高校生の私に教えてください
過去の偉大な哲学者の存在を知っても、それがどうして偉大なのか、どういうことが評価されるのか全く分かりません
もうすぐ全スレ復活するんだから、余計なスレを増やすなよ偽高校生
君の存在は、何かの役に立つの?
惰性で何やっても上手くいかないよ。やる気がないなら帰りな!
実験
6 :
考える名無しさん:2010/09/14(火) 01:15:07 0
そうだね、思考実験だね。
おおっ!!!! 書き込めるようになってる!!!
半年ぶりかwww やっと懐かしの哲学板に帰ってこれたwww
早速だけど、
>>1 高校生はまだ思想史も学んでないから、
哲学的諸問題も碌に知らないし、哲学語の語彙力も凄まじく低いから、
最初のうちは岩波文庫やショーペンハウアーのエッセイ辺りが一番向いてると思う。
ショーペンハウアーやロックによれば、過去の伝統、古典を神格化するのは、
人間の権力欲によるものなんだよ。大人という欺瞞的な生き物は、本当に尊敬してるか
どうかも分からない人間をわざと称賛し、王に祭り上げ、そしてその人に関わることで
自分もそれにあやかろうとする、謂わばトリックなんだよ。
>>1 哲学は単なる娯楽の一種です
役に立つくらいなら
別の娯楽の方がいいです。
ゲームとかね
少なくとも反射神経と指は早く動くようになるでしょうなw
9 :
考える名無しさん:2010/09/14(火) 01:24:28 0
携帯電話で遊ぶと良いよ、若者は。
哲学的試み、論理的思考というのは、そもそもは古代ギリシアから始まった。
宗教や権威、伝統や慣行から離れ、みずからの論理で現実を理解しようという
合理主義的、人間中主義的営みがその発端だった。
けど現在、純粋に哲学をしている人間なんて、そうそういないんじゃないかな。
90%はソフィストだと思う。ただ、信じて貰えないだろうけど、
俺は純粋にショーペンハウアーを尊敬してるよ。あんな風刺の機知に富んだ、
語彙力豊富で、人生経験豊かなエッセイを書ける人間なんて、
少なくとも日本の現代思想家にはいないと思う。
研究者を揶揄する文脈で、1人の人間をずっと読み続ける奴をバカの1つ覚えだ
って言う奴多いけど、俺みたいな凡庸な頭脳でトロトロ思索を重ねるより、
天才丸出しの彼の全集を、60歳までひたすら読み耽った方が、確実に高みに行ける。
哲学は一人で考えている分には全く役に立たない。
インテリ達が議論する中で思考を整理する意味で役に立つ。
日本では一人で考える人がほとんどなので、観念の積み木で遊ぶ暇つぶしになっている。
13 :
考える名無しさん:2010/09/14(火) 03:13:42 0
役に立ちません。
終了
15 :
考える名無しさん:2010/09/14(火) 05:09:09 0
立たせてみます、という気概のあるやついないのか?
>>1 ブライアン・マギー『知の歴史』
シュヴェーグラー『西洋哲学史』
あたりを読むことをおすすめする
17 :
考える名無しさん:2010/09/14(火) 05:46:11 0
>>1 君はおそらく堵愚慧螺も知らんのだろうね?
まあ中学からやり直した方が今後のためだよ?
>>16 ちょ!!! ブライアン・マギー教授 キター(゚∀゚)ッ!!
俺もあれ、蛍光ペンで線引いてたり、赤ペンでグルグル丸印入れたりして、
ボロボロになるまで読んだよwww 初心者に真っ先にやらせるものといえば、
もう200%あれだよなwww
岩波文庫のシュヴェーグラーの方は、俺も本棚の奥に積んであるけど、
買うだけ買って読んでない(笑)『知の歴史』程度しか西洋思想史の知識
ないんだけど、今のレベルでシュヴェーグラー読める?
語彙力の方は、『哲学・論理用語辞典』(思想の科学研究会)ぐらいはまぁ押さえてるぐらい。
19 :
考える名無しさん:2010/09/14(火) 14:04:23 0
哲学の、権威とほこりっぽさと難渋なレトリックに目を回して
そこに何か真理のようなものが隠されている、
という錯覚を起こした知的弱者が、徒に時間を浪費し社会的弱者に落ちていく。
すなわち自然淘汰としての役に立っています。
そうならないためには、昔の有名なのだけさらっと読んでおけばいいんじゃないの。
全く哲学の知識がないのも恥ずかしいような
哲学の知識を得るのと哲学をするのとって違うよね?
いや基礎教養だろう
でないと自由思想もロマン主義もマルクス主義も理解出来ない
恥ずかしくはないだろ
知らないと恥ずかしいことなど無いよ
まぁ確かに、ソクラテスやアリストテレスの正義論、プラトンの合理主義と
アリストテレスの経験主義の論争知らん奴とかいたらドン退きだわな。
プラトンが『ティマイオス』を抱えて天を指し、アリストテレスが『倫理学』
を抱えながら地面を指してるあの絵、そしてその絵が何を表しているかは、
人間として最低限知っておくべきだと思う。
28 :
考える名無しさん:2010/09/14(火) 22:02:22 0
基礎教養なんて書いてる奴がいるけど、アホだろ。
基礎教養なんてそりゃどんな分野でもあるにこしたことはない。
人生において屁の役にも立たない古文読解能力だって基礎教養だし
ピーピーガチャガチャいってるだけの現代音楽だって教養としての価値ぐらいはある。
>>1の質問は、基礎教養としてとかそういうことじゃね〜だろ。
人類全体に普遍な有効性は哲学にあるのかってことだろ。
それくらい読み替える能力も身につかないのが哲学だな。
歴史的な結論からいえば、
ウン千年かかって特にこれといった有効な実績のない役立たずの学問。
まあ教養としては知っといた方がいいんじゃね?
哲学なんてクズってことがわかるから免疫になるよ。
| 釣れますか?
\ ,/ヽ
 ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ↓
>>1 ,/ ヽ
∧_∧ ∧∧ ,/ ヽ
( ´∀`) (゚Д゚,,),/ ヽ
( ) (| つ@ ヽ
| | | ___ 〜| | ヽ
(__)_) |――|. ∪∪ ヽ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ヽ
/⌒\/⌒\/⌒\/⌒\|彡~゚ ゜~ ~。゜ ~ ~ ~ ~~ ~ ~~ ~ ~~ ~~ ~~
⌒\/⌒\/⌒\/⌒\/⌒\彡 〜 〜〜 〜〜 〜〜 〜 〜
30 :
考える名無しさん:2010/09/14(火) 22:44:21 0
>>27 そんなのほとんど知らんわ でも、哲学に否定的じゃないけどね
だって、学問の起源なんだろ 特に数学とかすごいと思うわ、超哲学的だよな数学って
ν速から流れてきてる気がする
>>30 数学は哲学的じゃないよ。数学は「もし〜」という前提のもとで
判明な推論を為す学問だが、哲学はそもそもそれが存在するのかどうか
といった分析をするものだから。
34 :
考える名無しさん:2010/09/15(水) 00:19:50 0
>>33 マジで? 昔の哲学者が数学の公式を哲学してたって読んだんだが。
後、テレビで学者が数学は哲学の王様って言ってるのを見たし(テレビを鵜呑みにする気はないが)
哲学も「もしそれが存在するとしたらどういった状態で存在するのか」といった命題をでっちあげることもできるだろ
歴史学のレヴィジョニジムって、あれは哲学の部類に入ると思う?
哲学は役に立てるものではない。
むしろ哲学のために何か役に立てそうなものを探しなさい。
犯罪者の活躍、大惨事、理不尽な出来事、友人の自殺などは哲学を発症させ、症状は急速に進行する。
両親の自殺、いじめられた過去、身体醜形障害および過度な劣等感と嫉妬心の蓄積は哲学を発症せず、
下地としてまず自己愛性人格障害を患い(自己が盲点となり、他者に自己を見る)、双極性障害を発症
する者のほか、境界性人格障害を患うものは信頼を盲点としながら、他者との繋がりを一方的に求める。
そんなこと言い出したら、予備校講師やるしかないじゃんwww
シェイクスピアの詩がそうであるように、悲劇は歴史以上に
俺たちに色んなもんを教えてくれ、そして哲学の温床になる。
さらにポリスから離れ、周縁のアウトサイダーとして隠れて生きる生活、
ウザい言い方すれば半隠遁生活だが、これほど哲学の温床になるものはないよ。
中島義道はお決まりのコースだって言ってたからな。
博士取っても職につけないなら自殺しろ
それくらいの覚悟がないなら文学部に入っちゃ駄目
まさに狂気の沙汰だね
43 :
考える名無しさん:2010/09/15(水) 10:59:39 0
博士号すら取ってないで、大学に就職できると思うな。
考えが甘すぎる。
博士とっても職がない人は、はやめに転職したほうがよい。
44 :
考える名無しさん:2010/09/15(水) 12:27:36 0
なんで就職が前提なんだよw
45 :
考える名無しさん:2010/09/15(水) 12:35:25 0
>>16 哲学用語知識0の完全な素人にも「喪男の哲学史」より「知の歴史」の方がお勧め?
46 :
考える名無しさん:2010/09/15(水) 12:40:34 O
>>34 アルチュセールは数学からプラトン哲学が出来たといっている。
ネットで売ってるか調べてみたけど「知の歴史」って絶版なのね…
48 :
考える名無しさん:2010/09/15(水) 12:51:43 0
日本でも江戸末期からある問いだな。
門下生「あなたは、どうして学問をするのですか?」
塾頭 「塾でお前らに学問を教えて銭もうけするためだ」
門下生「学問は、それしか役に立たないのか」
塾頭 「そうだ」
門下生「ばかばかしい 国に帰って畑を耕すほうがましだ やめた おら帰るだ」
49 :
考える名無しさん:2010/09/15(水) 13:24:21 0
模範解答は
田畑を耕すのにも学問は応用できる、応用方法も塾で教えてやんよ
特別授業料金を摂るけどな
シムアースのガイア君いわく、戦争を防ぐのに必要だってさ
決してキチベジがクダを巻くためではない
その証拠に見よ、鯖が落ちたらキチベジがすっかりいなくなったではないか
>>44 就職したいなら中卒でいいはずだよな
だが採るほうは中卒なんか採用しないという超不思議!
52 :
考える名無しさん:2010/09/15(水) 13:42:37 0
元門下生 「あの時は失礼しました。今はバイオ食品会社の企画の仕事やてます」
元塾頭 「わしはあれからギリシャ哲学演習の講義で食いつないどったが、昨今の少子化でのう
首になてもうた」
元門下生 「恩は一生忘れません えーとこれから工学部の先生とミーティングがあるんで、じゃ、また」
>>45 『喪男の哲学史』(笑) あれはどう見ても俗物本だろwww
読んでないけど、表紙見ただけで判る。
普通に、新書とか岩波文庫の西洋哲学史を、片っ端から読んでった方がいいと思う。
あるいは、ブライアン・マギーの描いた哲学史に沿って、古代思想やイギリス哲学、
フランス現代思想と、順番に各分野の哲学史を買い集めて読んでいくとか。
俺はこっちでやってるよ。
それに、西洋思想史は西洋史とも繋がってるから、ヨーロッパ史入門シリーズ
程度の西洋史はやっておいた方がいいと思う。ルネサンスや啓蒙主義、
17世紀科学革命ぐらいは常識として知っておくべき。中島義道もよく魔女狩りを
具体例に用いてたし、宗教史関連なら、他にもドイツ宗教改革とか知っておくべき。
つーか、西洋史の研究室に進みたいんだが、その前に、ブライアン・マギー教授の
『知の歴史』と同じBL出版社で、『キリスト教の歴史―2000年の時を刻んだ信仰の物語』
ってのあるんだが、これ読んでおこうかどうか迷ってる。
amazonの書評が全然当てにならないんだが、これ読んだ奴いたら、どんなだったか、
よければ教えて欲しい。論文書く時に、これぐらいのキリスト教知識があれば、
キリスト教をテーマに設定して、これを1本線にして書いていけるだろうから、
何かと役立ちそうな感じはするんだが。
>>45 シャトレの「理性の歴史を語る」がおすすめ。
>>53 読んでないのに決めつけるのはどうかと思う。たとえ本当にそうだったとしてもな
>>56 他にも「よくわかる○○」なんて題の入門書も最近多いよな。
誰でも見ただけで判るだろうけど、棚の上の段に置いてる奴ほどまとも。
真ん中ら辺、下の段になるにつれて、四コマ漫画とかがついた、
けったいなものが散見されるようになる。
俺も哲学知りあったばっかの頃、「人生に必要な哲学」とか「スリリングな哲学」
「哲学の癒し」とか買ってたけど、今思えば、あんなの全部ただの雑学だよなw
普通は通俗本の雑学から入らない?この名前見たことあるなとか、
このフレーズ読んだことある、と断片的なのが散らばって頭に入ってて、
その状態で哲学史を読むと断片の雑学が繋がってアハ体験を起こす。
そう上手くいくこと少ないけど。
通俗本レベルの哲学史を真似て、自分なりの切り口で哲学史を構想(無知なりの妄想)したりするのも楽しいし。
学者を目指してるわけじゃないから、プロパーから見たら滅茶苦茶な楽しみ方も不安なくできる。
まぁ医学みたいな専門技術知識と違って、哲学・文学・歴史学は教養であり、
万人のための学問だからね。人文科学は嘗ては貴族の学問って言われたし。
あれも教養、これも教養なんて言ってたらキリがない
雑学ウンチク人間が出来上がるだけ
教養がない人間ほど見るに耐えないもんもないぜ
教養なくても、小中学生ぐらいの読み書きが出来れば、ライトノベルぐらいは読めるし、
中小零細に多そうなこういう連中も、男はまだ、比較的ゲームしたり漫画読んだり、
アニメを見たりするから救われる。一番見てる側まで哀れな気分にさせるのは女だ。
ゲームしない、本読まない、そういう奴が一日中何をしているか、
頭の中がどういう風になってるか、想像しただけでも恐ろしいだろw
たとえ10億円の資産を持った家庭でも、俺はそういう奴にだけは生まれなくてよかった。
これはショーペンハウアーの意識論や幸福論、女論で論及されているもので、
人が内面的、本来的に有するものによって、幸福の度合いは決まってしまうのだ。
何もかもが管理され、あらゆるものに資格が必要とされる現代日本においては、
自分が幸せなんだと思い込みたかったら、学力偏差なり学術的な資格のレベルなりで、
自分の相対的教養レベルを引き上げていくしかないんだよね。
たとえば自分の相対的な語彙力レベルに自信のない奴、それによって脳内に
記述される現象が潤っていないのではないかと思うのなら、とりあえず日本語検定
1級を取っておけばドン底は防げる。だがそれでも満足しないのが男の性で、
さらに漢字検定の2級や、自分より20も30も総合学力偏差の高い大学を目指し、
男は勉強に打ち込み、そうやってどんどん自分を高めていくが、だが女にはそれがないらしい。
人間(男)は動物と違い、過去を顧み、未来を案じたりする生き物で、情熱というものを
持っているが、どうやら女という生き物は一般的に、目の前の現実にしか碌に興味を示さず、
男性的情熱に対しては冷ややかで、そこんところが動物染みているとショーペンハウアーは言う。
だから学問でも芸術でも、後々まで受け継がれていく、トビッキリの作品を
生み出せるのは男に限られるらしい。確かに、哲学書読んでても文学小説読んでても、
本当に珠玉な文章―キケロ的に言えば―黄金の川を綴ったような作品は、
今のところ男の作品しか見たことがない。
精神的に貧困な人間は不幸だというのは分かるが、それと男女論は別物だろ
というかショーペンハウアーの受け売りじゃなく自分の頭で考えろや
受け売りじゃない部分は2chでよくあるただの女叩きじゃんw
「〜らしい」って何だそりゃ。アニメなんて観ねえよ
お前には喪男の哲学史がぴったりだよ
読書してばかりのアカデミックな連中は自分で考えないし意見をもたない。ただ読書でオシャベリしてるだけ。自分の直感を信じ自分で考えろってショーペンハウアーが言ってた。
読書すらしないやつは語彙も考え方のパターンも、なにも知らないままだろ。
そんなところから直感で出てくるものなどカスしか出てこねーよ。
>>69 ショーペンハウアーが言ってたのは「悪書は読むな、古典を読め」ってことだろ
72 :
考える名無しさん:2010/09/16(木) 14:51:57 0
我が国は学者気取りのインテリばかり。
73 :
考える名無しさん:2010/09/16(木) 14:58:55 0
>>70 君は市民カルチャーセンターのユーモア話術講座に通った方が早いんじゃね?
ってショーペンハウアーが言ってた。
うちのママも言ってたよ。
75 :
考える名無しさん:2010/09/16(木) 15:44:24 0
デカンショ デカンショ で 半年暮らす よいよい
あとの半年ぁ
哲学は役に立ったらいけないんだな
役に立つとしたら哲学じゃない
この世が小麦粉だけからなると考えてみろ。そこらのパン職人は小麦粉のことしか考えていない。役に立つこととは小麦粉に関係することなんだよ。
役に立たないことを受け入れた哲学により、朝は米に限るという考え方も生まれたんだよ。
役に立たないことは役に立つんだ。サルトルよりはSF小説のがまし。ハイデッガーも哲学かどうか怪しい。わかったな。
77 :
考える名無しさん:2010/09/16(木) 16:11:12 0
>読書すらしないやつは語彙も考え方のパターンも、なにも知らないままだろ。
>そんなところから直感で出てくるものなどカスしか出てこねーよ。
他人と話したりしても語彙も考え方のパターンも増えるから、本の受け売りは良くないって意味じゃない?
>>77 >他人と話したりしても語彙も考え方のパターンも増えるから、本の受け売りは良くないって意味じゃない?
1年友達・家族・先輩・上司と話すより、古典1作読む方が語彙は増える。さらに繰り返し読めるのが本の良いところ。
79 :
考える名無しさん:2010/09/16(木) 16:50:10 0
>>78 もっと外の新しい出会いの事を言ってるんだけど
81 :
考える名無しさん:2010/09/16(木) 18:32:27 0
脳内に記述したら、本の受け売り人間と一緒でコピー人間になっちゃうよ。
現象はシンプルに理解して自分なりの思考をしないと。
他人の言葉をそのまま豊富な語彙万歳と言ってパクるのでは、脳=能力の進歩が無い。
脳は何時だってシンプルが一番。不要な語彙は切り捨てるに限る。
ああ、”言語経済の原則”ってやつね。オッカムのウィリアムか。
ニュースピーク思い出した
>>63 ラノベって…ゲームって…アニメって…マンガって…;;;;
そんなんで教養つけたと思ってる男なんて一番見苦しいじゃないか
>>64 性別だけで全てを語るほうが動物通り越して餓鬼って感じ。六道的な意味で
餓鬼でもまだ下に地獄の亡者がいるのでキニシナイ?!
胃の中のおかず大概は見えず、か
86 :
考える名無しさん:2010/09/16(木) 19:55:28 0
哲学が何かの役に立つのではなく
哲学以外のあらゆるものが哲学のためにある
全ての物事は哲学に照応する
もっと進めば哲学自身も哲学のためにある
生命と種の保存が生きる意味だとしても
原理的に個々人の生に強要される意味などない
故にあらゆるものを対象とすることが出来る哲学
という営みのみが生と対等の立場にある
生と哲学は対面しているのではなく表裏の関係
哲学することが生であり、その生は哲学の対象になる
しかし生と哲学を完全な同一として捉えるのでなく
分化することに意味を見出したのが人間
という何の根拠もない非生産的・非社会的な思いつきを開陳して悦に入る。
世間はそれを中二病と呼ぶ。
88 :
考える名無しさん:2010/09/17(金) 00:36:03 0
哲学は生産的にも思えるが、哲学を理解・応用できないと
生産的かは永久に解らない。 知者とただのねらーとの間にはバカの壁がある。
89 :
考える名無しさん:2010/09/17(金) 00:50:12 O
質問です。
どなたか分かる方いらっしゃいますか?
哲学を研究してる人って、どうして文章書くのが下手なんですか?
90 :
考える名無しさん:2010/09/17(金) 00:54:20 0
文章が下手な人に聞いても解る筈ないでしょ。w
解ってたらもっと良い文を書くわ。これでも一応悩んでんだぞ。
91 :
考える名無しさん:2010/09/17(金) 01:30:12 0
>>89 外国語の本ばかり読んでいるので、日本語の文章が上達しません。
92 :
考える名無しさん:2010/09/17(金) 01:40:10 0
93 :
考える名無しさん:2010/09/17(金) 01:45:55 0
役に立つことに意味があるのか?人はいつか死ぬし、築いた文明も滅ぶ。
幸せになりたいなら為れば良い。人の役に立ちたいなら立てばいい。そこに何の意味も無いが
>>89 人を煙に巻いてそれで議論に勝つつもりだから
95 :
考える名無しさん:2010/09/17(金) 02:31:28 0
>>93 じゃあ氏ねよ。
何だかんだ言って現世で世間様から有象無象の恩恵を享受して生きていながら
何にも還元しない・させようとしない奴は生きることにおいて卑怯なんだよ。
役に立つ立たないとかそういうんじゃないでしょ。
知的な人は哲学を面白く感じる。面白いからハマっちゃう。そういうもの。
陰謀論にハマる人と似ている。陰謀論は世界を短絡的に説明する。
哲学は陰謀論よりも、説明範囲が広い。そういえば陰謀論にハマる人は男が多いね。
おそらく男は昔から狩りと戦争を担当して世界全体の仕組みを考えるタイプなのだろう。
97 :
考える名無しさん:2010/09/17(金) 03:07:12 0
陰謀論も本当に陰謀を暴きだす事がある。できなかったらただの妄想虚言バカだがw
あれ?哲学者と似てるなー
現代哲学は陰謀論的である。
宗教から神を消せば陰謀論になる。
近現代から近代的個を消せば陰謀論になる。
構造主義の構造の陰謀、言語論の言語の陰謀など陰謀論的である。
>>93 幸せになるには、最低限抑えておかねばならない語彙力や知識、最低限越えなければ
ならない境界線というものがあって、それは誰にでも手に入れられるものではないと思う。
例えば、つーか直言するが、聖職者になれって言われても、工場地帯育ちなんかじゃ
絶対なれないでしょ。中学校教師ぐらいまでならまぁなれるかもしれないが、
高校教師にもなれば、1億2800万人中、まぁ1億人はなれない。
大学の常勤ポストほどではないが、哲学青年にとって、高校の世界史教師は、
喉から手が出るほど羨ましがられる仕事。世界史は哲学だけじゃなくて、
歴史までカバーしちゃうからな。現代文もそうだが、やっぱりこっちの方が一段上。
それに、もっと言うなら、本当の幸せは涅槃にしかないって説もあるよね。
死んで二度と生き返らないっていう、ゴータマ・シッダールタ王子のあれ。
100 :
考える名無しさん:2010/09/17(金) 14:09:51 0
>工場地帯育ちなんかじゃ絶対なれないでしょ。
そんなの絶対じゃねーよwwww
穴だらけの理論展開はダメだよ
103 :
考える名無しさん:2010/09/17(金) 17:52:57 0
日本では聖職者と言えば坊さん、教師、医者?が思いつくが・・・
>>99は聖職者とは何の事を言ってるの?
すまん、俺が勘違いしてただけ。聖職者=教職 って思ってたから。
教職といっても、予備校講師みたいな免許を持たないどころか、
民間企業ですら、どこの組織にも属しきれないフリーターのゴロツキじゃなくて、
大学で所定の単位を履修し、教職教養や一般教養を修め、教員採用試験をくぐった者。
それに医者や弁護士(?)も聖職の概念に含まれるらしいが、やはり俺からすれば、
民衆に聴診器当てたり、犯罪者を擁護するのは厭わしい。学問至上主義、
学問以外の汚れたものを仕事にしたくない。
学問の世界は、普遍的な純人間性の舞台であり、この世界では、真理と明晰と美
のみが支配すべき場所なのに、国純主義や権威をふりまわし、真理に暴力を加え、
くだらん人間を持ち上げるのは、恥知らずの最たるもの。
アカデミーや公務員の平等主義の世界にでも行かない限り、権力をふりまわすだけの
ノーテンパーになるのは目に見えている。かつての古代ギリシャの賢人たちが
そうであったように、いかなる権威や宗教、伝統をも振り回すべきではないんだ。
それをするのは汚らわしい民衆に対してだけであるべきで、会社の同僚には絶対に
するべきではない。会社の同僚とは権力闘争なんざせず、むしろ民衆共から、
そして糞餓鬼から身を護るために、むしろエスニシティ・結束を固めていかなきゃならない。
権力塗れの汚らわしい人間なんざ、学問の世界には相応しくなく、むしろ爪弾きにすべきだ。
「我々は如何なる権威にも屈しない。メルロー・ポンティが言った? で?
それはメルロー・ポンティが間違ってただけだろwww
マスコミが何か言ってる? 官僚が何か言ってる? 知るかよwww
我々は学問至上主義だ。我々は我々で、勝手にやらせてもらう。」
これこそが、中島義道らの大森門下を含めた、アカデミズムの至上のモットーだった。
俺もこういう聖域で生きてみたい。
×官僚 ○経団連
そういや、古代アテネにも何かこういう似たようなのあったよね。
陶片追放だっけ。
109 :
考える名無しさん:2010/09/17(金) 19:23:52 0
泥臭い人間社会との交渉のない学問なんて、
学問ではなく隠居老人の盆栽趣味だろう。
>>106 古いよ。いまはネットがあるから、しがらみが無い中でやれる。
日本の医者はオーバーワークもいいところだって聞くけどな
睡眠時間削ってるとかテレビで見たわ
112 :
考える名無しさん:2010/09/17(金) 20:26:52 0
他人の命を守る・助けるためには聖職者なら当然の義務
医者にかかっているが、いつ行っても満員御礼で
よく倒れないなぁって思う
この種の姿勢は、哲学だけじゃなくて、歴史記述の祖で有名な、
ヘロドトスやトゥキディデスで知られるように、過去の出来事を神話によってではなく、
史料の批判的な探究によって説明しようとする修正主義の伝統でもあるんだよね。
そもそも古代ギリシアのポリスの精神風土そのものが、すべては開かれた議論で
あるべきって感じだった。余暇をアゴラ(広場)や民会で議論するのが日常で、
そしてその母体こそが、ギリシア文化を発展させた。
哲学史語られてもなあ
116 :
考える名無しさん:2010/09/18(土) 07:18:18 0
117 :
考える名無しさん:2010/09/18(土) 07:51:39 0
心理学科の奴に心理学って何の役に立つの?と聞いたら、
「あまりのめりこまない方がいいよ」と言われた。
どういう意味なのだろうか。
118 :
考える名無しさん:2010/09/18(土) 11:22:55 0
自分で大した勉強してないってことでしょ。
何も見いだせていないか、自分の学習を学問全体にどういう立ち位置を占め得たかというビジョンがない。
119 :
考える名無しさん:2010/09/18(土) 11:48:45 0
心理学に「あまりのめりこまない」事が知的であると思ってるんだろ
知と言う権威の奴隷
俺は痴の奴隷
俺は何の役にも立たない
「心理学科の奴に心理学って何の役に立つの?」と聞く
↓
「¥¥¥¥¥¥¥」と理解する
↓
「のめり込む心配がある」と判断する
↓
「あまりのめりこまない方がいいよ」と告げる
「¥¥」部分は、どんな内容なんだろう。どんな受取り方したんだろう。悩む。
>>1 あわてる乞食はもらいが少ないと言いますでしょう?
ガッズトントンズです。
>>116 何でもいいじゃん、まだ高校生なんだから。
高校生のうちから哲学の世界に足踏み入れるなんて、むしろ早熟だよ。
>>1 哲学科に逝く奴ってのは、大抵は世俗をバカにしまくってるし、民間企業もそれを
了承してて敬遠してくるから、基本、民間とは折り合いをつけられないと思はれ。
まだ10代だからそんなに思い詰める必要はないけどな。
よっぽど出色した奴でもない限り、まぁ哲学で飯は食えないから、必然と哲学科の連中は
教師や公務員にならざるを得ない。つまり何の役にも立たない。だが教師や公務員ってのは、
民間人とは違う漸進的なスタイルで勉強していかなければならないし、
周りに合わせてたら同じように受験のドーピングシステムに殺やれて、大学入ってから遊びぼうけて
公務員試験や教員採用試験の、とくに教養試験で落とされる羽目になる。
年齢制限は大体30歳ぐらいだから、20代後半にはどっちかに滑り込みたいもんだ。
ちなみに管理職狙おうと思ったら専修免許いるよ。教員や公務員のレベルにもなれば、
財力(経済的基盤)や時間(学習環境)がものをいうから、大学という最高設備の
供えられた環境(最高学府)に、どれだけ逗留できるかが勝負になる。あとコネね。
親が大学教授か、大学職員や都道府県庁の幹部でもない限り、
哲学科は諦めた方がいいかもしれない。ただし、これ外で言ったらいけない
事かも知れないが、漏れの父の勤め先のK大学職員は、部落出身がむちゃくちゃ
多いらしいよ。だから君がそっち系の人間なら、そんなに悩む必要は無い。
>>119 ちがう…心理学の範疇には基地外の症例も含まれるんだ
だから、のめりこみすぎると引きずられてあっち側に行っちゃう事も
127 :
考える名無しさん:2010/09/18(土) 22:17:30 0
その心理学科の友達に嫌われてるだけじゃね?
そもそも心理学の土台の論法そのものが欠陥だし、歴史が浅いから蓋然性もない。
学問の世界では新参者。経済学と同レベ。それに比べて哲学は、
東洋哲学入れたら3000才だし、キリスト教でも2000才はいってるからね。
そんな哲学を学ぶ俺はレベル高い!ってか?
お前がやってんのは哲学じゃなくて哲学史・思想史だろうが
まあまあ。哲学史を抜きにした哲学もあり得ないわけで。
あり得ないって言ってる時点で哲学やってる奴じゃないってことがわかる
哲学するって具体的にどういうことなの?
俺は宗教や哲学を批判することが哲学だと思ってんだけど。
帰納法を崩す演繹的論述と 哲学ってどう違うの?
×宗教や哲学 ○宗教や科学
【東浩紀は各界の天才たちの頂点だった】 後ろの「〜位」は出身大学の世界大学'学力'ランキングの位。
・東浩紀 (日本最高の哲学者・SF作家・批評家。東大『文T』院も卒。全国模試3位。筑駒では常に席次1〜3位。19位)
・ジャック・デリダ (仏最高の哲学者・批評家。 2浪で高等師範学校卒。 73位)
・PKディック (米最高のSF作家。 附属高校に19歳まで居てUCB独語行くも中退(高卒)。 3位だが、実質2浪+中退は論外)
・クリストファー・ノーラン (英最高の映画監督・映画P・脚本家。 UCLの英文卒。 22位)
・ビル・ゲイツ(米最高の実業家。飛び級教育でも飛び級できずハーバード。ついていけず中退(高卒)。東なら余裕で飛び級し卒業。1位)
・マイケル・サンデル (米最高の政治哲学者。 ブランダイス卒。 202位)
・グレゴリー・ペレルマン (露最高の数学者。 サンクトペテルブルク卒。 350位)
136 :
考える名無しさん:2010/09/19(日) 12:47:11 0
アフォなやつが思うこと
>俺が理解できないから哲学で表現された難解な長文は日本語ではない。
これは先天的盲人に色の鮮やかさでの感動を説明するのと同等であり
アフォには馬の耳に念仏ってこと。体験できないことを説明(比喩)しても
比喩で例えることは100万文字の理解しやすい文章であっても、非常に
困難である。
そもそも天才が言う表現を凡人が理解できると思うほうがマヌケだろ。
おまえは何様だっておもっているんだ。
137 :
考える名無しさん:2010/09/19(日) 20:43:27 0
でも、実際には今は間違いだったと判明している哲学者の表現ほど
難解な長文でこじつけ理論を展開してるから性質が悪い。
それをクソ訳で読むんじゃ〜
139 :
やみつき:2010/09/19(日) 21:32:24 O
まあ哲学するのもストリップに近いからな
140 :
考える名無しさん:2010/09/19(日) 22:16:38 0
宗教の世界へようこそ
141 :
考える名無しさん:2010/09/19(日) 22:57:47 0
> 過去の偉大な哲学者の存在を知っても、それがどうして偉大なのか、
> どういうことが評価されるのか全く分かりません
そりゃ、勉強しなければ分かりませんよ。「オイラーは・・・を証明した」とか
「アインシュタインは・・・の理論を作った」とかだけ聞いても、
数学や物理を知らなければそれがどう偉大なのかわからないでしょ?
それと同じこと。
142 :
考える名無しさん:2010/09/19(日) 23:00:13 0
>>137 残念ながら、哲学では「今は間違いだったと判明する」ということがほとんどない。
間違いだと思ったのが間違いだったということになる可能性がほぼ常に残る。
じゃあ逆に、きみは完全に正確に知っていることがいくつあるのか?
144 :
考える名無しさん:2010/09/19(日) 23:18:21 0
かなりスレチなんだが質問させてくれ・・・
いまニーチェ読んでて、大体主な著作は読み終わったんだが
次は何読んだらいいかな?
個人的にはニーチェ哲学の生の肯定は共感できたし個人が生きる上で
大きな指針になるものだとは思うんだが
やっぱり社会全体、というか連帯とかコミュニティへの意識が希薄(当然ではあるが)に感じたんで
この流れでなんかいい哲学者なり思想なりがあったらご教授願いたいです
>>143 自分が存在するということ、この世の全ては主観であり表象であるということ、
物自体なんて存在するかどうか分かりやしないってこと。(
>>142とは別人)
>>144 俺は人にご教授なんて出来る身分じゃなく、むしろされるべき身分だが、
対等な立場として言わせてもらうと、ニーチェはショーペンハウアーに被れてて、
そのショーペンハウアーはカントに被れていた。それにニーチェとショーペンハウアーは、
正式には哲学者じゃない。生の哲学はエッセイの部類に入る。
でもカントは哲学者の潮流に含まれる。彼は確かドイツ観念論か何かだった。
ちなみに、ナチのユダヤ人迫害(民族浄化)の際、
ニーチェの思想が、具体的にどうファシズムに利用されたかは
もう押さえてあるよね?
147 :
考える名無しさん:2010/09/20(月) 00:34:21 0
スレ主さんへ
「哲学は何の役に立つのか?」
難しい質問です.
でも,ひとつ考えてみましょう.
きっと幼い頃足し算を教わったと思いますが,
なぜ「1+1=2」何だと思いますか?
>>136 全く同意!
だいたい最近とくにひどいだろw
杜玖椀も堵愚慧螺も踏まえずに哲学やろうとかwwwwwwww
場かも休み休み言えってことだよな
150 :
考える名無しさん:2010/09/20(月) 01:45:05 0
>ニーチェはショーペンハウアーに被れてて、
>そのショーペンハウアーはカントに被れていた。それにニーチェとショーペンハウアーは、
>正式には哲学者じゃない。生の哲学はエッセイの部類に入る。
だいぶ今は間違いだったと判明するこじつけ哲学者が捕獲できましたぞ!
ただの僻みじゃね? 普通に受験勉強やって漢字検定の勉強して、西洋哲学史やって、
必読書読んで、大学の哲学科で教員から指導受けながら、研究テーマの本読んで
論文書いていれば、そんなどこの誰かが作りだしたかも分からんような、
くだらん当て字作って正規の学問を歪曲して、哲学青年気取ったりはしないはず。
初歩から段階的にコツコツやっていこうとしない奴は、永久に本場の哲学を出来るようにはならない。
西洋哲学史や入門書で思考の基本を学び、漢字検定や哲学辞典で語彙力を豊富にして、
論文や議論を通して実践力を鍛えて、初めて哲学は始まるもんだと思う。
理論に懐疑や批判のメスを入れるのは、そんなに簡単なもんじゃない。
155 :
考える名無しさん:2010/09/20(月) 02:05:10 0
これはもう挑戦状ですね。
漢字検定に対する…
>>151
156 :
考える名無しさん:2010/09/20(月) 02:11:46 0
>>151ソクラテスがそんなこと言うと思うか?
そんなことより、どうやってここを脱出するんだマイケル?
157 :
考える名無しさん:2010/09/20(月) 06:21:18 O
158 :
考える名無しさん:2010/09/20(月) 06:36:27 0
>>151 普通の哲学徒なら漢字検定より数学基礎論とか論理学を持ち出すと思うが?w
哲学の入門書中の入門書であるプラトンの弁明・パイドン・国家・法律を読んでたら漢字だの辞典だのなんて言わないよ
本を読んでそれで哲学やってるって思いこんだり、自分は語彙力もやたら低くて
読めてもいないくせに、文字を読み流しただけで読めてるって勘違いしてるからだろ。
「○○の△△論」をアホみたいに片っ端から読み飛ばして、それをそのまんま
口に出して蘊蓄垂れて知ったかぶりしてるだけじゃ、哲学になんないんだよ。
史料を批判しなければ哲学も糞もない。まず自分が哲学をやるに十分な学力を
備えているという証明がいるだろ。
160 :
考える名無しさん:2010/09/20(月) 07:10:28 0
その証明は漢字の知識や辞典などの知識より論理性に重きを置くべきだと思うが?
百歩譲って知識が重要だということを認めるとしてもそれは漢字などの超基礎知識ではない
語学、そして数学・物理などの理科系の知識を指すべきだと思うけど?
宗教じゃなくて敢えて科学じゃないとダメなのか? 俺旧帝じゃないし、
理系の知識は受験レベルの地球科学ぐらいしか無いけど、キリスト教やイスラム教、
西洋の歴史を批判することも哲学に入るんじゃないの?
それに、プラトンの弁明(?)とか国家とか作品だけ挙げるんじゃなくて、
それを初心者にも解るような言葉で委曲を尽くして説明し、なおかつそこに
懐疑のメスを入れてみろってネット上で言われて、その本場の哲学が出来る人間が
一体この板に何人いるやら。まぁウィキペディアやら何やら、ネットで検索かけて、
誰かが書いたものをコピペして、それをチョロチョロっと弄って知ったかぶりする
ぐらいなら俺にでも出来るがな。
162 :
考える名無しさん:2010/09/20(月) 08:08:54 0
宗教哲学や歴史哲学やりたいなら勝手にやればいいが現在の哲学の華は分析哲学並びに環境倫理学だからな
分析系には論理学、環境倫理には観念論と科学的知識が必要 漢字検定か何かで有用性の低い単語を覚えたところで哲学的思考には何の影響もねーよって言いたいわけw
プラトンは国家において素養のある人間が正しい教育を受け(文芸と体育)、理性によって利得に靡く欲望や下らないことで憤慨するような気概を押さえることができる人間が真理を見定める哲学を行うことで、イデアを獲得することができるだろうと解いている
弁明ではお前の言う知ったかぶりの馬鹿をなじる一説があり、つまり上記のような素養もなく正しい教育を受けてきていない人間が何も分かっていないにもかかわらず何かを知っているような口ぶりで恰も真であるかのように話すんだな(詩人などを痛切に批判してる)
で、その正しい教育とは何かっつとさきほど言ったような文芸と体育らしいが、最も強調していたのは数学なんだよね
理性(論理)を極めることで真なるイデアに到達できると まぁ、つまり現代においてその数学の役割は包括的な科学的知識のようなもので非論理的な宗教だの歴史だのだけでは影を追うだけで真には迫ることはできないんだな
とりあえず杜玖椀も読みもせずにスレ立てをするバカさを知れ
>>151 > くだらん当て字作って正規の学問を歪曲
アフォなやつが思うこと
> 俺が理解できないから哲学で表現された難解な長文は日本語ではない。
これは先天的盲人に色の鮮やかさでの感動を説明するのと同等であり
アフォには馬の耳に念仏ってこと。体験できないことを説明(比喩)しても
比喩で例えることは100万文字の理解しやすい文章であっても、非常に
困難である。
そもそも天才が言う表現を凡人が理解できると思うほうがマヌケだろ。
おまえは何様だっておもっているんだ。
>>162 >イデアを獲得することができるだろう
>理性(論理)を極めることで真なるイデアに到達できると
そこがそもそもの批判されるところだろ。プラトンが天を指さして理想論を
捏ねたところ、弟子のアリストテレスが地面を指さしてそれを批判した。
そして何より、その問題はカントによって解決されたはず。
そして、数学というものは与えられた前提から帰結を導くものであって、
自分で問題を発見し、分析してゆく総合的な知的能力とは違うよ。
その後もずっと数学の明証性を現実に応用出来ないものかと数学者の頭を悩ませてきたが、
結局それは叶わなかった。数学ってのは予め問題が与えられていて初めて成立する。
評論文なんか読んでても、批評する時にいちいち数学記号ばっか使う奴なんざいないだろ。
批判する時は基本は日本語なの。だから日本語出来る人間の方が口強いし、
数学や物理が論理性に優れていて、漢字の達人が入門レベルだとはならないよ。
166 :
考える名無しさん:2010/09/20(月) 16:01:57 0
第二段落の数学観はひでえなあ。
数学ってのは入試の数学の問題を解くものだ
みたいな数学観と大差がないw
>>165 論理学と言語哲学の入門書くらいは読んでから書き込んだ方がいいぞ
受験生時代、「漢字なんていらない、現代文なんて日本語だから読める」と豪語して、
英語と数学ばかりやってた奴が浮かばれる。それで入った後、日本語も読めない
(現代文の偏差値皆無)くせに本読めた気になって、「○○の△△論」とかやたら吹聴してる奴。
語学や理数にウェイトを置くということは、その分日本語が疎かになるってことだよね。
外国の文献を読むのはあくあで哲学研究であって、哲学をするのとは違う。
あと、古代にはソフィストという人種もいたが、修辞学でも知られるように、
まず思いつきがあって、次にその表現形態を探すのではない。
むしろ思いつきは表現形態によって促される。表現は思いつきの助産婦である。
哲学語を覚えたって、その概念同士を連結してく紐帯がないんじゃ思考が停滞する。
哲学の基本中の基本は「全てを疑うこと」だよね。数学は科学理論を確立するのには
向いてるかもしれないが、哲学とは少しズレてる気がするよ。疑うのには向いてない。
それならむしろ存在論とか認識論の知識付けてった方がいいじゃん。
それに真に迫るってのもちょっとズレてるよ。真理と虚偽という二項対立の時代はもう終わった。
今はどう脳内に記述されるか、人間には何が知る事が出来るのかの、現象学の時代だよ。
論理学をやってないから真=真理ってなるんだろうな
国語も一応受験勉強しないと試験受からんけどな…
漢字とかに意外と落とし穴がある
>>170 大学教授はさすがに別世界の人間だからどうでもいいけど、公務員が羨ましい。
駿台の全国マークとかで、英、数、国、理、社、 全科目14科目(?)
オール総合 偏差値70超とか叩き出す奴いそう。
よくぞ極めし 学習指導要領! センター試験完全制覇! みたいなw
しかも福利厚生に恵まれてて、哲学とか続けるのには打ってつけだし。
172 :
考える名無しさん:2010/09/20(月) 17:28:21 0
>>169 おまいの言うことはもっと分からん。真と真理を区別する論理学なんてあるか?
173 :
考える名無しさん:2010/09/20(月) 20:31:03 0
>>165 ここまで無知で恥ずかしい人間はめったにいないなw
174 :
考える名無しさん:2010/09/20(月) 21:38:20 0
とりあえず杜玖椀も読みもせずにスレ立てをするバカさを知れ
杜玖椀を凌ぐ具体性など存在しないと思うがいかに
177 :
考える名無しさん:2010/09/21(火) 00:31:54 0
昔バイト先で、ちょっと年上の人が哲学を持ってない人は弱いって言ってたんだけど、どういう意味なのかな?
佐々木小次郎や!
人生哲学って程度の意味じゃないかと
>>177 頭が弱い、口が弱い、バイタリティが弱い のどれかだと思う。
哲学的思考の強い奴は悲劇に見舞われた時も、精神が鍛えられてゆき、
悲劇を呑み込んでしまい、適者適応本能によって進化してゆく。
そんな感じだろおそらく。
哲学的思考、疑う力と語彙力の強い人間は、新しい環境に出合うに連れて、
以前までの思想を破壊し、現在の自分にピッタリの思想を新たに作り上げてゆき、
それによって精神的ダメージを緩和してしまう。結局は世界はどう解釈するかだからね。
幸福というのは本人の主観によって決まるから、本人が不幸だと思えば不幸だし、
本人が悲劇の中から何か新しい妙諦を抽象世界から導き出し、それによって成長できた、
いい体験をした、そのための修行だったんだと解釈すれば、少しずつではあるが
幸福になってゆける。
182 :
考える名無しさん:2010/09/21(火) 02:07:06 0
>>180 逆だろ、とんでもない人生になって発狂・自爆・死刑・・・・・
そんなのが多いし
それはただの哲学研究生だろ。哲学すんのと哲学研究すんのとは違うし、
元々の頑固なまでのソフィスト的な性格ってのがあるからね。
哲学研究生でも、一流の大学卒なら大学受験予備校で講師できるし、
1本目は無理だろうけど、1本目でクビになるまでに少しでも多く失敗しておいて、
経験積んでから2本目の予備校に転職した奴は、そこで成功を収めることだって出来る。
当たれば年収何千万だからな。社会保障も身分も皆無だけど、収入だけは見込みある。
院卒は学部卒と違って学歴があるし、人文科学なら予備校講師のテリトリーだから、
自分の居場所だって作れる。
うちの大学に京大院卒でスコットランドで哲学マスター取った、西洋史の少しだけ
名の知れた教授いるんだけど、予備校講師をやることで色んな面で鍛えられて
よかったって言ってた。本当に大変だったけど、そのおかげで今があるって。
哲学や人文科学というのは、上の世界では本当に権威を持っていて、
就職に失敗するのが怖いからって何処までもセーフティネットに迎合して
安全で平凡な人生を歩んできた奴が、本当に賭けのような人生を歩んできた奴に
勝てるわけがないのだ。
ここぞというとこで勝負に出ないと、結局最後(30歳辺り)にはボロが出て、
凡人相応の人生を歩まざるを得ない。自分は凡人だったと気付かされる。
経済学部や法学部なんて、よっぽど桁外れの人間でもない限り、
普通は大企業で1000万とか稼いで一軒家買ったり高級車乗り回すだけで人生終わる。
生涯を学問に捧げることの出来る人間ってのは、それだけでレアなんだよ。
進化と進歩は違うと思います
やっぱ数学とか物理とかより、自分で問題点を発見し、論理的問題・実際的問題
共に分析してゆく総合的な知的能力を育もうと思ったら、論文書くのが一番なんじゃないかな。
院卒はともかく、学士論文なんて大した権威にもならないから、
小論文検定で最低2級は持っとくべき。人間としての常識もかねて。
研究室ノックして、教授に添削してもらって、それ繰り返すのが一番。
知識ばっかり持ってても、それを思考に運用出来ないんじゃ何の意味もない。
小論文検定の勉強しててつくづく思うんだけど、論点を逸らさずに一般例や
特殊例を挙げたりして、一貫した主張を貫き通すのって、結構思考力いるんだよね。
自分の中にモヤモヤと霞がかってるものを修辞によって炙り出し、それをパラグラフや
トピックで整理し、具体的な根拠を持ったものにして、考えを深化させてゆくのは
並大抵の頭じゃできない。これはもう、特殊な職業人の専売特許。
>>186 とりあえず○○検定ってのは天下りの温床で百害あって一利なしだから。
お前、漢字検定にも踊らされたんだろ?
もうやめろよ、○○検定なんてものでくだらないハク付けようとするのは。
子供のころ、じっとして無心に眼前の光景を見ているとき
ふと、何故こうして時間が連続して続いてすぎていくのだろう
何故こうしてこの光景を見れているのだろう、コレは自分も含め何だろう不思議
と疑問に思ったことを
哲学書を読むことで思い出すよな?
俺は思い出した。この経験がない奴に哲学はいみがない
箔をつけたいだけの奴に哲学は意味がない
>>184 上の世界って、「1000万とか稼いで一軒家買ったり高級車乗り回すだけで終わらない」世界のことですか?
役に立つとか意味があるとか価値があるとか
そういう有用性の視点から離れろよ
193 :
考える名無しさん:2010/09/21(火) 17:37:41 0
_,,..--――--,,..
/::: \
/:::" ヽ
,i :: i
,r'::: |
〈r"::ヽ ´ i''~""''ヽ`、;;;::::: |
,};:●ノ ヽ、● / ヾ、;;: ヾi
i'` i"ヽ ゙;;,` ゙'''" ゙-'" /
`) ir,_ ,i ;;::.. _,,..-ー-'ツ/
〉,_,_,、,、_, _ イ'" /ー-ゝ'
`i.j.j,j,j,tt゙i,jイj::ノ ,.i' なにかな?
゙ーヘ { (_
〉 ` `ヽ、
. / Y ヽ プリッ
| _ノ、_ }
.l ノ /
| / _∠_ f ゙̄ー-、
| レ'" ̄  ̄"`―ュ__)
| 〈 _,,-‐''"´ ̄
( ヽー''"´
ヽ }
l /
| 〈_
/√fコ
r''__/__l
哲学者は真の学者達が命をすり減らして生み出してきた知識を、
全く理解しなままひけらかし引きずり回してただ理解したふりをすることに一生を浪費する。
哲学者自身が自らの嘘に騙されてしまい、カルトを語るだけの無価値なその人生に気付く事はない。
195 :
考える名無しさん:2010/09/21(火) 20:47:40 0
>>157 ニーチェとフッサールって具体的にどう繋がっていくんだ?
>>194 タイポ直してリテイクもう一回行きます。
どうぞ。
俺メンヘラだったけど、哲学かじり始めたら治ったよ。三年かかったけど。
思考体系を複数持ってるってのは、生きていく上ですごく便利だよ
198 :
考える名無しさん:2010/09/21(火) 21:39:27 0
>>186 知識を運用することを学ぶのが数学なんだが
その数学を物質世界に応用したのが物理学であり化学なんだが
そしてそれらを応用し物質的産出性をもたらしたのが工学だ
また論文において明晰な論理性をもたせるには論理学の素養が必要だ
この論理学は数学の基礎知識が必要不可欠で、数学的論理性を言語界に応用したものと考えられる
漢字や歴史知識がいくらあっても論理的な思考、そこから発生する論理的な論文の著述、または言動を行うことはできない
漢字や歴史知識の方がなんの応用性もないただの「知識」だと思うけど?
三年かかったってのは、色んな思想・思考方法を理解して、感覚的に受け入れられるまでにかかった時間ね
お前Fランから阪大に行くって馬鹿言ってた奴だろ
せめて数TAくらいはマスターしてから偉そうに書き込んでくれw
>>198 おま・・・横からだけど、あまりにお前の認識があまりにひどいんで言わせてもらうと
数学は知識を運用することを学ぶものじゃない。ある一定のルール(公理)だけを定義し、そこから
証明によって、ある事柄は正しいか正しくないか決定していくもの。論理学と違い、一度証明されれば
後世永遠に絶対的に正しい。論理学よりはるかに精密。まあ無矛盾じゃないってのは今回は突っ込まないで。
で、物理とか化学だけど、この二つは道具としてちょこっと数学使ってるだけでほとんど帰納的に証明が行われてる。
つまり、今の物理的科学的な正しさは「暫定的なもの」でしかない。
>この論理学は数学の基礎知識が必要不可欠で、数学的論理性を言語界に応用したものと考えられる
お前論理学がどれだけあいまいな学問か知ってんの?一つの学説だけで正反対の意見を持つ論理学者がいるなんてこと珍しく無いぞ?
論理学論理学言ってるけど、数学的論理的正しさと比べれば、論理学なんて自己主張学としか呼べない程度の低いものでしかないよ
突っ込みきれねえ・・・お前マジで言ってんの?釣りだよな?
>>200 誰に言ってるかしらんが、もうとっくに大学でて働いてるから
社会に出たら、学歴コンプのジジイが聞いてこない限り、大学名なんて話題にもならない
203 :
194:2010/09/21(火) 22:03:16 P
ここIDでねぇのか。安価ないから紛らわしい
205 :
考える名無しさん:2010/09/21(火) 23:11:24 O
206 :
考える名無しさん:2010/09/21(火) 23:17:08 0
>>201 君の言ってる論理学って何のこと?
「一つの学説だけで正反対の意見を持つ論理学者がいる」って
具体的に何を指してるんだ?
207 :
考える名無しさん:2010/09/21(火) 23:21:08 0
大混戦だな、俺はとりあえず>201を支持
数学からの新発見も稀にあるけどね
俺も
>>201を支持。何か言いたいこと全部代弁されちゃった。
同じ本でも読んだのかな。
209 :
考える名無しさん:2010/09/22(水) 00:34:16 0
>>207 >>208 おまいらの言う論理学って何のことなのさ?
普通に言う論理学の証明って数学的証明だから、
基本的には「一度証明されれば後世永遠に絶対的に正しい」よ?
だから、
>>201の「論理学よりはるかに精密」ってのは意味不明。
論理学の哲学みたいなののことを言ってるなら、
数学の哲学もまったく同様だし、訳わからんなあ。
知識があっても使えなければ意味がないというような
実利主義的な思考で足踏みしているのはいかがなものか
ゲーデルが証明したように全く数学は役に立たない
数学は詩でしかない
集合だの複雑系だのトンデモだ
仕事はプログラミングしてるが必要なのは文系の思考だ
212 :
考える名無しさん:2010/09/22(水) 01:14:34 0
ゲーデルは「数学が役に立たない」なんて証明はしていないし、
「数学は詩でしかない」なんて証明もしていないがw
213 :
考える名無しさん:2010/09/22(水) 01:18:14 0
>>209 アリストテレスの三段論法
この論理を研究し、論理学という学問を形にしたのはアリストテレスとされている。
数理論理学
19世紀後半にはジョージ・ブール、オーガスタス・ド・モルガン、ゴットロープ・フレーゲなどが言葉の代わりに
数学の演算規則をあてはめ、「概念」や「観念」を記号に変換して研究する数理論理学(記号論理学)を整備し、
大きな研究成果をあげた。
これらの論理学の大きな特徴のひとつは、アリストテレス以来の諸命題の関係を問う命題論理ではなく、
主語と述語の関係を問う述語論理を扱うことである。また古典論理学では十分でなかった全称命題と単称命題の
関係が量化子の導入によって明確にされた。
>言葉の代わりに数学の演算規則をあてはめ、「概念」や「観念」を記号に変換して研究する数理論理学
214 :
考える名無しさん:2010/09/22(水) 01:28:20 0
>>213 要するにWikipedia止まりの知識で論理学について語ってるってわけか?w
さすがに、アホくさくなってきた。
またwikiか。
216 :
考える名無しさん:2010/09/22(水) 01:37:01 0
ついでだから言っとくと、その解説ずいぶん間違いが多い。
アリストテレスの論理学は制限された単項述語論理で、命題論理ではない。
命題論理はアリストテレスより後のストア派の論理学が元祖。
それから、全称命題と単称命題の関係は古典論理学でも分かっていた。
明確にできなかったのは関係述語と多重量化の処理。
wikipediaに限らず、ネットの情報が間違いだらけなのは常識。
専門家の審査ちゃんと通ってるのあれ?
218 :
考える名無しさん:2010/09/22(水) 01:53:43 0
審査なんかあるわけない。間違ったことを言うのも言論の自由だし。
ネット上の情報でも発信者を見て信頼性を判断するしかないだろう。
間違ったことを言う言論の自由はある。
だが学問には間違いを垂れ流す者の居場所は存在しない。真っ当な学問にはだ。
220 :
考える名無しさん:2010/09/22(水) 12:10:27 0
哲学の場合は、故意の嘘はともかくとして、
間違ったことを語るのは許されるし居場所もある。
間違いかどうかの判定もまた間違い得ることを考えれば、
当然であろう。
ネットやWikiには正しいことしか載ってないと世間一般の人は思っているとアナーキストきどりの人は思っている。
Wikiに書いてあることは大抵ただしい。
説明する際に、分かりやすく説明するために「語弊はあるかもしれないが…」という前口上が抜けた説明があるだけ。
222 :
考える名無しさん:2010/09/22(水) 12:18:43 0
哲学・論理学関係だと、そうとは言えない。
説明している本人が、自分では分かっていると誤解しているだけで、
分かっていないらしいこともある。
分かっていないやつが「分かるやすく説明」しようとしたら、
ほぼ完全な間違いとなる。
てゆーか、ちょっと君らからすればレベルの下がる話するけど、ショーペンハウアーが、
東洋学者フリードリヒ・マイヤーからヒンドゥー教と仏教を教えられた時、
これらの宗教の中核を為す教義の内に、哲学とは全く異なる方法ながら、
ショーペンハウアー自身やカントが到達した結論と同じものがあって、
彼は驚愕させられたんだったよね、確か。
西洋哲学では、プラトン以降に登場した多くの哲学者が、数学に基盤を置く
科学こそ経験世界を理解する鍵だと考えていて、哲学探究を重ねて来た。
一方東洋哲学では、科学ではなく宗教が支配していて、経路が違っていたにも関わらず、
哲学上の重要課題では、西洋哲学とに達していたという事実があるらしい。
ヒンドゥー教や仏教がどう「哲学」なのかは、東洋哲学を専攻していない俺には
皆目解らないけど、確かにそう呼ばれているから、何らかの理由が隠されているんだと思う。
西洋哲学とに達していた ⇒ 西洋哲学と同じ結論に達していた
で、岩波文庫で「インド思想史」ってのあるの今日見たんだけど、誰かあれ読んだ奴いない?
俺読みたいんだけど、積み本が恐ろしく溜まってて、今年の秋学期はそれ片付けなきゃ
ならないから、新しい本が読めない。古代哲学と大陸哲学、古代ローマやエジプトやって、
それ終わったら今度はイスラームの勉強せにゃならんし。
他にもヘロドトスの『歴史』とか、ヘーゲルの『歴史哲学講義』とか色々あったけど、
全然読んでいない… あと古代ギリシャ史の入門的なのがあったけど、作品名忘れちまった。
こういうの読んでる奴いたら、どんなだったか誰か書き込んで欲しいんだけど。
哲学なんてプラグマティズム的に使えれば十分。
〜の思想は本当に哲学だったかとか、〜の定義はどうであるとか考える以上にくだらないことはない。
って思う俺はここじゃ異端なの?
そんなことないですよ
バカだからってどんな場であれ権利剥奪されるような場はないからね
ニーチェ曰く近代哲学は「抜け道」だったらしい
古い神が科学の進歩によって倒されようとした時に
なお科学を拒否する方法としてもてはやされていただけだったんだと
ニーチェはそんな西洋哲学を否定しつつさらに科学信仰も否定した
そんなことをしたら発狂して当たり前なんだけど
すでに狂ってたから出来たのかもしれん
ああもんろん宗教否定は真っ先にやってるなニーチェ
他人の思考を復唱するのは終わりにしよう!
ニーチェって別にたいした事言ってないだろ
よくある当たり前のことを文字に起こした功績がでかいってことでしょ。
でも哲学史読んでて、ショーペンハウアーは本当に凄いって思った。
「これこそが万物の答えだ!」みたいな感じで『意志と表象としての世界』
出版したけど誰にも相手にもしてくれなくて、それでも諦めずに書き続けて、
最後の最後、亡くなる直前の数年間になってやっと努力が恵まれて、
最後の最後で勝利の凱歌を叫びながら死んでいった。
正に彼は、古代インド、ゴータマ・シッダールタ王子の研究者にして、
哲学史3000年の伝説に名を刻む、諸学を統べる万学の王に相応しい。
エッセイ読んでても、王として、そして文化人としての風格ってもんがあったしな。
若干日本語が可笑しい箇所あるがお気になさらず。
おっと、最後の最後で国際的名声を得たって、肝心なとこ書くの忘れてた。
分析哲学? 語義矛盾である。
なぜなら、本来の哲学は、分析できないものを言語化しようとする営みだからである。
したがって、最初から分析できるものを対象とするのは、最初から分析できるものに過ぎない。
それは、論理を論理でいじくっているに過ぎない。つまり、分析哲学は、最初から分析できるものを分析しているのであり、できないものをしようとしているのではない。
したがって、哲学ではない! 数学以下である。
聴きたまえ、哲学は論理ではない。存在論の論理なのである。
これがわかる人、賛同を! でなければ、誰も「2ちゃんねる」にはいないと判定する!
日本語で(r
なにそれ宗教?w
哲学は数学より数学的なものだと思うけど。数学は公理疑わないけど、哲学前提含めて全て疑ってかかるわけだし
哲学の第一法則ですら、直感でしか得られないとか言ってるわけだからね。
懐疑論てきに言わせれば、確かなものなんて何もないよ。ソクラテスの時代ですら、わかってたわけだし
>>236 馬鹿か?
前提含めて全て疑ってかかるのが「数学的」なのか?
本当に馬鹿な奴ほど、自分が追いつめられると、頭を捻って論駁で切り抜けようとしないで、
すぐに貶し言葉を吐くというルール。馬鹿とか氏ねとか先に言い出す奴ほど、
実は内心取り乱しまくっている。「ヤバい、このままじゃ俺負ける…」みたいなw
>>236の馬鹿さ加減はどう取繕っても無駄なレヴェルだからしょうがないわなw
公理まで疑うのが数学的とかww
足元を掘り崩すだけで(それも最近はポーズに過ぎないことが多い)
なにも生産しないのが現代の哲学。
かつてはそうではなかったが、今では諸学問の抜け殻に過ぎない。
てか数学的って具体的にどういうこと?
>哲学は数学より数学的なものだと思うけど。
ここがそもそも何言ってるのかイミフ。俺が日本語読めないんだろうな、きっと。
「山本君は、鈴木君よりも鈴木君的だよ」って言ってるようなもんだろ。
AはAでしかないんじゃね?
前提というのは、その後の議論の足場にするために設定するものであって、
最初から疑う対象ではないのだよ。
とりあえず疑うことを止めて、ここからスタートしたらどうなるか論じましょうという宣言として
公理を設定するんであってね。
自然科学の場合は、実際の自然現象が厳然としてあるから、それを記述するための「仮の設定」であり、
実験・検証の結果として、「仮の前提」が疑われることもあるだろう。
しかし、数学における公理は、真偽を疑う対象には決してならない。
数学における公理が問われるのは、
その公理系から展開される理論の豊穣さなどから判断される「設定が適切であったかどうか」であり、
「真偽を疑われる」ことはありえない。
数学の公理とは、そういうものなのである。
>数学における公理が問われるのは、その公理系から展開される理論の豊穣さ
などから判断される「設定が適切であったかどうか」であり、
なるほどね、つまり哲学が数学よりも数学的だというのは、哲学は数学よりも
この傾向が強いってことなのね。 似非は知らんが、本物の哲人は、
自分の理論があくまで「前提が正しければ〜」という条件を下に展開されている
ことを自覚してるってことね。そして、自分の建てた前提すら疑ってかかる。
つまりは、デカルトのような方法的懐疑精神を持った人間のことを指してるわけね。
「全てを疑え」と言ったソクラテス、ヘレニズム期辺り(だったかな?)に出て来た
ティモンとかの懐疑主義の連中とか。
解説乙
上の奴らほかの板と同じノリで揚げ足とりしててわろたw
哲学版だと知識ある奴と無い奴の差が激しいな。
実際、哲学が俺にとって何の役に立っているのかと考えると、気休めにしかなってない。
それでいいんだと思う。
音楽が好きだが、さて音楽が何の役に立っているのだろうと考えても、
気休めとしか答えようがないしな。
人生は一時しのぎの連続だからな
気休め以上のものは存在しないと言ってもいい気がする。語弊はあるが
>>244 243は
数学は(かつての)哲学とは違って、どこまでも懐疑することによってゆるぎない真理を探そう
などとはしないものだ、と言いたかったのだが。
公理が真理であるか?などという疑問は持たない。
というより、真偽を問わねばならぬものを「公理」とは呼ばない。
公理設定の適切性は、予め使用可能と決めておいた推論の仕方にそって正しく演繹された理論体系によって
自ずと判断される。
数学が絶対的な真理であるかどうかが厳しく問われなければ、などと考える数学者はおそらくいないだろう。
どの程度の真理と感ずるかは各人様々だろうし、そんなこととは無関係に、
現に人間の文化・文明における礎として、他にとって替わるものがないほどの普遍性が示されている。
もちろん、「公理系と予め定められた推論規則によって、演繹の鎖がひとつも掛け違えることなく繫がっている」という意味では、
未来永劫にその正しさは不変である。
その意味で、常に暫定真理である「自然科学における法則」とは全く異なる。
>>248 >というより、真偽を問わねばならぬものを「公理」とは呼ばない。
これは希望入ってるよね?
あんたの言ってることは概ね正しいし、現在の一般的な数学の認識と一致してるけど、公理に関してはちょっと違う。
数学者も出来ることなら、公理も証明したいと思ってるし、過去幾度もそういう試みはなされた。でも、最終的に証明出来なかったものは「信じる」しかないんだよね。じゃないとあんたの言うように先に進めないから。だから、公理に関しては他の帰納的な自然科学と同じレベル。
正さの普遍性で言えば
哲学≧数学>>>>>>>>>>>自然科学
ってとこかな
>「>>>>>>>>>>」
これ傍から見てて、学歴厨見てるみたいでイラってくるから、やめてくんね?
>数学者も出来ることなら、公理も証明したいと思ってるし、過去幾度もそういう試みはなされた。
馬鹿丸出しw
幾度も合ったというその試みの例を挙げてみ?
そもそも数学の証明ってわかっているか?
前提と決められた推論の手続きのみを用いて演繹すること以外にない。
その前提をどうやったら数学的に証明できる道理がある?
最初から全く無意味。
>正さの普遍性で言えば
>哲学≧数学>>>>>>>>>>>自然科学
無知蒙昧の名言(爆笑)
数学の定理より普遍的に正しい哲学の成果をいくつかあげてみなw
おおかたどうでもいい世迷言しかないだろうがねw
>じゃないとあんたの言うように先に進めない
事実、昨今の哲学は見るも無残なほど進展がないねぇ
>>246 既に単なる文芸と化して久しいんだから、それでいいんだと思う。
それ以外の効用を求めると、とんでもない勘違いを生む。
>>251 非ユークリッド幾何学とかは、既存の公理を疑ってかかった結果だし、既存の公理=数学界の常識とされていたものを疑ってかかって、反証しようとした例なんていくらでもあるだろ。
結果として両方が相反するものではないから新しい体系が生まれたり、過去の証明を覆したりってのは珍しくない。
そもそも演繹法も突き詰めれば、帰納法と同じなんだが…
数学やってれば一度は人が認識してる時点で…ってのは気づくだろ?
>>252 お前の偏見で何がよ迷いごと扱いされるか知らないけど、確かなものはないってことが哲学の一番の成果。
>>253 哲学がどこまでさすのか分からないけど、真理探究としての哲学ならもうこれ以上進みようがない。確かなものはない。これで結論でてる。
これ以上のことは数学だろうが、科学だろうが、信じるという行為の上でしか成り立たない点で、宗教と同じ。
一応揚げ足取らないで全部説明したけど、まだ質問ある?
補足。
演繹法が帰納的ってのは、人の認識の帰納的集計によって、正しさが証明されるということ。
例えば2つの違った結果の証明がそれぞれ、同数の数学者に支持された場合どっちが正しい証明だと思う?
ちなみに、両方とも相手側の証明の間違いは見つけているが、両方とも相手側は間違いはないと言っている。
結局は証明のここの論理は間違っている間違っていないの水掛け論になる。数学も結局はその時代の大勢で決まってしまう事があるというのが全くないわけではない時点で、いかに曖昧なものかというのが分かったと思う。
>>256 >例えば2つの違った結果の証明がそれぞれ、同数の数学者に支持された場合どっちが正しい証明だと思う?
数学論文の査読課程でこんな状況は起きない。
>ちなみに、両方とも相手側の証明の間違いは見つけているが、両方とも相手側は間違いはないと言っている。
間違いがあると分かっているのなら、査読を通らない。
>結局は証明のここの論理は間違っている間違っていないの水掛け論になる。
妄想もいい加減にしろ!
>数学も結局はその時代の大勢で決まってしまう事があるというのが全くないわけではない時点で
お前にこの言葉を教えておこう「科学は多数決ではない」
>>257 お前自分が何も説明してないことにきづいてない?
〜なんてことにはならない!って言ってるだけじゃ水掛け論と同じだってことすら理解出来ないかな。
妄想も良い加減にしろとか、言ってる時点でもうね…歴史的にもお前みたいなのがいっぱいいたから、科学者が死んでから始めて理論が認められる例が数多く存在するわけ。お前みたいな馬鹿がいっぱいいたせいでねw
残念だけど科学は多数決だよ。いつの時代も。もうちょっと勉強してきてから出直そう
>>258 すくなくとも彼の勉強と、貴方の勉強の意味が完全に違っていることを
理解していない時点で貴方もウンコれべるだな。
数覚とは何か?-心が数を創り、操る仕組み
数学好きなら是非とも。
肉中の哲学-肉体を具有したマインドが西洋の思考に挑戦する
哲学好きなら是非とも(出来れば原著で)。
>>258 数学を科学と一緒にするなんて本物の馬鹿だな
つーか、小論文検定のジャンプコース帰って来たんだけど、
何かいきなり6級という最悪の結果になっちまった…
学部卒までには最低でも3級、できれば2級ぐらいは取らないといけないのに、
1回生からいきなりこれかよwww
<講評>
消費税増税に賛成の立場から述べていることは分ります。その理由もあなたなりに
考えていて良いのですが、あまりに独自の意見で、読み手に解りづらい部分や、
表現に工夫が必要な部分もあります。
-中略-
CDはあなた独自の意見ですが、消費税増税賛成というあなたの立場を曖昧にしています。
”そもそも、公的年金や医療保険制度といった社会保障費を、
国民が自分で負担しないといった発想そのものが問題なのだ。(C)
国費の歳出の削減によって財政の健全化を図るべきだとする意見には、
国民のわがままが包含されており、その点、公務員の給与削減の声も
軍費削減の声も、両者通底している。(D)”
これのどこが×なんだよw しかも後の「可及的通時的な」ってとこまで×されてるし。
「可及的」って、普通使うだろ? 役人だって「可及的速やかに」とか「通時的な物の見方が」
とか普通に使ってんじゃねぇか。元老院共は日本語が理解できないのかな?www
バルバロイかよこいつらwww あー胸糞悪ぃ!!!
A公務員給与と軍事費の削減だけに限定して述べず、「歳出の削減」としましょう。
こいつら人の話全然解ってねぇwww
俺が消費税増税に賛成の意見を書いたのは、社会保障を充実させるためじゃなくて、
役人と軍人が甘い蜜吸えるようにという意味で書いたんだっつーの。
役人と軍人は身分相応の厚遇を受けるからその分民衆が働けつってんだ。
こいつらマジ氏ねw
消費税増税は、社会保障のためじゃなくて、役人と軍人の待遇の向上のため。
こんなの常識だよなwww 大阪府職員だって、やる気が出ないからもっと給料
よこせっていつも言ってんのが解らんのかこいつら。
253>>
哲学に進展が、そうあるはずがない。なぜなら考えられないものを考えるからだ。
考えられるものを考えるなんてーのは、意味がない。論理で統べられた世界を論理で推し量っていても論理以外はなにもない!
そのようにして、シカゴ大学の経済学派は失敗したではないのか? だったら誰が責任を取るのか! 答えたら?
失敗はいつも税金注入かよ! 知らない者が責任を取らされているのである! 違いますか?
だから、論理的に正しくとも間違いは多く出る。
たとえば、リチャード・ポズナーは、善悪の判断でさえ、市場原理主義に委ねようとした。これは狂気の沙汰である。
こういう人間を民主主義は生み出すのである。
このスレの核心にほぼ触れるけど、京都大学の学術出版会が出してる
『西洋史を学ぶ』って本に、むちゃくちゃいい事書かれてるよ。
哲学や文学、歴史学、まぁ要するに、「なぜ人文科学を学ぶのか」。
そして、なぜ一般教養(パンキョウ)を学ぶのか(リベラル・エデュケーション)。
俺みたいな凡人がチョロっと抜き出すよりも、実際に蛍光ペンを手にして
線引いて、青ペンなんかでグルグル囲ったりして読んだ方がいい。
”あなたが社会で出会う現実は複雑で矛盾に満ちている。直面する問題も多様で、
解決は容易ではない。その時に、発想を変えることが出来ずに一つの方法に固執し、
硬直した態度を取れば、問題の解決は困難になるし、余計にこじれる場合もある。
だからこそ、大学でいくつかの学問を学んでおくのが大事なのである。”
哲学だけじゃなくて、もっと大枠で考えて、要するに思考方法の基本を学んで、
知性を鍛え上げるためなんだろうな。例えば社会学なんかは、現状分析に優れ、
「新しい」問題を発見するのを得意とするが、他方で歴史的な事件の重みを軽視しがちで、
変化が本質的なものか、表面的なものかを識別するのを苦手とする。
このように、各学問ごとに色んな得意分野や苦手分野、いわゆる性格というものがあって、
テリトリーというものがある。だから、その場合に合わせて思考回路を上手く
チェンジ出来るのがおそらく好ましい。だから大学では、研究者でもない人間に
色んな学問の研究方法を教えるらしい。自分で問題を発見して分析し、解決して、
自分で社会を渡っていけるようにするために。
271 :
考える名無しさん:2010/09/26(日) 00:00:23 O
必須の哲学者は?
272 :
考える名無しさん:2010/09/26(日) 01:02:16 0
自分
何の役にもたたない。
そもそも、役に立つとは何なのか?を問いたまえ、諸君。
てか古典古代は全て大事なんじゃね? 俺もこないだになって漸く気付いたんだけど、
俺も含めて、哲学板の住民って1,2回生が多いのか、テリトリーの狭い奴が多いよね。
そもそも人文科学ってのは人間を研究するもので、社会科ってのは社会を研究
するものだから、アメリカでも主専攻と副専攻があるように、1つしかしない
ってのがそもそも学問の基本的な姿勢として間違えてる気がするし、
もっと大枠で攻めてくべきだと思う。
何か、哲学という最高権力の陰に隠れ、それに固執し、他の学問を批判したり、
本当に読んだのか、そして読めてるのかも分らないような、
難しそうな作品名を挙げてるだけの奴がめちゃくちゃ多そうな感じ。
それで誰かが問い詰めると、出てくるのはwikipediaのコピペ。
>>276 同意だけど、大枠で攻めるって大変なんだよな。
ここで<一冊でわかる>シリーズを愛読してますとか言ったら、
「低脳」とか言われるんだろうな、きっと。
ドゥルーズ読めば近代西洋思想史は大体おっけー
>>279 手を抜かずにアリストテレス、デカルトから読めよw
>>1 >高校生の私に教えてください
>過去の偉大な哲学者の存在を知っても、それがどうして偉大なのか、どういうことが評価されるのか全く分かりません
えーっと、僕もわかりません。
だって2500年くらい経っても偉大な哲学者の一人であるプラトンの考えに対する考えを提出できないんですよ、哲学は。
逆に言うと、僕はあなたが分からないということで、あぁよかったと思っています。
分からないのに分かると思っていることのほうが怖いなぁと思うから。
もしよろしければ、これまでどんな偉大な哲学者を知って、どういうことが評価されていると思っているか教えてくれますか?
それは僕が高校生の頃ほとんど哲学の本を読んでいなくて、あなたのような考えに至らなかったので、
どうしてそのように感じたのかわからないのです。
てゆーか、全体的に、学問って文科省かどっかの、
何らかの意図を含んだフィルタリングを通ってるんでしょ?
そこに、俺らみたいな凡人では考えつかない、官憲の何らかの狙いがあるんだと思うよ。
多分、意図的に古代を中心とした過去の学者を王に祭り上げることに、何らかの意味があるんだと思う。
キルケゴールの『死に至る病』における絶望という訳語はアレで正しいのでしょうか
読んでいるともっと別の言葉ではないかと思うのですが
>>281 わからないものを測る方法を学べ、知識を得るだけの作業では
教科書の領域を徘徊しているだけにすぎない。表記できない類が
存在していることすら知らないんだろう。
哲学を極めるとあらゆる苦痛が消えると聞きましたよ。
確かに心的な負担はほとんど消えますね。
これが悟りというやつですか。
まともな哲学者なんて、一生暮らしてけるだけの資産を親から継いでるとか、
大学の哲学の准教授以上(事実上の終身雇用が与えられる階級)のポストに就いてる
とかじゃないと食っていけないよ。確かに哲学やってると癒されるけど、
そうやって自分の殻に籠ろうとする態度が余計に社会不適合にさせるんだ。
おそらく、絶対的・普遍的な真実というものがあって、それを希求するという
スタンスそのものに問題がある。中島義道は相対論に逃げたくないと言って
他の学問を片っ端から批判し、哲学に固執してるけど、その固執こそが、
余計に、自分を取り巻く様々な問題を悪化させるんだ。
あの人はたまたま、人類の知的遺産を後世に継承していくという、
いわば大学全入時代における最高学府の中枢にいて、貴族として国から
優遇されてたからいいけど、商人や技師のような社会の周縁の人間
(ペリオイコイ)があんな態度取ってら、どんどん社会不適合になっていくよ。
最高学府の⇒最高学府という
固執する態度は最も真理、真実から程遠い姿勢だと思いますよ。
自分にとって都合の悪い真理を受け付けなくなりますからね。
自分にとって都合のいい事だらけの真理なんて全人的じゃないですよね。
社会不適合で偏見な視野しかないのは、つまらない人生だと思いますよ。哲学の意味は無いですね。
てか議論蒸し返すようだけど、やっぱり俺、数学は信用ならないって、
今日期待値の問題やってて、初めて解った。
問題は今手元にないから明示出来ないんだけど、AとBどっちが得ですかって
問題が2題連続で出されて、最初の与えられてた、保証されてた金額は異なっていたのに、
期待値が一緒だからといって、いつの間にか甲のBと乙のBは同じであると、
数学は=で結んでしまっていた。それで講師は、A=A、B=Bとした人間
(期待値計算の出来る人間)を論理的だと言い、俺のような回答をした人間を、人間的だと言った。
でもあれは、あの時は、人が考えてる時に横からギャーギャー野次入れてきて、
講師が答え出した後もブツブツ言ってたウザい奴がいたけど、今になって静かな場所で
改めて考え直してみたら、やっぱり俺の理屈は間違ってなかった。
教授は甲と乙を期待値によって=で結んだけど、あれはあくまで期待値が一緒なだけで、
文章そのものが=ということにはならない。最初に保証されてた金額は、
甲は1万に対して乙は3万。○○%の確立でどうなるという計算を払拭して、
当たればどうなるか、外れたらどうなるかという、簡素な言語経済の原則に従って
判断を下せば、やはり俺の意見が正しいことになる。
保証⇒保障 確立⇒確率
292 :
考える名無しさん:2010/09/29(水) 16:28:26 0
確率。統計は 数学ではないww
経済学は 科学ではない www
293 :
考える名無しさん:2010/09/29(水) 17:38:12 0
>>289 そのレベルの問題を解いたということは中学生か高校生だね?
詳しくは書いてないから解らないが、君の言わんとすることは一方で正しくもあり、
また一方で間違ってもいる。
物事の判断は全て基準=主観に依るものだから一概には何とも言えないが、
全ては定義次第で変わるからね。
話を蒸し返してみる
30 :考える名無しさん:2010/09/14(火) 22:44:21 0
>>27 そんなのほとんど知らんわ でも、哲学に否定的じゃないけどね
だって、学問の起源なんだろ 特に数学とかすごいと思うわ、超哲学的だよな数学って
33 :考える名無しさん:2010/09/15(水) 00:06:56 0
>>30 数学は哲学的じゃないよ。数学は「もし〜」という前提のもとで
判明な推論を為す学問だが、哲学はそもそもそれが存在するのかどうか
といった分析をするものだから。
34 :考える名無しさん:2010/09/15(水) 00:19:50 0
>>33 マジで? 昔の哲学者が数学の公式を哲学してたって読んだんだが。
後、テレビで学者が数学は哲学の王様って言ってるのを見たし(テレビを鵜呑みにする気はないが)
35 :考える名無しさん:2010/09/15(水) 00:25:17 0
哲学も「もしそれが存在するとしたらどういった状態で存在するのか」といった命題をでっちあげることもできるだろ
46 :考える名無しさん:2010/09/15(水) 12:40:34 O
>>34 アルチュセールは数学からプラトン哲学が出来たといっている。
数学は哲学のひとつでおk?
多くの大天才が哲学に挑んでも決定的な結論が出せず
謂わば中途半端な偉業のようなところでみな力尽きて終わった。
哲学書を読み、大天才でもこの程度かよ・・・
・・・と馬鹿のくせに上から目線で見ている俺の傲慢さにうっとりとしてしまう。
関係ないけど、中島義道が「現在の日本の大学の哲学教育は、哲学を教えていない」
って言ってたから、大学のHPとか見て、人間科学部とかで哲学教えてんのかな
って勘違いしてたけど、実は人間科学部ってとんでもなくヤバいとこだったんだなw
科学はフランス語で人間科学を意味し、すなわち社会学・心理学・民族学・
文化人類学と呼ばれている。これら人間科学は、姉である古い経済学に
付け加えられるようになり、これら全て、「社会科学」の名のもとに一緒にされてるらしい。
そして、このことを人間科学部の学部生ですら知らない。
自分が何を学んでいるのか全然解っていない。
もしこのまま何も知らずに人間科学部に行けば、俺は経済学の傘下になっちまうとこだったのか…
そんなの恥晒しもいいとこじゃねぇかwww マジでアリエス読んでて助かったwww
社会史って何なのか、大学は端的にしか教えてなかったけど、あれがどういう経緯で
成立したのかもやっと解った。人間科学は社会史から生まれたが、その親の社会史そのものが、
実は王侯貴族に重心を置いた伝統的な歴史学と対立する、大衆を研究するものらしい。
大衆の哲学なんて誰もやりたくないよな、ぶっちゃけwww
ちなみに、中島義道がどっかで言ってた、味噌ラーメンをを注文して、
店員が持ってきた時には既に気分が変わってて醤油ラーメンが食いたくなってたってのは、
あれは「心性」の哲学と言うらしい。
リュシアン・フェーブルが、かつてある逸話に言及したことがある。
ある朝のこと、フランソワ1世は、情人のしとねを離れて密かに自分の城に
とって帰ろうとした。お勤めの鐘が鳴った丁度その時、彼は教会の前を横切った。
すると彼はそこで立ち止り、ミサに参加し、敬虔な態度でお祈りをした。
これを、@「フランソワ1世は、自分が今犯した罪を神に謝罪する意味で祈ったのだ。
ネコかぶりなしには、夜の罪人と同時に早朝の信心家ではあり得ない。
彼は常識人、つまりドストエフスキーなどは読まず、フロイドを信用しない、
重罪裁判所の長官・陪審員のような人間としてふるまったのだ。人間には道徳的統一がある。」
と解釈するのが古典的歴史解釈。
一方、「王は、情人のしとねに入るのと同じおうな無邪気な気持ちで入ったのだ。
フェーブルがその根拠として挙げた1例で、フランソワ1世の姉マルグリッド・
ド・ナヴァルが、際どい小話を集めた『七日物語』と霊的詩集『罪深き魂の鏡』を、
立て続けに、まことに平然と書きあげていたように、人間には道徳的統一性がない。」
と解釈するのが、心性史家的解釈。中島義道や深層心理学なんかはこっちの部類に入るらしい。
「どっかで」「らしい」
哲学板でも社会不適合になってきた俺は、もう完全にぼっちだな…
何か色んな哲学板で、哲学vs数学、哲学vs科学とやたら権力闘争や縄張り争いが
頻繁に行われてるようだけど、興味なくなってきた。
それよりも、冥王代を始めとした先カンブリア紀の地球、カンブリア紀の大爆発や、
カンブリア紀末・オルドビス紀末・二畳紀末の生物大量絶滅(二畳紀には無脊椎動物の
96%が死亡)、シボン紀・デボン紀の魚類時代や石炭・二畳紀の大森林形成
(種子シダ植物時代)の生命の進化のドラマの方が興味湧いてきた。
以前、歴史には何らかの法則があるんじゃないかって言った時、誰かが
「生命の進化論が関わってる」的なこと教えてくれたけど、やっぱり俺は、
カンブリア紀末・オルドビス紀末・二畳紀末、白亜紀末の生物の大量絶滅には、
生命進化の何らかの物自体の法則が働いているのではないかと思えてならない。
生命誕生におけるオバーリンの学説や、藻類の増加によるカンブリア紀大爆発など、
そんな食物連鎖だの何だのの仮説はごくごく一面的な見方に過ぎなくて、
歴史にはもっともっととんでもない法則、何らかの「意志」が働いているように思える。
ヘーゲルの歴史観は、もしかしたら間違っていなかったのではないか。
古生代辺りの、地球環境に適合出来るようになるための、生命の出現と絶滅の
繰り返しはもちろんのこと、白亜紀に隕石が吹っ飛んで来て、恐竜がみんな
死んじゃいましたってのも、多分あれも全て必然なんだと思う。
俺が生まれて来たのも、そして死ぬのも、道端で道路歩いてる他人が、
いきなり突っ込んできた車に跳ねられて死ぬのも、全て必然なんだよきっと。
ニーチェは「偶々だ」って言ってるけど、あれはどうだかねぇ…
ミシェル・ヴォヴルも言うように、近代化に成功した、ヨーロッパや日本の
現代人の感覚が異常すぎるんだよ。病人は死に場所としての病院に追いやられ、
商品化が進んだ葬儀は、極めて機械的なものとなっていて、死はほとんど存在しない
かのように、売買される商品のひとつに過ぎないように思いなされている。
人間が神を殺してしまったがために、このような状態を招来したんだろうきっと。
そして外に出れば、本当に死が存在しないがごとく、民衆たちはあくせく働き、
都会の喧騒が猛々しく鳴り響いている。こんな喧しい環境に身を置いていては、
そりゃ誰だって、自分が、無限の時間、生命進化の過程の上に立って、
しっかりと生きているってことを忘れてしまうだろうな。
×ヴォヴル ヴォヴェル
日本人も、縄文時代なんかは、死体をお菓子みたいにボキボキに折って
埋めてたけど、それを「幽霊なんざ存在するわけないだろがw」
と笑うのは俺ら現代人の感覚であって、
あの時代の人間からすれば、普段は科学 科学と喧しく言うくせに、死に関する時だけ、
みんなで声を揃えて、天国に行ってもどうのこうの、とてもいい人でしたとか、
大ウソのオンパレードを並び立てる文化の方がよっぽど気持ち悪いよな。
死の存在を無理やりに見ようとしないで、科学技術によって生者必滅の理すら
支配してしまおうと現代人は考えている。病人を病院に隔離し、死んだ人間を天国に隔離し、
どこまでも人間のありのままの姿というものを否定するんだな。
今際の際は、家族に見守られながらどうのこうの、そんなものは何の意味もねぇんだよwww
死とは言ってみればトランプゲームのジョーカーのようなもので、
どうやったって逃れることは出来ず、インチキが通用しないんだから。
死は全てを吹き飛ばす絶対的な威力を持っている。
民衆は、どいつもこいつも、ここを直視しようとしない。
みんな言ってることはなかなか面白いんだが文章力が無いな
304 :
考える名無しさん:2010/10/02(土) 19:02:15 0
文章力がないというか、脳みそがない奴がウザい。
「www」とか「ぶっちゃけ」とかふざけた文体のくせに
3行以上も読んでもらおうという傲慢さ。
普通以上の脳を持った人間なら、
2chでは3行くらいにまとめるのがいいと空気を読めるものだが
もう少し読み進めてみたけど、やっぱ隕石が衝突しなくたって、
結局は変温動物である恐竜は淘汰されて、恒温動物が台頭する運命だったんだな。
306 :
考える名無しさん:2010/10/02(土) 19:15:05 0
>>1 >高校生の私に教えてください
>過去の偉大な哲学者の存在を知っても、それがどうして偉大なのか、どういうことが評価されるのか全く分かりません
昔こんなことを考えた暇人がいたってことだよ(笑)
役に立つ発明も、人命救助も、大儲けも、人を楽しませることも結構だが、それもまた偉大なりと(笑)
でも人生を真剣に考えるマジメ過ぎるタイプにはそれなりに感激を与えるものではあるよ。
昔はそんな学生が結構たくさんいたんだよ。今と違ってね(笑)
307 :
考える名無しさん:2010/10/02(土) 21:39:07 0
>>1 役に立つかどうか、なんの役に立つかを考えるのは君次第じゃない?
「哲学」ってのは道具なんだから。
携帯が何の役に立つかって訊いてんのと同じだよ、その質問って。
>>307 道具っていうのは目的があるから存在するんだよね。
哲学の目的って何?
目的論とは哲学だから、哲学で哲学してる
310 :
考える名無しさん:2010/10/03(日) 06:04:11 0
▲
▲▼▲
▲▼ ▼▲
▲▼ ▼▲
▲▼ ▼▲
▲▼ ▼▲
▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼
▼▲ ▲▼ ▼▲ ▲▼
▼▲ ▲▼ ▼▲ ▲▼
▼▲ ▲▼ ▼▲ ▲▼
▼▲ ▲▼ ▼▲ ▲▼
▼▲▼ ▼▲▼
▲▼▲ . ▲▼▲
▲▼ ▼▲ ▲▼ ▼▲
▲▼ ▼▲ ▲▼ ▼▲
▲▼ ▼▲ ▲▼ ▼▲
▲▼ ▼▲ ▲▼ ▼▲
▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲
▼▲ ▲▼
▼▲ ▲▼
▼▲ ▲▼
▼▲ ▲▼
▼▲▼
▼
これってどういうこと?そんな疑問を考えるのが哲学
312 :
考える名無しさん:2010/10/03(日) 08:03:18 0
これから大学の通信教育で哲学を習うのですが、哲学を学習する前に習得しておくべき知識はどのような科目でしょうか?
レベルが分からんけど初学ならとりあえず世界史
哲学といえば歴史哲学だよな。歴史を考究することほど、高尚で面白いものは
他にないと思ってる。宇宙史147億年の歴史や、地球史46億年の歴史、
ハッブル宇宙望遠鏡なんかでリアルタイムで覗き見ることの出来る、
遥か何十億光年離れた別世界、何十億年前の宇宙の景色や、
化石なんかを基に形作られた恐竜時代なんかに思いを馳せる方が、
現代思想のエッセイストたちが垂らしてるような、民衆や学会の愚痴なんかより
ずっと楽しいよ。政治の話や日本経済の話を真面目にされても、
ぶっちゃけ全然面白くないし、読む気失せる。文化史とかの方がまだ1万倍面白い。
gffghdkhlじょ:;hlkj
316 :
考える名無しさん:2010/10/03(日) 20:55:19 0
____
/∵∴∵∴.\
/-=・=-∴-=・=-i
/ \
(_ ) ・ ・ ||
|::::/ ◎\: .|
|:: | ト‐=‐ァ' |:| 運知思想じゃろ?
|:: | ` `二´' |:|
____/⌒``ヽ ,,ー‐,, "⌒ヽ____
|____し'⌒/ . . /"⌒し′__|::|
|____( /_______|::|
|____/⌒ ヽ、 /______|::|
|____しイ"i ゛` ,,/.______|::|
l二二二二二二 l |二二二二二二二二l__:|
| |::| | |::| し′ | |::| | |::|
|_|;;| |_|;;| |_|;;| |_|;;|
317 :
考える名無しさん:2010/10/04(月) 05:26:01 0
やはり俺の予想は当たっていたようだ。今さっきニュースでやってたけど、
ちょうど今この時が、白亜紀以来の大絶滅時代真っ只中らしい。
トータルで1万7千種。恐竜時代を超えるスケールらしいよ。
歴史の法則すげぇwww これが物自体の「意志」の力ってやつかwww
アムールトラとかイリオモテヤマネコとか、いろんな動物が絶滅の危機に晒されてるらしい。
319 :
考える名無しさん:2010/10/04(月) 07:35:10 0
今回の予選落ちが退場になるってこと?
じゃあ逆に色々な動植物が爆発的に進化繁栄する時代が直ぐそこに迫っているのも予見できるね。
322 :
◆.kdMLq7A62 :2010/10/04(月) 17:51:40 0
#[[}ッ+惑87
323 :
考える名無しさん:2010/10/06(水) 03:58:42 0
324 :
考える名無しさん:2010/10/06(水) 18:11:44 0
>>1 <魂>の自己陶治、あるいは<世界>の遠近法を知ること。
325 :
考える名無しさん:2010/10/06(水) 18:14:36 0
×陶治→陶冶(とうや)
ぼんくらの役には立つ
327 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 15:17:39 0
>>323 他人の死(体)は存在するが自分の死(体)は認識できないね。
意識の消失点として死があるだけだから。ただ睡眠中に何らかの
原因によりそのまま死んでしまうのと、重い病気で長い期間苦しみ
そのあと死ぬ場合では、<死>の恐怖という情念において差異が
あるとはいえる。どちらにしろ不可知である自己の<死>は想像
力で埋めるほかないもの。つまり宗教より哲学は役に立ってないw
328 :
考える名無しさん:2010/10/08(金) 17:47:59 0
時代が哲学に追いついてない
科学は発達しても目的に対する思考の組み立て方や倫理の必要性が全く分かってない
真実を追及する人間を侮辱する詐欺師だけが得する無法地帯
>>328 クリトンに「大衆を賢くしたり愚かにしたりすることはできないからなんだ。
大衆がやることは、単に偶然の結果に過ぎないんだよ。」(引用青空文庫)
ってのがありますね。
330 :
あふぉ:2010/10/08(金) 21:06:10 0
>>328 たしかに時代が〜と言った漠然とした言葉を使ったり
何に対して無法地帯と言っているのかなど
あなたの主張はまったく分からない
そりゃ哲学徒だからな。哲学科は一部を除いたら歴史に関しては門外漢じゃん。
>>328は17世紀科学革命以降と近代合理主義の相関性を論じたいんだろうけど、
そこから先は歴史家の仕事だろ。
具体例のない空漠とした主張が、論文の世界では問答無用で赤線引かれて
×されるのは常識だし、哲学科(一部を除く)がこういった思考法を
大の苦手とするのも自明。史料の扱い方が全然なってない。
333 :
考える名無しさん:2010/10/09(土) 15:31:57 0
>>308 >道具っていうのは目的があるから存在するんだよね。
「目的」が「道具」そのものに内在してると考えるのはプラトン的な考えだね。
例えば柄杓は水を汲むためだけにあるわけじゃなくて、使いようによっては
つっかえ棒にもなるし、人の頭を叩くこともできる(それだって「道具」だ)。
プラトンの好きな「机」だって、踏み台として使われることもあれば
バリケードになることもある。
特定の「目的」と特定の「道具」が一対のものだと見るのは物の見方として狭いと思うな。
屁理屈のように聞こえるかもしれないけど、実際の世の中で行われてることだからね。
考えすぎと思う。
335 :
考える名無しさん:2010/10/09(土) 17:41:00 0
>>333 そうそれだよ。目的は道具に内包されているというプラトニック。
漠然とした目的を持ったとき道具という名の陰関数を思い浮かべている。
飲料水を飲む目的があるなら、それは店という関数の中に、
物体に強い衝撃を与えたいという目的は、高いビルの屋上のポテンシャルという関数の中にある。
しかし、この考えは目的が生活世界に溢れるほど多くの道具の陰に隠れるもので、
コンピュータのように演算しながら合致する条件を検索するようなものだ。
人間はそんな思考を巡らせながら生命活動ができるほど賢くはないと思う。ここで一案唱えるが、
目的への欲望でページランクのように概念の主観的イメージが構成されていくなら、
自動的に目的を解決していく精神構造に特化された遺伝的アルゴリズムのようじゃないだろうか。
336 :
考える名無しさん:2010/10/09(土) 17:51:08 0
哲学そのものは何の役にも立たないが、問い続ける姿勢は社会で十分に役に立つ。
337 :
考える名無しさん:2010/10/09(土) 21:50:23 0
問い続ける姿勢は哲学の専売特許だと思ってるバカが多すぎる
338 :
考える名無しさん:2010/10/10(日) 16:04:19 0
【学問】(がくもん)名詞 学問をすることの最大の動機は「自分が楽しむため」であるということに気づかない馬鹿は学問の道に進んではいけない。まわりの人にとって迷惑である。
(「あのんの辞典」より引用)
数学の哲学について本格的にやってみたくて、20世紀の哲学史やってみたんだけど、
ゴットロープ・フレーゲもバートランド・ラッセルも、入門書だからだろうけど、
俺が普段考えてるようなことしか結局載ってなかった。
数学上のあらゆる証明は、証明されていない前提から始まるからどうのこうの、
ラッセルのイギリス経験論によればどうのこうの、彼らは数学や科学に確固たる
基礎付けをしようとしたが無理だったとか、言語分析学者によれば、論理実証主義者は
あらゆる発話形式に科学的基準を押し付けようとする誤りを冒したとか、
ブライアン・マギー教授は理系の悪口ばかり選択的に並べ立ててるような気がする。
で、一方では、哲学的に問題となるのは、ある言説の方法に適切な発話形式を
間違った状況で使用した時に起る概念上の混同であり、哲学者のやるべきことは、
規準として日常言語を使用しながら、そのような混同を解すことにあって、
その混同がどうして起こったのかを提示できた時、問題は解決したというよりも
解消したといえるだろうとか。哲学の課題とは、隠れた意味を白日のもとに晒すために
言語形式を論理的に分析することにあるのだとか、やたらに褒めちぎってる気がしてならない。
書いてることは概説的なことばっかで、具体例が全然ない。
俺が知りたいのは、こんな重箱の隅をほじくるようなものじゃなくて、
例えば数学は、土地の値動きは瞬間変化率を求めることによって予想出来ちゃう
とか言ってるけど、こういったものを、完璧に前提から破壊しちまう方法とか無いかな?
ティモンかヒュームか誰だか忘れたけど、f(1)=2, f(2)=4だからって、
f(3)=6となるとは限らない。f(1)=2, f(2)=4, f(3)=10000000000000000000000
になるかもしれないみたいなこと言ってたけど、これは流石に小学生が言って来そうな屁理屈。
ティモンにしてもヒュームにしても、中島義道にしても、
哲学者という生き物は、屁理屈を捏ねてるだけにしか思えなくなってきた。
哲学の教科書で、確か丸山眞男は哲学者じゃないとかいって、
「先生は敗戦の時どんな気がしましたか」と聞かれてしみじみと答えるような奴は
哲学者じゃない、「そもそも過去なんて存在しないんじゃね?」みたいなこと言う奴が
哲学者なんだとでも言いたそうだったけど、ただああやって屁理屈を捏ねては、
成功者を片っ端から嘲笑の的にして、自分が周りの人間を僻んでるのを隠してるだけじゃないのか。
ハーヴァードのマイケル・サンデル教授の白熱講義NHKでやってたけど、
ぶっちゃけあっちの方が遥かにレベル高いよな。ソクラテス並に産婆術巧かったし、
使いこなせる語彙力も神。
仮に中島義道のあれが本物の哲学だというなら、俺だってマイケル引用して書けるよ。
「マイケル教授は広島の原爆投下についてどう思われますか?」
「これは20世紀の歴史の中で、最も悲惨な出来事だと思いますが〜」
とか引用してきて、「そもそも20世紀は存在するんですか?」とかホザいてんだろあいつ。
東大出だから絶対見てるよ。
長い
343 :
考える名無しさん:2010/10/11(月) 22:18:52 0
哲学をするより身体を動かしていた方がよほど健康的な人生になるきがします。
344 :
考える名無しさん:2010/10/12(火) 00:11:17 0
なぜか文系が発想力豊富で理系がその論文を引用して理論化するっていう固定観念があるよな
理系はそのなかだけで上手くやってるけど文系はただ罵り合って権威剥奪合戦してるという実情を背景に
まぁ気にスンナ
345 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 14:26:03 0
哲学を捨てきった時に哲学してきた意味を知る。
おまん
時代が時代だから、色々と翻弄され易いんだけど、本当にヤバい時は、
一度落ち着いて、部屋の電気を消して、本棚の奥に依然としてひっそりと佇んでいる
岩波文庫を眺める。別に読まなくても、眺めてるだけで、古代のギリシャやローマ、
エジプトなんかが確かに存在したんだってことを思い出せるし、自分が時間の中で、
歴史の中で、人生を生きてるってことも思い出させてくれる。
それだけでも十分哲学は役に立つと思う。
学生の頃、毎日のように頭を悩ませていた、あのプラトンとアリストテレスの、
唯名論と唯物論の論争、デカルトやライプニッツ、ロックやヒュームの
大陸合理主義とイギリス経験論の論争、そしてカント・ショーペンハウアー哲学を、
大人になっていつか忘れて、そして再び思い出す時がきっと来るはず。
遥か3000年前に、古代エジプト文明は既に区分求積法が開発され、ギリシャ時代には
Σ計算を編み出して使いこなしていたという事実。昔の非文明国だからといって
侮ってはいけない。ごく一部とはいえ、ぶっちゃけそこら辺に転がってる現代人より
遥かに賢いよあいつら。
そういや世界遺産検定の棚で買ったDVD-BOOKS「NHK世界遺産100」でも、
古代ローマの水道橋に使われた土木建築とか紹介されてたの思い出した。
あれは確か、ボンドとか釘とか全く使わず、ただ単に重ね合わせてるだけらしい。
互いの重みのバランスのみで成り立っているんだと。
349 :
考える名無しさん:2010/10/13(水) 23:09:36 0
お前ら全員ひきこもりだろ
みんな視野が恐ろしく狭いよな。おそらく子供か、底辺社会の大人かと。
もし大人なら、こんなんでよく社会を生き抜いてこれたなと逆に関心する。
社会はどこまでも複雑で矛盾に満ちてんのに、間口は哲学史しか無いわ、
数学論理学の計算できないわで、今世間に放り出されたら、俺絶対死ぬwww
まずは古代〜現代までの歴史の間口(視野)50倍ぐらいに広げて、
各歴史分野から具体例を自由にピック・アップして推論に運用出来るように
なってからじゃないと、社会を生きていける自身がない。マジで。
自身⇒自信
>>1 今、論理哲学論考を写経してるんだ理詰めの勉強になるよ。
何かの役に立つことがあると言えるのだろうか
医者がどんなに助けようと人はいずれ死ぬ。どんなに発達しようと文明はいつか滅ぶ
最後に残るのは虚無だ。虚無は無意味・無価値であり、役に立つという概念は存在し得ない
役に立つという概念は、得になるという概念であるが、これはしばしば価値の保証として使われる
つまり、何かの役に立つから価値があるという考え方だ。逆に言えば、何かの役に立たねば価値が保証されない
だから>1の質問にはこう答えるべきだろう。「価値を保証する物は無い」と
355 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 23:04:01 0
虚無であることを知る、事はそれなりの意味がある
356 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 23:21:42 0
哲学は、よき人生を送るための知識だと自称していきたが、本当に役立つか否かは不明。
357 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 23:31:49 0
人間には知る能力と集中力意外にもう一つ
考える能力が存在する、
その能力全てを揃えている人間は存在しない、
科学者や政治家が選ばれた人物から成り立つ以上に、
哲学には途方も無い才能が要る、
【思考する】この方面での天才だけが哲学者となることができる、
つまり今君達が見ている現実世界は【矛盾】の塊なのだ。
その矛盾を思考によって解明することで真理に至ろうと言うがくもんであるわけだ。
引き合いに【悟り】と呼ばれるものも本来的な意味で哲学的なものだ。
あの科学も何もない時代に釈迦やキリストは哲学によって現代まで信仰される思想を生み出したわけだな、
358 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 23:33:15 0
全ての学問を統べる存在、
それが哲学ですよ。
>>350 いよいよ完璧にだまえらがらくなってきたようじゃな?
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
積分法、行列式、四則演算計算機の発明者のライプニッツが日本で知られてないのはなぜだ
エジソンなど霞んで見える、ニュートンやアインシュタインに並ぶ天才だろ
そのアインシュタインの相対論もフーコーの光速度の測定実験があればこそだ
0から発見できる哲学者は織田信長なんかの1000倍は天才なのになぜか評価されないという
日本ではこんな扱いばかりだな
ライプニッツはドゥルーズのおかげで、スピノザと共にメジャーだべ
>>1 「自分の」知性をよく働かせるのに役立つ、とは云えるのではないか。
哲学がヘリクツだというのは分からなくもない。ではなぜ素人にも問え
る問題に明瞭に答えることができないのか、という疑問が残ります。
知識(あるいは知性)とは何か、という根源的問いを突き付ける強さ
が哲学の伝統にあるからこそ、西欧近代のテクノロジーは今日まで
発展できたといっても過言ではないとおもいます。
俺は日本に関しては教科書知識レベルの話しかできないけど、
教科書に書かれてないことで、日本の古代人もエジプト人に負けてないぞ
って感じの業績とかないかな? 日本思想史とか専攻してる奴でもいれば…
ただの俺個人的な偏見だと思うけど、なぜ日本人はああも阿呆なのか。
鹿の骨を焼いて吉凶を占う(笑) 熱湯に手を入れさせて、手がただれるか
どうかで裁判の真偽を判断する(爆) A.D.にもなってこれかよwww
熱湯に手入れたら誰だってただれるに決まってるやろwww 熱っちゃーーーー!!!
日本史の教科書では確か、マンモスだのナウマンゾウだのを追って大陸から渡ってきて、
新モンゴロイドと古モンゴロイドの混血がどうのこうの(混血説)って
確か教えられたけど、史料事典によれば、もっと色んな説があるらしい。
現代日本人の祖先は縄文人などではなく、実は弥生時代以降に大陸から新しい文化を
担って渡来してきた人々なんだ(人種交替説)、アイヌから渡ってきたんだ(アイヌ先住民説)
って唱える学者もいれば、逆に縄文人とそれ以降の弥生・古墳時代の人々との体質的な差異は、
狩猟採集経済を基盤とする生活と、水田農耕に基礎を置く生活に起因するもので、
別に日本人の体質を一変するような混血なんてねぇよ(変形説)って考える学者もいるらしい。
日本人がなぜアホなのかというテーマを追求するならば、
どうしても日本人の形成過程の考究を避けて通ることは出来ない。
人種的なルーツより環境的な要因を考えた方がより真理に近付けるような気がするけどな
>>341 本物の哲学者は「敗戦の時どんな気がしましたか」の質問に対して
「別段いつもと変わるところはありませんでした」と答えるかもしれない
大昔のエジプトインド文明もみんなが頭良いわけでなく、一部に天才が産まれて、影響力を持っていたんだろうね。
大昔の日本ではそういう天才が産まれなかっただけで平均的な知能はそんなに変わらないと思う。
苦しいときの天才頼みということわざがるように、大昔の日本はエジプトみたいにそんなに苦しくなかったんじゃないかな。
>>366 メルロ=ポンティとサルトルの往復書簡を思い出しましたw
369 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 20:49:19 0
さて、寝言は終わりにして
そろそろ何の役に立つか答えようよ。
370 :
哲学者:2010/10/17(日) 21:45:58 0
世界の創造
秩序の維持
高等なコミュニュケーション
国の成り立ち
凡人には理解できないところで神にも等しい立場にある学問だよ
371 :
哲学者:2010/10/17(日) 21:52:45 0
占い
占星術
予言
全て哲学者が凡人には理解できない【秩序】から見出し普及させたるもの、
道徳、人権、経済、これ等の世界の根幹となる概念を作ったのも哲学、
哲学が秩序を齎さなければこの世は地獄と化す
372 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 22:08:05 0
社会が成熟して安定してるときには哲学でいちからかんがえなおすのは害悪。
革命期に力をもつ。
373 :
哲学者:2010/10/17(日) 22:14:15 0
例え安定していても【言葉】で伝えられる事には限界があるから、
哲学者の意図に反して世の中は過つ
その過ちに言及できる哲学者は例えどんな安定した時代にでも必要
374 :
哲学者:2010/10/17(日) 22:29:55 0
ホントの哲学者なんて一生国に食わせてもらって、露ほどの秩序を生み出すのが関の山だった。
でもその露のおかげで世界は平和にある事が出来る、それは忘れてはならんし、
その露が当然の心理だと自分で考えることを人がしないようになると世界は進歩しなくなる、
もともとが選ばれた天才の学問だけどね。
既存の哲学への依存の結果生じた歪みが世界を人間を蝕んでいるこの時代、
もしかしたら一からいっぺん造りなおせるならそうしたほうがいいんじゃないかな?
それができるのは科学者ではないよ
哲学者だけだよ
375 :
哲学者:2010/10/17(日) 22:35:56 0
科学的な天才というのも哲学的才能のある天才だ。
例え科学が地位を占めるとしてもその科学の中でも
大きな存在となるのは科学哲学だとおもう。
哲学が時代遅れだなんてたんなる凡人の驕りに過ぎない
376 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 22:44:46 0
現代の法治国家を支えている哲学は社会契約論、そこから導かれる民主主義、自由主義のみ。
そのほかのもろもろの哲学はあってもなくてもかまわない。社会全体の同意もえられない。
377 :
哲学者:2010/10/17(日) 22:49:56 0
あっても無くてもかまわない?
なら君はこの世界がかつてのように混沌に飲まれてしまい
有象無象の鬼や魔物が蠢く様になってもいいというんだね?
378 :
哲学者:2010/10/17(日) 22:54:10 0
混沌が人間を飲み込めば人間と魔の境目があいまいになる、
現に今の世では当たり前に【自分が何者か解らない】と言う人が沢山居る、
このバラバラの世界は一つにならなければ成らない
一つにならなければ
人が沢山死ぬでしょう
魔界から魔物が訪れ、人を食らうでしょう。
379 :
哲学者:2010/10/17(日) 23:02:13 0
民主主義も自由主義も生きず幸福実現党などと言う意味不明なものがあってもですか
国民に高尚な哲学無しにして国は決してよくならない
なぜなら民主主義なんですから
380 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 23:05:55 0
>>有象無象の鬼や魔物が蠢く
天候や災害や病が理解できず、コントロールできずにおそれてたから
そういう世界観になってたんじゃないの?
いま哲学しらんやつがそう思わないのは科学技術のおかげ。
そういう意味では科学を強固なものにする科学哲学や分析哲学は必要。
ドイツ観念論や現象学、神学は不要。
381 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 23:20:57 0
「このバラバラの世界を一つにする」体系的な哲学(ヘーゲルのような)
は、考えるのは自由だがそれを社会にもちこむと全体主義におちいる危険がある。
いまの社会を革命により根本から全体主義的にくみなおしたいなら哲学体系は必要。
382 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 23:21:07 0
科学哲学も必要ないよ。
バリバリの科学者で、科学哲学やってる物好きなんていない。
自然と自然科学への畏怖があればいい。哲学はいらない。
383 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 23:38:28 0
>>382 科学者はよくても、哲学屋やら宗教屋から科学についてうだうだ言われたときに
それから科学を守ってやる必要はある。だから科学哲学くらいはあっていい。
あとはいらん
384 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 23:40:34 0
>>381 そしていまの成熟社会で体系的哲学もちこんでそんなリスク冒したいやつはいない。
385 :
哲学者:2010/10/17(日) 23:49:23 0
成熟してるなんてのは夢幻だよ。
この世は所詮哲学者が一夜の眠りの中で見てる夢なんだから
386 :
哲学者:2010/10/17(日) 23:56:49 0
心理とは矛盾の塊で、構図で表せるような単純なものではない、
科学で脳の部位がわかって活動がわかった所で、それがどういう仕組みなのかと言う
最終的な考察は内観の哲学の領分だ。
哲学と心理学は未だ一体であるべきだ。
心理学の祖は哲学者なのだから、
魔物=自己を失った人
特に心は言葉で表現してもわかりにくいものだから、哲学は要る、
哲学にも才能が要る、かつての哲学を洗いなおそうと思えばそれを超える才能が要る
そういう哲学的資質を持つ人間が少ないだけ、
哲学と哲学学は違うから、哲学には体系なんて無い
387 :
哲学者:2010/10/18(月) 00:03:08 0
ようは宗教と宗教学の違いみたいなもの、
心は難解だが一つ言えるとすれば、何者かを決めるのは尊厳だということ、
平等平等といいながら尊厳の定義が曖昧過ぎるから、時に尊厳の定義を履き違えた狂人が現れる、
もっと人間の尊厳と言うものについて深く考えることが今の世では何よりも必要、
388 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 00:06:24 0
>>このバラバラの世界は一つにならなければ成らない
>>哲学と哲学学は違うから、哲学には体系なんて無い
矛盾しとらんか?
>>この世は所詮哲学者が一夜の眠りの中で見てる夢なんだから
勝手に夢みる分には自由。社会や一般人まで哲学的夢の境地にいたる必要はない。
なにいってもむだか
389 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 00:19:55 0
>>科学で脳の部位がわかって活動がわかった所で、それがどういう仕組みなのかと言う
最終的な考察は内観の哲学の領分だ
自然科学(脳科学)では心はわからんが、内観心理学という科学ならこころそのものの
研究ができるだろう。科学とは、万人が経験する現象について考察し、その結果を実験
・観察で再確認することだ。外的現象(脳)ではなく内的現象(心、内観)を対象にした科学
もあるんだよ。
390 :
哲学者:2010/10/18(月) 00:29:01 0
>>388 道徳や人権、果ては犯罪に至るまで哲学者の作り出した概念であってもか?
>>389 心には矛盾しかない、例え根拠が無くても仮説を立てて破綻して仮説を立てて破綻して
その繰り返し、そういう矛盾の追及こそ哲学者の領分、哲学的素質の無い科学者の出る幕ではない
391 :
哲学者:2010/10/18(月) 00:44:19 0
この世の真理たる心を探究するのは
神にでもなった気がするよ
心という物すらも哲学者が作った概念、それが揺らいだら世界は終わるでしょう?
私は世界の終わりを望む哲学者
392 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 00:58:56 0
>>仮説を立てて破綻して仮説を立てて破綻して
その繰り返し
科学者はみんなそれを毎日やってるが?
>>心には矛盾しかない
その前提も根拠ないし、
>>道徳や人権、果ては犯罪に至るまで哲学者の作り出した概念であってもか?
人権の概念は社会契約論からきてる。だから社会契約論の思想なら現代にも必須だが
あとはいらんといってるだろ。
393 :
哲学者:2010/10/18(月) 01:02:14 0
↑愚民の典型
394 :
哲学者:2010/10/18(月) 01:07:21 0
家庭、仲間、生活の基準、衣食住、強姦、暴力の犯罪化、全部哲学なんですけど、
あ、結婚も離婚も宗教すら、全部要らんのですか解りました。
隣人にナイフで刺されて死んでください、誰かが悲しむかさえ定かではありませんが
395 :
哲学者:2010/10/18(月) 01:08:50 0
あ、悲しむか解らないというのは哲学が無い場合での話であなたの人格否定ではないですよ。
あしからずーーー
396 :
國武:2010/10/18(月) 02:32:23 O
↑キチガイの典型
397 :
哲学者:2010/10/18(月) 02:37:48 0
哲学者は常識に囚われていられないですからね。哲学は常識を洗いなおすようなもんですから、
意外と実生活では常識人ですよ。
ただ思想は自由でしょう?
ルールは守ってるんだ。
人の心というのは言葉で言ってわかるものではない、
自分で考えるしかないんだ。
だから自分で考える能力に優れた哲学者は心理学そのもの、
つまりは心理の神
398 :
哲学者:2010/10/18(月) 02:43:43 0
思考力、
只この一点の能力について、学校では注目されぬが故に、
人の気持ちが解る人間は秀才でないことが多い
秀才であることと思考力があることは同一人物ではありえないからだ。
才能が要るんだよ。
物凄い才能がね。
この世は哲学者の見ている夢
その夢を覚ますことができるのは
哲学者だけだ
399 :
哲学者:2010/10/18(月) 04:07:27 0
哲学が心を生み出した。
だから哲学を有り難がらないといけない、
哲学が法を生み社会を作った。
だから哲学は有り難がられないといけない、
哲学が命を作った。
だから哲学は有り難がられないといけない、
哲学が無ければこの世は未だ地獄の真っ只中だ。
今の人間はそんな事すら忘れている、
秩序があることを当然だと思っている、
だから
世界に精神病が蔓延し人は皆狂ってゆく、
感謝を忘れ、生きる意味を考える事が馬鹿らしいと、
誰もがそう思うようになった。
哲学が無ければ人は絶対に解りあえない、絶対に許しあえない、
そこにあるのは血みどろの地獄、本当の魔界、
怪物が現れ世界は終わるのだ。
もう此処にはきません。
哲学は、一部の有能な学者だけに行うことを許されたものではなく、
毎日競艇場に通う、月に1度も風呂に入らないその日暮らしの中年おじさんでも
親殺しでも、変態でも、誰でもその気になれば行うことのできるものだよ。
401 :
哲学者:2010/10/18(月) 04:34:08 0
やっぱくるか、
才能による限界は必ずある、誰もがキリスト教や仏教の教祖になれるわけじゃない、
特に天才と呼ばれる連中は哲学的能力が高いので独創力で群を抜いてる、
それは様々な分野でそうだ。
只彼らは一貫して集中力が秀才よりは低く、物覚えも秀才より良くない、
ことが多い、
稀に秀才で天才と呼ばれる人もいるにはいるが、独創性が無いのはすぐわかる。
人間には天分がある、
かといってオッサンの哲学でも役に立つときは立つけどね。
402 :
哲学者:2010/10/18(月) 04:43:12 0
んで本人の考えは本人にしか理解できないもの、
哲学は本来一人で行うしかないもので多人数で行ってもはっきり言って意味は無い、
だから天才の言葉は奥深いけど天才だけのもの
どこからの発想か理解すること自体不可能なほど深いものだ。
だから多くの宗教では【何故そうなるのか】をいわない
言って才覚の無いものに理解できることじゃないから、
今はともかく何世紀か前の世界はキリストと言う男の言葉のままに全ての概念があった。
それはキリストの哲学が深すぎて常人に理解できるものではなく、
さらにその教えが何より有益だから、
神とはそういうもの、物凄い哲学的才能を持った【ヒト】と言う生き物なんだと私は思うね。
403 :
哲学者:2010/10/18(月) 04:44:25 0
それでも神には違いないが、
404 :
哲学者:2010/10/18(月) 04:54:31 0
だが人は本来神に祝福されるはずの哲学者を神への反逆者と定義する、
かみさまよ、たいしたもんだぜあんた、自分を崇めさせる事でひょっとして人類の進歩まで止めたいんか?
新たな神を生み出すとしたら、
それは哲学的才能を持った一人の超絶天才なんだろ、
天才は、天才がどのように天才的な仕事を致したかを説明することはないが、
天才の仕事がなぜ天才的なのかを説明する人にはどのような能力が備わっているのだろう。
それもこれも生まれつきの気質によるものなのかね。
406 :
哲学者:2010/10/18(月) 05:04:37 0
独創性
自分の中で構築された物凄く巨大な秩序、常人には理解できないそれが
滲み出すことがあれば常人でも天才の仕事であるとわかるだろう。
日本人の有名人の資質だけで言えば、知ってる中では一位が尾崎豊、なことは俺の中では確定なんだが、
彼の歌に共感はしないがどうだね?
才覚がにじみ出ているだろう。
天才ゆえの孤独も、あいつはイチローなんか比べ物にならなかったね。
自分を呪って死んだけど
天才の天才性が一部の人に評価されるのは、
その天才性を理解できるインタプリタをその一部の人達が持ち備えているからで、
その天才のことを正に天才であると見抜ける人は全員ではなく一部の人であるということが多い。
天才とは、それはまるで、一部の人の白髪を見つけてあげる人、というような
自分自身で気がつけない自分の持つ力を目覚めさせてくれる人なのだろう。
一部の人にとって、その天才はとても大切な人であることは間違いないだろう。
408 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 13:05:08 0
ソフィの世界かなんかはじめてよんだ中坊なら、論理的思考や諸学問の基本
くらいはないと哲学になんないから今はちゃんと勉強したほうがいいよ。
哲学を大きくかんちがいしてるし。大の大人でネタでもないならヤバイ。
それから、現代のサンデル先生やノージック、ロールズなどは民主主義、
自由主義、人権、資本主義、世間の社会通念の枠内で、よりよい倫理や
社会について哲学している。これなら、害悪は少なく、有意義だろ?
409 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 16:02:18 0
何かの役に立つのが哲学なのではなく、
役に立つものが哲学なんだという発想はないのかね?
410 :
哲学者:2010/10/18(月) 16:52:18 0
歴史は人が作ったもの、
人とは即ち人の心理、
数学は物体の大きさや質量、物理学は物体の属性や性質、
人間の心理に限らない生物に対しての学問は生物学、
文学は哲学が作ったものだから人間心理、
社会、人権、民主主義、自由主義、資本主義、これ等も元はといえば人間心理から生まれたもの、
哲学の中で有益なものは人間の心理の探究、考察、内観、
はっきり言えばそれ以外はめんどくさすぎる
411 :
哲学者:2010/10/18(月) 17:22:36 0
上の分類は乱暴だがめんどいのでわざと乱暴にした。
>>407 天才と一生気がつかない天才も多いからな、或いは解っていながら普通の人生を生きてるのかもしれないけど、
>>408 哲学に勘違いも何も無い、只自分の脳みそで思考するだけのこと、
>>409 役に立つという概念を生み出すものがそもそも哲学だ。
412 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 17:56:34 0
>>何かの役に立つのが哲学なのではなく、
役に立つものが哲学なんだという発想はないのかね?
哲学には現代の社会にとって有益なものと害悪になりうるものがある。
その分類ができるんじゃないかな。
哲学=役にたつ、あるいは哲学=役にたたないは短絡的だったかもねてこと。
サンデル=役に立ちうるから哲学って言ってるんじゃないよ。
もちろん役に立たんでもそれはそれで哲学。それでもいい。文化だから。
ただし害悪なものを垂れ流すのはやめろといいたい。
413 :
哲学者:2010/10/18(月) 18:18:57 0
無駄な哲学など無いよ。
メビウスリングの一端を指差して無駄と言うのかい?
414 :
哲学者:2010/10/18(月) 18:24:17 0
役に立つものだけではなく、解る人がわかればいい、そういうのも必要ですよ。
害悪と成るような哲学は根付かず淘汰される、
その淘汰にすら意味があると思わないかい?
415 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 18:43:26 0
>>414 役に立つものだけではなく、解る人がわかればいい、そういうのも必要ですよ。
ここは同意できる。直接は役に立たん類の芸術や科学もそういうもんだろ?あってもいい。
・あと、役に立たん=無駄とは一言も言ってない。
・それに害悪でなくとも論理性に欠けるものは哲学としては淘汰される。君のは論理がない。
・すべては精神の所産=これもものの見方のひとつだけど、そこから論理的展開をしないと。
さんざん西洋哲学は観念論やってきたけど、現代にいたっては哲学者自身がこれまでのそういう哲学
のありかたを批判してきている。
正義を大前提にしたいがために、役立つことに付け加えて、害悪の分別が必要だと
言っているように聞こえる。
物事を自分の思い通りに操作したい強い欲望が先立っているようだ。
本題SにやりたいことAを割り込ませ、悪魔の証明によってAの不当性を示さなければ
いつの間にかAを前提としたSが本来のSであるという強い意志の筋がみえる。
台風みたいな人だね。
417 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 21:29:24 0
>>416 おおむねおっしゃることはあたっている。
ただ、Aを前提としたSが本来のSであるとまでは言っていない。
現代社会においてそのAを満たすことを避けられないということ。
Aを満たさないSもありうるがそれは勝手にやれ
418 :
哲学者:2010/10/18(月) 21:57:10 0
哲学者は哲学してる間は集中力と記憶力が常人以下に落ちる、
それは俺の内観でそう、後そうでなくとも考える以外の能力は俺は雑魚
419 :
哲学者:2010/10/18(月) 22:10:37 0
哲学に前提は要らん、ただそれが真実か判断する自由は哲学者には無い、
有益な哲学が残って淘汰されて今の形になった。
それは哲学者がやったわけじゃないしそれでいい、結局述べたように個人の才能が哲学者の全てだから、
前提なんて客観的論理を哲学者自身の意思に反して受け入れさせるのは非生産的、本人が受け入れればそれはそいつの哲学だが、
要するに役に立つ哲学は残ればいい、ってか勝手に残るしそうでないものは廃れればいいって言うか廃れる、
例え多くの人が同じ哲学をしているとしてもそれであとの人の哲学を根底から否定するって言うのは危険、もしかしたらその後の人のほうが天才かもしれない、
俺が思ってるのは個人個人のパラドックスの解消能力を何らかの形で測ってしまって、優秀な人だけ哲学者の道を歩ませるということ、
哲学学は哲学じゃない、いかに詳しくともそいつを哲学者と呼ぶのは間違ってる、
420 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 23:07:36 0
>>419 まあ、感じとしては伝わってはいるようだね。
>>前提なんて客観的論理を哲学者自身の意思に反して受け入れさせるのは非生産的
だから息苦しくなるんだよ、世の中で根本からの哲学はやりにくい。自分ひとりの心のなかだけならいいけど、そこまでだ。
あと哲学学の人たちを非難しないで。それも大事な仕事。哲学学であるうちは社会と矛盾・衝突せずに研究できるんだよ。
マルクスとかやっててもね。
421 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 23:12:19 0
>>420 政治的要素のまったくない、純粋な認識論とか科学哲学とかなら比較的自由なのかな。
だから科学哲学くらいはあっていいといったんだ。考えたことはなんでも気がねなく表に出せる。
422 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 23:23:31 0
役に立つ哲学って何だ?人類の未来と英知に力を添える物か?
人類の未来に何の価値があるっていうんだ。何にも為れないし、目指すべき場所も無いのに
423 :
考える名無しさん:2010/10/18(月) 23:28:52 0
>>422 >>人類の未来に何の価値があるっていうんだ
そのものいいだと哲学以外にも役にたつもんなんてない。死んだほうがまし
>>何にも為れないし、目指すべき場所も無いのに
哲学でそれを考え出すんじゃないか。哲学にそこまで期待できそうにはないけど。政治もある。
424 :
哲学者:2010/10/18(月) 23:47:53 0
哲学者が嫌われる理由は諸説あるが、どれもこれも間違ってる、
確かに絶対者が現れることによってその他の思想は地に落ちる、
それを嫌がる人は多い、
そもそも哲学者は哲学者であるだけで罪人のように思われてる、
でもそれは決して解決不可能なことじゃない、
まず哲学者を哲学学の権威から選ぶのでなく、素質から選ぶことだ。
そして絶対的な哲学者が現れてそれによって損をする哲学者達には助成金、礼金を配布する、
宗教団体の人たちにも配布する。
これにより天才的な素質が埋もれてしまうということは無くなるし哲学者からの憎悪も消える、
新たな概念を生み出す素質によってこの世界は終わり新世界がいつの日か訪れる事になる、
哲学者は身勝手な連中じゃない、哲学者は世界の為に居る、
考える事が心理の扉を開くと信じる、
あと哲学者の言葉には残酷なものも多いが受け入れられないものまで【崇める】事は無い、聞き流せばいい、
決して人を傷つけるためにいってるわけでなく、真実の為に言ってるに過ぎないから、
ホントの哲学者は礼節を怠らないことが出来る、
哲学は社会と衝突することは無い、受け入れられないならそれまでのものだ。
昔の日本の哲学者は頭を垂れ決して奢らない、哲学が受け入れられるにはそういうものがなによりも大切、
>>423 原子は物質を構成する役に立ってるよ
時空は宇宙たらしめる役に立ってるよ
426 :
哲学者:2010/10/19(火) 11:07:07 0
>>425 それすら自然哲学者の定義する概念です。
>>423 役に立たないなら死んだほうがマシだと言うが、何故だ?
その価値判断こそ哲学が変えるべきものだろう
428 :
考える名無しさん:2010/10/19(火) 22:33:01 0
戦前の京都学派は、おまえのいう自分の「哲学」をぞんぶんにやっていた。もちろん、天才もいた。
戦争中、それらは大東亜戦争を強力に擁護する思想として使われた。
戦後、自粛して無難な哲学学とやら中心になった。
ドイツでも、ハイデガーは当時の体制であるナチスに持ち上げられた。
ハイデガーは間違いなく20世紀最大の天才だが。
やっぱり危なさをどこかもってると思わんか?
429 :
哲学者:2010/10/20(水) 03:28:05 0
思う。
哲学は怖いだろう?
哲学ほど怖いものはない、哲学は崩壊させる
哲学は人間の魂を崩壊させる
皆本当はそれが恐ろしいんだ
でも僕は恐ろしくない
それだけの違い
430 :
哲学者:2010/10/20(水) 04:12:46 0
わかったよ
どうして僕が哲学者なのか、僕だけが
でももういい、もういいんだ
僕は僕、君たちは君たち
それでいいんだ
こんな意味のない問いは僕だけがすればいい
僕は天才だから僕だけがなればいい君たちは哲学者になれないよ
哲学学がお似合いさ、哲学学も立派な学問だ。
がんばって
431 :
哲学者:2010/10/20(水) 04:16:45 0
いや頑張ってください
応援してるよ
皆のこと、僕も人の役に立つ
いや、社会の役に立つ哲学者になるべく頑張るよ
だから凡人は哲学なんかしなくて良いから、あんまり面白くないぞ?
かまわん続けろ
433 :
哲学者:2010/10/20(水) 04:26:44 0
哲学をしていると恐ろしい夢を見る、でもそれは夢でしかない、
現実を飲み込んで大きくなる闇なんてないんだよ。
仮にあったとしても
その闇の奥には
必ず光があるんだ
434 :
考える名無しさん:2010/10/20(水) 04:40:09 0
嘘だ。
世界は破壊される、お前はその方法を知っている、
なのに何故それをしないんだ?
435 :
哲学者:2010/10/20(水) 04:47:31 0
悪い夢だよ。
そんなものは無い、無いんだ絶対に、
あるわけがないだろう?
何人の人間がこの世界を生み出してると思ってる?
60億人だ。
その中で一人だけが真実を知っているなんて、そんな事はありえない、
>>435 その「世界」の使い方は哲学的じゃないな。
>哲学者
狂ったか。
いやいや、褒め言葉じゃないって。
科学的に見て誰にでも起こりうる脳の器質的な欠陥だから病院行って頭蓋骨に穴開けてもらえ。
治ったら哲学やめて科学をやるといい。まあ分数の計算からやりなおす事になるだろうけど。
長期的な視野を持てるから、価値判断を下す際に役に立つ
439 :
哲学者:2010/10/20(水) 05:44:56 0
私は見た。
深く暗い深海から怪物がやってくるのを怪物は私から世界を奪った、そして世界そのものになった。
色を、存在を、感情は消え去り、永遠に居場所を求めてさまようだけの地獄に私は居た。
神を殺した怪物を滅ぼすことは出来ない、
名前を失った怪物、名前のない怪物が誕生した。
名前のない世界を私は見た。
440 :
哲学者:2010/10/20(水) 05:50:33 0
一人の男がその世界に現れた。
その男は笑った。
名前のない世界に名前を与えてくれた。
死なないように、僕自身が怪物なってしまわないように、
与えてくれた。
名前なんて要らないんだ。
僕は名前のない怪物なんだから、名前なんてなくても幸せなんだ。
今はそう思う。
441 :
考える名無しさん:2010/10/20(水) 08:34:53 O
公平や平和のため
443 :
考える名無しさん:2010/10/20(水) 18:48:48 0
私は偶然、哲学に触れるきっかけを得て興味が湧いて色々なサイトを読んだ
けどこれほど難解な学問はないと感じました。
例えば医学とはどういう学問かと問われれば、ジャンルはたくさんあるものの
簡単に答えれば「人間を健康にするために治療や予防を行う学問」と簡単に答
えられる。
ところが哲学とはどいいう学問かと問われれば、
人間というものがどういういきものかをいうことを研究して、どう生きるかを
追求する学問と答えて正解でしょう。自分で勝手にテーマを立てて勝手に答えを
出すもんだと答えても正解でしょう。
十人1十色だから答えは10ある学問と答えても正解でしょう。
複数の答えが存在するならば出題とは言えず、結局は答えのない学問だと答え
ても正解でしょう。
法律や道徳を作る為に必要な学問だと答えても正解だと思います。
私なりに出した答えは哲学とは元々答えのない答えを探す学問で、全ての
人や物事に当てはまる「万能の論理」など存在しいないというものです。
例えば「大は小を兼ねる」という諺があります。確かに風呂敷の場合はこの
理屈は当てはまります。
しかし、釣り針の場合はどうでしょうか。小さな魚は大きな針をくわえること
ができません。だから大は小を兼ねないのです。それどころか小さな針でも腕
がよければ大きな魚を釣り上げることが可能です。この場合は「小は大を兼ね
る」のです。
哲学は何千年も前から存在する学問ですが「万能の論理」を発見した人はいませんね。
今から何千年研究してもこれを発見できる人はいないでしょう。
そういう意味から永遠に進歩のない学問だと思いますが、皆さんはどう考えられる
でしょうか。
444 :
考える名無しさん:2010/10/20(水) 19:07:13 0
>>440 哲学者さん、
どこ大出身で、専攻は何哲学なの?
445 :
考える名無しさん:2010/10/20(水) 19:10:56 0
>>443 >哲学は何千年も前から存在する学問ですが「万能の論理」を発見した人はいませんね。
いるよ、お釈迦様。
446 :
考える名無しさん:2010/10/20(水) 19:16:20 0
哲学が役に立つって、具体的にどういう事をいうんだろう。
イデオロギーに役立った例はあるようだが…。
そもそも役立っていいものなのか。
尺度だろ
448 :
哲学者:2010/10/21(木) 10:41:04 0
痛みも苦しみも、巨大なもの…だ。
だが人は人に巨大な苦痛を与えることが出来る、
生き物として超越した愛と憎悪を持ちえて自害し楽になることは出来る、
だがこの世には想像を絶する苦痛がある、痛みがある、虚無がある、
恐怖を…感じるんだ…。
暑苦しいかい?馬鹿らしいかい?でも本当の苦痛を一瞬でも知ってしまったら、そんな事は二度と言えなくなる、
そんなときに人は真実を求めるのかもしれない、決して揺るがない真実を、
腹を割かれたらどのくらい痛いか解るかい?
たとえ一生孤独でもいいからこの痛みから一秒でも早く解放されたい、
そう思うんじゃないかな…、僕はきっと思うよ。
こういう事を考えないといけない、本当の哲学は残酷な事ほど紳士に考えなくてはならない、
孤独と長年の苦痛がニーチェを崩壊させていったように、僕は壊れている、
でも、その闇の先にもっと暗いところに一人の男が立っている、
僕はそこまで行くんだ。
そしていつか笑う、あの人のように笑う。
>>448 何の哲学にハマッたのか、教えてほしいな。
450 :
考える名無しさん:2010/10/21(木) 10:54:50 0
>>448 私は、とある哲学者に教えられたことがある。
「シマウマがライオンに首を噛まれているとき、あまりの苦しさに
脳から快楽物質が流れるので、逆にすごく気持ちいいんだぞ」って。
451 :
哲学者:2010/10/21(木) 11:02:20 0
言ってしまうとあの人に悪い、あの人は決して人を傷つけることを望まない、
僕が勝手にやってるだけだ、それに原因は全て僕にあって特定の思想にはない、
僕はあの人を崇めていながら従っているわけではない、破門のみのような者、
哲学、僕は人に誇れるような学問をしているわけじゃない、
只僕に特別があるとしたら、僕は既に破綻したということ、それだけだよ。
これを病気と言うならきっとそうなんだろうね。
快楽を貪る事を恐れ、同性愛を恐れる、でも、もっと恐ろしい事、もっと恐ろしいものに
気が付いてしまったんだ。
怪物を見た。
そうなんだろうなあ、でも大丈夫だよ。
大丈夫、怖いことなど最初からありはしなかったんだ。
僕も君たちと同じに普通に生きて普通に笑って普通に死ぬ、それだけだから、きっと、
452 :
哲学者:2010/10/21(木) 11:33:11 0
自分が痛いのが嫌だから、他人に痛い事は出来ないの、
自分の仲間が傷つくのが嫌だから、他人の仲間にもそんな事は出来ないの、
でも動物は良い、動物にはイラついたときストレス発散の道具になってもらう。
いっつも我慢してるんだから、そのくらいいいよね。
他人の痛みも苦しみも知らないよ。
知ってるのはそれによる快楽だけだよ。
453 :
哲学者:2010/10/21(木) 11:49:43 0
この社会は正しくて愛は正しい、
でも哲学ってのはこういうもの、人間を測るというのはこういう事、
愛はこうしたいくつもの目を背けたくなるような【真実】の果てにある、
こういうものを愛せる人間しか哲学者になどなれない、
でも怖くなんかないよ。
僕は愛情を肯定する、人の為に生きている、誰もがね。
闇なんかない、虚無などない、でも世の中は完全に正しい訳でもないかもしれない
それだけの事、
数学以上に役立たないw
数学はプログラミングとかに必要だな
日本はロックの自然権がなかったから人権が保障されなかった
日本はマルクスの経済学がなかったから経済が分からなかった
日本はデカルトの座標がなかったらから和算に幾何学がなかった
日本はアクィナスのアナロギアがなかったから宗教の支配から脱せなかった
日本はアリストテレスの形而上学がなかったから科学や学問の分化が起こらなかった
そして日本はフッサールの現象学を理解できないから全学問の統一理論に乗り遅れる
456 :
考える名無しさん:2010/10/22(金) 00:50:52 0
「哲学者」くんに今ほんとに必要なのは哲学ではないのでは?
尾崎豊好きならそれでいいじゃないか。こころのたすけになった本、音楽、神
があったんならいいんじゃないか?
どの哲学も突き詰めるとなんらかおおきな破たんを抱えるから、すがると後で苦しむよ。
457 :
考える名無しさん:2010/10/22(金) 00:57:27 0
自分=神の視点が、確実なもので錯覚じゃないか考え出すともうくるしくなるだろ?
458 :
考える名無しさん:2010/10/22(金) 00:59:55 O
すべての学問というか知恵は人間の生活の都合上に集約される
あらかじめDNAプログラムされた以上の喜びを…本能を充たす以上の喜びを自分たちで創作して創作世界で喜びや苦しみを感じている
社会のすべて…法すらも創作だし
そんなものは人間社会での都合を補うためにある
もちろん宗教も人間社会の都合を補うためにある
都合の中で喜び苦しむ
創作の中で喜び苦しむ
食え
食って寝ろ
それだけが真実だ
459 :
考える名無しさん:2010/10/22(金) 01:12:23 0
ひとの話をちゃんと聞けんのも問題。掲示板とはいえ。
そりゃ孤独にもなるし、冷たくされるはず。
君を受け入れてくれる人が必要なら、何を変えるべきか
失礼じゃなきゃいいが、自閉症か分裂病によるものなら治療で楽になるかもしれんよ。
460 :
考える名無しさん:2010/10/22(金) 01:27:59 0
哲学より、作家をめざしてみたら。
暇を持て余す人が多い。
462 :
考える名無しさん:2010/10/22(金) 05:49:16 0
463 :
哲学者:2010/10/22(金) 10:19:41 0
大方の人間が正義と言われ、少数派の人間の語ることはどんな事であっても虚言と取られる、
人間は平等だというけど、そうじゃない、人は、多数派の人間は少数派をいじめて楽しむ、
私が作家になるとしても売れる為にはそういうものを書く事になる、
綺麗事だと解ってはいても私には割り切れない、
私は他者との差異に悩み続けた。
私の周りでの不遇はそれが原因なのだ。
哲学者となったのも、それが原因で、私は何度も何度も裏切られた。
私は頭が悪ければこの世にはもう居なくなってる、
自由を求めるのか、自由を求め私すら決して見捨てなかったかつての自己を見捨てるのだ。
そう、哲学者と呼ばれる人間を…
464 :
哲学者:2010/10/22(金) 10:35:38 0
神になれば死が待つだけ、成らば共に消え去ろう。
私が縋り付いた怪物と怪物から生まれた真実などというこの世に置いての虚構と共に私は消え去る、
神はこの世にあらず、
万物の真理は混沌の彼方に、それが正しいあり方というものだよ。
そしてそんな事は最初から解っていた。
解っていながら求めた。
尾崎が市を選んだ理由が私にはわかる、真実を語ることは罪なのだ。
もはやどうしようもなくなって死んだ。
真実とは程遠くとも世界を破壊せし罪は死を持って贖わねばならない、
465 :
考える名無しさん:2010/10/22(金) 17:55:53 O
>>463異端者による悪書類は平々凡々よりは売れる
キルケゴールの死に至る病を読もうとしているが、文章が全く頭に入ってこねえぇぇぇ!!
哲学書ってこんなに難しいのか……
467 :
考える名無しさん:2010/10/22(金) 19:03:35 0
哲学科教授はなぜブログ等コミュニケーションツールを活用している人がほとんどいないのだろうか。
学部や院の生徒や学会等狭い閉じられた世界だけに情報発信して満足していたり、
高尚(笑)な議論に市井の人間などが付いて来られないとタカをくくっていたりするのだろうか。
日々コミュニケーションの重要性を説いているくせに自らが広い世界に開いていくことを拒否しているなど笑止千万である。
>>463 >人間は平等だというけど、そうじゃない、人は、多数派の人間は少数派をいじめて楽しむ、
これは少数派のルサンチマンに過ぎないよ。何故なら、少数派は少数派なりの論理で
多数派を常に否定しているからだ。そして、自らを弱者として、真の理解者として、擁護するのだ
真理は混沌の先にも無い。元々そんな物は無かった
幼子が、テレビに映るヒーローに憧れたところで、彼はロボットに乗ることも変身することも無いだろう
真理に憧れたところで、人は真理など得られない。真理を求める間は幼年期である
469 :
考える名無しさん:2010/10/22(金) 23:14:33 0
>>467 というか、一般社会に需要がないから、やりたくてもやれないんじゃ?
売れる哲学本は、哲学とはいえないほどお粗末で、ビジネス本か啓発本の体裁
とって、哲学者の名前を無理にこじつけ。
現代科学や現代芸術の先端でさえそうなのに。
>>468 真理を求める間は幼年期 は確かに。
科学や哲学やってるのは、同年代と比べると幼稚なやつは多い。
役に立たない事とはどのような事か、体験すること無しに説明する事ができる。
このことはこの世界において非常に重要なことである。
体験せずとも、脳内において疑似体験することが出来る。たんなる妄想ではない。
また、あらゆる事に対して疑問を持つことそれ自体が、哲学の始まりである。
より的確な疑問を見いだすことが、哲学の使命であり、問い続けなくては哲学の意味がない。
結果的に、即座に答えの出る問いかけは哲学ではない、ということになる。
>>469 科学や哲学に限らないでしょう
誰もが、ありふれた正義を信じて生きています。例えば、幼い事を悪いとすることです
真理を信じる間は確かに幼いです。しかし、それは悪い事ではありません
真理が無いとすれば、善悪もまた「本物」は無いのです
472 :
考える名無しさん:2010/10/22(金) 23:49:59 0
>>470 >>即座に答えの出る問いかけは哲学ではない
科学と哲学のちがいの定義が、わからなくなってきたんだが。
答えの出しうる問いを出し、客観的な決着出せるのが科学か?
現象や経験との整合性なら哲学にもあてはまりそうだが。
というか科学と哲学に違いなんかあんのか?
全ての学問は哲学から生じたがその全ての学問と哲学を隔てる壁なんて
本当はどこにも存在しないんじゃないのかね?
474 :
つよし:2010/10/23(土) 00:31:17 0
哲学って出家するか俗世に生きるかを決めたくなったときの判断に役立つよ。
>>472 答えましょう。
哲学は問いである。科学はその解答の過程である。
科学で解明できない事もある。とよく言われるが、それは哲学的問題として残される。
しかしその哲学的問題も、いずれ科学によって解答を得る。
科学は、哲学的問いかけが無ければ生じない。
科学は、そのような哲学によって起こる。つまり、科学とは哲学そのもの。
人文科学も自然科学も、いずれも哲学が基礎。
476 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 00:45:44 0
>>475 う〜ん、それはみんなわかってると思うけど。。
科学で解明できるってどういうことかね?
ニュートン力学や量子力学って、とりあえず今ある理論のなかで現象によく合う
ってことだろ?
哲学の理論でもそうじゃないかね?万人の共通了解とか、客観性の違いかね、やっぱり。
哲学の範疇に科学も含まれるってことはわかってるんだけど、
哲学にさらにどの条件を加えれば科学になるのかね?めんどいこといって悪い。無視してもいいよ。
477 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 00:54:00 0
>>476 問いを発するだけじゃなく、一定の回答を出すのも哲学だろ?
それが現実と矛盾なく整合性あっても、科学とはいわれない。
最終的に意見の一致が得られるかどうかの違いだけか?
478 :
つよし:2010/10/23(土) 01:05:10 0
哲学の最後の問題は人間の存在意義です。
無意識の動物のままに自然選択と性選択に従って生きていればよかったものを
それを意識してしまったためにあーでもないこーでもないと考えてしまうようになった。
意識すなわち哲学なのです。
哲学によって人間の意識はあってもなくてもいいということに気づき
意識を捨てて生きるのか、それとも意識を使って生きるのか
どちらかを決めるときに哲学が役立つのです。
言うまでもなく
意識を使わなければどちらかに決めることはできません。
意識つなわち哲学を使わなければ。
哲学って役立つんです。
479 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 01:25:54 0
人からどう見られてるか気になる人は多いと思う。
そこで初歩的と言うか、通常は鏡を使って自分の形を造り上げる。
だが、鏡で解決するのは見た目だけだ。外見ではなく人間性をどう
評価されているのか、そういう事は分からない。ある人がどう思って
いるのか、聞けば分かる。だが聞いても本音を語るかどうか分からない。
だがテクノロジーの進歩によって自分の客観的な姿も見る事ができる
ようになった。映像で自分を映せば評価はともかくも、普通なら絶対に
有り得ない視点に立って自分が見える。そしてそれを参考にしながら
自分を望む姿に改善することも可能、だろうか??
哲学ってのは言わばシュレッターのようなもんだな。
紙を裁断するためだけに存在する道具なわけだが、一家に1台あれば便利なんて
代物ではない、実はハサミでも手でも裁断する事はできるけど必要な奴が
必要な時に使うって程度のものだろう。そこからは決して何も生まれないが
裁断された紙をどうするかって話は学問とか思想の部分だ。
つまり用もなく紙を裁断するのは暇人だけだ。
頭のいい奴は哲学なんて学ぶ暇あったら別の事勉強したほうがいいだろうな。
哲学って馬鹿のための学問だからな。
家を建て替えるためには今住んでいる家を壊す必要があるわけだが
その時どうやって家を壊すか?
先人達の壊し屋(哲学者)の文献を参考にするわけだが、その文献
に記されてるのは先人達の家の壊し方しかであって決して自分の家の
壊し方ではない、ましてや古い建造物の文献である以上、自分の家とは
造りや様式がまったく異なるわけだ。そのような文献をかき集めて
自分なりの壊し方を模索してい事が”哲学”だろう。
ところが世の中にはいちいち先人達の文献を参考にしなくても壊し方を
把握できる奴もいるし、そもそも家を建て替えるつもりが無いならまったく
無用な物だ。
そしてある日自分の家を建て替えた時、隣人に自分の家の壊し方を教えて
あげても隣人にとっては参考にしかならない、ましてや隣人に建て替えの意志
も無いのに壊し方を説明しようとすればただの嫌がらせにしかならないのも事実。
必要かどうかは本人次第だ。
483 :
482:2010/10/23(土) 02:48:44 0
>>476 ついでに言うと、家を壊した後に建て替える家の設計図が”思想”
設計図を元に家を建てる技術が”学問”
科学か文学かという疑問は立てる家をアトリエにするのかカフェにするのか
って程度なものだろう。
壊し方から立替までセット販売するのが”宗教”
出生率を上げるために建て替える家はラブホテルにするべきと隣人が
言って来たらそれは”イデオロギー”だ
484 :
つよし:2010/10/23(土) 02:55:24 0
485 :
482:2010/10/23(土) 03:11:11 0
>>484 そこはさほど重要な問題ではない
しかしあえて言うなら倫理や主観だろう
486 :
つよし:2010/10/23(土) 03:22:58 0
>>484 倫理が主観を再構築することが哲学、ということでしょうか?
哲学が何の役に立つのか、に対する結論が見えてきません。
487 :
482:2010/10/23(土) 03:41:35 0
>>486 >倫理が主観を再構築することが哲学、ということでしょうか?
???倫理が主観を再構築???すまんが
>>485をよく見直して欲しいのだが・・
488 :
つよし:2010/10/23(土) 03:56:09 0
申し訳ない。
倫理や主観、の間違い。
490 :
482:2010/10/23(土) 05:01:55 0
つよしさん、ようするに家って命題なんですよ
命題って言葉は漠然としすぎて適切じゃないと思ったんで・・
まず古い家(ある一つ命題)を再構築?するのが哲学じゃないんですよ、
>>482ではそういう
事は一切言っているつもりはないんですが・・・文章力なくてすいません。
そもそも”再構築”って言葉が適切じゃないですね、再構築って言葉を
>>482に当てはめるなら
解体(哲学)から建造(学問)までを指しちゃうんで、更に誤解のないように説明しますが
正確に言うと解体する事が哲学なんじゃなくて、解体時のプロセスこそが哲学なんですよ。
んで役に立つかどうかって話ですが、これも
>>482で行ってますがその人次第なんですよ
命題に対する自分なりの見識を持つには、その命題を細分化させる必要があるんですが
世の中には細分化させなくてもしっかり見識を持てる人にとってはただの遠回りですし
見識を持つ必要の無い人にとっては無用の存在、つまりまったく役に立たないわけです。
哲学に深い意味は無い。楽しめる人には意味がある。それだけですな
そしてそれは、他の全ての事にも同様に言える。役に立つ、という考え方は
突き詰めると単なる自己の満足であり、普遍的な価値や意味は持たない
492 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 09:01:41 0
黙示録に記されている”わたしはαでありωである”という言葉には
含蓄がある。
思考の方法論が哲学なのではない。
役に立つということが即哲学なのでもない。
哲学は自己満足では終わらないし、普遍的な価値や意味を持つ。
まあ確かに「役に立つ」ということそのものは普遍的なもんじゃないけどな。
1は高校生だから稚拙な質問しかできないのだけど、
何の、と聞かれれば、全てに、と答えるほか無いやな。
高校生で哲学に興味を持ったということは良い点だが、
少し真剣に読書でもすれば、こんな問題はあっさり解決する。
とりあえず中学生でもわかった気にはなれる。
でも本当にわかるためには高卒程度の知性が必要かも知れない。
さらに的確に問うためには大学入学レベルの知性が必要かも知れない。
(この板のコテハンは的確性を欠く奴も多いけどな。回答に必死すぎて。)
知識の整理にはやはり大学生以上の知性が要求されるだろうね。
ちなみに、文学部哲学科系統の研究教育機関の無い大学は「大学」とは言えないから大学選びには要注意ね。
そういう大学はカレッジとでも称するべき大学。専門学校的なもん。
とりあえず、哲学科の有無によって大学図書館への図書購入要求の通りやすさが違うから。
495 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 11:11:26 0
哲学をやると学歴厨になって視野狭窄になるというオチが付いてます。
496 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 11:53:42 0
>>494 大学図書館にはどんな凄い本がありますか?
学歴厨って相手が折れるまで頑固を通す地頭力が低い人だとおもう。
498 :
つよし ◆wAwk20E9AY :2010/10/23(土) 13:44:36 0
言いたいことがだいぶ分かってきました。
命題→解体→建造の流れの中の解体が哲学だと。
ここで、「解体する事が哲学ではなく、解体時のプロセスが哲学」だということですが
それに違いってあるんでしょうか?
解体する事は実際の作業で、解体時のプロセスは作業計画、みたいなことでしょうか?
私は、命題とか解体とか建造とか、そういうものすべてが哲学だと思ってます。
意識そのものが哲学だと思ってます。
499 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 13:58:05 0
>>497 そういう奴いる。むきになって理屈ひねりだしてくるけど、ずれてて頭悪いなあと思う。
哲学とは何か、はいろいろ言えると思う。
でも、ここの話じゃ科学との違いが明確になってないな。
>>493 >哲学は自己満足では終わらないし、普遍的な価値や意味を持つ。
私はそれを否定します。そもそも、普遍などという確かめようが無い事象を、
さもあるかのように仮定する時点で、それはただの仮説に過ぎません
哲学の闇に近づきすぎると、自分が誰であるのか解らなくなります。
逆に言えばそれでもいい、自我なんか要らない、そう思った者が哲学者になります。
それは幸福なことでしょうか?
違いますね。
物理学や数学に問いを見出すことは、心理学や生物学に問いを見出すこととは別のことです。
破綻と統合、それは何も哲学に限ったことではないのです。
この世の全ての混沌は破綻と統合によって事象となりえるのですから、それは科学だろうと心理学だろうとまたはそれを超越したものであろうと同じです。
そしてそれは万人に共通のことです。
哲学者など居ないのです。
この世の何処にも、悪魔など居ません、では私は何か、私は人間ですよ。
そう…人間です。
少々哀れなね。
私は自分が何も知らないという事を知りました。
私は自分が単なる卑小な存在でしかないという事を知りました。
しかし私は幸せです。
もともと普通に幸福になることなど不可能だと解っていたからです。
さあ更なる闇の中へ、また一人で行きましょう。
私は聞きました。
「何故?」
私は聞きました。
「何故?」
彼は只笑っていました。
私を指差して笑っていました。
私は己をマントに隠し、その場を去りました。
誰も居ないところで問いを続けます。
何故?何故?
色と空と温度が消えて、それでも私は問いました。
何故?何故?
人によってはその時に【光】が見えるのだといいます。
でも私には何も見えなかった。
闇から闇が生まれ、その闇からまた闇が生まれ、繰り返す。
いくつもの世界が生まれては消えてゆく、いくつもの人格が生まれては消えてゆく、
それを何百回繰り返したでしょうか、その時に見えたさらなる闇がありました。
そこに至るまでの過程で僕自身の自我はまったく孤独であったのです。
だから驚きました。
月を眺めると同じ月を眺めている人の姿が見えるのです。
数えられる数ではありません、でもそれほど多いわけでもない、そのうちの一人は笑って手を振りました。
でもその手が誰に向けて振られたものなのか、その笑顔が誰に向けられたものなのかその確証は更なる闇の奥なのです。
哲学者は自分こそ本質に一番近づいていると主張するのに対して、
自然科学者は研究対象に畏怖の念を抱いていて、自分の知っている事なんてごく僅かだと語る。
504 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 17:39:19 0
>>501 >>502 は「哲学者」くんだな。
それでいい。出発点にかえって、謙虚に誠実にしか哲学はやれないよ。
>>503 自然科学者が素朴に信じていた「法則」を
粉々に打ち砕く論理を出したのは哲学ですがな
「自分の知っている法則なんて、明日には成り立たなくなるかもしれない」くらいの気概を持って欲しいですな
最初に人は自分を確立し自然との関係を作る、
そこに人は知をもって仕組みを理解することで知的な論理を作った、
それが本質だと思い込んでいる奴が多い。
現実の本質はそれ以外にあることを悟れないことにある。
本質を得る人は対価を支払った人だけに宿るってものだ、
それは代償ではない。
>>505 >「自分の知っている法則なんて、明日には成り立たなくなるかもしれない」くらいの気概を持って欲しいですな
じゃあ、哲学者は目の前のPCとそれを支えている技術・理論が今この瞬間に崩壊して、コンピュータやネットが使えなくなるんじゃないか?
っていつもびくびくしながら過ごしているのですか?大変ですね。
508 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 18:44:53 O
何を言ってるんだアンタらは?再構築も脱構築も哲学だよ
あらゆる発展性は哲学だよ
政治哲学や人生哲学や倫理や宗教
さらに定理など哲学カテゴリーは多岐に分かれているじゃないか
>>507 何故びくびくする必要があるんですか? 技術や理論が崩壊する事が恐ろしいですか?
まあ恐ろしいんでしょう。地動説を唱えたガリレオは焼き殺されかけましたし、信じている理論が
崩壊するかもしれないというのは、耐え難い苦痛を伴う事があります。その苦痛に耐えてもらいたいという話ですよ
510 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 19:55:25 0
いちゃもんつけるだけで己が建設することはないという気楽さw
511 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 20:52:33 O
>>506それは社会を前提としている
本質ってのは人間性のことか?
本質ってのは人間に至る前の生物の段階だと思うが?
512 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 21:15:38 0
513 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 21:56:58 0
>>507 >>509 ともにちょっと違うと思う。
力学なんかは哲学者が何と言おうと盤石だよ。
でも、機械論的唯物論を信じてるやつは、哲学によってその信念は破壊されかねない。
だから、科学と思想哲学の区別をしっかりしないと話がずれるんだよ。
514 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 22:04:15 0
>>513 補足
量子力学や相対性理論のほうが精密なのは確かだよ。
でも古典力学も一定の精度では盤石だ。
515 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 22:13:13 0
>>513 509は違ってはなかったな。ごめん。
確かに、自他双方の思考によって信念が揺らぐのは苦痛だ。
それに耐えられんなら哲学も科学もやるな、俗物になりきれってとこか。
>>496 大学図書館にある凄い本はという質問です。
まず「図書館」には、市立図書館、区立図書館、県立図書館、国会図書館など、様々な図書館があります。さらに高校や小中といった学校図書というのもあります。
図書館というのは、往々にして、利用者のニーズに沿って図書を整理しています。ですから、市立や区立の図書館には、一般書が多いです。
国会図書館というのは国を代表する図書館ですから、関東と関西にしかありません。これはとにかく、日本国内で出版された書籍が収められます。
週刊少年ジャンプの創刊号からエロ本から何からなにまですべてです。国内の出版元はここに納めます。
大学図書館は、大学生が利用するために基本的に開設されています。
ところが大学には、哲学科が無い大学があります。そのような大学には、哲学関係の本が、哲学科のある大学に比べて驚くほどにありません。
凄い本というのは、さまざまに言うことができますが、例えば、原本があったりします。また初刻版があったりします。
とにかく古い本があるということは凄いことです。新しい本と見比べるという作業ができるということが凄いことなのです。
歴史ある大学の図書館であれば、そういうことができます。市立図書館では絶対にできないことです。
もし哲学を志すのであれば、学部学科は哲学科に限らずともどこでも良いと思います。
しかし大学は哲学科のある大学が良いというのはそのためです。
力学は磐石でしょうか? 例えば理論負荷性の話があります
これは、観察行為は理論に従属するという話です。ではその理論が間違っていたらどうなるでしょう?
観察が理論に従属するのなら、観察結果は全て理論に当てはめられます
天動説が理論として成立していた頃は、天動説を否定する星の動きが観測された場合、
天動説は否定されず観察結果を否定しました。また、天動説に沿う周天円という法則が予想されました
また、我々は永遠に生きられないという事もあります
つまり、限られた時間の中での観察結果(たかだが数百年ほど)でしか判断していないのです
それで導いた法則が、何故未来永劫続くと言えるのでしょうか? もしかしたら、それらを覆す法則があるかもしれません
天動説は間違いじゃない。
地動説も間違いじゃない。
天動説は人間が天地の間にしか存在することができない以上、覆すことのできない学説です。
地動説は、太陽系の中に地球が存在している以上、覆すことのできない学説です。
いずれも観察結果に基づいてもいます。両者とも理論的に間違いはありません。
観察方法が異なるだけです。
ガリレオが処刑され、その理論が攻撃されたのは、政治的な理由です。
また、ガリレオを処刑した教会側の理論が後に攻撃されるのも、政治的な理由です。
521 :
考える名無しさん:2010/10/24(日) 14:22:43 0
色には補色と言って互いに対立するような性質を持つ組み合わせがある。
例えば黄色と緑、赤と青、といった具合に。
職業でこれと似たような構図はと、今思いついたが政治家と医者。
どうよ。
>>520 処刑はされていない
異端審問で自説を潰されて、田舎に引っ込んだ
524 :
考える名無しさん:2010/10/24(日) 22:46:10 0
哲学は物事をどう考えるかを探求する学問だから、これがきちんとできていないと何をやっても正しい結論には到達しない
哲学者が関連性を模索しなければ、重力と星の動き、太陽の位置と月の満ち欠けに
への関連性も誰も気がつかなかっただろう。
アインシュタインの相対性理論もあれはれっきとした哲学だよ。
526 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 15:00:31 0
「哲学」と、「考える本能」を混同するなよ。これ全然違うから。
哲学ってのは、「我思うゆえに我あり…」から始まった壮大な妄想の積み重ねのこと。
そんな妄想の積み重ねがなくても、赤ん坊は普通にものをよく考えるように育ち、
ほっとけば月の満ち欠けにも気付くだろう。
哲学以前に、それは人間に備わってる本能だから。
その本能はとても役に立つが、妄想の積み重ねとしての哲学、
つまり大学なんかで教えてる個人名が冠されたような哲学は役に立つことはないってことさ。
527 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 15:05:50 0
>>524 なら、哲学はその「正しい結論」に到達するまで行ったのか?
道半ばもいいとこ、挫折すらしてウロウロしてるだろ。
なのに、なんで哲学がないと正しい結論には到達しないって言い切れるわけ?
526が言うように、哲学と考える本能といった分類をする必要は無いだろう。
考える本能によって、妄想自体がなされるわけだから。
考える本能が無ければ、妄想は生まれない。
哲学は、それ以上に壮大な考える能力が、極度に育まれ高められていった結果だからな。
>>527 524こそ妄想だよ。
でもそれをこそ「哲学だ」とは言えないだろ。
妄想イコール哲学では無いんだよ。
哲学って超自我と自分の齟齬を認識しちゃった少数派が
自分を肯定してくれるおとんやおかんを求めて集まる駆け込み寺でしょ
哲学史という派手な装飾された仮設住宅
そこに居直ることで自分と社会の関係を構築しなおそうとしてるだけ
<超自我と自分の齟齬を認識しちゃった
,,-;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:,.
/;:;:;:;:;:;:ミミ;:;:;:;:;:;:;:;:;:;`、
/;:;:;:;:彡―ー-、_;:;:;:;:;:;:;:;|
|;:;:;:ノ、 `、;;:;:;:;:;:i
|;:/_ヽ ,,,,,,,,,, |;:;:;:;:;:;!
| ' ゚ ''/ ┌。-、 |;:;:;:;:/
|` ノ( ヽ ソ |ノ|/
_,-ー| /_` ”' \ ノ < ちょ、ちょっとまって!
>>530がいま何か言った!!
| : | )ヾ三ニヽ /ヽ、_
ヽ `、___,.-ー' | `ー-、
| | \ / |
\ |___>< / ヽ
532 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 18:23:55 0
>>530 もうちょいくわしく。
ようやくまともらしい意見がでてきた予感。
この際科学がどうとか、哲学は役にたつかとかどうでもいい。
死活問題になるのは、知的営みとして哲学はまっとうなものか、ガキの知的遊戯あるいは宗教の代替物にすぎんのか、だ。
その予感は鏡だ
534 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 18:37:21 0
>>533 もちろん。諸学(科学)の基礎付けやってる分なら問題はないが。
自分の中でも、哲学(と哲学史)に対してこういう疑念はある。
知的・科学的・近代的な宗教や教父を求める深層心理があるんかね?やっぱ
哲学板の嫌味なおっさんババアどもを見るに
536 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 20:31:12 O
いや
妄想ってのは法則性を無視した空想のことだよ
自分の都合だけを考えてそうなればいいなと妄想する
空想や妄想と法則性に沿って考えるのはまったく違う
537 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 20:44:35 0
弁証法は妄想上の法則か?
生物の進化論も部分的には妥当だが、これだけではとうてい釈然としない事象が多いし。
538 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 20:46:58 0
論理性を持った被害妄想もあるじゃないか。
539 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 20:47:41 0
おれがこのスレを弁証法的にアウフヘーベンさせて、
哲学の妥当性を証明してやる。
540 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 23:12:51 O
事実以外は妄想だ
宗教を、神を求める心理とは弱さだろ。心の弱さ。それを包み隠すための神と言う装置
哲学もそうだ。真理という神を求める弱さ。それを克服しない内は、価値だの意味だの問う以前の問題だ
542 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 23:28:54 0
>>541 哲学もそうなら、科学を盲信するのも心理的には同じかもしれない。
自然科学もそうだが、それ以外の「社会科学」や「人文科学」によりかかるのは
もっとそうだろう。
思考力は間違いなく向上するが、哲学病になるリスクもある。
「哲学をしたら死ぬ」なんて言葉があるらしいが、これは真理かもな。
544 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 23:32:12 0
だから、梵我一如なのです・・・、哲学的形而上学的実在は宗教的悟りの境地に達しないと
掴めないのです。
>>544 >哲学的形而上学的実在は宗教的悟りの境地に達しないと掴めないのです。
これって哲学は宗教だと自白しているんだけどいいの?
546 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 00:05:47 0
>>544 >>545 だから、いまはそういう哲学の形而上性を批判して乗り越えていこうという
向きになってるんじゃない?
哲学=宗教の代替とか、哲学=科学基礎論とかで済ませてほしくないなあ。
じゃあ現代における哲学のありかたって?と考えるとむずかしい。
だからこそ、哲学と人類数千年の歴史をもういちどおさらいして、現代を見直す必要がある。
547 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 00:14:59 0
>>546 ついでに、科学万能、哲学=妄想乙という思考もあまりに浅すぎる。
世界も人間の思考もそれで裁断できるほど浅くはない。
哲学屋はもうちょい科学や世間を勉強せんと、科学屋はもうちょい視野を
ひろげて、この世にはいろんな視点や思想がありうることに気づかんと。
>>542 科学もまた疑い得るものですね
観測から立てられた仮説の内、どれが正しいかを決定することには限界があるという考えがあります
これは決定不全性とか決定実験の不可能性という考えであり、中々面白い話だと思います
549 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 00:39:32 0
知の探求なんでしょうか。でも過去の偉人はみんな眉間に皺
よって幸せそうじゃないよね・・
550 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 00:50:03 0
いや、愛智だからワクワク、ドキドキで楽しくて幸せのはずだが・・・!!!
プラトンも言ったように哲学は恋愛だろ、ただし対象は不滅のイデアだけど。
551 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 00:51:27 0
>>548 科学での観察データの解釈・説明のありようをみるに、科学と狭義の哲学の
峻別はむずかしくなるんじゃ?とよく思う。現象と合う科学の通説=事実くらいに
おもって単純に盲信してる科学屋もじつは多いんじゃないか?
科学哲学の勉強も必要だな、こりゃ。自戒をこめて。
科学は共通な知識として、再現可能な仕組みを提供する。
この再現可能条件を多面的な証明として裏付けその技術を我々に
提供している、しかしだ。
この再現可能な条件を満たすとうい意味を無視した科学の解釈は
仕組み(技術)が実効を満たす要因と原理などの存在条件を
有限(特定できる)要素として確定しなければいけない。これすら
知らない無知な学生が多すぎる。
何を言いたいか?
つまり特定できない測れない要素がそこに混ざった場合には科学は
無力ってことになる。これが科学にはどうにも成らない壁ってことです。
人が計りしえ無いことを感じたときに、どうやって特定するの?
どうやって意味にするの?
科学以外の哲学やらオカルトやらではその方法は存在している。
科学はHOWを考えHOWを再利用するには便利な道具であるが、WHYを
考え捉えられない関係を測るには向いていないという事実があるのです。
神とは何?、有とは何?無とは何?素粒子とは何?重力とは何?そういう根本的な
問題になってそれ以上分解できないものに対しては思考停止するのが
科学の本質ってものです。
553 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 01:50:26 0
>>552 なるほど、やはり哲学は科学の苦手な特定できない測れない要素を
考察・把握する形而上学であるというしかないのか?
554 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 01:54:40 0
そういえば、素粒子(それ以外も)の概念って哲学であって科学ではないような。
現象にあう数量の概念やら数式の法則までで十分じゃないかな?ちがう?
555 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 01:59:54 0
>>552 再現性のある現象のプロセスを記述するまでが科学で、それ以上の考察
はもう哲学や思想だってことでいいんですかね?そう読みましたが。
556 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 16:47:34 0
ついに今日はバック・トゥ・ザ・フューチャーで設定された25年後の未来。
2010年10月26日!ひゃっほー。
>>555 SFは仮想科学で「科学」とは表現するが、それは論理物理学のような
仮説に過ぎない。SFでバカにしてもSFが現実になったことは沢山あり、
逆に論理物理学で単なる仮説が完全否定されたマイナーな学説も沢山ある。
理論的に矛盾が少ないからそれは正しいというのが理論科学の領域で
完全に矛盾が無いわけでもない。ここが重要でどこかに矛盾が潜んでいる。
例えばビックバン宇宙論を記述したときに最初の段階を完全に説明できない
という問題もでてくる。無から有が生まれるなどは完全なる哲学の領域で
科学ではない。科学では宇宙のダークマターを無と定義し、無はまた
有からできているという詭弁に走る。「それでは無はなんであるか?」
なんの説明にもなっていない。
558 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 18:55:22 0
哲学やるくらいなら哲学をしなさい
>>557 哲学は問うことは出来ても答えを出すことが出来ない。
答えが出たとしてもそれはその人の中でしか正解であり得ない。
そもそも検証する方法が存在しないし、検証出来ないことを誇りにしている始末。
物理は答えになりそうな理論を構築し、実験によってそれを検証する。
現在分かっていない現象に対しては、日常の生活からかけ離れたアイデアが必要になることがある。
人間の想像力には限界があるので(例えば5次元の世界をイメージ出来ない)、
実験によってそのアイデアが理論として正しい事が確認されたとしても、
哲学者にそれを正確に理解することは不可能だろう。
>>559 諸科学は答えを探すが、哲学は問いそのものを探す。
人間は「問うもの」だから哲学は無くならない。
(先が見えにくければ問いは増すばかり)
>実験によってそのアイデアが理論として正しい事が確認されたとしても、
>哲学者にそれを正確に理解することは不可能だろう。
それは諸科学の担当部分。ごっちゃにしてはいけない。
561 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 19:21:10 0
>>559 >>実験によってそのアイデアが理論として正しい事が確認された
ここの部分がほんとに妥当かということを考えてほしかったんですが。
もちろん、極端な懐疑論でものをいってるわけではないですよ。
>>548さんの言説についてはどう思いますか?わかりにくければ質問するべきですし。
562 :
考える名無しさん:2010/10/27(水) 15:33:51 0
哲学は存在論と認識論なんだけどね・・・。
アリストテレスの「形而上学」とカントの「純粋理性批判」とヘーゲルの「精神現象学」は
必読書だろ。
563 :
考える名無しさん:2010/10/27(水) 17:55:45 0
>>562 認識論はともかく、存在論は現代的にみてどうなの?というところじゃないかね?
カントなんざ読まなくても良い
565 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 09:18:37 0
いやしくも哲学を語るものは、カントの「純粋理性批判」をまず勉強すべし!!!
カントきもいんだけど
機械みたい
哲学=カント? カントは愚か者に与えられた宗教書じゃないか。哲学にとって害悪ですらある
読んでおいても損は無いんじゃないの
斎藤環なんかがなぞって書いているのに直ぐ気付くから
569 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 23:06:31 0
>>567 アングロサクソンのような物言いだな。
オックスフォードの哲学科はせいぜいイギリス経験論の古典しか意味あるものとして読まないらしい。
カントはとばす。そして分析哲学や科学哲学こそが哲学だとして、ほとんど論理の知恵比べ。
イギリス人のブライアン・マギーがいってたなあ。アメリカのほうがまだ他分野に対して寛容だって。それってどうなの?
>>569 「神は偉大すぎて人間には理解できない」こんな教え、何になるっつーんだ
哲学は鋭利になるべきで、寛容になることに価値は無い
何でも良いなんて考えなら、そもそも哲学にこだわる必要も無い
571 :
569:2010/10/28(木) 23:33:02 0
>>570 なんでもいいって意味で寛容というんじゃないと思うけど。
イギリスのアカデミズムがあまりに閉鎖的で、世界を狭めているという自国の批判だったと思う。
まあ前線にいる科学者にとっては、分析哲学も余計ものかもね。関係なしに研究できるし。
572 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 12:13:23 O
哲学は人間が人間たらしめるための証明、真理の追求ですな。
俺は人間が動物畜生と一緒だってなったら途方に暮れて絶望する
573 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 12:33:21 O
>>553 科学は見える物、感覚で把握できるものから真理を追求する、哲学は見えない物、感覚で把握できないものから真理を追求する
575 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 12:41:14 O
真理とは物事の第一原因になる存在。
科学はそれを追求し、その過程で色々な人間の生活に役に立つ技術、知識が派生している。
哲学は人間の理性から、例えばなぜ人間は善悪を判断する能力があるのか、自由に物事を想像することができるのか、主に見えない物、思想とか倫理とかそういう物から真理、第一原因の存在を追求する。
576 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 12:49:06 O
>>574 数学も元々哲学じゃない?
ていうかこの世の学問はみんな同一だと思う。研究対象の違いだけで。
だけど科学は真理には到達できない。目に見えるもの、感覚で把握できるものしか対象にしないから。
今なぜ宇宙ができたのか一生懸命解明しようとしているか、科学では絶対解明できない
577 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 14:11:43 0
>>576 哲学でもできるはずないよ。言語と論理では。
どうせ真理など到達できない(そもそもないかも)のなら、
経験や感覚にあくまで近い科学やるほうがまだましというのもわからんでもないな。
578 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 17:26:05 O
>>577 物事はすべて原因と結果がある。それをたどると最後は原因のない原因の存在にたどり着く。それが真理。
>>576 学問は学び問うもの。科学=学問ではない故に科学の考え方だけで
学問は支えられない。
そもそも測れない対象を科学では扱えない、なぜならそれには客観性
が無いからだ。科学で必須条件なのは要因やら原因が明確であり、
その事を他者が別の視点からでも仕組みやら技術を証明できるという
意味がある。故に主観的にしか捉えられない意味は科学では扱えない。
何故宇宙ができた?簡単ではないか
神(※神の定義は客観的ではない)が創造したからだ。神は人ではない
【人ではない】ことは明白である。神がという主語にすると擬人化して考える
バカが神とは何かという特定できる神を考え出す。アフォすぐる。
それは「自然に」できた、自然とは偶然ではない必然としてできたわけだ。
自然が創造する世界の仕組みを人が計れると思っているのか?
それはフラクタル図形の形を特定するのと同じ意味だ。
>>577 そうです「言語と論理」では議論しても考えてもそれは言語やら論理で
しかない。そうではない類をしらなすぎる。
形而下の意味だけを知って学び習う、そんな育ち方をした人には形而上を
超えた何かを捉えることすらできていない。
それは暗黙知にすら分類できない要素である。それを知覚してから
出直してくるべき。
581 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 18:42:00 O
その前までの話と神の存在を認めるという話の間にはずいぶんと論理的な飛躍がみられますが?
神の存在はどのように肯定されるのですか?
582 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 19:10:33 O
物は例外なく行動を起こすことができるためにはまず自分が存在しなくてはならない。自分を作り出すということはできない。
従って何か新しい物が存在に現れると、誰でもこれは他の何かの力で出来たものだと確信するはずだ。
この場合存在に現れた物を結果といい、存在させたものを原因という。私たちがある結果の原因を発見しても、その原因がまた結果的な存在なら私たちは決して満足することができない。
例えば部屋の電灯がついて明るくなった。これは一つの結果である。その原因は何か。電流だ。電流は発電機が働いた結果である。
これだけでは電灯に関する完全な満足する解答は与えられていない。発電機それ自体が一つの結果にすぎないから。
結局私たちは出発点と同様、原因は何かという説明を要求している結果事実に直面している。
583 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 19:15:21 O
ビッグバンの延長上というのがその論理の結論じゃね?神はないだろう
意思があるというのは勝手な願望に過ぎないし
584 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 19:23:56 O
ある物をとりあげて、これをAとする。Aにはたくさんの原因となるものがあるが、これらをBとする。そうするとAは結果でBは原因である。
ところがBがまたCの結果であり、CはDの結果であるとすれば、原因と結果の長い連鎖になる。最後に究極原因と見なければならないものに到達して、これをZと呼ぶこととする。
ところがZもまた何かの結果的な存在であるとするなら、私たちはAに関する真実で十分な説明を見つけてないことになる。
つまり他の結果でない原因に到達するまでは、決して最終的な完全な説明を得ることはできない。
結果でない原因は、他のいかなるものから存在を受けないもので、私たちはこういう原因を第一原因と呼ぶ。第一原因があって初めて原因と結果との連鎖を完全に説明できる。
585 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 19:30:54 O
そのため自然界におけるありとあらゆるものの第一原因は、本質的に原因のない存在でなければならない。
第一原因は存在に現れたものではない。第一原因は存在それ自体であり、自立存在である。自立存在である第一原因は、万物の原因であり、それを神と呼ぶ。
>>584 関係の仕組みを客観的に説明するのが科学で
存在の関係を価値観やら世界観で総称として定義するのが宗教やらオカルト。
君は前者しか知らないし物事が科学以外の説明で捉える方法すら
習うことはなかったという自己紹介をしているんだろう。
未知な計れない物事を問う時点で科学はまったく道具にはなりえない。
君が学ぶのはこのポイントである。
587 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 21:25:45 0
まあ、哲学スレにきてる時点で、科学派も哲学が気になってはいるんだろう。
学問としては科学にとどめておきたいが、心情としては科学だけでは不満だと直感してるのかな。
588 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 21:42:52 0
宗教(カトリック限定)ほど論理的で知性的な物はないんだけどね。
真理を追究するという点では科学も哲学も同じ。
科学=感覚で触れられるもの、物質を研究し真理を追究する
哲学=感覚で触れられないもの、人間の倫理や理性で真理を追究する
宗教(カトリック)=科学や哲学では到達できない真理そのもの
589 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 22:10:48 0
この世のあらゆるものは例外なく変化と死滅の運命を持っている。
植物、人間、動物はいずれも存在にあらわれてくるが、それは束の間でみないつか死滅する。
宇宙の全ては何一つとしてそれ自体に存在の鍵を握っていない。
存在がそれらのものの本質ではないからだ。
因果律から分かるようにこの世の全ては従属的であり、
それ自体の力では存在することはできない。
それゆえ他に従属しない必然的な存在に支えられていなければならない。
必然的な存在、または自立存在にとって、存在それ自体が本質である。
自立存在は生命のある植物、感覚のある動物、理性のある人間を含めた宇宙の全てを
存在に保っていく絶対存在、または自立存在は生命にあふれた能力でなければならない。
全体は部分を兼ねるからである。
彼は至高の存在で、自分自身の存在の鍵を彼自身の内におさめている存在でなければならない。
この存在を神とよぶ
>>571 カントのような害悪を寛容するのは、何でも良いって事だろう
どれだけ寛容という言葉に逃げようと、哲学にとって邪魔な物は邪魔でしかない
591 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 22:25:15 0
ちなみにこの証明には2つの自明の真理に基づいている。
ユークリッドによれば公理(真理)が一切の学の原則であって、
全ての命題はこれらに基づく。
(1)人間の理性と感覚の自明性は、信頼に値する
(2)存在し始めたものは、それ以外の何ものかによって存在させられた(原因と結果の法則)
これらの根本原理は証明の必要がない、証明できない公理である。
科学界の二大巨頭であるアインシュタイン、マクス・プランク共に原因と結果の法則は普遍的な効力をもつ公理だと主張している。
592 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 23:00:24 0
>>590 まあ、価値基準はひとそれぞれだからそれでいいんじゃない?
カント読み込んで、よく理解してその上で批判してるんなら。
そんなに浅いもんじゃないと思うけど。科学者や科学哲学者からみても。
593 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 23:17:26 0
>>588さんのおっしゃりたいことはわかるんだけれども(心情的には同意)、
科学、哲学それぞれの定義がいまいち。反例それぞれ見つかるもん。宗教はそれでオッケーだと思う。
>>592 カントが駄目だってのは、浅い深い以前の問題。そりゃカントは色々複雑な事言ってるけど、
話の起点となる部分が駄目。だからその後に組み立てられた論理の全てが駄目だと言える
カントは、「物自体」だの実存を成立させる為に、神の存在を是認した
自分の都合のためだけに便利な「神」を使い、論理を組み立てた。まさに神頼みな論理で、意味があるとは思えない
595 :
A Wind:2010/10/29(金) 23:28:07 0
書き込みを少し読んでみて、とても興味深く感じています。僕もいろいろ考えるのが好
きなので興味深く感じています。でも、時々違和感を感じる時もあります。
で、昔の小説家には自殺する人が結構いました。で、僕の記憶では物理学者には自殺者
はほどんどいないと思います。で、この理由は、頭の中だけで考えているかそれとも内と
外を見ながら考えているかの違いのように思えます。
物理をやるものは、この宇宙と、この宇宙に居る自分、について考えますが、でも、こ
れは常に実験をやりながら考察しています。で、頭の中で何を考えようとも、実験結果が
それを否定していれば素直にそれに従います。
例えば、有名な相対性理論も、大雑把な言い方をしますと、要するに、光の速さは一定
である、という事実から始まっています。
で、それ以前は、光の速さは一定であるとは考えていなかったのですが、実験をしてみ
ると、そうらしい、で、多くの物理学者は、変だ、変だ、何故なんだ、と、考えていたの
ですが、アインシュタインは、何故と考える前に、とにかく実験をやったらこうなんたか
ら、とにかくこれを認めて、これを前提にしたらどういう理論ができるか、ということを
考え、これを前提にして作り上げたのが特殊相対論です。
ただ、今現在でも、なぜ光の速さは一定であるのかは分かっていないです。物理学者は
これを知りたがっていますが、まだ分かっていないです。
ようするに、この宇宙、と、この宇宙に居る自分について考えるとき、自然界を観察し
ないで考察するのは、不可能というか、意味がないように思います。いくら考えても、自
然界がそうなっているなら、それをそうだと認めない訳にはいかないのではと思います。
これを認めないと、結局自分はこの宇宙に居ない、という前提で考えていかなけれはなら
ないので、そうすると迷路に入ってしまうように思います。
と、もしかすると、哲学の目的は、僕の今書いたものとは違うのかもしれませんが。
(2010.10.29 11:26pm MTT)
596 :
考える名無しさん:2010/10/29(金) 23:34:34 0
>>594 物自体、理性についての概念や考察はダメという意見はわかるが、感覚、悟性のところまでの筋なら
科学哲学の参考にもなってきたんじゃないの?まあ今は科学哲学でも読まないでいいだろうけど。
>>神の存在を是認した まさに神頼みな論理
いや、カントは、神は悟性や理性でとらえられるものでも考えられるものでもない、
信仰の問題と哲学や科学の問題は別で、信じるか信じないかだっていったんだよ。
デカルトみたいに論証に神をもちだしたわけじゃない。中レベルの概説でいいから読もう。
自分自身ももうちょい、古典哲学馬鹿にせずに勉強してみるから。
やっぱアリストテレスからかな。
>>596 「物自体」が成り立つためには、神様に観察してもらうしか無いんですよ
どう言い繕おうと、カントの考えは神がいないと絶対に成立しないんですよ。むしろ
>いや、カントは、神は悟性や理性でとらえられるものでも考えられるものでもない、
>信仰の問題と哲学や科学の問題は別で、信じるか信じないかだっていったんだよ。
カントがこういった逃げ口上をしたこともまた、カントへの評価が下がる一因になります
神に縋り哲学に徹し切れなかった敗者ということでは、カントは良い例にはなっています
599 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 10:27:02 0
>>596 カントは神や善は人間の生活に都合がいいように人間に創られたものって考え。
神が存在しようがしまいがどっちでもよい。
しかしアリストテレスやユークリッド達の発見した真理で
神は確実に存在することが証明できるんだがね。
カントが言っていることは誤謬で真理じゃない。
俺はギリシャ哲学を勉強するだけで充分だと思う。
カントの神は観察なんかしない。
理念として考えられるだけで、存在はしない。
物自体も存在しない。存在するのは現象だけで、
現象を認識できるために物自体が想定されるだけ。
カントにおいて存在するということは経験の対象だってことだから。
>>600 カントは物自体は存在しないって言ってるんだっけ?それなら虚無主義者となるな
しかしながら、不徹底な虚無主義なんじゃないの
不勉強なんで間違ってるかもしれないけど、カントは「物自体」は我々には認識できないけど
「物自体」が無ければ、我々が何かを認識することも無い、と言ってるのかな?
「物自体」が無いのなら、考え方としては独我論となるべきだ。もしカントがそれを否定するというのなら、
それは不徹底な考え方だろう
602 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 14:31:05 0
>>601 一連の書き込みのなかでは一番妥当と思われる。カントは「物自体」は我々には認識できないけど
「物自体」が無ければ、我々が何かを認識することも無い、とした、でオッケーだろう。
この「物自体」の仮定が大論争になってるようだ。のちの現象学なら、この仮定は余計だとしてあるかないかの判断を止め、
現象だけを考慮するようだ。
極端な経験論(ヒューム)のような独我論(すべては自己の認識でしかない)から抜け出すための苦肉の概念なんだ、カントの「物自体」は。しかしこれがカント自身
の体系をおびやかしかねない。謙虚にじっくり勉強しよう。
603 :
602:2010/10/30(土) 14:39:26 0
>>602 カントの提示しているアプリオリな悟性形式による認識っていう段階では、独我論(すべては自己の認識形態でしかない)
で終わってしまう。そこで物自体。論証が苦しいのはわかるよ。
でも科学派で唯物論者の人にとっても、「物自体」は関心わかないか?独我論的に科学を解釈して科学を矮小なものにしたくないだろ。
詳しい人がいれば助かるが・・・
604 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 14:54:21 0
だから、理性の神秘主義と言われるヘーゲルの哲学なんだよね・・・。
「論理学は世界創造以前の神の思惟である」と言って自分の哲学は、神的真理の
自発自展なのだと確信してたものね。
605 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 16:58:37 0
>>604 はじめにロゴスありきってやつさ。聖書だね。
キリスト教の意義が薄れ、いやそれ以前に現代の東洋人であるぼくらには
自明とはとうてい思えない特異な確信だね。マルクスみたいにヘーゲルは使えるとこ
だけ拝借しよう。
>>559 5次元が認識できないってまじか?
4次元存在の連続的な場合分けでしょ。
4次元存在はつまるところ俺達。一定方向にしか移動できてないけど。
俺たちの5次元的大きさは1。
6次元は想像できね〜わ。場合分けが連続的に沢山あるって何だろうね?
>>606 よく考えろ、それは人が考えた次元であって人が定義した
意味の領域で説明しているだけだと気がつけ。
>>602 >極端な経験論(ヒューム)のような独我論(すべては自己の認識でしかない)から抜け出すための苦肉の概念なんだ、カントの「物自体」は。しかしこれがカント自身
>の体系をおびやかしかねない。謙虚にじっくり勉強しよう。
つまりは、カントは「物自体」はあると暗に言っているわけです。これは一種の詐欺的な考え方ですよ
苦肉の策というところが、神に縋った部分なわけです。カントの体系は神に縋っているのですよ
>>603 >でも科学派で唯物論者の人にとっても、「物自体」は関心わかないか?独我論的に科学を解釈して科学を矮小なものにしたくないだろ。
>詳しい人がいれば助かるが・・・
真理、唯一の法則性が無ければ科学は矮小であるという考え方でしょうか?
カントは神は存在しないと言いつつ、何故か物自体にはこだわった。それは真理を求めたからです
真理は神と同質の物です。神を否定したと言いつつ、真理を肯定するのなら、それは二律背反でしょうね
連投
謙虚に考えるのなら、カントは独我論を否定したいが為に不徹底な哲学をしたと言えるでしょう
そして独我論を否定したいという部分が、神へ縋る弱さそのものなのです。カントは暗に神はいると言っているのですよ
>「物自体」は我々には認識できないけど、「物自体」が無ければ、我々が何かを認識することも無い
これがカントの考え方であるとすれば、この考え方には根拠が無いと言えます
根拠があるとすれば、我々の認識の間違いの無さ(神聖さ)に委ねられます
そしてその神聖さを保証するのは、神様にしか出来ません
existierenするとカントが正しく言えるのは経験的に認識できる現象だけ。
だから神の理念にも物自体にもexistierenという言葉を使わない。
認識できないが考えられるというのはそういうこと。
アリストテレス的に言うと、物自体が可能態としての存在だとすると、現象は現実態としての存在だ。
(神についても啓示宗教の神については理念の神でなく存在者としての神と記述するから同様に言える。)
神や物自体のこういう有様をアリストテレス的に可能態として存在してると言えるだろうが
それはカントの用語法ではない。(可能性や現実性は現象についての判断に属する。)
カテゴリーの使い方を間違ってる(まさにカテゴリーミステイク)。
カントは存在の用語を現象にのみ使いましょうと提案した。
それを、やはり神や物自体を可能的に(暗に)存在してると思ってるんじゃないか
とケチをつけてもカントは痛くも痒くもないだろう。
そう言いたいなら(カントからすると混乱した用語法で)言ってもいいんじゃない。
>>610 >それを、やはり神や物自体を可能的に(暗に)存在してると思ってるんじゃないか
>とケチをつけてもカントは痛くも痒くもないだろう。
そう言われるなら、もうちょっと>608-609に対しての明確な反論をして欲しいです
カントは独我論に対して、経験で対抗できると考えたようですが、それには全く根拠がありません
カントが「物自体」を否定されても痛くも痒くも無いというのなら、カントは自分が何を言っているのかすら
よく理解していないのでしょう。詐欺的話法により、自己すらも欺いているのです。それはカント派全体にも言えます
>>606 俺たちは3次元存在だぞ
x, y, z軸それぞれに直交する軸をイメージできて、その方向に移動できるのならお前は4次元存在だけどな
脳内だとイメージできる人も稀にいたらしいね
>>612 それも人が作り出した意味にすぎない。
電気の流れは人の作り出した意味で、電子の流れとは逆方向なのは知っているだろう。
そのような時空認知を次元化して捉える場合に一般的であって、それが
正しいという世界の捉え方は間違いではなくても人が作り出した電気の流れる
方向のような定義にすぎない。
哲学をやっているのならば浅すぎる。
614 :
602:2010/10/31(日) 20:42:21 0
610さんはけっこうお詳しいようですね。勉強になります。考えてみます。
>>611 カントは独我論に対して、経験で対抗できると考えたようですが
それはちがいますよ。むしろ、イギリスの極端な経験論が独我論でありかつ哲学を
破壊(終了)しかねないものであり、世界を幻想にすぎんとしかねなかったことに抵抗したのでは?
615 :
602:2010/10/31(日) 21:14:58 0
>>真理は神と同質の物です。神を否定したと言いつつ、真理を肯定するのなら
・「神」の定義は、哲学者によってもかなり違うし、教義上宗教上の神と哲学上の神もまた
ちがいます。カントのいう神とあなたのイメージする神もちがうはず。
真理=神というのはカントの神の概念ですかね?う〜ん。。
・また、カントは神を(哲学的には)否定も肯定もせず、一方で信仰上は信じるしかないとしているのでは?
哲学の概念と信仰上の概念は分けて考えているようです。(しかもちゃっかり、教義を否定してしまうことのないようにして)
>>独我論を否定したいという部分が、神へ縋る弱さそのものなのです
・う〜ん、徹底した無神論、唯物論の科学者でも否定したがりそう。まあ科学的真理
がその科学者にとっての神だろうといわれるかもだが、カントとは別の次元の話。
>>613 人が作り出した意味では無い意味での次元って何?お前のこと心配なんだけど
617 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 17:07:13 0
哲学とは文学だ。
夢や理想や苦悩や不安といった、
自分の人生に分かち難く結びついている、
そしてそんな単純な言葉には還元できない心の様相を
哲学の概念に託して表現し、自分の心と共鳴し、人を感動させるものだ。
「神は死んだ」
だから、俺は神だ
これは正しい
これに反論する奴は嘘つきの詐欺師だ
わたしが認識できないものはわたしにとって存在しない
認識できない物自体なるものの存在を説くカントはこの原理に反している
カントは独我論という真実を斥けるために、ありもしない物自体という嘘を言っている
そのような邪教を広めるカントは叩かれ迫害されねばならない
>わたしが認識できないものはわたしにとって存在しない
それは人類にとって意味化できないってことだよ。
認知できなくても存在するとか言い出したいんだろうが、認知できない
対象を存在としてもそれは無意味なランダムでしかない。
アナログのFMラジオで送信局が無い周波数を聞いてでるノイズをきいて
そこに放送電波は存在するとか言い出すアフォと同じ。
それはノイズであって認知できる意味ではない。何かの雑音が混線して
漏れたものが混ざっている。
一昔まえまで宇宙の無の部分にダークマターが有るとか言いだすのと
同じ、それがビックバン宇宙の外に無があり、それが何かの存在だと
言い出すレベルである。認知できないものは意味化できない。
人があってこと認知があり、人類以外の知的生命の認知があったとして
完全に同じ認知ではない。そこに客観性があると思い込むのは間違い。
関係を結ぶ計りに照らして認知が存在し客観性も生まれる。
つまり計れない類は科学では扱えないし、認知もできないし、
存在とは説明できない。それが永久に計れない摂理の物であれば
(例えば超次元、異次元があったとしてその存在だ)
その計れるの存在すら認知できないし永久に因果しないものは存在
とは言えない。どうしても絶対的な関係があると思い込みたいんだろうけど
認知は常に観測に依存し、それは因果関係という繋がりに依存している。
観測できず関係が完全に無いと主張するものは、どの学問でも存在しているとは
言わない。
これを計れるのはオカルトだけ。おまえはオカルト的な非論理をしらなすぎ。
無知というのは知識を習うだけで自分で知恵を築けない点にある。
よくかんがえよう。
621 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 18:25:28 0
カテゴリーとして、(カントの用法じゃないけど)可能態として認識できる
わけないけど、現実態としては考えられる。
現実態は理念、形相。可能態は経験される現象、質料、身の回りの存在者。
神とは言わないまでも、現代でも組織においても個人においてもなんらかの現実態、
理念、形相を想定しながら活動・思考してるわけさ。
哲学を学ぶ
確実に不幸に近づくことは間違いない
幸せなら別に哲学など学ぶ必要性すら感じないだろうから
哲学なんざ精神異常者のおもちゃでしかない。
624 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 18:38:13 O
>>621 理念、理想、そんなものをもっても苦しむだけだ
625 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 18:45:18 0
国家も、基本的人権も、企業理念も、
なりたい自分めざしたい自分も、すべて現実態としての理念さ。
そして、素材としていまだ限定された君や僕や共同体は、物自体
としての理念の前にもだえるのさ。でも秩序のためには理念は必要だよ。
626 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 18:53:44 O
>>620 ラジオのノイズは聴こえる=観測できる=認識できるんだから喩えとしてはいまいちだな
628 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 19:41:23 0
>>627 620とは別人だが、ノイズは現象だからいいが、電波となると
そういう現象を説明するための理論・観念にすぎんから、認識できん
とたぶん言いたいんだろう。
629 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 20:13:21 0
新しい科学技術が生まれた これを使うべきか使わないか
異文化の人と意見が食い違った どうするか
限られた予算しかない いったい何を優先するか・・・
630 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 20:15:54 O
どんだけ語弊に満ちた社会かこのトピみれば分かるな
哲学の一語に人それぞれが、ここまで多様な意味合いを当て嵌めていようとはね(笑)
631 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 20:19:14 O
そして語弊=語謬
>>615 神の定義とか、馬鹿馬鹿しい話をしてるわけじゃないんですよ
何故神、あるいは真理を必要とするのか?
唯一の正しい物、それが無いと絶望してしまう心が、ありもしない神や真理を求めさせるのですよ
カントは何故、独我論を否定したかったのか。それが考えるべきポイントです
それを考えた時、カントの弱さが理解できるでしょう。彼は弱さ故に独我論に耐えられず、
慌てふためきながら、わけの分からない論理を組みました。それがカントの「物自体」への考え方に現れています
633 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 21:34:28 0
ある程度話の共通の定義の土台がないと、お互い何のこと語っているのかわからなくなる。
神はどうでもいいけど話がすすまない。
真理批判なら、そんなの現象学やポストモダン通ってみんなわかってるから。
わかった上で、カントにも見るべきところはあるんじゃないってこと。
634 :
迷いネコ:2010/11/01(月) 21:37:51 0
>>1 >哲学って何の役に立つの?
暇つぶしになります。(笑
>>632 >何故神、あるいは真理を必要とするのか?
もし、人類の知性が成熟する過程で「平和な未来」を希求するのであれば、その前提において「神・真理」というような、
「国、人種、宗教」等々のあらゆる「精神世界」を超越できる「普遍性を持つ『統一理論』」が必要になるでしょう。
その「普遍性を持つ『統一理論』」を創れる可能性のあるのが『哲学』ですね。
まぁ、私は、無神論者なので、その『統一理論』の核になるのは、
人類の事象・現象の根源であります、その『脳』ではないかと考えております。
つまり、その『脳』が『真理』ではないでしょうか・・・。
635 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 22:06:28 0
唯脳論ね。いいかえれば唯物論。それもわかりやすくてありですよね。
でも、唯物論は哲学ではマルクス、デモクリトス、ストア派、ニュートン以降の機械論的唯物論
くらいで、はやらないなあ。合理的な理由というより、なんか素朴すぎてダサいという印象が強いからかな。
とりあえず、今の先進国の共同体の共通理念は民主主義、自由主義、人権、法の下の平等、くらいでしょう。
これらも人間精神の産物、そして精神は脳の電気活動の産物、だから脳のしくみを究めれば・・・・
ということですね。う〜ん
636 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 22:23:28 0
現代においても、倫理、共同体、のありかたを法学、経営や行政の実務以上のレベルで考える上では、
哲学しかないと思います。自然の探究については哲学はもういらんかもしれません。
個人のレベルでは、ひとそれぞれだと思います。
637 :
迷いネコ:2010/11/01(月) 22:39:28 0
>>635 >そして精神は脳の電気活動の産物、だから脳のしくみを究めれば・・・・
>ということですね。う〜ん
そっ、そう言うことです、でも「う〜ん」が・・・。(笑
エーと、ですね、我々の『脳』の「生物・動物学」的見地から観た「性質・本能」や、
それに、「心理学・精神医学」等と「脳科学」という三種くらいを『哲学』で、
「普遍性を持つ『統一理論』」を創れるような気がするのですがねぇ? どうでしょう???
>>636 >経営や行政の実務以上のレベルで考える上では、
>哲学しかないと思います。
仰る通りだと思います。
>自然の探究については哲学はもういらんかもしれません。
そうじゃなくて、『哲学』に「自然」を取り入れていかなければ、「完成に近づかない」のではないでしょうか?
638 :
635:2010/11/01(月) 22:55:30 0
>>「生物・動物学」的見地から観た「性質・本能」や、
それに、「心理学・精神医学」等と「脳科学」という三種くらいを『哲学』で、
>>637「普遍性を持つ『統一理論』」を創れるような気がするのですがねぇ? どうでしょう???
うん。これならむずかしそうだけど、現代の諸科学を包括したかなりステキな「哲学」になりそう。
でもそうじゃなくて脳、ひいては物理化学だけですべて演繹だったら、それもありだと思うけど、ダサい(笑)。
合理的批判ではなく美的見地から自分のセンスに合わないなあという主観ですので、気になさらないでください。
639 :
635:2010/11/01(月) 23:12:45 0
>>637 そうじゃなくて、『哲学』に「自然」を取り入れていかなければ、「完成に近づかない」のではないでしょうか?
自然の「探究」に哲学を持ち込むのではなく、哲学の体系のなかに自然科学なども取り込むってことですかね?
それなら同意です。
科学屋がうるさくいってきそうですが(笑)。理系で哲学に理解のある人でなかった
ら、言うと面倒なことになりそうです。
640 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 00:17:46 O
自然というのは生活という生々しいものだということをすべての前提に位置付けなければ
社会の営みの前提に
自然の命の営みがある
社会の都合のみを重視しがちな世情では誤った見解にしかならない
自然な幸福は生きることだが、社会では様々な趣向的な
様々な幸福感を創造した
しかし生きることが命の本質的幸福だ
様々な幸福感
娯楽性は創造された幸福なのだから囚われてはならない
しかし文明社会の合理性は素晴らしい
生活に幅も安全性も与えている
要は順序意識
641 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 00:19:00 O
科学などは合理性と娯楽性のことだ
642 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 00:23:53 0
643 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 00:55:50 0
ああややこしい!自然=natureの意味も文脈によって全然違う。
本質って意味もあるし、あるがままって意味もある。
自然科学の自然は、観察する自己からみた外的現象、外的環境ってくらいの意味では?
そこからいきなり違う語義の自然の話へ。もう疲れた
644 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 00:58:09 O
>>643 要は近代の合理主義哲学は間違いだから燃やしてしまえってことだよ
異端と邪教は燃やせ
645 :
ン:2010/11/02(火) 01:14:18 O
気持ち悪くなってきた
敵意に当てられたというか、この攻撃本能は人間の業なのかねぇ
646 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 02:24:10 0
>>645 人間の業というより、なんでもかんでもにかみつき虫もいるってことじゃない?
相手の指摘を部分的に受け入れて自己を修正して、その上で言うべきところは言ってより強化すればいいのに、
むりにそのまま自己を正当化しつづけて何も受けつけないってタイプが意外に多い。そして自滅。
もうおれはそういうのみても気持ち悪くはならなくなったな。
647 :
迷いネコ:2010/11/02(火) 17:31:54 0
あららっ! 皆さん、盛り上がっていたのですね、う〜ん、乗り遅れてしまった・・・。(笑
>>638 >うん。これならむずかしそうだけど、現代の諸科学を包括したかなりステキな「哲学」になりそう。
でしょっ!
>でもそうじゃなくて脳、ひいては物理化学だけですべて演繹だったら、それもありだと思うけど、ダサい(笑)。
ヒドっ!(笑
でもねっ、人類が「平和」というのであれば、
もちろん、それが前提というのであればですが、「普遍性を持つ『統一理論』」が必要でしょっ?
であるならば、「国、人種、宗教」等々の個別の環境・文化などとは関係なく、
人類の共通項である『脳』で説明していければ「普遍性を持つ『統一理論』」が創れる可能性は十分考えられますよ。
>合理的批判ではなく美的見地から自分のセンスに合わないなあという主観ですので、気になさらないでください。
そんじゃ、ぜひ「合理的必然性『哲学』」でお考え下さいませ。(笑
648 :
迷いネコ:2010/11/02(火) 17:33:39 0
>>639 >自然の「探究」に哲学を持ち込むのではなく、哲学の体系のなかに自然科学なども取り込むってことですかね?
そうです。
>科学屋がうるさくいってきそうですが(笑)。
しかし、歴史的に観て、理系の人間に『哲学』がなかったがために、引き起こされた悲劇が多々ありますよね。
>理系で哲学に理解のある人でなかったら、言うと面倒なことになりそうです。
でも、そこで理解して頂けないようでしたら、「普遍性を持つ『統一理論』」にはならない、ですよね。(笑
649 :
迷いネコ:2010/11/02(火) 17:37:49 0
>>640 >しかし生きることが命の本質的幸福だ
うむ、すばらしい! 仰る通りです。
>様々な幸福感
私たちの『脳』に備わる「幸福感」は、
主に「セロトニン・アドレナリン・ドーパミン・エンドルフィン」等の脳内物質の分泌バランスで決まり、
その分泌バランスを決定するのが後天的な「条件付け・刷り込み」です。
>しかし生きることが命の本質的幸福だ
>娯楽性は創造された幸福なのだから囚われてはならない
残念ながら、そのむかし生きる中の「人の営み」から「幸福感」を創り出していた分泌バランスは、
その「人の営み」から逸脱した、
超人工的に、しかも大量に『 セロトニン・アドレナリン・ドーパミン・エンドルフィン』等の
『快楽』を司る脳内物質を上手に分泌させることを「条件付け・刷り込み」できる「娯楽」には、到底太刀打ちできません。
>社会では様々な趣向的な
>様々な幸福感を創造した
>要は順序意識
『やがて人は、己の愚かさに気付かないほど愚かになるであろう』
これは、化学物質汚染の研究者の言ですが、
しかーし、それは、化学物質ではなく、
己が『快楽』を司る脳内物質を上手に分泌させることを「条件付け・刷り込み」してしまい、
やがて人類は、そのようになるのかも知れませんね。
したがって、その「優先順位」を説明できるのも『哲学』ですし、
そして、その『哲学』で「しつけ・教育」を考えて行ければ、人類に希望も観えてくるのではないでしょうか?
昔はみんな哲学者だったってとこが肝だと思う。
昔の色んな学者を通して、様々な学問の思考法だけをかき集めて学ぶって感じ。
でもそっから先の世界に口出ししだしたら、それは哲学の越権だと思うし、
ガリレオやニュートンを哲学者だとか言いだしたら、それも他の学問成果をパクってる
って罵られても仕方ないと思う。彼らは生粋の科学者であって、哲学者だったなんて
言ってるのは哲学科の連中ぐらい。
哲学はあくまで思考法の訓練にあると俺は考えていて、それ以上でもそれ以下でもないと思う。
歴史家や科学者だって哲学してるわけだし、こと専門分野に関しては彼らの専売特許であって、
決して哲学者が口を出していい問題じゃない。
651 :
迷いネコ:2010/11/02(火) 17:40:31 0
>>641 >科学などは合理性と娯楽性のことだ
それが現代社会の根幹と言っても過言ではない状況である以上、
ちゃんと『哲学』して、整理整頓しないと、今現在の『混沌』から抜け出すことができない、と思うのですが?
>>642 >地球ってなんのやくにたつの?
エっ !? これっ、その「問い・質問」が間違っておりますよ。(笑
>>643 >ああややこしい!
>そこからいきなり違う語義の自然の話へ。
そりゃそうですよ、『哲学』ですもの。(笑
また、それをきちっと理解し統合できるのが『哲学』ではないでしょうか?
そもそも「自然科学」を『哲学』しなければ、この人間社会も理解できないと思いますよ。
>>644 まっ、簡単に言うと、そういうこと、になるでしょうね。
これまでの既成概念で何も解決できていないのですから、「リセット」で良いと思います。
652 :
迷いネコ:2010/11/02(火) 17:42:36 0
>>645 >この攻撃本能は人間の業なのかねぇ
それも『脳』の「性質・本能」ではありますが、
>敵意に当てられたというか、
あの、ここから、落ち着いて、冷静に聞いて下さいましね。
なにかにつけて、他人の言動を「敵意・悪意」と取ってしまうというのも『脳』の「性質・本能」で、
その多くの場合は、後天的な「条件付け・刷り込み」で決定されております。
なので、私が私の立ち居値から観ても、たとえあなたの立ち居値に立ったとしても、
私には、
>>644 氏の言動が「敵意」と言う次元・レベルのものではない、と思いますよ。
これも、また『哲学』ですね。
>>646 >むりにそのまま自己を正当化しつづけて何も受けつけないってタイプが意外に多い。そして自滅。
そういう方々とも、お話しを続けられるのが『哲学』だと思いますし、
なんだかんだ言っても、みんな同じ次元に生きて、善し悪し、両方影響し合っているのですから、
「普遍性を持つ『統一理論』」ができれば、なるべく「善し」のほうを影響し合い、みんな仲良くできますよ。
>もうおれはそういうのみても気持ち悪くはならなくなったな。
うむ、その「気持ち悪くならない『哲学』」も重要ですね!(笑
当時は自然科学のことを自然哲学と言ったんですよ
ガリレオやニュートンの時代は今ほど哲学と科学が区別されてなかった
自然を対象に興味をもち、自然について考える哲学は自然哲学で
哲学とさほど区別していたわけでもあるまい
近代の哲学者も、おおかれ少なかれ、哲学以外に数学や物理学で成果を挙げている
デカルトのカルテジアン座標
ライプニツの微分、積分
パスカルの法則
アリストテレスだって、ニュートンの時代はアリストテレス学派は自然科学における一大派閥だった
655 :
迷いネコ:2010/11/02(火) 17:55:38 0
>>650 >歴史家や科学者だって哲学してるわけだし、こと専門分野に関しては彼らの専売特許であって、
>決して哲学者が口を出していい問題じゃない。
つい先日TV番組で、バイオ関係の研究者に、
「『ヤバい』って思っても、探究心・好奇心で 突っ走ってしまいそうになることはないのでしょうか?」
という問いに対し、研究者は、
「近年は、歴史を踏まえ、『倫理学・哲学』等の学者も交え、研究を進めております」
というように答えておりました。
我々は、すでに『人類の新たなるステージ』に入りつつあるのですよ。
656 :
迷いネコ:2010/11/02(火) 17:58:16 0
>>653 >ンドールさん
過去よりも、未来を観ましょうよ。
>>654 ほんの70年前ぐらいまでの話だけどな
アインシュタインだって哲学好きだし
マッハは半分哲学者だし
物理学や数学の最先端の成果は哲学にも影響があって
哲学と科学は互いに影響を与え合う関係だった
ほんの70年前までの話だ
大学ができて、学問が細分化されて、生きるための技術としての学問が発展して
純粋に研究に生きる人は少なくなった
同時に哲学も廃れたというわけだ
あと、1970年代から知性に対する抵抗運動が哲学で流行った
それも哲学がおいてけぼりをくらう原因になったのではないかと
個人的には考えている
658 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 18:46:04 O
>>649そこまで読み取ってくれ…
且つ話を拡げてくれて
補足してくれてウレシイよ
659 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 18:54:16 0
まあ、唯物論唯脳論とか、科学万能哲学不要とか、
ドイツ観念論最高とか言う前に、どちらもまず
ウィトゲンシュタイン読み込んでみろってことだ。
その上で、考えが変わるか変わらないか、たしかめてほしい。
最初は野矢さんの「論理哲学論考を読む」がおすすめ。
660 :
迷いネコ:2010/11/02(火) 19:27:26 0
>>658 どういたしまして!(笑
エっ !? ここから先は? 拡げないの???
もう『○○○』読め、『○○○』お勧め、『○○○』読んでみろ
ってのは飽きたから、その『論理哲学論考を読む』を要約して、
端的でいいから、根拠を明示しながら思うところ述べてみてよ。
大学でも1回生からずっとやってるだろうし、1200字あればできるでしょ。
若干日本語崩壊気にせず
663 :
迷いネコ:2010/11/02(火) 20:42:27 0
>>657 >アインシュタインだって哲学好きだし
でも、アインシュタインが「E=mc2」を導き出したのちに、
「科学・物理・数学」者に『哲学』が備わっていたのなら、原爆は製造されなかったかも知れませんよねぇ?
664 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 20:44:10 0
今 隕石が地球にぶつかることがわかったら
アメリカの宇宙技術と核兵器だけが頼りだ
>>663 むしろ原爆の正当性を捏造するのに必死になってたと思います。
666 :
迷いネコ:2010/11/02(火) 20:56:25 0
>>664 はい、仰る通りでございます。(笑
>>665 それは、そのころの学者には「『哲学』が無かった」ということでしょうね。
667 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 20:57:31 0
太陽系はいずれなくなるし
宇宙自身もやがて消滅する
核兵器なんてまだまだ初歩的な技術
科学の必然性はとめられない
人類が生き残りたかったら
668 :
し:2010/11/02(火) 21:04:47 O
最近本当に理系の勉強しようかと思う。
それくらい物理の力学が人間の性のベクトルに即しているか
とか化学記号が俺の女性との相性に関係してるかとか
生物学が自らの存在に意味を付与してくれる
かと思う
669 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 21:22:03 0
原爆を実際に使ったのは
人類にとって本当に不幸だった
>>659 結局、ヴィトゲンシュタインを読めばどのように変わると言いたいのですか?
それが言えないのであれば、あなた自身がヴィトゲンシュタインを精読すべきではないでしょうか
671 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 21:43:30 0
構造主義 多元的現実論を哲学の議題にあげるかどうか
ヴィトゲンシュタインの提唱する言語ゲームは、科学哲学で言うところの理論負荷性でしょうかね
我々の言語(理論)自体が我々の認識(観察)に影響すると言ったところでしょうか。ただ、
>語りえないことについては、沈黙しなければならない。
これについては、全くもって違うと思いますね。語らねば真理が残るとでも思っているのでしょうか
沈黙する必要など無いのです。何故なら真理は無く、即ち正しい何かも無いからです
ヴィトゲンシュタインにとっては正しくとも、他の人にとっては価値の無い言葉とも言えるでしょう
673 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 22:23:28 0
>>663 それは違う。個々人が己の欲、あの場合は科学欲や戦争欲、を追求してしまうのは自然なこと。
それに反する行為は、自然や真理や道といったものに反する行為であり、どう言おうと「哲学」とは結びつかない。
科学になった時点で欲の追求という自然な流れに掬われる。
だからあれを原爆などに悪用されたくなかったなら、アインシュタイン自身が自分だけのものにしておかなければならなかった。
674 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 22:32:39 0
ユダヤ人はナチに惨殺されていた
世界有数の科学者を持っていたドイツから
優秀なユダヤ系科学者は
アメリカにわたり ナチを倒す兵器を開発した
それが原爆である
それが不幸なことか日本に落とされる結果になった
かといって
科学の発展はとめないほうがいいと思う
675 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 22:36:06 0
哲学書を読め読めという指摘をよく耳にするが、ただ多読しただけでは理解に近づけないと私は思う。
哲学書は何も真理を抜き出して掲載しているわけではない。実態は主張に主張をかさねているだけだ。
主張を理解するには、つまり賛同するには、文の意味が分からなければいけない。文の意味は著者の意味するところのコンテキストに接近しなければ分からない。
同時に文章で伝えようとされている著者の思考にできるだけ近づかないといけない。
畢竟、著者の人生経験に近いくらいの人生経験はつまないといけないということ。
難解な内容に対し、子供の浅い人生経験のアーカーブから淡白なイメージを何度借用しても用をなさない。
原爆はアインシュタインがアメリカ大統領に手紙を送って開発されたんだよ
「わたしの理論を応用すればすさまじい性能の兵器をつくることができます」
ただ、アインシュタインはドイツが先に開発する危険性を危惧していた
終戦後、ドイツの核開発が実用段階には遥かに遠いことを知ると
アインシュタインは自らが核兵器を提言したことを悔いたという
他人を信用できないレベルの戦争をした以上
アインシュタインに罪はないと思う
ただし、アインシュタイン本人はとても罪悪感にかられていただろうが
心臓破裂で没する一週間前に核兵器廃止運動への参加表明をしていたはず
677 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 22:49:49 0
673続き
ちなみにそのように発見や技術を自分だけのものにして他者に悪用されないようにしたものが魔術の類いであると私は理解しております。
一見いんちきくさい奇跡とかも、その類いである可能性はあります。
例えばヒーリング、手をかざして痛みを取る。あれは、鎮痛作用のある物質を手に擦り当てておいて、それを幹部に当てているだけであります。
もちろん、おなじ物質で薬をつくれば同じ効果がでますが、それをやったのが西洋医学薬学であります。
(つい最近名古屋の会議か何かで問題になってましたね。)
ちなみに、私がその手かざし魔術に気づいたのは、とうがらし料理を作った手で自らのナニをズボンの上から触ったところ、ナニが腫れたという事件の後でした。
炎症作用が”手当て”で起こせるのなら、その逆もしかりだろうというまっとうな推論であります。
盲点は、ズボンやパンツは何も通さないように見えて、実はスカスカだということ、そして、薬の気体も薬だということです。
678 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 22:57:39 0
ですから、魔術が古くて陳腐だとか時代遅れだとかいって切り捨てるのは、魔術の本質を知らない人の妄言です。
真法陣やらナンやらは真の目的(悪用予防)のカモフラージュだったり、処方の精神集中の為だったりしたのであります。
>発見や技術を自分だけのものにして他者に悪用されないようにしたものが魔術の類い
魔術は技術ではない、勘違いしている。技術なら再現性やら人の能力には依存しない。
自然の本質を捉えているのならば、然たる力を知っているはずだ。
君が言葉にしているのはそれではない、理屈やら仕組みで作られた方法論である、
然たるものとは逆の原理である。奇跡とは必然性が生む結果でしかない。
ただそれを奇跡と呼ぶか呼ばないかだけの話にすぎない。
>真法陣やらナンやらは真の目的(悪用予防)のカモフラージュだったり、
カモフラージュではない、異世界と人が結ぶ為の道具である。
異世界が分からないなら、「相撲界」「芸能界」などと置き換えれば分かるだろう。
魔法という原理は仕組みではないということを覚えておいた方がいい。
それは自然に起きることであって、人が介在するのは自然の潮の変わり目
を読み取り極僅かな違いで変化するそれを人為的に操作するだけな。
例えば核爆弾のボタンをその仕組みシステムとは無関係に押下するのとおなじ、
ただ自然の秩序が異世界という意味のある状態になりそれを読み解ける
人は極わずかってことだ。単に一瞬にしかこない季節風の突風を敏感に
受け取り渡り鳥が一気に上昇して高度な高さに登るのもそれだ。
ただそれは原理があっても仕組みは無い、仕組みは然として成り立つ
偶然の重なりから生まれるものであって然が計れないなら予測はできない
それは地震予知で地震の起こる日を科学で予測できないのと同じ。
680 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 23:12:39 0
まあ、ヒントは "よくわかる現代魔法(スターダッシュ文庫)"からも貰いました。
おもしろいので皆さんにも一読を薦めます。プログラミングの知識が多少でもあれば一層楽しめる作品です。
681 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 23:39:35 0
>>679 >勘違いしている。技術なら再現性やら人の能力には依存しない。
丁度675がありますから、そちらを読んでください。理解するには文章のコンテキストはちゃんと理解しましょうということです。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/51867/m0u/技術/ あなたはこの辞書でいう2の意味に固執していますが、コンテキストでは1の意味です。
英語でいうならあなたの勘違いはtechnique、コンテキストの意味はskillです。
>〜話にすぎない。
私のが単なる方法論なら、あなたのいうことも書かれている内容からよみとれるのは、単なる理論であるということです。
批判したいようですが、あまり批判の効果はないかと。
>魔法という〜
これも、
>>675です。
あなたの主張もわかります。ですが、それは私のへ安価をつけて反論じみたことがゆるされる種類の主張ではないです。
私のコンテキストは魔術です。magicやsorceryです。あなたは、呪術寄りな意味で私が言っていると勘違いし、"術"から離れたmagic的な意味で反論しています。
>>681 オカルトの類の末端もしらないのに、言葉尻で批難するようなのは
大人気ない。
言葉の定義とか、それは文化によってやら専門やら価値観でかなり
変わってくる、つまり君が示したそれも然り正しいとはいえない。
悟れ。
近代のはじめは科学と占星術と錬金術と魔術は分化してなかった
デカルトもまた錬金術にはまってたそうだ(俺の読んだ本ではデカルトの名があった)
当時の魔術や錬金術は事実を変革することではなく
術者の精神を変革することを目的としていたらしい
錬金術も、精神が至高に達することを目的としていたそうだ
近代科学革命と共に、精神が高みを望む文化は消えていった
(魔術には白魔術と黒魔術があり、一般的な魔術は白魔術
自分の精神ではなく世界に変革をもたらそうとする魔術は黒魔術と呼ばれ、タブー扱いされていたそうだ)
684 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 01:04:05 0
>>675 そのとおりだが、ウィトをあげたのは、
哲学、あるいは科学の探究における言語上の適用範囲を確定しようと
して格闘してるようだったから。彼の営みをヒントにしてみてくれってこと。
685 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 01:57:37 0
哲学は職に限定すれば役に立たせようとすると大変だろうけど、
人生においては大いに役に立つと思うよ。
いろんな人と話を通じて、
「この人はこんな考え方をしているのかー!」とか
「こんな考え方もあったのか」とか
と次から次へとでてくると思うんだよなー。
それらを取り入れたりすることで自分の思考の幅が広がったりするし、人間として豊かになると思うんだ。
686 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 04:29:32 0
というのも相対的ですね というのも相対的ですね というのも相対的ですね
というのも相対的ですね というのも相対的ですね というのも相対的ですね
というのも相対的ですね というのも相対的ですね というのも相対的ですね
>>634 普遍などという概念は、我々の勝手な想像の中でしか成り立ちません
ですから、普遍性を持った統一理論そのものが成り立たないと言えるでしょう
人類が成熟するというのは、真理を求める幼さを捨てる事ではないでしょうか
>>687 それはまだ幼い
真理を捨て、その後にまた真理を拾い直してもよかろう
>し
>>668 勉強することはいいことだ
勉強することで様々な想像を働かすことができ、自分の中に新しいアイディアが発生するからだ
ノーベル化学賞を受賞した田中さんも言っていたが
化学の土台は空想、想像力だ
(「実験は化学の昼の部分で、実は夜の部分が重要だ」と発言している)
自分の興味あること、感心あること、困難な問題
それらと向き合うこと
大きい想像力でそれらの解決に乗り出すこと
それは知的に創造的で素晴らしいことだ
『饗宴』でソクラテスは言う
「愛の本質は出産だ」
肉体的な愛では肉体的出産
精神的な愛では精神的な出産が愛の偉大な成果だ、と
君の想像力が様々な知識と衝突しながら
君が新しいアイディアを創造するならば
それは君の知的出産であると言えるだろう
まさしく、知的な愛なわけだ
愛知のドラゴンズに優勝してほしいものだ
690 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 08:58:50 0
>>687 >普遍などという概念は、我々の勝手な想像の中でしか成り立ちません
かも? 知れませんね。
>ですから、普遍性を持った統一理論そのものが成り立たないと言えるでしょう
ただ、私が言っているのは、前提として「平和を『哲学』するのであれば」であって、
そこに「普遍性を持つ『統一理論』」が登場するのは「合理的必然」です。
これが『哲学』なのです。
>人類が成熟するというのは、真理を求める幼さを捨てる事ではないでしょうか
その「真理を求める幼さを捨てる『にはどうすればよいか?』」を考えるのが『哲学』ではないのでしょうか?
>迷い猫
あぁ、ところで新スレ建ててくれないかな?
俺は建てれなかったんだわ
スレタイは「現代の神話」か「21世紀の神話」で頼む
「未来の哲学」でも結構
692 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 09:10:00 0
>>687 <PS>
人間の「真理・本質」は、その『脳』に基本プログラムされてある、
《人の「行動原理」は、「すべて『己』」を満足させようとする『自己満足』にある》
のです。
694 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 09:19:29 0
>>693 人間の「真理・本質」は、その『脳』に基本プログラムされてある『本能です』
これでは、皆様が理解できないでしょう?
それに、それでは「『哲学』じゃない」ですよ。
695 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 09:22:07 0
>>691 >ンドールさん
申し訳ない、私、新参者でして、
まぁ、他人様のスレッドで十分楽しませて頂いているので、手続きがよく解らないのと、
>スレタイは「現代の神話」か「21世紀の神話」で頼む
>「未来の哲学」でも結構
それに、あなたが「現代・21世紀・未来」の「『哲学』を語りたい」ようには観えないのですが?
>>694 >《人の「行動原理」は、「すべて『己』」を満足させようとする『自己満足』にある》
この『脳』に基本プログラムされている「行動原理」とやらが本能だって言ってるんだけど
>>695 僕にとって未来は現代から続いていくもの
既存のものを叩いて新しいものを産み出すことこそ、現代から未来へと知恵をつないでいくべき、われわれ現代の知識人の義務だと考える
もちろん、僕が批判しようと企んでいるのは
この板にいる大半からは反発をくらうようなものだろう
君もきっと反対するだろう
それぐらい猛反発が起こりそうなことを発言するつもりだ
まぁ、しないならしないでいい
別の誰かに頼むまで
>>690 普遍が無いというのだから、平和を考えた場合でも当然普遍的な理論などありませんよ
大前提として普遍そのものを否定しているのだから、この場合その大前提を否としなければ、
あなたの主張は全く通りませんよ
真理を捨てるにはどうすれば良いか、を考える哲学ですか
そもそも真理を捨てる必要があるのか?という問いがあります
真理が無いということは、善悪の二元論もまた無いということです
真理を信じない事が正しい、という事も成り立たないわけです
絶対に正しい何か、それを追い求める事を止めることが、正しさを追い求める事を止める事が真理との決別だと思います
699 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 10:11:41 0
>>696 はい、まぁ、それでもいいんですけど・・・。
>>697 >ンドールさん
私が、
あなたが「現代・21世紀・未来」の「『哲学』を語りたい」ようには観えない、
と言っているのは、
>既存のものを叩いて新しいものを産み出すことこそ、現代から未来へと知恵をつないでいくべき、われわれ現代の知識人の義務だと考える
そこ、なのですよ。
あなたは、そう仰りながら、
>ノーベル化学賞を受賞した田中さんも言っていたが
>『饗宴』でソクラテスは言う
と、私には、あなたは「『なにも』新しいものを産み出してはいない」ように観えますがね。
700 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 10:36:27 0
>>698 >普遍が無いというのだから、平和を考えた場合でも当然普遍的な理論などありませんよ
私の「かも?」は、「無い」とは意味が違います。
私はべつに、揶揄・ヒニクで申し上げる訳ではないのですが、
>真理を捨てるにはどうすれば良いか、を考える哲学ですか
>そもそも真理を捨てる必要があるのか?という問いがあります
>真理が無いということは、善悪の二元論もまた無いということです
>真理を信じない事が正しい、という事も成り立たないわけです
それは、つまり、
>>>人類が成熟するというのは、真理を求める幼さを捨てる事ではないでしょうか
こちらに関して、あなたは、とくに「『哲学』をお持ちではなかった」ということでしょうか?
>絶対に正しい何か、それを追い求める事を止めることが、正しさを追い求める事を止める事が真理との決別だと思います
ようするに、それは「人類が未来においても『諍い・戦争・虐殺』を『繰り返しても構わない』」ということなのでしょうか?
>>700 哲学を持つという意味がよく分からんが…
人類が成熟というのは、省略していますが「私の目から見て」という意味です
そして真理が無いという立場なら、成熟することが普遍的に正しい事というわけでは無いです
ただ、私だけの、独断的な意見であれば、真理が無い事は正しいと思える、というだけの話です
>ようするに、それは「人類が未来においても『諍い・戦争・虐殺』を『繰り返しても構わない』」ということなのでしょうか?
人は争うものです。繰り返しというのなら、人類の生とは賽の河原で石を積むような行為でしょう
どれだけ石を積んでも、いつか崩されてしまいます。それの繰り返しです
虐殺を悪だとし、攻撃しようとする姿勢もまた「争い」である以上、永遠平和の希求もまたある種の「戦争」です
702 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 11:06:47 0
>>人間の「真理・本質」は、その『脳』に基本プログラムされてある
まあ生物系の学部生あたりがいいそうなことだな。
・脳の形成・発生は、遺伝子に先天的にプログラムされている部分と、後天的な入力情報による可塑性の
両方によるよな。遺伝子にあらかじめある設計・作動のコードならともかく、脳と世界との相互作用
や自由意思の問題、ニューロンの自発的活動の問題まで考えるとどうなんかね?唯脳論って。
よほど便利な観点なら人間の本質は脳の先天的プログラムだとして唯脳論で統一理論つくってみてもいいけど、
そうとう苦しい(ほかのあらゆる思想も苦しさもってるけど。)。美しくもない。おれは生理学専門だけど、
あえてこの脳一元論的観点をとることで世界や自己、芸術、社会、情念、倫理、を矮小なものにしようとは思わない。
>>真理ってどういう意味?現実の本質としての可能世界とか可想な実体とかのこと?
脳のプログラムが人間の本質的実体ってわけか。そんな前提に固執するより、あくまで考察の視点のひとつとしておいて、謙虚慎重に研究したいところだ。
それとも世界と対応していて有意味な命題ってこと?言語・論理上の妥当性?
これならまた話がちがってくるな。
703 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 11:18:45 0
せいぜい、脳の物理的機能⇔精神、世界、自己、社会の対応関係ならまちがいなくある、
ということには全員同意なはずだ。科学はこれを探究している。
そうじゃなくて、脳の機能(本質)⇒精神、世界、自己、社会とするなら、これはもう科学の成果
いかにとりいれたところでもう科学じゃない。もう一種の個人的信念になるが、もろもろの思想体系のなかでは、
幼稚な部類。
704 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 12:21:47 0
>>701 >哲学を持つという意味がよく分からんが…
それはですね、ご自身が「『答え』であろうこと」を探求し、
そこにたどり着くまでの「理屈・道理・論理」で構成された「『理路』があるか?」ということです。
>ただ、私だけの、独断的な意見であれば、真理が無い事は正しいと思える、というだけの話です
それでしたら、お話しが終わってしまいますよ。
>人は争うものです。繰り返しというのなら、人類の生とは賽の河原で石を積むような行為でしょう
>どれだけ石を積んでも、いつか崩されてしまいます。それの繰り返しです
本来、人という動物は、「闘争・支配」というような『本能』は備えていても、
むやみに、ましてや快楽のために「傷付ける・殺す」という『本能』は存在しません。
>虐殺を悪だとし、攻撃しようとする姿勢もまた「争い」である以上、永遠平和の希求もまたある種の「戦争」です
私は、「攻撃しようとしている」訳ではないのです。
私は、ただ、
「人類に、むやみに、ましてや快楽のために『傷付ける・殺す』というような『本能』は存在しない」
ということを申し上げたいだけです。
705 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 12:38:10 0
>>702-703 まぁ、ごく普通に考えて「人類の事象・現象の根源は、その『脳』である」のです。
>いかにとりいれたところでもう科学じゃない。
そのように捉えるのも「あなたの『脳』」であり、
その「科学」を創造したのも「人の『脳』」です。
>もう一種の個人的信念になるが、もろもろの思想体系のなかでは、
>幼稚な部類。
そして、そのようにご判断されるのも、人である「あなたの『脳』」ですね。
706 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 12:43:27 0
はああ・・・。養老さんの本でも読んで真に受けたんかな?
単純だなあ。
それなら、「脳がよろこんでるんですよ〜」とかテレビでいいつつ、
その実、数学的プラトン主義者ともとれる茂木さんのほうがまだ深い。
707 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 12:49:50 0
>>706 これもごく普通なのですが、
>はああ・・・。養老さんの本でも読んで真に受けたんかな?
>単純だなあ。
ご自身が「賢い」と思い込むのも「あなたの『脳』」です。
>それなら、「脳がよろこんでるんですよ〜」とかテレビでいいつつ、
>その実、数学的プラトン主義者ともとれる茂木さんのほうがまだ深い。
いいえ、茂木さんは、浅いですよ。
708 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 13:23:30 O
>>660のびますね
のばしますね
迷い猫さん
すみませんが僕は社会人でヒマも少なく頻繁に参加することが難しい現状にあります
こりゃすごい
709 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 13:33:10 0
>本来、人という動物は、「闘争・支配」というような『本能』は備えていても、
むやみに、ましてや快楽のために「傷付ける・殺す」という『本能』は存在しません。
とは、学習無しで在ると言いたいのかな?よくわからないからもうちょっと詳しくせつめいしてくれないか??
710 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 13:38:57 0
>>708 >すみませんが僕は社会人でヒマも少なく頻繁に参加することが難しい現状にあります
私も普段は、夜の参加で23時ころまでなのですが、今日は、文化の日なのでね。(ピッタリ!
>のびますね
>のばしますね
そりゃあ、「人類の事象・現象の根源は、その『脳』である」のですから、いくらでも無限大に展開できますよ。(笑
711 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 13:46:48 0
量子脳理論。これもばかげてるが、浅くはないぞ。
それも脳、これも脳っていうだけで話するよりか。
脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳。以上。
心理学と生理学の成果から、なにか言えること言うってくらいなら有意義だけど。
712 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 13:51:51 0
>>709 つまり、
「人類を含むほ乳類は、同類をむやみに傷付け、殺したりしない、というプログラムが『本能』として『脳』に備わっている」
ということですね。
713 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 13:55:27 0
>>711 アドレナリン値が上がってますよ、少し落ち着いて下さいませ。
そのように、アドレナリン値を上げてしまうのも「あなたの『脳』」ですね。
ようするに、人は『脳』で説明できるのですよ。
714 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 14:06:46 0
脳⇒なんとか と 脳⇔なんとか の違いがわからんかなあ。
いや、そういう意見も脳だ、とか延々と言ってたいんだろうが、
その論法も 脳⇒なんとか の図式を丸のみして使ってるだけ。
脳⇔なんとか までにしとかんか。アドレナリン⇒精神
じゃなくアドレナリン⇔精神だ。それがどうした?その先は?
715 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 14:20:10 0
>>714 >その先は?
その先ですか、そうですねぇ・・・。
簡単に言えば、私が
>>649 で申し上げたようなことなのですがね。
読み返して頂いて、ご質問等頂いても結構ですよ。
716 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 14:46:41 0
>>715 649読んでみたけど、話の筋はまともで、ありだと思いますが、これ唯脳論じゃないなあ。
苦しくなってくると、一転して脳一元論であれも脳これも脳っていいだす。
君の立場や思想をよく整理してみてほしい。
717 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 14:53:53 0
脳と精神の対応関係、まではいえるけど、
脳⇒精神まではいえない(これは個々の信念の部類であり、一部の単純なひとにしか通用しないから、
これもってきて議論から逃げようとしてもダメ)。
この件については?
>>704 話が終わる、という意味がよく分かりません。あなたが求めるものが真理、
つまり何らかの「正しい答え」だとするのなら、それは無い、という話ではありますが
>「人類に、むやみに、ましてや快楽のために『傷付ける・殺す』というような『本能』は存在しない」
じゃあ戦争なんて一度も起こってないでしょう…。社会という構造が戦争を起こすのだと言うのなら、
社会を形成するのもまた人間の本性です
また、その「本能」ってのは一体いかなる「真理」なのでしょうか?
>>670 少なくとも「哲学書」に書いてあることを疑いながら読めるようになる。
720 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 16:12:40 0
>>716 >649読んでみたけど、話の筋はまともで、ありだと思いますが、これ唯脳論じゃないなあ。
なんちゅうか、ですから『哲学』・・・ そうですねぇ、「人類『哲学』」なのですよ。
>君の立場や思想をよく整理してみてほしい。
もちろん、前提として、ですよ、「平和を『哲学』するのであれば」
そこに、「人類の事象・現象の根源が、その『脳』にある」のですから、
その「国、人種、宗教」等々の個別の環境・文化などとは関係なく、
人類の共通項である『脳』で説明していければ「普遍性を持つ『統一理論』」が創れる可能性は十分考えられます。
ようするに、
「平和を『哲学』するのであれば『脳』を核に普遍性を掲げた『統一理論』が登場するのは『合理的必然』である」
こんな、感じでしょうかね。
>>717 >脳⇒精神まではいえない(これは個々の信念の部類であり、一部の単純なひとにしか通用しないから、
>これもってきて議論から逃げようとしてもダメ)。
>この件については?
それは、可笑しい? ですよ。
では、「精神」は、人の「どこ」に存在しているのでしょうか?
白熱しているところ悪いが
>>699 日産が経営破綻した時、CMで「ルネサンス、日産」というフレーズがよく流れた
「ルネサンス」とは「生まれ変わり」「再生」を意味する
「新しくなるのになんで元に戻るんだよ」と突っ込みが入ったものだ
歴史のルネサンスは「文芸復興」などと訳される
中世、キリスト教一色だったが、十字軍の遠征によりイスラム文化が輸入される
そこでは「反キリスト教的」と禁書にされていたアリストテレスの文献も入っており、「アリストテレスをもう一度読もう」という動きが起きた
これを受けて「プラトンを教会抜きにもう一度読もう」という動きも起きた
このように、古典をもう一度読み直して新しい思想の開拓につながった。これを「ルネサンス」と言う
薬学における新しい薬はどう開発されるか
これも古くから民間療法を研究して、そこから効果的な成分を特定して
薬として精製する方法が主流だ
東洋では「温故知新」という言葉になる
悲しいことに、人間の知識は過去や現在の上にしか未来をつくれない
それは絶望すべきことかもしれない
古いものを【すべて】捨て去ったところに新しいものを産み出すことはできない
それは、新しいものを産み出すことに生き甲斐を賭ける者には残酷な事実かもしれない
さて、君の言うとおり、【俺は】新しいものを何一つ産み出していない
論述を企てた「マイスオブフレームワーク」もまた、俺の産出物ではなく誰かの産出物だ
さて、「科学は実験より想像力が大事」
このことは読み人にとっては知っていたことだろうか?、知らなかったことだろうか?
もし、このことが読み人にとって新しい領域に踏み出させるならば
僕はまさしく、古きを提出することにより、新しさを読者につくったのである
また、この古きを叩いて新しい発言をするならば、僕はまた古きをもって新しさをつくる助力をしたのである
「そんなの知っていたよ」と言われた時、僕は無駄な努力をしていたことになる
誰もが知っていて同意しかしないことを発言することが、実は何も新しさを産み出さないことなのだ
723 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 17:03:40 0
先生ってなんのやくにたつの?
724 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 17:44:55 0
>>では、「精神」は、人の「どこ」に存在しているのでしょうか
まさか、頭蓋を指さして、「ここ」とかいうわけじゃあるまい。
空間のなかを見渡してどこ?っていう問いがおかしい。
「今、ここ」ですよ。
725 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 17:48:48 0
>718
>話が終わる、という意味がよく分かりません。
それは、
>>>ただ、私だけの、独断的な意見であれば、真理が無い事は正しいと思える、というだけの話です
ここで、私の「あっ、そうなんですか」で、展開なしに簡単にお話が終わってしまいます、ということです。
>あなたが求めるものが真理、
>つまり何らかの「正しい答え」だとするのなら、それは無い、という話ではありますが
ちょっとねぇ、理解が違うようです。
ようするに、人類の『本質・真理』は、「正しいか否か」ではなく『有・無』を問うものではないでしょうか?
>>「人類に、むやみに、ましてや快楽のために『傷付ける・殺す』というような『本能』は存在しない」
じゃあ戦争なんて一度も起こってないでしょう…。社会という構造が戦争を起こすのだと言うのなら、
それは、「『脳』のプログラム・エラー」です。
>社会を形成するのもまた人間の本性です
>また、その「本能」ってのは一体いかなる「真理」なのでしょうか?
つまり、今現在は「『脳』のプログラム・エラー」により創造された『社会』なのです。
726 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 18:09:20 0
>>724 >まさか、頭蓋を指さして、「ここ」とかいうわけじゃあるまい。
いやいや、それで「いいんデスっ!」よ。(笑
>空間のなかを見渡してどこ?っていう問いがおかしい。
>「今、ここ」ですよ。
まさか、ご自分の胸に手を当てたりしてませんよねぇ?(笑
今現在、科学者・研究者の間では、
人の情動は、大脳辺縁系、とくにその中にある、扁桃核、という部位が主に受け持っている、と言われております。
まぁ、このあたりが人の「心・精神」の中心ではないでしょうかね。
727 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 18:19:10 0
ここまで言って、まだ伝わらないか・・・。
まあおれは観念論者じゃないが。だれか言ってやってくれ。
728 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 18:23:17 0
>>727 >ここまで言って、まだ伝わらないか・・・。
それは、きっと「あなたの『脳』」が理解できないだけ、ですよ。
729 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 18:33:37 0
脳を指さして「ここ」と言っている「それ」が精神そのものだ。
脳と相関関係にあるが、脳=精神とは違う。
730 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 18:44:17 0
>>それは、きっと「あなたの『脳』」が理解できないだけ
いや、十分君の意見わかった上で言ってるんだと思うが。
ニューロンの発火が「自然に」起こるような脳話に興味はない。
>>722 >さて、「科学は実験より想像力が大事」
違う。「科学は」ではなく、「科学の前進には」だろ。
科学が科学を破壊し、過去を修正し科学の一部の学説が間違いだったってことを
認める。これが前進ってことだ。
想像力だけならオカルトとどこが違う?
理論だけではSFと同じ。SFだって完璧に近い理論武装で架空の希望を描く。
733 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 19:15:44 0
>>732は迷い猫かね?ちがう?
外部入力がなくてもニューロンの自然発火があるのはよく知られてるだろ?
これに重要な意味があるかもってこと。まあ、いまはその話題じゃないね。
732は、おっしゃるとおり。オカルトの定義がはっきりしないが、
成立している事実以上に、言語的な「可能空間」まで考察するあたりが哲学は
オカルト(たぶんあなたの使う意味での)ですね。だからといってすぐ哲学無意味とする
のは早いでしょうけど。
734 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 19:20:50 0
>>729 >脳と相関関係にあるが、脳=精神とは違う。
いえいえ、人の 『脳』=『精神・心』 ですよ。
>>730 >いや、十分君の意見わかった上で言ってるんだと思うが。
いいえ、 人の 『脳』=『精神・心』 ということが理解できておりませんよ。
>>731 >ニューロンの発火が「自然に」起こるような脳話に興味はない。
これは、あれでしょうか?
目にしたとたん、条件反射でアドレナリン値が上がる、
ってことかなって、思ったのですが、なんか違うみたいですねぇ?
>>725 脳のプログラムエラーってのは、私には失笑物ですね
そもそも、何が正しい脳のプログラムなんでしょうか。さらに、誰がそれを決めたんでしょうか
さらには、脳のプログラムなるもの自体、果たして存在するんでしょうか
確かに話は終わりそうですね。あなたの「脳のプログラム」なる独断的な真理は既に完成しているのでしょう
736 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 19:37:05 0
>>735 >さらには、脳のプログラムなるもの自体、果たして存在するんでしょうか
それが存在するからこそ、人類は『種』として、今まで存続できたのですよ。
>確かに話は終わりそうですね。あなたの「脳のプログラム」なる独断的な真理は既に完成しているのでしょう
そうですね、ここが「折り返し点」になりますね。
737 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 19:38:14 0
人の 『脳』=『精神・心』の根拠言ってみ?
アドレナリンやセロトニン投与したら気分変わるとか、
興奮状態にあるとき、脳のある部位がある活動パターンを示す、
とかその脳部位こわしたらその精神機能消えるとかだけじゃ、
その精神状態とある物質・物理現象が対応している、
とまでしか言えんよ。脳・物質⇒精神じゃないといかん証拠ではない。
ほんとはわかってきてるんじゃないか?頭悪くはなさそうだし。
むしろ、ふ〜んでもぼくは唯物論唯脳論をとるほうが性格的にしっくりいくんだ
でいいんじゃないか?
まあ、脳の研究してる青二才の未熟な院生の私を根本のところから説得できん時点で説得力ある統一理論
はむずかしいなあ。
これを出発点にして、持論を強化していってください。どっちにしろ完全な思想なんてないのです。
738 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 19:54:43 0
>>737 要するに、お互いじっくりいきましょうってことです。
自説の見解に固執して断定的に言うのはお互いまだ早いでしょう。
739 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 20:25:20 0
>>737 >アドレナリンやセロトニン投与したら気分変わるとか、
>興奮状態にあるとき、脳のある部位がある活動パターンを示す、
>とかその脳部位こわしたらその精神機能消えるとかだけじゃ、
>その精神状態とある物質・物理現象が対応している、
なんだ、ちっと知ってんじゃん。
>まあ、脳の研究してる青二才の未熟な院生の私を根本のところから説得できん時点で説得力ある統一理論
>はむずかしいなあ。
なんだ、そういうこと、そんじゃ今伸び盛りじゃんねぇ?
>ほんとはわかってきてるんじゃないか?頭悪くはなさそうだし。
私は、あなたが解りかけているのかな? と、思っているのですがね・・・。
>どっちにしろ完全な思想なんてないのです。
そんなもの、存在するわけがない、ですよ。(笑
ところで、
>脳の研究してる
どのような研究でしょうか、もし、差し支えなければ、教えて頂けませんか?
740 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 20:26:17 0
>738
>要するに、お互いじっくりいきましょうってことです。
>自説の見解に固執して断定的に言うのはお互いまだ早いでしょう。
仰る通りです、今、始まったばかりですものね。(笑
741 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 20:54:52 0
>>私は、あなたが解りかけているのかな? と、思っているのですがね
いや、高校と大学入りたてのときは唯物論、唯脳論、そして科学万歳だったんだけど、
コトはそう単純じゃないと思い至るようになったということです。(唯脳論はいかんということではないですよ、それもありです。)
特定されん程度にぼやかせば(されても一向に構わないけど)、分子生物学、電気生理学、行動実験などなどを組み合わせて
学習や記憶のメカニズムを調べるといったとこです。まあどこも似たようなもんじゃないでしょうか。
謙虚に現象を観察、記述、です。
742 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 21:10:19 0
>>741 >いや、高校と大学入りたてのときは唯物論、唯脳論、そして科学万歳だったんだけど、
>コトはそう単純じゃないと思い至るようになったということです。(唯脳論はいかんということではないですよ、それもありです。)
「科学者は、『正しい』と断言する自信はないが、非科学者は、『間違っている!』と断言できる」
あなたは、この「お言葉」をご存知でしょうか? まっ、「科学」とは、そういうもの、ですよ。
>特定されん程度にぼやかせば(されても一向に構わないけど)、分子生物学、電気生理学、行動実験などなどを組み合わせて
>学習や記憶のメカニズムを調べるといったとこです。まあどこも似たようなもんじゃないでしょうか。
>謙虚に現象を観察、記述、です。
そうなんですか、でしたら、ストレスがかかっている時の脳内物質の働きなどもご存知ですよねぇ?
743 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 21:27:25 0
>>742 まあ、科学者の卵?の皮かぶった哲学好きです。未熟ものですが、
哲学にしろ科学にしろ、論理と現実の現象に矛盾がなければ間違ってるとは言えんのです。
ただし、オッカムのカミソリというか、説明に必ずしも必要ではない前提や見解はあるのです。
でもやはりそういう見解含んだ思想がいかんとか間違ってるとかはいえんのです(哲学者でも科学者でも)。
唯脳論は観念論や神学同様、間違ってるとか悪いとかはいえないけど、論理実証的な共通の了解には立てんのです。
744 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 21:41:03 0
哲学はいっぺん死ね。
そして文学という亡霊となって甦り、平地人を戦慄せしめよ。
哲学は、脳という機械の上にゆらゆらと立ち現れる「夢物語」なんだよ。
物語は文学でしか記述できない。
理系の話はお門違いだ。
745 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 21:43:30 0
>>ストレスがかかっている時の脳内物質の働き
これも、物質は同定されているし、PETなどでその特有の脳活動はわかるでしょうが、
神経回路網の電気活動から精神的質感を演繹するなんてのは、飛躍しすぎに思えるんです。
外的現象を観察することと、「この」内的現象を観察することはいつまでもはなれてしまう。対応付けはできるけど。
わあ、今日はドーパミンな日だ、とか、あんたセロトニンたりてないからそうなんでしょ?とか
ばっかりいっててもしょうがない。
先にもいったように、あなたの見解を否定してはいないんですよ。
746 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 21:50:54 0
哲学は芸術という煙幕を吐き、煙幕と同化して止揚されろ
747 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 21:59:26 0
>>744のがお門違い。
哲学は文学であるべきだし実際そうだ?哲学以前の神話の世界が好きなのか?
理系のやつや、分析哲学のやつが大陸系の哲学を揶揄するんならわかるけど。
文学は言語芸術だ、その芸術に思想を盛り込むこともある、それだけだ。
748 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 22:05:26 0
哲学は科学に対し盲目的に排他的でなければならない。
哲学は社会に対し盲目的に背信的でなければならない。
哲学は盲目的に非科学的な超現実主義者でなければならない。
>>747 思想なんて夢物語であり芸術であり宗教であり神話なんだよ。哲学も。
理系の土俵に上がるべきではない。無駄すぎる。
749 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 22:13:23 0
哲学を殺すのも、大仕事だ。
ウィトのような天才が気が狂いそうになるまで考えても
いまだ殺しきれてない。
哲学はどこまでいっても夢物語であり芸術であり宗教であり神話なんだよ、
ということをあらゆる批判に耐えうる論理で説得しなければならない。
750 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 22:20:04 0
>>749 だから新しい哲学のパラダイムを開闢するべきだってことだよ。
もう無駄な抵抗はよして科学的な方面のネタは科学に明け渡すがいい。
751 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 22:20:46 0
>>743 >哲学にしろ科学にしろ、論理と現実の現象に矛盾がなければ間違ってるとは言えんのです。
そうですね、私も同じように考えております。
>唯脳論は観念論や神学同様、間違ってるとか悪いとかはいえないけど、論理実証的な共通の了解には立てんのです。
そのように、人類の歴史が「条件付け・刷り込み」してしまったのですよ。
これは、縦割り行政の弊害、と同じことですね。
752 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 22:21:55 0
>>745 とは、言うものの、
>哲学にしろ科学にしろ、論理と現実の現象に矛盾がなければ間違ってるとは言えんのです。
ですよね。
私は、「ストレス」と「社会問題」の関係を追っていて、年間3万人超の自殺者や、
■「子供の『読解力の低下・理解力の低下』」
■「ここ数年新記録を更新し続けている『子供の自殺・校内暴力・学級崩壊』」
■「新記録を更新し続けている『親の子供に対する虐待』」
■「新記録を更新し続けている『父親の家族へのDV』」
このような、中には「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」にも似た、大変深刻な「社会問題」も含まれております。
まず、これらの問題の根本原因が「ストレス」というのが前提なのですが・・・。
その「ストレス」が原因かどうか、そして「そこに至る過程」なども、
>これも、物質は同定されているし、PETなどでその特有の脳活動はわかるでしょうが、
>神経回路網の電気活動から精神的質感を演繹するなんてのは、飛躍しすぎに思えるんです。
>外的現象を観察することと、「この」内的現象を観察することはいつまでもはなれてしまう。対応付けはできるけど。
そのように、「観る」ことは可能ですよね。
もし、そこで「つじつまの合う過程」が理解できれば、危機管理の原則でもあります「予測と回避」に基づいて、
予防することも可能では、と思うのですが、いかがでしょう?
753 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 22:24:48 0
754 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 22:31:47 0
>>752 そのような疑似科学はうんざりだ。
社会問題なんて社会科学という疑似科学の女王にまかせておけ。
哲学は人間の運命をオリジナルな方法で呪いたまえ。
>>752 ストレッサーの把握とそのストレスによる「被害」とは別物。
同じストレスに晒されていても死を選ぶ人と選ばない人がいる。その違いを述べられない。
戦場で生き残るか生き残れないかを左右する物質を探しても意味がない。
756 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 22:35:02 0
哲学の価値って、「哲学者」が(世界レベルの人物なら)
学者の肩書として一番かっこいい、深淵っぽくて夢があるぐらいだろ。
757 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 22:51:25 0
>>752 ・脳と精神には対応関係、精神と社会環境には相互作用、
があるということは、論理・実証ともにみんな共通了解にたてるでしょうね。
(先にいったのは脳を根源としてすべての現象を演繹する図式には判断保留が必要といったまでです。
それにもとづく思想体系も価値はありますが、共通了解にいたらずそれを社会的実践にもちこむのは困難かもってことでした。)
・社会問題や心理学や行政のことはしろうとですが、
この脳と精神の対応関係、精神と社会環境の相互作用、のしくみがよくわかれば、
あらかじめ社会環境・人間関係をある方向に整備して精神が悪い方向に行くのを回避したり、
食生活の指導や、薬剤投与や遺伝子治療や神経の再生医療によって精神の危険回避を図れるでしょうね。
確実な共通了解として確立すれば、それは法整備や経済活動にも活かされていくでしょうね。
これは哲学というより技術的な話ですね。
質問とずれてたらすみません。まあ普通に人が考えることになってしまいましたが。
758 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 22:51:42 0
>>755 >同じストレスに晒されていても死を選ぶ人と選ばない人がいる。その違いを述べられない。
ある程度は、述べることは可能ですよね。
>戦場で生き残るか生き残れないかを左右する物質を探しても意味がない。
それは、ストレスに強くなる物質、ということでしょうか?
===================================================
皆様、この「ストレス」と「社会問題」のお話しにご興味のございます方は、
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1287751140/ こちらのスレッドまでどうぞ。
とりあえず、スレッド説明 >2 をお読み頂いてから、
>151 にアンカーを打っておりますので、順番にお読み頂ければと存じます。
そして、ご意見、ご質問等ございましたら、ご遠慮なくなんでもどうぞ。
なお、TVゲームがお好きな方は、少し気分を害す可能性がございますので、ご了承下さいませ m(_ _)m 。
759 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 22:56:12 0
>>1 中学生の私に教えてください
過去の偉大な哲学者の存在を知っても、それがどうして偉大なのか、どういうことが評価されるのか全く分かりません
760 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 22:59:20 0
>>757 >この脳と精神の対応関係、精神と社会環境の相互作用、のしくみがよくわかれば、
>あらかじめ社会環境・人間関係をある方向に整備して精神が悪い方向に行くのを回避したり、
>食生活の指導や、薬剤投与や遺伝子治療や神経の再生医療によって精神の危険回避を図れるでしょうね。
>確実な共通了解として確立すれば、それは法整備や経済活動にも活かされていくでしょうね。
そう思われますよね。
よろしかったら、
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1287751140/ こちらの方でも、ご意見等頂ければと存じます m(_ _)m 。
>これは哲学というより技術的な話ですね。
有形無形を問わず、世の中のありとあらゆるものに『哲学』は、必要ですよ。
761 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 23:01:28 0
762 :
迷いネコ:2010/11/03(水) 23:09:38 0
>>759 哲学者もただの人です。
他の人とは、物事の「観え方」が少し違うだけです。
「無知の知」
763 :
757:2010/11/03(水) 23:22:29 0
>>757 はむしろ、哲学は役に立つか、必要かのひとつの示唆になると思ったんですが
まあいいです。
科学は技術に転化されうるが、哲学はできないししないほうがいいのか?
(政治哲学や倫理学は、いるかもわからんけど)
善く生きる方法を学ぶためだよ
誰だって善い生き方をしたいだろ?
せっかく生まれて来たんだから
765 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 23:47:58 0
徒労。
>哲学にしろ科学にしろ、論理と現実の現象に矛盾がなければ間違ってるとは言えんのです。
間違っているとは言えないのは「観察者にとって」、「その瞬間は」という事になるでしょう
現実の現象と一口に言いますが、我々はある決まった範囲の中でしか観察できないのですから
そして、その範囲が妥当であるかどうかは、明言できません。つまり、現象の普遍性は確立しないままなのです
>>758 > ある程度は、述べることは可能ですよね。
厳密さに欠けるものをよりどころにはできません。w
768 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 23:59:13 0
やっと的を得たレスが。
帰納法の限界ですね。限られた範囲で、しかも確率・統計上の精度で
しかものをいえません。なので、科学的真理だとかなんとかいうつもりないです。
科学なんてそんなもんです。あとはとりあえずの仮定です。
でも、いまある方法論のなかでは一番マシだとは思ってます。
>>768 私は真理は無いという主張を掲げていますが、実はそれだけでは何も論理が積み上がりません
>768さんのように、自分なりの答えを模索する事が肝要であると考えさせられます
ただ、真理の不在を心に留めないで論理を積む事は、危険であると感じています
これは、宗教による魔女狩りなどを愚行と思う感情から来ています
魔女狩りを止めさせなかったのは、神と言う名の真理が後押しをさせた為だと思っています
770 :
768:2010/11/04(木) 00:24:43 0
>>768 「真理」の概念は、おそろしいです。全体主義の危険性ももっています。
政教分離ならぬ政治科学分離すら必要かも。優生学もヤバイ。
>>770 本来的には逆なんだろうけどね
「真理」が全体主義を抑えるはずだった
いつのまにか「真理」は権力に取り込まれた
本来的には、権力を阻害して残る「何か」が「真理」なんだとは思う
「真理」なんて言葉は捨てられてもいい
しょせん、ただの記号だ
全体主義への抵抗を徹底して思考していくならば
いずれ「真理」と同じ内容の何らかの理念が出てくると思う
それは次に何と呼ばれるかは分からないが
772 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 01:16:35 0
普遍性を志向することが真理ならば、それが社会通念・社会権力と
なったときに全体主義を回避するのは困難だと思います。
真理などない、という普遍的真理を主張しその他者を排斥することにも
また「真理」性がないともいいきれません。
慎重にいきましょう。
773 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 01:24:53 0
真理などない、というある意味普遍的真理を主張することで、
その他者を排斥・弾圧することにも、真理の危険がひそんでいない
とはいいきれません。
慎重にいきましょう。
漢字間違えた、疎外だ
上の人たち「慎重に行け」という全体主義に陥ってないか?
慎重にいきましょうw
775 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 01:34:14 0
いや、別に強要はしてないし。提案。
かぶって投稿になってしまって、うざくなってすまん。
ただ、よく考えてみてくれってこと。
真理肯定も批判もうかつにはできんよなあってこと。
>>775 「うかつにはできない」という強要ですね?
慎重に行きましょう
冗談は置いといて、
あなたの発言が強要じゃないなら、たいていの人の発言も強要じゃないと思いますよ
われわれはモラルを見直すべきなのです
777 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 02:04:16 0
>>われわれはモラルを見直すべきなのです
まさにここですね。考えるべきなのは。
たんなる揚げ足とりのつもりで言ったのではなく、言説の取り扱い方のモラルについて
考えるべきということ。そして、使う側のモラルに問題があるとき、
扱われる「真理」(非真理の立場も場合によっては)はもっとも害が大きい。
「真理」自体の功罪ではないのかもしれません。
778 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 04:02:38 0
779 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 04:12:14 O
にゃんにゃんしてればいいじゃないか
780 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 07:42:31 0
おならだよおなら
781 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 10:37:19 O
食・睡眠・生殖
という三大欲
それ以外の幸福は人間だけの創作に過ぎないというのが真理だろう
創作に喜び創作に悲しむ
ホントに必要な三大欲を充たすこと以上の創作的幸福と不幸
それが現在の社会だ
幸福と不幸は相対的といえる
食でたとえれば
食えれば幸福
食えなければ不幸
それを創作に当てはめて考えれば創作に一喜一憂しているということになる
それはもう相対的というよりも刹那的かな
それは都合以外のなにものでもない
創作された価値観に苛まれているだけだ
あなた方が競うように真理を悟ったように書き込むことも創作世界に囚われていることなのは間違いない
782 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 10:42:07 O
モラルも道徳も創作を補うものに過ぎない
>>781 まぁ、そうかもしれないな
でも、この創作に固執することが「文化」と呼ばれるものをつくったりもするわけなんだろ?
ただ獣のように生きるより文化的生活の方が俺には優れてるように感じる
もちろんそれは、単に俺が文化的な生き方に足をつっこんでるからに過ぎないからだろうが
だが、様々な文化が残っていて、2000年前の人の生き方に想像を働かせるぐらいなんだから
決して刹那的には見えないな
むしろ目の前の生き延びることに固執する獣的な生き方に刹那的なものを感じてしまう
まぁ、そう感じるのも俺が俗人だからだろうな
ところで、「創造」をキーワードにするならば
言葉においては「ボケ」は「まともな意見」より価値があるということになる
まともな意見は、皆がだまってしまうが
ボケは、つっこみが入るからだ
つっこみにもつっこみが入るかもしれない
ということは、創造に価値を見いだす見地からは
正しい発言は価値がなく、ボケた発言は価値があるということになる
正しい発言しかしない奴は役に立たず
ボケた発言ばかりする奴は非常に有用な存在だということになる
(もちろん、つっこみをする奴も有用な存在だろう)
ごめん、これも俺のボケ
785 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 12:17:26 0
突っ込みの入らない状況でボケまくってるやつはただのボケに過ぎない。
誰かに突っ込まれる程度の底の浅いボケがお笑いとして人気の出る状況ですよ
>>785 匿名掲示板なんだから、もっとボケとつっこみがあってもいいと思わないか?
788 :
迷いネコ:2010/11/04(木) 12:31:27 0
>>781 >食・睡眠・生殖
>という三大欲
>それ以外の幸福は人間だけの創作に過ぎないというのが真理だろう
いいえっ!
【脳の性質】
1)人間の「行動原理」は「すべて『己』」を満足させようとする『自己満足』にある。
2)人間の『社会性・価値観』は『条件付け・刷り込み』による、ほぼ100%が「後天的」なものである。
3)人間の『ストレス』の感じ方は『相対的』なものである。
それは、『快楽』を覚えると、その『相乗効果』で、
それまでの『ストレス』を『より強く』感じるようになることを意味する。
これが「人類の『真理』」です。
>あなた方が競うように真理を悟ったように書き込むことも創作世界に囚われていることなのは間違いない
そして、あなたもわたくしも、キミもボクも、その「創作世界に囚われている・ここに書き込む」のは、
1)人間の「行動原理」は、「すべて『己』」を満足させようとする『自己満足』にある。
ということです。
これが『真理』ですよ。
789 :
迷いネコ:2010/11/04(木) 12:33:32 0
>>787 >ンドールさん
>匿名掲示板なんだから、もっとボケとつっこみがあってもいいと思わないか?
ご期待にお応えして!
もう少し斬新なコメントを期待して申し上げたのですが、
なんか、それって「ごく普通」っスよ、そう思われませんか?(失礼っ!
>(もちろん、つっこみをする奴も有用な存在だろう)
カキコしてて、そんなの「皆様の心をくすぐる『演出』をしておく」のは、常識ではないのでしょうかね?
それが「カキコ『哲学』」で、これが『真理』です。(笑
>>788 その文章はつっこみを無力化する構造をもっているから、ボケとしてはイマイチ
791 :
迷いネコ:2010/11/04(木) 12:35:23 0
>>779 >>780 >>778 >迷いネコってなんのやくにたつの?
もちろん、人の、うんっ !?・・・
いやいや、「人類が学習し『過ちを繰り返さない』ため」に役立ちますよ。(笑・「無知の知」
>>767 >厳密さに欠けるものをよりどころにはできません。w
残念ながら、この世の中に「厳密さ」のある解明されていないものなど存在しませんね。
ようするに、その「厳密さに欠ける」ところを埋めていくのが「科学」ではないでしょうかね。
792 :
迷いネコ:2010/11/04(木) 12:37:47 0
>>743 >>>哲学にしろ科学にしろ、論理と現実の現象に矛盾がなければ間違ってるとは言えんのです。
>>766 >間違っているとは言えないのは「観察者にとって」、「その瞬間は」という事になるでしょう
>現実の現象と一口に言いますが、我々はある決まった範囲の中でしか観察できないのですから
>そして、その範囲が妥当であるかどうかは、明言できません。つまり、現象の普遍性は確立しないままなのです
ですから、ご自身が「『答え』であろうこと」を探求し、
そこにたどり着くまでの「理屈・道理・論理」で構成された「『理路』があるか?」ということでしょう?
そして、それを順を追って説明できて、
>>743 >>>哲学にしろ科学にしろ、論理と現実の現象に矛盾がなければ間違ってるとは言えんのです。
ということですよ。
>つまり、現象の普遍性は確立しないままなのです
おそらく、単純なもの以外は「普遍性の確立」など不可能に近いのではないでしょうかね。
>>791 科学で厳密さを追えるというのは哲学板的じゃないですねw
諸学の漏れを埋める(厳密さを突き詰める)のが哲学ですよ。
794 :
迷いネコ:2010/11/04(木) 12:44:43 0
>>769 >ただ、真理の不在を心に留めないで論理を積む事は、危険であると感じています
>これは、宗教による魔女狩りなどを愚行と思う感情から来ています
>魔女狩りを止めさせなかったのは、神と言う名の真理が後押しをさせた為だと思っています
>>773 >真理などない、というある意味普遍的真理を主張することで、
>その他者を排斥・弾圧することにも、真理の危険がひそんでいない
>とはいいきれません。
>慎重にいきましょう。
はい、これは、仰る通りですね。
人は、そのような中で「ストレス値・アドレナリン値」が高くなると、
《有形無形を問わず、人が『何か』に執着すると『排他的ナショナリズム』を発生し『理屈・道理』が『理解不能』に陥る》
このような状況になり「排除の論理」が働きますのでね、皆様も気をつけましょう。
これもまた、人の『真理』です。
迷いネコは色々矛盾したこと書いてるが、なぜかアホくさくて突っ込む気が起きない。
科学性の矛盾を埋めるために、薄っぺらな科学知識を利用してる部分とか。
796 :
迷いネコ:2010/11/04(木) 12:51:21 0
>>763 :757
>はむしろ、哲学は役に立つか、必要かのひとつの示唆になると思ったんですが
>まあいいです。
ダメですか、あなたでもついてこれませんか?
ということは、一般人には、ほとんど不可能に近いですよねぇ・・・。
>科学は技術に転化されうるが、哲学はできないししないほうがいいのか?
>(政治哲学や倫理学は、いるかもわからんけど)
う〜ん、人類史において、科学の犯して来た過ちは、
科学者が「道徳・倫理・道義」をさておいて、己の探究心・功名心という「欲望」を優先したことです。
したがって、人類が学習し「過ちを繰り返さない」と希求するのであれば、科学という学問は、もとより、
有形無形を問わず、あいとあらゆるものに「道徳・倫理・道義『哲学』」が必要なのです。
もちろん、前提として「人類が学習し『過ちを繰り返さない』と希求するのであれば」ですがね。
それでは、皆様、また今晩お会いいたしましょう!
797 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 12:58:50 0
798 :
迷いネコ:2010/11/04(木) 12:58:57 0
>>790 >その文章はつっこみを無力化する構造をもっているから、ボケとしてはイマイチ
>>795 >迷いネコは色々矛盾したこと書いてるが、なぜかアホくさくて突っ込む気が起きない。
う〜ん、それは、「スキが無いから」でしょうね、間違いないっ!(笑
799 :
能屋:2010/11/04(木) 13:42:47 0
>はむしろ、哲学は役に立つか、必要かのひとつの示唆になると思ったんですが
>まあいいです。
>ダメですか、あなたでもついてこれませんか?
ということは、一般人には、ほとんど不可能に近いですよねぇ・・・。
・いや、実証・了解を得た命題や事実(精度の問題はあるが)をもちいて、なおかつモラルにも配慮して
それを社会に適用するまではいい。おっしゃるような本能と社会活動の相関関係なども使える。
でもそういった実証・共通了解を超えた普遍的?理念・哲学(唯脳論もそのひとつ)でもって社会を誘導するなんてのは
もう思慮ある人たちはやらないだろう。ただ、自己の特有の世界観としてもつ分にはよい。
・全然話変わりますが、自己や組織のモラルの清さを信じてその正義を法的慣習的に強要してきた歴史もありますね。
大東亜戦争もナチスのゲルマン主義も原爆開発もイスラムテロ組織の理念も当事者にとっては疑いえない正義・真理・モラルです。
もう自由主義と民主主義、あとはそのつどの社会通念、というゆるい理念しか普遍的正義の代替としては使いにくい気がします。
800 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 16:45:10 0
>>796 >したがって、人類が学習し「過ちを繰り返さない」と希求するのであれば、科学という学問は、もとより、
>有形無形を問わず、あいとあらゆるものに「道徳・倫理・道義『哲学』」が必要なのです。
なら、ただの道徳でいいじゃないか。
そんなことわざわざ哲学の顔して提示しなくても、誰でも考えてるよ。
すでに哲学のアイデンティティーが消滅してる。それが「哲学」である必然性が全くない。
人間にはもともと、思考力が備わってるんだ。
それは哲学なんかではない。サルやイヌでも多少は持ってる、基本的な思考力。
哲学と思考力を混同するのはおかしい。思考は哲学ではない。
いやしくも哲学が必要というならカントやヘーゲルやキルケゴールなど
「哲学」を引用して理論を構築する気概を見せたまえよ。
何百年経っても哲学は答えが出ない。何の役にも立たない
802 :
迷いネコ:2010/11/04(木) 18:30:09 0
>>799 能屋さん、こんばんは。(笑・もじったのですか?
>・いや、実証・了解を得た命題や事実(精度の問題はあるが)をもちいて、なおかつモラルにも配慮して
>それを社会に適用するまではいい。おっしゃるような本能と社会活動の相関関係なども使える。
はい。
>でもそういった実証・共通了解を超えた普遍的?
>理念・哲学(唯脳論もそのひとつ)でもって社会を誘導するなんてのは
>もう思慮ある人たちはやらないだろう。
申し訳ない、ちょっと「ごっちゃ」になってしまいましたね。
《理論(仮説)ゲーム脳》は、あくまで「仮説」で、科学の「検証」がなされていなものに「普遍的」はあり得ないです。
もちろん、社会哲学なのですが、
私の作ったストーリーについて、あなたの「脳関係科学者」としての見解を聞かせて頂きたかったのです。
>ただ、自己の特有の世界観としてもつ分にはよい。
では、《理論(仮説)ゲーム脳》は、さておいて、
私の提示しましたことが「強いストレスの継続」によって引き起こされる可能性について
少し「脳関係科学者」として、考えてみて頂けませんでしょうか?
>・全然話変わりますが、自己や組織のモラルの清さを信じてその正義を法的慣習的に強要してきた歴史もありますね。
>大東亜戦争もナチスのゲルマン主義も原爆開発もイスラムテロ組織の理念も当事者にとっては疑いえない正義・真理・モラルです。
>もう自由主義と民主主義、あとはそのつどの社会通念、というゆるい理念しか普遍的正義の代替としては使いにくい気がします。
それは、一方的な情報、情報操作された情報しか無かったのですから、今現在までは、「しょうがない」ですね。
ようするに、「人間の知性が低かった」ということです。
で、私は、「人間の知性の成熟」していくためには、やはり、科学という学問は、もとより、
有形無形を問わず、あいとあらゆるものに「道徳・倫理・道義『哲学』」が必要だと思いますよ。
803 :
迷いネコ:2010/11/04(木) 18:32:06 0
>800
> いやしくも哲学が必要というならカントやヘーゲルやキルケゴールなど
>「哲学」を引用して理論を構築する気概を見せたまえよ。
「私たちは、自分たちのさしあたりの判断も、一度それらを規制する原理が明るみに出れば、変えたくなるかもしれない」
(by ジョン・ロールズ)
>哲学と思考力を混同するのはおかしい。思考は哲学ではない。
それでは、お尋ねいたします。
私は、思考しなければ、
つまり、論理思考を働かせなければ、哲学はできない、と思うのですが、いかがでしょう?
804 :
迷いネコ:2010/11/04(木) 18:38:54 0
>>793 >科学で厳密さを追えるというのは哲学板的じゃないですねw
>諸学の漏れを埋める(厳密さを突き詰める)のが哲学ですよ。
そんなぁ、
>>ようするに、その「厳密さに欠ける」ところを埋めていくのが「科学」ではないでしょうかね。
日本語的には、ほぼ「同じ」だと思いますよ。
ちょっと、頭、堅いっスよ。(鉄学!・笑
805 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 18:57:33 0
>>803 「哲学」と、「考える本能」を混同するなよ。これ全然違うから。
哲学ってのは、「我思うゆえに我あり…」から始まった壮大な妄想の積み重ねのこと。
そんな妄想の積み重ねがなくても、赤ん坊は普通にものをよく考えるように育ち、
ほっとけば月の満ち欠けにも気付くだろう。
哲学以前に、それは人間に備わってる本能だから。
その本能はとても役に立つが、妄想の積み重ねとしての哲学、
つまり大学なんかで教えてる個人名が冠されたような哲学は役に立つことはないってことさ。
>>804 その「ほぼ」が科学的であり哲学的では無いということ。
807 :
迷いネコ:2010/11/04(木) 20:24:58 0
>>805 >「哲学」と、「考える本能」を混同するなよ。これ全然違うから。
>哲学以前に、それは人間に備わってる本能だから。
エっ !? でも、「哲学」って「考える本能」があったから生まれたのでしょう?
>その本能はとても役に立つが、妄想の積み重ねとしての哲学、
>つまり大学なんかで教えてる個人名が冠されたような哲学は役に立つことはないってことさ。
ですから、科学という学問は、もとより、
有形無形を問わず、あいとあらゆるものに「道徳・倫理・道義『哲学』」があれば、人類の「平和」に寄与しますよ。
>>806 だって、今「科学」を『哲学』しているのですから。
808 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 20:28:03 O
>>788迷い猫さんは
>>781を(いいえ!)できていませんよ
それは補足という位置付けのものです
ま、煽りなんでしょうが…
フフフ(=゜-゜)
809 :
迷いネコ:2010/11/04(木) 20:32:49 0
>>708 >すみませんが僕は社会人でヒマも少なく頻繁に参加することが難しい現状にあります
あの〜、参加してくれているっ?
だいぶん、盛り下がり気味なので、
できれば、かっこいいレス入れて頂きたいなぁ、なんて思ってるんですけど、いかがでしょうか?
810 :
迷いネコ:2010/11/04(木) 20:37:32 0
>>808 もしかして、あなた
>>708 氏かなぁ?(笑
なんか、その意味がよく解りませんのです。
もう少し、説明してもらえませんせしょうかねぇ?
811 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 20:43:23 O
812 :
迷いネコ:2010/11/04(木) 20:51:58 0
>>808 あ゛ーっ! 申し訳ないっ!!! 仰る通りでございます m(_ _)m 。
失礼しました、とんだボケをかましてしまいました、ゴメンなさい・・・。
813 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 20:52:14 O
>>810迷い猫さん
アナタは十二分に分かてるアルヨ
なにか考えさせるような内容を心掛けているアルね
一つの答え?覚り?
そういったものに至るには(気付き)(閃き)とかいうものが必要アル
他人に聞かされた真理はあまりよくないね
814 :
迷いネコ:2010/11/04(木) 21:15:05 0
>>813 >アナタは十二分に分かてるアルヨ
>なにか考えさせるような内容を心掛けているアルね
ゴメンなさい m(_ _)m、謝罪しますから、
そんなに、いじけないで下さいよ・・・。
>一つの答え?覚り?
>そういったものに至るには(気付き)(閃き)とかいうものが必要アル
申し訳ない、気が短いもので・・・。
>他人に聞かされた真理はあまりよくないね
でもね、あなたも聞かせているし、
そして、「カキコ『哲学』」では、十分想定内ですよ・・・。
m(_ _)m ・・・。
815 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 21:40:05 0
>>807 >エっ !? でも、「哲学」って「考える本能」があったから生まれたのでしょう?
そうだよ。「哲学⊃思考力の産物」。全然違うよな。
君がやってるのは左辺の哲学ではなく、それ以前に人間に備わってるただの思考。
どうやったらうまく解釈できるかなあ?
という「解釈する行為」は哲学などやったこともない小学生の頃からやってるよ誰でも。
解釈する行為はただの解釈する行為というだけのことであって、
それ自体が哲学だと思ってるのなら全く勘違いだ。
哲学というのは、「『哲学者によって厳密に導き出された知見をもとに』考える」ことを言うべきだ。
それが哲学の積み重ねということだ。
哲学を肯定するなら、ニーチェやハイデガー等を引用あるいは批判することによって論を展開してみなよ。
君のなんでもかんでも哲学する、という動詞の用法ではなんでもかんでも哲学になってしまい、
あまりにお手盛りすぎる、都合がよすぎるんだよ。
ちなみに科学哲学は「科学方法論」であって、哲学ではないからね。
>>815 同意。哲学は文脈で語らないとただの思い付き。
もう2000年以上かけて言葉を練っている真っ最中。
と、えらそうに言いながら自分はギリシャ語もラテン語も読めないがw
邦訳ものでもきっちり順を追えばなんとかなるはずと信じてる。w
818 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 22:23:07 0
>>815 論理実証主義や分析哲学は、哲学じゃないの?
哲学と思いつきの間に明確な違いなどあるのかな?
それは、知性に無限の価値を……つまり、神を見出して初めて成り立つ考え方だ
820 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 22:41:56 0
道元和尚も哲学者だな。「無」こそ神。
神がいない以上、知性に価値を求める事もまた虚しい行為である
もし知性に普遍的な価値があるというのなら、それは神学者の思想と言える
哲学は、そのような蒙昧とは決別すべきだ
価値とか言い始めると何もまとまらない。
823 :
迷いネコ:2010/11/04(木) 23:35:38 0
エーイっ、まとめてっ!
>>815-822 みなさんは、
1)人間の「行動原理」は「すべて『己』」を満足させようとする『自己満足』にある。
2)人間の『社会性・価値観』は『条件付け・刷り込み』による、ほぼ100%が「後天的」なものである。
これを証明して下さっているに過ぎないですよ。
あなたもわたくしも、キミもボクも、その「創作世界に囚われている・ここに書き込む」のは、
1)人間の「行動原理」は、「すべて『己』」を満足させようとする『自己満足』にある。
ということです。
これが紛れも無い『真理』です。
>>823 利己的でない行動とは、どのようなものだろう?
もし、それが想像することも不可能ならば
君は「自己満足」という言葉で何も語ってないに等しい
そういう発言はつっこみ不可能だから、ボケとしては最低レベルになる
要は、何も産み出さない駄文ってことさ
825 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 00:08:12 0
>>818 記号・数理論理を使って議論をする哲学は
「数学・科学的思考論」とした方がしっくり来ると思う。
それは一般的な意味での哲学とは全然違うと思うよ。
一般的な意味での哲学とは、
>>1のような人が考えている哲学。
それなら数学・科学的思考論をいきなり始める前に
「哲学の話をする前にまず、あなたの考えている哲学を入れ替えるところから始めなきゃいけない」
という前置きを入れるべき。
しかしそれは即ち、「哲学は役に立たない」ということをかなり大幅に認めることになるんだけど。
>>1が聞きたいのは、
まだ歴史の浅っさいラッセル・ウィトゲンシュタイン以降の記号論理じゃなくて
それより前の遠大な哲学の流れって今でも専門的に研究してる人、教えたがる人いるけど、
それって何かの役に立つの?ということだろ常考。
>>823 意味がわからない。
反証不能・検証不可能な思いつきに過ぎない。
826 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 00:10:20 O
思いつきは範囲が広くて空想や妄想を含む
それは
一つひとつを法則性に沿って考える学問的な考えるとは一線を画したもの
827 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 00:14:09 O
>>825ロックは欧米の規範や法に大きな影響を与えた
828 :
迷いネコ:2010/11/05(金) 00:20:27 0
>>824 >ンドールさん
若干ひねって下さいましたね。(笑
>利己的でない行動とは、どのようなものだろう?
ありません! というか、
>君は「自己満足」という言葉で何も語ってないに等しい
たまたま、というか、「自己満足」の、ついで・おまけ、で、他人様も満足する場合もありますね。
>そういう発言はつっこみ不可能だから、ボケとしては最低レベルになる
だってボケてませんもの。
ただ、人の「真理」を語っているだけです。
>要は、何も産み出さない駄文ってことさ
みなさんのは、「哲学」じゃなくて『鉄学』ですよ。
みんな頭が堅いっス。(失礼っ!
829 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 00:24:43 0
>>823 >1)人間の「行動原理」は「すべて『己』」を満足させようとする『自己満足』にある。
これは竹田青嗣の竹田欲望論に近いというか、ほぼ同一の考え方だね。
>2)人間の『社会性・価値観』は『条件付け・刷り込み』による、ほぼ100%が「後天的」なものである。
しかし、これはどうかな。
若干神秘主義的なことになるが、人間には先天的な何かが、少しはあるだろうね。
でも「ほぼ」ということなら、まあほぼ間違いないかも。
『社会性・価値観』は家庭環境、教育環境に大きく左右されそうだ。
「後天的」というけど、人間はオギャーと産まれた瞬間には、もう身体的な得意不得意はある程度決まっているんだよね。
830 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 00:38:36 0
哲学は普遍的・絶対的な「原理」を語るべきではないんだよ。
そういうのは科学に任せておけばいいの。
哲学は「意味」や「目的」を語るべきなんだよ。
そしてそれは文学のように心に訴えかけるものであるという予感がある。
永劫回帰と超人の哲学や、実存主義は今でも心に訴えかけてくる。
それは科学で記述できるものではない。
>>826 法則性そのものが揺らいでる現状で、一線を画すも何も無いですよ
法則性は疑い得る。確定していない。ならば、思い付きとの差はほとんど無い
832 :
能屋:2010/11/05(金) 01:17:38 0
>>825 あなた自身の見解も聞きたいな。前にどっかで書いてたなら申し訳ないが仕方ない。
おっしゃることはよくわかるんだけれども、どうも立場がわからないです。
ぼくは科学主義でも分析哲学派でも、観念論などの超越論的な哲学派でもなく、
まだまだ思想や見解固まってません。分析哲学も古典もこれからじっくりじっくりやってみて、
判断したいところです。中立です。つまらんですね。ただ、科学はある範囲ある精度にかぎった
上でベスト、以上といえるだけです。
833 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 02:13:47 0
ライプニッツの微分積分は、科学みたいだけど、実はある瞬間(モナド)を見ただけで未来予測や過去推測ができるという哲学だよね。
ベンヤミンもその影響を受けて、ドイツ悲劇はある一部分(モナド)を読んだだけで、もう過去がどういう風で、結末がどうなるのか
大体解ると書いているよ。
私は
>>825の言うように記号・数理論理はどうも好きじゃないけど、ライプニッツは大好き。
あと、輪廻転生を信じていた神秘主義だったピタゴラス教団にも少しだけ興味があるよ。
834 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 02:29:34 0
ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』の尻にはこう書いてあるからね。
>だがもちろん言い表しえぬものは存在する。それは示される。それは神秘である。
(中略)
>私を理解する人は、私の命題を通りぬけ、その上に立ち、それを乗り越え、
>最後にそれがナンセンスであると気づく。
>そのようにして私の諸命題は解明を行う。
>(いわば、梯子を登りきった者は梯子を投げ棄てねばならない。)
>私の諸命題を葬り去ること。そのとき世界を正しく見るだろう。
>語りえぬものについては、沈黙せねばならない。
このように、論理実証主義であるとされるウィトゲンシュタインも、意外と神秘主義なんだよね。
>>834 ウィトを論理実証主義に入れるのはよくないよ
論理実証主義はそれなりに成果のある研究をしたんだから(今では哲学では誰も見向きもしなくなったけど)
>>828 それはただの個人的真理
「定義」に過ぎない
君がそう「自己満足」という言葉を定義しているだけ
で、自分で定義したものを自分で「真理」と言っているだけ
要は他人から見たらバカバカしい
俺は「俺はそうは思わない」って言って終わり(実際、俺はそうは思ってないし)
俺が君の定義を受け入れる必要はない
君がその定義をした上でさらに何かを述べるならば、つっこみも可能かもしれない
>>828 ま、まともに君の意見を批判しようとするとこうなる
世の中には自分の行為を後悔している人がいる
悔いている人は、それもまた「己の満足を満たすために」悔いているのだろうか?
そうそう、あと、これだけは言いたかったけど
ウィトの言う「哲学」ってかなり狭い範囲だよ
哲学史の中でウィトの言う「語り得ないこと」について語っているのって一部だけだと思う
なんせ、あの人は「哲学的な問題は存在するか」って会合を開いて
出席者にヒュームの問題を提出されて「それは論理学的な問題だ」と言って逃げだ人だから。
そりゃ「哲学」という言葉の範囲を自分で縮めて
自分が批判しているものだけに矮小化したら、いくらでも哲学批判なんてできるよ
実際に、ウィトの言うことが正しいとしても(俺にはとてもそうは思えないが)
ウィトが言う「語りえないことについて延々と語る行為」だけが批判されるんであって
哲学全体はなんら問題ないだろ
839 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 05:03:49 0
迷いネコって小学生のわたしからみてもいたいね
目標って必要?スレで自演してた階層房とおなじ臭いがするね
語尾に(笑 てなんでつけんの?キモイ
カマ口調もきもい(失礼!笑 ←この笑は迷いネコの【笑】とはちがうから
人間の言語力(知性)を限界づける意図がトラクタートスにはあると
思いますよ。後期のウィトゲンシュタインがそれを否定していたとしても
哲学のプロセス(軌跡)として一つの真理を「示している」と、私たちが
受けとってもオカシイことにはならないでしょう。「哲学を生きる」才能
が誰にでもあるわけではないが、哲学者の生き方は何よりも彼らの
哲学から発しているという必然性に気づくだけでも人生の役に立つと
私には思われますね。
新スレ建てられないからこっちに書くけど
受験勉強システムによって育まれた受験生根性を批判してみたいんだよね
・解答が一つに特定できて「正解」が評価されないものは無意味である
・結果に結び付かない努力は無意味である
・目的の大学に合格できない勉強は無意味である
・皆の意見がまとまらない話題は無意味である
・正解を出すためのシステムが単純じゃないものは無意味である
これらの価値観が受験生にはついてしまう
それに批判を試みたい
このような受験生思考を「アンサー主義」と名付けてみる
そして、これらの価値観にことごとく反対してみたい
最終結論が出る問いはすべて無意味であり、最終結論が出ない問いが有意味なのだ
こう、ハッタリかましてみたいんだが
842 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 09:54:34 0
>>841 >・皆の意見がまとまらない話題は無意味である
意見が割れるっていうことはよく起きますね。現実の世界では。どこに就職するとか、ね。
個人の得意不得意や環境の相違があるから。
>・正解を出すためのシステムが単純じゃないものは無意味である
恋愛などは、正解がやや複雑なときもありますね。
>>841 ずいぶん緩い主張ですね。
「〜は無意味である」を否定するには「〜には・・・という意味がある」で十分なので、
そんなものはいくらでも作れるでしょう。
まあ、各項目が受験生が言いそうなことだという事と、それらの主張が一般に正しくないのは認めますが。
844 :
842:2010/11/05(金) 10:02:32 0
そういえば、恋愛には正解はあるのだろうか?悩ましいな。いくらでも目移りするし。
>>843 そう思うかい?
僕はこれを数学や自然科学においてもそうだと言うつもりなんだ
1+2=3しかないならば、それは無意味だ
しかし、1+2=3かもしれないし、1+2=12かもしれない
そうなる余地がある時、先の問題は有意味になる
向き付け不可能な多様体上で議論するために1+1=0という数学も既に考えられている。
問題はそう定義しても良いか(well-defined性)、要するに定義自身の中で矛盾していないかということ。
well-defined性を満たさない緩い定義だと、全ての数が0と等しくなってしまう、素晴らしくつまらない世界を作り出してしまう。
>>846 さすが
「矛盾の禁止」は大前提です
(僕は「真理はある」と考えているわけですから)
これも有意味な規範なわけだけど
ウィトはこれを語れないとしたけど、俺は語るべき哲学問題と考えるわけだが、、
まぁ、それはここでは関係ない話
1+2=3は有意味だけど
記号の定義や関数の定義を果たした上で
1+2=3しかないならば、それは無意味になってしまう
「三角形の内角の和は180度だ」も有意味だ
しかし「点Pを通って直線Lに平行な直線が一本しか引けない」などの条件を付加されると無意味となる
まぁ、そんな話題だと誰も乗ってこない
つまり、僕はこう言ってるんです
「このスレの1に代表される者は、本来的に有意味なものを無意味だと思って、本来的に無意味なものを有意味だと思ってる。
(そりゃあ、ニヒリズムに陥るのも当然だ)」
僕は、このような神話に批判を試みたいわけです
反応ないなぁ
かなり叩かれると思ってたんだけどね
暇だから、、
ここから、さらに次の神話を批判したい
それは「ある程度同じ土台を共有しないと有意義な対話や議論はできない」というものである
僕はこれに反論して「違う土台がないところでは有意義な対話や議論はできない」とぶちかましたい
これは昨今流行りの住み分けの考え方にも反対するものだ
(もちろん、同じ話題を共有しないと、有意義な対話はできないだろうが)
これらの神話の発想がどこに根差しているかというと
先の数学の例にも見られるような、閉じた中での完全性に価値を見いだす文化である
僕は、この価値を逆転させた価値観を提案したい
現代では、思想は様々な伝統に分化され
その中の一つは「真理がない」というスタンスをとる
「真理」に対しての価値を逆転させる
そういう解決方法もあるだろう
(上の人と同じく僕もまたそのようなものはつまらないと思うが)
それに対して、僕が挙げるような価値の逆転も可能なのである
様々な価値によって構築されたどこを改造してもよいのである
「真理がない」と言う者、それに反論する者もいる
両者ともにこの部分の価値観は同じだったりする
僕は、ここを壊した発想を提案する
もちろん、ただのハッタリだから、つっこみはいくらでもどうぞ
852 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 14:24:34 0
超越的認識は、言語や論理をこねくりまわして得るものじゃないと思う。
「私とはなにか」「存在とはなにか」「世界の根源とは」「神とは」とか。
座禅・瞑想するか、芸術活動に没頭するにとどめたほうがいい。
たぶんウィトはこういう領域を尊重していて、だからこそ言語・論理などで
扱うべきでない、学問としての哲学の領分はそこじゃない、としたんかなあと思った。ちがう?
そういう観点からも古典でもデカルトやロック、ヒューム、カントなどは今でも大部分のとこは意義ぶかいと思う。
その後のドイツ観念論はわからん。シェリング、ヘーゲル・・・
853 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 14:36:21 0
私はなんか色々勝手に抱え込んじゃってた時に、
すごく尊敬する人に「あなたは誰にも必要とされてないのよ」って言われて、
すごーーく楽になって救われた気がしたんだ。
…分かるかな?
もしかしたら誰にも必要とされてない自分っていうのが大事なのかもしれない。
854 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 14:44:24 0
それはあなたが、周りの期待のこたえて認められようとしすぎてた
から、その助言が適切だったんでしょう。いい人ですね、その方。
でも、やはり何か考えを出すにしても、仕事するにしても、人間関係にしても、
(ほんの小さなレベルだったとしても)認められなきゃ自己が壊れるようでみんなつらいのです。
絶対的存在=自己まで真の悟りが得られてればいいが、通常は自己とは関係性の
なかで存在・意味をもちます。
855 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 14:50:52 0
尖閣のビデオにNice boat.ってコメントつけといた
856 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 14:57:00 0
「人間の弱さ」はただ単に「弱いこと」ではなくて、
「弱いところを見せるとナメられる、強いところを見せれば怯えてくれる」と思ってしまう現実、
思い込まされてしまう現実、それに対する「弱さ」なんだろうな、と思うと、
「本当にバカなんじゃないのか」と泣きたくなる。
857 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 15:04:41 0
まあ、ハッタリも処世術としては重要。みんな役者だよ。
所属、態度やふるまい、などなどいくらでもある。
でもほんとの問題は実質的な権力・隷属関係だ。金権、公権力、命令系統の規則。
役者になりきって、できるかぎりの「得」をとれ。
自分がしっかりしてれば、それであなたのアイデンティティの本質が損なわれることはない。
858 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 15:06:11 0
>>854 ありがとう。
みんな、自分を必要としてくれる場所が欲しいだけなんだよね。
でも「本当の自分」とは違う、「求められる自分」「なりたい自分」っていうのが
社会や人間関係の中で出てきちゃって、「本当の自分」との間のズレ、葛藤が、
ほとんどの人のストレスや不幸の原因なんじゃないかな。
859 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 15:19:29 0
そうです。私自身、その苦しみはあります。
でも、「本当の自分」という観念も疑ってかかる必要があります。
絶対に届かない神のような、理想のイデアとしての自分。あやしげです。
ここまではいかないとしても、自己了解と社会から受けている扱いの落差に苦しむ。
しかし他者にとっては、他の個人のそういう自負などゴミにすぎない。ナルシシズムの一種で片づけられます。
たぶんぼくの場合は絶対的権力や名声があっても満たされないでしょう。自我との戦いです。
860 :
迷いネコ:2010/11/05(金) 17:14:39 0
>>829 >>823 >若干神秘主義的なことになるが、人間には先天的な何かが、少しはあるだろうね。
>でも「ほぼ」ということなら、まあほぼ間違いないかも。
>「後天的」というけど、人間はオギャーと産まれた瞬間には、もう身体的な得意不得意はある程度決まっているんだよね。
そうですね、
どんな「時代・社会」においても、人の個体による「先天的」なポテンシャルの差は、否めませんね。
>『社会性・価値観』は家庭環境、教育環境に大きく左右されそうだ。
仰る通りです。
それは、人類を哲学し、「人類史」を観て頂きたいのですが、(ほんの少ーしジャンプします)
まず、本来あるべき人の生活環境は、「生まれて間もなく、己が生きていく『空間認識』ができる環境」が必要であり、
そもそも、「人間という動物は、長いスパンで順序立てて物事を考える、という『先天的』性質・本能は皆無である」
という「人間の『本質・真理』」がお解り頂けると存じます。
つまり、これらを基に「『よりよい』 家庭環境、教育環境」は、導き出せば良いのです。
861 :
迷いネコ:2010/11/05(金) 17:20:43 0
>>832 >能屋さん
>分析哲学も古典もこれからじっくりじっくりやってみて、
もし、よろしかったら「脳関係科学者」としてお答え頂きたいのですが、
■「新記録を更新し続けている『親の子供に対する虐待』」
■「新記録を更新し続けている『父親の家族へのDV』」
このような、人間に限らず「親が育児を放棄する・虐待する」という状況は、「何が?」原因だと考えられるでしょうか?
まぁ、これは「分析人類哲学」でしょうかね。
862 :
迷いネコ:2010/11/05(金) 17:33:38 0
>>839 >迷いネコって小学生のわたしからみてもいたいね
ウっ !? グサっ!!!
>目標って必要?スレで自演してた階層房とおなじ臭いがするね
そうですね、自演できれば、最高の「自己満足」ですよねぇ・・・。(羨ましい?
>語尾に(笑 てなんでつけんの?キモイ
>カマ口調もきもい(失礼!笑 ←この笑は迷いネコの【笑】とはちがうから
まっ、価値観の多様性をご理解頂けているのでしたら、【笑】もいろいろ、人生いろいろ。(笑
>ンドールさん
若干、「スベッて」ますよ。(お前が言うなっ!・笑
863 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 17:42:41 0
う〜ん。社会学や心理学や人類学の問題だなあ。
・「脳」の機能とも関連はあるでしょうけど、この問題には脳科学からはまだ十分には答えられないと
思います。でも、いろいろ考えてみる分には面白いし、それを「哲学」といわなければ要らぬ反発は招かず聞いてもらえそうです。
・答えられなくてすみません。脳といっても方法論や分野は膨大で、すべてはとても
カバーできてないです。専門家はみんなそうだと思います。
私はミクロな分子・細胞レベルの生理学や生物学の観点からしか脳を研究できてないのです・・。
これが専門分化しすぎた科学の現状ですね・・・。私も全然勉強不足です。反省。
864 :
脳家見習い:2010/11/05(金) 17:55:58 0
>>861 >>863 でも、これは動物的本能特有の現象とみなして、
動物生態学や行動主義心理学などの観点から説明はできるかもしれません。
そこにはさらに、それに対応するような脳のある特性が関与しているでしょうが、
それを考えてみるのも面白いですね。ただ、本筋から離れたとこで足ひっぱられないように、
「哲学」の言葉や、唯脳論の立場は胸にしまっとくほうが賢明だと思います。哲学板ですけど。
865 :
迷いネコ:2010/11/05(金) 17:56:51 0
>>863 能屋さんでしょっ?
>私も全然勉強不足です。反省。
お勉強しましょうよ・・・。
>でも、いろいろ考えてみる分には面白いし、それを「哲学」といわなければ要らぬ反発は招かず聞いてもらえそうです。
そういう「固定観念」的な、ものの考え方を変えて、柔軟に、臨機応変に考えるのが「哲学」ではないのでしょうか?
>・「脳」の機能とも関連はあるでしょうけど、この問題には脳科学からはまだ十分には答えられないと
>思います。
しかし、科学も物理学も「仮説」をイメージできる『脳』が必要ですよ。
>・答えられなくてすみません。脳といっても方法論や分野は膨大で、
ならば、まず一般的にそのような場合「何が?」原因って言っているでしょうか?
そこから、組み立ててみなしょうよ。(笑
866 :
迷いネコ:2010/11/05(金) 18:04:58 0
>>864 >脳家見習いさん
>でも、これは動物的本能特有の現象とみなして、
>動物生態学や行動主義心理学などの観点から説明はできるかもしれません。
仰る通りです。
>そこにはさらに、それに対応するような脳のある特性が関与しているでしょうが、
>それを考えてみるのも面白いですね。
なんと、これを哲学することは、「面白い」プラス「人類貢献」ができます。(笑
>ただ、本筋から離れたとこで足ひっぱられないように、
>「哲学」の言葉や、唯脳論の立場は胸にしまっとくほうが賢明だと思います。哲学板ですけど。
大丈夫です、私のは、古典的な哲学ではなく「未来哲学」ですから。
あなたも、ご一緒にどうですか?
867 :
脳家見習い:2010/11/05(金) 18:18:48 0
いや、脳を神経回路網とみなして計算理論で説明するものやら、量子力学使うものやら、
マクロな進化論や生態学で考えるものやら、脳はブラックボックスで中身はわからんとして
脳とは別に心理学で説明するものやら、ミクロな分子・細胞生物学で考えるものやら・・・
これ全部は無理。ひとつの狭い専門分野の論文でも膨大でそれに自分の実験・考察やるだけで死にそうです。
・実は、神経現象学という分野があります。唯脳論唯物論とは別の解釈の観点です。「知恵の樹」っていう本おすすめです。
こちらのほうが私には合います。結局、思想哲学は間違いと言えないなら最後は合う合わんになると思います。
868 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 18:29:28 O
>>831よくそんなにハッキリ言えるなあ
哲学の認識が人それぞれ過ぎないか?
根本的に哲学には法則性は必須ですよ
オレは認めないという程度では反証にもならない哲学を辞書などで調べてみたらどうかな?
869 :
脳家見習い:2010/11/05(金) 18:29:54 0
神経現象学のとこで、「知恵の樹」引き合いに出したのはちょっとちがった
かもしれません。オートポイエシスの入門書ですね。
その後、ヴァレラが発展させて神経現象学を提唱したというところでしょうか。
870 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 18:45:41 0
哲学とはなにか、は本来、命題の形で記述するものではない。
全体のなかで示されるものだ。だが、あえて無理をして表現すれば
哲学とは、現実に成立している事実を包括し超越する、可能性の論理空間だ。
>>861 ■「新記録を更新し続けている『親の子供に対する虐待』」
■「新記録を更新し続けている『父親の家族へのDV』」
これって平成以前のデータってあるのかなあ。
873 :
迷いネコ:2010/11/05(金) 19:21:17 0
>>867 >脳家見習いさん
>脳はブラックボックスで中身はわからんとして
その位置に置いてしまって良いのでしょうか?
人の「脳」イコール「人類の事象・現象の根源」なのですよ。
>これ全部は無理。ひとつの狭い専門分野の論文でも膨大でそれに自分の実験・考察やるだけで死にそうです。
でも、「分析人類哲学」で、たとえばですが、
■「新記録を更新し続けている『親の子供に対する虐待』」
■「新記録を更新し続けている『父親の家族へのDV』」
これらを人間を動物・生物学の観点からと、
脳科学の観点から脳内物質を用いてたものを融合させて説明して、現象・事象と合えば、
>結局、思想哲学は間違いと言えないなら最後は合う合わんになると思います。
とりあえず、「仮説」としては、成立しますよねぇ?
874 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 19:22:50 O
875 :
迷いネコ:2010/11/05(金) 19:29:21 0
>>871-872 >こういうデータもあるので「虐待・DVが増えている」とは言えない。
そうですねぇ、「増えているか否か」を考えるのではなく、
■「新記録を更新し続けている『親の子供に対する虐待』」
■「新記録を更新し続けている『父親の家族へのDV』」
この「未来哲学」は、「なぜ、このような現象が起こるのか?」と、
そして、そこから、「予測と回避」考える学問なのです。
876 :
脳家見習い:2010/11/05(金) 19:30:12 0
>脳はブラックボックスで中身はわからんとして
>その位置に置いてしまって良いのでしょうか?
いや、ぼくの見解じゃなくてある種の心理学の傾向だから。そっちに言ってほしいな。
>人の「脳」イコール「人類の事象・現象の根源」
いや、この言い方が議論を止めさせる。さらに、極端な観念論者にしてみればこの「脳」もまた精神の産物、そしてあなたが精神もまた脳という、そして・・・
という議論はもうやめにしたいと思ってるんだ。
>これらを人間を動物・生物学の観点からと、 脳科学の観点から脳内物質を用いてたものを融合させて説明して、現象・事象と合えば
おっしゃるとおり。そしてそうなればそれは科学そのものです。
「脳」イコール「人類の事象・現象の根源」のくだりが余計だっただけですよ。
877 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 19:36:19 O
あきたんにゃんにゃんして
878 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 19:39:08 0
「根源・原理」とまでいわず(それは自明なことではありませんよ)、
相互作用・対応関係にある、までで十分。
それでも、あなたやぼくや他の人が、考えたり応用したりする分には差し支えないと思いますよ。
879 :
迷いネコ:2010/11/05(金) 19:39:55 0
>>876 >脳家見習いさん
>いや、ぼくの見解じゃなくてある種の心理学の傾向だから。そっちに言ってほしいな。
あなたには、そのような意識はないのですね。
>いや、この言い方が議論を止めさせる。
>「脳」イコール「人類の事象・現象の根源」のくだりが余計だっただけですよ。
私は、哲学でもなんでもない、ただ「事実」を言っているに過ぎないですよ。
>という議論はもうやめにしたいと思ってるんだ。
では、そういう議論は止めにして、
>おっしゃるとおり。そしてそうなればそれは科学そのものです。
そこで、少しお尋ねしたいのですが、脳内物質とその働きについて、ご存知でしょうか?
>>868 哲学の認識なんて持ち出すまでも無い話でしょう
「私は認めない」程度の話では無いですよ。論理負荷性や決定不可能性の話でもありますから。
法則を考える時は帰納的に考えるしかありませんが、帰納的な考えでは普遍性は確定しないのですよ
ぼんやりとしか見えていないことを「考える」ことなんかできない。
まず何がどう目の前に「ある」のかを見ることが大事。そこから哲学は始まる。
ぼんやり考えた結果の「科学」が「哲学」を越えられないのはまさにそこ。
(棒読み
882 :
脳家見習い:2010/11/05(金) 19:56:25 0
精神に影響をあたえる脳内物質は、だいたいがシナプス間の情報伝達物質だったり
後シナプスの受容体に影響をあたえて細胞内化学反応を進めたり、あるいは神経細胞の
形成に影響をあたえたりするものですね。全部は覚えてないけど、本を開けばそのリストはすぐ得られます。
そして、そういうもろもろの化学反応が神経細胞の働きに影響を与える。
一方で、ある精神現象がそれに対応して喚起される。ここまでです、いえるのは。この先、
脳(根源)⇒精神、とこれを解釈するか、脳機能⇔精神(対応関係)と解釈するか、はたまた別の・・は自由です。
まず第一に、我々の認識は曖昧な物であり、そこに普遍性を見出すことは不可能だ
例え普遍的な存在があったとしても、我々の認識はそれを正しく捉えることは出来ない
何故なら、我々は普遍的に認識することが出来ないからだ。永遠に生きられないし、変わりなく認識する事も出来ない
これは認識というメカニズムの限界である。カントは、認識の限界の外に神がいるかもしれないと囁いた
しかし、カントに見られる「神の存在の可能性」は何の根拠も無い推論でしかないことは周知の通りである
認識の限界だけを捉えるべきだろう
884 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 20:14:20 0
>>883 そのとおり。まあカントも当時の時代背景のなかで認識の限界を
探っていたんだし、当時としては最高。現代には合わんでもしょうがない。
当時はまだ、神など不要!なんて書けるわけないじゃないか。書いてたらカントは残ってない。
885 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 20:21:35 0
>>883 まあ、イギリス経験論で止めといてよかった気がせんでもない。
886 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 20:25:34 O
みんな社会での都合的な方法論を真理として語ってますね
迷い猫さんだけが人間の本質を捉えようとしている
887 :
迷いネコ:2010/11/05(金) 20:29:04 0
>>882 >脳家見習いさん
>精神に影響をあたえる脳内物質は、だいたいがシナプス間の情報伝達物質だったり
>後シナプスの受容体に影響をあたえて細胞内化学反応を進めたり、あるいは神経細胞の
>形成に影響をあたえたりするものですね。全部は覚えてないけど、本を開けばそのリストはすぐ得られます。
>そして、そういうもろもろの化学反応が神経細胞の働きに影響を与える。
>一方で、ある精神現象がそれに対応して喚起される。ここまでです、いえるのは。
そういたしますと、
■「新記録を更新し続けている『親の子供に対する虐待』」
■「新記録を更新し続けている『父親の家族へのDV』」
これらのことに、あなたが今仰ったことを当てはめてシミュレートすることは可能ということですね?
>この先、
>脳(根源)⇒精神、とこれを解釈するか、脳機能⇔精神(対応関係)と解釈するか、はたまた別の・・は自由です。
まぁ、私もよく解りませんが、でも、
「大脳辺縁系(とくに扁桃体)」を人の「心・精神」と考える研究者も多いような?・・・。
>>881 >ぼんやりとしか見えていないことを「考える」ことなんかできない。
>まず何がどう目の前に「ある」のかを見ることが大事。そこから哲学は始まる。
>ぼんやり考えた結果の「科学」が「哲学」を越えられないのはまさにそこ。
それは、
>>どんな「時代・社会」においても、人の個体による「先天的」なポテンシャルの差は、否めませんね。
と、申し上げましたように、
それが、あるものとして『観えるもの』と「観えないもの」とのポテンシャルの「違い」です。
ようするに、それは、今現在まで「科学」と「哲学」とに、求められた「『脳』の違い」なのです。
888 :
迷いネコ:2010/11/05(金) 20:41:29 0
>>886 どうもありがとうございます m(_ _)m 。
よろしかったら、ご一緒に人の「本質・真理」を哲学してみませんか?(他人のスレッドですが・笑
>>887 ところがポテンシャルを上げるほど「見えないもの」があることに気がついてくるんですよねw
890 :
迷いネコ:2010/11/05(金) 21:34:21 0
>>889 >ところがポテンシャルを上げるほど「見えないもの」があることに気がついてくるんですよねw
う〜ん、そうですねぇ・・・。
そもそも、その「観えていない」ことには、大きく二通りあります。
@ポテンシャルを持っていない・潜在能力が無い
Aポテンシャルは持っているが低い・潜在能力はあるが低い
まず、@の場合は、どう転んでも「観えない」ですよね。
また、Aの場合でも、本人が興味を持ち面白いと感じ「観よう」としなければ、「観えてこない」ですよね。
まっ、今、私が皆様を刺激させて頂いているのが、ひとつの「ポテンシャルを上げる『方法』」ですがね。
そのポテンシャルをお持ちの方は、私のレスをお読みになって、
きっと、だいぶん「人間の『本質・真理』が『観えて来ている』」はずですよ。(笑
捕捉:その「見えないもの」がなんであるか言い当てた人間は未だいないらしい。
892 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 21:50:14 0
>>みんな社会での都合的な方法論を真理として語ってますね
迷い猫さんだけが人間の本質を捉えようとしている
意味がわからん。自演?
コミュニケーションの限界を感じるな。意見の違いはいいとしても、
センスや知性の差異はどうしようもない。
893 :
迷いネコ:2010/11/05(金) 22:08:00 0
>>891 >捕捉:その「見えないもの」がなんであるか言い当てた人間は未だいないらしい。
そりゃ、『観えているもの』がいくら説明しても、「観えないもの」には、理解できないでしょう?
つまり、この世の中には「観えないものが『多い』」ということです。
>>892 >>>みんな社会での都合的な方法論を真理として語ってますね
>>>迷い猫さんだけが人間の本質を捉えようとしている
>意味がわからん。自演?
だったら、
1)人間の「行動原理」は「すべて『己』」を満足させようとする『自己満足』にある。
最高の「自己満足」ですね!(笑
>コミュニケーションの限界を感じるな。意見の違いはいいとしても、
>センスや知性の差異はどうしようもない。
ですから、それが、本人が興味を持ち面白いと感じ「観よう」としなければ、「観えてこない」ということですよ。
>コミュニケーションの限界を感じるな。
もし、真剣にコミュニケーションを取りたいと思われるのでしたら、その限界は超えられるでしょう。
>>893 >
>>891 > >捕捉:その「見えないもの」がなんであるか言い当てた人間は未だいないらしい。
>
> そりゃ、『観えているもの』がいくら説明しても、「観えないもの」には、理解できないでしょう?
> つまり、この世の中には「観えないものが『多い』」ということです。
意味不明。
895 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 22:30:51 0
コミュニケーションは、最低限、共通の前提、共通のルールを設定
しなければならない。
>>人間の「行動原理」は「すべて『己』」を満足させようとする『自己満足』にある
これも、人間の「行動原理」には『己』」を満足させようとする『自己満足』もある でいい。
自己満足だけではなく、相互承認も必要。でなきゃ、ここで書き込む意味もなくなる。
896 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 22:35:41 0
迷い猫さんは、こういう掲示板でよくみられるどうしようもない嫌なヒネクレ者とはちがって、
いい人なんだと思う。たたかれまくってるけど、それは、
いってることはおかしくはないんだけど、すぐに一般化していいすぎちゃうからかな。
897 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 22:36:34 0
迷い猫さんは、こういう掲示板でよくみられるどうしようもない嫌なヒネクレ者とはちがって、
いい人なんだと思う。たたかれまくってるけど、それは、
いってることはおかしくはないんだけど、すぐに一般化していいすぎちゃうからかな。
>895
じゃあ、コミュニケーションじゃないのでしょう
議論とか対話とかはコミュニケーションの一手段ではないですよ
899 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 00:54:42 0
議論とか対話は、コミュニケーションの手段ではなく、コミュニケーションの一形態そのものです。
でなければ、各々が独白しているだけ。
>>899 議論や対話はコミュニケーションが成り立たないところにも成立すると思うけどなぁ
まぁ、いいや
つまり、最低限の共通同意がないとコミュニケーションはできない
そういうこと?
901 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 01:05:20 0
そうです。でないと議論にもならんです。
迷い猫さんが自身の前提を事実・自明と言い張ってもそれ以上議論がすすまない、
それぞれが自説を言い放って終わりになってしまうところでみたとおりです。
意思の相違はあっていいんです。結論や途中経過に異議があってもいいんです。
>>901 「事実」や「自明」という言葉に関する議論ができるかもしれないじゃないかw
対話する気がない相手と対話するのは困難だが
不可能ではないと思う
迷いネコが言う「事実」や「自明」をわれわれが受け入れる可能性があるならば、だが
まぁ、難しいよな
対話する意思がない相手に「対話しろ」と言うのは
対話を放棄した押し付けになってしまうかもしれない
むしろ、迷いネコから逆に「対話しろ」と言われかねない
903 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 01:37:38 0
>>896 叩いてないよ。
批判と反論で、みんなで議論を練り上げようとしてるだけ。
迷い猫氏自身も叩かれてるという認識なんて持ってないよ。
それと、いい人っぽいからって理由で擁護しようとする態度はアホだよ。
どんな口調だろうが関係ない。
この際ひねくれてるのは君なんだよ、ガキは出て行きな。
904 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 02:46:10 0
>>902 「事実」や「自明」という言葉に関する議論ができるかもしれないじゃないかw
だから、哲学の議論をやるなら、まずこの議論からしっかりやるか、そうせずに
あらかじめ共通の了解部分にもとづいてその上で議論すすめるかしないといけない。まあこういううっとうしいこといって
895,901では水さしてわるかった。気にせずに自由きままにすすめて。
ンドール氏とはたぶん考えてることそう違わないとおもう。十分伝わってる。
905 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/11/06(土) 05:00:14 0
見える見えないというのが、哲学の基本。
知恵の学問の基本。
知識があれば見えるものがある。
刑事ドラマで言えば、「手口が似ているから同一犯の犯行だ」とか。
犯人がわかってから推理小説を読むと、格別な味わい。
わかってからだと見える。
906 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/11/06(土) 05:04:51 0
哲学書を教養なしにみても得るものは少ないので、
歴史をかじるべきである。
好きなところから入るのが知恵を得る道である。
ところで、好きなことをやっていてばかであるというのは
どういう場合だろうか。
907 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/11/06(土) 05:08:02 0
速読を身に付けたら読むといい本が海外の本に多い。
大事なことは厚い本の後半に書いてあるのでばかはたどりつかない。
908 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/11/06(土) 05:09:12 0
高齢な人たちが、若いころにマンガを読んでたために国ががたがたというのが現代日本。
909 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/11/06(土) 05:33:28 0
何も考えないで、本を週に1冊のペースで読むといいよ。
年50冊でいいよ。
図書館いけよ。
これだけで知恵はつくよ。
・・・・・・・・・・いやいやノートに自分の意見を残すといいよ。
パソコンに残したらデータが消えてショックだよ。
・・・・とかいろいろ
910 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 08:21:32 O
普遍性とか言ってるが人間はナマモノだ
とうぜん人間が創る社会もナマモノだ
当たり前
もともとなかったレールのうえに乗っかれって言ってもできないな
普遍性とかはヒト科生物としてしかありえないってこと
911 :
迷いネコ:2010/11/06(土) 12:35:36 0
>>910 仰る通りです。
それが『哲学』であり、その『原点・本質』ではないのでしょうかね?
>普遍性とかはヒト科生物としてしかありえないってこと
そこが「人類の『限界』点」ですね。
ですから、その『限界』まで、科学という学問は、もとより、
有形無形を問わず、あいとあらゆるものに「道徳・倫理・道義『哲学』」があれば、人類の「平和」に寄与しますよ。
と、皆様にご提案させて頂いております。
912 :
迷いネコ:2010/11/06(土) 12:41:50 0
>>895 >コミュニケーションは、最低限、共通の前提、共通のルールを設定
>しなければならない。
もし、理解できないところがあれば、質問すれば良いのではないでしょうか?
>>894 >意味不明。
こうなってしまうと、難しいのですが・・・。
>>人間の「行動原理」は「すべて『己』」を満足させようとする『自己満足』にある
>これも、人間の「行動原理」には『己』」を満足させようとする『自己満足』もある でいい。
>自己満足だけではなく、相互承認も必要。でなきゃ、ここで書き込む意味もなくなる。
そんなことはない、ですよ、ここの「書き込み」も、『自己満足』に間違いないです。
そのことと、その「書き込み」を他人様がお読みになり、
喜怒哀楽等、様々な感情を発生させたり、「人類貢献」になったりすることとは、別のお話しです。
>>898-900>>902 >議論や対話はコミュニケーションが成り立たないところにも成立すると思うけどなぁ
真面目な話しですが、私は、皆さんの仰っておられることは、ほぼ理解できますし、
小難しい言葉が出て来ても、検索して、前後の文脈と照らし合わせれば、だいたい解読できます。
913 :
迷いネコ:2010/11/06(土) 12:47:11 0
>>902 >ンドールさん
>むしろ、迷いネコから逆に「対話しろ」と言われかねない
うっ !? 鋭いっ!(笑
まっ、冗談はさておいて、
基本は、「相手の『論理思考・精神世界』を読み取る」ことができなければ、
現実であろうがネットであろうが「議論・対話・コミュニケーション」等は、成立しませんよ。
>>896 >いってることはおかしくはないんだけど、すぐに一般化していいすぎちゃうからかな。
ご理解どうもありがとうございます m(_ _)m 。
そうなんですよ、気が短いもので・・・。
でも、こちらの皆さんは、難しいご本をたくさん読まれている方が多いので、
>>901 >意思の相違はあっていいんです。結論や途中経過に異議があってもいいんです。
そこで、的確なご質問・反論等を頂ける予定だったのですが・・・。(笑
914 :
迷いネコ:2010/11/06(土) 12:51:22 0
>>905-909 >知恵者2010さん <1/2>
>見える見えないというのが、哲学の基本。
>知恵の学問の基本。
>知識があれば見えるものがある。
そこです、そこっ!
>哲学書を教養なしにみても得るものは少ないので、
>歴史をかじるべきである。
そうですっ、皆様も、まだ言語も生まれていない太古の「人類史」から始めましょう!
>高齢な人たちが、若いころにマンガを読んでたために国ががたがたというのが現代日本。
これねぇ・・・。
あなたは、
>>640 氏なのでしょうか? まっ、それは、あまり問題ではないのですが、
マンガというより、「テレビ」が大きな原因のひとつだと思いますよ。
今現在では、そこから、「TVゲーム」→「携帯ゲーム」→「インターネット・ゲーム」というように・・・。
915 :
迷いネコ:2010/11/06(土) 12:52:20 0
>>905-909 >知恵者2010さん <2/2>
>640 氏
>>>しかし生きることが命の本質的幸福だ
>>>娯楽性は創造された幸福なのだから囚われてはならない
残念ながら、そのむかし生きる中の「人の営み」から「幸福感」を創り出していた分泌バランスは、
その「人の営み」から逸脱した、
超人工的に、しかも大量に『 セロトニン・アドレナリン・ドーパミン・エンドルフィン』等の
『快楽』を司る脳内物質を上手に分泌させることを「条件付け・刷り込み」できる「娯楽」には、到底太刀打ちできません。
と、申し上げました。
簡単に言いますと、
『テレビ』が創り出す、お笑い・バラエティ・ドラマ等が『快楽』を創り出す脳内物質の分泌バランスが、
そのむかし生きる中の『人の営み』から『幸福感』を創り出していた分泌バランスを『快感』で、大きく上回ってしまった。
ということではないでしょうか?
>パソコンに残したらデータが消えてショックだよ。
私は、ここをバックアップにしてます。(笑
916 :
迷いネコ:2010/11/06(土) 12:54:16 0
>>903 >それと、いい人っぽいからって理由で擁護しようとする態度はアホだよ。
ウっ !? グサっ! バレましたかぁ、実は、羊の皮を・・・。(笑
>どんな口調だろうが関係ない。
>この際ひねくれてるのは君なんだよ、ガキは出て行きな。
その『哲学』のない「排除の論理」は、良くないですよ。
917 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/11/06(土) 12:55:19 0
迷い猫さんは、しっかり思考しているように見えて物事がわからないようだから、
どうしてそうなのかを、要約してくれるといい。
最近俺は日本の新聞は読まないほうがものごとがわかるようになるという意見でおちついた。
間違った説明に接しすぎているのが現代日本人。
918 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/11/06(土) 12:57:00 0
919 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/11/06(土) 13:01:00 0
テレビが良くないというのは、それはそうだ。
すべての国民が、テレビでの解説でものごとを知るとなると、
現実とずれたことしかわからない人ばかりになってしまう。
俺もマンガで全部解説したらいいじゃんとかおもっていたこともあるけど、
本を読まないというのは危険なことだ。ほかのくにはちゃんと本を書いているし読んでいるのだし
日本だけ不利になる
920 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/11/06(土) 13:03:37 0
迷い猫さんは、図書館が近所にあるなら図書館でどんどん本を借りて読むといい。
そうでないなら、どうしよう。どうやって能力を伸ばそうか。
本を読んでいくと、見えている世界と、現実には関係があまりなかったりするというのが
だんだんわかるようになる。
アトムが作れないとか、どこでもドアがあればいいとか主張する大人が日本にはいくらでもいる。
921 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/11/06(土) 13:05:31 0
迷い猫さんは、ほめられて伸びるタイプで、けなされるとがっかりするタイプなら、
今後はほめるようにするが、どうだろうか。
922 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/11/06(土) 13:10:00 0
人間は、頭がいい人のまねをすれば賢くなる生物。
ただそれだけ。
最近 ノートを8つに切ってカードしてそこに覚えたいことを書くようにした。
これだけで記憶力の不足にくるしんでいた俺は記憶力に不足を感じなくなりました。
おすすめです。迷い猫さんにも。
俺は西友で35円のノートを見つけたのでそれでカードを作って100円ショップで買った輪ゴムでたばねて
定期的に見ることで記憶したいことがだいたい記憶できるというのがわかってきたよと。
923 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/11/06(土) 13:15:04 0
俺も数年前はいろいろ書いて人に教えたい気持ちがおおかったのだけど、
本を読んで自分でいろいろ誰も知らないことに気がつくようになったこの数年
あまり教える気持ちがなくなったというのがある。
924 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/11/06(土) 13:17:29 0
俺の脳内物質の出方は他の人より多かったり少なかったりするのかもしれない。
ただ、他の人の何十倍も考えるので、俺だけが解くということが多い。
925 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 13:19:16 0
>>921 同意。迷い猫氏は基本的能力はある。ある部分の知識や理解もけっこうある。
苦しくなっても屁理屈こねだしたり罵詈雑言しだしたりしだす
意固地なやつとちがい、素直に聞いて学ぶ姿勢も持っている。
ただ、世界を見る「視点」はもっともっと世に存在するので、
ゆっくりじっくりお互い勉強していこう。
美術展行きたいなぁ
絵画っていいよね
写実主義からはじまる点描派、印象派、何とか主義(色づかいが変なやつ)、とかいう流れを見ると
西洋の哲学と似たような文化、問題意識をもってたんだなぁと感じちゃうんだよね
どっちも西欧のものだからだろうけどね
あの時代の流れを見ると
絵描きって絵を描こうとしてたんじゃなくて
絵じゃないものを絵で表現しようとしてたんだなってすごい感じるわけさ
「描けぬものには筆を置かねばならない」なんちったりして
俺は絵を描いたことなんて一度もないけど
正統な哲学なんて、絵画美術の世界にしか生き残ってないのかもなぁとか思った
ごめん、ただ漠然とそう思っただけ
絵画の知識ないけどね
それより次スレどうする?
なんか、こんな感じの雑談スレ欲しくない?
俺がずっといた議論スレはちょっともうわけわかんなくてさ、、居場所がないんだよね
927 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 13:48:57 0
>>926 同意。さらに人文系の美術評論家と画家の相互作用もあるだろう。
主題まで思想的に抽象化してどんどん抽象表現になっていった。
次スレは、もうすこしテーマ・前提(数学の公理じゃないけど)をしぼったほうがいい。
漠然と「哲学」の言葉だけじゃ議論は無理そう。あるいは根本の前提についてをテーマにしてもいいけど。
同意されるとこそばい
俺は叩かれると伸びるタイプだから
前レスいちいち読んでないけど、そもそも「哲学」という言葉は、
ヘロドトスが『歴史』で使ったphilosophia(知を愛する)という言葉を
プラトンが、世界の成り立ちなどへの疑問に対して、論理的かつ合理的に
答えようとする意味に弄って用いたもので、イオニア自然哲学的態度から来たものだと聞く。
もとはといえば最古の西洋哲学者タレスを初めとした連中が、「アルケーとは何か」
を解き明かそうとしたもので、それを従来はミュトス(神話)(会話,物語)
によって語っていたものを、語源は同じだけど、「計算する」「整える」
の方に派生した「ロゴス」、すなわち冷静な観察と論理的思考によって、
彼らは世界を探求していこうとした。
そしてそこから科学だの歴史学だの自由七科(リベラルアーツ)だの、
色んなものが生まれていった。ここから俺は、「哲学を学ぶ」とは、
最低限、「大学の般養を統べる」ことにあると定義する。
930 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/11/06(土) 15:04:54 0
最近ネットで見たのが、
ニュートンが「私は巨人の肩に乗ったから遠くが見えた」というようなことをいったというのだが、
俺はそうではないとおもったが、
自分で書いた説明だとよくわからないなとさっき書いた内容についておもったのだが、
小学生向けの雑誌に、間違いにくい説明がよく書いてあったけど、
小学館とかは本当に一流の人材を採用しているので子供たちは一流の説明を受けて理解していた。
こういうのも、まさに巨人の肩に乗っている状態だったのだろうな。
当然のようにものすごく優秀な人の説明を受け取るので子供でも間違えない。
と書こうとして連投規制くらった。8回でだめとか
931 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/11/06(土) 15:06:04 0
932 :
知恵者2010 ◆9BcE6JmHNk :2010/11/06(土) 15:10:06 0
じゃ、迷い猫さん元気でねー。
で、話が逸れるけど、イギリス経験主義の保守主義思想の政治家
エドマンド・バークによれば、社会というものは、個人や団体が現実に対処するために、
長年に亘って発揮してきた数知れない独創性や組織力によって築かれてきたものである。
シュノイキスモスという言葉があるように、事実、日本においても世界においても、
村とか家族いうものはそういう目的で作られた。
つまり、京大出版会『人文科学を学ぶ』で言われるように、一般教養というものは、
これから放り出されていく、複雑で矛盾に満ちた「社会」というものを、
様々なアプローチによって考察し、問題を発見・分析・解決していくための
思考の訓練の場であって、そういった意味で俺は哲学は役に立つと思う。
纏めておくと、世界がわけ分からん ⇒ 社会を作って対抗しよう!
(キリスト教でも何か言われてるっぽい)⇒ 社会は厳しいから、
般教によって思考力を鍛えよう! ⇒ そのために、ショーペンハウアーの言うように、
そしてかつてのリベラルアーツのように、1・2回生のうちに哲学をやろう!
って感じ。
よく言われるように、最近の大企業が何を求めているかというと、ズバリ思考力であり、
総合的人格であるらしい。確かに即戦力的な力も求められてるけど、
社会は有機的に変化し、必要に応じて新しい能力を発達させていくもので、
絶えず変化する状況に合わせて適応していくものだから、専門知識なんていずれ
役に立たなくなる。
だから結局、社会が求める人材というのは、社会の変化というものに付いて来れる人間であり、
東大の何とか教授がyoutube動画でも言うように、変化を楽しめる人間なんだってさ。
その点、何だかんだ言って、ラッセルが幸福論でも言うように、子供の頃からよちよち
されて育った、安泰至上主義的な文学部の連中は役に立たないんだってさ。
935 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 16:01:38 0
>>929 ちょっと最低限すぎるかなあ…
「哲学」から「一般教養」に成り下がったというきらいがあるね。
哲学ってもっと主体的に社会に関わっていき、
その身一つで人間の理性や近代社会を変革すらして行こうとしてる人もいなかったっけw
大学教養を統べる、ではなくて諸学を基礎付けるという態度ならまだしも、
それでは哲学としての主体性がないので寂しいね。
>>933-934 思考の訓練?甘ったれたこと言ってんじゃねえよ。
哲学は思考訓練としてはお遊技程度にすぎない。
それってさあ哲学のアイデンティティー全くないだろ。脳トレでしかねえのか?
だいたい問題を発見・分析・解決していくためのツールならもっと合理的な方法いくらでもあるし
それならむしろ哲学書を捨てて街に出よとぶん殴りたくなる。スポ根が大嫌いな俺ですら。
放送大学で授業を注文して学校に通って妄想と幻想と空想を実現したいよ哲学思想倫理学問を勉強して学んでいると現実世界が大昔よりも鮮明に見えますよねー!?♪。
937 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 16:23:40 0
すべての哲学思想は相対的である
というのも相対的である というのも相対的である というのも相対的である
というのも相対的である というのも相対的である というのも相対的である
というのも相対的である というのも相対的である というのも相対的である
というのも相対的である というのも相対的である というのも相対的である
というのも相対的である というのも相対的である というのも相対的である
938 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 16:30:02 0
>>934 さいしょから、将来確実な幹部候補(運営主体)として採るならわかる。
だが、一流大学の学生で大企業はいっても仕事は学問みたいな頭の使い方
あまりしない(技師や法曹はしらんけど)。というか、気は使うし雑用多いし商才や管理能力もいるけど
一流企業とかなんとかいっても学問に比べてたいして頭使わん。スレちがいだったな・・すまん。
でも、私的にいうと、周りの理系学生は頭いいけどリテラシーなさすぎが
多い。科学やるにしても認識論もわかってないで素朴な唯物論だけとか・・。やっぱり、基礎として哲学いる。
939 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 16:50:32 0
>>929 「哲学」の語の歴史的経緯の説明については、まったく同意。
>>「哲学を学ぶ」とは、 最低限、「大学の般養を統べる」ことにあると定義する
のところ、万物の体系化ってこと?諸学の基礎付けってこと?
いずれにしても、過去の事例学びながらやりはじめると余計どれもそれなりに正しく、
それなりに独断的でまちがってると思い至り、そうでしかありえない気がし、混沌へ。苦しいな。
結局「すべての哲学思想は相対的である」というくだらん結論しか心から同意できん。
哲学なんて、そんな堅苦しく考えないで良いんです
知識に普遍的な価値を求めようとするから、哲学に誇大な姿を見るんですよ
人それぞれ哲学があり、どれが正しいという事も無い。これはニヒリズムであり、知識という価値の低落です
941 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 17:32:10 0
>>これはニヒリズムであり、知識という価値の低落
現代の風潮を言い当てている。哲学にかぎらず・・・。
まあ生活のかたわらにスルメのように味わう程度にしときますわ。それが健全。
赤ヘルだ
943 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 18:04:45 0
迷い猫氏は「唯脳論と現代社会を考えるスレ」とか立てたほうが、
そこに来る他の人と議論が進む気がする。
944 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 18:33:33 O
946 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 19:45:00 0
>>945 このタイトルだと古典的な水掛け論くりかえして収拾つかなくなるの見えてる。
それよか、「唯脳論者集まれ!」とか「ヘーゲリアン集まれ!」とか
「分析哲学者集まれ!」のほうがいい。
947 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 20:16:38 0
>>945 理論物理屋なら、唯物論とかですらなく、「究極の方程式」からくる
とか言いだしそう。
948 :
迷いネコ:2010/11/06(土) 20:31:22 0
>>936 >名も無き混沌。さん
>放送大学で授業を注文して学校に通って妄想と幻想と空想を実現したいよ哲学思想倫理学問を勉強して学んでいると現実世界が大昔よりも鮮明に見えますよねー!?♪。
べつに、フツウに世の中を観ていれば、現実世界が大昔よりも鮮明に観えてきますよ。(笑
949 :
迷いネコ:2010/11/06(土) 20:39:39 0
>>921>>925 これ以上「賢く」なってしまったら、どうしましょう?(笑
まっ、冗談は、さておき、どうもありがとうございます m(_ _)m 。
基本は、「無知の知」ですね、どこまで知っていて、どこから知らないか、己の境界線を理解していれば十分です。
さて、皆様は、もう「まったり」とエンディング気分のようですねぇ・・・。
>ンドールさん
>なんか、こんな感じの雑談スレ欲しくない?
エーとっ、哲学板で候補を探したのですが、
「最強哲学(レス26)」と「科学哲学(レス10)」という若いスレッドがありますね。
そのあたりに、このままなだれ込むとか?(笑
あと、私の「何でもあり」のスレッドでもべつに構いませんがね。
950 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 20:55:44 0
「まったり哲学カフェ」というスレがあってもいいなあ。俺流哲学っていうのより。
かたぐるしくなく、荒れてもなく、気持ちよくみんなが参加できるスレ。
それぞれに配慮もしながら主張もしていく。
その中で、毎週テーマを提示してそれについて語り合う。
「自由ってなんだろう」とか。
だめ?
951 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 21:05:15 0
952 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 21:18:23 0
浮いてる
どうした
明日も鳩山首相として頑張るがよいぞ
954 :
迷いネコ:2010/11/06(土) 22:03:08 0
>>951 >全てを物語っていると思うが。
う〜ん?・・・。
955 :
考える名無しさん:2010/11/06(土) 22:43:14 0
それはそれ、これはこれ。
お気になさらぬように、気を取り直してもどってきてくだされ、
という私からのささやかなメッセージを送る。
956 :
能屋:2010/11/06(土) 23:19:34 0
なんか文脈がようわからんなあ。友愛みたいな空気があほくさいってこと?まいいや。
ところで、迷い猫さん、
本能と行動の関係については僕は門外漢でよくしらないんで、これからも
おしえてください。
どうも僕は唯脳論あたりのとこにばかり反応しすぎちゃってた気がするので。
別スレでもオッケーですけど。
957 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 02:08:51 0
次スレは哲学って屁の役に立つの?で
958 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 02:11:07 0
高校生の私に教えてください
過去の偉大な哲学者の存在を知っても、それがどうして屁の役にも立たないのか全く分かりません
959 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 02:15:18 0
もう限界.... 期待して損した
960 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 03:02:29 0
期待しなければ損しなかったのだ
期待したのはお前の勝手だ
961 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 03:05:23 0
哲学なんて斉藤先生のプレッシャーに比べたら屁のつっぱりにもなりません
>>959 得したとか損したとか、つまらなくないですか?
僕は期待に胸が膨らんでいる時は楽しいですよ
僕は未来に夢を見てますよ
夢を見ることは楽しいからです
想像することは楽しいからです
想像が実現しないことが虚しいとは思わない
未来を想像する時、その未来への接近がなされるからです
未来を想像しながら、現在を少しずつ変えてゆくんです
結果を求めすぎると、虚しくなりませんか?
結果だけを評価するって、すごくもったいない時間の過ごし方だと思うのです
ゴールにたどり着いて、その後はどうするのでしょう?
僕が高校生の時、美術の教師が言ってたんです
先生はゴッホが好きで、ゴッホの最後の絵を見せながら
「ゴッホが死んだ理由がとやかく言われているが、簡単だよ
自分が描きたいものを描き尽くしたから、死んだんだよ
この絵を見たら分かる」とか言ってました
行きつくとこまで行き着いたら、後は死ぬしかない
ゴールにたどり着いたら、もう何も希望も欲求もなくなって自殺してしまう
皆がゴールを求めているなら、実は皆、自殺を求めているのかもしれない
死ぬためにゴールを目指すというのは、僕にはなんか理解できないわけです
哲学が完全なる理論をつくったら、哲学の歴史は終焉してしまう
完全なるものの完成は、終わりを意味するわけで
終わりにたどり着けないことを嘆くというのは
自殺してよい境地にたどり着けないことを嘆くように感じてしまう
それって何か変な感じがするんです
そんなに終わりたいのかな?とか感じてしまうわけです
ブルーハーツで「終わらない歌」って曲があったけど、ああいうのってやっぱダメなのかな
きちんと終わって完成して「もうバンドでやることなんてない」とか言うためにみんな創作活動をしていて
誰も音楽をやめてない以上、誰も完成してないわけで
じゃあ音楽なんて終わりがない不毛なのかな?
とか思ってみた
だらだらと書いてみたよ
964 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 03:57:01 0
ここは 迷いネコのネタスレやから(笑
ところで迷いネコは人類に貢献!?するだの
自己満足のおまけで人助けになるだのほざいとったが
なんかベストセラーでもだしてるでっか?
わたしはビルゲイツをこえる金と力をてにいれ人類におこりうる
あらゆる障害を克服する第一弾としてフリーエネルギー開発してるんですけど
2ちゃんねるって、僕は12年ぐらいいるけど
まだ続いてるということは、誰もが書き込みしてて終わりもせずにだらだらとしているわけで、終わりがないわけですよ
なんとなく無駄なわけです
学問は2000年の歴史があるけど、まだ終わりが見えないわけで
多分、学問が完成するのよりも先に地球が太陽に飲み込まれてしまうわけです
未完成のまま終わると分かりきっていることをやるのは虚しくならないのでしょうか?
本を読むのだって、たくさんの本を読み終わって「もう読まなくていい」となるには遠いわけで、読むのが虚しくなる
勉強だって「もう勉強しなくていい」となるには遠いから勉強は虚しい
恋愛だって終わりがないわけで、、、
世の中、終わりがないことしかなくて
世の中って虚しいですよね
>>965 >未完成のまま終わると分かりきっていることをやるのは虚しくならないのでしょうか?
だって完成したものが無いんだからしかたがないw
967 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 08:24:50 O
本能とは相対的と言えると思う
ナニかを獲た場合と獲られない場合では誰もが自身としては(ほぼ)180゜異なる認識をする
それはまるで善悪のように相対的に感じる
それが動物性の本能でもある
その云わば反射的な反応を越えようというのが社会での理性である
客観性や公平性により問題点を解消…調和しようという善性…
学校生活では規則により善性を身に付けさせようと試みられているが猿から毛が無くなっただけである子供には理解し難いだろう
自由の認識
社会では客観性や公平性により公正な判断を為されるために自由とは法律などにより制限される…
などの云々はここまでにして…
問題点とはそれら規範意識と人間が元来もつ動物性の反射的な感情や行動は相反してしまうという部分でしょう
968 :
迷いネコ:2010/11/07(日) 09:50:27 0
>>965 >能屋さん
>本能と行動の関係については僕は門外漢でよくしらないんで、
あなたのような、「脳関係」のご研究をなさっておられる方々は、
やはり、そういう「本能と行動」というようなことも押さえておく必要があると思いますよ。
誰もがお解りのように、人間を突き動かす本能は、「欲」です。
ご自身の行動でシミュレートしてみて頂きたいのですが、
どんな論理的行動であろうが、反対に、どんな衝動的行動であろうが、
その時点で「『己』が満足するから、その行動をとる」ということが観えてくるはずです。
>別スレでもオッケーですけど。
そうですね、
いまのところ、私の超過疎スレに、別に前の150ほどのレスは、無視して頂いても結構ですし、
前のレスに関してでも結構ですから、具体的なご質問を投げて頂ければ、できる限り答えさせて頂きます。
まっ、「科学の新しい発見は、議論から始まる」と言いますからねぇ、
もしかしたら、私とお話しすることで、あなたにも新しい発見が待っているかも? 知れませんよ???(笑
969 :
迷いネコ:2010/11/07(日) 10:07:45 0
>>964 >ところで迷いネコは人類に貢献!?するだの
>自己満足のおまけで人助けになるだのほざいとったが
よくお考え頂きたいのですが、
例えば、マザーテレサの活動は、肉体・精神的苦痛から多くの人を救い続けております。
そのマザーテレサを突き動かしていた原動力は、
他人を肉体・精神的苦痛から救うという「『己』が満足するから、その行動をとる」ということです。
したがって、どんなボランティア・社会貢献・人類貢献をなさっているかたも『し・か・り』ですね。
970 :
迷いネコ:2010/11/07(日) 10:10:28 0
>>965 >ンドールさん
>世の中、終わりがないことしかなくて
>世の中って虚しいですよね
その感慨も『哲学』の『原点』ではないでしょうかね?
971 :
迷いネコ:2010/11/07(日) 10:35:23 0
>>967 >学校生活では規則により善性を身に付けさせようと試みられているが猿から毛が無くなっただけである子供には理解し難いだろう
人の『脳』に人間社会で俗に言う「善・悪」というような概念的な本能は、本来備わっておりません。
我々人の「善・悪」という概念を構成させる『根源』は、
「人類を含む『ほ乳類』は、『同種をむやみに傷付けたり殺したりしない』というDNAプログラムが存在する」
というところにあります。
>問題点とはそれら規範意識と人間が元来もつ動物性の反射的な感情や行動は相反してしまうという部分でしょう
そのような「規範」も『同種をむやみに傷付けたり殺したりしない』に沿って創られていなければ、理解しにくいのと、
生まれて間もなく、この人間という動物は、
『同種をむやみに傷付けたり殺したりしない』ということを教えていかなければ、太古のむかしと違い、
後天的な「条件付け・刷り込み」される情報量が、
その『同種をむやみに傷付けたり殺したりしない』というDNAプログラムを凌駕してしまいます。
したがって、「道徳・倫理・道義」というものは、
『同種をむやみに傷付けたり殺したりしない』ということを基本に考えなければならない、でしょう。
アニオタが火病ってる。
974 :
迷いネコ:2010/11/07(日) 11:45:54 0
>973
『知らぬさっ、所詮人は、己の知ることしか知らぬっ!』(by ラウル・クルーゼ)
『あなたは、なに、と闘わなければならないのか・・・。』(by ラクス・クライン)
う〜ん、深い・・・。 なかなか、ガンダムSEEDは良いですよ!(笑
>>966 それは、単に今、存在しないだけなのか?
それとも、事実としてありえないのか?
事実としてありえないことを望みながら
それが達成されないことを理由に虚しいと感じるならば
それは自縄自縛のような虚無感ですよね
最初から達成されようがないことが達成されない世の中は虚しい
ってのは、虚しくしたいから虚しいって言ってるだけちゃうんか!って突っ込みが入りかねない
あと、僕は、この感慨が哲学だとはまったく思ってはいないんです
976 :
迷いネコ:2010/11/07(日) 12:19:08 0
>>975 >ンドールさん
>あと、僕は、この感慨が哲学だとはまったく思ってはいないんです
それは、あなたの『哲学』が、まだ始まっていないのかも?
だから「虚しい」のかも? 知れませんねぇ・・・。
まっ、その「虚しい」という感慨も、
人の「条件付け・刷り込み」により分泌される脳内物質バランスで、そのように感じているのですがね。
終わりが見えないものをやるのは虚しいどころか面白い。
将棋の羽生さんも「分からないから面白い」と言っていました。
将棋がオセロより人気があるのはその奥深さにあると思います。
あとこう言った人もいます、
「深遠な学問は誰が言ったかよりも何を言ったかに興味を持ち、
薄っぺらな学問は何を言ったかよりも誰が言ったかに興味を持つ」
>>976 ごめん、僕は虚しくないです
僕は基本的に楽しいです
ただ、虚しいと感じる思考も理解できます
僕は「哲学」って言葉にそんな深い意味を見いださないんですが
せいぜいドラゴンズファンとして「哲学」と呼ばれる伝統に関わるぐらいなんですけど
まぁ、僕は自分ではかなり竜キチなドラゴンズファンだと思っているんで
僕の哲学はまぁそれなりにはじまってますよ
979 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 13:27:30 O
ときどき波平さん交じってるわあwww
>>975 うんにゃ、それこそが哲学というものです。
ぼんやりとしたものを厳密につかまえるための学。
>それは、単に今、存在しないだけなのか?
>それとも、事実としてありえないのか?
存在とは何か、今とは何か、事実とは何かをすら人間は問い詰め切れていないので。
981 :
迷いネコ:2010/11/07(日) 13:57:59 0
>ンドールさん
>せいぜいドラゴンズファンとして「哲学」と呼ばれる伝統に関わるぐらいなんですけど
私は、とくに、どこのファンでもないのですが、
いつぞやの「おっ !? このままいくと、日本シリーズ史上初の完全試合じゃんっ!!!」と、
わくわくしながら観ていた私の期待を、コッパミジンコに打ち砕いて下さった、
落合監督の野球哲学は、個人的にはあまり好きにはなれませんね。
やはり、野球哲学もまた、
そこに携わる方は1チームのことだけでなく、「球界・社会・人類」規模でお考え頂きたいと存じます。
>>980 「〜とは何か?」って問いって、僕は「あんた考えちゃいないでしょ?」って突っ込みたくなるんですよ
僕は自分が興味あるような知的問題がいくつかあるんですけど
その問い方は「〜とは何か?」って形にはならないです
なんか、考えるふりだけって言うんですか?
考えちゃいない人が考えるふりだけすると「〜とは何か?」って問いになっちゃう気がするんです
考えるって、僕には思考があっちゃこっちゃいく感じなんです
一つの「〜とは何か?」を黙々と考えるんじゃなくて
いろんな想像や仮定を置きながら、様々な可能性を模索していくことなんです
僕が哲学に求める厳密さは、仮想のパターンを細かいレベルで検討していくことであって
辞書をつくることじゃあないです
ところで、話しはかわるんだけど
「まったり哲学cafe」ってスレ建てしようとしたら、このドメインだとできないってさ
>>981 僕は愛知が好きでしてね
愛知県民じゃあないんですが、ドラゴンズを応援しちゃうんですよ
>>982 >いろんな想像や仮定を置きながら、様々な可能性を模索していくことなんです
そのあたりはたぶん、デュミナスとエネルゲイアについての読み込みで解決するかも。
985 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 15:33:11 O
>>971はイマイチかな
人間の脳に善悪は備わっていない…のではなく感じ方として相対的であるということ
すべての関係性は善悪の縮図に過ぎない
それはたんにムカつくというレベルから犯罪性まで範囲的に様々である
犯罪…悪とは申告性のものがほとんどでしょう
それは…それを許容できるなら善悪の認識にはならないですからね
986 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 15:51:59 0
>よくお考え頂きたいのですが、
例えば、マザーテレサの活動は、肉体・精神的苦痛から多くの人を救い続けております。
そのマザーテレサを突き動かしていた原動力は、
他人を肉体・精神的苦痛から救うという「『己』が満足するから、その行動をとる」ということです。
したがって、どんなボランティア・社会貢献・人類貢献をなさっているかたも『し・か・り』ですね。
迷いネコ おめーはマザーテレサじゃねーだろ(笑
耳掻きねーちゃん殺したやつも「し・か・り」ですね(笑笑
論点すりかえんなよー
自己の欲望=人類に貢献か?(笑
987 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/07(日) 16:24:56 0
理解しようとおもってるけども
理解出来ない事が多すぎるので困ってるわけです。
とくに必要性の低い事日常的でないこと専門的なこと
支援が脅迫にかわる
988 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/07(日) 16:29:00 0
>自己の欲望=人類に貢献か?(笑
他人間の意志などがかろうじて一致するならば
そうなる可能性も、無い事もないです
デュミナスじゃなくてデュナミスだた。(デュナメイだもんな):訂正
990 :
迷いネコ:2010/11/07(日) 17:42:21 0
>>985 >人間の脳に善悪は備わっていない…のではなく感じ方として相対的であるということ
>すべての関係性は善悪の縮図に過ぎない
それは、ですから、
そもそも、その「善・悪」というのは、人間の「言語的概念」であって、『脳』に備わって生まれてくるわけではない。
ということですよね。
>それはたんにムカつくというレベルから犯罪性まで範囲的に様々である
>犯罪…悪とは申告性のものがほとんどでしょう
>それは…それを許容できるなら善悪の認識にはならないですからね
つまり、
2)人間の『社会性・価値観』は『条件付け・刷り込み』による、ほぼ100%が「後天的」なものである。
それらの感情は「後天的」な「条件付け・刷り込み」で創られるものですよね。
991 :
迷いネコ:2010/11/07(日) 17:50:47 0
>>986 >迷いネコ おめーはマザーテレサじゃねーだろ(笑
はい、もちろん、さようでございます。
>耳掻きねーちゃん殺したやつも「し・か・り」ですね(笑笑
笑えませんが、「自己満足」に違いはないですね。
>論点すりかえんなよー
べつに論点は、すり替えていない、ですよ。
>自己の欲望=人類に貢献か?(笑
1)人間の「行動原理」は「すべて『己』」を満足させようとする『自己満足』にある。
ただ、これをご説明申し上げている「だけ」ですよ。
992 :
迷いネコ:2010/11/07(日) 18:04:57 0
>>988 >ワームホールズ32056号室 さん
>他人間の意志などがかろうじて一致するならば
>そうなる可能性も、無い事もないです
というよりも、「自己満足」の副産物として、他人が「満足」する場合もある、ということだと存じます。
993 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/11/07(日) 18:08:46 O
哲学とは、「哲学はなんのために役立つのか?」となぜ問うのか、を考えることです。
「役立つ」と問うこと自体があなたは洗脳されているのです。
哲学はそんなマインドコントロールを解き、真実をお見せしますよ。
994 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 18:16:18 0
まあ、市場経済つまり自由経済をベストなものとして導入している
多くの国は、
「人間の「行動原理」は「『己』」を満足させようとする『自己満足』にある」
の命題をもっとも基本的なものであるとしているわけですね。
(問題点は多々あり「公共セクター」というもので補完してるけれども)
報酬・昇級・罰則に加え、称賛(賞)や充実感も使い分け、人を動かしてきたというのは
当たり前すぎて、全員同意できるんじゃないでしょうか。
995 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 18:17:51 0
つまり自己満足と社会的な貢献を両立させる原理として市場経済をとってます。
あたりまえか。
哲学嫌いの私は、
「学問が発達する過程で、役に立つものや学術的に意義があるものが旅立って行った、その残りが哲学である」
と思っています。
997 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/11/07(日) 18:27:25 O
ここでいう「役立つ」には「私にとって」という枕詞が隠されているわけです。
そんなことを考えだしたのは人類文明史一万年で百年たっているでしょうか
998 :
迷いネコ:2010/11/07(日) 19:09:06 0
>>994-995 >つまり自己満足と社会的な貢献を両立させる原理として市場経済をとってます。
なるほど、資本経済・民主主義社会は、そういう説明が成り立ちますね。
>報酬・昇級・罰則に加え、称賛(賞)や充実感も使い分け、人を動かしてきたというのは
>当たり前すぎて、全員同意できるんじゃないでしょうか。
しかし、それは、あなただから理解できるのであって、皆様が理解できる訳ではないでしょう?
>「人間の「行動原理」は「『己』」を満足させようとする『自己満足』にある」
>の命題をもっとも基本的なものであるとしているわけですね。
そうです、だから、
1)人間の「行動原理」は「すべて『己』」を満足させようとする『自己満足』にある。
そこに「すべて」を入れております。
これを人類が自覚できれば、「人の知性の成熟」が始まり、
そこから「人間社会の成熟」そして『人類の平和な未来』が訪れる、かも? 知れませんね。(笑
999 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 19:20:17 0
才能を伸ばすのを邪魔しているものは
不平等であり 宗教由来の因習が関係している場合が多い
その因習から個人を守ってくれるのが哲学である
才能が効率よく生かされている社会は
イノベーションが活発になる
1000 :
考える名無しさん:2010/11/07(日) 19:59:35 O
もう迷うなよ
子猫ちゃぁぁぁぁん
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。