1 :
考える名無しさん:
哲学の第一命題は
「人間は言葉をしゃべれる生き物だ」
だよな。
聾唖(ry
いやそんなのが問題じゃねえよっつーあれだよな
とりあえず「ある第一命題は共有されうる」ってのはどうだ
しゃべれるじゃなく「しゃべる」じゃないのかな?
はかの生き物はしゃべれないんじゃなくてしゃべる必要がないのかも
知れないし。
人間はことばという道具で自然と自分をつないでいるのかもしれない。
それは最初、対象を持たない叫びであったというけど。
「おぎゃーおぎゃー」とかそうなのかな?
それでおっぱい(対象)を与えられるんだよね。
精神分析ではそう言ってる。
6 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 01:15:57 0
>>2 > 哲学の第一命題は
> 「人間は言葉をしゃべれる生き物だ」
この命題を否定できたら、賞金100万円。
7 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 01:20:09 0
>>6 頭がんで声帯を取ってもそれで人間でなくなることはないから、
言葉をしゃべることは人間の必要条件ではない。
オウムは言葉をしゃべるが人間ではないから、
言葉をしゃべることは人間の十分条件ではない。
否定終わり。・・・・・・100万円くれ。
8 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 01:21:32 0
「喉頭がん」の「喉」が抜けてやがんの。一字のミスで100万円逃したw
「しゃべる」じゃなくて「つかう」じゃないの。
叫びもことばなんだよ。それは動物の吠えや唸りとは違う
存在論的欲求なんだよ。
「しゃべれる」というのは何度もいうようだけどおかしいよ。
優位性の根拠はどこにもないんだから。言葉をつかうために大きくほかの
生き物よりコミニュケーションの齟齬をきたしてもいるのが人間なんだから。
そうか命題としてね。失礼しました。
でもやっぱり間違ってたじゃん。>7
さん、なんで喉、忘れたの?>6と同じ人なの?
でも、やっぱり「しゃべれる」っておかしいな。
優位性の根拠ないもんね。
答えは優位性の根拠はないだけど100万円はいらない。
14 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 06:09:55 0
>>6は馬鹿だけど、
哲学の第一命題は
「人間は言葉を使う生き物だ」
でどう。
この命題を否定できたら、賞金はオレの全財産。
結構深いかもね。
「我思う、故に我あり」と言ったって、
言葉を使ってそう言ってるんだからな。
16 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 06:40:37 0
ぴかぁ〜の「言語ゲーム論」を肯定しそうな流れだね。
結局、哲学って
ソクラテスに始まって、ウィトに終わる
ってことだよ。
18 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 13:47:46 0
終わっちゃたの?
でも言葉が人間にとって最も本質的なものなのかどうかはわからない。
言葉が無くても人間の意識はあると思うけど、それがどんな意識なのかわからない。
現に言葉があるんだから、言葉がない状態がどんなものかは知り得ない。
言葉がなければ「私」もないだろうか? 最高位に聞いてみようw
20 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 16:08:59 0
最高位なら「誰が言葉を使ってるんだ?」って言うかも…
「私」が言葉を使っているのか?
それとも、言葉が「私」を使っているのか?
この辺は決着がつかない問題だろうねぇ…
「私」が無くても言葉はある、とか、「はじめに言葉ありき」
っていうのは、いわゆる「超越的視点」「形而上学」
「信仰(あるいは『妄想』)」なんじゃないの?
22 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 17:58:50 0
そうじゃなくて、
「哲学の第一命題」ってところが肝だな。
哲学の枠組み内では、
言葉が無ければ始まらない
というわけか。
>>21 でも、「超越的視点」「形而上学」「信仰(あるいは『妄想』)」というのもまた同じように言葉だ
それらの言葉で指し示される第一命題はおそらくナンセンスなものになるのだろうけど、
それを言ったらナンセンスじゃないものなんかあるか?とも思う
まあ、ここで問題になるのは「私」を消去した先の世界についての哲学は、
ことごとくナンセンスなものになりはしないかってことなんだろうけどね
「私」を消去するほうがナンセンスなのか、
それとも言語を消去するほうがナンセンスなのか、
哲学そのものを消去してしまいかねない問題
僕個人としては哲学はあるひとつの方法でしかないと思ってるので、
単純に第一命題というのは一通りには定まらないだろうとしてるのだけど
24 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 19:04:32 0
早くも新スレとは!
乙ですな〜>1
>>19 ニーチェの「力への意志」がありますよね。
本質と言えばこちらのほうが本質?でもそれを指し示すのにことばを
やはり用いてる(笑)
>>23 >「私」を消去するほうがナンセンスなのか、
>それとも言語を消去するほうがナンセンスなのか、
>哲学そのものを消去してしまいかねない問題
「私」も言語も、どちらも消去はできないと思うんだけど、
でも、物質の根源性を主張する唯物論のあやしさと同じような
あやしさが、言語の根源性の主張にはあるような気がする。
存在を「物質」として規定しているのが「私」であると
同じように、ある特定の記号的なものを「言語」として
規定しているのも「私」なのかもしれない。
人は言葉なしには思考できないということを良く聞くけど、
ほんとうにそうなのかな。
もっとぼんやりした、言葉以前の思考もあるのではないかな。
言葉以前の思考というとちょっと今度は超自然のほうにあやしくなりそうで
むつかしいです。
言葉は中間項として扱えばいいんじゃないですか?
意識の流れとか思念の流れとかあるでしょうね。
ぼんやりしながら何かに思い当たるのを待っている時間のような。
これを思考というのは文学的表現になるのかな・・・。
前スレがまだ続いています
前スレからの議題以外の話はしないでください
沈黙とことばです。ニーチェと精神分析です。
つながりわからないのかな
シニフィアンとシニフィエの話になるんだろうねこうなってくると
非言語的イメージ(シニフィエ)は確かに存在するはずだと個人的には思いたい
でも、「人間はシニフィエを持つ生き物だ」なんて、
第一命題としてはあまりにも技術的すぎるし、
そう思うとなんか「人間は考える生き物だ」
みたいなののほうがまだ哲学の第一命題としてふさわしいのではないかとも思う
気分や考えを言葉という形にすることによって、整理できる。そして言葉は論理に従うから、数学の計算をするように、
考えを前に推し進めることができる。
>>1さん
新スレ感謝。また書かせていただいていいですか?
言葉と沈黙をめぐるトピックの流れだと思うけれど、
言葉をめぐる思考も言葉でしか表現できないわけで
自分の尻尾をかみながらぐるぐる回らざるを得ないような
そんなもどかしさがあるね。
人間は言葉だけでは思考できないでしょう。感情がいるでしょう。感情を元に価値付けをするでしょう。
36 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 06:59:23 0
哲学以前なのか哲学以後なのかをはっきりせよ。
スレタイは「哲学の基本は対話」なのだから、哲学以後なのでは。
哲学と呼ばれるような行為は文字が発明される前からされてきたのでは。だから、いつから哲学が始まったか
というような問いはここでは有効ではないでしょう。
どうぶつはさ、「人間てまだ言葉とか使ってんの?wだせえw」って思ってるだろうな。触毛部分で。
>>36 哲学以前なのか哲学以後でなくて、
哲学内なのか哲学外でなのでは。
というか「哲学の範囲」をしっかり定めよだろう。
40 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 08:28:11 O
39
哲学の範囲を知ることは宇宙を知ることである。誰にもできないだろう。
>>38 ことばをつかうのは人間が最初じゃないの。?
42 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 08:43:15 0
猫だって言葉は使うけど、哲学は出来ないよ。
猫が 言葉を使うなら命題が成り立たないじゃない
44 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 09:15:14 0
猫だって哲学してるよ? 猫語だから人間には読めないけど。
言葉はものを象徴的に扱うわけで猫はそんなこと
やってるかな?「お父さんとか、お母さんとか」
>44
人間に読めないならそれを言っても仕方ないじゃない。
確証はないんだろうから。
もし、ことばをつかってるなら文化が生まれる筈なんだけど。
48 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 09:48:22 0
>>46 だったら、人間以外が言葉を使っているか否か、
哲学をしているか否か、文化があるか否かは人間には分からない、
と正直に言えよ。確証なしに否定するなよ。
>48
ごめん。だけど君も確証なしに断言してるから。(笑)
ねこに文化はないよね。
51 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 10:55:30 0
我輩は猫である
アタゴウルは猫の森
「人間は想像力豊かだニャ〜(ひでよし)」
「ことばの機能です(作者)」
で、ことばに振り回されたりもします。
ことばがすべてを言い表してくれないからだよね。
>>50 猫の集会ってあるじゃないですか。あと、猿のいも洗いとか。
56 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 21:17:15 0
人間でも、
たとえば、AさんがBさんをフットボールの観戦に連れて行き、見せる。
ただそれだけ。その時、Aさんのそのフットボールの試合に対する諸々はBさんに伝わってはいない。
Bさんには、同じ環境がBさんの世界に現われているだけ。
解釈も、その試合の持つ意味も伝わってはいない。
猫(動物)でも、そのように『同じ経験』をさせることは可能かもしれない。
しかし、その時、Aさんが解説をしてBさんにAさんの解釈やらどこが重要かとかを伝えるように、
猫(動物)が、A猫が感じ、解釈している世界像をB猫に伝え得るのだろうか。
猫に言語的なものがあったとして、猫語はそれを可能とするだろうか。
あれ文化っていう?八チとかも情報交換するらしいけど自然的本能的な
ものだよね。サルのイモ洗いは確かにみんなが真似してるから文化なのかなぁ?
サルは枝をつかって蜂蜜だかありだか食ってたな?でも文化というと
死との関わりが問題となって出てくると思う。お墓をつくるとか。
そういうのが出てきたら文化といえると思うんだけど。
死の意識ね。それと交換。芋と木の実の交換とか。めずらしい葉っぱとの交換とか
人間の場合もそうなってはじめて文化って言われるしさ。
あとは羞恥ね。アダムとイブが急に裸をはずかしくなったみたいに。
58 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 21:32:59 0
>>57 死については、象の墓場とかいう本当か嘘か分からない事がありますね。親は子供の死を悲しむというのは、
動物の世界でも同じです。人間くらい手先が器用なら、墓のようなものも作るかもしれない、と思いました。
59 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 21:38:28 0
>>56 >猫(動物)が、A猫が感じ、解釈している世界像をB猫に伝え得るのだろうか。
>猫に言語的なものがあったとして、猫語はそれを可能とするだろうか。
多少は伝わってるんじゃないのかな。
でもそういうのって、結局は、程度問題になってくるのかも。
人間の言語は他の伝達手段と比べるとより明晰化してるんだろうけど、
動物にもそれなりの伝達の仕方はあるでしょう、たぶん。
人間でも、言語以外に、アイコンタクトだとかスキンシップによる
会話らしきものもあるし。
悲しむのか不可解なのかわからないと思うよ。ひからびたら
水洗いとかしてるのみたけど。それと動物は種としての連続性が
あるといわれるから人間のような慟哭はないと思うな。
立派な墓じゃなくていいんだよ。しるしで。
サルぐらいならつくれると思うよ。象の墓場も残ったものの方の意識
だよ。そこへお参りにいくとか。そういう兆候があればね。
動物はことばはつかわなくてもいいし
哲学もしたくないんじゃないかなぁ(笑)
自分は誰かなんて興味ないんじゃないかなぁ
62 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 22:00:30 0
>>61 人間の言葉が悲劇を生むという運命は、ソポクレスの「オイディプス王」にくわしいですよね。
最高に進化した宇宙人は、
「人間では哲学がわからんだろう」
といってるかも。
哲学がわからないって?
最高に進化した宇宙人がわからない。
66 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 08:13:28 0
>人間でも、言語以外に、アイコンタクトだとかスキンシップによる
>会話らしきものもあるし。
目は口ほどにものを言う。
いくら営業スマイルで頑張っても、
どうしても好きになれない人に対しては、
目がそれを語ってしまうらしい・・・w
動物でも、そういうのはあるだろうね。
>>53 >で、ことばに振り回されたりもします。
>>54 >ことばがすべてを言い表してくれないからだよね。
言葉のネガティブな側面について
言葉によって世界を分節することを、丸山圭三郎は「言分け」と言っていて、
生物としての感覚世界で世界を分節する「身分け」構造に加えて、
人間は言葉による「言分け」構造を持ったとしている。
そういう、言語のもつ分節化作用はポジティブにもネガティブにも
受け取り得ると思うけれど、ネガティブに受け取った代表的な例が、
禅仏教の「不立文字」だと思います。
禅仏教は「言分け」によって分けられたものを「妄想」としてネガティブに受け取った。
西洋哲学ではたぶんデカルト〜カントあたりで、この「分ける」ということの
問題点が浮き彫りになってきた。
デカルトは物と心を分けたために、あとでそれを結びつけるのに難儀した(心身問題)し、
カントも分けるのが好きな人で「現象と物自体」「感性と悟性」「理論理性と実践理性」
等々と分けたけれど、あとでそれを結びつけるのに苦心した。
カント以降は、そういうふうに「分ける」ことそれ自体に問題点がある
のではないかという考え方が広まってきたと思います。
ヘーゲルもたぶんその一人で、ヘーゲル流にいえば「分ける」ということは
そもそもそこに共通の根があるから分けられる。
分けられたものを固定的にとらえないで動きとしてとらえて、
分かれる以前のところを考える。そういう考え方はヘーゲルにも仏教にも
カント以降の現代思想のいくつかにも共通していると思う。
>>67 「ハイデッガーの無は何もないという無ではない。」
と前スレで誰かおっしゃっていましたがそういうことですかね。
存在を裏打ちしている無というか。
ハイデッカーの「存在と無」について話したいというかたがおられましたが
お願いします。
わたしはハイデッガー読んだことありません。(笑)
ことばについて考えるのは私たちが想像的に空想的にあまり言葉に取り込まれたり
しないためにも大切だと思います。
言語の構造を知るということは。
これ、次スレから
>>1に入れるといいんじゃないかな。
前スレに埋もれてしまうのはもったいない。
999 名前:対話スレ1章の1です[sage] 投稿日:2008/06/16(月) 10:24:44 0
以下はうろ覚えながら、当時の「Sさん」の荒らしに対するコメントです。
――たとえどのような挑発的な煽りや罵倒であれ、こうしたところに書き込むという
行為は、誰かと対話したいという切実な表明なのです。
そうした名もない彼らにとってどのようなコテであれ、すべてのコテは
闇夜に提灯なのです――。
これを読んで深く同意しました。
まさしくコテさんたちは闇夜の提灯であり、暗い海を航海する船乗りたちの指標となる
燈台の灯りなのですね。。。
船乗りのなかには、名前のある豪華客船の一等航海士もいれば、無名の漁師たち、
怪しげな密航船や海賊船の人夫たちもいるのでしょう。
燈台の灯りは彼らすべてにとって大切な指標なのです。
ここに来ればこのコテさんに会える、あそこに行けばあのコテさんに会える、
すべての名無したちにとってコテはまぎれもない道標なのですから。
>>69 >すべての名無したちにとってコテはまぎれもない道標なのですから。
これを書いた人は、カオルを良コテとしてる時点で。。。
(これほどのコテ擁護者であるところから普通に考えて
これを書いた人自身がコテの一人なわけだが・・)
ここの前スレを荒らしてたのもコテだったんでしょう?
>70
>これを書いた人は、カオルを良コテとしてる時点で。。。
当時のカオルさんをご存知の方でしょうか?
わたしは一回だけしか対話したことはありませんが、
親切なコテさんでしたよ。
ベッド・ミドラーの「The Rose」について語り合いました。
コテさんに対する印象は人それぞれなのでしょうね。。。
>(これほどのコテ擁護者であるところから普通に考えて
>これを書いた人自身がコテの一人なわけだが・・)
コテを擁護していると
>>70さんが受け取られるのはご自由ですが、
わたしはここの対話スレではいつも名無しです。
対話スレ1章の1であるわたしが、対話スレに熱心に書き込んでくださるコテさんたちに
感謝し、敬意を抱くのは特別なことではないと思うのですが。。。
何か
>>70さんのお気に障ったのでしょうか?
べつに最初に書き込むことないいんじゃない?そのつど言えば。
71さんがそう思うのはいいですけど。
熱心にかきこめば敬意を抱くというのも歯切れ悪いですね。
いいコテさんならそりゃ敬意も抱くでしょうけど。
コテハンの方は批判を受けると逃げも隠れも出来ない感じで大変です。
しかもイメージ枠があるような気がしてせまっくるしい。
たたき台にされても本望だ。復活なんて望まない。
そんなコテさんなら私も敬意を表します。
ところでコテさんが絶対いないとダメなんでしょうか。そんなにアッピール
しなきゃいけないんでしょうか?私は掲示板不慣れなものでわかりません。
対話だからあんまりコテさんが意味を込められると
ヘンじゃないですかね。
ドットさんのようなコテさんはある意味すごいですよね。
>>69 >前スレに埋もれてしまうのはもったいない。
ありがとうございます。
そのように好意的に受け取っていただき大変光栄です♪
お礼のほうが遅くなってしまいました。
>>72 >コテハンの方は批判を受けると逃げも隠れも出来ない感じで大変です。
同意です。
>ところでコテさんが絶対いないとダメなんでしょうか。そんなにアッピール
>しなきゃいけないんでしょうか?
もちろん
>>72さんのような名無しさんでも大歓迎ですよ♪
ただ、コテをつけるとわかりやすいという利点はありますね。
>私は掲示板不慣れなものでわかりません。
ようこそ、対話スレへ!
新しい方は大歓迎ですよ。
恥じることなく臆することなくどんどん書き込んでください♪
>>73 >対話だからあんまりコテさんが意味を込められると
>ヘンじゃないですかね。
う〜ん、そんなにコテさんに対して構えなくてもよいかと思いますね。。。
コテさんはたとえていうならば、渡り鳥たちが海を渡るときに、遠路ゆえの羽を休めるため
波に浮かぶ流木の役割に近いのではないでしょうか。
あっ、流木がある! 少し止まろう、みたいな。。。
>>74 >ドットさんのようなコテさんはある意味すごいですよね。
はい! まったく同意です!
すごすぎまする。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。(汗、汗、汗、、、)
77 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 17:29:46 0
>>76 コテかコテじゃないかなんてどうでもいいでしょう?
ということを
>>73さんは言っているんだと思うけど。
(まあこんな話も、つまらないのでやめよう。)
(`_´)ゞ了解!
失礼しましたm(_ _)m
79 :
67:2008/06/16(月) 19:20:02 0
>>68 >「ハイデッガーの無は何もないという無ではない。」
>と前スレで誰かおっしゃっていましたがそういうことですかね。
>存在を裏打ちしている無というか。
>ハイデッカーの「存在と無」について話したいというかたがおられましたが
>お願いします。
上の引用文に似たハイデガーの文章を一つ引用してみましょう。
「無は決して何ものでもないのではなく、さりとて、ある対象という意味での
あるものでもない。無は存在そのものであり、人間がその真理を委ねられるのは、
人間が主観としての自己を克服したとき、したがって、存在者をもはや客観として
表象しなくなったときである。」
「客観」(対象)として表象してしまうと、表象された対象は、主観によって
意味づけられた何かある物(something)になってしまう。
「無(=存在)」はそういう‘something’ではなくて、主観によって意味づけ
られる以前の、何であるか(本質)を言うことができないもの(nothing)。
>>67につなげて言えば、それは言葉によって分節化される以前の‘nothing’。
もう一つ大事なのは、「無」を「無(=存在)」として受け取ることができる
ためには、「主観としての自己を克服」していなければならないということ、
つまりそれは主体の側の問題だということ。
それは、仏教でいわれる「空」を「空」として見るためには、主体の意識の側も
空化していなければならないと言われていることと同じだと思う。
AはあくまでもA、BはあくまでもBと、自己同一的に自立したものとして、
世界を意味づけて、世界を対象化している主体の意識のあり方を変えないと
「無」を「無(=存在)」として受け取ることはできないということでしょうね。
80 :
67:2008/06/16(月) 19:34:15 0
対象化できないはずのものを、言葉によって対象化して語っているんだから、
言葉の用法が日常的な普通の用法とはちがってきますね。
ハイデガーの文章が奇妙で難解なところがあるのも、ハイデガーが新しい造語を
多く使うのも、そういうところからきていると思います。
永井均氏の〈 〉の記号なども、言葉以前のものを表そうとする記号でしょうね。
禅問答の言葉が日常的な意識から見れば意味不明であるのも同じようなことでしょうね。
「存在」という無理筋をいくら読んでも無駄なのでは。
こんなことウィトゲンシュタインも言ってたが。
82 :
67:2008/06/16(月) 20:10:11 0
>>81 >「存在」という無理筋をいくら読んでも無駄なのでは。
まあ、無駄だと思う人には無駄なんでしょうけど。
ただ、その辺のことを思索している哲学者(それを読む人も)は、どこまでが
無駄でないのか、どこからが無駄なのか、どこまでが「哲学」といえるのか、
ということも同時に考えていると思うんですよね。
その境界線はあいまいなものだから。
もちろん、読者は均一で無いから、
一部には受けて、また一部には無視されるってところかな。
>>79 ほぼ同内容ですが、すこし言葉を変えると、
イデアの投射によるポイエーシスでもって現前されたものが存在で、
未だ手つかずのものが無ということですよね。その、ものを基体と呼ぶとして、
最初から終わりまで手つかずだった基体が、本来手を加えられるべきなら、
基体は存在する可能性を含んだ無であって、存在は無の原型だから、
あながち対立した概念とも言えなくなるという事ですよね。
>もう一つ大事なのは、「無」を「無(=存在)」として受け取ることができる
>ためには、「主観としての自己を克服」していなければならないということ、
>つまりそれは主体の側の問題だということ。
この辺を例をとりながらくわしく見ていくと、、、
どうしても存在と無がイコールとして見られず、どうでもよくなってしまう意識が、
無=存在の矛盾を生み出すケースは確かにあります。
ちょっと極端ですが、
例えば、寝坊をした朝、朝食を抜いて出かけてしまおうと思いつつ
今どうしても目玉焼きの半熟を食べたい、猛烈にお腹がすいている、
よし5分で作って1分で食べよう、と、勢いよく冷蔵庫を開けるも、
ラックに卵が存在しない、でも今食べなきゃ嫌だ!というような場合。
こういう、精神的にゆとりがなくなっている時、
「卵のラックにイデア性が欠如していたために非存在つまり無なのだ、
だが存在する可能性をはらんだ無なのだな、なるほど。なるほどなあ。」
と納得する事など到底出来ず、むしろそんな理屈は、
ポイエーシスを執り行う人間の、自由意志による自らの生成、
つまり空腹を半熟で満たす事を前提条件としてもらって、
それから受け入れられるべき非存在である訳だし、
もっと俯瞰するとして、
「この状況こそが、神の手によってポイエーシスされた、
存在と非存在の同一性をくぐり抜けるイデアの美なのだな、なるほど。」と
無理矢理納得しようとしても、人間の生成はますます脅かされるばかりで、
この矛盾を何としても問いたださなければなるまい。という考えに至り、
主体である私が時間がないし空腹のあまり憤慨していている事を
まずは反論の動機として意志表明しなければ説得力を持てないので、
「どらあ」と奇声を発し、冷蔵庫の中の調味料や麦酒を片っ端からその場にぶちまけ、
その上でのたうち回りながら泣きわめいてみたらどうか。それしかない。
と思い詰め、くだらないアクションをとって自暴自棄になりつつ
「このようにリスクを冒してでも、全力で存在と無の相反を主張するものである。」
と一人ごちる結果になるのです。
つまり、制作や生産、それに関わる生活に精神的ゆとりが持てない場合、
存在と無が極度に離反されていくのです。
だから、卵がない場合なども、
「そうだ、ちょっと遅刻してホテルで朝食とっちゃおうかな、フフフ」
で済めば、矛盾は解消されるでしょう。
90 :
67:2008/06/17(火) 00:19:39 0
>>84-89 >ほぼ同内容ですが、すこし言葉を変えると、・・・
ハイデガーの「無(=存在)」は、「非存在」ということとは違うと思うので
「非存在」についての話は、また全然別の話になりますね。
ハイデガー流にいえば、卵の非存在は卵という「存在者」を前提としていて、
「存在者」の否定であるにすぎないので、「無(=存在)」ではない、
ということに、たぶんなります。
91 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 01:11:32 0
初心者でわからん。
「存在」の話はなんか役に立つのですか?
目的もわからないので。
>>91 他者及び外界の存在を信頼すること無しに(→他者及び外界の存在想定すること無しに)、
貴方が日常を送れるというなら、「存在」に関しては等閑視しても構いませんよw
えっそうなの?なんかややこしい・・・
無と非存在では正確にはどう違うんですか?
独我論や懐疑論、認識の限界、認識の壁、
これらと日常(≒実際の生活)との戦いが、哲学の出発点かもしれませんw
95 :
67:2008/06/17(火) 01:45:30 0
>>93 卵の非存在については、存在者の否定として、「卵がない」と客観的に語る
ことができる(語ってもおかしくない)と思うけど、「無」そのものについて
客観的に語るのはおかしいんですよね。
客観化(対象化)されたものが「無」であるというのは、おかしい。
ハイデガーのいう「存在」も、そういうものなので、ハイデガーは
「客観化」とか「対象化」とか「表象」ということを嫌うんですね。
「客観化」され「対象化」され「表象」されたものは、「存在(=無)」
ではなくて、何かあるもの(someting)になってしまう。
96 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 08:24:49 0
「無」そのものなんてそれこそ無いんじゃ?
言葉遊びとそう無い部分(あればの話だけど)の境目がわからないな。
>>95 英語で無をnothingというとおかしいのでしょうか。いうなら、noでしょうか。
nothingでいいよ。
>998@前スレ
哲学板の歴史はまったく知らないけれど、
スレ主「Sさん」と言葉を交してみたかったですね。
>1000@前スレ
こちらこそ書かせてもらいありがとう。
もちろん1さん@前スレにも感謝を。
(たぶんこの4スレ目がこの板での最後の書き込みになるかな)
無は非存在ではないのか、無は存在するのか、
無というものをどう考えればいいのか、というトピックは、
語るのが困難なだけに興味深いね。、
言葉遊び、というよりも、言葉に弄ばれる事態に陥りそうになるのは、
おそらく存在そして/あるいは無、というペアが、
言葉そして/あるいは沈黙、というペアに密接に関わっているからでは、
という思いを抱きつつ、レヴィナス『時間と他者』から。
――「万物が無に帰した様を想像してみよう。
その場合、我々は純粋な無に出会うことになるのだろうか。」――
レヴィナスはそう自問しながら続けて「ある」に向かう。
――「万物のこのような想像的破壊の後に残るのは、
何ものかではなく、ある(イリヤ=il y a)という事実である。
万物の不在が、ひとつの現存のように回帰する。」――
そして、「すべてが失われた場所として」「空虚の充溢として」「沈黙の呟きとして」
立ち戻ってくるのだと、レヴィナスは語る。
レヴィナスはいう、すべてのもの(エヴリシング)が消え去った後、
何ものか(サムシング)ではなく、エヴリシングの不在が回帰する、という。
それは、純粋な無(ナッシング)というよりも、「ある(イリヤ)」それ自体で、
存在するものがすべて消え去ったあと、「ある」という存在することが回帰する、と。
言葉は、固定化/対立化に向かう傾向があり、それが言葉が仕掛ける罠となる。
言葉を固定化(名詞化)するのではなく、流動化(動詞化)させることで、
罠をかいくぐれるんじゃないだろうか。
「虚無の充溢」「沈黙の呟き」という言葉をもっと動詞的にとらえられれば。
レヴィナスと学生時代からの友人であったブランショ『文学と死ぬ権利』から。
――「語は私に存在を与えるが、存在を奪われた存在を与えるのだ」――
ことばについて語ると堂々めぐりになりますね。
そこではことばの空想的役割が極力避けられて観察の対象になっているから。
そこから抜け出すにはことばの空想の働きをいくらか回復して
羽ばたくよりほかはない。
ですからこういう「存在」の堂々めぐりは逆に大きく空想を働かせているのだ
と捉えてもいいのかも。
そういうことばの働かせかたに興味を持たない人もいるでしょうね。
ウィトゲンシュタインのことが出ていましたが。>81
私もそんなには好きではありません。空想は楽しいですが(笑)
もちろんまったく無駄とも思いません。というかよくわかっていないのかも
しれません。
もとろん言葉の空想的働きを極力さけて言葉について語ること考えることは
大切なことです。
>>104>>105 空想のはばたき。これは異常性に踏み込む第一歩かもしれないですね。
日常性のなかに、理性のなかにとどまりつつ、
語りうることのみを語りつくそうという姿勢では
確かに前期ウィトゲンシュタインがその最北に赴いたでしょうね。
しかしながら、
>>79-80で67さんが書いていた、
「言葉によって分節化される以前の‘nothing’」を
それでも言葉でもって考え、表現しようという暴挙に出ようとするとき、
「大きく空想を働かせて」思弁的になっていくように見えながらも、
言葉を脱臼させながらも、それを武器にせざるをえないという
自分の身を削ってゆくような難しさがある気もします。
だから、下僕さんが前スレで書いていたように、
存在/無、言葉/沈黙、生/死が対立しない視点というのは、
気違いじみた異常性の領域に導く面があるのでしょう。
上/下や左/右という対概念は、
それが空間という固定化の視点で分節された言葉である点で、
言葉/沈黙、存在/無、生/死というペアとは質的に異なっています。
生/死という名詞を、生きる/死すという動詞に変えてみること。
そして名詞がいかに運動を抑圧しているかに気づくことが、
言葉の罠をかいくぐるひとつのスキルだと思えます。
佃煮さんが例にあげた「冷蔵庫の中に存在しない卵」。
卵の「消失」「不在」がもっていた具体性、現実性が、
哲学的なコンテクストの中ではそれこそ失われてしまいます。
しかしながら、これは「抽象化」という言葉の罠なのでしょう。
言葉には、もともとそういう具体性を殺す働きがあります。
「薔薇」という言葉には、この薔薇、あの薔薇という個別性を殺してしまう。
「卵」という言葉も、今朝半熟にするはずのあの卵という現実性を消す。
――「語は私に存在を与えるが、存在を奪われた存在を与えるのだ」――
というブランショの言葉は、こうした文脈と無縁ではないでしょうね。
しかし、ヒトの認識に於いて、
動的な(状態)のまま対象を捉えることは難しい・・。
いや、寧ろ不可能なのではないか?
ヒトは、対象を静的に捉えることしかできないのではないか?
動的なまま捉えているように錯覚しているが、静止画の連続としてしか捉えていないのではないか?
ブランショは、死(モール)という名詞の中に死にゆく(ムーリール)という動詞を与えます。
そのとき、生きることと死にゆくことは限りなく近づくでしょう。
またブランショのレシを読んでも度々目にするのは、
夜と昼が、遠さと近さが、現前と消去が、終わりと始まりが
「そして/あるいは」という接続詞で結ばれているような関係です。
――「この近さを常軌を逸したもののように思わせていたのは、
この現前が遠ざかってゆくということの切迫だったのである。」――
(『私についてこなかった男』)
>>109 対象として「捉える」という行為自体が、固定化することでしょうね。
知は、対象化し、辞書に掲載し、図書館に所蔵しようとする。
だから、バタイユは無謀にも「非知」という言葉を使ったのでしょう。
いや、それはすでにわかったことなのですが宙ぶらりんになるのは嫌だなと言うことです。
ウィトゲンシュタインも「読者は、いうなれば、梯子を登りきったのち、
それを投げ捨てなければならない」といっていますが自分はデッキチェアにでも
身を横たえてゆっくり高見の見物なと思うのでかれの言葉に唆されることなく
趣味じゃないよと言う人はゆっくりしたほうがよかろうということです。
かれが言うようにそちらの方向だけに哲学があるわけではないでしょう。
人が語れないがゆえに語りだすのもわかってはいますが。
人間にはやはり生物学的な身体もあるので形而上的なというか観念・概念的な
ことを語るにしてももう少しおっとりゆこうよ。ということでしょうか。
エートルさん。本編をお願いしたいんですよ。
上下は単に対概念じゃなく反対概念だったでしょう?
やっぱ上下左右は空間概念であって反対概念ではないと?(笑)
誕生と死だったらどうなんでしょうね。
生と死なら“いま”の私のなかでたしかに進行してるわけなんですけど。
>>95 無の中に滞留して、無を客観的に語る事は出来ない、
存在者がどんなにがんばっても無を対象化する事は出来ない、
観念上の無は意識の中に取り入れる事すら出来ない、って事ですよね?
ちょっと言葉を間違えちゃったかもしれません。
ご指摘ありがとう。
存在の正体をつかもうとして、うっかり、人間の最大の道具である
言葉に手を借りようとして、下手をすると言葉はたちまち瓦解を始めます。
じゃあどうしたらいいのか?
存在と無を同時に獲得するにはどうしたらいいのかなんて考え始めて、
これに
世界とは知覚された意識の有り様だ、というような観念的世界観をプラスすると、
人間の経験の重み、日常性の価値がたちまち希薄化してしまいます。
藤村操って人がいますが、この人もやはり、
哲学のために対概念を同時に獲得しようとしたのかは、定かじゃありませんが
「大いなる悲観は大いなる楽観に一致する」なんて言葉を遺して、
二十歳の時に、けっこうポジティブな気持ちで死を決断しました。
こんな例もあります。
誰彼となくメランコリックにさせる観念哲学っていうのは、
甘い毒を含んでいますね。
>>107>>110 名詞を動詞に変えるのはいいアイデアですね!
また、
動的なイメージを日常で上手く捉えてる言葉ってありますが
名詞のあとに「みたいなの」「とか」「っぽい」と使ってみると、
固定化された語のイメージの輪郭が揺らぎ始めます。
あいまいさの元となる代名詞や副詞をできるだけ避けずに
かつ明晰に、動的なイメージの連続(観念)を表現出来ればいいですが、
これは、今の所、哲学より文学の方が得意としている所ですよね。
こういう事もあってブランショは文学を選んだんですかね?
一方哲学は・・・
あいまいさを哲学によって描写していく術って、他にも色々あるんでしょうか。
エートルさん、もう話せなくなってしまうんですか?
泣きたい。。。
もしよければ、理由を聞かせてもらってもいいでしょうか。
もし、私の無神経で恥知らずな書き込みが、理由に絡んでいるなら
本当にごめんなさい。
121 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 13:13:35 0
他のみんなは歓喜。。。
そういうこと言わないの
>>120 どうかあやまらないでくださいヨ。
というか、どうしてあやまるんですか(笑
というか、あやまるような誤解を与えてしまったようなので、
こちらこそすいません。
佃煮さんはもちろん、他の誰のどのレスに対してもそうですが、
ここで不快に思ったことなど一度もないですヨ。
実は7月下旬あたりから長期出張が入りそうなので
持続的に書けなくなりそうだなあと思ったのです。
それに1スレからかなり書いてきたなあとも思い、
出張から戻ったあと、そろそろ別の板に視点を戻そうかな、
ということを考えていたのでした。
佃煮さんとは文学や芸術にも関心があるようなので
場所を変えてもまた話ができるかなあと思ってました。
>>119:佃煮マニアさん
>名詞のあとに「みたいなの」「とか」「っぽい」と使ってみると、
というスタイルでも固定化を逃れることはできますが、
そういうファジーな方向への脱固定化というよりも、
やはり名詞を動詞化する方向での脱固定化を図りたい、
というのが当方の考えです。
佃煮さんも書いているように「動的なイメージ」です。
>動的なイメージの連続(観念)を表現出来ればいいですが、
>これは、今の所、哲学より文学の方が得意としている所ですよね。
というのは同意で、多くの哲学は概念を厳密に規定しようとする分、
言葉=概念を固定化する方向に強く動いてきたわけですが、
絶えず揺れ動くエモーションを描写してきた文学のほうは、
言葉のモーションを尊重する方向に動いてきたといえるでしょうね。
(つづき)
>こういう事もあってブランショは文学を選んだんですかね?
もしかしたらそうかもしれませんね。
レヴィナスは哲学のほうへ、ブランショは文学のほうへ向かいましたが、
「エートル(存在)」という言葉を「イリヤ(ある)」に置き換えはしても、
レヴィナスの言葉は当方にはまだ静的に見えます。
思想を知の対象にさせないこと、思想を固定化させないこと、
思想を動的なダイナミズムの中で生きさせる(体得させる)こと、を考えるとき、
ニーチェが『ツァラトゥストラ』を書くにあたって、
非哲学的=文学的形式を選んだことは示唆的ではないかと思います。
(つづき)
>あいまいさを哲学によって描写していく術って、他にも色々あるんでしょうか。
言葉の両義性を思考した哲学者では、やはりデリダをまず想起します。
パルマコン(薬そして/あるいは毒)、イメン(処女膜そして/あるいは婚姻)などは、
デリダが特権的に焦点をあてた言葉の例ですが、さらに興味深いのは、
存在と無の境界を指示するために「痕跡」という言葉を多用していることです。
>>118 の
藤村操の「大いなる悲観は大いなる楽観に一致する」ですが、
ニーチェの影響(健康そして/あるいは病気)がありそうな言葉ですね。
最近読んだ本にアガンベン『スタンツェ』がありますが、
そこにもこのトピックに関連したところがあったので、
今度引用してみます。
他のレスについてもそのときに。
>>120 >もし、私の無神経で恥知らずな書き込みが、理由に絡んでいるなら
>本当にごめんなさい。
「蓄群ちゃん」がどうのこうのと携帯から書き込んでたのは佃煮さんだったの??
>>128 ちがうちがう〜。
私も日頃、困った人に「反論ちゃん」とか「東京大学物語くん」とか
使って揶揄したりはするけど、ここで「蓄群ちゃん」はないですよ。
ニーチェ知ったの最近だし。
それに、携帯で掲示板見ると、画面が小さ過ぎて、
せっかく改行に凝ってる人の文が台無しになってイヤなので、見ません。
>>123 長期出張ですか〜。お仕事頑張っているようですね。
もう梅雨で体調も崩れやすい季節ですので、お体に気をつけて行ってらっしゃいませ。
ここは、哲学板に初めて来て「いいな〜」と思って飛び込んだスレで、
ずいぶん愛着があります。。。
知り合いに「最近理屈っぽくなってない?」と言われつつw
哲学書を読みふけるいい機会を与えてくれた所です。
だから、これからも、気まぐれに何か書き込むかもですが、
もし別の場所でまたエートルさんとお話できるなら、とても嬉しいです。
文学は偏った好みですが、大好きですし、
芸術も、いままで美術やってきましたけど他分野も興味ありますので。
前スレでカーペンターズが出たようなので、少し・・・。
高校の頃、英語の勉強にと集めて、よく鼻唄してました。
ブランショを想起するといえば、カーペンターズもそうですし、
私的にはサティとかRadioheadがピッタリ来ます。
サティもそうですが特にRdioheadの「Rainbow」は、
どこかしら観念的で・・・自らの病に疲れ果てながらも、
目の前に開かれた内的世界に没入せずにはおれない、というような
ある種の「けだるさ」が、透明感あふれるサウンドの中に漂っています。
>>124>>125 その、固定化を嫌い、常にランダムで流動的な意識を記述する為に
精神分析では自由連想の分析とか、文学ではお筆書きなんてのがあります。
(他の分野でも何か似たようなものがあるかもしれませんが)
精神医学では、こういった手法が治療を疎外するので、
最近はまったくやらないというか批判されつつありますし、
お筆書きも、部分的に取り入れてトランス状態の表現に活用するとか
例外的な方法はありますけど、やっぱり邪道とされてますよね。
ブランショも批判していたと思います。
こういった手法は、ドラッグカルチャーと密接に結びついているので、、
あんまり押し進めて社会で普遍化されると、社会が退廃に向かってしまいます。
デリダは礼賛したけれど、あの人はマリファナ所持で逮捕されましたよね。
ポストモダニズムの台頭が昔ありましたが、、熱が冷めてみると
合理的に整えられた文章に安心感を覚えている事に、みんな気づくんです。
それを壊すのは、誰かに芸としてやってもらいたいと思ってます。
一方、絵画や音楽など純粋芸術分野は、夢や下意識の表現を良しとしています。
芸術には、どんなに退廃してもらってもかまわないという、
社会の認知があるらしいですw
>>126については次にレスします。
>>130 :佃煮マニアさん
>ここは、哲学板に初めて来て「いいな〜」と思って飛び込んだスレで、
>ずいぶん愛着があります。。。
そうでしたか。1さん@スレ1とも相談してみますね。
>文学は偏った好みですが、大好きですし、
>芸術も、いままで美術やってきましたけど他分野も興味ありますので。
へー美術畑が専門ですか!
そのへんの話もぜひ聞きたいですね。
>>131 >>前スレでカーペンターズが出たようなので、少し・・・。
えっと、ジョン・ケージ絡みで名前が出たのは、
「沈黙の音」のサイモン&ガーファンクルでは。。。(笑
>私的にはサティとかRadioheadがピッタリ来ます。
サティやグールドは興味ありますね。
>>112 :考える名無しさん
語りうるものと語りえぬものとの境界で
宙ぶらりになるのもいいものかもしれませんよ。
そのとき「宙吊り」の意味も価値も変容するかもしれません。
ウィトゲンシュタインに抗して、こう書いてみましょうか。
語ろうとしてみないことには、
それが語りえぬものかどうかはわからない、と。
>>115 :考える名無しさん
どのトピックについての本編?
116 :考える名無しさん
最初の2行はちょっと意味が不明ですね。
書いてあることだけを再度拾ってみてください。
後半の2行ですが、
>誕生と死だったらどうなんでしょうね。
「生/死」を「生きる/死にゆく」としたとき
その概念は、動詞的に、また流動する時間的概念になりましたが、
「誕生/死」としてしまうと、時間のなかの定点を指示してしまうので、
時間を空間化してしまうといえるでしょう。
>>132 :佃煮マニアさん
「ランダムで流動的な意識を記述する」ということでは
ブルトンらのシュルレアリスムが「自動筆記」をやりましたが、
ウルフ、ジョイスからクロード・シモンに至る文学の系列では、
「意識の流れ」を何とか言語化しようという試みがありましたね。
ただ、哲学においては、流動性=動詞性をいかに概念に与えるか、
これがテーマになるんでしょう。
>デリダは礼賛したけれど、あの人はマリファナ所持で逮捕されましたよね。
いや、所持は捏造で、あれはチェコにはめられたんです。
境界性、両義性に関して、ジョルジョ・アガンベンの言葉です。
――「意味作用のもつこうした両義性は、根本的に、
現前が原初的な亀裂の中にあることから生じる(中略)
現前へともたらされるものすべては、表明することが
同時に隠すことである限りにおいて、すなわち
存在が欠如を提示するという限りにおいて、
遅延や排除の場として現われる(後略)」――
『スタンツェ』(ちくま学芸文庫)から
「表す/隠す」「存在/欠如」の両義性を語るアガンベンは、
痕跡や差延を語るデリダから影響を受けています。
そうそう、デリダのチェコでの麻薬所持捏造逮捕ですが、
カフカについての講演のためにチェコに行ったデリダは、
自ら語っていたように、思い当たる理由もなく逮捕されるという
カフカ的状況に遭遇したわけですね。
138 :
67:2008/06/23(月) 17:18:16 0
名詞の動詞化というような、表現方法の話になっていますが、
そういうことは、たぶんあまり本質的な問題ではないと思います。
むしろ、表現方法にとらわれることは言葉にとらわれることだと思う。
名詞であれ動詞であれ、大事なのは、その言葉によって思惟されていることが
どのような事態であるのかを思惟することです。
世界の流動性、固定化不可能性を表す語としては、昔から、哲学では「生成」、
仏教では「無常」などの語が使われてきましたね。
ヘラクレイトスの「生成」は、彼の言葉に「同じ川に、二度入ることはできない」
とあり、その「入る」という主体的行為に表れているように、自己を含めた万物流転です。
「無常」も、生滅・転変する世界を「はかない」と嘆くような消極的無常観は本来の
無常観ではないと言われます。
世界を対象化して無常であると観ずるのではなく、本来の無常は、世界と一如である
自己が積極的にその無常である世界の中に入って共に流れるということだそうです。
言葉にとらわれるのではなく、言葉によって思惟されている事柄がどのような事態で
あるのかを考えれば、上の「生成」と「無常」は、ハイデガーの「存在」と遠くはないでしょう。
(ヘラクレイトスの「生成」や仏教の「無常」という語で思惟されている事柄をそれと
全く同じように思惟することはできないけれども)
今日はいろいろ質問させて下さい。
>語ろうとしてみないことには、
>それが語りえぬものかどうかはわからない
これは同意!
語り得ぬ事が語り得ぬ事であるという証明をとるためには、
語ってみるしかないでしょうね。
ただ、記述の意図を第三者が正確に把握できるかどうか、で
語れる語れないが判断されるんでしょう。
追体験が起こりえないとしても、やってみるべきです。
ところで、追体験ってあると思いますか?
>パルマコン(薬そして/あるいは毒)、イメン(処女膜そして/あるいは婚姻)などは、
>デリダが特権的に焦点をあてた言葉の例ですが、
デリダの「痕跡」というのが今ひとつくっきりとイメージできません。
薬、毒の間に痕跡があるのは、日常的にわかりやすいのですけど、
処女膜と婚姻は何でしょう?処女性と娼婦性の間の痕跡、でいいのでしょうか?
ちょっとずれるのかな・・・
>流動性=動詞性をいかに概念に与えるか
この作業をするのが哲学というのは確かにそうです。そうしてみると、
動詞性を概念に固定化、固定化した概念をまた動詞化、という一種のループ現象が
起こってくる様に思えますが、これは、ただ同じ所を堂々巡りしている訳ではなく、
それは、恐らく、螺旋を描きながら、ある地点に向かうものであるでしょう。
どの地点を着陸点と定めたループなんでしょうね?
つまり、この哲学は、どこに向かっているんでしょう。
>むしろ、表現方法にとらわれることは言葉にとらわれることだと思う。
たしかに、本質を露出させる為の記述であり、
正確に記述する為には、記述の様式は一通りしかないのかもしれません。
記述された言葉の配置が一カ所違うだけで、掴もうとした本質の内容が
変質していきます。
その、一カ所二カ所ずれた記述が、また別の、何かを言い表す事もあると思いますが、
それが本質とは別のものであるとしても、それがまた、本来の記述との間のブレから、
流動性が生まれてくるのではないでしょうか。
この流動性を概念化する試みは、意味がないでしょうか。
>「無常」も、生滅・転変する世界を「はかない」と嘆くような消極的無常観は本来の
>無常観ではないと言われます。
無常は万物流転のさまを言い表したもので、
ぶっちゃけ無常は生成のありかたを言い表したもの、ということでしょうか。
面白い考えですね!大賛成です。
こうなると、何事も一事は万事という事で済まされていく様に感じますが、
万物がたった一言でまとめられてしまうのに何か、
はかなさを覚えてしまいます。そして本来的ではない消極的無常観に陥ります。
それを本来の無常に引き戻すには、何が必要なんでしょうか?
>>144 >万物流転のさまを言い表したもので、
は、拡大解釈としてアリかもしれませんが、
>生成のありかたを言い表したもの
は、行き過ぎかとw
無常の本義は「固定化されていない」「恒常的に維持されない」くらいの意味ですから。
> それを本来の無常に引き戻すには、何が必要なんでしょうか?
自分の経験(入力される情報)全てを肯定的に価値付けしていったらどうですか?
たとえ自身にとって負となる情報(経験)であっても、
それを「負と見做さない」とか、「負の情報が入ったこと」そのことを糧とするような・・・。
失敗を重ねた人間は、一度も失敗したことのない人より頼れるかもしれません。
フラレタ経験の多い人は、接し方の多様さを学んでいるかもしれません。
傷つくことを知る人間は、それを知らない人間より、優しい眼差しを持てるかもしれません。
無常であるということは、(→自分が無常であるということは)、
成長の可能性があるということです。
>>138の
>世界を対象化して無常であると観ずるのではなく、本来の無常は、世界と一如である
>自己が積極的にその無常である世界の中に入って共に流れるということだそうです。
は、美しいですね。仏教外からこういう言葉が出てくるとは思っていませんでした。
素晴らしい一文だと思います。
>>138 ヘラクレイトス、仏教、ハイデガー。
このへんの名前が出てくるのは哲学板らしくていいですね。
ヘラクレイトスの「万物流転」。仏教的な「諸行無常」。
ハイデガーの「存在」、さらに付け加えるならば、
ニーチェの「生成の無垢」、ベルクソンの「エラン・ヴィタル」など、
世界を空間軸よりも時間軸に重点をおいて流動的に捉えようとする試みは
哲学史上も決して少なくはなかったし、
武田泰淳なんかも諸行無常という言葉を放さなかったけれど、
思考にダイナミズムがあるかどうか、それからまた、
形而上学的ヴェクトルにどう抗しているかが問われるでしょう。
(つづき)
たとえば、まず表現形式と表現内容を分けて考えることは、
プラトニスム的傾向にあるといえるでしょうし、
「言葉によって思惟されていることがどのような事態であるのかを思惟すること」
を実践するとしたら、名詞の動詞化という言葉の中にも、
そこに何が賭けられているのかを思考することが重要になるでしょうね。
名詞の動詞化という例にリンクしていくところのものは、
言葉の逆説性や両義性や境界性であり、概念を対立させるがままにしない思考、
そして空間化、固定化に抗い、多様化に向かう思考といえるでしょう。
つまり、言葉による表現は思考の運動と密接につながっているのですね。
だから、表現形式に注意を向けなければ、、
逆に言葉にとらわれてしまうことにもなるでしょう。
たとえば、デリダが差延(ディフェランス)という造語を使う表現形式にも、
脱構築の実践が賭けられているわけで。
>>139 :佃煮マニアさん
>今日はいろいろ質問させて下さい。
はい、答えられる範囲で(汗
>ところで、追体験ってあると思いますか?
佃煮さんは前に「同伴」という言葉を使ってましたね。
その「同伴」を「追体験」に限りなく近づけられるなら、
それは可能だといえるのではないでしょうか。
ゴッホの絵を見て、ゴッホの筆の動きをなぞること、
グールドのピアノを聴いて、そのタッチを脳裏に描くこと、
ベケットの本を読んで、その思考に随伴してみること、
見る、聴く、読む、というこのレクチュールなしには、
絵画、音楽、文学のエクリチュールも不完全でしょうから。
149 :
考える名無しさん:2008/06/25(水) 00:41:57 0
エートルさんはダイナミズムとか言葉だけやたら派手なんですが。
(つづき)
>処女膜と婚姻は何でしょう?
「イメン」という言葉は処女膜も婚姻をも同時に意味していたようですが、
二項対立図式(そして弁証法的和解も)を崩す両義性が
デリダの注意を浴びたのでしょうね。
前に書いたニーチェの「真理=女=ヴェール」の関連で捉えてもいいかもしれません。
真理は非真理でもあり、覆うと同時に存在を示しもするヴェールとして。
それから「処女航海」という言葉がありますが、
処女航海においては処女性が示されると同時に破れらてもいるといえるでしょう。
>特にヒエロニムス・ボッシュとかブリューゲル、
>最近の若い作家ではイサオ・アンドリューとかKOZYNDANとか
そのへんの話をもっとつっこんで聞きたいですね!
当方はイヴ・クラインの「青」が好きです。
>エートルさんが絵描きさんだという書き込みがありましたけど
誰かさんの空想の産物です(笑
絵画はとても好きですが、自分では何も描けません。
(つづき)
>どの地点を着陸点と定めたループなんでしょうね?
>つまり、この哲学は、どこに向かっているんでしょう。
「着陸点」はおそらく不明でしょうね。
ただし、向かう方向性は多様化と流動化だといえるんじゃないか、
と考えています。
「着陸点」とはそれがひとつの地点である限り空間化された観念です。
空間化は固定化につながり、固定化は概念の対立をもたらします。
わかりやすい例でいえば、ゴール地点を設定すればスタート地点も設定される。
つまり、起源と終焉が設定され、時間が空間化されることになります。
(つづき)
>デリダの「痕跡」というのが今ひとつくっきりとイメージできません。
デリダに沿って語るのはかなりしんどいですが(笑
次の機会に痕跡や差延などについてもう少し付言してみますね。
153 :
考える名無しさん:2008/06/25(水) 01:00:29 0
エートルさんはいつまでも生きてるつもりですか?
154 :
考える名無しさん:2008/06/25(水) 01:17:06 0
空間を持たないってどういうことなんだろうな?
155 :
考える名無しさん:2008/06/25(水) 01:32:27 0
なにか語られているようでなにも語られていない。
というのではないですね?
佃煮さんは女性なんですか?
157 :
考える名無しさん:2008/06/25(水) 03:32:50 0
生と死の対立概念を無効にしてもやっぱり俺死ぬんだよな
という気がするんだけど。
158 :
考える名無しさん:2008/06/25(水) 03:41:32 0
その死とはなんなんだろうと考える。池田晶子は「死は無い」と言った。
心構えは確かに変わるだろうな。
でも、やがて人生は終わる。
表現形式に目を向けるのはいいんだけど、なんか浮遊して冗語になっていく
ような感じもあるな。
しかも構想ばかりの文学的対話だもの。間違い?
159 :
考える名無しさん:2008/06/25(水) 03:45:30 0
>>150 「真理は非真理でもあり」というのが真理じゃないの?
160 :
考える名無しさん:2008/06/25(水) 04:21:37 0
あるいはそれさえも非真理を含むのなら
「真理という範疇はつねに空虚のままにしておかなければならない」
のかもしれないけど。
161 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/25(水) 05:44:06 0
>>148 私の体験を追体験することが、ニーチェ的な永劫回帰の思想なのではないでしょうか。
162 :
67:2008/06/25(水) 17:03:48 0
>>139 >語り得ぬ事が語り得ぬ事であるという証明をとるためには、
>語ってみるしかないでしょうね。
>ただ、記述の意図を第三者が正確に把握できるかどうか、で
>語れる語れないが判断されるんでしょう。
語りうるものと語りえぬものというその話題は、言葉の問題というより、
根本的には認識論の問題ですよ。
それが哲学的認識と言えるのかどうかの問題。
神についてだっていくらでも語ることはできるし
神について語られた内容を理解することはできる。
でもそのことと、その神が実在するかどうかは別問題。
哲学的に考えれば実在するかどうか分からないものを
実在するものとして語ってしまえば、それは哲学的にではなく
宗教的に語っていることになります。
神のような極端な例でなくても、認識の対象が認識から独立して
客観的に実在するという考え方(たとえば人間の認識とは全く関係なく
地球は太陽のまわりを回っているというような)は、観念論的な
考え方から見れば、語りえぬことを語ってしまっていることになります。
(唯物論は、観念論や実証主義の立場からは「形而上学」とみなされる)
そういうわけで、「語りうるもの」というのは、認識論上の考え方の
違いによって、全然違ってきます。
163 :
67:2008/06/25(水) 17:04:51 0
>>144 >ぶっちゃけ無常は生成のありかたを言い表したもの、ということでしょうか。
それも、「生成」という語で思惟されているのがどういう事柄なのかによるわけです。
仏教で無常という語で思惟されている事柄は、本当は仏教全体(とくに「空」)が
分からないと分からないのだと思います。
龍樹は、縁起だから空だと言ったらしいですが、
視点を変えてみれば、無常だから空だともいえると思います。
>>145 >無常であるということは、(→自分が無常であるということは)、
>成長の可能性があるということです。
可能性とは未知のものに対する動きでありますね。
この先いくらでも柔軟に流動するという。
>>138 >自己が積極的にその無常である世界の中に入って共に流れるということだそうです。
「流される」というと本意ではない感じがしますが、「流れる」は意志が感じられますね。
鴨長明「方丈記」には、「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず」と
記されていますが、まさにこの世は「流れゆく」ものであり「移ろう」ものであります。
>仏教外からこういう言葉が出てくるとは思っていませんでした。
実はパウロも同じことを言ってるんですね。
「この世のありさまは過ぎ去るからです」――コリント第一7章31節
それゆえ、この世のもろもろのことに執着しないように、と説いています。
つまり、今、苦境にいる人はいつまでも同じ状態が続くわけではないということです。
そして、順境にいる人は自戒せよ、ということですね。
>>164 >順境にいる人は自戒せよ
痛い言葉ですね・・・w
166 :
164:2008/06/25(水) 17:44:54 O
さっそくのレスありがとうございます
パウロは好きです
彼は法律家にも哲学者にもなれた人物です
それらをすべて捨ててイエスに従いました
彼はあちこちの教会に手紙を書きました
手紙は一方通行の対話でしょうか?
いいえ、読み手に届いた瞬間から、いえ、書いた瞬間から手紙は呼びかけの対話なのです
167 :
67:2008/06/25(水) 17:58:55 0
>>164 >「流される」というと本意ではない感じがしますが、「流れる」は意志が感じられますね。
そうですね。どの宗教の根底にも絶対的な受動性のようなものがあるとは思うけど、
受動性と能動性の交錯するところで人は生きていると思います。
「流される」という受動性は、流れと一体になっていないから出てきてしまう
受動性のような気がします。
流れと一体になったところに生命としての能動性が底力のように出てくるのではないかと。
>それゆえ、この世のもろもろのことに執着しないように、と説いています。
>つまり、今、苦境にいる人はいつまでも同じ状態が続くわけではないということです。
>そして、順境にいる人は自戒せよ、ということですね。
少し意味がずれるかもしれませんけど、「苦境」と「順境」ということで思い出した、
好きな言葉があるので引用します。
「自己の真実として大切なことは、逆境を捨てて、順境に赴くことではありません。
かえってただ、今自分が出逢っている生命の実物どおり、まっすぐに生きる姿勢
こそが大切です。」(安泰寺六代目住職の内山興正のことば)
つまらない欲をすてて流れと一体になれということだと思います。
でも今は流れと一体になりにくい時代、生きる実感を得にくい時代、
何がリアルであるかが分かりにくい時代であるような気もします。
168 :
164:2008/06/25(水) 19:05:30 O
貴重なお言葉をありがとうございます
確かに今は流れと一体になるのは難しい時代ですね…
宮沢賢治は法華経の信奉者ですが「銀河鉄道の夜」ではキリスト教に基づいた自己犠牲を描きました
仏教とキリスト教は融合するところがありますよね
瓶に入った手紙は流れに乗って「流れる」ならば相手に届きますが、
ただ「流される」だけなら岩にぶつかり瓶は割れて
手紙は届かないでしょう
ラカンは「手紙は必ず届く」と言い
デリダは「手紙は届くとは限らない」と言いました
斎藤環さんは賢治は絶対にラカンを読んでるね、と力説されています
自らの意志で流れることは手紙を届けるという表明なのですね
瓶入りの手紙としてみると、ここでの対話も何か
情緒的な雰囲気を帯びてきますよね。いいなぁ〜(´ー`)
誰の為に書くのか、自分の為か、他者の為か、という議論をデリダがしていて、
これは日常でもよく話される様になりました。
レヴィナスは「方向をうしなった発話は意味がない」と言ってはいたけれど、
例え自分の為であっても、発話は自分の他者性に向けてのものでもあり、
意味があるんですよね。発話は本人の意識の中でよどみを作るだけでも、
上で挙がっていたような「流れ」の一部分を形成するもので、
常に発話は他者をたばねる円環のなかで、受動的に完結します。
>>168で手紙に関してラカン派かデリダ派でいうと、私はラカン派かな。
>>161 確かに!そうですね。すばらしい考えだなぁ。
うちの親がガチガチの唯物論者で、「追体験なんてないんだよ〜」
「人間の言語なんて不完全なんだよ〜」と言い聞かされて育ったのですが・・・
>>148のエートルさんやAbsalom さんの意見を受けて、
やはり、それは「ある」と仮定した上で、永劫回帰を追っかけてみたくなりました。
>>155 哲学をやっていると、いつもそんな疑問がよぎりますよね。
学問としてやっているなら、ここでのことは、
日常での頭の働かせ方の訓練になっているんじゃないでしょうか。
>>156 最近撮った私の写真を貼ってもいいですよ。見ますか?
>>151 エートルさん、質問攻撃に全て応えてくれてありがとうございます!
ほんとに優しくて真摯ですね。ちょっと困らせちゃったかな・・・
時間を空間としてとらえて座標を設定していく発想ではなくて、
時間と言う流動的な「場」において成熟していく人間の実存が、
ハイデガーの哲学なんでしょうか。
設定された終わり、始まりの中で生きるのではなくて、
生成された時間をもった私が、伸び伸びになっていく、
その流動性を、ハイデガーは生起と呼んだようですね。
そして、世界の中で共生起されている私たちは、
主観と客観を一致させられる・・・
イメージしてみると何か、私たちはアメーバのようですね〜^^
>>151 処女航海の例をみると、わかりやすいですね!な〜るほど。
ナニナニとかけてナニナニと説く、ということが日常にあふれていますけど、
デリダにかかると、それらが解体されてしまいますね。
彼は落語とかはあまりお好きじゃないのだろうか・・・w
>>150 ボッシュの「聖アントニウスの誘惑」って絵がありますけど、
悪魔があの手この手でアントニウスを誘惑するんですよね。
ボッシュは己の感覚を脱臼させて、分析不可能なくらい不可思議な生き物達を
描きましたけど、この誘惑者は、ニーチェの畜群と共通点をもちながらも、
悪とは言い切れない愛嬌があります。笑っちゃう程コミカルな魔物もいます。
そして、ニーチェは畜群を断罪したけど、
ボッシュが、おそらく自己を投影させたのだろうアントニウスは、
ただ魔物達の中でじっとガマンし、受け入れているんです。
ごったがえす魔物に翻弄される自分を、不気味ながらも楽しげに描く
ボッシュのキャラクターが可愛くて好きです。
173 :
考える名無しさん:2008/06/28(土) 09:53:17 0
>>170 日常での頭の働かせかたの訓練?そんなものですか?
174 :
考える名無しさん:2008/06/28(土) 10:00:35 0
日常は事務的な作業、取り決めが多く役にたってるとも思いませんが
対話とはそうしたものなのでしょうか?
デイ・ケアみたいな・・・(笑)
175 :
考える名無しさん:2008/06/28(土) 10:10:33 0
>>170 >哲学をやってるといつもそんな疑問がよぎりますよね。
そんなことはありません。哲学に限らず多くの学問が
これは普遍について語っているのかそうでないのかを告げ知らせてくれます。
まあ、宗教でもそういうものが残るのでしょうが。
176 :
考える名無しさん:2008/06/28(土) 10:13:06 0
>>169 単に情緒的雰囲気に流れるのは曲者でもありますけどね。(笑)
177 :
168:2008/06/28(土) 20:59:05 O
ごめんなさい…
どうもわたしは感性に走ってしまう傾向にあります
哲学には向いてないですね……
178 :
考える名無しさん:2008/06/29(日) 16:26:56 0
(爆)
>>149 まあ遠近法による見え方の違いでしょう。
地味に抑えてるつもりだけど(微笑
>>153 「おまえはもう死んでいる」という北斗の拳の言葉に抗して
デリダは「私はまだ生まれていない」と語ったみたいだけど(微笑
>>159 160でおそらく自答してるようだから、
その問いは既に解消されたんだろうけれど、
159の論理はヘーゲル的な弁証法的欺瞞ですね。
>>161 :Absalomさん
ニーチェの場合、永遠回帰は運命愛の定式につながるから、
「この生をもう一度」という意志の境位に強調点がありますね。
>>168 :164さん
手紙をめぐるラカン、デリダの考察は興味深いですね。
>>169 :佃煮マニアさん
>レヴィナスは「方向をうしなった発話は意味がない」と言ってはいたけれど
フランス語の「サンス」は方向も意味も指しますから。
王妃は手紙の宛名面を裏返す。王はその身振りに気づかない。
しかし大臣は王妃のうろたえた仕草を見て取り、
別の手紙とすりかえる。
探偵デュパンは大臣の部屋で盗まれた手紙を発見し、
これまたそれを別の手紙とすりかえる。
ポオ『盗まれた手紙』は分析しがいのあるテクストで、
手紙の内容は明かされぬままに物語は進行する、
というよりも内容が不明であるために、
ラカン的にいえば浮遊するシニフィアンであるために、
手紙=]が物語を動かしていく。
王妃→大臣→デュパンというテクスト内の構図を
ポオ→ラカン→デリダに重ねてみるのも一興でしょうか。
つまりポオの作品をラカンがまず盗み、
それをまたデリダが盗み返すというような。
>>171:佃煮マニア
>ちょっと困らせちゃったかな・・・
いえいえぜんぜん大丈夫ですよ
>時間を空間としてとらえて座標を設定していく発想ではなくて、
>時間と言う流動的な「場」において成熟していく人間の実存が、
>ハイデガーの哲学なんでしょうか。
空間化、固定化に抗いながら流動自体をとらえようとする思考は、
不可能性にのぞんでいく思考スタイルでもあると思いますが、
ハイデガーの存在論的差異も生起もまだ充分流動的じゃないというのが私見で、
デリダがそれを極限に近づけたとは思うのですが、
むしろハイデガー〜デリダの系ではない別の系、
ベルクソン〜ドゥルーズのほうに流動性を感じます。
(ちょっとこのへんは先走りになるのでまた改めますね)
>イメージしてみると何か、私たちはアメーバのようですね〜^^
万物はすべて動いてますから、アメーバみたいなもんですね。
石さえも早回しで見れば、風化し、いつしか消えてゆくでしょうし。
>>172 :佃煮マニアさん
ボッシュ「聖アントニウスの誘惑」についてのコメント、
どうもありがとうございます。
不気味&コミカルで、なかなかシュールな矢のしい絵ですね。
「聖アントニウスの飛翔と墜落」というタイトルの絵もあるようですが、
飛翔と墜落が両義的に表現されているというのは、
ここでの話とリンクしますね。
184 :
考える名無しさん:2008/06/29(日) 23:05:33 0
純粋な追体験というものはおそらく不可能でしょうが、
原体験においてそもそも純粋さは汚染されていた、
というのがデリダ的視点になりますね。
体験はその前後の時間と切り離された定点にあるのではなく、
過去とも未来ともつながっている一連の流れの中にあるとすれば、
固定化された体験そのものというものはどこにもなくて、
純粋に反復されるような「もの」とはいえないのでしょう。
それは「こと」として、「運動」としてしか反復されず、
差異を孕んだ反復とならざるを得ないのでしょう。
このへんは『差異と反復』のドゥルーズ的視点になりますが。
>>184 ムッシュ・デリダに聞いてください。
といってももうこの世にいませんから、
むかし「現代思想」に載ったインタビューを読んでみてくださいね。
差延 (différance) と痕跡につなげる予定でしたが、
タイムアップなのでまた。
187 :
考える名無しさん:2008/06/29(日) 23:12:08 0
>>180 私はあなたの遠近法の意味をよく理解してないのでわかりません。
188 :
考える名無しさん:2008/06/29(日) 23:34:45 0
そうじゃな、ちょっとムズかしいことをエートル氏は言うのう。
遠近法ってのはじゃな、ハイデガー思想に沿って言うなら、
身体感覚の快不快、対象への欲望の大きさ、関心の程度、配慮的気遣いの質的違いなどなど・・・
それらを脳内で計測するパラメーターがあるじゃろ、
それの数値的設定の事じゃよ。スッキリしたかね?
189 :
考える名無しさん:2008/06/29(日) 23:42:58 0
だから大げさって言ってんですよ。(笑)
「違い」ちゃ違いですよ。みんな違ってるから。
190 :
考える名無しさん:2008/06/30(月) 00:03:28 0
他者の他者性じゃよ。
ギンギラギンにさりげない言葉遣いを読んで
ハッとしてグーなのじゃよ。
191 :
考える名無しさん:2008/06/30(月) 00:07:06 0
過疎化してきましたね。対話になってないもん。
192 :
考える名無しさん:2008/06/30(月) 00:09:47 0
どこがギンギラなんですか?しかしたとえが古くて田舎臭い。
193 :
考える名無しさん:2008/06/30(月) 00:11:34 0
194 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/30(月) 01:14:12 0
>>185 私の体験を追体験する、といったときに、「いま、ここ」にあるものをついたいけんするのではなく、
すでに起こったことを後から追体験する、という方法しか採れない。しかも、自分の感じたこと
を再現するわけで、客観的視点には欠けるが、身体性という意味では完璧です。「直接」に
「再現前」するわけで、観客が自分である演劇を行うということ、しかし、それは役者なら
誰もがふつうに練習でしていることではないか?という疑問も浮かんできます。
さて、はたして追体験はこの場合特別な意味を持つのでしょうか?
>>173 デイケアのような、治療訓練のような目的も、
「哲学に寄る治療」というのでアリですね。
哲学ってなんのためにあるんでしょうね?
私から見れば、形而上の区画整理、規定を行うため、です。
見えないものをどう整理して、豊かに捉えるかで
生活意識自体変わってくるでしょう。
その、了解の仕方をシャープに整えるのには、多少事務的作業も要るでしょうし、
取り決めが多く必要になります。役に立ってるんじゃないですか?
>>175 哲学板の多くの人が、語られている事が無意味なんじゃないかという
書き込みをしているので、通念なのかな?と思ったのですよ。
意義を感じないならなぜ語るのかは・・・謎ですが。
自分の存在を開示、解放し合うはずなのに、共通理解を得られない語り合いは、
確かに不毛かもしれません・・・という共通理解をしたつもりで「疑問がよぎる」
と書きました。
学問自体が有意義性を告げ知らせてくれる、と感じるセンスは素晴らしいですね。
>>177 哲学をやるのに、文学的アプローチをするから素質がないとか、
訳の分からない事をいう人がいますが、私はあなたのやわらかい語り口が好きです。
人間本来の意志を、手紙というくっきりした視覚的イメージに置き換えたことで
情緒的な印象になると同時に、非常に的確に論点を突いてもいて、感動しましたよ。
エートルさん
>>169 >フランス語の「サンス」は方向も意味も指しますから。
えっ?本当ですか・・・また間違えちゃったなあw
サンスはどういう意味合いで使われている語なんでしょう?
>空間化、固定化に抗いながら流動自体をとらえようとする思考
存在のあとの×にこめられた思想ですよね。
日常的な意識がもたらす空間化、固定化をすりぬけつつ
本来性をそなえた存在自身が、世界の外へ外へと
意識を拡大させていこうとするのですが、そうやって、
不可知な客観世界や、神の領域に伸びていこうとする私の存在から、
その入り口を封印でもするかのように抹消記号がついています。
存在とは、方向性を持ちながらも閉じられたものである、という
意味があるんでしょう。両義的ですね。ハイデガーはリアリストなんだな〜。
追体験のこと
厳密に追体験は出来ないんでしょう。体の構造の違う人間同士が
全く同質のクオリアをもつことは、できないらしいです。
私の体だって日々刻々と変化するから、
自分の体験でさえ、克明に再演する事はできないし。
それはわかってはいるんですが、
Absalomさん
>さて、はたして追体験はこの場合特別な意味を持つのでしょうか?
う〜ん。持つ、と考えたいですね。
今挙がっているハイデガー的視点の、共存在と、デカルトのコギトをここにもってきて、
私たちの生は全て相関関係にあり、私たちの生は全て演じられたものである、
とするならば、再現前は、むしろ、差異を含み変換を経て、
新たな意味を帯びて来るのではないでしょうか。
ジャズでも、同じ曲がピアニストによってアレンジアレンジの繰り返しで、
全く違う曲のような新鮮さをもって生まれ変わり、演奏され続けているでしょう?
演奏者達は違いを出したくて演奏している訳ではなくて、
いつかきいた「この曲」の感じ、を自分の中に深化させて、現前させている訳だから。
200 :
考える名無しさん:2008/06/30(月) 21:31:33 0
>>187 遠近法という言葉で指し示しかったのは、
パースペクティヴ(視点)が固定されていて単一になっている状態、です。
ある視点からは「Aはとても近い」と見えても、
別の視点からは「Aはとても遠い」と見えることはままあるわけです。
そして、複数の視点を重ね合わせて見る術を手に入れたとき、
近いと遠いという2つの言説がもはや対立するがままにならず、
「Aは近くて遠い」という表現が矛盾ではなくなるようなことが、
理解できるとしたらどうでしょう。
>>190氏の言葉(というより昔のアイドルの言葉かもしれないけど)を借りれば、
「ギンギラギンにさりげない」スタイルも可能となり、
形而上学的かつ弁証法的基盤としての二項対立図式に抗えるわけです。
このへんは簡単で難しいトピックでしょうね。
>>194 :Absalomさん
そうでしょうね。「いま、ここ」は常に新しく生起しつつ、
絶えず「いま、ここ」という時間と空間から逃れてもゆきます。
現前(プレゼンテーション)は自らを裏切るともいえるでしょうか。
つまり現われるや否や消え去ってゆきます。
これが空間化に抗う流動の時間ですね。
だから、「存在」は×印をつけられ、「生成」へと差し向けられる必要があり、
そこには痕跡としての現前しかないともいえます。
デリダがフッサール論で用いた「痕跡」もこうした文脈においてですね。
そして絶えず差異を生み、遅れをともなうこの運動を
差異 (différence)と区別して差延 (différance)という造語で呼び、
差異という名詞を動詞化しもしたわけですね。
差延 (différance)は差異 (différence)の
eをaに変えただけの言葉で、
フランス語での発音は同じ「ディフェランス」。
eとaの差異は聞き取れない、というのがミソです。
Absalomさんが言うように、我々が追体験というとき、
再現前=表象(リプリゼンテーション)としてしかやってこないわけで、
舞台で上演される劇は、常に既に再上演なわけですが、
「私の体験」を追体験するのではなく、他者の体験を追体験するという場合、
それは、自己と他者の「間」で、いわば対話的に行われるといえる、
そんなふうに考えていて、そうした追体験には意味を見出せるでしょう。
あるいはまた、デジャヴュといわれるものの場合ですが、
未だかつて体験したことのないものを再体験=追体験するということも、
可能かもしれないと思ってます。
(が、このトピックはまだうまく表現できそうにないですね)
佃煮マニアさんへ
痕跡と差延についてはAbsalomさんへの書き込みに混ぜちゃいました。
>>196 >共通理解を得られない語り合いは、
>確かに不毛かもしれません・・・という共通理解をしたつもりで
このフレーズはいいですね。
>>197 文学的アプローチ、は決して哲学と離反しないでしょうね。
文学的アプローチが前哲学的かつ非哲学的であったとしても、
哲学するという行為そのものが哲学という枠組みを疑い、
それを壊していく側面をもっているとすれば。
(つづき)
ラカンもデリダもポオの『盗まれた手紙』という文学テキストからの負債で
自らの論を立てたことも、哲学が文学を追体験したといえなくもないでしょうし、
プラトン『饗宴』、ニーチェ『ツァラトゥストラ』、デリダ『絵葉書』などにも
文学的アプローチを見出せるわけで。
>>198 いや〜「間違い」というわけではないのです。
ちょっと言葉が足りなかったので補足すると、
フランス語のサンスは英語ではセンスにあたるもので、
意味、方向、感覚という多義的な語なのです。
「方向をうしなった発話は意味がない」の原文は知りませんが、
「サンスをうしなった発話はサンスがない」という文を翻訳して
上のような訳文になることは可能になります。
レヴィナスもたまにそういう文学的、詩的表現を使ったりしますが、
哲学者のテクストには文学的なレトリックも結構見出せますね。
ちょっとさかのぼって
>>135>>137 「カフカ的状況」って本人も言ってたみたいですね。カフカも気になりますが
麻薬とデリダの事で、やっぱりこう思うんです。
哲学は政治やマスメディアののハッタリを見抜く為にあって、
体制批判をしてこそ哲学者だ、という人もいます。
ところが、政治の欺瞞を暴き出し盛大に批判する手合いというのは、
衆愚政治をしていたい政治家にとっては非常に都合が悪いので、
デリダの様に社会的信用度を失うようなレッテルを貼られたりします。
警察も、すぐに捏造だということで取り消すような逮捕にわざわざ踏み込みましたけど、
この理由は、過激な社会学者としてのデリダを封じ込める狙いがあった・・・
のかも知れませんね。
↓
↓
逮捕は捏造という事になっているようですが、でも〜・・・
どうもこの人は麻薬の影響を受けている様に思えます。
多くの哲学者は、ガッチリした論理を押し進め、ひとつひとつ対象を検証していく
思考方法をとっています。
一方デリダのスタイルは、
日常意識から大きく変容した所で無軌道に跳躍、奔流するイメージを
言葉でつなぎ止めていく、といった感じでしょう?
そうやって極みに達しているんですが、この思考方法は、
麻薬常用者の詩人や小説家達と非常に似ています。
↓
↓
確かに、麻薬の常用者というイメージがつくと、
政治活動がしづらくなるし、教授職なんかも失う事になるだろうし、
彼一流のユーモアやウイットに悲壮感が漂い始めてしまう、
というのはあるかも知れませんが・・・
「響宴」を例にとると、
備わっている筈のものをそがれた者として、、欠落した部分を求めて、
あるいは血管を汚し、肉体を犠牲にすることで、一つの完結を見る事ができるなら、
麻薬は美しいとも感じます。自分からはどうも手が出ませんけど。
美しいからというより、無意識を引き出して意識で捉えるのが哲学なのだとしたら、
麻薬が果たす役割を軽視できないんじゃないでしょうか。
デリダは多分大麻ぐらいは吸っていたんじゃないかと思います。
それで、警察も、逮捕は取り消したものの、それは、
「それが哲学に捧げた行為ならまあ大目に見てやるが
お前が麻薬をやっている事を知っているぞ」
という意思表示だったのかもですね。
なが〜くなっちゃったので、
>>201からの書き込みには次にレスしますね。
>>206-208 :佃煮マニアさん
ん〜どうでしょうね。
デリダが麻薬をやってたかどうかは寡聞にして知りませんが、
やはり麻薬所持疑惑は捏造で冤罪逮捕だとは思います。
これまでデリダを読んできた限りでは、
「無軌道に跳躍、奔流するイメージを言葉でつなぎ止めていく」
というよりは、綿密で具体的なテクスト読解によって
そのテクストのほころびを見出し、また余白を手繰っていく、
という印象があります。
デリダはロゴス中心主義を批判しましたが、
基本的にはロゴスの人だと思います。どちらかといえば、
ドゥルーズのほうが麻薬をやってそうな気も。
210 :
佃煮マニア:2008/07/05(土) 23:20:38 0
>>209 そうかも・・・w どうかな?「かな?」としか言えないんですけど。
デリダのテクストへの印象もそれぞれですね。
ドゥルーズは、3冊しかまだ読んでないですけど、この人は、
狂気に浸りたいというよりも、狂気を観察したい人という印象があります。
その為には自分が酔っていてはならないし、
すごく一本気で生真面目に哲学してたんじゃないかな。
真面目過ぎて面白いんですよ。
>>203 現前は自らを裏切りますけけど、ここで潔癖性的に拒否感を抱いてはいけない
のかも知れません。ここにこだわると、
再現前に対してネガティブな気持ちになってしまうんですよね・・・。
表象は流動性のあらわれだから意味があるとしてみても、どこかで
「一致してないじゃん!」みたいな事を言いたくなるけど、それは違うのかな。
純粋に外界の制約を受けずに回帰できるなんて事は、概念上でしかあり得ない訳です。
気分だってころころ変わっていくし。
ハイデガーも、気分は被投性を開示していると言いました。
人間の気分は自分の中からこみ上げてくるのではなく、
世界の外とも内とも言えない何か非知のものによって、規定されているという事ですが、
何か非知のものを知覚し気分という形に表象するのならば、
これは非知の追体験なんですね。
デジャブは医学的には、初めての体験で脳がストレスを受けた時に
それを緩和するため時間列をわざと取り違えるということらしいですが、
別の角度から見れば、非知を再現前しているという事も言えてきます。
>>205 文学的アプローチを嫌う人は、文学がやけに情緒的な言葉の使い回しをするのと、
言葉を定義せずに展開していくからイヤだと言うらしいです。
多義的な意味を含んだ言葉をわざと多く使って、意味をぼかしているから、
理解するのがしんどいんだとか。
現前の前の差延を嫌う訳です。なんか分かる気もします。
サンスはそういう意味合いがあったんですか〜。なるほど・・・
これで納得、、、というか、原典を翻訳するとだい〜ぶ文脈も変わってくるものなんでしょね?
原典→翻訳→解説書→2ちゃん書き込みのなかで変換されていく文脈って、
これでいいんでしょうか?
エートルさんってフランス語詳しいですね。
興味範囲も、フランス哲学が主流のような印象を受けます。
留学とかしてたんですか?
214 :
考える名無しさん:2008/07/05(土) 23:30:15 0
下らんね。非知とか云っておるのは、ワケが分からなくなったものの
タワ言に過ぎないのだし。
>>214 ハイデガーが非知と名付けたものの正体って気になりますよね。
彼はこの非知について具体的には書きませんでしたが、
語ろうとするなら、それぞれの持っている物語の共通項を
あぶり出す作業が必要になるかと思います。
私はこれを思ったのがつい最近で、
まだそういう観点で人を多く観察している訳ではないので、
言葉にするのにちょっと慎重になってしまいます。
216 :
考える名無しさん:2008/07/06(日) 00:04:40 0
>>216 ありがとうございます。
「原生的」についてはどの本に書かれているか教えてもらってもいいですか?
218 :
考える名無しさん:2008/07/06(日) 00:32:34 0
非知といえばバタイユを思い起こすけど。
佃煮マニアさんへ(
>>210ほか)
デリダのテクストの中でも『絵葉書』なんかは異質で、
確かに佃煮さんのような印象を与える面もありますが、
『声と現象』『グラマトロジー』『エクリチュールと差異』あたりは
かなり緻密な読解によって考察を繰り広げていく感じですね。
ドゥルーズの場合は、初期の『ニーチェと哲学』なんかは、
まとまりがよすぎてこんなにわかりやすくていいのかと思いますが、
『差異と反復』や『意味の論理学』あたりになると
哲学者や作品の引用も結構アバウトかつ乱暴にやってて、
ぐいっと力づくでねじふせるような筆運びを感じます。
(つづき)
現前、つまり「現われ」は、それが流動の状態にあるかぎり、
「消え去り」とほとんど同義といってもいいくらいに近接し、
痕跡としてしか姿を見せないわけですが、
消え去りという形でしか現れないともいえるでしょう。
水の流れ、風、を考えると理解できる気がします。
>デジャブは(中略)別の角度から見れば、
>非知を再現前しているという事も言えてきます。
この表現はとても面白いです。
個人的なデジャヴュ体験があるので、
このへんはいつか把握したいなあと思ってたんですよ。
(つづき)
>原典を翻訳するとだい〜ぶ文脈も変わってくるものなんでしょね?
原典→翻訳という流れについてですが、追体験に絡めてみます。
翻訳というものを原典の追体験だというふうに捉えると、
原典がオリジナルで翻訳はコピーということになりますね。
でも本当にオリジナルなものなんてないんだ、というのが脱構築的視点で、
原典とされるある作品も、先行する諸々の作品の影響下にあり、
原典自体に翻訳的側面が常に既に書き込まれているといえます。
原典にできるかぎり忠実であることは学問上の基本マナーでしょうが、
在野の当方のような一匹の野ウサギの立場からすると、
翻訳行為が原典を忠実になぞること以上に重要なのは、
それが原典の可能性を引き出す読みになっているかどうか、
という点ですね。
佃煮さんが書き込みをする。当方=エートルが読む。
佃煮さんが言わんとしたことをエートルがうまく読み取っていない、
ということはよくあるでしょうが、
佃煮さんのカキコという行為の中でさえも、
実際に書かれた言葉が自身が書こうとしたことから逸れる、
ということもあるのかもしれません。
>興味範囲も、フランス哲学が主流のような印象を受けます。
ドイツ哲学よりもフランス哲学に興味があるのはその通りですが、
外国語は基本的な単語ぐらいしか知らないんですよ(汗
>>218>>219 なるほど。非知について書いている人がいるんですね。
吉本隆明は前に2冊読んで、独特の言葉遣いがツボにはまりました。
バタイユもよさそう。この人すごいエッチですよね?
ディープでおもしろい論理があるんで、勉強になるかと手に取るんですが、
読んで哲学を悟る前に、色々と仕掛けられたエロトラップをくぐり抜ける
必要があって、でも余りのエロに揺さぶられ、足下をすくわれてしまいます。
「このエロを超えてみなさい」と言わんばかりのバタイユには、圧倒されますよ。
私は・・・超えられずモンモンとしてしまう未熟者なので(爆、
前に読んだ共同幻想論の続きで心的現象論を、先に読んでみようかな。
お二人とも教えてくれてありがとうございます。
>>220 ドゥルーズは映画狂だし、「キップのいい哲学」をやっていて、
大好きな人です。確かにグイグイひっぱって落とす感じはありますね。
デリダも、確かに理詰めの人かも知れません。
エートルさんの言った事を思い出してその気で読むと、新発見があるかもです。
>>221>>222 >水の流れ、風、を考えると理解できる気がします。
そうですね・・・
風や、水の流れにも、現れと消え去りを同時に見る事ができそうな感じがします。
私の中では、まだぼんやりとしたイメージしか持てないのですが、
風が、現れると同時に消え去るのは、どんな経過をたどるからでしょう?
>翻訳行為が原典を忠実になぞること以上に重要なのは、
>それが原典の可能性を引き出す読みになっているかどうか、
>という点ですね。
翻訳されることで反復されるはずの言語も、翻訳されたその時点で、
言語のもとあった形象は消え去ってしまいます。
翻訳が生まれると同時に、崩壊を抱えているわけです。
これが言葉の不完全性なんですね。
↓
翻訳が原典にあった言説を脱臼させる事なく、
軸となる言説のまわりで踊り、字義の意味を強調し、
効果を上げる為の物語のみが形象を変え、発展させることでしょう。
そうすれば、翻訳は有意義なものになるでしょうね。
言語において変換されるどの局面にも、同じ事が言えます。
事象を考察し、著作を引用する原典や、
エートルさんの書き込みを読んで答える私の書き込みの中にも。
次は非知にからめてこのことを日常的に書いてみようかな。
デジャビュのこともからめて。
>外国語は基本的な単語ぐらいしか知らないんですよ(汗
小さな疑問から始まって、マメに辞書を引くのは見習いたいですよ。
高校の英語の先生が言ってた話
「ロシアに行ってまったく言葉がわからないので、
話しかけてきた現地の人に思い切って日本語で返して、
そのまま30分くらいロシア語と日本語でお互い一方的に
会話したあげく、意気投合した」
てのを聞いて感動して、フランス大好きな私も同じ事をしてみようと思い、
旅行に行った時に話しかけてきた現地の老若男女に日本語のみで返したら、
最初「?」て反応するんですけど、その後が英語の先生と同じ展開になるんです。
何回か試してみてもやっぱり同じで、面白かったんですが、
それ以来なんか・・・語学に関して無精になってしまって。
喋ることばと書き言葉ではぜんぜん使われ方も違うし、
やっぱり私もマメに辞書を引く事にします。
あれ?
>>225の1行目に
「これへの対策として考えられるのは、」を入れ忘れました。
すみません。アホなんです。
マダカキコメナイカナ。。。
佃煮さんへ
遅くなってスイマセン!
仕事とプロバイダー規制で書くタイミングを失ってました。
>吉本隆明は前に2冊読んで、独特の言葉遣いがツボにはまりました。
当方は逆に吉本のあの文体が会わなかったっけ。。。
でもほんの時たま、「おっ」と思わせる箇所にぶつかることも。
そして、「ああ、ここをもっと突っ込んでくれたらなあ」と。
>バタイユもよさそう。この人すごいエッチですよね?
バタイユのエロスは、サドと同じく性的な興奮はないけれど、
思想的エロスの人ですね。日常性を超えた異常性にこそ、
何かを見出そうとした過剰、侵犯、蕩尽の人。
(つづき)
>風が、現れると同時に消え去るのは、どんな経過をたどるからでしょう?
実は、「現われるやいなや消え去る」というふうに見えるのは、
風を捉えようとしているからなのかもしれないですね。
流動に付けられた名前である風を、流動のままに体感するのではなく、
捉えようとすることで、風を流動状態から固定化させようとするから、
風が、現われと消え去りの共存というふうに見えるのかも。
もしかして気づかれたかもしれませんが、これは以前に話を出した、
ニーチェのヴェールとしての真理=女のトピックと共振するし、
ハイデガーの×印、デリダの痕跡ともかかわるんですが、
彼らは確かに流動を固定化することに抗い、
流動を流動のままに捉えようとした身振りがあるのですが、
あくまで「捉えようとした」ことによって、
風を風として尊重したのかどうかというと疑問です。
風を「音楽」に変えてもいいかもしれません。
音楽は常に流れのなかにある芸術だから。
ハイデガー、デリダなんかよりも
むしろドゥルーズの荒っぽい哲学のほうが音楽的だと感じますね。
232 :
考える名無しさん:2008/07/17(木) 19:27:44 0
有名どころばかりを線で結んで、無理矢理な星座を描いているようだ・・・・・
巨大な数珠を光速でグルグル回転させると、中心に天女が浮かび上がる仕組みなんだよ。
234 :
考える名無しさん:2008/07/18(金) 11:52:59 0
そういうウィットってセンスいいなあw
電話とかメールって否応なく人を呼び出しますけど、
掲示板っていつでも好きな時に好きな様にやるとりできるのがいい所です。
エートルさんはもうお出かけしたのかな〜と思ってましたよ。
待つのも楽しかったりしますが、ファンとしては、エートルさんの書いたものを読むのが
一番楽しいので、いっぱい書いて下さいね^^
>性的な興奮はないけれど、 思想的エロスの人ですね。
荒木経惟と加納典明ではエロの質が違いますもんね。
荒木経惟は官能よりも思想的エロス、侵犯の向こう側にたどり着ける人間の深淵を追っています。
>>230 レスを読みながら、ふわふわ揺れるスカートをイメージしてました。
捉えようとすることは暴力なのかも知れませんね。
与えられて、びっくりしながら恐る恐るひも解く、
という姿勢が必要なのかも知れません。そういう所では、
ドゥルーズの語り方は、風、または女を尊重したものだと思います。
彼は捉えて支配しようとする気配が全くないです。とてもユニークな言葉選びが面白いし。
女性についてちょっと一言書いてみましょう。ちょっと通俗的かな・・・
女性でブリッコなタイプっているでしょう。言葉は古いけど、実際多いです。
何かに洗脳されている、何かを演じている、その事自体を意識してはいない、
という女性達。でも明らかに「濃い」気配を発散している女性達が。
何かに影響を受けない人間なんていないんですけど、女性は特に、
濃厚に影響を受ける人が多い様に感じます。なぜなんでしょう。
女性達は、いつも何か理想に引き比べられて生活しています。
あれかこれか、どの理想を選ぶんだ、選んだら支度をしろと言われる様に。
その中で、いつの間にか彼女達は、固有に備わった生の実存を否定して、
限りなく透明な存在になり、そして、類型化された女性の理想型、
そんなものはあいまいな偶像でしかないんですが、
それに体裁だけ似せようと表面を粉飾するようになります。
飾るという行為の裏に、偶像につぶされた自らのアイデンティティを
絵に起こして表面に復活させ、遺そうという試みも見え隠れしています。
その絵は、
子供が描いたクレヨンの落書きの様に無邪気で稚拙なものもあれば、
テンペラの細密画の様に精巧で隅々まで完成されたものもあるでしょう。
彼女達は、理想の近似値とはどのへんなのか、執拗に求めた上で、
この結果を出しています(その絵はいつも動いています)。
だけど、無意識的に残した固有的な軌跡が、生の欲望を暗示してもいます。
偶像そのものを描写しようとしつつ、反転されたアイデンティティをそこに
うっかり描き込んでしまうことによって、偶像を穢し、否定してもいるんです。
自分が主体となって、自分を肯定する理想だけをとりこんでいくのが男性ですが、
女性は、きゅうくつな理想の中に自分の肉体を押し込んで悲鳴を上げるんですね。
どういう悲鳴を上げるかが、女性の人間性を表しているとも言えます。
周囲の人間は、その穢された偶像をもう一度修復する作業を手伝い、その間
下手に彼女達の実存を意識してはいけない、するなら徹底的に肯定した上で、
それも彼女達なりの作法に完全に乗った上で、する。という、言ってみれば
無償労働を迫られます。彼女達は、男性女性の別なく、それを迫ります。
デリダは、贈与する際に、それが贈与だと意識してもいけない、意識した瞬間に
それは贈与でなくなり無意味と化す、と言いました。その無意味を食い止めるのは
愛で、つまり徹底的な肯定なのだとも。
しかし、惜しみなく愛は奪います・・・
ニーチェも、与えるばかりで私はいつも貧乏だ〜と感嘆しました。
デリダの様に言葉の迷宮に君臨する王であればいいんですけど、
だいたいはニーチェの様に貧乏を貫き通すようになるでしょう。
というより、、、
最初から貧乏で与えるものがない状態でいるのがいいのかも知れません。
もしくは、彼女達の無軌道な欲から眼をそらさせ、方向修正すること。
これも一つの肯定の仕方だし、現実的に無限の幸せを取り出せる
考え方じゃないかと思ってます。
最近本を読んで考えたことで、ポストモダンなどとも関係あることなど・・・。
町田町蔵はアルバム『腹ふり』(92’)のなかの「コンビニエンス」という曲の中で、全ての
原理はコンビニエントであることであるといい、これは当たってると思います。水は低きに流れる
、芸術は快楽を求める、なるべく近道をして目的地に着く。
しかし、西洋の伝統はそうはなってなくて、太陽に飛び込むイカロスのように、真実を求める
オイディプスのように、高きを目指すのが人間である。見返りがどうであれ。フロイトですね。
ところが、ポストモダンになると、「アンチ・オイディプス」「アンチ・ヒューマニズム」が大いに
標榜されることになりますが、演劇批評家の内野儀によれば、ソ連革命のドタバタが、東欧
諸国の崩壊が、この輝かしき「アンチ・オイディプス」「アンチ・ヒューマニズム」の伝統に
終止符を打ったということです。
そして日本では、80年代の文化を支配していたのがメロドラマ的想像力であり、演劇に
ついていえば野田秀樹の「私演劇」だということです。このメロドラマ的想像力というのは
強力で、情感を誘うメロディーのように、コンビニエントであり、広範囲に広がる。
参考:「メロドラマの逆襲」内野儀
>>235-238:佃煮マニアさん
来週半ばから一ヶ月ほど出張があるのでバタついてました。
9月になったらもう少し書き込めると思います。
荒木経惟の写真にある「暗さ」は何でしょうね。
アラーキーとテンメイの差はエロスとポルノの差かも。
>ドゥルーズの語り方は、風、または女を尊重したものだと思います。
そうですね。ドゥルーズはライプニッツのモナドロジーをもじって
「ノマドロジー」という言葉を使ってましたが、
風を捉まえようとする定住民ではなく、
風と共に移動する遊牧民というところでしょうか。
ドゥルーズの言葉の捩り方はルイス・キャロル風遠心力がきいてて、
というか、あまり言葉の意味の次元にこだわってないという面があって、
言葉と言葉の組み合わせから何か道具を作ろうとする職人気質を感じるんです。
現実に向けて闘える道具を。
一方、ハイデガーやデリダは非常に言葉というものを尊重してて、
尊重しすぎるあまり、言葉によって現実と闘う道具を作るというよりは、
言葉において、言葉のなかで、闘おうとしている。
いわば、語源学的求心力を働かせようというヴェクトルが濃厚です。
ところで佃煮さんは天文学にも興味ありますか?
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
天文学って文学じゃね? [文学]
(つづき)
「何かを演じている、その事自体を意識してはいない」というところとか、
佃煮さん描くところの女性像には、確かに思い当たるところもあって、
ひと言で表現するならば、「化粧」したい/せずにはいられない女性、ですかね。
記憶が確かなら、擬装することをドイツ語でジッヒ・ゲーベンというそうです。
>女性は、きゅうくつな理想の中に自分の肉体を押し込んで悲鳴を上げるんですね。
という部分は、自分の目指す型に自分をもっていこうとする点では、
確かにダイエットなりブランドファッションなりという無理を自身に課してますが、
理想を現実化しようとする努力を怠らない彼女らのヴァイタリティにも感じます。
逆に、男性のほうが夢想家で理想主義者、女性のほうが現実主義者、
そう思えることもしばしばあります。
(つづき)
>デリダは、贈与する際に、それが贈与だと意識してもいけない、意識した瞬間に
>それは贈与でなくなり無意味と化す、と言いました。
贈与する、自らを。あるいは、身を与える、身を任せる
身を任せることをドイツ語でジッヒ・ゲーベンだったと思います(たぶん)。
擬装することも身を贈与することもジッヒ・ゲーベンという同じ言葉で、
女性は、化粧し仮面をつけつつ(擬装)、身を任せる(贈与)ことができる、
というわけですね。ちょっとデリダの贈与から脱線しました。。。
贈与というのはプレゼントで、デリダはプレゼンス(現前)と絡めてた記憶がありますが、
相互に贈与しあうギブ&テイクの関係に入らない贈与というのは、
そしてそうした贈与による愛というのはなかなか難しいかもしれないですね。。。
神のような愛でないと。
>しかし、惜しみなく愛は奪います・・・
そんなタイトルの有島武郎の本を十代で読んだ記憶があります。
確か有島はクリスチャンだったと思いますが、神の愛の逆説ですね。
>これも一つの肯定の仕方だし、現実的に無限の幸せを取り出せる
>考え方じゃないかと思ってます。
確かにもっとナチュラルな自分らしさを求める風潮は強まっていいですね。
そういう「自分流」を見つけてる素晴らしい女性達もいますから。
>>239:Absalomさん
残念ながら、内野儀の本は読んだことがなく、
「アンチ・オイディプス」と「アンチ・ヒューマニズム」の組合せが
よくわからないのですが、メロドラマ的想像力が廃れたことはなく、
ヒューマニズムも連綿と保たれてきたというのが私見です。
いくらニーチェが「人間的なもの」を揶揄し、「超人」を謳っても、
あるいは核家族化の流れにおいて「家から個人」という方向性があっても、
ヒューマニズムもメロドラマも廃れはしなかったというふうに見えます。
ヒューマニズムやメロドラマに流れることが「コンビニエント」なんでしょうか?
東欧の社会主義諸国の変化は、マルクス主義に大きな影響を与え、
世界全体のグローバリゼーションや資本主義世界化を促進してきたと見えますが、
ヒューマニズムやメロドラマとの関連性はどういうものなんでしょう?
質問が多くなってしまいすいません。
244 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/07/21(月) 12:21:09 0
>>243:エートル・オートルさん
アンチ・オイディプスとアンチ・ヒューマニズムについての詳しい説明は本の中になかったので、
推測で書いていますが、ポストモダンで持ち出されてきたのが両者の、西洋伝統に対する
反対ではないかと思います。
メロドラマやヒューマニズムが「コンビニエント」であると言うことはないと思いますが、そう書いて
しまってますね。どうもすいません。
メロドラマは堅固で均質な形式を、また、そこにはない超越的「中心」を力業で現前=明示させる形式であり、
絶対的他者を現前=明示させる形式であるということなので、東欧の中心を作り上げるのに
一役買ったのではないか、と思いますが、私の知識ではあまり確かなことは言えませんね。
すみません。
まあ、本があまりに面白かったので、それで何か言いたくなったというのが本当のところです。
コンビニエンスストアーで買ってきた豚肉の賞味期限♪
という歌ですね?
確かに原理=コンビニとすると、符号が多いですね。な〜るほど!
足の踏みどころを間違うとマンホールに落ちてしまいそうな闇に
そこだけ浮遊した様に明かりがともる無機質空間。
差異の中で時間、空間がそぎ落とされた普遍空間。
町田さんは、煩雑乱調で美からこぼれ落ちたものを拾い上げる人ですね。
下方から脱構築に向かうというか。
これに対して西洋的伝統が上方から向かう脱構築は、常に神の目にさらされていてます。
だからチラッチラッと上方を見上げながら、必ずその近くを経由して、そして経由する自分は
聖家族の系譜をたどってい「なければならない」という良心が下支えになっていると思います。
これは良心なんですね。で、町田さんのは慈愛。どちらもキリスト教の影響が濃厚ですが、
メロドラマは無宗教の野で伝承される原典ですね。ここには共感があります。
その、超越的中心は徹底的に暗示に任せ、くさみを消し、
とにかく日常性から一歩踏み出す危険を卑猥なまでに具体化して、
官能的な共感を通じて、散種の受け口をもとめています。
人々の中で無意識的に原典が翻訳され、超越の物語の「つづき」が再生される事を確信している訳ですよね。
たしかに、メロドラマはたま〜に、時代劇はどきどき見ますが、
見ている時の精神状態たるやないですね。
ドラマをドラマ的に楽しめばいいのに、つい哲学が、ついでポエジーが
入り込んで、えらいサラウンドになってしまうと言うかw
キャンプな見方というんでしょうか。もっと素直に見たいです。
エートルさん
梅雨開けましたね。暑いのにお仕事ご苦労様です。
個人的に、男性がネクタイをクイッと緩める瞬間にフェティシズムを感じているんですが、
この時期暑いですので、ぜひクイクイッとw 緩めたりして体温調節して下さいね。
>>240 >荒木経惟の写真にある「暗さ」は何でしょうね。
アラーキーって暗いしエグいですよね。
自然風景の写真に色絵の具を落としたような幻想的な写真も
あるんですが、人物はのきなみ暗いです。
自然光って、ライトやレブ板で影をなくす人工光とちがって、
強く影が出ますよね。
その、白い所はパーンと白く、暗い所は反転する程暗く、
中間はマチエールをグロテスクに描き出す事で、
人間の深層にある明暗、有機性を露出したんじゃないでしょうか。
ヒューマニストなんですね。
彼の女性観をどこかで聴いたのですが、これはまた今度。
>ドゥルーズの言葉の捩り方はルイス・キャロル風遠心力がきいてて
ルイスキャロルの遠心力に似たものは確かに感じます。
あらゆる言葉を均等にパレットにおいて、混ぜ合わせ
なるべく中間色を作る手法ですね。
そうして作り上げたはじめシンプルなビジョンを、
読んでいてもびっくりするような形にどんどん加工していきます。
ビジョンをそのまま視覚化するとオブジェになりそうな。
そして赤塚不二夫的な、オチを予想しない演繹法での論理展開で
動かし始めてて、一人歩きし始めたイメージが日常にうつされていく・・・
「モナドの逃走線は樹状を描く」って名文句がありますね。
ドゥルーズの概念イメージは、自然から余り逸れない形で動きます。
驚きが多いのは、自然をそのまま論理に写し取っているから、
なのかも知れません。このあたりは、日本式の庭作りで、
茶庭に見られるような行程を踏んでいる様にも見えます。
>ところで佃煮さんは天文学にも興味ありますか?
ふと覗いてみると、、、すごい神スレですね〜ここ!
私より20以上レベルが上の私がいる・・・なんかビックリしました。
ちょっと見学させてもらっちゃおうかなあ。
エートルさんも書いてますね?
わ〜長くなっちゃったなあ。
なんで考えている事をコンパクトにまとめられないんだろう。。。
続きはまた後日書きます。
>>244:Absalomさん
レスどうもありがとうございマス。
何かを書きたくなってしまう本との出会いは貴重ですね。
内野儀の本は知らないので、当方もまた推測で書かせてもらうと
フロイトのファミリーロマンスとかオイディプスは
人間の欲望を「家族」の中の物語として解釈するものだったけど
ドゥルーズ=ガタリは欲望機械という概念を持ち出してきて、
欲望を家族や学校などの枠を外して考えたことが、
「家」という単位から「個」の単位に変わってきた
社会風潮をそこにリンクさせたのかなあと思いました。
例えば、家業を継がずに自分のやりたい仕事を見つける、など、
血のつながりよりも個人の価値観を優先するという面では、
そこにアンチ・ヒューマニズムも絡めることができそうです。
ヒューマニズムは「家」と深くつながるんでしょうね。
>>246-247:佃煮マニアさん
当方はノーネクタイですが、それでも暑いですね〜。
お気遣いスイマセン。
アラーキーの写真についての分析は鋭いですネ。
なるほど、光の扱い方、陰のボリュームによって
「人間の深層にある明暗」を表現してるというのは納得です。
キリコの絵なんかも明快な構図と色彩ですが、
陰のボリュームが不気味さを与えますね。
「逃走線を描く」っていうのはドゥルーズの十八番ですね。
>ドゥルーズの概念イメージは、自然から余り逸れない形で動きます。
>自然をそのまま論理に写し取っているから、なのかも知れません。
ツリー状とリゾーム状というのもそういう概念ですね。
一本の太い幹から枝分かれしていくツリー状ではなく、
脈絡なく予定調和もなしに分岐するリゾーム状(根茎)。
このあたりは自然派ドゥルーズといえそうな面です。
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
【どこ】東京発日帰りツーリング【イク?】21日目 [バイク]
というリンクがありましたが、誰かバイクに乗ってますか?
当方は昔、ホンダのCB400Fという骨董品に載ってました(笑
>>245 知ってらっしゃるとは思いませんでした!上方と下方からの脱構築とは、そういう考え
もあるのか、と思いました。対象に対する向かい方ですね。
>>248 西洋では、個人同士の結びつきとして家という物がありますね。日本では、全体の中での
私、非-在の私という風になっていますが、最近のことだけかもしれませんが、家の中で
個人という物が存在する自由があると思います。家というシェルターが世間の中に
あるというか。
エートルさんはお出かけかな。エートルさんという引き締め役がいないと、
私「うろんな客」が思うに任せていい加減な落書きをしまくっちゃいそうで、
申し訳ないです。
また一方で、寂しさのあまり、
「ジュテ〜ム・・・追いて行かないで。行くなら私、窓から飛び降りるわ!」
と凄んで見せちゃうシャンソン風の悲哀もありつつ・・・メロドラマも含みつつ・・・。
こわっ
しようと思ってたレスがまだ残ってるので、ちょっとだけ。
>>241 実は、私自身の女性観ではないんです。ある男性に言われた事です。
女性の悲鳴が表す人間性について、ちょっと性的な意味で言っていて。
またそれが、歌声から察する事が出来ると。ま、凡庸な話ですが。
でも私はそれを聞いてガーンと来たので、自分なりに消化しました。
自己批判も含めて書いてみたんです。
歌も、頑張ってるうちに、カラオケ大会で優勝する様にはなりましたよw
私自身は、男性、女性とカテゴリ化する事は嫌いなのです。
デリダがジェンダーの話で私とにたビジョンを持っているようなので、お話すると・・・、
彼はコーラ=入れ物、場という事を言ってましたね。
デリダ的な意味の付与とはちょっとずれるかもですが、日常的に言ってみると、
人間を一つの入れ物とすると、そこに地層の様に幾重もの性が折り重なって堆積してる。
その層は、人間がアクションを起こす度にひびわれ、断層になり、かけらが散らばっていく。
散らばった性のかけらが他の入れ物が吸い上げられ、または上から降りつもる。そうして、
単に男性、女性とは言い切れない複雑化された性の入れ物が、世界という大きな入れ物の
中でひしめき合っている・・・そんな感じです。
コーラは気になるのでこんど映画とからめてみたいなあ。
ジッヒ・ゲーベン
>女性は、化粧し仮面をつけつつ(擬装)、身を任せる(贈与)ことができる、
これはとても面白いなぁ。
オペラ座の怪人で、ファントムも仮面をつけていましたけど、
あれは女性心理なんでしょうかね。彼が女性なら、恋人は劇ですね。
閉塞された環境で、レヴィ・ストロースで言う所の「野生の思考」で世界を見、
演劇という魔性にからめとられ、身を任せるしかなかった少女の、
激しい嘆きと同時に、演劇への恋慕が狂気に変化して行くような、凄みを感じますね。
ここでファントムを風とするなら、演劇が彼を捉える、貼付けにする、
という暴力は、物語を見れば、非常なエロス性を伴っています。
同様に、哲学者たちが風を流動のままと言いながら捉えようとする行為にも、
そこはかとなく、暴力と言う名のエロスが潜んでいる様にも思われます。
哲学はエロスなんですね。
Absalomさん
>>251 町田さんは中学の頃から大好きなんです。アルバムは全部買ってて・・・。
町田さんの事もちょっとお話したいですね。
ところで、
>ソ連革命のドタバタが、東欧 諸国の崩壊が、
>この輝かしき「アンチ・オイディプス」「アンチ・ヒューマニズム」
>の伝統に終止符を打ったということです。
歴史にうといので分からないのですが、東欧諸国の社会変化が、
どういう形で影響をあたえたのか、教えてもらってもいいですか?
>>252 個人主義が進んで、家は人格を持たない様になりましたよね。
制度の中で一度人格を失ってから、しばらく経って、人は、
家に対してユニークな機能を追求する様になりました。
そして、壁の下に電線が張られ、パイプが伸び、家は、
新たに、別な形で脈動を始めました。
ロイド・カーンの「シェルター」って面白いですよね。
家の無機質性を徹底的に排除し、生き物としての「家」の
様々な形が詳しく書かれています。
>>256 僕の理解してる範囲では、マルクス主義の唯物論の資本主義的解釈である欲望機械
という概念が、その機械的であるということが、人間的欲望によって反証されてしまった
ということではないかと思っています。
町田さんは、「メシ食うな」と「腹ふり」しか持ってないのですが、両方ともとても好きです。
小説家に転職したりして、結構世の中に影響を与えるような位置にいるような気がします。
才能はちょっと他に類のない物がありますよね。パンク中のパンクだと思います。
259 :
考える名無しさん:2008/07/24(木) 21:57:31 0
中島義道が
ぐれようとしてもうまくぐれることのできないグループのなかに
町田康を入れていました。「爆発道祖神」の文章より
“行間からにじみ出るナルシスの恍惚感は、もうどうしようも
ありません。文章が終わるごとに「だけど、こういうボクって好き、
だけど、こういうボクって好き」と呟いているようです。”
だそうです。
『ぐれる!』中島義道
260 :
考える名無しさん:2008/07/24(木) 22:06:31 0
すみません。町田町蔵さんだそうですね。
間違えました。
Absalomさんがおっしゃっていた「メロドラマの逆襲」はいま読んでいます。
このテの文体は苦手ですが。
261 :
考える名無しさん:2008/07/24(木) 22:30:08 0
同じ人ですね。町田康も町蔵さんも。
>>253:佃煮マニアさん
>エートルさんはお出かけかな。
明日からひと月ほど留守にします。
でも佃煮さんがいるので安心。
263 :
佃煮マニア:2008/07/26(土) 20:21:01 0
Absalomさん
>>258 欲望機械は何で機械なんでしょうね。
たしかに、統合失調症の人たちのもつ欲望の形態は、類型化されてもいて、
他人同士で器官をジョイントしても、通常運行しそうな感はありますがw
あくまでも印象であって、人間の意識は、他人の情動をナマで受け入れる
事はできません。
ガタリはもと精神科のお医者さんですが、ドゥルーズは芸術家ですよね?
たぶんドゥルーズの方が、アルトーの詩からインスパイアされたんじゃ・・・
皮膚の下の体は過熱した工場である
そして外では病者が輝いている
彼はきらめくあらゆる毛穴を炸裂させて
端的に表現されていますが、これはあくまでも比喩なんです。
そうむやみと医学理論につなげていいものではありません。
かれらの奔放な発想と表現はとても洗練されていて、大好きですが。
また、彼らはこの病理を、資本主義にからめていますけど、じゃあ
共産圏、第三世界では同じ病気がないのかと言うと、そうではないし、
そこに体制があるから病気が起こると私は考えています。
264 :
佃煮マニア:2008/07/26(土) 20:22:15 0
>>259 へえ〜、中島義道さんって面白い事書くんですねw
ぐれたくてもぐれられないってのには同感。。。
『ぐれる』って気になります。今度読んでみようかなあ。
ナルシスト的傾向は、たぶん「フリ」で、笑わそうとしているのかもしれません。
無意識でやっている様に見せかけて見せかけて、読者がその気になった時に
「なに本気になってんの?」と落とす人だから。
265 :
佃煮マニア:2008/07/26(土) 20:23:56 0
町田さんの話がでたのでついでに書いちゃおうかな。
腹ふりはなぜ腹をふるのか?パンクだったら頭じゃないのか・・・
人間をひとつの器官とすると、脳は皮膚の延長でしかないんですね。
つまり、ものを考えているのは腹であって、
この部分を脊髄もろともシャッフルする事により、
よりダイナミックな飛躍的思考が可能になり、
詩においては修辞的な規律を、もっと視野を広げれば
綿密に整備された境界線を、飛び越える事が可能になる・・・
という所じゃないかと思います。
266 :
佃煮マニア:2008/07/26(土) 20:26:29 0
(ツヅキ)
http://jp.youtube.com/watch?v=1JjXPuEMOBo 町田さんは動画の中で「沈黙」をテーマに詩を書いたようですが、
中心から書く、それを詐欺でくるむ、というのはメロドラマ的ですね。
なぜ原典がキリスト教的アニミズムに裏打ちされていつつ、
伝承の仕方がメロドラマ的か。私なりの考えで行くと、
彼ががロッカーという反逆者ではなく、歌手であると自称している部分には、
日本人である、共同体の一員であるからその中で従順に役割を担いたい、
だけれども、隅の方で卑屈に自虐的にパンク的テロリズムを展開して行きたい
そういう意図がある様に思います。
だから、彼のは「変人の秘めたるパンク」、という形容が出来ます。
ブルーハーツが「劣等生のパンク」BOOWYが「優等生のパンク」
であるのに対して、どちらでもないが何か変で隅にいる、という位置づけを
することによって、差別化を図ったのではないでしょうか。
そして論理の飛躍、シャッフルによる錯乱。
あとは笑いのエッセンスが多分に詰め込まれているようです。
>>263 レスありがとうございます。メシを食うというのは人間の三大欲求であり、その中でも病気に
つながる物でもあり、機械的欲望と言っていいと思います。それに対して攻撃を仕掛ける
というのは、機械に対する怒り(rage against the machine)だと思います。。。。
268 :
佃煮マニア:2008/07/26(土) 21:08:42 0
Absalomさん
>>267 ああ、なるほど、機械ってそういう意味だったんですか。
ちょっと曲解してたかも知れない。ごめんなさい。
その観点で行くと、「メシ食うな!」がクリアーに解釈できそうですね〜^^
ゼヒゼヒ解説をして頂きたい。
269 :
考える名無しさん:2008/07/26(土) 21:42:01 0
>>268 ウ〜ン、音楽は時代の空気の中にあって、それを知らない自分が解説するのもちょっと
おこがましいかな、という気がしてしまって・・・。自分の感想を述べれば、ちょっとほかに
類をみないような、ユニークな、という風に感じてしまいますが・・・。あえて比べるとすれば
スターリンとかかなと思います。
270 :
考える名無しさん:2008/07/26(土) 22:44:41 0
神を超える神とは何でしょうか?
271 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/07/26(土) 23:42:07 0
>>268 と思ったのですが、あまりに無愛想なので少しだけ挑戦してみます。まず、町蔵はメシ食うな!
のアルバムで、さかんに「おまえ」と呼びかけています。これは、音楽の聞き手との距離を
なくすためにしていることだと思います。このアルバムを貫く、状況に流される事への不快感
、物語や人生に個々の人間を回収してしまう事への禁忌感は、メシを食う事への拒絶感
として反抗的に表れています。ロックの根底にある、個々の人間の自由な感情表現、形式
に陥る事への反発などとも通底しています。
しかし、個人の出来ることが限られていること、周りの状況に左右されてしまうこと、などから
全体主義的な思考も生まれるわけです。その中では人間は機械としてしか扱われない。
生産性第一主義なども似たようなことになると思います。
パンクが反抗的な音楽であることは間違いなく、ただ、セックスピストルズなどと違って、
日本ではパンク的態度が向かう対象が、地下鉄の中のおっさんとおばはんであったり、
中産階級のガキどもであったり、するのでしょう。
町田さんのこれからの活躍に期待します。
272 :
佃煮マニア:2008/07/29(火) 17:58:27 0
Absalomさん
>>267 資本主義の中で、三大欲求さえもが、オートメ化された体制の中で
重油となり、またはパーツとなってしまった、ところがこの欲求は
実は、見直してみると、何と色彩に溢れた、豊穣の鏡像じゃないか、
というのが、彼らの主張ですよね。抑圧された欲望の形態としての病気
を参照して、人間のあるべき姿を占いながら、彼はゆうゆうと語ります。
ドゥルーズ・ガタリの、統合失調症への理解は独特ですけど、
彼は、キリスト教に支えられ続けてきた西洋文明を肯定するために、
そして、リゾーム型をした現世界への大いなる「yes。」のために、
キリストの持病であった統合失調症を理解し、現体制での欲望の
状態を描き出して、根の伸びる先に土をしいたんですね、きっと。
273 :
佃煮マニア:2008/07/29(火) 18:03:10 0
>>270 神に優劣ってあるんでしょうかね?う〜ん・・・
サイヤ人を超えるスーパーサイヤ人はあるようですけどw
個人的には悪魔が好きで、悪魔辞典とかちょこちょこ読んでます。
悪魔って人間くさくていいですよ。
274 :
佃煮マニア:2008/07/29(火) 18:05:22 0
Absalomさん
>>269 ミチロウさんが、ライブで町田さんと共演しているのは、新宿で見て
屋根裏にも二、三度行った事がありますが、
スターリニズムと言うか、彼らのコンセプトは、
今ひとつ把握できていないんです。。。
旧ソ連の社会情勢と、関係があるんでしょうか?
275 :
佃煮マニア:2008/07/29(火) 18:10:24 0
Absalomさん
>>272 わぁ〜、こんなに構造的に説明してもらってありがとうございます♪
うれしいな(・∀・)
「中産階級のガキどもをぶちのめすために
俺の存在をまったく無いものとしてくれ」
という歌詞には、非合理な原理の中心基軸をわしづかみにして脱臼し、
その後に待っている真っさらな可能性に向けての再生、もっと言うと、
火が土を生むような「相生」への願いがありますね。そして、
そのために、自分は虚無となり、非人称で私たちに呼びかける・・・
確かに、Absalomさんの言う様に、その脱臼すべき原理とは、
生産第一主義のことかも知れませんね。
ドゥルーズのアプローチと共通点を見いだせます。
276 :
佃煮マニア:2008/07/29(火) 18:12:26 0
または、もっと視点を下げてみると、これは私の見解ですが、
他を無意識に、未消化のまま受け入れ過ぎて、腐らせ、
路傍に散在するゴミ袋の様になってしまった人々への警告なのかも。
「ゴミは集積日に捨てなあかんやん」というようなw
どうであれ、これらに対する強い生理的反発、反抗があることは
歌から感じます。
277 :
佃煮マニア:2008/07/29(火) 18:14:08 0
ところで、セックスピストルズを、私はいつも歌い方ばかり
感覚的に楽しんでいますが、
彼らは、向かう対象として、音楽シーンであったり、ファッションを
選んでいるんですかね?あまり詳しくないので掘り下げられない・・・
278 :
し:2008/07/30(水) 15:05:57 O
極楽とんぼむかつくよ
279 :
考える名無しさん:2008/07/30(水) 16:14:31 0
何かね?
280 :
考える名無しさん:2008/07/30(水) 17:26:24 O
>>274 町田康のエッセイ 「猫にかまけて」「猫のあしあと」は良い。
パンクバンドとは無縁な猫馬鹿加減が素晴らしい。
>>280 猫と聞いて飛んできましたよ!
町田康の音楽よりも小説よりもそちらのほうに興味があるっっ♪
昨夕、スーパーに行ったら「佃煮コーナー」がありました。
咄嗟にこのスレが脳裏をよぎり、売り場で思わず口元がゆるんでしまいましたよ
突然、関係ないけど、恵まれた出逢いって何だろね?
>>281 猫中毒の俺がイチ押しの本だよ。笑いと涙の猫尽くしだね。
猫触りたい。
恵まれた出逢いは後々に、あれは恵まれた出逢い。と思える事じゃないか?
283 :
281:2008/07/31(木) 14:42:23 0
>>282 ホント?
ありがとです!
近所の飼い猫や、公園のノラさんや、とにかく猫を見かけると
すっ飛んで行って思い切りもふもふもふもふしたいっっっ!
できることなら1日中でももふり倒したいっっ!
2ちゃんねるの猫好きは猫のことを「ぬこ」、もしくは「ご主人様」
飼い主のことを「下僕」というらしいですよ。
デートしてても道で猫を見かけたら恋人のことなどさておいて
すっ飛んで猫をもふもふしに行っても怒らない人こそ恋人として合格みたいです♪
>恵まれた出逢いは後々に、あれは恵まれた出逢い。と思える事じゃないか?
そうか、やはり時が過ぎてからわかることなのですね。。。
リアルタイムだとなかなかわかりにくいのかも・・・
>>283 >すっ飛んで猫をもふもふしに行っても怒らない人こそ恋人として合格みたいです♪
確かに。俺はペットショップ(猫コーナー)禁止令が出されます。
猫狂の相手探しは容易では無いですね。
285 :
281:2008/07/31(木) 15:48:14 0
>>284 >確かに。俺はペットショップ(猫コーナー)禁止令が出されます。
猫コーナーなんて行ったらテコでも動かず、閉店になるまで居座りそうでこわい・・・
>猫狂の相手探しは容易では無いですね。
猫のスレで見かけたのですが、恋人検定(?)として、もし地震など災害が起きたとき、
恋人や伴侶よりも真っ先に猫を抱えて避難する人が合格印とのことです♪
>>285 猫を最優先か…
猫への価値観が同等でなければ破滅するだろうね。
まあ実際、条件反射で猫最優先しそうだけど。
287 :
281:2008/08/01(金) 16:23:12 0
>>286 >猫への価値観が同等でなければ破滅するだろうね。
猫を家族の一員ととらえていれば、最優先の対象が人であれ猫であれ
本人にとってさほど差異はないのだと思いますね・・・
災害のときに家族より自分の愛蔵書や愛器、骨董品のほうを守ろうとしたとか
配偶者や子供より猫や犬を最優先して避難させた、などときおり耳にしますよね。
まるで人に非ず、非道な人間のような扱いです。
けれども、わたしはそうした人を責める気にはなれないのです。。。
人の命は確かにかけがえのないものであり、尊重されるべきものとは思いますが、
人それぞれの価値観は異なって当然なわけですから、、、
むしろ、一方的に声高に正義や正論を振りかざし主張する人のほうが怖いです・・・
正しすぎる人は正直言って苦手です。。。
288 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/01(金) 16:44:46 0
>>287 答えを持っているやつは信用しない、とポール・オースターもいってるからね。
289 :
281:2008/08/01(金) 17:13:39 0
>>288 答えを持っている、か。。。
どうなんでしょうね?
答えって先達の誰かが導き出したものをそれが「正」であると、
子供の頃から刷り込まれてきたような気がしますね。。。
答えって始めから最後まで固定されて在るべきものなのかな?
生きる途上で自分の経験値によって流動し、変動していくものなのかな?
・・・最初から答えを決めてあるのは、なんかつまらないような、、、
水のように、風のように絶えず動き、流れているほうがおもしろいかも
290 :
考える名無しさん:2008/08/01(金) 17:31:17 0
>>289 >答えって先達の誰かが導き出したものをそれが「正」であると、
>子供の頃から刷り込まれてきたような気がしますね。。。
子供の頃は行動の規範として大人に答えを与えられて、それに従わねばなりませんね。
大人になって、疑問を持つようになって、そこらにある答えじゃなくて、自分の考えた
ことに基づいて行動するようになるのでしょうか。
社会的な暗黙のルールみたいな物に従うのは、少なくとも哲板住人なら大人になりきれて
いないし、本当の喜びや達成感を味わえないでしょうね。
291 :
↑:2008/08/01(金) 18:07:02 0
Absalomです、入れ忘れました。
292 :
佃煮マニア:2008/08/02(土) 16:17:53 0
>>280 「猫にかまけて」ゲンゾーが可愛くって大好きです。
INUが猫飼うの?というツッコミはさておき^^
たぶん、奥さんの影響なのかな〜と憶測してますが。
町田さんって、今までは抽象的なものばかり書いてきたけど、
いつもそばにいる愛猫を、ありのままに描写することで、
日常に、いかにドラマがあふれているかって事を、感動と共に
訴えたのかもしれません。
町田さんは、トラやゲンゾー達を、その後どうしたんでしょうね。
293 :
佃煮マニア:2008/08/02(土) 16:21:02 0
中野孝司さんの「ハラスのいた日々」は、愛犬の日常を描いた
本ですけど、最後の柘榴の話が。。。泣けて泣けて・・・
私も犬を飼って、その犬が死んでしまって、無花果の木のそばに
埋めたんですが、その年、次の年と実が鈴なりでした。いつも
よりも実が大きくて、色も良かったです。
無花果の実をもいで眺めながら、この実が犬なのか、柿なのか、
まるで区別がつけられませんでした。哲学の○○論でなら、割と
アッサリ、決着がつきそうですが、それでも何か、割り切れない
ものがのこります。
294 :
佃煮マニア:2008/08/02(土) 16:23:05 0
むしろ、答えが目の前にない方がいい。
明確な答えを出さない方がいい場合というのでは、281さんの
>答えって始めから最後まで固定されて在るべきものなのかな?
>生きる途上で自分の経験値によって流動し、変動していくものなのかな?
とか、Absalomさんの
>子供の頃は行動の規範として大人に答えを与えられて、
>それに従わねばなりませんね。
>大人になって、疑問を持つようになって、そこらにある答えじゃなくて、
>自分の考えた ことに基づいて行動するようになるのでしょうか。
という話につながると思います。
答えは、涙とともに流れて、当てもなくさまよう事があるようです。
リアルな感情によって、既成概念が凌駕され、流動を経て、沈黙
へと落ち着くのではないでしょうか。
295 :
281:2008/08/04(月) 17:19:13 0
わたしが子供の頃、生家ではずっと猫を飼っていていろいろな猫の想い出が
あります。
猫の寿命は人間より少ないから見送ったのは10匹以上になるかな。。。
猫のお墓はわたしの家でも花や木の根元が定番でした。
翌年、見事な花をつけたりすると感慨深いものがありましたね。。。
ああ、これは可愛がっていた猫が咲かせたんだな、と。
あの頃は輪廻転生という言葉の意味も正確には知らなかったけれども、目の前で綺麗に
咲いている花を見ると輪廻転生が無条件に信じられましたね。
万物は流転するのだ、と。。。
296 :
考える名無しさん:2008/08/05(火) 00:25:51 0
エネルギー不変の法則?
297 :
考える名無しさん:2008/08/05(火) 16:32:13 0
まあ哲学は上澄みの知識だけで如何に膨らますことが出来るかってことだけ考えてればそれなりには出来るからね。
テーマの専門家には絶対に敵わないから、その場合は対話というより質問形式の論法を必ず用いる。
逆に専門家が居ないと見るや浅はかな知識をフル活用して自分の論法を見せ始める。
結局、相手によって自分を変えてるだけで、哲学が本当に哲学者のペースで語れるテーマは実は世の中にほんの僅かしか存在しないのだ。
298 :
考える名無しさん:2008/08/05(火) 20:11:40 0
>>295 10匹以上ってことは、常に3、4匹?は飼ってたって事か
もっとかな?
ちぐらとかケージで家ん中いっぱいかw
299 :
281:2008/08/06(水) 11:23:53 0
>>298 ぴんぽ〜ん♪
たいていは2匹くらい飼っていましたね。
ほとんどが捨てられていた猫ばかり。。。
飼い猫の他にも、野良さんたちがエサ欲しさによく来てました。
野良さんたちにも飼い猫と同じエサを与えてました。
もし、懐けば飼ってあげたいと思っていたのですが、先住猫に遠慮してか
エサを食べるとさっといなくなってしまう。。。
猫は死期を感じると人の前に姿を現さなくなるといわれてますが、
飼い猫はほとんど看取りましたし、野良さんたちのなかには
ある日忽然と姿を消すも猫もいれば、朝、庭先で冷たくなっている猫もいました。
野良さんたちのお墓も飼い猫と同じように花や木のそばです。
ちぐら、欲しいけど高いですよね。。。
以前、ペットショップで猫用ベッド購入したのですが、ちっとも入ってくれませんでした。
冬はこたつのなか、夏は高く積んだ座布団の上がお気に入りらしくて。
300 :
281:2008/08/06(水) 11:25:35 0
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ヽ .,/)(ヽ,. ゙':; .. ... ..::とうとう虹の橋を渡ってしまったんだね・・・
ミ ´"'., ,.'゙ ` ;: ... .:.: : : : :::::: ::::::::::::::::::::::::::
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/⌒ヽ),_|; |,_,, 楽しいときをありがとう
_,_,_,_,,〜(,, );;;;:;:;;;;:::ヽ,、 ずっと忘れないよ・・・
301 :
281:2008/08/06(水) 11:26:27 0
"お星様" でさえ、道に迷って落ちちゃう事もあるんだ。
そんなお星様を空に返すのも もさの役目。
゚・*:.。. .。.:*・゜
゚・*:.。. .。:*・゜゚・ /^l
@ ,―-y'"~"゙´ .| < お空にお帰りなさい!
\ ヽ ´∀ ` ゙':
(ヽ /)
ミ ミ
ミ ミ
ミ,,, ミ
_____ミ,;シ''~"゙ミ,ジ___
.ハ,_,ハ. //////////////\
丼卅廾- ,:' ´∀`';<モドレ////////////// \
| ::っ ,っ ////////////// 田田 \
_|___ι''"゙''u__☆_____
.. /////////////// \
/////////////// \ 人間だって少しぐらい迷っても
////////////// \ 寄り道しても いいんだよ?
⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒ ───―――ゝ 哲学の道はマタ〜リと歩むべし♪
302 :
考える名無しさん:2008/08/06(水) 11:45:57 0
哲学の基本はファンタジー
303 :
281:2008/08/06(水) 12:37:30 0
304 :
考える名無しさん:2008/08/06(水) 13:51:02 0
ではお聞きしますが、哲学は善く生きることを目的とする。
といった時に感性的なものよりも理性的なものによって認識するのですよね?
理性であるならば、何ほどかの理、
つまり道理なり理論なり論理なりで表現することができますでしょう?
まずはあながそれを証明してやってみたらどうですか?
305 :
281:2008/08/06(水) 14:26:41 0
>>304 >つまり道理なり理論なり論理なりで表現することができますでしょう?
>まずはあながそれを証明してやってみたらどうですか?
ごめんなさいです・・・
論証できるほど哲学に明るくないですし、弁も立ちません。。。
>>304 それは時代、社会性、民族、歴史により変化するのでは?
証明をしようとしても、一時の理でしかない。
307 :
304:2008/08/06(水) 23:29:44 0
>>305半分からかいました。ごめんね。@^-^@
>>306 私は理性と感性の二分法は嫌いですから、?マーク付けられても困ります。
しかしながら、「伝統的に」哲学することは善く生きることを目的にする。
(これについては、感性に近い形で認められますね。じゃあ証明しろと言われれば
難問なのでやはり精神的苦痛でしょうが)
「伝統」ということですから、伝統といえば過去から現在に伝えられるものとして、
不変な、変わらざるものがあると、弱い形でそれを信じていますね。
>>307 人間らしくって事ですか
たまには考えるのをやめるのも必要だと感じる日々です。
最近の日本は心が感じ取りにくい
309 :
考える名無しさん:2008/08/07(木) 17:17:02 0
281って、いわゆる…
ドリー夢系二次制作小説書いてオナってる猫オタの腐女子…なのか…
そうか…いろいろ、いろいろだよな…
ネットだもの…。
人間だもの…。
310 :
281:2008/08/07(木) 17:30:24 0
>>309 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人間ですもの・・・・・・・・・・・・・・・・
311 :
佃煮マニア:2008/08/07(木) 21:49:55 0
312 :
佃煮マニア:2008/08/07(木) 21:52:50 0
>>304 善く生きるための哲学ですか。なるほどなあ。
哲学を音楽に例えるなら、
感性は非拍動時間、理性が空気を刻む拍動時間、言語は韻律
といった所でしょうか。これらは、非常に分ちがたく、
混じり合い、相互に連関し合って成り立っているでしょうね。
313 :
佃煮マニア:2008/08/07(木) 21:54:33 0
また、ちょっと凝って文学的に「善き哲学」を表現するなら、
エートルさんの「風」「流動」を受けて、こんな感じ。
夏の静けさを運び、ゆるやかに吹き流れていく風の、ある一点に
明確な切れ目を入れ、そこにつけられた神秘的な印に名前を贈る。
すると、、、百合の香りに刺激されてまどろみから醒め、
色彩豊かな日差しに目がくらむような心地よい転調が引き起こされ、
感覚器官の熱狂によりかき立てられたイメージの奔流の中で、私は
固定した観点や時間を軽々と飛び越え、歓喜の最高段階に歩を進める。
314 :
佃煮マニア:2008/08/07(木) 21:55:42 0
今までの少ない読書の中で、かなりインパクトが高かったのが、
ドストエフスキー「罪と罰」中、スヴィドリガイロフが吐いた台詞
「自分をどれだけ騙し仰せるかで、人生の価値が決まる」というもの。。。
善も悪も相対的なものでしかないし、宙ぶらりんの状態から抜け出して
善に突き進むとすれば、自分にある「設定」を与え、依存しなければならない。
それを、「騙す」と言い切ったスヴィドリガイロフの男っぷりに、
恋してやまなかった時期があります。
315 :
考える名無しさん:2008/08/07(木) 22:06:05 0
感性=ファンタジーではないような気がするんですが
星空見上げる時ロマンチックであると同時に悟性のようなものが。
我とはなんぞや?無時間?は哲学的です。
281さんが貼り付けていらしたところに
「哲学は死の訓練である」ソクラテス というのもありましたね
316 :
考える名無しさん:2008/08/07(木) 22:16:30 0
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」も死がひとつの
テーマになっていますね。
そう言えばますむらひろしのキャラクターによる「銀河鉄道の夜」のアニメ
は主人公たちの姿がネコでした。
細野晴臣の音楽がすてきでしたね。人間の震える心のようで。
317 :
考える名無しさん:2008/08/07(木) 22:29:49 0
引用以外で対話できないの?
318 :
考える名無しさん:2008/08/07(木) 22:34:42 0
319 :
考える名無しさん:2008/08/07(木) 22:35:27 0
自分を騙す、なるほど人生の価値はその通り、
かどうかはまだそこまで人生生きてないので断言しかねますが、
変なことを思い出しました。
詐欺師は、相手を騙すのが美味いほど、自分も騙されやすいそうです。
自分で自分を騙していたつもりが、ある時に世間や流行に騙されていたんだと
いう事態、失態を避けるためにも、何ほどか騙しながら、
自分を「暴く」ことも人生には必要なんでしょうね。
320 :
考える名無しさん:2008/08/08(金) 09:27:29 0
引用よりずいぶんマシだなあ
321 :
319:2008/08/08(金) 10:13:46 0
善く生きる、人は生きるでは物足らず、つまり「善く」の定義が主題なんですね。
しかしながら誰かが言ってた通り、神ならぬ人間は善くの定義など
知るべくもありません。そうすると、悪が混じる善にしか為り得ないのが
現実ナノかもしれません。善悪が相対的に絡んでるということでしょう。
しかしながら、ではここで悪に生きると言えないのが人間の不思議なところです。
やはり善を、つまり「絶対的」な善を志向せざるを得ないのが人間なのでしょう。
この矛盾をどう抱えていくか。どこで「騙す」決断をするか?
どこで「暴く」解釈をするか?その無謀とも思える孤独な戦いに何がしかの
助言を与えるのが「伝統」なのでしょうね。
322 :
281:2008/08/08(金) 17:25:58 0
佃煮マニアさん
藤田嗣治の猫の絵、ありがとうございました♪
4匹の猫たち、みんな表情と顔の向きが違ってるんですね〜
正面、斜め、俯き、横、と。
なぜだか鳥(鳩?)もいっしょなんですね!
鳩にとっては猫は天敵なはずなんですが、さほど警戒心を抱いてないようですし、
猫も攻撃姿勢ではなく、穏やかな雰囲気です。
キジトラの模様とキジバトの模様がおんなじなんですね〜♪
人生の理想としての最高峰が「真善美」であるとされていますが、
これはもともと人間が不完全なゆえ、完全なものを希求したいという人間の
欲望の現われなのでしょうかね。
323 :
281:2008/08/08(金) 17:26:29 0
>>315 >星空見上げる時ロマンチックであると同時に悟性のようなものが。
そうですねえ、わたしは子供の頃、星空を仰ぐたびに「この果てしない宇宙に
比べたら自分はなんてちっぽけな存在なんだろう、自分の悩みは何と取るに足らない
小さいものなんだろ」って思い知らされましたよ。。。
>>316 「銀河鉄道の夜」、大・大・大好きです♪♪
ますむらひろしのネコのキャラクターによるアニメ、もちろん見ました♪
りんどうの草原やカササギの舞う星野原が幻想的で夢のように美しかったですよね。
あのネコのキャラクター、大きな瞳がうるうるしていて吸い込まれそうでした。。。
友情や自己犠牲による友の死をとおしてジョバンニのこころの成長過程が
ていねいに描かれていましたね。
「あのサソリのようにみんなの幸いのためなら僕の身体なんて百辺焼かれても
かまわない」というジョバンニの最後の告白は胸が打たれました……
宮沢賢治といえばチェロ
チェロといえばチェロ弾きのゴーシュ
これもまた猫繋がり
ついでだから・・・
ズバリ「猫の事務所」ってのがあるけどね。
(猫たちが自分たちの歴史や地理を調べてる第六事務所
最後はいじめがあってそれを見ていた獅子に「そんなら地理も歴史もいらん」と言われ
廃止される。)
326 :
281:2008/08/10(日) 15:38:56 0
賢治つながりでなかなか楽しいレスが続いてますね♪
では、わたしもひとつ。
「どんぐりと山猫」
題名もずばりですが、裁判のところは面白かったなあ。
「このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい」
これは人間の心理の急所を突いていてなかなかうまいなあ、と思いましたね。。。
http://why.kenji.ne.jp/douwa/01dongur.html 逆説の心理とでもいうのかな、自分が一番えらいことを証明するためには
自分がもっとも無能力であることを表明しなければならないんですよね。
宮沢賢治の「どんぐりと山猫」は確かに名作だが
こんな優しい話をうがった読みして、幼稚な皮肉をひねり出すっていうのは、
人格の問題だろうな。
山猫は、滞る裁判に窮してるところ、ふと一郎を見つけて、
陪審員の素質があるかどうか、心が綺麗かどうか試したんだろ?
それに、裁判で一郎が機転を利かせて「つぶれたのが一番偉い」って言った時点で
山猫もやっと「なるほど・・」つってるじゃん どこでそんなひねくれた読みが出来る訳?
328 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 10:48:36 0
「あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ」と
付け加えて言ったのは山猫だよ
自分をえらいなんて思ってるやつはちっともえらくないよという愉快さがこの場面にはあるような
気はする。
ラストで(それからあと、山ねこ拝というはがきは、もうきませんでした。
やっぱり、出頭すべしと書いてもいいといえばよかったと、一郎はときどき
思うのです。)と語り手がいっているけど
重要人物扱いされたかった主人公の心理をちょっと戒めるような
あるいはそうではないのかもしれないけど、どうあれもう一度
山ねこにあってみたいという思いをかわいらしげに表現してると思います。
rom者さんの批判を恐れず言えば人間の虚栄のこっけいさみたいなものを
あったかく包んではいるよね。そしてちょっとせつない反省をさせるような。
それから「雨ニモ負ケズ」の賢治の心境なんかともちょっと重なったかな?
ちゃんと読んだの?
>「このとおりです。どうしたらいいでしょう。」一郎はわらってこたえました。
>「そんなら、こう言いわたしたらいいでしょう。このなかでいちばんばかで、
>めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらいとね。
>ぼくお説教できいたんです。」山猫はなるほどというふうにうなずいて、
>それからいかにも気取って、繻子のきものの胸を開いて、
>黄いろの陣羽織をちょっと出して、どんぐりどもに申しわたしました。
重箱の隅つつきはやめような。文脈で読めよ。
一郎がはじめに言って、山猫はそれに感心してる。
つまり、この話は、権力争い自体がくだらないと笑い話に変えてる。
偉いと証明するために無能力を晒す話ではない。そんな人間いるのか?
「北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろと言い」の辺りとは、確かにリンクするな。
賢治は聖人で、アイロニーを作品に込める人間ではない。
330 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 12:13:50 0
あなたがそういうふうに記述してるから訂正したんだよ
重箱の隅を突いてるわけじゃなくて。
だから文脈を読むと人間的な葛藤がちらほら描かれるんだけど。
だから、聖人でもない私が共鳴するんでしょうが。
じゃ、出頭すべしとかいてもいいといえばよかった
ってのはどういうこと?
皆からでくの坊とよばれとかさ。
331 :
rom者:2008/08/11(月) 12:36:11 0
>>330 食いついてくる割りには言ってることが支離滅裂。
自分で何が言いたくて書いてるかも分かってないだろ
何かすごい感情的になってるんじゃね?
とにかく、自分が偉いと証明するために無能力を表明するなんて
そんな低俗なことをやっている登場人物は「どんぐりと山猫」にはいない。
281は中盤にある山猫のトリックに固執するあまり、読解したつもりで自己分析をやった。
332 :
281:2008/08/11(月) 12:43:36 0
>rom者様
>幼稚な皮肉をひねり出すっていうのは、人格の問題だろうな。
あなたがどのように読もうとご自由です。
そして、他人の読み方に難癖をつけるのもご自由です。
>陪審員の素質があるかどうか、心が綺麗かどうか試したんだろ?
>こんな優しい話をうがった読みして
>賢治は聖人で、アイロニーを作品に込める人間ではない
わたしは賢治は聖人だとは思いません。
人間の権力に屈服する脆さ、異色のものを排除しようとする差別意識、
劣っているものに対する優越意識、人間が本来持っている醜悪な部分を
きっちりと描ける作家です。
「貝の火」のホモイは宝珠を手にしたためにどんどん高慢になっていき、
権力を嵩に着てとうとう最後には失明してしまいました。
「猫の事務所」のかまど猫は寒くてかまどの中で眠るため、いつも煤で汚れている
せいで、事務所のほかの猫たちから差別されいじめられます。
「銀河鉄道の夜」のジョバンニは父が遠方に漁に出たままで貧しく、ザネリは
そのことを何かにつけてからかいます。「ラッコの毛皮が来るよ」と。
賢治は人間の善良さを描く一方で、醜悪な感情もきっちりと描く作家です。
自身のなかにもそうした対極の感情があることを認めているからではないでしょうか?
(余談ですが、「善を描きたいなら悪を描くことだ」、とは遠藤周作氏の言葉です)
「貝の火」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1942.html 「猫の事務所」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/464_19941.html
333 :
281:2008/08/11(月) 12:45:18 0
>>328 >自分をえらいなんて思ってるやつはちっともえらくないよという愉快さがこの場面にはあるような
>気はする。
同意です。
この愉快さはイソップ寓話に通じているものがあると思うのですが、イソップも訓話として
読むとかなり辛辣ですよね。。。
>重要人物扱いされたかった主人公の心理をちょっと戒めるような
>人間の虚栄のこっけいさみたいなものを
>あったかく包んではいるよね。そしてちょっとせつない反省をさせるような。
ああ、ここまではわたしは読み込めませんでした!
確かにそう指摘されてみると、一郎は自分が裁判で放ったひとことで決着が着いたことに
気をよくしてもう一度得意になってみたい、と思ったかもしれませんね。
それを諌めるようにも読めますね。
334 :
281:2008/08/11(月) 12:46:15 0
すみません、わたしの読み方でお騒がせしてしまいましたね。。。
作品はひとたび作者の手を離れた瞬間から読み手のものであり、
読み手が10人いれば10通りの読み方が許されるというのが持論です。
rom者さん、
>>328さん、おふたりの読み方をありがとうございました。
335 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 12:51:15 0
どこが支離滅裂なの?
あなたの言わんとするところがわからなくてさ
あなたは先入観があるのかなと言う印象があるので。
言葉づかい汚いし(人を感情的というわりに・笑)
皆が黙り込んだのはじゃ、なぜ?
愚者・無能力者が偉いわけないじゃないかとなぜ反論が巻き起こらなかったの
?それまでガヤガヤつまらないことで騒いでいたのに。
そこんとこ裁判だから仕方ないじゃすまないと思うけど。
読者を黙らせなきゃいけないわけだからね。
336 :
rom者:2008/08/11(月) 13:11:42 0
>>332 自分にとって少しでも批判的なら、真っ当な批判に対してでも「難癖」と吐き捨てる感覚が、
自己中心的だし排他的。オウム返しに話題すり替えで誤摩化そうとする。
批判から議論に移行するような論理的思考はまったく持ち合わせていない。
それなら、わざわざ浅い読みを晒さなきゃいいとは、思わないのかな?
>>335もヒステリー過ぎて話にならない。日本語が崩壊してる。
337 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 13:16:49 0
>>336 336は自分のコメントを真っ当な批判だと思ってるの?
その滅茶苦茶な文章で?
すごいね!
あなたの文章、ものすごく感情的で議論にすらなっていないよ?
ここらであなたのお手本となる「議論」とやらの文章書いて下さい
338 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 13:18:30 0
さあ、みんなこれら336の「お手本となる議論」が展開されるぞ〜
楽しみ、楽しみ〜
339 :
335:2008/08/11(月) 13:21:50 0
日本語が崩壊してるっていうほどのことかい?
話は「山猫とどんぐり」だろ?聞く耳あればわかるだろ?(笑
340 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 13:24:22 0
>>336 想像力の欠如した、頭の固くて弱い人にも理解できるように書けってことかな。
341 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 13:27:09 0
Rom者さあん
マダァ-? (・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン
早くお手本の議論待ってるよ〜
342 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 13:27:56 0
343 :
rom者:2008/08/11(月) 13:27:58 0
すごい煽り方だな。下品にも程がある。ヒステリーとは話したくないんだけど・・・まあ話ついでだから
質問はしたつもりだけどね。何度も書いてるのに読まない答えない。
つまり、この話は、権力争い自体がくだらないと笑い話に変えてる。
偉いと証明するために無能力を晒す話ではない。そんな人間いるのか?
とにかく、自分が偉いと証明するために無能力を表明するなんて
そんな低俗なことをやっている登場人物は「どんぐりと山猫」にはいない。
281は中盤にある山猫のトリックに固執するあまり、読解したつもりで自己分析をやった。
話題すりかえずに「どんぐりと山猫」の物語内で答えてみてよ
344 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 13:33:20 0
345 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 13:36:13 0
>偉いと証明するために無能力を晒す話ではない。そんな人間いるのか?
ここまで読解力が乏しいとは・・・・
つまりね、偉いと証明すること=無能力、これはね、一郎の頓知、レトリックなんだよ
自分が一番偉いと表明することは、一郎の言葉を借りるなら「一番てんでなってないやつ」、
なんだよ?
346 :
rom者:2008/08/11(月) 13:40:35 0
>>345 お前誰だ?お前には聞いてない。281に聞いている
しかも「そんな人間いるのか」に答えていない
347 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 13:42:36 0
>>343 だからさ、揚足とりに見えるんだよね。いやみなんだよ。
文体が(笑
そんな話でないことはわかってるよ。威張るほどのことか?
348 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 13:47:43 0
>「そんな人間いるのか」って・・・
もしかして小説読んだことないの?
小説のなかに登場する人物はすべて実在するとでも?
349 :
rom者:2008/08/11(月) 13:58:35 0
トンチンカンな話題ずらしばかりだけど「議論」はどこにいったんだ?
できないならできないと言えば言いだろ。
このスレは妄想で判断力をなくした連中の集まりだな。
350 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 14:02:45 0
351 :
rom者:2008/08/11(月) 14:31:51 0
>>350 お前にとっての議論がそうなのか?頭おかしいな。
名無しとはいえ、被害妄想とヒステリーでチンピラみたいなマネしてて恥ずかしくないか?
哲学板住民ならレヴィナスくらい読んでるだろうに、まるで倫理観が欠落してる。
質問は、
とにかく、自分が偉いと証明するために無能力を表明するなんて
そんな低俗なことをやっている登場人物は「どんぐりと山猫」にはいない。
281は中盤にある山猫のトリックに固執するあまり、読解したつもりで自己分析をやった。
て印象をうけるんだけど、実際の所、本人はその辺の自覚あるの?という質問。
352 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 14:35:19 0
353 :
rom者:2008/08/11(月) 15:11:55 0
早く答えろよ。読解したつもりの自己分析は妄想でしかない。
妄想が妄想であると自覚できない奴ってキモいんだよ。
自分が偉いと証明するために無能力の表明をするなんてアイロニーは、
「どんぐりと山猫」のどの文章から引っぱってきた訳?
それが説明されないから妄想だって言われるんだろ?
354 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 15:28:46 0
自問自答
355 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 15:29:42 0
そんなこと無理だから自からの愚かさに思い当たるんじゃ
ないの?
356 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 15:47:48 0
357 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 15:49:46 0
それくらいの説明も無理ってどんだけ文盲なの?
そのアイロニーを作品と結びつけられないなら、何の作品からでもいいからとにかくこじつけて
「自分が偉いと証明するために無能力を表明」なんて下衆なことを、もったいぶって言いたかっただけ
そういうことになるんじゃ?
358 :
281:2008/08/11(月) 16:06:46 0
うわっ、、、なんかすごいことになってますね
>>353 >読解したつもりの自己分析は妄想でしかない。
それは、あなたがわたしの文章から「妄想」しているからではありませんか?
つまり、わたしが「どんぐりと山猫」を妄想したように(これはあくまであなたの意見です)
あなたもわたしの文章から「妄想」しているのです。
>妄想が妄想であると自覚できない奴ってキモいんだよ。
ご自分のことですか?
わたしは充分自覚していますが、何か?
>自分が偉いと証明するために無能力の表明をするなんてアイロニーは、
>「どんぐりと山猫」のどの文章から引っぱってきた訳?
「よろしい。しずかにしろ。申しわたしだ。このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、
めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」
抜粋しましょう。
「ばかで」「めちゃくちゃで」「てんでなっていなくて」
359 :
281:2008/08/11(月) 16:07:24 0
ばか 1 【馬▼鹿/▼莫▼迦】
(名・形動)[文]ナリ
(1)知能の働きがにぶい・こと(さま)。そのような人をもいう。
(2)道理・常識からはずれていること。常軌を逸していること。また、そのさま。
(3)程度が並はずれているさま。度はずれているさま。
(4)役に立たないさま。機能を果たさないさま。
(5)特定の物事に熱中するあまり、社会常識などに欠けること。
めちゃ-くちゃ 0 【▽滅茶苦茶】
(名・形動)
(1)まるで道理に合わないさま。筋道の通らないさま。めちゃめちゃ。
(2)程度のはなはだしいさま。めちゃめちゃ。
(3)非常に混乱したさま。めちゃめちゃ。
なってない
〔「成っていない」の転〕一人前とは認められない。でき具合などが極端に悪い。だめだ。
360 :
281:2008/08/11(月) 16:08:28 0
では、今度はこちらから質問させていただきます。
あなたが賢治を「聖人」と呼ぶにあたり、文献は「雨ニモマケズ」だけなのでしょうか?
これだけ自信を持って礼賛するからにはそれなりの文献を数多くお読みかと思います。
どうかご教示ください。
印象批評ではないですよね?
よろしくお願いします。
スレの皆さま、お騒がせして大変申し訳ありません。。。
361 :
281:2008/08/11(月) 16:17:57 0
>>351 >哲学板住民ならレヴィナスくらい読んでるだろうに、
申し訳ありません。未読です。
>281は中盤にある山猫のトリックに固執するあまり、読解したつもりで自己分析をやった。
>て印象をうけるんだけど、実際の所、本人はその辺の自覚あるの?という質問。
自己分析はしておりません。
よって自己分析したという自覚もありません。
ちなみに、ここは「対話」のスレです。
議論がしたければ他でやってくださいな。。。
わたしには議論する能力はありません。
362 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 16:27:37 0
>>359 「よろしい。しずかにしろ。申しわたしだ。このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、
めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」
抜粋しましょう。
「ばかで」「めちゃくちゃで」「てんでなっていなくて」
それを山猫が言ったからと言って、争うどんぐりをおさめるために言ったに過ぎない。
偉い者が無能力を表明して目的を得るなんて描写は一つもないのに、
なぜ、どのように、281が考えて「偉いと証明するには無能力を表明する」に至ったのか、
説明はしないんですか、してくださいよ、そうでなければ妄想とこじつけに過ぎない、
と言っているんだけど?
それから、自分が答えもしないうちに
>>360のように話をすり替えようとするのは不誠実だ。
363 :
281:2008/08/11(月) 16:31:17 0
>そうでなければ妄想とこじつけに過ぎない、
>と言っているんだけど?
どうぞ、そう思ってくださって結構です。
あなたに共感していただかなくても、わたしは別に構いませんけれど?
ところで、今度はあなたが質問に答え番ではありませんか?
そうでないと「不誠実だ。」
あなたが賢治を「聖人」と呼ぶにあたり、文献は「雨ニモマケズ」だけなのでしょうか?
これだけ自信を持って礼賛するからにはそれなりの文献を数多くお読みかと思います。
どうかご教示ください。
印象批評ではないですよね?
よろしくお願いしますね。
364 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 16:35:47 0
>自己分析はしておりません。
>よって自己分析したという自覚もありません。
その自覚のなさが、配慮なく妄想を垂れ流してナルシズムによう結果に陥らせるんじゃないの?
>ちなみに、ここは「対話」のスレです。
対話をどういうものだと考えてるのか?
話を無闇に広げないためにこの事項は、今はいらないけど。
365 :
281:2008/08/11(月) 16:40:36 0
子供の頃初めて「どんぐりと山猫」を読んだときは一郎の機知に驚き、感服したものでした。。。
ひとつの作品に対する感想は人それぞれ違って当然かと思います。
わたしは、わたしの読み方が正しいとは今まで一度も思ったことはありません。
よって、他人の読み方が間違っていると思ったこともありません。
わたし自身の読み方も、その時々の年代や環境、心境によってブレがあり
まったく異なってくるからです。
366 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 16:42:56 0
>>363 宮沢賢治は読破して、思う所は多いけど、
作品に妄想を押し付けて自己満足するだけの、こんなつまらない読者と
なぜ、多くの作品について話して、賢治のイメージを貶めなければならないんだ?
281が強要してるのはそういうことだよ?
367 :
281:2008/08/11(月) 16:43:14 0
>>364 >対話をどういうものだと考えてるのか?
>話を無闇に広げないためにこの事項は、今はいらないけど。
了解しました。
取り下げますね。
368 :
281:2008/08/11(月) 16:48:05 0
>>366 >なぜ、多くの作品について話して、賢治のイメージを貶めなければならないんだ?
>281が強要してるのはそういうことだよ?
別に強要はしておりませんが・・・
また、貶めてもいませんが。。。
なぜ、そのように思われるのでしょうか?
賢治は人間のいやな部分にも目を背けることなく描ける作家ですよね?
369 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 16:56:02 0
>>367 じゃ、あなたの感想をいえばいい。
こんなことでそこまで人を責める人が読者なんて
賢治のイメージとはなんぞや?
370 :
369:2008/08/11(月) 16:59:30 0
371 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 17:05:46 0
>>368 もうこれ以上話はしない。
宮沢賢治の作品からひねり出したアイロニーがこじつけの妄想だった、と答えは出たし。
なんでそんな妄想を書きたくなったのかは聞かないけどね。
宮沢賢治に直接聞いてみたいね
373 :
281:2008/08/11(月) 19:58:45 O
>>371 名前がないのですがRom者さんですか?
そうですか、終わりですか…
賢治があなたのなかでどのようにして聖人になったのか
ぜひ披露していただきたかったなあ
自分のなかに悪を認めない人は作家にはなれません
ましてや人のこころを打つ作品など書けません
だからこそ賢治聖人説とやらを伺いたかったのです…
どんぐりと山猫は虚栄心を戒めるお話しです
あの判決後にもし誰かが自分こそ一番偉いと名乗り出たとしたらそのどんぐりこそが一番ばかでてんでなってなくて
めちゃくちゃな奴、というパラドックスです
どうやら終わりのようですね
スレの皆さん、Rom者さん、いろいろとお騒がせしました
他板でやれば?文学板とかほのぼの板とか
そもそも哲学の話題じゃない気がするし、AA張りまくったりどうかしてるよ
共有のスレで自分の世界作り過ぎなのに、誰も何も言わないのがおかしい
夏だからしょうがないのかな
375 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 20:51:38 0
宮沢賢治は哲学的・宗教的だからいいじゃんか。
「こんなかでてんでなってないのがえらい」なんて無知の知みたいで
面白いなぁ。
宮沢賢治を語るにしても、哲学的な切り口というものがあるだろう。
それからAAの張りまくり、自分の世界の作り過ぎの件はどうなるんだ?
281の、ずうずうしい、空気読めない、自閉的、攻撃的、これらの性格を
わけわからん語調で誤摩化してる辺り、気持ち悪すぎる。
実生活でも嫌われるタイプだね。
そんなんが対話なんてやろうとするから、会話すら成り立たなくなる。
281が好き放題書きまくって、まわりが介抱するスレなんて痛々しすぎる。
377 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 21:42:55 0
そんなケンカ腰が暑苦しいんだよ
それに私は絵が好きだから、よほど不快な下品なものでなければ
いいよ。ここのスレの人も不快じゃなさそうだし。
哲学的に語りたいなら君が語ればいいんだよ
378 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 21:48:46 O
1 考える名無しさん 2006/07/15(土) 22:24:03
哲学語っていうのは、かつてそれなりに哲学されたことを
一言で言うためにあるか、もしくはまったく新しい概念で
それに相当する言葉が無いから新しく作られたものだと思うけど、
はっきり言って普通の人には通じません。
また、哲学してる人同士であってすらその言葉の解釈の相違から
通じなかったりします。
もっと平易な言葉で哲学しませんか。
281の、ずうずうしい、空気読めない、自閉的、攻撃的、これらの性格を
わけわからん語調で誤摩化してる辺り、気持ち悪すぎる。
実生活でも嫌われるタイプだね。
そんなんが対話なんてやろうとするから、会話すら成り立たなくなる。
281が好き放題書きまくって、まわりが介抱するスレなんて痛々しすぎる。
迷惑な理由はこの通りだ。マジで不快。頼むから終わってくれ 他人に迷惑をかけないでくれ
宮沢賢治は終了。
次話題で。
今久しぶりにヤモリ見ました。
ヤモリは家守りという意味が名前の由来でしたよね?
トカゲは戸の陰にいるから?
似てるのに扱いが随分違う気がする
ケンカ腰で煽ってる奴、女か?
男なら終わっとる
庇ってもらえない女の嫉妬は醜いな
言葉も汚いけどね
感想は人それぞれで良いだろ?
何で宮沢賢治ネタになった瞬間から粘着してんだよw
作品は一つでも、多くの目に触れることで沢山の意味を持った作品になるんだよ。
うむ
ロム粘着は結局噛みついただけで賢治聖人説を語れなかったよね
なんだかなあ
「はたちの日よきライバルを君に得て自ら当てし鞭いたかりき」堀口大学
これ以上居座って激論されても大変だけどねw
そうだね
レスの内容についてのみの批判ならともかく
人格否定、人格攻撃って反則だろ?
ましてや感想なんてものは十人十色なんだからさ
まさにここは「猫の事務所」の縮図だな
さてと
みんなともだちと哲学に関した話ってする?
してる。うまいこと言い合うバトルみたいになるけど。でも印象に残る会話になるよ
いいな
哲学対話というか、哲学談義できるともだちは貴重だよね
自分の場合は哲学は一般教養で取っただけだからなあ
かといって哲学専攻の学生と話すとなると敷居が高いんだよね
>>380のヤモリ話から相当なネット依存生活が伺える件
391 :
考える名無しさん:2008/08/13(水) 18:43:25 0
あそこは閑話休題だからいいんだよ
気をつかってくれたとこもあるね
>>390は嫌味がいいたいだけなんだるう?
パラサイトなんだろ?
そういうことですから380さん。参考にしてあげてください
>>390-391 営業車から外見てたらヤモリがいたから話題に出しただけなんだけどな〜
どーゆー発想でヤモリ=ネット依存症になっちゃうんだろう?
393 :
391:2008/08/13(水) 19:06:09 0
そうですか。
唐突な感じもしたんですが騒々しかったので気つかってんのかな、
と思いました。すみません。
394 :
考える名無しさん:2008/08/13(水) 19:08:03 0
>>391 おーおー反応が早いこと。ずっと監視してるんだw
悪趣味な妄想エスパー発見。
パラサイトって何?
何が「そういう事」なのかな?w
395 :
考える名無しさん:2008/08/13(水) 19:12:03 0
>>394 監視してないよ。パソコンのまえで作業やってんだよ。
いちいち人の腹さぐってんのおまえだろ。
「そういうこと」だよ
397 :
考える名無しさん:2008/08/13(水) 19:15:30 0
>>395 何の「作業」をしてるのかな?
パラサイトって何?
そういうコト?俺はエスパーじゃないのでわからんなw
そういう事って何か説明してくれないか?w
398 :
考える名無しさん:2008/08/13(水) 19:18:13 0
>>397 作業はおれの仕事だよ
いちいち相手して貰えると思うなよ。バカ
399 :
考える名無しさん:2008/08/13(水) 19:21:55 0
やれやれ、またネットストーカーですか。
こないだリアルで同時に二人もストーカーにあってうんざりなんですよ。
もうなれっこですけどね。
それで、誰をストーキングしてるって?wどんな妄想しながら?w
400 :
考える名無しさん:2008/08/13(水) 19:25:31 0
>>398 もしかして397って宮沢賢治粘着?
俺がヤモリの話し振って話しして別話題出したから根に持ったのかな?
402 :
考える名無しさん:2008/08/13(水) 19:29:07 0
>>398がネットストーカーとは・・・
しゃあしゃあとして善人ヅラをしながら、やる事やってますね〜
どうでもいいですけどねw
403 :
考える名無しさん:2008/08/13(水) 19:31:15 0
>>401 そうですね。人の腹さぐるほうが好きみたいだからね。
404 :
考える名無しさん:2008/08/13(水) 19:33:12 0
あれれ、醜いネット依存生活が暴露されちゃって、
むずかってるんですかね〜?イヤイヤ、てのですか?
面白いですね、ネット人って。
>>403 それで390みたいな意味不明な因縁をつけてきたんだ
こーゆー荒らしは何で独りで興奮してるんだろーね?
406 :
考える名無しさん:2008/08/13(水) 19:36:35 0
407 :
考える名無しさん:2008/08/13(水) 19:40:54 0
最近は、不審なネット使用者のネット使用状況を、
警察も礼状なしに簡単に把握できる様になったらしいですからね。
気をつけた方が良いですよ?
>>404 対話すら出来ない卑屈なニート君。構って欲しいなら俺が構ってあげますよ
>>408 君の頭は勘違いで一杯みたいだね。何から何まで憶測が外れている。
純一氏をかまってる方が楽しい。何だかんだ言って頭良いし。
でも、かまってくれるならさっき挙げた二人のストーカーの話をしよう。
M 私に告白後、やんわり断られてストーカー化。毎日携帯で私の足、襟首など
撮りまくっていた。また、食べているサンドイッチを横取りされたり、
ファンデーションのパフを勝手にバッグから出して眺めていたり。
同僚も激怒していて、ある日会議中Mについての話題をだし、徹底追及。
それでもふてくされていたようなので、私が一括したら、謝ってきて和解。
K 音楽の趣味が合うので仲良くなった。飛ばす冗談が独創的でキツくて楽しかった。
次第に家に遊びにくる様になった。しかし、それが過剰に頻繁化。
私が不在の時も家に居座って待っていた事があるし、朝早く家に押し掛けてきて
起こされた事がある。電話もしつこくなったので着信拒否。すると家電にかけて
来る様になったので、説教したらそのご不通。たまにメールしてくる。
>>409 憶測外れは残念だね。
出来れば、正解をお聞かせ願いたいものです。
惨事に発展せず、一件落着したなら良かったじゃん。
ストーカーなんていうからもっと狂気的な行動かと思ったが説教で終わる程度
ですか。
411 :
佃煮マニア:2008/08/14(木) 18:49:17 0
わぁ〜・・・このレス数w、、、夏ですね!お盆です。
今日はお墓参りに行ってきたのですが、しかし、人の生き死にとは
不条理なものです。
鬱病になって自殺した師。彼は、物質的には満たされ、自分もたいそうな
インテリで、、、しかし満たされているが故に要らない事をあれこれ考え、
自分から命を絶つようになってしまったんです。たぶん。
アフリカの子供などは、常に満たされない生活を送っているために、それを
なんとか手に入れようと必死になって、生きる事しか考えません。
この差はなんでしょうね。
412 :
佃煮マニア:2008/08/14(木) 18:50:26 0
>>316 細野さんは私も大好きで、「銀河鉄道の夜」はサントラ持ってます。
あの人の音は、静謐で透明感があっていいですよね。
一番好きなのは、「HOSONOHOUSE」です^^
>>319 う〜ん、自分を暴く、ですか。人は、生きる事で既に、暴露された
対象なのではないでしょうか。そして、それを言語というベールで
覆い隠していくと。哲学も、何かを説明する事で明晰化している様に
見えて、実は、隠しているのかも知れません。
>>321 「伝統が助言を与える」には同意です。
助言を与えつつ、暴露され不安定な自我を固定してもいますよね。
この固定によって、自我は飽和状態になる事もありますが、その
状態を打ち砕くのは一体なんなんでしょう?
413 :
佃煮マニア:2008/08/14(木) 18:51:50 0
>>322 281さん
そうなんです。動物達がみんな仲良く女性を見つめています。
藤田がそう描いたかはわかりませんが、多分、この動物達は
夢で、女性は夢に見られている、のではないでしょうか。
その夢とは、281さんの言う様に、真善美に包まれた闇、とも
言えそうです。
>>326 ばかで、いちばんなっていないのですか。それが一番偉いとなると、
それをニーチェのピエロとからめる事ができそうです。
つまり、哀れで滑稽な狂芝居をうつピエロこそが、場を制するのだと。
ニーチェの言う事は重いんですが、それが宮沢賢治にかかると
秋の夢のような、どんぐり達の不思議な裁判、と変化するんですね。
414 :
佃煮マニア:2008/08/14(木) 18:53:10 0
>>351 rom者さん
レヴィナスは、倫理の話で、「良心による暴力」ということを
言いました。私流に解釈すると、行為はそれが良心や配慮から
由来するものであれ、表出した段階で暴力(エゴイズム)である
のだという事になります。
それを思うと、あなたの行為はとても示唆的です。
>>364 対話とは、と問われた時、以前、対話とは穏やかに運ぶものである
いや、怒声をかわしてやっと合意に至るものである、と意見がわかれた
事があります。私は答えを持っていましたが、書きませんでした。
415 :
佃煮マニア:2008/08/14(木) 18:56:05 0
対話とは???
禅において、禅問答(対話)は、禅師が弟子に対して問いを立て、
解答に対してまた問いを立て、繰り返していくうちに解答は、
不条理、不合理なものになっていき、それを超えた辺りに悟りを
見いだせるもののようです。(この時、決して悟りたいなどと考え
てはいけないとも。)
対話の場合でも、相手の言説を汲み、論理的な展開のために、
やや誇張した、装飾的な言葉運びになる事が、ままありますが、
ここにおける不合理を、禅につなげてゆけば、可能性は充分に
開いているものと思えます。
416 :
佃煮マニア:2008/08/14(木) 18:57:22 0
(つづき)
また、この禅問答を、人以外の何かと行い、つまり自分だけで
行ない、自己満足と幻想のみを得て、何かを学んだ様に錯覚する
のは、「野狐禅」と言い、高慢への一歩となるようです。
私は以前、禅問答は一人で行なうものだとか、独善から何の根拠
もなく言いましたが、これによって対話的姿勢が疎外された事を
思うと、まだ何も分かっていない自分を叱咤せずにはおけません。
417 :
佃煮マニア:2008/08/14(木) 18:59:38 0
(つづき)
対話に禅を当てはめるならば、論理の方向性に執着せず、忘我の
状態で、相手の言う事に耳を澄まし、例えるなら、打たれた鐘の
様に答えるのが肝心なのかな、と考えています。
418 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/14(木) 20:58:32 0
>>411 死や生に関して軽々しいことはいえませんが、人間の生命というものは、理性が幸福を
志向することにあるのであって、動物的個我の幸福を追い求めるから死という物を
おそれるようになるのだ、ということをトルストイが言っています。苦しみは、罪を担うことで
永遠の生命への気づきとなるのだ、と、一時の幸福を戒めているのでしょうか、キリスト教
的でもあります。トルストイ「人生論」非常にためになりました。
まだまだ迷いの多い人生ではありますが、何か方向のような物を与えられたような気になりました。
僕はこういう極端(に思える)な意見への偏向があるようです。(好き嫌いとして)
よい生を見つけたいものです。
419 :
考える名無しさん:2008/08/15(金) 21:10:57 0
2CH
は対話ではない
420 :
考える名無しさん:2008/08/15(金) 22:25:03 0
(´・ω・)ナニが悪を書けないと作家になれないじゃドアホ
(´・ω・)作家の知り合いぐらい何人もいるしそんな話常識なんじゃドアホ
(´・ω・)エラソーにこきにくる腐女子ウザイちゅーんじゃドアホ
(´・ω・)たいがい腐女子はナニするか分からんからタチ悪いちゅーんじゃドアホ
(´・ω・)なんで隔離されてねーちゅーんじゃドアホ
いや、そういう話じゃなくて
カントじゃんって
ヒストリエ面白い
あれは哲学好きにも楽しめるマンガなんですか?
424 :
佃煮マニア:2008/08/18(月) 18:08:13 0
>>418 Absalomさん
>動物的個我の幸福を追い求めるから死という物をおそれるようになる
トルストイもそんな事を言っているんですね〜。何かしっくりきます。
私の師は、大雨の日濁流に入水したんですが、川にむかうまでの苦しみから、
濁流を眺め、その光景から、何かを見いだし、気づきを得たのかも知れません。
>苦しみは、罪を担うことで 永遠の生命への気づきとなる
苦しみから逃れるだけだったら薬でも飲めば楽だったんでしょうが、
濁流でもがき苦しんで命を絶った、となると、何かそこに、儀式的な
行為を当てはめていたかも知れません。
永遠の生命ですか。。。それを得るための手続き、だったんでしょうか・・・
手塚治虫の「超生命体=コスモゾーン」は流体ですが、何か近いものを感じます。
なんかモヤモヤが解けてきた様に感じます。
Absalomさんの意見が極端とは思いませんでしたけど、そうですね、
私も、これと思える生を見つけたいです。
425 :
佃煮マニア:2008/08/18(月) 18:14:42 0
イヌネコ動物と、来ているようで、次は虫かな。
キテレツ小説、カフカの「変身」の感想です。
人間の身体性に異常な執着と不安をを抱えていたカフカにとって、
ゼリー質の肉がむき出された人間の脆い肉体よりも、
甲殻で覆われ、鈍い皮膚を持つ強靭な節足をもつ虫の身体に、
完全性を見いだすとともに、欲望を覚えたでしょう。
ですが、その欲望も、カフカ自身の同一性とは微妙にズレたところにあり、
ゆえに何か奇形的で、彼の厳しい美意識は、ザムザを不条理の
入り口に立たせ、絶望に押しやり絶えさせます。
彼は、自身の歪んだ欲望を否定する事で、間接的に人間礼賛を
したんですね。
426 :
佃煮マニア:2008/08/18(月) 18:17:00 0
(つづき)
カフカの美意識とはどんなものだったんでしょう。
ギリシャ的黄金螺旋を人間は、自身の体にも虫にも、世界の
あらゆる場所に見いだしてその美を謳います。黄金比は
人間の真理ですが、例えば虫にとっては果たしてどうか、という
議論が物語の中で進行し、カフカは、人間の真理は万物の中では
相対的なものに過ぎない、という結論を出したようですが、
同時に、相対的でしかない儚さこそかえって美しいんだ、
という、力強い主張をしてもいます。
427 :
佃煮マニア:2008/08/18(月) 18:18:29 0
(つづき)
不完全でいい。脆くていい。カフカの内的葛藤から生まれた
そのメッセージは、彼自身がもつ美への着眼を経由し、
奇妙な語り口でぼかされ、読み手のこころ全体を温かくつつむ
ものとなっています。
428 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/18(月) 20:14:51 O
>>佃煮マニアさん
カフカの変身では、妹がリンゴを投げつけて、そこから腐ってくるという描写がありますね。
世間では醜い自分が犠牲になることによって妹は一回り成長する。ここには、自分と世界
の間に決定的な断絶を感じていることを強調するように思います。
429 :
佃煮マニア:2008/08/19(火) 20:00:49 0
>>428 Absalomさん
するどい!達観してますね。
そうですね〜、色々、色々です・・・。
この、ある面においてはギリシャ悲劇的な、兄妹の間でかわされる混濁した犠牲愛も、
カフカ独特のブラックユーモアで、陰残に醜く描かれ、喜劇と化していますね。
彼ら兄妹の性格上、喜劇である方が、よりリアリティと妙味が出るでしょう。
430 :
佃煮マニア:2008/08/19(火) 20:05:02 0
すでに毒虫であったザムザにとって、妹の投げたリンゴは、
食物ではなくただのつぶてとしての存在性しかもたず、
ザムザを浸食させる毒性を発し、行動を緊縛し、
例えるなら、ザムザを破滅させるスイッチとして、
彼を起動させたんですね。
431 :
佃煮マニア:2008/08/19(火) 20:06:14 0
リンゴは、文学世界では深遠で固定したメタファーとして
たびたび登場しますが、ことカフカにおいては、
あえて意味を持たせていなかったんじゃないかと思います。
ここがカフカのバランス感覚で、真骨頂です。
無意味性を連結されて、寓意の間にたびたび差し挟む事で、
「何の意味もない事実が、時に人の生き死にまでに作用する」
という不条理を引き出しています。
432 :
考える名無しさん:2008/08/20(水) 00:11:45 0
ここでカミュですよ
カフカとなるとなぜかセットで出てくるのがカミュ
「なぜか」ってこともないが
434 :
佃煮マニア:2008/08/21(木) 18:15:10 0
カミュですか。
カフカVSカミュ、そして、
それぞれに影響をうけた日本人作家たちのことや、
カミュVSサルトルの論争なんかも、いつぞやの社会運動とつながっていき、
果ては戦争と平和、階級問題へとつながり、個人の実存につながり、
収集つかない程奥が深くてw、面白そうですね。
「イデオロギーとは何ぞや〜?!」という問題にぶつかりそうです。
私みたいな甘ちゃんのクソガキが何か言うと殺されそうだ・・・w
おまかせしますのでよろしくです。。。
435 :
考える名無しさん:2008/08/21(木) 21:58:52 0
フランス人は小説も哲学的なんだな
436 :
考える名無しさん:2008/08/21(木) 23:36:03 O
フランス人のそういうところが嫌い。
ちょっとご無沙汰でした。
カミュは「不条理」を声高に語ったので、
カフカ的世界につながって名前があがるよね。
Absalomサンが書いているように
「自分と世界の間に決定的な断絶を感じていること」
が強調されているのはその通りで
カフカ自身、世界と自分との戦いでは世界に味方せよ、
といったようなことを書いてたし、
「審判」や「城」の主人公Kも世界に馴染めない人間の肖像。
「世界」に対する根本的な違和、断絶、という点では、
カミュの「異邦人」にも悲劇性を帯びてそれが感じられるけれど、
カフカは寓話化によって根源的な風景を感得させてくれる。
カミュよりもカフカに喜劇性があるとして、さらにその先には
「ゴドー」や「モロイ」を書いたベケットがいて、
もっと先のほうにはルイス・キャロルがいることになるのかナ。
悲劇的不条理から喜劇的ノンセンスへの階梯。
ドゥルーズは、カフカもベケットもキャロルも取り上げて書いてるね。
438 :
佃煮マニア:2008/08/23(土) 13:26:27 0
エートルさんお久しぶりです♪ヽ(´▽`)/
いいタイミングで現れましたねw
>>437 世界と折り合いの悪い人間のドラマをえがく作家では、
映画監督でジェーン・カンピオンとかいますね。
「ピアノレッスン」は、そんな人間達がピアノを通して対話する、
リリカルで詩情ゆたかな作品です。どちらかというと悲劇。
彼らの人間劇は真実を写し取った詩で、哲学的です。詩情がからまると、
受け手の神経をむやみに興奮させると言ってプラトンは批判しましたが、
実はこういった芸術作品の方が、むしろ興奮によって考えるきっかけを
広げてくれているとも言えます。
439 :
佃煮マニア:2008/08/23(土) 13:28:58 0
>>435>>436 フランス人は、「サッカーがつまらない」と言っては暴動、
「タクシーに無視された」と言っては暴動、
まったく面白い人たちです。。。
個々の哲学が日常に根付き、アグレッシブに交錯する、
「お国柄」なんですね。それで共鳴し合って社会運動になる。
抑圧にはすぐさま反応します。
440 :
佃煮マニア:2008/08/23(土) 13:30:10 0
(つづき)
一方、日本人は、抑圧されると一旦引っ込みますけど、
機会を見てまたジリジリと巻き返そうとする人たちで、
例えば最近、派遣労働の是非、なんて事をニュースで
よくやってますが、、、
441 :
佃煮マニア:2008/08/23(土) 13:32:17 0
(つづき)
あれはもともと、「口入れ」制度といって、江戸時代からあったんです。
第二次大戦後、GHQに廃止しろ、と迫られて、一旦消えたものの、
60年もかけて復活させ、「ハケンの品格」「蟹工船」なんて騒ぎつつ、
実はそれはアメリカを意識したポーズでしかなく、
本音では、「国としての安定を取り戻しつつある俺たち、どーよコレ」的な
事を言っている訳ですw
442 :
佃煮マニア:2008/08/23(土) 13:33:54 0
(つづき)
政治の人たちのいろいろな意見を見ていると、
なにかうっすら、江戸時代の士農工商制度を、民主主義に反映させよう
とするムードを感じます。
農が士よりも強く、抑圧される度に暴動を起こす、
社会の実権を担っているのは彼らであるから・・・というようなの。
これは、現在のフランス社会と似たとこがありますね。
443 :
佃煮マニア:2008/08/23(土) 13:37:53 0
「跳躍は生、静止は死」私の好きな言葉です。
444 :
考える名無しさん:2008/08/23(土) 14:43:29 0
エラン・ヴィタール
445 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/23(土) 17:32:10 0
>>437 エートル・オートルさん
なぜそのような断絶ができてしまったのか、あるいはあらゆる人が断絶を抱えていて、それを
人の連帯などや、文化によって埋めているのか、カフカの残した課題だと思います。
446 :
佃煮マニア:2008/08/24(日) 21:56:34 0
>>445 Absalomさん
断絶を感じているのは、
幼児期からの原体験を強く持って発展させている人。
発展が世界と疎通性をあまり持たないまま進行して、
両者の間にひずみを作っているんですよね。
要するに、彼らはロマンチックが止まらない人たちだから、
(Absalomさんがどうしても気になるというのであれば、)
一旦止めてあげれば、良いんじゃないですかね・・・。
もしくは、彼らのアストラルフィールド上で会話を試みるなどなど。
彼らは、それさえ嫌がるかも知れないけれど、、、
ロマンチックによって世界とつながってもらえるし。
人生の中で、内的世界の破腔はいつか必ず起こり、
そこから世界が流れ込みます。
それが生のダイナミズムというものでしょうか。
447 :
佃煮マニア:2008/08/24(日) 21:57:34 0
>>444 ベルクソンは、プルーストにも影響を与えてるんですね。
今、「失われた時を求めて」読んでるとこなんです。
スワンが格好よ過ぎて鼻血が出そう。
Absalomサンや佃煮サンが提出している断絶のテーマですが、
基本的には佃煮サンが
>>446で書いていることにほぼ同意で、
理想=内的世界と現実=外的世界の折り合いがつけられないんだと思います。
が、世界ないし現実によって生の流れに入っていく、という場合と、
自分の躍動する生(エラン・ヴィタル)が世界によって阻害されてしまう、
という場合もあるのかもとも思いつつ・・・・・
世界=現実に飼い慣らされることへの抗いはやはりあるのでは、と。
449 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/25(月) 01:54:16 O
アメリカ文学の伝統に、いま、ここに対する違和感
があります。無意識のありようが決定的だと思います。
450 :
佃煮マニア:2008/08/26(火) 20:03:26 0
>>448 エートルさん
前に67さんが言った無常観、積極的に流れに入ってこその無常なんだ、
という主張を思い出します。大きな生の流れと内的な躍動の潮流が、
押し引きし合いながらせめぎあうことが人生だと思います。
阻害される場合、というのは、川がよどみを作るようなもので、
それもエラン・ヴィタールなんじゃないかなぁ。牧歌的過ぎますかね?
>>449 Absalomさん
アメリカ文学か〜。バロウズくらいなら読んだかな。
彼は、世界の有り様を、水たまりに浮いた虫の死骸、
油にまみれたタイプライター、などなど、、、
何かカフカに近いブラックな視点で眺めましたよね。
451 :
佃煮マニア:2008/08/26(火) 20:05:09 0
デカルトのコギトってありますね。彼は超自我を呼び出し
意識を客体化して、コギト、と言いました。名文句です。が、
人間の思考形態からして、超自我が主体でものを考える事は
出来ないんです。無理にやると、離人症的な、情感の伴わない
「いまここ」感の抜け落ちた無機質な思考に陥ります。
これが断絶を生むんでしょうけど、断絶によって、
超越を手に入れる事も出来る場合があるようです。
それをわかってやっている哲学者もいますが、かなり、、、
キワドい作業なんじゃないかと思います。私は怖いな・・・
452 :
佃煮マニア:2008/08/26(火) 20:06:07 0
断絶、断絶、そういえば、「私についてこなかった男」って
断絶の懊悩が描かれている気がします。世界と私の断絶、
という漠然とした概念よりも、個人間の断絶を具体的に
考える事が出来そう。ちょっと感想文書いちゃおうかな。
453 :
佃煮マニア:2008/08/26(火) 20:07:53 0
「私についてこなかった男」について・・・
「彼」が「私」を誤解すると、「彼」の中で、「私」のドッペルゲンガー
とも言うべきものが息づき始めます。「彼」は、「私」とドッペルゲンガー
の同一性は考慮に入れず、話していますが、やがてそれが、風をはらんで
形象化し、一人歩きし始める場合があります。それがもう一人の「彼」。
階段を下りて、ちょっと行った部屋にいるもう一人の彼は、要するに、
ロゴスによって深層心理に確実性を与えて、初めて形象化される意識の象徴
なんでしょう、彼らは三人称で語る権利を得たと言いながら、実は二人称で
語っていたことになります。
454 :
佃煮マニア:2008/08/26(火) 20:09:20 0
(つづき)
この二人称は、「彼」と今ここにいる私佃煮、
または「私」と私の人称であるとも言えます。
彼らの部屋には、誠実な描写がなく、代名詞のみが存在し、すべてが曖昧です。
この曖昧さは、厳密なモチーフを私的体験から実写化させてしまいます。
彼らの対話が、虚構という枠を飛び出して、今ここにおいて現前された、
私自身の心的現象であるかのように。
ブランショの円環は、読者の体験を取り込んで、初めて閉じる訳です。
455 :
佃煮マニア:2008/08/26(火) 20:10:31 0
(つづき)
彼らの会話の一つ一つは、私自身の中の「いつかあった対話」であり、
彼らのいる部屋の窓の外、地平さえない虚無の中を彷徨し、
私は、その対話のありかを当てもなく探し続け、探し当てれば、
すぐに、彼らの部屋、その階段をおりて向こうの椅子に縛り付けられ、
まったく話せず、動けずに、彼らの非難や痛烈な皮肉を浴びせられます。
それが永遠に続き、円環から逃げたいと思っても、出口などないのです。
456 :
佃煮マニア:2008/08/26(火) 20:13:14 0
(つづき)
この精神的、肉体的拷問を、ブランショは、確信犯的に行いますが、
この、エクリチュールによる犯罪は、裁かれるべきものではなく、
必要なのは、「彼」と「私」に吹く風を、部屋に差し込む木漏れ日を
真っ白な絶望の中で抱き、語りかけ、愛撫し、彼らの秘密を守って、
たとえば、、、「冷蔵庫のジュースを一緒にどうですか」と、二人に、
誘いかけられる心性じゃないでしょうか・・・。
457 :
けい:2008/08/26(火) 20:51:34 0
アメリカは移民の国ですからね、外路で荒野で家族も友もなく
ただ独り立ち竦む自分、しかし、黙々と働いていかなければならぬ、
そういうのを見つめることから乾いた文体が、うまれるんでしょうね。
しかし、文学はやはり豊穣な生命力に飛んだ土壌の上ではぐくまれる類
を私は好みますね。
結局流れ者でも言葉はある種の一般化、通俗化、固定化されなければ伝わらないんです。
だからアメリカの構文はシンプルでそれを乗り越えるリアクションで
刺激性が映画など文化に、あるいは生活に思想がエキセントリックになるのでしょう。
カフカの場合の孤独、断絶、反抗もまた、具体的な状況があって、
ドメスティックな要因が大きかったんでしょう。
あとは身体的な要因も結構比重がありそうな気も。
もしカフカがもっと健康的な身体をもっていたら、
城や審判のような作品が生まれたかどうか。
アメリカ文学というと、フィッツジェラルドとか?
放浪者的というとヘンリー・ミラーあたりを思い浮かべるけれど
あるいはケルアックなんかのビート・ジェネレーションですかね。
カフカは『失踪者(アメリカ)』を書いたけれど、やはりドライじゃない。
アメリカ的なものに対する憧れがあったのかもしれないけれど。
挫折したディッケンズ的な小説、という感じ。
460 :
佃煮マニア:2008/08/31(日) 20:10:03 0
>>457 けいさん
アメリカ文化の大きな特徴には、そういう背景があるかもですね。
個々人の正義がそれぞれ孤立したまま、澱の様に沈んでいって、
熟爛した思想へと深化していく前に、ドライでエキセントリックな
文化に巻き込まれ、吹き飛ばされていくというか。
(アーミッシュとか、神秘的で繊細な文化を持った共同体もあるでしょうけど。)
自分の正義をあえて混沌の闇に沈めて、その反動による暴発的なエネルギー
を得たのが、ビートジェネレーションの作家達、という事なのかな。
461 :
佃煮マニア:2008/08/31(日) 20:12:15 0
エートルさん
>>458 >アメリカ文学というと、フィッツジェラルドとか?
村上春樹訳で「マイロストシティー」は読んだかな。
この人はいわゆる、アメリカ〜ンな世界観を持ってはいないけれど、
孤独を抱えた人たちが肩を寄せ合って、思慮と愛を捧げ合っても、
なにか埋めきれない、ひそやかな断絶感を描くのが上手いですよね。
(村上春樹は、自分の中で大好きなのか大嫌いなのかまだ不明・・・)
>>459 好きな作品ほど語りにくいのは、確かに。。。(´〜`;)
リンクは、ブランショ論?なんか気になるw
462 :
佃煮マニア:2008/08/31(日) 20:16:59 0
カフカ家の、成り上がりで現実主義、権威主義のお父さんと、
お坊ちゃんで芸術家肌、学問ばっかりやっていたい息子では
いろいろと確執がありそうな気もしますね。根の深い断絶です。
ただでさえ、エディプス的傾向はどんな子供にもあるだろうし。
父親の支配から逃れる手段を得られず、恋愛すらまともに
させてもらえなかったカフカが、フェティシズムに走るのも、
なにか、納得させられるものがあります。
カフカのの粘着気質は、遺伝的な要因が強いんでしょうけど、
後天的に獲得する執着心というのも、やはり粘性を持っていて、
そこに、身体への不安や衝動もからまりつつ肥大した自意識が、
ディオニュソス的な狂乱を見せ始めるギリギリの所で、
彼自身の温厚な性格が布を一枚かぶせ、文字の上に表出され、
良い意味でしつこい、重厚感のある作風が打ち出されてますよね。
463 :
考える名無しさん:2008/08/31(日) 21:21:53 0
哲学的対話を演劇にするといいかもね。
金かからないし。
「国家」とか「法律」を劇で見たいな
リアルでやるとどのくらいの時間になるんだろうか
プラトンと言えば岩波サイトの「プラトンを読むために」という本の紹介が面白かったので買ったら、
ちょっと期待してた内容ではなかったが、これはこれでなかなか面白い
結構前の本なので、ここの人は内容ご存じでしょうけど
465 :
考える名無しさん:2008/09/04(木) 08:01:55 0
ソクラテスの時代からなにが変わったのかな。
ソフィストばかりの時代。
そういえばソクラテスはぶらぶら歩きながら青年をみつけちゃあ会話したんだよね
466 :
佃煮マニア:2008/09/04(木) 20:56:27 0
>>463>>464 演劇は最近疎いですけど、映画なら、
海外だとタルコフスキーとかソクーロフ、
国内だと大島渚、若松孝二、神代辰巳あたりは、
劇中の対話が日常性を飛び越えて哲学そのものだったかな。
ソクーロフの「太陽」は、日本国家がモチーフでしたよ。
結構長かったです。
芸術哲学系の映画は、なかなか配給してもらえないので、
画面的にはチープな感じになりやすいですけど、
この作品は例外でした。とても端正です。
467 :
佃煮マニア:2008/09/04(木) 21:00:17 0
>>465 ソクラテスも物好きですよね。変わってる。
道行く人たちが何も知らない事を分からせるために
なんで対話を仕掛けなきゃならないのか、謎ですw
理屈でものを考えないからと言って、何が悪いと思います。
知への欲求は、たいてい現実的欲求が満たされない人たちのものです。
彼は、自分のそういう立場を、道行く人たちにも共有して欲しかったのかな。
たいがいの人の例に漏れず、孤独が嫌いな人のようです。
468 :
佃煮マニア:2008/09/04(木) 21:02:11 0
哲学など、諸学が敷設するのは「理」であって、
「真実」そのものを追求、創造している訳ではないですよね。
哲学は、真理の構造を認識するためのツールと言えますが、
「真実」の骨格部分である「理」だけを解体してみてもそれだけでは、
「真実」の本質を見いだす事はできません。
それはとても不合理で、情感に満たされたものだから。
この「理」を「真実」と混同して「理」ばかり追求していても、
自分の価値観が相対化されるばかりで、個が消失してしまい、
人間の本質である真理への欲求に深い断絶をもたらすだけでしょう。
詩は、その抑圧された願望が代償する白昼夢の再演で、
演劇は、詩の再演ですが、これらの創造は、「真実」の形態化であって、
人間の本質を統一させた、一つの大きな真理を説きますよね。
469 :
考える名無しさん:2008/09/04(木) 21:03:09 0
>>465 変わっちゃいないね
相変わらずソフィストが幅をきかせている世界を見るにつけ、
最も浮かばれていない哲学者はソクラテスなんじゃないかと思ってしまう
命を懸けてソフィストと戦った哲学者の代名詞
しかし二千数百年たって未だに哲学は弁論家を打破できていないと思うと・・・
悲観的になってしまうよ
ただ彼に世界を変えるつもりがあったのかはわからないけどね
彼の対話編を見ると、たとえ世界から孤立しても、
信じる道をいく人だったようにも思える
啓蒙主義者とは思えない節がある
>>461 佃煮さん
>(村上春樹は、自分の中で大好きなのか大嫌いなのかまだ不明・・・)
春樹は何作か読んだけれど、どうも当方の肌に合わず最近はご無沙汰。
断絶にも2種類あって、闘う人の断絶と逃げてる人の断絶は違う気がする。
春樹が描く断絶や孤独ってどうもそういう感じがしない。
モラトリアムっていうか、言い訳がましいセンチメンタリズムが、
抑えられてはいるけど透けて見える。だから本を読んでも元気が出ない。
うーん、ちょっと辛口すぎたかな?
書くスキルは高いものがあるとは思うけれど。
そうそう。それから、現代詩手帖特集版はブランショ論集ですね。
以下ビーケーワンからの引用です。
「終わりなき対話」をはじめとしたモーリス・ブランショの評論を収録。
そのほか、湯浅博雄、上田和彦、西山雄二、郷原佳以による座談会、
クリストフ・ビダン、ドミニク・ラバテ、安原伸一朗らによる論考などを掲載する。
>>468に書かれてある 「理」と「真実」の話は興味深いんですが、
個なき普遍が「理」、個ある普遍が「真実」、となるんでしょうか。
もしそうだとすれば、そのコンテクストの延長線上で、
語る人ソクラテスと書く人プラトンの差異にも関係するでしょうかね。
474 :
考える名無しさん:2008/09/08(月) 00:28:01 0
>>473 哲学では理も真実にもたどり着けない学問であることを知れ。
475 :
佃煮マニア:2008/09/08(月) 21:01:08 0
ソクラテスの伝導にフロイト的分析をくわえると、彼の中に
「大人は何でも知っていて欲しい」という願望があり、
これが、道行く人々に難題をふっかけてナンでナンでと問いつめる
子供のような恥ずかしい真似をさせたという事になりますが、
ソクラテスの、恥ずかしい想像を暴露するという行為は、
ソクラテスという場において演じられる、内面の作品化でもあり、
対話によって、ソクラテスという場は演劇空間と化し、
ソクラテスの暴露を楽しむ観客であると同時に、演者として無知を晒され、
この劇に引き込まれ参加します。
道行く人々は観客として彼に接し、「無知」という事態、この悲劇に
戦慄、内部分裂を起こし、これは一見断絶のようですが、結果としては、
演劇内での「避けたい事実との遭遇」はやがてカタルシスへと変化しますから、
それらの感情は効果から肯定へと転じ、深い自己認識へと観客を誘い、
観客は、ソクラテスという場を介して、世界と自分の連続性を認めるのですね。
476 :
佃煮マニア:2008/09/08(月) 21:04:27 0
>>471 まったく同じ事を書こうと思ってキーボードを叩いたものの、
「どうだろうな。。。」と思って全部消したんですw
確かに、この人の作品を読んでもな〜んにも残らないんですよね。
だけど、島田雅彦も似た所があって、残るようで残らない
「水のような余韻」を意図的に演出している作家なのかな〜、と
ちょっと思いました。そのための描写スキルなのかもですね。
そのへんが嫌いんですけど(・ε・)
>>472 ブランショ論、買っちゃおうかな〜!
結構大きい本ですか?
477 :
佃煮マニア:2008/09/08(月) 21:06:24 0
>>473 「理」のもつ整合性を「個」が踏み越えて、
真実が得られるかもしれませんね。
語られた幾千もの言葉を、不意の躊躇が沈黙へとかき消し、
その空白があたかも真実を語り出す様に。
ソクラテスとプラトンの差異ってどんなものなんですか?
478 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/08(月) 21:41:29 0
>哲学の基本は対話
つまりどんな相手にも理解できるような表現力ですよね。
ソクラテス問題はここでやるには高級すぎる話題だな
480 :
考える名無しさん:2008/09/08(月) 23:33:31 0
と思ってればよろし
>>474 いや、そういう問題じゃないから(笑
>>475-477 佃煮さんへ
>ブランショ論、結構大きい本ですか?
雑誌の特別号みたいな体裁で雑誌と同じ版型ですよ。
未邦訳の本からの抄訳も結構あります。
>「どうだろうな。。。」と思って全部消したんですw
そのへんの慎み深さは佃煮さんらしさですね。
俺って結構野蛮なとこあるから(笑
>ソクラテスとプラトンの差異
語る人ソクラテスは、具体的な対話者を相手にしたのに対し、
書く人プラトンは、抽象的な不定の読者を相手にした、といえるならば、
個/普遍と理/真実の話にもつながるかな、という気がしたのですが、
その話は一端おいとくとして、
こういう掲示板という場では誰もが「書いている」としても、
ある種語るように書いているわけですね。手紙でもそうですが。
たとえば、今、こうして佃煮さんに向けて語るように書いている。
不特定多数の人がロムでき書き込める掲示板であっても、
やはりその言葉を向ける人をある程度想定している。
語るというのは、書くことに比べて、そういう具体性があるのに対し、
書くことは、語ることに比較すると抽象性が増す、という感じを受けます。
一般人と哲学者が対話すると丁度いいかな
483 :
佃煮マニア:2008/09/14(日) 16:51:07 0
>>478 ラブラスの悪魔さん
哲学でいう表現力って、レトリックを使わずに説明する事
なのかも知れないですけど、意図なく使ってしまう場合が
多いですよね?意味を分かりやすくするためにも使って、結局
ニュアンスが変わってしまう事が多いものですね。
そういう中での内省的対話って、もしできたら神かも?
484 :
佃煮マニア:2008/09/14(日) 16:53:31 0
>>481 エートルさん
>未邦訳の本からの抄訳も結構あります。
買っちゃおうかな〜?ポチッちゃおうかな〜?迷い中・・・
>俺って結構野蛮なとこあるから(笑
「野蛮なエートルさん」を想像するとワクワクしますけどw
村上春樹も海外では評価が高くて、カフカ賞とかもらってるみたい
なので、何かいいモノを持ってる人なのかもなぁ、と思って。
いわゆる、「シラケ世代」の先駆者なんでしょう?
時代を作るってすごいかも。
485 :
佃煮マニア:2008/09/14(日) 16:59:12 0
>>481 エートルさん
掲示板での対話のこと。。。
誰に向けて書くか、書くときに口語体か文語体かというのは、
ただのアクセサリーのようでいて、言質に関わってきますよね。
また、話すときの、どういう空気感か、どういう口調か、というのも、
対話の流れを大きく変えるし。そういった制約がありますけど、
掲示板のシステムって面白いですよね。手紙、公衆演説、などと
いろいろ状況を想定する事が出来るし。それだけ自由度が高いと
いう事でしょうね。ソクラテスにも使ってみて欲しい〜。
ソクラテスがネット掲示板で誰かの無知を暴くとしたら、
掲示板で対話中、自分の無知に行き詰まった時に
ウィキペディアで一発検索できも、やはりネットの知識は
概略的なものでしかないし、その場ですぐ教養は身に付かないだと、
まぁそう言うかもしれません。
でも、無知である自分に気づけ、という主張も、
ある程度知識がないと作られないものだし、それはもともと
教養主義から派生したものじゃないかとも思えます。どうなんでしょね。
「個/普遍と理/真実の話」って面白そう。どんなものですか?
486 :
佃煮マニア:2008/09/14(日) 17:01:17 0
断絶のテーマを受け継いで、、、
究極の断絶って何だろうな〜と思っていたんですけど、
坂口安吾の「白痴」にありました。
究極の断絶とは、他人を希求しても得られない、そういうものではなく、
一個のこぢんまりした空間に隣人が同居していても、その存在すら
認識する事が出来ず、孤独だからと言って、かえって自由である
という訳でもなく、
目の前に迫っている、あるいは将来必ず訪れるだろう漠然とした災厄の、
そのただ一点のみを凝視して恐怖に身も散り散りとなる・・ものです。
これを、「芋虫の孤独」と彼は名付けました。
この断絶は、戦争のもつ「大いなる破壊」という
清冽な秩序、ゼロへの帰還という美からの堕落であり、
その中で、人間は、散り散りになりながらも、
ただ恐怖から逃れるために生きながらえるという
人間の生物的欲求をむきだしにされ、歴史を営むのです。
安吾の描写した断絶は、堕落という人間の生の本質を、
ポジティブに捉えた上でのものでもあるようです。
「芋虫の孤独」は、
登場人物の戦争体験が背景にあると話上設定されていますが、
漠然とした災厄への恐怖は、人間が本来持っているもので、
その裏でのこのような、自閉的な断絶感は、
我知らずとも経験している人が多いでしょう。
それこそが、生への堕落である、ということになります。
「2ch哲学の基本は対話」というのならば理解にも及ぶが、
「哲学の基本は対話」という表題は受け入れられるものではないと、
何度言えば解るのか?
アホくさい。( ゚д゚)、ペッ
>>487 君が個人的にそう考えているんだと一瞬わかったw
でもすぐ忘れていく。
病院いって脳が萎縮しとらんか見てもらってこい。
話は、それだけだ
490 :
考える名無しさん:2008/09/14(日) 20:03:57 0
2ちゃねるは新聞の投書と違って投稿が100%掲載されるのだから、所詮、言いたいことをカキコする
「ガス抜き」サイトだというのが、評論家諸氏の定説だろう。
491 :
考える名無しさん:2008/09/14(日) 20:12:36 0
>>487「哲学の基本は対話」という表題は受け入れられるものではない
kwsk
>>491 このスレスキじゃないから、答えは一度だけだぞ?
「哲学の基本は対話」ではないかだ。
wktk
493 :
考える名無しさん:2008/09/14(日) 20:21:45 0
wkrn!
おれもこのスレ住人じゃなが、キミの
>>487のレスに興味があってね
なぜ「哲学の基本は対話」ではない という意見を持つにいたったのか?
まさか人が言ってたからじゃないよね?
・・・興味を持つのは勝手だけど、
それでは、何故僕が
>>493氏に「哲学の基本は対話」ではないかだ。
という考えに至ったかを書き出さなくてはいけないのだろう・・・
というか、至ったなんていうご大層なものだとは思えない。
結構表層上の段階で、懐疑的にならざるを得ない表題だと思うのだが?
ところで、君はこれについてなにがしかの考えを持っているのだろうか?
495 :
考える名無しさん:2008/09/14(日) 21:29:37 0
>>それでは、何故僕が
>>493氏に「哲学の基本は対話」ではないかだ。
>>という考えに至ったかを書き出さなくてはいけないのだろう・・・
そう、それに興味があるの。わざわざ反論しているからには理由があると
思ってね。 あまり理由なさそうで残念。
>>ところで、君はこれについてなにがしかの考えを持っているのだろうか?
興味があるのだから疑問なり意見なりの考えは当然もってるよ。
煽りじゃない限りそういうことになるだろ?
まあ簡単にいうと、哲学は基本、一人で進めていくものだと思う。
しかし、他方で、哲学とは人生経験がものをいうと考えていて、
だが一個人の人生経験には時間や環境の制限があるから
他者と意見交換や意思疎通、論争することで一個人の思考の制限
を広げれる、そういう助けになると今は考えている。
ただし、他者との対面の対話や交わり、もしくはテーマ(目的)を決めた長文の書簡交換
は有効だが、2chでの、短文レスの連鎖や目的設定なき対話は、有効性に欠けると思う。
大体、会話は表情やイントネーションなどがとても重要で、文字だけから
相手の意見を共有(相手の気持ちを体験)するのはむずかしい。
んん。
>あまり理由なさそうで残念。
バレたかw というのは冗談だけど。
>興味があるのだから疑問なり意見なりの考えは当然もってるよ。
>煽りじゃない限りそういうことになるだろ?
書いて貰わぬ時点でそれを見極める事は、んん。ネット上だけでは(ネット上の関係だけでは)不可能だと僕も考えています。
※だからといって、例えば職場の同僚だったとしても、面識なかったり、そいつに対して関心なかったりすれば、
同じ事なんだと思いますけどね。。。
・・・。ちょっと、後出しジャンケンのようで申し訳ないのだけど、
文章をトレースするカタチで、返答とさせて貰おうかと考えています。(よろしゅうに。)
>まあ簡単にいうと、哲学は基本、一人で進めていくものだと思う。
殆ど、代弁されてしまった感があります。。。
>しかし、他方で、哲学とは人生経験がものをいうと考えていて、
>だが一個人の人生経験には時間や環境の制限があるから
>他者と意見交換や意思疎通、論争することで一個人の思考の制限
>を広げれる、そういう助けになると今は考えている。
討論というものは一体なんなのか?僕にはちょっと解り難いフィールドなんですが、もし、討論というものに有効性を見るとするのならば。
僕の場合は、むしろ「とりとめなく拡散してしまってまとまりがつかない状態を様々な思想、発想、持論、他論etcによって、
拘束させる為のもの」という考えの基、行う場合はあります。
ですので、
「論争する事で、一個人はその思考に制限を掛けられるのだが、それは望んだものなので、そういう助けにはなると考えている。」
なんて言い方になるのかもしれません。(コチラ的にはですが。)
>ただし、他者との対面の対話や交わり、もしくはテーマ(目的)を決めた長文の書簡交換
>は有効だが、2chでの、短文レスの連鎖や目的設定なき対話は、有効性に欠けると思う。
僕が救われると感じるのは、有効な文節だったりする場合もありますが、例えば、ホントにわけがわからないw
ヘンなAAによって救われる事もあったりしますしwたかが一行のレスが、すべてを言い得てしまっていて、以降の長文の総てが逆に、
疎ましくなってしまう事もある。そういう視点からすると、ただ長文だけが、答え。とは僕は考えないです。
>大体、会話は表情やイントネーションなどがとても重要で、文字だけから
>相手の意見を共有(相手の気持ちを体験)するのはむずかしい。
やはり、殆ど、代弁されてしまいました。
といった感じでしたが、これで満足するように。わかるな?
所詮「言語ゲーム」だな。
だろうね。
2ch哲学という造語を作ってみた以上、
僕も此処では2ch哲学以外の事は出来ないわけだし。
時々、その中に紛れながら、ポロっと本来歩いているだろう道の中での「何か」を出して、
『おまえバカァ?』とか煽られて、ムカッっときたり、テヘ。っとしたりする位。。。
というか、今は何故かこの板が全体的に、降りてきている感じがあって、
・・・んま、よくある事と言えばよくあるのかもしれないけれど、
今まで「我が物顔」でやっていたハンドル付きが、あるポイントからひょいと変化する。(または、徐々に。)
その理由や原因?までは掴めないけど、
そいつにとっては間違いなく、此処を去りゆく為の「決別への道のり」である事には変わりはない。。。
多分だけど、『嫌われる必要がある。』
認められたままで、去る事は、不可能。。。?
・・・それだけ、この板に何かを投資したの、かもしれないね。。。
(僕のように、たまに来てはやんやとやって、また、何処かいっちゃうのとは色々違うのだろう。。。w)
んま、「ご苦労様でした。」とか「長い間お疲れ様でした。」などと、此処で言われた日には、確かに目も当てられない感じはするけどwww
というか、これでは「2ch哲学の基本は対話」というよりは、「2ch哲学の基本は会話」になってるかもwq
んま、本当は別にどぅでもいいんだけどね。へへへ
というわけで、あたしはこのスレ、これにて終了。
何処か他で見かけた時は、せいぜい煽るがよいぞ!(イヤだがw)
それでわ。ノシ
>>495 全体的にはかなり同意できる書き込み内容で、
>ただし、他者との対面の対話や交わり、もしくはテーマ(目的)を決めた長文の書簡交換
>は有効だが、2chでの、短文レスの連鎖や目的設定なき対話は、有効性に欠けると思う。
上記もよくわかるといえばわかります。ただし、
当方はこういう掲示板ゆえの特性というものにもある種の期待を持っていて、
非人称的に流れてゆく書き込み、明かしえぬテーマの移ろいのうちに、
誰からも拘束されず制限もされない自由さを活かす場としての利点を感じ、
哲学を書斎から街路に引きづり出す契機になる潜在的可能性を感じないでもない、
というところがありますね。
>>485-486:佃煮さん
>究極の断絶って何だろうな〜と思っていたんですけど、
>坂口安吾の「白痴」にありました。
安吾にはニーチェ的なところがありますね。
堕落せよ、というラディカルな積極性は、
ニヒリズムを極限まで推し進めることにつながり、
そういう極限的下降なくしては再生はありえない、
という視点があるのでしょう。
>これを、「芋虫の孤独」と彼は名付けました。
「白痴」は戦争によって生まれた作品ですが、
佃煮さんは戦争体験という特異な状況を超えて、
「人間が本来持っている」「漠然とした災厄への恐怖」として
考えているということですね。
たとえば、誰もにいずれ訪れる「死」というものに対して、
でしょうか。
安吾は人間における「究極的な断絶」というものを、
絶対的な孤独という状況で考えているのだと思いますが、
おそらく孤独が絶対的なものになるとき、
人は「私は孤独だ」という表現もできないばかりか、
そういう思考すらできない状況に置かれるのではないか、
と思います。
「本質的孤独」という言葉を使っていたブランショは、
「死」をモチーフに書き続けましたが、
ヘーゲル的な死でも、ハイデガー的な死でもなく、
芸術、文学、言語の本質的なものを「死」にこそ見出しました。
とはいえ、その「死」というのは、経験されぬ経験であり、
そこにあるのは不可能性ゆえの可能性という、
ちょっとわかりにくい逆説的表現になるのですが。
>でも、無知である自分に気づけ、という主張も・・・
ソクラテスの「無知」は、メタレベルの「知」になりますね。
知があり、それを否定し、無知の知としてもうひとつ上の層に上げる。
これを展開すれば、ヘーゲルによる絶対精神の弁証法になりますが、
バタイユの場合はどうかというと、弁証法には回収されない「非知」になります。
503 :
佃煮マニア:2008/09/18(木) 19:51:14 0
>>497 sagepanさん
>ヘンなAAによって救われる事もあったりしますしw
何かちょっとした書き込みを自分の体験に照らして、
それで救われた気持ちになるというのには、同感。
掲示板でのやりとりで、私はどちらかと言うと、
話し言葉でのやりとりに近いものを感じています。
(そうでない場合も多いけど、このスレに関してはそう。)
長文に関して、、、
何かちょっとした、完結した話をするとき、だいたい、
長さとしては、1分ぶんになると思いますけど、
そのぶんを文章化すると、10行くらい、掲示板にしては
ちょっと長文になるとは思いますけど、ここって哲板だし、
少しばかりの論理展開は必要なのかな〜とも思ってますよ。
都合上、チャットみたいな事も出来ないので、どうしても1レスが
長くなります。でも、議論や対話を掲示板でするなら、
チャット的な流れの早さが必要かもしれませんね。
504 :
佃煮マニア:2008/09/18(木) 19:52:23 0
>>501 エートルさん
坂口安吾も破滅型ですが、同じ破滅型のボードレールについて、
バタイユが面白い事を書いていましたよ。「断絶」にも近いかな。
「現在→未来」の表記で、→は客体で消滅しつつある現在から
主体となる、出現するべき未来への方向性を表していますが、
これはあくまでも表記上の概念であって、この場合の未来は、
未来の亡霊でしかなく、この未来を志向するとき、実は、
亡霊・・・つまり自分自身の内観を見つめている訳です。
そして、未来を指向する内観を占める大半は、現状への
子供らしい不満であり、それを言語で秩序化するとき、
子供の不満や反抗心を制御し断罪しようとする姿勢や、
滅びるべき現在に代替するものを創造しようとする、
大人としての責任感ある態度があらわれてきます。
つまり、未来への志向は、
自分の本来的な内観を粉々に打ち砕く態度でもって、
自分を徹底的に愛しようとする、不可能への追求であり、
これは至高の断絶とも言えますね。
505 :
佃煮マニア:2008/09/18(木) 19:53:04 0
(つづき)
>安吾にはニーチェ的なところがありますね。
安吾は思考が極端ですよね。それをさらに刺激的な表現で
まとめもいて、たしかにニーチェに通じるものはありますね。
最期も壮絶なものだったし。
ニヒリズムから狂気のるつぼに飛び込んだ人もいますけど、
ウィリアム・ブレイクは飛び込んで戻ってきて、その後
ニヒリズムからも脱却して、まったく独創的な世界観を
淡々と構築した所では、二人を超えているかもしれません。
>たとえば、誰もにいずれ訪れる「死」というものに対して、
>でしょうか。
最悪の事態ってあるでしょ?私はそれをなかなか想定できない癖が
あるんです。それらしい事態になって初めてビックリしたりして。。。
高校ぐらいのときはキャパが狭いから、あった事で不安になって
眠れない夜も多かったんですけど、今は、のんびりしちゃってて、
あんまり来るべき災厄みたいなものに押しつぶされそうになる事って、
ないかも。
安吾の孤独を想像して書きました。死はあまり意識してないかも。
最悪の事態は、
例えば、高校の頃だったら、ライバルにテストで負けるとか、
バスケでボールをパスしてもらえない(下手だから)とかが、
それに当たるかな。悔しくて眠れなくなってましたw
506 :
佃煮マニア:2008/09/18(木) 19:53:39 0
>>502 >そこにあるのは不可能性ゆえの可能性
ちょっと私の頭ではワカラナイ(泣)。やさしく言うと、どんなカンジ
なんでしょう?
>無知の知としてもうひとつ上の層に上げる。
う〜ん、非知か。ハイデガーの「非知」とバタイユの「非知」って、何か、
ニュアンスが違うみたいですね。ハイデガーの「非知」は、デリダの言う
「外部性」ウィトゲンシュタインの「語り得ぬもの」に近いけど、
バタイユの「非知」と、ソクラテスの「無知の知」って、
今ある知識を土台にして、それを塗り直すための知的探求について(?)
言っているのかな???
507 :
軟骨揚げ:2008/09/18(木) 21:01:47 0
よく考えてみたらそう考えられるてことであって、具体化するものじゃあないよ
508 :
考える名無しさん:2008/09/19(金) 13:42:28 0
>503
>>ヘンなAAによって救われる事もあったりしますしw
>何かちょっとした書き込みを自分の体験に照らして、
>それで救われた気持ちになるというのには、同感。
意見が抽象的すぎるなぁ。 それってよく考えると
実はそれまでのレスの応答の質が悪すぎて、そこにヘンなAAがポンと出てきた
もんだから救われた気持ちになるとかじゃないの?
それだったら相対的なもんで、自分が救われるのとはちょっとちがうんじゃね。
まあ一日2chやってて2chが生活場なんだったら2chのレス自体が質が悪かろうが
リアルなわけだからそういう場合はその時AAに救われるって表現は理解できるが。
また、単に変なAAに救われるっていうのならAA集みたいなのを眺めてればいいわけで
それは会話系のスレとは別の話しになってくる。
そう考えると、
>>僕が救われると感じるのは、有効な文節だったりする場合もありますが、例えば、ホントにわけがわからないw
>>ヘンなAAによって救われる事もあったりしますしwたかが一行のレスが、すべてを言い得てしまっていて、以降の長文の総てが逆に、
>>疎ましくなってしまう事もある。そういう視点からすると、ただ長文だけが、答え。とは僕は考えないです。
はどうも深く論理をかんがえずに思いつきでレスしてるようにしか聞こえないところがある。
モトレスでは短文レスの連鎖を非有効、長文を有効としてるだけで、長文「だけ」とは言われていない。
思いつき意見自体は別にいいのだが、論理的(○○だから△)な文章に思いつきをごちゃ混ぜ
にして話しされると対話しずらい。
こっちが、あいての内容についての回答をする前に、
わざわざあいての「文章的に」おかしいところをまず回答しないといけないので
やってられなくなる。
特に2chではこういうのが非常に多く、最大の欠点の一つだといえる。
んー。
>深く論理をかんがえずに思いつきでレスしてるようにしか聞こえないところがある。
いや、その回答はそうだと思うんだけど、それでは「思いつき」は「悪」と成る?
この板でこの板の文字を読み物として読んでいると、やたらと
_ ∩
( ゚∀゚)彡 ロンリ! ロンリ!
( ⊂彡
| |
し ⌒J
という、論理房が急増してるけど、
論理とはならば、一体いかほどの正義の剣となり得るというのか、ちょっと疑問に感じるのは気のせいだろうか・・・?
僕からすれば、「結局何も変わってはいない。」
聖書を破り捨てはしたが、今度は論理にしがみつくっすか。^^; と。
こちらからすれば逆にそういう風にしか見えないのだけど、これも気のせいなのかね。。。
それが例えどれだけ名の通った者で在ったとしても。
(何か)が、その時は言葉の中だけであったとしても、言葉として現れるのは、「ひらめき」であったり「おもいつき」であったり
そういう事から始まるんじゃないだろうか?
そこらへんは、どぅなの?
>>508的にわ、
最近は古典論理学が前提としてる公理(矛盾率とか排中律)が見直されてきてるな
東洋哲学とか仏教思想に接近しつつある。
しかし、論理の全てを否定したら、それこそ真理基準を失って、懐疑論に陥ってしまう気がするが。
511 :
508:2008/09/19(金) 16:04:58 0
>>509 ちなみに私の意見は508でも
「思いつき意見自体は別にいいのだが」
と軽く触れましたように、恣意的な意見や感情的な意見もありだと思っていますよ。
ただ、私が509で言ったのは、本人が意見を論理的に構成しようとしているにも関わらず
そこに非論理的なものがまぎれこむのは話しの流れを乱すのでよくないということです。
論理的に反論なり主張なりしようとして発言する場合は、その時だけその瞬間だけは少なくとも論理的であるべきだと思います。
51 名前:考える名無しさん :2008/09/17(水) 18:47:23 0
真相は闇の中です!
508さんの意見はわからないわけじゃないけれど、しかしながら、
闇という観念がなければ光の観念もまたないのであって、
曖昧さは明快さと「わかちがたく分節されている」といえるし、
論理と感覚(感情)もまた同様に分節/接合されている。
とすれば、論理的なものに非論理的なものが紛れ込むのは、
言葉というものの本質にかかわるのじゃないだろうか。
>>504-506:佃煮さん
うーん、どのトピックにフォーカスしましょうか。
とりあえず今夜はこれに。
>>そこにあるのは不可能性ゆえの可能性
>やさしく言うと、どんなカンジなんでしょう?
ハイデガー、レヴィナス、ブランショに沿うと、
なかなか「やさしく」というわけにはいかないので
ちょっと強引に。
「死」は誰もに訪れますが、決して経験できない。
(一応、霊界旅行者は除外しておきますが。。。)
「死」は経験できないものとして、訪れます。
死は経験できないけれど、死にゆく、という動きの中で
常にその動きの中で接し続けることはできる。
これを経験されざる経験と名づけてみます。
言い換えると、死を経験することは不可能だけれども、
経験できないものとしての死に接することができる、
それが経験不可能な経験、不可能性ゆえの経験可能性となる、
ということになるでしょうか。
別のトーンでパラフレーズしてみます。
私はいずれ死ぬ。だけど死んだとき「私」はない。
死の中で死を経験できない。人は生の中でしか経験できないから。
だから死は経験不可能なままにとどまるけれども、
それゆえにこそ、「私」は死を経験できないものとして思考し、
それに近づくための可能性を見る――。
エートル・オートルが死ぬとき、もはや彼は存在しない。
彼はもはや「私」ということができず、意識もできない。
彼は限りなく非人称的な非存在として消えてゆく。
死の非人称性。ここでいくつかの視点にわかれます。
ハイデガーはそこで自己喪失というネガティヴな見方をし、
死を自分のものとして思考し、自己の本来生を獲得しなきゃいけない、
というふうな方向に持っていったけれど、ブランショは逆に、
非人称性的な死に臨むことこそが芸術(文学)だ、という視点を提示して、
そこに言語の問題も絡めていました。とりあえずこんなところです。
(ここから個別/普遍のテーマ系もつながっていくのですが。。。)
516 :
佃煮マニア:2008/09/20(土) 13:03:22 0
>>508 >意見が抽象的すぎるなぁ。
>特に2chではこういうのが非常に多く、最大の欠点の一つだといえる。
確かにこの内容の会話は、例を出さないと意味がないかもしれませんね。
例があれば、一目瞭然ですけど、ただ漫然と難点のみを羅列しても、
「そんなことがどこかで起きているかも知れないなあ」と、
他人事になりがちですが、最近のレスで気になるものがありましたか?
私自身は、会話形式を一定に維持しなければならないとか、そういった
考えはまるでなく、多分エートルさんと共通して話せて、自分も好きな話を
自然体でしているつもりなんですけど。形式ね・・・。盲点です。
・ ・・sagepanさんや、
>>508さんは、なんで形式にこだわるのかな?
スレ流れをデリダ的に面白くとか、そういう方向性を考えているんですかね〜
517 :
佃煮マニア:2008/09/20(土) 13:04:32 0
ヘンなAAについて。。。
この板のAAは面白いですよ。哲板のAAは独特で、面白いです。
2ちゃん代表ひろゆき氏の、下衆性そのものを芸術とする考え方は、
村上隆の作品なんかと比較すると、重いものがあると思います。
AAを制作する人たちは、権威主義者たちの意識を凶弾し改革して
見せればいいんじゃないですかね。実現したらいいと思います。
その場は、多分哲板ではなくニコニコ動画なりYOUTUBEでしょうけどね^^
>>509 >「思いつき」は「悪」と成る?
「閃きは悪か」というのは、文学がもつ衝動性とも深く結びついていて、
興味深いテーマです。悪だと思います。その悪は、人間が本来持つ精神的
エネルギーの根源でもあって、その悪と、秩序立てられた善性、つまり神の
融合こそが、文学なんですね。そこからいくと、人間のとるアクションは全て
悪から発しているとも言えます。。。
というか、極端な事な話、含まれる閃きは、自動筆記で表出しても会話は
成立しませんけど、論理に組み込んで説明された形で表出されると、会話
は成立しますよね。互いの論理が多少、飛躍していても。
518 :
佃煮マニア:2008/09/20(土) 13:05:24 0
>>514>>515 エートルさん
>ちょっと強引に。
なるほど〜。強引と言いつつ分かりやすいです。
生まれてしまえば最早、全ての人は死に体である、という所でしょうか。
現在進行形での死は経験しても、完了形の死は、経験できないですよね、
たしかに。喪失しつつある生を生きていると、ハイデガーは言いますが、
死は生が終わる事であって、そう名前がつけられているから、概念として
定着していて、今そこにあるものの様に感じる時もあるけれど、別の見方
をすると、この世には連綿と受け継がれる生があるだけだ、とも言えます。
ブランショは、そうではなく、概念としての死に対峙してこそ、生の様々
な局面が彩り豊かになるのだと言っているのかもしれませんね。
そして、無の境地でもある死は、体験の中で語る事ができない、でも、
想定された死を反転した形である死を語る事で、不可能性への憧憬を
明らかにしたい、というのは、全ての文学が試みるべき態度ですよね。
519 :
佃煮マニア:2008/09/20(土) 13:07:03 0
私は死に直面していないんだよ、と知人に言った所、
兵士は二人に一人がPTSDになる、老人は老人性鬱になる、要するに、
人間にとって、死を考える事はタブーであり、禁忌を超えた所には、
精神病の闇が待っているのだという話になりました。そして、病に
憑かれることで死に近づいてゆきますよね。
自転車を漕いでいるとき、ふと顔を向けた方向に無意識的にハンドルを
振り向けてしまう様に、死について考える事は、死を志向する事でも
あるようです。そして、そうやって死と対峙して、立派な人は身辺を
綺麗にして財産を他人に上げたりなんかしますが、昔話によく出てくる
「欲張りじいさん」「欲張りばあさん」は、絶対的な期限内に、いかにして
個として共同体内で優越性を得られるか、という方向に行く訳です。
そこをいくと、ブランショの姿勢は、万人に知的財産の贈与をする
という、立派な姿勢になりますね^^彼の芸術観が気になります。
個別/普遍のテーマが、たぶん、その芸術観につながっていくんでしょうね?
>>518 なるほど。
確かに普遍的だ…。
でもそれがさらにキルケゴールの、
真理の価値はそれ自体で今、生死を決せられるか、という言葉を深刻に響かせる。
だからこそ…絶対断絶された「死」を、ブランショの「文学空間」は書かれたものの「書手というメタ性」、書手自身の「メタ性…いわゆる死」をギリギリまで突き付め…そして「書くこと」で死は表現され得る可能性も含まれてる、と考えていいのだろうか。
レヴィナスが、ブランショの共同体に影響を受けたが、死とは究極のコミュニケーションであるのかもしれない。
で重々承知の上で言いたいが…でもオレにとって重要なのは「体験されない死」そのものなんだよ!
521 :
考える名無しさん:2008/09/20(土) 22:35:37 0
じゃあ、死ねばいいじゃん>520
/〜⌒〜⌒〜⌒〜⌒〜⌒〜ヽ
,r:::::::::'::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::)
(:::::::: ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::_
)::::::( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)::::::(
(:::::) ,.、,、,..,、、.,,.(:::::)、、.. /i =―
)::::( く三) ;'`;、、:、. .:、:, :,.: ::`゙:.:゙:`''':,'.´ -‐i ≡=―
|:::::) _,,...,,._ '、;: ...: ,:. :.、.:',.: .:: _;.;;..; :..‐'゙  ̄  ̄=−―
|::::::| :' -ー-- ,: -ー--、 |
r⌒ヽ|. `''==ヲ' l:.:^''==彡''´ |
\ ! ; ,-‐ v ‐-、 ; i/
ヽ i ィュエエェュ、 i |r~
| | | | | |
| | | ! .| いいいいぐううううううちいいいいいいいいい
|! ヽLィニニニ 」/ /
\___ '_,,/
523 :
考える名無しさん:2008/09/20(土) 23:51:47 0
| .-=・=- i、-=・=-.|
| / ー-' ヽ /
\ ヽニソ ,/ 機械タン発狂はまだかね?
/ `、
/ ((i)) \
ソクラテス・プラトンの差異ってなんですかぁ?
佃煮さんはいろんな思想家の言葉を引き合いに出してるけど
その割には基礎固めができてませんよね。
無知の知ってあなたのような人に送る言葉じゃないでしょうか。
525 :
考える名無しさん:2008/09/21(日) 10:41:57 0
袈裟固めができりゃそれでいいじゃん
526 :
考える名無しさん:2008/09/21(日) 16:23:21 0
これだからカルト信者は┐(´ー`)┌
ここは避難所じゃないぞw
どう?俺賢いでしょ?ってのは、
伝わるけど。
創造性は、全く感じられなない。
ダメですかね?そこに期待しちゃ。
スレ汚しスマソ。落ちます。
ちなみに、俺にとっての死は
時間の停止です。
哲学に限らず文学についても同じことがいえますが、
創造性とは先ず先達の思想、先達の小説ありき、なんですね
先達の思想を踏まえた上に構築されると思うのです
ですから、○○の思想に似ている、○○の思想の受け売り、
披瀝ではないかという批判はいつの時代もついて回ります
疑いだしたらきりがありません
オリジナルって何でしょうね?
先達の思想なしに、はたして独自に独力で編み出せるのでしょうかね?
>>528 >ですから、○○の思想に似ている、○○の思想の受け売り、
>披瀝ではないかという批判はいつの時代もついて回ります
>疑いだしたらきりがありません
前スレあたりで哲学の知識が豊富な人が来てた時にその人に向かって
「図書館的」知識は馬鹿馬鹿しいとか言っていた人たちだからw
その人たちが図書館的知識をひけらかしたらだめでしょ。
>>514-515 >これを経験されざる経験と名づけてみます。
「名づけてみます」はうけるw
“経験されざる経験”でググッてみると以下のサイトが・・・
「図書館的」知識というか、「検索的」知識だw
「ブランショはハイデガーの思想から、特に彼の《死》の思想(不可能性の可能性としての死)から、
多くの影響を受けて歩みを共にしている。だが、最終的な地点で両者は別れる。・・・
〈私〉が死ぬのではなく、「〈人〉が死ぬのであり、〈人〉が死に続ける」
とブランショはいう。ひとつの存在が死ぬ時には、〈私〉という人称も消え去る
のだから、決して〈私〉は死ぬことができない。《死》は不可能な経験であり、
「経験されざる経験」である。それゆえに、《死》は決して〈私〉のものとは
ならない「他なるもの」であり「外」であり「非人称的なもの」だ。
《死》は「誰?」という疑問符つきの人称にかかわるものだ。そして、死の絶え
間なき切迫のうちに、エクリチュール(書くこと)がそこから生まれるのである。
〈私〉は死ぬことができない。死に続けることができるだけだ。」
これは苦笑せざるを得ない
差し当たって思いつく救済策は・・・同一人物説くらい(笑
>>528 先達の思想をちゃんと踏まえてるならまだしも、それすら怪しいっていう
踏まえてない、知らない部分のことを「馬鹿馬鹿しい図書館的知識」って名付けて
逃げてるだけ、みたいな?
>>529>>530 こちらこそどうも笑いを禁じえないけれど(笑
まず、
>>502ですでにブランショの「経験されざる経験」を
佃煮さんに向けて書いていて、その補足説明として
>>514-515を書いたのだけれど、読めてないのかな?
当方が独創的に「経験されざる経験」と名づけた!
とまさか早とちりしちゃったのかな?
補足説明の中でのレトリックとも気づかずに――
まあそれはいいとしても、「経験されざる経験」というのは、
ハイデガー、レヴィナス、ブランショに多少読んだことがあれば、
(特に主著といえる「存在と時間」「全体性と無限」「文学空間」)
無知の知、デカルトのコギト、カントの物自体ほどではないにしても、
ベルクソンのエランヴィタル、ニーチェの運命愛と同じくらい、
有名かつ重要なキーワードになると思うんだけどね。
まあ検索を揶揄するために自身が検索に頼るというのは、
独創性を求めるレスにまったく独創性がないという自家撞着と同類。
>>528 >オリジナルって何でしょうね?
経験値からいうと、独創性の乏しい人ほど独創性にこだわる場合が多いけど、
おそらく独創性に対するコンプレックスがあるんじゃないかと思う。
たとえばこういうBBSで匿名で書くことに慣れすぎていて,
自分なりの文体も思考も見失いがちになっている人なんかが。
「もっとオリジナリティを」というのは批判ですらなく、
自分で実践もできないことをただ他者にねだる甘えた戯言じゃないかな。
またその人その人の個性を読むこともできない人だと思う。
たとえば、佃煮さんはとてもオリジナルな個性を持っていると思う。
軽妙な語り口、懐の深さと慎み深さ、そして親しみを感じる文体などなど。
対話をしたいと思わせるレスを書ける人はそんなにいないからね。
>>520 >でもそれがさらにキルケゴールの、
>真理の価値はそれ自体で今、生死を決せられるか、という言葉を深刻に響かせる。
>レヴィナスが、ブランショの共同体に影響を受けたが、
>死とは究極のコミュニケーションであるのかもしれない。
この2つのトピックは面白そうなので、もうちょっと詳しく聞きたいんだけれど。
>>518-519 :佃煮さん
>喪失しつつある生を生きていると、ハイデガーは言いますが・・・
佃煮さんの指摘のように、死の問題はハイデガーが大きく取り上げましたね。
ハイデガーは非人称的な死を自分のものにしなきゃ駄目だ、と言いましたが、
ユダヤ人虐殺、ホロコーストについては何も語りませんでした。。。
>人間にとって、死を考える事はタブーであり、・・・
確かに「死はタブー」という意識は今もありますね。
ただ昔とは違って、今はかなりタブーが解けてきた感じもします。
昔は死というものを直視できず、死後の世界もわからなかった、
そのため、死を恐れタブー視する傾向が生まれましたが、
医療技術が発達し、宗教観も変化した現代では、
かなりドライに死を見、考えられるようになったように思います。
病に憑かれることで死に近づいてゆきますよね。
>個別/普遍のテーマが、たぶん、その芸術観につながっていくんでしょうね?
おそらくそうだと思います。特に言語の問題に。
そのへんのところはまた今度。
(つづき)
>病に憑かれることで死に近づいてゆきますよね。
この佃煮さんのことばについてのレスを忘れて、
自分の書き込みの中に紛れ込んだままにしてました(笑
キルケゴールは絶望のことを「死に至る病」と名づけましたが、
病は気なり、という言葉は実感できる格言ですね。
精神が病むと身体の具合も悪くなっていく。
逆に身体の調子が悪いと精神もパワーダウンする。
で、病のとき、多少なりとも死を感じ考えるのと同時に、
生も、健康のことも、また感じ考えるんじゃないかと思います。
頭痛を抱えていたニーチェが、「大いなる健康」ということをいい、
病気と健康の不可分な関係を見ていましたが、
死と生も同様の関係にあるんでしょうね。
「別の見方をすると、この世には連綿と受け継がれる生があるだけだ、とも言えます。」
という佃煮さんの言葉もそのあたりとリンクしそうです。
賢い人にお聞きしたいが、このお返しは有効なんですか
かなり苦しいように思うのですが、頭の悪い自分には
>>536 できればレスアンカーをつけて、もうちょっと具体的に。
「賢い人」ではないけれど、531で書いたことに対してかな?
まず
>>502を読んでみれば、判断できると思うけれど。
でもまあ、どの言葉を取り上げてどういうレスをするかによって
「人」はどうしても出てしまうね。
ここでどういう対話がしたいか、をまず考えてみるべきでしょう。
そして、そのためにはどういう対話者となるべきかを。
そうすれば、自分がどういうレスをすべきか、がわかってくるはず。
創造性が独創性にすり替わちゃってる事は、
置いとくとして、住人のみなさんの気分を
害してしまった事を、深くお詫び申し上げます。
この対話からは何も生まれてこないんじゃないか、
と思ったんです。もっと言えば、楽しい話が
したかった、それだけなんですけど。
とにかく、スレ間違いな俺は退散します。
すみませんでした。ハイデガー、続けてください。
追伸
エートル.オートルさんの難しげな語り口
、嫌いじゃないです。
>>537 536ではないですが、「名づけてみます」の説明にはなっていないようです。。
エートルさんは検索して出るそのページを知っていたのでしょうか
知らずに偶然似たような文章になったのでしょうか
創造を独創に置き換えての抗弁は・・・これで誰かが納得すると思いますか
批判(なのか?)に反射的に言い返しただけみたいです・・・
きっとこれも「叩きたいだけの雑音」と思われて
まともに相手にされないのでしょうけど・・・
541 :
528 :2008/09/23(火) 17:26:15 0
すみません
わたしがひとつのレスのなかに「創造」と「オリジナル」を
一緒に書いてしまいました
それについてエートルさんがフォローしてくださったのです
紛らわしい書き方をした非はわたしにあります
>>541 貴方のせいではないのに何故謝るのですか。
エートルさんが「名づけてみます」と書いたのは不適切だったのだから、
彼が言いわけせずに「不適切だった」と書けば良かったことでしょう。
それだけのことです。
543 :
佃煮マニア:2008/09/23(火) 18:32:44 0
>>520 体験されない死・・・仮死なら体験できるんじゃないですか?
ロシアには、不治の病の人を救済するために、コールドスリープの
設備があるそうです。調べるとありますよ。費用3000万くらいだそうです。
体験を重んじるのであれば、不治の病は割とゲットしやすいものですね?
そして、コールドスリープ。これも、機械の不備で仮死したままになる事も
あるそうですが(!)体験を重んじるのであれば・・・。あるいは。
そしてその後その死について、自室で、あるいは天国で思索すると。完璧です。
まあ冗談ですけど。ちょっとエグイ。。。ごめんなさい。死なないで下さい。
544 :
佃煮マニア:2008/09/23(火) 18:34:03 0
>>527 >どう?俺賢いでしょ?ってのは、 伝わるけど。
「俺」。
女言葉でコテをやると、レス内容の自由度が下がるのでネナベを
やってましたけど、私は、女性です。。。ぴかぁスレで阿修羅さんと
面白がって顔を晒した事が、最近あったかな。女性なんです。
その私が言うのもナンですが、女子供の言う事にそんなに目くじら
立てなくてもいいでしょうw 哲板の人は紳士が多いようですけど。
それからひとりごと。というか、なんか最近空気がソワソワしてる
ようなので、空気に対して。落ち着いてくださいよという意味で。
私の勘違いだといいですけど。どうも怪しいな〜(・ε・?
機械的唯物論は、2ちゃんでは、批判の対象になりやすいですけど、
こと医学においては、割と支持されている考え方なんですよね。
当事者の病気が内因性で、しかも主観的要因からのものであった場合、
それを観測して主観的な判断を交えながら治療する事は許されない
からです。観測者の主観が入り込む余地のない、または共有できる、
機械論的な判断が求められる訳です。現段階では。だから、単純に、
理屈の通し方がどうだとかで完全否定する事は出来ないんです。
例えその場で論破、否定したとしても、場所は匿名掲示板ですから。
議論ののち、何の協定が交わされる訳でもないんですから。
否定の意志自体に意味がないという事になりませか。
小学生のケンカみたいなことを哲学を駆使してしなくても。。。
唯物論と唯心論のどっちが可愛いかとか言ってるなら、
小栗千明と北川景子のどっちが可愛いかの方が楽しいでしょう〜
○○論とは、本来、それ単体の審美性を吟味するものではなく、
どの他分野に応用できて、上手く起動させられるかが重要です。
545 :
佃煮マニア:2008/09/23(火) 18:34:51 0
>>533>>534 エートルさん
>ハイデガーは非人称的な死を自分のものにしなきゃ駄目だ、と言いましたが、
>ユダヤ人虐殺、ホロコーストについては何も語りませんでした。。。
ブランショも左派と右派を行ったり来たりして無党派になったり、
訳分からないとこがありますけど、飄々として自由な思想の持ち主だし、
文学を通して生を尊重してますよね。それに繊細で正直者です。
その、概念上の死=死でそれが創作の源となっているのだ、というのは
やや突っ込みどころアリですが。文学者は、どうしても生そのものを
ミメーシス性に置き換えてしまう所があります。子供らしいんですよね。
哲学者をあまり知りませんけど、ドゥルーズもニーチェも、著作で
寓意的な表現をしておきながら「これは比喩ではない」と言ったり。
やや病的な印象を受けますが、これは哲学の病なのでしょう。
ハイデガーも、現象学は内面を了解させるためのものなんですが、
その過程で、他者の死を寓意性と現実とで連結させてしまっていて、、、
(言語上両者に境界線がないから、現代でも難しい問題なんですが)
影響力のあった人だけに、死の問題で人間の死を軽んじ始めると、
社会運動や政策につなげて大々的に「了解」せしめてしまう、
そんな一面があります。生を了解するためには死ぬ事だと言いたげ。
・・うまいことやったものですけど、時代の病理に侵されています。
おたがい決別に向かった過程が複雑ながら浮き彫りにされますよね。
ブランショは幼稚に、ハイデガーは傲慢に、お互い見えたんでしょう。
死という絶望を我がものにしようとしたのは偉いんですけど。でも。
「死は怖いからいやなものだ」と言う実在主義に避難したくなります。
546 :
佃煮マニア:2008/09/23(火) 18:35:45 0
>>535 エートルさん
健康と病気の境目は、本人がそれを苦痛と感じるか感じないか
なんですよね。または、身体の、ある一定の機能的的特徴によって
第三者が苦痛に感じるか感じないか。
だからキルケゴールがどんなに鬱症状で悩まされても、
ニーチェがどんなに偏頭痛で苦しんでも、
彼等はその苦痛を享受し、哲学の素材にすることで生のリアリティを
描き出していた訳でしょう?だから、それは一種の喜びとも言え、
医者に頼る必要はなかったんです。
苦痛と快楽の境界線は見えづらいものですね。簡単に反転してしまうから。
547 :
考える名無しさん:2008/09/23(火) 20:33:07 0
病気になると、健康がよくわかる。
549 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 15:26:04 0
下らん言いがかりをつけて嬉々としてる下品なクズに哲学なんて何の足しにもならんな。
一日中PCの前でマスかいてるだけの悲惨な人生。同情すら出来ない。
下らん言いがかりとは?
某DQNコテの屁理屈:
○普段糞スレで一日中意味のない独り言ばかり書きまくってage荒らしている
自分についての言及はひとまず置いといて、
哲板の人間は哲学者なんだから心が広いはずで、
自分は酸っぱい葡萄を連想させる様なスレに荒らしを仕掛けるけれども
それに付き合わないのは間違っている。ちゃんとかまえ。
○自分が哲板で一番長く糞コテやってる古参だから、
古参が言っている事は全部正しいし、否定する様な事を書くな。
なんか教養みたいな事言ってくるやつは生意気だし特に文系はバカ。
理系の方がセンスあるし勝ち組だからどんな議論でも絶対勝つ。負ける気がしねえ。
○宗教やってるやつって超狂ってるから怖いっていうのを前に出して、
怖さをアピールしてるんだからちゃんと怖がれ。なめんな。
知性があったって狂った奴の勢いには勝てないんだから、
狂ってさえいればどんなつまんない屑だろうと一番偉い。
他色々。全面に渡ってイタい。
552 :
551:2008/09/27(土) 11:49:53 O
ぜんぶ自己言及でした
おやまあ
>>538 :527サン
>深くお詫び申し上げます。
いや、そんなに詫びなくてもいいんですよ。
ただ、前にも書いたことがあるけれど、
意見に対する批判はあってもいいと思うけれど、
批判が自分にも向けられることを覚悟した上で、
でなければならないんじゃないかな、という気が。
>楽しい話がしたかった、それだけなんですけど。
人によって楽しみ方は違うかもしれないけれど、
その気持ちはたぶんみんな同じじゃないかと思う。
自分が楽しみたいなら、相手も楽しむ権利があるわけで、
だから、自分に向けられても構わない言葉を
相手にレスすべきだという意見を持ってます。
>難しげな語り口 、嫌いじゃないです。
どうもありがとう。どちらかといえば当方も、
あなたのことは嫌いの反対ですよ。
ところで、創造性と独創性の差異って難しいな。
英語だとクリエイティヴィティとオリジナリティか。
両者はかなり重なってる概念だと思うけれど、
これらの差異について明快に語れる人がいればぜひ。
>>539 :考える名無しさん
>「名づけてみます」の説明にはなっていないようです。。
ロムする人すべてに納得できるように書ければいいんだろうけど、
かなり省略して書いていることも多いからねぇ。
言葉を向けた佃煮さんからは何の求めもないので、
まあ細かく説明する義理もないように思うけれど、
もし説明してほしいということなら応じてもいい。
ただ、こちらからもひとつ質問があるんだけど、いいかな?
レスの内容のあれこれではなくて、この「名づけてみます」という書き方に、
しかもそこだけに、あなたはどうして関心を持った?
>>540 :考える名無しさん
>>555に書いたことと同様、ということで。
>>539>>540>>542および
>>529>>530 といったレスと佃煮さんのレスを比較すると、
やはり、その差異は明らかで、いかに佃煮さんが素晴らしいかがわかるなあ。
佃煮さんはレス内容について真正面から取り組んで書いてくれ、
書き方に拘泥することなく、まず自分の意見を書いているね。
優れた対話者の見本です。
>>541 :528さん
いえいえ、フォローしたわけじゃなくて、
創造と独創って密接に関連してるように考えてたんですよ。
たとえば、佃煮さんのオリジナリティというのは、
創造性(クリエイティヴな姿勢)なくしては生まれないと思うし、
何かを創造していない個性なんてないと思うから。
558 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 22:33:59 0
ざっと読んだ感想。
>>542 が言うように、一言「不適切だった」と書けばいいだけなのに
非を認めることができない人なのかな。
(非があれば素直に認めることは、対話で一番大事なことだと思います)
>>545-546:佃煮さん
>ブランショ・・・繊細で正直者です。
ストイックすぎるくらいそうですね。
同時代の批評家ロラン・バルトとは対照的です。
>キルケゴール・・・ニーチェ・・・彼等はその苦痛を享受し、
>哲学の素材にすることで生のリアリティを描き出していた訳でしょう?
>だから、それは一種の喜びとも言え・・・
身体的な苦痛こそが彼らを哲学の道に導いた、という面もありそうですね。
そうした哲学がショーペンハウアー的なペシミズムに向かうのではなく、
生を肯定する「悦ばしき知恵」に向かうかどうかは人によりけり、でしょうが。
まあハイデガーについてはちょっと異論もあるんですが、
それはまた別の機会に譲ることにして、保留になってたテーマ、
「具体/普遍」のテーマにちょっと触れてみますね。
(つづき)
哲学は、「真理」というものをめぐってきたといえますが、
「真理とは何か」という問いを中心にしてきたといえるでしょう。
「真理」は主語の位置に置かれて問われてきたわけですが、
「これこれは真理である」という述語的な言い方はあまりされてこなかった。
「真理」が主語に置かれる問いこそがあたかも真理の普遍性を保証するように。
それに対して、「これこれは真理である」という述語的な表現は、
常に具体的なもの、個別的なものに向けられますね。
たとえば、以前に誰かが書いていたことを持ち出すと、
「散歩にいくときの犬のしっぽは真理である」というふうに。
そして、当方は時々こう考える、というよりも、こう感じることがあるんですが、
それはどういうことかというと、「ああ、この人は真理だなあ」ということ。
佃煮さんは、こういう感じ方をする時はありますか?
561 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 22:55:30 O
ブーバー読んでるけど
薄っぺらい本なのによくわかんねーよw
>>558 >(非があれば素直に認めることは、対話で一番大事なことだと思います)
つまり中国人は対話ができないということかww
...................................
(Yahoo!知恵袋より)
解決済みの質問
get2axさん
中国人に中国のコピー商品はひどいと言うと
必ず屁理屈を言ってきます。
中国人は真摯に非を認めるといった事はないのでしょうか?
回答
osyaberioyajiさん
死ぬまで嘘しか言わない民族ですから無理です!
ましてや非なんて感じる感覚は全くありません!
漢民族に変な期待しないでください!
..................................
>>561 「我と汝」って、ヤスパースが言う「実存的交わり」に近い感じ。
でもヤスパース以上に宗教色が強い。俺はついていけない(ついて行きたくないw)
564 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 23:57:46 0
このスレを見てるとカキコのレベルが違いすぎる
だからきっとルサンチマンを与えてしまうんだろう
いよいよ攻撃的になってきましたね
レベルの高い人とだけ話したいんなら場所を変えたら?
素朴な野次も許容できないというのではねえ!
566 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 00:17:12 0
野次を野次るのもおもしろい
で、ごちゃごちゃ言ってるけど、結局盗用なわけですか?
そこをはっきりしてくださいよ。
盗用って言葉が適切かどうかはまた別として。
で盗用してるとこっちは思ってて、まさにそこを問題としてイチャモンつけてんだから、
それはあなたの言葉じゃないと思ってるんだから、
そんなレスに正面から向き合って意見なんか言いませんよ。
それ以前の段階に立ってるわけなんで。
568 :
佃煮マニア:2008/10/01(水) 18:21:58 0
>>555 エートルさん
創造性と独創性って違いはなんでしょうね。
見本みたいなことはぜんぜん書けませんけど、一意見として、
ソニーの企画部は独創性があるけど創造性が欠けるときがある、
とよく言われています。
ウォークマンとかの画期的なアイデア、プラス利便性は高く評価
されていますけど、この会社はアイデア倒れのヘンテコな道具を
数多く出しては批判されているようです。
小型テレビのついたヘッドホンとか。愛嬌があって好きですがw
独創は夢や着想の具現、創造は普遍な評価を得るための工夫、
という事になるのではないでしょうか。
>>559 ハイデガーについての異論って何でしょう?教えて下さい。
569 :
佃煮マニア:2008/10/01(水) 18:23:18 0
>>560 エートルさん
「散歩のときの犬のしっぽが真理」って、前に私が書いた事ですね。
懐かしいなあ!
不随意的な運動は、個人の性格、環境、思想を綜合させる
真理でもありますよね。なにかバラバラなものをまとめて
コンパクトにする事が真理なら、物事の全ては何かを内包
しているという事にもなってくると思います。そうすると、
「喜びの極地とは、興奮にはじかれる様に身体をくねくねして
しまうことである、その過程にはあれがあり、これがあり、
果ては資本主義社会が云々」みたいな説明も出来ますよね。
まあ10年位かかりそうですけどw
・・・または、犬のしっぽというのは脊髄にあたりますけど、
町田町蔵の「腹ふり」についての言及でちょっと触れた様に、
神経部分をシェイクする事はすなわち、問答無用で興奮のるつぼに
自分自身を運ぶ事でもあるんですよね。アドレナリンが出るため、
思考に飛躍が多くなって、より独創的なものの考えが出来る様に
なります。それをまとめさえすれば、という話もあります。
570 :
佃煮マニア:2008/10/01(水) 18:24:16 0
>>567 煽られると面白くなるタイプの様なので一言書くと、
「○○が名付けました」が「名付けます」。手が滑ったんでしょうけど
そこから独創性だとか無知の知だとかwまあよくやりますねw
でも着眼からの飛躍が全然説明されてないんですよ。説得力がない。
論理的にやってくださいね。盗用だから?独創性が?どう・・・で?
無知の知をエートルさんに知らしむる結果になる、みたいな感じで。
それだと「おお〜!」ってなるw と、こんな感じでいいでしょうか。
571 :
佃煮マニア:2008/10/01(水) 18:25:31 0
何となくオリジナリティっぽい話になっているので、私も。
備わった身体性は個性ですが、この身体性が出やすい場とは、
タブーの境界線にある、エロと死なんです。
だから、オリジナリティを文章によって出すとすれば、
このエロと死を扱えば事は容易なんですが、そもそも、
これさえやっとけばいいのかと言うと、いかにも安易だから、
作家は、別の次元を描写しつつ官能性を表現しようとします。
これもオリジナリティの一つの形です。例を挙げると、、、
こないだ挙げた坂口安吾の「芋虫の孤独」は、
ちょっと突けば馬鹿みたいにのたうち回り、のこのこと逃げようとする、
芋虫の特性にマゾヒズムを、確かに彼が感じていたからこそ出来た表現です。
この孤独者とは、作中では、ほっそりとして大人しい白痴美の女性でした。
女性の無力さと内面の激情の往来が、エロスの介在を暗示してます。
572 :
佃煮マニア:2008/10/01(水) 18:26:13 0
(つづき)
芋虫つながりで江戸川乱歩の「芋虫」・・時代設定は戦中ですが、
芋虫の様に四肢の突出していない人間を製造してそこに美を見出し、
叔父であるその芸術品を保管する女性が描かれていました。
女性は叔父を兵役から救ったんですが、、ここに生死の隣接がありますし、
無人島で暮らす二人の視線には濃厚なエロが漂っています。
オリジナリティとはいかに常軌を逸してしるか、
それのみでは飽きるからダメで、乱歩の芋虫だったら、
作られた奇形である、でも、叔父をそんな風にしてまで
近親愛を延長させようとする、女性のしぶとさ、悲しさ、
また無人島で孤独を保つという乱歩独特の完成された美学、
これらに裏打ちされて、初めて「オリジナリティがあるね」、
という事が言えてくる訳です。エロ、死+αです。
>>570 レディ相手だからお手柔らかに申しますが、
二人以上の人が書いたことを一人の人が書いたことにすれば
飛躍して見えるのもいたし方ないでしょう。
あなたが下さったその煽りには
ほかにも整合性に疑問を感じる点がございますが、
目くじらは立てますまい。
少々嫌味たらしいですね。ジェントルに振る舞うのは難しい。
掲示板などで、自分に反対する人が全部同一人物に見えてしまう病気があるらしいですね。
病名忘れちゃったけどカタカナの病名だった。
佃煮さんは前スレの後半あたりはかなりおかしかったと思うんで、
そういう人にはチャットとか掲示板は毒だと思いますよ。
ほどほどにね。
>>573 >少々嫌味たらしいですね。
横レスですが、自覚を持つことは非常にいいことです。
>>574 >全部同一人物に見えてしまう病気があるらしいですね。
つまり、書き込まれたレスと検索したページが同じに見えてしまうことも
そういう病気に含まれるということでしょうかね(笑
それから、レスアンカーがついてない書き込みがあるけど、
誰に何を言っているのか明確にしたほうがいいでしょう。
対話の基本です。
それから、老婆心ながらのアドバイスだけど、
HNを付けている相手に何かを言いたいとき、
特に、ツッコミを入れようとするレスの場合、
番号なり名前なりを付けたほうがいいと思うよ。
じゃないと腰が引けているように見えてしまいまうから。
>>568 :佃煮サン
>独創は夢や着想の具現、創造は普遍な評価を得るための工夫、
>という事になるのではないでしょうか。
なるほど〜。
創造を普遍のほうに寄せる、となると、
独創は具体のほうに傾くことになりますかね。
普遍的というのは、演繹的、主語的であり、
具体的というのは、帰納的、述語的であるとすると、
そういえば、「イッツ・ア・ソニー」というのは、
「ソニー・イズ・○○」と主語的、演繹的にいわず
述語的であり、具体性に向かうキャッチフレーズですね。
>>568 :佃煮サン(つづき)
>ハイデガーについての異論って何でしょう?教えて下さい。
佃煮サンはこう書いていましたね。
>死の問題で人間の死を軽んじ始めると、
>社会運動や政策につなげて大々的に「了解」せしめてしまう、
確かにハイデガーは現実においてナチズムに加担してしまいましたが、
ここは非常に判断が難しいところで、
ハイデガーに対してはアンビバレントな思いがあります。
彼の死の哲学は、死を自分のものとして引き受けるという、
実存的な覚悟を求めていて、そこに政治を絡めるのは難しいと思うんですね。
現実上のもの(事実上のもの)と哲学上のもの(権利上のもの)は
ハイデガーの中で断絶している、という見方をもっています。
とはいえ、無関係にしてしまうこともできないわけですが。。。
>>569:佃煮サン
>「散歩のときの犬のしっぽが真理」って、前に私が書いた事ですね。
ああ、あれは佃煮サンでしたっけ!
>神経部分をシェイクする事はすなわち・・・
シェイクする哲学、ロックする哲学、スイングする哲学、でしょうか。
哲学が音楽に近づくことになりそうですね。
>>570 >論理的にやってくださいね。盗用だから?独創性が?どう・・・で?
>無知の知をエートルさんに知らしむる結果になる、みたいな感じで。
>それだと「おお〜!」ってなるw と、こんな感じでいいでしょうか。
まさに、それです! たとえ外野からのか細いヤジであっても、
そういうレスを哲学板で期待したいものですね。
そうでなければこの板で書く意味がないでしょうから。
>>571-572 :佃煮サン
「エロ、死+α」としてのオリジナリティの話、
なかなか興味深いですね。
安吾「芋虫の孤独」、乱歩「芋虫」は未読なので何もいえませんが、
芋虫つながりとは芸がありますね〜。
オリジナリティはオリジン(起源)から派生してますが、
本当の起源、元祖となるとアダムとイヴ、
さらにいえば神にしか求められないでしょうね。
オリジンは照明できない以上、設定するしかないわけですが、
神話や宗教という形で人類は起源を設定してきた。
そうして設定された起源を「起源なき起源」と名づけてみます。
さて、ここで「名づけてみます」と書いた理由を
今度書きましょうか?
簡単にいえば、名づけられないものを「仮に」名づけているからなんですが、
そこからベケットの『名づけられぬもの』に向けて、
ブランショ経由で向かうこともできます。(骨は折れそうですが。。。)
それから「起源なき起源」と括弧で囲んだ理由も。
佃煮サンなら説明不要かもしれませんね。、
>>575 あなたも考えすぎですね。
574は佃煮さんの精神状態が気になったから書いただけです。他意はありません。
佃煮さんご自身がご病気だとおっしゃってますから。
>>579 >簡単にいえば、名づけられないものを「仮に」名づけているからなんですが
「仮に」名づけたのは、誰なんですか?w
582 :
佃煮マニア:2008/10/04(土) 16:35:47 0
>>577 エートルさん
エートルさんと議論するとコテンパンにされるのでw
どうしようかな。一応の意見を書くと、、、
時代が時代だから、死を覚悟してたのはありますよね。
確かにエートルさんの言う通りかもしれません。
「存在と時間」でそう言ってたようですが、これをためらいつつ発表する、
その事は、世間が彼の言い分に納得すべきだと判断したからですよね。
ハイデガーは「存在と時間」で、日常性に堕することを頽落と言いつつ、
歴史の必然性に身をまかせたらどうよ、と言いました。
日常的じゃない部分の歴史って、と考えると、彼の時代では
戦争おおいにやったらいいじゃないの、という事になりませんか?
いくら象牙の塔にこもっても、戦争を無視はできなかったはずです。
彼に影響を与えたニーチェは、戦争、「むしろ殺せ」と言ったようです。
wikipediaを見ると、
SAに共感しつつも、「長いナイフの夜事件」でナチスに幻滅、とありますね。
その後非難されて、しょんぼりして隠遁生活して。なんか極端です。
SAとは、そういう事を平気でやる、いわばヒトラーの狂犬ですけど、
彼の哲学にリンクしつつ、行動主義である所にハイデガーは共感した
んでしょう、
具体的にやってる事に嫌気がさしても、スローガンには納得してたはずです。
彼は何か、字義場の部分から熱を受けて、突飛にリアクションしてしまう、
そんな所がある様に思えるんです。だから「ミメーシス性に騙された」と
書きました。言語使用上やむをえないレトリックは、人に夢を見させ
煽情する側面を持っているんです。だから哲学者は危険に晒されています。
583 :
佃煮マニア:2008/10/04(土) 16:41:41 0
>>578 エートルさん
音楽はすでに哲学に接近していますが、言葉に置き換えづらいですよね。
比較的語りやすいのについて、ちょっと感想書いてみようかな。
ペースが合っていないようでもなぜかまとまっていると言えなくもない、
みたいな、本スレの現行状態が、ドルフィーっぽくて、今聴いてるとこです。
この人はジャズの人で、言ってみればスウィングする哲学に入りますが・・・
エリック・ドルフィーのアルバム「OUT TO LUNCH」の自由性は、
例えば灰野敬二の、血しぶきを噴出させるがごとく炸裂させるノイズを
ギリギリの所で音楽性に押し込み、「俺は境界線上にいるぜ〜」と踏ん張って
見せるようなある種の雄性、もしくはタナトスといったルーツをもつ自由
ではなくして、根っからの気楽さに由来しているようです。
アドリブの集大成とでも言うのか、それぞれの楽器が規定の旋律で
ガッチリ歩をあわせていません。サックスが何かを語れば、ドラムは
裏、裏、裏、でリズムを取ったかと思うと急に表で合わせ、また裏、
不調和に巻き込まれていく様にビブラホンの音が転がり出し、、、何か
ふざけている様な印象を受けます。しかしそれは彼の洗練された無邪気さで、
それらは曲として全体を聞き通すと、音色が精巧に構築されているために、
これ見よがしな柱がどこにも設置されていない奇妙な館の夢を見させる様な、
(ドルフィーはその館の主なのかもしれませんが)イマージュの歓待を
私たちは受けます。。。控えめながら不気味楽しいアルバムです。
584 :
佃煮マニア:2008/10/04(土) 16:43:49 0
>>579 エートルさん
>オリジナリティはオリジン(起源)から派生してますが、
>本当の起源、元祖となるとアダムとイヴ、
>さらにいえば神にしか求められないでしょうね。
エートルさんって語源に詳しいですね。神がオリジナル、か〜。
最初に書こうと思ってた事はソニーの話じゃなくて、
狂人=神にキャッチされた人々の事だったんです。
彼らの思考は、時代的なものに多少影響はされつつも、
すぐには理解しがたい独創性があります。
ですが、彼らが独特の言葉でなにかを語っても、理解しようとするのは
医者だけです。彼らにあるマイナスイメージを自分で払拭できないから。
彼らがカブトムシを見つけて絵の具を塗り、紙の上を這わせて
絵を描いても、ああリハビリだね、奇妙だ、程度の感想しか貰えませんが、
逆に、画家の秋山佑徳太子(漢字忘れちゃった)は、殆ど狂人ですが、
グローブをつけ絵の具をかぶって壁にボクシングして、面白い説明をするので
巨匠の過激でユーモラスな芸術制作だね、と批評の対象にされます。
オリジナリティとは、理解しがたいけれどもかっこいいので理解したい、
と人に思わせて初めて成立するもので、プラスのイメージが必要です。
例外的な話なので最初からするのを止めていたんですけど、
理解をたすける呼び水であるプレゼン、しかしこれがなければ最悪、
みたいなものほど「おお、オリジナリティだ〜!」と賞賛されますね。
585 :
佃煮マニア:2008/10/04(土) 16:44:39 0
>>579 エートルさん
>簡単にいえば、名づけられないものを「仮に」名づけているからなんですが、
>そこからベケットの『名づけられぬもの』に向けて、
>ブランショ経由で向かうこともできます。(骨は折れそうですが。。。)
>それから「起源なき起源」と括弧で囲んだ理由も。
面白そう!でも確かに大変そう。。。
ゆったりペースで少しづつ書けば、きっといいでしょうね。
>>580 そうでしたか。。。失礼しました。
>>581 誰でしょうね。 少しご自身で考えてみてください。
他人から答えを与えられるよりも自分で考えるほうが
おそらく脳を活性化させてくれます。
>>582 :佃煮サン
>歴史の必然性に身をまかせたらどうよ、と言いました。
うーん、そのへんはちょっと記憶にはないんだけど、
そういう表現をしてた部分があったかなぁ。。。
ハイデガーはゲルマン的な民族性、それからギリシア的なものを称揚したけれど、
それを実存論的な覚醒に。。。いや、こういうことを書きたいんじゃないな。。。うーん、
そうだ、今度ハイデガーの短めのテクストを読んでみましょうか?
『言葉についての対話』というのが平凡ライブラリーにあるんですが、
このスレで取り上げるにはグッド・オンな本だと思うので。
>エリック・ドルフィーのアルバム「OUT TO LUNCH」の自由性は・・・
この話、すごく面白い! 佃煮サンはアートだけじゃなく音楽も詳しいですね〜。
>オリジナリティとは、理解しがたいけれどもかっこいいので理解したい、
>と人に思わせて初めて成立するもので、プラスのイメージが必要です。
オリジナリティには驚きがありますね。すぐには理解しがたい驚き。
最初に哲学者の言葉を引用しておいて、それを改めて名づけてみせるのも、
驚きを与えたのかもしれないね(笑
588 :
佃煮マニア:2008/10/08(水) 18:33:16 0
>>587 おっとっと・・・エートルさんが言葉を濁すのって珍しいですね^^
↓この人の説明がわかりやすいのでちょっとリンクしときます。
ttp://members.at.infoseek.co.jp/StudiaPatristica/philosophia16.htm 死への覚悟は、戦争だけに見いだされるものじゃないけれど、
ハイデガーは、自身の哲学から、現状をありのままに受け入れるために、
「大量死の現場はいい機会だから、ここで投企をしたら?」
と考えたんでしょうか。その具体的判断をナチスに入れ知恵された、
と言うか。そうだとすると、何か、ハイデガーかわいそう。
我が闘争はまだ読んでないですけど、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」
の資料引用が膨大で素晴らしい様なので、ちょっと拝借すると、
ヒトラーがまだ若く、貧乏芸術家だった頃、その頃街を闊歩してた
拝金主義の低俗なユダヤ人を徹底的に呪った事実があるようです。
ハイデガーの言う「らい落した世人」に見えたんでしょうか。
>そうだ、今度ハイデガーの短めのテクストを読んでみましょうか?
ハイデガーの再読とあわせて、人間のタナトスにも触れたいですね。
>最初に哲学者の言葉を引用しておいて、それを改めて名づけてみせるのも、
>驚きを与えたのかもしれないね(笑
それってwオリジナリティの置き所が高尚過ぎてわかりませんよw
589 :
佃煮マニア:2008/10/08(水) 18:34:46 0
590 :
佃煮マニア:2008/10/08(水) 18:35:28 0
スペースオペラを描くと、どうしても宗教色が出てくるのは、
「それがメタフィクションという構造を孕んでいるから」
「キャラクターが超越存在を暗示しているから」もありますが、
あまりそれが本質だとは言えないようで、もっと大まかに見ると、
少し揶揄した様な、批判的な言い方になってしまうのですが、
はじめに作者がメッセージを持ち、膨らませて物語にする時、
ある世界観をガッチリ組んでその世界を描写しようとすると、
世界内でのそれぞれの瑣末事を連動させる大きな流れを、
やや強引に進めなければならない場合が出てきます。
構成上のバランスから、または物語の基調色を守るため・・・
強引であっても、リアリズムを排する訳にはいかないので、
つじつまとして、強大な超自然エネルギー、ミクロコスモス、運命とか
何か自然である様に見えて自然でないものを動員する事になります。
物語には必ずそういう要素がメインとして入っています。
591 :
佃煮マニア:2008/10/08(水) 18:36:56 0
(つづき)
つじつまの部分なんですが、一番目立つ部分でもあり、、、
肝心のそれについては、何の説明もされなかったりして、
ただ神秘的なものとして扱われます。どの物語でもそれは言えます。
(キャラが抽象的な単語を羅列して、説明とする場合もありますが。)
神秘的なものは徹底して美しく描かれ、矛盾点は大いにぼかされ、
読者の目は、理論抜きでその美のみに惹き付けられる訳ですが、
ふと理論に目を向けた時の眉唾っぽさが、宗教臭くなる訳です。
メッセージを明示せず取っ付きやすい手段で、まず読ませ、夢中にさせる、
これは宗教系の人が確信的に使う方法です。「作家は教祖」とよく言います。
そして、読者は物語をまんま面白いと思う時点で神を認め、
感情移入しやすい物語のキャラクターに神性を見いだす・・・
そういうカラクリがあるようです。
それで、物語の中に神がいるのかいないのかでは、やはりいるんですが、
歴史の中で一旦神が死んで復興をとげたというより、世界に偏在する神が
時に応じて姿を変えたと、日本人的なものの見方ではそうなるでしょう。
と、感じました。
>>588 :佃煮サン
>「大量死の現場はいい機会だから、ここで投企をしたら?」
>と考えたんでしょうか。
いや、さすがにそれはないでしょう。
ハイデガーにおける死の覚悟は、
より高い生に向けてのものだと思うし、
それはニーチェにもいえると思うんですね。
だから、フロイトのタナトスとはちょっとずれる。
ニーチェ主義がそこに深く結びつくとしたら
バタイユあたりが交点になりそう。
>オリジナリティの置き所・・・
オリジナルとコピーの問題はドゥルーズが
「差異と反復」や「意味の論理学」で鮮やかに切ってみせ、
クロソウスキー的なシミュラークルの世界を謳いましたが、
ドゥルーズが引用していたボルヘスの短篇は
コピーかつオリジナルのとてつもない傑作です。
しかも笑えるエンターテイメントでもあるという代物!
作品名は「ドン・キホーテの作者ピエール・メナール」。
>>590 物語と超越性ないし宗教性、というテーマに関しては、
逆のヴェクトルでこうもいえるでしょう。
宗教は物語性を必要とする、と。
また、もっと日常的な次元に話を移してみると、
人はしばしば、それぞれの物語を作り自分に語り聞かせてる。
自分を物語の主人公にしつつ作者にもなっているわけで、
一人二役をこなしてるんですが、自分の世界を創造し、
その世界の神の座にも君臨していることにもなるでしょうか。
「神なき時代」にも小さな神があちこちにいるんでしょうか。
594 :
佃煮マニア:2008/10/13(月) 21:30:51 0
>>592 エートルさん
>ハイデガーにおける死の覚悟は、・・・
動物的な生理で表面的に捉えれば、死は恐怖、疎んじるものです。
ですが、彼は死を本質的に把握して受け入れようとしたんですよね。
それで、、戦争という普遍を立ち位置にして、さらにそこから
生への跳躍へと向かう、この考えが例え曖昧で、不合理であっても、
それは、ベイトソンの言う「学習V」による哲学の実践と言えます。
死の覚悟から来る、生への高いモチベーションじゃないでしょうか?
思うのですが、哲学を一編の詩とするなら、バタイユの言う様に、
表象されたイデアの世界に一旦浸って、実存へと帰還する道程で、
筆者、読者もろとも断絶に出くわし、絶望にまみれてこそ哲学です。
しかし、ハイデガーはこの哲学の本質「絶望」を先延ばしにしました。
そして、今ここに投げ出された私という存在について、これは、
万物に言える真理であって、本人もそのつもりでしたけど、
極限状態の中で視野狭窄を起こして、それを民族としての感傷に
落としてしまったのでしょう・・・その理由を突っ込んでみると、
ニーチェの「畜群」が頭に焼き付いてしまった、さらにその大元、
キリストの三段論法からは、彼も出る事が出来なかったのです。
それで動物を視野から外し、、その後ヒトラーの話術にハマッた、
ホシの動機について、新米佃煮刑事の推測ではそうなります。。。( ̄ー+ ̄)キラーン
しかし、この悲惨さは、歴史を概念化すれば、すさまじい思考実験で、
ある意味偉大。20世紀最大の思考実験だとも受け取れます。
様々なテーマを方々に投げかけていますよね。
595 :
佃煮マニア:2008/10/13(月) 21:35:04 0
>作品名は「ドン・キホーテの作者ピエール・メナール」。
「安部公房レトリック図鑑」を一万円で買って金欠なんですがw
アマゾンでボルヘス630円・・・買っちゃおうかな。
レビュー読むと良さげな感じ(´ー`)にしてもすごいレビュー数!
エートルさんは気になる本をいっぱい持ってますね。
それはそうと、現代詩手帖のブランショ特集、どうでした?
くわしい感想、書いてくださいよぅ。
文学板の人たち、意地悪してぜんぜん書いてくれないんですよ。。。w
596 :
佃煮マニア:2008/10/13(月) 21:38:03 0
>>593 エートルさん
>「神なき時代」にも小さな神があちこちにいるんでしょうか。
そうですね・・・君臨と言うか、もしそれを神と言うならば、
精神医学的に見て、神とは「退屈」のことなんですよね。
神秘体験で現れる神は、必ず退屈時に現れるという事実があります。
だから、退屈時にうつろう欲望の偶像化された形が小さな神、なんです。
退屈は偏在する。それで神は偏在していると書きました。
(神があるもないもなくて、ただそこに漂っている、そんな感じです。)
神がときどき、アンニュイである、憂いを含んでいると形容されるのは、
退屈時の気分によるものでしょう。。。
しかし、この退屈はとらえようと意識した途端消え去りますから、
神自体を描写する事はきわめて難しく、描写しても矛盾だらけになります。
退屈時のとらえどころのない幼稚で曖昧な欲望を具現するには、
物語性を持たせる事が説得力をもちます。そこで
>>590>>591です。
それで具現され、支持されれば、それは大きな神になる、それだけです。
その場合、物語が支持されているのであって、欲望は支持されてません。
物語は論法や形式で読者を惑乱させ、神の所在を絶対化させますが、
事実上の神(退屈)の欲する所である、
「ラザロ復活」「メシア到来」は、シミュラークルの閉じた輪の中から
出る事がないでしょう。似た様な事を意識的に起こす事は、はたして
出来るでしょうが、ハイデガーの二の舞になります。
597 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/10/15(水) 16:12:52 0
>>佃煮マニアさん
和田忠彦の本『声、意味ではなく』の中で、矢川澄子さんの『兎とよばれた女』について、
「時間とも空間とも自在に距離のとれる融通無碍な語りの祖型を執拗なまでに反復
することで、小説としての結構を最後まで欠いたまま推移してゆく。まるで破綻
しているからこそ物語が「人生」に拮抗しうるのだとでもいうように、ことさらに
結構を崩そうとしている。」
と述べられています。長い引用になりましたが、町田町蔵さんの意図していたことと、
自殺した作家の意図していたことが、男と女の違いを大きく見せながら、一致していた
ことに感心しました。
それでは〜。
598 :
佃煮マニア:2008/10/15(水) 19:26:35 0
>>597 Absalomさん
矢川さんは未読ですが、町田さんの「今度は戦争だ!」っての
思い出しました。この比較は面白いですね〜^^
作家は、原初的な欲望を具現し、きれいに整列させて、
もう一度子供らしい目線でそれを楽しみつつ苦しみつつ破壊し、
くちゃくちゃにした所で、また気分に任せて修復してみたり、
そんな事をします。
その反復が多い程、重なり合わせた無意識の微妙なトーンが美しく、
物語は崇高性を帯びるんですよね。
人は生きる上で高みを目指すものだから、
出会う作品の崇高性は、いい足がかりになります。
自分の立ち位置というのは、個人にとって大切なもの。
そう個人が思った時点で、作品が個人の人生を取り込むんでしょう。
でわでわ。
599 :
佃煮マニア:2008/10/15(水) 19:36:35 0
ちょっと思った事など。
芸術に関わる人間は選民意識が強く、ハイデガーも例外ではありません。
美術批評家、芸術哲学家で、例えば美大の先生なんていう場合、
中の先生も生徒もだいたいプチブル以上の階級です。
それで、大学は一つの圧力をもった団体である訳です。
大学の思想体制は批評家にとっては心強いもので、ついそこに依存します。
生徒達も自分の考えの真似をするし、可愛いでしょう。
で、す、が、批評家は芸術家の庇護者ではなく、
芸術と大衆の接点をつくる役割が最優先されます。
600 :
佃煮マニア:2008/10/15(水) 19:37:30 0
(つづき)
選民意識があってもいいです。
美術批評家になるくらいの感性と知識はそう持てるものではないです。
知的冒険のあとのやるせなさもうんざりする程感じているんでしょう。
絶望と倦怠は何が運ぶのかと言うと、たまに下流階級の声だったりします。
見下したくなるんです。民草どもがと言いたいでしょう。
薄汚く、俗っぽく、がさつであいまいな事しか考えられず、
飽きっぽく、根気づよく理解しようとなどしない彼ら・・・wは冗談ですが、
しかし彼らも実は芸術が好きです。変なものを見るのが大好きです。
その気持ちをたぐるために、彼らを驚かせない様に絶望と怒りに重しをして
そっと近づくべきなんです。さながら敵陣に単身向かう忍者の様にw
重しをする時の苦痛を快感と感じられるようでいて、
芸術批評家は役割をまっとうできる、そんな風に感じます。
>>594 :佃煮サン
>彼は死を本質的に把握して受け入れようとしたんですよね。
>死の覚悟から来る、生への高いモチベーションじゃないでしょうか?
まさにそうですよね。ベイトソンは読んでないので、
「学習V」というのはわからなかったんですが、
>新米佃煮刑事の推測ではそうなります。。。( ̄ー+ ̄)キラーン
恐るべき推理! でもちょっと刑事コロンボ的かな。
最初から容疑者をホシとして囲い込んでる感じがしますヨ。
ハイデガーは、「言葉は存在の住処である」なんて書いていて、
言葉というものを非常に重視した哲学者ですね。
ゆえに、「言葉についての対話」という本は印象深いんですが、
言葉へのこだわりは、語源学的ともいえる方向で言葉を探ったり、
(これはデリダに相当深い影響を与えてますね)
ヘルダーリンの詩の解明にもつながってゆきます。
(つづき)
>「安部公房レトリック図鑑」を一万円で・・・
安部公房好きなんですか?
ベタですが「砂の女」は好きです。
「砂漠の思想」というエッセイも読んだことがあって、
かなりへんな作家だなあという印象。
>アマゾンでボルヘス630円・・・レビュー読むと良さげな感じ(´ー`)
ボルヘスは最初碩学的に映るかもしれないけれど、詩集を除けば、
「伝奇集」「エル・アレフ(不死の人)」「ブロディーの報告書」「砂の本」
の4冊の短篇集が主著で、長篇小説を単独では書いてないんですね。
(「ドン・イシドロ・パロディ」という共著の例外はありますが)
だから、すぐにボルヘスワールドを周遊できます。
>現代詩手帖のブランショ特集、どうでした?
ちょっと前に読み終わりましたよ。
未訳の「終わりなき対話」の抄訳のボリュームがあり、
読み終わるのに結構時間がかかってしまった。。。
詳しい感想が書けるかどうかわからないけれど、
今度何か書いてみますね。
(つづき)
>精神医学的に見て、神とは「退屈」のことなんですよね。
>退屈は偏在する。それで神は偏在していると書きました。
>退屈時のとらえどころのない幼稚で曖昧な欲望を具現するには、
>物語性を持たせる事が説得力をもちます。
なるほど。。。神と「退屈」の話は初めて聞きました。
現実において「やりたくない」「やることがない」という退屈は、
「やれることはやりたくないし、やりたいことはできない」という
現実との摩擦の産物かもしれないと思いますが、
アンニュイという気分(ハイデガーは「気分」という言葉を使ってますね)、
これもまた現実に満足できない不満によって培養されているのでしょう。
で、現実世界において満たされない欲望は必然的に理想世界に向かいます。
「退屈」同様に「絶望」もまた然りで、現実に絶望し理想を希望する。
イデアの世界です。そして来るべき世界を望み、メシアの到来を待つ。。。
大不況下のドイツで、こういう心理状態をナチスはうまく利用した。
ハイデガーは存在の問いの中で実存的な方向での覚醒を目指したけれど、
あたかもナチズムと共に歩めるような方向性があるかのように見られ、
またそれを助長するハイデガー自身の言論もあった。
似て非なるものであるはずだったのに。。。
>>597Absalomサン
和田忠彦の矢川澄子についての言葉、面白いですね。
>まるで破綻しているからこそ物語が「人生」に拮抗しうるのだとでもいうように・・・
崩し、未完成さ、不協和音を選びつつ、それでも美を感じさせる技が、
現代の芸術ということになるでしょうか。
ということで、佃煮サンの「芸術批評家と選民意識」の話ですが、
芸術そのものが、生に対する侮蔑を含んでいるのかもしれないと思いつつ。
605 :
考える名無しさん:2008/10/16(木) 06:57:34 0
>>598佃煮マニアさん
>>自分の立ち位置というのは、個人にとって大切なもの。
>>そう個人が思った時点で、作品が個人の人生を取り込むんでしょう。
鋭いですね。たとえば人生の地図として作品を参照しているつもりでも、作者の意図によっては
作品が人を困惑の中に引きずり込む、というようなことでしょうか。
606 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/10/16(木) 07:05:36 0
>>604エートル・オートルさん
何のために作家は作品を書くのか、矢川さんの場合は、女であることの本質を、「待つこと」
ととらえ、物語を現実と裏返してみせることで、読者がついてくるのを「待って」いる。ここで、
人生を生きるように物語る点にエートルさんのいう美を我々は見いだす、と和田忠彦の言葉
ですが、美意識は選民意識とニアイコールで結ばれるあるいは前者が後者をもたらす、ような
気がします。
607 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/10/16(木) 07:24:34 0
608 :
佃煮マニア:2008/10/18(土) 13:00:58 0
>>601 エートルさん
ベイトソンの「学習V」は、狂気のチラリズムです。
よく、カオス的な思考の人の事を「電波系」と言いますが、
「学習V」レベルでは電波がだだもれだとアウトで、
アンテナ格納庫の開閉ボタンを確実に押し、有用な電文をコード化し、
送信ポタンを確実に押し、送信終了後は確実にハッチを閉じる、という
一連の作業をこなせる様になるのが、レベルVの学習です。
この学習を覚えると、特に歴史を背負った学者のお爺さん達を喜ばせられます。
チラッ!と送った控えめなパルスが、お爺さんの止まりかけた心臓を
優しくマッサージし、お爺さんは何か温かいもの食べた様な満足感を得ます。
>>602 言葉というものを、私はあまり信用していません。
言葉は存在の住処でしょうが、実存はそこからはみ出します。
安部公房とかカフカ、ゴーゴリとかの不条理は緻密で好きです。
それから、ボルヘスの紹介ありがとうございます^^
読むのが遅くて。。。哲学書なんかは、わかりづらいので音読してますw
609 :
佃煮マニア:2008/10/18(土) 13:01:35 0
>>603 エートルさん
どうも、エートルさんの「実存」と私の「実存」で
意味のずれがある様な気がします。
実存的覚醒とは、個別の生における自覚と覚醒?でいいのかな?
>またそれを助長するハイデガー自身の言論もあった。
松本人志はダイアナ妃の事故について、殺人事件であると見なし、
ゴシップ誌で彼女を書き立てた記者達をして
「最初の一枚目のカードを切った奴が悪いんちゃうんか。
二枚目三枚目はどうでもええねん」と喝破しました。
ハイデガーを一人の記者と見立てるならば、
歴史の中で一枚目を出したのは彼ではなかったか、とも思うのです。
彼は、人間の「存在性の中の実存性」という、不可能なイメージを
しつこく追いつめ、ありのままの実存には到達しないでおく、という
この図の描かれたカードを出してしまったのです。
610 :
佃煮マニア:2008/10/18(土) 13:02:11 0
>>605 Absalomさん
作品がもたらす明暗は、作者の意図に関わらないとおもいます。
楽しい時と辛い時、同じ本を読んでも印象がガラリと変わるでしょう?
仮面の話にちょっと触れます。
アフリカの仮面は、笑っているもの、怒っているもの、それぞれあって、
怒っているものでも善性の魔術を持つ場合がある、逆もある、のですが、
呪術というのは受け手の心理状態が作り出すものです。
特に仮面への執着心は、パラノイアスティックな「呪力」を生みます。
中島らもさんの「ガダラの豚」って、面白いですよ。
611 :
佃煮マニア:2008/10/18(土) 13:02:42 0
エートルさんの「芸術は生への侮蔑」
Absalomさんの「美意識は選民意識をもたらす」は興味深いですね。
ガダマーさんの芸術論は面白くて、
「芸術は遊び心の生み出すもの」という趣旨ですが、
単に生をちゃかしている、無邪気に面白半分である、
という芸術家のスタンスが、次第にエスカレートすると、
情動の動きも活発になり、
ニーチェ的に「芸術は俊速の徒の残すきらめきである」と言え、
この「きらめき」というかっこよすぎる表現は、どうも、、、
ナルシズムを含んだ選民志向を呼ぶ、ようにも思えます。
秘術批評家が批評の中で芸術や学術をやっては、堂々巡りになると思いますw
浅田さんの「ちびくろさんぼ」の発想は、いいようなどうなのか。。。
612 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/10/18(土) 13:25:21 0
>>610佃煮マニアさん
読者による読みが加わり、作者との対話のような物になるのでしょうか。
中島らもさん、一番影響を受けた作家です。町田さんといい、重なるところが多いですね^^;
ガダラの豚、は未読です。
613 :
☆:2008/10/18(土) 20:41:51 O
3ちゃんねるってどんな掲示板なんでしょう
詳しいこと知ってる人いたらおしえください
>>613 :☆サン
へー、3ちゃんねるってあるんですか?
>>606 :Absalomサン
>美意識は選民意識とニアイコールで結ばれるあるいは前者が後者をもたらす・・・
ひとつ。選民意識を社会的な階級意識ということで捉えた場合、
芸術というのは西欧では貴族階級と深く結びついてきた歴史があると思うんですね。
ユイスマンスの「さかしま」の主人公デ・ゼッサントのデカダンス然り。
「生活? そんなものは召使にでも任せておけ」(だいたいこんな感じ)
というリラダンの言葉然り。
日常生活とは一線を画したところに芸術が置かれてきた背景。
もうひとつ。選民意識というものを抽象的な差別化とした場合、
社会的とかいう手前の部分で、「別の生を」という志向があるとも思います。
ブルトンらのシュルレアリスムなんかがいい例かもしれないですが、
「レアル」じゃなく「シュルレアル」を、というヴェクトルですね。
もっと高く、もっと強く、という今とは異なるものを求める意識。
>>608-609 :佃煮サン
今日はあまり時間がないので、まずは、
宿題になってたブランショ特集について近々何か書きますね。
それから、ハイデガーについて佃煮サンはどのへんの作品を読まれました?
ラクー=ラバルトのハイデガー論を最近買ったんですが、
彼はハイデガーのナチス問題について詳しく分析してるようです。
617 :
魔王 ◆TANPanX3xc :2008/10/19(日) 00:38:23 0
自分の世界が崩れそうで、
必死かよw
こんなお
とおらねぇし、
ロン!!!!
・・・8000オール。
618 :
魔王 ◆TANPanX3xc :2008/10/19(日) 00:42:50 0
「佃煮マニア 」
悪いのだが、此処も戦場なのでな?
おまえも落したいと思うのだが、
よろしいか?
深夜特急便
619 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/10/19(日) 03:26:41 0
>>615エートル・オートルさん
むしろ、選民意識が美意識を必要とする、といった場合が多いかもしれませんね。
日本では、柳宗悦らの「用の美」の発見などがあって、西洋とはまた独自の世界を
作ってますね。
620 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/10/19(日) 04:19:21 0
2ちゃんねるのAAなんかも興味深いですね。
621 :
魔王 ◆TANPanX3xc :2008/10/19(日) 09:36:58 0
『とりあえず認めておけば、相手は黙る。』
そぅいうパターンでは、堕ちない事を証明するためだけに、こうして打ち込んでみよう。
っつか、君の吐く言葉の常々が気味悪いのだが?
それを一体どうやって回避するのか。
見物ではあるなぁ・・・
(ピュアオー板のよしみで放っておいてやってるが・・・)
622 :
魔王 ◆TANPanX3xc :2008/10/19(日) 09:41:05 0
幾度でも繰り返すしかないのだが
「哲学の基本は対話」ではないよ。
勘違いもはなはだしいな・・・
ふ
「それ以上でもそれ以下でもない」というフレーズは「それ」の意味を限定して明確化するのに役立つと思ってたけど、何かおかしい気がしてきた。「それ以上」や「それ以下」は「それ」を含んじゃっているから。他にうまい言い方ありませんかね?
624 :
佃煮マニア:2008/10/19(日) 17:30:31 0
ちょっと急いでレス。数年話してきたから率直に言いますが、
エートルさん、あっちのスレの話です。
気分を悪くさせると思います。ごめんなさい。
彼女は何でも真に受けますが、
そういう娘さんをくるしめてあなたは楽しんでないですか?それともスルーしている?
例えば、一人の娘さんに麻酔をし、膿だらけにして、ガラスケースに閉じ込め続ける事が、
どれほど酷い事か、想像できますか?「ネットでだけ」だと、下手すれば惨劇になりますよ。
何の事を言っているのか、頭のいいエートルさんなら、判ってもらえると思います。
625 :
佃煮マニア:2008/10/19(日) 17:31:04 0
短パンさん
>自分の世界が崩れそうで、 必死かよw
内的世界は更新を繰り返します。アスペクト知覚は、めまぐるしく様態を変えますが、
それを同一化させている意識が、脳の中にあります。世界は崩れません。
てとこで、面前ホンイツチャンタ白發ダブ東ドラ2ツモってとこですかねw
>悪いのだが、此処も戦場なのでな?
「今度は戦争だ!」の引用は、作家が作品制作において、
構築と破壊の反復をする、という話です。「2ちゃんが戦場」でもいいですがw
この場を私は「公園」の様だと思っています。
おしゃべりしたり、かくれんぼ、プロレスごっこ、砂あそび、、、
そんなことをみんなしている“ような”印象です。
・・・ネットのリアリティって何でしょうね。
>>624 横レスだが、
そういう感じでもないんだな。おれたちは4年?くらいやってきている。
文学板で3Bを中心に長文の読書感想を交わして3スレほど続けてきた仲だ。
むかしから菜の花のド天然ぶりも変わらない。
あれを「痛い」と感じる感じ方もわかるが、あいつはいいやつだ。
むしろ最近の、平坦でそつのない、どいつもこいつも同じような顔したレスの群れ、
そのくせ自意識ばかりが際限なくふくらみ続ける2chの状況が
「変わったな、昔の方が雑多で面白かった」と言わざるをえない。
我々はメールによる交流も可能なのだが何故か掲示板の方が「話しやすい」わけさ。
われわれはそれぞれのユニークネスを尊重(リスペクト)している。
おまいもそーいうの気にしてるのを見ると、やっぱ女だなwww
ネットのリアリティとはそのような無意識的で無防備な局地的世界の露出、だな俺にとっては。
痛々しくないものは、すべてにせもの。
このスレも、いよいよ病院化してきましたねw
遠慮なさらず、本領発揮してくだされ。
>>625佃煮マニア
そうじゃないだろう?
根本的に
「哲学の基本は対話」ではないと言っているんだよ、私は。
融合なんてありえないのに、そうしてヒトをまくす事に嗚咽を禁じえないと
言っているんだよ。
佃煮マニア
解っているはずなんだが・・・・
630 :
佃煮マニア:2008/10/20(月) 21:53:32 0
前々々々々々々々々541さん
>むしろ最近の、平坦でそつのない、どいつもこいつも同じような顔したレスの群れ、
>そのくせ自意識ばかりが際限なくふくらみ続ける2chの状況が
>「変わったな、昔の方が雑多で面白かった」と言わざるをえない。
ネタスレッドが次々製本化されて、印税は全部ひろゆき氏のものになって、
一時期大騒ぎしていたようですよ。それで最近勢いが減ったんでしょうね。
ニコニコは、才能の無駄遣いって言われつつ、集団知を発揮してるようですよ。
それで、まあ痛い痛くないの話は、おいときましょう。
2ちゃんねるの利用法に差はあっても、貴賎はないんじゃないでしょうか。
天文学スレッドに私が参加しないからといって絡まれても、困りますよ。
見る見ないは私の自由でしょう。あなたのそういう所は、少し怖いです。
ちょっと感情的になってごめんなさいですが、言わざるを得ません。。。
631 :
佃煮マニア:2008/10/20(月) 21:54:09 0
>>629 短パンさん
私、最近横隔膜ビブラートを体得してはしゃいでいるんです!
嬉しくて、つい2ちゃんに書き込んでしまう・・・
>融合なんてありえないのに、そうしてヒトをまくす事に嗚咽を禁じえない
泣かれちゃうとw、(私のスレではないので、スレタイについては・・・)
でも、そうですね。議論して合意して、しかしそれはただの一時の事
じゃないか、とも思うのです。ここで合意したから、なんなのかと。
得るものもあります。情報と人の余韻です。シンプルな答えですが。
ネットが教育の場になりつつある、なんてのを先日テレビで見ましたよ。
参加者が互いに教育し合っている、というような話でした。
632 :
佃煮マニア:2008/10/20(月) 21:55:19 0
浅田さんの「ちびくろさんぼ」から色々、、、
浅田さんは、ドゥルーズの千のプラトー(あれは芸術ですが)の解説で、
「プラトーは地平。人間が情動を活発化させて脳内でぐるぐると考え、
それが狂気に追いつく程回転が加わると、当人はバターの様になる。
溶けたバターが地平の様に開ける、これがプラトーなんだ。」
と言っていますが、その「地平」は、実はただの地図じゃないですか。
全然他のプラトーとまっさらな地平をつないでいない、とも思うのです。
所詮自己満足の世界に留まっています。狂えばいいのか、という話です。
ドゥルーズは、欲望の肯定をすることだ、肯定が地平を連結させる、
と言っているのですし、狂うと易怒的、否定的になって大変なんです。
633 :
佃煮マニア:2008/10/20(月) 21:56:07 0
(つづき)
夜寝る時に夢を見ますが、この夢は覚醒時にもぽつぽつと顔を出します。
今処理している動作より動物個体として優先される未整理の欲望が、
ワーキングメモリを支配しかけるから、この状態になります。
その直後にうっかりミスをするのですが、ミスをする直前に考えていた事、
それを人と話して同調しあう事が、具体策でしょう。
それさえやれば、例えば、ネットでざっくり情操教育なんてのも可能です。
ネットで育った人が知識偏重で無機質な思考に陥ったり、逆に、
現状のネットコミュニティに根付かないものに固執して、ウェッティに
なり過ぎたりするのは、この、上に挙げた動物個体同士の同調がないからです。
634 :
佃煮マニア:2008/10/20(月) 21:57:07 0
(つづき)
いささか、この同調を言葉のみでするのは、難しいとも思います。
視覚から言語を読み取って処理するばかりでは、偏りが出ますし。
ネットの掲示板だったら、画像貼付け用のツールをページの隅に設置する、
音声入力ソフトを無料ダウンロードできる様にすれば、それは回避できます。
(マウスに、そろそろ振動機能、発熱機能が付けられてもいいと思います。)
それによって、コミュニケーションに少しだけ幅が出ます。
こんなサービスにサポートされながら、「欲望の肯定」を行なえば、
ネット上での千のプラトーも完成に近づくかと。
日常生活を体感することの方が大事ですけどねw
俺をいちいち呼ぶなよw
糞佃マニア
悪いが君なんか、
見てないぜ?
ある意味も巣少しがんばってw
魔王「機械以下だぜ」
短「うほw」
なんだこれ
>>619 :Absalomサン
>柳宗悦が見出した用の美
まだまだケツの青い人間なので
ワビサビも用の美もよくは知らず、
藤枝静男なんかが陶器について語るのも、
「ふーん」と読み流してるだけで、
白洲正子おもしろいよ、という周囲の声にも反応できず、というテイタラク。
ただウェッジウッドの陶器なんかは少し持ってて、
最近は植栽のためのテラコッタの鉢なんかはしっかり選ぶ。
とはいえ、ジョイフルホンダとかスーパービバホームの売り場の中で。。。
>>623 :考える名無しサン
>「それ以上でもそれ以下でもない」というフレーズ・・・
ふむ〜。。。数学的定義によって厳密にいえば、
確かに「ソレは、以上でも以下でもなく、イコールでもない」となるなあ。
つまり、「何ものでもない」と。
>>624 :佃煮サン
率直に言ってくれてありがとう。
ただ、当方も率直に言うけれど、うまく理解できなかった。
言えるのは、少なくとも、誰かが苦しむことを望んだことはないということ。
たとえ結果的にそうなることがないとはいえないにしても――。
生きる上で、自由にふるまうことにはおのずと限界があるけれど、
悲観的になろうと思えば際限がない。。。
それから、ブランショについては、該当スレのほうで。
まだ、チートイツ上がりのちょっとした書き込みしかしてないけれど。
あっつか
エートルオー取るというおまえ。
おぃ。
ふざけんなよ_
めちゃめちゃきもいんだけど?
これ。
佃煮マニヤよりひどいよな・・・
おぃ。
ふざけんなよ・・・
>>627 :前々々々々々々々々541サン
その名前、やけに時間の流れを感じさせるなあ(笑
>ネットのリアリティ・・・
そこに「戦争」の話も絡めてみよう。
戦争、戦い。それは現実の中で山ほどある。
だから、それに備えて憩うための場が、
人によって、家庭だったり、趣味の時間だったり、あるいは、
ネットでの時間だったりするんじゃないかな、と思う。
当方の場合、ネット上では現実のリアリティ(冗語だけど)は求めない。
女が男を演じてても、その逆でも、複数の性を演じてても、
あるいは実際に多重人格的であっても、それは「アリ」じゃないかと思う。
とはいえ、ネットは仮想空間で何もリアリティがないかというと、違う。
「別のリアリティ」が現実よりも赤裸々に見えることもあるね。
くだらない。。。
>>640-643 :TANPanサン
何か用かい? それとも何かに酔うかい?
あるいはきみ妖怪?
言いたいことがあれば、もじもじしないで伝えなきゃね。
きもw
私も好きじゃないな。エートルさんの書き込み。
素直な人じゃないなって直感的に感じる。
ごめんね。
俺、
佃煮マニアと話がしたいんだよね?
エートル・オートル
君 、また別じゃないのw
どうなのだw
>>632-634 :佃煮サン
>ドゥルーズの千のプラトー(あれは芸術ですが)・・・
>浅田さんの「ちびくろさんぼ」・・・
浅田はドゥルーズの思想をチャート化してしまったけれど、
アンチ・オイディプス、千のプラトーは確かに
もはや哲学という呼称がためらわれるほど芸術的だと思いますね。
そういうドゥルーズの「芸術的哲学」は、70年代以前にも、
差異と反復、意味の論理学にもその萌芽を見出せるように感じていて、
そういう面はフーコーにもデリダにもなかったものだと思うね。
>>648 :考える名無しサン
>素直な人じゃないなって直感的に感じる。ごめんね。
いやいや、いいですよ(笑
自分でも自分を素直だと思ったことがないから。
>>649 :TANPanサン
>君 、また別じゃないのw どうなのだw
「どうなのだ」と言われてもねえ(笑
何とは別なのかを書かなきゃ。
それから、対話を融合と考えているのはまだ浅いよ。
対話はすれ違いと摩擦と誤解を含むものだから。
哲学の基本は対話ではない、という主張。おおいに結構。
でもそのフレーズを繰り返すだけじゃ何も伝わらない。
哲学の基本は○○なんだよ、哲学とは○○だ、
という別の主張をぶつけてみなきゃね。
おっと、タイムオーバー。じゃあまた。
哲学の基本は対話ではない、
ふざけんなよw
哲学の基本は本気
どうかな?
ホラホラ、ぼそぼそ物陰でつぶやいてないで、
自分の主張を、ハッキリ、明快な言葉でぶつけてごらん。
誰も取って喰ったりはしないから(笑
いいかい? あえて断言させてもらうよ。
哲学の基本、のみならず、人間の営為の基本、
それは対話である、と。
びろ〜ん♪
657 :
◆TANPanX3xc :2008/10/22(水) 02:13:44 0
めっけ
659 :
◆TANPanX3xc :2008/10/22(水) 03:08:11 0
めっかちゃたw
まあプラトン哲学は仮想対話ですね。
ソクラテス本人はどうなんでしょうか。よくわかりませんが、
ソクラテスを死に導いた対話は自分が本当に一番賢い人なのかどうか調べるための生体実験だったわけでしょう。
ソクラテスは哲学者といわれますからその取り調べは哲学なんでしょうけど。
ではタレスなどの初期ギリシャ哲学者は哲学的思考を対話を通じて行ったのでしょうか? そうは思えませんが。
まあフィロソフィアなんていう名前は後付けですから、初期の哲学者は哲学の道は対話にあるなどという言葉は残しようもないですけどね。
哲学の基本はやはりフィロソフィアという名前どおりで知を愛することなのではないでしょうか?
対話ばかりで哲学をしていたといえそうな哲学者はプラトンの描くソクラテスぐらいではないでしょうか?
ほとんどの哲学者は基本と主張される対話を疎かにしている。
もちろん仮想対話はしているでしょうけど。
自分で問い、自分で考えて答えようとするわけですから。
そうすることで思考は自ずと展開されていく。
しかし他人との対話では思考を自ずと展開させることはできない。
むしろ思考の流れは止まり、過去の思考の流れの軌跡を辿ることになります。
説明になる。
>対話ばかりで哲学をしていたといえそうな哲学者はプラトンの描くソクラテスぐらいではないでしょうか?
そうだね。
ソクラテスも実際は対話ばかりしてたわけじゃないだろうwww
ギリシャ人が最も尊んだのはテオリアらしいから・・・
他者との対話は基本的に説明になるのでして、知を探求する哲学というよりは、
人肌を恋する社交になると思いますね。
(僕は「哲学カフェ」というのを聞いたことがありますが…。
なるほどマスターは孤独について考えていると、どうせ死ぬ、死が怖いと思ってしまうのでしょう。
たしかに孤独は死に瀕した状態ですね。)
説明ではなくて知を探求するための他者との対話も可能ですがそれは断罪されがちでしょうね。
人の心には閻魔さまが住んでいたりするわけですからね。ねえ短パンさま?
>>661 > そうだね。
> ソクラテスも実際は対話ばかりしてたわけじゃないだろうwww
そうでしょうね。
たしか長いこと突っ立ってたという記録がありました。
> ギリシャ人が最も尊んだのはテオリアらしいから・・・
…テオリアって何ですか?
そうですね、ぐぐります。
ググれカス…
テオリアぐぐりました。
勢い哲学の基本はむしろギリシャ語であると思ってしまいました。
ハイデガーなんかが語源にこだわるのもわかる気がします。
ギリシャ語の単語を学ぶだけでもいわば視野が広がるでしょうね。
説明するように語らないと通じにくいんですよね。
説明でなければ他人にだけでなく未来の自分にさえも通じにくくなると思います。
しかし哲学的思考というのが、そういえば、ドゥルーズは人は知の突端でのみ書くと書いてましたが、
己の知の突端において未知へと闇を切り開いていく思考だとすれば、
こうゆう思考は闇の中を探り歩く試行錯誤なんであり、普通説明にはならず、
語ったとしてもそれは他人にはわけのわからないものになりがちでしょう。
書くということは、いわば未知の地を歩みながらを作成する地図といえるでしょう。
プラトンやガリレオの仮想対話は、地図として丁寧で詳細なものです。
読者が間違うことを想定してあります。
このような仮想対話スタイルというのは、間違いやすく、忘れがちな人にとってはためになるものでしょう。
僕はプラトンを読み返してプラトンスタイルをパクリとしたいと思いますね。
(((゜д゜;)))
いけない、ソクラテスとガリレオは断罪されましたし、
わかりやすいスタイルで語ったり書くほど、
わかってしまうことで強い衝撃を受ける人たちが出てくるんですね…
痛みのあまり閻魔さまを召還されてしまうという危険を招くわけです。
いやはや、わかりやすさを安全圏内に調節しなければ、殺されかねませんよ。
自分の言葉で語れなどといいますが、
できるだけ引用して無知蒙昧かつ身勝手に責任や罪を押し付けられないようにすべきだともいえます。
667 :
佃煮マニア:2008/10/22(水) 15:52:10 0
>>636 短パンさん
ま〜た始まった。機械さんといい短パンさんといい、
色々工作してるようですが、好きですね、ほんとに。
あなたのは、被害妄想なんですよ。考え過ぎです。
運動して、ぬるめのお風呂にただ浸かって、二時間位
ぼ〜っとした方が良いですよ。汗をかいてください。
>>638 エートルさん
テラコッタも苔が入り込んだりすると、味が出ますけど、
よごしが入って重み、風格、可憐さが華の骨董品なんかより、
エートルさんはきっと、プレーンなものが好きなんでしょう。
用の美も、柳が取り上げる以前はそういうものだったんだし。
息子がやってる天童木工はその中間で、大好きですよ、私。
ガシガシに使いこまれたバタフライチェアとか、いいかもです^^
668 :
佃煮マニア:2008/10/22(水) 15:53:12 0
>>640 エートルさん
似た様な経験は私にもあって、壮絶なハッピーエンドでした。
喜劇と悲劇は裏と表で、どちらかが突っ走れば、必ずもう一方が
ヒタヒタと足を忍ばせて追いつこうとします。。。
初期状態では、ふたつが混沌としながら調和を保っていたものも、
悲喜劇が分離した後のふたつの融合は、、、狂気になります。
でも、それはとても素敵な狂気です!
それから、種明かしをします。率直に。エートルさん、ごめんなさい。
少し前から、遊びにくる友人と一緒にパソコンで哲板を見てたんです。
向こうのスレの、菜の花さんが面白いという話をして、そのあと、
対話スレ周辺を全部読んで。話題契機になるものが多かったです。
後、「人をびっくりさせつづけるとどうなるか」で盛り上がってました。
で、夏、rom者というコテで、ゲラゲラ笑いながら書き込んだりして。
今回のも友人と私がやってました。女発言したり、写真貼ったり。
他色々・・・。結果、「人をびっくりさせ続けると、怒りながら笑う」
という事のようで。。。菜の花さんが、対話スレの内容について自スレに
持ち帰って練ってる様なので、引いてしまった、というのが発端です。
もう、やめときます。(一応、私はコテの共有はrom者だけですよ。)
669 :
佃煮マニア:2008/10/22(水) 15:53:49 0
>>650 エートルさん
浅田さんは、分かりやすさを優先しているのかな。大事な事ですよね。
デリダは、自分の哲学を日常に移して欲しい、と言っていたようで、
特にジェンダー問題については、その辺で積極的だったようですね。
日常的に話してみましょうか。
例えば、「コーラ」=入れ物、場で、人は性のエレメントの入れ物とすると、
カルバン・クラインは、サイズ展開の豊富さ、中性性が特徴的だったりして、
デリダの理念と合致する部分がありますね。絶妙な、「入れ物の入れ物」
を作っています。そして、外部との境界には「鏡面」があって、私たちは、
入れ子構造になった世界でひしめき合いながらその鏡を見て、楽しむんです。
それで、ハイデガーのは、角川文庫の「存在と時間」「ヒューマニズムについて」
あと誰だかのハイデガー入門、ネットのコラムとハイデガースレでの会話、を
参考にしてみました。平凡社のはどういう感じなんですか?
670 :
佃煮マニア:2008/10/22(水) 15:55:54 0
ネットのリアリティのこと。
別の現実は、そこに「お約束」が出来ているから出現するんでしょう。
お約束にどっぷり浸かった交流をして、相手を実際間近にすると、
まるで他の人に接している様に感じたり。
(ネットだけで直接の交流を避けるのは、鬱病的な態度と言えます。)
「リアルとネット」という分け方を、最近はしなくなりましたが、実際
その感覚を持っている人は多く、ネット=覚醒夢、だから万能感を得る、
それで誘発される様々な場面があります。ここは、実験場ではありますね。
類型化された夢の形態はあります。それに沿ってネットは深化するでしょう。
ネットに、さまざまな情動の、実体的な姿が写し出されています。
そして、それらが絡み合っていて、今、面白い状態にありますよね。
憂慮すべき事態はまま起きても、規制を激しくしすぎない方がいいです。
>>660以降は次で考えます。
671 :
菜の花 ◆qS5Y1mPhJ2 :2008/10/22(水) 17:44:27 O
今までありがとうございました
2ちゃんねるを去ります
さようなら…
ワケワカンネ
>>660 >自分で問い、自分で考えて答えようとするわけですから。
>しかし他人との対話では思考を自ずと展開させることはできない。
「対話」を狭義で考えればそうなるかもしれませんね。
しかしながら、「仮想対話」という言葉が書かれているように、
「対話」はどこまでも広げられる包容力のある概念だと思うんですね。
自分で問い、自分で考える。でも「自分だけで」考えているつもりでも、
そこには「他者」の言葉、思考が介在している。
そこには、直接的対話ではなくても間接的対話がある、という意見です。
そういうコンテクストで「対話」という概念を再定義しなおすことで、
(ドゥルーズ流にいえば、概念を創造すること、ですね)
言葉を使う営為には、常にベースに「対話」がある、といえるのではないでしょうか。
>>664 >ハイデガーなんかが語源にこだわるのもわかる気がします。
ハイデガーは言葉の語源を遡りながら、ギリシア語を通して、
ギリシア人たちと対話をしていたといえるでしょう。
>>665 >ドゥルーズは人は知の突端でのみ書くと書いてましたが・・・
書いてましたね。そう、だからドゥルーズの哲学は芸術的哲学なのです。
非知に接した知の突端、自分でも確かに理解しがたい領域、
そこでこそ、ドゥルーズは「書く」のでしょう。
ドゥルーズはガタリとの対話によって斬新な哲学をもたらしましたが、
わかりあった相手とわかりあった内容の言葉を交すのことは対話じゃない。
もしそうであれば、対話をする必要さえないともいえる。
未知の部分をもつ相手との対話によって、自分のうちに新しい何かを見出すこと、
そのためにこそ対話がある。だから、対話にはノイズと不協和音は付き物です。
>>668:佃煮サン
>エートルさん、ごめんなさい。
当方にはまったく謝る必要はないですよ。
前にも書いたように、匿名BBSではかなりのことが「アリ」だと思ってるから。
名前を使い分けることも、誰かと共有することも自由だと思うし。
ただ、純朴な人に対して、そういう書き方をするのは、個人的には好きじゃないですね。
当人に対して直接言うのではなく、またレス内容について言うのでもなければ尚更。
676 :
全然541:2008/10/23(木) 01:24:11 0
エートルかっこいいぞ、おまいwww
>>671 ま、あわてないでもうちょっと見てなよww
これから面白くなるかも知れないぜww
>>630 このくらいで怖がってるようじゃなあw
おれが聞きたいのはその論理的破綻の度合いを急激に深めているむりやりなトピックじゃなくて、
なにを欲望しているのか、あるいはなにを欲望していると自分で思いこんでいるのか、
何人かで(3人以上?1人?どーでもいーしwww)、何重にも張り巡らされた
(今2から読み返してみたんだよww)言葉のベールをめくったところで、
中になんかあんのか?というところなんだが…
まあなるべく短めにちょっと書いてみてよwwwwwwwww
>エートルさん
間接的な対話という意味なんでしたら、
哲学の特徴を示すものではないですが、
無論、哲学の基本といえますね。
多分短ぱんさんも納得するでしょう。
678 :
佃煮マニア:2008/10/23(木) 18:27:05 0
>>660 哲学は、知的探求ですが、それは同時に、遊びでもあります。
境界線へと突き進んで、その前で一度ためらい、よく観察、
理解して飛び越える、または他の経路を探す、などなど、
哲学をしていると、そんな状況に出会います。
それはとても孤独で、楽しい事です。夢中になります。
対話があると、その探求に丸みと奥行きが増す、とも言えます。
>>662 人肌が恋しい部分が、自分にもあるのかどうか、それを対話に求めているのか、
かなり微妙な所ではあります。
ぬくもり感は、ここが教育の現場だとすると必要なものじゃないですか?
道程で閻魔様が出現する対話は、それこそ哲学と思えます。ねえ短パン様?w
>>665 哲学とは、世界の描写でしょう。つまり説明です。
一人の説明では、なかなか明証性があやしいものでも、
そこに他者が介在する事で、審議され、より普遍性が強化される、
そう思いませんか?
仏教では、仮想対話は奢りが出るので悪徳としていますよね。
確かにプラトンは、色々批判的な人間じゃないですか。
ざっとまとめて説明するだけの哲学より、芸術の方が知的探求してます。
芸術の分からない人間に、哲学を主張する権利はあるんでしょうか!
なーんて。プラトンは、自身が文学者でもありますね^^
679 :
佃煮マニア:2008/10/23(木) 18:27:55 0
>>673 エートルさん
離人症という病気がありますが、
離人症の彼らは、私性の“体感”を得られず、
“概念”のみで「私」を捉えてしまいます。
だから、どこまでが私なのかわからず、四苦八苦するようです。
その四苦八苦の裏に、超越性があると、私は思っています。
哲学的思考とは、離人体験であるとも言えますね。しかし、
それは、私性の消失、飛散、の模擬体験でしかありません。
>>674 エートルさん
ドゥルーズの意見にはほぼ同意ですが、
身体性とは、各個人で一致する事はありません。
「わかりあったことをわかりあう」とはいかほどのことなのか、
まだ疑問が残ります。その思考が、何から組成されているのか、
そこまで遡ってわかりあうことが大切ですが、難しいです。
読心術は、他者の思考をモデル化しつつ理解するスキルですが、
これでも、思考の1/3を把握できるに留まるんです。
例えば、このスキルのある人が対話において、
残りの2/3への不理解を埋めようとするなら、感情で埋める事になります。
680 :
全然541:2008/10/23(木) 23:20:16 0
>>676のレスをむこうに書いてどうすんだよww
流れがわからなくなるだろw
とりあえずここに貼っておくからなwwwww
369 名前:佃煮マニア 投稿日:2008/10/23(木) 18:41:09
対話スレ
>>676 541さん
541さんの話は意味がわかりません。内的論理を読み取って欲しいですか?
かろうじて読める「論理破綻」と言えば、
対話スレ
>>675 エートルさん
対話スレの内容をそのまま別場所で何の承諾もなく使い回している、
人権侵害だ、でもその人は「純朴キャラ」だから許すべきだ、
責めるのはおかしい、あなたの言ってるのはそういう事ですよ?
「キャラ」があれば何をやってもいい、と言ってるんでしょうか。
完全に間違いですが、あなたはそれを正義だと思い込んでいます。
基本ルールより「キャラ」が優先されれば、不潔な状況を呼びます。
菜の花さんのレスを見て、私は身の毛がよだち、傷つきました。
エートルさんも事情を知っていながら傍観して、私を傷つけました。
(しかし、あなた方は謝る気など毛頭ないんでしょう。
自作自演が悪いというくだらない次元に落として責めるばかりで。)
一言でいいから、謝って欲しいものです。誰かさんの様にね。
681 :
全然541:2008/10/23(木) 23:23:26 0
菜の花だって一番最近現れたのはこっちだろwww
これも貼っておいてやるよwww
礼はいらんwwwww
370 名前:佃煮マニア 投稿日:2008/10/23(木) 18:41:39
菜の花さん
菜の花さん、あなたに話が通じるか分かりませんが、
「どんな最低な人が、ここを見ているかも分からないもんだ、
ネットなんて本当に好き放題書けるからこういう輩が出る、
多分対話スレの話題についてけないからやってるんだろう、
君子危うきに近寄らず、または別の手段、法で裁く事も出来る」
今、私と知り合いは↑こういう話をしています。あなたの事ですよ。
検察官上がりの弁護士に相談中です。具体的な話はここには書けません。
あなたを憎んではいないから、笑い事で済ます用意も、あります。
どっちを選びますか?
人は、そう簡単に変われるものじゃありません。言っても無駄とは思いますが、
基本的なルールもわからないあなたは、ネットから当分離れた方がいいです。
682 :
全然541:2008/10/23(木) 23:32:21 0
さ、て、と、(タメイキ)、ほんとめんどくさいなwww
>>680 >>676では論理破綻はどうでもいいと言っているの。よく読んでみて。
あなたは何を欲望してるの?って聞いてるの。
なにを欲望したがために、そんな有様になっちゃってんの?って。
それをなるべく短めに書いてって言ってるの。わかる?
お前ら帰れよ
どこの話か知らんけど
684 :
考える名無しちん:2008/10/24(金) 15:53:35 0
毎度こういうコミュニケーションによって人間の価値が高まる
みたいな議論を見るたび思うんだが…
そういう人たちにとってやっぱ明石家さんまが最強なんだよね?
みんな彼みたいになりたいんだよね?
最強?
たしかにさんま大先生がときおり見せる引きつった笑い、
死んだような目には、ゾクゾクっとしますね。
菜の花サン、もう少し待って。
>>679 :佃煮サン
まずは、もっとリアリティのあるトピックを考えてみてください。
たとえば、
>>680で引用されている文章で「人権侵害」とあります。
誰が誰の人権をどのように侵害したのか、よくわかりませんね。
また、「自作自演が悪い」と当方が書いたこともないですね。
むしろ、ネットでは、異性を演じることも「アリ」、
多重人格的にふるまうことも「アリ」、だと書いたのですよ。
しかも、これらの言葉は、特定の人間に対しての言葉ではなかったのですが。
>>630で
>あなたのそういう所は、少し怖いです。
と全然541氏に対して書いてますが、
彼は、逃げや誤魔化しを行う人間に対しては辛辣ですが、
誠実な人間に対してはやさしい人ですよ。
自分次第で怖がらなくてもよくなります。
688 :
佃煮マニア:2008/10/25(土) 15:04:31 0
>>684 さんまと松っちゃんのコラボなんて見てみたいですね。
今、欲望について考えているんですが、、、、今回の事も合わせて、色々、色々。
志村けんと優香が結婚、優香は妊娠4ヶ月というニュースを友人から聞き、
ショックのあまり大声を上げてしまったのですがw ネタだった様です。。。
志村けんも松っちゃんも、結婚しない主義なんですよね。
松っちゃんは、一人安堵の中で思索するため帰途を急ぐ家に
明かりがともって「待たれている」恐怖について述べました。
「待つ」という欲望が、何を波及させるか。とてもシリアスです・・・!
689 :
佃煮マニア:2008/10/25(土) 15:05:24 0
菜の花さん
また2ちゃんねるで殺人予告があったようですよ。
ネットの話をしていればこれです。
菜の花さん、自分の頭の固さ、敵意や排他性をどう思いますか?
ここは、今のあなたには、刺激が強すぎる場所のようですね。
おまけにあなたはネット依存でしょう。悪循環です。
すでに犯罪者予備軍になっているんだから、危機感を持って下さい。
2ちゃんねるから逃げた方が得策です。これは、マジレスですよ。
690 :
佃煮マニア:2008/10/25(土) 15:06:14 0
エートルさん
ちょっとナーバスになっているようですね。。。きっと。
時間をおきつつ話した方が良さそうです。
いくつかの質問についてのレスはもう書きましたから。私も抜けてました。
前541さんは発狂中かな。説得されても、こわいです!
なまはげみたい〜
>>690 :佃煮サン
>ちょっとナーバスになっているようですね。。。きっと。
そう、いささかナーバスになってるようなんですよ。
というのも、これまで「懐が深い」と見えていた佃煮サンが
>>689で見せている特定の人に対する嫌悪感に近いもの、
それがまったく解せないから。
それが気になって他のトピックに気が向かないわけです。
どんな人にも対話の姿勢を取れていたかに見えた佃煮サンが、
菜の花サンや全然541サンには拒絶反応を見せている。
その理由がわからなくてナーバスになってしまう。
二人とも当方が好きな対話相手だから。
>>680で引用されている「人権侵害」がもしあるとして、
誰が一体あなたの人権をどのように侵害したのかな?
692 :
佃煮マニア:2008/10/26(日) 21:54:43 0
哲学的トピックの前に、私からの菜の花さんの印象など書いときます。
一応、私は統合失調症じゃないです。検査して分かっています。
まず、菜の花さんは「こころはいつもラムネ色」というスレでシリウス名義で
露骨な日記を自己演出たっぷりに書き、「天文学って文学じゃね?」
というスレッドで菜の花名義で作家やコテハンの二次制作をしている、
いわゆる腐女子です。ネタ元として対話スレをかなり意識してます。
ほかにも色々、2ちゃんねる内を探しまくってる事でしょう。
例えば、対話スレで私は、「ゲイの友人との友情と中村中」、
「ニーチェとメーテルリンク」などの事を、会話を通じてしましたが、
私が書いた時期より少し遅れて、
菜の花さんはまったく同様の書き込みをしています。誇張気味に。
これは、一応フィクションではありますが、一般に、なりすましと
呼べる手口で、名誉毀損、著作権の侵害になります。
その事を指摘しても、逆ギレするだけです、浅ましい根性ですね。
693 :
佃煮マニア:2008/10/26(日) 21:55:17 0
それに、菜の花さんの自演臭は半端じゃないです。
いつもは閑散としている天文学スレ対話スレに、
菜の花(184)さんの反対意見者が出ると、
とたんに名無し書き込みが反対意見者の罵倒をし始めますが、
そのどれもキャラクターが似通い、また精神年齢レベルから言って
文学板、哲学板よりはるかに下、そして菜の花さんとほぼ一緒。
蓋然性から言って、彼女の自演と言えるでしょう。
対話スレ8月あたり、また最近の天文学スレッドから参考にしました。
試しに私も、今年の夏、それから今月、自演というものをやってみたのです。
哲学板、文学板では自演なんて殆どスルーですが、
なぜか対話スレ、天文学スレだけでは、過剰反応する名無し書き込みが多く、
そして、天文学スレッドで「菜の花の自演」と書いた途端、スレストップです。
吐き気がする様な自演合戦でして、私はもう本当にうんざりですが、
どうなんでしょう。いつも自演してるのは、彼女じゃないですか?
それが楽しくてしょうがないようです。2ちゃん依存なんでしょう。
対話スレでニーチェの話題が出た時に、だいぶスレが荒れましたが、
この時自演で荒らして、私に疑いをかけたのも彼女でしょう。最低ですね。
694 :
佃煮マニア:2008/10/26(日) 21:57:48 0
695 :
佃煮マニア:2008/10/26(日) 21:58:30 0
こわいんです。今まで2ちゃんでこんなに危険を感じた事はありませんでした。
警察の人もガッテンして、いま彼女のネット利用状況を追跡している所です。
ネット上の犯罪に関して、法は未整備ですが、裁判は可能です。
賠償額は893万円を設定しています。
具体策を弁護士、パソコンのパワーユーザーと相談中です。
・ ・・実際の人格とネット上のキャラは、必ずしも一致しません。
彼女は純朴、清楚と自分のイメージを設定、演出していますが、
実際やる事は成り済まし、自演、誹謗中傷と、実に下衆です。
それでもやっぱり自分は可憐な少女でいたいようです。いい年なのに。
ナチュラル系の人って、生活の楽しさを追求する事ばっかり考えてるもので、
狭いコミュでナルシスティックに自分語り、2ちゃんで私怨つのらせるなんて
間違ってもしないんですが、当人はナチュラル系のつもりです。痛いです。
少しでもこのイメージが揺るがされると、逆ギレして敵意を溜め込みます。
それが生活で解消される事はなく、「2ちゃんねる」という場に固執します。
なぜか、固定ハンドルへの執着心が異常に強いようですね。意味不明です。
2ちゃんを眺め、固定ハンドルに対する妄想を膨らませ、二次制作に落とす。
固定本人とも、妄想の中から話しているようです。だから、自然に話せません。
ギクシャクした会話、妄想の実現不可能性でストレスが溜まっていくようで、
毎回、溜めて溜めて、、、爆発、というパターンが出来ていますが、
これは、犯罪者とほぼ同じ心理パターンで、
彼女は、非常に危険な人物と言えるでしょう。
696 :
佃煮マニア:2008/10/26(日) 21:59:15 0
生活板で噂を聞き、中二病を探しに哲板に来て、対話スレを覗いた時から、
独特のムードは感じ取っていましたが、コテさんが魅力的でした。それで、
当初中二病をおちょくるつもりだったのが、哲学のとりこになりました。
しかし時が進む程、私の中の警報ブザーが、大きくなっていったのです。
警報が鳴るのはなぜだったのか。それは彼女の存在のためだったんです。
コテ同士のしがらみなんて本当はどうでもいい。私哲学がしたい。
それだけだったのにね。何なんでしょう。嫌な感じです。
彼女にはさんざん嫌がらせ、ストーキング行為をされました。
他のコテにも同じ様な事をしてるんでしょうか。不気味です。
そのうち、ヘヴィ2ちゃんねらーの気分のまま外に飛び出して、
例えば私を刺すなんて可能性も、なきにしもあらずです。
非常に、危険な人物です。非常にね。。。
犯罪者予備軍の菜の花さんは、早く2ちゃんねるから卒業して欲しい。
関わりたくない。勘弁してくださいm(_ _)m
ざっとまとめて、こんな感じです。
697 :
佃煮マニア:2008/10/26(日) 22:00:28 0
>>687 エートルさん
>まずは、もっとリアリティのあるトピックを考えてみてください。
エートルさんにとっては精神医学は、好みじゃないかもですね。
哲学と精神医学は、切っても切れない関係だとは、思いますよ。
じゃあ例えば、今回の事を例に取るとして、
>>682も踏まえると、
2ちゃんねるの妙なスレッド、こう言っては悪いけれども
「糞だらけの巣穴」に首を突っ込んで私は、「くっさぁ!」と
騒いでいる、嫌なら見なきゃいいのにね。それでも、
巣穴から一匹の動物に、糞を引っ掛けられたからには、
私も一個の「人間」という、動物の習性として、
服の汚れを取り、臭いのもとをたどり、発見して、
「糞だらけの巣穴」を掃除する欲望に動かされる・・・
そういう事になるでしょう。
これは、ハイデガーの「動物としての人間存在」という問題にも
関わってくる様に思えますが、、どうでしょう。
>>692-697 :佃煮サン
丁寧に率直に書いてもらってどうもありがとう。
今日はあまり時間がないので、ゆっくり読みたいと思いますが、
ひとつふたつだけレスしますね。
佃煮サンが今日書き込んでいる内容については、
佃煮サンも「蓋然性から言って」と書いているように、
推測が多いです。こういうBBSではそうならざるを得ませんね。
佃煮サンも自分の推測を断定しているわけではなく、
>どうなんでしょう。いつも自演してるのは、彼女じゃないですか?
と佃煮サンも自分の推測を断定しているわけではなく、疑問形で書いていますね。
だから、推測を断定に近づけるのではなく、可能性のままにしておかなくては。
(つづきです)
佃煮サン、可能性ということでいえば、名無しの煽りレスのすべては、
このエートル・オートルがしていた、という可能性だってあります。
しかし、名無しから煽られることは、どの板でもどのスレでもよくあって、
最近はほとんど少なくなったけど、当方もよくここでも受けましたね。
菜の花サンもよく煽りを受けるBBSの被害者でもあります。
当方の場合はある程度適当にあしらうスキルをもってたけれど、
菜の花サンは気が弱いので、真面目に対応してしまうことがしばしば。
それで、当方もしばしば弁護に回ることもあります。全然541氏もそうです。
こういうBBSでは、攻撃する人もいればその反対の人もいます。
攻撃を受けやすい人は弁護も受けやすい、ということがあるのです。
もしも、佃煮サンが菜の花サンに向けている推測が、
まったくの取り越し苦労だったとしたら、どうしますか?
その場合は、佃煮サンは菜の花サンを攻撃していることになるのですよ。
その可能性もあるのです。
哲学には「疑う」という力があります。
自分の思い込みを疑ってみること、これも哲学的行為です。
まず、推測を事実として断定してしまわないこと。それが大切です。
クサンチッペ
701 :
啓蒙社:2008/10/27(月) 10:58:27 0
哲学とは・・対話です、印度哲学のウパニシャドによると師弟が互いに対座して伝授する
奥儀は200種以上有るとされている。サーンキヤ派は○○の二元論・・ニヤーヤ派はニヤニヤ笑って
多数から成る複合説××・・ヴァイシェーシカ派は9種17種の△△を説く・・
と言う、問答集に対話しましょう・・
http://www.keimousha.com へ
構ってちゃんばかりで無益なスレですね
類は友を呼ぶといいますが、ネット上では、病人が病人を呼びます。
ネットではなぜかこういう光景をたくさん目にします。
なぜなんでしょうね。前から不思議に思っていたんですが。
(女性にはこういう傾向がある人がけっこういるような気がするので、
それを「異常」とか「病気」とは言い切れないのかも知れないけれど、
被害妄想であることはたぶん間違いないですよね・・ 「私を刺す」って・・・)
(バトルにはならなかったみたいだけれど佃煮マニアさんはカオルさんにも
絡んでますね。なんでわざわざ病んだ人のところに出かけていくのか不思議です・・)
(あ、私は菜の花さんのことは知らないです。「病人」と書いたのは菜の花さんのことを
知らないで書いたことですから・・)
728 :純一 ◆QzuB1xeuck :2008/04/15(火) 20:09:54 0
まあ、恐らく
>>715>>716あたりの佃煮マニアはポールの別コテだと思いますが、
ポールは何でもかんでも風俗に接続するしか能がない。
我々にとっては、性的なものはメタなものであり、
なるほど、ポールにとっては性的な話題をすれば、それは
メタな話題になる、というのは一般的な感覚であり、
別に大した事ではありません。
残り後半は、寺山という『権威としての商品』を出して、
権威がこう言ってる、だから純一の説は崩れた、
というだけの事です。
729 :純一 ◆QzuB1xeuck :2008/04/15(火) 20:12:59 0
子供が恐らく一番最初に覚えるギャグは下品な下ネタではないか
思いますが、ギャグで一番単純なのは、下ネタです。
ポールは下ネタ=メタという感覚があり、
もう少し分かりやすく言えば、下ネタ=裏モノという感覚で
喋っているので、下ネタを入れれば、それはメタになっている
と思い込んでいるのです。
そして、寺山という権威の商品がこう言ってるのだから、
こうだというのは、単純に権威にすがるというだけの話で、
ポールの思考形式を単純にまとめる事が出来ます。
730 :純一 ◆QzuB1xeuck :2008/04/15(火) 20:16:02 0
つまり、
>>714-716のポールの思考形式を単純にまとめると、
エロ=裏(メタ)
権威=ファッション(雰囲気)
という程度の事で、これは一般人を構成している意識です。
誰もかれも、下ネタを交えれば通常の人は笑いをとれるし、
また、権威に逆らうものは誰もいない。
しかしながら、一般人、あるいはこの、
エロ=裏(メタ)
権威=ファッション(雰囲気)
を強調しさえすればメタだと思い込んでいるポールやぴかぁ〜は
結局、現実世界では下衆というカテゴリーで括られるのです。
それは当たり前の事で、ポールみたく風俗ばかり行ってりゃ下衆になりますし、
ぴかぁ〜の様に何となくの雰囲気にあわせて幾らでも媚を売れるのなら、
下衆にしかならん訳ですからね。
しかしながら、当のポールやぴかぁ〜は、
『わしらは一般人とは違う!メタなんや!』と言う訳です。
しかし、我々から見るとそれはやはり下衆行為の正当化でしかない訳です。
732 :純一 ◆QzuB1xeuck :2008/04/15(火) 20:23:30 0
>>714-
>>716のこのポールの言葉は、
こちらがエロパートで、
>で、覗きという「下衆」な行為の中に、芸術の結晶という目的を秘めていた点
>さらに、自身を女性として対象化し直し、警察の追跡を内在化によって愛にまで昇華した点は
>下衆だと言えるのか?
こちらが権威パートですね。
>話はちょっと変わる。
>寺山修司は戯曲のために、それから性的な満足も得たかったんだろう、
>あちこちの家族の家を覗いて、痴漢で逮捕された事があるんだそうだ。
>つかまった瞬間でさえ、自分が捉えられるはかない女性のように感じて、射精寸前だった。
>この逮捕劇を寺山側からくくると、恋物語であったはずだ。
733 :純一 ◆QzuB1xeuck :2008/04/15(火) 20:26:32 0
>>732を更に単純化すると、
>で、覗きという「下衆」な行為の中に、芸術の結晶という目的を秘めていた点
>さらに、自身を女性として対象化し直し、警察の追跡を内在化によって愛にまで昇華した点は
>下衆だと言えるのか?
つまり、『エロはメタ(裏)だ』とポールは言う、
>話はちょっと変わる。
>寺山修司は戯曲のために、それから性的な満足も得たかったんだろう、
>あちこちの家族の家を覗いて、痴漢で逮捕された事があるんだそうだ。
>つかまった瞬間でさえ、自分が捉えられるはかない女性のように感じて、射精寸前だった。
>この逮捕劇を寺山側からくくると、恋物語であったはずだ。
つまり、ポールは『偉い人がこう言ってます』と言う。
734 :純一 ◆QzuB1xeuck :2008/04/15(火) 20:28:24 0
これはつまり、こういう事です。
『自分で考えた事もなく、雰囲気的に哲学書を買って、
哲学者になったつもりでいるポールやぴかぁ〜にとって、
いざ、対話という段階になると、エロを出してメタになったつもりか、
どこかで聞き覚えのある偉人の言葉をパクって哲学風にするしか能がなくなる』
という事なのでしょう。
728 :純一 ◆QzuB1xeuck :2008/04/15(火) 20:09:54 0
まあ、恐らく
>>715>>716あたりの佃煮マニアはポールの別コテだと思いますが、
ポールは何でもかんでも風俗に接続するしか能がない。
我々にとっては、性的なものはメタなものであり、
なるほど、ポールにとっては性的な話題をすれば、それは
メタな話題になる、というのは一般的な感覚であり、
別に大した事ではありません。
残り後半は、寺山という『権威としての商品』を出して、
権威がこう言ってる、だから純一の説は崩れた、
というだけの事です。
729 :純一 ◆QzuB1xeuck :2008/04/15(火) 20:12:59 0
子供が恐らく一番最初に覚えるギャグは下品な下ネタではないか
思いますが、ギャグで一番単純なのは、下ネタです。
ポールは下ネタ=メタという感覚があり、
もう少し分かりやすく言えば、下ネタ=裏モノという感覚で
喋っているので、下ネタを入れれば、それはメタになっている
と思い込んでいるのです。
そして、寺山という権威の商品がこう言ってるのだから、
こうだというのは、単純に権威にすがるというだけの話で、
ポールの思考形式を単純にまとめる事が出来ます。
>>703 >類は友を呼ぶといいますが、ネット上では、病人が病人を呼びます。
>ネットではなぜかこういう光景をたくさん目にします。
>なぜなんでしょうね。前から不思議に思っていたんですが。
掲示板やチャットの常連になっている人は、心が病んでいる人の
比率が高い、という単純な理由ではないだろうか。
文学板「尾崎翠」スレに対する佃煮マニアのAA攻撃
376 名前:吾輩は名無しである メェル:sage 投稿日:2008/10/23(木) 01:02:37
ノ } ゙l、 」′ .,/′ .,ノ _,,y
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それに対する住人の反応
377 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2008/10/23(木) 01:14:03
おいAA貼ってる奴、おまえキモイ奴だなあ。
女と付き合ったことがないのか? おい!
378 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2008/10/23(木) 01:15:25
しかもこいつsageでAA貼ってるぜwww
379 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2008/10/23(木) 01:17:26
小心者の粘着気質は救いようがない
380 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2008/10/23(木) 01:21:53
AA野郎、このスレにいる女性が気になってしょうがないんだろ?
そしてこうしてAAを貼ることでしか、その歪んだ愛を表現できないんだな。
あまえリアルでストーカーになんなよwww
381 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2008/10/23(木) 01:26:08
社会のため、おまえのために、通報しといてやろか?
382 名前:吾輩は名無しである メェル:sage 投稿日:2008/10/24(金) 00:38:17
ネットに限らずリアルでもそうだけど、好きな相手に
振り向いてもらえない奴が荒らしに走るんだよ
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1104132346/l50
713 :
考える名無しさん:2008/10/27(月) 17:18:31 0
『私を刺す』で思い出した。チャットも変な人多いね。
数年前ヤフーチャットの「哲学部屋」の常連の中心メンバーが起こした警察沙汰。
その時も熟女二人だった。なぜか一方がもう一方の自宅へ遊びに行き、パソコンで
チャットしながら遊んでいるうちに、一方がもう一方に『馬乗り』になり『首を絞めた』。。。
HNも忘れちゃった。誰だっけ。。。
同じ頃、哲学部屋の中心メンバーと対立して自殺を自作自演した熟女もいたっけ。
彼女はすごく頭のいい人だった。しかしやはりビョーキだ。。。。
715 :
佃煮マニア:2008/10/27(月) 18:32:52 0
>>703 カオルさんとは、病理について話しています。達観した人です。
あそこの対話も、まだ全部は読んでいないのですが、、、
ハイデガーの四散についてなど、参考にさせてもらいました。
>>704-
>>708 ありがとう。レスが散らばって保存が面倒だと思ってました。
純一氏は哲学的洞察も鋭く、神秘体験も持ち、パワーのある人です。
覗き趣味と欲望の結晶化、権威のあるなし、その商品化、、、
私も権威主義のの流通の中にあるようです。権威主義と倫理性の接合は?
また、今回の議題にもこれは繋がりますが、寺山の様な高尚性が、
覗き趣味の中にあったのかどうか。吟味したい所です。
>>710>>711 私と同一のコテ名が使っている人が、いるようですね。
コテも変え時とは思ってました。トリップは重々しくて好きじゃない。
今のコテ名は?ぃp板で募ったのですが、今度はどうしようかな。
>>714 それは、実話ですか?哲学の人って本当に濃い事ばっかりしますね。
能力が高い人の病理は、根が張りやすく厄介ですが、
療養の仕方さえ整えれば、根治は(たぶん)可能なのです。
意識変容はありますが、それは成長でもある、と思います。
716 :
佃煮マニア:2008/10/27(月) 18:34:30 0
エートルさん
私は、蓋然性で話を進めています。これが私の理解力の限界です。
犯罪心理学に興味はあるのですが。また、コテ名はフィクションです。
それに、もう菜の花さんは2ちゃんを辞めました。これを見てません。
ネガティブで長ったらしい自分語りをするため、
自己都合でどこにでもスレを立てる、
厚かましいオバチャンそのものの菜の花さん。
それでいて少女ぶってみせる押しの強さ。
気が弱いなんてのは、ポーズです。
また、天然の人って、割りと奥ゆかしくて、
彼女のようではまったくありません。
彼女には、表面だけ取り繕い、無知な人をだまくらかす宗教性が、
あるようです。その宗教性の中心には、何があるんでしょう。
偽善的で厚かましいオバチャンの心性を、教典に残し
世界に広めようとでもいうんでしょうか。それとも?
717 :
佃煮マニア:2008/10/27(月) 18:35:30 0
また、バタイユの「侵犯」を勘違いしたのか、「悪」を書くため、
ネットと言う「別の現実」で駄文をまき散らし、犯罪をおこし、
謝罪の気配さえない、常識で考えても実に下らない人間です。
この偽善、この不義、この醜悪さが引き起こす問題の本質から、
気色悪くても目をそらさない事は大事で、批判は筋が通っています。
批判を通して人間存在にたどりつける、そんな場合もあります。
彼女は他者を尊重しない排他性、人格障害のヒステリー、無能により
会社の人間にも軽蔑され、嫌われています。
美貌は内奥の輝きですが、それも乏しいようで、
それによる社員の救済措置を受ける事も、ないのでしょう。
人格障害などの障害者を、ガロ系の人は結構面白がります。
だから、前541さんの気分も多少は把握できます。
また、彼女は育ちも悪く、常識が欠如したまま一人暮らしをしています。
底辺の人間は社会から阻害されますが、それでも生存のための防衛反応から、
宗教を始めて権力と、名誉を取り戻そうとする場合があります。
718 :
佃煮マニア:2008/10/27(月) 18:36:12 0
エートルさんは、プロでも無理な弁護に手をつける、
情の厚さがあって、素敵ですが、素敵なだけでは意味がありません・・・
今私が述べた点、
「天然ではなく疑似天然の厚かましいオバチャン」
「勘違いして迷惑行為、その後逆ギレする気の強さ」
この意見に、どう応答、菜の花さんを弁護するんでしょうか。
犬も、甘やかすと権勢症候群になります。私は、直し方を知っています。
菜の花さんとはまったく関係のない話ですが。
また、私が菜の花さんに対話スレを見ているかという質問をしたのに対し、
172 :オレガノ:2008/08/23(土) 01:03:53
佃煮さん、ご無沙汰でした。
菜の花サンはもちろんそれを知ってますヨ。
4も、3も、2も、そして1も。
ここまでいえば佃煮さんにはわかるでしょう。
ご推測の通り(!)です。たぶん(笑
と、この様にあなたはレスしましたが、
この、ご推測の通りとは、いったいどういう事を指しているのか、
ここまで言えば、なにがどういう風に分かるのか。
具体的に説明してもらえますか?
自分が厚かましいおばちゃんであることに気づいていないのが
本物の厚かましいおばちゃんである
〆
720 :
考える名無しさん:2008/10/27(月) 20:22:20 0
観念した元美人のオバサンならば切なさを湛えた瞳をしているものでして、
それはそれで美しいといえます。
やはり美人は善い。
722 :
全然541:2008/10/27(月) 22:15:56 0
あははすごいことになってるなwww
だいじょぶなのかこいつwww
文章硬直してるし言ってることが繰り返すたびにどんどん極端になっていくぞwww
書いてるとき眼がすわってんだろうなあwww
だいたいおまえ誰に向かって書いてんだって?www
おれとエートルはおまえの書いてることが嘘だって知っているし、
文学板の人間だって読んでるやつらはおまえがストーカー予備軍ということで
共通の認識をしている。天文学スレがおまえ一人のために悲惨な状況に陥ったし、
関係の無い専門スレまであのありさまだwww(
>>710,711)
誰に向かって書いてんだよwwわからねえwww
おまえの書き込み読んでおもしろがるような腐った人間が、おまえ以外に何人もいるのか?
ここに?3人以上?wwwwwwwwwwwwwwwww
723 :
全然541:2008/10/27(月) 22:46:07 0
菜の花を怖がらせたいのか?www
恥をかかせるとか?wwww
おまえさ、子供じゃないんだからwww
893万円てwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
これはどういうねらいで書いた?相手がやくざのようだって意味?ww
それとも自分のバックにやくざがいるっていう風に見せたかったの?
wwwwwwwwwwwwww
>>717「ガロ系」という言葉でだいたい年齢は想像がついたなww「ガロ系」てwww
まああれだ、いくら「ガロ系」のおれでもおまえは面白がれんなww
ただただ悲惨だ。
この点がおまえが現時点では文学板ではまったく通用しない理由だ。
おまえにはその悲惨さを「感じる」ことができない。
なんだかわからないんだろう。あわれだ。
特にすごいのは
>>692の2行目。すごいよね、哲板wwwwww
こんなやつの存在を受け入れているwwww
ま、伝統だよねwwww
724 :
全然541:2008/10/27(月) 23:10:01 0
まあどちらかというと人格障害だろうね。また自分のことを書いてしまったわけさwww
>>690 残念ながら発狂もしていないみたいだし、説教をしてるつもりも、無い。
それにしても「説教」と感じた点に注目だな。
いまのところ、いろいろ刺激を与えて反応を見ているだけの段階だ。
まああんま必死になるな。おまえのようなやつは
遅かれ早かれ滅びてしまうもんだ。おれは観察し、微力ながら
それを少し早めるお手伝いができればな、と思っているwww
おれ的には、そうだな
>>624のラスト3行に「似たような経験」が「ハッピーエンド」となった
いきさつが知りたいな。
>>668ここら辺はおまえの生活史の中でも重要な部分だろう。
いやはや、なんか知らんが短期間で
決定論スレも霞んで見えるホットなスポットになったな、ここは
ところで、「エートルさんは絵描き」とたまに言われていますが
私には医者に見えます
726 :
考える名無しさん:2008/10/28(火) 10:07:20 0
全然541も普通にあおりにしか見えないけど?
てか池田の死の悲しみを紛らわせようとしているプギャオにしかみえない。
これワロタ
プギャオwwwW
一生ネット経由で女の尻追い回してはつついとけ。www
>>715 >それは、実話ですか?哲学の人って本当に濃い事ばっかりしますね。
実話ですよ。HN思い出した。cosmosだった。もう一人が思い出せない。
もう一人(首を絞められたほう)が美人だったんだけど。。。
佃煮さんの写真はけっこう好きですよ。写真は。
(「写真」では、出会い系で痛い目に会ってるから。。。
別人のような写真を送って、会った時のことを考えてないのか?と言いたい。。。)
730 :
佃煮マニア:2008/10/28(火) 20:47:05 0
純一氏について。
彼はいつも、自分の考えをまとめる事に大忙しですが、
何か重たいものを抱えて語りかけると、応えてくれます。
そして、「お前はポール」と断言されると、私は、
現世的な呪縛から一瞬にして解放され、記憶の果てに
模糊としてたゆたう偶像の中で、完全なる他者となり、
永遠の断罪を受けるのです。
これは、すべての悩める哲学徒に彼が向ける、慈愛なんです。
こんな事を平気でやってのける聖人は、そういません。。。
羊を守る野辺の牧人、和え鳴る調べ、なんとやらです^^
731 :
佃煮マニア:2008/10/28(火) 20:47:57 0
資料いくつかについて再考
なるほど、エロはメタ。そこに下衆性が介在していないか、
下衆性の、メタフィクションにおけるポジショニングは、
いかにあるべきなのか。下衆性が「ヤバ気」に達するまでの、
基準は、やはり動物的な「気分」が決める事だと思います。
ひろゆき氏はブログで、「RSSリーダーを使ってるだけで
逮捕される世の中が来るなんておかしい」
と言ってますが、
気分に合わせて世の中がくるとしか、言い様ないですね。
人間という団体動物は、そうリベラルじゃありません。
個々の人間の形而下のテリトリーは、非常に狭く、
形而上に、広大で境界線の不明瞭なテリトリーを持ちます。
形而上だって無限じゃありません。たぶん。
所詮、人間が歴史で切り開いた範囲に留まるんです。
(彼は、そこを突破しようとしてるんでしょうけど)
現行では、広くて重なりやすいテリトリーを、
お互いに侵害しない様にしあってるんです。
下衆性は、人間にとって大変な危険信号を発するようです。
エロは下衆性に近づきやすいです。昇華されないとね。
732 :
佃煮マニア:2008/10/28(火) 20:48:45 0
>>729 ほう。実話なんですか。で、ニュアンスから受け取ると、
あなたは私と会う予測を確信してるんですね、きっと。。。
まあ適当に心構えをしといてくださいw
733 :
佃煮マニア:2008/10/28(火) 20:49:26 0
全然541さん
あなたは、あとどれくらいハゲ散らかしたら気が済むんでしょうw
短絡的で気が短いんですね。いいですか、
放浪と闘いに明け暮れた一人の女剣士が、
同士の勧めで立ち寄った、一見の宿。そこでは、
爆撃と破壊、ありとあらゆる業が渦巻いていた。
とぐろを巻く業の中心にいるのは、一人の娼婦。
女剣士は速やかに、この2ちゃんという娼屋街で
まかり間違って罪を犯したぽっと出の娼婦を逃がし、
その後盛大に、涙に暮れながらも塩を、盛大に撒く。
キラキラと舞い輝く塩の中で、人々は狂喜乱舞。
Fin。
というこの光景が、あなたには見えないのですか。
(大きな?)物語は、終わったのです・・・
あなた方は、メールで交友したらいいでしょう。
シャレの分からない人間に、2ちゃんは無理。常識です。
いくら「弁護するんだ〜」なんて言っても所詮自己満足。
全然本人のためになってません。引き止めない事です。
後は知りませんけど。
734 :
佃煮マニア:2008/10/28(火) 20:50:16 0
ネットは実験場だと書きましたが、実際の話、、、
アメリカ中西部は砂漠で、昔、水爆実験の場所でした。
水爆を発明して、人々は当時「太陽を手に入れた」とはしゃぎ、
砂漠でバカスカ実験をしてました。リスクも知らずにね。
(1945年にも、原爆実験が日本で起こりましたが、
放射能の影響について、全く把握されないまま実験されました。)
そうやって砂漠で水爆実験後、バリケードもはらなかったため、
映画のロケ隊がそこで撮影、その後全員被爆して死にました。
名だたる映画スターも、名監督も、全員。
実験はいつも、リスクという地獄を抱えて行なわなければ。
出たとこ勝負の安易なアメリカニズムは、排するべきです。
アメリカニズムが何をしてるか、一目瞭然でしょう?
>>731 > なるほど、エロはメタ。そこに下衆性が介在していないか、
> 下衆性の、メタフィクションにおけるポジショニングは、
> いかにあるべきなのか。下衆性が「ヤバ気」に達するまでの、
> 基準は、やはり動物的な「気分」が決める事だと思います。
なるほど、君は人の文章を全く読んでいませんね?
佃煮マニア君は人の文章から、単語に反応しているだけで、
文章は全く読んでいない、これは小阪修平も指摘した、
団塊ジュニア世代の特徴でありますから、東を支持する
君等がこういう症状が出てくるのは不自然ではない。
しかし、自分でそれがおかしいと思わないのが、
私には不思議だよ。
>>731 > なるほど、エロはメタ。そこに下衆性が介在していないか、
> 下衆性の、メタフィクションにおけるポジショニングは、
> いかにあるべきなのか。下衆性が「ヤバ気」に達するまでの、
> 基準は、やはり動物的な「気分」が決める事だと思います。
これは対話をしているのではなく、
『相手の単語を使って、
「自分の事を話しているだけ」』
なのです。
しかし、サンプルとして面白いよ。
団塊ジュニア世代に何で、
こういう面白い症状が出るのかがね。
>>716-718 :佃煮サン
>私は、蓋然性で話を進めています。これが私の理解力の限界です。
人それぞれに理解力の限界はありますね。
だから人は対話を求めるんじゃないかと思います。
それが無益に終わる場合のリスクを抱えながらも。
>もう菜の花さんは2ちゃんを辞めました。これを見てません。
そうかもしれませんね。
もしかしたら、菜の花サンにとってはそのほうが良いのかもしれません。
誰かが書いていたように、「どんな輩がみているかわからない」場所ですから。
とても淋しいことですが。。。
まず質問に答えます。説明が足りなかったかもしれませんね。
菜の花サンがこのスレを知っている理由、
4も、3も、2も、そして1も知っている理由、
それは、このスレの1を立てたのが菜の花サンだからです。
(もう少し続けます)
当方は哲学板のことをほとんど知りませんでしたが、
菜の花サンに誘ってもらうような形でこのスレに来たのでした。
菜の花サンは文学板でレスを交していた人です。
それも数年に渡って。断続的に1ヶ月以上間があくことはあっても。
こういうBBSでは、わずかな間では人柄を掴むことはできませんが、
長い間レスを交わすことで、その人のことはかなりわかってきます。
当方が知るかぎりの菜の花サンは、佃煮サンが
>>716-718で描いているイメージと
ほとんど重なるところはありません。
佃煮サン自身も以前には、ここのスレ主さんに対して、
出しゃばらない奥ゆかしいイメージを語っていたはずです。
当方が知るかぎり、菜の花サンはナイーヴで傷つきやすい人です。
もちろん美点のみを挙げては不公平になるでしょう。
どうもついていけないなあと感じる面もあります。
悲劇のヒロインになりがちな傾向はあるかもしれません。
センチメンタルなところはナルシスティックに映るかもしれません。
でも、それらを欠点に数えたとしても、充分にオツリがくる美点を持った人です。
小説の世界に自分の足で踏み込んでいくとき、当方には及ばない力強さがあります。
これらのことは「情」による「弁護」ではないと思います。
少なくとも、それだけではないと思っています。
論理的に考えても、
>「天然ではなく疑似天然の厚かましいオバチャン」
>「勘違いして迷惑行為、その後逆ギレする気の強さ」
という命題は、証明ができないのではないでしょうか。
最近ナーバスになっているのは、菜の花サンのこともありますが、
それ以上に佃煮サンのことが原因になっています。
当方が描きかけていた佃煮サンのイメージは、
明るいユーモアを湛えた懐の深い人、というものでした。
少なくとも、少し前までの「佃煮マニア」というHNで書かれたレスには、
そういうイメージを与えられてきました。
当方が好感を持っていたその佃煮サンの書き込みに出会えないことが、
当方をナーバスにさせているのです。
742 :
考える名無しさん:2008/10/29(水) 02:05:57 0
吐き気がするのは、当人の責任ではありませんし、
しかも、毒をはき出す為に必要な立派な一行為です。
哲学の基本は対話
でわないし、
基本的誤りに泳ぎたいだけだろうね。。。
幾度だって言わせて戴くものだが。
このスレ
く だ ら 名 い 。
>>739 >それは、このスレの1を立てたのが菜の花サンだからです
前スレのラストに現れた方ですね
あの〆の言葉には軽く感動しました
あの人を追い出しちゃ駄目でしょう、佃煮さん
745 :
考える名無しさん:2008/10/29(水) 04:05:37 0
〆の言葉って?
746 :
714:2008/10/29(水) 11:29:04 0
>>740 >論理的に考えても、
>>「天然ではなく疑似天然の厚かましいオバチャン」
>>「勘違いして迷惑行為、その後逆ギレする気の強さ」
>という命題は、証明ができないのではないでしょうか。
人間関係って、「関係」だから、
関係する両項によって決まってくるわけで、
或る人にとって「ナイーヴで傷つきやすい」人が
別の人には「厚かましいオバチャン」に見えたりすることは普通にある。
固定したものではないから、「ナイーヴ」か「厚かましい」かは
証明するような問題じゃないだろうし、
多数決で決めていいような事でもないと思うw
自分が変われば、相手も変わる。
相手が変わらないとしても、自分が変われば、相手が違って見えてくる。
ポイントは自分の心の在り方にあると思う。
「他に依止する者は動揺す」(『スッタニパータ』w)
>>742 >吐き気がするのは、当人の責任ではありませんし、
そうなのかな。
どうしても好きになれない人はいるけれど。
自分の心の持ち様で、そのかなりの部分は克服できるものだと僕は思う。
克服しなくてもいいと思う人はそれでいいのかもしれないけれど。
時には嫌いな事(人)と闘うのも楽しいけど、
現実生活では、嫌いな事は多いより少ないほうが生き易い。
「生理的嫌悪」の話に戻りましょうか?ww
>>744みたいなのは自演と思われても仕方ないんだよな
749 :
佃煮マニア:2008/10/31(金) 20:44:57 0
>>735 純一さん
もう一度読み直しました^^
エロは単純明快でインパクトを引きやすいという話でしょう?
万人共有で快楽になるエロはなく、エロはグロに陥りやすい、
まんま出しては下衆のエロと混同されやすいから、慎重に、
権威を持ち出すのも安易だ、人の言った事はその人だけのもので、
真実を語っていない、つまりごまかしだと言いたいんでしょう?
自分で掘り出した新概念を使って説明した方が、説得力あるし。
それで、私は単語にこだわる人間でもないし東信者でもありませんが、
「純一の”ポール“って何?」という書き込み、結構見ませんか?
ポールってどういう概念なのか、分かりやすい説明があるといいな。
750 :
佃煮マニア:2008/10/31(金) 20:46:20 0
>>739 エートルさん
まあ。。。。エートルさんは理想主義で観念的、お人好しですね。
あの人の日記は都合のいい部分をよりあつめて脚色した半分嘘の日記
で、それをそのまま信じ込んで「自分はあの人を知っている」と、
言ってみても、それは幻想なんですよ。実際face to faseの関係でさえ、
対幻想はおこるんですから、匿名となればなおさらです。それが常識です。
話して様子を見ると、対人緊張が強く、問題処理能力が低く、衝動性あり、
なんか病的に問題を抱えた人のようです。しかも自覚がない。危ないです。
2ちゃんをやめるべきなんです。すでにいろいろやらかしてるんだから。
私も彼女の今後について7割強で正解の解答を出し、本人も納得したようだし、
これ以上考えない事です。
・・・それで、
>>739でエートルさんは核心的な事を書きましたね。
やっとこれで私の言いたい事が言える^^ 次にレスします!
751 :
佃煮マニア:2008/10/31(金) 20:47:18 0
>>746 >自分の心の持ち様で、そのかなりの部分は克服できるものだと僕は思う。
たとえばMacなどジャンクフードを食べて吐き気がした、
でも心の持ち様でどうにでもなるから吐き気を克服しよう、
なんてのは愚の骨頂ですね?
バタイユも言ってますが、感覚が美しいと感じないものを
理屈で美しいと説得しても意味がないんです。意味がない事が
妙味を醸す場合はありますけどね。その場合、説得の内容が
絶妙で、醜い対象と好対照になるから面白い訳です。
この場合、説得と対象物の合間にアウラが存在する訳で、
対象自体はなんも美を発してないのです。
バタイユは作品自体の説得力、美を重要視するようです。
あれだけ書いてる作家ですもんね。
752 :
佃煮マニア:2008/10/31(金) 20:48:00 0
>生理的嫌悪
ちょっと極端な例ですが〜・・・
スターウォーズのジェダイって、フォースに不安や悪意が絡んではいけない、
そうでないとダークサイドに落ちるから・・・そんな精神性を持ってます。
ベーダー卿はダークサイドに落ち、でも結局息子が父の死の直前に救った。
一度落ちると、星を破壊したり戦争したり、要塞も作らなきゃいけないし、
身体は燃えてダルマみたいになっちゃうし、強化スーツは暑苦しくて蒸れるし、
嫁は死ぬし子供とは生き別れるし、めんどくさい事になって大変なんです。
だから落ちるな。不安や悪意を飼いならせ。それを訓示にする人がいるとして、
訓示をマスターした人にとって、生理的嫌悪ってのはどういうものになる
んでしょうね?なくなってしまうんでしょうか?
ヨーダもベーダー卿と戦闘中、吹っ飛ばされた瞬間難しい顔をしましたが、
なぜ、その時生理的な苦痛や嫌悪感を味わったのか、瞬時に理解できるので、
生理的な苦痛、嫌悪が悪意に至らず、平静にフォースを駆使できるんです。
それで、、、
753 :
佃煮マニア:2008/10/31(金) 20:49:48 0
>時には嫌いな事(人)と闘うのも楽しいけど、
嫌悪がなくなれば闘う事すらしなそうですが、ジェダイは闘っています。
生理的嫌悪は、必ずしも闘いに直結しないんじゃないでしょうか。
「フォース」を「論理性」に置き換えて考えても、いいと思います。
それから、「気の持ち様」に戻りますが、
闘いに見えるものも、気の持ち様で闘いに見えない、あなたの言う事を
借りると、そんな発想も出来ますね。人が死んでも、気の持ち様で死んで
いる様に見えない、犯罪者が犯罪者に見えない。独裁者も戦争も、では、
ちょっと、どうかと。。。
倫理、人間心理に即した基準にてらして考えるものでしょう。
754 :
714:2008/11/01(土) 14:00:50 0
>>747 自演かもしれないし、自演でないかもしれない。
そんなことは考えてもわからない。
だから考えません。
《莫妄想》 妄想するなかれ。これが禅の根本原理だそうです。
佃煮さんも思い込みが激しいようだけど、>692の「こころはいつもラムネ色」
というスレを見ると、エートルさんとそのお友達の間では、
僕は「哲板の古参地縛霊」ということになっていたらしい・・・
>610 :soundonly[sage]
>おそらく哲板の古参地縛霊wwが1人でやってるんじゃないかなw
>612 :%[sage]:
>どうもそのようだね。天使や公安なんかの動きのお陰で読めてる。感謝。
>まあ哲学のほうのレベルもたいしたことないから見切ってるヨ(笑
>613 :シリウス ◆qS5Y1mPhJ2
>なるほど。。。
>ミイラ取りがミイラになるとはあの人のためにあるような、、、
>ニーチェに思い入れるあまり自分もニーチェの狂気の返り血を浴びていることに
>まったく気づいていない・・
陰でこういうよからぬ相談をしていたわけだw
莫妄想。
妄想は敵意と結びつくと果てしなく広がってしまう。
裏を読もうなんて思ってしまうと、ろくなことにはなりませんw
わけのわからないことは、わけのわからないままに放っておく。
かっこよく言えば「エポケー(判断中止)」、
かっこわるく言えば「思考停止」。
座禅の姿は「思考停止」の姿です。
755 :
714:2008/11/01(土) 14:02:13 0
>>751 >バタイユも言ってますが、感覚が美しいと感じないものを
>理屈で美しいと説得しても意味がないんです。
>・・・
>バタイユは作品自体の説得力、美を重要視するようです。
バタイユはほとんど知らないけど、
「美」や「醜」は対象の性質として客観的に実在するものではなくて、
対象と自分との間に、相関的に生じる感覚のようなものなのではないかと思います。
もし相関的に生じるものであるなら、一方が変われば他方も変わる。
自分が変われば相手も変わる。
好きな音楽でも、いつ聴いても美しくきこえるわけではない。
聴く側である自分の状態に左右される。
自分の心の状態が良ければ、より多くのものを美しいものと見ることができる。
ひいては世界全体を美しいものとして見ることができる。
そう考えるのが《心の持ち様》説ですw
756 :
714:2008/11/01(土) 14:04:34 0
>>752 >不安や悪意を飼いならせ。それを訓示にする人がいるとして、
>訓示をマスターした人にとって、生理的嫌悪ってのはどういうものになる
>んでしょうね?なくなってしまうんでしょうか?
嫌悪感が生じても、《莫妄想》で、それをすぐに手放す、
意識的に手放さなくても、放っておけば自然にすぐに消えてしまいます。
心の状態が悪い時には、自分では気づかずにその嫌悪感を追い続けてしまう。
追い続けるから消えないし、なおさらひどくなってしまう。
(これはつい最近も実感した・・・)
>>753 >倫理、人間心理に即した基準にてらして考えるものでしょう。
具体的現実は多面的なものだから、基準も一つではないでしょうね。
社会的に生きていると共に、かけがえのない個としても生きているから、
たとえば倫理的理想と美的理想が葛藤してしまうようなことはよくあると思います。
757 :
佃煮マニア:2008/11/05(水) 20:14:49 0
大変大変。まちがってネットを解約しちゃったw
返事が遅れました。。。
758 :
佃煮マニア:2008/11/05(水) 20:16:20 0
>>754 莫妄想の話はオモシロイ。。。
>陰でこういうよからぬ相談をしていたわけだw
人の話から快不快しかうけとらない人は、多いようですね。
議論すると人格を否定されたと思う人も、日本人には多い。
>佃煮さんも思い込みが激しいようだけど、
私は、思い込みが激しいというより、もう色々把握してるんです。
「こころはいつもラムネ色」を読んだなら分かると思いますが、
菜の花さんは、人間的成長は停滞したまま、退行現象を起こし、
意識障害を何度もおこし、病的になっていってたでしょう。
スレの住人の二人は無頓着だったようですが。
日常生活で萎縮している人間が、ネットでマナーもルールもわきまえず
はじけちゃう場合ってあります。菜の花さんもその一人でしょう。
そういう時、あなたの「莫妄想」からのお話の様に、
見ざる聞かざる言わざるの態度を取るのは、大人の態度でもありますが、
悪いものは悪いと、ストッパーの役割を果たすのは、大人の義務です。
759 :
佃煮マニア:2008/11/05(水) 20:17:25 0
彼女についていろいろ、残酷な事は書きましたけれども、
「最悪、人は自分をこのように見ている」と認識した後で、
日常にもどっていき人と接すれば、まわりの人はそんな極端でもなく、
わりといい人に見えるはずです。そうすると、菜の花さんの警戒心も、
すこしゆるんだりして、まわりになじみやすくなる、という訳です。
そのためにいろいろ書いてたんですよ。
760 :
佃煮マニア:2008/11/05(水) 20:17:59 0
>>755 >対象と自分との間に、相関的に生じる感覚のようなものなのではないかと思います。
科学優勢になった最近の流行では、そう考える場合が多いようですね。
それだけだとちょっと味がないので、美に捉えられるシチュエーション
またその反対の場合、というのを説明したんです。
「あたかもそうであるような」というのも感覚ですが、人間の心は
感覚という自然にに支配されている訳で、西洋的に無理無理と、
自然を支配しかえして見せる必要もないのではないでしょうか。
>ひいては世界全体を美しいものとして見ることができる。
そんな体験がありますか?まさにユートピア体験ですね!
強烈な知的体験をした直後というのは、そういう心理になるようですが、
そういう状態は、医学上では危険なんです。。。
感覚が鈍磨、または鋭敏になり過ぎている証拠ですから。
やはり、「これはいい、これはだめ」と取捨選択できる状態にあるのが、
人間の本来的な姿と言えるでしょう。そうでないと簡単に死と隣接します。
761 :
佃煮マニア:2008/11/05(水) 20:18:54 0
>>756 >嫌悪感が生じても、《莫妄想》で、それをすぐに手放す、
お坊さんは淡白です。修行中のお坊さんは食べ物も徹底管理したりして、
植物の様に成り果てようとしますが、それだけやっても早死にするんですw
高僧は、けっこう好き放題食べて、自我を泳がせる事に執着したりします。
たとえば、徹底的に嫌悪感を追い求め、脳の血管がやぶれる直前でそれを
フッと手放し、沈思黙考、その後ガバと教典を眺め涙する、そんなことを
やっています。まあそれも、徳を積んでからの話ですけどねw
>具体的現実は多面的なものだから、基準も一つではないでしょうね。
なんで今回、法と言うまどろっこしい基準を提示したかというと、
人間としての規約を、明らかに抵触している人が出たからです。
腐女子全体を醜いと言ってるんじゃないですよ、
色んなサイトを見回すと、けっこうすごい小説を書いたり、創造的な人が
いますからね。「本の中に剃刀隠してみました〜」レベルではなく。
作ってるものはそこそこでしかないのに、どうでもいい部分ばかり
増長している人には、ツッコミも入るというものでしょう。
762 :
714:2008/11/07(金) 13:59:47 0
>>758 >悪いものは悪いと、ストッパーの役割を果たすのは、大人の義務です。
そういうことなら、もっと菜の花さんと直接お話すればよかったのに。
(よく知らないけど、ちゃんとお話ししたんですか?)
それに、菜の花さんについての佃煮さんの話にはあまり具体性がないですね。
具体的、直接的でないと、宙に浮いたような話になってしまいますよ。
つまり妄想化してしまいます。
《莫妄想》はよく「即今」ということと関連させて使われます。
「今、ここ」という現実に密着するということ。
現実から一歩も浮き足立たないようにするということ。
だから《莫妄想》は、言いかえれば、「今、ここ」という現在を大事にしろということだと思います。
それから「悪いものは悪い」に関連して・・・
僕は「悪」という言葉があまり好きでないです。
「悪」という言葉は、たぶん今はキリスト教的な意味で使われていることが多くて、
それは「相手を裁く」ために使われることが多いような気がします。
たとえばブッシュ大統領が北朝鮮・イラン・イラクの三ヶ国を「悪の枢軸」と呼んだように。
そしてその背景には、「神の裁き」という発想があるのではないかな、と思います。
それよりは、仏教で言われる「毒」が良いと思いますw
仏教では人間の苦しみの根源を、「むさぼり求める心」「怒りの心」「無知の心」
の三つの心にあると考えて、それを「三毒」と呼びますね。
それらの心があると自分自身の心が毒されてしまう、だからそれを克服していこうという考え方です。
相手がどうのこうのではなく、まず自分自身の心を整えようという姿勢です。
763 :
714:2008/11/07(金) 14:02:15 0
>>760 >>ひいては世界全体を美しいものとして見ることができる。
>そんな体験がありますか?まさにユートピア体験ですね!
神秘体験みたいなことではなくて、僕が言いたかったのは、
一切を肯定できる視点を持つということです(ニーチェ的にいえばw)。
仏教的にいえば「諸法実相」。
ネズミの死骸に蛆が湧いているのを見れば、たいていの人は生理的嫌悪を感じると思いますが、
蛆には蛆としての最高価値があります。
というより、人とネズミと蛆の存在価値を比較することはできない。
存在する全てのものに価値がある。
そういう視点です。
生理的嫌悪で感じる「いやだいやだ」という視点とは別に、
そういう視点を持つことができれば、だいぶ違うと思うのです。
しかし厄介なことに、人は何かに囚われている時には、
自分が何かに囚われているということに気づきにくくなってしまいます。
囚われることによって、視野が狭くなっているからだと思います。
悪循環です。
この前逮捕された人も、借金が「いやだいやだ」という思いに囚われて、
そこから視点を変えることができなかったのでしょうね。
(道元は、莫大な借金を抱えて返すあてもないような人が、悟りに最も近いところにいる、
というようなことを書いていましたが)
764 :
佃煮マニア:2008/11/07(金) 19:52:01 0
ちょっと長いんでゴメンナサイ。
>(よく知らないけど、ちゃんとお話ししたんですか?)
こちらが呼びかけても、菜の花さんは「2ちゃんをやめます」と
書いた後、名無しで、私のレスに低俗な勘ぐりを入れるだけですし、
エートルさんは妙な論法で問題を個人の観念か恋愛に落としたがるし、
前541さんは意味のない煽りをするだけす。何考えてるんでしょう。
問題は、ネットマナーと侵害された人権の話なのに。
妄想と言われると、虚しいのですが、菜の花さんが問題を起こした
原因は、彼女の人格の病的な問題だと思っています。
彼女は日記で、「何かあったらキレた方がいいのに、キレる私を
会社の人たちは煙たがっておかしい」と書いています。
本気で考えているなら、彼女は解離性か自己愛性の人格障害かも。
765 :
佃煮マニア:2008/11/07(金) 19:53:23 0
また、714さんの様に、マメでないので「ここがその箇所」と、
引用は、できないですが、
彼女の日記を見ると、記述は被害妄想的な面が強いですよね?
また、時間経過を追って見ても、コテイメージに固執してるのか、
人間的な成長をうかがわせる大きな流れは全く感じられなくて、
1 現実生活で萎縮、ヒステリー
↓
2 2ちゃんねるの膨大な文字列で観念放逸
↓
3 その後ネットとは別の「現状」を見失いアメンチア
↓
4 1に戻る
というループを繰り返してます。
766 :
佃煮マニア:2008/11/07(金) 19:54:03 0
ヒステリー、観念放逸、アメンチアは意識障害です。
ループして転がり続けながら、住人二人のレスに依存、彼らの書いたもの全て、また自分の粘着するコテの意見全てを吸収しようと、714さんの言う「毒」
まで吸収してしまい、混乱している様に見受けられます。
また、退行現象をおこし、恐らく彼女の母親が問題のある教育をしてただろう、
3〜6才の状態にチラッ、チラッと、無意識にか戻ろうとする様子が見られます。
そんな状態の人に、たかだか数行のレスが、何の救いになるんでしょうね?
だから、「悪循環なんだから2ちゃんをやめて日常生活を立て直したら」と
言ったのですが、私もトリッキーで複雑な言い方をしたので、かえって混乱
したんでしょう。
そもそも、「リアリティのあるトピック」と言って、この話題を振ったのは、
エートルさんなんだから、もうそろそろコメントしても良さそうですけどね。
767 :
佃煮マニア:2008/11/07(金) 19:55:59 0
>>763 714さん
>たとえばブッシュ大統領が北朝鮮・イラン・イラクの三ヶ国を「悪の枢軸」と呼んだように。
政治家がつかう「悪」は単なるアジでしかないですし、低資源の北朝鮮への関心は薄く、
イラクに固執した所から、原油が欲しいための口実だというのはミエミエですが、
話を卑近に移して、
他人に迷惑をかけて謝らない、などのモラル面での「悪い事」は、指摘しても
いいんじゃないでしょうか?迷惑どころか、今回は法律違反なんですし。
仏教でいうなら「無知」によって「むさぼりつくそうと」したために、自己中心的な
言動をしたのでしょうが、、、2ちゃんにだってモラルがあってもいいとは思います。
768 :
佃煮マニア:2008/11/07(金) 19:56:37 0
>生理的嫌悪で感じる「いやだいやだ」という視点とは別に、
>そういう視点を持つことができれば、だいぶ違うと思うのです。
万物の流れを微に入り細に入り全て肯定して、さらにニーチェが一言、
それに添えるなら、「力への意志」による人間間の、醜い争いまで、
肯定しろと言うと思いますよ。要するにエゴ丸出しで人に組みかかるのも
良しとし、殺人まで肯定する勢いです。ニーチェ哲学に法律は無縁ですw
言いたい事はそれでも、伝わりはします。
確かに、皮膚再生のための蛆エステ、産廃や重金属を食べるスーパーミミズ
などを見ると、生命の、万物の所作は、力強く、素晴らしいと感じます。
769 :
佃煮マニア:2008/11/07(金) 19:57:07 0
>この前逮捕された人も、借金が・・・
小室さんは、風貌や言動から、潔癖性ぎみなんじゃないかと思います。
他人に手あかをつけられるのがキライ。自分の関わる物は自分のもの。
結構何でも一人でやりたがる、それで何でも背負い込んでしまって、
金銭的なマネージメントまで一人でやって、自滅したんでしょうが、
自滅と言っても詐欺罪は罪が軽く、それをスキャンダラスに報道した、と
言う事は、エイベックスから何か新盤が出るので宣伝してるのかも、ねw
お金は借金してでも使ったもの勝ち、という人もいますw
道元にちかい感覚ですね。道元の悟りってどんな境地なんでしょう。
770 :
714:2008/11/09(日) 14:07:07 0
>>764 菜の花さんが「病気」であるのかどうか、また菜の花さんの行為が「人権侵害」
にあたるのかどうか、については僕はなんとも言えません。
菜の花さんのログはどうも読む気がしなくて読み飛ばしてしまっているので・・・
でも佃煮さんが
>>693で書いたことは、僕が前スレで感じたことと共通点ありますよ。
僕が前スレに書き込み始めた時のログです。
《>23に過剰な反応をするということは、このスレが閉鎖的な仲良しクラブみたいになっているのかもしれないね。》(>66)
《よってたかって過剰反応することがへんだと書いたんだ。》(>84)
《僕がここに書き込んだ理由を強いて書けば、その「へんだな」という気持ちが大きかっただろうと思う。》(>91)
あの時僕が「へんだな」と感じたことについては、
「こころはいつもラムネ色」を見てある程度納得できました。
またエートルさんたち3人は、僕が「1人でやっている」と思い込んでいて、
探りを入れているようなことも書いているから、前スレが荒れたことにエートルさん一味w
が関わっていたこともわかり、もやもやがスッキリしたので僕はそれで満足wです。
佃煮さんはあの時僕に対して「どんな環境にいれば、流れがへんだな、と感じるのかね?
他スレのリンクは張ってくれないの?」と書いているんだから、あの時は「へんだな」と
感じていなかったわけですよね?
771 :
714:2008/11/09(日) 14:09:01 0
>>768 >万物の流れを微に入り細に入り全て肯定して、さらにニーチェが一言、
>それに添えるなら、「力への意志」による人間間の、醜い争いまで、
>肯定しろと言うと思いますよ。
ニーチェや仏教の思想でいわれる、「あるがまま」を肯定するということは、
〈現状肯定〉とは違うし、また〈決定論〉とも違います。
今日は時間がないので詳しくは書けませんが・・・
>>769 >お金は借金してでも使ったもの勝ち、という人もいますw
>道元にちかい感覚ですね。道元の悟りってどんな境地なんでしょう。
「使ったもの勝ち」は道元の感覚に近くないと思いますw
返す当てのない莫大な借金を抱えた人が、悟りに近いということの理由については
道元は説明していませんが、説明がなくてもだいたいはわかります。
「あきらめ」ということだと思います。
中途半端な借金なら、なんとかしようと思いますが、返す当てが全くなければ、
あきらめるしかありません。
なんとかしようという「思い」を捨てる。良い意味での開きなおり。自己放棄。絶対的受動性。
仏教の四つの真理(苦諦・集諦・滅諦・道諦)には「諦め」の字が使われています。
仏教語の「諦め」は「明らめ」(明らかにする)でもあるのだそうです。
本当にどうしようもない状況に追いつめられた時、人は犯罪に走るか自殺するか発狂するか・・・あるいは・・・悟りに至るw
772 :
佃煮マニア:2008/11/10(月) 21:44:27 0
「こころはいつもラムネ色」や「天文学って文学じゃね?」
をテクストに何か考えるのというのは、どうも無茶があるw
強いて言えば、私の書いた批判文が、ポオの「盗まれた手紙」の様に、
この場、いま目の前におかれているにも拘らず、
場の磁力の様なものによって、他者の意志によって
反復強迫的にすり替えられ、隠され、シニフィアンは空に浮き、
本来的なシニフィエだけどこかに打ち捨てられてしまった、
それでも「手紙が届いている」という予感、体感がある、という事。
それにしても、なぜ、今回、反復強迫が起きたんでしょう。
一連の隠蔽劇が持つ形式と、シニフィエとに連続性があるのは確実ですね。
形式という一本の帯の表と裏にシニフィアンとシニフィエが、
ねじれあって存在しており、これは確かに、メビウスの輪のようです。
>>770 >あの時は「へんだな」と感じていなかったわけですよね?
哲板に来て間もなくて、あまり他のスレを覗いていなかったもので、
こんなものなのかと思ってたんですけど、なんかやっぱ、
ときどき、閉鎖的でウェッティな感じはちょっとしてたかな?
それが、哲学的な高みに繋がっていればおkですが、上記ふたつのスレを
見ると、あんまりな流れなので。。。
他も色々調べて、スッキリ感はありますがw なんかリアル。
773 :
佃煮マニア:2008/11/10(月) 21:46:20 0
>>771 714さん
>ニーチェや仏教の思想・・・
前も、「あるがまま」をどう捉えるかで議論しましたね〜^^
714さんの方が、私よりニーチェを読み込んでいそうだな。
ニーチェがお釈迦様を結構好きだったんじゃないか、というのは
確かに言われている事ですね。
ニーチェのツァラトゥストラに出てくる、ラクダさんは、「汝なすべし」と
義心からか苦に飛び込み、苦しみの中でライオンさんになって、「われ欲す」
と咆哮を上げ、結局赤ちゃんになって、「然り。」と、なにか諦念に近い思いで
つぶやく訳ですが、これは、苦聖諦に近いことをやっている様に見えますね。
苦しみの由来を明らかにする際、能動的に批判を表現する事でそれは、
「ハンマーの哲学」になる可能性もあるんだよ〜、と彼は言っていますね。
そして、ディオニュソスが、苦悩を祝福するんでしたっけ。
私がニーチェでさっぱり理解不能なのは、なぜこの祝福や肯定が、
悲劇的なんだろう、、、という所です!全ての矛盾が享楽に変わるなら、
それってなんで悲劇なの?と思えて仕方ないですよ。
774 :
佃煮マニア:2008/11/10(月) 21:47:43 0
>本当にどうしようもない状況に追いつめられた時、人は犯罪に走るか自殺するか発狂するか・・・あるいは・・・悟りに至るw
ニーチェ好きの中原中也は、
「追いつめられて殺意を抱いた時にこそ、神が見える。」と言ってます。
神を見て、悟りを開くか、その命ずるまま犯罪でも起こすか、なんてのは、
人それぞれですが、中原は芸術によって神を模倣したんですよね。
中原の「あきらめ」がよく出てる詩です。
あれはとほいい処にあるのだけれど 俺は此処で待っていなければならない
此処は空気も幽かで蒼く 葱の根のやうに仄かに淡い
決して急いではならない 此処で十分待っていなければならない
処女の眼のやうに遙かを見遣ってはならない
たしかに此処で待っていればよい
それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶっていた 号笛の音のやうに太くて繊弱だった
けれどもその方へ駆け出してはならない たしかに此処で待っていなければならない
さうすればそのうち喘ぎも平静に復し たしかにあそこまでゆけるのに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに とほくとほく いつまでも茜の空にたなびいていた
775 :
714:2008/11/12(水) 12:13:55 0
>>772 >それにしても、なぜ、今回、反復強迫が起きたんでしょう。
「今回、反復強迫が起きた」というのはどういうこと?
>>773 >私がニーチェでさっぱり理解不能なのは、なぜこの祝福や肯定が、
>悲劇的なんだろう、、、という所です!全ての矛盾が享楽に変わるなら、
>それってなんで悲劇なの?と思えて仕方ないですよ。
全てが享楽になるわけではないのですよ。
「苦しい」は「苦しい」のままです。
全てが享楽のパラダイスを望むことにニーチェは批判的です。
(「マメ」なので引用しますw)
「あなた方は、できれば苦しみを廃棄することを欲するけれど、
これほど馬鹿げた《できれば》は他にない。」(『善悪の彼岸』)
「快と苦は随伴現象であり、何かを達成しようとする時、
人はその両方を欲しなければならない。」(1887年の遺稿)
「苦しい」は「苦しい」のままだけれど、ニーチェは、生にとって
苦が不可欠なものであるということ、そして苦から逃れようとすれば
生の本来性が損なわれてしまうということを言っています。
「創造者が存在するためには、苦しみと多くの変化が必要である。
創造者が新しく産まれてくる子供であるためには、彼はまた同時に産婦となり、
産婦の苦痛となることを欲しなければならない。」(『ツァラトゥストラ』至福の島々で)
「産婦の陣痛が苦痛一般を神聖化する。」(『偶像の黄昏』)
これは好きな言葉です。
776 :
714:2008/11/12(水) 12:15:21 0
それから、「悲劇的」は難しい概念だと思いますが・・
初期の著作『悲劇の誕生』では、アポロン的なものとディオニュソス的なもの
との対立、闘争によってギリシャ「悲劇」が成立するとされています。
後期でも、世界は対立物の闘争によって生起するという考えは一貫しています。
その対立するものの一方だけを欲するのでなく、全体を肯定するということが、
「割り引きもせず、例外もつくらず、選択もしない、あるがままの世界に対する
ディオニュソス的な肯定」であり、「悲劇的」ということなのだと思います。
さっきの「何かを達成しようとする時、人はその両方(快と苦)を欲しなければならない」
も、そういうことだと思います。
777 :
714:2008/11/12(水) 12:16:59 0
>>774 僕は詩を読まないので、中原中也も存じませんが・・
これは、《莫妄想》の詩ですね・・??
「遙かを見遣ってはならない」
「此処で待っていなければならない」
此処で待っていれば、「あそこまでゆける」
「あそこ」へ向かって急いで駆け出せば、自分を見失ってしまう。
だから、現在の流れに身を任せるしかない。 あきらめ・・
でも、そうやってあきらめて、〈今、此処〉の現実に密着し、
「平静に復す」ことが、実は、本当の自分に出会うことになる。
そういうことでしょう、たぶん。《莫妄想》的には・・・
《待つ》という語が印象的なこの詩を読んで僕は
へリゲルというドイツ人が書いた『弓と禅』という本を思い出しました。
その本にはヘリゲルさんの弓道の師範の教えが書かれています。
たとえば、
〈力を抜けば抜くほど、精神力の源泉は豊かに流れ出す〉
〈弓射は、「我」が射るのではなく、「それ」が射るのだということ〉
〈時が熟すまで、「それ」を正しく待つということ〉
『時が熟すまで「それ」を待つ』というのは、一つのあきらめですが、
そのあきらめがなければ、時の流れと一体になることはできないということでしょうね。
流れと一体になれれば、流れが自分を運んでくれる。だから「あそこまでゆける」
778 :
佃煮マニア:2008/11/14(金) 17:03:41 0
>>775 714さん
>「今回、反復強迫が起きた」というのはどういうこと?
菜の花と言う人の評価について、私はうんざりしながらやむを得ず
書き続けて、あなた曰く「エートルさん一味」はそれを隠そうとし、
文学板のスレからたらい回しにして、肝心の内容は宙に浮いたまま。
「盗まれた手紙」そのものですよ。誰が悪いという事もありませんが。
嫌なのにやっちゃう事ってありませんか?私は他にも色々ありますw
(しかし、714さんは、人がもめてる所にサッと来て問題をモリモリ
切り分けちゃって、何かすごいかっこいいですね。貴重な人。)
>「産婦の陣痛が苦痛一般を神聖化する。」
これいい言葉ですね〜。
産婦の子供は、母胎が健康であれば半自動的に育ち、母親は、
来るべき時に備えて準備をし、胎児からノックがあれば、
力一杯いきむ、これはいわば共同作業で、苦痛は分け合えます。
喜びは人と分けあう事で倍加します。(祝福された苦痛ですよね。
創造って、例えばニーチェの机にある原稿は、ニーチェ自身が
一つ一つ手を加えなければ、永久に真っ白なままでしょう?
そして、自分で作り出した、どこがゴールとも判明しない様な
迷宮に飛び込んで、迷宮を変形させながら切り進めるわけだから、
出産よりもひどい苦痛を伴うんじゃないかと思います。。。
精神的なマゾヒストでなければ、神経がもたないでしょう。
ニーチェのSM精神については、澁澤龍彦も指摘してますね。
779 :
佃煮マニア:2008/11/14(金) 17:04:34 0
>>776 714さん
なんとなく、悲劇的な空気が読み取れてきたかも。
ディオニソスって、狂乱とエロス、死とも関係のある神ですよね。
悲劇的な事件が、ディオニュソス教の秘儀中に頻発していた事も、
ディオニュソスと悲劇を結びつけるのに関係あるのかも知れません。
ドゥルーズは、ニーチェの創造の過程についてこう説明しています。
「アポロンが生の矛盾を追及し、根源的な生の化身である
ディオニュソスがそれに苦悩、両者が対立して爆発的な止揚を生み、
その瞬間合唱隊が一斉に謳う、しかしそれは幻視である」
その歌が悲劇的なのも、一つあるでしょうね?
止揚の瞬間そのものは、感動的ではありますが、それ自体が悲喜劇
どちらかに傾く訳でもないし。
この瞬間に、色んな音楽を当てはめてみるとオモシロイw
そして、それらの出来事が夢でしかないという事も、悲劇的です。
過ぎ去った夢の記憶であるから、夢は、個人の生にうっすらと
もやをかけ続けるんだろうし、それによって苦悩は再生産され、
個人は永遠に「義認」せざるをえません。
義認って要するに正当化ですけど、それをする際にどうしようもなく
良心が傷む様なことってありますよね。正当化しようとした途端、
論理が崩壊するだろうに、それでも正当化するのかという様なの。。。
780 :
佃煮マニア:2008/11/14(金) 17:05:14 0
>>777 714さん
音楽なんかきいてると、「約束の地」ってよく出てきますけど、
それは中原的には「あの場所」であって、
いわゆる美的理想の桃源郷みたいなものなんでしょうけど、
それを他に求めてはならない、自分自身で作り出さなければ、
それは嘘であり、私は平静に復する事などできないんだ、という
意味合いともとれますね。繊細ながら力づよい中原らしいです。
理想って、よく太陽にそのメタファーを求められる事が多いですけど、
例えば、蛭子能収さんのマンガで「あの太陽に向かって突き進むんだ!」
と、ある男性が太陽を指差す場面があるんです。それで、
その太陽が、テストの答案につけるマルみたいな、いいかげんなマル
でしかない描写をされていたりして・・・理想も色々ですw
蛭子さん自身色々苦労してきて、時の流れと一体化して、
太陽の緻密な描写をあきらめた、ってとこなんでしょうw
既に作られた理想は、受け入れるのに容易なものと、そうでないものが
ありますね。
781 :
714:2008/11/17(月) 20:26:38 0
>>778 >嫌なのにやっちゃう事ってありませんか?
ありませんw
依存症的だなぁと思うことはあるけれども、イヤではないので・・
「嫌なのにやっちゃう」というのは、深層意識的(生理的)なものが
欲していることを、表層意識では欲していない状況、
自分の中の深層と表層が断絶していて齟齬をきたす状況、
〈流れと一体化〉していない状況、で生じる事なのかな? と思います。
『ツァラトゥストラ』では、そういう〈深層〉と〈表層〉は、
「身体(自己)」と「精神(自我)」として描かれています。
「君が『精神』と呼ぶ、君の小さな理性もまた、君の身体の道具である。
君の大いなる理性の一つの小さな道具ないしは玩具である。 ・・・
自己は自我に向かって言う、『ここで苦痛を感ぜよ!』と。すると、
そこで自我は苦悩する。」(身体を軽蔑する者たち)
デカルト〜カント〜フッサールで中心的だった「意識(自我)」を、
ニーチェは「小さな道具ないしは玩具」だと言っているわけですが、
その背後にあるという「身体」は、デカルト以来の心身問題での
「こころ」に対する「もの」のようなものではなくて、もっと根源的な、
「こころ」と「もの」とが分かれる以前のもの(ディオニュソス的なもの)
なのだと思います。
782 :
714:2008/11/17(月) 20:28:01 0
>出産よりもひどい苦痛を伴うんじゃないかと思います。
創造が苦痛を伴うかどうかは時と場合による気がします。
また、それにも〈心の持ち様説w〉があてはまるような気がする。
以前テレビで横尾忠則の特集をしていて、彼がスランプに陥った時の
経験から得たことを話していました。
・・・ 「良い作品を創ろう」という意識は苦痛しか生まない、ということ。
完成品を創ってしまうと窮屈になってしまうから、常に未完な部分を
残しておく、ということ ・・・
出来なかったら出来なくてもいい、ぐらいのおおらかさ(いいかげんさw)
があれば、苦痛は生じにくくなるのかもしれません。
>>779 >ディオニソスって、狂乱とエロス、死とも関係のある神ですよね。
>悲劇的な事件が、ディオニュソス教の秘儀中に頻発していた事も、
>ディオニュソスと悲劇を結びつけるのに関係あるのかも知れません。
『ツァラトゥストラ』によく出てくる「没落を欲する」という言葉も、
ディオニュソスと悲劇との結びつきをあらわしていると思います。
『ツァラトゥストラ』の序説第一節の結びの言葉は、
「こうしてツァラトゥストラの没落は始まった。」ですが、
『悦ばしき知識』の342節にその序説第一節とほとんど同じ文章が
書かれていて、その表題が「悲劇が始まる」になっています。
個体化の原理としてのアポロン的なものの根底には、個体的なものを
打ち破る全体的なものとしてのディオニュソス的な生成があって、
個々の個体の「死」を通して、全体としての「生」は流れていく。
783 :
714:2008/11/17(月) 20:30:39 0
>>780 >それを他に求めてはならない、自分自身で作り出さなければ、
>それは嘘であり、私は平静に復する事などできないんだ、という
>意味合いともとれますね。繊細ながら力づよい中原らしいです。
>既に作られた理想は、受け入れるのに容易なものと、そうでないものが
>ありますね。
ニーチェにとってはキリスト教的理想が受け入れ難かったわけですが、
僕はバッハやドストエフスキーが好きなので彼らのキリスト教的理想を
それなりに受け入れています。(仏教的な読みでw)
既にある理想を受け入れるということは、実際はその理想を自分なりに
作り変えているのだと思います。
人はどうあがいても自分の視点からしか見ることができないのだから。
遠藤周作が『深い河』だったかで、日本人のキリスト教信仰は、
どこか汎神論的なところがあって、西洋人の信仰とは違うというようなことを
書いていましたが、それはそうだろうなぁと思いました。
西洋人だって、一人一人がそれぞれの神を心に描いていると思います。
そのそれぞれの神が、同じ一つの神だと信じることが「信仰」なのでしょう。
哲学でいえば、永遠に変わらないイデア的なものへの信仰。
忘れられた廃墟で、二人の男女は低い声で対話を続けていた。
785 :
考える名無しさん:2008/11/18(火) 18:31:56 0
くほほ。録音終了。
アイテムを集めて○ちゃんに渡すと・・・壮大なサブイベントが始まる。
其処は、或る男によって完全に焼き尽くされたかに見えたが、(
>>735,736,737,738)
冷めた火事場で、女はしつこく叫び続けた。(
>>749,750,752,753)
>>746 問題はそういうところにあるのではなくてね、
証明できないこと、具体的に説明できないこと、
主観的な仮説や推測でしかないことを、
デカルトやフッサールが問題にしたものを抜きにして
事実として主張してしまう、ということだね。
「夢・独り言」という板にあるスレならともかく(笑
>>750:佃煮マニアさん
読んでみてもらえばわかると思うけれど、
「自分はあの人を知っている」というような書き方よりも
「当方にとっては」「当方が知るかぎり」
という但し書きをつけていることが多いと思う。
その人そのもの、というのはカントの「物自体」のように知りようがない。
「対幻想」や「共同幻想」ということを本当に理解している人であれば、
推測や仮説をあたかも事実であるかのように主張することはしないでしょう。
「私も彼女の今後について7割強で正解の解答を出し」
という表現しているけれど、「7割強」の根拠は説明できますか?
また、764で
>問題は、ネットマナーと侵害された人権の話なのに
と書いているけれど、具体的にどういう内容ですか?
もし何か自分の人権が侵害されるような言葉があったのなら、
それを確認した上で、当方も対応しなければならないでしょうね。
さあここでビッグゲストの登場だ
790 :
佃煮マニア:2008/11/19(水) 18:26:48 0
>>781 714さん
嫌なのにやっちゃう事、ないんですか〜。スゴイなあ。
表層意識と深層意識の葛藤は、断絶というよりはひとつの出会いであり、
両者の拮抗は「大きな流れ」を一旦淀ませるものの、豊かな感情を生み、
これを苦悩の中で肯定し、他者との関わりの中で互いの存在を超克する、
何かこういう事がニーチェ的な生の哲学であるようにも感じます。
他者はいつも、私の領界に侵入する不快でエロティックな存在ですが、
他者のもたらす剥奪と陵辱は、裏に充実した陶酔を抱えていたりして、
もたらされたものは、欲望へ到達しようとする私への土産物となります。
土産物をひも解き、他者を理解、受容する。
いつもこんな感じで生活してますよ。
791 :
佃煮マニア:2008/11/19(水) 18:27:54 0
>>782 714さん
作るのが楽しいだけの人もいて、不思議だなあと思っているんですよ。
そういう人は大抵、714さんの言う通り、適当にスキを残して完成、
としている事が多いです。たとえばタブローにしても、眼前に置いて、
より長く対話をできるものが良しとされる訳ですが、その対話は、
その演繹を作者が予め構築しておいたものだったりすると、妙に
堅苦しくなったりしますが、適当にスキを残したものっていうのは、
対話がどう転ぶかわからない面白味があったりします。
横尾ちゃんは、本の中で「健全な魂だけが創作をする資格を持てる」
と言ってました。彼の初期なんかは、哲学的な作品が多いですけど、
そこに哲学の病はあるのかないのか、気になりますw
例えば、彼の作品で「I am dead」とタイトルをうつまでの思索って、
結構病的な経過をたどらないとできないんじゃないかと思うんですが。
792 :
佃煮マニア:2008/11/19(水) 18:28:41 0
>>783 714さん
ドストエフスキーは私も大好きです!白痴のロゴージンはいつも、
激情に任せて行動するのでいつも血まみれです。彼は悲劇の人。
怒号を上げながら真っ赤に炎上する男爵って、ロックっぽい美学を感じます。
内在的他者、という事をラカンは言いましたが、例えば治療の場で、
治療の場に限った事じゃありませんけど、この他者性を、治療者と
患者が互いに核として持っていて、それを接合させる事が大事だ、
とも言ってた気がします。
要するに、内在する神を一つのものとしようとしてる訳ですよね。
統合失調症の場合、この他者性を当事者が強調する事は非常に危険で、
治療者がこの他者性を引き出そうとすると、症状が悪化したりします。
症状の悪化は、宗教的観点からすると、神が絶対化し始めていると
いうことになります。この時に生じるパワーは、いつも政治に利用
されます。君の神は本当はこんな姿をしている、この偶像を持って
おくといい、きっといい事があるから、神のためにこの労働を厭わない
ことだ・・・という様に。なんか変じゃないですか?
793 :
佃煮マニア:2008/11/19(水) 18:29:36 0
>>788 エートルさん
>「当方にとっては」「当方が知るかぎり」
彼女独特の理屈にカナリ洗脳されているあなたの蒙昧なイメージをして、
何か知っている、と言うのなら、それこそ無知の知じゃないですか。
>>514での「名付けます」に反応している人がいたようなので私もw
ちょっと・・・意地悪かな〜^^ごめんね。
最初からスマートな言い方をしなかった私もスキがありました。
だからどうでもいいような大騒ぎになってしまったんです。
こらえ性がない対立型の自分には、ほんとに嫌気がさします。
もう言うべきことは全部言ったし、蒸し返したくありません。
それで、、、やっぱりエートルさんは私の文章を読み飛ばしてますね。
シニフィエは隠されたまま、目の前にありながら置き去りです。
デリダは、「手紙が届かない事もある」、それもいい、なんて言いました。
彼は呑気な人です。
お互い誤解しているような時って、どうしたらいいんでしょうね。
佃煮マニアさん、
>それで、、、やっぱりエートルさんは私の文章を読み飛ばしてますね。
と書いてあるので、もう一度読み返してみました。
>>668 >>689 >>692 >>693-697 >>716-718 あたりを。
で、
>菜の花(184)さんの反対意見者が出ると、
>とたんに名無し書き込みが反対意見者の罵倒をし始めますが、
>そのどれもキャラクターが似通い、また精神年齢レベルから言って
>文学板、哲学板よりはるかに下、そして菜の花さんとほぼ一緒。
>蓋然性から言って、彼女の自演と言えるでしょう。
と書いてあるのは、08/08〜08/14にかけてのレス(
>>322-410)ですね。
281と番号があるのは確かに菜の花さんでしょう。
「菜の花(184)さん」ではなく「菜の花(281)さん」だね。
(つづき)
で、主にレスの相手になっているrom者さんのレスを読むと、
まず最初に(
>>327)
>宮沢賢治の「どんぐりと山猫」は確かに名作だが
>こんな優しい話をうがった読みして、幼稚な皮肉をひねり出すっていうのは、
>人格の問題だろうな。
という「人格攻撃」のレスをしている。
こういう書き方をする人間に対して擁護者が現われるのは当然。
rom者さんに対して、菜の花さんを擁護してるレスは第三者でしょう。
(もちろん「でしょう」としかいえないけれど)
普段はロム中心でもこういう場合は書き込みをする、という人がいるだろうというのは、
当方もそういう場合に擁護を受けた経験があるから。
しかし、その擁護を「自演」だと思ってしまうことは2ちゃんねるではよくあることで、
ここでも名無しさんを当方だと思い込んで書き込んでる風景もたまにあって笑ってしまう。
自分が名前の使い分けや自演をしていると、相手もそうだと思ってしまう、という例だね。
>>692の
>例えば、対話スレで私は、「ゲイの友人との友情と中村中」、
>「ニーチェとメーテルリンク」などの事を、会話を通じてしましたが、
>私が書いた時期より少し遅れて、
>菜の花さんはまったく同様の書き込みをしています。誇張気味に。
という部分は今度確認してみないと何ともいえないけれど、
できればリンクやレスアンカーをはってもらえる?
エートルにこんな逐一チェックいれられたら、
おれだったら泣いちゃうねwww
女は、まだ其処を去るわけにはいかなかった。
ひとりの熟女好きの変態男(
>>714)が、自分を見つめていたからである。
799 :
名無し:2008/11/21(金) 09:36:46 0
エートルさんのことが気に入って菜の花さんが邪魔になったんじゃ。。。
圧縮された10年の濃さ、この時間差を使えるのは今だけだ。大技を喰らってもらうか。
ハイパーテクは長老から直伝された。近日中にもっと教えてもらえる。
先読みが出来る様になったんだ。もうあの時みたいに舞い上がらない。
でもまだ青い。だから正攻法でいく。
男はきっと自分の写真を見ているはずだ、と女は思っていた。
10月4日、遅くとも5日には。自分の、若い頃の写真を。
それは女のお気に入りの1枚、それを見れば、かつて自分の中にも
幾ばくかの輝きがあったことが思い出せる、そんな写真であった。
それを見て男は何かを想像しただろうか、と、女は時々考えることがあった。
802 :
考える名無しさん:2008/11/22(土) 03:44:56 O
離人症患者が哲学に触れようとするスレ 2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1161463854/501 501:佃煮マニア :2008/07/10(木) 17:50:37 0 [sage]それでもダメならお薬もありますし。
じつは私も軽いADHDで、集中力があっちこっち逸れがちなんです。
こっちの事をやっていて、ふと何か思いつくと、そればっかり気になり始め、
元やっていた事を忘れて、新しい事に次々手を出してしまいます。
思考や行動に一貫性がなくなりがち、というか。
典型的な症状としてはそれくらいで、あとは普通らしいんですけど。
804 :
考える名無しさん:2008/11/22(土) 14:19:04 O
.
男は確かに、女の写真を見ていた。
彼はその写真から、少し歳を経た女の姿を想像していた。
頬と首は柔らかみを帯びてわずかにたるみ、眼のまわりに神経質そうな細かな皺が刻まれる。
弾力を失い始めた乳房、セルライト特有の細かな陰影をたたえた白い太腿まで想像すると、
男は膨らみかけた股間を染みだらけのジャージの上から荒々しくまさぐり始めた。
暗い部屋で、舌なめずりする男の顔を、モニターが青白く浮かび上がらせていた。
806 :
佃煮マニア:2008/11/22(土) 21:55:34 0
>>795 エートルさん
なんだか、いつもと違ってモヤモヤした様な事を言ってますね。
無理してますね?こういう話題が苦手なんじゃないですか。
問題をちょっとメタ化してみましょう。
パーソナルスペースについて、エートルさんはどんな意見を
もってますか?ネット空間でもそれは存在しますよね?
この質問には、是非答えてもらいたいんですが。
対話スレでは、互いの空間は広めにとっていて快適だったんですが、
あなたの紹介したスレでは空間が極小で、個人主義の私には、
まるでありえない世界が展開されていた訳です。
互いに支配し合い、甘え合い、もたれあい、
私からしたら吐き気を催す様な距離感です。
その場にいない私までその世界に組み込まれかけていましたね?
これは暴力なんですよ。わかりますか?生理的反応が出て当然です。
彼らにしたヨイショや甘言は礼儀でしかないのに食いついてきたり、
ちょっとどうかしちゃってますよね。情けないです。
807 :
佃煮マニア:2008/11/22(土) 21:56:20 0
つづき)
あなたはまだ、私をその世界に無理矢理つなげようとしていますね。
それで、個人の行為は何でもありだ、なんて言って自由を強調しますが、
何でもありの自由を与えられた集団ってのは、ファシズムに陥るんです。
一人一人が神になれば、行為は聖なるエゴイズムとして、責任を免れ、
ちょっとした選別による死刑執行なんてのも可能になります。
2ちゃんはこの傾向が強いです。それで、エゴイストに効力を持つのが、
隣人の「顔」です。皮膚を持った顔は、個人が抱えた偶像に対して
圧倒的な優位性をもち、責任の所在を明確にさせ、負荷をかけます。
実際、私も顔を出してみましたが、無責任な発言をしている人程、
「顔」に抵抗感を感じているようです。まあこれでいいでしょうw
エートルさんはこの話題を引きずって、結局何を伝えたいんですか?
核弾頭クラスの「隠し玉」でもないと困っちゃいますよ・・・w
808 :
考える名無しさん:2008/11/22(土) 22:04:13 O
なにゆえにプギャオは熟女マニアなのか?
それは母親への愛と怨み、つまり彼の母親のイデアと影の差異が彼を熟女ネットストーカーへと、熟女への歪んだ愛へと駆り立てるのだ…ということなのだろうか?
>>806-807 >なんだか、いつもと違ってモヤモヤした様な事を言ってますね。
それでは
>>794-795に書いたことをもっと明確にしてみましょうか。
問題を「ちょっとメタ化」するよりも具体的に書くほうがいいだろうし、
また相手の言葉を自己流に翻訳しないほうが「モヤモヤ」せずにすみますよ。
そして
>パーソナルスペースについて、エートルさんはどんな意見をもってますか?
という質問に対しても、その具体的な文脈の中で書きましょう。
問題の文脈は、他のスレ云々ということではなく、このスレでの
08/08〜08/14にかけての宮沢賢治をめぐる流れ(
>>322-410)で、
281さん(菜の花さん)に対して、rom者(佃煮マニアさん)は、
「幼稚な皮肉をひねり出すっていうのは、人格の問題だろうな。」という
反対意見とはいえない人格攻撃を暴力的に仕掛けている。
それに対する281さん(菜の花さん)の対応は
>>334で
>読み手が10人いれば10通りの読み方が許されるというのが持論です。
と述べて、自分の意見を固持するのではなく、
ひとつの読み方として提示しているにすぎない。
そして、281さん(菜の花さん)は
>すみません、わたしの読み方でお騒がせしてしまいましたね。。。
と、スレの流れや周囲のことを気にかけているばかりか、
人格攻撃を仕掛けてきた人間に対しても
>rom者さん、
>>328さん、おふたりの読み方をありがとうございました。
と丁寧すぎるほどの対応をしている。
BBSというパブリックな場所でも「パーソナルスペース」を大切にしようと思うなら、
まず他者への気遣いが必要で、相手の人格を攻撃するような書き方はタブーだね。
人格攻撃を仕掛けるような人間には「パーソナルスペース」や「ネットマナー」について
云々する資格などないだろう。ましてや
>>351 のように
>哲学板住民ならレヴィナスくらい読んでるだろうに、まるで倫理観が欠落してる。
といった言葉は、「他者」をキーワードに語ったレヴィナスを苦笑させるだろう。
281さん(菜の花さん)はなぜ丁寧な対応をしたのだろうか、と考えてみてほしい。
それはこの場所がパート1を自分で立てたスレッドだからだろうね。
自分で立てた場所をゴミで汚したくなかったんだろうと思う。
菜の花さんというのはきっとそういう人なんだね。
で、佃煮マニアさん、
>>796でのひとつの質問は、
該当箇所の「リンクやレスアンカーをはってもらえる?」という
とても実務的ともいえるものだったのだけど、無理かな?
できないならできないと書いてくれればそれでいい。
さ あ 、 も り あ が っ
て
ま
い
り
ま
し
た
男は自分の身体を想像して自慰をしたに違いない、と女は考えていた。
彼女はその光景を想像していた。
想像の中の男は自分よりも若く、美形であり、引き締まった尻と長大なペニスを持っていた。
それは非常に黒く、節のように血管を浮かび上がらせ、カウパー腺液によってヌラヌラと輝いていた。
まさにそれは、女の欲望を体現したかのような禍々しいかたちなのであった。
女の右手が、ゆっくりと下腹をなぞりながら性器に辿り着こうとしていた。
すでに木の芽を思わせる小さな肉の塊は堅くふくらみ、真っ赤に充血していた。
815 :
佃煮マニア:2008/11/24(月) 18:41:41 0
ナレーションが大爆笑なんですがあんまり反応してもいけないのかなw
お腹痛いw 下ネタ賢人ですね。
816 :
佃煮マニア:2008/11/24(月) 18:42:39 0
エートルさん
一面的に主観述べたり、揚げ足取りしても、意味がないんです。
あなたのネット仲間の履歴は人に調べてもらい、スレの分かりやすい所を
見せて相談したんですよ。裁判では勝てます。しかし残念な事に、
現時点では裁判所に強制力がないんです。つまり賠償請求が無理。
起こしてもせいぜい、苦情を言う程度です。抑止力にはなりますが。
だったら裁判の手間までかけて、こんな屑に関わるのは下らない。
伝えるべき事は伝え、納得も得た、スレも盛り上がってオチもついた。
希薄な関係の他人に義理立てして弁護、なんてしてることないんですよ。
>>810のエートルさんの指摘についても、やはり解答済みです。
>>811幼稚で独りよがりな、萌え理論ベースのファシズムについては
いちいち言及しません。こんな低脳がいるんだな、位です。
「1のスレ立て人は特権がある、長文コテに服従しろ
お手が出来れば人を咬んでおk、反対意見はゴミ」醜悪ですね。
こんな考えだから、本人も問題を起こすし、色んな人に叩かれるんです。
まあ生きる価値はなくても、生きる権利くらいはあるでしょうから、
日常で人にもまれて常識を鍛え直すのがいいんじゃないですか。
817 :
佃煮マニア:2008/11/24(月) 18:43:29 0
つづき)
あなたは、自身の偽善と、軽薄な感情をどうにかしようと、
理解したくない事、理解してもらえない事に挟まれながら
活発に考えています。それは建設的で、とてもいい事です。
自信が失われているなら、散文で内面を吐露してみたらどうですか。
理論武装する必要もないし、形式にこだわる事もなく、切々と。
掲示板で人の頭を借りながらボロを出し続けるより、遥かに有意義です。
いくつか作れば、人の評価に依存しない自信が生まれます。
誰かと問題を分かち合うなら、十才以上年上の、見識眼ゆたかな、
ネット外の他人を選ぶのが適切じゃないですか。
ところで、
>哲学板住民ならレヴィナスくらい読んでるだろうに、まるで倫理観が欠落してる。
といった言葉は、「他者」をキーワードに語ったレヴィナスを苦笑させるだろう。
これってどうしてですか?レヴィナスとエートルさんの「他者」についての理解、
その近似値はどの辺にあるんでしょう。
男は、女が衆人環視のもとで、自分に対してあからさまな媚びを売るのを
何度か目撃していた。(
>>729,732,778)
この、文体からだらしなくはみ出した痛々しさ…
この、腐りかけた肉の臭いのようなものこそ、熟女の醍醐味なのだ。
モニターを見つめる男のだらしなく開いた口の端から、舌が出かかっていた。
819 :
714:2008/11/25(火) 09:14:32 0
>>792 >なんか変じゃないですか?
変ですね。
それに佃煮さんが「他者(=神)」という言葉で考えていることが
どういうことなのか、僕にはよくわかりません・・
言葉や概念がどういう意味で使われているかを理解するのはいつも難しいことですが、
「他者」という概念にはとくにそれが言えると思います。
なぜかというと、「自己」でないものが「他者」で、「自」と「他」は相関的だから、
自己をどう捉えるかによって他者の捉え方も変わってくる。
だから決め手は「自己」の捉え方にあると思います。
でも、自己の捉え方ほど人によって様々に異なっているものはないと思うのです。
(「【私】を記述してください」というスレを見てもそれがよくわかります。
それぞれの人がいろんな意味で【私】と言っているから話が錯綜します。)
もし「意識」を「自」と考えるとすれば、意識の対象が「他」になるのでしょうが、
人間は自分自身のことも対象として意識するから、その自己意識において
既に自分の中で分裂的に「他」が生じているのでしょう。
意識する自己(自)の対象としての、意識された自己(他)。
人間はそういう二重の自己から成り立っていて、その二重性についてキルケゴールは
「人間とは精神である。精神とは自己と自己との関係である」と言いました。
ニーチェは「自己と自己とはあまりにも熱心に対話する」と書いていました。
820 :
714:2008/11/25(火) 09:15:36 0
一つでありながら二つであり、二つでありながら一つであろうとする分裂的自己。
この二重性は、「心」と「身体」という二重性とも、また、
「表層」と「深層」という二重性とも、微妙にズレながら重なっていると思います。
身体への意識が過剰になったり、体が思うように動かなくて違和感を覚えたりすると、
自己の身体は自らにとってよそよそしいもの(他)として感じられるようになり、、
〈心と体がバラバラ〉という状態になってしまう。
スポーツ選手などにとってはとくに、これは大敵でしょうね。
前に書いたヘリゲルさんの師範の教え
〈力を抜けば抜くほど、精神力の源泉は豊かに流れ出す〉
〈弓射は、「我」が射るのではなく、「それ」が射るのだということ〉
これは、心と身体の一体性、さらには「自」と「他」の一体性を
表しているかもしれません。
821 :
714:2008/11/25(火) 09:16:39 0
>>790 >表層意識と深層意識の葛藤は、断絶というよりはひとつの出会いであり、・・
その場合、佃煮さんにとっての〈ほんとうの自分〉は、
どのあたりに位置していると感じますか?
表層意識の側にあるのか、深層意識の側にあるのか、
それとも、表層意識と深層意識とを包むようなもう一つの自分があるのか・・
表層意識と深層意識の出会いは、自分と自分との出会いなのか、
それとも、自と他との出会いなのか・・
>これを苦悩の中で肯定し、他者との関わりの中で互いの存在を超克する、・・
〈苦悩の中で肯定できる強さ〉をニーチェは強調しましたが、
そういう強さを僕はニーチェ自身よりも、ドストエフスキーに感じます。
例えばゾシマ長老が遺言としてアリョーシャに言った言葉
「悲しみの中に幸せを見いだしなさい」にもそういう思想が表れています。
ドストエフスキーの場合はそういう思想と強さが、彼の文体にも表れていて、
(翻訳でしか読んでいないのに「文体」と言うのはへんかもしれませんが)
だから彼の小説は、どの部分を読んでもいつも勇気づけられます。
絵画では、ニーチェはルーベンスにそういう強さを感じていたようです。
僕は絵をあまり見ませんがたしかにルーベンスはそんな感じがします。あとはラファエロ。
ロックではその種の強さを感じる人や曲はちょっと思いつきません。好きですが。
女は、男と実際に会ってみたいと考えていた。(
>>732)
それほど彼女は、 自分の「顔」に、 自信を持っていたのだ。
そう、あの、別の男でさえ、「個性的な美しさのある顔だね。」と言っていたではないか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
うっとりとしながら、女は男と実際に会う時のことを想像していた。
男と女は唾液を滴らせながら、舌を絡みあわせ続ける。それはホテルの部屋であろうか、
それとも彼女の部屋、まさにこの場所、であろうか?
女は様々な前戯の、あらゆる順列組み合わせを頭の中で繰り返しながら、
引き出しの奥から巨大な黒いバイブレーターを取り出すと、その雁首に尖らせた舌を這わせ始めた。
823 :
考える名無しさん:2008/11/27(木) 21:12:49 0
>>819>>820 714さん
>「他者(=神)」という言葉で・・・
ちょっと一息に書き過ぎましたね。う〜んと・・・
統合失調症の場合、どうも妄想を引き起こ「されている」幻覚を体感「させられている」と感じる人が多いようで、
それらは単なるクオリアでしかないんですが、彼らは、使役しているのは人間以外の聖的な存在、つまり神と
認識する様なんです。
言い換えて、幻覚の由来から説明すると、
それはあるインパクト、感情をともなって蓄積された、他者の言動や所作の記憶が、内在的な他者性として認知され、
その後、当人は無意識の内に、その他者性に主体性を与えて、記憶の感覚への現前・・・白昼夢の様な幻覚を体感する時、
それを主体性を持った内在的他者の干渉と看做すようです。あまりに自動的な現象なので、そう錯覚するんでしょう。
人形ごっこをしている訳ですが、「ごっこ」と感じないんですね。
キリストもジャンヌダルクもラスプーチンも、こうして内在的他者を神として扱っています。
西欧化して、キリスト教的志向がうっすら浸透している日本に、この傾向が全くないとは言えず、何か不可思議な体験をする度
神や幽霊、その他の存在を主張したがる人っていませんか?いわゆる、スピリチュアルな人。子供もそうです。
以上の話は、意識の二重性とも関わっているとも思います。
824 :
佃煮マニア:2008/11/27(木) 21:14:41 0
つづき)
>>823名前を入れ忘れました。
>「【私】を記述してください」というスレを見てもそれがよくわかります。
私を記述スレで、自他を区別するのは何だと言う話になって、最高位さんは境界をぼかしにかかるんですが、
誰かが「遺伝子、IDだ」と言っていて、これは私も同意でした。
遺伝子以外のものは同一性を保たれませんから、これにつきますよね。
遺伝子を感じ取る事が出来ないから、混乱しがちなんですが。
感じ取れないものを求めて、みんな無への飽くなき追求をしてますが、
あんまり無いモノねだりはよくありませんwなんて。
>>821 >その場合、佃煮さんにとっての〈ほんとうの自分〉は、
>どのあたりに位置していると感じますか?
表層が、外部と入り交じってまだ未消化の自己、で他者性に近く、
深層は、経験によって自分の意識となったものじゃないかな。
それらを自律するのが上ので出した遺伝子で、「身体性」とも言いますね。
アスリートは、意識を強化して、どんな裏目でも、必ず自分の「勝ち」
への経路だけを分析するようです。深層が表層を支配してる訳ですよね。
深層が支配する意識は、攻撃性も持ちますが、彼らはその攻撃性を、
記録更新のみに集中させるんですよね。
825 :
佃煮マニア:2008/11/27(木) 21:15:46 0
>「悲しみの中に幸せを見いだしなさい」にもそういう思想が表れています。
ゾシマ長老が亡くなって、腐臭が部屋に立ちこめて、なんで人々は
あれだけ騒いだんでしょうね。未だに不可解です。
ある人が、ゲビンコスナーの鼻の穴について言ってました。
あれだけの完璧でクールな役者にも間抜けな鼻の穴があって、
画面でそこがクローズアップされてしまうと、見る側の中で
全体的な完璧さと間抜けが対照しあって、間抜け側が勝ってしまう、
それでケビンコスナーは「鼻の穴の人」になる、という事でした。
同様に、ゾシマ長老にあってはならなかった獣性が、際立ってしまって、
葬式が台無しになったのかも知れません。
二次元での厳粛な場というのは、えてして破壊されるものです。
ある人が指摘していた、「冠婚葬祭は、散財浪費を楽しむ遊びだ」
というのを引っぱって来ると、遊びには破壊衝動が必ずついて回る
ものである、だからこんな事態が展開されえる、とも言えます。
ある一定したリズムの中で、ちょっとした変動があると、それが
感覚の中で無限に増幅されます。
「悲しみの中の幸せ」を見つけるのは、そう難しくないかも知れません。
しかし、悲しみの場で大騒ぎして恍惚となり浮かれ回る民衆の描写は、
長老の言葉と対比されて、強烈な皮肉を生み出してますね。
なんかまた長くてすいません。。。要約できないタイプなんです。
826 :
考える名無しさん:2008/11/27(木) 21:16:14 0
ツクダニサンハジュンイチサン★
827 :
ナレーション:2008/11/27(木) 21:16:38 0
スヌーピーとV6のグッズで埋め尽くされた女の部屋。
九字切りシールを一面に貼ったモニターの前で、女はつぶやく。
「あらぁ〜。いやだ、またムラムラしてきちゃったじゃないのぉ。
今から街に出てイケメンハンティンしてこようかしら。どうかしら。
これはいわゆる、乾いたジャングルで獲物を狙い仕留めるアマゾネスなのだわよね。
そうそう。これで納得できないのは詐欺であって。ああ、いいわ・・・」
やおら立ち上がり、赤いドレスをたくし上げガーターストッキングを直し、
女はクローゼットに向かう。腰に手を当て、一歩踏み出す度に嬌声を上げながら。
そして、男の服を脱がす様な、ねっとりした手つきでクローゼットを開ける。
「さあ覚悟しなさい、今から、・・・あらっ?
ないわ、ないわないわ!妾(あたし)のビャーグはどこかしら?」
by佃
それにしても、と、男は考えていた。
この女は何故ここまで豹変してしまったのだろうか、と。
この場所で、あの元々の住人の男と、2人で話している間は落ち着いていたはずだ。
しかし、違う場所で、その男が、違う女と話しているのを見せられた時に、
それは始まったのだ。
男は、その時の女の気持ちを徹底的に想像しながら激しく陰茎をしごき、
まるで女のようなあえぎ声をあげながら射精に至った。
830 :
考える名無しさん:2008/11/28(金) 05:17:10 0
>>825 >ゾシマ長老が亡くなって、腐臭が部屋に立ちこめて、なんで人々は
>あれだけ騒いだんでしょうね。未だに不可解です。
キリスト教、特にカトリック的世界では、聖人の遺骸は腐らない。という
言い伝えがある。例えば、ルルドの泉の奇跡の聖ベルナデッタの例で
は、『遺体は1909年、1919年、1925年の3回にわたって公式に調査され、
特別な防腐処理がなされていないにもかかわらず腐敗が見られないと言
われている。(ウィキペディア)』この言い伝えから、ゾシマ長老が聖人では
なかったと証明されたので、大騒ぎになった。のだよ。
ルルド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%89
832 :
佃煮マニア:2008/11/30(日) 11:58:01 0
>>831 ほほぅ〜。ありがとうございます。
ウィキペディアにある「奇跡的治療」ってのは、いわゆるプラセボ(偽薬)ですね。
偽薬は、免疫系の病気、精神疾患に限り、投薬の1/4程度効果があります。
人間の肉体が腐らないためには、条件があって、要するに細菌が活動をしない状態
・そばに火の気がある(灰、煙)
・低温
・そばに動物(細菌の温床)がいない
これが必要です。これが守られた空間では「奇跡」が起きるでしょう。
そして、教会などで地位を持つ人、つまり聖人が亡くなると
普通は、地下室などの閉め切られた部屋に香を薫きしめて、
銀製品を周りに置くなどして、そこに遺骸を安置するものですけど・・・
ゾシマ長老の場合、上の条件の全く整わない場所に放置されており、また、
そうする事で、聖人かそうでないか証明を求める求める目的があったなら、
これは人体実験で、聖体への冒涜じゃないでしょうか?
神と魂をわけた聖人を冒涜した人間に、奇跡が与えられると言う様な
教えはない訳だから、証明は無効ですね。と、言いたいけど。
ドストエフスキーの話に出てきた村の村人は、生活苦に迫られており、
郷に入っては郷に従えで付和雷同しあうしかない訳です。
数をたばねて力を持った衆愚でも、彼ら一人一人は搾取された犠牲者だから、
その言い分がどんなに矛盾していても、闘うべき相手として選ぶべきではないのかも。
833 :
831:2008/11/30(日) 15:25:17 0
「カラマーゾフ」は傑作ではあるが、所詮、ドストエフスキーの作りあげた物語に過ぎないから。
ゾシマ長老の逸話は、要は彼が聖人同等に見なされていたとはいえ、単なる一個人。生きた
人間に過ぎず、死を免れることはできなかったと、ドストエフスキーは作意を示したに過ぎない。
「カラマーゾフ」のテーマの一つは「救済」。人は他人を救済できるか。という宗教的な視点が
強いと思う。読者がそんな「救済」を欲していなければ、たんなるドタバタ劇にしか見られない
だろうが。人は他人を癒せたり貧窮を助けたりできたとしても、他人にその人生の意義を与え
るようなことはできない。ゾシマ長老や、アリョーシャ、コーリャなど現世的・救済者こそ、イワン
が作中で語る作り話に出てくるような大審問官の話のような、真の救済を欲している。
しかし、救済者は現れない。共産主義革命が起きたとしても、革命が人を救済できるかどうか
は別の次元のこと。
カラマーゾフの兄弟(新潮文庫下巻P.94)
「あのね、コーリャ、それはそうと君はこの人生でとても不幸な人になるでしょうよ」突然どういう
わけか、アリョーシャが言った。「知ってます、知ってますとも。ほんとにあなたは何もかも前もって
わかるんですね!」すぐにコーリャが相槌を打った。「しかし、全体としての人生は、やはり祝福なさいよ。」
431 名前:吾輩は名無しである メェル:sage 投稿日:2008/12/02(火) 06:29:33
精一杯知的ぶっても馬鹿。文脈オタでヘタレ。
悪趣味自慢はもういいから早く喪男板に帰れば?
そっちの方が居心地いいだろうし無理する事ないよ
835 :
考える名無しさん:2008/12/02(火) 12:10:42 0
>>834 コピペかざした馬鹿。ダメオタのヘタレ。
無能自慢はもういいから早く無職板に帰れば?
そっちの方が居心地いいだろうし無理する事ないよ
「あのね、コーリャ、それはそうと君はこの人生でとても不幸な人になるでしょうよ」
837 :
考える名無しさん:2008/12/02(火) 13:56:12 0
>>836 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< オマエモナー
( ) \_____
| | |
(__)_)
838 :
714:2008/12/02(火) 14:34:11 0
>>823 >・・・、何か不可思議な体験をする度
>神や幽霊、その他の存在を主張したがる人っていませんか?いわゆる、スピリチュアルな人。
それならよくわかります。
そういう人はきっと不可思議な力に対して受動的な関係に立ちたい人なんでしょう。
自分の力を超えた力についてどう考えるか。
特に不可思議な体験をしなくても、たとえば、自分の心臓を動かしている力は、
自分で動かそうと思って動かしているのではないから、或る意味で自分の力を超えた力ですね。
それはおそらく蛆虫の体液を動かしている力とも共通する力であって、
(まぁそれが生命の力ですが・・w)
特にスピリチュアルな人でなくてもそういう力に対して、生命の「神秘」という言い方をよくします。
そういう力を「他力」と見るのか、「自力」と見るのか。
その力は、自分の力を超えてた他者の力でもあるけれども、
自分において働いているのだから自分の力でもある
その両面があると思います。
この前佃煮さんが書いていたラクダと獅子と子供でいえば、
ラクダは「他力」に対して受動的な関係に立ちたがるスピリチュアルな精神。
獅子は他力が他力であることを否定して「自力」であることを強調しようとする精神。
子供のところではニーチェは「自力で回転する車輪」と書いているけれども、
子供の「自力」は獅子の自力とは違っていて、他力に対する反抗はなくなっています。
不可思議な力を川の流れにたとえて見れば、
流れのままに、ただ受動的に流されて行くのがラクダだとすれば、
子供は流れと同じ方向へ泳いでいくから流れと一体となっていて、
流れを他者の力としてではなくて、自らの力として感じることができるのではないのかな・・
839 :
714:2008/12/02(火) 14:35:29 0
>>825 >しかし、悲しみの場で大騒ぎして恍惚となり浮かれ回る民衆の描写は、
>長老の言葉と対比されて、強烈な皮肉を生み出してますね。
民衆の大騒ぎのあと、「一本の葱」でグルーシェニカが長老の死を知って
アリョーシャの膝から飛び降りる場面、そして「ガリラヤのカナ」で
アリョーシャが大地に接吻する場面が、とても印象的です。
民衆の大騒ぎがあったから、その軽薄さとの対比で「一本の葱」と
「ガリラヤのカナ」が生きていると思います。
たぶん構成上の必要性から騒ぎの軽薄さが誇張して描かれているんでしょうね。
ところで、アリョーシャが大地に接吻する場面には
「ふいに足を払われたかのように地べたに倒れ伏した」と書かれていますが、
『罪と罰』のエピローグでラスコーリニコフがソーニャの膝を抱きしめる場面にも
似たような記述がありました。
「どうしてそうなったか、彼は自分でもわからなかったが、
不意に何ものかにつかまれて、彼女の足下へ突き飛ばされたような気がした。」
「何ものかにつかまれて」と感じているのは、そこに他者の力を感じているわけで、
「スピリチュアル」な面があるわけですが、アリョーシャやラスコーリニコフは、
それを喜びをもって受け入れて、自らの力としているから、
他者の力に対してただ受動的な関係に立つ「スピリチュアル」な人とは違って、
受動性を能動性に転換しようとしているような感じがします。
840 :
714:2008/12/02(火) 14:37:26 0
>>824 >私を記述スレで、自他を区別するのは何だと言う話になって、最高位さんは境界をぼかしにかかるんですが、
最高位さんの書き込みはあまり読みませんw
一度話した時の印象では、彼の考え方はカント的観念論と実存主義が混ざったような感じでした。
ニーチェの思想もよく知っていましたよ。
たぶんかなりまともな考え方をする人だと思います。
彼はお馬鹿なふりをして人をからかっているんじゃないのかな・・?
ああいうスレの議論は面白いです。
どこが面白いかというと、お互いの視点がズレていて話が噛み合わないところw
人はそれぞれ違う角度から世界を見ているから、視点がズレているのは当然なのだけれど、
普段の生活では、ズレていてもズレていないふりをして生きているようなところがあると思います。
でも議論となるとそうはいかないので、視点の違いが浮き彫りになります。
相手がどういう視点から世界を見ているのかを理解するのは本当に難しいと思います。
>誰かが「遺伝子、IDだ」と言っていて、これは私も同意でした。
遺伝子やIDは、指紋と同じように、自分と他人を識別する手がかりにはなりますが、
遺伝子=〈私〉とは、僕には思えませんね。
遺伝子決定論という考え方がありますが・・
佃煮さんはそういう考えですか?
841 :
714:2008/12/02(火) 15:00:39 0
>>833 >「しかし、全体としての人生は、やはり祝福なさいよ。」
これも印象的な言葉ですね。
「悲しみの中に幸せを見いだしなさい」と似ていますね。
なに自演してんだ?
id無い板の奴は自演ヘタで興醒めするぜ。
女は全裸でベッドに仰向けになり、唾液まみれのバイブレーターを乳首に押し当てていた。
もう片方の手はすでにベタベタになっている自分の性器をまさぐり続けている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
彼女は、自分の開いた両脚の間、ベッドの向こう端に、男がいるところを、想像し始める。
自分が弄り廻している性器を、喜々として見つめるその貪欲な眼差し…
長き淫蕩の果て、女の性器のかたちは肉がはじけたように崩れていた。
しかし、と女は思うのだった、本物の男は、このぼろ雑巾のようなえぐいかたちに興奮するのよ、と。
女は興奮し、べろべろと長い舌で自分の上唇を舐め回しながら「もっと見てもっと見て」と、
思わず声を出していた。
845 :
考える名無しさん:2008/12/02(火) 23:53:32 0
核戦争後に生き残った、放射能で脳がやられた人数人
847 :
ラプラスの天使 ◆daemontaDA :2008/12/03(水) 00:11:18 0
>>836 >>837 なんだか分からんが、不幸って美しいだろう。
古い話を持ち出すならば一杯の掛けそば的にさwww。
ワビサビ、銀閣寺ってことで納得しておいてくれ。
で、その究極はSMプレイなのだろうなwwwwwwwwwww。
苦痛こそまさに快楽ぅぅぅぅぅ、w。
さて、佃煮さんの多少の率直さに期待したけれど無駄だったようだし、
元々のスレ主さんがいなくなった場所にはもう興味がないので
もうここに来る理由もないな。
もともと哲学板には大して興味はなく、
菜の花、全然541の2人がいたから来たまでだし。
菜の花さんが1を立てたスレだから書いてきたけれど、
まあそれなりに楽しくはあったなあ。
哲学板のレベルもよくわかったしね。
ここに書き込む人は当方も含め、
みんな菜の花さんの掌で飛び跳ねてる野ウサギなんだね。
>>725 >ところで、「エートルさんは絵描き」とたまに言われていますが
>私には医者に見えます
レスが遅くなってすいません。
どうもそんな感じになりそうな気配があったけれど、
やはり専門家じゃないので無理そうです。
それから、絵描きさんでもないです。。。(笑
それから、どうも病気を患っている人もここにはいるようですが、
これ以上悪化しないことを願ってます(これは嫌味じゃなく)。
851 :
考える名無しさん:2008/12/03(水) 09:50:43 0
434 名前:吾輩は名無しである メェル:sage 投稿日:2008/12/03(水) 06:08:07
なんでそう上から目線で妄想するのかね〜
他のスレで批判されてた抽象的な人物像について、
何となく思い出したからたまたまここに書いただけじゃん。
ここに詳細は書かないけど菜の花さんのネット犯罪が法的に立証されてるんだし、
ちょっとツンツン突かれてもしょうがないんじゃない?あたりまえだよ。
その辺の事をなんか気にしちゃってヤになっちゃったのかな?
852 :
考える名無しさん:2008/12/03(水) 09:57:44 0
くだらねえ雑談してんな(笑)
853 :
考える名無しさん:2008/12/03(水) 10:19:59 0
>>852 ある人が、ゲビンコスナーの鼻の穴について言ってました。
あれだけの完璧でクールな役者にも間抜けな鼻の穴があって、
画面でそこがクローズアップされてしまうと、見る側の中で
全体的な完璧さと間抜けが対照しあって、間抜け側が勝ってしまう、
それでケビンコスナーは「鼻の穴の人」になる、という事でした。
435 名前:吾輩は名無しである メェル:sage 投稿日:2008/12/03(水) 12:09:45
ここか! 純一が荒らしてるスレは!
エートルさんの捨て台詞、男らしくないね。
856 :
考える名無しさん:2008/12/03(水) 17:53:46 0
>>855 おまえは正真正銘のクズだな、はははははは。
857 :
佃煮マニア:2008/12/04(木) 20:23:22 0
>>847 ラプラスの悪魔さん
>一杯の掛けそば・・・SM
それ、もしかして快楽亭ブラックの落語じゃないですか?
師走、ある店に家族三人分のプレイを買いにいくとかの。
それを知らないとしたらすごい発想力ですね。
>>848-
>>850 エートルさん
ひとしきり病的な事を書いてから「病気の人はお大事に」と落とす辺りが、
なつかしのボキャブラ基準でいくと「バカ渋」あたりでしょうか。
議論くらいでそうカリカリしないんですよ。。。
無知の知の証明用に掲示板でのことを引き合いに出しただけなんだから。
機嫌直して下さいね^^
>>855 ちょっと・・・ね。
858 :
佃煮マニア:2008/12/04(木) 20:24:00 0
>>838 714さん
>そういう力を「他力」と見るのか、「自力」と見るのか。
肉体は永久機関ではなくて、ものを食べているから動かせるんですが、
例えば独立栄養生物の人は一生飲まず食わずで生きたりします。
また、アルツハイマーで食べた事を忘れる人なんかも、
本人の主観では、自身の肉体は永久機関だと思えてしまうかも。
それぞれ独特のメカニズムで、何らか摂取しているんですが、
それを一口に説明するには、結構ややこしい所を通らないといけません。
めんどくさいから「神秘」でいいじゃん、と言いたげな、なんか
やたらと神秘神秘と言いたがる人には、そんな印象があります。
>ラクダは「他力」に対して受動的な・・・
ニーチェの概念をラカンに置き換えると、こんな例えが出来るかも知れません。
ラクダ→象徴界
獅子→想像界
子供→現実界
言葉の使い方も色々ですね。私はニーチェのが好きかな。ファンシーで。
859 :
佃煮マニア:2008/12/04(木) 20:24:36 0
>>839 714さん
長老の葬儀辺りの場面で、衆愚の有様が描かれてて、それを例えば、
もうすぐ始まる裁判員制度なんかと照らし合わせてみると、
付和雷同型の愚衆が、人の価値、生き死にを決める場に引き出されて
多数決で決定なんていう悲惨な結果をつくりだす(だろう)という点で
類似があります。これは権力者側の、決定に関しての責任逃れとも言えます。
今の社会の、現実生活の中では、何かの事例について考えるとき、
権力者の立場か、犠牲者の立場か、の二項対立でしか考えにくいですよね。
文学は、そこから一歩踏み出す事ができるので、そこがいい所です。
アリョーシャはわりと、ゾシマ長老に近い考えながら傍観者的ですよね。
博愛主義的で、宗教が抱える偽善に打ちのめされながら美しく生きています。
ゾシマ長老は、苦しんでいる人に「一本の葱」を差し出しなさい、と述べますが、
それに対立するイワンは、美しいイデアの世界をわからない愚民を、
自分が導いていかなければ・・・と、イデアの世界を「天上のパン」に例えて言います。
パンか葱か、どちらも愛の実践の経路が違うだけの様にも思えます。
大文字の他者と直接対峙、または身辺の人を地道に救済・・・
ある歌手は「パンと葱を一緒に喰うんだ」と熱唱します。
寒いこの時期、ボルシチやポトフに葱を入れて、ガーリックトーストと一緒に、
親しい人と分け合って食べると、心も身体もあったまれるでしょうね^^
人を救うと言って、歳末助け合いなんかは偽善だし、身近な人を喜ばせるのが
イチバンと思いますが、どうでしょうね?
860 :
佃煮マニア:2008/12/04(木) 20:25:25 0
>>840 714さん
>どこが面白いかというと、お互いの視点がズレていて話が噛み合わないところw
う〜ん、かみあってないと言えば、そうかも?どうかも。
いつからか最高位さんのレスに「こち亀」の両津勘吉の声を
イメージする様になりましたが・・・w 実は大人な人ですよね。
コギト発で私について考えると、あるはずの主体を掴むために
他者性をすべて除外して初めて「私」が見えてくる訳だから、
除外しているはずの相手と話をするのは、何かシュールですね。
もしくは、遂行しつつある行為の途中なのかも知れません。
主体というものはあるのかないのか、「ない」と結論づけたのが、
ポスト構造主義なんでしたっけ。デリダとか。ラカンとか。
コギトを突き詰めると結果、環境破壊を引き起こす。
ポスト構造主義の脱中心性では管理、監視社会を引き起こす。
じゃあどうしたらいいだろう。どんな「私」を実現すれば、
人間のあるべき姿で生活できるんだろう・・・どうでしょうね?
じっくり考えたい問題ではあります。
>佃煮さんはそういう考えですか?
決定論も考えとしてアリでしょうけど、私は藤子F的世界観が好きです。
必然、偶然、色々諸要素が入り交じって事象が成り立っていて、
自分のアクションの質によって、いくらでも世界が分岐していく・・・
そういう感じで構えていると、ワクワクしてくるので。
デカルトのいう物理原理って、何にでも当てはめられるもの?ですか?
>>855 まあそういうことでいいです(笑
>>857 まあそういうことでいいです(笑
では、さようなら。
>>856 どうか放置してあげてください。
当方に対してなら何を言われても構いませんから(笑
あなたの時間を大切にしてください。
それから、名無しの方も含め、
いろいろ付き合ってくれたり、気遣ってくれた人に感謝を。
レスを返してないこともあったと思うけれど、
どうもありがとう。
ババアのヒスは恐ろしいねw
864 :
最近法律とかすぐ持ち出すクレーマー体質の人が多い:2008/12/05(金) 09:44:24 0
441 名前:吾輩は名無しである メェル:sage 投稿日:2008/12/05(金) 05:52:25
>>439 弁護弁護言ってて話がフニャフニャじゃん。こっちは弁護士に保証受けててね。
結局、暗くて神経質なオタの馴れ合いスレに都合悪い事書かれるのが耐えられないだけでしょ。
それで三行レスしただけで勝手に「自分の事だ〜」とか妄想して、ヒス起こして
二人であっちこっちに暴言はきまくりの糞レスしてるんでしょ?まだ三人かな?w
人として恥ずかしいと思わない時点で終わってるねw 男としては論外だけど。
前からこんな事やってたよね?何かあるとチンピラみたいなネット仲間で悪口大会やって、
そのあとスレ荒らして。こういうのを「ネットイナゴ」って言うんだよ?知ってた?
442 名前:がむちょこ メェル:sage 投稿日:2008/12/05(金) 09:38:01
それはちょっと使い方違うよねwww
落ち着け、クズ。
865 :
最近法律とかすぐ持ち出すクレーマー体質の人が多い:2008/12/05(金) 09:48:51 0
441 名前:吾輩は名無しである メェル:sage 投稿日:2008/12/05(金) 05:52:25
>>439 弁護弁護言ってて話がフニャフニャじゃん。こっちは弁護士に保証受けててね。
結局、暗くて神経質なオタの馴れ合いスレに都合悪い事書かれるのが耐えられないだけでしょ。
それで三行レスしただけで勝手に「自分の事だ〜」とか妄想して、ヒス起こして
二人であっちこっちに暴言はきまくりの糞レスしてるんでしょ?まだ三人かな?w
人として恥ずかしいと思わない時点で終わってるねw 男としては論外だけど。
前からこんな事やってたよね?何かあるとチンピラみたいなネット仲間で悪口大会やって、
そのあとスレ荒らして。こういうのを「ネットイナゴ」って言うんだよ?知ってた?
442 名前:がむちょこ メェル:sage 投稿日:2008/12/05(金) 09:38:01
それはちょっと使い方違うよねwww
落ち着け、クズ。
866 :
856:2008/12/05(金) 22:01:54 0
>>862 ゼッタイ、ヤダ!
wwwwwwwwwwww
868 :
この書き込みはひどい:2008/12/07(日) 16:22:06 0
450 :吾輩は名無しである:2008/12/06(土) 06:31:30
sageで陰気な事書かないと荒らし扱いする豚がいるので・・・
陰気に愚痴を書くね。一応、死にたい的な感じ感。
そうそう、荒らしと言えば、・・・ソース厨じゃないだろうし、糞レス引用するの嫌だからざくっと書くけど、
そういえば、前に、対話スレ2で名無し菜の花が自費出版だかのつまんなそうな漫画を宣伝して荒らしてた。
「読まないと対話に参加させない」とか脅しかけながら。結構しつこかった。キモい。死ねばいいのに。
あの時から、こういう最低な輩は除外だな〜・・・と思ってたけど、
その後菜の花はキャラ萌えしながら馴れ馴れしくして来るから、調子あわせつつ困っちゃったよ。
前541とかいうニートも馴れ馴れしかった。何でだろうと思ってた。不快だった。殆ど話してないのに。
勘違いの距離梨がキョヒられて逆ギレとか、寒いよね。キレるだけ。話してもまともに議論すら出来ない連中。
前541=がむちょことか言う人、宣伝がもとでアク禁になったって?
自分でチラ裏スレに書いてたよね、嬉しそうに。死ね。
869 :
この書き込みはひどい:2008/12/07(日) 16:22:39 0
451 :吾輩は名無しである:2008/12/06(土) 06:32:57
私も馬鹿だった。こんなのとうっかり話しちゃって。関わっちゃダメだろ。
私の周りって面白くて大人ないい人が殆どだから、びっくりしたけど、
でも世の中には、こんな可哀想な人がいるって勉強になったよ。
ネットイナゴの行動心理も観察してわかったしね。
劣等感から来る関係妄想が攻撃性に結びつくんだ。ヤクザと同じ発想。大変だね。
マイナスオーラ出まくりにもなる訳だよね。それを人に向かって吐き出してスッキリできなくて、
ラノベとかの世界に逃避する。我が意を得たりな箇所しか読まない。文学を理解なんかしない。
こんなんが、「文学板はスレが落ちないので」とかの自己都合で学問板に居座る。一般書籍板に隔離が適当だけど。
迷惑勝手な事いくらでも書きなぐって、苦情言われて都合が悪けりゃ荒扱い。死ねと思うんだけど。
頭おかしい。おかしいけどしょうがないよね。ヤクザだもん。イナゴだもん。
この連中は元をたどれば家庭環境、低IQ低スペックの劣性遺伝子なんだから。
生まれつきなら仕方ない。泣けてくる。いや祝福しとく。
祝福するからもう関わってこないで。同じレベルに立ちたくないんだ。
これにレスしなくていいから。乞食みたいなのにレスされるだけ迷惑。
870 :
この書き込みはひどい:2008/12/07(日) 16:23:19 0
453 :吾輩は名無しである:2008/12/06(土) 20:57:40
汚い話だから書くのが嫌だったんだけど、やっぱり早く書いちゃおう。
これもソースなしの実話。二個追加しとくね。
ちなちゃんはすごく可愛いんだ。
本物の天然、ナチュラル系だから、2ちゃんなんて興味持たないし。私と全然違う。
生き方も美しいしね。自分の道を行ってる感じで。
ゲイなんだけど。
対話スレ3で、ゲイの友人との半恋的な友情について書いて、
愛を体験で語る事の難しさについて哲学問答した事があるんだ。
その問答の流れの一部を、萌えオタのドブス(菜の花)がオナニースレで流用してて参ったよ。
法的には「成り済まし」で立証できる犯罪らしい。賠償は無理だけど。
このスレの>>何番?中村中がどうのとかの箇所。人の会話とか思い出をかすめとっていじると興奮するらしい。
対話スレ3では、「彼女は恵まれた出会いで結婚」と書いたんだけど。そしたら、
今年の夏ごろ菜の花は別コテで「『恵まれた出会い』ってなんだろね?」とブスウザい事ほざいてるし。
ド屑が嗅ぎ回るな。乞食。
キモいってキモい。何でよりによってこんな
>>450の通りのDQNが。こいつこれでも女なんだ。
文学板屈指の糞コテ、美香も女だったね。同格か。汚れは死ね。ブス。
871 :
この書き込みはひどい:2008/12/07(日) 16:23:59 0
454 :吾輩は名無しである:2008/12/06(土) 21:06:56
次。
今年の夏、対話スレ4で誰かとおもしろい中村義道の話をしてたら、またブスコテの菜の花が割り込んできて、
みんながしてる話を「興味ないっ♪」とブスほざきながら突然ぬこたんの話をし出したんだ。
その後、これ見よがしに宮沢賢治の感想文とか書き出して。
話の脈絡のなさとか、全然気にならないみたい。空気読めない低能ブスだから。民度低くて。
で、感想について反論したら、いきなり自演始めてびっくりしたよ。
調べたら、名無し書き込みの殆ど菜の花。基地外だね。
目一杯罵詈雑言書きまくって、スッキリしたのかと思いきや、
天文学スレに戻って「高圧的な人に一方的に言われて悲しくなります。。。」とブスの上塗り。
自演慣れしてる屑DQNも、姫扱いされてみたいらしい。
ここまで生きる価値がない屑を見たのは始めてで、クラクラしちゃったよ。
迷惑。この汚れ、人格障害じゃない?
人に汚いもの押し付けて平気にブリッコする所がまた、厚かましいオバチャンだよ。
872 :
考える名無しさん:2008/12/07(日) 16:36:00 0
これはかなり重症
873 :
考える名無しさん:2008/12/07(日) 18:06:57 0
オッサンの中のおこちゃまを引き出してしまうという事は
潜在的ペドフィリアの可能性ありか。バロスw
実はペドについて共感して欲しいんだけどスレが立たなくて困ってるので、立ててよ
875 :
考える名無しさん:2008/12/07(日) 18:34:46 0
876 :
714:2008/12/08(月) 19:24:46 0
>>858 >それを一口に説明するには、結構ややこしい所を通らないといけません。
>めんどくさいから「神秘」でいいじゃん、と言いたげな、なんか
>やたらと神秘神秘と言いたがる人には、そんな印象があります。
生命については、今のところまだ分からないことが多いですよね。
そして今のところまだ分からないことが、いつか分かるようになるのかどうか?
それも、分からないと思います。
「神秘」と言ってしまうと、永遠に分からないようなニュアンスを感じるけれども、
まぁ人間の知性には限界があるから、全て解明されることはないでしょう。
大事なのは、理性的に認識できることと認識できないこととを見分ける目だと思います。
理性的に考えても分からないことを理性的に考えていても無駄だから。
西洋哲学史で一番重要な哲学者はカントだと僕は思っているんです。
カントの『純粋理性批判』。
彼はこの本で人間の理性には限界があること、そしてその限界を超えると
理性は誤った推論をしてしまうということを示そうとしました。
理性の限界を超えた問題は、たとえば
〈神はいるのか? いないのか?〉
〈宇宙は有限なのか? 無限なのか?〉
〈自由はあるのか? ないのか?〉
こういう問題は永遠に決着がつかない。
(だから決定論と自由の問題を正面から考えても結論は出ません)
理性的に認識できることと認識できないことの境界線を引くことは、
宗教(道徳)と学問(科学)、つまり〈信仰と知〉の境界線を引くことでもあったので、
実際カント以降は科学と宗教の区別がはっきりしてきたと思います。
昔はもっと渾然一体としていて、今から見ればオカルト的なものが多かったんでしょう。
この前の「スピリチュアルな人」も、そんな感じがします。
(〈信仰と知〉の違いについて、考えが足りない感じ。)
877 :
714:2008/12/08(月) 19:26:03 0
>>859 >今の社会の、現実生活の中では、何かの事例について考えるとき、
>権力者の立場か、犠牲者の立場か、の二項対立でしか考えにくいですよね。
僕はそういう見方はあまりしませんねぇ・・・
>寒いこの時期、ボルシチやポトフに葱を入れて、ガーリックトーストと一緒に
ピロシキに葱が入っていればパンと葱を一緒に食べられます。
ドストエフスキーの小説の中でたまに誰かがピロシキらしきものを食べていると、
むしょうにピロシキが食べたくなります。
>人を救うと言って、歳末助け合いなんかは偽善だし、身近な人を喜ばせるのが
>イチバンと思いますが、どうでしょうね?
歳末助け合いが全部偽善だとは思わないけれども、
身近なものをすっ飛ばした博愛はだめでしょうね。
遠くのもの(距離的にも時間的にも)への愛や憧れは、
地に足の着かない空想的なものになってしまいがちだと思います。
ジョン・レノンの「イマジン」みたいな、囲い無しのユートピアもイカガナモノカと思います。
いがみ合い、小競り合いし続けているのが現実の人間であって、現実の人間の愛は、
「囲い」の中での愛なのだと思います。
ユートピアを夢見るより、囲いと囲いとの争いを小競り合い程度に抑えるように
努めることのほうが大事なんじゃないかと思います。
878 :
714:2008/12/08(月) 19:28:22 0
>>860 >主体というものはあるのかないのか、「ない」と結論づけたのが、
>ポスト構造主義なんでしたっけ。デリダとか。ラカンとか。
構造主義のレヴィ=ストロースと実存主義のサルトルとの論争が有名ですね。
構造主義は〈関係〉を重視するから、その考え方によると、
主体が先にあるのではなくて、構造(関係)が主体を作っているということになる。
たとえば自我と他者の関係も、先に確固とした自我と他者が存在しているのではなくて、
先にあるのは〈関係〉であって、そこから、貴方にとっての私、と、私にとっての貴方
が相互依存的に決まってくる。
構造主義に対してサルトルは「構造の産物である人間は、同時に構造をのりこえる
主体でもある」と反論したそうですが・・
最高位さんなら、「構造」が先にあると思ってるのは〈誰〉なんだよ?w、と反論するかもねw
関係が主体を生みだしているのか、主体が関係を生みだしているのか・・
その両面があると僕は思います。
視点をどこに置くかによって、見え方が違ってくるだけだと思います。
でもこんなことは構造主義が現れる2千年以上も前から仏教思想では議論されていたんですよ。
主体は相互依存的な関係(縁起)によって生じているから〈無我〉である。
これは仏教の基本思想です。
しかも仏教思想のすごいところは、無我であるからといって主体は消去されてはいないところ。
むしろそこに真の主体が考えられている。
たとえば臨済録には「随所に主となれば立処皆真なり」という有名な言葉があります。
仏教は、レヴィ=ストロースとサルトルが生まれる2千年以上前に、
構造主義と実存主義を止揚(?)していますw
879 :
714:2008/12/08(月) 19:30:24 0
>>860 >デカルトのいう物理原理って、何にでも当てはめられるもの?ですか?
デカルトは物心二元論だから、「もの」と「こころ」の、「もの」の方には当てはまるんでしょう。
現代では二元論はよく批判の的になっていて悪者扱いされることが多いんですが、
デカルトは物心二元論によって、科学の発展に貢献した人ですね。
逆に言うと近代科学は物心二元論という特定のものの見方にもとづいて発展した。
物理学(フィジク)は自然学(フィジク)だけれど、「自然」はギリシャ語の〈フュシス〉です。
古代ギリシャのフュシスは生命と精神とを内在するものであって、存在と生命を切り離して
見ることはできない(つまりどんなものでも程度の差はあれ「生きている」)と考えられていました。
それに対して、「精神」とも「生命」とも無関係な「物質」という領域が
物心二元論によって生まれて、生命なき物質の学として物理学が始まる・・
後にでてきた生物学というのは、物理学が切り拓いた方向に沿って発展しているんだろうから、
つまり、生命なき物質の学に沿って生物を考えている学問ということになってしまって、
学問としては無理がある感じがしますね・・
ニーチェが存在を「生」と呼んでいるのは、存在を「物質」とは見ないで、
「もの」と「こころ」とが分かれる以前の〈フュシス〉として見ているからでしょうね。
女は黒いバイブレーターを膣に、それよりひとまわり細いシリコンのバイブレーターを
アヌスに突っ込み、ひとりベッドの上でよがり狂っていた。
女は男の長大なペニスが、おのが肛門をつらぬくさまを、細部に至るまで妄想し続けていた。
「そんなところ、だめ!」と、低く声までも漏らしながら。
女は細長いシリコンが直腸内壁をこする感触に失禁しそうになりながらも
それによって汚れてしまうシーツの洗濯の手間、さえも考えていたのだ。
その、女。
やがてそこそこのオルガスムスに達した女は、
火にかけっぱなしですっかり煮詰まってしまったポトフに、葱を、入れた。
バイブを鼻の穴に突っ込んで鼻血がでた。まで読んだ。
882 :
佃煮マニア:2008/12/10(水) 17:47:43 0
>>876 714さん
>この前の「スピリチュアルな人」も、そんな感じがします。
論理にはどうしても、裏に欲目を隠した計算がつきまといますよね。
スピリチュアル系の人がよくやる、心的イメージでのメッセージは、
そういった計算、「はからい」を捨てた、仏教で言う施し、慈悲の現れです。
だれでも簡単にできる言辞施といったところでしょうか。
スピリチュアルのノウハウは、理性の及ばない善意の具現なんですよね。
これって、右脳でのコミュニケーションという事になるでしょうか。
一応、知的な作業ではあるんですが、説明が曖昧なんでしょう。
右脳のやってる事の言語化って、結構これから進められていくのかな。
ちょっと話横道にそれます。。。
説明の難しい現象を、オカルトとか超常現象っていいますね。
動物並みに感覚の鋭い人っていて、メカニズムが解明されてないですけど、
身近に一人います、そういう人。その人はトランプの神経衰弱を、
殆ど一人で開いてしまうんです。一回開いて覚えとくとかじゃなくて。
おかしいと思って別部屋に行き、段ボールに字を書いて本人の前で伏せ、
何を書いたか当てさせたんです。結果、大当たりです。
触ると「浮かんで来る」らしいです。感覚のどこがどう働いてるのかな・・・
それを見てから、しばらくトラウマになって話すのが怖かったんですけど、
この直感力は生得的なものでしょうし、今は安心して接しています。
透視とかヘンテコな名前じゃなくて、もっと気の利いた名前が要りますよ。
883 :
佃煮マニア:2008/12/10(水) 17:48:25 0
>>877 >ピロシキに葱が入っていればパンと葱を一緒に食べられます。
ピロシキはいいですね。今度作ってみようかな♪
規則は、倫理、理想を伴った思想に裏打ちされたイデア性が込められています。
だとすると、規則に整えられた行動の全てはイデアの恵みの発散とも言え、
同時に贈与的です。
規則に則して行動すれば、個々の行いは、即施しになり得る、と思います。
その規則がいくつもあってそれぞれ折り合わないから、
不条理な事件が起こってしまうんでしょうけどね。
そういった悲劇に釘付けになり、イワンは何と言うか、
構造改革をしようとして葱の狂い投げの様なことをしてしまうんですが、
私は彼が一番好きかな。幼児虐待についてのイワンの見解は印象的ですよね。
>歳末助け合いが・・・
十円を箱に入れただけで、鳥をむしった羽をつけて「私は善人です」って
幻想しつつなんて・・・滑稽ですよ。
箱に入れても中間業者が吸い取るだけなんだから、上野公園のテントにでも
投げ込んだらいいんです。“神”にお賽銭できて有り難いじゃないですかw
現実的、合理的だしね^^
884 :
佃煮マニア:2008/12/10(水) 17:48:59 0
>>878 >構造が先にあると思ってるのは誰?
これ盲点ですねwするどい!ん〜何か言語ゲームっぽいかな。
構造主義に見られる様な、
自我から「主体」を遊離させて、都合でどうにでも変えられそうな
「関係性」の中に逃がしてしまう試みは、
政治利用されると、、、なんか危険な感じがします。
人間の情動、個性を軽視し過ぎていますよ。
ドライな戦争、すぐキレる人、通り魔の増加とか、弊害が出ますよね。
「随所に主となれば、立処皆真なり」って、いい言葉ですね。
充溢した空間に生きてる感じがして、これは納得です。
お寺に集まる檀家の拝金主義と、ワープアニート問題を合わせると、
仏教のシステムにも、すこし矛盾がある気もしますけど、
ちいさい神社とかへの自然主義的な信仰は、結構好きかな。
885 :
佃煮マニア:2008/12/10(水) 17:49:32 0
>>879 物理に弱いので、何と言ったらいいか言葉に詰まりますが・・・
例えば麻雀って、一応数字合わせのゲームですが、
本なんかでは、そのメカニズムが数物理学で説明されたりしてても、
実際の有段者に聞くと、確率だけに従っても、勝ちはないようです。
ツキと落ち目の波や、場の流れには、バイオリズムが関わっているとか。
「気」も必要らしいです。密度を持った視線で状況を見る
疑似化学とか東洋医学とかを、感覚でつかんで極意が得られるそうです。
フシュスとして存在を把握して、それを心で感じる事って、
たしかに必要な場面が多いです。
能動的な意志の様々な形態について、ニーチェは描きましたよね。
脳科学とかの、情動についての物質的なだけの説明と違って、
彼は意志の様相を説明しつつ、その描写は、
レトリックによって読者の感情に刺激を届ける表現にもなってますよね。
886 :
吉田メロウ:2008/12/10(水) 21:32:49 O
>>878 関係性を位置付けたり、カテゴライズするのも主観の問題です
かね。主体者の偏見から逃れられる認識の方法論は存在しない。
従って、現象を構造的に把握する努力は本来的に思想を無力化
する運命を担っている。我々に必要なのはこうしたニヒリズム
ではなく、生が担っているあらゆる困難の解決法なのだ。故に
認識とは、原理原則のことを指すのではなく、具体的な課題に
直面した際に我々がとるべき行動であり、それによって解消さ
れた問題群が人間に寄与した認識と方法なのだ。
(´-`*)y―~
巛ミヾヾ \
/ ミ ヽ
f, ミ }
┏v'┳_━━━ r、 |
yバノ゙’' ̄ ''' } }゙ }
‘ーj`' : // /
L_ヽ i V /
(" ` ! _/
\ _,. -‐ '  ̄ !_
/|~ /  ̄ \
デ・ダレ [De Darret]
(1923〜 フランス)
女が敗北感と勝利感の間を必死に駆けずり回るのを、男はじっと見ていた。
発作があり、その直後は妙に落ち着いている。
しかし、と男は思った。確実に、少しずつ変化してきている。
もう女には、逃げることができないのだ、この状況から。
読み、レスを書く。読み、レスを書く。
どんなことを書かれても、女はそれを必ず読むだろう。
読まずにはいられないのだ。
ならば、と男は考えた。言葉だけでこの女を破壊することもできるのだ。
,.-─ ─-、─-、
, イ)ィ -─ ──- 、ミヽ
ノ /,.-‐'"´ `ヾj ii / Λ
,イ// ^ヽj(二フ'"´ ̄`ヾ、ノイ{
ノ/,/ミ三ニヲ´ ゙、ノi!
{V /ミ三二,イ , -─ Yソ
レ'/三二彡イ .:ィこラ ;:こラ j{
V;;;::. ;ヲヾ!V ー '′ i ー ' ソ
Vニミ( 入 、 r j ,′
ヾミ、`ゝ ` ー--‐'ゞニ<‐-イ
ヽ ヽ -''ニニ‐ /
| `、 ⌒ ,/
| > ---- r‐'´
ヽ_ |
ヽ _ _ 」
ググレカス [ gugurecus ]
(西暦一世紀前半〜没年不明)
主体とか認識とか仏教とかほざいてるのが笑えるww
あんたらもうアホかとw
愛ですよ愛っ〜
SEXできる相手を見つけたら
そんな問題も精神病もふっとぶぜww
ちゅーことでナレーションがこの問題にどう切り込み
どういう展開をみせるのか、楽しみだ楽しみだww
架空哲学者AA列伝も、オモロー!
ね、つくだにさん
結構しつこかった。キモい。死ねばいいのに。
勘違いの距離梨がキョヒられて逆ギレとか、寒いよね。キレるだけ。
自分でチラ裏スレに書いてたよね、嬉しそうに。死ね。
劣等感から来る関係妄想が攻撃性に結びつくんだ。ヤクザと同じ発想。
死ねと思うんだけど。頭おかしい。おかしいけどしょうがないよね。ヤクザだもん。
この連中は元をたどれば家庭環境、低IQ低スペックの劣性遺伝子なんだから。
対話スレ3で、ゲイの友人との半恋的な友情について書いて、
愛を体験で語る事の難しさについて哲学問答した事があるんだ。
その問答の流れの一部を、萌えオタのドブスがオナニースレで流用してて参ったよ。
ブスウザい事ほざいてるし。ド屑が嗅ぎ回るな。乞食。 キモいってキモい。
文学板屈指の糞コテ、美香も女だったね。同格か。汚れは死ね。ブス。
空気読めない低能ブスだから。民度低くて。
で、感想について反論したら、いきなり自演始めてびっくりしたよ。 基地外だね。
ブスの上塗り。 自演慣れしてる屑DQNも、姫扱いされてみたいらしい。
ここまで生きる価値がない屑を見たのは始めてで、クラクラしちゃったよ。
迷惑。この汚れ、人格障害じゃない? 厚かましいオバチャンだよ。
_| ̄|_| ̄| | ̄|_| ̄|__| ̄|_| ̄| | ̄|_| ̄|_| ̄|
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〈 〈] ゚,、〈| | o ヽ| | o ヽ| | o ヽ| | o └「 ̄\
ヽ-ヘ_>ノ_ノ|_|、_ハ/|_|、_八ノ|_|、_ハ/|_|、_ハ/`⊇.ノ
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l_j_j_j と) | | | / l_j_j_j と) | | | / l_j_j_j と) | | | /
893 :
佃煮マニア「わたしはしつこい熟女」:2008/12/12(金) 14:38:59 0
473 名前:吾輩は名無しである メェル:sage 投稿日:2008/12/12(金) 06:20:48
>あなたは自分にとって居心地のいいスレにどこでも行けばいい。
ほとんど、「嫌なら見るな」と言ってるのと一緒だね。
「嫌なら見るな」は、荒らしの決まり文句だよ。とくに腐女子のね。
そんな事をわざわざ書くという事は、荒らし体質を自覚できたと受け止めていいのかなw
優秀な人は、のみこみがはやいよね・・・・・・・・・・・・・・・
2ちゃんねるは、マイノリティをいくらでも受け入れるけど。
そこで妙な夢を膨らませすぎると、必ず破綻する。最悪の例が加藤。
自覚ができたのなら、もうからかい半分な事をしつこく書くのは止めるから、
情報を少し控えて、カウンセラーを訪ねるといいよ。
タイミングがあったら、また話せるといいね。
895 :
佃煮マニア:2008/12/14(日) 11:11:35 0
なんか知的な刺激をうけるナレーションですね〜。
もし、事態がシナリオ通りの進行しかあり得ないなら、
それがどう描かれるんでしょうね。物語自体が、パーツとして装置に埋め込まれ、期限まで動力を保つしかない、その「なさ」の絶望感を。
それと、バイブの慟哭はいかにも生々しいのに、それはやはり空疎な作り物でしかない辺り、ジャンジャン盛って、個人的愉楽を超えて欲しいものです。
火の鳥の何編だったか・・・チヒロとロビタって出てきましたね?
全ロビタの、プログラム通りの集団自殺とかとか。→ロビタ
マシーンが人間としてしか認識できない知覚の暴走などなど。→チヒロ
手塚式機械論では、あくまでも人間と機械は別もの、意識がそれをつなぎ止めると主張しましたが、
大友克洋、塚本真也は、すでにマシーンと物理的にジョイントされた人間像を描いて、これに反論したんですね。でも、彼らのそれは化け物扱いだった。
一方、コナミの小島秀夫は、「メタルギアソリッド」で、
人為的に作り出された殺人機械として誕生したスネークを、人間として、
大文字の他者と同義のビッグボス、愛国者達と対峙させ、勝たせています。
他者などいないと。ある様に見えたそれは幻想で、今ある欲望と戦略、それが全てだと。何か狂気めいた、力強さを感じます。
こうして彼は、ゲームを追体験した人間に機械としてのアイデンティティを植え付け、集団的な一個の装置を作り出そうと画策します。
情感と機械化が、人間の中でどんどん切り離されいく流れを感じますが、
テクノロジーと浸食し合い、拮抗する生の議論はおもしろい・・・
896 :
佃煮マニア:2008/12/14(日) 11:12:24 0
人間機械論は、フランス革命の際に生まれた思想です。
人間社会、また個々の肉体は、全て一個の機械でしかないのだから、
流れる重油がパイプにつまっていたら、洗わなければならない、
つまり権力や金の流れ先に偏りがあってはいけないだろう、
という事ですね。平等、革命、そのための思想です。
人間みな機械だもの。相田みつをっぽいです。
みつをは機械論を、どう受け止めるでしょうね?
そもそも、なんで人間が機械なのか。
フランス、当時押し寄せていた機械文明に、たまたま威圧的なインパクトを感じていたから、人々は、早くなじまなきゃと焦ったんでしょう。それが人情です。
人間が機械だと言われても、そんなのは医学的に厳密さを欠いていますが、
ドゥルーズなんかは必死に、「お前には欲望があるから機械だぜ」と、
迷惑な話を押し付けるので困ります。
感覚をもった肉体に機械などという固くて尖ったものを押し込む等、不快な官能話を、
正当な医学は嫌いなくせに人の頭を覗きたくって仕方のない様な変態医師ガタリと、グルになって、
十年もかけて一冊の本にまとめ、世間の素朴でまじめな人間に向かって売りさばいて利まで得ようとという、壮大なセクハラに命をかけていました。男の人ってこれだから嫌です。まったくいやらしい。思いやりってものがありません。
機械が大好きなドゥルーズは、念願かなって、
臨終間際に病院から、人工心肺を付けてもらうという、これ以上ないプレゼントをもらい、満足して言い残す事がなくなったのか、自ら命を絶ちました。
人間、欲しいもののためにかけずり回るもの。そんな機械。
だって、人間だもの。
実はホッブスが欲望機械という概念を出してますね
ハーヴィ「血液循環説」→デカルト「動物機械論」→メトリ「人間機械論」
こんな感じですかね
ちなみにデカルトにとって、機械のイメージは「時計」ですね
いつの頃からか、「人間についての言説」における真理性、正当性は
生物学を参照基準にされるようになってしまって、決定論で言えば
たぶんこれから警戒されるのは、「遺伝子決定論」かもしれないですね
898 :
武田直 ◆YXVNsnwYQo :2008/12/14(日) 11:55:27 0
そうですね。デカルトの時代の時計に始まり、産業時代の
オートメーション、いまならばコンピュータやネットワーク。
最近なら、グーグルへの人の全英知の管理、が流行っています。
人は絶えず最新機械のメタファーで考えられる。
機械論は近代の病の一つのいっていいと思います。
脳還元主義、遺伝子還元主義。貨幣還元主義(資本主義)
899 :
吉田メロウ:2008/12/14(日) 12:13:11 O
佃煮マニアさんの文章は非論理的で意味が通りにくいですね。
結局なにが言いたいのかよくわからない。そんなところがある。
(´-`;)y―~
まもなくここは 乂1000取り合戦場乂 となります。
\∧_ヘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,,、,、,,, / \〇ノゝ∩ < 1000取り合戦、いくぞゴルァ!! ,,、,、,,,
/三√ ゚Д゚) / \____________ ,,、,、,,,
/三/| ゚U゚|\ ,,、,、,,, ,,、,、,,,
,,、,、,,, U (:::::::::::) ,,、,、,,, \オーーーーーーーッ!!/
//三/|三|\ ∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
∪ ∪ ( ) ( ) ( ) )
,,、,、,,, ,,、,、,,, ∧_∧∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
,,、,、,,, ( ) ( ) ( ) ( )
901 :
714:2008/12/14(日) 16:33:52 0
>>882 >スピリチュアル系の人がよくやる、心的イメージでのメッセージは、
>そういった計算、「はからい」を捨てた、仏教で言う施し、慈悲の現れです。
ん・・・??
『心的イメージでのメッセージ』というのはたとえばどんな事なのですか?
>この直感力は生得的なものでしょうし、今は安心して接しています。
>透視とかヘンテコな名前じゃなくて、もっと気の利いた名前が要りますよ。
気の利いた名前・・
『ふしぎ』でいいんじゃないでしょうかw
僕はその人を知らないから、それが「生得的直観」なのか「インチキw」なのか全く判断できません。
それを考えると、(また、〈信と知〉の話につなげて考えると)
佃煮さんは、その人に対するなんらかの〈信〉があるのでしょう。
そしてその人に対する〈信〉があることによって、事柄そのものへの〈信〉も生じるのだと思います。
ちょっとずれるかも知れませんが、人に対する〈信〉と事柄への〈信〉、で思い出したゾシマ長老の言葉があります。
子供を亡くした婦人への言葉です。
「そして聖者は『だからお前もそんなに泣かずに、喜んだらどうじゃね、おかみさん、
お前の子供も今では神様のおそばで天使の仲間にはいっておるのじゃからな』と言われた。
泣いているおかみさんにむかしむかしえらい聖者がこう言われたということだ。
そのお方はそれはえらい聖者だから、間違ったことを言われるはずはない。
そういうわけだからな、おかみさん、お前の子供も今では間違いなく神様の祭壇の前に立って
喜びにあふれ、浮かれて騒いだり、お前のことを神様に祈ったりしているものと心得るがよい。
だからお前も泣くのはやめて、喜ぶことだな」
『えらい聖者だから、間違ったことを言われるはずはない』
こういう言い方は仏教でもよく出てきますが、とても宗教的な言い方ですね。
僕はけっこう好きです。
ゾシマ長老がえらい聖者の言葉を引用しているのは、「権威主義」なんかじゃなくて、〈信〉です。
そして聖者に対する〈信〉が、亡くなった子供が天使の仲間に入っているという事への〈信〉につながっています。
902 :
714:2008/12/14(日) 16:37:36 0
>>883 >規則に則して行動すれば、個々の行いは、即施しになり得る、と思います。
『規則』というのは法律とか校則とか、そういう規則のことですか??
>私は彼が一番好きかな。幼児虐待についてのイワンの見解は印象的ですよね。
印象的ですね。
僕はイワンの見解そのものよりも、あの場面のイワンとアリョーシャの『からみ』が好きです。
たとえばこんなところ。
「『そこで・・・どうだい?この将軍は死刑にでも処すべきかね?道徳的感情を満足さすために、銃殺にでも処すべきかね?
言ってごらん、アリョーシャ!』
『銃殺に処すべきです!』あお白い、ゆがんだような微笑を浮かべて兄を見上げながら、アリョーシャは小さな声でこう言った」
バフチンという批評家は、ドストエフスキー文学の本質はポリフォニー(多旋律音楽)
にあると言ってますが、本当にその通りだと僕も思います。
「それぞれに独立して互いに融け合うことのないあまたの声と意識、それぞれがれっきとした
価値を持つ声たちによる真のポリフォニーこそが、ドストエフスキーの小説の本質的な特徴なのである。
彼の作品の中で起こっていることは、複数の個性や運命が単一の作者の意識の光に照らされた単一の
客観的な世界の中で展開されてゆくといったことではない。そうではなくて、ここではまさに、
それぞれの世界を持った複数の対等な意識が、各自の独立性を保ったまま、何らかの事件という
まとまりの中に織り込まれてゆくのである」(バフチン『ドストエフスキーの詩学』)
アリョーシャが主人公だとしても、イワンやドミートリィも彼ら独自の世界をもっていて、アリョーシャと対等な旋律を奏でている。
父フョードルやゾシマ長老、スメルジャコフだってそうだと思います。「伴奏」ではない。
決して融け合うことのない複数の旋律がからみ合うところに、無限の深みのようなものが出てくる感じがします。
そしてポリフォニーといえば・・、バッハですねw
http://jp.youtube.com/watch?v=6N7skE4d57c 一本でもポリフォニー
http://jp.youtube.com/watch?v=Dm9QsZcdGS4
903 :
714:2008/12/14(日) 16:38:49 0
>>884 >人間の情動、個性を軽視し過ぎていますよ。
たしかに構造とか関係を中心として見る考え方だと、主体は構造に対して
受動的な関係に立たされるから、そこからは真に能動的な主体性は出てきにくいと思います。
「個性」は、構造的な見方からも出てくると思います。
ソシュール以来、構造主義でもポスト構造主義でも〈差異〉という概念がキーワードになっているから。
でもその「個性」も、関係によってつくられた個性ということになってしまうのかな。
その「個性」は、他との〈比較〉が前提とされた個性であるように思われます。
それは実存的な「個性」とは違いますね。
実存的な「かけがえのなさ」。
たとえば、ハイデガーの言葉「人は私の代わりに死んではくれない」。
実存的にかけがえのない主体は、他と〈比較〉されない絶対の主体ですね。
904 :
714:2008/12/14(日) 16:39:51 0
>>886 >主体者の偏見から逃れられる認識の方法論は存在しない。
>従って、現象を構造的に把握する努力は本来的に思想を無力化
>する運命を担っている。我々に必要なのはこうしたニヒリズム
>ではなく、・・・
その時ニヒリズムが生じるとすれば、それは「偏見」という語に含まれている
ネカティブな意味によって生じるのだと思われます。
でも「偏っている」ということがネガティブな意味を帯びるのは、
「偏っていない」見方がある場合だけでしょう。
もし偏っていない「正しい」見方があるのならば、
偏った見方は、「正しくない」見方として、ネガティブな意味を帯びざるをえない。
でももし「偏見から逃れられる認識の方法論は存在しない」のならば、
「偏っていない」見方は存在しないことになるから、
「偏っている」ということをネガティブに考える必要もなくなる。
だからニヒリズムに陥る理由もなくなります。
ならばポジティブに、自分らしく「偏った」見解を持てばいい。
(・・・というような考え方が、ニーチェのニヒリズム克服の論理です。)
(ネガティブからポジティブへ。価値転換。)
905 :
考える名無しさん:2008/12/14(日) 17:59:01 0
>>861-871は佃煮マニアという人が
他の板に書き込んで荒らしてるみたいなんだけど
そのへんのことは見ないふりですか?
他の人もそれを見て見ぬふりですか?
そして抽象的な哲学の話題に逃げてる・・・
なんか現実逃避ですね・・・
906 :
905:2008/12/14(日) 18:06:10 0
907 :
吉田メロウ:2008/12/14(日) 18:06:35 O
>>905 どーでもいいんだよ。いま野球中継がないから、たまに2ch
をバチパチ叩いてるだけなんだから。それも俺は何してんだ
ってムナしさに紛れにな。うー、サムっ。
(´-`;)y―~
908 :
考える名無しさん:2008/12/14(日) 18:19:49 0
>>692で
「一応、私は統合失調症じゃないです。検査して分かっています。」
と書いてあったけど、どういう結果が出たのでしょうね?
909 :
考える名無しさん:2008/12/14(日) 18:22:44 0
佃煮マニアという人が自演をしていたことは
>>668で自分で書いてますね。
>で、夏、rom者というコテで、ゲラゲラ笑いながら書き込んだりして。
>今回のも友人と私がやってました。女発言したり、写真貼ったり。
>他色々・・・。
哲学板というところはこういう人も許容するんだ・・・
そもそもなんでそんな検査受けることになったのやら
912 :
考える名無しさん:2008/12/14(日) 18:31:51 0
913 :
考える名無しさん:2008/12/14(日) 23:30:15 0
純一もそういうこと言ってたし
まあ哲板にはそういうのが多いんじゃね?
現実逃避のために哲学を利用してんだよ
番号つけてる香具師もコテの現実逃避を幇助
同類ともにあわれむってやつよ
915 :
考える名無しさん:
>870に
「文学板屈指の糞コテ、美香も女だったね。」とか書いてあるから
たぶん女コテに粘着してんだろうなあ