1 :
考える名無しさん:
全ては脳に刻印された暗記力
2 :
考える名無しさん:2008/09/23(火) 13:12:04 O
アニメのサザエさんは受けないがドラえもんはアジアで受ける
それはなぜか?そうそれはお釈迦様のような存在を人々が望んでいるから
3 :
考える名無しさん:2008/09/23(火) 13:30:13 O
しかし、これだけは言えることがある
どの文化に属してても
対決による競争意識が芽生えるということ
4 :
考える名無しさん:2008/09/23(火) 13:45:20 O
今の日本、アジアの実態
宗教>>>>>哲学
5 :
考える名無しさん:2008/09/23(火) 13:51:50 O
↑それはなぜか?
普遍的意義よりも己の命というものにより重点を置いているからに他ならない
6 :
考える名無しさん:2008/09/23(火) 14:00:17 O
キリストのような生き方はアジア人にとって恐怖ブッダのように平凡のまま悟りを開いている方がよっぽど平和的だから
7 :
考える名無しさん:2008/09/23(火) 14:04:57 O
タレントで例える
タモリ→ブッダ
たけし→キリスト
サンマは知らない
8 :
考える名無しさん:2008/09/23(火) 14:28:01 O
日本の「神道」
は仕事に直結するので仕事覚えるなら日本がいい
と念のため
9 :
考える名無しさん:2008/09/23(火) 17:41:58 0
また長老のしわざじゃな?w
10 :
考える名無しさん:2008/09/23(火) 19:58:37 0
全ては因果によって決定されている
11 :
考える名無しさん:2008/09/23(火) 20:45:19 O
もっと正確にいうと
宗教>>>教育>>>哲学
教育者にとってみれば全て決定されていることが好都合
12 :
考える名無しさん:2008/09/23(火) 21:11:58 O
そのご都合主義の教育者の欲によって宗教を取り入れた洗脳が始まる
これが先生崇拝
13 :
考える名無しさん:2008/09/23(火) 22:30:12 O
宗教による洗脳活動も度を越すともはや文化になる
先生と呼ばれる職種
医者、弁護士、国会議員、名の知れた芸術家など
14 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 06:06:11 0
げっぷりガらトまらンす。
げっぷりガッズろっッズろっっぷりガッズろっまらンす。
っぷりッズろっ
,r;;;;ミミミミミミヽ,,_
,i':r" + `ミ;;, 哲学とは即ち
`,| / "ii" ヽ |ノ てるブージク
't ←―→ )/イ オヒョッタラしです。
ヽ、 _,/ λ、
_,,ノ|、  ̄//// \、
_,,..r''''" | \`'/ /  ̄`''ー
| /\ /
|/)::::/\/
16 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 08:03:02 0
前世の業が現世を縛り、現世の業が来世を縛る。輪廻転生はまさに
決定論。この業から離脱するには、修行しかない。善因善果、悪因悪果。
しかし、釈迦は輪廻転生を説いてはいない。輪廻転生は古代インドの
思想。仏教にはヒンズー教の影響が色濃い。決定論はこのあたりとの
関係はどうだろうか。
17 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 08:54:36 0
たしかに縁起の法は決定論だね。
あれがあるからこれがある。
あれがなければこれがない。
まさに因果の法則そのものだね。
18 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 09:45:42 0
ニーチェの永劫回帰も、決定論ではないだろうか。自由意志との
関係もあるが。ピントは外れるが、ニーチェは弁証法を否定して
現実をペシミズムで捉えており、釈迦は現実を無常と捉えている
ようだが、決定論はどこか諦観が基礎に流れているような気がする。
19 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 10:07:24 0
18
ニーチェは諦観と言うより、超人として強い意志である。
20 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 16:56:55 0
永劫回帰がリングであるとすると、輪廻転生はラセンコイルの
ような気がする。両者は、微妙に異なっているようだ。
21 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 17:05:40 0
>>18 かれは、ペシミズムを突き抜けた。
つまり反動をさらに反動して反反動になり
能動となったわけです。
22 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 15:55:18 O
教え
キリスト教→人はパンのみでは生きられない
決定論→人はパンでしか生きられない
23 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 15:59:20 O
どっちがさげてるかわかるよな?
決定論→さげてなんぼw
24 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 16:36:09 O
物理法則・因果律からは逃げられない。
修行によって解脱するというのは要するに栄養失調になって幻覚を見ること。
その段階を超えると正直パン以外どうでもよくなる。
だから仏教は本質的に金銭至上主義を孕んでる。従って仏教は堕落であり悪魔的要素をふんだんに持つ。
キリスト教・イスラム教:数学
数学⊃物理学
ゆえに、キリスト教・イスラム教⊃仏教。
25 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 17:03:41 O
仏教では、因果は無限において初めて完結する。
ところが同じく因果律を前提とする物理学では、無限は否定される。
無限なくしては完結されないはずの因果律が高々有限において完結する
物理学は、理性的厳密性の極致である数学により裏打ちされている。
従って仏教は嘘である。親鸞が言う「この世は全部嘘」というのは要するに「仏教的・ニーチェ的観念は嘘」ということだろう。
そういう意味で親鸞は仏教を破壊した聖人とも言える。
26 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 17:39:58 O
意識の弾圧により脳は物質的に変化は起こらないのだろーか
奴隷のように罵倒され鞭で打たれても飯だけ食ってりゃ本当に大丈夫なのだろうか
27 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 17:50:56 O
人間の精神も肉体も極めて複雑に出来ているため
科学やテクノロジーで捉えることは出来ない。
パンと形而上学的パンだけで生きることは出来る。
例えば最悪の環境に閉じ込められても聖書一冊でどうにかなる。
28 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 17:55:16 0
宇宙の変化は、決定論的であるかも知れないが、この時空が
有限と決定している訳ではない。ビッグバン理論では、有限かも
知れないが、無限である可能性ものこる。
仏教の輪廻転生は認められないが、決定論は仏教的観念に似ている。
有神論より無神論の釈迦に味方したい。
29 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 18:06:51 O
暴論かも知れんが、無とか無限とかいう概念が諸悪の根源のような気がする。
この概念は数学さえ破壊する。
従って全ての思想を破壊する。
30 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 19:12:45 0
現象世界の研究が物理学とすると、無ーー矛盾も無限も無くても
観測とロジックで研究可能である。しかし、宇宙の本質を思考する
哲学では、ここでは概念の時空しか思考できないが、矛盾、無限
を考えねばならない。ナンセンスとすることなく、思考の限界を試論
することも、無意味ではないとおもわれる。参考にして下さい。
グーグル検索:C点による時空論
31 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 19:29:19 0
哲学は死んだ
32 :
考える名無しさん:2008/10/04(土) 00:01:01 O
神が死ぬわけない。
33 :
考える名無しさん:2008/10/04(土) 02:37:12 O
仏教で愚に相対する言葉は賢だそうな
しかし俺から言わせてみれば「賢の持つしたたかさ」=「愚の持つ腹黒さ」となる
34 :
考える名無しさん:2008/10/04(土) 02:45:29 O
そもそも仏教は聖・親鸞によって終止符を打ってる。
35 :
考える名無しさん:2008/10/04(土) 07:17:23 0
日本仏教の流れは、密教、禅、日蓮系、親鸞系の4つのグループに
分かれる。しかし、現在は新宗教がーー特に日蓮系が多いがーー盛ん
で、古来の宗派は葬式仏教、観光仏教になっているようです。
36 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 05:54:26 O
論理学的・数学的にまともに・興味深く読めるのは親鸞ぐらいだな。
基本的に仏教は好かん。
37 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 08:41:02 0
論理に興味があるなら道元の正法眼蔵などのほうが
理解しやすいと思う。
38 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 15:33:03 O
親鸞は、仏教の本質である無限をつかみ取るために、逆説を多用しており、
その意味で必然的に荘子やカントールに通じる所がある。それゆえまともに理解することは当時の言語構造的制約があり極めて難しいが、
数学的にはわりとはっきりしてなくもない。
基本的に宗教は中東の有限世界観的一神教とインドの無限世界観的仏教に分けられる。
少なくとも数学的にはそれ以上の分類は、宗教が数学的真理の世俗生活への演繹でしかないという意味で、無意味である。
39 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 16:21:16 O
この世が有限か無限か、という数学的問題しかない。
仮にこの世が有限なら、初めと終わりが必ずある。無からは何も始まる訳ないんだから、
必然的に有限は無を退け、絶対的不動の存在が想定され、なおかつ終わりがあるんだからそれに何かしらの意志が想定される。
従ってこの世が有限であるという数学的観点からは、必然的に中東的一神教が生まれる。
また仮にこの世が無限なら、始まりも終わりもないんだから、全ての意味や倫理、数学さえもが否定され、必然的にニヒリズムだけが残る。
つまりこの世が無限なら、一切は徒労である。それだけなら何のアジもないんで、仏教はそこから抜け出すための希望として涅槃を考案した。
しかし親鸞たちによって、修行も徒労であり、幻覚作用しかないと完全否定された。
つまりこの世が無限であるという数学的観点からは、全ては嘘である・徒労であるという虚無感しかのこらない。
従って数学・科学・文明・宗教・人間性が消え失せる。
40 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 16:59:17 0
だから無力感となり、敗北感となり、ニヒリズムとまでは行ききれず
総てを阿弥陀如来に任せる絶対他力となったのでしょうか。決定論的
な仏教観を感じます。しかし、この決定論的な観念は、親鸞ばかりでなく
密教にも通じます。密教では、親鸞の信者達と異なり、貴族が信者
でありましたので、経済力があり、大日如来に帰依するものの、積極的
に浄土を求めましたので、他力とは縁が無かったものとおもわれます。
両者とも浄土を求めましたが、社会構造上の違いを感じます。
41 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 17:13:00 O
親鸞の教えのもう一つの優れた点は、経済階級・社会階級を超越している所にある。
例えば吉本曰く、昔は金のない奴は文盲ゆえ、必然的に救われにくいことになる。
しかし意味不明でもとにかく音読すればいいという親鸞の教えは、階級的・俗的制約に左右されない。
そして文章に意味を求めないのは、仏教の本質から考えて妥当である。
42 :
考える名無しさん:2008/10/13(月) 06:40:30 O
親鸞は秀才ではないが天才的思想家であり、世界的に見て極めて重要な仕事をしました。
それはやはり仏教の本質にして極致を示したことです。
それゆえ仏教はそれ以上進展しない。親鸞において仏教は終わったのです。
片や一神教はこれからもますます花を咲かせるに違い有りません。
43 :
考える名無しさん:2008/10/13(月) 19:46:54 O
俺 の 境 遇 は
坊さんでも耐えられない
44 :
考える名無しさん:2008/10/13(月) 19:55:11 O
そ れ で も
こ な す
45 :
考える名無しさん:2008/10/14(火) 17:13:45 O
禅の本来面目は自由意志のことだと思うんだけど?
46 :
考える名無しさん:2008/10/26(日) 16:30:08 0
葬式仏教乙wwww
まじで最低な奴多いよな、宗教家って、、、
檀家から巻き上げた金で、キャバクラ行き放題。
檀家の御布施が少ないとその檀家の悪口を流布させる。
ってか、僧侶って何であんなに酒飲み多いの???
自分で酒豪とか自慢しておいて、病気になって、
病院に対して「酒が飲めねーだと!あ?ふざけんな!!!」とか言ってきたりする
飲みたいなら飲めよ、そして勝手に死ね。
葷酒山門に入るを許さず、三省堂の辞書で調べた。
「禅寺の門の脇の戒壇石に刻まれる句。清浄な寺門の中に修行を妨げ心を乱す不浄な葷酒を持ち込んだり、それらを口にしたものがはいることを許されないの意。」
おまえら僧侶は医師全員に陰口言われてんよw
ざまぁwwww
あと、僧侶のくせに人の葬式に純白のスポーツカーで来るのはやめとけwwwwwwwwww
47 :
考える名無しさん:2008/10/26(日) 19:00:36 0
45
厳密な意味では、お説のとうりだと思います。日蓮も非決定論でしょう。
輪廻転生も修行により何とかなると言う意味では、自由意志を認めねば
ならない。しかし、仏教の諦観は決定論のムードですネ。
48 :
考える名無しさん:2008/10/26(日) 19:38:06 0
輪廻転生は科学的には、有り得ません。宗教的存在に過ぎません。
49 :
考える名無しさん:2008/10/26(日) 19:58:03 0
釈迦は輪廻転生を説いてはいません。前世、現世、来世の思想は古代インドの、
おそらくヒンズー教の思想ではないでしょうか。印哲の人居ましたら、教えて
下さい。
50 :
考える名無しさん:2008/10/26(日) 21:57:02 0
仏教は自由だけではないでしょ。
法に依れ、とも教えている。
法とは縁起の理法だから決定論だね。
決定論と自由は矛盾しない。
51 :
考える名無しさん:2008/10/27(月) 06:55:28 0
平家物語の無常観は、決定論的美の極致。哲学でなく文学であるからこそ美しい。
52 :
考える名無しさん:2008/10/27(月) 17:57:35 0
仏教は自然哲学だよ。
53 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/10/27(月) 20:20:27 0
贅沢は敵と決まっております
54 :
考える名無しさん:2008/10/27(月) 20:21:03 0
55 :
考える名無しさん:2008/10/29(水) 00:49:57 0
なぜ、人を殺してはいけないの?物理学的に。
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/sci/1124022745/650-655 654 名前:【神】=【淘汰圧】の擬人化 投稿日:2008/10/28(火) 22:56:53 ID:???
一方で、三大宗教の残り一つである仏教。特に原始仏教ですが。
ひょっとしたら、
>>650のようなことを説いているのかも知れない、と考えたりもします。
特に、「諸行無常」「諸法無我」という言葉を聞くにつれそう思ったりします。
一般大衆への救いとしては、明確な”神”を与えるキリスト教やイスラム教はとても優
れた宗教であると感じます。一方で仏教、特に原始仏教ですが、人々を救い導くこと
には割と無頓着で、この世の理をただひたすらに追及しているようにも感じられます。
56 :
考える名無しさん:2008/10/29(水) 01:07:15 0
652 名前:【神】=【淘汰圧】の擬人化 投稿日:2008/10/28(火) 22:48:29 ID:???
名前の欄にも書いてますが、私はキリスト教やイスラム教などの一神教の神というのは、
自然の淘汰圧の概念が擬人化されたものではないかと考えています。
いってみれば、普遍的にみられる原始的な自然崇拝が洗練されたもので、その着想が
秀逸で、人々の原始的な本能(行動基準、潜在意識)にもマッチしていたため広く受け入
れられ、世界中でポピュラになったのではないかと。
「自らの内側にある神の声」、例えば仲間を殺してはいけない、とかいう進化の過程で、
特に群れ化の過程で身に付けた生物としての性質(脳内の回路)を、言語化して、改め
てこれを守るように、多くの庶民に分かり易く説いたのがこれらの宗教ではないでしょうか。
57 :
考える名無しさん:2008/10/31(金) 03:03:27 0
キャバクラ遊びや風俗通いをしている『お坊さん』がいるって本当ですか?-Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1217918212 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
saxwendy930さん
いますよ、いっぱい。。。。。。( ̄  ̄;)
知り合いの49日に行った後、お坊さんと一緒の食事の席で
『君、私の隣に座って酌をしなさい』
と言われ、はぁ!?と思ったのですが、親戚いっぱいのとこだし檀家のお坊さんだし
嫌とも言えず、横でお酌してたのですが、
毎晩の豪遊の話を自慢げにずっと話してましたよ。
『私は坊主だから、私が触った女の子はご利益があるんだよ』
とか、
『私は遊んでいるわけではない、皆様から頂いたお布施を夜の街へ行くことで社会に換金しているんだ。』
などなど。。。
坊主がますます嫌いになりました…(;ノ- -)ノ
実家のまわりは寺の多い土地なので、夜はあちこちで坊主が赤い顔して女の子つれてるし、
知り合いの行っていた某宗教高校のそばでは、学校のお坊さんが近くのコンビニでエロ本立ち読みしてるのをしっかり生徒に目撃されてます。。
私の親戚(先祖)はもともと寺だったんですが、数代前のなまくさ坊主が酒と博打と女遊びが大好きで寺つぶしましたよ。。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
58 :
考える名無しさん:2008/10/31(金) 03:05:22 0
江戸時代の性風俗と宗教-BIGLOBEなんでも相談室
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa1190947.html ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
回答者:junt
江戸時代の僧侶には、女を抱いたりする、なまぐさ坊主が多かった。ところが、
それらのなまぐさ坊主達は、『好色な女』を『お布施』と呼んでいた。
『お布施』とは、お寺に寄付するお金。開けて、中身を調べるのが楽しみだ、
という意味である。
この時代の僧侶は、不勉強で、戒律を犯す坊主が多かった。16、7世紀までは、
文字を自由に読み書きできるのは、公家と僧侶だけであり、僧侶は、最高の
知的エリートだった。ところがその後は、僧侶、武士、商人の知的水準が、
ほとんど同じになってしまった。それだけ、僧侶が堕落したわけである。
特に女性関係で堕落が激しく、寛政八(1796)年には、67人の女犯僧が
さらし者にされている。
これは、一面では、強大な治外法権を持つ宗教界への幕府の弾圧、民衆への
デモンストレーションでもあったが、僧侶の腐敗ぶりをよく示している。
僧侶達は、酒を『般若湯(はんにゃとう)』と言い換えたように、禁制のものを
別名で呼んでいた。
ドジョウはよく跳ねるから『踊り子』、男性のシンボルは鐘を突く『撞木(しゅもく)』であり、
その撞木を使って、女性を『成仏』させることに励む僧侶が多かった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
59 :
考える名無しさん:2008/10/31(金) 03:05:52 0
江戸時代の性風俗と宗教 BIGLOBEなんでも相談室
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa1190947.html ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
回答者:98Kin
まず僧侶ですが、出家というのは俗世と縁を断つ行為ですから、
家族を作ることに繋がる女性との関係は「女犯」として禁じられておりました。
そこで男遊びというか、男性同士で肉体関係を持つことがあり、
これは武士でも戦国時代では一般的なことでした。
武田信玄も男関係に悩み自分の愛人(男性)に浮気はしないと起請文を
出したのが後世に残っていたり、織田信長も前田利家や森蘭丸などと
肉体関係を持っていたといわれており、江戸期に儒教が入るまでは
目くじらを立てる事も無かったようです。
(現在で言う「友情」という形を考えていただければ)
話を戻すと江戸時代には「陰間茶屋」という男娼のいるところがあり、
僧侶もここで遊んだようです。
因みに男娼は役者の玉子がアルバイトで勤める事もあり、概ね10代の美少年ですから、
20歳を過ぎた物は女性相手に転じました。
そうは言っても女性が好きな僧侶もおり、こうした僧侶は医者に変装して
(正規の医者も髪を剃っているので)遊んだようですが、
勿論これは罪になり寛政8年には70人あまりの僧侶が処罰されました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ウホッw
60 :
考える名無しさん:2008/10/31(金) 03:07:02 0
livedoorニュース-ソープやピンサロをねだる警官は少なくない?(覆面座談会その2)
http://news.livedoor.com/article/detail/3302340/ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
市村住職:正直言って読経中にムラムラしたことも一度や二度じゃないです。
女はやっぱり熟女ですよ、熟女。わしにはロリコンなんて考えられませんね。
市村住職:本当の遊び人はカネなんかかけない。自分のアレで勝負だよ。
キャバクラとかソープで働くお姉さんにとって客の顔は福沢諭吉にした見えないんだから(笑い)。
カネ出して遊んだってちっとも面白くないでしょ。
ノリユキ:住職はそんなにご自分のアレに自信があるんですか?
そうやって口説いたっていうか、エッチな関係になった人は今まで何人くらいいます?
市村住職:ざっと100人ぐらいはいるかも。わしは女房もいないし子供もいないから、
どんな相手と何をしようと勝手なんだけど、どんな人にも差を付けないで付き合うことにしてる。
20代の若い女の子でも50代のおばちゃんでも、みんな同じように接してる。
それなりにカネもかかるし手間ひまかかるけど、人間セックスの楽しみがなくなったらお終いだよ。(笑い)。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
61 :
考える名無しさん:2008/11/01(土) 13:08:45 0
精神を考える上で、性欲を無視することは出来ない。参考にして下さい。
ヤフー検索:精神について
同名のタイトルがあります。--------/jikuron/seishin
を見てください。なを、「自我境界」で検索してもあります。
僧侶が何故に好色かは解りませんが。
性欲は動物にとっても人間にとっても、重要なモノであります。
62 :
考える名無しさん:2008/11/01(土) 13:12:13 0
精神を考える上で、性欲を無視することは出来ない。参考にして下さい。
ヤフー検索:精神について
同名のタイトルがあります。--------/jikuron/seishin
を見てください。なを、「自我境界」で検索してもあります。
僧侶が何故に好色かは解りませんが。
性欲は動物にとっても人間にとっても、重要なモノであります。
63 :
考える名無しさん:2008/11/04(火) 00:00:02 O
浄土真宗はあくまで信者に向っているが、
不信者に向かえばプロテスタント的な決定論になる。
それほどまでに親鸞はキリスト教的であり、
その意味で仏教界の異端児かも知れないが、
ある意味では惜しいと言いますか。
64 :
考える名無しさん:2008/11/04(火) 08:44:41 0
自然法爾のどこがキリスト教的なのかね?
65 :
考える名無しさん:2008/11/12(水) 04:45:06 O
親鸞や荘子がいう所の自然とは詰まる所数学のことだろう。
キリスト教の神も、数学的に世界を設計した訳だから詰まる所は数学だし。
しかし決定的な相違点はやはり仏教が数学を造らなかったがキリスト教が数学を造ったということ。
つまり仏教にとって数学は自然であり、キリスト教にとって数学は人為・恣意的であったわけだから。
66 :
考える名無しさん:2008/11/12(水) 04:58:26 O
確かに仏教は決定論と言いますか、少なくとも仏教圏の人間は殆ど決定論者的な所がありますね。
例外は大日本帝国だけです。しかし大日本帝国の栄光の下地は大昔からあったと思います。
即ち数学的な概念操作に長けた人間が日本人全部とは言わないまでも少なくとも一部にいたことは間違いないわけだから。
数学の恣意性に気付く者が世界の必然性を破壊し、革命するとはよく言われているが、一神教圏や大日本帝国を見ればそれはよく分かる。
67 :
考える名無しさん:2008/11/12(水) 08:59:05 0
数学の自然は自然の個物を数える自然数までだろう。
それ以降の数学はすべて人為に過ぎない。
68 :
考える名無しさん:2008/11/12(水) 17:32:44 O
自然数と実数に濃度差があるわけだから、自然と人為には本質的な差がある。
しかも人為の方が濃密なわけだから
人間の方が繊細に出来ている。
なるほど繊細さで言えば確かに神<人間<蟻である。
神は小さいことは気にしない。
69 :
考える名無しさん:2008/11/12(水) 18:20:04 0
人間はどうか知らないがヒトという生物も自然物だね。
70 :
考える名無しさん:2008/11/12(水) 20:01:35 O
集合論的には、全ては決定されていない。
天上界でも臨機応変に恣意的に決定されるわけだから。
71 :
考える名無しさん:2008/11/12(水) 20:06:18 O
ヒルベルトまでの集合論は決定論
ゲーデル以降は天上の恣意決定論
全ては天上界のなされるがままにしかならない。
72 :
考える名無しさん:2008/11/13(木) 22:43:12 O
ヒトという生物は自然としても、
実数が人為である以上、人間は自然ではありえない。
従って人間は人為的に造られたものになるが一体だれが?
知らないが少なくとも自然に出来たものではありえない。
仮に宇宙人としても、その者自体も自然ではありえないわけだから、
自然以外のものということになる。結局辿り着くのは唯一神というわけになる。
73 :
考える名無しさん:2008/11/15(土) 12:29:40 O
意識することによってのみ脳に記憶されるのは間違い
意識することに記憶より脳の感情を司る部位が連鎖するのである
74 :
考える名無しさん:2008/11/15(土) 12:38:00 O
意識することによって生まれる感情は脳の機能の一部に過ぎない
75 :
考える名無しさん:2008/11/15(土) 13:14:26 0
マナ識の域しか認知できない奴には、仏教の深さを知らないだけ。
76 :
考える名無しさん:2008/11/15(土) 18:03:54 0
アーラヤ識に囚われた奴は創造活動に向かない。
77 :
考える名無しさん:2008/12/09(火) 20:38:20 O
現象に意味を見出ださないことが仏教。
78 :
考える名無しさん:2008/12/16(火) 15:49:06 O
現象に意味を見出すのが一神教。
79 :
考える名無しさん:2008/12/16(火) 16:01:32 O
体系的には仏教のほうが座りはいい。
キリスト教はその体系では救われない人の心を解放する革命思想。
80 :
考える名無しさん:2008/12/16(火) 16:37:34 O
確かに仏教は諦観がきつい。
激怒する人間には向いてない、どちらかと言えばだが、富裕層に向いてるかも知れない。
キリスト教の神は弱者に味方して、強者には割と冷たい。
81 :
考える名無しさん:2008/12/16(火) 20:01:34 O
聖教キリスト教に対して邪教は仏教となる。
キリスト教圏では強者は冷たく扱われるんで仏教に改宗し髪を剃るといい。
仏教で悟り得られぬ弱者はキリスト教に改宗するといい。
82 :
考える名無しさん:2008/12/17(水) 19:15:31 O
仏教的な決定観には二種類ある。
一つはヒルベルト的な天上界が絶対不動知からの決定。ここからはニヒリズムが容易されている。
もう一つはゲーデル以降の天上界の恣意的な知からの決定。ここからは他力本願しか有り得ない。
当然ながらヒルベルトの野望は今考えるといくら何でも無茶な話である。従ってニヒリズムは時代遅れとなる。
83 :
考える名無しさん:2008/12/17(水) 19:28:44 O
例えば分かんないことだらけの状態からニヒリズムに到達することは有り得ない。
ニヒリズムは必ず全知を前提としている。
ヒルベルトにも出来なかったことを普通の人間が出来るわけがない。
さらにゲーデルは永遠に知り得ないことを暗示している。
従って、ニヒリストは似非ニヒリストでしか有り得ない。
84 :
考える名無しさん:2008/12/17(水) 19:55:19 O
似非には似非のアジがある。
それはバッタモンのアジであり道化師ほどのアジはない。
85 :
考える名無しさん:2008/12/17(水) 20:17:21 O
永遠の先まで見越した親鸞に比べれば他の思想家・宗教家が極めて小さく見える。
86 :
考える名無しさん:2008/12/17(水) 20:45:54 0
永遠に先などないし、先があるとしたら、そこはまだ中途半端な地点。
87 :
考える名無しさん:2008/12/18(木) 06:16:42 O
対角線論法みたいな神業は、凡人や機械が永遠をかけても発見出来ない所にある。
天上の知は地上をはい回る人間が永遠をかけてもたどり着けない、選ばれた人間だけがただ直感するもの。
アジア人の場合は和纂、中国人の方程式や魔方陣程度が関の山であり、
全く実績がないと言って差し支えないから、
殆ど全てのアジア人は選ばれない。だから他力本願に落ち着けばいい。
ニヒリズムは最低でもカントール級の仕事してからだから、
数学者上位三百人以外の人間には縁がないと言って差し支えない。
88 :
考える名無しさん:2008/12/18(木) 10:29:01 O
戦後の日本人数学者は大したのがいない。
情熱的だから多くが戦乱の犠牲になったんだろう。
そしてどうでもいいカスばかりが残った。
あの人は凄いこの人は駄目と評論してるうちに気持ち良くなってきて快感にハマって止まらなくなっちゃった人なんだね
90 :
考える名無しさん:2008/12/19(金) 07:27:46 O
対角線論法については、ただただ感心するばかり。
こういう数学的直観には脳科学もお手上げだろう。
91 :
考える名無しさん:2008/12/19(金) 10:24:24 O
戦争の勝敗は昔から詰まる所数学者に依存している。
日本数学界唯一の英雄高木貞治でさえヒルベルトの下っ端の弟子。(ちなみに一番弟子はノイマン。)
92 :
考える名無しさん:2008/12/19(金) 10:37:40 O
今の社会ではもう働かない。2月には出る予定
93 :
考える名無しさん:2008/12/19(金) 10:45:38 O
出来ることをやればいいし仕事が何もないならそもそも何もできない。
仕事は天才が付与する。例えばアーベルは数学者に莫大な仕事を付与したおかげで数学者はルンペンにならずに済んでる。
本来は数学者はこんなにたくさん必要ないんだ。
94 :
考える名無しさん:2008/12/19(金) 10:52:14 O
無駄を削ぐと仕事が減る。従って経済は滞る。
95 :
考える名無しさん:2008/12/19(金) 11:47:09 O
経済が滞ると戦争が起きる。従って無駄を削ぐと戦争が起きる。
96 :
考える名無しさん:2008/12/19(金) 16:06:08 0
無駄を削ぐ作業も労働の一つであり、仕事は増えるだろう。
97 :
考える名無しさん:2008/12/19(金) 19:17:55 O
理論のシェイプアップで数学者の仕事が楽になる。
しかし社会に役だたないという理由で理論を廃棄すると次世代の数学者の仕事は減る。
ちなみに今やってる数学研究が直接社会に役立つ可能性が生まれるのは数百年後。
98 :
考える名無しさん:2008/12/19(金) 20:09:27 O
役立たないという理由で廃棄するなら殆どの数学者は要らない。
しかし皮肉なことに数学者がいなければ物理系工学系は一歩も進まないどころか現代文明自体が存在しえない。
役立たないのが陰に陽に・広範囲に役立つ。
アーベルなんかは当時はただのカス。
99 :
考える名無しさん:2008/12/19(金) 20:20:06 O
数学で実績のある国は貧富を問わず戦争がめちゃくちゃ強い。
中東、西欧、アメリカ、ロシア。
100 :
考える名無しさん:2008/12/19(金) 22:45:50 O
数学者以外の人が無駄を削ぐと後で大変なことになる。
101 :
考える名無しさん:2008/12/20(土) 08:25:39 O
しかし仏陀もバカだなあ。全員に説明したところで悪いやつが出るばっかで説明なんてしなくても自然に後でわかるのに。あげく何か隠してせいでインドめちゃくちゃじゃねえか。折角救済者なのに
102 :
考える名無しさん:2008/12/20(土) 19:10:16 O
数学はこの世で最も尊いものの一つ。
従ってこの世の最上層の一つに数学者集団がある。
ゆえに数学者はこの世で最も成りにくい職業の一つである。
103 :
考える名無しさん:2008/12/20(土) 19:23:06 O
仏とは数学者のことを指す。
数学者がよく言う無我の境地やヒルベルトの言うカントールが用意してくだすった楽園とは涅槃のことである。
しかしそういう聖なる者ではなく邪悪な者が支配しているのが現実。
この世がどうなるかは詰まる所数学がどうなるかであり従って有能な若い数学者に期待するしかない。
104 :
考える名無しさん:2008/12/20(土) 21:05:19 0
スナインコッコスマナラコッサーラ長老の口臭が匂うな。
105 :
考える名無しさん:2008/12/22(月) 00:13:28 O
印度の数学者となら日本人数学者が上だな。
106 :
考える名無しさん:2008/12/23(火) 11:25:36 O
基本的にブヂズムは数学を回避する。
最初から数学を諦めているという意味で決定観というより諦観。
107 :
考える名無しさん:2008/12/23(火) 13:55:10 O
アジアンで仏教徒の数学者っているか
108 :
考える名無しさん:2009/01/04(日) 03:47:57 O
とりあえずハンゲのチェスで脳を鍛えよう
109 :
考える名無しさん:2009/02/17(火) 19:07:19 O
仏教の本読んでいると、運命論的人生観に毒されそうになるんだが、俺だけ?
全て、俺の人生は定めだ、みたいな、悪い意味でとらえてしまう。
110 :
考える名無しさん:2009/04/01(水) 15:36:59 0
宮崎哲弥(笑)
111 :
考える名無しさん:2009/04/01(水) 16:37:23 O
堀北まきってはじめみた時に本当きれない子だなあと思ったけど
112 :
考える名無しさん:2009/04/01(水) 17:19:00 0
のぶたをぷろでぅーす。の芋っぽいキャラが神懸からせたと思う
外見以上の深みを視聴者に与えてしまった
113 :
考える名無しさん:2009/04/01(水) 19:31:54 0
仏教の本家・本元のインドではヒンズーが宗教であって
仏教は現在でも反体制派だからね。
北野誠に合掌
115 :
覆る概念 ◆GAINENZdAQ @株主 ★:2009/05/29(金) 01:33:11 P
代替不能
116 :
考える名無しさん:2009/09/13(日) 14:30:35 O
■はてなになぜ左翼が多いのか
ネトウヨ(自宅警備と職業右翼と自民党工作員の連合軍)の数の力に押し切られ、
2ちゃんねるのヘゲモニーを取ることができなかった左翼は、
新天地を求めて流れ流れてはてなに集まり住み着く。
左翼はもともとエセインテリが多いので、長文の文飾を得意とするが、
右翼は低学歴が多く、短文による脊髄反射と弾幕を得意とする。
かくして棲み分けが成った。
2ちゃんねるやニコニコ動画は右翼のヘゲモニー下に置かれ、
はてなやウィキペディアは左翼のヘゲモニー下に置かれた。
さて、はてな左翼が隆盛極めるネトウヨに反攻をかけるとすれば、
どこをポイントとすべきか。やはりこれは動画系を狙うべきであろう。
2ちゃんねるのネトウヨ隔離板やそのまとめサイトに突撃しても、
自宅警備のやつらの持つヒマと時間にかなうはずもない。
しかし、ニコニコ動画やYouTubeなどの動画サイトに現代の蟹工船動画をばらまけば、
それは2ちゃんの書きこみと違って、時間に流されて消えることもなければ、
確信的でないプチ・ネトウヨの共感をも獲得できるという利点がある。
自宅警備やワープアは、現代の蟹工船や女工哀史に敏感である。
はてな左翼が戦術のポイントをしぼって、かれらの共感に訴えることができれば、
寡を以て衆を撃つことも可能であり、いずれ2ちゃんねるのヘゲモニーさえ
脅かすことができるであろう。左翼に欠けているのは理屈の正しさではない!
広い意味での戦略と実際的な意味での戦術眼だ。
118 :
考える名無しさん:2009/09/15(火) 06:13:48 0
>>117 つまんね。そんな右左の対立概念なんか捨てろ!
そういう政治的、対立、闘争、差別のようなものがくだらない争いの元だ。
119 :
考える名無しさん:2009/12/24(木) 01:39:01 O
過去から現在まで環境からの影響によって形成した関数としての脳からの出力による犯罪行為と言う名の自由意志による判例主義が為の決定論よ、我に編集権と言う名の決定論的自由意志を編集する権利を与えたまえ。
120 :
考える名無しさん:2009/12/24(木) 01:40:10 0
決定論ってなんですの?
121 :
考える名無しさん:2009/12/24(木) 01:41:00 O
「編集する権利」を編集する権利を与えたまえ。
そう、「自由意志」を自由意志に基づいて破壊する権利を与えたまえ。
そう、「決定論」を決定論に基づいて破壊できない義務を与えられた。
122 :
考える名無しさん:2009/12/24(木) 01:44:38 0
権利が欲しいならあげるよいくらでも
権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利
権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利
権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利
権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利
権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利
権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利権利
好きなの持って行きなさい
123 :
考える名無しさん:2009/12/24(木) 02:07:57 O
人類には唯一、地球を破壊する権利が、科学の進化によって実現した。
科学の進化は、宇宙が人間に与えた知恵。
人間の究極の自由意志は地球を破壊すること。
地球を破壊し人類を絶滅させられれば、自由意志は証明された。
出来なければ、宇宙に動かされている。
124 :
考える名無しさん:2009/12/24(木) 02:10:48 O
人類はヘタレ
人類はチキン
125 :
考える名無しさん:2009/12/24(木) 02:41:55 O
YouTube NASA UFO
126 :
考える名無しさん:2009/12/24(木) 02:50:56 0
127 :
考える名無しさん:2009/12/24(木) 12:23:50 O
ヒント:Google 壺+岩+重要
大きな岩とは何だね?
最後は水かね?
128 :
考える名無しさん:
仏教の「諸行無常」は、因縁よりの「縁起」から成っている。「因」は
原因、「縁」は条件である。因果律のみでなく、条件は、決定されたものではない。
それ故、仏教は決定論では無い。「縁」は、非決定である。
また、「諸法無我」は、現象世界を否定する。ここでは、決定論も非決定論も、論外
である。「色即是空」も「非有非無」も、西洋哲学や物理学の「決定論」とは
次元を異にする。