/44E6RqYIAdU/s1600/zu02.gif
 こうして,デカルトによってすべての数式は線分の長さとして考えられ,それに代数的演算
を行ってもまた線分の長さとして与えられることが示された。つま り数式の演算と図形の作図
とが結びつけられ,数式の演算がそのまま図形の研究に用いられるようになった。このことが
次の時代のニュートン (1642〜1727)の運動力学の研究に用いられ,そのまま現代科学の発展に
大きく貢献している
445考える名無しさん:2013/11/14(木) 22:17:41.17 O
科学技術が進化すると独我論が全否定される可能性の方が高いだろ
科学技術が進歩すると唯我論が度外視される確率の方が有力だろ
科学技術が発展するとシミュレーテッドリアリティが論破される未来の方が優勢だろ
446考える名無しさん:2013/11/28(木) 14:23:09.39 0
なうまくさまんだばざらだんかんなうまくさまんだばざらだんかん
なうまくさまんだばざらだんかんなうまくさまんだばざらだんかん
なうまくさまんだばざらだんかんなうまくさまんだばざらだんかん
なうまくさまんだばざらだんかんなうまくさまんだばざらだんかん
447 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2013/11/30(土) 11:19:24.99 O
ルネ・デカルトは興味深いだろ
ルネ・デカルトは興味津々だろ
ルネ・デカルトは意味深長だろ
ルネ・デカルトは感動的だろ
ルネ・デカルトは魅力的だろ
ルネ・デカルトは絶好調だろ
ルネ・デカルトは楽しいだろ
ルネ・デカルトは面白いだろ
ルネ・デカルトは嬉しいだろ
ルネ・デカルトは喜ぶだろ
ルネ・デカルトは物凄く素晴らしいだろ
ルネ・デカルトはワクワクドキドキするだろ
448考える名無しさん:2013/12/02(月) 10:53:17.21 0
俺たちのルネ様
449 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2013/12/23(月) 10:15:34.92 O
寧ろ逆に天国だろ
他に別に極楽だろ
当然正反対に理想郷だろ
450考える名無しさん:2013/12/24(火) 03:48:15.18 0
方法序説読んだけど、とんでもない本だなこれ

静脈から入った血液が心臓熱で沸騰して膨張とか、心臓に精神があるとか、脳に心臓が精神液送り込んでるとか滅茶苦茶w

まさに、思いて学ばざれば即ち危うしの好例

もうね、馬鹿かと
ト本学会に推薦しとくわ
451考える名無しさん:2013/12/24(火) 15:03:02.25 0
それでもデカルトは最重要哲学者の一人で、
彼の失敗・不正解っぷりこそが色んな事(西洋(的)世界の限界)を教えてくれる
何も、正解している事だけが哲学の役目では無いからね
正解の領域は物理学に追い越されてしまった
452考える名無しさん:2013/12/24(火) 18:25:34.29 0
実験もしないで、証拠もみないで適当なこと書き散らかしたデカルト恥ずかし過ぎるよな


あんだけ方法序説で、実験の重要性や事実確認の重みを説いておきながら、自分がいい加減なんだからなあ
453考える名無しさん:2013/12/25(水) 20:24:11.97 0
>>450
>脳に心臓が“精神液”を送り込んでるとか、
 心臓に精神があるとか、

>上記の「精神液」とは、方法序説の第5部に記述されている「動物精気」のことを
 述べているだと思う。
 デカルトの述べている「動物精気」の意味は、「気体化した“血液”の様なものであって、
 今日の医学の分析で、血液と本質的には異ならない物質であることが明かとなっている。

 また、「心臓に精神がある」と解釈したのは、方法序説(第5部)の「動物精気を、心臓から
 真っ直ぐな直線をなして脳にきていること。」とデカルトは記述しているが、この「動物精気}を
 「精神」と解釈しているのではないかと思う。
454考える名無しさん:2013/12/25(水) 20:30:37.46 0
>>452
実験する前に仮説を立てるでしょ
455考える名無しさん:2013/12/25(水) 21:31:04.85 0
血液は気体化してないからw
馬鹿じゃね
456考える名無しさん:2013/12/25(水) 21:44:07.92 0
>>450からは理系大学生が粋がっているのかと思ったが、>>452を見るかぎり理系の素養は皆無のようだな
457考える名無しさん:2013/12/25(水) 23:11:26.28 0
デカルト、実験のためには金が必要だから、科学の全部は一人で出来ないとして、限られた出来た部分のみ書くからとか散々言っておきながら、
その限られた自称解剖実験で確かめた間違いないとか言ってる部分が「心臓高温、血液蒸発気体化」だからな

まさに羊頭狗肉
見てもない確認もしてないことを嬉しそうに言い募る馬鹿もの

デカルトは、この心臓高温血液蒸発説を否定する奴は、実際に解剖をしてみない愚か者呼ばわりまでしているわけだが、
実際にはまさにデカルト自身が実際に解剖をしてないことがバレバレ
458考える名無しさん:2013/12/26(木) 12:47:23.68 P
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9E%9C%E4%BD%93 松果体

哲学との関連

松果体が内分泌器であることが分かったのは、比較的最近である。脳内の奥深くにある
ことから、哲学者は松果体には重要な機能があると考えていた。松果体の存在は神秘な
ものとされ、迷信や形而上的な理論がまといついた。
デカルトはこの世界には物質と精神という根本的に異なる二つの実体があるとし(現代
の哲学者たちの間ではこうした考え方は実体二元論と呼ばれている)、その両者が松果
体を通じて相互作用するとした。デカルトは松果体の研究に時間を費やし[16]、そこを
「魂のありか」と呼んだ[17]。 松果体が人間の脳の中で左右に分かれていない唯一の器官
であると信じていたためである。この観察は正確ではない。顕微鏡下では、松果体が2つ
の大脳半球に分かれているのが観察できる。

16^ Descartes and the Pineal Gland (スタンフォード哲学百科事典)
17^ Descartes R. Treatise of Man. New York: Prometheus Books; 2003. ISBN 1-59102-090-5

Descartes and the Pineal Gland (Stanford Encyclopedia of Philosophy)
http://plato.stanford.edu/entries/pineal-gland/
459考える名無しさん:2013/12/26(木) 16:43:36.77 i
気体じゃない時点でこじつけだなw
460考える名無しさん:2013/12/26(木) 18:14:00.32 0
>>452
デカルトは1638年に、メルセンヌあての手紙の中で、当時のガリレオについて、
「まず、ガリレイの書物について私の意見を申し上げる。 彼は(ガリレイ)は出来る限り
スコラの誤りをすてさり、自然学(現在の科学全般)の問題を数学的根拠に基づいて究めようと
努めている。この点では、私は完全に彼と考えは一致している。」とデカルトは記述している。

デカルトは、「人生に有用であると同時に確証された認識」は、「四つの規則」(方法序説、第二部)
によって実践したと記述している。 この「四つの規則」とは、
@「明証的な直観認識(方法的懐疑を使用する)

A「分析的演繹}〜出来るだけ多くの小部分に分ける。

B「総合的演繹」〜論理体系化する。

C「総合的枚挙」〜帰納法と実証的(実験も含む)検討を総合的に行う。



上記の「四つの規則(思考法)」は、“対象”あるいは“問題”に対して、的確な解答(=理論)が創出するまで、
何回でも繰り返すことが出来る。
今日の論理実証主義は、「四つの規則」のA〜Cに当てはまるものであり、デカルトの「@明証的な直観認識」の
最も重要な規則(思考法)が、抜けているわけである。
461 忍法帖【Lv=24,xxxPT】(2+0:8) :2013/12/26(木) 18:41:18.43 0
寧ろ逆に未来にルネ・デカルトの理論が科学技術によって全否定される可能性も有るだろ
他に別に将来的にルネ・デカルトの哲学が科学技術によって度外視される確率も有るだろ
当然正反対に数年後にルネ・デカルトの学説が科学技術によって論破される事も有るだろ
462考える名無しさん:2013/12/27(金) 11:57:49.84 0
>>453みたいな書き方はひっじょーに危険。
時代背景とか歴史を無視してアレはこうなハズ、コレはこうなハズと後付けで解釈していくのは、それはもう「デカルトは無誤謬なハズだからこれはこうに違いない!」っていう単なる崇拝の為の行為。
ヘラクレイトスだってデカルトだってカントだって「今の科学技術からしたら」正解でないことが判明してる事を言ったりしてる。
それを認めた上でも、デカルトの果たした哲学史・自然科学史上の意義は充分にあるでしょ
463考える名無しさん:2013/12/27(金) 12:17:11.25 P
例えば数学における>>444のようなデカルトの発見は不滅だろうし、不変だろう。
もちろんデカルトにも誤謬はあるが、スピノザにせよライプニッツにせよ彼から学んだものは大きい。
付け加えるなら当時のカトリックの圧力は今日の日本人にはわからないと思う。
464考える名無しさん:2013/12/27(金) 18:22:54.50 i
解剖実験で確かめたから間違いないとか言ってる部分が「心臓高温、血液蒸発気体化」だからな

ただ間違っていたという問題ではない
嘘をついていたということが問題

実験により事実を確認すべしと言ってる張本人があ、それを怠り、旧態依然たる妄想論理に依拠した言説を垂れ流したわけだから罪は重い

手法偽装と言われても仕方が無いな
465考える名無しさん:2013/12/28(土) 15:21:59.29 0
>>450
>静脈から入った血液が、心臓熱で「沸騰」して、膨張する。

>デカルトは、方法序説(第五部)で、「静脈から入った血液が、心臓にある熱のために、
 「希薄」になり、膨張する(ここで、沸騰して膨張するとは記述していない)」と記述している。

 デカルトが生きた時代の“医学レベル”は、血液の熱による「希薄の膨張」が、当時の医学理論とされていた。
 従って、デカルトは当時の医学レベルで記述しているのであり、嘘をついていた訳ではないのである。

 例えば、地動説と天動説も、コペルニクス以前は地球を中心として、天体が廻ると言う天動説が、当時の科学理論と
 されていたのであり、当時の人々にとっては、“嘘”ではないのである。
 この事と同じことが、“血液の熱膨張論”に言えることである。

 上記の熱膨張論で、明確にしなければならないのは、貴方の言う静脈から入った“血液の「沸騰」”による膨張と、
 デカルトが述べている“血液の「希薄」”という意味は異なっている。

 「希薄」とは、液体(血液)の濃度の密度が小さくなることであり、液体間の密度を小さくして集合化(膨張)する。
 それに対して、「沸騰」とは、液体を熱したとき内部から気化が生じる現象であり、液体間の圧力が大きくなるであり、
 逆現象が起きている。従って、デカルトは、「希薄」と記述していが、「沸騰」とは記述していない。
466考える名無しさん:2013/12/28(土) 15:28:10.27 0
>>465
訂正 「希薄」と記述していが→「希薄」と記述しているが
467考える名無しさん:2013/12/29(日) 05:16:14.24 0
体内に流れる超高熱の血液と、それを伝達する自らの血管を変形させた血管針を自在に操る怪焔王の流法を使う。
468考える名無しさん:2013/12/29(日) 21:10:20.41 0
「沸騰」とは、「水の1気圧での沸騰点は100度であり、この加熱された100度で
液体(水又は、血液)は、蒸発し気体化する。」

>>464の「心臓高温、血液蒸発気体化」と記述しているが、血液は水と同じ1気圧で沸騰点が
 100度で蒸発し、気体化する。この100度の高温で加熱されれば、血液だけではなく、心臓を含めて
 人体のすべての組織は破壊される。

 デカルトが生きた当時の医学レベルである「血液の希薄」は、心臓で温められると言ってもせいぜい36度から
 40度以下の温度のことであり、血液の濃度が小さくなる(希薄化)ところに焦点がある。
469考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:44:20.71 0
血液の沸点は100度じゃないだろ
馬鹿じゃね?
470考える名無しさん:2013/12/30(月) 03:01:42.45 0
どうでもいい指摘しかできないのね
471考える名無しさん:2013/12/30(月) 12:03:35.99 i
「全ての液体の沸点は100度である」(デカルト)
472考える名無しさん:2013/12/31(火) 02:10:26.01 0
 そしてこの熱がほかの機関にどのように伝えられるかを考えるなら、これが血によって行われるのであり、心臓を通ることで新しく暖めなおされて、それが全身に伝えられるのだと認めざるを得ないだろう。

もし血がどこからか抜かれるようなことがあれば、熱もまたいっしょに抜かれることになる。そして心臓は赤熱する鉄のように熱くても、新しい血を絶えず送り続けないと、手足を温めることはできない。

 同じように、呼吸の真の機能もこれでわかる。呼吸は肺に新鮮な空気を十分に送り込む。そして心臓の右心室で薄められ、いわば蒸気状になった血が肺に流れ込んできたときに、それがそこで濃くなって真新しい血に変換され、心臓の左側の空洞に流れ込むことになるのだ。
このプロセスがなければ、その血液はそこにある火を養う役割を果たせなくなってしまう。
473考える名無しさん:2013/12/31(火) 02:18:46.41 0
>>462

そういう追随者たちも、いわば沈んでしまうのだ。
つまり、その著者によってはっきりわかるように説明されたことをすべて知るだけでは気がすまずに、その人物が一言も発言していないどころか、おそらくは考えてもいないような問題について、その人物の中に答えを見つけようとするのだ。
そしてそうすることで、そんな研究をやめたときよりも、かえって愚かになってしまっているようにわたしには思える。
474考える名無しさん:2013/12/31(火) 02:25:35.11 0
>>464

さらにその実験のほとんどすべては記述があまりに不十分で、時にはウソが書いてあったりするので(というのもそれを記述した人たちは自分の原理原則にあてはまるような事実だけをそこに見ようとしたりするから)、
全体の数字の中にはなにかその人の目的に会うような性質のものが含まれているかもしれないけれど、その価値は、それを選り分けるのに必要となる時間に見合うものではない。
475 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2014/01/02(木) 00:58:22.97 0
寧ろ逆に間違いだろ
他に別に異なるだろ
当然正反対に大外れだろ
476考える名無しさん:2014/01/02(木) 01:56:17.85 0
蒸気状の血液w
赤熱する熱のように熱い心臓w

何千度だよw
実験で確かめたとか、よく言うわ
いい加減な奴だなあデカルト
477考える名無しさん:2014/01/02(木) 18:32:19.21 0
ちゃんとした人間なら代々続いた法律家をほっぽりだして歩兵志願なんかしないって

しかも、軍隊生活にも馴染めず数年で除隊

以後は親の金でニート生活
方法序説書いた動機も、「あいつは生業にも付かず何やってんだ」とかいう周りの冷たい目線に耐えきれず出したって、方法序説自身に書いてあるしな
478考える名無しさん:2014/01/03(金) 00:36:07.30 0
本に書いてある学問(少なくとも、実例に基づかずに、可能性としてありそうな理由づけだけに頼っているものも)は、いろいろ異なる人たちの意見の寄せ集めになっている。
479考える名無しさん:2014/01/03(金) 00:45:19.75 0
心臓は全身のなかで一番熱いことも知っておこう――この熱のおかげで、心臓の空洞部に入ってくる血液はすべてふくれて膨張するわけだ。ちょうど高熱の容器に酒を一滴ずつたらしたときに、それがふくれて膨張するのと同じことだ。
480考える名無しさん:2014/01/03(金) 00:47:53.97 0
でも数学的な証明の力を知らない者たちや、本当の理由づけと、単なるもっともらしさとを見分けるのになれていない人たちが、よく検討もしないでこれまで述べてきたことを否定しようなどという気を起こさないように言っておくけれど、
ここでいま説明した動きというのは、そのパーツの仕組みからまさに必然的に出てくるものなのだ。
その配置は、実際の心臓を目で観察しなければわからないし、熱は指で触れてみなければわからないし、さらに血の性質は経験からわかる。それは時計の動きが、おもりや歯車の動力や配置、形などから明らかに導かれるのと同じことだ。
481考える名無しさん:2014/01/03(金) 00:53:46.85 0
指で自分で触れて見たら、赤熱する熱のように熱い心臓だったの?

どうして、そんな大嘘をデカルト君はついたの?

実際は、本当の心臓の温度なんか測ってないくせに

高温で蒸気状になった血液など見てないくせに

見てないなら見てないで良いんだよ
そんなことで先生は怒んないから

先生が怒ってるのは、デカルト君が実際に見てもないのに、「みました」とか嘘を言ってることなんだ。
482考える名無しさん:2014/01/03(金) 00:58:10.54 0
 わたしは新しい見解は非常に確実な実証がなくては採用しないように細心の注意をはらい、記述についても、だれも傷つけないよう念を入れている。
でも、そんなことはおかまいなしに、わたしの学説を見て、これは真理から乖離しているなどと言い出す人が出てくるのではないだろうか。
483考える名無しさん:2014/01/03(金) 01:01:35.01 0
赤熱する鉄の熱さって半端じゃねえよ
千度超えてるだろw
心臓がそんな温度なわけないだろ


新しい見解は非常に確実な実証がなくては採用しないように細心の注意をはらいとか言ってるけど、
どう見ても確実な実証作業してないだろ>デカルト
484考える名無しさん:2014/01/03(金) 01:14:05.31 0
こういうことをいろいろ考えていたために、過去3年にわたってわたしは手元の論文の出版をためらってきた。

…でもそれ以来、別の理由が2つ生じてきて、そのためにわたしはここにいくつかの材料を追加して、自分のやってきたことや計画について世間に知らせようと考えた。
その考察事項のうち最初のものは、
もしわたしがそれを発表しなかったら、著作を刊行しようというわたしの昔の意図を知っている人たちは、
わたしが著作を発表しないでいるのはわたしにとって実際よりも都合の悪いことがいろいろあるからだ、デカルトは穀潰しでニート生活を送っているだけだと想像するかもしれないからだ。

…名声と無名とのどちらについてもわたしは無関心だったのだけれど、でも自分が何かしらの評判(デカルト=ニート説)を獲得してしまうのは防ぎようがなく、
だからわたしとしては、少なくとも悪く言われるようなことだけは、なるべく避けるに越したことはないと考えるようになったのだ。
485考える名無しさん:2014/01/03(金) 13:32:25.77 0
返し方もデカルトっぽくて良いぞw
486考える名無しさん:2014/01/04(土) 11:06:55.03 0
ここまで数十レス、自作自演でお送りしました
487考える名無しさん:2014/01/05(日) 21:20:14.30 0
>>453
動物精気(方法序説、第5部)を「心身二元論」を基底としないで読むと、動物精気を
「脳に心臓が“精神液”を送り込んでいる」とか、「心臓に精神がある」のだと言う誤読をしてしまう。

デカルトは「動物精気」について「そして最後に、これらすべての事がらのうち最も注目すべきことは、
動物精気の発生である。 動物精気とは、きわめて微細な空気の様なもの、あるいはむしろ、きわめて純粋な
焔のようなものであって、たえず豊かに心臓から脳へとのぼってゆき、そこから神経管によって筋肉のほうへ
向かい、身体のすべての部分に運動を与えるのである。
この時、“血液の諸部分”のうち最も活動的で透過力(=希薄力)が強くて、この動物精気となるに最も適した
部分(血液)を脳のほうへ向かわせる。」と記述している。

デカルトの「動物精気」の“精気”の概念の由来は、ガレノス(紀元130〜200年ころ)の時代の古い
医学から始まる。 この時代の古い医学では、「精気」は血液に加わる「生命物質」であって、血液が食物
の消化によって出来るのに対して、精気は肺臓を通じて空中から摂取される。
それは、「自然精気」、「生命精気」、「精神精気」に分かれた。

デカルトの考えでは、「心身二元論」を基底としているので、血液とは別に精神的なものとしての「精気」が
“生命物質”としてある訳ではなく、デカルトはガレノスの伝統に従って、血液と神経作用の媒質とが直接に
繋がっていると見ていたが、「心身二元論」は、意識作用をまったく“非物質的”な精神作用であるという哲理から、
「精神精気」は、感覚神経と運動神経とを流れる物質的な流体(血液=動物精気)と定義した。
488考える名無しさん:2014/01/05(日) 23:30:05.30 0
言い訳はいいから
実験で確かめた事実により、疑いのない真理を導くというデカルトの言い分が、実際は、羊頭狗肉で何にも見てない空想妄想だったということが分かった以上、
こいつの人間性は信用できん
口だけじゃないか

赤熱鉄の如き高熱心臓が血液を加熱させて気体化させて心臓を膨張とか、もうねw
489考える名無しさん:2014/01/06(月) 15:45:06.25 0
>>488
>赤熱鉄の如き高熱心臓が血液を加熱させて気体化させて心臓を膨張‥

>人間の血液中の水分量は、83%である。
 水の1気圧での沸騰点は100度で蒸発し、気体化する。この高温の100度で、心臓を
 “熱”すれば、血液も心臓も高熱で破壊(死滅)される。これは“常識”であり、デカルトが
 心臓の熱で血液を温めると行っても、せいぜい人間の平熱で36〜38度である。
490考える名無しさん:2014/01/06(月) 16:41:34.07 0
>デカルトによると、「動物は無感覚で、非理性的な機械」であり、また、「動物は時計のように動くが、痛みを感じることができない」

ちょっと感覚的に狂った人だったんだろうね。
動物が人間と同じように痛がって悲鳴を上げるのを聞いても、
痛がっていると分からなかったんだから。
491考える名無しさん:2014/01/06(月) 17:31:57.31 i
>>490
デカルトがそう考えた理由は、動物を解剖しても心を観察できなかったから。
492考える名無しさん:2014/01/06(月) 17:49:29.36 0
>>491
彼方は、デカルトの心身二元論(物心二元論)を、どのように捉えているのかな。
493考える名無しさん:2014/01/06(月) 18:00:04.41 0
逆に、人間なら共有できる、と考えた
494考える名無しさん:2014/01/06(月) 18:29:51.07 0
>>493
何が人間と共有できるのかな?
495考える名無しさん:2014/01/06(月) 18:47:54.81 0
痛み
496考える名無しさん:2014/01/06(月) 19:52:35.47 0
>>495
痛みには、精神的な痛みと、肉体的な痛みがある。
心身二元論とは、精神と肉体がそれぞれ独立してあるという“哲理”であり、
普段、われわれが経験している日常的世界(心身合一の世界)とは異なっている。
しかし、心身二元論の考え方(論理)は、今日の“科学技術の基礎”になっている
理論であり、それゆえにデカルト哲学が論究されている。
497考える名無しさん:2014/01/06(月) 20:35:04.29 0
方法序説って何であんなに諦めてるんだろうな
呆れてると言った方が良いのかな
498考える名無しさん:2014/01/06(月) 21:56:02.93 i
読んでると鼻持ちならない薄っぺらいプライドが充満してるよな
499考える名無しさん:2014/01/06(月) 22:12:43.43 0
そうそう
一般に哲学の入門に最適の一冊と言っても、そこがなんかムズムズするわ
500考える名無しさん:2014/01/08(水) 22:41:00.11 0
      \:::  秘 :::/ おっ・・おうww
        |::  密 :::|
  /⌒ヽ__//   \\__/⌒\
  ( ◯ / /)  (\\ ○ ) 、z=ニ三三ニヽ、
  \ / ./● I  I ●\\/,{{彡ニ三ニ三ニミヽ
   /  // │ │ \_ゝヽ} 仆ソ'`´''ーー'''""`ヾミi.
   /     /│  │ヽ    :::{ミ{   ニ == 二   lミ|
  /    ノ (___):::ヽ   ::{ミ| , =、、 ,.=-、 ljハ  安倍ちゃん ナチスの手口で・・・
  │     トェエエェイ ::::::   :::::| {t!./・\ ./・\ !3l
  │     ( ヽェェェソ.ノ   ::::::| `!、 ⌒ イ_ _ヘ⌒ .l‐'
  \      、_,_,,ィ    ::::::/{  Y { トェェェァ`  j
  ,-、 \    __   '::::/ ゝ  へ、`ニニ´ .イ ゚ヽ
501考える名無しさん:2014/01/10(金) 00:11:55.34 0
わたし「遠路はるばる、インドまであなたの評判を聞いてやってきました。ところで、生きるのに疲れました。どうしたらいいですか」

ブッダ「全ては空しいというのが、仏教の教えです。全ては関係でしかなく、実体はありません。
だから、生きていて空しいというのは、当たり前のことなのです。それをどうこうしようと思うから、いけないのです」

わたし「しかし、生きていて楽しいということは、あろうかと思います。もちろん、楽しいことは過ぎ去ってしまいますが、そういう楽しいことがないというのは、どうすれば改善されるのでしょうか」

ブッダ「それは、仏教には答えられない。仏教徒は、若いころは楽しいことを目一杯おこなって、それに飽きて悟りを開くというのが、通例です」

わたし「そうですか。しかし、ギリシャのソクラテスよりは役に立ちました。仏教を学んでいれば、西洋哲学なんて学ばなくてもいいんでしょうか」

ブッダ「そうでもない。すべては関係であるという思考には、自己言及についての思考が欠けている。スピノザはそれを徹底的に考えた。
また、デカルトもコギトという基底的自己言及を見出している。西洋哲学はその先も続いている。東洋哲学など、これらに比べたら、底が浅いことは否めない」
502考える名無しさん:2014/01/10(金) 22:15:12.30 0
他力本願の仏教でお焼香、あげればおk

正し寺に限る
503 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2014/01/11(土) 04:23:39.60 O
寧ろ逆にルネ・デカルトは間違いだろ
他に別にルネ・デカルトは異なるだろ
当然正反対にルネ・デカルトは大外れだろ
504考える名無しさん:2014/01/12(日) 21:23:10.98 0
【宇宙】無重力ではフライドポテトは美味しく揚がらないことが判明、3G環境下で最適な揚げ物ができる (デカルト)
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1389240181/
505 忍法帖【Lv=2,xxxP】(1+0:8) :2014/01/28(火) 17:10:41.81 0
寧ろ逆に哲学的だろ
他に別に心理学的だろ
当然正反対に精神分析学的だろ
506考える名無しさん:2014/02/22(土) 22:23:07.20 0
車に轢かれたワンコを必死に生き返らせようとするワンコ これはさすがの嫌儲民氏の目にも涙
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1393063711/
507 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2014/02/22(土) 23:15:38.03 O
ルネ・デカルトは楽しいだろ
ルネ・デカルトは面白いだろ
ルネ・デカルトは嬉しいだろ
ルネ・デカルトは喜ぶだろ
ルネ・デカルトは物凄く素晴らしいだろ
ルネ・デカルトはワクワクドキドキするだろ
ルネ・デカルトは絶好調だろ
ルネ・デカルトは魅力的だろ
ルネ・デカルトは感動的だろ
508考える名無しさん:2014/02/28(金) 18:10:27.07 O
基地外は去ったのかな。
解析幾何学の創始者で近代数学、近代科学の建設者の一人。
そして近代哲学の創始者。
世界史に刻まれた不滅の名声。
その功績は馬鹿がけなしたってどうにもならないのにね。
見当はずれのいちゃもんつけてもデカルトは神で、
ここのゴミみたいな奴らとは違うのに。
509考える名無しさん:2014/02/28(金) 18:36:19.55 0
お前はただの権威主義
哲学から最も遠い存在
510考える名無しさん:2014/02/28(金) 21:11:04.57 0
実際にデカルトの著作を読めば、如何に中身がいい加減かよくわかるものな
微積分も満足に出来ないが文学部哲学科の分際で、何を理解したつもりで、近代科学とか言ってるんだろw
511考える名無しさん:2014/02/28(金) 22:16:51.53 0
お前も省察くらい読めよ
512考える名無しさん:2014/02/28(金) 22:17:46.85 0
言い訳はいいから
実験で確かめた事実により、疑いのない真理を導くというデカルトの言い分が、実際は、羊頭狗肉で何にも見てない空想妄想だったということが分かった以上、
こいつの人間性は信用できん
口だけじゃないか

赤熱鉄の如き高熱心臓が血液を加熱させて気体化させて心臓を膨張とか、もうねw
513考える名無しさん:2014/02/28(金) 22:20:25.77 0
みんなこいつの人間性には疑いを持ってるよ
いじられまくりだわ
514考える名無しさん:2014/02/28(金) 22:49:14.16 0
デカルトは人間性に問題があるからな
だから家業の法匪も継げず、兵隊も途中で除隊
今でいうニートだ
口だけで解剖して確かめたとか書いちゃったもんだから、赤っ恥をかくことになった
515考える名無しさん:2014/02/28(金) 22:58:38.89 0
それニートと全然違うぞ
516考える名無しさん:2014/03/03(月) 23:26:34.33 0
唯我論は間違いだろ
唯我論は異なるだろ
唯我論は大外れだろ
517考える名無しさん:2014/03/04(火) 11:55:07.84 0
人間には、人それぞれに能力の“差”がある。いくら超越論的な「私=コギト」の概念を
述べても、感性そして能力がそのレベルに達していなければ、「超越性」を理解することは出来ない。

人それぞれに哲学的な感性と能力は異なる、それらの人々にも分かる様に理解させて行くのが“哲学”の
使命なのであろう。
518考える名無しさん:2014/03/07(金) 04:24:53.77 0
物理学の実験で唯我論が全否定される可能性も有るだろ
物理学の研究で唯我論が論破される確率も有るだろ
物理学の調査で唯我論が0%にされる見込みも有るだろ
519てん:2014/03/19(水) 22:09:23.02 0
http://blogs.yahoo.co.jp/yuugao3824/149745.html

「 (a+b^2)/n = x、ゆえに神は存在する。ご返答願いたい」
520考える名無しさん:2014/03/20(木) 00:14:23.00 0
ゆえに心臓は摂氏1500度である
521考える名無しさん:2014/04/25(金) 22:11:29.13 O
事実からは何も生まれない。全てはそれに対する解釈にすぎないのにな。
太陽が百回東から上がったからといって、
次にまた東から上がる可能性が増えるわけでも何でもない。
事実だけからは何も言えない、何も証明していない。
そのことも含めて方法論的懐疑。
そういう当たり前なことを含めて我々はデカルトに負っているのに、
レベルの低いことで。
アホな嵐の馬鹿さには泣ける。
522考える名無しさん:2014/04/26(土) 03:51:54.72 0
ゆえに心臓では高温で血液が気化して膨張するそうだ
523考える名無しさん:2014/05/14(水) 11:13:31.20 0
https://itunes.apple.com/jp/book/waido-ban-shi-jieno-da-si/id862362479?mt=11

◆知能指導の規則 山本信訳
◆方法序説 小場瀬卓三訳
◆省  察 桝田啓三郎訳
◆哲学の原理 桝田啓三郎訳
◆情 念 論 伊吹武彦訳
524考える名無しさん:2014/09/11(木) 04:09:35.01 O
必ずデカルトは大好きだろ
絶対にデカルトは大好きだろ
確実にデカルトは大好きだろ
100%デカルトは大好きだろ
十割デカルトは大好きだろ
525考える名無しさん:2014/09/11(木) 08:10:25.08 0
このデカルトはいわゆる、事が終わったら「お前は!何も!見なかった!」をして生成世界の人物に、自分の存在や干渉を認識させないままに望む展開を作っている人物なのでしょう。
526稗田 友明 (ひえだ ともあき):2014/09/11(木) 09:12:57.83 0
グループディスカッションサークル「ぐるでぃすカフェ」です。


"楽しい"グループディスカッションや簡単な議論を通して、
じっくり考える力・説明力を「いつのまにか」身につけることを
目的としています。

出題例

「5億年ボタン(要youtube検索)を押す?押さない?」

性別・年齢・職業(社会人・学生)問いません。

福岡の天神・博多周辺で約週1回。

費用は1回1人約500円


詳しくはこちら

http://ameblo.jp/setsumei-rikai
527考える名無しさん:2014/09/11(木) 09:20:21.99 0
宗教勧誘か
528考える名無しさん:2014/09/17(水) 20:15:46.89 i
存在の定義は、我が思えばいいんでしょ?
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1410935979/
529考える名無しさん:2014/10/12(日) 15:22:33.72 0
大川隆法「我思う、ゆえに我あり。こんにちは、デカルトです」
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1413094129/

「我思う、ゆえに我あり」「霊肉二元論」のデカルトが霊言で真意を語る!

このたび、大川隆法総裁は、新たな霊言を行いました。
この霊言は「デカルトの反省論」と題され、2014年10月8日より公開されています。

なぜデカルトの思想は唯物的な方向に向かっていったのか

『方法序説』等を著し、近代哲学の幕を開いたデカルト。幸福の科学の霊査によって、自らは霊能者であったことがわかっています。
そんなデカルトの哲学や思想の流れは、なぜ唯物的な方向に向かっていったのでしょうか。また、そのことについてどのように思っているのかをデカルト本人に訊きました。
未来の科学は、そして宗教はどうあるべきか

霊言では、「我思う、ゆえに我あり」「霊肉二元論」の真意について語られたほか、「宗教と科学が融合する理想の未来」像が示されました。
霊界とエネルギーの関係性や、幽霊素粒子を解明すると天地創造や宇宙創造の秘密が分かる、といった論点で、未来の科学研究への期待が高まります。
また、生前デカルトを指導していた霊存在や、過去世についても言及され、デカルトの霊的背景にも迫る内容となっています。

http://info.happy-science.jp/2014/11778/
530考える名無しさん:2014/12/24(水) 02:18:58.58 0
曖昧な魔法より物理的な法則
斬新な言葉より合理的な戦略
(デカルト)
531考える名無しさん:2015/01/18(日) 11:10:28.99 0
532考える名無しさん:2015/02/27(金) 18:35:58.91 0
デカルト哲学は、物質的(=科学的)と精神的(=コギト)の両面性を持っている。
つまり、後世の哲学者が、デカルト哲学を理解するときに、物質性が精神性に先立つと解釈すれば
機械論的自然観(=存在論)になり、精神性が物質性に先立つものと解釈すればコギト(超越論的主観=認識論)となる。

デカルト哲学を、認識論と存在論とに分けたのも、後世の“哲学者”であり、認識論と存在論に分けて考えざるを得ないのは、デカルト哲学が
いかに難しい“哲理”であるかが分かる。
533考える名無しさん
デカルトは実証主義
心臓を開いてみたら、鉄が発光する千数百度の熱状態で血液が蒸発気化してたらしい
いやあーー実証主義的だねえw