>>542 ちゃんと読んでいないんだが、確かに義務と許可だけの2極論は極端だよな
それは
>>516や
>>503などから「人を殺さなければならない」ではなく 「人を殺してはいけない」というような会話から読んで取れるけど。
俺の生活だって、義務と許可だけで動いてるわけじゃないしな。
例えば飯を食うにしても「飯は食わなければならない」や「飯を食ってはいけない」というような2択だけじゃないしな。
「飯は食ってもいいけど、嫌なら別に食わなければよい」というような選択誌だってあるし。
「サラダが嫌いなの?じゃ半分だけでも食べたら?」みたいな曖昧な選択誌だってあるわけだしな。
殺人を特別な事だという認識があるから2極論にこだわってるのかな?(ちゃんと読んでないので、2極論を唱えているのか確認をとってません ごめん)
確かに「社会的倫理」というリミッターがある中では特殊かもしれないけど、その他の行為に置き換えたら簡単に理解できるかもな。
560 :
ザイン:2009/11/08(日) 05:03:11 O
559
あなたが朝ごはんに何を食べるか迷っているとしましょう?
ごはんかパンか?
「ごはんを食べるべきか、パンを食べるべきか」と迷いませんか?
あなたは決して「ごはんを食べなきゃいけないのか、食べなくてもいいのか」とは迷いません
パンも同様です
結婚を迫られたとしましょう
「するべきか、せざるべきか」であり
「するべきか、しなくともよいか」とは迷いません
後者の問いは他人事でしかない
>>560 病に伏した。食欲が無い。
が、何かしら「食べなきゃ“いけない”」と思う(或いは“助言される”)。
(食べなくてもいいけど、それは【体力・身体維持の面で】【マイナス条件】である)。
この時、問いは
「食べるべきか食べざるべきか?」ではなく、
「食べなきゃいけないのか食べなくてもよいか?」になる。
(“食べざるべき(≒食べない方が良い)”という選択肢はマイナス条件により消失する)。
結婚を迫られたとしましょう。老いた両親が居る。家事専任の人材が必要になってきている。
この時、問いは
「するべきか、せざるべきか?」ではなくなり、
(マイナス面の大きさにより“せざるべき(≒しない方が良い)”という選択肢は消失する)、
「するべきか、しなくともよいか?」になる。
(→しなくともやっていけるかどうかという条件の吟味が加わっている)。
また、周囲の人間は言うだろう。「君は結婚しなくちゃ【いけない】」と。
本人も感じるかもしれない。「(諸事情を考慮すれば)結婚しなくちゃ【いけない】のだろう」と・・・。