未来の未知性に対してもうすこし謙虚であれば、歴史主義はぜんぜん悪いものではない。
でも、このディセンシーはどのようなものであれ、社会理論には求めがたいのである。
社会は変化し、それはそれなりの必然性があるのは後になるとわかるが、
どういうふうに変化するのか予見することはきわめて困難である・・・という身の程をわきまえた
「ディセントな歴史主義」というものがあれば、ずいぶんと気分のよい思想であろうと思うが、
残念ながら、人類はそのようなものをこれまで所有したことがない。
閑話休題。
マルクスのいちばんよいところは、「話がでかい」ところである。
貨幣とは何か、市場とは何か、交換とは何か、欲望とは何か、言語とは何か・・・
そういう「ラディカルな話」をどんと振って、私たちに「ここより他の場所」「今とは違う時間」
「私たちのものとは違う社会」について考察させる。
マルクスのこの「風呂敷のでかさ」に私は満腔の賞賛を惜しまない。
例えば、私たちの国の識者たちの多くは「日米同盟」なるものを異論の余地なき前提として
国際関係を語られるが、63年前にそのようなことを語った人間がいたら
(幸い一人もいなかったようだが)特高に拉致されて、
竹刀で死ぬほどぶちのめされていたであろう。
実際には、もっと短いインターバルで私たちの「議論の余地なき前提」は繰り返し瓦解している。
にもかかわらず、依然としてメディア知識人たちはほんの十数年以前には遡ることの
できない状況を昔からずっとそうであり、これかもずっとうそうであるかのように語る。
もう、いい加減に「世の中、確実なものは何もありません」という涼しい達観に手が届こうものだが、
ぜんぜんそうならない。
不思議である。
そういう話の「せこさ」に対する倦厭感が、あるいは
「プチ・マルクス・ブーム」の背景にあるのかも知れない。
私自身は高校時代以来、マルクスを定期的に読み返す、かなり忠実な読者である。
クロード・レヴィ=ストロースは論文を書き始める前には必ずマルクスの
『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を繙読するそうである。
別にその中に人類学的知見が豊かに述べられているからではない。
マルクスを数頁読むと、がぜん頭の回転がよろしくなり、筆が走り出すからである。
私が論文を書き始める前に「あんこもの」を食すのと(スケールは違うが)理屈はいっしょである。
マルクスは私たちの思考に「キックを入れる」。
多くの読者たちはおそらくそのような効果を期待してこれまでマルクスを読んできたはずである。
私はそれでよいと思う。
マルクスを読んで「マルクスは何が言いたいのか?」というふうに訓詁学的な問いを立てるのは、
あまり効率のよい頭の使い方ではない。
それよりはむしろ、「マルクスを読んでいるうちに、急に・・・がしたくなった」
というふうに話が横滑りをし始めることの方がずっと楽しいことだと思う。
「知性とは何か」について、私の知る最高の定義は(繰り返しご紹介した)
グレゴリー・ベイトソンのそれである。
ベイトソンによれば、知性とは何か?という問いに、知性はこう回答した。
That reminds me of a story.
「そういえば、こんな話を思い出した」
マルクスを読んでいるうちに、私たちはいろいろな話を思い出す。
それを読んだことがきっかけになって、
私たちが「生まれてはじめて思い出した話」を思い出すような書物は繰り返し読まれるに値する。
マルクスはそのような稀有のテクストの書き手である。
> マルクス読めんから相対化も絶対化も出来んw
こういうこという人が実は一番優柔不断なのよ
955 :
漱石「幻の講演」、旧満州地元紙に 「人には三タイプ」:2008/05/24(土) 21:09:47 0
作家夏目漱石が明治末、旧満州(中国東北部)の大連で行った講演の内容が、地元の
「満州日日新聞」に掲載されていたことがわかった。講演していたことは知られていたが、
内容はこれまで「不詳」とされていた。漱石の人間観がうかがえる興味深い内容だ。(牧村健一郎)
漱石は1909年9月から10月にかけ、旧満州、朝鮮半島を旅し、講演を3回している。
うち大連での講演については、岩波書店刊の漱石全集でも「掲載紙誌の有無についても不詳」
とされていた。
満州日日によると、09年9月12日午後7時から、大連の満鉄(南満州鉄道)従事員養成所で
200人の聴衆を前に1時間余り講演した。この内容が「物の関係と三様の人間」というタイトルで、
9月15日から同紙1面に5日間にわたり連載されている。400字詰め原稿用紙にすると約22枚
分の分量がある。
人には「物と物との関係を明(あきら)める人(科学者など)」「物と物との関係を変化せしむる人
(軍人や満鉄社員など)」「物と物との関係を味(あじわ)う人(文芸家など)」の三つのタイプがあり、
社会の進展には、三様がバランスよく発展していく必要がある、と述べる。英国の画家ターナー
の絵や新興のアメリカに芸術家が少ないことに言及、人間観、文明観をわかりやすく説き、
漱石の肉声がうかがえる。
満州日日新聞は満鉄傘下の日刊紙。国立国会図書館は同紙を所蔵しているが、07年の同紙
創刊から2年ほどは欠けていた。同図書館は97年に同紙のほぼ全期間をカバーするマイクロ
フィルムを購入、このマイクロフィルムに講演記事があった。
岩波版漱石全集の元編集者で漱石研究家の秋山豊さんは「初めて見た。人間を三様に分けて
考えることはかつての講演にもあるが、(新開地の)大連に多い『変化せしむる人』にも他の二様
が必要であることや、『変化せしむる人』はせわしなく生きざるを得ないと指摘し、この視点が後の
日本の開化への批判につながる」と分析している。
原武哲・福岡女学院大学名誉教授(近代文学)の話 講演の事実は知っていたが、内容が
判明したとは驚いた。講演だから親しみやすいのではないか。漱石研究者だけでなく、漱石
ファンにも喜ばしい知らせだ。
俺も満州に住みたかったな
|; |
|; |
|; |
|; | そこの君。俺養わない?
|; | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄y ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|; |
|; |
|; |
|; |_____
|; /\( ´_ゝ`)\
|; \/| ̄ ̄ ̄ ̄|\
|; | \|_養え。__|
`'''''' ∧∧
(・ミ ) …。
と |
、、 。――――。/ UJ
958 :
考える名無しさん:2008/05/25(日) 11:16:27 0
新書の 貧困とデブ まだ?
(1)グローバリゼーションは、ジェノサイドである。
(『ジェノサイド』は、国民、文化、宗教、人種などに対する計画的
絶滅を意味する)
(2)グローバリゼーションの推進主体はロンドンに本拠を置く国際金融寡頭
権力(オリルガルキー)である。
(3)彼らの原則は、すべては、消耗品である、すべては使い捨てさるべき
ものである。
(4)グローバリゼーションの核心的政策の一つは、国民国家の破壊である。
(5)グローバリゼーションの主要な利点は、
生産基地をもっとも安い労働賃金で労働者を雇用できる場所に移すこと。
(6)彼らの目標は、地球上の人口のドラマティックな大削減である(つまり
地球人口の大量殺処分)。
(7)この地球人口大量殺処分の主要な方法は、
餓え
病気
戦争
そして金融戦争である。
ファンキーシーズのライブに行きたいのだが、芸音アカデミーの場所って、ペットのデパート、東葛の中にあるのか?
961 :
山口二郎氏以外はよく分りませんでした:2008/05/25(日) 17:42:24 0
柄谷氏は、イラク戦争の時、外国でテレビを見ていて
日本の反対デモが全く伝えられなかった、と言ってました。
講演の筋立てという事もあるでしょう。
962 :
考える名無しさん:2008/05/25(日) 18:06:24 0
963 :
考える名無しさん:2008/05/25(日) 19:42:58 0
>>889 それが本当なら、そのことを活字化しない、かつて桐山カサネが
東アジア反日武装戦線と無関係であることを暴いたこともあるスガは
信用できない男ということになるな。
本当ですよ
その辺の柄谷による柄谷自身の情報操作は
そのうち誰か暴いてくれるでしょうね
攝津正の新著 「HUMAN LOST」
966 :
考える名無しさん:2008/05/25(日) 22:37:00 0
>>963 西部さんに聞けばわかるのでは?
同じ寮だったんでしょ。
誰が聞くの?w
968 :
考える名無しさん:2008/05/25(日) 23:21:05 0
西部スレでw
969 :
どうでもいいかもしれないが、:2008/05/26(月) 00:17:25 0
また本人のみ一人だけが気付いてないようなので一応突っ込みを入れておく
>■[Q-NAM][インターネット]飛弾さんのブログ 23:55
持続的な考察に敬意を表したい。が、僕とは意見が異なる。
http://blog.livedoor.jp/hida_2005/ 久々にこのブログを読みましたが、執拗に理論的=実践的考究が持続されているのに驚きました。
西脇さんのブログもそうですが、そういう場所は貴重だと感じます。
自分は柄谷行人の思想=NAM原理を全面的に放棄し否定した者ですが、
しかし、その道を歩まなかった人々の模索に敬意を表したいと思います。
>2008-05-09 NAMホームページ移転■[Q-NAM]ホームページ移転
前のサーバが潰れたので、ホームページ移転しました。
http://park.geocities.jp/nam_japan2008/ 5月9日に、NAMのホームページを新たに立て直していて、それでなんで
>自分は柄谷行人の思想=NAM原理を全面的に放棄し否定した者ですが、
という言い分が今、通用しているのか?
なんでNAMのページをまた勝手に一人で作っているのかさっぱり意味が分からないでしょう。
全面的に放棄し否定したのなら、NAMのページのたとえ管理だけにせよ
一切身を引くべきだろうし、そうでなければ発言の一貫性がないものとして、これは腹の中に
何を考えてるのか不明だということで、一切が信用さえ発生しないだろう。
本当に、うんざりさせるのは、こういう側面だろ。
970 :
伯爵:2008/05/26(月) 01:15:58 0
社青同再建に関わったというのが柄谷自身の言い分で、しかし当時のリーダー格に聞いたところでは、柄谷はアジビラの文案を考えただけだった、と吉田司がAERAで書いていた。のはもう6年前?
左翼運動というのは、真面目に運動担わされてる労働者よりも
いつも上から乗っ取ってやろうとする人物のほうが強いんですよ
運動の遺産を上からかっさらって成功したのが
要するにヒトラーの政権奪取とか
972 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 06:40:19 0
攝津さんのペニスをいそいそとしゃぶりに行くタニケン
>自分は柄谷行人の思想=NAM原理を全面的に放棄し否定した者ですが、
という言い分が今、通用しているのか?
例えば、左翼支持者ではない右翼が左翼に関する観察ページを作成しても
おかしくない。それと同様では?
このあたりピエールによる読解の杜撰さでは。
それに続くところでも、
>そうでなければ発言の一貫性がないものとして、これは腹の中に
何を考えてるのか不明だということで、一切が信用さえ発生しないだろう。
でも、せっつの場合、発言は一貫して柄谷の思想=NAM原理は支持しない、
と退会後は同じだし、転移した対象にいずれ怒りをぶつけるというパターンも
それなりに続行しているので、
観察者として言えば考えも見え透いてるしこうなるとこうするだろうな
という形では信用もできるといえる(だから言葉尻を取っていじめることも
容易い)。
少なくともその程度のことであればこのスレッド読者は言えると思うが。
974 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 08:38:10 O
せつつが作ったサイトがNAMに対する考察を内容とするならば、
>>973に賛同できるんだがなぁ
せっつは対象への依存と不満を述べることはできても
対象についての考察ができないからなー。
知的なものがないんだ。
これさえありゃ、NAMの唯一の総括者として
新時代の論客として旗揚げできるのに。
今からだって遅くないんだけどな。
事実、せっつとピエールが注目されてる理由って
オカマだからじゃないし
音楽プレカリアートだからでもなく、
NAMデヴューだから。
>>963,966
仮にそうなら、今でも交流のある西部のほうが信用できないな。
> 例えば、左翼支持者ではない右翼が左翼に関する観察ページを作成しても
> おかしくない。それと同様では?
> このあたりピエールによる読解の杜撰さでは。
この人要するに摂津という人物のやった行動の前後関係が全く読めてないだけですよ
まず一つ例を出せば、彼は03年にQへの執拗なネット攻撃をやったが、その数ヵ月後には
撤回し2年後には雑誌に原稿をのせてもらう関係から、見事に掌を返して謝罪しQ翼賛人間
となって、ヨイショヨショの歯の浮く連発となり、mixiでQコミュ立てたのも彼だし、至る場所で
肛門丸出しのオベッカ大会を演じて回った。この摂津に論理的一貫性はあったのか?
やっぱり全然ないんだよ。Qと鎌田に対する掌の返し方を見て鈴木健太郎のように摂津に
見切りをつけ離れていった人もいた。
NAMのホームページを立てるのがNAM内の人物だろうと外の人物だろうと、
それは発言に安定性のある人がやるべきだと思うが、
これは至極常識的な観点の話にすぎない。
しかし要するに、今回摂津がNAM−japanなるページをまた分裂的な一時凌ぎで作ってしまった
理由は、このスレで摂津NAMやれと煽った、また無責任なアホがいるからですよw
摂津が責任能力ない精神病者だと司法の法廷ではいいうるならば、
それじゃあ摂津を利用しようといい加減な囃し立てをする大人の方が悪い、
という話になるわなあ。
978 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 13:01:18 0
> 事実、せっつとピエールが注目されてる理由って
> オカマだからじゃないし
> 音楽プレカリアートだからでもなく、
> NAMデヴューだから。
どこまでこのおっさんアフォなのかよと思うが
ピエさんのデビューは、だめ連時代のテレビタックルだよ
ピエさんが界隈を沸かせたのは、あの歴史に残る
談志VSピエールのTV論戦だった。
(これはディレクターが同じで番組はタックルじゃなかったが)
> これさえありゃ、NAMの唯一の総括者として
> 新時代の論客として旗揚げできるのに。
摂津がNAMについての語り部となってしまう事態は、絶対悪質だから避けるべきでしょう
摂津は元から研究もネタもないんだから、明らかにNAMのことをネタにして
アピールして商品化しようとして企てているけど、もし摂津のようなものが
その事件の語り部を演じてしまったら、あの糞のようなテキトーでいい加減な情報操作への
怒りは爆発するわけで、それだけは断固として反対すべき。
冗談じゃない事態として。
摂津は、他に特に語ろうとするもののない忌まわしい事件であり、かといって
下世話に興味だけはもたれているNAMについて、最初から狙ってるのはわかるわけであって、
しかし摂津にその資格が全くないことは、改めてはっきりと言える。
テレビタックルでは、大竹まことにいびられて卑屈にニヤついていたとか聞いたけど
「聞いたけど」じゃなくて、自分でビデオ入手して見てから言ってください
大竹まことは、ペペの振った、ピエールたけし軍団入りを狙ってる発言に対して
「いいなあ・・・」と好感を見せていた。
ペペが振ったときに瞬間、頬がビクついたのが
当のたけしさんの反応だったが。
982 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 14:30:09 0
>953
マルクスは「一切の批判を許されない絶対的な聖典」で、
「左翼が略奪・殺人を行う権利の唯一の源泉」じゃないのか?
国家の法律は「一切の批判を許されない絶対的な聖典」で、
「権力者が略奪(徴税)・殺人(死刑)を行う権利の唯一の源泉」じゃないのか?
だから「超自我」の問題とは(掟の問題)、柄谷のスタイルからは
分離させて考えなければならないわけよ。
柄谷では、正確に超自我の問題を語れない
あれは戦中戦後的日本の強迫観念の名残だね
>もし摂津のようなものが
その事件の語り部を演じてしまったら、あの糞のようなテキトーでいい加減な情報操作への
怒りは爆発するわけで、それだけは断固として反対すべき。
冗談じゃない事態として。
じゃ、せっつさんには、ますますNAMの総括者第一人者の顔つきで
デヴューして欲しくなるなあ。
だってそうなると、おっしゃるような事態になるんでしょ?>怒りは爆発する
つまり、これまた見事なピエール節が炸裂する形で
お二方がデヴューを果たす結果になる。
これはこれですばらしい、この上なきNAM的成功じゃなくて?
切にそうなることを願うよ。
とにかく、せっつさん、ピエールさん、
両氏がお互いに攻撃し合う中で
何かNAM的なものや新しい運動めいたものが
より高度に研ぎ澄まされていく様は圧巻だった、
ということになれば、万人にとり有益なことなんで
よろしく!
987 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 15:23:15 0
>>985 > だってそうなると、おっしゃるような事態になるんでしょ?>怒りは爆発する
こういう逆説は確かにあるかもね。
この逆説を起動させるために、あえて目立ちたい人には
先頭に出てやってもらうというのも、ありかもしれんね
>>975 頭のいい人間はNAMに深入りしなかったか、雑用させられずに済んだから恨む理由もないんだろ。
浅田とか岡崎とか。
それはただ狡賢いだけ
991 :
琴欧洲が特製「チーズ丼」で:2008/05/26(月) 18:12:53 0
千葉・松戸市の部屋での朝げいこ後、
電子レンジで加熱したチーズをのせた丼飯を3杯たいらげて
「今、体重を増やしている。(初場所前の152キロから)154キロぐらいになった。
押し負けないようにね」と話した。
夏場所までに160キロ前後を目標にしている。
増量の秘密兵器がチーズ丼だ。丼飯の上に厚切りチーズ3〜4枚をのせる。
米飯どんぶり1杯が約400〜450キロカロリーで、チーズ1枚が約70〜80キロカロリー。
チーズ丼3杯で、丼飯5杯分とほぼ同じカロリーになる。
体重とともに調子も上向いてきた。
992 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 18:16:27 0
岡崎はサークル活動に熱心だっただけ
百科全書とか
まあやっぱりそれは、NAMで点取り稼ぎやって
それでボスから大学の食まで、スガちゃんと同様に頂いた、
せしめたというわけだから、うまくやったという事には違いない。
要するに、うまくやる、ということで言われてることはこういうことなんですね。
それはそれで勝手にうまくやってください、やった積もりなってください
としか言い様がないが(利益誘導から責める事まで徒労である)
それはそれでメタくそつまんない、見た人々を白けさせる、
芸術性のかけらもない事件だったことには変わりないでしょう。
NAM中間管理職組としてのスガ、岡崎同様に。
ル・サンチマン
995 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 19:02:00 0
かといって、人は、うまくやれない事態に開き直ることはできないわけでさあ
うまくいくものの一方には、必ずやうまくいかないものの残余が生じ
またうまくいかないことの可能性は穴として残るわけだけど。
うまくいかないことに開き直ると、要するにダメの王国化、特権化が生じてしまって
それはそれで倒錯した事態には違いねえ。
うまくいくことの倫理とは常に問われ続けざるえないんだけど。
物事をうまくいかそうと試みが努力になるとき、そのとき始めて倫理という位相が発生するのね
ダメで開き直ってる中には、倫理の問題とは発生さえしやしない。
うまくいかそうとすることは、いわば人間にとって本能に当たってるから
社会として全体としては、常にダメの本能よりは、うまくいくの本能のほうが勝つように
できあがっている。だからダメ王国の存在とは最初から虚妄。
まあ要するに、狭義のNAMの内部だけでは、うまくやることは不可能なんだ
ということが、よくわかった、
ということだと思うよ。
997 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 19:30:09 0
まるごと☆デブダちゃん
998 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 19:50:50 0
革命運動なんだからうまくやるやらないなんて関係無いと思うんだが。
外側から見てるとね。
でも結果として、猿山の権力争いだったということだな。
スキルも何もない一兵卒が損したように見えるのは、NAMが猿山だったことが
ばれちゃったから。
999 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 19:53:19 0
997 名前:考える名無しさん :2008/05/26(月) 19:30:09 0
まるごと☆デブダちゃん
998 名前:考える名無しさん :2008/05/26(月) 19:50:50 0
革命運動なんだからうまくやるやらないなんて関係無いと思うんだが。
外側から見てるとね。
でも結果として、猿山の権力争いだったということだな。
スキルも何もない一兵卒が損したように見えるのは、NAMが猿山だったことが
ばれちゃったから。
1000 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 19:54:31 0
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1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。