1 :
考える名無しさん :
2008/07/19(土) 22:36:59 0
2 :
考える名無しさん :2008/07/20(日) 00:03:07 0
2ゲト!やり!
974 :考える名無しさん:2008/07/17(木) 12:59:01 0 いろいろ失敗して死ぬような思いをしないと生物って反省しないでしょ。 ちょっと痛い目に遭ったくらいでは反省しない。 人類なんて放っておけばいいと思うよ。 好き勝手に戦争して独裁者の奴隷になって後悔していればいいんじゃないの。 「人類」というイメージや概念に執着してる方がおかしいんであって、 そんな者の絶滅の危機をなんとかしようという問題に執着してないで、 放っておけばいいと思うよ。死ぬような目に遭わないと反省しないんだから何を言っても無駄でしょ。
976 :考える名無しさん:2008/07/18(金) 19:35:11 0
kの言ってる事とお釈迦様が言ってる事はどこが違うんですか?
読んでると同じように見えますが?
977 :考える名無しさん:2008/07/18(金) 21:45:56 0
>>976 釈迦の何の本を読んでそう思われたのでしょうか?
978 :考える名無しさん:2008/07/18(金) 22:47:54 0
>>975 そうですね。単なるツッコミ合戦に終わらない対話ができるといいんですが・・・
>>974 まぁ言いたいことはわかりますが、人類と発言者とをキッパリ分けた
上での発言内容ですね。いわば神目線?好き勝手じゃなく、自分の
意思とは無関係なところで戦争に巻き込まれたり、奴隷にされたり
する人も大勢いるわけで、自分もいつそういうことに巻き込まれるか
わかったもんじゃないと自覚しててなお、そこまで突き放した物言いが
できるでしょうか。
ていうか、人類の絶滅の危機をなんとかしようなんて思ってる人が
このスレにいますかね?
979 :考える名無しさん:2008/07/18(金) 22:49:33 0
>>976 同じように見えることが何か問題ですか?
980 :考える名無しさん:2008/07/19(土) 06:59:14 0
ただの訊いているだけで、問題とは言ってないのでは。
981 :考える名無しさん:2008/07/19(土) 07:02:19 0
>>980 〇ただ
×ただの
982 :考える名無しさん:2008/07/19(土) 08:45:11 0 174 「常に戒を身にたもち、智慧あり、よく心を統一し、内省し、 よく気をつけている人こそが、渡りがたい激流を渡り得る。」 クリシュナムルティは戒律云々は説かない。 182 「この世では信仰が人間の最上の富である。徳行に篤いことは安楽をもたらす。 実に真実が味の中で美味である。知慧によって生きるのが最高の生活であるという」 クリシュナムルティは信仰も説かない。 220 両者は住所も生活も隔たって、等しくない。在家者は妻を養うが、 善く誓戒を守る者(出家者)は何ものをもわがものとみなす執著がない。 在家者は、他のものの生命を害って、節制することがないが、聖者は 自制していて、常に生命ある者を守る。 クリシュナムルティは、在家者・善く誓戒を守る者(出家者)と謂う様な宗教的生活スタイルの別を設けない。 221 譬えば青頸の孔雀が、空を飛ぶときは、どうしても白鳥の速さに及ばないように、 在家者は、世に遠ざかって林の中で瞑想する聖者・修行者に及ばない。 日常の生活社会を離れ山林に篭る修行や宗教的な聖者などという分別もしない。
984 :考える名無しさん:2008/07/19(土) 12:45:44 0
>>978 >まぁ言いたいことはわかりますが、人類と発言者とをキッパリ分けた
>上での発言内容ですね。いわば神目線?好き勝手じゃなく、自分の
>意思とは無関係なところで戦争に巻き込まれたり、奴隷にされたり
>する人も大勢いるわけで、自分もいつそういうことに巻き込まれるか
>わかったもんじゃないと自覚しててなお、そこまで突き放した物言いが
>できるでしょうか。
逆じゃん?想像力があって危機が予測できるから、他人事とは思えず
色んなアプローチをしてみたけど、やればやるほど無駄って思うように
なるんじゃない?少なくとも自分はそうだった
自分は
>>974 じゃないけどね
>>974 は「死ぬような目に遭わないと反省しない」と言ってるけど
自分的には、死ぬような目に遭っても反省しない、つまり
死ななきゃ直らない、と思う
とすると、どうやって自分は助かろうかなって考える方が
現実的だと思う
985 :考える名無しさん:2008/07/19(土) 15:59:41 0
>>982 確かに枝葉の部分に注目すれば全然違うかもしれないが、核心のところでは同じでしょ?
共に、「執着するな」「愛(慈悲)」を説いている。
まあ、お釈迦様の場合は説くというより、周りの弟子たちが書き残したもので推測している
わけだが、その部分が、直接著書を残しているkとは違うね。
あと、前に話題に上がった魂というか死後の世界についても共通して「無記」の立場でしょ。
986 :考える名無しさん:2008/07/19(土) 16:03:11 0
あと「執着するな」ってのは自我の終焉とも同じとも言える。
自我に対する執着ってのが最も強烈だからね。
宗教やグルを信じるな〜ってのも同じ。
大体、お釈迦様は自分の説いているのを宗教とは認識してなかったと思う。
いわゆる、「仏教」なんてのは後で出来たもので、お釈迦様本人にはそんな
意志はなかっただろう。
987 :考える名無しさん:2008/07/19(土) 20:23:37 0
141 そうすれば、現世においては非難せられ、来世においては悪いところに生まれる。
(身分の高い) 生れも、かれらが悪いところに生まれまた非難されるのを防ぐことはできない。
988 :考える名無しさん:2008/07/19(土) 21:10:19 0
>>985 >共に、「執着するな」「愛(慈悲)」を説いている。
愛について説いている、釈迦とクリシュナムルティの
「愛(慈悲)」内容の共通点の具体例を教えて頂けければ幸いです。
989 :考える名無しさん:2008/07/19(土) 21:43:48 0
お釈迦様の説かれている慈悲とkの説かれている愛は同じものでしょう。
私はそう感じました。あくまで私の感想ですので、違うという人もいるかもしれません。
990 :考える名無しさん:2008/07/19(土) 21:46:26 0
>>989 具体例
991 :考える名無しさん:2008/07/19(土) 22:14:03 0
具体例をお望みですか?
では、私と同様、両者を読んでみてはいかがですか?
私はあくまで私の感想と言ったのですがねえ・・
992 :考える名無しさん:2008/07/19(土) 22:17:39 0
>>991 >>989 お釈迦様の説かれている慈悲とkの説かれている愛は同じものだ
と感じられた具体的な例を示して頂ければ・・・
993 :考える名無しさん:2008/07/19(土) 22:23:26 0
具体例を示さねば、
例えば、
池田某や文鮮●の説く慈悲とkの説かれている愛は同じものでしょう。
私はそう感じました。あくまで私の感想ですので、違うという人もいるかもしれません。
何とでも言える。
995 :考える名無しさん:2008/07/19(土) 23:04:40 0
>>980 え〜、問題という表現が違ったかもしれませんね。
わざわざここで質問するということは、同じように見えることに
何か疑問を感じたのでは?と推測できます。
何も感じてなければ「ああ同じようなことを言ってるな」で
片付きますからね。
それと、最初から「どこが違うんですか?」という質問が出る
ということは、Kと釈迦の言ってることは違う、ということを
前もって誰かから聞いたんじゃないですか?
もう話が進んでる感じなので、いまさらどうでもいいかも
しれませんけどw
996 :考える名無しさん:2008/07/19(土) 23:15:39 0
>>984 ちょっと話の焦点がうまくあってなさそうなので、慎重に書きます。
>>974 さんは、
>「人類」というイメージや概念に執着してる方がおかしい
と言いつつも、
>人類なんて放っておけばいい
とおっしゃる。これはちと矛盾してるのでは?
人類という概念に執着してなければ、「放っておけばいい」という
考えすら浮かばないでしょう。これは単なる執着の裏返しと
見受けられますが。
死ななきゃ治らない人類ってどこの誰ですか?という話ですね。
そんなアホな人類を放っておけと言う、あなたもまた人類ですわな。
↑以上、前スレから続いてる議論だけコピペしました
そもそもAとBは同じに見える〜と言う時、どこが同じなのか具体的に述べよ、なんて 言うのはナンセンスだよ。 同じに見えるのに、なにが同じ?と問う行為自体無意味。 むしろ異なって感じている人がその違いを具体的に述べるべきだろ。 違う点ならいくらでも具体的に述べられるだろ。
16 :
考える名無しさん :2008/07/20(日) 21:49:18 0
>>14 言いたいことはわかりますが、最初の質問(
>>4 -
>>976 )からして
あまり意味のない質問だと思うので、この件で話を広げるのは
最初から不毛な気がしますよ。
皆がそういうほどナンセンスでもない。
>>14 の言う事は有る意味もっともだ。
違うと思う方が何が違うのか具体的に言ってもらった方が議論がすすむだろう。
19 :
考える名無しさん :2008/07/24(木) 21:24:35 0
同じに見える点も挙げれば善いのさ
だから核の部分は同じと言ってるんだろ。 枝葉の違う部分を言ってくれよ。んで結論は核は同じってか? そんなことだろうよ。
21 :
考える名無しさん :2008/07/24(木) 21:51:34 0
釈迦とクリシュナムルティは、 どういう点が同じなのですか?
23 :
考える名無しさん :2008/07/24(木) 22:20:08 0
24 :
考える名無しさん :2008/07/24(木) 22:26:31 0
>>20 > だから核の部分は同じと言ってるんだろ。
核の部分を詳しく解説お願い致します。
俺は類似性の問題に関心がないし類似性の主張者ではないが 諸行無常、涅槃寂静、諸法無我と似た主張がkの中にあるのは 事実だと思う。一々、ソースを当たるのは面倒くさいのでしないが。 ついでに両名ともインド哲学的伝統を受けてそれを全否定 したわけではなくその本来の姿、若しくは完成形を提示している。 (ということでブッダもkも実は伝統的土壌があって始めてその主張が 意味をなすのであり全く何も知らない人達相手に彼らは話をしていたの ではないのでありそういう意味では両名とも伝統依存なのであったw) 二人とも本来のバラモンの徳性を称賛しているいるし全否定はしていない。 ただ伝統が形骸化し儀礼中心主義になるのに異を唱えている。 また両者ともに絶対神は否定している。 有名な「ただひとりサイの角のように歩め」等のブッダが 独り瞑想することの重要性を説いたのと同様にkもただ独り あることの重要性を説きalone(ただ独り)=all one(全一) であるとその価値を称揚している。 そして両者ともに人間の平等を唱えそういう意味でインドの伝統とは 完全に対立している。
松本史朗というドグマティックな学者が 「クリシュナムルティは梵我一如の焼き直しであり仏教とは違う」 と雑な裁断をしているが宇宙の最高原理ブラフマンとアートマンを 一致させるとか不二一元を知るとかそういうレベルの話をkはして いたのではなく思考、私、経験による投影が一切、なくなった所での 非経験的事実を述べているのであってブラフマンと一体化するとされる 私の終焉をも、それを判断する観察者の私の終焉をも唱えているので あり射程は遥かに広くそれを梵我一如と主張するなら仏教の ニルヴァーナも梵我一如ということになりそれを認めないという 絶対無我を主張するならニルヴァーナ自体が存在しないという話になる。 事実、松本が仏説として最大限に押す龍樹の中論にそういう論法が 出てくる。無論伝統的、上座部ではこんな主張は認められない。
また余談だが日本以外の仏教国ではクリシュナムルティ は尊敬され仏陀と同じ真理を説いた人として敬われている。 ダライ・ラマが彼の聖誕祭に参加していたし生前からkは仏教の僧 とは懇意にしていたようだ。あの仏陀以外を中々、認めない (ように見える)スマナサーラ氏もkを絶賛している。 一方、日本では学者も僧侶も仏教関係者は彼を肯定的に 語っているのをあまり見たことがない。ある禅僧がホームページ で「クリシュナムルティは観察者の問題を解決していなくて 禅はその先を説くから偉いのだエッヘン!」と馬鹿みたいに 浅薄な見解を何年も前から提示していたり、学者が学問仏教 の論文で嫌なやり方で暗に批判しているに留まる。 まぁ俺は類似性に興味がないのでどうでもいい話だし 似ていない所も幾らでも思いつくしそもそもインド哲学 やその論理に興味があっても仏教そのものにはそれほど関心 がないので類似性を主張する人も非類似性を主張する人も 頑張って下さいw
仏陀とクリシュナムルティとの共通点他 この世界を支配し、人々の行為に報いたり罰したりする「創造主=神」という観念の否定《形而上的思弁への無関心》 仏陀は、人生は苦――苦しみ、葛藤、悲しみ――であるという前提から彼の教えをはじめる、kはそれらを強調 仏陀は、この葛藤、苦しみの原因は、「私の」自己、「私の」アートマンという間違った観念によって生み出される利己心だと言う。 《kは、人生はむしろ良いものだとみなしている。この世においてこそ人は真の意味の自己実現/解放を遂げ、楽しく生きることができるようになる》 仏陀は、人が欲望・願望・執着・自己から自由になる時、人は苦しみと葛藤からの自由になると言います。 kは、自由とはすべての執着からの自由であると、言ってる。すべての執着からの自由――――――それこそはまさに仏陀が教えたこと。 真理を見ること、真理を実現するということ。ものごとをあるがままに見るということ。あなたがリアリティ(真実)を見ると時、葛藤から自由になるのです。 仏陀と一緒 kは常々、人は権威に依存してはならないと言っておられる。誰の権威にも、誰の教えにも依存してはならない、と。 自分の力で真理を実現しなければならない、自分の目で真実を見なければならない、と。仏教でもよく知られた教えで仏陀は言いました。 いかなるものも、それが宗教あるいは経典によって、あるいは教師またはグルによって言われているからというだけで受け入れてはならない。 あなた自身の力でそれが正しいと見極めた時初めて、それを受け入れなさい。もしそれが間違っていると感じたら、それを拒否しなさい、と。
「大般涅槃経」の中の仏陀の中では「気づきなさい・気づき・注意深さを培いなさい」と常に言っています。kの気づき(マインドフルネス)と一緒 仏陀の根本的教え「あらゆるものは無常である、何一つ永続的なものはない、ということです。『クリシュナムルティの瞑想禄』の中でkは、 何ものも永続しないということを認識することはとてつもなく重要である、なぜなら、その時初めて精神・心は自由になるからだと言ってる。 これは完全に仏陀の「四聖諦」に合致しています。 規律に対する態度、「あるバラモンが仏陀に訊ねた。あなたはいかにしてこのような高い境地に達したのですか?戒律によってですか、 知識によってですか、規律によってですか?仏陀は言った。知識によってでも、規律によってでも、戒律によってでもないが、それらの どれも無しにでもない――重要なのはこのことだ。」 kは、規律に隷従してはならないが、しかし規律なしには人生には価値がないと言ってる。
30 :
チベットの秘奥義【タルパ】 :2008/07/27(日) 11:34:08 0
チベットの秘奥義【タルパ】
http://www13.atwiki.jp/ridatu/pages/329.html 「タルパの作り方」
タルパ・・・・チベット密教の秘奥義で、修行を極めた者のみに伝えられる秘奥義・・・・・・
日本語訳で「人工未知霊体」つまり、人間が「無」から霊体を作り出してしまう方法です。
貴方が理想とする人間を想像します。
イメージに揺らぎが出ないように、全体のバランスを取りながら、細部も詳しく想像します。
人格も同じく、細部まで想像します。
この術のポイントですが、「頭の中の世界」で想像しないで、現実世界に重ねて想像するのです
いま、自分の目の前に彼女がいる、と想像します・・・・・それが「奥義」です。
何か、とても簡単で、どこも特別じゃないような気がしますが「現実世界の上に重ねて想像する」
ってのは、簡単なようでいて、意外と誰もしないのです。
実際やってみると、えらく難しいのが判ります。
細部まで想像出来るようになるには慣れが必要ですし、全体を捕らえながらやろうとするとまた難しいのです。
そして、彼女をただ想像するだけでなく、「人格の形成」も同時に行っていきます。彼女を「動かす」のです。
例えば、彼女と「会話」をしてみます。
もちろん最初は、貴方が「彼女のセリフ」を考えて、一人で二人分の会話をスムーズに頭の中に流さなければなりません。
もちろん、慣れたら細部にこだわります。
会話するとき、例え自分が考えたとしても、「彼女に喋らせる」事を忘れないでください。
彼女のセリフも、「彼女ならこう答えるに違いない」とか、
「彼女は頭がいいのだから、ここまで考えて喋るはずだ」とか、考えて下さい。
そのうち慣れて来ると自分が考えて喋っているのか、彼女が考えて喋っているのか判らなくなってきます・・・・
そのうち、完璧に彼女自身が喋り出してきます。
仏陀とクリシュナムルティの大きな違いはその言葉がありのままに 残っているかどうかで、ここが本当に重要な点だよね。 どう見ても仏典は組織に都合のいいように作られている。
32 :
考える名無しさん :2008/07/27(日) 23:47:01 0
> 人は権威に依存してはならないと言っておられる。 権威に依存していない奴が、釈迦とKの思想が同じか違うかなんてことにこだわるのか?w
よくある主張が 1.仏教は最高の教えである(仏教は権威である) ↓ 2.クリシュナムルティの教えは仏教に似ている ↓ 3.だからクリシュナムルティは素晴らしい この手の主張は1を偽と感じるまたは実感できない人には意味がない。 2には反例もある。権威による箔付けですな。 もうひとつのよく見る主張は 1.悟りは最高の価値を持つ ↓ 2.クリシュナムルティでは悟れない ↓ 3.仏教等組織的宗教では悟れる。だから組織的宗教に所属する この手の主張は1,2,3全てが個人的信念または希望的観測。
34 :
考える名無しさん :2008/07/28(月) 20:53:40 0
組織的宗教だと、代表者崇拝とかに陥いってしまっては、 個人が悟りを開くということができないのではないか? 内なる自己を見つめるという視線が、代表者へその視線がそそがれるようになっては 悟りどこりではない。 仏教の経典は経典として学び、クリシュナムルティの立場に立てばいいのでは? けっこう、無神論者はクリシュナムルティの考えは受け入れやすいのではと思う。
Kも仏陀もシンプルで単純な教えに思える。 代表者うんぬんって、宗教だけの話じゃないな。 誰かを崇拝するという行為や感情は、まわりに満ちてるじゃないの。
36 :
考える名無しさん :2008/07/30(水) 00:33:01 0
>>35 確かに誰かを崇拝するという行為や感情はまわりに満ち溢れているね。
その誰に崇拝しようとする行為、感情を作りだすのは内なる自分。
代表者、指導者で敬意に値する人がいるのも事実。
しかし、代表者、指導者としての地位に甘んじ、私腹を肥やすような人物も存在するかもしれん。
しっかりと自分自身の内なる存在を探求していれば問題ないととらえている。
37 :
35 :2008/07/30(水) 10:40:20 0
権威や崇拝の対象となり、その立場を利用する人と、 それらの感情を持ち、誰かに投影し続ける人っていうのは、 所詮同じ穴のむじなじゃないの。 私腹を肥やすためには、貢いでくれる人も必要でしょう。 そういう関係は内なる存在を探求するという立場なら否定 すべきでしょうが、経済的、政治的なそのような社会に我々が どっぷり漬かっているわけで。お金を崇拝し、資本主義と富を もたらすものに権威を与えている、このような社会の中にあって そこから脱するということは、実は難しいんじゃないか、 こう考えるわけです。恐怖、感情、欲望の奴隷なんじゃないですか? 内なる探求者も含めて、わたしたちは。
38 :
考える名無しさん :2008/07/30(水) 18:06:27 0
>恐怖、感情、欲望の奴隷 幻想にすぎない。煩悩にすぎない。 「今の自分の全ては自分のこれまでの思考の結果である」 仏陀 お金に振り回されない心を養ってはいかがかな。 >そこから脱するということ という風に否定的にとらえるのではなく、まず現実を受け入れる お金というのものは人間が生活していく上で大事なもの。 崇拝するよりうまく管理することができるよう、コントロールできるようにする >恐怖、感情、欲望の奴隷なんじゃないですか? そのように貶めているのは、自分自身。
39 :
考える名無しさん :2008/07/30(水) 18:15:45 0
この種のスレだと、どうして「グル」になって人を指導したくなる人がでるんでしょうね。w
いやいや、他のスレも同じだよ。 至る所で大したことない人がレベル低い説教をぶちまけている。 上から目線で説教をしてみたい欲求が2ちゃんねらは強いんだね。
ではレベルの高い説教してくれよ
この馬鹿は何故2ちゃんで説教されたがってんだ。
>>41 この世は神様が作った。その神様は全知全能。
お前、いいことしたら天国行き。悪いことしたら地獄行き。
カルマの法則←逃げられない!
寺への寄付=最大の善業=来世に効果的
悟った人>坊主>一般信徒>縁なき衆生
悟りほどすごいもんはない!悟れ。さもなくば来世畜生かもよ。
だいたい全ての宗教が「ウチでしか救われない」と主張
=選び間違えで地獄行きまたは救われない=ほとんどの人は救われない
=宗教選びはギャンブル
師に逆らえば地獄行き=師に逆らうような奴は早めに殺しちゃえ=ポア
異教徒は虫けら。みんなまとめて煉獄行き。
199X年、地球は核の炎に包まれた。
世 紀 末 英 雄 伝 説
江原さんすご過ぎ。愛のスピリチュアル法則。無敵。
八卦図は韓国起源
ハルマゲドン延期=たぶん私の祈りのおかげ=私に帰依しなさい
44 :
考える名無しさん :2008/07/31(木) 12:11:05 0
> こう考えるわけです。恐怖、感情、欲望の奴隷なんじゃないですか?
> 内なる探求者も含めて、わたしたちは。
俺もそう思うよ。
>>38 みたいな自己満足説教野郎とか見てるとますますその感が強くなる。
「探求者」だの「真我」だのは、自我の欺瞞に過ぎないんだろうな。
宗教団体が一番、恐怖で人を釣ってるんだよね。 イエスを信じなければ地獄行き。 我が宗派で悟りを得なければ未来永劫苦しみの輪廻。 グルに逆らったら地獄行き。 我々を批判したら悪いカルマ。などなど どの宗教も最高の善行がなぜか宗教組織への献金になってんの。 恐怖商法の元祖ですな。天界へのチケット販売ですな。 表沙汰にならないだけで老舗伝統宗教も全く同じ。
46 :
35 :2008/07/31(木) 16:42:07 0
>>38 エセ探求者の方ですね。わかります。
巣に帰ってはいかがでしょう。
>>44 鼻持ちならない探求者気取りはフルボッコにします。
「探求者」「真我」耳障りのいい言葉は語れても、
自分を正直に見つめられない人は探求者として失格ですね。
47 :
考える名無しさん :2008/07/31(木) 19:18:16 0
>>35 別に
>>38 がエセ探求者だかは関係ないし、そのようなレッテルを安易に貼る必要もない。
>自分を正直に見つめられない人は探求者として失格ですね
これはよく分かります。自分を正直に見つめられる探求者の方は、
自分自身に起こる悩みなどは自分で解決していける力をもっているような人だと思います。
聞く耳をもたぬもの、自ら理解しよくしていこうとしない者にどんなにいい説教(教え)を
語ったところで効果はあまりないように思われます。
48 :
考える名無しさん :2008/07/31(木) 20:21:29 0
今までの自分の実績を示せば、聞く耳持つだろ。
49 :
考える名無しさん :2008/07/31(木) 20:51:51 0
実績って、空中浮揚とかそういうの? それともドットコム風に「理を悟ったぞぉ!」とか?
>>46 >自分を正直に見つめられない人は探求者として失格ですね。
ごめん、ちょっと笑っちゃった。
あなた、探求者認定機関の人?w
51 :
考える名無しさん :2008/07/31(木) 21:40:31 0
52 :
考える名無しさん :2008/07/31(木) 22:23:42 0
53 :
35 :2008/08/01(金) 14:51:18 0
>>47 あなた真面目なんだけと粋じゃない。
誰が探求者と認定するか...それは自身でしょう。
けどレベルの違いは明らか。誰かと比較することは
意味がないが、ここは虚偽をフルボッコにするところ
でしょう。自分でそれができにくいから、他人にそれを
手伝ってもらう場所。
刺すか刺されるか、基本的にそういう世界。
それが役に立つ場所だと自分は思ってる。
皆戦国時代の武将で、自分が天下一強いと思ってる
ようなもんでしょう?でも思ってるだけじゃしょうがない。
刃を交えてこそ自分の弱さが身にしみる。
54 :
35 :2008/08/01(金) 14:52:55 0
故に、身にしみてくださいな。 探求者として本当に真摯なら何も恐れないはず。
そんな恐ろしい場所だとは知らず今まで書き込みまくっていた私は戦場で タンポポ探しに熱中する少女みたい。
56 :
考える名無しさん :2008/08/01(金) 21:12:04 0
>>55 あなたのような心が好きです。
>>35 の
>>53 の内容読んでると、
本当にこの方って探求者認定試験の上の階級を得ようと必死になっている人みたい。
率直な感想だが、Kの言ってる事は、一言で言うと、あらゆる外的条件につけこまれること なく、自分自身を観察型瞑想により見つめれば全てはうまくいく、〜つう感じなんだが。 例えば、愛だとか慈悲だとかも突き詰めれば観察型瞑想が肝心〜つうことになる。 しかし、この観察型瞑想というのがKに言わせればなかなか誰にでもすぐに出来ることでは ないらしい。 この人は本当に世界5大賢人だとか言われた人なのかな?と思うよ。 いわんとしてる事は分かるが、言葉で説明してもしきれないのならかえって、禅宗的(かつての南 宗禅的つう事で、今現在禅宗なんて崩壊して跡形もないからな)にポカッっとやった方がまだスッキリ する感じだ。
悟るのは宝くじに当たるより確率低いでしょ。 知能が高くてかつ自閉症みたいな特別な人にしか理解不能なんじゃないの。 最初から違う人間。
59 :
考える名無しさん :2008/08/01(金) 22:10:19 0
五大賢人とかゴレンジャーとか真に受ける奴がいるか?
60 :
考える名無しさん :2008/08/01(金) 23:06:02 O
すべてはひとつなんだ。 イボガエルとかウジとか下痢便とかグロいのも受け入れろ 醜いものとか排除するからいつまでたっても悟れないのだ。
違いますね。まずは >イボガエルとかウジとか下痢便とか を >グロい ものであると考えているあなたをあなたが受け入れるんです。
62 :
考える名無しさん :2008/08/02(土) 00:23:02 0
いや、違うな。w > イボガエルとかウジとか下痢便とかグロいのも受け入れろ > 醜いものとか排除するからいつまでたっても悟れないのだ。 と考えているあなたをあなたが受け入れるんです。
63 :
考える名無しさん :2008/08/02(土) 00:28:55 0
いやいや、違うな。 受け入れても拒絶してもダメなんだよ。 ただ観察するんです。
前段で >すべてはひとつなんだ。 と主張する割にグロいものの代表として >イボガエルとかウジとか下痢便とか 全く個人的なグロいものを出してきています。 少なくとも私にはそれより遙かにグロいものが存在します。 よって中段の主張は一般論ではなく 『個人的グロいもの告白』であると推測されます。 そして > 醜いものとか排除するからいつまでたっても悟れないのだ。 自らにこう言い聞かせることにより菩提心を起こしたというのが オカルト的深読みでしょう。
65 :
考える名無しさん :2008/08/02(土) 00:59:56 0
なるほど。 面白かったので、これからも深読み投稿をお願いします。
66 :
35 :2008/08/02(土) 12:05:55 0
>>55 少女なのか君はw
>>56 必死ですよ。刀を持ったら必死にならざるを得ない。
私にとってKは知的な嗜みじゃないんです。
上に階級があるかどうかは知らないが、どちらがより切れるか
(認識を深めているか)ということはある。
私のようなタイプは苦手でしょ。ならあなたにとって私は
役に立つんじゃないの?
67 :
35 :2008/08/02(土) 12:06:52 0
>>60 >すべてはひとつなんだ。
それは妄想だ。
68 :
35 :2008/08/02(土) 12:14:53 0
>>57 >例えば、愛だとか慈悲だとかも突き詰めれば観察型瞑想が肝心〜つうことになる。
愛は慈悲は観察を通しての自身や世界に対する理解故に表現される。
つまり愛や慈悲の前に、認識があって智慧がある。智慧を伴わない
慈悲や愛はセンチメンタルな感情にすぎない。世間の人はそれを「愛」
と呼ぶが、私は呼ばない。Kもそれを「愛」とは呼ばなかった。
>いわんとしてる事は分かるが、言葉で説明してもしきれないのならかえっ
>て、禅宗的(かつての南宗禅的つう事で、今現在禅宗なんて崩壊して跡形
>もないからな)にポカッっとやった方がまだスッキリする感じだ。
禅なんか分かったふりしてるだけだ。ポカッとやられてすっきりして
そのあと分かったフリをするというゲームをやってるだけだ。
69 :
考える名無しさん :2008/08/02(土) 12:35:39 0
東洋の自由というのは、知的な自由ではなくて動物的な自由なんだな。 空気と水と食べ物さえあれば自足できるという動物に人間も成れれば、 社会からも自由になれる。 本当にそれでいいのかって自意識はどうにもならない。
70 :
考える名無しさん :2008/08/02(土) 12:38:39 0
必死な奴が2ちゃんねるで「必死ですよ」と書いて自己満足? むしろ「滑稽ですよ」じゃね?
71 :
考える名無しさん :2008/08/02(土) 12:42:44 0
俺は必死だし滑稽な生き方を愛しているよ。
関係ないけど
>>35 って文体からしてオバサンが書き込みしてんのかと思ったら
普通にオッサンなんだね(たぶんw
でもなんかおもしろそうな人だね
73 :
考える名無しさん :2008/08/02(土) 13:39:55 0
オバサン風のオッサンって聞いて、テレビにでてくるあの・・・・・・ 名前忘れたけれど天草四郎の生まれ変わりと自称して、 「スピリチュアリズム」について語るあの人を連想した。w
74 :
考える名無しさん :2008/08/02(土) 16:54:44 0
天草四郎の生まれ変わりといっても、彼がなくなって、そう自称するが産まれるまで 200数十年の間があるわけだから、その前に別の人にも生まれ変わっていそうだね。 輪廻転生があるという前提に立つと。
美輪が説いている輪廻は途方もない話で簡単に言えば元の神さんがいて
その神さんの魂が分かれて輪廻しまた新たな魂を生み出しとどんどん
新しいのが増えていくみたいな話だからその天草と美輪の魂は元は同じだが
別物ゆえなんと美輪と天草は出会ったりコミュニケーションがとれるので
あるw
勿論、その前や間に色んな転生があるからたくさんの前世と魂が存在する。
もうなにが前世なんだかメチャクチャすぎてわからんが元の大本を辿れば
なんか古代ローマかどっかで崇拝された火の神だかなんだからしい。
無論、全くデタラメなお話だが美輪の修行遍歴を見たらまぁ意識的に
嘘をついているというより本当に天草や神さんと交信している可能性は
ある。原理的には
>>30 と同じだが。
76 :
考える名無しさん :2008/08/03(日) 01:56:30 0
>>72 本題から完全にずれるんだが、俺も前に「おばさん?」って勘違いされたことあんだよね。
35は二つ目の文が明らかに男言葉だし、
最後の文の文末「〜じゃないの」も、
俺からすると中年以降の男ならたまに使って問題ない範囲と思うんだが。
これが普通の認識じゃないのか?
* ★ +☆ ☆ ☆ ・ ☆ ☆ ∧_∧ ( ゚∀゚) 宇宙人っているのかなぁ / つ¶つ¶ / ̄ ̄ ̄ ̄\ |) ○ ○ ○ (| /″ ν. \ ウィンウィン (( (( (( /________ \ ウィンウィン  ̄ \_\__/_/  ̄
↑コピペ失敗したwズレまくり
79 :
35 :2008/08/03(日) 17:06:54 0
おまいらもうちょっと真面目にやれよ..w 俺はオサーンだけど何か? 必死という言葉じゃニュアンスが伝わりにくい かもしれんが、つまりは「情熱」ってことだよ。 Kも「情熱」という言葉は何遍も使ってるだろ。 英語ではpassion だと思うが、俺が言う必死ってのは 「情熱」+「真剣 または 真摯」=必死 ってことだよ。 自分をありのままに見るのはそういう態度が要るんだよ。 ありのままっていうのは単なる脱力じゃないし、バカの ように何でも受け入れるということでもない。 まー誰でも自らの虚偽に自分で気がつき始めたら必死になる しかないんだぞ。Kを訪ねてくる訪問者のようにな。 しかし熱いな。こういときはあずきバーに限る。
80 :
考える名無しさん :2008/08/03(日) 19:23:15 O
その情熱を持っているのは本質的存在なんだけどな 身体や心が情熱を持っていると錯覚すると罠にはまる
うーん、個人的には青ざめるような恐怖心をありありと感じるのは
睡眠中かな。悪夢を見て解釈を下したり考えたりしている自分がそこにいる。
でその時は必死だねぇ。やっぱり恐怖心ほど歪曲が早くなんとかしてそれ
をどこかにやろうと観察者様が登場し必死になっているなぁ。
>>79 のオッサン
と違う意味で必死なんだろうが。まぁこれは寝る前に臍下丹田に意識を集中
し脳の血流量を抑制しておくと夢での焦燥感はなくなるyo!
昼間もやっぱりきっちり血流をよくしリッラクスしていないと緊張した状態
だとなんとも自己抑制的になるなぁ。そして意識の表層しか見えなくなる。
官職や公職にある人と接するとどう見たってストレスが蓄積され身体が
磨耗しきっているのに本人が気付いていないことが多い。なぜ緊張している
かと言えばやっぱり恐怖しているから。
だからというわけではないが瞑想を説く宗教で恐怖心を植えつけるのは
反則です。でもどこもそれを組織維持のためにわざとやっているんですねぇw
いけませんねぇw
>>81 さんにもミーイズムを感じるな。
社会から自分達を見ようとする視線の欠如、
外からの視線の欠如。
自分の身体感覚を世界全体に拡張するという世界観は
近代以降から次第に強くなったのだろうけど、
1970年代のアメリカ(多くのグルがアメリカに渡った時期)に
特に強まって、自己中心主義と瞑想とオカルト流行がリンクし始めた。
自己中心的瞑想もいいんだろうけど、社会的観点で物を見るのも大事だよ。
>>82 それはあんたの知識妄想だね。
大体、いわゆる瞑想なんてしてねぇもん。
まぁどう感じるのも自由だけど、あんたにいくら
「私は社会の相関物だと自覚していて社会的観点で物を見ていますぅ。
常に社会を視座に入れた行動していますぅ。」
と言ったってレッテルを貼ったあんたに何言っても無駄ジャン。
『自分の身体感覚を世界全体に拡張するという世界観』
なんて大仰な言葉使ってあの時代に流行ったのは単なる快楽主義の
代替物としての瞑想じゃん。頑張ってお勉強してね。
84 :
35 :2008/08/04(月) 14:42:53 0
>>81 そういう恐怖なら俺もある。
ま、夢だから醒めちまえばどうってことない。
>>82 なんか変な過剰反応だな。
自己中心主義ったって、そうじゃない人を見つけるほうが難しいだろ。
>自己中心主義と瞑想とオカルト流行がリンクし始めた。
良くわからん。誰かのテクストか?ソースは?
>自己中心的瞑想もいいんだろうけど、社会的観点で物を見るのも大事だよ。
これも良く分からん。あんたの使う言葉の意味を説明してくれ。
「自己中心的」「瞑想」「社会的観点でものを観る」 これらを
>>82 は
どう捉えているんだ?
1970年代のグルイズムはどちらかと言えば社会からの脱却や反抗、
いわゆるカウンターカルチャーやラジニーシのようなグルイズムのことだろ。
彼は身体的感覚も重視していたし。今も昔も、バカの集まりだけどな。
あそこは。ストレスを感じることには異様に敏感な奴らだったな。
お前らそんなに社会のストレスが嫌いなのかよw、と。
>>81 友達と似たような事言ってるから思わずそいつに電話して
「オマエ書き込みとかしてない?」って確かめたよww
86 :
考える名無しさん :2008/08/04(月) 21:55:29 0
「夜、肉体が休息に入ったとき、瞑想する精神は昼間真に目覚めていたので 夢を見ない。 夢を見るのはただ怠惰な者だけであり 半覚半醒の者だけが 己れ自身のあるがままの姿を知るために夢の告知を必要とするのである」
二通りの解釈が出来るな。 Kは生まれつき脳の作りが特殊。 それか夢を見ても覚えてない。 俺は前者だと思う。
しかし前者だとキチガイつうか病人?ってことになるが。 まあ、たしかに健康な人間なら夢のひとつも見るだろう。 それを怠惰な人間と言われりゃアホかいなとも思う。 そんな超人には誰もなれねえだろうよ。
ああいう風にお成りにった結果、夢を見なくなったんじゃね。 完全に変性意識がなくならない限り夢をみるだろ。 常時、無念無想化していたとしか考えられん。 一部の仏教でも修行の過程で夢をみているのを自覚するのは必要だし。 そういや明恵が夢を記録し続けてたっけ。 その他、鈍感な人は夢見の自覚すらないけどなw
90 :
考える名無しさん :2008/08/05(火) 00:05:21 0
Kは夢を見なかった・・・・・・いいねえ。 自分はKと同じ悟りを開いたという勘違いを反証してくれる。 しかし、夢なんてネコでも見ているようだ。
こういう解釈はどうだ。 Kでも眠ってる時は夢を見ている。そこまでは凡人と同じ。 しかし、朝になって意識がうつらうつらして目が覚めようとした瞬間に 明晰な瞑想を始めるから、夢を思い出すという習慣がない。 そこが凡人と違う。 凡人は夢を反芻して味わってしまう。 執着心があるから、目が覚めて、こんな夢を見たなあと味わってしまう。 Kはそんなものには執着がないので、 幻覚や夢を思い出して味わうような事はしない。 夢や妄想や幻覚は意識的に思い出そうとしないと、瞬間的に消えてしまう。
基本的にあの人は伝記によれば特殊な瞑想によりほとんど寝なかったらしい。 瞑想が進んだ人は余り寝なくなるって話をよく聞くね。 エジソンとかが寝なかったというのは嘘で正確には睡眠を小分けにしていた だけらしい。
クリシュナムルティの本を理解したとき残るのは 絶望ですか?希望ですか?
94 :
考える名無しさん :2008/08/05(火) 03:24:46 0
95 :
考える名無しさん :2008/08/05(火) 11:53:24 0
理解したとき残るのが何かは知りませんが、 理解しなかったとき残るのは希望と絶望です。
Kの本を理解したとき、 その「本」を永久に閉じることになるんでしょうね。
↑ 名言すぎて このスレは終了しました ・・・・終了・・・・
98 :
考える名無しさん :2008/08/05(火) 22:33:35 0
理解しているわけではないので、本を閉じることもありません。 ・・・スレ再開・・・
本を開いても、あなたには一生理解できません ・・・・終了・・・・
100 :
考える名無しさん :2008/08/05(火) 22:50:36 0
そんなことは、あなたには判定できません。 ・・・スレ再再開・・・
悟りましたのでクリシュナジーはもう卒業です
102 :
考える名無しさん :2008/08/05(火) 23:01:27 0
ああ、そう。よかったね。
ところでクリシュナムルティって誰?
弥勒菩薩です
クリシュナってなんか名前がキノコ系
>>105 さんにもミーイズムを感じるな。
社会から自分達を見ようとする視線の欠如、
外からの視線の欠如。
自分の身体感覚を世界全体に拡張するという世界観は
近代以降から次第に強くなったのだろうけど、
1970年代のアメリカ(多くのグルがアメリカに渡った時期)に
特に強まって、自己中心主義と瞑想とオカルト流行がリンクし始めた。
自己中心的瞑想もいいんだろうけど、社会的観点で物を見るのも大事だよ。
107 :
考える名無しさん :2008/08/10(日) 01:06:50 0
108 :
↑ :2008/08/10(日) 01:11:02 0
バカ
109 :
考える名無しさん :2008/08/10(日) 01:12:44 0
↑なぜ?
110 :
考える名無しさん :2008/08/10(日) 01:17:32 0
糞
>>106 さんからはマモニズムを感じるな。
世界経済から自分達を見ようとする視線の欠如、
外からの視線の欠如。
自分の金銭感覚を金融界全体に拡張するという世界観は
近代以降から次第に強くなったのだろうけど、
1990年代のアメリカ(ソロスなど多くの投資家が投機に走った時期)に
特に強まって、自己中心主義と投機とファイナンス流行がリンクし始めた。
自己中心的投機もいいんだろうけど、社会的観点で物を見るのも大事だよ。
>>113 からはオナニズムを感じるな。
異性から自分達を見ようとする視線の欠如、
外からの視線の欠如。
自分の性的感覚を性産業全体に拡張するという世界観は
近代以降から次第に強くなったのだろうけど、
1990年代の日本(宮崎など多くの変態が性犯罪に走った時期)に
特に強まって、自己中心主義と変態とAV流行がリンクし始めた。
自己中心的オナニーもいいんだろうけど、女性的観点で物を見るのも大事だよ。
>>114 さんからは低俗な教養主義を感じるな。
実用性から自分達の知識を見ようとする視線の欠如、
外からの視線の欠如。
自分のオタ的感覚を一般知性にまで拡張するという妄想は
近代以降から次第に強くなったのだろうけど、
2000年代の日本(仏教オタなど多くのオタが変質的布教活動に走った時期)に
特に強まって、自己中心主義とコンプレックスとオタク流行がリンクし始めた。
自己中心的知識もいいんだろうけど、普通の観点で物を見るのも大事だよ。
>>115 さんからは二番煎じを感じるな。
下らないオリジナルレスから自分達のレスを反省する視線の欠如、
外からの視線の欠如。
自分のセコハン感覚を下らないレスにまで拡張するという試みは
2ちゃん以降から次第に強くなったのだろうけど、
2000年代の日本(ねらーなど多くの暇人がコピペに走った時期)に
特に強まって、蔑みと嘲笑と自己満足がリンクし始めた。
自己中心的コピペもいいんだろうけど、オリジナルでレスするのも大事だよ。
↑おもしろいから、もっとやってください
118 :
考える名無しさん :2008/08/10(日) 17:02:17 0
つまんね。もうやめれ。
瞑想なんかに引きこもってるから、ますます社会性の無いバカに成っちゃうんだろうな。
瞑想は方法でも観念でも無いから、 本当は引きこもりや、社会性とも関係ない類のものだ。
つまらない奴に限って社会性がどうとか言うんだよな。 その内容をよく聞いてみたら自分の周囲の本当に狭い関係性を社会と 思い込んでいたりいたり本で読んだ身の丈以上の概念を提示したり。 瞑想マニアと似たり寄ったり。あいつらも自分の体験に囚われ宗教の マイナーな規範で社会の出来事を解釈してるもんな。
122 :
35 :2008/08/10(日) 23:08:39 0
夏のせいなのか? 藻前ら不毛なことはやめてあずきバーでも喰いなよw _______ |\ \ 〈 ..\______''ヽ .〉 .〉 U ''ヽ .〈 .〈 U .| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| 〉 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ | *‘ω‘* アタリ |.〈 U | 生の全体性 | \________| 〉 |__________/ 〉 〈 U | \ 〉 U | \|______,,,ノ
123 :
考える名無しさん :2008/08/10(日) 23:12:11 0
おまえら言い訳ばっかで全然ダメじゃんw
>>123 お前の一行レスで他を見下せると思い込む態度の方がダメだと思うよ。
>>106 この文章何度見ても笑えるわ。
受け売り全開ではじめて見た時は赤面しちゃったよw
126 :
35 :2008/08/10(日) 23:50:54 0
瞑想は自由。そして飛翔。こころには本来一切の束縛がない。 そして光、本源なる音色。本来の「私」がそうであることのもの。 一切の疑念、不安、恐怖は光の不在の証拠。 思考は道具にして主人にあらず。感情もまた然り。 社会性は、私たちが本来「そうである」ところのもの。の肯定から 始まる。それは自律的、それは他者に自分を見出すところから。 コミュニケーションは、「そうである」ところのものから始まる 手助け。社会とコミュニケーションは同一の輪の中。 それにより断片と思われていたものの真なる統合への認識が育つ。 故に社会性も個人性も同じ。あなたもわたしも同じ。 話せば分かる。語ればわかる。あずきバーを食べれば絶対分かる。
127 :
考える名無しさん :2008/08/11(月) 00:45:06 0
やあ、口が達者だねえ。w
128 :
35 :2008/08/11(月) 00:49:28 0
おかげさまで。お元気ですか?
>>128 あ、あずきバーのおっさんだ!
あーあ、ちょっと絡みたかったけど今日は眠いや
またねー
本来の私なんてあるわけねぇよ。
131 :
考える名無しさん :2008/08/11(月) 23:18:38 0
あるはずだとか、あるわけないとか、推定してても意味ないだろ?
この肉体と外部との関係を越えたところで「私」という概念が成立するわけが ない。その本来の私とやらがあると仮定した所でそれを認識するのは 固定的実体のない我々の移ろいやすい知覚器官でありそれは世間一般で 呼ばれるところの「私」と変わらないわけである。つまり本来の「私」でも なんでもなくて慣用的な意味での「私」と同じでありその帰属は全く恣意に まかせられており「私」の知識、「私」の身体、「私」の立場と呼ぶところの 「私」と全く変わらないわけだ。本来の私といった概念は 「真理は私のものでもあなたのものでもない」と言ったクリシュナムルティの 思想とも矛盾する。認識者が止滅した所で私のものや誰かのものといった概念が 成立するわけがないのである。この本来の私(≒真我or魂)という思想は古くは バラモン思想に現れ仏教で否定された後、形を変えタターガタガルバや ブッダネーチャーという概念となり仏教に混入され人間は本来悟っているとする 本覚思想に結実する。この本来の私という概念は脳のドーパミン過多等の状態に より予め組み込まれた体験による妄想であると考えるのが妥当であり世界各国に 類型的思考が存在する。かくして2ちゃんにもよく「絶対的な本来、清浄な私を 体験しましたがすぐ戻ってしまいました。人間は本来悟っているのです。」なる 申告がなされるわけである。それが「体験」である以上、絶対的ではありえず 因果把握は大抵、間違っている。本来の私という概念は実害も甚だしく 「本来の私」対「あるがままの私」という対立を生むのみならず人間は肉体では ないのだから殺しちゃってOKなる思想を生みかくしてキリスト教やイスラム教の 皆さんが殺戮に勤しみインドでは差別が行われ戦中の日本では「靖国で会おう」 なるキャッチフレーズのもとに若者が命を捨ててしまったのである。 本来の私なんて勘違いの産物に過ぎない。
133 :
35 :2008/08/12(火) 09:15:51 0
えーと。何を言いたいのかよく分からん。
>>132 君は自分のことを私と表現しないのか?
私にとって、本来の私とあるがままの私はイコールで結ばれる。
対立概念じゃない。それが対立概念じゃないことは、私でないものを
私の中で見抜く事ができないと理解は難しいだろうな。
私は様々な層でできてる。感情、思考、肉体。そして私には様々な
表現がある。喜び、悲しみ、心配、不安、苦しみ。
しかし単純に考えて、これらの単語の前には全て「私の」とつける
ことができる。故にそれらは私ではない。けれども人生の中において
みんな、「私」をそれらと同一認する。そこから人生の中における、
ありとあらゆる間違った反応が出てくる。つまり思考の動きが始まる。
では私は何と定義できるのか。まず私は在る。としか言えないのだ。
それを演繹的な知識だけでなく、直接的に知るためには、あるがままで
あることを大切に育てなければいけない。と、言うところまでは、自分
と長年格闘してきてわかったことだ。
>>133 >>132 は、「本来の私」というのを、概念としての「真我」「魂」あるいは「アートマン」的な
意味で使っていると思います。つまり「あるがままの私」から逃避するための綺麗ごと、
みたいな意味じゃないかと。
>しかし単純に考えて、これらの単語の前には全て「私の」とつける
>ことができる。故にそれらは私ではない。けれども人生の中において
>みんな、「私」をそれらと同一認する。
「私の○○」と言う時点で、すでにそれらと私とを「同一視」しているのでは?
さらに、その「同一視」こそが「私」の本質と言えるのではないですか?
つまり、何かとの同一視(自己投影)なくして私は存在できない、ということですが。
>では私は何と定義できるのか。まず私は在る。としか言えないのだ。
それは定義というのとは違う気がしますが・・・
>それを演繹的な知識だけでなく、直接的に知るためには、あるがままで
>あることを大切に育てなければいけない。と、言うところまでは、自分
>と長年格闘してきてわかったことだ。
あるがままであることを大切に育てる、というのはどういうことでしょうか?
>>134 >>132 は、「本来の私」というのを、概念としての「真我」「魂」あるいは「アートマン」的な
>意味で使っていると思います。つまり「あるがままの私」から逃避するための綺麗ごと、
>みたいな意味じゃないかと。
なんであなたに132の意図がわかるのか? 132=134なのか?
まぁいい。本来の私は、あるがままの私だ。それを理解するには、本来でない私を
自分自身の中で見抜かなければならない。それは概念の話ではない。
概念などクソの役にも立たない。本来の私も、あるがままの私も、概念的にそれらを
肯定しようと否定しようと、そんなことには何の意味もない。思考は安定を求めるので
ありとあらゆる概念を作り出すが、そもそも思考は不安定であることを見抜けば、
ただ本来のわたしがそこに居るだけだ。思考は思考を見ることができない。これが私の
原理だ。その拠り所の無いところをどれだけ正直に認めることができるか。そういうこと。
> 「私の○○」と言う時点で、すでにそれらと私とを「同一視」しているのでは?
> さらに、その「同一視」こそが「私」の本質と言えるのではないですか?
「私の」と言えるときは、観察とその対象が明確だろう。
> つまり、何かとの同一視(自己投影)なくして私は存在できない、ということですが。
いわゆるパーソナリティ(本来の私でない私、思考・感情により反応している私)は
そうだろうね。だから思考と感情の連鎖を見抜き、ありのままを観察することで
それは止む。本来の自分はそれからの話。
> あるがままであることを大切に育てる、というのはどういうことでしょうか?
あなたは植物を育てたことがありますか?育むという感覚はとても重要です。
自分自身に対する気づきもそう。あるがままをただ他人から聞いただけでは
それを育むことにはならない。生の中でKの言うことを実践することで、それは
日々大きくなる。私たちは私という苗木であると同時にそれを育む庭師でもある。
それを言葉だけでなく、血肉にしないとね。そういうこと。
まぁアズキバーでも喰いなよ。
>>135 >何であなたに132の意図がわかるのか? 132=134なのか?
いや、意図がわかるっていうか、単に文章からその意味を読み取っただけですが。
間違って解釈してる可能性も多々ありますよ。ということで当然、僕は132では
ありません。
>ありとあらゆる概念を作り出すが、そもそも思考は不安定であることを見抜けば、
>ただ本来のわたしがそこに居るだけだ。思考は思考を見ることができない。これが私の
>原理だ。その拠り所の無いところをどれだけ正直に認めることができるか。そういうこと。
そうなんですか。その「私の原理」は拠り所として「有り」なんですか?
>「私の」と言えるときは、観察とその対象が明確だろう。
そりゃいわずもがなですが・・・
>いわゆるパーソナリティ(本来の私でない私、思考・感情により反応している私)は
>そうだろうね。だから思考と感情の連鎖を見抜き、ありのままを観察することで
>それは止む。本来の自分はそれからの話。
それが止んだなら、本来の自分もそうでない自分も、どうでもよさそうなもんですが。
>あなたは植物を育てたことがありますか?育むという感覚はとても重要です。
植物も動物も育てたことがあります。ゆくゆくは人間も育てることになりそうです。
>自分自身に対する気づきもそう。あるがままをただ他人から聞いただけでは
>それを育むことにはならない。生の中でKの言うことを実践することで、それは
>日々大きくなる。
あるがままを他人から聞くことなんてできるんですか?僕としては、それはちょっと
不可能じゃないかと思うんですが。ていうか、自分で観てこその「あるがまま」じゃ
ないかと思いますが。
あるがままを育む「本来の私」と、そうでない私とを区別する主体は
どの私なんですか?「本来の私」が、あるがままから逃避しようとする
思考が捏造した概念ではないかという懐疑は沸きませんか?
137 :
考える名無しさん :2008/08/14(木) 11:18:29 0
結局は、悟りを求める動機のある人、なにか苦しんでいる人が、 「普通の私」を「本来の私=意識」と「私でないもの=思考」に分けることで、 「思考」を抑制したり、「思考」と距離を置くことで問題を解消する、 という一種の精神操作の類なのではないかな? 132が勘違いしてる(というか余計な)のは「本来の私」を勝手に外部に設定し、 知覚器官云々と言って、論理展開していること。あってるのは「本来の私」=「普通の私」。 上に書いたように、「本来の私」とやらも「普通の私」において存在しているから外部に 別に存在するものではない。これはアズキバーもおそらく同じ趣旨であって、 132とアズキバーの言ってることは実はそんなに違わないだろう。 後は、思考であったりいわゆる探求をどう扱うかだけだね。134が出てきてもめてんのは。 最初に書いたように、探求者には解消しなければならないことがあり、 探求によって解消するのだから、いろんなパターンがあっていいように思う。 努力して努力して疑って苦しんであきらめても考えは静かになるし、 アズキバーのように方法を信じて、「本来の私」を育てる?でも静かになるし、 すべてを縁起によって起こる思考だと喝破しても気にならなくなるし。 いろんな方法があっていいだろう。 俺はそれこそ宗教団体に所属して苦しみがなくなるならそれもいいと思ってるよ。
138 :
考える名無しさん :2008/08/14(木) 14:53:10 0
ほんとはクリシュナ・ムルティなのですが、 わたくしはクリシュ・ナムルティというほうが何故か好きなんです。
ほんとは ジッドゥ・クリシュナムルティ なんですが、 「ジッドゥ」は姓なのに何故、前に置くのかの?
140 :
考える名無しさん :2008/08/17(日) 01:58:58 0
ああそうですか! クリシュナムルティですか! しかしですねぇ〜ナムルティの部分が好きなんですよ。 だからナムルティ・ナムルティだったら更にうれしかったんですよ。
ナムルですかあ?
142 :
考える名無しさん :2008/08/17(日) 18:57:45 0
ナムルだとすっきりしすぎなのです。 ナムルティのティここがミソなのです。 ナムルティと繰り返してみてください。 不思議な感じがしますよ。 ですからクリシュ・ナムルティが好きなのです。 まあクリシュナ・ムルティもジッドゥ・クリシュナムルティも 良いですが・・・。 名前に格式を感じますね。いまは居られないそうなので残念です。
クリたんでいいじゃないか
144 :
考える名無しさん :2008/08/17(日) 21:43:42 O
死というものは無い。 死体というものを生またはテレビなどで見たことがある人も多いと思うが、 あれは幻で実際には存在しない。 死を恐れている者は幻想に怯えている。 真理の面から言えば死ぬことは不可能。
145 :
考える名無しさん :2008/08/17(日) 23:56:24 0
>>144 そういう信念にすがりついていては、真実が見えないってKは言っんじゃね?w
クリは思想批判としては価値があるな。 思想を相対化する存在として。 やってるのはそれだけだけど。
147 :
考える名無しさん :2008/08/18(月) 00:43:09 0
クリたんですと近くにクリちゃんという犬がいて以前に死んだので それを連想します。 クリというのは女性のあれを思い出してしまい吸いたくなる。 せめてクリシュたんぐらいじゃないと頭の中で一致しなくなりますよ。
148 :
35 :2008/08/18(月) 12:17:14 0
お盆が終わって帰ってきて、今会社のお昼だ。 そろそろ暑さも峠を過ぎたね。 >いわゆるパーソナリティ(本来の私でない私、思考・感情により反応している私)は >そうだろうね。だから思考と感情の連鎖を見抜き、ありのままを観察することで >それは止む。本来の自分はそれからの話。 >それが止んだなら、本来の自分もそうでない自分も、どうでもよさそうなもんですが。 問題は止んだり、止まなかったりするところだ。 ありのままに思考や感情の動きを見抜いてそれに囚われないというのは、 難しいことなんだよ。Kにとってはそれは容易なことのようだが。一度止んだら、 それでいいというものでは無いんだ。 >あるがままを育む「本来の私」と、そうでない私とを区別する主体は >どの私なんですか?「本来の私」が、あるがままから逃避しようとする >思考が捏造した概念ではないかという懐疑は沸きませんか? 自らの思考や感情に気がつくことによって、「そうでない私」が分かる。 それはあるがままと同時に自らに対する注意力も必要だね。 この場合、分かる主体は「本来の私」だ。「本来の私」が「本来の私」を 気づかせる。論理的には矛盾のようかもしれないが、実際にはこの表現の方が 正しい。 懐疑は一切ない。「本来の私」の一瞥は、間違いなく人を変容させる。 もちろん「本来の私」を逃避のために思考が考え出すことは可能だ。 Kを自らの逃避の拠り所とすることも可能だ。 そしてあなたが言うように、端から見ていてそれらを懐疑の念が 沸くことも無理はない。そういうことを前置きした上であえて言う。 太陽の存在を疑えぬように、本来の私も疑えない。それは徐々に分かる。 一編は無理だが、私は私というドアでしかないことを知ることはとてつもない ショックだよ。雲が晴れれば太陽が顔を除かせる。思考が止めば、誰であろうと 輝きだす。
>アズキバーのように方法を信じて、「本来の私」を育てる?でも静かになるし、 >すべてを縁起によって起こる思考だと喝破しても気にならなくなるし。 >いろんな方法があっていいだろう。 私から言わせれば「方法」というにはシンプルすぎると思う。 私はKの言葉を聞き、自ら実践してきただけだから。確かにいろいろな所に行き 探求はしてきたが、Kは探求者のために講演をしていたとは思わない。 誰もが自らの生のなかで苦しみ、悩み、そして自らに問いかける。 Kは聞く耳を持つ人が誰であれ、語っていたのだと思う。だから探求者かどうか という分別は、Kの言葉の前でまったく意味をなさないと思う。縁起かどうか 努力かどうかの問題でもない。 あるいみ、誰もが自らの探求者ではないか?宗教やそのたの団体に所属しているか どうかなど、対して違わない。ひとりの人間として、愚かしさとその輝きのすべてを 私たちは共有しているのだ。私にも多くの悩みや苦しみはあるが、それらは特別な 何かではないし、それらからの逃避がいかに愚かしいか、痛いほど良く知っている。 Kが語っていたのはその意味で私たちは一緒だということだと私は捉えている。
>>148 >ありのままに思考や感情の動きを見抜いてそれに囚われないというのは、
>難しいことなんだよ。Kにとってはそれは容易なことのようだが。一度止んだら、
>それでいいというものでは無いんだ。
それはよくわかります。知覚することは簡単だけど、それに囚われないのは
相当難しいってことですね。思考が止んだ瞬間を体験しても、その体験を
認識した時点ですでに思考が沸いてるってことですからね。
>自らの思考や感情に気がつくことによって、「そうでない私」が分かる。
>それはあるがままと同時に自らに対する注意力も必要だね。
僕はあるがまま=自己という感覚で把握してます。自らに気づくことが
あるがままに気づくことだと。
35さんの言いたいことはなんとなくわかってきました。というか思い出して
きました。確かに自分も「本来の私」を感じたことがありました。本当の
自分が確立された瞬間みたいな。ただ、その感動は過去のものになって
しまいました。だから、「本来の自分」ということをわざわざ思わなくなった
のかもしれません。あるいはまた本来の自分を見失ったのかも。
そもそも、本来の自分を感じたこと自体がウソだったのではないかとも
思います。でも、そんなことはどうでもよくなってます。
>太陽の存在を疑えぬように、本来の私も疑えない。それは徐々に分かる。
>一編は無理だが、私は私というドアでしかないことを知ることはとてつもない
>ショックだよ。雲が晴れれば太陽が顔を除かせる。思考が止めば、誰であろうと
>輝きだす。
そうなんですか。僕も輝いてた時期があったんですが、今は暗転してます。w
ぶっちゃけ、本来の自分を疑うとか疑わないとかも、どうでもよくなってます。
Kの本は読んでますが、実践とかも考えないです。確かにヒントにはなりますが、
最終的には自分なりに悩むしかないな、と思って。重要なのはKじゃなくて
真理そのものですね。Kはあくまで媒介なのかなと。
151 :
考える名無しさん :2008/08/20(水) 11:30:20 0
でも「本来の私」って何ですか? 各人固有の脳の性質と全ての記憶、またそれらの関係性以外に「私」を形成するものはありますか?
>重要なのはKじゃなくて真理そのものですね。Kはあくまで媒介なのかなと。 そうそう。そのとおりだね。 >各人固有の脳の性質と全ての記憶、またそれらの関係性以外に「私」を形成するものはありますか? それは連続性だと思う。なぜだか続いてる「私」、「永遠に終わらない私」だろう。 あらゆるものは生成流転消滅する(もちろんパーソナリティの私も)が、それでも普遍的な「私」は 残る。この「私」の2重構造についてKは触れてないけれども、「連続性」という表現は残している。 こういう「私の2重構造」のような表現はエソテリックなものになっていまいがちなので、私も好きでは ない。今、自分にとってその全体像がリアルでないものについては、推測するか、伝わっている情報を 信じるしかないが、それはKの流儀に反するから、ここではそのような表現を私はしたくない。 私を形成するもの--単純に考えて、形成しうるものは、いつか終わり無に帰するのではないだろうか? 怒りや愛情、記憶、脳の傾向とそれらにまつわるすべては、生起しそしていつか消えていく運命じゃない だろうか。形成しうるものを私と同一視し、一体化またはそれらに反発することは、私たちの苦しみの 源ではないか?故に、私を探求するには、私を形成するものは何か?という問いではなく、 私は何か(誰か)?の方が確信を突いていると、私は思う。 まだまだアズキバーがうまい
もうちょっと補足してみる。 私の中と外に形成しうるものは、「本来」の私ではない。 「本来」という言葉をわざわざつけるのは「本来でない」私が我々の現実だから であるからだ。「本来の私」の片鱗を一瞥すれば必然的に私の2重性に気がつく ことになる。だから「本来の私」という表現をつかった。 >各人固有の脳の性質と全ての記憶、またそれらの関係性以外に「私」を形成するものはありますか? だからこの質問の答えは、「ない」だ。
154 :
考える名無しさん :2008/08/20(水) 18:36:47 0
連続性ですか。 昔から「私」が続いているというのも記憶によるものではないですか? 永遠に終わらないんでしょうか? Kは(精神的に)死ぬことを話してましたね。
155 :
考える名無しさん :2008/08/20(水) 19:19:04 0
殆ど記憶によらない、つまり形成されたものではない「私」は 「あなた」などとの関係性によって示される今の自分でしょうか。 実際、それは誕生から死亡まで同一の個人としてあり、 連続してあると感じますが・・。 そういうことではなくて?
156 :
考える名無しさん :2008/08/20(水) 19:46:46 0
>>150 を読み直してみて私もなんとなく見当が付いた気がします。
巷でよく聞く「自分らしさ」とか「自分探し」などの「自分」みたいなのですかね。
根っこ近くにある欲求や衝動みたいなもの。
それに気付くことによるエネルギーとか、、
だから二重性にも気付いたり。
157 :
考える名無しさん :2008/08/21(木) 18:12:00 O
五感の届かないところが至福だろう。 五感で感じる快楽はどうしても比較、競争になっていくから苦痛が伴うからな。
158 :
考える名無しさん :2008/08/22(金) 03:44:59 0
キノコのスレ キットシロイキノコナンダロウナ
159 :
考える名無しさん :2008/08/25(月) 03:59:54 O
ええっ?まだ本来の私なんてバカな議論してんの?
160 :
考える名無しさん :2008/08/25(月) 04:04:18 O
本来の私なんて本当にナンセンスな議論だよ。何をもって本来と判断するの? その基準は何?言葉に慎重になりなよ。
本来の私の一瞥で人は変容?あほか。そんな下らない経験こそが お前の集積でありそれが終わることこそが変容だろ。オウム信者が 本来の私を見つけましたと言いながらサリンをまいたのが想起されるわ。 この神秘主義馬鹿が。
ある程度レベルが上になれば、本来の自己というのは実感できるはず。 それが分からない人は自己の落ち着く重心が全くなく、 内面的混乱の中で生きており、可哀想な人ではある。
>>162 「本来の自己」はこのような物言いはしないでしょう。
>>162 仏教ではそのような「本来の自己」は瞑想の過程で得られる妄想の
一種だと否定される。
クリシュナムルティの思想で変容したと主張する人は本気で言ってるの?
その物言いが余りにクリシュナムルティの発言と乖離しているのはまぁ
置いておくとして余りにもその変容とやらの主張は杜撰ではないか?
変容したと主張するには、変化前の状態xがあってそれを覚えていて
(というのも変化を認識、主張するには起点や基準が必要だから)
そのxの状態との差異を変化と呼ぶんだろ?それは単にxがx'に装いを
新たにしただけでありそういうのは修正と呼んだほうが適切なんじゃない。
そういうのこそが自我の自我による誑かしじゃないの。
だって本当に本人が変わっていたら本人はその変化に気付かないだろう。
xがyに質的転換を遂げていたらそのyはxの特質が含まれていないので
自らの変化に気付くことすら出来ないんじゃないの。
そういやクリシュナムルティには記憶がほとんどなかったらしいね。
それで変容を主張する人は大抵
>>162 のような優越意識を持っているのが
常だけどそれって精神の領域で何をやろうが精神はそれ自体を超えられない
という証左じゃない。その狡猾な自我を全て終わらせろというのが
クリシュナムルティの主張であり「ある程度レベルが上になれば」
なんて発言が出てくること自体がおかしいのではないか。
精神は何を主張しようがその枠内から逃れられないのでありレベルの上下
という発想こそが欺瞞じゃん。別に「本来の自己というのは実感できるはず」
とか考えるのは自由だけど一昔前にLSDとかドラッグ使って
「本来の私を発見した」とか言ってた連中と大差がないんじゃないの。
ただ自我があってそこに本来の私とか非本来の私とかを区別をすることに
意味はないのではないか。全か無かの主張をするつもりはないが
全部「我でない」と仏陀のように否定する方が潔く感じられるし本来の私
という発想はクリシュナムルティよりインドの伝統的哲学、ヴェーダンタ
やサーンキヤ哲学の方が親和的なんじゃないの。そんなつまらない本来の私
の発見なんか興味がないが。
自己の2重性について、私は一定の見解を持っているが、
それをどう解釈するかは皆さんの自由だ。
ただいえるのは、「本来の自分」というものの肯定も否定も議論
から始まるのではなく、内面的な洞察から出発するものだということ。
>ただ自我があってそこに本来の私とか非本来の私とかを区別をすることに
>意味はないのではないか。
プラクティカルに言うと意味がある。
一瞥があって初めて、そうでない自分の感覚が何か、が認識できるということ。
そこから、思考と感情と記憶に振り回されるのはもう嫌だという意思の全てが
出てくる。実際は努力などないけどね。無選択の気づきと集中と情熱だろうか。
みんなにはそういう意思は無いのか?無いなら何故Kを読んでるんだ?
>>161 神秘主義?バカ言っちゃいけない。自身も含めて神秘以外の何が
あると言うんだ?それは主義じゃない。我々の現実だ。
昔は自分のことを良く分かったつもりでいたが、今は違う。
自己の内と外の神秘にどう付き合うか。それらについて東洋や西洋の哲学を
持ち出すのは構わんが、神秘に接するにはプラクティカルで、ある意味経験
主義がものを言う。Kは哲学を語っていたと、私は思わない。
手ほどきしてくれたのだと、私は解釈している。
>>162 ここでそういう書き方は良くない。誰でも同じだよ。反省するように。
なんかこのスレつまらねえな。 クリの言動丸コピで、さも自分の意見だが〜みたいな奴ばっかw そもそもkは誰も信じるなと言ってたよな。 つまりkも信じるなって事だよ。 まるでどっぷりつかってるありさまは滑稽ですらあるな。
168 :
考える名無しさん :2008/08/25(月) 19:00:07 O
>>167 安心しろお前の書き込みが一番つまんないからw
>>167 コイツのすごいとこは
>クリの言動丸コピで、さも自分の意見だが〜みたいな奴ばっかw
と言っておいて自分は
>そもそもkは誰も信じるなと言ってたよな。
>つまりkも信じるなって事だよ。
となぜか「信じるな」というところはkの言葉を丸々受け入れてるくせ
>まるでどっぷりつかってるありさまは滑稽ですらあるな。
とその冷笑が自分にも該当することに気付いていないとこかなw
頭良すぎw
馬鹿なやつだなあw 俺はkの言葉の丸コピで自分の意見の様にカモフラージュはしてないだろ。 前置きでkは〜と言っている。 俺が冷笑してんのはkの言葉丸コピかつ自分の意見だが〜野郎だよww 人のレスは良く読めよw
171 :
考える名無しさん :2008/08/25(月) 20:13:07 O
>>170 図星で悔しかったんだな。お前、あの程度の自分の書き込み擁護すんのに
必死だもんなw
ハイハイw おこちゃまはそんな反応ばっかでつまんないなあww
174 :
考える名無しさん :2008/08/25(月) 20:51:51 0
>>173 同意!以下に大人のレスの見本を貼っておく
167 :考える名無しさん:2008/08/25(月) 18:48:01 0
なんかこのスレつまらねえな。
クリの言動丸コピで、さも自分の意見だが〜みたいな奴ばっかw
そもそもkは誰も信じるなと言ってたよな。
つまりkも信じるなって事だよ。
まるでどっぷりつかってるありさまは滑稽ですらあるな。
>>167 お前のつまんない書き込みのおかげで楽しい流れになってきたなw
176 :
考える名無しさん :2008/08/26(火) 19:44:19 0
自分の意見?
177 :
考える名無しさん :2008/08/26(火) 20:26:04 0
Kの話は信じるか信じないかという二通りの選択しかない低次元の話ではありません。 167は馬鹿であります。
179 :
考える名無しさん :2008/08/26(火) 23:56:18 0
>>176 ですね。
ここでは意見などあまり用はない。
180 :
考える名無しさん :2008/08/27(水) 01:31:56 0
つぅかここクリシュナムルティスレだろ。一々「k曰く云々」 とか言った後で「それを受けて私はこういう見解を持ちました」 とか言わなくてもここに来る人はどこまでがkの言葉で どこからがその人の見解か大体わかるし必要な場合は引用したり ソース提示したらいいだけで、よその宗教とは無関係のスレ等で 「観察者は観察されるものなのです」とかやってたら非難されて 当然なのかもしれないがここで「さも自分の意見だが〜みたいな奴」 が本当にいるとしたらそいつは相当、頭がいかれてるよなw 一秒でソースがばれんじゃんw
181 :
考える名無しさん :2008/08/27(水) 11:13:25 0
しかし、それはそれとして、ここの議論はつまらんと思う。
182 :
考える名無しさん :2008/08/27(水) 14:31:56 0
クリシュナムルティは、どちらかと言うと2ch的な議論には向かない。
滅多にここ拝見しないんだけどつまらないと思う人はなぜ自分で 面白いと思う方向に持って行こうとしないの? それとあなたにとって面白いことが他人にとってつまらないことで ある場合が多々あることをお忘れなく。
意図的に面白くしようという、方向性そのものが面白くない根本原因。 kの言う事はkが言うから聞いてみよう、読んでみようという事になるのであって、 「俺はkをこう思う〜」とか「アンタのk理解は駄目、駄目、そんなんじゃ全くなってない〜」 とかのレスばかりじゃ面白くならないのは当然。 無論、興味の範囲は個々人の内に有るが、多くの人間が興味なし〜の話題じゃ誰も見やしない だろうよw
>>184 >意図的に面白くしようという、方向性そのものが面白くない根本原因。
ここで文句垂れてるだけの奴やお前のレスよりゃその方向性のほうがマシ
だろうよ
186 :
184 :2008/08/27(水) 19:42:43 0
>>185 んじゃあ、アンタが面白い方向性とやらに持っていってくれやw
>それとあなたにとって面白いことが他人にとってつまらないことで
>ある場合が多々あることをお忘れなく。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ハズレ!wwww 俺は184と186だけだよ。 181〜183は別人w
191 :
考える名無しさん :2008/08/27(水) 20:04:33 0
192 :
189 :2008/08/27(水) 20:07:10 0
変な野郎だなw
193 :
考える名無しさん :2008/08/27(水) 20:17:10 O
194 :
考える名無しさん :2008/09/07(日) 19:14:24 O
>>185 んじゃあ、アンタが面白い方向性とやらに持っていってくれやw
>それとあなたにとって面白いことが他人にとってつまらないことで
>ある場合が多々あることをお忘れなく。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
馬鹿なやつだなあw
俺はkの言葉の丸コピで自分の意見の様にカモフラージュはしてないだろ。
前置きでkは〜と言っている。
俺が冷笑してんのはkの言葉丸コピかつ自分の意見だが〜野郎だよww
人のレスは良く読めよw
滅多にここ拝見しないんだけどつまらないと思う人はなぜ自分で
面白いと思う方向に持って行こうとしないの?
それとあなたにとって面白いことが他人にとってつまらないことで
ある場合が多々あることをお忘れなく。
なんかこのスレつまらねえな。
クリの言動丸コピで、さも自分の意見だが〜みたいな奴ばっかw
そもそもkは誰も信じるなと言ってたよな。
つまりkも信じるなって事だよ。
まるでどっぷりつかってるありさまは滑稽ですらあるな。
意図的に面白くしようという、方向性そのものが面白くない根本原因。
kの言う事はkが言うから聞いてみよう、読んでみようという事になるのであって、
「俺はkをこう思う〜」とか「アンタのk理解は駄目、駄目、そんなんじゃ全くなってない〜」
とかのレスばかりじゃ面白くならないのは当然。
無論、興味の範囲は個々人の内に有るが、多くの人間が興味なし〜の話題じゃ誰も見やしない
だろうよw
195 :
考える名無しさん :2008/09/07(日) 20:40:10 0
196 :
考える名無しさん :2008/09/07(日) 20:46:29 0
197 :
考える名無しさん :2008/09/07(日) 20:53:55 0
>>195-196 るちちーん女子高生を見るとムラムラしてグラマーだろ?
オラオラチンチンポインコッコスマナラコッサーラ・プゲラゲッチョゲラゲブレを毎日懲りずにですか?
198 :
考える名無しさん :2008/09/07(日) 20:59:16 0
>クリの言動丸コピで、さも自分の意見だが〜みたいな奴ばっかw クリシュナムルティのスレは、遡って過去のものまで色々読んだがそんなこと無いと思うよ。
199 :
考える名無しさん :2008/09/07(日) 22:26:05 O
世界の中に私があるのではなく 私の中に世界があるということだろ
200 :
考える名無しさん :2008/09/07(日) 22:42:08 0
そもそも自分の意見とは存在するのだろうか?
201 :
考える名無しさん :2008/09/08(月) 12:32:26 0
おまいらが論理じているのは、枝葉末節だ。そもそも・・・。w
202 :
考える名無しさん :2008/09/08(月) 13:14:47 0
>>201 >論理じている
これ何wwwwどういう意味w
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
↑
こういう揚げ足取りが枝葉末節の例ですね。
203 :
考える名無しさん :2008/09/08(月) 15:43:35 0
意見というのは、ありのままを理解できていない混乱した思考が持つ思い。 Kはそんなことを言っていた。 僕もそれについては理解できた。
204 :
考える名無しさん :2008/09/08(月) 15:53:45 0
>>203 > 意見というのは、ありのままを理解できていない混乱した思考が持つ思い。
うん、俺も同じ意見だ。w
だから意見を持ってはいけない なんて考えるのは間違った意見なんだろうな
206 :
考える名無しさん :2008/09/08(月) 19:49:22 0
イエスとかKのような人はよく 「真実としてあなたに言います」 みたいな話し方をしますね。 私の意見ではなく事実そうなんだよと。 僕らでも実際に観たり体験した事や明確な理論は意見ではなく、事実として話が出来ます。 ところで「自分の意見を持つべきだ」とよく言われるところの意見とは、 「こうあるべき」、「そうすべきだ」といったものですよね。 社会的生活の場でそういった意見はありかもしれないけど、 心理的には間違いってことかな?
207 :
考える名無しさん :2008/09/08(月) 20:13:32 0
「自分の意見をもつべきだ」と言われるのは、それを持たないと 人の意見に惑わされて右往左往するからじゃないかな。 「意見というのは、ありのままを理解できていない混乱した思考」 と分かってる人は、人の意見に惑わされたりはしないから、 自分の意見で自分を守る必要はないんではないか−−これが私の意見。
意見って要するに、類推じゃないか。 ありのままに理解できないから類推せざるを得ない。 だから、ありのままに理解できないことは 意見を言う方も理解しているんじゃないか、前提として? でもそれを分かった上で 自分の意見を持つべきだというのは、 そうしないと先に進めない、 つまりありのままの理解に近づけない という観念も前提としてあるからではないか? こっちの方の前提を問題視したほうがよいのでは?
209 :
208 :2008/09/09(火) 15:22:23 0
ついでに言うと クリシュナムルティもデビッド・ボームとよく議論していた。 これはキッチン日記に書いてある。 これはつまりクリシュナムルティも類推を用いたということだろうか? これがないと議論は生まれないし発展しないし解決もないだろうし。 そこのところはよく分からんが ここで重要なのは対話だろう。 自分の意見というのは他者に伝えるためのものだ。 だから、他者のほうが相手の意見を欲している故に 意見をもつべきだと言うのではないか? でないと対話がそこで終わってしまう。
210 :
考える名無しさん :2008/09/09(火) 16:58:22 0
> 自分の意見を持つべきだというのは、 > そうしないと先に進めない、 > つまりありのままの理解に近づけない 一般人の常識としてはそうだが、Kは否定しそうだが。 「意見を持つことは真実の理解をかえって遠ざけてしまう」と。
211 :
考える名無しさん :2008/09/09(火) 17:03:27 0
>>208 「意見」という言葉には、類推を通じて一つの可能性を想定するということ
だけではなく、その可能性にコミットするというニュアンスがあると思う。
不確かではあるが、それを信じる(=それに賭ける)というような。
Kが否定しようとしているのは、この後者の態度ではないかな?
212 :
考える名無しさん :2008/09/09(火) 17:17:44 0
特に、政治的・党派的な意見の場合には、 それが当人にとっても一つの可能性に過ぎず、 不確かなものであるにも関わらず、 単に自分がそれを信じるのみならず、 人を説得し同じ意見を抱かせようとすることが、 その意見へのコミットメントの中には含まれている。 それが再現のない争いを引き起こす、と。
213 :
考える名無しさん :2008/09/09(火) 17:20:35 0
ただ、あるがままを見よ。 人生のすべてはそのための訓練なのだ。
214 :
考える名無しさん :2008/09/09(火) 17:35:09 0
私の読後感だと、 「ただ、あるがままを見よ。それことが真の訓練なのだ」 の方だな。
迷路を上から見て「その分岐を左にいくと近道だ」と指示するのは意見じゃないとおもう。 迷路の中にいて「左手を壁につけて歩き続ければいつかは出られるだろう」というのは 意見だろう。「おれは右に行くべきだと思う」とか「左の方が可能性が高いような気がする」 も同様。
216 :
208 :2008/09/09(火) 19:13:07 0
>>210 >一般人の常識としてはそうだが、Kは否定しそうだが。
うん?そうだよ。
あなたは俺と同意見だと思うが
>>211 ,212
なるほど、深い・・・。
俺の意見の語義が間違っていたなあ。
今後は「自分の類推を持つべきだ」にしないか?
>>213 そうなると類推は駄目だな。
>>214 そうなると類推に必要な根拠=あるがまま
となり類推を否定しているわけではないと言えるな。
>>215 ちょっとその例えの出し方は無意味では?
確かに上は事実、下は意見、類推だが
問題は迷路を上からみる位置に自分がいるか
迷路の中にいるかで、これは立場が違うから比較のしようがない。
例えば迷路の中に合わせるならば、
事実は出口が分からないということだろう。
218 :
考える名無しさん :2008/09/15(月) 13:11:24 0
仏教スレから引用。Kが言っていることと同じ境地かなと思ったので 工夫坐禅の時、念の起こるのを厭うのも執着するのもいけない。 ただその念の源の自心を見窮めねばならぬ。心に浮かんだり目に 見えたりすることは、みな幻であり、真実ではないと知って、恐れるのも、 貴ぶのも、執着するのも、厭うのもいけない。 心が物に染まることなく虚空の如くであるならば、臨終の時も 天魔(仏法を害する悪魔)につけ入られることはないはずである。 また、工夫の時にはこの様なことやこの様な道理をいささかも心 にかけることなく、「ただ自心これ何ぞ」とばかりにならねばならぬ。また、「ただ今一切の声を聞く 主は何物ぞ」ということを 悟れば、この心が諸仏・衆生の本源である。 観音は声について悟られたが故に、観世音と号するのである。 「ただこの音声を聞いている者は何物か」と立ち居につけてもこ れに心を集中し、坐ってもこれに心を集中する時、聞くものも知 られず、工夫も更に絶え果ててにっちもさっちも行かずに切迫す る様になる。 この最中にも音声が聞こえることは中断しないのであるから、 ますます深くこれに心を集中する時には、切迫した状況も尽き果 てて、快晴の空に一片の雲もないが如くの心境になる。この中に は我というべき物もなく、聞いている主も見当たらない。この心 は十方の虚空と同様で、しかも虚空と名づくべきところもない。 この様な境地になれば、これを悟りと思うものである。
この時また大いに疑わねばならぬ。「この状態の中で一体誰が この音を聞いているのか」と、一念も起こすことなく参究して行 けば、虚空の如くにして一物も無いと思えるところも絶え果てて、 更に味わいも無くなり、暗夜の様な黒漫々になるところで、精進 心を失うことなく、「この音声を聞いているものはこれ何物ぞ」 と力を尽くして疑い十分になれば、疑いが大いに破れて、死に果 てた人が蘇ったようになる様になるが、これが悟りである。 この時初めて、十方の諸仏・歴代の祖師に一挙にお目にかかる ことができるのである。もしその様になった時は、次の公案を 挙揚してみるが良い、「僧、趙州に問う、如何なるか是れ祖師西来 意。答えて曰く、庭前の栢樹子」と。この様な公案に少しでも疑 いがあれば、打ち戻って以前の如くに、「音声を聞いているもの は何物か」と参究せねばならぬ。 今生に明らかにしなければ、いつになるか知れたものではな い。ひとたび(死んで)人である身を失えば、三悪道の苦しみか ら決して永遠に免れることはない。 誰が隠した悟りであろうか。ただ自ら無道心なるが故であると 思い知って、猛烈に精彩をつけねばならぬ。
つうかkは仏教含めてあらゆる宗教を否定したんだろ。 なんで禅宗が出てくるんだ?kと禅宗の類似点は良く指摘されるがkはそれを否定している。 俺が見たところでは、kの言ってる事はひとつ。「自我の終焉」1冊読めばあとは読む必要なし。 全部、同じ事の繰り返しだから。。 しかし、自我を終焉させよ、というのはいかにもインド哲学的で何もkの独創的なものではないんだがな。 同じ、インド哲学なら原始仏教、お釈迦様の言った事でも読んでる方がまだ良い。 禅宗とか枝葉仏教なんかじゃ駄目だね。 おっと、お釈迦様は論争するなかれ、と言ってたなw これは論争ではなく、あくまで感想ね。
221 :
考える名無しさん :2008/09/15(月) 14:13:33 0
ダンマパダとスッタニパータはあまり・・・ あくまで感想ね。
222 :
考える名無しさん :2008/09/15(月) 14:52:46 0
俺はK経信者、しかも『自我の終焉』至上主義だから、
他の邪教・邪宗はすべて否定するとのたまう
>>220 w
218さんは宗教の枠を取っている中から、同じ境地と感じられたものをレスしてくださったのだろう。 ゴーダマ・ブッダを「お釈迦様」と表現するあたり、原始仏教(釈迦)信者で禅嫌いなのか。 件の仏教スレで「鬼和尚」を称する御仁もこうだね。
224 :
考える名無しさん :2008/09/15(月) 16:14:37 O
225 :
220 :2008/09/15(月) 17:50:25 0
南宗禅は割りと好きなんだけどねえw 臨済録とか面白いと思うよ。 ただ、今現在禅なんて死んだ宗派だろ。 立原正秋氏によると昭和初期には日本から禅なんて殆ど無くなったらしい。 原始仏教が面白いなあと思うのはお釈迦様が言った事と今の日本の仏教スタイルが あまりにも異なるからだ。 例えば、「酒」も本来、仏教信者は飲むのを戒められているが、日本じゃ般若湯とかいって 平気で飲む例も多いし、お経をよんで布施をもらうのもお釈迦様は戒められたのに、今の 日本の仏教ではそれも当たり前つうか和尚の生活費かせぎとして当然のような事になっている。 いちいちあげればキリがないが、俺はお釈迦様の言った事には興味が有るが今の枝葉仏教 には何の興味も無いよ。
他、貶めてお前の信仰心語ってんじゃねぇよ。カルト野郎。
227 :
220 :2008/09/15(月) 19:42:45 0
貶めたつもりはないし、信仰心なんてないよw まあ、「カルト野郎」とか「きもい」と言われるのは本意じゃないので退散するかww まあ、みなさんのk談義に花を咲かせてくださいなwww
>>220 > 俺が見たところでは、kの言ってる事はひとつ。「自我の終焉」1冊読めばあとは読む必要なし。
> 全部、同じ事の繰り返しだから。。
そんなことは無い。
翻訳の問題、D・ボームとの対話等々。
229 :
考える名無しさん :2008/09/15(月) 19:51:20 0
230 :
考える名無しさん :2008/09/15(月) 20:10:00 0
法句経とスッタニパータを読むと、 釈迦は在世当時の時代精神の制約をかなり受けているから、 これからの時代に通用しないだろうよ。
231 :
220 :2008/09/15(月) 20:26:05 0
通用するとかしないとかの話なら、kだって十分通用しないだろうな。 まあ、論争するべからず〜ってあるが、つい言ってしまうのが俺の悪いところだなあw 黙っておくのが一番良いな。
232 :
考える名無しさん :2008/09/15(月) 20:36:35 0
233 :
考える名無しさん :2008/09/15(月) 20:38:45 0
>>220はセンスが無いなw
釈迦仏教と規制教団は通用しなくなり、 クリシュナムルティの出現となったのは、 伝記や評伝とクリシュナムルティの著書を読めば理解できると思うが。
>>234 まさにアンタのその姿勢、
それがいわゆる「条件付け」と言われるものだよ。
釈迦だろうがkだろうが、何者にも条件付けされない状態をkは言ったんだろう。
その意味で、k信者はまるで駄目って事だ。なぜならkに条件付けられているからw
さぁどうなんだろうね。その人に会ってよく見てみないとわかんないよ。 言葉尻捕らえて鬼の首とったみたいに書き込んでるけど。クリシュナムルティに 条件付けられるなと言われて従うのもまた条件付けだしね。言いだしたら 止まらないよ。例えその人が条件付けられていたとしてもあんたがとやかく 言う問題ではないしね。自分で気付かないと。前からある紋切り型の嘲笑 だよね。
237 :
考える名無しさん :2008/09/16(火) 01:32:50 0
>>235 勝手にK信者認定したり、妄想に満ち、条件づけられた典型。
234は235が言うほどの内容ではないが、 傍から見ると、wの使用と文体の乱雑さから、 感情的になって論難しているように映る。
この宗教の醍醐味ってなに?
貴方の生き方変ったところは??
前に伝記を買わされたけど訳解らない事ばかり書かれてる気がしたので3分の1で
辞めた者です。
>>220 ありがとう 私でもややKに付いてわかった気がしました。
>>239 でかい釣り針が垂らされていると感じるのは気のせいかw
私は、あくまで傍観者です。 海老で鯛はつれません。 貴方に取って宗教とは??【笑】
>>241 それ、【笑】が余計だということをKで知った。
言葉通り受け取らないでね
仏教自身が、その教えは釈迦から2500年、すなわち20世紀までの寿命だと予言してる ちなみに以降弥勒が出現するまでは地蔵の時代だそーだ
244 :
考える名無しさん :2008/09/18(木) 06:28:36 O
わんばんこ
鬼和尚はスマナサーラ氏・クリシュナムルティ氏をどう見るんだ?彼らは悟っているんだろうか? スマ氏は悟ってないと言ったとか言わないとか。どちらも読んでなかったらすまん
テラ誤爆
247 :
220 :2008/09/18(木) 23:07:59 0
>>241 俺は240じゃないが、俺にとっての宗教とは、死の理解だな。死の理解とは生の理解と
表裏一体。
そこはkも指摘しているとおり、死を理解するには生を理解せねばならんだろう。
んで、結論は、正しいか間違いかは解らんが、大宇宙の法則と言うようなモノがあるんだろうな。
人間を含めた生物の生死は勿論、星、惑星、恒星、銀河の誕生、消滅(死)に及ぶような・・
お釈迦様もソレを認識していたと思うし、老荘思想の道というのもそういうものだろうと思う。
kが死ぬ8〜9ヶ月前に言ったという、「死は創造かもしれない」というのもそういう意味が含まれて
いたと想像する。
宗教とは人々の恐怖に付け込み証明不可能な欲望(悟り、神の国、来世)を植え付け 金銭面及び権益の最大化を目指す装置。この手の詐欺を批判する者が稀に現れ必要な エッセンスのみを適切に抽出し広めるが自称後継者の官僚的テクノラートがそれを 台無しにし元の木阿弥とする。
>>248 それは宗教じゃなく宗教団体の定義だろうな、このスレ的には
>>249 うん。書いた俺もそう思ったが一般的な意味での宗教としてはこれで
いいんじゃないかという気もする。
むう
252 :
考える名無しさん :2008/09/21(日) 10:29:21 0
【仏教】悟りを開いた人のスレ42【天空寺】
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1220917496/975 975 名前:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] 投稿日:2008/09/18(木) 20:29:55 ID:ogt0lszY
>>943 オショーもなかなかいい導師じゃった。
オショーの話は、いずれもっと広まるじゃろう。
>>944 どういたしまして、愛にひっかかりを感じるなら、それを観察するのが良いじゃろう。それが良い修行になるじゃろう。又おいでなさい。
>>951 どういたしまして、悟りを得て居らぬ者は、みんな不安なのじゃ。そのような者達の為に、このすれがある。又おいでなさい。
>>956 スマ長老は頭が良いが、それにひっかかって悟りを得ておらぬのう。
しかし、良く勉強しておる。
初心者が仏教を習うには良い導師と言えるじゃろう。
クリシュナムルティは悟りを得ておった。
伝統の言葉を使わず、今の言葉で悟りを説明しようとしておったのが、偉いのう。
記憶と悟りの関係に気付いておった。
ただそれを系統立てて説明する事は、出来なかった。
する必要もないと、思っていたのかもしれんが。
その先が我々の仕事になるじゃろう。
253 :
考える名無しさん :2008/09/21(日) 11:37:14 0
クリやんが言いたかったのは、「人は意識するのではなく意識させられるの である」つーことではないかな
255 :
考える名無しさん :2008/09/21(日) 20:06:33 0
「・・・過去の継続を断ち切るエネルギーをもつこと、これが重要なのです。」 (自己の変容 p198) これって、やっぱり、止観の止の重要性を言っているようにしか思えないのですが、どうなんでしょう。。。
256 :
鯛焼きマン :2008/09/21(日) 22:24:43 0
>255 どうなんでしょう。って、あなたはどう思うのよ。
なぜ本の一節だけ取り上げてひとりで煩悶してるの?
258 :
考える名無しさん :2008/09/23(火) 13:23:12 0
クリやんが言いたかったのは、「人は意識するのではなく意識させられるの でもなく、意識それ自身なのだ」つーことではないかな
>>258 それはあなたが言いたいことではないかな? と、
突っ込まれたら機嫌が悪くなる今日この頃だったりしますか?
アジズの本読んだ人います? クリシュナムルティにも言及してたが
あ、しまった。こっちは哲学板か・・・失礼
262 :
考える名無しさん :2008/10/27(月) 04:50:08 O
素晴らしき新世界
クリシュナムルティは瞑想によって高い境地に達したのではなくて、 元々ああいうオットリした人だったんだよ。
264 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 22:37:28 0
A・スマナサーラ☆日本テーラワーダ仏教協会6
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1224160784/543 543 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2008/11/09(日) 08:32:00 ID:JcnIpivG
自灯明法灯明の自灯明って「自分にたよりなさい」って
意味じゃなく「観察する対象はちゃんと存在するでしょ?自分が」
と言う意味らしい。長老が書いてた。
四諦やヴィパサナとか釈尊が説いた法に従って
自己を観察して解脱しなさい、ということだろう。
あと方法論では悟れない、とか「じゃ、何すればいいの?」
ってなるに決まってるだろ。
クリシュナムルティ自身「私は規則正しく瞑想しなければなりません。」って
方法論をかたってるのに凡夫が方法論なんかいらない、って基地外沙汰だよ。
265 :
鯛焼きマン :2008/11/16(日) 14:44:22 0
>>264 Kをもう一度しっかり読んだ方が良いよ。
ひさしぶりに来たら、とうとういなくなったみたいだなwwwwww ロッ(ry
?
クリシュナムルティは言ってるだけだとOSHOは言っておった。
272 :
考える名無しさん :2008/12/29(月) 12:04:32 0
OSHOねえ
正確には「クリシュナムルティは方法を否定した」だよ 悟ってることは認めてた。
KOSHOにしとけ
275 :
考える名無しさん :2008/12/29(月) 17:31:23 0
KOSHO?
ラーメンにかけるやつ
和尚は、kにコンプレックス丸出し、
クリシュナムルティno 言。 I will try.(努力してみよう。)ではなく、 Either you do it or you don't do it. (やるか、やらないかのどちらかであり、) You are admitting time while the house burning.(家が燃えているのに、だまってみていますか。)
I will try.とか言ってる間は単なる趣味ってことだな
280 :
考える名無しさん :2009/01/04(日) 20:01:35 0
Yes, sir.
281 :
考える名無しさん :2009/01/04(日) 20:03:27 0
【夏到来☆日本海でスイミング!】 ビキニでも 誰もいなけりゃ怖くない! 〜喪女におすすめ☆デブスだらけの泳げる海特集〜 荒れる日本海攻略法伝授!!「泳いでも泳いでも流されるんだけど・・・」 ☆一夏の恋 in 日本海☆ ドキッ!「もしかしてこの漁師、私のこと・・・?」 この夏は日本海が熱い!! ☆喪女にブレイク中のお洒落マン毛特集☆ 無駄毛『処理』なんてもう古い?今時喪女は無駄毛で『お洒落』 「見えないところだからこそあえてこだわりたい」 剃り方次第で自由自在!あなたの娘を着飾ってみませんか? マン毛アートの最前線に潜入!! 【引きこもってた貴方に】 リア充「夏休み何してた〜?」喪女「・・・・」 〜先輩喪女に聞く!恐怖の質問への模範解答とは?〜 ☆特別ゲスト 三浦しをん先生インタビュー「この下着いいよね」 水着の代わりに着られる下着について熱く語っていただきました 夏号特別付録 話題のスピード社製水泳帽 『mojo』夏特大号 7月15日発売
KOSHOのお笑い小話↓
283 :
satesa :2009/01/05(月) 14:32:36 0
クリシュナムルティは、いい奴だと思う。 彼はついに私的な愛を表現することがなかったようだ。 でも弟さんに対する気持ちは、 私的なものだし葛藤であるし条件付けであるし過去に属するものであったのは、 われわれとなんら変わらない。 彼は自然を愛した。彼の自然への愛も個人的な嗜好である。 でも対象を持たない全的なものを表現するときには、 自分の嗜好を用いて表現するのが普通だ。 彼は私たちと何も変わらない。クリシュナムルティは権威を求めていない。 歴史に名を残したいとも神になりたいとも思わなかった。 彼は崇拝されると、顔を赤らめて、どもってしまうような不器用で無邪気な存在だ。 彼はETを観て、「なんて可愛らしいんだ」と言う。なんのてらいもない。 各種宗教・オカルティズムに彼の言論が引用されることがあるようだ。 でも彼はそんなことどうだっていい。 その時その瞬間に生まれてくる言葉を彼は全エネルギーを結集して模索し、チャレンジしていた。 ひとびとを救うためではない。真実のためではない。 彼はそれがただ好きだっただけだ。 自然を愛するように、ジョークを楽しむように、ETに憧れるように、 ただ好きだったんじゃないかな。 別に聖人だからセックスに興味を持たなかったわけじゃない。 聖人だから酒やたばこをやらなかったわけじゃない。 それはたまたまだっただけだ。「よい食物、よいスパイス、よいシガーがわれわれには必要です」。 よいシガー(たばこ)と言ってのける彼。誰も救う気がないと言ってのける彼。 彼はすごく愛らしい。彼は聖人ではない。 歴史に存在したらしい、ひとりの無邪気な愛らしい人物に過ぎない。 Kの言葉はさほど重要じゃない。彼はもういないのだから。 死者の言葉は死者に属するものである。 でも、彼の物語はほんとうに愛らしい。 さて、クリシュナはさておき、あなたやおれは、 今日の飯を食って、今日のうんこを出し、今日の言葉を探して、 今日の楽しみを味わってみればいいのだと思う。 彼の難解な言論に必要以上に苦しんではいけない。
284 :
考える名無しさん :2009/01/05(月) 15:21:46 0
クリシュナムルティ自身はともかくとして、 クリシュナムルティについてべらべらしゃべるやつって、 何でこんなに阿呆くさいんだろ? 禅についてべらべらしゃべるやつといい勝負w
ここは、べらべらしゃべるスレです。
>>284 自分の宗教や信奉する観念について,
べらべらしゃべるやつの方が阿呆くさい。
釈尊は50年近くしゃべりつづけたあほくさいやつw
偉人とか聖者とは、飛躍のきっかけとなる霊感以外は 死ぬまであほくさい努力を続けた人のこと。
289 :
考える名無しさん :2009/01/05(月) 23:19:12 0
いや、そういうことじゃなくて、クリシュナムルティは偉大かもしれないが、 それ読んだところで、当たり前のことなだが、阿呆は阿呆のままだなって感慨なんだよ。 そういうのを見てると、俺自身もまた外から見れば阿呆なんだろうな、と。
いや、人間は皆阿呆ですよ。 でも阿呆は阿呆なりに精一杯生きれば良いんです。 阿呆でも立派でも精一杯に生きて、精一杯に死ねばそれで良いのです。
291 :
考える名無しさん :2009/01/05(月) 23:25:25 0
これまた偉そうな断定だが、どこからそういう確信がでてくるのかな? ひょっとして、そうであってほしいっていう単なる希望じゃない?
292 :
290 :2009/01/05(月) 23:27:19 0
293 :
考える名無しさん :2009/01/05(月) 23:33:03 0
私は自分がどう生きたらいいのかさえ分からんのですよ。 ただ「これじゃダメだな」という感じがしてるだけで。
私もどう生きたらいいか分からずに生き続けています。 ただ、今をダメとは考えないです。 私は甲状腺癌で過去に3回手術して最近またマーカーが上昇してきて再発の可能性が 濃厚です。でもCTやPETでも腫瘍は見つからず様子見状態で自宅療養中です。 生きている間は精一杯生きると言うのが真実の世界なのではないでしょうか? 死ぬ時がきたら精一杯死ぬ。 死ぬのは怖いですが皆経験する事です。
295 :
考える名無しさん :2009/01/05(月) 23:57:56 0
なるほど。そういう状況の中から出てきた言葉でしたか。 それならば私には分かりませんが、そうなのかもしれません。 今のあなたには、クリシュナムルティの言葉はどう響きますか?
自分の心理構造を全て理解した時に全てが分かる〜というような事を言ってますが、 コレが難しい。彼の言うように全てを実践するのは不可能だと思います。 なぜなら、言い古された事ですが、自分を観察するのは自分です。 この自分という中心は死ぬまで消えないでしょう。 この中心である自己のない観察=瞑想なんて簡単に出来るものではありません。 きわめて禅的だと思います。瞬間に悟ることもあるでしょう。でも今の私には悟れません。
2羽の鷲が同じ木に住んでいて、1羽が甘い菩提樹の実を食べているけど もう1羽は常にだまって見ているだけなんだそうですよ。 食べてる鷲も、もう1羽の鷲みたいにだまって見てるだけにしておけば、 鷲は分裂した2羽でなく本来の姿である1羽になれるということだそうです。
そうですね。彼の言葉を聴いていると、 そういうことがありそうだという可能性を感じ、 それがもうすぐそばにあるように錯覚してしまいますが、 実際にはそうではありませんよね。 私は、結局何も分からないまま死ぬのかなと思います。 クリシュナムルティに起こった(彼を信じるとすれば)ことが われわれに起こらないのはなぜななのか、彼には分かってたのかな? それとも、なぜそれが自分に起こり他の人には起こらないのかは、 彼自身も知らなかったのかな、などと考え込んでしまいます。 しかし、2ちゃんねるでこういう方にお会いできるとは珍しい日でした。 おやすみなさい。
>>293 他人の目や常識を意識し過ぎなんじゃないの?
生きものなんて生きているだけでいいんだよ。
目を眩ませられてさえいなければ。
なんだその自己満足の説教は。全く人の心に響かないぞ。
301 :
satesa :2009/01/06(火) 13:14:25 0
もしクリシュナムルティが現代に生きている日本人だとしたら(あり得ない仮定なんだけど)、 彼の言っていた全的なエネルギーというのはもっと違う表現をとっていたと思う。 彼の言葉に固執する人は彼の意に反している。 クリシュナムルティは、おのおので自分のありかた、自分の表現を探しなさい、と言っている。 彼を神格化するなんてのは論外。 じっさい講演で「私の言うことに耳を傾けないでください」と言っている。 話を聞いてもらうのが仕事だったのに。面白い人だと思うよ。
理解してないくせに説教じみたオナニーレスするのやめてくれないかな。 反吐が出るから。
反吐はどんどん出すべきだな 健康にいいぞ
うーん癌になったらたぶん不治の病の俺は一体何の為に今生きてるんだろう? と問うと思うね。ただ苦しむために生きる?苦しむ事に意味を見いだそうと しても空しいし、繰り返し来る痛みがそんな考えを否定し去るんだろうね。 、、、そう否定し去るんだよ!
この人の晩年の髪の毛ってよく見たら天然パーマなんだよね。 仏像みたいに細かくクルクルしてる。 パールが密集したみたいになってる。
306 :
考える名無しさん :2009/01/09(金) 08:47:45 0
てst
307 :
しねっぴー :2009/01/09(金) 09:28:54 O
おい大餓鬼。おまえ俺がヤマンバの系譜を継ぐものと知ってやるのか?
この人の言ってることは哲学や思想や宗教理論じゃないな。 自己観察の実践と内面的な感覚を語っているだけ。 思想を否定し、瞑想を否定し、言語イメージを否定し、自己を見つめるという実践のみ。 この人の言うことはよく分からないという感想が正解だろう。 彼の言葉について考えて理屈化しようとすれば妄想にしかならない。
分からない人は、一生を妄想の中で生きる。
新参です よろしくね ようつべでKの映像観てみたんですけど 周りで鳥はギャーギャー鳴いてるし 髪はボサボサだしなんかビビッた。英語解らんけど何か感じるものがあればと 思ったけど、甘かった。
ていうか、どうやって「あるがままの全体知覚」の状態に至るわけ?
その方法を教えてくれないんだもん。ずるいよ。
推論もいいところだけど、方法を教えなかった理由は結局は
究極のオーガズムが「あるがままの全体知覚」の正体なんじゃないかって。
>>308 まったくもって同意ですね。
方法を求めるやいなや・・・ だからねぇ
方法を求めるや否や、方法が目的となってしまうからですよ。 おばかさん。
悟りを求めるのは迷い 悟りは必要でないと考えるのは迷い 悟りはすでに得ていると考えるのは迷い
>>314 わたしは迷子だということですね。わかります
悟りを目的とした方法はすべて悟りをもたらさない 悟りを目的としない方法のなかには悟りをもたらすものがあるかもしれない
317 :
考える名無しさん :2009/01/17(土) 12:06:58 0
ここも、自分が知らないことについて偉そうに断定して 得意になってる奴が多いようだな。笑って済ますしかないか。
うん。317みたいなのが一番笑えるけどね。
319 :
317 :2009/01/17(土) 13:45:59 0
>>318 あはは、一本取ったつもりか?ま、お前に指摘されなくても
自覚できてるわな。俺は自分を客観的に見れる。
お前とは違うんだよ(笑)
320 :
↑ :2009/01/17(土) 13:53:29 0
こういう勘違い人間が一番問題あるんだよなあ。
321 :
考える名無しさん :2009/01/17(土) 14:07:37 0
もう「何か言い返したい」っていう幼稚な感情だけだね。 クリシュナムルティのスレでこれかい? 俺は真面目に言ってるんだよ。実際、おまいらは「悟り」が何なのか、 どうしたら悟りが得られるのか、得られないのか、何も知らないだろ。 味噌と糞の区別がつかないような奴が、「精神世界」本読み漁って、 得々と語るのは見苦しいから、やめろよ。
じゃあこのスレいらなくなっちゃうじゃん
323 :
317 :2009/01/17(土) 14:16:35 0
悔しいだろうが、俺に勝つのは無理だよ。 俺は勝ち負けとかいう低レベルはとっくに超越しているからね。 だがこうしておまいらを相手にしてやってる。遊びでなく、真面目にだ。 クリシュナムルティがそうであったように、な。
324 :
考える名無しさん :2009/01/17(土) 14:17:42 0
そんなことはないだろ。 ふつうにクリシュナムルティについて語り合えばいいじゃないか。 知ったかぶりとハッタリをやめたら、もう何も言えなくなるのか?
>>323 おもいっきり勝ち負けにこだわってるように見えますが?w
>>323 は知ったかぶりとハッタリ以外のなんなのだろうと ふと疑問に思った
どいつもこいつも、知ったかぶって他人を見下すためのツールとして 哲学本読んでるだけさ。哲学に限らんけど
好きなだけ知ったかして見下し見下される中になにか有益なものがあればいいじゃないか Kファンならそれくらいかんたんだよ
329 :
考える名無しさん :2009/01/17(土) 14:45:43 0
知ったかぶりの言い合いに有益なものなんかあるかい?
スーフィの寓話
--
ある日、一人の男が籠の中にオウムを飼っていました。その人がインドに旅行にいくとき、
お土産はなにがいいかオウムに聞きました。「私は籠の中で、自由がなく不幸せです。
インドのオウムに、どうしたら自由になれるのか聞いてください」それで、その男は、インドで、
木にとまっている野生のオウムに聞きました。「私のオウムは、籠の中でとても不幸だと
いっています。どうしたらあなたのように幸せになるのか教えてください」
それを聞いたインドのオウムはその話を聞いたショックで、木からふらふら。。と落ちて
死んでしまいました。
男は「わぁ、なんということだ。。」と、がっかりして家に戻りました。家で待っていた
オウムは、「私のお土産を覚えていてくれましたか?」と聞きました。そして、男は、
インドの鳥が木から落ちて死んでしまった話をしました。するとそれを聞いた彼の鳥も、
突然倒れて死んでしまいました。
男は、彼を籠から取り出し、手の中でなでながら「オウムさん、どうか死なないで。
空に羽ばたいてください・・・」
すると、オウムは目を覚まし、喜びいっぱいで空に羽ばたいていきました。
--
ttp://blog.livedoor.jp/dendelion/archives/2005-10.html みんなが誰かにとってのこの男の役を演じてるんだよ。。。
誰かKのプロセスについてkwsk
332 :
考える名無しさん :2009/01/17(土) 23:14:01 0
kwskったって、おまいが本読めば知れる程度のこと以外に何か知ってる奴がいるか? Kのプロセスと同様のことが自分の身に起こった奴が、2ちゃんねるやってるか?w
>>332 ここで知ったかぶりとハッタリを使わないでいつつかうんだ
クリシュナムだかなんだか知らんが 地球は人を必要としない
335 :
考える名無しさん :2009/01/18(日) 14:23:30 0
地球が誰を必要としようがいまいが、おまいに何の関係がある? おまいは地球か?w
神になる過程です
ここ最近めまいと頭痛が続くんだが、とうとうプロセスはじまた
板チーズうまうまですね
340 :
考える名無しさん :2009/01/20(火) 21:18:42 0
>>338 おまい、それインフルエンザかもしれんぞ。早く病院池。
341 :
考える名無しさん :2009/02/08(日) 01:25:12 0
「暴力からの解放」
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4884810805 この本はマイベスト。なのに、今は絶版になっている。
awarenessの訳だったかが「気づき」じゃなくて別の語で訳されてるから、
訳がよくない、と言う人もいた。
だけど、訳語は、特定の語が仮に「A」と訳されてても、読み手は
文脈から正しい概念を把握できるものだ。まったく問題はなかった。
「たま出版」なので、また出版してもらいたいね。
プロセスチーズです
>>311 結局はわからなければ、根本が同じであろう教えから学ぶしかないのかもね。禅の止観、ヴィッパサナ瞑想、自己観察。。。グルジェフ。まず、瞑想あたりから初めてやがてそこを離れて行く。
345 :
考える名無しさん :2009/02/26(木) 13:18:16 0
クリシュナムルティを読む人って、たいがい 自分が陥っている苦境からの脱出の可能性をそこに見出して、 この人の言うことを理解すれば本当に脱出できるかもしれない っていう「下心」があって、読んでるんだよね。(つうか、俺はそうだ。) しかし、こういう「下心」があっては正しい現状認識はできず、 問題は解決できないだろうって彼は言っているようだ。 ・・・苦痛を苦痛と認識しながら、そこから抜け出そうとはせずに留まれ ってことなのか?
とどまるとどまらないではなく、苦痛を対象化するとそれは苦痛ではなくなるということでは。
思想と宗教(特に仏教全般)とこの人の関係って何? 簡単な本一冊よんだけど、 二言でいえば、「ありのままだよ!既知から脱却しなさい」 にしかならないような気がして。 理論的なことを書いてある著作ある?
348 :
考える名無しさん :2009/02/26(木) 23:06:46 0
>>346 まあ、クリシュナムルティが何を言っていたかはそれぞれの人が見ればいいことだし、
それが人によって違っていてもかまわないと思うが、俺としてはその正反対だと思う。
対象化というのは、自分と対象を分離させることであり、それことが問題を作り出すと
クリシュナムルティは言ってたんだと思ってる。
349 :
考える名無しさん :2009/02/26(木) 23:10:34 0
>>347 公表されたものとしては、多分ないと思うよ。理論とか知識とかの意義は
基本的に認めないようだし。仏教、より正確には仏陀とは特別のつながりが
あったような話もあるが、詮索してもしょうがない気がする。
>>348 >>349 レスありがとう。
クルシュナムルティの言っていることは、
どこかの時点から認めなきゃその先を理解できないようなきがしてね。
考えに批判があるわけじゃないんだが、
もしかしたら理論的に救われるものではないかと少し期待してたから。
そのうちもう1冊読んでみようかな・・・
351 :
考える名無しさん :2009/02/28(土) 13:48:49 0
クリシュナムルティの本を読んでいると、 あるところまでは「まったくそうだ」と共感しながら読めるが、 そこから先に行くと「なぜ?」と言いたくなったり、 そもそも何を言っているのか分からなくなったりする。 後の部分が教えてくれるは、自分の知らない世界があるらしい ということだけのようだ。
そのあとの部分・・・ が、Kの良いところ。 知性での理解を拒否されたような、それだからこそ真実性を感じる。
353 :
考える名無しさん :2009/02/28(土) 15:12:19 0
俺はそうは思わない。そうした「真実性」を感じたところで、 一時的に気分が多少よくなる程度のこと。 結局、「自分には分からないから、分かっているらしい人に従おう」という、 Kが真っ先に否定した権威の崇拝に陥るだけだと思う。
色んな可能性があんだろうよ。 わかったふりをする わかったと思い込む わかったと思い込み指導者になる わかるまで自分で考える そんな境地はないと決め付ける 仏教等に走る 合理的に見切りを付ける 適当に考えただけでも色んな選択肢があんじゃん。 クリシュナムルティの話も大概 「おまえマジか?」 と思わせる部分が多いが坊主とか各種グルの話になってくると 「人の精神云々する前にお前、病院いけよ」 とすら思う。
355 :
考える名無しさん :2009/03/24(火) 10:03:48 0
聖人は、どんな形態であっても、いらない。 地球からすがたを消してくれ。 彼らは人間なのに人間より高いところからものを言う。 それは、フィクション、ファンタジーがやることであって、 一個人がやることでは、決してない。
356 :
考える名無しさん :2009/03/24(火) 10:08:24 0
だいたい、シッディの存在を肯定している時点でおかしい。 シッディはさすがにないのは明白だ。 Kですら過去の前近代的な神秘主義と何も変わらない。 シッディを肯定する人種の、正体はただの社会的不適応者に過ぎない。
357 :
考える名無しさん :2009/03/24(火) 17:54:29 O
まぁ、「腐った社会に適合するな」的なことを言ってるわけだから、K自身が不適合者であることは明白だわな。
358 :
考える名無しさん :2009/03/24(火) 17:56:10 O
適合じゃなくて適応だったね。
359 :
考える名無しさん :2009/03/25(水) 01:28:39 0
適応する以外に、生きるすべはないと思うのだけど。
360 :
考える名無しさん :2009/03/25(水) 02:27:28 0
クリシュナムルティみたいに 生きるのは難しいよな
361 :
考える名無しさん :2009/03/25(水) 06:21:00 0
苦痛は対象化しても、決して消えたりしない。 苦痛は苦痛だ。いやなものはいやなのだ。 Kにはこの視点が決定的に抜け落ちている。 いつだって苦痛を消すのは、技術や知恵や慈愛だ。 たとえそれが新たな苦痛を生み出そうとも。 生きるとは痛いということだ。たとえどんなに腐っていようとも。 Kはやさしくない。死の側から、人はけっして語ってはいけない。 人が語らなくても、死はどのみち向こう側からやってくるのだから。
362 :
し :2009/03/25(水) 08:35:54 O
ネパール料理食おう
363 :
考える名無しさん :2009/03/25(水) 10:50:27 O
>>361 Kは苦痛を対象化してない。むしろ視点を持つなと言ってる。視点を持つということは、物事を対象化することじゃないか?で、対象化はすでに苦痛からの逃避だということだと思うが。
苦痛と自分が一体であることを見抜けというのがKの教えだろうな。その前段階として、気づきというのがあるんだろう。
最初はただ苦しいだけで、苦しんでる自分には気づいてないから。見るべきは苦痛じゃなくて、苦痛にもがいてる自分だと。Kが言ってることは、まとめれば「自己認識」の一点に尽きる。それがわからなきゃ他の文言も全く理解できんと思う。
364 :
考える名無しさん :2009/03/25(水) 15:47:40 0
思想というもんはだな、人間を苦しめるためにあってはならんのだ。 Kもまた同じあやまちを犯している。それでも彼は立派だったけど。 理解できる理解できないじゃない。苦痛が止むことが重要なんだ。
365 :
考える名無しさん :2009/03/26(木) 19:01:27 0
どのような思想であれ、教えであれ、それをまとめたり総論しては台無し。 それを生きてみなければいけない。生きてみて、変容が生まれるか、苦痛が増幅するか、何も生まれないか。 苦痛が増幅する場合に限っては、ほうほうの体で退き、棄却がふさわしい。 理解や真実性は問題ではない。「理解」はともすれば、「おれは知っている」という不毛な優越感を生み出す。
366 :
考える名無しさん :2009/03/27(金) 21:06:31 O
>>364 苦痛を理解することがその消滅ではないか?
思想が毒性を持つのは、それを表現する者によってではなく
思想を盲信したり解釈したり、権威に利用する輩による
のであろうよ。
367 :
考える名無しさん :2009/03/28(土) 00:03:33 0
理解しようがなんだろうが、痛いものは痛い。 苦痛の原因を取り除かないかぎり痛み続ける。 なかには原因不明のものもあるし、除去不能のものもある。 思想が毒性を持つのは、表現するものに責任がないわけがあるものか。 それは全員の責任だ。だが、それよりも思想はそもそも危険物で、取り扱いが難しい。
368 :
考える名無しさん :2009/03/28(土) 19:25:33 O
>>365 「思想を生きる」の意味がわからん。
思想は生の残骸を組み立てた構築物にすぎん。
よって「思想を生きる」ことなど不可能。
「思想に従って行動する」ならわかるが。
それは当然の帰結として苦痛と迷惑しか生まないわけだが。
概念の上で言辞を弄しているとしか思えんよ。
369 :
考える名無しさん :2009/03/28(土) 20:08:29 0
現代思想は頭の悪い運知鰻の学問ゴッコにすぎない ( ^ω^)この明白な事実は事実として受け入れて、みんな仲良くやれお (^ω^)カリカリすんなお
370 :
考える名無しさん :2009/03/28(土) 21:14:27 O
別に論争してるわけじゃない。言葉のジャレ合いだ。気にするな。
クリは思想を語っているのではなく、おまいらも自分を直視しようぜと遠回しに促している。 自分を直視すると何かいいことあるのかというと、苦痛ばかりで良いことは何にもない。 しかし、苦痛を乗り越えると自由になれるよと励ましている。 自分を見つめれば本当に自由になれるのかどうか知らないが、それは自己責任だ。 ただ苦痛だけだったとしても、クリに責任はない。
372 :
考える名無しさん :2009/03/28(土) 22:03:56 O
>>367 苦痛を理解することによって、外部の状況は全く変わっていない
にもかかわらず、それまで苦痛に感じていたことが苦痛で
なくなったという経験はないか?なければ理解云々という話の
意味はわからんだろうな。
その思想を選び取った己の愚かしさを棚に上げて、他者の責任を
追及することがまさしく愚者の愚者たる所以である。
危険物とわかっているなら、取り扱おうなどと考えずに
最初から避けて通ればよかろう。思想を扱うことによって
自分を高めようなどという思い上がりこそが毒なのだよ。
373 :
考える名無しさん :2009/03/28(土) 22:06:47 0
それって鈍感になってるか感覚が麻痺してるんでねえの?
374 :
考える名無しさん :2009/03/29(日) 01:45:03 0
>>372 わるいけど、君は人の話を聞いていない。
そうしたことは百も承知で言っているんだよ。
恐怖の正体をじっと見つめるとき、恐怖は消える。
苦痛についても同じことが言える。それは良く知っている。
だけど、おれが問題にしているのはその手の苦痛じゃない。
君は拷問されたことがあるかい?まあ、ないだろう。
おれだってないけど、しゃれにならない激痛をおれは知っている。
それは理解とかそんなものが吹き飛ぶ種類のものだ。
そんで、人の生において悲しい出来事はいつもこの手の苦痛を伴うことを問題にしているんだよ。
まあ、そんなことはどうでもよいのだけど、
Kの言っていることは実際はすばらしいことばかりだよ。
ことの本質を突いているだけでなく、人間知性の実践的な側面もあわせもっている。
そして、その表現手法はいつもどこか音楽的で美しいだろう。Kはすごいよ。
>>368 「思想を生きる」は君が言うような意味で使ったんだけど、
なぜ「苦痛と迷惑しか生まない」ということを、
当然の帰結としているかが、おれにはわからない。
それは、決め付けるなよ。まずは、やれよ。生きることを。
言葉遊びを避けるってのはそういうことだろう。
ところで、なぜかおれが偉そうな論調なのは、
みなみなさまにあらかじめ謝っておく。ごみん。
さぞ不愉快であろう。
375 :
考える名無しさん :2009/03/29(日) 01:48:55 0
>>371 Kは、誰もKのことを理解しなかった、と言っている。
今後もその見込みは薄いだろうと言っているよな。
ほんとうに苦痛のむこうがわに自由があると、かれは励ましていただろうか?
おれは、かなり疑問だ。
376 :
考える名無しさん :2009/03/29(日) 03:52:43 O
彼の本は数年前に一冊読んでみたが自分が恐ろしく間違っている人間ではないかと感じ憂鬱になった覚えがある。
377 :
考える名無しさん :2009/03/29(日) 08:01:46 0
>>372 重要なことを言い忘れた。
人が思想を選び取るんじゃないんだよ。
思想が人を選び取るんだ。
思想やイデア、観念は、人間よりも上位にあり、強靭で、長寿だ。
言葉遊びだ、とか言うなよ。おれは真剣に言ってんだ。
>>376 笑。きみはたぶんまっとうな人間だよ。Kがおかしいんだ。や、Kはすごい奴だが。
378 :
鯛焼きマン :2009/03/29(日) 09:23:39 0
Kはカチカチの頭でっかちにとって、しばしば刺激になるんだよね。 思想? 幻想と何も変わらんだろ。
思想は思った以上に我々の日常に溶け込み意識の中に刷り込まれている。 余りに当たり前すぎて意思決定に影響を及ぼしているとさえ自覚されない。 法や制度はもとより目の前のあらゆる商品にまでその影響はある。 思想は幻想だということは肝臓が普段、意識されないから幻想だという事に近い。 それは強い機能を持って体現されているのだ。戦争状態などでそれが 崩れ去ったときは幻想だったと後付けで言うことは出来ても眼前の それを幻想だと一蹴はできない。 日本人は作為の契機を欠いているとはよく言ったものだ。 最初からそのようなものはないと思われているのだから。
380 :
考える名無しさん :2009/03/29(日) 17:34:56 0
>>378 ならば、Kの言うこともすべて幻想ということになるね。
>>379 おれは、それを言いたかった。
きみはすごい奴だ。思想の本質を的確に表現してくれた。
「法や制度はもとより目の前のあらゆる商品にまでその影響はある」
そのとおりだし、そもそも言葉が思想の萌芽なのだ。
>>374 あなたが理解できない苦痛を、他の誰かに理解できるはずがない
という前提の話なのか?そもそも、あなたの苦痛がどんな
レベルのものであれ、それはあなたのものであって、
理解するしないはあなた次第だろう。理解しろ、自由になれ
とは誰も要求しない。理解できないなら苦痛と共に生きる
しかない。それで何も問題はなかろう。
382 :
考える名無しさん :2009/03/30(月) 23:34:04 0
君はほんとに人の話を聞かない人だね。 もっともらしいことおっしゃるがね、 君には明確な考えがないのが、よくわかるよ。 なぜ、明確な考えがないのかも、よくわかる。 君には単純に経験が足りてない。 まるで女を知らないのにセックスについて話しているみたいな感じだよ。 いいかい、ある程度生きてりゃわかることだが、 社会って奴はなかなかに残酷なところなんだよ。 きみのようなちっぽけなやつも、おれのようなちっぽけなやつも、 ほんのちょっとした気まぐれでひねりつぶすことがある。 そして、社会のほうは痛みを感じないが、おれやきみは苦痛を感じるのだ。 「苦痛とともに生きる、それで問題ない」なんて、あっさりと君は言ってのけたね。 ずいぶんとあっさりと言ってのけたものだ。 まるで、「今日は晴れだよ」とか「明日は雨だから傘持ってこう」くらいの軽さだ。 きみは、レイプされた女性に「苦痛とともに生きるしかない」とか言えるかい? たとえばの話だけどな。君は苦痛を知らない。 きみは、まずは経験を求めるべきだよ。理解うんぬんはその後に語ってくれよ。 毎度、おれが偉そうなのは謝るが。。ごみん。
>>382 明確な考えがなんの役に立つ?
経験があなたを苦痛から救ったか?
あなたは明確な考えや豊富な経験を持っているらしいが、
それでもなお苦痛を問題にしているようだ。
あなたは理解を超えた苦痛があると言った。
ならば理解しなくてもよかろうということだ。
僕はレイプされた女性を相手にしているわけではない。
あなたを相手にしているのだ。
あなたは僕よりも大きな苦痛を知っている。
僕よりも経験が豊富だ。それで満足かい?
人よりも多くを知っているという優越感を感じているか?
384 :
考える名無しさん :2009/03/31(火) 03:48:46 0
>>383 経験は、おれに苦痛を与えたり、喜びを与えたり、だよ。
じつに気まぐれに、無邪気におれを弄んでくれたものだ。
明確な考えを持つことは、おれの唯一の意志であって、反抗で、唯一の武器なんだよ。
たとえ、それのせいでおれ自身が大怪我をしてもだ。
おれは君を見下したものの言い方をして、君はおれに敵意を持ち始めている。
不愉快にしてわるかった。おれの悪い癖なんだ。
385 :
考える名無しさん :2009/03/31(火) 04:17:26 O
ウ"ィパッサナー瞑想って知ってる? 起きてる間、自分の全ての動作、身体の感覚、感情、イメージにサティーを入れ続けるといいよ。 瞑想を始めた当時「クリシュナムルティの瞑想録」を読んだ時は、内容が超越しすぎてる感じがして、ただの思想としか思えなかったけど、 自分の全てにサティーを入れ続けたら、3週間で思考が止まって、約半年後には妄想もストップした。 今苦しみがある人ほど一気に変われると思う。 半年後に「クリシュナムルティの瞑想録」を読み返したら、すごく当たり前のことを言ってるだけで、自分の在り方の変化に気がつけた。 理解しようと努力することが理解を妨げるっていうのは真実だから、クリシュナムルティの本を読むのを止めて、サティーを入れ続けてみたらどうだろう?
なぜそんなにヴィパッサナーやサティを奨めるのかわからない。 ヴィパッサナーやサティは仏教的な「べき論」と分かちがたく 結び付いており陥るところは悟りマンセー、仏陀マンセー瞑想マンセー なのでは。計らいをもった瞑想は快楽主義と深く結び付いている。 地橋氏の本には詰まる所、如何に気持ちいいかばかり記してあるし スマナサーラ氏の本にはそれに護教が結び付いて瞑想から演繹した 過剰な付加価値を与えている。純粋な経験測ではなく彼が受けて来た マインドコントロールも加味されており少なくとも彼や彼の追随者は自由ではない。 他のヴィパッサナーを説く僧侶も同じ。 仏陀存命時は物質的に欠乏しており苦から抜け出す方法論も少なく 隠遁し脳をいじってドーパミンを分泌する、その正当化のために 方便として教義、規範等の方便が充実されるというのは正しかったの かもしれないが現代では社会との乖離で選民主義的でカルト的に なりやすいのではないか。少なくとも瞑想の深化は人格と関係がない。 単に言語的気付きをもたらすなら認知療法などでいいのでは。
387 :
考える名無しさん :2009/03/31(火) 10:25:54 O
>>386 なぜそんなにサティーを勧めるかっていうと結果論かな。
結果が出てなければ勧めてない。
地橋さんの本もスマナサーラさんの本も読んで始めたけど、教えを理解しようとか、この教えは受け入れられないとか考えず、単に技術としてサティーし続けた。
サティーは自分を観察する技術だから、誰の追随にもならないよ。
というか、追随なのか追随じゃないかはどちらでもいい。
そういう理屈でしないのは勿体無い。
388 :
考える名無しさん :2009/03/31(火) 10:36:03 O
浜崎鮎
>>387 結果論から言えばヴィパッサナーをやってる人は大抵、悟り崇拝に陥ってる。
そして一時的脳内現象である法悦を過度に重視し体験に囚われている。
指導しているグルの方々も決して明晰ではなく妄想三昧で選民思想を説く。
スマナサーラ氏然り佐藤哲郎氏然り。
あなたに劇的な体験を与えるものは他にもあるがそのような体験談は
全くスレ違いでありここでそれを奨めること自体がおかしいのだ。
何より体験が人を虜にすることはあなたがその証明を行っている。
純粋な技術は認知科学等の領域にもあるのでそれで十分であり
宗教等の組織維持に重点を置いた説明体系に依存すべきではない。
あなたが本当に技術としての瞑想を説くならば技術として特化した
瞑想の大切さを上座信徒が集まるスレで推奨してみるとよい。
恐らく感情的な反発を招くであろうから。
またあなたが本当に技術だけの何ら夾雑物の瞑想をよそで説くのであれば
別にそのことに反論すべき点はない。
私もどこをいじればどうなるかをよくよその健康板とかで必要に
応じて発言させて頂いている。
>夾雑物の瞑想をよそで説く ↓ >夾雑物のない瞑想をよそで説く ね。
ヴィパサナって「瞑想すれば神秘体験があるからぜひやんなさい」なんてことはいってないよ。 むしろ「なにが見えても観察を続けろ」というスタンスだとおもうけど。
私も本当に淡々と事実だけを認識する教えだと十年程前は思っていたが 余りに固有の信仰と結び付き目的が悟りに傾きがちであり経験者が経験に 縛られているのを見て認識が変わった。 仏陀はいないので何とも言えないが仏教の指導者にとって都合のよい 規範や妄想群は没後に土着信仰の影響を経て付加されたのではないか。 いずれにせよ一生を賭けて信仰を否定し体験が人を分かつことを説き 真理に到る方法はないと言った人物の教えに対し信仰由来の方法論を 称揚し経験を対置させるのは違うのではないか。 クリシュナムルティの言うことが正しいか否かは別にして。 彼が仏陀を尊敬しながらも仏教を否定し仏陀は方法を説かなかったと主張し 自分の教えと同じようにその教えを理解した者はいないと言ったことは 彼の妄想かもしれないが意味深だな。
で、瞑想ってどうやるの?
>>384 物言いがキツイのはお互い様。
それは全く気にしてない。僕は今回あえてこういう文体にしている。
それもただの気まぐれで。
こういう場で、自分のコメントにどんなレスがつくのかという
ドキドキ感を楽しんでいるだけだ。言葉のジャレ合いだと前にも書いた。
不愉快などとんでもない。実に愉快だよ。
僕があなたに敵意や憎悪を抱いたとしても気にすることはない。
自分の考えを表明することには常にそういうリスクがつきまとう。
それをリスクと考えるならばの話だが。
どうやら不毛な会話(笑)に疲れてきたようだね。
方法はないというのはおそらくそのとおり。 自分を残したまま道具でなんとかしようとするのは誤りだろう。 むしろ自分が方法そのものになることで、自分の存在しない境地を体験できればいいのだろ。
397 :
考える名無しさん :2009/03/31(火) 23:48:32 0
>>395 なんだ、あんがい君はやさしい奴じゃないか。
会話に疲れてきたわけじゃないよ。
相手が、はっきりと敵意を表出したら、たとえそれが演技でも
おれは会話を一度切るべきだと考えている。
それは自分に対しての決め事で、おれの意志のひとつでもある。
会話は、熱を失わなければ、常に有益なものだと、おれは信じている。
だけど、熱と敵意は、微妙だけどやはり違うものだ。
敵意は、蓄積するとおそろしい。それで遊ぶことはもうやめたんだよ。
おれは傷つきやすいのだ。
398 :
考える名無しさん :2009/04/01(水) 00:10:14 0
>>375 >おれは、かなり疑問だ。
アホくさ。
誰もKのことを理解できないだから、そんなの議論してもしょうがない。
疑問に思ってもどうせ理解できないんだから、考えても意味がない。
399 :
考える名無しさん :2009/04/01(水) 00:13:40 0
瞑想なんて信じない。瞑想を否定すべきだ。
401 :
考える名無しさん :2009/04/01(水) 10:13:51 0
>>398 思うに君は輪郭をもたない人間だ。
まずは何者かにならなくてはいけない。
それも現実の生活においてだ。とおれは思うのだ。
真実・真理に魅せられるものの悪癖のひとつは、
彼はついに何者にもならないということだ。
402 :
考える名無しさん :2009/04/01(水) 23:33:13 O
>>397 なるほど。ではもっと言葉遣いを丁寧にしてみましょうか。
僕が書いたことは演技ではありませんが、敵意でもありません。
あなたが書いたことに矛盾を感じたので、そこに疑問を呈しているだけです。
攻撃的な非難の感情が込められているように見えるのかもしれませんが、
それを無視して質問の内容だけを見て下さい。僕の疑問が的外れで
あるなら、どこがどう的外れなのかを指摘してください。
>>377 であなたは思想について、思想が人よりも上位にあり、
思想が人を選ぶのだと主張していますが、
>>365 では人が
思想を選択し、その結果が苦痛であれば棄却すべしと言っています。
これは矛盾しているように思えますが、何か釈明はありますか?
403 :
考える名無しさん :2009/04/02(木) 00:36:07 0
別の話題だが、「観察者のいない観察」ってどういうことだ?
404 :
釈明 :2009/04/02(木) 01:14:54 0
>>402 釈明はない!w
書きながら矛盾にはちゃんと気づいている。
するどい人は、指摘するだろうなとおもてた。
そもそも思想という言葉がよくなかった。
社会主義や全体主義的なイデオロギーをふつうは連想するからね。
でも、思想はもっと日常的なレベルでもあって、
「人には親切にしよう」でも「嘘はついていけない」も立派な思想だ。
思念が人を捉える力というのは実に強力だよ。
いま自分が持っている、思考形態、価値観、漠然とした世界観は、どこからやってきただろうか。
それは、ひとつひとつ自分が吟味しながら取捨選択して得られたものだろうか。
おれは、大半はそうではなく、強制的に向こう側からやってきたものだと考えている。
向こう側というのは、社会だったり、学校教育だったり、親だったり、時代時代の指導者だったり。
もっと直感的な言い方をすると、歴史の蓄積が思想を生み出している。
で、その歴史の蓄積は、今現在も60,70億という、
か弱きちっぽけな人間たちに、与えられたほんのわずかな自由意思とやらに、
影響を受けながら、ゆっくりゆっくりと形を変えながら、生息している抽象的な生命体か何かのように見える。
それは宗教を作り出したし、科学を作り出したし、法律を作り出した。
今後も何かしらを生み出していくだろう。
405 :
釈明 :2009/04/02(木) 01:15:44 0
この化け物の前には、おれやきみという存在はあまりにちっぽけで無力でしょ。 だから、思想を人間より上位で強靭で長寿と、言ってみたんだが、 あまりよい表現ではなかったかもわからん。 ちっぽけな一個人のちっぽけな自由意思、 けっきょく、でも、これがおれのただ一つの拠り所だ。 そして、そいつの基準はどこまでいっても一個人の利益だけであるべきだと思う。 思想は往々にして人を苦しめる。 医療において「ともかくより長く生かす」という思想が どれだけの苦痛を、延長し、増幅してきたことか。 でも、もともとは医療は、病気を治療し、苦痛を除去してきた。 思想には、適切な守備範囲があって、その範囲内では利益をもたらすが、 思想には、自己拡大的機能があって、その範囲を常に広げようとする。 歴史における功績が大きければ大きいほどその力は大きい。 そして、守備範囲を大きくはみ出してしまった、そいつは苦痛を増幅するようになる。
406 :
釈明 :2009/04/02(木) 01:16:34 0
だが、その守備範囲を決めるものはなんだろうか。 やはりそれは一個人のちっぽけな自由意思、 ことに一個人の苦痛のあるなしによるべきだと考えている。 守備範囲はあらかじめ正解として与えられているものではない。 ゆえに、苦痛は重要なのだ。 一個人と社会、人間と理念、現在性と歴史性に橋渡しをする唯一の接点なのだから。 思想は強靭だ。棄却しようとしても棄却させてくれない強制力がある。 そのようにして人間を飼いならしているからだ。 棄却できなくても、苦痛を表明することはできると思うのだ。 苦痛を表明できなくても、心のうちで「くそったれ」とは言える。 この「くそったれ」があるかないか、 この「くそったれ」まで思想の側に奪われてしまっては、 人間の歴史はそこで止まるし、思想もまた健全に生息しない。 とまあ、こんな感じですが、めちゃくちゃだろうw もっとちゃんと書けばいいのだが、いまのおれの仕事は書くことじゃない。 いまのおれの仕事は金儲けと読書なのだ。
思想以前だな。強靱でも何でもない。 こいつの言ってることは、道端で野糞しないでトイレでウンコしましょうでも思想だ、 行儀作法ナンデモ思想だと言ってるだけ。生活習慣まで思想に入れるならナンデモ思想になる。
408 :
考える名無しさん :2009/04/02(木) 11:15:21 0
「基準はどこまでいっても一個人の利益だけであるべきだ」が 典型的な「強制的に向こう側からやってきたもの」であるという 自覚はあるのかな?
409 :
考える名無しさん :2009/04/02(木) 13:44:49 0
ん? トイレってのは古い時代においては画期的な発明なんだぜ? 野糞たれると、土に溶けて水場に流れ寄生虫の感染源になる。 それを撲滅するためにトイレを深く掘って作ったんだ。 いまじゃトイレは当たり前だが、深い思索があって始まってるんだよ。 礼儀作法に関しても孔子っていう立派な思想体系とかあるだろ。 しかしだな、 おまえにこいつ呼ばわりされる筋合いはない。
410 :
考える名無しさん :2009/04/02(木) 13:57:16 0
>>408 その指摘の無意味さは自覚してるの?
それともアイデンティティの定義から詳細に述べよとでも言ってるのかい。
やだよ、疲れるから。
411 :
考える名無しさん :2009/04/02(木) 21:21:50 0
>>410 返事がわからない。ひょっとして、
「基準はどこまでいっても一個人の利益だけであるべきだ」という
考え方が「強制的に向こう側からやってきたもの」
であることを否定しているの?
こいつは自分で考えてないから、本で読んだ言葉が頭の中を占領してしまって、 思想は強靱だ、思想は強制力がある、思想は苦しめるとか言ってるんだろ。 他人の考えたもので頭の中をいっぱいにしてるからに過ぎない。
413 :
411 :2009/04/03(金) 02:04:11 0
それが「釈明」さんの言う意味と同じなのかどうかは知らないが、 ある程度哲学を勉強していると、自分で考えたつもりのものが実は さまざまの過去の思想の影響(ほとんど「洗脳」と言っていい)の結果に 過ぎないということが分かって来るものです。ただ私が違和感を感じるのは、 「基準はどこまでいっても一個人の利益だけであるべきだ」という、 典型的に近代の個人主義思想の影響で生じている考え方を、 「思想」とは別のものであるかのように取り扱っているところなので、 それを尋ねてみたわけです。
414 :
考える名無しさん :2009/04/03(金) 03:24:52 0
>>413 わかった、どうやらおれが人の話をちゃんと聞いてなかったみたいだ。
おれは、典型的な個人主義思想の持ち主だよ。
だけど、一個人というよりは、
「おれ」とか「わたし」とか一人称で語られるところの主体性に重きをおいているんだよ。
Kの文脈から語弊があるが、自我と言ってしまってもいい。
ただしそれは流動的な自我だ。哲学で言えば、現存在とかいう表現なんだけど、
あまりそっち方面の言葉は使いたくない。
あまりそっち方向の議論に入りたくない。
そっちは泥沼で、得るものは少ないという気がしている。
君みたいにある程度いろいろな価値や思考を相対化できていれば、
その手の思考をそれ以上する必要はないと思うのだが。
415 :
考える名無しさん :2009/04/03(金) 03:33:08 0
>>412 もっかい言うね、
おまえにこいつ呼ばわりされる筋合いはない。
君の言うところの思想以前の行儀作法ですら、君はできていないではないかい。。
416 :
考える名無しさん :2009/04/03(金) 03:38:36 0
>>413 ちょっと話が逸れて、明確に答えれてなかったね。
「一個人の利益うんぬん」もまた、思想に過ぎない。それで正しいと思うよ。
こいつは条件付けの行動や反射まで思想と言ってるんだろ。 全然洞察も分類もできてないね。
418 :
402 :2009/04/03(金) 23:40:32 O
>>406 うん、まぁ言いたいことはなんとなくわかります。
あなたが言ってるのは「思想」というより「意識の総体」と
言ってもいいくらいに広範囲なものですね。
どのみち、どこからが思想でどこからが思想でないか
という線引きに大した意味はないと思いますが。
あなたもまた、その文章から受ける印象ほどには
ご自分の考えを明確にできていないのでしょう。
あるいは、明確な考えや思想を持っているということは、
明確にものが見えていないということでもありましょう。
いずれ、その個人主義思想自然もに剥がれ落ちていく
時が来るでしょう。
419 :
402 :2009/04/03(金) 23:44:50 O
>いずれ、その個人主義思想自然もに剥がれ落ちていく 修正>いずれ、その個人主義思想も自然に剥がれ落ちていく 誤植でした。
420 :
404 :2009/04/04(土) 04:02:42 0
>>418 言うほど明確には考えれていない!w
だから、いまは自分をちょっと恥じておる。
だが、やはり君はそう来るよな。「いずれ剥がれ落ちる」と。
その「剥ぐ者」は、一日に一回はおれのところへやってきて、「やあ」というよ。
その変わり映えしない古い友人の彼は
「また無駄なことしてるのかい。せいぜいあがきな。すべては無駄だがね」
と言って、「また、来るよ」だぜ。
今日は、君を介してそいつがやってきた。
「いつも決まった場所、決まった時間にぼくがやってくると思うかい。
こうやって不意打ちすることだってあるんだぜ?」と。
で、やっぱり「せいぜいあがきな。また来るよ」だ。
そいつにはいくつか名前がある。ひとつは虚無ってやつだ。
価値相対主義なんて近代的な装いをすることもある。
「いまやぼくも時代の潮流だぜ。笑っちゃうよ」と得意げなときもあったよ。
「いやいや、煙たがるな。ぼくはすべての価値の土台になってやってるんだぜ」と。
彼はいったいなんなのだ?「ぼくこそが神の源泉だよ」とでも言わんばかりなのだ。
421 :
考える名無しさん :2009/04/06(月) 03:32:52 0
こういうスレって 結局 俺が一番賢いって書き込みで埋まっちゃうんだよなー
422 :
考える名無しさん :2009/04/06(月) 07:50:22 0
ごめん。おれも自分で自分がうっとうしかったよ。 しばらくなにも書きません。失礼した。
423 :
考える名無しさん :2009/04/06(月) 15:03:45 0
何も語ることがないよりましなのでは
私は悟るために生きている。 生きているから悟るんだ!
425 :
考える名無しさん :2009/04/06(月) 21:15:11 0
>>421 Kは「私は知っている」という考えが学びを止めてしまう
みたいなこと言ってたのにね。
>>420 「剥ぐ者」はいませんよ。いるとしたらそれはあなたの分身でしょう。
「思想にしがみつく者」「剥がれる者」すなわち「あなた」がいなければ、
思想を「剥ぐ者」は存在し得ませんから。
僕は「自然に剥がれ落ちる」と書きましたが、「剥がされる」とは
書いてませんね。剥がされるのではなく、あなたが自分で剥がす
のでもなく、剥がれ落ちるのです。自然に。そうでなければ意味が
ありません。たぶん。
その「剥がす者」を擬人化するあなたの流儀に沿って表現する
なら、「彼」は間違いなくあなた自身です。そのことを見抜くまで、
あなたは彼とゲームを続けるでしょう。見抜いた瞬間、あなたの
主義や思想は理解と共に剥がれ落ちるでしょう。あくまで自然に。
>>421 「結局〜だ」って俯瞰的にものごとを観られるあなたが
一番賢いと言いたいのかな?w
そんなことはみんなわかって書いてると思いますけど。
自分が一番賢いってことをいかに最後まで整然と
言い切れるかってことを楽しむゲームじゃないですか。
>>425 Kが言ったことが全て本当とは限らないでしょう。
Kがこう言ってたから…っていう考えも学びを
止めてしまうのでは?
429 :
考える名無しさん :2009/04/06(月) 23:54:15 0
>>428 なるほど。でも、「私はもう知っていると思ったら学ぶことを止めてしまう」という
ことに関しては、別にKが言おうが言うまいが、事実じゃないですか?
430 :
考える名無しさん :2009/04/07(火) 00:51:17 0
>>426 せっかく返事をくれたから、ちょっとだけ書くがね。
あまり余計なことは書かない。
おれは「自然に」起こるなにかを重視しない。
毒の致死量をなるべく正確に知りたいと思っている。
「嘘を全身全霊で演じても、嘘はそれでも嘘でしかないのか」
と言った人がいる。誰だったか忘れた。
でも、そういうことなのだ。(なにがそういうことなの?w)
では。
楽しかったよ。きみは賢いやつだ。
こいつは何も分かってない。 こういうのは内側から感じるもんだ。 外から思想分析して饒舌になっても、何の中身もない多弁的思想だ。
意識は「私」と言わない ただ見るだけ 観察者のいない観察
「私」は幻だ 意識こそ本質だ
434 :
鯛焼きマン :2009/04/08(水) 12:51:08 0
だから思想は幻想だっての。 Kの言葉は思想ではない。聞く人の脳が思想にしてしまったのだ。 人間は自身の思索で森羅万象を掴もうとするが、本質的にそれは 愚かな行為であることを、Kは指摘し続けたということに、もっと 注目してもらいたい。マインド、脳、思考、思想についても分別 が要るよ。
435 :
鯛焼きマン :2009/04/08(水) 12:52:07 0
ものすごい遅レス?気にしない。気にしない。
436 :
し :2009/04/08(水) 12:57:14 O
東京へは〜もう何度も行き増したね〜
437 :
考える名無しさん :2009/04/08(水) 12:58:09 O
道
438 :
6 :2009/04/08(水) 12:58:59 O
ろく
>>434 もうその意見の反復はいいよ。
思想も幻想もろくに定義せずにどのような意味で幻想か意味不明。
>>429 事実を知識として蓄えるのと、理解して身につけるのとでは
全く違いますね。「知っていると思ったら学ぶことを止めてしまう」
というのを理屈として知っていても、事実として理解しなければ
自分自身が学びをやめてしまったことに気づきません。
口ではもっともらしいことを言いながら、行動が伴わない人は
よくいます。自分でも、気がつけば知識のレベルに留まって
いた、ということはよくあります。
「知っていると思ったら学ぶことを止めてしまう」…これは言葉で
あって事実そのものではありません。言葉にこだわると、
学ぶことは良いことだ、学ぶのを止めるのはいけないことだ、
というルールが無意識に作られます。それがまた葛藤の
原因にもなりうるわけです。
それが事実であるか否かはどうでもいいことです。
事実なら事実だし、そうでないならそうでないのでしょう。
事実は誰の認証も必要としません。僕とあなたの意見が
食い違おうがどうしようが、事実は事実。そういうことです。
>>430 どういうことなのか全くわかりませんが、嘘を全身全霊で
演じても、嘘は嘘でしかないでしょう。その嘘がうまければ
誰かを感動させたり、感化したりできるんでしょうが、
よくご存知のように、そういう嘘は世の中にごまんと
溢れてますね。ていうか、人が感動したり感化されたり
するものはみんな嘘ですが。
あなたが何を重視するかしないかには関心ありません。
どうぞお好きなように。
>>432 観察者のいない観察を観察しているあなたは誰ですか?
443 :
考える名無しさん :2009/04/09(木) 00:14:59 0
>>440 あなたは何が言いたいわけ?
「もっともらしいことを言う」の典型みたいに見えるけど?
444 :
考える名無しさん :2009/04/09(木) 15:22:39 0
クリシュナムルティの言っていることは正しそうに見え、 彼には自分よりよく真実が見えているようだと読者は考えてしまう。 その結果、読者はクリシュナムルティの言葉を金科玉条のごとく受け入れ、 それに従おうとする。これはカルト宗教信者の「グル」崇拝と変わらない。 「クリシュナムルティの言葉を信じているのではなく、 彼の言葉を聴くことがきっかけとなって自分の眼で見た真実に従っているのだ」 と言いたがるが、多くの場合それがただの自己欺瞞であることは明らかだ。
ほぼすべての人間が自己欺瞞
>>443 >「もっともらしいことを言う」の典型みたいに見えるけど?
つまり「もっともらしい」発言に見えるってことでしょ?
もっともらしい発言すらできないものに、もっともらしい説明を
するのは問題ないとおもわれ。
447 :
考える名無しさん :2009/04/09(木) 16:20:53 0
>>440 事実は誰かにとっての事実であり、他者にとっては事実ではないこともありえる。
物の認知は常に客観的ではないし、定義すら動的に変わることすらある。
>>444 どうも定期的にこのような印象操作をする人が発生するなあ。
>クリシュナムルティの言っていることは正しそうに見え、彼には自分より
>よく真実が見えているようだと読者は考えてしまう。
これなんて大抵どんなもんにも当てはまる台詞だよね。
>読者はクリシュナムルティの言葉を金科玉条のごとく受け入れ、それに従おうとする。
なんて嘘だから。
あんなもんまともに実行できないじゃん。
いるなら頑張り屋さんのそいつに言おうね。
ご本人が誰も教えを生きなかったと嘆いて死んでるし彼の存命時の
アメリカの学生も「わかるけど実践は無理」と言っていたらしいじゃん。
>カルト宗教信者の「グル」崇拝と変わらない。
何て言ってるがカルトよく知らねぇだろ。
>「クリシュナムルティの言葉を信じているのではなく、彼の言葉を聴くことが
>きっかけとなって自分の眼で見た真実に従っているのだ」 と言いたがるが
なんて誰が言ってるの?いるならスレの該当レスに直接言えばいいじゃん。
別にどうでもいいけどね。
>多くの場合それがただの自己欺瞞であることは明らかだ。
そしてそんな印象論に過ぎない事例を一般化し批判的帰結を導くのはやめよーね。
私は、こういう哲学的なことに、最初に触れたのが、クリシュナムルティだった。 そのお陰で、変に悩んだ時に、グルとか教祖と言われる人たちに 盲目的に従うことがなくて助かったと思っている。 一歩間違えば、オウムやラジニーシなどの所に行ってしまうぐらい危ない時期があったので。
450 :
444 :2009/04/09(木) 20:15:32 0
だいぶご立腹のようで。 何で
>>444 で腹立つのかなあ?w
宗教教団の狂気的な面を批判するやり方は、科学主義を根拠にするパターンが多いと思うが、 クリちゃんは違う次元による批判だね。 無神論の今の社会で宗教に走る時、科学主義に対する疑いがある場合は、 科学理性主義による宗教団体批判は聞く耳持たなくなるけど、 クリちゃんに対してだったら少しは聞く耳持てるかもね。
>>450 なんで腹立てたと思ったの?
単に書き込みを淀ませるから突っ込んどいただけなんだけど。
>>443 何が言いたいのかわからないのに、それがなぜ「もっともらしいこと」
だとわかるのでしょう?支離滅裂だって言うならわかりますけど。
僕は文章として書いた以上の意味を含めているつもりはないです。
言葉どおりのもの以上でも、それ以下でもないつもりで書いてます。
読んでわからなければ、そうですかと言うほかありませんね。
僕の文章力か、あなたの読解力か、どっちかが足りないんでしょうw
>>447 あなたのおっしゃるとおりだと僕も思いますが、僕は客観的かつ
絶対的な事実があるというつもりはありません。事実の表現は
事実ではないというだけです。で、この言明もまた表現にすぎず、
事実そのものではありません。これは裏返せば絶対的な事実が
あるかのようにも受け取れますが、絶対的な事実があるという
言明もまた表現にすぎず、事実ではありません。事実を記述
することは不可能です。という言明もまた・・・エンドレスですね。
455 :
444 :2009/04/09(木) 22:27:07 0
Kの言説と、カルト的宗教の言説の類似点について述べて行きたい。 最初に目に付くのは、彼の言葉に耳を傾ける人の批判力を麻痺させてしまう巧みな 仕組みである。Kは、その著作や後援の最初の部分でくりかえし「今まで受けてきた 教育、偏見、性癖、抵抗などを捨てて自分の言葉を聴いてくれ」と述べる。 あるいは、「自分が言うことがあなたの意見や信念と対立する場合でも抵抗せずに ただ聞いてくれ」と言う。Kの本を読んだり公演を聞きに行く人の多くは、当然Kの言う ことを理解したいと思っているので、当然のようにKのこの指示に従おうとしてしまう。 しかし、批判的な思考を働かせずにただ人の言葉を聞くとき、それは一種の催眠状態の ようなもので、その中で人は自ずと言われている言葉を信じ、従ってしまうものである。 彼の言説に含まれるこの仕組みは、ある種のカルト団体で多用される「この団体やその 教えに対する批判(ネガティブな思考)に耳を傾けることは、この団体の教えがもたらす 精神の向上の妨げになる」という主張の、より洗練された形態とも見ることができる。
456 :
444 :2009/04/09(木) 22:58:11 0
Kが推奨するこの聞き方で彼の言葉に耳を傾けた信奉者は、Kの言うことが 自分の考えと矛盾しているときでも、「Kのその主張は間違っている」とは 考えなくなり、「私がKの言葉を正しく理解してないのだ」と考えるように なる。Kの信奉者たちのこの態度が、K以外の他人に向けられることはめった にない。彼らは他の人には多くの場合、「あなたのその考えは間違っている」 と言い、「私はあなたの考えを正しく理解していないようだ」とは言わない。 このダブルスタンダードを少しも変だと思わないことから、彼らにとってKが まさに「グル」となっていることが見て取れる。
私の理解の仕方と違いますね。私は彼の本から、 有名な誰某が、言ったからといって信じるな。と教わりましたね。 もちろん、クリシュナムルティが自分の言ってることを無批判に信じるな。 とも言ってたので、彼の本で理解できないところは保留した態度でいます。 そのお陰で、グルと呼ばれる人に依存するようなことにはなりませんでした。
>>455-456 熱弁させてしまったのは
>>448 を書いた私にも責任があるかもしれませんが
普段はROM専の私からしてそのような全体としての「印象」は特にございません。
私はカルト批判は宗教板くんだりで一々、定義をあげて色々、面倒臭い
引用をしてやっているのできちんとおやりになるならいいことかと
存じますが印象論の内は論敵に大した効果もなく対象を特定しない
一般化は嘲笑を招くだけであり社会的害悪を証明しない内は
「個人の趣味に口出しするな」
と言われるのが落ちかと思われますが本当に真剣におやりになるなら
お止めは致しませんので対効果を踏まえた上で奮闘して頂きたい。
私はKの信奉者などでもなく今まで彼の教えに関してここに書き込んだことは
ありませんでしたが
>>444 のご意見か的外れなのは置いておくとして熱く
語らせる何かがあなたの想定する「Kの信奉者」とやらにあるのでせう。
459 :
鯛焼きマン :2009/04/10(金) 01:01:09 0
>>444 はKコンプレックスにしか見えないな。
もちっと正直に口を使いなよ。
460 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 01:39:34 O
彼の本を最初に読むとしたら、何がオススメ? 対談形式ではない本を紹介して下さい。
461 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 10:04:01 0
「クリシュナムルティ」で検索すると、 ネット上で日本語訳の抜粋が読めるサイトが複数あるから、 それらを読んでみて、それから選んだらいいんじゃね
462 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 15:28:01 0
国内にクリシュナムルティの団体ってないの?
463 :
考える名無しさん :2009/04/11(土) 04:45:41 0
ジーンズの神様とかって自伝書いたじー様がやってたけど お亡くなりになって団体自体も消えた
464 :
考える名無しさん :2009/04/11(土) 14:50:22 0
そうなんですか ありがとうございます
465 :
考える名無しさん :2009/04/11(土) 15:10:56 0
読書会みたいなのだったら、インターネットで検索するといくつか出てくるよ。
466 :
考える名無しさん :2009/04/12(日) 06:04:34 0
>>434 久しぶりにこの板見たが。。
あんたは馬鹿か。
なにかを伝えようと思うなら、
もっと本気で言葉をつむげよ。
とりあえず、Kのボキャブラリーから離れていただけなければお話にならない。
あんたは友人にもそのような言葉しか使わないのかい。
自殺しようとする友人がいる。
あるいは殺人しようとする友人がいる。
そんなとき言葉しか頼るものがないとき、どんな言葉を用いるか。
言葉はいつだって、うすっぺらいもんだが、だからこそできる限り厳密であるべきだ。
あんたは歩みを止めている。
魂が熱い男だな。ちょっと森田健作入ってるのが気になるが。
468 :
考える名無しさん :2009/04/12(日) 06:43:41 0
言葉しか頼るものがないと考える辞典でもうあれ 本気で止める気があるなら殴るとか縛るとか通報するとかいくらでも方法がある
470 :
考える名無しさん :2009/04/12(日) 13:15:42 0
>>466 ここはクリシュナムルティのスレだから・・・
471 :
鯛焼きマン :2009/04/13(月) 01:45:43 0
こんな鯛焼きにも喰らいついいてくれるとは、何だかうれしいね。 私な自殺しようとする人にこう言う。 「考え直しなさい。苦しみは君じゃない。それはいつか過ぎ去る。」 殺人しようとする友人にはこう言う。 「考え直しなさい。憎しみは怒りは君じゃない。それに支配されないようにしなさい。」 それは私にとって真実であり、事実だ。言葉が薄っぺらいかどうかは、その口の主人が 人生において何を見出して来たかによる。思索の結果は限界点と境界を明確にするが 見出すことそのものにはなり得ない。
472 :
鯛焼きマン :2009/04/13(月) 01:47:25 0
473 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 02:34:23 0
他人がそんな表面的で綺麗な事を言って届くのでしょうか。疑問です。 自殺しそうな人には、お父さんお母さんご兄弟を呼んで、 おまえが大好きで大事なんだよ、あったかいごはんを作ってあげるから、 家に帰っておいで、仲良く暮らそうねと言わせるんですよ。 大事な存在だから、存在するだけでいいと家族に言わせるのです。
474 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 02:43:46 0
仏教を基本に学んでいるのですが
クリシュナムルティ氏にも興味があって
現在このサイトを読んでいます。
http://www7.ocn.ne.jp/~jkgyk/ 質問なのですがクリシュナムルティ氏は実践、訓練、体系、修練、課業をも否認されていますが
仏教では何もしないであるがままに観ることは難しいと考えているため
瞑想などを行います。そのためかここのところがよくわかりません。
これは禅宗での、禅とはすべてが禅で座禅だけが禅ではない
またそれらを行うさいも「ただやる」と特別なことをやっているわけでは
ないという考え方と同様のことなのでしょうか?
分るかたがいらっしゃったら教えてください。
>>474 その通りですが、Kは偶然にあるがままに観ることが出来るようになったらしいので
言っていることは分かるが実践は難しいという人が多いのだと思います。
インドには偶然に覚醒した人がいます。何が起こったかを知りたかったら
ラマナ・マハリシの本を読んで見てください。
476 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 14:47:13 0
>>474 Kの伝記を読めば起こるはずの瞑想を試みた形跡が見られる
講和や対談で述べたことがKの全てだとは思えない
477 :
凍らせた鯛焼きは夏にピッタリの巻 :2009/04/13(月) 18:36:45 0
>>473 他人かどうか関係ないと思う。
あなたの中の人は思いやりは家族や友人限定なのか?
私は誰もがいとおしい。鯛焼きは口を選ばないんだよ。
>>474 本質的な意味で瞑想はするものでなく、起こるものです。
そのための意図的なアプローチをKは否定しています。
これは正しい。けれども誰もKを模倣しろとは言ってません。
何が起こるかやってみることはできるでしょう。
私は瞑想することを他人に勧めません。
そういう類いのものでないから。つまりそういうことです。
春になれば花が咲く、花は意図的に何かをやったわけではない。
それが花のnatureだからです。瞑想も同じ。人はいつか咲いて
鯛焼きになって喰われる運命なのですな。
478 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 19:21:06 0
>>475 私にはクリシュナムルティ氏の言っていることに
老荘の無為自然に通じるものを感じています。
禅は老荘の影響を受けているので当然といえば当然ですが
しかし上記のことは私の勘違いかもしれませんが
少なくともクリシュナムルティ氏が
悟りや、あるがままを追い求めて何かにすがったり
特別なことをしても手に入れることはできませんと言っていることは理解できました。
レスありがとうございました。
>>476 インドのバラモン階層出身で、なお宗教団体の長まで勤めた人が
何もしなかったとは思っていませんでしたが
実践、訓練、体系、修練、課業を明確に否認しているので
どういう意図で否定しているのかと質問しました。
仰る通り対談、講和だけがクリシュナムルティのすべてはないと
考えると疑問が解決しました。レスありがとうございます。
多分、クリシュナムルティは青い鳥を追って旅に出た人々に
語っているのでしょうね。
479 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 19:31:17 0
クリシュナムルティの伝記とかよむと、もうオカルトてんこ盛りなんだよね。 そもそも、人間として生きていたクリシュナムルティと講話で語っている者が 同一人であるかどうかも怪しいという・・・。 クリシュナムルティ信者が、知識、信念、修行などに対する彼の厳しい批判を 受け入れな切れない言い訳を、彼の伝記から必死に探そうとしてる光景は かなり滑稽。
480 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 20:27:30 0
>>479 >人間として生きていたクリシュナムルティと講話で語っている者が
同一人であるかどうかも怪しいという・・・。
あーこれは当然の疑問ですね。まーしかしそれを言い出したら
仏典なんてもう疑いだらけになってしますので
自分が納得できるところだけもらっています。
クリシュナムルティは近代の仏教外の有名人みたいなので読んでみました。
>>477 そういう綺麗な建前を言いたいのではありません。
現実問題として述べたまでです。
現実に鯛焼きから「考え直しなさい。苦しみは君じゃない。それはいつか過ぎ去る。」
と言われても自殺しようとする人は止められないから、
そんな無駄な鯛焼きの自己満足よりも現実優先の方法を考えたのです。
482 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 20:33:46 0
仏典は最古のものでも仏陀の死後100年以上たって書かれたものだからしょうがないですが、 クリシュナムルティは現代の人で、直接の著作やビデオも残ってるんですよ。 それなのに、語ってんのが本人なのかそれとも憑いた神かなんかなのかってのは・・・。w
483 :
476 :2009/04/13(月) 22:25:30 0
>>474 禅とはすべてが禅で座禅だけが禅ではない
またそれらを行うさいも「ただやる」と特別なことをやっているわけでは
ないという考え方と同様のことなのでしょうか?
<
瞑想は起こるべきものであって、こちらから招きよせるものではない
瞑想は精神の遊びではなく、欲望や楽しみでもない
瞑想しようと試みること自体が瞑想を否定している
ただあなたが今考えていること、行為していることだけに気をとめていなさい
見ること聞くことは、報いも罪もない行為である
行為の技は、見方、聞き方にかかっている (Kの日記より)
食事をしているときに見守る、人々の言うことを聞いているとき、誰かが
あなたを傷つけるとき、あなたにお世辞を言うとき、それらを見守るのです
そのためには、常に機敏でなければなりません。見守るには非常に静謐な精神が
必要です。それが瞑想です。その全てが瞑想です。
(私は何も信じない ヴェンカテサーナンダとの対話より)
見つめることは脳に動きのない状態を意味する (恐怖なしに生きる)
精神は今、イメージ作りをやめることによってそれ自身の中味を空にすることができる〜
(私は何も信じない ニードルマン教授との対話)
>クリシュナムルティ氏は実践、訓練、体系、修練、課業をも否認されていますが
Kの説く瞑想とはイメージ作りが行われていない精神状態を見ることによって作り出そうとする
意図的な行為であると思う
最近、J.クリシュナムルティじゃなくて、U.G.クリシュナムルティって人の
ことをネットで知って、日本語訳されたのを読んでます。
U.G.クリシュナムルティ「悟りの神秘」
http://blog.livedoor.jp/u_g_k/ 最終的に言おうとしてることはJ.K.と同じなんだろうけど、
J.K.より宗教色が削ぎ落とされた感じの表現にハマっています。
悟りとか覚醒に辿り着く道や方法はない、ていうか悟りとか覚醒
自体が作り事で、瞑想や修行には全く意味がないということ
なんですが、この人もJ.K.も、覚醒するまではいろんな修行やら
何やらをやっていたわけで、覚醒と修行の間に因果関係がない
と言われても、覚醒してない人間から見ると因果関係があるとしか
思えないですよね。
それでも覚醒した人は、その意識状態が因果を超越してると
言い張るので、そこがわけわからんところです。まぁそれが
わかったらもう悟ってるということなんだろうけど。
485 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 22:29:56 0
凡人にはそれが意図的行為に見えるんだろうな。
486 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 23:04:31 0
> Kの説く瞑想とはイメージ作りが行われていない精神状態を見ること > によって作り出そうとする意図的な行為であると思う で、あなたはその精神状態を作り出せたのかね?
487 :
476 :2009/04/13(月) 23:31:31 0
>あなたはその精神状態を作り出せたのかね? 見ているとき、誰にでも(あなたでも)その精神状態は作り出されているはずだ それを永続させるには道のりは長いと思うが
488 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 00:16:41 0
悟りとは自意識の究極的高みのことである。
僕の推測。 座禅や瞑想は意地悪な性格や不安が強い人がやると上手くいかない。 意地悪な性格や不安が強い性格は遺伝によるところが大きい。 そのような人とは違い、クリシュナムルティは生まれつき性格が良かった。 性格が良い子が道徳的な精神性の高い環境に育って、不自然ではない形で瞑想的な精神性をもつに至った。 という事ではないかな。
490 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 09:56:34 0
クリシュナムルティは前世でさんざん修行してきたから、 現世で受けた悪影響が取り除かれさえすればただちに、 生来の精神があらわれてきたんだろう、なんて言う人もいる。
491 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 10:32:11 O
思考を終わらせるのって別に難しくないよね? 自我は難しいけど。
492 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 11:20:51 0
一つの思考を他の思考に置き換えて前者を終わらせるのは簡単だが、 「思考を終わらせる」のは十分難しいと思うが。 思考を終わらせようという思考に基づいていてはできないし。
493 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 11:56:27 O
>>492 私は思考の渦が全く生まれなくなって、頭の中が常にシーンとしてる。
思考しようと思えばできる。
ただ、この状態もまだまだ覚醒への過程に過ぎないと思うんだけど、この先の道筋が全く想像がつかない。
これ以上すかすかになっていくのかな…という感じです。
>>484 そいつ、とんだ食わせ物だと思うよ。
クリシュナムルティをニーチェ的に焼き直したバージョン。
悟り等神秘的物言いを否定する割に両性具有になったとか苦から
解放されたとかクンダリーニ覚醒で大変なことになったとか
いった内容の与太話を並べる。
ヒンドゥー教の伝統を否定するふりをしながら自分には伝統と同じものが
起こったと主張する。
そいつの反抗はポーズで主張は伝統宗教やクリシュナムルティの劣化コピーで
体験談は嘘だと思う。
カルトにいた人やオカルトマニアがなぜかそいつを昔、絶賛していたから
それ系の人を引き付ける何かがそいつの語りにあるのかと思っていたが
マーケティング対象としてそれ系の人を選んでわざと彼らに好まれそうな
話、ポーズとしての伝統否定、極端な断定をしていたんではないかと思う。
495 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 22:59:35 0
>>493 あなたの頭の中で起こってることは私には分からん。ともあれ、
私を含め普通の人にとって思考を終わらせることは簡単ではないと思う。
496 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 23:07:19 0
>>491 クリシュナムルティの話によれば、
思考が存在しないときには自我も存在しないんでなかったか?
497 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 23:45:37 0
>クリシュナムルティをニーチェ的に焼き直したバージョン >マーケティング対象として この業界も頑張ってるんだな。
498 :
凍らせた鯛焼きは夏にピッタリの巻 :2009/04/15(水) 12:30:46 0
>>481 現実優先というのなら、他者の選択を誰も強制できないと
言う現実を、あなたは受け入れるべきではなかろうか。
家族として友人として、語りかけ、感情的に説得することは
できるが、本人が自身の手をロープを掴んで首を入れるか、
出刃包丁を握るかは、本人の選択であり、他人が強いることは
できない。これが現実だよ。
我々は現実を見てない---これもKが指摘しつづけたとても重要な
テーマだね。Kは何と言っていたかな。
>>494 うん、まぁそうかもしれないけど、僕はこの人の身に起きた現象が
本当かどうか、それが悟りを開いた証拠なのかどうかは別にどうでも
いいんですよ。どのみち、J.K.も含めて悟った人が本物かどうかなんて
僕ら常人にはわからないわけだし。
U.G.K.がJ.K.のニーチェ的劣化コピーであったとしても、僕はニーチェを
読んだことがありませんし、J.K.こそが本物だと思っているわけでも
ないので、特に問題はないです。肝心なのは僕が何を感じるか
であって、それを書いてる人が誰なのかは気にしません。
極端に言えば、ある文章を書いてる人間がJ.K.であろうとゲーデルで
あろうと、麻原彰晃だろうとDQNの兄ちゃんであろうと、その文章を
読むことで自我の隠された部分が暴かれるなら、それは僕にとって
価値ある言葉なわけです。少なくともその瞬間には。
かつて、クリシュナムルティにかなり傾倒していた僕は、それが
J.K.の説くところに反すると理屈では知っていながら、ほとんど彼の
信者でした。そのJ.K.を「テントで話をする道化」と評するU.G.K.の
言葉は、僕の無意識に隠れていた「J.K.信者」な部分にショックを
与えました。
意識的にはJ.K.信者を卒業していたつもりの僕でしたが、この
ショックが、自我に隠れていたJ.K.依存を暴きました。それで、
いろいろと精神的に身軽になったし、壁が崩れて見通しが
良くなった気がしています。
>>493 シーンとしてるのを認識してるのは誰ですか?
また、思考しようと「思う」のはどんなタイミングで?
そのとき「思考しよう」と「思考する」実体は何ですか?
501 :
考える名無しさん :2009/04/16(木) 00:59:48 0
思考をやめると廃人になるJK
502 :
考える名無しさん :2009/04/16(木) 10:59:37 0
U.G.K.って、ネットで見ただけだけど、
たしかにJ.K.の劣化コピーという印象があるなあ。
>>499 さんにショックを与えた言葉って、
ネット上で読める?
>>500 もちろん「意識」だと思いますよ。
エックハルト・トールの著書でも読んでみては
>>502 >
>>499 さんにショックを与えた言葉って、
ネット上で読める?
>>484 に書いたURLがそれです。
僕はショックを受けましたが、502さんが同じように
感じるかどうかはわかりませんよ。J.K.の劣化コピー
だと思いながら読むと、何もショックは受けないと
思いますけど。
>>503 もちろん意識なんですか。なるほど。
あなたにとっては意識と思考は別物なんですね。
意識と思考が別物だという認識はどこに根拠が
あるんでしょうか?エックハルト・トールがどう
言ってるかは別として、あなたはどう思われますか?
506 :
考える名無しさん :2009/04/16(木) 21:46:14 0
>>504 素晴らしいものだという先入観をもって読めば素晴らしく、
下らないものだという先入観をもって読めばくだらないわけですか?
それじゃ、単なるプラシーボ効果じゃないですか。
>>484 にはかなり大量のテキストが含まれているようなので、
できれば、「隠れていたJ.K.依存を暴く」の箇所の例を教えてくれませんか?
何の先入観もなかったけどU.Gは元ネタがわかるのでげんなりしてしまう。
>>506 意地悪で言うわけじゃないんですが、僕がJ.K.依存を暴かれた
箇所をあなたに教えたとして、あなたがそのつもりでその文章を
読むと、そこにプラシーボ効果的なものが介在するのじゃない
でしょうか?
僕はたまたまその部分に感じるものがありました。それは
僕が今置かれている実生活の状況、心理状態、ものごとの
理解度によって感じたものであって、あなたが僕と同じように
感じる保証はどこにもありません。たぶん何も感じない
でしょうし、何も暴かれないでしょう。
もしあなたが、自我の隠れた何かが暴かれることを期待している
とするなら、その期待が自我の暴露を妨げることは言うまでも
ありません。その期待には、暴露されることでより自由になり、
理解を深め、覚醒に近づこうとする自我の欲求が含まれて
いるからです。
まぁ偉そうなこと書いてすいませんが、訳文だけをまとめた
記事が「第○章 まとめ」というタイトルで載ってますから、
そこを読めば早いですよ。読むのが面倒なら読まないほうが
いいです。そこまでして読む価値はありませんよ。
>>507 元ネタがわかるというのも一種の先入観ではなかろうか。
読みながら元ネタと比較する。比較することで、元ネタも
U.G.も理解しないままげんなりして終わる。よくあることです。
そもそも、記述されたものは全て何かのコピーなわけで、
それ自体がオリジナルではないから、誰が何を書いて
いようが、本当の意味でオリジナルなものはどこにもない。
>>508 あなたにとって利するものがあったならいいジャマイカ。
馬鹿にしてたテロリストの言葉に感動したり小学生のアホな作文に感動したり
黒人ラッパーの稚拙な主張の熱っぽさに感動したり俺も色々ある。
>>509 なんつったらいいか彼の意図がなんか透けて見えて非常に残念な思いに
なるんだよ。
彼が元ネタ(主に古代バラモン哲学唯物主義)に敬意を払っていたら
俺もまあいいかと思えるが彼のやっていることはありふれた類型的議論を
する割に自分は独自でありオリジナリティにあふれていると主張する。
もうなんだか哀しくなる。
JKの類推で論じられたら激昂したなんてエピソードを見たり
彼のヒステリックな立ち居振る舞いを見ていたら言葉を実存が裏切っている
としか思えんのよ。
>そもそも、記述されたものは全て何かのコピーなわけで、
>それ自体がオリジナルではないから、誰が何を書いて
>いようが、本当の意味でオリジナルなものはどこにもない。
なんて感じは彼にはなくて他人は全否定する割りに自分は正しいと
するじゃん。
まぁ生理的嫌悪だね。詰まる所。
彼の言う生理的現象だけで説明がつくほど意識は単純なものじゃないしね。
>U.G.も理解しないままげんなりして終わる。よくあることです。 よくはないだろw
513 :
考える名無しさん :2009/04/17(金) 00:48:05 0
>>511 古代バラモン哲学唯物主義のことは全然知らないんだが、U.G.Kと言う人は
自分が考えてこしらえあげた脚本の主役を自分で演じている人に見えるね。
515 :
考える名無しさん :2009/04/17(金) 10:55:22 0
愛のむきだし
>>515 エロの哲学。新宿K's-CINEMAで絶賛上映中。
でも今週いっぱいくらいだから見るなら走れ。
517 :
遅レスその2 :2009/04/18(土) 02:10:41 0
>>471 鯛焼きどの。
それはちがうよ。
もし、自殺するものが近い人なら、いっしょに死ぬ。
もし、殺人にかられるものが近い人なら、黙って手を貸す。
報いをいっしょに受けてあげるんだ。
それくらいの覚悟を持ってくれる人が、
ひとりかふたりくらいはいてもいいだろう。と思うのだが。
遅い!のは、まじ忙しいからだw
クリシュナムルティの言いたかった事は、思想や宗教や瞑想がもつ欺瞞性の指摘であり、 根源的な真理とはかけ離れているという事である。
519 :
考える名無しさん :2009/04/18(土) 11:54:44 0
ふむふむ。で、
>>518 の言いたかったことは何だね?w
520 :
鯛焼きマシーン2号 :2009/04/18(土) 13:10:04 0
>>517 仕事乙。
「私はあなたのことが分かる」というのはある種欺瞞ではないか?
もしだれか自殺したいという人の報いをいっしょに受けたいと思うなら、
そこに働く心理は何だろう。その人のためでなく、自分の理想のため、
ではなかろうか?そうしたとき、そこに欺瞞があるのは明白だと思うが。
さらに言えば、死ねば楽になる、または誰かを殺せば自分は楽になれる、
こういう思いそのものが欺瞞であり、まさに思考そのものの動きだ。
ある動議があって、行為があって、後からその行為の正当化があり、
それを端から見ている人の欺瞞の共鳴があり、それが戯曲化され伝統
となり、彼らは英雄となり.... そういうわけで誰かが最初に始めた幻想
と欺瞞のせいで世界は混乱している。ように私には見える。
そのような幻想と欺瞞の雲が、我々の頭上に黒い雲のように覆いかぶさ
っている。わたしは常に、何が私たちを曇らせているかについて意識
しよとしている。
>>520 そりゃあくまで、そういう場合もあるって一例だよね。
方便としても余りにも単純化されていてサティしてる人みたいだよ。
自殺、心中の動機は色々な要因があると思うし内的動きも微妙なものでしょ。
あなたがあなたを洞察しあなたの場合はそうだと言ってるのならわかる。
522 :
凍らせた鯛焼きは夏にピッタリの巻 :2009/04/18(土) 19:41:43 0
>自殺、心中の動機は色々な要因があると思うし内的動きも微妙なものでしょ。 心の動機の瑣末な動きをいちいちときほぐすつもりか? それはゴミをひっくり返していちいち調べてきれいにする のと同じだ。色々な要因はあるだろう。だけどゴミはゴミだ。 中身を確認する必要はない。ゴミなら捨てる。 ゴミをゴミとして見る。そうすれば後はすべきことをするだろう。 ゴミに関わると6なことはない。ポイントは対象ではなく自らの認識だ。 サティが何か知らないがそんな言葉使わなくてもいいんじゃないの。
さっき、川原でやった六尺兄貴凄かったです!ガチムチの色黒兄貴がオッス連呼で 張型ケツにぶちこまれ腰振ってました。俺もくわえさせられて浣腸食らい無様に 排便さらしました。バリカン出されたときは一瞬引いたけど、兄貴の「いやなら 止めていいんだぜ!」の一言で覚悟決め、生まれて初めて丸刈りになりました。そ の後、脇・チンゲも刈られてビンビンのマラ、思いっきりしごかれ派手にガチムチ 兄貴の顔に飛ばしました。スッゲー男らしく気持ちよかったです。また行くとき カキコして下さい!帰ってから丸刈りの頭見て、また感じまくってます!
>>522 あなたが最初に書いたことがゴミそのものの個人的観察結果に見えたから言ったのだが。
あれは意見だろ?
あえてサティと言ったのは一々、言語化してラベリングしてあなたの言う
捨てるべき意識を言語化すると解放されると信じる一派がいてあなたの
書いている自殺に対する一方的見解が彼らのやっている作業に似ている
ように思えたからだ。パターン化。
あなたの言うとおり、私やあなたの自殺に対する意見や概念はどうだっていい。
捨てるべきだろ。
>>511 そうですねぇ、お気持ちはわからなくもないですが、僕の場合は
>>499 でも書いたように、U.G.自身がどういう人間かはほんとに
どうでもよくて、書かれた文章の内容から自分が何を
感じるか、何をひらめくかが重要なんです。
フィクションであろうがノンフィクションであろうが、
表現された何かを見ることで人は感動したり何かを
感じたりしますよね。作者がどんな人間かなんて
知らなくても構わないんです。実際、自分が感動した
小説や映画を作った人がどんな人間かなんて知ってる
人はほとんどいないですよね。せいぜい、メディアを通した
人間像しか知りません。その人間像が事実かどうか、
確認のしようもありません。
あるノンフィクション小説を読んで、僕がそこから何かを
受け取ったとする。それで自分の中の何かに気づかされた。
心が軽くなった。で、その小説を書いた人が実は犯罪者で、
小説はフィクションだった。それがどうしたの?ということです。
そんなの関係ねぇ、です。
何かを表現した人間と、表現されたものは僕にとって
全然別物なんです。そういう考え方です。むしろ、表現者が
どういう人間かを気にするほうが不思議です。
源氏物語を読んで感動しても、紫式部がどんな人間だったか、
誰も知らないわけでしょう?本当に紫式部という人間が書いたか
どうかも怪しいって説もあるくらいですから。なんで書いた人間を
気にするんでしょうね。
526 :
遅レスその2 :2009/04/19(日) 00:25:29 0
>>520 自己欺瞞に関しては、「はい、自己欺瞞です」で事足りると思う。
興味がない。どっちでもいいというのがおれの考えだ。
欺瞞あばきが、ゲームのひとつになっちゃってるから、おれは嫌いなのだ。
血も肉もそこにはない。それはもう死んでいるものだ。
欺瞞をあばくことには、もうなんの真理も正義もない。
不思議なことに、真理は誰かが表現して、
みなが認知することによって、ゲーム化され、急に死んでしまう。
それはKの教えとて例外ではない。
そのことをKはあらかじめ予告していたから、Kはすごいのだ。
Kの言葉もまた、表現され、認知され、ゲーム化された今はもう死んでいる。
だから、欺瞞か否かに興味がない。欺瞞でいいと思っている。
「ゴミはゴミ」。これはおれにとっては最悪の言葉だ。
おれはこのような言葉にふかく傷つくよ。
それは抽象精神がやる、もっとも下劣な「事象の同質化」というやつで、
そいつの正体は怠惰だ。
>>525 こういう業界でろくすっぽ言葉を生きず他人を批判ばかりしてる
奴は単なるクズだと思うしU.Gの議論がありふれてて、いい加減
なのはいいとして
>書かれた文章の内容から自分が何を感じるか、何をひらめくかが重要なんです
と詩的に消費しているならとりあえず、いいのではないか。
>麻原彰晃だろうとDQNの兄ちゃんであろうと
>自我の隠された部分が暴かれるなら、それは僕にとって
>価値ある言葉なわけです。
という価値観なわけだしね。
インスピレーションときたらバロウズみたいなのがいいね。
ゴミを潔くゴミとして書ききってしまう。
エロ小説をたまに書いてネットで流しているが汗、汁、血などの陳腐な
キーワードで他人をいかに勃起させるかが重要なわけでそこには意味も
何もあったもんじゃないが、ガラクタはガラクタとして提示することで
男子たちはガラクタとしての側面を自覚しジャンクな精液を排泄し
「仕事中なのに便所でしこってしまった」
「変態野郎、俺の精子をかえせ」
「いつもありがとうございます」
云々の反応を見てそこに一遍のきらめきが生まれたことを実感し
私はほくそ笑むわけだ。
528 :
考える名無しさん :2009/04/19(日) 10:48:06 0
>>525 小説のような最初からフィクションとして提示されているものに関しては、
読んで面白ければそれでいいでしょうが、新聞記事や社会問題の調査報告の
ようなものであれば、普通は違う受け取り方をしますよね。
私は、Kの本を一人称体で書かれた小説として読んではいませんし、
その中の「私」をフィクションの中の登場人物として受け取ってもいません。
もし、Kの本の中の「私」が誰かの想像力が作り出した虚像だと分かったら、
私はもうKの本は読まないでしょう。
さっき、川原でやった六尺兄貴凄かったです!ガチムチの色黒兄貴がオッス連呼で 張型ケツにぶちこまれ腰振ってました。俺もくわえさせられて浣腸食らい無様に 排便さらしました。バリカン出されたときは一瞬引いたけど、兄貴の「いやなら 止めていいんだぜ!」の一言で覚悟決め、生まれて初めて丸刈りになりました。そ の後、脇・チンゲも刈られてビンビンのマラ、思いっきりしごかれ派手にガチムチ 兄貴の顔に飛ばしました。スッゲー男らしく気持ちよかったです。また行くとき カキコして下さい!帰ってから丸刈りの頭見て、また感じまくってます!
530 :
鯛焼きマシーン2号 :2009/04/19(日) 22:06:26 0
>>524 言語化することをサティというのか?
昔ヴィパサナをしてたとき、思い浮かぶことを2回繰り返しなさい
とか言われたたがそのことかね。
>>526 >欺瞞をあばくことには、もうなんの真理も正義もない。
真理も正義も私は求めてないのだが。おそらく誰も求めてないだろう。
欺瞞はあばくのではなく、本人自ら認識すべきものだ。
変わらなければならないのは、自殺しようとしたり、人殺しをしようと
したりする人々であり、彼らの欺瞞を暴くことじゃない。たとえ暴いて
指摘したところで、彼らは納得しないだろう。誰かに認識を与えること
は誰もできない。まわりの人は彼らの認識を待ち、温かく見守ることしか
できないだろう。けれどもそれが友情や愛というものではないだろうか。
>Kの言葉もまた、表現され、認知され、
>ゲーム化された今はもう死んでいる。
あぁそう。君が死んでるだけじゃないの?
>おれはこのような言葉にふかく傷つくよ。
それはある意味いいことだ。もっと傷つきなさい。欺瞞から目覚め始める
ときは皆そんなだ。
>>527 僕の中では、記述されたものは全てフィクションという扱いですから。
書いてる人の人間性が問題にされるのは、書かれたものを信じて
いいのかどうかを問題にしているからです。その人が信頼に足る
人物であるなら、書いたものも信頼できるだろう、という論理だと
思います。
で、書かれたものを信じていいかどうかが問題になるのは、
その内容を根本的には理解しないからです。内容を理解すれば
信じるかどうかという問題は起きません。算数の足し算を理解して
いれば、1たす1は2だ!という記述を信じるかどうかは問題に
なりません。真理だとかそういうものについても、ただちょっと
記述が複雑になるだけで、根本的には同じことです。
真理が記述できないことを理解していれば、記述されたものを
信じるかどうかという問題は起きないわけです。で、「真理は
記述できない」というのもまた記述であり、これもまた信じるか
否かという問題の範疇にありません。問題は理解するかどうかです。
>ガラクタはガラクタとして提示することで男子たちはガラクタと
しての側面を自覚しジャンクな精液を排泄し
U.G.もJ.K.も、つまるところガラクタです。エロ小説を読んでも
セックスしてることにはならないのと同様に、U.G.やJ.K.を
読んでも真理に触れたことにはならない。僕のこの文章も
また然りです。それを理解せずに、だれが真実を語っているか
なんて議論は全くの無意味だと思っています。
533 :
考える名無しさん :2009/04/20(月) 00:07:38 0
>>531 私は最初からフィクションとして提示されているものと、
事実を述べようとしているもの、そう見せかけているものは区別します。
「真理が記述できない」ことは、味噌も糞も同じに扱う理由にはなりませんから。
>>525 は「書かれた文章の内容から自分が何を感じるか」だけが重要だから、
書き手がどんな人でも関係ないと言い、
>>531 は自分は「内容を根本的に理解」して
いるから信じる必要もなく、それゆえ書いている人の人間性は関係ないと言う。
「内容」というのは、書かれている内容のことではなく、それを読んだあなたが
感じていることの内容ですか? それとも
>>525 と
>>531 は別人の発言ですか?
534 :
考える名無しさん :2009/04/20(月) 00:17:01 0
>>532 その点については、基本的に
>>531 の言うとおりです。
私には、しばしばKの言っていることの内容が理解できない、
Kを信じ、そこに理解すべきものがあると思うから読むのであり、
そこにあるのが捏造されたものだと思えば、読む気も失せます。
535 :
遅レスその2 :2009/04/20(月) 00:59:15 0
>>530 んー、、、
ぜんはんはともかくとして、
後半みたいになげやりな言葉使うなら、もういいよ。
ただの個人攻撃になっちゃってんじゃんw
でもなかなか巧妙でおもしろい。
それなら、おれはもっとストレートに言うよ。
鯛焼きよ、
死ね。
536 :
凍らせた鯛焼きは夏にピッタリの巻 :2009/04/20(月) 11:15:32 0
>>535 たぶんメンヘル板に逝った方がいいね。
哲学やKは満たされないもののための言い訳じゃない。
537 :
考える名無しさん :2009/04/20(月) 11:33:54 0
満たされないもののための言い訳? 「あのブドウは酸っぱいんだ」って奴か。 Kの言葉は、結構使えるな。 望みをかなえるために努力しない言い訳とか、 きちんとものを考えない言い訳とか。
>>533 >>525 と
>>531 ともに僕です。
「真理が記述できない」ことがなぜ味噌もクソも同様に扱う
理由になるのか述べてみましょうか。
絵に描いた餅という言葉がありますが、絵に描いた餅は
写実的に描こうが、適当に描こうが、食べられないという
意味で同じです。餅の絵を僕が描こうがゴーギャンが
描こうが同じです。餅を忠実に写せる写真であっても
食べられないものは食べられません。食べられない
餅でお腹は膨れません。そういう意味です。
>
>>525 は「書かれた文章の内容から自分が何を感じるか」だけが重要だから、
>書き手がどんな人でも関係ないと言い、
>>531 は自分は「内容を根本的に理解」して
>いるから信じる必要もなく、それゆえ書いている人の人間性は関係ないと言う。
何か矛盾がありますか?僕の中では全く矛盾してませんが。
両方ともアリですが。あなたの中では矛盾してるようですね。
ま、それはそれで仕方ないんじゃないですか。
>>534 新聞記事や社会問題の調査報告もよく捏造されてますよね。
赤の他人の不幸から人類全体の不幸まで、そういう情報が
あなたの人生にどう関係するんでしょうか?しょせんそれらは
情報でしかありません。
あなたがKを信じたいならそうすればいいんじゃないですか。
誰もそれを妨げたりしませんよ。Kの言葉を信じるなと言っても
あなたが信じることを止められるわけじゃなし。
ある言葉、文章が事実かどうかということと、その中身を理解するか
どうかは別の問題です。真実なら真実として理解し、嘘なら嘘として
理解する。それだけのことです。信じるかどうかが問題になるのは
それを理解しないときです。
理解できないならできないでいいし、理解したいならできるまで
読めばいいんじゃないですか。ただ、信じた時点で理解は止みますが。
540 :
考える名無しさん :2009/04/21(火) 00:25:20 0
>>538 どうもあなたの言うことは分からない。真理と真理の記述は別物でしょうが、
だからといって「いかなる記述も真でも偽でもないし、何を言っても本当でも
なく嘘でもない」ということにはならないでしょ。
>>525 の考え方と言うのは、重要なのはそれを読んだ自分が何を感じたかであって、
作者が何を考えて書いたかなど関係ないってことじゃなかったんですか?
そういう読み方であればたしかに書かれていることの真偽は関係ないでしょうし、
信じるか信じないかという問題が生じないのは分かります。しかし、その場合、
「理解する」と「理解しない」の違いなんて意味があるんですか?
普通に考えて、自分がすでに知っていることし書かれていない本など誰も読みは
しません。本を読むとすれば、それはそこに自分が知らないことが書かれている
からであり、知らないのだから真偽の判定もできません。たとえば、「受動的
観察によって恐怖が完全に消滅する」と書かれているのを読んだ私は、それが
どういう意味なのか、真実なのか間違っているか分からないので、それを自分で
確かめて見ようと思うわけですが、それは私がKを信頼しているからです。
誰かが「この修行をすれば空中浮揚ができる」と書いていても、私はまったく
それを信じていないので、真偽を確かめて見ようとも思いません。
できないこと
541 :
考える名無しさん :2009/04/21(火) 00:50:47 0
>>539 > 信じた時点で理解は止みますが
どうしてですか? そんなことはないと思いますが。
542 :
考える名無しさん :2009/04/21(火) 23:14:25 O
>>540 たぶん、理解とか信じるとか、単語の意味がお互いに食い違ってるんでしょう。
「いかなる記述も真でも偽でもないし、何を言っても本当でもなく嘘でもない」
というのはちょっと違います。真理とその記述は別物だという意味で、
いかなる記述も偽であり、嘘です。
作者が何を考えて書いたかは関係あるでしょう。考えたことを文章にしてる
わけですから。内容を理解しなかったら、何かを感じることはないですよね。
知らないことは真偽の判定ができない。Kはあなたが知らないことを
書いている。つまりKが書いていることの真偽は判定できない。ではなぜ
Kのことを信頼できるのですか?あなたが事の真偽を確かめるのに、
Kに対する信頼が必要でしょうか?確かめてみて、恐怖が消滅して
初めて、Kを信頼できるんじゃないですか?
空中浮揚ができるという修行を信じて、真剣にやる人もたぶんいるでしょう。
彼は恐怖が消滅することを信じないかもしれないし、そんなことに全く
興味を示さないかもしれない。その彼とあなたに違いがあるとは思えません
もしかしたら、彼は空中浮揚を目の当たりにしたかもしれない。それが
トリックであっても。だとすると、彼が修行に打ち込むのは、あなたが
恐怖の消滅に取り組むより自然じゃないですか?恐怖の消滅は
誰も見本を示すことができないんですから。
もっと簡単に言いましょうか。あなたは今までに、それまであなたが
知らなかったことや理解できなかったことを学習するために様々な
本を読んできたでしょう。その全てについて、あなたはイチイチ
その著者が信頼できるかどうか、どんな人間かを気にしていましたか?
543 :
考える名無しさん :2009/04/21(火) 23:33:53 O
>>541 信じるということは、言い換えれば疑わないことでしょう?
Kが言うことを疑わないということは、その言葉が本当かどうか
検証せず、うのみにするということです。理解するとは、
うのみにしたり、信じ込んだりすることではなく、消化する
ことです。理解すれば、信じる必要はなくなります。
前に書いたこととかぶりますが、算数の足し算を理解していれば、
1たす1は2だ!という記述を信じる必要はありません。
理解している人間にとって、それは当たり前のことですから。
受動的な観察によって恐怖が消滅するという記述の意味を
理解している人間にとって、それは当たり前のことですから、
わざわざ信じる必要はないんじゃないですか。
544 :
考える名無しさん :2009/04/21(火) 23:44:11 0
>>543 信じることは疑わないことじゃないですよ。むしろ、逆でしょ?
それと、受動的な観察によって恐怖が根本的に消滅するという記述の意味を
理解している人間というのは、自らそれを経験し恐怖から自由になった人の
ことですか? そういう人たちは別にKの言葉を読む必要ないでしょ。
私はそうでないので、Kの言っていることに興味があるわけなんですが。
545 :
考える名無しさん :2009/04/21(火) 23:56:21 0
>>542 記述されている事柄と記述が別物であることは、
その記述が真であることを妨げないと思いますが。
「云々のことが起こった」という記述とそれが記述している
出来事は当然別物ですが、だからといってその記述がつねに偽になる
訳はないでしょ。
それと、真偽が判定できないのになぜ信頼できるかというのも、
まったく理解に苦しむ問いです。むしろ逆に、真偽が自分で判定できる
ことについては、信頼できるかどうかは問題になりません。
私は、子供のときは別にして、読む本についてはその著者が信頼できる
かどうかは常に考えてますよ。当たり前のことだと思いますが。
まだインスピレーション厨が駄々こねてるの? もういい加減スルーしろよ。
547 :
考える名無しさん :2009/04/22(水) 22:43:57 O
>>544 信じることは疑わないことじゃなくてむしろ逆?
ということは、信じることは疑うことなんですか?
僕は「信じる」と「疑う」は対義語だと思いますが。
チンプンカンプンです。
「受動的な観察によって恐怖が消滅する」という
記述の中に、それを経験して恐怖から自由になる
主体は含まれていません。恐怖から自由になると
いう経験を望んでいる自我は自由を経験できません。
548 :
考える名無しさん :2009/04/22(水) 23:13:20 O
>>545 「真理とその記述は別物だという意味で」と書いた意味が
伝わらなかったみたいですね。説明不足でした。
記述、あるいは言葉、思考の範囲内では、確かに真偽は
あるでしょう。僕がここに文字を打っているという記述は、
言葉のレベルでは真です。ですがそれはあくまで言葉の
レベルでのこと。言葉は事象のコピーであり、事象そのもの
ではないので、事象=真、言葉=偽ということです。
そういうわけで、全ての言葉、全ての記述、全ての思考は
偽であると言っているのです。
真偽が自分で判定できることについては、信頼できるか
どうかは問題にならない、そうですよね。僕は今までの
レスで繰り返しそのことを言ってます。だから、なぜKを
信頼する必要があるのかと聞いています。言い換えれば、
なぜあなたはKの言葉の真偽を自分で判定しないのかと
聞いているのです。
質問を変えてみましょうか。あなたは何を根拠にKを信頼
しているのですか?Kだけでなく、あなたが今まで読んだ
本の著者でもいいですが、信頼するに足るとした根拠は
なんでしょうか?
549 :
考える名無しさん :2009/04/22(水) 23:51:29 0
>>548 あなたはKの言葉を読むや否や、すべて、自分で真偽が判定できるんですか?
そりゃ、大変結構なことですが、Kの言っていることで私には真とも偽とも
判断できないことはたくさんあります。別に自分で判定することを放棄して
いるわけではなく、事実として今のところ判断できないというだけですが。
著者が信頼できるかどうかの判断は、当然ことながら、不確実な、
誤り得るものです。場合によっては、それは単なる賭けでしかありません。
本の内容や書き方から直観的に感じ取れるものもありますが、
自分が知らない分野のことについては、そうした直観もあまり当てにならないので、
著者の経歴や資格、自分よりもその分野に詳しそうな他の人の評価を参考にする
場合もあります。(この手のやり方は、Kなどの場合にはできませんが。)
ごく当たり前に誰でもしていることだと思いますよ。
550 :
考える名無しさん :2009/04/23(木) 21:45:36 O
>>549 なるほど、そうですか。なんとなく、このまま話を続けても
無意味だとわかった気がします。あなたをバカにしている
わけではないので誤解なきよう。根本的に、思考の基点と
でもいうべきものが違うという意味です。
あなたはごくマトモな常識人だと思います。
ヘンな話につき合わせてすみませんでした。
『大師のみ足のもとに』は偽書でしょうか?
偽書と一部で言われてる。リードと文体がそっくりとか色々。 リードは悪い噂もあるが一部の知識は結構、確か。 好きか嫌いかは別問題。
クリシュナムルティが書く ↓ リードビーターに見せる ↓ リードビーターがそれを神智学協会の会報かなんか(?)に 載せるにあたり間違えがないかマスター・クートフーミに見せる ↓ マスター・クートフーミがマイトレーヤに見せる ↓ マイトレーヤが本にするようにいう ↓ 『大師のみ足のもとに』出版 ↓ 現在でも世界中で売られている (終)
マスター・クートフーミのフルネームって クート・フーミ・ラル・シン(Koot Hoomi Lal Singh)で合ってますか?
本人は若い頃に書いた本やマスターの存在について聞かれて そんなしょーもないこと気にするぐらいなら破り捨てちゃえ と答えているね。
私は悟りました。 クリちゃんのハゲ隠しヘアの写真を見た瞬間に。 そして彼は動物も飼っていました。
557 :
考える名無しさん :2009/05/02(土) 14:57:58 0
動物って、何? ヌコ?
558 :
考える名無しさん :2009/05/09(土) 23:51:25 0
あの髪形さえなければ完ぺきなんだけどな・・・
559 :
考える名無しさん :2009/05/11(月) 12:38:26 0
34 名前: 神も仏も名無しさん Mail: 投稿日: 2009/05/08(金) 11:20:44 ID: U89MHzIV 質問者 「今日鮒寿司に生きるにはどうすれば良いですか?」 K「おそらくそれは日本の食文化と関係がありそうですね」 質問者 「日本人は今日鮒寿司に生きてるのでしょうか?」 K「たぶん関西、特に琵琶湖周辺の方はそうではないでしょうか」 質問者 「それはどんな生き方なのでしょう」 K「おそらく臭くて酸味もあるのではないでしょうか」 質問者 「今日鮒寿司に生きると臭くて酸っぱくなるのですか?なんだか怖いです」 K「それが伝統というものなのでしょう」 K「食べてみたことはありますか?」 質問者 「食べ物なんですか?食べると今日鮒寿司に生きられるのですね」 K「まさにそのとおりです」 質問者 「日本の琵琶湖に行ってきます。」
560 :
考える名無しさん :2009/05/13(水) 02:30:28 0
↑なんのこっちゃ
561 :
考える名無しさん :2009/05/13(水) 11:21:36 0
今日鮒寿司 恐怖なし
562 :
考える名無しさん :2009/05/13(水) 21:54:20 0
>>560 何か
>>559 みたいなことを書くのが格好よく感じてしまう年頃なんだろ。
見なかった振りをしてやれw
563 :
考える名無しさん :2009/05/13(水) 22:01:06 0
>>562 いや、あきらかにパロディしてるでしょ。けしからぬw
564 :
腐っても鯛、死んでも鯛焼き :2009/05/15(金) 01:51:49 0
宗教板にもうひとつあったで。 おまいら、Kはユーモアに溢れた人でもあったんだから 少しは笑えww ぼく「無洗濯の気づきってなんですか」 K「匂ってみればわかることでしょう」 ぼく「えっ」 K「えっ」 ぼく「鼻の頭に意識をもってくるのですか」 K「そんな努力は不要です。臭ければ洗えば良いのです」 ぼく「えっ」 ぼく「どうやって洗えばいいでしょう」 K「えっ」 K「そのようなことはあなたの奥様にでも聞けばいいことではないですか」 ぼく「えっ」 K「えっ」 ぼく「妻との関係性が気づきの助けになるのですね」 K「えっ」 K「本人は匂いに気がつかないかもしれません」 ぼく「妻は気がついているのでしょうか」 K「おそらく奥様がすべてをご存じです」 ぼく「とても参考になりました」
565 :
考える名無しさん :2009/05/15(金) 02:35:02 0
↑だから、なんのこっちゃと言っているのだw
崩壊前の田代まさしみたいなお笑いセンスだな。 今の田代みたいな感じなら笑えるし深いんだけどな。
哲学板にもKスレってあるんだな
568 :
考える名無しさん :2009/06/15(月) 08:36:07 0
さてさて。 Kの話に傾聴すれば、救いがあるのなら、 友人の世間話に傾聴したって救いがあるはずだと思う。 もうKなんてどうでもいいんじゃない。ていうと不遜か。 でもKならそう思ってると思うぜ。 「すべてが馬鹿げている!」って自分のことですらネタにして大爆笑してたんだよ、彼は? 人間の原始的な野蛮さ、これがKにはほんのわずかしかなかった、 なおかつ彼はちゃんと生きた、Kの本質はこれだぜ?
569 :
考える名無しさん :2009/06/15(月) 08:49:32 O
仏教の「空」は秋の午前中の蒼そらに等しい。五おん皆空なりと照見して一切の苦厄を度したまふ舎利子。空は果てがない。空の空なる空気は自由自在に姿を変えて我々にみせる
570 :
四ノ宮 :2009/06/15(月) 08:54:33 O
涅槃 ー 人間の真ん中の揺るぎない部分。涅槃の感覚はすべての色に相当するが無である。ああ我が師栄西の空のなんと美しいことよ。
鯛焼きさんの言ってるのは一水四見の会話版かな? おおいに共感。
×一水四水 ○個人の許容力に応じた理解
573 :
アイス鯛焼き :2009/06/24(水) 12:59:52 0
まぁそんなとこです。 Kを読んで悩む人をアイスしてます。
周囲を寒くさせてどうする
575 :
考える名無しさん :2009/07/02(木) 22:33:31 0
結局、マスター・クートフーミってなんだったの? 破り捨ててしまえって言われても、疑問が残る。
576 :
考える名無しさん :2009/07/03(金) 01:10:56 O
クリシュナムルティとヴィトゲンシュタインの比較研究って無いの?
>>575 アリエル・サナトの「クリシュナムルティとは誰だったのか」を読むと少しおもしろいかも
でもK風に言えば、「何故疑問が残るのですか?それを知ってどうなるのですか?何故
それを知りたいのですか?まずそれを考えてみましょう」だろうね
578 :
考える名無しさん :2009/07/03(金) 01:21:16 0
ヴィトゲンシュタイン
日本訳じゃグルジェフとの比較ぐらいしか見たことないなあ 比較というかヴィトゲンシュタインとの対話とか見てみたかったね
580 :
考える名無しさん :2009/07/03(金) 09:06:26 O
イヴァン・イリイチは会ったらしい。 ラディカルな2人の対話記録、残ってないのかな。
クリシュナムルティは髭も離さなかったし、 髪の毛も極普通の髪型で、特に長髪にしてないし、服装も普通だね。 若い頃のスーツ着た写真は男前だわ。 青春期に恋の悩みとかは無かったのかなぁ。
Kは「覚者が服装に気を使いすぎじゃ?」って聞かれて「相手に不快感を与えないようにして いる」って言ってるね 女性関係は伝記とかに少し書いてあるけど、恋をしていただろうとか簡単な推測 大方の見方では若い頃好きな人がいたらしい それとは別に不倫して子供をおろさせたとかゴシップも出てるけど真偽は不明
そんなゴシップあったんだ? そういえば、何の本か忘れたけど、セックスがテーマのときに セックスは気持ちよいですか?私も経験があります。 みたいなことを言ってたと思うが、普通に恋愛はしてたのかもね。
Kの世話をしてた家族(父母娘)がいてKと一緒に住んでたんだけど、Kがその母と不倫して 子供をおろさせたとか ゴシップというかその娘が大きくなってそう告白しだして、でもその娘が勘違いしてたとか母 をとられたと思って嫉妬したとか見解いろいろ、事実がどうかもわからない もうKもかなり大人になってからの話だね Kはセックスに関してはけっこう発言してるね セックスがいいかわるいかではなくそこに愛があるかどうかだ、とか セックスが気持ちいいのはその間他のことを忘れているからだ、とか
10代の終わり頃、人並みに恋愛で悩んでこの人の本をいろいろ読んだのを思い出した。 当たり前なんだけど、焦がれるような気持ちの解決にはならなくて、 恋愛について色々な自我の解釈と自己観察みたいなことをやってはみたが、 今考えると若さと恋の病ゆえに一生懸命、頓珍漢な解釈をしてたと苦笑いしてしまう。 結局、何日もの間、ものすごく悩んだ挙句に、ふと気が付いたのは、 下手な権謀数術をしたり駆け引きをするのではなく、素直に相手に自分の気持ちを伝えることだった。 まぁ、フラれて苦しかったけど、自分の素直な気持ちに従ったおかげだったのかどうか、 どこか爽やかな気分で居られたのを思い出したわ。 執着という一つの形態で悩んでただけなのかも知れないけど。 そういえば、クリシュナムルティに恋愛相談した人とか居るのかな?
586 :
凍らせた鯛焼きは夏にぴったりでござる :2009/07/03(金) 23:27:33 0
うーむ。恋愛で悩んでKを読むとは...なかなかですね。
587 :
考える名無しさん :2009/07/04(土) 00:29:43 0
北方譲二は同様の悩みに対してソープへ逝けみたいなことを言ってたが、 でも、もしそれで悩みが解決するなら、恋愛感情の悩みってのは単に生殖要求の芽生って程度のことかいな? さすがにKはそんなこと言わないだろうが、 あなた自身の中にある、相手に対する所有欲や執着を理解しなさい、愛とはナンタラ・・・みたいな話に(略
仏教なんかだと老いて死体になって朽ちていく絵とかあるよね 今はこんなに美人でハァハァするけどおばさんになりおばーちゃんになり死体になり腐り 塵となり… この世にあるものは全て無常、変化し続けるのが本質 そう思うと恋愛対象も恋愛してる自分も恋愛自体も、みな無常 それが心底わかると執着や観念なきありのままが見えるかもしれん
589 :
考える名無しさん :2009/07/04(土) 13:24:18 0
>そういえば、クリシュナムルティに恋愛相談した人とか居るのかな? 好きなら相手の迷惑にならないように気持ちを伝えれば良いし、 拒否されたら執着せずに失恋気分と共に居なさい・・みたいな? ストーカーみたいなヤバそうな奴が思いつめた顔で質問したら、 もっと本質的なことを指摘するだろうし、ケースバイケースでしょうな。 質問者の属性や雰囲気で問題へのアプローチが多少異なってるみたいだし。
590 :
考える名無しさん :2009/07/04(土) 21:11:13 0
今更ながら高岡光氏の『クリシュナムルティ・水晶の革命家』と読んでみた。 内容は参考になったり、成らなかったり色々でしたが、 最後の方に、日本でクリシュナムルティを歪めて解釈するものに ・ラジニーシと両立するものとして捉えている ・マルクス主義、左翼思想と両立する というのがあると言っていたが、前者はともかく、クリシュナムルティと マルクス主義を結びつけて考える人なんて居たのかな? 初めて聞いた。むしろ左翼思想家みたいな連中はクリシュナムルティを 読んでも宗教の一形態として興味示さない気もするのだが・・・・
権威否定とかそういうあたりですかねえ あ、それよりは宗教否定だからかな 水晶の革命家は微妙だったな ちなみにダイジが前世でKとラジニーシと話し合って3人この世に生まれてきたんだなんて 言ってたが、あれはどんなもんだろうか K的にはどうでもいいことだが、ダイジもダイジで悟ってそうにも見えるが
ダイジ、ラジニーシも今ひとつに感じるが、 両者ともテクニックについての洞察は秀逸だと思う。
593 :
考える名無しさん :2009/07/04(土) 21:42:24 O
おいらも水晶の革命家は微妙だったな。 マルクス主義と両立…ってのはおいらも?って思った。 Kは繰り返し共産主義的なやり方の社会改革を否定してるし 何を持ってマルクスが出てくるのだろうかって。
平和だの人権だの人道といった、左翼特有の偽善ぶりが 単に嫌いだっただけなんじゃないかな?高岡さんは。
595 :
考える名無しさん :2009/07/04(土) 23:33:59 O
名誉欲って奴ね。 でも猿社会にもあるみたいよ、この第三の欲って。
恐らく自分にもそういう面があるから尚更、他人の名誉欲や偽善に敏感なのでしょう。
597 :
考える名無しさん :2009/07/05(日) 13:47:39 O
まぁ、おいらにもありますわな。 関係ないけど鯛焼凍らせたらかえって不味くならない?
ラップに包んでチンしたらいんじゃない? パリっとしたいならそっからオーブントースターかしら とマジレス
お肉を食うといいよ。 お肉を食うと夏バテしなくなる。
クリシュナムルティは肉どころかチョコレートも食わなかったらしいが
喰いたくない人は喰わなきゃいい 甘いもの好きにはチョコは快楽 甘いもの苦手な人にはチョコは拷問
Kは油や砂糖が多すぎるからチョコ食わなかったらしいけどね 甘いものはむしろ好きだったらしい アル中もジャンキーもそれが好きなだけと言えるから好き嫌いで考えるのはむずかしいな
しばらく肉食わない時期があったけど、久々に目の前に出たときは 匂いだけで、うぇってなったもんな。 あと、豚骨ラーメン屋の前を通ったら強烈な豚骨臭で吐きそうになったし。 それ以前は大好きだったんだが。
自分の心と体を観察できていれば、肉は食べなくなっていくと思うよ。 カフェインやアルコールもね。若いうちは難しいけどさ。
Kはサカナ食べたんじゃなかったか
魚は美味しいよね。 特に白身魚。
もう豆腐でいいやん
608 :
考える名無しさん :2009/07/07(火) 22:21:10 0
クリシュナムルティにはうちの精進料理を食べて欲しかったわ。
じゃおいらは家の畑で取れた有機野菜を。
kに鯛焼き差し入れしたかった
>>577 昨日、その本を読み終えてみました。
結局、なんだか良くわからんかったので、
そういうこともあるんだろう、みたいな・・・
陰謀論のご本にはキリスト再臨をでっちあげようとして彼は逆らったとか マスターは実は闇の世界の住人だとか書いてあるものもあるぐらいだから 変な情報も多くて結局わからんと思うよ。
マスターとか段階とか気にするより、そういうことを気にしてしまう自我を考えるべきなんだ ろうね Kがそのあたりを語らないのも、仏陀が死後の世界があるのかとか聞かれて、答えなかった ってのと同じだと思うかな でもマスターも覚醒の段階とかもいろいろあるんだろうね Kも語らないけど特に否定もしてないし
614 :
考える名無しさん :2009/07/09(木) 20:45:21 O
キッチン日記で1番笑ったところは、 女優に禿を隠してる髪型してると 指摘されたところかな。
615 :
考える名無しさん :2009/07/09(木) 20:47:09 O
あ、こりゃ失礼、違う本の話題だったんだね。
616 :
考える名無しさん :2009/07/09(木) 22:00:18 0
こんな板哲学じゃない・。みんなしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしね。
死ね死ね団のテーマはカラオケで歌え。
618 :
考える名無しさん :2009/07/12(日) 01:50:20 O
インドの山奥で修業をして
619 :
考える名無しさん :2009/07/22(水) 21:55:38 0
ありのままありのまま連呼してて本当に理解できない。 ありのままでいろと言うことは本来ありのままと言われなかったであろう自然体を曲げてるわけで 何か考えているときにありのままでいろってメッセージがフラッシュバックした場合それはありのままではなくなるだろ。 自然体で、縛られるなって言いたいのか?
その自然体がすでにありのままじゃない頭でっかちなんだよ
ありのままになったら、ああこれがありのままかってわかるから ありのままってなんだろって疑問があるうちは疑問がある自分を自己洞察してればいい ありのままになったら自然体とかなんだとか、そういう概念が全部消える
なんだか根拠が見えなくてむかつくがやってはみるよ
なぜ根拠が見えないとむかつくかを洞察してみたらいいと思うよ
てゆうか、比較することをやめればいいんじゃないの?
625 :
考える名無しさん :2009/07/23(木) 02:03:22 0
まず、「ありのまま」って言葉がどういう意味かわかってないんじゃない? そっから始めたほうがいいんでは? まあ、 俺が思うに、ありのままっていうのは 物理空間にあるものは全てありのままの状態だけど そこに精神世界がからんでくると、物理空間にあるものが精神世界によって歪められて精神世界に存在してしまう。 これがありのままじゃないものと呼ばれるもの。 だからありのままじゃないものってのは人間の頭の中にしか存在しないってことだな。 人間の頭の中の世界は置いといて、物理空間だけ見ればそこにあるものはどんなものでも全て真実だしありのままだ。 人間の頭の中にだけ虚構が存在するってことだろう。 ってか当たり前のことだけどね、こんなことは・・・
626 :
考える名無しさん :2009/07/23(木) 06:09:05 0
ありのままてのは、明白だと思う。「すべてには何の価値もない」 「すべてには同じ価値がある」「死んでもいいし、生きてもいい」 ひょんなことから、そんな冷徹な事実が見えてくると思うが、思春 期には変な受け止め方をしてしまう。それを覆い隠すこともあれば、 思いっきり投げやりに生きることにもなりうる。 深くことわりをのぞきこむと、やはりそこには虚無がある。それを、 なんの感情を交えることもなく、語ったり行ったりできるのが、おれ の考える「ありのまま」だけど、そんなことを理解したって、苦しみ は終わるが、外界は何も変わらない。苦しみは終わるが、体や心は相 も変わらず痛み続ける。 神秘主義は、虚無を覆い隠すための、昔から使われるツールのひと つだ。おれの知る限りその点では、Kも同罪だ。だが、時代の要請 を考慮すればそれもいたしかたのないことなのかもしれない。 洞察というのは、心の傷からしか生まれない。そこには大きな矛盾 がある。洞察は、決して心の求めるものを与えたりはしない。そう いうことのほうが、はるかに多いように思う。どうして、虚無が心 の求めるものを満たすはずがあるだろうか。満たすわけがない。で も洞察は明らかに虚無を明確に示している。「むなしい」とか「か なしい」とかいうのではなく、ただ静かであるだけだ。 虚実において、微妙なのは、実を認識しながらも、からだとこころ には相も変わらず虚を与え続けないといけないということだ。そこ は転倒させておくのが、「歩いている」者の証だと思う。転倒させ ておくのが、たぶん健全だ。 ところで、「ありのまま」に悩むくらいなら、部屋の掃除でもして いるほうがよいと思う。言葉や概念に縛り付ける、それは古くから あるカリスマの弊害だ。なんだか重要な気がしてしまうが、実はか けらも重要ではない。のではないでしょうか。
>>626 >苦しみは終わるが、体や心は相も変わらず痛み続ける。
なんでですか? 苦しみが終わってるなら体はまだしも痛む心もないんじゃないですか?
苦しみが終わるのは苦しむ自分がいなくなるから、空っぽになるから
心が痛む自分はもういないと思うけど
虚無とか虚実とか言ってるけど、虚無や虚実を判断する自分がまだ残ってるのが問題
なのではないでしょうか
虚無も虚実も自分の判断、自我の錯覚、全てはただありのまま
痛みと苦しみは別物 人にぶつかって痛いと感じても、何も感情が出てこないときだってある 例えば、たまたま道ですれちがったときに人とぶつかることもあるが、 混雑してる場所ならば、「そういうこともあるよな」で終わる ぶつかったときに痛みはあるが、苦しいとは思わないでしょ? 痛みは感情ではなく、物理的な反応だ。 物理的な反応が感情に影響を与える場合もあれば、与えない時もあるのだ。
それが心の痛みってことならそうですね 心の痛みっていうから物理的でない精神的や感情的な痛みかと思ったけど ただ物理的な痛みも大半は自己に由来してますよ 意識しなければ蚊に刺されても気づかないけど蚊を意識してる人は刺されたと思うように 人にぶつかって痛いというのも純粋な痛みの部分と痛みを感じようという自己がある 自己がなければ痛いというより単なる軽い刺激です、ありのままの刺激
どの部分をありのままというか、が問題だよねえ・・・ 自分をひっくるめてのありのままってのもあるし、 自分を切り離してのありのままっていうのもあるし。 痛みというのは自分をひっくるめてのありのままの痛みとも言えるからなあ。 自分を切り離したら、ただの刺激。 でも、どっちもありのままと言えることもできるような・・・
ちょっと自分なりにまとめると、 「関係性の中でのありのまま」と 「関係性をなくした単体としてのありのまま」があると思うんだよね。 どっちもありのままと言えると思うんだ。 仏教の空観に近いかも。
でも、釈迦の「縁起」の思想や、「空」の思想でいえば 関わりあってないものはこの世には存在しないって理屈だから、 「関係性の中でのありのまま」というありのまましか存在しないんではなかろうか。 だから、何かを切り離してのありのままについて考えるのって、机上の空論でしかないような気がする。
何かを切り離してっていうより、自分の都合であるものを切り離しあるものを切り離さず知覚 しているのが問題でしょう 全てを切り離さず知覚するなら、それは全てを切り離して知覚するのと同じなわけで 切り離すも切り離さないもないわけで
縁起にしろ空にしろ、切り離す切り離さないという判断(判断する自分)自体を切り離すこと だと思うのですが
だから、ありのままの関係性を理解しろってことでしょ 「関係性を正しく理解しろ」の一言ですべては終結すると思うんだけど。 「関係性を間違って認識したり、好き勝手に認識することをやめれ!」で終結すると思うんだけど。 結局は釈迦の縁起の思想が最も偉大ってことだね。
それでいいけど、関係性に正しいも正しくないもないというとこに行き着くだろうし 関係性を正しく認識したら関係があるもないもなく、関係性を気にする自分もなく、関係性と いう言葉も意味がないと思うけど でもまあ言葉の限界なのでそれでいいです
>>636 なるほど、わかりやすい!
ありがとうございました
ポイントは「縁起」ですね
かなりこの世界の核心にせまってると思ったら、ドキドキしてきた・・・w
それにしてもつくづく釈迦の素晴らしさに驚いた。
宇宙の仕組みを解き明かしちゃってるんだから、もっともっと評価されていいのに。
ここで、「ありのまま」という言葉の定義をするならば、 仏教的な用語を使わずに定義するならば 原因と結果の事実 が、ありのままと定義できますね。 仏教的な用語を使ってわかりやすく定義するならば、 縁起の事実 が、 ありのままと定義できる。
俺たちは、論理的な思考をもっているので、論理的な思考のみを使うことで 物事のありのままの事実を捉えることは可能だといえる。 なぜならありのままの事実とは、原因と結果の事実であるからだ。 だがクリシュナムルティは思考では何も解決できないという。 なぜ? 論理的な思考をもってすれば解決できると俺は思う。
対象を知覚するなら目で見た通りでいいし、聞いた通り、食べた通りでいい それを思考で行うと、他との比較によって認識してしまう あれより赤い、あれより響く、あれより酸っぱいなど それは比較からくる知覚であり、ありのままではない 比較の対象が変わることで変化する流動的な知覚、概念である 論理的な思考というもので比較なくただそのまま知覚できるのだとしたらそれでもいいけれど、 それができるのだろうか また、果たしてそのとき思考や論理が必要なのだろうか
さっきも書いたとおり、関係性のないものはないんだから 比較するなといっても、そんなこと宇宙の法則的に不可能なことだよ 何も比較してない、何ものとも関係性がない状態でのあるがままを見ようなんて不可能 『はじめからそんなもの存在しない』んだよ もしあったら、それはアートマン 永遠に不変しないものになる そんなもの存在しないんだから、そんなものを知覚することなんてできない 数学でいえば、アートマンってのは「点」だよ 点ってのは「面積も体積ももっていたらいけない」 だけど数学上の定義上あることにしないといけない でもそんなもの物理空間に存在しないでしょ? そんなもの物理的に知覚できるわけがない。
比較するなってことじゃなくて、比較するという現象は何かを問う 方がいくない?ものの大小といった物理的な比較は置いといて、 比較というのは心理的にメカニカルな心の挙動だとみるんだけど。 それをしている時は自分は閉じていて関係性の気づきは無いんだ。 自分には。
比較は論理的なものでしょ。 心とは無関係なものだと思うよ。
いや、目の前に大きい人がいたら大きいと思うでしょ それは他にそれほど大きい人と出会ってこなかったから もし大きい人ばかりと出会ってたら小さいと思うかもしれない それが心理的に比較を持ち出して判断してるってこと 比較を持ち出さなければ、そういう大きさの人、でしかない 大きいとか小さいではない
じゃあ、俺がここで ありのままが何かということと ブラフマンとアートマンについての哲学的な解明をしてみるよ。 もしかしたら人類初の試みかもしれない。 アートマンってのは、縁起、原因と結果、関係性の法則から外れた単体 つまり、数学の「点」と同じもの (点とは、面積も体積ももってなく永遠にそこに存在し独立しているので、何者にも影響を受けない) だがそんなもの物理空間には存在しない 概念上の定義でしかない もしこれをあるがままと呼ぶならば、人間はこれを知覚することはできない 物理空間に存在しないものは知覚できないからだ。
ブラフマンの説明の前に
>>644 大きい小さいってのも、関係性の中のあるがまま、なんだけどね
自分とその人との間でのあるがままの事実
比較や関係を持ち出さなかったら、それはそれでしかないかもしれないけど
関係しあってないものはないので、関係性を切り離してそれについて語るとあるがままの事実ではなくて
アートマンになっちゃうんだよね
つまり概念上の存在でしかない
だから、その大きい人に比較という考えを持ち込まなかったら 大きいとか小さいとかではない、っていうのはわかる。 でもそれは数学の「点」と一緒なのよ あらゆる関係性をとっぱらったら、数学上の定義と変わらないのよ んで、そんなもの物理空間に存在しないんだから、知覚することなんて不可能なのよ そうじゃなくて、自分とその人の比較の中でのあるがまま、として捉えればいい そしてそれは論理的なものでしょ 背の高さの比較で Aさん>自分 っていうのも十分あるがままの事実でしょ? あらゆる関係性をとっぱらったAさんってのは、概念上しか存在しないでしょ? だからそんなもの知覚なんてできないってことだよ。 あらゆるものは関係性の中でしか存在できないんだから、ね。
生まれたままの人間なら比較なく知覚するでしょ 比較する対象を知らないし 比較をしてしまうのは経験したりそれを記憶するから だからそれをリセットして生まれたままの状態で知覚するのがありのまま こういうことは大したことではなく日常普通にある 火事にあった人は火を見るだけで怖いが、時間がたつと忘れて平気になるとか 自分がこれまで溜めた経験と記憶をリセットできればありのままになるよ
んで、ブラフマンってのは何かっていうと 簡単に言えば物理空間にある存在してるものすべてがブラフマン。 関係性の中のあるがままがブラフマン。 関係性を切り離して存在するのがアートマン。 知覚できるのが上で、知覚できないのが下 下をあるがままと言っちゃうと、人間をいくら頑張ったって知覚できない。 なぜなら存在しないから。 時間という関係からも切り離されて、空間という関係からも切り離された、「永遠に存在する、面積も体積ももたない点」 そんなもの物理空間にはないでしょ? でも上のあるがままなら知覚できるでしょ、ってのが俺の言いたいことね。 自分より背の高い人ってのも、あるがままの事実だし、 40度のお湯より、60度のお湯の方が温かいというのも、あるがままの事実だ。 だから、関係性を理解するってことがあるがままを知覚するってことになる。 そしてそれが宇宙の根本原理であるブラフマンを知覚するってことになる。
>>648 ごめん、途中から自分でもおかしなことになってることに気づいた
比較の話をしてからがめちゃくちゃのようだ
すいません
651 :
626 :2009/07/24(金) 05:46:37 0
>>627 ありのままがそんなに大事かな。ありのままに気づいてしまうのは、おれは
結構不幸なことだと思ってるけど。Kの言っていることですら、どうだって
よくなる。
大昔から宗教家って人々を安心させるために、壮大な作り話をした人だと思う。 ブッダやKは宗教を否定してるようだけど、悟るとこんなに悩みから自由になれるよと宗教的な演技をしてたと思う。 じいちゃんばあちゃんを喜ばせるために、孫が元気な振りをしてあげるように。 救いを求める人々を喜ばせてあげたい一心で、真実を悟れば大丈夫という希望を持たせてあげてただけで、 本人もつらかったと思う。まるで悟ったかのような演技してたんだから。 でも演技のやり甲斐はあっただろうね。自分の姿を見て救われた気持ちになる人が大勢いれば、 悟った演技を続ける原動力にもなるし。ブッダもKも悟ってなんかいなかったんだ。
>>652 その宗教論は現世利益を方便として使っってるという前提
の上での論でしょ?何かが欲しいからとか、何かからの
自由の希求に内在する欺瞞についてはKは厳しく追及したじゃないの
虚無と無は全然ちがう。 無というのは有に対する無ではなく。 言葉で表現出来ない無だ。 しょうがないから無という言葉を付けた。
物理学者のボーム博士がKとの対話で得た自らの考察を単独でまとめた書籍ってのはあるのかな? 量子論とか専攻してるけど、理論数式と睨めっこしてると、どうしてもKの言ってる事とダブル事がままある。 Kの話って観念的には理論物理の世界と色々被ることも多い気がする。 もっとも、自分がそういう気がする・・・ってだけで、実際にそうかは人それぞれだけど。
>>655 そりゃあ釈迦の縁起の思想も、Kが言ってることも
宇宙の根本原理の説明で、
物理的な学問の世界は「数式」で、釈迦とKは「言葉」で説明しようとしたっていう違いだけだとおもう。
特に釈迦の縁起の思想は間違いなく物理的な話だし。
>>651 なんで不幸なんですか?
Kの言ってることすらどうでもいいぐらいなら、不幸もどうでもいいように思えるけど
>>652 とりあえず自分で悟りを体験しようとしてみて、それでその見解ならいいんじゃないですか?
自分は体験上、仏陀やKの言う悟りや永遠なるものがあると思うけど
>>654 そうですね
一般的に無は有の対極に思われてますけど、禅などでいう無は有も無も無いという絶対無
ですからね
虚無も虚無でないものも、それを認識するものもされるものも、一切何も無いただ全体ですね
>>655 ボームの本は何冊か邦訳が出てますね
自分は一冊しか読んだことないですが、Kの影響はあるもののそっち方面にそれほど突っ込んだ
内容には思えませんでした
Kの本で対話が載ってますし、それでいいような気が
でも量子論専攻されてる方ならそれに関しての考察とかが伺えていいのかもしれませんね
658 :
考える名無しさん :2009/07/24(金) 16:55:01 0
ありのままって、現象を現象として捉えるってことでいい? ただ起こっているままに認識する そしてそれは人間にできるかどうか、だけどみんなはどう思う?
アートマンがありのままに捉えることはできないだろう。 クリシュナムルティなら 梵我一如にならなきゃありのままに捉えられないと言いそうだ。
難しく考えることないよ。 あるがままって言葉は、無理しないって事じゃないの。 無いものねだりしないと同じ意味だろうね。 無茶な期待や過大な欲をなるべく減らした気持ちで物事を見ようって事じゃないかな。 哲学的にはあるがままなどあり得ないとか文句つける人がいるが、 そういう理屈でいつまでも妄想的偏見に執着することに開き直っていたら、自由にはなれないよね。
足るを知るってとこでしょうかね。
哲学でも西田哲学の純粋経験のようにありのままの境地を説明したものもあると思うよ ただありのままは難しくないといえば全く難しくないけど、それゆえ難しいと思う ようするに自分が生を受けてこれまで積み重ねてきた概念全てを放棄することだから 放棄するだけだから誰にでもできるけど、実際なかなかできない
663 :
考える名無しさん :2009/07/24(金) 17:54:24 0
>>662 結局、アートマンを否定しないことには
ありのままを知ることはできなさそうですね
この世はすべてブラフマンですよ〜〜〜♪ というのが、あるがままってことだろう
俺たちの共通の絶対的な目標は、「アートマンを否定すること」だね
もっと厳密にいうと、「物理世界にアートマンを持ち込むことをやめる」だね
物理世界の概念と精神世界の概念は同じですよ、っていうのが梵我一如だから
それぞれを別にして、物理世界だけをありのままに知覚し、精神世界の出来事はそれはそれとして捉えることが大事だね
664 :
考える名無しさん :2009/07/24(金) 18:04:59 0
続き ブラフマンの世界に、アートマンを持ち込んだところで 結局ブラフマンのみの世界なんだから、アートマンを持ち込むことなんてできないんだよね でも人間はブラフマンの世界にアートマンを持ち込もうとするから、色々な問題が生じると。 ブラフマンがアートマンに影響を与えることはあっても、 アートマンがブラフマンに影響を与えることはない。 悟りというのは、「この二つを完全に分断すること」だと思うんだけど、 どうですか?
お断りどす
>>655 あなたの考察があれば読んでみたいな。
きっと色んなK論があって良いと思う。
ブラフマン=暗在系 アートマン=明在系 ってことでok?
669 :
考える名無しさん :2009/07/28(火) 18:43:35 0
j.k
670 :
四零九 :2009/07/28(火) 18:57:40 0
671 :
四零九 :2009/07/28(火) 19:38:42 0
その本のafterwordの最後にこう記してある。 as he had expressed in his letter to Wilhelm, a position the Indian teacher found insupportable. ボームはウイルヘルムへの手紙でこう表現した。 「立場として、あのインド人教師には我慢がならない。」 具体的なことは読んでからのお楽しみ。
672 :
考える名無しさん :2009/07/28(火) 21:27:14 0
>>670 Kがどのように無秩序であったかよければおしえていただけませんか?
洋書を読めるほど達者じゃないもので
673 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2009/07/28(火) 22:06:54 0
グルジェフやクリシュナムルティについて書くとき、どうして彼らを 「G」とか「K」とか頭文字で呼ぶのかねぇ。 聖なるお方だったりするから、名前をそのまんま呼んじゃ、 もったいないってことなのか? どうでもいいけど、くだらない習慣だね。
674 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2009/07/28(火) 22:09:16 0
あ、それともあれか? 「ボクはこれでも、ちょっとした通ですよ」なんてことを、 暗に示したいのかな?
めんどくさいだけですよ クリシュナムルティなんていちいち書くのめんどいし文字も無駄に多くなるじゃないですか 通もなにも本の中などでけっこう慣習になってるからべつにいいかと まあ通ぶってる人もいるのかもしれませんが
676 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2009/07/28(火) 22:53:55 0
ああ、そう。 ウィトゲンシュタインを「ウィト」って略したりするのも、 なんか好きじゃなくってね、私は。 っていうか、ドラッグしてコピペしればいいじゃないか。 あ、「コピペ」も省略語だ。ああ、いやだ、いやだ。
677 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2009/07/28(火) 22:55:00 0
「しれ」は2ちゃん用語だ。ああ、いやだ、いやだ。
>>676 そこは読み「k」でクリシュナムルティに変換できるように辞書登録だろ
679 :
考える名無しさん :2009/07/28(火) 23:34:58 O
>>673 本人が自らをKと呼んだりしてるから周りの人や、
本の読者も彼について語るときにKと呼んだりしてるだけだと、
取り立てて何も気にしてなかったが
そんな風に悪意的に解釈する人もいるんだと知って驚いた。
質問者「なぜ皆はあなたのことをKと呼ぶのですか?」 K「なぜわたしがKと呼ばれるかではなく、なぜあなたはわたしがKと呼ばれるのを気にする のか?ではないでしょうか」
681 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2009/07/28(火) 23:50:37 0
では、「G」と呼んでも、よろしゅう御座いますでしょうか?
K「なぜあなたがGと呼びたいか?ではないでしょうか」
683 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2009/07/28(火) 23:56:23 0
なぜあなたはあなたがGと呼ばれるのを気にするのか? ではないでしょうか?
K「わたしが気にしていると言っているのですか?なぜそのように思ったのですか?」
685 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2009/07/29(水) 00:09:07 0
おや、気にしてませんでしたか。こりゃ、失礼しました。
>>682 みたいな、ややこしい質問をするからですよ。
では、G、次の話題へ行きましょう。
686 :
考える名無しさん :2009/07/29(水) 00:26:52 0
問答中わるいが、
>>670-671 の話ってどうなの?
ボームってクリシュナムルティを認めてないってこと?
誰か事情知ってる人がいたら聞きたいな。
687 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2009/07/29(水) 00:35:41 0
なぜボームに認められないのを気にするのか? なんてねw 問答は既に終わっているので、事情を知ってる人は、どうぞ。
>>678 あーありがと、なんてじゃなくてその通り。別に気にしなくていいや。
あれ読んでクリシュナムルティがどうだったのか気にしてる自分のこだわりに気づいた。
事実がどうかなんて自分自身と無関係だし別にいいや。
でも他の人はどうか知らないから聞きたい人書きたい人がいればどうぞご自由に!
690 :
655 :2009/07/29(水) 17:41:33 0
>>656 縁起の話ですか、調べてみます。
>>657 彼の講義録とか読むと仏教(?)的かもでした。
>>666 考察する程、その方面の知識がなくて、
この関係だとKの本ぐらいですね、読んでるのは。
>>670 ありがと。なんか面白そうな本ですな。
アマゾンで取り寄せた。読んでみる。
691 :
考える名無しさん :2009/07/29(水) 22:48:11 O
へぇ〜英文読むのはしんどいけど、?クリシュナムルティのパートだけでも読んでみるか。
晩年は所謂サムライ禿だったの?
693 :
四零九 :2009/07/30(木) 17:50:42 0
あと、ここもお勧め
ttp://blog.livedoor.jp/u_g_k/ mixi内でも書かれているけど、u.g.kの言説を読むとj.kの言っている言葉のトリックが分かるよ。
まあ、分からない人もいるけど、分かる人が分かればいい。
今の私にとってj.kの言葉なんて「知識のゴミの山」に過ぎないんだから。
>>693 あなたミクシイのKコミュでu.g.クリシュナムルティのこと書き込んで、それはj・クリシュナムルティ
と関係あるのかって反論されてた人?
>>693 サイトのurl貼るんじゃなくどこがどうトリックなのかあなたの説明をたのむ
>>670 についてもたのむ
釣りにマジレスしてんじゃないよ。
ボームはトンデモ、U.Gはパクリ、Kは不思議ちゃん、宗教は詐欺。
10. Posted by 四零九 2009年07月19日 11:44 座禅に専念されると宣言されてから、はや2年が経ちますが、その後、u_g_kさんはどのような変化がありましたでしょうか? 私は禅寺に三回座ったのですが、座る必然性が私にはなく、今に至っております。 11. Posted by u_g_k 2009年07月28日 01:32 あーもう2年ですかー 私事を書くのは恐縮しますが、2年間でいろいろとありました。 只管打坐ではっきりと世界というものを見ましたし、禅寺で見性を許された、なんていう経験もしました。 だからなんだ、っていうことですが、別に何も変わらない日常を淡々と過ごしています。 まぁ人生というものがあるなら、180度変わりましたけどね。 「座る必然性がない」とおっしゃいますが、だれだって座る必然性などないです。だから座るんです。そうでないと座る意味がないです。 意味なく座る、これが座禅でしょう。 12. Posted by 四零九 2009年07月29日 21:15 必然性なく、坐る、そうですか・・・
699 :
凍らせた鯛焼きは夏にぴったりと思ったらそうでもない :2009/07/31(金) 00:15:39 0
Kスレなんだから、禅とかothersは触れなくていいでしょ。 自分の宣伝もイラネです。
700 :
考える名無しさん :2009/07/31(金) 09:33:16 0
Kについて、いちど辛らつに攻撃を加えてみることは、必要だと思う。 だって、やっぱりおかしいぜ、いろいろと。「不合理ゆえに、われ信ずる」と いう言葉があるが、K的なものの特徴の最たるものは、 「パラドックスによってものごとを表現する」「複雑な事柄については、いっ さいがっさいまとめて切り捨てる」だ。これらは、はっきり言って卑怯な手口 だ。 基本的にこういう論法だ。「私は超越した。だから私は超越しているのだ」
それを責めるなら印度哲学的思考そのものを責めないと。 梵我一如、真理、大悟徹底、ニルヴァーナ、阿羅漢、ニルビカルパサマディ、真我独尊、無境界 そういう境地に達するのは無条件に良いことであり超越しているって前提で話が進められんじゃん。 境地の様々なる意匠。で、よそを大抵、批判するからお互い相容れないし言ったもん勝ちの 境地厨を大量生産すんの。ugもこの系列で批判者ぶる割にアホみたいな自分の境地を説く。 なんでそんな境地があるとして他と比較して無条件に良いといえるのか。 そもそもそういう境地を説く輩は変な奴ばっかなのに何でそんなもんにならんといかんのか。 達したとして素晴らしい云々いう割に大した行動も反応の変化ももたらしていないのはなぜか。 疑念はつきず胡散臭さは満開。
Kは、否定しても否定できずに最後に残るものが真理だ、全てを否定してみなさい。って言ってる からそれでいいんじゃん? あらゆるものを否定して、Kも否定して、自分も否定して、最後に否定できずに残ってるもの が真理でしょう。 KやKの言葉を否定もせずに信じてる人がいるならそれはKを理解してないだけのこと。 Kもわたしを疑え、信じるなって言ってる。
一種のmind control u.g.kがおかしなこと言ってる所があるのも重々承知 しかし、u.g.kがj.kの悪い所を指摘してるのは買いだから、紹介しただけ david bohmにも落ち度があるからj.kに引っかかったんだ。 実際付き合ってみて右往左往してるところがたくさん書かれている。
彼に疑えと言われて疑うんじゃなく真理の存在すら疑わないと宗教になるな。 疑うのはよく言われることだが懐疑そのものが正しいとする前提が存在する以上限界があるが。 自己否定は形を変えた自己肯定になるという皮肉。
>>703 まぁ散々、既出だしボームは研究に行き詰まったからオカルトに走ったんだがな。
肯定も否定も、肯定してる自分も否定してる自分も、全て同じように否定するんでしょ。 それは全肯定と同じだけど。 つまり分別がなくなるということ。 否定の意味がわかってない人が多い。 否定は否定している自分すら否定すること。 一切が何も無くなること。
真理や悟りがいいとか悪いとか言うのは、自分が体験しないで言ってもしょうがないことだよ 逆に言えば自分が体験すればわかる だからそれらがいいとか悪いとかいう前に、いいとか悪いとか言いつつ、まるで体験しようとし てない自分を洞察すべきだよ 体験できないんじゃない、いいとか悪いとか判断してるから体験できてないだけ、それらを 判断で拒んでる自我があるだけ 一瞬でも空観を体験すれば悟りや真理がどのようなものだかわかる 体験してからそれらを肯定するなり批判するなりすればよろしい 体験するまでは体験もせずに判断している自分というものの正体を洞察するのがいいでしょう
否定に正しい意味があるかどうか甚だ疑問だがな。最後に残るものが在るかどうかもな。
>>707 とりあえず真理や悟りが存在する、しないっていう話自体が変。
それを体験できるか否か、なぜ同じ体験だと言えるかどうかという
議論もかなり変。
そして疑っている人間があんた流に言えば
「一瞬でも空観を体験すれば悟りや真理がどのようなものだか」
わかっていないという前提で話を進めているのは妄想の部類。
>>709 そうやっていろいろ洞察していけばいいんじゃないですか、あらゆるものを
真理や悟りが存在しないっていう真理や悟りでもいいし、同じ体験かどうかも体験うんぬんも
自分がこうであるとわかればいいこと
妄想かどうかも自分が体験、あるいは体験できないと体験すればいいでしょう
もう体験してわかってる、何が妄想で何が妄想でないかわかってるというならそれでいいでしょう
言葉であれこれ判断するより自分が体験すればよろしいのでは、と言ってるだけです
>>710 だからあんたの体験に条件付けられた超越的観点そのものに非常な
違和感を感じるわけ。非常な独善性の香を放ち危険この上ない。
>>711 じゃあそれで、そういうことでいいじゃないですか?
わたしがどうであるかをあなたがどうして気にするのですか?
別にわたしはあなたに同じ考えを強要してるわけではありません
同じ体験を求めているわけでもありません
自分で体験するのがいいと言っているだけです
あなたがそう体験されたならそれでいいでしょう
>>712 あなた言ってることかなり変だし墓穴掘ってるよ。
そういう風になるからその体験そのものが危険だと思うわけ。
あなたが気になるんじゃなしにそうなってしまう人が多いという
事自体に興味がある。
>>700 の
>「私は超越した。だから私は超越しているのだ」
と同じ論法の
>自分が体験すればわかる
>一瞬でも空観を体験すれば悟りや真理がどのようなものだかわかる
>自分で体験するのがいいと言っている
などなどを反復してんのあなたですよね。勘違いならごめんね。
とりあえず、そういう体験も居座らずに否定するかなんか
しちゃいましょうよ。
Kは言動にリスキーな行動が伴っているから尊敬しているけどね。
>>713 それはわたしの体験をあなたが体験しないとわからないことでしょう
空観を体験すればわかるとわかしは体験したが、それはわたしの妄想かもしれない
あなたにとってそれは単なる外部のもの
体験すればわかると書きましたけど、わからないとわかる、わかるもわからないものもないと
わかる、いろいろなわかるがあるわけです
わたしにとっての「わかる」の意味をあなたにとっての「わかる」の意味で捉えることができる
のでしょうか
また、悟りはないと誰かが言えばあるといい、悟りはないと誰かが言えばないと言います
それは悟りがあるとかないとか言えないものだからです
あるとかないとか言えないということも無いという何も無さだからです
言葉で誰かが悟りがあるとかないとか言っていても、それは言葉で表現しただけです
悟りに限らず言葉とはそういうものでしょう
悟りを否定することが悟りだと言いたいのかもしれませんが、それも悟りだしそうでないものも
悟りです
ただその場に応じてこれが悟りだとそれぞれ言ってるにすぎないでしょう
自分さえ体験できてればどうでもいいことです
だから、わたしはわたしの言葉でこれこれこうだと言いますが、それがどうであるかはあなた
にはどうでもいいこと(どうとも判断できないこと)であって、あなた自身が体験すればよろし
いのではないだろうか
それだけですよ
×悟りはないと誰かが言えばないと言います ○悟りはないと誰かが言えばあると言います
ちなみに「私は超越した。だから私は超越しているのだ」であっても別にいい そうですか、としかいいようがない その人はそうであるのだから、自分もそうなればそうだとわかるし、そうなってそうでないと わかるかもしれない、そうならないかもしれない そのようなことはどうでもいい そういう何かがあるとかないとか気にする自分を洞察して、そういったあらゆる外部に対して の疑問が全てなくなればそれでいい
一般的に四次元と称される「場」においては因果的決定論がすべてを支配すると思われ る。ただこれを考察したり、記述したり、言語を使って情報を共有したりする「場」(い ま、私もあなたもいる場所。部分である今の私は断片の情報そのものになり、あなたのた めにここに留まることにした)には時間そのものがない。ここには、時間も空間もない。 そして、四次元との間には強力な相関性がある。次元をまたぐ正負フィードバックが全方 位にかかりっぱなしであろうと思われる。まさにそれが観測問題であると思われる。
>>714-716 まぁあんたはマシだと信じるが境地を説く人たちの怪しさってのはこの上ない。
素晴らしい悟りとやらを得た、またはこの方法に従えば得られると
語る人間の行動は大抵、下らない利権と欲にしがみ付いて体験に条件付けられ
自分たちの境地の方が上だとしょうもない争いをしている。
伝統宗教はこれを段階的に経験させて洗脳している。
大東亜共栄圏をぶちまけたりサリン撒いたり、排他主義を唱えたり
カースト制度を支持したりするのは言ったもの勝ちの境地を競いあう
おっさん連中だ。ああいう風になるぐらいなら体験なんかない方がいい。
だから例え俺が似たような体験をしていようがいまいがそういった体験を
説く連中は言っていることを疑ってみるのみならず行動を見るんだ。
わたしも昔は悟ったとか言ってる人たちを単に自分自身で洗脳しただけかと疑ってましたよ 実際大半というかほとんどはそうだと思いますし ただ自分が体験をして、そういう世界があるのだとわかりました 神とか仏とか言わないですよ、何もない空の世界、ただ全てが自由でありのままの世界 でも自分も体験したときは自分が気がおかしくなったのかと思いましたし、そういう自分を 疑いました 結局洞察を深めたり、本を読んだり、自分と同じような体験を持つ方と話したりして、それが 何であるかを自分で理解していきましたが ただそういう方は悟りはこういうものだ、自分はこういう体験をした、と言いますが、強要は しないです 強要できないし、どうでもいいことだからです 強要したいとか、どうでないとならないという自分がいないからです ただ、自分は体験をしたから、体験からこれはこうだと言いますが それは石を見て石に見えるとかそういう程度のことです 他の人が石に見えないと言っても、自分には石に見えるよ、石に見えるかどうか自己洞察 してみたら?と言うだけです 悟りや真理を説いて他者に介入しようという人もいますが、それらをいいとか悪いとか感じる より、それを感じてる自分というものを洞察してればいいのではないでしょうか 自分自身を知るのに問題はないでしょう そうして自分自身が完全にわかったときに体験できるものが悟りであると自分は思いますが それはそれぞれみなさんが勝手に試すなり試さないなりすることだからどうでもいいでしょう
>>719 あるのはわかるがそれほど素晴らしい境地じゃないと思うよ。
>>719 まぁ言うのは容易くそういう体験は大抵、一時的なものですから。
貴方がどのような人物かは周囲の人が一番ご存知であるはずです。
そこまで熱く語るからには分け隔てのない慈悲ある方なのでしょう。
体験は条件付けるという見本みたいな展開だった。GJ.
723 :
700 :2009/07/31(金) 16:15:08 0
たとえば、子供に「赤信号を渡ってはいけない」と教えるとする。 子供が訊く。「なぜ赤信号は渡ってはいけないの?」 あなたは言う。「赤信号だからだよ」 子供「言っている意味がわからない?」 あなた「体験してみればわかる。まずは体験しなさい」 子供「でも、やっぱり言っている意味がわからないよ?」 あなた「わからないと言うことがわかれば、それでいいのではないか」 子供「でも、前あなたが赤信号をわたっているところ見たよ?」 あなた「君は、論理的思考の罠にはまっているよ。言葉は言葉でしかない」 こども「意味がわからない。てゆうか、むかつく」 あなた「そのむかつく感じを洞察してみなさい」 こども「けっきょく、なぜ赤信号を渡ってはいけないのかがわからない」 あなた「強要はしない。あなたが車に轢かれようが、どうでもいいことだから」 ことは、赤信号ほど単純ではないが、結局こういうことじゃないでしょうか。 上の方、パロってごめんなさい。
子供が訊く。「なぜ赤信号は渡ってはいけないの?」 あなたは言う。「赤信号を渡ると車にひかれたり死ぬかもしれないだからだよ、 そのほかにもルールを守らないと迷惑になる場合がある それでもいいなら渡ればいいし、それを回避したいなら渡らなければいい それらがどういうことかわからないならどういうことか考えてみたらいい あなたはわたしでないからあなたが決めればいい 渡っていいかどうか自分で考えてごらん」 じゃね?
>>723 概ねそんな感じだよね。
結局、ループするか議論自体が破綻する。
そこには俺の変な性癖の素晴らしさを他人にわからせるような困難があるw
727 :
し :2009/07/31(金) 16:58:53 O
米山 3−1 4−1 のレストランはどこだ? 通信のシステムで前に行きたいんだがそれがない 。 社会に出て金貯めるのはよくないのだが…
728 :
700 :2009/07/31(金) 17:42:37 0
いや、失礼。言葉が足らなかった。 なぜ「車に轢かれて、ケガをするから」というだけのことを、言ってや らないのか。なぜ、わかるように伝えようとしないのか。おそらくは、 伝えたくないのだ。伝える意志がないのだ。むしろ、覆い隠しておきた いのが、ずっと宗教がやってきたことだ。上に、インド哲学うんぬんと 言っている人がいたが、おれが知る限りでは、キリスト教なんかもおん なじ手法を用いている。ぼやかして、はぐらかし、循環論法とメタ認知 のオンパレードで、けっきょく最後はカリスマの裏づけがなくては、成 立しえない神話だ。そして、ついには肝心なことについては、なにひと つ言うことがない。 「ケガをするといけないから」と、シンプルな表現をどうして探して いけない理由があるだろうか。シンプルな表現やより良い生き方を 模索する困難を、「言葉の不自由さ」や「理性の限界」にすりかえて 「光は闇である」などと、美しい逆説的表現に悦に入る。そして、だ れも救うことがない。それが、宗教ではないでしょうかね。と。 また、Kもその例外ではなかったと思う。「Kのリスキーな言動は尊敬 できる」というのは、共感できるが。
729 :
700 :2009/07/31(金) 17:57:52 0
つまらない、ゲームだと思う。
べつに宗教は人を救うもんじゃねーべ 「ケガをするといけない」なんて言わないよ「ケガをするのがイヤならやめろ」ってだけ ケガをしたいのもしたくないのも自分の好みなんだから ただケガしたいとかしたくないとか、そういう自分は絶対なのか?妄想じゃないのか?ってだけ でしょ ケガするのがいいとか悪いとか言ってる人に、そういう善悪なんてあるの?ってだけでしょ ぼやかして、はぐらかし、循環論法とメタ認知がダメなのは何で?よくもないけど悪くもない どうでもいいじゃん?ってだけでしょ 宗教の本質はいかにして真理を知るか、認識するかであって、救うとか救わないとか、生 とか死とか、益とか害とか、そんな2元論じゃねーべ 宗教が人を救うものだと思ってる人は、救われたいと思ってる人 自分の願望が宗教という鏡に映ってるだけだよ
731 :
考える名無しさん :2009/07/31(金) 18:06:52 O
まあ何もないわなw
732 :
700 :2009/07/31(金) 18:19:08 0
子供「では、あなたはケガしてもしなくてもどっちでもいいの?ためしに、 目をえぐらせてもらえないかな♪2元論にとらわれないって便利だね♪」
>>732 土台がない。
論敵の発言が土台になっててそれに反応してあんたが吠えてる。
ガンバレ。真理は遠くない。腐るな。
どっちでもいいなら目をえぐられなくてもいいじゃん 一方を選ぶ必要性の話だよ みんながどっちでもいいならえぐりたい人もいない あと観念と痛みは違うでしょ 痛いのは痛い 痛くもないのにいいとかいやとかが2元論ってことだよ 宗教が目をえぐったりしねーべ 宗教は肉体的に痛くねーべ
Kはなにをしろとかなにをするなとかいってないだろ。 あなたがたの苦しみは幻だといってるだけ。 わたしはそれを知っているが、あなたがたは知らない、 知る「方法」はない、そんだけだな。
星の教団の解散宣言で言ってた「自分のことは自分で救え」ってのが基本なんだろう。
まあ人は救われるべきとか、救われたほうがいいとか、 幸せという何かがあるとか そういう概念をつくってるんでしょ それって実は、みんな悟るべきとか幸せになるべきとかいうカルト宗教とかわらないのに 本人がそれに気付いてない で勝手に苦しんでる 本来の宗教は救われるも救われないもない、苦しみなどない、ってだけなのに
どちらが勝っても、利益を受けるのは、常に同一グループ、ロッ
>>736 >「自分のことは自分で救え」
そうなんだが、そこに行くまで大変なんだよ。
「自分」すら何だかわかってない連中を救うんだから。
だから俺は、
「哲学極めたきゃ、自分を極めろ!」と言いたい。
自己があるから他者があるのだ。
自分がなくなっても他者はあるだろうと思うのは自分がいるから思えるのだ。
自分が生きていることを大切にすれば、自分を極めることが大切だとわかるはず。
「自分を極めろ!」
「自分の外には何もない。(虚妄があるだけ)」
「自分の中にすべてがあるよ。」
世界は平和になるよ。みんな優しくなるよ。楽園に定住するよ。
誰でも行けるよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
途中まで良かったのに変な流れになったな。
まあみんな悟ってるからいいよ それを忘れて勝手に苦しんだりよろこんだりしてるだけだから
742 :
700 :2009/07/31(金) 19:23:26 0
子供「?宗教は目をえぐるよ。もっとひどいことするって、ママ言ってた。 マジョガリとかってすごいんだって♪ところで、ぼくはぜひともお兄ちゃ んの目をえぐりたいな♪さっき言ってた生とか死とか、益とか害とかって のは痛くないの?なら、目をえぐるのはだめでも、死んでもらうのはオー ケーってことなんだ♪わくわく」 子供2「知る方法がないことを、どうやってあの方は知ったのかなー? でも、やっぱり幻ならいくら苦しんでもいいし、苦しめてもいいって ことだね」 子供3「自分で救え、って言う人がどうして生涯ずっと教えてまわって たの?やめて、オレンジでも育ててればよかったのに。言っていること とやっていることが違っててもいいんだね!じゃあ、目をえぐるのは やめるけど、ちょっと鋭利なスプーンで眼球をひとかき♪さくっと♪ これは、目をえぐるってことじゃないし、痛いけど痛くないんだ。 痛いのは幻なんだよ。実は、気持ちが良くてとってもすばらしいこと なんだ。だんだん、みんなの言っていることがわかったきたぞ。」 子供4「あ、でもKさんはこう言ってたよ。殺人をはたらくこと、これ がこの世で最大の害悪だって(キッチン日記、マイケル・クローネン)。 みんなが言っていることとなんかちがうな。まあ、いいや言葉は不自由 なものだし、理性には限界があるからなあ。」 (ガキの知能レベルが、だんだんガキらしからぬのは、無視してね。フィ クションですから)
743 :
考える名無しさん :2009/07/31(金) 19:30:42 O
俺の人生に肉体的暴力は起こらないよw されたこともしたこともない。業だ。
>>742 で、あんたはKや宗教家などに、何と言って、どう行動してほしいんだい?
1 宗教が目をえぐるのでなく特定の宗教を守りたいという思想が目をえぐる 2 赤ん坊が立つのに立ち方を教えるだろうか 教えたから立てるのだろうか 教える方法があるのではなく本人が方法を見つける(思い出す)だけではないだろうか 3 質問者「あなたはなぜ他者を救おうと講演などをしているのですか?」 K「救う?私が誰かを救おうとしてるというのですか?私はただ私であるだけです」 4 殺人が実悪だろうか 殺人をしなければならない自分が不必要なだけではないだろうか 実悪だからしないのではなく、殺人をしたい自分がいなくなればいいだけではないだろうか
746 :
あめのみやつこ :2009/07/31(金) 19:50:52 O
意味がわからんw どういう意味だ?
747 :
700 :2009/07/31(金) 21:10:30 0
>俺の人生に肉体的暴力は起こらないよw あのガキは、そんなことを訊いていない。目をえぐってもいい?って 訊いているのだ。あなたはどっちでもよくて、子供はえぐりたくてうず うずしているのだ。ふつう、どっちでもいい人が、どっちでもよくない 人に選択を譲るでしょ。それとも、こう言っているのかな。「目をえぐ ってはだめだ。なぜなら、おれの人生にはそれは起こらないからだ」と。 これは、あなたが未来が見える、ということを意味している。もしそう なら、それはそれであれだが、そうはっきりとわかるように書いて欲し いものだ。 >宗教が目をえぐるのでなく特定の宗教を守りたいという思想が目をえぐる うん、これはまあ納得する。宗教とマジョガリ的宗教を区別しようってこと ならね。ただ、その違いを厳密に分けるのは、なかなか難しいことだよね。 K的な言説は、まず暴力を働かないだろうね。 >教える方法があるのではなく本人が方法を見つける(思い出す) はじめに、「知る方法」って言ってたのを、勝手に「教える方法」に すりかえて混乱させないで欲しい。なんてったって相手はガキなんだ から。また、「知る方法はない」って言ってたのを、何も悪びれるこ となく「方法を見つける」に言い換えている。なにか矛盾があるたび にコロコロ言い回しを変えられては会話は成立しない。会話が成立し ないのは、言葉の不自由さのせいではなく、「あなた」のせいだ。
748 :
700 :2009/07/31(金) 21:11:35 0
>K「救う?私が誰かを救おうとしてるというのですか?私はただ私であるだけです」 まあ、わからないではないけど。じゃあ、あのガキはこう言うようになるよ。 「目をえぐる?ぼくが目をえぐろうとしているだって?ぼくはぼくであるだけ です」。この手の会話の仕方は、時に重要な説明責任の回避手段になるんだよ。 >実悪だからしないのではなく、殺人をしたい自分がいなくなればいいだけではないだろうか 「殺人をしたい自分がいなくなればいい」。?「いなくなればいい」っていう 部分は立派な2元論的価値判断だよ。「殺人をしたい自分がいても、いなくても いい」てんなら2元論じゃないけど。 >で、あんたはKや宗教家などに、何と言って、どう行動してほしいんだい? 別に、いまは何も。まあ、もしかしたら、いなくなって欲しいとか思っている かもしれない。でも、わりとKはあのままで好きだ。いくつかの言説に納得が いかないというだけかな。とりあえず、ここでは723で書いた「赤信号」問答を 宗教バージョンでここに再現してみたかっただけだ。ほぼ同じことが、起きて いると思うけどな。
別に、いまは何も。ならそれでいいじゃん あと、あなたと会話してるのひとりじゃないからあのときはこう言ったっていっても矛盾でるよ いまは何もならそれでいい 目んたまえぐる子供もいないし、赤信号もないし、仮定の話をする理由も意味もない あなたはそれを「したい」のかもしれないが あなたはなぜ仮定の話をしたがるのだろうか?としか言いようがない ただ今ありのまま
750 :
考える名無しさん :2009/07/31(金) 22:48:47 O
まあいいから下まで全部見ろ
751 :
考える名無しさん :2009/07/31(金) 23:15:02 O
いいから全員黙らせろw わかってる信用はしてるよ
752 :
あめのみやつこ :2009/07/31(金) 23:32:32 O
違うんだ5−1が入るとこうなるんだ。特に暴力も残酷も関係ない。難しいな。8−3は。かわいそうだとは思うよ。見方が違うんだ全部。
753 :
なゆローター あん、葬儀(笑) :2009/07/31(金) 23:42:29 O
うぃ〜ん
754 :
考える名無しさん :2009/08/01(土) 00:03:39 O
知っててやんな。それから殺すなら殺せ。早くしろ。残酷なことあっても俺と関係ない。容赦なく糾弾はするがまあ全部見とけw
755 :
考える名無しさん :2009/08/01(土) 03:26:55 O
幻だと知らないのに、よく幻だと断定できるね? そう言ってるからって、ただ信じてるのかい?
では幻でないといえるものを書き出してみてください
757 :
考える名無しさん :2009/08/01(土) 09:16:50 O
>>756 どうせ何を書いても幻だとか言うんだろ?
俺が言いたいのは、あんた自信が、幻だとハッキリ認識したわけでもないのに、
よく確信的に断定できるな、ってことだよ。
物質は幻だとかいっても、そりゃ永遠の物質などないから幻かも知れない。
でも依然として実態をともなって存在してる。
はい幻でございます、って言われて、じゃあ真実が見えるのかい?
ようするに、あんたクリや仏陀の話しを聞きかじって
それを反芻してるだけだろ?
それとも悟りでも開いたのか?
俺は幻かどうかなんてサッパリわからないよ。
悟ってないからね。
でも、悟ったふりなんかしたいとは思わない。
ところで皆さんは、マイケル・タルボットの本は読んでるの?
759 :
考える名無しさん :2009/08/01(土) 10:05:48 0
クリシュナムルティごっこをしてると気分が良いから皆してるんだよ。 現実の苦痛に対して、マボロシじゃぁ〜とか言えば、それで思考停止して終わり。 なんも解決しない。 もちろん思考じゃ解決しないとか言うんだろうけどね。 マボロシならマボロシだと認識できるような、 それなりの修行みたいなものが必要なんだろうに。 おっと、でもこういうことを書くと、また特定の修行ではナンチャラカンチャラ・・・・と クリシュナムルティごっこが始まるから、迂闊な事は書けない。 それとも、ご自慢の仏教知識を披露して相手を罵倒するのかな? いずれにしろ、マボロシかどうかなんて、俺も含めてだけど、 こんなところに書き込んでる連中にはわかりゃしないさ。 いや、それを本当に実感して理解してる人間が、 今現在、この地球上にどれほどいるのかも怪しいもんだ。 そういうものを踏まえて、こういう掲示板は クリシュナムルティごっこをして楽しむ場所なんだろ。 あまりムキになっても仕方が無い。
761 :
考える名無しさん :2009/08/01(土) 10:52:07 0
幻ってのはこれは幻だとかこれは現実だとかこれは在るとか無いとか、そういう判断を している「自分」が幻ってことだろ 何かが在る無いが幻じゃない、在る無いを判断してしう「自分」が幻だよ 在る無いじゃない、花は花、水は水 在っても無くても花は花、水は水 在ってもらわないと困る幻だと困る、無でないと困る幻でないと困る それは有や無に対する執着で、そんな「自分」は幻だってことだよ 現実が幻なんじゃない、現実が幻かどうかが幻だってこと だいたい現実が現実であるという執着がなければ争いもいざこざも起きないだろうに ただ花は花、水は水と認識しながら生きるだろうに
くっだらねえ こんなこと仏教の「空」の思想を調べればすぐ解決する問題なのに。 クリシュナムルティって釈迦の教えを中途半端にした感じだよね いいところまで行ってるのに、詰めが甘い あとクリシュナムルティは人に対してわかりやすく教えようとする意識がないね 釈迦は誰にでもわかるようにシンプルに、しかし奥深く教えてる
みなさんそれぞれのやり方で修行なさってますね どのようであれ修行してない方はいないのです 悟りに向かってない方はいないんです けっこうけっこう
>>764 さん、仏教の「空」を説明しているリンク先などありましたら、説明してくださいね。
それから、ばんこ君。自分の妄想をここでぶちまけないでほしい。みんなが引くじゃないか
ん、なぜか上のリンク貼れないなあ・・・ 仏教 空 でググったらwikipediaが出てくる
>>764 仏教厨現る。
仏典は記述の殆どがトンデモじゃん。
釈迦がどこまで語ったか誰も知らんし。
空思想?
ああ、あほみたいに解釈がたくさんある哲学以下、宗教未満の
瞑想オタのためのオナニー思想ね。南伝大蔵経でも読んでしこってな。
悟りへの親切な解説?そんなもんオウムが一番、親切にやってたって。
早く上座部国でも行ってとっとと解脱(笑)して瞑想経験、後生大事に
抱えて生きていきな。
お前みたいなビリーバーは宗教板に行けって。
>>769 上座部と原始仏教の違いもわかってない人に言われてもなあ・・・
オウムは空観の間違った解釈だし、
やっぱり君みたいに中途半端に知ってると危険だね
そもそも原始仏教は宗教というには難しいからね
哲学集団といったほうが正しいと思うよ
仏教は体験ですから座禅なり公案なり自己洞察なり自分自身行うのが仏教的でしょう 仏教の経典や考えを読むときはそれらを鵜呑みにせず、それらが何であるかをよく考える のがいいでしょう
>>770 はいはい。知ってるよ。勝手に決め付けないでね。下らない知識だけどね。
お前ら基地外仏教徒は好きではないが一通りお勉強したからね。
お前みたいな奴らを見て興ざめしたが。
オウムが間違った空の解釈?
どこにオウムが正しい空を説いたと書いた?
お前ら宗教オタどもとオウムや上座の態度が同じだって言いたいだけじゃん。
原始仏教は宗教というには難しい?
あんた学問仏教研究の人?
都合のいい部分だけ取り出して宗教じゃないなどと抜かすのは片腹痛いわ。
仏教は純然たる宗教。宗教なら宗教らしく開き直れよ。
クリシュナムルティも大概、正気を疑う面があるがお前ら一部仏教徒の
オタ知識衒学にはもっと、うんざりするわ。
空観も知識で考えて、なるほど全ては空だなあと思ってもしょうがないです はたと気づいたときに、あ!自分が無い!何も無い!有るけど無い!有るも無いも無い! どこまでも何も無く、ただ無限だ!と驚かないようではまだ知識です これは空だなななどと言っていても心の底では何かが有る、何かが無いと、依然思ってる からです そういう今までの自分の認識に依存しているのです それらを持ちつつ、空だなんだと言ってるだけです 空の知識ではなく、空そのものになってみるのが仏教でしょう
空の思想を紹介しただけで、衒学だってさ
775 :
考える名無しさん :2009/08/02(日) 06:39:28 0
「自己を超克せよ!」 マインドレイパーの常套句 クリシュナムルティは読者のあなた達以上に神経症だ!
776 :
考える名無しさん :2009/08/02(日) 06:48:35 0
自己を超克せよなんて誰が言ってんの?
777 :
考える名無しさん :2009/08/02(日) 16:52:23 0
てす
おっ、クリシュナムルティのスレ見っけ!と思って来てみれば、 …何?このギスギス感 (´・ω・`)
Kの質問者っぽいひとたちと Kっぽいひとたちが 修行中です
780 :
凍らせた鯛焼きは夏にぴったりと思ったらそうでもない :2009/08/02(日) 23:00:50 0
夏休みだからか?暑くなるとこの手の青臭い議論が必ず出てくるな。 まずはな...空観とか自身の体験などここで話しても伝わらんだろ。 結論を持ってしまっては本当の話し合いにはならない。 脳にしみ込んだ誰かの言葉か、自分のみの体験から導き出した 青いプチトマトのような推論では、くだらん水かけ論にしかならん。 時間があるなら、Kを読んでそこから「お題」を出して頂戴。 批判だろうが、疑問だろうが何でもだ。 誰かのK論など書かれても、それこそオナニー後のくさいティッシュ を自身満々に誇示するくらい恥ずかしいことだと早く気がつけるくら い大人になれよの夏。ってわけだ。
俺は寺の参禅会でKの本を薦められてから、10年以上日本語英語でKの講話集40冊以上を 線を引きながら何度も繰り返し読んで、それでこのスレに来ているのだが・・・ 俺の書き込みをオナニーにしか見えないとはフシアナではないか。
お題とお題でないものをわけているのは何故ですか?誰ですか? というお題を出さざるを得ない お題を頂戴したい方はお題を頂戴できるところに行くのがいいでしょう
783 :
考える名無しさん :2009/08/03(月) 02:50:17 0
オナニー後のくさいティッシュって、 あなたも似たようなもんだけどな。えらそーに。
784 :
考える名無しさん :2009/08/03(月) 03:28:44 0
青臭いとかオナニーとか書けば煽りになると思ってる人はもうちょっとがんばっていい煽りを 考えてください。 全く乗り気になれません。 オナニーしてる方が108倍マシです。
おまいらなぁ〜 オナニーで反応すんなよ! したくても出来ない奴だっているんだぞ わかったよ。お前らの青臭いのみてはぁhぁすっからよろしくな!
786 :
考える名無しさん :2009/08/03(月) 10:01:05 0
うっとうしい。えろそーに。 ちょっと反撃食らうと、クソやろうになる。 なら、はじめから、そうあればいいんだよ。 まともっぽいこと言わずに、ゲスはゲスらしく。 そもそも自分が最初にゲスなこと言い出しておいて、 「反応すんなよ」とはぶったまげた。自己洞察たりてねー。
787 :
考える名無しさん :2009/08/03(月) 10:23:23 0
言葉遣いが下品ですよ。
788 :
考える名無しさん :2009/08/03(月) 11:49:31 O
けひんはいいがおめーはけひんの意味わかってんのか?
なんだ鯛焼きか・・・・ たまに見かけるな
790 :
四零九 :2009/08/03(月) 12:27:10 0
初めの始めの初めの始めに、その言葉が実在するものなのか、確かめないから後でおかしくなる。 実はKは妄想吐いてたのだよ。それを真理だなんて、オカルトではなく、カルトです。
>>790 どのあたりをKの妄想だと思うのですか?
792 :
考える名無しさん :2009/08/03(月) 13:08:34 0
どちらにしろ光明を得ようと努力してればそれでいい。
妄想であるというのも簡単 妄想でないというのも簡単 だから安易に判断せず共に探求してみましょうとKは言う 妄想であるとか妄想でないとかいいたくなる自我が消えると答えは向こう側から訪れる
794 :
四零九 :2009/08/03(月) 18:01:12 0
朝から寝るまでどれだけの選択をして生きているのでしょう、人生は選択の連続です。 奴等のねらいは、判断を遅らせること。 more important they radically disorganize the mind and fix it in a static and fragmented mode of activity. より重要なことは彼等は根本的に心を混乱させて、心を固定させて分解させる活動形態である。
>>786 そういうお前もオナニークソ野郎じゃネーか。素直にKスレで
気持ち良く成りたいって言えばいいだろが、クソが。
俺は下品で偉そうなクソだが、お前は下品もオナニーもカミングアウトできねー
本物のクソ野郎だろ。
笑わせんなよ。便所のタワシ野郎。青臭く上品なオナニーでもして
ここで俺のオカズになれよ。それが嫌ならうんこ入りの鯛焼きを寝入りばなに
口に突っ込んでヤるから覚悟せい!
このクソ野郎。ウンコ野郎。?!&「
797 :
考える名無しさん :2009/08/03(月) 21:47:01 0
>>794 奴らって誰?
奴らが誰か知らないけど、そのねらいにひっかかるのはひっかかりたい人でしょ
あなたは何をしたいの?
誰かに注意を与えたり、誰かを救ったりしたいの?
>>796 賢者から見ると、あなたの姿は戦後民主主義という害毒に頭をやられて、
個性、表現の自由など妄想観念をマインドコントロールで注入されて、
観念に操られている可哀想な者にしか見えませんねえ。
あなたの下品で中身のない言葉の羅列は、伝えるべき主張がないのに
自己表現だけはしたいという者の哀れさが滲み出ていますよ。
799 :
アイス鯛焼き :2009/08/04(火) 00:24:28 0
さっき自転車で猫を轢いてしまった。
さっきの自分の言葉が招いたようだ。
スレを汚してごめん。
>>798 賢者?猫に轢かれろ! ボ(以下自粛
よし。まず自粛を覚えるのが智恵を悟るための第一歩だ。
801 :
アイス鯛焼き :2009/08/04(火) 00:43:38 0
>>798 そんなことは分かってる。マジレスする方がどうかしてるぞ。
では聞くが中身がある言葉とは何だ?
>>796 の私の言葉でさえ災厄を招いた。それに意味がないなら、
貴様のいう中身のある言葉とは何だ?
おまえの書き込みは自己表現では無いのか?
802 :
アイス鯛焼き :2009/08/04(火) 00:46:26 0
>>800 調子に乗るんじゃねぇ。タコ。
頭の中のタコ壷でおとなしくしてろ。
自己表現でない書き込みなどあり得ない 意味のない言葉などない。 頭のフィルターの存在に気が付けるかどうかが肝要でしょ。 いくら嫌でもウンコはウンコとして存在するわけだ。 誰かがウンコとして存在することを誰もとやかくは言えない。
つまりは自分のフィルターがウンコの正体だってことだ。 ただウンコを嫌悪するなら、ウンコのトラップに既に引っかかって るんだよ
805 :
考える名無しさん :2009/08/04(火) 20:07:51 0
もうわかったからビールでも飲んでリラックスしろよ。 みんな引いてるぞ
806 :
考える名無しさん :2009/08/06(木) 02:22:18 0
Kは宗教がもう幻想であることに気づいていた。だが、自身は宗教 をなりわいとする以外に方法がなく、哲学と科学と心理学をぶざま にブレンドした、化合物を売り物にするしかすべがなかった。本人 がその隠ぺいされた動機に気づいていたかどうかは知らない。たぶ ん、あれほど無邪気であったことからすると気づいていなかったろ う。 宗教の常套手段である。欺瞞や隠ぺいを非難し攻撃するのは、みず からの欺瞞と隠ぺいを隠したいからである。隠したい当のものを外 部に投影し、攻撃することによって隠ぺいするのだ。 Kが苦しまぎれにブレンドした、宗教と哲学と科学と心理学は、宗教 でもないし、哲学でもなく、科学や心理学でもない。ましてや真理で もない。 ただの寝言だ。 彼は、悪しき歴史の影であり、被害者である。だから、あまり彼を責 める気にはならない。すくなくとも入り口にはなってくれたのだから。
807 :
考える名無しさん :2009/08/06(木) 02:24:26 0
・・・出口なのかもしれない。
808 :
考える名無しさん :2009/08/06(木) 02:44:25 O
なんの出口?
なんの入り口?
810 :
考える名無しさん :2009/08/06(木) 04:34:39 0
王仁三郎
811 :
考える名無しさん :2009/08/06(木) 05:01:42 0
>>806 宗教がどのように幻想であるのか、どんな欺瞞と隠蔽があるのか、解説をお願いします
タチが悪いのは「ありのまま」という言葉を使ってKなりの先入観、偏見を読者に植え付けたことだ。 それによって勘違い人間を少なからず生産していることだ。 各地で開催されている勉強会に行ってみい。Kの検証を止めて信仰になっているから。 現代科学にクリシュナムルティなんて持ち出したら、恥かくぜ。
813 :
考える名無しさん :2009/08/06(木) 17:14:02 0
>>812 それはKの言う「ありのまま」などないってことですか?
どのようなものであれ勘違いして信仰にしてしまう人間はいると思いますが
たとえ科学であれ
814 :
考える名無しさん :2009/08/06(木) 17:35:25 0
みんな言ってることが逆だよ。 「ありのまま」に見ようとして見えるわけない。 こうしたりああしたりして「ありのまま」になろうとしてもダメだろ。 ただ単にKがたどり着いた極地から見て、Kが「ありのまま」に見えると形容しただけだろ。 あくまでも実感的にありのままに見えたんだよ。 あらゆる信仰的蒙昧や先入見を排除しないとそうは見えないんだろ。 「ありのまま」って何だろう?とか考えても無駄じゃないか。 K以外にも、まだ存命中で覚者になったインド出身のOSHOという人がおるよ。
815 :
考える名無しさん :2009/08/07(金) 09:42:12 0
>タチが悪いのは「ありのまま」という言葉を使ってKなりの先入観、偏見を >読者に植え付けたことだ。 読者に偏見を植え付けたという事実の根拠を示してください。 「私がそうだ」とか言うのは無しね。
ありのままやあるがままなんてむしろ仏教のほうが伝統や実績がある kはそれをkなりに表現しようとしただけだろ それよりもkに独特なものや真骨頂といえるものはないのかい?
奮闘努力することが世の中を悪くする。 一角の人間になろうとする行為が、心を貧しくさせる。
818 :
考える名無しさん :2009/08/08(土) 18:40:03 0
要するにヒッピーの思想ということで
819 :
考える名無しさん :2009/08/08(土) 18:43:30 O
検索して探した。金がなくていけない。
820 :
四零九 :2009/08/08(土) 22:49:34 0
ありのまま、ありのまま、ありのまま そのとき、そのものになりきる。 この簡単至極の一行が限りない深さと広さを持ち、永い間そだて上げた 複雑怪奇な習癖は、いろいろな色眼鏡をかけて見るために、 そのままに受け取れない。
やっぱり人間の幸せって金と権力だよな やりたいときに女とヤル うまいもん好きなだけ食う 他人を奴隷のように扱う、他者に対して傲慢になる kもそれは認めてる、優越感は人間にとってこの上ない快楽であると 悟りなんてのは負け犬根性だろwwwwwww 覚者、聖者なんてのは社会競争に負けたルサンチマンに過ぎないだろ 真理とはなにか?人間の価値=財力、権力だ これこそが「あるがまま」に見た現象だ
それは分離の考え方だよね。 自分がいちばん大事なのは確かなんだがね。
824 :
考える名無しさん :2009/08/10(月) 10:48:04 0
>>822 自分が欲望や快楽の追求の奴隷となっていることに気づくと、
それらは全然あるがままじゃないことにも気づくんだよ。
欲望=自分ではないことに気がつき始めると、権力や女や金は、
重力のように自分をここに縛り付けておくものでしかないという
認識がうまれんだ。
あるがままを語る時は、自分とは何か、今この瞬間の自分は何かについて
の洞察も同時にないと、Kの本意ではないよ。
あるがままは誰でも言えるけど、その「誰でも」が誰なのか、
徹底した洞察が必要だよ。
825 :
考える名無しさん :2009/08/10(月) 19:01:42 0
あるがままになると創造的になるっていうけど 「創造的」ってどういう意味? 何を創れるようになるわけ?
>>825 あるがままになると、創造的なものをまず、あるがままに知覚できるようになる
入力の部分だね
あとは入ってきたものをパズルみたいに組み合わせて出力
わかりやすく言えば、「モネ」の絵
あるがままが土台にあって、その先に真の創造性があると思う
827 :
考える名無しさん :2009/08/10(月) 19:32:07 0
クリシュナむるてぃは何かを創造しましたか?
828 :
考える名無しさん :2009/08/10(月) 20:12:21 0
>>825 >>827 あるがままでないときの行為は過去の記憶や経験からの再生産
K流に言えば過去に生きてることであって、そういう意味で創造的でない(新しくない)ってことだよ
Kが創造したかどうか以前に創造的であるとは全く新鮮でないといけない
だとしたら過去の記憶や経験を通して今を認識、行為するように、既に終わった過ぎ去った
もので今を認識、行為してもちっとも新鮮でもなんでもないってことだよ
言葉では矛盾がでるけど何を創造するでなく、創造的とはどういうことか
過ぎ去ったものを通してではなしに、今それらとは無関係にただ今ここを認識知覚すること
そうでしか創造的といえるものは無い
Kは別に創造はしてないが(と言う以前に誰かが何かを創造するということ自体おかしいと思
うが。創造的であるとは創造するしないという関係性から脱することだから)、創造的に(ありの
ままに)生きてたってことだろ
創造的に生きたいならそうしてはどうかって提案だよ
829 :
四零九 :2009/08/10(月) 22:07:01 0
go back to the start Could you please find it deep within your heart "Go back to the start"
大体、クリシュナムルティの本自体、ありのままでもあるがままでも無い代物だ。 本の製作者によって都合の良いように編集され脚色され、美化された捏造された本ではないか。 そんな当たり前のことに気づかない。はじめ本を読んで気持ちよくなって信じ込んでしまう。 カルトだ。
はじめ、本を読んで
>>830 そりゃ本なんて多かれ少なかれそうだし、Kは私が話してることや書いてあることを疑って
くださいって言ってるからいんじゃないの? 内容も自分自身を洞察しましょうってだけだし
そう言われたらよけい信じるとかはヌキで
どっちみち信じる人はKや思想、宗教に限らずなんでも信じるし
信じるとか信じないとか反応する自分の中にあるものに気づければそれでいいよ
834 :
考える名無しさん :2009/08/13(木) 22:11:54 0
「はじめ本」→ありのまま 「はじめ、本」→解釈、補正判断 「ありのまま」ていうのは、Kのまわりに建てられた寺院のようなもの。 昔の宗教においては「天なる父を」崇めてきたけど、いまは「ありのま ま」という言葉を崇めているだけじゃねーかな。
836 :
考える名無しさん :2009/08/14(金) 03:29:43 0
ありのまま=創造的、ていう方程式はあまりに楽観的で、乱暴で、 甘っちょろい方程式だよ。
837 :
考える名無しさん :2009/08/14(金) 06:05:13 0
「ありのまま」って何のことだよ?
当たり前のことだが、ありのままを自分で体験しない限り、それを肯定も否定もできない 知らないことを肯定したり否定するのは単なる推測である わたしはそれを知らない、あると思う、ないと思う、それしか言えない 興味があるばそれを体験できるよういろいろ試みてみればいいし、興味がなければ関わら なければいい
どこから取りかかるか、は重要。 まずは無選択の気づきからか、 人生上の危機に取組むことによってか
841 :
考える名無しさん :2009/08/14(金) 17:06:23 0
大麻中毒を体験しなくても、大麻を否定することはできるよ。 というより、体験しちまったら手遅れだ。 おっと大麻の話してるんじゃないんだよな。
それは否定じゃなく想像を通しての否定 否定してるのではなく否定したい、否定すべきという願望と欲求
そもそも大麻なんて国によっては合法なのに例え自体が… 大麻を体験してないなら、大麻がいいか悪いかではなく、興味ない、という否定しか言えない もしくは大麻であれ依存になるようなあらゆるものはよくないというような普遍的な言い方しか
言葉が書かれていると方程式で捉える人なんだよ 書かれた言葉で書かれてる内容が表現されているはずという言葉への依存
846 :
考える名無しさん :2009/08/15(土) 12:04:40 0
「私が言う、この価値ある状態」 「私が言う、この価値ある状態」 クリシュナムルティは延々とこれを繰り返す。どのページを開いても言葉を変えて言っ ていることは同じ。金太郎飴と同じ。何処折っても金太郎の顔だ。 kは視聴者のことなんか見てはいない。kの本を読むことはひとつの自己洗脳である。 グルジェフも同じだ。グルジェフなんかあからさまだろ。最低三、四回繰り返し読むように なんて言ったのでしょ。読む時間が長ければ、長いほど、読者の判断能力は麻痺していく。
847 :
考える名無しさん :2009/08/15(土) 13:28:59 O
無くはない
848 :
考える名無しさん :2009/08/16(日) 06:19:15 0
誰も師とするな。
さらに述べよう。 クリシュナムルティはこう何度も言っている。"I am the living Truth." "私は生きる真実である。" とね。「私は真実を生きている。」じゃないですよ。 私は生きる真実そのものだ。とおっしゃった訳ですよ。日本の出版社はこの発言を敢えてカットしている。 kはこんな傲慢チキな野郎なのです。その人物が私の言っていることを疑え? kは二重人格ですね。
Kじゃなくても誰でも生きる真実じゃん それに気づくのが悟り 全てを疑えるとそれに気づく Kも気づいた それだけ というか、Kが生きる真実だったらなんか困るの?誰かが生きる真実だったらいけないの? そういうふうに思わずにいられない自分を疑わないの? KがKがKがって、Kのことで頭がいっぱいなんだなあ なんでなんだろうね?
>>849 あなたは結局Kに依存しているのですね。
Kがどうであってもよいではないですか。
執拗にKがどうであるのか、また、Kがどうでないといけないのかを考えてるのは、あなたの
存在がKのあり方によって変わってしまうという自我の恐怖でしょう。
Kに限らず他人がどうでないといけないのかを気にするのは、結局自分のあり方を他人の
あり方と比べてるからです。
他人のあり方に依存しているのです。自分の空虚さを他人のあり方で埋めようとしてるの
です。
それに気づかなければ、Kであろうと誰であろうと、他人がいる限り自由にはなれません。
自分と他人がいるのではありません。
自分と他人を分け、比較し、気にしてる自分がいるだけです。
852 :
考える名無しさん :2009/08/17(月) 00:38:49 0
>>849 >"I am the living Truth."
文脈がわからないけれど、Kがそう言ったというのではなく、
聴衆にそう言いなさいと言ったのでは?
"私は生きる真実である。" なぜあなた方はそう自分自身を
表明しないのですか?とか
真実は虚偽でないもの、だったっけ?K的には。
だから虚偽と虚偽でないものを分別することが、生きる真実への道
だということをKは言ってるのでは。
都合が悪くなると傷つかないように解釈するもの、無意識に。 人間とはそういうものだ。
854 :
考える名無しさん :2009/08/17(月) 03:19:31 0
849が出典を示さないのも問題だと思うよ。 852は冷静な返しだとも思う。 この場合は、解釈や反論の前に出典を調べるべきだよ。 それをする前に、感情的な反論をするのは、「K的」ではない。 いや、もしかしてそれが「K的」なのかな? あらゆる調査や思考の手間を省いて、相手をばっさり切り捨てる。
傷つく自分も切り捨てる相手もいない それらは自分の作り出した幻影 人間はこういうものだということもない 概念をつくり、それに縛られている自分がいるだけ どこかでもどのようにでもなく、ただ、今、ここに留まればいい
856 :
考える名無しさん :2009/08/17(月) 17:23:30 0
へえ、でそれが分かったあなたは悟りが開けたのかね?w
他人が開けてようが開けてなかろうが、自分が悟りを開けなければしょうがない 私が悟ってますといえばあなたの何が変わり、悟っていませんといえばあなたの何が変わ るのか 他人が悟ってるかどうか気になるのは自分が悟ってない証拠 他人がどうあるかに応じて自分の拠り所を探っているだけ 他人のあり方で自分の不満や不安を解消しようとしてるだけ するべきことは自分が悟ること、それだけです 他人がどうであるかが何故気になるのですか? 他人がどうであるかであなたの何がかわるのですか? 他人が、あるいはKが悟ったか悟ってないか、どうであるかなどどうでもよろしい そこに自分が悟るためのきっかけにできるのものが見つけられれば使えばいいし、見つけら れなければ何すべきこともない
なんか暑苦しいな 欺瞞そのものの文章が持つ愚かな 熱意と言ったところか。で、どう 料理されたいんだ?
860 :
考える名無しさん :2009/08/17(月) 22:49:35 0
>>859 ロバーツとクリシュナムルティも共通点多いみたいですね。
861 :
考える名無しさん :2009/08/18(火) 22:41:09 0
そのスレ悟り厨房の巣窟じゃん。 変なもの持ってくんなよ。 悟り=欺瞞だろ? 悟りとは何かを誰が定義できるんだ? 定義された何かは既に悟りではないだろ。 誰かの脳内の欺瞞を維持するための、安全装置が悟りの概念 なんだろうよ。くだらねー。
862 :
考える名無しさん :2009/08/18(火) 22:42:56 0
>他人が悟ってるかどうか気になるのは自分が悟ってない証拠 オ マ エ モ ナ ー
863 :
考える名無しさん :2009/08/18(火) 22:58:02 0
>>861 悟り=欺瞞?
悟りとは何かを誰も定義できないなら欺瞞とも言えないのでは?
ちなみにこのスレにはどうして来ているのですか?
煽り?
864 :
考える名無しさん :2009/08/19(水) 00:14:21 0
>>863 釣り餌にかかったね。
悟りは言葉でしかない。これが悟りであるとは誰も表現できない。
無も表現できない。であるから、悟りとか無というにはただの言葉
の上の概念に過ぎない。それを得ているとか、悟ってない証拠とか
論ずること自体、ありもしない概念の上に構築した欺瞞だ。
悟り厨房は、悟っているかどうかを常に気にしている。
自分は悟っているか、Kは悟っているか、他人が悟っているか..etc
これも悟りという言葉の上に構築された脳内プレイなだけ。
脳内プレイをやって満足し、自分は概念と世界のありとあらゆることから
自由であると錯覚し、この全体が閉じているが故に閉塞して、
ついにはここに書き込んで欺瞞の維持と裏付けに自らのエネルギーを
注ぎ込むわけだな。いや、ご苦労さんといいっていいのかわからないが
君のそういう姿が、人からどう見られているか、ここで良く実感すると
いいよ。それは閉塞した自我の露呈であることを良く噛み締める時が来る
までね。
>>ちなみにこのスレにはどうして来ているのですか?
あなたの相手をすることなんだろうね。ヤレヤレだ。
865 :
考える名無しさん :2009/08/19(水) 00:48:51 0
>>864 だったら欺瞞とか欺瞞じゃないとかいうのも欺瞞じゃん?
悟りが言葉にできないっていうなら欺瞞とも言わずに黙ってればいいんじゃない?
せいぜい、欺瞞というかわりに、悟りは言葉にできないの一言でいいんじゃない?
ヤレヤレと思いながらのお相手ご苦労ご苦労
がんばってください(`・ω・´)ゞ
866 :
考える名無しさん :2009/08/19(水) 03:53:59 0
クリシュナムルティは10年ほど前に何冊か読んだと思いますが、ほとんど記憶に 残っていません。宮内勝典の本を読んでまた読んでみようと思ったのですが、 お薦めの本を何冊か教えていただければありがたいです。
>>866 Kの本は対話本ならどれも似たりよったりですが、訳者で感じが違ったりもします
自己の変容、恐怖なしに生きる、自我の終焉あたりが人気あるようです
悟りに限らず言葉は言葉でしかない 悟りが表現できないように何もその通りには表現できない しかし、それを前提に悟りが何であるかを記述することはできるし、何かをどうだと言うこと もできます それは表現できると思って言ってるのではなく、言葉として言ってるのです 問題は言葉で表現できるかどうかではなく、言葉で表現できるできないに固執、執着がある かどうかです 言葉そのものへの執着です ただありのままを知覚していればいいし、言葉を言葉としてただ語ればいいだけです 表現できるかどうかということはどうでもいいのです
>>868 悟りは言葉にできなくてもそれを当然知ってるんだよな。俺知らないから教えてよ。
>>869 自由であること
知識や記憶からのこだわりや執着に依らず、ありのままに知覚、生活できている状態
もちろん言葉でしかありませんが
>>870 知らないなら知ればいいです
もうすでに知っていると思いますよ
知らない(知りたい)という自分が完全にいなくなればわかると思います
>>871 >自由であること
何からの? 普通自由という時は、何かからの自由だろ。
本来自由なら自由という概念すらないはず。
>知識や記憶からのこだわりや執着に依らず、ありのままに知覚、生活できている状態
知識や記憶とこだわりや執着は別個のものだろうか。もしそれらに執着しないように執着していれば、
同じことじゃないか。
>もちろん言葉でしかありませんが
その通りだな
>知らないなら知ればいいです
ハア?
>もうすでに知っていると思いますよ
ハア?
>知らない(知りたい)という自分が完全にいなくなればわかると思います
ハア? なにそれこわい
873 :
考える名無しさん :2009/08/19(水) 14:52:53 0
Kの口真似野郎、とっとと消えてくれないかな。 お前みたいなのが人様に「・・・でいいのです」とか言ってるってことが、 どのぐらい阿呆くさいか分からんのかなあ。
消えてほしいようなので消えますね。 人間は阿保でもなんでもいいと思いますよ。
>>873 君の苛立ったコメントも阿呆くさい件はスルーですか。そうですか。
876 :
考える名無しさん :2009/08/19(水) 17:07:26 0
ここのスレのひとはKの読者にしてはずいぶん感情的なんですね。 Kを嫌いなひとが来てるのかしら。
執着を無くすってことは 執着することにも執着を無くすことにも、執着しないってことだよ 悟るってことが、最終的に悟ろうとする執着を終えることなのも同じ まあ他人の書き込みをきっかけに自己洞察して、 自分が悟ればそれでいい
>>877 >執着を無くすってことは
>執着することにも執着を無くすことにも、執着しないってことだよ
それ執着の肯定じゃん
>悟るってことが、最終的に悟ろうとする執着を終えることなのも同じ
え? どうやって終わらせんの?
>まあ他人の書き込みをきっかけに自己洞察して、
>自分が悟ればそれでいい
なんで誰かが悟らなければならんのよ。
全く支離滅裂じゃん
>>878 執着することと執着しないことを分ける自分がいなくなればいい
物事を自分の基準で分け判断する自分がいなくなれば執着も終わるし悟れるよ
>>876 結局、執着しているとああいう風になるんですよ
醜いですな
おまえがなw
882 :
考える名無しさん :2009/08/19(水) 21:11:12 0
醜いものも醜くないものもいない! そう判断してる自我があるだけだ! 矛盾も矛盾しないもない! そう判断してる自我があるだけだ。 悟ってるものも悟ってないものもいない! そう判断してる自我があるだけだ! 人はみなすでに悟っている! それを忘れて無明になっているだけだ! 人はみな悟りに向かっている! どのように見えようともそれはその人なりの修行なのだ! 悟りたいなら自分が判断したり感情がわいたときに そういう反応をした、その原因の自我を 見つければいい! 悟りたいものは悟れば、悟りたくないものは悟らなければいい! 以上!
883 :
考える名無しさん :2009/08/19(水) 23:00:51 0
俺たちの知ってるクリシュナムルティって、結局ただの言葉なんだよ。 その言葉が脳内に侵入し、自己複製を始める。ただの繰り返しだけどね。 自分をその言葉に同化してひとに説教し始めるのってのは、 考えてみれば、分かりやすい素直な反応だろう。カリカリすんなって。
>>883 ( ´,_ゝ`)プッ 文体変えてご苦労さんw
885 :
883 :2009/08/19(水) 23:20:28 0
えっ、俺が誰だと思ってんの? 教えてよ、知ったかぶりの馬鹿さ加減見て、 笑えそうだから。俺の発言は、何番?
>>883 説教だと思うのはアンタの自我、アンタの視点だよ
ナンタが自分で言ってるように単なる言葉
887 :
考える名無しさん :2009/08/19(水) 23:20:45 0
何があってもへらへらしてるような人間は悟ってるだろ
女に被害妄想もちすぎだろ もっとチンチン押し付けろよ
>>887 そうそう
逆にいうと何があってもヘラヘラできないようなら悟ってないよねw
891 :
考える名無しさん :2009/08/19(水) 23:50:22 0
>>886 説教かどうかはどうでもいいこと。
なりきり野郎も含めて、Kの読者のほぼ全員の脳内に生じるものは、
単なる言葉(思考)の自己複製の過程でしかありえない、
なぜなら読者にとってKはただの言葉だから、っていうのが要点。
>>891 だとしてもただの言葉ならいいじゃない
なんで自己複製の過程じゃいけないの?
それも言葉じゃない?
あなたにとって、Kの言葉はただの言葉でも、それについて語ってるスレの言葉はただの言葉
じゃないんだね?
なんで?
893 :
考える名無しさん :2009/08/20(木) 00:01:02 0
>>892 いいとかいけないとかの話じゃないよ。
最後の質問は、その前の行の「あなたにとって・・・じゃないんだね?」
がまったく見当はずれだから、答えようがない。
>>893 じゃあなんでなりきり野郎みたいな言い方するの?
よくないこととして捉えてるんでしょ?ちがうの?
なりきりでもなんでもいいじゃない?
ただの言葉なんでしょ?
895 :
考える名無しさん :2009/08/20(木) 00:29:46 0
>>894 は? 「なりきり野郎」ってのもただの言葉だぞ?
お前、何か言い返そうという感情のあまり、
ふつうにものを考えることもできなくなってないか?
>>895 ただの言葉をなぜなりきり野郎と解釈したかを聞きたいんだけど?
なりきり野郎でも神様でもなんでもいいでしょ
なんでなりきり野郎を選んだの?
897 :
考える名無しさん :2009/08/20(木) 01:01:01 0
>>896 そりゃ、俺にはそいつが成りきり野郎に見えたからに決まってるだろ。
ついでに言えば、お前は質問小僧ってところだな。
>>897 だからなんでなりきり野郎に見えたかを聞いてるんですけど?
なりきり野郎に見えなくてもいいですよね?
それってただの言葉ではなく、価値観のある言葉として聞いてますよね?
Kを読んでいろいろ書いてる人にはKの言葉はただの言葉というわりに
あなたもスレの人間の言葉をたんなる言葉じゃなく恣意的に解釈してるんですよね?
別に恣意的に解釈するのはいいんですけど、他人に言ってることと
自分がやってることが違うなって思って
ところで質問小僧はいけないことですか?
だったらやめますけど
899 :
考える名無しさん :2009/08/20(木) 01:11:32 0
Kは真理について語る。 Kの言葉は、その真理とやらを知りたいという欲求を引き起こす。 しかし、Kの語ったことについていくら考えたところで、 あるいは、真理に近づこうとして何をしたところで、 Kの言う真理には一歩も近づくことはできないんだろ? で、読者は不満のまま取り残される。ひでぇ話だなあ。
900 :
考える名無しさん :2009/08/20(木) 01:13:54 0
>>898 何でなりきり野郎に見えたかは知らんよ。
質問小僧を続けるか止めるかは、好きにしたらいい。
しかし、自分がやめるかやめないかまで質問するか?
さすがに質問小僧だな。
>>900 答えが知らんではよくわからないのですが、もう夜更けだし質問小僧も終わりにします
知らんの中身がわかったらまたお願いします
どうもお相手ありがとうございました!
>他人に言ってることと自分がやってることが違うなって思って これはクリシュナムルテ自身のことです。 >Kは真理について語る。 いえいえ、KはKが勝手に解釈したKなりの真理について語ったのです。 そして、クリシュナムルティは死ぬ前にこう言ったそうな。 「私の言ったことを理解した者はいなかった」と。 そりゃそうだ。クリシュナムルティ自身が妄想吐いてたのだから、誰も、それを真理だと理解できるはずがない。 KはK自身をも理解してない統合失調症のインド人であった。
903 :
考える名無しさん :2009/08/20(木) 04:59:37 0
>>902 そうだね!全く完全にその通りだね!
よーし、それをもっと広めよう!毎日100レスぐらい書いちゃおう!
世界中の誰ひとりそのことを知らない人がいないようにしないとね!
人間は真実を知るべきで知らない人はただただ愚かなだけなんだもんね!
知ってること書いちゃおうよ!わかること書いちゃおうよ!
全くその通りでしかないんだからどんどん書いちゃおうよ!ね!ね!ね!!!!
904 :
考える名無しさん :2009/08/20(木) 06:29:29 0
>>902 「今後も理解するものはいないだろう」とも言っているよね。この人、
なんのために講和して廻ってたんだ?て思う。が、統合失調症かどうか
、神経症かどうかは医学的・心理学的問題なので言わないほうが無難か
と。
私が思うところを正直に述べると、Kが語っていることは「死」にまつ
わる幻想・妄想なんじゃねーかという気がする。いろいろなぼかしや
歪曲がかかっているが、けっきょく「死」について喋ってるんですよ。
ただ、それをはっきり言って種明かししてしまうと、彼は誰にも見向き
もされなくなるからね。だから、言わないんですよ。神経症かどうかは
わからないけど、神経症の典型的な言動パターンではあるわけです。
二元論のついえる場所。自我や思考が終わる場所。大いなる空白。時間
の終焉。
すべて人間の死に関することですよ、これって。なのに、直接死につい
ては話さず、それをぼかして、歪曲して、大衆に語りかけると、圧倒的
な情動的支配力が生まれるんですけど、わたしはKはそれをそれと認識し
ないで話してたとしか思えない。無垢な子どもという表現が適切かと。
いや、今さら言うことではなく自我が死ぬから死に違いないんだが 自我が死んで本当の自分(本性、仏性)に出会うのよ Kじゃなくても禅でもヒンドューでもなんでも言ってるがな 悟りは今ここで死ぬことって Kが病気かどうかはどうでもいいが、自我の死の体験をしてる人間なんてけっこういるぞ、 自我の死、空観の体得 また自我をつくっちゃうから長続きしないけどな K批判してるぐらいならさっさと自分で体験すればいいのに
でも悟りとかを批判してるときは大抵無意識下で自我と仏性が対立拮抗してるんだよね 悟りの自由な状態に戻りたいっていう仏性と、今まで築いた価値感を壊したくない死にたく ないって自我がね 空観を体験したらわかるよ あのときの自分はそういう状態だったんだって そりゃあ自我は悟りを恐れるさ、自分がいない、死ななければならないんだもの だから必死に抵抗してるのよ 悟りなんてない、自分はたしかにいる、自分の知ってる知識や価値も本当だってね まあ大抵の人はそういう自我を抱えたまま本当に死ぬんだろうね 悟りや空なんてない、幻想だってね
907 :
904 :2009/08/20(木) 07:38:29 0
>>905 そういったご託が、歪曲・ぼかしだと言っているのがなぜ理解できない?
「生きながらにして死ぬ」それを延々と繰り返すのが奴らの常套手段だと
言っているのがなぜわからない。
死は根源的な恐怖であり、それを利用しているだけなんだよ。内実はなに
もないんだよ。
>>907 生と死を分けているのは自我じゃん
自我がないとき生も死も恐怖もないがな
さっさと自分で体験してちょ
自我が消えたらね その瞬間、ああ、自分は無かった、どこにも何も無いってわかるの でも物理的にはあるのよ でも概念としてないの、物理的存在に付帯している概念が無いの 死とか生とか呼ばれてたもの(物理上の変化)はあるの でもその境界線は概念から生じたものだから概念上の生死の区別はないの それはね、自我が消えたらわかる おもしろいぐらいに、自分が勝手に線を引いてこれはこうだ、これが在る、これも在るって 錯覚してたってことに気づく それに気づかないように自我が邪魔をするけどね 死も生も自分もあるってさ
あれなのかな 自我を残したまま、空性を垣間見たのかな そういう人もけっこういるね、何もなかった、虚無だったって それは一歩足りないんだよな、踏み込みが 在ると無いを区別する自我が残っちゃってるんだよ 無いのはイヤだ、在るほうがいいって思うから虚無に感じるんだ そこでもう少し自我を殺せると、在っても無くてもいい、在るとか無いとか気にする自分なんて いなかった!ってなるんだ それが在るも無いも無いっていう無なんだよ どっちでもいいんだ どっちでもいいから何にも束縛されず自由なんだ でもそうなるには自我が死なないといけないからイヤがるのさ イヤがりながらちょっと何も無い自由を見させられたから虚無に感じるんだ でも虚無に感じる自分すらいないんだよ 悟りってのはそういうもんさ
仏教を虚無だって言ってる人はそういうことなんだ だけどおかしいと思わないかい? 虚無って言ってるくせに虚無だと感じてる自分はいるんだ それは誰だ? それは何だ? って話さ そこまで踏み込めたら虚無なんて幻想だったって気づけるよ 自我が生き延びるために虚無があるって幻想をつくってたんだ でも虚無も虚無に感じる自分もいないんだよ この場合のいないってのは、いるもいないも無いってことね 何もないさ 何もないってことは自由だろ?
912 :
考える名無しさん :2009/08/20(木) 08:30:38 0
松村くにひろなんかは悟ってるよね
高田純二とかね〜♪
成りきり悟り厨房とKアンチ厨房の言葉の応酬か。
自己申告の悟りほど滑稽なものはない
そして傍観者気取り上から目線厨房w
917 :
考える名無しさん :2009/08/20(木) 11:05:34 0
>>911 自我ってのは、ここに書き散らしてるおまいとは別物かよ?
「自我が邪魔する」とか言うけど、誰の邪魔をするのさ?
918 :
考える名無しさん :2009/08/20(木) 11:13:58 0
「俺は自我の消滅を体験したぞ」って言ってるおまいの自我は、 消滅した自我とはまた別の自我なのかい?
919 :
考える名無しさん :2009/08/20(木) 13:11:27 0
ヒッピーどもが麻薬や幻覚剤で脳がおかしくなってるのを「変性意識」と勘違いし、 オショウ−=ラジニーシがその勘違いをさらに推し進め、ついには麻原の「最終解脱」。 キリスト教圏に似非預言者が現れるごとく、仏教圏には似非覚者が現れる。 これが世の道理。
俺は自分大好きだし、他人を嫌いなのも憎むのも止められん 悟りって降伏宣言なんだよ、 悟って他人に心を開くくらいなら自殺したほうがマシだろう 今更生き方を変えられない、大人とはそういうものだ
921 :
考える名無しさん :2009/08/20(木) 14:00:22 0
何が大人だ。たまたま身に着けてしまった習慣に固執してるただのガキだろうが。
それが大人なんだよ 柔軟なのは良くも悪くも子供
923 :
考える名無しさん :2009/08/20(木) 15:24:51 0
kアンチの人はアンチカルトアンチニューエイジな人なのか。
なんか苦い経験でもあるのかね。
大体そういう人って自分が昔そうだったりとかだけど。
昔の自分や過去を清算したいとかね。
この人もそうかはしらんけど。
>>919 なんでそういう考えをするようになったの?
>>920 Kも「歳をとりすぎた人はもう悟らない」みたいなこと言ってるよね
まあ大げさに言った表現だとは思うけど
自分は間違っているのかもしれない・・・ でももう後には戻れないんだ
クリはまだやさしい、何度読んでも理解できそうもない 純理とかどうみても詐欺だろ
>>925 ちょっとずつ戻ればいいじゃん。
いくつだか知らないけど40歳なら40年かけて作ってきた自分をこれから40年かけて戻して
いけばいいし。
50でも60でも残りの人生で少しずつ戻ってもいいと思うよ。
っていうか歳とってきたら我やこだわりにかけるエネルギーも体力もなくなって多少戻るしねw
物事も見えてきたりするし。
中にはいくつになってもこだわりや執着の多いじーさんもいるけどw
928 :
考える名無しさん :2009/08/20(木) 22:51:04 0
>>923 >>919 は、べつに珍しい考えじゃなくて、ごく普通に誰でも思うことなんじゃね
クリシュナムルティに関しては分からないが、ニューエイジだのオショウだのに関しては。
俺は特にそういう世界に深く足を踏み入れたことはないなあ。
それにしても、あまり「大体・・・だけど」とか思い込まない方がいいんじゃね。
あなたの場合、相当に見当はずれの場合が多そうだよ。
929 :
考える名無しさん :2009/08/20(木) 22:54:01 0
>>926 哲学は「俺はこう思うが間違いかもしれない。その場合は批判してくれ」って
スタンスだけど、クリシュナムルティは肝心のところに関しては、
「これは私の意見や考えではなく、真実です」って断定するからなあw
930 :
考える名無しさん :2009/08/21(金) 00:14:03 0
>>655 物理学専攻なら、この本がぴったりじゃないかな。
シュレーディンガーは自身をアドヴァイタだと言ってる。
わが世界観 (ちくま学芸文庫) (文庫)
エルヴィン シュレーディンガー (著),
>>928 いや、ごく普通に思うも何も知識が間違ってたり恣意的解釈ですよ。
だって、
>ヒッピーどもが麻薬や幻覚剤で脳がおかしくなってるのを「変性意識」と勘違いし
って、勘違いも何も、そういう状態を変性意識と呼んでるわけですし。
もちろんそれら以外の方法でもたらされる変性意識も多いですが。
書き方も感情的ですし哲学板だからそっちの知識がないのかもしれませんけど、恣意的に
知識を間違うような経験でもあるのかと思ったのですよ。
脳がおかしくなってるというのもいろいろな説があるなかをあなたはあえておかしくなってる
という解釈を選んでるみたいですしね。
あなたは見当はずれ以前にいろいろ知識を間違ってるかもしれませんよ。
932 :
考える名無しさん :2009/08/21(金) 02:18:30 0
このスレの人は初期仏教や禅宗や西田哲学なんかはどうなんですか? クリシュナムルティとの類似点を指摘されることも多いですが
934 :
考える名無しさん :2009/08/22(土) 12:18:10 0
ひょっとして、「いろいろな説がある」例として挙げたのが、 紀要論文とネット上のサイト? そりゃ、いろんな説があるでしょ。 「オウム真理教事件は政府の捏造だ」とかだってあったよ。
はて? 933ですがスレの流れから単なる参考を載せただけですよ とくに誰の書き込みにどうこうということじゃないですけど これらは宗教板でちょくちょく紹介されてるurlの類です オウムがどうとかよくわからないです
936 :
考える名無しさん :2009/08/22(土) 15:31:43 0
嘘はその場凌ぎになるかもしれないけど、後で絶対、人を悲しませることになる。だから、嘘は嫌いなんだ。 精神世界っていうのは、精神世界全体で嘘ついてるところがあるからなぁ。
嘘をつきたくないという人は自分が嘘をつかれたくないと深層心理で思ってます。 人を悲しませたくない人は自分が他人から悲しまされたくないと深層心理で恐れています。 また他人を悲しませた責任を感じたくない取りたくないという深層心理でもあります。 純粋に嘘をつきたくないわけでも人を悲しませたくないわけでもなく、それらを恐れること からくる自己防衛の反応です。 自分を守るために他人のことをあれこれ考えてるだけです。 嘘であるか真実であるか、悲しむべきことかそうでないことかを自分は判断できると仮定( 過信)してそれらを考えます。 その人が嘘か真実か、悲しいかそうでないかを判断するというふうには考えてないのです。 嘘や真実や悲しいことや悲しくないということを、人間が客観的(論理的)に区別判断できること、 はっきり境界線を引けることだと思い、それらは個々の主観や心理的要因とは無関係に存在 する何か確固たるもののように思っているのです。
>>937 こういうマインドの欺瞞を暴くみたなのは面白い
もっとやって
939 :
考える名無しさん :2009/08/22(土) 21:41:08 0
>>937 ほらね、こうやって自分自身を麻痺させていくんだ。クリの思うつぼ。
実際にも、こうやって長々と講釈たれるのかね。
欺瞞じゃねえよ それこそが道徳心というものじゃないか 己の欲せざるところ、他に施すことなかれ、とか他には 黄金律でも説かれている
己の欲せざるところ、他に施すことなかれというのは 逆に言えば自分がされてもいいことは他人にしてもいいっていう ことになっちゃうぜ? 俺は殴られるの平気なんだ、別に人間を殴ってもいいよなってさ したいこと、されたくないことは違うのに 自分の価値観を相手に当てはめてるだけじゃないのか?
943 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 00:25:04 0
なにが悲しくて悲しくないかは、人によってそれぞれちがうし、ときに は180度ちがったりすることもある。それは賛成するけど、だからといっ て悲しみが幻だというのは間違いだと思う。悲しみは在るし、悲しみを 減らしたいと思うことの、いったい何が欺瞞なんですか?それにKは悲し みに無関心ではなかったと思う。 Kは弟が亡くなったときにこう言っている。 「苦しみから新しい力が芽を出し始めています。慈悲の心と新しい洞察 が過去の苦しみから生まれでようとしているのです。それは、ひとびと にもう苦しんで欲しくないという強い欲求です。もしひとびとが苦しま なければならないのなら、美しく耐え、なるべくひどく傷つかずにそこ から脱け出せることを願います。私は(弟のことで)悲しくて泣きまし た。しかし、人々に泣いて欲しくありません。しかし、もし彼らが泣く なら、わたしにはそれがどういう意味なのかがわかっています。」 もっとも、私はKに対してはどちらかというとアンチな立場ですが。
944 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 00:43:29 O
アバウトな
悲しみはないほうがいい しかし他人の悲しみ誰がどうしようというのか? 例えばあなたがいないと悲しいと女性が言う あなたは女性のために側にい続けるのだろうか 仮にそのときはそれですむとして、 やがてあなたがいなくなったとき女性はどうするのだろうか? 悲しみの問題の解決はあなたが女性の側にい続けることではなく、 女性がたとえ一人でも悲しくないということに気づくことではないだろうか 悲しみは自分が自分の依存心からつくっているということに、 気づくことではないだろうか 自分がすべきことは、彼女が彼女自身で気づくことを見守ることであって、 自分が彼女に何かをするしないということではないのではないだろうか 自分が誰かを悲しませる、自分が誰かを悲しませない、ではなく、 その人がその人自身で救われずに一体何が解決するというのだろうか
946 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 01:45:55 0
>>937 はあまりにも浅薄な分析に見えるんだが、そう感じるのは俺だけか?
だったらどう浅薄と思うか書いてみたらいいと思うお
948 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 01:57:10 0
しかし、
>>937 を読んでて、何で俺が成りきり野郎を見るとイライラするのかわかったわ。
クリシュナムルティが話題になるところには、必ず1人ぐらい成りきり野郎がいるもんだが、
そいつらが演じるクリシュナムルティって必ずそいつらにあわせて矮小化されてんだよな。
それで、不細工な女が俺の好きな女優の下手糞な物まねするのを見せられたみたいな
気分になる。w
949 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 02:03:59 0
>>947 >>937 みたいな心理もなくはないだろうし、多分
>>937 自身がそうではあるんだろうけれど、
嘘をつきたくない人や、人を悲しませたくない人の全員がそうであるわけではないのに、
すべての人に関して成り立つもんであるかのように錯覚してるところかな。
>>949 では、あなたの考える嘘をつきたくない理由や、
人を悲しませたくない理由は?
951 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 02:16:57 0
人を悲しませたくない理由は、 人を悲しませること自体が悲しいからだろ。 神経が麻痺して人を悲しませることを悲しく感じないときには、 人を悲しませたくないとも思わなくなるじゃないか。
じゃあ人を悲しませると自分が悲しいからってこと?
953 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 02:29:48 0
そう言うこともできるだろうけれど、その言い方は、 人間の常に自分の利益だけを求めているのだという 馬鹿げた固定観念を連想させるな。それが言いたいわけ?
じゃあなんで人が悲しいと自分も悲しくなるの?
955 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 02:38:39 0
何でか知らんが、実際そうじゃね?
でもそういうときもあれば、 この人なんでこんなことで悲しんでるんだ?と思うときや この人こんなことで悲しんでバカじゃん?と思うこともあるんじゃない? 相手が悲しいと自分もいつも悲しい?
相手の悲しみがわかるから復讐するおもしろさがあるんだろ 相手が悲しんで俺がそれを理解する ざまああwwwwwwwm9(^Д^) って感じてるときは最高の快楽だな
958 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 10:13:33 0
だから、そういうときは「悲しませたくない」とは思ってないだろ?
相手が悲しいのは同じでも、それを悲しませたくないときとそうでないときがあるのは何で?
960 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 11:50:22 0
さあ、自分で考えたら? それともクリシュナムルティ成りきりは廃業して、 今度はソクラテスごっこでも始めたのかい?w
なんで僕があなたの意見の内容を考えるの? 他人を批判するわりに自分の意見の説明もできないんですね このスレ見てたけど、口汚く批判するわりに 自分に分がないと急に黙ったり知らんと答えたり もうちょっと考えて書き込んでたのかと思って聞いたけど、 もういいや あんがと ばいばいノシ
962 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 12:36:13 0
ああ、単に何か言い返したいという幼稚な感情から、 その機会を探すために質問してたわけね。 何か答える気にもならん質問だと感じたわけだ。
963 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 12:38:36 0
人間は自分の感情の原因なんか知らないし、それでいいんじゃね。 それを妙な分析をして「深層心理で・・・恐れているのです」とか 固定観念持つのはどうかと思うよ。
964 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 15:51:08 0
それじゃ心理学は科学じゃなくて固定観念ということになるんじゃないの? 自分の感情の原因は自分にある分けだし。
965 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 16:04:48 0
心理学でも、精神分析なんかはふつうに考えて科学じゃないだろ。 まして、個人の内観に基づく判断を基礎にして科学は無理じゃないか? 偏見かもしれないが、Kと心理学を結び付けようとする奴は、 あきらかに思考のレベルでの理論を作ろうとしながら、 他方では「これは思考ではなく俺が内観した真理だ」と言って 批判を受け入れない傾向があるように思う。理論なら理論で、 個人的直観に頼るのではなく、先行研究を踏まえたうえで論理的に やっていくべきだし、K的な自己観察をしようとするなら、 そこから断定的な結論を導き出すのは控えるべきじゃないだろうか。
誰か自分の直感をこれは理論だとか言ってるのか? 別に個人的直感でこれはこうだと言っていいと思うが。 それをどう解釈するかはそれぞれだし。 なんでいかんのだ?
断定的かどうかなんて単なるレトリックじゃないのか? ○○は△△だと言えばまずくて、○○は△△だと思うと言えばいいのか? 断定的に語ってるなら語り手も断定してる、断定的に語ってないから語り手は断定してない なんていえるわけでもあるまいし。 それじゃあ内容じゃなく口調やレトリックを判断してるだけだし。
968 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 19:26:40 0
>>966 別に俺も言っていいと思うぞ。俺もそういう発言を読んで俺が感じてることを
書いているだけだし。
>>967 俺が断定的な結論と言ったのは、「嘘をつきたくないという人は自分が嘘を
つかれたくないと深層心理で思ってます」みたいな人間の動機についての一般論。
「と思う」と付いるかどうは、あまり関係ないな。
「嘘をつきたくないという人は自分が嘘をつかれたくないと深層心理で思ってます」って 思ったからそう書いたんだろう。 それが違うと思うならどう違うかということを書けばいいだけなんじゃないか? 誰もが自分の導き出した結論を書いてるだけで、それを強制されるわけでもあるましし、 それでいいじゃないか。 なにか問題あるのか?
970 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 19:55:04 0
どこが違うと思うかは書いただろ。 そういう場合もあればそうでない場合もあるんじゃねって。 そいつは「そうではなくて、・・・と思ってるんだ」みたいな 別の一般論を期待してたのかも知らんが、 それと、俺は意見を書いちゃいかんなんていってない。 一つの意見を書けば、それなりに反応が返ってくるだけのこと。 「自分の意見は書かせろ、それへの敵対的な感想は書くな」ってのは、 虫が良すぎるだろ。
>>970 >そういう場合もあればそうでない場合もあるんじゃねって。
スレの上のほうででいろいろ言い合ってるのはあんたか?
そうでない場合ってのはどういう場合なのか書いてくれよ。
書いてあるんならあんたの書いたレス番でもいいし。
嘘をつきたくない人はなんでつきたくないんだ?
972 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 20:27:46 0
そんなの当然いろんな場合があるだろ。 バレるのを恐れるとか、バレない嘘を考えるのがめんどくせとか。 単に嘘をつかない主義で、自分の主義に反することをするのが嫌だとか。 「嘘をつくのが嫌な人は、自分が嘘をつかれるのを恐れてるのだ」なんて、 「ソフトウェアの不正コピーはしたくないと思ってる奴は、自分が作った ソフトウェアが不正にコピーされることを恐れているのだ」って言うのと と同じぐらいアホくさいぞ?
973 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 20:38:42 0
ちなみに俺の場合だと、嘘を見透かされて恥ずかしい思いをしたとか、 嘘だとばれるんじゃないかとひやひやしていやーな気分になったとかの記憶から 嘘をつくのはやめとこと思う、ってのが実感あるなあ。 「嘘をつかれるのを恐れている」ってのは、実は実感としては全然分からん。 そんなことあるか?と思う。俺が人に嘘を付かない主義だとしても、それで 人が俺に嘘をつくのを防げるわけじゃないんだから合理性ないじゃん。
それらを含んでのことだと俺は思ったけど。 「嘘をつかれたくない」ってのはつまりその人が嘘をマイナスだと思ってるって意味だろ。 嘘をプラスだと思ってるんならつかれてもいいんだろうし。 噛み砕いて言えば、「ソフトウェアの不正コピーはしたくないと思ってる奴は、不正コピーが 悪いことだと思ってる」ってことだと思ったがな。
975 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 20:48:07 0
人から嘘を付かれてとてもとても不愉快な経験をしたので、 俺は人に嘘をつくのは止めようと決心した、とかならまだ理解できる。 ただ、これは両方あるな。何か人に嫌なことをされて、 俺はひとにそういうことをするのは止めようと思う場合と、 自分がされたことを誰かにやり返してやりたいって言う場合と。
976 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 20:51:58 0
>>974 「嘘をつきたくないという人は自分が嘘をつかれたくないと深層心理で
思ってます」がそういう意味だと本当に思うの? へえ。
977 :
947 :2009/08/23(日) 20:52:11 0
マイナスってのは自分にとってマイナスとかもだけど、善悪でいう悪いことぐらいの意味な。 「嘘をつかれたくない」ってのは「悪いことをされたくない」、「悪いことだからされたくない」って ことで。 嘘自体善でも悪でもないのに、嘘=悪って固定観念があるって話だと思ったが。
978 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 20:59:17 0
>>977 「恐れている」ってのは変だと思うが、たとえば不治の病で死にそうな人に対して、
その人を絶望させないために嘘をつくような場合に、それでも嘘をつきたくないと
思う人は、同じ状況になったとき自分が嘘を付かれたくないと思ってる場合が多い
かもしれんな。そういう状況に限定して考えれば、まったく分からんでもないか。
kの言うことがわかるとか納得する人は言葉自体より言葉が表そうとした言葉になる以前の ものを解釈しようとしてるし、 kの言うことがよくわからないとか批判とかする人は言葉によって表現できたり、言葉が示す ことができたものを解釈しようとしてるから、 どちらがどうとは言わないが、 接点は、ない
思想ってのは究極的には好みの問題なんだよ
981 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 22:29:36 0
>>979 そう言う風に綺麗に二分できるかな。一つの哲学としてKの言うことを
解釈しようとする人など、ほとんどいないと思う。そういう捕らえ方をしたら、
Kの言っていることは矛盾だらけで、ほとんど価値がないという結論に
ただちにたどり着いて終わるんじゃなかろうか。だから、Kに興味を持ち続ける
人は、ほぼ全員「言葉になる以前のもの」に興味をもってるんだと思う。
それから、「納得する人」と「よくわからないとか批判とかする人」という二分
にも賛成できない。みな、ある程度は納得するところがあったからこそ興味を持つ
のだろうし、理解したいと思ったからこそ、「よくわからない」という感想を抱く
んだろ?
>>981 あなた私の言葉ももう言葉で表現できた部分であなたの解釈をしてるw
二分したとも言ってないし、
仮に二分したと言ったとしても、
正確に二分してるか概念で二分してるか簡略化して二分してるか…いろいろあるしw
どういう意味で言ってるかを聞かず、
これはこういう意味だと自分で解釈して、
その上に自分の思考と論理を展開させるんだね
言葉があるということに能動的な人と、 言葉があるということに受動的な人がいる 言葉を使用する上で能動受動ではなく、 言葉の存在に対して能動受動
984 :
考える名無しさん :2009/08/24(月) 01:12:04 0
>>982 そりゃ、あたりまえだろ。ここは言葉だけのやり取りなんだから、
相手の言葉を自分なりに解釈して応答する以外に何ができる?
それにしても、「どちらがどうとは言わないが、接点はない」とまで書いといて、
それを「二分」と解釈すると俺のほうが「どういう意味で言ってるかを聞かず」
ってことになるのかい。ずいぶん都合がよくできた頭だな。
>>984 さん、あなたは律義な人だねぇ、クリシュナムルティの知識によって思考にバイアスがかかっている人に説明することは容易ではないよ。
何を説明してるんだ?