1 :
考える名無しさん:
日本において新自由主義は完全に失敗に終わりましたが、
じゃあリバタリアニズムはどうでしょうか?
法哲学、経済、政治、いろんな面から検証してみましょう
2 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 20:48:27 0
新自由主義とリバタリアニズムはどこが違うのかね?
簡潔に要点を言ってみてくれ。
3 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 20:48:52 0
ちなみに私はノージックもハイエクも読んでません
「自由はどこまで可能か」をちょっと読んだだけ
ど素人ですまん
4 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 23:02:23 0
未だにリアタリアニズムって、日本だけ25年くらい遅れてるわな。
政治レベルでならまだ分かるけど、思想としてはとうの昔に
止まってるでしょ。
5 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 23:30:16 0
6 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 23:47:08 0
警察と国防と司法を民間に任せられるかな?
無限ループ開始します。
>>2 いわゆる新自由主義は経済的自由以外の自由は尊重しない
国境開閉したらアメリカは崩壊するだろ。
生き残るのはユナボマーくらいだろ。
11 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 16:31:30 O
日本を代表するリバタリアンって誰だろ?
やっぱり森村?
12 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 21:11:25 0
代表者って言ってもリバタリ自体があまり浸透してないし定義も曖昧
でも新自由主義を唱えてたやつらってこれからリバタリ主張しだしそうだな
リバタリアニズムが新自由主義の理論的背景になってたことも知らんのか
勉強しなおせ
14 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 22:54:39 0
いや知ってるけど
新自由主義やって格差が広がったから味をしめた勝ち組連中が
もっと自由化しろってリバタリアニズム言い出すんじゃないかってこと
15 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 01:01:15 0
リバタリアリズムにもいろいろいるでしょ。
ベーシックインカム論主張している奴らとか、リバタリアリズム左派じゃなかったっけ?
アインランド個人崇拝に結びついたりするのが不思議といえば不思議、
まあそんなもんだよなといえばそんなもん。
リバタリアンが共同体を作らないのかと言うとやっぱり作るんだよな。
そうすると単なる勝ち組の共同体になるんじゃないの?
18 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 05:05:16 0
名前がなあ。昔こんな名前のホラー映画あったよな。
ゾンビみたいなの出てくるやつ。
オバタリアン?
20 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 18:28:56 0
学歴・収入と政治・経済観の相関性
ポリティカルコンパス
http://sakidatsumono.ifdef.jp/political-compass.html 政治ポジションテスト
http://seiji.yahoo.co.jp/guide/position/ 政治軸:自由主義(高学歴)⇔権威主義(低学歴)
経済軸:市場主義(高収入)⇔再分配主義(低収入)
自由 リバタリアン 市場
\ 高学歴・高収入 /
\ /
\ /
\ /
\ /
リベラル \ / コンサバティブ
高学歴 /\ 高収入
/ \
/ \
/ \
/ \
/ 低学歴・低収入 \
再分配 コミュニタリアン 権威
1、リバタリアン 自由・私的財産権
職業:外資系、医師・会計士など専門職 主要メディア:日経 アイデンティティー:個人
2.コンサバティブ グローバリズム
職業:経営者、商工会・建設業など自営業者 主要メディア:読売 アイデンティティー:国民
3.リベラル 人権・福祉
職業:教師、公務員、上場企業正社員 主要メディア:朝日・毎日 アイデンティティー:市民
4.コミュニタリアン 伝統・共同体
職業:フリーター、ニート、プロ奴隷 主要メディア:文春・産経 アイデンティティー:日本人
左翼リバタリアンはいわゆるリバタリアンじゃないよ
22 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 19:51:16 0
経済の自由を完全に肯定しちゃう時点で強者の思想なんじゃん?優しくないじゃん?
23 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 22:35:08 0
>>20の表ってよく見かけるけど的外れじゃない?
リバタリアンの医者なんてどこにいるんだよwww
>>23 確かに。リバタリアンの医者なら国民皆保険制度なんて反対しないとなw
でもアメリカあたりにはいそうだけど。
読売と産経の位置は逆じゃないのかといつも思う。
リバタリアンの医者=ブラックジャック
どのメディアもリバタリアンの自由至上主義を低く見積もりすぎてるということは言える
医者がもうけられるのは自由診療だから、保険診療自体を廃止して欲しいと思ってる人はいると思う
最近、福祉国家論とリバタリアニズムとの関係を論じた本でたよね。
タイトル忘れたけど。
リバタリアニズムと最小福祉国家
リバタリアンの環境問題に対するスタンスはどうなんだろ。
ちなみにブラックジャックは儲けた金で自然保護のために島かなんか買ってたよなw
リバタリアニズムに物申す人は俺含め、それ関係の著作を読まない調べないというこの不毛さ。
…勉強するか。
32 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 00:28:02 0
この勉強やるときは、とりあえずノージックとか読めばいいのかな?
それともハイエクとかオーストリア学派かな?
>>20と言えばコミュニタリアンについても全く納得がいかない
ニートはリベラル寄りじゃないか?
34 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 13:15:33 0
経済以外はどんな方策を執るの?
ぬいぐるみ感覚で突き合ってみたら腋臭で幻滅
政府と税の廃止を要求するアナルコ・キャピタリズムは面白そうだが、少なくとも現時点では
アメリカの大金持ちのみが実現可能な思想という気もする。
カリブ海のタックスヘイブンに住んでるから税金も払わなくていいし、大金持ちだから健康保険も不要。
自宅は傭兵上がりのガードマンに警備させてる。そんな大富豪の話もある。つまり自由はカネで買えるという事。
個人主義と機会の平等を重視するリバタリアニズムなら、
相続税の増額には賛成するのが整合的なはずと思うけどな。
むろん、所得税の累進性には反対となるのはいいとして。
結局「挑戦者」としてのリバタリアンは、独占・寡占・既得権に反対するはずだが、
いったん自分が独占の側になったら、既得権保護政策を支持するわけで、
一貫したリバタリアニズムって不可能じゃないのか?
38 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 06:30:04 0
>個人主義と機会の平等を重視するリバタリアニズムなら、
個人主義なのか? 国家を介在させる全体主義は無論
否定されるだろうけど、国家無しで、民間レベルで
集団主義的なことをやるのは可能じゃない?
それこそ政府の干渉無く自由に。例えば長男が全て遺産相続
とかすれば不平等だけど、その家族内のことであれば
国家は干渉できないのでは?
>>37 もちろん、コミュニタリアニズムもリバタリアニズムも理念の名であって、
具体的なシステムを指しているわけじゃないから、一貫(徹底)させたら
弁証法的に逆のものに転化してしまうでしょう。
(´゚*゚`)アナルー
42 :
考える名無しさん:2008/04/20(日) 00:14:06 0
一句
自画像に 烏帽子かぶせて ハンニバル
43 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 03:58:45 0
りなか
またまたル・サンチマン™ がなスをならしているようだな。
45 :
考える名無しさん:2008/08/11(月) 01:43:05 0
そです、副島的リ・バタリアン思想です。
46 :
考える名無しさん:2008/09/14(日) 09:16:17 0
これは哲学なの?
たとえ世界中の人間がリバタリアンになったとしても、
自由とは何かをめぐって争い続けることになるだろう。
大雑把にリバタリアンと言っても、
アナルコキャピタリストとハイエク系保守主義者では和解の余地はない。
もちろん世界中の人間が左翼になったとしても同じ。
むしろ内ゲバが増える。
48 :
考える名無しさん:2008/10/18(土) 08:46:06 0
なあんで自由主義がサヨクなんだよw
49 :
考える名無しさん:2008/11/01(土) 04:01:35 O
ハイエクは保守からも嫌われてるだろ
日本の場合特に
50 :
考える名無しさん:2008/11/01(土) 08:14:23 0
でも官僚地獄の日本ではリバタリアンが一番
カウンター思想として相応しいと思うけどね
共産主義も資本主義も人間を軽視して
社会構造に個人の価値観や人生観を
従わせる点ではお仲間だからね
51 :
考える名無しさん:2008/11/28(金) 03:14:58 0
やっぱりリベラルだと思うな。
日本でリバタリアニズム寄りの奴の意見は小賢しいだけに見える。
自分の金のことしか考えてないようにみえる。
52 :
考える名無しさん:2008/12/18(木) 01:02:48 0
>>51 世の中弱肉強食なんだからそんなの当たり前。
甘っちょろい共同体理想に走っても、負け犬の遠吠えで一生が終わるだけ。
53 :
考える名無しさん:2008/12/18(木) 01:06:03 0
>>37 機会の平等といってもあくまで国が介入しないのが前提。
相続税なんて国家による財産権、経済的自由の侵害以外の何者でもない。
54 :
考える名無しさん:2008/12/18(木) 02:50:31 0
「当たり前」なんて言う奴は社会科学語る資格は無いと思うぞ。
また、「甘っちょろい」なんて言う奴が多いからアメリカや日本は
やり直しのきかない社会になったんじゃないだろうか。
アメリカは破産してもまたやり直せるけどね。
56 :
考える名無しさん:2008/12/18(木) 13:27:18 0
>>54 アメリカはどうか知らないが日本はまだまだ甘っちょろいだろ。
正規雇用や公務員が国に守られまくってるじゃないか。
57 :
考える名無しさん:2008/12/18(木) 13:46:50 0
>>53 森村は「死者に権利はない」として、
相続税の課税には賛成しているけどね。
でも子供は親の所有物でも何でもないから
子供の教育は親が自由に決められる、というのは無しだよね
59 :
考える名無しさん:2008/12/18(木) 19:00:32 0
森村氏が主張するように、相続は私的所有権の一環に含まれないとしよう。
たとえそうだとしてもそれが国家に取り上げられるべきだというのは、
論理的に導き出せないだろう。
寧ろ真っ先に思いつくのは所有者の死によって無主物となったものに対し、
先占した者が新しい所有者になるというものであろう。
私的所有権のテーゼを原則的に適用するなら、この結論は恐らく否定しがたい。
国家がもしその無主物となったものを得ようと思ったなら、
それを遺族や他の者に先駆けて取得した場合のみ「正当な所有者がいない財産」を得ることが出来る。
もし先占されていたとしたらそれは「正当な所有者がいない財産」とは言えないだろう。
そう考えると森村氏の議論は先ず課税ありきの議論であって、
リバタリアニズムの原則を敷衍した論でもないし、
自らの「相続は私的所有権の一環に含まれない」という立場からも導き得ない論を展開していると言えるだろう。
>>56 「甘っちょろい」目的物があなたと自分とでは違うようだ。
もっと論理を勉強した方がいい。
そして自分は、病気や離職等のトラブルで
一度道を踏み外した者のことをいっているんだよ。
リベラルを念頭に置いてるの。
そもそもリベラルもリベラリズムも理解せずに話しているのではないかな。
間違えた。リバタリアニズムな。
62 :
考える名無しさん:2008/12/19(金) 17:34:26 0
>>58 教育自体パターナリズムであるから要らないな。
教育制度は廃止で、民営でやりたい奴だけ勝手にやればいい。
子供が親の奴隷になるのを防ぐために国が自立支援してやればいい。
63 :
考える名無しさん:2008/12/19(金) 21:46:36 O
リバタリアニズムは自由至上主義ではなく国家削減主義と言うべきだ。そこで笠井潔のように無政府資本主義はダメだ。マスメディアのような民間の私的権力も解体・無化しなければならない。国家が(極限まで)減って法は増えるかもしれない
>>62 > 子供が親の奴隷になるのを防ぐために国が自立支援してやればいい。
それもまた皮肉なことにリバタリアニズムに反する。ジレンマ
65 :
考える名無しさん:2009/01/19(月) 22:14:09 0
66 :
考える名無しさん:2009/02/23(月) 10:09:58 O
のびないね
フーコーによれば、18世紀半ばに現れた統治理性の「側面的」なツールである経済学と自由主義は、
根底的に経済プロセスの総体の「不可視性・制御不可能性」に立脚していた。
簡単に言えば、「プロセスの総体をコントロールできない」というのが経済学の認識論上の基盤だったということで、
「自由主義」というものも本性的にこの上に成り立っている。(要するにいわゆる「神の見えざる手」)
そしてそれらが提出する「希望的観測」に基づきつつ「自由主義社会」はその進展を見てきた。
(要は、利己的に動けばそれが自然と分配・還元されてみんなハッピーになる(だろう))
しかし、そういった基盤に立つ経済学と自由主義は、本性的に統治の内的合理性にはなりえなかったし(なりえない)とフーコーは言っている。
===========
経済学は、その始まりからすでに--もしアダム・スミスの理論と自由主義理論を政治経済学の始まりと呼ぶのであれば--
統治の合理性のようなものにとっての行いの指針ないし完全なプログラムであるべきものとして自らを提示することは決して
ありませんでした。政治経済学は確かに、一つの学、一つのタイプの知、統治を行う人々が考慮に入れるべき認識の一つの様態です。
しかし、経済学は統治の学ではありえないし、統治は経済学を、自らの原理、法、行いの規則、内的合理性とすることはできません。
経済学は、統治術に対して側面的な学です。経済によって統治しなければならず、経済学者たちのすぐそばで統治しなければならず、
経済学者たちに耳を傾けながら統治しなければならないとはいえ、しかし、経済学が統治の合理性そのものとなるなどということは、
あってはならないこと、問題外のこと、不可能なことなのです。
(ミシェル・フーコー,コレージュ・ド・フランス講義1978−79年度「生政治の誕生」,慎改康之訳,筑摩書房,2008,352頁)
===========
(つづく)
68 :
つづき:2009/02/23(月) 20:01:52 0
では、その不可能性に「折り合い」をつけるには?
フーコーはそのための媒介として「発明(=形成)」されたのが「市民社会」だったと指摘している。
・経済学が統治の合理性「そのもの」となることは原理的に不可能である。
・そうした中、統治理性と経済学の相互還元不可能性に折り合いをつけるなんらかの媒介が不可欠である。
・そして、その媒介として「市民社会」というものが「発明(=形成)」された。
言い換えれば、(本性的に)統治の内的原理とはなりえない以上、経済学が(「国家」にとって「社会」の)統治のツールたりえるためには、
なんらかの「コミュニティ」の存在が機能上不可欠。
そしてここが重要な点と思うが、近代の始まりにおいて「発明(=形成)」された「折り合い・媒介」としての「市民社会」は、
その内に功利主義にしたがって活動するホモ・エコノミクスには還元不可能な要素を備えるものだった。
で。
リバタリアニズムは個人主義を基本とするというが、
近代の市民社会のような「不可欠の機能体」のことをどう想定しているのか?
いずれにしても、以上からも、結局リバタリアニズムがそれ自体で充足することはありえないと思う。
語の正確な意味において「無理」。
69 :
考える名無しさん:2009/03/04(水) 22:54:49 0
応援チラ裏age。ニートなんですけど、政治に興味もってウロウロしていたところ、
左派リバタリアニズムに捕まり、このスレに辿り着きました。
申し訳ありませんが、勝手にチラ裏を書きます。
●リバタリアニズムにおいて市場や私有財産について語るとき、
お金の機能に対する見解を改めるべき。特に価値保存機能と利子による増大する機能。
●小さな左派リバタリアニズム共同体=ヤマギシズム?
●
>>33 >
>>20と言えばコミュニタリアンについても全く納得がいかない
>ニートはリベラル寄りじゃないか?
現役ニートによる生の声。ニートにも様々なタイプがいますが、共通するのは
市場・貨幣への不信感、競争への嫌悪感を併せ持ちます。ニートの理想を言えば、
再分配か市場かという思考がなく(中立)、根拠の無い権威への嫌悪を抱き、自由を妄想します。
ところが、ユートピアなどあるはずもなく、生きるため再分配に頼らざるを得ず、
経済的依存を親から社会へと移行します。理想は無干渉なので、依存しているのに権威を否定します。(中立?)
自由 リバタリアン 市場
\ 高収入 /
┌― 【ニートの理想】 /
│ \ /
│ \ /
↓ \ /
【ニートの リベラル \ / コンサバティブ
選択】 低収入 /\ 高収入
│※親への依存 / \
│ / \
│ ※社会への依存 \
└→ 【ニートの現実】 \
/ 低収入 \
再分配 コミュニタリアン 権威
70 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 03:31:28 0
ヤマギシズムは、もはや左派でもなんでもない単なる洗脳カルト集団。
経済面では、集団運営のトップにとって理想的搾取が可能になってるような集団で、
実際、企業の経営者が興味持ってるくらいだから、
皮相的なイメージにとらわれず、よく調べたほうがいいぞ。
小さな左派リバタリアニズム共同体なんていうものでは到底ありませんので。
ニートの頭の中は理想と現実が解離しているのだから、浮動浮遊層と考えるのが妥当。
状況によってどちらに転ぶかはっきりしない、雰囲気に流されるノンポリティカル。
ニートのような社会的立場のはっきりしない者を分類しようとしても、どこにでも当てはまり、
どこにも当てはまらない。不毛だ。
72 :
考える名無しさん:2009/03/12(木) 02:36:42 0
リバタリアン左派(似非リバタリアン)の発祥は
ヴァン・パレースという共産主義者がベーシックインカムで万人に真の自由を与える。
それが真の自由至上主義で自分こそが真のリバタリアンだとか珍聞感奮な事を書いた
著書を出したことにはじまる。
73 :
考える名無しさん:2009/05/26(火) 02:28:54 0
>>37 リバタリアンが既得権を擁護する事はありえない。
たとえ自分が既得権を持っていたにしてもだ。
何故なら既得権とは国民の消極的
自由を国が強制的に侵害して特定
の者に分配するものだから。
個人の消極的自由を最大限尊重す
るのがリバタリアンの原則で目指す
ところは既得権ゼロの完全自由競争社会。
74 :
↑:2009/05/26(火) 02:56:31 0
すげーバカ
おおかた「ロック的但し書き」とか読んだことないだんろ
ホットケ
76 :
考える名無しさん:2009/05/26(火) 03:37:12 0
まあ「権原理論」てのは要するに
既得権益の理論だからねえ
77 :
考える名無しさん:2009/05/26(火) 05:13:18 0
ロック的但し書きや権原理論は所有権に関する物
再分配を政治的強制により行う権利が既得権
絶対的所有権を認めるリバタリアンは一切の既得権を認めない。
>>75,
>>76 こそ馬鹿
78 :
考える名無しさん:2009/05/26(火) 05:27:58 0
>>73 で間違っているのはリバタリアンが目指しているのが完全自由競争社会としているところ。
リバタリアンが目指しているのはスポンテニアスな社会で競争社会ではない。
スポンテニアスな社会では見えざる手により自然に秩序が生まれるんだよ。
これを自主的秩序と呼ぶ。 日本の 和 の概念に近い。
人間は競争するために生きているのではない。みんなと和むために生きているのだ。
>>72 発祥はロールズでしょう。あと、ドゥオーキンとか。
80 :
考える名無しさん:2009/05/27(水) 03:30:31 0
>>77 相続権の廃止、あるいは相続課税贈与課税100%に、リバタリアンは賛成しますか?
82 :
考える名無しさん:2009/05/27(水) 22:55:34 0
親が子に財産を分けるのは当たり前のことだ。 人類が始まってからずっと続いてきた自然状態だ。
相続税、親子間の贈与税は廃止すべきだ。これがリバタリアンだ。
何故ニートが増えたと思う?何故子供を作らないと思う?何故結婚しないのか?
親子関係が崩れてきたからだ。
子供なんかいなくても老後の心配はないし、
親から何も財産をもらえないのにどうして親の面倒を見るのか?
本来あるべき親子関係を崩したのはリベラル共だ。 今の世の中は狂ってる。
相続税、贈与税、年金は全て廃止だ。
本来あるべき社会に戻せ!これがリバタリアニズムである。
本来あるべき社会 これを自主的秩序と呼ぶ 日本古来の和の世界だ。
分かったか馬鹿共!
83 :
考える名無しさん:2009/05/28(木) 01:10:33 0
84 :
考える名無しさん:2009/05/30(土) 00:39:30 0
>>83 のようなニートは ばーかw しか言えない。
おそらく自分の親に対してもその態度なんだろう。
自分の望む物しか見えないから、世間全てを無視する。
そして世間から無視されるのだ。
だが お前のような存在を作り出したのは確実に現代社会なのだ。
社会が悪いとお前が考えるのはだから半分当たってる。
お前のような存在を作り出した物こそがリベラル、福祉人権万能主義なのだ。
リベラルは行き詰まっている。その証拠こそお前の存在だ。
その解決策がリバタリアニズムだ。
その解決策はお前の望む物ではない。
しかし悲観してはいけない。
お前が世間に心を開くなら、世間は必ずお前に救いの手をさしのべるだろう。
それがリバタリアニズムであり、和の精神だからだ。
85 :
考える名無しさん:2009/06/05(金) 12:39:38 0
>>78 リバタリアニズムは個人の消極的自由を最大限に尊重する考え。
その為に市場原理、個人主義を徹底するのは当たり前。
お前の言う「和」というのは個人より集団を優先させる、つまりは個人の消極的自由を尊重しない集団主義の概念。
「共生」とか「和」とかは個人の消極的自由を侵害する考えで
社会民主主義者や日本の保守主義者の上等文句だろ。
時々珍奮感奮な電波撒き散らす似非リバが出現するな。
その都度、論破されて撤退していくんだけど
86 :
考える名無しさん:2009/06/05(金) 12:44:50 0
>>78は経済左派でしかも道徳的に保守、つまりは「保守左派」。
保守左派というのは経済的自由と人格的自由を両方とも尊重しないので、
リバタリアンとは対極に位置する。
コレが正解↓
保守主義者が目指しているのはスポンテニアスな社会で競争社会ではない。
スポンテニアスな社会では見えざる手により自然に秩序が生まれるんだよ。
これを自主的秩序と呼ぶ。 日本の 和 の概念に近い。
人間は競争するために生きているのではない。みんなと和むために生きているのだ。
87 :
考える名無しさん:2009/06/05(金) 12:50:48 0
コレが正解↓
本来あるべき社会に戻せ!これが保守主義である。
本来あるべき社会 これを自主的秩序と呼ぶ 日本古来の和の世界だ。
分かったか馬鹿共!
88 :
考える名無しさん:2009/06/05(金) 12:55:51 0
勘違いする輩が絶えないのでシンプルに定義すると
経済的自由尊重、人格的自由尊重=リバタリアン
経済的自由尊重、人格的自由軽視=新保守主義
経済的自由軽視、人格的自由尊重=社会民主主義
経済的自由軽視、人格的自由軽視=国家社会主義or共産主義
ちなみに日本の保守主義は国家社会主義に当たる。
89 :
考える名無しさん:2009/06/05(金) 21:18:22 O
90 :
考える名無しさん:2009/06/05(金) 23:48:15 0
>>85 珍奮感奮さんへ
>リバタリアニズムは個人の消極的自由を最大限に尊重する考え。
これはその通り。
>その為に市場原理、個人主義を徹底するのは当たり前。
徹底するとか当たり前とか何らかの主義主張を押しつける考え方を排除するのが消極的自由。
リバタリアンは別に市場原理主義者や個人主義者ばかりではありません。
その徹底する主体が政府なのがネオリベラリズム。
ネオリベラリズムは規制緩和、競争激化により市場拡大を目指す考え方。
これは積極的自由そのものでありリバタリアニズムではありません。
>お前の言う「和」というのは個人より集団を優先させる、つまりは個人の消極的自由を尊重しない集団主義の概念。
個人の尊厳を踏みにじって和む(なごむ)ことができるでしょうか?
私の考える「和」とは個人の自発的な連帯感により自然に秩序が生まれた社会を考えています。
決して集団主義ではありません。あなたは誤解しています。
>「共生」とか「和」とかは個人の消極的自由を侵害する考えで
>社会民主主義者や日本の保守主義者の上等文句だろ。
リバタリアニズムはエドマンド・バークの頃から保守主義の根本思想です。
どのように他人と「共生」していくのかを考えるのが政治哲学、「共生」を考えない政治なんてありません。
リベラリズムで「共生」するのが社会民主主義
リバタリアニズムで「共生」するのが保守主義。
ここで言う保守主義とは西洋哲学で言う保守主義で、いわゆる保守主義とは違います。
もっと勉強してください。
91 :
考える名無しさん:2009/06/13(土) 19:07:06 0
珍奮感奮さんによる論破を待ってたんだけど、全然レスがないな。残念
リバタリアニズムが「和」であると看破したのは俺の功績だが、
リベラリズムは「徳」であると教えといてやろう。
西洋哲学というのは違った言葉を用いているだけで
実際のところ東洋哲学とそう変わらないのさ。、
リバタリアニズムのどこが和なんだよ
93 :
考える名無しさん:2009/06/14(日) 03:49:24 0
「和」のイメージは構成員が上下なく円になっている状態だ。
和して同せず、「和」とは、自分の主体性を堅持しながら他人と協調すること。
リバタリアニズム特にハイエクのそれはネット、網のイメージでもっと複雑だが基本は同じだ。
リベラリズムによる自由は君徳によって支配されている状態だ。
メインフレームによる閉鎖構造だ。
あなたはどのように他人と繋がりたいですか?
>>93 国家という最大の敵に対する時のみ手を組むが、
それ以外は踏みにじりまくりだろー
95 :
考える名無しさん:2009/06/15(月) 01:19:34 0
>>93 上下関係の権威主義ではなく、横の繋がりに支配される自発的服従形式が
日本型全体主義といわれたりする。
天皇の権威なんて誰も信じていないが、みんなが信じている振りをするから
俺も信じている振りをしようとするのが日本型全体主義だとされる。
「みんなで渡れば怖くない」主義ともいわれる。
96 :
考える名無しさん:2009/06/15(月) 01:21:11 0
>>90 お前珍奮感奮過ぎて話にならないぞ。お前がリバタリアンと定義しているのは社会主義じゃないか。
「ネオリベ」なんて左翼用語使ってるし。市場原理主義は消極的自由を尊重する考えだよ。
競争に勝って富を手に入れるのは個人の自由だろ。
それに対して再分配は富の強奪であり消極的自由を侵害する考え=社会主義である。
どうもリバタリアンは中道に位置するために、負け犬の貧乏左翼や愛国オナニーの右翼が
勘違いするケースが多いな。
97 :
考える名無しさん:2009/06/15(月) 01:26:14 0
>個人の尊厳を踏みにじって和む(なごむ)ことができるでしょうか?
私の考える「和」とは個人の自発的な連帯感により自然に秩序が生まれた社会を考えています。
決して集団主義ではありません。あなたは誤解しています。
個人の尊厳を踏みにじる?自由競争で勝者と敗者が分かれるのは当然だろ。
だから国が強制的に介入して規制をかけたり再分配をしろとでも?
社会主義者がよくいうことじゃん。
98 :
考える名無しさん:2009/06/15(月) 01:31:51 0
>リバタリアニズムはエドマンド・バークの頃から保守主義の根本思想です。
どのように他人と「共生」していくのかを考えるのが政治哲学、「共生」を考えない政治なんてありません。
リベラリズムで「共生」するのが社会民主主義
リバタリアニズムで「共生」するのが保守主義。
ここで言う保守主義とは西洋哲学で言う保守主義で、いわゆる保守主義とは違います。
また珍奮感奮な定義かましてるよ。このアカw「共生」なんてリバタリアンが一番嫌う概念
個人の消極的自由の軽視を前提にしないと共生なんてなりたたないんだけどな
森村教授の定義ではこうだ。脳内オナニーで完結させないで少しは本でも読め。お前の言い分は経済的自由と人格的自由どっちとも軽視の国家社会主義か共産主義に分類される。
経済的自由尊重、人格的自由尊重=リバタリアン
経済的自由尊重、人格的自由軽視=新保守主義
経済的自由軽視、人格的自由尊重=社会民主主義
経済的自由軽視、人格的自由軽視=国家社会主義or共産主義
99 :
考える名無しさん:2009/06/15(月) 01:41:37 0
>リバタリアンは別に市場原理主義者や個人主義者ばかりではありません。
個人主義を徹底するのがリバタリアンだが何か?
お前って消極的自由と積極的自由を摩り替える似非リバ(馬鹿サヨ)の典型じゃん。
消極的自由を抑圧して団結しましょうね見たいな「和」みたいな概念はリバタリアンにとっては糞くらえだよ。
※消極的自由は「〜からの自由(liberty from)」、積極的自由は「〜への自由(liberty to)」とも呼ばれる。(wikiより)
市場原理は消極的自由、再分配は積極的自由。「自立」は消極的自由、「共生」は積極的自由。
似非リバ君はモット勉強してくださいw
100 :
考える名無しさん:2009/06/15(月) 01:48:18 0
>>99 個人主義と利己主義とは違うというのがリベラリスト。
リベラリストにいわせると、リバタリアンはホッブスやロックのいう自然状態を信奉しているにすぎないことになる。
そういう意味では、リバタリアンはむしろ意外にもルソーに近いといえる。
ええかっこしいがリベラリスト。
自己の欲に忠実なのがリバタリアン。
一方、オバタリアンは死語となった。
ラストバタリオンマダー?
106 :
考える名無しさん:2009/06/15(月) 14:37:37 0
>>101 ルールに乗っ取った自由競争で富を得ようとするのが利己的だというのはおかしい。
昔の古典的自由主義はリバタリアンの一種だが、社会主義が入った「リベラル」は社民と同義で個人主義ではない。
他人の消極的自由を侵害しない範囲で、個人の消極的自由を最大限に尊重するのがリバタリアン。
社民主義は既得権を肯定する思想で、国家による個人の経済的自由の侵害が前提になる。むしろ利己的なのは社民(自称リベラル)の方だ。
107 :
考える名無しさん:2009/06/15(月) 14:58:27 O
>>98 森村なんて相続税を肯定する珍左翼に過ぎない。
彼は翻訳家として以上の価値はない。
>>106 リバタリアンが作ったルールが正義、皆はそれに従うべき。
利己的以前だよ。
というよりルールが恣意的なんだよ。
自己に不利益な場合の約束反古の自由とかはなぜか制限される。
110 :
考える名無しさん:2009/06/15(月) 20:46:22 0
>>95 自発的服従か自発的連帯かは個人の主観に過ぎない。
国家による強制でない事が一番大切なんだよ。
>>96 社会主義は俺の定義では国家による強制的再分配だ。
リバタリアンによる和の世界とは個人の自発的な再分配だ。
国家による強制でない事が一番大切なんだよ。
>>97 >自由競争で勝者と敗者が分かれるのは当然だろ
その通り だが勝者により敗者を自発的に救済することはリバタリアンは否定しない。
国家による強制でない事が一番大切なんだよ。
>>98 「共生」なんてリバタリアンが一番嫌う概念?
「共生」を考えない政治哲学なんてありません。
>>99 個人主義を徹底しろとか市場原理に従えとか、そう言う強制からの自由もまた消極的自由ですよ。
困っている人を見たら自ら助けるのも個人の自由ですから。
>>100 リバタリアンも「平和・自由※・平等・共生」を掲げますよ。ただしここでいう自由は当然消極的自由です。
正義とはリバタリアンにとって何であるのか?正義は制限されるべきで、
本来あるべき正義を突き詰めて考えると、ロールズの正義論になる。
111 :
考える名無しさん:2009/06/15(月) 20:46:31 0
>>101 >>102 ルソーとロックの自然状態は全然違う。 ルソーのそれは国家による自然状態の強制だ。
>>103 >自己の欲に忠実なのがリバタリアン。
自己の欲を他人に強制しないのがリバタリアン、自己の欲を他人に強制するのがリベラリスト。
リバタリアンの方がええかっこしいかもしれませんよ。
>>106 その通り
>>107 相続税を肯定するリバタリアンなんていません。
>>108 >>109 ルールは消極的自由を保護する物、本来あるべき自然状態のルールに限るべきだ。
ルールは恣意的な物ではない。余計なルールは作るべきではない。
ルールは個人が作る物ではない。約束反古の自由は約束相手の自由を侵害するだろ?
本来あるべき自然状態のルールを個人が判断できるかどうかは法哲学でも勉強してください。
ほら、結局、自然状態とか変なものが出て来るだろ。
国家って、人の集合体なんよ。
115 :
考える名無しさん:2009/06/16(火) 11:17:12 O
>本来あるべき正義を突き詰めて考えると、ロールズの正義論になる。
これは酷いなリバタリアニズムも正義の構想の一つだというのに。
そもそもロールズ正義論以降の政治哲学の議論の流れが全くわかってなさそうだな。
最近授業で正義論を聞きかじった大学一年生か?
基礎文献くらい読みましょう。
116 :
考える名無しさん:2009/06/16(火) 12:02:36 0
>>108 ルールの無い競争なんてただの殺し合いだが?
英米思想の正義論なんて有閑階級のお遊びなんだよ。
その点はリベラリズムもリバタリアニズムも共同体主義も変わらん。
具体的な問題には目を向けず、
お互いに自分の理想的世界観を開陳し合ってるだけ。
119 :
考える名無しさん:2009/06/16(火) 12:12:12 0
自発的に弱者に寄付するのがリバタリアンというのも珍奮感奮だな。
寄付するしないは個人に委ねられるので、寄付するものが居なければ再分配は行われない。
120 :
考える名無しさん:2009/06/16(火) 12:27:51 O
まあ自発的な寄付に期待を寄せるのがリバタリアン
121 :
考える名無しさん:2009/06/16(火) 13:20:15 0
>>106 ルールといってもいろいろある。利己主義もルールの一種。リバタリアンはそれを最大限信奉する。
自由競争を至上とするルールは、利己主義をそのルールとするんじゃないか?
リバタリアンが殺されないためのルール
ブルジョワジーの私的所有を最大限にするためのルールだけがリバタリアンが唱えるルール。
誰かの自由は誰かの自由を侵害する。
何故かリバタリアンの自由だけ正義。
125 :
考える名無しさん:2009/06/16(火) 22:30:20 0
>>112 何が正しいかをずっと考えてきた。 リバタリアニズム、古典的自由、消極的自由、和
これらは全て同じ物で、人と人とのつながりとしてもっとも正しいと俺は信じているよ。
>>113 自然状態とは全ての人の消極的自由が保証されている状態としておこうか。
>>114 国家とは国家権力のことで、人の集合体ではない。
>>115 全ての人の消極的自由をお互いに保証しあうこと(リバタリアニズム)が結局は
最大多数の最大幸福に繋がることは歴史的に明白になったと言える。
本来あるべき正義がロールズ一人で明らかになるわけがない。歴史が証明していくんだよ。
>>116 ルールは自然にできる物、大切なのは他人の消極的自由を侵害してはならないというモラルだ。
ルールを恣意的に作ろうとする者はリバタリアンではない。
モラルのあるリバタリアン同士なら、ルールなんて必要ないとさえ言えるよ。
>>117 あなたのお遊びでない正義を教えてくれ。
>>118 哲学とはそんなもんだ。
>>119 珍奮感奮さんに寄付する奴なんていないよ。再分配されるべき人間に再分配されるべきでしょ。
国家が決める問題ではない。
>>120 >>121 >>123 リバタリアンの言う利己主義とは国家に隷従しないという意味だ。
守るべき者は自分で守る、こんな当たり前のことが何故理解できない?
国家に期待しても無駄だ。事実、年金は崩壊寸前だ。
福祉なんぞ手厚くすればするほど、ニートのようなモラルハザードの人間が増え、やがて破綻する。
国家の作るルールなんぞに従う必要はない。
>>124 誰かの自由を侵害しない範囲の自由が消極的自由である。
リバタリアンとは自分の自由を自ら制限するモラルを持った者のことだ。
モラル来ちゃった。
>>125 要約すっと、
俺は正しい。
これが判らない奴は阿呆。
俺らはモラルがある。
128 :
考える名無しさん:2009/06/16(火) 23:46:57 O
哲学板に蔓延る自己流テツガク君だね。
少ない知識と妄想と自己顕示欲だけで出来たテツガクだから、
まともに相手しても仕方ないよ。
ちゃんと本読んで勉強しなよとしか言えない。
これはリバタリアニズムを知らずに彼を批判してる人にも言えることだけど。
129 :
考える名無しさん:2009/06/17(水) 00:52:42 0
知識が豊富なら現実的、少なくともその必要条件をみたすと決め付けるお前もな。
ホントこんな手合いも多いが。
要は自己の見識を絶対化することが愚かで問題なんだろうが。
>>125 お前らが阿呆だから世の中がよくならないんだー!
って思ったことある?
131 :
考える名無しさん:2009/06/17(水) 21:56:30 0
>>128 自己顕示欲なんて物は誰にでもあるよ。
もし本当に俺以上に知識があるなら、普通は これ見よがしに書き込むわな。
>>129 俺は自己の見識を絶対化なんてしていないよ。
俺がしているのは自己の見識を客観視しているに過ぎないよ。
リバタリアンが客観主義をとるのは当然だろ。
それも分からないのかい?
あなたはリアルでも人の意見に対して自己の見識を絶対化することが愚だとか
したり顔で言ってるんだろ 馬鹿だね。
>>130 いつもいつもそう思ってます。。
132 :
129:2009/06/17(水) 22:27:37 0
正義って、よいことじゃなくて、武器なんだね。
136 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 11:50:04 0
似非リバ君が頑張っているね。
「正義」とか言うやつは多様性を否定する全体主義者だよ。
ロールズなんて社会主義崩れじゃないか。
137 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 11:51:52 0
>>125 寄付しないのも個人の自由なんだがお前の似非リバ理論は
寄付を前提とする時点で破綻している。
138 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 11:57:35 0
>>121 君の言う「利己主義」が利潤を追求する生産活動のことなら
資本主義=利己主義ということになるな。
139 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 12:26:02 O
ニコちゃんマン
>>138 それが誰にとっての利潤かをなぜ曖昧にする?
利潤を追求するならば社会主義でも追求する理念だろ。
141 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 13:01:03 0
福祉国家だったな。
142 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 13:34:06 0
スレタイにひかれて来てみたけど
ここは「リバタリアニズム」を聞きかじっただけなのに
わかった気になってる幼稚な知性が
一つ二つ覚えた単語をがなりたててるだけらしい。
社会学や経済学、倫理学なんかのベースもないのに、
自由とか正義とか、国家とか言っちゃって、
なんだか気持ちいいぐらい滑稽だよ。
ベースがないのはいいよ。
でも、ベースがないのに論じちゃダメだよ。
少なくてもベースがないのを自覚していなきゃ。
あ、ここは2chだったか。
なら、いっか。
サルのマスタベーションも一興なり。
143 :
し:2009/06/18(木) 14:13:17 O
そもそもなおまえら本物なんだよ。そうでないと2005とかに完了してる筈なんだよ目軽で。それがないおまえらのとこでもう打ち止めなの99〜00〜01で全部年越しよ。現実
国家を否定する人
1.救済されなかった底辺
2.与えることの方が多いカネ持ち
3.国籍と魂籍が乖離する人
4.上記3者の影響を受けた人
1の場合のみ国家が間違っているが、
彼らは誰より福祉を必要とする。
145 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 16:21:28 0
>>140 生産活動で利潤を求めるのは資本家にきまっとるだろ。だから「資本主義」というんだろ。
見方を変えれば再分配によって資本の無いものが利潤を得ようとするのも利己主義と言える。
146 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 16:25:52 0
>>111 >
>>101 >>102 ルソーとロックの自然状態は全然違う。 ルソーのそれは国家による自然状態の強制だ。
ホッブスやロックの自然状態はほぼ野蛮状態と見ていいと思うけど、
たしかにルソーの自然状態はちがうけど、それが自然状態の国家による強制というのは本当かな。
私の読んだルソーの印象とはちがうという疑問だけ述べておくよ。一応もう一度ルソーを読みかえしてみる。
しかしそれを言うなら、リバタリアンも、ブルジョワ的な法、つまり私的所有権をその唯一の自然状態の秩序
として国家によって強制するという意味では、あなたが言うまさに国家による自然状態の強制ではないのか?
>>144 なるほど。面白いね。
ただ魂籍が何なのか分からんけど。
なんらかの警察権を主張しているという意味では、右から左まで変わらないんじゃないか?
単に、警察権を行使する目的上の利害が違っているだけで。
ブルジョワ的財産を守るためか、プロレタリア的財産を守るためか、福祉的財産を守るためか。
身の安全や経済的な理由で他国籍を取得する。
天に国籍を置く宗教。
移民等で国籍に注記が付く。
侵略。
これらは国籍と気持ちがズレやすい。
151 :
考える名無しさん:2009/06/19(金) 00:24:54 0
>>137 寄付だけじゃないだろ、保険とか宗教の施し何より家族、親戚、セーフティネットは自分で築き上げる物だぜ。
頑張れ 珍奮感奮さん。
>>144 今の日本じゃほとんどの人が 2 の与えることの方が多いカネ持ちだよ。
あなたが納める税金の半分以上は公務員のポケット、十分に資産のある老人の年金に入ってるよ。
>>146 ロックやルソーの自然状態は今考えるべき自然状態ではない。
自然状態は全ての人の消極的自由が守られている状態を言う。
その為にはどうしても国家権力が必要だと思う人には、国家を含めた自然状態になるだろうし、
モラルが発展し、または警備会社で十分だと思う人には国家を必要としない自然状態になるだろう。
学ぶべきはルソーではない。社会だ。
所有権を国家が強制する?所有権は市民同士で認め合って成立しているんだ。
所有権を否定することは市民という概念自体を否定することだぜ。
>>149 福祉的財産?それ公務員のための財産になっていませんか?
本当に国家が必要か? 進むべき未来に本当に国家が必要か? 何故疑問に思わないんだ?
端的に非現実的なんだよ。
世界同時リバタリアン革命なんて可能だと思う?
あと巨大企業の国家化を防ぐ保障機構もないし。
警察権力を掌握した企業が国家と見分けがつかないのは、
ロボコップの世界でも描かれてるよね。
リバタリアニズムが目指す状態には、少なくとも、
1、市場
2、司法機関
3、司法機関の判断を実行する執行機関
が必要。
でないとルールの遵守ができない(要するに審判が必要)。
ところが、力関係は1<2でなければならないという
ジレンマがここにある(選手より弱い審判は無意味)。
154 :
考える名無しさん:2009/06/19(金) 01:20:36 0
>>151 リバタリアンの考える警備会社と国家とのちがいって?
アナーキストは、国家と協同体のちがいを強調するんだけどね。
>>153 市場が自由でいられないといけないってことか。
暴走したり、誰かが権力・強制力を持ってパワーゲームしてたら、バランスが崩壊する。
だから、出処はともかくリバタリアン左派なんかは、崩壊したバランスを保とうと、素っ頓狂な主張をしてるんだろう。
>>151 弱者死ね。って言えばいいのに。
寄付とか綺麗ごとやめてさー
裁判所もある企業がこれを運営するということも想定としては可能。
だが、それは一般庶民から見れば、複数の企業連合が国家を形成
しているのと何ら変わりがない。
結局のところ、大多数の人間から見れば、国と企業の首のすげ替えが
問題になっているだけで、どうでもよいというところに落ち着く。
ならば国家がまだ暴走していない以上、現状維持に走るのはある意味当然。
>>151 年金制度を無くし公務員の給料を下げりゃ満足するのかい?
160 :
考える名無しさん:2009/06/20(土) 00:16:09 0
リバタリアンは現実しか見ない。
国鉄や電電公社が民営化したのは国鉄や電電公社が破綻したからであって、
市民が望んだことではない。
公的年金が破綻するのは市民が望んだからではない。国家という制度が時代遅れだからだ。
革命を起こす気など毛頭ない。時代の流れが紆余曲折しながらもその方向へ行くと冷徹に客観しているだけだ。
市民は絶対に自らの財産を手放さない。消極的自由こそ本当に望んでいることだと理解しているから、
国家による余計なお世話など無用なんだ。
政府権力はやがて消滅する。これが好むと好まざるに関わらず時代の流れだ。
理解できない奴は時代において行かれるだけだよ。
議会は最後までなくならないだろう。何らかの立法機関は必要だ。
だがその執行機関は性能が悪くなれば代えられ、壊れれば捨てられる。
今の日本を見ろどうしょうもない機関の宝庫ではないか。
警察もその最たる物だ。安全だけを求めるならプロの探偵、プロの警備会社の方がいい。
そう思わないか?
161 :
考える名無しさん:2009/06/20(土) 00:21:38 O
ぷ
時代においていかれるだとさ(苦笑)
警察が民営化されるのは何年後くらいなの?リバちゃん。
>>160 「現状国家が消滅するか?」と問われれば「消滅するかもしれない」
と答えるしか無い。
その点についてはYesだ。
だが、「国家の代替物は発生しない」というのならNoだ。
GMが年金制度の悪い部分を体現したように、私企業も
巨大化によって国家と同じ過ちを犯す。
結局のところ、どこまでいっても人類は愚かだ。
愚かさの中で生きるのが人類である。
>>160 俺らの多くは無自覚のおカネ教信者なんよ。
リバタリアンは特に。
自由とか言うな。カネだよカネ。
夜道を歩く自由を手放してでもカネが欲しい。
>>162 ここは天国じゃないんだーかといって地獄でもないー♪
165 :
考える名無しさん:2009/06/20(土) 17:59:44 0
>>162 マルクスは、資本主義の胎内からしか共産主義は生まれ出ないと説いて、
資本主義が最終的に国家の死滅へと向かうことを予想していたが。
167 :
考える名無しさん:2009/06/21(日) 01:04:16 0
警察の民営化、まして国家権力に消滅まではさすがの俺でも想像の範囲であって何時になるかは予測が付かないな。
だが差し迫っては年金だ。これは簡単だ。
秋に民主党を主体とする政権が出現し、消費税が10%以上になる。
これでほんの少し年金は延命できるが、若年世代はますます疲弊して、子供どころではなくなる。
すると年金制度は再び危機を迎え、消費税は天井知らずになるだろう。
弱者救済のためだとリベラル共はプロパガンダを繰り返すが、
不満は抑えきれなくなり、ここでついにリバタリアンの反抗が始まるのだ。
ここまでで10年は費やすだろう。
年金は破綻し、消費税は撤廃、相続税、贈与税全て撤廃だ。
少ない予算で、しかも莫大な借金を抱えた政権に何ができようか。
嵐が始まる。これは断言できる、しかし通り過ぎなければならない道なのだ。
我々は民間で何ができるのか、効率的に運営できる機関を民間でどう作ればいいのか今のうちに考えなければならない。
>>166 未来は適当にしか予想できないからね。それ以上の言及を控えたんだよ。
マルクスもエンゲルスも自分たちが描く社会主義像が絶対的な予言じゃないことを再三断っている。
>>167 権力の移動先を「国家以外のモノ」と設定しているだけで
ただの政治批判の域を越えられてない。
「我々」「民間」のような主語の拡大はファシストの常套句。
しかもおカネ教信者だからカネの問題ばかり。
171 :
考える名無しさん:2009/06/21(日) 21:12:19 0
>>168 万人の誰にも束縛されない自由な未来の先にこそ本当の未来がある。
あなたにも未来を語る権利があるんだ。
>>169 何度も書いているが権力はやがて消滅する。移動なんてしない。
それともGMとやらに権力があると信じているのか?
>>170 国富とは国民のモラルだ。流出も略奪もできない。
家族を愛し地域を愛し約束を守るそれが本当の宝だ。和の世界とはそう言う物だ。
カネ批判したら愛が来ちゃった
>>171 君の夢の和の世界より今の世界のがいいんだけど、
俺にそれを望む自由はあるかい?
174 :
考える名無しさん:2009/06/21(日) 23:10:08 0
>>172 リバタリアンは現実しか見ない。カネも愛も現実世界の1項目で分け隔てなく考察する。
愛をカネで考えるのは当然だよ。
>>173 もちろんそれを望むのは君の自由だ。だが現実はそれを許さないだろう。
国家は何時でも国民を幸せにする義務があり将来にわたってもそれが可能だと君が夢想するのは勝手だ。
だが現実はそうはならない。君のような人間が多いのは俺はとっくに考察済みだ。
それは夢物語だと言うことをやがて実感するでしょうね。
175 :
考える名無しさん:2009/06/23(火) 08:41:50 0
自由という状態が「快楽への道が妨害されない状態」とするなら
現代社会は自由ではない、また快楽への道を妨害せずに導く管理社会は自由な社会だろう
管理・飼育社会こそ自由な社会だ
176 :
考える名無しさん:2009/06/23(火) 08:42:36 0
不自由というのは文脈から察するに
「自分が望む選択(快楽への道)が既成権力によって妨害され、選択を断念せざる得ない状態」を指す
これこそ不自由の真の定義だと思う
この定義なら、常に正しい選択(快楽への道)を強要させる管理社会は不自由とはならないはずだ
177 :
し:2009/06/23(火) 09:04:43 O
仏教に空の概念があるんだ。だからいい訳にはならない。空はどこまでも続き青い。そういった時間がある。だから闇の時間もある。許してはならない。また善悪も進んだ。
178 :
考える名無しさん:2009/06/23(火) 15:00:48 0
>>151 家族?宗教?そういうのを大事にするのは保守主義の価値観じゃん。
リバタリアンは基本的に無宗教で、結婚制度廃止キボンヌだが?
ロールズとか正義とか言い出した後は家族、宗教かよ・・・・
こういうネオコンだか社民だか分からない奴が、リバタリアン名乗るのはいかがなものか。
179 :
考える名無しさん:2009/06/23(火) 15:14:04 0
この似非リバ君は屁理屈をつけて市場原理を否定していますw
>その為に市場原理、個人主義を徹底するのは当たり前。
徹底するとか当たり前とか何らかの主義主張を押しつける考え方を排除するのが消極的自由。
国家の介入を排除するのが消極的自由だろ。 市場原理を否定するなら国の介入をよしとすることになる。
こいつの言っている事は「小さな政府の考えを押し付けるのを排除するのが消極的自由」といっているのと同じで馬鹿丸出し。
>リバタリアンは別に市場原理主義者や個人主義者ばかりではありません。
ハァ?お前がリバタリアンじゃないだけで、リバタリアンは普通に個人主義で市場原理主義だよ。
あらゆる権威的強制を排除するのが消極的自由。
市場原理主義という権威の押し付けもブルジョワ国家による自由闘争への介入主義。
181 :
考える名無しさん:2009/06/23(火) 15:36:57 0
>>180 国が介入しないのが権威的押し付け?違うだろ。
そもそも市場原理主義なんて左翼が作った造語じゃん。
既得権を無くすというのは「機会の平等」の考えであって権威主義ではない。
まあでも市場も一応既得権作ってるだろ。
結局自由の貫徹なんて絵空事なんだよ。
183 :
考える名無しさん:2009/06/23(火) 16:23:24 0
自由という状態が「快楽への道が妨害されない状態」とするなら
現代社会は自由ではない、また快楽への道を妨害せずに導く管理社会は自由な社会だろう
184 :
考える名無しさん:2009/06/23(火) 22:52:10 0
じゃあ現代社会は管理社会じゃないというわけ?
もしかして釣とか?
185 :
考える名無しさん:2009/06/23(火) 23:17:57 0
>>181 市場の論理を一つのルールとして法律で押し付けていることには変わりないだろう?
それもなしに市場が成り立つという意味での市場概念をリバタリアンは認めるの?
いわゆる万人による万人の闘争、あるいはまた階級闘争を。
186 :
考える名無しさん:2009/06/24(水) 07:21:47 0
>>184 自由とは具体的にどのような状態を指すのでしょうか?
自由とは「最大の快楽を得る選択をできない状態」ではないのですか?
ならば管理社会こそ最も自由だと言えないでしょうか?
187 :
考える名無しさん:2009/06/24(水) 13:04:24 0
>>185 それは資本主義社会として当然のこと。
他にまともなオルタナティブが無いのでしょうがない。
>>185 市場の論理ではなく、ブルジョワ的搾取を認める私的所有の論理ね。
189 :
考える名無しさん:2009/06/26(金) 01:11:44 0
現状は見えざる手によってある程度均衡のとれた秩序ある状態だ。
それを意図した無作為により一部の者に利益を誘導するのは
明らかに財産権に国家が介入する行為だ。
現状を代えてゆくのは見えざる手のみであり、
国家の介入は一切認められません。
新自由主義はリバタリアニズムとは違います。
190 :
考える名無しさん:2009/06/26(金) 02:44:35 0
見えざる手などというものは搾取のシステムにすぎないし、それを法律で正統化している軍事警察的
国家権力の帝国主義的世界支配があってこそ成り立っているものにすぎないよ。
191 :
考える名無しさん:2009/06/26(金) 19:44:54 0
軍事警察的 国家権力の帝国主義的世界支配がない世界において秩序づける物を
見えざる手と呼ぶんだ。見えざる手がどうして搾取のシステムになるのかね?
あなたの言う搾取とは何だ?
見えざる手はぜんぜん見えざる手じゃないってこと。それは単に政治的にカムフラージュされた国家権力。
193 :
考える名無しさん:2009/06/27(土) 17:28:06 0
搾取とは生産の過程での労働者を利用するということか?
資本主義とはそういうものだろ。
資本家は常にリスクを背負っていて不安定だが、労働者はノーリスクで金が稼げるし、安定という幻想を抱けるので一概に搾取とは言えない。
まあ今の日本は社会主義過ぎて官僚や労働貴族が搾取する側に成っているわけだが。
194 :
考える名無しさん:2009/06/27(土) 17:52:45 0
労働者がノーリスクってwwww
会社の経営が傾けば、まず生活の糧を奪われるのは最初に労働者じゃんwww
いちばんリスクを被っているんだよ。
195 :
考える名無しさん:2009/06/27(土) 18:13:50 0
馬鹿?経営が赤字でも一定の賃金が保証されてるだろ。
資本家は投資した額が溶けるリスクや負債を抱えるリスクを背負っている。
労働者は労働力を提供するだけで金がもらえる。
196 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/06/27(土) 18:36:17 0
資本家のリスクは余った金で生活に密着しないが、労働者のリスクは生活に密着する。
ケインズが資本家の投資を問題視した理由。
197 :
考える名無しさん:2009/06/27(土) 18:47:30 0
>>195 その赤字処理で労働者はリストラされるのだが。
痛みを真っ先に被るのは労働者。
198 :
考える名無しさん:2009/06/27(土) 21:37:13 0
>>186 いや、おれがおかしいと言っているのは、「管理社会=自由な社会」と言うことでなく、
「現代社会≠管理社会」ということだよ。
199 :
考える名無しさん:2009/06/27(土) 23:08:53 0
>>192 権力とは消極的自由を侵害する行為のことだ。
見えざる手に権力などない、構成員が自ら従わなければならない何かだ。
見えざる手を東洋哲学で言うと「和の空気」だ。空気を読めないトンマは必ず痛い目に遭う。
権力者でさえも従わなければならない何かがこの世には存在するんだ。
これはアダムスミスによって証明された物理法則だよ。
資本家と労働者を分けることに何の意味があるのか? あまりに時代遅れだよ。
>>198 自由とはある権利が保障された状態を言う。
たとえば車を運転できる自由は政府によって車を運転する権利が得られた状態だ。
つまり管理社会でなければ自由という存在自体に意味はない。
現代社会=管理社会であるのは当然なんだよ。
権利の行使には必ず責任が必要だ。
車の運転には事故を起こさないという責任が必要だ。
事故を起こしてしまったとき責任をとるのは自分自身だけだとするのがリバタリアニズムだ。
他人が事故を起こしてしまったとき、自分にも責任を感じるのがリベラリズムだ。
責任を全く感じず権利だけをほしがる快楽の自由は
マルクスの言う腐ったブルジョアジーであり、
リベラルでもリバタリアンでも最大の敵だ。
搾取とは快楽の自由主義者が市民の富を搾取することだよ。
200 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/06/27(土) 23:30:45 0
いろいろめちゃくちゃだ・・・
201 :
考える名無しさん:2009/06/27(土) 23:42:34 0
リバタリアニズムとリベラリズムのその喩えによる対比は不当だなあ。
リベラリストや分析的マルキストからすれば不適切だと反論することになるだろうと思う。
リベラリストや分析的マルキストもまた、事故を起こした責任をとるのは自分自身だと考えているが、
市場社会はそのことを保証せず、生まれながらに自分の行為のリスクをあまり負わなくて済む人たちと
自分の行為以上のリスクを負わされた人たちが作られるとして、リバタリアン的な倫理の上でも自然状態
の市場原理は不当だと考える。リベラリストは特にその再生産を問題にする。
マルキストもまた同様に、労働者たちが資本主義市場では、他人の起こした事故の責任まで負わされ
ていると考える。それがマルキストの言葉でいえば搾取であったり、疎外であったりと呼ばれている。
だからリバタリアン的倫理すら市場は保証していないとして、それを是正するための政治的調節が必要だと、
少なくともリベラリストは考えるわけだ。リベラリストとリバタリアンはほぼ同じ倫理を共有しているが、
リバタリアンが現行の資本主義市場を手放しでその倫理を保証するものと考えるのに対して、
リベラリストは手放しでそうなるとは考えないというところに、この両者の違いといえば違いがあるのです。
マルキズムはある種の分析的マルキストを除いて、リベラリストとはまた別で、政治哲学とは水準を
別にする歴史法則なるものによってアプローチしようとするので、ここではその話は省くことにする。
マルキストでかつリアルリバタリアンの立場から言えば、マルクスは資本主義の到達する発達段階
の高度な市場社会においては、プロレタリアートもブルジョワジーもなくなる、いうことを想定している。
そして、マルクスは、責任を全く感じず権利だけを欲しがる快楽の自由を断罪しているわけでは全くない。
202 :
考える名無しさん:2009/06/28(日) 00:45:18 0
>>201 責任は誰に対しても公平に受けるべきだ
生まれによって責任を多く受けなければならない人とそうではない人をどうして分けられるというのか?
事故を起こしたとき50万円の賠償を負う人と50円ですむ人を作るつもりか?
狂ってる!!
あなたのは政治哲学と呼べる段階ではない。
マルクスは自由をリベラルとリバタリアニズム、そして快楽の自由とに分けてはいない。
そう言う知識がまだ皆無だったのだよ。
快楽の自由を自由と呼ぶのは日本人だけだ。 西洋思想では責任の観念のない自由など存在しない。
快楽の自由をブルジョアジーと看破したのはこの俺だ。
203 :
考える名無しさん:2009/06/28(日) 00:50:40 O
204 :
考える名無しさん:2009/06/28(日) 06:55:45 0
責任(笑)などという過去の意識主体の行為から
現在の意識主体に苦痛を与えるという「道徳の狂信者の伝統」など
現実的リベラリズムにはない。
自由とは、諸個人の趣向の差異による最も快楽を得られる選択を妨害しないためのものにすぎず、
自由により、苦痛を与えるなど本末転倒。
205 :
考える名無しさん:2009/06/28(日) 12:02:52 O
パーフィットか森村進か安藤馨か
フェミニズムの応用だろ
>165,124-129,281-286,125-130,57-62,284-289,236-241,149-154,276-281,343-348,13-18,218-223,264-269,80-85,192-197,3-8,384-389,348-353,321-326,329-334,238-243,158-163,349-354,168-173,70-75,202-207,117-122,185-190,40-45,93-98
>295,82-87,249-254,385-390,139-144,208-213,226-231,266-271,373-378,139-144,362-367,83-88,394-399,226-231,88-93,255-260,185-190,176-181,312-317,370-375,180-185,372-377,270-275,86-91,215-220,224-229,304-309,145-150,252-257,54-59
>175,106-111,366-371,188-193,325-330,120-125,156-161,40-45,207-212,111-116,199-204,230-235,82-87,114-119,300-305,267-272,94-99,75-80,177-182,366-371,0-5,284-289,21-26,127-132,329-334,361-366,1-6,93-98,84-89,147-152
>173,270-275,263-268,150-155,17-22,249-254,367-372,60-65,221-226,108-113,339-344,294-299,190-195,337-342,49-54,200-205,3-8,3-8,239-244,161-166,380-385,130-135,157-162,296-301,167-172,186-191,299-304,238-243,271-276,362-367
>144,213-218,252-257,37-42,285-290,307-312,347-352,134-139,109-114,83-88,116-121,332-337,165-170,62-67,156-161,96-101,238-243,352-357,271-276,17-22,55-60,185-190,204-209,234-239,146-151,148-153,240-245,175-180,126-131,241-246
>134,180-185,9-14,83-88,93-98,274-279,232-237,94-99,207-212,195-200,395-400,183-188,4-9,36-41,67-72,393-398,390-395,367-372,156-161,395-400,182-187,353-358,51-56,292-297,196-201,236-241,389-394,152-157,141-146,202-207
>103,275-280,60-65,182-187,395-400,308-313,151-156,384-389,338-343,23-28,109-114,370-375,54-59,300-305,307-312,179-184,198-203,236-241,383-388,247-252,306-311,362-367,261-266,147-152,241-246,108-113,222-227,291-296,39-44,319-324
>97,48-53,342-347,10-15,214-219,73-78,143-148,209-214,13-18,142-147,343-348,346-351,38-43,367-372,318-323,276-281,189-194,218-223,278-283,4-9,267-272,204-209,156-161,104-109,187-192,42-47,95-100,59-64,159-164,162-167
>93,160-165,47-52,276-281,3-8,120-125,271-276,378-383,332-337,229-234,7-12,393-398,103-108,24-29,394-399,362-367,40-45,56-61,19-24,197-202,220-225,40-45,158-163,326-331
>165,124-129,281-286,125-130,57-62,284-289,236-241,149-154,276-281,343-348,13-18,218-223,264-269,80-85,192-197,3-8,384-389,348-353,321-326,329-334,238-243,158-163,349-354,168-173,70-75,202-207,117-122,185-190,40-45,93-98
>295,82-87,249-254,385-390,139-144,208-213,226-231,266-271,373-378,139-144,362-367,83-88,394-399,226-231,88-93,255-260,185-190,176-181,312-317,370-375,180-185,372-377,270-275,86-91,215-220,224-229,304-309,145-150,252-257,54-59
>175,106-111,366-371,188-193,325-330,120-125,156-161,40-45,207-212,111-116,199-204,230-235,82-87,114-119,300-305,267-272,94-99,75-80,177-182,366-371,0-5,284-289,21-26,127-132,329-334,361-366,1-6,93-98,84-89,147-152
>173,270-275,263-268,150-155,17-22,249-254,367-372,60-65,221-226,108-113,339-344,294-299,190-195,337-342,49-54,200-205,3-8,3-8,239-244,161-166,380-385,130-135,157-162,296-301,167-172,186-191,299-304,238-243,271-276,362-367
>144,213-218,252-257,37-42,285-290,307-312,347-352,134-139,109-114,83-88,116-121,332-337,165-170,62-67,156-161,96-101,238-243,352-357,271-276,17-22,55-60,185-190,204-209,234-239,146-151,148-153,240-245,175-180,126-131,241-246
>134,180-185,9-14,83-88,93-98,274-279,232-237,94-99,207-212,195-200,395-400,183-188,4-9,36-41,67-72,393-398,390-395,367-372,156-161,395-400,182-187,353-358,51-56,292-297,196-201,236-241,389-394,152-157,141-146,202-207
>103,275-280,60-65,182-187,395-400,308-313,151-156,384-389,338-343,23-28,109-114,370-375,54-59,300-305,307-312,179-184,198-203,236-241,383-388,247-252,306-311,362-367,261-266,147-152,241-246,108-113,222-227,291-296,39-44,319-324
>97,48-53,342-347,10-15,214-219,73-78,143-148,209-214,13-18,142-147,343-348,346-351,38-43,367-372,318-323,276-281,189-194,218-223,278-283,4-9,267-272,204-209,156-161,104-109,187-192,42-47,95-100,59-64,159-164,162-167
>93,160-165,47-52,276-281,3-8,120-125,271-276,378-383,332-337,229-234,7-12,393-398,103-108,24-29,394-399,362-367,40-45,56-61,19-24,197-202,220-225,40-45,158-163,326-331
>165,124-129,281-286,125-130,57-62,284-289,236-241,149-154,276-281,343-348,13-18,218-223,264-269,80-85,192-197,3-8,384-389,348-353,321-326,329-334,238-243,158-163,349-354,168-173,70-75,202-207,117-122,185-190,40-45,93-98
>295,82-87,249-254,385-390,139-144,208-213,226-231,266-271,373-378,139-144,362-367,83-88,394-399,226-231,88-93,255-260,185-190,176-181,312-317,370-375,180-185,372-377,270-275,86-91,215-220,224-229,304-309,145-150,252-257,54-59
>175,106-111,366-371,188-193,325-330,120-125,156-161,40-45,207-212,111-116,199-204,230-235,82-87,114-119,300-305,267-272,94-99,75-80,177-182,366-371,0-5,284-289,21-26,127-132,329-334,361-366,1-6,93-98,84-89,147-152
>173,270-275,263-268,150-155,17-22,249-254,367-372,60-65,221-226,108-113,339-344,294-299,190-195,337-342,49-54,200-205,3-8,3-8,239-244,161-166,380-385,130-135,157-162,296-301,167-172,186-191,299-304,238-243,271-276,362-367
>144,213-218,252-257,37-42,285-290,307-312,347-352,134-139,109-114,83-88,116-121,332-337,165-170,62-67,156-161,96-101,238-243,352-357,271-276,17-22,55-60,185-190,204-209,234-239,146-151,148-153,240-245,175-180,126-131,241-246
>134,180-185,9-14,83-88,93-98,274-279,232-237,94-99,207-212,195-200,395-400,183-188,4-9,36-41,67-72,393-398,390-395,367-372,156-161,395-400,182-187,353-358,51-56,292-297,196-201,236-241,389-394,152-157,141-146,202-207
>103,275-280,60-65,182-187,395-400,308-313,151-156,384-389,338-343,23-28,109-114,370-375,54-59,300-305,307-312,179-184,198-203,236-241,383-388,247-252,306-311,362-367,261-266,147-152,241-246,108-113,222-227,291-296,39-44,319-324
>97,48-53,342-347,10-15,214-219,73-78,143-148,209-214,13-18,142-147,343-348,346-351,38-43,367-372,318-323,276-281,189-194,218-223,278-283,4-9,267-272,204-209,156-161,104-109,187-192,42-47,95-100,59-64,159-164,162-167
>93,160-165,47-52,276-281,3-8,120-125,271-276,378-383,332-337,229-234,7-12,393-398,103-108,24-29,394-399,362-367,40-45,56-61,19-24,197-202,220-225,40-45,158-163,326-331
210 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/06/28(日) 12:24:54 0
自由は平等との関係で考えないといけない。
211 :
考える名無しさん:2009/06/29(月) 20:31:22 0
>>202 意味不明なレス。
>>201をまったく誤読しているのか訳が分からない。
生まれによって責任を負う度合いに不公平があるのがけしからんという倫理は、
リバタリアンも持っているんだよね?
それをリベラリストもマルキストも持っているんだよ。つまり倫理のレベルでは同じ。
じゃあ、違いはどこにあるのか?
リバタリアンは、市場原理だけが手放しでその倫理を保証してくれるという。
リベラリストは、市場原理だけではその倫理は保証されないから、再分配制度による調性を説く。
マルキストは、少なくとも資本主義的な市場原理下ではその倫理は最初から無効化されているという。
212 :
考える名無しさん:2009/06/29(月) 23:32:21 0
>>204 あなたの自由とやらはあなた以外に誰が主張しているの?
>>210 平等とは何 その定義からやらないか?
>>211 何故市場原理が責任を負う度合いに不公平を生じさせていると考えるのか?
そもそもあなたの言う市場原理とやらは何なのか?
根拠すら不明な書き込みばかりだぜ。
自動車を運転したいという積極的自由を国家が保証する必要はない。
技能に劣る人間とそうでない人間が存在するのは当たり前だ。
自然に逆らうべきではない。
213 :
考える名無しさん:2009/06/29(月) 23:56:50 0
富裕な家に生まれる人間と貧困な家に生まれる人間がいるのは当たり前だ?
その自然法則に逆らうべきではない?
金持ちのリバタリアンはエセ。貧乏人のリバタリアンこそ真のリバタリアンだ。
教育だけは一律にするべきだよね
教育だけで独裁政治をつくれますよ。
217 :
考える名無しさん:2009/07/02(木) 01:24:53 0
>>213 貧しい人間は子供を産んではならないとでも考えているのですか?
>>214 新自由主義者はリバタリアンではない。
本当のリバタリアンとは政府の思う通りには俺たちの税金を使わせないぞと考える人のことだ。
>>215 >>216 その通り教育という積極的自由だけで独裁政権が生じる。
積極的自由に国家が関与してはならない。
積極的自由を国家が保証することは不可能であるだけでなく、経済的ロスが大きいのだ。
このことはミルトンフリードマンという偉い経済学者達が証明した物理法則だ。
218 :
考える名無しさん:2009/07/02(木) 23:49:16 0
バーリン流の「積極的自由=他律的自由」という短絡的認識はいかがなものか。
「消極的自由=自律的自由」というのが(資本主義的!)市場経済で成り立つという図式も
最近では疑問視されている。
219 :
考える名無しさん:2009/07/03(金) 10:25:08 O
220 :
考える名無しさん:2009/07/03(金) 16:47:33 0
>>219 君こそバーリンを読んでいないことが明らかだが。
221 :
考える名無しさん:2009/07/04(土) 01:06:57 0
>>218 >「消極的自由=自律的自由」というのが(資本主義的!)市場経済で成り立つという図式も
最近では疑問視されている。
これが私の本当に主張しなければならないところだ。
「車を運転する権利は国家が決める物ではない。事故を起こせば自己責任だ。」
これは謝った消極的自由の解釈だ。新自由主義者的解釈とでも言おうか。
「車を運転する権利はそれに適した技量を持つ者だけだ。それは社会的合意によって決まる。」
こう考えるのが本当の消極的自由で、本当のリバタリアンだ。
消極的自由とは社会的合意、見えざる手、和の空気、これに従うことを言うのだよ。
222 :
考える名無しさん:2009/07/06(月) 00:12:49 0
その社会的合意を担保するのは何?
通常はその機能を担っているのが近代民主制国家なのだが。
223 :
考える名無しさん:2009/07/06(月) 04:02:23 0
「消極的自由」ってのは、単に政府の干渉不在の状態のことだよ。
224 :
考える名無しさん:2009/07/06(月) 14:43:56 0
新自由主義のいう「小さな政府」とどうちがうの?
225 :
考える名無しさん:2009/07/06(月) 15:02:19 0
小さな政府はノージック個人の思想であってリバタリアニズムじゃない。
226 :
考える名無しさん:2009/07/06(月) 19:34:32 0
多くのリバタリアンはノージックさんとやらのその考えに反対しているわけ?
リバタリアンかどうかなんてただのレッテル貼りです。
228 :
考える名無しさん:2009/07/08(水) 00:21:22 0
>>222 >その社会的合意を担保するのは何?
それは東洋哲学で言うと 人の道 だな。
229 :
考える名無しさん:2009/07/08(水) 10:25:48 P
リバタリアン的には盗撮って問題なく犯罪?
ストーカーとか全裸で出歩くのは?
230 :
考える名無しさん:2009/07/08(水) 14:17:48 0
>>228 法ではないの? つまり感覚的な道徳問題ということ?
法がないがゆえに、道徳でがんじがらめの社会もあるんじゃないか?
そういうのもリバタリアンが理想とする社会の一種というわけ?
231 :
考える名無しさん:2009/07/08(水) 21:00:12 O
232 :
考える名無しさん:2009/07/09(木) 22:59:34 0
>道徳でがんじがらめ
国家による自由とかを信じて国家権力にすり寄る人間と
自分の信念を信じて行動する人間と
どっちが自由と呼べるんだろうね。
自由とか道徳とかいった言葉に捉われない、その心を真の
234 :
考える名無しさん:2009/07/12(日) 14:50:23 0
>>221 また似非リバが出膤目なことかいてるな。ただのアカの癖にリバタリアニズムを語るなって。
235 :
考える名無しさん:2009/07/12(日) 14:52:30 0
>>197 歯車と資本家の痛みを同列に並べるのはナンセンス。
236 :
考える名無しさん:2009/07/12(日) 14:56:21 0
>>199 そのお前の言う「快楽の自由主義者」がリバタリアンだろ。
搾取無しに資本主義社会なんか回らないんだよ、この偽善者が。
237 :
考える名無しさん:2009/07/12(日) 15:03:42 0
>>214 勿論貧乏人でも這い上がろうとするものはいるだろうが金持ちのリバリアンが似非というのは全く珍奮感奮。
金持ちにリバタリアンが多いのは当然だし、森永卓郎のような金持ち共産主義者も居る。
資本主義の枠内で誰にも干渉されない自由(消極的自由)を最重要と考えれば必然的に「世の中金が全て」という価値観に帰結する。
238 :
考える名無しさん:2009/07/15(水) 23:04:48 0
>>237 消極的自由=誰にも干渉されない自由 ではない。 珍奮感奮さんは頭かたいな。
@「車を運転する権利は国家が決める物ではない。事故を起こせば自己責任だ。」
A「車を運転する権利はそれに適した技量を持つ者だけだ。それは社会的合意によって決まる。」
B「車を運転する権利は誰にも干渉されない。事故を起こしても俺には責任はない。」
C「車を運転する権利は国家によって教育されるべき、事故を起こせば国の責任だ。」
珍奮感奮さんが支持する自由はどれですか?
かほるしゃん^^
ほ
241 :
考える名無しさん:2009/07/17(金) 15:57:37 P
>>238 危ないけどリバタリアン的には@だよね・・・?
やーこれは支持受けないなー
自分は好きだけど
242 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/17(金) 19:03:47 0
人権的リバタリアンと経済的リバタリアンの差は?
243 :
考える名無しさん:2009/07/18(土) 08:37:41 0
市場やお金が人を狂わせ、それらが他人の消極的自由の侵害へと帰結することを、
市場マンセーリバタリアンは理解できていない。
つまり、自分の自由を確保するが、他人の自由は知ったこっちゃない。
>>214で言う金持ちとはまさにそれ。リバタリアニズムに納得できるのは金に守られている間だけ。
貧困下でこそ本性が露になる。その多くが、品格に欠けた右派。
>>238の正解は@。ただし、「自己責任とは、相手側の損失の責任も負う。」を付け加えなければならない。
どちらかといえば人権的リバタリアン?の方が上記を理解している。
が、社会的合意だの道徳だの持ち出し始め、感情に振り回される。赤と揶揄される所以。
資本主義国家の下、大抵彼らの信念は易々と打ち砕かれ、ただのサヨに成り下がる。時代が悪かった。
本当のリバタリアンは清貧とまではいかなくとも、足るを知り、ただただ道(タオ)へと還ってゆくんだ。
244 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/18(土) 09:05:25 0
経済的(右派)リバタリアンはわかりやすい。
国家よりも市場に社会秩序をまかせるということ。
自由な経済競争を促進すること。
消極的な自由も様々な社会的な干渉を減らし、
より経済活動を活発にする。だから当然、自己責任。
人権的(左派)リバタリアンは、実現されたことがない故に
よくわからない。国家がないアソシエーション。
理想主義的で、いかにこの社会秩序は維持されるのか。
ただ国家が地方分権されるだけなのか。
その二つってやっぱり別物だったのかー
感覚的には明らかな別物と分かる気もするけど安易に切り離していいのかも素人の自分には分からない。
人権的っぽいノジックも同時に経済への介入を否定して経済的にも自由を主張してるし
ノジックよりさらに経済に重点を置いてそうなハイエクも
消極的自由の名の下に結構な人権擁護もしてる気がする。
勉強不足で分からないのだけど
リバタリアンはリバタリアンの経済政策、市場競争なんかで
色々が経済的に淘汰された結果人権面での消極的自由が
殺されるような結果になっても構わないんだろうか。
そういう可能性はおおいにありうる気がするけど
それは想定しないんだろうか。
市場で生き残ったものが善なんですよーみたいな考え方と
消極的自由だけは譲れない人権として死守せねばならないみたいな
考え方がちゃんと両立できるのか・・・よく分からないかもしれない
観念論的リバタリアニズムと唯物論的リバタリアニズムを分けたほうがいい。
247 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/18(土) 22:15:23 0
経済的(右派)リバタリアン・・・ハイエク、フリードマンと、
人権的(左派)リバタリアン・・・ノージックなどは
まったく別物と考え方がよいでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%90%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0 しかし近代史上から考えると、左派リバタリアンも資本主義の成功を
隠し持っていると思う。それを認めないから、いつまでも夢物語でしかない。
>リバタリアンはリバタリアンの経済政策、市場競争なんかで
>色々が経済的に淘汰された結果人権面での消極的自由が
>殺されるような結果になっても構わないんだろうか。
>市場で生き残ったものが善なんですよーみたいな考え方と
>消極的自由だけは譲れない人権として死守せねばならないみたいな
>考え方がちゃんと両立できるのか・・・よく分からないかもしれない
右派リバタリアンは、経済的な自由を徹底させることこそが、
真に人権面の平等に繋がる。
人権重視などといって国家が分配することの方が
不平等を生み出す。
ある意味でこれは現実的だ。国家が主導すると独裁に陥ってる。
市場は人々に自由と平等を与えたのも事実。
問題はどの程度、市場にゆだね、どの程度、国家が主導するか。
このバランスを考えようというのがロールズなどのリベラル。
248 :
考える名無しさん:2009/07/19(日) 02:56:01 0
原理的には政府を拒否しておきながら「現実的な」視点から政府の役割を
措定するというのは、運営的にはともかくも、論自体としては矛盾の極致だよね?
パラドクスならともかくも、そうした効果も見受けられないんじゃ、
何のための立論かわからないよ。
やはり原理的な点で、コミュニタリアンのほうに軍配が上がるような気がするな。
249 :
考える名無しさん:2009/07/19(日) 15:34:24 0
なんだよ人権的リバタリアンって。アカと同義でいってるんだろうが勝手に造語を作るな。
そもそもリバタリアンに右派も左派も無い。「左派リバタリアン」が似非なだけ。
パレースとかいう共産主義者が自称しだしたのが似非リバの起源で1990年以降とつい最近。
250 :
考える名無しさん:2009/07/19(日) 15:55:57 0
人格的自由と経済的自由を両方尊重するのが古典的自由主義→リバタリアンという昔からの流れで、
経済的自由を尊重しない「経済左派」がリバタリアンというのはありえない。
抽象論が多いのでリバタリアンの志向する政策はこうだ。これらに180度異論を唱えるものはリバタリアンではない。(全廃廃止とはいかないまでも大幅に縮小する方向に賛成というのはあり。)
【経済面】
公務員全般の大量首切り大幅賃金カット、
公共事業の全廃、財政政策の廃止、労働法の全廃、
【人格面】
結婚制度の廃止、教育制度の廃止、天皇制の廃止、ポルノ規制の全廃
政治思想って、その思想家が生きた具体的な地域と時代からは自由じゃないんだよね。
だから、外国の思想をそのまま自国に持ってきても、具体的政策という現象では異なってくる。
その地域によって資源政策や歴史的な流れや文化など具体的なものが違うから、
無理矢理に外国のリバタリアン政策と同列に並べてつけ合わせる事もないよね。
各国で異なる時系列と特殊事情があるのだから、同じになるはずないし。
たとえば、日本の保守思想家の言ってることは、外国から見たら社会主義者と変わらないとか。
>>249 あなたの言うリバタリアニズムって、新自由主義(ネオリベラリズム)のことでしょう。
253 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/19(日) 16:37:11 0
>>249 国家はいらないと言ってのは左派が最初だ。
古典派自由主義は国家はいらないとはいっていない。
254 :
考える名無しさん:2009/07/19(日) 17:52:41 0
>>252 新自由主義というのはサヨク用語だろう。
古典的自由主義→サヨクが「リベラル」を乗っ取る→新自由主義というながれ。
サヨクみたいな偏った奴らからネオリベとレッテル貼られたところで痛くも痒くもない。
リバタリアンは保守よりも市場原理をもっと徹底する。
255 :
考える名無しさん:2009/07/19(日) 17:54:13 0
>>253 は?国家が無いと左翼思想なんて成り立たないんだが。
右翼ってのはフランス革命期の議長席右側で、改革慎重派。
左翼は議長席左側で、低層民の権利拡張派。
そのくらいの意味しかない。
20世紀になると、低層民の国粋主義者が出てきて、
何が右翼と左翼かのレッテルの二分法の有効性が低くなる。
もうちょっと時代と地域に適合した分類をしてもらいたい。
>>257 細かいところは押さえてないが同意。
右翼/左翼っていうレッテル貼りはすでに意味がなくなってきつつある。
259 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/19(日) 18:36:55 0
>>255 おいおい、頼むぞ。
マルクスもしらないのか。
260 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/19(日) 19:10:58 0
左翼の基本思想は、世界同時革命、世界共和国で、国家社会主義はそれを実現する
過程でしかない。
国家がなくなったあとに実現されるのが、アソシエーション。
左派リバタリアンとは、経済的自由よりも、人権的自由・平等を重視する。
アナーキズムよりも、アソシエーションでしょ。
実際に理想主義的な面が高いので現実的にどのように国家なく、
秩序を維持するかは、未定だな。マルクスもアソシエーションを指向した。
アナキストがリベラルかは微妙だと思う
アナーキズムはアソシエーションを指向してはいないの?
263 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/19(日) 20:23:53 0
アナーキズムとアソシエーションの違いは微妙だけど、
アナーキズムが無政府主義というイデオロギーとすれば、
アソシエーションは生産様式の一つということでしょうか。
264 :
考える名無しさん:2009/07/19(日) 23:10:06 0
>>247 それから、経済的リバタリアンも人権的リバタリアンも観念的リバタリアンの一種で、
それと唯物論的リバタリアン(ヴァン・パリースあたりか)とも、はっきり分けたほうがいいね。
265 :
考える名無しさん:2009/07/19(日) 23:15:39 0
ノージックが人権的自由・平等を重視する????
ロールズやハーバーマスの流れをくむドゥオーキンの間違いじゃないの?
266 :
考える名無しさん:2009/07/19(日) 23:21:28 0
>>261 リベラルの定義は?
>>262 指向していると思うよ。マルキストはもっと先を指向している感じ。
マルクスの自由の概念は、けっきょく労働からの解放=余暇の拡大にあるし。
267 :
考える名無しさん:2009/07/20(月) 00:13:04 O
>>260 あなたノージック読んだことある?
ノージックが経済的自由よりも平等を重視してると思ってるの?
まあノージックのメタユートピア論がアソシエーションだと言われれば
ある意味そうかもしれないけどね。
そもそもノージックが左派リバタリアンとは言われてないでしょ。
左派リバタリアンとは森村進の整理によれば、
自己所有権テーゼを身体にのみ適用し、労働の成果物に対しては適用しない立場。
上に出てるヴァン・パリースなんかも左派リバタリアンと呼ばれる。
268 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/20(月) 00:21:15 0
269 :
考える名無しさん:2009/07/20(月) 00:33:16 O
>>268 あなたが
>>247でノージックを左派リバタリアンとしているんだが。
左派リバタリアンは多様というかその意味するところが不明瞭。
リバタリアニズム自体にも少なからず言えることだけど。
あなたはwikiだけでなくちゃんと本を読んだ方がいい。
270 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/20(月) 00:46:23 0
>>269 >左派リバタリアンは多様というかその意味するところが不明瞭。
ここから説明はきついな。
ようするに、実現されたリバタリアンは、新自由主義だけということ。
wikiぐらい読もうよ。
271 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/20(月) 01:07:15 0
ようするに、wikiにもあるようにノーラン・チャートだよ。
人権的自由と重視する左派系か、経済的自由を重視する右派系か。
リバタリアンは、国家はいらない、最小にということを基礎にして、
どちらかの傾向があるということ。
右派系は、わかりやすくて、市場が自由と平等を与えるということ。
ハイエク、フリードマンの流れで、ネオリベラルとして実現された。
古典派自由主義をリバタリアンというのは無理があると思う。
あの時代は、市場と国家は分離された考えられていなかった。
アダムスミスがナショナリストであったといわれるのはそのため。
左派はわかりにく。市場主義でないもの全部ということになる。
左翼の理想、世界革命、世界共和国、アナーキズム、アソシエーションから、
リベラル(中道左派)近いもの。
ロールズ・リベラルとの対立もあるし、ノージックを左派に入れるかどうかだけど、
市場主義でないので、左派にいれたが、
>>269がにぶちぎれられた。
リバタリアニズムの複雑さはアメリカの州が一つの国みたいになってて、地方自治が確立されてるという地域事情と関係ある。
教会とボランティアと住民参加の自治活動が盛んだという土壌があって出てきている。
そういう具体的地域事情を抜きにして宙に浮いた抽象理論だけを日本人が見てもよく分からない。
日本人は自治の観念が希薄だからね。
273 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/20(月) 03:16:46 0
>>267 リベラル(中道左派)は、労働の成果物に対して所有権を適用しない立場ではない。
森村本は読んでいないが、左派の基準がきついな。
ボクがいう左派、右派は、市場主義か、どうか。
すなわち基準は所有権ではなく、自生的秩序かどうか。
>>271にように、右派リバタリアン=ネオリベラリズムということ。
細かい話になるが・・・
274 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/20(月) 03:18:37 0
だからノージックのユートピアは市場ではなく、アソシエーションのようなところへいく。
>第三の波平
ノーラン・チャートにとらわれすぎじゃない?
解釈のひとつではあると思うけど。
276 :
考える名無しさん:2009/07/20(月) 03:43:05 0
クダらんね。「理念」というものは常に無限遠にある。
どれも、見てくれは正しいのだ。
そういうものにダマくらかされてはいけない。
人生は有限なのだ。
278 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/20(月) 03:47:38 0
ノーラン・チャートを重視するのは、
保守(中道右派)とリベラル(中道左派)を基本にするからだね。
これをさらに広げて、右翼(ナショナリズム)、左翼(社会主義)を
基本にすると、収まり切らなくなる。
でもいまどき、そこまで広く考えることに意味があるか、と言うことだね。
ボクに言わせると、現実的に考えるなら、とらわれた方がいいよ、といいたい。
>第三の波平
レスありがとう。
現実とは何か、っていうのもまた語るところが多いとは思うけど。
ノージック=左派っていうのは、ある程度本読んだ人なら直感的に否定したくなる気持ちも分かる。
経済的自由と個人的自由とはどう定義づけてる?
また右翼左翼についてだけど、右=ナショナリズム、左=社会主義、と考えた場合
北一輝なんかはどこに入ると思う?
質問が多くて申し訳ないです。
280 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/20(月) 04:32:09 0
>>279 確かにwikiでもノージックは左派、右派で分類いていない。
ロックの自然権を基本にもつと考えると、
自由主義の祖先と考えて、右派なのかな。
でも、共産主義なきいま、左派(リベラル)も自由主義なわけで。
ノーラン・チャートの経済的自由と個人的自由とはなにかよりも、
保守とリベラルを位置づけるための軸でしょ。
右=ナショナリズム、左=社会主義の大きな構造には興味がないな。
>波平
ちょっと議論のための議論になってきた感があるけど…。
たとえば北一輝みたいな人がいる以上、左/右っていう言葉自体
安易に使うべきではないと思うんだ。
これはあなたに対する批判というわけでなくね。
そういう意味で、枠組み先にありきという態度は「現実的に考えてる」とはいえないのでは?
ランドは読んだことある?
その本はどのような本なのですか?
283 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/20(月) 04:58:00 0
肩をすくめるアトラス?読んでない。
現実的というのは、いまの生きてる資本主義社会ということ。
ボクは現実的な経験主義差・保守主義者なので、
リバタリアンとか、左翼とか、思弁的な夢物語には興味がないよ。
284 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/20(月) 05:04:55 0
枠組み先ありきではなく、現実に保守とリベラルがあり(しかなく)、
それに合わせた枠組みを考えたということ。
>波平
レスありがとう。自分も『水源』しか読んでないけど。
「現実に保守とリベラルがある」「保守とリベラルしかない」
と考えるのは、きつい言い方をすればあなたの認識だよね。
所与の枠組みをそのまま内面化させるその態度は、少なくとも学問的ではないよ。
あなたが2ch以外の部分でどのような生活をしているかは測れない。
このまま趣味として、自説を述べ続けるのも非常に結構なことだとは思う。
>>282 アイン・ランドという作家がいるんです。
リバタリアニズムの第一人者と言われています。
(彼女自身はこう称されることを非常に嫌っていますが)
利己主義と人間の意思を肯定するような内容の小説や、評論を書いています。このスレの最初の方にも名前が出てますよ。
287 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/20(月) 11:59:49 0
>>285 議論のための議論になってきた感があるけど…。
「現実に保守とリベラルがある」「保守とリベラルしかない」
と考えるのは、きつい言い方をすればあなたの認識だよね。
所与の枠組みをそのまま内面化させるその態度は、少なくとも学問的ではないよ。
あなたが2ch以外の部分でどのような生活をしているかは測れない。
このまま趣味として、自説を述べ続けるのも非常に結構なことだとは思う。
現実として資本主義、自由主義社会なわけで、
近々、革命がおこる様子はない。
学問的に革命を想像することは勝手だが、
この資本主義には生活をさせているという固さがある。
生きると言うことを舐めてはいけない。
少しこの経済が揺らいでも多くの人の生死が危うくなる。
だから学問的には保守とリベラルなんて退屈な違いかも
しれないが、現実的には大変なことなんだよ。
それが政治というもの、ということね。
釣りごろ釣られごろ!
289 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/20(月) 15:14:05 O
右翼でも左翼にでもリバタリアンでも、現実的にはチャート内でしか活動できないのかなあと
言霊に託す影の自身、雨音はハウスの調べ、脳を思いやる。
和歌山県出身 73才 男 団体職員
291 :
考える名無しさん:2009/07/20(月) 19:01:06 0
権威主義、「民主主義」、自由主義
いまの日本でのリバタリアニズムって、どうなのよ。
>波平
あなたが資本主義を絶対視して賃労働にいそしむのは自由だ。
ただの鉛筆しか持っていない人が風景を描くなら、それはモノクロの風景画となるだろう。
だが、その絵を見て元の風景も白黒だと思う人はおそらくいない。
自分の限界を「現実」とやらに仮託して生きるのもまた、あなたの自由だ。
294 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/21(火) 00:53:14 0
>>298 >あなたが資本主義を絶対視して賃労働にいそしむのは自由だ。
>自分の限界を「現実」とやらに仮託して生きるのもまた、あなたの自由だ。
なんかすごいな。キミ、ニート?
生活って生やさしいものではないのよ。
295 :
インソムマニア:2009/07/21(火) 01:03:32 0
というより資本主義かその他かというのはイデオロギーの
対立ではなくなってきている
いま社会主義化しているアメリカを見れば分かるように、政治的ないし思想的
意味で資本主義と社会主義が対立するという前提そのものが成り立っていない
なぜならソ連解体で社会主義陣営が敗れ、それを破った資本主義も敗れた
むろんそれは左派右派の対立の形骸化も示す
むしろこれからは社会主義的な資本主義、ないし資本主義的な社会主義が隆盛
するだろうな
296 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/21(火) 01:17:21 0
資本主義とはなにかというのは難しくて、
誰かが私は資本主義者だ、といったわけではない。
すでに資本主義のようなものは運営される中で、
社会主義の反語として現状を表すものとして出てくる。
マルクスによれば、資本を基本として生産様式。
(正確にはマルクスは資本主義という言葉は使てないけど)
でもそれもまた小さな意味で、近代において経済中心社会が
生まれつつ変化し続けたこの現実としかいえない。
生活ってイデオロギーでは収まりきらないよね。
297 :
インソムマニア:2009/07/21(火) 01:30:36 0
でも資本主義というのは社会主義というような強力な思想ないし
政治体制に対抗するために巧妙につくり上げた思想(そのいみで
字義通りイデオロギーといえなくもない)だよね
ちょうど悪魔の対抗手段として天使が考案されたようなものか
実際は資本主義と生産方式の一形式なんだろうけどね
298 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/21(火) 01:33:00 0
マルクスが言ったことは正しくて、
資本主義とはこの社会の生活基盤であって、
これを帰るためには、変革ではだめで、
根底からひっくり返す世界革命以外にはないわけ。
それぐらい生活に根ざした根深いものだから。
で、それに失敗したわけだから、
もはや資本主義を変革することしかない。
それは資本主義でしかない。
保守、リベラル、リバタリアンでもなんでも、
結局、資本主義という「現実」からは出られないわけ。
299 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/21(火) 01:35:49 0
>>297 イデオロギーとして資本主義を考えた人なんていないよ。
自由主義がイデオロギーであることとは違う。
資本主義というのは、学術的にはいまも胡散臭い言葉だよ。
300 :
インソムマニア:2009/07/21(火) 01:53:15 0
でも社会主義てのはイデオロギーなんだろ
その前の過程である(と目された)資本主義がイデオロギーでは
ないておかしいんじゃないの
たしかに資本主義は思想でも観念的価値体系でもないけどね
>波平
ニートではないし、生活が生易しいものではないということは充分承知しているよ。
きちんと話をしてもらえると信じていた。残念だ。
302 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/21(火) 09:18:24 0
>きちんと話をしてもらえると信じていた。残念だ。
はぁ?おまえがきちんと話せよ。
おまえがいったの、ノージックを左派と呼ばれてキレただけだろう。
生活と思想も語れないとどうしようもないぞ。
後期ウィトゲンシュタインとはいわないから、マルクスからやり直してこい。
>>
天から地へと降下するドイツ哲学とは正反対に、ここでは、地から天への上昇がなされる。
すなわち、人々が語ったり、想像したり、表象したりするものから出発するのではなく、ま
た、語られたり、考えられたり、想像されたり、表象されたりした人間から出発して、そこか
ら身体を具えた人間のところに至るのではない。現実に活動している人間たちから出発し、
そして彼らの現実的な生活過程から、この生活過程のイデオロギー的な反映や反響の展
開も叙述される。人間の頭脳における茫漠とした像ですら、彼らの物質的な、経験的に確
定できる、そして物質的な諸前提と結びついている、生活過程の、必然的な昇華物なので
ある。道徳、宗教、形而上学、その他のイデオロギーおよびそれに照応する意識諸形態
は、こうなれば、もはや自立性という仮象を保てなくなる。これらのものが歴史をもつので
はない、つまり、これらのものが発展をもつのではない。むしろ自分たちの物質的な生産を
物質的な交通を発展させていく人間たちが、こうした自分たちの現実と一緒に、自分の思
考や思考の産物をも変化させていくのである。意識が生活を規定するのではなく、生活が
意識を規定する。P30-31
ドイツ・イデオロギー マルクス
<<
>波平
チャートから少し離れてみては、以上のことは言っていません。
失礼ながら、現実に政治にコミットしていると思えない方が「現実」「政治」などのタームを使って
ご自身の生き方を正当化するための根拠としているように見えてしまっています。
ただ、言いがかりをつけているような気もしてきたので、それに関しては申し訳なく思っています。
コミットって言葉、誤用ですね。すみません。
関わっている、と読んでください。失礼しました。
305 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/21(火) 11:09:52 0
>失礼ながら、現実に政治にコミットしていると思えない方が「現実」「政治」などのタームを使って
>ご自身の生き方を正当化するための根拠としているように見えてしまっています。
政治において、自身の生き方を正当化する以外になにがあるの。
世界革命?世界平和?
セカイの中心から、神の目でセカイを眺めてるつもり?
生活なめんなっていうの。
左翼のようにデモやビラ配りすることだけが政治運動ではないのよ。
政治は、本の上でおこってるんじゃないんだよ、生活現場でおこってるんだよ。
>波平
>セカイの中心から、神の目でセカイを眺めてるつもり?
繰り返すけど、生活上の苦労なら充分わかってます。おそらくはあなた以上に。
そういう根拠のない決めつけはやめてください。
正当化=世界革命、ではないんですか?
あなただって自説に賛同してくれる人がほしいからここにこうやって書き付けるんでしょう。
多少つかめてきたような気もしますが。
まずどうして後期ヴィトゲンシュタインが出てくるのか聞きたいです。
307 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/21(火) 11:18:58 0
まんまと、振っちゃったね。知らないよ。
エースナンバー
309 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/21(火) 11:21:53 0
■経験主義の「現実的な生活過程」とはなにか。(まだ書きかけ)
ヒューム 自生的秩序(コンベンション)
ボクの立場はとにかく経験主義です。経験主義的な立場とはまず「自生的な秩序」があるとい
うことです。このような経験主義を明確化したのはヒュームでしょう。ヒュームは自生的秩序をコ
ンベンション(慣習)と呼びます。合理主義や法など言語活動はいつもコンベンションの後から
来る。そしてこのような合理主義は重要ではあるが必ず失敗する。それは言語の限界であっ
て、知の限界です。
そして注意する必要があるのが、言語表現の軽さです。言語表現はすべてを軽いものにしてし
まう。操作可能にしてしまう。そこに失われる「重さ」は、コンベンションに繋がっています。コン
ベンションは環境であり、そして環境と接する身体です。いくら言葉で語ろうが容易に変化しな
い重さ。それは、物質的な環境であるとともに人そのものです。人は生まれ落ちた環境、文
化、社会、関係性などに密接に結びついて切り離すことができない。それは不可逆な1度切り
の経験、すなわち歴史としてあります。それが経験主義的な重さです。このような重さを無視し
た言説には意味がない。
実はこの重さを言語化することは不可能です。たとえば目の前のコップを手に取る。脳が、「目
の前のコップを手に取れ」と言うから身体が動くのか。これはまったくの錯覚です。身体はその
前に行為していますし、そもそもそこには手の挙げから握る指の動かし方など、どのように体を
動かすか命令されていません。これを突き詰めると、ゼノンのパラドックスに陥るでしょう。命令
した行為と命令した行為の間の行為はいかに命令されるのか・・・。だからこそ、言語は行為に
先立つという言語中心主義の錯覚が当然のように哲学思想を支配してきたのです。少し考え
ればわかるこの事実を無意識深く閉じこめてきたのです。
310 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/21(火) 11:22:41 0
ウィトゲンシュタイン、フーコー、ラカン 経験主義とメタ合理主義
それをいかに表記するか。このことに悩み続けたのが後期のウィトゲンシュタインです。「言語
ゲーム」とはまさにコンベンションのことです。行為がいかに可能であるかについて繰り返し繰
り返し思考実験しました。
またフーコーが見いだしたのは、コンベンションとは自然の所与ではなく「権力の場」であるとい
うことです。自由な行為ではなく環境からの拘束性から描く。そもそも人の行為とは多かれ少
なかれコンベンションに規律訓練されている。フーコーはミクロレベルで軍隊のように規律訓練
された動きから描き始めます。またマクロレベルではその時代の統治技術としてコンベンション
は現れる。ここに新たな経験主義の重さの表現方法があります。
このようなコンベンションの記述とともに、ボクが重要視するのはラカンです。構造主義の象徴
界もコンベンションに近いですが、構成物を言語(シニフィアン)に限定することで限りなく合理
主義へ近接します。経験主義たろうとしたフロイトの精神分析の合理主義の躓きを見逃さず、
究極の合理主義への書き換えた悪名高きラカン。
この究極の合理主義がいかに経験主義へと繋がるのか。それはメタ合理主義としてです。「ラ
カンの思想は合理主義である」ということではなく、ラカンが描いたのは「どうしようもなく合理主
義に思考してしまう人間像である」ということ。すなわち人間の病としての合理主義です。
ここで経験主義と(メタ)合理主義は繋がります。経験主義的な立場では、まず自生的な秩序
があり合理主義は後から来る。しかし人は先にあったように錯覚する。これは人間が逃れられ
ない病であるということです。すなわちラカンのいったことは、人間は言語から逃れられない。
いかに経験主義を語ろうが、そこには合理主義の躓きが侵入する。経験主義は人間にとって
不可能なものである、ということです。すなわちコンベンション(環境・慣習)の重みの中にいる
のに言葉という軽さでしか捉えられないということもまた人間の重さであるということです。これ
が、ヒューム、ウィトゲンシュタイン、フーコー、ラカンらが捉えようと戦いつづけた「経験主義の
ディレンマ」です。
311 :
考える名無しさん:2009/07/21(火) 11:23:55 O
上杉達也 上杉和也 朝倉みなみ
312 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/21(火) 11:24:00 0
ケインズ、ハイエク 自由主義とコンベンション
経験主義が自由主義に繋がることは簡単にわかります。最初に自生的秩序(コンベンション)
がある、は簡単に「神の手」に繋がります。アダムスミスとヒュームは学術的な同志であり、とも
に自由主義者でした。ヒュームのコンベンションという考えはあの時代の自由主義黎明期とい
う環境と切り離せないでしょう。
だからアダムスミスだろうが、ケインズだろうが、ハイエクだろうが、経済学者はその基本を自
生的秩序(コンベンション)をおいています。しかしそれで何とかなるというということではなく、
そこにいかにどの程度設計を持ち込むか、ということが経済学の問題です。
特にマルクス以降、問題視されるのが偏在する富としての資本です。貨幣という一元化された
価値によって社会の流動性が向上し自生的秩序が生まれるとき、資本というシステムがその
動力となれば良いのですが、往々にして欲望が寄生することで「自然な流れ」を妨げる要因に
なってしまう。たとえばケインズは投資家の心理的要因が市場への資本投資の出し入れに大
きく影響し、経済が不安定化してしまうことを問題にしました。だから国家による管理のもとに
安定した経済政策を進めようということです。
あるいはハイエクはただ自由放任していても自由は達成されない。より積極的に経済的な自
由を作り出そうということです。そして社会主義やケインズのような経済の国家管理を非難しま
した。ケインズのコンベンションの限界にしろ、ハイエクのコンベンションの徹底にしろ、コンベン
ションを基本においていることにはかわりません。
313 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/21(火) 11:25:04 0
資本主義と自由主義
しかしケインズを利用した保護政策は経済の閉塞を生み出し、そしてハイエクを利用した新自
由主義はいままでにない格差を生み出し、そして今回の世界不況を生み出しました。これらが
示すのは、コンベンションを扱うことの難しさです。そしてここに自由主義と経験主義の根本的
な差異があります。コンベンションは複雑な権力闘争の場、経済の領域というよりも政治の領
域、自由主義というより資本主義なのです。
資本主義とはなにかというのは難しくて、自由主義者のように、誰かが私は資本主義者だと
言ったわけではなく、すでに資本主義経済のようなものは社会で運営される中で、社会主義者
が反語として、現状を表すために用いました。 だから(正確にはマルクスは「資本主義」という
言葉は使ていませんが)マルクスのいうように資本を基本とした生産様式のことですが、それも
また小さな意味で、近代において市場経済中心社会が生まれ変化し続ける社会であって、資
本、貨幣、労働力、金融、流通、そして権力などまさにいまこの現実のコンベンションです。
314 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/21(火) 11:26:26 0
モース 資本主義と贈与交換
マルクスにしろ、ケインズにしろ、ハイエクにしろ、経済学が躓くのは貨幣交換の腐敗や贈収賄
です。自由主義経済学は、コンベンションを「神の手」というように貨幣による一元的な価値へ
と平面化し、そして「贈与関係」をあってはならないものとして扱います。
貨幣交換と贈与交換の違いを示すならば、匿名と顕名の違いです。ある商品の売買でお金を
払うならば相手をといません。しかしある物を贈与する場合には信用が重要であり、その相手
が誰であるかが重要です。自由主義経済では自由競争が求められ、私的な理由で相手を選
ぶことは害であるとされます。しかし資本主義における資本という貸し借りの原理は貨幣交換
を越えて限りなく贈与関係に近いものです。だから容易に転倒して腐敗や贈収賄という害とし
て現れますが、資本は信用取引=「社会的な貨幣交換」というもので贈与交換が下支えしてい
るのです。
モースは未開社会に貨幣交換とは全く異なる象徴的な秩序と、それを維持する力を発見しまし
た。それが贈与交換です。贈与交換の力学は、その社会へ慣習・道徳、すなわちコンベンショ
ナルな権力分布を生み出す基礎になってきました。しかし近代における自由主義経済の浮上
は、このような贈与交換社会を転倒しました。
315 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/21(火) 11:27:19 0
コンベンションの顕名性(ミクロ)と匿名性(マクロ)
>>
自生的秩序(コンベンション)
サイズ 顕名(ミクロ)−−−−−−−−−−−−−−−−匿名(マクロ)
経済 贈与交換−−再配分−−資本(信用取引)−−貨幣交換(神の手)
権力 象徴関係(社会)−−主権(国家)−−規律訓練権力−−統治(生権力)
体制 原始共産制−−−封建制−−−資本主義−−−自由主義・・・(共産主義)
<<
簡略ですが図式化すると以上のようになるでしょう。ここには社会規模と統治方法との関係が
あります。顔が見える小さな社会では贈与交換を基本として原始共産制になり、ある程度大き
くなると主権者による再配分による封建制となる。再配分は擬似的な贈与交換です。人々は
主権者へ贈与し公共事業などの形で返礼される。社会は太古から贈与交換を基本として成り
立ってきました。
さらに社会がグローバルな規模へ拡がり広域が秩序が必要な場合には、贈与交換が働きにく
く、貨幣交換による自由主義社会が必要になります。正確には社会の規模が拡がり自由主義
社会になったのか、自由主義への推進が社会の規模をグローバルに広げたのか。西洋で起
こった贈与交換社会から自由主義への離陸は歴史のミステリーです。贈与交換から貨幣交換
へのシフトはただ規模に還元できないからです。
316 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/21(火) 11:29:23 0
貨幣交換を基本原理とするためには、交換様式の変化以上に、社会のあり方そのものを開拓
する必要があるからです。この過程がフーコーの規律訓練権力や生政治などで分析されてい
ますが、知らない人と安全に等価交換することがまず人的に制度的に訓練・管理された高度な
社会秩序を必要とします。
自由主義の理念が、安全な自由競争であるとすれば、そのようなものが実現されたことはない
でしょ。いまの社会の基底には贈与交換が働いています。人々は訓練・管理された高度な社
会秩序を達成しましたが、それでも無条件に自由競争に身をゆだねるのは危険すぎます。家
族、友人、知り合いなどの贈与交換との兼ね合いで経済活動を行っています。
自由主義を支えているのが、貨幣交換と贈与交換の中間に位置する資本(信用取引)でしょ
う。人々は贈与交換から延長で信用を担保にしながら、慎重に貨幣交換を行っています。
317 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/21(火) 11:30:17 0
自由主義への贈与交換の影響
この信用という贈与交換のあり方によって、資本主義という多様性が表れます。一つは匿
名性において統治された国家の人口として、それに取り付く信用という贈与交換は市民社
会、国民、ネーションとして現れます。これらは活発な経済活動の基本となる肥沃な大地で
あり、「良いコンベンション」と言えるでしょう。
また資本の活動において、信用という贈与交換は一部の資本をもつ者たち=上流層として
働きます。そして上流層には当然、国家権力が属します。これは、独占、贈収賄、インサイ
ダーなどの違法に近接しつつ、資本主義の始めから決してなくならない「悪いコンベンショ
ン」があります。今回の金融不況ににしても、経済圏がグローバルに拡がることで、上流層
の贈与交換の影響が巨大になっています。顕名(ミクロ)な行為が貨幣経済を通して瞬時
にグローバルへ影響を与える事態を生み出しています。
これと相対するように、多くの資本をもたない者たち=下流層を生みます。左派の母胎は市民
社会であると考えられますが、そもそも市民社会は、資本主義への統治が群衆を国民へと規
律訓練し、統治することで生まれたものです。顕名(ミクロ)的なつながりというよりも、大衆とい
う匿名(マクロ)のポピュリズムとして現れます。
このようなポピュリズムが左派ということはできないでしょう。左派とは資本主義の活動の結
果、事後的な存在と言えます。左派が優秀な資本主義の分析家であり続けるのはそのためで
しょう。
318 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/21(火) 11:31:08 0
左派の限界と資本主義の泥臭さ
新自由主義の現状では国家の機能が弱まり、対抗すべき権力は主体を持たず透明化して
た匿名(マクロ)な権力であるとして、左派の言説はフーコーの生権力を基礎にしていま
す。ボクはここには不満を持っています。これだけのグローバルな格差が生まれている現
状で問題にするのは生権力でしょうか。ここに左派がもつ弱さがあるのではないでしょう
か。
左派は資本主義の本質を捉えることができない。なぜなら左派が社会主義という匿名
(マクロ)レベルの理想を目指すために、現状分析も匿名(マクロ) 現象だからです。歴史
的に法則性がなく、イデオロギーもないミクロな贈与交換の現象を分析する方法論を持ち
合わせていません。国家社会主義の多くが、独裁政権、すなわち上流層の贈与関係へ落ち込
み抜け出せなくなるのはこのためでしょう。
それに対して、資本主義はまだ上流層への流動性を組み込みます。
>>
だから自由主義では主権は例外状態において決定しない。決定してしまえば自由は死ん
でしまい、自由主義経済は成立しない。主権は例外状態に決定するのではなく、ただ調整
する。調整することで得られるのは情報である。そしてその情報によって優位にリスクを管
理する。この情報の非対称性こそが利益を生む。人々が知らない情報を得ることで優位に
(投資)交換を進めることができる。
主権者が例外状態において決定するとき、主権者は臣民に対してメタレベルにいる。だが
自由主義では例外状態は主権にも開かれたままである。そして例外状態に「メタ言語は存
在しない。」不確実性の前では誰もが平等である。ただ情報の非対称性による優位性があ
るだけだ。自由主義において統治権力が働くのにそこに主権が見えない理由はここにあ
る。そもそも自由主義において主権は存在しない。優位性を求めて自由を管理しようとする
主権もどきたちの権力闘争があるだけである。
なぜ自由主義に主権は存在しないのか
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20090627#p1 <<
319 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/21(火) 11:32:33 0
(未完成)
みたいな感じかな。
>波平さん
敬意を表し今後はさん付けにします。
不勉強と立場の違いのために、すべてをフォローすることはしていませんが
とてもよくわかりました。書いてくださりありがとうございます。
余談ではありますが、自分を周縁に置くことが常であったため
どちらかといえば波平さんの視点の方が、ご自身でおっしゃっていたものに近く感じます。
321 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/21(火) 11:53:10 O
調子にのってやりすぎました。
ところであなたはだれ?立ち位置をまったく語ってないけど
>波平さん
自分では「死人」か「匿名性」のようなものだと思っています。
いま波平さんがされた質問がこれまでの中で最も恐ろしく、また心をえぐられました。
心をえぐられるというのは言い過ぎでしたね。失礼しました。
匿名性を体現するために生き、またこれからもそう努めようとしている者だとのみ。
324 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/21(火) 12:19:48 O
相手の批判や知識の披露はよういだけど、自分の立ち位置を語るのはむずかしいよね。
先の文はそのために書いてる途中けど現実の生活に達するにはまだまただね。
結局、語ろうとするうちはだめなんだろうね。
>波平さん
ご指摘痛み入ります。
おっしゃる通り、自分が誰かを語るのはすごく難しいと思います。
労働力の1単位以上の意味を自分自身に見いだしているのかといえば、それはわかりません。
実は哲学板に足を運んだのはこの3日くらいのことです。
かなり失礼な絡み方をしたにも関わらずお付き合いいただいて、どうもありがとうございました。
326 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/21(火) 12:50:54 0
>自分では「死人」か「匿名性」のようなものだと思っています。
ホモサケル、生権力ですね。
典型的な現代病です。
>>315で図式化したように、
自由主義統治(生権力)は、市場経済を基本に、
人を匿名性に起きます。
調子がよいときは、大きく稼げたり、自分の発言が組織へ
大きな影響を与えるなど、エリートとして快楽なのですが、
波に乗れなければ、ただ流されて、ただ生きるだけのような
ホモサケル化します。
それは自由主義統治は、社会の流動性をあげるために、
市民の顕名(マクロ)=贈与交換=繋がりを分断するからです。
このためには、小さなものでも、ミクロレベルの繋がりを
担保することが重要である。友達、家族、マニアな趣味など、
自分が自分であるためのミクロな繋がり。
哲学は基本、匿名(マクロ)なものなので、あまり救済にはならないでしょ。
哲学を担保に仲間を作るとかが、ブログをやるとか重要ですね。
がんばってください。
327 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/21(火) 13:11:02 0
こうみえて
>>309-318は、現代を生き残るための
「現実的な生活過程」に根ざしているんですよ。
どのような共同体においても『個』の利益のために行動すると その共同体は崩壊する
329 :
考える名無しさん:2009/07/21(火) 14:10:42 O
まあどんな方向であっても全部の方向があるからな。人間とか日本とかそれでもせめーからな
309以降の書き込みは、日本における現代経済戦争の兵士を製造するための「偽経済学」である。
この偽経済学は、国の主導により、教育カリキュラムに内蔵されてきた。
真実は「本丸の成立過程の研究」に収斂される。
しかし、「偽経済学」が悪では決してない。
それは宇宙の要請であるからである。
しかし、「偽経済学」が悪では決してない。
それは宇宙の要請であるからである。
「本丸の成立過程の研究」が善では決してない。
それは宇宙の要請であるからである。
波平さん=ぴか〜さん、ですか?自分読者なんですが。ワッショイ
「偽経済学」がなぜ悪では決してないのか?それは、テクノロジーが軍需によって発展をとげ、磨かれていくことを考察するとよくわかるのである。
究極的に善悪は存在しえない。悪とみなされる事象はのちの善を相補的に補完し、善とみなされるものも、のちに悪を補完することが、世の常であるからである。
それを受けての自身がとらざるを得ない行動は、2つ。
「銃をとる」か、あの手この手で「愛を説く」か、の2つしかない。
変革者は背中で語る
338 :
考える名無しさん:2009/07/21(火) 22:27:18 0
第三の波平とやらは 左とか右とかに関わりすぎて何が言いたいのかさっぱり分からん。
あなたは自由とはなんだと思いますか?
>>238 の質問に答えてほしい。
自由という概念が曖昧なまま先に進むべきではない。
やっぱりよくわからないのだけれども
リベラルやリバタリアンがアソシエーションを指向してたとして
これ程不安定なものはないと思うのですが
共同、共通なんて全く当てはまらないんじゃないですかね
自由とは、難しすぎてわかりません。
341 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/22(水) 00:05:40 0
>>338 そりゃ。Aでしょ。訓練してもらわないと、事故多発するだろう。
A「車を運転する権利はそれに適した技量を持つ者だけだ。それは社会的合意によって決まる。」
自由はなにかで、曖昧以外になにがあるの?
厳密に考えてもしょうがないでしょ。
342 :
考える名無しさん:2009/07/22(水) 00:22:57 0
>>297 >>299 資本主義はマルクスの概念ではないらしい。マルクスは唯物論から資本を論じたから、
資本主義という概念は用いず、資本家的生産様式とそれが支配的になった社会を論じただけ。
マルクスやエンゲルスらの唯物史観に対してマックス・.ヴェーバーは、資本家的生産様式が、
観念、アイデア、イズムから生まれた一種の精神様式であり宗教であ思想の産物であると論じた。
鶏が先か、卵が先か、という議論になってしまうが、思うに、いずれの考えも正しい面をもっている。
>>297が言うように、市場社会とて信用という観念なしにはなりたたないし、それを具現化した法思想
なしには成り立たない。これは一種の思想であって、市場を尊重する精神がなければ市場もまた
無秩序化し、貨幣も機能しない。ゆえに市場リバタリアニストも夜警国家は必要だというのだ。
さもなければ万人に対する万人の闘争関係あるのみ。階級闘争があるのみ。
だから市場もイズムなしに純粋に唯物論的に存在しているわけではないことが分かる。
343 :
考える名無しさん:2009/07/22(水) 00:26:55 0
貨幣も一見すると物質だが、その実態は信用という精神的・心理的なものだ。
市場はマルクス主義者の言うようにたしかに物質的な基盤を不可避にして成り立つが、
それを動かしているのはけっきょく心理学的な原理(信の構造)で、不安定なものだ。
そこおば考察せしめれば、とらざるを得ない自身の行動の選択肢は、2つ。
「銃をとるか」、あの手この手で間接的にせよ直接的にせよ「愛を説く」か、だと思われてならない。
そこおば考察せしめれば、とらざるを得ない自身の行動の選択肢は、2つ。
「ほにゃららをとるか」、あの手この手で間接的にせよ直接的にせよ「愛を説く」か、だと思われてならない。
WWWWWWWWWWWWWWWWW
347 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/22(水) 01:23:18 0
>市場はマルクス主義者の言うようにたしかに物質的な基盤を不可避にして成り立つが、
>それを動かしているのはけっきょく心理学的な原理(信の構造)で、不安定なものだ。
市場の不安定さが現れるのが、恐慌ですね。
債権や貨幣が突然、紙くずになる。
しかしこれを以て、貨幣が心理的なものと考えるのは間違いです。
経済は貨幣のみで成り立っているわけではない。
商品があり、生産、流通、販売装置・建造物があり、
市場に依存した人々の生活、生存があります。
だから簡単に崩壊するわけではない。
これは逆に言えば、市場経済を作動させるにはこれらの地道は
開拓が必要です。これらは国家事業として行われる。
人材教育、区画整理、資金投資など
348 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/22(水) 01:27:23 0
ヴェーバーがいったのは、資本主義の立ち上げには、
プロテスタントがもつ勤勉さという優秀な人的な資本が重要な働きをしたということ。
マルクスが資本家の銭ゲバが資本制を進めたということに対抗した。
349 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/22(水) 10:40:12 O
貨幣が信用でなりたっていることを構造主義のように軽く言わないほうがよい。
なぜならこの社会のすべてが信用でありたっているから。言葉がつながるのも、数学だってそう。
これをウィトゲンシュタインは「言語ゲーム」と読んだ。
だからたしかに信頼がこれるときはある。貨幣なら恐慌、言語なら神経症。
それでもうまく運営される。なぜならコンベンション(慣習、自生的秩序)があるから。
人間関係あり、かわらない環境があり、そこに生きるための生活があるから。
信頼でできているからいつ壊れるか怖いというのは神経症
ほんとに、目にきまてます。充血ぎみです。
351 :
考える名無しさん:2009/07/22(水) 22:15:37 0
>>341 波平さん あなたは全てが曖昧なままでしょ
リバタリアニズムのスレで自由が曖昧でいいでは何が言いたいのか伝わってこないよ。
>>238の質問で@を選ばなかったのは自由を自然権とはとらえていないからだと思うが、
それは自由が曖昧でいいという意味ではないでしょ。
Aは社会の発展の帰結として自由を捉える。
帰結主義的リバタリアニズムが決して市場経済競争に秩序を任しているわけではないのが分かるだろ。
352 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/22(水) 22:36:25 0
>>351 ん?技量がないのに自動車にのられたら、怖いだろう。
違うか?
ん?自由が曖昧でいいというのは消極的自由も積極的自由も糞もないということ?
354 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/22(水) 23:24:48 0
厳密な自由って自由なの???
355 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/22(水) 23:27:44 0
自由なんって不自由さ。自然が一番だ。
356 :
考える名無しさん:2009/07/22(水) 23:42:58 O
ラーメン花月まで歩いた。あの薬局のある広い通り
自由って概念は日本人には誤解されてるんだよね。
元々アメリカ人の自由は、カトリックからの自由であって、
俗っぽいカトリックに満足いかない人々が、厳格なキリスト教の規律ある生活を実現する自由を求めて
アメリカに渡った。
アメリカ人の自由は、カトリックの縛りから自由になって原理主義的な教会を信仰する自由だった。
日本人はキリスト教のバックボーンが無いから、自由というとバックボーン無しの空っぽの自分が好き勝手する事が自由だと考えてしまう。
358 :
考える名無しさん:2009/07/23(木) 22:48:13 0
>>352 社会的信頼関係の上で自由というのは成り立っているんだ。
車の免許はそれが分かりやすいだろ。
児童ポルノの問題とか日本国内で何の問題もない物が規制されようとしている。
信頼関係を築く努力もせず政治の力で自由を制限する行為に反対するのがリバタリアニズムなんだよ。
359 :
考える名無しさん:2009/07/23(木) 23:16:24 0
何年か前から第三の波平ってHNの人が気になってたんだなあ。
360 :
考える名無しさん:2009/07/23(木) 23:17:18 0
否定、否定の否定、肯定
361 :
考える名無しさん:2009/07/23(木) 23:19:50 0
アンチテーゼ、ジンテーゼ、テーゼ
362 :
考える名無しさん:2009/07/23(木) 23:24:04 0
消極的自由
政府の消極的自由の身振り
364 :
考える名無しさん:2009/07/24(金) 10:32:37 0
この社会には自由な市場はある。奴隷社会にもあった自由な市場は。
しかしそれは現実的な自由が保障されている社会をなんら意味しない。
奴隷社会がそうであったように。
奴隷社会でも奴隷は主人の下から逃亡しようと思えばできないことはなかった。
そういう意味で奴隷も自由人だった。しかし自由を求めるには奴隷にとってリスクが高すぎた。
よって大多数の奴隷は主人との間で仕方なく苦渋の生存「契約」を結ばなければならなかった。
自由な市場と自由を保障してくれる社会とは、はっきり識別しなければならない。
近代社会は後者の建前を唱えつつ、前者を現実の制度として是認する社会となっている。
奴隷社会の「契約」関係は残されたままだ。
しかし市場主義者にいわせればそれが市場にとっての自由なのである。
365 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/24(金) 10:59:53 0
>>364 だから左派か、右派だろう。
人権的か、経済的か。
国家からの自由(自由権)と、国家による自由(社会権)とが対立、
一個の思想の中で両者は共存できないということか。
(いまは右派の方が現実的なので優勢。当スレでも右派が前に出ながら左派をアカと叩く。)
でも、消極的自由と積極的自由とを両立させてこそ、本来リバタリアニズムの理想なのでは。
というか理想論、机上の空論、寝言以外の自称リバタリアンは、
右派か左派かのどちらかでおk?
観念的な右派左派思想とは関係なく、歴史的事実として、国全体が経済的に富んで安定した社会になれば、
それに比例して労働者・弱者層の人権も拡張されていくのだから、
理想では左派的価値観を持ちながら、でもやっぱり現実には中道右派政党を支持するというのが多数だろう。
結局、1人の個人の内部で左派的理想と右派的現実が共存しながら揺れていて、それが思想という外的な言葉で明示されるときに
差異として現れる。その内的な揺れを排除して、外的な言葉に執着してしまうと、奇妙な極論思想になってしまう。
サヨとかウヨとか言われているような変な奴。
nnnnnnnnnnnnnnn!
369 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/24(金) 16:49:15 0
>>367 そうだな。現代の左派、右派が、中道左派(リベラル)、中道右派(保守派)という
ように境界がわからなくなっている。
でもここに一つの筋を通すとすれば、基本は自由主義であるということ。
自由を市場原理を任せる。その上で、どの程度、分配原理をはたらかせるのか。
その程度が左派と右派だね。
これは国によっても違う。アメリカの中道左派は、日本の中道右派よりも左より。
そもそもリバタリアンなんって理想なんだよ。ハイエクやフリードマンがいうのは、
自由競争を徹底する原理であって、実際に政治的に運営されるのは、彼らの
理想とはかけ離れた自由競争なんって見せかけの強者に不平等な政治だよ。
370 :
考える名無しさん:2009/07/24(金) 18:24:11 0
>>366 マルキストにとっては、ブルジョワ国家は、資本の支配を体現しているから、
資本の支配からの自由(自由権)、ブルジョワ国家からの自由(社会権)とは両立するんだよ。
371 :
考える名無しさん:2009/07/24(金) 22:12:13 0
>>365 左派が人権的、右派が経済的って、どっちも人権的でどっちも経済的なのでは?
こっちが理解できていないだけかもしれないけど。
372 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/24(金) 23:18:05 0
373 :
考える名無しさん:2009/07/25(土) 02:17:53 0
消極的自由、積極的自由などありえません。
「暴力からの自由」は「反暴力からの自由」を失い
テイラーが述べるように「自由の総量は決して変わらない」
ノージックがリバタリアニズムを捨て、晩年にコミュニタリアニズムに転向した理由でもある。
374 :
考える名無しさん:2009/07/25(土) 12:18:05 O
波平ってリバタリアニズムの原典読んだことあるの?
375 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 14:15:21 0
自由度を上げることで二つの階層が開かれる。
一つは各個体の自由度。ここで問題は各個体全体の秩序はいかに保つのか。
だから二つ目は各個体の自由度を調整する自由度。
二つ目の自由度が権力者の層である。
各個人は一つ目の層で自分勝手にしている。
二つ目の層では各個人を拘束するのではなく、自由にさせることで、
生まれる自由主義経済の富を調整し、独占することができる。
376 :
考える名無しさん:2009/07/25(土) 15:08:02 0
マルチコピペうざす。
377 :
考える名無しさん:2009/07/25(土) 17:23:58 0
>>373 自らの積極的自由により自らの消極的自由を失うことになる。
自由の総量など問題ではない、自由の質が問題だよ
ノージックやノーランはリバタリアンではない。
本当のリバタリアンはハイエクだ。
>>375 自由と平等が対立する概念だと思ってないか? 馬鹿な奴だ。
自由の本質は社会的信頼だと教えたが、平等の本質もまた社会的信頼なのだ。
二つは一つ、同じ物だよ。 経済効率の追求と社会福祉の増進とは矛盾しない。
市民社会の発展が全てを解決するんだ。
378 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 17:30:41 0
>>377 ならば、
世界でもっとも裕福な人々上位千人が保有する純資産の
総額は、世界の最低貧困層二十五億人の資産総額の約二倍に相当する、のはなぜだ。
379 :
考える名無しさん:2009/07/25(土) 17:43:17 0
もう
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY
のレスはすべてスルーでいいんじゃね? 空気空気。
白鳳戦、懸賞31本か。
381 :
考える名無しさん:2009/07/25(土) 18:37:11 0
>>377 >ノージックやノーランはリバタリアンではない。
>本当のリバタリアンはハイエクだ。
俺もそう思う。
ハイエクの競争の最大化は貧困を解決するのに最も優れている。
経済活動を効率化し、社会経済が発展をすることで
競争に勝てた者には富が、負けた者には保障が手に入る。
国は国民に積極的自由(競争)を容認し、消極的自由(権利)を保障する。
どちらかだけではバランスを欠く。
382 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 18:40:06 0
>>381 ならば、
世界でもっとも裕福な人々上位千人が保有する純資産の
総額は、世界の最低貧困層二十五億人の資産総額の約二倍に相当する、のはなぜだ。
383 :
考える名無しさん:2009/07/25(土) 18:50:29 0
>>382 だからバランスだよ。富を得た者は莫大な納税をし、
富の無い者には国が税を使って自由(権利)を保障する。
最低貧困層というが、為替価格と物価の差で、その国によっては
一日1ドルで生活できる国もあれば、10ドルかかる国もあるというだけ。
しかも本当に困窮している国は大体が競争の自由を認めない独裁者がいるか
紛争地域。
384 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 18:51:46 0
385 :
383:2009/07/25(土) 18:56:35 0
だから波平の質問は本論とは関係ない。
政治が経済発展を邪魔している国の話を持ってきて、貧富の差を語ってもダメ。
貧富の差はまず王が富を一元的に搾取するような形をやめ、
競争の自由を認め、経済が発展してから消極的自由である権利を保障し、
貧富の差を緩和することによっていくらか改善することまでわかってきている。
386 :
考える名無しさん:2009/07/25(土) 18:59:21 0
>>382 最低貧困層二十五億人が世界の社会的信頼を得ていないからだ。
北朝鮮のように馬鹿な指導者を仰ぎ、自ら市民社会を築けない奴隷がどうして信頼を得られようか?
豊かな市民社会を築くのは自ら覚醒した市民のよってのみだ。
全ての指導者を信じてはいけない、市民社会を築くのは自分たちだと覚悟しろ。
387 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 19:00:05 0
>>385 途上国の話ではない。
ネオリベラリズムのよって格差が広がったことは
経済学の常識中の常識だな。
388 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 19:01:14 0
市場至上主義の弊害とか、テレビでもやってるだろう。
389 :
考える名無しさん:2009/07/25(土) 19:02:15 0
だからネオリベラリズムとリバタリアニズムは別物だと何度も言ってるだろ。
390 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 19:03:19 0
>だからネオリベラリズムとリバタリアニズムは別物だと何度も言ってるだろ。
何が違うんだ?
391 :
383:2009/07/25(土) 19:06:00 0
>>384 ケインズでも完全雇用は実現できないのに、誰がどうやって
完全雇用を生み出すのか。
アメリカの格差、日本の格差、中国の格差。
超資本主義、共産主義のような資本主義、共産主義という名の国家社会主義。
そのどれも、格差は生まれている。
北欧の社会主義はどうか。
税を高率にし、国が財を集め、管理することによって、
国民は貯蓄をせずに働き、老後は国が面倒をみるという形は一見素晴らしいが
俺は北欧が本当に理想郷と呼べるのかどうか内実までは知らない。
なのでここでは言及しない。
波平はそちらの方が正しいと思うのなら自分で勉強してくれ。
392 :
考える名無しさん:2009/07/25(土) 19:06:01 0
ネオリベラリズムは政府指導により規制緩和、競争激化により市場拡大を目指す考え方。
これは積極的自由そのものでありリバタリアニズムではない。
393 :
考える名無しさん:2009/07/25(土) 19:07:46 0
国家権力は一切の消極的自由の侵害をしてはならない。
これがリバタリアニズムだ。
394 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 19:09:12 0
>>391 だから、ケインズ政策からネオリベラリズムによって
格差が増大したというのが、データの結果だ。
>>392 キミの言うリバタリアンは誰のが?
ハイエクも積極的自由主義だったと思うが。
395 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 19:11:57 0
396 :
考える名無しさん:2009/07/25(土) 19:16:24 0
>>394 積極的自由がわかっていない。
車の免許を国が管理するのは社会的信頼が得られている限りは消極的自由を侵害していることにはならない。
むしろ車を売ろうとして管理しないことの方が問題だ。
投資銀行を管理しなかったのはこれと同じように問題なのだ。
社会的信頼を無視して指導者が勝手な判断をしてはいけない。
397 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 19:18:00 0
398 :
383:2009/07/25(土) 19:18:40 0
>>394 格差が拡大したといっても、国として利益を出さなければ
国のファイナンスは誰がするのか?
永遠にニューディール政策をできるならいいが、それでは国は破綻する。
しかし、確かにアメリカが良いとも言えない。アメリカの富裕層は
戦争することによって所得が上がることも統計でわかっている。
戦争で儲け続けるという事態は絶対に良くない。
だからアメリカはツケが回ってきている。
俺もどうすればいいか全てお見通しという賢者ではない。
399 :
考える名無しさん:2009/07/25(土) 19:20:41 0
今大事なのは何が問題だったのかを市民全体で考え、再び社会に信頼を取り戻すことだ。
>>395 これはハイエクを始め経済学者達の常識だ。
400 :
考える名無しさん:2009/07/25(土) 19:21:50 0
401 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 19:22:04 0
取りあえず憲法学から出直せば?
403 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 19:24:27 0
>>400 ハイエクなどのリバタリアンについてなにも知らないようだな。
ハイエクは消極的自由なんっていわないぞ。
国家より市場に任せる。市場に任せるように、社会整備する。
積極的自由主義者なんだよ。
404 :
考える名無しさん:2009/07/25(土) 19:27:25 0
>>403 これはだめだ 消極的自由への理解の時系列が分かっていない。
積極的自由は隷従への道そのものだよ。
405 :
383:2009/07/25(土) 19:27:27 0
俺は波平が社会民主主義の良さを語ってくれるのを待ってるぞ。
406 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 19:34:52 0
>>404 キミがいうのは、むしろ新自由主義、サプライサイダーだな。
リバタリアンについて一から勉強しなおしな。
407 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 19:37:13 0
>>
過去数十年のあいだに出現したグローバルなエリートたちは、いまや地球上の他のあらゆ
る集団をはるかにしのぐ強大な影響力を持っている。この"超・階級[スーパークラス]"、す
なわち超権力者階級のメンバーの一人が、世界中の国々に暮らす何百万、何千万という
人々の生活に、継続的な影響をあたえる能力を持っている。彼らはそれぞれが積極的にこ
の能力を行使しており、多くの場合、同じ階級に属する他の権力者たちと関係を深めること
によって、その能力を拡大している。終身権力が代々受け継がれていたのは、もはや遠い
昔のことであり、現代の超権力者の持つ影響力はたいていが一時的なものにすぎない。
なかには「クラス[階級]」という語を用いることによって、私が「マルクス主義」や「階級闘争」
という、学問的にはいかがわしい領域に足を踏みいれる危険性があると指摘する者もい
た。・・・国際政治の舞台裏で、権力者たちとの秘密対話や極秘会談の現場を何度も目撃
した経験から言わせてもらえば、陰謀などということは、まずありえない。・・・「世界征服」と
いう昔ながらの空想は、実現するはずのない無理な話なのである。
現実に目を向ければ、世界でもっとも裕福な人々上位千人が保有する純資産の総額は、
世界の最低貧困層二十五億人の資産総額の約二倍に相当する。・・・国境を超えたスー
パークラスの影響力は、結束した集団として活動することによって、ますます強力なものに
なる。ビジネス上の取引であったり、相互投資であったり、重役会、学閥、社交クラブの一
員同士だったりと、じつにさまざまな結びつきによって集団が形成されているが、それは
けっして世界征服を含む悪の秘密結社などではない。がしかし、ともに手を携えて自己の
利益を追求することにかけては折り紙付きの達人集団であることは確かである。P12-18
「超・階級 スーパークラス」 デヴィッド・ロスコフ (ISBN:4334962076)
<<
408 :
考える名無しさん:2009/07/25(土) 19:38:21 0
>>405 社会民主主義が最終的に何を意味するか分からないが、
市民が望む社会は市民によって実現されるはずだと考えるのがリバタリアニズムで、
国家権力ではいずれ破綻するよ。
409 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 19:40:30 0
410 :
考える名無しさん:2009/07/25(土) 19:43:12 0
>>409 どんな入門書読んでるんだ? 妄想だらけではないか
411 :
383:2009/07/25(土) 19:48:14 0
>>407 そんなことはいちいち本を読まなくても俺は知っているし、
超金持ちというのはそんな陰謀といった大それたものを考えていないのも
知っている。
ただ彼らいわゆる勝ち組は実際に有能で実力もある。
それを僻んで落とすことは社会に有益かと問われるならば
俺は社会に混乱を来たすだけ。と答える。
>>408 破綻するかどうかはわからないが、弱体に向かうとは思う。
要するに、安心感と盛り上げが肝心なんですよ
今次情報戦終了後、価値論などに関して議論する機会があればよいですが
413 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 19:49:56 0
>俺は波平が社会民主主義の良さを語ってくれるのを待ってるぞ。
いまさら社会主義でもないと思うだろうが、大きな懸念が環境問題だな。
環境問題は自由主義経済では乗り切れない。
負担の分配が必要になる。
マルクスは、資本主義の末期に社会主義が要請されるといった。
戦争、恐慌など、現代ならば環境問題・・・
414 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 19:52:09 0
>>411 これだけの格差に見合った有能さ、実力などない。
エリート集団で談合して富を分配しあってるだけ。
自由度を上げることで二つの階層が開かれる。
一つは各個体の自由度。ここで問題は各個体全体の秩序はいかに保つのか。
だから二つ目は各個体の自由度を調整する自由度。
二つ目の自由度が権力者の層である。
各個人は一つ目の層で自分勝手にしている。
二つ目の層では各個人を拘束するのではなく、自由にさせることで、
生まれる自由主義経済の富を調整し、独占することができる。
415 :
383:2009/07/25(土) 19:56:49 0
>>414 そもそもエリートというものも今の時代存在しないに近い。
ダムと同じで川の流れとをせき止めると水は貯まる。
その仕組みを作ったものをエリートと呼ぶなら、
そのエリートを潰すのはダムを破壊するのと同じ。
社会は根底から貧しくなる。
政府はそのダムを壊すのではなく、上手く管理しなければならない。
416 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 19:59:37 0
>>414 ならば、
世界でもっとも裕福な人々上位千人が保有する純資産の
総額は、世界の最低貧困層二十五億人の資産総額の約二倍に相当する
ことをよしとするのか。
417 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 20:04:54 0
>>415 階層は二つだ。
一つは大衆、二つは金持ちと政府のエリート層
418 :
383:2009/07/25(土) 20:07:40 0
>>416 この世界の超大金持ちは企業家がほとんどだが
彼らにも競争の自由はあり、一般人にも権利という自由はある。
問題は企業家の所有する資産ではなく、企業家の作り上げた会社。
これが暴走しないように、一般人の権利を間接的にではあれ侵害しない
ように政府は注意深く管理する必要がある。
資本家は強くはないしいずれ死ぬ。一般人も強くは無い。
が、企業はダムと同じで管理しなければ溢れるまで水を貯める。
死ぬこともない。時にそれは環境破壊という一般人の権利をも侵害する。
419 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 20:13:41 0
>>418 階層は二つだ。
一つは大衆、二つは金持ちと政府のエリート層
金持ちと政府に境界はない。
自由競争など儲からない商売はない。
誰でも競争に参入されるんだ。
だから政府と協力して、優位な体制を造る。
今回のアメリカの金融政策を主導したのは誰か。
金融会社から政府に登用され、法律をつくった人々だな。
国家主導資本主義こそ至高
資本主義の限界が今だろ
421 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 20:29:15 0
>社会的信頼を無視して指導者が勝手な判断をしてはいけない。
>今大事なのは何が問題だったのかを市民全体で考え、再び社会に信頼を取り戻すことだ。
消極的自由リバタリアンくんが、一つ良いことをいった。
信頼を重視すること。
ただ信頼関係は協力と排他を生む。
だからエリートは、大衆を排他し、富を独占し、
信頼という協力関係で作られる。
自分は
>>396で言われてることにちょっと興味がある。
一見消極的自由の侵害に思えるものも社会的信頼があれば侵害ではないと言うけど
その「社会的信頼」というのが何なのかもう少し詳しく聞いてみたい、
それは社会の多くの人にそういう管理が求められ支持されているという事?
423 :
考える名無しさん:2009/07/25(土) 21:53:49 0
>>422 難しいな。
たとえば飲酒運転のように社会的な経験と社会の許容度によって変わる何かとしか言いようがない。
見えざる手、和の空気と言い古された表現で満足してくれないか。
424 :
考える名無しさん:2009/07/25(土) 22:01:52 0
>>421 >ただ信頼関係は協力と排他を生む。
>だからエリートは、大衆を排他し、富を独占し、
>信頼という協力関係で作られる。
何が言いたいのかさっぱり分からん。だから強力な政治指導者が現れてほしいのか?
>>423 曖昧と言えば曖昧だけど、自由の問題は自分も本当に糞難しいと思うから
いくらか曖昧なのも仕方ないのかもとも思う。自分も確固とした解決方法などは全然思いつけない。
社会的な経験でなんとなしに見えざる手的に形成されていく和の空気
というと何か慣習的というか伝統から半ば不合理に半ば曖昧に共生手段を導き出していくようなものにも思える。
自由をめぐる微妙できわどい問題についてはそういう伝統的で慣習的で経験的なものから
曖昧に解決していく他ないということなのかな。勝手に変な方向に解釈しすぎてたらすまそ
あともしこういう事だとしたら自分はそれほど反対でもないんだけど
だけど本当にこれだけで矛盾する自由やら消極的自由の制限の問題を片っ端から説明できるかというのは心配だ。
それこそ「見えざる手」が批判者には楽観的と言われがちなように、そんなに上手くいくかなという話。
少なくとも同種の問題で、運転免許や飲酒運転より遥かに合意の難しい問題が必ずあると思う。難しいね。
とりあえず多くの人がOKと言えば侵害OKみたいな話でなくてよかった。さすがにそれじゃリバタリアニズムも自由も糞もないし。
426 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 22:59:50 0
>>423 いつも狙いはいいんだけど、爪が甘いな。
基本的に、近代の自由主義経済は、「社会的信頼」の上に成り立っている。
アダムスミスの神の手という表現があるが、アダムスミスの同士、ヒュームは
コンベンション(慣習)と呼ぶ。
社会はなぜ機能するのか、ホッブズの君主との契約説、ロックの自然権説など
あるが、自由主義者、アダムスミス、ヒュームは、人々が社会を存在させようと
ふるまうことで機能する。これが社会的な信頼だ。
しかし古典自由主義は楽観主義なので、「社会的信頼」があるから、
神の手があるか大丈夫、と考えるが、そう単純ではない。
確かにみなが社会的な慣習に従いふるまうし、人が同じようにふるまうだろうという
信頼関係で成り立っている。
しかしそれとともに、信頼関係は分散もされる。家族、友達、母校、地域、
国(ナショナリズム)など。
ただ信頼関係は協力と排他を生む。だからエリートは、大衆を排他し、富を独占し、
信頼という協力関係で作られる。
427 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 23:02:25 0
一つは各個体の自由度。ここで問題は各個体全体の秩序はいかに保つのか。
だから二つ目は各個体の自由度を調整する自由度。
二つ目の自由度が権力者の層である。
各個人は一つ目の層で自分勝手にしている。
二つ目の層では各個人を拘束するのではなく、自由にさせることで、
生まれる自由主義経済の富を調整し、独占することができる。
階層は二つだ。
一つは大衆、二つは金持ちと政府のエリート層
金持ちと政府に境界はない。
自由競争など儲からない商売はない。
誰でも競争に参入されるんだ。
だから政府と協力して、優位な体制を造る。
今回のアメリカの金融政策を主導したのは誰か。
金融会社から政府に登用され、法律をつくった人々だな。
世界でもっとも裕福な人々上位千人が保有する純資産の
総額は、世界の最低貧困層二十五億人の資産総額の約二倍に相当する。
428 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 23:12:11 0
たとえば資本主義というように、経済は資本が中心にある。
資本とは貸し借りだ。ここでも信頼が重要。
コンビニでガリガリくんを買うときには、誰でも60円あれば、
帰るが、お金の貸し借りはそうはいかない。
金融ローンなら審査も簡単で、客観的だが、
融資のような大金では、社会的な信頼や、
知り合いだと優遇される。
このようにエリートたちは信頼関係の排他的ネットワークを
形成して、富を独占する。
今回の新自由主義も、古典自由主義のもつ楽観主義
=「社会的信頼」、神の手があるか大丈夫、と考えるが、
エリートの独占を生み出した。
429 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 23:16:09 0
というか、話がループしているな。
>>309-310とかでした話だし・・・
あとは勉強してくれ。売買!
430 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/25(土) 23:45:01 0
言い忘れた。
古典自由主義のもつ楽観主義を批判したのがケインズだね。
こう簡単にいかない。特に問題視したのは、資本投資だね。
投資って、生活に根ざしてない金持ちの道楽金なので、
資本家の気分で、動きやすくて、神の手のように自然に動かない。
それを公共投資で安定させようということ。
ハイエクのリバタリアンは、古典自由主義のもつ楽観主義を
非難する。ほっとけば何とかなるではなく、
きちんと経済的な自由の制度を作りましょうということ。
偏在する信頼関係を分断し、個人個人が自己責任で
経済活動に参加し、生活すること。
ハイエクが国家を排除するのは、経済活動であって、
政府は自由な経済活動が行えるような基盤をつくること。
まあ、実際に運営された新自由主義は、ハイエクが考えるよりも、
自由放任で、結局、エリートたちにいいように利用されて、
みごとに格差を広げた。
共産主義が、エリートの独占で腐敗したように、
新自由主義も同じことが起こった。
結局、どのような制度も、腐食から逃れることは難しい。
逆に言えば、社会的信頼がいかに人間にとって根強いものか。
それは、他者よりも自分の親子を愛してしまうことと同じ根ねんだよね。
以上です。
431 :
383:2009/07/25(土) 23:58:32 0
>>419 民と管の癒着など珍しくもないし、根絶もできない。
上位に上れば上るほど、自分達やその所属する組織を優位な立場にする為に
競争に勝つためとる手段としては当然だ。
それができない者はこの社会では実力も能力もあるとは評価されない。
それら上位者が下位者の氾濫によって滅ぼされない為に
下位者にも権利を与える。
そうする事によって下位の者は不満を上位の者に伝達できる。
下位の者は努力により上位にいける仕組みも手にできる。
現代はここまできている。
波平はそこから何を望むのか?
432 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/26(日) 00:11:25 0
>>431 そこがいまのボクの思考の位置ですね。
問題意識としては、
>世界でもっとも裕福な人々上位千人が保有する純資産の
>総額は、世界の最低貧困層二十五億人の資産総額の約二倍に相当する。
ここまで格差が広がっているのに、みごとに批判されることがない
ことが恐ろしい。なにか自然なことのように捉えられている。
かつて格差というのは、ブルジョアとして左翼によって捉えられ、批判された。
なのに、いまは、誰も批判しない。
問題として捉えられず、まだ批判するための言説がないのだ。
だから、さきに
>>415、
>>418などのように、のんきな発言が一般的だ。
こわい・・・
市場リバは、市場参加者としてのプレーヤーの質を軽視しすぎている。空間と時間的に、生身の人間と異なり、無限に拡大する法人、具体的には株式会社をなんとかしなければ、格差は、固定再生産し続けるだろう。
434 :
383:2009/07/26(日) 00:30:25 0
そうだな。もはや資本家と一般人は居住区も交友関係もすでに違い、
厳然たる格差が存在する。
ただ現代の金持ちは国を越えることが容易なので攻撃の対象にもなりにくく、
一般人も自由と思えるだけの自由は与えられている。
ただ派遣労働者のように上に行くチャンスが無いと嘆く者もいる。
だがそれは自助努力、自己責任という言葉で終わらせられているな。
435 :
383:2009/07/26(日) 00:40:19 0
こういうことだろ。経済発展は必要だが勝ち組は勝ち続け、負け組みは負け続ける
仕組みではダメだ。
共産主義でなくとも、せめて負け組みにチャンスを与えろ。勝ち組に重税を課せ。
だけどこれは無理な話。勝ち組から資産を取れば、次の資産を生めなくなるし、
負け組みにチャンスといっても雇用の創出ぐらいしかできない。
暴力革命で勝ち組から資産をぶん取っても、非生産的な負け組みでは次の
財を生み出せない。どんどん貧困に向かう。
結局、才能のある人間を活かしてこそ成果も発展もうまれる。
436 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/26(日) 00:44:11 0
問題は格差そのものではなくて、格差が自然現象のように言われていること。
競争の結果、格差が生まれる当たり前だ。
このような不可視の権力を、このたび、「セカイ系権力」と名付けました。
小さすぎて見えない巨大権力
歴史の不可逆性(1回性)がマクロレベルでは管理されず、無数のミクロレベルから生まれ
る不確実性であるとすれば、マクロレベルの管理の発展はミクロレベルのゆらぎを増幅し、
歴史の不可逆性を加速させているといえるだろう。
蝶の羽ばたきが地球の裏側の気候変動を引き起こすというようなマクロレベルの確率論
(カオス理論)の話ではない。権力の話である。マクロレベルへ行使するチャンネルに近い
者=権力者のミクロな私感が、マクロレベルへ「短絡」し大きな影響として波及してしまう。
戦争であり、政治であり、経済であり、金融であり、グローバル化するマクロレベルへ容易
に「短絡」してしまう。
仮に、ネグリの「帝国」など最近のサヨクがいうように、グローバルな権力が透き通って捉え
にくいとすれば、それは単に「生権力」と呼ぶだけでは不十分なのである。生権力というマ
クロレベルへ影響を与える権力者たちの行為があまりにミクロになりすぎて見えなくなって
いるのだ。
ここでいう権力者はかつてのように終身的な権力をもっているわけではなく、また大きなイ
デオロギーや世界を変えようと言う意図を持っているかどうかに関わらず、小さな部屋の中
でのその場の私欲というミクロレベルがマクロレベルへ影響を与えてしまう。たとえば今回
の世界を巻き込んだ大不況が一人の男のささやきによって起こったとしてもおかしくない状
況なのだ。
437 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/26(日) 00:45:37 0
セカイ系権力の誕生
少し前に「エヴァンゲリオン」などの作品が「セカイ系」と呼ばれて流行った。主人公の行為
がセカイの破局へ影響を与えてしまう。しかし主人公はヒーローではない。使命をもってセ
カイを救うわけではなく、身近な者を助けたいという卑近な想いがセカイの運命へ短絡する。
ここで起こっていることも権力者が思想や意志をもって世界を変えようとすることではなく、
ミクロで卑近な想いが自らの想像をこえたマクロレベル(グローバル)に多大な影響を与え
てしまう。これは「セカイ系権力」とでも呼べるようなものだ。
セカイ系権力のひとつの問題はこのような権力をいかに捉えて語るのかということだ。もは
や世界を左右する権力を語れないのはマクロに透明であるからではなく、ミクロに私感的
すぎるからだ。おそらくこのようなミクロに私感な権力を知識人は語らないだろう。セカイ系
権力はあまりに不可逆(一回性)でミクロであるために再現性がなく怪しく、学問をすり抜け
る。歴史家が語るには早すぎるだろう。ノンフィクション作家はどこまで内通できるだろう
か。だから限りなくゴシップの領域に近づく。
あるいは時代遅れの左翼か、非現実的な「陰謀説」としてDQN扱いされる。ボクのような知
識人としての社会的な立場を持たないネット発言だからこそ言及することが可能な領域といえる。
■なぜ知識人は現代の超・格差を語れないのか セカイ系権力の誕生
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20090724#p1
おうおうニート閑人ここでも大暴れかw
439 :
383:2009/07/26(日) 00:57:46 0
あきらめて受け入れろ波平。
世界を見ろ。山もあり谷もある。川もあり海もある。丘もあれば平原もある。
どこにも平坦な環境が無いように、競争の無い世界も、勝ち負けの無い世界も無い。
人生にもだ。平坦な世界や平等な世界なんて、全人類に特徴を無くすのと同じぐらい
つまらない世界を望むことと同じだ。
440 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/26(日) 01:10:05 0
>>439 あきらべずに生きろ。
完全なリバタリアンなどない、格差もなくならない。
でも生きて、言葉を発し続けるのだ。
441 :
クオンタム ◆HfD2XMemw6 :2009/07/26(日) 01:16:04 0
>>440 それが波平の哲学なんだね。いいと思うよ。俺はさ。
442 :
考える名無しさん:2009/07/26(日) 02:06:06 0
ウィトゲンシュタインが他我問題において気づいたように
「他者や生活世界を超えた世界が存在する」ということ自体が形而上学に足を踏み入れている。
しかし他者など存在しない、と言えばナンセンスであるように
「完全なリバタリアンなどない、格差もなくならない。」と言えばナンセンスであるように思われる。
格差はなくなる、と空想(形而上学)を信じて盲進するしかない。
443 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/26(日) 02:21:46 0
にわかくんは、全部ちょっとずつ惜しいんだよな。
ウィトは独我論を否定はしない。
ナンセンスってなんだよw
444 :
アセンションシステムは実在している!:2009/07/26(日) 03:12:10 O
いるぞ!
445 :
考える名無しさん:2009/07/26(日) 03:35:04 0
>>440 どんな言葉を発するんだ? いったいお前は何が言いたいんだね?
資本主義に格差などない。ある人の資本は必ず消費に変わり、次の人の資本になる。
格差があると考えるのは世界全体の資本が足りないからだ。
資本が充実すれば金利は必然的に下がる。
お前が何か有用な物を生産すれば必ずカネは回ってくる。
つべこべ言わずに働け
446 :
考える名無しさん:2009/07/26(日) 03:46:48 0
>>443 独我論が正しいならば
「完全なリバタリアンなどない、格差もなくならない。」という神の視点を受容する必要はどこにもないと思われます。
リバタリアニズムの成否は、歴史と合理性が審判を下すでしょうから
このスレッドで語り合ったところで無駄だと思われますが。
447 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/26(日) 04:23:54 0
にわかくんは、みごとにちょっとずつ残念なんだよね。
>独我論が正しいならば
正しいのではなく、否定できないということ。
>「完全なリバタリアンなどない、格差もなくならない。」という神の視点を受容する必要はどこにもないと思われます。
なんでこれが神の視点?経験でしょ。
>リバタリアニズムの成否は、歴史と合理性が審判を下すでしょうから
>このスレッドで語り合ったところで無駄だと思われますが。
合理性が審判を下す???
448 :
考える名無しさん:2009/07/26(日) 06:21:53 0
寝ずに粘着でつかwwwwwwwww
ぴかぁ自演警報
450 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/26(日) 12:36:05 0
自由競争は下流層から進む。たとえば現代ならフリーター・派遣である。
彼らはもっとも自由競争にさらされている。それに比べて正社員の雇用は
会社に守られている。そしてもっとも自由競争が進まないのが金持ち、
政治家など上流層だ。特に数少ない超階級同士の助け合いは強固で根強い。
451 :
考える名無しさん:2009/07/26(日) 12:49:10 O
ニートの上から目線(笑)
つうか、キーボードふけよ。
きたねえよw
にわかです。
よく理解できないので、初歩的な質問になってしまいますが
説明してもらえるとたすかります。
ぴかぁ〜さんは、歯磨きってしたことありますか?
いえ、ぴかぁ〜さんの高度な自己言及からは読み取れないもので。
454 :
じぽ:2009/07/26(日) 18:29:20 O
な
おまいら、そろそろモテ期ですよ
フリーライダーが、寄りかかる全ての社会制度を全廃する以外、道は開かれない。「制度に従え。」?。バカ言ってんじゃねーよ。
457 :
考える名無しさん:2009/10/02(金) 23:53:01 0
子供手当に対して所得制限を設けるべきだと福島瑞穂氏は主張しているわけだが、
もし民主党が新自由主義左派的な感性で子供手当をやろうとしているのなら、
福島瑞穂氏の要求は受け入れられないことになる。
社会民主主義で言う福祉とは階級闘争史観に基ずく弱者救済だが、
新自由主義左派の福祉とは社会システムの再構築であり、
どのようなシステムにすればパレート効率性が高まるのかを考えることに他ならない。
弱者、強者なんぞという2者対立ではなく、社会全体の信頼、コンセンサスの向上が
高い福祉を実現させるのだという考えが新自由主義の基本であることを理解しなければならない。
ベーシックインカムや子供手当を貰うに当たって一切の道義的責任を感じてはならない。
民間の効率性に対する期待値が1であるのに対して(弱者強者を問わずに!)
公務員はそれ以下にならざるを得ない。
故に新自由主義において左派右派問わず公務員は削減すべきなのである。
下らない運知活動してる暇があったら勉強するべき
リバタリアニズムを達成するための国家社会主義ってのはどうだろうか
なんかいま思いついたんだけど
460 :
考える名無しさん:2009/10/26(月) 23:13:41 O
日本チリ化計画?
チャベスのように全ての報道機関の取締役に軍人を派遣するのがベスト
ロン・ポール共和党下院議員
豆長者ブログ
2008年11月20日(議会議事録の「Extensions of Remarks」の部)
議長、多くのアメリカ国民は、私たちが直面している経済問題を、新政権が
解決してくれるものと期待しております。しかし、そうはなりそうにありません。
なぜなら、問題をたくさん抱え込んでしまっている今の混乱から、私たちは
どうやって抜け出すのか、新大統領の経済顧問たちも理解していないからです。
それは、そもそもどうしてこの危機が引き起こされたのかを、今までの政権も
議会も理解していなかったのと同じことです。
ごくごく少数を除いて、議会のなかで、オーストリア学派の自由市場経済学を
知っている人はいません。この80年間、私たちの政府の立法府、司法府、
行政府が、完全にケインズ主義の経済学の影響のもとにあったからです。
もしも、彼らが、景気循環についての、オーストリア学派の経済学の解釈を
いくらかでも理解していたら、困難に満ちた悲惨な修正が必ずやってくる
危険なバブルを起こすことなど、決して許しはしなかったでしょう。
今日、とてつもない経済危機が展開しております。日々、政府の新しい施策が
開始されています。今後の計画もどんどん練られていっています。こうしたもの
はすべて、私たちが今のこの困難な状況にあるのは、自由市場資本主義と
健全なお金が失敗したからだ、という信念に基づいています。
さらに支出し、さらに不良な投資を救済し、さらに借金を重ね、さらにドルの
価値を低下させることに、取り憑かれているのです。私たちの抱える問題を
解決するには、世界の中央銀行の設立、「fiat」(命令で「お金」にする)の
たった一つの通貨への統合という国際的な答えが、私たちには必要なのだと、
多くの者たちが言っております。しかし、こうした提案は、まさに私たちの
この困難なる状況をつくり出した諸政策を、さらにまたやるということに
過ぎません。失敗に終わる運命にある提案です。
同様の過ちは、1930年代にやっているのです。
それが、「ニューディール」(フランクリン・ルーズベルト大統領の新経済政策)、
「フェアディール」(トルーマン大統領の政策)、「偉大なる社会」(リンドン・ジョン
ソン大統領の政策)の時代へとつながり、そして、ついには保守主義者たちに、
財政赤字なんてたいしたこっちゃないと確信させてしまった、「サプライサイダー」
たちの時代にまで導いてしまいました。彼らは、費用のとてもかかる赤字財政の
アメリカ帝国をまわす資金を、どう調達しようかと心配していたからです。
大恐慌以来、すべての政治施策は、景気後退しないように、不況にならない
ようにというものでした。しかし、そうして為されたすべてのことは、すべての歴史
において最大の金融バブルとなる種を蒔くことだったのです。この理解がないために、
今、金融制度の大規模な国有化、そして、本当に生産手段をも大規模に国有化
してしまおうというお膳立てが整えられています。
ケインズ主義者たちは、なにもかも間違っていて、干渉主義と中央での経済計画は
うまく行かなかったことは明らかなのですが、私たちは、この困難なる状況から抜け
出せる助言を求めて、誰の話を聞いているでしょうか?残念ながら、ケインズ主義者
たち、社会主義者たち、大きな政府を提唱する者たちの話を聞いているのです。
無視されてきたのは誰でしょうか?オーストリア学派の自由主義経済学者たちです。
この者たちこそ、大恐慌を予測したのみならず、今日、私たちが対応しているこの
大災難をも予測していたのです。危機は、予測可能であったこと、説明可能である
こと、ならば、どうして、誰も話を聞かなかったのでしょうか?それは、ただでランチが
食える、それが可能だと、新しい経済規範(経済におけるパラダイム)が到来したと、
あまりに多くの政治家たちが信じ込んだからです。しかし、それは何か聞いたことの
ある話です。鉛を金に変えることのできる「賢者の石」のように。働かずに繁栄を謳歌
することが、長年の夢なのです。
そして、さらに、通貨供給量(マネーサプライ)を管理支配する者たちによって、
政治権力は管理支配されるということを理解していた者たちが、その上にいたのです。
ロン・ポール共和党下院議員『Stop Dreaming』(日本語字幕埋込版)
http://www.woopie.jp/video/watch/ea9685b3a882daea 【アメリカ】2009.7.16 ロン・ポール、Tech Tickerに出演
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7691154
465 :
考える名無しさん:2010/02/09(火) 23:36:41 O
無税国家の実現を目指そう
1980年、マリー・ロスバード
「リバターリアニズムについての神話と真実」から
http://mamechoja.blog22.fc2.com/blog-entry-534.html リバターリアンたちが、方法論上、政治上の個人主義者であることは、確かです。
個人のみが、考え、価値を判断し、行動し、選択するものだと考えています。
強制的な干渉を受けずに、各個人が、自分自身の身体を所有する権利を持っていると考えています。
しかし、目標、価値観、仕事、職業において、いつも、人々が、
お互いに影響を及ぼし合っていることを否定する個人主義者はおりません。
この必然的に生じる過程に、何の問題もないことは確かです。
リバターリアンたちが、反対しているのは、価値観について、任意の説得ではなく、
強制力と警察力を用いて、強制的に押しつけることに対してです。
リバターリアンたちは、自発的に、個人間で協調すること、共同することに、全く反対していません。
反対しているのは、国家によって押しつけられる強制的な偽りの「協調」に対してです。
ケインズに死を
2010-01-30 豆長者
http://mamechoja.blog22.fc2.com/blog-entry-539.html 1950年10月30日、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス
「ケインズ卿とセイの法則」
彼が主張した諸政策は、まさしく、彼の「一般理論」が出版される前に、
英国も含めた、ほとんどすべての政府たちが、すでに、採用していたものでした。
経済問題に対処する新しい手法の革新者でも擁護者でもありません。
むしろ、彼の貢献は、すべての経済学者たちが、破滅的であると見なしていたにもかかわらず、
権力の座にある者たちに人気があった、諸政策を明白に正当化することにあったのです。
彼の業績は、すでに実践されていた諸政策の理屈付けでした。
彼は、彼に精通した者たちが呼んでいるような「革命家」ではありませんでした。
「ケインズ革命」は、ケインズが、それを支持し、いかさま科学で正当化する、
ずっと前に起こっていました。
彼が、実際にしたことは、政府たちが広く行っていた諸政策を擁護するものを書くことでした。
468 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 03:53:31 0
トーマス・ウッズ
「忘れ去られた1920年の恐慌」
http://mamechoja.blog22.fc2.com/blog-entry-543.html 1920年の経済状況は、厳しいものでした。その年までに、失業率は、4%から12%近くまで跳ね上がりました。
国民総生産(GDP)は、17%低下しました。ハーバート・フーバー商務長官は、
誤ってレッセフェール(無干渉主義)の経済学の支持者だとされている人物ですが、
当然、ハーディング大統領に、経済を転換させるための、たくさんの干渉を検討するよう要請しました。
でも、フーバーは、無視されました。
ハーディングは、「財政における刺激策」(財政出動)の代わりに、1920年と1922年の間に、政府予算を半分近く削減しました。
ハーディングの残りの取り組み方も、一様に、レッセフェール(無干渉主義)でした。税率は、どの所得者層に対しても、大幅に引き下げました。
国家債務は、三分の一、削減しました。
それに、ほとんど、連邦準備制度の活動が、注目を引くこともありませんでした。「連邦準備制度は、収縮の厳しさにもかかわらず、
通貨供給量を上向けて、収縮と戦う権限を用いることはしなかった。」と、
経済の歴史家が書いてます。
1921年の夏の終わりまでに、回復の兆しが、すでに見えるようになりました。
明くる年、失業率は、6.7%にまで下がり、1923年まで、2.4%だけでした。
この期間における、アメリカの反応を、日本のそれと比べることは、教訓的です。
1920年、日本政府は、物価を人為的に高く維持する目的で、計画経済の基礎を導入しました。
経済学者のベンジャミン・アンダーソンによると、「大銀行たちと、集中化した産業たちと、政府が協力して、
市場の自由を破壊し、商品(コモディティー)価格の低下を阻み、
七年間にわたって、日本の価格水準を、低下していく世界水準より高くした。その期間、日本は、慢性的な産業の停滞に苦しみ耐えた。
ついに、1927年、非常に厳しい銀行危機が起こり、多くの産業は、もちろん、多くの大支店銀行制度が破綻した。愚かなる政策だった。
一年間の生産に相当する在庫品の損失を回避しようとして、日本は、七年間を失ったのだ。」
トーマス・ウッズ『メルトダウン』(金融溶解)
経済学者のジェームズ・K・ガルブレイスは、「アメリカ国内に15000人いる経済学者の中で、
経済危機が来ると予想していたのは、わずか10人から12人だけだった」と述べた。
ガルブレイスと付き合いのあるお仲間の経済学者たちには、経済危機の到来を予想した人はほとんどいなかった。
しかし、ミーゼスが発展させたオーストリア学派に属する経済学者の多くは、経済危機を予想していた。
オーストリア学派に属する経済学者たちは、誰よりも早く住宅バブルに警告を発していた。
また、もし経済危機が起きれば、それは長期化するとも警告していた。
ほとんど経済学者は、オーストリア学派の景気循環理論について何も知らず、
ビジネススクールで教えられることもほとんどない。
オーストリア学派のアプローチは、その他の経済学派のアプローチよりも、
経済で起きた事象を正しく説明することができる。
それによって、私たちの経済に対する理解が深まる。
世界中で急速に信奉者を増やしている経済思想であるオーストリア学派だが、彼らは長い間無視されてきた。
経済学の主流派の人々は、1920年代に、「恐慌などは過去の遺物で再び発生することはない」と触れて回っていた。
また、1990年代には、「新しい経済が到来し、恐慌は発生しなくなった」とも述べていた。
経済学者の大部分が現在の経済危機の到来を予測できなかった。
だがそれぞれのケースで、オーストリア学派の経済学者たちは、他の人々が見落としていた問題をきちんと把握していた。
これだけでも、彼らが信用するに値し、彼らの学問的業績を研究する価値があるのではないだろうか。
私たちの前には二つの選択肢が用意されている。
一つは、大恐慌を長引かせ、日本経済を20年間もの最悪の大不況に陥れた方法を採ることである。
もう一つは、素晴らしい業績を持ち、何が起こっているのかを正確に解説できる理論に基づく、
これまでとは全く異なった内容の提案を採ることである。
国家は国家に対してある
一国平和主義はあり得ないのと同じで
新自由主義も一国ではあり得ない、帝国主義全盛の時代に無防備都市宣言すようなもんw
ワシントンコンセンサス、新自由主義の聖地のように言われる
アメリカすら現実的には国家資本主義である
原理主義者が喚いたところで
所詮アンチグローバリズムかアナーキストと同根の現実なき理想主義にすぎない
リバタリアン VS リバターリアン
http://mamechoja.blog22.fc2.com/blog-entry-549.html ワシントンD.C.の政府近くにいるリバタリアンたち、
特に、リーズン・マガジン(Reason magazine)と、
ケイトー研究所(Cato Institute)にいる者たちは、
最初から、ロン・ポール現象に対する敵意をむき出しにしてきた。
とりわけ、景気循環は、中央銀行の信用拡大が原因であると説明する、
経済学者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスが展開した理論を、ポールが適用していることと、
そこから必然的に導き出される政策的処方、それは、ポール論者のスローガン、
「END THE FED!」(連邦準備制度を廃止せよ!)に現れているが、
そのせいで、自分たちは、そういうリバターリアンではないんだと、
ワシントンのカクテル・パーティーで、いらいらしながら説明しなくちゃならないからだ。
473 :
考える名無しさん:2010/07/14(水) 00:23:17 0
サンデルがブームだそうですね
この板の常駐者は名前すら知らなそうですけどw
サンデルがブームだから覗いてみたら閑散としていて絶望したw
分析哲学厨の俺からすれば
サンデル(笑)
って感じなんですけど。
あなたのような高尚な存在がこんなところで(笑)しか言えない日本に絶望した
いえいえ あくまで厨ですから。