>>950 チェスの勝負してるとこにやって来て
盤面以外の話をしてチェスを批判すると言う芸風。
953 :
950:2009/12/12(土) 20:41:56 0
>>951 私が知りたいのは
・他者を強調する必然性はあるのか、あるとしたらそれは何なのか、無いとしたらそれをいたずらに称揚するのは一種の神秘主義ではないのか?
・他者を認めるにしてもそれを何らかの形で把握しなければならないとしたらそれは自己の拡張とどう違うのか?むしろその成れの果てではないのか?
・この2つの質問はそもそもミスリーディングなのか?
の3点です。
>>953 それ、具体的にデリダの何らかのテキストを念頭において言っているのかしら?
それとも解説本とかかな?
まさに二番目のような問題を問題にし続けてきたのがデリダなわけだけれど
幸福を実感する手っ取り早い方法って何ですか?
まずは徹底的に苦しむ事だ。
諦め(逃避)、怒り(責任転嫁)でやり過ごさず
つらい事象をそのまま受容するとよい。
苦しむことが間違いではないということですね。
よく、「考え過ぎだ」と言われますが、考え過ぎということはないと思っています。あえていうならば考え方が間違っているのかなと思うことはあります。
事象をそのまま受容するって、思い込みを取り払って事実を事実のままに受け取るってことかなと思います。
そうすれば、想像しているほど過酷な事ではないってわかるのかなって思えるのでしょかねえ。
よく考えるのは良いが、意図的でない思考ループは避けるべき。
人は繰り返した事を記憶し重要と判断するように出来ている。
些細な事もだらだら悩むと重要問題に格上げされる。
959 :
考える名無しさん:2009/12/13(日) 07:46:07 0
そうだな。つらい事をそのまま受容しようとすればするほど逆に苦しくなったりすることもある(驢馬の肯定)。
否定的なものを否定し軽やかな生を肯定すること、笑い、戯れ、舞踏すること。生成の永劫回帰。
960 :
し:2009/12/13(日) 08:36:44 0
海外にはおさるのジョージというもアニメがあった。
秋月の慈悲深きメッケルの製造の村の病弱なものたちへの配慮
あなた方の知性が心強く感じます。ありがとう
>>957 『方法序説』を。
人生を犠牲にする事無く思考し続けるために。
963 :
考える名無しさん:2009/12/15(火) 14:40:04 0
方法序説はたいしたこと言ってないのに矛盾だらけなのを付け加えておくw
人生ゲームのガイドブックはここですね。
岩波文庫の「方法序説」を買ってきました。
方法序説は第三部だけでよい
ヘーゲルの形而上学入門で言われている形而上学っていうのは「即自」のことですか?
ヘーゲルはそこから弁証法を展開したというわけですか?
>>963 たいしたこと言ってない、と感じられるということが
方法序説の凄まじさの本質なんだけどね。
現代人の思考方法そのものを創出したということなのだから
デカルト以前を学ぶと一層それを実感できる
970 :
考える名無しさん:2010/01/03(日) 18:45:14 0
哲学を教育や職業に導入すれば世界はもっとよくなるとおもうのですが、どうでしょう?
具体的に言うと、
教育:義務教育および理系・文系に関わらず哲学を必須科目とし、受験科目にも導入する。
職業:入社試験、国家資格試験、昇格試験などに哲学を導入する。
権力や責任能力の問われる立場にいくほど哲学の知識が必要な社会にする。
971 :
考える名無しさん:2010/01/03(日) 21:54:06 0
それは哲学を崇拝しすぎw
もはや哲学とは呼べない試験のための暗記哲学をうみだすだけ。
まあ教育には盛り込むべきだとは思うが。
>>972 答えてほしいなら、もっと丁寧に質問すべき。
どのテキストのどこを使っているのとかを明示しないと。
>>968 もの凄く極端にまとめたな。
ヘーゲルは目的を見失ってるからそれでいいかもなw
ここでいいかわかりませんが
分かる方がいらっしゃいましたら
お願いします:
「どうして交通(人身)事故が起こったのか?」
という(本当は真面目な理由がききたい)質問に対し
「車が人にぶつかったから」
という答えがおかしい(おかしく感じる)のは
論理学的(?)に言うとなぜなのでしょうか?
例えば、
回答者がXXXしているから。
とか
説明というものはXXXなのにYYYしているから。
といった回答を期待しています。
976 :
考える名無しさん:2010/01/08(金) 12:08:58 0
>>975 「車が人にぶつかった」 という答えは「交通(人身)事故」の説明で
ちょっとしたトートロジーを述べているだけで、事故の原因の説明
にはなっていないからじゃないかな。
はい解決
>>976 ありがとうございます。m(__)m
しかしwikiで見ますると
トートロジとは同語反復であり
僕は僕である、というような
主部と述部が同一のものをいうのではないでしょうか?
考えてみたのですが
この場合は原因と結果の連鎖(?)の
最後の鎖しか言ってないからおかしいのでしょうか?
(違ってるかもしれませんが。)
この辺りの話が載ってる本や
分野名だけでも構いませんのでお願いします。
同義語、類語でもいいんだよ。
人身事故=車が人にぶつかった
連続性の虚偽と言うよりは、
トートロジーを使う事に寄る論点回避。
976で良いと思うが。
>>976>>979 再びありがとうございます。
>>976様の回答を読み切れてなく
質問=回答にすればトートロジだと思います。
しかしお聞きしたいのは
じゃあ質問形式を変えたとして
事故の原因を400字で述べよ、と言われて
やはりこの回答は説明としておかしいと感じます。
それは専門用語で言うと
「連続性の虚偽」というもの故なのでしょうか?
なぜこれが説明として成り立たない、不十分なのでしょうか?
(しかしまったく無意味な言葉の羅列ではなく
ある種の説明にはなっていると思うのですが。)
答えは「人が居たから、車を作ったから、車を走らせたから」でもいいんだよ。
求める答えが得られないのは、詭弁、誤謬の隙を与える不適切な問いのせい。
>>981 ありがとうございます。
前半は確かに仰るとおりだと思います。
回答は得られない理由は質問の仕方が悪い、としても
>>981前半の説明と、普通にニュースで読まれるような
一般人が一応納得するような説明の違いは何なのでしょうか?
>>982 前提条件の有無。
これが無ければすべての交通事故はトヨタのせいにも日本のせいにも出来る。
事故の原因を問う前に「事故の情報」を共有することで
そこからの連続性を強要すれば良い。
>回答者がXXXしているから。
これに当てはめるとしたら
「回答者が、質問者の望まない回答をしているから」だな。
最初の55分は、適切な質問を探す。
ってアインシュタインがゆってた
>>984 そこで「くうきよめ」ですよ。
他力本願の最強呪文だ。
もうこれ以上正当化できない究極の命題とはなんですか?
>>983-
>>986 荒唐無稽な質問にお付き合い下さいまして
ありがとうございました。
>>988 いや大事な問題だよ。
突然神様視点でモノ言う英FTとか気をつけて読んだ方がいいよ。
個別の事故と事故のイデアを都合よくすり替えてっから。
それ命題ちゃうやん
AはAである
>>992 「同一文に出現したAのどちらかはBをあらわす」というモデルの下では偽になるな
片方はAをあらわしてんなら変わらんな
出現する記号が毎回別のものを指示するモデルとか何の意味があるの?
二度目に現れるBがAではないということが言えるためには
AはAであるが成り立つ必要があるな
こっちはものすごくない勢いで答えるスレ。
COGITO ERGO SUM
私が神だ
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。