何故、人を殺してはいけないのか?PartV

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754考える名無しさん
752修正 自分が殺されそうになっているときに、それを否定したり理由が
     「根源的」なければならないと考えるべき理由はない。
    →自分が殺されそうになっているときに、それを否定したいとき、
     その理由が「根源的」でなければならないと考えるべき理由はない。

修正ついでにこのスレの「人を殺しても構わない」的な書き込みについて
簡単にまとめとくと、このスレの「殺人容認論」は要するエゴイズムを
どう表現するかに終始しているだけ。エゴイズムは「自分」のやることを
何でも正当化するので、殺人も当然正当化する、人はみなエゴイストだから
殺人がいけないわけではないというのが、彼らの表現なわけだけど、
実際にはエゴイストは死にたがりとは定義できないので(そもそも殺される
ケースがありえたら何でも正当化してみたって無意味)、本当にエゴイスト
であろうとするなら、自分を殺してはいけないとも言わなくてはいけない。

ところで「生物」とか「万人による闘争」のように、>>750自身以外の他者も
含んだ議論をしているなら、他者自身が「自分」であり、またエゴイストで
ありうることは当然(事実として)認識し、話に含めざるをえない。すると、
エゴイストがエゴイスティックな見方を正当化しようとすれば、同じ理屈で、
他人が自分を殺してはいけないと考えることも当然推測しなければならない。
エゴイストでない人間なら、自分以外にもいろいろな人について同じように
考える可能性があることも当然理解できるはず(できないならエゴイストをそもそも定義できない)。

そういう前提のもとで、人を殺してはいけない理由は何かと言われれば、どう無視しようとしても
何かしら「困る事情」がそこに対応することは理解せざるを得ない。ところが、このスレの「殺人容認論」は、
エゴイストなら一貫性がなくてもいいから、どんな結論でも正当化できるようなことを言う。
しかしそれを言うなら、そもそもそういうエゴイストは、自分が自分であることも肯定できない。
もう話を中断してもいいと思うけど、とにかくこのスレの「殺人容認論」ってのはそういう性質の話。

>>753
>>749に「きまって自演の疑いが晴れれば何の問題もないかのように言うが…」て書いてあるんだけど…?