◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない117◆
1 :
考える名無しさん:
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
前スレ
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない116◆
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1201530105/ 過去ログ
http://www.emit.jp/ai/ai.html
2 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 01:15:06 0
決定論を否定するために、偶然などを持ち出して批判する事があるけども、このような批判は成立しない。
自由意志とは自己決定権の事であり、自分の意志で結果を決定できるという事である。
自分の意志が及ばない偶然に翻弄されて、結果が決まるとすると、自由意志は否定される。
因果性を否定して、結果が偶然に翻弄されて決まる、とすることを運命論といい、決定論とはいわない。
偶然の介在を認め、偶然性が存在するとすると、「偶然とは自由意志の及ばない要素」という意味であるから、
自由意志は否定されるのである。結果が自由意志とは無関係の要素によって決まるというのだから。
因果性を認める決定論は、不可知と両立し、この限りにおいて相対的に自由意志が認められるのである。
この指摘は数年前に西脇与作の論考で読んだ覚えがあるのだが、参考文献を幾つか挙げていたので、
同様の指摘をしている哲学者は他にもいると思われ、それほど特異な見解でもない。
カントを見れば判るように、純粋哲学と応用哲学(実践哲学)との間で齟齬があってもかまわない。
法哲学などの応用哲学で、刑法上の理由を挙げて自由意志を肯定する意見もあるが、
「法学上の範囲で自由意志の存在が要請される」と規定すればいいだけであり、
純粋哲学上の結論を、応用哲学に持ち込む必要も無く、両者が矛盾していても差し支えない。
従って、法学の要請を持ち出して、純粋哲学を論難しても無効であるし、応用哲学に純哲が翻弄されるいわれも無い。
ましてや、俗流人生論を持ち出して、感情的に反発する行為は言語道断であり、不当な要求は否定される。
決定論を、キリスト教神学の「予定説」と同一視するのも間違いだ。どちらかといえば仏教の縁起論に近い。
決定論を否定すれば縁起も否定され、龍樹も否定されるのである。
そもそも人生論など、哲学の範疇ではないのだ。純粋哲学だけが哲学である。
純哲は事実解明する営為であり、人生などに言及する応用哲学(実践哲学)ではない。
もちろん存在論たる唯物論や機械論、決定論も世俗から離れた存在論的考察であり、
人生や日常生活などに言及するものではないし、援用するのものでもない。
応用哲学たる法哲学や、俗流人生論などを振りかざして感情的反発しても、批判に成らないのである。
3 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 01:15:29 0
4 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 02:33:11 0
ここは不思議スレ
機械じゃないやつがなぜか仕切ってるし
みんなそれをまったく無視するしw
6 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 00:45:14 0
未来は、予見不可能な無。
一見論理的に見える決定論は、
知性が時間を空間として、捉えようとしてしまう事による、
論理的錯誤。
何故なら、知性は時間を、過去、現在、未来と、
直線的(空間的)に捉えるが、
意識が実際に知覚しえるのは、
現在の瞬間の周辺「只今」であり。
その只今に生起される、世界の連続的創造こそ、
実際の時間なのだ。
決定論的な時間の認識とは、
知性が時間を理解しようとするとき、
空間としてしか認識できない事による、
錯誤である。
過去も未来も、実際に意識が体験する事はない。
現在の瞬間と、その周辺「只今」、
その連続こそが、実際の時間そのもなのだ。
知性は、記憶と言語によって、
意識に生起する世界を、連続として捉え、
時間を、決定論的、空間的な構造として理解しているが、
それは、ある程度まで有効であっても、
実際の時間を、実は捉えていない。
故に、決定論的な時間の理解とは、
錯誤であるといえる。
ただし、人間に自由意志などない。
現実の世界は3次元+時間のたった4個の情報でしか認識されない。
昔は誰だって初期条件を数個のスカラー量で指定できるのだと思っていた。
ところが実験の結果、複雑な関数だったわけだ。
人間が現実の存在でいる限り、
常識的な生活観で初期条件をイメージすることは永遠に不可能。
非常識な式を最小限の解釈でもってそのまま受け入れるのが吉。
でも、どの派閥も自分らこそが最小限の解釈をしていると信じているわけ。
8 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/07(木) 10:58:28 0
生物の進化も何ら,決定ではないな。
しかも、「種」というものすら決定されておらん。
つまり、生物というのは非決定論的存在だ。
くっくっく。
決定にも通常適用範囲みたいなのがあるんだろう。
だからそれを普遍化できる機械的唯物論と親和性が高い・・・と。
>>9 :考える名無しさん:
「適用範囲」と言うのを決定論的に説明してみて?
そんな事より「進化論」的に見て、この人類が種として生まれたのは必然か偶然かと言うことのほう面白い。
>>8 進化に決定/非決定て観念を導入するのはどうかと思うな。
哲学者(生物学の素人)が関与できる観点ではあるが。
12 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 18:20:32 0
決定論で無い進化論は無い。
進化という言葉の中に因果を包摂している。
進化論も決定論も科学論ではないから反論できない
事も同じだね。
13 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/07(木) 18:24:33 0
>>12 > 決定論で無い進化論は無い。
> 進化という言葉の中に因果を包摂している。
そのとおりだ。
生物の多様化が非決定であれば,進化と言う言葉を使うのは間違っておるな。
進化論ではなく,変態論にかえれば良い。
ネオダーウィニズム的に見て,究極の変態は人間だとか言うわけだ。
くっくっく。
>>12 進化論を決定論だと思い込んで攻撃すると進化論スレの超絶対神みたいな目に合う。
>>13 そんなこと言ってるから進化論スレで相手にされないんだよ。
獲得形質は遺伝しないという基礎的な指摘をここでして議論の種を与えたのは私だが
超絶対神はちょいと暴走しすぎじゃないかな。
じゃオートポイエーシスは決定論的か。
決定の適用範囲がない(つまり普遍化された概念)というのが問題なんだろう。
人間知に於いては万物の原理原則のように普遍化してしまうと意味ないものが多い。
17 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/07(木) 18:31:44 0
>>14 >
>>12 > 進化論を決定論だと思い込んで攻撃すると進化論スレの超絶対神みたいな目に合う。
結局,全員,儂にコテンパンにされておるがな。
くっくっく。
>>15 > じゃオートポイエーシスは決定論的か。
決定論と非決定論は,互いに内包し合っておるのだ。
あ〜、それから、進化論スレでは、どう足掻こうと、進化学者と言う専門家の意見が正論なのだ。
そして,進化学者の総意は「進化論は哲学もどきで、単なる一つの考え方」だと言うことだ。
くっくっく。
18 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 18:54:43 0
>>13 >生物の多様化が非決定であれば,
生物の多様化は事実であり既に決定されたことだ。
進化は変化や変態ではなく秩序化・構造化・複雑化
を増すことだ。エントロピーの減少が進化といわれる。
19 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 19:03:46 0
>>17 超絶、、、ほんにお前は屁のようだw
なんか主張は無いのか主張は?
人様のレスに食い下がるだけなら猿でもできる
目指せ、IQ25からの脱却w
>>17 進化学と言えばエルンスト・マイアだけど生物学というより科学哲学ではないか。
>>13 :走召 糸色 文寸 ネ申:
>進化論ではなく,変態論にかえれば良い。
私も「生物の多様化が非決定」と考えていますので「進化」の文字は誤解を生むので使用反対です。
進化論で最も重要なポイントは人間の祖先がアメーバだと言う事です。
ですから「変化論」などどうでしょう
>>13 >生物の多様化は事実であり既に決定されたことだ。
あのですね・・・非決定という意味はどのように多様化するかが決定されていない落ちう事。
判るかな?
生物の進化(変化)の過程で人と言う種が生まれた事は必然か偶然かと言う問題。
>
追記
訂正 三行目・・・・・・「落ちう事。」→「と言う事」
それから
>進化は変化や変態ではなく秩序化・構造化・複雑化を増すことだ。
複雑化はエントロピーの増大じゃあない?
25 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 19:42:37 0
>>24 複雑と乱雑は違うね。蘭座地はエントロピーの増大だけど
複雑は情報が豊かなこと、すなわちエントロピーの減少と言うか
マイナスエントロピーの増大だね。
情報とはマイナスエントロピーのことだ。
26 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 19:43:34 0
27 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 19:44:56 0
28 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/07(木) 20:25:28 0
>>18 >
>>13 > >生物の多様化が非決定であれば,
> 生物の多様化は事実であり既に決定されたことだ。
> 進化は変化や変態ではなく秩序化・構造化・複雑化
> を増すことだ。エントロピーの減少が進化といわれる。
だから、環境の大きな変動に通中できなくなるわけだ。
進化とは言えんな〜。
画一化の間違いではないのか?
環境が大変動すれば、生き残れるのはクマムシくらいのものだ。
くっくっく。
>>19 >
>>17 > 超絶、、、ほんにお前は屁のようだw
>
> なんか主張は無いのか主張は?
決定論と非決定論は互い内包し合っておると言っておるだろうが。
お前が場蚊なのは儂のせいではないぞ。
あ〜、それからな、「進化論は科学ではない」という儂の主張が、進化学者に支持されておるからと言って僻むでない。
くっくっく。
29 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/07(木) 20:27:03 0
30 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/07(木) 20:27:52 0
>>21 >
>>13 :走召 糸色 文寸 ネ申:
> >進化論ではなく,変態論にかえれば良い。
>
> 私も「生物の多様化が非決定」と考えていますので「進化」の文字は誤解を生むので使用反対です。
> 進化論で最も重要なポイントは人間の祖先がアメーバだと言う事です。
> ですから「変化論」などどうでしょう
よかろう。
くっくっく。
31 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 20:37:54 0
>>28 環境変化が有るたびにそれに適応した生物が現れる。
それが生物の進化だろ。
恐竜が絶滅しなければ人の祖先である哺乳類の繁栄もなかっただろう。
どんな環境の変化にも適応して進化するよう生物界は決定されている。
>>29 これはちょっとあやしいですよ。
進化学という呼称は別に構わないがカテゴリー的には生物学の一研究分野。
33 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/07(木) 21:13:39 0
>>31 >
>>28 > 環境変化が有るたびにそれに適応した生物が現れる。
> それが生物の進化だろ。
> 恐竜が絶滅しなければ人の祖先である哺乳類の繁栄もなかっただろう。
> どんな環境の変化にも適応して進化するよう生物界は決定されている。
で、何が進化するんだね。
絶滅すれば、進化も糞もないわけだが?
どんな環境にも適応できるように進化しないから、絶滅するわけだ。
いかなる環境にも適応できるものが進化の究極であれば、生物は何ら進化しておらん。
むしろ、退化の一途だな。
つまり、何も決定されておらんということだ。
仮に遺伝子が進化するのであれば、遺伝子は何の進化もしていないと考えることもできる。
単に組み合わせがかわるだけだからな。
くっくっく。
>>32 >
>>29 > これはちょっとあやしいですよ。
>
> 進化学という呼称は別に構わないがカテゴリー的には生物学の一研究分野。
進化学は生物学の一部だ。
当たり前ではないか。
進化論は、生物学の一部ではないと権威と言われる進化学者が言っておるわけだ。
くっくっく。
34 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 21:20:43 0
>>33 >で、何が進化するんだね。
生物システムに決まってるだろうが。
生物が絶滅したことがあったか?
オマイの定義できないといってる種の絶滅があっただけだろ。
環境の激変にも適応してというか環境が変化するから進化する
のが生物界だね。是は生物だけでなく、地球系・太陽系・銀河系・
大銀河系・宇宙すべての進化に共通のものだろ。
万物は進化する。
35 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/07(木) 21:28:32 0
>>34 >
>>33 > >で、何が進化するんだね。
> 生物システムに決まってるだろうが。
> 生物が絶滅したことがあったか?
> オマイの定義できないといってる種の絶滅があっただけだろ。
> 環境の激変にも適応してというか環境が変化するから進化する
> のが生物界だね。是は生物だけでなく、地球系・太陽系・銀河系・
> 大銀河系・宇宙すべての進化に共通のものだろ。
> 万物は進化する。
ほう?
では、とりあえず「進化」という言葉を定義してみろ。
生物が生物のいないところから生まれたのであれば、生物がいったん絶滅して、
また、発生しても何の不思議もないわけだ。
いかなる環境の変化にも適応することなどできないから、生物は地球上にしかおらんのだろうが。
その辺をきちんと押さえておらんから、魔法の進化論に取り込まれるんだよ。
ばんぶつはしんかするだ?
ドラえもん進化論だな。
くっくっく。
>>33 これは本末転倒な気がします。
生物学が進化論を否定していると言えばいいんだけど種の起源以降、進化論を
分子生物学に置き換える作業はまだ途上なんでしょう。
これは本質的に創造論を否定するための進化論とは異なるアプローチなんで
別に異議を唱える気はないけどロジックとしては非常に興味深い。
最初超絶対神は創造論を否定する為の進化論の援用に懸念を示していたはずが
進化学(分子生物学的知見等による厳密化への試み)をして進化論と創造論の
どちらも科学の下ではそれらの哲学は両方否定されるべきということでしょ。
ミイラ取りがミイラになった感じで論点が微妙にズレてるのではないかな。
37 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/07(木) 21:30:12 0
>>34 > オマイの定義できないといってる種の絶滅があっただけだろ。
あ〜、そうそう。
儂は「種の定義」をしておるぞ。
種が定義できないと言っておるのは、「珍化論者ども」だ。
「進化学的種の定義」もあるというにな。
くっくっく。
>>37 有性生殖可能か否かというのはダメダシされてた気がする。
39 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/07(木) 21:37:20 0
>>36 > ミイラ取りがミイラになった感じで論点が微妙にズレてるのではないかな。
儂の主張は「進化論は科学ではない」だ。
進化論が、生物に関する考察であり、哲学であるというならば問題ない。
しかし、「進化論者」どもは、自身を科学だと言い張り、一方で創造科学を否定するために、「進化学の知見」を持ってきておる。
それはおかしい。
創造科学が科学でないというのは、大した問題もなく証明できよう。
しかし、だからといって、「進化論」が科学になるわけではない。
そこのところをつくと、進化論者が必死になって食って掛かってくるわけだ。
嬲るにはちょうど良いのだ。
良いか、耐性菌の発生を進化だと言い張って、猿のようなものから人間になったという進化の証明だと言うことこそ、詭弁だ。
タイムマシンでもなければ、証明不能だからな。
くっくっく。
40 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 21:39:26 0
【1:8】◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない117◆
beチェック
1 名前:考える名無しさん 2008/02/07(木) 08:55:27 0
ニートって昼間なにしてんの?
41 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/07(木) 21:42:06 0
>>38 >
>>37 > 有性生殖可能か否かというのはダメダシされてた気がする。
しかし、ウィキで進化を調べれば、
>進化(しんか、evolution)とは、生物の遺伝的形質が世代を経る中で変化していく現象のことである。この場合の生物の単位は、実質的な繁殖集団(メンデル集団)であり、種ではない。
とある。
同様に進化論を調べれば、
>進化論(しんかろん)は、生物の種が時間とともに変化するものであり、現在見られる様々な生物は、その変化のなかで生まれてきたものであるという学説。
とある。
「種とは生殖可能なもの」として、何の問題もないな。
つまり、進化論者のダブスタだ。
上記ではまるで出鱈目だろうが。
それが進化論だ。
くっくっく。
>>39 進化論が科学じゃないてのはもう所見で一致した意見な気がするんですよ。
常識と言ってもいい。
ただその背景には生物学自体博物学と明瞭に区別できなかった時代が長かったことも
あるんじゃなかろうかというお話は一緒にした記憶があります。
耐性菌とか遺伝子組み換えで天敵がいなくなった種とかは別の意味で意義深いと思うけど
進化の証明は進化学でも仮説しか提示できないし実証は無理なんじゃないでしょうかね。
ここらへんが生物学を自然科学から追いやる向きと付合すると思いますけど。
43 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/07(木) 22:56:28 0
>>42 >
>>39 > 進化論が科学じゃないてのはもう所見で一致した意見な気がするんですよ。
> 常識と言ってもいい。
その常識が、まったく通用しないんだよ。
くっくっく。
> 耐性菌とか遺伝子組み換えで天敵がいなくなった種とかは別の意味で意義深いと思うけど
> 進化の証明は進化学でも仮説しか提示できないし実証は無理なんじゃないでしょうかね。
> ここらへんが生物学を自然科学から追いやる向きと付合すると思いますけど。
まあ、そうだな。
44 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 23:21:40 0
進化論は科学であって科学ではない。水は上から下に流れるが、
上は安定していないから、安定を求めて下に流れる。細胞分裂や、
あらゆる化学反応も、実は安定を求めた結果の分裂、反応だ。
そして、人間の今の形状(内臓・神経等含めて)は安定していると言えるだろうか?
4本足では手が複雑に対応できず脳も退化する。かといって、今の人間が、究極の、
最新型人類と断言できるとは思えない。
45 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/07(木) 23:34:17 0
>>44 > 進化論は科学であって科学ではない。
論理が矛盾しておるが?
大丈夫か?
くっくっく。
46 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 23:39:33 0
47 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 23:45:10 0
だいたい、超絶対神とは?とっくの昔にニーチェが、
神は死んだと宣言したはずだが。それともニーチェの言う超人か?
ならば、麻原彰晃と同じだなw
48 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 23:46:17 0
この人仏教だからね
オウムと同じ思想
49 :
考える名無しさん:2008/02/08(金) 00:00:18 0
なるほど。アメリカ軍やフリーメーソンから攻撃されている!
とでも言い出しそうですなw
>>45 あい変わらず低知能なカキコだなw
意見は無いのか意見や主張は?
道ばたの雑草を見つけては吠え散らかしてる迷い犬みたいだぞワハハハ !!
>>43 :走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/07(木) 22:56:28 0
>進化論が科学じゃない
その話がどういう根拠の流れなのか知りませんが、私に言わせれば「進化」と言う言葉から来る進歩とかの恣意的な態度が科学的でないと言われているのではないかと考えます。
だからこそ「進化論」とは違うと主張するなら「進化」の言葉を「パクる」べきではない。
>4
>
>>39 > 進化論が科学じゃない
52 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/08(金) 00:39:43 0
>>51 緑藻等の単細胞生物から哺乳類・人類まで「複雑化」したのですから「進化」
でいいと思います。
但し「物質の進化(複雑化)」が起こるのは「物理学的なエントロピー減少の閉鎖系」
という「この宇宙」の一般的状況とは「特異に異なるエリア」だけだということです。
要するに「現在の(私達の)太陽がまだ燦々とエネルギーを放散しつつある」状況なので
その「エネルギーの放散圏内」では「特異現象としてのエンエトロピーの現象」が起こり、
それが「物質」にもたらす「変化」が「複雑化」要するに「進化」だということです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
53 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/08(金) 00:42:15 0
>>52の訂正です
>その「エネルギーの放散圏内」では「特異現象としてのエンエトロピーの現象」が起こり
→その「エネルギーの放散圏内」では「特異現象としてのエンエトロピーの減少」が起こり
54 :
考える名無しさん:2008/02/08(金) 01:27:33 0
脳が「物質」でしかないことの論証は?誰かできるの?
55 :
考える名無しさん:2008/02/08(金) 02:08:52 0
:.:.:ノ:.i:.:l:.:.:l::.:.:.:ノ:.:.:.:/:.:./:.:.:..:../:.:./:ノヾ ヽ:.l: |:.:lヾ|:i
.:..::丿:.:i.:.:.:.l:.:/:.:.:.:.:./:/:.:.:.:/:.:.:./:.l:/./ ヽ !:|: /:ノ
:.l:.ハ:.:l:.:,−-、i/.:/.l:.:.:/:.:.:.i:.:ノ゛:. ヽ,
:l:.i:.|:.:.l´/ゝ-//:.:.i:.:.i:.:./:.. ,,;:;;:;,,.. ,.,.:;
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ヽ:|:.:i:l.ヽ、ヾ〈: .:l:|:.:l:.  ̄`‐""ノ.:' ( "´ノ
.:ヾ:i:.:.l:. ヽ_ " :. '"´´,' ヽ"l <働け働けうるさいんだよ
ゝヾヾ ::.. :.. , ' 〉ノ 簡単に言いやがって・・・!
/:l:." :. /` - 、_ノ
::::ヽ、 :.. /:,_=--"-/
::::::::\ ::.. /:.(エl┼┼"´
::::::::::::::ヽ " ヽニ二)
:::::::::::::::::::\:... ´":j
::::::::::::::::::::::::::\ ..::::.....:.. ` .:..、_:ノ:.ヽ
::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ、""´/ー'"::::::::::::::::::::::\
56 :
考える名無しさん:2008/02/08(金) 09:13:02 0
>>52 だいぶお疲れのようで間違いが多いですね。
>但し「物質の進化(複雑化)」が起こるのは「物理学的なエントロピー減少の閉鎖系」
宇宙全体ではたしかに閉鎖系になるから熱力学第二法則のとおり「エントロピー増大」です。
>という「この宇宙」の一般的状況とは「特異に異なるエリア」だけだということです。
エントロピー減少による自己組織化や複雑化・構造化が可能な系は非定常開放系に限られる。
物理作用で増大するエントロピーを開放系として外部に捨てなければならない。
人間社会のエントロピー減少分はすべて排ガスなどとして地球のエントロピーを増大している。
そろそろ地球環境がそれに耐え切れなくなっているのがCO2問題などの環境問題だ。
> 要するに「現在の(私達の)太陽がまだ燦々とエネルギーを放散しつつある」状況なので
>その「エネルギーの放散圏内」では「特異現象としてのエンエトロピーの減少」が起こり、
>それが「物質」にもたらす「変化」が「複雑化」要するに「進化」だということです。
ここはその通りで間違いない。
57 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/08(金) 09:20:41 0
>>51 >
>>43 :走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/07(木) 22:56:28 0
> >進化論が科学じゃない
>
> その話がどういう根拠の流れなのか知りませんが、私に言わせれば「進化」と言う言葉から来る進歩とかの恣意的な態度が科学的でないと言われているのではないかと考えます。
> だからこそ「進化論」とは違うと主張するなら「進化」の言葉を「パクる」べきではない。
「進化」と言う言葉を使いたければ、きちんと定義すれば良い。
その定義以上のものを語る進化論は、科学ではないと言うだけのことだ。
くっくっく。
58 :
考える名無しさん:2008/02/08(金) 10:59:10 0
物質自体が最大のなぞ 唯心も唯物も証明出来ない
59 :
考える名無しさん:2008/02/08(金) 11:36:00 O
物質の起源は量子力学で説明出来る。
60 :
考える名無しさん:2008/02/08(金) 11:36:51 0
>>52 :「機械的唯物論」者 ◆
>「複雑化」要するに「進化」だということです。
複雑な法則が単純な法則で表わされたら「進化」と言いませんか?
貴方の好きな大統一理論はいくつかの理論を単純化して「進化」させる事を意図しているのでは?
では何故生物だけが複雑化すると進化と言い得るのですか?
「進化論」の趣旨から素朴に考えれば、変化の多いものがより進化していると言うしかないと考えますが。
つまらない結論ですが・・・。
自然はただ存在するだけだ。
理由も無くそれは存在している。
そう、物質自体が最大の謎。
>>56 宇宙は(とりあえず)膨張してるので、閉鎖系ではなく、非定常開放系です。
64 :
考える名無しさん:2008/02/08(金) 20:45:13 0
>>63 確かに宇宙は膨張してるから非定常系でしょうね。
でも開放系と言うなら宇宙の外が無ければいけないので、やっぱ
宇宙全体では閉鎖系ではないかな?膨張しても風船の中であることは
変わらないのではないか?
65 :
63:2008/02/08(金) 21:08:50 0
>>64 そうかもね。
しかし宇宙の膨張は宇宙の外を仮定しなければ理解し難いなあ。
それが空間と呼べるものかどうかは分からんが。
風船が風船の外が無いのに膨張できると考えるのは通常の思考を逸脱する。
それを可能にするアイデアがあるだろうか?
あの・・・素人なんですが
宇宙の膨張の話で「風船」と言うと、宇宙空間を二次元にして考えて「風船の表面」になぞらえるのでは?
67 :
考える名無しさん:2008/02/08(金) 22:01:53 0
>>66 同じく素人だが、そりゃ単にそれで説明した方が単純でわかりやすいからだろ。
68 :
考える名無しさん:2008/02/08(金) 22:09:44 O
ガラガラーピシャンッって感じ
69 :
63:2008/02/08(金) 22:17:26 0
>>66 おおそうだよね 確かそんなモデルがあったよね。
風船の表面が宇宙空間だとして
これを3次元に展開すると
宇宙は球体ではないって感じするね。
全く不可思議だ。
言葉では「宇宙は閉じている」と言えても 頭でそれを認識するのは困難だね。
言葉ってのはずるいよね
「この三角は四角い。」とか言えちゃうもんね。
70 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/09(土) 00:48:36 0
>>56 >宇宙全体ではたしかに閉鎖系になるから熱力学第二法則のとおり「エントロピー増大」です。
その通りです。しかし「太陽系」という「閉鎖系」に限っては「現在」太陽がエネルギーを「燦々と振りまいている状態」
ですので(宇宙全体とは真反対に)「エントロピーが増大」しつつある結果(宇宙全体とは反対に)
「物質の複雑化」である「物質の進化」が起こっている・・・ということです。
71 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/09(土) 00:58:16 0
>>56 >人間社会のエントロピー減少分はすべて排ガスなどとして地球のエントロピーを増大している。
>そろそろ地球環境がそれに耐え切れなくなっているのがCO2問題などの環境問題だ。
たかが60億の個体数しかない生物が巨大な地球にどういう影響を与え得るのか?疑問です。
グーグルアースで地球を見ても「人間の個体」など見つけられないほど「小さいしかつまばら」です。
地球の過去に何度も起こった「氷河期の繰り返し」では「全休凍結」の時代もありましたが、生命(細胞)
はそれを乗り切っております。
6千万年前に恐竜を絶滅させた「直径10km程度の隕石の衝突」も地球の過去には何度も起こっております。
それらに比べたら「人類が出すCO2の影響による地球温暖化」など「(地球にとっては)採るに足らない事象である」というのが
「真実」なのです。
72 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/09(土) 01:00:34 0
>>71 の訂正です。
>「全休凍結」の時代
→「全球凍結」の時代
でした。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
73 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/09(土) 01:10:10 0
>>70 の訂正です。申し訳ありません。
>(宇宙全体とは真反対に)「エントロピーが増大」しつつある結果(宇宙全体とは反対に)
→(宇宙全体とは真反対に)「エントロピーが減少」しつつある結果(宇宙全体とは反対に)
>>56 >人間社会のエントロピー減少分はすべて排ガスなどとして地球のエントロピーを増大している。
という言説が、そもそもエントロピーという概念を全く理解していない訳なのだからね。
75 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/09(土) 01:23:56 0
>>74 エントロピー増大を「単純化あるいは熱平衡化」と訳して
エントロピー減少を「複雑化あるいは反熱平衡化(エネルギーの創造)」
と訳してみれば分かり易いかもしれませんね。
本日は就寝させて戴きます。
76 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 01:25:48 0
>>71 >恐竜を絶滅させた
その直径10km程度の石を作るなど人間には造作もないこと
地球外にそれを放出しまた地球に戻してぶつけるのだって
時間の問題なのよね
人間の物理・科学の力をもってすればね
なにしろ宇宙は物理法則にのっとって動いてるんだから
>>76 エベレストを海抜0メートルから掘り出して宇宙に放り出してまたぶつける?
人類の技術水準では約10万年ほど早すぎるんじゃないのかなぁ?
我々の世代から見ると5千世代くらい後に出来るかできないか?そもそも人類はそこまで存続できるのか?というモンダイ
78 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 01:44:02 0
>>77 約10万年など宇宙時間でみればハナクソみたいなもん
すぐ過ぎる
いったい何億光年経ってると思ってるのよ あ〜たw
>>78 5千世代先の話をしてどーする?つーこったよ、あーたw
10万年もあればそれぐらいの隕石が落ちてくる可能性あるんじゃないの?
81 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 01:53:12 0
いやいや、君たち
何の話をしにきたんだい?
82 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 01:55:51 0
だから138億年に比べりゃ10万年なんか糞だってことでしょ
83 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 01:58:56 0
つ〜か物理をモノにした人類は不滅です !! 、、てことじゃ?
ねぇ、あ〜た?
84 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 02:00:51 0
知はあやふやで正確なものはないよ
85 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 02:07:23 0
>>77 10km^3=10^4m^3
人口5x10^9
として、一人あたり6m四方の体積を担当だから、10万年もいらない。せいぜい100年で十分。
全人類が本気になるとしてだけど。
86 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 02:14:05 0
>>85 球体で考えるなら、一人あたり3m四方の担当でいい。
たった1tを地球周回軌道上に持ち上げるのに巨大なロケットに莫大な燃料が必要なんだよね。
軌道エレベータ作ればそれほど燃料要らないのかな。作れないけど。危ないし。
でも俺は地球壊滅よりも宇宙壊滅の方法のほうに興味がある。
人間の力で可能なのだろうか。
俺が死ねば俺の宇宙が消滅するというのは無しの方向で。
88 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 06:21:49 0
?????????????????????????????????????????????????????????????????????
89 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 09:06:07 0
>>65 >しかし宇宙の膨張は宇宙の外を仮定しなければ理解し難いなあ。
ほんとに。ビッグバン宇宙論で宇宙にまだ時間も空間も物もなかった
「宇宙」はどこに存在してたのだろうとか、時刻ゼロのそれ以前は
ないのだろうか、とどうしても考えてしまう。
落語の浮世根問いの世界ですね。
90 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 10:50:59 0
>>87 俺は正直自分が死ぬくらいだったら実際に宇宙も一緒に消滅して欲しいと思うよ。
91 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 11:08:40 0
>>90 子供二人をビルの上から投げ落として自分も飛び降りた女がいたな
おまえの親戚か?
92 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 11:09:56 0
93 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 11:35:40 0
>>91 それを言うなら佐世保のルネッサンス事件だろ?
犯人は敬虔なキリスト教徒だった。
しかも確信犯。
94 :
ポエマー:2008/02/09(土) 15:41:00 0
物質が時空の歪みのことであることには、誰も異論がありません。
しかし質点に歪み以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「唯物論的誤謬」です。
一個の物質の大きさは歪みの範囲のことなので、宇宙の果てまで及んでいます。
そして私という歪みは宇宙の果てまで及び、私以外による全ての歪みの重ね合わせと値が等しいのです。
一個の物質の存在性は確率分布のことなので、宇宙の果てまで偏って及んでいます。
そして私と言う確率分布は、偏った全ての可能性の重ね合わせと等価なのです。
物質ほど不思議なことなど存在しません。
95 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 18:49:44 0
>>94 たぶん観測・認識・言明する『私』のほうに剰余があるのではないか。
たしかに物質は不思議だが、それを不思議と感慨する『私』も言い知れぬ
奇妙さがある。
96 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 19:03:10 0
ホント不思議だなあ
理解したいよなあ
コンピュータやネットワーク上を流れるデータが「0と1」であることには、誰も異論がありません。
しかし、コンピュータやネットワークには0と1以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
98 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 19:33:28 0
>コンピュータやネットワーク上を流れるデータが「0と1」であることには、誰も異論がありません。
異存が有る。コンピュータにしろネットワークにしろ「0と1」が流れてるの見たこと無い。
どちらも電気信号が流れてるだけだ。
99 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 20:04:20 0
電気信号が流れてるのは見たことあるのか・・・
100 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 20:09:58 0
ある、ある。
信号が流れてるの見たんなら、それが0と1の信号ってことで許してやればいいだろ。
102 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 20:32:46 0
ところで、「物質」ってのは見えるのか?
103 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 21:19:39 0
意識も眼に見えない。
104 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 21:19:46 0
>>102 目に見えるものを物質と名付ければいいじゃない。
光あれば物質は存在するのさ〜
105 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 21:30:26 0
これまで頭蓋をあけてみた人間にはみな脳があった。驚くべき偶然の一致ではないか
- ウィトゲンシュタイン -
106 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 21:54:53 0
>>104 じゃあ、原子や分子は物質ではないんだ。
107 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 22:12:04 0
>>106 そういう揚げ足取り禁止。
分かってて書いてるっつーのw
美しい物質の私
109 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 23:04:34 0
物質しかないわけだから、必然なんてあるわけないじゃん。
110 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 01:36:39 0
「真理」は生きるために邪魔になるのだから真理などという恐ろしい言葉を
決して口にしてはいけません。
神の御心修道院付属孤児院長
ちょっと面白い事を考えました。スレとは趣旨が違いますが
独我論派として述べさせてください・・・
この世界は私が感じてる五感である。
なので私はこの世界の創造者であり神同様である。
しかし、その私が感じている
「今のこの人間」はこの五感の世界の中で普通の人間同然なので
神ではなく普通の人間同然に扱われる。
この説をどう思いますか?この考えを独我論者に述べれば
独我論者は物事のあり方に納得すると思うんですが・・・
どうか、感想をください。お願いします
112 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 03:35:15 0
>>111 よく分からんけど現象学的世界観じゃダメなの?
114 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 05:28:23 0
太陽系って閉鎖系なの?
115 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 08:23:51 0
決定論みたいな、主体を離れた時間の外からの発想も悪くないけど
それは観念論だよね、結局。
116 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 08:26:01 0
>>111 >なので私はこの世界の創造者であり神同様である。
ここが論理の飛躍だろう。
「私が感じている五感」がどうして作られたかの根拠
が必要だ。それは外界の世界があったからとなるだろう。
そしたらその外界の世界は誰が作ったかと言うことになる。
発明は先に創造したほうに与えられる。コピーや猿真似では
ダメだね。
117 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 10:52:44 0
>>115 当たり前のことを言わなくてもいい。
機械氏と彼の支持者くらいだろう? そう思っていないのは。
唯物論もしかり。
なぜ今さら決定論にこだわるのか
3行でまとめてくれるエライ人はいませんか?
119 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 12:35:51 0
>>118 1.俺はダメ人間だ。ダメじゃない人間が妬ましい。
2.最初から全部決まってる、ってことなら、いまあくせく何かしてるのって、バカみたいじゃん?
3.ダメじゃない人間は、それを知らずにあくせくしてるに違いない、なら、それを知ってる俺は、そいつらをバカにできるじゃん?
>>118 俺の人生は思い通りいかない事だらけ
最近気付いたんだ世の中を動かしてるのは才能とか努力じゃないって
大昔から「それが決定していた」ということなんだよなぁ、、
121 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/02/10(日) 14:57:17 0
脳は物質だから意識は必然に過ぎない
だからお釈迦様の言ったように
無我より生まれる自動プログラムがこの世界なんでしょ。
122 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 16:09:29 0
>お釈迦様の言ったように
なんていってた?
123 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 16:12:55 0
その一人一人が出会えるだけで面白いと思いませんか?
科学的なことはよく分からないけど
今の自分には未来のことは一切わかりません。
未来のことは一切わからなくても一歩一歩歩いていけるんだからそれでいい。
明日死ぬとも知らず明日のコンサートを楽しみにしていられる。
125 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 16:19:08 0
人類が誕生して生活の形式が生まれる。
様々な人間同士の制約と欲望が生まれる。
それと共に脳内が様々な変化が生まれる。
それが決定されているものでも、私はそれに
委ねたいし、信じたい。関係性さえ支配されようとも。
126 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 16:28:14 0
何かが変化する。それって凄く刺激的だと思いませんか?
例えば、この書き込みを見て、あなたに視覚情報が届くというのは。
関係性を収縮させずに、広げること。
それが、決定論に対する{恐らく一つの}対抗ではないでしょうか、
そこには運命が介在してるかもしれないし、してるかもしれないし。
決定論はその主張の実質であるはずの個々の決定に関して何ら記述し得ないというジレンマを内包している。
128 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 16:39:09 0
大分逡巡して書き込むことにしました。
何故そういうことになったかというと、
やはり「経験」があるからですかね。
生まれてから死ぬまで、沢山の瞬間があって色々なことを知れる。
ただ、自己充足してます。
129 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 16:48:35 0
130 :
唯識的独我論者:2008/02/10(日) 17:01:36 0
>>116 >「私が感じている五感」がどうして作られたかの根拠
>が必要だ。それは外界の世界があったからとなるだろう。
物質を必要としない理論なので
唯物論より唯識論の方が単純で理論として根拠がある形なのでは?
唯物論だと、「理由は分らないが物質があって
そこから精神が生まれる」という形だと思いますが
唯識論の場合は「理由が分らないけど私がある」
だけで済むと思います。
なんていうか、生物の進化を説明するのに
神とか生物の意思とかを持ち出さず自然淘汰や突然変異で
説明する方が根拠があるのと同様に
五感についても物質というのを持ち出さず
全ては五感だ、の方が説明に必要な要素が少ないので
唯識論の方が唯物論よりも説得力があると思います。
131 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 17:11:32 0
>>121 >人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
>しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
>・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
だから、「意識」とか「必然」があると考えるのも、
願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」
じゃねえの?
132 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 18:07:41 0
>>130 >物質を必要としない理論なので
>唯物論より唯識論の方が単純で理論として根拠がある形なのでは?
あなたの「唯識論」って仏教の唯識とは違うのね。
仏教の唯識では五感にもとずく五識は外界からの物理的接触が必須と
成っている。たとえば視覚は眼に光が入らなければ眼識と成らない。
耳に音が入らなければ耳識とはならない。体に物が触れなければ熱いも
冷たいも痛いも体識とは成らない、云々。
勿論、感覚から知識になるためには意識が必要だね。
唯識では外界の境が五識の原因となっていることは現在の認知科学の
理論とまったく同じだよ。
仏教の〜と言う人はどんな本を読んでるんですか?
教えて下さい。
岩波仏教辞典です。
135 :
133:2008/02/10(日) 22:00:39 0
ありがとうございました。
136 :
唯識的独我論者:2008/02/10(日) 22:02:29 0
>>132 >あなたの「唯識論」って仏教の唯識とは違うのね。
はい、違います。
しかし、理論・仮説というのは
成立する為に必要な要素が少ないほど有力とみなされるのではないでしょうか?
生物の進化は意思や神を持ち出さず、宇宙の発生も神を持ち出さない
といった形で。
で、そういう思考で意識や世界について考えると
物質を持ち出さず全て感覚のみで説明できる唯識論の方が
説得力があるのではないでしょうか?
独我論についても、確かに我・私・意識が一つというのは突飛かもしれませんが
真に理論的なことを求めるなら
「他人全てに意識があるとは限らない。何に我があって何にないか分らない。
真に確実なのは私があることだけだ」
という形で独我論こそ一番根拠があるのでは?
生物全てに我があるというのと、神がどこかにあるというのでは
物理的に客観的に確認できないものを認めるという点で
同列だと思います。
まだあったのかこのスレww
懐かしい
138 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 22:34:10 0
>>136 >物質を持ち出さず全て感覚のみで説明できる唯識論の方が
だから感覚をもたらす原因が必要となるでしょ。
原因も無く「感じ」だけが起こるなら感覚も想像も変わらないもの
になるでしょう。
他人にも「自我」が有ることは言葉を通じて確認できる。
言葉が通じるのも他人に意識があり自分とたいして変わらない動物
だからだ。
神を信じたい人は信じればいいだろ。
レスしだすとまたこのスレにはまりそうだけど、
>>138 > 他人にも「自我」が有ることは言葉を通じて確認できる。
この文には同意できないな。
あくまである気がするだけなんだよ、自我がある自分と似てるから。
確認は厳密には出来ない、はず。
細かい部分は忘れたけど。
自我があることは真に確実なことではない
幻の世界が夢見ている幻だということは否定できまない
でも幻の中の幻の立場は実在になるのか。相対的に
141 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 22:50:55 0
>>139 >この文には同意できないな。
「同意できない」は正しくは「私は同意できない」だろ。
ほら私のほかに「私すなわち自我」が確認できるじゃないか。
「私は私」と意識するのが「自我」だから。
>>141 確認できないなと、もし
>>139が言ったらどう説得する?
何かが足りないんだろうとか?w
この文は同意されない。
144 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 23:01:48 0
>>142 仏教的には悟りを開いた人とか解脱した人でいいじゃないか?
145 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 23:24:09 0
>>144 事物の理解のテキトーなやつほど曖昧な言葉を使いたがる
論理が分からないのか頭の悪いのを隠そうという意図がありありなんだが、、
146 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 23:29:14 0
違うと思うんだが
それはあるな。
相手の反応から自我の有無を判断するってのはどうにでもなるし。
バシッと書けないんだよ。
148 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 23:35:41 0
自我の有無ではないな
149 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 23:36:30 0
自我の有無ではないな
151 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 23:58:09 0
ロボットではないんだが
152 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 00:03:20 O
相変わらず、馬鹿ばっかりダナ、…
モチロン…俺を筆頭に、
それでも、(自ずの頭脳で)語りえない事に、沈黙していられない。
ほとんど病気だな、
これも必然か…
時の始まりから、決まっていた?
時の始まり…?
時空を必然として、前提として、しまっていいのかな…
悟りなど、本当はないのではないのか?
悟りなどないと云う、俺を嗤うだろうか…
若い猿が、群れの中で虚勢を張る。
猿の群れ、池の中の月。
或いは?
>>151 あなたはレス機能のあるロボットです。
ちなみに私には自我があります。
>>152 決まっていたかどうかなんて確認しようがない。
154 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 00:26:09 0
自我ではないと思う
前提ではないんだが
155 :
118:2008/02/11(月) 05:21:43 0
亀レスだけど3行でまとめてくれた人ありがとう
>>119,120
つまり自宅警備員のオナニースレということかw
内容はいまだによく分からんけど、
形而上学が発生したときも、案外こんな調子だったのかもしれないね。
アリストテレスやラプラスも、現代的に表現すれば
けっこういい年になるまで自宅警備員で余裕こいてたわけだし。
自分の自我さえ幻かもしれないと思ってる人はいないの?
夢にて胡蝶となる、か
159 :
唯識的独我論者:2008/02/11(月) 05:46:09 0
>>138 >だから感覚をもたらす原因が必要となるでしょ。
唯物論の場合も「物質をもたらす原因が」となると思います。
しかし、唯物論でそういう問いはせずに
ただ物質がありそこから精神が発生する、という説明ですので
唯識論も同様に「ただ意識がある」だけで成立すると思います。
なので物質という要素を必要としない唯識論の方が
説得力があると思います。
>他人にも「自我」が有ることは言葉を通じて確認できる。
これは例えば一対一で議論していた場合、
私が「私に意識はありません。哲学的ゾンビです」と言った場合
もう片方にしか意識が無い事になるので
やはり独我論の方が説得力があると思います。
仮に貴方が私にも意識があると述べても
「私は哲学的ゾンビで物質の集合が動いてるだけです。
私に意識と言うのがあるなら、貴方が証明してください」
と述べたら貴方ではなく私の意識の存在を証明するのは不可能で
生物全てに意識があるよりは
何にあるかないか分らない論の方が説得力があるのでは?
そこから、「とりあえず私にだけは確実に意識があるので」
という形で独我論が一番根拠があるのだと思います
>>159 ・「私に意識はありません」と仮定できる理由
・「もう片方にしか意識が無い」という仮定が「独我論の方が説得力がある」と結論づけられる理由
・私に意識がないと述べうる客体(または世界)
↑どれかもうちょっと詳しく教えてもらえませんか? できれば全部。
意識と自我って違う意味だよな?
私にあるこの心が意識だというのを根拠にしたら他人にはそんな同様な意識はない。
私にあるこの意識が他人にあるはずだと思うときに意識のどの部分を捨象しているのか。
哲学でよくみる文言で、
私の歯の痛みは私にしか分からないってのがあるけど、
歯の痛みというより歯の神経の痛みではないだろうか。
164 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/11(月) 08:20:32 0
>>159 > 「私は哲学的ゾンビで物質の集合が動いてるだけです。
> 私に意識と言うのがあるなら、貴方が証明してください」
> と述べたら貴方ではなく私の意識の存在を証明するのは不可能で
> 生物全てに意識があるよりは
> 何にあるかないか分らない論の方が説得力があるのでは?
ところで、哲学的ゾンビというのは、「外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うが、その際に内面的な経験(意識やクオリア)を持たない人間」でOKか?
外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うことが、意識であるでは駄目かね。
くっくっく。
165 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 08:30:39 0
>>164 >外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うことが、意識であるでは駄目かね。
いいじゃないかな。
意識不明の人は普通の人間と全く同じには見えない。
言葉で表せなくてもどこか感じが違う。
もっとも言葉が通じないことがもっとも違和感有るのかもしれない。
意識が無くても自然な対話できるなら意識有ると思うだろ。
,. -―- 、
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/ r==:〆´ ___ ミ :._ -―- ., `ヽ }} ヽ
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/ -┬‐ 、_) Turing test ../ ⌒丶、
'´‐┴‐‐-、 (_ イ⌒\ \
ー‐―─-イ /  ̄ ̄_
-┬一’ ‘ー( ̄ ̄
167 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 09:01:14 0
>ところで、哲学的ゾンビというのは、「外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うが、その際に内面的な経験(意識やクオリア)を持たない人間」でOKか
単に自分の内面を知らないだけやんけ、知らないのをないという超馬鹿
168 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 09:05:35 O
あと女にいうが日蓮宗の女に暖かくしてはならないまた冷たくしてもならない。間違った温かすぎてはいけないだ。ある種の男に温かいことをすると誰かが死ぬように
169 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 09:08:44 0
意味不明w
「機能主義」と「中国語の部屋」のはなし
171 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 09:29:25 0
うむ、中国語の部屋はおもしろいよね。
実に考える余地があっていい。
>>168はたしかに意味不明だな。
機能主義の立場でいうと、自我があるように見えるものには自我がある。
哲学的ゾンビの存在を否定してるわけだ。
独我論とは関係ないが。
戦場に行ったジョニーはどうなの?
機能主義の立場では、意思の疎通がなければ自我があるかないか
わからないとしかいえんな。
意思の疎通ができればあるといえる
175 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 10:09:15 0
>>159 >唯物論の場合も「物質をもたらす原因が」となると思います。
現代物理では物質をもたらす原因は素粒子やエネルギーとなっている。
>唯識論も同様に「ただ意識がある」だけで成立すると思います。
感覚は感覚器官と物質の感覚器官への接触がなければ成り立たない。
眼を閉じれば視覚は消える。
哲学的ゾンビなどという思考実験で意識の有無は検証できない。
意識があるかどうか、すなわち覚醒してるかどうかが不明の場合は
「意識不明」として扱うだけだろ。
独我論に反論してもムダじゃない?
中国語の部屋。
部屋の中では人間が作業してるというのが面白いね。
俺が考えた話は、ロボットの中に実は人間が入っていて、
ロボットらしく振る舞う。ロボットらしく振る舞うための
マニュアルがあって、マニュアル通りに人間が動く。
それで、ロボットだと思われちゃってスクラップされちゃう
という落ちのコント話。
まあこの程度なら他の誰かが先に考えてると思うが。
178 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/11(月) 12:12:04 0
哲学的ゾンビというのは、「外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うが、
その際に内面的な経験(意識やクオリア)を持たない人間」とウィキで定義してあるが、
確定できん定義では、意味をなさんと言うことがわからんのかな。
くっくっく。
>>178 あんたは哲学的ゾンビの意味が全然分かってないw
というか哲学の基本が出来ていない
181 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 13:26:26 0
>>167 >知らないのをないという超馬鹿
それは独我論にいってやって
>>179 哲学的ゾンビという概念を議論に投入すること自体おかしい。
他者に生命があるかないかは人間が適当に決めているだけで根拠はない。
ウイルスは生命体かどうかも判然としない。
仮にウイルスがそのどっちかだと言ってみたところでその基準は人間が決めたに過ぎない。
同様に他人は外見からしか意識があるかどうか判断できない。
例えば死んだように眠っているのか眠っているように死んでいるのかはちょっと見ただけでは
わからないから別の角度で検証しようとする。
そして確かに死んだと認定された後に生き返る(生きている)人だって出てくる。
哲学的ゾンビは想定した議論を越えてその概念が人間の他者が生きている、意識を持っている
という直観をどのように得ているのかに根差しているだけ。
ちなみに、唯我論のことを独我論と呼ぶのはwikiの影響か?
独我論は唯我論をやや小馬鹿にしたいい方だと思うのだが、
唯我論に陥らないようにするためのwiki作成者の配慮か?
確か昔の翻訳では独我論が主流だったと思う。
今は唯我論とも言うぐらいの認識。
唯なんとか論の流れで唯我論もアリなだけ
186 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 17:38:44 0
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>>183 中学の教科書には独我論と書いてあった。
唯我論 ×
独我論 △
独在論 ○
189 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/11(月) 18:46:34 0
>>179 >
>>178 > あんたは哲学的ゾンビの意味が全然分かってないw
> というか哲学の基本が出来ていない
くっくっく、知ったかぶり発見。
では、「外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うが、
その際に内面的な経験(意識やクオリア)を持たない人間」
をどう判別するんだね。
客観的判別は不能だ。
また、
>>159 のように
> 「私は哲学的ゾンビで物質の集合が動いてるだけです。」
と言える時点で、哲学的ゾンビではないと言うことになるわけだ。
内面的な経験を持って、自分が何者かを判断しておるからな。
それが内面的な経験ではないとなれば、内面的経験自体どういうものかと言う問題になるな。
ほれ、なんとか言ってみろよ、珍脳。
できんのならば、隅で懺悔でもしておれ。
くっくっく。
190 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 19:24:51 0
あなたらがいつでも人間を基準に考えるんだな。
問題を複雑化させてる原因はもっと近いところにあるよ。
最高位がいいヒントだよ。
>>190 私にとって私の自我は絶対唯一で
他人の自我は想像できるだけだから、
自分だけが自我を持っていると考えるのと同様に
機械も自我をもっているだろうと創造できるだけだろw
・・・とか言いたいんでしょう?
192 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 19:29:24 0
自我ってなに?
193 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 19:33:29 0
>>191 その通りだよ。ここで問題となるのは機械に自我があるかないか?
別にあってもいいし、なくてもいいだろう。
だけどもゾンビ問題が再出現するだろう。機械と他人を無意識に
別扱いにしてしまっているから。そうなると振り出しに戻るといいたいのだよ。
最高位は否定するだろうが
最高位論が独我論だと考えて問題ない。が、他人の自我と他人みたいな機械の自我を
比べられないという問題はつきまとうぞい。
>>193 なんとなくわかるけどさ・・・・・・。
他人の自我と機械の自我じゃ違いすぎるでしょう?
機械のフリした人間が相手でも
人間のフリした機械が相手でも
わからいことはあるでしょう。
その意味で人間はすべて機械と同じだとか
人間は機械とは違って自我なんか持つなど議論になるわけで・・。
ということは最高位さんの言うことも一理あったのかなぁ。
それだと最高位さんの言うことは独我論ということにはなりませんよ?!
自我についてだけ言ってたわけだから独我論ではありません。
自我孤立論ですよ。人一人に自我は一つあり、他人にはわからないってことです。
195 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 19:45:17 0
>>194 勝手に話を膨らませてもしょうがないだろうよ。
まあ、俺が言いたいのは、
「何を基準に『他人(機械)』に自我があると感じるのか?」だよ。
自分の自我はあるらしいから、他人や機械の自我は感じてやらないとだめだろ?
相手が機械なら初めから自我などないと決め付けるのもおかしいぜ。
誰かわかるか?何を基準に他人に自我があると感じるか?
言っておくが、これは「フィーリング」の問題だぜ。
196 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/11(月) 19:53:54 0
やれやれ。
人間基準の自我などで、意識の有無を判定できるわけもない。
人間的意識が唯一の意識形態であるわけがないからな。
しかし、人間的な意識形態以外の意識などあっても判別不能だ。
向こうにとっても、知ったことではないな。
比較など無意味なんだよ。
くっくっく。
197 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 19:57:23 0
なんだよ。
フィーリングなのかよ。
そんなの人間そっくりで見分けつかないロボット作ればいいだろ。
機械だってわかった時点で自我なしと判断されるかもね。
でも途中で少し機械っぽい仕草を見せて実は人間でしたってのもありかも。
そうだとすると機械なら自我がないと判断してるっぽいなオレは。
もっと機械が人間に近づいたら考えも変わるかもわからん。
やっぱフィーリングかい。orz
>>196 あんたなんか超絶対俺様基準の意識しかないでしょうが。
あんたとここの連中比較することの方が無意味でしょうが。
神が地上にいたずらしに来んな。
199 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/11(月) 20:11:07 0
意識と言うものの意味がまるで分かっておらんな。
というか哲学の基本がまったく出来ておらん。
そんなことでは駄目だな。
くっくっく。
200 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/11(月) 20:12:15 0
>>198 >
>>196 >
> あんたなんか超絶対俺様基準の意識しかないでしょうが。
> あんたとここの連中比較することの方が無意味でしょうが。
> 神が地上にいたずらしに来んな。
哲学的ゾンビの意味するところは、超絶対俺様基準の意識しかないと言うことだ。
くっくっく。
201 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 20:13:40 0
トンボの意識上の複眼視覚を想像してみるか?
ねぇ絶対神。
202 :
201:2008/02/11(月) 20:20:46 0
この場合想像する場が人間の意識上において
行われるが致し方ない。
誰もトンボは誰かが作った機械だと思わんのではないか。
SFが盛んな今ならそう思うかも知れんが。
ところが幼児はトンボを動く機械のように感じているかも知れん節がある。
204 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/11(月) 20:40:40 0
>>201 > トンボの意識上の複眼視覚を想像してみるか?
> ねぇ絶対神。
トンボの目が複眼だからといって、そのまま見えているとは限らんな。
人間の視覚処理を知っておるか?
くっくっく。
超絶対神基準では人間基準を理解できない。
206 :
201:2008/02/11(月) 21:07:59 0
>>204 そうだから、トンボの意識は想像つかん。
207 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/11(月) 21:17:28 0
>>205 > 超絶対神基準では人間基準を理解できない。
人間基準では、哲学的ゾンビであるかないかの区別すらつかんわけだ。
つまり、非決定だと言うことなんだよ。
くっくっく。
そもそも人間基準なんてのはない。
適当にこれが人間基準だと言ってみたところで異論が出たらすぐ破綻。
209 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2008/02/11(月) 21:58:03 0
仏教的にいえば、ほとんどの人間がゾンビだろう。
覚醒していないんだから。
210 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/11(月) 22:49:34 0
>>209 > 仏教的にいえば、ほとんどの人間がゾンビだろう。
> 覚醒していないんだから。
たまにはいいことを言うではないか。
くっくっく。
211 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2008/02/11(月) 22:56:48 0
このスレじゃあ、いいことしかいってないぜ。
つまりゾンビが書いた経典を有り難く読んで悟りを開こうというのが仏教てことか。
仏教はゾンビ由来。
ニーチェの超人みたいなもんか。
213 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 23:06:33 0
>>206 >トンボの意識は想像つかん
トンボの意識の99%は次だ
「それは食えるかな?食えないかな?」
215 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2008/02/11(月) 23:33:12 0
>>212 阿呆だなあ。
仏典は、必ず「私は仏陀から、こう聞いた」で始まる。
仏陀ってのは「覚醒した人」だろうが。
>>215 それは数少ない直接の弟子が書いた経典だけなんですよ。
仏陀は直接経典を書いたわけではない。
そこらへん仏教ヲタクの唯識あたりに確認すればいいんじゃないか。
217 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2008/02/11(月) 23:44:10 0
>>216 知ってるつーのwww
仏陀が「仏陀から聞いたよん」なんて書くはずないだろう。
ゾンビ由来ではないってこと。
218 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/11(月) 23:55:45 0
>>217 ハンニバルさんは
@「他者の全部がゾンビではないとは信じることは出来ない説」
A「他者の全部が自分と同じ物質で構成される(脳を含む)肉体を持つ(存在にすぎない)説」
のどちらを「より正しい」とお考えになりますか?
ニーチェの超人と書いて釣ろうとしたのに超絶が釣れずにハニ丸が釣れた。
220 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2008/02/12(火) 00:05:06 0
>>218 もっとわかりやすく書いて。
2ちゃんなんて、いっつも斜め読みなんだから。
たぶん@だな。
221 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/12(火) 00:06:03 0
>>201 >トンボの意識上の複眼視覚を想像してみるか?
その想像(指向的クオリアの動員)は無駄です。
数百個の「眼」が前後左右ほぼ300度を「視野に入れる配置」がされている
「トンボの複眼」からトンボの「脳」に入力されてくる「感覚的クオリア」
を人間の脳が「想像」する(指向的クオリアを形成する)ことは「不可能である」・・・ということです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
222 :
考える名無しさん:2008/02/12(火) 00:08:53 0
( ・3・)y-~~~ 無職も早く寝なさいよ
へー。トンボって天才なんだな。すげートンボすげーよ。
空も飛べるし、人間離れした能力がある。トンボカコイイ
224 :
考える名無しさん:2008/02/12(火) 00:23:03 0
>>223 おまえと較べたら世の中カコイイだらけ
猫?ハイだらけ
225 :
考える名無しさん:2008/02/12(火) 00:26:13 0
>>223 まあ、人類がトンボより優れているということは誰にも言えんな。
せいぜい言えることは人間の基準を当て嵌めれば人間の方が優れているというだけだな。
うわー。つまらないレスがきたー。
やっぱトンボの方が優れてるー
227 :
考える名無しさん:2008/02/12(火) 00:43:18 0
>>226 おまえは自分の身長の10倍の距離を1秒間で移動できるか?
トンボさまは簡単にやるし人類がまだネズミみたいだった時代古生代からずーとトンボだし。
ムカシトンボは鼠よりかなり巨大
229 :
唯識的独我論者:2008/02/12(火) 00:52:25 0
>>160 >「もう片方にしか意識が無い」という仮定が「独我論の方が説得力がある」と結論づけられる
仮に世界にAとBしかいなく議論していたとします。
Aが「私は哲学的ゾンビだ」と述べBが「AB二人に意識がある」と述べたとします。
この時、Aに関しては意識を客観的に持ち出し証明する必要がありませんが
Bに関してはAに「じゃあ、俺の意識を客観的に証明してよ」
と言われたらAの意識を客観的に証明するのは無理で
「全ては素粒子の集合の運動で人間に意識はない」
といったAの論の方が説得力があります。
なので、独我論よりも理論的には
「人間に意識はなく物質しかない」という理論の方が説得力があるのですが
Bが五感を感じているとするとそれが証拠となり
少なくとも独我論のみは成立する、という形です。
>>175 >物質をもたらす原因は素粒子やエネルギーとなっている。
それも「では素粒子やエネルギーの原因は」と無限に続くので
「脳(という物質)から意識が発生している」ではなく
「脳(という五感の一つ)の変化と関連し色・音といった五感も変化している」
という意識だけ存在する唯識論の方が
物質を持ち出さず謎が減って説得力があると思います。
230 :
201:2008/02/12(火) 00:57:44 0
だから、ガラガラヘビの意識上にある熱感知知覚も
想像できん。
231 :
201:2008/02/12(火) 01:02:07 0
たぶん人間がまだ鼠だった時代は鼠じゃね。
232 :
201:2008/02/12(火) 01:06:50 0
たぶん俺がまだひい爺さんだった時代はひい爺さんな訳で。
233 :
201:2008/02/12(火) 01:10:40 0
>>229 客観的証明が可能とするものだけ真とする訳がよく分かりました。
234 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/12(火) 01:50:36 0
>>229 :唯識的独我論者:
>Aが「私は哲学的ゾンビだ」と述べ・・・
おかしいのでは?
「哲学的ゾンビ」というのは自らをゾンビとは言わないというのが定義では?
「外面的には普通の人間と全く同じように振る舞い・・・」と言うことなのだから、普通じゃあないと言う告白はしないはず。
チャーマーズに行き着いたというか、同じ考えになったってのはこのスレにそこそこいるんだろうか。
自分は最初は唯物論が一番説得力があるなと思ってたんだけど、このスレとか見たり、いろいろ考えてるうちに
唯物論も観念論もどっちもしっくりこない感じになった。
物質の塊がある時点から意識を持ち出すってのも妙な感じだったし。
どっちにしろ原因無しには結果が出ないから、この世は決定論的であることに肯定的なままだけど。
非決定論的だと全くランダムな何かが必要になるのがね。
今の量子論では物質の振る舞いは確率に従ってるから、見た感じ非決定論的ではあるんだけど。
>>234 ゾンビなら言わないと思われる言動をした。
つまり人間に見える。
定義どおりのゾンビだな。
映画見て感動して泣く人は哲学的ゾンビに騙されても不思議はないぞ。
俳優も演技してるだけなんだから。
238 :
考える名無しさん:2008/02/12(火) 03:20:16 0
逆に聞くが、騙されない人、見破れる人っている?
魔女も見破って火炙りにするぐらいだからいるんじゃね?
240 :
考える名無しさん:2008/02/12(火) 03:42:47 0
>>237 そもそもスクリーンに映ってる人物だしね。
アニメでも泣く奴は泣く。
>>238 騙せたら成功。
>>195のフィーリングには「機械的唯物論」者も太刀打ちできないだろう。
人間が作るのが機械の脳であり、人間そのものの脳が機械とはならないと証明された。
人間を超える脳を作ったら人間の脳も意識も機械とされる。
だが、その人間を超える機械の脳によってだけだが。
ただの言語遊びを小賢しい物理で誤魔化されてただけだったのだ。
だれもがその真実を無視してこのスレを継続するイカサマに呆れてるんだけどさ。
241 :
あまのじゃく:2008/02/12(火) 03:56:55 0
>>228 ムカシトンボと古代トンボ(メガネウラ)を混同してるよ
機械、最高位超絶対という2ちゃん産婆かが集い競演するスレはここですか。
後世は、この三人を評価・・・しないで無視というか歴史に埋もれて跡形もなくなる。
2ちゃんでやること自体がダメだろう。
みんな議論が成立するところでやれ。
ここはダメ。
244 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/12(火) 10:31:50 0
結局、他人が意識的であるかどうかなど、誰にもわからんわけだ。
つまり、非決定だな。
くっくっく。
245 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/12(火) 10:33:20 0
>>243 > 機械、最高位超絶対という2ちゃん産婆かが集い競演するスレはここですか。
なんだ、句読点の付け方も知らんのか?
「機械、最高位、超絶対」だ、たわけ。
小学校から国語をやり直してこい。
くっくっく。
>>243 ネット上にどこか議論の成立しているところがあったら教えてください
2chはいろんな意味で議論に不向きであることは間違いありません
こんな場所で本気で議論するためには相当の力量が必要で
またかなりのエネルギーと時間も必要とします
全くの不毛地帯とまでは言えないと思いますが
まずはまともな議論は無理と考えるのが妥当かと思います
もっともコテさんたちを含めて多くはレクリエーションの場として
ここを利用しているような気もしますが
読点と呼ぶ
句点は「。」
なんか粘着的な老害が常駐している様は異様だしな。
反面教師としては最高かもしれんが・・・
249 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/12(火) 15:13:20 0
>>247 > 読点と呼ぶ
> 句点は「。」
おい、老害と言われておるぞ。
お前がノラクロのようなコテHNをつけるから、年寄り臭くなるのだ。
ほらふき男爵ではなく、ショウワステップにしろ。
くっくっく。
お子様のキャラ付けウザッ
中身がスカスカなのがまた苛つく。
俺が老害のはずないだろ
老害言われてるのは、特に問題意識もなく答えだけの長文を書いて言葉尻だけのつまらない議論にしている人ではなくて?
知的発展、実りある議論をするには答えに対するスタンスを変える必要があるのではなくて?
252 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/12(火) 15:39:39 0
>>193 :考える名無しさん:
お話が長いので遡れなくて、話の流れが掴めていないかも知れませんが一言。
>ここで問題となるのは機械に自我があるかないか?
はいその通りだと思います。
同時に他人の自我は明らかに自分の自我ではありません。
ですから機械も「他人の自我」も自分の自我でないと言う事は共通しています。
そこで私は・・・・・・・・
>他人の自我と他人みたいな機械の自我を比べられないという問題はつきまとうぞい
この問題は左程重要ではないと考えます。
自分の自我と機械との関係がはっきりすれば、それを他人のケースに当てはめれば良いのでは?
253 :
考える名無しさん:2008/02/12(火) 15:45:59 O
実際2ちゃんはひどいと噂はあったからどんなもんかと思ったけどこの程度
まあこの2ちゃんの世界に折り合いがつけられる感覚になれば現実世界での人間関係変わると思うよ
自己を確立できているかどうかが問われてるだけなんだけどね
管理職やったら潰れてしまうかイタい上司になる子ばかりだね
だってそうじゃないか
他人の意見に目くじらを立ていちいちつぶし展開されるのは批判ではなく中傷の類だ
挙げ句「氏ね」「消えろ」と来る
これが何を意味するかわかる人はわかるだろう
ところでここは何を話すスレなんだい??
>唯識的独我論者
おれも同じこと考えてますよ。
>>240 >>195の内容は唯の機能主義。
相手にクオリアがあるかどうかは話しても分からないってのは何度か出てる。
> 人間が作るのが機械の脳であり、人間そのものの脳が機械とはならないと証明された。
> 人間を超える脳を作ったら人間の脳も意識も機械とされる。
> だが、その人間を超える機械の脳によってだけだが。
ワロタ。難しいこと考えすぎて頭疲れてるんじゃないの?
>>253 隔離病棟の人々が日々の妄想を話し合うスレです。
257 :
考える名無しさん:2008/02/12(火) 16:11:21 0
ホスピスハ ココデスカ?
定礎
平成15年6月
259 :
考える名無しさん:2008/02/12(火) 16:48:02 0
,'⌒,ー、 _ ,,.. X
〈∨⌒ /\__,,.. -‐ '' " _,,. ‐''´
〈\ _,,r'" 〉 // // . ‐''"
,ゝ `</ / 〉 / ∧_,. r ''"
- - - -_,,.. ‐''" _,.〉 / / . {'⌒) ∠二二> - - - - - - -
_,.. ‐''" _,,,.. -{(⌒)、 r'`ー''‐‐^‐'ヾ{} +
'-‐ '' " _,,. ‐''"`ー‐ヘj^‐' ;; ‐ -‐ _- ◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない117◆を爆撃します
- ‐_+ ;'" ,;'' ,'' ,;゙ ‐- ー_- ‐
______,''___,;;"_;;__,,___________
///////////////////////
爆撃してもしぶといよ。
なんせ、プロの人らが解決できてないのに、素人連中が話し合ったところで結論が出るはずがないから。
唯物論を徹底的に破壊するとか言ってた人いたけど、どう頑張ってもどうとでも言い返せるから呆れていなくなったし。
要は自分にはどの考えがしっくり来るかってことだしなぁ、今の段階じゃ。
261 :
考える名無しさん:2008/02/12(火) 17:17:06 0
>>253 >他人の意見に目くじらを立ていちいちつぶし展開されるのは批判ではなく中傷の類だ
阿呆だなあ。
君は「哲学する」という行為が、分かってないね?
根本から誤解しているよ。
>>235 論理や理屈を緻密に積み重ねるのはとても重要だけど、それはすべて五感を
ベースにした理屈なんだと思うんだよ。五感以外のものを理屈のベースに加え
るなら論理が破綻する、という指摘は当然あるんだろうが…。
多分幾ら世界を分割しても、帰納的に思索をめぐらしても、この世界の外、五感
の外には出られない。
第六感みたいなものを視点に入れないと、どうどう廻りをするだけじゃないだろう
か。 でもそうなると哲学じゃなくなるんだろうけど。
自分はこの五感的世界はやはり箱庭の様な世界だって気がする。
箱庭の中で起きる事象は素では徹頭徹尾決定している。
しかしそれを外から見ている所の、干渉する意思や意図が働きかければ、決定
事項が変化する。そんな感じがする。
>>262 神様がこの世に接触を図ってくれればなぁと思うよ。
目の前で現代の科学じゃ出来ないことをしてくれればたぶん神だと信じる。
でもその神にもその上の神がいるのかねえ。
> 自分はこの五感的世界はやはり箱庭の様な世界だって気がする。
物質が確率的に存在してるのも、分からないだけでそう見えるだけな気する。
5次元以上でのことを4次元で観測してるから分からないだけで。
ここら辺はまだどうとでも言えるなぁ。
今のところ占いみたいな第六感は証明しようないし、第六感使いは金、金、金、だからなぁ。
物質自体の意識のようなものが今のところの、何かを変えてくれそうな何かだなぁ。
今更チャーマーズの本頼んだし。
264 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/12(火) 18:13:44 0
>>251 ふむ、男だか女だか、わからんようなレスだな。
まあ、いずれにしろ、2ちゃんには滅多に起き得ない現象を望んでおるようだのー。
くっくっく。
265 :
考える名無しさん:2008/02/12(火) 18:27:01 0
さらに2年前か
>>249 248だが、老害なのはほらふきじゃないぞ。じいさんでもない。
ほら、なんか変なのいるだろ。
難しい話についていけなくて涙目ww
>>263 神様が現れて、現代科学では不可能なその万能なる御業を見せ付けたとしたら…
実はその神様は、言わば"ほんとうの"神様ではありません。
というのも、その万能性をわれわれが理解可能である限りにおいて、
その神様の根拠は必然的にその神様自身の"外部"に求めざるを得ないからです。
あなたの言葉を引用すれば、 >>でもその神にもその上の神がいるのかねえ。と、
正しくそういうことになります。
>>269 多神教ではごく当たり前のことだ。
ゴッド・ディーバーーーー
>>270 >>269 で私が言わんとしていることは、神様なるもの、
超越者、オカルト的存在の全否定ですから…。
>>269 中間管理職でいいから会いたいものです。
>>272 あなたを本日付で機械的唯物論(株)の桃色係長に任命します。
274 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 00:24:53 0
_ ∩ ;. ;.,;.;.∵
⊂/ ノ ). ;. ;
/ /
>>1 し'⌒∪. ;. ;
_, ========、.==== 、.、
お断りします >_/ ハ,,ハ // ヽヽ____
___/_ ( ゚ω゚ )//|/二) |ヽヽ__/ノ ___
,-=,~ ̄ , -- , _ ̄ ̄ヽ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ  ̄ヽ ――― (´⌒(´⌒;;;
/ - ´ ̄ ̄ ̄ ̄ ― ´ /;;;;;;ヽ o .| ノ ,-‐-、 0.|  ̄ ̄ ̄(´⌒(´⌒(´⌒;;;
( ニ |゚ ゚̄| ニフ //  ̄ヽ| _ | / / ,.- .、.、_ ) (´´(´⌒;;
.>ヽ 二二二フ エニフ_|;:I ノ |└┴―――― ´ _|::( ∵)|_/ ≡≡(´⌒(´⌒;;;≡
 ̄ ̄ゞゝ;;;;ノ ̄ ̄ ̄ゞ_ゝ ー,ノ ̄ゞゝ ̄ノ ̄ ̄ ̄ゞ_ゝ ーノ ≡≡≡(´⌒(´⌒(´⌒(
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
275 :
あまのじゃく:2008/02/13(水) 00:28:50 0
神様に丸投げか
276 :
あまのじゃく:2008/02/13(水) 00:30:16 0
唯物論の最後の避難所は神さまかよ、馬鹿か〜!!
277 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/13(水) 01:33:12 0
まとめ
というか結論を言いますね〜
簡単な話だよ
「宇宙には、オレがいる」 という事
その『オレ』を、物理現象などの「法則性」「パターン」によって存在せしめる事は、絶対に不可能
物理現象などの「法則性」から『オレ』の原因性を導き出す事は、どうやったって絶対に、100% 不可能
要するに
「物理現象は、絶対に『オレ』の原因性には成りえない」 という結論なんです
唯物論と決定論が、論理的に完全否定された、歴史的瞬間であります
>>277 その「オレ」がどういうふるまいをするかを説明できる可能性はある。
ゆえに、唯物論も、決定論も否定できないわけだ。
唯物論にしろ、決定論にしろ、原因性を説明するものではない。
原因性を説明するものだと思うのは頭の悪い馬鹿。
原因がどうかは無視して、それがどのように振舞うかを解明していくのが科学。
唯物論も決定論も、その前提に過ぎない。そして、それを否定することは不可能。
>>277 実際には、最高位が否定された瞬間だね。最高位はそれに気が付いていないけど。
281 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/13(水) 01:40:53 0
>>278 いいかげんに、そんな頭の悪い発言ばかりしてちゃダメだぞ
その、「ふるまう『私』」が、どうやって存在したのか
唯物論でも決定論でも、全く以って言及できんだろバカ
最高位さんの私の存在性の根拠は唯物論なのだから仕方ありませんよ。
283 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 01:56:07 0
_,,..:--─‐-=,,._
./;;,ィ''"´ ̄`゙゙ヾ;ミミミ;;、
./ミミ/゙ ゙:::゙iミミミ:l
iミミ′: : ..::::_;ミミ;ミ;リ
ヽ,! ゙ .,;;;..'' ''゙゙;;_ ゙:::ヾ;;;;;;/
. } :'゙::“:゙:. l::'゙.”:゙;.::'':;;゙irく
. | ヽ .,r ..:::、 ..::::;;;トl;|
|.. :' ''ー;^''::ヽ. :':::::;;;i::ソ
. l、 ←‐'‐→、! ..::::;;;l゙´
ヽ.. `゙゙゙.,゙´ '":::';;;ハ、
_,,/`i、 -:: -:::'::゙:::;;ツ'::::`;、_
_,...-‐''" | ゙;、 i":;;:::::;,/':::::::::;!::::`::-、
.l゙ ゙ヽ:;,ン'":::::::::::::/::::::::: : -
l .,/;l ,r"
.ヽ /r;:ヘ、 ,,/;''
゙ ''::'`'´ ヽィ::'
>>281 唯物論や決定論以外でも言及できないところは同じ。
隔離スレから逃亡かw
>>281 言及などいくらでも可能。神様が操ってるでもおk。
最高位は「私」をきちんと説明できないので、
否定するにも何がどう違うかも精密に言及できない。
故に神も唯物論も否定できない。だがこっちは言及し放題。
287 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 02:34:35 O
>>286 良いこと言ったね
でもやつはわからないんだろうな
わからないことに対しては否定だけで根拠をしっかり説明してくれない
それどころか彼にしか通用しない論理を展開するのだろう
話しがいもない
こういうやつをいじるのが面白いのはわかるけどみんなよく相手にする
ああ固定客じゃないのね
オレももう去るよ
>>279 :考える名無しさん:
>唯物論にしろ、決定論にしろ、原因性を説明するものではない。
ええ〜〜〜・・・じゃあ何を説明するの?
決定論なんか・・・「因果的決定論」と言う名前なんですよ???
289 :
あまのじゃく:2008/02/13(水) 03:05:07 0
唯物論って餓鬼っぽい
もうこのスレで終了にしていいんでない?
哲学なんていっても誰かの哲学の二番煎じを延々やってるだけ
独自の哲学を展開してる奴なんて一人もいない
>>290 なら君が読まなければいいだけ。それができないのは馬鹿。
>>291 うん、今初めて来てさらっと読んだだけなんだ。
もう来ないけどね、アドバイスをしただけだよ^^
>>292 アドバイスできるほど自分が賢いと思っている時点で君は馬鹿だということを証明している。
>>288 馬鹿だな〜。
説明するものではなくて、前提として存在しうるものなのに。
>>293 なるほど、面白い。更に詳しくどうぞ
哲板らしく^^
>>295 もう来ないといいながら必死過ぎw
気の毒すぎるw
297 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/13(水) 10:04:21 0
だから、決定論と非決定論は互いに内包し合っておるわけだ。
簡単なことだ。
くっくっく。
>>297 馬鹿だな。内包し合ってない。何を根拠にそんなことをw
>>277 おもしれえな。
法則性と法則の違い、わかる?
原因と原因性の違いってわかる?
この違いの根源がわからないから、唯物論も決定論もわからないことになる。
決定論ってどういうのかも本当は最高位にはわからないんだろうなあ。
非決定論と決定論の関係なんてのは、その媒介の理解が必要だから、最高位wには永遠に無理だろう。
とりあえず、法則性と法則の区別と連関の理解ができないことにはね。
そういったことから遡及してはじめて根源に至れるんだけど。
チョウさんも同じ間違いをしているし、機械も御同類。
それなのに最高位w、超絶対w。
超ウケル。www
サンバカ揃い踏み。www
寝言言ってねえで、クソして永遠に寝ろ、サンバカ。www
302 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/13(水) 11:02:21 0
>>298 >
>>297 > 馬鹿だな。内包し合ってない。何を根拠にそんなことをw
そんなことも分からんのか?
まあ、このスレが117も続いておるのが根拠だな。
自明だ。
くっくっく。
304 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/13(水) 12:16:24 0
>>303 >
>>302 > わかってないのはお前だよ。w
ほう?
どこが分かっていないか言ってみたらどうだ?
無駄脳君。
くっくっく。
>>304 どこか指定するのは無理w
だって、お前が分かっていることなんてないからw
分かっていることがあるなら一つでも証明してみたら?無理だろうけどなw
306 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/13(水) 13:30:10 0
>>279 ↑
ここにも、唯物論と科学を混同してるバカ発見(苦笑
初歩の初歩 的間違いだぞ
出直して来いバカ
まぁ、それは一応置いとくとして
じゃぁさ
最後の一行以外は、認める という事で、OKなんか??(笑
>>284 アホだなぁ
唯物論は「全ては物理現象だ!!」と断言してる思想なんだよ
私は、その『断言』を、論理的に完全否定したわけだ
もう少し理解できてから喋ってくれ
>>286 あのな・・・
簡単に言えば、私は
『私』というものは、説明がつかないものだと言ってるんだよ
それを説明しろとは、どういう事だ??
唯物論者にこそ、説明の義務があるんだよ バカ
>>277 最高位はいっぺん死んでみろ。
おまいが死んだ後も世界はつづくからよ。
他人の死を見て、それを類推するんだ。
308 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 13:36:00 0
>>306 説明の付かない妄想を議論の場に持ち込むなw
309 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/13(水) 13:53:15 0
>>307 まずね
死後の世界が無い事を、論理的に証明してくれ
というか
それじゃ
今、私が存在してる事実を、ぜんぜん否定できてないだろ
その「存在する私」を、唯物的に説明する事は、不可能だと教えてやてるんだよ
どこまで読解力ないんだ???
アホすぎる(溜息
310 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/13(水) 13:55:23 0
>>308 妄想?
妄想は「あり」か?(爆笑
妄想してても、それは『私』なんだよ
ゆえに「我あり」だ バカ
いい加減、理解できろ 基地外ども
311 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 13:56:05 0
>>309 死後の世界があるから最高位が死んでも世界は続くんだろ。
相変わらず読解力がないのうw
312 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 13:57:11 0
>>310 はいはい。
何の根拠もない「我あり」乙w
313 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/13(水) 14:27:56 0
>>305 >
>>304 > どこか指定するのは無理w
> だって、お前が分かっていることなんてないからw
> 分かっていることがあるなら一つでも証明してみたら?無理だろうけどなw
無脳な遁走宣言だな。
証明?
下らんスレが117も続いておることが証明だ。
場蚊ではないか。
くっくっく。
(株)機械的唯物論研究所
代表取締役社長:「機械的唯物論」者
315 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/13(水) 15:34:47 0
>>302 :走召 糸色 文寸 ネ申:
まず定義を確認しましょう・・・
決定論:世界の事象はあらかじめ100パーセント決定している。
非決定論:100パーセント決定しているわけではない。
以上でいいですか?
316 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 15:36:18 0
×(株)機械的唯物論研究所
○(宗教法人)機械的唯物論研究所
代表:「機械的唯物論」者
>>315 非決定論は決定していないのではなく、原因を知らないだけ。
318 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 15:42:00 0
ここに自主的入院をし、隔離されている連中も
実際問題現実として5年以上の時が無駄に過ぎたことにそろそろ焦りを覚えはじめ・・・
834 名前:哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 01:08:37 0
>>824 あははは!
循環させてる『私』が『いる』って事だろバカ(大爆笑
>>825 べつに、お前らは関係ないけどな
まぁアホな質問をしてくれるお陰で、初心者にも理解できやすい内容を書くことができてるけどな
>>826 >相変わらずお答えになってませんね。
うむ
『観念』というものは、論理性で解明できるものじゃないからね
だからこそ唯物論は崩壊するわけ
唯物論には答える義務があるけどね
物理現象だ!って主張してるんだからね
だけど、それは無理だろ(爆笑
>>827 私こそ、すまなかった
キミにも理解できる なんて思っちゃってたからね
>>321 なんで?その主体が原因を知らないだけで
本当は決定しているんだろ?
それを決定論っていうんだよ。
323 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 16:34:06 0
>>306 >『私』というものは、説明がつかないものだと言ってるんだよ
最高位は「私」が不可知である、と主張しているが、
この理由は「私」というものが、脳から独立した、霊のような「実体」でない証拠となるだろ。
「私」は脳が生む状態であるのだから、脳全体を一つの装置として考えなければいけないから、
脳内を各部品に分解して、特定の部品に「私」の根拠を求めた時点、まさにこの考えが、誤りである。
唯物論とて精神活動を否定しているのではない。脳が意識を持つのは必然だ。
「私」という「主観」は存在しているし、脳が主観をもつのは必然だ、と述べているである。
「私」は脳機能によって引き起こされる、状態であるのだから。
脳の状態としての精神活動はある。「実体としての私」などはない。
脳全体が一つの装置であり、「私」は脳内器官によって、仮象、仮想されているに過ぎない。
脳が「私」を発生させるゆえに、「私」は脳の属性であって、主体は脳にあるということだ。
最高位の主張は無意味である。
最高位は「私」が説明がつかないものだと言ってるが、「説明がつかない」理由は
「実体としての私」がないからだ。架空の概念、非実在である。
脳から「観念に過ぎない私という感じ」機械的感覚があるだけだ。
「私」は観念に過ぎない。脳機械によって組み立てられた精神状態に過ぎない。
機械の中から観念が発している。観念も物質からの発生物である。
>>322 俺理論な人を相手にしてもキリが無いとそのうち気付くよ。
327 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 17:11:41 0
>>309 >その「存在する私」を、唯物的に説明する事は、不可能だと教えてやてるんだよ
病的な啓蒙意識の正体は、他者に承認を求めているだけ、自己欺瞞の産物でしかないのに、
最高位の問題意識とやらも単なる価値観の一つであるし、俺は興味を持っていない。
最高位から教わることは一切ないのだ。
>>327 だれもおまえの感想なんか求めてないってさ。
329 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 17:13:17 0
>>309 >その「存在する私」を、唯物的に説明する事は、不可能だと教えてやてるんだよ
病的な啓蒙意識の正体は、他者に承認を求めているだけ、自己欺瞞の産物でしかないのに、
最高位の問題意識とやらも単なる価値観の一つであるし、俺は興味を持っていない。
最高位から教わることは一切ないのだ。
330 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 17:15:13 0
最高位の感想なんか求めてない言ってんだよ。
最高位の死後の世界は神から祝福されるであろう。
最高位のあの態度を「啓蒙」と呼んでいいのかねぇ
それよりポモうざ
334 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 17:23:53 0
>>317 >非決定論は決定していないのではなく、原因を知らないだけ。
原因を知らなくても結果を予測できなくても現在の状態で未来
の事象は決定しているというのが決定論です。
だから非決定論は現在の状態で未来は決定しない、すなわち起きた
事象の原因を追究しないということです。
「明日は明日の風が吹く」、「ケセラセラなるようになるさ」が
非決定論的世界です。
非決定論てのは決定論が間違っているという立場なだけ。
337 :
海軍幕僚 ◆4eq5Z7UCHM :2008/02/13(水) 17:52:17 0
哲学のダメなところは
まだ科学的に解明されていないことを
ダラダラと議論してるところです。
本当に決定されてるか決定されてないか知りたい奴は
脳科学を研究しているだろう。
そして、未だに答えはわかっていないのです。
だから、言葉で議論するのは論理力がつくだけで
あとは大した成果が出ないと思います。
科学的認識に対する(宗教的・観念論的な)根本的な疑義ならわかるけどさ。
そういう人もいないみたいだし、お偉い学者さんたちの発見をじっと待った方がいいだろうと思う。
ただし、決定論と非決定論のどちらを信奉しているかで心理の結果は異なると思います。
決定論の場合は宗教的思考が強いため信奉度に応じて結果の収斂度が高くなります。
決定論の場合「すべて決まっていたことだ。」←すべてが決定論を基にした心理的結果。=心情の固定化
非決定論の場合「喜怒哀楽その他」←心情の多様化
>>317は決定論を否定しようとする余り勢いで非決定論の定義まで脳内で書き換えを行ってしまったんだろう。
決定論・非決定論の定義は
>>315で足りると思われる。
まあ、じいさんがいつも間違うわけではないということだね。
決定論のが宗教的思考が強いとは偏見では。
おれには、非決定論のが根拠がないので宗教的思考が強いように思える。
340 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 18:04:29 0
>>338 >>315の定義の100%が何を意味するか、また何が決定してると
定義されているかわからない不完全な定義じゃないか?
決定論は必然であろうと確率的であろうと因果の法則を認めることだろ。
341 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/13(水) 18:04:39 0
>>315 >
>>302 :走召 糸色 文寸 ネ申:
> まず定義を確認しましょう・・・
>
> 決定論:世界の事象はあらかじめ100パーセント決定している。
> 非決定論:100パーセント決定しているわけではない。
>
> 以上でいいですか?
儂に聞いても無駄ではないか?
万人が納得する定義でなければなー。
くっくっく。
342 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/13(水) 18:05:29 0
最高位の言う「私」とは、「比類なき先言の私」だろう。
くっくっく。
343 :
海軍幕僚 ◆4eq5Z7UCHM :2008/02/13(水) 18:07:15 0
このように
>>1の趣旨にある
>「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
>決定されております。
という文は、決定論を信奉するか、または非決定論かで大きく変化します。
これは大変な事態です。決定論者は非決定論者の心情も決定していることを主張するでしょう。
ということは、真理は決定論でも構わないと言うことです。
しかし、その真理は布教されたり信奉されたとしても結果に変化がありません。
決定されている訳ですから、科学がどれだけ進歩しても、
決定論の信者は増えませんし、
>>1のように真理を高々と押し付けることも
また決定論的に決定論を理解するものを増やさないのです。
そして、このスレは決定論的に半永久的に継続していくということになります。
決定論は宗教であり、都市伝説と同じですので
「信じるか、信じないかは、あなた次第です。」
この議論は仏教のようなカルマ説や輪廻説ではないから、
決定論か非決定論かの心理的効果は無いのでは?
気象予報でさえスパコンで計算しても大まかにしか当たらないのだし。
どちらの論でも現実は何も左右されないのでどっちでもいいと普通は思う。
定義してやるよ。
決定論:この世界は因果関係という性質をもつ
非決定論はその名のとおり決定論でない立場の総称だから
さまざまな立場があるだろう。
代表的なものとして
a:この世界は因果関係という性質をもたない
b:この世界が因果関係という性質をもつかどうかは不可知
346 :
海軍幕僚 ◆4eq5Z7UCHM :2008/02/13(水) 18:15:36 0
あなたは明日起こる思いがけない出来事を決定していたことだと思えますか?
あなたは明日起こる思いがけない不幸を決定していたことだと思えますか?
あなたは明日起こる思いがけない幸福を決定していたことだと思えますか?
あなたは明日起こる思いがけない不幸を決定していたことだと思えるかもしれないし
思えないかもしれないのでここで謎を解明しようと頑張りますか?
そんなの嫌なら、決定か非決定かなど捨てて、伸び伸びと今を過ごしましょう。
所詮どちらでもいいことなのです。
先に因果関係の定義をはっきりしてよ。
348 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 18:23:24 0
>>346 まあ、本気で哲学的に考える気がないならここを去った方がいいな。
この連中は無駄に見える論争に人生を賭けてるみたいだしな。
オレはオレの未来がわかっちまったらその逆の行動するぜ。
それも決定されてたっていうならまた思いつかねえような行動するぜ。
決定とか非決定とか小難しいことほざいてるがどうせオレが未来に何すんのか
わかんねえんじゃ退屈だな。
>>348 ワロタ。
あなたの未来の行動を分刻みで記載して機械がメールで送ってくれるってさ。
決定論者はそのくらいできるらしいよ。
機械はジュセリーノとかいう予言者と同じくらいすごいらしいし。(笑)
350 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/13(水) 18:31:17 0
>>340 :考える名無しさん:
>100%が何を意味するか・・・・・・・
とにかく全てを意味します。
世界の全てと言う事です。
>決定論は必然であろうと確率的であろうと因果の法則を認めることだろ。
違います全て必然(一意性)であるという原則です。
確率や偶然を含めると言う「自称決定論者」もいます。
わたくし非決定論者から言わせると、紛らわしいので名前を区別してほしいなあと言うことです。
例えば・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
因果的決定論:未来は現在および過去に規定されて一意的であるとする説
確率的決定論:未来は因果律によってではなく確率によって支配されており、その限りで未来は決定しているとする説(未来の一意性が否定される)。
ここでは更に確率的決定論でありながら未来の一意性を主張する変わった人もいる。
予測計算機のバラドクスがあるから
計算して未来を当てることは不可能
未来を当てる預言者は何か超常現象的なものが不可欠になる
俺が非決定論に組する理由の一つ
352 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 18:35:44 0
予言者ジュセリーノの予言は2ちゃんねるも人大杉にさせるよどの破壊力だよ。
機械タンはジュセリーノの予知夢をどう説明するんだろ?
353 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/13(水) 19:00:13 0
>>341 :走召 糸色 文寸 ネ申:
>儂に聞いても無駄ではないか?
>万人が納得する定義でなければなー。
では貴方の
>決定論と非決定論は互いに内包し合っておるわけだ
と言う言説は万人が納得するどのような定義から導き出した言説なのですか?
「ああ無常」かな
355 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 20:03:54 0
いつまでも決着つかない
やっぱりみんな日本人の
無常観
>>350 確率は因果律上にあるものです。いい加減馬鹿なことういうのはやめなさい。
357 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 20:23:19 0
>>350 >(未来の一意性が否定される)。
確率の意味を全然理解していないね。
未来であろうと過去であろうと現実に生起する現象、出来事は常に一意、
すなわち一通りだよ。一つのサイコロの目が6と1と同時に出た、
なんて現象がありうるのか?
358 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/13(水) 20:36:02 0
>>353 >
>>341 :走召 糸色 文寸 ネ申:
> >儂に聞いても無駄ではないか?
> >万人が納得する定義でなければなー。
>
> では貴方の
> >決定論と非決定論は互いに内包し合っておるわけだ
>
> と言う言説は万人が納得するどのような定義から導き出した言説なのですか?
ん?
お前はヴァカか?
それは公理だ。
くっくっく。
日本人はたいがい仏教徒なんだからさ、
いい加減みんな決定論に帰依しちゃえよ、
そのほうが整合的でスッキリするだろ?
360 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 20:48:42 0
>>358 >それは公理だ。
普通そういうのは独断と偏見という。
公理なら質問は出ない。
361 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 20:59:25 0
現在において起きることが一つなんだよ
そして未来はまだ起きてない
未来はこの現実世界に存在していない
時間軸を一般常識的にとらえるなら、「未来」はそうなる
じいさんの定義の方が正しい
>>361 縁起を理解していれば、必然的に決定論者にならざるをえない。
中論−縁起・無自性・空−を拒否するなら仏教徒やめればいい。
無理強いなどしません。
364 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/13(水) 21:27:28 0
>>358 :走召 糸色 文寸 ネ申:
>それは公理だ。
それはないでしょう。
今まで何回も「決定論と非決定論は互いに内包し合っておるわけだ」と言っている、何回も。
そのとき「公理」だと言った事は一度も無い。
公理と思うなら、最初から「内包の公理」と言っているはず。
少なくとも・・・・・・・・
「万人が納得する定義でなければなー。」のときに公理の言葉が出て無いとおかしい。
今になって「公理」と言い出すのは無理ですよ。
365 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 21:50:45 0
>>345 またまた「マクロの揺らぎ」を知らない無知がいた
この無知は時々沸いてくるな、と言うかけっこう多いな
366 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/13(水) 21:53:24 0
>>363 :考える名無しさん:
中観で言うのは縁起の空性であり、実在の否定である。
物質的因果律決定論とは正反対である。
仏教全体としても宗教的目的は「苦」の開放であり縁起(因縁)からの解脱である。
無知の無知
>>365 物理の話がしたいなら
ここじゃないよ。
ある思想なり哲学なりが、自ら「おれは(非)決定論だ」と宣言していなくても、
傍からみて「その考え方は(非)決定論だ」と指摘することはできる。
ナーガールジュナが「俺は決定論者だ」と言ってなくても、傍からみて
「あいつは決定論者だ」と正しく指摘することは造作もないこと。
空だの縁起だのが気に入らないなら、仏教徒やめるのも非決定論者になる
のも自由。ただ、それだけ。でも、縁起を理解しないまま、仏教が非決定論
だと信じているヴぁかは哀れ。
370 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/13(水) 22:06:45 0
>>360 >
>>358 > >それは公理だ。
> 普通そういうのは独断と偏見という。
> 公理なら質問は出ない。
公理に質問は出ない?
単なるヴァカだろうが。
くっくっく。
>>364 >
>>358 :走召 糸色 文寸 ネ申:
> >それは公理だ。
>
> それはないでしょう。
> ・・・
> 今になって「公理」と言い出すのは無理ですよ。
別に問題あるまい。
誰に対する公理かを考えればな。
「決定論と非決定論は互いに内包し合っておる」
自明だ。
つまり、公理で良いんだよ。
くっくっく。
371 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/13(水) 22:07:53 0
そういえば、ラビは「非決定論は妄想、決定論は信仰」とか言っておったではないか。
それよりは、儂の方が遥かに奥深いな。
くっくっく。
君の奥深さは妄想の深さと比例している。
儂の方が奥深いとか、仏教学んでる意味ないなw
374 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 22:29:10 0
毛深いのマチガイじゃネ?
375 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/13(水) 22:54:28 0
>>369 :考える名無しさん:
>正しく指摘することは造作もないこと。
うむその通りですね。
ナーガールジュナが「決定論は間違いだ」と言ってなくても、傍からみて
「決定論は間違いだ」と正しく指摘することは造作もないこと。
376 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/13(水) 22:59:48 0
>>370 :走召 糸色 文寸 ネ申:
>別に問題あるまい。
>誰に対する公理かを考えればな。
え〜っ???誰に対する・・・?
万人が納得する・・じゃあなかったの?
それとも定義は万人が納得する・・で
公理は超さんだけが納得すると言う事?
377 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 23:35:33 0
>>375 >「決定論は間違いだ」と正しく指摘することは造作もないこと。
へぇ、「決定論が間違いだ」なんて指摘しようが無いだろ。
決定論は反証可能な理論ではない。否定も肯定も出来ない。
真偽いずれであってもただ信じるだけだね。
378 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/14(木) 00:16:27 0
>>323 うーむ、結構「真理=機械的唯物論」を理解されている方もいらっしゃるのですね。
すこし、驚きました。
379 :
あまのじゃく:2008/02/14(木) 00:18:59 0
出来の悪い奴ぁ職人でもやってろw
380 :
あまのじゃく:2008/02/14(木) 00:20:54 0
今だにニュートン力学がラストワードか
381 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/14(木) 00:24:46 0
>>337 >決定論の場合は宗教的思考が強いため信奉度に応じて結果の収斂度が高くなります。
逆です。
宗教(観念論)は「意志の自由がある」という前提に立って、(例えば)キリスト教的に言えば、
「神が命じる『善行』をしなさい。『聖書』に書いてあることに従いなさいそうすれば・・・
・・・・「最後の審判」で「死後の天国行き」が決まります。刃向かえば「地獄行き」です。
「あなたの自由意志はどうするのですか?」という論法です。
「信じる者は救われる」わけですが、「信じない者は(永遠に)地獄行きだぞ〜!」という
「脅しの論理」で社会の秩序を保とうとする考え方・・・・それが「観念論(宗教)」です。
当然「意志の自由」は前提とされていなければ成立しようがない「思想?」なのです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
382 :
あまのじゃく:2008/02/14(木) 00:31:10 0
睡眠物質吸い出すぞこの野郎
383 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 00:59:05 0
>>370 >「決定論と非決定論は互いに内包し合っておる」自明だ。
「資本主義と共産主義は互いに内包し合っておる」自明だ。
「天動説と地動説は互いに内包し合っておる」自明だ。
「自民党と民主党は互いに内包し合っておる」自明だ。
「男と女は互いに内包し合っておる」自明だ。
何にでも応用できる禅問答「内包し合っておる。自明だ」でした。
機械が認定した機械以外の唯一の機械的唯物論者登場!!
めでたしめでたし
>>383 対立物の統一か
それは唯物弁証法だwww
>>362 未来ついては非決定ではなく未決定と言うべきだね
決定論も非決定論も嘘だけど未定論は現実的。
>>386 それもそうだが、そもそもじいさん「決定」の主語が何かわかってないと思われ。
未決定というのは、単に世界を観測する主体にとってであって、決定論の決定とは主語が異なる。
非決定というものはそもそも存在しない。正しいのは「原因がわからない」である。
わからないことと非決定を区別できないんだから、非決定という言葉には何の意味もない。
390 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/14(木) 02:19:50 0
>>388 :考える名無しさん:
あの・・・笑ってはいけないんでしょうが・・・
未決定・・・正しいですよそりゃあ・・・
だって未来と言う事と同義でしょう。
反決定、汎決定、全決定、唯決定、超越決定、独決定、実決定。
じいさん笑ってください。
392 :
ほら:2008/02/14(木) 02:27:55 O
20世紀の哲学では「自明性への信頼の崩壊」が一つのテーマだから
「自明だ」の一言で片付けてしまうのは頭の古い年寄りだと思いますよ
というかどんな自明なことも論理を共有してないと自明じゃない。
未定論はいいぞ。
過去は決定論的に後付け因果律で誤魔化せるし未来は予測問題に感知しないでもいい。
天気予報が外れても未定論の責任じゃないからな。
尚かついままでの世界観は一切いじくりまわしたり変更する必要がないというご利益もある。
395 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/14(木) 03:14:43 0
まとめ
というか結論を言いますね〜
簡単な話だよ
「宇宙には、オレがいる」 という事
その『オレ』を、物理現象などの「法則性」「パターン」によって存在せしめる事は、絶対に不可能
物理現象などの「法則性」から『オレ』の原因性を導き出す事は、どうやったって絶対に、100% 不可能
要するに
「物理現象は、絶対に『オレ』の原因性には成りえない」 という結論なんです
唯物論と決定論が、論理的に完全否定された、歴史的瞬間であります
原因性、法則性、宗教性、存在性・・・
性つけるのが好きな奴だな。
まあ、コピーしか作れないのだから、100%同じものは作れないのは
確かなんだが、だから唯物論が間違いと結論を出すのは間違いw
最高位はご飯も食べなきゃウンコもしないってホント?
399 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 03:40:11 0
杜玖椀も知らないソカ厨wwww憐れwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
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wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>395 278 名前:考える名無しさん 投稿日:2008/02/13(水) 01:36:11 0
>>277 その「オレ」がどういうふるまいをするかを説明できる可能性はある。
ゆえに、唯物論も、決定論も否定できないわけだ。
279 名前:考える名無しさん 投稿日:2008/02/13(水) 01:39:20 0
唯物論にしろ、決定論にしろ、原因性を説明するものではない。
原因性を説明するものだと思うのは頭の悪い馬鹿。
原因がどうかは無視して、それがどのように振舞うかを解明していくのが科学。
唯物論も決定論も、その前提に過ぎない。そして、それを否定することは不可能。
280 名前:考える名無しさん 投稿日:2008/02/13(水) 01:40:15 0
>>277 実際には、最高位が否定された瞬間だね。最高位はそれに気が付いていないけど。
思考実験
1.この宇宙と同じ初期条件をあたえ経過を見た
2.この宇宙と同じ経過をたどり「私」とおなじモノができた(とする)
3.しかし「私」はここにいるのでそれは「私」ではない
4.結局「この宇宙と同じ初期条件」と「この宇宙そのもの」は違うのだから
当然の話だ
唯物論と決定論が、どう否定されたって?
最高位は馬鹿の勘違いだと思う。というか何なのこの人。
あっちで相当やられてるんだなw
404 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/14(木) 04:37:05 0
>>401 よしよし
その前提が理解できてれば、あと一歩だ
では
この宇宙に存在している『オレ』の因果律を、物理的要素で説明したまえ(爆笑
この宇宙とシミュレーション宇宙では「条件の同一性」
この私とシミュレーション上の私では「私の存在性」w
論点のすり替えに気づけてよかったね
自分じゃマトモなつもりだったんだろうから
最高位の夢の中で否定されたのかな?
夢なら醒めないでくれと最高位が言ったか言わなかったか。
はやく次のトンデモ理論をつくってきてね、最高位さんw
この宇宙に「私」がいる。
「私」はある思考実験をしている。
この宇宙と物理的に全く同じ宇宙をもう一つ作ってみるという思考実験である。
誰がもう一つの宇宙を作るのか?それは当然私である。
しかし、よく考えてみれば、「私」に宇宙をもう一つ作る事は絶対に不可能だと思える。
技術的にどころか、こうすれば作れるという理論さえ一切ない。
つまり、「私」の思考実験は「私」に出来もしない事を出来ると思いこんでいる
倒錯した妄想に過ぎないことが分かった。
こんな妄想を根拠に唯物論を破壊したと思いこんでいる「私」は最低だと「私」は思う。
>>395 君は頭悪いし不勉強だし謙虚さもないからさ
>簡単な話だよ
>「宇宙には、オレがいる」 という事
いいかい? 基本を教えてあげよう
「この宇宙」を認識しているのが「オレ」だよ。
オレに認識されてる「この宇宙」に「オレ」がいるはずないだろ(爆笑
簡単な話だよ
>>409 いや、思考実験なんだから。
たしかにアホな思考実験からアホな結論だしちゃってるけど
せめて土俵にはあがってあげてよ
412 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 08:55:14 0
>>390 >未決定・・・正しいですよそりゃあ・・・
未決定はいつ決定に変わるのかな?
未来は常に現実に変わる。
それだったら現実の世界は決定の連続、決定論の世界だ。
しかし決定論も非決定論もどこまで行っても推論の域をでないんだよね。
唯物論もそうか。まぁ真理だと断言する奴もいるが。
観念論は観念論でどこにもたどり着きそうにないし。
世の中、真理なんてのはない。
人間が知らないだけだとか言うけど人間が真理があると願ってるだけ。
結局「真理」は「観念論」だ、でおk?
416 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/14(木) 09:19:23 0
>>376 >
>>370 :走召 糸色 文寸 ネ申:
> >別に問題あるまい。
> >誰に対する公理かを考えればな。
>
> え〜っ???誰に対する・・・?
> 万人が納得する・・じゃあなかったの?
> それとも定義は万人が納得する・・で
> 公理は超さんだけが納得すると言う事?
普遍法則が存在しないように、万人が納得するなどと言うのは妄想だ。
万人が否定できないのが公理だ。
納得する必要などないんだよ。
誰がそれを使うかだけのことだ。
結局,クリプキが正しいと言うことだな。
くっくっく。
417 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 09:19:29 0
>>401 >3.しかし「私」はここにいるのでそれは「私」ではない
ここが論理的まちがいだね。
思考実験だからそれが「私」であって何の問題も無い。
「私」の思考の中の「私」、「自我意識」の「私」がいる
ということだから。
418 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/14(木) 09:21:06 0
>>415 > 結局「真理」は「観念論」だ、でおk?
何人も異を唱えられず,それに対して議論できないものが真理だ。
くっくっく。
>>414 所詮それも君の願望に過ぎない。君は君が知らないだけだということを認識できていない。
422 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 09:57:36 0
真理は正しい論理にしたがう事だ。誰でも評論できる。
論理に従はない論は意を唱えることが無理だ。
異論がないと言うことはその論自体がが無理無法である
ことを証明している。
>>416 そもそも万人が否定できないものなんてないわけだが。
行為を超えて、論理的に否定できているかどうかとなると
それを判断する人間の問題になる。
おまえは馬鹿だ。
>>422 >論理に従はない論は意を唱えることが無理だ。
それ非決定論のことだよ。
424
ちったあ足りない頭を何とかしろ
元レスは超絶の「真理の定義」への批判
そしてな、決定論が非決定論に対して「論理的に、原理的に不可能」という態度をとると
決定論もまた無理無法となるということなんだよ
>>309 ほらね、死後の世界が無い、ということがどういうことから言っているのがこの最高位wにはわからない。
だからバカだと言われるんだよ。www
ため息をつくのはこっちだよ。アヒャヒャ。
死とは何かがわかっていないのに、死後の世界が在る、無い、なんて言うなよ、最高位の低脳さん。www
「水は凝固によって体積が増える」
「水は凝固によって体積が減る」
これらは(観察を無視すれば)どちらも論理的{言葉上}には正しい可能性がある
で、観察や実験によって片方が偽、もう片方が真と分類される
これは日常的な言語感覚だ
これを観察を無視して、「体積が減るのは論理的にありえない」とか言って、言葉上の正しい可能性すら否定し
それによって「体積」「増減」などの概念操作を行なうならば
元の言明が無内容な無理無法になってしまう
429 :
ほら:2008/02/14(木) 10:31:47 O
決定論の論争において予測が重視されるのも
どちらも正しい可能性があり、観察や実験によって真偽を図ろうとするなら
予測が必要不可欠だからだ
もしくは非決定論の内部に矛盾やパラドクスがあることを示すなどの方法が必要だ
非決定論が元から無理無法ならば、決定論は無内容、(正しい、とか、間違っている、などと考えることすらできない)ということになる
430 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/14(木) 10:39:02 0
>>423 >
>>416 > そもそも万人が否定できないものなんてないわけだが。
>
> 行為を超えて、論理的に否定できているかどうかとなると
> それを判断する人間の問題になる。
>
> おまえは馬鹿だ。
万人が口を揃えて否定することなどあり得ないんだよ。
それが人間と言うものだ。
まったく分かっておらんな。
くっくっく。
431 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/14(木) 10:40:45 0
>>422 > 真理は正しい論理にしたがう事だ。誰でも評論できる。
> 論理に従はない論は意を唱えることが無理だ。
> 異論がないと言うことはその論自体がが無理無法である
> ことを証明している。
論理と言うもの自体が,不完全なのだ。
そんなものに正しい論理など構築できようはずもないな。
ある真理をめぐり、一方がそれを正しいと言い、他方がそれを正しくないと言い争うのであれば,
そんなものを真理とは言わないんだよ。
場蚊ではないか。
くっくっく。
>>401 だってそれ、私でなくてどんな物質でも同じだよねw
真理という肩書きで論争が起こるもんだし、それは大いに否定されてよし。
434 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 11:09:06 0
じゃあお前ら服も着るな飯も食うな金も持つな
435 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/14(木) 11:27:05 0
>>405 空間的に離れた別の物体が、私であろうはずがないだろ
もし、それが私だったら
逆に、それこそ唯物論は崩壊するぞ(爆笑
>>407 この世界が、私の夢だとして
夢を見ている私を否定できてないわな
これ初歩的な基礎の基礎なんだけど
そういう事、初めて聞いた???
>>409 太陽の真ん中にも温度があり、もし私が行けば一瞬で蒸発しちゃうだろうな
という思考実験をしてみる
しかし、太陽の真ん中に私が行く事は不可能
であるからして、この思考実験は、ありえない事
なのか???(爆笑
>>410 で、「オレ」の存在は否定できたのかな?
どうやったら否定できるの?(爆笑
>>432 彼は、あと一歩で済むが
キミは、あと三歩以上必要だな
まず、基礎を理解できる知能レベルが必要
436 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/14(木) 11:29:42 0
>>433 > 真理という肩書きで論争が起こるもんだし、それは大いに否定されてよし。
そういうのを似非真理と言うわけだ。
くっくっく。
>>435 >太陽の真ん中にも温度があり、もし私が行けば一瞬で蒸発しちゃうだろうな
あれ、私って物質的原因によって蒸発しちゃうの?
だとすると、唯物論が正しいことになってしまうよw
>>436 論争が起こらん真理は語るに値しないものばかり。
そんな真理はあってもなくても構わないし、まあ空気だな。
439 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/14(木) 12:03:33 0
>>438 >
>>436 > 論争が起こらん真理は語るに値しないものばかり。
> そんな真理はあってもなくても構わないし、まあ空気だな。
論争のおこる真理を凡夫の真理と言うんだよ。
あわれなものだ。
くっくっく。
440 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/14(木) 12:18:07 0
>>437 ん?
じゃあ、あの思考実験は有効だという事でいいんだね?(爆笑
ちなみに
唯物論が正しいと主張するためには
『私』の原因的要素を、唯物的に特定できる可能性を論理的に示せなければダメ
無駄無駄(爆笑
>>440 >唯物論が正しいと主張するためには
>『私』の原因的要素を、唯物的に特定できる可能性を論理的に示せなければダメ
駄目じゃないよ。駄目だと最高位が勝手に思っているだけだから。
>>440 だから、「この体が適当な温度その他の環境にあって人間として生きていること」が
『私』を存在せしめている原因的物理的要素?だ、ということでしょ。
自分でそう特定しているじゃんw
>>439 最後にあわれで片付けてる時点で話にならんって気付かんの?
おまい、人を馬鹿にして自我保ってるタイプだろ?
だいたい最高位の「唯物論がやぶれた瞬間」というのは、最高位が理解したという注釈つきの唯物論が、であり、現代のそれではない。w
十九世紀以前の唯物論だから、そりゃ理解できないよ。
自分の理解した、ということがわからないから、オバカ理論を振り回して得意になっているだけ。
あんたの珍論理で現代の学問の前に横たわっている諸難問を理解できたら、お慰みだよ。
最高位wの理論wwwでそれらが解決できたら認めてやるよ。
あんたが破壊したというその妄想理論がどのくらい有効性があるのか試してごらん。
理数系は鼻にもひっかけないことを請合う。www
あんたの論理が有効だというなら、武者修行してくることだ。
まああんたの珍「わたし」論で引き篭もっていた方がいいことは確かだから、ここでオナニーのような寝言を呆けるまで書いてろ。
あっ、もう呆けているか。www
>>421 人類史上真理に到達したと確認された事例は一つもない。
人類の経験上今のところ真理はないというのが正しい。
446 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/14(木) 15:01:21 0
「諸行無常」と言う真理があるがな。
くっくっく。
パンタ・レイ
>>435 その夢から醒めたら見ていたはずの最高位の私は消失する。
別の私が出て来るかどうかは根拠のない話。
最高位の私もデカルトの我思う故に我ありも結局自分の夢だとして語られているだけ。
最高位ではなくデカルトにこそこの批判は当てはまるんだが。
>>444 お言葉だが、十九世紀以前の唯物論だろうが現代の唯物論だろうが、
最高位の珍論とは何の関係もないぞ。
>>444 確かに唯物論は進化している。
というか哲学(大方は観念論か形而上学)の中の一分野であった数学や物理学が
独立してからは観念論で論じられる領域がどんどん矮小化されて行った。
でもそれでいいのか?
(いいけど)
>>422 論理は従属的だし普遍性もない。
仮に人間にとっての真理が人間知の統一ということになると人類はそういう論理は
まだ見たことも聞いたこともない。
452 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/14(木) 16:17:24 0
>>430:走召 糸色 文寸 ネ申:
>万人が口を揃えて否定することなどあり得ないんだよ。
はいそうですね。しかしそれは何事によらずいえる事です。
しかし貴方は自分の公理について説明していたわけで・・・
そうなると貴方の言う「公理」とは他のどんな<言い方>と同じく、唯「万人が口を揃えて否定できない」という一般論に過ぎないと言う事ですね。
>>423 単に否定できないものならいくらでもあるぞ。
否定できないものがあるからオカルト的現象はインチキだと言える。
455 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 16:26:51 0
>>366 じいさんが全然マト外れな質問を繰り返して、中学生レベルの知能にしか見えんのは、仏教馬鹿だったからか。
低学歴で無教養だけど、仏教の経典ならほんの少し知っている、という人ですよね。
話を飛躍させる禅問答的詭弁論法、明瞭性に欠けるズレた質問をして、言ってることがコロコロ変わるのは、
仏教以外のことは何も知らない、仏教馬鹿ってことか。
度を超えた、オバカ発言を振り回して、得意になっている理由はこれですか?
456 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/14(木) 16:45:15 0
事例・・・・・・
在る夫が出勤の際、通勤電車のいつもの便に一分乗り遅れて三分後の便に乗ったとする。
結果その便は事故で大破し「夫」は死んだ。
妻はその日出掛けに夫に一分間だけの用事を頼んだ。
いつもは決して頼まない用事だった。
妻は夫の死の原因は自分にあると考えた・
・・・以上
「一意的因果律決定論」から観ると、妻の考えは正しい。
「非決定論」から観ると妻の用事と夫の死には因果関係はない。
457 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/14(木) 16:54:02 0
>>452 >
>>430:走召 糸色 文寸 ネ申:
> >万人が口を揃えて否定することなどあり得ないんだよ。
>
> はいそうですね。しかしそれは何事によらずいえる事です。
> しかし貴方は自分の公理について説明していたわけで・・・
> そうなると貴方の言う「公理」とは他のどんな<言い方>と同じく、唯「万人が口を揃えて否定できない」という一般論に過ぎないと言う事ですね。
だから,公理と言うからにはそういうものな訳だ。
万人が納得だな。
誰に対するものか理解できたか?
くっくっく。
458 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/14(木) 16:55:40 0
>>456 だから、「決定論と非決定論は,互いに内包し合っておる」わけだ。
くっくっく。
459 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/14(木) 16:56:31 0
>>455 :考える名無しさん:
貴方の言っている事は殆ど正反対に間違っている。
ただし、一部だけ正しい。
>低学歴で無教養だけど・・・
是は言える。
460 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 16:58:46 0
おまいら大丈夫か 決定かどうかなんて 死後の世界はあるかないかと同じようなことだと気づけよ 廃人になっちまう心配だぞ
>>435 >太陽の真ん中にも温度があり、もし私が行けば一瞬で蒸発しちゃうだろうな
>という思考実験をしてみる
>しかし、太陽の真ん中に私が行く事は不可能
>であるからして、この思考実験は、ありえない事
>なのか???(爆笑
馬鹿もここまで行くと哀れだなw
蒸発は物理現象だな。
主観性が蒸発するってどういう事だ?(爆笑
それが思考実験だとw
それは妄想というんだ
>>456 >「一意的因果律決定論」から観ると、妻の考えは正しい。
はずれ。
一意的因果律決定論からみると、原因はすべてにある。
用事を頼むことすら決まっているのだから、
妻にだけ原因があるのではない。宇宙全体に原因がある。
深く考えもせずにその場の思いつきだけで
「私は蒸発する」などと言ってしまう最高位w
結局無意識では物理現象であることを認めており、
唯物的な思考しかできない。
私に「パターン」や「法則性」がないのならば、
「蒸発する」と言えるはずもないなw
それどころか、もう一つの宇宙に私はいないとも言えない。
法則がないのだから、
たまたまいるかもしれないし、いないかもしれない。
464 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/14(木) 18:28:29 0
>>462 :考える名無しさん:
>妻にだけ原因があるのではない。
勿論そうである。事故を起こしたやつが一番悪いかも知れない。
しかし「妻に原因がある」ことは決定的であることも確定してしまう。
非決定論では「妻に原因はない」と断言できる。
465 :
ほらふ:2008/02/14(木) 18:30:43 O
その原因にも原因がある以上、「・・・が原因である」という表現が意味をなさない
一意的決定論が正しい可能性はある
しかし、そのような世界では「原因を探す」という行為は不毛である
なぜならば、すべてのことが原因であると言えるわけであり
道端でネコが顔を洗ったことが原因で雨が降ったとも言えてしまうからだ
これでは「原因」という概念が自己破壊されている
われわれが「原因を探す」という営みを行なえるのも
かけ離れた関係を「無関係」と隅においやれるがゆえである
一意的決定論は、原因の連鎖を強固にしすぎるあまり
われわれの原因を探すという営み自体も破壊してしまうのである
因果の鎖はところところ空白があるのである
また、そうでなければ鎖としての役割すら果たせない
強固すぎる鎖は、もはや鎖ではなくただの鉄棒である
俺の感じでは、決定論は瞑想的だが非決定論は妄想的なんだな。
467 :
ほら:2008/02/14(木) 18:37:39 O
じいさんも最高位もそうだけど
他人の言葉を曲解しすぎ
翻訳には思いやりが不可欠だよ
なんで彼がそう言ったのか、彼の中にある一貫的な考えは何か
それを読解しようとしなくちゃ
最高位もそうだけど、自分に都合よく解釈できる文章をそう解釈しすぎ
それじゃ会話が噛み合わないでしょ
会話を噛み合わせにいかないと!
でないと、相手の意見などどうでもよくて、ただ議論に勝ちたいだけのパフォーマンスととられるよ
それが独我論効果というやつなのかな。
469 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/14(木) 18:52:54 0
>>462 :考える名無しさん:
>宇宙全体に原因がある。
これは間違いかもしれない。
決定論的に「妻に原因はない」と断言できる場合がある。
従って
>>464 :じいさん
これも間違いです。
例えば駅までの道中でアクシデントがあり、一分家からでるのが早くても、そのアクシデントのせいで駅への到着が遅れる事になっていれば、どうしたって事故に巻き込まれていまう。
その場合「妻の原因は100パーセント無い」と言える。
つまり「決定論」と言うのは起こった事象を遡って原因(因果)を一意的に追求できると言う理論である。
もう一度繰り返せば同じことが起こるという理論。
それに対して「非決定論」では結果として起こった事象は確率的にしか遡れないので、一意的に因果関係を特定できないと言う理論と言う事が出来る。
もう一度繰り返せば違う結果になると言う理論。
>>464 >非決定論では「妻に原因はない」と断言できる。
できないと思いますけど。どうして断言できるの?
>>469 >もう一度繰り返せば違う結果になると言う理論。
どうして違う結果になるの?その根拠は?
>>469 そんなこと言ったら、原因がどこにもないことになるのでは?
殺人が起こっても、犯人はいないかもしれない。
非決定論て馬鹿じゃねーの?
473 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 19:06:54 0
ここしばらく本当の唯物論に関する議論がまったくないな
馬鹿偽唯物論に関するあるいは第ゼロ唯物論に関するつまらない記述が散見するのみ
事実問題として独我論を批判することができない以上
価値問題として独我論を考えるという手はあるかもしれない
われわれは自らの知的謙虚さを保つために客観世界を要請する、という考えはある
もっとも、独我論が何を価値づけるかは独我論者の内面の問題だから
彼がどのような態度をとろうとも、それが彼自身の矛盾を示すことはない
(彼は自らの行為で、自身が矛盾する可能性を破棄しているとは言えるかもしれない)
ならば、独我論者ではないわれわれは自らの道徳心に欠陥があるのではないか、と反省できるだろう
「なぜ、われわれは独善的であってはならないのか?」(自己反省するために正当性を問う)
しかし、このように問うことが、すでに独善を排している態度である
こういった問題が生じるように思う
475 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 19:08:41 0
476 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/14(木) 19:12:10 0
>>467 :ほら:
>議論に勝ちたい・・・・・
そのとおりですよ、勝つのが大事です。
勝ち負けに拘らない議論と言うのは大抵「思考の押し付け」です。
良い例が「説教」や「作文、詩」です。
>思いやりが不可欠だよ
そのような行為は相手が一番嫌がる・・と言う事が判っていない。
大体一人前の相手に対して大変「失礼」である。
そのことが貴方には分りませんか?
恋愛だったら「思いやり」は不可欠ですが。
他人同士の「思いやり」が入るような対話を「井戸端会議」と言う。
それもいいけど結局面白くないのでスレが消滅する運命。
この事実は皆さん実感しているんじゃあ・・・・。
477 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 19:17:09 0
ただ話し相手がほしいニートたちのスレ
478 :
ほら:2008/02/14(木) 19:19:06 O
一応、分類してみる
以下は比喩
最初の時系列をはじとして未来がどれだけ固定されているかを表現してみた
・世界は鉄棒である
・世界は針金である
・世界は鎖である
・世界は紙吹雪である
一意的決定論は明らかに一番上を意味する
鎖の左端が固定されていたとしても右端は固定されないのだから
未来が過去によって固定される一意的決定論は、鉄棒であることを主張する
しかし、鉄棒でないということは必ずしも紙吹雪であることを含意しない
479 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 19:27:13 0
>>446 >「諸行無常」と言う真理があるがな。
諸行無常は真理ではない。見たままの現実の記述だろ。
現実に論理は無い。
480 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 19:32:39 0
>>416 >万人が否定できないのが公理だ。
否定が出来ない論理など無い。
否定とは真偽を逆転する論理操作だ。
どんな論理命題でも機械的に否定命題が作れる。
481 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 19:35:07 0
>>480 否定命題の証明が出来ないという意味じゃ・・
482 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/14(木) 19:35:48 0
>>470 :考える名無しさん:
>>471 :考える名無しさん:
家から事故までの出来事には沢山の確率に支配された事象が積み重なっている。
その為に「妻と事故」との間に相関関係はあっても因果関係はないと言う事。
確率は現実の事象で根拠はありません。
なぜか分らないけど確率になるんです。
従って「一意的因果律決定論」では確率の「結果が異なる」と言う部分を認めていません。
>>472 :考える名無しさん:
>殺人が起こっても、犯人はいないかもしれない。
はいですから事象によって「一意的因果律決定論」が成立する場合があります。結果を遡る事によって解明できる事があります。
そのときは犯人が決定できます。
例えば酒を飲んで事故を起こして人を死亡させた場合。
「殺人罪」が成立するかどうかが問題です。
飲酒と死亡の因果関係を決定論的に遡る事が出来れば「殺人」か「唯の飲酒運転」かが決定できます。
その場合「業務上過失致死」等と言う中途半端(非決定論的?)な罪名はなくなるでしょう。
483 :
ほら:2008/02/14(木) 19:36:04 O
じいさん
思いやりが必要不可欠なのは翻訳に対してだ
で、なんで俺がこんなこと言ったと思う?
「翻訳の不確定性」が念頭にあるからなんだ
で、本を読んでる人は、俺の語彙から、俺が何の話しをしているかが分かるだろう
本を読むということはそういう為にもなる
じいさんや最高位は読書の量が決定的に足りない
それは英語圏に行くのに英語を勉強しないようなものだ
だから、相手の意図を間違って受け取ってしまう
批判は相手の意図に対して行なうべきだ
もっと言えば、相手の精神に対して批判を投げ掛けるものだ
じいさんは表現しか追ってないから、言葉尻だけの議論になってしまう
そんな議論はつまらないし、する価値がない
時間の無駄だ
じいさんがやってるのは議論じゃなくて議論ごっこ
484 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 19:36:15 0
>>429 >決定論の論争において予測が重視されるのも
事実の予測を必要とするのは科学的決定論だけだね。
予測があれば予測から外れたらその仮説は正しくないと判定できる。
485 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 19:41:10 0
>>366 >中観で言うのは縁起の空性であり、実在の否定である。
おい、おい、仏教が実在を否定してどうする。
縁起は独立性・個性の否定であり何事も相依するということだ。
空とは実在の否定ではなく実体・本性の否定だよ。
すべての存在には空集合が包含されている。
486 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 19:47:56 0
>>451 >論理は従属的だし普遍性もない。
論理が何に従属する。論理ほど普遍的なことは無い。
「ある」とその否定「ない」の論理は普遍論理だ。
論理を有耶無耶にしてはいけない。
「ある」または「ない」
これには普遍性ないよね
488 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 20:11:21 0
>>481 公理とはもともと証明できない命題だよ。
公理は信じるか否かだけだね。
489 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 20:14:49 0
>>487 >普遍性ないよね
この「ない」にも普遍性は「ない」のだから何を言っても無意味になるね。
490 :
ラビ:2008/02/14(木) 20:23:10 0
>>482 >家から事故までの出来事には沢山の確率に支配された事象が積み重なっている。
確率は支配したりするものではありません。
人間の事象の捉え方でもありません。
>確率は現実の事象で根拠はありません。
これはその通りです。事象ではありませんから。
何かを説明する言葉は、何かそのものではありません。
>従って「一意的因果律決定論」では確率の「結果が異なる」と言う部分を認めていません。
確率によって結果が異なるということはありません。
貴方は根本的に確率の理解がありません。
491 :
ラビ:2008/02/14(木) 20:25:55 0
>>482 >事象によって「一意的因果律決定論」が成立する場合があります。
そういうことはありません。
因果的決定論はいつも成立しています。成立しない事態は存在しません。
貴方の主張や論は、決定論でも非決定論でもありません。
単なる間違いに基づく戯言に過ぎません。
匿名でこんな事言い合っても無意味じゃね?
493 :
ラビ:2008/02/14(木) 20:37:04 0
>>490 ×人間の事象の捉え方でもありません。
○人間の事象の捉え方であって、事象そのものでもありません。
494 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 20:37:18 0
>>492 どうして?
誰が言ったかなんてどうでもよいことだろ。
何を言ってるかその内容だけ取ればいい。
>>435 最高位の思考実験から導いた結論を正しいとするならば、
唯物論は正しいという結論も導ける。
最高位の言う通りに自分と全く同じ身体を作る事が出来るのなら、
唯物論の主張が正しいことが証明された事になる。はい、終わり。
ずいぶん粗雑な頭だな。
498 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/14(木) 22:23:55 0
>>479 >
>>446 > >「諸行無常」と言う真理があるがな。
> 諸行無常は真理ではない。見たままの現実の記述だろ。
> 現実に論理は無い。
お前、ヴァカか。
見たままの現実など、記述できるわけがないだろうが。
妄想だな。
くっくっく。
499 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/14(木) 22:27:12 0
>>491 >
>>482 > >事象によって「一意的因果律決定論」が成立する場合があります。
>
> そういうことはありません。
> 因果的決定論はいつも成立しています。成立しない事態は存在しません。
ほう?
では、宇宙はどうしてできたんだ?
ほれ、因果決定論がいつ成立できるんだ?
くっくっく。
500 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/14(木) 22:38:17 0
>>485 :考える名無しさん:
>空とは実在の否定ではなく実体・本性の否定だよ。
すでに文章が矛盾している。
実体・本性がないのに「実在」しているとどうして言えるの?
501 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 22:41:07 0
>>435 >空間的に離れた別の物体が、私であろうはずがないだろ
いや、人間なら誰でも「私は私である」と言える。
私は一人称の代名詞だから誰が使っても問題ない。
じいさんは哲学やる気あるのか?
503 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 22:43:45 0
>>500 それは「実在」と言う言葉を知らない人が言うことだね。
「実在」とは現実に在ることを言う。
実体や本質が無いこととは矛盾しない。
504 :
偽・エルロイ:2008/02/14(木) 22:50:22 0
>>491 「一意的因果律決定論」がいつも成立しているのではなく、決定論を
信仰すると事象がそのように見えるということでは? ラビ氏はそう
主張してきたのではなかった?
ラビ氏の決定論は、因果律に支えられていないはずである。もしそう
なら、因果律が“原理”なってしまうからだ。
505 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/14(木) 22:54:57 0
>>499 :走召 糸色 文寸 ネ申:
>ほれ、因果決定論がいつ成立できるんだ?
例えば貴方がレスすると此処で「走召 糸色 文寸 ネ申」の言葉が浮き出る。
更に固定ハンドルは「一意性」です。
従って貴方がここで発言を続けられるのも「一意的因果決定論」のおかげです。
時としてレスが拒絶されるのは、レスが多すぎただけの事です。
このように事象の殆どは「一意的因果決定論」が支配しています。
たまに確率が割り込んでくる訳です。
たまにと言っても無数の事象の繋がりで世界が成り立っているために、わずかの確率変動で世界はひっくり返るほどの影響を受けます。バタフライ効果と言われるものです。
ですから・・・・
>宇宙はどうしてできたんだ?
それは貴方のAチャンネルの場合とは違って、確率でたまたま出来たんです。
506 :
偽・エルロイ:2008/02/14(木) 22:58:12 0
>>503 そう言ってしまうと「現実」の定義が厄介。“観念”はアタマのなかに
あるが、アタマのなか(意識)は現実なの?どうなの。
そもそも現実なるものは“現実感”のことだろう?
507 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/14(木) 22:58:56 0
>>500 >
>>485 :考える名無しさん:
> >空とは実在の否定ではなく実体・本性の否定だよ。
>
> すでに文章が矛盾している。
> 実体・本性がないのに「実在」しているとどうして言えるの?
しょうがないな。
儂が教えてやろう。
空はそもそも否定ではない。
いわば、絶対肯定なんだよ。
それが仏教と言うものだ。
くっくっく。
508 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/14(木) 23:00:26 0
>>505 >
>>499 :走召 糸色 文寸 ネ申:
> >ほれ、因果決定論がいつ成立できるんだ?
>
> 例えば貴方がレスすると此処で「走召 糸色 文寸 ネ申」の言葉が浮き出る。
> 更に固定ハンドルは「一意性」です。
そうか?
儂のナリスマシは数多いぞ。
別名、レギオンだからな。
くっくっく。
> >宇宙はどうしてできたんだ?
>
> それは貴方のAチャンネルの場合とは違って、確率でたまたま出来たんです。
ちがうな〜。
無が揺らいでできたのだ。
くっくっく。
宇宙という全体には原因も結果もない。
決定論もそこまで原因があるとは言わない。
510 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 23:05:11 0
>>507 あい変らず馬鹿丸出しだな超絶w
空も仏教もあるかよ
どうしてでっち上げの世界に逃げんのよ?
正面からモノ言えんのかw
511 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/14(木) 23:11:38 0
>>503 :考える名無しさん:
>それは「実在」と言う言葉を知らない人が言うことだね。
>「実在」とは現実に在ることを言う。
>実体や本質が無いこととは矛盾しない。
それは珍説ですね。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』・・・・・・・
実在(じつざい、英:reality)とは、認識主体から独立して客観的に存在するとされるもの。夢や妄想のように認識主体 により生み出されたものは区別される。また、表象を変化させる事物の背後にあるとされる不変の実体を意味する場合もある。
実在論にはいろいろあるんだよ・・・
513 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 23:13:38 0
>>506 >そもそも現実なるものは“現実感”のことだろう?
現実を感じたものが現実感だろ。読んで字の通りだね。
漢字は感じるものだ。
514 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 23:16:35 0
>>511 >また、表象を変化させる事物の背後にあるとされる不変の実体を意味する場合もある。
これが「実体」の有るとされる根拠か?「あるとされる」とは又なんとも
あいまいな根拠だね。そんなものは無いと言い切ったほうがすっきりするだろ。
>>500 >>実体・本性がないのに「実在」しているとどうして言えるの?
横から口を挟むよ。哲学スレだから細かい言葉遣いを指摘するのはいいんだけど、
でも、間違っちゃいないぞ。つまり、「無自性のものが、どうして現象しうるのか?」
というふうに仏教は考えたわけで。では、どうしてか、じいさん答えをどうぞ!
516 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/14(木) 23:22:39 0
>>510 >
>>507 > あい変らず馬鹿丸出しだな超絶w
>
> 空も仏教もあるかよ
> どうしてでっち上げの世界に逃げんのよ?
> 正面からモノ言えんのかw
何を言っておるのだ、たわけ。
そもそも、世界とは人間認識によるでっち上げだ。
くっくっく。
>>511 > 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』・・・・・・・
> 実在(じつざい、英:reality)とは、認識主体から独立して客観的に存在するとされるもの。
客観自体が妄想であれば、実在は妄想の産物になるな。
ほれ、困った。
くっくっく。
517 :
偽・エルロイ:2008/02/14(木) 23:23:09 0
>>513 意識は現実なの、どうなの?
君の言う「現実」をざっとでいいから、定義してみて。私は“現実”が
何かは知らないが、現実感(これが現実らしいという意識)はある。
>> どうしてでっち上げの世界に逃げんのよ?
>> 正面からモノ言えんのかw
>何を言っておるのだ、たわけ。
>そもそも、世界とは人間認識によるでっち上げだ。
この発言で、超絶は終わった人になった
519 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/14(木) 23:26:59 0
>>517 意識は現実ではないな。
くっくっく。
>>518 > この発言で、超絶は終わった人になった
なんだ、もう理解不能か?
お粗末な脳味噌だな。
くっくっく。
520 :
偽・エルロイ:2008/02/14(木) 23:32:40 0
>>515 横レスだが、無自性は隠語だ。一般的には、どういう意味? 具体的には
何を指してそう呼ぶの?
それから「現象する」ことが即「実在する」ことにはならないだろう?
>>520 無自性とは、存在が本性とか本質とかいうものを欠くことだよ。
具体的にはって、そうね、「無我」は「私」が無自性ってことだね。
観念の中の現象でも、観念から独立した実在でも、どうでもいいよ。
竜樹の時代だもの。単純に存在ということでいいでしょ。
522 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 23:59:34 0
>>517 意識される物事は夢・現(うつつ)・幻(まぼろし)の分別が必要だね。
ゴミも分別収集する世の中だからね。無分別ではいけない。
どうして分別するか?五感すなわち眼・耳・鼻・舌・体による感覚を
研ぎ澄ませてできるだけ多くの生の感覚を得ることだろうね。
それにより「ありありと感じられること」が実在する物事だろう。
523 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/02/15(金) 00:03:35 0
仏教というととかく
「無」であると考えられる方が多いようですが
その裏(的確な表現ではありませんが)
「縁起」という考えが重要なんですね。
>>515 にただ一言「縁起」と即答できずに逃亡しちゃったじいさん、南無〜♪
じいさんの知ったかぶりフィールドに哲学と仏教がある。
じいさんの凄いのはあのプライドの高さ。根拠のない自信。
最高位と肩を並べている。
しかし絶対空間絶対時間とかの懐疑とか批判が全くない
君達、哲学する前に科学や物理全般、数学、心理学、語学、民族学
はもちろん勉強してるんだろうな?脳だ意識だ語る前に己の愚かさを
知るべきだとは思わないかね。
529 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/15(金) 00:39:07 0
>>474 >われわれは自らの知的謙虚さを保つために客観世界を要請する、という考えはある
その通りですね。「客観の集大成」が「(自然)科学」なのです。
その通りですね。「観念の集大成」が「数学」なのです。
531 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/15(金) 00:48:11 0
最近仏教系の学習をされた方が多いようですね。
「キリスト教的自己欺瞞」も
「仏教的自己欺瞞」も、「自己欺瞞」という共通項において「通底」しております。
「真理を直視できない」という「潜在的恐怖」がそれら「宗教(的自己欺瞞)」の源泉です。
要するに「(自分が)安寧な心境で一生を過ごせれば『真理などどうでもいい』」という思想
・・・(決心?)ですので、「どんなに客観的では『ない』論理」でも「本人が信じられればそれでいい」
・・・という強硬な「主張」=観念論の先祖帰りの繰り返し・・・・にすぎません。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
チョコ何個もらったんだよこの野郎
世界がでっち上げとか、超絶はやっぱいい加減だなあ。
もしそうなら赤ん坊は学習なんかしないだろうに。
それとも世界って呼び方のこと言ってんのかな。
雑誌「世界」のことだろう
535 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/15(金) 00:58:00 0
>>442 それは私の体を維持するための必要条件であって
『私』を存在せしめた『原因』にはなりえません
なんでそんなに知能が低いの?
>>444 キミは思想史というものの基礎が、全く出来てないんだよ
話にもなってないのに、なぜか偉そうだよな
意味不明だから、病院行きだオマエは
私が相手にしている唯物論
それは、心身問題における唯物論の主張、立場だ
○○世紀の唯物論 とか何とか言って
そんな抽象的な言い逃れなど通用せんのだよ
「全ては物理現象であり、人間の精神も物理現象にすぎない」
という唯物論の主張に対して、論理的かつ完全に否定した結論を提示しているわけでね
極めて具体的なんだから、反論するなら、もっと正面から具体的に頼むわ
というか、一般常識でいいから、もう少し勉強してから来てくれ
アホすぎる
536 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/15(金) 00:58:10 0
>>532 さっき、全部の箱を開けて数えましたら、136個でした。
女性の皆さん、男性はチョコレートなど欲しくはありません。
「チョコレートが象徴する何か」が欲しいだけなのです。
だいたいチョコレートって食べるものなのですか?
本日は就寝させて戴きます。
537 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/15(金) 01:05:43 0
>>536 2月という一年で最も不景気な季節に、少しでも購買意欲が上がっていいんじゃないか?
というかキミ
「チョコレートが象徴する何か」って(プッ
唯物論者のクセに、そんな観念的な価値観で発言しちゃダメじゃないか(爆笑
唯物的には
チョコレートは、単なるチョコレートという物体にすぎないだろ(苦笑
価値観で動くクセに
何が機械的唯物論だよ(大爆笑
チョコ細かく砕いてんじゃないよこの〜w
539 :
考える名無しさん:2008/02/15(金) 01:13:20 0
>>537 おまえのような凡俗の輩はハンニバルと「同様の凡庸に死を迎えるだけの人生」
を背負ってるだけなんだから、今更あがいても無駄だと思う。
全部の箱って表現がなんか怪しいw
でも確かにチョコでなくともいいわな。気持ちが重要だし。
それでも基本的にチョコなのは、女性側の好みなんだろうな。
そう言えばチョコ好きで高校のときバレンタインと知らずにコンビニでチョコ買って白い目で見られたことあったわ。
機械君
問題は多種多様、
興味ある人もいればいない人もいる
関心のない話題に無理に首をつっこむ必要はない
多分、君は興味ない
スルーしとけ
544 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/15(金) 03:15:44 0
>>514 :考える名無しさん:
アビダルマ仏教者(実在論者)によると、自性と言うと自体とか実体という意味らしい、その背後に在る不変な本質を法体というらしい。
で実体の存在を否定し法体の存在を主張するのがアビダルマ実存主義の立場である。
それに対して中観者は実体も法体も両方ないと言う。
全てのものは相対的にのみ存在し、それ自身独立した存在性を持たない、それを空と言う。
唯識によって説明済みなんだが
546 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/15(金) 06:38:29 0
>>545 唯識くんは
「我思う故に我あり」についてすら、何も言及できてないんだけどな(苦笑
私に、『私』とはなんですか?と、質問をしてくるのみ
彼は可哀想だけれども
自分が認識している対象についてしか考えが及ばないようで
認識をしている自分自身については、言及する事がない
自分自身といえば、自分の精神活動 という活動面だけで
活動している『自分』の存在性については考えが及ばない
まず「自分がいるのだ」
では「自分が居る」とは何なのか
というような、根本的な観点には立つことが出来ないようです
何回も説明してあげてるわけだけれども
面白いほど、完全に
前時代的な発想から出ることができない人なんですよね
お釈迦様も
「天上天下唯我独尊」と言ってるし
私は、それは『私』の『存在性』に言及しているのだ と思ってたんだけどね
なんだか唯識くんの発言を聞いていると
仏教って、そんなに次元が低いのかな?と思ってしまうよね(苦笑
547 :
考える名無しさん:2008/02/15(金) 08:32:35 0
>>546 >お釈迦様も
「天上天下唯我独尊」と言ってるし
>私は、それは『私』の『存在性』に言及しているのだ と思ってたんだけどね
それではお釈迦様を全く理解していないだろう。先ずは仏教は実存哲学だと
思ったほうがいい。仏教の「私」は物理的な身体と精神的な心の集合体と捉えている。
もともと「私」はこの世に有る物理的存在なのだ。
548 :
考える名無しさん:2008/02/15(金) 08:35:09 0
a. 就職 結婚 子供 責任 借金 税金 老後
b. ニート 2ちゃん 缶拾い のたれ死
549 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/15(金) 08:37:56 0
>>547 それはいったい誰による解説なんですか?
550 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/15(金) 08:42:27 0
>>521 >
>>520 > 無自性とは、存在が本性とか本質とかいうものを欠くことだよ。
> 具体的にはって、そうね、「無我」は「私」が無自性ってことだね。
> 観念の中の現象でも、観念から独立した実在でも、どうでもいいよ。
> 竜樹の時代だもの。単純に存在ということでいいでしょ。
無自性とは「無我」のことだ。
くっくっく。
551 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/15(金) 08:44:18 0
>>546 > お釈迦様も
> 「天上天下唯我独尊」と言ってるし
> 私は、それは『私』の『存在性』に言及しているのだ と思ってたんだけどね
「我」であるところの「私」はない。
「自」であるところの「私」が解脱するわけだ。
くっくっく。
552 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/15(金) 08:48:59 0
>>547 > それではお釈迦様を全く理解していないだろう。先ずは仏教は実存哲学だと
> 思ったほうがいい。仏教の「私」は物理的な身体と精神的な心の集合体と捉えている。
> もともと「私」はこの世に有る物理的存在なのだ。
それでは「小乗」にしかならんな。
くっくっく。
553 :
考える名無しさん:2008/02/15(金) 08:54:56 0
>>544 やっと、「実体」の意味が少しわかったようだね。
実体は自性・主体・主観と同じ意味の言葉です。
そして法体は客体・客観と同じ意味です。
アビダルマとは対法すなわち「法について」の探求であり
ダルマといわれる「法」は主観の対象すなわち客観についての
考察です。
554 :
考える名無しさん:2008/02/15(金) 09:03:53 0
>>552 仏教の「我=私」に小乗も大乗も無いだろう。
インド哲学すべてに「我=アートマン」の定義は共通する。
その我の本質の解釈が哲学派により異なるだけ。
555 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/15(金) 09:13:18 0
>>554 >
>>552 > 仏教の「我=私」に小乗も大乗も無いだろう。
> インド哲学すべてに「我=アートマン」の定義は共通する。
> その我の本質の解釈が哲学派により異なるだけ。
仏教はアートマンの否定だ。
私は自であって、我ではないわけだ。
実存主義では、せいぜい小乗レベルでしかないと言うことだ。
もっとも,大乗,小乗と言う区分自体が胡散臭い代物だがな。
くっくっく。
あっちも仏教、こっちも仏教かよw
まあ昔から唯識三年倶舎八年って言われてるからなw素人が知った気になっちゃいけない
もう仏教哲学スレで独立しろよ
558 :
考える名無しさん:2008/02/15(金) 14:20:41 0
>>551 >「自」であるところの「私」が解脱するわけだ。
「痔」であるところの「私」が脱肛するわけだな。
くっくっく。
559 :
考える名無しさん:2008/02/15(金) 14:30:11 0
>>555 >もっとも,大乗,小乗と言う区分自体が胡散臭い代物だがな。
なるほど,大便,小便と言う区分自体が胡散臭い代物なのだな。
くっくっく。
くっくっく。
560 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/15(金) 14:37:20 0
『上堂云。赤肉團上有一無位真人。常從汝等諸人面門出入。未證據者看看。
時有僧出問。如何是無位真人。
師下禪床把住云。道道。
其僧擬議。
師托開云。無位真人是什麼乾屎厥。
便歸方丈』
くっくっく。
562 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/15(金) 15:07:47 0
>>561 おまえのPCが難しい漢字を読めないのだろう。
くっくっく。
>>562 中国語だとただのアホなトートロジーだぞ。
>>535 >私が相手にしている唯物論
>それは、心身問題における唯物論の主張、立場だ
あひゃひゃ。
無知乙。
だからあ、あんたが理解している唯物論なんてのはフォイエルバッハ以前だって。www
現代唯物論はそんなところで低迷していないんだって。
オマエのような低脳などには永遠にこの世界は理解できないよ。
あー、バカからかって面白かった。
さて、仕事するか。
しかし面白いよな、何もわからないのに、わかったつもりのバカがご託宣を垂れ流しているのをみるのは。
たまに覗くんだけど、笑わずにはいられないよ。
ありがとう、最高位。wwwww
566 :
考える名無しさん:2008/02/15(金) 16:44:13 0
3馬鹿がものすごく羽ばたいてるな
567 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/15(金) 16:44:53 0
>>553 :考える名無しさん:
>やっと、「実体」の意味が少しわかったようだね。
いえいえそう言う問題ではない。
>>485 :考える名無しさん:
>おい、おい、仏教が実在を否定してどうする。
是が間違えていると言っている。
実在も実体も否定されるのが中観である。
従って・・・・・・・
>>515 :考える名無しさん:
>つまり、「無自性のものが、どうして現象しうるのか?」
だから「現象の存在性はない空である。」
更に以下のレス・・・・・・・・・
>>547 :考える名無しさん:
>仏教の「私」は物理的な身体と精神的な心の集合体と捉えている。
>もともと「私」はこの世に有る物理的存在なのだ。
などはとんでもない間違い。
568 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/15(金) 16:58:24 0
>>567 >
>>547 :考える名無しさん:
> >仏教の「私」は物理的な身体と精神的な心の集合体と捉えている。
> >もともと「私」はこの世に有る物理的存在なのだ。
>
> などはとんでもない間違い。
物理的存在=実在ではないぞ。
色即是空だからな。
くっくっく。
実在論にもいろいろあるんだってば・・・
570 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/15(金) 17:16:31 0
>>568 :走召 糸色 文寸 ネ申:
>物理的存在=実在ではないぞ。
中観は物質的存在性も観念的存在性(実在でも同じ事)も否定している。
感覚とか認識と言うものの存在性も勿論否定している。
无受想行識:受も想も行も識もなく
无眼耳鼻舌身意:眼も耳も鼻も舌も身も意もなく
无色聲香味觸法:色も声も香も味も食も法もなし
无眼界乃至无意識界:眼界もなく、乃至、意識界もなし。
と般若心経に書いてある。
「機械的唯物論」者
超絶対神
哲学者最高位
Hannibal
ちゅう
じいさん
下の二人はいろんなスレで恥ずかしいこと書いてて居場所なさそう。
572 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/15(金) 17:47:30 0
>>570 > と般若心経に書いてある。
だから,否定ではないんだよ。
「是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。」とあるだろうが。
つまりは、「無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。」
なわけだ。
物質的存在性も観念的存在性も実在も、結局言葉だけの妄想だと言うことだ。
実際にあるものとは,何の関係もない。
簡単なことだ。
くっくっく。
貴方は桜田淳子か。誰も知らないか。合同結婚式で有名な人です。
574 :
考える名無しさん:2008/02/15(金) 18:02:26 0
/\ /\
/:::::::ヽ____/::::::::ヽ、
丿 ::.__ .::::::::::::: __ ::::ヽ_ ,. 、 / /
/ /。 ヽ_ヽv /: /。ヽ ::::::ヽ ,.〃´ヾ.、 / /
/ / ̄ ̄√___丶  ̄ ̄\ ::::| / |l ', / / 決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない!!!
| .:::::::::: / / tーーー|ヽ ..::::: ::|r'´ ||--‐r、 ', 決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない!!!
| .:::::. ..: | |ヽ .,..ィ'´ l', '.j '.
| ::: | |⊂ニヽ| | 'r '´ ',.r '´ !| \ 決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない!!!
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\: ト--^^^^^┤ ゝ、.,_ ---‐‐‐----ゝ、ノ
575 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2008/02/15(金) 18:04:37 0
ワシも馬鹿の仲間に入れてくれえ。
なんか仏教に占領されてるな・・・。空だか無だかさっぱりだが。
「宇宙」が人間のでっち上げ ってーのは否定するのは難しいが しかし!これは絶対間違ってるぞ 多分。
人間が「宇宙内存在」だと気付いた知性の方を優先させるべきだ。
人間が世界を認識できるのは その原因が宇宙にあると考えた方がいいだろ?なにかと。
人間が「数」を認識し「図形」を認識できるのは人間の勝手なのか?宇宙の側にその「元」があるとワシは信じとるぞ。
っていうか絶対そうだろ。桶の中の脳など「おもしろい例え話」程度に知ってりゃいい話よ。
懐疑するのも程度問題だ ってーアインシュタインも言ってるだろ。
その通りだよ。
577 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/15(金) 18:14:49 0
>>573 > 貴方は桜田淳子か。誰も知らないか。合同結婚式で有名な人です。
それはクック、クックだ、たわけ。
くっくっく。
>>577 御存知でしたか。
ご存じでしたか?これは誰も知らないでしょう。
ようこそ涅槃へ くっくっく ぶっきょのアホのトリ
580 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/15(金) 18:43:19 0
>>578 >
>>577 > 御存知でしたか。
>
> ご存じでしたか?これは誰も知らないでしょう。
ハリスさんも死んだ、鶴さんも死んだ、は知っておるか?
くっくっく。
次回、3すくみの戦い!
582 :
考える名無しさん:2008/02/15(金) 19:45:48 0
>>567 へぇえ、じいさんはこの世に実在する人じゃなかったんだ。
夢幻のごとく生きてる幽霊なんだ。
583 :
考える名無しさん:2008/02/15(金) 19:50:12 0
涅槃と輪廻は何も変わらない>仏教を悟った人
584 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/16(土) 00:20:12 0
仏教者さんたちは否定したいでしょうけれど、仏教もあくまで「宗教の一つ」ですので、
「観念論的自己欺瞞」から抜け出ることはできません。
(神ではなく自分自身が)「解脱していること」「超越していること」に拘るところが
キリスト教・イスラム教・ユダヤ教と違うところですが、「自己の重要性に対する信仰」
という「ナルシズム的思い込み」から(文字通り)解脱できていないという「共通点」で
「同じ穴の狢」なのです。
オウム真理教の麻原教祖が仏教を基盤に布教していたことは自明の事実です。
彼に付いていった「学業実績優秀な幹部達」のナルシズムをも刺激する「呪文力」が
仏教にはあるのかもしれませんが、私が般若心経を読んでも「念仏以上の意味を持つとは思えない」
・・・という結果になるだけです。
要するに「訳の分からんことは訳が分からん・・・おまえにこの意味が分かるか?俺は分かるがくっくっく」
・・というようなことが書いてある・・という以上の「意味」があるとは思えない・・・ということです。
宗教=観念論て考えてるところが馬鹿なんだけどね。
586 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/16(土) 01:11:41 0
>>584 :「機械的唯物論」者 ◆
>念仏以上の意味を持つとは思えない
意味を貴方は理解していると思えます。
>「観念論的自己欺瞞」から抜け出ることはできません。
是が心経の意味だと思います。
まあ、深般若波羅蜜多の行とは、呪を唱えることである、
って、そのまんま書いてあるもんねえ。
588 :
あまのじゃく:2008/02/16(土) 01:54:19 0
観念論のやつはかつて一度は唯物論だったという経緯があるから
唯物論のやつの言い分がわかって反論できる。
がしかし、いい年こいて唯物論のやつはそもそも観念論者が何を言っ
ているのかさっぱりわからない、というのが実情ではないだろうか。
確かに唯物論に比べて観念論は直観的にわかりにくい。
590 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 02:04:01 0
観念論は観念論にすぎない。
文科系頭のぐるぐる回る思考の産物。
どいつもこいつも同じような観念論にたどり着く結果しかないから、
そいつらが徒党を組んで観念論を主張するし、自己顕示欲が強い奴は
宗教を立ち上げたりする。
自己欺瞞の方法と技術の永遠の永劫回帰という虚しい繰り返し。
観念論者同士言ってることがまるきり違うから、咬み合わせようとすると
そこはそれ自己欺瞞の負い目があるから「同病相憐れむ」という心理が働く。
>>590 でも数学者で観念論者も多そう。
日本に限定したら貴方の言う通りだと思う。
593 :
あまのじゃく:2008/02/16(土) 02:09:29 0
宗教と観念論って別に関係ないよw
594 :
あまのじゃく:2008/02/16(土) 02:13:50 0
しかし相手の言うことが理解できなくてよく批判できると思うよ
こどもか
595 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 03:38:57 0
うん こちん こうん こちん こ
俺があまのじゃくの発言と同調できてしまうのは、
俺が観念論者であるからと言われたら即座に俺は反論できないな。
違うんだ、という意見は持っていても。
素朴な唯物論の実体験がベースになって唯物論や観念論に変容していくのでしょうね。
決定論とかは原初的に持ってない気がする。
機械も唯物論も論理も何もわかってはいないよ。
みんな薄ぼんやりとした表象の唯物論を崇めたり、戦ったりしている。
最高位なんてのはドン・キホーテそのまんま。
現代科学を踏まえたうえでの唯物論というのはすでに存在している。
機械もはなはだ不勉強だし、その論理は過去の遺物の唯物論に現代的意匠をほどこしたもので噴飯モノだ。
中身は近世の唯物論が前提で議論されているから、話にならない。
599 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/16(土) 08:43:58 0
>>584 > 仏教者さんたちは否定したいでしょうけれど、仏教もあくまで「宗教の一つ」ですので、
宗教でも,哲学でも,物理学でも同じなんだよ。
それぞれの体系から何を学ぶかは,個人の技量だ。
意味など勝手につければ良いのだ。
相変わらず,機械は場蚊だな。
くっくっく。
600 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/16(土) 08:45:34 0
唯物論も観念だからな。
くっくっく。
>>600 機械的唯物論も観念論だからな。
くっくっく。
だろw
>>591 唯物論者同士言ってることがまるきり違うから、咬み合わせようとすると
そこはそれ自己欺瞞の負い目があるから「同病相憐れむ」という心理が働く。
603 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 09:30:57 0
数学も理論物理学も観念論だからな。
観念論で無いのは実学である化学・工学や実験物理学・生物学などの
自然科学くらいだろう。
604 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 09:42:35 0
>>603のような単細胞な馬鹿が集うのが哲学板なのですね
とにかく相対性理論も理解出来ない様なクズは哲学を語るな。
私は小学三年で理解したけどね。
606 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 09:47:53 0
小学3年じゃおそすぎるだろw
607 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 10:16:04 0
ストライクゾーンに外れるw
608 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 10:47:39 0
>>599 >何を学ぶかは,個人の技量
学ぶ・・って?
学ぶは手段だがおまえの場合、目的のようだなw
だっておまえのカキコには目的が無い
ちなみにおまえ声高に「自分は学んで技量を高めてる宣言」をしてるが
目的はなんだおまえの学ぶ目的は?
学ぶために学んでるとしか映らないが
念のために聞いといてやる、書いてみろ
609 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/16(土) 11:09:49 0
>>608 お前では理解不能だな。
聞くだけ無駄だ。
くっくっく。
610 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 11:20:50 0
>>609 その3行、、、おまえの知能の縮図だなワハハッハ
ヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノ (^^ヘ)(ノ^^)ノ アホーw
611 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/16(土) 11:26:11 0
>>610 >
>>609 > その3行、、、おまえの知能の縮図だなワハハッハ
>
> ヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノ (^^ヘ)(ノ^^)ノ アホーw
なんだか,恥ずかしいレスだな。
くっくっく。
612 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 11:34:54 0
>>611 IQ25がやっとだなオマイ
もうこのスレに出入りすんなド低脳w
613 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 11:41:31 0
>>605 ごくろうさん。
自分の発言が一刀両断されたんで、つい完敗発言して
引くに引けなくなったんだろうね。
完敗君の悔しくてムカつく気持ちもわかるが、
からかったつもりが実はからかわれていた事を認めたくないだけだろうな。
釈迦の手の平の孫悟空みたいなものだったのだがね。
まあ日本で引きこもってットでチチってるカスが文化とか伝統とか分かるわけだわなw
(゚∀゚)の話しはソあ〜メダ(゚∀゚)はアメったこにメリってるホw
どうせらッパにったこなんだろうね。
614 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2008/02/16(土) 12:54:21 0
数学がいつ生まれたのか ワシには分からん。古代エジプトにはもうあっただろうからなあ。
しかし太古の人類、とりあえずクロマニヨン人にしとくか ネアンデルタールは直系ではないかもしれんし
その太古の人類がだ ま狩猟・採集して生活してたんだろ。
1)取ってきた柿の実が「柿の実」であると認識し、同時に言葉を取得し
2)「柿の実」が複数あることを理解し、
3)柿の実の「個数」を認識することに成功し
4)4つの柿の実があれば4人で1個づつ食べれることを驚きとともに了解し、
5)その対応が今日も明日も変わらず保証されていることを信頼した。
これって人間の手前勝手な都合なのか?いやそうかもしれんが そのような世界を混沌におとしめる発想は
発展性がないぜ。せっかく識別する能力が備わってるのにそれを放棄しようって虚無主義にもみえるぞ。
元来 世界が混沌なら人間など存在しようがないだろ。世界の側の秩序と人間の秩序がどこかでシンパシー
してないと世界の理解などできんだろ。そしたら数的(観念的)な世界は世界の側にも「元」があるんじゃねーの?
ま 適当なごたく並べてみたんだが・・。哲学の考えてる内容は違うのかね?
>>603 数学は観念がベースにある世界だけど数学者は別に観念論なんて唱えないんだよ。
観念は観念、物質は物質。
616 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 13:27:22 O
>>614 だから素朴ではつまらんと言ってるのだが。
なんだ哲板の連中は観念と自然の関係がわからんバカばかりか。w
どこからこの世界を切開するのかわからんのなら、哲学なんてやめてしまえ。
そんな哲学はクソの役にも立たん。
619 :
あまのじゃく:2008/02/16(土) 14:43:40 0
世界の側の秩序と人間の秩序ってのはよくわかるのだが
人間の精神と世界とを対立させるのは哲学ではなく科学だな
哲学的には精神と世界はコインの表と裏にではなく同じ側にあるんだ
620 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/16(土) 14:50:15 0
>>614 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :
数学が貴方の考えるように生まれたと私も考えます。
ですから数学は人類の文化です、人類が作り上げたものです。
文化は教育で後天的に子孫に伝えられます。
決して先験的なものではありません。
>理性(Vernunft)がそれ独自の原理(Prinzip)にしたがって事物(Sache, Ding)を認識すると考えるが
>この原理は理性に経験にあらかじめ先立って与えられる内在的なものであり、
>理性自身はその起源を示すことが出来ず、またこの原則を逸脱して自らの能力を行使することも出来ない。
このような考えはあきらかに間違っている。
簡単な実験をすれば分る事。
教育の仕方によっては上記のような理性を持たない人間を作り出すことは容易いし、そのように育てられた不幸な子供は世界中に沢山居る。
つまり人間は理性を磨く事も出来るし、原則から逸脱したような理性も在ると言う事実である。
言い換えると「理性に原則の様なものは先天的にはない」と言う事である。
将来脳科学が進歩すればよりそのことが明らかになるだろう。
観念というのは素朴な実在論や唯物論から一旦理性を通してフィードバックして構成した
世界の要素に過ぎないから結局、原初的に了解され得る先験的な観念以外はその根拠が
曖昧である。
原初的に存在する観念は脳由来としか今のところ言いようがないというのが事実。
これは簡単なことで指し示した物質であれ観念であれ相互に了解可能なものだけが
確実に見えるということ。
そして観念は結局抽象的なものだから唯物論が正当性を帯びる。何もないところから
観念だけがむくむくと想起されることはあり得ない。
種は脳にあり発芽は物質にある。
622 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 15:04:34 0
>>622 基本に戻ると唯物論に帰着する。
観念論は人間理性の完全性を前提にした副次的な作用に過ぎないということ。
簡単なことで唯物論的世界を見ても人間認識は観念として捉えてしまうこともできるという
こと。
これは観念論が脳の進化の過程で獲得的に有している短絡回路が原因。
例えば具体的に赤いりんごを見たときに赤いという観念を想起する。観念論では赤い
という観念こそが先験的実在であると決め付けているけれども赤いという観念の原因を
クオリアに求めればそれは単純に解消される。
要するに観念論は唯物論の下位に属するというのが今日的な認識の基礎であり自然科学
と数学はその認識に立っている。
624 :
あまのじゃく:2008/02/16(土) 15:19:43 0
だからそれは科学の方法論だって、いい加減わかれ
>>624 科学の方法論というのは哲学の方法論と基本的に違いはない。
哲学は神の啓示により人類にもたらされた聖書のようなものではないから。
ここの理解を誤ると何でもありになる。
何でもありとは非論理や不明瞭な認識様態をそのまま解釈して解釈の多様性を世界だと
宣言していることに等しい。
626 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/16(土) 15:25:58 0
>>623 :考える名無しさん:
>観念論は唯物論の下位に属するというのが今日的な認識・・・
なんですか?「下位」って?
随分と「観念論」的表現ですね。
物理学では「上下」は相対位置でしょう。
627 :
あまのじゃく:2008/02/16(土) 15:27:01 0
客観自体=物自体であるという認識するものが平等にもつ動物的な感覚
にメスをいれないまま出発したほうが都合が良かっただけ
ひとつの職人的方法
>>626 唯物論的世界の中でしか観念論は成立しないということ。
観念論の前提は暗黙的に唯物論であるということ。
その逆はない。
>>627 要するに人間は他の動物と根本的に違い、人間は神の似姿であるべきということでしょう。
ナンセンス。
自然科学好きと自然科学嫌いによるただの議論遊戯
野球好き対サッカー好きみたいな低レベルの争い
ほんの少しでいいから哲学に興味をもって哲学書を読んでくれ
632 :
あまのじゃく:2008/02/16(土) 15:35:57 0
まあそもそも人間の認識能力は真理とか世界の本体とか掴むためという設計思想なしに出来たものだから
天然の与えた、裸の土人の唯物論から一歩も離れることのできない頭脳から
普通のこと、耳にタコができるほど聞かされたこと以外は期待できない
唯物論とか小学生の頭脳の中でも力強く展開してるぞ
633 :
あまのじゃく:2008/02/16(土) 15:37:16 0
>>633 お前さんは人間は動物的感覚を凌駕していると書いてあるぞ。
そういう意味ではないのか。
原初的な観念というのは所詮は有限のものでそれは脳に実装された短絡回路が有限なのと一致してる。
何故そういう短絡回路が必要かというとたぶん悩まない為。
逆説的に言えば人類がここまで進歩しこれから先も進歩し得るのはそういう短絡回路のお陰。
理性と言っても結局その解明には原初的な観念と対応した短絡回路の働きを制御しているわけではない。
よくわかるが
それは脳科学なのでは
敢えていうが
科学=職人仕事大工仕事
哲学=貴族の暇つぶし
そら科学のほうが力強いわ
>>635 観念は脳以外に説明が付かない。
そして同じ観念を共有できる「赤い」とか少数の原初的な観念が脳の一般的な特性を示唆する。
複雑に後付けされた個物との対応を要する観念なんてものは実は存在しない。
それを存在していると主張するのが観念論。
だから観念論では観念と存在を問わない形式的な概念との区別が不明瞭になる。
ならないよ、あんただけじゃあ?
639 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/16(土) 15:55:19 0
>>628 :考える名無しさん:
>唯物論的世界の中でしか観念論は成立しないということ。
それだったら「含まれる」だし、どちらが先かと言う議論だったら「前後」だし・・・
どう議論しても「上下」と言う表現はありえないはず。
よく「上下」とか「上部、下部」とか言う人が多いけど。
身分制と間違えているのでは?
πは原初的でない観念だよな
まあ、唯物論が派生してそういう考えをした哲学もあったんだよ
時代遅れだけどなw
人間は物事を一元的には捉えられないっちゅうことだ。
だから先の統一は約束されているだろうと思っても理論物理学での素粒子の扱いは
あくまで観念的。
皮肉な話だが唯物論のツールが観念論だ。
642 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/16(土) 16:00:04 0
>>636 :あまのじゃく:
科学は強力です、張り合えるのは芸術のみです。
その間を哲学は頼まれもしてないのに割り込んでくる。
>>640 πは事物と独立して観念として実在しているわけではない。
以上。
科学(数学やら物理学)は元々は哲学の一分野として哲学の下位においやられていた。
それらが哲学と独立したせいで結局哲学そのものは形骸化した。
逆に言えば科学とは別のアプローチを哲学は示唆できなかった。
645 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/16(土) 16:02:22 0
>>643 :考える名無しさん:
πが自然界に実在していると言い張る人は此処ではスレ主も含めて非常に多い。
観念化のプロセスには二種類ある。
具体的な事物から抽象した概念を再び具体的な事物と結び付けてその存在を踏襲しているかのように
記述した場合の観念と原初的に人間が持ちうる観念。
概念の観念化のプロセスに普遍性を持たせてあらゆる観念は具体的な事物の実在性如何に依らずに
存在しているはずだという誤謬も生じさせた。
πがどんな事物と関連していると言うんだ?
もちろん「正円」や「直線」も観念だってことは理解してるんだろう?
自然科学と数学を同じ分類にしている時点でただのアフォ
自然科学と数学がまるで逆の性質をもっていることを分かれや
片や虫眼鏡、片や紙とペン
まるで逆なんだよ
648 :
ラビ:2008/02/16(土) 16:12:03 0
>>647 ではπを計算するコンピュータは観念を扱っているということですね。
非ユークリド幾何学はどんな事物に依存しているのだ?
直観主義論理は?
可能無限は?
ファジーロジックは?
イミテーションナンバーは?
650 :
ラビ:2008/02/16(土) 16:16:01 0
>>639 それは貴方が、「上下」をどういう意味で使っているのか
理解しようとしないから、わからないだけでしょうね。
>身分制と間違えているのでは?
間違えているのはあなたですよ。
>>647 それは屁理屈でしかない。
私は自然科学と数学を明確に区別している。
便宜上自然科学と数学とを観念論と対局させたに過ぎない。
ラビ君
その通り!
観念はコンピューターでも扱える
さらに質問しよう
コンピューターのプログラムは果たして物質なのか、それとも観念なのか
数学は抽象化と演繹的な論理構成で成立しているのだからここで曖昧に観念論者が
仲間だと思っている世界とはまるで違う。
観念論者は先ず観念があって物質を把握しているのだと主張するだろう。認識の原理は
観念にこそあるという主張だ。
しかし数学者は数学の世界と現実の世界を必ずしも一致させるべきとの信仰に依っていない。
651
自然科学も数学も抜いた「観念論」って具体的に何よ?
数学や倫理学には観念論(実念論)の立場の方がしっくりくる
物質もじつは十分に記述し尽くすことが出来ないのに
どこまで無邪気に舞台装置を信じてコントを繰り広げるんだろうか
セットが落ちてくることだって床が抜ける事だってあるんだよ
657 :
ラビ:2008/02/16(土) 16:26:02 0
>>655 数学にしっくりくるのは、イデア論ではないでしょうか。
物質か?観念か?
どっちが先か?
どっちが偉いか?
どっちが上か?
どっちが規定しているか?
何その権力争い?
ラビ君
実念論はイデア論の系譜なのよ
660 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 16:31:31 0
概念は観念を言語表現した事で情報として実在する事柄ではないか?
観念は頭の中だけにしかない思いや考えだろう。
概念もそれを見聞きし自分の考えとして頭の中で解釈してるときは
観念だろう。
661 :
ラビ:2008/02/16(土) 16:32:08 0
>>659 イデア論と観念論は普通違うと思います。
>>659 実念論は普遍論争で唯名論に論駁されて姿を消した。
663 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 16:43:23 0
観念論は英語ではidealismすなわちイデア論になるが・・・。
イデア論とか機械野郎にぶつけて歯車の噛み合わせおかしくしてやりたい
665 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:04:24 O
666 :
ラビ:2008/02/16(土) 17:19:28 0
>>663 イデア論は英語ではTheory of formsになるようです。
667 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:25:06 0
>Theory of forms
なら日本語では「形式論」だろう。
確かに形式論理学とか形式科学と言う言葉は日本語にあるね。
数学を形式科学に分類するのは普通だね。
668 :
ラビ:2008/02/16(土) 17:32:46 0
>>667 でも、それを日本語ではイデア論と呼んでいるようです。
669 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2008/02/16(土) 17:34:11 0
πもeも複素数も 素朴な自然に対象物を見つけるのは難しい ってか無理だ。
しかしな これ使わないと自然が記述できないんだろ?
だったらこれに相当する何かが自然に含まれてると理解しようじゃないの。目には見えなくてもさ。ダメなの?
人間の考え得る観念っちゅーか道具になる物を 全部そろえたって自然を網羅するには足らないだろ?
非ユークリッド幾何でも何でも それで自然が記述できるんならOKだ。宇宙がそれを許してるんだから。
実念論とイデア論の親和性は普遍論争を参考に
実念論はプラトン派、イデア論に似ているのは当然
ちなみにルネサンス以降、プラトン再読、新プラトン主義という動きもある
単純な唯名論の勝利とは言えない
自然を記述できなくても
数学はその規則性から純粋に形式的正しさをもつ
>>670 唯名論の勝利というのは概念に普遍性がありイデア的実体が先にあるとする考え方が間違ってたってこと。
新プラトン派等は当然そういう考えを踏襲している。
>>672 それは確かに言える。
別に数学者が数学を研究するのは自然を記述したいという動機や使命感からではない。
675 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2008/02/16(土) 17:50:18 0
>>672 いや 正しいか正しくないかは 人間の勝手じゃないだろ?
その判断は 人間が宇宙内存在であることと繋がってるんじゃねーの?
宇宙が許してくれるようにしか 人間は判断できんだろ。
ワシが間違うとるんかのう ワシ唯物論者だし・・まあもうやめとくか。
676 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:56:39 0
現在のスレの流れとは異なって恐縮だが、昨日仏教について語られていたので、
俺が日々感じていた、仏教についての不満点を書かしてくれ。話を中断するようですまんが。
哲学板が低レベル化しているのは、仏教者が大勢流入していることが原因でしょう。
仏教者に哲学などできない。この理由は仏教者に哲学という営為が理解されておらず、
重大な自己欺瞞に陥っているからである。
事象そのものの解明に向かう志向性、事実解明を望む健全な探究心、知的誠実さを実践する態度など、
これらの真摯な知的営為を実践できないことに、重大な欠陥がある。
判りやすい例を挙げれば、事実と仏説に違いが明らかとなったとき、
仏説を否定してでも事実の方を尊重しようとするのが哲学だ。これが知的誠実さである。
ところが、仏教者はこのような事態が生じたとき、事実を否定してでも仏説の方を支持してしまうのだ。
仏教者のしていることは、経典の解釈であって、西洋哲学を学んでも経典の理論武装に、
西洋哲学の英知を利用しようとしているだけであり、仏教的に再解釈して盗用しているだけである。
これが仏教系大学の学者僧の実態である。彼らは事実を曲げても、仏典さえ正当化できればいいと考えているだけであり、
本当は事実などどうでもよく、仏典正当化のみを目的とした、解釈学に終始しているだけなのだ。
このような知的欺瞞の姿勢に仏教界全体が覆われているので、仏教者に哲学することなどは不可能なのである。
677 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:57:28 0
近代科学も近代哲学もキリスト教神学から分化したが、この理由は神学の論理では、真なる事実に迫ることができない、と
考えたからであり、知的誠実さを実践するために、神を拒絶することで神学的価値体系から逃れることに成功した。
このような西洋人の知的誠実さを、日本人が実践できるだろうか。仏教的価値体系によって生じる
事実の隠蔽や歪曲から逃れるために、釈迦を拒絶して仏教からもたらされる知的欺瞞を克服できなければいけない。
歴史的な大哲学者の中には神学出身者が少なくないが、彼らは真なる知を追究するために神の否定までなした。
仏教者の中に釈迦を否定してまで、知的誠実さを貫こうとする者がいるだろうか。
釈迦を懐疑できなくては、哲学を名乗る資格がない。
仏教者ほど知的欺瞞が著しい人々はいない。西洋哲学の営為をみれば、仏教が哲学でないことは明白といえる。
678 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:58:26 0
また、不立文字の乱用や、方便などの詭弁論法を駆使するのも問題だ。
古代ギリシヤのソフィストが詭弁学派と評されたが、方便という邪法を安易に乱用する仏教は、
現代の詭弁学派に堕してしまったのだ。
ウトゲンシュタイン並に極限まで考え抜いた人が、「不立文字」という結論に達したのならいい。
しかし、仏教者の実像は、自分の無能さを誤摩化すため、思考力の低さを誤摩化すためのお手軽な言い訳として、
「不立文字」という語を悪用しているようにしか見えない。実際、不勉強で無能な人物ほど、
徹底的に考え抜いた経験が一度もない痴れ者ほど、「不立文字」という語を安易に使いたがる傾向がある。
自己の無能さを誤摩化すため、というような悪用は、本来の意義とは違うだろう。
また、これらの仏教に潜む知的欺瞞や慢心を隠蔽するために、信心という概念を強要するのもいただけない。
どうやら仏教を信心すると、人間としての良心や善性、徳性や知的誠実さを失ってしまうようだよ。
実際に、宗教を信心する人間よりも、信仰心のない無宗教者、無神論者、の方が品行方正で人格の優れた人が多いと思う。
宗教家の方にこそ粗暴で下劣な、善性や徳心の低い人が多いでしょう。2ちゃんでデタラメな荒らし行為をしている人、
「思想戦」などといって、戦っているつもりになって、夜郎自大、傍若無人に暴れている人に宗教右翼が多いしね。
679 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 18:01:39 O
680 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 18:19:52 0
つまり悟っていてもそれだけではすまい
ってことだろ。
現時点でも。
681 :
ラビ:2008/02/16(土) 18:22:22 0
>>678 >実際に、宗教を信心する人間よりも、信仰心のない無宗教者、無神論者、の方が品行方正で人格の優れた人が多いと思う。
それは貴方の周辺がそうだということに過ぎないでしょうね。
世界的にみれば、信仰心のない無宗教者というのは少数派です。
世界的に求められている人格の優れた人で無神論者がいると主張されるなら、
例をあげていただけると助かります。
ウィトゲンシュタインて当時の西洋哲学界では極限まで
考えたと言えるけど、それは当時の西洋哲学界内部の話でしょ。
そのウィトゲンシュタインも数学の世界ではパッとしなかった。
ラッセル卿も歳を取って数学ができなくなったから哲学していると言っている。
684 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 19:31:27 0
>>681 俺の周辺だけというなら、それでもいいが、俺としては日本で一般にみられる傾向として、
宗教家の方に、人格が劣った人が多いと思うぞ。少なくともこの日本では。
俺がいいたいことは、日本の仏教界の度を超した堕落ぶりについてだよ。
日本で宗教が疎まれるのは、その腐敗堕落ぶりがよく知られているからだろ。
仏教者は仏教界の堕落ぶり腐敗ぶりから、目を背けているんだよ。
この点を直視しない仏教者に哲学を語る資格はないだろ。
そしてこの腐敗点に日本で宗教が嫌われる原因があるのであって、この点を改善することなく
仏教について語っても、むなしいだけだということだ。ここに彼らの知的欺瞞があるんだ。
俺は、仏教者個人の問題ではなく、仏教理論自体に腐敗を生み出す問題構造があると思っているんだ。
腐敗の解決なくして、宗教が好感をもたれることもなかろう。
日本で宗教が嫌われるのは、唯物論のせいではないということだ。
685 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 19:43:03 0
まるで神学者や西洋哲学者が堕落していない様な事を書くじゃないかw。
686 :
ラビ:2008/02/16(土) 20:13:30 0
>>684 >宗教家の方に、人格が劣った人が多いと思うぞ。少なくともこの日本では。
なるほど。
つまり、その劣った人達に大切な葬儀を任せる馬鹿が日本人には多いってことですね。
私は仏教のことはほとんど知らないのでよくわかりませんが、
少なくとも私が葬儀でかかわった仏教の方は、良い方ばかりでしたから、
そういう印象はありませんけどね。
>日本で宗教が疎まれるのは、その腐敗堕落ぶりがよく知られているからだろ。
関係ないと思います。腐敗堕落ぶりなんて一般人は知らないでしょう。
貴方がその中にいるからこそ詳しいのではないしょうかねえ。
>日本で宗教が嫌われるのは、唯物論のせいではないということだ。
神道だからでしょう。初詣に行く人が大半なんですから。
>>676-678 あなたは思想家として、あるいは政治家として立派な資質が
おありのようだが、こと哲学にはまったく縁が無さそうだな。
気が済んだら、代々木におかえりなさい。
お前ら、クソして寝ろ。
「下手な考え休むに似たり」、この言葉ほどお前らに適した言葉は無い。
それを言うなら、
「下手の考え休むに似たる」
でしょ?
690 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 21:48:22 0
691 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 22:12:31 0
時津風部屋だと下手なげからビール瓶こづきが常識
692 :
偽・エルロイ:2008/02/16(土) 22:13:34 0
>>686 葬儀屋を信頼しているからではあるまい。この国には“葬儀”の形式を
尊ぶ人が多いということだ。神主や坊主に、また連中の“教え”に信を
置いているわけではない。恙無く儀式をとり運ぶプロの葬儀屋であれば、
それでいいのである。
葬儀そのものやそれを司る連中に、なんらかの意味を求めることは、
この国では、むしろ異端的。その意味で、この国の宗教は脱構築(形骸化)
されている。中身よりも形式を重んじる特異な人たちが多いということだ。
新興宗教がその風潮に対する反発から生まれたのは言うまでもあるまい。
693 :
考える名無しさん:2008/02/17(日) 01:26:15 0
同じものは2つと無い
おれの今持ってる林檎と同じ林檎はもう二度と出現し得ない
その林檎を構成してる細胞や電子の類も同様だ
ところで唯物論者のいちばん痛いとこは
それだと不都合だから同じと仮定して演算処理しようとするとこだな
頭悪過ぎだろw
>>693 それは同定問題。
例えばそのりんごと言われてこのりんごと答えた場合の時間を捨象しないと
同一のりんごとはならない。
こういうのも同定。
>>695 時間軸上に無数にあるんじゃない。
何せ観念論では認識すると生じる現象に過ぎないんだから。
697 :
考える名無しさん:2008/02/17(日) 02:23:35 0
>>696 時間を勘違いしてるだろw
物には時間軸なんて無い
時間は「(1つの)物の運動」を表現するために便宜上設けた
仮の要素に過ぎない
実体だと思ってたのかw
698 :
ラビ:2008/02/17(日) 03:00:02 0
>>697 見てないときにそっくりな偽者にすりかえても気づかなければそれでいいんだね。
ざっと読んだが、仏教を理解してない奴が仏教を語るな。
701 :
考える名無しさん:2008/02/17(日) 06:41:37 0
>>693 >同じものは2つと無い
勘違いしているんじゃね?
あなた自身は生まれてから死ぬまで運動変化している。
赤ん坊から現在まで、量としても、つまり外見としてかなり変化しているわけだ。
よくよく考えると、あなた自身を構成している細胞の水準でもそうだろう?
また電子レベルでも運動していないことはまったくない。
つまりあなたは、常に運動変化している。
物理的なあなた自身が物理的に同一であるあなたであることは常にありえない。
認識は運動変化しているあなたを、運動変化していないあなたとして認識する。
赤ん坊のあなた=成人のあなた、として認識する。
同じもの、これ自体が存在しない。
目の前のあらゆる物理的存在は運動変化している。
しかし認識はとりあえず、同一のものとして認識するわけだ。
じつは、生まれる、死ぬ、ということは物理的にはありえない。
自然の運動変化の過程であなたという物理的状態に、それまで違う物理的状態が変化しただけだ。
死もまた。
つまり運動変化の過程、という意味では生=死ということなんだ。
パンを作る、食べる、というのはある物理的状態の物質を様々な過程を経てパンという物理的状態にすることだ。
そしてパンを食べる、というのは咀嚼したりして物理的状態を変化させるだけだ。
物理的に何か生まれたり、無くなったりすることが無いことを、つまり物理的には運動変化しているだけなんだという意味での諸行無常を保存則は説いている。
人間は運動変化している自然を静的に認識する。
運動を静的にしか捉えられないから、認識は当然相対的にしかならない。
科学では、光速度一定の法則というのがある。
この法則は座標原点なんて自然のどこにも存在しないということ、つまり静止という運動の否定などどこにも実在しないということだ。
しかし人間は座標原点を仮に設定しなければならない。
運動の否定が座標原点だから、この意味でも認識は静的だと言える。
同じものは二つと無い、と言われる。
じつは、あなたもりんごも同じ物理的状態ということ自体がありえない。
物理的状態という意味ではあなた自身でさえ、同じでは断じてない。
それを人間は同じと認識するのは、認識自体が運動していないものとしなければならないからだ。
自然はすべて運動する、つまり自然は無矛盾であることを特殊相対性理論の基礎をなす光速度一定の法則は保証する。
ここで自然は理解の条件である無矛盾であることを満たしていることが宣言される。
しかし同時に認識が相対的であることも語られる。
なぜなら、運動している自然を静的に認識するしかないからだ。
認識自体を認識するのが哲学だ。
根本的に考察しようではないか。
認識というのはじつは自然の一部である人間の自己言及だ。
科学もまた自然認識だから当然自己言及だ。
自然がすべて運動するのならば、わたしたちもまたそうである。
あなたの目の前の物理的存在とわたしたちは物理的存在としては変わるわけではない。
認識、つまり自己言及できる物理的状態として変化しただけである。
自然がすべて運動するという無矛盾な自然観を示した光速度一定の法則は、同時にすべて物理的な存在でしかないということをも示す。
物理的存在は運動変化という過程で物理的存在自身を認識する段階に至る。
観念論者には残念ながら自然には物理的存在しかありえないことをこの法則は示している。
観念はあくまでも物理的状態に付随しているだけだ。
んじゃ、論文書かなきゃいけないんで。
ああ、一言。
科学者もこういう意味では認識を理解していない人がほとんどだ。
光速度一定の法則の理解はかなりの科学の変革を起こすだろう。
あと色んなことの理解が変わってくるから、そのことを理解しないで認識論や科学に手を出さないほうが良い。
たとえば、時間ひいては次元そのものの理解、無の理解、とかを矛盾の無い考察をしなければならない。
自然と論理の関係も考察しなければならないな。
同じものが二つないってどんだけないんだろう。
同じ速さで動く光子も二つとしてないんだろうか。
707 :
考える名無しさん:2008/02/17(日) 09:22:59 0
光速度は一定ではない。
その光の通過する場によりまた媒体により変化するのは
常識としてよく知られたことだ。
真空中の光速度が一定であるだけ。
しかし現状ではそれも人間がものさしの基準として
規約として決めたからに過ぎない。
708 :
考える名無しさん:2008/02/17(日) 09:26:35 0
個物として区別がつくのは原子・分子までだろう。
素粒子は個物とはならない。たとえば二つの電子が同じとか違うとか
区別はつかない。電子はみんな同じ電子だ。
709 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2008/02/17(日) 09:42:18 0
媒体を通過する光ってーのは 単独の光子が媒体中を突っ切ってるとは解釈されとらん思うよ。
光速度が規約ってーのはだいたいその通りだが しかしそれも光速度が9桁まで測定されて
光速度一定の法則が確かめられた後の話で、適当に決めた訳じゃないと思うのよ。
ま 受け流してくれ。
710 :
考える名無しさん:2008/02/17(日) 10:08:24 0
>>709 媒体を通過する光は先ずは波動としての光だろう。
波動は一つ、二つとは数えようが無い。
711 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2008/02/17(日) 10:12:42 0
だから受け流せって。
光ってーのは 量子だから 単独で1個づつhνのエネルギ体として解釈してると思うよ。
この世に絶対はないと思うので、
同じものが絶対に存在しないということが絶対だとは限らない。
まったく同じものが存在する可能性はある。
ついでに、近似くんの仏教観についても説明しておこう。
人の認識では絶対に知ることのできない真理というものがある。
それが空であり、金剛界曼荼羅だ。
また、人が認識する世界があり、
それが色であり、胎蔵界曼荼羅だ。
近似くんは経典は阿弥陀経しか読んだことがないが、
そこにはありがたい教えはひとつとして書いてなかった。
だが、仏教が最も優れた宗教であることは、聖闘士星矢で証明されている。
近似君ごぶさた。
世界に同じように見えるものがあっても時空間内配置を同一にしていなければ同じではない。
いや ボーズ粒子は時空間内配置が同じ素粒子だったか・・このあたりに世界のからくりがあるかもしれん。
逆にだ 世界の同種の素粒子が全く見分けが付かないほど 同じであるこの現実も不可思議なのだ。
同じである原因が無いのだから。これもきっと世界のからくりのヒントだ 多分。
受け流してくれ。
今探しているまったく同じものというものは、
時間は異なるが、それ以外がまったく同じものだと解釈しているが。
それなら、存在しうると思う。
同一時刻で、空間配置のみをずらした事象についても考察してよ
全ての物事は同じものの別側面かも
717 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/02/17(日) 12:27:05 0
決定論って言うのは経験則だと思いますが簡単に言うと
「こうするとこうなるよ」
例えば
「石を投げれば飛ぶよ」
という、因縁というか縁起説なんですよ。
因縁について考えると
「表はそのうち裏になるよ」「正位置はそのうち逆位置になります」
こういうのが因縁ですよ。
現代宇宙論では10次元の超弦理論とかいってるけど、
お釈迦様の言う十方世界の事でしょ。
お釈迦様が全部決めちゃってるから他の人が何したって後の祭りです。
こういうのが決定論でしょうか?
ランダムなデジタルシミュレーション上では、
同じ構造をもった形というものが発見されている。
719 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/02/17(日) 12:39:06 0
>>718 永劫回帰ね
だから自由なんてどこにも無いって言うことですよ。
緊縛プレイです。
720 :
201:2008/02/17(日) 13:23:26 0
>>712 だとすると全く同じものなのに見分けがつくとなるが。
721 :
考える名無しさん:2008/02/17(日) 13:27:12 0
/::::)(:::)(:::::::::::)(::::::^::::::::::\
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(::::::::::/ ):::ノ::::ノ ) ソ ヾ::::::::::::丶::::ヽ
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.( 。 ・:・‘。c .(● ●) ;”・u。*@・:、‘)ノ /
( 。;・0”*・o; / :::::l l::: ::: \ :。・;%:・。o ) < 決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない
(; 8@ ・。:// ̄ ̄ ̄ ̄\:\.”・:。;・’0.) \
.\。・:%,: )::::|.  ̄ ̄ ̄ ̄ | ::::(: o`*:c /.. \_________
\ ::: o :::::::::\____/ :::::::::: /
(ヽ ヽ:::: _- ::::: ⌒:: :::::::: -_ ノ
\丶\_::_:::::_:::: :::::_/:::: /
| \ \ ::::::::::: :::::::::: ::: ::__/ |
>>720 なるね。
まったく同じものって、まったく同じ時間のまったく同じ場所にあるものの話をしているの?
それなら、無駄な考察だと思うけど。
別の時間で別の場所で、まったく同じ状態になるものは存在しえると思うよ。
723 :
201:2008/02/17(日) 13:32:45 0
条件付きね
大体観念論者は、って語り始めるやつは間違いなく観念論勉強してないから
返す言葉がないんだよ、いい加減にしろよ
観念論の網羅的な入門書でお薦めを教えて。
726 :
考える名無しさん:2008/02/17(日) 13:54:11 0
大体、唯物論ではと言い出す人も観念論としての唯物論だね。
自然科学的唯物論者すなわち自然科学者であったためしが無い。
727 :
201:2008/02/17(日) 13:58:20 0
つまり同じという前にまず別である。
728 :
考える名無しさん:2008/02/17(日) 14:01:59 0
超越論的観念論ならカントの「純粋理性批判」あたりが
入門書かな?
理科得意だよ
純粋理性批判の解説的なもののほうが読みやすいと
731 :
考える名無しさん:2008/02/17(日) 15:22:27 0
>>700 そのような態度だから「仏教者に哲学することは不可能」と言われてしまうようんだよ。
実際に仏教者の中には仏教概念を克服して、哲学の本来の意義「事象そのものの解明」と、
結びついた営為をしている人はいないし。
仏教は叙情文でしかなく、虚構の物語として表現された文芸学である。
感情を表するための、修辞技法の研究でしかないんだよ。現代の詭弁学派だ。
理論に妥当性を持つものは無く、健全な探究心もない疑似哲学なんだ。
732 :
考える名無しさん:2008/02/17(日) 15:53:35 0
>>724 唯物論者が「大体観念論者は」といって観念論批判するときは、
「非現実的な夢想形態」 と誹謗する意味で、使っているだけだから気にするなよ。
733 :
考える名無しさん:2008/02/17(日) 16:48:24 0
非現実的な夢想形態も
守備範囲だが。
キミらの様に好き嫌いはない。
734 :
考える名無しさん:2008/02/17(日) 19:15:47 0
>>724 唯物論者が「観念論」という語を批判的に使う場合は、哲学上の純粋な意味でなく、
政治的な意味合いで使われてきた歴史的経緯があるんだよ。
唯物論が共産主義運動に利用されてきたことを君も知っているだろ。
この名残で、共産主義者でない、反左翼的な唯物論者まで、このような使用法をすることがあるんだ。
観念という語は、英語ではアイディアルideal、アイディアideaだ。これらの語源はギリシャ語のイデアideaだろ。
そして、唯物論者が「観念論め」と批判する場合、政治学上で使用される意味、
信念や思想体系を表すドイツ語のイデオロギーIdeologi、観念形態を表すフランス語のイデオローグideologue、
などを念頭に置いて、ある特定の思想形態、意識内容、概念体系について、批判的に使用されているわけだ。
観念論idealismアイディアリズムは多義的でね、純粋哲学の認識論的な意味もあれば、
文脈上idealismを理想主義と訳す場合も多い。唯物論者が専ら批判的にidealismという場合は、
精神主義という意味で使うことも多いな。
735 :
考える名無しさん:2008/02/17(日) 19:17:25 0
それと誤解があるようなので弁明しておくけど、機械君はともかく俺は哲学上の観念論は判っているよ。
認識論の形成過程、例えばロックが物体を科学的に考察した時に、どのように観念が構成されるか分析したよね。
ロックが物そのものの第一次性質こそが物体の本性で量的性質であるとした。この考えが後の哲学者に受け継がれ、
ロックの物体の第二次性質を訂正しながら、物の質的な要素が、観念の中で形成されるという主旨で、
ヒュームの経験論や現象学への発展につながっていったわけだ。カントのコペルニクス的転回の着想は、
ロックとバークリーの論証に依拠しているだろ。デカルトからロック、バークリー、ヒューム、カント、
と経て認識論が発展し、観念論が理論化されているわけだ。
誰がどのような研究をしてどのような実験から論証したのか、その成果を誰がどのように受容してきたのか、
これらの経緯は判っているよ。
実存主義でも、例えばメルロポンティの「知覚の現象学」なんかも、経験科学的な検証をふまえて、
意識の形成過程を調べているだろ。観念論も科学的な検証を基礎におくからこそ良質の思索ができるんだよ。
でもね、唯物論的な立場に立つと、唯心論や独我論のような精神主義を批判する意味で、
「この観念論者は」などということがしばしばある。唯物論者は専ら罵倒語として使っているだけなので、
深い意味はないよ、あまり気にしなくていいよ。
736 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/02/17(日) 19:31:55 0
唯物論って肉に心が宿りますって言う事でしょ。
そんなのが本当にいいの?
食卓のお肉にも死んでるようでも心が宿ってるんでしょうかねぇ?
737 :
ラビ:2008/02/17(日) 19:38:30 0
738 :
ラビ:2008/02/17(日) 19:41:17 0
739 :
考える名無しさん:2008/02/17(日) 19:55:52 0
哲学が学問になったのは、まさしく継承による。
学問に成り下がりよって。。。。
740 :
考える名無しさん:2008/02/17(日) 20:37:11 0
継承が進歩に貢献していると見えもすれば、
俺のように退化の第一歩と見えもする。
亀ですが、縁起=決定論とか言ってる莫迦がいたのには驚いた。
742 :
考える名無しさん:2008/02/17(日) 22:53:44 0
現代で本当の深い唯物論適用がもっとも必要とされてるところは
中東、イラクイランパキスタンだろう(宗教否定という意味で全然ないよどっちかというとその逆だ)
最近イランがアメリカがイランは原爆が目的でないことを認識し始めたと若干元気だ
この流れは原子力平和利用が人類におけるエネルギー物質というもの世界的分配という「物資と生活」、分配の問題を通じてイランはアメリカを批判しているということ、それはイスラムのアイデンティティーに深くかかわるということを認識すべきだ
つまりイランは非常に精神的だった反米運動というものに、物資的基礎の問題を配置しようと試みてる
下部構造が上部構造を規定してることへの初歩的探索であろう
それはイスラムの精神を再認識構築しなおす重要な過程だろう
それに対比してパキスタンの現政権批判運動などを唯物論上で分析して見るべきだ
743 :
考える名無しさん:2008/02/17(日) 23:00:58 0
つまりイランは観念論だけで反米行動することのむなしさを問題にしはじめてる
縁起が決定論だと理解できないバカがまだいたのかw
745 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/18(月) 00:40:42 0
>>735 >デカルトからロック、バークリー、ヒューム、カント、
>と経て認識論が発展し、観念論が理論化されているわけだ。
それはそうかもしれませんが、今は「21世紀」なのです。
江戸時代や明治時代の思想家がそれ以前のキリスト教神学思想を脱却した!と考えた「観念論」
もまた「神学思想の掌の中で踊っているだけだった」という「真理」について論じることができるのは
最近50年の自然科学(特に理論物理学・大脳生理学・分子生物学)の進化を「目の当たりにして」
・・のことなので、そういう「自然科学(最近50年の)の進化」から目を逸らして「デカンショ」
・・デカルトカントショーペンハウエルで「半年暮らす〜・・後の半年寝てくら〜す♪」・・という
「旧制高校の文科系インテリの誇り」に根ざした「観念論崇拝を意味する『哲学』」は既に「無効」
・・だと申し上げているのです。
746 :
哲学的ゾンビですが:2008/02/18(月) 00:48:45 0
私は意識がなく素粒子の集合の運動でしかない哲学的ゾンビですが
現代科学より理論的で科学的な論を述べます。
真に物理的に述べるなら
「決定論:人間は物質だから意識は存在しない」
です。
脳だけは他の物質と違い意識を発生させる特別な物、という考えが
既に科学的ではありません。
仮に脳で意識が発生するなら
素粒子一個だってブラックホールだって何だって
意識を発生させていい事になりますし
愛やら映像や感触が存在するなら、それは物理的には存在しないので
絶対的な超越的な神やおとぎ話の天使悪魔も何でも
存在します。
哲学的ゾンビの私からすると皆さんの論は
物質が(観測も証明も出来ない)精神を生むという
極めて非科学的な論に思えるのですが・・・
747 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/18(月) 01:05:24 0
>>746 「意識」は「発生するか発生しないか」では計れない・・ということです。
人類の個体は環境に適応するために「人類なりの意識」を発達させるため
「身体に近づいた他者の存在を感知したら則攻撃に移る」というような
「コブラ」のような「意識」を持つのではなく、とりあえず「近隣の存在者は
同類として扱うという意識」が「標準系の意識」となります。
中には「他者に対する警戒心が非常に強い」ために社会生活ができない程に
なってしまう「神経症」の方もおられますが・・。
要するに「意識」とは、動物も含めて「その種が生き残るために有効な(肉体=脳)機能の一つ」
であるということであり、人類という哺乳類はその「意識」を最大限利用した結果「地球上の覇者」
にたまたまなっただけのことなのです。
他の哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類・・・etcにも「眼」が備わっているように「それなりの
意識(様の機能)がその「脳脊髄組織」に備わっている・・・ことは明白であり、「人類の脳が格段に
別格」である(科学的)証拠はありません。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
生き生きしてるな
機械的唯物論は至極まともだと思う。
>>「人類の脳が格段に別格」である(科学的)証拠
つ言語
751 :
考える名無しさん:2008/02/18(月) 02:12:31 0
>>747 私は読んでませんが、ジョン・アレン・パウロスの「数学者の無神論」という新しい本があります。
アメリカは新保守主義やらでキリスト教原理主義回帰が進んでるらしいですが、
これを読めばあなたの宗教・観念論台頭への警戒も多少なりとも和らぐと思いますよ。
むしろ宗教・観念論を増幅させてしまう社会構造や制度等に問題ありと思います。
752 :
考える名無しさん:2008/02/18(月) 02:16:37 0
ここ、戦前の優生学信者みたい奴が徘徊するスレだね
ただの空気の振動から、ただの紙のうえの炭素から
意味を読み取ることができる
動物にはできない
さらに高度な機能として議論がある
このスレはチンパンジーと同じくらい?
754 :
考える名無しさん:2008/02/18(月) 02:29:33 0
観念論が間違えだと知っていて
唯物論も間違えだと知って
再び観念論に期待する人々のスレです。
755 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/18(月) 02:43:45 0
>>735 :考える名無しさん:
大変分りやすい説明ありがとうございました。
>観念論も科学的な検証を基礎におくからこそ良質の思索ができるんだよ。
そうですよね、あと数学などは観念論そのものとも言えるのではないでしょうか。
しかし
>>1 では「全宗教全観念論は徒労です。」と言っているし、それが
>>1 の長い文章の要旨でもあります。
科学と観念論は脳の中で密接に結びついているのに・・・。
756 :
考える名無しさん:2008/02/18(月) 03:13:00 0
|/-O-O-ヽ| ブツブツ・・・
| . : )'e'( : . |
` ‐-=-‐
/ \
||\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
||\\. \ ∧_∧
||. .\\ \ ( ;´Д`) (オイ、なんか変なのがいるぞ)
. \\ \ / ヽ.
. \\ / .| | |
. \∧_∧ (⌒\|__./ ./
( ´,_・・`)目合わせるなって ∧_∧
. _/ ヽ \ ( ) うわー、こっち見てるよ
機械自演中・・・
>>736 マジで唯物論をそう理解しているとしたら単なるバカだよ、あんたは。
化石発見とでも言われるぞ。www
759 :
考える名無しさん:2008/02/18(月) 08:48:54 0
>>742 を見て政治的だなあ反米だなあと直感する人もおおいだろうがそうではないよ
760 :
考える名無しさん:2008/02/18(月) 08:49:08 0
ダメだ、お前らは本当に。
761 :
考える名無しさん:2008/02/18(月) 11:09:12 0
>>742>>759 第2唯物論は第2だと名乗った方がいいかもよ。っま読めば分かるほど馬鹿ではあるけどw
762 :
考える名無しさん:2008/02/18(月) 11:30:23 0
保守かリベラルか、遺伝子が決定
ttp://www.cnn.co.jp/science/CNN200802170017.html 右利きと左利きが生まれつきの傾向とされるのと同様、政治的に「保守」か、「リベラル」かという思想の違いにも、遺伝子が影響を及ぼしている。
米国で、最近、一部の政治学者がこんな説を主張し、論議を呼んでいる。保守、リベラルといった思想は、育った家庭や周囲の影響によって
形作られるというのが従来の定説だが、これに一石を投じたのは、ライス大の政治学者、ジョン・アルフォード氏。3年前、
1万組近い双子を対象にした調査を実施し、互いに同じ遺伝子を持つ一卵性双生児は、二卵性双生児に比べ、政治思想も重なる場合が多いと発表した。
同氏は、「遺伝子の組み合わせによって、どのように外部情報を処理するかが決まり、それが物事のとらえ方、ひいては政治的意見にも影響する」と考えた。
これをきっかけに、米国では、政治思想と遺伝子の関係が注目されるようになる。ニューヨーク大とカリフォルニア大ロサンゼルス校の
神経科学者による共同チームは昨年、43人の対象者に自分が保守かリベラルのどこに位置すると思うかを尋ねたうえで、
コンピューターゲームをする際の脳波を測定した。その結果、保守とリベラルでは、脳内で複雑な情報を処理する
「帯状回前部」と呼ばれる部分の活動に違いがあることが明らかになった。研究を率いたニューヨーク大のデービッド・アモディオ准教授は
「これまで、政治的立場は文化や環境によって規定されると考えられたが、実は脳の器質的な違い、つまり遺伝的要因と、環境の相互作用で決まる」と述べている。
さらに、カリフォルニア大学サンディエゴ校の政治学者、ジェームズ・ファウラー氏は最近、選挙の投票に行くかどうかという行動の違いと、
特定の遺伝子の種類との間に相関関係が見つかったと報告している。こうした研究について、「手軽な調査、実験から乱暴な結論を導き出そうとしている。
政治学は自然科学ではない」(デューク大の政治学者、エバン・チャーニー氏)といった批判も出ている。だがアルフォード氏は、「遺伝の影響があることは明白」と反論。
「物事のとらえ方が生まれつき違うのだと考えれば、政治思想の違う者同士も互いに認め合うことができる。われわれの研究は、そういう意味でも役立つ」と話している。
763 :
考える名無しさん:2008/02/18(月) 11:44:04 0
それでだ・・・ウンチマンよ、永遠なれ。。
764 :
考える名無しさん:2008/02/18(月) 11:50:00 0
765 :
考える名無しさん:2008/02/18(月) 11:53:34 0
>>761 >>742 を見て馬鹿なことを書いてると感じるやつは、イランなどイスラム国は〇〇〇国でないかという妄想がひどいんだろうな
アメリカがそう感じてる、それには下部構造がある ということに馬鹿無知なのだろう、よくいるよ
766 :
考える名無しさん:2008/02/18(月) 11:55:16 0
だからといってアメリカが悪いとちょっと違う、哲学人の怠慢のせいだなあ
767 :
考える名無しさん:2008/02/18(月) 11:58:53 0
福田は「マクロ経済」がまったく分かっていない。政府や日銀の政策決定がどういった市場でどういう動きをしめし、結果国家や社会や国際関係がとうなるかのメカニズムがまったくわかっていない。こういう奴が政治や国際情勢を語るとだいたいトンデモ陰謀論になる。
「バカでもわかる思想入門」の中に「資本論」と「雇用・利子および貨幣に関する一般理論」が解説されている章あるが、断言してもいい、福田はどちらも全く読んでいない。読んだ形跡が全く無い。
本書は世間の俗なマルクス・ケインズ評だけまとめたもの。だいたい「資本論」を解説しておいて「価値形態論」「余剰価値」にまったく触れていないなんてありえない。
ケインズ「一般理論」に関してもそこに何が書かれているかも書いていない(そもそも「一般理論」自体、精緻な新古典派経済学体型の理論的訓練を受けた者を対象にした本)。
要するに福田って「経済学」や「(現代)軍事理論」みたいな地道な知的訓練を要求される学問に対する才能が全く欠如している。本人もその辺はコンプレックスを持っており、読めない本でも知ったかぶりするしかない。
おそらく福田がマクロ経済学の知識を持った論客(山形浩生、池田信夫から森永卓也まで)と政治・経済・国際情勢ネタで論争すれば、勝ち目はない。
本人もそれを自覚して「おれは右翼パンク文芸評論家だから」みたいな「逃げ場」を確保してるのだろう。
>>746 あなたが論理的で、もし自分に意識があると感じているなら
> 脳だけは他の物質と違い意識を発生させる特別な物、という考えが
> 既に科学的ではありません。
この部分から
> 素粒子一個だってブラックホールだって何だって
> 意識を発生させていい事になりますし
実際にこれがありうる事に気付かないの?
あなたが自分自身を哲学的ゾンビといっているんだから、この論理はあなたには通らない事にはなるんだけど。
つビューラー 言語機能説
772 :
考える名無しさん:2008/02/18(月) 19:07:37 0
>>754 どういうのが唯物論だと見聞きしたんだろうね
自然が理解できるのならば、当然自然は無矛盾で無ければならない。
人間は自然の一部だから、科学というのは自己言及だろう。
意識ってのは物理的存在がある特定の条件で自己言及できる状態になるってことでしょう?
パンにしても玉蜀黍にしても、目の前のパソコンにしても物理的存在がある特定の条件でその状態になっただけだし。
意識は生物という物理的状態という特定の状態で初めて出来するものだろうから、パンや肉片が肉片は意識を持たないであろうことは想像に難くない。
そして意識に言及するのは自己言及の自己言及ということだろう。
774 :
考える名無しさん:2008/02/18(月) 22:28:50 0
>>773 とすれば、その自己言及は「物理現象」ということになり、法則を立てられる
はずだ。自己言及を(物理)法則として記述すれば、唯物論の勝ち。できなければ、
引き続き唯物論が大きな顔をするだろう。
775 :
考える名無しさん:2008/02/18(月) 22:31:20 0
訂正
>>774 引き続き不可知論が大きな顔をするだろう。
776 :
考える名無しさん:2008/02/18(月) 22:54:35 0
日本で格差が大きく拡大していくのがドンドン放置された理由は(ある意味ファシズムか)
格差が大きくなると低所得層が、物をさっぱり買えなくなり、特に自動車が買えなくなり、
地球温暖化を解決していくためのおおきな下準備がすすむ、かつ一番おおきな問題、
物が多すぎると言う問題が解決に向かうからでないのでしょうか、どんな問題でも「人」がかわっっていくのが一番の道でしょうしね、
物を買わない大群は心強いかも
実際若者層の車離れは顕著だと新聞に出てた
ただしこれは明確に意図された陰謀というより政治家や経済学者等のかなり多数がなんとなくやってしまったことだろうけどね、
小泉は無意識にいれ込んだかも、歴史には平成の大陰謀と記されるかも
民主党のガソリン値下げはアナーキズムということなんだろうけどもうちょっと裏も見て格好よくやらないと大衆をひきつけないと思う、道路の話ばっかりではね
777 :
考える名無しさん:2008/02/18(月) 22:57:40 0
>>774 そういう流れの中で第2唯物論があるのですがね
778 :
考える名無しさん:2008/02/18(月) 22:58:38 0
>>776 これも第2唯物論の記述
下部構造が上部構造を規定する。。。。。。。。。
779 :
考える名無しさん:2008/02/18(月) 23:22:40 0
>>742 そうか精神欲を単に物資欲に変えるのが唯物論かと馬鹿解釈しないでくれよな
>>774 自然の存在自体は前提であり、何故存在するかは問えない。
つまり不可知。
科学は究極的な何故は問えない。
ただたんに、かくかく云々の物理的条件においてかの物理的状態はかような反応を示すことを理解するだけ。
しかし理解できるのは自然が無矛盾でなければならない。
かような条件においてはなんだかわからんが自己言及可能な物理的状態となるとしか言えない。
つまり自己言及可能たらしめる意識自体は物理法則としては記述できない。
論理自体は自然の抽象であり、自然そのものではない。
次元自体は運動するエネルギーの濃淡の海である自然の抽象であり、そのものでは決して実在し得ない。
認識が相対的なのは運動を静的に認識するしかないわけだからだ。
ウィルスが生物、非生物の中間として峻別できないのは、この認識の相対性に根源的に起因する。
生物、非生物というのは物理的存在の相対的な区別に過ぎないからだ。
スピノザは否定は規定であると述べた。
この規定は認識の本質である静的ということを捉えている。
それはともかく。
この認識の静的という規定を哲学の諸難問に適用してみよう。
まずゼノンの逆説を考えてみよう。
この逆説は世界は数でできていると唱えるピタゴラス学派との論争過程で出てきたものである。
山川偉也 ゼノン4つの逆理 参照
まず時空が数でできているのなら、その最小単位の半分があるという逆説を、つまり数など存在しないことを論証したのが競技場の逆説。
数には大きさが無いと数の概念を再提出したピタゴラス学派に対して二分の一、アキレスと亀の逆説を示した。
ちなみに野矢茂樹氏は、数学者のアキレスと亀の解決に対して反駁している。
無限論の教室 参照
さらには飛ぶ矢の逆説では数で世界ができているのなら運動はありえないことを示した。
つまり数など実在しないということを示したのがこの逆説。
二千五百年後に科学は絶対座標が実在しないことを示した。
この逆説の科学の裏づけである。
しかし数が実在しないことはこの数が認識の論理であることを否定していない。
次はカントの二律背反に言及してみよう。
これは要するに認識の論理と自然の関係の問題だ。
時空に始まりと終わりは実在しないが、認識が必要とすることを証明しただけ。
最小単位も同様で実在しないが認識が必要とするだけ。
自然に論理は実在しないが、自然を理解するには、ということを示したのがこの背反。
絶対座標、つまり運動の否定が存在しないのならすべては運動することになる。
すべてが運動するのならば、その運動を前提に否定関係は導けないことになる。
つまりすべては物理的存在が態様を変えた存在ということになる。
自然はたんなる運動するエネルギーがもたらした濃淡に過ぎない。
そしてその運動がもたらしたある物理的状態が自然の一部である自己に言及したのが科学であり論理である。
無とは端的にいえば無限を有限として認識する媒介である。
つまり無は文字通り無であり、実在しない。
存在しないものは存在しないというバカボンのパパはパパなのだということを光速度一定の法則は保証する。
いわゆる観測問題は認識対象と認識媒介がもたらすだけであり、粒とは古代ギリシャ哲学者が述べるように波が渦を呈した状態だろう。
ちなみにこの波=渦説は十九世紀の大科学者も唱えているし、近年ではブリゴジン学派がそのような仮説で観測問題に取り組んでいる。
ビッグバンはなかった ラーナー著ではかなり面白いことが指摘されている。
わたしは時間は実在しないと主張するが、科学者でも何人かその実在性に疑問を唱えていることを指摘したい。
なかにはかなり有名な科学者も存在している。
またブリゴジン学派の若手は時間には終始がありえないとする研究を示しているそうだ。
自然自体と論理との関係を解けば過去において人間が理解を放棄した問題が理解できるとわたしは主張する。
論理は自然に起源をもつが自然そのものではありえない。
無を媒介にするために様々な限界をもつだけだ。
認識が相対的であるのはそのためだ。
自然は無矛盾でなければ理解は成立しない。
しかし理解は成立しないという理解もまた成立しない。
なぜならそのこと自体が理解だから。
理解できるかどうかわからない、というのもまた理解のひとつである。
つまり理解は成立し、自然もまた無矛盾である。
意識は物理的存在の運動がもたらしたある特定の物理的状態の産物である。
自然が無矛盾、つまり理解できるのならばとうぜん意識も物理的存在の運動がもたらした何かということで語られなければならない。
有限とは無、つまり認識を媒介にした無限の態様である。
有限は認識にのみ存在し自然に存在するわけではない。
保存則も光速度一定の法則も自然が理解できることを保証する。
しかし自然はなぜ存在するかは理解できない。
それは前提だからだ。
つまり自然が何故存在するかは理解できない。
自然はこの意味で不可知であり、また無矛盾という意味では理解可能な存在だ。
理解はその性格上相対的にならざるを得ない。
自然の一部である人間は自然を相対的にしか理解できない。
しかしそれは自然が無矛盾であるから、つまり理解できるからだ。
そして自然自体はただただ存在するだけで、その存在理由など無い、つまり問えないことになる。
788 :
ラビ:2008/02/19(火) 09:48:34 0
>>780 >つまり自己言及可能たらしめる意識自体は物理法則としては記述できない。
それは間違いです。
ロボットのプログラムを記述できるように、意識の動きを記述できる可能性はあります。
意識自体をクオリアのような意味で使用しているなら、
ロボットの意識(ソフトウェア)自体も物理法則としては記述できないと言っているのと同じです。
789 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 09:50:11 0
>>778 >下部構造が上部構造を規定する。。。。。。。。。
このスレでは「形而下学は形而上学を規定する」と読むのかな?
哲学は自然科学の知識を基礎にすべきだということか。
790 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 10:06:27 0
>>788 クオリアは科学で議論できる概念なのですか?
791 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 10:10:24 0
>>790 クオリアを発生させる脳の活動と考えればおk
792 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 10:14:14 0
ラビは相変わらず,場蚊だな。
記述すれば,取り落としが生じる。
意識自体をそのままに記述できるわけもない。
法則とは抽象だから,自己言及の過程をそのものを記述できるわけがない。
単純な法則から自己言及を行う事態を生じさしめることが出来るのとは、
決定的に異なるのだ。
非決定であると言うことが決定的だな。
くっくっく。
793 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 10:15:19 0
>>791 >
>>790 > クオリアを発生させる脳の活動と考えればおk
色波長を数値化しても、色は永遠に分からんがな。
くっくっく。
794 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 10:18:25 0
>>787 >そして自然自体はただただ存在するだけで、その存在理由など無い、つまり問えないことになる。
自然の存在理由が問えないのは確かだろう。
しかし自然がどのようにして現在のようになったかは科学的に問える問題だろう。
それを問うのが自然科学だろう。
とりあえずはビッグバン宇宙の起源だね。
795 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 10:21:45 0
物理における自己言及は「フィードバック現象」という既知の概念だね。
フィードバック現象があるからこそ自己組織化も可能となる。
決定論的カオスも自己言及システムだね。
796 :
ラビ:2008/02/19(火) 10:26:11 0
>意識自体をそのままに記述できるわけもない。
それは意識に限りません。実在するとされるすべての事象で同じことが言えます。
そのようなことはわかりきっているので、私は不可知の立場をとっているわけです。
ロボットでも同じことが言えるので、人間だけが特別ではないということを強調しているまで。
797 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 10:30:29 0
色波長の数値化や明暗の数値化は網膜細胞で行われている。
生理学的には比較的よく調べられた分野だろう。
そのあとどのような仕組みで脳が色を感じるかと言うのが
「クオリア問題」だろ。
色を感じる脳細胞も音を感じる脳細胞も機能分担して別の細胞
群だけどその細胞構造はほとんど変わらないのになぜ色と音の
質感のちがいを出せるのか不思議だね。
798 :
790:2008/02/19(火) 10:42:45 0
クオリアは結局科学では扱えないってことね。
799 :
ラビ:2008/02/19(火) 10:51:32 0
>>798 クオリアも科学が一番まともに扱えます。
科学をもってしても把握しきれないというだけで、
科学以外では既に絶望的です。
800 :
790:2008/02/19(火) 10:53:46 0
>>799 その「科学」ってのは「自然科学」の意味でいいですか?
801 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 10:55:11 0
クオリアは既に認知科学の対象となっている。
802 :
ラビ:2008/02/19(火) 11:03:39 0
>>800 自然科学ではない科学というのは何でしょうか?
「人文科学」や「社会科学」とかのこと?
803 :
790:2008/02/19(火) 11:07:35 0
>>802 では自然科学でいいのですね?
しかしクオリアは量的に扱えますか?1クオリア、2クオリアとか言う具合に。
また分別可能ですか?クオリアA、クオリアBと言った具合に。
804 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 11:23:52 O
哲学は疑問を提示するが、調べることは決して無い。
805 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 11:27:35 0
>>796 > それは意識に限りません。実在するとされるすべての事象で同じことが言えます。
> そのようなことはわかりきっているので、私は不可知の立場をとっているわけです。
何を言っておるのだ,たわけ。
ロボットでも同じことが言えれば,ロボットは物理法則以上の代物になるだろうが。
要するに、言語と言うものがきわめて不完全だと言うことだ。
つまり、決定論に関しても、記述は不能だ。
結果、非決定だ。
決定論と非決定論は,互いに内包し合っておるわけだ。
くっくっく。
806 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 11:31:01 0
>>797 > そのあとどのような仕組みで脳が色を感じるかと言うのが
> 「クオリア問題」だろ。
仕組みは関係ない。
意識がどう捉えるかだけだ。
つまり,行き当たりばったりなのが質感だ。
>>799 >
>>798 > クオリアも科学が一番まともに扱えます。
> 科学をもってしても把握しきれないというだけで、
> 科学以外では既に絶望的です。
ラビは何も分かっておらんな。
絶望的なのは、科学的記述が出来ないことだけだ。
まともに扱えると考えるもの、単なる我田引水だ。
クォリアを、第三者に伝える効果的手段は、伝統と学習、そして芸術だろうな。
それらが脳の感性を画一化するわけだ。
くっくっく。
808 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 11:54:51 0
>>806 >意識がどう捉えるかだけだ。
意識は感覚の主体では無い。感覚が意識を発生させる。
809 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 12:00:37 0
>>808 >
>>806 > >意識がどう捉えるかだけだ。
> 意識は感覚の主体では無い。感覚が意識を発生させる。
感覚に意味はない。
もちろん,質感もな。
意識がそれを与えるのだ。
感覚が意識に直接何かするとすれば,情動を惹起することだけだな。
まあ、相互依存的なんだろうがな。
くっくっく。
810 :
ラビ:2008/02/19(火) 12:24:34 0
>>803 自然科学ではない科学というのは何でしょうか?
811 :
ラビ:2008/02/19(火) 12:26:46 0
>>805 >ロボットでも同じことが言えれば,ロボットは物理法則以上の代物になるだろうが。
ええ、ならないという根拠はありませんからね。
812 :
ラビ:2008/02/19(火) 12:27:51 0
>>806 >ラビは何も分かっておらんな。
貴方もそうですね。
813 :
ラビ:2008/02/19(火) 12:30:42 0
>>803 量的に扱えるかどうかはわかりませんが、
痛みのクオリア自体を記述することはできなくても、
痛みのメカニズムを知ることで、いろいろな分析や対処ができます。
麻酔やその他の薬によって痛みを抑える仕組みの解明はどう考えても科学です。
815 :
790:2008/02/19(火) 12:42:22 0
>>813 クオリアを自ら記述できないなら言及するべきではなかった。
あなたは「意識をクオリアのように考えているのなら・・」と
クオリアが客観的に記述可能であるかのような言い方をしている。
そしてクオリアの説明が困難と判断するや「痛みのメカニズム」などと議論を歪曲した。
結局、最初の「意識の自己言及」を「間違いです」と断定した根拠は無いと言うことですね。
816 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 12:57:19 0
神の存在を信じている人以上に
心の存在を信じている人は多いだろうな。
誤謬かどうか知らんが、60億が納得する答えを出す必要があるな
オマイらは、
817 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 13:03:36 0
>>809 >感覚に意味はない。
感覚が意味を作る
眼識・耳識・鼻識・舌識・身識は感覚の作る意味だ。
818 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 13:07:25 0
819 :
ラビ:2008/02/19(火) 13:34:13 0
>>815 痛みはクオリアではないと思っているのですか?
820 :
ラビ:2008/02/19(火) 13:36:33 0
>>815 >クオリアが客観的に記述可能であるかのような言い方をしている。
実在する事象を記述できる程度には可能だと思います。
逆に言えば、クオリア同様、実在する事象を厳密に記述することは不可能でしょう。
クオリアが記述不可能だと主張されるなら、一体、何が記述可能なんでしょうか。
821 :
ラビ:2008/02/19(火) 13:40:22 0
>>815 >結局、最初の「意識の自己言及」を「間違いです」と断定した根拠は無いと言うことですね。
いいえ。
「つまり自己言及可能たらしめる意識自体は物理法則としては記述できない。」
というのは、物理法則としては記述できるものがあることを前提にしています。
それがないなら、「記述できる」という言葉に何の意味もありません。
私が申し上げているのは、意識は、実在する事象のようにあるていど記述でき、
また逆に、実在する事象は、意識のように、完全には記述できないというだけのことです。
822 :
ラビ:2008/02/19(火) 13:41:30 0
人間はロボットと複雑さが違うだけに過ぎないというだけのことですが。
823 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 13:49:09 0
>>811 >
>>805 > >ロボットでも同じことが言えれば,ロボットは物理法則以上の代物になるだろうが。
>
> ええ、ならないという根拠はありませんからね。
つまり、ロボットは物理法則だけから生じるとは言えんわけだ。
物理法則に則って作っていると言う妄想があるだけだな。
くっくっく。
>>812 >
>>806 > >ラビは何も分かっておらんな。
>
> 貴方もそうですね。
ヲヒヲヒ,幼稚園児のような反論しか出来んのか?
くっくっく。
824 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 13:54:01 0
>>813 >
>>803 > 量的に扱えるかどうかはわかりませんが、
> 痛みのクオリア自体を記述することはできなくても、
> 痛みのメカニズムを知ることで、いろいろな分析や対処ができます。
> 麻酔やその他の薬によって痛みを抑える仕組みの解明はどう考えても科学です。
量的に扱うことは出来ん。
国際疼痛学会の痛みの定義は、二重定義だしな。
メカニズムだけでは痛みは生じないんだよ。
麻酔やNSADなどで、痛みが抑えられるわけではない。
シャーマニズムでも押さえることが出来るわけだ。
くっくっく。
>>817 >
>>809 > >感覚に意味はない。
> 感覚が意味を作る
> 眼識・耳識・鼻識・舌識・身識は感覚の作る意味だ。
逆だ,たわけ。
意識がなくては、眼耳鼻舌身は存在しないんだよ。
くっくっく。
825 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 13:55:01 0
>>822 > 人間はロボットと複雑さが違うだけに過ぎないというだけのことですが。
比較するのが阿呆なんだよ。
別物だ。
くっくっく。
826 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/02/19(火) 14:00:28 0
クオリアなるものが話題になっているようじゃがクオリアのことならソニーに聞け。
828 :
ラビ:2008/02/19(火) 14:20:21 0
>>825 >別物だ。
人間も各個人は別物ですけどね。
829 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 14:28:54 0
>>828 >
>>825 > >別物だ。
>
> 人間も各個人は別物ですけどね。
つまり、痛みのメカニズムと言っても,千差万別だと言うことだ。
対処の仕方もな。
くっくっく。
830 :
ラビ:2008/02/19(火) 14:38:33 0
でも別物であってもある程度は対処できたりはするわけです。
クオリアについても、ある程度(わずかかもしれませんが)は科学で説明できますが、
それ以外の手法による解明は無理です。
831 :
790:2008/02/19(火) 14:48:42 0
>>820 >実在する事象を記述できる程度には可能だと思います。
本当ですか!?しかし量的にも表せない、識別もあいまいというか不能、というのであれば
代数的にも解析的にも分析不能ですね。では何ですかクオリアってのは?
群論ですか、トポロジーですか?
少なくとも科学的に記述され得る、あなたの言う「実在する事象」ってのは量的概念を伴い
実験による検証も可能でしょう。ラビ君はクオリアにもその可能性があると考えているのですね?
832 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 14:51:14 0
>クオリアについても、ある程度(わずかかもしれませんが)は科学で説明できますが
例えば?
>>831 クオリアは仮の概念だからあまり気にするな。
そゆのが実際にあるとか観測して確認されたなんて事実はないから。
哲学とか生理学は実証できなくても仮説でいい世界だから問題なんだよな。
新規な概念がぽんぽん出て来るときは科学の停滞。
そういえば意識も観測されたことないな。
836 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 15:00:35 0
>>834 同意。科学で証明できないものを列挙していくのが哲学のテーマなんだよね。
どうやって、思い込みを証明できるの?
>>835 意識も喜怒哀楽とかの感情や情緒を総体的に表した概念でしかないね。
意識と言った場合にはそれらの状態の変化が確認できるというのが本質的根拠。
そんなことを言えば、誰も自分が直接観測した事象以外は
観測したことなんかないぞ。他人が観測した結果を言葉で
聞いているだけだ。歴史なんぞ全部そうだ。
クオリアも同じことだろ。
「私」が単に表現によって変化するなら、クオリアの有無は確認できなくなるな。
生物的に同じ感覚が、後天的な要因によって左右されている可能性を否定できない限り、
クオリアは存在しなくなる。
840 :
ラビ:2008/02/19(火) 15:15:31 0
>>831 量的に表せれないかどうかはわからないでしょう。
クオリアが発生する時の脳内の状態から、
クオリアの強度のようなものは測れる可能性があると思います。
痛みについては、その種類や強度が、ある程度は脳の状態から解析できますから。
もっとも、その程度のことしかわからないというのであれば、その通りでしょうけど。
逆にそれ以外のことわからないでしょうし、科学以外の手法で何かが解明できるわけでもありません。
他人は哲学的ゾンビである可能性だってありますからね。
841 :
ラビ:2008/02/19(火) 15:17:31 0
>>831 >少なくとも科学的に記述され得る、あなたの言う「実在する事象」ってのは量的概念を伴い
通常、科学的に記述されるのは、実在の事象ではありません。モデルです。
>>840 痛みというか痛感は脳内では化学物質の反応でしょ。
その証拠に抑制することができるし外科手術で末端の神経を切除すれば感じなくなる。
「同じ」とか「別物」とかは言葉上のものだ
言葉を失ったならば、「同じ」も「別」もない
845 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 15:28:03 0
>>830 > でも別物であってもある程度は対処できたりはするわけです。
> クオリアについても、ある程度(わずかかもしれませんが)は科学で説明できますが、
> それ以外の手法による解明は無理です。
だから、その程度の対処などシャーマンでも出来ると言うことだ。
クォリアについては、仏教でも説明できるぞ。
科学的記述ではないがな。
科学的術は科学がすればいいのだ。
それがすべてであるわけでないし,もっとも優れておるわけでもない。
簡単なことだ。
くっくっく。
>>839 例えば色彩心理に沿うと、赤は人間の脳に同等の興奮作用を与えるが、
赤に対しての各自が有するイメージ
「恐怖したシーンの血」、「合格したとき着ていたマフラーの色」、「美味しかったりんご」
信号の偏りによって感じ方は変化する。
とすると、第三者が自覚もなしにこれらの言葉を交差させたとして、
どこまでが、統一的であるかの判断が困難であるという現状なのです。
847 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 15:30:01 0
>>833 >
>>831 > クオリアは仮の概念だからあまり気にするな。
> そゆのが実際にあるとか観測して確認されたなんて事実はないから。
クォリアに観測など必要ないんだよ。
自分だけ分かればいいのだ。
場蚊ではないか。
くっくっく。
848 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 15:31:39 0
>>840 >
>>831 > 量的に表せれないかどうかはわからないでしょう。
> クオリアが発生する時の脳内の状態から、
> クオリアの強度のようなものは測れる可能性があると思います。
あり得んな。
場蚊ではないか。
外部観察した事態と,意識状態が異なっておるから、脳科学が難しくなるんだよ。
くっくっく。
> 痛みについては、その種類や強度が、ある程度は脳の状態から解析できますから。
分からないんだよ。
くっくっく。
849 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 15:32:23 0
>>843 >
>>840 > 痛みというか痛感は脳内では化学物質の反応でしょ。
> その証拠に抑制することができるし外科手術で末端の神経を切除すれば感じなくなる。
幻肢と言うのを知らんのか,たわけ。
くっくっく。
850 :
790:2008/02/19(火) 15:33:32 0
>実在する事象を記述できる程度には可能だと思います。
>科学的に記述されるのは、実在の事象ではありません。モデルです。
どっちなんですか!!
ラビ君の話は行き当たりばったりですね・・まあいいですけど。
でもラビ君いないと寂しいのでこれからも頑張ってください。
851 :
ラビ:2008/02/19(火) 15:48:08 0
>>845 >だから、その程度の対処などシャーマンでも出来ると言うことだ。
シャーマンが科学的手法を使っているだけですね。
852 :
ラビ:2008/02/19(火) 15:49:22 0
>>843 >痛みというか痛感は脳内では化学物質の反応でしょ。
痛みに限らず、人間の感覚はすべてそうですが。
853 :
ラビ:2008/02/19(火) 15:53:12 0
>>850 ですから、事象にしろ意識にしろ、そのものを完全に記述しているわけではなく、
それらをモデル化したものを記述しているわけです。
それでは記述したことにならないとするのなら、実在するものは何も記述なんてできませんし、
ある程度記述できたとみなすなら、クオリアだってある程度記述できるということになります。
昨日「くりぃむナントカ」で「10倍から300倍の辛さ」の
エビチリを食うという企画をやっていたが、「辛さの強度」など
どうやって測るのだろうか。
>>847 クオリアというものは元来科学的な概念ではない。
>>849 幻肢は経験から来る。
その根拠として生まれつき脚の無い子供には幻肢はない。
哲学でも科学でもそのように考えられない人は説得力がない。
>>852 それはクオリアという仮の概念を必要としない。
858 :
790:2008/02/19(火) 16:09:52 0
>>853 現状クオリアは「仮想概念」ですね。熱素やエーテルのようなものでしょうか。
しかしその存在は何によって要請されるべきものですか?その存在意義が希薄に感じます。
もし意識に対応するクオリアが物理量であるならそこには時間が含まれるはずです。
意識には動的持続性が要請されると考えるられ、その扱いはもっと慎重であるべきだと考えます。
しかるに現状語られるクオリアなるものは、元来通常の扱いができない「意識」を単純化させて
かえって本当の姿から遠ざかってしまった印象です。
>>853 そのモデルのモチーフになっているものは全くの別の概念だというのが問題。
(意識)
860 :
ラビ:2008/02/19(火) 16:20:39 0
>>858 では、実在するもので、仮想概念でないものは何があるでしょうか。
861 :
ラビ:2008/02/19(火) 16:21:51 0
>>859 何を根拠に全く別だと思っているのですか?
862 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/19(火) 16:25:25 0
>>801 :考える名無しさん:
>クオリアは既に認知科学の対象となっている。
自然科学で扱えないものはまともではないと言う考え方が在る。
それはそれで一つの見解でしょう。
見解の相違としか言いようがない。
文学などの芸術やその他文化などまともな人間活動ではないと言いたいらしい。
クオリアと言われている様なことを大昔から追求してきた文化は、科学技術の生まれたての赤ん坊のような文化よりず〜っと成熟している。上記の人たちはそんな事は認めないのだろう。
恋愛も認知科学で扱わないとまともでないと言い出すのだろうね。
863 :
790:2008/02/19(火) 16:26:22 0
>>860 >では、実在するもので、仮想概念でないものは何があるでしょうか。
うんそうかもしれんね。時間切れなので今日はこの辺で勘弁してくれ。
おれが思うに、クオリアっていうのは、脳の神経のことだと思うな。
感覚神経とか、無意識の領域とかがクオリアなんだよ。
865 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 16:33:08 0
>>850 > >実在する事象を記述できる程度には可能だと思います。
> >科学的に記述されるのは、実在の事象ではありません。モデルです。
>
> どっちなんですか!!
言っておる本人が分かっておらんのだから,無理を言うでない。
くっくっく。
>>851 >
>>845 > >だから、その程度の対処などシャーマンでも出来ると言うことだ。
>
> シャーマンが科学的手法を使っているだけですね。
なんだ、ラビの妄脳では、呪術=科学か。
愉快、愉快。
くっくっく。
>>852 >
>>843 > >痛みというか痛感は脳内では化学物質の反応でしょ。
>
> 痛みに限らず、人間の感覚はすべてそうですが。
化学物質反応だが,認知の仕方は千差万別だ。
くっくっく。
867 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 16:34:22 0
>>853 >
>>850 > ですから、事象にしろ意識にしろ、そのものを完全に記述しているわけではなく、
> それらをモデル化したものを記述しているわけです。
阿呆。
記述によって断片化され,それを集合してモデル化されるんだよ。
群盲による象の記述で、象をモデル化するようなものだ。
先にモデル化して記述できるわけがないだろうが。
場蚊ではないか。
> それでは記述したことにならないとするのなら、実在するものは何も記述なんてできませんし、
> ある程度記述できたとみなすなら、クオリアだってある程度記述できるということになります。
それは記述と言う点では記述に決まっておる。
実在するものとの間に、大きな裂け目があるだけだ。
しかも裂け目の程度が事物によってまちまちだ。
クォリアでは、決定的に記述不能だと言うことなんだよ。
決定論と同じく妄想だな。
くっくっく。
>>860 クオリアはとりあえず得体の知れないものを説明する為の概念。
オカルト的概念と同じ種類。
869 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 16:36:09 0
>>856 >
>>849 > 幻肢は経験から来る。
> その根拠として生まれつき脚の無い子供には幻肢はない。
>
> 哲学でも科学でもそのように考えられない人は説得力がない。
此奴も場蚊だな。
>>843 >
>>840 > 痛みというか痛感は脳内では化学物質の反応でしょ。
> その証拠に抑制することができるし外科手術で末端の神経を切除すれば感じなくなる。
と言っておるのだろうが。
生まれつき末梢神経のないやつの末梢神経をどうやって切除するんだよ。
末梢神経があると言うことが既に経験だ,たわけ。
くっくっく。
>>860 >
>>858 > では、実在するもので、仮想概念でないものは何があるでしょうか。
既に何度も言われておる「自らの心そのもの」や「自らの意識そのもの」だな。
ラビはそんなこともわからんのか。
くっくっく。
古典哲学にとってはクオリアという概念は非常にありがたい生理学の副産物。
>>869 意識と意識そのものの違いはないとするのが科学。
872 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 16:56:33 0
>>869 「幻肢」がどうしてクオリアの証明になるのかわかりませんので、教えていただけませんか?
科学で未だに解明できていない事象があるということは、唯心的存在の立証になるのですか?
そう考えると「時間によって全て解る」という結論は、探求の無意味さを示唆するものです。
即ち、こうなると唯物と唯心の互いの実体が明らかになっていきそうなんですよ。
873 :
ラビ:2008/02/19(火) 16:57:03 0
>>862 >文学などの芸術やその他文化などまともな人間活動ではないと言いたいらしい。
そんなことを言いたい人はいないようですが。
「人間活動ではないと言っていてほしい」という貴方の下らない願望に過ぎません。
文学などの芸術やその他文化などはまともですが、あなたの考えはまともではありません。
874 :
ラビ:2008/02/19(火) 17:01:26 0
>>869 >「自らの心そのもの」や「自らの意識そのもの」
残念がらハズレです。
自ら、心、意識というものは、貴方が作り出した言葉ではありません。
貴方が外部から知りえた言葉を、貴方の認識で対応付けているだけであって、
それが指すものが他人と一致している保証などどこにもありません。
つまり仮想概念でないということはできないということです。
875 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 17:06:37 0
古典哲学ではクオリアは観念そのものだろ。
わざわざクオリアなんていわないだけ。
赤いという観念が先験的という代わりに赤のクオリアがあると言うだけの話。
君達大莫迦には学がないのです。学がない方に哲学は出来ないのです。
科学全般・数学・言語学・医学・日本史、世界史・情報学
最低でも上記の学を得てから初めて哲学の“て”の字を知りなさい。
もっと言えば、東京大学以外は哲学をしてはいけません。世界レベル
でみれば東京大学など中の中。その程度の大学すら行けない奴が哲学
をしてはいけないのです。莫迦共が疑似哲学をした結果がこのスレです。
878 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 17:13:52 0
>>872 >
>>869 >
> 「幻肢」がどうしてクオリアの証明になるのかわかりませんので、教えていただけませんか?
儂はそんなことは言っておらんぞ。
まあ、よい。
幻肢は、オートポイエーティックに自己による作動によって作られるからだ。
クォリアに他ならんな。
くっくっく。
>>874 > 残念がらハズレです。
> 自ら、心、意識というものは、貴方が作り出した言葉ではありません。
はあ?
お前はヴァカか。
自分の心や自分の意識と言う実在に、言葉などいらんぞ。
> 貴方が外部から知りえた言葉を、貴方の認識で対応付けているだけであって、
> それが指すものが他人と一致している保証などどこにもありません。
> つまり仮想概念でないということはできないということです。
儂が場蚊なお前に教えてやるために言語を使っておるんだよ。
で、お前自身の心の実在は、仮想概念なのか?
やっぱり,場蚊だな。
くっくっく。
幻肢の話がぜんぜんおかしいと思えばオートポイエーシスという欠陥概念に
無理矢理当てはめて想像してたのか・・・orz
880 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/19(火) 17:36:52 0
>>873 :ラビ:
>文学などの芸術やその他文化などはまともですが・・・
クオリアというのは・・・・・・・・
クオリア(英:複数形 Qualia、単数形 Quale)とは、心的生活のうち、内観によって知られうる意識の現象的側面(現象的意識)のこと、またはそれを構成する個々の質感のこと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
ということであって是は分類すると芸術の扱う分野ですし、太古の昔からそうしてきた歴史がある。
あなたは
>>799 :ラビ:
>クオリアも科学が一番まともに扱えます。
貴方はクオリアも芸術などよりも科学のほうがまともであると言っている。
しかしクオリアを科学で扱うのは不適当です。
>>880 哲学で言うクオリアとお前さんの調べたクオリアは別物。
882 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/19(火) 17:39:22 0
>>880 :じいさん
訂正です。
>貴方はクオリアも芸術などよりも科学のほうがまともであると言っている。
↓
貴方はクオリアを扱うのは芸術などよりも科学のほうがまともであると言っている。
883 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/19(火) 17:41:32 0
>>881 :考える名無しさん:
>哲学で言うクオリアとお前さんの調べたクオリアは別物。
そうだったんですか?
同じ名称なのに紛らわしい事ですね、ところでどう「別物」何ですか?
私は自分の歯痛をどうして感じることができるのだろうか?
犬や猫や赤ん坊に痛苦の質感などはたしてあるのだろうか?
われわれが、他人の痛みを感じることはできない、と言うとき、
それは単に文法的な事実を意味しているに過ぎないのだ。
お魚さんは痛みを感じないから活け作りしてもOK。
886 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/19(火) 18:34:45 0
>>881 :考える名無しさん
>文法的な事実・・・・・・・
?何を言っているか不明?
しかし実際赤ん坊に問診するのは難しいらしい。
痛みの質感を上手く表現できないからだ。
他人の痛みを感じる事は難しいのだから、社会生活、日常生活に支障がない程度に理解できれば良しとすればいい。
活け作りは日常生活に必須なのでOKなのだ。
答えがないなあ・・・
>>881 :考える名無しさん:
古典哲学の本来の意味での観念がクオリアに該当する。
即ち「赤い」という観念はそのまま「赤い」というクオリアに置き換えられる。
量的変化が概念として区別される例としてその他にも
「寒い」「冷たい」「暖かい」「暑い」等がある。
温度の量的変化に応じてそれらを主観的に使い分けているだけだがそれらは主観的には
確かにまるで違う意味(概念)を形成しているとも言える。(観念)
オートポイエーシスによってクオリアが後天的に形成されるとする説は論理の逸脱。
内部視点はない。
じいさんよ、哲学的文法でググれw
890 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 18:47:04 0
2CH漬け廃人スレ
892 :
ラビ:2008/02/19(火) 18:57:26 0
>>878 >自分の心や自分の意識と言う実在に、言葉などいらんぞ。
だから、その「心」や「意識」という言葉が本来示しているものと
貴方が自分の中に感じているものが一致している保証なんてないでしょう。
言語化できないものなのに、一致していると貴方が勝手に思い込んでいるだけです。
893 :
ラビ:2008/02/19(火) 19:11:07 0
>>878 >で、お前自身の心の実在は、仮想概念なのか?
「心」と呼ばれるものは仮想概念です。実在するものではありません。
実在するものだというのなら、見せて証明してくださいね。
894 :
ラビ:2008/02/19(火) 19:13:52 0
>>882 ええそうです。クオリアをより説明できるのは科学です。
逆に言えば、尤度の高い説明ができるその手法自体が科学です。
895 :
201:2008/02/19(火) 19:28:36 0
赤が赤として認識できるのはそれが真理だからだ。
しかしトンボもそうかは分からん。
つまりこれが真理と呼ばれている。
896 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 19:30:21 0
>>879 > 幻肢の話がぜんぜんおかしいと思えばオートポイエーシスという欠陥概念に
> 無理矢理当てはめて想像してたのか・・・orz
ん?
なんだ,その恥ずかしい言い訳は?
取り繕っても,お前が賢くなるわけではないぞ。
くっくっく。
>>888 > オートポイエーシスによってクオリアが後天的に形成されるとする説は論理の逸脱。
> 内部視点はない。
オートポイエーシスをまったく理解しておらんな。
内部も外部もないんだよ。
場蚊ではないか。
くっくっく。
897 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 19:33:17 0
自作自演常習
898 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 19:34:00 0
>>892 >
>>878 > >自分の心や自分の意識と言う実在に、言葉などいらんぞ。
>
> だから、その「心」や「意識」という言葉が本来示しているものと
> 貴方が自分の中に感じているものが一致している保証なんてないでしょう。
> 言語化できないものなのに、一致していると貴方が勝手に思い込んでいるだけです。
はあ?
おまえがいっておるのは、
>>860 >
>>858 > では、実在するもので、仮想概念でないものは何があるでしょうか。
だろうが。
何と一致する保証が欲しいんだね。
一致もないもないぞ。
実在するもので、仮想概念でないものとして、「自らの心そのもの」とあげておるのだからな。
やっぱり、ラビは的外れだのー。
くっくっく。
899 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 19:35:18 0
>>893 >
>>878 > >で、お前自身の心の実在は、仮想概念なのか?
>
> 「心」と呼ばれるものは仮想概念です。実在するものではありません。
> 実在するものだというのなら、見せて証明してくださいね。
今度は字が読めんのか。
「心」ではない。
「自らの心そのもの」だ。
お前の心は実在しておらんのか?
ほれ、どうした?
何の証明が欲しいんだ?
くっくっく。
900 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 19:36:19 0
あいかわらず肝いすれだこと。
901 :
ラビ:2008/02/19(火) 19:36:29 0
>>898 >実在するもので、仮想概念でないものとして、「自らの心そのもの」とあげておるのだからな。
ですから、それが仮想概念だと申し上げているのです。
貴方は実在だと思い込んでいるようですが、
実在することを証明できない以上、仮想概念に過ぎません。
貴方には難しすぎるようですね。
自閉症
903 :
ラビ:2008/02/19(火) 19:37:28 0
>>899 >「自らの心そのもの」だ
ですから、それが指し示すものは何ですか?
904 :
ラビ :2008/02/19(火) 19:40:23 0
905 :
ラビ:2008/02/19(火) 19:41:25 0
906 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 19:42:13 0
毎日自宅警備もつらいぜ。
いい加減自作自演も飽きてきたな。
くっくっく。
907 :
201:2008/02/19(火) 19:49:28 0
根源が虚構/カオスだとしても、それを認識が真理で構成するとしたら。
根源は直接的に認識できない。真理ゆえに。
しかし、芸術認識はそれが薄いベェールの様に肉薄する。
さて、私こと「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Qの別名はいくつあるでしょうか?
909 :
ラビ:2008/02/19(火) 19:52:38 0
>>907 それは幻想です。
解釈の仕方が多様なため、認識できているつもりになれるだけです。
910 :
201:2008/02/19(火) 19:59:33 0
>>909 その通り、
すべてはまるで幻想だな。
しかし、良い解釈だろ。
真理にも配慮してるし。
911 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 20:36:03 0
>>903 >
>>899 > >「自らの心そのもの」だ
>
> ですから、それが指し示すものは何ですか?
はあ?
そんなこともわからんのか?
小学校から国語をやり直してこい。
お前自身なんだよ。
誤摩化しようもあるまいが。
くっくっく。
>>906 偽物だな。
くっくっく。
912 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 20:41:10 0
>>899 >お前の心は実在しておらんのか?
心が実在するとはどういうことだ?
実在と実存と存在とは同じか?
913 :
ラビ:2008/02/19(火) 20:43:36 0
>>911 >そんなこともわからんのか?
分かっていないのは貴方です。その証拠に厳密に説明できていませんから。
定義ができてから出直してきてください。
914 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 20:58:05 0
>>912 >
>>899 > >お前の心は実在しておらんのか?
> 心が実在するとはどういうことだ?
> 実在と実存と存在とは同じか?
心が実在するのが理解できんのか?
ならば、金鎚で足の小指を思いっきり叩いてみろ。
一発で理解できるぞ。
くっくっく。
>>913 >
>>911 > >そんなこともわからんのか?
>
> 分かっていないのは貴方です。その証拠に厳密に説明できていませんから。
> 定義ができてから出直してきてください。
をひをひ、
841 名前:ラビ メェル:sage 投稿日:2008/02/19(火) 15:17:31 0
通常、科学的に記述されるのは、実在の事象ではありません。モデルです。
と言っておるのはお前だ。
厳密に説明してもモデルだろうが。
定義が欲しければ、お前の足の小指を叩いてみろ。
お前の場合は、金鎚ではなく石頭鎚だ。
くっくっく。
915 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 20:58:47 0
テレパシー能力誕生も決定論で解決できるんですか?
数式にできるんですか?
逃げちゃあいけない。男が廃る。
916 :
ラビ:2008/02/19(火) 21:02:12 0
>>914 貴方の定義だと、痛みを感じているのは心なんですか?
だとすると、痛みをセンサーで感じる機械は心があるということでしょうか。
917 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 21:12:50 0
>>916 >
>>914 > 貴方の定義だと、痛みを感じているのは心なんですか?
> だとすると、痛みをセンサーで感じる機械は心があるということでしょうか。
御託はいいから、とっとと足の小指を石頭鎚で思いっきり叩いてみろ。
下らん疑問は一気に解消されるぞ。
『質問は無意味だ・・・・意味があるのは行動だけ・・・・』スカイハイより
おいきなさい
くっくっく。
918 :
ラビ:2008/02/19(火) 21:14:27 0
>>917 私の場合、脳が痛みを感じますが、心に変化はありません。
919 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 21:26:08 0
>>918 >
>>917 > 私の場合、脳が痛みを感じますが、心に変化はありません。
脳自体に痛覚はないな。
で、お前は自分の脳がわかるのか?
それは異常だな。
妄想だ。
一般にお前の言う、「脳が痛みを感じます。」と言うのが、「心」だ。
ところで、お前は嘘つきだろう。
くっくっく。
920 :
ラビ:2008/02/19(火) 21:35:14 0
>>919 >脳自体に痛覚はないな。
脳に対する直接の刺激を痛覚に変換しないだけで、
四肢に与えられたダメージの信号を痛みとして変換する機構が脳にあるようです。
ダミーの信号を送っても「痛み」として認識したり、信号を遮断することで「痛み」が
発生しないことから、痛みの本質はある部位に伝えられたコードであると言えると思います。
>一般にお前の言う、「脳が痛みを感じます。」と言うのが、「心」だ。
いいえ。自我意識は痛みを感じていないので、
それを心と呼ぶのなら完全に貴方の間違いです。
自我意識は、「痛み」を事後報告で受け取っているだけで、
あらかじめ、その受け取りを拒否したり、遅延させたりすることができるので、
感じている部分は別です。
報告を受けるだけで、心と呼べるなら、機械も心があるということになります。
921 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 21:42:27 0
>>920 > ダミーの信号を送っても「痛み」として認識したり、信号を遮断することで「痛み」が
> 発生しないことから、痛みの本質はある部位に伝えられたコードであると言えると思います。
脳はオートポイエーティックに痛みを生み出すんだよ。
入力がないと自分で入力するのだ。
お前の考えるほど、単純なものではない。
くっくっく。
> >一般にお前の言う、「脳が痛みを感じます。」と言うのが、「心」だ。
>
> いいえ。自我意識は痛みを感じていないので、
> それを心と呼ぶのなら完全に貴方の間違いです。
だから、石頭鎚で足の小指を叩け。
そうすれば、わかる。
間違いない。
くっくっく。
> 自我意識は、「痛み」を事後報告で受け取っているだけで、
> あらかじめ、その受け取りを拒否したり、遅延させたりすることができるので、
> 感じている部分は別です。
>
> 報告を受けるだけで、心と呼べるなら、機械も心があるということになります。
御託は聞き飽きたぞ。
ほれ、とっとと叩かんか。
百万回だ。
922 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 21:46:58 0
あー、そうそう。
国際疼痛学会の痛みの定義をググってこい。
痛みは単純な信号ではないんだよ。
くっくっく。
923 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/19(火) 21:48:41 0
>>887 :考える名無しさん:
>量的変化が概念として区別される例・・・
質的変化の間違いでは?
量的変化だと単純な物理変化で説明できるが・・・?
古典哲学での類似とは・・・
「現象的意識や主観的体験などもクオリアとほぼ同義の言葉であるが、しかしながらこれらの言葉は「同時に体験されている種々雑多なクオリアの集まり全体」のことを指して使われる事が多い。」
というようなことですか?
924 :
ラビ:2008/02/19(火) 21:48:47 0
>>921 >脳はオートポイエーティックに痛みを生み出すんだよ。
いいえ。それは間違いのようです。
貴方が考えるほど、人間は単純でも同じでもありません。
たまたま貴方の場合には当てはまっているかもしれませんが、
それが他人に適用できると思うのは貴方の思い込みに過ぎません。
といっても、おも込んでいるからこそ貴方はその間違いを犯しているので、
それを貴方が認識することは現時点では絶望的です。お気の毒に。
ラビちゃんは最後はいつもそうやって逃げるんだな。
926 :
ラビ:2008/02/19(火) 21:57:06 0
>>925 別に逃げていませんが。心とは何か説明できていないのは、相手の方です。
私はそもそも不可知の立場ですから、説明する必要がありません。
仮想概念でないというのなら、きっちり説明するべきでしょう。
そんなことできるはずありませんがね。
927 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 21:58:44 0
ひさしぶりに来たら超絶対神まだいたのかw!
お前ここで何やってんの?
よっぽどこのスレが楽しいんだなw
929 :
ラビ:2008/02/19(火) 21:59:35 0
931 :
ラビ:2008/02/19(火) 22:00:54 0
933 :
ラビ:2008/02/19(火) 22:02:29 0
935 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/19(火) 22:03:52 0
>>920 :ラビ:
>痛みの本質はある部位に伝えられたコードであると言えると思います。
>自我意識は、「痛み」を事後報告で受け取っているだけで・・・
>あらかじめ、その受け取りを拒否したり、遅延させたりすることができるので・・・・
なるほど、判りやすいですね。
いいとこ突いてると思います。
「受け取りを拒否したり、遅延させたりすることができる」というのは潜在意識とか言われているものかも知れないが、これは物質であるかもしれないですね。
ですから「心」とは貴方の言う「事後報告を受ける」だけに限定したほうが良いかもしれませんね。
ただ重要なのは事後報告を受けたあと「心が色々と行為(事象)に対して能書きを垂れると言う事です」これが「心」が世界を認識する、意識を持つと言う事でしょう。
>>921 オートポイエーシスを理解してなさそう。
道理で以前話したときの説明が不明瞭で結局理解はできない概念なんだとか言ってたわけだ。
937 :
ラビ:2008/02/19(火) 22:08:13 0
>>935 >ただ重要なのは事後報告を受けたあと「心が色々と行為(事象)に対して能書きを垂れると言う事です」これが「心」が世界を認識する、意識を持つと言う事でしょう。
それでは意味不明です。心を厳密に定義してください。
自我意識と違うものでしょうか。最高位のいう「私」のことを言ってるのでしょうか?
どうも、貴方は精神活動の切り分けができていないようで適当なことを言っているようです。
>>933 あんた、哲学板でくだを巻くのなら
とりあえず哲学の勉強してからきなよ。
物理の素人が物理板で頓珍漢なこと言ってたら恥ずかしいでしょ?
あんたはそれを哲学板でやっているんだよ。
わかってる?
>>923 こんだけ簡単に説明してもわからんのかいな^^;
カントの頃から観念はクオリアと同義に扱われてきた。
面倒なのは生理学の論文(脳)でクオリアとか書くバカがいたお陰で
哲学が科学的であろうとして何でもクオリアで説明しようとしたわけだ。
クオリア自体は先天的遺伝的な受容体。
オートポイエーシスで産出される回路ではない。
で、そんなものは結局ないというのが最近の主流。
ただ便宜上クオリアというのを研究目標の指針として置いてるだけ。
実際クオリアに実体があって脳の痛みや感覚に対応しているとかそういうのじゃない。
940 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 22:12:03 0
>>924 >
>>921 > >脳はオートポイエーティックに痛みを生み出すんだよ。
>
> いいえ。それは間違いのようです。
> 貴方が考えるほど、人間は単純でも同じでもありません。
>
> たまたま貴方の場合には当てはまっているかもしれませんが、
> それが他人に適用できると思うのは貴方の思い込みに過ぎません。
> といっても、おも込んでいるからこそ貴方はその間違いを犯しているので、
> それを貴方が認識することは現時点では絶望的です。お気の毒に。
でたでた、ラビの知ったかぶり。
オートポイエーシスはきわめて難解な理論だがな。
お前には単純か?
妄脳の言いそうなことだ。
くっくっく。
>>926 >
>>925 > 別に逃げていませんが。心とは何か説明できていないのは、相手の方です。
だから、石頭鎚で足の小指と叩けと言っておるではないか。
わからん鈍脳だな。
くっくっく。
>>937 いろいろ思ったり感じたりするという共有できているらしい意識の原因をとりあえず心と
読んでいるだけで心自体は便宜上文脈上あるかのように表現されてるだけだな。
942 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 22:14:58 0
>>936 >
>>921 > オートポイエーシスを理解してなさそう。
> 道理で以前話したときの説明が不明瞭で結局理解はできない概念なんだとか言ってたわけだ。
完全に理解しておるやつはおらんな。
河本もそういっておった。
くっくっく。
>>937 > それでは意味不明です。心を厳密に定義してください。
だから、石頭鎚で足の小指を叩け。
これ以上厳密な定義はないぞ。
で、国際疼痛学会の痛みの定義はわかったのか?
さっさとやらんか、落第にするぞ。
くっくっく。
>>940 オートポイエーシスの内部視点と痛みの感覚は根本的に違う概念だぞ。
少しはお勉強した方がいい。
オートポイエーシスは内部が全てだが内部を秩序立てている構成要素はこの
場合、脳細胞だ。
脳細胞が痛みを感じているわけではなかろう。
統合された視点(意識とかそう呼ばれるもの)があるということは既に
オートポイエーシスでは説明付かん領域なのだよ。
945 :
790:2008/02/19(火) 22:16:57 0
結局クオリアなんて無いのですね・・。
>>942 ほれ、どっちなんだ。
理解できない概念を理解しておらんなと言っても何も始まらんぞ。
947 :
ラビ:2008/02/19(火) 22:17:51 0
>>941 ですから、仮想概念として存在しているだけでしょう。
>>947 それを仮想概念と呼ぶと専門的には誤解を招くと思うぞ。
超絶の話に出て来るペインクリニック外来の話は結構おもろい。
今は儲かるからそこそこの病院ならそういう外来用意してる。
949 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 22:20:33 0
>>824 >意識がなくては、眼耳鼻舌身は存在しないんだよ。
眼耳鼻舌身は無意識でも作動している。
だから眠るときは意識を休めるため眼を閉じるのだ。
951 :
偽・エルロイ:2008/02/19(火) 22:49:35 0
>>926 ラビ氏にも超絶氏にも敬意を持っているけれども、ここ一連の論争は超絶氏に
やや分があるのかな? ご自分は不可知の旗を揚げながら「お前は説明しろ」と
いうのは理不尽。もし超絶氏がわかっていて、ラビ氏がわからないのなら、教え
を蒙るのが常識。不可知論者は謙虚でなければならない。
心とか意識につき何かを語れば「仮想概念」になるのは当たり前。いや、これは
他のことでも同じ。私(たち)は何かを概念的にしか語れない。概念は仮想である。
超絶氏が述べているのは、そういうことではない。いま貴兄が金槌で気絶しない
ていどに向こう脛を殴られたときの痛み、それを実在と呼ぶかどうかはともかく、
仮想ではない、と超絶氏は述べているのである。その痛みは脳にはない。脳が痛み
を感じるときは単なる頭痛。
向こう脛の痛みを事後、説明的には語れるが、そのさなかの痛みは語りえない。
しかし、痛みは“実感”だ。
ラビ氏は悔い改めたようだ。「超絶は相手せず」と言っていたのだから。
952 :
201:2008/02/19(火) 22:52:51 0
制御:「心こそ心迷わす心なれ、心に心、心ゆるすな」
因果:「人生万事塞翁が馬」
953 :
ラビ:2008/02/19(火) 22:52:55 0
>>951 >心とか意識につき何かを語れば「仮想概念」になるのは当たり前。
それならば私は異議はありません。
954 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/19(火) 22:54:52 0
>>939 :考える名無しさん:
判りにくいですね・・・
>カントの頃から観念はクオリアと同義に扱われてきた。
>そんなものは結局ないというのが最近の主流。
貴方は観念が結局はないと言ってるの?
955 :
ラビ:2008/02/19(火) 22:56:11 0
>>951 >向こう脛の痛みを事後、説明的には語れるが、そのさなかの痛みは語りえない。
>しかし、痛みは“実感”だ。
その保証が一体どこにあるのでしょうか。それは信仰でしょう?
実際には世界は0.000001秒前にできて、偽の記憶を植え付けられているだけかもしれません。
兵器は人を殺すためにある!
957 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 23:02:49 0
>>927 > ひさしぶりに来たら超絶対神まだいたのかw!
> お前ここで何やってんの?
> よっぽどこのスレが楽しいんだなw
珍脳をからかっておるのだ。
くっくっく。
>>943 >
>>940 > オートポイエーシスの内部視点と痛みの感覚は根本的に違う概念だぞ。
> 少しはお勉強した方がいい。
> オートポイエーシスは内部が全てだが内部を秩序立てている構成要素はこの
> 場合、脳細胞だ。
> 脳細胞が痛みを感じているわけではなかろう。
> 統合された視点(意識とかそう呼ばれるもの)があるということは既に
> オートポイエーシスでは説明付かん領域なのだよ。
お前はオートポイエーシスをまったくわかっておらんな。
そんなありきたりな概念ではないんだよ。
構成素は、ニューラルネットワークだ。
脳細胞だけでは作動しないからな。
シナプス結合が必要だ。
オートポイエーシスで統合されるのは作動だけだ。
視点などないんだよ。
場蚊ではないか。
くっくっく。
958 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/02/19(火) 23:03:56 0
>>937 :ラビ:
>心を厳密に定義してください。
心を定義する事は出来ません。いろんな人が繰り返し言っているでしょう。
しかし存在を否定する事は事実上難しい。
例えば貴方の・・・・・・
>貴方は精神活動の切り分けができていないようで適当なことを言っているようです。
このような表現を発言する主体は「コード」だけでは説明できない。「切り分けが出来ていない」との判断をした主体の事です。「適当な・・・」とは何にとって適当なのかと言う問題です。
959 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 23:04:07 0
>>946 >
>>942 > ほれ、どっちなんだ。
> 理解できない概念を理解しておらんなと言っても何も始まらんぞ。
お前では無理だと言うことだ。
そんな簡単なこともわからんのか?
くっくっく。
>>949 > 眼耳鼻舌身は無意識でも作動している。
> だから眠るときは意識を休めるため眼を閉じるのだ。
はあ?
レム睡眠とノンレム睡眠を知らんのか、たわけ。
お前は三科がまったくわかっておらんな。
般若心経を読め。
くっくっく。
>>955 > その保証が一体どこにあるのでしょうか。それは信仰でしょう?
> 実際には世界は0.000001秒前にできて、偽の記憶を植え付けられているだけかもしれません。
だから、石頭鎚で自分の足の小指を思いっきり叩いてみろ。
保証はそこにある。
それから、実際には世界は0.000001秒前にできて、偽の記憶を植え付けられているだけと唱えるんだな。
くっくっく。
>>957 また墓穴掘りましたな。
作動しか観察できないから内部視点というのではないか。
超絶さん、本当にオートポイエーシスを詳しく理解して学生に講義できてんの?
962 :
ラビ:2008/02/19(火) 23:08:14 0
>>959 >だから、石頭鎚で自分の足の小指を思いっきり叩いてみろ。
>保証はそこにある。
何の保証?
普通、自分の車を壊す馬鹿はいません。
貴方が小指を完全に修理できることを証明し、
それをする約束をするなら壊れるまでやってもかまいませんが。
壊れる前までなら、信号が脳に伝わったことを確認はしましたが。
>>959 瞳孔の反射とかあるじゃろ。
少しは頭を使え。
965 :
偽・エルロイ:2008/02/19(火) 23:18:31 0
>>955 『私』の痛みは、だれにも保証してもらうわけにはいかない。したがって、
それは貴兄の言うように錯覚、妄想、信仰、すなわち幻想かもしれない。
が、幻想以外に何があるのでしょう。
966 :
ラビ:2008/02/19(火) 23:25:33 0
>>965 妄想や錯覚と信仰は一般的に違います。
信仰はまだ正しい可能性が多分にあります。
明日も物理法則が成立し、リンゴに重力が働くであろうというのは信仰ですが、
明日はリンゴに重力が働かないだろうと言ったら妄想です。
967 :
201:2008/02/19(火) 23:31:38 0
じゃあ決定論は信仰ってことで。
いまさらなんだが。
968 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 23:34:46 O
アホか 頭強く打って氏ね
969 :
ラビ:2008/02/19(火) 23:37:12 0
>>967 何度もそう主張していますが。
私の主張は以下のようなものです。
・決定論を否定することは原理的に不可能。
・非決定論は妄想に過ぎない。
・自由意志は因果的決定論の世界で成立する。非因果的決定論の世界や非決定論の世界では成立しない。
・決定論が正しいとするのは過去が存在するというのと同様に信仰に過ぎない。
970 :
201:2008/02/19(火) 23:45:32 0
あホントだ。
忘れてました。
歯医者さんのドリルの音を聴かせると歯がむずむずする。
クオリアのせいか。
黒板を爪で思い切りひっかいて音を立てる。
キーとなる。
クオリアのせいか。
972 :
考える名無しさん:2008/02/20(水) 00:14:19 0
必然とゆーことは過去?未来?
973 :
考える名無しさん:2008/02/20(水) 00:25:50 0
974 :
考える名無しさん:2008/02/20(水) 00:28:42 O
物事は繰り返すもの。繰り返すとは物事がもとに戻るということだ。悠久の時代からすべてはもとの通りに戻ることを万物が望むのだ。だから輪廻する。物事は繰り返すのだ。みんな居場所を探しているわ。
キュイーンやキーッがクオリアだよ
楽譜があっても演奏は人、楽器などによって変わるだろ
そのきこえた感覚
自分の声を録音して聴くといつもと違うだろ
それだよ
976 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/20(水) 00:35:30 0
>>969 >決定論が正しいとするのは過去が存在するというのと同様に信仰に過ぎない。
では「過去は存在しないかもしれない」という言説が(過去の存在に関する)
唯一の「信仰ではない言説」になることになりますが・・・?
あなたがおっしゃる「信仰」とは「全ての言説(但し「・・・かもしれない言説」を除く)
・・・ということになりますので、「『かもしれない』が最後に付かない言説は全て『信仰』である」
という言説ですので、ある意味「何も言っていない」ことと同じではありませんか?
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
977 :
872:2008/02/20(水) 00:42:47 0
走召 糸色 文寸 ネ申:2008/02/19(火) 17:13:52 0
>>872 >
>>869 >
> 「幻肢」がどうしてクオリアの証明になるのかわかりませんので、教えていただけませんか?
儂はそんなことは言っておらんぞ。
まあ、よい。
幻肢は、オートポイエーティックに自己による作動によって作られるからだ。
クォリアに他ならんな。
くっくっく。
↑あのね ・・・
978 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/02/20(水) 00:44:35 0
psですが・・
>>969 >・自由意志は因果的決定論の世界で成立する。非因果的決定論の世界や非決定論の世界では成立しない。
後半は正しいのですが、前半は間違っております。
宇宙の始まり=ビッグバンから宇宙のおしまい=ビッグクランチまでは「完全に因果的に決定されている」
・・・要するに「物理・科学的法則の時系列的遷移に従うだけ」ですのでそこには「脳の完全な自発性としての自由意志」
は全く入り込む隙がありません。
「全ては因果(物理・化学法則)に粛々と従って「推移」するだけ」ですので。
本日は就寝させて戴きます。
ビッグバンまでとビッグクランチ以降は決定してなかったんだけどね
>>978 :「機械的唯物論」者 ◆
>後半は正しいのですが、前半は間違っております。
そうです、機械さんとラビさんでやりあってください。
私(非因果的決定論者)が巻き込まれると話がややこしくていけない。
私は自由意志は観念論者が勝手に主張している存在であって、証明もされないのは当然だと思います。
従って自由であるというのは観念上の「感じ」であって、唯物論としては誤謬でも観念論としては全く正しい観念です。
>>887 そこから考えると、辛さの定義も同じですね。
例えば、生体的な機能差が無い限り、香辛料の与える刺激は脳に対して一定なので、
私が考えていた「私」ではない気がします。
つまり入力は物質的で、出力は構造的だといえますね。
温度の感覚ですが、これは「音楽などの好み」といった仕組みとも
連関するのではないでしょうか。
「状況と状態」のメカニズムを量子的にどう解明していくか・・
それは例えば不完全ですが、統計などによって代行できるのではないかと考えています。
じいさんはラッキー!にもたまたまジェットコースターの最前列に乗ったなら
操縦している気分を味あわなければ損だと考えてるだけなんだろう。ガキの発想と同じ。
人生は主観性で突っ走るのが面白いという理由だけで真理なんて二の次にして無視できるわけ?
さぞや老い先短い爺さんなんだろうな?
983 :
考える名無しさん:
>>982 そうじゃないだろう。じいさんが操縦していると思いこめたらじいさんはジェットコースターを
操縦していることになる(完全に操縦していることと同じだ)とじいさんは主張しているんだよ。
観念論というのはそういう主張だと思うよ。