□ ジャック・デリダ Jacques Derrida 5 □
失礼。 「4」が「その3」より立ったのが先でした。
ねえ、いい加減他人の思考を解釈あるいは研究する? やめようよ。 他人は自分とは代われないのだから!
一言いとこう。「哲学とは何か」で、ドゥルーズが「「悪とは欠如である」それは正しい」と言っていたのを知っている人、これはいないだろう。 なぜなら、こんな言葉に気を止める人はいないからだ! その意味がわかるひと、どんどん言ってきたまえ。自分自身を考えずに、他人ばかり考えているあなたがたには、何も分かるまい。 さあ、「欠如」とは何のことか、言ってみたまえ! 君たちに分かるのなら!
>>4 ???・・・、オマエって、独創性が強迫観念になっちゃってる小説家?
ドゥルーズスレのケンカを持ち込むなっての お前らにこそ言いたいよ、他人は自分とは代われないって
デリダもドゥルーズもポエムです ポエム板でやってください
10 :
困った :2010/10/06(水) 18:28:14 0
突然、お邪魔します。デリダ感染する哲学の松本浩治さんってどこかの大学講師なさって ますか?ご存知でしたら教えて下さい。
11 :
考える名無しさん :2010/10/12(火) 04:02:15 0
>>10 いやぁ、大真面目に検索しても解らなかったよ。
今どこで何してるのかしら。
ジャックデリダ ジャックデリダ ジャックデリダのお〜じ〜さん
デリダ デリダ デリダ ゼロのかなたに踊る影 白い髪の毛 デプラスマ〜ン 存在かけて To be消せば 脱構築法 火のない灰 To be to be to be デプラスマン 消せ ケス クセ デプラスマン 欠如は複数 欠如は複数 おお デプラスマン デプラスマ〜ン
>>14 ちなみにですが、近いうち発売の本の宣伝文句まで含めたデザインの大方が決まってきました。
いろんな意味で傑作だと思います。w
宣伝帯までを含めたあの表面を見たら、誰もが手にとってしまうものと予想されます。
16 :
考える名無しさん :2010/10/18(月) 09:25:16 0
デリダは50年残るかも難しい気がする
『グラマトロジーについて』とか脱構築っていう言葉はあと数百年はもつでしょ。
それって脱構築という用語について名前が出てくるって程度なんじゃw
19 :
考える名無しさん :2010/10/19(火) 12:47:29 0
脱構築って訳語のセンスがなさすぎてなえる。 再構築でいいのに。無理に難しくしちゃって馬鹿みたい。
20 :
考える名無しさん :2010/10/19(火) 16:24:26 0
外人やねんからリフォームでええやん
再構築w リストラじゃないんだから センスないね
一時期は、解体構築とかいう訳語も出回っていたような・・・ 一応ハイデガーのデストルクツィオーンも背景にあるからねえ
23 :
考える名無しさん :2010/10/19(火) 22:42:49 O
デンプッシーロールつくった人か
24 :
考える名無しさん :2010/10/19(火) 22:55:08 0
中期以降のデリダって教育者的な役割でフランスの哲学界に与えた影響が大きいから 重要だけど、書いたものの影響というより、そういう制度的な形の影響で哲学史に語り継がれるタイプかもね
『現代思想』に訳でてる「プラトンのパルマケイアー」ってあれは部分訳?
大昔の?
デリダは哲学ではなくポエムです
「プラトンのパルマケイアー」は素晴らしかった。
スティグレールってデリダ派?
グラマトロジーは確かに名著じゃね? レヴィストロース云々のところはよくわからんが 個人的にはルソー解釈のくだりが好き 「本当は怖いエミール」みたいなノリを感じる。
33 :
30 :2010/11/28(日) 07:14:51 0
34 :
考える名無しさん :2010/11/28(日) 08:26:57 0
影響を受けたというより、博士論文の指導教官がデリダだべ?
35 :
塩なめくじ :2010/11/28(日) 16:43:19 P
∧∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (,,・−・) < 前提知識なしで読めるデリダってなんかある? / | \________ (,,_/
絵葉書
∧∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (,,・−・) < サンクス / | \________ (,,_/
___ _ \V ̄ ̄ ̄__| \二二/|_ / / ̄__| [__] | \ │ / /`ヽ__∠__>J__> |/ /| ‐―――――――― | ( / | ――――――――‐ | (_/ | ● ● | |\ | (_人_) \_ _____ | ) | _ __|||||||||||_____) / ヽ_| ///└┘  ̄ ̄ ̄ └┘| | / /// // < ミーハーが好む読み物なのダ |//\_ (⌒Y⌒) _// \ \ ヽ―─―⌒ ̄ ̄ / \_____ `―──―――‐―´
脱構築は正義ってどういうことだろう
43 :
考える名無しさん :2010/12/14(火) 07:57:53 0
>>42 誰かの都合の良いように(そして、それと対立する誰かにとっては都合の悪いように)
古い社会や古い慣習はずっと構築されているわけだ。
その古い構築に異議を唱えるのが脱構築。
二項対立において、今まで劣勢であると貶められてきた側を助けること、それがデリダの正義。
それで東浩紀がデリダを援用してたわけですか?
45 :
考える名無しさん :2010/12/14(火) 18:40:54 O
デリダを読みたい初学者なんですが、オススメの入門書ってありますか?
日本人による入門書数冊でデリダもフーコーも読みこなせる そんな風に考えていた時期が僕にもありましたAA略
>>38 「絵葉書」買いましたが、タイトルに似合わず、恐ろしい分厚さでした。
48 :
トーヘンボク :2010/12/22(水) 05:49:19 0
「本」高い。良くないと思う。日本の出版界は、分冊制をもっと深く検討 すべき、2分冊とかはいくらでもあるが、4分冊とかも考慮にいれるべき。 書物が、一部富裕層の特権的所有物と化している現状は、あまりいくない。 ある程度、誰でも買える・・ということを前提に本作りをすれば、結果的 に、本がよく売れると思うのだが。。。もちろん、多分冊制というのは、 本として、ちょっと「カッコ悪い」という計算もあるのだろうが、ゲーム などの強敵の競合者が台頭しつつある現在、カッコばかりにこだわって いる場合ではない。。。と思う。
そもそも紙の本は終わるんじゃね。でもDLが高料金ならこまるなあ 在庫の心配ないんだから安くしてほしい。あと、外国書は訳+原文で
>>48 分冊にすると、一巻だけ良く売れて在庫管理が難しくなるから、という問題があるのよ
和訳の「〜なのです」文体が笑えるw
53 :
トーヘンボク :2010/12/23(木) 14:30:41 0
在庫管理なんか、やる気があれば、なんとかなるでしょ。。。 いまは、書物文化、存亡の危機と考えて、分冊制が難しいと言うので あれば、文庫、新書で、最初から出すということも視野に入れては どうだろう。。。とにかく本を買うのに、2千円以上出したくない。。 というのが、正直なところだ。
なんだただの乞食か
私はただの乞食ではないのです。
2000円ごときで、高いとか・・・本読まなきゃいいジャン
デリダのテクスト読解にもっとも感動できる本ってなんでしょ? 声と現象?
58 :
考える名無しさん :2010/12/27(月) 06:02:51 0
東浩紀のせいかしらないけどこのスレバカが多いな
今時、東でデリダを知る奴なんていないよ、おっさん
>>57 デリダのフッサール読解は色々癖があるので、感動できるかどうかやや微妙
本当は講義録がベストだと思うけど、フランス語がしんどいなら
エクリチュールと差異のレヴィナス論文とか、グラマトロジーについて、あたりではないか
2000円は言いすぎた。訂正する。3990円がホントのリミット。 それ以上の高い本出す出版社は、愚か。分冊にすれば良い。 なぜ、分冊化を嫌がるかといえば、書物信仰という奴があるからなのさ。 愚かな無意識な、書物信仰病。。。それが、蔓延しているのだ。
>>57 貴方が好きな哲学者か文学者を対象にしたデリダの著作
64 :
天のろくろ 02 :2011/01/08(土) 07:14:15 0
デリダが、脱構築しようとしたのは、この「書物信仰病」なんですよ? なのに、そのデリダの本が、書物信仰病の餌食になっている矛盾に誰も 気づかないんですか? 「1冊の本」信仰というのはまさに、ロゴス中心主義そのものですよ?
本気でロゴス中心主義を脱構築したいなら本書かないはずなんだけどねw
>>65 んなわけない。
それは脱構築でなくて、単なる放置でしかない。
デリダってアドルノ読んでたの?
>「私は、亡霊〔=帰り来るもの(revenant)〕と炎と灰についてお話しようと思う。」 毎年、お盆に祖先の霊が帰って来る日本でそんなこと語っても冗談にしかならん
69 :
天のろくろ 02。 :2011/01/14(金) 05:19:53 0
・・もちろん、われわれはみなゴーストだ。確かに灰も火も経験した じゃないか。
「幽霊もまた一つの人格である」(ボブ・ディラン『タランチュラ』)
71 :
考える名無しさん :2011/01/14(金) 09:30:46 0
480 :考える名無しさん:2011/01/13(木) 19:56:17 0 デリダの「アーカイヴの病」は「起源という病」かと思った。 アーカイヴは東浩紀が語る「記録」にもつながるかもしれない。 デリダのダジャレ的考察は ハイデガー、西部邁の語源への関心と異なる。 impression(印刷・印象) pression(圧力) repression(抑圧) suppression(抑制) ジャック・デリダ『アーカイヴの病 フロイトの印象』 彼女(ルー・アンドレアス=ザロメ)は、『モーセ……』において「抑圧されたものの回帰」の新しい形式を、今度は「過去からの幽霊」(phantoms out of the past)ではなく「生の勝利」と呼びうるものの形式のもとに読んだと言う。
72 :
天のろくろ 03。 :2011/01/15(土) 00:22:43 0
malを病と訳すか。なるほど
74 :
考える名無しさん :2011/04/23(土) 19:39:46.35 0
デリタスペシャル
デリ田
76 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 11:35:25.70 0
ゲーデルの定理――利用と誤用の不完全ガイド 作者: トルケル・フランセーン,田中一之 出版社/メーカー: みすず書房 発売日: 2011/03/26 メディア: 単行本 購入: 1人 クリック: 11回 この商品を含むブログ (2件) を見る おそろしい。何が恐ろしいって批判対象はポストモダニストではないのだ。もっとシビアである。ペンローズニダイソンにホーキングに果てはチャイティンまで……。
77 :
考える名無しさん :2011/04/27(水) 14:54:41.88 0
いまシャンタル・ムフ編集の 脱構築とプラグマティズム―来たるべき民主主義 ↑いまこれ読んでるわwなかなか面白いなw しかし叢書ウニベルタシスは薄いくせに安いなwどーなってんだよw ところでいろいろ思い起こせそうなんだがこの本よんだ奴いないか? 話ながら整理したいんだがw
78 :
考える名無しさん :2011/04/27(水) 15:05:00.27 0
ローティの返答がぜんぜん相手に関係なくて自分の考えを述べてるだけで笑ったわw ま、それがローティの考えと必然性があるんだと思うがw だけどデリダ派とローティのこのすれ違いっつーか相補性について考える余地はあるなw なんつーかローティには超越論的地平を拡張しようっつう熱意が全く感じられないw だから実際の具体的な事象ばっかに目が言っちゃうんだわなw だがアマゾンのレビューに書いてるようにw確かにデリダ派の行為遂行性は明らかに すぐに事後的に予定調和の帰結にされるようなすげえ誘惑を秘めてるわw その誘惑とプラグマティズムの具体化への欲望が共犯してるような気がするわw
79 :
考える名無しさん :2011/04/27(水) 15:07:02.42 0
つーかデリダスレって人気無いのか? すごい静かだなw
デリダはオワコン
81 :
考える名無しさん :2011/04/28(木) 02:51:42.49 0
たしかにwデリダの後の思想って思いつかないよな?wどーなってんの いまどんな思想が流行ってんのか全然わからんw 流行りとか今とかっていうのがすでに終わってるのかもしれんがw
82 :
考える名無しさん :2011/04/28(木) 05:49:40.11 O
形而上学はデリダで終わったんじゃない いやむしろ終わったというより、どうしようもなく宙吊りになっちゃったというか 後発は社会哲学とかに行くしかなくなった感が
デリダは形而上学とか哲学というものでもないでしょう 批評家かというとそういうのとも違う イチャモン執筆家というのが一番しっくりとくるかな
デリダがフランス人(というかフランス語ネイティブ)でなかったら、 どういう思想家になったか知りたいな。
これこそ「ポエム板でやれ」だろ
『散種』と『弔鐘』の翻訳が出ないことには。
水樹奈々新曲「純潔パラドクス」 なんかデリダにもそういうネタあったよね
しらんがな
90 :
考える名無しさん :2011/07/10(日) 00:11:14.73 0
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
91 :
考える名無しさん :2011/07/10(日) 00:11:47.99 0
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
これは ツンレデはデリダ的である というパフォーマンスなのか?
h
94 :
忍法帖【Lv=13,xxxPT】 :2011/07/11(月) 15:45:38.51 0
ほ
わあ
test
ん
98 :
忍法帖【Lv=13,xxxPT】 :2011/07/11(月) 18:50:56.88 0
?
99 :
考える名無しさん :2011/07/13(水) 17:31:10.61 0
p
lll
lll
103 :
考える名無しさん :2011/07/20(水) 23:29:48.65 0
< < ゲゲッ!まだ夫馬はこんな所で三流作家志望妄想してたのかYO! < ∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨\ /∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨ /:|. | | /:| / .:::| ∨ / :::| | ...:::::| / ::::| i  ̄ ̄⌒゙゙^――/ ::::::::| /_,,___ . _,,,,__,_ :::::::::::\ / ゙^\ヽ.. , /゙ ¨\,.-z ::::::::::\ 「 ● | 》 l| ● ゙》 ミ.. .::::::\ /i,. .,ノ .l| 《 ..|´_ilト ::::::::::\ / \___,,,,,_/ .'″ ^=u,,,,_ v/.. :::::::::::::l! |  ̄ ,,、 i し./::::::::.} | / ,,____ _,/ ̄ \ \ ノ ( ::::::::::| | |.. | /└└└└\../\ \ '~ヽ ::::::::::::::} | .∨.|llllllllllllllllllllllllllllllllllllllll| ::::::::::{ | |.|llllllllllll;/⌒/⌒ 〕 :::::::::::} | |.|lllllllll; ./ . . | ::::::::::[ .| |.|llllll|′ / . | .| :::::::::::| .| |.|llll| | .∧〔 / :::::::::::::/ / }.∧lll | ../ / / :::::::::::::::::\ / /| \┌┌┌┌┌/./ /::: :::::::::::::::::\ ( ゙゙^^¨^¨゙゙¨  ̄ ̄ ̄ /::::::::::: ::::::::::\ ヽー─¬ー〜ー――― :::::::::::::
.
ppp
106 :
忍法帖【Lv=19,xxxPT】 :2011/07/22(金) 17:27:26.82 0
ooo
d
s
テス
あ
うんこ
.
.
。
b
116 :
忍法帖【Lv=5,xxxP】 :2011/08/01(月) 01:54:11.11 O
て す と
117 :
考える名無しさん :2011/08/01(月) 04:08:57.05 0
l
119 :
忍法帖【Lv=27,xxxPT】 :2011/08/01(月) 11:02:31.28 0
o
ki
121 :
糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/01(月) 19:36:52.34 0
「ジャック・デリダ」
ワケわからないけど殺し文句として使われる著名な哲学者だと思うだろう。
実際に、戦後のフランスでは哲学の猛者が8人ぐらいいて、そのモンスターたちの
洗礼を受けているのがデリダなのだ。
彼は、人々が同じ出来事に同じリアクションをするのは「機械とどう違うのだろう」と
考えたり、以前経験したことの蓄積から今後が予測できるのはなぜだろうなどと
探求した。また、秘密を共有するというのは仲間の証であり、宇多田ヒカルの
"Can you keep a secret."もデリダの聞きかじりから作品ができている。
俺は、民主制は広がりをもつことを志向していて、情報の共有から始まり、
決定するのに時間がかかるが、君主制は、秘密裏に事が運び、判断が非常に速い
というデリダの指摘を受けて、俺の行動方針を決定したくらいだ。
君主ファクターがおのずと定まるのだ。
デリダについて日本のわけのわからん議論をスルーしたい人はスタンフォード哲学を読みましょう。
「ジャック・デリダ」スタンフォード哲学百科事典
http://plato.stanford.edu/entries/derrida/
122 :
糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/01(月) 20:14:53.94 0
デリダにとって「最悪」とは、他人が自分の示した方向を見ている、自分の考え以上のことを 言わない、満足いく答えしか返ってこないことである、とする。 つまり、「大勢」であることを抹殺する「単一性」を「暴力」と呼んだのだ。 デリダの言う「最悪」とは「純粋な現実」であり、神であり、地球であり、とにかく「一つ」であることだった。
123 :
糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/01(月) 20:21:34.21 0
デリダは2004年に亡くなっているが、2001年の9・11テロは目撃していた。 彼は「グローバリゼーション」というものが「単一性」を志向していて、これ自体が 暴力であるとし、テロリズムはこの文脈で起こったものだと説明したのだ。
124 :
糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/01(月) 20:26:42.59 0
デリダは「グローバリゼーションには人々は、まるで機械のように、遺伝子が自動的に 拒絶するだろう」と言ったのだ。
125 :
糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/01(月) 20:35:16.40 0
彼は「自分自身」に大勢の他人をも含めてしまうことを「単なる自分だけの自殺にとどまらない 集団自殺」と呼んだのだ。 現在の国際情勢を最近まで注視していた哲学者だった。
126 :
糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/01(月) 20:43:30.69 0
デリダは、「忠誠心や知識」「宗教」といったものを、この「最悪」である単一性から どのように解決したらいいのかを探求した。人はもっと他人と距離を置いて対話を すべきであり、神とすら距離を適切に置くべきであるとしたのだ。 そのうえで、彼は他者とのかかわりは「手厚いもてなし」(ホスピタリティー)によって 行うべきではないかとした。
127 :
糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/01(月) 20:54:49.06 0
デリダは、プラトンを徹底攻撃することから「脱構築」の議論を始めている。 プラトンは「見えないものや記述されたもの」を「見えるものや感じるもの」よりも すぐれたものとして「対になっている」としたのだが、同様に「本質と外見」「霊魂と魂」 「生き生きとした記憶とうすれゆく記憶」「声と文字」「究極の善と悪」などと「1対1」で 対置している。 一つのものに対して「一つのもの」しか対置できなかったプラトンを攻撃したのだ。
128 :
糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/01(月) 21:11:48.26 0
デリダは、法に正義を求めるうえでも、あくまでも「今」の正義か正義でないかしか 判断できないとした。その判断も批判にさらされて新たな正義を探求しなければならないとしたのだ。 人間は判断できないことを判断しなければならない。そもそも「地平」というものが 夜明けを待つものであり、まだ夜明けの来ない暗い中で限られた知識で判断をせかされている。 それが人間の「判断」であるとするのだ。 法律の世界にデリダはそれを見出している。 それはあらゆる分野に広がりをもつ考えだったのだ。
てす
糖質君 『ポジシオン』を呼んだ方が良いよ。 呼んだならもう一度しっかり読まないとwwwwwww
131 :
糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/01(月) 23:02:14.26 0
ああ、機会があったら読んでおく。 あくまでも俺が書いたのは24ページにも満たない英語の論文だからな。
132 :
糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/02(火) 14:27:45.33 0
1
ほよ
1
どうかな
a
138 :
忍法帖【Lv=3,xxxP】 :2011/08/05(金) 22:07:04.88 0
dd
139 :
忍法帖【Lv=3,xxxP】 :2011/08/06(土) 14:45:01.09 0
rr
gg
h
142 :
忍法帖【Lv=4,xxxP】 :2011/08/07(日) 21:37:21.40 0
えええ
143 :
考える名無しさん :2011/08/07(日) 23:17:17.62 0
j ai faim
swv
145 :
忍法帖【Lv=4,xxxP】 :2011/08/08(月) 10:51:48.39 0
ftu
146 :
忍法帖【Lv=11,xxxPT】 :2011/08/08(月) 16:30:42.68 O
147 :
忍法帖【Lv=5,xxxP】 :2011/08/09(火) 11:40:23.58 0
走
お前いい加減にしないと水遁すんぞ
149 :
考える名無しさん :2011/08/11(木) 10:28:10.63 I
散種は藤本訳で出るらしいよ 弔鐘は鵜飼だから出ないだろうな
differance
152 :
忍法帖【Lv=8,xxxP】 :2011/08/14(日) 14:16:57.12 0
デリダ
153 :
忍法帖【Lv=10,xxxPT】 :2011/08/17(水) 02:06:33.13 0
でりだ
弔鐘は鵜飼関係なく、出版の予定はない。
何故だ!!!!!
>>149 『散種 La dissémination』が出るソースぷり〜ず。
158 :
157 :2011/08/17(水) 14:46:24.84 0
え
はぁ?
161 :
忍法帖【Lv=8,xxxP】 :2011/09/01(木) 16:35:54.77 0
ん?
162 :
忍法帖【Lv=9,xxxP】 :2011/09/03(土) 13:35:55.67 0
r
水遁すんぞ、てめえ
鵜飼は今授業で弔鐘を読解しているから、時間はかかるだろうけど、取り組んでいることは事実なんだろうね・
165 :
忍法帖【Lv=3,xxxP】 :2011/09/17(土) 01:50:24.12 0
Jacques Derrida?
166 :
忍法帖【Lv=2,xxxP】 :2011/09/23(金) 10:06:59.07 0
F
ハイデガー以降の大陸系哲学は、いわばドイツ観念論のようなもので、マトモな哲学ではない フランス語でグラマトロジーで検索してみれば一目瞭然 誰もそれを引き継いでない ウィキにも学問として掲載されていない
まともな哲学とは何か知らん。
ドゥルーズスレは大盛況なのにデリダスレはなぜこうなのか
だって語ることないじゃんw
東スレがもうすぐ500スレ目になろうとしてるけどデリダスレはこうなんだよな
デリダスレのこの伸びなさはなんなの?
クソ難しいから なにいってっかわかんね デリダがネタにしてる著述家のテクストも読まなきゃいけないし
昔純一が「脱構築なんて言ってかっこつけてないで破壊って言えばいいだろ」って言っててなるほどなあと思った
175 :
考える名無しさん :2011/10/16(日) 05:28:03.26 0
「Glas 弔鐘」鵜飼哲訳 「批評空間」 9710・9801・9807・9810・9901・9907・9910・ 0001・0004・0110・0112・0203・0207(Glas) 「Glas抜粋」庄田常勝・豊崎光一訳 「現代思想」8202
>>174 デリダがわざわざハイデガーの「破壊」を「脱構築」と言い替えてるのに
>>173 難しいっていうより読みにくい。
言ってることの内容はそこまで難しい話じゃないのに、
デリダのあのネチネチしたレトリカルな文章が読み手に過剰な負担をおわせる。
ハイデガーの悪いところまで受け継いでるな。
>>178 正しいってなんだよ
なにがどう正しいの?
何ゆえにかっこいいのかな?(笑)
ナチスに肩入れしてその後後悔して書けなくなっちゃったりするとこなんかかっこいいじゃん♪
へえ。
別に後悔もしてないし書けなくもなってないじゃん。
_ // iニニニゝ、_// ミ川川川彡 ,.r="彡”~ ̄::::~'..ー..., 三 三 //l/:::::::l:::::::l:::::::::::::!:::、ヽ 三. ど : 三 /:::/::l::::::::::::|::::::iト!::::::::::l:::::l::::ヽ 三 う : 三 l:::/::::l:::l::::::i;ハAl、!l!i:::::jルl、l::::l:::i 三 で 果 三 |::l:::::|::::トi/lrナd` !ノ ム_リ::/::il 三 も て 三 l::|::/|:::::ヽ|゙| i::::ノ !::゚l|::|:/" 三 い し 三 l::/:f^ヽ,i、ト` "" 、 ー1爪 三. い な 三 /::l:::::ヽニ:::::::.. ─ ノ 三. : く 三 ´Nトlハi、ト|::::::::;:::.... _,,.. '゙ 三. : 三 ト- 、_T"" 三 三 ,,...-‐''゙ ト- .,_ 彡川川川ミ へ:: :\ fヽ `i.、 / \:: :''フ >< <: :l / \:\ | ヽ /:ハ / ヾ;: `ート--j´::l l / /! l :: ::\ノ:: ::| |
トロニチン(ヘロインにも匹敵するドラッグでありながら禁断症状のない夢のクスリ) ダマダロチン(トロニチンのまがい物) ホワホワプキ(勃起の隠語) プシュカプシュワカ♪(無慈悲なる喜びに寒気にむせび泣いている様) にわにわ感じる(尾てい骨をくすぐられる感覚じゃな?) ヘラゲラ生と死をヘラワラによるプシュワ化してしまったようじゃな?(修行中じゃな) ぷえさん(AAスレに頻出する架空の人物) 発狂はまだかね〜?(期待を滲ませる発言じゃよ) クュ ホアホアーッ ホア ぷぷらだほ ホアーッ だほ ホアアーッ(ケンシロウが病んだ状態じゃな) だまえらがらいんじゃな?(辛くて辛くて絶望のどん底にいる者にかける言葉じゃよ) ミスターベルトコンベアーの理系BOY 夫馬たん(かつてAAスレを席巻した伝説の人物) 哲学とは即ちてるブージクオヒョッタラシじゃよ?えー、アラハバキ?(古代神話が題材じゃ) ポスモダギマンチかね〜?(ポストモダンを皮肉っているのじゃよ) 捩れが足らんようじゃな?宮台君(そういうことだな) スナインコッコスマナラコッサーラ長老(九長老のうち三席に君臨する長老じゃな) やっぱんたんビールじゃな? つのがらいクリ 横チンテクノ(ステロイド抜けたらガリガリで横チンを公共電波に晒す)
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させていただきます。 ___ ____ ゙=c_ \ /_っ=' く:::\ /:::>' \::::\ ...-ー、,-─ /::::/ ,. -──‐--,、. ` .-=・=- i、-=・=- / /:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:::.:..:\ . / ー-' ヽ / いいかな? /::.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.::::::::::::\ ト--=--イ } l:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.::::.:.::::::::::::::::\ ヽ. ⌒⌒ ノ / :l:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.::.:::::、::::::::::::::::::\_`==´ / ^^ ⌒⌒ l:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.::.::::::ヽ::::::::::::::::::::ヾ`::‐-..、,...,,_ ::::::::::::::ヽ:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.::::::::::`丶、:::::::::::::::ヽ__;;;(_,,,......)::::::::::: :::::::::``''''''ー‐-- `--──- ニ=:、:::::::::ヽ、:::::::::::::::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::`ヽ;;:rー`- 、., ::::::::::::` ‐- 、.,__ノ
>>3 なんでお前のせいで俺が責任とらないといけないんだ
>>8 お前じゃ無理だろうな
>>1 それで努力したつもりなのか?
>>12 それで考えたつもりなのか?
>>13 それで解決したつもりなのか?
>>23 お前、将来もずっとこんなんだろうな
>>26 空回りして楽しいのか?
>>30-31 独りよがりって迷惑なんだよね
>>33 人の迷惑考えたことないだろ?
>>34 信じた俺がバカだった
>>59 お前の代わりは、いくらでもいるんだぞ?
デリダは敵のタームを使って内側から敵を破壊するから訳語は脱構築でいいのだ。 森鴎外とかもこの手法を使うのが巧い。 逆に言うとそこまでの価値がない相手にこの手法を使う意味はない。
191 :
考える名無しさん :2011/10/22(土) 04:27:45.35 O
駄洒落みたいな話をえんえんとつづけるわりに 大したことを言っていない。 駄洒落形而上学、という意味ではたしかにハイデガーの跡を継いでる。 しかし、ハイデガーのほうが訓古注釈的ではあるがまだ内容がある。 デリダを有り難がっているのは日本のニューアカだけじゃないのか。
>>192 デリダのどの著作について言ってるのか?
スレをざっと読んだんだけど、「ポジシオン」をまずは読めってことでいいの? フーコーやロラン・バルトあたりは、じっくり読めば自分なりに理解できてるつもりなんだけど、 デリダの著作って、一見、電波文書にしか思えなかったんだ。
「言葉にのって」が一番読みやすい。
196 :
考える名無しさん :2011/11/25(金) 14:59:57.52 0
デリダは真の糞。
ポジシオンはペラペラのパンフレットだし、インタビュー集だし、読みやすい。
デリダの解説書ってどれがおすすめなの
ポジシオンが訳注豊富でいいとおもうけどね
203 :
考える名無しさん :2011/12/08(木) 10:29:51.73 0
やっぱりデリダの正義論は詐欺だと思う
幽霊にも言語の壁がある例として面白いw
よくわかるエル・カンターレ
http://tiyu.to/permalink.cgi?file=news/09_09_14 ──Mr.Obama. Mr.Obama, are you present? オバマさん、オバマさん(の守護霊)、いらっしゃいますか?
Yes. はい。
──Can you speak Japanese? 日本語は話せますか?
No. いいえ。
──Not even simple Japanese? 片言の日本語もだめですか?
Difficult. 難しい。
──Then we'll conduct this in English. では、英語でやってみますね。
Ah, okay. ああ、オッケー。
>>204 幸福の科学って仮にも選挙に出馬するくらいだからもうちょっとまともな組織だと思ってたが
>4億年前、地球上に人類を創造した神の名を、エル・カンターレといいます。
>2600年前、エル・カンターレはインドに釈迦として生まれ、仏法を広めました。
>そして現在、エル・カンターレは日本に大川隆法として生まれ、「幸福の科学」を広めています。
>いま、九次元宇宙界には、キリスト・孔子・ゼウス・ゾロアスター・ニュートンなど、10人の大霊が存在しますが、その中で一番偉いのが大川隆法です。
>九次元より下の八次元如来界にはマホメット・西田幾多郎・ノストラダムス、七次元菩薩界には松下幸之助・聖母マリア・6年前に死んだ大川隆法の父ちゃんなどがいます。
こんなハイレベルな気違いだったのかよ。
なんで信者が一千万人もいるんだ?
日本人はバカばっかりなのか?
>>205 まず第一に、デリダによって
計算・計量可能性から外れるものとして正義が規定されるわけだけれど
この図式自体は、ハイデガーによる次の構図
つまり
計算・計量可能なものとして世界を理解する形而上学に対して
そうしたものから外れる存在と現存在(の関係についての思索)を打ち立てる
という構図をそのまま転用してるにゃん。
しかし、確かにデリダはそこで、次の戦略を取るにゃん。
ハイデガーにおいては、そこでどのように存在と現存在の本来的な関係が可能かという点について
前期では極端な決断主義、後期では極端な待ち受け主義にしかならなかった問題を
決断についてのアポリア的な再検討を通してクリアする
という戦略を、にゃん。
確かに、それにより、デリダ自身が抱え込んでいた
ハイデガーとも共通するような非人称的なメシア主義への一定の解決は与えられたにゃん。
そして、それはハイデガーの問題点に対する一つの哲学的な解決案、積極的な読解にはなっているかもしれないにゃん。
だが、ハイデガーの読みを超えて有効なものが出てきているかどうか
結局ハイデガーの、前期と後期を折衷しただけなのではないか
あまりにもハイデガーに引きずられすぎているのではないか
という疑問が頭を離れないのにゃん。
>>207 なら
>>203 の「詐欺」は言い過ぎだね。
ハイデガーとの対決を引き摺っているのは間違いじゃないにしても。
ハイデガー的構図の政治化は、かなり初期からのデリダのテーマではあるけれど 正義論のアポリア的構成は、それとは少しずれていて 政治の存在論化、ハイデガー化になるギリギリの線になっていると思うのよね で、どうもギリギリの悪い方に踏み込んでる部分があって 結局ずうっとやってきたハイデガー的構図の政治化と正反対の 政治の美学化になってしまっているように思われるのよね
211 :
考える名無しさん :2011/12/11(日) 20:35:58.60 0
アデュー糞つまらんかった こんなの読んでるのは低学歴。
>>209 はめちゃくちゃだな
「政治の美学化」の要素なんてデリダの正義論には存在しない
脱政治の美学化ならある ディコンは修辞学の一種だから
ハイデガーのパロディであって本家にはかないませんでした。
しかしリバタリアンのロールズの「正議論」は 功利主義を超えるものではないという批判はある意味で正しい
216 :
考える名無しさん :2012/01/02(月) 15:38:06.92 0
判っていてあえて、とも思うのですが。 「意思決定の手法として対話を最善と考える」のは、あくまで「代議制民主主義」 での理念であって「民主主義」での共通理念ではありません。 代議制民主主義においては「多数決は糞」でいいのですが、直接民主主義の理念に おいては、「多数決」について、そこに一般意思を認める、少なくとも「話し合い」 と同等の価値を認めるのが普通のはずですが。 知っていて「民主主義」とその一部の一派でしかない「代議制民主主義」との区別を あえて曖昧にして書く誤魔化しをしているように見えるのですが・・・ ついでに橋本氏はキャリアからすると不自然なのですが、法学のプロであっても 政治学については素人であって、本当に政治学については疎い可能性があると 思います。橋本氏は過去に「首相公選制と大統領制を混同していて、首相公選制の 主張のつもりで大統領制を唱えて、後に用語混同に気付き訂正した」などという 政治学の基礎を知っていればありえない間違いを冒したこともあります。 「代議制民主主義の理念」についても、本当にわかってないのみで、「政治学の 常識を知っていて嘘をついている」のではないかもしれません。
2ちゃんねるではデリダより東の方が有名だ
218 :
考える名無しさん :2012/01/05(木) 00:30:26.41 0
03-01-2012 『「知」の欺瞞』が岩波現代文庫に!■[評][目]『「知」の欺瞞:ポストモダン思想における科学の濫用』 アラン・ソーカル,ジャン・ブリクモン[田崎晴明・大野克嗣・堀茂樹訳] (2000年5月24日刊行,岩波書店,東京,xxviii+338+30 pp., ISBN:4000056786 → 版元ページ|正誤表) 元のハードカバー版は今から十年以上前に出版されたが,その後は品切れになっていた.本書が今年2月に岩波現代文庫に入るとの情報を得て,ひそかに拍手をしている.イワナミ,えらいっ.文庫の「解説」は誰が書くのだろう?
219 :
考える名無しさん :2012/01/05(木) 01:01:52.88 0
私の場合、東浩紀さんの「郵便本」の内容でデリダに興味を持ったたちですねw
自分も今郵便本読んでて楽しいけどデリダ自体を読む気しない…… そもそも柄谷とか好きなタイプじゃないと興味持てない感じなのか
>>222 まあ単純な間違いを指摘すること自体に意味はあると思うけど、
そもそも「XX年代」という区切りではっきり時代の特徴を区分できるのか疑問に思う。
90年代の特徴とされていることがその前後の時代に個別的な出来事としてあらわれていても全く不思議じゃない。
これについてはむしろ突っ込んだ人の、話を膨らませた批評家批判の方に野暮ったさを感じる。
宇野おつ
226 :
考える名無しさん :2012/01/06(金) 14:22:05.87 0
>>215 「リバタリアンのロールズ」ーー
日本終わったな
209とかデリダ嫁よw
>>226 おまえの中ではロールズの位置づけを一人が間違えただけで日本が終わるのか
なんていうか、すてきな脳みそをお持ちのようで
228 :
考える名無しさん :2012/01/07(土) 19:20:49.02 0
ジャックデリダの脱構築を簡単におしえてください。
230 :
考える名無しさん :2012/01/08(日) 06:29:08.31 0
>>229 ありがとう。ニコ動にデリダがあるとは知らなかった。
ポストモダンの特徴の一つに、それが自然であったり、あたりまえの真理
として機能しているものを解体する作業があるがその一つであることは
わかるんだが、どうやってそれをしているのかが知りたい。
フーコーは、系譜学をつかってるけど、それに対して脱構築は
具体的には何をどうしているの。
自分で本買って勉強しなさい! もっと手っ取り早く知りたかったら、2chで聞くより Wikipediaでも引きなさい!
>>230 デリダの解説はwikiの「差延」の項目に詳しく書いてあるからそれを見るといいよ。
233 :
考える名無しさん :2012/01/09(月) 18:03:21.70 0
>>232 ありがとう。読んでみます。もちろんいろいろ読んでるが、正直難しくて。
だれが、一番的確にわかりやすく解説しているか知りたくて。
解説なんてどうでもいいから 本人の「ポジション」読めばいいよ
>>234 それ訳が堅すぎるのか、対談なのに難しくて何言ってるかわからんかった。
まあ確かに翻訳は固いかもしれないけれど 彼が一番素直に前期の自分の思想を語っているのは、あの本だよ
>>228 「脱構築」がわかりやすく説明できるようなものなら、これほど
長く多く使われたり、考えられたりするような概念にはならなかった
だろう。
君の質問は、「相対性理論」や「阿毘達磨倶舎論」を簡単に教えろ
と言うようなものだ。
わからないなら、わからないままでよい。簡単に教えてもらって、
わかったつもりになることの方が、よくない。
にわか脱構築使いになるのはやめなさい。
とっつきにくいからまずはわかりやすい解説書を読んでステップ踏みたいっていう人に、 原典読めとかわかる/わからないままのどっちかなんていう極論持ち出すやつはなんなの? 勉強には段階ってものがあるんだよ。勉強したことないの?
ポジシオン読んで理解できないなら解説書読んでも理解できないでしょ あんたポジシオンも読まずにメタ的に語って何か意味あるの?
大抵の批判は外からもっと大きなものを持ってきたり、 新たな価値観によってその古いとされる価値観をひっくり返したりする。 だがそれだと批判された構造は(上下逆さでも)そのまま 残るし、さらに外側に新たな大きな権力構造をつくることになる。 それに対して、脱構築は内側から自明性を打ち破る。 具体的には多くの場合語源を遡る。 注意すべきは批判対象となる思想体系の用語をそのまま 使う場合が多いということだ。 ハイデガー批判の場合、デリダは「精神」というハイデガー が使った用語をそのまま使った。そもそも脱構築の語源は ハイデガーの言う破壊の仏訳なのだが。 脱構築は(イロニーと違って)価値観が宙づりになるのでユーモアと でも呼ぶべき態度だと思う。 弁証法(これが脱構築の対概念だろう)と違って曖昧だと批判されるが、 絶えざる運動である限りその批判は受けいれざるを得ない。
チンポ・ポジシオン
>>240 いいね。
わかりやすくまとまってると思う。
■東浩紀について知らない人も知ってる人もおさらい 【肩書き】哲学者(東大院僅か3年で博士。東氏が書いた論文は日本だけでなく米仏でも影響力があった。長期的ではないにせよ確実に魅了した時期がある) 批評家(年長世代の批評家全員が負けを認めている。難解ながらもベストセラーとなった東氏の著作の数々もその圧倒的才能を証明している) 小説家(文章がうまい。初めて書いた小説が長編SFという鬼才っぷり。それで三島賞獲得という神業まで達成) 原作者(アニメ化で才能は証明済。しかし難解すぎて評価は分かれた。本人は共作に不満そうであり東氏単独原作なら神作品だった事がわかる) 【学歴】 小5で全国3位→筑駒中NO.1→筑駒高NO.3→ストレート東大文T→東大院で3年で博士号 【職歴】 慶応講師→GLOCOM主任、教授、副所長→スタンフォード大学Research Fellow→東工大ディレクター兼特任教授&早稲田教授 【備考】 100年に1人の本物の天才で全学問を習得した世界的知識人。ピアノもプロ級でサティを軽く弾きこなす。素敵な妻娘あり。 頭の回転が異常。推定IQは221。40歳で著作は既に6ヶ国語訳。自身も英仏露日4ヶ国語に堪能。小説書けば三島賞を受賞。 以前コロンビア大学にデリダ研究を申請したが重要と思われず却下される。後にデリダが重要視され結果的に東氏の完全勝利に終わる。 近年、大学側が負けを認めたのかその当時の教授陣が複数辞職している事が確認できた。
>>243 アンチ活動おつかれさまです。
でも関係ないスレにまで出張ってこられてもうざいだけだから消えてね。
ステマだろこれ
『存在論的、郵便的』はわかりやすくて良くできた本ではあるんだけど、 サラッと形式的に書かれすぎているがゆえに、 デリダの奇々怪々な(必ずしもハイデガー的ではない)現象学的な側面について けっこうガッポリ抜け落ちてる感じがする。
豚信者は来るな
250 :
考える名無しさん :2012/01/13(金) 17:38:36.91 0
うんこ
こらぼ
252 :
洋楽 :2012/01/13(金) 18:24:19.30 0
ぼぼ・ぶらじる
るげいえ
えっくはると
255 :
洋楽 :2012/01/13(金) 19:57:33.98 0
えすえむ
256 :
考える名無しさん :2012/01/13(金) 22:20:06.57 0
むーじる
るのわーる
258 :
洋楽 :2012/01/14(土) 02:26:56.33 0
るーまにあ (笑)
インターネットのリゾーム構造
ビッグデータはデリダ思想を現実に実装する
261 :
考える名無しさん :2012/01/14(土) 20:15:23.58 0
>>1 Mask_of_Darkness_and_Light ◆KjV5V9dJA6Beは自殺しろ
183 +1:Mask_of_Darkness_and_Light ◆KjV5V9dJA6Be (122) ::2011/11/20(日) 21:34:22.23 0
俺の家の家系がいかにひどいかご覧あれ
母親 PTSD 蜘蛛まっか出血で左半身不自由 おそらくアスペ
父親 アル中 借金有り
母方祖母 統合失調症
母方叔父 元ひきこもり
父方祖母 自殺
父方祖父 葬式で暴れだしたりする基地外
父方叔父 アル中で体がまっ黄色になって死亡
俺 人格障害、統合失調症、アスペルガー、境界例、知的障害、2ちゃん廃人、顔面奇形、友達ゼロ、引きこもり50代、シャブ中
ハハハ
110 +1:Mask_of_Darkness_and_Light ◆KjV5V9dJA6Be (22) ::2012/01/14(土) 19:30:59.54 0
馬鹿じゃね?
俺はコテで以外は書き込みしてないよ
http://logsoku.com/thread/uni.2ch.net/entrance2/1326015611/55 Mask_of_Darkness_and_Light ◆KjV5V9dJA6Beが名無しで代行を頼んだ証拠
262 :
考える名無しさん :2012/01/16(月) 00:53:55.81 0
263 :
考える名無しさん :2012/01/16(月) 02:27:26.92 0
いやあ、これは橋下徹氏が圧倒的に勝ってるよ。学者だめだよ、というか、こ の討議の流れで戦略変えられず、硬直した原理論しか展開できなかった山口二 郎氏は力ないよ(ご本人存じ上げておりますが)返信する RTする ふぁぼる hazuma 東浩紀2012/01/15 21:09:46
唐突だけどデリダ派で脱構築でフェミニズム論展開してるドゥルシラ・コーネルの話題もここで出していいの?
出したかったら出したらいいやん
266 :
考える名無しさん :2012/01/19(木) 20:37:12.63 0
267 :
東浩紀 :2012/01/21(土) 20:49:33.00 0
浅田さんはイマイチですね
268 :
考える名無しさん :2012/02/25(土) 15:20:12.22 0
「好きの反対は無関心」って脱構築だよね
269 :
洋楽 :2012/02/25(土) 16:34:58.99 0
・・・・ 関係とか無視 すれば もちろん 脱臼 する
270 :
考える名無しさん :2012/03/02(金) 06:02:38.61 O
(゚Д゚)
271 :
考える名無しさん :2012/03/02(金) 06:03:30.00 O
はあ?
272 :
考える名無しさん :2012/03/07(水) 06:23:28.99 O
('◇')ゞ
273 :
洋楽 :2012/03/07(水) 11:20:20.65 0
意味 ・・・・・ わかった? よかったー♪
ミクシィの蓮實重彦コミュの女管理人「舞鶴花」は気違い。
プロフィール
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=2008297 ※コミュニティに相応しくないコメントは予告なく削除致します
※差別的言動・誹謗・中傷行為をする人はコミュニティ強制退会+アクセスブロックの処置を
とらせていただきます
※荒らす人が多く、削除が大変だったため、しばらく非公開とします。その間、承認作業は
しませんので、氏について語りたい方は新しいコミュニティを作る等してください
76 2012年03月29日 20:33
舞鶴花
説明が必要な方もいるようなので書いておきますが、
トピック一覧を見るとわかるように同じ内容のトピックが乱立しているため、
トピックを立てられるのは管理人のみの設定にしてあります。
フーコーにもドゥルーズにも良い評伝があるけど、デリダにはそれに類するものないの?
授業でデリダについて少し触れたときに興味を持ち、本屋に駆け込んだのですが、どうやらデリダを理解するには哲学に関する様々な知識を得ないといけないような印象を受けました。 哲学に関しては全くの初心者なのですが、どのような図書を読みすすめていけば、理解していけばデリダに到達できますか? 支離滅裂な質問だと思いますが、よろしくお願いします。
郵便本読めばいいよ
デリダってだりだ?
最初は『言葉にのって』(ちくま学芸文庫)がいいって言われてるんじゃないの?
>>278 哲学初心者ということなので、哲学集文書や哲学史の本を読み漁るのでも手だけど、概説書の類は知的興奮を刺激することが少なく、関心を持続させるのは難しいかもしれない。
なので、せっかくデリダに興味をもったのだから、デリダを読むといいんじゃないでしょうか?
まずは
>>281 や『デリダ、脱構築を語る シドニー・セミナーの記録』等を読むといいよ。
デリダは、講演集やインタビューはわりと読みやすいです。
訂正 哲学集文書→哲学入門書
なるほどーありがとうございます。 確かに関心があるうちに読んだ方が良いですね。 勧めていただいたものを読んでみようと思います。
デリダって思想傾向的には暗めな感じですか? ドゥルーズの明るい哲学より暗いのがいいんですが合うでしょうか
暗いっていうか、普通だよ ドゥルーズが明るすぎるだけ
ドゥルーズが明るいってあんた本当にドゥルーズ読んだんか、と言いたい
288 :
考える名無しさん :2012/06/23(土) 18:29:19.34 O
意味の存在って電子雲のように存在確率として理解したらどうだろう? だからこそ決定的な二項対立なんて無効にできる
ドゥルーズ明るいだろ
290 :
つくだに :2012/06/25(月) 19:01:05.46 0
スピヴァクかあ 微妙な人だな
晩年はもちろん老人だったが往事は哲学者にしてはイケメン扱いだったんだぜ 哲学はともかく人間は別に暗くない
デリダは最初は何を問題にしてるのかさえわからなかった…
294 :
考える名無しさん :2012/06/28(木) 13:52:55.13 O
>>293 デリダの前に現象学と構造主義をかじった方がいいかもよ
295 :
考える名無しさん :2012/06/28(木) 19:07:12.94 0
ドゥル−ズは、ヘ−ゲルの主観的領域としての概念(表象=再現前化)を無限なものとするのに夢中に なっている。と、述べているが、概念の差異にたいして、客観的領域をどの様に捉えていたのだろうか。
296 :
考える名無しさん :2012/07/05(木) 00:31:03.07 0
>>293 西欧哲学というものの不毛さに溺れそうになって、もがいてたんだよ。
だから言葉遊びの中で何か出口が見つからないかと必死になってた。
デリダはデリダ自身にしか意味がない。
デリダとおそろしの森
!
2
300 :
考える名無しさん :2012/08/15(水) 21:19:10.90 0
デリダは、階層秩序的二項対立としての、内部(主観的)と外部(客観的)の連関は、内部にたえず外部を 持ち込み、内部と外部の差異を生み出し続けていく、差異化の運動を「差延」と呼んでいる。この「差延」が、 二項対立する事象の「脱構築」を可能にしている。 では、「再構築」は、どの様な論理で構成されているでしょうか。
じゃあ、その「差延」とやらの具体例挙げてみてよ
>>300 デリダそのものより、むしろ柄谷を読めば分かる
303 :
考える名無しさん :2012/08/16(木) 19:10:03.43 0
二項対立である内部(自己)と外部(他者)の「差延」は、どの様な状況になるのか。 デリダは、始めの現象学的認識で「純粋な内部(自己)の中にたえず外部(他者)をもちこみ、 内部(自己)と外部(他者)の差異を「決定不可能」なままに生みだし続けていく運動」と現象学的認識を している。この、たえまない「運動」が、「差延」です。そして認識で「決定不可能」なままの運動が、 自己(内部)と外部(他者)の境界を消滅させる。つまり、自己(主観的存在)と他者(客観的存在)の 境界が消滅する事により「統一化」又は、「主観(自己)が客観(他者)に先立つ」又は、その逆の優越的存在論が、 成立する。この様な現象が二項対立のすべての事象で可能と述べている。
304 :
考える名無しさん :2012/08/16(木) 19:17:20.32 0
>>303 >この、たえまない「運動」が、「差延」
ここまでは、わかる。
>認識で「決定不可能」なままの運動が、自己(内部)と外部(他者)の境界を消滅させる。
これがなぜ結びつくのかわからない。
>>303 意味不明だけど、おそらくふつうの小学生でも気づいてることを回りくどく言ってるだけのような気がする。
306 :
考える名無しさん :2012/08/17(金) 11:39:28.06 0
>>303 鴨長明のほうが優れた識見に見えちゃうな。
307 :
考える名無しさん :2012/08/17(金) 11:57:49.72 0
>>303 人のロゴスが先か自然のロゴスが先か、さあどっちにも転んで行きんしゃい!
308 :
考える名無しさん :2012/08/17(金) 16:18:03.63 0
>>304 >認識で「決定不可能」なままの運動が、自己(内部)と外部(他者)の境界を
消滅させる。これが何故結びつくのか分からない。
>303さんの論理を私なりの解釈で説明すると、以下の様に思う。
デリダは、主観的領域(自己)の「内」に、外部(客観的領域)を、たえまなく
取り入れる状況(運動)を「差延」と述べている。 この主観的領域(自己)の内へ、
客観的事象を、たえまなく取り入れる状態とは、主観的事象と客観的事象が「混合」
している状態と解釈できる。フッサ−ルの「コギタチオネス」の運動と相似している。
この主観的事象と客観的事象の「混合」した状態が、主観と客観との、識別の「決定不可能」を
生じて「境界のない」状態になると解釈している。
309 :
考える名無しさん :2012/08/17(金) 18:46:50.68 0
>>308 ありがとう。
そうすると、「差延」そのものの「境界が消滅」していることになって、そもそも「内部(自己)と外部(他者)」の「二項対立」自体が消滅してしまってることにならない?
つまり、常態的にその「運動」があるとすれば、そこには「二項対立」自体が存在し得ないことになる。
あるいは、その「二項対立」を説明的な概念とするほかはないように見える。
もし説明的な概念だとすれば、弁証法の正反合と同じということでとてもわかりやすい。
そのあたりはどう考えますか?
310 :
考える名無しさん :2012/08/17(金) 21:10:47.59 0
>>309 デリダによれば内部(自己)と外部(他者)の「二項対立」は、内部へ、たえまなく入り、
その運動は、「差延」としてあるうちは、留まることはない。 つまり、自己(内部)の中では、
常に取り込まれる運動の状態にある。この状態に於いては、主観と客観の「堺界」がなくなり、
「二項対立」が、消滅する。この現象が「脱構築」であると思う。
尚、弁証法とは、意見(定立)と反対意見(反定立)との対立と矛盾を通じ、一方を排除する、独立した
一つの排除思考を基本とした思考形態と解釈できる。従って、内的な「差延」による思考形態とは、異なる
ものと思う。
311 :
考える名無しさん :2012/08/18(土) 10:14:57.23 0
>>310 レス感謝。
弁証法については自分と
>>310 さんの理解に本質的な違いがあるようなので、これ以上は触れない。
>>310 さんの書き方だと、「差延」の状態がそのまま「脱構築」である、ということになるけど、そういう趣旨でいいですか?
312 :
考える名無しさん :2012/08/18(土) 11:45:05.68 O
デリダが言いたいのは二項対立に決定不可能性を持ち込む事で、形而上学的な二項対立自体を否定してるんじゃねーの? エクリチュールとパロール、シニフィエとシニフィアン、意味の内部と外部にさ あと弁証法はどちらかを取る訳じゃなくてシンテーゼにより絶対精神を目指すものじゃね?
313 :
考える名無しさん :2012/08/18(土) 12:11:24.79 0
>>311 「差延」状態のとき内部(自己)は、「従来の事象(構築されたもの)」の解体が
起こる。この現象が「脱構築」と解釈している。そして、「再構築」とは、差延としての
活動が停止した状態であると思う。つまり、主観と客観の「境界」が創出された状態です。
この「差延」の活動は、フッサ−ルの「コギタチオネス(思考作用)」と私は、解釈している。
主観と客観やら主体と客体やらと絡めるのも一つの解釈として 不可能ではないけど デリダが自身の概念として「差延」を打ち出してからの話としては Aと非Aの、構造主義的、共時的差異なんてものは ロゴス中心主義的抑圧によってしかなりたたず 実際には、そうした差異は、時間的に繰り延べられる形でしかない という非常に一般的な話をしているのであって 主観と客観という対立は、そうした対立の一つのバリエーションでしかない
315 :
考える名無しさん :2012/08/18(土) 15:15:19.14 0
>>313 こだわって申しわけないんですが、「差延」を動きのある常態と考えるとすれば、「解体」や「脱構築」になるにはなにかきっかけみたいなものがあるのでしょうか?
例えば、ある人が何かを認識している状態があるとして、その状態は常に変化し続けている。
この状態を「差延」と言うとすれば、その認識している状態が別のことに対する認識によって、いわば別の位相に移る。
それを「脱構築」と考えているということですか?
ここで位相と書いたのは抽象的な集合というぐらいの意味です。
そしてそれがまた新しい「差延」状態を生み出す。
こんな理解でいいのでしょうか?
脱構築・差延の前に、弁証法と現象学から理解しろよ
317 :
考える名無しさん :2012/08/18(土) 16:11:21.12 0
>>316 そういうなら自分でそれぞれ説明してみせればいいんじゃないか?
どうせできないくせに、こんなとこで偉ぶっても誰もほめてくれないよ。
開き直りかよ…
319 :
考える名無しさん :2012/08/18(土) 19:01:54.43 0
320 :
考える名無しさん :2012/08/18(土) 19:13:54.41 0
>>316 「脱構築・差延の前に、弁証法と現象学から理解しろ」と述べている。
まず、「弁証法」と「現象学」を、自分は00と考えている。だから、
貴方は、どの様に考えますか、というのが「哲学」を志すものの基本である。
321 :
考える名無しさん :2012/08/18(土) 19:47:45.07 0
>>320 「弁証法と現象学から理解しろ」というのは、こちらの理解が違うとか不足しているとか言ってるわけだ。
だから、どこがどう違うか、どこがどう不足してるか、書いてみな、と言ってるんだ。
くだらない言い訳を考えるのが「哲学」じゃないよw
322 :
考える名無しさん :2012/08/18(土) 20:16:43.90 O
デリダもこんな衒学の具にされて可哀想に 主体の死もここまでとはね やっぱ現前性って大事だね
323 :
考える名無しさん :2012/08/18(土) 20:47:55.22 0
>>315 デリダ、「純粋な内部(自己)と見えたものの内部に、たえず外部(他者)を持ち込み、
内部(自己)と外部(他者)の差異を「決定不可能」なままに生みだし続けていく、この
差異化の運動こそ「差延」である。」と述べている。 この「内部(自己)にたえず外部(他者)を
持ち込む」と言う認識は、「現象学」独特の思考法であると思う。 フッサ−ルは、現象学を「日常的見方の
土台にある外界の実在性について一切の先入見を排して意識に直接に明証的に現れている現象を「直観」し、
その本質を認識する方法」を現象学と述べている。この直観認識が、現象学の基本となっている。
「差延」の状態での認識は、主観と客観が、「決定不可能」の状態となるので、その内部に於いて、解体が行われ、
再構築する。この再構築を「集合」とも解釈されると、私は考えている。
324 :
考える名無しさん :2012/08/18(土) 21:21:17.38 0
>>323 その理解だと「差延」はフッサールの「直感」に対応することになりますか?
フッサールのエポケーは静的に、意識のいわば無意識化を想定しているよう思える。
意識の純粋化によって意識を対象から(環境から)切り離すことで静的な純粋意識を取りだす。
その純粋な意識というべきところから世界を理解していくという、いわば実存的な方向性を得ようとするのがフッサールの「直感」である、と。
>内部(自己)にたえず外部(他者)を持ち込む
ということを否定するところからフッサールの現象学ははじまっていると思うのですが。
デリダのフッサール理解が十分公平であるかは置くとして Aと非Aの差異を共時的に成り立たせるような現在=現前の不可能性 というところから差を延べるという意味で差延という概念が出ているのであって つまり、フッサールにハイデガーを絡ませているわけで 同一性と差異性の問題が問われている場面を 「主観と客観」の問題に還元するとか、単純すぎるにもほどがある
弁証法も現象学も知らない人がデリダを読んでどうするんだろう。 やっぱ東浩紀あたりから入ってきたアニオタなんだろうかw
327 :
考える名無しさん :2012/08/19(日) 11:08:51.18 O
主客の認識は意味とは相似なんじゃないかな
328 :
考える名無しさん :2012/08/19(日) 11:17:11.91 0
>>326 自分に聞けばいいんじゃないかな?
いけねえ、君はデリダも読んでいなかったのか。
それじゃ、わからないはずだw
329 :
考える名無しさん :2012/08/19(日) 14:56:58.09 0
>>324 デリダの「差延」の認識は、デリダ的な現象学として「直観認識」から創出
したものと解釈している。従って、「内部(自己)にたえず外部(他者)を持ち込む」と
言う認識は、デリダ的な「現象学的認識」と思う。現象学的認識は、純粋意識(直観認識)
であるので、人それぞれにより、認識の表現が異なるものと解釈している。
フッサ−ルは「現象学的認識」に於いて、超越論的主観によって「超越」の概念を実存的に
把握している。この点はデリダと異なる、現象学的認識の奥深さを感じている。
330 :
考える名無しさん :2012/08/19(日) 15:07:25.23 0
>>324 です。
>>329 さんのデリダの理解のしかたがよくわかりました。
わかりやすく説明していただいて、ありがとうございました。
クィア理論にデリダが与えた影響ってなんどすか?教えて下さい!
332 :
考える名無しさん :2012/08/22(水) 08:41:03.54 O
異性愛/非異性愛の二項対立の絶対性を脱構築により揺り動かしたんだろ しかしそれにどれ程の意味があっただろうね ジャンジュネじゃないけど性的マイノリティのアイデンティティは否定される事で形成され得るのじゃないかな
その説明すごい分りやすいですね!どうもありがとうございます!
エクリチュールと差異を本棚に置いとくと女にモテた80年代w
そんなのなかったから 捏造乙
336 :
考える名無しさん :2012/08/28(火) 20:37:48.60 0
いいじゃないか 妄想に耽ってもてない自分を慰めてるんだから そっとしといてやれよ
デリダの受動能動の話って、いつも尻切れトンボで終わるみたいだね。 思わせぶりなだけって感じ。
デリダとドゥルーズは文学のカテゴリーだと思う デリダは(文芸、哲学)批評、ドゥルーズはSF作家
大陸哲学と文学が切り離せないのは前提だから
文学の要素のほうが強くなってる ハイデガーやニーチェもそういう意味では怪しいけど
文学板のデリダドゥルーズスレは中二がたまって盛り上がってたよ
篠山紀信の写真集(『Accidents Series 12 大竹しのぶ)のデータを見て、おやと思った。 shinoyama.net/salon/zensyashin/zensyashin5.html “text●ジャック・デリダ”とある。 デリダは何を書いたんだ?
大竹しのぶとデリダが結びつかんのだが
デリダの大竹しのぶ論(あるいは篠山紀信撮影のヌード写真についての論文?)、 読んでみたいですね。 『Accidents Series 12 大竹しのぶ』を買えば、原稿用紙40枚分、全部 収録されてるんでしょうかね。
大竹しのぶの何て写真集よと調べてたら 大竹しのぶの母の名が「ゑすてる」だと知って仰天
なに人だよw
ポール・ド・マンは面白い?
分析哲学やってるけどどんどんデリダに興味がなくなってくる あえて否定はしないけど、そっちそっちは好きにやってくださいという感じに
で?
353 :
考える名無しさん :2012/10/10(水) 20:37:13.65 O
どれほど努力しても結局自分は20代のアニオタが書いた論文の足元にも及ぶことができないと気付いてしまった現代思想研究家の嫉妬
354 :
考える名無しさん :2012/10/10(水) 23:56:36.96 0
355 :
考える名無しさん :2012/10/11(木) 05:30:20.20 O
東の存在論的、郵便的の事じゃね
やっぱりこのスレじゃデリダ的な見地からの分析哲学への批判には至らないか
357 :
考える名無しさん :2012/10/11(木) 06:53:06.14 O
>>356 分哲の何を指してるの?
批判ってシニフィエ/シニフィアンの二項対立の決定不可能性についてとか?
358 :
考える名無しさん :2012/10/11(木) 08:09:14.03 0
:吾輩は名無しである:2012/10/11(木) 07:54:07.86 法/権利を基礎づけ、創始し、正義にかなうようにすることになる作用、 つまり掟をつくる/場を支配する(中略)ことになる作用を成り立たせ るのは、実力行使、つまり行為遂行的でありそれゆえ解釈をする暴力で あろう。この暴力そのものは、正義にかなっているとも正義にかなって いないとも言えない。いかなる正義をもってしても、すなわちいかなる 法/権利があらかじめあってかつ前もって基礎づけをなしていようとも、 また既存のいかなる基礎づけ作用をもってしても、定義からして、その 暴力に保証を与えることはできないし、かといってそれに抗弁したり、 妥当でないとして否定することもできないであろう。正義にかなうよう にする言説はどれもみな、創出的言語活動の行為遂行性やその支配的な 解釈との関係で、メタ言語の役割をやりこなすことはできないし、やり こなすべきでもない。 ジャック・デリダ『法の力』堅田研一訳 法政大学出版局
実力行使(強制力=Force)によって支えられた義務関係(力=Power)による支配を 相対化する(強制力のバランスをとる)ために、より高次の審級に訴える(より 一般化された力に頼る)ことは、理念的に正しい。しかし、最高次の審級に 基づく制度を設計することは理念的にも、現実にも不可能である。 なぜなら現実に実力行使を「全体」から委任される集団のマフィア化を 阻止することができないからである。
360 :
考える名無しさん :2012/10/11(木) 08:34:38.24 0
>>355 ふうん。
>元にも及ぶことができない
>現代思想研究家
はだれ?
デリダとか相手にしてる時点でもう…
現実の正義は、強制力(Force)によって支えられた力(Power)の均衡によって 成立しており、それ以外の形では成立し得ない。こう主張することは、 強制力(Force)がすべてだということでも、強制力(Force)が正義だという ことでもない。この主張が意味するのは、力(Power)による支配が正義である ためには、常に強制力(Force)の均衡(相対化)が追及されなければならない ということである。
デリダのように不可能性に拘泥することから始めて、不可能なことの 実現の可能性について神学的に語ることに終始することも、 不可能なことをあたかも現実に可能であるかのように構想する ユートピア思想も、現実の問題の解決には役立たない。現実にできる 本当に意義のあることは、日々の歩みの一歩一歩において抗すること だけである。
364 :
考える名無しさん :2012/10/11(木) 09:11:35.66 O
つーか気になってたんだけど、その(Force)とか(Power)って必要なのか? 意味が死んだ主体から逸脱するのを防ぐつもりなんか、 デリダのパルマコン的な主張に対して諧謔を弄するつもりなんか知らねーけどよー
>>363 >日々の歩みの一歩一歩において抗する
これこそ思考放棄にしか聞こえない。
366 :
考える名無しさん :2012/10/11(木) 09:15:01.35 O
その歩みに価値を見出だせるなら苦労しねーわな
様相論理ちゃんと勉強しようね
368 :
考える名無しさん :2012/10/11(木) 10:10:39.22 0
>>362 正義なんて書いてる時点で思考が無意味になるな。
正義とは真実に即して行動することである
370 :
考える名無しさん :2012/10/11(木) 10:38:21.13 0
>>369 真実じゃ、もっと無意味になってきたな。
We'll know our disinformation program is complete when everything the American public believes is false.
372 :
考える名無しさん :2012/10/11(木) 14:23:59.15 0
Will you?
373 :
考える名無しさん :2012/10/11(木) 14:32:08.77 0
正義論(せいぎろん)は、法哲学における最古の問題領域の一つである。 論じられる項目は次のとおり。 1.どのような行為が既存のルールに照らして「正しい」のか。 2.どのようなルールが「(ありうべき)正しさの規準」に照らして「正しい」のか。 3.そもそも 「正しさの規準」 というものは存在するのかどうか、もし存在するの であれば一体どのようなものなのかという規準。 一般に、法価値論を含む広義の倫理学は、規範的部門と分析的部門とを区別する。 正義論をめぐっても同様に規範的法価値論とメタ法価値論(分析的法価値論)と いう二つの分野を区別することが可能である。おもに前述の 1. と 2. のレベル が規範的法価値論の対象となり、3. のレベルがメタ法価値論の対象となる。
>成り立たせるのは、実力行使、つまり行為遂行的でありそれゆえ解釈をする暴力であろう。 ここまではいい。だがデリダは、この関係を逆転することで決定的な誤りを犯している。 法が実力行使に支えられることは確かだが、実力行使が法を創出的、行為遂行的に 成立させるわけではない。
暴力が暴力と解釈されるのはそれが何らかの意味で法に背いているから であり、法と無関係の「純粋な、原初的なな暴力」など存在しない。 実力行使が暴力として現れるのは、そこに何らかの二重性(Duplicity) が感じられているからである。
376 :
考える名無しさん :2012/10/11(木) 15:41:38.42 0
文学板にいって英語でやったらいいんじゃないの アカデミシャンせんせいさま
377 :
考える名無しさん :2012/10/11(木) 15:52:11.19 0
>成り立たせるのは、実力行使、つまり行為遂行的でありそれゆえ解釈をする暴力であろう。 ここまではいい 行為遂行的であるがゆえに解釈的であり、それゆえ暴力的、なのはどうしてなんですか。 先生おしえてくださいよ。
アカデミシャンが文学的とはこれいかに?
379 :
考える名無しさん :2012/10/11(木) 17:13:03.53 0
文学板の雑談スレから流れてきた話題だろ? だからむこうでやったら、といったの。
380 :
考える名無しさん :2012/10/11(木) 19:51:51.45 0
もし私が,正しい規則une regle justeを適用するだけで事足りると考え,正義の精神esprit de justiceをもたず,いわばそのつどに規則や範例を発明することなく済ますならば,私はた ぶん,法の保護を受けて批判を避けることができるであろうし,客観的な法にかなって行為 してはいるだろうが,しかし私は正しいとは言えないであろう。私は義務にかなってconform ement au devoir行為してはいるが,義務に基づいてpar devoirまたは掟への尊敬の念 に基づいて行為してはいない,こうカントなら言うだろう。(デリダ『法の力』)
デリダに抗して言うならば、正義を成すのに正義の精神l'esprit de justiceは 単に不要なだけでなく、妨げになる。必要なのは正義の精神ではなく、l'esprit de justesseである。 真実(正しさ)を追及すれば、正義は必ずその後をついてくる。 逆に正義を追及すれば、必然的に二重性(Duplicity) に陥る。
382 :
考える名無しさん :2012/10/11(木) 20:58:02.21 0
片言のフランス語なんかつかってないで 英語でいいから、まるまる書いたら。
383 :
考える名無しさん :2012/10/11(木) 21:55:16.18 O
フーコー・ヤカン・デリダ・朝だ彰・ホスト耕造主義・デコンストラクチョン・脱高知区・アブストラクチョン・ノマド・冴えん左様云々云々…、 20年ほど前(?)に『現代思想』の名で流行ったこれらの作家の本やら言葉やら、みんな大好きで読んだり解ったつもりなったんだろけどさ、…ちゃんと理解してなにがしか今の糧にしてるんだったら偉いねえ。 俺なんか、『現代思想』系の本は実存主義系よりも更に思わせ振りな文学書としか思えんかたね。
不可能な絶対的な要求を自らに課すような言説はラディカルなように 見えて、現実には欺瞞にしかならない。その都度に発明される規則 や範例に従う/従わせることが「真実/正しさ」によるのではなく、 「正義の精神」によるなどと考えるなら、その正義はたちまちに 米国の「無限の正義(Infinite Justice)」と変わらない傲慢で、偽善的なものとなる。
>>384 デリダよりはヘーゲルの方がまだ具体性があるだけましだな
386 :
考える名無しさん :2012/10/12(金) 01:26:26.71 O
>>385 東じゃないけどデリダは否定神学的だかんね
387 :
考える名無しさん :2012/10/12(金) 07:31:12.69 0
デリダのは、従来的な正義論の「脱構築」なんだから、justesseじゃ意味ないだろ。
いや、justesseこそ脱構築の目的だ。デリダ自身、justes mesuresを当てはめる だけではjusticeが達せられないと主張しているだけで、justes mesuresを見出す 必要性は否定しないだろう。問題は、デリダの絶対の正義を求める義務を負う かのようなラディカルな見せ掛けが、現実には偽善にしかつながらないことにある。
389 :
考える名無しさん :2012/10/12(金) 08:32:03.29 0
脱構築すべきjustesse論というのはどういうものなの? それは伝統的な正義論であつかわないようなものなんですか。 それから、脱構築というのは、その手法がすなわち主張なので、あなたがいうような、何々すべき論では、 もとよりなかった、と私は思う。むろんその良し悪しは別ですよ。
米国=傲慢とか、「正義とかくだらね」ってのは、 日本では国民感情的に受けやすいだけなんじゃねえの? 384は思弁に見えてただの政治思想だと思うわ
391 :
考える名無しさん :2012/10/12(金) 08:51:30.63 0
法と経済学(ほうとけいざいがく、law and economics)とは、 経済学のうち、特にミクロ経済学・ゲーム理論の観点および 手法を利用して法的理論を分析、再解釈する学問である、ま た近年では統計・計量経済学を用いた分析も行われている。 近接する分野として契約理論がある。 アメリカの脱構築法学なんてのには、上のような一見して「科学的」な学問分野を 支えるイデオロギーをターゲットにしている、というのがあるのですよ。 あなたみたいに「正しさ」といっちゃうと、ヘゲモニックな正さと変わり種の正しさの、たんなる対決になりませんか。 これは、ころっと負けるでしょ。おなじ負けるにしても、少しは粘りたいでしょ。 だから、土俵自体をずらす、ということじゃあないんですか。
392 :
考える名無しさん :2012/10/12(金) 09:08:08.00 0
デリダは自分で自分の著作を言葉の遊びだと言ってるじゃない。 言葉の遊びの中から何か現代を理解できる理念が見つかるかもしれない、と思って書いてただけだろ? 一つひとつの文章を理解しようとしても、反論したりしても、意味ないんじゃないの? デリダは何かを見つけたのか、何も見つけられなかったのか、どっちだろうね?
>>392 >デリダは自分で自分の著作を言葉の遊びだと言ってるじゃない。
ええっと、どこでそう言っていましたか?
彼は何度も脱構築は単なる言葉の遊びではないと言っていましたが。
394 :
考える名無しさん :2012/10/12(金) 11:25:32.08 0
正義は脱構築できない、法は脱構築できる。 脱構築は正義である。 「法の力」を書くにあたって、大体こんなことを言ったはずだな。 言葉遊び云々というのも、1980年代あたりまではいったかもしれないが、 老年期はずいぶん印象が違うのではないか。ただ、手法がすなわち主張である、 という点は、ほとんど変わっていないように思う。
395 :
考える名無しさん :2012/10/12(金) 11:36:36.69 0
>>393 「言葉にのって」あたりじゃなかったかな?
他のインタビューか講義か講演かもしれない。
覚えてなくてごめんよ。
でもそう書いてあったよ。
>>394 言葉遊び(日本語の普通の意味で)だなんて
若い頃から一度も言ってないよ
脱構築というのは、概念の批判を通じて
(社会的)秩序を批判することであるというのは
ポジションのインタビューからずうっと言ってること
言葉遊びにすぎない、というのはアメリカ系の追随者に対する
よくある批判で、本人は一度もそういう事は言ってない
デリダの追随者は残念な人が多い
398 :
考える名無しさん :2012/10/12(金) 11:46:05.86 0
それはよかった。言っていないにこしたことはない。 392の人と394の私は別人ですからね。
399 :
考える名無しさん :2012/10/12(金) 11:58:51.95 0
>>396 代表作に何度もjouerって言葉が出てくるが
しかも自分の方法を指して
jeu は、直訳すれば「遊び」「戯れ」だけど 「作用」や「働き」のような広い意味もあるし 機械の部品の隙間をなす「ゆとり」のような 意味もある。jeu を、悪い意味での 言葉遊びに還元して理解しているのは勝手な誤解。
402 :
考える名無しさん :2012/10/12(金) 14:00:01.09 0
↑に賛成。 ちなみに、ウィトゲンシュタインのいう言葉のspielだって、 遊びは遊びでも、お遊びのことではないな。
原本ばかり研究してれば言葉遊びなんて記憶ちがいはおこらない。 デリダについての対談とか批評とかそういうまたぎきのまたぎきを繰り返すようなことばっかやってっと デリダ本人の意見よりも外野の意見が記憶に残って時間経過とともに記憶違いがどんどんかそくしていく まあこれはデリダに限ったことではないがね
>>400 この文脈だから、当然初期の代表作ってことですよねえ?
だとしたら De la grammatologie のことですよねえ?
何ページの話をしていますか?
ざっと見たところ、jouer un role という形での使用がほとんどなんですが。
405 :
考える名無しさん :2012/10/12(金) 15:37:59.45 0
>>403 フランス語や英語に堪能なのはいいが、日本語の勉強もしようなw
406 :
考える名無しさん :2012/10/12(金) 15:46:15.95 0
おまえがな
407 :
考える名無しさん :2012/10/12(金) 15:47:34.83 0
なんだ?話そらすのか?それならおれもうけてたつぜ おまえ、働かなくていいのか?
批評を読むのがせいぜいのミーハーに原書の話なんか振っちゃダメでしょw
409 :
考える名無しさん :2012/10/12(金) 16:00:40.00 0
地頭男の筑駒と文一
デリダの「戯れ」は存在や超越論的シニフィエなどによって根拠づけられていない自由な差異化の運動、 っていうことだったっけ? この差異化自体を根拠づける手掛かりが与えられていないとすると、 結局デリダの方法は日常的に使われる意味での「言葉遊び」と区別できないものになる気がするんだけど。 ニュアンス的な違いは別として、少なくとも根拠づけが問題になる限りでは。
>>410 「気がする」だけでしょ。
超越論的シニフィアンについての原理論と
実際の「言葉遊び」とでは次元が違うよ。
>>411 だから、実際にどう違うのよ。
ものが違うと言ったところで、それが程度の違いでしかないなら根っこは同じものだろ。
>>413 だからその記号の恣意性は根拠づけを欠いてるって意味で言葉遊びにカテゴライズされるのでは?って言ってるんだけど。
俺とあなたの間に主張の違いがあるようには見えないな。
あるのは特殊なこだわりがあるかないかの違い。
>>414 「特殊なこだわり」をもっているのはあなたでしょう。
私には「言葉遊び」という言葉を濫用しているようにしかみえない。
要するに「言葉遊び」という言葉で遊ぶのはやめたらってこと。
416 :
考える名無しさん :2012/10/12(金) 23:34:06.93 0
414さんは、言葉遊びというのを誤解していると思うよ。 そもそも言葉というものが遊びなのじゃないの。 言葉遊びと厳密な言葉遣いがもとよりあるのではなく、 言葉遊びのうちになんらかのいわば覇権の成立したものが、 あなたの考える「厳密な言葉」なのだと思うよ。 脱構築というのはふつう、ロゴス中心主義への批判だとされるのだから、 それが、覇権的な「厳密な言葉」の側からは、狭い意味の「言葉遊び」にみえるのは、ある意味当たり前でしょう。
>>416 別に俺は「言葉遊び」っていう言葉自体に否定的なニュアンスは何も込めてないんだが。
なんでデリダの用語法に従ってデリダの方法を「言葉遊び」と呼んだ時にこんな反応が返ってるのかわからん。
他のレスした人間とまぜこぜにしてないか?
418 :
考える名無しさん :2012/10/12(金) 23:39:38.63 0
すいません。番号間違い。415さんね。
419 :
考える名無しさん :2012/10/12(金) 23:43:19.19 0
ダジャレや地口などは、別の悪くないですよ。 たとえば、ハイデガーの「語源学」だって、あんなのダジャレみたいなもんでしょう。
>>417 >別に俺は「言葉遊び」っていう言葉自体に否定的な
>ニュアンスは何も込めてない
それはさすがにナイーヴだなぁ。
デリダの著作に対して「言葉遊び」って言ったら
揶揄している場合がほとんどなんだから。
そういう現状を踏まえて言葉を選ばないと。
>>420 だからどういう意味で「言葉遊び」なのか明示したのに、
その部分を完全にスルーでからんできたんじゃないか。
>>421 自分の意味にこだわる前に、スレの流れを読みなよ。
「言葉遊び」は最初から揶揄の言葉として問題になっていた。
それを無視して、自分だけは、
否定的なニュアンスなしで使ってたといわれてもねぇ。
423 :
考える名無しさん :2012/10/13(土) 00:01:23.16 0
ただね、「ハリーポッター」にしても、キャロル伝来の言葉遊びを遣いまくっている。 呪文なんか全部ラテン語の語根もっているしね。 だから、いまややたらめったには使わないほうがいい、とはいえるかな。 それに、日本には、掛詞、縁語といったものの伝統もあるので、 ポストモダンどころか、いかにもプレモダンなものだという面もあるだろう。
もちろん「言葉遊び」自体が悪いわけではない。 哲学をするのに言葉を厳密に用いなければならないはずが「言葉遊び」なんかしやがって、けしからん! といった調子で、主に英米の分析系の哲学者から、 デリダは批判されてきた。
そもそも、
>>410 の要約
> デリダの「戯れ」は存在や超越論的シニフィエなどによって根拠づけられていない自由な差異化の運動、
> っていうことだったっけ?
が、デリダ派の批判者がよくやっていた勘違い
初期のデリダも(は)、jeu を
「根拠づけられていない自由な差異化の運動」などとは言っていない
そうした、何か根拠なしに成り立つような自由な運動などと
肯定的に、実体的に存在する何かであるように要約している時点で
デリダの「戯れ」からずれている
>>425 ちょ、しつこいなあw
根拠なしじゃなくて、
「存在や超越論的シニフィエなどによって根拠づけられていない」って言ったんだけど。
これはデリダ自身がさんざん言ってることじゃないか。
違うというならあなたが考えているデリダ像を一度明確にしてみてよ。、
分析屋のおいらには何を言ってるのかさっぱりわかんないや( ´∀`)
428 :
考える名無しさん :2012/10/13(土) 10:57:42.82 0
391 :考える名無しさん:2012/10/12(金) 08:51:30.63 0 法と経済学(ほうとけいざいがく、law and economics)とは、 分析屋でもこれは分かるだろう。 経済学のうち、特にミクロ経済学・ゲーム理論の観点および 手法を利用して法的理論を分析、再解釈する学問である、ま た近年では統計・計量経済学を用いた分析も行われている。 近接する分野として契約理論がある。 こういうものはどう考えますか。
図式化されたデリダ本なんて読まずにデリダの著作そのものを読みなさい
431 :
考える名無しさん :2012/10/13(土) 12:28:39.32 0
デリダを原書でがっちり読んでいる方 Wesen ist was gewesen ist. これは誰の言葉で、誰の哲学を批判したときに引用されましたか? ついでに簡単な解説もお願いします。 有名なのでヒントはいらないと思いますがいちおういうと、 初期デリダの重要概念が初登場したときのことです。
ググれば出てくるようなことをドヤ顔で訊ねられてもね・・・
433 :
考える名無しさん :2012/10/13(土) 13:13:32.50 0
では、ググったことを書いてくれ
434 :
考える名無しさん :2012/10/13(土) 13:19:03.36 0
貼り付けでもいいので、してちょうだい。
宿題は自分でやれよ
436 :
考える名無しさん :2012/10/13(土) 14:00:41.99 0
>>431 好きだなあ、また書いてるw
あれをああ訳すのは翻訳の名人芸かもね。
437 :
考える名無しさん :2012/10/13(土) 14:10:44.55 0
普通の訳と、誰かがしたという名人芸の訳 その二つを書いてよ。
431のKYなくらい上から目線レスは並兵だな
439 :
考える名無しさん :2012/10/13(土) 14:40:25.15 0
そういえば最近ノーマル純一見てねーなおい
そういえば最近ノーマル波平見てねーなおい
>>426 > 「存在や超越論的シニフィエなどによって根拠づけられていない」って言ったんだけど。
> これはデリダ自身がさんざん言ってることじゃないか。
こういう風に「さんざん言ってることじゃないか」と出典の記憶が曖昧な場合
当人に誤魔化す意図がなくても、大抵、記憶の中で内容の理解が曖昧になってるケースなので
もう一度出典を探してみた方が良いです。大抵その通りではみつからないから
426の元の文章
>>410 をもう少し長く引用
>デリダの「戯れ」は存在や超越論的シニフィエなどによって根拠づけられていない自由な差異化の運動、
>っていうことだったっけ?
>この差異化自体を根拠づける手掛かりが与えられていないとすると、
一番、明確に、これに近い話をしているのは
De la grammatologieの73ページ前後だろうけれど
そこで言われているのは、記号/意味(作用)の連鎖は
たとえば、意味されてる事物において終局することはできないという話であって
根拠づけの話ではない
そして「差異化自体を根拠づける手掛かりが〜」という言い方は
そこで強調されている、jeuは世界内(部)のひとつの不在ではない、という注意を読み落としている
(もう少し一般的なハイデガー的用語で言えば、存在を存在者として扱うのと同じ過ちを犯している)
重要なのは、jeuによって、たとえば言語的シニフィアンが事物をシニフィエとして
持つような世界も可能になるということであり
「ことば」が「事物」を指し示すことも可能になるという話であり
つまり、問題は単なる「ことばあそび」ではなく、上述の箇所で言われているとおり
「せかいのたわむれ」だ、ということであり
また他方でそうした一連の連関、分節の連関を追うことで
jeuのはたらきをあらわにすることは可能であるというのが当時のデリダの見通し
お察しの通り、ハイデガーの影響は根強い
>>442 いやだから、その引用ヶ所でデリダは「戯れ」が超越論的シニフィエも存在も不在の場で起こるものだと言ってるだろ。
>On pourrait appurait jeu l’absence du signifie transcendantal comme illimitation du jeu(l4〜5)
>la question du sens de l’etre, de l’etre de l’etant et de l’origine transcendantale du monde (l25〜27)
これを、「戯れが存在によっても超越論的シニフィエによっても根拠づけられない」と解釈することに何の問題があるの?
俺が差異化の運動を実在と結び付けてるとか、ハイデガー的な枠組みにとらわれてるとか、
はっきり言って何を根拠に言ってるのかまったくわからないんだよね。
俺の意見を勝手に捻じ曲げて解釈して、そこにかみついてるようにしか思えない。
批判のための批判、しかもろくな根拠もないようなものを相手にぶつけるのは失礼だと思わない?
444 :
443 :2012/10/13(土) 21:25:45.04 0
一応断っておくと、 ↑の引用部分ではアクサンは省略したから。 普通はこんなこといちいち言わないけど、 そんなことにもかみつかれそうな気がするから念のため。
445 :
考える名無しさん :2012/10/13(土) 21:25:45.99 0
か〜し〜む〜ぅ
やれやれ
447 :
考える名無しさん :2012/10/13(土) 21:50:26.35 0
傍目には、たんなる内ゲバにみえる。 このあたりでやめたほうが良いと思う。
>>443 アクサンは省略したと言いながらappelerを壮絶に打ち間違えているのは愛嬌として
君がそうした誤読をする理由は、要するにハイデガーをほとんど知らずに
この頃のデリダの著作を読んでいるからだ、というのがよく分かって非常に面白かった
どうもありがとう
>>442 でなぜハイデガーに言及したかも
デリダがハイデガーに言及している文脈も全く理解できていない
だからその珍妙な読解の証拠としてその443の二番目の箇所を引用するという間違いを犯す
おまけに、その二番目の引用だが、フランス語として
>Pour penser radicalement le jeu, il faut donc d'abord
>(省略)traverser patiemment et rigoureusement la question du
>sens de l'être, de l'être de l'étant et de l'origine transcendantale
>du monde — de la mondanité du monde —
という構文になっていることぐらい理解していると期待したいところだけれど
それにしても、なぜ肝心の最初にすべきこととしてあげられている
>Pour penser radicalement le jeu, il faut donc d'abord
>épuiser sérieusement la problématique ontologique et transcendantale,
を抜かしたのかが理解しがたいが
ここで言及されているのが、まさにハイデガー的な問題構成である
ということを理解できないのであれば仕方がないね
ちなみに、最初の文章の理解にも問題ありそうだから
君の試訳を提示してみると、なぜそのように誤読しているかが
もっと明らかになるかもね
>>448 もういいや。
引用を一部にとどめたのは一行におさめるため。それ以上の理由はないよ。
それだけでもどのセンテンスのことを言ってるかは特定できるから十分と思ったわけ。
それがデリダの意図を理解できていないことの証拠になるわけだ、あなたの中では。
はっきり言ってね、
>>448 で言ってることなんて揚げ足取り意外の何物でもないよ。
73ページのデリダの記述を、
「戯れが存在によっても超越論的シニフィエによっても根拠づけられない」と解釈するのがなぜ間違いなのか、
そのなんの説明にもなってない。
俺が間違ってるなら間違ってるでもう構わないので、からんでこないでくれ。
うんざりだ。
450 :
考える名無しさん :2012/10/15(月) 09:53:40.43 0
ところで、デリダを読むとなんか役に立つことあるの? 社会の動きが理解できるようになるとか、正しいことがわかるようになるとか。 ほかのことでもいいけど、誰か教えてくれないかな?
デリダの『弔鐘』『撒種』は、いつ邦訳がでますか?
452 :
考える名無しさん :2012/10/15(月) 11:17:37.02 O
>>450 原子モデルに例えるなら
形而上学の認識が原子模型の捉え方で
デリダの認識が原子雲の捉え方ってイメージ
解説書斜め読みしたみたいな粗雑で陳腐な理解で原書読みに絡んでるやつがいんのねw
さいきん現象学絡みの本でM・アンリの名前をよく聞くようになったけどデリダとの関係はどうなの
456 :
考える名無しさん :2012/10/15(月) 14:13:33.15 0
>>454 まあ、原書読めば理解できるってわけでもないからなw
原書読んだから俺が一番理解してるっていう、原書バカも結構いるし。
457 :
考える名無しさん :2012/10/15(月) 14:14:55.74 0
>>452 譬えをいくら重ねても役には立ちそうもない。
458 :
考える名無しさん :2012/10/15(月) 14:22:43.66 0
読めるだけではしかたない。 フランス語で書け、といいたいが、 フランス語やドイツ語などで書いても、労多くして、見返りは乏しい。 だから、楽して英語で書けば良い。
459 :
考える名無しさん :2012/10/15(月) 14:28:23.59 0
>>458 そういうの、デリダがすごく批判したらしいよ。
日本人は日本語で書くべきだ、と言ったらしい。
負け犬の遠吠えが小気味いいなw
461 :
考える名無しさん :2012/10/15(月) 14:31:15.39 0
462 :
考える名無しさん :2012/10/15(月) 16:00:27.50 0
日本列島を一歩出れば、日本語の出来る人は、 万人に一人ということになる。 フランス語、ドイツ語、スペイン語、などはそうではない。 たとえば、フランス人がフランス語で書けば、英語圏の知識人で読める人はたくさんいる。 しかし、日本語はそうではない。 柄谷はたしか、デリダに反論したはずだ。あんた、日本をとりまく事情を全然分かってない、といったことを。 あるいは、別のところで、そういった「全然わかってない」的なことを言ったかもしれない。 この辺りは記憶が定かでない。
463 :
考える名無しさん :2012/10/15(月) 16:37:33.90 0
>>462 柄谷が反発したのは確かだが、かみあってはいない。
柄谷は理念としての言葉は知識人なら国際的に共有できると思っているが、デリダは思考と言葉のずれを探すことが理念の根拠になると考えている。
いわば自分の中の身体化した言葉と思考との格闘が重要だと思っている。
そのあたりのことが、このスレのここ数日の議論でもあるだろうし、柄谷が、デリダと相いれないところでもあるだろう。
464 :
考える名無しさん :2012/10/15(月) 17:32:41.63 0
>>463 柄谷は英米哲学の方が向いてるな。
しかしデリダにしろドゥルーズにしろ、
現代思想のスレは議論よりもどっちがより知識があるかって話になりやすいね
フランス現代思想って誰かが何かを言ったら、 いやそれは違うお前は勘違いしているそういう意味じゃないって 延々無意味な議論を無内容な用語で言い続けるものだという偏見がある やっぱりフーコーだけかな残るのは
>>466 フーコーは実証的だし社会学として価値があるからな
ドゥルーズもデリダも残りはするけど、
100年後にはフィヒテやシェリングのようなポジションになってそう
フーコーは実証研究では結構批判されているけど着眼点自体はすごいし 方法論や文章は論理的で明晰だから批判や検証に耐えるんだよね ほかはその人一代限りの(文)芸みたいなもんだから発展させようがない
ハァ? フィヒテは本物の哲学者だよ 単に「古典」として哲学学研究できない それが都合が悪いから哲学学者はフィヒテにまともに取り組みたがらない
>>469 誰もフィヒテを貶めてはいないが
それともデリダにフィヒテほどの価値はないってこと?
デリダにフィヒテほどの価値はないよ デリダについて語ろうとする人間はいくらでもいるが、 フィヒテについて語ろうとする人間はほとんどいない そのことが逆説的にフィヒテのアクチュアリティを示している
472 :
考える名無しさん :2012/11/10(土) 09:21:21.58 0
>>471 >フィヒテについて語ろうとする人間はほとんどいない
>そのことが逆説的にフィヒテのアクチュアリティを示している
これはさすがに無理があるだろ。
逆説としても、まったく論理として成り立っていないよ。
フィヒテとシェリングを侮るのは、ヘーげリアンと分析哲学両方の悪影響 カント先生だけでいいとなる
>>472 "Elephant in the room"って知ってる?
>>473 フィヒテはともかくシェリングは
ぼくのかんがえたかがくに根差した思想体系だからまじめに取り組む気になれない
それカントもヘーゲルも一緒じゃん
478 :
考える名無しさん :2012/11/10(土) 23:28:35.04 0
>>474 知らないから教えてくれ。
そして、そのことわざがフィヒテのどういうところに当てはまるのか、具体的に説明してくれ。
くれ。 くれ。 だけ読んだ クレクレタコラ
>>471 語られないのは単にアクチュアリティがないだけだう。
単にクレクレタコラに存在価値がないからだろう
482 :
考える名無しさん :2012/11/11(日) 00:10:10.74 0
>説明できないなら、それでいいよ。 Elephant in the roomですね
フィヒテは十分語られてるだろ デリダも一世紀後に同じように語られるか否か
コペルニクスにアクチュアリティがある限りにおいて、コペルニクスの 研究にまともに取り組もうとする学者はほとんどいない。だれもが コペルニクスについて公に語るようになった時点でコペルニクスの 研究にもはやアクチュアリティはない。
486 :
考える名無しさん :2012/11/11(日) 09:13:02.52 0
>>483 あれあれ?
ワンフレーズしか言えない幼稚園児が出てきちゃったかw
487 :
考える名無しさん :2012/11/11(日) 09:27:25.80 0
>>485 君、それは逆だよ。
「アクチュアリティがある」なら、それがどういう方向であれ「まともに取り組」まざるを得ないし、「だれもが」「公に語る」。
「アクチュアリティ」がなくなったら、「まともに取り組」む必要もなくなるから、考古学的な知識として語られる。
その時代に意味のあるものであれば地層のように次の時代に組み込まれていく。
ただの独自の研究であれば忘れ去られていく。
なぜそうじゃないと言い張るんだ?
歴史研究についての誤解があるんじゃないの
いや、常に現状を肯定する開き直りでしょう
すでに常識となってわざわざ考察の対象にされないものと センセーショナルで活発な議論の対象になっているもの 内容について評価するならともかく、 こんな表面的な部分にかかずらっても無駄でしょう 時間の洗礼を受けてるぶん前者には大抵それなりの価値があるものだけど フィヒテはカントを批判しヘーゲルに与えた影響と、 さらにヘーゲルがそののちの哲学に与えた影響とで 哲学史の内部で間接的な評価を受けているにすぎない気がしないでもない
まあしかし、フィヒテレベルをバカにするが 他に全く名前も忘れられているような哲学者は山ほどいるのだ
>>491 Elephant in the roomって知ってる?
いや、常に現状を肯定する開き直りでしょう
495 :
考える名無しさん :2012/11/12(月) 09:50:59.79 0
>>493 >>494 小泉風ワンフレーズの方が気が利いてる分だけマシだな。
もう少し頭を使えよ。
その頭じゃ帽子の台にもならないぞ。
言葉の戯れがすぎるな いくらデリダスレだからって
500 :
考える名無しさん :2012/11/14(水) 17:43:52.67 O
決定不可能性、それは希望! シュミラークル、公理系からの可能性! 逸脱の可能性! 生のコンテクストを意図的に消す!そして生の意味を横溢させる!逃走線と死とスキゾフレニアと物自体と可能性!
アスペは「どっちつかず」が耐えられないんだよ 存在するか、存在しないか2つに1つで、どちらか分からないなんて 「どっちつかず」はあり得ない。だから見えない部分は存在しない と本気で信じるか、見えてない部分まではっきり見えてる妄想的な 確信しかない
真正のアスペが権威のある地位におかれているのは偶然ではない。 アスペを権限のある上の立場において置けば、物事の「可能性を探ろう」 とする人間を徹底的に潰してくれる。これほど支配に都合のいいことはない。
503 :
名無しさん :2013/01/12(土) 22:24:36.29 0
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるか、
どこかの家の床下に埋められるか、ドラム缶に詰められて
大阪湾に沈められるかもしれへん。それで誰にも発見され
へんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
http://www.shimamotocho.jp/ikkrwebBrowse/material/files/shimamoto_iti_map.pdf
504 :
考える名無しさん :2013/01/18(金) 04:02:50.73 0
叢書・ウニベルシタス 989 散種 ジャック・デリダ:著, 藤本 一勇:訳, 立花 史:訳, 郷原 佳以:訳 四六判 / 654ページ / 上製 定価:5,800円 + 税 ISBN978-4-588-00989-1 C1310 [2013年02月 刊行] 『グラマトロジーについて』『エクリチュールと差異』『哲学の余白』と並 ぶデリダの初期代表作、待望の全訳! 〈書物〉の円環を破砕する「書物外」 、ロゴスの真理を転覆させるパルマコン(薬/毒)としてのエクリチュール論 「プラトンのパルマケイアー」、マラルメの詩学に形而上学の脱構築を見出す 「二重の会」、ソレルスのテクスト機械に接ぎ木する「散種」の四篇が織りな す、書物ならざる書物の到来。
505 :
考える名無しさん :2013/01/19(土) 07:13:56.69 O
署名 出来事 コンテクスト
だからポエム板でやれって
507 :
考える名無しさん :2013/01/29(火) 10:42:00.30 0
ポエム : 真という概念の外部にいる 哲学 : 真という概念の内部にいる
違うんじゃないかな。喩えを用いると、円周を求めるのに、 ポエムは円の内側から近似し、哲学は円の外側から近似する。 真の円周が求めらたとき、ポエム=哲学となっている。
その説明がすでにポエム
だから、哲学は外側から円周の見当をつけるのに内側から 近似するポエムを参照するが、ポエムを真似ることはしない。 ポエムも同様に哲学を参照することはあっても、哲学を 真似することはない。そうした真似をする哲学やポエムは どちらも似非哲学、似非ポエムにしかならない。
512 :
考える名無しさん :2013/01/29(火) 16:31:25.21 0
ある人はポエムを「喩」のことだと思ってるし、ある人は哲学の定義は「喩」としてしか語れない。 もう少し何とかならないものか。
ポエムは、喩によって具体性を把握して、表そうとする。 哲学は、喩によって具体性から一般性に近づこうとする。
514 :
考える名無しさん :2013/01/29(火) 16:46:56.51 0
「大海の磯もとどろによする波われてくだけて裂けて散るかも」(実朝) これも「喩」かな?
良質なポエムだよな
エミー・マランスと12組の足 | Video on TED.com
http://www.ted.com/talks/lang/ja/aimee_mullins_prosthetic_aesthetics.html アスリート、女優、活動家であるエミー・マランスが12組のすばらしい義足について、さらに義足がエミーに与えたスピード、美しさ、プラス15cmの身長などのスーパーパワーについて語ります。とても分かりやすく、人間の身体の可能性を再定義します。
A record-breaker at the Paralympic Games in 1996, Aimee Mullins has built a career as a model, actor and advocate for women, sports and the next generation of prosthetics. Full bio »
Poetry matters.
詩が大事。
ポエムは音韻学 音韻学は科学
519 :
考える名無しさん :2013/02/14(木) 16:23:43.98 O
デリダの何が優れてるのかわからん 脱構築ってとどのつまりはヘーゲル的弁証法と同じ思考法じゃん 名前をカッコよくつけたつもりになってるだけでただの先祖帰り
弁証法と脱構築が同じって、どんだけ適当なんだよ・・・
にわかヘーゲリアンがデリダ読むとそういう感想になる
あと、分析哲学から嫌われる哲学者代表の二人だから、 どっちも似たようなものだろ、という発想もあるな
概念つくることが哲学と思ってる典型例
分析哲学は哲学ですらないからな。 日本で分析哲学を代表すると見られてる人間さえ、 自分は分析哲学などやってるつもりはないという のだから、救いようもないし、救う必要もない。
郵便(笑) 散種(笑)
「脱構築」は「パラドクスの提出とその解決」という形で分析哲学の手法として定着してる気がする。 彼らにとっては息をするようにあまりにも当たり前のような手法なので、 わざわざ名前をつけて担ぎあげるほどのものだと思ってもらえないんでないの。
527 :
考える名無しさん :2013/02/15(金) 09:40:22.36 0
>>526 >「脱構築」は「パラドクスの提出とその解決」
なのか?
そうだと思うなぁ。 フッサールに対しても、フーコーのデカルト論に対しても、 フランス流だろうけど、デリダも「パラドクスの定期とその解決」やっている。
529 :
考える名無しさん :2013/02/15(金) 09:53:33.40 0
>>528 解決なんかしてないというか、そもそも解決を目指してないだろ?
この場合「解決」というのは「読み換え」だよ。
531 :
考える名無しさん :2013/02/15(金) 10:01:52.60 0
>>530 「分析哲学」というのは、「読み換え」が「解決」になるのか?
分析哲学見てると、 「パラドクスの解決」ってのは、結論を出すんじゃなくて、 問題を違う解釈の道具で読み換えて問題消しちゃうんだな。 んでパラドクス自体はある体系の問題をさぐる道具として使われてる。 やってることはかなり「脱構築」的。
533 :
考える名無しさん :2013/02/15(金) 10:50:43.51 0
クリプキの懐疑的解決のことか?
535 :
考える名無しさん :2013/02/15(金) 11:02:35.36 0
ウィトゲンシュタインの私的言語批判やクワインの論理実証主義批判はそうだと思う。 ある論理を厳密に追っていくことでパラドクスを見つけて、 それを起点に立場を逆転させる。 古典論理に対しての非古典論理も、 古典論理の体系を使うことでパラドクスを作って、 それを解決する読み換えの道具が非古典論理、ということだと思うし。
537 :
考える名無しさん :2013/02/15(金) 11:14:37.28 0
例えば「砂山のパラドクス」は古典論理が作るパラドクスだよね。 古典論理が二値原理の立場をとっているから、「砂山のパラドクス」が問題になる。 だから「砂山」は多値論理で解釈すべきだ、ということになる。 これはフッサール現象学が現前が一次的だから言語的アポリアが生まれる、 だから現前の形而上学をやめてエクリチュールが一次的であることを認めるべきだ、 という話と論法としてパラレルだと思う。
539 :
考える名無しさん :2013/02/15(金) 11:56:34.93 0
>>538 「砂山のパラドクス」は、ただの言葉の定義(使い方)の問題じゃないの?
基本は全てをクリスプな命題にしてしまう意味論に対する論理的パラドクスだと思う。 それも言葉の使い方の問題だ、と言って言えないことはない気もするけど、 あんまそう考える人はいないんじゃないかね。素養にもよるかもしれないが。
541 :
考える名無しさん :2013/02/15(金) 12:53:31.79 0
>>540 具体的に例示してごらんよ。
僕は素養がないから、具体的な例示がないとわからないんだ。
食い下がりたいだけみたいな人にそこまで親切になれないのでwikiで調べるなり自分で勉強してね。
543 :
考える名無しさん :2013/02/15(金) 13:07:53.69 0
>>542 なんだ、逃げるのかw
結局なにもわかっていないから、なにも説明できてないじゃないか。
もっともらしい言葉を並べるだけだと、ただの哲学用語バカ、に見えちゃうよ。
デリダだって読んだことがないのかも知れないけど、こんなとこで変な見栄張っても誰も褒めてくれない。
だいたい、見栄を張るのにも多少は「素養」が必要なんだw
見栄を張れる程度の「素養」を身につけてから、またおいで。
これでソクラテス気どりなのかしらないけど、 説明続けてればなにか単一の体系まで遡れると思うのは、 それこそ「説明」を勘違いしたがゆえの疑似問題なんだよね。 素養がないとこういう勘違いに陥るんだね、という感じだな。
545 :
考える名無しさん :2013/02/15(金) 13:20:29.79 0
>>544 そんなこと言ってるんじゃないよw
君が何一つ説明できてない、と言ってるんだ。
きみが説明を理解できないの間違いでしょ。
547 :
考える名無しさん :2013/02/15(金) 13:47:12.04 0
>>546 哲学者の名前や、哲学用語まがいを並べると「素養」のある人間なら何かわかるのか?
せいぜい、その言葉の使い方は間違っている、という答えが返ってくるだけだろ?
僕が素人で「素養」がないとして、(それはそれでその通りだがw)、そういう人間に対してすら、何も説明できないのは、君に「素養」も「知識」もないからだと思うよ。
デリダの講演がどれほど具体的でわかりやすいか、ヘーゲルの講義がどれほど微に入り細を穿って具体的に説明しているか、きっと君は知らないのだろう。
君には、遙か雲の上の存在かも知れないが、そのくらいのところを目標にはしてもいいんじゃないかと思う。
わかりにくいのが高級な哲学、だと思ってるのかも知れないが、そういうのは高校生ぐらいにしか受けないよ。
自分で書いていることが自分で理解できているかどうか、自問することが必要だよ。
フッサールの評価?なんて、噴飯物だぜ。
なんかの解説だけで理解した気になるのもいいけど、ちゃんと著作を読むのもいいもんだよ。
デリダさんのオリジナルな主張ってなんですか?
デリダさんのオリジナルな主張ってなんですか?
デリダさんのオリジナルな主張ってなんですか?
551 :
御子柴.A 宗光 ◆WalkyrieuQ :2013/02/15(金) 14:56:11.03 O
独創性を勘違いしている輩がいるようだが… これまで誰も言ったことがない,突飛な,オリジナルな主張をすることが 独創的だとは限らないよ
552 :
御子柴.A 宗光 ◆WalkyrieuQ :2013/02/15(金) 15:01:21.94 O
何はともあれデリダのスゴいところは 従来の哲学者たちを論理的‐存在論的脱構築だと一蹴して退け 新たに精神分析的‐郵便的脱構築へと移行しているところなんだよなぁ 哲学者としては目から鱗だよ
553 :
考える名無しさん :2013/02/15(金) 21:04:58.52 0
郵便的、ねえ
554 :
考える名無しさん :2013/02/15(金) 21:16:39.04 0
デリダの初期の代表作『グマラスカトロジー』か あれは面白いっていえば面白いけれど 自分の考えを主張するだけだもんなあ 批評家ならもっと対象テキストを忠実に読んで欲しいよね
555 :
考える名無しさん :2013/02/15(金) 21:25:37.31 0
薫り高いタイトルですこと。 お上品でらっしゃるのね。
『グラマーマススカトロ自慰』 こんなんで喜んでる奴はファロセントリスト
うーん、分析哲学的方法と脱構築を比較する話は面白くはあるんだけど アポリアから、前提自体を組み替える方向へ向かうって言うのは 分析哲学が、しばしばギリシャ哲学(プラトン)への親近感を示すように ソクラテス以来の方法論で、格別脱構築に類比するものでもないと思う というのも、もう一つの理由として、比較している人が書いているような 分析哲学における、 >だから「砂山」は多値論理で解釈すべきだ、 という段階は、厳密な意味では (デリダが自分自身の方法論をメタ的に定義する中には) 存在しないからなのだ
558 :
考える名無しさん :2013/02/16(土) 01:21:32.95 0
>>557 では金払ってまで2ちゃんねるやっているcattに質問したい
親近感というのは近親姦とは違う概念なのか?
脱構築というのは脱肛畜と変わらんような気もしないか?
脱構築みたいな考え方は従来の哲学史の中にあった? 否定弁証法とも違うし、スコラの反対対立の一致とも違う。 あえて言うなら現象学や懐疑主義のエポケーが近いかな。
郵便的(笑)
561 :
考える名無しさん :2013/02/16(土) 11:15:36.43 0
日本では東のあまり哲学史の知識のない図式的な解説で、ゆがんだ形で広がってしまったが デリダ自身は、自身のアプローチの「否定神学」との近さについては 長い間に渡って意識して微妙な距離を描こうとしている
人種的素質というのは、一つの神話である。しかもユダヤ人の 場合のように、現実には信者の集団にすぎないようなものに、 純粋な人種という概念が適用されることがあるが、その集団とは 地中海世界やトルコ・ハザル世界やスラブ世界からの寄せ集め なのであり、純粋な人種という概念そのものが荒唐無稽なのは 明らかだろう。[...]私は唯一、反ユダヤ主義者を前にしたとき 以外は、自分の出自を主張することは決していない。 マルク・ブロック 1940年
アルジェリア生まれのユダヤ人の脱構築の問いかけをよりよく 理解するには、ユダヤ人を脱構築することが不可欠だろう
いわゆるユダヤ人と呼ばれる人種は、ナチスに代表される 反ユダヤ主義とシオニズムによる共構築である。ユダヤ人 というアイデンティティに脱構築を適用すれば、「ユダヤ人 として呼びかけられた人間は、ユダヤ人としてその呼びかけ に応える応答責任がある」などという考えは間違っても出て こないだろう。
自分の出自を主張することは決していない。 × 自分の出自を主張することは決してない。 ○ マルク・ブロックはユダヤ教信者ではないので、この言葉は、 「反ユダヤ主義者からユダヤ人よばわりをされれば、自分の 出自を隠したり、否定したりすることはない」という意味に 過ぎない。
567 :
考える名無しさん :2013/02/16(土) 16:28:09.69 0
568 :
考える名無しさん :2013/02/16(土) 19:06:35.70 0
デリダは差延の論理を基に、フッサ−ルの時間論を導入した現在(過去把持−原印象−未来予持)の 概念に対して批判をしている。その内容は、「あらゆる価値の不動の源泉的領野」の「現前性」に対して、 過去を現在に取り込むことにより「現前化」と「再現前化」を隔てる境界が曖昧となり、「現在」は常に 先構成されていると述べ、その為に「不動の源泉としての領野」は成立しないと述べている。 しかし、「現象学的還元」は、事象としての、一切の先入見(既成概念)を排するとフッサ−ルは述べている。 であれば、これは初歩的な疑問だが、エポケ−(判断停止)に於いて、「時間概念」も判断停止されなかればならない。 従って、エポケ−後の「本質観取」の段階での「不動の源泉的領野」は、時間概念のないものとして存在すると定義される のが、正しい「現象学的還元」ではなかろうか。この点に関して、フッサ−ルは実際に彼自身が、現象学的還元を行う時は、 「学」としての主観をエポケ−から除外して、「客観的領野(世界)」のみをエポケ−しているのである。 現象学的還元による、「本質観取」の再構築で時間観念を、再導入するかと言う問題は出てくると思うが、エポケ−以前の 段階で「時間概念」を除外するのは、本来の現象学ではない事は、あきらかである。
ほんと無内容だな
などと意味不明な供述をしており
571 :
考える名無しさん :2013/02/16(土) 20:35:42.17 0
そうかなあ? 郵便的、よりはずっとマシ、だと思うけど?
>>568 いいと思うけれど、デリダは思考対象を《読む》力というか対象に関係なく暴走するでしょ
重要なテクストの根本問題ではなくてまず自分の考えがある
その考えに自分のエクリチュールを拡散させていくようなところがないかな
だから極端にいうと、面白いけれど勉強にならない、ような矛盾がおきる
はっきりいうとピントがズレているんだな
573 :
考える名無しさん :2013/02/16(土) 22:05:26.16 0
>>572 横だが、「ピント」をずらそうとしているのがデリダじゃないか?
言葉の襞みたいなものを次から次へと繰り出すことで、何か新しい概念が見つかるかも知れない、と思ってるだけだろ?
>しかし、「現象学的還元」は、事象としての、 >一切の先入見(既成概念)を排するとフッサ−ルは述べている。 >であれば、これは初歩的な疑問だが、エポケ−(判断停止)に於いて、 >「時間概念」も判断停止されなかればならない。 にもかかわらず、フッサールは、実際には今の特権化に支えられた現前性に基づく 時間概念を密輸入しているというのがデリダの主張じゃないの? 568氏が何を問題にしようとしているのか今ひとつ分からん。
>>573 まさに、そういうことを言おうとしているんだけどもね
デリダが対象テクストをピントをずらして読解し、それを文章にしている
このデリダのやり方で書かれた新たなテクストは、対象テクストとのまともな読解には
なっていないから
その対象テクスト本体を読むと愕然とする
デリダの読みと全く違うテクストじゃんっ、ていうね
だからデリダがちゃんと対象テクストを読めていたかは相当に怪しい
576 :
靖国参拝、皇族、国旗国歌、神社神道を異常なほど嫌う在日カルト :2013/02/16(土) 22:38:40.97 0
在日カルト宗教団体は、信者や敵対者に対して組織的な威圧、監視、嫌がらせを行い マインドコントロールしなければ組織を維持、拡張することができません そのため証拠を残さず、訴えられないように、集団で威圧、監視、嫌がらせを行う「ガスライティング」という手法が必要なのです 在日カルト教団がどのように信者のマインドをコントロールしているのか知って下さい [ガスライティング 集団ストーカー カルト]などで検索を! 外国人工作員が隠れ蓑にしているのはカルト宗教団体 10人に一人はカルトか外国人 .
なにがしたくてデリダを論じているのか不明だ
578 :
考える名無しさん :2013/02/17(日) 00:23:31.13 0
>>575 デリダ自身は十分に理解していただろうが、そのまま「普通」の解釈を提示することに価値を見いださずに、別の解釈を探ることで新たな「哲学」が可能になると考えた。
それが「脱構築」の発想の元だろう。
うまくいったとも思えないが、ほんのわずかに視点の解体にはつながっているのかも知れない。
とはいえ、その方法はフランス語限定だから、日本人が理解するのは無理なんじゃないかとも思う。
580 :
考える名無しさん :2013/02/17(日) 11:25:52.87 0
在日がどうのと言うコピペに感想書くのもなんだけど。 西欧人にとっては、国というのは生まれ故郷という程度の感性的な存在。 大切なのは国ではなく宗教的出会ったり思想的であったりするあり方の方が大切。 東アジア人にとっては、国というものが自分と一体化してしまう人もいるくらい、人に纏わりつく。 この違いを理解するのには、少し時間がかかる。 日本人はやっぱり東アジアの灌漑を必要とする農耕民族なんだと思う。 国というものを考えるときに、この違いを含んでおかないといけないだろう。
>>580 西欧と東アジアだと、歴史が違うんだから当たり前だろ?
とはいえ、「東アジア世界」という括り方で、中国人もコリア人も日本人も
みんな一まとめにして仲良くしてもいいものだが、現実にはそうはならない。
なぜかというと、その理由の一つは、東アジア世界はもともと中国という大きすぎる存在があって
周辺国に対する柵封体制を敷いていたからであって、かの足利義満ですら
明に対して朝貢貿易を始めたわけだ。そういう国家間のアンバランスさが元々あって
さらに現在のイデオロギー対立が絡んでくるから、「東アジア世界」の結束はむずかしい。
しかし西欧も第二次大戦以前はそういう雰囲気じゃなかったわけで、
近代における、主権国家体制が確立していく時期においては
たびたび国家同士のナショナリズムが対立し、数多くの戦争を引き起こしてきた
現代の「ヨーロッパ連合」的な考えも、一皮剥けば各国のエゴにまみれているような気がする。
人間はそう簡単には、変わるもんじゃないよ。
582 :
考える名無しさん :2013/02/17(日) 14:13:01.54 0
>>581 西欧の場合、戦争の原因は「国家同士のナショナリズム」ではなくて、共同体としての経済的な利害関係の対立の方が強い。
「ナショナリズム」の権化みたいなナチスも国家だけではなく、民族を標榜していた。
自民族と同じということを主張することで、経済的な利権である領土の拡大を図った、というように。
西欧の国家というのは、共同体の政治体制という程度の認識だろう。
国ではなく、宗教や思想や民族といった「理念」に強く惹かれていく。
だから王族がナショナリズムの象徴になることはないし、気楽に国も変える。
西欧での王族の変遷を見ればわかるだろう。
現代の一国民としてのデリダもその例に漏れない。
自分が政治的な「国」に所属しているのではなく、理念である宗教や思想やあるいは経済的な生活圏に所属している。
日本を含む東アジアでは、利害の対立がナショナリズムに絡め取られて真の対立点が見通せなくなる。
もちろん、日本全体を国として見るのは、明治以降のことになる。
今の日本の左翼ってマイノリティの民族主義は支援する感じなの?
584 :
考える名無しさん :2013/02/17(日) 14:47:44.28 0
>>583 民族主義を支援したりはしないだろ?
自分と自分の周囲を守ろうという自然な感性は大切にするだろうが、自己拡大的で排他的な感性は否定するだろう。
それは、マイノリティであるかマジョリティであるかに関係ないだろ?
マイノリティの支援というのは、マイノリティであることによる不利益を解消するというのが目的だから、民族主義とは無関係だと思うよ。
沖縄とかアイヌの民族主義は応援すると思うよ だから北朝鮮の民族教育もそんなに批判できない
586 :
考える名無しさん :2013/02/17(日) 15:21:53.30 0
>>585 それは民族主義じゃなくて、民族文化の保護と継承だろ?
北朝鮮は、民族統一を標榜する国家ナショナリズム。
国家ナショナリズムという点では、安倍政権や石原慎太郎と変わらない。
東アジア的な共同体と国家の一体化の一例にすぎない。
民族文化というのは、地域共同体の歴史の現れで、自己拡大願望を支配層に委託した国家ナショナリズムとはまったく異なる。
無思考によるものか意図的なものかは知らないが、民族と国家を混同する人が多い。
北朝鮮の体制を否定する左翼が少ないってのは事実じゃね 右派に同調することになると思って批判を差し控えている感じ
588 :
考える名無しさん :2013/02/17(日) 15:53:13.81 0
>>587 右派に同調することと北朝鮮の王族支配を批判することとは別だよ。
ただ、別の話だが、北朝鮮に対してはなんでも制裁で片がつくと思ってるような思い込みにはすごく違和感はある。
この数十年なんの効果もなかったというより、むしろ悪くなってる。
アメリカは北朝鮮に戦争やらせたいのかとすら思う。
拉致問題だって、制裁一辺倒で被害者の安全が守れるのか疑わしい。
制裁強化を主張する拉致対策は、逆効果だとしか考えられない。
そういう面から見ると、現在の対北朝鮮政策が日本の安全を守れるとは思えない。
必要なのは実効性のない制裁よりも、対話と外交だろう。
だんだんスレチになっちゃうが、デリダはフランスでは、日本で言えば在日朝鮮韓国人みたいな立場にあったわけだから、勘弁してもらおう。
>>582 いいや、西欧の諸国にもナショナリズムは普通にあるよ。
ナチスや極右勢力みたいな極端な例だけにとどまらない。
一般庶民レベルで普通にナショナリズムはある。
だけどそれは近代国家として当たり前のこと。
近代的国家(ネイション=ステート)の成員として持つ、当たり前の感情だ。
あなたの見方は物事の一面にしかすぎない。物事の一部を捨象して物を考えることは
間違った結論に到達しやすい。
590 :
考える名無しさん :2013/02/17(日) 17:47:18.56 0
>>574 >568氏が何を問題にしょうとしているのか今ひとつ分からない。
>568を自分なりに解釈をすると、「現象学的還元」が一切の先入見(既成概念)を排して、
純粋意識(不動の源泉的領野)へ至り、判断停止(エポケ−)の段階で、「時間概念」をも判断停止して、
本質観取される。この一連の思考過程より、「不動の源泉的領野」は時間概念のないものと、定義されるのが、
正しい「現象学」の在り方と>568氏は、述べているだと思う。
「不動の源泉的領野」に時間概念が無いのであれば、フッサ−ル的現象学(フッサ−ルは時間概念を導入している)
又、デリダ的現象学の現前性に於ける「差延」理論も、成立しなくなる。
一切の先入見(既成概念)を排して、「純粋意識(不動の源泉的領野)」へ至るのであるから、不確実性であるもの、
不動でないもの、疑わしいものは、「斥けられる」ものであり、動的な「時間概念」が、しりぞけられるのも「理」に
かなっていると思う。
591 :
考える名無しさん :2013/02/17(日) 18:23:07.62 0
>>589 あるとかないとか言っても水掛け論だな。
ひとつだけ指摘しておけば、近代的だろうが国家は生活や理念より優先されるものではない。
これは西欧だけではなく、ほとんど世界の人々の一般的な感覚だ。
一般庶民には、日々の生活が精一杯で、国という概念すら希薄な人々も非常に多い。
そして、それは正常な人のあり方だ。
国家などという政治体制に過ぎないものを、民族や文化と混同させて大衆に絶対視させようとしているのは、その国の利益を集中して搾取しているアジア的な支配層だ。
所属意識の一面に過ぎない国家に対する感性を、自己拡大意識に絡み合わせて愛国心なるものが喧伝される。
そんなものに絡め取られていれば、自身の思考が希薄になり、他者の思考に依存して全体主義に向かうほかはない。
特にアジアのナショナリズムというのは、いつでもその危険をはらんでいるし、それが日本の社会を滅ぼしたことも数十年前の事実だ。
>>590 >「不動の源泉的領野」は時間概念のないものと、定義される
デリダはそういうフッサールの定義をとりあえず受け容れた上で、
そうした定義が可能だとしても、フッサール現象学の基本概念の全体が、
現前を特権化した時間概念を暗に前提としなければ理解しがたいものになることを
逐一論証してみせた。
にもかかわらず、フッサール自身の定義を繰り返すのは、
デリダの批判の要点を捉え損なっている。
デリダはそんなことは百も承知。
実際、素朴に思うのだが、一切時間概念を排した現象学なんて想像できないな。
「いきいきとした現在」ってやつが入り込むからこそ、 現前の形而上学を免れないんじゃないの
594 :
考える名無しさん :2013/02/17(日) 19:07:22.85 0
>>592 フッサ−ル現象学とデカルトの超越論的領野は、同じ「純粋意識}を目指している。
その違いは「還元」と「懐疑」の違いにある。フッサ−ルは、現象学的還元は、
一切の先入見(既成概念)を排する(エポケ−)すると述べている。エポケ−すること
により「純粋意識」に至が、この「純粋意識」が、デカルトと同じ「超越論的領野」で
あるならば、“動的”な「時間概念」は、不確実なものとして排される訳です。
デカルトの述べている様に「純粋意識」の領域が、明晰で不動であり、疑わしさのない
領域であれば、一切の“動的”時間概念を排した「現象学」が正しいと解釈される。
>>594 結局、時間概念を排した「正しい現象学」は誰がどの論文で行なってるの?
それとも、誰も成し得ていない?
>>590 によれば少なくともフッサールにはそれができなかったようだが。
時間概念を排するのが正しいってちゃんと論文にすれば面白いんじゃねえのw
「定義が可能」とか言ってる時点でw
純粋さんの書き方だと「純粋意識」がres cogitans的に実体化されてしまっている それこそフッサールから最も遠い立場 エポケーは、ひとまずカッコにいれるだけで 不確定な要素を排除しようといったようなものでは全くない てか純粋さん、フッサール読んでないでしょ
「差延」が嫌いという一点から遡って組み立ててるんだろw
600 :
考える名無しさん :2013/02/18(月) 17:30:35.70 0
>>598 横で悪いんだが、相手を否定するなら、ただ違うとか遠いとか書くだけじゃだめだろ?
自分の解釈を具体的に提示しないといけないよ。
601 :
考える名無しさん :2013/02/18(月) 18:23:33.67 0
>>596 デカルトとフッサ−ルの目指した同じ超越的地点は、絶対的に不可疑なものとしての認識の
妥当性としての「不動の源泉(純粋意識」であり、その純粋意識(不動の源泉)とは、疑わしきもの、
不動でないものを、排した明証的な「構成的内在」です。 この「構成的内在」に於いて、本質観取が行われる
進行過程で、動的な時間概念が、導入されないと解する方が、本来の「現象学」ではないかと解釈される。
「時間概念」を分析すると、「時間概念」の基底となっているのは、「数字」であり、デカルトは、「数字」に
対して「疑わしい」として排している。当然にして「時間概念」も排することが、「理」にかなっていると思う。
むしろ、フッサ−ルが、自分で「一切の先入見を排する(既成概念のすべてを判断停止し宙づりにし、純粋な本来の
意識に立ち戻る)」と、述べていながら、「構成的内在」に於いて、何故「動的時間概念」を導入したのかが分からない。
本質観取から「本質記述」されたとしても「動的時間概念」は、再構築されないと捉える方が、正しい「現象学」と解釈される。
「動的時間概念」ていうけどさ、当たり前じゃないの? そもそも動的でない時間なんてあるのか? 時間に運動性がなかったら時間じゃないじゃん。 ただのトートロジーだよ。
603 :
考える名無しさん :2013/02/18(月) 23:01:01.20 0
>>602 「構成的内在」に於いて、「動的時間概念」が「不動ではない(不可疑でない)}ことが、
問題になっている。つまり、現象学的還元により、「構成的内在(明証的で不可疑な現象的意識)」
に於ける領域で、不可疑ではない「動的時間概念」は、「本質観取」が理論的に出来ないと述べているのでは
ないでしょうか。
>>603 そんな説明ではよくわからない。
フッサールのどのテキストを踏まえて言ってるの?
605 :
考える名無しさん :2013/02/19(火) 08:46:33.61 0
>>604 彼方は「構成的内在」を、どのように解釈しているのでしょうか?
いつものトンデモ工作員さんですね。ご苦労さまです。
607 :
考える名無しさん :2013/02/19(火) 10:19:04.17 0
>>606 どのレスを指しているのか知らないが、今のところは普通のやりとりだぞ?
横だけど。
608 :
考える名無しさん :2013/02/19(火) 10:20:07.45 0
609 :
考える名無しさん :2013/02/19(火) 10:55:18.17 0
>>608 読んでみたけど、トンデモ工作員、なんていう理由はわからなかったな。
一生懸命書いてる人は普通のこと書いてるし、ケチつけてる方はただ自分が理解できないことに反発してるだけのように見える。
当否は別だとして、
>>601 >>603 >>605 あたりがそんなに変なことを書いてるとも思えない。
相手を否定するなら、やっぱり自分の解釈を具体的に提示しないといけないんじゃないかと思う。
てか「動的時間概念」てフッサールのどの本で論じられてるの?
機械的唯物論者の別キャラだな 同時並行で2つのキャラを維持できないところに限界が表れてる
>>609 具体的に論じたいのなら、
現象学の概念は厳密なものだから、
フッサールのテキストに即して論じないと駄目。
ここでは誰もそれをやっていない。
613 :
考える名無しさん :2013/02/19(火) 16:22:57.61 0
>>612 それなら、まず君からそれをはじめればいいだろ?
他人にケチをつけるなら、自分がその根拠を示さないといけない。
フッサールスレでも、メルロポンティの引用は完無視みたいだったけど。
引用は長くなりすぎるおそれがあるから、当該部分の要約の方がいいかもしれないね。
念のため言っとくけど、横だから、僕に要求しないでね。
いまの議論の範囲では、ロム専だから。
陰謀論者と手口が同じなんだよな。 勝手な妄想を書き込んで、反論する人間には根拠を示せとか喚いて、 もとからまじめに議論する気などなく、議論を迷路に誘導する ことだけを目的としている。
615 :
考える名無しさん :2013/02/19(火) 17:24:02.82 0
>>612 フッサ−ルのテキストに即して論じると言うよりも、「現象学」の理論を主体として、
論じることの方が、重要ではないかと思う。 そして、「時間概念」を「本質観取」で、
導入するか、しないかは、それぞれの哲学的考察で異なってくると思う。
まず、「現象学」の中心的認識としての「構成的内在」の概念を明確にしないと、先に
進めないのではないかと思う。
616 :
考える名無しさん :2013/02/19(火) 18:21:28.60 0
>>614 >勝手な妄想を書き込んで
いる人と
>反論する人間には根拠を示せとか喚いて
いる人は別人だよ。
>>615 「時間概念」も「本質観取」も「構成的内在」も
フッサールの概念なんでしょ。それを無視して何を論じられるんだよ。
勝手な妄想なら、チラシの裏にでも書いとけ。
615を分かりやすくまとめると 「ぼくのかんがえた りそうのげんしょうがくを ろんじたい」 「だから フッサールとかどうでもいい」というお話 それなのにフッサールを論じているようなふりをするから 議論が全く成り立たない
619 :
考える名無しさん :2013/02/19(火) 22:33:14.20 0
フッサ−ルは、現象学の創始者であり、哲学を前提のない基礎の上に確立した現象学の 功績は、はかりしれない。しかし、完全な思想、哲学はない。 >615の「構成的内在(明証的な不可疑なる現象的意識)」と、「時間概念」に対する 整合性はどうなのであろうかと言う視点が、提示されるのは、現象学を研究する中で現れる 一つの論点であり、それに対してフッサ−ルはどの様に考察して来たのか、 それを論究し、 更なる「現象学」の構築を目指すのが、本当の意味での現象学研究で、あるのではないであろうか。
>>615 >フッサ−ルのテキストに即して論じると言うよりも、
と
>>619 > 一つの論点であり、それに対してフッサ−ルはどの様に考察して来たのか、 それを論究し、
は両立しないよ
621 :
考える名無しさん :2013/02/19(火) 23:10:59.55 0
横からだけど、フッサ−ルのテキスト云々、とか、言葉じりをとることではないでしょう。 このスレの「構成的内在」と「時間概念」の整合性を論ずることがテ−マではないではないでしょうか。
縦からだけど、フッサールを騙る人は毎回、同じことを書き込んでる だけで自己完結している。何か有益な議論をしようとする姿勢は皆無。 いくら問題点を指摘されても、同じ内容を繰り返し書き込むだけ。
623 :
考える名無しさん :2013/02/20(水) 00:21:21.38 0
ほらね。表向きのキャラを変えただけで、手口は機械的唯物論者と全く同じ。
625 :
考える名無しさん :2013/02/20(水) 10:51:03.77 0
626 :
考える名無しさん :2013/02/20(水) 13:07:54.07 0
>>592 「不動の源泉的領野」は、時間概念のないものと定義される。
デリダは、そう言うフッサ−ルの定義をとりあえず受け入れた上で、
そうした定義が可能だとしても、フッサ−ル現象学の基本概念の全体が、
現前を特権化した時間概念を、暗に前提としなければ理解しがたいものになる
ことをデリダは、逐一論証した。
>上記で、>592氏は、フッサ−ル現象学が「不動の源泉的領野」に時間概念が
ないと定義されていると述べている。このことは、私が「構成的内在(不動の源泉領野)」
に於いては時間概念は無いと言う論点と同じことを述べている。そして、フッサ−ル自身も
それを認めていると解釈できる。
ここで、問題となるのは、上記で「フッサ−ル現象学の基本概念の全体が、現前を特権化した
時間概念を前提としなければ、理解しがたいものとなる。と、記述していることです。何故、
現前を特権化した時間概念の導入が必要なのか、デリダは、時間概念の導入の必要性を逐一
論証したと記しているが、その論証とは、どの様な論理なのでしょうか。
627 :
萬ちょ :2013/02/20(水) 14:24:22.23 0
差異がなければ何も発生しないってデリダ自身が言ってるじゃん。 フッサールの言う何かが現前してくるために必要な時間上の差異構造も話は同じだよ。 デリダが問題にしてるのは「時間を越えて」現前してくるとされているものの特権的な身分の方。
俺様現象学はどうでもいいんだが、このスレではデリダの話をしろといいたい 声と現象のよくある適当な批判だけじゃなく「発生の問題」も踏まえるべき
>>626 >「構成的内在(不動の源泉領野)」
現象学的還元(エポケー)を経て「無時間的な」「不動の源泉領野」を構成する
という操作自体がまさに根本的に時間概念を前提とした操作なんだよ。
デリダの差延の論理はどこまでも「不動性」や「自体性」のようなものが
それ自体としては不可能であり、
時間的な差異に刻印された産物であることを示したものだ。
『声と現象』は一貫してこの話を扱っている。
だからポエム板でやれって
632 :
考える名無しさん :2013/02/21(木) 11:27:11.92 0
633 :
考える名無しさん :2013/02/21(木) 13:45:05.12 0
>>630 >「構成的内在(不動の源泉領野)」
現象学的還元(エポケ−)を経て「無時間的な」「不動の源泉領野」を構成する
という操作自体が、まさに根本的に時間概念を前提とした操作なんだよ。
>現象学的還元(エポケ−)は、“思考過程”を経て「無時間的な不動の源泉領野」に
至るが、その“思考過程”は、時間概念を前提としている。つまり、思考過程では時間の
進行はあるが、「不動の源泉領野(構成的内在)」の極点そのものは、時間概念のない存在
としてある。この概念は、デカルトの「超越論的領野(私)」と同じと思う。デカルトの
「超越論的主観(私)」も時間概念のない領野として認識されている。
>>633 君、デリダを読もうともしないで延々と自分の話してるよね
635 :
考える名無しさん :2013/02/21(木) 14:04:36.38 0
>>634 まあ、いいじゃないか。
フッサールはデリダの大きな軸のひとつなんだから。
その昔、江藤淳という評論家が「夏目漱石」を論じたときに、ぞうきんがけからはじめないと、下地が見えてこないぐらい時代が違っている、てなことを言ったような、言わなかったような。
「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」なんて言葉も有ったような、無かったような。
僕は、もう少し見ていたい。
疑問のある人は指摘すればいいよ。
>>635 デリダのフッサール論ぐらいは読むべきだろう
637 :
考える名無しさん :2013/02/21(木) 15:00:01.61 0
≫現象学的還元(エポケ−)を経て「無時間的な」「不動の源泉領野」を構成する ≫という操作自体が、まさに根本的に時間概念を前提とした操作なんだよ。 これはまったくそのとおりだろう。
638 :
考える名無しさん :2013/02/21(木) 15:16:34.56 0
>>636 『フッサール現象学における発生の問題』のこと?
高いし、行きつけの図書館にないし。
取り寄せてまで読むほどのものかどうかがわかってからにするよ。
それとも他の著作なの?
>>638 なら少なくともデリダスレにいるべきじゃないだろ
640 :
考える名無しさん :2013/02/21(木) 15:46:10.21 0
>>637 論点として浮上しているのは、「無時間的な不動の源泉領野」が、現象学的還元による
「構成的内在」に於いて、純粋意識としての「時間概念」が、あるのか、又、ないのか、
と言うところにあると思う。この「時間概念」の有無は、「現象学」の要諦である。
641 :
考える名無しさん :2013/02/21(木) 16:19:28.40 0
>>639 なんで?
デリダを批判してるわけでもないし、デリダについて特別なことを語ってるわけでもない。
いくつか読んだ著作の自分の理解が適切かどうかを確認しようとしてるんだぞ?
デリダについて偉そうに語ってるなら、そう言われても当然だが、なにか書くときは、デリダの書いてること限定にしてる。
君がデリダの全著作を読んでいるのかどうかは知らないが、他人になにを要求してるんだ?
誰かと混同してるのか?
半可通で自信がない人ほど 自分の貧弱な読みがおびやかされるとあわてて否定しにかかる
643 :
考える名無しさん :2013/02/21(木) 16:36:11.25 0
>>642 そうかい?
それなら、自分の読みに自信のある君が、堂々と自分の理解を書き込めばいいだけじゃないかw
「それなら自分が書けばいい」ってツッコミやめにしてくれない? 自分に跳ね返ってくるだけだし、不毛すぎるわ。
645 :
考える名無しさん :2013/02/21(木) 18:07:16.54 0
>>644 変なやつだなあw
他人を貶すだけで自分の考えを言わない。
それだけじゃなくて貶す理由も言わない。
いったい何のために書き込んでるんだ?
僕は初めから他人を貶してもいないし、自分の考えも書いていない。
他の人のレスにケチをつけたやつを、理由を書いて、たしなめただけ。
僕に跳ね返ってくるわけないじゃないかw
君も他人を貶すときは理由ぐらい書こうね。
いくら2chでもw
>>640 このスレで「時間概念はない」を主張している人は、
「正しい現象学による純粋意識に時間概念は存在しないべきである」という理念を繰り返しているだけで
なんの論証も行なっていないので、議論として成立していない。
>>646 反論自体が目的なんだよ、この人は
フッサールスレでも反論のための反論を書き込みがあるたびに繰り返して、おかげですっかり人がよりつかなくなった
おそらく自覚はないだろうけど、やってることは荒らしと変わらない
自覚はあるだろ、これ書き込んでるのと同一人物だからw ↓ 265 :考える名無しさん:2013/02/09(土) 23:28:53.41 0 どうも現象学関連のひとたちはわかりやすく説明をする能力に欠けているようだ。 273 :考える名無しさん:2013/02/20(水) 21:26:40.32 0 現象学がどれだけ不毛な学問なのかはわかったわ
649 :
考える名無しさん :2013/02/22(金) 08:58:11.83 0
>>646 時間概念が、あるのか又、ないのかと述べているので、反論自体が目的ではないでしょう。
この「時間概念」が現象学の要諦なのだから、時間概念の有無に対して皆んなで、有益な
意見を出しあえば良いのではないかな。
650 :
考える名無しさん :2013/02/22(金) 09:15:17.49 0
デリダは、1954年にベルギ−のフッサ−ル文庫で、フッサ−ルの晩年の遺稿を読んでいる。 青年期に現象学を深く研究していおり、その研究結果が「差延」の論理として創出してくる。 この、デリダの「差延」の論理は、現象学的還元を基底として導きだされており、時間顔念が その基底となっているのだと考えられる。
651 :
考える名無しさん :2013/02/22(金) 09:19:15.26 0
652 :
考える名無しさん :2013/02/22(金) 09:32:30.55 0
>>646 現象学的還元により「構成的内在」に至り、この「構成的内在」が不可疑な領域なのであるから
可疑的な「時間概念」は、導入出来ないのではないかと、>603で論証を述べている。
>>603 そんな説明ではよくわからない。
フッサールのどのテキストを踏まえて言ってるの?
654 :
考える名無しさん :2013/02/22(金) 10:18:38.82 0
>>653 彼方は、フッサ−ルのテキストにこだわっているけれども、勿論、フッサ−ルの種々の
著作を読み考察する事は、重要であるけれども、現象学に関する多くの哲学者の著作を読み
「現象学」の論理を中心とした総合的な考察が、最も必要なことと思う。私は、現象学を中心
として、メルロ=ポンテ、サルトル、レヴィストロ−ス、ハイデガ−その他現象学関係のすべての
哲学者に出来るだけ目を通し、現象学に対する総合的な考察をする様に心掛けている。
そこにデリダ入れないで一方的に叩くのって趣旨にそってねえよ 少なくともデリダスレでやることじゃない 散種の話しで盛り上がってると思ったらこれだよ
656 :
考える名無しさん :2013/02/22(金) 11:21:02.79 0
>>655 横だが、自分は「現象学的還元」と「時間概念」の関係の話はおもしろく見てるよ。
デリダの「差延」や「脱構築」にどうつながるのかを考えるときの視点の一つになりそうだ。
そんなに非難することとはとても思えないんだけど?
別にデリダ批判でもないし、なぜそんなにこの話がいやなんだろう?
>>656 面白いからもっとやれの人か
フッサールないし現象学のスレならいいが、
デリダに着地させるつもりのない長文は端的にスレ違いでしょう
俺はこの駄弁がデリダにつながるようには思わないので、
あなたがつないでくれ
横だが、と言いながら文体が全く同じなのは 単に意見がよく似た人だから、ということなのだろう
659 :
考える名無しさん :2013/02/22(金) 11:57:31.20 0
>>657 もし、デリダとつながらないと思うなら、「差延」や「脱構築」の由来がどこにあるのか、示す必要があるんじゃないだろうか?
僕は、それに何かを言うほどデリダを読んでいないが、フーコーなんかの歴史性を拒否した時代のとらえ方と、この「時間を止める」議論を、「巨視的な時間概念」と「微視的な時間概念」との対比として見てる。
その「止まっている時間」の微視的な動かしかたのひとつにデリダの「差延」があるのかな?、てなことを妄想して喜んでるんだ。
この見かたが適切かどうかは別として、まんざらデリダと無縁とも思えない。
660 :
考える名無しさん :2013/02/22(金) 12:00:53.63 0
>>658 >>656 だけど
>文体が全く同じ
短い文章で文体を分析するというのも難しいけど、そう見えるとしたら、読む側の問題かも知れないよ。
>>659 デリダを「読もうともしてない」から嫌なんだよね
読む気ないじゃんw
で、「現象学を誤解した駄目なやつ」という予断で裁いてる
>>654 >レヴィストロ−ス
現象学者じゃねーし。間違いのレベルが低すぎ。
もう少し勉強してから書き込めよ。
663 :
考える名無しさん :2013/02/22(金) 12:34:16.02 0
>>661 前にも書いたけど、デリダを「現象学を誤解した駄目なやつ」なんて思ってるわけじゃないよ。
高い評価もしてないけど。
現象学との関連で自分のデリダ評価が変わるかどうかはまだわからない。
このスレを見てるのは、これ以上、高い本を買う必要があるかどうかを判断したいというのも理由の一つ。
>>654 それは「現象学的還元により「構成的内在」に至る」ことが可能だということを
何の論証もなく前提としているという点で説得力がない。
665 :
考える名無しさん :2013/02/22(金) 13:29:01.00 0
話しをそらすようで悪いのだが、 「声と現象」を読んだ限りでは、デリダのフッサール批判(時間を巡る議論)は、 ウィトゲンシュタインの直観主義論理批判とひじょうに似ていると思うのね。 たぶん、これは案外よくいわれているのではないか。 ウィトは、ブラウワーの影響を強く受けているわけだが、しかし最終的には 「直観主義はたわごとである、完全に」(数学の基礎) というようになった。 ≫現象学的還元(エポケ−)を経て「無時間的な」「不動の源泉領野」を構成する ≫という操作自体が、まさに根本的に時間概念を前提とした操作なんだよ。 こういうにいたるウィトの論の筋は、ほとんど同じことだと思うのだ。 つまり、「時間概念を前提とする」は、「古典論理的な大枠を要する」 と同じことだと私は思う。 ちゃんとわかっているわけではなく、まるで漠然としているんで、なにも説明できないのだが、 補足してくれる人がいたら、してください。 そうしてくれるとありがたい。
666 :
考える名無しさん :2013/02/22(金) 18:18:07.18 0
>>662 レヴィ=ストロ−スは、フランスの高等学校で、メルロ=ポンティとサルトルと学友であり、
メルロ=ポンティの親友でもあった。レヴィ=ストロ−スは、メルロ=ポンティとの親交の中で、
現象学の影響を受けており、「構造人類学」の中に「知覚の現象学」としての論理を確信させる
ような科学的知見を発見したとメルローポンティは、述べている。このメルロ=ポンティは、
1939年にル−ヴァンに赴いて、フッサ−ルの遺稿を閲覧している。
667 :
考える名無しさん :2013/02/22(金) 19:32:37.57 0
>>665 >操作自体が、まさに根本的に時間概念を前提とした操作。
>上記の「時間概念を前提とした操作」に対して、>>633で「思考過程」と「不動の源泉領野」
との、時間概念の有無について記述しているけれども、この「思考過程」では時間の進行はあるが、
「不動の源泉領野(構成的内在)」には、時間は存在しないと言う捉え方をどう解釈していますか。
668 :
考える名無しさん :2013/02/22(金) 19:34:44.87 O
正直にレヴィナスの書き間違いって言えばいいのに。 レヴィストロースの構造主義ほど現象学的方法論から遠いものはない。
669 :
考える名無しさん :2013/02/22(金) 19:36:22.42 0
>>666 いやそれメルロ=ポンティが構造主義の影響を受けたっていう話なんだが
レヴィ=ストロースが現象学の影響を受けたんじゃなくて、その逆
めちゃくちゃ有名な話じゃないか
仮に知らなくてもレヴィ=ストロースとメルロ=ポンティの著作を読み比べればわかるだろ
670 :
考える名無しさん :2013/02/22(金) 19:56:11.84 0
数学的直観 ──フッサール現象学と数学の哲学── 貫 成人 ついいましがた、この論文(検索すれば出てくる)などを読んだのだが、 これまでの自分のフッサール像が、 随分と偏見に満ちたものだったと思った。(なにしろ私は、熱心な読者とはいえないので) 過去にも、ある論文を読んで、「フッサール像」が、 だいぶ変化したことはあるので、二度目の体験だ。 どうもデリダの批判が的外れなのではないか、というような気もしてくるな。
気分で叩くなよw
実のところ、晩年のメルロ=ポンティは、フッサールの現象学より フィヒテの知識学の方にずっと親和性があると思う。 メルロ=ポンティ自身がフィヒテの著作から直接に影響を受けたか どうかは別にしてね。レヴィ=ストロースの表立った影響は ほとんど認められない。「ヒューマニズムとテロル」を書いた 初期の頃にみせた素質をその後、哲学者として発展させられなかった のは残念なことだと思う。その方向に進もうとすれば、確実に 潰されただろうから仕方ないと言えば仕方ないが。
673 :
考える名無しさん :2013/02/22(金) 20:14:36.06 0
デリダを叩いているわけではなくて、 ある種のフッサール像への批判としてはよいが、 フッサールにもいろいろな「顔」があり、 だから、日本では、あまり一般に知られていない?「フッサール像」に対しては、あまり関わないのじゃないか、 ということだね。 これはウィトゲンシュタインのフッサール批判などにも おなじことがいえるのではないか。
>どうもデリダの批判が的外れなのではないか、というような気もしてくるな。 デリダの批判が的外れというより、フッサールの現象学にある迷いを極めて 偏った仕方で一方向に誘導して解釈しようとする力が強く働いているんだと思う。 現象学との絡みでフィヒテがほとんど検討されないことも、そうした力の 働きが関係していると思う。
その路線でフッサールスレを盛り上げてくれ
>>672 『行動の構造』でメルロ=ポンティ自身がさんざん言及してるのにレヴィ=ストロースの影響は認められないんですか
そうですか
『行動の構造』にレヴィ・ストロースの影響なんてないんだが。 ゲシュタルト心理学と勘違いしてないか、
デリダは「ある種の現象学」には批判的だったが、 晩年のメルロ=ポンティの現象学にはむしろ共鳴していた。 デリダが「偏ったフッサール現象学の解釈」ではなく、 フィヒテの知識学を批判の対象に選んでいたら、どのような 批判ができただろうか。
679 :
考える名無しさん :2013/02/22(金) 21:22:24.64 0
680 :
考える名無しさん :2013/02/22(金) 21:23:31.42 0
ジャン=リュック・ナンシーを論じた触覚は現象学回帰っぽかった
682 :
考える名無しさん :2013/02/22(金) 22:04:59.84 0
>>679 現象学の要諦である「本質観取」での、「時間概念」の有無のことでしょうか?
ほんと無内容だな
684 :
考える名無しさん :2013/02/23(土) 11:12:34.00 0
>>682 そんな本格的なことじゃなくて、レヴィ=ストロ−スがメルロ=ポンティから影響を受けたのか、メルロ=ポンティがレヴィ=ストロ−スから影響を受けたのかという、どうでもいいような話のこと。
685 :
考える名無しさん :2013/02/23(土) 11:30:36.06 0
>>684 自分で言い出しておいてどうでもいいはないでしょう
あとあなた自演がばれてないって本気で思ってるの?
自演、とか外れることも多いし、あんまり決めつけなくても 要はスレが2chにしては有意義に進行しているかどうかで 推し量るべきか、と。 個人的には皆しっかり学問してるなあ、と思い感心しています
687 :
考える名無しさん :2013/02/23(土) 14:03:36.64 0
>>682 構成的内在に於ける「本質観取」の状態が、「時間的概念」があるのか、又、ないのかを
明確化するには、まず、フッサ−ルの「現象学的還元」の思考プロセスを明確化にしなければ
ならない。
「現象学的還元」とは、フッサ−ルも述べている様に、一切の先入見(この世のすべての事象)を
一旦、宙吊り(括弧に入れる)にして、その一切の先入見(既成概念)を判断停止(中立化)する。
この一切の先入見には、当然に「時間概念」も入る。全ての「既成概念」が取り除かれた後の「意識」が、
「純粋意識」であり、この「純粋意識」を明証的で不可疑な領域としての「構成的内在」と定義されている。
「本質観取」とは、「構成的内在(純粋意識)」で起きている意識現象の本質を抽象することです。
この「本質観取」の進行過程で、始めに宙づりにした「既成概念」も解放される。
問題は、「構成的内在」で、解放された「既成概念」の中に「時間概念」も含まれている。
「構成的内在」とは、上記の進行過程より、皆さんも解るように、「構成的内在」の領域は、
不可疑(疑いの一切排除された世界)な領域です。その世界に可疑なる「時間概念」が、
入ったとしても、相反するものであり、排除されるのが真理であると思う。この視点に対して
皆さんはどの様に思いますか。
688 :
考える名無しさん :2013/02/23(土) 15:23:25.83 0
>>685 あれあれ?
なんでも自演に見えちゃうようになったら、お風呂にでも入って気を静めてきた方がいいよ。
君と意見が違うのは一人だけじゃないと思う。
もっとも、僕はちょっと不自然な流れを指摘してるだけで、なんの意見も書いてないけど。
待望の散種邦訳のレビューはよ
690 :
考える名無しさん :2013/02/23(土) 15:26:15.33 0
>>687 僕もその意見に反応したいんだけど、さすがにデリダに近づくまでにはかなりの距離がありそうだ。
僕はやめておく。
>「構成的内在」の領域は、不可疑(疑いの一切排除された世界)な領域 それはつまり、存在しない領域ですよね?
存在が表れる前提として非存在が想定されるのだから、 その関係において非存在が存在することにはできないでしょう。
非存在が存在するなら、その存在を現象学的還元しなければ ならないのだから、非存在の存在を非存在化しなければならなくなる。 ハイデガーですか?
694 :
考える名無しさん :2013/02/23(土) 15:58:32.93 0
もっとさかのぼって、否定の否定、ということではないか。
>不可疑(疑いの一切排除された世界)な領域 点は時空間の「どこにでも存在する可能性がある」が、 「どこにも実在せず、実在することは不可能である」。 実在する点は、距離を測る、時間の経過を測る、位置を知る、 時点を知るという行為との関係においてしか表れないのと 同じこと。点そのものを分離して実在するものとして 扱おうとすることは不毛だ。
696 :
考える名無しさん :2013/02/23(土) 18:23:05.68 0
>>691 「構成的内在」の領域は、不可疑(疑い一切排除された世界)な領域
それはつまり、存在しない領域ですよね。
>一切の既成概念を排して(取り除く)、既成概念の取り除かれた「意識領域(純粋意識)」は、
可能とフッサ−ルは述べており、現にフッサ−ルは、この「構成的内在」より、本質観取をし、
本質記述をしている。しかし、この「構成的内在」に於いて、フッサ−ルの場合は、時間概念を
導入している訳です。
>現象学を深めていくと、誰しもが抱く論点に突き当たる。それは>687でも述べているが、
「構成的内在」が「明証的で不可疑な領域」であり、「時間概念」の基底が「数字」で構成されており、
「数字」そのものが、「可疑性」そのものであるからです。従って、数字を基底とする「時間概念」は、
「不可疑な領域(構成的内在)」と相反する。 だから、本質観取の思考過程で「時間概念」が除外されるのは、
本質と考えられるのであり、フッサ−ルが、「構成的内在」に時間概念を導入したのは、間違いではないかと言う
論理が成立してくる。
>>696 ベルクソンのように、時間は量化可能なもの(数字)ではなく
質的な持続だっていう立場はどうすんの
698 :
考える名無しさん :2013/02/23(土) 19:36:10.23 0
だんだんデリダから遠くなってない?
だから警告したのに調子に乗らせるバカがいるせい
700 :
考える名無しさん :2013/02/23(土) 20:02:15.31 0
>>700 たぶん止まらないしデリダにも戻らない
別スレで「哲学学」叩きしてるから、竹田青嗣あたりの読者で、
おそらくデリダには偏見を持っている。
自演の次は撹乱作戦ですか?まったく同じパターンの繰り返しですね。 哲学学を批判しているのは私ですよ。
703 :
考える名無しさん :2013/02/23(土) 20:25:12.43 0
>>701 ふうん。
でもこの流れ自体が、哲学「学」に見えるな。
本人たちは真剣なのかも知れないし、おもしろい議論もあるけど、それが社会的にどういう位置にあるのかということをまったく自覚していない。
デリダだって、それを自覚しちゃったからこそ、必死に「言葉遊び」も活路を見いだそうとしたんじゃないかな。
フランス現代哲学は、いつでも現実との関わりを忘れない。
サルトルもメルロ=ポンティもフーコーもドゥルーズも。
そこが日本の学校哲学者と違うところだろうな。
『散種』(叢書・ウニベルシタス)ジャック・デリダ (著), 藤本 一勇 (訳), 立花 史 (訳), 郷原 佳以 (訳) 税込価格:6,090円 ジャック・デリダの初期代表作を全訳。 “書物”の円環を破砕する「書物外」、マラルメの詩学に形而上学の脱構築を見出す「二重の会」、 ソレルスのテクスト機械に接ぎ木する「散種」など、全4篇を収録する。 ★買うでないぞ!!★
705 :
考える名無しさん :2013/02/23(土) 20:44:17.62 0
>>704 文庫になったら買ってもいいかな。
1000円程度なら。
現実との関わりを忘れないというか、 フランスは批評家が哲学書を読む文化が強くて、 「論壇の事情」みたいなものを鑑みざるをえないだけじゃね。 その辺については苦情も多いよ。
リセで哲学必修だから、教養の一部になってる 苦情も何も…
ハッキングがフーコーを読んで言うには、 「不必要なポジショントークが多くて悪文だけど、結構いいことを言っている」というもの。 批評家向けのポジショントークがなければもっとよかったということ。 ブルデューもフランスでは批評家向けのポジショントークがフランス的悪文を生んでることを認めている。
709 :
考える名無しさん :2013/02/23(土) 21:13:44.29 0
>>706 方向が違うんだ。
サルトルはマルクス主義の運動家だった。
メルロ=ポンティは幼児教育の研究にも力を注いだ。
フーコーは監獄闘争の指導者の一人だった。
ドゥルーズも精神病を深く追求しようとしたし、最後はマルクスに傾倒した。
「論壇の事情」というのがどういうことか知らないが、もっと現実社会に近いという意味だ。
>>708 それ自体が英語圏向けのポジショントーク。
ハッキングはフーコーにもっとコミットしてるけど、
ソーカル事件以後、明晰さに譲歩した物言いをするようになってる。
711 :
考える名無しさん :2013/02/23(土) 21:35:52.41 0
712 :
考える名無しさん :2013/02/23(土) 22:18:26.57 0
>>697 現象学の可疑性と不可疑性は、超越的存在なので、ベルクソンの「量的時間(空間化された時間)」と、
「質的な時間(意識の流れ)」の領野を通徹している。だから、質的な時間(意識に於ける純粋持続)の
領野の於いても「可疑性」、「不可疑性」を内包している。
713 :
考える名無しさん :2013/02/23(土) 22:20:50.59 0
714 :
考える名無しさん :2013/02/23(土) 23:05:06.11 0
デリダとフッサールの関係を、 ヒルベルトとゲーデルの関係になぞらえるのは、 日本論壇のかつての流行だった。これは、私としては、的を射たものだったと思う。 ところで、フッサールは自らの「多様体」論を、ヒルベルト的公理主義になぞらえていた と思うのだが、そのフッサールに由来するというドゥルーズの「多様体」論のほうについては、 デリダは何か言っているのだろうか? 詳しい人がいたら、教えてちょうだい。
715 :
考える名無しさん :2013/02/24(日) 14:13:18.16 0
>>696 「構成的内在(純粋意識)」に、「時間概念」が無いは、論理として成立しているのでしょう。
もし、時間概念が構成的内在にないとしたら、今までとは異なる「現象学」となる。
それは、本来のあるべき「現象学」へ戻ったと言うことなのでしょう。
フッサ−ルは、学問としての「学」に固執しすぎたのであろう。 この点に関してフッサ−ル自身が、
「十分な根拠から、私達はこのエポケ−の全般性を“制限”する。なぜなら、もしこのエポケ−(判断停止)が、
およそ可能な限り包括的なものであるなら、いかなる定立、従って、いかなる判断もまったく自由に中立化(宙吊り=
括弧に入れる)され、…‥中立化されない判断の為にはもはや、いかなる余地もないことになり、ましてや「学」に
至っては言うまでもないからである。 ところが、私たちが目指しているのは、まさしくある新しい学的領野の発見に
関わるものなのである。(ID、1,56)」と述べている。
本来あるべき姿の「現象学」が、フッサ−ルの「学」への確執によって、「構成的内在」への時間概念の導入へと
なったのでしょう。
実際、デリダによる批判に対して現象学者側からは具体的にどういう応答があったの?
717 :
考える名無しさん :2013/02/24(日) 14:41:53.18 0
ブラウアーやワイルにとって数学的命題や数学的対象は あくまでも構成手続きに応じて生成変化する「時間内存 在」だが、フッサールにとって数学的対象は超時間的、 あるいは遍時間的存在である。(貫成人「数学的直観」)
718 :
考える名無しさん :2013/02/24(日) 14:49:36.26 0
715さん、 どんな「学」に関してでもいいから、何か具体例を示して。
719 :
考える名無しさん :2013/02/24(日) 15:44:42.04 0
>715で述べている「学」とは、一般的な全学問(種々の哲学、科学、経済学、その他)を 指していると思うよ。
720 :
考える名無しさん :2013/02/24(日) 15:50:31.18 0
それは分かる。 できれば、物理学を例にとって、説明してくれると ありがたいな。
721 :
考える名無しさん :2013/02/24(日) 16:23:03.91 0
722 :
考える名無しさん :2013/02/24(日) 16:29:24.51 0
例としては、諸学の中で、一番分かりやすいんじゃないかと思って
デリダは物理学をさほど重視してないだろう もともと文学の現象学をやりたかったんじゃなかったか
724 :
考える名無しさん :2013/03/03(日) 10:55:38.13 O
散種、例によって訳分からない書き方
仏語分からずに 散種、読破した人いる?
だからポエム板でやれって 散種立ち読みしてなおさらそう思ったわ
>>726 ちゃんと読んだか?
現代プラトン論の古典である「プラトンのパルマケイアー」も入ってる。
この板でなんら問題ない。
プラトンって書けば哲学になると思ってるだろ
哲学史が哲学だと思ってるんだろ。 そんなのヘーゲルで終わりだって。
哲学史の勉強「も」哲学だろ。歴史を知らずして学問を語るなかれ。
>>730 そんなのはヘーゲルで終わりだって書いといただろ?
哲学史をいくらお勉強しても、哲学の再生にはならない。
だがハイデガー・ガダマー・デリダはそうした
>>734 なにも反論できずにヒステリーかよw
君には哲学など語る資格は、まったくないよ。
>>735 歴史を学ぼうとする謙虚さをもたない奴に語るべき哲学などないよ。ここはお前のくるところではない。
解釈学的循環と、そこへのデリダの応答は『散種』の重要なテーマ
>>736 エラソーになにほざいてるんだよw
その謙虚に学んだ結果を披露してみろよ。
デリダだって哲学史的哲学になにも見いだすことができなかったから、自分で言葉遊びの迷宮に入り込んでいったんだよ。
740 :
考える名無しさん :2013/03/04(月) 01:05:35.60 O
言葉遊びが脱構築につながるの?
>>740 本人はそう信じてる。
7割ぐらいだろうが。
哲学史は踏まえた上で投げ出すもの それも上級者の話だよ 踏まえないとどっかのコメディアンまで哲学者になる
>>742 またまた、エラソーにw
哲学史をきちんとやったら一生かかるよ。
哲学史を勉強して成果が得られるのは、やっぱり哲学史。
学校教師の世界。
それは哲学じゃない。
それは他人の考えをならべたものに過ぎない。
哲学は積み重ねることなどできないし、流れもない。
一人一派。
その中で、どうでもいいようなものもあれば偉大なものもある。
それだけのことだ。
>>743 それ哲学って言葉途中で都合よく自分だけの定義してる
個の実存性みたいなのが哲学なら他人をエラソーとか言うのもおかしいな
745 :
考える名無しさん :2013/03/04(月) 15:22:53.28 0
>>744 個の実存性ってなに?
そして、それがなぜ哲学なの?
746 :
考える名無しさん :2013/03/04(月) 16:28:46.85 0
>哲学は積み重ねることなどできないし、流れもない。一人一派。 そんなことなら、哲学書など読まずに、座禅でも組んでろw
実存としての個ではなく、一般化された個人が主流の経済学や 政治学のイデオロギーの基礎にあり、それが米国流の個人主義に よって美化されている。だが、これはあからさまな矛盾の隠蔽だ。 なぜなら、一般化された「個人」は、実存としての個でも、 他と比較されない尊重されるべき「個性」の代表者でもなく、 量化された単位に過ぎないからだ。個や個性は数えることがで きないが、個人はまさに1人、2人と数えられることを特徴とし、 さらにはマンパワーや投票権として1.5人や2.3人などと存在している。
×投票権として1.5人や2.3人などと存在している。 ○選挙権として1.5人や2.3人などとして存在している。
749 :
考える名無しさん :2013/03/04(月) 16:48:56.18 0
>>746 座禅となんか関係があるの?
やっぱりなにも語れない妄想哲学愛好家なの?
750 :
考える名無しさん :2013/03/04(月) 16:53:30.32 0
751 :
考える名無しさん :2013/03/04(月) 17:26:57.04 O
資本主義というより民主主義でしょ。
752 :
考える名無しさん :2013/03/04(月) 17:37:12.01 0
>>751 資本主義における民主主義な。
個人間の政治的平等を装うことで、個人間の経済的不平等を隠蔽する。
>>746 >一人一派
>そんなことなら
実はここに極めて重要な哲学的問題が潜んでいる。
哲学は自らが考えるしかないものでありながら、その自らは
「個人」として1人、2人と数えられる存在ではない。
だが、それと同時に、その自らを措定しなければ、
1つ、2つと数えることもできない。
754 :
考える名無しさん :2013/03/04(月) 18:13:22.53 0
>>753 個人は個人。
歴史や社会の影響を受けている人間の思考があるだけ。
思考に人間や歴史や社会や個人があるんじゃなくて?
756 :
考える名無しさん :2013/03/04(月) 18:44:07.46 0
>>755 思考そのものはいかなる意味でも個人から離れることはない。
思考それ自体が独立して幽霊のように渦巻いているわけでもない。
個人は、他の個人やの思考や、共同的な感性や、社会的な生活によって影響されている。
もちろん歴史という意味での生活環境や、家族との関係のありかたによっても、その思考や感じ方は限定を受ける。
その自分への様々な影響を知ることが、哲学と言えば哲学。
社会の歴史や経済、自分の家族の成り立ち等を、自身の利害を離れて把握することから始まる。
>>754 哲学が個人に属すると考えてる点がいかにも浅はかだな。
集団的思考もあるし、同一人物でも分裂した思考がある。
一個の哲学なり思考なりは、一人の「個人」と重なるわけではない。
そういうことを疑うことから哲学は始まる。
758 :
考える名無しさん :2013/03/04(月) 19:11:31.06 0
>>757 そんな妄想で「哲学」など振り回すから、周囲から疎んじられるしバカにもされるんだよ。
集団としての思考であろうと、自分の中での分裂した思考wであろうと、それはその個人の中にしかない。
その個人がいなければ、その個人の思考などあるわけないだろ?
くだらないこと疑ってないで、自分が被っている影響でも探ってみろよw
>>758 だから、個人という単位を疑ってみろよ。
「影響」なんていう言葉も哲学的にそうとう怪しいし。
それすらできないから、哲学史の意義もわからず、
一人で空回りしてんだよ。
760 :
考える名無しさん :2013/03/04(月) 19:28:21.62 0
>>759 君は自分がいなくても、その思考や感性だけが幽霊みたいにその辺をさまよってると思ってるのか?
君は、自分がなにか考えたり感じたりすれば、それが他人に以心伝心で何かが伝わるとでも思ってるのか?
個人という単位を疑うということはそういうことだ。
人がなにかを考えただけでものが動くわけじゃないのと同じように、考えたことが自然に他人に伝播していくわけでもない。
伝わるのは、なんらかの表現をしたときだし、同じ考え方や感じ方が他人にもあるのは、歴史的な同時代としての偶然だ。
哲学的な言葉だの哲学史の意義だの、いまどき高校生でもまともに取り合ってはくれないぞw
空回りは君の方だということに気づかないところが、君の衒学趣味だし、学生気分の抜けないところだ。
エラソーに振る舞ったからといって、他人は感心してはくれないよ。
761 :
考える名無しさん :2013/03/04(月) 19:48:17.48 O
火ここになき灰
そうやって自分の常識を他人も受け入れて当然のものと 感じている限り、哲学とは無縁だよ。なぜ、わざわざ 哲学板に来て書き込んでるのか不明だが。
>>762 なんの内容もなく、哲学だの哲学じゃないのとW
そのほうがよっぽど、
>なぜ、わざわざ哲学板に来て書き込んでるのか不明
だよW
一応、自分のことを言われてると自覚してるんだなw 個人ってのは、個体をそれなりに「人間」として等価な 単位と見なす概念。そうした見方だけが自然で疑いの 余地のないものとする根拠はどこにあるのか? そういうことを考えるのが哲学というもの。
何と何が等価って?
>>764 君が自分の無内容さを自覚していないことは、よくわかった。
なにが根拠だよw
怖くてアンカーもつけられないくせにw
無知なだけじゃなくて、もちろん論理もないのに、ポーズだけ哲学愛好者ぶるところがみっともない。
少しは恥を知れ。
それとも君の哲学辞典には、恥、という言葉はのってないのか?
そんな安物の哲学辞典は安物の哲学史と一緒に古本屋に売ったほうがいいよ。
1冊10円ぐらいで引き取ってくれるかもしれない。
無知とか、論理とか何を言ってるんだろう? 君が哲学と無縁なことがバレバレだよ。 哲学は知識の蓄積でも、論理学でもない。
>>767 そうか、君が無知なだけじゃなくて論理もないことは認めるのかw
少しは自覚してるんだなw
無内容なのは相変わらずだが、君は哲学書も読んだことがないんだろうな。
読まずに書くなら自分の考えだけを書いておけ。
哲学史などという言葉を使いたいなら、ヘーゲルぐらいは読んでからにすることだ。
くだらないレスに付き合うのは、これで終わり。
そういうことが言えるのは、少しはくだることを書いてからだな。
770 :
考える名無しさん :2013/03/05(火) 15:27:48.17 0
田中康夫 温家宝の手法を踏襲しているね。BS11「田中康夫のにっぽんサイコー!」に 出演してもらった遠藤誉が言うには、実は胡錦濤も2002年に総書記になった直 後、『人民日報』論説主幹だった馬立誠に「日本はもう十分に謝罪したので、 これ以上の反日は止めよう。狭隘なナショナリズムは日中双方にとって良くな い」と「対日新思考」の論文を書かせた。ところが1992年から始まった愛国主 義教育に洗脳されている若者が「売国奴」だ「国賊」だと罵倒して、馬は左遷 され、胡錦濤も親日路線を表面上、捨てざるを得なかったとね。
771 :
考える名無しさん :2013/03/05(火) 16:18:44.62 0
772 :
考える名無しさん :2013/03/06(水) 02:09:15.65 0
773 :
考える名無しさん :2013/03/11(月) 14:34:04.37 0
>>690 デリダは、1986年にエルサレムで行われた講演で「いかにして語らないか」の中で、
「Xと呼ばれるもの(テクスト、エクリチュ−ル、痕跡、差延、婚姻=処女膜、代補、毒=薬、
パレルゴン、等々)は、これでもあれでもなく、感覚で捉えうるものでも、知性で捉えうるものでもなく、
肯定的でも否定的でもなく、内でもなく外でもなく、能動的でも受動的でもなく「現存するものでも、不在の
ものでもなく」、中性ですらなく、止揚(アウフヘ−ベン)の可能性がないので第三項(ジンテ−ゼ)へと
弁証法の過程をたどることさえ出来ない。 従ってそれは、外見とは違って概念でもなく名称ですらない。」と
述べている。
上記で、「現存するものでも、不在のものでもなく」と述べているが、この「現存」とは、「現前(現前性)」の
ことであり、「現前性(現前化)」は、フッサ−ルの「生き生きとした現前」と同じである。 デリダはここで、
時間概念を、現存(現前性)するものでも、不在(過去)のものでもなく、と、述べているのではなかろうか。
であるとすれば、デリダは時間概念(現前性)を肯定でも、否定でもないと述べているのであろう。
774 :
考える名無しさん :2013/03/12(火) 22:07:59.68 0
775 :
考える名無しさん :2013/03/13(水) 14:07:11.83 0
>>773 デリダ、ハイデガ−、メルロ=ポンティ、フッサ−ルの哲学には、「時間概念」が、
中核となって思想展開をしている。現象学的還元の思考過程に於いて、構成的内在と、
形相的還元としての「本質観取」の概念の違いは、どこにあるのでしょうか。
てにをはがおかしいのはなぜ?
777 :
考える名無しさん :2013/03/14(木) 19:26:07.69 0
>>775 「構成的内在」とは、超越論的還元によって、「一切の既成概念」を宙吊りとし、判断停止(エポケ−)を
して、可疑的な事象を取り除き、不可疑的な純粋現象に至る。この純粋現象が「構成的内在」である。
この「構成的内在」は、不可疑的領野なので、当然に「時間概念」は無い、無時間的な領野である。ここで、
素朴な問題が生じてくる。それは「構成的内在」で、可疑的な既成概念が解放されても、「可疑的既成概念」は
すべて排除されるのではないか。 そうすると、可疑性を含む現実的な論理は、「構成的内在」に於いては再構築
されないので、「学」として構築されないのではないかと言う問題が、生じてくる。
「構成的内在」は、現象学的還元の於ける、一過程としてある。つまり、「構成的内在」から次の「形相的還元」へと進む。
この「形相的還元」で、主観と客観との一切の既成概念を、「宙吊り」として判断停止(エポケ−)をする。それにより、
主観と客観の「未分化の領野」に至る。従って、「未分化の領野」に於いては、可疑性の事象と不可疑性の事象が合一した
状態であるので、この「未分化の領域」にて、本質観取が行われる。この段階(本質観取)で、「宙吊りとしていた既成概念」が、
解放され、パ−スペクティヴとして再構築され、本質記述が行われるものと解釈している。
てにをはと、主語述語の関係が同じようにおかしいのはなぜ?
779 :
考える名無しさん :2013/03/15(金) 08:54:36.63 0
いいじゃないか、自演でも自演じゃなくても。 要は中身の問題。
781 :
考える名無しさん :2013/03/17(日) 20:17:22.62 0
フッサール現象学における“超越論”の意味するものは 静態的なデカルトモデル(物体主義)を乗り越えるライプニッツ的な動的モデルの提示ということでしょう? で、この場合理念や概念といった悟性的世界把握は流動的で相対的なものになるが、 このような世界像の原基としてモナドを想定することによって 本来は流動的な世界把握に定点を置くことが可能になる。 そしてこの定点の導入によってカント哲学によって概念以前の知覚(感性)の分野に位置づけられていた 直観を認識の拠点を置くことができると主張しているわけですね。 ただこのような一種の科学哲学であるフッサール現象学がハイデガー経由でフランスに流入した場合 自然科学的な意味合いが抜け落ちて人文学的に了解されているわけで、 それがメルロー、レヴィナスそしてデリダの思想になっているとおもいますけどね。 まあ、メルローの場合はベルクソン的な流れもあるので一概に現象学と位置付けうるわけでもないし、 レヴィナスやデリダにはユダヤ教的な意味合いもあるでしょう。 簡単に言うと科学哲学がいつの間にか単なる哲学あるいは形而上学に変貌して その形而上学が自家中毒を起こしているような印象をうけるんですよね。
言葉の使い方が雑だよね フランス系の哲学は
テクニカルなだけの日本人よりまし
>ただこのような一種の科学哲学であるフッサール現象学がハイデガー経由でフランスに流入した場合 >自然科学的な意味合いが抜け落ちて人文学的に了解されているわけで、 メルロ=ポンティをこの流れの中に入れるとか 本当に読まずに適当な事を書いているだけだなあ…
フランス人より俺(たち)のほうが上だと思い込んでるバカは、 院生や教授にもたまにいて驚く
786 :
考える名無しさん :2013/03/18(月) 13:44:43.01 0
>>781 ライプニッツのモナドロジ−(単子論)は、当時の大陸哲学であるデカルトの実体二元論(精神と物質)
より創出した存在論と認識論、それに対峙するジョン・ロック(イギリス経験主義)のデカルト批判との
対立を回収する試みとして、ライプニッツ哲学が提唱されている。
モナドとは、自然に於ける真のアトム(これ以上分割し得ない事物を構成する最小存在)であり、
これが宇宙に於ける真の存在者であるとする。従って、モナドは物質的な最小実体ではあるが、
同時にモナドは表象(知覚に基づいて意識に現れる外的対象の像)を有している。 つまり、魂として
類比的に捉えられた存在者としてある。 それ故に、モナドは自発的に世界全体を自己の内部に映し出し、
世界全体を認識するとともに、その内部に多様性と変化とを認めることが可能となる。
現象学とライプニッツ哲学との相異は、「予定調和」という概念が現象学には無いことです。現象学の場合は
すべての既成概念(主観と客観)を、形相的還元によって取り除き、事象の源泉的次元である「未分化の領域」へ
到達するので、モナド(単子=最小の存在)が「未分化」の存在としてあるのと、同じ次元と解釈される。
このモナドロジ−(単子論)は、現象学の間主観性(相互主観性)に通底している。
メルロ=ポンティは、フッサ−ルの現象学の遺稿を、第二次大戦の戦禍から守った人物であり、フランスへ
新しい哲学としての現象学を提唱した人でもある。メルロ=ポンティは、フッサ−ルの後期の発生的現象学を
深く研究しいる。その結果、メルロ=ポンティの現象学はフッサ−ルの「知覚」分野を中心とした存在論的(身体性)
な傾向の強いものとなっており、ハイデガ−にもその傾向がみられる。
反現象学工作が成功しているかどうかエポケーしてみますか?
788 :
考える名無しさん :2013/03/18(月) 19:20:04.19 0
>>786 メルロ=ポンティとハイデガ−はまったく「傾向」が違うだろ?
ほかは、どうでもいいことばかりだな。
789 :
考える名無しさん :2013/03/18(月) 19:42:33.69 0
>>788 フッサ−ルの「認識論」に対して、メルロ=ポンティとハイデガ−は、「存在論」の立場にある。
メルロ=ポンティは「身体性」を基底として自己を実存的(存在論)に捉えている。又、ハイデガ−にもその傾向が
みられると言うのは、フッサ−ルの「認識論」に対して、「世界−内−存在」として、「存在論」として捉えていると
言う意味である。
現象学は基本的に存在論含んでるから 存在論含んでるか否かってレベルで共通点導いてもほとんど意味ないよ
791 :
考える名無しさん :2013/03/18(月) 20:33:43.22 0
>>789 メルロ=ポンティの実体としての「実存」と、ハイデガ−の空想の「世界−内−存在」は全くの別物だよ。
>>789 イデーンさえ読まないから「フッサールは認識論だ」なんて言っちゃうんだよ。
793 :
考える名無しさん :2013/03/18(月) 23:37:14.24 0
ハイデッガー 「(エピステーメを主導するということは)哲学がという意味でに於いてでしたら、もはやできません。 従来の哲学の役割を今日では諸科学が引き受けていま。(中略)哲学は個別科学へと解体します」 インタビュアー 「そして今何が哲学の地位を占めているのですか」 ハイデッガー 「サイバネティックスです」 (「形而上学入門」所収「シュピーゲル」のインタビューから) 後期のハイデッガーがいいのは、上のような ある意味で「身も蓋もない」ところであって、 前期の「哲学」はさほど重要ではないと思うのだ。 ところが、前期のイメージのほうが非常に強く、いまだに影響も大きい。
794 :
考える名無しさん :2013/03/18(月) 23:42:05.30 0
↑平凡社ライブラリー「形而上学入門」の所収のインタビュー
>>793 それじゃ、エンゲルスそのままじゃないw
自分が書いてきたことは、全部くだらない戯言だったって、わかったのかな?
796 :
考える名無しさん :2013/03/19(火) 01:02:15.79 0
エンゲルスとは全然違うな。 ハイデガーは、哲学の役割を引き受ける諸科学が 形而上学なのだといっているんだから。 そして、その主導的なものが、サイバネティクスである、としているのだ。
>>796 >従来の哲学の役割を今日では諸科学が引き受けて
>哲学は個別科学へと解体します
この引用どおりなら、
>哲学の役割を引き受ける諸科学が形而上学
なんて言ってないじゃないかw
サイバネティクスというのはコンピューターの元祖?ウィーナーの提唱したやつだよ。
ウィーナーなんて、形而上学からはもっとも遠い実用的なシステム方法論じゃないの?
>実用的なシステム方法論じゃないの? 実用的?「複雑系」とかと同じで、ほとんど何も言っていないようにしか見えないが。 >通信と制御と統計力学の問題を機械も生物も含めて一括して研究する学問と定義された。
>>798 「実用的」というのは具体的な事実や動きを、どうすれば模倣や制御ができるかを考えるということ。
だから「形而上学」とは全く無縁の思考方法。
800 :
考える名無しさん :2013/03/19(火) 11:19:49.70 0
なんで赤旗嫁厨がデリダスレにくるんだ いくらなんでも予備知識なさすぎるだろ ハイデガー・デリダ的には、オント−テオ−テレオロジーの流れにある思考が形而上学なのだから、 サイバネティクスは、ハイデガーの時代では、形而上学の最新型ということになる。
>>800 >オント−テオ−テレオロジー
なんだそれ?
いつの時代でも、
>サイバネティクスは、ハイデガーの時代では、形而上学の最新型ということ
になんかならないよw
勝手な決めつけも、もちろん自由だけど、それは哲学者としての敗北か哲学の放棄をあらわすだけ。
ほんとうは、ハイデガーも自身のくだらない循環思考に飽きただけじゃないの?
「サイバネティクス」を「情報工学」と言い換えても何も 失われるように思えないし、「サイバネティクス」という用語 を使っても、何も特別に規定することになるように思えない。 情報の工学的操作をカルト的に表象する語でしかないのではないか?
803 :
考える名無しさん :2013/03/19(火) 15:25:21.16 0
>>792 >「フッサ−ルは認識論」なんて言っちやうんだよ。
>フッサ−ル的現象学は、「内在−超越」構図を基本として理論構成がされている。
この「内在−超越」の考え方は、内在(主観)のうちで対象(客観的領野=超越)が、
いかに「定立」されるか、或いは「再構成」されるのかと言う仕方で考える。
従って、客観的事象を内在のうちで「世界確信(内在的意識)」として捉えるので、
フッサ−ルの提唱する現象学は、認識論(意識を主体として理論)として解釈される。
>フッサ−ル的現象学に対して、
>>777 さんが述べている様に、本来の現象学として、
「形相的還元」より一切の既成概念(主観と客観)を宙吊りにし、判断停止(エポケ−)をして
「未分化の領域」から本質観取となれば、「内在−超越」構図は消滅することとなり、現象学は
その内に認識論と存在論を内包することになると解釈される。
804 :
考える名無しさん :2013/03/19(火) 16:44:35.48 0
↑は明らかに正しい。 フィヒテ〜ヘーゲルのドイツ観念論の達成について 知っている人と知らない人との考え方がかみ合わないのは 哲学板の不幸の最大のものの一つだろう。 803さんは、それに反論した人の考え方の限界を把握しているが、 反論したほうの人は、そのことを知らないのである。
どうでもいいけど、そういう議論は、それで具体的な現実がどう 理解できるのかって考察との間と往復を繰り返さないと何の 意味もなさないよ。
との間と× との間で○ ついでに言うと、ヘーゲルはフィヒテを理解できなかった というのが本当のところ
807 :
考える名無しさん :2013/03/19(火) 18:40:00.24 0
>>804 >>805 >フィヒテ〜ヘーゲルのドイツ観念論の達成について知っている
と
>具体的な現実がどう理解できるのか
具体的に書いてみなよ。
わざとかしらないけど、別人のレスを全部ごっちゃにして レスをつけて、どんなレスを期待してるんだろう
>>793 > ハイデッガー 「(エピステーメを主導するということは)哲学がという意味でに於いてでしたら、もはやできません。
> 従来の哲学の役割を今日では諸科学が引き受けていま。(中略)哲学は個別科学へと解体します」
> インタビュアー 「そして今何が哲学の地位を占めているのですか」
> ハイデッガー 「サイバネティックスです」 (「形而上学入門」所収「シュピーゲル」のインタビューから)
言いたいことは分からなくもないが、引用が恣意的すぎるよ
> 哲学は個別科学へと解体します
ここで解体する先の個別科学として例にあがっているのは
心理学、論理学、政治学だよ
日本語のニュアンスとしては「諸学問へと解体される」
810 :
考える名無しさん :2013/03/19(火) 20:30:42.53 0
>>808 わざとじゃないけど、「ヘーゲルはフィヒテを理解できなかった」というのが
>>803 や
>>804 と同じレベルに思えたからね。
まさか、フィヒテを唯物論だといってるわけじゃないだろ?
812 :
考える名無しさん :2013/03/19(火) 21:53:16.54 0
>>811 根拠もなくレベル認定するやつもバカだねw
「集合論」なんて無知晒すなよw
自己紹介乙
どこから「集合論」なんて出てきたんだ
815 :
考える名無しさん :2013/03/19(火) 23:00:31.61 0
すげえな哲学ってこんな不毛なことやってるんだ
一度構造主義を切り捨てて実存主義からやり直した方がいいと思う。
議論のレベルとか、不毛さでレスという要素を集合に まとめるんだから集合論じゃないの。
ああ、そういうこと… 確率的な立場をとるからという理由で「確率論」と呼ぶのと同じようなものか 数学関係ねえ
>ジープ教授は、. ミュンスター大学哲学の正教授であり、 >ヘーゲルの「相互承認」論の研究者と. して世界的に著名であるが 「ヘーゲルの初期フィヒテ批判はフィヒテの意図を正しく評価して いないし、内在的批判としては理解されえないと言ってよいと思います」 ジープ著「ヘーゲルのフィヒテ批判と(略」p.186
>>803 >フッサ−ル的現象学に対して、
>>777 さんが述べている様に
だからなんでいちいちこういうつまらない自演を混ぜるの?
こういうことするからあなたの発言が信用できなくなるんだけど。
>現象学は その内に認識論と存在論を内包することになると解釈される。
存在論含んでるって認めちゃうんだ
反現象学のための工作だから
わざわざこんなことしなくても 現象学もデリダもほとんど無価値ってことはみんなわかってるだろうになあ 実証生抜きの学問なんて芸術と同様趣味でやるべきものだ
825 :
考える名無しさん :2013/03/20(水) 09:58:19.29 0
826 :
考える名無しさん :2013/03/20(水) 14:10:06.66 0
>>824 芸術は人を感動させるが、フッサールもハイデガーも、ましてデリダも、社会人から見ればただのバカ。
>>803 フッサールが『イデーン』の最初のほうからずっと存在論について論じているのですがその点について何か一言。
828 :
考える名無しさん :2013/03/20(水) 16:28:58.76 0
>>821 >現象学は、その内に認識論と存在論を内包することになると解釈される。
>存在論を含んでるって認めちゃうんだ。
フッサ−ルの現象学は、主観的領野をエポケ−から制限し、客観的事象(世界の事象)のみ現象学的還元をしている。
つまり、すべての既成概念の中に「主観的概念」を除外して、判断停止(エポケ−)をしている。
その結果、本質記述に於いて、時間概念を導入したものとなっていると解釈している。
しかし、本来の現象学は、すべての事象を宙吊りとし、判断停止(エポケ−)をして、「源泉である事象そのもの」の
次元(すべての既成概念を取り除いた純粋経験の領野)に至ることを目指している。従って、現象学的還元によって、
客観的事象だけでなく、主観的事象も判断停止(エポケ−)するのが、本来の現象学の在るべき「姿」であると思う。
すべての既成概念(主観と客観)を判断停止(エポケ−)すると、 すべての既成概念を取り除いた状態としての
「未分化の領野」へ至る。この「未分化の領野」は、主観(精神)と客観(物質=身体性)が「同一」した領野であり、
一つのものが、二つの属性として現れる。 この「未分化の領野」を前提として考えた場合、認識論と存在論の本質は、
二つの属性(両義性)として現れると解釈している。
829 :
考える名無しさん :2013/03/20(水) 17:17:28.69 0
>>828 もういいよ。
デリダと関係ないし、どうでもいいし。
830 :
考える名無しさん :2013/03/20(水) 17:51:26.61 0
デリダの中核となっている「差延}は、現象学的還元で創出している。
831 :
考える名無しさん :2013/03/20(水) 17:58:08.18 0
830さんのいうとおりで、デリダと大いに関係あるな。 上に言う主客未分の「根源」的事態の再現は、 延々と引き伸ばされる、というのが、 デリダの重要な主張の一つなんだから。
832 :
考える名無しさん :2013/03/20(水) 17:59:44.85 0
到来が引き延ばされる、に訂正。
833 :
考える名無しさん :2013/03/20(水) 18:37:50.63 0
Shunsuke Yatabe @ytb_at_twt ある種の文章、例えばデリダのとかは、論理学をちゃんと勉強したら書けないだろう、 という気はする。一方で、フレーゲみたいな文章を書く人は論理学との親和性は高そう。… なんだかわからない人よりもイヤなヤツ(皮肉の名手)の方が向いている訳ですね…。
サールもデリダの様相概念の使い方はお話にならないと言ってたね。
>>834 東鴨倫太郎 @masayang2010
デリダが論理学をちゃんと勉強してないはずはない。
エコール・ノルマルの哲学教育をなめてはいけない。
837 :
考える名無しさん :2013/03/23(土) 03:34:13.96 0
それは日本の分析哲学系の人くらいは知っているだろう。 しかし、専門のロジシャンからみれば、たぶん、齧った程度、だろう。
憶測ばっか
839 :
考える名無しさん :2013/03/23(土) 03:59:51.14 0
だいたい、デリダのは論理学批判、それも大枠の批判なんだからな。 そもそもロジックをたっしゃに使いこなせる必要がない。
840 :
考える名無しさん :2013/03/23(土) 05:39:43.80 0
論理を批判するものの論理はでたらめでいいと。 なるほど
ジャック・ラカンも、ジャック・デリダも 同じジャックだから同一視していいと。
842 :
考える名無しさん :2013/03/23(土) 07:54:56.79 0
ししゃもが焼けたから論理学は間違っている。
>>834 分析哲学の専門家なのに、こういうやからが、フランス哲学の偏見を広めてるんだな。
こいつの名は覚えておく。
>>843 偏見じゃないだろ
フランス哲学に勝手に神秘性を見いだしてあがめ奉る人間の方がよっぽど害悪だ。
新興宗教と同じ
845 :
考える名無しさん :2013/03/23(土) 15:17:58.13 0
分析哲学は、その中核は、「論理実証主義と言語分析」であり、大陸哲学(フランス、ドイツ等)は、 「現象学」を中核としている。 分析哲学は、すべての事象を、「言語分析」を中心として科学的(論理的)に考察をすることであるが、 人間の意識、主観、自由意志、クオリア、ゲシュタルト的事象等を「命題化」から除外すると言う限界が、 科学的論理思考にあると指摘されている。この論理思考の限界を克服することを一つの目標として現象学が フッサ−ルによって提唱されたのであると思う。 「現象学」は、論理思考で除外されている「形而上学的命題(主観的意識、クオリア、神概念、等々)」の 命題を考察し、形而下学的事象(科学的領域)をも総合的に考察する。現象学が大戦後世界的に普及したのは、 デカルト以後における「論理思考」中心の世界観の「歪み」をフッサ−ルが気づき、論理思考と融和性のある 現象学を西欧哲学の流れに組み入れた事である。
こういう分析哲学についても、かなり古い教科書的知識しかないのに 大きな見取り図を書いたつもりの駄文を書いてる人は、いったい何がしたいんだろうか……。
教科書的でさえないような
Wikipediaの記事はReferenceやSee alsoで学習計画を立てるのには便利なんだけどね
>>844 デリダが論理学を知らずデリダの文章が非論理的であるかのような断定は
ただの偏見にすぎない。とくに初期デリダの現象学研究の文章は、
読めばわかるが、明晰そのものだ。ノルマリアンの秀才ならではの論理的文章。
それから「フランス哲学に勝手に神秘性を見いだしてあがめ奉る人間」は
デリダに対する偏見とは関係がない。仮にそういう人間がいたとしても、
デリダの責任ではない。それこそ論理的でない非難にすぎない。
>>849 そうは言っても、フランス哲学は現実を見ないスコラに戻っちゃったんじゃない?
デリダとか、ドゥルーズとか。
分析哲学のスコラ感は異常
>>849 デリダが非論理的とは一言も言ってない。
偏見があると言っているのではなく、ないと言っている。
俺がケチをつけてるのは、デリダにたくさんの文献を漁るほど高尚な価値があると思い込ませる信仰の方。
したがって、当然デリダに対する偏見というものとデリダに題する盲目的な信仰を論理的な等価なものとして扱っているわけではない。
一言で言えば、デリダを洗って出てくる意義そんなに大した物じゃないから、
どうしても興味があるなら解説書数冊で済ませるべきっていうことだ。
853 :
考える名無しさん :2013/03/24(日) 03:56:12.14 0
論旨にはおおむね賛成なのだが、 ≫ノルマリアンの秀才ならではの論理的文章 すぐに、こういう小役人の出来損ないみたいなことをいうから、 おフランス系知識人およびその予備軍は、 うんざりされるのだな。 私は、なにも冴えたところがないノルマリアンを見知っていた。 デリダは浪人しているはずだが、 たしか、その人は現役合格だったので、 デリダよりも「頭いい」はずじゃないのか。
結局ad hominemにしか叩けないあんたにうんざりだよ
855 :
考える名無しさん :2013/03/24(日) 04:19:03.08 0
ブルバキの主要メンバーなどは、 十六、七で高等師範学校に入っているだろう。 デリダは、二十歳すぎじゃないの。 だから、数学的構造主義の批判はできませーん、 だってブルバキの人達よりも頭悪いから、 と、い言うわけ?
>>852 >>834 >ある種の文章、例えばデリダのとかは、論理学をちゃんと勉強したら書けな>いだろう
これってデリダの文章は論理学を勉強しておらず論理学に無知だから、
非論理的な文章しか書けないという趣旨の文章に読める。
それと「フランス哲学に勝手に神秘性を見いだしてあがめ奉る人間
の方がよっぽど害悪」っていう議論は関係がないし、
そうするのはただの論旨のすり替え。
つまり、
デリダの文章は非論理的だというのはただの偏見で、
「〜に勝手に神秘性を見いだしてあがめ奉る人間の方がよっぽど害悪」
はなんにでも言える一般論にすぎない。
857 :
考える名無しさん :2013/03/24(日) 08:44:28.72 0
>それと「フランス哲学に勝手に神秘性を見いだしてあがめ奉る人間 >の方がよっぽど害悪」っていう議論は関係がないし、 >そうするのはただの論旨のすり替え。 だから、論理的に独立だって言ってるんだが。 わざと言ってるのか?
論理的に無関係のものを並べて印象づける、ただの印象操作だろ 選挙の演説でよく使う手法
>>844 は、
>>834 の見解が、偏見ではないと否定している。
つまり偏見ではなく、
>>834 が正しい見解だと言っている。しかし
二行目ではその理由なり関係する事柄なりが書かれるのかと思いきや、
突然「フランス哲学に勝手に神秘性を見いだしてあがめ
奉る人間の方がよっぽど害悪だ」などと関係のない話をしている。
まったく非論理なつながりによる文章。
「論理的に独立」で無関係と言いたいならそれを明示するような言葉
(接続詞「ところで」など)を最初からいれておくべき。
まあ、どこで学んだから、とか言ってる人にとっては、東大総長だった某フランス哲学愛好家が日本最高の哲学者だ、と言ってるのと同じだな。
861 :
考える名無しさん :2013/03/24(日) 12:33:45.58 0
神風特攻隊や人間魚雷は、陸大・海大出の秀才ならではの 論理的明晰的な作戦だった。陸大・海大の軍事作戦教育をバカにしてはいけない。 消費税率引き上げは、財務省エリートの論理的明晰的な判断に基づく… 東大病院は医療ミスをしない。なぜなら秀才医師の論理的明晰的な寝台に基づき… たいていこれですむわけだ。しかし、なんだか、結婚式の新郎紹介みたいであるな。 脱構築のように、本来はイデオロギー批判であるはずのものが、 広告代理店文化的なたんなる権威お追従主義になるのは、 このしゅのメンタリティーに原因するところも 大きいかもしれない?
862 :
考える名無しさん :2013/03/24(日) 12:34:33.78 0
寝台→診断
864 :
考える名無しさん :2013/03/24(日) 14:30:27.52 0
デリダは、既成ものの仕組みに対する「解体」と「構築」=脱構築論は、現代社会の在り方を 方向づける方法論として評価出来る。デリダの脱構築は、現象学を基底としているので、 当然、ウィトゲンシュタインのような「語りえるもの」としての、純粋な「論理思考」ではない。 現象学(差延)と論理思考を組み合わせているので、そのへんの違いを理解しなければならない。
865 :
考える名無しさん :2013/03/24(日) 23:05:11.86 0
まあ、要するにポエムなんだけどね。
>>864 > デリダは、既成ものの仕組みに対する「解体」と「構築」=脱構築論は、現代社会の在り方を
> 方向づける方法論として評価出来る。
おいおい、それじゃ誉めたことにならないよw
なにも言ってないのと同じだ。
>>863 哲学愛好者なのに、めんどくさいって、おもしろい人だねw
868 :
考える名無しさん :2013/03/25(月) 02:48:28.22 0
デリダは、哲学というものが、 ことごとく「何も言っていないに同じ」だということを 自ら示したのだから、 「何も言っていない」というのは褒め言葉だろう。
869 :
考える名無しさん :2013/03/25(月) 13:47:30.84 0
分析哲学系の人のおおくは 論理学が形而上学である、という ヘーゲル以降の(ある種の)「常識」を欠いているので、 話がかみ合わないのだ。 ヘーゲルの著書の題名をみればよい。 デリダはその線で批判をしているのだから、 そのそも前提が違うのである。
870 :
考える名無しさん :2013/03/25(月) 14:38:06.62 0
>>869 論理学が形而上学だとすれば、数学も形而上学ということになって、形而上学という概念自体が分解してしまうんじゃないかい?
871 :
考える名無しさん :2013/03/25(月) 14:47:15.84 0
《形而上学的真理の唯一の源泉は命令する(jubere)である。》(ドゥルーズ『ニーチェと哲学』) いわば数学は、形而上学的真理を成り立たせる命令の執行だろう。 そして、公理主義以降の現代数学では、複数の真理がありうる、 ということになるのじゃないか。
数学は、測量、天文学、物理学などの感知できる現実を捉えるための 手法と常に結びついて豊かに発展してきたわけで、単なる公理主義 の真理だけを相手にしていたのでは、数学は無意味なゲームに堕して しまうのではないか、というような趣旨のことをガウス賞を受賞した 伊藤なんとかいう数学者も言っていたと記憶している。 結局は、現実の認識を問題の中心に据える現象学に戻るしかない んじゃないかな。
873 :
考える名無しさん :2013/03/25(月) 18:47:03.54 0
ここまでの流れを見てちょっとブラックボックスの気持ちがわかった
874 :
考える名無しさん :2013/03/25(月) 19:00:24.15 0
なんでも哲学だの形而上学だのに結びつけないと、現実からの不安に耐えられないんだろうな。 やっぱり哲学愛好家は社会の害にしかならないなw
875 :
考える名無しさん :2013/03/25(月) 19:40:24.56 0
現実からの不安に耐えれないからではなく、社会問題にしろ、経済問題、TPPの問題にしても その本質を知らなければ、社会不安は増大する。この現実の課題に対する本質を知る為には、 総合学問としての「哲学」が、必要となる。
>>874 これが宗教ってもんだ。
外から何を言っても聞きやしない。
877 :
考える名無しさん :2013/03/25(月) 20:24:47.80 0
>>875 「哲学」が現実の問題を解決したことはないし、社会を動かしたこともない。
宗教やある価値観を前提とした「思想」は社会を動かすけど。
哲学が社会を動かすことに影響しないなら、歴史上、哲学者 と呼ばれるような人間が常に命を脅かされてきたのはなぜ だと思う?
879 :
考える名無しさん :2013/03/25(月) 21:25:13.48 0
>>878 常に、なんてのは被害妄想だけど、ただの犯罪者として扱われたんだよ。
戦前の日本も、ちょっと現実を書いただけで、罪に問われた宗教家、文学者、思想家は枚挙にいとまがない。
そのくらいのことは常識として、知っておいて欲しいものだ。
西欧では、宗教批判や反社会運動の罪に問われただけで、「哲学」の中身なんか関係ない。
だから、カントもハイデガーも平穏無事に国家の庇護を受けていた。
社会とぶつかることがあるのは「哲学」じゃなくて宗教と思想だよ。
880 :
考える名無しさん :2013/03/25(月) 21:48:56.54 0
命を狙われるような哲学者というのは、 政治家、宗教家、思想家、活動家、ジャーナリスト、 など、多数に影響を与えるような立場、 ようは扇動家としての顔を持っている人なのであって、 たしかに、ただ本を読んで、ひたすら思索に耽っているような人ではないな。
881 :
部外者 :2013/03/25(月) 22:42:58.22 0
なんつうか下の十数ページ見ただけだが2chの劣化ってここまで進んだんだな
882 :
考える名無しさん :2013/03/25(月) 22:55:30.59 0
どこから手をつけていいのかわからないぐらい支離滅裂だな
884 :
考える名無しさん :2013/03/26(火) 00:04:25.84 0
>いわば数学は、形而上学的真理を成り立たせる命令の執行だろう。 公理主義で真理を成立させてるのは命令というより、公理という宣言だろう 宣言はそれ自体、有意義であると認められることも、空虚で架空に過ぎない と考えられることもある。
886 :
考える名無しさん :2013/03/26(火) 13:32:05.62 0
公理系の正当性を云々するのは、 批評的にしかありないわけよ。 もといえば、気分でしかいえない、 あるいは、カンにたよるしかない、だろう。 分析哲学系の板住民は、そういうことが、よく分かってないのだな。 たとえば、ワルラスの一般均衡定理は、数学における不動点定理と同値命題なのだそうだ。 ところが、かんじんな不動点定理のほうは、じつは、実数の連続性の公理の一部なのだそうである。 だとすれば、いわゆる近代経済学の「体系」の正当性は、 数学の公理系に拠る、ということになるが、 しかし、それは空から降ってくるようなものであるはずもなく、 端的に言えば、約束事、なのだ。
数学が約束事である、というのは規約主義なので、 規約主義にどのような問題があるかは、むしろ論理実証主義時代にさんざん批判されたところ。 詳しくはルイス・キャロルのパラドックスで検索。
宣言は約束事ではないよ。米国独立宣言を約束事であるとは言わない。 意義があり有効であると認めて、それにコミットするか、 それとも無意味で無効であり、コミットしないかって話
例えば、「脳死を人の死とする」 これは約束ではなく、宣言だろう。 その宣言にコミットするなら、 脳波が止まった人の死を宣告することになる
宣言は、単なる約束事でも、単なる事実でもない。 私が自分の飼犬を「ポチ」と名付けるとき、それは 「その犬をポチと呼ぶ」と自分自身に単に約束して いるのでもなければ、「その犬はポチである」という 事実を表明しているわけでもない。自分自身との 約束なら、「今日は昼飯を12時に食べよう」という 自分自身との約束のように、気まぐれで任意に変更して 、その犬を「タマ」と呼んでも何の不都合もないことになる。 そう名付けることは、その犬や周囲の人に対する宣言 ではあっても、約束ではない。
>>871 「jubere」を「命令する」と訳すのは正しいのだろうが、
やはり、数学の公理主義の文脈で考えるとしたら、「公理」
を「decrets(宣言)」と見なして「decreter(宣言する)」訳した方が
合うと思う。
>le verbe jubere signifiant « ordonner », « decreter »
>>887 「規約主義」は「conventionalism」の訳だから、それについて
どのような議論が行われているにしても、「宣言」について
哲学的な検討が行われているのでないのであれば、ここでの
議論とは無関係だな。
宣言というのが同意されるとはかぎらない規約のことで、 同意するかしないかはお互いが採用している規約によるのだ、 ということであれば規約主義の話の内に収まるよ。 アメリカの独立宣言を認めない。 なぜなら俺の規約は国の独立についてアメリカのそれを認めないから。 その程度の話に見えるけど。
893 :
考える名無しさん :2013/03/27(水) 13:57:25.58 0
2ちゃん用語を遣えば、基地外が勝手に宣言したところで、 「宣言」にはならないわけだ。宣言には、 それに則らせる威力が伴わなければならない。 ようするに宣言は、もう一方で、道徳的命令にならなければならないわけである。 独立宣言のばあいは、かんたんに軍事力であるといえるだろう。 ある公理を、妥当であるとみなして、そのに則るか否か、というのは、 ほとんどのケースで、俗にいう「主体的選択」ではないだろう。
私が自分の飼犬を「ポチ」と命名して、それが妥当である と周囲に認められるのに威力による必要はないな。認めるか 認めないかという周囲の「主体的選択」でもない。飼犬を 飼主が命名するのが妥当であるとする一般的な慣習があれば済む。
軍事力だけで国家創設できるわけないだろ。 法的正統性(一般意志の形成)が絶対必要になるんだよ。
近所の人が私の飼犬を勝手に「タマ」と呼んで悦に入っていた ところで、他人の飼犬を勝手に命名することが妥当であると する一般的な習慣がなければ、その命名は宣言として無効であり、 命名したことにならない。
>規約主義の話の内に収まるよ 規約≒convention≒習慣だろう。議論で必要となる区別を保ちながら、 一般的な視点から説明するのではなく、区別を消しておおざっぱな 分類に放り込んでしまうのは哲学的態度とはいえない。
898 :
考える名無しさん :2013/03/27(水) 14:25:57.21 0
米国の独立、というのは、英国からの独立、であって、 さらに、以後は植民地にはなりません、ということだからね。 「私の飼い犬のポチ」にたいして、いや、それは私の犬のジョージだ、 とほかに人が言ってきたら、どうするの。 犬の命名も、所有権にもとづく「命令」じゃないのか。 だから? 「命」という字がある。
>「私の飼い犬のポチ」にたいして、いや、それは私の犬のジョージだ、 所有権が争そわれるだけの話だろ。異議を唱える人間の所有権が 認められなければ、宣言が無効であることに何ら変わりない。
で、戻ると
>>887 「規約主義」は「conventionalism」の訳だから、それについて
どのような議論が行われているにしても、「宣言」について
哲学的な検討が行われているのでないのであれば、ここでの
議論とは無関係
要するに
>>887 で何が言いたいのか不明ということ
901 :
考える名無しさん :2013/03/27(水) 14:49:05.30 0
だから、所有権に基づいている、 といったんじゃないの。
意図的に話題をそらそうとしているようにしか見えない。
「jubere」を「命令する」と訳すのは正しいが、数学の公理主義の文脈で
は、「decreter(宣言する)」訳した方がよく合う。
で、結局、
>>887 で何が言いたいのか不明であることに何も変わりない。
903 :
考える名無しさん :2013/03/27(水) 14:59:58.57 0
こういうくだらない議論(自演?)してるから、哲学愛好家はバカだと言われるんだな。
数学と自然科学についていけなかった者たちの怨念がうごめくスレ
905 :
考える名無しさん :2013/03/27(水) 19:38:31.12 0
>>904 怨念なんかないだろ。
ついていけなかったんじゃなくて、はじめからコースの外だったんだから。
規約主義でなく心理主義でなく私的言語でないことをきちんとさせないと、 ずっと分哲のナンセンス認定にびくびくしながら哲学しなきゃならんことだろう。
アングロサクソンの欧州大陸への偏見が基礎にあるから、 そういう文化的な難癖はやまない
ドイツの近代哲学が本格的に再検討されると困るんだろ
自然科学こそ蛸壺で隣の人間がどんなナンセンスをやっていても まるでわからないから、森口のような人間がハーバード大や 東大などの教授や研究者の共同研究者として長年にわたって 通用してきた。
910 :
考える名無しさん :2013/03/27(水) 21:34:28.77 0
>>909 でも、それ、哲学とは関係ないだろ?
それに、「ハーバード大」で共同研究なんかやってないんじゃない?
911 :
考える名無しさん :2013/03/27(水) 22:54:17.56 0
科学を知ってる人が言うならいいんだけどね
科学を知ってるどころか、ネット検索もできない情弱でしょ >森口尚史氏が iPS細胞から作った心筋細胞の移植手術を行った >と虚偽発表した件で、Harvard 大学のMassachusetts General >Hospital は10月19日、森口氏と同病院のRaymond T. Chung医師 >を共同発明者とするiPS細胞作製技術の特許を米当局に出願して >いたが、17日にこれを取り下げ たことを明らかにした。
913 :
考える名無しさん :2013/03/28(木) 05:34:25.34 0
言論侵害極悪人ウィキペディア・ゲシュタポメンバー 【言論統制首魁】Los688 【無期限ブロック濫用者】Jkr2255、Muyo、Vigorous action、Blue31-Eleven、JapaneseA 【言論統制・ナチ幹部】ikedat76、Sikemoku、水野白楓、氷鷺 【冤罪常態者】ぱたごん、Kojidoi、Mee-san、明銘、森藍亭、アイザール
>>912 それ、森口氏が勝手に名前を使ったということで、大学が全否定したものだよ。
>>914 これだから哲板で自然科学云々言い出す人間は情弱だと言われる。
ハーバード大は森口の研究が大学によって承認されたものではない
という事実を主張しているだけ。森口が同大学のChung医師と
共同研究者であったことは全く否定していないし、Chung医師も
この件について全くコメントしていない。勝手に名前を使われた
なら、そう主張するはず。そんな主張をしているならソースを
もってこい。
ちなみに森口が自爆で事件を発覚させたのは米国大統領選挙の直前。 Raymond T. Chung医師は、ハワイでオバマと同時期に同じ私立の 名門高校に通っていた。
>>915 ネット情報だけで新聞を読まないからそういうことを言い出すんだな。
情弱とか情強とかw
新聞ぐらい読めよ。
週刊誌もなかなかいい情報源になるぞw
森口氏の話もたくさん出てた。
その中に全否定と書いてあったから、当時の探して読んでごらん。
森口は自らメディアにトンデモ発表しなければ捏造が 大事件になることはなかった。自ら事件を発覚させる 動機があったと考えるのが常識。そんな人間が真実を 語るわけがないだろう。その程度のことすら理解できない 情弱。
>>917 しかもだ、新聞は当初、森口のトンデモ発表を真実として報道したのだ。
騒ぎになって捏造が指摘されて初めて、訂正記事を出し、各社の新聞
週刊誌が「事件」を報道しはじめた。
検証能力ゼロの日本のマスゴミ情報を頼りにするとか、どれだけ情弱なんだよ。
920 :
考える名無しさん :2013/03/28(木) 15:56:38.64 0
>>918 >>917 の「森口氏の話」というのを、森口氏が話した言葉、と受け取ったんだね。
「森口氏の話」というのは、森口氏に関する話という意味だよw
ついでに言っとくと、人間の心が推理ドラマみたいにそんなに単純だと思ってるんなら、君の情強wも怪しいものだね。
ネットを漁るのもいいけど、本も読めよ。
>>919 新聞というのは事実を事実として報道するだけ。
森口氏の事件では、それを踏み外した新聞もあったけど、朝日新聞のように事実の報道に徹した新聞もあった。
ネットに出回る自分好みの情報だけを見て情強wとか言って悦に入ってるネット信者より、新聞数紙と週刊誌でも読んだ方が、はるかに正確な情報を得られる。
どういう情報も、誰かが書いている、ということを忘れないように。
組織的に一応の確認をとりながら報道するマスコミと、個人の範囲で調べていくネット情報とでは、その客観性にはやはり大きな差があるよ。
在野の学者が学閥に対抗するのが大変なのと同じだ。
ジャック・デリダVS宮沢賢治VSミチオ・カク
御託はいいから 結局、森口氏の真意は何だったと想像してるんだ?
923 :
考える名無しさん :2013/03/28(木) 16:04:32.73 0
>>922 なんだそれ?
>>909 の
>自然科学こそ蛸壺で隣の人間がどんなナンセンスをやっていてもまるでわからない
というのと何かつながるのか?
>朝日新聞のように事実の報道に徹した新聞もあった。 >朝日新聞のように事実の報道に徹した新聞もあった。 >朝日新聞のように事実の報道に徹した新聞もあった。 >朝日新聞のように事実の報道に徹した新聞もあった。 >朝日新聞のように事実の報道に徹した新聞もあった。
飛ばし記事とか知らんのだろ
926 :
考える名無しさん :2013/03/28(木) 17:01:00.71 0
>>924 >>925 ネットで従軍慰安婦は捏造だとか書いてる連中のことを真に受けてるんだろうなw
事実を事実として認められないバカな連中だ。
森口氏問題についても朝日新聞が一番正確だった。
そんなことも知らないのか?
通常の記事でも、朝日は他の新聞よりは事実に即していて正確だ。
ネットの作為的な裏情報wなんかで情強とか笑わせてくれる。
飛ばし記事、なんて知ったかぶりする前に、社会の見かたを勉強しろよ。
せっかく哲学板のデリダスレに来てるんだから。
従軍慰安婦とはまた… 一体誰に対して印象操作を行おうとしてるのやら
928 :
考える名無しさん :2013/03/28(木) 17:15:23.13 0
アニリール・セルカンとは、工学博士にして宇宙物理学者であり、 トルコ初の宇宙飛行土候補生にしてトルコ初のスキーでの オリンピック金メダリストである。 出典 朝日新聞?
930 :
考える名無しさん :2013/03/29(金) 14:06:43.07 0
>>886 >数学の定理・公理の命題は、普遍的で確実なものではなく
端的に言えば「約束事」である。
>数学の公理・定理も、もとに遡れば経験的(感覚的な経験)な事実に基づいて、
後から論理的に構築した数式(命題)であり、つまりは「約束事」であると思う。
だから、新たなる経験的な事実が、発見されれば前の定理・公理は覆ってしまう。
そう言う意味では、定理・公理もヒュ−ムが述べている様に、不確実なものであり、
この視点から、「数学」を基礎とする科学も、その根底に於いて不確実性を内包している。
哲学は、数学の公理も含め、コモンセンスを問い直す という意味で数学よりも基礎的な学問
932 :
考える名無しさん :2013/03/29(金) 16:53:40.88 0
930さんの、「公理」観は、 公理主義(公理論)よりも前のものだな。 とはいえ、数学がバラバラないわば経験科学的知識の集まりだった、 というのは歴史的事実だろう。 ただ、私が問題だと思うのは、規則に従う(すなわち、それが規則そのものだといえるが) ということが、そもそもどういうことか、あまりそれが問われていなかったということだ。
現代の数学者の間でも公理観なんて千差万別 ほとんどの数学者は、公理とは何かを哲学的に考えることに関心はない 数学者の大多数が同意している公理観が存在するというなら、 まずそれを示すべきだろう
934 :
考える名無しさん :2013/03/29(金) 17:16:19.83 0
ワーキングマテマテシャンは、公理は何たらかんたらなどとは、哲学的どころか、 単に考えない、だろうな。 したがって、「公理観」などというものが、その職業集団においては、 無きに等しい、となるだろう。 なお私は、公理主義の要点というのは、経験的事実と数学上の公理とは関係ない、 ということだったと思っている。
そういう数学は単に不毛なゲームになってしまうのではないか との疑念を伊藤清という数学者が表明している
職業数学者が公理観というものに関心がない、とは言うが、 特別意識しないだけであって、個々の公理(というか理論)について各々価値判断はしてるでしょうよ 外野が心配することじゃない
伊藤清が危惧してるのは個々の理論の出所や有用性の話であって 「そもそも公理とは一体何ぞや?」という一般的な問題ではないよね
938 :
考える名無しさん :2013/03/29(金) 18:01:13.49 0
純粋数学は二十世紀に、あるしゅの芸術に昇華した、といえなくもないんじゃないか。 個人的には、無用の用、という言葉もあるし、 それがさほど悪いことだとは思わない。ただし、世間からの、 タダ飯食い、だという文句に耐えねばならないとはいえるだろう。 これは哲学とも共通する「悩み」といえるんじゃないか。
ボカロを愛でる派 ↑(敵視) ボカロを崇拝していて盛り上げる派 愛でる派を崇拝派は敵視しているが バレたくないので至るところに潜伏をしている 例:アンチスレ、代行スレ 「ミク厨」を都合がいい隠れ蓑にしていることも分かっている 「スレ住民」の分析をはじめると潜伏がばれる事への恐れから 勢いで流したり誤魔化そうとする 「このスレには仲間がいる」と確信したスレでは常套手段で押し流す
940 :
考える名無しさん :2013/03/30(土) 08:04:30.21 0
2chがだめなのか デリだがだめなのか
ts
942 :
考える名無しさん :2013/03/30(土) 10:37:33.41 0
943 :
考える名無しさん :2013/04/13(土) 04:15:21.84 0
『散種』を読んでる香具師はやはりここにはいないのか・・・
立ち読みしたよ 良質のポエムだと思うよ
↑このスレには「ポエム」って言葉を意味もわからずに使いたいだけのやつがたまに現れる
poem 音節po・em 発音記号/póʊəm|pˈəʊ‐/音声を聞く 【名詞】【可算名詞】 詩; 韻文. 用例 a lyric poem 叙情詩. 【語源】 ギリシャ語「作られたもの」の意; 【形容詞】 poetic
これでデリダの主要著作で未邦訳なのは『Glas』(74)だけになったな。 鵜飼哲さん頼みますー。
現代フランス最大の詩人のひとり
949 :
考える名無しさん :2013/04/26(金) 22:58:05.22 0
lys blanc @lysblanc_yurie 46分 郷原氏が大変お怒りの様子だったので何事かと思ったらそういうことがあった のね。デリダもブランショも、まだまだ背伸びしたって読めないなあ。と横目で見つつ。 開く Shigeo Hayashi @HAYASHI_twit 1時間 週間読書人最新号、守中高明氏(@ladissemination)の郷原佳以氏(@deja_lu) に対する批判的意見を読んだ。デリダの音声中心主義批判の源泉にブランショ のシャール論「ラスコーの獣」があるという氏の「固有な」仮説を盗んだとい うもの。氏が前提とする固有性が真の問題では? 郷原佳以 @deja_lu 4時間 守中高明氏に大変な誤解と侮辱を受けた(『週刊読書人』2013年5月3日〔4月26 日合併〕号4面)。「空いた口が塞がらな」いのはこちらである。公開で謝罪していただきたい。
郷原の旦那って宮崎裕助なのな
952 :
考える名無しさん :2013/04/27(土) 02:50:17.39 0
具体的に何に感嘆したかは書かないんだな
てs
ついったーのコピペ場
956 :
考える名無しさん :2013/04/27(土) 14:41:29.35 0
957 :
考える名無しさん :2013/04/29(月) 19:48:35.44 0
ぽかぽんたす
958 :
サブカル :2013/04/29(月) 23:15:00.05 0
>>数学がバラバラないわば経験科学的知識の集まりだった、というのは歴史的事実だろう。 この辺はむかし柄谷がやってたよね 90年ぐらいだったかな
959 :
サブカル :2013/04/29(月) 23:22:46.92 0
>職業数学者が公理観というものに関心がない、 でも数学基礎論って公理観というものに言及する分野じゃなかったっけ??
960 :
考える名無しさん :2013/04/30(火) 00:11:36.83 0
それは基礎論といっても「数学の哲学」方面だろう。 だから、いわゆる職業数学者としての ロジシャンというものではないのじゃないか。
961 :
考える名無しさん :2013/04/30(火) 12:49:54.37 0
すげー過疎り方 でもわかる そのてーどの哲学者、というか 日本に哲学は根付かないよな
963 :
考える名無しさん :2013/06/12(水) 16:15:27.17 0
特にデリダはフランス語限定だろ。 日本人が読んでもなにも得るところがない。 大学哲学のファッション、かな。
フランソワ=ダヴィド・セバー『限界の試練:デリダ、アンリ、レヴィナスと現象学』
965 :
考える名無しさん :2013/06/17(月) 12:31:50.80 0
いまどきデリダか。相変わらずフランス現代思想業界はめんどくせーな。で、立花て誰?
やはりフランス語で読まないと駄目なのか。 とりあえずグラマトロジーの英訳版を購入してきた。
心配スンナ フランス人が読んでもわかんないから
丹生谷がデリダはフランス語で読むと簡単だと書いてた
969 :
考える名無しさん :2013/06/19(水) 01:04:00.96 0
生き方としての差延に共感できる人ってどの位いるの?
ある意味差延は地獄だ。永遠に現在を諦め続けなければならなくなる。
でもそうしたくなる気持ちは分かる気がする。 現在を享受するのはなんていったらいいのか、無神経だ。
ジャックデリダ、ジャックデリダ、ジャックデリダのおーじーさん♪
974 :
考える名無しさん :2013/06/19(水) 14:35:02.97 0
「善意」の行き場が無くなる。 差延は「善意」の抑圧かもしれないな。
>>972 日本語に訳すと難しい、フランス語では意外と読みやすいみたいなことつぶやいてた
ツイで
>>975 そんなの、どこの言語でもいっしょのロジックだろ!
と激昂してみましたw
ツイッターはつぶやきだから。一度自分の頭で咀嚼してね
感情は受苦か、、 皆さん感情はありますか?必要ですか?
デリダは本当にいいポイントを押さえていやがるな。。
979 :
考える名無しさん :2013/06/28(金) 01:13:35.05 0
全著作を読みたくなる作家はデリダが初めて 一作読むと次ぎ読むべき著作が自然と目の前に現れるのよな 次はパッションを読む
980 :
考える名無しさん :2013/06/28(金) 01:16:17.10 0
映画では北野映画がこの感じ 何か分かるんすよね
981 :
考える名無しさん :2013/06/28(金) 02:16:43.92 0
自意識はパッションから生まれる そのパッションを恩寵であると同時に受苦として捉えつつ、単独者としての自分としての運命、存在に結びつけていく 惹かれるわ 結局人間の幸-不幸はこのパッションの運動の結果なんだと思う
982 :
考える名無しさん :2013/06/28(金) 02:18:05.48 0
俺って何かってったらパッションだよな
983 :
考える名無しさん :2013/06/28(金) 03:35:13.70 0
俺が引っかかっていた剰余はデリダの言うパッションに誓いのかも知れん 人を差延の運動に駆動するのはこのパッション 人をして差延させるのもパッション効果としての幸不幸を生む
984 :
考える名無しさん :2013/06/28(金) 03:38:12.20 0
〜のもまたパッション パッションが名に繋がるのは何となく分かるんだが、何故間にコ−ラが挟まれているのか パッションによって駆動される差延の効果として人に固有性=運命=宿命=具体的な感情が発生する、というのは何となく分かる なぜ間にコ−ラを挟んだのか
985 :
考える名無しさん :2013/06/28(金) 03:42:31.76 0
声現にエク差異も読まなきゃ駄目だな そうすると幾何学序文も 有限責任会社はスキップできそうだ デリダのバイオグラフィーが把握できない 六十年代幾何学序文に初期三部作、そして九十年代名三部作の間に何か場所が挟まってる それは多分有名な有限責任会社じゃない
986 :
考える名無しさん :2013/06/28(金) 03:44:52.66 0
そういう状況への応答ではない種類のテクストに興味がある 他人から見れば私的に感じられるようなテクスト
987 :
考える名無しさん :2013/06/28(金) 10:16:33.83 0
意味の解体からその復位志向までに二十年かけてる その間の二十年こそデリダの本気なんじゃないかと思う 三十代で初期三部作を書き上げ、六十代で名三部作を書く その間のに挟まれたテクストに興味がある
988 :
考える名無しさん :2013/06/28(金) 10:18:13.50 0
初期三部作と名三部作はスタティックな点に見える つまりある視角ないし立場の構築 その間の放浪に興味を惹かれる
989 :
考える名無しさん :2013/06/28(金) 10:20:25.28 0
これは読む前の余談 まずは初期三部作から読もう、デリダは時系列を尊重して読みたい
990 :
考える名無しさん :2013/06/28(金) 12:47:12.81 O
このエクリチュールに私は現前する しかし現前している私自身にとっても意味は明確ではない 上記のエクリチュールからコンテクストを読み取り意味を確定している ただ存在しない意味はエクリチュールの羅列から私に発生した そんな意味があなたに伝わらないのは散種以前の問題だ
もうデリダはいいや 俺は理転する
992 :
考える名無しさん :2013/06/28(金) 23:30:42.86 O
>>984 その意味は決定不可能なんじゃね?
常にそうではないかもしれない
ネーティ、ネーティってその先に何があるか知らんが
993 :
考える名無しさん :2013/06/29(土) 03:01:10.20 0
あらゆる言葉は虚構であると示したデリダ デリダは虚構を付き合える人なのか、それとも虚構に耐えられない人なのか
994 :
考える名無しさん :2013/06/29(土) 03:07:47.98 0
人間の考える事、作り上げるもの、これは全部嘘なんだけども、デリダはその後どうしたのか 自分のすることが全部嘘だと分かってしまった後に一体いかなる行動が可能なのか パッションに支配されつつふざけ続けるしかないのか
995 :
考える名無しさん :2013/06/29(土) 03:14:17.65 0
この辺の感覚は北野武と一緒なんだよな 意味は求めてないんじゃないかな 北野映画は反意味的な映画 北野は意味を反意味として描く つまり意味というのは虚構であり都合であるという認識、だから意味を求める登場人物は必ず破綻する その破綻に結果するものとしての意味を描く事はある
簡単なことを難しく言う
北野映画には行き場のないパッションだけがある そのパッションが錯乱としての意味の追求という形をとり、最終的に齟齬をきたして破綻する、そういう様を描く でもこれ人生の一般的形式であると思う
人は皆人生を脱構築的に生きざるを得ない グラマでデリダはそれを理論化した
信じてないものを信じずにはいられない、その様に生きて最終的には破綻に行き着く
もしくは社会の形而上学に自己を解消させるか
1001 :
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