何故、人を殺してはいけないのか?PartV

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72考える名無しさん
>>71
自己紹介乙

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1254306049/749,759-761,770

749 名前:ザイン[sage] 投稿日:2009/10/24(土) 10:41:14 O
……例えば、「人を殺してはならない」だってちゃんとした理由があるとわたしは考えますよ
理由があるならば、批判、検討できる余地がある……
その中で、われわれのドグマを自己批判、反省することが哲学の役割ではないでしょうか?

759 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2009/10/24(土) 16:51:37 0
>>749
> 例えば、「人を殺してはならない」だってちゃんとした理由があるとわたしは考えますよ

ならスレタイに即してそれを書けば足りるだろ。ここ何ていうスレだと思ってんの?

760 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2009/10/24(土) 17:35:03 0
>ならスレタイに即してそれを書けば足りるだろ。
クソワロタw

761 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2009/10/24(土) 17:38:14 0
>>759
確かにw

770 名前:ザイン[sage] 投稿日:2009/10/24(土) 20:21:32 O  ←ねらーとは対話しない俺のスタンス(=都合の悪い指摘は無視)
754
導入された仮定は規範言明です……
73ザイン:2009/10/28(水) 10:31:11 O
72

僕は言葉の世界の住人です
あなたとは住む世界が違うということです
74ザイン:2009/10/28(水) 10:54:04 O
まぁ、理由ぐらいは挙げましょうか

問題を整理して、殺人に焦点を当てるならば

「なぜ(他人を)殺してはならず、生かさねばならないのか?」です

「(他人を)殺さなければならない」という規範と
「(他人を)殺してはならない」という規範

この2つの規範を形づくる価値を比較した時
後者が前者より優れている理由を挙げればいいのです

1、「順境」という発想
対話、言葉による営みを成立させるものの価値は他の価値より根本的であるとする考え方
殺しては対話が続行できない以上、殺人義務の価値観は実際論的パラドクスを引き起こす

2、「自然は存在することが目的を満たす」
「殺せ」という価値観は消失を求める
「殺すな(生かせ)」は逆に存在することを
「殺せ」という命令が意図するところは終局的に無になり、これは自然に反する
(カント、自然テーゼ)


カントの「自然」という言葉は、外部世界からの基礎づけではなく
自己言及パラドクスの回避にあると考える
自己言及パラドクスを起こすような代物はカントにすれば「不自然」なのだろう