1 :
考える名無しさん:
2 :
考える名無しさん:2010/09/13(月) 16:20:02 0
氏賀Y太スレかと思ったら違うのか
3 :
考える名無しさん:2010/09/13(月) 16:43:01 0
4 :
考える名無しさん:2010/09/13(月) 16:55:17 0
>>1 ケツにタイキックされて悶絶して泣いちゃえばよかったのに
5 :
考える名無しさん:2010/09/13(月) 17:05:44 0
>>1 堕ちるとこまで堕ちたら
自分のことを嫌いにはなるだろうが
物事をよく考えれるようになるよ
6 :
考える名無しさん:2010/09/13(月) 20:24:07 0
*
7 :
華:2010/09/15(水) 19:18:18 0
・・・(・・?
8 :
考える名無しさん:2010/09/17(金) 14:45:24 0
西田、田辺のあとで、高山岩男に継がせたのが間違いの元だろうなあ。
10 :
考える名無しさん:2010/09/21(火) 09:41:09 0
世界史の哲学とかかなり面白いと思う
少なくとも今一度再考されるべき
戦争との関わりばかりが強調されてタブー視されてるのが問題だね
いや、むしろ「でもほんとは戦争に加担するつもりなんてなかったんだお」
という論調が大勢だし、十分すぎるほど再考・再評価されてるだろ。
ただ残念ながら、時代が悪かったな。
今さら哲学自体の需要がない。
かもしれない。
だけど大切なんだよ。
14 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 02:14:09 0
>「でもほんとは戦争に加担するつもりなんてなかったんだお」
これってなんか陳腐だよね。
いいじゃん別に、世界征服のための哲学であっても。
単なる秀才じゃだめなんだよ。
時代に見事にアダプトするだけで、
時代と共に過去に押し流される。
戦争協力云々はその一部で末梢的な話。
16 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 17:07:08 0
和辻スレも落ちちゃったのか〜
こぶし書房と、一燈園の出版社が京都学派の本を復刻し続けているね。
あと書肆心水というところか。
17 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 17:35:50 0
岩波文庫で田邉元選集刊行中です。
誰が読むのよ今さら
>>18 そういう風に言うんなら,プラトンやデカルトを読むのも、誰が読むのよ今さらって話だなw
そこら辺は巨大な西洋哲学の源泉を探る意味で読まれる。
例えばカント・ニーチェ・マルクス…
どんな哲学を研究しようとしても古代ギリシア哲学まで遡ることを避けることはできないよね。
あるいは古典としての需要かな。
京都学派はそれが源泉となって現代につながるほどの大きな思想を形成したことはないし、
ついこないだの戦争に協力したしなかったで物好きのネタになるくらいが関の山だろ。
ましてや古典でもないしね。
しかし日本の哲学、日本の思想を構築するという点では参考になるというか、唯一の営みだったと思うけどね。
今の哲学が欧米の哲学者の文献解読になってたり、西欧哲学メインなのはおかしいでしょう。
日本人としての哲学が構築されねばならないという仕事を放棄している現代の哲学者は怠慢だよ。
本来はその仕事をやろうとしたのが京都学派だったのに敗戦と一緒にその仕事まで一緒に消えてしまったからね。
一つは時代も原因としてあるかも。
日本はまだ教育期間中だったって。欧米だって中世(少なくともその前期)まではそうだったし。
だからむしろこれからかも。
>>22 >日本人としての哲学が構築されねばならないという仕事
哲学にそんな目的ないよ。プラトンさんが聞いたら呆れるだろうな。
つーか日本にはまだ神社も寺もあって、
敗戦なんて何も関係なくそれぞれ独自の方法論で今日も哲学を続けているけど?
京都学派ってそれら東洋の哲学を西洋哲学の言葉に置換しようとしただけで
京都学派の試みが消えようがどうなろうが、神主さんも住職も知ったこっちゃないだろ。
日本独自の哲学を求めてるなら、
それこそ「テツガク」なんて捨てて山篭りでもした方がいいんじゃないか。
俺はこの西欧文明がメインの社会で、西欧哲学がメインになる事は
別に違和感は感じないけどね。日本人としての哲学、なんて言ってる方が違和感ある。
廃仏毀釈で寺潰しに狂奔した人達もそういう考えに囚われていたのかな。
そう、結局哲学って西洋発祥でしょ? いっそそういう哲学を棄てればいいと思うんだよ。
愛知とか真理探求とか、そういうものが哲学と言われてるらしいが、どうもそれに納得できない。(むしろ真理なんて存在しないのでは)
どこまでいっても我々にはギリシアやキリスト教の精神が理解できない。あるいは言語構造も違う。
彼らが本当に考えていたことが日本人にどこまで本当に考えられるか疑問だと思うのよ。
頭や論理では言ってることはわかるかもしれない。でもそれが精神的にしっかり根付くか疑問なのよ。
俺は西欧の著作を読んでていつもそう思うんだけどね。
そうなったときに日本語で語られて日本人の宗教観、自然観に根ざした「哲学」を考えるべきだろう。
日本人にとって「哲学」とは何か、というところから始まってね。
京都学派は東洋の哲学を西欧の言葉に置換したわけではない。
そもそも仏教に立脚してるわけだから、西欧の宗教観とそこから出てくる思想とは異なる。
最終的には抽象化したら、どこの文明だって言ってることは似てるかもしれんけけど、その差異が重要。
人間は言語や思考も環境に左右されるのに、自分たちの環境を重視せずに他の環境の産物を追いかけるのは、
自分を見失った根無し草そのもので、そういうところから本当の仕事は生まれないんじゃないのかと。
西欧文明がメインとなる社会がいいわけでもない。むしろ西欧近代の行き詰まりが出てきてるのが実情でしょ。
そうなったときにポストモダンなんていう失敗作ではなくて本当の意味での近代の超克が要る。
環境の違いから来る日本の「哲学」の模索、そして近代の超克のために、近代に懐疑を向けたという2つの点で
京都学派参考になると思うんだけどね。
>>25 うんまあ、そういうと
>>12に戻るんだが、今さらそんな哲学自体が必要とされてないでしょ。
哲学が力を持っていた時代ならともかく。
このごろは「日本人の心」「仏の心」みたいなワードは商業的にウケやすいから、
うまく時流に乗せて『疲れを癒す、強くなる!日本人に響く西田幾多郎の言葉』みたいな新書出せば
頭の弱いサラリーマンには売れるかも知れないけどさ。
27 :
考える名無しさん:2010/10/24(日) 23:47:55 0
哲学ってそもそもなんなんでしょうね。
真理を把握してるんでしょうか。
それとも壮大な誤謬なんでしょうか。
そのことを検証するための哲学史研究なら意味はあると思うけど、
哲学および哲学史を権威化してそれを俺らは継いでるぞという哲学史研究は全く無意味。
28 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 23:43:41 0
まあ、日本近代の哲学者で、仏教に着眼した人はいろいろいるんだろうけど
そこでいう「仏教」ってのは、ほとんどが「禅」か「親鸞、浄土真宗」なんだよな
禅=内面の探求
浄土真宗=阿弥陀を絶対者として信ずる点で一神教に通じるようなところがある
ということで、結局は西欧の洗礼を受けた目で見ている
日本の歴史から言えば天台宗とか真言宗とかの方がさらに長いのだが
それらを取り込んだ日本の近代哲学ってのはあるのだろうか
また話は飛ぶけど、日本思想といえば、江戸時代は何よりも儒学の時代で
あったはずだが、朱子学も陽明学も徂徠学も、今は思想史の研究対象に
なるくらいだよな
とりとめもないこと書いてて自分でも何が言いたいのかわからなくなったが
それはそれとして、岩波文庫の田辺選集は読んでみるよ
あと古本屋で高山岩男の「哲学とは何か」と高坂正顕の「哲学は何のために」を
ゲット。どっちも戦後の著作だが。
29 :
考える名無しさん:2010/10/28(木) 01:04:09 0
西田哲学は結局ヘーゲル主義の日本風の焼き直しにすぎないって聞いたことがあるけど、どうなんだろうか?
当たってるんじゃない?
ヘーゲル主義にブディズムのスパイス効かせましたみたいな
今更だけど、田邊、和辻、西谷とかならともかく、
なんでスレタイに西田と一緒に森哲郎とかが入ってるだ?
せいぜい大橋良介か上田閑照だろ
32 :
考える名無しさん:2010/11/26(金) 21:53:51 0
>>28 哲学者の定義とは何か?大学で哲学を専攻した人又は専門が哲学の人?
それにこだわらなければ、あきらかに南方熊楠は真言密教の影響を受けている、と思う。
また私の読んだかぎり湯川秀樹は西田幾多郎の影響が非常に強いと感じるし、よく知られ
ているが空海についていろいろ書いている。あと天台宗はなんでもありだから一つの思想
といえるのか、わからない。あなたの仏教を一緒くたにしない点には賛成する。実際仏教
の教典はかぞえきれないほどあるし、言ってることもかなり違う。「ブディズム」とひと
まとめにできるのか?ほとんどデカルトからハイデッガーをひとまとめにするようなもの
だ。インドが源流のいろいろな思想と考えたほうがよいと思う。
岩波の田辺選集初めて読んでるが、結構面白いな〜
なんつうか、くそまじめに哲学が「究極的真理をとらえる学」ていう前提なんだが
時代なんだろうが羨ましさと違和感を感じるな
34 :
考える名無しさん:2010/12/03(金) 23:14:03 0
昔ある日本人が鈴木大拙にむかって「西洋人が仏教をわかるのか?」と聞いたら、鈴木大拙が「あんた
わかるのかね?」と答えたというエピソードを読んだことがある。いかにもありそうなエピソードでは
あるがたしかに自分が仏教をわかっているかというと疑わしい。その意味で西洋の語彙を使って仏教的
なことを語ることにはかつて意味があったと思う。しかし本当は仏教に限定する必要は全然ないものま
で仏教独有なものとするある種の思想(一種のナショナリズム)には警戒せざるをえない。例えば禅宗
での悟りは何かを本当に理解するというよりは、今までにつもった塵をはらうことであるという。つま
りもともと悟っていたのに世俗の垢がついてしまった為に迷いに入ってしまう。(悟りと何らかの関係
がないなら悟れるはずがない)この理解には異論があるかもしれないが次のことがいいたいのだ。西洋
の文脈では世界あるいは神と自己が対立しているが、仏教では世界あるいは悟りと自己が連続している
、という考え方である。西田幾多郎は前者を「対象論理」と呼び何度も批判している。後者のような考
考え方はインド思想のブラフマンとアートマンとの関係にあたり日本仏教特有なものとはいえない。今
求められているのは日本独自だとかオリジナルに閉じ込もることなく世界と共振できる思想だと思うが
西田哲学にはそれがあると思う。
35 :
考える名無しさん:2010/12/05(日) 01:17:48 0
>世界と共振できる思想
こういうあいまいなものいいを平気でするところに、
京都学派の閉鎖性があるとはおもわんかね?
ちゃんと京都学派の本読んだことあるのか?
彼らの著書では、彼らの思想が曖昧なまま書かれてたかな?
世界と共振できる、っていう考え方にはちょっと意義ありではある。
37 :
34:2010/12/05(日) 11:17:29 0
貴重な意見ありがとうございます(笑)。私は34で西田幾多郎について語ったが京都学派については
語っていない。一つには京都学派全般について語れるほど読んでいないからであるが、一つには思想
というものはどうしてもパーソナルなところがあるので、学派(スクール)というものには絶対まと
めることができない、と信じているからだ。むしろそれぞれの差異の中にこそその人の思想の核心が
あると思っている。例えば戸坂潤という人がいるが彼はあきらかにマルクス主義者であり、西田幾多
郎をこれでもかというくらい批判している。現代から見ると彼の西田批判は(全てではないが)あた
っているといわざるをえない。もともと思想というものは望遠鏡で見るとどれも似たようなことをい
っている(笑)。事実、西田哲学は29でいわれているように「ヘーゲル主義の日本風焼き直し」とい
われているし、影響を受けていることは間違いないだろう。しかし同時に差異もあるわけでその部分
を見逃すくらいなら、(乱暴にいえば大枠なんてどれも似たようなものであって、本当にむつかしい
のはその細部のつじつま合わせなのだ)解説本でも読んでいればよいのだ。だから「西田哲学」がホ
ワイトヘッドやベルクソンと似ているというのは間違ってはいないのだがそれではダメなのである。
ホワイトヘッドはあまり読んでいないのでベルクソンを例にとると後期の西田はかなりベルクソンを
批判している。簡単にいうとベルクソンは時間に比べて余りに空間を軽視している。極端にいえば幽
霊のような世界である。「エラン・ヴィタール」が次から次へと物質を打ち破っていく。しかし西田
によれば現実世界は物と物とが合い働く世界である、物がもっと重要な役割をはたしている。物はつ
くられたものであるが、それが又世界に働きかけるのである。活力論だけではこの世界はつくられて
はいない。また時間に関しても「純粋持続」は認めるが過去から未来へ流れるという考えを批判して
いる。西田にとって真実在とは絶対現在なのだ。
38 :
34:2010/12/05(日) 11:40:13 0
西田の絶筆「私の論理について」の中に次のような文章がある。「しかし私の論理というのは学界から
は理解せられない、否いまだ一顧も与えられないといってよいのである。批評はないではない。しかし
それは異なった立場から私のいうところを曲解して、これを対象としての批評にすぎない。」これが京
都学派をつくったといわれる人物のいうことであろうか?「京都学派」とは後の人がつくった言葉にす
ぎない。そもそも(私の考える)西田の最重要論文は「弁証法的一般者」以降のものであるが、京都大
学定年退職以後に主に鎌倉で執筆されたものではないのか?「京都学派」の批判ばかりしてしまったが
、もちろん私にも九鬼周造のように好きな人が何人かいるが、それは「京都学派」だからではない。
40 :
考える名無しさん:2011/01/03(月) 23:46:12 0
田中美知太郎って本当に京都哲学の癌だったな。
あれのおかげで歴史偏重の流れができた。
ギリシャ哲学が真理を把握してるんなら、その後の哲学史は異論の闘争史にならなかったろうよ。
戸坂潤と三木清の死が惜しい。
42 :
考える名無しさん:2011/01/06(木) 20:53:37 0
>>40 ギリシア哲学の有力な一派は真理の把握を否定しているんですけどね
今日の基本的な哲学の問題がほとんど全て、しかも洗練された仕方で語られているのが
ギリシア哲学の一つの面白さだよ
日本の哲学はもっと独自の哲学的な論争があってしかるべきなのに
結局今の日本哲学の研究者は、例えば仏教や京都学派の単なる注釈にいそしんでるね
あれだけ西洋哲学研究者のの注釈的研究を批判しながら
滑稽なことですよ、ほんと
ましてやろくに欧文文献を読みこなせない人が
「西洋哲学を超える(キリッ」とか言って脳内西洋哲学と必死に格闘する姿は失笑もの
最近は見ないが、西洋哲学の二元論的思考がどうのこうの言うお花畑の住人は
かつては一杯いたそうだ
まぁ心持ちの問題よ
西欧にいつまでもしがみつく必要は無いという気持ちが大事
そもそも日本に「哲学」という「学問」は無いんだから、「哲学」をしたかったら西洋のマネをすればいい
京都学派を参照するとしたら、「哲学」以外の日本流学問か生き方を見出すために手がかりになるってことかね
実はこれって哲学とは何かってことと物凄く密接に通じる問題だと思うんだよね
>>42とかは哲学を自明な感じでギリシア哲学、西洋哲学、日本哲学って言ってるけど、
そう言うからには哲学とは何かということを了解してるわけだよね
哲学とは何かということをぜひ聞いてみたいのだが
44 :
考える名無しさん:2011/02/21(月) 12:47:51.47 0
西洋哲学はロゴス偏重で健康に悪い。
45 :
考える名無しさん:2011/02/21(月) 16:19:46.80 O
西洋におけるギリシャ思想の受容の仕方がロゴス偏重なだけ
なのでは?
46 :
考える名無しさん:2011/02/21(月) 16:29:24.63 O
西欧キリスト教世界における古代ギリシャ思想の、かな。
ロゴス偏重と言ったらヨハネ福音書辺りが強烈。
47 :
考える名無しさん:2011/02/21(月) 16:41:46.57 O
西欧における哲学的伝統は聖としてのキリスト教に対する俗の
学問として発展して来た。自然的認識として人間に許された
ロゴスが中心になるのは必然とも言えるが。
48 :
トーヨージーン:2011/02/21(月) 17:05:49.33 O
西洋人ってのは、こういう問題はなかなか正直に語れないもんだね。
49 :
トーヨージーン:2011/02/21(月) 17:13:10.00 O
俺は西洋の歴史に対しては、あくまでも他者だな。
西洋の歴史の中に立って西洋人らしく振る舞ったって、
所詮は新参の余所者の物真似以上の扱いは受けないさ。
50 :
考える名無しさん:2011/02/21(月) 19:04:28.19 0
というか京都学派の初祖の西田幾多郎が禅者なんだから、
西田哲学を発表するほどヘンテコリンになってるんだよ。
東洋の知を西洋の知に変換しようとしたのが間違いだ。
日本のあり方を外国に表明するためには、方法が他になかった時代だ。
何百年も前から、キリスト教もイスラム教も、
瞑想を軽視してエゴ教義で突っ走るようになった。
幾多郎はその辺りを諸宗教融和的に説いているが、無駄だよ。
瞑想をしないで造られた教義はイデオロギーにしかならないから。
派閥争いに墜ちる。幾多郎のわだかまりは増幅したと思うよ。
キリスト者やムスリムに坐禅しろなんて言えない時代だったし。
幾多郎ほどロゴスの限界を感じた奴はいなかったと思う。
終戦前に死んじゃったけど、かなり悔いを残したと思うな。
捨てたれど
隠れて住まぬ
人になれば
猶(なお)世にあるに
似たるなりけり
西行
ところで京都学派を語るとして、京都学派とは何か、ということに対して
未だに定説が無いよね
誰を含め、誰を含めないのか
批評空間?
東京は西洋化された日本の中心で無性格な印象が強いが。
「表徴の帝国」空間?
バルトはそこに決して見たくないものを感じ、目を背けたいものを
指して空洞と読んだだけかも知らんけどな。
レスするなら一人で連レスしないで言いたいことまとめてから書き込んでくれよ
ここはお前の日記帳でもネタ帳でもないぞ
すまんすまん。
言ってみただけだ。学閥問題には興味ないが、京都も保守化
したか?
戦後はずっと保守的だろ
少なくともどこの大学もやってることは同じで文献解釈のみ
61 :
考える名無しさん:2011/03/16(水) 22:50:40.79 0
もし西田哲学に可能性があるとしたら生命論だと思う。西田は人が思うほど禅者ではない。後の京都学
派の人がつくったイメージがあまりにも大きすぎる。例えば彼が師事した雪門老師は西田に印可を与え
ていないはずだ。又下村寅太郎の回想によれば京都に住むようになってからの先生はほとんど座禅をさ
れなかったといっている。このことは真の禅者であったら不自然なことだ。むしろ彼の何人かの弟子の
ほうが本当の意味で禅者であったといってもよい。西田の関心は別のところにあったと私はみている。
西田の著作で語ってよ
63 :
考える名無しさん:2011/04/09(土) 08:33:18.89 0
こんな機会でもなければ自分の意見をまとめるといったことをしないアバウトな性格なのでもう少し西
田幾多郎の生い立ちについて書いておこう(笑)。現在の石川県かほく市の大庄屋の家に生まれたもの
の放蕩親父が米の相場(現在の株取引のようなもの)で失敗しかなりの財産を失い(おそらく西田の潔
癖な性格はこのことと無関係ではない)、それを機にかほく市(鎌倉のように海が見える旧宇ノ気町)
にある資産を処分して金沢市に引っ越した。そこで学生時代をすごすことになるのだが、四高の数学教
師北条時敬という人物に最も影響を受けた。学生達のあこがれ(ヒーロー)であった東京帝国大学から
赴任した金沢出身の北条時敬(1858〜1929)は、西田幾多郎より12歳年上で、当時最先端の「数学」だ
けではなく「テニス」「ベースボール」「ワンダーフォーゲル」等のスポーツをこなす「ハイカラ(最
新流行)」な人であったらしい。だから彼が関東地方で当時流行していた「禅」に関心をもっていて自
ら実践していたのもあたりまえであった。
64 :
考える名無しさん:2011/04/09(土) 09:41:48.72 0
こんな機会でもなければ自分の意見をまとめるといったことをしないアバウトな性格なのでもう少し西
田幾多郎の生い立ちについて書いておこう(笑)。現在の石川県かほく市の大庄屋の家に生まれたもの
の放蕩親父が米の相場(現在の株取引のようなもの)で失敗しかなりの財産を失い(おそらく西田の潔
癖な性格はこのことと無関係ではない)、それを機にかほく市(鎌倉のように海が見える旧宇ノ気町)
にある資産を処分して金沢市に引っ越した。そこで学生時代をすごすことになるのだが、四高の数学教
師北条時敬という人物に最も影響を受けた。学生達のあこがれ(ヒーロー)であった東京帝国大学から
赴任した金沢出身の北条時敬(1858〜1929)は、西田幾多郎より12歳年上で、当時最先端の「数学」だ
けではなく「テニス」「ベースボール」「ワンダーフォーゲル」等のスポーツをこなす「ハイカラ(最
新流行)」な人であったらしい。だから彼が関東地方で当時流行していた「禅」に関心をもっていて自
ら実践していたのもあたりまえであった。
西田幾太郎と鈴木大拙と中村元とでは、誰が一番、偉いの?
68 :
考える名無しさん:2011/04/30(土) 14:55:40.31 0
後に東北帝国大学総長まで務めることになる北条時敬は、鈴木大拙の回想によれば「なかなかの教育
家」であって自宅にも目のかけた生徒を寄宿させていたのであるが西田幾多郎もその中のひとりであ
った。だから「禅」を学ぶために北条時敬に就き従い石川県金沢市の町中から富山県高岡市西田(さ
いだと読む)にある国泰寺派総本山の国泰寺に通うことになるのも自然の流れであった。名前こそ立
派であるが何度か廃寺の危機にも直面した決して大きくはない寺である。ここで寺を再興させようと
していた和歌山県出身の雪門老師に師事することになったのが決定的であった。以前から雪門老師は
金沢市を何度も訪れておりおそらく西田幾多郎も最初は金沢で直接説教を聞いたことであったろう。
現在の常識的な感覚からいって決して歩いていける距離ではない国泰寺への道のりを週末に鈴木や西
田らは歩いて通った。
>>67 国内的には西田
国際的には鈴木
業績で考えれば中村
70 :
考える名無しさん:2011/05/01(日) 09:07:46.68 0
3年間の清国留学(中国留学)で硯匠名師に学んだ経験もある雪門老師(1850〜1915)は型破りで厳
しい人であったらしいが残念ながら私はくわしいことは知らない。(水上勉が彼の生涯について小説を
書いているとのこと。私は未読。)越中(富山県)に来たのは一説によると山岡鉄舟(1836〜1888)
の依頼によるという。鉄舟は禅がかなり好きだったようで禅宗の再興に尽力した。(雪門老師は鎌倉市
円覚寺で鉄舟の葬式を行っている)西田幾多郎は学習院教授に任命される40歳くらいまで鎌倉の建長
寺、円覚寺、京都の妙心寺等に熱心に参禅していくことだろう。
71 :
考える名無しさん:2011/05/01(日) 11:00:50.65 0
言い忘れたが雪門老師は水上勉と同じく京都市相国寺の出である。
話は前後するが西田幾多郎の通った四高についてどうしても語っておきたい。明治政府による1886年
教育令の改正により帝国大学令、師範学校令、中学校令、小学校令が公布され、それに伴い石川県専門学
校が第四高等中学校と改称され、官立に移管された。このことは西田幾多郎の生涯に大きな影響を与える
ことになる。正直私もよく理解しているとはいいがたいのであるが(笑)、それまでの加賀藩の経営から
官立になり校風ががらりと変わった。加賀藩は藩主が学問好きであったことも幸いして自由で学問がさか
んなところであった(おそらく地方では最高レベル)が官立になり上の者は明治政府から派遣された薩摩
藩や長州藩の人材で占められたためがちがちの官僚制が学校を支配した。そもそも四高とは明治政府が自
分達に役に立つ役人を育成するためにつくられた学校であったから政府の考えを吹聴したし、それでなく
ても加賀藩は幕府側についていた過去があったので明治政府から派遣された者が相当いばっていたらしい。
以上のことが主たる原因で反抗的な不良(笑)西田幾多郎は1889年には「行状点欠少」で落第、1890年
には中途退学してしまう。
72 :
考える名無しさん:2011/05/01(日) 15:04:48.09 0
73 :
考える名無しさん:2011/05/01(日) 17:32:59.32 0
ここで四高時代の西田幾多郎君の友達を紹介しておこう(笑)。
鈴木貞太郎君(大拙)(1870〜1966)
説明は不要だろう。1889年に医者である父親が亡くなり学業を続けることができなくなる。学校をやめて、
小学校の英語教師になる。後学問への思いやみがたく東京専門学校(現早稲田大学)に入学。同時に宗教へ
の憧憬が高まり鎌倉円覚寺に参禅する。前にも書いたとおり当時静かな「禅」ブームがあり円覚寺には実業
家から夏目漱石までいろいろな人が集まった。最初に師事した今北洪川禅師はすぐに亡くなったためつづく
法嗣の釈宗演禅師に師事した。のち釈宗演に「禅」を学び仏教を研究しに来ていたベアトリス・レインと結
婚する。寺で恋愛してもいいのか(笑)鈴木君!
74 :
考える名無しさん:2011/05/02(月) 21:21:19.35 0
>>73 鈴木君は金髪美人好きなのねww
(金髪なのかは知らんが)
75 :
考える名無しさん:2011/05/03(火) 10:25:24.06 0
松本文三郎君(1869〜1944)
西田君の一級上。国立国会図書館のデータでは(1965〜1944)とある。余談ながらこの時代の人達の
生年はいいかげんである(笑)。森鴎外(1862〜1922)はたしか年齢をいつわって東京帝国大学に入
学している。青年期の2〜3年の学力差は大きくいかに秀才のほまれ高い森林太郎君でも成績はトップ
クラスにはなれなかった。上位数名になると国費で外国留学できたのだ。なんとしてでも外国留学をし
たかった森林太郎君は陸軍からの誘いを受けてプロイセンへ留学をはたす。彼が金髪美人好きかどうか
私は知らない(笑)。
76 :
考える名無しさん:2011/05/03(火) 10:39:39.05 0
話をもどそう。
調べてみると松本文三郎君はインド哲学・仏教学者と書かれてい る。京都帝国大学教授、東方文化研究
所所長ともある。私がよくも知らないのになぜ紋切り型の履歴を 羅列したかというと、四高時代西田君
は藤岡作太郎君、金田良吉君そして松本文三郎君と「我尊会」と いうグループをつくり回覧雑誌をつく
っていたからだ。だから一級上といえどもよく知っていたという べきであろう。幼いころに母親をなく
していらい宗教的なものに関心が強かった、西田君の言葉でいえ ば「弱年にして既に超世間的で深く人
生問題について考えていた」鈴木君とともにインド思想や仏教に ついての知識量は西田君をはるかに超
えていたはずだ。(鈴木君は本気でインドに行きたいと考えてい た。アメリカにいった理由のひとつも
アメリカ経由でインドにいけるかもしれないと考えたからだ。) 西田君からみると、もし仏教学につい
て学んでいってもこのふたりにかなうわけないだろうと考えざる をえないし、むしろいろいろ教えても
らっていたことだろう。「私は多くの友を持ち、多くの人に交っ たが、君(鈴木君のこと)の如きは稀
である。君は最も豪さうでなくて、最も豪い人かも知れない。私 は思想上、君に負ふ所が多い。」鈴木
大拙著「禅と日本文化」序から引用。もともと西田君は数学者に なりたいと考えていた。失礼ながら、
>>67や
>>69では比較する人が暗黙の内に仏教学者が前提されて いる。(余談だが、中村元晩年の「自
己の探求」や「論理の構造」はすごい!)間違いとまではいわな いがその点において西田君がかなうはず
がないし、本人も級友たちをさしおいてそんなつもりはなかったにちがいない。心をまっさらにして西田
の著作を読んでみたら仏教の 言葉からの引用が意外に少ないのにおどろかされるはずだ。私もお世話にな
ったが禅宗の本というのは「不立文字」といいながら禅語の解説がやたら多い(笑)。私が
>>61で「西
田は人が思うほど禅者で はない」といったのはその意味である。
77 :
考える名無しさん:2011/05/04(水) 13:15:50.97 0
申し訳ありません。鈴木大拙の記述に誤りがありました。
1889年に医者である×父親が亡くなり学業を続けることができなくなる
1889年に医者である◯母親が亡くなり学業を続けることができなくなる
幼いころに×母親をなく していらい宗教的なものに関心が強かった
幼いころに◯父親をなく していらい宗教的なものに関心が強かった
おもしろそうだが読む気がしない。
演出に問題がありそうだ。
長文を連投するときには読者を引きつける方法を使うのが常道だがな。
哲学板も技術不足だな。
79 :
考える名無しさん:2011/05/08(日) 14:21:05.17 0
西田の哲学論文集は、禅の悟りの境地を論理的な世界観で述べているだけだなwww
ヨーガや禅や神秘主義の立場から見れば陳腐な常識に過ぎないwww
80 :
考える名無しさん:2011/05/08(日) 14:48:40.24 0
まっ、ヘーゲル哲学もそうだけどね・・・。
見識が浅いなあ
悟りの境地を如何に哲学と結びつけるか、
如何に別の言葉で表現するかが難しいんだよ
もちろん禅にかぎらずあらゆる思想がそうだが
それがわからないのは哲学したことがない証拠
82 :
考える名無しさん:2011/05/08(日) 15:29:30.00 0
何言ってるんだかwww
善の研究はともかく、西田の哲学論文集は宗教的神秘体験を少しでも齧っていないと
何のことやらサッパリ理解できないよ。
83 :
考える名無しさん:2011/05/08(日) 16:30:01.96 0
西田ははっきりと自分の哲学は神秘主義ではないといいきっている。
84 :
考える名無しさん:2011/05/08(日) 16:38:55.22 0
そういう風に言ってるけど実質西田哲学はヘーゲル哲学と同じ理性の神秘主義だよ。
理性の神秘主義てw
86 :
考える名無しさん:2011/05/08(日) 17:46:16.82 0
私は、もし西田の思想が神秘的であるとしたら次ような意味においてでしか認めない。
世界がどのようにあるか、ということが神秘的なのではない。世界がある、ということが神秘的なのである。「論理哲学論考」
しかしこのスレまたーりしてますなァ。
西谷啓治は体得していたんだろうか。
ウィトは正法眼蔵に手が届きそうな段階で死んでしまった。
牧野紀之によると波多野精一はヘーゲルを理解できなかったらしい。
88 :
考える名無しさん:2011/05/11(水) 12:24:49.60 0
議論を衒う弁証法に対して批判的だっただけ・・・、ヘーゲル哲学は西田以上に深く
理解しておられるよ、波多野精一博士は。
波多野宗教哲学は、西田哲学以上の日本思想史上の至宝である。
これに匹敵するのは本山神学ぐらいなものだろう・・・。
>>88 >>87だが、巣鴨駅から歩いて15分ぐらいで都営染井霊園がある。
波多野精一の墓があるよ。
おい!幾多郎!
新版の全集が品切重版未定ばかりで手に入らないんだよなぁ・・・
オンデマンド出版とかしてくれんか
わざわざ新版買わなくても旧版でいいんじゃないか
それにしても西田全集と三木全集は安く転がってるが
田辺と西谷が全然ない
94 :
考える名無しさん:2011/05/23(月) 21:58:10.92 0
少し話がずれるが西田は全集を持たない人であったらしい。弟子の高坂正顕によると「先生は殆ど全集らしい
ものは集めていられなかった。カントもヘーゲルも先生は全集を持っていられなかったようである。先生のと
ころにあった全集は、ジョウエット訳のプラトン、ベーメ、アウグスチヌス位ではなかったかと思う。」何し
ろ鎌倉の西田に「先生の指図でよく色々の書物をその棚から探し出してお送りした」くらいの人なのだからこ
の話は間違いないだろう。西田論文の書物からの引用はいいかげんだとの批判があるが人の説は自分が考えて
いることを説明するときのたしにすぎない、と思っていたのかもしれない。
解釈が恣意的でないかぎりはそれが本当の哲学というもんなんだろうな。
しかし今は学会という閉鎖空間の中の学問という傾向が支配的だからね、
全集持っていないと引用もできないし話にならないなんてことになった。
西田の「読書」っていうエッセイにも全集持ってないって書いてあったな。
思想家の骨というものをつかめばそれでよい、って。
すごく納得がいくエピソードです。それ。
西田の論文って「誰々はこういうこと言ってた(気がする)」ってとこが多いよな。
昔はそれでもOKだったんだろうけど、今は引用箇所とか明記しないとうるさいから
ちょっと論文書くにも全集が必要だったり。
98 :
考える名無しさん:2011/05/24(火) 23:35:35.32 0
おっしゃるとおりだとは思うが要はいってる内容だと思う。一方で引用だらけの内容ゼロというのもあ
るわけだから。「昔はそれでもOKだったんだろうけど」とあるが九鬼周造や和辻哲郎などを読むとそこ
はきちんとしているのでやはり西田が例外なのではないか(笑)。
西谷はジュンク堂にあるんじゃない?
100 :
考える名無しさん:2011/05/26(木) 12:54:21.13 0
国連の教育科学文化機関のユネスコから翻訳選定されてる日本の哲学書は、
西田の「善の研究」と中村元の「東洋人の思惟方法」と和辻哲郎の「風土」、
それと波多野精一の「時と永遠」と本山博の「宗教体験の世界」しかないよね・・・。
西洋ではカントやヘーゲルが入っているのに日本のは近現代の哲学書のみ。
どうして道元や空海を翻訳選定しないんだろう・・・?
ありゃ哲学書じゃなくて示衆や語録の類だひょ?
>>100 内容は深いと思うけど、あくまで中世の仏教書だからなぁ
103 :
考える名無しさん:2011/05/26(木) 16:46:19.40 0
聖アウグスチヌスやトマス・アキュナスの思想が哲学なら、道元や空海の思想も
立派な哲学だけどな・・・。
和辻の『風土』ってそんなとりあげるほどのものかね
『倫理学』取り上げたほうがいいと思うんだが、あれは色々な点でやはりアウトかな
なんで本山博やねん?
106 :
考える名無しさん:2011/05/26(木) 21:01:58.50 0
本山神学は日本よりも世界での方が有名だから・・・。
ユネスコ認定の現代世界の十大心理学・哲学者のひとりにアジア人では唯一選ばれているから。
日本では知る人ぞ知る程度。
107 :
考える名無しさん:2011/05/26(木) 23:03:08.09 0
選考委員が無知だからだと思う。アカデミー賞と同じ。あと世界遺産と同じで経済的なプッシュがある
とかコネクションとか。だから選ばれていないからといって気にすることもないし、選ばれているから
といっていばることもなし。
108 :
考える名無しさん:2011/06/18(土) 22:02:17.52 0
俺が嫌いなのは西田ではなく必要以上に熱狂するファンなのだ
結局奴らは学校や仕事先でがんばれてなかったり、勝ててなかったりする奴らの
集まりで、それをひいきの西田に託し、西田が頑張れば自分も頑張った気になるし、
それで成功すれば自分も成功したような気になるのだ
俺の様に毎日2chで戦ってる人間なら人を応援する余裕なんてある訳がない
109 :
考える名無しさん:2011/06/18(土) 22:19:11.37 0
機械さん 自己紹介乙です
110 :
考える名無しさん:2011/06/20(月) 15:39:35.97 0
熱狂するも何も、あの難解晦渋な哲学論文集を西田の全集購入者の何パーセントが理解できるのか?
おそらく大部分の購入者は本棚の飾りにしかならないだろ・・・。
一通り読んだ人のうちの何人が理解してるのだろうか?
>>110 書物を理解する、というのは哲学的に考えれば、無理としか言いようがないです。
そういうポストモダン的なエセ哲学者気取りの詭弁はやめてください
このスレで波多野精一がとりあげられてるので
気になって、古本屋で「宗教哲学」を買って
読み始めました
想像していたのと違って、ずいぶん読みやすいので
驚いています
「わかりやすい」と言えるかどうかわかりませんが、
西田はもちろんのこと、田辺とかよりもずっと読みやすい
【東大の数学 vs 京大の数学】
・東京大学の数学者
伊藤清 (東大卒、2006ガウス賞)
小平邦彦 (東大卒、東大教授、1954フィールズ賞、1984ウルフ賞)
佐藤幹夫 (東大卒、1997ショック賞、2002ウルフ賞)
岩澤健吉 (東大卒、1962コール賞)
志村五郎 (東大卒、1977コール賞、1996スティール賞)
中島啓 (東大卒、2003コール賞)
小林俊行 (東大卒、東大教授、2007サックラー・レクチャー、2008フンボルト賞)
平地健吾 (東大教授、2006ベルグマン賞)
大栗博司 (東大博士、東大主任研究員、2008アイゼンバッド賞、2009フンボルト賞)
・京都大学の数学者
広中平祐 (京大卒だがハーバード教授、1970フィールズ賞)
森重文 (東大に行きたかったが1969年の東大入試中止で京大卒。名古屋大学教授。1990フィールズ賞とコール賞。
藤重悟 (京大卒だが東大で助手や講師、2003ファルカーソン賞)
荒木不二洋 (京大卒だがプリンストンでphd取得。2003ポアンカレ賞)
西田の書を読むんじゃない、西田を感じるんだ。(ブルース・リー)
図書館でふと人生論ノート読みたくなって
閲覧申請したら書庫から初版本が出てきて興奮した
三木とか判子押してあって、もうね寝る
117 :
考える名無しさん:2011/07/13(水) 18:09:27.21 0
三木清は未熟だ・・・、やっぱ哲学は西田だろ。
118 :
考える名無しさん:2011/07/13(水) 18:35:22.49 O
西田幾多即一郎
120 :
考える名無しさん:2011/07/23(土) 10:13:25.95 0
私は何度も「善の研究」を読んで、脳が明らかに変わったと感じています。
この点はもう少し突っ込んで探求していけば、おもしろい結論になるかもしれません。
流し読みを含めますと「数十回」は読んでいます。
何百冊とくだらない本を読むより、「善の研究」を一冊、何回も読んだ方が自己の霊的
向上には格段の効果があります。
あの一冊には世界と歴史の過程で出てきた善の全体とその問題点、ならびに高い霊的見
地からの評価が模範的に書かれておりますので、善を目的としている方は必読の本だと
思います。
121 :
考える名無しさん:2011/07/27(水) 17:35:15.81 0
善の研究は未だ未熟だ!!!
122 :
考える名無しさん:2011/07/27(水) 18:02:48.41 0
「脳が変わった」、「自己の霊的向上」、「高い霊的見地」・・・
みんなで悟ればこわくない
124 :
考える名無しさん:2011/08/27(土) 22:42:00.52 0
>>120 残念ながら西田の真価は「善の研究」よりも「場所」以降の後期の仕事にあると思う。「善の研究」は
まだウィリアム・ジェームズ等の枠の中にいる。彼の真価はそこから出たところにあるのだ。
この人の本、正直まともに読めないんだけど 俺がおかしいのかな?
それとも、読める人が一般人と比べておかしいのかな?
「絶対矛盾的自己同一」だけでいいよ
127 :
考える名無しさん:2011/08/28(日) 08:27:04.89 0
「まともに読め」る「読めない」とはどういう意味か?例えば「善の研究」に関していえば難解ば造語
は使っていないし、晩年の「デカルト哲学について」を読めば基本的な西田の立場が普通に書いてある
。この立場に反対するにしろ賛成するにしろそのことは又別の話だ。言葉の普通の意味でろくに読みも
しないで、西田に対して一般に流通しているイメージについて語ることはあまりに安易だ。
>>127 「善の研究」の改訂版は、まだいいとしても、旧版は、とても読めたシロモノじゃなかったよ(内容理解以前にね)
まあ、どちらも最初手にとったときは、前知識が無かったもので、内容がまったく理解出来なかったが。
文庫化されてる「善の研究」で手が止まって全集まで行ってなかったが、今度読んでみようと思うわ。
ただ最後の下村寅太郎の
「哲學専攻者の間だけでなく一般讀書人にも最も廣く愛讀され普及した哲學書であった」
と言う下りで、ほんとかよと思っただけ。
129 :
考える名無しさん:2011/08/28(日) 18:06:02.79 0
そういうことであれば前言は撤回しよう。
下村寅太郎の言説には注が必要かもしれない。当時「善の研究」は哲学書にしては異例に売れたことを
いっている。ちょうど1980年代に現代思想ブームが起こった時に思想書例えば「構造と力」が非常に
売れたように。(部数は比較にならないとは思うが)そのため西田のいる京都帝国大学に哲学を学びた
いと考える高校生も多くでてきた。
そういう背景があったのか、当時の18.19歳の学生が必読していたって
聞いて、当時の人は、子供ですらこんな本を読めていたのかと驚いたけど。
「いき」の構造と同じような事が、善の研究でもあったのね。
131 :
考える名無しさん:2011/08/28(日) 19:58:21.49 0
●へ゜イカレン_ト・コ_ンサ_ルティング
・新卒内定切りで有名なクソ企業。実行犯の執行役員南_部は社長がまだ在籍中。
・売れない社員は何もない部屋に監禁され、休職退職強要、カメラ監視。
・今年入社した新卒の半数が退職済
132 :
考える名無しさん:2011/08/28(日) 22:17:44.42 0
そもそも「善の研究」に書かれている「純粋経験」などは禅仏教に親しんでいる当時の知識人やその子
弟にとっては今より理解しやすい環境があったかもしれない。禅宗の坊さんからすればこの程度のこと
は初歩に学ぶことだからだ。西洋の文脈からするとW・ジェームズ(純粋経験)やベルクソン(純粋持
続)は18世紀から支配的であったデカルト主義(厳密にいえばデカルト本人は違う)の機械的世界観そ
れを応用した科学論と唯物論を乗り越える新しい思想としてあらわれた。基本的には現代の日本人も小
学生の時からデカルト主義を学ぶため西田の著書が読みにくくなっている原因となっている。しかし(
私見だが)物質から生命は生まれないし唯物論では生命を説明できないと思う。
『善の研究』読む前に大乗起信論読んでおけば解りやすいな
134 :
考える名無しさん:2011/08/31(水) 21:30:15.66 0
私の場合井筒俊彦の本で「大乗起信論」を読んだだけであるが、たしかに西田のいっていることと共通
する部分がかなりある。しかし個人的には仏典のことはあまり気にせず「哲学」として読むことをおす
すめしたい。後期西田の関心は(ベルクソンと同様に)相対性理論や量子力学を射程に入れていたのだ
から。
135 :
考える名無しさん:2011/09/02(金) 23:14:35.38 0
おすすめなんかされてもなあ
大乗って大きな船って意味らしいね
どうでもいいけど
日本仏教の基本的な知識を身につけておくと西田の思想が
解りやすいのは確か。
「西田を読む上ではあまり仏教にとらわれない方がいい」と言ってる
先生に限って仏教の知識がほとんど無かったりする。
>>137 自分も、道元と法然はざっと眺めておくと良いと思う。
139 :
考える名無しさん:2011/09/03(土) 21:18:18.31 0
日本の仏教は大乗仏教だからな、釈迦仏教とは異質なものだよ。
西田哲学の核となっている宗教的悟りの体験による宗教的世界観は大乗、特に禅仏教からきているよ。
本来の仏教を理解する為にはヨーガの修行をするしかないだろ。
140 :
考える名無しさん:2011/09/04(日) 23:31:34.67 0
仏教を学びたいのなら鈴木大拙でも読んだ方がよい。以前にもいったが西田の著作には一般に流通して
いるイメージとは違い仏教用語がおどろくほど少ない。「善の研究」〜「自覚における直感と反省」の
間に書かれた小品を読むと彼のやりたかったことが明快に書いてあるが、それは仏教の現代風の解説や
翻案ではない。
はない。
大乗起信論を読んだ。これは善の研究のパクリだな
142 :
考える名無しさん:2011/09/07(水) 15:34:44.99 0
そうかな?
143 :
考える名無しさん:2011/09/07(水) 22:14:31.80 0
例えば司馬遼太郎が西田幾多郎は清沢満之(1863〜1903)の影響を受けているといっていた。私は違
うと思うがここでは深入りはしない。ここでは西田より上の世代に哲学の視点から仏教やインド思想を
考えなおした人達がいたことを指摘するにとどめる。西田が東京帝国大学の選科に通っていた時の哲学
教授でドイツ留学経験者である井上哲次郎(1856〜1903)もインドや中国の思想とドイツ哲学の融合
を試みた人である。彼の場合ショーペンハウアーやニコライ・ハルトマンの影響があるのかもしれない。
要するに仏教と哲学を組み合わせた人なら西田より先にたくさんいるのだ。西田のオリジナリティーは
別のところにある。
確かフェヒナーって西田幾太郎に影響を与えてるんだよね?
145 :
考える名無しさん:2011/09/08(木) 20:54:31.18 0
私の知る限り引用はしていないと思う。
>>141 世界に打って出ようというときに、それっぽくハッタリを噛ますだけの教養があるかどうか、
それは実利に直結するのだから少しは教養の実用性にも目を向けてほしいものです。
147 :
考える名無しさん:2011/09/29(木) 22:30:34.94 0
ホワイトヘッドは西田幾多郎に近い哲学者の1人である。彼が哲学を講義するのはアメリカに渡ってか
らになるがもともと英国の人である。英国人は植民地政策の影響もあってかビートルズ(音楽)からE
M・フォースター(小説/インドへの道)までインドへの関心が高い。ホワイトヘッドがインド思想を
知らなかったとは考えにくい。例えば仏教学者中村元のような人まで英国に留学している。このこと
からもわかるように(西田の時代以後)もはや西洋哲学とか東洋思想とかいっている場合ではない時
代に突入しはじめたのは明らかだろう。よく東洋思想では...と説明されることの大半はホワイトヘッ
ドがすでにいっていることだ。
インド哲学研究については大正時代には既にヨーロッパではかなり進んでて、
日本を初めとする大乗仏教は所詮上座部仏教の派生として蚊帳の外扱いだったから。
そこで、日本仏教の存在を示す意味もあり編纂されたのが大正大蔵経。
149 :
考える名無しさん:2011/10/02(日) 22:46:42.00 0
世界がこれほどグローバル化した現代に東洋も西洋もないだろ、いまさら。
こんな時こそ、徹底した民族独自の個性の哲学が光るんだよ。
九鬼の粋の哲学がそれだろうが・・・。
西田哲学はもう古い。
宗教という高い壁があるのは西洋の方なんだがねぇ
151 :
考える名無しさん:2011/10/02(日) 23:00:33.77 0
そんな壁、波多野の普遍的宗教哲学によってとっくの昔に破られておるわ!!!
152 :
考える名無しさん:2011/10/02(日) 23:13:51.28 0
確かに九鬼の「いきの構造」は日本独自の美意識だね。
これほど艶っぽくて色気のある哲学はないよね。
そういえば、明治以降の日本哲学についてよくまとまってる
入門書ってある?
154 :
考える名無しさん:2011/10/03(月) 08:56:41.34 0
有翼閣から昔出てた「明治思想家集」がすごく詳しかったけど。
最初期の西田哲学に与えた綱島梁川の「見神の実験」の影響やら
西周の哲学用語作成における仏教の影響やらを詳しく書いてたよ。
西周(にしあまね)の百一新論の現代かな遣いに直したものを載せてたけど
今読んでもすごく面白かった。
156 :
考える名無しさん:2011/10/07(金) 21:48:05.37 0
論争を挑む気はないが、149で書かれている「世界がこれほどグローバル化した現代に東洋も西洋もな
いだろ」という言葉に少しひっかかる。ことはそれほど簡単ではない。グローバル化した世界ではグロ
ーバルスタンダードになっているロジック(論理)があり、それは東洋のものではなく西洋のものであ
るのも事実なのである。それらは半ば強制されたものかもしれないが世界に非常に強い影響力をもって
いる。だから何かについて論じたり説得したりする時にそのスタンダードとどこがどう違うかを明らか
にする必要も生じる。例えば最近漢方の医薬品が見直されている。一見してそれは東洋医学に見えるが
見直されたのは科学的な分析に基づきこの成分はこれこれの効能があると明らかになったからである。
その意味では西洋医学といってもよい。九鬼周造の論文についてもそれはあてはまる。彼のロジックは
スタンダードをきちんとおさえて書いてあるのは明らかであり、単純に「日本独自」といっては誤解が
あるのではないだろうか?
158 :
考える名無しさん:2011/12/07(水) 00:59:16.42 O
早大の教育学部生です。ゼミの購読文献が 日本近代思想と教育ー西田幾多郎を読む。とされ 善の研究が指定文献とされ 輪読しております。レジュメの作成で今夜は徹夜(;_;)
正直、最初は輪読とかでだれかに解説してもらわないと解りづらいよな
160 :
再生屋の金堂祐介:2011/12/17(土) 18:29:54.84 0
俺が寝てる間にすごいことが起こったらしいな
162 :
考える名無しさん:2012/01/05(木) 13:43:27.96 0
捨てたれど
隠れて住まぬ
人になれば
猶(なお)世にあるに
似たるなりけり
西行
163 :
考える名無しさん:2012/01/06(金) 00:22:20.00 0
今年は去年の災害をバネにして日本が絶対矛盾的自己同一に発展する
164 :
考える名無しさん:2012/01/06(金) 01:39:53.71 0
もうこのスレ、絶対矛盾的自己同一はNGワードだろ。
安っぽく使い過ぎる。
165 :
考える名無しさん:2012/01/07(土) 21:40:16.84 0
安っぽくも何も現実そのものの論理的表現だぜ、絶対矛盾の自己同一は。
166 :
考える名無しさん:2012/01/07(土) 23:38:45.54 0
西田の「善の研究」以来ずっと一貫して追及してきたことは宗教的体験による
この現実世界の実相の把握だからね。
それが絶対矛盾的自己同一としての宗教的世界観。
よくよく考えると、およそ自己が矛盾してないってことはないんだよね…。
自己というのは、根本的に矛盾しているから自己なんだ。
その自己が世界に対して開かれているかどうかが問題なんじゃないかな。
上の方でもあったがコレ系の人たちは日本独自の哲学をやろうとしたというより
西洋哲学的な形式で語ろうとしただけだからなあ
それが途絶えるというか駆逐されていくのは必然というか
じゃあ西洋哲学の邦訳でいいんじゃねということになる
うまいこと日本仏教思想を西洋哲学で説明したなぁとは
感じるけど、そこで止まってしまうんだよな
170 :
考える名無しさん:2012/01/09(月) 23:29:16.71 0
西田哲学よりも波多野宗教哲学のほうが好き
171 :
考える名無しさん:2012/01/11(水) 23:31:58.50 0
確かに波多野誠一の著作は明快で完成された美しい文体で書かれているから、
難しい宗教や哲学の思想を高尚さを保ったまま門外漢にもよく分かるよようだね。
172 :
考える名無しさん:2012/01/13(金) 06:21:48.62 O
ということで三木清
173 :
考える名無しさん:2012/01/13(金) 14:56:42.78 0
三木清は未熟だ
では務台理作
からの三木清
176 :
名無し:2012/01/15(日) 17:35:33.54 0
177 :
考える名無しさん:2012/01/15(日) 18:10:38.28 0
178 :
考える名無しさん:2012/01/18(水) 23:54:44.81 0
生きる意味など無いのである
地球が46億年前にでき、30億年前に原始生命が誕生した
多細胞生物→動物→哺乳類→霊長類→ヒト
ナメクジに生きる意味など無いであろう?
人間という種にも別に生きる意味など無いのだよ
気が付いたら「生きる意味」とかアホな世迷い言を考える種になっていた
「意味」とはそもそも、思考する際に考えのよりどころにするもの
だが、ヒトが生きていくために、合理的で生きていきやすい
社会・人生にするために、「意味」を作ることは大切なんだ
「意味」を理解したうえで…
179 :
考える名無しさん:2012/01/19(木) 23:55:17.32 0
絶対矛盾の自己同一的世相の現代の政治状況
東洋的視点で無を論じたのは、意義があったかと
田辺なんて、ドゥルーズより先を行ってたなーという印象。
しかしこのスレを見ると微妙ですね。
トポス論なんかは脈々と受け継がれてるのかな
182 :
考える名無しさん:2012/01/21(土) 11:49:54.32 0
哲学の歴史においては思想が「脈々と受け継がれてる」ということはありえない。例えばドゥルーズが
でてくるまではベルクソンは(こういう言葉は嫌いだが)すでに乗り越えられた古くさい思想と考えら
れていた傾向があったといっても間違いではない。それは突然変異のようにぽつりぽつりとあらわれる
しかない。同じ本を読んでもそこから何かを引き出せるという人はわずかなのだ。多くの人は何も引き
出せないでそれを書いた人のせいにする。西田幾多郎にしてもいわゆる「禅」を学んだ人はいくらでも
いたわけでそれをあれほどの形に表した者はそれ以降の仏教学者にもいない。私は道元にも関心がある
が正直今の永平寺に彼の「禅」の核心が「脈々と受け継がれている」とはあまり感じていない。その意
味で田辺元は「ぽつりぽつりとあらわれた」優秀な哲学者である。特に後期の仕事がすばらしいと思う。
ショーペンハウアーのゲーテ論思い出した
目に映る風景に感動して一歩も動けなくなるというくらいの才能が無いから
無駄な書物の山に埋もれて言葉をこねくり回すしか能が無く
何十冊と本を書いても天才の書いた1つの詩にさえ及ばないのだ
そんな奴らが山のようにいる
184 :
考える名無しさん:2012/01/21(土) 21:33:40.03 0
2011年11月に朝日カルチャーセンターで柄谷行人氏と朝日新聞論説委員の尾関章の対談「汎科学論」
を聞きに行った。その中で柄谷氏は、田辺元が近代科学やべルクソンを乗り越えようとして原因は未
来にあるとか面白いことをいっている、といっていた。おそらくそれは後期の「哲学の根本問題」の
ことだと考えられる。その後の質疑で小林秀雄と湯川秀樹に言及した人がいた。小林秀雄には「感想」
という中断したベルクソン論があるが、田辺元の後期の仕事はいわば小林がやろうとしてはたせなかっ
た現代物理学(アインシュタインの理論や量子力学)との対決が主題となっている。
185 :
考える名無しさん:2012/01/22(日) 18:22:56.02 0
田辺が科学論や科学哲学やってたのは初期のことだろ、晩年は仏教キリスト教等を総合させた
宗教哲学に向かっていたはず・・・?
186 :
考える名無しさん:2012/01/22(日) 21:28:21.49 0
たしかに田辺元の最初の著作が「最近の自然科学」1915であり、ドイツ留学から帰国して書かれた著作
が「数理哲学研究」1925であることからもわかるとおりあなたのいっていることは正しい。しかし彼の
最晩年の著作は「数理の歴史主義展開」1954「理論物理学新方法論提説」1955「相対性理論の弁証法」
1955なのだ。全集の下村寅太朗の解説によれば前者は田辺元の仕事の総決算ともいえるものであり、デ
ュラックをはじめとする当時の最新の物理学と田辺哲学との融解が試みられていると同時にドイツ留学で
知り合った同年配のライバル・(まだ「存在と時間」を出版する前のハイデガー)との対決でもあった。
死が近いことを意識した渾身の論文である。柄谷氏も数学基礎論への関心が強いことを考えると彼は西田
より田辺のほうに興味があるのかもしれない。
187 :
考える名無しさん:2012/01/22(日) 21:31:33.34 0
柄谷www
八巻正治さん
山上の説教は、人に自分が不完全で
有る事を自覚させる事が目的なんだそうだ。
例えば、敵を愛しなさい、と言う戒めは
人が敵を愛せない不完全な存在だと自覚させる
為の言葉だそうだ。
愛についての説明は、有ったけど
敵についての説明は、無かったね。
八巻正治さんよ、アンタにとっての敵とは誰かね?
敵を愛せない自分を愛してくれる神の愛が
無条件の慰めなのだそうだが。
八巻正治さん、わかるかな?
問題は、敵を愛せない事より
敵をつくってしまう人間に問題が有るんじゃないか。
敵を作らないようにすれば
敵を愛する必要は無いんじゃないか?
ねえ八巻正治さん。
>例えばドゥルーズが
>でてくるまではベルクソンは(こういう言葉は嫌いだが)すでに乗り越えられた古くさい思想と考えら
>れていた傾向があったといっても間違いではない。
レトリックで保留しつつ、事実と反する主張をするバカな文章の典型
190 :
考える名無しさん:2012/03/26(月) 23:21:05.97 0
てかさ、岩波の西田全集はいつ重版されんのかな?
1−6が入手できなくて困ってんだけど。
191 :
考える名無しさん:2012/03/28(水) 20:41:42.22 0
旧版の全集買えば・・・、全19巻で1万円前後であるけど。
192 :
考える名無しさん:2012/04/19(木) 22:05:58.87 0
西田全集久しぶりに読み直している、単行本の「善の研究」より全集で読む「善の研究」の方が
迫力で読める。
>>180 そう。それは唯一無二だと思うよ。無といっても禅仏教からのアプローチだけど。
道元が現代に甦って哲学用語で説明してくれているようにさえ思える。
てか善の研究最初からさっぱりわからない
良い解説書があったら教えて、エロい人
つ小坂国継の全注釈
196 :
考える名無しさん:2012/06/20(水) 14:40:53.78 0
>>147
ホワイトヘッドの有機体哲学の、自然、神、人間の一体プロセスを基本とした
論理体系は、仏教の「草木国土悉皆成仏」の思想と通じるところがある。
西田哲学は、「絶対矛盾的自己同一」を基本として「無(空)の思想」と「即非の論理」を
述べているが、これらの論理が、有機体哲学そして「草木国土悉皆成仏」思想に、どの様に
関わってくるのか、その辺が、西田哲学は曖昧の様に思われる。
197 :
考える名無しさん:2012/07/13(金) 22:52:05.29 0
西田哲学は神秘主義的宗教体験を持った者で無いと理解できんよ。
198 :
考える名無しさん:2012/07/14(土) 11:37:37.75 0
>>197
「神秘主義的宗教体験」とは、どの様な体験でしょうか。西田哲学は、「絶対矛盾的自己同一」を、
主観的領域内(自己)の中に閉じ込めていると思われる。「見られている自己(客観的領域)」も
自己の内に捉えると、言う論理は、「見られている自己」としての実体(他我)である客観的存在を無視して
観念的な「見られている自己」を自己の内に対立させている。と、考えられる。この論理では、自己世界と
外部世界(客観的世界)との明確な論理展開が、出来ないのではないかと思う。
> 絶対矛盾的自己同一
w
>>198 西田は
>観念的な「見られている自己」を自己の内に対立させて
はいないと思うよ。
201 :
考える名無しさん:2012/07/14(土) 18:11:03.70 0
>>200
西田幾多郎は、見る自分(主観的領域)と、見られる外界(客観的領域)が、
自己の内側に自己同一的に存在すると、述べているが、主観的な自己と、外界(客観的存在)と
言う全く相反する存在が自己の内で、対立と調和を繰り返していると、捉えた方が論理として
自然であると思う。
自己の内側にすべての世界があると言う捉え方は、主観的領域内で、すべての問題解決を図って
行こうとする事であり、 外界世界(客観的領域)の問題(事象)は、自己世界では客観的実体ではなく
観念(精神的なもの)として取り込まれるのみである。
従って、主観的問題そして客観的問題を現実的に解決する為には、二元論を肯定し、自己世界(主観的領域)と
外界世界(客観的領域)を実存的に捉えた問題解決が必要と思う。
>>201 西田の「つくるものへ」、という言葉は「つくられたもの」を含んだ解でしょう。
ということは二元論を踏み越えないと不可能なのでは?
203 :
考える名無しさん:2012/07/15(日) 00:27:17.08 0
行為的直観だよ
自分は長年神経症を患っていた。最初は森田正馬を信奉していたけど、
自分の無意識が症状のレベルとして、形を持ったものとして現れてくるにつれて、
関心は森田を離れ、村上春樹の長編小説(「ダンス・ダンス・ダンス」、
「ねじまき鳥クロニクル」、「国境の南、太陽の西」、「海辺のカフカ」など)
に移っていった。そこで、河合隼雄「ユング心理学と仏教」に出会い、
「自分の体験が、見てきた世界が、ここに少なからず書かれている」と感じた。
そこで、西田幾多郎「善の研究」に出会った。この本に書かれてあるすべての
内容を理解、共感することはとてもできなかったけど、とても共感できる部分も
多々あった。こんなに熱心に本を読んだのは、初めてと言ってよかったかもしれない。
205 :
考える名無しさん:2012/08/06(月) 23:28:58.90 0
206 :
考える名無しさん:2012/08/07(火) 00:19:54.24 0
むしろ自己の外側に自己があると言っているのが西田。
207 :
考える名無しさん:2012/09/13(木) 20:18:33.96 0
>>206 「むしろ自己の外側に自己があると言ってるのが西田」と述べているが、
「絶対矛盾的自己同一」と矛盾するのではないかと思う。
208 :
考える名無しさん:2012/09/13(木) 20:57:36.66 0
主客合一、主客未分じゃよwww
209 :
ドンフライgo:2012/09/26(水) 00:25:09.92 0
西田幾多郎と鈴木大拙とエーリッヒフロムとマイケルサンデルの本読めば、少しは賢くなれるかな?
西田哲学で大歳卓麻を救ってやってくれ。
上田閑照の本を少しずつ読んでる。
けっこう面白い。
私とは何か
三木清の「パスカルと親鸞」は読みやすいのだけれど、中途半端。
やはり西谷啓治さんの道元の著作はじっくり読ませてくれる。
さらに文章的にこなれていると思えるのは上田さん。
213 :
名無しさん:2013/01/11(金) 20:46:24.64 0
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるか、
どこかの家の床下に埋められるか、ドラム缶に詰められて
大阪湾に沈められるかもしれへん。それで誰にも発見され
へんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
http://www.shimamotocho.jp/ikkrwebBrowse/material/files/shimamoto_iti_map.pdf
214 :
考える名無しさん:2013/01/25(金) 21:54:16.60 0
私的実践にしかならん、ただの認知科学やん
日本人は感覚に依存しすぎ
主観的な感覚なんかに基づく時点でこんな理論、ネタやら芸術やら工学やらに活用できんわな
これまた頭悪そうなのが
216 :
考える名無しさん:2013/01/26(土) 00:25:50.79 0
悟り厨の生産性の無さ
京都の哲学の道って、実は西田はあまり歩いてないとか聞いたけど
本当はどうなのかね
>>217 思索に没頭しすぎて路肩で蹲っていて警官に誰何された、という逸話があるそうだよ
(`・ω・´)
225 :
考える名無しさん:2013/06/30(日) 16:38:02.90 0
こんな機会でもなければ自分の意見をまとめるといったことをしないアバウトな性格なのでもう少し西
田幾多郎の生い立ちについて書いておこう(笑)。現在の石川県かほく市の大庄屋の家に生まれたもの
の放蕩親父が米の相場(現在の株取引のようなもの)で失敗しかなりの財産を失い(おそらく西田の潔
癖な性格はこのことと無関係ではない)、それを機にかほく市(鎌倉のように海が見える旧宇ノ気町)
にある資産を処分して金沢市に引っ越した。そこで学生時代をすごすことになるのだが、四高の数学教
師北条時敬という人物に最も影響を受けた。学生達のあこがれ(ヒーロー)であった東京帝国大学から
赴任した金沢出身の北条時敬(1858〜1929)は、西田幾多郎より12歳年上で、当時最先端の「数学」だ
けではなく「テニス」「ベースボール」「ワンダーフォーゲル」等のスポーツをこなす「ハイカラ(最
新流行)」な人であったらしい。だから彼が関東地方で当時流行していた「禅」に関心をもっていて自
ら実践していたのもあたりまえであった。
226 :
考える名無しさん:2013/06/30(日) 16:38:36.25 0
後に東北帝国大学総長まで務めることになる北条時敬は、鈴木大拙の回想によれば「なかなかの教育
家」であって自宅にも目のかけた生徒を寄宿させていたのであるが西田幾多郎もその中のひとりであ
った。だから「禅」を学ぶために北条時敬に就き従い石川県金沢市の町中から富山県高岡市西田(さ
いだと読む)にある国泰寺派総本山の国泰寺に通うことになるのも自然の流れであった。名前こそ立
派であるが何度か廃寺の危機にも直面した決して大きくはない寺である。ここで寺を再興させようと
していた和歌山県出身の雪門老師に師事することになったのが決定的であった。以前から雪門老師は
金沢市を何度も訪れておりおそらく西田幾多郎も最初は金沢で直接説教を聞いたことであったろう。
現在の常識的な感覚からいって決して歩いていける距離ではない国泰寺への道のりを週末に鈴木や西
田らは歩いて通った。
227 :
考える名無しさん:2013/06/30(日) 16:39:13.16 0
3年間の清国留学(中国留学)で硯匠名師に学んだ経験もある雪門老師(1850〜1915)は型破りで厳
しい人であったらしいが残念ながら私はくわしいことは知らない。(水上勉が彼の生涯について小説を
書いているとのこと。私は未読。)越中(富山県)に来たのは一説によると山岡鉄舟(1836〜1888)
の依頼によるという。鉄舟は禅がかなり好きだったようで禅宗の再興に尽力した。(雪門老師は鎌倉市
円覚寺で鉄舟の葬式を行っている)西田幾多郎は学習院教授に任命される40歳くらいまで鎌倉の建長
寺、円覚寺、京都の妙心寺等に熱心に参禅していくことだろう。
228 :
考える名無しさん:2013/06/30(日) 16:41:02.57 0
言い忘れたが雪門老師は水上勉と同じく京都市相国寺の出である。
話は前後するが西田幾多郎の通った四高についてどうしても語っておきたい。明治政府による1886年
教育令の改正により帝国大学令、師範学校令、中学校令、小学校令が公布され、それに伴い石川県専門学
校が第四高等中学校と改称され、官立に移管された。このことは西田幾多郎の生涯に大きな影響を与える
ことになる。正直私もよく理解しているとはいいがたいのであるが(笑)、それまでの加賀藩の経営から
官立になり校風ががらりと変わった。加賀藩は藩主が学問好きであったことも幸いして自由で学問がさか
んなところであった(おそらく地方では最高レベル)が官立になり上の者は明治政府から派遣された薩摩
藩や長州藩の人材で占められたためがちがちの官僚制が学校を支配した。そもそも四高とは明治政府が自
分達に役に立つ役人を育成するためにつくられた学校であったから政府の考えを吹聴したし、それでなく
ても加賀藩は幕府側についていた過去があったので明治政府から派遣された者が相当いばっていたらしい。
以上のことが主たる原因で反抗的な不良(笑)西田幾多郎は1889年には「行状点欠少」で落第、1890年
には中途退学してしまう。
229 :
考える名無しさん:2013/06/30(日) 16:41:37.25 0
ここで四高時代の西田幾多郎君の友達を紹介しておこう(笑)。
鈴木貞太郎君(大拙)(1870〜1966)
説明は不要だろう。1889年に医者である父親が亡くなり学業を続けることができなくなる。学校をやめて、
小学校の英語教師になる。後学問への思いやみがたく東京専門学校(現早稲田大学)に入学。同時に宗教へ
の憧憬が高まり鎌倉円覚寺に参禅する。前にも書いたとおり当時静かな「禅」ブームがあり円覚寺には実業
家から夏目漱石までいろいろな人が集まった。最初に師事した今北洪川禅師はすぐに亡くなったためつづく
法嗣の釈宗演禅師に師事した。のち釈宗演に「禅」を学び仏教を研究しに来ていたベアトリス・レインと結
婚する。寺で恋愛してもいいのか(笑)鈴木君!
230 :
考える名無しさん:2013/06/30(日) 16:42:55.63 0
松本文三郎君(1869〜1944)
西田君の一級上。国立国会図書館のデータでは(1865〜1944)とある。余談ながらこの時代の人達の
生年はいいかげんである(笑)。森鴎外(1862〜1922)はたしか年齢をいつわって東京帝国大学に入
学している。青年期の2〜3年の学力差は大きくいかに秀才のほまれ高い森林太郎君でも成績はトップ
クラスにはなれなかった。上位数名になると国費で外国留学できたのだ。なんとしてでも外国留学をし
たかった森林太郎君は陸軍からの誘いを受けてプロイセンへ留学をはたす。彼が金髪美人好きかどうか
私は知らない(笑)。
231 :
考える名無しさん:2013/06/30(日) 16:43:51.85 0
調べてみると松本文三郎君はインド哲学・仏教学者と書かれてい る。京都帝国大学教授、東方文化研究
所所長ともある。私がよくも知らないのになぜ紋切り型の履歴を 羅列したかというと、四高時代西田君
は藤岡作太郎君、金田良吉君そして松本文三郎君と「我尊会」と いうグループをつくり回覧雑誌をつく
っていたからだ。だから一級上といえどもよく知っていたという べきであろう。幼いころに母親をなく
していらい宗教的なものに関心が強かった、西田君の言葉でいえ ば「弱年にして既に超世間的で深く人
生問題について考えていた」鈴木君とともにインド思想や仏教に ついての知識量は西田君をはるかに超
えていたはずだ。(鈴木君は本気でインドに行きたいと考えてい た。アメリカにいった理由のひとつも
アメリカ経由でインドにいけるかもしれないと考えたからだ。) 西田君からみると、もし仏教学につい
て学んでいってもこのふたりにかなうわけないだろうと考えざる をえないし、むしろいろいろ教えても
らっていたことだろう。「私は多くの友を持ち、多くの人に交っ たが、君(鈴木君のこと)の如きは稀
である。君は最も豪さうでなくて、最も豪い人かも知れない。私 は思想上、君に負ふ所が多い。」鈴木
大拙著「禅と日本文化」序から引用。もともと西田君は数学者に なりたいと考えていた。失礼ながら、
>>67や
>>69では比較する人が暗黙の内に仏教学者が前提されて いる。(余談だが、中村元晩年の「自
己の探求」や「論理の構造」はすごい!)間違いとまではいわな いがその点において西田君がかなうはず
がないし、本人も級友たちをさしおいてそんなつもりはなかったにちがいない。心をまっさらにして西田
の著作を読んでみたら仏教の 言葉からの引用が意外に少ないのにおどろかされるはずだ。私もお世話にな
ったが禅宗の本というのは「不立文字」といいながら禅語の解説がやたら多い(笑)。私が
>>61で「西
田は人が思うほど禅者で はない」といったのはその意味である。
>26 名前:考える名無しさん [sage] :2010/10/23(土) 13:51:18 0
>>25 うんまあ、そういうと
>>12に戻るんだが、今さらそんな哲学自体が必要とされてないでしょ。
哲学が力を持っていた時代ならともかく。
このごろは「日本人の心」「仏の心」みたいなワードは商業的にウケやすいから、
うまく時流に乗せて『疲れを癒す、強くなる!日本人に響く西田幾多郎の言葉』みたいな新書出せば
頭の弱いサラリーマンには売れるかも知れないけどさ。
こういう謎の優越感に浸れるのは哲学のメリットだな。
234 :
考える名無しさん:2013/12/16(月) 17:02:37.03 0
西田幾多郎は禅寺へ行くたびに、修行僧にどうやって性処理しているのかと
しつこく聞きまくっていたらしい。
>>233 「謎の優越感」というと、上の文では「頭の弱いサラリーマンには売れるかも知れないけどさ」
とか、「商業的にウケやすいから」あたりかな?で、俺は頭が強くて商業的にウケる物なんてハナにもかけないよ!
なんて思ってるって事だね?
236 :
考える名無しさん:2013/12/16(月) 22:58:24.03 0
西田幾多郎は、ウィリアム・ジェ−ムズと同じように「純粋経験論」を基底とした
思考展開をしているが、西田幾多郎はプラグマティズム理論をどう捉えていたのであろうか。
「物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない」
ってどういう意味?
239 :
考える名無しさん:2014/02/17(月) 10:07:10.57 0
働くとは傍を楽にするという意味があるから、自己を持っていては働けないためである
これはひどい
241 :
考える名無しさん:2014/03/26(水) 05:04:52.76 0
242 :
考える名無しさん:2014/04/24(木) 16:40:50.57 0
そろそろ熊野純彦訳西田幾多郎が出てもおかしくないなw
243 :
考える名無しさん:2014/06/11(水) 15:06:03.01 0
西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」とは、「多」と、「一」との“矛盾的自己同一”と述べている。
この「絶対矛盾的自己同一」と、ヘ−ゲルの「弁証法」とは、どの様に連関しているのでしょうか?
>>243 一行目があいまいすぎて二行目の質問が意味を成していない。
245 :
考える名無しさん:
西田の講演とか読め。