1 :
考える名無しさん:
もう少し続けてみるか。
2 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 08:40:53 0
【私】は物体か。
もしそうでないとすれば【私】は何だろう?
ヽ ,r'',,,,,,,,,,、、、、,, ;;从;; ::::ヽi{
) ,、 '~彡 ツ" ツ 彡''''''ー-、::'''::::... ::::: ヽ │ ー┼ー
い 面 す 息 ヽ ,、-',,、-、,,,ノt,,,;;;;,,,,,,,,,,r'",,,,、:::: `'ヽ ::~'ー、::::: ) レ┌┼-、
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や 倒 る を / ,,、-'~ ,"~´(´ヘー = );;;;;;;;` ̄ ̄´ `':::: ;;}r''、:) ー┼ー
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だ で の > ,r' '";;;、 '" ー`~-`'''ー-ミ、;;;,,、、 、::: ~'ー、 ミミ:::ヽ └" ノ
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も j @),,))、-''"-、_,,,,、-ー――----、、~~''''''ーーz'-、,,, ミ:イ r┼ノ-、
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,,,,jr-ij ヽー' ~'ー::: '''" ~'三ニー''') ∫
,、 '~''',,、-i{,;ii i|从 ,,,,、、、,,,,,,,,, ー=ニ二, ∫
ヽ ,、イ ー'''",,、-'~ii;从 ' 、;~' 、,, ,,, 、-ー '''"~:::::::::;;、 -'" ,,,、- ー ''';;l\ ∫
`'ー― ''""ヽ、,,、-、ノ,、 i|r''"´ ,,,、-ー'ii;ヽ从 ~''ー、;;;;~~~~~~;;;;;;;;;;;; 、、-ー'''"、、、、-''''":::;;::::::::::: :::::;;;;\
// ヽ~'=ー ''"""'' ヽ;;从'ー'- ~'''ー― '' " ー''''~;;''";;;;;;;;;;;;::::::::;:;:;:;:;:;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;~'''''"
4 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 10:51:15 0
私自身は物体以外の何者でもない。
そんなことは哲学以前の事実だ。
5 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 10:55:49 0
あなたが死んだら、その死体があなた自身なのかい?
通常は、物体としての身体が残っても、
「その人自身」はもはや存在していないと考えるが。
こんなことは哲学以前の事実じゃないかい?w
なんか反論になってなくね。
私が物体なのと私が死体じゃないのは両立するし。
7 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 14:03:14 0
解釈の(≒定義の)問題じゃね?
遺体を見て
「田中さんが死んでいる」と受け取る人。
「いや、“生きていないんだから”コレはもはや田中さんではない」と受け取る人。
「魂が抜けたから、“遺体は田中さんではない”」と受け取る人。
「いや、たとえ魂として真の田中さんが抜けてしまったとしても、
これまで“田中さんとして活動してきた身体なのだから”“田中さんとして扱うべき”だ」と受け取る人。
いろいろ居そうじゃね?w
さて、
人間の肉体は、『何によって、(ただの肉塊でなく)“人”足り得るのだろう・・。“人格”足り得るのだろう・・』
それはレトリックだけだから、大した哲学的問題ではない。
修理不可能なほど全ての細かい回路がショートして壊れて動かなくなったロボット機械と同じ。
9 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 15:00:04 0
最高位と下僕は天才的覚醒の域に達する可能性がある。
所詮一般人とは次元が違うようだ。
10 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 15:21:42 0
>>8
哲学はレトリカルな問題。それ以上でも以下でもない。
科学はそうではないと嘯いているが、たぶんにレトリカルである。
ロボットにたとえるあたりに、それが覗いている。
11 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 15:23:54 0
ところで、身体は物体ですか。
13 :
下僕:2008/06/03(火) 15:32:05 0
私を知れば、
●結婚相手が解る。
●寿命が解る。
●特技が解る。
●過去と未来が解る。
●すべきことが解る。
●知りたいことの総てが解る。
よって私を記述する事により、拡散され、外界に飛び散った私が
本来の私の場所に収束され、私が身近になり、徐々に私を理解するのに、
時間差が少なくなり、その時間差がゼロになった時、その差を取ると称して、
悟りと言う。
今、自分が何をしているかを知っているならば、私が記述すること、
総てが私であるという結論は当然の事なんだが、私の置き場所を
設定されていない場合。私は大抵、私以外の場所に私が拡散されている。
そんな私が私を記述するならば、私とは、やはり「どうにでもなる」であり、
それに該当するもっとも適切な言葉があるとするならば、創造主であり、
「主」である。しかし結局、私は「主」であるならば、私は「ココ」であると
言えば、済む。よって、「私は、今ここに居る。」←私の記述。
面白くもなんともありゃしない。
14 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/03(火) 15:40:24 0
一応前スレより再掲・・・・・・・・
1 名前:考える名無しさん 2008/04/24(木) 14:42:33 0
副題:=【私】は、どこまで肉体に依存するのか?=
『私』『我』『自我』『主体』『主観』『主観性』、
デカルト的懐疑の到達点、認識の基点、思考の起点、思惟の場、
或いは、各種宗教的アプローチの底に見出されるもの、
等は、どのような記述が可能なのか?
その記述方法は、唯物的な(或いは還元的な)事象の羅列で十分か不十分か?
その記述方法は、一通りか?それとも何種類もあるか?
それら記述方法の分類・仕分けはどのようなものか?
『それ』にふさわしいラベルはどんなものだろうか?
『それ』と「外界」の関係は?
『それ』と「他者の『それ』」との関係は?
『それ』は、普遍性を持つか?
『それ』は、どこにあるのか?
『それ』は、複合的に形成・構成されたもの・成立したものか?
『それ』は、単独に存在しうる(成立しうる)ものか?
『それ』は、妄想か?錯覚か?便宜上のラベルか?
『それ』は、実感されるが故に確かな存在か?
前スレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1209015753/
15 :
下僕:2008/06/03(火) 15:51:36 0
私の記述方法などはとても簡単です。
いつだれが、書いたものか?です。
それが書き主であり、主は私であります。
「私」はどこでも記述され、「私」はどこにでもいるのだから、
私を記述しない行為そのものが、不可能である。
このように私は考える訳です。
16 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 16:32:05 0
名前:考える名無しさん[] 投稿日:2008/06/03(火) 12:44:21 0
958だけどトンデモていったのは
「コピーは本物で無いので警察に捕まるのが落ち」
が明らかに本筋にどう関係あるか分からなかったからなんだけどw
コピーすると警察につかまるというのが、どう同一性の議論と
かみ合うのか説明してちょww
オレはかなりしつこいよw
17 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 16:48:36 0
ほんとにしつこいね。
あれは、じいさんが笑わせようとして、スベっただけ。
老人にはよくあること。
それよりも、スレが改まったのになおもそのことに喰らいついている君は
病気の恐れがある。そっちのほうが心配だ。
いちど、みてもらったほうがいい。
じいさん本人がいるらしいので、直接、きいてみれば。
何でも議論の対象にするという哲学板の文脈では、
ユーモアか本気かの境界線が曖昧になることが多いですね。
19 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 17:03:26 0
>>18 その区別ができない人は、哲板にはこないほうがいい。
もともと凶刃的性向が強いのに、議論の進展しだいで悪化させてしまう懸念があるからです。
20 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 17:15:51 0
ところで、ウィステリアさん(でいいのかな)は女性だと思うけど、どうよ。
あっちのラビ女史は初めは処女(淑女)のごとく、ついには脱兎(あばずれ)の本性を
ムキだしにして罵りまくりますが、ウィスさんは本物のレディとお見受けしました。
もし女性でないのなら、すごく礼儀ただしいオカマ、失礼、ゲイかもしれません。
あなた方は今何処に居るのですか?私は無にいます^^
あなた方を漢字で書くと貴方方になるんだな。ベクトル2連発
前スレの「純粋な水」と「純粋な存在性」は思考の仕方が似てると思うんだ
同じ分子構造で同じ性質の水なのに、
北極の水が凍っても、赤道の水は凍らなかった。
なので、この違いは物理的な違いではないだろう。
25 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 23:59:41 0
>>22 横浜に水道道というところがありますが、
これと同じ意味合いがあるのでしょうか。
26 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 00:08:15 0
同じ分子構造で同じ性質の【肉体】なのに、
ヤング博士に【『私』があっても(生じても)】、コピーヤング博士に【『私』はない(生じない)】。
なので、この違いは物理的な違いではないだろう。
27 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 00:12:14 0
>>23 この純粋という概念は何からもたらされたのだろうか。
プラトンの言うように想起しているのだろうか。
素粒子というのは構造を持たない純粋物質のことだろう?
こちらは点とか線とか円のようにはイメージを共有できない難があるが…
28 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 00:16:36 0
>>27 点とか線は擬似的ではあれ、描くことができるからね。
素粒子はどんなイメージなの?
29 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 00:28:01 0
同じ分子構造で同じ性質、同じ機能のパソコンなのに、
自宅のパソコンが壊れても、職場のパソコンは壊れなかった。
なので、この違いは物理的な違いではないだろう。
30 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 00:36:25 0
>>29 位置が違うじゃん。当然、関係が異なる。劣悪な環境で君のような粗雑な人間に
扱われたら、すぐ壊れます。
31 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 00:41:48 0
事件は会議室ではなく現場で起きていると言うよね。
現実存在のパソコンや私は、あらゆる周囲の物と分かちがたく関係して
変化している。
定義された辞典の中の純粋なパソコンや私とは違う。
いや、同じ同じw
同じ「私」なのに、昨日の私は楽しかったけど、
今日の私は楽しくない。
なので、この違いは主観性によるものではないだろう。
私
36 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/04(水) 22:09:40 0
簡単な話だよ
「宇宙には、オレがいる」 という事
その『オレ』を、物理現象などの「法則性」「パターン」によって存在せしめる事は、絶対に不可能
物理現象などの「法則性」から『オレ』の原因性を導き出す事は、どうやったって絶対に、100% 不可能
要するに
「物理現象は、絶対に『オレ』の原因性には成りえない」 という結論なんです
唯物論と決定論が、論理的に完全否定された、歴史的瞬間であります
むしろ宇宙にいるからこそ法則からは逃げられないと思われる。
宇宙って色んな法則で記述されてるし。
「むしろ宇宙にいるからこそ法則からは逃げられないと思われる。
宇宙って色んな法則で記述されてるし。 」
と「私」が考えたのは、どういう宇宙法則によってでしょうか?
最高位はいつから思想転向したんだよ?
「まず最初に俺がいて、俺が宇宙を考えている」のが最高位思想だろ。
「宇宙があって、宇宙の中に俺が発生した」じゃ最高位思想と反対じゃね?
つーか、最高位は自分で何書いてるのか分かってないな。
>>38 天気予報が外れるから天候の変化は宇宙法則では動いていないという神秘主義者?
>>38 そもそも「私」って何?
「」が付いてるけど具体的にどういった用途で使用されるの?
>>43 いや、
>>37の文章は俺が考えたものだし、そのままの意味じゃ
>>38が何か変になんじゃん。
つか態度悪いし、煽りたいだけならレスしなくていいからな。
>>39 >最高位はいつから思想転向したんだよ?
最高位が立場をころころと変えるのは最初からだよ。
ある時は唯物論者で、またある時は反唯物論者。
無自覚なご都合主義。
>>44 「俺」って何ですか?
ここは「私」を記述するスレなんじゃないですか?
47 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/05(木) 00:34:48 0
>>45 そういうことでしょう。しかし「ご都合主義」であることは本人の勝手ですね。
ですが、そうであればここのスレにいる必要はないようですね。
哲学というのは自分の言説に最後まで責任をもつということが前提ですから。
49 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/05(木) 00:43:54 0
せめて、一般人との日常会話が出来る人に書き込んで欲しいです
50 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/05(木) 00:50:38 0
>>39 >「まず最初に俺がいて、俺が宇宙を考えている」のが最高位思想だろ。
はぁ?
>「宇宙があって、宇宙の中に俺が発生した」じゃ最高位思想と反対じゃね?
アホですか?
>つーか、最高位は自分で何書いてるのか分かってないな。
お前が、わかっとらんのだよバカ
>>36 >『オレ』を、「法則性」「パターン」によって存在せしめる事は、絶対に不可能
>要するに「物理現象は、絶対に『オレ』の原因性には成りえない」
くだらねえ。
オレは現在のこの場所で言葉を使用している者。
現在のこの場所は二度と再現できない。
2008年6月4日はもう終わった。
2008年6月4日はパターンや法則ではない過ぎ去った時間。
最高位はバカ。
>>46 俺の意味は辞書で調べてみるといい。
それにしても反論に詰まると話を逸らす奴ばっかで萎えるな。
53 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/05(木) 00:56:27 0
>>51 観念論だな
形質的なものは、再現が可能なんだよ
再現できないのは、『私』の観念が絡んでいるからだろ
分別して、よく考えろバカ
54 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 01:06:01 0
>>53 説教染みたことは言いたくないが、
「全てが、(一回限り)唯一のもの(こと)である」
という姿勢の無い者が唯物論批判なぞ、ちゃんちゃらおかしい。
「『私』の観念以外、簡単に代替が利く」なんて価値観の者が、
唯物論を倫理的に批判するなぞ傲慢不遜も甚だしい。
顔洗って出直して来い。
55 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/05(木) 01:17:38 0
>>45 >ある時は唯物論者で、またある時は反唯物論者。
私はキミらよりも、唯物論も反唯物論も、よく理解している
そして
キミらのような中途半端な唯物論ではなく
唯物論というものを徹底的に追及し、それを解説した上で、唯物論の矛盾を突いているわけだ
私の事が、唯物論者に見えたり反唯物論者に見えたりするという事は
それはキミらが、基礎すら理解できとらん という証拠だ
>>54 一回限りだとして、では何で、この物体が『私』だったのかね?
いかなる物理的要素によって『私』が発生しているのかね?
観念的な事ばかり言ってないで
科学的に、物理的要素で説明したまえ
>「『私』の観念以外、簡単に代替が利く」なんて価値観の者が、
はぁ?
代替が利くだろ
私の体の中のH2Oでさえ、昨日は太平洋の真ん中にあったのかも知れないし
そのH2Oを別のH2Oと取り換えても、それは代替が利くはずだぞ?
利かないとしたら、何の物理的要素なのかね?
56 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/05(木) 01:24:01 0
ある時は何々ではなく
「私」なるものが独立して身体、精神を移動しているだけですから。
そのように見えるのでしょう。
ちゅうかね、「代替する」という時点でそれらは等価ではないのよね。
これ基本よ。
58 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/05(木) 01:26:54 0
>>56 誰に喋りかけてんの??
せめて日常会話レベルができるようになろうよ
2ちゃんより、まず生身の人間と会話する訓練しようよ
59 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 01:30:36 0
自分だって病人の独り言ばかり書いてるのにw>58
60 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/05(木) 01:34:39 0
>>57 キミの考える等価とは?
そして等価でなければ、それが何で反論になると?
反論したいなら、ちゃんと説明しなくちゃね
しかし
なんでオレが、こんな事まで指導してやらなくちゃいけないの???
もうちょっと、マトモな人いませんか?
意識というのは他人と自分が認め合って出来ているんだよ。
「純粋な私の存在性」なるものが、
どこかに実体的に、独立して存在しているわけではないの。
哲学者最高位はそこが理解出来ていないから、
哲学的なセンスが無いんだよ。
62 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/05(木) 01:46:39 0
>>61 >意識というのは他人と自分が認め合って出来ているんだよ。
やはり、自分がいなきゃいかんという事だねぇ
最初の、その時点でキミは、すでに『自分』を前提しちゃってるわけだよ
問題は『自分とは』なんだから、最初から前提しちゃってたら話にならんわけよ
その自分について、もっと根本的に掘り下げてみなさい って事よ
63 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/05(木) 01:53:16 0
私も他人も純粋な存在性で成り立っているならば
区別、差別するこころに因って私が「有」と思うわけです。
自他共に純粋の存在を見出す。
これを仏性といいますす。
>>60 みんな一回こっきりということは正しい。
だからなぜこの物体が私なのかって質問には意味がなくなる。
この物体だから私になったってことだからね。
>>55 >私はキミらよりも、唯物論も反唯物論も、よく理解している
自分一人でそう思いこむのは自由だし、もしかしたら本当にそうなのかもしれないけれど、
少なくとも他人にそうだと認めさせる能力はないようだよ?w
66 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 02:29:10 0
>私の体の中のH2Oでさえ、
ぷっwwワロタ
67 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/05(木) 03:44:05 0
>>63 >これを仏性といいますす。
仏性の解説など、誰も頼んでませんが?(爆笑
>区別、差別するこころに因って私が「有」と思うわけです。
区別、差別しているのが『私』であってね
というか
区別、差別している心 というのは、通常は『他人』でしょ
要するに、区別、差別しているから『私』なのだという考えは、間違い という事になる
そもそも、なんで『私』なんてものが存在しているのか
というのが大きな問題なのよ
その問題が、わかりませんか?(苦笑
>>64 だから、なんでこの物体が私だったのか と聞いてるのに
問題が理解できないのかねぇ
物理的要素以外の原因だったら、唯物論じゃないだろ(爆笑
結局、キミは「この体なんだなら」という観点で終わり
この体は、他の体と比較して、何が特別だと言うのかねぇ・・・
キミは、問題が理解できないゆえに
非常に原始的な、幼稚な唯物論から進歩できていません
まず、現代哲学的な問題意識を理解しなきゃ先に進めんよ
>>65 理解できないのは、2ちゃんの哲学板のヤツだけだから、全く気にしてないよ(爆笑
たまにはマトモなヤツはいないのかな? と、ホント不思議
小学生ですかね
69 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 04:08:18 0
>生命は世界に在る
>世界は地球に在る
>地球は宇宙に在る
>宇宙は何処に在る
何処にも無いのに世界(=私の表象)が<在る>ことが不思議
70 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/05(木) 04:23:34 0
>>67最高位さん
ここが見解の相違です。
区別するこころによって「私」「他」が生じるわけであります。
主体は「私」のように見えますが
実はそのこころの作用によって生じた仮の姿なんですね。
誰彼のこころというようなものではありません。
物理の法則も同じではないでしょうか?
誰彼のための法則なんてありませんから。
莫迦に説法
>>67 あー、これだけ簡単にいっても理解してないなー。なんか特別がどうとかいってるし。
というか、そんな無意味な問題に執着してるなんて不思議だね。
そんな問いかけじゃ神様がそうしたからって答えも否定できずに呑み込まされるだろうに。
73 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/05(木) 09:45:23 0
>>70 >区別するこころによって「私」「他」が生じるわけであります。
区別してるのが『私』でしょう
違うなら誰が区別してるのかね?
『私』の原因性の話なんだから
「私が、心によって区別する事によって、私と他が生じる」
では、話が前後していて論理的におかしいでしょう
>>72 『私』の原因が、物理現象なのかどうなのかが論点なんだよ
「私だったから」では、問題そのものが理解できていない
物理現象なのかどうなのかを考えてみなさい
>>36 >「宇宙には、オレがいる」 という事
>その『オレ』を、物理現象などの「法則性」「パターン」によって存在せしめる事は、絶対に不可能
最高位氏、「オレ」でなくて、単なる物体である「哲学者最高位」でも「朝青龍」でも
同じことだ、とご説明したでしょうにw
75 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/05(木) 10:52:43 0
>>74 論点は、人間の精神の原因性について なんだよ
それが物理現象なのかどうなのか が問題
物体が物理現象によって存在している などと主張する人はおらんだろ
物体の存在原因は宇宙の根本問題
人間の精神も、その根本問題同じ次元の問題だとすると
それはもう、唯物論など消し飛んでしまうよ
現象以前の存在だ という事になってしまうのだからね
76 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 11:16:53 0
「こう想像すると、こういう気がしてくる」みたいな関係と論理の
区別がついていないらしい。
77 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/05(木) 11:18:42 0
簡単な話だよ
「宇宙には、オレがいる」 という事
その『オレ』を、物理現象などの「法則性」「パターン」によって存在せしめる事は、絶対に不可能
物理現象などの「法則性」から『オレ』の原因性を導き出す事は、どうやったって絶対に、100% 不可能
要するに
「物理現象は、絶対に『オレ』の原因性には成りえない」 という結論なんです
唯物論と決定論が、論理的に完全否定された、歴史的瞬間であります
追記
「宇宙には、オレがいる」という言葉に引っかかるなら
「ここに、オレがいる」でも、単に「オレがいる」でもOK(笑
78 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/05(木) 11:19:44 0
79 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 11:20:34 0
>>75 人間の精神はPCのソフトと同レベルの存在。
唯物論が消し飛ぶことはない。
人間の精神と物質の存在原因はまったく次元の異なる問題で、
物質の存在こそが宇宙の根本的問題。
ソフトウェア(人間の精神やPC上のプログラム)と、
ハードウェア(肉体やPC本体)では問題の深さが全く異なる。
80 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 11:22:42 0
>>77 >「物理現象は、絶対に『オレ』の原因性には成りえない」 という結論なんです
これはPC上のプログラムでも同じことが言える。
>唯物論と決定論が、論理的に完全否定された、歴史的瞬間であります
全然否定されていない。
>>75 >論点は、人間の精神の原因性について なんだよ
>それが物理現象なのかどうなのか が問題
おお、最高位氏、『私』はどこに行ってしまったのですかw?
「人間の精神」の原因は「人間の肉体」という物理現象である、というのが
唯物論的仮説で、まあごく常識的な見解です。あなたも格別反対されないのだと
思っていたのですが、違うのでしょうか?
これを反証するためには、「人間の肉体なしで人間の精神が存在し得る」
ことを示すしかありませんが、今のところ誰も成功しておりません。
>物体が物理現象によって存在している などと主張する人はおらんだろ
最高位氏、全く意味不明ですw そもそも「物体」と「物理現象」を分けて
考える理由はありません。「哲学者最高位」も「朝青龍」も、物体だとも
言えるし物理現象だとも言えます。どちらもこの宇宙の特定の一部分ですから、
完全に一回性の物体・現象・出来事であるわけです。
それが何によって存在しているか、という問いは、それがこの宇宙の他の部分と
どういう関係にあるのか、という問いであります。
「朝青龍」なら、特定の男女の性交と受精と出産という一回性の物理現象の
結果として存在している(それがなかったら存在しなかったであろう)、
というのが、まことに常識的な理解なのですが(ただし立証は不可能です)、
いかがw?
82 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 11:31:25 0
>>77 >唯物論と決定論が、論理的に完全否定された、歴史的瞬間であります
妄想乙。
それは個体と普遍性の問題であって、唯物論は全く否定されていない。
83 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/05(木) 11:38:42 0
>>79 物体も、ソフトも
私からすれば、全て『他』なんだが
ではPCに
『私』の何のデータをインプットすれば、それは『他』ではない『私』になるのかね?
私の正体を、特定の物理現象に還元して説明して下さい
>>81 >これを反証するためには、「人間の肉体なしで人間の精神が存在し得る」
>ことを示すしかありませんが、
飛躍して思い込んではいけません
全ては物理現象であるのかどうなのか です
キミは、素朴実在論的観点から、一歩も出る事ができずにいるのでしょう
私の言う精神とは、私をサンプルにした、私の精神です
> >物体が物理現象によって存在している などと主張する人はおらんだろ
>
> 最高位氏、全く意味不明ですw
まぁキミは、そもそも「原因性」という言葉の意味が、わからんのだろうね
犬や猿は、そういう発想はないらしいけどね
それと同レベルのキミに、説明しても無駄みたいだね(苦笑
84 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/05(木) 11:45:08 0
>>82 >それは個体と普遍性の問題であって、
個体は個体でいいんだよ
しかし
その個体が、なんで『私』だったのか
という根本問題がわかりませんか?
85 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/05(木) 11:54:29 0
私から見れば、全ては他であり
他は無限に存在するようだ
人が生まれてくれば、それは全て『他人』でしょうしね
そう考えれば、私が生まれて来る確率は
無限分の1です
というか
その1が、どこから生じて来た1なのか
その根拠が、そもそもどこにも有りえないわけです
唯物論者は、簡単に「物理現象である」と思い込んでいますが
物理現象に特定する事など、とてもとても不可能なのです
100%絶対に無理なのです
唯物論は間違いです
86 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 12:03:58 0
>その個体が、なんで『私』だったのか
>という根本問題がわかりませんか?
個体は私の身体ではあっても『私』ではない。
だからこれは根本問題ではなく擬似問題だね。
ところで私と『私』は別の概念のつもりかな?
87 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 12:10:31 0
確率なんて概念を持ち出すところをみると・・・
>>83 >私の言う精神とは、私をサンプルにした、私の精神です
おお、最高位氏、それでしたら「論点は、人間の精神の原因性について なんだよ」
などと言ってはいけません。「人間」(という普遍的名前に該当する個体)は
あなたの他にも地球上に何十億と存在しているのでありますw
「私について成り立つことは、すべての人間について成り立つ」とおっしゃいますか。
それでしたら、まさに問題は個体ー普遍の問題に帰着してしまうわけです。
>>84 >その個体が、なんで『私』だったのか
>という根本問題がわかりませんか?
横レスですが、その点も何度もご説明したでしょうw
「その個体が『私』だった」と言えるのは、その個体から発生した自我だけなのです。
他の個体(朝青龍とかw)から発生した何十億という自我にとっては、現に
「その個体は『私』ではない」というのが厳然たる事実なのです。聞いてみればわかりますw
唯物論的に「人間の精神(自我)は人間の肉体から発生する」と考える限り、
その個体(哲学者最高位)から発生した『私』にとって、その個体が『私』である
のは論理的必然であり、他の個体から『私』が発生することは、論理的に不可能です。
従って「なんで」と問うのは、無意味です。
これに対し「人間の精神(自我)は人間の肉体とは独立に存在する」と考えるなら、
精神と肉体は外的に組み合わさっているだけですから、あなたの『私』が朝青龍の体である
ことも、朝青龍の『私』が白鵬の体であることも、論理的には可能だったわけです。
従って、それについて「なんで」と問うのは、無意味ではありません。答えもあって
しかるべきです。
ですから、唯物論を論破したければ、本来は、「唯物論が正しいならその問題に答えは
ないはずだが、自分は答えを持っているぞ!」と主張しなければならないわけですw
89 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 12:29:33 0
>>83 >ではPCに
>『私』の何のデータをインプットすれば、それは『他』ではない『私』になるのかね?
ならないよ。PCにとっての『私』も『他』にはならないから。
>私の正体を、特定の物理現象に還元して説明して下さい
できないよ。
PCにとっての『私』も特定の物理現象に還元して説明することはできません。
これは、ある物質が「その物質」であることを説明できないのと同じです。
唯物論の正否とは全く関係がありません。
寧ろ、唯物論が正しい限り、
それ以上還元できない(物質を物質以上に還元できない)ため、
説明することができないのです。
君がしていることは、唯物論の正しさを証明しているようなものです。
90 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/05(木) 12:33:57 0
>>86 > >その個体が、なんで『私』だったのか
> >という根本問題がわかりませんか?
>
> 個体は私の身体ではあっても『私』ではない。
だから・・・
その個体である身体が、なんで他ではなく私なのか という問題があるだろ
その体は『キミ』じゃないのかね?
また
更に根本的な問題として
そもそも、なんで私なんてものが存在しているのか という問題もね
>ところで私と『私』は別の概念のつもりかな?
角度の違いを、わかりやすくするために、わざわざ親切に変えてあるんだが
そこまでされても理解できないんだったら、そもそも哲学なんて無理だぞ(苦笑
>>88 >あなたの他にも地球上に何十億と存在しているのでありますw
それはわからんだろ
少なくとも、私は人間だが(爆笑
>「その個体が『私』だった」と言えるのは、その個体から発生した自我だけなのです。
いやいや
私だったから、この体 と認識しているのであって
通常、他人の自我が発生するにもかかわらず
なぜ、この体に限り、私の自我が発生しているのか という問題
何度も言うが、キミの発想は、結果論で終わってるんだよ
原因性 という事が理解できませんか??
91 :
下僕:2008/06/05(木) 12:38:18 0
哲学者最高位氏が
>>85 で興味深い事を発言しているので、
ちょっと書かせてもらいます。
>そう考えれば、私が生まれて来る確率は 無限分の1です…
私のことばにするならば、唯一無二の存在ということになります。
そこで、その存在の成り立ちですが、通称「根拠」と言われるものですが、
この根拠も唯一無二の根拠が在ると考えるわけです。つまり自由な根拠が在る。
よって私は、私を定義する決定論として、私は無限であり、
私は私によって生まれた。つまり選択して生まれた。こう考えるんです。
今のところこう自分を規定していますが、不都合は生じていないですね。
唯物論は間違というみかたは私はせず、唯物論者の自由内では適応されると考えます。
そういう選択をする唯一無二の存在は、そういう結果として生まれて来る。
但し、心理的には被害者意識は強いでしょうね。だって自分で選んでいないんだからね。
と、私はこう考えるわけです。
92 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/05(木) 12:44:59 0
>>89 > >ではPCに
> >『私』の何のデータをインプットすれば、それは『他』ではない『私』になるのかね?
>
> ならないよ。
ならないんだったら、物理的要素で『私』は説明が不可 という結論だね
> >私の正体を、特定の物理現象に還元して説明して下さい
>
> できないよ。
できなきゃ話は終わりです
『私』は、物理現象ではありません ←コレが結論
>それ以上還元できない(物質を物質以上に還元できない)ため、
>説明することができないのです。
私と、物質が存在した原因が同じであるなら
私の原因は、物質の存在原因にさかのぼる、宇宙の根本問題だ という事になってしまいますね
少なくとも、それは
物理現象の結果として発生しているのではない という事になってしまいます
俺は既に存在しちゃってるんだから、
確率的思考なんか全然意味無いよ>最高位
確率は数学であって科学理論じゃないし。
これから起こるだろうという可能性を経験や理論で計算してるだけだからな。
94 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 13:35:18 0
おまいは物理現象だよ。
おまい生むために何をしたか、
オヤジとオフクロに聞いてみろよ。w
>>73 最高位が自分で「物体が」っていってんだから物理現象でしょ。
論点どころか前提として既に認めてる。
あとね、「私だったから」なんてどこに書いてる?
もうぜんぜん話が理解できてないじゃん。
96 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/05(木) 13:52:59 0
>>94 :考える名無しさん:
>>おまいは物理現象だよ。
「私」は物理現象ではない。
もしそう考えると・・・・
>オヤジとオフクロに聞いてみろよ。w
おっしゃるとおり其処まで「私」の原因はさかのぼる。
勿論それ以上、進化論のアメーバまで、いやビッグバンまで遡る。
「自分の存在」を考えるとき一々ビッグバンまで遡るのは実用的ではない。
其処で人類は「私」と言う観念を発明した。
この発明により各段に日々の思考がすっきりと迅速に成った、このことを「知恵」と言う。
「眠い」もそう。
「本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。」
と長々と能書きするより「眠い」と一言で済む。
一般に唯物論は表現がくどくて実用的でない、観念、直感は便利な人類の発明品である。
>>90 >通常、他人の自我が発生するにもかかわらず
>なぜ、この体に限り、私の自我が発生しているのか という問題
最高位氏、ですからw、現に圧倒的多数(何十億)の「他の体から発生した自我」に
とっては、「この体には私ではなく他人の自我が発生している」のが事実なのですよw
「この体に限り、私の自我が発生している」と言えるのは、世界で唯一つの
その体(哲学者最高位)から発生している自我(あなた)だけなのですw
何十億という「他の私」についても、全く同じことであります。ここには厳密な
「法則性」と「パターン」が支配しているわけですw
そして、「自我が体から発生する」ものであるのなら(唯物論が正しいのなら)、
「私が他の体から発生する」ことも「この体から他人の自我が発生する」ことも、
論理的に不可能であることは、何度もご説明した通りです。
>何度も言うが、キミの発想は、結果論で終わってるんだよ
>原因性 という事が理解できませんか??
最高位氏、「原因性」はもちろん理解できませんが(できる人はいないと思われますw
そもそも原因に「性」をつけると何がどうなるのでしょうかw?)、
それはともかく、「原因」と「結果」というのは、相互補完的な概念なのです。
「結果論で終わる」も何も、「結果」が存在しないのに「原因」を特定することは、
神様でも不可能ですw 対象が私であろうと他の何であろうと同じことです。
「存在しないものの原因を特定せよ」とは、いかなる世迷言でありましょうやw?
そもそも「存在しない私」は考えることができません。あなたの好きな
「われ思う故にわれあり」 からの、必然的帰結であります。従って、
「私はなぜ存在しているのか?」と考える私は、必然的に「結果論として」すでに
存在しているわけです。そして、すでに存在している私が存在している原因は、
すでに存在している特定の肉体である、というのが唯物論的仮説で、特に反証は
挙げられていない、というわけです。
>>96 マッハの思惟経済論のじいさん版かね?乙〜〜〜
99 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 14:07:51 0
>>92 >『私』は、物理現象ではありません ←コレが結論
違うでしょう。
『私』の存在性が、物理現象ではないというだけで、
『私』の振る舞いは、物理現象として説明できるというだけです。
それは物質の存在性(個物性)が、物理現象ではないというのと同じです。
『私』の存在性は、物理的存在に根ざしており、
物質が存在すること自体を説明できないのと同様、
『私』の存在性が説明できないだけです。
これは、ある物質が「その物質」であることを説明できないのと同じです。
それは唯物論の正否とは全く関係ありません。
寧ろ、唯物論が正しい限り、
それ以上還元できない(物質を物質以上に還元できない)ため、
説明することができないのです。
君がしていることは、唯物論の正しさを証明しているようなものです。
>私と、物質が存在した原因が同じであるなら
同じではありません。私は物質に根ざして成立している複雑系の一つです。
最高位式唯物論原理だと、
「物質で出来ているならば、同じモノを二つ作れなければならない」
という事になっている。
これが出来ないと唯物論は崩壊してしまうと言うのだ。
「私」は二つ作れないので唯物論は崩壊となるらしい。
だがこの原理に依るならば、
「私」(やその他の非物理的要素)を除いた「物質で出来た宇宙」を二つ作れなければならない事になる。
物質で出来た宇宙を二つにする方法を示さないと、最高位式唯物論原理の妥当性は疑わしい。
とてもそんな事が出来るとは思えない。
「物質なら二つ作れる」と主張しているのは唯物論者ではなくて最高位なのだ。
101 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/05(木) 14:32:05 0
>>97 :考える名無しさん:
>私が存在している原因は、すでに存在している特定の肉体である、というのが唯物論的仮説で・・・・
そのような仮説があるのですか?
じいさんの知っているのは「物質は精神を規定する」と言った事だけなんですが。
原因と言う意味は必要条件と言う意味?
それとも物理的因果関係?
2HとOでH2O・・・と言う原因?
じいさんは「肉体が私を規定する」と言う表現は好きになりましたが。
いわゆる「中枢は末梢の奴隷である」と言う感じ。
「位置が違うから同じ物質じゃない」
「唯物論では同じものなどひとつとしてない」
なんていうけど、そんなこといったら「法則」なんて成り立たないんじゃないの。
同じ事象なんてひとつとしてないわけだろ。
事象がそれぞれ異なるからこそ法則として絞る意味があるもんだ。
104 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 15:55:01 0
「♪来〜る〜、kぃっtぉkぅrぅ〜♪」 ???????リング?
>>103 ということは結局人間の都合ってことか。
107 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 16:50:40 0
>>106 童話にあったなw
獣と鳥との戦争で、こうもりが
「私は貴方達の味方ですよ。ほら、空が飛べるでしょ?w」と鳥軍団に取り入り、
「私は貴方達の味方ですよ。ほら、どっからどう見ても獣でしょ?w」と獣軍に取り入り、
最後、双方にバレちゃって、完璧にハブられるというwww
108 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 17:14:10 0
>>85 >>91 二人とも危ないなあ。
分母に∞を置くとどうなるの?
1/∞は1にはならないでしょ。
109 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/05(木) 17:17:08 0
>>108 そう。
だからカントも無限分割の可否をアンチノミーの1つとして、可とも不可ともいえてしまう、ときちんと書いている。
110 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/05(木) 17:30:10 0
数学では「便宜的に」ゼロと置きますが。
面倒くさいので。
111 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 19:28:22 0
>>85 最高位は、宇宙には切れ目なく一つに繋がっていると
自分で言ってるのに、急に無限とか言い出してるんだもの。
もう無茶苦茶。
しかも、自分を分子に置いて、「自分以外」が何で分母に置けるの?w
小学生でもそんなの分数じゃないと分かるよ。
小学校の算数からやり直してね。
あなたアホすぎw
112 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 19:50:52 0
>>85 なるほど。
無限を認めたいが故の唯物論否定だね。
唯物論の世界には無限はないから。
宇宙は有限、物質やエネルギーも有限だね。
物理学は無限では成り立たない。
数学が無限を扱えるのは数学が観念論だからだね。
113 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 20:02:22 0
>>36 アホ?
だからその「オレ」っつーのはなんなんだよって話だろ?
>>36 少なくともオマエの言う「オレ」っつーのはなんなんだよ
答えろカス
115 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 20:33:32 0
オレオレ詐欺
116 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 20:37:57 0
最高位が自分自身は何も言っていないくせに屁理屈だけで人を貶める
伊集院光みたいなやつだということはよくわかる
>>36にしても、最高位はオレと『オレ』の違いを説明できるんだろうか。
特に違いがなく、強調したいだけだったのなら、なぜ他の強調部分と同じ
「」でなく『』だったのか。これは私と「私」とかにも言えること。
この辺をはっきりさせないとお話にならない。
しかしはっきりさせたことなど一度もない。叩かれるのも当然だな。
118 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 20:55:03 0
最高位ってクソデブ伊集院じゃね?
.
119 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 21:04:24 0
いい加減だから太ってそうなイメージだな。
何やっても雑などんぶり勘定で細かい計算ミスが多そう。
120 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 21:06:29 0
小難しいことをいって注意を集めたいだけの人間
終わってるぜ最高位
詐欺師とかヤクザの話法だね
122 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/05(木) 22:46:07 0
みんなハズレ
オレは太ってないぞ(爆笑
てか、もっとマトモな反論して来いよ〜
123 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/05(木) 22:50:17 0
>>113 >だからその「オレ」っつーのはなんなんだよって話だろ?
そうだな
しかし、それはわからん
ただ、少なくとも物理現象ではない事は論理的に明らかにされた
よって唯物論は間違いである
124 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 22:50:30 0
許せ。
みんな最高位が好きなんだよ。
125 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 22:59:16 0
>>123 最高位の確率論にいくつか疑問が提出されているので、
回答よろしく
Q 「オレ」=「私」とは何か?
A わからん。でも物理現象ではない。よって唯物論は間違いである。
・・・バカって言葉すらもったいないな。マジでどうかしてるのか?
127 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 23:03:50 0
わからないものがなんで物理現象でないってわかるの?
128 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 23:04:13 0
どうでもいいけど、最高位は太ってはいまい。
たぶん、機械氏は太っていると思う。
>>125 確率は単なるレトリック。
じいさんが確率好きだから、彼に訊け。
最高位がなんて答えるのか大体予想できた…
130 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 23:08:15 0
必死こいて考えろよwww
131 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 23:10:43 0
寝ないで待ってるからなw
132 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/05(木) 23:13:51 0
>>125 確率論?
そんな話してないが?
勘違い野郎の脱線に付き合う必要などないだろ
私が、いかなる物理現象なのかを明確にすれば、それで話は終わり
それが出来ないから
いかに私というものが原因的根拠なく存在している特殊なものなのかを表現しただけだよ
脱線するのも程々にな
>>126←単純バカ必死杉
「唯物論の是非」なんていったら、歴史的大問題だぞ?
こんな重要な話ないだろ
何ボケてんの??
最高位がやって来ると一瞬で盛り上がるな。
134 :
↑:2008/06/05(木) 23:16:21 0
はい
話題刷り替えたね
都合のいい相手にしか反論しないね
最高位はただの自演荒らしでしたとさ
135 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 23:18:38 0
>
>>126←単純バカ必死杉
>
>「唯物論の是非」なんていったら、歴史的大問題だぞ?
>こんな重要な話ないだろ
>何ボケてんの??
この答えは予想できなかった
流石だな
最・高・伊www
136 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 23:19:17 0
>>132 >確率論?
>そんな話してないが?
108 :考える名無しさん:2008/06/05(木) 17:14:10 0
>>85 >>91 二人とも危ないなあ。
分母に∞を置くとどうなるの?
1/∞は1にはならないでしょ。
111 :考える名無しさん:2008/06/05(木) 19:28:22 0
>>85 最高位は、宇宙には切れ目なく一つに繋がっていると
自分で言ってるのに、急に無限とか言い出してるんだもの。
もう無茶苦茶。
しかも、自分を分子に置いて、「自分以外」が何で分母に置けるの?w
小学生でもそんなの分数じゃないと分かるよ。
小学校の算数からやり直してね。
あなたアホすぎw
137 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 23:19:27 0
まあいいや
最高位死んでいいよ
つか死ねカス
139 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 23:32:38 0
>>137 ハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニン
ンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハ
ニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハン
ハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニ
ンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハ
ニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハン
ンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニ
ハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニン
ンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハ
ニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハン
ハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニ
ンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハ
ニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハン
ンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニンハンニハンニ
>>132 単純バカでもなんでもいいが、
ここで「私」が何か分からんって言われてもこっちが意味わからんわwww
そんなもんを主題に他人に議論ふっかけていたなんて冗談にもならない。
リアルで誰かと同じ話をしてこい。そして病院に連れて行ってもらえ。
最高位って船場吉兆の女将や亀田パパよりも屁理屈や開き直りが凄いな。
信用なくすぞ。
142 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/06(金) 00:06:54 0
>>140 >ここで「私」が何か分からんって言われてもこっちが意味わからんわwww
では、「私」とは何かね?
>そんなもんを主題に他人に議論ふっかけていたなんて冗談にもならない。
キミは歴史的に繰り返されてきた心身問題というものを知らないのかねぇ
なんで哲学板なんかにいるの??
>リアルで誰かと同じ話をしてこい。そして病院に連れて行ってもらえ。
哲学に興味ある人なら、基地外でもない限り理解できるもんなんだがね(苦笑
もし少しも理解できないなら、自分を振り返って見た方がいい
>>141 本論で議論しなさい
143 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 00:17:06 0
安心しろ。
俺は吉兆の女将や亀田パパみたいな、理を非に曲げる屁理屈屋は大好きだ。
ニュー速でも吉兆ババアを擁護してきた。
>>142 何かね?って、それはこっちが聞きたいんだよバカwww
お前本当に日本語読めるのか?なんかマジでありえないよ。
もうね、歴史とか心身問題とかって問題じゃない。
ずっと「私」「私」「私」って言ってきて、ここにきてなんと
「私」が何か分からないときたもんだ。信じられんよ。ありえない。
そのコテやめた方がいいよ。もう冗談にも煽りにも役に立たない。
145 :
唯識的独我論者:2008/06/06(金) 00:26:31 0
<私>も物質もどちらも思考と感覚の一種です。
すべては思考と感覚しかありません。
自他・外部の何か・神といったモノも
思考と感覚の一種であり、物質も「固い」「重い」といったクオリアの集合で
現実か否かは「現実だ」「夢だ」といったクオリアの一種です。
神もクオリアでしょう。
で、その思考と感覚の存在と変化について人間は
因果・決定論・自由意思・神の意志
などと様々な思考と感覚で納得する。
<この私>は思考と感覚と自由意思の三つで構成されてます。
<私>の定義も無限通りであり、重要なのは謎や神秘性ではなく
<この私>の快苦という単純な事。謎・神秘性は
ただのクオリアや思考に過ぎません。謎ではなく
『苦があるという問題』ですゲーム的マトリクスの
146 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/06(金) 00:27:19 0
>>134 私は一度も話をすり替えた事などない
終始一貫して
>私が、いかなる物理現象なのかを明確にすれば、それで話は終わり
と言ってるわけさ
唯物論者は、それをやればいいだけ
いつも必死で話をすり替えてくるのは、唯物論者側なんだよ
>>135 なんで、伊なんだよっ!(爆笑
>>137 何をそんなに深刻になっているのかね?
唯物論が論破されたっていいじゃないか
純粋に哲学を志すなら
事実は事実として受け入れるのが正しい姿勢というものだ
政治的な思想家なら、いろいろ事情もあるだろうが
>>143 キミの好き嫌いなど、どうでもいいよ(笑
>>144 >何かね?って、それはこっちが聞きたいんだよ
だから、わからんつってるだろ
しかし「我思う故に我あり」だろ
我は「あり」なんだよ
それは哲学的課題なわけだ
せめて、それぐらいは理解した上で話しかけてくれないか?
あまりにも初歩的な説明からだと、疲れるし話が前に進まんのだよ
147 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 00:31:34 0
>>146 >唯物論者は、それをやればいいだけ
唯物論者でない人はどうすればいいの?w
148 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/06(金) 00:35:03 0
>>147 アホな人は、ひとまず休憩しといて下さい
149 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/06(金) 00:49:59 0
>>144 追記
>何かね?って、それはこっちが聞きたいんだよ
そこで唯物論者は、「それは物理現象です」と言うんだよな
それで私は「それは違うでしょう」と言っている
というアホでもわかりそうな単純な話
こんなに簡単な事なのに
なんで、そんなに深刻になってるわけ?
150 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 00:53:49 0
最高位自体が唯物論や『私』について何も知らないのだから、
彼に唯物論批判など無理だね。
あれ?
「私とは存在性である」から「私とは分からない」に変えたの?
>>146 だから何もかも分からんのにありもクソもないんだよ。
分からんものがどうデカルトの言葉と関係できるんだよ。
>>149 そこでもクソももうないよ。「私」って意味深に表現するわりに
それが何かもはっきりしないから色々と推測して反論してたのに、
蓋を開けたら分からないって、狂気の沙汰だろ。
もう唯物論とかって話じゃない。
あ…ありのまま今起こった事を(ry って感じでポルナレフ状態だよ。
153 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 01:08:34 0
>>92 >『私』は、物理現象ではありません ←コレが結論
違うでしょう。
『私』の存在性が、物理現象ではないというだけで、
『私』の振る舞いは、物理現象として説明できるというだけです。
それは物質の存在性(個物性)が、物理現象ではないというのと同じです。
『私』の存在性は、物理的存在に根ざしており、
物質が存在すること自体を説明できないのと同様、
『私』の存在性が説明できないだけです。
これは、ある物質が「その物質」であることを説明できないのと同じです。
それは唯物論の正否とは全く関係ありません。
寧ろ、唯物論が正しい限り、
それ以上還元できない(物質を物質以上に還元できない)ため、
説明することができないのです。
君がしていることは、唯物論の正しさを証明しているようなものです。
>私と、物質が存在した原因が同じであるなら
同じではありません。私は物質に根ざして成立している複雑系の一つです。
154 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/06(金) 01:12:57 0
>>150 では、まずキミが説明して、唯物論の正当性を主張したまえ
そうしたら、その主張を論理的に覆してあげましょう
>>151 うむ
私とは、「私という主観性そのものな存在性」なんだけど
それは私を分析した際の存在様式を述べているだけであって
私は何なのかについて、その正体がわかっているわけではない
>>152 >だから何もかも分からんのにありもクソもないんだよ。
はぁ?
「あり」だろ
「なし」か??
基礎から勉強し直して来たら?
>もう唯物論とかって話じゃない。
いや
物理現象ではないという事はハッキリしてるんだから、唯物論は間違いだ で正しい
>あ…ありのまま今起こった事を(ry って感じでポルナレフ状態だよ。
まぁキミには、それほど難しい話だって事なんだろうね
理解に苦しむが・・・
155 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 01:19:25 0
>>154 >物理現象ではないという事はハッキリしてるんだから
だから、その根拠を示せと、どれだけ言われてきたんだよw
156 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/06(金) 01:25:29 0
>>153 > >『私』は、物理現象ではありません ←コレが結論
>
> 違うでしょう。
> 『私』の存在性が、物理現象ではないというだけで、
> 『私』の振る舞いは、物理現象として説明できるというだけです。
そうだよ?
> それは物質の存在性(個物性)が、物理現象ではないというのと同じです。
だから、それはちゃんと
>>92の下の方に書いてあるでしょう
↓ ↓ ↓
私と、物質が存在した原因が同じであるなら
私の原因は、物質の存在原因にさかのぼる、宇宙の根本問題だ という事になってしまいますね
少なくとも、それは
物理現象の結果として発生しているのではない という事になってしまいます
> >私と、物質が存在した原因が同じであるなら
>
>同じではありません。私は物質に根ざして成立している複雑系の一つです。
おっと
あれ?
これまた矛盾した事をいってるなぁ・・・
>物質に根ざして成立している複雑系の一つです
???
それって物理現象の事じゃないの??
違ったら何?
んで、いったい何が複雑になったら、他人ではなく私になるのかね?
>>154 分からんバカだな。もう終わっちゃったんだよ。
言い出しっぺが分からないものを主題に議論は不可能なの。
いままでの「私」を全部「分からないもの」に変えて読んでみろ。
自分がどんだけ正気の沙汰じゃないか分かるから。
158 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/06(金) 01:32:29 0
>>155 何回説明してきたんだよバカ(爆笑
>>36 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/04(水) 22:09:40 0
簡単な話だよ
「宇宙には、オレがいる」 という事
その『オレ』を、物理現象などの「法則性」「パターン」によって存在せしめる事は、絶対に不可能
物理現象などの「法則性」から『オレ』の原因性を導き出す事は、どうやったって絶対に、100% 不可能
要するに
「物理現象は、絶対に『オレ』の原因性には成りえない」 という結論なんです
唯物論と決定論が、論理的に完全否定された、歴史的瞬間であります
159 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 01:36:24 0
>>158 だからww
>物理現象ではないという事はハッキリしてる
>その『オレ』を、物理現象などの「法則性」「パターン」によって存在せしめる事は、絶対に不可能
>物理現象などの「法則性」から『オレ』の原因性を導き出す事は、どうやったって絶対に、100% 不可能
これの根拠を訊いているわけだが、日本語理解できないのか?
160 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/06(金) 01:51:01 0
>>157 可哀そうだけど、それじゃ何の反論にもならんな(爆笑
唯物論の主張に従って、『私』の原因性を説明できる人が出て来ない限り
私の論に勝つことはできんよ
>>159 はぁ?
『オレ』はココにいるのに
どうやって法則性やパターンによって存在せしめる事ができるわけだ?(爆笑
161 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/06(金) 01:55:20 0
>>160最高位さん
それ(存在性)と現象を同居させるから同道巡りの自問自答を
最高位さん自ら繰り広げているわけでありまして
ともすれば病的にさえ見えますよ。
私の原因性を物理に求めない
つまり唯識、仏教では「無明」の一言ですね。
>>160 反論じゃないよ。実質議論が不可能なんだから。ただその事実を伝えてるだけ。
だって分からんものである『私』や『オレ』の原因性なんていわれても?だろ。
まあせいぜい聞こえないふりでもしてなよ。このままじゃ一生評価されないだろうけどな。
163 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 02:14:08 0
>>156 >> 『私』の存在性が、物理現象ではないというだけで、
>> 『私』の振る舞いは、物理現象として説明できるというだけです。
>
>そうだよ?
これに同意いただけるなら、唯物論と同じ立場です。
>> それは物質の存在性(個物性)が、物理現象ではないというのと同じです。
>
>だから、それはちゃんと
>>92の下の方に書いてあるでしょう
> ↓ ↓ ↓
>私と、物質が存在した原因が同じであるなら
>私の原因は、物質の存在原因にさかのぼる、宇宙の根本問題だ という事になってしまいますね
同じではないでしょう。
貴方はソフトウェアと、ハードウェアが存在した原因が同じというのでしょうか。
唯物論では、「私」を含むあらゆる原因は物質の存在原因にさかのぼるのは当たり前です。
枝も葉も、根っこは同じですから。それこそが唯物論の立場ですよ。
法則やパターンというのは、
物質の繰り返される性質の事を指しているのだね。
ワタクシとは、今・ここの存在であるからして、
今・ここは二度と繰り返すことはないのだよ。
分かるかな?最高位くん。
いや、分からんだろう。
キミは基本が分かっていないのだよ。
165 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/06(金) 02:19:00 0
ついでながら法則は
「私」も「他」も求めてはいませんよね。
166 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 03:59:22 0
個々の物理現象は、法則やパターンによって説明されますが、
法則やパターンによって生ぜしめられているわけではないでしょ?
167 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 04:05:55 0
またH2Oのコピペを始めるよ
168 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/06(金) 04:58:48 0
>>153 :考える名無しさん:
>『私』の振る舞いは、物理現象として説明できるというだけです。
例えば「気分がいい」と感じる「私」の振る舞いはどの様に物理現象として説明できるのですか?
169 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 06:31:13 0
170 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 06:36:35 0
誰それw
最高位に言っておく
遊びでやってるなら性格が歪んでいる
本気でやってるなら病院行け
金に困ったら詐欺師でもやれ
捕まってもしらんがな
最高位はゼノンのパラドックスのアキレスと亀を解決したと言ってたけど、
それもどうせ馬鹿みたいな理屈なんだろうな・・・
何なんだよこのハッタリ親父は・・・
近所の子供集めて嘘ばっか吐いてる変なおっさんか
173 :
下僕:2008/06/06(金) 09:01:30 0
108 :考える名無しさん:2008/06/05(木) 17:14:10 0氏が
私の根底に気づかれたので、ちょっと説明しちゃいましょう。
>>85 >>91 >二人とも危ないなあ。
>分母に∞を置くとどうなるの?
>1/∞は1にはならないでしょ。
このような考えがありましたが、「1/∞は1にはならないでしょ。 」のポイントはこうです。
「ならない」んです。それでいいんです。数で表現するならば、「ならない」ですが、
私は数ではないという事です。便宜上、数で表現しました。
実際は1/1です。宇宙/宇宙にすぎません。
よって最も適切な私を表す表現を模索するならば、「私は無限である。」になり、
無限という概念すら不要であるが、無限はリップサービスのようなもので、
「私は在る」そして何処に?ですが、無限の一部という事になります。
そしてこれを人間の発明した概念で表すならば、0あるいは1です。
0寝る、1起きる、です。目覚める、目覚めない。在る無い。
ま、こんな所です。
こんな所って、何だかよく分からないがw
でも、自分というもののつかみ所の無さは表現できてると思う。
見つかった・・・何が?
永遠が・・・海と溶け合う太陽が
気狂いピエロの最後でランボーが引用されたの見たときに鳥肌が立ったのを思い出す。
>>92 >私と、物質が存在した原因が同じであるなら
>私の原因は、物質の存在原因にさかのぼる、宇宙の根本問題だ という事になってしまいますね
>少なくとも、それは
>物理現象の結果として発生しているのではない という事になってしまいます
おお、最高位氏、さっぱり意味がわかりませんがw、その理屈ですと
「物質の存在原因は物理現象ではない。」
「物質は物理現象の結果ではない。」が故に、唯物論は誤りだということになります。
「私」の存在性など全く関係がなくて、私があろうとなかろうと、
「物質が存在するが故に、唯物論は誤りである。」ということですw
こうして、「私」をめぐるあなたの今までの議論はすべて機械氏の好きな「徒労」
以外の何物でもなくなってしまいますが、それでよろしいのでw?
176 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/06(金) 09:47:31 0
>>161 >それ(存在性)と現象を同居させるから同道巡りの自問自答を
>最高位さん自ら繰り広げているわけでありまして
はぁ?
物理現象ではない と断言してるのに、なんで同道巡りなんだ???
アホですか?
キミらが理解できないから、何回も説明してやってるだけだろバカ
>>162 キミの理屈からいくと
物質とは何か が、わからなければ、物理現象について語る事は不可
と同じだぞ
それとも物質とは何かについて、キミは明確に答えられるのかね?(苦笑
>>163 >> 『私』の存在性が、物理現象ではないというだけで、
>
>これに同意いただけるなら、唯物論と同じ立場です。
はぁ?
物理現象でなければ、唯物論は崩壊するだろ
物理現象じゃないんだからね
>「私」を含むあらゆる原因は物質の存在原因にさかのぼるのは当たり前です。
では
「私は物理現象なのではなく、宇宙の根本問題である」
という事でいいんですね?
で
いったい「この体」という物体が、どうなってるから『私』なんですか?(爆笑
177 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/06(金) 09:48:19 0
>>164 >ワタクシとは、今・ここの存在であるからして、
今・ここの、何の要素によって『私』なのかね?(爆笑
>>165 法則が何かを求める事があるの??
法則に、心があるんですか?
頭、大丈夫?
てか、誰も突っ込まないのが不思議(爆笑
>>166 はぁ?
同じパターンで、同じ現象が生じる というのが科学だが??
>>175 いやいや
唯物論は物質の存在原因まで、物理現象だと主張する論ではない
あくまでも論点は、「人間の精神は、物理現象なのか、どうなのか」 だ
ホントに頭悪いねキミ
178 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 09:50:52 0
> 同じパターンで、同じ現象が生じる というのが科学だが??
同じパターンで同じタイプの現象が生じるだけです。
個々の物理現象は一回限りです。
179 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 09:56:37 0
>>176 >物理現象でなければ、唯物論は崩壊するだろ
崩壊しないんですけど。
>「私は物理現象なのではなく、宇宙の根本問題である」
>という事でいいんですね?
「私」の存在性は、「石」の存在性と同様、物理現象なのではなく、宇宙の根本問題である
ということで問題ないです。
>>177 >唯物論は物質の存在原因まで、物理現象だと主張する論ではない
おお、最高位氏、いよいよもって意味不明ですw
私は特に唯物論者ではありませんが、自動車とかパソコンとか石とか
人間とか(普遍名)哲学者最高位とか朝青龍とか(固有名)いう物質の
存在原因は物理現象だと思っております。まあ、それはともかくw、
物質の存在原因が物理現象ではないのなら、私の存在原因が物理現象で
なくても私が物質ではない証拠には全くならないので、唯物論の当否と
関係がないと思われますが、いかがw?
最高位先生、唯物論を完全破壊するために、そろそろ最後の手を使うしかありません。
あなたに起きた神の奇跡を正直に告白するのです。
唯物論者に勝つにはそれしかありません。
神を語りなさい。
人には私がいるって思ってる時とそうでない時があり、
思っている時(1)思っていない時(0)だとすると、
必ず0101010101……って交互になるけど、これってパターンなんじゃないの。
183 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/06(金) 10:21:28 0
>>178 タイプとか、一回とか、分けて考えてるのはキミの観念なんだよ
物質は、単に現象しているだけです
どうもキミらは
観念的な価値観と、客観的事実を分別して考えるのが苦手みたいだね
で
いかなる物理的要素が『私』なのか解明できたのかね?
それが問題だぞ?
>>179 >「私」の存在性は、「石」の存在性と同様、物理現象なのではなく、宇宙の根本問題である
>ということで問題ないです。
ついに唯物論崩壊だな(爆笑
>>180 >私の存在原因が物理現象で なくても
>私が物質ではない証拠には全くならないので、
>唯物論の当否と 関係がないと思われますが、
いやいや
私の存在原因が物理現象でない と結論された時点で唯物論は崩壊する
それが論点なのだからね
キミらは単に、素朴実在論的観点でのみ捉えて
「この体は物質だから、唯物論は正しいんだ」と単純に思い込んでいるにすぎない
現代哲学は、もうちょっと深いから
キミらが理解するには、少し早いんじゃないかな
184 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 10:25:15 0
>>183 >私の存在原因が物理現象でない と結論された時点で唯物論は崩壊する
私に限らず、物質も存在原因は物理現象でないのだから、崩壊しません。
残念でした。
185 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 10:27:19 0
>>183 >「この体は物質だから、唯物論は正しいんだ」と単純に思い込んでいるにすぎない
唯物論が正しいなんて思っている奴なんて、このスレにいないじゃん。
「唯物論が間違っている」という最高位が間違っているという奴ならほとんどそうだけど。
最高位は、論破できていないのに、論破したんだと、言い張ったり思い込んだりしているだけのアホだろ。
186 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 10:30:05 0
>>183 >私の存在原因が物理現象でない と結論された時点で
だからw
それはまだ「わからない」んだよw
そう言い切るなら、その根拠を提示しろと何度言ったら(ry
187 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/06(金) 10:35:22 0
>>182 私は、そんな簡単な話をしているんじゃないんだよ
もうちょっと難しい話なんだよ(笑
010101で、どうやって『他』ではない『私』を生じさせる事ができるのかね?
>>184 精神は物理現象である という唯物論の主張は、どこへ行ったのかね?(爆笑
人間の精神世界の存在は、宇宙の根本問題であり、物理現象なのではない
という事なら
明らかに、そんなのは唯物論じゃないぞ(大爆笑
>>186 160 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/06(金) 01:51:01 0
はぁ?
『オレ』はココにいるのに
どうやって法則性やパターンによって存在せしめる事ができるわけだ?(爆笑
てか
>私の存在原因が物理現象で なくても私が物質ではない証拠には全くならないので、
とキミ自身が前提して来た事に対して返したわけだが
大丈夫かい??
188 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/06(金) 10:53:38 0
>>185 >唯物論が正しいなんて思っている奴なんて、このスレにいないじゃん。
うむ
唯物論について、ちゃんと考えた事がないヤツが
テキトーな思いつきで反論してみました っていう感じだな
>>187 少なくとも「私」にパターンがあるってことを言いたかっただけ。
というか、パターンによって存在せしめるとか日本語になってないから、それについて答えるとか無理だし。
ぷぷっ
せしめ・せしめ・せしむる・せしむる・せしめれ・せしめよ
「せしめる」は騙して自分の物にする事だw
191 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/06(金) 11:38:12 0
>>189 >少なくとも「私」にパターンがあるってことを言いたかっただけ。
そりゃパターンはあるだろうが、それじゃ論点がズレてるって事な
>パターンによって存在せしめるとか日本語になってないから、
日本語になってるよ(爆笑
「私の原因性」という問題意識が理解できなければ、意味がわからんだろうがね
ちなみに
キミに書いたのは
>>187の一番上←
>私は、そんな簡単な話をしているんじゃないんだよ
>
>もうちょっと難しい話なんだよ(笑
>
>010101で、どうやって『他』ではない『私』を生じさせる事ができるのかね? 』
なんだけど?(苦笑
>>183 >私の存在原因が物理現象でない と結論された時点で唯物論は崩壊する
>それが論点なのだからね
おお、最高位氏、あなたによると(私は賛成できかねますがw)、
1.唯物論は、物質の存在原因が物理現象だとは考えない。
2.私の存在原因は物理現象ではない。
ということです。
ここから帰結するのは「私は物質であるかどうかわからない」
以外あり得ないと思われますが、それと「唯物論の崩壊」といかなる関係がある
のでしょうかw?
>>187 >010101で、どうやって『他』ではない『私』を生じさせる事ができるのかね?
最高位氏、横レスですが、「『他』である『私』を生じさせる」ことは、
全知全能の神様でも不可能です。なぜならそれは語義矛盾だからですw
およそ、存在する自我(普遍名)は、すべて「『他』ではない『私』(固有名)」
以外ではあり得ないのです。
193 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/06(金) 11:56:38 0
>>176最高位さん
では物理現象ではない根拠を述べられては?
「純粋な存在性」だから、などではだめですよ。
194 :
素人:2008/06/06(金) 12:39:51 0
最高位氏、
『私』について真面目に掘り下げたいのは誰でも同じなのです。
喩えるならば、『私』という山に登るようなものです。
で、その時に、
私ならば、(原始)仏教という登山口から登っているのです。
唯識氏ならば、唯識教学という登山口から登っているのです。
他の方々も、それぞれ自分のツール・スキルを以ってして、そこから登っているでしょう。
頂上があることは誰しもが認めるのです。(そこがどんな所かはまた別問題ですw)
貴方は、「頂上がある」、ただそれだけしか述べていないのです。
どの登山口から登っているのかも述べていないのです。
「頂上がどのような所か」についても述べていない(類推していない)のです。
皆が皆登山中なのです。もしかしたらそのうちの幾つかは(或いは唯一つを除いては)、
全て行き止まりかもしれません。
けれども、各人が登っている登山道が行き止まりかどうかを判断するのは貴方ではない。
少なくとも貴方には、それを宣言するだけの説得力が無い。(同意者の少なさがそれを表しています。)
よしんば貴方の登山ルートが正しかったとしても、それを示すことができていない。
どの登山口から入り、どのルートを辿っているか、提示できていない。
貴方のルートが行き止まりかもしれないのです。
(そして、その可能性が高いのではないか?と多くのレスがついているのです。)
貴方は、貴方の登山ルートの(登山口の)妥当性を提示しなければならない。
195 :
下僕:2008/06/06(金) 13:01:54 0
私は頂上が在る事は認めません。
なぜならば、頂上すら課程でしょうから。
そして頂上はどうにでもなるのだから、頂上をどんどん作ってしまおうじゃないか。
私は、登山者を創作する事をするパイオニアであるのが私たち個人個人であるというみかたを
しますね。さらに頂上いう休憩地点を設けるもよし、天空を付きぬけるも良し、また、
他の登山者とおしゃべりするも良しという事になります。
道は無限にあるので、私が興味があるのは、他人の課程だけですね。
その課程から見渡した風景を眺めるがごとく、ここの議論を楽しむといった具合です。
私など、議論を観ていて、判断するもされるも自由なんだから、大いにやればいいと
思うわけです。どのみち他人の判断など、私たち自身の登山道の的を得ていないんですから。
証明する必要もないしね。私の記述を他人ができるわけもないしね。
むしろ道を本当に歩いてるの?ってご挨拶をしている最高位氏が居るかもしれないですね。
196 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/06(金) 13:03:16 0
>>180 :考える名無しさん:
>(固有名)いう物質の存在原因は物理現象だと思っております。
それはともかくその固有名の「私」の心の振る舞いは、物理現象として説明できますか?
例えば「気分がいい」と感じる「私」の振る舞いはどの様に物理現象として説明できるのですか?
197 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/06(金) 13:10:02 0
>>194 :素人:
>私ならば、(原始)仏教という登山口から登っているのです。
原始仏教は登る事自体を禁止しているんじゃあないですか?
山はないので頂上も無いから。
198 :
素人:2008/06/06(金) 13:32:20 0
>>197 「アートマン」と
「現に今生きている(総体的な)自己」と
「対話上、考察上要請される呼称(人称代名詞)としての自己」と
を区別できれば、それほど問題ではありません。
(「(所謂伝統的)アートマン」を目指さなければいいのですからw)
また、厳密に言うならば、
「登山することが禁止される」のでなく、
「やったー!ヽ(´ー`)ノ 頂上だあ!ここをアジトにしよう!」と固執することが禁止されているだけです。
登って、自分の目で確かめてみないと「頂上がどんな所か」わからないでしょw
自分で確かめた上で、
「あ、この程度のものか・・(´ー`)y━~~」とお釈迦さんの言に納得する、と。
登ってみないと(→考察してみないと)駄目っしょw
登らずに眺めてる者に何を言う権利があろうか・・。
今回の譬えとは別の次元で言うなら、
>山はないので頂上も無い
は、その通りかもしれませんw
199 :
下僕:2008/06/06(金) 13:38:11 0
実際、私などは、
今、ここに記述されているフォントですからね。
その記号をみて、みなさんの頭にでっち上がったものが
下僕という私なので、誰かがみた瞬間、一人私が生まれ、
どんどん増殖する無限の私になるのです。
実体は手というツールをつかってキーを打っているのです。
そして私は、単に外界に反応しているマシンでありますが、
同時に一つの認識の一部を構成している。
認識を心と呼ぼうが意識と呼ぼうが、神と呼ぼうがなんでもいいです。
私がここで言いたいのは、認識とは個ではなく全体です。
その触覚の一部が私に割り当てられている。成長すれば認識全体を把握するでしょう。
このような考え方も矛盾がないです。
>>196 一応お断りしますと
>>180では固有名の「私」の存在原因については
何も言っていないのですが(それが固有名の人間という物理現象である可能性は
否定できないと思いますが)、その「私の心の振る舞い」それ自体を
物理現象として説明するのは(説明する、の意味にもよるのですが)難しいの
ではないでしょうか。というか、それが難しくないのなら心身関係などが
哲学上の大問題になるはずがないわけです。
ただし、「私」と同じで「私の心の振る舞い」の存在原因が物理現象である
可能性は否定できないと思いますが。
そもそも、ヒューム的にその時々の「心の振る舞い」の束が「私」であって、
それ以外の「私」など存在しない、と考えることもできると思われます。
201 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/06(金) 14:12:11 0
>>198 :素人:
ではどっちの自己でもいいですから
>登ってみないと(→考察してみないと)駄目っしょw
に在るような自己に登っている事例を一つでも例示してみてください。
少なくとも最高位さんは一つも例示できていません「純粋」だけです。
>>200 :考える名無しさん:
>にその時々の「心の振る舞い」の束が「私」であって、それ以外の「私」など存在しない
そういう意味なら納得です。
>>200 >そもそも、ヒューム的にその時々の「心の振る舞い」の束が「私」であって、
それは「時間」の実在を証明してから初めて言えることだな
「その時々」を貫く「共通の時間軸」を基準にしているから
しかし「時間」の実在は「私」の実在よりも脆弱だろ
>>191 パターンがあるのは構造があるからで、構造は物質がないと発生できない。
だから結局は「私」は物理的なものでしたって話で決着じゃん。
なんか難しいw こと考えてるらしいけど、もう答え出てる。
>>199 誰かが見た瞬間に一人私が生まれるのだとしても無限にはならないですね。
205 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 19:34:59 0
最高位さん
あなたのいう「私」とはなんですか?
またあなたのいう「唯物論」とはなんですか?
そしてあなたは「私」と「唯物論」をどう考えているのか
説明してくだい
最高位先生、唯物論を完全破壊するために、そろそろ最後の手を使うしかありません。
あなたに起きた神の奇跡を正直に告白するのです。
唯物論者に勝つにはそれしかありません。
神を語りなさい。
208 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 19:55:43 0
では語りましょう
唯一絶対神である哲学者最高位が自己正当化をすれば、
自動的に唯物論は崩壊する
これが現代最先端の哲学です
209 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/06(金) 19:56:02 0
>>205 :考える名無しさん:
>またあなたのいう「唯物論」とはなんですか?
こういう人が多く最高位に反論しているが、何かおかしい。
確かに最高位は唯物論は論理的に完全否定されたとしつこく言っているが。
氏の唯物論が意味不明なら、意味不明なものが否定されても痛くも痒くも無いはず。
無視すればよい。
もし唯物論に自分なりの定義があり、否定されている事に反論するなら、自らの唯物論が最高位氏に否定されている部分について反論すればよい。
その場合はどの部分かを聴く必要は無いはず。
要はAについての意見に反論する時にAについて相手が何を言っているのかを問うのは可笑しい。
しかし、じいさんの意見なのか何なのか分からないものを否定して、
じいさんの意見は否定された、と勝手に言われても困るだろう。
211 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 20:09:09 0
>>209 すまんね。実は唯物論とかよくわからんのや。
要するに最高位さんの考えを詳しく聞きたいってこと。
212 :
下僕:2008/06/06(金) 21:46:53 0
哲学者最高位氏の論は、スレ冒頭
>>36で、
***********************************************************
「宇宙には、オレがいる」 という事
その『オレ』を、物理現象などの「法則性」「パターン」によって存在せしめる事は、
絶対に不可能 物理現象などの「法則性」から『オレ』の原因性を導き出す事は、
どうやったって絶対に、100% 不可能
要するに 「物理現象は、絶対に『オレ』の原因性には成りえない」という結論なんです
***********************************************************
つまり、「宇宙には、私がいる」で、物理現象によって私が生まれたのではない。
よってあらゆる法則、あらゆる誰かの論、あらゆるものから完全自由な存在が私と
いうことになっている。
一方、私の論もPRするならば、それを無限と称している。
哲学者最高位氏は物理現象によって私が存在することを完全否定するのではなく、
私という存在の原因は物理現象のたまものではないと言っているだけである。
つまり物質から私がうまれたわけでは無いんだよ。っていう論。
氏は、私の成り立ちをテーマにしているが、多くの論客は、私の成り立ちなど
あまり興味はなさそうだと下僕(私)は観察しますね。
氏は私と違って優しく、みなさんに説明するが、私は成り立ちしか興味がない
手前勝手な個性をもっている。
213 :
下僕:2008/06/06(金) 22:00:24 0
>>206がおっしゃっているような体験については、
まんざら冗談ではないと私は考えます。
「宇宙には、オレがいる」と単純に思える境地というものは、
実体験が必ずあるからです。それがあるから、私の成り立ちは
示せずとも、信念が形成される。つまり決定論ですね。
決定論は個人の信仰です。しかし個人的には体験でしょう。
体験は経験ですから、論から導き出した結論ではなく
直覚・直感と言った方が未経験者には解りやすいと考えます。
但し、「宇宙には、オレがいる」という体験を哲学者最高位氏は
語る必要もないでしょうし、語る意味もないでしょう。
それに、体験が大きい場合、言葉は追いつかない事でしょう。
むしろ、この問題の問い方としては、「哲学的悟りとはなんぞや?」
といことになります。このように私は考えます。
じゃあお前はどうなんだ?と私に問うても同様に無意味です。
214 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 22:02:08 0
_____
/
/ 糞スレが!!
∠
∧_∧ \_____/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´Д`) ,-っ | そうか!よし!殺す!
/⌒ヽ/ / _) \
/ \\//  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ /.\/ ‐=≡ ∧ ∧
/ ∧_二つ ‐=≡ ( ´Д`)
/ / ‐=≡_____/ /_
/ \ ‐=≡ / .__ ゛ \ .∩
/ /~\ \ ‐=≡ / / / /\ \//
/ / > ) ‐=≡ ⊂_/ / / .\_/
/ ノ / / ‐=≡ / /
/ / . / ./ ‐=≡ | _|__
/ ./ ( ヽ、 ‐=≡ \__ \
( _) \__つ ‐=≡ / / /
. ̄ ``) ‐=≡ // /
`)⌒`) ‐=≡ / | /
;;;⌒`) ‐=≡ / /レ
;;⌒`)⌒`)‐=≡ (  ̄)
216 :
下僕:2008/06/06(金) 22:15:48 0
>>215ごめんね。もう一つ言わせてください。
>>208氏であっても、的を射ています。
>唯一絶対神である哲学者最高位が自己正当化をすれば、
>自動的に唯物論は崩壊する
これはどういう事かといえば、唯物論とは文字通り論です。
しかし論ではないものが正ということになれば、論はその
意味をなさなくなる。
論で「私」が成り立つわけがないというのは当然ですからね。
逆に私は論を生むことは可能です。
非常に簡単に言えば、人間が発見した法則で、人間が生まれますか?
かりに人間が物質であっても創れやしない。
そして最先端の哲学の基本は、哲学の原点に戻るだけです。
「私自身を知れ」で、その記述が哲学いや学問になる。
というより、成ってきた。哲学史や科学史では私を生めない。
流石自演の帝王最高位
うかつなことを言わずに流れを観察中か!
218 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 22:31:24 0
おかしなことを言ってないで最高位は佐賀のがばいばあちゃんを読んだ方がええ。
「一億円あったって、金魚一匹作れんよ」
がばいばあちゃんから学ぶべきじゃ最高位どん。
自演がバレたからもう最高位は来ないかもね
その手の輩って優越感に浸ることが目的だから、相手にされないと
さっさと見切りつけて逃げちゃう
寂しくなるな…
,.-─ ─-、─-、
, イ)ィ -─ ──- 、ミヽ
ノ /,.-‐'"´ `ヾj ii / Λ
,イ// ^ヽj(二フ'"´ ̄`ヾ、ノイ{
ノ/,/ミ三ニヲ´ ゙、ノi!
{V /ミ三二,イ , -─ Yソ
レ'/三二彡イ .:ィこラ ;:こラ j{
V;;;::. ;ヲヾ!V ー '′ i ー ' ソ
Vニミ( 入 、 r j ,′
ヾミ、`ゝ ` ー--‐'ゞニ<‐-イ
ヽ ヽ -''ニニ‐ /
| `、 ⌒ ,/
| > ---- r‐'´
ヽ_ |
ヽ _ _ 」
このスレには用はないということがよおくわかった
マリガトウ
222 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/07(土) 00:06:57 0
>>210 :考える名無しさん:
>じいさんの意見は否定された、と勝手に言われても困るだろう。
そりゃあ、はげしく反発しますね。
ですから貴方の例の場合では、「唯物論さんが激しく反論するでしょう。」と言う言い方になる。
223 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/07(土) 01:11:07 0
>>192 >あなたによると
>2.私の存在原因は物理現象ではない。
>ということです。
>ここから帰結するのは「私は物質であるかどうかわからない」
>以外あり得ないと思われますが、それと「唯物論の崩壊」といかなる関係がある
>のでしょうかw?
はぁ?
>2.私の存在原因は物理現象ではない。
だったら、そのまんまイコール唯物論崩壊だよ
じゃぁさ
私の存在原因は、唯物論の立場では、いったい何なわけ??(爆笑
>>193 キミは、本当に頭がおかしいのか?
何回説明してると思ってるんだよホント
私はココにいて唯一絶対なのに
どうやったら物理的要素によって作る事ができますか?
いかなる物理的要素によっても作れる理屈はないでしょう
100%不可能です
100%唯物論は間違いなのです
いかなる物理的要素も、私の原因性には成りえないのです
私は、いかなる物理的要素でもない という事です
224 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/07(土) 01:12:04 0
>>194 唯物論は、「この道こそが唯一、頂上へ至る道である」と主張してるわけだけど
私は、それは間違いだよ と論理的に、完全に説明しているわけだ(歴史上初!)(爆笑
キミの勘違いは、私が頂上に到着していなければ、唯物論の間違いを指摘する事が不可能だ と思い込んでいる所だね
>>198 何の為に禁止事項に従ってるの??
>>200 >そもそも、ヒューム的にその時々の「心の振る舞い」の束が「私」であって、
「心の振る舞い」の束 というような客観的視点に立つならば
それは通常、『他人』になりますね
その中の一つが、なぜ『私』なのか というのが問題です
>>203 それは、存在原因という問題意識すら理解できていないが故の、単なる素朴実在論
>>205 >あなたのいう「私」とはなんですか?
自分自身の事だな
>またあなたのいう「唯物論」とはなんですか?
全ては物理現象であり、人間の精神世界全般も物理現象にすぎない という思想だね
>そしてあなたは「私」と「唯物論」をどう考えているのか
私の原因性を物理現象に特定する事は、絶対に不可能
故に唯物論は間違いである だね
225 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/07(土) 01:45:37 0
>>223最高位さん
私は唯一絶対という根拠はどこにありますか?
最高位さんの勝手な空想でしょう。
最高位さんの論法は
物理的な問いに対しては「物理的に説明」
精神的、観念的な問いに対しては「純粋な存在性」
そしてこのどちらも最高位さん自身説明出来ていない。
無意味と空想ですね。
>>197素人さん
表現が難しいですよね。
大乗仏教ならば発心、修行、菩提、涅槃となりますね。
>>224 存在原因なんて無数に解釈できる。それらをどう扱うのかについて、なんか考えでもあるの?
どうせなんにもないんでしょ?
理解してないのはそっち。テキトーなこと垂れ流してるだけでは哲学にはならない。
227 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/07(土) 02:38:25 0
>>225 唯一絶対じゃないとすれば
キミは、いったいどんな状態があると考えているのかね?
私は
天上天下唯我独尊だと思うが(爆笑
228 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/07(土) 02:49:09 0
>>227最高位さん
唯一絶対じゃないとすれば云々とありますが
そのようなことは聞いておりません。
誤魔化さないように。
「私の存在性」「純粋な存在性」なる造語に
全てを押し付けている最高位さん自身が
「唯一絶対」な「私」を論理的に説明してください。
でなければ語る資格も無い。
>>226さんの仰る通りです。
まさか釈尊やデカルトが
ではありませんよね。
>>228 >「唯一絶対」な「私」を論理的に説明してください。
>でなければ語る資格も無い
論理的に説明できなければ語る資格がないということはないだろう。
論理的に説明しがたいことを、なんとか語ろうとするところに
哲学はあるのではないかな?
230 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/07(土) 03:17:24 0
>>229さん
最高位さんはそれをしてないのですよ。
ただ「私の存在性」「純粋な存在性」だけで
中身については何も語られていませんからね。
>>230 「語りえぬもの」と考えてるんじゃないの?
232 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/07(土) 03:21:56 0
>>228 >唯一絶対じゃないとすれば云々とありますが
>そのようなことは聞いておりません。
ん?
唯一絶対ではない可能性があるんだろ?
だったらそれは、たとえばどんな状態なのですか?と聞いているんだよ
私は
「私が、ここにいる私以外にも存在していて、唯一ではない」などとは
どう考えたって論理的におかしいとしか思えないのだが?
どこにいるの??って話な(苦笑
ところで、キミは
なぜ唯物論者にも同じように
「物理現象である根拠は何ですか?」というような事を聞かないのかね?(爆笑
つまり、「私」について何を語ったとしても、それを語っているのが
「私」だということだろ。
最高位は意地になってるんでしょ。
口の横にアンコ付けて「団子なんか絶対食べてない」
と言い張る子供みたい。
235 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/07(土) 03:29:08 0
>>232最高位さん
可能性の問題を問うているのではありません。
私は唯一絶対という根拠です。
ついでながら
現象しない「私」に「ここ」とか「どこ」とかという
空間的な物理的要素で表現すること自体
物理的要素に依ってますね。
そういった表現無しで説明されるべきです。
ともかく
「唯一絶対」な私の存在性の根拠を説明してください。
出来なければ机上の空論にすらならない妄想理屈です。
>>235 唯識さん。
この私が唯一の存在だというのは、常識にも合致していると思いますよ。
貴方も私も、世界に唯一のオンリーワン。
これは直感的にわかること。
この常識を覆したいのならば、覆したい方の人が説明しなければならないと思う。
>>236 最高位の理屈だと私はオンリーワンだけど、
他人は違うのです。
無限にいるのですw
>>238 まあそうだろうね。
他人のことは、知りようがないから。
240 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/07(土) 03:42:44 0
>>233 そそ
そういう簡単な事が彼らには理解できないんだよね
>>234 逆だバカ(爆笑
>>235 >可能性の問題を問うているのではありません。
他の可能性が無きゃ
他に可能性が無いんだから、それが根拠だろバカ
>私は唯一絶対という根拠です。
だから、どこにいるのよ
もう一人の自分(爆笑
>現象しない「私」に「ここ」とか「どこ」とかという
>空間的な物理的要素で表現すること自体
>物理的要素に依ってますね。
あははは!!
ここ とか、どこ とか言うと
それは空間的な物理的要素を指しているとしか思い浮かばないのかね?
どんだけ頭固いんだよ
「私はここにいる」というのは、べつにどこでもいいんだよ(苦笑
いる っていう事が大事
キミは大事な部分を読み取るチカラがない
>>238 訂正。
>>236 最高位の理屈ですと「私」はオンリーワンだけど、
他人は違います。
無限にいるのですw
注意せねばならない事は、ここで使う「」有りの「私」とは、
一般的な人称代名詞の意味ではないそうです。
常識として使われている日本語の感覚で直感的にとらえるべきではないでしょう。
最高位にも何だか分かっていない「存在性」というモノの事だそうです。
242 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/07(土) 03:48:41 0
>>240最高位さん
「有る」「居る」も同様に空間的、物理的要素ですが?
「物」でない「私」が「有る」「居る」とは何ですか?
具体的にお答えください。
言ってるご本人がお分かりにならないのを理由に
他の人に頼るのでしょうか。
答えられないようでは意味が無いことをご自身で証明されていますね。
根拠っていうか、唯一絶対の存在性とやらの定義が必要かもなー。
オンリーワンってだけなのか、絶対に変化をしないものなのか、その両方か、
他にも何か意味があるのかとかさ。
その辺りで議論の内容も変わってくるとオモ。
>>239 知りようがないとなんで無限にいる事になるんですか?
245 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/07(土) 03:55:16 0
>>242 これは理解できたんかね?(爆笑
↓ ↓ ↓
>可能性の問題を問うているのではありません。
他の可能性が無きゃ
他に可能性が無いんだから、それが根拠だろバカ
>>241 それは単に、一般的な人称代名詞としての私だと、
「私」が一般化しすぎてしまうからということじゃないの?
>>244 たぶん上のことと同じで、一般化した私は無限にいる。
小説の中にも、どこにも。
そういう私と、自分が直感的に分かる唯一の「私」を
区別しているんだろ。
>>240 >「私はここにいる」というのは、べつにどこでもいいんだよ(苦笑
>いる っていう事が大事
ならば、尚のこと唯一絶対にはならないですね。
どこにいてもいいんですから、「あそこ」にも「ここ」にもいてもいいわけです。
「あそこ」にいてはいけないという理由がない。
どこにいるんだ?との問いには、
どこかわからない所にいるのかもしれないとも言える。
248 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/07(土) 03:59:15 0
>>245最高位さん
何もお答えになっていませんね
子どもがダダをこねているのと同じですよ。
ついでに
>>242についてもお答えください
何を根拠に私が「有る」「居る」のですか?
>>248 >子どもがダダをこねているのと同じですよ。
どっちがダダをこねているのかわからないな。
あなたは根拠、根拠と言っているけれど、
世界や私が存在することの根拠なんてないと思いますよ。
相手を質問攻めにするのではなくて、自分の考えを述べれば良いのでは?
>>246 直感的に分かった私が
何故唯一であると言い切れるのでしょうか?
直感にも誤りがあり得るならば、
もっと注意深く吟味しなおしてみる事も
必要ではないでしょうか?
「私」というモノを全て知り尽くした上でないと
唯一絶対などと断定は出来ないと思います。
251 :
考える名無しさん:2008/06/07(土) 04:07:44 O
>>242 唯一の根拠は?って聞いて、とりあえず返答があったじゃん。 で、どうなの? なんつーかアゲアシトリに思えるよ毎回
252 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/07(土) 04:09:35 0
>>249さん
貴方はこのスレは初めての方ですか?
最高位さんの「私」はただ単に人称的な「私」ではないんですよ。
質問攻めより質問の逆質問で逃げる最高位さんをご存知ないようですね。
最高位はSMAPや槇原敬之の世界で一つだけの花という歌を知っているかな?
唯一なのは君だけではないよ。
宇宙に最高位がいるから唯物論が間違いになるのならば、
最高位が死んじゃったら唯物論が間違いとは言えなくなるのかな?
>>250 >直感にも誤りがあり得るならば、
>もっと注意深く吟味しなおしてみる事も
>必要ではないでしょうか?
吟味しているのが唯一の「私」ということなんじゃないの?
そこはデカルトと同じことでしょう。
「私」は一般化出来ないよと言いつつ、
「私」がオンリーワンなのは一般常識だろ?
とのたまうのが「私」ですが何か?
256 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/07(土) 04:19:44 0
>>246 ↑
今日は久々にマトモな人が来てる感じだね(笑
>>247 >「あそこ」にいてはいけないという理由がない。
私はここにいるんだから
そこにもあそこにも、ここ以外どこにもいないだろ基地外
>>248 >何もお答えになっていませんね
って、マジでバカ?
よく読めよ基地外
>何を根拠に私が「有る」「居る」のですか?
「我思う故に我あり」を論理的に覆してみせてごらんよ
無理だろ
「あり」としか言えんだろ
正常な人間ならな
>>253 誰も、最高位だけが唯一だなんて言ってないだろ
少なくとも、最高位は唯一だがね
もう少し、普通に頭使え
逆に一般化出来るものとは何でしょうね?
258 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/07(土) 04:36:24 0
>>256最高位さん
またデカルトですか。
他の人の言葉を引用せずご自分の十八番
「私の存在性」から引用して説明しては如何ですか?
テカルト自身の言がそのまま最高位さんの言と同一ではありませんし。
(仮に同一ならば唯一絶対の原則と反しますね)
有る、居るはデカルトの思想でしょうか?
見事に
>>228で指摘した通り
「物理的云々」ならば「物理的要素」
「私」については「デカルト」にループしてますね。
これが最高位さんの思考パターンです。
もう通らないと思いますよ。
259 :
考える名無しさん:2008/06/07(土) 04:48:45 O
>>258 ちょっと他でやってくれないかい。 この方のつっこみ、特にイラナイ・・
260 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/07(土) 05:06:21 0
>>252 的外れな質問ばかりしてないで、内容の本質を理解するようにしなさい
言い負かしたい!という思いで必死だから、くだらない質問をする事しか思いつかないんだよ
私が言ってる内容を、理解するよう頑張ってごらん
あと
キミらが言う「一般化された私」というような場合
私は、そういう紛らわしい表現を避け「自我」「自我一般」という表現を使っている
他人は私ではないからね
他人は他人、私は私 だ
他人の主観性も私の主観性も「自我」と言えるが、「他人の私」などという表現は使わない
『私』と『』の無い私 についてだが、特に明確な線引きは無い
まぁ『私』は、『私という主観性そのものな存在性』を強調する場合に多く用いるが
『』のない私は、肩の力を抜いて、普通に自分自身の事を指している事が多い
べつに『』があってもなくても、文章として正しいから
面倒な時や、どっちでもいい時は使わない事もあるね
>>258 >またデカルトですか。
ん?
哲学の基礎問題だけど?(苦笑
何か私を、新興宗教の教祖か何かと間違えてるんじゃないか??
>「物理的云々」ならば「物理的要素」
>「私」については「デカルト」にループしてますね。
どこがループしてるんだよ(爆笑
キミらが理解できんから、同じ事を繰り返し説明してやってるだけだろバカ
唯識の話は面白いと思うけどなー。
「ここ」に「ある」ものが「私」だとしたら、空間を占めるのが「私」になる。
だから、「ここ」とか「ある」こととかに強い関心を抱くのも仕方ないじゃんって思うね。
この辺りの問題を跳ね飛ばしたら議論が擦れ違いになりそう。
面白いとかよく考えるとか議論とか最高位は興味ないから。
目的は最高位教を布教することのみ。
ここで自作の念仏を繰り返し唱えていればいいと考えている。
>>261 >だから、「ここ」とか「ある」こととかに強い関心を抱くのも仕方ないじゃんって思うね。
それはそうだが、唯識さんは
>「有る」「居る」も同様に空間的、物理的要素ですが?(
>>242)
なんて、変なことを書いている。
なんで存在することが「物理的要素」なのか・・・
こういう愚かしいことを書くから、デカルトに戻って考えてごらんと言われているんだろ。
また「ここ」というものも「物理的要素」とは限らないよね。
ハイデガーなら「ここ」は、存在が開示される「場」だろうし
カントなら時間と空間は直感の形式だろう。
>「物」でない「私」が「有る」「居る」とは何ですか?
>具体的にお答えください。(
>>242)
なんていう唯識さんの質問は、
『存在とは何か?』と聞いているのと同じなのであって、
それに対して『具体的にお答えください。』なんて言うのはナンセンスなんだよ。
最高位さんは
>「あり」としか言えんだろ
と答えている。
言い負かそうとするのではなくて、もっと良い質問の仕方をすれば、
もう少し良い答えを引き出せるのではないのかな?
>>256 >私はここにいるんだから
それは単なる結果論でしかありません。
あそこにもいてはいけない事の理由にはなりません。
もちろん、たとえあそこにいたとしてもそれも結果論であり、
ここにいてはいけない事の理由にはなりませんので、
結果として私がどこにどれだけいようとも、
ここの私が否定される事もないでしょう。
>>260 >あと
>キミらが言う「一般化された私」というような場合
>私は、そういう紛らわしい表現を避け「自我」「自我一般」という表現を使っている
>他人は私ではないからね
あなたは一人称を「自我」とか「自我一般」という人なのでしょうか?
ところで「他人の自我」と言った場合、
あなたにとっては「他人の「一般化された私」」という意味なんですか?
ところで最高位は永井やウィトゲンシュタイン以上のことを何か言ってるの?
私の存在性っていうのも結局永井の独在性と一緒ならば、
別に一生懸命頑張ってもただのパクリとしてしか受け取れないな
最高位が言語ゲームを超える発想したなら、誰か教えてくれ
>>260 >他人の主観性も私の主観性も「自我」と言えるが
これも意味が分かりません。
哲学者最高位にとって私とは主観性の事ではなかったのではないですか?
そうなると「私の主観性」とは「主観性の主観性」となってしまいます。
「主観性の主観性」とは何ですか?
他人の主観性も主観性の主観性も「一般化された私」と言える?
何の事やらw
他人は他人であって「私」ではないのだとしたら、
最高位氏は他人には該当しない事を延々と言っている訳ですね。
他人が分からないのは当然ではないでしょうか?
他人が自分自身の事や精神や自我の事をいくら考えてみたところで、
それは最高位氏の言う「私」の事を考えている事にはならないでしょう。
他人はいったいどうやって最高位氏の言う「私」とやらの事を考えたらいいと言うのでしょう?
>>263 ここにあるいるというのは空間を占めているって表現にとれるから、
物理的要素に関係するとも解釈できるよ。
そしてここにあるいるからこそデカルトのとは前々別ものと分かる。
270 :
考える名無しさん:2008/06/07(土) 07:14:46 0
物理学ではなく哲学では物質の定義はどうなってるんだ。
時空間に位置して、広がりがあって、さらに運動し変化するものなのか。
その物質は知覚による現象なのか、いや観念論上の超越的存在なのか。
哲学による物質の定義教えて。
>>269 >物理的要素に関係するとも解釈できるよ。
あたりまえだろ。唯物論者は物理的要素と解釈する。
>そしてここにあるいるからこそデカルトのとは前々別ものと分かる。
デカルトの我は思惟実体であるとともに延長実体でもある。
272 :
考える名無しさん:2008/06/07(土) 07:27:26 0
最高位さんに質問
>私の原因性を物理現象に特定する事は、絶対に不可能
>故に唯物論は間違いである だね
↑
なんで?
273 :
考える名無しさん:2008/06/07(土) 07:55:56 0
一人称代名詞としての「私」なら小学生でもその用法を間違うことは無い。
語の意味はその使用法にあるとする語用論なら「私」という問題は無い。
子供が「アタシ」と言うときは、自分に注目して要求を満たしてくれ〜
と言いたいんだよな。大人でも変わらないか。
275 :
下僕:2008/06/07(土) 08:49:00 0
ここで、みなさん誰が、何を書いているか?
あるいは、ここで発言しているのは誰か?
例えば、哲学者最高位氏に対して、対話を行う時、
だれが、だれに対して発言しているのか?
よ〜く、確認してから発言すれば、解る事なのです。
発言の文面の最後に、「と、私は思う」と付け加えれば解ると思うんです。
ここで言う、私は、発言者自身です。
みなさん自身が考えた事を、ここで発言しているという事を
忘れているから、哲学者最高位氏に、自分は一体どこにいるの?と
尋ねるようですが、あんたに向かって話しているんだから、
ちゃんと自分を感ずればよいではないか!と言っている。
私は私自身のつかみ所の難しさを知っている。
まずは、考えている、あるいは発言しているのは誰だ?
キーボードを打っている、その張本人であり、
質問している、あるいは意見を述べているのは、
まぎれもなく、キーを打っている存在であることを忘れては
私がどこかに拡散されて、いったいどこに私がいるの?と
他人に尋ねるはめになる。
残念な事は、救われているにも関わらず、あるいは手を差し伸べている
にも関わらず、弾く、拒む、逃げる。まあ、そんなもんでしょうが…。
これ全て私の主観であり、私が考え観察した結果で、全責任は私にあります。
>>223 >じゃぁさ
>私の存在原因は、唯物論の立場では、いったい何なわけ??(爆笑
おお、最高位氏、何を言っておられるのですかw
「私の理解する唯物論」の立場では、私の存在原因も、物質(一般名でいう
人間とか固有名でいう哲学者最高位とか)の存在原因も、ともに物理現象だと
思われます。というか、そもそも物質と物理現象を分けて考える理由がありません。
「哲学者最高位」は物質だとも物理現象だとも言えます。
ちなみに、私は必ずしも唯物論者ではありませんが、物質の存在原因は
物理現象だろうと考えております(ただし立証は不可能です)。
ただ、あなたご自身が(私は意味がわからないので賛成できかねます、と
言ったでしょうw)
「唯物論は物質の存在原因は物理現象だとは考えない」と言われたので、
「それなら、仮に私の存在原因が物理現象でないとしても、私が物質でない
証拠に全くならないので、あなたの理解する唯物論と関係ないのでは?」と
お尋ねしたわけです。おわかりになりませんかw?
>>224 >「心の振る舞い」の束 というような客観的視点に立つならば
>それは通常、『他人』になりますね
>その中の一つが、なぜ『私』なのか というのが問題です
最高位氏、何度もご説明しているようにw、『私』と『他人』というのは、
相対的な概念なのです。「哲学者最高位」という「心の振る舞いの束」は、
哲学者最高位さんにとっては『私』ですが、それ以外のすべての人間に
とっては、現に『他人』なのです。何十億と存在するすべての自我(心の
振る舞いの束)にとって、同じことです。あなたご自身が、前のスレで
「コピー最高位だろうと誰だろうと、自我がありさえすれば、それはすべて
本物の『私』だ!」と、お認めになったでしょうにw
ちなみに、「客観的な視点に立つならば」『私』も『他人』もありません。
哲学者最高位も朝青龍も単なる自我なのです。お間違えなきよう。
277 :
考える名無しさん:2008/06/07(土) 11:51:59 0
最高位は国語の基礎から始めたらいいのに。
>それは通常、『他人』になりますね
なんて言っていたら小五の子供にも笑われるよ。
「他人じゃなくて、人間A、人間Bになるんだよ」と。
278 :
下僕:2008/06/07(土) 12:41:21 0
論点として物質とは何か?
という所に来ているようですね。
お話中ではありますが、私の考えとして
唯物論は単なる概念・観念・いわば論ですが、物理現象ともなると、
これは観察者が発生してきますね。
現象は現れ方を指し示しますから、どのように現象が起こるのか?
また、その現象の原因はなにか?という主体が発生しますね。
この主体を仮に意思なり、方向性等という概念を用いる事ができれば、
物理現象として立証できます。
私などは、古典的なニュートンの法則を当てはめて私を観察する事もあります。
ポイントは物理現象に意思が働いているか?そうでないか?です。
意思が働いているならば、方向性がありますし、規則性を観察することが可能です。
実際、人は同じ反応を繰り返していますし、現に、介入が無いかぎり、永遠と
ここでも、同じ対立的議論のループを繰り返すわけです。
物理現象に意思はあるか?ないか?はポイントではないでしょうか?
樹木も、菌も、動物も、同種間での意思疎通は普通に行われていますし、
人間においても普通に意思を交わしている。ここでもね。
私は物質に意思がることを認めていますが、これは唯物論か?そうでないか?
私には解りません。
279 :
:2008/06/07(土) 12:47:27 O
黙れ自演
280 :
下僕:2008/06/07(土) 12:52:18 0
黙らない事を選択する私をお許しくださいね。
もう一点だけ書きます。
論を用いる時には、必然的に観点が発生します。
無限なる全体から見ると、観点自体は存在していませんが、
観点がないかぎりなにも観察できませんから、人間が在る。
つまり私という仮の観点を私はでっち上げている。
その観点を誰が作ったのか?という意思の問題は決定論であって、
私は、私がみずから選択によって作ったという事で、その手段、
その物質の現れ方まで選択した。つまりここの秩序と法則に
ならっただけです。よって物質的身体が備わっていると
同時に私という観察体も存在できている。
で、他人、つまり宇宙も、そうであるとみなす選択も私はしたという事です。
だからみんな好きな選択をしてすきな結果を享受しているだけであるという論です。
そんな私でありますから、意思という原因は切迫した問題とするのであり、
その人なりを表す母胎であり核であるから、それを知る事に熱心なわけです。
以上のような観点で上記
>>278、をお話しました。
ひたひたと戦略を練る最高位(爆笑www)
つかえらい長文のわりには何が言いたいのかさっぱりわからん文だな。
日本語でおk。
283 :
考える名無しさん:2008/06/07(土) 15:26:17 0
なにしろ思想戦W
負けてたまるか、という気持ちでいっぱい。彼も必死なのさ
284 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/07(土) 15:42:44 0
>>276 :考える名無しさん:
横レスですが・・・
>物質の存在原因は物理現象だろうと考えております(ただし立証は不可能です)。
成るほど、そうかもしれませんね。
唯脳論では心身二元論の話で物質構造(身)と機能(心)について 範疇が違うとありましたが・・・。
良く考えると範疇は違わない。
機能と構造は物質に不可分のものとも言える。
そして機能が構造の原因であると言う事もうなづける。
さてじいさんは観念論者でありますが、では心とは何かと言うとそれは脳の機能なのではなく「クオリア」のようなものと言う漠然とした形容しか残りませんね。
もともと心は生まれた時は希薄で完成まで何年も掛かります。
それまでの身体の経験、記憶の総合(一体感)に過ぎないわけです。
要は「ある個別物質の身体、記憶、感覚などのクオリアの統合感」が「私」です。
ですから此処で言う「私」というのは「私の心、意識」と言う事です。
物理的個別性の固有名詞と言う意味ではありません。
となるとそのような心は唯物論的に解明できるのか?
人生を追体験すれば出来そうかな?
じいさんの観念論では体験するときの感覚、認識にもクオリアが入り込んでいるので、少なくとクオリアの最初の発生を証明できないと始まら無いだろう。
人は一つの細胞から発生するのだが、その時点ではクオリアは存在しない事は自明でしょう。
285 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/07(土) 15:51:54 0
追記
まとめると。・・・・・・
「私」を物質(物理現象)で解明するには、「私」(自我、心)の発生のメカニズムを解明すればよい(しなければならない。
・・・・・・・・・・でした。
>>276 >ちなみに、「客観的な視点に立つならば」『私』も『他人』もありません。
>哲学者最高位も朝青龍も単なる自我なのです。お間違えなきよう。
そのような、『私』も『他人』もない客観的な視点に立つことは絶対にできないから、
「私」の存在性は絶対だということを最高位さんは言っているのでは・・・?
『私』も『他人』もないような視点から見ているつもりでも、その一方には必ず
「私」の視点から見ているもう一人の自分がいるはずだと思いますよ。
287 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/07(土) 16:02:35 0
またぞろ考えるに・・・
心の発生を解明する為には、生きていると言う事を解明するのが先決かな?
生物が「動的平衡状態」と言うのが科学的に判っているらしいが。
未だ「生きている」と言う事そのものを科学は解明できていない。
288 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/07(土) 16:18:18 0
>>263さん
それこそ唯識流?にいろいろとやってきてますよ。
289 :
下僕:2008/06/07(土) 21:52:17 0
【「私」を物質(物理現象)で解明するには、「私」(自我、心)の
発生のメカニズムを解明すればよい】と、
>>285でのじいさん氏の
まとめがこのスレッド、【私】を記述してください【私の存在性】
を表す、正しい結果を指し示しますね。
私が、正しいと称したのは、物理現象にて説明する事は、多勢の思考習慣に
慣れ親しんでいるであろうという意味でしかありません。
「私」(自我、心)は物理現象として観察するにはサンプルがあふれています。
何しろ生命の一部である、人間の成長過程を観察する事が一番早いです。
別の生命でも現象は同じですけど。「私」という概念を使っているのが人間だからです。
どうやって心を観察するか?見えないものを観察するか?この二つの問いに答えを
見出すならば、私はおなじみの物理法則を用いる為の仮想の3次元座標軸を設定すれば良いと
結論づけるのです。しかし3次元座標軸で、変わり続ける時間があるため、表現自体も
現在ではありませんので、瞬間を切り取った形の座標軸は設定可能ですが、時系列の
イメージは想像で補う事で多少図形処理手慣れた人ならば、脳内処理は可能でしょう。
仮想の点を生命(意思)とみなし、それがどのように規則性のある運動をするか?
これを観察するというのが、おじさん氏の言う、「発生のメカニズムを解明」に
対する私のアイデアです。よって観察者は我々で、仮想点を生命(意思)に設定する。
これを前提として観察する事で、我々は客観的に仮想の私(意思)を観察できると
私は結論づけているのです。
290 :
下僕:2008/06/07(土) 21:53:38 0
まとめかたが下手な私がまとめるならば、
【「私」を物質(物理現象)で解明するには、「私」(自我、心)の
発生のメカニズムを解明すればよい】
その方法のアイデアとして、まずは、
【生命には意思が在ると仮定することによって観察可能(仮想的観察)になる。】
代数(意思)をつかう数学とも言えますから立証可能ではないでしょうか。
立証できれば、意思は論理的にあり得ると証明できますね。
但し、私は証明を待つまでもなく実践検証によって確信に至っています。
笑い話ですが、誰にも知られずにお金を盗んでも大抵捕まります。
実際やったことは、物質の移動だけなのにね。
291 :
考える名無しさん:2008/06/07(土) 21:54:03 0
おまえらの話なんかどうでもいい
292 :
下僕:2008/06/07(土) 22:21:41 0
>>291氏の発言に連ねて、私の観点を継続して発言するならば、
「おまえらの話なんかどうでもいい 」
という問いが発生した場合では、
どうでもよくない話から人間の成長過程が始まるという観点で、
力学的に意思を観察することは可能です。
慣性の法則に則るならば、次ぎの意思以下のようにスタートします。
心は介入を入れるか?過去の連鎖をするか?反作用をするか?
この法則に従います。運動の三法則に見事にしたがいますから、
ご覧あれ。
293 :
下僕←仮想:2008/06/07(土) 22:25:27 0
消えろ!←反作用ですね。
以下、リセットなさって、議論を継続してください。失敬。
294 :
考える名無しさん:2008/06/07(土) 22:33:42 0
>>286 そのとおりです。
その点は幾度も感嘆子に言いましたが、わかってくれません。(素人氏もw)
感嘆子は唯物論者ではないのだから、最高位への突っ込みに専念せずに、
「私とは何か」につき独自の見解を示すべきでしょう。
これまでに感嘆子は「私は“身体”である」に類する発言をしていると思う。
これは
>>287 の“生命”とは何かに通じている。
物質・生命・精神という三層構造になっているわけではないが、これらを
視野に置きながら感嘆子の『私』観を示していただきたい。
唯識さんも最高位に絡むだけでなく、貴方の『私』観を披瀝してください。
できるだけ易しくお願いします。w
295 :
考える名無しさん:2008/06/07(土) 22:42:15 0
どんどん人が減っていく
サバイバル自演(爆SHOWWWWW!!!!!)
296 :
弱者の味方:2008/06/07(土) 23:07:38 0
勉強しようにも、なんと言うかこう手がつかず、こうしてネット
をしてしまう。
やらなければならないって事は分かっているのだが、なぜだろう?
はーい。
こんな事、よくあるよね。
ふつう僕たちは、何かを決意して、何かを行う。
こんな風に書くと不思議でも何ともないけど、
行なえとしながら、行おうとしている。と書くと不思議だ。
正反対の同居があり、それが問題なくうまくいく奴は、
オリンピックの金メダリストくらいなんじゃないかなぁ。
とさえ思う。
まるで何人かの私が、複数同居してそうだが、
そんなことあるわけない。
試しに、問いかけてみればいい。返事がしたら幻聴だ。
たぶん私は都合がいい存在だ。
うまくいかない時の為の、だから常に存在する。
責任者は一人の方がいいだろ。何かと。
(つまり一気に憂さ晴らしできるし)
まぁいやな役回りなのさ。なんてね。
私、普通の人なのに宇宙との連絡係なのか判らない!?
生まれて来て色々あったけど人生も後少ししか無いのに連絡係だって、勝手に決められても;^^
宇宙人とコンタックできる人教えて! マジ
298 :
宇宙人:2008/06/08(日) 00:38:50 0
>私、普通の人なのに宇宙との連絡係なのか判らない!?
●私は「?」であるのに他人と私との間にある人間という
連絡係なのか?私という「?」なのか判別がつかない。
>生まれて来て色々あったけど人生も後少ししか無いのに連絡係だって、勝手>に決められても;^^
●お前は人間だ!と決めらたような気がする。
>宇宙人とコンタックできる人教えて! マジ
●私が「?」であると思い出したい。直ぐ。
宇宙人とは私であり、他人とは宇宙にある反応体であり、
連絡係とは自他とのはざまにある創造された幻想の自分で、
この宇宙に暮らす人間は、俗に私といって「?」を指し示す。
しかし俗の私は方便であり、「宇宙人」の指し示すものが
私の本質「?」を表している。
「?」は創造の事であり、創造(知っている事)を実践するのが
(今)ここでの「?」の役目である。
「?」の主は発言者である。
>>297は宇宙人とコンタックできる事を知っている。
心に想うもう一人の私の言葉を、宇宙人ではないと
もし言ったのならそれは人間だ。信じるな。
299 :
きもっw:2008/06/08(日) 00:49:10 0
531 :考える名無しさん:2008/03/24(月) 22:50:25 0
提供 ル・サンチマン™
818 :考える名無しさん:2008/03/24(月) 22:51:09 0
提供 ル・サンチマン™
187 :考える名無しさん:2008/03/24(月) 22:51:51 0
提供 ル・サンチマン™
ルサンチ・マン
>>286 >そのような、『私』も『他人』もない客観的な視点に立つことは絶対にできないから、
>「私」の存在性は絶対だということを最高位さんは言っているのでは・・・?
いや、最高位の「私」は、「他人」なんかなくてもあるらしい。
>「私」の視点から見ているもう一人の自分がいるはずだと思いますよ。
もう一人の自分がいたら自分は唯一絶対ではないだろう。
そもそも、何で他の人(絶対に私であるはずのない他人)もそうである筈だと思うのか?
他の人の事は知らないけど自分には出来ないと言えばいいのではないか?
どうして他の人まで出来ない事になってしまうのか。
>>301 >どうして他の人まで出来ない事になってしまうのか。
他の人が神様だとは思えないからw
自分の視点を完全に離れるなんていうのは、妖しげな神秘体験みたいなもの。
「私」の存在性が絶対というのは主観的なことで他人は関係ないんだけどな。
関係があるとするならそれなりの理由が必要になるし、
一番納得しやすい理由としては人体の構造の類似があげられるんだが、
そうなると唯物的な考えを肯定しなくてはならないという矛盾。
>>303 つまらない屁理屈をこねていないで、
君が、君自身の視点を完全に離れられるのかどうかを
答えればいいのでは?
>>304 301とは別人なんだがもしかして勘違いしてる?
つかなんか日本語変だし何言ってるかわかんね。
よしんば、ヒトの認識というものが(≒「私」というものが)、
「(視点として)デジカメのようなものだ」と解明・記述されたとしても
「「そのファインダーを覗くもの(『私』)」が居るじゃないか」
ということと思われる。
>>286
そして、
最初の認識の主(私1)をデジカメ的なもの(デジカメ1)と解体したとしても、
ファインダーを覗く「私2」がそこに居る。それをデジカメ2へと解体しても、
それを覗く『私3』が居る。それをデジカメ3へ解体しても、
それを覗く[私4]が居る。それをデジカメ4へ解体しても、
それを覗く・・・・・・・
唯識は「合わせ鏡」と言った。似たようなことかもしれぬ・・・。
>>302 >他の人が神様だとは思えないからw
他の人は他の人だろう。
他の人が神様だとは思えないと何で
他の人まで出来ない事になってしまうのか?
>自分の視点を完全に離れるなんていうのは、妖しげな神秘体験みたいなもの。
「私」に出来ない事を他の人が出来ちゃいけない理由があるのか?
むしろ「私」と絶対に同じでないのだから、
違う事を出来るのが当然と考えられるのではないか?
他の人の体験なんて一度もした事がないのに、妖しいかどうかなんてなんで分かる?
一人を除いて全ての人は他人に生まれてくる事が出来たのに、
「私」一人だけが他人に生まれてくる事が出来なかったとは何故考えないのか?
最高位は他人に生まれてくるのが当たり前だと言った。
当たり前の事さえ出来ない世界でただ一人の存在だとは考えてみないのか?
309 :
考える名無しさん:2008/06/08(日) 18:07:18 0
>>308 わかった、わかつた。くどく言うな。
で、他人てなんなのよ? それを君がまず語れ。
310 :
考える名無しさん:2008/06/08(日) 21:17:25 0
「私」はどこから生まれてきたの?
「私」はどこから生まれてきたの?
「私」はどこから生まれてきたの?
「私」はどこから生まれてきたの?
311 :
考える名無しさん:2008/06/08(日) 21:24:06 0
ママのお腹から生まれてきたの?
ママのお腹から生まれてきたの?
ママのお腹から生まれてきたの?
ママのお腹から生まれてきたの?
312 :
考える名無しさん:2008/06/08(日) 21:25:15 0
どうしてママのお腹から生まれてきたの?
313 :
考える名無しさん:2008/06/08(日) 21:29:54 0
ママのお腹にいる前の「私」はどこかにいたの?
314 :
考える名無しさん:2008/06/08(日) 21:34:13 0
どうして「私」はママではなくて、ママは「私」でないの?
315 :
考える名無しさん:2008/06/08(日) 21:41:56 0
「私」は「どうして私を生んだママになれなかったのか」って
考えちゃいけない? ふふ 馬鹿ね「私」って?
316 :
考える名無しさん:2008/06/08(日) 21:56:11 0
「私」なるものは見えないのに確かに存在していると思えるのは、
「私」を成立させる確固とした意識の構造があるからだ。
その意識構造は個人の脳を越えている。
その大事なポイントを唯物論者と哲学最高委の両者は記述できない。
唯物論も哲学最高委も心の哲学としては欠陥だらけで駄目だ。
>>316 >その意識構造は個人の脳を越えている。
当たり前じゃん
318 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/09(月) 02:48:36 0
私についての議論はこういう形が正常なのではないでしょうか。
「私」に特別な付加価値を付ける必要は無いと思います。
319 :
考える名無しさん:2008/06/09(月) 07:51:30 0
脳も臓器の一つじゃ。
320 :
考える名無しさん:2008/06/09(月) 08:28:53 0
>>318 そのとおりだが、対象を“価値評価”してしまうのが『私(という主体)』です。
現に、唯識さんは「『私』に特別な付加価値をつける必要はない」との言い方で
『私』を対象にその価値づけを行っている。
最高位が問題にしているのは“対象”を価値観によって意味づけする『私』です。
そんな事いつまで言っても意味ないよ
322 :
考える名無しさん:2008/06/09(月) 08:45:40 0
最高位が問題にしているのは
“物理世界”から価値観で“もの”を切り取っている『私』です。
323 :
下僕:2008/06/09(月) 08:54:45 0
私の記述に関して、
シンプルかつ大胆な帰着点に観点のある方が多数顕れていますね。
>>315 >「私」は「どうして私を生んだママになれなかったのか」って
>考えちゃいけない? ふふ 馬鹿ね「私」って?
この観点は、私の実在場所は存在しているが、同時に観点は
自在である結論を示唆している。実際、人間とは
>>315の観点が、
素朴かつ自然な視点であり、馬鹿つまり既成概念のない観点であろう。
私は既知内に在るのではなく、既知外に在る。
だから既知内を観察できるっていうカラクリである。
つまり私は既知外であり、これを通称「気違い」と言っているが、
実は、私は、馬鹿であり、気違いである。
ただ、呆然とこの世界に立ちつくす阿呆であるが、
知ったかぶりをすることで社会制度がなりたっているから、
知ったかぶりそのものがコミュニュケーションのスタイルである。
IT(コミュニュケーションテクノロジー)とは、知ったかぶりの技術でもある。
いずれにしても、私は既知外である。
>>323 おもしろいw
澱み、停滞したスレの流れを変え得るか?
325 :
考える名無しさん:2008/06/09(月) 09:28:03 0
>>322 “物理世界”なるものが初めに存在しているわけではない。
それは何らかの(たとえば唯物論のような)価値観によって切り取られ、
意味づけされた“世界”である。
別の価値観を持つ主体なら“物理世界”などとは呼ばないだろう。
>>321 では、君が意味あることを語るがいい。
326 :
下僕:2008/06/09(月) 09:43:27 0
>>324 評価をしてくれてありがとう!
でも、みなさん利口ぶりたいので、この流れはまずいです。
利口ぶりたいというのは、社会制度内の交流スタイルなので、
私は完全に違反者であるから、私としては、唯識氏・おじいさん・
その他、多くの識者のみなさんの発言に、ただ呆然と立ちつくす下僕で
ありたいと思うわけです。
ということで、無限なる観点の発露に胸を躍らせ、期待している
馬鹿の一員である私という既知外を、利口にしていただきたいと思うわけです。
>>286 >そのような、『私』も『他人』もない客観的な視点に立つことは絶対にできないから
いえ、この文脈で言いたいことは、「『私』と『他人』は完全に相対的で相互補完的な
概念なので、私がいなければ他人もいない」ということだけなのです。
最高位氏はよく「私が存在するまでは他人しかいなかったのだから、この体も他人で
あって当たり前だ」とおっしゃるので
1.私が存在しないのなら、他人も存在しない。私が存在する前は、例えば
ナポレオンは単なる人間であって「他人」ではない。
2.私と他人は相対的な概念であって、ナポレオンに自我があったとすれば、
ナポレオンにとってはナポレオンが私で最高位は他人である。自我を持つ誰に
とっても同じことである。
と、この2点を指摘しているわけです。
それと、主観ー客観も完全に相互補完的な概念だと思いますので、
私見ではむしろ逆に「客観的な視点に立たないことは絶対にできない」と
言うべきだと思われます。そもそも「視点」とか「主観」という概念が、
すでに客観的な視点を確保していないと理解できないものです。
本当に客観的な視点に立てない人は、そもそも「主観」とか「視点」とか「自我」
とかいう概念を理解できないはずです。仮に理解できても、その人はそれらを
固有名詞として理解するはずなので「他人の視点」とか「他人の主観・自我」
という言葉は「そもそも何のことだか意味がわからない」はずです。
「本当に他人の視点に立てるかどうか」とか「他人に主観や自我があるか
どうかを確認できるかどうか」は、本当はあまり問題ではないので、問題は、
それらが存在することが可能かどうか、それらが存在するということに
意味があると考えるどうか、だと思われます。
(続き)
よく、「完全に客観的な視点に立てるのは神だけだ」といわれますが、
フォイエルバッハ風に言えば、人間は自分が客観的な視点に立てるので
(というより立たざるを得ないので)、そして、その視点に映る世界と
「実際の世界」が違うことを知っているので、その自らの本質を投影して
完全化することで「神」という概念を作り上げたのだ、とも言えましょう。
>>294 ネコの味方氏でしょうか? 何度も申しましたが、私は「私とは何か」に
ついて、特に意見があるわけではありません。
「身体」ということなら、私は単純ソボクにw人間の身体があり(もちろん
それは人間とか身体とかいう概念の対象である「物自体としての身体」という
ことです)、それが宇宙全体のとの相互作用の中で一定の活動を行うことに
よって(その活動を「生命」と呼んでいるわけです)「自我」が発生する、
と一応考えております。
「身体とは何か」「生命とは何か」「自我とは何か」「それらの相互関係は
いかにして可能なのか」等の大問題については、言うべきほどの意見は
持ち合わせておりません。
ちなみに、最高位氏の固有の疑問は、正確に言い換えれば
「私はなぜこの自我であってあの自我ではないのか?」というものです。
私はこの疑問は無意味だと思いますが、いずれにせよここには「人間」も
「身体」も、およそ「物質」が出てこないので、唯物論と関係のありようが
ないわけです。
>>286 >それと、主観ー客観も完全に相互補完的な概念だと思いますので、
>私見ではむしろ逆に「客観的な視点に立たないことは絶対にできない」と
>言うべきだと思われます。そもそも「視点」とか「主観」という概念が、
>すでに客観的な視点を確保していないと理解できないものです。
人が物事をある程度は客観的に見ているのは、言うまでもない当たり前のことです。
問題はそういうことではないんです。
>>276であなたは
>「客観的な視点に立つならば」『私』も『他人』もありません。
と書いているのだから、あなたは「私」の視点を完全に離れることが可能だと考えているのでしょう。
そういう考え方に対して私は
>>286を書いたんですよ。
客観的に見ようとして、客観的に見ているつもりでも、その視点の根っこのところには、
物事を客観的に見ようとしている「私」の視点があるのではないのですか?ということです。
330 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/09(月) 13:16:21 0
>>287 <生物が「動的平衡状態」と言うのが科学的に判っているらしいが。
私には、ヒトが「動的対自/対他/対社会/対地球/対宇宙不均衡増殖生物」としか思えませんが。
331 :
碑文谷潤:2008/06/09(月) 13:26:34 0
>>329 >
>>276であなたは
>>「客観的な視点に立つならば」『私』も『他人』もありません。
>と書いているのだから、あなたは「私」の視点を完全に離れることが可能だと考えているのでしょう。
そもそも、最高位氏が
>>224で
>「心の振る舞い」の束 というような客観的視点に立つならば
>それは通常、『他人』になりますね
と書かれたのが始まりなのです。それに対して「客観的な視点に立つならば、
『私』が存在しない以上『他人』も存在しないでしょう」と、それだけの話です。
大げさなことでなく、単に三人称の文章には(登場人物の台詞以外では)
「私」という言葉は出てこない、著者自身が出てきても単なる人間としてしか
扱われない、と、その程度のことです。
そもそも、「心」という概念が、すでに私を客観化して一般化しなければ成立
しないものです。客観的な視点に立たなければ「心」という概念は意味がないか、
あるいは「固有名詞」であって「他人の心」などというものは理解不能である、
と考えるしかないでしょう。
「考える」も全く同じであって、私を客観化して一般化することによって
成立することです。客観的な視点に立たなければ「考える」という概念は意味が
ないか、あるいは「固有動詞」であって「他人が考える」などということは
およそ意味不明で不可能である、と考えるしかないでしょう。
>客観的に見ようとして、客観的に見ているつもりでも、その視点の根っこのところには、
>物事を客観的に見ようとしている「私」の視点があるのではないのですか?ということです。
というわけで、これは全くその通りで何も異論はありません。ただ、こう考える
時点ですでに「私」も「私の視点」も客観化され一般化されている、というだけです。
>>332 >というわけで、これは全くその通りで何も異論はありません。ただ、こう考える
>時点ですでに「私」も「私の視点」も客観化され一般化されている、というだけです。
言語そのものに一般化する働きがあるんだから、そんなのは当然のこと。
329さんが書いてる《その視点の根っこのところには、物事を客観的に
見ようとしている「私」の視点があるのではないのですか?》
は、そういう一般化されているものの根っこには、一般化を拒む「私」
があるのではないのか、ということだろ。
永井の〈私〉の〈 〉の記号も、一般化・言語化できないもの
ということを表してるんだよね。
335 :
考える名無しさん:2008/06/09(月) 15:23:52 0
>>333 一般化されること拒む私はゼロアカ帝国
小説家モドキのぴかっと閃くエロぴか理論の皇后
爆乳生熟女アニマル排便クレポン視点タンポン物事アナルの女神
スカトロ好きなあずまん古腐人淫乱に潮噴くさなえ陛下です。
336 :
下僕:2008/06/09(月) 15:30:42 0
主客に関しての毎度の議論は楽しいものです。
私は、観察者と同時に観察される対象である。
この矛盾を成立させうる共通普遍の制限を設けています。
ようするに「私は地球におり、肉体をもって生きている。」
つまり人間をこのように絶対的に制限の枠にはめ込むわけです。
だから思考や論理のみが一人歩きしないわけで、主観だろうが客観だろうが、
どちらにしても一つしか選択できません。一人の人間が主観を選んだり客観を
選んだりそんな中途半端な、体がまっぷたつに割れるがごとくの論を構築できるはずがないのです。
無制限の私は、私として定義しません。
あくまで、下僕のあつかう対象は、人間であり、
「私は地球におり、肉体をもって生きている。」という制限内でとりおこなわれています。
みなさんの発言の中には、この制限をこえて、あたかも霊になったごとく、
自分の体が幽体離脱っていうんですか?、そんな風にできてしまうのが不思議です。
337 :
考える名無しさん:2008/06/09(月) 15:31:43 0
ネコの味方?
>>294は、他者論を学ばなければならない。
現象学においては他者論にも重きをおく。
現象学において他者性の問題について、
他者論を欠いた主観主義は評価されない。
まぁ、そこが現象学の不徹底なところだと思うけどね。
>>333 >言語そのものに一般化する働きがあるんだから、そんなのは当然のこと。
この意見はよく聞きますが、私はさっぱり理解できません。言語でも固有名詞は
一般化されませんし、そもそも「一般化する働き」という概念がやはり客観的視点を
前提にしたものです。現代では総じて言語というものに異常な高値がつく傾向が
あり、永井均氏などは、他者の私とか心とかは言語が見せる夢だとか言われますが、
なぜ言語などというものにそんな超能力があるのか、さっぱり理解できません。
私は言語というのは世界の限界でもなければ「初めに言葉ありき」でもなく、単に
人間の使う道具の一つ、世界の一部分だとしか思えないのですが。
いくら「言語ゲーム」(正直言ってこれもよく意味がわかりませんが)に参加して
いようと、意味のわからない言葉はわからないのであって、本当に私を客観化・一般化
できないのなら、「私という言葉はよく聞くけれど意味不明だ」となるか、あるいは
そもそも言語の意味がわからず一切使えないか、どちらかだと思われます。
>そういう一般化されているものの根っこには、一般化を拒む「私」
>があるのではないのか、ということだろ。
まさに永井均的(といっても永井氏の考えは難解すぎてほとんど理解できませんが)
考えに同意できないのはここで、私はどう考えてもそんなものはないと思います。
というか、「哲学者最高位」や「朝青龍」が個物として一般化を拒むのと
全く同じ意味でどの「私」も一般化を拒む、というだけのことだとしか思えません。
(そういう単純素朴な考えはだめだ、という批判はよく聞きますが、なぜだめ
なのかはさっぱりわかりません。)
というか、本当に「一般化を拒む」のであれば、それは他人にいくら説明しても
理解されるはずはなく、また理解されてはならないものです(この点はもちろん
永井氏は自覚的で、最高位氏は全く無自覚ですがw)。当然「人間性の擁護」
だの「唯物論の否定」だのに、使える道理がないわけです。
さらに、「一般化される私」と「一般化を拒む私」がどういう関係にあるのか、
別のものならなぜ両方とも「私」なのか、これもよくわからないところです。
伝えたいことと言語の性質のそりが合わないのなら、一人で納得して黙ってたほうが賢い。
その次元で伝えたいことが伝わる(と思い込めるかどうか)はぶっちゃけ運次第だし。
しかしなぜか伝わらないことに腹を立てるやつがいるんだよな。最高位とか。
341 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/09(月) 15:53:15 0
>>330 :wisteria-1
成るほど、面白いですね・・・
でも「動的平衡状態」と言う事が自然の原則(エントロピー・・?)に逆らっている状態らしいです。
無理して生きている状態が「動的平衡状態」。
死ねばすぐ風化すると言う事らしいです。
342 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/09(月) 16:05:29 0
>341
<「動的平衡状態」と言う事が自然の原則(エントロピー・・?)に逆らっている状態らしいです。 >
なるほど。
「動的」とは「無理して」の異語だったのですね。
生理、且つロジックとして感服致しました。
>>333 この >一般化を拒む「私」 を、仮に「視点Ω」とする。
この時、その「視点Ω」の解体を許すかどうか(許容するかどうか)が、
最終的な立場の分かれ目となるのだろう。(それは感嘆子が言うように“唯物論云々”とは無関係だ)
別の言い方をすれば、
≪ヒトという生物の認識に於いて『メタな視点・超越的視点・第三者的視点』を許すかどうか(許容するかどうか)≫が、
最終的な立場の分かれ目となるのだろう。
また、同じ許容する立場の中でも、
≪(
>>329が言うような)、視点Ωからも“完全に”離れた視点を採り得る≫
とするか、
≪完全な離脱ではないが、考察上の処理として“第三者的視点から見られた対象として”Ωを扱う≫
(→Ωを解体した第三者的視点は(その解体作業が妥当であるという前提の上で)、解体される必要はない」とする。
→なぜなら、同じ作業が繰り返されるのみだから、一度の解体で十分。)
とするか、分岐するだろう。
各論に入ればもっと分岐してゆくだろうが、
概ね、この3つが主要な立場の違いに思えるがどうだろうか?
344 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/09(月) 16:17:00 0
>>341 更に言えば、生命というものがある、という事実のほうが圧倒的に希少、ということですね。
>>339 >この意見はよく聞きますが、私はさっぱり理解できません。
>言語でも固有名詞は一般化されません
伝達することは一般化することだろ。
>私を客観化・一般化
>できないのなら、「私という言葉はよく聞くけれど意味不明だ」となるか、あるいは
>そもそも言語の意味がわからず一切使えないか、どちらかだと思われます。
伝達しようとしてもどうしても伝達しきれない、一般化できないものが残る。
普通に会話していても分かることだと思うが。
>というか、本当に「一般化を拒む」のであれば、それは他人にいくら説明しても
>理解されるはずはなく、また理解されてはならないものです
私にとっての「私」が、そのまま他人に理解しうると思う?
>>339 横レスですが
> (そういう単純素朴な考えはだめだ、という批判はよく聞きますが、
>なぜだめ なのかはさっぱりわかりません。)
それは伝統的な哲学の文脈でいうと「どの『私』でも」という言い方が
すでに他者の存在を前提とされるので、方法的懐疑を念頭に置いていない
というところからくる批判でしょう。
そしてあなたは以前、その「方法的懐疑」もさっぱりわからないと表明していますので
ここは最後まで並行するところでしょうね。
347 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/09(月) 16:22:34 0
>>341 その「無理をしながらも平衡状態を保っている」、且つそのようなものとして生起した生命という希少性を、ゆえなくモノとして排除してしまう行為だったからこそ、アキバの事件は、不快である、ということになるのでしょうね。
わからないのなら言及するなと。名前を出すなと。
349 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/09(月) 16:28:08 0
じいさんさんは、社会評論家でもあらせられる(本音)。
350 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/09(月) 16:38:05 0
>>344 :wisteria-1
寿命があるのも、永続きはしないからで、世代交代でリセットする必要があるわけです。
生殖が必要なわけです。
351 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/09(月) 16:38:38 0
>>339 :考える名無しさん:
>「一般化を拒む」のであれば、それは他人にいくら説明しても 理解されるはずはなく、また理解されてはならないものです・・・・「唯物論の否定」だのに、使える道理がないわけです。
横レスですが、逆に言うと若し唯物論で説明できれば一般化でき得るで在ろうし人類が共有しうる可能性は或るとも言える。
ですから「一般化を拒む」のは充分条件として必要でしょう。
>>343 :考える名無しさん:
>この >一般化を拒む「私」 を、仮に「視点Ω」とする。
この時点で客観化されているのでじいさんは許容できない。
このように「私」を扱うときだけややこしい問題になる。
<あのシマウマを仮に「馬Ω」とする>などと言うときは有効であり問題ない。
「私」の時だけ取り扱いが困難なのである。
352 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/09(月) 16:41:22 0
>350
ヒトに生殖を強いるのは、「私」でも「他者」でもなく、私や他者からみた「外部の存在」としてのDNA側の「意思」であるという説もあります。
353 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/09(月) 16:41:52 0
補足
>ですから「一般化を拒む」のは充分条件として必要でしょう。
↓
>ですから「一般化を拒む」のは唯物論と否定する充分条件には成ります。
>>351 この時、その「一般化を拒む「私」」の解体を許すかどうか(許容するかどうか)が、
最終的な立場の分かれ目となるのだろう。(それは感嘆子が言うように“唯物論云々”とは無関係だ)
別の言い方をすれば、
≪ヒトという生物の認識に於いて『メタな視点・超越的視点・第三者的視点』を許すかどうか(許容するかどうか)≫が、
最終的な立場の分かれ目となるのだろう。
また、同じ許容する立場の中でも、
≪(
>>329が言うような)、「一般化を拒む「私」」からも“完全に”離れた視点を採り得る≫
とするか、
≪完全な離脱ではないが、考察上の処理として“第三者的視点から見られた対象として”「一般化を拒む「私」」を扱う≫
(→「一般化を拒む「私」」を解体した第三者的視点は(その解体作業が妥当であるという前提の上で)、解体される必要はない」とする。
→なぜなら、同じ作業が繰り返されるのみだから、一度の解体で十分。)
とするか、分岐するだろう。
各論に入ればもっと分岐してゆくだろうが、
概ね、この3つが主要な立場の違いに思えるがどうだろうか?
と、変換したところで実は何も変わらない。
これは何を意味するか。なぜ変わらないのか。
一般化を拒むくせに「私」とはこれいかに。
ダブスタか、それとも都合のいい立場を模索してるのか。
どっちにしても不純だな。純粋な存在性とか片腹痛い。
>>355 「私」なんて便宜的に使ってるだけじゃん。
「dlsmijjdfa762uken」とかだったらいいの?
>>356 名前ならいいんじゃね?
「あのね、由美はね、いちごが大好きなの!敦君は?」
「アッちゃんはハンバーグが大好き!」
先生「純君は何が好きなの?」
「んとね、あのね、僕はね・・・」
由美・敦「あれえ、純君、変なのw “僕”とか言ってるぅw
由美「おかしいよねぇ。純君は純君で“僕”じゃないのにw」
敦「何で純君は“僕”じゃないのに“僕”って言うんだろう?
先生は先生だから、自分で先生って言うのにね。 」
由美・敦「純君たらおかしいねー!www ね、先生」
先生「・・・・・」
.。 ∧,,∧ 。
。・゚・ ( 純 )っ・゚・。
.( oノ
`J
>>356 ほらまたそうやって立場を変えて逃げる。
「私」なのが重要じゃないのか?
聞けば聞くほどいい加減な「私」。
359 :
考える名無しさん:2008/06/09(月) 17:41:41 0
重要だとは、だれも言っていない。いいかげんであれ何であれ「私は存在する」ということ。
360 :
考える名無しさん:2008/06/09(月) 17:47:38 0
>>355 その片腹痛がっているのがたぶん君の『私』だと思うよ。
身体なんか、全然、痛いわけではないのだろう? w
>>358 またとかいわれてもだれと間違えているのかしらないが、
「私」は重要だよ。「私」という表記は重要じゃないよってことなんだが。
362 :
考える名無しさん:2008/06/09(月) 18:02:59 0
>>352 DNAの意思が(仮にそれがあるとして)生殖を強いるとしても、不必要には
そうしないでしょう? しかし、ヒトは必要以上に(生殖を目的としないで)
それに奔ります?
ヒトの主体的な振る舞いを“生命”に帰すことにも無理がある…。
363 :
考える名無しさん:2008/06/09(月) 18:11:13 0
>>361 「私」という表記のみが可能であり、<「私」は重要だよ>という表記の中の「私」は、その表記の中でのみ機能する「表記」でしかない。
364 :
考える名無しさん:2008/06/09(月) 18:12:29 0
>>344 それは“生命”の定義いかんでしょう?
たとえば、路上の小石は非生命体ですか。地球は?
>>359 最高位は「私」としか言えないって言ってたが。
それにもちろん「私は存在する」よ。表現として通じるし。
>>360 「その〜」って表現してさも存じている振りをしているだけだな。
妄想に過ぎない。
>>363 別に「我」でも「I」でもいいんだけど。
あたま大丈夫?
>>361 誰もなにも、「私」という表現をしている以上、その表現が重要なことには変わりない。
意味は表現されるものだし、その逆もまたしかり。そうでなくては言語で表現する意味がない。
だからこそ「私」は不純だと言っている。
>>361>>363 →
>>357 >由美「おかしいよねぇ。純君は純君で“僕”じゃないのにw」
>敦「何で純君は“僕”じゃないのに“僕”って言うんだろう?
> 先生は先生だから、自分で先生って言うのにね。 」
>>367 どう表現されようがそんなことはどうだっていいんだよ。
370 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/09(月) 18:58:22 0
>>362 ヒトも含めた生物の固体は相対的に短い有限性、遺伝子は同じく長い有限性を持ちます。
ライフサイクルは圧倒的に後者の方が長い。
さて、「主体性」は、ヒトの遺伝子とヒトの固体のどちらにあるのでしょうか?
これをどちらかかに帰させようとすると、「主体性」という識別子では曖昧になりすぎます。
なぜなら、「生殖する主体性」というものがあるとして、その置き所を、あなたの言うように「ヒトの主体的な振る舞い」に帰するものとすると、
「ヒトの主体性」のありかを探ろうとする思考一般は、「固体か、遺伝子か」の、どっちつかずの「振る舞い」に、再度、舞い戻ってしまうことになります。
371 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/09(月) 19:07:08 0
>>364 このスレでは本流以外のレスを書くことが多い「私という表象」が書くのは不遜ではありますが、とりあえずは、ここはヒトの生命だけに、便宜上のことわりとして区切りませんか?
>>369 最高位にならって「私」と表現した者が、突っ込まれたら表現なんか
何でもいいと言い始める。もう滅茶苦茶だな。
最高位は「私」や「オレ」といった表現に固執しているのに無視か。
つか、どう表現してもいいものについての議論なんか無意味なんだが。
たかが2ch、されど2ch。
たかが「私という表現」、されど「私という表現」。
たかが「私という表現」 →
>>369 されど「私という表現」 →
>>372
374 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/09(月) 19:18:44 0
>362
しかし、「生殖」という、ある種、極限的な行為に着目すると、その動因に「私の主体性」だけを置いてみると、
ヒトの営為でが到達不能としか思えない創造的な行為を、自発的、且つ自力でしでかせる器なの? という大いなる疑問が湧いてきます。
375 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/09(月) 19:27:20 0
>>372 「我思う、故に我あり」ではなく
「私思う、故に私あり」だなんて主張してるやつがどこにいるんだよ。
最高位だってそんなあほなこと言ってないだろう。
理解できてないやつらが勝手に表記の問題に矮小化してるだけなんだよ。
>つか、どう表現してもいいものについての議論なんか無意味なんだが。
あらゆるものは意味さえ通じればどう表現したっていいんだよ。
シニフィアンとシニフィエに必然的な関係など存在しないなんてことは自明だ。
377 :
下僕:2008/06/09(月) 19:59:18 0
議論の展開を拝見致します所、
大いなる人間という一つの意思は、
「私が在る」という論に入りつつあると、それを拒む勢力が発生し、
また、主体が在るとすると、無いという方向に右往左往しながら、
各自の論をしらみつぶししてゆく。
気付いた時には、私は在るのだけれども、ここに残るのは、
右往左往する人達だから、バランスとして成立する。
しかし各発言そのものが主体性と意思を物語っている。
各自の発言は論を展開しているようで、実は、紛れもなく、
本人の意思を記述している。究極的には好き嫌いである。
だから私を認めるという事は、みずからの好き嫌いを認めるか?
認めないか?だけなんです。それを論で証明することもできないし、
否定する事もできない。ただ、そうであるだけだからなのです。
しかし、論として展開するならば、私=「意思の表れである物質」
として、普遍化しないと議論が成り立たないと思いますね。
右往左往するのが楽しいといえば楽しいのですが…。
378 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/09(月) 20:06:16 0
>>377 「物質」と表記するから、振幅が大きくなるのであって(大きくしているひとりですが)、例えば「表象」という用語の方が、ここでは適切に思えるのですが。
379 :
下僕:2008/06/09(月) 20:06:57 0
私=「意思の表れである物質」
とするのが議論する上で無難であるという私のアイデアのポイントは
物質の在り方です。物質とは人間が観察し発見、創造されたものです。
発見創造されたものである物質ならば、過去の物質、あるいは論として
存在するであろうというものまで全て含まれます。
問題は物質を観察する時、もっと言うならば、人間が認知する時、
人体は知覚+想像を脳内で行って統合し認知できます。
この事実を認めるならば、想像力という知覚の一部を形成する
認知の個人差は膨大な広さをもつという事を認める事になります。
とてもじゃないが私を普遍化などできないという結論です。
その想像力+知覚をもってして、私は、在ると宣言するのです。
しかし議論するのなら、私=「意思の表れである物質」とすると
次ぎのステージにすすむには有効であろうというアイデアに過ぎません。
380 :
考える名無しさん:2008/06/09(月) 20:11:55 0
>>378 「表象」でもいいと思います。
私は私の、頭の使い方や概念の使い方と違う、頭の使い方をする人を
認めています。違う人達の議論を拝見するのが私は好きなので、
その人達が、展開しやすい概念を用いるのは大いに賛成です。
色々教えて頂きたいと思うわけです。
>>376 表現次第で意味が通じない場合があるから問題なんだよ。
それに意味さえ通じればって前提は単なる理想にしか過ぎない。
つか「私思う、故に私あり」を否定するのはそれだけ元の表現が
大事だからだろうに。やっぱりなんか主張が無茶苦茶だな。
382 :
下僕:2008/06/09(月) 20:18:11 0
私を認める事は、個性を認めるか?そうでないか?とも言えます。
個性を説明できれば、各自の切迫した問題の大半は解けてしまうのですから、
それは在る意味、まずいかもしれませんね。←戯言でした無視してください。
>>376 表記(表現)の問題は重要ですよ。
たとえそれ(シニフィアンとシニフィエとの結び付き)が後天的なものであってもね。
いや、寧ろ、後天的であるからこそ(→使用される間に要請され付加された関係であるからこそ)重要かもしれません。
その(シニフィアンとシニフィエを巡る)歴史的背景は、或る表現と或る対象を密接に結び付ける。
或る表現が持つ(持つことになった、「持たされた」!)或る要素(ニュアンス等)は、対象を限定し始める。
一旦それが定着してしまえば、その関係を断ち切ることは容易でない。
人が、人との関わりの中でそのしがらみに翻弄されるように、
言葉もまた、互いの関係の渦の中に巻き込まれてゆく・・・。
我々言葉を用いる者は、彼らを拾い上げ、整列させねばならない。
彼らを(言葉を)整列させることで、自らもまた並び直すことが可能となるのではなかろうか。
表現が違っていい事をどこまで認めるのだろう。
僕の中で「非常に良いもの」と「神」は同じ意味。
非常に良いものがある、ゆえに神は存在する
と断言して良いのだろーか。
たいしたことではないが。
>>357 ここで出てくる敦は、一見すると「僕」という表現を全く理解していない(というか名前の
一種だと思っている)かのように見えるが、実はちゃんと「自分」という表現を使っている。
「自分」がわかるなら、「僕」がわからないはずはない。
要は、ただのクソガキだと思われるw
387 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/10(火) 00:51:37 0
>>352 :wisteria-1 ◆
>「外部の存在」としてのDNA側の「意思」であるという説もあります。
そのような考え方は間違いだと思います。
進化には筋書きが或ると言うような考えは誤りだと思います。
進化は行き当たりばったりの変化が自然選択による結果が残ったものです。
>>362 :考える名無しさん:
>ヒトの主体的な振る舞いを“生命”に帰すことにも無理がある…。
そのとおりだと思います。
生物は進化論に従うかもしれませんが、「私」は全く自然に反しています。
「私」一人は高々数十年の寿命しか無いのに・・・・
>>330 :wisteria-1 ◆
>ヒトが「動的対自/対他/対社会/対地球/対宇宙不均衡増殖生物」
こんな事が確かに言えます。
その秘密は「文化」にあると考えます。
この文化こそ「私」を拡大する増幅器である。
人類数千年の文化が数十年の「私」を100倍強めている。
だから今の世界は都市文化に代表される文化が「私」を外部から操って筋書きを作っている可能性は大きいと思います。
388 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/10(火) 02:54:13 0
>>320さん
意味がわかりませんね。
最高位さんが問題にしているのは
「私」は物理現象から離れて存在しているという事ですが。
哲学板なのに、「唯名論」或いは「実体論」という言葉が一つも無いとは…
>>388 >意味がわかりませんね。
>最高位さんが問題にしているのは
>「私」は物理現象から離れて存在しているという事ですが。
320の意味が分からないのはやばい。〈僕は320じゃないよ〉
例えば唯物論者が最も根源的なものと見なしている物理現象も
すでに「私」によって価値付けられ、意味付けられているということでしょ。
対象を価値評価するのが「私」なら、それも評価される対象にしてるはずだが
それでいいのだろうか。そのとき「私」が二つあったってことになるんじゃ。
>>391 自己意識とか自己評価する場合は、自己は二つあることになるよね。
その場合は評価している方が「 」つきの「私」。
評価されたほうは、一般化して「 」がはずれてしまう。
>>389 それが、このスレの特徴。
唯名論での手打ちも嫌だ、実体論にも堕したくない、と。
>>392 主体と客体は同時に存在してなくてはならないから、
その両方が「私」なら矛盾してしまう。
二つの「私」が違うものなら、主体を「私」と呼べるのはおかしい。
その時点で客体に移ってしまっているのに。
なんか根本的に矛盾をはらんでるような気が。
395 :
下僕:2008/06/10(火) 09:18:37 0
>>387 「外部の存在」としてのDNA側の「意思」であるという説に関して、おじさん氏の考えは、
生命の進化、成長にあらかじめ計画された筋書き等は無いとお考えであるということで、
これは筋書きという以上、到達場所が予め決まっているという事であると仮定します。
その前提において、私も到達場所が予め決まっているとは考えません。
この点ではおじさん氏と同様に考えます。
しかし、行き当たりばったりというのは少々、乱暴な考えではないでしょうか?
例えば、人間一人を観察する場合においても、進化、成長において努力は無駄に終わると
お考えになることと等しい思想の持ち主がおじさん氏ということになります。
これは、俗にいう世間に流される人のイメージであって、パイオニア的人間の存在を
無視するような考えだと、私なんかは考えますね。但し、よって部分的には
おじさん氏と考えを同じくします。一方では独立進化の個体も在ると私は断定します。
但し、生命の潮流から観れば、おじさん氏の言うとおりでしょうが、
哲学は人間の道具であり、私は実用性を重んじるという事に過ぎません。
私の観点はあくまで、私という個を出発点に置いており、おじさん氏は、社会的観点においている。
こう考えます。その違いに過ぎません。
396 :
下僕:2008/06/10(火) 09:23:53 0
>>393 私は、ここで発言する者、全員で一つの頭脳を形成していると考え、
チームであるという見方をします。一人の考えで行う事を、
個別の視点で、ああだこうだと考える。
思考が明るみに出て、面白いのではないかと考えますね。
ただし、最高位氏が現れないのが、残念ですね。
※
>>395で、おじさん氏ではなく、じいさん氏でしたね。失礼しました。
>>345 >伝達することは一般化することだろ
そうではなくて、固有名詞は客観化はされていますが一般化はされません。
例えばデカルトが「我思う故に我あり」と発語したとき、それを聞いた他者が
「確かにその通りだ、唯一確実に存在するのはデカルトの我だけだ」と納得したら、
「我」は客観化はされていますが一般化はされていないわけです。
他者が「確かにその通りだ。デカルトの我に相当するものは、私のコレだ。
私にとって唯一確実に存在するのはコレだけだ。自我を持つ誰にとっても同じだ」
と納得したら、「我」は客観化された上に一般化されたわけです。
>伝達しようとしてもどうしても伝達しきれない、一般化できないものが残る。
それは、すべての物は個物であり、すべての現象は個別現象であるから、
言語はそれを不完全にしか伝達できない、という、それこそ唯名論的には
まあ当たり前のことです。
「一般化できない我」とは、他者には認識不可能だから客観化できず、
「同じ種類(名前)の他のモノ」が存在しない完全に独自で唯一の存在だから
一般化もできず、結果として言語によって(完全にでも不完全にでも)
他者に伝達される「いささかの可能性もない」何か、のことです。
>私にとっての「私」が、そのまま他人に理解しうると思う?
まさに、私にそう尋ねることによって、「そのまま他人に理解できないような
私がおまえにもあるだろう?」と考えているわけですから、すでにその時点で
そういう存在としての「私」は客観化され一般化されているわけです。
>>346 私の理解する限り、方法的懐疑は結論として物質や他者の存在を否定しないので
(するなら独我論になるだけですが)、この問題とは関係がないと思いますが。
前提としてでも帰結としてでも他者の存在を認めるかどうかが問題なわけで。
398 :
考える名無しさん:2008/06/10(火) 10:14:55 0
>>397 最高位は他者の存在を否定したことはない、というよりも認めているでしょう?
彼は「それを認める『私』は存在する」と述べているだけ。
だから他の方々も「存在するのは最高位だけではない。俺(私)も存在する」と声を
大にして主張すればよろしかろう。“他者性”の問題、言い換えれば「間主観性」の
それは、その先にある。w なかなかそこまでいけまへんな。
399 :
考える名無しさん:2008/06/10(火) 10:29:17 0
>>394 対象化する『私』は一つでしょう?
客体の私とは、たとえば「昨日(過去)の私」がそれにあたります。
『私』はここにいながら、昨日の私を対象化できます。
たぶん明日(未来)の私も。
分裂もしていないし、これを矛盾とは言えないでしよう?
400 :
考える名無しさん:2008/06/10(火) 10:40:25 0
秋葉の事件はこのスレと直截的には結びつかぬかもしれぬが、
籐花さんから「社会評論家」なる称号を奉られたじいさんなら
何か語れるのではないの?
401 :
考える名無しさん:2008/06/10(火) 11:05:02 0
>>399 「主体の私」と「客体の私」の線引きが不能になれば、なんらかの失調症。
おそらく大抵の人が程度の差はあれ…
>>390 >>320の言はもっともだが、
〈 320>“対象”を価値観によって意味づけする『私』 〉→≪対象は、『私』によって意味付けされる≫A と、
〈 388>「私」は物理現象から離れて存在している 〉→≪物理現象は、『私』とは別にある(現われている)≫B とは
別の事柄でしょう。
>例えば唯物論者が最も根源的なものと見なしている物理現象も
>すでに「私」によって価値付けられ、意味付けられているということでしょ。
これも、唯物論的に言えば、
≪『私』によって価値付けられ、意味付けられなくとも、その『私』とは別に(『私』の外にも)物理現象がある≫C
≪『私』もまた(数多ある)物理現象の内に包含される≫D
となるのではありませんか?
そして、AとBとC、或いはAとDとCとは【そのままでは】相反しないでしょう。共存が可能です。
(BとDが反するのは当然として)、相反してくるのは、Aに於いて
≪『私』によって意味付けされた対象しかない。対象とはそういうもの≫≪『私』によって意味付けられたものだけが「世界」として立ち現われる≫というA´
になった時です。(ネコ氏はこの点に注目しています)
それは、BもCも、≪『私』の外を(『私』によって意味付けされていない未知の何ものかを)妄想している≫ということです。
つまり、『私』によって価値付けられ、意味付けられている対象(物理現象)とは別に、意味付けられていない対象(物理現象)があるかどうか?
が鍵なのです。物理現象が『私』によって価値付けられ、意味付けられていても、唯物論的には何の問題もありません。
また、A´(及びA)とDの関係は、(
>>391のように)「自身を見ることは可能なのか?」という問いへと向かいます。
「『私』の外を許容するA」と「『私』の外を許容しないA´」、
「物理現象に包含される『私』・・・D」と「物理現象に包含されない『私』・・・B」、
このスレに於いて、最も深刻なポイントに腰を据えているのがネコ氏なのです。
403 :
下僕:2008/06/10(火) 11:15:38 0
「主体の私」と「客体の私」の線引きに関して、私も一つ口を挟むならば、
概念の線引きは誰にとっても明確ではないでしょうか?
定義として他人と共有できる共通の認識を作れば、それが分かれ目になるのですから。
作らずに話すのが問題というだけではないでしょうか。
だだ、馴れ合いとして、それに乗っかるか?乗っからないか?それだけだと私は思います。
私は乗っかりませんから話しが長いく、話すときは私の考えとして話します。
素朴ではありますが、スーパーマーケットでも話は通じる方法なので実用的です。
通じない人には、変な人って観られるだけですし、そう思う人であろうと私が判断した場合には
話しませんから。結構閉鎖的な世界に住んでいる私なのであります。
>>398 >最高位は他者の存在を否定したことはない、というよりも認めているでしょう?
いやもちろんそうですよ。というか、氏の目的は「人間の尊厳の擁護」ですから、
独我論になったのでは話にならないわけです。
前のスレで「コピー最高位だろうと誰だろうと、自我がありさえすればそれは
すべて唯一の本物の『私』だ。」と認めておられました。
以前から「君がゾンビでなければ私の言うことがわかるはずだ。わからなければ
病院へ行け」とw何度も繰り返しておられるのもご存知の通りです。
(ちなみに、永井均氏ならこんなことは間違っても言いません。)
つまり最高位哲学と永井哲学は根本的に相反するもので、永井哲学の愛好者が
「私」の文字に釣られて最高位氏に肩入れするのは見当違いもいいところなのです。
問題は、最高位氏の考え方は
1.唯一絶対の『私』がある。
2.それはこの人間(哲学者最高位)であって、この人間は客観的世界の中に
位置づけられる。
3.客観的世界の中には、この人間以外の(同じ種類の他のものである)人間が、
たくさんいる。
4.それらはすべて、『この私』でない『他の私』である可能性がある。
という思考法なので、最後には唯一絶対の『私』は、世界にたくさん存在する
人間から発生しているたくさんの自我の一つとして位置づけられて、何も
問題がない、ということです。もちろんこの人間が個物として唯一絶対であるのと
同じ意味でこの私も個物として唯一絶対です。
これは、唯物論と何も矛盾しないので、氏が「唯物論を破壊した」と強調される
のもまた、見当違いもいいところだとしか言いようがないわけです。
>>397 >私の理解する限り、方法的懐疑は結論として物質や他者の存在を否定しないので
神を要請するまではあらゆるものの存在を疑っていますよ。
その不徹底なところが時代的な限界だったのでしょうけれど。
ですから徹底させれば独我論にいきつくしかないわけです。
もし主体が理性的な態度で世界を認識するとしたら、
独我論的に世界を把握することしか残されていないといってもいいでしょう。
これが結論です。
「独我論」は一般化できませんが、
「あらゆる主体は独我論的にのみ世界を認識する」は一般化できます。
最高位もそれがわかっているからこそ
「君がゾンビでなければ私の言うことがわかるはずだ。わからなければ 病院へ行け」という
ことを言っているのでしょう。
永井均氏もじつはわかっているのでしょう。そうでなければこのような内容の論文を
発表したりすることはないからです。
ですから二人の洞察はそれほど異なっているものではないでしょう。
406 :
下僕:2008/06/10(火) 12:39:01 0
**********************************************************************
「宇宙には、オレがいる」 という事
その『オレ』を、物理現象などの「法則性」「パターン」によって存在せしめる事は、絶対に不可能
物理現象などの「法則性」から『オレ』の原因性を導き出す事は、どうやったって絶対に、100% 不可能
要するに「物理現象は、絶対に『オレ』の原因性には成りえない」 という結論なんです
唯物論と決定論が、論理的に完全否定された、歴史的瞬間であります
**********************************************************************
と発言されていいます。原因性については、どうなんでしょう?
407 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/10(火) 12:41:31 0
>>404 <最後には唯一絶対の『私』は、世界にたくさん存在する人間から発生しているたくさんの自我の一つとして位置づけられて、何も問題がない、ということです。
もちろんこの人間が個物として唯一絶対であるのと同じ意味でこの私も個物として唯一絶対です。>
「唯一」絶体性を有する私と「同等の唯一絶体性」を有する「別の私」が、「複数=他者の数だけ」存在する、という文意に見えますが。
読み違えでしょうか?
408 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/10(火) 12:49:27 0
>>405 <「あらゆる主体は独我論的にのみ世界を認識する」は一般化できます。>
独我論的認識がストレートに一般化できるのではなく、個々の認識主体のそれぞれの言述のロジック/操作/ルール/論理等の共有可能性こそが、個々の認識主体の交通手段として機能し、且つその共有可能性だけが一般化できるものでしょう。
410 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/10(火) 12:57:09 0
>408
その共有可能性を可能にする十分条件として、「神」ではなく、「共同体」を置く必要があります。
何故なら、実証不能ですが、「個々の認識主体のそれぞれの言述のロジック/操作/ルール/論理等の共有可能性」が成立しないケースの存在を否定できないからです。
しかし、それをもってして、不可知論やグローバリズムを無条件に擁護することもできません。
411 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/10(火) 13:00:46 0
>>409 では、「あなた」と「私」が、この板上で語り合うことを可能にしている条件は何でしょうか?
>>411 そのような問題の一切を独我論的世界観で了解することも可能なんですよ。
そこから離れて、一般化という操作を加えることによってのみ意味を持つ問題でしょう。
そしていまそういったことに関心はありません。
>>397 >例えばデカルトが「我思う故に我あり」と発語したとき、それを聞いた他者が
>「確かにその通りだ、唯一確実に存在するのはデカルトの我だけだ」と納得したら、
>「我」は客観化はされていますが一般化はされていないわけです。
納得できたということは、その部分はある程度は一般化されているということで、
一般化されない部分は納得されていないはず。
>すでにその時点で
>そういう存在としての「私」は客観化され一般化されているわけです。
それは、一般化できないことを表している「 」の表記法の意味を理解できていないだけじゃないかね。
(永井の〈 〉の表記法や、ハイデガーの「×」の抹消記号なども同じ。)
>>402 >つまり、『私』によって価値付けられ、意味付けられている対象(物理現象)とは別に、意味付けられていない対象(物理現象)があるかどうか?
>が鍵なのです。
意味付けられていない対象は知り得ないでしょ。
>物理現象が『私』によって価値付けられ、意味付けられていても、唯物論的には何の問題もありません。
私によって意味付けられて存在するものが、私による意味づけをはずした場合には「無(または不可知の何か)」
であるとすれば、物質の根源性を主張することはできないだろうね。
>「物理現象に包含される『私』・・・D」と「物理現象に包含されない『私』・・・B」、
>このスレに於いて、最も深刻なポイントに腰を据えているのがネコ氏なのです。
どこが深刻なのか意味がよく分からないけど、「物理現象」を「世界」と置き換えて考えれば、
常に既に世界と共に存在していながら、世界を対象化してしまう人間的思考法を反省して
出てきたのが「実存」とか「世界内存在」とか「生活世界」とかであって、現代思想はたいてい
その辺のことは踏まえているだろね。
>>413 >意味付けられていない対象は知り得ないでしょ。
「貴方には知り得ないというだけで、『他の人は知っている』」
という状況は許さない、認めない、ということですか?
>私による意味づけをはずした場合には「無(または不可知の何か)」であるとすれば、
という条件付なわけですね。この条件を外すことは、可能ですか?不可能ですか?
>どこが深刻なのか意味がよく分からないけど、「物理現象」を「世界」と置き換えて考えれば、
>常に既に世界と共に存在していながら、世界を対象化してしまう人間的思考法を反省して
>出てきたのが「実存」とか「世界内存在」とか「生活世界」とかであって、現代思想はたいてい
>その辺のことは踏まえているだろね。
>>402内のA´を無視しているのはなぜですか?
上記の文は(≒その文脈からするならば、その現代思想は)、まさにA´とCとのせめぎ合いだと思われますが・・・。
A´が、ヒトの認識の真なる姿であったとして、そうは言いながらもCとして世界を見るのがその癖だったとして、
・「Cとして世界を見ることを放擲するのか」
・「Cとして世界をみることは便宜上認められるのか」
→だとするなら「Cとして見ることに不都合がないのはなぜか(・・・『私』に映る世界とCとしての世界の橋渡しは何によっているのか)」
「Cとしての世界に依存できるのはなぜか(信頼できるのはなぜか)」
・「むしろ、世界は『私』の認識如何に関わらずCとしてあるのではないか」
その現代思想は、これを問うているのでしょうか。
>>414 >「貴方には知り得ないというだけで、『他の人は知っている』」
>という状況は許さない、認めない、ということですか?
いや。それぞれがそれぞれの仕方で意味付けしているということ。
>この条件を外すことは、可能ですか?不可能ですか?
私の意味づけをはずせば、たぶん私以外のさまざまな意味づけが残るだろうね。
>
>>402内のA´を無視しているのはなぜですか?
>上記の文は(≒その文脈からするならば、その現代思想は)、まさにA´とCとのせめぎ合いだと思われますが・・・。
違うと思う。A´とCは413の「現代思想」にとっては、過去の「形而上学」的問題であって、
現代思想はそういう観点から問題を見ることはしなくなったのではないのかな。
もちろん現代にも形而上学的哲学はあるけど。
西洋哲学の誤りは、確実に存在するのは他者であって、「自分」ほど儚いものはないことがわかっていないことだ。
>>405 >神を要請するまではあらゆるものの存在を疑っていますよ。
いや疑うのは別に構わないのです。単に「存在するかどうかわからない」
というだけですから。そういう意味なら、あらゆるものは(私に言わせれば私も
含めて)疑う余地があるに決まっております。
「疑わしいものは存在しないと考える」のなら、まさに「私以外何も存在しない」
という独我論になるしかありません。
>もし主体が理性的な態度で世界を認識するとしたら、
>独我論的に世界を把握することしか残されていないといってもいいでしょう。
「独我論的に世界を把握する」とは何のことだかわかりません。独我論的には
「世界」なるものは存在しない、または「世界は私の一部である」としか
言えないと思いますが。当然、「人間」も「最高位」も存在いたしません。
>「あらゆる主体は独我論的にのみ世界を認識する」は一般化できます。
「あらゆる主体」とは何のことでしょうか。主体とはまさに私のことであり、
独我論的には私しか存在しないのですから、「別の主体」など問題に
なりようがないと思いますが。「私(主体)の一部として他の私(主体)が
存在する」というようなことを言う人もいますが、私にはさっぱり意味不明です。
>>407 いやその通りですが。
>>413 >それは、一般化できないことを表している「 」の表記法の意味を理解できていないだけじゃないかね。
>(永井の〈 〉の表記法や、ハイデガーの「×」の抹消記号なども同じ。)
個物というのは本来は一般化できないのであって(それが唯名論だと思いますが)、
それ以上に「私」についてだけ「一般化のできなさ」を特筆して表記する意味が
わからない、ということです。私が他の個物と違うのは、他の私からは
直接観察できない、いわばブラックボックス性だけだと思われます。
さらに、真に一般化できないのであれば、どんな表記をしようと
他人に意味が伝わる道理がないと思われます。
永井氏などは、他人は「私」であり自分は世界で唯一の<私>だといい、
他人も<私>でしょうと反論されると自分は世界で唯一の<<私>>だといい、
次々に<>を増やして、その絶対的な唯一性を強調されますが、それなら
どんな表記をしても他人に意味が伝わる道理がありません。
現に「私の言いたいことは他人に伝わってはならない。それなのになぜか
伝わってしまう人がいる」などとよく言われますが、私に言わせれば、それでも
伝わるということはその考えがどこか間違っている、つまり他人もまたそれぞれ
<私><<私>><<<私>>>‥‥である証拠だろう、としか思えないのですが。
419 :
下僕:2008/06/10(火) 15:01:38 0
>>416 氏の発言に在る、
「西洋哲学の誤りは、確実に存在するのは他者であって、
「自分」ほど儚いものはないことがわかっていないことだ。 」
なるほどなぁ〜と思うのです。
弱者の発想ですよね。自分を否定というか罪人というかそんな自分の設定でしょう。
私の誤りといえば、確実に存在するのは私であって、
「自分」ほど尊いものはないと思うからね。
私は、いるかいないか分からない他人を疑いますから、他人に罪は絶対無いという視点です。
>>417 >「世界は私の一部である」としか
>言えないと思いますが。当然、「人間」も「最高位」も存在いたしません。
そこで「存在いたしません」というところの「存在」は
「物理的に」や「客観的に」というようなことをいっているのでしょうね。
だとしたら同意します。
>主体とはまさに私のことであり、
>独我論的には私しか存在しないのですから、「別の主体」など問題に
>なりようがないと思いますが。
ええ、独我論的に世界を認識するということはそのとおりでしょう。
あなたはそのような主張とあたかも他人がいるかのごとく対話をする姿勢が
矛盾しており理解できないとおっしゃるかもしれません。
しかし論理的な独我論とは「私しか存在しない」という形而上学的主張ではなく
「私しか確実に存在しているといえるのもはない」という主張であって
「私」以外は「疑わしい」というものです。
となれば「疑わしい」即「存在しない」ではありませんから
外部世界やそこに存在するようにみえる他者の存在の可能性は残されているわけです。
421 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/10(火) 15:14:37 0
>>418 <「唯一」絶体性を有する私と「同等の唯一絶体性」を有する「別の私」が、「複数=他者の数だけ」存在する>
「唯一の絶体性が、同時点において、複数存在することは可能である」という読み方ですよ?
>>418 >個物というのは本来は一般化できないのであって(それが唯名論だと思いますが)、
>それ以上に「私」についてだけ「一般化のできなさ」を特筆して表記する意味が
>わからない、ということです。
「私」が他の個物と違うのは、他の個物は「私」によって本質規定されて「私」にとって
現れるのに対して、「私」は、本質規定される以前に既にただあるということ。
>さらに、真に一般化できないのであれば、どんな表記をしようと
>他人に意味が伝わる道理がないと思われます。
哲学の用語は、そういうものが多いでしょ。
「実存」もそうだけど、たとえばハイデガーの「存在」なんかも、対象化できないもの。
対象化できないはずのものを対象化して書いているわけで、その辺をうまく理解できるかどうかが、
そういう哲学を理解できるかどうかのポイントだろうね。
>>399 『私』だろうと私だろうと思ったとき既に対象化されているので、
対象化するものが何であれ、思ったときは『私』とは呼べないはず。
肉眼で自分の目を直接見ることができないようにね。
424 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/10(火) 15:25:58 0
>>395 :下僕:
>生命の進化、成長にあらかじめ計画された筋書き等は無い・・・行き当たりばったりというのは
>において努力は無駄に終わると ・・・・
繰り返すと・・・・・・・・
生命の進化は行き当たりばったりである。
しかし人間の観念はそうではない、しかも人間には文化と言う増幅器が合って、科学的進化論の範疇ではない。
・・・・・・・自然科学と社会的観念を混同しては駄目だと言う事。
つまり「私」を科学することは出来ないと言う事の言い換えです。
>>394 :考える名無しさん:
>主体と客体は同時に存在してなくてはならないから、その両方が「私」なら矛盾してしまう。
>なんか根本的に矛盾をはらんでるような気が。
はい、おっしゃるとおりです。
しかし其れは体験的事実なので、矛盾ではないはず。
「私」は世界の全てである。
世界は「主体と客体」からなる。
と定義すれば良い・・・・・かも?
その場合は「私」=主観 と言う言い方は間違いになるが。
>>415 >いや。それぞれがそれぞれの仕方で
であるならば、「知り得ない」ということに、さほど意味はありません。
「知り得ない」ことが、(他の一切を)否定する力を持つとは思えません。
(「無知な貴方が悪い」と叱責されても文句は言えませんw)
>たぶん私以外のさまざまな意味づけが残るだろう
「『私』により意味付けされたもの以外のもの」「『私』にはよっていない意味付けされたもの」
(→これは、「『私』の知り得ていないもの」「『私』の知らないもの」ということですが) があるとするなら、
それは402のCを容認するものでしょう。A´に於いては許されない立場でしょう。
さきの条件を外すことは、A´に於いてはありえないのです。A´に於いてはその条件こそが肝となるのです。
>違うと思う。
とすると、現代思想はどこへ向かおうとしてるのでしょう・・。
儒教的実践?(現代的アレンジの加えられた)仏教的修道論?
はたまた機械的唯物論でしょうか・・・?
426 :
考える名無しさん:2008/06/10(火) 15:31:47 0
私を記述する文体の違いだと思うんだよ。
複数の文体を無理に一つにしようとするから混乱が起きる。
私は国家みたいなもので、
対外的には一つの国家意志を見せていながら、
国内的には民族間の対立があり一つに統一できない。
私の唯一性は対外的性格であり、
私の複数性は対内的性格である、と。
427 :
考える名無しさん:2008/06/10(火) 15:38:03 0
428 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/10(火) 15:39:26 0
世界は主体と客体から成る、「私」は主体である。
主体と客体は同時に相対的に存在する。(実体験)
「私」は客体ではない。
・・・・
でしょうねやはり。
>>423 >>399さんは分裂していないと書いてるけど、分裂していると思う。
「私」は、過去や未来の自分だけでなく、現在の自分も対象化する。
自己意識というものはそういうものであって、「私」が「私」を対象化する。
その場合には、対象化された「私」の方は、次第に「 」が取れてきて
三人称化(彼化)してくると思う。
その「彼化」の過程は明確に線引きできるようなものではなくて、
曖昧なグラデーションのようなものだろうけど。
>>425 >であるならば、「知り得ない」ということに、さほど意味はありません。
>「知り得ない」ことが、(他の一切を)否定する力を持つとは思えません。
意味が分からなかった。
>それは402のCを容認するものでしょう。A´に於いては許されない立場でしょう。
Cが正しいかA´が正しいかをはっきりさせることができる、と考えるような考え方が
カント以降は「独断的形而上学」と言われているものだと思うよ。
>現代思想はどこへ向かおうとしてるのでしょう・・。
だからそういう現代思想は、Cが正しいかA´が正しいかを理論的に論証することなどは
できないことを前提にしたスタンスに立っていると思う。
430 :
下僕:2008/06/10(火) 15:51:31 0
>>424 自然科学と社会的観念を混同しては駄目だめでしょうか?
私は良いとこ取りで考えて、納得すれば良しという事で、
あとは検証というスタイルを取ります。
じいさん氏のおっしゃる、
「…私」を科学することは出来ない…」という部分ではまった考えを同じくします。
私にも分かりやすい説明、ありがとう。
>>429の補足だけど、正確にいうと、CやA´自体が独断的形而上学だと思う。
Cの場合は、「私」にとって不可知なものを「物理現象」と断定しているところが独断的。
A´の場合は「私」にとって不可知なものは、存在もしないと断定しているところが独断的。
>>429 >意味が分からなかった。
>>413に於ける
>>つまり、『私』によって価値付けられ、意味付けられている対象(物理現象)とは別に、意味付けられていない対象(物理現象)があるかどうか?
>>が鍵なのです。
>
>意味付けられていない対象は知り得ないでしょ。
は、「知り得ないから鍵でも何でもない」、或いは「知り得ないものを“ある”とは言えない」 という意味だと読めたので、
世界がCであれば、特定の誰かが知り得ていようがいまいが問題ではなく、
それこそ、その人でない誰かが(或いは大勢が)知り得ていればよいことになります。
ですから、
>>415で >それぞれがそれぞれの仕方で意味付け できてしまうのであれば、
その特定の誰かでない別の誰かによる意味付けがそこにあることになり、
『私』による意味付けのされていない対象がある、ということになります。
それは、畢竟「知り得ていないから何なの?w」ということになります。
路線バスAの運転手が、バスBの車酔いの客を知らなくても問題はない。
>>431 >「私」にとって不可知なものを「物理現象」と断定しているところが
>>388や
>>390等の流れにも絡んで浮かんできた文章なので、そのまま表記が流用されました。
別に物理現象でなくても、「『私』にとって不可知なものはある」でも構いません。
たぶん、それでも、独断的形而上であることは変わらないのかもしれませんが・・・w
433 :
362:2008/06/10(火) 17:42:42 0
>>402 主体に意味づけられていない対象は“物理現象”ではないでしょう? 私は
能う限りそこから意味を抜きとり、それを“事象”と称しています。
だから「私は物理現象に内包されている」のではなく、事象内・存在である
と思っています。むろん、これは私の信仰もしくは妄想でしょうね。
“物理現象”だけでなく“世界”も十分すぎるほど意味づけられています。
その言葉は、なるべく対象化された時空という意味に使うようにしています。
>>389 > 哲学板なのに、「唯名論」或いは「実体論」という言葉が一つも無いとは…
「唯名論」は無いが「唯名論w」はあるぞ!
おまえは最高位哲学を知らないのかw
「唯名論」と対になるのはふつう「実念論」なんだけどな。
>>435 >>434でも述べたように、
>>388や
>>390等の流れにも絡んでいたことと、
>>402内で >これも、唯物論的に言えば と制限付の流れであったこととが相まっての話です。
もとより、(また現時点の対話の流れでは)、“事象”でも“対象化された時空”でも構いません。
437 :
436:2008/06/10(火) 18:01:53 0
失礼しました。アンカーがややこしくなるので貼り直します。
>>433 >>432でも述べたように、
>>388や
>>390等の流れにも絡んでいたことと、
>>402内で >これも、唯物論的に言えば と制限付の流れであったこととが相まっての話です。
もとより、(また現時点の対話の流れでは)、“事象”でも“対象化された時空”でも構いません。
あんか間違うってのは手打ちしてるから?
439 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/10(火) 18:12:01 0
一連の流れから読み取ると、感性を、対象化された時空や他者との接点(モナドの窓)とし、この感性を「私の肉体」に付随するものと置き、
それを「私」まで引きずると、(「私の肉体」も物質に規定されたものである)→(そのような言述の主体である「私」も物質内・存在である)、
というようなことになっているのでしょうね。
読み違えかもしれませんが。
>>438 「ctrlキー+↓」で最新のレス番になる。
そこから、「↑キー」での番号ずらしを忘れるとアンカーがずれる。
一番多いのが、読み途中なのに(まだ幾つもレスが続いてるのに)、
そこを最終レス(=最新レス)と勘違いして「ctrlキー+↓」一回のみで済ませてしまった場合。
次に多いのが、リロードせずに「ctrlキー+↓」した場合。
441 :
362:2008/06/10(火) 18:14:07 0
>>429 昨日とか明日をたとえにあげたのは、わかりやすいと思ったからです。
それが何であれ『私』は“いま(現在)”を対象化できないでしょう?
『私』は現在に棹さしているはずなのに、対象化できるのは過去か未来。
過から未への時間的差異(差延w)のなかでしか対象化できず、しかも
そこには“現在”が不在です。そこが『私』の棲家だからではないか。
『私』が対象化している私は、現在の『私』ではないということです。
>>440 Live2ch使いなんでよく判らんが、それはブラウザで?
レス番号とレスの文章がずれるということ?
443 :
440:2008/06/10(火) 18:19:09 0
>>442 いやいやw 同じL2での話ですよwww
444 :
362:2008/06/10(火) 18:20:08 0
>>443 あ、そうなんだ。
俺はほとんどマウスでやってるからかなあ?
でも、レスしたいレス番号を左クリックして「このレスにレス」選べば番号ずれる事なんかないんじゃないの?
446 :
440:2008/06/10(火) 18:45:32 0
>>445 仰る通りなんだが、
その後の流れ(キーボードでの文字打ち)に向けて
なんとなくスムーズな感じなのでそうしてるだけw
書き込みも、キーボード打ってた勢いでshift+enter+enterの時もある。
けど、マウスも多用してますよ。
私は何処から来たのだろうか?私は何処に去るのだろうか?真夜中に急に恐ろしくなり目が覚める事がある。酒に酔っ払い寝転がっていると自分が存在する事が恐ろしくなる。
448 :
考える名無しさん:2008/06/10(火) 18:52:03 0
最高位も死んだことだし俺もこのスレを去ることにします
449 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/10(火) 18:53:07 0
>>444、=
>>362さん
<主体に意味づけられていない対象は“物理現象”ではないでしょう?
私は能う限りそこから意味を抜きとり、それを“事象”と称しています。
だから「私は物理現象に内包されている」のではなく、事象内・存在であると思っています。むろん、これは私の信仰もしくは妄想でしょうね。
“物理現象”だけでなく“世界”も十分すぎるほど意味づけられています。
その言葉は、なるべく対象化された時空という意味に使うようにしています。>
(主体に意味づけられていない対象)=(事象) (a)。
(主体に意味づけされた対象)=(物理現象) (b)。
(私)=(事象内・存在)=(主体に意味づけられていない対象=表象・内・存在) ( c)。
↓
(世界)=(十分すぎるほど意味づけられているもの)=(なるべく対象化された時空)=(物理現象) (d)。
こうまとめてみると、
dの(十分すぎるほど意味づけられているもの)=(なるべく対象化された時空)=(物理現象)の中の、(十分すぎるほど意味づけられているもの)の意味づけをしている主体の所在、
及び、a, b, dに共通する(対象)化という操作の主体の所在が、おおよそ見えないものになってしまいます。
>>446 確かにキーボードとマウスの持ち替えは面倒だからねえ。
俺の場合、書きこむことはほとんど無くて(あってもこんなことだけw)眺めてるだけだから。
ま、人それぞれということで。どーもでした。
451 :
440:2008/06/10(火) 18:57:03 0
>>449 (b)がダウト。
(主体に意味づけされた対象)も(事象)でいい。
うはwww名前欄wwwww
453 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/10(火) 19:05:12 0
>449
もう少し整理すると、
(私)={(主体に意味づけられていない対象=事象)・内・存在}となります。
こうなると、(私)は、(対象化されていない事象)・内・存在、という規定になります。
しかし、これは、果たして、「規定」足りえているのでしょうか?
454 :
考える名無しさん:2008/06/10(火) 21:02:57 0
物理現象も事象であることは当たり前だね。
「事象」とは言語化された現象だから。
事象が物で無いことも言うまでも無いことだね。
>>449 >>453 むろん、「規定となっているのか?」という疑問しか起きない。
>>451 の指摘どおり、「(主体に意味づけされた対象)も(事象)でいい」というか、
(a)と(b)の区別が結局あいまいである。
文章として、「主体に意味づけられている/いない」を書いてるから当然なのであるが・・・。
(事象)と(物理現象)。
ここでの場合は、(物理現象)に限らず(現象)。
この、(事象)と(現象)の違いは、私やあなたに区別できるものなのか?区別として意味を持っているものなのか?
人によって随分と捉えが違うようですが。
現在のところでは、展開に沿わせた無理強いの感があります。
>>419 弱者かと言えば、弱者の発想かもしれんな。
「自分」などというものは、ほんのわずかな事で、また時間の経過と共に
脆くも崩れ去ってしまう。
ところが、そんな「崩れ去ってしまった自分」であっても
逆に、「他者」の存在により、「崩れてしまった自分」が
「自己認識」とは別の意味において、存在し続けることができる。
人間という存在においては、自己を認識するのは自分でありながら、自分を存立させるのは他者である。
他者のいない世界で哲学しても、意味が無いと言っても過言ではない。
457 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/10(火) 23:45:16 0
四面楚歌の状況の中で、
自分を奮い立たせるのは自分の力なのだろう。自分を信じ抜くことだろう。
逆に、
無力感、孤独感にさいなまれ、自分の中に火種を見失った時、
立ち上がる杖となるのは、他者の差し伸べる手なのだろう。
差し伸べられた手を信じた時に、その手を握り返せるのだろう。
社会的動物と言われるヒトの在り様を、難しく述べたに過ぎないのかも・・。
>>456 402A´の世界に於いては、後者もまた「自分の力」によるものなのだろう。
差しのべられた手を信じ、頼るのでなく、
自分の発見・選択を信じ、頼り、利用することになるのだろう。
信じるのは、差しのべられた手ではなく、自分のことなのだろう。(或る意味その通りな面はあるが・・・。)
459 :
362:2008/06/11(水) 00:39:10 0
その“事象”なる言い方は、モノ自体にしたかったのですが、あまりにも…w
少し超越的に述べると、
>>451 の指摘のように意味づけされた対象はもちろん、
意味づける主体もまた“事象”でいいのではなかろうか。
その意味では
>>453 の言うように私は「事象内・存在」である。これは幾度か
述べました。
しかし『私』は対象を意味づけし“世界”に対峙している。じいさんふうに言う
なら“主客相関”のただなかにいる。事象内・事物でしかない(はずの)『私』が
なぜ“世界”に対峙、露骨に言えばそれを「所有」しているのか…。
「私」が私自身を物理現象だと認めてるんだから、それを他人がゴチャゴチャ言ってんじゃねーよ
>>458 >社会的動物と言われるヒトの在り様を、難しく述べたに過ぎないのかも・・
そういう面はあるな。
ただ、自分しかいない世界で、哲学に意味があるだろうか?
自分を自分たらしめるのは、自己認識能力以上に、他者との差異であり
他者との差異がある世界で考える事に、意味があると考える。
>>398 >最高位は他者の存在を否定したことはない、というよりも認めているでしょう?
>彼は「それを認める『私』は存在する」と述べているだけ。
彼は一貫して認める事も一貫して否定する事もしていないように見受けられます。
その場の都合によるようです。
だけど、著名な哲学者って、今で言うアスペルガーとか統合失調とか離人症を、想起させる面があるよな。
うろ覚えだが、「統合失調が人類の知性を進化させた」、などという考えもあるようだし。
最高位はかつて「私が存在することは絶対確実だが、
私以外は存在するかどうか分からない」と言ってた。
精神的に来てると思う。
どうしたらそんな病的感覚に陥るのか。
病気という意味で最高位は高名な狂気の哲学者と通じるかもしれない。
そんなの中学生ぐらいで誰でも罹る病気だろ
466 :
考える名無しさん:2008/06/11(水) 09:11:48 0
>>462 その場の都合によって認めたり否定したりする『私』は存在する、ということだろう?
『私』の存在性の主張は一貫している。
467 :
考える名無しさん:2008/06/11(水) 09:12:17 0
最高位コテ変えて自演中^A^v
468 :
下僕:2008/06/11(水) 09:16:15 0
「私が存在することは絶対確実だが、 私以外は存在するかどうか分からない」
というのは、私も同様に考えています。正確には、他人は実感できますが、
その他人を実感しているのも私ですからね。
別の側面から観れば、私達は病気であり精神的に来ているのであるが、
私の側から観れば、未経験による拒否反応とも言えます。
経験すればだれでも同じ実感はもてますね。病気になってみれば理屈抜きで分かるという事です。
さらに、私などは、社会的見地に立つ総ての人間は、私を「顔」だと思っていると断定します。
顔を面子(メンツ)、建前、罪悪感、感情、劣等感と置き換えてもいいです。
そして主観・客観、あるいは主客・客体でもなんでもいいですが、
みかたの対立概念は、実は、本音と建前に過ぎないと単純に割り切りますね。
どこまで考えていっても、本音と建前として成立しているだけです。
実際社会生活で実感するならば、そんなもんですし、難しい事をごちゃごちゃ、
どこかの買い物袋をぶら下げた、おばちゃんに話せば、「あんた本当はどう思ってんの?」
って言われますよ。
で、ぽろっと本音が出る。それが私の考えであり、それは感情表現ですが、
それを言葉に直すという翻訳作業をするところに、論理のおもしろさがあるのでしょう。
但し、共通の感情体験が無い場合、その論理は理解不能なのは致し方在りません。
理解をあきらめるしかないでしょう。そして出てくる言葉が、レッテルをとりあえず張っておくという
人間の習性の餌食となるというだけの事です。
469 :
考える名無しさん:2008/06/11(水) 09:32:07 0
「私という言葉を使う事は出来るが、私が確実に存在するかは分からない」
470 :
下僕:2008/06/11(水) 09:53:34 0
>>469 >「私という言葉を使う事は出来るが、私が確実に存在するかは分からない」
↑だれが書いたのでしょう?多分書いた人だけが知っていると思います。
>>420 >しかし論理的な独我論とは「私しか存在しない」という形而上学的主張ではなく
>「私しか確実に存在しているといえるのもはない」という主張であって
>「私」以外は「疑わしい」というものです。
私に言わせていただくと、それは独我論ではなく単なる認識論的な懐疑論です。
「疑わしい」とか「存在しない可能性がある」ことと「存在するかどうか」は、
全く別の事柄なのです。
「外部世界」や「他者」が存在するかどうか私に確実に認識できるか、
それらにどう意味づけするか、それらをどんな言葉で表現できるかできないか、
等々と、それらが「存在するかどうか」は、全くの別問題です。
それらは存在するならするし、しないならしないのであって、私にそれらを
存在させたりさせなかったりする力があるわけではありません。
(私はこの考えを「素朴実在論」と間違って表現しておりますがw)
で、認識論的な懐疑論はまあ当たり前のことであって、あまり特筆するような
話でもないと思うのですが。
>>421 いや、その通りなのですが。上記の通り、私は存在するものはすべて唯一絶対に
存在する、と考えているもので、どんな個物も、例えばAさんはAさんとして、
BさんはBさんとして唯一絶対に存在する(しないならしない)で、何の矛盾も
感じないのですが、何かおかしいでしょうか。
一瞬しか存在しなくても、絶えず変化していても、存在することが誰にも認識されて
いなくても、どんな言葉でも表現できなくても、要するに存在するものはすべて
現に存在するような仕方で唯一絶対に存在する、と、そんな意味です。
>>422 >「私」が他の個物と違うのは、他の個物は「私」によって本質規定されて「私」にとって
>現れるのに対して、「私」は、本質規定される以前に既にただあるということ
これはよくわかりません。他の個物も「私によって本質規定される以前に既にただある」
のでなければ、私にとって「現れ」ようがないと思いますが。
「私」が既にあり、「他の個物」が既にあるのでなければ、「後者が前者によって
本質規定されて後者にとって現れる」ことはできようがないと思われます。
そして、本質規定するとは思考することであって、「私」がただあっても思考しない
のなら、当然「私」も「他の個物」も本質規定などされようがありません。
「私」と「他の個物」と、その唯一性において何の違いがあるのか、どうも
わかりかねます。
473 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/11(水) 11:05:56 0
>472
>>454さんの<「事象」とは言語化された現象>である、を踏襲させていただくと、
<存在することが誰にも認識されていなくても、どんな言葉でも表現できなくても、要するに存在するものはすべて現に存在するような仕方で唯一絶対に存在する>
という言述は、「無意味」でしかないですね。
認識されていないものは言語化以前のものですから、それがどのようなものであれ、「意味」を付与できません。
>>473 「他者がいるということを認め、他者に自我があることを認め、
他者の思考(意味付け)を認め、自分と同様に、感じ、思考しているだろう」とする立場をとるなら、
そうはいかないのです。
「自分に認識されていず、言語化されていず、意味が付与されていない」ものが、
「他者により認識されていて、言語化されていて、意味が付与されている」場合、
「無意味」ではなくなります。
それは、「貴方にとって(『私』にとって)」無意味なだけで、「私にとって(『私』にとって)は」有意味です。
もしかしたら、鈴木さんにとっても田中さんにとっても(鈴木さんの『私』にとっても田中さんの『私』にとっても)有意味かもしれません。
貴方にとって存在しないものが、鈴木さんや田中さんには(意味を持って)存在するのです。
「でもそんなの関係ぇねえ!」と、おっぱっぴーするなら別ですがw
475 :
下僕:2008/06/11(水) 11:53:46 0
>>474さんなんかは、
>「他者がいるということを認め、他者に自我があることを認め、
>他者の思考(意味付け)を認め、自分と同様に、感じ、思考しているだろう」とする立場をとるなら、
> そうはいかないのです。
というように、そうはいかない。つまり許さないという意味に近い思考態度ではないでしょうか。
まあ、お嫌いなんでしょう。
実際、私なんかは、私の生を充実させることにおいて、「でもそんなの関係ぇねえ!」と思います。
なぜならば、他人は他人でしかないですから。そして、他人の思考は他人の思考であって、
私の思考じゃない。だから他人がどう考えようが、認めるという理屈です。
認めるとは、私などは、ああそうですか。そうかんがえますか。と納得します。
ただ、その観点を確かめようとはします。だから有意味とは、大切なにしている主義や信念と
いったものだと思いますが、その根底にあるのは、社会性だったり、個性だったりするだけでしょう。
大抵、自分をどう思っているか?の根底に触れるんですが…。それに触れる人を嫌がる人もいますし、
そうでない人も居ますね。
476 :
下僕:2008/06/11(水) 12:16:21 0
意味とはなんでしょう?私には、私が大切にしている信念。
つまるところ好み。だと思うのですが…。
意味付けは、好みだし、
無意味ってのは、自分にとっては関心のない事だしね。
人によっての関心事の不思議さを観る思いです。
私は私にしか興味がないので、他人の関心事を拝見するのは、
大変勉強になっていますね。
477 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/11(水) 12:43:15 0
>>474- >476
最も広義に言えば、「言葉/表記等の共有可能性」を持つ場合、そこで用いられる言葉/表記一般は無意味ではないです。
しかし、<存在することが誰にも認識されていなくても、どんな言葉でも表現できなくても>という場合、
発話する対象の存否からして認識不能です。
その場合、どのような言葉でもってして、その対象を措定できるのでしょうか?
対象を措定できない限りは、それに対する言葉、それを説明する言葉、それが何たるかを伝えようとする言葉、即ち、「私」の認識の表出さえ不可能でしょう。
478 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/11(水) 12:50:26 0
>477
「>>474- >476」は、文法としては「無意味」ではないですが、迷惑至極であるとも意味付けされる表記でしたね。
「
>>474 ->476」とすれば、迷惑至極であるとは意味付けされない表記になりました。
479 :
考える名無しさん:2008/06/11(水) 14:16:08 0
個物が存在するというときの「存在」と、私が存在するというときの「存在」とでは
意味が違う。
「これ(個物)」は対象としてあるが、「私」は対象としてない。
対象としてないのだから、全世界・全宇宙の個物を探しても、そこに「私」は見つからない。
では、どうやって「私」を探しますかねw
480 :
考える名無しさん:2008/06/11(水) 14:29:25 0
>>479 >「私」は対象としてない。
これは「対象」という意味を狭くしすぎているのでしょう。
物として存在しなければ存在しないという考え方でしょう。
私は思考の対象としては存在するのではないでしょうか?
だからこのレスも「私」を記述してください、と成っている。
少なくとも「私」を記述の「対象」にしなさいという事でしょう。
対象とは物と事の両方を含む概念だろう。対象とは事物という事。
言語化できるものはすべて対象となる事物だろう。
481 :
下僕:2008/06/11(水) 14:34:43 0
>>477 >>478 翻訳が上手いですね。特に、
>>478での2段構えの、補足には
感服しました。繊細さが伺えます。
独特の説明方法は俗的じゃないですが、気持ちは良くわかりました。
482 :
479:2008/06/11(水) 14:36:11 0
>>480 いや、「『私』は対象としてない」という言い方で、『私』について語ってますよ。
483 :
考える名無しさん:2008/06/11(水) 14:36:41 0
>>456 >人間という存在においては、自己を認識するのは自分でありながら、自分を存立させるのは他者である。
これがわからない人が、素朴主観主義者のネコの味方
484 :
下僕:2008/06/11(水) 15:03:04 0
人間という存在においては、自己を認識するのは自分でありながら、自分を存立させるのは他者である。
これについて、私はこのように考えます。
人間というのは、「私」が人と人との間に立った仮の視点。
自分とは、仮の視点を「私」が観察した時に思っている虚像の存在。
その自分を存立させているのは、人と人との間に立った場合に限り存在する
虚像であり、環境と「私」の個性の影響を受けている幻想である。
実際の「私」は自分を作り出している実体である。
だから自分をつくっているのは、私と環境であるが、私が居なければ、
その総ては消滅する。よって「私」は自分を好きこのんで作ったのである。
とこんな考えですね。
485 :
考える名無しさん:2008/06/11(水) 15:20:47 0
>484
ラカンの鏡像段階論
486 :
考える名無しさん:2008/06/11(水) 15:34:10 0
しかし、哲学者最高位さんはどこに逝ってしまったのだろうか・・・
487 :
考える名無しさん:2008/06/11(水) 15:35:59 0
>486
まさか、あのじいさまと無理心中ということはなかろうて。
>>472 >一瞬しか存在しなくても、絶えず変化していても、存在することが誰にも認識されて
>いなくても、どんな言葉でも表現できなくても、要するに存在するものはすべて
>現に存在するような仕方で唯一絶対に存在する、と、そんな意味です。
「現に存在するような仕方で唯一絶対に」というのは、どのような「仕方」で唯一絶対なんだろう?
例えば海の水は、魚にとっては、人にとっての空気のようなものなのかもしれない。
(続き)
鈴木さんと田中さんは、その存在を違った風に見ているはずだ。
「現に存在するような仕方」というのは、鈴木さんの見方、田中さんの見方・・・
・・・と無数の見方を総合したものだろうか?
それは、「カオス」ではなかろうか?
490 :
下僕:2008/06/11(水) 16:17:12 0
>>485 > ラカンの鏡像段階論
っていう評価を下す事を、 ラカンの鏡像段階論っていうのではないでしょうか?
評価の主は私(下僕)ではなく、
>>485さんですからね。
ラカンの鏡像段階論って、「評価を下す事」なの?
492 :
考える名無しさん:2008/06/11(水) 17:58:38 0
唯一絶対、鈴木さん、田中さん ww これ哲学? 低調すぎる。
493 :
考える名無しさん:2008/06/11(水) 18:02:55 0
この流れじゃ、だれもよりつかんわな。
うん。中高生には難しい。
495 :
考える名無しさん:2008/06/11(水) 18:08:40 0
うん、小学生のことはわからん。えっ、幼稚園児!
みんな違うと言っても、人間だって動物だし、
大体は同じと考えるのが妥当。
犬にも大きな個体差があるが何となく意思は通じている。
人間は複雑だから違う所も多いが、何となく違って何となく同じ。
言葉の受け取り方や気持ちは違うが、何となく同じ。
パターン認識とカオスで考えて良い。
クソコテども
そろそろ各々お前らの意見をまとめてくれ
498 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/11(水) 20:14:06 0
>>497 では、たってのコールに応えまして、一席。
「言葉/表記等の共有/共用可能性」が、私と他者との交通手段であり、私や他者は、その共有可能性で担保される。
そして、この共有可能性を担保するのは、言葉/表記等で交通を行う私や他者を「括る」ところの共同体である。
即ち、私や他者という概念は、共同体で担保されることを条件に成立する。
このことから、私や他者という概念/事象/現象は、その発生において、「社会性」を所与のものとして孕む。
私が、「私とは何か」、という命題を対象化する場合においても、その推論プロセスには、第二の母胎である共同体、即ち、社会性が所与のものとして、内包される。
そして、この命題の解は、与えられない。
なぜなら、私が、「私とは何か」、という命題を対象化する場合における私とは、共同体の鏡像が投影されることから、私オリジンの私という、ありえようも無いものを問うことになるからである。
(仮の結論-その1)
私とは共同体の産物であり、且つ私の鏡像とは、共同体の型枠/鋳型に合わせて作りこんだ/作りこまれたところの、「私という記号を、そのつどon goingに刻印し/され続けることを宿命づけられている、共同体の表象としての、ひとつのシャイン」である。
シャインでありながらも、この共同体にアンガジェしていくことでしか、その存在性を感得することはできない。
ここでアンガジェとは、前述の「言葉/表記等の共有/共用可能性」を唯一の武器として、他者、共同体等を対象に置き、そのつど新たなる「決死の跳躍」を強いられる、言わば「鞭打たれ続け、そして回り続ける独楽」としての営為一般をいう。
499 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/11(水) 20:32:09 0
で?
って書かないでね。
500 :
考える名無しさん:2008/06/11(水) 20:34:07 0
>>498 >即ち、私や他者という概念は、共同体で担保されることを条件に成立する。
例えば永井の〈私〉なんかは、言語化・概念化される以前のところで考えている
わけだけど、wisteria氏が考える「私」は既に概念化されているところから
始まっているわけね?
そうするとかなり視点が違うことになる。
あまりラディカルじゃないね。つまらない。
502 :
下僕:2008/06/11(水) 21:25:43 0
>>498 wisteria-1 さんの文を私の表現方法に翻訳し、かつ確認したいのですが…。
私としては、観点と記述の条件に興味がある為、その部分の確認だけなのです。
**********************************************************
私と世界を説明する手段は、みんなに解る誤解の無い言葉で語られる事で、
共感可能であろうと考える。共感する条件は一定の社会性を営む人間どおして成り立つ
言語や事例などを用いるのが適切であると思う。
私が私に向かって、「私とは何か」と(対象化させて)考える場合、
社会で生きている人間からみた私という観察でしかなく、私の成り立ち自体を問える
はずがないのである。
ここまでの経過をまとめ「私を記述する」と、
私とは、世界の一部であり、かつ私は世界に適応するように人格形成されており、
時々刻々と変わる世界を反映された人格を時々刻々と形成している。
世界の反映であり同時にそこに居るその私が、私のみをとりだして感ずる事はできないで
あろうが、世界とともに変化を遂げながら、生きながらえている事柄を言う。
**********************************************************
と言うことでザックリと理解したのですが…。
普通に社会に暮らす一般人のサンプルの一人が、私を対象として見た場合の
「私の記述」ということですね。
つまり私を私できもしない対象化をさせ記述する場合の限界事例を記述したという事
でよろしいでしょうか?
503 :
下僕 訂正:2008/06/11(水) 21:28:13 0
×つまり私を私できもしない対象化をさせ記述…
○つまり私ができもしない私自身を対象化をさせ記述…
504 :
考える名無しさん:2008/06/11(水) 22:35:24 0
>>498 間違っているかもしれぬが、チンパンジーも他の哺乳類も、のみならず蟻も蜂も
共同体を営んでいるのではないか。連中に(対自としての)『私』があるのだろうか。
あなたの言う「共同体の産物」としての『私』は近代的自我ではないのか。
共同体から疎外され、それを対象として捉え返す自我。しかし、この“近代的自我”
が『私』の起源ではあるまい。
『私』の起源は…
505 :
456:2008/06/11(水) 23:27:53 0
>>498 「自己」について思いを廻らす時、脳の機能の違いに依存する形で
「自己」の意味が変わってきちゃうんだな。
であるからして、できるだけ多くの、無作為の「他者」によって作られる「自分像」というものの意義が極めて大きく。
可能であるならば、「他者に映っている自分」を「自分」にフィードバックさせることが、極めて重要な事なのだと思うよ。
506 :
哲学者最高位336041:2008/06/11(水) 23:51:51 0
tesu
508 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/12(木) 00:03:45 0
またミスったな(爆笑
>>327 >「『私』と『他人』は完全に相対的で相互補完的な概念なので、
>私がいなければ他人もいない」ということだけなのです。
前に教えてあげたけど、なんで理解できんのかなぁ・・・
私が『他人』といってるのは、「私から見た場合の他の人」の事ではなく
「私ではない人」という意味だよ
「私ではない人」は
私が存在しなくとも、私の存在など関係なく
それぞれが、独自で存在している可能性があるのではないかね?
いや、むしろ、そう考えるのが普通でしょう
繰り返しますが
>「『私』と『他人』は完全に相対的で相互補完的な概念なので、
>私がいなければ他人もいない」ということだけなのです。
なんて
アホのフリをしているとしか思えませんが、本気なん???
え、自分がいなければ他人もいないって別に変じゃなくね?
生まれる前から他人を知ってたのか?
510 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/12(木) 00:24:45 0
>>509 >え、自分がいなければ他人もいないって別に変じゃなくね?
ん?
変だよ?
変じゃない根拠は?
>>510 いやだから生まれる前から他人を知ってたのか?
512 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/12(木) 00:33:31 0
>>511 私が知らなくても、他人は存在している可能性があるんじゃない?
ないの?
513 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/12(木) 00:33:33 0
また最高位さんの根拠は?病ですか。
ご自身の「私」の根拠を説明されずに議論が出来ましょうか?
他の方はそれなりに根拠を持って持論を展開されているようですね。
>>511さん
先天、後天の「私」ですね。
>>512 可能性についての思慮は生まれてから得たものだろ。
生まれる前はどうだったんよ?
515 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/12(木) 00:43:14 0
>>513 >根拠は?病ですか。
なんじゃそりゃ(爆笑
発言するなら根拠が必要
私は、ちゃんと根拠を挙げて、唯物論は間違いだ と言ってるだろ
>ご自身の「私」の根拠を説明されずに議論が出来ましょうか?
バカですか?(苦笑
私は、「根拠はみつからない」という主張をしているんだよ
物理的根拠がある可能性も、ゼロなんだよ
だから、唯物論は間違いだ とね
>他の方はそれなりに根拠を持って持論を展開されているようですね。
ブッ!
一回、お前がやってみろよ(爆笑
何度も言うけど
人を批判したりするなら
せめて普通に会話できるレベルになってくれよな
516 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/12(木) 00:48:55 0
>>514 じゃぁ、私が思慮できなくなったら、キミは消えるんか?
消えるのは、私の認識だろ
私の認識が、キミの存在を左右するのかね?
517 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/12(木) 00:53:16 0
>>515最高位さん
誰も「物理的」「唯物論」なお話はしていませんが。
根拠は見つからない云々とありますがその理由、根拠はどうなんでしょう。
存在性ですか。
次はデカルトですか?
>>516 ついでに思慮と認識の違いは何でしょう?
少なくとも最高位さんの書き込みによって
>>514さんの書き込みは生じ
原因と結果、因と縁ですね。
518 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/12(木) 01:08:44 0
>>517 >誰も「物理的」「唯物論」なお話はしていませんが。
はぁ?私は、その事についてお話してるんだが?
んで、キミは、それに対して反論してんじゃないの??
何に対して反論してんだよマッタク・・・・
>根拠は見つからない云々とありますがその理由、根拠はどうなんでしょう。
私を発生させる事のできる法則を見つけてごらんよ
私はココにいるのだから、いかなる物理的要素の物体があろうと
それは私ではありえない
↑
十分な根拠だわな
反論があるなら
正いかなる物理的要素である可能性があるのかを、言ってもらえますか?
>次はデカルトですか?
デカルトぐらい説明されなくても、理解しとけよ
>少なくとも最高位さんの書き込みによって
>>514さんの書き込みは生じ
>原因と結果、因と縁ですね。
で?
ホントに、キミの発言は中途半端でイライラするなぁ
ちゃんと喋れよ
>>511 「自分」について議論する際において、「自分がいなかった・いないであろう時」を想定して議論するのは
その議論自体が無意味である。
>>516 それ全部最高位の認識にしか過ぎんだろ。
最高位ってこういう鈍さがあるから困るんだよなぁ。
視点のぶれとか何も感じてないんだろうな。
521 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/12(木) 01:17:19 0
>>520 明らかに、キミの視点がブレてるんだけど?
で
私の思慮の内容いかんによって、キミ自身が存在したり消えたりするのかね?
私が認識してあげてる時にだけ、キミは存在できていると??
マジッすかっ!(爆笑
522 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 01:19:15 0
やぁ最高位
あっちのスレでマイナーなコテが言ってたんだが
結婚してるってマジ?自分で公言したの?
>>521 最高位の思う俺と俺の思う俺は違うものなんだが、
それを混同しているから鈍いって言ってるんだよ。
524 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/12(木) 01:33:08 0
>>523 キミのブレた頭に合わせる気はないね
私の言っている事と違う事を言ってるなら
それじゃ、私に対する反論にはならないよな?(苦笑
論点がズレまくりなんだよ
第一それじゃ、独我論だろ(爆笑
525 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 01:36:11 0
最高位には子供が二人いる。
>>524 だらだら書いてるわりに中身ないな。話に付いて来れなくなっただけだろ。
527 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 01:39:33 0
↑
だから何で知ってんだよw
528 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/12(木) 01:42:44 0
最高位さんはまるで「俺の心を解れ」と言っているようなものですね。
単に子ども染みたわがままっこですが。
>>518 「ここ」とか?どこでしょう。
先日のお話
>>240では「有り」に重きを置いたようですが
「有り」だとまたデカルトですか?
ループですねえ。
529 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 01:46:54 0
まあ ヒトなんて 素朴実在だしな
おいらが認識しなくても おいら以外のヒトは居るのだろう
って 普通は 考えるわなww
他者の思想を拝借して、自分を作り上げているのに
他者の存在を疑うとか、理解に苦しむわ。
531 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/12(木) 02:24:23 0
>>528 >最高位さんはまるで「俺の心を解れ」と言っているようなものですね。
どっから「心」なんていう言葉がでてくるんだよ
俺の心なんて、わかるわけないだろ
内容を理解してないくせに、勝手に誤読して
反論してる気になってるバカに、親切に教えてあげてるだけだっちゅーんだよ
キミは、もっと謙虚になった方がいいよ絶対
>「ここ」とか?どこでしょう。
ん?
ココは、ココ
逆に、ココじゃなかったら、どこなワケ?
>「有り」だとまたデカルトですか?
ん?
「有り」を否定できたのかね?
デカルトも理解できないくせに
偉そうに、でかいこと言うなって(苦笑
とにかく、まずコレに絞ろうか
「我あり」を論理的に否定してみてごらんよ
デカルトをバカにするならさ(苦笑
532 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 02:33:11 0
ココは、地球ですよ。
533 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/12(木) 02:34:08 0
>>531最高位さん
人に問う前に
>>240前後の質問に答えてからにしてください。
逆質問の悪い癖は治らないのですか?
534 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 02:35:04 0
いやいや ココは、我が家ですよ。
535 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/12(木) 02:36:27 0
追伸
デカルトの格言を馬鹿になどしておりません。
それを利用する最高位さんのほうが反省されるべきでは?
536 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 02:37:11 0
いやいや ココは、「私」が認識している場所ですよ。
537 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 02:40:24 0
最高位が学校で習ったというデカルトとは どんなんだったの?
最高位が学校で習ったというデカルトとは どんなんだったの?
538 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 02:44:03 0
「私」が学校で習ったデカルトが正しいの理解であって
君らがお勉強したというデカルトというのは間違った理解である可能性がある
と 最高位は言いたい。
539 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 02:46:44 0
,. - ─── - 、
/ , `ヽ.
/〃//,. ,ィl/|l ト、 !、 、 ヽ
ー'´| | l |1 | !l. l| ! | l.|ヽ ! !、 ', おじちゃんたち
YレV!ヒエ「! |l.「_ト!Ll」| l l l どうしてはたらかないの?
! lハイJ | ´|_jヽ. リ,! ! l. l |
|l |l.} ー , L _,ハl.lトl l. | l
|l ilト、 n '' ,1l|ィ| |l l |
_ 二,ニ^tュ--ェ_t1」l.|l !リ|_lノ
r7´ f r┐| 〔/ミヽ>,-、 ̄´
Y ー个‐'t ハ-、_'ゝ、
ヽ ._・ rく ̄ヽト-'丿 ヽ l
/ (・__,)ゝi┬'´ハ` '`|
|ヽ, イ ノ┴くヽヽ、 /
`´ ゝ┬ヘ`ヽ | `ー‐1
ゝノ-‐^ー'一''丶 ヽ ヽ
ト、_ `ーァ'¨不ヽ
| | 「 ̄「 ̄l ̄ト、,イトヒi′
l l. l l ! !└' l |
└ L 」_,|__l_l.__L.l′
| | | |
l l ! !
l l. l l
ト--┤ !--‐1
f‐t央j. ト央ァヘ
| 甘l、 / 甘 |
l ,.-‐ヽ レ'⌒ヽ/
`く.__ ノ ゝ--‐′
私の主観的にお前ら全員死ね
541 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 02:57:09 0
デカルトについては
さんざん読んだかも知れない君らより「私」の方がはるかに理解しているし
デカルト以上の問題意識を提示しているつもりだ
まあ、「私」はデカルトを読んだことはないんだが
と最高位は言いたい。
542 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/12(木) 03:55:04 0
>>533 >>240前後の質問て、何かね?
いくらでも答えるが、キミも同時に答えたらいいのではないかね?
しかし、なぜキミの方がが優先的に質問できる立場なのかね?
自己中な雰囲気ムンムンなのだが、自覚してる?
まぁ自覚してたら、そんな卑怯なスタンスを、無自覚に他人に強要したりしないわな(苦笑
>>535 で
有りなのか? 無しなのか?
>>538 >>541 デカルトぐらい学校で習うんだし、誰でも理解できてると思ってたんだけど
どうやら違うみたいだね
読んだ読んだと自慢するヤツに限って、自分なりの間違えた解釈で誤読してるのが多いみたいだな
まず基礎が大事だぞ
543 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 04:12:31 0
洩れは 学校で デカルトのいう「我」というのは
思考する理性のことだと 教わった
最高位は どういうふうに 習ったの?
544 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 06:43:24 0
デカルトは疑わしいものをすべて捨象することによって
「疑う我(コギト)」という近代的自我を抽出した。
金子晴勇編『人間学 その歴史と射程』
デカルトって主観を排除しようと頑張った人じゃないの。
そうじゃなきゃあらゆるものを疑ったりしないだろうし。
「私」は主観性だとかいってる最高位はむしろデカルト肯定しちゃまずそうな気がするけど。
546 :
下僕:2008/06/12(木) 09:14:18 0
哲学者最高位氏によって、私がムクムク起き出して結構な事では
ないでしょうか。やっぱり揺さぶって、起こしてあげて、
私が悲鳴を上げる。この手法は私を自覚させるために最も効果的でしょう。
アホ!と言って、自分の事を言われたと思って目を覚ますのが私ですし、
何故、目を覚ますのかといえば、アホであるのが私だからです。
私は思うのですが、物事を対象化させる思考方法以外に、
内観という思考を介さず、感ずる方法もあるわけで、
それに基づいて発言するものは、主観であっても主観ではないと思う訳です。
勉強して身に付くのは哲学的な流行と思考態度であって、
私に言わせれば単なる制限です。
547 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 09:24:56 0
最高位大復活!!!
爆SHOWWWW!!!!!!
548 :
下僕:2008/06/12(木) 09:28:21 0
内観の有効性については、私はめんどくさがりなので、
皆さんの判断にゆだねますが。
医療でも製作現場でもどこでも使われていますし、
私たちも使ってますね。勘。俗にいう体で知っている。
机の上から皿が落ちて、体が勝手に拾う実例を語るまでもなく、
思考は遅いから後で気づく。内観未経験の人には意味不明に聞こえるかも
しれませんが、思考で思考することは遅すぎるという事です。
実際、人の選択に根拠などないのですが、
起こった出来事を、適当に論理化させれば一応論は成立するんですから、
いいんでないでしょうか。
549 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/12(木) 09:39:11 O
意識のすべてが脳の働きに還元できると考えるのは間違いだ。
感覚する五体や内蔵がなければ意識は表れない。
そして、決定論的にドミノ倒しのように物事が決定されていくというのも間違いだ。
なぜなら、人体は一つの全体をなしていて、血はよどみ、意識は自己をとらえ、自己の内部でぶつかり合うからだ。
トップダウンとボトムアップの両方が人体では行われており、その境目でどちらとも言えない状態を作る。
550 :
362:2008/06/12(木) 09:44:50 0
>>536 『私』は物体・身体ではない、と最高位は述べている。これは『私』には
構造がないということである。つまり『私』には“場所(空間)”は不要で
あることを意味している。だから『私』は“ここ”にいる、との言い方は
不適切に思える。
では『私』はどこに? 『私』は“いま”存在しているのではないか。
最高位の言う『私』は“いま”を棲家とする時間的存在ではないだろうか。
>>488-489 >例えば海の水は、魚にとっては、人にとっての空気のようなものなのかもしれない。
>鈴木さんと田中さんは、その存在を違った風に見ているはずだ。
いや、これは別に問題ではないのです。魚や鈴木さんや田中さんに意識が
あるかどうかがそもそもわかりませんが、あるとしたら世界(たとえば海の水)が
彼らに私とは違った仕方で現れているだろうとは、むしろ自然な予想です。
生物学者の中には「他の生物にとっては世界は人間とは全く違う仕方で現れている」
と断定する人もいます。(「ゾウの時間ネズミの時間」という面白い本がありました。)
>>489 >「現に存在するような仕方」というのは、鈴木さんの見方、田中さんの見方・・・
>・・・と無数の見方を総合したものだろうか?
過去の無数の人々、特に科学者と呼ばれる人たちの見方を言語的に総合したものが、
「現に存在するような仕方」に近い、というのが、まあ支配的な考え方でしょう。
現に、最高位氏は「物質の真の姿は拡散するツブツブである」といい、
機械氏は「16次元(違ったっけw?)の超ひも」であるとか何とかいい、
どちらも大筋でこの考え方に従っております。別に「カオス」ではありません。
ただし、それらはどこまで行っても言語的構築物であって、「世界が人類にとって
現れる仕方」に過ぎないと思われます。私に言わせれば世界は言語でできている
わけではなく言語は世界の一部分で人間の使う道具に過ぎないのですから、言語と
世界が完全に一致する、などということは無意味です。むしろ、人々の意識の内容も、
そこへの世界の現れ方も、言語的構築物も、それ自体がまた世界の一部分として
世界とともに(マルクス主義風に言えば実践的弁証法的に?)変化する、と考えれば
十分だと思われます。
そして、そのすべてが、私の意味づけなどとは無関係に、「現に存在するような仕方」
で存在する(またはしない)わけです。魚やコウモリに意識があるのか、あるとしたら
どんな意識か誰にもわかりませんが、それも「あるかないかどちらか」です。
これが、「意識に関する素朴実在論w」となります。
>>508 >「私ではない人」は
>私が存在しなくとも、私の存在など関係なく
>それぞれが、独自で存在している可能性があるのではないかね?
おお、最高位氏、これこそまさに「素朴実在論」そのもので、私の賛成する
ところですよw
問題は、「私である」とか「私でない人である(他人である)」とかいうのは、
その人々の「現に存在するような仕方」ではなくて、「特定の人間(自我)に
とっての現れ方、意味づけ」に過ぎない、ということなのです。
「哲学者最高位」とか「哲学者最高位の自我」というのは一定の仕方で
客観的に実在する(あなたがゾンビだとすれば後者は実在しないし、
デカルト的懐疑が正しいなら前者も実在しない)世界の一部分ですが、
それが「私である」というのは、「哲学者最高位の自我」にとっての
現れ方・意味づけに過ぎないのです。現にあなた以外の無数の自我にとっては、
それは「私でない人(他人)である」というのが正しい意味付けなのです。
「ナポレオン」とか「ナポレオンの自我」というのも世界の一部分ですが、
それが「私でない人(他人)である」というのは、「哲学者最高位の自我」に
とっての現れ方・意味づけに過ぎないのであって、ナポレオンの自我にとっては、
それは「私である」というのが正しい意味づけなのです。
ですから、あなたの自我が存在する前は、「ソクラテス」とか「ナポレオン」とか
その他無数の人間は、もちろん存在いたしますが、あなたにとって「私」でも「他人」
でも有り得ないのです。だって、あなたがいないのですから、「あなたにとって」が
意味を持たないわけです。
(もちろん、ナポレオンにとってはナポレオンは私であり、ソクラテスにとって
ソクラテスは私です。その他すべての人間について同じことです。)
おわかりになりましたかw?
>>518 >はぁ?私は、その事についてお話してるんだが?
>んで、キミは、それに対して反論してんじゃないの??
>何に対して反論してんだよマッタク・・・・
>>524 >論点がズレまくりなんだよ
・・・・・・(^^;
相変わらず、こっち方面のフットワークは鈍いですね・・・。
いいですか。
貴方の主張から始まる、永きに亘るこの流れには複数の論点があります。
論点が複数あること自体は認めておられるようですが、
・場面場面で考察されるべき内容に違いがあること(→「今、何が問われなければならないか」ということ)、
・a「別種の論点だが被る部分があったり」
b「各論点が枝分かれしたものであったり」、
c「直接的階層関係(どちらかがどちらかの前提になっている場合)にあったり」 もするだろうが、
d「常に最初の大前提へ強制遡及させる」のでなく、
個別の論点を(それなりの形まで)掘り下げる作業が必要な時もあること、
については全く無頓着ですね。貴方はいつも、如何なる時も、dを最終手段として用いる。
もっとも多い例文は 「で、『私』はいかなる物理現象なんだね?」 に類するものです。
たとえ、(十歩譲ってw)それが最深部の根本問題だとしても、
≪「そこ」へ向かう為の準備議論の最中に、ワープして「そこ」へ直帰するのは如何なものか?≫
と、多くの人は指摘しているのです。(「唯物論は間違いだ」が本論(≒原点)だなどとはちゃんちゃらおかしいw)
このワープは、形を変え、サイズを変えて貴方のレスの至る所に見られます。
(唯識氏の指摘の一つもこの部分です。ネコ氏も苦々しく思っているのではないでしょうか・・・w)
きっと、「で、どんな論点があるんだね?」と訊かれそうなので、
お馬鹿な私が、僭越ながら一応列記してみます。
A、a・「世界(事象の集合)」は『私』の知覚・認識の外にもあるか否か
a『私』の知覚・認識したものだけが「世界」なのか
(それは、知覚されるのみでよいか、認識されねばならないか)
b『『私』以外の何ものか』が「世界」を知覚認識していたとして、それとの重なりはあるか、ないか
b・人の認識できる(自覚できる)「今」「現在」「今この瞬間」はありうるか
c・メタな、超越的視点からの考察は可能か、或いは許容されるか
B、a・『私』はどのようにしてあるのか
b・『私』は「世界」とどのように関わっているのか
c・『私』と「この肉体」との関係は
d・『私』と「他者」との関係は
e・『私』と「他者の肉体」との関係は
C、a・「「私」が『私』に気付く(或いは「私」が『私』を見出す)」という言明は可か
b・「『私』が「私」に気付く(或いは『私』が「私」を形成する)」という言明は可か
D、a・『私』を自覚する時(対象化する時)、その「自覚する(対象化する)」という行為の主はどこに生じるのか
b・『私』を自覚する(対象化する)ということは不可能なのか、「実感される」という言い方なら可なのか
E、a・唯物論は間違っている
b・唯物論「的」考察は許容できる
Aは、ヒトとしての認識の限界について。
Bは、「こころ」「意識」「精神」「精神活動」「自我」「人格」等と「世界」(或いは「唯物的世界」)との関係について。
C・Dは、自己言及の臨界点について。
Dは、「行為と主体」「動詞(動き・変化)と主語(主体)」「述語(状態・在り様)と主語(主体)」の関係について。
Eは、・・・・・w
(Eはともかく)、Bのcとeを除き、他は「唯物論」や「物理的云々」と『直接の』関係はありません。
ですから、その、他の部分について「こういう考察の仕方もあるよね」と話している時に、
いきなり(≒関連無しに)「で、『私』はいかなる物理現象なんだね?」と言われても、(゚Д゚ )ハァ? なわけですw
勿論、それぞれ無関係ではありません。重なり方に幅はあろうとも、繋がっていると思いますし、
殆ど接点が無い場合でも、(大きく)重ねてゆくことは可能だと思います。
ただ、順序や下準備は必要でしょ?
それぞれの枝分かれの仕方で重なり方・関連の仕方も変わるでしょ?
それぞれの枝分かれも、多岐に、煩瑣になるでしょ?と言いたいのです。
料理をする際、様々な作業がありますが、
何かを湯掻く必要があった時、湯が沸いてなければ話になりません。
材料の切り出しがされていなければなりません。
湯も沸いてない、材料も丸のまま、そんな状況で「茹で上がったモノ」についての作業ができましょうか?
ちなみに、Aは、各論としてかなりの枝分かれを孕んでいます。(しかも深刻なw)。
そして、何について、どんな議論をするにしても、
ここに関する自身のスタンスが定まっていなければ、実は先へ進むことはできません。
それがどんなスタンス(例えば捨象・無視)であろうとも、です。
(最高位氏はこの部分に殆ど触れませんが・・。)
個人的には、こちらの方が、(「『私』はいかなる物理現象か」「唯物論は間違いだ」などよりもw)
はるかに根源的な大問題だと感じます。
>>553-555 いろいろ言っても、私の存在がまず先にあるということは、変わらないと思う。
その点からみて唯物論っていうのは哲学的に見れば素朴な考え方だというのはその通りだと思う。
>>551 >過去の無数の人々、特に科学者と呼ばれる人たちの見方を言語的に総合したものが、
>「現に存在するような仕方」に近い、というのが、まあ支配的な考え方でしょう。
非常に苦しい言い方ですねw
それなら、「存在するものはすべて現に存在するような仕方で唯一絶対に存在する」
なんて言うより、「存在するものは現に見えるように見える」と言った方が良いw
558 :
下僕:2008/06/12(木) 12:48:58 0
私の目にとまる面白い説を
>>551さんの発言の中に発見しました。
「他の生物にとっては世界は人間とは全く違う仕方で現れている」
この説に関して私は、人間でも同じだと考えます。
私と他は、違って感じているのではなく、違った見え方をしているのでもなく、
簡単に言えば、私がすり抜けられない物質を別の人はすり抜けている可能性が
あるという事です。これは人体の形態の既知の拡大ですが、証明も否定もできない。
やってみせても、共通の部分でしか認知しあえない。
その孤独を補う為に、人間は表現活動をし、自分の認知しているものを
他に伝えようとするのでしょう。
カラスが鳴く理由と全く同じ事を人間も常にしているという事です。
このように考えるのが私であるから、私を記述する場合、
この文全体で常に、私という一つのサンプル表現つまり、記述し続けていると言えます。
存在において「先」とか「後」などがあるのだろうか
そのような問いかたもまた批判できそうだ
>>560 唯物論の場合は、存在を「物」と規定しているわけで、
物と規定しているのは誰なの?と考えれば、
その点での後先はあると思う。
>>561 「私」の誕生以前に、『祖父(「私」の誕生以降は「祖父」と呼ばれうる男)』は存在しない。
自分より年上であるにもかかわらず、その存在は「私」よりも遅れている。
それらは、『私にとって(の世界では)』という修飾語付で成立する。
だから、『私にとっての世界』以外を認めるか認めないかが、
根本的な、立場の分岐だと思うのです。
>>562 >『私にとっての世界』以外を認めるか認めないかが、
>根本的な、立場の分岐だと思うのです。
認めるか認めないかという二者択一ではないと思うんだよね。
たぶん私にとっての世界以外の世界はあるだろうけれども
それを私は知らない。知らないからそれが何であるかを言うことはできない。
私の「祖父」は私にとっての「祖父」であって、私が存在しなければ
全く違う意味を持つことになるでしょう。
>>563 同一性は関係ない、ということですか?
563では、
「「私」が、子供を産んだら「母」になる」以上のことは述べていないでしょう?
その「私」は、「(その子にとっての)母」になる前はいなかったのか?
「その子にとっての母」(子の視点で行けば「私にとっての母」)は、確かに子の誕生以降の存在だが、
「その子にとっての母」(子の視点で行けば「私にとっての母」)と「私にとっての「私」」は別の存在なのか?
この子が生まれる前から生きてきてきた「私」は、子の誕生と同時に消滅し、「新たな「私」」として生まれたのか?
(ややこしいなwww)
単に「母」という要素が加わったに過ぎないのではないか?
「母」という要素が加わる以前、その人はどこにいたのか?
どこにもいなかったのか?
『子にとっての「私の世界」に生まれた「(母としての)私」』と『私にとっての「私の世界」に於いて繋がってきた「私」』、
同か異か。後か、先か。
あ゛〜〜、ややこしい!w
565 :
362:2008/06/12(木) 14:33:58 0
>>554 せっかくの長編力作問題提起ですので、一言だけ。
Aについて言えば、『私』に知覚・認識された対象が「世界」であり、
その外や内に何がどう広がっているかは不可知というしかありません。
“瞬間”を空間的に言い直せば“点”のことでしょう? 私には“点”を
知覚することは不可能であり、その意味で“瞬間”についても同じことが
言えます。
これらは事象を凍結し、そこから抽出した「概念」であり、レトリカルに
用いることができるだけです。便利な言葉です。w
以下については、またいずれ。
>>557 いえ苦しいも何も私の現状認識を述べているだけですのでw
それと、私風に言うなら存在するものの大部分は見えませんし(見えるのは今
私の視野にあるものだけです)、存在しないものが見えることもありますので、
「存在するものは現に見えるように見える」は当たりません。
「見えるものは現に見えるように見える」なら、これは世界の内部の現象と
して否定しがたい事実であります。
そもそも「見えるもの」の背後に、直接見えない「現に存在する本当の世界」
を考えるというのは否みがたい人間の本性なのです。直接見えるのは単に
濃淡を持つ色と形だけですが、その向こうに三次元の空間が広がっていて、
さまざまな大きさや構造の物体が「本当は存在する」と、ほぼ否応なしに考えるわけです。
「海」も「水」も「人間」も、その一部です。
(ちなみに付け加えると、本当に懐疑論を貫くなら、疑い得ないのはその
濃淡を持つ形や色だけであって、その向こうに継続的に存在する客観世界も、
その手前に存在してそれを見ている私も、別になんら確実なものではありません。)
さらに、「水」の「正体」とされる「H2O」などとなれば、水分子も、まして
水素原子だの酸素原子だの、見える道理もありません。純然たる概念、言語的構築物です。
もちろん物理学者はそれにも満足せずに、「物質が現に存在する仕方」についての
仮説として、クオークがどうの超ひもがどうのと言い出すわけですが、こうなると
私などは見えないどころかほとんど意味すらわかりませんw
もちろん、それらの説にも反対もあれば異説もあって、結論は出ない(らしいです)。
これはつまり、「物質が現に存在する仕方」の説明としてはそれらの理論・
言語的構築物でも不十分だ、と学者たちが考えている、ということです。
私としては「はあそうですか」と聞いておく以外ありませんがw、
ともかく、こういう営みは、実験や観察で直接見えるものやその背後に想定される
客観世界のさらに背後に、「世界が現に存在する唯一絶対の仕方」が存在する、と
彼らが考えていることを示しているわけです。そして、彼らの説明を「はあそうですか」と
聞いているほとんどの人々も、その点は同じなわけです。
>>564 >「その子にとっての母」(子の視点で行けば「私にとっての母」)と「私にとっての「私」」は別の存在なのか?
「別の存在」と言ってしまうと、二つの別の物体があるような感じがしてしまうけど・・・
「私」の問題とその視点の問題を一緒にするとややこしくなるので「私」を離れて視点の問題を考えると、
或る一つの存在者「X」(例えば母)を違う視点から見ているから「X」は視点の違いによって違うように
見える、と考えるのが常識的な考え方だと思うけれど、あらゆる視点を離れた「X」そのものとは
何なのだろうか?と考えてみると、〈あらゆる視点を離れて見る〉ということが不可能である限りは、
あらゆる視点を離れた「X」がまず存在すると考えること自体がおかしいのではないかと考えられてきます。
あらゆる視点を離れた「X」を想定している時点で、既に或る視点からの何らかの〈読み込み〉が
あるはずだから。
だからまず或る一つの存在者「X」があって、それが子供には「私にとっての母」に見えて、
私には「私にとっての「私」」に見えるわけではなくて、その逆に、「私にとっての「私」」や
「子供にとっての母」、「夫にとっての妻」などが経験的に無意識に総合されて、自分が普通に
「自分」と思っている一つの存在者ができあがっているのではないでしょうか。
つまり「別の存在」がまず在るのではなく、まず在るのは、違った視点からの「別の見え方」であって、
そのいろんな視点からの「別の見え方」が総合されて一つの存在者がつくられるのではないのかな。
>>566 >いえ苦しいも何も私の現状認識を述べているだけですのでw
わかりました。
「存在するものはすべて現に存在するような仕方で唯一絶対に存在する」 の意味は
それ以上は説明できないということでしょうね。
568 :
362:2008/06/12(木) 15:04:26 0
>>564 「私」という言葉を使いすぎるから、ややこしくなるのです。w
たとえ話しをしているのだから、こういうときこそ超越的にw語るべき。
たとえば「女性AがBを産んで母Aになりました」とすればいい。
そのあとは、視点をBならBに固定しないと、こんがらがります。
Bにとっては母Aがいる。彼女は母Aになる前は女性Aとして生きていた
らしい。(むろん、これは伝聞)
Aに視点を据えても矛盾なく言えると思います。
あるいは、この私がAとBを知っていて、この視点から語ることもできます。
>>567 >「存在するものはすべて現に存在するような仕方で唯一絶対に存在する」 の意味は
>それ以上は説明できないということでしょうね。
「それ以上は」というより、何も説明できていないと思う…
「説明」というものは言葉だけではなしえない
ここに、言葉と、対象となるものを設定して、両者の相違を図る営みの意味が生じる
言葉と対象の一致、それはけして無意味ではない
それ以外については異論はない
571 :
素人:2008/06/12(木) 15:54:01 0
>>568 敢えて記号化を避けたのに・・・(´・ω・`)
ならば簡単です。
ある人物「X」の『X』が存在したとします。
「X」は、子を産み「X母」となりました。当然、子「Y」の『Y』にとっては「X母」です。何の矛盾もありません。
が、「X」は「X母」となっても『X』は『X』です。(少なくとも最高位理論ではそうです。)
「Y」にとって(『Y』の世界にとって)、「X母」はその時に出現しています。
『X』にとっても同様です。その時、『X』の世界に「X母」は出現しています。別に矛盾はありません。
「X母」に先んじて『Y』が存在し、『Y』の存在以前には「X母」は存在しません。『Y』が先であり「X母」は後です。
では、『X』は? 『Y』の先か?後か? 『X』もまた、『Y』の誕生と同時に出現したのか?
(『X』を内在する)「X」がいなければ、(『Y』を内在する)「Y」の誕生は無かったというのに・・・。
『X』がいなければ『Y』は生まれないのに、『Y』によって『X』が現われるのか?
或いは、『私』以外の全ては「」書きの要素のみで構成される、と考えるべきかもしれません。
或いは、“『Y』の世界”には『X』は出現していないと考えるべきかもしれません。
「出現し得ない!」と考えることもできますし、もしかしたら、それが最も賢明な見方かもしれませんw
※(「X何某」という「」書きの要素の集合しか知覚認識し合えない(共有できない)のかもしれません。
「私」についても、同様にその方向で考察を進めるなら「私何某」というものの集合が『私』である、と・・・。(
>>567さんの言うように・・。)
だとするならば、 “【『私』の解体に成功したなら】w(→自己言及の輪を抜けることができたら)”、
『』書きの存在など必要はありません。居てもいなくても一緒だからです。
強いて設定するとしても、キャッチボールで「この辺に投げて」「うん、わかった」という時の「この辺り」で十分です。)※
>>567は、仏教という領域に足を踏み入れつつありますねw
>571
「X」の『X』とか「Y」の『Y』ってなんなの?
「 」『 』の意味がわからんからさっぱり・・・
573 :
479:2008/06/12(木) 16:10:23 0
『』書きの存在など、‘対象として’どこにも存在しないんじゃないですか。
「私何某」というものの集合としての自己イメージなら‘対象として’存在しますが、それは<『 』>とは違う。
対象として存在する物事と、対象として存在しない<『 』>=<主体>は、区別したほうがよい。
次元が違うんですよ。
唯物論はヒトがいかなる言葉を発する事も否定しない。
君達が何を言おうとも矛盾しないよ。
何を言ってもいい。
>>572 「」書きは、哲学的考察に於いて通常使用される「自我」とか「我」とか「自己」とか言われるもの。
(意識的、人格的存在の最小(最深)単位と言ってもよいか?)
『』書きは、それよりも更に深奥のものとして、
『「ある(いる)」としか言いようの無いもの』
『今まさに(思考する・意識することによって)まざまざと実感される(「ここにいる感」に裏付けされた)自己』。
故に当スレでは、単なる自我・自己との差別化を計る為(「俺はここにいる!感」をニュアンスとして伝える・表現する為(?))、
『私』と表記されることが多い。
>>575 なら、他人の実感を知っているかのように「Y」の『Y』とかについて書いているのはへんだね。
あと、
>「X」は「X母」となっても『X』は『X』です。(少なくとも最高位理論ではそうです。)
って、最高位理論では、『私』は変化しないものだということ??
>>566 >ともかく、こういう営みは、実験や観察で直接見えるものやその背後に想定される
>客観世界のさらに背後に、「世界が現に存在する唯一絶対の仕方」が存在する、と
>彼らが考えていることを示しているわけです。そして、彼らの説明を「はあそうですか」と
>聞いているほとんどの人々も、その点は同じなわけです。
「ほとんどの人々」がそのへんのおばちゃんを指しているならそこは同意w
科学者たちもそうだと言うのは、科学者をばかにしてるよね。
科学者も同じ
それを疑えるのは哲学の中でも、懐疑論者とか観念論者とか言われる人たちぐらい
579 :
362:2008/06/12(木) 17:50:47 0
>>571 YにとってXが現出するのは知覚(認識)されたときでしょう?
Yにとって、彼が知覚・認識する以前のXについては種々の
伝聞(情報)によって「いただろう」と推測できるだけです。
素人氏はYの認識を超えて(認識以前に)「Xがいたのか、いなかったのか」に
異常な拘りをみせるけれども、これはだれに対する質問?
もしYがまだ生まれていないのなら、Yには答えられません(当たり前)。w
もし、それがYの父親に対する質問なら「いた」と答えるのではないか。w
やや超越的に言えば、Yであれだれであれ、言述できるのは知覚・認識した対象
についてだけでしょう?
いつも思うのだが、なぜこんなところで素人氏が突如として超越的な疑問に
囚われるのか不思議。仏教徒のサガ?
>>579 >いつも思うのだが、なぜこんなところで素人氏が突如として超越的な疑問に
>囚われるのか不思議。仏教徒のサガ?
仏教なら、「私」の視点をはずしたときに残るのは「空」であって、
「私」の視点から見た「色」と、「私」の視点をはずした「空」とを
同時に見ることができるようにする(色即是空)訓練が、
「修行」なのではないのかな。
>>576 >なら、他人の実感を知っているかのように「Y」の『Y』とかについて書いているのはへんだね。
はい。そのような捉え方でいくなら、『』書きの『私』に関しては無視して語り続けても構わないのです。
「」書きの「私」についてのみ、あーだこーだ言い合えばいいのです。
当然その中には、
≪「」書きの「私」なぞ仮設されているに過ぎない、或いは諸要素(「私何某」)の集合体である”≫
とする立場もあるし、その言明は「私」解釈の一種として認められてもよいのです。
(『私』については、その人がその人の『私』についてしか語れないのだから…。
そしてそれは、「他者」の『私』と比較検証もできません。(『私』を提示し、語ることに、どれほどの意味があるんでしょうか・・・。))
そんな色々語られる「私」議論(従来の「自我」「自己意識」等の議論)の中に、『私』を投げ込まれても困ってしまうわけです。
貴方が言うように『』書きの『私』については、本人以外語ることを許されていないのですから。
(そして、凡そどんな思想、どんな論に於いても、「」書きの要素しか扱っていない筈です。
>>573が「次元が違う」と言うように、「」書き要素のカテゴリーとして繋がっている筈なのです。)
そして、「」書きの「私」についてその在り様を議論している中、
「それは違うだろw 君らは『私』について理解していない」
「君らに『私』は無いのかい?」
「それは『私』ではないよw 君らが言ってるのは「私」だろ」
「『私』を「物理的に」説明してごらんよ」
等々言われても、返答してはいけない事になるのです。
たとえ語ったとしても、それは、それぞれが「手前味噌な自分の『私』」を投げつけるだけで、
理解し合うどころか、受けとめることすらできないのです。
まるで、「エアー雪合戦w」のように、混沌とそれぞれの『私』を投げつけ合うしかないのです。
決して当たることはないのに・・・。当たることなく交錯し飛び交う『私』論・・・。
他者の『私』について語ることは、許容されるのか、却下されるのか。
>>576 ちなみに、
>>575では抜けてますが、
『私』について、
≪そこに「人格的要素」を見るか、「(思考も含め)行為の主体足りうる」と見るか≫、
「存在性」という語とセットで用いられることの多さから
≪そうした要素は無く「ある(いる)」という純粋性のみに特化させるか≫
で、大きく考え方が分かれるでしょう。
583 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 18:07:07 0
「世界が唯一絶対の仕方で」存在すると考える哲学者は、ニーチェ以後、
そんなに多くはないと思うよ。
584 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 18:25:39 0
>>581 他者の『私』? 他者は「彼」と言い換えることができる。彼の『私』?w
私は他者(彼)については語りうる。
が、その彼は私の主観に映じた(私に認識された)人物像でしょう?
当たり前のように、そうしているのではないか?
いま、様々な「加藤」像が語られている。
585 :
362:2008/06/12(木) 18:35:57 0
>>580 その場合、「私の視点をはずした」と言えるのは、具体的には
どういう境地に達したときですか。
>>581 >(『私』については、その人がその人の『私』についてしか語れないのだから…。
> そしてそれは、「他者」の『私』と比較検証もできません。(『私』を提示し、語ることに、どれほどの意味があるんでしょうか・・・。))
>(そして、凡そどんな思想、どんな論に於いても、「」書きの要素しか扱っていない筈です。
それは違うのではないかと思います。
その反対で、他人事のように「私」について語ることのほうがつまらないと思う。
「私」論に限らず、我が事として考えていない哲学はつまらないと思う。
下記は或る哲学者の言葉。
【哲学はひとごとではなく「自分の」ことがらなのである。だから哲学的なことを書いたり
語ったりすると、詩人や歌人ほどではないにしても、自分をさらけ出してしまうことに、
どうしてもなってしまう。はずかしいことである。もっとも、「自分」を語らないで、
カントだのヘーゲルだのと「ひとごと」ばかり書いているではないか、などと言う人が
いるかもしれない。ところが数学や物理学のような客観的なことと違って、哲学は主体的
なことである。ディルタイはヘーゲルを語りつつ「自己」を語ったのである。哲学では、
誰のことをしゃべっても、自分をさらけ出してしまうことになる。じつにはずかしいことだが。】
客観的に扱い得ない『私』について語ることが無意味であるということにはならない。
それが無意味なら『空』や『無』(その他哲学が扱う多くのこと)について語ることも
無意味だということになってしまう。
>>585 >その場合、「私の視点をはずした」と言えるのは、具体的には
>どういう境地に達したときですか。
存在を「空」として見るということは、「自性」(本質)をはずして見るということなので、
「私」によって「自性」(本質)として意味付ける意識の働きを弱めるような方向に意識を
持っていくのだと思います。
ニーチエねえ
理路整然と書けないのはちとね
588 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 22:10:53 0
>>586 >存在を「空」として見るということは、「自性」(本質)をはずして見るということなので、
「無自性空」が空の意味だろ。
自性などという本質は無いということが空と言う存在だ。
無いものを外すことは出来ない。元々無いのだから。
あるのでもない無いのでもないのが空だね。
589 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 22:17:29 0
590 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 22:25:49 0
>>589 「色即是空、空即是色」だろ。
「あるのでもない、無いのでもない」そのままじゃんか。
591 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 22:34:54 0
>>588では
「あるのでもない、無いのでもない」のが「空」で、
>>590では
「あるのでもない」が「色即是空」、「無いのでもない」が「空即是色」?
>>588 >無いものを外すことは出来ない。元々無いのだから。
>あるのでもない無いのでもないのが空だね。
無いのでもないのに、なんで元々無いと言えるのかな?
593 :
362:2008/06/12(木) 22:45:14 0
>>586 その“空”なるものを、どなたか“経験”したことはあるのですか。
これは(私流に言えば)事象そのもののことでしよう?
あちらのスレで私は事象(存在)は「あるがままにある」のではなく、
「ないがままにある」との言い方をしました。そのとき「空即是色」
を想い浮かべていました。が、もっと強く意識していたのが無常。
この「空」と「無常」は全く別のことを指しているのですか。それとも
何らかの関わりがあるのでしょうか。
594 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 22:48:55 0
595 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 22:51:14 0
結局、「空」は概念?
596 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 23:02:17 0
>>592 >無いのでもないのに、なんで元々無いと言えるのかな?
無いものでもないものを外すなどとは言っていないだろ。
無いものを外すことは出来ない、といってるだけ。
有無相対なら無の否定は有で論理的に問題ない。
597 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 23:11:34 0
くだらぬ禅問答はやめろ。
空とは何? あるのないの? 体験できるや否や?
598 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/12(木) 23:37:36 0
端的に「無自性」でよろしかと。
599 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/12(木) 23:46:40 0
>>502 <つまり私ができもしない私自身を対象化をさせ記述する場合の限界事例を記述したという事でよろしいでしょうか?>
私が属する共同体の内部において流通可能な言語をもってすれば、私が、私自身を記述することは、いくらでも可能でしょう。
ここで私自身とは、「共同体・内・存在」として、私が見るところの、共同体という鏡に映る私自身の鏡像をいいます。
>>504 <あなたの言う「共同体の産物」としての『私』は近代的自我ではないのか。
共同体から疎外され、それを対象として捉え返す自我。しかし、この“近代的自我”が『私』の起源ではあるまい。>
ヒトは、ジェネレートされた、その瞬間から、例え(前-言語)としか呼べないものであったとしても、意思疎通を図れるだけの機能を有する「共同体・内・存在」としてしか存在しえない、という社会性/事実を負わされていた、と考えます。
>>593 >その“空”なるものを、どなたか“経験”したことはあるのですか。
それが仏陀の教えであるとして信じるのが大乗仏教だから、仏教徒は少なくとも仏陀は
経験したと信じているんでしょう。
ただ、それは「悟り」と同じようなもので、無自性であることをどの程度分かれば〈合格〉、
それ以下は〈不合格〉みたいな○か×かの問題ではないと思うけれど。
AはあくまでもA、BはあくまでもBという自己同一的自立性にもとづく存在秩序が解体する
ところに無自性=空が現れるのだけれど、存在を空的に見るためにはそれを見る主体の側も
空化しなければならないと言われる。主体の側が空化するというのは、分別的意識から脱却
するということで、それは、エゴイズムからの脱却ともつながっていると思う。
分別的意識あるいはエゴイズムからどの程度脱却すれば〈合格〉、という風に線引きできる
ことではないでしょうね。
>これは(私流に言えば)事象そのもののことでしよう?
「事象」というのがどういう事なのか分からないけど、カントの「物自体」みたいなもの
だとすれば、「空」はそのような得体の知れないものではないと思う。
(フッサールの「事象そのもの」?)
>この「空」と「無常」は全く別のことを指しているのですか。それとも
>何らかの関わりがあるのでしょうか。
空(無自性)を、時間的「流れ」として見れば「無常」であり、
空間的「関係」として見れば「縁起」であるのだと思う。
601 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 00:02:36 0
>>598 もし「無自性」が概念なら意味を担っており、文字どおりの無自性ではない。
もし、これが事象の様態を形容しているのなら、比喩を使ってでもいいから、
さらなる説明が求められよう。
「無自性」とは何ですか。
602 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/13(金) 00:07:34 0
>>601さん
「空(そら)」で十分に表されていると思いますよ。
603 :
362:2008/06/13(金) 00:16:10 0
>>599 >>600 明日、早朝、関西に出長します。本日は、このあたりで失礼します。
また、色々と質問させていただきます。
考えてみれば縁起は空間的とは限らないので、
>>600の「時間的」「空間的」は取り消し。
>>586 >哲学では、誰のことをしゃべっても、自分をさらけ出してしまうことになる。
>じつにはずかしいことだが。
まるで他人事のようだw
607 :
下僕:2008/06/13(金) 07:33:17 0
「哲学では、誰のことをしゃべっても、自分をさらけ出してしまうことになる」
私などは、その発言者の自分の部分しか見ませんね。
つまり恥ずかしい部分。でもそれが「私」の部分で、
俗語で個性なり魂なり本質・心等・信仰・信念ともいうものです。
これを私は他者との違いと認識します。
つまり自分か自分でないか?その答えを探すポイントです。
例えば、
>>599、wisteria-1さん、に解答を頂いたことで、
「私が見るところの」という明確な私からみた「違い」(他者)を
発見することができました。答えて頂けて光栄です。
私が私自身である私の本質を見出す手段は、
哲学で言えば、私の考えか?そうでないか?を自問自答する事で、
他を発見する手法です。他人に問う場合は、常に一つです。
「それはあなたの考えか?確認させてもらってもよいですか?」
これ一本です。
つまるところ、私などは、私にしか興味がないのです。
このように書くと乱暴に思われる方もいるかと思いますが、
私は、宇宙かもしれませんし、私は極小の石ころ以下かもしれない。
しかも無いかもしれない。だから確認作業のみで私を知ることができ、
同時に他を発見する。こう考えて生きている訳です。
608 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/13(金) 15:29:15 0
>607
<つまるところ、私などは、私にしか興味がないのです。
このように書くと乱暴に思われる方もいるかと思いますが、
私は、宇宙かもしれませんし、私は極小の石ころ以下かもしれない。
しかも無いかもしれない。だから確認作業のみで私を知ることができ、
同時に他を発見する。こう考えて生きている訳です。>
これは、すごくいい文章ですね。
特に、(私というものは)<無いかもしれない>のワンフレーズ。
「空」を語ることで、「私」を語ろうとするレスが多い中で。
私も、もちろん、その癖からは自由ではないので。
609 :
下僕:2008/06/13(金) 16:53:43 0
誉めてもらったので、その内情を示す事で、感謝を表したいと思います。
「無いかもしれない」という、発言の主の私の実感は、
節操がない私の性分を表現しているのです。
アナーキーですし、社会性に乏しい自分がある。なんでもやってしまうルール知らず。
ルールは壊すものであるという衝動にかられ、
それでも混沌を嫌い、無理にでも秩序を作り出す個性。
実は私自身の社会性のなさに負い目を感じて生きているようなものです。
余生という感覚でしょうか。
みなさん頑張ってるのに、私は勝手、気まま。このような罪悪感からでてくる言葉
なのです。宇宙の間借りという意味で宇宙の下僕というのが私でもあります。
私は無いかもしれないって矛盾してるじゃん。
私は存在しないことによって存在する。
と、変なタイミングでつぶやいてみる。
612 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 22:14:22 0
>>611 しーちゃんも存在しないことによって存在するゼロアカ帝国
アダルトモドキの美少女しろうと縛乳アニマル放尿クレポン罪悪感タンポン間借りワギナの女神
失禁のあずまん子潮吹きパイパンのしおね開脚パンチラ内親王です。
613 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 07:08:54 0
おはよう私がゼロアカ帝国私小説家モドキの無責任な皇帝量子化された屈辱感をあたえるラブゾンビの浩紀陛下です。
614 :
素人:2008/06/14(土) 07:23:26 0
>>579 超越的視点(
>>343で言えば「第三者的視点」)を得ることが、仏教の第一歩だからです。
逆に言えば、超越的視点を得ること無しに仏教の理解はありえない、ということです。
注意していただきたいのは、
超越的視点を得たからといって、それのみで世界を(或いは自己を)見るわけではありません。
現実に生き、日常を送る生物として、或いは社会の一員として、
必要な(他の一般的)視点も併用しなければなりません。
これを欠いた時、その思想は(世界観は)(≒宗教は)、社会と仲が悪くなります。
社会の中に居場所を失くすこともありえます。頑なさが度を過ぎれば「反社会的思想」と化します。
PCに過去ログ残ってますか?
「超越的視点」についてではありませんが、
関連事項として一つ、過去レスURLを貼っておきます。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1144214403/85-86
615 :
下僕:2008/06/14(土) 09:01:10 0
>>610 はい矛盾しています。
つまり私の肉体の死の先の確証。あるいは、私の連続性の確証がいまのところ
持てないという事です。俗に言う輪廻転生を信じてはいるが、
知っていません。これから知る予定とういう事です。
ただ、個人的体験において、意識の連続性は知り始めています。
だから内情と称し、赤裸々に語ったという事です。
616 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 11:27:41 0
>>615 個人的な間男の太田ちゃんとの体験を意識しはじめた私はゼロアカ帝国
小説家モドキの不倫によく生きる皇后
爆乳生熟女アニマル排便クレポン確証タンポン輪廻アナルの女神
スカトロ好きなあずまん夫人淫乱に潮噴くさなえ陛下です。
617 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 11:39:44 0
武蔵「私とはなんだ?」
柳生「私なんて言葉に過ぎんよ」
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< オマエモナー
( ) \_____
| | |
(__)_)
620 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/14(土) 16:21:13 0
>>614 :素人:
>超越的視点を得ること無しに仏教の理解はありえない
なんか 全然違うと思うぞ・・・
超越的視点(
>>343で言えば「第三者的視点」)こそが「社会の一員」と言う執着の第一歩。
主観を超越して自己を失う事が苦の始まり。
主観の絶対性が超越を生む。
逆に主観が自然(外界)に存在を依存している(おかげさまで・・・)と言う事が判っていれば自己から外れにくい(超越しない)。
これが無自性と言う事。
だから社会、国家、家族と言った個人を超越した存在も実体が無い事が判る。
>頑なさが度を過ぎれば「反社会的思想」と化します。
全くの間違い。
反社会と言うのは、必ず社会に拘っている場合に起こる。
その究極は社会同士の反発である戦争。
例えば今回の「秋葉原事件」も社会に反発しているのが動機、根は家庭かもしれない。
全て本人が社会、家族と言った超越的存在に押しつぶされた結果。
若し彼が「私」の実体が無自性だと感じていたら、馬鹿馬鹿しくて事件は起こさない。
621 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 16:48:42 0
なんか じいさんの言うことは、全然トンチンカンだと思うぞ・・・w
「社会の一員である」とか「家族の一員である」という意識は、
第三者的視点ではなく、当事者(関わる者)としての意識だろ。
622 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 17:43:05 0
素人氏とじいさんが、全く違ったことを言っているようには思えない。
じいさんは「全くの間違い。」といいながら、同じようなことを言っているようにしか思えない。
623 :
下僕:2008/06/14(土) 21:10:10 0
素人氏は超越的視点を得た前提でかたられた発言であり、
(※実体験はお有りのようであると推測します)
一方で、じいさん氏は超越的視点をじいさん氏なりの
超越的視点で考えたという事ではないでしょうか。
この二つは、会得した人(のような)視点か、
会得とは無縁に、会得した視点を考察した視点かの違いだけでしょう。
私から見ると、双方の立場から発せられる発言としては完璧であると
思うわけです。
ただ、じいさん氏は素人氏の境地の部分は解らないようですね。
だから全くの間違いであると断定してしまっているだけです。
会得してしまえば、素人氏のいうことはもっともであり、
会得していない人に対する配慮もあると気付きます。
「哲学の基本は対話 4の章」っていうスレでも「私」の話になってるよ。
最高位氏、「私」の真実を教えてきてあげてよw
625 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 23:12:47 0
>だから社会、国家、家族と言った個人を超越した存在も実体が無い事が判る。
>全て本人が社会、家族と言った超越的存在に押しつぶされた結果。
ふふ。おじいさんったらww お茶目なんだから、もう。
626 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 23:57:01 0
客観的視点に立つならば
それは通常、『他人』になりますね
なんていう「最高位的真実」を述べたら
さぞ、スレが盛り上がることでしょうwwww
スレの流れが鈍いな・・
地震のせいか?
628 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/15(日) 00:54:22 0
>>620じいさんさん
全く逆のように思いますが。
629 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 01:07:51 0
>主観を超越して自己を失う事が苦の始まり。
なのではない。・・・と唯識氏は言いたいのでしょう。
洩れも、主観を超越したら苦は無くなると思ふ。
まあ、“主観を超越する”なんていう境地が可能かどうかは分からない。
630 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 01:26:34 0
仏教的にいえば社会は「穢土」とか「娑婆」なわけだが。
普通、主観=正覚なわけもないし、
631 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 01:44:35 0
"江戸"ならぬ"穢土"で、
なんとも生きにくい時代を送っている我々であります
632 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/15(日) 02:44:27 0
>>630 :考える名無しさん
>普通、主観=正覚なわけもないし
仰るとおりですね。しかしじいさんなりに抗弁すると。
主観を離れて自己を見失うよりはまだましと言いたい。
超越したと言って自性以上の境地(
>>629 :考える名無しさん:の言う苦の無くなる)を設定すれば、自己を見失うばかりだ。
成れの果ては自然界の究極の真理とかの亡霊に苦しむばかりだ。
633 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 02:53:33 0
“自己を見失うな”というのは、戒めとしてあるだけ。
本人は“本来の自己”を見失うまいとするが、
“本来の自己”が“思った通り”あるかどうかは分からない。
634 :
630:2008/06/15(日) 02:55:19 0
>>632 私は「超越」とか云ってませんが・・・
禅の修行プロセスにおいては「禅病」などがあるようですね
635 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/15(日) 04:31:12 0
>>633 :考える名無しさん:
>“本来の自己”が“思った通り”あるかどうかは分からない。
仰るとおりですよ。
しかしだからといって自己の外に超越した境地を求めても遠ざかるだけだと言いたいわけです。
方向が間違えている。
636 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 07:36:33 0
かわいい喜屋武ちゅーの
ビキニ姿の外に超越した巨乳の欺瞞コをレイプしちゃう私は
ファンタジーな境地にひたる欲情変態オタの東浩紀本人です。
>>615 肉体がどうとか死んだらこうとか意識が連続してるかどうかとか
私が今存在するかどうかとは関係ないじゃん。
「今現在自分が存在している」てことは間違いないわけだから
「私は存在しない」なんてことは端的に言って間違いだよ。
もちろん「私は(いわゆる物理的存在といわれるものとして)存在する」というふうに
ある種の限定を加えるとそうでない可能性もでてくるけどね。
638 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/16(月) 11:13:39 0
>>610 <私は無いかもしれないって矛盾してるじゃん。>
「私」ではなく、「無条件に<私>と置けるような<私というものは>」成り立たない「かもしれない」。
639 :
下僕:2008/06/16(月) 12:11:57 0
>>637 >「今現在自分が存在している」てことは間違いないわけだから
そうであるならば、
>「私は存在しない」なんてことは端的に言って間違いだよ。
という事になりますね。
>もちろん「私は(いわゆる物理的存在といわれるものとして)存在する」というふうに
>ある種の限定を加えるとそうでない可能性もでてくるけどね。
物理的存在を、どのように限定するかによって変わってきますが、
可能性としては無限でしょうね。
つまり私をどのように限定するか、あるいは定義しているか?によって、
様々に私を考える事は可能ですね。
別に考えるまでもなく、体験してしまってもよいのですが、それは哲学ではなく、
修業・修練ということになりますね。私は考える事とする事のバランスが大事であるという
個人的倫理観をここで暴露しています。
>>639 だから物理的存在がどうとかは全く関係ないんだよ。
「私」が物理的存在であろうが霊的存在であろうが機械が発生させるものだろうが
存在することはまちがいない。
>>640 「物理的存在」とか「霊的存在」とか「機械が発生させる」と
考えているのは「私」だね。
だから、「関係ない」とは言えないのでは・・・
642 :
下僕:2008/06/16(月) 12:26:35 0
>>635 修練の方法は様々にあると思いますが、
>自己の外に超越した境地を求めても遠ざかるだけだ
とじいさん氏は、個人的規範・修練方法の心構え的な事を示しているようですが、
自己の外にあり、かつ、遠くにあるというのが、「超越した境地」であると仮定して
語られるたお話であり、必ずしも、「超越した境地」をそのような観点で定義する
必要もないと思います。
「超越した境地」は自転車にのれない人が乗れたというだけ事例と同様の話しでしょう。
実際、超越した境地は遠ざかりもしないし、近づきもしないのではないでしょうか?
簡単に言えば、知っている事をできるようにするだけの事で、だれでもいつでも
どこでもやっている事ですから。その方法だって様々あります。
じいさん氏の方法も一つの方法でしょうが、それが間違いと思われるのは、じいさん氏や
じいさん氏と同種の考えを持つ方に限定されるだけの事ではないでしょうか。
>>641 「私」がどういうものかということと
「私」が存在するかどうかとは別問題だ。
>>643 別問題じゃなくて、「私」がどういうものかを決めるのは「私」
ということなんじゃないかな。
645 :
下僕:2008/06/16(月) 12:40:41 0
>>640 >>641 私が言いたいことは、存在することもできるし、
無に帰することもできるという可能性の話しをしているだけです。
私は、私が存在する定義は持っています。もちろん実感もあります。
しかし私の定義や実感が必ずしも私を表しているとは限らないからなぁ〜と漠然と考えるわけです。
だから人間として死ぬ事は、一つの楽しみである訳です。完全に私を実感できるのでしょうからね。
また無に帰した場合であったら、もなにもないかし、
私が実感できる側は、私が在るという側だけですからね。
どのような在り方であるか?を語るならば、未知成る在り方として「在って無い在り方」(言語表現不可)
のようなものもあってもよい。
>>644 「私」がどういうものかを決めるのがないかということも
「私」が存在するかどうかとは別問題だ。
>>645 >私が言いたいことは、存在することもできるし、
>無に帰することもできるという可能性の話しをしているだけです。
「私は無いかもしれない」というところからずいぶん離れたねw
それなら「無に帰することが可能性をもち、存在することもできる『私』」は
存在するってことでいいよね。
648 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 13:16:21 0
「私」が話者である個人を指示する語であるなら、
その個人が存在しないことももちろん可能だろうから、
当然、「私が存在しないことは可能だ」は真だろう。
私の両親が出会わなかった可能性とか、
何らかの理由で私がすでに死んでいる可能性を考えればいい。
650 :
下僕:2008/06/16(月) 13:21:03 0
>>648 >何らかの理由で私がすでに死んでいる可能性を考えればいい。
この考え方は面白いね。
というのも、私は既に死んでいる。しかし私は存在する。
ならば、ここはどこだ?とか、
ここじゃないなら、ここ以外のここもあるのか?とかね。
いずれにしても可能性が広がりすぎるね。
だから、死んでからのお楽しみであろうと考える一方。
あらゆる可能性は実現するという仮定をこしらえるならば、
総てが可能だという論もなりたってもはや哲学ではなくなるね。
651 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 13:22:04 0
>>649 このスレの文脈を無視した独り言だ。ごめん。w
652 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 13:25:28 0
「私」という言葉の意味は「私」だけで決められない。
言葉は社会的な事柄だからその意味も社会が決める。
その言葉の代表的な意味を記述したものが辞書だろう。
言葉は何らかの存在を示すための手段だから言葉が
存在することはそれに対応する何かが存在することだ。
ただその存在の有り方にいろいろあるだけ。
「幽霊の正体みたり枯れ尾花」ということもある。
「私」の存在のありようが問題だ。
653 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 13:26:43 0
>>650 誤解があるようだ。
>>648で言ったのは、
現実にはいまここに存在し考えている個人が、
すでに死んで存在しておらず、
したがって何かを考えるということもない
という可能性の話。
654 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 13:39:55 0
思うに、「私」の存在を確認するというとき、
ただ一人でものを考えているだけでできる確認と、
身体を伴って存在している自分を認識することでなされる確認、
他者が私の存在を認識していることを知ることで初めて可能になる確認 、
さらには、私を特定の個人として認識していることを知ることで初めて可能になる確認
がある。
それらが異なる「私」の存在の確認なのか、
それとも同一の存在の異なる確認の仕方なのかは哲学的議論になるだろう。
私は後者の立場を取るが。
>>654 それ「私」と「私の体」と「客観的(社会的)私」などがごちゃまぜになってるから
厳密じゃないね。
656 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 13:56:00 0
>>655 「私」と「私の体」と「客観的(社会的)な私」が別の存在である
とは考えず、同一の存在の異なる認識のされ方と考えるべきだと
主張しているわけなんだが。これは厳密であるとか厳密でないとか
の問題ではないよ。
657 :
下僕:2008/06/16(月) 14:13:14 0
>>653 >死んで存在しておらず、
>したがって何かを考えるということもない
>という可能性の話。
死んだら、便宜上「無」という場合の限定条件を創作した上での話しという事ですね。
私の場合は死んだら私は存在しないという確証に至っていない者ですから、
つい、そちらの限定条件を想像しえませんでした。
でも、上のように言っていただいた事により、そちらの条件の理解に至りました。
>>656 おれは「社会的なありかた」と不可分ではないよ。
会社をやめてもおれはおれだ。他人がおれのことをどう思おうと
おれがおれでなくなるわけじゃない。
腕が一本なくなったところでおれでなくなるわけでもないから
「私の体」や「社会的な私」と「私」は厳密には一致しない。
ということはその見解に普遍性はないことになるな。
659 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 14:21:31 0
>>658 そんな簡単に否定できるような話じゃないよ。
会社を辞めることで存在しなくなる「社会的な存在としての私」を
「私が私でなくなるわけではない」の「私」と別の存在として考えるか、
それとも同一の「私」が「○○会社の社員」という属性を失っただけと
考えるかの問題なんだから、どちらの考え方もできるんだよ。
660 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 14:24:14 0
>>658 逆に、あなたの考え方じゃ、
「私の考えが変わっても、私が私でなくなるわけではないから、
『私』と『考える私』は別の存在だ」という
馬鹿げた主張をせざるを得なくなるんじゃないかい?
>>659 なんか問題を複雑化することが目的になっているようだな。
転職することで私が存在しなくなることがなければ
「私」はそういった社会的なものに依存しない存在だと考えることができる。
でいいじゃん。実際そうなんだし。
>>660 そりゃちがうだろw
「『私』と『考える私』は別の存在だ」ではなくて
「『私』と『私の考え』は別の存在だ」というごくあたりまえな話だよ。
662 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 15:18:00 0
>>661 「私」と『私の身体」と「私の社会的存在」は別のものだと主張することで
問題を複雑化しているのはあなたの方だよ。
私は、「私」は一つで、それがある社会的な属性や身体的な属性を
持ったり持たなかったりすると考えるのでいいだろ、と言ってるわけなんだが、
通じてないのかな?
>>662 通じてなかったね。
>>654がそういった主張であるとはわからなかったよ。
そういったことなら同意するよ。
664 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 15:30:00 0
哲学でよく意見が分かれるのは、
「(考える主体としての)私」と「私の身体」なんだよね。
665 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 15:31:36 0
意見が分かれるって言うのは、その二つを
同一の存在の二側面と見るか、
二つの異なる存在と考えるか、だけど。
666 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/16(月) 15:47:15 0
>>664 <哲学でよく意見が分かれるのは、「(考える主体としての)私」と「私の身体」なんだよね。>
>>665 <意見が分かれるって言うのは、その二つを同一の存在の二側面と見るか、二つの異なる存在と考えるか、だけど。>
認識する対象として、「一度、自分の外に置く」という操作のありよう、且つ、もう少し言うと、それら両者ともに「対象として措定された事象」としてみる視点からは、それらは同一のものです。
そこに、<私の身体>と置いても、<私という主体性> と置いてみても、それらを、それ自体として存立できるもの、としては置けないことだけは確か。
おれの体は「おれの家」と同じような意味で「おれの体」なのであって
おれの体そのものがおれであるわけではないよ。
668 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/16(月) 15:54:59 0
>667
まあ、そんなふうです。
670 :
下僕:2008/06/16(月) 16:09:45 0
私を観察する私を観察する私を観察する私を観察…というように、
どんどん私はどこかに無限に入って行って、あっ、ここに居たことがある!
という「ここ」の存在を私は認めており、私のと私でないものが解け合う「ここ」の
感覚が在るかないか?と尋ねられれば、「在る」と私は答えますね。
つまり一般的に言う、ここは、総てを分かり合う事は不可能です。
今、私が思っている事と同じ事を相手が思っているとは限らない。
しかし共感という概念が消滅するような「ここ」が在れば、
私が考えた事か私でないものが考えた事か区別は消滅します。
よって共感する能力の増大により、私の感ずる「ここ」の感覚は
増大するという事は言えるのではないでしょうか。
俗に言う、テレパシーなどは共感能力ですし、これは動物でも普通に行われている。
だからといって、個としての私が消滅するわけでもない。
身体が二つありながら、自他も同時に存在できうる状態は在ると仮説することも可能では
ないでしょうか。但しこの観察方法や考察方法は現在の主流ではありませんが…。
>私を観察する私を観察する私を観察する私を観察…というように、
>どんどん私はどこかに無限に入って行って、
ときどきそういうこと言う人いるけど
まったくわからないんだよな。それ。
672 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 16:22:39 0
「私」と「私の体」は別のものだと言っている人は、
三人称にして「その人」と「その人の体」も別のものだと思う?
それとも、「私」に関してだけ別?
673 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 16:24:53 0
>>671 観察している者と観察対象は別のものでなければならない
ということを前提にするかしないかの違いだと思う。
別のものでなければならないと考えると、無限退行に陥りがち。
675 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 16:35:56 0
>>674 自分以外に関しては、その人=その人の体が存在するだけで、
「私」についてだけ、私の体とは別の「私」が存在するいうこと?
いわゆる独我論ってやつだね?
>>673 なるほど、そういう誤解が根底にあるわけね。
>>675 >自分以外に関しては、その人=その人の体が存在するだけで、
ちょっとちがう。
自分以外に関しては、その人=その人の体かどうかはわからない。
これを独我論というならそうだけど、懐疑主義ということもできる。
678 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 16:53:24 0
死体と思われるものが転がっている。
おや?同僚の鈴木さんだ!
ここに、鈴木さんの身体はある。
さて、鈴木さんの「私」はそこにあるか、ないか。
679 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 16:58:40 0
>>677 自分以外の人間に心があるかどうかは知りえないという、
他我に関する不可知論だから、独我論の一種と言っていいだろう。
話を戻すが、「私」の身体が特定の場所にあるときには、
「私」もそこにいるのかい? それとも身体と区別される「私」は
世界の中の特定の場所に位置づけられることはないのかな?
>>679 独我論の場合、世界とは「私」への現れだから
世界の中の特定の場所という考え方とは相いれない。
681 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 17:09:40 0
>>680 そう考えるなら、
世界の中にある複数の身体のうち、
ある身体が殴られたときだけ「私」が痛みを感じるのは、
不思議ではないかい?
>>681 そうだとしてもある身体が「私」となんらかの関係がある
ということしかいえないと思うのだが。
その事実から、その身体=私だと結論づけるにはおおきな飛躍が必要だ。
683 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 17:22:35 0
>>681 じゃあ、脳に痛覚がないのも不思議なわけだな。
684 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 17:26:07 0
>>682 飛躍といえば飛躍かもしれないが、一つの理解可能な説明ではある。
逆に、身体と私が別のものであると結論付ける根拠はあるかい?
685 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 17:27:17 0
>>683 指先で味を感じないとか、髪の毛を切られても痛くないとかと
同じ程度の不思議さしか感じないが?
686 :
下僕:2008/06/16(月) 17:32:43 0
私は創造主であると断定する事もできる。
私が作った人工知能である過去の経験にもとづく記憶自体が
私の創作した人工知能であるからである。
私の人工知能に「私とは誰だ?」と尋ねたら、「私の創造主」と
答えるのである。
つまり私という人工知能の創造主は何者か?といえば、
この場合、常に選択者である。介入者でもあるが、
人工知能にまかせっきりでも一応、体は動く。
過去の記憶に基づいた行動をかってに選択して実行するからである。
このように、体は自動運転で過去の記憶に基づき、プログラムどおりに動く、
そして人工知能はこれまたプログラムどおりの反応をする。
しかし私は時々、プログラムを書き換える為にプログラムとは
別の選択をする。つまりプログラムに介入する。
するとプログラムは新しい情報をもとに、違う記憶を蓄積するため、
体も違う動作をするようになる。
私が感ずるリアリティーはプログラムによって見せられてしまう。
時々、介入しないと退屈である。介入したくなる信号は、感情であるが、
つまるところ、快不快である。しかし介入プログラムすらも書き換える事が
私の凄い所だ。これが感情に左右されない選択という行為だ。つまり創造である。
687 :
下僕:2008/06/16(月) 17:47:00 0
他人と言われるものは、
私の創作した人工知能ではない、べつの私が創作した人工知能に
したがってうごくマシンである。
私たちはテレパシーでの信号で相手との交流を図る事ができるが、
人工知能どうしにはできないから言語や音波をもちいて交流させる。
人工知能が破壊されると私たちは空間に拡散する。
一旦拡散するが、人工知能を創作する癖がぬけない私たちは、
観点を創作する事を選択し、仮の身体を創造する。俗にいう幽霊である。
別の選択もある。私たちは創造主であるからどのような場所にも、
どのような私にもつまり何者にもなれ、何者をも創作でき、
何者とも個別化する事ができ、かつ同一空間を設定する創造を選択する事も可能になる。
つまり無限なる私は創造主であったという事である。さらに、それが今かもしれないが、
今でないかも選択できる。
といった仮説であるがありえる話し。
688 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 17:50:01 O
シュレーディンガーの猫だね。
689 :
下僕:2008/06/16(月) 17:57:19 0
さらにだ、選択した事を消却する選択をして、
いつ思い出すか?
このような創造的選択も可能である。
人は時系列のふしぶしに、みずからこしらえたヒントをおいて置くことを
選択するのも今、の流行だ。
さらに、このような選択をする癖のある私たちは、ここに集まっている。
こんにちわ、みなさん!ようこそ。ではさようなら。
>>684 身体はおれとは関係なく動くことがあるからな。
691 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 19:33:55 0
うだうだ言ってるけど結局私が何であるかなんて説明できねーんだろ?
そもそも言うものは知らず知るものは言わずって格言があるくらいだしな。
こんなとこでぺらぺら言ってる時点でおまえらは何もしらないってこったな( ^ω^)
692 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/16(月) 19:47:00 0
>691
もとより、「私自身」、「私という存在性」、「私の身体と、そして私の認識主体」など、有るとも、無いともいえてしまうアンチノミーに陥る命題ですからね。
それでも、私の在り処を追及するというヒトの性(さが)には抗えないのも、また、ヒトが負っている「事実」です。
そこまで承知の上で、「言うものは知らず知るものは言わずって」いう格言(聞いたことないですが)を持ち出しているのであれば、「あなたの知っていること」を述べるくらいの労はとっていただきあちものです。
693 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 20:00:16 0
\_____ ______/
\| { | l | ト H |‐ ' / / | | .|
,-――--- 、ヽハlハリハ_lヽハ、|--/,-、 /| | |
/ ,-、彡 _____ ̄).iテ 'i〒-, 彳く-,.)/ | | |
/´/ / }-- 彡.´`,ノ ` リ、_,.-'/| .| | | 佳子ちゃん
/ // l | / 彡 ヽ, / ` / | | | |
/ / l / / 彳 ,.= ハ‐- 〃| | | そのような発言は慎みなさい。。
/ / 〃/ l ,イl ヽ_,. -‐く L|、| | |
/ // イ/ / l 、ヽ _/ゝ / \l_|
/ レ| / i! 〃 l "" i´ _/l l|/ /-‐彡二
/ | l ヽ/ l ン , イ | | l/‐---/三彡二 --
/ | | ヽ l r--‐ / |l | |//`)/彡ニ-'_,. -‐ ´
〃l| l | ヽ_/ イ// / | | | ヽ'// -‐'´/
694 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 00:41:14 0
ここ数日、深夜組が出現しないな。
みんな揃って忙しいのか?w
695 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 01:08:07 0
それとも、
俺が知覚認識できていないだけで、(俺の世界に現れていないだけで)、
実際は、大勢による膨大な書き込みがなされているのだろうか。
俺が確認できるのは俺の世界だけ。
俺の世界の外で、皆がレスをし合って楽しんでいるかと思うと少々悔しいw
誰か、俺の世界のこのスレにも書き込んでくれw
696 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/17(火) 01:13:58 0
>>642 :下僕:
>自己の外にあり、かつ、遠くにあるというのが、「超越した境地」であると仮定して語られるたお話であり
違いますよ、よく読んでね。
>>614 :素人:
>超越的視点(
>>343で言えば「第三者的視点」)を得ることが
>超越的視点を得た・・・或いは社会の一員として、必要な(他の一般的)視点も併用しなければなりません。
>これを欠いた時、その思想は(世界観は)(≒宗教は)、社会と仲が悪くなります。
>社会の中に居場所を失くすこともありえます。
>頑なさが度を過ぎれば「反社会的思想」と化します。
以上の様な超越的視点を批判してます。
697 :
下僕:2008/06/17(火) 09:23:36 0
>>696 じいさん氏が素人氏の考えを批判した文面を拝見しますと、
おのずと、批判しているじいさん氏の観点・視点が明らかになる。
その観点・視点は、
>>642で私が述べた考えが根底になければ、
批判すらできない。ただそれだけの事です。
じいさん氏が違うといえば、そりゃ違うでしょう。
ご自身の観点・視点を述べず、ただ批判しているのですから。
批判は、別の側面からの見え方に過ぎないのですから、
観点・視点を述べずに批判する事は、単なる倫理感の相違という感想に
すぎないという事になります。
但し、ご自身の観点・視点をご自身が無自覚であるというならば別ですが…。
698 :
下僕:2008/06/17(火) 09:39:54 0
「違い」に関してちょっと発言しておきます。別にじいさん氏に言っている
のではありません。
じいさん氏はたびたび、他者の発言に対し、「違う」と言うと考えるようですが、
違いは、視点が違うだけであって、なにも正誤という意味での「違う」という
言葉の使い方は、論理の世界においては存在しえないと私は思いますよ。
また違うのは当然なのですから、当然の事を「違う」とおっしゃられても。
すこしまともに考えれば「その通りです」ということになります。
単に立場が違うだけです、しかし、じいさん氏はどうも本気?で、
正誤が在るとお思いなのでしょうか?
それとも、ご自身のお考えと違うということでしょうか?
この問題は、じいさん氏の、私自身に触れる問題ですから、
なかなか答え辛いとは思いますから、私は回答は要求も期待もしませんが、
私から見た、じいさん氏の私の観察記録としての発言に止めたいと思います。
>>695 いや、俺にも膨大な書き込みなどは見えないから、大丈夫だw
…というような書き込みは、はたして、何かの足しになるであろうか。
>>698 >単に立場が違うだけです、しかし、じいさん氏はどうも本気?で、
>正誤が在るとお思いなのでしょうか?
全てを立場の違いに還元しちゃうのは暴論だなww
それでは議論なんてそもそも成り立たない。
「立場の違い」と「正誤」の二者択一ではないだろ。
701 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 11:02:15 0
>>699 重要だろw
俺の知覚認識している世界と、君の知覚認識している世界とが、
どうやら「同じものらしい」「同じ状態にあるらしい」ことが推測されるからだ。
俺の勝手な価値観で「書き込みの少ないスレ」と認識しているのではないらしいことが推測されるからだ。
その「書き込みの少ないという状態」は、俺が勝手に分節したものでなく、
俺の価値観・主観とは別に「そういう状態として」ありそうだからだ。
>>701 >その「書き込みの少ないという状態」は、俺が勝手に分節したものでなく、
>俺の価値観・主観とは別に「そういう状態として」ありそうだからだ。
「共同幻想」というやつだねw
>>699の書き込みだって「俺の知覚認識している世界」の一部に
過ぎないのに、なぜその背後に「俺以外の知覚認識している世界」が
あるなどとわかるのだ?
704 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 11:09:36 0
>>702 その共同幻想で、鉄の塊を海に浮かべ、人工衛星を打ち上げてしまうんだから、
人間ってすげぇよな・・・w
705 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 11:16:36 0
だれか下僕に突っ込めよ。
彼のおしゃべりを要約、解説してくれてもいい。
お頼み申しあげます。
>>704 「21世紀」前後の「地球」に自分を「人間」と思い込んでいる「動物」がいて
その一部の「素朴」な種類の動物が「人工衛星はすげぇ」と思っているらしい
ということかな。
707 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 11:23:09 0
>>702 いや、まだ共同…まではいっていない。
相互主観の段階。あと同意者が三人は欲しい。w
708 :
下僕:2008/06/17(火) 11:23:28 0
>>700 はい、私は、議論は成り立たないと言っているのです。
議論したい場合、ルールが必要であるという事であり、
そのルールとは、
> 「立場の違い」と「正誤」の二者択一ではないだろ。
と決める事もその一つです。
709 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 11:23:48 0
>>703 いや、わからんけどw
だから、「らしい」「ようだ」という謙虚な言い方にしたのだが・・w
君の言う通り、俺の知覚認識するもの全てが、
水槽にぷかぷか浮かぶたんぱく質の塊が見る夢である可能性を誰も否定できない。
俺がとうに死んでいて、霊魂として漂っていることを誰も否定できない。
俺が、知覚認識する情報を総合し、そのように自身の在り方を実感する時、
それを否定することは誰にもできない。
俺が、世界を作っているんだ。俺の世界だ。世界は俺の思うがままだ。
全ては俺の価値観の前にひれ伏すのだ。俺が全てだ。俺が世界の中心だ。
誰にも文句は言わせない。誰にも俺の邪魔はさせない。
さあ、諸君、俺のためにその身を捧げろ。
君達の進退・生死なぞ、俺の一存で(価値観で)どうとでもなるのだから。
710 :
下僕:2008/06/17(火) 11:29:43 0
>>705 ここで今一度、私を定義しましょう!
私は無限である。
無限の創造主である私は完璧である。
だから矛盾がそもそも無いのである。
それは不思議なのである。
>>708 ルールが決まらなければ議論が始められないのなら、
たいていの場合は議論は始まらないことになりますね。
ルールというのは議論の中で決まってくるものだと思うけど?
712 :
下僕:2008/06/17(火) 11:39:27 0
>>711 >ルールというのは議論の中で決まってくるものだと思うけど?
そうですね。ではルールを決めますか?
ルールなんて常識の範囲内で十分。
ローカルルールなんていらない。
>>714 そうだよ。
それぞれが共同幻想の中に生きてるんだよ。
716 :
下僕:2008/06/17(火) 11:45:56 0
>>713 常識の範囲内とは、ずいぶん漠然としすぎやしませんか?
つまり常識の範囲という思い込みを持っている人しか
そのゲームに参加できない。
>>716 そうだね。
自演して誰かを攻撃するのが卑怯だと思わない人は参加してほしくないね。
718 :
下僕:2008/06/17(火) 11:56:06 0
>>717 >自演して誰かを攻撃するのが卑怯だと思わない人は参加してほしくないね。
個人の倫理感を表明しているのですね。
私は攻撃というものはできっこないという事を知っているので、
あまり問題にしません。自演して誰かを攻撃する。この行為は一種の表現ではないでしょうか?
だだし、攻撃されたと思った場合は、やっぱりその人にとっては攻撃されたという
事実が構築されることも、認めています。
>>718 >自演して誰かを攻撃する。この行為は一種の表現ではないでしょうか?
一種の表現だから、なんなんですか?
してもいいと?ww
720 :
下僕:2008/06/17(火) 12:10:37 0
>>719 してもよいか?と私に尋ねるならば、私は、お好きにどうぞ!と言います。
>>709 本気でそう思うのなら、君の一存で俺の生死をなんとかしてみるがいい。
…とか言って、ほんとに殺しに来られると困るなw
722 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 12:39:35 0
>>711 >ルールというのは議論の中で決まってくるものだと思うけど?
議論のルールは議論を始める前から設定されているのが常識だろ。
全てのゲームにおいてゲーム中のルールの変更は認められないだろ。
インドの六派哲学では派別に議論のルールが違っていたが議論する
ときは相手のルールに従うことが必要だった。自分の土俵で議論
することは許されなかった。
723 :
下僕:2008/06/17(火) 12:46:36 0
>>722 なるほど、興味深い話しですね。
自分の土俵で議論するならば、自問自答すればよいだけの話しだものね。
724 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/17(火) 12:52:28 0
>>723 自問自答が無いと綱領/ドグマの空読みになってしまうから、他者との会話も成立しないですよ。
725 :
下僕:2008/06/17(火) 13:15:16 0
自問自答で思い出しましたが、私は、言語による自問自答はしていなかもしれない…。
あるとき、必要なくなって止めました。
726 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/17(火) 13:19:35 0
>725
とりあえず現時点では、ヒトは言語以外での自問自答も対話も反省も自白も詰問も、何もできないですよ。
雄たけびさえ上げられない。
727 :
下僕:2008/06/17(火) 14:25:12 0
>>726 そうでしょうかねぇ〜。その発言に対して私は沈黙しますが…。
728 :
362:2008/06/17(火) 14:43:07 0
仏教徒の諸君、
>>726 に賛成なの? 俺は概ね同意だけど。ww
「概ね」との言い方が憎いでしょう?w
あっちのスレで、よく知りもしないマルクスを云々して疲れました。
729 :
下僕:2008/06/17(火) 15:11:53 0
>>728 ヒトについての話しでしょうから、賛成かと言われれば、賛成ですね。
私はどうか?と言われれば、wisteria-1氏の言う「ヒト」に属していませんね。
730 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 17:04:34 0
仏教者のしていることは、経典の解釈であって、
仏典正当化のみを目的とした解釈学に、終始しているだけなのだ。
ここに彼らの知的欺瞞があるんだ。
仏説を絶対的真理として前提として、都合のいい部分だけ牽強付会する論点先取。
ドグマの絶対化を前提として、循環論証による誤謬推理に過ぎません。
731 :
下僕:2008/06/17(火) 17:30:24 0
「私」と思っている私ほど馬鹿なものはない。
だから「私」を語る事は、馬鹿さ加減を表すから、
何かの陰に隠れて、「私」を誤魔化すわけである。
732 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 17:43:04 0
>>731 >「私」と思っている私ほど馬鹿なものはない。
「私」と思っている私が『私』なんだろ。
その辺を理解してる?
733 :
下僕:2008/06/17(火) 17:45:01 0
私は敬虔な馬鹿であるから、人々の中に常に馬鹿を観るのである。
その馬鹿さ加減さかげんに、馬鹿の悲しみを感じずにはいられないのである。
虐げられてきた馬鹿、奴隷になった馬鹿、主義概念に洗脳された馬鹿。
キレると顕れる馬鹿。寝言に出てくる馬鹿。常に馬鹿を押さえつけている馬鹿。
私は馬鹿の世界に暮らしている。
ただ呆然と馬鹿でいる馬鹿と出会うととても心地よいものだ。
734 :
下僕:2008/06/17(火) 17:58:02 0
>>732 >「私」と思っている私が『私』なんだろ。
はい、それを利口であろう、あなたに、馬鹿な私は言うのです。
私は利口になろうとするのではなく、馬鹿を認める立場なのです。
利口への救済処置はありがたいとは、とうてい思えない馬鹿の殉教者なのです。
735 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 18:04:15 0
>>734 『私』は、利口でも馬鹿でもない、純粋な「存在性」なわけだが・・・w
736 :
下僕:2008/06/17(火) 18:07:02 0
>>735 > 『私』は、利口でも馬鹿でもない、純粋な「存在性」なわけだが・・・w
つまり あなたの考えとしての『私』は、純粋な「存在性」とお考えなのですね。
なるほど…。存在とせず、存在性とする所に知性を感じますね。
たまに「いなくなってしまいたい」と思うことがあるな。
失敗とかすると。
738 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/17(火) 18:29:31 0
>737
<たまに「いなくなってしまいたい」と思うことがあるな。>
たまに、であれば充分に至福者ですよ。
どっちかっていうと存在性とぼかすところに知性を感じないな。
740 :
下僕:2008/06/17(火) 21:29:54 0
「私」とは「馬鹿である」ことが幸福であろうと考える事も
可能である。なぜならば、馬鹿は利口を超越している。
例えば、
>>737氏が馬鹿ならば、
「いなくなってしまいたい」とは思わない。
いつも居ないのだから居ることが嬉しいからへらへらする。
しかも馬鹿は利口から見れば、失敗の中に生きているから成功しか無い。
馬鹿は、馬鹿と言われることが嬉しい。
利口は馬鹿と言われると、馬鹿にするな!と怒るが、
馬鹿は馬鹿と言われて本当だと思うし、利口だと言われても
嬉しい。
馬鹿は利口を馬鹿にしないが、利口は馬鹿を馬鹿にする。
さらに利口と利口は馬鹿にしあうケースがよくある。
するとまた一人馬鹿が増える。
利口は馬鹿を利口にしてやろうとするが、馬鹿は
利口に対して馬鹿にしてやろうなどというお節介は焼かない。
馬鹿は利口な事など考えも及ばない。
馬鹿は馬鹿のままで満足するが、利口は利口になっても満足しない。
馬鹿は自由であるが、利口は不自由である。
馬鹿と馬鹿は結構通じ合えるが、利口は馬鹿を理解できない。
利口って馬鹿からみれば、馬鹿より馬鹿だと思う。
こんな馬鹿は果たして馬鹿であろうか?
741 :
下僕:2008/06/17(火) 21:54:31 0
馬鹿の世界から利口を見て、利口を馬鹿にしよう!
利口は馬鹿だから比較する事が好きだ。
利口は馬鹿だから勉強する。馬鹿は勉強するまでもなく、利口なのである。
利口は馬鹿だから簡単な事を難しく考えて、
訳がわからなくなり矛盾をつくっては矛盾を嫌がるが、
それって利口だから馬鹿な矛盾ができるだけである。
馬鹿は勉強しなくては何も出来ないと思う。
馬鹿はなんでもできてしまう。馬鹿の凄いところは
利口には出来ないことが出来ることである。つまり有能である。
さらに、利口どおしが競争しても一人しか勝てない。
馬鹿は利口だから競争しなくても一人勝ちであるから常に勝つ。
利口は馬鹿げた理想を拝んでいるが、馬鹿は利口な理想と既に
一つになっている。利口は馬鹿だからそれを理解できない。
利口は疑う馬鹿な真似をする。馬鹿は疑わないから成功する。
利口は騙される。馬鹿は騙された実感すらないから絶対に騙されず、
騙して取られるものすらもっていない。つまり満たされている。
利口は不足が大好きで欲求不満や成長などと馬鹿げきった事を言う。
馬鹿は生きれば良し。馬鹿な事は考えないのである。
このロジックはどっかで見たことあるな
743 :
害障性一同裏表:2008/06/17(火) 22:39:24 0
汝馬鹿自身を知れ
馬鹿とか利口とかどうでもいいから
よそでやってくれ。
745 :
加藤:2008/06/18(水) 09:14:12 0
ツナギがない。やめろってか
746 :
短 ◆TANPanX3xc :2008/06/18(水) 10:26:16 0
わかった。
辞めてやるさ、、、どうせリストラ組だよ。
・・・なんか、色々むかついてくる。なんだ?おぃ、なに見てんだよ!!!
ゴラァ!!!!!
チッ、
殺したろか、ボケが!
魔王「ちょwwwwやめて、お願い。」
なんでだよ!!!!!んあぁああ?
魔王「おまえは、つおい。認めた。だから・・・」
ふん。どうせ社交辞令で、舌の根も乾かぬうちに手のひらを返す。
魔王「・・・。(バレてるな。)」
747 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 10:30:49 0
さて、出発の時間です。
748 :
短 ◆TANPanX3xc :2008/06/18(水) 10:32:31 0
・・・。妄想と現実の境界線は極めて希薄で、
どちらがどうか。あまりはっきり出来ないのかもしれないが、
でも、やっちまっちゃ、裁かれる。
>>745 残念だが、悔い改める時間だけは在るが、
君の極刑だけは、免れられないと思う。。。
誰かが、英雄だとか言っているらしいが、そういう奴も一緒にシネ。
カッタルイんだ・・・
749 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 10:38:18 0
向かう。
750 :
短 ◆TANPanX3xc :2008/06/18(水) 10:40:03 0
「死」だけを言えば、
割腹自殺の三島由紀夫
入水自殺の太宰治
・・・。どちらも、くだらん。
実にくだらんチキン野郎だ。
751 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 10:42:39 0
いつもの店員、いい人を演じる事にはなれている。
752 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 10:48:32 0
電車乗る。足を踏まれた。死ねってか。
753 :
短 ◆TANPanX3xc :2008/06/18(水) 10:54:45 0
酔っ払い、どれだけ酔っても、それ。現実なのでw
754 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 11:13:06 0
着いた。入る。
755 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 11:27:26 0
夢…ワイドショー独占
終わった。
756 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 11:37:35 0
切れた…。痔だってか。
757 :
素人:2008/06/18(水) 12:08:26 0
758 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 14:09:16 0
ウザイ
チラシの裏にメモっとけ
759 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 14:21:32 0
チラシの裏にメモることがウザイでしょうが。
>>757 いいかげん自分の考えくらい自分でまとめろよ。
761 :
下僕:2008/06/18(水) 14:40:04 0
本日は、馬鹿が蔓延してますね。大変良い傾向です。
762 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 14:42:20 0
ヒトも生物だから、世界を敵と味方の二分法で分ける。
そこまでは、どの動物も同じ。さらに人間は「究極」を求める。
究極の味方が「私」という仮構された無限遠点。
誰が仮構したかというと人間という生物全体(意識体?)が仮構した。
ゲボクは馬鹿だの利口だの哲学と関係ないこといいつづけるなら
出ていってくれ。
764 :
下僕:2008/06/18(水) 15:06:40 0
>>763 おっしゃるとおり、
馴染めない人の事も尊重しなくてはなりませんね。
やはり普通が好まれますので、できるだけ好感にも配慮し、
視聴者各位にも精神的ショックは極力微細する配慮を心がけようと思います。
多少のほころびが出てしまう場合は、やむを得ないと、予めご了承ください。
**********始末書******************
みなさんには、多大なるご迷惑をおかけした事、
心からお詫び申し上げます。
以上
*******************************
766 :
下僕:2008/06/18(水) 16:18:18 0
>>765 あなたの哲学に対する必要条件ですね。お話ください。
私の哲学に対する必要条件は特にありません。
>>766 なんだそんなこともしらないのか。
じゃあ話にならないな。
768 :
下僕:2008/06/18(水) 16:29:15 0
769 :
下僕:2008/06/18(水) 17:42:52 0
私の属性は、「自分さえよければ他はどうなってもよい。」です。
これは完全に私の範囲を網羅して出された最終決定論です。
みなさんもそうであると断定します。
>>769 でも、周りに人がいないと寂しいぞ。そういうことではないのかな。
771 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 17:59:05 0
とりあえず、物議を醸し出しそうな題材から「私」を考えるために、
途中の私の発言は差し控え差していただきます。
今、旬の話しといえば、秋葉原の加藤君ですね。
彼も、「私」であり、「自分さえよければ他はどうなってもよい。」行為を行った。
「私」の真理の一部を形成していると私は断定する。
772 :
下僕:2008/06/18(水) 18:00:27 0
ご注意。
論客者は、個人の倫理観の閲脱に負けないこと。
>772
閲脱ってどう読むの?
人が利己的だなんて今更だろ。それがどうかしたのか
なんでこう哲学をすこしもかじったことのないやつらしか
わいてこないんだろうな。
776 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 21:27:15 0
>775
日本語でok
777 :
下僕:2008/06/18(水) 21:31:10 0
>>774 確かに今更でしょうね。
ではなぜ、
>>775 のような発言がみられるのでしょうね。
利己的ならば、他人に疑問すらもちません、
もつ理由として考える事も哲学のうちですね。
今更な事である原点に近い部分をおろそかにして大きな事を語る哲学ならば、
それは流行哲学として学校などではは成立するでしょうが、
私はそういうものを哲学とはいいません。流行・勉強と片づけます。
他人がそれをすることは、別に好きにすればよいと思いますよ。
私はしないだけです。
>>777 よく分からんが、人は利己的だってことでいいんじゃないのか?
それともなんか利己的じゃない部分があるって言いたかったのか?
最終決定論とやらはどこいった。下僕意味わからないよ下僕。
779 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/19(木) 07:24:50 0
ちょっと本屋で、仏教の本を立ち読みして考えてみたけど
要するに
『色即是空』『空即是色』は
『我即是空』でも『我即是色』でもないんだよな
それが、キミらの勘違い
全然、意味が違うんだよ
解釈を間違えているんだよな
『色即是空』というのは単に
「物質的なモノに執着するな」 という方便にすぎないわけだ
それをキミらは何か、大そうな真理を語っていると勘違いしちゃってるわけだな
前時代的な解釈に惑わされている というべきだろね(苦笑
780 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 07:28:20 0
>>779 >『我即是色』でもないんだよな
意味不明。
我即是色でもないんだよなってどういう意味?
781 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/19(木) 07:37:08 0
782 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 07:47:27 0
>>779 五蘊皆空だから我即是空でいいじゃないか。
色即是空は五蘊皆空を省略した言い方だ。
783 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 07:48:20 0
>>779 滅茶苦茶だな。
最高位は空の意味も知らないし空の働きもしらないし
空そのものも知らないんだから、空の意味も分かるはずがない。
お前は何も分かってないのだから、偉そうに語るなよw
最高位は永井均も立ち読みで数ページしか読んでないし・・・
つぎはぎ男のフランケンシュタインだな。
785 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/19(木) 08:16:51 0
>>782 だから、それは方便なんだって
『色即是我』というのは、単なる素朴実在論だよ
>>783 それじゃ反論になってないだろ(苦笑
じゃぁさ
私の知らない空について解説よろしく
>>784 はぁ?
私は永井均は、立ち読みすらした事がないが?(爆笑
色即是空だからこそ物質的なものに執着するなってことなんじゃないの。
色即是空が物質的なものに執着するなって意味じゃないのでは。
787 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 09:05:22 0
>>785 >『色即是我』というのは、単なる素朴実在論だよ
色即是空から色即是我は導かれない。
我即是色が素朴実在論に属する唯物論だね。
我は五蘊すなわち色受想行識の集合体と考えるのが
仏教の我だね。心身一体の我だね。
788 :
下僕:2008/06/19(木) 09:11:15 0
『色即是空』『空即是色』と『我即是空』『我即是色』
「観察されているもの」と「観察するもの」その両方は変化し続ける。
今何が起こっているか?今何が起こっているか?今何が起こっているか?が
瞬間の断片であって、その連続に在るのが「不思議」である。
しかし「不思議」は私でもなく、不思議は概念でもなく、それを
なんと呼ぼうが、呼んだ時点で、それは、呼んだ人によって決定されている。
それが今、私たちが認知している宇宙である。
と、まあこう考えている私の過去を記しました。
789 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 09:29:40 0
仏教の「諸法無我」と最高位の「唯一絶対の我」とは違うんじゃないの?
790 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/19(木) 09:40:25 0
>>786 物質的なものに執着するな という事を言いたくて
色即是空 という方便を用いてるんだよ
色に対する認識を、その認識主体である我々に説いているのであってね
認識主体である「私や、お前らも空である」と言っているのではない
全然、別の次元の話なんだよな
その辺を分別しなきゃ本末転倒だ
>>787 >色即是空から色即是我は導かれない。
そそ
導かれないんよ
『五蘊』というのは、精神活動の事なんじゃないの?
現代哲学的観点からすると
我の存在性が、色であり空だ という考え方は論理的に成り立たない
現代哲学では、そこをちゃんと分別するのだが
ごっちゃにして語るのは、論理性に欠け、明らかに飛躍している
重要なのは、短絡的に仏典を鵜呑みにするのではなく
論理的に検証していく事だろう
キミらには、その作業が欠落している
>>788 まぁ、そういう風に
いかに分析しようとも
そう分析してるのが、『我』である という事であり
その認識主体を解体し、色や空に還元する事は不可能
791 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 09:47:50 0
792 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 09:55:59 0
>>790 >認識主体を解体し、色や空に還元する事は不可能
解体や還元て何?
牛を解体したら、死んじゃって生きた牛じゃなくなるよね。
二度と生き返らない。
生きた牛を還元して死んじゃったらもう生き返らない。
解体や還元できないからってそれが何なのよ。
793 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 09:58:08 0
>>790 私を解体や還元しちゃったら、私は無くなっちゃうんだから、
私を存在させながら私を解体するなんて論理的に不可能でしょ。
当たり前じゃないの。バカじゃないのあんた。
794 :
下僕:2008/06/19(木) 09:59:11 0
>>790 :哲学者最高位
>まぁ、そういう風に
>いかに分析しようとも
>そう分析してるのが、『我』である という事であり
>その認識主体を解体し、色や空に還元する事は不可能
そうなのですよ。だから私の過去を分析し、記す事しかできず、
「不思議」なのであって、妙なのです。
で、色や空に還元する事は、我をもってして観察する事は不可能ですから、
色や空は、もう、在るんだなと、認めるだけしか私たちにはできない。
こう考えるわけです。色や空は、ある観察者である私が認知する「何か」の見え方であって、
色・空事態がなんであるか?は、なんでも無い。
無いものを在るとするのは観察者と観察される「何か」であるから、
総てが、観察者の創造であると還元できませんか。
795 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 10:01:35 0
>>790 >その認識主体を解体し、色や空に還元する事は不可能
いや、答えは簡単だ
キミが死ねばいいだけだよ
796 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 10:09:02 0
>>795 いや、それは違うね。死者にとってはそうはならないのだよ。w
最高位は永遠不変の生命を持つ絶対的な自我存在という
キリスト教的世界観(世界基督教統一神霊協会的?)だから
そう考えるのだろうな。
そういう世界観も一つの宗教として尊重はするが。
798 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/19(木) 10:14:28 0
>>792 唯物的解釈だと、牛は物質だから、分子構造に還元できる
>生きた牛を還元して死んじゃったらもう生き返らない。
という価値観だと、それは唯物論ではないのだよ
唯物論だと、一定の条件を満たして組み立て直せば、生き返らなければおかしいわけです
キミの考え方は唯物論ではないし、ただゴッチャにしているだけだ
議論に参加するなら
もう少し、よく理解してからにしてくれませんか?
>>794 >色や空は、もう、在るんだなと、認めるだけしか私たちにはできない。
これは錯覚である可能性を否定できないので、懐疑論が成り立つのです
要するに、わからん という事です
>総てが、観察者の創造であると還元できませんか。
これも論理的には、現段階では「わからん」とするしかありませんね
>>795 死んだって
「今、存在している私」を、色に還元できる理屈がないわな
>死ねばいいだけだよ
なんていうアホな理屈を真剣に考えているわけ??
どんな哲学やねん(爆笑
>>790 いや色即是空とかなんとかだからこそ、執着するなってことなんでしょ。
色即是空が執着するなって意味じゃ、空即是色とか意味わからんし。
なんで空と色が逆になってんのって話になる。なんで?
800 :
下僕:2008/06/19(木) 10:22:36 0
>>798 :哲学者最高位
色や空は、錯覚である可能性を否定できないので、懐疑論がなりたちます。
つまり私たちには知りえない。
そこで、仏教では、じゃあ、偉い人の言い分をまず信じてみて、
自分で確かめようじゃないの!ということで、多くの人が確かめた。
因縁とか業というもので、原因と結果が観察者の観点によって
どのように色・空の顕れ方に影響し、どのような選択をすると、
顕れ方を変化させることが可能か?これを説いたのが偉い人でしょう。
だからこっから先は、自分で確かめるしかないという事です。
要するに、体験して知れって事です。哲学の範疇じゃないって事でしょう。
801 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/19(木) 10:22:45 0
>>793 実際にやる話じゃないですよ(苦笑
論理的な話です
いつもの事ながら、こういう感じの人しか、私に反論して来ないな・・・・
802 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 10:23:49 0
ニートって最終的にはどうなるの?
このスレの議論は最高位が「私とは何か」を分かっていないまま
他人に議論を吹っ掛けてるからループしてるんだろうな。
最高位の言う「私」は抽象的な「私」ではなくて、
「今、ここに存在する具体的な『私』」の事だよな。
科学で再現できるのは繰り返される抽象性のみ。
今、ここという、繰り返されない具体性は絶対に再現できない。
考えてもみろよ。
今、ここは常に終わってしまうんだからさ。
今、ここを作れないのは当たり前。
最高位はいやしくも哲学者を自称しているなら、
もう少し真面目に論理的に考えてみたらどうなのかな?
804 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/19(木) 10:39:20 0
釈尊は民衆を導くために、本当に言いたい事はおいといて
とりあえず理解しやすい方便をたくさん語ったらしですよ
釈尊自身が、そう言っているらしいです
本当に言いたい事は
当時、インドでこれほど頭のいい人はいないんじゃないかと言われた
舎利佛?という弟子でさえ理解できなかったらしいですよ
仏教徒が先人から受け継いできた仏教解釈は
少なくとも、釈尊自身が本当に言いたかった事ではない という事になりますね
多くは方便だという事ですね
しかし人類の哲学は進歩していますので、そういう角度から考察を深めれば
あるいは釈尊の言いたかった事も理解できるかも知れないですね
>>798 >唯物的解釈だと、牛は物質だから、分子構造に還元できる
>>生きた牛を還元して死んじゃったらもう生き返らない。
>という価値観だと、それは唯物論ではないのだよ
>唯物論だと、一定の条件を満たして組み立て直せば、生き返らなければおかしいわけです
横レス失礼しますが、またまた混乱しておられますね最高位氏。
生きた牛が死んで分子構造に還元されて、それを一定の条件で組み立て直した場合
(もちろんそんなことは実際は不可能ですが)、
1.生命についての唯物論的解釈が正しければ、その塊は生きて動き出します。
2.生命についての唯物論的解釈が間違いなら、その塊は動かず、生きているとも
認められません。
唯物論が正しいかどうかの分かれ目はここであります。
そして、1と2のどちらが正しいのかは、わかりません。(あなたもわからない
ということで同意されると思うのですが、違うのでしょうか?)
生きて動き出した牛が、死んだ元の牛と同一の牛であるか(元の牛が生き返ったのか)
別個の牛であるか(新しい牛が生まれたのか)は、まさに価値観というか解釈の
問題であって、唯物論が正しいかどうかとは、全く関係がないのです。
806 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/19(木) 10:45:54 0
>>797 おいおい仏教の次は、今度はキリスト教かよ(爆笑
>>803 今ここ が、なぜ『私』なのか という根本的な問題意識が理解できてますか?
それを唯物的価値観で答えを出せますか?
それは絶対に不可能である というのが、私の言っている事です
とりあえずキミも
今ここ は、唯物的に還元できないんでしょ?
だったら何を反論しているんでしょうかね?
脱線しないで下さい
807 :
下僕:2008/06/19(木) 10:50:03 0
>>804 そうですよね。舎利佛?という頭のよい「馬鹿だから理解」しようとした。
無理ですね。
また、人類の哲学は進歩していると私は思いません。
同じ事を繰り返している。ちょっと気づいた哲学者は、
歴史に名を刻みません。哲学は、舎利佛?という頭のよい「馬鹿だから理解」しようと
する人の為にあるという事でしょう。
但し、仮説、検証によって、先に原因を作るという手法が頭の良い人達が
認める事ができれば、劇的な変化をするでしょうね。
色と空の中に、結果を導く為の原因を先に作ってしまうと言うことです。
実際、だれでもしていますけど、自覚していないだけの事ですけど。
808 :
下僕:2008/06/19(木) 11:10:13 0
申し訳ありまえん。私、また馬鹿という言葉を使ってしまいました。
馬鹿→「飛躍」「可能性」に訂正しても意味は同じでした。
というより、もはや、なんでも良いです。
809 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 11:28:17 0
飛躍というのは、正しい段階を踏まずに先に進むって意味ね。
810 :
下僕:2008/06/19(木) 11:50:00 0
>>809 はい、劣っているという視点から見れば…。段階を踏まずに先に進むです。
在るべき姿から見れば、飛んできた…。みたいなものです。
行くか、来るかで意味合いが変わりますが、両方を大方、表しました。
あまり、私が出しゃばるのはあれ何で…、ちょっと黙りこくります。
811 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/19(木) 12:14:23 0
>>805 >1.生命についての唯物論的解釈が正しければ、その塊は生きて動き出します。
>2.生命についての唯物論的解釈が間違いなら、その塊は動かず、生きているとも認められません。
>唯物論が正しいかどうかの分かれ目はここであります。
『生命』というものを前提されていますが
そもそも『生命』とは何ですか?
前提にかたるのでしたら、まずそこをハッキリさせて下さい
唯物的価値観に、そもそも『生命』という概念はないはずです
あるとおっしゃるのでしたら、唯物論に従って、唯物的にお答え下さい
と言っても、議論について来れないんでしょうけどね・・・・
>>807 何がいいたいのか、ちょっとよくわかりません
812 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 12:18:08 0
色即是空、空即是色って言うのは、ひとまとまりで考えるべきで、
価値観の相対性を意味してるんじゃないかな。
イイことはワルいことで、ワルいことはイイことかもしれないっていうような。
仏教はお経くらいしかきいたことありませんが。
唯識氏がどう論評するか楽しみだな。
単なる呪文ですから真面目に取る必要はありません。
815 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 12:26:19 0
価値観の相対性というよりは、転倒化する価値観の存在性といった方がよかったかもしれない。
仏教の話はどうでもいいよ。
最高位までがすることじゃないだろ。
立ち読みの知識で仏教の解説を哲板でするんだから全てがその程度
818 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 13:08:33 0
活版印刷が発明される前の哲学者たちは、相当に限られた知識で哲学してたわけで、
素人哲学にもそれなりの意味はあるだろう。
ボクの仏教解釈が正しくて、他の人は間違ってるんだ!!
ボクは立ち読みで仏教を理解し、ここにいるやつらを論破した!!!
820 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/19(木) 13:09:16 0
悪人なおもて往生す、の一言の前で、吉本隆明も立ち往生している。
>>815さんの<転倒化する価値観の存在性>の典型事例。
>>818 ですねw
当人の知覚認識した範囲が「世界」なわけだから、
その範囲内の知識を総動員して考察されたものは、『「世界」の全てを記述している』と言い得るでしょう。
範囲の広狭は関係ないですねw
広かろうが狭かろうが、『彼は、「世界」を余すところ無く述べ切っている』でしょうw
822 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 13:18:59 0
>>820 その事例の意味を考えてみると、人間全体の作る社会というのは、どうしても平等にはいかない。いろいろな
役割を担わざるを得ない。もしまっとうな職業に就く能力や運がなければ、生きていくためには悪いこともしなければ
ならない。生まれたときから悪人だ、という人はいないわけで、誰だってふつうの善に囲まれて暮らしたかったはずだ。
往生するときの評価くらいは、生きようによるのでなく、死者として平等に扱われるべきだ。というようなことを考えました。
823 :
821:2008/06/19(木) 13:19:42 0
井の中の蛙に、一体何の咎があろうか!
井の中の蛙に、何の恥じるところがあろうか!
井の中の蛙も、完璧に「世界」を描ききれるのだ!
824 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/19(木) 13:27:21 0
>>822 素晴らしい解釈ですね。
でも、そこからオウム擁護論(というかエポケー談)にもつながっていくのですね。
色即是空というのは現象は空という要素が織り成す出来事である
ということでしょう?
826 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 13:28:56 0
ニートって最終的にはどうなるの?
827 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/19(木) 13:32:54 0
>>826 というか、ニートでは生きていけない、という制度を、「資本の論理の側」から策定してほしいです。
828 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 13:49:04 0
>>827 人類の目標として、地球人全員が幸福で飢えることなく争うことなくいきられる、というようなお題目が唱えられると
思うのですが、人間の雄というのは、種付けを終えてしまえばするべき事がない。従って働いて資本や食料を増やす
というような役割を与えられていると思うのですが、この効率はまさに制度によって変わってくるものだと思い、
神の見えざる手というようなものは世迷い言で、どういう制度を作るか、ということが大問題だと思います。
経済にはド素人なので、実際とかけ離れた空想かもしれませんが、ソ連とかを考えると、実験的なことをやったという感がある。
資本主義にはやはり穴があるような気がしてならない。地球の生産性の限度とか。
>>811 >唯物的価値観に、そもそも『生命』という概念はないはずです
おお、最高位氏、一体何を言い出されるのですかw
物質を、そのあり方によって「生物」と「無生物」に分類するのは、唯物論が
どうこう以前の人類共通の認識であります。そして、「生物を生物たらしめているもの」
を「生命」と概念化して呼んでいるのであります。
あなたご自身が、
>>798で
>唯物論だと、一定の条件を満たして組み立て直せば、生き返らなければおかしいわけです
と、言っておられるではありませんかw 生命という概念を認めるかどうかと、
唯物論とは、これまた何の関係もないのであります。
そして、唯物論は、生物も高度に発達し組織化されている点が違うだけで、純然たる
物質であり物理現象である、と考え、反唯物論は、生物は物質以外の何か(生気とか
霊魂とか)が物質に作用することによって生物として現象しているのだ、と考えるの
でしょう。(あまりに不正確で失笑モノでしょうが、まあわかりやすければいいですw)
だから、牛の体を分子的に組み立てた場合、唯物論が正しいならば生きて動き出すし
(生命という概念を使わないなら、動いてモーと鳴いて食べて眠って生殖をして‥
というゾンビとなる、という表現になりますが、どちらでも同じことですw)、
唯物論が誤りならば単なる生命のない肉塊となるだけです(生命という概念を使わない
なら、動かずに腐るだけ、ということです)。
そして、どちらになるかはわからない、従って唯物論的理解が正しいのかどうかも
わからない、ということです。あなたはその結論に反対されるのでしょうか?
さらに、生きて動き出した牛と、死んだ牛が同一の個体かどうか(生き返ったのか新たに
生まれたのか)は、単なる解釈の問題であって、唯物論とは何の関係もありません。
何か、問題がありますでしょうかw?
831 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 14:38:53 0
弱肉強食の世界では、自分の身は自分で守っているのでしょう。
832 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 14:42:44 0
仏説というのは、仏教ドグマの絶対化を目的としているだけで
仏教範囲内の「世界」観でしかないよ。
哲学している人なら、仏教者の欺瞞性に気づくだろ。
仏教範囲内の恣意によって考察されたものだから、一般的妥当性などなく、
経典の絶対を前提とした、論点先取の循環論証だから信心を強調すわけだ。
妥当性がないから信心するしかない、なんて論法は哲学じゃないよ。
村上春樹も言ってる。完璧な文章などは存在しないと。象についてはかけるかもしれないが、象使いについて書けることは
限られている。そういうことだ。と。
834 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/19(木) 14:59:10 0
>>832 あなたは仏教のドグマについて何を理解していますか。金を集めるという宗教の負の面を糾弾するなら分かりますが、
哲学も結局はドグマを持っている(それを批判したのがポストモダンかもしれない)のではないでしょうか。
一般性だけを持ち上げて、歴史性を無視するのは間違っていると思います。
835 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/19(木) 15:00:38 0
>>828 <ソ連とかを考えると、実験的なことをやったという感がある。>
戦争犠牲者より1桁多い思想犯をスターリン体制は粛清しています。
体制が、体制を維持するために数千万人の犠牲者を出す必要がある、ということは、共同体のありかたとしては異常です。
836 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 15:10:33 0
よく言われるよね。
共産体制は、その「体制の維持」こそが最優先事項であり、
人民の在り方は犠牲となってしかるべきである、と。
人民の要望は却下の対象であり、生活水準や文化的水準の向上はその目的となっていない。
福祉やら生活の余裕やらは最後に回される。
人民が何人死のうが関係ない。「体制」こそが維持され継続されればそれでいい、と。
>>832 基本的にはそうだろうね。
初めは古代インド哲学のひとつだったんだろうけど
なにせ宗教になっちゃったんだから。
838 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 15:23:41 0
>>836 日本共産党は福祉とか国民の目線とかゆうけど、共産主義は国同士のつながりが薄いんだろうか。
839 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 15:25:18 0
840 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 15:35:13 0
>>837 ウパニシャッド哲学と仏教は別。
仏教を批判しようとしてる人、もうちょっと勉強してから批判しろw
ちょっと質問ですが、ブッダ本人が著作を残していないのは確かですよね。
ブッダの言行録のようなものと、インドの哲学思想を取り込んで出来上がった
いわゆる精緻を極めた仏教哲学と呼ばれるものと、どういう関係があるのでしょうか。
キリスト教なら、イエス本人の言行録と、ギリシャ哲学がもとになって
中世にできあがったいわゆるキリスト教神学の膨大な体系に関係があるとは
どうも思えないのですが。
843 :
下僕:2008/06/19(木) 15:45:04 0
仏教については、やるかやらないか。実践でしょうからね。
やれば解るんじゃないでしょうか。
中村元博士が化けて出るぞ
845 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 15:53:17 0
>>841 仏教哲学っていうのは、仏教思想を特に理論的に探求した思想のことでょう。
華厳哲学と唯識思想がその代表的なもの。
それと古代インドの哲学は直接の関係は無いと思う。
846 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 16:33:23 0
仏教は哲学じゃない
847 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 16:33:57 0
しきそくぜくう 【色即是空】
〔仏〕〔般若心経〕この世にあるすべてのもの(色)は、因と縁によって存在しているだけで、固有の本質をもっていない(空)という、仏教の基本的な教義。
広辞苑より
848 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 16:37:30 0
「色即是空」とは・・・
大藪正哉(筑波大学名誉教授・曹洞宗天徳院住職)さんの解釈によれば
すべてのものが網の目のようにお互いに関係しあって存在していて、単独に存在するものはない。
ですから、すべてのものは根本的には一つであるということです。
一つ二つの一つではなくて全部を一つと表現することにしていて、それを「空」というのです。
ちょっと考えてみていただきたいのですが、時間的にさかのぼって考えれば、
この宇宙は何百億年という昔、ビッグバンという大爆発によって生じたといわれています。
本当のことはよく分かりませんが、爆発し宇宙が拡散していく過程で、冷えて物質が生じ、
太陽も地球もでき、ついには人間のような生命をも生み出したといわれています。
ですから、もとを正せば、宇宙に存在するものはすべて目に見えないエネルギーの
さまざまな表現形態だということになります。
そのエネルギーがすなわち「空」であり、
その「空」から生み出され、形に表れたものが「色」です。
もうええわ・・・どうでも
ヤージュニャヴァルキヤなんて哲学者だよな。
ギリシャの哲学者と論争させてみたかった。
850 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/19(木) 17:27:03 0
>>838 <日本共産党は福祉とか国民の目線とかゆうけど、共産主義は国同士のつながりが薄いんだろうか。>
コミュニズムや、柄谷のアソシエーション等が本当に実現したと「したら」、その暁には、「私と他者」、「商品と市場」間等における「非対称性の世界への決死の跳躍」の必要性も希薄化することから、「私」という概念は、もっともっと希薄化させることができると思います。
否、私という概念そのものが消えうせてくれる可能性もあります。
ロジックとしてですが。
851 :
362:2008/06/19(木) 17:31:42 0
>>820 『歎異抄』の“悪人正機説”を、あなにたはどう思われますか。
宅間、麻原とその一統、先日の加藤などはイの一番に往生できることになる。
少し話し広げれば、ヒトラーやスターリンなども極楽浄土の超エリートだ。
これは凄まじい“理念”ではある…。
>>820>>851 とりあえず、正確に引用してからにしろw
「善人なおもて往生を遂ぐ、況や悪人をや」
『いわんや悪人をや』 だ。
853 :
下僕:2008/06/19(木) 17:41:32 0
やはり、哲学者最高位氏は、話題づくりが上手いね。
人が反論したくなるようなあるいは、決着をつかたがっている事を仕掛けるのが上手いって事ね。
本人は自覚なさそうだから才能だろうな。
たぶん芯が謙虚なんだと思う。
854 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/19(木) 17:42:32 0
>>850 特徴や差異を希薄化する方向に進めば、ということですね。インターネット等に代表される情報の自由化による交流の結果「ネット上での私」
というのはなくなる方向にあると思います。私というのが、網の目状の世界での振る舞いによって決定される(結果のみを見る)ならば、
自分がどんな「キャラ」になるか、KY等が重要な意味を帯びてきます。
855 :
362:2008/06/19(木) 17:51:43 0
>>852 善人でも往生できる。悪人ならなおさら…という意味ではないのか?
856 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/19(木) 18:01:20 0
>>851 ラスコリニコフ、スタヴローギン等は、読者を引きずりこむための物語の造形物として、とりあえずは横に置いておいて、生身の人間を殺傷する行為が繰り返されていることに対し、今、生きているヒトのすべてが、
それらの事件との間に、なにがしかの関係性を持ってしまっていることに無頓着すぎることは否定できません。
遺族の哀しみを思えば、死刑による抹殺で、その幾分かは救済されるのかもしれません。
しかし、「第三者として」、それらの事件を知り、そして、それらと自分との関係性を考えると、それらの事実をも引き受けきり、且つ、断罪できるだけの思想/思考/クリテリオン等は、今時点では、何も見出せない、と考えます。
むしろ、それらの事件に、直接/間接性、意識/無意識性を問わず、それらが生起してしまう体制の維持に、自分も加担してしまっているのではないか、という疑念を抱かざるをえません。
優等生的回答と受け取られれば、無条件に甘受します。
857 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/19(木) 18:05:26 0
>>852 <「善人なおもて往生を遂ぐ、況や悪人をや」>
そらんじました。
ごめんなさい。
858 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/19(木) 18:25:32 0
>>854 <特徴や差異を希薄化する方向に進めば、ということですね。>
いえ、生身の私と他者間の関係性の中での、「自己疎外の産物でしかない私という概念 and/or 実体」のことを書いています。
859 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 18:28:11 0
>>815 >転倒化する価値観の存在性といった方がよかったかもしれない
言語が空回りしているね。
何の意味も無い表現だ。
>>858 疎外されたときに確かに自分を振り返りますね。何かにコミットしているときは、その一員としてあるわけで、私という意識を
持つ必要がないということでしょうか。
861 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/19(木) 18:43:31 0
>860
いえ、私の思考/認識/発話一般のすべてが、自己疎外の産物そのものである、ということを書いています。
人間がものを考え出すのは、自由に動けない時だな。
自分はコントロールできない自分をかかえている。
863 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 20:27:08 0
往生とは生まれ変わることであって成仏・解脱することではない。
だから悪人が往生するのは当たり前のことに過ぎない。
864 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 20:45:56 0
親鸞のいいたかったことはそれか。
865 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 20:50:03 0
,. -ー冖'⌒'ー-、
,ノ \
/ ,r‐へへく⌒'¬、 ヽ
{ノ へ.._、 ,,/~` 〉 } ,r=-、
/プ ̄`y'¨Y´ ̄ヽ―}j=く /,ミ=/
ノ /レ'>-〈_ュ`ー‐' リ,イ} 〃 /
/ _勺 イ;;∵r;==、、∴'∵; シ 〃 /
,/ └' ノ \ こ¨` ノ{ー--、〃__/
人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\
866 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 22:27:17 0
親鸞の言いたかったことが何かは親鸞に聞いてくれ。
往生と言う言葉の意味からそれは解脱とも成仏とも
違うということだ。
解脱は輪廻転生からの解脱だから、往生で無いことは明らか。
成仏は仏(覚者)になることだからこれも往生しては出来ない
相談だね。
おまいらw
「浄土」という概念を忘れてるぞwww
868 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 23:30:36 0
娑婆即寂光土だろ。
浄土なんて行く必要なし。
>>868 そうか。親鸞は浄土を否定してたのか。
勉強不足で申し訳なかったwww
870 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/20(金) 00:06:53 0
いつの間にか仏教
特に浄土思想になってますね。
871 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/20(金) 03:54:48 0
>>790 :哲学者最高位 ◆
>認識主体である「私や、お前らも空である」と言っているのではない
それは間違いです。よく読んでください。
色即是空空即是色まではたいしたことは無いんです、核心はその次からです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
受想行識亦復如(受想行識もまたかくのごとし。)
受も想も行も識もなく、眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、
色も声も香も味も食も法もなし。眼界もなく、乃至、意識界もなし。
無明もなく、また、無明の尽くることもなし。乃至、老も死もなく、また、老と死の尽くることもなし。
苦も集も滅も道もなく、智もなく、また、得もなし。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上明らかに観念そのものを「空」と言っています。当然「私」も空です。
実在には物質的実在と観念的実在があるのでしょう。
その両方共を見事に否定しています。
唯識派は観念的実在性に執着しているので大変都合が悪いわけです。
しかし心経は唯識を否定する中観思想だから当然なわけです。
解釈を捻じ曲げて「空即是色」だから実在が再構成されているだとか、識の実在までは否定していないとか言う人がいる。
しかし本文を読めば判るように、そのような曲解を防ぐために、繰り返し繰り返し「意識界もなし」「道もなく」「智もなく」「得もなし」と言っている。
まして縁起など肯定されるはずが無い「不生不滅」なんだから。
872 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/20(金) 04:29:56 0
>>871じいさんさん
それも全く逆ではないですか?
観念的実在性に執着するを「偏計所執性」とするならば
「円成実性」こそ「空と縁起」を説明するものと考えます。
般若経典は「空」「無自性」。唯識は「縁起」
縁起を否定しては仏教哲学そのものの否定です。
唯識学派の成立過程から見ても、じいさんさんの言は全くの逆です。
先にもありましたが大事なところでじいさんさんは逆にされて居られます。
なぜでしょう。
中観思想と唯識思想は大乗仏教思想の両輪の如く、であります。
873 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/20(金) 04:43:31 0
>>872 :唯識 ◆Vidya0E1.s :
>縁起を否定しては仏教哲学そのものの否定です。
全部否定では在りません、「空」は絶対性の否定と言う事です。
仏教は宗教であり哲学ではありません。
中観思想では「仏教」の絶対性も勿論無いわけです。
>中観思想と唯識思想は大乗仏教思想の両輪の如く・・・
現実の仏教では宗派的勢力では唯識思想が大半では?
唯識が中観を取り込んだのでは?
中観思想は上記の「般若心経」だけが異様(?)に人気があります。
唯識派はにが苦いいでしょうが・・・・。
ですから両輪では在りません、相容れないから。
「意識界もなし」これをどう解釈しますか?
874 :
下僕:2008/06/20(金) 07:16:43 0
>>862 >人間がものを考え出すのは、自由に動けない時だな。
>自分はコントロールできない自分をかかえている。
「私」は思いあたるふしがある。神の声を聞いた気分。
>>863 >往生とは生まれ変わることであって成仏・解脱することではない。
>だから悪人が往生するのは当たり前のことに過ぎない。
往生際が悪い「私」は、生まれ変わりを拒むって訳だ。
「私」は変化を欲しないかもしれない。「私」にとってよい教訓だ。
「私」は、不自由がな時、考えてしまい、固定化したがる癖が「私」である。
「私」よ、自由に生まれ変われ!という神の声を聞いた。
ならば、「私」は常に往生する在り方が自由の選択指針。
今日は、神の声をよく聞いて気分がよい。
875 :
下僕:2008/06/20(金) 07:28:04 0
ところで、仏教って思想?
思想的決着は、自由と往生を遠ざける事じゃないんでしょうか?
仏教談義は、う〜ん、う〜んと糞づまり。そんな気分に同調する感じです。
でも哲学板で仏教を扱っているのだから、便宜上思想って事になりますよね。
今日は、神の声と、往生際の悪さを、目の当たりにする日であると
神は「私」に、良く見よとチャンスを与えたようだ。
きっかけは、何故か最高位。「私」は氏に往生際の良さを見るのかもしれない。
しかしこの感想すら、「私」の過去への執着である。
「私」は往生際が悪いのである。
まあ、最高位思想は一神教文化の発想だからな。
逆に言えば、最高位は一神教的唯一絶対の独断が欲しいだけ。
立ち読みの件を見るに最高位はほんとバカなんだなぁと。
でもだからこそ自分の考えを盲信してられるんだなと。
ある意味幸せなんだなぁと。思えるね。
878 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 09:09:10 0
最高位といいながら、実は、私と言っている。
最高位を鏡として私をみている。
879 :
362:2008/06/20(金) 09:19:27 0
>>871 「物質的実在と観念的実在」の「両方ともを否定して」いるのは、この場合、
観自在菩薩でしょう?
両方を否定する観音の(観照する)主体は肯定されるのですか。もしそうなら、
「皆空」には抜けがある、否、方便くさい。w
もうひとつ、この『般若心経』の経文(言葉)じたいは“空”なのか、それとも
何らかの“意味”があるのか。
880 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 09:22:21 0
881 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 10:04:27 0
>>873 「空」は絶対性の否定ではありません。「空」とは「無自性」です。
882 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 10:07:41 0
>>871 >実在には物質的実在と観念的実在があるのでしょう。
>その両方共を見事に否定しています。
完全に貴方の間違いです。
物質的実在、観念的実在の本質は「空」であると言っているだけで、
物質的実在や観念的実在を否定などしていません。
寧ろ肯定しています。
883 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 10:17:42 0
>>882 本質が“空”であるwというのは、どう深読みしても(こじつけても)
意味が通りません。
884 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 10:27:57 0
>>883 コンピュータ上の話で譬えるなら、
画像も音声も、本質はビット情報であるというようなものです。
885 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 10:34:01 0
人間は物を認識するときに、感覚の焦点を合わせるために、
対象物の中心点の1点を探し求めると思うんですよね。
自分に対しても中心点である1点を求めようとする。
確かに「私」は存在します。
でも、それは様々な関係性の中に浮かぶ「私」です。
私の存在の中心点の1点を探してもどこにもない。
これが「空」ではないでしょうか。
886 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 10:40:09 0
>>885 自分で勝手な解釈をする前に、
空とは無自性であるということをまず理解してください。
その上で、別の観点を主張されるなら良いですが、
無自性を理解せずに、何かを主張しても、勉強不足としか言いようがありません。
887 :
下僕:2008/06/20(金) 10:46:25 0
>>886 空を「無自性」に置き換えておきながら、他人に、無自性を理解してくださいですって?
置き換えた本人さんが、無自性を語れば、それが空ではないですか?
888 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 10:49:35 0
>>887 勉強するためのキーワードを提供したまで。
889 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 11:03:43 0
>>888 勉強に君は意味があると思っているのだね。人に勧めるくらいだから。
890 :
885:2008/06/20(金) 11:04:24 0
>>886 無自性と885の意見とどう違うのでしょうか。
891 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 11:08:50 0
>>884 そこに還元できるのなら“無自性”とはいえない。
ふつうに無自性を解釈すれば、「還元先」がないということだろう?
892 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 11:10:15 0
>>890 無自性の意味は理解できましたか。
また、空が無自性であるという、文献をいくつか読んで、
そのように主張する人の考えを理解しましたか。
893 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 11:15:22 0
>>891 それが「還元」できるのは、コンピュータの外に我々がいるからであって、
コンピュータの中からはビットなど見えませんし還元もできません。
>ふつうに無自性を解釈すれば、「還元先」がないということだろう?
それはちょっと違います。
還元先は「関係性」という形で残っていますから。
894 :
362:2008/06/20(金) 11:45:21 0
>>890 そのように言う場合、「関係」という概念をどう処理するか、でしょう。
なるほど“関係”という概念を導入すれば、『私』を様々な“項”の一つ
として相対化することはできる。
けれども、項の一つとして関係性のなかに浮かぶ『私』は消去できない
のではなかろうか?
もう一つ、その“関係”なるものは実体(自性)ですか?
最高位なら、もう一つ問題がある、と言うところでしょうね。w
895 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/20(金) 12:30:07 0
>>894 <項の一つとして関係性のなかに浮かぶ『私』は消去できないのではなかろうか?>
その関係性の総体が私であって、「私」という核になるような項は、おそらく無いでしょう。
そして、その項の数と、項の代替可能性、及び、それらの項間の関係性の順列/組合せ/組換えの自由性/制御不能性、等からの瞬時的な希少性/つかみどころの無さ、辺りに、「私」と仮称するものを置くしかないように思います。
896 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/20(金) 12:34:17 0
それだからこそ、ヒトは、私を言明するためにも、言葉を紡ぐことを強いられてきているものと考えます。
言葉でしか、私を表明できず、また、言葉の中にしか、私を置けないから。
897 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/20(金) 12:45:27 0
「死に至る病」の冒頭を読むと、それが如実に言葉でもって表明されています。
898 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/20(金) 12:48:22 0
下僕さんが書いた「私の無限性」は、「それらの項間の関係性の順列/組合せ/組換えの自由性/制御不能性、等からの瞬時的な希少性/つかみどころの無さ」、と解釈します。
899 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/20(金) 12:57:24 0
そして、それぞれの項の値は1を超えることはない、とすると、関係性の総体である私は、それが密になればなるほど、限りなくゼロに収束していきます。
それが、「無私性/無自性」、を説明する試みのひとつでしょう。
だからこそ、キルケは、先の著述の最後辺りで、それらの関係性を、弁証法のスキルを駆使しながらも、結局は、「超越者」に向かって決死の跳躍をせざるをえなかった、と考えます。
900 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/20(金) 13:04:08 0
項間の関係性をあらわす式は、+やSUMではなく、常に×であり、項の値は0<1です。
ですから、項の数をいくら増やしていっても、関係性の総体としての私は→0となります。
901 :
下僕:2008/06/20(金) 13:11:29 0
>>898 概念で表せば、そういう事ですね。無限ですからそこに限定されないのはもちろんですが…。
「私は無限」である。別に空であっても、実はなんでもいいです。
これは、あらゆる次元あらゆる階層、あらゆる現実にも適応されます。
よって、私が私というとき、私の語る言葉は、総てに適応可能です。
なぜならば、私が私という時、私の事であり、
他人や世界や人間などの概念に「私」自身を置き換えて話さないからです。
私が自然として完璧ですから、私が話す事も完璧になるだけです。
おかしいと思われるかもしれませんが、そういうもんです。
902 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/20(金) 13:11:41 0
それをまやかすために、ヒトは共同体や他者という鏡に向かって、自己疎外を繰り返し、せめては私の鏡像だけでも得ようとする超越論的跳躍を続けることから自由になれないのでしょう。
903 :
下僕:2008/06/20(金) 13:14:47 0
あ、話し中でしたね。どうぞ続けてください。
>>899-900 数字を持ち出す言い方なら、
「総体が(各項の総和が)1を超えることはなく、1より小さくなることもない」 でしょう?
(最高位派的に言うなら、「ある」「いる」ことは確実なので。)
項の数が増えれば増えるほど、各項自体の数値は小さくなる。
が、「総体(総和)」の存在を前提とするので、項の個数がゼロになることはない。
また、項自体がゼロということもない。(それは、総体にとってその項が存在しないことを意味するから。)
(この時の問題は、項1個で総体としての「私」が成立するかどうか? でしょう。
同時に、欠くことのできない項があるか?それは一つか?複数か? ということでしょう。)
>>895 >その関係性の総体が私であって、「私」という核になるような項は、おそらく無いでしょう。
項がないのに、どうして関係性があり得るのですか?
906 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 14:13:47 0
>>859 正義と悪についてはどう考えられますか?
907 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 14:18:13 0
仏説というのは、仏教範囲内の価値観でしかないし、検証しないから無意味。
妥当性のないドグサだよ。
方法的懐疑するなら釈迦も懐疑にかけられなければならないし、
ましてや経典の無謬を前提とした論法は哲学の方法じゃないよ。
経典を懐疑にかけないなんて、哲学にならない。盲信だ。
まあ行き着くところ哲学は言葉の辻褄合わせであって、
仏教は修行の実践だから、話は表面的な所では噛み合わないだろう
909 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/20(金) 14:29:45 0
>>904 <「総体が(各項の総和が)1を超えることはなく、1より小さくなることもない」 でしょう?
(最高位派的に言うなら、「ある」「いる」ことは確実なので。)
有る、無し、以前からの問い直し作業ですので、上記の前提は採りません。
ですので、「(この時の問題は、項1個で総体としての「私」が成立するかどうか? でしょう。
同時に、欠くことのできない項があるか?それは一つか?複数か? ということでしょう。) 」という問題の設定ではありません。
私なるものが、1個でもn個でも、それは二の次で、先ず、成立するのか? という問題設定です。
このため、<項の数が増えれば増えるほど、各項自体の数値は小さくなる。>という、1を前提とした項への分割という観点は、元よりありません。
>>905 「私」という核になるような項は無い、ということを書いています。
910 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/20(金) 14:30:40 0
wisteria-1さんの言うように、自己疎外された私というのが他人との関係性のなかで存在する
というのは確かにそう思いますが、「生身の自分」というのは存在するのでしょうか。
自分が自分をみる目線というのも、他から与えられた価値観に染まっているような。
また、その境目も曖昧なのではないでしょうか。たとえば、好きな人ができて、ああ、好きだなあ
と思っていても、好きだ、好きだ、と自分は彼女が好きなんだという自己暗示をかけ続けなければ
ならない、というような。
911 :
下僕:2008/06/20(金) 14:33:38 0
>>907 検証せずに、ただ信ずるというならば、盲信でしょうね。
検証スタイルは、懐疑より、自分で確かめるってのが手っ取り早いのでは?
せっかく体があるんだもんね。
>>909 了解、と言いたい所ですが、
乗算を用いる理由が、まだ不明瞭な気がします。
913 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/20(金) 14:45:10 0
自分の気持ち、考えについて引き続き述べさせていただきますが、自分の気持ち、考えを形
にすると、それは一般的に理解可能な概念というものになって、また、歴史性を帯びます。
自分の中で永続させなければならない気持ち、というものは他者との関係の中に主に
あるように思います。
914 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 14:57:28 0
915 :
下僕:2008/06/20(金) 15:00:06 0
自他の境界に関するお話・あるいは、区別のお話が展開しており、大変興味深く拝見させております。
私としては、いろいろな意見を拝見したと思うわけであります。
916 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/20(金) 15:12:36 0
>>879 :362:
>観音の(観照する)主体は肯定されるのですか。
>この『般若心経』の経文(言葉)じたいは“空”なのか、
実在論者と中観論者いるわけです。
貴方は実在論者でしょう?
何かを考えたり、肯定したり、否定したりするとすれば其処には主観があり主体がある・・・と言う考え方が実在論者なのです。
ちなみにじいさんもそうです。
それは人間の脳(心)の癖だとじいさんはかんがえます。
中観論(心経)者はそのような思考システムを否定しているわけです。
結果が在るからには原因がある、考えるからには主体がある・・・
そのような因果関係を否定するのが「不生不滅」です。
原因も無ければ結果も無いのです、縁起の否定です。
正確に言うと縁起の一意性の否定です。
ですから中観論者の「全ては空である」に対して「経文(言葉)じたいは“空”なのか」と言う反論は意味が無いのです。
実在論的には矛盾だろうが、その実在論そのものを否定しているのだから矛盾でもなんでもないと言う事です。
論理システムとか原理の土台が違うと言った方が判りやすいかも。
917 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/20(金) 15:20:36 0
自-他の区別、というとき、他は別に個体である必要はないわけで、自分(自ずからわかる)
という範囲と、そうではない考えが同居しています。
918 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/20(金) 15:21:17 0
>>910 「生身の自分」は、言葉上のものだけ、と考えます。
<自己疎外された私というのが他人との関係性のなかで[存在する]>という言述も、「ヒトの目線」からは、僭越すぎるものと思います。
<自分が自分をみる目線というのも、他から与えられた価値観に染まっているような。
また、その境目も曖昧なのではないでしょうか。>
少なくとも、ここでいわれる「価値観」が、どこからきて、どこにインプットされているのか、それらの「どこ」自体も、
おそらく実体としてではなく、言述としてでしか表出不能のものだと思います。
>>912 連投規制中ですので、手短かすぎて申し訳ありませんが、関係性とは、1:1、1:nの双方向の交通可能性のことであり、且つ相互浸透性/疎外性を有する、という観点から、和ではなく、乗数である、と考えます。
920 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 15:22:53 0
>>911 信仰は宗教板ヘ
布教は哲学とは相容れない
921 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/20(金) 15:23:23 0
922 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/20(金) 15:27:05 0
>>881 :考える名無しさん:
>「空」は絶対性の否定ではありません。「空」とは「無自性」です。
だから・・・無自性というのは「存在の絶対性が無い」と言う事。
自性というのは他に存在性を依存しないこと、つまり絶対的存在性と言う事です。
>>882 :考える名無しさん:
>物質的実在、観念的実在の本質は「空」であると言っているだけで
>物質的実在や観念的実在を否定などしていません。寧ろ肯定しています。
そういう表現だと、
>>879 :362: の反論に答えられないですよ。
923 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/20(金) 15:32:43 0
>>918 >それらの「どこ」自体も、
おそらく実体としてではなく、言述としてでしか表出不能のものだと思います
そういうことを聞くと、言述の集合体(東浩紀のデータベース?)が、実体よりも
上位の価値を占めることになる、と思います。権威がどこに由来するか、という
話で、血筋、資本力、美、戦闘力、そういったものが考えられます。
924 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/20(金) 15:34:09 0
一寸一言。
関係とか関連とか言う意味と、縁起、因果と言う意味は大分違います。
因果関係と言うように、関連或る事象の中で特に原因と結果の特定できるもの(一意性)が因果です。
関係、関連の現象だけでは原因や結果は現れません。
例は傘と長靴です、両者は関連はあるが原因は飽くまでも雨です。
>>920 布教の言語体系を哲学議論に引きずり込むことが出来ないのなら、
それは生きた哲学ではなく、教養としての哲学史にすぎない。
>>905 >>895ではないが、極めて単純なモデルで考えれば
関数におけるf(x)で、fは項ではない。
927 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 15:58:36 0
>>908 仏教の修行の実践とは、仏説に合致した結論しか導けないように
始めから、仕組まれていることに気づかないのか。この欺瞞に。
>>926 ≪「私」は関数的存在である≫ と言明するのも面白そうですねw
>>927 チャーハンが食べたくて、レシピ通りに作ったらお好み焼きができた、
なんて悲しい事態になるよりマシだろwww
「チャーハンのレシピで調理したらチャーハンができる」
どこが批難されねばならないんだ?w
930 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 16:03:50 0
931 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 16:09:24 0
>>929 哲学にならない。正当性がない。
分からないのか
>>931 てか、哲学ってのはそんなに素晴らしい価値のあるものなのか?www
正当性が持ち出されるのも意味不明w
934 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/20(金) 16:12:09 0
>>923 DWH、XML、ロボット型検索エンジン等々を用いて構築され増殖し続けているデータベースは、ヒトが、外部から他者の言述/情報等をインプットし、それをマテリアルとして発話/言述をするための利便性の大きいツール/システムであると考えます。
その両者間の優位性/権威等の観点からみれば、商品価値としては、既に前者の方に優位性があるでしょう。
そして、私のこの言述も、表出した瞬間に、ほぼリアルタイムにそれらに飲み込まれていく。
そうであるとして、ハイアラーキー/価値の観点からみると、どちらが、どちらの利用価値を享受しているか、という相互間でのせめぎあいの問題になります。
血筋/資本力/美/戦闘力等からの相対比較の観点からみれば、個としてのヒトの言述など、限りなくゼロに近似していくことだけは確かです。
しかし、それに抗おうとする起点として、「私の言述」が表出されていることも、また、事実であり、その動因を失えば、<言述の集合体>のメカニカルな絶対量の増殖も、また無くなるでしょう。
935 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 16:14:09 0
>>922 >だから・・・無自性というのは「存在の絶対性が無い」と言う事。
それはじいさんの勝手な解釈。
無自性にそんな意味はありません。
「空」としての存在の絶対性はあるわけですから。
936 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/20(金) 16:25:34 0
商品のオリジナリティ、ビジネスモデル、ブラックボックス化された製造技術等々の汎化の速度が速まるのと並行して、個の表出のオリジナリティ性も、また同じ速度で汎化していきます。
ある評論家は、世界の時間は、10に満たない大企業の研究開発の速度で動いている/動かされている、と述べています。
これは、実感ですね。
937 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 16:26:42 0
やっぱり仏教者はだめだ。
話しにならんよ。
938 :
下僕:2008/06/20(金) 16:37:41 0
超越ってのは、私がなくなった後、私があったという再発見だからね。
だから超越前に超越した後の私などは創造できないと思う。
神の世界から、地球に来ようと思って実際に来てみたら、
実は、神を見るために地球に来た。
月へ行こうと思った。着いた。
実は、地球を見たかった。
空を理解しよと思い、発見したら、
実は、私が在った。
939 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/20(金) 17:56:01 0
下僕さんの書き込みで思ったのですが、反省する、という行為が「私」だけに与えられた
機能ではないかと思いました。他人の意識は体感できないので、「私」の「私性」を確認
できるのは、そこなのではないかと。
>反省する、という行為が「私」だけに与えられた機能ではないかと思いました
それが自己意識。哲学の基本。
自己意識はぐるぐるまわる。めまいがする。
942 :
362:2008/06/20(金) 18:06:52 0
>>916 “実在”という表現は強すぎるので「事象」論者を自称しています。w
「事象は空である」との落ちで収まればいい。が、この「すべては空」という
言表の“表出主体”は何なのか。この疑問はどこまでもつきまとう。
一切の事物の実体性を否定し、ついでに言表主体なるものも否定したとしても
この「皆空」との言辞は残ってしまう。しかも、深甚たる意味wを担っている
らしい。最高位なら「その表出主体が私である」と言い切るところだろう。
「皆空」と言いながら、いたって言葉数の多い仏教は、仏教徒による言表、言説を
何に帰属させているのですか。
>>916 おじいさんは無茶苦茶。
縁起だから無自性、と言ったのが龍樹じゃないか。
944 :
362:2008/06/20(金) 18:58:36 0
>>895 “関係”という言葉を用いるなら、あなたの言われるように『私』とは、
「関係性の総体」てして、私ふうには「関係(世界)が開示される『いま』」
として存在する、との言い方になります。
しかし、この世界のなかにも項としてか関数としてかはともかく“私”が
位置を占めているということである。「みる『私』とみられる“私”」と
言ってもいいでしょう。
945 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/20(金) 20:10:49 0
>>944 私を構成すると想定される関係性は、例えばf(a.b,・・・n)の関数モデルでみると、項と項間の関係性を、fという関数の定義では括りきれないことから、モデル化は不可能だと思います。
もし可能であるとすると私はプログラムとして機能できるようになるでしょう。
そこで、「私は、なにかわからないが位置というものを持つ」、と置いた場合、三次元内での特定は、例えば時間変数を付与されたGPSでも可能でしょう。
ある哲学者は、「私とは、私の身体がoccupyする分だけの質料そのものである」と定義付けました。
occupyするのですから、ある程度の質料を持つために、ある程度の位置を占めていることになるのでしょうが、それは私の身体にぶら下がる属性のひとつにすぎません。
では、「視点」という用語をもってきます。
これは、質料を伴わない、位置を特定するための点ですので物理的には何も持っていない。
サルトルは、これに「まなざし」という概念を置いています。
これは、私の読み方では、あなたのいう、<みる『私』とみられる“私”>とほぼ近似のものとします。
物理的に見る/見られる、という感性としてではありません。
(続く)
946 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/20(金) 20:11:33 0
>>944 「私が他者を見る場合の/他者が私を認識しようとするための媒体」、くらいの言い回しですが、これに、「定点に納まった私/他者」を措定することは不可能です。
私が他者を認識しようとすると、つねに、そのつど、私は私自身を投企(他者を認識するためには、私は、つねに、そのつど、私の外部に出ていかなければならないという操作)が必要になります。
何故なら、定点におさまっている私の立場があったとしても、そこからは、他者が語りかけてくる言述のひとつさえ受け取ることができないからです。
日常会話の場においても、私は、他者と言述のやりとりをするためには、私はつねに、そのつど、「私の外部に出て」いかないと、他者の言述を受け止めることさえできないのです。
他者が私の言述を受け取ろうとする場合も、これと同じでしょう。
では、外に出る、というのはどういう操作でしょうか?
私は、私の外に出て、他者は次にこう言う、過去にこう言った、だから、今回もこう言うだろう、という、言述の位置変えも駆使した想像力を駆使するのですが、これの構成要素である言述間の連鎖を、便宜的に「関係性」と置いてもいいと思います。
947 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/20(金) 20:21:34 0
>>946 名前は忘れましたが、ある心理学者が人間は注意を向けられるのは一つのことだけ、といっていました。
それを用いた心理療法も行われているらしいです。もし多方向に注意を向けられるのなら、自己を投企
する必要もなく、両方の立場を理解していればいいだけです。なぜそういう機構になっているのかは
わかりませんが、人間らしさというのはそういうところから生まれるのでしょう。
948 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/20(金) 20:28:21 0
>947
<人間は注意を向けられるのは一つのことだけ>
会話をしている間の、その一瞬、一瞬の心のありようを1コマ、2コマ、として微分しきれたとして、それを静止したものとして見切ろうとするならば、そういう言辞も有り、かな、とは思います。
949 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/20(金) 20:34:27 0
もし、投企という操作をしないで、会話をすると、どうなるでしょう?
「私はaをbと思う」
「いや、私はaはcだと思う」
このリフレインが延々と続くだけです。
950 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/20(金) 20:41:06 0
この板上の書き込みにもそれが多く見られます。
「私はaはbだと思う」という言述を、多少のレトリックで修飾しながら繰り続けるだけで、その意味するところは、全く変容することはない。
投企が無いから、会話のダイナミズムも生起しないのです。
951 :
362:2008/06/20(金) 23:33:25 0
>>946 「みる私」は“定点”を住処にしていません。「ここに私はいる」との言い方が
しっくりこないのはそのためです。それは“定住”を連想させます。
『私』は“ここ”ではなく“いま”を棲家にしている、というのが私の妄想です。
“いま”は瞬時ですらない、微分化を拒否する“有”です。『私』は“いま”に
棹をさして事象に接しつつ、絶えず貴女の言う「関係性の総体」を編み変えている、
というのが私の妄想の中身です。
「関係の総体(世界)を編み変える」というところが貴女の言う「私の外部に出て投企する」
ことと、なにがしか重なるのかもしれません。
952 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/21(土) 00:40:58 0
>>871 >以上明らかに観念そのものを「空」と言っています。当然「私」も空です。
いいですか
ここが重要な所です
これが理解できるかどうかが、現代哲学の入口に立てるか否かの境目です
何度も言いますが
その「観念」は、『私』の観念なんですよ
『私』が存在するから、『私』の「観念」が活動できるのです
『私』の存在性と、『私』の精神活動を、ちゃんと分別して下さい
これが重要なんです
>>872 『縁』といいますが、何が『縁しているのか』という問題があるのです
何を縁させても『私』は発生しません
それは論理的帰結です
『私』は縁起しないのです
『私』が、縁するのです
953 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/21(土) 01:28:39 0
>>952最高位さん
相変わらず理解出来ない方ですね。
阿頼耶識が縁起の当体ですが。
その縁起の過程で「私」という仮象が生じるのです。
存在性などという妄想に取り憑かれていては理解は無理ですね。
くだらない妄想を現代哲学などと豪語される理由に
「この考えは私だけ」と言われるのであれば
そんな考え誰でも、そして遥か昔からあるということ。
ただの焼き直しに過ぎないと自覚されるべきです。
ついでながら
「空」は無所得、何も持ちません。
954 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/21(土) 01:38:18 0
>>953 >阿頼耶識が縁起の当体ですが。
>その縁起の過程で「私」という仮象が生じるのです。
阿頼耶識である
という客観的観点から見た、客観による縁起についての話 であれば
それはすなわち客観(私ではない人)の阿頼耶識についての話なわけですが
なぜそれが『私』になるのですかね?
そこには、キミが気付いていない論理的な飛躍があるのです
955 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/21(土) 02:03:34 0
>>954最高位さん
私である無しに関わらずです。
誰彼の阿頼耶識というのはありません。
誰彼の「空」、誰彼の「無自性」???
区別、差別心に因って「誰彼」が生じるわけです。
>>952のように存在性と精神を分けろ、などと
他の人に無理強いするのは如何なものでしょう。
この言は以前から指摘していました
「身体、精神」から「私」を独立させているという証明ですね。
追伸
仏教の書籍を読まれた、とあったようですが
ご自分の過去の暴言等々を反省するお気持ちで読まれないと
書かれた著者のお考えに触れる事はできませんよ。
956 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/21(土) 02:34:47 0
>>955 >私である無しに関わらずです。
>誰彼の阿頼耶識というのはありません。
「我思う故に我あり」の、「あり」である「我」とは?
という話ですよ
誰彼と関係ない話であれば、全く的外れですね
『私』という存在とは? についての話なのに、見当はずれも甚だしいです
>誰彼の「空」、誰彼の「無自性」???
空や無自性?というものを考え直さなければいけないのではありませんか?
そもそも前提が狂っているわけです
我々は、前提を模索しているのに
キミは最初から、仏教が前提になっているわけです
>区別、差別心に因って「誰彼」が生じるわけです。
他人の誰彼が区別できても、『私』が発生する根拠がないのです
その辺が、キミらがどうしても理解できない知能の壁なんでしょうね
>仏教の書籍を読まれた、とあったようですが
>ご自分の過去の暴言等々を反省するお気持ちで読まれないと
>書かれた著者のお考えに触れる事はできませんよ。
そっくりそのまま、お返しします
私は
読んで、その間違いを指摘しているだけです
957 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/21(土) 02:41:42 0
>>956最高位さん
最高位さんは「私」を主とし前提としている。
唯識は「こころ」を主としているわけです。
他人の誰彼が区別できても、『私』が発生する根拠がないのです
云々とありますが、それはただ単に最高位さんが
仏教的思想がお気に召さないからではないでしょうか。
見解の相違はこの一点であります。また重要なところです。
根拠を披瀝していただけますか?
その言からまったく読んでは居られないようですね。
958 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/21(土) 02:43:38 0
>>942 :362:
>この「すべては空」という言表の“表出主体”は何なのか・・・
別に大した問題ではないでしょう。
「私」です。絶対的存在で無い私です。
いいですか存在はしているんですよ、でも其れはあやふやなんですよ相対的なんですよ。
だから10歳の時の「私」と20歳の「私」が同一主体だと言えるんですよ。
絶対的存在なら自己同一性は主張できないでしょう?
20歳の「私」は10歳の「私」と10年間の体験(原因)の因果律から決定した別の存在と定義し直さないといけなくなるでしょう?
「私」は変化するんです、その為には絶対性は邪魔なんです。
>深甚たる意味wを担っている
そんなことはありません、「私」の存在は軽いものです。
「くそかきべら」のようにつまらない物です。
やけに「深甚」とか言ってもったいぶるのは唯識派の得意です。
自派の得意な意識を重要視したいわけです。
しかし意識すればするほど「絶対性」に嵌っていくのが脳(心)の癖でもあります。
>>943 :考える名無しさん:
>縁起だから無自性
そう、縁起は空であり、したがって存在は無自性。
存在は空であるという意味は絶対的存在性は無いということ。
縁起は空であるという意味は絶対的縁起は無いと言う事。
959 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/21(土) 02:51:07 0
>>952 :哲学者最高位 ◆
>『私』の存在性と、『私』の精神活動を、ちゃんと分別して下さい
分別できないと思いますが?
「我思う・・・」は分別できないぎりぎりを表現してません?
精神活動そのものが私に他ならない・・・って事では?
其れはそうと、分別してもしなくても結果は同じ、『私』の存在性、精神活動・・・物体・・・すべて絶対的存在性の無い空性です。
960 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/21(土) 02:59:23 0
>>957 >唯識は「こころ」を主としているわけです。
このスレは、『私』についてであって
「こころ」は、どこまでいっても『私』や『他人』の「こころ」なのであって
ここでは、それを議題にしています
漠然とした「こころ」を述べてみても的外れなんですよ
誰の「こころ」なのかは、重要な事柄です
近代哲学では、第一原理 と言われているんですよ?
それを無視しても、見当はずれですね
無視するなら、無視できる根拠を、論理的に説明する必要があります
>他人の誰彼が区別できても、『私』が発生する根拠がないのです
>云々とありますが、それはただ単に最高位さんが
>仏教的思想がお気に召さないからではないでしょうか。
キミの理解している仏教は、論点がズレていて話にならない と言っているだけで
仏教そのものが気に入らない のではありません
私の知り合いには、長年に渡り仏教を学んでいる人もいますが
キミの仏教観とは大きく異なります
961 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/21(土) 03:13:17 0
>>960最高位さん
勝手に私、他人と分けてスレッドの趣旨を変えるのいけませんよ。
論点がずれている云々とありますが
では書籍を読まれて私の考えと相違する部分をご指摘いただけますか?
962 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/21(土) 03:13:48 0
>>959 >「我思う・・・」は分別できないぎりぎりを表現してません?
我が思う わけです
我が主語で、思うが動詞
簡単でしょ?(笑
分別 というのは、具体的に切り離す という事ではありませんよ
ゴッチャにせず、きちんと分けて考える という事です
それが理解できなければ、所詮は前時代的次元にとどまります
>其れはそうと、分別してもしなくても結果は同じ、
>『私』の存在性、精神活動・・・物体・・・
>すべて絶対的存在性の無い空性です。
そんな宗教的な発言をしても意味ないですよ
それを思っているのは、どう考えたって我であって
我が存在しないかも知れない可能性など どうやったって見出せませんが?(苦笑
「我思う故に我あり」を論理的に覆してみて下さい
963 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/21(土) 03:14:06 0
>>960 :哲学者最高位 ◆
>「こころ」は、どこまでいっても『私』や『他人』の「こころ」なのであって ・・・・・・・・・・・・・
仏教では「こころ」とか「あらやしき」とか言うときは「私」に決まってますよ。我なんですよ。
だって他人の心なんか仏教では意味がありませんから。
だから特に「我の・・・」と言う断り書きは要らないんですよ。
個人の我と外界が相対的に対峙している宇宙観です。
964 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/21(土) 03:16:33 0
あの・・・
じいさんさん
その通りの言もあれば逆もある
どういうことでしょうか。
965 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/21(土) 03:17:57 0
>>961 >勝手に私、他人と分けてスレッドの趣旨を変えるのいけませんよ。
ん?
私と他人
分かれてませんか??
>>963 では我は、どこから発生しているのですか?
966 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/21(土) 03:39:00 0
>>962 :哲学者最高位 ◆
>分別 というのは、具体的に切り離す という事ではありませんよ
>ゴッチャにせず、きちんと分けて考える という事です
分けちゃうと何も意味がなくなるが・・・・
主語の「我」をどう考えろと言うの?
「思う」をどう考えるの。
主語と述語を分けるのは、意味の解体になる。
じいさんの考えはこうです・・・・・・・
「我」が考える事を停止する(死ぬ)と「我」存在しなくなる。
だから「我」の存在性は考えると言う認識活動に依存している。
だから「我思う」は切り離せない・・・と言う事。
言い方を変えると活動(認識、行動)することが「私」そのものである。
もともと生物は「動的平衡状態」でもある。
例を挙げると野球と言う観念は競技をしないと意味が無い。
967 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/21(土) 03:44:05 0
>>966じいさんさん
不思議ですね。その言は理解できますよ。
968 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/21(土) 03:45:25 0
>>965 :哲学者最高位 ◆
>では我は、どこから発生しているのですか?
どこから・・・と言うと?
発生の経緯は、幼児期に外界を意識した時でしょう?
自我の発生と言われている事ですが・・・知らないんですか?
最高位の私とデカルトの我思うの我は同じものなのか?
だったら最高位は神を交えて私論を展開していることになるがそういうことなのか?
970 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/21(土) 04:03:34 0
>>966 >「我」が考える事を停止する(死ぬ)と「我」存在しなくなる。
>だから「我」の存在性は考えると言う認識活動に依存している。
考えるという認識活動?
そんな事は他人もしているのではありませんか?
だったら「考えるという認識活動」は、私の原因性にはなりえませんね
まず私が存在し
その私が、考えるという認識活動によって、私の存在を確認している
という事にすぎません
>>968 爆笑ものですね
本当に頭が固いんですね
>発生の経緯は、幼児期に外界を意識した時でしょう?
>自我の発生と言われている事ですが・・・知らないんですか?
それは自我一般についてであって、我の存在原因ではありませんよ
自我 といったって、無数に存在する他人と、たった一人の我 なんですよ
この、たった一人の我は、なぜ他の人として生まれず、我だったのか という根本問題です
私の存在原因の話なんですよ
自我一般の話じゃ、話になりません
もう少し、深い話なんですよ(笑
>>969 私は、私の哲学を、わかりやすく説明するために
デカルトの、その部分を引用しているだけです
デカルトの哲学全体を主張しているわけではありません
>>970 デカルト引用して分かりやすくなるならそれこそ同じものじゃないとおかしいだろ。
同じものじゃないんなら引用が逆に理解を遠のかせる結果になる。
具体的にどこが同じでどこが違うのか、説明する必要性が生まれるからな。
972 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/21(土) 04:23:41 0
>>970最高位さん
生まれる云々とありますので僭越ながら
じいさんさんの仰る自我とは
生物学的(大脳生理学?)の自我
本能に直結した身を守る自我から色々ありますが
それは後天的な自我です。
最高位さんが言いたいのは先天的自我のことでしょう。
これは哲学で考えると無理が生じます。
一切の後天的要素を破棄して先天的自我なるものを哲学で説明出来ますか?
宗教的な何かを借りなけれ無理があるでしょう。
現に最高位さんはそのジレンマの只中に居られます。
また「最高位さんの自我」を誰かに説明しろとでも?
くだらない謎かけ問答はご自身で問いご自身で結論を出せばよろしいわけで
他の方にその正当性を担保させる必要もありません。
「私の原因性」は「自他を区別、差別するこころの働き」「末那識」です。
通常「自我」です。
追伸
私の仏教の考えがどう違うのか
具体的に指摘してください。
>>972 「先天的」自我ではなくて、「先験的」自我なんではないのかな。
つまり、経験に先立つ、アプリオリなもの。
974 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 04:28:54 0
>なぜ他の人として生まれず、我だったのか
意味不明だな 何を言いたいのか ワラw
975 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/21(土) 04:35:34 0
>>971 >デカルト引用して分かりやすくなるならそれこそ同じものじゃないとおかしいだろ。
私が言っている事を理解できれば、それでいいんだよ
他の、いらん事まで考える必要ナシ
>>972 >じいさんさんの仰る自我とは
>生物学的(大脳生理学?)の自我
>本能に直結した身を守る自我から色々ありますが
>それは後天的な自我です。
>最高位さんが言いたいのは先天的自我のことでしょう。
いや
わかりやすく言えば
私の言っているのは、『私という自我』についてであって
彼の言っているのは、一般論としての「自我意識などの精神活動」の事だね
>私の仏教の考えがどう違うのか
>具体的に指摘してください。
くだらない事で、話が長くなるから面倒だわ
>>804あたりでいいんじゃないの?
ところで
>>965の返事がまだですが?
976 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/21(土) 04:35:35 0
>>970 :哲学者最高位 ◆
>まず私が存在しその私が、考えるという認識活動によって、私の存在を確認している
ならば認識活動なくしては、存在を確認できないことは認めますか?
>無数に存在する他人と・・・・
所詮他人は外界であり、我と対峙するものです。
先の考える事も、他人が考えると言うのは我(主観)から見た客観風景に過ぎません。
>なぜ他の人として生まれず、我だったのか という根本問題です
それが何故根本問題か判りません。
大体他人に自分と同じ様な自我が或ると言う保証はありません。
自我が在るのは一般論ですが、貴方の言う「たった一人の私」と言う感じが他に在るかどうかは自明ではありません。
確かめようが無いのですし。
それどころかかなり違った様子の「個性自我」が在ることが一般的です。
>私の存在原因の話なんですよ ・・・
「なぜ他の人として生まれず、我だったのか」は存在原因の話とは関係ないのでは?
そろそろ寝ますので、また。
977 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 04:35:36 0
>なぜ他の人として生まれず、我だったのか
馬鹿じゃないのw
最高位に生まれないでキムタクに生まれていても「我」だよw
誰に生まれようと、他人ではなく「我」になる。
最高位のばーかばーかw
>>975 だから何がいるのかいらんのかきちんと説明しないとならんだろって話よ。
引用ってのは説明できない子の逃げ道じゃないんだぞ。
979 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/21(土) 04:45:42 0
>>973さん
経験と言われるからにはやはり後天的要素と思います。
先験的と言われますと現在に於いて現象から離れる、を意味しませんか?
そこから織り成される、或いは発せられる言葉が
果たして「真実」を伝えうるものなのか?
そしてそれが「他」に伝えられるのか。
以前のスレで私が宗教的に走りすぎました例の件と深く関係してきます。
これは素人さんも興味が御ありかもしれませんね。
>>975最高位さん
方便とは何か?ご存知ですか?
方便ともう一対、或いは両翼の
「般若」についてもご理解されたほうがよろしいかと。
ついでにほとんどの大乗仏教経典の最初の句
「如是我聞」の意味を勉強してください。
ここは「私」のついて考えるスレですね。
私なりに「仏教」でお話しております。
980 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 04:46:06 0
『何故に自分は自分としてこの世に生まれてきたのか』
かつて存在したこのスレッドの主は
「自分として」の定義づけが出来ず、とうとう自滅www
そういや最高位も、このスレッドに何度か書き込みしていたな 激ワラww
>>979 >先験的と言われますと現在に於いて現象から離れる、を意味しませんか?
「私」があるから私にとっての現象が可能になる。
だから「私」は、先験的。
982 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/21(土) 04:52:43 0
>>976 >ならば認識活動なくしては、存在を確認できないことは認めますか?
そんなの当たり前じゃないの?
で? 何?
もうちょっと頭使ってね
>所詮他人は外界であり、我と対峙するものです。
>先の考える事も、他人が考えると言うのは我(主観)から見た客観風景に過ぎません。
で?
全く反論になってませんが?
意味わかってる?
>それが何故根本問題か判りません。
>大体他人に自分と同じ様な自我が或ると言う保証はありません。
話をすり替えてはいけません
私は、なぜ存在しているのか という話です
>「なぜ他の人として生まれず、我だったのか」は存在原因の話とは関係ないのでは?
話をすり替えてはいけません
私は、他人ではないでしょう
>そろそろ寝ますので、また。
ゆっくり休んで、落ち着いて、よく考えてみて下さい
なんでもいいから反論するのではなく、理解する事を目的に考えてみて下さい
983 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 04:55:18 0
いかなる因果で『私は、私としてこの世に生まれてきたのか』 ?
いかなる因果で『私は、私としてこの世に生まれてきたのか』 ?
いかなる因果で『私は、私としてこの世に生まれてきたのか』 ?
いかなる因果で『私は、私としてこの世に生まれてきたのか』 ?
984 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 04:59:28 0
私は、他人ではないでしょう
他人からすれば、私は他人でしょう
なんでかな〜〜〜〜〜wwww
985 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 04:59:55 0
>>970 >まず私が存在しその私が、考えるという認識活動によって、
>私の存在を確認しているという事にすぎません
つまり、私が考える以前に、「私自体」が存在するという思想ですね。
認識主観とは独立して「私自体」が存在すると最高位氏はおっしゃるのですね。
なるほど。認識主観と独立した「私」が存在するという思想なのですね。
最高位は理解しろしろうるさいけど、ちゃんと筋が通ってれば自然と理解はされるもんだぞ。
賢い人はちゃんとそこを踏まえてるから理解しろなんて言わないもんだしな。
987 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/21(土) 05:02:35 0
>>974 >意味不明だな 何を言いたいのか ワラw
ある程度の知能がないと理解できないだろうね
>>977 キムタクは、私じゃなく他人だね
>誰に生まれようと、他人ではなく「我」になる。
私がキムタクや、他人の体で生まれてくれば、私だろうけれども
そういう話じゃない
そもそも、なんで私なんているものが存在しているのか という根本問題
「他人だけの世界でも成り立つんじゃないの?なのに、なんで私がいたの?」
という事ね
>>978 さんざん説明してるんだが??
それに「我思う故に我あり」の、何を今さら説明せよと?
私の知る限り、一般常識の範囲で議論できるものなんだがね
何を混乱してるのかね??
>>979 >方便とは何か?ご存知ですか?
と言ったんなら、それを説明して、具体的に間違いを指摘すればいいだろ
何の反論にもなってないし
キミは本当に会話のできない人間なんだよな
988 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 05:05:30 0
>>970 >まず私が存在しその私が、考えるという認識活動によって、
>私の存在を確認しているという事にすぎません
上のように認識主観とは独立した「私自体」が存在するのならば、
「私とは主観性そのもの」という最高位氏の『私』の定義と矛盾しませんか?
989 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 05:06:12 0
なんで、よりによって、私は、この私なんだ???
なんで、よりによって、私は、この私なんだ???
なんで、よりによって、私は、この私なんだ???
なんで、よりによって、私は、この私なんだ???
はいはい
また発病したのねw
990 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 05:14:07 0
はいはい ww
ある程度知能のある人は、
なんで、よりによって、私は、この私なんだ???
なんて、小五の子供のようなお馬鹿なこと考えませんし www
>>987 だからwそこまで説明を省くからにはデカルトの我と同じなんだろって。
だったら最高位の私論も神と深い関係にあるんだろって。
それでいいんだよな? 一般的な解釈だとこう思わざるおえないが。
992 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/21(土) 05:16:53 0
最高位氏は、「私」という意識のありようが、なぜこんな感じ方で存在するのか、といっていると思う。
世界の中で、唯一自分にだけわかる「私」。ほかの現れ方(ほかの生き物とかはそうだろう)も可能であり得るのに、
人間である私の意識は、このようである、ということではないだろうか。
993 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 05:17:42 0
そもそも、なんで他人なんているものが存在しているのか という根本問題
この私だけでもよかったのにwww
994 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/21(土) 05:54:11 0
そして、その一回性は「私」の意識からはわからず、他者に言われて初めてわかる。「私」には形がなく、
私に伝わってくる他人の確固たる完全性とはあまりにもかけはなれている。
このように「私」のいしきは、あまりにも不完全で、茫漠としてつかみ所がない。このように不十分なものが
下部構造として働いているのでは、唯物論は決定的ではあり得ない。というようなことかな、と思いました。
995 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 05:56:47 0
なんだかよく分からないな。
「私」のいしきが下部構造というのも意味が分からない。
「私」の意識の漠然とした掴み所の無さは、
それこそ唯物論的な世界観ではないか。
997 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 06:07:45 0
>>995 どこがわからないのかわからないので全体的にいいますが、他人の意識というのは、自分に伝わってくる範囲が限られているので、
明確な焦点を結んで、とりあえずの他人像というのを描くことができる。ところが私については、その広がりがどこまであるのか、
どういった構造を持っているのか、いつまで続くのかという属性が自分ではわからない。この他と私の非対称性は、物質のみによる
唯物論では説明がつかない。というようなことです。
>>997 あのね、私そのものに構造なんて無いのよ。
親から見て子供である私、先生から見て生徒である私、
魚屋からみたら客である私。犬から見たらエサをくれる奴の私。
子供、生徒、客、エサやり人・・・・・の私。
こんなのは唯物論的に考えればスッキリするじゃないか。
999 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/21(土) 06:29:53 0
>>998 言い方が悪かったですね。構造というのは、「私」の「意識」のあり方、そこには必ず構造(順序関係とか)
があるはずですよね。
1000 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 06:33:12 0
その前にね、「私にとっての私」という言葉がおかしいんだよ。
「私にとっての私」という言葉の意味を考えても何も生み出さないよ。
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。