952 :
952 :2008/08/24(日) 22:19:04 0
美を美と感じる仕組みはどもようなものでしょうか。 全て後天的に獲得したのでしょうか。それとも先天的に認識する仕組みが ある程度備わっているのでしょうか。
>>951 確かに、著書から吸収出来るものがあっても創作に生かせるかは
自己の持ち合わせているスキルによりますからね。
うーん、哲学を出来るだけ手っ取り早く勉強しよう
という概念事態がいけなかったようです…
アドバイス通りに興味のあるジャンルを片っ端から読んで
自分の中に咀嚼して消化していくことにします。
ありがとうございました!
>>952 答えるのがかなり難しいので、その問題について詳しく考えたカントの説を一応紹介しておく。
既に知っていたらすまん。
カントは、あるものを「美しい」と人が言う判断は主観的でしかありえない、と考えた。つまり
概念とか規則とかに関わり無く、人は「美しい」という判断をする、と。で、その時人は構想力と
悟性の生き生きした遊びを感じていて、それが美の感覚なんだ、とカントは言った。
「構想力」や「悟性」が人間にアプリオリにそなわっている認識能力である以上、何かを「美しい」と判断することも
アプリオリな根拠に基づいている、ってのがカントの考え。
要するに「美しい」という判断は主観的だけどみんなにそなわっている感覚で、ちゃんと原理があるということ。ちなみに
「構想力と悟性の生き生きとした遊び」っていうのは、例えばある花を見た時の花のイメージと、花を認識するための
色々な概念とがピタリと一致せず、ズレたりズレなかったりという揺らぎがある状態のこと。
申し訳ありませんがソクラテスコンプって事じゃ話が噛み合わないかと思われます。
引き続き
>>948 をよろしくお願い申し上げます
956 :
954 :2008/08/25(月) 01:09:22 0
>>955 ついでに答えておこう。
その言葉はJ.S.ミル(19世紀イギリスの功利主義者)のもので、『功利主義』という彼の本の
第二章「功利主義とは何か」に載っている。英語版wikiによると正確には
“it is better to be a human dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied,
というらしい。「満足した豚よりも不満足な人間、満足した愚か者よりも不満足なソクラテスである方が良い」ってとこかな。
功利主義は「幸福をもたらす行為が善である」っていう思想で、彼はそれを主張する文脈でこの言葉を使っている。
ミルはものすごい英才教育を受けた人で、色々な教育を受けることが個人の幸福につながるという思想を持っていた。
この言葉が言っているのはそういう学びの精神(=不満足なソクラテス)が幸福につながる大切な要素だ、ということ。
957 :
考える名無しさん :2008/08/25(月) 01:57:32 0
>>954 哲学っぽい話でもしたくてウズウズしてるんですか?
2chはカスとかゴミが多いんであんまり期待しないほうがいいですよ。
それと、「醜い」「汚い」のを「醜い」「汚い」とするのも同じ論法なんですか?
>>954 横レス、
主観的なもので、かつ、アプリオリな根拠に基いている、とか、
なんとかかんとかで、揺らぎがある状態のこと、とか、答えになってないのではないか?
959 :
考える名無しさん :2008/08/25(月) 02:21:04 0
自我って何ですか?
960 :
958 :2008/08/25(月) 02:28:55 0
アプリオリな美意識は、アポステリオリな社会制度の上に成り立っている。 言い換えれば、欲求や欲望と違い、社会制度から切り離されて、美意識は存在できない。
時代や文化により美意識が異なることは知られているが、 不易流行といふ言葉が示すやふに、美意識の原像は例へば 円のイデアのごとくに探求される。
963 :
954 :2008/08/25(月) 07:46:41 0
>>954 ちょっと補足と訂正。「醜」「汚い」についてカントは論じていないのでよく分からんが、「構想力と悟性の遊び」が趣味判断(美学的判断)
の原則としてあって、構想力と悟性の二つが調和するときの感覚が美っていうことだな。
>>954 で遊びが美と書いたけど間違いなんで訂正します。すまん。
そこから推測すると不調和なときが「醜」かもしれない。
何にせよ、そういう「美」を感じる仕組み自体は人間にアプリオリに(≒先天的に)ある、というのがカントの主張。
もちろん「何を美しいと感じるか」っていうのは文化や社会や人によって
それぞれ違うから、そういう美意識は言うまでもなく後天的だけど。
964 :
考える名無しさん :2008/08/25(月) 14:14:40 0
あなたの哲学はその程度ですか。お勉強は出来るけど、「それだけ」って感じがします。 調和が「美」としてこの不調和が「醜い」と論じるなら、その調和が不調和になる悟性はなんですか?(どこですか?) この調和・不調和の部分はアプリオリなんじゃないとするなら、あなたの論法は崩壊します。
966 :
考える名無しさん :2008/08/25(月) 16:40:17 0
は?
自分が好きな物を嫌いと言う人がいて、それにキレる 自分が嫌いな物を好きと言う人がいて、それにキレる 両者に違いはあるのでしょうか?
>>954 レスありがとうございます。つまり、学びの精神(=不満足なソクラテス)
は学んでいて常に何かしらの疑問が生じ、その疑問を解決しようと格闘するため
不満足である、そしてソクラテスは学ぶことにひた向きな人間ってことで宜しいですかね。
現代哲学は人類に貢献するためのもの? 社会のあり方や人間の理性の限界を認めた上で 認識とかを体系化するような流れなんですか? 抽象的な物でなく個人的な物、自己の探求といった哲学は、今では個人が哲学するものだからもう廃れてしまったんですか? ショーペンハウアーやニーチェのような哲学者は今はもういないのですか?
>>969 そういうことをすると、一般的には基地外と言われるから、世渡り上手は表立って言わないだけ。
971 :
考える名無しさん :2008/08/28(木) 01:22:25 0
>>970 哲学って言うのは、知りませんが、現代だろうが、近代だろうが、元々は、冷徹に狂おしいものでしょう。
>>963 は、広く哲学的素養もあるみたいだし、哲学的な思考訓練もしている人なんだろうけど、
>>963 のクラスが、美について語るなら、カントの崇高にも言及して、自爆して貰いたいものです。
972 :
考える名無しさん :2008/08/28(木) 02:48:52 0
理論に反証可能性がない
例えば何かがそこにあって、その何かを見た人がリンゴだと言っても もしそれを色盲の人が見たら違う色のリンゴだと言っても 目が見えない人がそれを食べてリンゴだって言っても 視覚も味覚も無い人が匂いでこれはリンゴだと言っても またある人がそもそもこれはリンゴじゃない梨だよ馬鹿と言っても その何かは人のありとあらゆる感覚に訴えかけて その人にとっての何かとして認識させている、 人が認識している世界とは違う『本当の世界』に存在する『もの』=物自体ってこと? うーん分からない。
現代の哲学は脱構築が主流なんですよね、脱構築というのは人間の真理はその時代によってたえず更新させる ということでいいんでしょうか?この哲学は社会における人間のありかたなどを論じているものでしょうか? もしそうなら現代における正しい生き方みたいなことは学べるでしょうか。 それとそこに至るまでに必要な知識、たとえばニーチェを読んでないとわからないとかいう具体的な勉強法を 教えてください、お願いします。
>>975 「現代における正しい生き方」みたいなナイーブさを脱構築に求めない方が良い。むしろ
「正しさ」とは何か、についてあーでもないこーでもないと延々議論したあげく否定的な結論しか出ませんでした、
てのが脱構築の一般的なスタイルだから。「社会における人間のあり方」について知りたいなら社会学の本でも読んだ方がいい。
>>976 ありがとうございます。脱構築とは個人的な真理をマルクス主義の反省などから危険なものと見なして
抽象的な正義を探し求めたけれども、それはなかったという少し悲しい思想なんですね。少なくとも自分にはそう感じられます。
自分は実在主義から哲学に触れたので、別に傲慢とか人を卑下するというわけではないですが、俗人に染まって生きるのは嫌だからこそ
生きる中で自己の精神的な強さとか正しさというのを探したいのですが、こういう考えを持ちながらも世間ともうまくやっていきたい、
つまり他人を大切に考えたい、サンテグジュペリを尊敬する面もあります。
哲学者か小説家にこういう二面性に悩んでる人や解決策を考えてる人はいませんか?教えてください。
978 :
考える名無しさん :2008/08/28(木) 21:46:16 O
人間の思考は言語によって生み出される。しかし言語自体が不完全であるため自由な思考などありえない。ゆえに言語の限界が思考の限界であり人間の限界である。 みたいなことを聞いたのですが、ではあらゆる言語をマスターすれば自分の考えや感情を的確に捉え表現することができるようになるのですか? それと、音楽や美術といった芸術も言語の限界によってそれ自体が与えることのできる感動などにも限界が設けられるのでしょうか?それともこういった芸術は限界を超えた何かを持っているのでしょうか? 稚拙な日本語で申し訳ありません。 教えていただけないでしょうか。
979 :
考える名無しさん :2008/08/28(木) 21:55:11 0
あらゆる言語をマスターするにはどうするんでしょうか?
980 :
978 :2008/08/28(木) 22:44:19 O
>>979 さん
今の私たちが心や考えを的確に表現できないのは単純に語彙力がないからなのか、それとももともと言葉で表すことのできないものが私たちの中にあるからなのかが気になるのです。
全ての言語を〜の部分は行き過ぎた表現でした。スルーしてください。
981 :
考える名無しさん :2008/08/28(木) 23:25:28 0
>それとももともと言葉で表すことのできないもの これは何のことを指してるんですか? >私たちの中にあるからなのかが そういうものはないと思いますよ。上の指しているものを説明できないんでしょ? いくら哲学者の本や格言を得てそれら戯言を会得したとしても、私のように答えられることはできないと思いますよ。
現実を直視すること。他人だけでなく自分をも徹底的に批判し、 (その際に、果たして発狂するのではないか、と思ったりするものだけれど、発狂して困ったりする事というのも、実はそんなに無かったりする。) その上で、自身の行為は正当である、と信じることが出来るのであれば、解は自明となるのではないだろうか。(ヘーゲル読んだこと無い?) 他者(俗人)と自己の境界を過剰に意識することが無くなれば、恐らく悩みは消えるのだから、自我も安定するだろうと思う。 要するに、他人に求めることをやめれば良いのではないだろうか。結局のところ、信じるのも信じないのも、自分でしかないのだから。 まあ、そんなことをいきなり言われても出来るわけがないから、取り敢えずは、ショーペ先生あたりを研究するといいよ。 もっとも、私は哲学者でも小説家でもなく、少々気の触れた一般人でしかないから、参考になるかは分からないけれど。
984 :
考える名無しさん :2008/08/29(金) 00:15:09 0
>他者(俗人)と自己の境界を過剰に意識する これ、分からないでもないんですけど、どうしてこれを意識するんですか?考えたことないでしょ。 >要するに、他人に求めることをやめれば良いのではないだろうか。 さらにこれは他人に何を求めてるんでしょうか? ここらあたりを即答できないんなら、あなたの脳内でもつ語彙が不足しているようだし、そもそも「悩み」の語彙は間違って使ってますよw ヘーゲルとかショーペン先生とか、あとニーチェもよく出てくるけど、それら哲学の偉人たちを読みあさっても悟れないなら、あなたは哲学することに向いてないってことじゃないでしょうか。そこんところを意識したことありますか? まあ、早いところ人を殺しちゃってみてくださいなw
夏休みだねえ・・・・・・・
他人の回答に上から目線で文句をつけて自分が偉くなったかのように錯覚し、脆弱なプライドを満足させているんですね。
987 :
977 :2008/08/29(金) 00:25:07 0
>>982 ありがとうございます。たしかにその考えでは自分の中での信念みたいなものは
手に入るでしょうが、自分には他者と距離を置く、信じないという考えは出来そうもありません。
それを変えるにはおそらく自分に逆らって反抗するしかないでしょう。ショーペンハウアーとか実在主義も
読みながら社会学、脱構築やポストモダンなどを読んで色々考えてみようと思います。
989 :
考える名無しさん :2008/08/29(金) 00:28:14 0
どうせ本を読むなら、チンチンをしゃぶりながら読むとしっかりと頭に入りますよ
990 :
考える名無しさん :2008/08/29(金) 00:31:00 0
ペロペロキャンディーと変わらないのかよ
991 :
考える名無しさん :2008/08/29(金) 00:42:06 0
>>986 下らない回答であるにも関わらず、これに気がつかず、ちゃんと答えたような錯覚をしてしまってるのは愚か者じゃないでしょうか?
回答が下らないと思うのなら別の回答を黙って書けばよいだけ。
993 :
考える名無しさん :2008/08/29(金) 01:30:26 0
いつもあなたは偉そうにしてますねw
994 :
考える名無しさん :2008/08/29(金) 01:43:13 0
チンコの先っちょから出る我慢汁がまたすんごいんだよね
995 :
952 :2008/08/29(金) 06:08:40 0
>>954 遅くなりましたが、回答ありがとうございました。
美が「構想力と悟性の二つが調和するときの感覚」とすると、こんどはそれを感じる仕組みは?と
まだまだ悩みは続きそうです。
>「美」を感じる仕組み自体は人間にアプリオリに(≒先天的に)ある、というのがカントの主張。
これは私もそう思います。
美学aestheticsという専門学科がちゃんとあるから カント以外にもいろいろ読んだ方がいい
997 :
952 :2008/08/30(土) 09:43:07 0
勉強して出直します。
ポストモダンって哲学板で言葉遊びとかいって馬鹿にされてますが、基本的な思想と なぜ叩かれているのか教えてください。
999 :
982 :2008/08/30(土) 22:37:59 0
>>984 あなたが質問者でないから(或いは自身を質問者という立場に置くことを想像できないから)分からない、というだけではないだろうか。
というのも、
>>987 を見るに、質問者である977氏は了解されたようだから。
他人に意見を求める際に、自分の主張、考えを述べないということは、それが無いからに他ならない。つまり、あなたこそ考えていない。
また、仮にあるとしても、それを表現する義務がある。何故なら、関係とは、前提となる情報が無ければ成立しないから。
取り敢えず、分からないらしいから解説すると、977氏は「俗人に染まって生きるのは嫌」、と仰った。
これは即ち、他者の価値観を基準として自己の人格を変容させるということである、と私は解釈した。
ならば、他者との私的関係(プライベートの付き合い。もっといえば、親交を深めようという思念。)の構築を前提としなければ、そんなことはどうでもよくなるだろうと思った。
要するに、義務を遂行するために必要なのは公的関係でしかないのだから、私的関係を希求するのは他者を過剰に意識した故であろうと思った。
もっとも、私は完璧などありえないと信じているけれど。
幾ら保持している語彙が豊富であろうと、文語で会話できる人間なんてほとんど居ない。一般的且つ平易な言葉で説明できないのであれば、理解していないのと同じだ。
つまり、学術用語を並べて分かった気になるのは衒学家くらいであって、学者でなくとも良識ある一般人であれば、そんなことは恥であると思うだろう。
あなたは、「悩み」という単語を私が使用した事が間違いであると自身の言葉で証明出来なかった、或いは証明する義務を怠った。
あなたは、哲学などというものを学ぶ前に、先ずは日本語の勉強をした方が良いと思う。そうでないと、生活に困ることになりますから。
第一、自宅警備員さんや学生さんといったモラトリアムな方々でもない限り、即答など出来ませんよ。
私は、哲学をしたいなどと思ったことは一度も無い。答えを出せないと、何かから逃避したようで腹立たしい。だから考えている。それだけだ。
私に、人を殺してメリットがあるだろうか。自身の稚拙な願望を投影しないで頂きたい。有能なら、他者を生かせ。
私が夏厨にレスを付けたのは、中途半端なところで埋まっていないスレを埋める為に他ならないので悪しからず。
1000 :
考える名無しさん :2008/08/31(日) 01:51:55 0
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。 しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。 ・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。 人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から 分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。 勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。 分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。 「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は 全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。 『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。 「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により 決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。 量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。 以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る 『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
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