1 :
考える名無しさん:
私が見る赤色はホントに赤色?
味覚は?嗅覚は?
君の『あ』は私の『ぬ』かもしれない。
実は全く違うのに共通認識で=になってるだけでは?
2 :
考える名無しさん:2008/09/08(月) 20:34:39 O
ホントって何ですか
3 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/08(月) 20:51:18 0
電磁波のある領域は確かに赤色に見えますが、
黄色や緑のサングラスを掛けて色が変わっても赤を認識できるんでつ。
つまりなんなんでしょうね?w。
4 :
考える名無しさん:2008/09/08(月) 20:57:57 0
赤の表象は赤くはないがね。
5 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/08(月) 21:10:24 0
ちゃうだろうと思う。
赤は明らかに脳内に存在するが、暗かろうが明るかろうが緑や
黄色のフィルターを噛まそうが、相対的な赤を見出してるだけだろう、
と俺は個人的にそう思っている。
6 :
考える名無しさん:2008/09/08(月) 21:26:01 O
ラプラスさんの赤と私の赤は同じ赤色なんですかね?
私の黄色がラプラスさんの脳内では赤色かもしれない。
共通認識で赤色なんですけどね。
7 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/08(月) 21:34:27 0
また別な色の赤議論か?。
僕は色盲じゃないので分かりかねまつ。
>>1 その可能性はあるかもしれないけど、それは他の生物とのそれに比べれば、
その誤差の可能性はかなり少ないと思える
はいはいクオリアクオリア
ここで徳永英明が一唱
流氷の天使
赤
13 :
考える名無しさん:2008/11/20(木) 00:50:24 0
"構造色"ってご存知ですか?プリズムや回折格子の作用で特定の波長のみ反射します。
モルフォ蝶の羽に見られます。
14 :
考える名無しさん:2008/11/22(土) 09:54:39 0
自分と同じ考えを持っている人がいた・・・
>>1さんと
15 :
考える名無しさん:2008/11/22(土) 10:11:55 0
>>1 小学生じゃないんだから
もっと哲学の勉強してください
私とあなたが、ある色を指し示し「これは赤」だと言う
それが一致すれことが、私たちは同じ感覚を持っている という定義なのであって
それ以外のどこにも「ホント」はない
17 :
考える名無しさん:2008/11/23(日) 10:25:04 0
色盲のケースはこの問題があることもある
18 :
考える名無しさん:2008/11/23(日) 21:47:24 0
この話は色々と奥が深い。
19 :
考える名無しさん:2008/11/27(木) 12:57:06 0
先ず以って、赤色なるイロを規定せな。
その次に、全ての人にとって赤色は同じイロなのかが問われんとね。
そいからとちゃう?
サトやんにとっての赤色は、イモやんにとっての緑色ってことだっておますやん。
これって、まだ結論出てないの?
永久に答えが出ないんじゃないの?
22 :
考える名無しさん:2009/02/05(木) 14:20:16 0
23 :
考える名無しさん:2009/02/05(木) 15:45:25 0
昨日見た赤色と今見ている赤色が同じかどうかも疑った方がいいんじゃね
24 :
考える名無しさん:2009/02/05(木) 15:46:02 0
染料インクのプリンタみたいに、記憶の中で色が変色してるかも。
25 :
考える名無しさん:2009/02/05(木) 16:03:07 0
同じモノを指さすことは可能、その色が
各人が赤だと言うことは可能。
しかし、それが皆違う色であることも可能。
独我世界と客観世界が同じ地平に存在できる。
26 :
考える名無しさん:2009/02/05(木) 16:10:43 0
俺に見えている色と、おまいに見えている色が、
同じとか違うとかどうやって比べるのさ。
独我世界なんて存在してねえよ。
27 :
考える名無しさん:2009/02/05(木) 16:23:18 0
赤ん坊は色を知らずに生まれてくる。
教えられた色が赤となる。
実際何色が見えているかは、本人さえ知らない。
故に誰も知らない。
28 :
考える名無しさん:2009/02/09(月) 03:13:27 0
>>1 これは赤ですって教えてもらった時に、規格化されるんです。
実際は1つとして同じものはない。
だから、認識としてはニアリーイコールでいいんじゃないかな。
色や味覚などの感覚に限らず、身の回りほとんど全ての物に言えますよ。
温度計の値や電池の電圧(乾電池は1.5Vって学校で習ったからといって、1.5V丁度で出力している乾電池はほとんどありませんよ。)という実用世界の数字から、善悪の決まりまで。
生物から見た世界とか読んだら?
分かりやすいし、良い本だよ
30 :
考える名無しさん:2009/03/02(月) 03:43:25 0
>>1 >実は全く違うのに共通認識で=になってるだけでは?
『赤』や『あ』や『ぬ』は、それそのものでは『赤』や『あ』や『ぬ』にはならない
共通認識という認識があって初めて『赤』や『あ』や『ぬ』になる
それ以前はただの色や線の集合にしかならない
あなたがエジプトの象形文字を見た時点でその意味を理解できないのと一緒、それは意味を成していない
31 :
考える名無しさん:2009/03/02(月) 08:12:53 0
光の周波数を、低周波から高周波まで線上に並べる時、ある線上の点で人の
感ずる色を「赤」と決める。正常人では、線上の色の配列は一定である。
それぞれの人が、ある線上の点で「赤」を感ずるが、その「赤」がそれぞれの
人に共通する「赤」とは断定出来ない。線上のある一定の点には間違い無いが
Aの感ずる「色」とBの感ずる「色」とが同一であるかどうかは断定出来ない。
これは難問である。正常人の線上の「色」の配列が一定でも、一定の「色」その
もののは異なっても、よいからである。
32 :
満豚:2009/03/04(水) 10:27:12 O
20:考える名無しさん :2008/11/27(木) 14:58:55 0 [sage]
これって、まだ結論出てないの?
出とる。少なくとも俺は。
33 :
考える名無しさん:2009/03/04(水) 13:52:11 0
34 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 13:34:23 0
自分の感じている赤い色と
他人が感じている赤い色が
同じ色かどうかという話しなら
「それを確かめることはできない」
これが結論。
35 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 14:37:50 0
この場合、何が「確かめる」ということになるのかな?
たとえば、自分が昨日感じた赤い色と今感じている赤い色が
同じ色だということは「確かめる」ことができるの?
36 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 14:46:54 0
できない。
37 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 14:52:03 O
何とかここまで来たら人がいないという
38 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 14:57:57 O
小さい頃は大変苦労しまして数学ができたのが中一あとは全部駄目でそれを平均にもっていってギリギリ中の下あたりで高校に入ってちょっと頑張ってクラスで六位。ただ実力テストになるとゼロに近かったと思います。地方に住んでると駄目ですね。学の情報がない
39 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 14:59:44 0
では「同じ色」というのはどういう意味なの?
40 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 15:14:16 0
>>35 >>39 二つのレベルの違う言い方ができる。
1.
ここでいう「色」が広い意味のものであり
「赤」「青」「緑」といったような「色相(hue)」のことである。
その場合、
自分の感じている赤い色と 他人が感じている赤い色が
同じ色かどうか 「確かめることはできない」が
自分が昨日見た「赤」と今見ている「赤」が同じ色であることは
記憶が間違っていない限り、確かめることが出来る。
2.
「色」の意味をもっと厳密なものに制限した場合、
自分の感じている赤い色と 他人が感じている赤い色が
同じ色かどうか 「確かめることはできない」のは同様であるが
自分が昨日見た「赤」と今見ている「赤」が(厳密に)同じ色であることも
確かめることはできない。
>>34は1の意味。
41 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 15:29:47 0
> 自分が昨日見た「赤」と今見ている「赤」が同じ色であることは
> 記憶が間違っていない限り、確かめることが出来る。
記憶が間違っているかどうか確かめるためには、
同じ色かどうかを確かめる手段がなければならないだろ?
それと、「確かめることができる」ってどう確かめるの?
42 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 16:04:50 0
>>41 >記憶が間違っているかどうか確かめるためには、
>同じ色かどうかを確かめる手段がなければならないだろ?
記憶が間違っているかどうかは自分ではわからない。
つまり記憶が間違っていると信じるに足る理由がない限り
記憶は正しいとする。きわめて日常的な態度のこと。
だから
>それと、「確かめることができる」ってどう確かめるの?
確かめられたと確信すること以外にない。
43 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 17:10:57 0
そこで「きわめて日常的な態度」を持ち出して確かめられたと言うのなら、
何で「自分の感じている赤い色と 他人が感じている赤い色が違っていると
信じるに足る理由がない限り、同じ色を見ているとする」としないの?
この「日常的な態度」で、「自分が感じている赤い色と、他人が感じている
赤い色が同じである」ことが確かめられたと確信はしないのかい?
44 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 17:17:06 0
確かめること=確かめられたと確信すること、か?
45 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 17:30:39 0
>>43 「さっき見た赤」と「今見た赤」は記憶によって比較できるが
「他人の見た赤」と「自分の見た赤」は比較できない。
記憶という媒介を通しての比較はあくまで内面的なものであり
その意味で直接的だ。
「他人の見た赤」と「自分の見た赤」は「類推」によってしかできない。
したがって間接的だ。
46 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 19:19:45 0
>>45 あなたが比較できるとしたら、それは
「さっきみた赤の記憶」と「今見ている赤」ではないですか?
「さっき見た赤」と、いまあなたが思い出している
「さっき見た赤の記憶」は比較できないでしょ?
それを認めてあなたは「日常的な態度」とやらを持ち出した
んじゃなかったの?
47 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 19:23:04 0
比較できないと言う点では、過去の感覚も他者の感覚も同じ。
それなのに他者の感覚については、「違っていると信じるにたる理由が
ない限り、同じものを見ているとする」という「きわめて日常的な態度」
をとらないのはどうして、って聞いてるんですが。
48 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 20:50:27 0
>>46-47 「さっき見た赤」と「今見た赤」は記憶によって比較できるが
「他人の見た赤」と「自分の見た赤」は比較できない。
記憶という媒介を通しての比較はあくまで内面的なものであり
その意味で直接的だ。
「他人の見た赤」と「自分の見た赤」は「類推」によってしかできない。
したがって間接的だ。
49 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 21:03:09 0
>>48 自分はもう答えたというポーズをとって、答えるのを断念したってこと?
それとも、
>>47の質問の意味が本当に分からない?
>>42書いた奴なら
分かりそうだと思ったんだが。
50 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 21:14:58 O
光と物質と網膜のdance。
たまたま赤に見える波長を反射する性質の物質を視認したってことやないかなぁ。
赤緑色弱とかあるから、個人差はあると思う。
お互いの色温度のインプット加減は一生わかり得ないと思う。
51 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 21:25:41 0
>>49 >比較できないと言う点では、過去の感覚も他者の感覚も同じ。
同じではない。理由は
記憶という媒介を通しての比較はあくまで内面的なものであり
その意味で直接的だ。
「他人の見た赤」と「自分の見た赤」は「類推」によってしかできない。
したがって間接的だ。
つまり
「(過去の記憶が)違っていると信じるに足る理由がない限り過去の記憶は信じざるを得ない」
これは日常的な態度であるのみならず原理的でもあり認識の前提となるものだろう。
当然これをデカルト的に否定することも可能だが、その地点からは認識が成り立たないので
ここでは最低限の前提としての地平に立つことにする。
つまり、0.01秒前に世界が誕生したというような可能性を考慮にいれないということだ。
それに対して
「他人の見ている色」はそもそも記憶のようなものを媒介に比較することもできない。
「認識」できないものであり、
「状況証拠」だけで成り立っているようなものだ。
「認識の真偽に留保がつくもの」と
「もともと認識できないもの」
このふたつを同レベルで扱うことは出来ない。
>>51 残念ながらほとんどの場合同じではないよ
その赤自体の退色や、光源の位置、光の強さ、光の質、網膜細胞の状態、そのときの体調
これらによって実はさまざまに変化している
さっき見た赤と今見ている赤は同じと判断するのは、それこそ内面的な補正がかかるから
例えば、すごく似た色合いの赤を別々に見たときは、それらは同じ赤と判断・記憶されるが、それらを並べて違いに気づいた瞬間に別の赤として記憶の再配置が行われる
これと同じように、他人が見た赤と、自分が見た赤は違う赤かもしれないが、一緒に同じ赤を見ることで社会的な情動により感覚の再配置が行われる
53 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 22:00:12 0
そもそも赤への反応が同じなら、私と他者が異なった経験をしているかどうかを区別する意味がどこにあるのか?
クオリアは機能主義から逃避した概念遊びでしかない。
>>52 そういう細かい話じゃないよ。
お互い赤と呼ぶものを他人と見ているときに
他人は私なら青と呼ぶ主観的体験をしているかもって話だよ。
あなたの言う細かいレベルの話なら、そもそも
一人の記憶の中でも同じ赤と呼ばない。
56 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 23:23:54 0
で、ともかく他人も何らかの色は見ているということは疑わないの?
あなたみたいな設定で考えれば、他人がそもそも何らかの主観的経験
をしているかどうかも確かめることができないと考えた方が整合性が
あると思うけど。
57 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 23:29:20 0
>>56 「疑うレベル」が異なるが、当然そのような「哲学的ゾンビ」を想定することもできるだろう。
余談だが
本気で他人をゾンビだと思ってる人って有り得ない。
少なくとも2ちゃんを見たり書き込んだりする人の中には、いない。
見たり書き込んだりする事もウィトゲンシュタインの言う「魂に対する態度」だと思うから。
あり得るんじゃないの。
何かの事故で脳の感情機能が壊れてしまえば、他人が哲学ゾンビと同じように見えてしまう。
そもそも赤への反応が同じなら、私と他者が異なった経験をしているかどうかを区別する意味がどこにあるのか?
クオリアは機能主義から逃避した概念遊びでしかない。
>>61 そこから何か得られるかもしれないだろ!!!
63 :
考える名無しさん:2009/03/07(土) 10:33:17 0
>>58 それは独我論の話だけど、最近はそういう言い方もするみたいね。
だいたいクオリアの周りの話って、独我論とか私的言語批判とかの
蒸し返しに過ぎないように見えるんだけど、どこが違うのさ?
>>63 独我論に対する哲学的ゾンビ=クオリア盲の話は
帰納の問題に対するグルーのパラドクスみたいな意味はあるんじゃない
つまりは元の木阿弥
かくして独我論と帰納の問題の純潔は守られましたとさ。
66 :
考える名無しさん:2009/03/10(火) 13:17:33 0
哲学上の思索に意味を問うこと自体無意味。
>>62 >>66 「もし私の机を横切るのと同じだけ多くの疑問や理論が、
あなたの机にも横切ってくれれば、あなたは反証可能、解明できるかもしれない疑問を全てテストしよう、などとは思わないでしょう。」
クワインのポパーや反道具主義に対する皮肉
68 :
考える名無しさん:2009/03/10(火) 14:02:12 0
そしてクワインのカントを初め多くの哲学者を苦渋させ解消できなかった認識問題についての有名な至言
「心理学で我慢すれば?」
クオリアや認識論のような問題は世界に無数とある。
我々はその無数の問題の中で十分ではない問題に限り、その中で比較して価値ある問題を厳選して思索する。
クオリアは他の問題と相対的に思索する必要のある問題なのだろうか?
クワインなら「赤色はホントに赤色?」と尋ねられた場合も同じように「心理学で我慢すれば?」と答弁するだろう。
70 :
考える名無しさん:2009/03/10(火) 16:21:39 0
クワインは哲学を勉強すべきだな。
71 :
考える名無しさん:2009/03/10(火) 19:33:04 0
賛成!
クレープ食べたい。欧州大陸から真っ直ぐ右行きたい。女ばかりを追う人生はこりごりだ夏祭り行きたいよ
73 :
考える名無しさん:2009/03/11(水) 23:38:36 O
かぼちゃクワイン
74 :
一般人:2009/03/13(金) 12:44:47 O
赤は正確に光学的に定義できる。これは気温のある一点を0℃と定義できるのと同じである。しかし、人間がいくら「今日は0℃に感じる」といっても信憑性にかけ、事実誤差が生じるだろう。
人間が感じる赤も同じである。
貴方が0℃と感じる温度と、私が0℃と感じる温度が違うように、貴方の赤と私の赤は違う。
しかし、私にとって0℃は0℃であり、赤は赤なのである。体調によって同じ温度が暖かくや寒く感じるように、昨日の赤と今日の赤は違う。
ここで生じる疑問は「なぜ昨日と違う色を赤と感じるのか」である。
昨日の私にとって赤は紛れもなく赤であり、今日の私にとっても赤は紛れもなく赤なのである。私にとっての赤は、昨日と今日で変わりない。しかし光学的に定義したとは違う。
私にとっての赤は、私の感じ方が変化したので、以前は茶色に近い赤を、今では紫に近い赤を『赤』と感じるのだ。
75 :
考える名無しさん:2009/03/14(土) 17:54:45 O
>>74 不適切な表現方法は、混乱状態にはまりこんでいるための確実な手段である。
ウィトゲンシュタイン
「哲学探究」339
76 :
考える名無しさん:2009/03/17(火) 07:29:07 O
人類全部が黒を白と言っても、自分に黒くみえたら黒。
77 :
考える名無しさん:2009/03/17(火) 09:29:42 0
それは、眼科医全員が「おまいは色覚異常」と言っても、
「いいや、俺の色覚こそが正しい」と言い張れってことか?
色覚が正常ってどういうことかね?
79 :
満豚:2009/03/17(火) 17:11:15 O
>>76:考える名無しさん :2009/03/17(火) 07:29:07 O
>人類全部が黒を白と言っても、自分に黒くみえたら黒。
「黒く見えたら」って先に言っちゃってるじゃん。 黒く見えたら、そりゃあ黒だよ。
80 :
満豚:2009/03/17(火) 17:15:07 O
上にある
「赤色はホントに赤色?」
も同じな。先に「赤色は」って言っちゃってるじゃんって感じだな。
81 :
考える名無しさん:2009/03/17(火) 18:26:47 0
>>79 >>80 そりゃあ変だ。それじゃ「赤く見えるけれど、赤いはずがないから、
いま俺の目が変なんだと思う」とか言えなくなっちゃうぞ。
82 :
考える名無しさん:2009/03/17(火) 19:17:25 O
>>78 多数派環境で生活に支障をきたさないことだな。
83 :
格之進:2009/03/17(火) 19:31:48 0
>>1 >実は全く違うのに共通認識で=になってるだけでは?
仮にそのとおりだとして、何か不都合があるの?
84 :
考える名無しさん:2009/03/17(火) 20:40:21 0
全く違うのに共通認識で=になってるだけでも
「赤は止まれ、青は進め」みたいなのはOKだけど、
デザインなんかの感覚がてんでバラバラになりそうじゃね?
実際には趣味の違いはあるけれど、
色の感覚と感情の関係ってある程度一般性ありそうだと思う。
赤は興奮させる色、青は沈静させる色みたいな意味で。
85 :
考える名無しさん:2009/03/18(水) 20:13:30 0
> 赤は正確に光学的に定義できる。
これ、よくある間違いなんだよね。
実際には、「赤」みたいな色と言うのは、
人間の三種類の視覚細胞への刺激の強さの比みたいなかたちで
「二次性質」としてしか定義できないし、
視覚細胞の特性についてもまだ完全に解明されているわけではない。
そういう生物学的な事じゃないだろ。
色盲じゃない科学者、美術家とか有識者が集まって、どういうものが赤に感じるか話し合って
決めて、それを光学的に測定すれば良いだけの話。
87 :
考える名無しさん:2009/03/18(水) 22:44:09 0
そもそも光や測定器は幻想にすぎない。もちろん人間や自我も存在していることを確認することは不可能。
そんなに意地を張らずに、とりあえず赤色くらい覚えなさい。
赤信号知らなきゃ車にひかれるぞ。
89 :
Mr3 ◆Mr3DoaxZQo :2009/03/19(木) 00:22:01 0
ブサイクとカワイイや美味いと不味いのように
複雑になってくると共通認識が=などで当てはまらなくなる。
単純な共通認識で合致しても複雑になればなる事に共通でなくなるのは
各々の単純な認識対象にブレがあるからではないのかな?
{1(単純な対象)±2(認識誤差)}(共通認識)10乗(複雑さ)ってな感じで
90 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 00:54:46 0
>>86 「良いだけの話」じゃないことは、
その「話し合って決めて」をいままで散々やってきて
いまだに人間が感じる「色」と光の周波数分布の関係が完全に
解明されていないということから明らかなんだが。
そしてクワインのカントを初め多くの哲学者を苦渋させ解消できなかった認識問題についての有名な至言
「心理学で我慢すれば?」
クオリアや認識論のような問題は世界に無数とある。
我々はその無数の問題の中で十分ではない問題に限り、その中で比較して価値ある問題を厳選して思索する。
クオリアは他の問題と相対的に思索する必要のある問題なのだろうか?
クワインなら「赤色はホントに赤色?」と尋ねられた場合も同じように「心理学で我慢すれば?」と答弁するだろう。
92 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 03:07:47 O
あなたが理解しないことはみんなたわ言だと思わないこと。
93 :
満豚:2009/03/19(木) 10:51:27 O
>>81:考える名無しさん :2009/03/17(火) 18:26:47 0
〉
>>79 >>80 〉そりゃあ変だ。それじゃ「赤く見えるけれど、赤いはずがないから、
〉いま俺の目が変なんだと思う」とか言えなくなっちゃうぞ。
僕は一年ほど前にストレスによって軽い網膜剥離になったことがあるんだ。初期症状としては、まず歪んで見えちゃう。次は網膜が剥離してる箇所に赤い斑点が出来るんだ。つまり、景色の中に薄赤い斑点がかぶってるってこと。
その次は、その斑点が拡がっていくんだ。この時、僕が車を運転していたとする。更に、それが真夜中で他の車も歩行者も誰もいないとする。
この条件の下で信号機の一番左が点灯している場合、僕にはほとんど赤色に見えるんだよ。他の車や歩行者がいないから、それらを観察して、今信号機の何色が点灯しているのかを推測することが出来ないんだ。
だから、今信号機の何色が点灯しているのかは、その点灯している箇所からしか知り得ないというワケさ。
ここでやっと君のセリフが言えるね
〉赤く見えるけれど、赤いはずがないから、
〉いま俺の目が変なんだと思う
僕にとっては信号機の一番左、つまり青の箇所が点灯していたとしても、赤に見えちゃうワケさ。つまり、あの誰かさんのセリフもここで言えるね
〉人類全部が(網膜が剥離している僕にとって)黒(赤)を白(青)と言っても、自分に黒(赤)くみえたら黒(赤)
網膜剥離してる自分にそう見えるからって、何も事実まで変えるわけないじゃん(笑)
まぁ、「そう見える」ってのも事実なんだけどね。ごめん、面倒くさくなっちゃった(笑) 分かってくれた?
>>92 理解できるか、できないか
高度か、高度でないか
知的に振舞えるか、振舞えないか
日本の哲学は極めて衒学的な傾向があり、決してプラグマティズムを寄せ付けない。
日本では合理的な人は医学や経済学を学び、哲学を学ぶのは知的振る舞いがしたいスノッブだけという構造に問題がある。
95 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 12:36:42 0
>>94 >知的振舞いができない「単純さ」、「便益」などは価値判断の基準になりえない。
>日本の哲学は極めて衒学的な傾向があり、決してプラグマティズムを寄せ付けない。
ポストモダンがブームになったときから周知の通りで
日本の哲学において成否を決める基準は「難しそうなことを言っているか、言っていないか」
日本における哲学を学ぶ動機は大抵、相手の理解できない言説で「俺はお前より知識がある」ことを印象付けたいスノッブ精神的欲求から。
「単純さ」「便益」などを考慮するプラグマティズムは日本の哲学には付け入れ難い思想
96 :
一般人:2009/03/19(木) 13:04:44 O
>90
>「話し合って決めて」をいままで散々やってきて
いまだに人間が感じる「色」と光の周波数分布の関係が完全に 解明されていないということから明らかなんだが。
これは光学的な赤の定義と、個人的に感じる赤が違うことを示唆していることに他ならない。
僕の意見と矛盾するどころか支持している。
みんなは赤付近の色を赤と感じているにすぎない。人によって誤差があるし、日によっても誤差がある。
>>96 >みんなは赤付近の色を赤と感じているにすぎない。人によって誤差があるし、日によっても誤差がある。
0.999999…と0.999999″8″999…は問題がなければ、十分であるなら両数共に「1」「等しい」と単純化、低次レベル化してもいいように
経験が多層構造を持つのは確かだが、必要がなければ低次レベルを取ることが望ましい。
98 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 14:16:36 0
自分のみている赤は
他人には青く見えてるかもしれないって
話しでしょ。哲学的には。
ヴィトッゲンシュタイン以降は、そういう意味では問題になりません
>>98 そもそも赤と呼ばれている色が青に見えていようと黄色に見えていようと反応が同じなら、私と他者が異なった経験をしているかどうかを区別する意味はない
101 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 14:41:21 0
>>101 >自分のみている「赤」は
>他人には「青く」見えてるかもしれないって
この「赤」と「青」ってどの視点からの話?
クオリアの存在は現代の心の哲学では既に否定されている。
赤を経験しているのではなく、赤を経験していると信じているにすぎない。
104 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 15:28:49 0
>>102 赤をみている自分だよ。
>>103 そうだとしてもクオリアはあると思うんだけど。
だれがそういうこと言ってるの?
>>100 その論法だと他人がゾンビであってもなくても意味はないことになると
思うが、しかしやっぱり他人がゾンビであるとないでは大違いだと
思えるのはどうして?
>>104 クオリアのような、第一者によって主観的にしか接近できない概念は、意識の科学的な解明には障害でしかない。
「認識論的障害」と呼ばれるもの。
現代の心の哲学の潮流となっている物理主義・自然主義にとっても機能主義にとっても
「クオリアは不要な概念」という見解。
未だにクオリアなど語るのは精々サールやチャーマーズや現象学者ぐらいでしょう
108 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 16:09:58 0
>>106 青の視点は青く見えるんだよ。
>>107 ああ、そういう価値観のひとは
別に無理して哲学に参加しなくていいんだよ。
>>108 青、が別の人の視点であれば、それは問題にならない。
それは、単に、別の人が、青と言う名称で呼んでいると言うだけになる。
110 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 16:32:39 0
>>109 別の人はその色を「赤」って呼んでるんだよ。
だから区別できないっていう話しなんですけど。
>>110 じゃあそこには何も問題は無いでしょ。
ある対象をAもBも「赤」と呼ぶ。
そこには「他人には青く見えてるかもしれない」という問題は存在しない。
112 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 16:41:00 0
>>111 生活するうえで不都合はないというだけだね。
>>112 いいえ、そこには哲学的な問題も存在しません。
114 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 16:47:32 0
>>113 君は関心がないかもしれないが
>>98は哲学的な問題だよ。
不都合がないから問題ではないという態度は
とうてい哲学的態度とはいえないでしょ。
115 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 16:55:11 0
クオリアについては、それが定義可能かどうか、
それが哲学的問題となりえるかどうかで、
すでに見解が分かれる問題だというのは常識だろう。
>>113はある哲学的立場の表明としては正しいが、
それが哲学の統一見解であるかのごとく言っているとすれば、
正しくない。
>>114 クオリアの問題は、ヴィトゲンシュタインによって
無意味な問題 語りえぬもの
と定義づけられたと思うのだが・・
117 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 16:56:56 0
人間の眼、視神経、脳の構造はだいたい一致してるから、
自分が赤いものを見ているときに感じる感覚と類似のものを
他の人も赤いものを見るときに感じるはずだ、
ぐらいでいいんじゃねと個人的には想うが。
118 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 16:59:27 0
>>116 でもそれに同意したい哲学者たちは当然いるだろ?
ヴィトゲンシュタインの批判だって、
何を言ってるのか解釈が分かれるものだし、
その効力についても万人が認めざるを得ないものではない。
>>114 相手もその色を「赤」だと言っているのに
「他人には青く見えてるかもしれない」はどこから出てくるの?
擬問題でしょ?
>>117 1.00001と1が厳密には違う数値だとしても余程の正確さが求められない限り区別する必要はないように
知覚の機能システムはだいたい共通しているので、厳密には「昨日みた赤と今日見た赤」「他者から見る赤と私の見る赤」が違うとしても区別する必要はない。
121 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 17:10:21 0
闘牛の牛なんかは赤い色を見ると興奮するそうだが、
その種の色の情動的効果は人間にもあるだろう。
「赤いものを見たときに私とは違う感覚を感じる人がいるかもしれない」というのと
「赤の感覚は私を興奮させるが、同じ感覚が心を沈静させる人もいるかもしれない」
ということの関係はどうよ?
「赤」の経験など存在しない。
私たちが赤の経験だと思っているのは、赤を経験するという信念が働いたに過ぎない。
その証拠に、感覚インプットによって生じる傾向に経験が加わったとしても、行動自体はまったく変わらない。
クオリアは余剰物であって必要不可欠なものではなく、そうだとすればクオリアが存在するという証拠もない。
123 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 17:10:53 0
124 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 17:12:13 0
125 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 17:21:40 0
現実的な問題として、色の感覚については個人間の差異が大きすぎるから、
ある人には調和して見える色の組み合わせが他の人には不調和に見えるし、
色彩を用いた感情・情緒の表現は他の人に通じないのかもしれないという
疑いは、結構あるんだよね。
それは赤色はホントに赤色という問題ではない
127 :
一般人:2009/03/19(木) 20:00:21 0
近い位置にある同じ赤でも、目の錯覚により私には違う赤に見えることがある。
自分でも同じ赤を違う赤と誤認するのに、なぜ他人と自分が同じ赤を見ているといえよう?
私の見る赤は、現実には同じ赤でも隣り合う色彩の配色の関係により、
違う赤に見える。
私がみた昨日の赤、今日の赤は全くの別物であるといえる。
昨日の赤は私の記憶の中にしかなくあいまいなので、
今日の赤と全く同じだと誤認しているにすぎない。
>>127 円柱があるとする。
真下から見てる人はそれを円だと言うし、
真横から見てる人は長方形だと言うし、楕円に見える角度もあるだろう。
しかし、このような主観的現象がクオリアの存在の証拠になるわけではない。
>私がみた昨日の赤、今日の赤は全くの別物であるといえる。
>今日の赤と全く同じだと誤認しているにすぎない。
円柱が視点と環境によって違って見えるというだけで円柱が別物になるわけでも知覚構造が変化しているわけでもない。
円柱が視点と環境によって違って見えることから、クオリアが存在するというのは論理の飛躍・誇張である。
129 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 20:21:42 0
真下から見ている人が円に見えるんなら
その人にとってそれがクオリアだよ。
クオリアというのはそういうこと。
>>129 つまり円柱を真下からみれば100人中100人が円に見えるだろう。
そこにクオリアは存在しない。
円柱を真横から見れば長方形に見える。
円柱を真下から見れば円に見える。
これから導出されるのは「視点と環境が変われば違う認識を寄与する」ということだけである。
「私と他者は同じ対象を眺めても異なった認識になる」というクオリアは飛躍もいいところ。
円柱は円柱
赤は赤
視点と環境によって異なった認識を与えることから別物になるわけではない。
131 :
格之進:2009/03/19(木) 20:55:20 0
>>84 >デザインなんかの感覚がてんでバラバラになりそうじゃね?
その考え方でいくと、そういう問題がおきていないならば、
全く違うのに共通認識で=になってるわけではないといえるのではないでしょうか?
132 :
一般人:2009/03/19(木) 21:08:52 O
僕は一般人だからクリオアとかはわからない。
円柱の例えは、的外れ。
円柱は下から見た時円に見える。
円は経験的に個人に教えられると言うよりは、理論的に教えられる。中心から等しい距離にある直線に囲まれたものと。
経験的とは、あの丸っこいりんごに円だよ。あの丸いトマトは円だよ。タイヤは円だよ。ボールが円だよと教えられることだ。いや、初期にそう教えられても、最終的には理論的に教えられる。
ところが、最終的に論理的に教えられない場合、あの丸い石は円だよと教えられた場合、個人がもつ円の定義は不安定になる。
色は論理的にではなく、経験的に教えられるのだ。
この点を見過ごしたことが的外れのゆえんである。
133 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 21:36:17 0
>>130 君はいったいクオリアってなんだと思ってるの?
なんだかとんちんかんなこと言ってるように思うんだけど。
>>132 色もオブジェクトと同じようにカテゴリー、概念、言語なくしては意識には表れない。
色覚でさえ情報の選択的分析(言語化、カテゴリー化、抽象化、単純化、理論化)を必要とする。
例えば人込みの中では視覚刺激の情報処理が行われているにも関わらず、何色を見ているかを識別できず意識に色は表れない。
ちょうど雑音の中や文字の羅列が意識に表れないように
>>133 主観的な感覚
または感覚状態としてのクオリアは言語では表現できない無意味な概念
136 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 22:18:25 0
>>135 言語で表現できるものだけが意味があるなんて
ずいぶん貧しい世界に住んでるんだね。
137 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 22:32:16 0
>>134 じゃあ言葉をおぼえる前の子供には
世界が白黒に見えるとでもいうのかね。
138 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 22:36:50 O
>>134 >色もオブジェクトと同じようにカテゴリー、概念、言語なくしては意識には表れない。
きっと貴方は哲学書を私なんかよりも沢山よんでるのだろう。しかし、それだけだ。
では最初の概念はどこからくるのか?
>色覚でさえ情報の選択的分析(言語化、カテゴリー化、抽象化、単純化、理論化)を必要とする。
色を知覚(そこに何らかの色が在ると知ること)と、色の概念を知覚することを混同している。
知覚は、視覚における知覚は、ただ目に写る像の存在を私に知らせるだけでよい。目に点が写る場合、点がある場所と無い場所の対比さえわかれば、それが言語で点と言われているものと知らなくても、何か(言語で言うところの点)が有り、何かが無いエリアがあることがわかる。
それを言語で点と名付け、黒と名付けたに過ぎない。
>>137 「ウォーリーを探せ」においてウォーリーを意識・識別・認識するにはただ視覚刺激の処理だけでは検出は困難。
ウォーリーの特徴とその他の人物の分析しなければウォーリーを意識・識別・認識できない。
このように視覚的アウェアネス(気づき)にも論理的な情報の選択的分析が必要となる。
「ウォーリーを探せ」を無意識に眺めている我々がウォーリーの視野情報を処理しているにも関わらずウォーリーを識別できないことと同じ状態で
子供は色を識別できない。
このことは脳科学の注意制御の理論で提唱されている。
140 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 23:17:09 0
>>139 脳科学など引っ張り出さなくてもデイヴィッド・チャーマーズ『意識する心』の冒頭部で書かれている初歩中の初歩じゃないかw
そんな常識を得意気に語るな
141 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 23:22:25 O
じゃあ言語は関係ないじゃん
142 :
考える名無しさん:2009/03/19(木) 23:37:04 0
一方で、豊富な色彩語を持つ言語の話者でも、
非常に貧弱な色彩語しか持たない言語の話者でも、
色彩の識別に関しては差異がないという研究もあるそうだ。
色を表す語彙がなければ世界が白黒に見えるなどというのは、
いかれた言語学者の空想に過ぎない。
143 :
一般人:2009/03/20(金) 12:26:10 O
ウォーリを探せで、ウォーリを識別するのに最初にウォーリの概念が必要なのはわかる。
問題はそこではなく、私に一番最初にもたらされた『ウォーリの概念』どのように知覚することができたのかということである。
君の話では、子供は色を識別できないらしい。
白と黒も色だが、白黒に見えてるのかもしれない。いや、彼にとっては色が識別できないのだから、赤も青も識別できず、つまり赤も青に差はないのかもしれない。
では、彼は一番最初の赤をどうやって、知覚したのか?赤も青も識別できず差がない状態で、『この色は赤だという概念』はどうやって生じたのか?
また、赤も青も識別できない状態で、赤を赤と定義付け、青を赤と定義づけないのは何故なのか?
これは明らかにおかしい。
子供は赤を識別していれのだ。ただ識別した赤を、言語で赤と表されることを知らないだけだ。
144 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 15:00:07 0
>>143 音楽に例えてみる。
私は暇さえあれば音楽を一日中聴いている愛好家だが
音楽理論に触れていない音楽音痴である。
そしてベートーベンの「Symphony No.9」を聴いて
そこから私は音素を識別できるだろうか?
私は識別できません、私に限らず素人には無理でしょう。
しかし熟練を積んだ音楽家なら可能。
この両者の差は経験からでしょうか?
違うでしょう。 識別は知覚の経験ではなくカテゴリー化によるもの。
おそらく素人は音楽を何万曲、何千万曲、聴いたところで、音楽理論(カテゴリー化)を学ばない限り音素の識別は不可能でしょう。
同じように子供は、カテゴリー化していないので色素「赤」を識別できないと思いますよ。
145 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 15:03:25 0
>>144 子供がどうかは知らんが、「青」と「緑」の区別を表す語彙を持たない言語の
話者でも、青と緑の違いは識別でき、その差異でものを分類したりできるらしいよ。
146 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 15:25:27 0
>子供がどうかは知らんが、「青」と「緑」の区別を表す語彙を持たない言語の
>話者でも、青と緑の違いは識別でき、その差異でものを分類したりできるらしいよ。
アメリカ人は「青(あお)」「緑(みどり)」という語彙を持たずとも「blue」「green」という語彙で識別する。
しかし英語を知らない日本人学者からすると、「青」「緑」という語彙がなくても識別しているように見えてしまう。
こんな感じで大昔は「ヒト以外の霊長類は言語を持っていない」と主張していた時代もあったようです。
「私たちから見て「青」と「緑」の区別を表す語彙を持たない ように 見える」だけで
「青」と「緑」の区別を表す語彙を持たないわけではないしょう。
生成文法はややこしいからパス
148 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 19:06:09 0
>彼は一番最初の赤をどうやって、知覚したのか?
「赤」「青」「緑」などの色素を知覚し、その総体を「色」と定義しているのではなく
むしろ元素の総体「色」を知覚し、それを分析していくことで「赤」「青」「緑」などが知覚される。
子供の感覚システムは酷く曇った鏡に似ている、磨かなければ何も映らない。
知覚は漠然とした表象を与えるにすぎない。
149 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 19:38:38 0
>>146 > アメリカ人は「青(あお)」「緑(みどり)」という語彙を持たずとも
> 「blue」「green」という語彙で識別する。
だから、英語は当然青と緑の区別を表す語彙を持つ言語ですよ。
世界には色彩表現が非常に貧弱な言語があり、
この区別を表す語彙を持たない言語もあるでしょう。
150 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 19:40:17 0
>>148 人間の場合、生後すぐにはできず、時間がたってからできるようになることは
たくさんあるが、それらをすべて学習の結果とすることはできないし、
まして文化の習得の結果とすることなどできるはずがない。
151 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 19:47:26 0
クオリアが存在すると信じる理由がない
152 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 20:20:23 0
>世界には色彩表現が非常に貧弱な言語があり、
一見、サルが言語を持っているように見えないのと同じじゃないですか?
キー、キーと鳴いているだけに見えるサルも鏡に映った自分を自分だと推測するだけの論理的な言語思考を備えているわけですし、
とてもそう見えないというだけで
153 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 20:40:53 0
>>152 あなたは「サルは言語を持っている」と主張されているわけですか?
154 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 20:42:14 0
フランスと栃木の写真をネズミには区別できない。
155 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 20:46:58 0
栃木w
156 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 21:09:00 O
157 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 22:47:02 0
クオリアは信じるものではなく感じることだろ。
158 :
考える名無しさん:2009/03/20(金) 23:28:15 0
>>156 哲学的ゾンビと人間を区別する必要はあるのか?
159 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 00:59:07 O
>>158 「必要」なんて各人、哲学に何を求めているかによるから自分で判断するしか無いよ!
哲学的ゾンビと人間の区別は付かないね。
そもそも我々はそんな区別が付くということがどういうことなのかも理解出来ない。
160 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 01:03:38 0
なにこの高卒限定スレ
161 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 01:17:16 0
>>159 円柱が視点によって見え方が様々だからといって
「これは三角形だ」「正方形の可能性もある」などという主張を容認する相対主義を許してはならない。
間違っているか正しいか、視点によって変わるというだけで真偽がなくなるわけではない。
クオリアは不要な概念、必要を提示できないなら消去すべき
162 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 01:26:55 0
>>160 心の哲学自体が高卒限定だと思われる。
とにかく認知科学と比べると想定している読者層が相当低い。
163 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 01:33:41 0
クオリアは、我々の行動、あるいは神経活動に働きかけることはない
164 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 01:35:03 0
我々にとって必要な感覚情報とは、AがAであることや、BがBであること、ではなく、AとBは異なることだけである。
165 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 01:48:19 0
我々が赤に対して感じる赤と、青に対して感じる青がそっくり入れ替わっても機能的な問題は生じない
166 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 01:56:19 O
>>161 思考実験で{人間−クオリア=哲学的ゾンビ}って図式がイメージし易くて
クオリアの脱着なんてのも自動機械の話よりスムーズで便利!
まあその程度なんだが。
なにもバカの認識を基準にする必要なない。
168 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 02:22:00 0
赤を入力すると「赤」と答え、青を入力すると「青」と答えるこのキーボードおよびPCとスクリーンは、赤や青を内的に構成することはない。
したがって、このコンピュータは赤の赤さという情報を必要としないので赤のクオリアを持っていない。
一方、内的な情報のみを持っている場合、例えが難しいが、「抽象」という概念についてクオリアを有している人はいないはずである。
それは「抽象」が感覚経由で入力されることがないからである。
170 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 02:33:41 0
>>167 では有識者にとってクオリアは必要な概念なのか?
クオリアのような、第一者によって主観的にしか接近できない概念は、意識の科学的な解明には障害でしかない。
私以外の全ての人はクオリアのないゾンビだと仮定すれば、
今度は、全ての物がクオリアを持つという汎心論の問題が生じる。
クオリアを観察できないように温度計の持つクオリアや小石の持つクオリアも単に観察できない。
そうした物々にクオリアがないことを否定する根拠はない。
そこから、全ての物にクオリアがありうるという議論は十分に導けてしまう。
171 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 02:59:08 0
マイナスイオンとクオリアとで私にはさっぱり区別がつかない。
>>170 >そこから、全ての物にクオリアがありうるという議論は十分に導けてしまう。
量子力学的に考えた場合の観測者になれるかということで考えればいいのでは?
すなわち影響を受けることにより影響を与えるということをクオリアの最重要用件とすればいい
173 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 03:09:38 0
>>172 ウィトゲンシュタインから引用すれば
「「猫は木に生えない」ということも事実から出発したのではないので否定できない」
だからといって「猫は木に生えるかもしれない」という議論はあまりに馬鹿げている
174 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 03:10:37 0
否定できないじゃなく実証できないだ
175 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 03:22:36 0
引用
Ludwig Josef Johann Wittgenstein UG 326より
「猫が木から生えることはない」これについて揺るぎない確信を抱いている。
しかし、それは無条件な真理だとは言えない。
「猫が木から生えることはない」
私は確信を持って言える。しかしこの確信は私だけのものなのだ。
いつも思うがヴィトゲンシュタインって当たり前のことを神秘的な文体で書いてるだけだよな
>>173 観測者を人に固定すればそう言えるかも知れないが、
>>172で言っていることとはちょっと違う
元来観測者は固定されていないのだから、それが例え無生物でもなんら問題はない
素粒子が影響を与えさえすれば、それが何であれ影響を受けたものが観測者になるのではないかといっている
シュレディンガーの猫で言えば、観測者が箱の外に置かれているために起こる現象であるが、実際のところは箱の中の装置という観測者がおり、猫そのものも常に箱に影響を与えているため、猫に対しては箱に観測者を持っていくことも出来る
箱のクオリアは説明し辛いが、装置の一部であるガイガーカウンターは「入力」→「処理」→「出力」という処理をしている
これは脳の電気的な信号と関連付ければ、物質の持つクオリアと、意識の持つクオリアに優劣はないといえるだろう
無論のこと意識を脳が作り出す処理以上のものという考えでいればこれは否定できるが、その場合は意識の存在を明確に定義しなければならない
>>177 >箱のクオリアは説明し辛いが、装置の一部であるガイガーカウンターは「入力」→「処理」→「出力」という処理をしている
>これは脳の電気的な信号と関連付ければ、物質の持つクオリアと、意識の持つクオリアに優劣はないといえるだろう
クオリアを外的情報と内的情報を区別しそれらの混同を避けるための概念と再定義ということ?
寝てから改めえ読む
179 :
一般人:2009/03/21(土) 10:14:36 0
>>144 音素とはいかなるものかは解らない。
しかし、私の問いの答えになっていないのは解る。
カテゴリーを学ばない状態では、音素(?)は識別できないという。
では、一番最初に音素を識別した人は、いったいどのように識別したのだろうか?
一番最初なのだから、彼に当然カテゴリーを学ばせたものはいない。
音素を誰も識別できないのは、カテゴリーを誰一人として学んでいないわけだが、
誰も音素を識別できない状態で、どうして音素のカテゴリーなるものが生じるのか?
音素(おんそ)とは、音韻論で、任意の個別言語において意味の区別(弁別)に用いられる最小の音の単位を指す。
音声学の最小の音声単位である単音とは異なり、実際的な音ではなく、言語話者の心理的な印象で決められる。
wikipediaより
言語の発音の基本となる部品を音素という。
音素は実際の音(おん)の元になるが、同じ音素が前後の音素や方言、話者などによって異なる音になることがあるため一対一対応はしない。
犬の鳴き声なら「ワンワン」というのが音素ということか・・・?
アメリカ人なら「bow- wow」
フランス人なら「ouah ouah 」
ドイツ人なら「wau wau」
スペイン人なら「guau guau」
言語を知らないものには・・・・・?
知覚する空気振動は同じでも母国語によって変換された一種のクオリアのことか
181 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 13:23:33 O
色の持つ波長と可視光線
>>181 単なる感覚要素の集まりが知覚ではない
同じ絵画を見ても感覚の主観的な特異性があることをどう説明する?
知覚構造が違うとでも言うのだろうか?
184 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 14:08:57 O
>>182 色の認識→構図(感性に関わらず美しく感じる黄金比などもある)や色彩のバランス→美しいと感じること(感性)
185 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 14:21:49 O
車の色は空の色
186 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 14:27:05 O
米谷
>>182 それは、階層の異なる事象をごっちゃにしてるだけのような。
188 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 14:49:08 0
「赤」の「印象」って、火とかトマトとか、赤いものの連想から来てんじゃね?
だったら「クオリア」が違っていても、連想するものは同じだろうから、
印象は違わないんじゃね。
>>188 ダルメシアンの白黒写真はダルメシアンを見たことがない人にはインクの染みにしか見えない。
感覚刺激が同一であっても、記憶、知覚学習の先行経験によって別物として認識する。
クオリアがすべてに優先されるわけでもない。
付帯する知識がなければ、「ほら、アレの、あんな感じ」といった表現しかできないし、
記憶に留めておくことも難しい。表現できず、
また当人も思い出せない感覚は、存在しないも同然。
>>189 私が一匹のダルメシアンを見るとき,
私はダルメシアンを表す精神的映像のようなもの(感覚与件)を受け,
それに対する内観は,絵の内容(即ちそれがダルメシアンを表すこと、志向的特徴)だけでなく,
色や形などの内在的な特徴を露わにする。
192 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 19:14:07 0
ゾンビだらけのスレ
なんか勘違いしてる奴がいるが、ゾンビの問題は、セオリーじゃなくてパラドックスだぞ。
クオリアなんて無い、ってことにしてしまえば、もとから存在しない問題だ。
言い換えれば、クオリアという概念がいかに滑稽で不合理なものかを示してるわけで、
クオリアを主張するためには、このパラドックスを解決する必要があるというのに、
否定してる人間を、お前はゾンビだといって喜んでるのは、阿呆としかいいようがない。
クオリアなんて無いって、あんた現にあるんだから仕方ないじゃん。
そんなこと言う奴の自己申告をいちいち信じてたら、神様だって幽霊だって居ることになっちゃうじゃん。
クオリアの話になると必ずこういう人が出てくるなw
そして、クオリア言ってる奴は、必ずまともな反論が出来ずに誤魔化しに入るなw
同じ反論がでてくるのは、その反論に対して、
一度もまともに再反駁できてないんだから当たり前だろ。
いい加減なことを、指摘された問題点を修正せずに繰り返せば、
同じ反論をされるのはあたりまえ。
哲学的ゾンビの問題を自分らが解決しなければならない、
自分らの問題と自覚できてない段階で、そういうトンデモさを露呈してるんだけど。
199 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 20:21:42 O
いわゆるハードプロブレムには問題が何であるか
理解出来ない人が居るという問題がある。
そういう人達にはゾンビも骨折り損てか。
200 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 20:24:52 0
クオリア批判している奴は実はゾンビなんだろうな
201 :
考える名無しさん:2009/03/21(土) 20:29:58 0
デカルト懐疑論の「我々の知覚は全て悪霊が見せている幻覚」とどう違う?
クオリアを信じる人は悪霊や世界5秒前誕生説も信じるのか?
>>193 クオリアってのが、現実とそれに影響を受ける物質との間にある時間的差異によるエラーを含んだ情報とすればなんのもんだいもないのでは?
さらに言ってしまえば、哲学ゾンビの論法も疑問に思う
1.我々の世界には意識体験がある。
2.物理的には我々の世界と同一でありながら、我々の世界の意識に関する肯定的な事実が成り立たない、論理的に可能な世界が存在する。
3.したがって意識に関する事実は、物理的事実とはまた別の、われわれの世界に関する更なる事実である。
4.ゆえに唯物論(物理主義)は偽である。
これらのうち2は決して証明できない
この世が胡蝶の夢でないことを証明できないように、他者へ自らが哲学ゾンビでないことは証明できないからだ
他者へ自らが哲学ゾンビでないことを証明できない限り、自らの意識も形態反射と違うと証明できない
>>203 え?
「この世が胡蝶の夢でないことを証明できない」、「自らが哲学ゾンビでないことは証明できない」ことは、
(ゾンビ論法の)2.に肯定的に働くんじゃないの?
2.はゾンビ世界の可能性についてなんだから。
>>201 事実や普通に信じられてることをあえて疑うのが懐疑論なのだから、クオリアの場合その存在を疑う方が懐疑論者でしょ。
「クオリアなんて存在しない」と信じてる人は悪霊や世界5秒前誕生説も信じるのか?
ホントに聞きたいわけではないから答えなくていいけどw
>>208 3は2から出てくるんじゃないの?
意識経験についての事実と物理的事実との間には論理的なつながりは無いということだから。
>>210 製造工程の違う同じ長さの銅線Aと銅線Bの先に同一の計測器を接続して銅線の抵抗を調べた場合、当然厳密には別のものと出るだろう
これが積み重なれば同一規格でも違う結果になることもある
音響関係の機器では、部品の組み合わせによって変わる音質として自明となっている
PC自作では、決まった規格であってもタイミングズレなどが起こり起動しないいわゆる相性問題として知られている
ある程度のエラー補正機能があるため、多少のエラーは補正してくれるけどね
人間という同一規格であっても、同一の入力から必ずしも同一の出力が得られるとは限らない
むしろ内部処理はばらばらで、製造工程(思考経路の形成)もまちまち
いくら優秀な補正機能(社会性による同一化補正)を持っていても、内部処理の段階では違う処理となっている
これをクオリアとするなら、クオリアとはただの脳内処理の差異であり、全ての人間が哲学ゾンビであるとも言える
>>211 だからさ、そういう冗長な理屈は、天動説における周転円みたいなもんだってことよ。
>>212 物理世界の現象にわざわざ論理世界なんてものを持ってきて唯物論を否定してるのと何が変わらないの?
214 :
考える名無しさん:2009/03/22(日) 19:31:30 0
元素的な実体がクオリア
>>213 すまん。素で何を言ってるのかさっぱりわからん。
「なぜ意識は実在しないのか」を読めば、安易にクオリアとかを考える気がなくなるという効果が得られます
クオリアが現にあるって言ってる人は
何を指してクオリアって言ってるの?
219 :
考える名無しさん:2009/03/22(日) 21:02:00 0
220 :
考える名無しさん:2009/03/22(日) 21:35:41 O
擬似科学ですな
221 :
一般人:2009/03/23(月) 00:23:58 O
現時点で確実なことは『知覚するのは、私である』ということ。
なんだ、自分でも定義できない語をもてあそぶ疑似科学か。
あなたには霊が取り付いています、っていう霊感商法と大してかわらんな。
自分が見ている色が赤色と名付けられているものならば、それは紛れもなく赤色だろうな。
どうして、それぞれが、色弱だと思わないかな。
226 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 13:28:21 0
クオリアという概念によって
いままで知られていなかったゾンビの存在が
わかったんだからすごいことだよね。
さすがに釣り針が太すぎるわ
228 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 14:07:52 0
でもクオリアがないっていうやつは
クオリアという概念を理解できない馬鹿か
ほんとにクオリアを感じることのできないゾンビかの
どっちかでしかないじゃん。
でもテレパシーがないっていうやつは
テレパシーという概念を理解できない馬鹿か
ほんとにテレパシーを感じることのできない旧人類かの
どっちかでしかないじゃん。
230 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 14:43:34 0
>>229 はぁ?
テレパシーとクオリアの違いがわからないあなたは
馬鹿ですか?それともゾンビですか?
釣りじゃなければ、こういう子は変な新興宗教に簡単にはまるんだろうなあと心配になるね
232 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 15:23:26 0
クオリア(笑)
234 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 15:37:00 0
自然科学ってそのクオリアを前提にして成り立ってるんだけどね。
自然科学にクオリアなどという概念は不要です
236 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 15:48:15 0
だから不完全だっていわれてんじゃんw
完全とか宗教ですか?
238 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 16:10:02 0
ちがいますよ。なぜですか?
239 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 17:16:10 0
新しい名前を付けて得意になってるって小学生レベルだよねw
241 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 17:29:18 0
これそんなに難しいか?
要は素朴な心身二元論だから仕方ない。
244 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 17:39:41 0
>>242 科学ではわかりませんっていってだけなんだけど
それのどこがニューサイエンスなん?
ちゃんとわかってから書いてね。そんなに難しい話じゃないから。
サイトの中の人かw
宣伝熱心なことでw
>右側(クオリア)は、意識、主観的体験、ココロなどといった
>非物質的な世界であり
このレベルじゃねぇ
非物質的世界とか言っちゃうようじゃクオリア理解も危ういね
>当サイトの管理人は、会社を辞めて、起業しました。不安定な生活に突入です(T_T)
>当サイトを気に入った方は、申し訳ないですが、
>以下のサイトで、ご協力していただけると助かります……生活が。
>飲茶のネットで収入
wwww
247 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 18:11:57 0
別人なんだけど。
それこそ小学生にでもわかる内容だとおもったんだけどね。
ちょっと難しかったみたいだね。
>非物質的世界とか言っちゃうようじゃクオリア理解も危ういね
物理学で扱えない領域のことだから別におかしくないと思うけど。
まさか
「世界は物質だけで成り立っていてそれを記述する物理学だけが世界を説明できる唯一の方法である」
なんていう信仰をもってるオカルトなかたですか?
釣りじゃなくて、本当に無知なんだね。
「物質的世界」の定義の洗い直しから始めた方が良いよ。
どういう意味で使ってる?
素朴な理解で使うから、そういう単純な心身二元論になる。
また、科学的な用語法のレベルでも、
物理学の対象が「物質」だと思っているのなら
自然科学の基礎からやり直した方が良い。
249 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 18:25:21 0
じゃあ「非物理的領域」ならいいでしょ。
そんな言葉遣いは問題じゃないし、
赤く見えるということが素朴な物理世界一元論では説明できないということが
そもそもの問題なのだから。
自然科学の基礎からやりなおしたところで
なんで赤く見えるのかすらわからないわけだから
それこそ時間のムダというもんだよ。
>じゃあ「非物理的領域」ならいいでしょ。
やっぱり問題が見えてないみたいだね。
じゃあ「物理的領域」って何かな?
「物理的領域」にせよ、「物質的世界」にせよ
「物理的領域」と「非物理的領域」の区分を自明なものとして前提し
議論を構成している時点で、それは議論になっていないんだよ。
別の言い方をすれば
君の言い方で言う「物理学で説明できない」=「非物理的領域」という等式も間違い。
ある時点の物理学で説明できない対象=物理学の対象ではない
ということにはならない。
251 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 18:40:08 0
問題が見えていないのはそっちだよ。
いいかい物理学内部でなにを物質と規定しているかなんていう
スコラ的な議論はどうでもいいんだよ。
問題なのは物理学、もっと広くいえば自然科学という方法では
クオリアという基礎的な現象を説明できないっていうこと。
つまり原理的に物理学では説明できない領域があり
結果としてそれを非物理的領域と呼んでいるんだよ。
自明なものとして前提としている?
どこまで理解力がないんだろうねw
>>251 > 問題なのは物理学、もっと広くいえば自然科学という方法では
> クオリアという基礎的な現象を説明できないっていうこと。
> つまり原理的に物理学では説明できない領域があり
> 結果としてそれを非物理的領域と呼んでいるんだよ。
「説明できない」やら「原理的に」と言ってしまっている時点で
自明なものとして前提しているわけ。
「原理的に説明できない」ことはどこから出てきましたか?
>>250 横レスだけど、クオリアの議論ではまさにその
>ある時点(現在の:俺注)の物理学で説明できない
という意味で「非物理的領域」という言葉が使われてるのでは?
だから物理主義と自然主義の違いや物理学の拡張といった言葉が出てくるのだと思うけど。
254 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 18:55:40 0
>>252 >「原理的に説明できない」ことはどこから出てきましたか?
教義にとらわれることなく
論理的に考えるとそうなりますよ。
紹介したサイトにわかりやすく書いてあると思います。
色を自然科学的な方法で説明できたところでクオリアには接近できないんです。
今後どれほど精密に観測できようが、特定の色を規定しようが、方法そのものに問題があるからです。
これが原理的な問題といわれる所以ですね。
>>253 おっしゃるとおり。
チャルマーズが拡張という言葉でなにを意図しているかはわかりませんが
根本から変更する必要があるでしょうね。
それを物理学と呼べるかどうかわかりませんが。
>>253 確かに自然主義的でかつ反物理主義な立場のバリエーションとしては
そういう用語法としてnon-physicalが使われることもあるけれど
その場合の議論でも、すべてのphysicalな状態を記述できるとして、といった仮想条件が入った議論になる場合
その場合の「すべてのphysicalな状態」で想定されているのはどのようなphysicalかという問題が
飛ばされていたりして割と微妙なケースも。
いずれにせよ、242のサイトのように単純なまとめをしてしまうと
そのあたりの微妙な問題が全部落ちちゃううんだよね。
>>254 釣りでないのなら、もう少し自分の頭で考えようね。
自分の言葉で説明できないのであれば、ただの信仰ですよ。
>色を自然科学的な方法で説明できたところでクオリアには接近できないんです。
こうやって結論を先取りして飛躍するのがニューサイエンスの特徴。
クオリアの議論自体は、必ずしもこういう怪しい話だけではないのに
日本での紹介は困ったものが多いので、こういう話になっちゃうんだよなあ。
257 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 19:08:03 0
>>256 はぁ?理解できないものは怪しい話ですか。
論理的思考が不自由な人にはこまったもんですね。
ここには飛躍も論点先取もありませんよ。
自然科学で赤い色をどのように説明するか考えてみればいいでしょう。
すこしは自分の頭を使ったほうがいいですよw
原理的と言い切ってしまった時点で自然主義を放棄しているんだけど
日本で、この手の信仰系クオリア論者が多いのは
日本の思想的な土壌のせいなのか、日本での紹介者が悪いのか
文化論的にも興味があるところだね。
259 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 19:20:21 0
論理的であるだけで
自然主義を絶対視するような宗教的立場とは無縁なんですw
といっても素朴な物理信仰者には理解できないでしょうが。
>つまり原理的に物理学では説明できない領域があり
これが論点先取りであり、信仰なのだけれど理解できないんだろうねえ。
>>251 だから、
>>211で言ったように配線の違いによるエラーで終わりだっての
それを冗長な理屈でクオリアなんて言ってるだけ。それは天動説における周転円みたいなもんだってことよ。
262 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 19:32:39 0
>>260 マイクで写真は撮れないよ。
将来出来るようになるのかい?
なにが問題なのかまだわからないようだね。
>>261 ぜんぜんちがう話しだからw
>>262 マイクと写真という比喩が適切であるような対象であるという確信はどこから来ましたか?
そのような関係であるということを無根拠に前提にしているからその比喩が可能なのであって
肝心の部分が全く論証されていないよね?
264 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 19:48:16 0
>>263 だからさ、
さっきもいったけど自然科学で赤い色をどのように説明するか考えてみなよ。
頭の使い方わからないの?
>>255 俺は全くの科学音痴なんで、「物理学の範囲」とかいわれても正直ピンと来ない。
貴方はクオリアと物理学の関係は今現在どうなってると考えてるの?
良かったら少し書いてみてもらえないだろうか?
>>254 今現在の時点で物理学でクオリアが扱えてないとしてもそれが原理的なのかどうか俺は良くわからないんだよね。
あなたの書いてることも「扱えませんよ」って言ってるだけで説明になってないよね?
逆にクオリアを扱える、説明できる方法って具体的に何があるんだろう?
>>264 で、自然科学的な説明と違うものであるという確信はどこから来ましたか?
ごめん、
>>265読みなおしたらすごく偉そうだねw
御二方とも気悪くしたらごめんなさい、無視していいですよw
268 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 19:59:23 0
>>264 (赤)波長: 625-740 nm 周波数: 405-480 THzの光
これで終わりだと思うけど?
多少の開きがあるのは赤の定義があいまいだからであって、この間が全て同一というわけではない
>>262 >ぜんぜんちがう話しだからw
どう違うの?
そこまで言わなければまったく反論になってないよ
271 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 20:32:00 0
>>269 その記述では「その色が赤く見えること」は説明できないよね。
なぜならそれがおれには君の言う青に見えてもわからないわけだから、
どうあってもその差違を記述できない。
どんなに精密な数値で赤を定義しても、それが赤く感じる理由の説明にはならない。
赤のクオリアと物理学の記述には断絶があるんだよ。
>>271 何を言っているんだ?
自然界の一定の現象を定義したものの一部が赤だろ
感覚があって現象があるんじゃない、現象があってそれに対する感覚があるんだよ
赤く見えるから赤といわれるのではなく、赤という定義があってそれに当てはまる感覚があるんだよ
クオリアというのは、結局のところ処理の問題であって、定義ではないんだよ
しかもその処理は情報の劣化と単純化によるものでしかない
273 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 20:47:00 0
近年、心理学や脳科学や神経科学で人間の行動を理解できるという傾向が強いですが
例えばPCの原理を理解しても、フォトショップやワードが「どのように動いているか(HOW)」は理解できても「なぜ作られ動かしているか(WHY)」は社会抜きでは理解することはできません。
むしろ、PCを動かしているのはPCではなく社会のシステム
PCは媒体でしかないように、脳や人間もシステムの媒体でしかない。
脳神経科学では人間の行動の解明は無理
「探求は知覚だけで終わるのではない。
人間は「脳」や「身体」ではなく「社会」と「制度」と「価値」に突き動かされている。」
274 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 20:51:25 0
>>272 じゃあどうやってその赤を定義するんだね。
感覚から出発するしかないだろう。
目が見えない。音が聞こえないという状態から
どうやって世界を理解するつもりだ?
本質的なことを忘れて本末転倒してるんじゃないのか?
>>265 この文脈でのphysicalは、もちろんmentalと対比されるものなわけで
これを物理学(的)と訳すと、現代の日本語では勘違いする人も出てきそうだけれど
それはおくとして、
現在の自然科学的な立場からすれば、あるmentalな状態に
対応するphysicalな状態の記述が完全に出来るのであれば、
クオリアというのは概念としては特に必要の無いものになるよね。
物理主義というのは、これが、いつになるかは分からないにせよ確実に可能であるという立場なわけだけれど。
で、もし、こうしたphysicalな記述とmentalな状態の一対一対応が成立すればよいという立場であれば
具体的には脳科学が分野として対応するわけだけれど
脳科学の現状としては、いくつかの記述は出来ていても、全体的に見ればまだまだ途上。
これに対して、日本では、クオリアの「実感」や一人称の側面を強調する立場があるけれど
この手の論者の、「わたしの実感」が自然科学的な記述とは別であるという問題は
実際のところ、特に、現在の自然科学的な記述との関係の問題というわけではなく
非常に古典的な、個人の感覚を他者に伝達するには、
両者の間で共有されている(とお互いに想定している)言語による他はないという話の
バリエーションでしかないわけで、自然科学的にも、哲学的にも
あまり実りがあるものだとは思えない。
276 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 20:57:06 0
>>274 人間の知覚というものは、無数の書類が届いても読まなければ記憶されないことに似ている。
知覚/記憶 伝達/理解 この二つは混合されがちだが決して交わらない。
277 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 21:00:42 0
目が見えない、盲目は「伝達・知覚」されていない。
しかし「伝達・知覚」されても「記憶・理解」しなければ盲目である状態と同じ。
本を購入して目を通しても理解して記憶しなければ読んでいないのと同じであるように
278 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 21:03:11 0
なんか徒労感を感じる…
>>273 それはただ単にラプラスの悪魔が再現不可能といっているだけだよ
脳神経学で固体の動きを計測しても、それはラプラスの悪魔が原子の動きを計測したに過ぎない
ラプラスの悪魔が世界の動きを計測するためには、分子以上の『場』そのものを平行して計測しなければならない
>>274 感覚から出発?石器時代止まりの考えでは?
世界を理解するための『定義』なんだろ
感覚で終着点にするのであれば、自分の脳内で終着点にするのと一緒
281 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 21:25:43 0
>>280 おもしろいこというね。
じゃあ感覚の関与しない例をあげてみてよ。
>>281 逆に問うけど、感覚で物理学が解けるの?
283 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 21:34:27 0
>>282 はぁ?
話しを理解できてるの?
馬鹿な質問するヒマあったら感覚が関与しない例をあげてみてよ。
>>283 多次元宇宙とか、感覚でどうにかなる問題?
可視光外の光や、可聴域外の音は?
感覚で解ける問題なんて実はほんの一部だよ
285 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 21:49:13 0
>>284 はなしを理解してから書き込もうね。
恥ずかしいだけだから。
286 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 22:01:29 0
感覚・知覚がなければ実験物理学は成り立たないだろ。
287 :
考える名無しさん:2009/03/23(月) 22:12:57 0
そのとおり。
それは、計測ではダメなのかな?
>>286 だから、感覚知覚されるものの実在性には、最終的には科学的根拠は無い。
「水槽の中の脳」を科学的に否定することはできない。
つまり、科学における実験結果の感覚知覚は科学の外の出来事。
290 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 00:29:00 O
クオリアの話ですね
ここだけの話ですが僕はクオリアを持たない哲学的ゾンビです
クオリアってなんですか?
そもそもあなた達にそのクオリアってやつがあるんですか?
291 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 09:07:49 0
>>288 >計測ではダメなのかな?
計測結果を感覚・知覚なしでどのようにして認識するのだ?
292 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 10:18:54 0
哲学的ゾンビにクオリアが解るはずがない。
クオリアが解らないものが哲学的ゾンビの定義だから。
哲学的ゾンビはクオリアだけでなくて何もわからないんでは。
294 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 10:28:50 0
哲学的ゾンビでも無意識の行動はできるだろ。
295 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 12:17:42 O
大体文系の分際で無理して理系の話を語ろうとすることに無理がある
296 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 12:24:16 0
理系の分際で無理して文系の話を語ってるから
こうして大恥かいてるんだが。
297 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 12:34:37 0
末端の事務員は経営方針に口出しできないが
経営者は事務に口出しできる。
文系という経営者と同等だと思うなよ事務員でしかない理系ども
298 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 12:36:45 0
わはは、
それはひどい。
299 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 12:41:09 0
理系といえども生きる権利はあるよ。
もっとも「権利」なんてのは理系からはまず出てこない概念だけどね。
300 :
一般人:2009/03/24(火) 12:42:53 O
主観が先か、客観が先かという議論は無駄である。どちらでもないので結論はでない。
主観と客観の相互依存関係が世界の実体である。
しかし、全ての思考は主観から出発しなければならない。なぜなら、主観でしか我々は世界を覗けないからである。
主観から客観をまず説明し、さらに客観から主観を説明するべきである。
すると、客観は主観の変態でありことがわかり、主観も客観の変態であることがわかる。
その時、主観と客観は消え去り、私は世界に混ざり込み、世界は私に混ざり込む。
301 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 12:49:13 0
>>300 それは現象学の誤り
主観的経験に関する説明は曖昧過ぎ、状態空間理論から全く進展しない。
精々、実存主義のような文学活動になるのがオチ
302 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 13:00:46 0
>>301 主観的経験からの報告以外にどうやって世界を認識し記述するんだ?
303 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 13:46:06 O
理系へのコンプレックスがみえみえなんだよ。
クオリアなんて言葉を無理して使うんじゃないよ。
304 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 13:53:59 0
素朴な物理主義って
所詮、なんにも考えてないんだよ。
無知だから自分以外を宗教と言って否定することしかできない。
科学と宗教しか知らない憐れなカエルたち。
305 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 13:55:47 0
主観、多くの観点や次元があるか、わずかな観点や次元しかないのかは原則として問題ではない。
また何かの説明にはならない。
一つのアンカーを定めることによって主観的経験の問題は回避できる。
「私」「主観」ではなく「〜の観点」「〜次元」からと指示しておけば客観的な記述は可能。
クオリアとか言っとけば何か言った気になるバカが茂木の支持者と分かって面白い
307 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 14:02:28 O
科学と擬似科学の区別もつかない人間が具体的な論証も無視してダラダラ語っても意味ないですよw
308 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 14:05:04 0
具体的な論証という手続きに対して無自覚なやつがなにいっても意味ないですよw
309 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 14:08:23 O
310 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 14:09:52 0
クオリアが存在しない?
赤を経験する場合、同時に背景や身体感覚や音など視覚的文脈を経験している。
赤を見る経験はその場によって、クオリア、異なった赤を経験する。
他人と私どころか一秒前の赤と今見ている赤でさえ異なった赤を経験する。
311 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 14:12:50 O
クオリアって科学じゃないんだから何故そんな言葉を使うときに科学を取り入れようとするんだ?
だから文系とか馬鹿にされるんだよ
312 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 14:26:18 0
みんながみんな科学に言及しているわけじゃないんだけどね。
認識論の基礎的な問題だからそれこそロックくらいから議論されているよ。
(古代から続いているとこ言えるけど)
しかも科学に触れてるのは「現代では支配的な説明原理である自然科学的方法では説明できませんね」
という意味であって、科学を取り入れようなんてしてないだろ。
専門外の領域に言及するときはひととおり勉強してからにしようね。
だから理系とか馬鹿にされるんだよ。
313 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 14:32:21 0
ロック,ヒュームに代表される古典経験論でさえ経験は心理学的な要素を多分に有し、カントによって克服されたように哲学史では印象づけられるが
超越論的哲学で誤魔化しただけである。
根本的な勘違いがあって、「科学=絶対に正しいというお墨付き」
「科学でない=間違い、インチキ」だと思い込んでるんだよね。
科学は一つの方法論であって、それが絶対正しいなんて論理的根拠はないのに。
315 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 14:36:22 0
>>314 そうなんだよね。
いかに一般人が自然科学信仰に支配されているかがよくわかる。
まるで中世だよ。
316 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 14:42:54 0
理系の専門馬鹿ほど
自分の中の科学の絶対性がゆらぐと
簡単に宗教へ走る。
もともと理性的に科学的方法を選択しているわけでなく
そういった文化に生まれ落ちた結果信仰しているだけだから
単に宗旨替えしてるだけ。
>>316 具体例を出さずに思い込みだけ開陳しても批判にならんだろ。
文系理系はともかくとして、科学を盲信してるのはクオリア信者のほうであるのは、
過去レスを見てもあきらか。
318 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 14:59:34 0
>>317 具体例?
オウム真理教も知らないのか。
クオリア信者ってなんだよw
「私は赤い色を感じている」って信じるものなのかよw
>>318 >オウム真理教も知らないのか
そんなDQN集団を具体例だといわれても。
>クオリア信者ってなんだよw
「だってクオリアはあるんだからしょうがない」とか平気で言う奴。
いや、クオリアを科学に無理に関連づけようとする人がいなきゃ、
別にこんな話しなくていいわけなのよ。
>もともと理性的に科学的方法を選択しているわけでなく
>そういった文化に生まれ落ちた結果信仰しているだけだから
なら、別にクオリアが科学でなくても、全然構わんはずでしょ?
実感系のクオリア信者って
私が赤を感じる と 特定の神経系の発火が存在する
が決定的に異なるということを論証できないんだよね
321 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 15:38:47 0
>>319 >そんなDQN集団を具体例だといわれても。
不都合なデータは改ざんするのかよw
まったくクオリアをめぐる議論を理解していないようだけど、
クオリアを科学にむりやり関連付けようとしているのは科学者のほうなんだよw
哲学者はふつうに認識論として
「この「感じ」というものは現代では支配的な説明原理である自然科学的方法では説明できませんね」
といっているだけだ。
それに反応した科学者が、こうすれば認知科学に組み込めるだの
神経科学で解消できるだのとんちんかんなことをやってるの。
わかった?
>哲学者はふつうに認識論として
>「この「感じ」というものは現代では支配的な説明原理である自然科学的方法では説明できませんね」
>といっているだけだ。
「ごく一部の」哲学者だよ
バカ
>>321 なんかようわからんけど、じゃあ、あなたは「クオリアが科学でない」という考え方なのね。
じゃあ、このスレで私とあなたが議論する必要はないじゃん。
現実社会での科学者の行動について見解の齟齬があるみたいだけど、
このスレはそういう話をするためのスレじゃないし。
324 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 15:47:16 0
>>322 科学で説明できるなんて言ってるのは
半分科学に足を突っ込んでるやつらだけだよ。
馬鹿
325 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 15:48:51 0
>>323 ここは哲学板なんだから
科学の話がしたいのならおまえが出て行けよw
馬鹿か。
327 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 15:51:16 0
また科学教徒かよ。
ほんと馬鹿ばっかりだな。
>>323 日本では茂木がアホな紹介したせいで
クオリアに関する話は、すっかりただの実感信仰
哲学以前・科学以前の議論になっちゃったんだよね。
もともとのクオリアに関する議論は、このバカが語っているような反科学主義ではないので…
クオリアの議論が新しい哲学的な議論だと思ってる時点で
おまえも哲学以前
330 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 15:55:57 O
道
331 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 15:57:44 0
>>329 ほんとそうだよね。
名前を変えただけで普通の認識論のトピックなんだけどね。
「表象」とか「内在(ちょっとちがうけど)」なら
こういう馬鹿どもにまとわりつかれずに済んだのにね。
332 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 16:20:39 0
既にウィトゲンシュタインが他人の痛み、感覚は語りえぬもので沈黙するしかないと結論付けているしな
>>325 そういうことは最初に言った奴に言えよ。
科学の話をしている奴を批判している奴も同罪といいたいなら、
あんたのそのレスもさして変わらん。
334 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 17:06:55 0
だから言い続けてるんじゃねえかよw
>>332 というか「この」「わたしの」にとどまる限り
他者と通じるものにはならないというのはヘーゲルでも散々テーマになっていたしね
336 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 17:21:39 0
>>1 の問題提起に戻ると、
そもそも、この問題はなぜ問題なのだろうか。
>実は全く違うのに共通認識で=になってるだけ
であった場合、何か困る事があるのであれば、
その問題が実際に起きているかどうかを検証すれば、
起きていないなら、「実は全く違うのに共通認識で=になってるだけ」ではない、
起きているなら、「実は全く違うのに共通認識で=になってるだけ」である、
と結論づけられる。
逆に、
>実は全く違うのに共通認識で=になってるだけ
であっても、何も困らないなら、そもそも議論する必要が無い。
337 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 17:27:42 0
また困る馬鹿かよ。
困るとか困らないなんて話しは
べつのところでやれよ。
338 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 17:31:38 0
困りもしないことをわざわざ議論するほうが馬鹿だと思うが。
339 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 17:34:26 0
現代の理論物理学者のことか?
340 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 17:42:43 0
とりあえず、脇にそれた議論を本筋に戻すのが目的なので、
そこまで話を広げるつもりはない。
341 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 17:44:30 0
というか、
「実は全く違うのに共通認識で=になってるだけ」でも、
誰も何も困らない、という結論なの?
342 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 17:53:18 O
やれやれ
困ったちゃんには困り果てるな
343 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 17:58:16 0
自分が役立たずだということをこれほど威張って言う奴もめずらしい。
344 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 18:00:06 0
哲学って知ってる?
345 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 18:13:31 0
「まったく違っているのに共通認識として同じである。」なんてことは
ありえないだろ。
「共通でないのに共通ということ」が間違いだと気がつかないバカか?
違っているかどうかは検証しようが無い
よって無意味な問い
チョコレートを舐めている人の脳を舐めても、チョコレートの味はしないらしいんですよねえ。
赤い色を見てる人の脳を見ても、きっと赤くないんですよねえ。
これは他人の脳じゃなくて自分の脳でも、たぶん変わらないんですよねえ。
何なんでしょうねえ、困りましたねえ。
なにその低次元な類似の論理
349 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 18:47:26 0
クオリアは「生気」「魂」のようなものだ。
200年前の魂の成否と現代のクオリアの成否は酷似している。
ネタスレ化がひどいw
351 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 18:52:15 0
馬鹿がつぎつぎと湧いてくるね。
352 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 18:56:24 0
「赤」の経験など存在しない。
私たちが赤の経験だと思っているのは、赤を経験するという信念が働いたに過ぎない。
その証拠に、感覚インプットによって生じる傾向に経験が加わったとしても、行動自体はまったく変わらない。
クオリアは余剰物であって必要不可欠なものではなく、そうだとすればクオリアが存在するという証拠もない。
353 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 18:58:28 0
クオリアがすべてに優先されるわけでもない。
付帯する知識がなければ、「ほら、アレの、あんな感じ」といった表現しかできないし、
記憶に留めておくことも難しい。表現できず、
また当人も思い出せない感覚は、存在しないも同然。
354 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 19:01:38 0
我々にとって必要な感覚情報とは、AがAであることや、BがBであること、ではなく、AとBは異なることだけである。
355 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 19:05:01 0
うまく説明できないからって、なかったことにされてもなw
356 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 19:07:09 0
目の前に見えているものでも
説明できなければ存在しないことにするのが
科学的方法というものです。
クオリアが見えるとか言ってる馬鹿、このスレにいたっけ?
358 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 19:09:22 0
なにこの馬鹿w
359 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 19:37:35 0
クオリアは目の前に見えるからクオリアといわれる。
ネタだろうけど
>>359みたいなものはクオリアじゃないね
361 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 19:40:12 0
AとBが異なることが判断できること、AがAであることが判断できるのは
同じ機能だ。
362 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 19:42:15 0
赤い色を赤いと感じるのは赤い色が見えてるということだ。
363 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 19:42:31 O
山
364 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 19:43:23 0
クオリアがなければ色感はない。キッパリ!!
赤い色が見えているという記述をした時点で三人称の科学視点なんだけど
そんなことも分からないバカ?
主語の内文で三人称とかw
三人称「視点」って意味も分からないバカ
そんな my日本語 の意味が分からなくても馬鹿ではない。
わかる奴が電波なだけ。
369 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 20:19:04 0
>>359 現象的意識と混同している典型例
クオリアは感覚原子のこと。
主観的な経験は細分化、分析していくことが可能であるが解釈されたものである限り偽であるためクオリアを意識・発見・説明できることはない。
言い換えればクオリアとは、意識(解釈されたもの)ではなく、感覚原子(解釈させるもの)
伝統的なクオリアは意識されるもの、現象的意識と同義であるが、現代では意識に表れるのは解釈されたものに分類されるので
クオリアは意識には現れないもの赤と意識させるもの。
370 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 20:42:28 O
もうクオリアの妄想話はよせ。
聞いてるほうが恥ずかしくなってくるから。
だんだんクオリアがヘボ詩人の戯言に思えてきた
372 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 21:25:43 0
>>369 そうなると現象学でいう「内在」に近くなっていくけど
そうするとちょっと狭い気がする。
373 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 21:44:31 0
>>369 >クオリアは感覚原子のこと。
またまた感覚原子などというしようもない新しい言葉を作るな。
クオリアは意識そのものでよい。意識されるものは何でもクオリアである。
【レス抽出】
対象スレ:赤色はホントに赤色?
キーワード:メタリズム
抽出レス数:0
・・・w
375 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 21:57:14 0
メタリズムってメタボの子供か?
もう「万物は全てイデアの影でしかないのだからゆがんで見える」でいいじゃん
377 :
考える名無しさん:2009/03/24(火) 23:47:45 0
>>370 >>371 >>373 >クオリアは意識そのものでよい。意識されるものは何でもクオリアである。
>>369を批判している奴こそ茂木と同レベル
クオリアの定義が古すぎというか従来のクオリアの定義すら分かってない、誤解している。
意識の有無のことをクオリアと呼ぶのではない。
クオリアは、感覚情報がA=AからA=BでもA=CでもA=Dなどに入れ替わっても機能的な問題は生じないということである
先行経験や文脈によって解釈は様々になり、それはひとつに定まらず、不確定となる
クワインが言う「翻訳の不確定性」がクオリア
そのためスレタイのような「A(赤と呼んでいるものは他者に)はホントにB(私が解釈した赤)?」のような問題が発生する
>>377 だからヘボ詩人の戯言でいいんじゃないの?
もしくは不安神経症の思い過ごしとか
379 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 00:15:29 0
人間とゾンビや機械の決定的な違いは意識の有無ではなく確率的な要素がないことによる。
ゾンビや機械がAを見ればBと解釈する、確率的な側面はあらかじめ記述されているため翻訳の不確定性によってが発生しない。
よってクオリア(解釈の自由、翻訳の不確定性)はゾンビや機械には存在しない。
とこのような「ゾンビや機械は冗長な解釈はしないだろう」という制約によってでしかありえないのがクオリア
380 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 00:17:10 O
ほんとポエムだよw
せめて小説レベルに昇華しろよw
381 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 00:18:37 0
>>378 クオリアと現象的意識の違いもわからない人にはヘボ詩人の戯言だと思うのか?
382 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 00:45:08 0
クオリアは合成の誤謬によって生じる。
解釈の確率的な要素(クオリア)があるというのは同一ではない人間を一括りにするカテゴリー的誤謬である。
383 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 01:01:49 0
>>378 >>380 日本はクオリアなる言葉が一般にも知られている奇妙な国だが、
しかしその一般的なクオリア理解はもともとの哲学的なクオリア理解とはあまりに異なっていてとてもおかしい。
誤った定義が一般化してしまい
>>369>>377>>379のような正しいクオリア解釈が詩人の戯言にされてしまう。
384 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 01:11:12 O
最低でも例えば、網膜の個体差により生じる認識の違いを排除しなけりゃあな。
クオリア、クオリアって念仏みたいに唱える奴に限って論証ってものをまるでわきまえていない。
385 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 01:14:18 0
このスレってクオリア、クオリア以外に語ることあるの?
386 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 01:22:23 0
クオリアは内的感覚や意識のことではない。
小泉旋風真っ只中のポピュリズム時代でのある脳文化人Mの活躍のせいなのだが、
未だにその後遺症はあちこちに残っている。
387 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 01:55:06 0
>>384 Dennettが述べるように個体差など創造の産物でしかない。
同一ではない個々人を人間と一括りにすることから生じる合成の誤謬、カテゴリー的誤謬
388 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 02:17:50 O
>>387 そういうことではなくて、純粋なクオリア(あえてここではそう言うが…)を語るなら、網膜の個体差など大脳以外の条件によって生じる感覚の差異の一切の排除が必須だということですよ。
感覚の違い=クオリアじゃ幼稚すぎる発想でしょ?
それから感覚の違いをどう確かめたか論証が確かではない内はこういった物理的差異を少なくとも明らかにする必要があるといった具合ですね。
389 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 02:21:05 0
今度は宗派争いか。
これだから宗教とかオカルトというやつは始末が悪い。
390 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 02:39:22 0
哲学的ゾンビはクオリアを大きく誤解させる。
本来、クオリアの説明に適しているのはダルメシアンの犬だろう。
ダルメシアンでなくてもAAでもいい
「ヽ(゚∀゚)ノ」
↑
クオリアはこれを見えているという内的感覚のことではない。
クオリアは↑をキャラクターや文字や記号など「文脈と解釈者などによって解釈がひとつに定まらない不確実性」ことである。
赤を見る場合なら、赤の背景、視野的文脈、身体の状態などのアンカーを定めることによって赤のクオリア(赤の解釈の不確実性)を説明可能である。
そもそも解釈に限らず不確実性(クオリア)というのは、自然社会にはありえない。
クオリアは「自由意志」と同じで、異なる個々人を人間と一括りにすることから生じる合成の誤謬、カテゴリー的誤謬
クオリアは「自由意志」同様にありえない。
クオリアとは、不確実性により感覚刺激が解釈や認識によって不確実性が生じることを前提としていなかった過去の機能主義を批判し機能主義を発展させた踏み台的な概念である。
391 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 02:45:22 0
アホな物理主義
神秘主義のほうがお似合い
392 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 02:48:23 0
ゾンビは、「何故赤は赤いか?」と形式的に問うのである。
これは、定義からゾンビにとって冗長な問でなければならない。
これがゾンビにとって冗長であるためには、ゾンビが外的な情報と内的な情報を区別しない必要がある。
これと、ゾンビが外界からの情報「赤」に適切に応答しなければならないことから、ゾンビは内的な情報「赤」を保持することはできない。
したがって、ゾンビは全ての外界からの情報に対し、反射的に応答しなければならない。
これは、ゾンビに確率的な要素がないことを要求する。
あるいは、彼の行動の確率的な側面はあらかじめ記述されていなければならない。
393 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 03:17:20 O
クオリアからは何も生まれない。
ということでお開き。
再 開
395 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 18:03:57 0
クオリアがなければつまらない人生だね。
クオリアの無いコーヒー
だいたい、一日中部屋に閉じこもって本ばかり読んでるから、
クオリアとか変なこといいはじめるんだな。
これから陽気もよくなるから、すこしは外に出て散歩でもしてみるといい。
クオリアなんてなくたって、空は青いし、春の風は気持ちいいし、
桜が咲いたなら桜並木とか歩けば、なんとはなしに気分が浮き立ってくるだろ王。
そういうことが、実際に人間が生きていくうえでは大事なことだろう。
締め切った薄暗い部屋の中で、クオリアクオリアと呪文のようにぶつぶつ唱えているだけでは、
一生分からないことかもしれないけど。
398 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 18:28:20 0
>クオリアなんてなくたって、空は青いし、春の風は気持ちいいし、
おもしろい
399 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 18:48:44 0
>空は青いし、春の風は気持ちいいし、
こういうのはクオリアじゃないから
この定義だと全てのものはクオリアを持つかもしれない汎心論も主張できてしまう
空が青いのも風が気持ち良いのもクオリアだよ
クオリアなしの世界なんて、コーヒーの無いクリープみたいなもん
401 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 19:08:48 0
>>399 全てのものがクオリアを持つかもしれないし汎心論も主張できてしまうと
なぜクオリアの定義として適当じゃないんですか?
402 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 19:12:39 0
>>400 そんな謎めいた概念がクオリアだとすれば
ゾンビや機械がクオリアを持っていないと限定できる証拠さえない
「ヽ(゚∀゚)ノ」
↑
クオリアはこれを見えているという内的感覚のことではない。
クオリアは↑をキャラクターや文字や記号など「文脈と解釈者などによって解釈がひとつに定まらない不確実性」ことである。
日本語でOK
404 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 19:22:30 0
>>403 ゾンビや機械の行動の確率的な側面はあらかじめ記述されており
不確実性は冗長であるため、ゾンビは外的な情報と内的な情報を区別しない
つまりゾンビには人間と違い確率的な要素がない。
これが哲学的ゾンビがクオリアを持たないと規定される所以。
中世の学者は、研究といえば、昔の文献を解釈することだった。
その辺に生えてる草花の研究をするのでも、実際に外に出て実物を研究するのではなく、
古典の記述の解釈をめぐって喧々諤々の論争をして、それで一人前の学者ということになってた。
だから、写本の課程で改変されてしまったありもしない葉や、器官が存在すると思い込んでた。
クオリアも同じこと。
部屋に閉じこもって、本だけを読んで考えるからありもしないものについて、不毛な議論をえんえんと続けることになる。
実際に外に出て、青い空や、夕焼け空を見てみれば、そんなものは必要ないのは明白なのに、
そういう現実から目をそむけて、本の世界に閉じこもり、部屋のドアをあけようとさえしない。
なんだ、ただの言葉遊びか
407 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 19:27:54 0
>>404 日本語として意味不明だね。
外的な情報と内的な情報なんて新しい用語を持ち込むな。
408 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 19:30:28 0
「クオリア」なんて言葉を未だに使っている古代人はデネットぐらい目を通せよ
409 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 19:30:55 0
>>405 >実際に外に出て、青い空や、夕焼け空を見てみれば、
それをそのように感じられることがクオリアだからね。
別にクオリアに何の神秘もない。
410 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 19:32:45 0
「クオリア」は日本語では「感じ」だろ。
「感じ」のない人はいないだろ。
質だよ
412 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 19:37:01 0
>>409 >実際に外に出て、青い空や、夕焼け空を見てみれば、
>それをそのように感じられることがクオリアだからね。
「感じ」などという感覚質の経験など存在しない。
私たちが赤の経験だと思っているのは、赤を経験するという信念が働いたに過ぎない。
その証拠に、感覚インプットによって生じる傾向に経験が加わったとしても、行動自体はまったく変わらない。
クオリアは余剰物であって必要不可欠なものではなく、そうだとすればクオリアが存在するという証拠もない。
知覚に信念なんて関係ないよ
414 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 19:44:15 0
クオリア、主観的体験は、幻想に過ぎない。
客観的、機能主義的に見た振る舞いが我々の脳と全く同一であるにもかかわらず、
そこに一切の心的表象が随伴しない仮想的存在を「ゾンビ」(Zombie)と言う。
だがゾンビの脳に心的表象が随伴しないと制約しているだけ。
415 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 19:56:03 0
>>414 >そこに一切の心的表象が随伴しない仮想的存在を「ゾンビ」(Zombie)と言う。
そんな難しいこといわなくてもそういうやつは「不感性」だといえばすむことだ。
人であって人でない人非人というやつだ。
416 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 20:00:49 0
クオリアは「感じ」だよ。「表象」や「第二性質」に似た概念だね。
だから「クオリアは存在しない」という主張は
「感じは存在しない」といっているようなもの。
つまり「私はゾンビである」と告白していることになるな。
なら、「感じ」でいいじゃん。
わざわざクオリアと呼ぶ必要など無い
「感じ」という日本語にすると離人症などでは「感じ」が成立しなくなるので不適切
420 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 20:04:27 0
どこまでが感覚でどこからが知覚か認知か線引きできないだろ。
昔のようにすべては「識」でいいじゃないか。
唯識が最強だね。
421 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 20:06:34 0
>>417 >>418 そうだよ。感じでいいんだよ。
わざわざクオリアなんていう必要はどこにもない。
そうすればへんな誤解もなくなるよ。
422 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 20:10:39 0
>>419 離人症こそ「感じ」の症状ではないか?
普通の人と「感じ」が違うから離人症と診断されるのだろ。
>>422 クオリアは経験的に違うかどうか記述できるようなものではない
そして誰かにとって存在し、誰かにとって存在しないようなものでもない
424 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 20:37:44 O
勝手に言葉を作って、さも存在しているかの様に扱うからおかしいんだよ。
たかが個人が持ち出した定義なんだから寄ってたかってクオリアなんて言葉を使ってやらなくてもいいんだよ。
クオリアはフィクション。はい終わり!
426 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 20:45:37 0
「感じ」がフィクション?
馬鹿じゃねえの?
感じているかどうかなんて他人には分からない
だから語る意味が無い
↑バーカ
反論できなくなるとバカとののしるしか出来ないクオリア論者のレベルの低さが思いやられるスレ
430 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 20:56:05 0
おまえがなにを感じていようと他人にはわからないんだから
語る意味なんてないんだよ。
もしかしたらあるかもしれないけど、科学的観察事実ではない、というだけのこと。
神や幽霊の話と同じ、科学はこれらの存在を否定はしない。
ただ、扱わないだけ。
神や幽霊などと同じ文脈で語る分にはなんら問題ない。
432 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 21:04:16 0
こういうふうに科学を勘違いしてるひと多いね。
バッカじゃねえの
科学でクオリアを語っても全く問題ない
いや、なんでそう科学でないといわれるとムキになるかな。
別に科学じゃなくてもいいじゃん?
435 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 21:17:50 0
ほんと馬鹿だなあ。
神や幽霊の存在なんて少数の報告しかないから信憑性に疑問符もつくだろうが
なにかの「感じ」なんて日々経験してることじゃん。
いまもそれを確認することができるだろ?
特別な方法など使わずにさ。
それが単に「科学」というツールで扱えないだけの話しでしょ。
それをなにを血迷ったか「存在しない」なんて馬鹿なんじゃないの?
感じの確認なんて出来ない
437 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 21:28:23 0
馬鹿もここまでくると憐れだな。
「なんとなく最近背中が重いでしょう?」とか適当に言いくるめて壺を売りつける連中と同じレトリックだな
439 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 21:33:26 0
理解力ゼロ
自分で説明できないことを他人のせいにする低能
441 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 21:36:48 0
理解できないことを他人のせいにするゆとり
あなたが理解できないのは信仰が足りないからです
って典型的な宗教の言説だよね
ホント、クオリアバカはたちが悪い
443 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 21:45:05 0
いや、君には論理的思考能力が足りないんだよ。
クオリアは実感だと言ったり、論理だと言ったり
全く一貫性が無い
論理的思考能力にかけているから、そういうことになる
445 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 21:48:32 0
君には論理的思考能力がないから
クオリアが実感であることを理解できないんだよ。
ほんとに理解力がないね。
本当にきみはバカだなあ
クオリアは実感である
という主張は実感できないという人が一人でもいれば成り立たない
日本で流布しているようなクオリア理解が何の意味も無い言説なのは
一方で、それが個別の、共役不可能な実感であることを主張しながら
それが万人に妥当するような実感であると主張すること。
この両者は論理的に両立しない。
448 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 21:56:36 0
すごい論理だなあw
1+1=2である
という主張は1+1=2ではないという人が一人でもいれば成り立たないのかよw
>>447 共訳不可能な実感が万人に存在することは
ふつうに両立するだろw
なに馬鹿なこといってんだ。
>>448 実感を、数学的真理に摩り替えて誤魔化してるね
数学的妥当性を、実感の比喩には使えない
君の論理的思考能力の無さが良く分かる
>>448 共役不可能であると主張した時点で
AとBにおけるそれが、同じ名で呼ばれるに値するものかどうか判断できなくなるんだよ
その程度のことも分からない?
451 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 22:00:47 0
>>449 >数学的妥当性を、実感の比喩には使えない
その根拠を論理的に説明してみてよ。
452 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 22:03:19 0
>>450 共約不可能なのは個々の感じであって
「感じ」と総称されるものじゃないだろ。
その程度のことも分からない?
453 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/03/25(水) 22:03:27 O
日本で流布してるって何のことだろ?
バカ模擬が広めたポエム的用法のこと?。
それならあのバカはほっとけ。
で、語ろうか。
>>451 数学的な主張というのは、一切の経験的な事実と関わりなく
原理的に、普遍的に妥当する主張
経験的な主張はそうではない
特に
>>435のような
>なにかの「感じ」なんて日々経験してることじゃん。
>いまもそれを確認することができるだろ?
では相手の同意を求めている
相手が同意しなければ成り立たない主張でしかない
>>452 「感じ」と総称されるものが共役可能な何かだと思ってるの?
456 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/03/25(水) 22:09:47 O
つまり分析的な真理だといいたいのかい。
457 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 22:12:11 0
>>454 >数学的な主張というのは、一切の経験的な事実と関わりなく
>原理的に、普遍的に妥当する主張
すごいね、君はその知識をなんの経験をすることなく
知っているわけかw
>相手が同意しなければ成り立たない主張でしかない
ばーか。
この主張が成り立たないのは二つだけだ。
一つは「実際に」相手がなにも感じられない場合。つまりゾンビである場合だ。
もう一つは相手が理解出来ていない場合だ。つまり馬鹿である場合だ。
おれはまだ君をれっきとした人間として扱ってやっているんだよ。
感謝したまえ。
458 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 22:12:56 0
459 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/03/25(水) 22:13:28 O
それとも数学的真理とかいうのが、
アプリオリな知識だといいたいのかい。
>>457 君は本当に哲学の基礎的な知識も、科学の基礎的な知識も無いんだな
>
>>454 > >数学的な主張というのは、一切の経験的な事実と関わりなく
> >原理的に、普遍的に妥当する主張
> すごいね、君はその知識をなんの経験をすることなく
> 知っているわけかw
「普遍的に妥当する主張」という話であり
その主張の経験的な源泉の話ではない
その区別もつかないわけ?
> >相手が同意しなければ成り立たない主張でしかない
> ばーか。
> この主張が成り立たないのは二つだけだ。
> 一つは「実際に」相手がなにも感じられない場合。つまりゾンビである場合だ。
この主張が成り立つには、相手と自分が同じ「感じ」を共有しているはずであるという前提が必要。
つまり、普遍的に「感じ」が共有されていると天下り式に結論を前提としている。
君の論理は破綻している。
>>453 某ポエマー以外の、まともなクオリア論の話はスレの上の方でほとんど出ちゃったよ
今スレでクオリア論を主張している人は、実感系の人なので、某ポエマーレベルだけど
>>460 論理はおもしろいものだね。
ところで君は
帰納やアブダクションを
推論の一つとして受け入れるつもりはあるかね。
それとも拒否するのかね。
463 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 22:26:15 0
>>460 きみこそ数学の哲学や科学哲学をやったことある?
>「普遍的に妥当する主張」という話であり
>その主張の経験的な源泉の話ではない
皮肉が通じないのも馬鹿の特徴のひとつだな。
「ある主張は普遍妥当性がある」という主張も
原理的になんらかの経験によってしか接近できないだろうが。
>この主張が成り立つには、相手と自分が同じ「感じ」を共有しているはずであるという前提が必要。
>つまり、普遍的に「感じ」が共有されていると天下り式に結論を前提としている。
だから人間扱いしてやってるから感謝しろって言ってるじゃんw
もー馬鹿相手にするの疲れた
感覚を表現する発火パターンは言語的であり脳内言語とでもいえるものかな。
しゃべるのは日常言語に翻訳していることなのかも。赤の違いも脳内言語の
恣意的定義つけの違いの問題なのだろう。
携帯からなので、あまり上の方は見きれないのだが、
とりあえず光の波長は関係ないな。
網膜や一次視覚野への電気刺激だけでも、光は『見え』るからね。
>>462 別にクオリアに関する議論自体を否定するのではなく
このスレの一部の人が、「感じ」という日本語で訳して主張しているような、
科学的な分析の対象となりえない、だが実感に基づくクオリアの実在という話は、
最初に、クオリアを各個人にとって自明ではあるが、共約不可能なものとして立ててしまう時点で、
そもそも、その先に議論が全く広がらない無意味な話になるというだけの話。
クオリアを、その定義ではじめたら、どうやったって実り有る話にはなりませんよ、という話です。
>464
表象主義だね。
>>463 >
>>460 > きみこそ数学の哲学や科学哲学をやったことある?
> >「普遍的に妥当する主張」という話であり
> >その主張の経験的な源泉の話ではない
> 皮肉が通じないのも馬鹿の特徴のひとつだな。
> 「ある主張は普遍妥当性がある」という主張も
> 原理的になんらかの経験によってしか接近できないだろうが。
意図的に「数学」を落としたね。
まともに科学哲学をやっていたら
数学と経験との関係という問題は、常に扱いに困るものだって知っているだろうに。
数学の普遍妥当性という主張が、原理的に経験によって接近される?
意味不明の主張だね。
> >この主張が成り立つには、相手と自分が同じ「感じ」を共有しているはずであるという前提が必要。
> >つまり、普遍的に「感じ」が共有されていると天下り式に結論を前提としている。
> だから人間扱いしてやってるから感謝しろって言ってるじゃんw
> もー馬鹿相手にするの疲れた
つまり、君の主張では論理的に相手を説得できないわけだ。
バカ多すぎ
べつにてめえらに「同意」させたくて論を展開させてるわけじゃねえーよ
ところで、結局のところクオリアって何なのさ
クオリアの存在を支持する人の中でも色々な解釈があって、まったく分からないよ
まず統一してくれ
>>466 とある物理学者が、たしかフリーマン・ダイソンだったかと、
この意識の問題を否定する同僚の物理学者を、
ベッドの大きさに合わせて、寝ている人の足を切る
と表現してたのが印象深い。
つまり方法論に合わせて、問題を矯正させてると。
472 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 22:55:28 0
赤色はホントに赤色?
これはね・・・
もし人間に色の識別ができなかったとすれば・・・
人類はどうなっていたか・・・
と考えれば・・・
血の色が識別できなかったら・・
医学も困るだろうね。。
というより・・・
人類は滅亡してた・・
になる?
感覚とクオリアはイコールじゃないってことなのかな。
単に感覚なら感覚器官からの信号も感覚なので情報なのでカメラでもマイクでも
いいわけで。それだとクオリアという言葉を使う必要性も無いですね。
クオリアというからには非還元的という理解できないような概念があるのかな。
474 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 22:58:04 0
人間は上手く造られてるよ・・・
モノクロの世界だったら・・
想像しただけでもおそろしいお^^
475 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 22:59:38 0
美術家は存在するのかな?
色のない世界で・・
表現が堕ちるかもしれないな・・
476 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 23:00:23 0
お?
>>470 クオリア、つまり赤の赤さ、というやつがあるかどうかで争われてるわけじゃない。
「クオリアって、一体みんな何の話をしてるんだい?
僕には全くもってなんのことを言ってるのか分かりません」
という宇宙人的なやつはいない。
争点は、そのクオリアと呼ばれてるやつが、いったい何なのか、という点で、
それに関して考えが錯綜してる。
錯覚だ、表象だ、高次の認知だ、性質だ、情報だ、謎だ、等々。
>>471 それは、記述にあわせて記述の対象が構成される
理論負荷性を考えても、不可避なのでは?
>>473 クオリアという語に積極的な意味を求める立場は
そのような記述に還元できないものとしてあるとする立場。
実際には、クオリアという語は使っていてもいろいろな立場があって
かかれているような不要論を唱える人もいます。
479 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 23:11:34 0
>>475 カメラはクオリアは持たないけどカラー写真は写せるね。
色をそのまま表現するにはクオリアはいらないだろ。
480 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 23:21:45 0
>>473 >感覚とクオリアはイコールじゃないってことなのかな。
感覚には無意識の感覚と意識に感じられる感覚がある。
この意識的な感覚のことをクオリアというのだろう。
感覚刺激を機械的に情報処理するには必ずしもクオリアはいらない。
はて、記述に還元できないというのは、
非還元の意味を取り違えてるのでは?
非還元というのは、物理主義への還元ができない、ということ。
言語の問題とはまた別。
富士山という字はなぜ高くないのか、
騒音という字はなぜうるさくないのか、
寒いという字はなぜ冷たくないのか、
言語への還元不可能性としてこういう事を言ってるなら
それは他のすべてで変わらない。
482 :
考える名無しさん:2009/03/25(水) 23:34:27 0
>>466 >最初に、クオリアを各個人にとって自明ではあるが、共約不可能なものとして立ててしまう時点で、
そりゃ、クオリアが共役不可能だと断定すればそれで思考停止になるのはあたりまえだ。
実際はクオリアが「感じ」として共感されることになるのがどうして可能なのか、
こそ問題だろ。
>>477 錯綜している状態のままでいいのなら、クオリアって言葉は何を指してるんだよ
概念が先行するって言ったって、名前だけ決まってほか決まってませんじゃダメだろ
どこまで決まってから作られた言葉なんだよ
この概念はだいたい
枚挙的、また直示的に定義される。
赤の赤さ、ピアノのFの音、香水の匂い、等々。
問題はこの概念と他の概念、例えば物質や物理状態、認知、錯覚
などとの関係をめぐるものでしかない。
この概念を操作的に定義する方法はない。
人々の不満はそこにある。
要するに未来永劫何も決められねえってことか
そうは思わない。
たしかに意識の問題は難しく、かなりの混乱をもたらしもするが
数ある難問の中では比較的マシな部類と言える。
時間は永遠か、この宇宙はなぜ生まれたか、
こんな問題たちに比べれば、意識の問題ははるかに容易だろう。
むりむり
枚挙的、また直示的に定義されるってことは、人の数だけ定義があるってことになる
勝手に想像しちゃってるこのスレのクオリア支持者の様子を見れば自明なこと
例えできるにしても、定義のすり合わせは人の寿命の中で行わなければいけない
死んだらリセットでやり直し
489 :
考える名無しさん:2009/03/26(木) 01:26:53 O
あんまり内容の無い話だと思うなぁ。
色盲とか色弱に比べたらその差なんてあったところでそれがどうしたって話さ。
哲学的にいいネタになるだけじゃないの?
外界から知り得た全ての物事は脳が勝手にそうであると思い込んでいるだけ
実際にはどうなっているかなんて人間には分からない
491 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/03/26(木) 01:44:13 O
488
人、死、支持、自明、寿命、リセット、そして定義
とりあえず今あなたが使った言葉、さあ定義してみよ。
492 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/03/26(木) 01:48:50 O
489
関心がないならどうでもいい話。
地球が丸かろうが四角かろうが、
興味のない人にとってはどうでもいい話。
493 :
らら ◆FjOpeTE2Ts :2009/03/26(木) 01:57:00 O
物自体か。
まあクオリアの概念も源流を辿るとある種の認識論上の議論がある。
知識の基礎づけのベースとして、意識に現れる表象や、感覚与件、のような概念が議論されてきた歴史だ。
それ自体はポシャったが、
別の形で再興した。
494 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/03/26(木) 01:59:14 O
トリップを間違えた。携帯はダルい。多分これで合ってる。
全く同じこと考えたことあった。
こう書いてる文字も他人には全く違うように見えるんじゃないかとかな。
496 :
考える名無しさん:2009/03/26(木) 03:09:54 O
大袈裟な想像。
または例えが悪い。最悪。
497 :
し:2009/03/26(木) 05:43:37 O
何が最悪だ。いいか?物事には道理があり、我々には自然に与えられた重力と恩寵がある。全ては神のためにアーメン。必要だから与えられているわけで誰が悪い訳でもない
>>480 > 感覚には無意識の感覚と意識に感じられる感覚がある。
> この意識的な感覚のことをクオリアというのだろう。
> 感覚刺激を機械的に情報処理するには必ずしもクオリアはいらない。
脳細胞のはたらきも機械的情報処理なわけで。
チャーマーズの意識の定義でもそうだが、観測不可能であるとするのは、脳をもってしても
自身に意識があるかわからないということになり、矛盾するのではないだろうか。
500 :
考える名無しさん:2009/03/26(木) 07:57:38 0
>>498 >脳細胞のはたらきも機械的情報処理なわけで。
機械的情報処理というのがどういう概念かわからない。
脳細胞の物理的というか分子生物学的な機能は意識されることはない。
脳細胞の働きからどのようにして意識が生み出されるのかが問題だろ。
501 :
考える名無しさん:2009/03/26(木) 12:27:25 O
その文章をみるかぎりあまり脳に関する知識は無いようだ。
502 :
一般人:2009/03/26(木) 12:53:41 O
脳が存在するかは、わからない。現段階で唯一存在するのは私である。
だから全ての出発点は私となる。
脳などというあやふやなものは脳科学者に任せておけばよい。
考えるべきは『赤を感じている私』である。
503 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/03/26(木) 13:08:12 O
504 :
考える名無しさん:2009/03/26(木) 13:31:41 O
まあ解明されてないだけでニューロンの電気信号のやり取りとりが基本なのは分かってることだ。
色や物を認識するといった基本的なものに大差などなくそれをどう感じるかは例えば条件反射に比べたらあっても微々たるもの。
それは遺伝的なものであったり経験的なものであったりする。
赤は赤と認識することには違いはなく赤からイメージするもの(暖かさなど)に違いがある。
また更にその色が好きとかいう意識がそれらの後に来るわけ。
クオリアが情報入力した直後のものを指すならこれらとは離して考えなければならない。
505 :
考える名無しさん:2009/03/26(木) 15:34:55 0
光がなければモノを観察できない。
赤色のモノそのものを見ることは出来ない。
なにもわからないよ。
>>491 人・・・特定の種
死・・・生命の終わり
支持・・・特定の考えへの同調
自明・・・見るからに明らかなこと
寿命・・・特定環境下での固体の生存年数の限界近辺
リセット・・・初期化
定義・・・とりあえず定めた共通概念
基本的に言葉ってのはパズルのピースだよ
ピースの形によって呼び名は指定されてるけど大きさは指定されていないね
508 :
考える名無しさん:2009/03/26(木) 18:03:13 0
「私」は一人称・単数の代名詞だろ。
>>502の言う「私」がそれで過不足なく説明できているとは思えないんだ
ねーちゃんのまたぐら見てみろよ
511 :
考える名無しさん:2009/03/26(木) 20:11:48 0
そこに息子は入っても私は無理だ。
これだからロリコンは・・・
513 :
考える名無しさん:2009/03/26(木) 20:43:29 O
>>505 そりゃ論外だろ?
他人との比較じゃなくなってくる。
対動物、対宇宙人を語るなら大いに関係はあるが。
514 :
一般人:2009/03/27(金) 21:01:40 O
確実な「私」とは、私を「認識する主体」に他ならない。
脳は「認識する主体」でもなんでもない。
その「認識をする主体」の存在を保障するのは誰?
ウィキペディアの「クオリア」で最初の画像(赤のやつ)と、そのキャプション
これでいいのか?なんかワロタ
517 :
一般人:2009/03/27(金) 21:39:00 O
>515
保証など誰もしない。
「赤」を認識している。「赤」は本当は「黄」かもしれないが、「赤」を認識している。その「認識する主体」は確実に存在するし、それは「私」だ。
「君」ではない。「君」なら私は赤を認識していない。
518 :
考える名無しさん:2009/03/27(金) 22:19:40 0
>>516 まさか、白黒のモニタで見てるんじゃないだろな。www
>>517 . / \ f三=、ミヾi{ノjリハ|l | l|l|! |l| l li iliヽ / \
. / | ,仁ニ≧ー''゛''"'ヘ|l i i|l| |i| | li ll トl / ヽ
│ く 私 一 l. /彡ィ',r=-_、、、 ,,jNHトl、_lトl、l |l |l|l| / 存 君 |
| れ が 体 | k彡イr;≦ニ_ミk==衫ニ仕ミNトl、| |l |l l|│ 在. の |
| る 保 .ど l,/´-ト《 '┴゚'ヾソl;=t{く(_句ヾYl}ト|l | l|l l| | は 主 |
| の 障 こ j{ { rj ` ー=彳{ `ヽ二≧'人lハlリハリ│ 体 |
| だ .し の /ヘヽ!| ヽ) ゝ ` ̄ lKイナ" ! の │
│ ね て / ト、l ^ー‐--、、____,う フ ム'/ ヽ /
. l ? 〈 ヽl.  ̄`ー- jノ 厶 /
ヽ /ヽゝ 」l 、 / \ ____ /
\ ___ / _ノ>'´小、ヽ、 ,. /\_
_,.二ニ-‐フ´ / /!| \ ` ー --‐ '´ , イl、 丶、ト、__
,r‐<´ / ' /´ |j ヽ、 __/ ' ハl、 ヽ `丶、 /⌒〉
ノハ \ / / jl| ,' jゝィ厂 ′/l∧ \ \/ /
∧丶ヽ V / /リ ; /⌒l| ; / / ヘ ヽ / /、
l l、 、 } ヽ / ハノノ / ∧ ,' / / ハ \丿 厂\
、_}/ノレー‐-、\ / 、 |/'´ / ン=c'、{ヽl ' / / }、 レ- '⌒ヽ__ ヽ
´ /´{ `ヽV___、>−-、 く /7个i/ ヘ.0/ / ハ / _,. イへ\ \
∧0 ノヽr─-、___)一´- 、/ ) ∨ / / jl ∨/=-、 (⌒>‐イ _∠´ /l /! \ \
{. ハ | {、_ ____) / / / | / \ (⌒( __`二´-‐┬' 7/l | ハ ヽ
520 :
考える名無しさん:2009/03/27(金) 22:59:09 0
認識する主体は私の一部でしかない。
521 :
考える名無しさん:2009/03/27(金) 23:10:16 0
保障wwwwwwwwww笑わせんなwwwww
522 :
考える名無しさん:2009/03/28(土) 00:06:27 O
>>518 赤の画像に「赤のクオリア」って説明文がついてるんだよ
「そりゃそーだかなーおまー」ってならないか
523 :
考える名無しさん:2009/03/28(土) 00:12:30 O
>>522 英語版は、もっとまともな
"Redness" is usually taken as the canonical example of a quale.
って説明なのにね。
日本語のクオリアの項目は立場が偏りすぎ。
525 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/03/28(土) 00:59:06 O
Wikipediaを見てる時点で死亡。
電話は英語版もろくに読んだことないんだろうな
527 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/03/28(土) 01:07:54 O
英語版はデネット的立場への片寄りが強いよ。
最近やっと直りつつあるようだが。
528 :
考える名無しさん:2009/03/28(土) 01:14:51 O
529 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/03/28(土) 01:21:06 O
おお、いい指摘だ。
俺は死亡のようだ。
まあそれはそれとして、上の方で矛盾ではないか、
という話があったけど、矛盾はない。
構造的には決定できない懐疑と同じような構造になる。
530 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/03/28(土) 01:27:45 O
あと上でいくつかの語を定義してるが、
その中で万人に共通の外延を持つものがあるかを教えてくれ。
色彩の定義の立て方にも文字通り色々あって
紫外線や赤外線を関知できる視覚を持った生物
あるいは逆に明暗の関知しかできない生物と人間じゃ
そりゃ色の定義は根本から違うわな
次に、同じ人間でも個々人の色彩認識力はバラつきもあるだろう
さらに、文化圏によっては「虹は三色」「藍色と紫の区別がない」とかいう
文化圏もあるだろう(言語学で訳語が一致しない場合があるのと同じ)
でぇ、結局、少なくともこの文章読んでる平均的日本人の間に関して言えば
1000人中990人以上が「これが赤」って言ったものが赤ってことになる
文化慣習的な「最大公約数」が赤ってことになるんじゃないの
とりあえず日本国内ではそれで困らんと思うんだが
532 :
考える名無しさん:2009/03/28(土) 04:45:29 O
赤信号を赤と認識、少なくともその認識レベルが青信号や黄信号と区別出来るものならば常識的に赤を見ているといってよいだろう。
仮に見える赤に微妙なズレが存在するとして果たしてこの微妙な差からどういった不具合があると考えられるか予想するほうが遥かに困難である。
クオリアを語る者はこれらについて全く語ろうとしない。
その理由はこうである。
大した不具合が思い浮かばないからである。
ただ空想を張り巡らしているだけである。
533 :
考える名無しさん:2009/03/28(土) 05:08:38 0
3月20日から急激に書き込みが増加しててワロタw
534 :
考える名無しさん:2009/03/28(土) 05:22:19 0
いえす
535 :
考える名無しさん:2009/03/28(土) 06:37:09 0
正常な人間なら、どんな光を赤色に感じるかなんて似たようなもんだろ。
「常識」ってもんがあるだろ。
ファジーつうか、人間は判断に揺れ幅ってもんがある。
幅があるから、幅にばかり注目してれば違うようにも思えてしまうが、
だいたいは同じだ。だから常識ってものが成立する。
国や言語や文化が違えば、範囲、幅は異なってくるが、だいたいは同じだ。
ファジーだよファジー。
よく言語体系が違うと色も違うとかいうが、日本人だってイエロー・マゼンダ・シアンと
言ってるし、美術系の学校に行けば外国語で何百色もの色を日本人でも覚える事になる。
虹は七色と幼児期に教わったが、俺は一度も虹が七色に見えたことがない。
どこで区切りるか分からないので、虹の色の数を数えられるなんて
大人が勝手に作った嘘なんじゃいかと、幼心に思ったものだ。
視覚の感覚器も、脳も皆同じ規格、仕組みで動作しているので、
正常な人は同じに見えていると考えるのが妥当とおもう。
細かくどの波長を赤と捉えるかは、ずれはありますが。
クオリアにも違いはない。赤コラムが発火してるだけ。
どれとどれを同じ色と認識するか等の微妙なテストをすると分かるけど
個人の色の知覚は、客観的にテストできる範囲でも結構ずれてるよ。
ただ、日常生活では、それが問題になるようなケースが少ないだけ。
昔は色覚異常として病気扱いされていたようなケースは
実は割合的には結構多いんだけど(たとえば赤緑色覚異常は、日本だと男性の場合20人に1人)
実際にはほとんど日常生活に支障が無いので、最近はあまり強調しないようになっている。
あんまり言葉の綾ばかり追ってると精神病みたくなるぞw
こういう疑問は立派な古典作品と共に追っかけないと
デカルトとヘーゲルあたりかな?
古いっていうかもねw
540 :
考える名無しさん:2009/03/28(土) 20:08:53 O
いや、こういうのは科学的見地から切り崩していって最後に残ったものを哲学するなり、考察するなりしたほうが良いんですよ。
>>530 あるわけねえだろw
言葉による言葉の定義ってのは電子雲のようなもので、一定の範囲内にはあるが確定的に定まってはいねえんだよ
だって、言葉を言葉で定義する以上どうやったってループする仕組みだからな
もっともだからこそ揺らぎのあるアナログでいられるんだけどな
そんで、そこから基準を決めるためにデジタル的に揺らぎの中から一定範囲を切り出すんだ
それが
>>269
錯視によって赤が見える場合もあるので
赤として見える物理条件をすべて記述しろというのは
そんなに簡単ではない。
錯覚というエラーまで記述していったら無限に記述していかなければならないだろ?
544 :
考える名無しさん:2009/03/28(土) 23:21:16 O
鮮やかな赤と淡い赤でも赤は赤だからな。
原色としての赤の波長は定義されているのかもしれないがこのように赤の認識には幅がある。
これを無視して脳内処理に差異を求めることは出来ない。
他にも色覚の問題もあるため永遠に論証出来ない問題である。
故に哲学者(乞食)の恰好のターゲットになりやすいテーマであるのだ。
同じかどうか分からないと言い出したらきりがないよ。
自分の脳だって、昨日の自分、1年前の自分、10年前の自分とは違うよね。
眼球も。視力は落ちてるし。
昨日の自分が感じてた赤と、今の自分が感じてる赤は同じか分からない。
少しは違うけど、ほとんど同じと言うのが妥当だと思います。
まあ例えば、ゴシック体でも明朝体でも「あ」は「あ」として意味が通じる限り「あ」だ。
信号の赤も、「止まれ」という意味が通じる限りにおいて同じものだといえるだろう。
547 :
考える名無しさん:2009/03/29(日) 02:07:42 O
実生活において価値の無い話、クオリアである。
548 :
考える名無しさん:2009/03/29(日) 08:44:23 0
実生活をささえるものがクオリアだろ。
色気のない人生はつまらない。
549 :
考える名無しさん:2009/03/29(日) 09:38:03 O
だから、色気なら色気でいいじゃん。
「他人が『あのトマトが赤く見える』と言ったとき、その赤さを私は知っている」なんて人がいるんですかねえ。
きっと、いないですよねえ。
知りもしないことに、どうやって同じとか違うとか言えるんでしょうねえ。
(知らないけど)多分同じだろう、少なくとも似てるだろう、というような発想なんですかねえ?
でも、似てるという根拠は何なんですかねえ?
例えば、トマトのブランドを立ち上げるために
そのためのポスターを作ったとして、それでそのブランドの知名度と好感度が上がって、
売り上げが増えたなら、それで十分なんじゃないですかね。
知らなくてもトマトはトマトって安倍なっちとかいうアイドルが言ってたよ
554 :
考える名無しさん:2009/03/29(日) 12:22:21 O
実生活は色気だけではない。食気もある。
555 :
考える名無しさん:2009/03/29(日) 13:03:17 O
>>549 おまえみたいに妄想世界に生きる人間が好む話題ということを言ってるんだよ
556 :
考える名無しさん:2009/03/29(日) 13:20:12 O
>>555 レスサンクス
お前がその
>>555を書き込むきっかけに
何らかの主観的経験は無かっただろうか?
例えば「怒り」とか?
ピンポイントの釣りスマソ
557 :
考える名無しさん:2009/03/29(日) 13:50:35 0
「赤い」を知らないで「赤い」とはいえない。
558 :
し:2009/03/29(日) 14:18:53 O
ダイレクトメール=清水次郎長↓遠州荻原
559 :
考える名無しさん:2009/03/29(日) 15:51:58 O
>>556 別に怒りは無いよ。
ただ愚かさに気づかしてやりたかっただけさ。
さて自分にとってはどうなんでしょうねえ。
今日、このトマトの色を見ながら、日記に「このトマトはだんだん赤く熟してきたけど、
ヘタ付近だけはまだ青いので、もうちょっと待つか」と書いたが、今夜寝てる間に脳神経や視神経を
いじくられて(?)、日記に「赤」と書いた時点で赤く見えていたものが青く見えるようにされ、
「青」についても同様にされ、対応する記憶も全部変えられて、翌朝起きてトマトを見た時に
「やっぱり全体は赤いけどヘタ付近はまだ青いなあ」と言ったんだけど、実は見えかたは
今日とは逆になってしまっている…
なんていうようなことは、あり得るんですかねえ。
もしあり得るとしても、きっと自分も気付かないし、他の誰も気付かないんでしょうねえ。
困りましたねえ。いや別に困らないんですかねえ。
ようするに、ひまなんだろ。
ひまだから、困りもしないことを考えようとする。
小人閑居してなんとやらというやつだ。
そんなことで相手を否定するようになったらおしまいだなw
「役立たず」とか「無駄飯食い」は非難する人の方が多いんじゃね?
>>561 困る困らないはともかく、神経いじられてんだから頭開いたら違いに気付くんじゃない?
物理的には何も違いがないのに入れ替わった場合、というありえない思考実験をするのがクオリア論者
567 :
556:2009/03/29(日) 18:34:55 O
>>559 そういうことか
まあ兎に角、このスレに限ったことじゃないが
哲学板には板違いなレスが多いよな
こんな板、他にあるんだろうか?
興味があるなら入門書みたいなのでも読めばいいのに
568 :
考える名無しさん:2009/03/29(日) 19:40:28 0
思考実験は現実ではないからどうとでも考えられる妄想にすぎない。
>>565 そこは確かに問題で、「脳神経や視神経をいじる」ではなく、「なぜか突然」とでもいう方向に
徹底しないといけないかもしれませんね。
あるいは、別の方向にひねってみると、どうでしょうねえ。
「昨日と同じようにこのトマトは赤いなあ」と言っていると、変な医者(?)が現れて、「実は君に手術をして
赤と青の見え方を逆転させたんだ、でも記憶も対応して変えたから、気付かないだろうね」と言われて、
「いや何も変わってないんですけど」と答えるけど、「そのように手術したからねえはっはっは」としか
言われないんですねえ。
何も変わってないと思うのに、やはり医者(?)が手術したというからには変わっているんですかねえ。
何か変じゃないですかねえ、別に変じゃないんですかねえ。
570 :
考える名無しさん:2009/03/29(日) 23:30:26 0
>>569 意識がどのようにして生じるかも解っていないのに損のような手術が
できるということが変ですね。www
571 :
一般人:2009/03/29(日) 23:30:47 O
>>220 『認識する主体』は私の一部ではあるが、もっとも根元的な『私』である。
この『私』無くして他の私はあり得ない。
なぜなら『他の私』も『認識する主体』によって認識される。
572 :
考える名無しさん:2009/03/29(日) 23:40:10 0
認識する主体以外の私は他人にも認識されるね。
573 :
考える名無しさん:2009/03/30(月) 01:25:39 O
意味がわからない。
574 :
考える名無しさん:2009/03/30(月) 08:10:00 0
「私の身体」「私の行動」「私の言葉」などは他人に認識されるだろ。
私なんて他人があって初めて存在するものだ。
575 :
考える名無しさん:2009/03/30(月) 13:02:18 O
>>574 認識そのものの怪しさを言ってるのに「認識される」って断言しちゃってるとこが意味がわからないんだよ
576 :
一般人:2009/03/30(月) 13:13:11 O
私はトマトやイチゴや血液から共通する何かを抽出している。共通する何かとは正確に一致しているものではなく、似ているものである。
それが私の『赤』である。
577 :
考える名無しさん:2009/03/30(月) 13:28:04 O
もちろんそうですし色の波長を感知してるわけですが何か?
578 :
考える名無しさん:2009/03/30(月) 13:53:11 O
認知障害じゃあね
579 :
考える名無しさん:2009/03/30(月) 13:56:26 O
人は光の波長なんて感知できない。色なら感知できる。
物理的に実在しないものも認識したりするよね
581 :
考える名無しさん:2009/03/30(月) 17:08:49 0
数が実在すると信じてるのが数学者だね。
素粒子や電子が実在すると信じてるのが物理学者だね。
神が実在すると信じてるのは宗教家だね。
人は自分になじみがあるものを実在すると信じてるだけだね。
認識なんてそんなもんだろ。
582 :
考える名無しさん:2009/03/30(月) 17:44:34 0
「あなたがたは,いったいどうして地動説なんて信じているのですか」という問いかけは,
人文学はともかく自然科学というものは「正しい知識」の蓄積だと単純に信じていた
ナイーブな18歳にとって,実に新鮮に響いた.村上先生の科学史の授業でのことである.
正しいとする根拠を,そしてそれを正しいものと見せている枠組みを,理解せずに信じているだけなら,
日常の直感に見合わないことを(だって毎日お日様は東から昇るではないか)
鵜呑みにしているだけ天動説信者よりたちが悪い.
伊藤たかね(総合文化研究科・教養学部教授/言語学)
[東大教師が新入生にすすめる本 2009年「UP」4月号より抜粋]
『西欧近代科学─その自然観の歴史と構造』村上陽一郎(新曜社,1971,新装版2002)
>>570 >>569に書いたような手術は決して実現できない、とか、どうすれば実現できるのか全然わからない、
とか言えるのであれば、ある意味、めでたしめでたしで終わるんですけどねえ。
しかし、普通は、脳の状態と感覚とか記憶とかには結び付きがあると考えられていて、
そういう前提でいろんな研究なども進められているんですよねえ。
そのへん、どう考えたらいいんでしょうねえ。
584 :
考える名無しさん:2009/03/30(月) 18:40:26 0
>>583 >脳の状態と感覚とか記憶とかには結び付きがあると考えられていて、
だからその結びつきがどの程度まで詳しくわかっているかということだろ。
頭を切り落とせば感覚はなくなる、なんてことは確かな事実であろうとも
脳のどの部位がどの機能と対応してるかの詳細やどうしてその機能が働くのか
の詳細を調べる技もないしそんな状況で脳の手術ができるのかという
問題だろ。ロボトミー手術の再現はごめんだね。
585 :
考える名無しさん:2009/03/30(月) 18:45:40 0
頭を切り落とせば感覚の有無を表現する手段がなくなるだけとも考えられるな。
だれも頭を切り落とされたことがないわけだしね。
意識がないと思われていた人がじつは聴覚は残っていて
周りで起きていることが全部聞こえていたなんていう話しもよく聞くしね。
良くは聴かない
587 :
考える名無しさん:2009/03/30(月) 18:56:46 0
>>585 >感覚の有無を表現する手段がなくなるだけとも考えられるな。
これはヒトを解剖したことがない者のいいぐさだろ。
ヒトの感覚に携わる神経系の出力は筋肉系しかない。すなわち
感覚の表現は脳ではなく脳からの信号で筋肉を動かすことによって
なされるだけだ。だから感覚の表現は筋肉が動く限りは頭がなくても可能だ。
無意識の反射神経動作以外でも筋肉は自律的に動くよ。
コンピュータもこれに習った出力をするよう設計されている。
588 :
考える名無しさん:2009/03/30(月) 19:41:55 0
おまえはなにをいってるんだ。
589 :
考える名無しさん:2009/03/31(火) 00:40:03 O
>>587 脳が死ねば生命は維持出来ないから現実的ではないが生命維持装置つけた人間だとそんな感じなんだろうね。
頭がぶっとんだ人間が数秒間動くのは聞いたことある。
「睡眠薬を飲むと、すぐによく眠れるので、飲んだ直後から記憶がない(眠るため)…と思って
いたが、実は睡眠薬には(普通信じられているのとは違って)眠る前の記憶を消す効果があり、
飲んだ直後の記憶がないのはその効果による(眠っているわけではない)のではないか」
という冗談を見たことがあるけど、ちょっと笑えますよねえ。別に笑えませんかねえ。
592 :
考える名無しさん:2009/04/01(水) 00:05:12 0
「赤」という字を書かせると、字が下手くそな人と、字が上手な人とでは、
ずいぶん形が違うけど、同じ字として読める。
だいたい合ってれば、同じ字だという事だよ。
「赤」という字を見て、昨日は「アカ」と読んだけど、今日は「キイロ」と読んで、明日は「アオ」と読んでしまう・・・そんな事はないだろう。
593 :
考える名無しさん:2009/04/01(水) 00:48:42 O
認識の違いで苦労したなんて話が実際あるかよ?
価値観なら分かるよ。
594 :
考える名無しさん:2009/04/01(水) 09:25:07 0
価値観は十人十色でも何の問題もない。
認識が十人十色では日常生活もおぼつかない。
常識という共通認識は必要だろ。
595 :
考える名無しさん:2009/04/02(木) 17:10:46 O
ひょっとしたら
そのズボンに赤のジャケットはないだろ
みたいな格好してる奴とかは
赤色が違った色に見えてたりするのかな?
596 :
考える名無しさん:2009/04/02(木) 17:35:03 0
いや、テレビか雑誌で見た誰かの真似して失敗しただけだろ。
597 :
考える名無しさん:2009/04/02(木) 19:31:51 0
>>595 そういう人達の生活を観察したことあるけど、
「赤いパンツ」が好き、とかいう愛着で選択しているみたいだ。
服装全体としての色彩ハーモニーよりも、
「赤いパンツ」に注がれた自身の思いが勝って、
鏡に映る自分の姿にオブラートをかけているようだ。
スレ違いの内容だけど。
ほんとに違って見えてたりしたら、笑えるけどねw
しかし、ほんとに違って見えてた場合、例えば赤信号を青信号と間違って渡ってしまったりするんだろうか。
そうとは限らないか。
すると、色の区別の仕方は同じだが、見え方は実は違う(?)というのと、色の見え方まで
同じなのだが、趣味だけが違うというのは、区別できるんだろうか。
>>541 だね。つまり上で書いてた、外延の曖昧性、という批判は当たらないということ。
定義についてはむしろ
心理学者がよくやる操作的定義、
これができない所にむしろ難点がある。
ちなみに電子雲は自然言語では表現し難いけが
式としてはキッチリ書ける。系が単純ならだが。
そりゃ、日常的に肉眼で見てないんだから自然言語じゃ無理だってば。
603 :
考える名無しさん:2009/04/12(日) 15:10:27 0
>>602 >ある意味クオリアの科学じゃないの?
いや、まずクオリア言ってる人の側がそれを認めないんじゃないの?
>>602 心を「直接」科学で扱うことは出来ない。
なぜならば、心を直接観測できるのは自分自身だけで、なおかつ自分自身の心を定量的に
観測する手段を人類は持ち合わせていないから。
だから測定できる脳波や体温などを使って、間接的に「心」を観測することで
それを科学という方法論で扱おうとしているのが心理物理学。
それはそれとして、クオリアって言葉は定義があいまいなバズワードなんで
「俺の言うクオリアとはxxxというものある」とか定義してやらなきゃ論文とかでは使えないと思う。
>>587 なんて言ったっけ?
アメリカの方で、頭が無いニワトリが名前付けられて生き続けてたよな。
606 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/04/12(日) 18:35:34 O
>602
下條氏が何かの著作で同じようなことを書いてたな。
基本的にそのとおりだと思う。
歴史的にいえば
心理学はもともと19世紀末に内観の学、意識の学として始まったらしい。
だが、それじゃいかん、ということで20世紀初期に行動主義があらわれたとか。
ここで内観が、そして同時に内面的なものが、脇に置かれるようになる。
でもそれじゃいかん、ということで、20世紀中ごろに認知革命が起きたらしい。
それでまた内部が語られだす。
でもただ内部状態というだけじゃ足りん、ということで
最近、20世紀末から、また内観、意識の話が直接的に語られ出したという流れらしい。
だから、現代の意識の議論は、心の学にとってある意味ただの原点回帰だ、みたいなことが
言われるようだ。
607 :
考える名無しさん:2009/04/12(日) 18:46:24 O
>604
ネット上、特に日本のブログ圏では確実にバズワードだね。
608 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/04/12(日) 18:47:43 O
>604
ネット上、特に日本のブログ圏では確実にバズワードだね。
論文読んでる限りは、そういうことはないが。
609 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/04/12(日) 18:49:01 O
お、重複スマソ
610 :
602:2009/04/12(日) 20:09:41 0
>>603 よくわからんけど、多分俺もその「クオリア言ってる人」なんだと思う。
ただ、少なくとも自分のクオリアは観測可能な以上何らかのデータは取り出せるだろう
と考えてるからそこらへんで意見が違うかも。
あと、科学についてもすごく広く考えてるから科学言ってる人も認めないかも知らん。
>>604 心理学一般が科学である程度にはクオリアの科学も可能なんじゃないかと。
あと、クオリアの定義も自分で混乱してるとこがあるからそこも絞り込みたいなというのも
>>602を書きこんだ理由の一つ。
>>606 行ったり来りは学問の常だよねw
>>610 >少なくとも自分のクオリアは観測可能
それを「観測」と認めるかどうかの問題だと思う。
仮に、それが「観測」であるなら、神や幽霊も観測されていることになる。
612 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/04/14(火) 18:30:22 O
文脈主義的な意味で、認識論的基準をあげていくならば、
科学的対象は何一つ観測されなくなる。
カントの物自体と同じ位置にいくね。
こうした基準の吊り上げの後に残るのは科学的対象の方ではなく意識の方だよ。
>文脈主義的な意味で、認識論的基準をあげていくならば、
>科学的対象は何一つ観測されなくなる。
ということは、その「観測」も「科学的観測」とは別のものだということだよね。
614 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/04/14(火) 18:46:46 O
方法論的に突っ込みを残さない攻め方をするなら、
多くの科学者がやってるように気づきの研究をしてる、と言っとけばそれで十分。
それはマテリアリストの立場と整合的になるし、
デュアリストの立場とも整合的になる。
二つある性質の内の一方の性質を調べている、で終わる。
615 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/04/14(火) 18:52:55 O
ずいぶんナイーブだね。
とりあえずまず科学的観測とはなんだい?
616 :
考える名無しさん:2009/04/14(火) 18:55:23 0
なにはりきってんの?PIKARRR?
617 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/04/14(火) 18:57:38 O
ラマチャンドランはプライバシーは虚構だ、みたいなことを主張してるね。
神経的な接続があれば他者のクオリアは見られるだろう、みたいなことを。
ラマちゃんの文脈は、インドの宗教からの相対距離だから表現が微妙だって人体切り刻む人がいってた。
619 :
考える名無しさん:2009/04/14(火) 19:20:52 0
>>617 そういう馬鹿は哲学にとって迷惑このうえないな。
620 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/04/14(火) 19:30:22 O
デカルト的まはたキリスト教self観から見れば、
仏教やヒンズーの自己観は理解しにくいものだろね。
Self とは何か、なんて長々やってきた西欧の文化の中に
no-selfを2千年以上前からひとつの前提にして議論を組み立ててきた文化
を組み入れようってんだから、そりゃそうだと思うが。
まあ、意識研究の分野で仏教の意識観が関心を呼んでいるのは
ひとつの事実だ。
621 :
考える名無しさん:2009/04/14(火) 19:45:33 0
インドでも無我を主張したのはヒンズーとして異端の
仏教だけだろ。アビダルマとして精緻な理論を組み立てたのも
暇だからというより仏教論理の擁護のためだろ。
622 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/04/14(火) 19:58:58 O
ふむ、まあ詳細は知らんが
ラマチャは一応自身をヒンズーとみなしつつ
no-self の話を書いてたよ。
まあ彼はバンコク育ちみたいだから仏教の話なのかもしらんが。
623 :
考える名無しさん:2009/04/14(火) 20:46:33 0
ラマチャの「脳の中の幽霊」でいいのかな?
それなら個我は幻、マーヤーだというのはヒンズーの伝統だね。
ヒンズーの個我(アートマン)の本質はブラフマンと同じもの、
梵我一如だという説だから。梵我一如になるのがヒンズーの解脱
だね。それに対して仏教の無我は我の本質なんてないということだね。
梵我一如すら否定するのが仏教だね。無我と悟ることが仏教の解脱、涅槃
だね。
>>615 とりあえず、
>>613 に関しては、科学的観測がなんであるかは関係ない。
「科学的対象は何一つ観測されなくなる」といっているのは君のほうだからね。
君の主張からの論理的演繹に過ぎない。
625 :
考える名無しさん:2009/04/14(火) 21:06:23 0
最近のPIKARRRは本スレ以外で無駄にはりきってるな
626 :
考える名無しさん:2009/04/14(火) 21:14:12 0
「観測」ってことばが科学臭いんじゃない?
演繹の意味を知らない人がいるようだ。
で俺はピカーではないぞう。
全然分野違うからすぐ分かるだろうけど。
628 :
考える名無しさん:2009/04/14(火) 21:59:04 0
今日、道端でおばさんが転んだのを観測しました。
629 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/04/14(火) 22:13:47 O
>>623 その区分で言えば仏教的な方の意味で使ってたな。
書名は忘れた。Brief Tour of Consciousness だったか、
表紙に25とか書いてあるやつ。
本の頭に、家族そしてシバの神様に捧ぐ、なんて書かれてて面白かった。
>>627 こんなタイミングで自己紹介されてもこまる。
631 :
考える名無しさん:2009/04/14(火) 22:51:06 0
ある男と女がゴツンとぶつかったら中身が入れ替わっちゃった!なんて
作り話が良くありますが、そんなことってあり得るのでしょうか
前々から不思議に思っていたのは、なんでああいうのって、
両方、または片方が、かならず思春期の少年少女なんでしょうね。
人工構成比からいうと、中年のおっさんと老婆の可能性も十分あるだろうに。
633 :
考える名無しさん:2009/04/14(火) 23:32:28 0
哲学者同志で入れ替わってもらいたいもんだ。
>>632 前者は妄想の産物なので起こらない
後者は例え出来たとしても本人達が拒否する
635 :
考える名無しさん:2009/04/15(水) 01:07:09 O
>>635 勝手に改蔵であった原理の入れ替わりはあってもおかしくないと思うが。
637 :
考える名無しさん:2009/04/15(水) 01:53:49 O
>>636 大林宣彦監督の転校生は好きですが完全なるフィクションです。
以上。
ネトゲーならサーバのバグ、ないしは隠し機能で
そういうことが起きる可能性があるかも。
639 :
602:2009/04/15(水) 15:08:38 0
>>611 自分なりの上手い言い方が見つからなかったから
>>604さんの言い方を借りてみた。
こういう言い方よく目にするように思うし。
>仮に、それが「観測」であるなら、神や幽霊も観測されていることになる。
この言い方の場合、
>>604ないし
>>610の言い方とはちょっと違ってむしろ
>>628の言い方になるんじゃないかな?
641 :
602:2009/04/15(水) 15:53:20 0
>>640 書いてる本人がよくわかってないけど。
ちょっと違うような気もするし、たいして違わないような気もする。
642 :
考える名無しさん:2009/04/15(水) 17:23:30 0
昔は火星に運河が観測されたこともあったなぁ。
観測されたのは筋状の模様で、「運河」は推測じゃないの。
644 :
考える名無しさん:2009/04/15(水) 17:44:04 0
>>643 それをいったら、
いま「○○を観測している」と言っているものも
ちがうかもしれないね。
そうするとすべては「なにか筋状のもの」とか「赤いもの」とか「円形のもの」
としか言わざるを得ない。
結局残るのは・・・
クオリアしかないじゃないか!
>>644 >ちがうかもしれないね。
もちろんそのとおり。
>結局残るのは・・・
何が残るのかは何を求めるかによるでしょう。
酸素も有機化合物も、燃焼も膨張も存在しないかもしれませんが、
その推測に基づいて車を作ればちゃんと走るのですからそれで十分でしょう。
推測だから全て排除しなければならないと言い出したら、
車は作れません。
646 :
考える名無しさん:2009/04/15(水) 18:19:49 0
>>645 哲学板じゃなかったっけ、ここは。
それともまた充分とか困らないとかの話しをはじめるの?
647 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/04/15(水) 18:49:36 O
哲学的に極々よくある考えだね。
認識論上の正当化で、懐疑的、または基礎づけ主義的な意味で
その方向へいくのはね。
648 :
考える名無しさん:2009/04/15(水) 19:11:44 0
ごくまっとうな考え方だと思うんだけどね。
649 :
考える名無しさん:2009/04/15(水) 19:13:33 O
だろ
650 :
考える名無しさん:2009/04/15(水) 19:43:14 0
懐疑的、基礎づけ主義的という言葉が
否定的なニュアンスを含んで語られることも多いけど、
そういったアプローチ以外、哲学の価値なんてないんじゃないの?
651 :
考える名無しさん:2009/04/15(水) 19:48:24 0
哲学に「基礎付け」てもらうと、何かいいことあるのかい?
まず懐疑を作り出し、次にその懐疑を打ち破る基礎付け与える哲学者って
最初にシロアリ撒いておいて、それを退治して金取る業者みたい。w
>>646 >それともまた充分とか困らないとかの話しをはじめるの?
いや、困らないのになぜ考える必要があるんでしょうか?
そいういうことについては思考停止するのが哲学だとでも?
653 :
考える名無しさん:2009/04/15(水) 20:03:03 0
「間違ってる」だけで済めば反論は楽だよな。
655 :
考える名無しさん:2009/04/15(水) 20:07:23 0
>>654 なんか全く違うってことをいちから説明するのめんどくさくなっちゃった。
656 :
考える名無しさん:2009/04/15(水) 20:08:45 0
>>652 >困らないのになぜ考える必要があるんでしょうか?
これが「思考停止」なんだよ。
>>656 >これが「思考停止」なんだよ。
なるほど、確かに思考停止ですが、
それは、
>いや、困らないのになぜ考える必要があるんでしょうか?
>そいういうことについては思考停止するのが哲学だとでも?
も、同じですよね?
同じ思考停止でも、
>酸素も有機化合物も、燃焼も膨張も存在しないかもしれませんが、
>その推測に基づいて車を作ればちゃんと走るのですからそれで十分でしょう。
のような思考停止なら、車という役に立つものを作ることにつながりますが、
>いや、困らないのになぜ考える必要があるんでしょうか?
>そいういうことについては思考停止するのが哲学だとでも?
この思考停止は永久に何の役にも立ちませんよね?
役に立つ分、
>困らないのになぜ考える必要があるんでしょうか?
の思考停止のほうが、有意義ではないでしょうか?
658 :
考える名無しさん:2009/04/15(水) 20:20:56 0
660 :
考える名無しさん:2009/04/15(水) 20:26:32 0
哲学がなにをやるものなのかを
ある程度把握してから来てくれないかな。
>>660 あなたは「役に立たないことを考えるのが哲学だ」とおっしゃりたいようですが、
私の知る限り、プラトンは逆の考えだったと思いますが。
662 :
考える名無しさん:2009/04/15(水) 20:33:56 0
>>661 >あなたは「役に立たないことを考えるのが哲学だ」とおっしゃりたいようですが、
ちがいますよ。
>>662 では、哲学板で充分とか困らないとかの話しをすることは完全に妥当ですね。
664 :
考える名無しさん:2009/04/15(水) 21:43:40 0
哲学やるには論理が必要なんです。
665 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/04/15(水) 22:38:04 O
>>651 確実な知識とは何か、という問題を考える分野を認識論というんだ。
存在論、何が存在するか、
価値論、良いとは何か
と合わせて、しばしば哲学の三大分類の内の一つとして位置付けられる。
懐疑はそのなかで議論され、それを倒すための方法や
それは倒せるのか、などが議論される。
基礎づけ主義というのは、そうした認識論という分野の中で
確かな知識を得るための方法として提唱されるひとつの立場だ。
666 :
考える名無しさん:2009/04/15(水) 23:01:42 O
生理的に人の網膜や脳の構造に大きな差がない以上
感覚にそんなに大きな差があるとは思えない
『め』と『ぬ』ほどの違いもないだろう
667 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/04/15(水) 23:14:38 O
認識論の分野で議論される懐疑として最もポピュラーなものが
水槽の脳( Brain in d vat, BIV)だね。
1.僕は自分が二本の腕を持っている、と確信している
2.でも、僕は自分が水槽の脳でない、ということを確かめることができない
3.もし僕が水槽の脳である場合、僕は腕を持っていない(脳しかない)
4.僕は自分が二本の腕を持っている、と確信できない。
ここで1と4が対立する。
こうした問題にどう応答するか
こうした所から認識論上の様々な立場が生まれてくる。
668 :
考える名無しさん:2009/04/15(水) 23:57:10 0
固く信じているのにもかかわらず、
一方でその事柄を疑うということはない。
すでに確信は失せているので、対立はない。
669 :
考える名無しさん:2009/04/16(木) 00:01:34 0
>>667 何いってんだ?水槽の脳?イミフ。脳しかないって脳は頭にしかないだろ、生物学の定義では。
670 :
考える名無しさん:2009/04/16(木) 00:21:46 0
どうしてこういうやつが来るのかなぁ
>>667 まず認識よりも、「確信とは何か」という問題があるだろう。
672 :
668:2009/04/16(木) 01:26:51 0
水槽の中の脳である可能性は論じられない。
何故なら、思ったことを表明することが論ずる事であるからだ。
感覚のみならず、思考・意識も脳の働きの範疇であるとしても、
発話したり投稿したりして表明するという行為は、脳のみで為し得ない。
「われわれは(僕は)水槽の中の脳である」と言明した時点で、
「われわれは(僕は)水槽の中の脳である」可能性は無い。
673 :
考える名無しさん:2009/04/16(木) 02:10:17 0
だから水槽の中の脳って何かをまず説明しろよ。英語表記とか略語とかのうんちくはいらねーからw。
専門用語で悦に入ってるか会話をこばんでるとしかおもえない。
674 :
考える名無しさん:2009/04/16(木) 02:28:22 0
子供の王国になってしまったようだ
675 :
考える名無しさん:2009/04/16(木) 07:14:49 0
>>668 >固く信じているのにもかかわらず、
>一方でその事柄を疑うということはない。
固く信じていても新しい証拠が出てきたらその事柄を
再考する思考の柔軟さを失なってはいけないだろ。
676 :
考える名無しさん:2009/04/16(木) 07:21:59 0
>>667 >2.でも、僕は自分が水槽の脳でない、ということを確かめることができない
僕は自分は水槽の脳であることはどうしたら確かめられるのだ?
677 :
668:2009/04/16(木) 07:59:34 0
>固く信じていても新しい証拠が出てきたらその事柄を
>再考する思考の柔軟さを失なってはいけないだろ。
すでに疑い始めているので、確信は失せている。
ゆえに、確信しながら疑うということは無い、と書いた。
678 :
考える名無しさん:2009/04/16(木) 08:36:23 0
>>677 確信というのは疑わずに信じることなのか?
それは妄信や迷信だろ。
確信というからにはそれを確信する根拠があるのではないか?
確実性の根拠だね。それとも現代はすべては不確実性の時代
だということかな。
679 :
考える名無しさん:2009/04/16(木) 18:36:15 0
なんで ら は名無しにきりかえたんだ?
反対や
頭蓋の中で目覚めても、
頭蓋の中に脳がある状況が把握できるわけじゃないんだから。
683 :
考える名無しさん:2009/04/16(木) 19:47:40 0
>>681 だからその水槽の中にいることがどうすれば確かめられるんだ?
目覚めることが問題ではない。自分がどういう環境にいるかは
どうやって確認してるんだ?
「赤」という呼び方なら、言語によってちがうけど、
たとえどうにせよ「赤」は「赤」っていう認識は世界共通なわけで。
そもそも色というのは、赤にしろ青にしろなんにしろ、
太陽(光)のスペクトルの影響を受けて、どの波長を反射?するかによって
発色するわけで。まあ光の3原色と色の3原色は違いはあるけど、
それは発色の条件が地球にまで及ぶっつか、画材によって生じることであって、
基本的に光の3原色、簡単に言えばどうして虹は7色なんだろうとか、
朝と昼と夕方と夜は、どうして空の色がちがうの?とか、今の今まで考えたことない
>>1が池沼。
686 :
考える名無しさん:2009/04/16(木) 20:06:34 0
だったら水槽の中の脳なんて無意味な言葉の遊びという
ことでFA?
>>686 んだ。
てか「水槽の中の脳」って言葉的には詩的ではあるけど、
じっさい水槽にノーミソ入れた状態で生きたり考えてる人はいないわけで。
だから、「言葉遊び」と認識したうえでイマジネーションをふくらますのは
個人の自由だけど、公の議論として使うにはあまりにも拙い。
688 :
考える名無しさん:2009/04/16(木) 20:37:15 0
ま、なかったことにするというのはそれはそれで一つの知恵といえる。
689 :
考える名無しさん:2009/04/16(木) 20:39:22 0
水槽の中の脳って、SFとかで出てくる水槽に浮遊している脳だけしか存在してないってやつか?
その水槽ってのがねぇ、なんで水槽なの、どいういう理論的根拠で水槽というものを選択したのって話だろ。
仮定のし方がもう妄想入ってるよ。
>3.もし僕が水槽の脳である場合、僕は腕を持っていない(脳しかない)
>4.僕は自分が二本の腕を持っている、と確信できない。
>ここで1と4が対立する。
>こうした問題にどう応答するか
>こうした所から認識論上の様々な立場が生まれてくる。
妄想しまくって様々な立場が生まれんのw?ポピュラーなんだwww?
身の回りの実物の認識から懐疑や考察をやってる人達が肩身せまそうだね。
で、ら ◆XEUDKSBEss (=pikarrr) ってそんなにえらいんだ?
で、
なんで ら は名無しにきりかえたんだ?
まあ、何年か2ch やっの経験則だが、
2ch ではどんな形であれ、思考実験ってのは絶対受け入れられない。
無理にやろうとすると荒れるだけで、議論の入り口にさえたどり着けない。
思考実験を持ち出さないと説明・議論できない話題は、
話題自体避けるが吉。
>>691 要は話の持ち出し方だよ
なんてどう?とか ての考えてみた。とか軽く差し出せば荒れないのに
どっかの本に書いてるらしい思考実験を金科玉条のように提示するから荒れる
693 :
考える名無しさん:2009/04/16(木) 20:50:34 0
そのようだね。
思考実験の意味がわからない馬鹿が多すぎる。
>どなんで水槽なの、いういう理論的根拠で水槽というものを選択したのって話だろ。
これなんて、もう笑うしかない。
まずは「現実」は「現実」と受け入れてからの思考実験ならともかく、
その「現実」をつきつめようとしたのが古代哲学であって、
それが物理学、宇宙物理学、数学に引き継がれてるわけで。
もちろん実験的思考や詩的な言葉のインパクトで
それらを凌駕できるならどんどんしてほしい、するべきだけど、
板見た限りではなんだか個人事情のミクロの世界で哲学ゴッコしてるみたいなかんじしてる。
水槽の中の脳とか世界5分前仮説とかお話としても面白いし、
破壊力も十分あるから一人歩きして懐疑のための懐疑みたいになってるところはあるよね。
逆転スペクトルの想定やゾンビなんかもその一つかもしれないけど無意味ではないと思う。
これらの話は我々のごく日常的な知覚経験を自然現象としてみるときに、
言い換えたら科学の目で見ようとした時にどんな法則が足りてないのかを教えてくれてるんじゃないかなあって思うんだけどね。
696 :
考える名無しさん:2009/04/16(木) 20:55:57 0
>>693 ん?俺のことか?
別に笑えばいいさ。気にしないよ。
思考実験の意味、一応聞いてみたいもんだね。
こっちにも見解はあるけど、まずはそっちの「思考実験の意味」を聞こうか。
どうぞ↓
もし「脳が意識を生み出している」というのが本当だとしたら、水槽の中の脳にも、脳が
きちんと活動しているかぎり、意識があってもよさそうな気もしますけどねえ。
そうは言えないんでしょうかねえ。体が必要なんですかねえ。
でも、例えば口や手が動かせなかったら、意識は(少なくとも言葉に対応するようなものは)
ないとか、右足が動かせなかったら右足に対応する意識はないとか、そんなことになるんですかねえ。
そんなこともないですよねえ、なんなんでしょうねえ。
698 :
考える名無しさん:2009/04/16(木) 21:02:18 0
699 :
考える名無しさん:2009/04/16(木) 21:03:30 0
大変だな
701 :
考える名無しさん:2009/04/16(木) 21:09:55 0
>>698 ん?やめるのか?693?
693 :考える名無しさん:2009/04/16(木) 20:50:34 0
そのようだね。
思考実験の意味がわからない馬鹿が多すぎる。
>どなんで水槽なの、いういう理論的根拠で水槽というものを選択したのって話だろ。
これなんて、もう笑うしかない。
って思考実験の意味がわかってるってことだろ。
あなたが笑ったネタの話じゃないよ、その前の文の意味を尋ねてるだけだがね。
会話拒否ってことかい?
じゃあさ、地動説が何百年も迫害をうけてやっと認められたり、
アメリカでは州によって、「神を冒涜する」って理由でいまだに進化論教えなかったり、
古代ギリシャ哲学者が考えた「重力」でさえ、スイスにでかい施設作ったけどまだわかってないじゃん。
俺は哲学そのものを嫌ってるわけじゃないよ。
もしその「水槽の中の脳」がすべてを解き明かしてくれたら、尊敬こそすれいさめたりしないけどね。
てか当の宇宙物理学者でさえ、つきつめたら哲学や宗教的概念をもたないとしんどいつてるんだから、
ソーカル事件の恨みとか関係なく、協力してやれよ。脳みそが水槽でもなんでもどこいあってもいいからさ。
じゃあ、簡単な初歩の初歩の問題だよ。
「ここにコップがある。なぜこれはコップか」
みなさんはなんて答えますか?
704 :
考える名無しさん:2009/04/16(木) 21:47:41 0
コップじゃない、カップだろ。
705 :
考える名無しさん:2009/04/16(木) 22:10:51 0
?グラスじゃないのか?
質問の意味がわからないって言う。
きっと
>>703は酔っているのだろう。
可哀想だからそっとしておこう。
708 :
考える名無しさん:2009/04/16(木) 23:24:22 0
クオリアの問題は、ヴィトゲンシュタインによって
無意味な問題 語りえぬもの
と定義づけられたと思うのだが・
709 :
考える名無しさん:2009/04/16(木) 23:36:12 0
神経科学が滑稽であるのは「心」の観念を神経生理学の観念に置き換えるとよく分かる。
・「あなたが憎い」と言う代わりに
「ああ、あなたは私の左の腹内側篇桃体細胞を発火させる」というように表現するのである。
・あるいは「赤を見ている」と言う代わりに
「長波長錐体が中波長錐体よりも活発に活動している」と言い
・「マギーは気が狂っている」と言う代わりに
「マギーの中脳辺緑系のドーパミンD2レセプターが過剰だ」などと言うのである。
逆に、「赤は本当に赤か?」っていうスレで、
「コップはなぜコップか?」を理解できないどころか
関連付けられるほうがわかりやすいのに、できないバカが多くてガッカリした。
>>710 そんなの既出・常識すぎて今更指摘する気にもなれない
>>692 というか、どう持ち出しても持ち出した時点で金科玉条ののように
持ち出した奴が思ってると決め付ける奴が必ず出てくるので。
>とか軽く差し出せば荒れないのに
そんなうまい出し方があるなら、ぜひ具体的にご教授願いたい。
713 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 00:01:09 0
ガイシュツで常識なら教えてくれよ。
形相かお^^
\ │ /
/ ̄\
─( ゚ ∀ ゚ )─
\_/
/ │ \
____ ____
/ \ / \
| で そ | | な な こ |
| は れ. | | の ぜ れ
|
| な は. | | で コ は |
| い コ | | し ッ |
| ッ.. | | ょ プ |
| プ. | | う |
\ / \ /
 ̄ ̄∨ ̄  ̄∨ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
( `・ω・´) (´∀` )
( ) □⊂ )
| | | | | |
(__)_) (_(__)
>1
ちょっとそんな人を困らせる事を言って楽しみたいんですね
わかります。
717 :
Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/17(金) 00:15:09 0 BE:2735866188-PLT(13230)
たとえば・・・だお^^
火の色が黒だったとしよう・・・^^
夜火事になったとき・・・
どおするんだお〜^^
718 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 00:19:45 0
目の前にある色がある
その色は人間により「あか」と名付けられ人間は「あか」として認識する
つまり人間が見ているそれは「あか」以外の何物でもない
その「あか」がどんな色に見えていようと「あか」であることに変わりないのだから
719 :
Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/17(金) 00:25:18 0 BE:1025949683-PLT(13230)
血液が赤色(呼び名はなんでもよいが・・)に見えるとはどんな意味があるのだろう・・・
720 :
Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/17(金) 00:26:59 0 BE:854958454-PLT(13230)
すなわち色とは人間に都合のいいように見える色である・・・
おいらやっぱり哲学者だぉぉおおおおおおおおおおおおお^^
じゃあさ、リンゴや茹でたカニエビザリガリとか、
郵便ポストやルビーやガーネットや虹の赤いところを描くとき、
みんなはどんなふうにどんな気持ちで色を選んでるの?
俺は赤だから赤を選んで描いてるけど、赤がなんだかわからなかったら、
俺は自分を騙してることになるよね。赤が赤かと疑う人はどんな手法を使うの?
思い付くだけでも、色弱色盲、猫舌、アレルギー、
人が、特定の周波数の光を識別し、赤いと表現するのは、社会の枠組みに依存する幻想に過ぎない。
しかし、幾重にも折り重なった幻想によって社会が成り立っている。
消防車や日の丸や、きれいなおねえさんの唇も描けないね。
ていうか、赤を疑うならすべての色も疑うよねJK
青色LEDがノーベル賞とっても、「ウソダ!」って思うよねJK
>>722 そういう人たちには保護があるわけで。
君の論法だと、すべての人が弱者になり社会に依存して
幻想して生きればいいってこと?必要なくても、そういう人たちに
失礼のないように、自分たちも弱者になって生きればいいってこと?
じゃあ弱者を守る財源はどこからでてくるの?
>>722 信号無視でつかまったDQNのとっさの言い訳みたいだな。
なんか論点が微妙にずれていい具合だ
727 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 01:08:52 0
780nmが赤。波長なんて可視化できないって?
赤く見えてるじゃないか。
>>724 言葉足らずだったかな。
例えば、絶対音感を誰もが持てるわけではない。逆に、思い付くだけでも、色弱色盲、猫舌、アレルギーなど、
おおよそ、人が、特定の周波数の光を識別し、赤いと表現するのは、社会の枠組みに依存する幻想に過ぎない。
しかし、幾重にも折り重なった幻想によって社会が成り立っている。
社会は、天才とキチガイと弱者を排除するように出来ている。
>>1が説明してないのが悪いと言えば悪いんだが、
赤として定義されている定量的に観測できる特徴と、赤のクオリアの
両方を考慮して話さないと、このスレの意味無いよね。
色もオブジェクトと同じようにカテゴリー、概念、言語なくしては意識には表れない。
色覚でさえ情報の選択的分析(言語化、カテゴリー化、抽象化、単純化、理論化)を必要とする。
例えば人込みの中では視覚刺激の情報処理が行われているにも関わらず、何色を見ているかを識別できず意識に色は表れない。
ちょうど雑音の中や文字の羅列が意識に表れないように
>>726 ズレタというか、多分ずっとまえに既出の話題だろ。また繰返してるだけ。
にしても最近、ツッコミのレベルが落ちてるな。
ツッコミ側が反論されてそれに答えれないようじゃ、遡ってツッコミ自体も無効化。
まさに無駄骨、駄文化してる。根拠ない短文ツッコミ晒してるだけ。
>>722 >しかし、幾重にも折り重なった幻想によって社会が成り立っている。
幻想というか、それこそが現実かも。
印度で10色絵具を小中学生くらいの子供に与えて絵をかかせると
3色しかつかわなかった、黄緑や桃色なんて論外、そこは黄緑でしょ
って聞いても「い〜や緑!!」って反論されたり
なんて情報きいたことある。
環境や教育で色認識は変わるのかもよ。
732 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 02:02:45 0
色といえばパソコンで初めて色パレット使った時はいくら探しても偽の緑や青しかなくて気持ちわるかったんだけど
今はそんなの気にならないな。慣れとは鈍くなることか。
質感が違ってたんだよね。パソコンがカバーしている色直線と自分の知ってる色直線は別次元だった。
733 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 02:06:57 0
死んだじいちゃんにとって、若草も、晴天時の空も、
ともに「アオ」だったようです。
* TIPS! *
「青い」という形容詞はあるのに「緑い」という形容詞が存在しないのは、
昔の日本には「緑」を表す単語が無かったからである。
てか、さんざんガイシュツの話なら、
かいつまんで教えてあげればいいじゃん?
みんな理解した上で議論してるんでしょ?
余計なレスで議論がズレるなら教えてあげればいいだけのことじゃない?
かいつまんだ話しに纏められるような人は、大した事を話していないことが
理解できるのでさっさとスレから卒業して居なくなる。
だからこのスレには、さんざんガイシュツであることは知っていても
それを纏めることが出来ない人しか存在しない。。。
というか、まとめてあげても、おそらく、
文句をつけられることがわかりきってるので、
馬鹿馬鹿しくてだれもやる気にならない。
738 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 03:21:22 O
いや、まとめるにもそれなりの知性が必要だから、
そういう人はめんどくさくなっていなくなっちゃうってことじゃね?
粘着してるのは本質的な理解もしないでわかったふうにしてる人ばっかじゃね?
じゃあ、赤はほんとうに赤かとかゆったら、「自分はほんとうに自分か」って
まずその答えを出してくれないと、赤は赤なのか、青は青なのか、どうしてパンダは
パンダなのか、無限にアフォな疑問がわいてきて、それこそ先に進めないだろうよ。
コップの答えなんて1行でできるのに、なんでそんなこともわからんで哲学語ってんの?
740 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 03:31:33 O
ロマン語ってるだけだからいんじゃね
AとBがいたとき、
光源
↓自然光
りんご
↓反射光
網膜A 網膜B
↓電気信号 ↓電気信号
脳A 脳B
↓電気信号 ↓電気信号
口A 口B
↓音波(「赤い」) ↓音波(「赤い」)
となる、ってところまでは、合意されてると見ていいのかな?
このレベルで異論がある?
742 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 08:13:43 0
>>727 >波長なんて可視化できないって?
いや、波長は波長計という測定器で数値化して見ることができる。
それを「あか」と言語表示することもできている。
だから物の色を認識することは機械的な情報処理でできるしその方が
むしろ正確だね。
743 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 08:17:36 0
>>741 >>1からここまで読み解いたとすればすごい分析力だね。
異論無いけど最後に共通認識「あか」をついかしたほうが
>>1の
趣旨に合うのではないか?
口A 口B
↓音波(「赤い」) ↓音波(「赤い」)
↓
共通認識「赤い」
色とは物質のエネルギーの強弱である・・・
745 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 08:38:26 0
>>743 承前。
で、脳Aと脳Bの電気信号から生成されるものとして
心の哲学でいう「クオリア」が問題となる。
>>1の「君の『あ』は私の『ぬ』かもしれない。」で
表現されてるものだね。
>>1は心の哲学の「クオリア反転問題」について問うていると
見たのだが違うのかな?
俺はクオリア反転問題なんて「ない」という意見だがね。
つまり君の『あ』は私の『ぬ』ほどは違わない。
あってもせいぜい君の『め』がわたしの『ぬ』くらいの
ちがいだろ。
その理由は
>>741のフローチャートから論理的にいえることだね。
つまり、ユークリッド幾何学の公理「同じものに等しいものは
互いに等しい」を適用することだ。
もうひとつの根拠は神経科学なんかの成果として視神経系の構造は
誰でも似通ったものだということがわかってきた。
「構造は機能を決める」という経験法則によっても、脳Aと脳Bの
クオリアにはたいした違いは無いはず。
746 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 08:49:58 0
>>744 >色とは物質のエネルギーの強弱である・・・
物質のエネルギーというと色より質量を想起するね。
色は電磁波のエネルギーの強弱である、じゃそのまんまでつまらんね。
色温度もあるね。温度もエネルギーの強弱だから。
エネルギーが直接エネルギーとして感覚できるようになったら物理学は
終焉するね。
747 :
Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/17(金) 08:54:53 0 BE:512974962-PLT(13230)
赤いものに共通するものは何か・・・
これを突き詰めていくと色の本質がわかってくると思う・・・
あぁああああああああああああああああああああああああ
全てが幻像だぁあああああああああああああああああああああああああああああああ
形相に囚われてはいけない・・・
本質をみなければ・・
色は脳内で再現されてるものだからなぁ・・・
>>749 強いてその種の言葉を使うなら、形相が本質なんだよ。
君の言う“本質”は粒子のたぐいを指しているんだろう?
それはともかく、君は愉快な御仁だね。w
752 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 13:16:48 0
形相は形と色相ということで色そのものだね。
見目麗しくなければ色気は無い。
♪花の色は移りにけりないたずらにわが身世にふる
♪ながめせしまに
753 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 13:18:33 0
>形相は形と色相ということで色そのものだね。
このスレのレベルを物語ってるなw
>>745 >で、脳Aと脳Bの電気信号から生成されるものとして
それは、無いんだな。
>>741 における電気信号は、
>網膜A
> ↓電気信号 = 網膜が感じた刺激を伝達する電気信号
> 脳A
> ↓電気信号 = 脳から口を動かすための電気信号
> 口A
> ↓音波(「赤い」)
従って、このモデルでは「クオリア」とやらの必要性は無い。
755 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 13:36:56 0
>>745 根拠を示してる点は好ましい。
だがその根拠からは、『め』≒『ぬ』がありえて『あ』≒『ぬ』がありえないなんて
どこをどう妥協しても結論できない。
それに
>>1の『あ』『ぬ』は音声のことだと思ったが。
756 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 13:41:18 0
>>754 >それは、無いんだな。
おまいには無くても俺は感じてるから安心しろ。
> 脳A
> ↓電気信号 = 脳から口を動かすための電気信号
この処理は人であるなら意識が覚醒していなければできない。
言葉が使えることは意識レベルとして相当高度な意識だね。
>>742のように色を自動判別して音声で表現する機械があるからといって
人間が無意識でそういう情報処理ができるかは別のことだ。
757 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 13:46:50 0
>>755 >それに
>>1の『あ』『ぬ』は音声のことだと思ったが。
これは
>>1をアップした人に聞かないと解らないが私は最後に
共通認識として音声で確認してるので脳内イメージの違いを
言いたいのだと解釈した。
クオリア反転問題のように赤のクオリアと青のクオリアがまったく
反転してるような人はいないだろうということだけ。
758 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 14:11:41 0
ま人のことはいえないけど、素人が何いっても雑談以上にはならない。
具体的な新事実か、膨大な調査実験をしないと話は進展しないだろう。
つまり医者か、フィールドワークしてる研究者が発言してるのでもない限り、
人づての話の披露か根拠のほとんどない結論か限られた体験談で終わってしまう。
>赤のクオリアと青のクオリアがまったく
>反転してるような人はいないだろう
その根拠がまったく示されていない。 ナイを言うのは難しい。
759 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 14:27:00 0
760 :
755:2009/04/17(金) 15:06:33 0
>>759 だからそれは根拠になってないと
>>755で言ってる。
理解できないのなら少しかみくだいて言おう。
>@
>>741のフローチャートから論理的にいえることだね。
>つまり、ユークリッド幾何学の公理「同じものに等しいものは
>互いに等しい」を適用することだ。
>Aもうひとつの根拠は神経科学なんかの成果として視神経系の構造は
>誰でも似通ったものだということがわかってきた。
>B「構造は機能を決める」という経験法則によっても、
↓
(a)
>君の『あ』は私の『ぬ』ほどは違わない。
>あってもせいぜい君の『め』がわたしの『ぬ』くらいの
>ちがいだろ。
または
(b)
>赤のクオリアと青のクオリアがまったく
>反転してるような人はいないだろう
@、A、Bから(a)や(b)は証明されない。
不備が多すぎるからこれ以上指摘してやれないが、
例えば、その証明を学会なり専門家なり医者に提出しても
証明として認めてくれる人は一人もいない。
言っていることが理解できなければ実際試してみればわかる。
べつに喧嘩うってるわけじゃないよ。
ただ、@ABと(a)(b)が並べてかいてるだけで
(a)(b)の主張の根拠はまったく示されてないということをいいたいだけ。
761 :
755:2009/04/17(金) 15:11:16 0
訂正
>ただ、@ABと(a)(b)が並べてかいてるだけで
>(a)(b)の主張の根拠はまったく示されてないということをいいたいだけ。
↓
ただ、@ABと(a)(b)が並べてかいてるだけで
あなたはそれが根拠になっていると判断しているようだが
実際上(a)(b)の主張の根拠はまったく示されてないと
俺は判断してるし、他の人も判断するだろう、
ということをいいたいだけ。
粒子は色を持つのか・・・
やはり色は運動における現象・・・
763 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 15:30:23 0
>>760 >(a)(b)の主張の根拠はまったく示されてないということをいいたいだけ。
当然だろ。現在「クオリア」を直接観察する技術・方法がないんだから。
だから「意識のハードプロブレム」といわれてるんだろ。
そんなことも知らなかったの?
764 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 15:41:31 0
素粒子の色というのは比喩としての表現じゃないか?
>>756 >この処理は人であるなら意識が覚醒していなければできない。
そういう抽象的な表現で論点がぼけないようにするためにわざわざ
>>741 で過程を分解して、なおかつ、「合意されてると見ていい?」
と確認してるのに、なんでまた話を戻そうとするかな。
まず、
>>741 にあなたは合意できるの?できないの?
できないとしたら何が不足なの?
>>742 >
>>727 > >波長なんて可視化できないって?
> いや、波長は波長計という測定器で数値化して見ることができる。
> それを「あか」と言語表示することもできている。
> だから物の色を認識することは機械的な情報処理でできるしその方が
> むしろ正確だね。
それは「色=波長」と定義した場合の話。
日常的に私たちが知覚する色は、単なる波長ではなく
三種類の錐体の出力を処理したもの。
だからややこしいんだよ。
767 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 16:08:11 0
ここはうんこしかいないスレだお
きっと友達いないお
かいわできないんだからしかたないお
向上心もないんだお
ひとをからかう以外にもくてきもないお。
だからすこしでもいきづまったら話ずらしてわけのわからないつっこみだすお
このスレだけじゃないお。板すべてが精神異常者にのっとられているお。
レスするときぶんがわるくなるお。すればするだけ気分がわるくなるお。
いたいちの劣悪精神異常者の色におせんされしんしょくされぬりかえられるまでとまらないお。
さすがに別のご!らくをしていた方がまだましだお。
逃げ出せ!諸君!逃げ出せ!諸君!逃げ出せ!諸君!逃げ出せ!諸君!
まだわずかに理性のかがやきがのこっているなら!まだわずかに理性のかがやきがのこっているなら!
まだわずかに理性のかがやきがのこっているなら!まだわずかに理性のかがやきがのこっているなら!
まだ完全に奴の色に染まってないなら。まだ完全に奴の色に染まってないなら。
まだ完全に奴の色に染まってないなら。まだ完全に奴の色に染まってないなら。
逃げ出せ!諸君!逃げ出せ!諸君!逃げ出せ!諸君!逃げ出せ!諸君!
出口が閉じてしまわぬうちに!
768 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 16:30:14 0
>>765 >まず、
>>741 にあなたは合意できるの?できないの?
きわめて大雑把なフローチャートだけどまぁいいじゃないか。
>>743に書いたように最後に共通認識が同一であることを入れればね。
769 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 16:36:48 0
俺は何かを隠蔽している女についてこれから何が起ころうと
責任もてんし社会の隠蔽は社会に引き込まない女が悪いことは
明白だからな。
770 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 16:40:48 0
>>766 >日常的に私たちが知覚する色は、単なる波長ではなく
そうですね。私たちの知覚する色の確認には普通「色見本板」
を使うね。
いわゆる現物合わせで同等の色かを確認するのが普通だろう。
いくらマンセル記号などで数値指示しても色は微妙だからね。
>>768 >きわめて大雑把なフローチャートだけどまぁいいじゃないか。
では、意識は必要ないですね。
>
>>743に書いたように最後に共通認識が同一であることを入れればね。
正直、その必然性が理解できない。
>>1 の問題は、 AとBの違いなのだから、「赤い」という発言が観測された時点で、
観測事実は全てだろう。
772 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 16:48:21 0
>>771 >「赤い」という発言が観測された時点で、
>観測事実は全てだろう。
その「赤い」という言葉が意味するものがAとB
とで違っていたんじゃ意味ないからそれは共通認識だ
というのが必要だろ。
>>772 >その「赤い」という言葉が意味するものがAとB
>とで違っていたんじゃ意味ないからそれは共通認識だ
>というのが必要だろ。
よくわからん。
違っているのじゃないかというのが
>>1 の疑問だろ、
なんで「違っていたんじゃ意味ない」んだ、このスレに意味が無いと言ってるのとかわらんぞ。
そもそも、音波の先に共通認識が存在するというのが電波としか思えん。
A と B の外の空間に「共通認識」という幽霊がたゆたってるとでも言うのか?
774 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 16:55:55 0
>>771 >では、意識は必要ないですね。
ごめん。急ぎすぎてこちらを見落としてた。
これは省略されてるだけと思ってた。
当然、人は意識が無ければしゃべることはできない。
寝言で何か言うこともあるがこれはREM睡眠で夢見状態
半分覚醒状態だからね。
意識不明の人が担ぎこまれたら見当識があるか、言葉がしゃべれるか
の確認はその人の意識レベル調査として必須だろう。
>>774 できれば、
>>741 を修正する形で示して欲しいのですが?
それは抽象的にしか表現できない現象なんですか?
776 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 17:09:25 0
>>775 フローチャート全体が抽象的なものだと思うよ。
あなたは「意識」といわれてああこれかと思うことは無いの?
何かに自分が気がついてると自分で思えることだね。
777 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 17:15:42 0
こんなくだらない人間とわかってたら、
レスなんてするんじゃなかった。
>>776 >といわれてああこれかと思うこと
ああそれですか、でもそれはアレですよね?
779 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 17:53:07 0
>>776 やめたほうがいいよ。
この狂信者たちにはなにをいってもムダ。
>当然、人は意識が無ければしゃべることはできない。
寝言も言うよね
781 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 17:57:48 0
>>779 ご忠告ありがとう。
私もそんな気がしてきたからこれで打ち止めにします。
782 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 18:35:53 0
昨日みた夕日の赤と
今朝駅で見た共産党のアカ
この二つが同じ赤なのか、
それとも違うものなのか
それはきっと誰にも判らない。
でも僕はなんとなく同じものなんだと思う。
赤色はほんとに赤色なのかよりも
赤色という単語はほんとうに赤色として通じているのかのほうが
784 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 18:50:49 0
>>783 ダカラ マズソウオモウヤツハココデハハジカレル
タヨウナタシャカンサツカラウマレルソボクナギモンハ
テツガクゴッコデコザンキドリノクチサキニジンカクマデメッタウチニサレル
単純に、基本的には波長であってるんじゃね?
光の何色を反射するかでそれぞれの色があるんだから。
人工的に作られた絵の具や顔料だって、それをふまえて作られてるんだからさ。
上の方で誰か素粒子のことゆうてたけど、現在観測できる最小の素粒子であるクヲークは
光の3原色とその反対色、+と−の電気でできてるってことまでは証明されてるんだから、
それもあってるんじゃね?どっちもまったくの的外れじゃないつか、むしろわかってんじゃん。
生物によって色の見え方は違うけど、あくまでも人間の識別において、人間が便宜上赤だの青だの
決めてるわけだし、もし
>>1が昆虫で、昆虫のカキコならまだ納得できるけど、ようするにバカじゃねーの?
「透明はホントに透明?」のほうがまだ考える価値があると思うけど。
こんなテーマのスレがここまで伸びてるのを見たら、哲学(現代哲学)がいかにおわってるか逆に確信を持ったよ。
786 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 19:10:53 0
>>785 こんなテーマのスレがここまで伸びてるのを見たら、哲学(現代哲学)がいかにおわってるか逆に確信を持ったよ。
テツガクハ カンケイナイ
ジエン ト ツリデ ノビレルダケ
【おれ虫だけど】色とか迷惑だからやめてくんない?
おれら食えるものとかヤバイことが識別できればいいだけで。
チョウチョさんなんかも、おいしい花の色だけわかればいいって言ってるし、
触覚とかニオイとか音だけでもじゅうぶん生きてるわけだし。
勝手に色とかいろいろ決められて押し付けられても、虫的には正直ウザイんですよ。
犬さんやネコさんもボヤいてたし、人間さん、いいかげんにしてくれませんか?
人間さんだって、おれらが触覚つけろ羽つけろサナギになってからモノ言えつたら迷惑でしょ?
だからおれらはそういう主張はしない。赤はホントに赤?とか聞かれても意味ないんです。
788 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 19:22:01 0
>>785 >単純に、基本的には波長であってるんじゃね?
物理的にはね。色温度はスペクトルの分布で決まるしね。
素粒子の色荷は三原色の比喩だ。
トップ・ボトム・チャームなんて芸の無い理系の名づけることは
たかが知れてる。www
789 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 19:23:29 0
>>788 誤解が無いよう追記。
名前なんて所詮恣意的なものだから何とつけようとかまわないよ。www
790 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 19:48:47 0
つうか、仮に「意識」というものが必要なら、
>>741 の中での意識の役割を、フローに挿入することができるはずだと思うんだが。
なぜそれをかたくなに拒否するのかわからない。
物理を否定するのに、ネットやテレビやケータイや、
スーパーでなるべく奇麗に整った野菜をなんで買うか。
暗ければ灯りをつけ、冷暖房を使い、それなりに設計された家に住むのか、
なんで車や飛行機含めた公共機関で移動するのか。否定するのにどうして理系の恩恵を享受してんの?
名前は、便宜上のものもあるし、もちろん世界中の言語が統一されてないんだから、
それぞれの言葉で定義されてるわけで、名前がなんでもいいなら
>>789は糞太郎とつけられても
文句は言わんし、それこそ本格的に意味ないと思うなら、役所に行って名前と名字を消去するように
申請したらいいやん。てか文字書くのもやめればいいじゃん。それか、誰もが納得する世界共通語でも作ればいいやん。
「意識」を入れるなら入力信号の処理から出力のところだろうな
脳じゃだめなの?
>>792 入力信号の処理から出力のために、ノーミソにシナプスがあるわけだ。
完全な物理擁護ではないけど、物理の世界ではシナプスの代替を作る段階に入ってる。
もしも興味があれば「量子コンピューターインターフェイス」とか「脳バイオコンピューター」で
ぐぐれば出て来る。つまりコンピューターのマザーボードは必要だけど、基盤を完全に頼るのでなく、
情報を「量子」をワープして飛ばせて、シナプスのような役割をさせて、「考えただけ」でコンピューターを
動かせる仕組みを作ろうとしてるんだよ。しかも超スパコンよりこっちのが実現されるのは早いと予想されてる。
スレのテーマにそって言えば、赤は赤で(同じ赤でもいろんな色味があるけど、判断基準としての赤)は
不可欠って前提じゃないと、量子コンピューターを作ったって無駄だよね。赤ってなに?とか
迷ってたら、自分てなに?存在ってなに?コップはなんでコップなの?とかはじまったら、
どんなハイテクも意味ないし、いちおう物事に対する共通認識があるから機能できるわけで。
それから、とくに宇宙物理やってる人ほど、
最終的に哲学が必要って、彼らはそう言うよ。
少なからず哲学やってるなら、「哲学的ゾンビ」とか言わないで、
協力してやれよ。あっちからそう言ってるんだからさ。
つまりだ
主観で赤色は赤色なのかを問うのは構わんが
第三者に問うとすると
まず赤色という言葉がほんとに通じているかどうかからはじめないとだめで
だよ。主観だけなら世界の人口の数だけあるわけで。
混乱しないように言語や風習や宗教、法があるわけで。
そのために、民族にあうやり方での「共通認識」をそれなりに作るわけで。
主観だけなら、「あいつ、なんとなくムカツク」ってだけ殺人しても、判断する人間も
主観でしかできないから、無法地帯になっちゃうから、客観的なものの見方が必要になるわけで。
赤だって、厳密に絶対の「赤色」は、スペクトル的に一番赤い波長を観測して定義すればいいけど、
現実的に「絶対の赤」までは指定されておらずとも、「赤」「赤に限りなく近い」「赤っぽい」とか
あるていどの自由があったうえで、人々は「赤」は「赤」だと認識してるわけで。
赤旗の「赤」、夕日の「赤」、イチゴやリンゴの「赤」、血の「赤」は、それぞれちがう赤だけど、
一部の盲目や色盲の人以外にはそれで周知されてるし、周知できない人は保護しつつ、
それでも「赤」は「赤」って教えてるわけじゃん。てことは赤色はほんとに通じてるわけです。
なので、「赤」を疑う人は、すべての色を疑うならわかるけど、「赤」に限定した時点で、
キャッチとして「赤」を選んだにしろ、なんの答えも出せない。普通、こういう人は精神病院とかで
治療するべきと思います。だって「赤」がわからなければ、横断歩道でさえ渡れないんだから。
798 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 20:55:54 O
>>796 つまりでも何でもない。
それを議論してるのだから。
哲学的な話以前に、生理学的な要素を考えても
波長で定義するだけじゃ話にならんのよ。
色の錯視、ベンハムの駒とかもあるしね。
800 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 21:05:23 0
昔、五色人とかがいたらしいね
言語での赤と色彩での赤のはなし
ここで議論してるのは色彩?
もちろんクオリアの話。
803 :
考える名無しさん:2009/04/17(金) 21:50:43 O
視覚と視覚野
楽しく言葉遊びをしているだけだよ。
のんびりやろうや
言葉遊びなら雑談スレ立ててやれば?
これが言葉遊びじゃないなら何だというのかね?
>>806 これから哲学をやろうとしてる人、
なんらかの事情で大人になってからでも哲学をしたい人に、
大きな害悪になります。
808 :
考える名無しさん:2009/04/18(土) 07:21:45 0
哲学者のウィトゲンシュタインは「哲学は言葉遊びだ。」といってるね。
809 :
考える名無しさん:2009/04/18(土) 07:39:32 0
色盲、色弱のうち、赤と緑を識別できない「赤緑色覚異常」は、一般男性の約5%もいるそうだ。
>>1 の「赤色はホントに赤色?」という問いは、懐疑の為の懐疑ではなくて、けっこうクリティカルヒットな問題なのだ。
>>1 も
>>806 も、言葉遊びじゃない。
クリティカルヒット(笑)
812 :
考える名無しさん:2009/04/18(土) 14:28:23 0
ここはうんこしかいないスレだお
きっと友達いないお
かいわできないんだからしかたないお
向上心もないんだお
ひとをからかう以外にもくてきもないお。
だからすこしでもいきづまったら話ずらしてわけのわからないつっこみだすお
このスレだけじゃないお。板すべてが精神異常者にのっとられているお。
レスするときぶんがわるくなるお。すればするだけ気分がわるくなるお。
いたいちの劣悪精神異常者の色におせんされしんしょくされぬりかえられるまでとまらないお。
さすがに別のご!らくをしていた方がまだましだお。
逃げ出せ!諸君!逃げ出せ!諸君!逃げ出せ!諸君!逃げ出せ!諸君!
まだわずかに理性のかがやきがのこっているなら!まだわずかに理性のかがやきがのこっているなら!
まだわずかに理性のかがやきがのこっているなら!まだわずかに理性のかがやきがのこっているなら!
まだ完全に奴の色に染まってないなら。まだ完全に奴の色に染まってないなら。
まだ完全に奴の色に染まってないなら。まだ完全に奴の色に染まってないなら。
逃げ出せ!諸君!逃げ出せ!諸君!逃げ出せ!諸君!逃げ出せ!諸君!
出口が閉じてしまわぬうちに!
神経科学が滑稽であるのは「心」の観念を神経生理学の観念に置き換えるとよく分かる。
・「あなたが憎い」と言う代わりに
「ああ、あなたは私の左の腹内側篇桃体細胞を発火させる」というように表現するのである。
・あるいは「赤を見ている」と言う代わりに
「長波長錐体が中波長錐体よりも活発に活動している」と言い
・「マギーは気が狂っている」と言う代わりに
「マギーの中脳辺緑系のドーパミンD2レセプターが過剰だ」などと言うのである。
814 :
考える名無しさん:2009/04/18(土) 18:15:23 0
>>747 >赤いものに共通するものは何か・・・
これは簡単なことだね。
赤いものに共通するのは「赤い」というクオリアだね。
これで軌道修正できたかな?
815 :
Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/18(土) 18:26:11 0 BE:769462092-PLT(13230)
お? 色の恒常性を含めて色彩感覚は生まれながらに持っているものと考えられてきたが、乳幼児期の視覚体験によって獲得されることが明らかになった。
おお? また、視覚体験が受容器官(網膜)ではなく大脳皮質に効果を及ぼしていることも同時に明らかになった。
おおお? この成果によって色彩認識の神経回路の解明が加速的に進んでいくと期待される
816 :
Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/18(土) 18:28:08 0 BE:170992122-PLT(13230)
「色彩感覚」が生得的なものではなく経験によって獲得されるものであることが明らかになった
経験か・・^^
817 :
Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/18(土) 18:31:35 0 BE:2051899586-PLT(13230)
波長700nmという外界からの視覚刺激は経験により赤と認識される・・・
結論でたお^^
センスのないやつに哲学は無理という事がよく分かる
819 :
Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/18(土) 18:35:29 0 BE:1025949964-PLT(13230)
視覚刺激は経験により赤と認識される・・・・
これ色だけにかぎらないお^^
820 :
考える名無しさん:2009/04/18(土) 18:37:00 0
センスの無いやつは色気が無いということがよくわかる。www
___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ) センスの無いやつは色気が無いということがよくわかる。www
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
| | ( ./ /
___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ ) だおだお^^
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
| | ( ./ /
822 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/04/18(土) 18:55:38 O
>>813 神経科学が、
というより、それは消去主義が目指す所だね。
脳は赤と緑を単に色の記号として差別無く扱っているわけではないのだろうね。
共感覚は誰でも少しはあるみたい。
824 :
考える名無しさん:2009/04/19(日) 13:12:17 0
共感覚は脳の誤配線と思われる。>アラコキのコンピュータ屋いわく。
そういや、例えば音を聞いたら色が見える人がいるということは、それだけで、
「色とは光の一定の波長である」などという考え方が否定されることにならないの?
あまり関係ないか?
826 :
アラコキ:2009/04/19(日) 19:22:40 0
感覚器(センサー)の出力信号はセンサーの種類によらず同じようなもの
だったはず。
どのニューロンが受け取ったかだけで識別されるんじゃなかったかな?
だから配線ミスすると音が色になったりすることはありうる。
でも、現時点での人間の能力で、デフォで音が色になるのは、
ドラッグキメてる時か、統合失調症とかの精神病だよね。
828 :
602:2009/04/19(日) 20:00:59 0
共感覚っていうと典型的には特定の数字に色がついて見えるような現象だって読んだことあるけど
音を聞いたら色が見えるっていうのもあるのね。
>>824にあるように脳の配線が違ってるんだと当然そういうこともあるんだろうけど、
そもそも音が「見える」っていうのがなかなか想像しづらいね。
視界のどの辺りに色がついて見えるんだろうね?
音楽を聴いて風景が見えることはあるけど、そういうのとは違ってもっとはっきりしてるんでしょ?
音が色に見えるっつか味や温度さえわかるよ。
想像とかじゃなく、現実として。ある特定下の状態ならね。
目の前にとまってまた飛んでった青いトンボの軌跡までわかる。
でもそれはごく少数の、違法行為か精神病の条件があるから、
やはり誰にでもわかる「赤」なりなんなりの基準が必要なわけで。
しかもそれで世の中うまくいってるわけだし。
830 :
アラコキ:2009/04/19(日) 20:15:45 0
黄色い声とか真っ赤なうそとか声に色が伴うのは
普通の感覚だね。
831 :
825:2009/04/19(日) 21:36:00 O
>>825は改めて考えるとかなり間抜けだった。
考えてみると、光がないところで寝て、色つきの夢を見るくらい、誰でもできるなw
832 :
アラコキ:2009/04/19(日) 22:09:00 0
もうあまり夢も見なくなったけど・・・。
色つきの夢は見たこと無いな。
普段あまり色に関心ないのだろうな。
子供の頃の風景で覚えてるのを思い出しながら描くことは
できるけど色はあと智恵で道だから茶色、川は水色、山は
緑、空は青など知識を基に塗ってるね。
同じ光景がカラー写真で残ってれば比較できるんだけどね。
思ったんだけどさ。
クオリアって、その定義的に「他人のクオリアと、自分のクオリアを比較する」ということが
不可能な性質をもったものなんじゃないかな?
つまり、自分にとっての赤(クオリア)が他人にとっての赤(クオリア)と違うかもしれない
というのは論理的に検証不可能な問題ではないかってことなんだけど。
>>833 今の自分が見た赤と昨日の自分が見た赤も検証不可能なんすけどね
>>834 定性的には可能ですよ。それを他人に伝えることは不可能ですけど。
835じゃないけど、もし昨日の自分とも全然比較できないのだとしたら、例えば「このリンゴは
昨日よりは赤く熟してきた」なんて言うこともできなくなるんじゃ。
それとも、比較できなくてもなお、そんな言い方はできるんだろうか。
同じ波長の電磁波を同じ入力デバイスで受けて同じCPUで処理する。
多少のばらつきはあっても、正常であればおなじだと推測できる。
>>838 しかし、あるマシンはLinuxで動いていて、別のマシンはWindowsで動いていた。
ごめん。OS、SOFTも同じってことで。よろしく。
>>834 別にそこは重要ではない。
自分にとっての赤(クオリア)が他人にとっての赤(クオリア)と違うかもしれない
というのは論理的に検証不可能な問題。
というのが主張したい。
>>840 それが同じかどうかを問題にしているのに・・・
プラトンの「イデア」を「クオリア」と言い換えたからと言って、それで何かクリアになったのかな?
既得権益のアップデートだろうな。
845 :
考える名無しさん:2009/04/20(月) 02:25:38 O
人によってクオリアがないゾンビがいたり、赤いと青いのクオリアが逆だったりすることはないと結論されたのかな?
「クオリアや意識など単に短期記憶の一タイプ。
すなわち記録保存のための低級なシステムに過ぎないね。
既にLISPのようなコンピューター・プログラムは処理ステップをたどり直す特色を備えており
我々が「心」や「意識」と呼ぶものを備えている、
哀れなほどに浅い記憶装置しか持たない人間より遥に豊かな心と意識を保有している。
人間科学と機械科学は同じであるし機械は既に心・意識を保有している。
機械の心を否定し機会科学と人間科学を別物として扱うものは人種差別主義者だ。
機械に心はないと主張するならマサチューセッツ工科大学で作られているロボットを見てくればいい
考えを改め直すだろう。」
MIT人工知能研究所の設立者 Marvin Minsky
ミンスキーならそのぐらいのこと言いそうだが・・・。
ソースきぼんぬ。
みんな平和そうでうらやましいよ。
850 :
考える名無しさん:2009/04/20(月) 12:29:49 0
>>841 そのとおりだけど
ここのひとたちは
それでも問題がないからいいんだって。
>>849 考えが浅くて話をつかめてないだけだろ。いつものことだ。
共感覚がまったく無い人には
>>1 の疑問は出てこないのではないだろうか。
853 :
考える名無しさん:2009/04/20(月) 17:48:51 0
いい加減にクオリアの定義を統一して欲しい
クオリアの唯一の定義は定義できない(しない)ということ。
都合の悪い批判を、
「普通に考えたらわかるはずだ」「こんなこともわからないのかw」
などといって誤魔化せるから。
855 :
考える名無しさん:2009/04/20(月) 19:13:21 0
クオリアについて語ろとかゾンビとかいっていってるやつが一番
わかってないとおもう。
多分、純粋に自らギモン持って悩む前に、「クオリア」「ゾンビ」とかいう
言葉に出会って、言葉から入っている。
文読んでりゃわかる。
856 :
アラコキ:2009/04/20(月) 19:28:08 0
俺はゾンビだ、なんてやつはまぁうそだと思ってる。
君の『あ』は私の『ぬ』かもしれない。
なんてことはなく
君の『め』は私の『ぬ』かもしれない。
くらいの違いはあるだろ。
それがどうしたということではないが。
でもこれを言い出した
>>666に敬意を表する。
857 :
考える名無しさん:2009/04/20(月) 19:28:19 0
>>1の心の内はわからないが、内容とスレタイをみるに、
クオリアなんてあいまいな言葉を利用してそれをかんがえるというよりは
自分の具体的なギモンに1つ1つ直接に当たろうとしているという気がする。
そういう素朴な疑問を解決したい人は考察の過程でクオリアなんて単語を使わない。
使っても意味ないから。
「哲学的ゾンビ」って「ソーカル事件」のことなんだけど。
859 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/04/20(月) 19:53:54 O
美しい定義はこうした問題におけるゴール。
厳密な生成的定義が、多分そのうちできるだろうけど、
そのときこの問題が終わる。
熱とは何か、光とは何か、
こうした問題にかんして
広く受け入れられる定義、概念化が起きたのは
議論が終わった、つまり問題が一応解決したから。
860 :
考える名無しさん:2009/04/20(月) 20:02:37 0
>クオリアや意識など単に短期記憶の一タイプ。
>すなわち記録保存のための低級なシステムに過ぎないね。
これ正しいのか?
861 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/04/20(月) 20:02:52 O
分析哲学の批判にソーカルを使うのか。
863 :
考える名無しさん:2009/04/20(月) 20:14:16 O
道 道長
864 :
アラコキ:2009/04/20(月) 20:20:55 0
>>859 数学や形式論理学は定義から始まる。
定義なしに始まる哲学問答ではこんにゃく問答に過ぎない。
もっとも質問の意味が明確化されたら解決だなんて哲学じゃね。
865 :
考える名無しさん:2009/04/20(月) 20:39:14 0
866 :
アラコキ:2009/04/20(月) 20:41:41 0
867 :
考える名無しさん:2009/04/20(月) 20:43:56 0
やはりウマシカだったようだ
868 :
アラコキ:2009/04/20(月) 20:45:15 0
エチカにトラウマでもあるのかな?www
869 :
考える名無しさん:2009/04/20(月) 21:06:38 0
>>866 スピノザのエチカがなぜ有名なのか知ってる?
870 :
考える名無しさん:2009/04/20(月) 21:09:19 0
全てはわかったつもりになってるだけのこんにゃく問答なんだよ。
871 :
考える名無しさん:2009/04/20(月) 21:12:26 0
>>868 トラウマはないが、定理だの何だのと幾何学風の形式の見せ掛けにも
かかわらず、まったく論理的証明になってないように見える。
だれかが、30分で読めるマンガとかにしてくれたら読むかもしれんw
>>864 えらく古い数学観で話をしているようだから
「無定義(語/述語/概念)」について調べてみたら良いよ
873 :
アラコキ:2009/04/20(月) 21:25:10 0
定義の中に無定義語が使われるだけ。
無定義語からでは始まらない。
859も良く読まずに条件反射してるバカだったのか
アラコキさんが言ってるのは数学なんかの概念でしょ。
相手はクオリアっていう「自然」なんだから、その性質が実験や観察抜きで定義から判明するなんてことはないでしょ。
定義が無いものの性質が実験や観察でわかるんか。
877 :
考える名無しさん:2009/04/20(月) 21:51:16 0
ほんとに科学って罪深いな。
数学について語っているつもりらしい864が見当外れ
公理主義的には、無定義語の意味は、命題の展開を通して与えられる
859も同じようなことを言っていることが分かっていない
879 :
アラコキ:2009/04/20(月) 22:17:34 0
物の名前の定義なら最初は現物指示だろ。
これが「わんわん」だよ、から始まる。
たまには月をさす指と勘違いするバカもいる。
880 :
アラコキ:2009/04/20(月) 22:29:35 0
>>875 実験や観察の前に仮設命題(テスト命題)が無ければ何を観測するのかわからない。
881 :
考える名無しさん:2009/04/20(月) 22:32:33 0
数学においても、定義は新しい発見に応じて変わっていくんだよ。
そんなことも知らないの?w
定義はかわらねーよ
883 :
考える名無しさん:2009/04/20(月) 22:37:20 0
誰だったっけ? 有名な科学哲学者が「多面体」という語の定義の変遷について
本を書いてるよ。
「ぬ」という文字を見る→被験者A→脳内処理→「ぬ」という認識
「ぬ」という文字を見る→被験者B→脳内処理→「め」という認識
問題としているのはこういうこと
インプットの後、内部処理でエラーが起こって認識が違うかもしれないってのが命題
ところがアウトプットのときは矢印が逆になるだけで
「ぬ」という文字を書く←被験者A←脳内処理←「ぬ」という認識
「ぬ」という文字を書く←被験者B←脳内処理←「め」という認識
何の問題もない
これが共通認識って事
では、他人の認識はどうなっているかというもう一つの命題
認識は、その大小長短はあるにせよ、経験により固定化されるもの
これは経験が変われば認識も変わるということを示している
被験者Aの「ぬ」という認識←「ぬ」と認識を固定←経験による「ぬ」という知識←「ぬ」という存在
被験者Bの「め」という認識←「め」と認識を固定←経験による「ぬ」という知識←「ぬ」という存在
この場合、AがBの認識を使うためには、その認識を固定させた経験を経なければならない
その場合、Aの認識はBと等しくなってしまう
よってもしそれが可能だとしても変化に気づかない
885 :
考える名無しさん:2009/04/20(月) 22:43:41 0
お客さんの返事を待っている時あるでしょ
「お待ちしております」って違うよな
中居さんとか、女将とか使いそうだよね
私は待っているに敬語使っているだろ、威張っていることだよね。これはでは駄目だ
心よりお待ちしておりますって、心底偉そうだ
侍っておりますとかだと古風だしね
うーん、well comeでいいや
>>879 「右手をごらんくださーい」で、本当に右の手を見るような奴だな
887 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/04/20(月) 23:53:56 O
問いには二つの段階があるとチョムスキーは言う。
まず最初の段階はミステリーだ。
問いがまだこの段階にあるとき、
私達はその問いにどう答えればいいのか、
また何がその問いの答えとなるのか
そしてその問いに答えがあるか
などについて知らない。
問いがこうした段階にあるとき、問いの対象はまだ私達に
ミステリアスな、神秘的なものとして映る。
しかし知識が深まるにつれ問いはミステリーから、パズル、へと変化する。
つまり、問いにどう答えればいいのか、そうした答えを得るためにどうすればいいのか、
そしてそれはどんな答えになりそうか
そうしたことについての知識が得られている段階だ。
この段階にいたると、問いは私達にとってもはや何のミステリーでもなく
単なるパズルへ変化する。
888 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/04/20(月) 23:58:06 O
チョムスキーは言語についてこのことを語り、
ピンカーは心についてこのことを語った。
そのピンカーの表現にしたがうならば、
心に関する問いの多くは
そう、それはすでにパズルになっている、
しかしいまだミステリーの段階にある問いがある
そう、それが意識だ。
ピンカーなんて政治家を引く時点で終わってる
890 :
アラコキ:2009/04/21(火) 08:19:50 0
>>886 んだ、んだ。
この表現のほうが誰にも通じるね。今度からはこれを使おう。
元は禅のエピソードからだね。蛇足。
♪名月を 捕ってくれろと 泣く子かな
891 :
アラコキ:2009/04/21(火) 08:43:51 0
>>884 >何の問題もない
>これが共通認識って事
脳の言語処理にはECC機能があるって話かな?
>この場合、AがBの認識を使うためには、その認識を固定させた経験を経なければならない
AとBの変換ルールは異なるが二重変換で入力(赤)と出力(共通認識の赤)は一致するから
問題ないということかな?
変換ルールの解釈の違いには木がつけないというクリプキのクワス算のような
話かな?こちらならいつかはまったく違う出力でギョ!となるだろうね。
といっても変換ルールの「解釈」はAとBで異なってることに気づけない。
893 :
ら ◆XEUDKSBEss :2009/04/21(火) 15:47:26 O
解釈ルールの二重変換か、それは何か決定実験をつくれる気がする。
ちなみにスマートは随伴現象説と唯物論を区別する決定実験は行えないとした。
そしてそこからオッカムの剃刀を経て唯物論へ進んだ。
894 :
アラコキ:2009/04/21(火) 17:04:25 0
>>893 >解釈ルールの二重変換か、それは何か決定実験をつくれる気がする。
いや、無理でしょう。
なぜか?
「ぬ」という文字を見る→被験者A→脳内処理→『ぬ』
「ぬ」という文字を見る→被験者B→脳内処理→『め』
この処理は体験によるのではなく視神経系の身体構造できまる。
しいてあるとすれば遺伝子の違いや生育環境の違いによる。
言語(文字パターン)処理とは無関係だろう。
んで、出力処理。
「ぬ」という文字を書く←被験者A←脳内処理←『ぬ』
「ぬ」という文字を書く←被験者B←脳内処理←『め』
これは言語教育と文字書きの練習のたまもの。
すなわち体験学習が必須の処理。体験学習によって脳構造が
変化する(それが学習効果)。
だから入力処理と出力処理がうまく相関して『ぬ』と『め』
の違いをキャンセルできることは神業だろう。
神経系の処理だから「神業」もありはなしとしよう。
それにしても一部の人はなぜクオリアとか脳内イメージという言葉に
アレルギーがあるんだろ。
> 「ぬ」という文字を見る→被験者A→脳内処理→『ぬ』
> 「ぬ」という文字を見る→被験者B→脳内処理→『め』
>この処理は体験によるのではなく視神経系の身体構造できまる。
それは明らかにちがうっしょ。
その文字を知らなければ「脳内処理」の結果は、
「なんらかの線の集合」にしかならない。
知っている人間でもゲシュタルト崩壊を起こして、
経験の作用が失われれば、やはりそうなる。
896 :
アラコキ:2009/04/21(火) 18:54:15 0
>>895 >「なんらかの線の集合」にしかならない。
>>1の『あ』や『ぬ」の示唆したいものはこれだろ。
文字以前のパターン、色以前の感じのちがい、それを
意図した表現じゃないのか?
パターン認識ソフトプログラムで苦労した元コンピュータ屋
のつたない経験の言わせるところだけどね。
897 :
ザ・スミス:2009/04/21(火) 19:09:03 0
君の『あ』が私の『ぬ』でもいまんとこ
支障は無い(と思う)のでオッケーだと思います
898 :
考える名無しさん:2009/04/21(火) 19:13:50 0
ぴかぁはボンボン
899 :
ザ・スミス:2009/04/21(火) 19:16:23 0
ドカーンはボチーン
900 :
テコキ:2009/04/21(火) 19:17:07 0
おまえら無駄なうんちく述べる前に
とりあえず脳と眼科の勉強でもしてこい
>>896 例えば、文字認識とかではこうなるじゃん。
1.「ぬ」という文字を撮影する
2.今コンピュータA
3.画像処理
4.『ぬ』(トポロジなどを抽出した認識結果)
5.辞書との照合処理
6.文字「ぬ」
『ぬ』が 4. に対応するものだというのであれば、3の処理は、
対象が、辞書と照合するための前処理であって、
結局文字の知識を前提にしてるわけじゃん。
例えば、男女を区別するプログラムの場合の前処理は、
上の例における 3. とは異なるわけで、結局 4. の内容は、
経験によって変わるのでは?
こういう問題は、哲学問題と自然科学問題が交錯しているのだが、
言語分析系の哲学問題は大した問題じゃないと思う。
ただ説明をいたずらにややこしくしているだけで、分析哲学は無視してもよいとさえ思える。
自分達の存在感と仕事を増やすために建築法案に国土交通省が口出ししてわざと話をややこしくするように、
哲学徒が自分達の存在感を示すために話をややこしくしている。
馬鹿馬鹿しいではないか。
>>901 1→6になれば、その途中の処理はどのような事を行っていてもいいということを
>>884の前半で言っている
入力と出力の結果を一致させるという仕様書が「共通認識」ということなる
もちろんクワス算のような場合もあるだろうが、それは仕様書の読み込みミスであり、エラーが出て初めてデバグ対象となる
他人の感覚で物を見るということは、自分の感覚を捨て去る必要があると
>>884の後半では語っている
なぜなら、「ぬ」という代数を使ったルーチンを同時に2つ走らせれば、プログラム上それは必ずエラーを起こすからだ
もしかすると、大きなルーチンを書いて最初はA、次にBというようには知らせれば言いという人がいるかもしれない
しかしその場合は、そのルーチンは新たなCというルーチンになってしまうだけのことである
よって
>>1の出した命題はまったくの無意味である
904 :
アラコキ:2009/04/21(火) 20:17:52 0
>>901 >1.「ぬ」という文字を撮影する
>>1はそんなこといってないよ。www
赤色や味覚や臭覚の『あ』や『ぬ」だよ。ほぇ!
頭柔らかにしなきゃプログラマー務まらないよ。www
905 :
アラコキ:2009/04/21(火) 20:26:01 0
>>903 >よって
>>1の出した命題はまったくの無意味である
いや、これだけのレスを引き出したのはそれなりの成果と認めるべきではないか?
無意味とはいえない。
>>905 では言い直す
>>1の出した命題は、便所の落書きにしては良く出来ている
ただし「カミはいない、その手でウンをつかめ」よりは出来が良くない
907 :
考える名無しさん:2009/04/21(火) 21:22:39 0
常識の沼の底から浮かんでくるな。
908 :
アラコキ:2009/04/21(火) 21:38:18 0
>>906 神も手紙もなくても水で清めればよい。www
910 :
しの:2009/04/22(水) 01:17:01 0
おいこの状況おれになにも与えない奴がわるいんじゃねの?
社会のうえか?おめえら?
太陽光と共に生きる時間が少なければ
赤の感じ方は鈍くなってるかもしれんね
>>911 ああそうだね。ヒキってたら空の青さも夕焼けの赤も草の緑も、
想像もつかないから無理矢理考えてみちゃったりするんだろうね。
913 :
考える名無しさん:2009/04/24(金) 04:33:50 0
専門バカと一般人のアホが、共に楽しめる話題としてなら、「卵が先か、鶏が先か」の方が良いだろう。
>>1 の「赤色はホントに赤色?」という問いは、必ずしもバカがアホを説得できるとは限らない。
専門家は、折々に、議論を整理するべきだし、それさえ出来ないのなら、死ねばいい。
シンゴーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
鳩山キエロ
915 :
考える名無しさん:2009/04/24(金) 12:12:19 O
世の中に物理や生物の専門家というのはいる。
しかし世の中に意識の専門家というのはいない。
いても認知されてないから「自称」になってしまうのだよ。
つまり、意識が未知のものだからさ。
解明されるのは宇宙より先のことになるかもね。
917 :
アラコキ:2009/04/24(金) 17:38:56 0
誰でも自己の意識の専門家だ。
ていうより自己の意識には自分以外の専門家はいない。
自己以外の他人の意識は推測するだけだね。
918 :
ザ・スミス:2009/04/24(金) 18:06:38 0
人は共感することはできないのかなあ?
919 :
考える名無しさん:2009/04/24(金) 18:10:10 0
>>917 なぜそれをわかってて定義だのいってるんだ。
920 :
アラコキ:2009/04/24(金) 20:14:56 0
意識もクオリアもとりあえずの定義は示してるけどね。
定義はウンコだよ。
証明されるまではね。
無駄なやり取りを長々とよくやるなぁ
厳密に同じ赤は見てないだろうけど、他人も「ほぼ」同じ赤を見てるよ
色覚に異常がなければ
将来色素細胞とつながってる脳から信号とって
「さあ、初めて他人の視覚を直接見ることができます!」ってなっても
出てくる言葉は
「先生。。。やっぱ同じ色みてますねぇ。。。」
「ぬ」と「め」もいちいちそんなの違ってたら
全盲の人のための人口網膜の実験で脳とCCDつなげた実験で文字を認識できないから
気がつくだろ
924 :
考える名無しさん:2009/04/25(土) 01:20:43 0
>>922 おまえみたいな単細胞がいつまでもやってくるから続くんだよ。
926 :
考える名無しさん:2009/04/25(土) 01:30:30 O
赤いものを見ている人の脳を開け、
どこかのニューロンをひとつだけICチップで置き換える。
入力と出力が完全にニューロンと同一なICチップで。
さて、この操作を何回も続けていく。
そうするとやがて脳のニューロンは、すべてICチップで置き換えられることになる。
さあ、まだ赤さの体験はあるだろうか。
これチャーマーズの、ぼやけゆくクオリア、という思考実験。
927 :
考える名無しさん:2009/04/25(土) 01:31:05 0
>>922 なにが問われているのかまるでわかってないだろw
>>922 なんかこういう理解力のにぶい人ってほんと微笑ましい。
929 :
考える名無しさん:2009/04/25(土) 01:34:58 O
>>926 よくわからないなあ。
ニューロン=ICチップなら変わりないでしょ?
なんか説明が抜けてないかい?
930 :
考える名無しさん:2009/04/25(土) 01:38:22 O
で、さらにこのICチップ人間を構成する多数のICを
空間的に離していく。つまりチップ1の演算はオーストラリアで、
チップ2の演算は南極で、
チップ3の演算はメキシコで、という風に
つまりネットワークでつないで分散コンピューティングする。
さあ、このとき赤さの体験はまだあるだろうか?
これはイーガンが順列都市で描いた話。
全盲の人に見せてるんだぜ?意味わかっとるかい?
932 :
考える名無しさん:2009/04/25(土) 01:42:39 0
なんでこう馬鹿が首突っ込んでくるのかなぁ。
ほんと意味わかんねえ。
誰一人どこがどう違うとか、根本からここが違うとかまるでなし。。。。
934 :
考える名無しさん:2009/04/25(土) 01:52:18 0
なんどとなく出てるよな。
なんどいっても理解できないようだけど。
理解できないやつは哲学的ゾンビでは
937 :
考える名無しさん:2009/04/25(土) 01:54:54 0
はじめから読め。
どうせまた簡単な文章書くだけだろ?
940 :
考える名無しさん:2009/04/25(土) 02:03:26 0
いいから10年くらい勉強してから出直せ。
どんなに勉強しても哲学的ゾンビはクオリアが理解できない
これはまた典型的な逃げ台詞を
クオリアが逃げというのが哲学的ゾンビなら
本当にいるんだな。
これはまた典型的な逃げ台詞をは
>>940に向けてだったが書いたら間に1つ入ってたのです
945 :
考える名無しさん:2009/04/25(土) 02:22:42 0
でも哲学についてなにも知らずに書き込んでるのは事実だろ。
946 :
考える名無しさん:2009/04/25(土) 02:27:34 0
>>945 それはおまえらだろ。
知ってるなら現代科学において、
古代哲学がどれだけ貢献したかわかってるはず。
947 :
考える名無しさん:2009/04/25(土) 02:34:59 0
科学者の個人的な趣味が哲学とどう関係あるんだ?
個人的な経験は哲学の中心的課題だが
949 :
考える名無しさん:2009/04/25(土) 02:49:20 0
だから、化学者の求める哲学はあくまでも趣味じゃなくて学問としてでしょ。
おまえバカだからわかんないだろうけど、古代哲学者が考えた
「重力」でさえ、まだ物理学ではその正体がわかってないんだよ。
だから彼らは哲学をバカにしない。むしろ尊重してる。
おまえらみたいに「赤はほんとに赤か」なんてレベルのことは化学的には証明されてるんだから、
おまえらも古代哲学者のように原点に戻って彼らと協力してやれよ。
そんなアタマがないからこんなところでウヨウヨしてるんだろうけどな。
「全盲の人のための人口網膜の実験」はマリーの部屋の思考実験が現実に起きたわけだが
さてこれで何か確かめらるのか?
>>949 >「赤はほんとに赤か」なんてレベルのことは化学的には証明されてる
横レスだが
化学的にはどうだか知らないが、哲学や認知科学的にな何の証明もない。
wikipediaの「クオリア」などの項目を見れば非常に悩ましい問題である事が
分かるだろう。
極論すれば脳をICチップで置き換えようが、
他人の脳と接続しようが
他人の経験している赤色と自分の経験している赤色が同じであるという
証拠は無い。
ここが悩ましいところなのだ。
954 :
考える名無しさん:2009/04/25(土) 03:10:12 0
>>949 だからなにも知らないやつが
馬鹿みたいなこといってないで
10年でいいから哲学勉強してからこいよ。
955 :
考える名無しさん:2009/04/25(土) 03:10:59 0
>>949 >おまえらみたいに「赤はほんとに赤か」なんてレベルのことは化学的には証明されてるんだから、
馬鹿なの?死ぬの?
>>953 を拡張すれば「昨日経験した赤色は今日の赤色と同じなのか」という問いも産まれる。
我々の体の組織は日々生まれ変わっている。
十年前の自分の書いた文章を読んで現在の考えとの違いに驚いた人もいるかもしれない。
我々の脳自体も日々生まれ変わって昨日とは変化している。
ましてや他人の脳の経験と自分の脳の経験が同じであるという保証を得るのは
大変難しい問題だという事が
近年認知科学者や哲学者の間で議論されている。
957 :
Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/25(土) 03:30:22 0 BE:341983542-PLT(13230)
958 :
考える名無しさん:2009/04/25(土) 06:51:08 O
同一性については哲学の世界だと
ライプニッツの不可識別者同一の法則とか。
科学方面だと量子統計の話が面白い。
素粒子というのは厳密に同じものだ、みたいな話。
959 :
考える名無しさん:2009/04/25(土) 06:54:50 0
960 :
Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/25(土) 06:56:11 P
素粒子というのは厳密に同じものだ・・・
なぜ素粒子は思考を表現できるようになったんだろう・・・
961 :
アラコキ:2009/04/25(土) 07:21:13 0
>>956 >我々の脳自体も日々生まれ変わって昨日とは変化している。
脳が生まれ変わる、とはいかなることか?
誰に生まれ変わる?
自分が自分に生まれ変わる?
ワカラナイ、ワカラナイ!
という前振りはおいといて・・・。
脳細胞のニューロンはほとんど生まれ変わることないんじゃなかったかな。
生まれたときから一日何万というニューロンが死滅していくけどまぁもともと
たくさんあるからたいした問題にならない。というか余分なところを消去して
行くことでその人なりの個性や経験が作られていくんじゃなかったかな。
エピソード記憶に関するニューロンは成長とともにあらたに生まれることは
あるようだけど。
脳の変化は主にニューロンとニューロンの絡み合い、ニューラルネットワーク
結合状態の変化であると思っていたがちがうのかな。
昨日の記憶と今日の記憶が同じかどうかは「自己同一性」の問題になるだろうね。
昨日の赤と今日の赤がまったく違ってしまうなら「昨日の俺が今日の俺」では
なくなってしまうだろうね。
それこそ生まれ変わったということだろ。
962 :
アラコキ:2009/04/25(土) 07:29:40 0
>>960 >なぜ素粒子は思考を表現できるようになったんだろう・・・
NANDゲートだけの組み合わせであらゆる論理回路が構成できる。
それと同じことだろ。
プログラム内臓方式のコンピュータが万能計算機(情報処理機)になる
のも同じことだね。
963 :
蓼科:2009/04/25(土) 07:33:55 O
身体の細胞も脳の細胞も新陳代謝があってつまりは入れ替わるんだよ。食べ物とかで。つまりは悪魔の身を食べれば悪魔のことがわかるし必要に応じて身体が変えていくのだよ?おわかり?
ようするに我思うゆえに我あり、それ以外は疑わしいってことね。
10年哲学勉強してこいよしか書かないで
自分が他者よりも哲学が解かってるって思えるのが幸せだよな。。。
966 :
考える名無しさん:2009/04/25(土) 10:59:15 O
脳細胞は消える一方だよ。増えることはない。
967 :
アラコキ:2009/04/25(土) 11:01:33 0
「我思うゆえに我あり」がもっとも疑わしいだろ。
無我だと思えば疑うこともなし・・・・・。ははは
968 :
ザ・スミス:2009/04/25(土) 11:14:17 0
>>964 懐疑論にはまりすぎるとエラいことになるよ
969 :
考える名無しさん:2009/04/25(土) 11:19:40 0
>>964 そうだよ。
我が思った観察結果しか正しいことはない。
というより、観察結果は正しい(真)としたんだ。
神と同位にした。
だから、宗教から科学へ権威が移行できたんだよ。
これは懐疑論じゃなく、決定論だよ。
970 :
ザ・スミス:2009/04/25(土) 11:30:47 0
>>967 フロイトが「無意識」を使って「我思うゆえに我あり」
を批判してたような気がする
971 :
アラコキ:2009/04/25(土) 12:07:09 0
972 :
ザ・スミス:2009/04/25(土) 12:24:33 0
>>971 たしかにそうなんだけど
我も思えない我があるというか・・・
心のほとんどは「無意識」で出来ていて「意識」はほんの少しだけと言うし。
973 :
考える名無しさん:2009/04/25(土) 12:32:08 O
無意識は本来は本能。
しかし繰り返しの経験による慣れをついつい我々は無意識によるものととらえてしまいがちだ。
潜在意識について学んでみるとよいだろう。
974 :
アラコキ:2009/04/25(土) 12:44:46 0
無意識にも意識しようとすれば意識できる無意識と
意識しようにも意識できない無意識の二通りがある
んではないか?
975 :
ザ・スミス:2009/04/25(土) 12:44:50 0
976 :
ザ・スミス:2009/04/25(土) 12:57:42 0
>>961 956じゃないけどちょっと言っとく
ニューラルネットワークが昨日と変われば、昨日と今日の認識が変わることもありうるのでは?
それとは別の話になるが、「我思う故に我在り」は、瞬間の我しか保障しないということであり、次の瞬間の我は全く保障されない
胡蝶の夢のごとく、次の瞬間には布団から起き上がるかもしれない
みんなで『なぜ意識は実在しないのか』を読みましょうよ
とっても楽しいですよ
979 :
考える名無しさん:2009/04/26(日) 00:45:25 0
980 :
考える名無しさん:2009/04/26(日) 00:54:46 0
なんでピストルズが出て来るんだよ。
あの服屋のオヤジが店の宣伝で作ったバンドなのに。
当然色は認識してるだろうよ。
「なぜ意識は実在しないのか』?
簡単でしょ、重力の素粒子がいまだ発見されてないように、
意識の素粒子も発見されてないだけでしょ。ギリシャ神話にテレパッサっていう
テレパシーの語源になった女神がいるけどさ。ようするに「意識」も定義されてないだけで、
じっさいに「意識」はあるんだから、証明されてないだけで実在するとしか言えんでしょ。
まあ、単なる本の紹介だろうけど。
981 :
ザ・スミス:2009/04/26(日) 00:58:45 0
勝手にしやがれっ!!
(ピストルズだけに)
982 :
考える名無しさん:2009/04/26(日) 01:10:18 0
プラトニズムな「イデア」を真正面から語ることを恥じらうインポのヒヒ爺どもに、もっと弾けろ!と言いたいのでは?(w
983 :
考える名無しさん:2009/04/26(日) 01:52:00 0
>>961 脳の海馬の細胞は日々生まれ変わっているし、
ニューロンの接続の抑制と興奮は毎日毎時毎分毎秒変わっている。
学習によりある回路が興奮しやすかったものが今日は抑制されるということが起こっている。
昨日の配線と今日の配線は同じではないのだ。
昨日の赤と今日の赤が同じである保証は無い。
984 :
考える名無しさん:2009/04/26(日) 01:57:43 0
日本の権力はそれほどでもなお黒木メイサに聞いてこ
経済のそれより政府の方が上だしロシアほど怖くない。
985 :
考える名無しさん:2009/04/26(日) 02:02:07 0
それから彼らは全共闘世代の生き残りとあっちカンナビスだろ。
あたま使えば怖くない。情報の取り方があるからこうこうこうで
引き出して切り抜けて最後に仲間にたどり着く
986 :
考える名無しさん:2009/04/26(日) 02:11:10 0
人殺しをしていたらもう駄目
987 :
考える名無しさん:2009/04/26(日) 02:16:20 0
そしきとはひとつの枠組みになっていて中川がどうなって
いるかで決まっている・むかしのくにのようにひとつの枠組みが
なにもない状態なら途中で入るのはいい。もしそうでないのなら
その罪に応じて入るとそれを背負うことになる。おわかりかな?
どこまでいったかで決まる・もう入れないところに
988 :
考える名無しさん:2009/04/26(日) 02:20:04 0
出て来い
989 :
考える名無しさん:2009/04/26(日) 02:24:53 0
>>987 お前がバカであると自覚していることを恥じることはない。書き直せ!
990 :
考える名無しさん:2009/04/26(日) 12:19:01 O
>>978 いきなりアノ本を理解するのは難しいんじゃない
文章もアレだし
まずは同じ永井均なら「翔太と猫のインサイトの夏休み」あたりからの方がいいんじゃないかな
模擬試ね
992 :
考える名無しさん:2009/04/26(日) 12:41:16 O
とある酒場にて
酔っ払い:何故、彼等は理解しない!
サングラスの男:「哲学的」坊やだからさ。
993 :
考える名無しさん:2009/04/26(日) 12:56:54 O
とある酒場にて
テレビの中の男:何故、彼等は理解しない!
サングラスの男:「哲学的ボウヤ」だからさ!
>>992は記憶間違い。訂正します。
私は指先でキーボードのキイを打っています。
そうする際には生理的身体に多くの法則や諸前提が作動していることは確かです。
しかしそれらを私はこの文書そのものにその要素として持ち込むことはできません。
それは意識と脳についても同様です。
私のこの文書から私の意識や意図を知ることはできないでしょう?
このことは意識は脳とは別に独立しており意識の操作は脳自体にはできないことを提示しています。
具体的有用労働が使用価値物を形成するにしても交換価値を形成するのではないのと類似的です。
>>994 えーと、文章がよくわからない。
例えばここ、
> それは意識と脳についても同様です。
> 私のこの文書から私の意識や意図を知ることはできないでしょう?
> このことは意識は脳とは別に独立しており意識の操作は脳自体にはできないことを提示しています。
意識と脳の関係なのか、それとも文書と意識の関係なのか?
書き直すならこうですか?
「それは意識や意図と文書についても同様です。
私のこの文書から私の意識や意図を知ることはできないでしょう?
このことは文書は意識や意図とは別に独立しており文書の操作は意識や意図自体にはできないことを提示しています。 」
これでもまだおかしいけど仮にこうだとして、
書かれた文書から書いた人の意図を読み取ることができないのは単に情報の不足というだけであって、
別段その因果関係を否定するもんではないと思うが。
本の内容は、書き手の肉体を調べてもわからない。ってことね。
意識は生きる情報、毎夜泡のように消えゆく。むべなるかな。いとおかし。やんばるくいな、
997 :
アラコキ:2009/04/26(日) 21:57:49 0
>>977 >ニューラルネットワークが昨日と変われば、昨日と今日の認識が変わることもありうるのでは?
それが脳の学習機能や記憶忘却機能だから当然脳の状態は日々新た、変化してるでしょ。
それこそ諸行無常だ。
だけどその変化は「め」が「ぬ」になるくらいだろということ。
もちろんおれもアラコキで度忘れひどくなってきたと実感している、今日この頃です。
まだ自分の名前を忘れるまではいたっていない。
998 :
考える名無しさん:2009/04/26(日) 21:59:39 O
精子出すとあんまり考えなくなる
999 :
考える名無しさん:2009/04/26(日) 22:06:55 0
>>997 変わった後に変わったことを認識できると思ってるの?
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