クオリアについて真面目に考えるスレ その2

このエントリーをはてなブックマークに追加
1考える名無しさん
クオリアに関する真面目な議論、話題ならなんでもOKです

前スレ
クオリアについて真面目に考えるスレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1160124266/
2考える名無しさん:2008/01/19(土) 05:14:18 0
はたしてそえじましゃってるかね〜
3考える名無しさん:2008/01/19(土) 14:20:37 0
♪風の〜
4考える名無しさん:2008/01/20(日) 03:21:41 0
前スレの情報物理学への言及に興味を持った。
情報を中心に置いた立場で、心身問題の超克なるか。
イメージとしてはこんな感じか。


 物理空間1 ← 情報空間1 → 現象空間1

              ↓(時間発展)

 物理空間2 ← 情報空間2 → 現象空間2

              ↓(時間発展)

 物理空間3 ← 情報空間3 → 現象空間3

              ↓(時間発展)
               :
               :
5ちゅう:2008/01/20(日) 23:17:09 0
>>4
情報物理が心身問題の解決になることは当然でしょうね。
物理現象は物の相互作用にとじている、という原理を取り外す
考え方だから。
脳科学のハードプロブレムを解決する原理となるものでしょう。
6考える名無しさん:2008/01/21(月) 17:29:22 0
クオリアって何が問題なのかがよくわからない。

「林檎のような赤」っていったって、林檎を知らない人には通じないだろう。
そもそも「赤」を見た事ない人に「赤」を説明するのは不可能だと思うんだが。
7考える名無しさん:2008/01/21(月) 20:11:30 0
>>6
まぁ、もうちょっと勉強すればわかるよ。
8考える名無しさん:2008/01/21(月) 20:43:54 0
>>7
説明してみよう!
9考える名無しさん:2008/01/21(月) 20:49:59 0
>>8
いやだよ。めんどくさい。
10考える名無しさん:2008/01/21(月) 20:53:18 0
素直じゃないんだから・・・。
11考える名無しさん:2008/01/21(月) 21:15:55 0
>>6
>クオリアって何が問題なのかがよくわからない。
前スレの最後のほう読みなよ。同じ質問が出てる。
12考える名無しさん:2008/01/21(月) 22:22:38 0
前スレ落ちてない?
13考える名無しさん:2008/01/22(火) 11:18:00 0
私的な解釈なので間違ってたら悪いのだが、要するに
「質感の根拠(理由・因果)はどこにあんの?」ってことじゃないのかね
問題視しない人は問題視しない命題だとは思うけど

つか、テンプレに概要欲しいぞー
14考える名無しさん:2008/01/22(火) 22:10:40 0
どうもクオリアってよく分からないんだけど
茂木さんの言ってるクオリアって、結局、ある入力が与えられた時の、
脳内の神経細胞の発火や脳内物質の状態ってことなの?
15考える名無しさん:2008/01/22(火) 23:39:18 0
クオリアというのは質感の事だと思うけど、違うんだろうか。
16考える名無しさん:2008/01/24(木) 00:02:34 0
要は物理現象から精神(呼び方はクオリアでも私でも意識でも何でも)が
発生するのはおかしいという事でしょう。

物質同士の因果なら物理法則で全て説明ついても、
「ではなぜ物理現象が精神を発生させるのか?」
については説明がつかないから問題になってるのだと思います。

私的には、脳から発生してるのではなく、
脳の変化と精神の変化に規則があるから
脳と精神は関連し因果関係を持ってると感じるのだと思います。

例えるとナマズと地震のように、別にナマズが地震を発生させてる訳ではなくても
ある二つの変化に規則性があった場合、片方がもう一方を発生させてると
感じるのだと思います。
ただ、それでも『ではなぜ物質と精神は存在するのか?』
という根源的な謎が残りますが・・
17考える名無しさん:2008/01/24(木) 00:07:19 0
精神を発生させていると思うから疑問が生まれるんじゃないの?

そもそも精神なんてものは無い、と仮定したほうがすんなりいくんじゃないか?
18考える名無しさん:2008/01/24(木) 00:14:41 0
「物質即精神」の境地に達すればクオリアなどは簡単な話であるが、
そのためには、カイラス山巡礼・五体投地の修行などが最低380回
繰り返される必要があると考えられる。
19考える名無しさん:2008/01/24(木) 09:15:52 0
クオリアは精神でも霊魂でも何でもないよ。
そこ、間違えないようにね。

しかしこの勘違いは本当に多いなぁ。なぜ?
20ちゅう:2008/01/24(木) 09:25:18 0
心の哲学では「精神」や「魂」は紛らわしいので「意識」や
「意識現象」や「クオリア」などという言い方になってきた
のだろう。
クオリアも感覚に対応する表象とどう違うの、という疑問が有る。
なぜわざわざクオリアと言うのかと言う疑問。
クオリアなんていわないで意識現象や表象や観念でいいじゃないか?
21考える名無しさん:2008/01/24(木) 09:37:21 0
>>20
やっぱ、紛らわしいからかな。
意識現象でなくて現象意識という言葉なら実際かなり使われる。
表象や観念の方は他の意味があるから紛らわしくてあまり使われてない。
22考える名無しさん:2008/01/24(木) 09:53:34 0
たとえば動物にクオリアはあるのか?
「クオリアはあるが意識はない」とかその逆とかは、有り得るのか?
23考える名無しさん:2008/01/24(木) 10:33:18 0
>>22
意識という言葉をどういう意味で使ってるかによる。
24考える名無しさん:2008/01/26(土) 23:46:11 0
                _,......,,,_
                 ,、:'":::::    ``:...、
             /::-=・=-:::::::::::-=・=-:\
         ,../ `ヽ;_  i | / ヽ──ヽ / 
          / ``'ー 、_\  !  ー=〓=-'`/  はたしてほんとうにそうかな?
      /ー 、_    `\:、_ ::    /
     /     ``ヽ、   ヽ`'7‐--'゛
 __,,::r'7" ::.              ヽ_
 ゙l  |  ::              ゙) 7
  | ヽ`l ::              /ノ )
  | ヽ"::::''   ̄´.::;i,  i `'' ̄    r';' }.
  |_____      ,,ノ(、_, )ヽ、      _____|
.  |    \   ||      ||   /    |
  |.  ◎.\~ ||-====-|| ~/.◎  .| 
.  |_二二二__. `ニニ´. __二二二_|
   | |古古||. H  |×l]|  H .||古古| |
.   |  ̄ ̄ ̄l=====l ̄ ̄ ̄ |
   |.____________.|
     ―//――――\\―
    ―//――――――\\―


25考える名無しさん:2008/01/28(月) 05:24:10 0
そうだろ?
26考える名無しさん:2008/01/28(月) 11:21:43 0
クオリアという言葉を出して何か世の中に役にたったか?
クオリアという言葉を出して何か世の中に役にたったか?
クオリアという言葉を出して何か世の中に役にたったか?
クオリアという言葉を出して何か世の中に役にたったか?
クオリアという言葉を出して何か世の中に役にたったか?
つまり問題を複雑化させただけ、何も解決していないし、何も進歩してない。
27考える名無しさん:2008/01/29(火) 07:17:31 0
>>26
杜玖椀も知らないソカ厨wwww憐れwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
28考える名無しさん:2008/01/30(水) 23:59:25 0
週刊現代、昨年名古屋の白鵬―朝青龍戦で八百長と報道 (asahi.com)
2007年05月20日20時11分

 21日に発売される週刊現代が、昨年の名古屋場所千秋楽の白鵬―朝青龍戦で
八百長があった、と報じることが分かった。
同誌は大相撲の「八百長キャンペーン」を続けており、
日本相撲協会や力士らが事実無根として東京地裁に損害賠償を求めて提訴している。

 報道によると、白鵬の師匠である宮城野親方(元十両金親)が知人の女性に
「自らが仲介して現金を渡して横綱が負けるように頼んだと話した」とされ、
録音テープがあるとしている。宮城野親方は「お話することはない」と述べ、
北の湖理事長は「ノーコメント」としている。

 名古屋場所の勝負は初の綱とりのかかっていた白鵬が寄り倒しで勝ち、
横綱の全勝を阻止して13勝目を挙げ準優勝したが昇進は見送られた。

http://www.asahi.com/national/update/0520/TKY200705200150.html

※関連リンク
朝青龍と白鵬の300万円八百長を宮城野親方が告白した証拠テープ 週刊現代(6/2)
http://www.zasshi.com/ZASSHI_SOKUHOU/data/syuukangendai.html

※参考動画
平成18年 大相撲名古屋場所 千秋楽 朝青龍vs白鵬
ttp://www.youtube.com/watch?v=3iDnSiNX3zo

朝青龍vs白鵬戦ではなぜか定期的に八百長が行われている
白鵬にとって大事な一番では必ず朝青龍が負けている
必ず朝青龍は吊ったりして場内を沸かせてから負ける
29考える名無しさん:2008/01/31(木) 08:47:09 0
ま〜え、から疑問なんだけどさ。
3000年前にクオリアを話すのと、100年前にクオリアを話すのと
2008年でクオリアを問題にするのは、どう違うんだろ?

現代ではパソコンのディスプレイで、色を16進数の、ff:ff:ffで
記述できるでしょう。100年前なら画材は一通り揃っているのだから、
色名は言語化してあり順番に並べられている。
物理学でも光の波長による記述可能でしょう。

しかし、どの記述も、物理や情報の分野から引用しているだけで、
直接的な変換にはなってない。
それじゃあ、物理学も情報もない、画材もない、何もない時代だったら
どうやって問題を表現したんだろ。
血の色なんて、血の色としか言い様がなかったんじゃないの?
30考える名無しさん:2008/01/31(木) 12:07:07 0
まさにその血の色を共有できていないかもしれないのがクオリアの問題だろ。
「俺の見ている血の色と、おまえの見ている血の色は実際違うかもしれないな」
でいいじゃん。
むしろ物理学の用語なんて引っ張り出すこと自体必要ない。
31ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/01/31(木) 13:59:34 0
クオリアが物理的にどこに位置づけられるかがクオリア問題だろ。
32考える名無しさん:2008/01/31(木) 14:15:53 0
それは物理学者が考えればいいことだ。
哲学上の問題ではない。
33考える名無しさん:2008/01/31(木) 14:23:25 0
あああ
34考える名無しさん:2008/01/31(木) 18:09:09 0
それだと、個人の主観はPCのディスプレイと同じ、と言ってるだけになる。
・Aさんは血の色を、ff:00:00に見えています。
・Bさんは血の色を、00:ff:00に見えています。
と、記述が可能になってしまう。PCのディスプレイで再現も可能だ。

これだったら、以下の様になってしまう。
・Aさんは血の色を、ff:00:00に見えていましたが
 色覚を変更したので、血の色を、00:ff:00に見える様になりました。
でも、こういう事じゃないでしょ? これでは機械論の延長に過ぎない。

まず色があって、その色を言葉に置き換えた際には、既に記号化されているので
クオリアそのものから離れてしまっている。のが問題なんだと思ってたんだけど。
35考える名無しさん:2008/01/31(木) 18:18:19 0
そうはならないよ。
よく考えてごらん。
36考える名無しさん:2008/01/31(木) 18:48:16 0
>>34
クオリアの問題ってのは
・Aさんは血の色を、ff:00:00に見えています。
・Bさんも血の色を、ff:00:00に見えています。
でもまったく違う色を見ていました。
っていうことなんだけど、わかる?
37ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/01/31(木) 20:16:39 0
哲学でクオリアが問題になることが有るかな?
38考える名無しさん:2008/01/31(木) 20:22:37 0
前から問題になってるがな。
アホはあっちのスレへ帰れ。
39ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/01/31(木) 20:22:42 0
クオリア問題って赤緑色弱のような感覚器官の器質異常を
見つけ出す問題じゃないでしょ。
40考える名無しさん:2008/01/31(木) 20:31:15 0
ああ、そうだね。
41考える名無しさん:2008/01/31(木) 22:35:36 0
>>36
なんだか不可知論みたいですね。記述の上では
「血の色」「赤」「red」「ff:00:00」…など、同じである。
だけど感じている色は違う、という超越的な立場を設定してる。
そして、超越的な立場には決して辿り着けないので、記述は同じままになる。
(記述でなくても、物質でも同じ。)

観測という行為は、観測者によって変わる物ではないけれど
観測者によって認識は変わってしまう。がしかし、科学に於いては
常に同じ結果が得られる。

確かに経験上はそういう事はあるし、好き嫌いも人によって違う。
と、まぁ、長い間眠っていた哲学を脳科学が起こして来た訳だけど
いったい何を目標としてるのか、さっぱり分からん。
42考える名無しさん:2008/02/01(金) 01:36:49 0
何が問題なのかさっぱりわからない。

「クオリアなんていうものは存在しない」とすればいいじゃん。
それでなんの問題もないのに、何故わざわざ「クオリア」なんていうわけのわからない概念を作り出そうとするの?
43考える名無しさん:2008/02/01(金) 02:14:38 0
おれの知ってる区尾リアは色の事だけ。でもこういう事だよね、
おれが見ている色世界とまるで補間色の世界を見ている人間が
いて、その事を決して証明する事が出来ない。ぶっちゃけ
そんな事は有り得ないと思うわ。遺伝で考えてみよう。
色覚を発達させたメカニズムはそれが有効性を持つから基本的な
形質として遺伝する。一方で形質が多様化するものもあるが、
それらは多様化することによって何らかの可能性を模索するから
発展の意味があるわけでしょ。光の波長と区尾リアの組み合わせを
交換したから何か発展性がありますか。情報の抽象性として見れば
何も意味が無い。ところが光それ自体は波長の違いによって
物理的性質も違う。つまり肉体に内的外的を問わず作用する仕方が
違うわけです。
44考える名無しさん:2008/02/01(金) 03:23:48 0
>>43
「見え方が違うか同じか」というだけが問題というわけじゃないのでは?

● ←これは「黒」だよね?で、たぶん俺も貴方も同じように見えていると思う。
問題は何故この見え方であるのか?つまり●←この色にみえるのか?ってことでは?

●これに「黒」って名前がついていなくても、誰かに説明される事がなくても、●これを見たらこの色に見えるよね。
その必然はどこにあるのか?何故●←この色が持つ波長を見ると●←この色に見えるのか?って所が問題なのでは。
45考える名無しさん:2008/02/01(金) 05:07:13 0
>>29
問題自体は昔からあるし、語られてもきている。
でもそうした過去の問題提起は色々な問題と一緒に埋もれてて、
クオリアの問題だけが明確に取り出されるようになったのが最近というだけ。

デカルトなんかの時代だと、心に関して、例えば言語と機械論の間のミゾがまだ大きい謎として残されてた。
ただの物質のかたまりである脳みそが会話なんいう高等かつ複雑な行為をできるはずがない!みたいな。

でもダーウィンが出て、チョムスキーが出て、道端の自動販売機が「ありがとうございました」なんてお礼をいうような時代になってくると、
言語に関して未知の部分はまだだくさんあるが、それは解決可能なパズル的問題として捉えられるようになった。
どう扱っていいのか分からないミステリーとは考えられなくなった。

こうやって心に関するいろいろな部分が科学の歴史の中で次々と自然化されていった(自然科学の枠組みの中におおよその位置づけを得ていった)んだけど
この主観的経験(クオリア)の部分だけが最後まで頑強に自然化に抵抗している。
つまり科学者は今まで自然化という営みに逆らう敵どもをドンドン打ち倒してきたけど、
打ち倒すことができずに最後まで残ってしまったやつがいる
つまりラスボス。それがクオリア、ということ。
46考える名無しさん:2008/02/01(金) 05:15:02 0
>>32
コッホが言っているが、心身問題に関しては「問題を提起する」「問題を設定する」「見方を提供する」といったことを行っていくのが哲学サイドからの貢献。
「ここにこういう謎がある!私たちはこれについて(よく分かっているつもりでいるが)、だが本当の所よく理解できていない!」とか言ったりするのが哲学の仕事。
実際こういう問題設定それなりに有効で、多くの科学者に新しいものの見方を与える。
でもこうした問題が思弁だけで解決されることはほとんどない。
だからこれを解決するのは実証研究、つまり科学者の仕事というわけ。
47考える名無しさん:2008/02/01(金) 05:21:46 0
>>45
赤を見て「これは赤だ」と認識することは、別に主観的経験ではないぞ。

誰かに教えて貰うからそれを「赤」と認識するだけのことで。
48考える名無しさん:2008/02/01(金) 05:22:33 0
>>37
ひとつは昔からある認識論的な話だろうね。
センスデータに基づいて、知識を体系化しようという営みが20世紀に行われたけど、
こういう絡みがひとつあるだろう。

あと倫理学的な話だろう。倫理学的な話の中で基礎的な問題となってくる
苦しみとは何か、喜びとは何か、っていうような部分
これはダイレクトにクオリアの問題とつながってる。
だから、そこから波及して政治哲学や美学他諸々の諸哲学に波及していく。
49考える名無しさん:2008/02/01(金) 05:27:48 0
>>41
>いったい何を目標としてるのか、さっぱり分からん。
自然化、全てを自然科学の体系の中に位置づけること、だよ。

>>42
存在という言葉の定義にもよるが、それが否定しようもなく存在するように思えるから。
(この点についてはデネットさえ完全に同意しているね?)
だからクオリアを錯覚として否定するなら、
なぜこうした錯覚が生じるかを理解できる形で示すことが
自然化ということになるね。
50考える名無しさん:2008/02/01(金) 05:35:38 0
>>43
そう、その思考実験をスペクトラム反転と言うんだけど
誰もそんなことが起きているとは思ってないわけ。それは何らかの理屈に基づく、というのではなく、単に何となく、だけどね。
ここで問題なのは、スペクトラム反転を否定するような自然科学の法則がまだ何一つ知られてないってことなんだ。
つまり今の範囲の物理の知識と、反転スペクルの仮定は、整合的にマッチしちゃうんだよね。
つまり「今の物理学」と「クオリアの反転」、これを同時に正しいと前提してもはっきりとした矛盾が出てこない。
これが問題だ、ってこと。
51考える名無しさん:2008/02/01(金) 05:39:17 0
>>49
そういう事じゃない。

「クオリアという概念は存在しない」と仮定したときに、何か問題が起きるのか?という事。
問題があるとはとても思えない。

つまり、クオリアについて考えたところでなんの役にも立たない、っていう事。

ただの言葉遊びの域を出る事は無いでしょう。
52考える名無しさん:2008/02/01(金) 05:52:45 0
>>51
まず、ある概念が必要かどうかというのは、基本的に概念の使用者が常日ごろから何を考えて生活しているのかによる。
朝から晩までポケモンと遊戯王のことばかり考えて暮らしている子には
「アボガドロ数」という概念も「ハッブル定数」という概念もまずもって必要ない。

>ただの言葉遊びの域を出る事は無いでしょう。
それはない。コッホがやってるNCCの探索なんかを考えればすぐ分かるだろうが、
クオリアに関する意味ある知識の集積が可能。
例えば「一時視覚野はクオリアの表れに直接関わっていない」みたいな知識を集めることが可能。
53考える名無しさん:2008/02/01(金) 06:00:09 0
>>52
出来る限り簡潔に考えようとしてみるんだ。

「クオリアという概念が無い」と仮定して、いったいどんな不都合が生じる?
俺には何も思いつかない。
54考える名無しさん:2008/02/01(金) 06:14:01 0
>>53
じゃ五分以上前の世界はなかった、世界は五分前に生まれたんだ
っていう世界五分前仮説はどう?
この仮説に従うと、考古学や歴史学は不要なものとして切り捨てられるけど、どうかな。
55考える名無しさん:2008/02/01(金) 06:19:01 0
>>53
>いったいどんな不都合が生じる?
単純に言って、整合性の問題だね。
クオリアの問題は難しいから、その根底を否定してみる、
しかし倫理について語るときは他者も痛みを感じている、などと仮定して話す
つまり自分以外の人間がすべて、ウネウネと動く精巧な物質の塊にすぎない、
という独我論の立場は拒否して考える、とか。

こうした問題問題に応じて、場当たり的な立場の切り替えを、どう説明するのか、
というのが問題になってくるだろうね。
56考える名無しさん:2008/02/01(金) 06:21:47 0
>>54
5分以上前にも世界が存在したと考えたほうが無理なく解釈できる事が多数ある。
が、クオリアは「ある」としたほうが問題が多く、「無い」としたほうが問題が少ない。

にも関わらず、無理やり「クオリア」という概念が存在すると考えるのはいったい何故?

>>55
クオリアがあると考えると整合性が取れなくなる。だから問題が起きてくる。疑問も噴出する。
「無い」とすれば何の問題もない。クオリアという概念がないと解決できない問題って何があるんだ?
57考える名無しさん:2008/02/01(金) 13:07:31 0
クオリアがないと考えても整合性がとれなくなるから
困ってるんじゃないの?
58考える名無しさん:2008/02/01(金) 15:10:31 0
山がオレンジで空が黄色、そんな世界を見て果たして美しいと感じるだろうか。
59考える名無しさん:2008/02/01(金) 15:21:07 0
>>57
どのへんが?
60考える名無しさん:2008/02/01(金) 15:32:24 0
>>58
そういうものを美しいとする世界に生きているんだから充分感じるだろ。
61考える名無しさん:2008/02/01(金) 16:45:08 0
プラクティカルな考え方をするなら、クオリアは役に立ってるよ。
例えば、ここに液体がある。粘り気があり、ぬるぬるしている。
でも色覚が無いので認識できない、そこで成分を調べる。
その結果、この液体は血液だと分かった。

…これでは時間がかかり過ぎる。色覚として「赤」が分かれば
すぐに分かる話だ。音もそうでしょう。音楽と騒音の区別が
なければ、楽器や楽譜はこの世に存在しないはずです。

ただ、多くの感覚は一般人に共有しているので、改めて概念を
考える事がない。しかし、障害者や動物と接していれば、概念を
意識せざるを得ないでしょう。

高周波は、若い内は聞こえるけど、年を取ると聞こえなくなります。
これも感覚の違いを認識する上で、役立っている。
62考える名無しさん:2008/02/01(金) 18:39:52 0
クオリアはフッサールが言うところの「内在」であり
ラッセルにおける「感覚与件」だ。
そこに自然科学の出る幕は無い。
63ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/01(金) 18:48:02 0
>>62
>そこに自然科学の出る幕は無い。
クオリアを自然科学の中でどのように位置づけるかがクオリア問題だろ。
クオリア問題は哲学の問題ではないと思うが。
64考える名無しさん:2008/02/01(金) 18:57:13 0
>>63
フッサールが言うところの「内在」であり
ラッセルにおける「感覚与件」というところは無視か?
フッサールもラッセルもクオリアを自然科学の中にどう位置づけるかなどとは無縁だ。
65考える名無しさん:2008/02/01(金) 19:06:56 0
クオリアは純度100%の哲学でしょ。
どこかで捩じれて、科学だと勘違いが発生したみたいだが
66ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/01(金) 19:33:20 0
ショーペンハウエルの「意志と表象としての世界」
がすべてクオリアだというならそれはそれでいい。
だが、なぜ「表象や意志」を「クオリア」と言い換えなければ
ならないのだ?
これは以前にこのレスで確認したがやはり「表象」や「意志」
にはそれなりの先入概念が伴うから「クオリア」として自然科学
としてあらためて定義したい、ということであったが。
67考える名無しさん:2008/02/01(金) 19:40:34 0
なんだ、ただのバカだったのか。
68考える名無しさん:2008/02/01(金) 20:19:54 0
>>61
クオリアという概念が無いと「色」を認識できない、という話じゃないぞ。
色の認識くらいいまどき機械にだって簡単に出来る事だ。
69考える名無しさん:2008/02/01(金) 21:00:21 0
>>61
音で考えて見たけど、オレおれ詐欺が流行ったよね。アレで皆不思議に
何であんなものに引っかかるのか、と言う。原因の一端に音がある。
電話機を通して聞く音は厳密には本人の声じゃない。あれは周波数の
両端をカットして会話が成立するレベルを確保しているだけ。でも
ピーク部分の成分の特徴から脳が勝手に相手だと判断するんだろう。
しかしそれも少なからず条件付になる。コンテクスト無視で果たして
相手が判るだろうか。人間の感覚は思ってる以上に厳密に出来ているよ。
クオリアとは余り関係無さそうだけど。
70考える名無しさん:2008/02/01(金) 21:20:04 0
>>68
クオリアは役に立ってるけど、クオリアの議論から出て来た概念は
役に立たないと言うこと?
確かに普遍的すぎて、クオリア解説に直接的なヒントになる気配がしないけど。
71考える名無しさん:2008/02/01(金) 21:31:17 0
クオリアと意識って、どう違うんですか?

72考える名無しさん:2008/02/01(金) 21:37:33 0
>>70
クオリアで色が認識できるんじゃなくて、目と脳があるから認識できるんだよ。
73考える名無しさん:2008/02/01(金) 21:40:06 0
>>62
そうだね、例えば2003年にネイチャーの姉妹誌、ネイチャー・ニューロサイエンスに掲載された
フランシス・クリックの論文の出だしの文章ね。

The most difficult aspect of consciousness is the so called 'hard problem' of qualia
- the redness of red, the painfulness of pain, and so on.
No one has produced any plausible explanation as to how the experience of the redness of red
could arise from the actions of the brain.

A framework for consciousness, Nature Neuroscience, 2003
http://cbcl.mit.edu/projects/cbcl/publications/ps/crick-koch-03.pdf

訳:
意識の最も難しい点は、赤の赤さや痛みの痛さなどの、いわゆるクオリアの「ハードプロブレム」だ。
脳の活動から一体どのようにして赤の赤さの経験が生まれるのか、
これに対する満足な説明を与えた人間は、まだ誰もいない。


クリックはいわずと知れたDNAの二重螺旋構造の発見者ね。
で、載っている雑誌がネイチャー・ニューロサイエンス。
まあこのひとつの事例だけ見ても、クオリアが今どのような形で論じられるようになってきているのか、それが大体わかるでしょ。
科学じゃない、なんて言ってるのは、よく分かってないだけ。
74考える名無しさん:2008/02/01(金) 21:48:58 0
>>73
>脳の活動から一体どのようにして赤の赤さの経験が生まれるのか、

赤って700 nmの波長を持つ可視光線の事でしょ?
脳が作りだす幻ではないぞ。
75考える名無しさん:2008/02/01(金) 21:51:33 0
>>74
理論物理はやったことないよね?
そこには700nmという波長と赤の赤さの間には明確なギャップがあるんさ。
76考える名無しさん:2008/02/01(金) 21:54:24 0
>そこには700nmという波長と赤の赤さの間には明確なギャップがあるんさ。

約700nm、と書けばよかったの?
じゃあ何を見ると「赤い」と認識するんだね。
77考える名無しさん:2008/02/01(金) 21:56:31 0
>>76
ペンフィールドの実験とか知ってる?
別に何も見ないでも脳を直接、電気刺激すれば、「赤さ」を体験できるよ。
脳の表面に電極当てて、ビッって電気流せば
音も聞こえるし、痛みも感じれるよ。
78考える名無しさん:2008/02/01(金) 21:58:32 0
みっともない。
79考える名無しさん:2008/02/01(金) 21:59:54 0
>>77
ああ、そういうことね。
つまり「赤」って意識は脳が一定の状態になったときに現れる、って事だけの事でしょ。

クオリア関係ないじゃん。
80考える名無しさん:2008/02/01(金) 22:03:35 0
>>79
脳と石ころって同じ粒子からできてるの知ってる?
陽子と中性子と電子。
この三つが複雑に組み合わさって、ある形だと脳、またある形だと石ころと呼ばれるんだね。
君も僕も石ころも、その構成材料はまったく一緒なんだよね。
81考える名無しさん:2008/02/01(金) 22:28:34 0
>>80
そうだけど、それがどうしたの?
82考える名無しさん:2008/02/01(金) 23:15:41 0
>>79
>>14ということではないかと
83考える名無しさん:2008/02/02(土) 07:04:30 0
>>56
>「無い」とすれば何の問題もない。
こういうのって普通、思考停止っていうよねw
じゃあこの世に自由意志がなく、全てが物理的因果に従うとすると
無から有を生み出した世界の第一原因について考えなきゃならなくなるけど、
これはいいのかね?
物理的因果なんてない、とすれば、こうした問題について考える必要はなくなるんだけど。
84考える名無しさん:2008/02/02(土) 07:12:16 0
>>71
意識の方が意味がひろい。
意識という言葉の意味の中に、色々な意味があって、その中のひとつとしてクオリアも含まれてるってこと。
他、意識という言葉のもつ意味として次のようなものがある。

覚醒状態にあること
 眠っていない、失神していない、といった意味での意識という言葉の使い方

注意を向けていること
 彼女のことを意識するようになった、クーラーの音を急に意識するようになった、とかいう意味での、意識という言葉の使い方

自分を認識していること
 自分がいる、自分が何を考えてる、といったことを認識してる、という意味での意識という言葉の使い方。自意識。
85考える名無しさん:2008/02/02(土) 09:24:37 0
>>77
へー そこまで既にやってるんだ。だとしたら増々
クオリアの何が問題なのかが分からない。死んだ脳みそを
生き返らせるのは出来ないとか、不可逆性についてとか?

結局の所、クオリアってのが何か分からない。
動物や、機械や、無機物に対しては論じない理由は何なんだろ。
86考える名無しさん:2008/02/02(土) 10:06:22 0
無意識とクオリアの関係は?
87考える名無しさん:2008/02/02(土) 11:39:03 0
>>83
>無から有を生み出した世界の第一原因について考えなきゃならなくなるけど、

どうしてそれを考えない事を思考停止と思わないんだ。
88考える名無しさん:2008/02/02(土) 13:48:49 0
>>85
聴き方を見てるに中学生ぐらいかな?
まあもうちょっと勉強してからでないと、わからないよ。
最低限、物理学は勉強しとかないと、何が問題かは説明できそうもない。

ちなみにクオリアは命のことでも魂のことでもないからね。
んで、動物についても無機物についても議論されてる。
無機物として例えば、インターネットとかコンピュータとか石ころとか地球とか。

>>87
いや、思考停止でしょ。
89考える名無しさん:2008/02/02(土) 15:14:30 0
あ、そうだ。
あとクオリアはあなたに「人生の意味」を与えるための「物語り」ではないからね。
クオリアの位置づけが科学の中でより明瞭になればなるほど、
もちろん価値や倫理の分析には影響を及ぼしてくる、というかかなり中心的な概念になってくるだろうけど、
だけどそれはこの感覚、この喜び、といったものを
科学的な因果の世界に位置づけていく、ということだからね。

だからほとんどニヒリズムや空の思想に近くなってくる。
90考える名無しさん:2008/02/02(土) 15:52:22 0
>>88
>いや、思考停止でしょ。

じゃあクオリアは無い、全てが物理的因果に従う、世界の第一原因について考える、でいいじゃん。
91考える名無しさん:2008/02/02(土) 16:20:00 0
>>90
なんで宇宙の第一原因だけ難問残すの?
物理学を捨てて、神さまや神話を導入すれば物理学者が頭悩ますような問題は消えてなくなるんだが。
92考える名無しさん:2008/02/02(土) 16:30:40 0
>>88
質問してる人は複数人だよ、少なくとも二人以上。
回答してる人も複数っぽい。

>>90
やっぱ、そうなるのかな?
とりあえず、宇宙の始まりはビックバンと言うことになっていたり
物質を小さく分解していくと最後はアトムになる、ってことにする様に
クオリアも、物質と意識の因果の解明をやろうとしてることになるのかな。

存在論より因果論に近いのかな
93考える名無しさん:2008/02/02(土) 16:49:34 0
>>91
神様を導入すると「神様は誰が作ったの?」という疑問が残るから。
94ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/02(土) 16:54:48 0
>>93
それは第ゼロ原因だろ。遡っていけば負数の原因になって無限
の原因になるね。原因にも限りは無いということだろ。
95考える名無しさん:2008/02/02(土) 17:00:46 0
>>94
じゃあ「原因は無数にあります」で終了だね。
96考える名無しさん:2008/02/02(土) 18:01:29 0
>>90
>全てが物理的因果に従う
そう、それ。
その「全てを統べる自然法則」を数式の形で整合的に記述するというのが
物理学者達の基本的な野望。統合理論ね。

で、すべて、て何?てことだね。
今の物理学の中に「赤の赤さ」は入ってない。
長さの次元を持つ波長λという量から「赤の赤さ」を導き出すことはできない。
そこが理解できるかどうかが鍵。
97考える名無しさん:2008/02/02(土) 18:07:37 0
>>96
だからね、「赤の赤さ」なんて存在しないんだよ。
俺らが赤を見て赤と思うのは脳がそういう状態になったから、ただそれだけ。

赤を緑や黒と見間違えなければそれでいいんだよ。
言い換えれば緑や黒や青や、別の色があって初めて「赤」を「赤い」と思えるんだよ。

ここがわからない人が「クオリア」とかいう謎の概念を導入したがるってことなのかな。
98考える名無しさん:2008/02/02(土) 18:15:08 0
>>97
てか物理学も知らない人に「クオリアなんてない」、とか言われても
何も話がわかってないとしか思えないんだが。
99考える名無しさん:2008/02/02(土) 18:16:25 0
>>97
うん、ただそれだけなら、君は何も感じない。
ただの石ころと同じ。
哲学的ゾンビ。
100考える名無しさん:2008/02/02(土) 18:50:14 0
>>98
反論があればどうぞ。

>>99
クオリアという概念の存在に疑問を感じていますが。
101考える名無しさん:2008/02/02(土) 18:53:48 0
ある概念の存在に疑問を持つ、ということがどういうことかよくわからないんですが。
102考える名無しさん:2008/02/02(土) 19:01:27 0
>>101
概念、っていってしまうと変なのかな。
他になんといっていいのかわからなかった。

クオリアという存在、クオリアがあるという事を前提とする考え方、そういったものに疑問をもっています。
103ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/02(土) 19:03:26 0
概念の存在問題といったらその概念の存在価値とか存在様態
とか言ったことを明確にすることじゃないのか?
104考える名無しさん:2008/02/02(土) 19:03:35 0
>>102
えー?でもクオリアはあるでしょ?
105考える名無しさん:2008/02/02(土) 19:09:47 0
>>104
「クオリア」って物体なの?
106考える名無しさん:2008/02/02(土) 19:10:32 0
>>102
動物の解剖実験とかしたことある?
触れば分かるけど脳って所詮ただのゼリーだよ。
107考える名無しさん:2008/02/02(土) 19:11:13 0
>>105
いや、違うと思うけど。唐突になぜ?
108考える名無しさん:2008/02/02(土) 19:12:22 0
>>107
いや、「ある」っていうから。

「クオリアがある」というのはどういう事?
109考える名無しさん:2008/02/02(土) 19:12:24 0
>>105
物体じゃない。
電荷もエネルギーも物体でないのと同じように
といっても物理を知らんじゃ、この表現も意味が分からんのか。
110考える名無しさん:2008/02/02(土) 19:14:46 0
>>108
存在論にいくとまあ話はややこしいけどね。
因果に絡む、とか、世界の記述に必要とか、色々説明の仕方はある。
しかしクオリアの文脈で問題になってる意味は単純に
他の物理量の組み合わせで表現できない、という意味。
111考える名無しさん:2008/02/02(土) 19:18:34 0
>>108
「ある」って物だけに使うわけじゃないからさ。
モト彼に未練が「ある」とか。

「クオリアがある」って要するに色が見えたり音が聞こえたりってことでしょ?
112ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/02(土) 19:22:13 0
>>108
>「クオリアがある」というのはどういう事?
典型的には「質感がある」と言うことだろう。
赤い色は赤く感じるということだね。
「ある」と言うのは物体があることだけじゃないだろ。
「おカネが有る」と言うのは貨幣を持ってるという意味だけ
じゃ無くそのカネには物を買うことが出来るという価値が
有るということだね。
113考える名無しさん:2008/02/02(土) 19:23:33 0
>>111
そうだね。意味が広くて、そこで混乱が生じる。「ある」の二種類の用法を整理しとかないといけない。

1.「クオリアがある」って要するに色が見えたり音が聞こえたり、という意味。

ここまではおおよそ万人の同意が得られる。
で、ここからクオリア実在論にいくと、話が割れる。つまり

2.「クオリアがある」というのはクオリアは他の物理量の組み合わせで表現できない、という意味。
114考える名無しさん:2008/02/02(土) 19:33:01 0
>>113
いやいや、ちょっと待って。それは飛ばし過ぎではw
そもそもクオリアの存在を否定してる人もいるよ?
でもそういう人も何故かクオリアが何なのか知ってるようだけど。
115考える名無しさん:2008/02/02(土) 19:40:47 0
>>114
デネットだね。
とりあえず俺は彼の言ってることがよく分からないのだが、
クオリアという言葉を「感覚を構成する元素」のようなものとまず定義して、
その上でそれの存在を否定している、のかな。

あとドレツキはどうだろうか。
とりあえず表象主義は機能主義と同じぐらい、>>113の2の意味でのクオリアの存在論には中立的になると思うが。
116考える名無しさん:2008/02/02(土) 20:20:43 0
>>115
じゃなくて哲学板によくいませんか?クオリア否定論者が。
なので「万人の同意」とは言えないんじゃないかなと。
彼らはクオリアそのものを否定してるのか単に用語が不要と言ってるのか判然としないことも多いですが。
117考える名無しさん:2008/02/02(土) 20:34:47 0
>>109
ではクオリアとはどいう意味?

>>110
「質感」は脳が一定の状態であるときに現れるものなんだから、物理で考えて問題ないのでは?
118考える名無しさん:2008/02/02(土) 20:43:45 0
正直デネットはペンローズの理論(決定論的な波動関数の客観収縮の理論)に対しても、
魂の再導入だ、みたいに評してたぐらいだから、俺は彼が何を考えてるのか理解できるとは思ってない。
カルテジアン劇場の否定やデカルト二元論の否定に用いた論法には賛同するけど
それ以上はやはり哲学育ちの思考では難しいと思う。

とりあえず意識の難しい問題は徐々に哲学者の手を離れて、科学のなかでの研究が育ちつつあるから
具体的なものを望む人は、そっちの動向に注目していった方がいいと思う。

例えばジュリオ・トノーニの情報統合理論。
An information integration theory of consciousness, BMC Neuroscience 2004, 5:42
http://www.biomedcentral.com/1471-2202/5/42

抜粋:experience, that is, information integration, is a fundamental quantity, just as mass, charge or energy are.
It follows that any physical system has subjective experience to the extent that it is capable of integrating information,

訳:経験、つまり(ここで私が提唱した)情報統合は、質量やエネルギーなどと同じ基礎的な(物理)量である。
この(私の理論)に従えば、情報を統合できるような物理系は、そのすべてが主観的な経験をもっている。

>>116
哲板の人は、ちゃんと主題について勉強してるような人もいるし、他の専門分野を持ってるような人も沢山いる。
でも何のバックグラウンドもなく勉強もしないままに議論してしまっている人も多いよね。
そういう人の多くは、単に「茂木が嫌い」とか「胡散臭い」ぐらいのレベルでしか議論してないから、対話しようにも仕様がない。
119考える名無しさん:2008/02/02(土) 21:06:08 0
>>117
色が見えたり音が聞こえたりしてるときのその色や音のことをクオリアと呼んでる、って俺は理解してます。
なのでクオリアを否定するということは端的に言って色や音を見たり聞いたりせずに色や音を認識してると言ってるも同じじゃないかなと。

というか今の自然科学的にはそれでいいのかもしれません。
でも俺達には何故か余計なことにクオリアもある!ってこともクオリアにまつわる問題の一つじゃないかなと思っとります。

>>118
俺自身が全くの不勉強なんで耳が痛いんですが。
クオリア否定論者が一概に不勉強ゆえにそうだというわけではないんじゃないでしょうか?
もしかしたら前野隆司さんが言うように世界観の違いから議論がかみ合わないのかもしれない。
俺自身がクオリアの消去に少なからず魅力を感じてるんで彼らの主張も聞いてみたいんですよ。
実際は話を噛み合わせるのに骨が折れるので他力本願ですが。
120考える名無しさん:2008/02/02(土) 21:09:00 0
>>119
ではクオリアなんて呼ばずに「色」や「音」と呼べばいいのでは?
121考える名無しさん:2008/02/02(土) 21:13:18 0
>>120
見えたり聞こえたりしてるときの、つまり意識経験上の色や音を指してるんですよ。
単に色や音だと対象のそれと区別つかないじゃないすか?
つうか表象主義?
122考える名無しさん:2008/02/02(土) 21:17:52 0
>>121
実際にある色や音と脳内にある色や音に別の名前をつける、と?
123考える名無しさん:2008/02/02(土) 21:30:02 0
>>122
>実際にある色や音

色と呼んでいるものの実際の物理的な対応物というのは、光の波長λ[m]でしかないんだ。
そして音とよんでるものの実際の物理的な対応物というのは、空気振動の周波数f[Hz]でしかない。

>脳内にある色や音

そして脳内には神経細胞しかないんだ。
視覚皮質も聴覚皮質も人間が勝手にその部分にそういう名前をつけてるだけで、
どの部分が発火しても、物理的には同じような神経細胞の発火でしかないんだ。
脳だけ見てれば、単にジジッ、ジジッと各所で同じような神経細胞がスパークしてるだけ。
僕達が主観的に感じているような色や音というのは、そこにはないんだ。
124考える名無しさん:2008/02/02(土) 21:34:19 0
意識経験上でない「実際にある色や音」って、
いったい何のことだ?
125考える名無しさん:2008/02/02(土) 21:36:26 0
>>123
うん、だから実際にある光の波長や空気振動を人間が感覚器を通して脳で認識する、という事だが?
その「脳で認識した色や音」に別の名前をつけるってこと?

なんでわざわざそんな事するの?

色や音を認識する、なんて機械でも出来る事だよ?
126考える名無しさん:2008/02/02(土) 21:38:15 0
結局、世にあるトンデモさんの主張と同じように、
「これで万事解決」っていうような主張が一般大衆に受けたってだけじゃないの?
それで茂木ちゃんも調子に乗ってるだけだと思うな。
127考える名無しさん:2008/02/02(土) 21:41:06 0
>俺自身がクオリアの消去に少なからず魅力を感じてるんで彼らの主張も聞いてみたいんですよ。
うん、それは俺もそうだ。物理学の知識と整合的で、かつ論理的な消去ならば俺も聴いてみたい。
128考える名無しさん:2008/02/02(土) 21:42:57 0
>>126
意味不明。何がどう万事解決されるのか。
そんでクオリアは茂木が生んだ概念じゃないから。彼は日本語で読みやすい紹介本を書いたというだけ。
129考える名無しさん:2008/02/02(土) 21:44:30 0
そろそろマトメがいるな。

クオリアは
魂のことではありません。
命のことでもありません。
茂木が考え出したアイデアでもありません。
130考える名無しさん:2008/02/02(土) 21:57:10 0
>>125
機械がやるのは何か?
CCDカメラの撮像素子の中に組み込まれている、バンドギャップの異なる半導体中で
異なる周波数(つまり波長またはエネルギ)を持った光子が生み出す自由電子とホールのペア数
これを各グリッド上でカウントし、そこからRGB値を割り出す。
そして各RGB値を内臓のテーブルに従って色名へと変換する。
これがいわゆる、機械が色を認識する、という場合のすべてのことだ。
131考える名無しさん:2008/02/02(土) 22:30:53 0
>>125
確認なんですけど、もうクオリアがなにを指すのか理解してるし存在もしてると考えてるわけですよね?
そしてその上で「わざわざ」クオリアとか大層な名前で呼んで議論する必要を感じないってことですよね?
132考える名無しさん:2008/02/02(土) 22:40:29 0
>>130
機械に詳しくないのでわからないが、言いたい事はわかるつもりだよ。
それがどうしたの?

人間もそれと同じような事をやっているだけでしょ。

>>131
いや、何をもってクオリアといっているのかよくわからないです。
どう人それぞれ色々あるようだけど。
133考える名無しさん:2008/02/02(土) 22:54:41 0
機械は感動したりしないじゃないですか!
134考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:02:11 0
>>132
>それがどうしたの?
それが完全に盲目的な機械的過程だというのは分かるね。
これと同じ話はずっと昔からあるんだ。
例えばライプニッツの作った次のような有名な逸話。

 人間の思考は脳で行われている機械仕掛けの過程だ。
 ところでこの機械仕掛けを風車ほどの大きさまで拡大すると、どうなるだろう。
 あなたはその風車の中に入って、中を歩き回る。
 そして滑車や歯車が音を立てて動いているのが見える。
 さて、意識は一体どこにあるのか?

135考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:26:39 0
>>133
人間の脳と同じ機械作ったら感動するだろうね。

>>134
どこにも無いけど、何が問題なの?
136考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:29:40 0
>>135
>人間の脳と同じ機械作ったら感動するだろうね。
そうだね。その機械は感動する。

>どこにも無いけど、何が問題なの?
だめだ、こりゃw
137考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:29:44 0
クオリアの話って「魂はどこにあるのか」って話とすごい似てるね。
138考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:32:00 0
>>135
>どこにも無いけど、何が問題なの?
私の主観世界は完全にブラックです、真っ暗闇です、
それぐらいしか整合的な説明はもはやないな。
139考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:32:10 0
>>136
本当に意味がわからない。
最初から無いものはどこまで拡大しても無いけど?それの何が問題なんだ?

脳みそを拡大していったら中に小人さんがいて一生懸命働いていた、なら納得するの?
140考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:32:55 0
>>137
似てるけど違うよ。もう物理知らん人間は去ってくれ。
141考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:34:37 0
ちょっと待って!
ここは哲学板だよ!
142考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:36:48 0
>>140
ここまでのやり取り見てると「クオリア」って単語を「魂」に置き換えてもわりと通じるようだね。
143考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:40:21 0
>>139
あなた自分が見てる像が何か分かってる?
網膜で像が反転してるのは知ってる?眼球の外からやってきた光は上下・左右がさかさまになって網膜に入射してる。
そしてその光によって起きた視細胞の発火は、後頭葉の視覚皮質の上にいびつに歪んで入力される。
つまり脳内のどこにも世界の綺麗な写像なんてないんだぜ?
でも君はそれを「見てる」ね。この間のギャップわかる?
144考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:41:51 0
>>142
通じないね。クオリアは魂と違って機能をもたない。つまりクオリアは物理世界の中で因果作用を持つとは考えられてない。
145考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:43:07 0
>>143
何が疑問なんだ?

モナリザのjpg画像も分解したら0と1だけになってどこにもモナリザがいない、となるけど。
どこにも写像は無いよ。
146考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:44:11 0
そろそろ連投規制にかかりそうだな。

>>144
で、クオリアって何?
147考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:46:59 0
>>145
君、じゃあ何も見えてないの?
君が情報を処理してるだけで、それ以外何も見えてない、感じてないなら
君が正解。
148考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:51:24 0
>>146
いい加減、うざい。
物理も知らない、コンピュータも知らない、哲学も知らない、
これでは正直話にもならんよ。学術板でレスするレベルじゃないさ。

文献教えるから、それ読んどき。定義でも何でも載ってるから。
http://plato.stanford.edu/entries/qualia/
149考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:53:29 0
>>147
見えなかったら情報処理できないが?
情報を処理するからなんらかの感情を持つわけだが。

まあ、見えなかったら「見えない」という感情を持つだろうが
見えない事自体に気がついてなかったら「見えない」とも思わないだろうね。

>>148
何故自分の言葉で語ろうとしないのにここにいるの?

他人に説明できないものの存在を疑わない理由はなんだい?
俺には幽霊や魂について語っている人と何が違うのかまったくわからない。

「クオリアって何?」

こんなシンプルな質問なのに、答えようとすらしないなんてちょっと考えられない。
150考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:57:45 0
感情的だね〜

151ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/02(土) 23:59:11 0
>>144
>つまりクオリアは物理世界の中で因果作用を持つとは考えられてない。
クオリアが物理世界に対してどのように因果作用するかを調べるのが
クオリア問題じゃないの?物理的な因果作用が無いなら自然科学の
対象にはならないでしょう。
152考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:59:51 0
>>119
横レスだけど、クオリアの否定ってどうやるの?
それって、例えば、文字を否定しながら言語を使ったり
物質を否定しながら、インターネットをしてるようなもんでしょ。

自己矛盾してると思う。クオリアを否定する為には
まずはクオリアを知っていないと否定できないでしょ。

幽霊とか催眠術なら分かるよ。体験した人としてない人がいるからね。
でも、クオリア体験してない人って、障害者などを除いてはいないでしょ。
153考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:06:36 P
哲学的ゾンビというものがある。
これは周りから見て全く普通の人間と変わらない振る舞いをするが、
クオリアを持たないもののことだ。
クオリアを持たないというのは、何も意識されていないといえるかもしれない。
つまり、自分の主観がない状態だ。

僕は主観を持ってるし、モナリザの絵を意識できる。
クオリアという概念は、それを説明するために必要なものだと僕は思うけど。
154考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:10:36 0
Q:なぜ世界を認識できるのか
A:クオリアがあるからです。

何の答えにもなって無いじゃん。
155考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:11:18 0
>>152
それだと「クオリア=意識」となるけど、いいのだろうか。
156考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:12:06 0
なんかクオリア教えてが沸いてるなwwwww

自分のことば云々いう前に、誰が見てもお前の知的レベルが
ここでの議論に達してないから勉強し直してこいwwwwww

クオリアがないっていうならお前には感情はないんだな。
俺にはお前のカキコから怒りのクオリアがにじみ出てるように見えるがwwwww
157考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:12:47 P
意識と認識は違うとは思わないだろうか?
158考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:15:37 0
>>149
そりゃ、「ジュースって何?」と質問してる様なもんだろう
そして「俺には液体や栄養成分について語ってる人と何が違うのかわからない」と
言ってる様なもんだ。

そしてジュースの説明をすると、その説明に対して「なぜジュースと言う名称を
与える必要があるんだ。名称なんかいらないだろう」と言ってる。

そこで、ジュースと同じ栄養成分のカプセルが発明されたら、「カプセルだって、
ジュースと同じ栄養が摂取できる。だからジュースなんていらないだろう」

また、カプセルが、なぜジュースと同じ効果をもたらすのか解説をすると
ジュースもカプセルと同じメカニズム、だと言う。

本当にジュースとカプセルが同じですか? 確かに効果や結果は同じです。
が、起きている仕組みは違うはずでしょう。
159考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:19:35 0
ふ〜ん、結局

「クオリアとは何であるのか定義できません」

ってこと?
160考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:25:18 P
もうこの際wikipediaでもいいからクオリアについてまとまった文にあたってきたらどうだ?
wikipediaのクオリアについての記事は一応秀逸な記事認定だし。
正直ここでクオリアの「全く正しい」定義を出すのは難しいと思うから。
それでクオリアという概念などいらないという思いがまだあるんだったら、
そこのノートででも議論すればいい……。
161考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:29:24 0
wikipediaも見たけどさ、何も具体的なことは書いて無いじゃん。
刺激を受けたときの脳内の状態だって解釈だってできる。

もう、なんか、「クオリア万歳! クオリアで万事解決!」って騒いでるだけにしか見えない。
162考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:37:13 P
いちごは赤いだろ?
いちごを見ると赤い感じがしないか?するだろ?
脳の中には物理的な状態だけしかないのに、
赤い感じはどこから沸いて来るんだよ。
163考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:38:06 0
脳内の物理的状態が、そう感じさせている

で、問題ある?
164考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:41:57 P
その関連がどのようになっているのかを探るのが、
クオリア問題だと僕は認識しているけど。
165考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:44:30 0
あぁ、「クオリア問題」ということなら、分かる気がする
でも、上の方のレスを見てると、「クオリアありき」って感じに読めたから。
166考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:48:50 P
当時の僕はネットの向こう側の誰かさんが
クオリア自体を否定しているように感じたものだから。
僕は疑問に答えるのにWikiしか参照してないから、
バイアスなしに読めば素直に受け入れられると思うんだけど。
167考える名無しさん:2008/02/03(日) 00:55:36 0
161=163=165です。
それ以外は、俺じゃない。

あれ、俺勘違いしてるのか?
>>164を読んで、「刺激(例えば赤色)があったときの脳内の状態と、
例えば赤色と感じることの間にはどういう関係があるのか?」
っていうのが「クオリア問題」じゃないの?

上の方のレスを読んでみると、「赤い色を見たときに、それを赤い色と認識するのは、
赤い色のクオリアがあるからです」で、話が止まっている様に読めるんだけど?
168考える名無しさん:2008/02/03(日) 01:05:18 P
クオリア問題はそれで良いと思うんだけど、

赤い色を見たとき、赤い感じを意識するのは、赤のクオリアがあるからで、
クオリア問題の前提として、それを認めなきゃいけないと思うんだけど……。
169考える名無しさん:2008/02/03(日) 01:22:59 0
クオリア問題が進展した結果として、「これこれをクオリアと呼ぼう」という話であるとか、
「赤い色を赤いと肝心のには何かあるんじゃないの?」という意味での「クオリア仮説」ならば、
充分に受け入れられるけど・・・

「クオリア問題の前提として、クオリアを認めなければ」というのは、
結論の先取りじゃないのかな?
170考える名無しさん:2008/02/03(日) 01:37:04 P
クオリアって名称は議論をスムーズに進めるための語で、
何を指すかって言うと意識に挙がる何らかの感じのことだと認識してる。

で、クオリア問題というのは
脳の物理的な状態と体験されるクオリアの間の関連を探ることで、
結論はまた違ったものではないだろうか?たぶん。
たとえば何らかの方程式で理論化できるとか……。
171考える名無しさん:2008/02/03(日) 01:45:52 0
>「赤い色を赤いと肝心のには何かあるんじゃないの?」という意味での「クオリア仮説」ならば、

と書いたけど、「クオリアって名称は議論をスムーズに進めるための語で、」これもまぁ分かる。
でも、その場合でも、「クオリアを認めなければならない」という話にはならないよね?
妥協点としては、「クオリア(仮称)」ってとこです、私としては。
172考える名無しさん:2008/02/03(日) 03:05:20 0
それは、批判という手法を行う上で陥りやすい罠だと思う。

実体を探るために、形式をなぞり、本質を捉えようとする方法がある。
対象の陰影をなぞり、形式を理解していけば、本質に近付いていく。
しかし、このアプローチだと、実体からは離れて行くんだな。

じゃあ、形式さえ在れば実体があるのか、と言うと違うでしょう。
両者には相補関係があるだろうけど、形式は形式でしかない。
例えば、そのフォーマットには、感覚も、意識も、クオリアも
何でも同様に当てはまってしまう。これでは、実体から離れている。

ざっくり言うと、ただ、形式のクオリアを知覚しているだけだろう。
173ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/03(日) 09:18:29 0
>>163
>脳内の物理的状態が、そう感じさせている
>で、問題ある?
それじゃ何も説明して無いし問題だらけでしょう。
クオリアは脳のどの部分で感じるのか?
物理状態がどのようになったらどういうクオリアが発生するのか?
そもそもクオリアって物理的にはどういうことに対応するのか?
クオリアを感じてそれを元に次の行為の意識的選択が可能か?
などなど。
クオリア問題の自然科学的研究ははじまったばかりだろう。
あと50年でどれだけ進展するかだね。
174131:2008/02/03(日) 15:10:28 0
>>132
> いや、何をもってクオリアといっているのかよくわからないです。
> どう人それぞれ色々あるようだけど。

どこまでがクオリアか、というところで曖昧な点があるとは思うけど基本的には上にも書いたように
「色や音が見えたり聞こえたりしてるときの(意識経験上の)その色や音」のことという理解で良いと思う。
んで、それを理解した上でなおクオリアは存在しないと主張する事は矛盾してると俺は思う。
だからクオリアがなにかを理解した上で「いや、矛盾してないよ」とゆう主張があれば是非聞いてみたいと思うけれども、
単にクオリアがなにかを理解しないままクオリアなんてないと言ったりとかわざわざ名前つけて区別するなとか言うのはちょっと勘弁と言うのが正直なところです。

>>161
> もう、なんか、「クオリア万歳! クオリアで万事解決!」って騒いでるだけにしか見えない。

むしろ逆でクオリアがあるから困ってるんでしょう。
175考える名無しさん:2008/02/03(日) 18:09:12 0
横だけど、何となく分かった気がする。
じゃあ、意識の上で起きている色や音は、クオリアという名があるなら
機械や、哲学的ゾンビの中で起きているのは、なんて呼んでいるの?
概念はありますよね。だけど名称が無いみたいだけど。
176考える名無しさん:2008/02/03(日) 18:23:01 0
と、言うより、結局はクオリアって物理的な構成主義って事に尽きるのかな。
だとしたら、単純な話になっちゃいますね。
クオリアってのは結果なのか、要素なのか、目的なのか
何を目指しているんだろう。

赤を見れば、赤のクオリアが意識の中で構成されるのは当然だけど
赤を見ないで、意識の中に赤のクオリアを発生させる事を目標としてる
って事ですか。もし達成されれば、意識のシステムが構築できるはずですね。
177考える名無しさん:2008/02/03(日) 20:37:43 0
当然視神経の行き着く先の脳を損傷すれば色彩の感覚も麻痺するだろう。
ではそれはどういう状態だろうか。仮定として、その人間が見る世界が
モノクロ映画のように映るとしよう。彼は自己の置かれた状況を理解できる。
何故なら世界が余りに殺風景に見えるから。医師から傷害の子細を報告される。
しかしながら、彼は過去に見たカラーの映像を思い出せない。まず、
それは記憶だけで構築されるものではないからだ。それ故、意識=クオリアという
発想は少し飛躍しているだろう。
178131:2008/02/03(日) 20:42:22 0
>>175
概念の多くはそれが論じられる文脈ごとに特定の意味を持つことが多いと思うんですけど、
実際クオリアも論者によってさまざまな意味の広がりを持ってます。
なのでwikiなどを通じて基本的な理解をした後はクオリアをめぐるいろんな議論に目を通してみるのが一番と思います。
まあこれは恥ずかしいほどの哲学・科学音痴の俺が言えた義理ではないんですが。

> じゃあ、意識の上で起きている色や音は、クオリアという名があるなら
> 機械や、哲学的ゾンビの中で起きているのは、なんて呼んでいるの?
> 概念はありますよね。だけど名称が無いみたいだけど。
意識を論じるにあたっては現象的意識と機能的意識の区別をされることが多いようです。
現象的意識は主観的・私秘的な意識でクオリアはこれですね。
一方の機能的意識は入力/出力の関係として捉えられるような外から観察可能な意識を指しています。
心理学的意識やアクセス意識と呼ばれるものも多分同じ意味だと思います。
ゾンビは機能的意識を持つが現象的意識を欠いているとされますね。
個人的には意識のこういった区別は確かに便利な半面、特に機能的意識を意識に含めることにちょっとした違和感があります。
179考える名無しさん:2008/02/03(日) 20:44:51 0
>>174
>むしろ逆でクオリアがあるから困ってるんでしょう。

名前を与えただけで、実態・実体があるってことになるの?
神やら亡霊やらと同程度の話ってことになっちゃわない?
180考える名無しさん:2008/02/03(日) 22:41:07 0
>>179
究極はそれでいいと思うんだけどな。
名前がなくても、世界の始まりや、死んだ後に思念はどこへ行くのかを
問うのは昔からあったでしょう。
181考える名無しさん:2008/02/03(日) 23:16:20 0
疑問に思うことについて考えることを止めないっていう意味だったら同意。
しかし、名前をつけて安心しているのだったら、しょせん針の上で何人の天子が踊れるのかと同じレベルじゃないか??
182ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/03(日) 23:39:26 0
>>178
>特に機能的意識を意識に含めることにちょっとした違和感があります。
機能的意識は無意識の別称のようですね。
意識に上らないのが機能的意識という事で。
たいていの意識的行為も習慣化されると無意識で行為している。
183考える名無しさん:2008/02/04(月) 01:03:09 0
>>179
何言ってんの?
184考える名無しさん:2008/02/04(月) 01:21:04 0
ま、ここらへんは、ソシュールの言語学と構造主義にパスする。
185考える名無しさん:2008/02/04(月) 15:08:48 0
>>179の感覚には同意できる。クオリアの議論はクオリアがあるのを前提にして進めるんじゃなくって
そもそもクオリアというシステムが必要なのかどうか、で進めるべきだ
186考える名無しさん:2008/02/04(月) 16:43:44 0
でも、>>179はクオリアの必然性と言うより
言語論的、存在論的なニュアンスが強い気がするんだけどな
哲学としては、より哲学的だけど、クオリアという各論からは
離れている気がする
187考える名無しさん:2008/02/04(月) 17:39:14 0
クオリアという概念が必要だと思う人は、それが脳というものの特質から導かれるものだと
主張するのか、それとも擬似脳というか無機物的に脳を模倣したネットワークによっても
発生するものだと主張するのか、どっち?人によるか。
ペンローズなんかは前者の系統だけど
188187:2008/02/04(月) 17:43:18 0
補足。もし前者であるならば、今度はペンローズのように実際的にどの器官がどういう方法によって
クオリアを発生させているのか、を考えるか、もしくは茂木のように物理的には必ずしも因果関係が存在しなくても
付随して励起する現象として、クオリアがあるのだと主張するか。という二つに分かれるのかな?
189131:2008/02/04(月) 18:33:28 0
>>179
> 名前を与えただけで、実態・実体があるってことになるの?
いや、そうはならないと思いますよ?どうしてですか?

> 神やら亡霊やらと同程度の話ってことになっちゃわない?
神や亡霊と似たところもあれば違うところもあるでしょう。
同程度の話とは?

>>182
> 機能的意識は無意識の別称のようですね。
> 意識に上らないのが機能的意識という事で。
ちょっと違うのでは?
意識/無意識は当人に意識されるか否かの区別で、現象的/機能的の区別は外から観察されるか否かの違いだと思います。
190考える名無しさん:2008/02/04(月) 19:26:58 0
クオリアをめぐる議論のなかで
奇しくも「哲学的ゾンビ」が単なる思考実験により要請された概念ではなく
実在するらしいということがわかったきました。
というのも「クオリアなどない」と主張する個体が現れたからです。
彼らはそれなりに誠実にクオリアがどのような概念かを理解し、
それが自分に存在しないことを見て取ったのです。
しかし自らが哲学的ゾンビであるという見解には至らなかったようで
専らクオリアの存在の否定を叫ぶばかりです。
人間のみなさまにおかれましては、このようなゾンビが出現した際、
あたたかな憐れみのこころで接していただくことをお願いいたします。
191ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/04(月) 20:12:55 0
>>189
>現象的/機能的の区別は外から観察されるか否かの違いだと思います。
意識が「外から観察される」というのはどういうことなのかな?
意識は自分にしか意識されないものではないか?
他人からは意識が有るのだろうと推測されるだけだろう。
だから「意識不明」という言葉が有る。
「クオリア」は意識が有るときだけしかないのではないか?

192考える名無しさん:2008/02/04(月) 20:12:57 0
クオリアの種類によっては、誰もが哲学的ゾンビに成れるんじゃないかな。

例えば、幽霊を知覚できたり、第六感がある人には
特有のクオリアが在る訳でしょ。あるいは在ったとしよう。
そして、幽霊も知覚できず、第六感もない人が、クオリアを有してる人と同じ、
リアクションやアクションができる状態が哲学的ゾンビ。
193考える名無しさん:2008/02/04(月) 20:34:25 0
同じリアクションを取るための何かが必要じゃないかね。
194考える名無しさん:2008/02/04(月) 20:53:45 0
だから、内在だよ内在。
変に自然科学の文脈で捉えようとするから中途半端な理解しか得られないんだよ。
現象学の初歩でも勉強してみ、クオリアがどういうものかすんなりわかるから。
195考える名無しさん:2008/02/05(火) 01:53:47 0
>>155
>>156によると「クオリア=感情」のようです。
>>157によると「クオリア=認識」のようです。

現在のまとめ

クオリアとは感情、認識、意識の事


>>158
ジュースに例えるなら、ジュースに「これはオッパッピーといいます」
って別の名前つけちゃったという事だな。
196考える名無しさん:2008/02/05(火) 06:19:48 0
もう、それはクオリアとは関係ないだろう。
完全に言語になってないかい。
クオリアはあくまでクオリアであって、各論に過ぎないのだから
不必要に話を広げるのは良くないと思うぞ。
そんな事やってたら、意識って何?感情って何?と
話が終わらなくなってしまう
197考える名無しさん:2008/02/05(火) 09:36:39 0
>>187
ペンローズは別に脳に限って考えてるわけじゃないぞ。
波動関数の収縮、という現象が起きたときにクオリアが発生するのでは、と言ってるだけ。
そしてこの収縮とクオリアの生起との間にある具体的な因果関係については多分何も述べていない。
とりあえずはある程度の規模でコヒーレントな物理系でありさえすれば、何でもおkということでしょ。
198考える名無しさん:2008/02/05(火) 09:39:25 0
無機物的に脳を模倣してクオリアがあるか、というのは多重実現可能かという問題だね。
199考える名無しさん:2008/02/05(火) 10:50:40 0
>>197
その波動関数の収縮が起こるモデルとして脳の神経細胞の微小管を上げてるわけだ。

チューリングマシンをパスするような人口知能は実現不可能だ、なぜなら意識、クオリア無くしては
人間的思考は不可能だから、そして人間的思考とは数学的でありながら、非計算的な思考のことだ、と規定して、
さらに数学的かつ非計算的な現象として波動関数の収縮に目をつけた。という感じだったよな。

個人的にはクオリアの問題に結論めいたことを断言する気にはまったくならん。
ペンローズとデネットを読んだけどいずれも魅力的だったし、説得的な要素も両者にあった。
200考える名無しさん:2008/02/05(火) 12:51:01 0
クオリア原理主義宣言
201考える名無しさん:2008/02/05(火) 16:27:01 0
方法的懐疑ならぬ、方法的原理主義
202考える名無しさん:2008/02/05(火) 19:48:27 0
>>190
ナイスイロニー乙wwwwwwww

>しかし自らが哲学的ゾンビであるという見解には至らなかったようで

「哲学的ゾンビ」の概念が彼にはないんじゃね?
ロボットにロボットの概念がないように。
そっとしといてあげようよwwwwwww
203考える名無しさん:2008/02/05(火) 22:15:13 0
刺激を受けた際に脳内に発生したり、あるいは励起される何物かを
「クオリア(仮称)」と呼ぶことについては異論は無い。
しかし、「クオリア(仮称)」が本当に存在しているのか、
存在するのであればそれは一体どのようなものなのかという問題を脇においたまま、
「『クオリア』が存在するんだ」と主張するのは、論理的に飛躍しているような気がする。

>>167で書かれてる「クオリア問題」として、今後の研究の進展を
期待するしかないように思うけど。
実態はなんだか分からないけど、想定すると便利ということもあるかもしれないけど、
その場合も、「ほら、こんな具合に便利」という例が出てこないとなぁ。

>>179でこう書かれてる。

>名前を与えただけで、実態・実体があるってことになるの?
>神やら亡霊やらと同程度の話ってことになっちゃわない?

名前をつけただけで、それのありもしない実態・実体が、
あたかも存在するように扱われるのはいただけないと、俺も思う。
「神」という名前をつけただけで、人は長い間「神」が存在するものとして、
極端なことを言えば十字軍や魔女狩りにも関連したわけだし。
204考える名無しさん:2008/02/05(火) 22:31:53 0
>>203
そういった考え方がすでに自然科学を前提にしているという点で非哲学的だ。
「赤さ」は刺激を受けた際に脳内に発生するものなのかどうか現時点ではわからないにもかかわらず
素朴に自然科学の枠の中で解釈しようとしている。

問題はここでクオリアと呼んでいるものが認識の前提となっていることを理解できるかどうかだ。
「赤さ」を感じることなしに「赤」を理解することはできない。
この認識の最初期段階に受け取られたもの、感じ取られたものがクオリアだ。
あらゆる知識はこの単純な要素によって形作られている。自然科学の知見も例外ではない。
「神」やら「亡霊」やらと名付けて云々などまったくの見当違いの話だ。
205考える名無しさん:2008/02/05(火) 22:40:34 0
>>203
>実態はなんだか分からないけど、想定すると便利ということもあるかもしれないけど、
その場合も、「ほら、こんな具合に便利」という例が出てこないとなぁ

おれもそれ思うな。例えば物質にしたってその要素をたどっていけば最後は素粒子になる、という
ことはわかってても、素粒子が何なのかはわかりはしない。それは単に「物質のように見える現象」
というだけのことなのかもしれないわけだ。しかし素粒子が物質の素子であると規定する
ことによって実にさまざまな実利が発生するのでそれを基礎とした物理学という体系には価値がある。

で、クオリアがわれわれの思考や意識の素子だと規定することによって、どういう新しい理念が生まれる?
クオリア論者は「それがないと説明できない」という着想だけじゃなくって、
そこからの派生的な意義も、もしあるなら示して欲しい。
206考える名無しさん:2008/02/05(火) 22:57:45 0
>>204
いやいや、哲学的だろ。哲学の偉大さは哲学自身を殺して科学を生むことにある。
「赤さ」が受け取られるんだとして、受け取るものは何?
「意識」が「赤さ」受け取るんだとすれば、無限後退になる。

むしろ「赤さ」自身が自己だというのならばわかる、というかおれはそう思っているし、
その上でその「赤さ」をクオリアと呼ぶ必要があるのかどうかで迷うんだ。
207考える名無しさん:2008/02/06(水) 00:37:58 0
「形式だけあって、実体がないのは、おかしい」という論法は
逆手に取ると、在りもしない物を在ると言い張ることが出来るので
注意が必要だが、現象として起きていたり、言語として使われている物を
無いとするのは、これまたおかしいだろう。
208考える名無しさん:2008/02/06(水) 00:42:35 0
と言うより、神や霊魂も分かってるとは思えないんだよな。

神の絶対性とか、なぜ世の中の不条理さを神は放置したままなのか、
神の存在証明とか、物質が存在する根源と神の存在の類似性とかある。
霊魂にしても、人との関係性とか、人間の精神と肉体の分離とか
主体と客体をつなぐ媒体とか、考えがある訳だろう。

>>203
むしろ逆に聞きたいんだけど、どうしてそうまでして
唯物論的に考えたがるの? 別に観念論から出発しても良いはずだよね。

>>205
同じく、どうしてそんなに実学志向なの? 役に立つとか立たないとか
政治やビジネスをやってる訳じゃないんだから、なぜ示して欲しいのか
それ自体がおかしい。示す必要もないでしょう。学問なんだから。
209205:2008/02/06(水) 01:02:45 0
>>207
だから>現象として起きていたり、言語として使われている物
は「現象として起きていたり、言語として使われている物」として「有る」ことは否定しないよ。
だからといって形式として有るものを実体として有るのだと規定するのであれば、
確かな証左があるのか、もしくは前進があるのかなと、当然思うじゃないか。

>>208
学問だからこそ示して欲しいんだよ。素粒子の例えが悪かったのかな。
学問的な意味での進展、理念の発展としての実益、だよ。
210考える名無しさん:2008/02/06(水) 01:55:28 0
>>208
誰かがこう言ったとする。

---- ここから
赤い色を見たときに、それを赤いと認識するのは、赤い色を認識させる「何物か」が、
脳あるいは精神において発生あるいは励起しているからではないだろうか。

その「何物か」を、仮に「クオリア」と呼ぼう。
---- ここまで

とすると、自然と次の疑問は、その「クオリア(仮称)」とは何物なのかということになる。
この疑問に対するアプローチの仕方が、唯物論的方法もあれば、
観念論的方法もあるのではないかと思う。

211考える名無しさん:2008/02/06(水) 02:11:49 0
>>209
それ、資本主義社会のイデオロギーに染まってるだけなんじゃないの?
学問と実益は別でしょ。現代では経済効果を期待され、科学も企業に
飼いならされているけど、本来は別物なはずだよ。

どうすればクオリアを使って儲けられるのか? と聞いてる様に思えてならない。
212考える名無しさん:2008/02/06(水) 02:14:33 0
>どうすればクオリアを使って儲けられるのか?

どこをどう読めば(ry
213205:2008/02/06(水) 02:31:24 0
ジーザス。おれほど資本主義社会イデなんとかから遠いやつはいないんだがなあ

哲学的進展、なんなら観念論的進展、でもいいよ。そういう進展はクオリアを規定することによって、
規定しないでいる場合よりも、多くあるのかってこと。まああると思うからクオリアを取り入れてるんだと
思いたいが、自己の規定を虚構でなく実在的なものにしたいという願望から、クオリアを安易に受け入れる
人もいるってのもわかるだろ?それは間違いなく欺瞞だから、こっちも多少懐疑的になるのかもしれない。

難しい問題だから別にゆっくり論者を待つだけだけど
214考える名無しさん:2008/02/06(水) 09:43:46 0
>>205
>その場合も、「ほら、こんな具合に便利」という例が出てこないとなぁ
おk、じゃあ今から内観で知られる感覚の質感のことを意味するクオリアという言葉や
この言葉と類似した意味を持つ様々な言葉、そういうのを一切使わずに、次のような現象を説明してみて。

共感覚、盲視、半側空間無視、分離脳

そして次のような概念も

痛み
215考える名無しさん:2008/02/06(水) 09:53:08 0
>>204
>そういった考え方がすでに自然科学を前提にしているという点で非哲学的だ。
自然科学を前提してない非科学的立場をどう堅持するのか予想できないが。
それにそもそも分析哲学の世界で、はなから科学を無視して議論する態度てのはどうなんだろ。
哲学と言えばポモだろ、って言いたいんならわかるけど。
216考える名無しさん:2008/02/06(水) 10:00:24 0
>>210
クオリアの問題に関して「唯物論vs観念論」なんていう対立軸を設定してるのは、
2chの機械スレだけ。普通は「物理主義vs二元論」
217考える名無しさん:2008/02/06(水) 12:20:15 0
結局のところ、クオリアって何なの?
218考える名無しさん:2008/02/06(水) 12:55:00 0
>>217
>>148は読んだか?とりあえず抜粋な。
Philosophers often use the term ‘qualia’ (singular ‘quale’) to refer to the introspectively accessible, phenomenal aspects of our mental lives.

で、「何なの」というのは一体どういう回答を期待して発してる問いなんだ?
あなたの望む回答の様式を満たす形で、とりあえず「時間て何なの?」に答えてみて。
219考える名無しさん:2008/02/06(水) 12:56:20 0
時間とは時間です
220考える名無しさん:2008/02/06(水) 13:00:34 0
>>217
と、この文脈では、こっちの方がいい問いかな。
「結局のところ、物質てなんなの?」
あなたの望む回答の条件を満たす形で、コレを答えてみて。
221考える名無しさん:2008/02/06(水) 13:11:35 0
「物質」という観念が成立するもとになっているのが「クオリア」。
この理解でOK?
222考える名無しさん:2008/02/06(水) 13:15:12 0
結局のところ、
物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象であり得るのであり、
実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはおらず、
また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではないわけで、
このようにして、およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないということであり、
およそ実体がないということは、物質的現象なのである。
これと同じように、感覚も、表象も、意志も、知識も、すべて実体がないのである。
223考える名無しさん:2008/02/06(水) 13:17:07 0
なんだか般若心経の現代語訳みたいな文章だな。
224考える名無しさん:2008/02/06(水) 13:23:27 0
>>221
さあどうだろう。俺は概念が生まれるのに、クオリアはまったく不要だと思ってるけど。
何となくだが>>221さんは
「精神(魂)がクオリアを映像のように受け取って、精神が外界に対する概念(物質という概念)を構築している。」
というデカルト的二元論を前提して考えてるような気がする。

>>222
それは空の説明でしょ?

225考える名無しさん:2008/02/06(水) 13:28:34 0
デカルト的な心身二元論が否定されるに及んでようやく心が科学の対象となったんですか?
226考える名無しさん:2008/02/06(水) 13:36:52 0
>>224
デカルト的というか、五感を通じて得るクオリア抜きで「物質」という概念が
生じるはずがないというロック的?図式をどうやって越えられるのか
よくわからない。
227考える名無しさん:2008/02/06(水) 13:38:15 0
>>225
心、って言葉も曖昧だが、
「デカルト二元論の否定」と「心についての科学の発展」
このどっちが先でどっちが後かあえて決めろ、と言われたら、それはやっぱり「科学の発展」の方が先だろうね。
でも実際は科学的研究が進むにつれて心に対する見方は変わってきたし、
また心への見方が変わるにつれて、さらに新しい実証的研究の方向性が出てきたりと、
単純にどっちが先、といった話にはならないかな。
228考える名無しさん:2008/02/06(水) 13:44:49 0
>>226
例えば自己組織化マップ(SOM)みたいなものには、「概念」と呼んでもよさそうなものが出てくる。
神経回路網の自己組織化だか、渦だか、ループだかは分からないけど
とにかくそんな感じで、概念を生むのにはクオリアはまったく不要だと、俺は思う。
229考える名無しさん:2008/02/06(水) 13:52:30 0
哲学視点と科学視点がすれちがってますよ。
230考える名無しさん:2008/02/06(水) 16:21:10 0
なんで小学生でもわかりそうな質問をするのかがわからん。
解答するのでそちらも同じ形式での解答をよろしく。

>>220
ぶっしつ 0 【物質】
(1)もの。品物。
「―文明」

(2)〔物〕 古典的には、空間の一部を占め、一定の質量をもつ客観的存在。物質の構成要素は分子・原子であるが、
究極的にそれらを構成する核子・電子等を物質粒子という。相対性理論によれば、物質はエネルギーの一形態とされ、
また、場の量子論では、物質粒子も場として扱われる。

(3)〔哲〕 意識から独立して時間空間内に存在し、感覚によってとらえられる客観的存在。〔matter の訳語〕

231考える名無しさん:2008/02/06(水) 16:27:52 0
>>230
それではwikiでも読めと言われるのがおちですよ。
232考える名無しさん:2008/02/06(水) 16:31:15 0
辞書を引用するって、なんなんだよ。
どうやら、この人の望む回答は、教科書的な回答のようだな。
予め答えあると思ってるらしい。探究心が感じられない。
233考える名無しさん:2008/02/06(水) 16:34:22 0
茂木さんのクオリアマニフェスト読んできたら、
クオリア問題の面白さが分かった。

茂木さんの最近の啓蒙本も好きだが、
知的好奇心を喚起させるという点で失敗していると思った。
234230:2008/02/06(水) 18:04:34 0
あれ、解答はまだかな。
235131:2008/02/06(水) 18:44:28 0
>>234

哲学者は「心的生活のうち、内観的にアクセスできる現象的な面」のことを差すのにクオリア(単数形でquale)という言葉をしばしば使う。
 ─http://plato.stanford.edu/entries/qualia/

私たちが、意識にある状態で感じる様々な質感のことです。日本語では、感覚質と訳されることもあります。
 ─http://www.qualia-manifesto.com/qualiafaq.html

(典型的には)色や音が見えたり聞こえたりしてるときの(意識経験上の)その色や音
 ─俺(>>174

上記のような説明はさんざん既出であるのに相変わらず「結局クオリアってなに?」みたいに聞かれるので>>220さんはうんざりしてるんじゃないですかね?
236考える名無しさん:2008/02/06(水) 18:44:29 0
>>234
意識という概念を使って物質を定義してるんだけど、
意識ってなに?
237考える名無しさん:2008/02/06(水) 18:58:50 0
>>214
>おk、じゃあ今から内観で知られる感覚の質感のことを意味するクオリアという言葉や
>この言葉と類似した意味を持つ様々な言葉、そういうのを一切使わずに、次のような現象を説明してみて。

スレ内でも統一された定義が無い状態で、そういう設定をされてもなぁ。
普段は、異なる定義をしている連中が、ここでわらわらとよってこられてもなぁ。
それが哲学の流儀だというなら仕方ないけど。

ともかく、クオリアという言葉や概念を導入しても、以下の見出し語について何も説明も解明もしていないことが分からないのかなぁ。

共感覚: 感覚器Aからの特定の刺激が、通常は感覚器Bによって受ける特定の刺激に対する反応を起こす事例。

盲視: 目からの刺激の知覚と、神経信号の認識・認知の間の機能不全。あるいは、目から視覚野の刺激の伝達経路上に障害があり、
   刺激が視覚野にはうまく伝達できないものの、他の部分には一部伝達されているために発生する事例。

半側空間無視: 空間モデリング機能、およびそのモニタリング機能の障害。

分離脳: 分離脳の何についての問か不明。
  「右脳に絵を見せた場合、左手で触った物の中から絵と同じ物を取り出すことができる。」
  ということについてならば、左手で触ったものの空間モデリングが可能なためという可能性が考えられる。
  「ある右脳に提示した場合、左脳はそれが何であるのかを語ることは出来ないが、左脳は右脳が見たものの印象については正確に判断できた。」
  ということについてならば、少なくとも以下の2つの疑問点が挙げられる。
   1. 実験の統制の問題
   2. 印象の内容の解釈の問題
  クオリアを導入しても、脳梁が切断されているのならば、左右の脳半球間での電気信号による情報伝達が阻害されているのであるから、
  何も説明できない。ただし、ホルモン等により、好悪の判断に影響があたえられた可能性は考えられるのではないか。

痛み: 痛覚神経への刺激による神経末端の発火

>>216
アンカーの先を読んでね。
脊髄反射ではなくてさ。
238考える名無しさん:2008/02/06(水) 19:01:57 0
どこが脊髄反射?

239考える名無しさん:2008/02/06(水) 19:02:44 0
あっ、ごめん。前言撤回。
240考える名無しさん:2008/02/06(水) 19:17:31 0
>>237
>共感覚: 感覚器Aからの特定の刺激が、通常は感覚器Bによって受ける特定の刺激に対する反応を起こす事例。
文字に色がついて見えることが、この定義には含まれないみたいだが。

>盲視
どういう「機能不全」、どういう「事例」なのか?肝心の部分が書かれてないようだ。

>半側空間無視
機能の障害って具体的にどういう障害なの。そこを書けないと。

>分離脳
結局のところ「印象」ってなんなの?

>痛み
神経末端の発火なら特定の神経細胞だけシャーレの上に取り出して発火させればそれは痛みなわけだ。
また、その神経末端を機械的に置換したら、もはや痛みは存在しないわけだ。
241205:2008/02/06(水) 19:26:35 0
>>214
こっちの意図を勝手に汲んでくれんのはいいけどさ、文章を変えるなら引用符「>」は使うなよ。
使うなら、文章を変えるな。

質問してるのはこっちだったんだが、まあいい。
例えば「痛み」なんてものはどこにも存在してない。とおれなら答える。
じゃあお前は哲学的ゾンビなのか?なんてバカげたことを言う人もいるが
「痛み」を感じているということを表明するとき、すでにおれという主体は「痛み」と同様に
脳の機能によって生み出された「「痛み」を表明したいという要求」(当然これもクオリアだよね)
に過ぎないわけ。つまりクオリアというものを取り入れても、「クオリアを感じている」ということは結局
「クオリアを感じている」という仮想現実以上でも以下でもない現象を示したに過ぎない。
ここに進展はないとおれは思うわけだ。

でも「痛み」はあるじゃないか!とまた言われるんだろうな。しかしそれは言明に矛盾があるとしか
言いようがない。正確には「お前は「痛み」を感じているんだぞ」という脳の識別状態があるに過ぎない。
まあこのあたりはデネットの受け売り。おれ自身完全に腑に落ちてるわけじゃない。でもこれ以上
整合性のある主張をクオリア論者から聞いたことはない。
242考える名無しさん:2008/02/06(水) 19:37:10 0
>>230
>(3)〔哲〕 意識から独立して時間空間内に存在し、感覚によってとらえられる客観的存在。〔matter の訳語〕

こんなの平気で引用してるのは自分で「物質」や「物」とは何か考えたことが
ないことバレバレだね。
辞書は正しいとでも思ってるおめでたいやしか。
何がおかしいかわからない?
意識から独立した感覚なんて有るのか?等々・・・。
243205:2008/02/06(水) 19:41:04 0
ああ、ごめん。引用はもともと>>203のレスか。失礼した。
大勢に影響はないな;
244考える名無しさん:2008/02/06(水) 19:45:12 0
>>241
>正確には「お前は「痛み」を感じているんだぞ」という脳の識別状態があるに過ぎない。
それが痛みのクオリアだろ。「クオリアは有る」で問題ないじゃん。
クオリアって意識で感じられることだから。
245考える名無しさん:2008/02/06(水) 19:50:10 0
>>241
1.クオリアという概念を使って議論すること
2.クオリアが脳の物理状態に還元しきれない形で実在すること

1への批判と2への批判は別物。1への批判がいつのまにか2への批判へと話がすり替わってる。
246考える名無しさん:2008/02/06(水) 19:55:03 0
いやー…ぶっちゃけ「クオリアは有る」でもいいんだよ。観念的な意味で言ってるんだろうからね。
でも学問においてそれを有ると規定することによる前進がないのに、「有ると言いたがる心理」のほうに
問題があるんじゃないかと思うんだ。普段は物質的なものを実体、現実と呼ぶ習慣の中に生きているのに、
自己のルーツだけは観念でしかないものを実在のレベルであるかのように捕らえたいのか?と。
247考える名無しさん:2008/02/06(水) 19:56:41 0
>>241
台風は原子の特定の配置のことに過ぎないのだから、「台風」なんていう名前を使うのはやめよう。何の進展もない。

そんな風に聞こえるんだよな。
248考える名無しさん:2008/02/06(水) 19:57:43 0
>>245
>2.クオリアが脳の物理状態に還元しきれない形で実在すること
クオリアが物理的にどういう位置づけになるかが「クオリア問題」ですね。
物理状態に還元することまでは要求しないだろう。
物理との相互作用が可能かは要求される。
249考える名無しさん:2008/02/06(水) 20:00:02 0
>>246
まず自分が「ある」という言葉をどういう意味で使ってるのか、とらえているのか
そこをハッキリさせたほうがいいと思うよ。
あなたの使い方と周りの使い方に何かズレがあって、そこが違和感の源になってるようだ。
250131:2008/02/06(水) 20:25:47 0
>>237
現象のピックアップの仕方が適切だったかどうか俺には判断しかねるんですけども、
全体としていえるのはそういった説明がいわゆる三人称的な説明であってそれらの現象が当事者にとってどう経験されるのかといったことはそこからは出て来ないんじゃないかと思います。
おそらくは同じ一つの出来事を扱っているにもかかわらず説明と経験の間にはある種のギャップがあるわけです。

といっても通常はそれらの「説明」と「経験」の間を経験的に結びつけることが出来るので余りそういった乖離を実感する事はありません。
でも実際はそれらの結びつきは論理的でもなければ確立した自然法則があるわけでもないですよね?

そういったことをより問題として扱うためにクオリアという概念は便利というか必要なんだと思います。
251考える名無しさん:2008/02/06(水) 20:37:49 0
>>249
そうだな、「ある」の定義は三つあると思う。>>247の台風はいい例えだね。
まず原子、厳密には素粒子を素子とする物質という存在(それは現象なのか、
物質なのかという思想的問題はともかくとして)。
で台風という、便宜上名前をつけただけの現象としての存在。
で、クオリア論者が言う今まさに体感している「感じ」の存在。

なるほど確かに、二つ目と三つ目が類似しているところが混乱の元か。
台風で言えば、原子が特定の状態になることで発生している現象、プロセスに台風と言う名前を着けているのであって、
台風の中心点に「台風感」があるからそれに台風と言う名前をつけているわけではない。
意識の問題では、意識があるかのように感じられる脳の特定の状態が現象としての存在で、
その先の発生している「感じ」がクオリアと呼ばれる存在。

さて…こうなると、人間の脳にクオリアがあるのであれば、台風の中心に「台風感」があっても
まったくおかしな話ではないってことだね。実際情報物理ってのはそれに近いのか?
そっち系の話がもっと聞きたいかなあ。何度も言ってるけど進展が有りさえすれば
この三つ目の存在性の規定にも不満はないし。

>>250
なるほど。
252考える名無しさん:2008/02/06(水) 21:23:56 0
>>251
>人間の脳にクオリアがあるのであれば、台風の中心に「台風感」があっても
>まったくおかしな話ではないってことだね。

何でこんな推理が成立するのかまったく理解できない。すべての物理現象は
原子が特定の状態になることで発生しているだろうに。なぜ「台風」だけに
「台風感」があるとするのかな?それだったらすべての物理現象に「感じ=情報」
が伴うとしなければいけないだろう。今までの物理学の全面変更だね。
253考える名無しさん:2008/02/06(水) 22:13:29 0
>>252
あくまで現象の例として台風を出してるんだからさ、全ての現象に情報があってもおかしくない、っていう
ことを言いたいんだって、普通わからんか?そういう飛躍を見るとどうしても人間の脳を特別なものだと
考えたいんじゃないか、と邪推したくなるんだよ。
254230:2008/02/06(水) 22:18:51 0
>>235
クオリア
1
心的生活のうち、内観的にアクセスできる現象的な面。哲学用語。

2
私たちが、意識にある状態で感じる様々な質感のこと。感覚質。
色や音が見えたり聞こえたりしてるときの意識経験上のその色や音。


これで定義は終了でいいのかな?
255考える名無しさん:2008/02/06(水) 22:21:27 0
>>247
違うでしょ。台風に「台風の事をヘノヘノモヘジと呼ぶことにしよう」って別の名前をつけている、って感じだよ。
256考える名無しさん:2008/02/06(水) 22:32:09 0
「クオリアは起こっている」と言って欲しいのか?
257考える名無しさん:2008/02/06(水) 22:34:08 0
>>252
>それだったらすべての物理現象に「感じ=情報」
>が伴うとしなければいけないだろう。今までの物理学の全面変更だね。

人間の脳は物理学の外にあるのか?
258考える名無しさん:2008/02/06(水) 22:49:14 0
>>257
ちゃうでしょ、物理学は人間の脳と似たシステム原理が働いてるって事。
259考える名無しさん:2008/02/06(水) 23:02:35 0
>>258
「人間の脳と物理学のシステム原理は似ている」って事は、人間の脳は物理学の外にある、って事だろ。
260考える名無しさん:2008/02/07(木) 04:51:19 0
>>259
逆にしてどうするのよ。
人間の脳が物理学に似ているなら、人間の脳は物理学の外だと解釈できるが
物理学が人間の脳に似てるなら、物理学の変更が必要になるだろう。
261考える名無しさん:2008/02/07(木) 09:43:33 0
>>251
>台風の中心に「台風感」があっても まったくおかしな話ではないってことだね。
汎心論、汎経験論と呼ばれるもののことを言ってるのかな。
とりあえず新しい物理学でもってクオリアを説明しようとしてる人は
基本的にみんな汎経験論だよ。というか理論の構造上、必然的にそうならざるを得ない。

例えばペンローズなんかも理論の構成上、必然的に汎経験論になる。
>>118のトノーニなんかは自分でハッキリそう書いてる。
262考える名無しさん:2008/02/07(木) 09:48:16 0
>>260
「人間の脳と物理学」といい、それを比べているんだから、「人間の脳」と「物理学」はそれぞれ違う特徴を持っているってことだぞ?
263考える名無しさん:2008/02/07(木) 10:48:30 0
なんで「人の脳」と「物理学」を比較してるのかな。よく分からない。
何かカテゴリーミステイクをやらかしてると思う。


脳を含んだこの世界
脳を含んだこの世界について記述する物理学

こういう関係がとりあえずは基本だと思うけど。
264考える名無しさん:2008/02/07(木) 10:51:01 O
クオリアはいまのところ物理学の外だろ。
265考える名無しさん:2008/02/07(木) 10:51:49 0
当たり前すぎることだが、脳だって物理で表されるものの一つって事だ。
脳だけが物理学の外側にあるわけじゃない。
266考える名無しさん:2008/02/07(木) 11:06:30 0
>>262
比べてるんじゃない。「物理現象は人間の脳みたいなもの」だと言ってるのだから
論理的には、物理現象の方に感情があると見るべきだ。>>252の言ってる事は
そう言うことだろう。
267考える名無しさん:2008/02/07(木) 11:13:27 0
うーん、よく分からない。
普通の言葉の使い方なら、「人間の脳は物理現象のひとつ」となるんだけどな。
ある一定の原子の配置に付けられた名前が「脳」なんだから。
268考える名無しさん:2008/02/07(木) 11:22:29 0
>>267
それを逆側から言ってるのだろう。

原子の配置や流動に付けられた名称が「脳」であり
その「脳」に「脳のクオリア」があるのなら、
また別の原子の配置や流動は「台風」という名称が与えられ
その「台風」と呼ばれる現象には、「台風のクオリア」があると言うことになる。
269考える名無しさん:2008/02/07(木) 13:05:45 0
>>268
つまりあらゆる物理現象はその属性のひとつとして必ずクオリアをともなってる、といいたいの?
もしそうなら、そういう考えを汎経験説というんだよ。
270考える名無しさん:2008/02/07(木) 19:38:43 0
知らんよ。ただ、誤解してるみたいだから訂正しただけだ。
271考える名無しさん:2008/02/07(木) 20:04:39 0
なるほど。すべての物理現象にその属性として「クオリア」を設定する
「汎経験説」という考え方は既に有るのだね。
これは物理現象と情報が相互作用する説という事でいいのかな?
ストウニアなどが主張してる「情報物理学」と同じようなものなのかな?
272考える名無しさん:2008/02/07(木) 21:26:51 0
>>271
いやところが、物理現象に対してクオリアは影響しない。情報はあくまで付随して発生しているに過ぎない。
このあたりを考えると、つい人間というものを自嘲的に笑ってしまいそうになる。
なんで物理世界に何の影響力も持たないのに、感覚が「有る」んだ?意味ないだろ、それ(笑)と。

これはコミュニケーションの発達の過程で、欲求を「仲間」に報告する必要性に迫られて発生した
ものだというのがデネットの主張。われわれ人間というソフトウェアは、これを「有る」と言って互いに
報告しあうことでコミュニケーションがスムーズに行える。脳というハードが、人間というソフトの作成途中で
組み込んだツール、ということかな。
273考える名無しさん:2008/02/07(木) 23:21:29 0
>>240
>>共感覚: 感覚器Aからの特定の刺激が、通常は感覚器Bによって受ける特定の刺激に対する反応を起こす事例。
>文字に色がついて見えることが、この定義には含まれないみたいだが。

含むと思うけど? 気になるなら、「含む」と定義すればいい。

>>盲視
>どういう「機能不全」、どういう「事例」なのか?肝心の部分が書かれてないようだ。

2文目を参照のこと。脳科学、神経なんたらは専門じゃないのでようわからんが、
神経繊維が切れてるとか、ニューロンのところでなんか問題があるんだろ。

>半側空間無視
>機能の障害って具体的にどういう障害なの。そこを書けないと。

モデリング機能、モニタリング機能のどこかに問題があるってことでしょ。脳科学、神経なんたらは(ry

>>分離脳
>結局のところ「印象」ってなんなの?

「印象」という語については、参照した複数の解説ページで用いていた語であるため、私の責任の対象外。

>痛み
>神経末端の発火なら特定の神経細胞だけシャーレの上に取り出して発火させればそれは痛みなわけだ。
>また、その神経末端を機械的に置換したら、もはや痛みは存在しないわけだ。

1文め、yes。
2文め、同等の機能を果たす神経細胞やその部分と置き換えたのならば、
発火は置き換えられる前と同様に起こると予想されるので、
痛みは依然として存在するのではないか?
274考える名無しさん:2008/02/07(木) 23:22:18 0
そういや哲学には「伝播論」ってあるのかな。伝わると言う事を哲学した人っているのだろうか。
275考える名無しさん:2008/02/07(木) 23:23:56 0
あ、240を指定するわけじゃないけど疑問点があるので質問。

1つめ。
あれもこれも認識なりなんなりするのにクオリアが必要ってことだとすると、
「時間」に間するクオリアって存在するの?

2つめ
クオリアと、意味とか、意味表現とか、内部表現てどういう関係なの?
「クオリア=意味等々」なのか、
「刺激→クオリア→意味等々」という経路になるのか。
276考える名無しさん:2008/02/08(金) 00:14:06 0
クオリアは別になくても良いが、僕の意識上にクオリアらしきものがあるからあるとしておく。

認識ってったってコンピュータによる音声認識、文字認識は認識だな。意味が違うかもしれないが。
時間か。変化する感じなら僕は持っている。

意味って、クオリアがあるからこそ与えられるというものでもないと思う。
何か刺激があって脳の状態が変化したら、何らかの意味を認識するかも知れないが、
そこにクオリアという中間層を挟まなければいけないかというと、そういうわけでもない気がする。
脳科学的にはクオリアによって意味を取り扱っているわけでもないとおもう。
ある言語の文脈中の語に意味があるとするならば、その意味は文脈から把握できるものじゃないか?
たとえばあるプログラム言語の条件文中の記号=が左の項と右の項とが等しい場合にTを返すという意味だったとき、
他の場合では記号=が右の項に左の項を代入するという意味になるとか。
今のコンピュータにも可能な意味解析だけど。これも意味が違うかもしれない。

結局何をいいたいかというと、意味というそのものが何なのか全くわからないのでわからない。
277考える名無しさん:2008/02/08(金) 08:29:01 0
クオリア無い論って、こんな感じに思う。

1.私の指示に従って下さい。
2.このボールを、1番なら左の箱に入れて下さい、2番なら右の箱に入れて下さい。
3.被験者は、左の箱にボールを入れた。

そこで、クオリア無い論者は、3.で左の箱にボールを入れたのは
「物理的な刺激により左にボールを入れただけ」と言ってるに過ぎないと思う。
さらに話を発展させ「2.の指示なんて存在しない」と言っているのであり
これは順序的にむちゃくちゃだ。
3.の結果は、2.から導き出されたのであり、その3.と2.は無関連だと主張する
のは無理がある。
278考える名無しさん:2008/02/08(金) 08:30:17 0
すると、無理を解消するために、今度は順序を逆向きにしはじめる。

1.被験者は、左の箱にボールを入れた。
2.1番なら左に入れて、2番なら右に入れることが観察により分かった。
3.誰かの指示があるのではない。ただありのままを観察しただけだ。


しかし、その「被験者」っていう単語は何だ?
観察により分かると言っても、その被験者は不自然だろ?
って言うか、「誰かの指示ではない」って発想は何だ?
もしかしたら、好みや癖かもしれないじゃないか。
どこから「指示」なんて発想が出てくるのだ?
まるで>>277があったとしか思えない論理展開と言葉選びだ。
279考える名無しさん:2008/02/08(金) 09:26:17 0
>>272
>情報はあくまで付随して発生しているに過ぎない。
情報が付随して発生したものとしてもその情報を
表情や言語として表出するためには筋肉系への神経出力
が必須だろ。
現象的意識の脳への物理作用が無ければそれは出来ないだろ。
280考える名無しさん:2008/02/08(金) 09:34:09 0
>>276
>結局何をいいたいかというと、意味というそのものが何なのか全くわからないのでわからない。
現物の果物である「りんご」を見てその視覚像の「クオリア」からこれは「りんご」だと知覚したとする。
そのときの「りんご」の意味は視覚像の示すなにものかでありその「クオリア」で
はないか?言葉としての物の名前の示す意味はその言葉の指示する対象そのものだろう。
281考える名無しさん:2008/02/08(金) 09:43:33 0
>>277
このテストで何が判明するのかわからない。
脳内の情報処理にクオリアが必須なのか?
クオリアの存在を外部から観察するテストにも
ならないだろ。
282考える名無しさん:2008/02/08(金) 10:37:28 0
意味がわからん。

「質感」「質感を感じ取る能力」「感じ取った質感」
どれのことをクオリアっていってるんだ?
283考える名無しさん:2008/02/08(金) 11:56:27 0
>>271
>「汎経験説」という考え方は既に有るのだね。
あるよ。ただそれはその名前が示すとおり、
あらゆる場所に(主観的な)経験がある、という以上の意味はもってない。
つまり、その背景にどういうメカニズムを考えるかはまた色々、ということ。

>これは物理現象と情報が相互作用する説という事でいいのかな?
うーん、まずだけど情報って言葉は、この文脈では普通そういう使いかたはしない。
情報は物理的に実現されている、とか、物理状態は情報を持つ、みたいに使う。
つまりここで言ってる情報ってのは、シャノンのエントロピーのようなものをイメージしてる。
具体的にはビットね。
284考える名無しさん:2008/02/08(金) 12:09:21 0
>>272
脳の機能的な部分に関する進化的説明(進化心理学ね)と
現象的意識と脳の間のギャップ(ハードプレブレムね)を混同してる。
それは別の問題だよ。
まあ一例だけど、世界的に有名な進化心理学者のピンカーは
まずハードプロブレムを問題として認めてて(つまり擬似問題と考えていない)、
かつそれは解けないだろう、という立場を取ってるよ。

285考える名無しさん:2008/02/08(金) 12:16:18 0
徳永英明に聞いてくれ
286考える名無しさん:2008/02/08(金) 12:23:52 0
>>282
「質感」「感じ取った質感」ならクオリアの意味として○
「質感を感じ取る能力」は×、違う。
287考える名無しさん:2008/02/08(金) 15:06:07 0
>>284
ピンカー読みたくなった。

ハードプロブレムを認めてる、というだけならおれも気分的には認めてる、ってことになるんだけど
どの程度の問題として扱ってるんだろう。少なくとも知性はクオリア無しにも有りえるか?と言われれば
有り得ると思うし、>>279氏のような疑問は誤解じゃないかと思うんだ。知性システムを物理的現象であると
規定して、その上でその物理的知性にクオリアが影響していると言うのなら、ハードプロブレムの概念は
かなり大きくなる。かわって、物理的知性システムに影響しているのは単に「クオリアを感じていると報告すること」
であって、クオリアそのものではないとするならば、ハードプロブレムは問題ではあっても、気分的なものに落ち着く。
288考える名無しさん:2008/02/08(金) 16:16:05 0
>>286
質感や「感じ取った質感」のどこに疑問を持っているという事なの?
疑問点がわからないのだが。
289考える名無しさん:2008/02/08(金) 16:18:35 0
「クオリアを感じていると報告しているが、実際にはクオリアを感じていない」
ということは、有り得るのですか?
290考える名無しさん:2008/02/08(金) 16:48:30 0
>>283
>つまりここで言ってる情報ってのは、シャノンのエントロピーのようなものをイメージしてる。
エントロピーで表される情報量ではなく脳内情報そのものの意味がクオリアと関係してるのではないか
と言うことです。
291考える名無しさん:2008/02/08(金) 18:43:21 0
>>288
そういったものが
実は自然科学では記述されてこなかったということに
おそまきながら気がついたってことだろ。
292考える名無しさん:2008/02/08(金) 18:47:40 0
>>281
クオリアの問題じゃなくて、論理的、順序的に無理があるってこと。
実験内容はまったく関係ない
293考える名無しさん:2008/02/08(金) 18:55:34 0
>>291
何故聞こえるか、何故見えるか、といった事は科学的に十分研究されてきていると思うが?
294考える名無しさん:2008/02/08(金) 19:31:54 0
>>293
「なにが」見えるのか
「なにが」聴こえるのかについては
あまりにも自明だと思われていたので
(自分が見ているもの、聴いているものを、他人も見たり聴いたりしているはずだ)
なんの研究もされていないに等しいとも言える。
295考える名無しさん:2008/02/08(金) 20:42:36 0
本当に、科学ってのは一般で思われているより、意外なほど底が浅いんだよね。
296考える名無しさん:2008/02/08(金) 20:45:36 0
>>294
専門家ではない俺ですら「自分が見ている赤は他人の見ている緑かもしれない」
って話は昔から聞いているので、「あまりにも自明だから」という理由で研究されていない事はないだろ。
297考える名無しさん:2008/02/08(金) 20:56:06 0
>>296
>「自分が見ている赤は他人の見ている緑かもしれない」
感覚器官としての眼や脳に器質的な障害が無い限り、赤が
緑になることは無いだろう。赤緑色弱も器質的障害だろ。
生物は構造が同じなら機能も同じになるというのが物理法則
だろう。
298考える名無しさん:2008/02/08(金) 20:57:54 0
<質感>はその<対象>に対する<主体>の<関係意識>に左右される。
興味の無い対象に対しては<質感>を問うことなど(意識・無意識を問わず)無い。
興味のある対象に対しては敏感になるのは日常にでもあることだしね。
299考える名無しさん:2008/02/08(金) 21:07:04 0
>>297
>生物は構造が同じなら機能も同じになるというのが物理法則だろう。

クローンを作ればそうかもしれないがね。
300131:2008/02/08(金) 21:31:12 0
>>254
遅くなったけどそれで良いと思います。まとめてもらって有難う。

というかどこを見てもクオリアの定義らしきものはそんなことしか書かれてない。
なにしろ今言えるのはそれだけだろうから。
意識経験に現われる質感をクオリアと呼んでみようよ、と。

んで、そのクオリアが物的・霊的実体なのかそうでないのかとか、
単に随伴現象なのかそれとも因果的効力を持つのかとか、
いやそもそも錯覚なんじゃ?とかここで出てきたさまざまな疑問には論者によってさまざまな考えがありますということです。
301考える名無しさん:2008/02/08(金) 21:35:35 0
>>300
色々な質感を感覚器を通して記憶していく、その積み重ねで脳内に「質感」を再現できるようになる。
その「脳内で再現できる質感」が「クオリア」でしょ。
302131:2008/02/08(金) 21:43:10 0
>>301
再現できなくてもクオリアはクオリアでは?
初めて見る色ってのもありますよ。見えてるならクオリアですよね?
303考える名無しさん:2008/02/08(金) 21:44:49 0
>>302
始めてみる色は「区分」する事ができない。

初めて「赤」を見たとき、それを「赤」と思う事は不可能。
304131:2008/02/08(金) 21:50:47 0
>>303
ごめんなさい、話がよく見えないです。

> 初めて「赤」を見たとき、それを「赤」と思う事は不可能。
それは多分そうなんでしょうね、よくわかりませんが。
でもクオリアであることには変わりないでしょ?
305考える名無しさん:2008/02/08(金) 21:51:56 0
そりゃ不可能だが、他のクオリアと区別することはできるんじゃないの?
306考える名無しさん:2008/02/08(金) 22:01:30 0
>>296
いやいや>>297のように自明だと思っているひとは
多いんだよ。
307考える名無しさん:2008/02/08(金) 22:14:48 0
>>304
2色を見ないと1色を1色と思うことが出来ない、という事だよ。
つまり2色を見ていない段階では1色のクオリアが存在していない、という事。

もし本当にクオリアというものがあるのなら、1色目を見たときにその色のクオリアが感じられなければおかしいよね。

質感は単体で存在しないんだよ。
他の「モノ」と区分するために人間が持っている能力なんだから。
308考える名無しさん:2008/02/08(金) 22:37:25 0
>>297
>感覚器官としての眼や脳に器質的な障害が無い限り、赤が
>緑になることは無いだろう。
そうだね。おそらく誰もがそう考えているんだけど、問題は
その「緑になることは無いだろう。」の「だろう」の部分。

つまり今の僕達は「○○の第2法則に従うと、緑になることはない」みたいに、
確認されている自然法則からの帰結として逆転クオリアの可能性を排除する、という事ができはない。
単に「同じような物理状態には、同じようなクオリアがともなっているはずだ」とボンヤリと考えてるだけにすぎない。
だからそこらへんを煮詰めていかないとないといけない。
例えば、どんな二人の脳も物理的に完全に同等ということはないし、
どんなニ時点でもある人の脳状態が物理的にまったく同一ということもない。
それでも、同一の光の入射に対しては同一のクオリアがともなっている、と言うのであれば、それこそ議論を要する問題になってくる。
309考える名無しさん:2008/02/08(金) 22:50:58 0
>>297
>生物は構造が同じなら機能も同じになるというのが物理法則だろう。
それはそうだね。でもクオリアが物理世界の中で因果作用を持たないなら、それは機能にはなりえない。
そこのところで逆転クオリアの思考実験は機能主義のひとつの限界を示してる。
310考える名無しさん:2008/02/08(金) 23:10:59 0
>>290
>脳内情報そのもの
うーと、それが何を指してるのかよく分からないが、
きっと人間レベルでいう情報(ニュースやラジオで言われるような情報というもの)というのを指してるのだろうかな。
とりあえずそういう意味での情報は物理的にはうまく扱えない。

ハードプロブレムに対する解答を探すなら、
この世に人間がいなくても成立するような意味での「情報」に注目していかなくちゃならない。
だからそれは非常に抽象化された概念になる。たとえば「違いを生む、違い」みたいにね。
311考える名無しさん:2008/02/08(金) 23:28:45 0
昨日思いついたんだが、物質は剰余だなと思った。
バークリーの物質否定論もハードプロブレムの文脈で意味を持ちうるかなと。

つまり情報がある、それが時間発展する、そこに現象意識がともなう。
これだけで全て記述できてることになると気づいた。
312考える名無しさん:2008/02/09(土) 04:25:07 0
クオリアとは「これは○○っぽいなぁ。うん多分○○だ。きっとそうだ!」
ってことでいいや。
313考える名無しさん:2008/02/09(土) 05:25:13 0
あくまで、物理学に対する強烈な問題提起であり
他の分野からすれば、それほどのインパクトがあるとは思えない。
実際に、それほどのインパクトはない問題提起である。
むしろ物理学者たちの発想法や思考法の方が、一般からすれば驚きだろう。
314考える名無しさん:2008/02/09(土) 08:49:06 0
>>310
脳内情報とは脳内で扱ってる情報の意味と言うことで、それを
言語化すれば概念や物語になるし、そのイメージを描けば絵になる。
また顔の表情や身体の身振りで示すことも出来る。
観念や思考内容といったほうが判りやすいのかな?
これらの脳内での情報処理にクオリアはすべて絡んでいるのかな?
コンピュータは計算できるけどクオリアは無いことははっきりして
るから少なくとも計算にはクオリアはいらない。
文字を読んで音声化する処理や逆に音声を聞いて文字化する処理など
パターン認識に関することはクオリアがあればうまくいくような気もする。
計算だけでパターン認識処理するのは大変だ。
315考える名無しさん:2008/02/09(土) 08:53:09 0
>>308
>それでも、同一の光の入射に対しては同一のクオリアがともなっている、と言うのであれば、それこそ議論を要する問題になってくる。
創ですね。それがまさにクオリア問題でしょう。先ずはクオリアを物理的に観測する手法を見つけないとね。
316考える名無しさん:2008/02/09(土) 09:35:20 0
だけど、言語をクオリアに含まないという定義は、まったく恣意的なものでしょ。
だって、文字にもクオリアあるかもしれないじゃないか。

よく、物質とクオリアの対比で語られるが、実は文字だって同じロジックは組み立てられる。
「脳がある状態になると、クオリアが起きるのは説明が付かない」と言うが
同様に「ある文字を読むと、どのクオリアなのか確実に指定できる」と言うのも
論理的にはまったく説明が付いてない。

よーするに、これ、自然科学者に対しての、アンチテーゼとしてぶつけられた問いだから
言語の部分がすっぽり抜け落ちていて、物理の部分が過剰にクローズアップされているんだよね。


例えば、「赤」と言われて「青」を持ってくる人はいない。
ここで言う赤や青とは、クオリアの違いではなく、あくまで言語的な水準での「赤」や「青」
の事だ。「赤」と言えば「血」や「トマト」や「夕日」を、言語の水準で指定してくる。
そこにはクオリアという共通性から、あるカテゴライズされた言語を導き出している。

こういった問題が根こそぎ抜け落ちてるみたいだけど、議論くらいはされてるのかしら?
317考える名無しさん:2008/02/09(土) 11:00:57 0
>>316
赤といわれたら赤を持ってくるのはクオリアがあるから、と言いたいの?
318考える名無しさん:2008/02/09(土) 11:33:22 0
クオリアも記憶されるのかな?
言語とクオリアの関連付けも行われるのかな?
そもそも言語はどのように記憶されてるのだ?
319考える名無しさん:2008/02/09(土) 11:43:55 0
>>318
そりゃ「赤」と聞いたらあるクオリアが思い浮かぶんだから、
記憶されるんでしょう。
でなければ「赤いクレヨンを選べ」と言われても選びようがありません。
320考える名無しさん:2008/02/09(土) 11:56:30 0
うーん、そういう素朴な話ではない。
クオリアは因果的に無力だという考えが強い。
それは物理法則が因果的に閉じた形で記述されてるから。
つまりクオリアなんて持ち込まなくても、非常に正確に未来を予測できる。
逆にクオリアを持ち込むと、今まで積み重ねられた事実(クオリアなしで物理現象を非常に精緻に予測・説明できた、という事実)と矛盾する。
321考える名無しさん:2008/02/09(土) 12:12:48 0
>>318
クオリアを記憶する?

記憶されたものの事をクオリアというのでは?
322考える名無しさん:2008/02/09(土) 12:20:15 0
>>320
因果的に無力だというのは、「赤を感じる」「記憶する」「赤という記号と
結び付ける」「赤いクレヨンを選べ、という指示を受ける」「赤を思い出す」
「赤いクレヨンを選ぶ」という一連のクオリアの流れは一定の(脳の)物理状態
の変化に必然的に随伴するものに過ぎず、それ自体は物理状態の流れに影響しない、
という考えではないのですか。その人が実際に赤いクレヨンを選び出したと
しても、それはすべて脳や筋肉の物理状態のなせるわざで、クオリアの流れは
そこに因果的に関わっていない、という。
そのことと、「クオリアを記憶する」ことは別であって、「赤のクオリアを
記憶していなければ、赤いクレヨンを選べない」という命題は「それを随伴させた
物理状態がなければ、クレヨンを選ぶ物理的筋肉行動もない」ということだから
クオリアの因果的無力説と両立すると思っていたのですが、違うのでしょうか。
323考える名無しさん:2008/02/09(土) 13:55:36 0
なんか順番がおかしいな。

現象の機序を考えるときに、説明できないことがあるから、
仮説を立て、概念を導入するんだろう?

クオリアという概念が先にあって、
それを現象の機序のなかに無理矢理押し込もうとしてないか?
324考える名無しさん:2008/02/09(土) 14:59:24 0
>>317 >>319
いや、逆なんですよ。むしろクオリアいらなくなる。
クオリアをが無くとも、物質へ影響を与えられるから困るの。

例えば、こんな思考実験。この5つを用意する。
・ある色のボード。
・光の波長を解析して数値化する装置。
・解析された数値された日本語に変換する機械。
・機械から文字を読みとり、声に出して読みあげる哲学的ゾンビ
・哲学的ゾンビから話を聞くクオリアを有してる人。

まず、ボードの跳ね返している光の波長を装置が解析して数値化する。→
数値化されたものを「赤」や「青」などの、日本語に置き換える。→
日本語に置き換わった文字を見て、哲学的ゾンビはその日本語を記憶する。→
哲学的ゾンビは、クオリアを有した人に「赤だよ」と伝える。→
クオリアを有した人がボードを見にいくと、赤のボードだった。

この実験は確率論的なものではなく、ボードの色がクオリアを有した人に伝わるのは100%である。

すると現象報告のパラドックスが逆向きになるんだな。一体、どの時点でクオリアが伝わったんだ?
ってことになる。装置が数値を出した時点なのか、機械が日本語に変換した時点なのか
哲学的ゾンビが声を出した時点なのか、人がクオリアを連想した時点なのか。

一連の流れの中で、クオリアそのものも、物体そのものも、どちらも送られていないはずなのに、
人がボードを見る前の時点で、人はボードにどのクオリアがあるのか知ることができる。

これは変な話で、クオリアが無いのに、クオリアが伝わった事になる。一体どうして、クオリアは
伝わったんだ? と言うよりもクオリア自体は伝わってないはずだろう。クオリアを伝える
別の何かがあることになる。しかし、それは物質でもない。物質は送られていないからだ。
325考える名無しさん:2008/02/09(土) 15:04:04 0
>>317 >>319
「物体」と「クオリア」と「言語」の3つに分けたい。赤を持ってくるのと、赤を書き記すのは、違うってことです。

例えば、身体があって、クオリアがあれば、言語はいらない。あるクオリアを見せて「この色のクレヨンを持って来て」
と言えば、色名を指定しなくても、視覚による情報だけで同じ色のクレヨンを持ってくるだろう。

逆に言語があれば、クオリアもいらなくなっちゃうんだよね。「赤いクレヨンを持って来て」と言われれば、
そりゃあ「赤い」を持ってくるだろう。この際に、持って来た人はクオリアとしての(red)
(ここでは便宜上実際のクオリアを(red)にする)を知らなくても、「赤い」という言葉を知っているのだから、
「赤いクレヨン」を持ってくるだろう。これだったら、(red)のクオリアはなくても、同じ行動ができる。

そして物質がない状態。「トマト」や「血の色」という単語はあっても物体としては無いのです。これがおかしい。
物体は無いのに文字には変換しているんですよ。内部にクオリアを有してるとしか考えられない。トマトという物体を
見たことがない人も、正しいのか誤っているのか判断できない。しかし、物体としてのトマトを知っている人は、
言葉としての「トマト」が合っている事がわかる。しかし、トマトが赤である事が合っているのかを確認する上で、
一度も物体としてのトマトには触れてないし、見てもない。なのに合っているとわかる。


では、なんで、文字がクオリアと同等の機能を果たしているのか。仮説としては、文字も一種のクオリアだと言うことが
考えられる。「赤」←この文字も、なぜ「あ・か」という音になったり、(red)のクオリアを指し示せているのか分からない。

つまり、言語というのは、物質と同じで他に作用するものなのか。それとも原理的には作用してなくて、クオリアと同じで
意識上に在るだけなのか。どっちなのかよく分からない。
326考える名無しさん:2008/02/09(土) 15:17:56 0
>>325
>あるクオリアを見せて「この色のクレヨンを持って来て」

何故見せずに伝える事は出来ないの?

>「赤いクレヨンを持って来て」と言われれば、そりゃあ「赤い」を持ってくるだろう。

赤という色を知らない人には通じないと思うが。

>物体は無いのに文字には変換しているんですよ。

人間には想像力というものが備わっているので、何も不思議ではないが。

>トマトが赤である事が合っているのかを確認する上で、
>一度も物体としてのトマトには触れてないし、見てもない。なのに合っているとわかる。

トマトを一度も見た事なく、その説明を一切受けていない人はトマトを見せられ「これがトマトです」といわれても
それが本当にトマトなのか確認する術を持たないが。
327考える名無しさん:2008/02/09(土) 16:02:13 0
>>324
ゾンビは赤の色鉛筆と青の色鉛筆を区別できるよ。
色てのは、一次的には視細胞中の特定のたんぱく質が持つ吸光スペクトルの違いによって区別されてるだけだから、ね。
この記事にある図がその具体的な吸光スペクトル。
http://en.wikipedia.org/wiki/Photopsin
328考える名無しさん:2008/02/09(土) 16:09:51 0
>>325
言語が何か、か。
俺はそれは別になんでもないと思う。上で書いた例でいえば「台風」と同じかと。
脳の神経構造があるだけで、それ以上はないと思う。
まあペンローズみたいに、物質、意識、イデアという三本立ての存在論を唱えてる人もいるから
この場合のイデアを言語と考えるなら、あなたの立場はペンローズに近いかも。
329考える名無しさん:2008/02/09(土) 18:02:36 0
赤が赤く見えるのは遺伝だろ?
人間という生き物がそう作られている、というだけでなんの疑問も無いのだが。
330考える名無しさん:2008/02/09(土) 22:49:54 0
言語とは、音、図形などの識別可能なパターンと区別可能な事象をつなぐ脳内のリンクではないか。
「共感覚」と構造的には同じものであると思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E6%84%9F%E8%A6%9A
もしろ共感覚がこのような脳の働きが暴走しているか、過敏になりすぎた状況であるといえるのでは。
脳にはもともと記憶同士を繋ぐ機能がある。その延長線上の機能であり、人間が言語を獲得した理由もそこにあるのでは。

また、個人的にはクオリアより、苦痛と快楽というものの方に興味がある。
この二つこそ実感の核であり、構造的に説明できない部分なのでは。
情報をどのように区別して認識するかは恐らく重要な問題ではなく、それぞれの情報に対しどのように「感じるか」は人間の自我によらず既に決められた基準があるのは明らかだ。
クオリアとは、入力された情報に対して「苦痛」「快楽」という二つの感覚がそれぞれある一定量含まれたものではないか、と思う。
その基準こそが人間を人間という限界に留め、行動と倫理を絶対的に支配する。それこそ人間にとって「実感」する全てなのではないか。
人間を含む生物の肉体構造の複雑さと精密さから考えても、これが単なる偶発的に作られた基準ではないのは明らかだろう。
331考える名無しさん:2008/02/09(土) 23:02:02 0
>>326
1番:言語的には、「赤い」クレヨンは(red)を知らなくても、持って来れる。
   これは機械にも出来る。「赤い」という記号を持ってくるだけだからね。

2番:「見せずに伝える事が出来ない」のではなく見せさえすれば
   今度は逆に「色名」という言語が不要になるってこと。
   視覚さえあれば、言語の方は「この色」と言うだけで済む。

1番と2番は、機能的に等価であり、言語があればクオリアがなくても
同じ結果を出せるし、クオリアがあれば言語がなくても同じ結果が出る。

3番:トマトを知らない人ではなく、トマトを知っている人の間で
   トマトは赤である、という会話が成立するのはなぜかって事です。
   トマトを知らない人なら、「青」なのか、「黄」なのか、分からない。
   知っている人の間では、「赤」である事がわかる。
   しかし、今書き込んでる、2chには実物のトマトはない。
   ネットの向こう側のPCの前にも、トマトはないだろう。
   実物のトマトや、実際の→(red)は、この場にはないのに、
   会話が成立するのがおかしいってこと。
   実物のトマトはどこにもなくとも、僕が「トマトは青です」
   と、言えば、「この人は嘘をついている」と言うのが分かるでしょう。
332考える名無しさん:2008/02/09(土) 23:34:32 0
>>328
【4番】
「この色(red)」が見えたら、「この色(red)」のフダを上げてください。
「この色(blue)」が見えたら、「この色(blue)」のフダを上げてください。
と言う、指示を与えたとする。すると(red)を見せれば「この色(red)」を上げる。
【5番】
「この色(red)」が見えたら、Aのフダを上げてください。
「この色(blue)」が見えたら、Bのフダを上げてください。
と言う、指示を与えたとする。すると(red)を見せればAのフダを上げる。

5番では、(red)のクオリアを、Aという文字と関連づけている。
では、Aは、クオリアに属しているのか。それとも物理作用として
Aという形を上げただけなのか。どちらに属しているのか分からない。

現象報告パラドックスでは、なぜ語れるのかを問題にしてるけど
語るという行為は記号の集まりだよね。
まったく無秩序の物理作用を起こされても報告にならない。
報告を実現する為には「語る」という記号的なプロセスが必要になる。
では「語る」や「言語」は、 クオリアなの?それとも物理作用なの?

脳の神経構造があるのだとしても、「語る」と「クオリア」の関連性が
分からない。どうやって、クオリアと言葉を変換しているのだろう。
333考える名無しさん:2008/02/10(日) 00:08:49 0
こりゃ話にならんな。こんなレベルなのか。

>>331
おいおい、もしクオリアなるものが「無い」としたら、言語でそれを表すことも出来ないぞ。
君が言っているのは視覚と言語の話で、そのどちらも対象物の質感が存在している事が前提だ。

「赤い」という質感が無いって事は、「赤」が無い、つまりそのモノは「赤くない」んだよ。
赤くないものを指差して「これもってきて」と言ったところで、「赤いもの」を持ってこれるわけがない。

>しかし、今書き込んでる、2chには実物のトマトはない。ネットの向こう側のPCの前にも、トマトはないだろう。

君は記憶力というものを持っていないのか?
334考える名無しさん:2008/02/10(日) 01:59:32 0
>>333
だから、自然科学へのアンチテーゼに、思考法が染まり過ぎてんだよ。
哲学的に考えれば、クオリアなんてもんは小石を投げた様なもんだろう。

「クオリアがない」のではなく「クオリアが必要ない」と言ってるんだ。
論理の順序的そのものに恣意性があり過ぎる。
クオリアが前提、言語が前提、物体が前提。ゼンテイゼンテイって、
前提を前提に論理を組み立てていたら、どれも根拠にはならないだろう。
それが現象なんだと言われればそれまでだがね。

その記憶力ってのが何を根拠にしとるのか、まったく根拠になってない。
目の前にトマトがあるのなら、確かに赤の質感がある。しかし、ここには
トマトなんてないぞ? トマトのクオリアの記憶があるとでも?
じゃあ、「トマトのクオリアの記憶」を、どうして、ここに書き込めるんだ?

「トマトは赤です」と、どうして書き込めるんだ?
「トマトは青です」は、間違いだとどうして認定できるんだ?
実物がないのに、なぜ言葉に置き換えられる?
「実物がなくともクオリアを言葉に変換することが可能である」と言う
命題でも立てればいいが、そんな議論がされているのかいな?
335考える名無しさん:2008/02/10(日) 04:07:08 O
低能だらけw 話にならない
336考える名無しさん:2008/02/10(日) 10:17:08 0
高度すぎて、付いて来れないだけだろ
337考える名無しさん:2008/02/10(日) 10:18:39 0
>>334
>クオリアが前提、言語が前提、物体が前提。ゼンテイゼンテイって、
>前提を前提に論理を組み立てていたら、どれも根拠にはならないだろう。
クオリアを感じられることはある。言語もある。物体もある。すべてある
物事を前提にした論理は妥当だろ。無いものを仮定して演繹することも
あるのが論理だから。
クオリアの記憶も有るだろう。そのクオリアを一部分であっても言語で
表現できるのがどうしてか、と言うのがここでのクオリア問題だろ。
ちなみに「青いトマト」も実在する。
ピーマンは何色?赤、青、黄いろいろある。
青いピーマンも赤くなる。ピーマン栽培してみればすぐわかることだ。
338考える名無しさん:2008/02/10(日) 10:39:39 0
>>334
>トマトのクオリアの記憶があるとでも?

だって、トマトの記憶=トマトのクオリアの記憶ではないの?
トマトを見たことがなくて、トマトのクオリアの記憶がない人が
辞書の「トマト」の記述を丸暗記していたって、目の前にリンゴとトマトと
赤ピーマンを並べられて「トマトを選べ」と言われても選びようがないぞ。

あと、「実物」というが、われわれはトマトの実物なんて認識のしようがない。
われわれが知り得るのは色とか形とか手触りとか味とかのクオリアと、
その集合と差異の体系としての概念(トマトとか)だけと違うの?
339考える名無しさん:2008/02/10(日) 12:45:31 0
そもそも、その論法では、クオリアじゃない記憶ってあるの?
340考える名無しさん:2008/02/10(日) 12:47:24 0
>>338
すると今度は、実際のトマトはいらない事になっちゃう。
実在しなくてもよくなり、フィクションと同じになる。

でも、実在した記憶はあると言うでしょう。
しかし、本当に記憶はあるのですか?聞いた話を答えてるだけではないか。
あるいは空想上の動植物ではないか。

それでも、実在した記憶はあると信念を持って言うでしょう。
では、実在したという記憶と、空想上の記憶の違いがなにか?
それが答えられてない。
言語で表現することと、クオリアの記憶は、分離している。

言語で表現することと、クオリアの記憶が、分離しているのだから
クオリアをなぜ報告できるのか、と言うパラドックス自体が成り立たない。
最初から、そんなものに因果関係はないからだ。すると、物理主義者の
脳内のメタ認知システムも反論として意味がなくなる。最初から現象報告なんて
無かったのだから。

「トマトは赤い」と「トマトは青い」と「ユニコーンに角が生えている」の
違いが明確ではないのです。現象報告パラドックスの言う所の、現象報告という
前提が、本当に成り立ってるのか疑わしい。それ本当に報告なの? ってね。
341考える名無しさん:2008/02/10(日) 12:49:15 0
>>337
言語や表現を、ただの機能としか見てないってのは批判の余地がある。
言語は嘘もつく。虚無も語れる。無いものを在ると言えるし、その逆もできる。
言語の関所を通る以上は、そう簡単に物理作用あつかいさせる訳にはいかない。

酷いのは、言語を物理作用としてカテゴライズしていることだ。
そもそも言語は物理じゃない。表現するためには物理的な反応が必要なので、
質量が0ということは無いにしても、表現には質量の上限がない。
空気を振動させて「a・ka・i」と声を出しても、「赤」という形を紙に書いても、
大きなエネルギーを消費してナスカの地上絵みたいに「赤」とデカデカと書いても、
どれも意味する所は同じだ。

・どれも表現は「赤」なのに、質量には依存しない、物理作用にも依存しない
 重要なのは意味することである。
↑こんなものを、物理作用にカテゴライズしていいはずがない。
でも、現象報告パラドックスでは、物理作用ってことにしてある。

これだったら、言語も随伴現象にカテゴライズした方がすっきりする。
空気の振動やインクが紙に付着する物理作用に、表現するという
クオリアっぽいものが付随しているので、言語は成り立っている。ってこと
342考える名無しさん:2008/02/10(日) 12:50:58 0
結局のところ、語る行為ってのが、物理作用なのか、クオリアの一種なのか、
不明なままになっている。

・物理作用を手段として、"空気を振動させて"語ったのか
・空気が振動したから、"語った"ことになるのか。
物理主義者なら後者だろう。語る行為は物理作用に随伴しているだけの現象と割り切れる。
クオリアは物質に影響与える論者なら前者だろう。クオリアに従い空気を振動させたことになる。


すると疑問として、では哲学的ゾンビとは何か?ってのが出てくる。
・語る行為はクオリアに従う行為なのだから、語った時点でクオリアを有してるはずだ。
 だから、語った人は哲学的ゾンビではない。
・哲学的ゾンビも語る行為をできるのだから、語る行為はクオリアがある証明にはならない。

これは矛盾でしょう。語る行為はクオリアの証明にはならないから、哲学的ゾンビ問題が
出てくるはずなのに、なぜか現象報告パラドックスは、クオリアを語れるのが前提になってる。
本当にそれクオリアを語っとるのか?語ってるのは語ってるだけでありクオリアとは別ちゃうんか?

報告とはなにかの定義が決まってない。もし報告するために言語を使うつもりなら、
言語の関所はそう容易く、クオリアと物理作用をつなぐのを赦さないだろうよ。
そして、クオリアと物理作用との間にある門番を任せられているのが、哲学的ゾンビだ。
343考える名無しさん:2008/02/10(日) 12:52:52 0
>>339
言語を特別視するなら、小説はすべてクオリアのない記憶になる。
数学もすべて記憶だけになる。
344考える名無しさん:2008/02/10(日) 13:13:13 0
>>343
じゃあ、特別視しなければ?
345考える名無しさん:2008/02/10(日) 13:43:39 0
クオリアの記憶と言うのは「赤いリンゴ」を想像したとき「赤」の
クオリアを感じるかどうかという事でしょう。
現代は色のついた夢を見るという人たちのほうが多数派だから想像
にもクオリアが伴うのではないか?
346考える名無しさん:2008/02/10(日) 13:47:16 0
>>344
どうすれば、特別視しない事になるのかが分からない。

仮に小説や数学にもクオリアがあるとする。
すると外部に表現することはクオリアを生成することになる。
現象報告で"語る行為"もクオリアの生成になってしまい、
哲学的ゾンビとクオリアを有した人との境界線が消えてしまう。

そこで起きているのは、現象の報告ではなくクオリアの生成であり
現象報告パラドックスは破綻する。
347考える名無しさん:2008/02/10(日) 14:01:26 0
>>346
現象報告とクオリアの関係は言語表現とその意味の関係と
おなじではないか?
現象報告の言語を見たり聞いたりした人の脳内にその意味や
クオリアが生成されると言うことでしょう。
348考える名無しさん:2008/02/10(日) 14:06:20 0
>>346
ああ、そういうことか。
じゃあ、本や紙に書いた小説や数式は、「記憶」ではないよね。
従って、「クオリアでない記憶」でもない。
349考える名無しさん:2008/02/10(日) 15:03:26 0
そして、、「クオリアでない記憶」が無いのなら、
クオリアじゃない記憶というものはない。
ならば、クオリアなんて言葉はいらない。
「記憶」といえばいい。
350考える名無しさん:2008/02/10(日) 15:13:07 0
>>348-349
裏、逆、対偶の整理がついてない様に思うんだけど、
「クオリアがない記憶」「クオリアがある記憶」
「記憶できないクオリア」「記憶できるクオリア」
記憶できないクオリアに、クオリアがある記憶を、対応させてない?

>>347
物理主義ならそれでいいでしょう。
すべて脳内で完結しており、決して報告は起こっていない事になる。
351考える名無しさん:2008/02/10(日) 15:28:37 0
>>350
「記憶できないクオリア」なんて、クオリアの存在を前提しないと成り立たないじゃん。
352考える名無しさん:2008/02/10(日) 15:45:42 0
>>351
じゃあ逆に、「記憶できるクオリア」では、前提が結論なのだから、論理を組み立てる必要がなくなる。
353考える名無しさん:2008/02/10(日) 16:10:26 0
>>350
>すべて脳内で完結しており、決して報告は起こっていない事になる。
いや、現象報告のパラドックスは何も解消していない。
クオリアが脳内で完結しているだけでしょう。そのクオリアをどうして
言語表現し報告できるかは何も説明できていない。逆にその現象報告から
クオリアが再生されることも説明できていない。
354考える名無しさん:2008/02/10(日) 17:09:22 0
>>352
君の論理における「結論」の定義がわからん。
修飾子と名詞しかない文節を一つ取り出して、
それのどこに「結論」があるというの?
355考える名無しさん:2008/02/10(日) 17:23:01 0
>>353
それが哲学的ゾンビと矛盾してくる。
つまり報告なんてないんだ。報告と思ってるものは報告ではない。
報告とは報告することではなく、報告を受けた脳内が化学変化を起こし
脳がクオリアを起こしてた時点ではじめて報告になる。

でも、あるクオリアを、ある言葉に対応させていると思うだろう。
しかし、そこに因果性がない。つまり報告なんて起きてない。
例えば、日本語の「赤」を、日本語を知らない人に伝えても
報告した事にならない。報告を達成するためには、報告される人の
言語に翻訳しなくてはならない。なので翻訳をして伝える。

ところが、翻訳するためには、報告する人のクオリアと
その翻訳する言語を対応させる必要がある。
この時点で、クオリアに言語を付随させる行為が行われてしまっている。

よーするに最初から、表現とはデタラメで無法則な物理作用であり、
報告とは報告を受けた時点で達成されたことになる。報告を届けるためには、
報告する者は一度脳内に、"クオリアと言語を対応させてしまっている"。
356考える名無しさん:2008/02/10(日) 17:23:35 0
クオリアを言語に対応させて表現して報告するのも
他のシステムが作動して言語に対応させて報告するのも
インプットとアウトプットが同じになる。

クオリアが言語表現してるのではなく、言語表現する仕組みが
言語表現させているだけで、クオリアはまったく無関係。

むしろ、言語表現する仕組みがクオリアに対応したり、感情に対応してる
と考えた方が素直だ。感情もクオリアも決して外に出てない。
だから報告なんて物は一切起こってない。
357考える名無しさん:2008/02/10(日) 17:25:31 0
「報告」って具体的に、何がどうなることなの?
358考える名無しさん:2008/02/10(日) 17:34:14 0
>>357
それは私が出した論点であり、あなたが出したものではありません。
パクらないでください。
359考える名無しさん:2008/02/10(日) 17:36:11 0
>>355
>報告する者は一度脳内に、"クオリアと言語を対応させてしまっている"。
それがクオリアと言語を結びつける現象報告でしょう。
それが哲学的ゾンビと矛盾するなら哲学的ゾンビを捨てればすむこと。
もともと哲学的ゾンビなんて架空の存在だろ。
360考える名無しさん:2008/02/10(日) 17:42:22 0
>>359
違う。そんなんだったら、パラドキシカルな話にはならない。
もっとメカニズム的な話で終わる
361考える名無しさん:2008/02/10(日) 17:42:55 0
>>354
そもそも、>>351が何を言いたいのかわからない。

「成り立たないじゃん」で、それのどこがおかしいのか分からん。
「成り立たないじゃん」により、「記憶できないクオリア」にネガティブな意味合いを込める為には
「記憶できないクオリアを論じるために「クオリアの存在を認めない状態の人」」が必要になり、
「記憶できないクオリアを論じるために「クオリアの存在を認めない状態の人」」の矛盾点を
付いてくる為に、「成り立たないじゃん」という発言が出てくる。
しかし>>350には「記憶できないクオリアを論じるために「クオリアの存在を認めない状態の人」」は
ないのだから、「成り立たないじゃん」がどこから出て来て、何に対応してるのか不明。

逆、裏、対偶の話をしてるのに、前提、大前提、結論の論法を持ってくるのも
よく分からないし、>>348ではカテゴリーで囲っていたりと、論法がコロコロ変わってるので
一貫性がない。
362考える名無しさん:2008/02/10(日) 17:51:16 0
>>358
いや、「あなたが出した論点」って具体的にどういうものなの?
363考える名無しさん:2008/02/10(日) 17:54:31 0
>>362
舐めてるでしょ? >>357が横取ろうとしたからだろ。
こんなもんは流れ読めば分かるだろ
364考える名無しさん:2008/02/10(日) 17:57:14 0
>>356
>むしろ、言語表現する仕組みがクオリアに対応したり、感情に対応してる
>と考えた方が素直だ。

言語表現された言語の「意味」はクオリアそのものだろう。
言語の「意味」は脳内にしか存在しないだろう。
365考える名無しさん:2008/02/10(日) 17:57:15 0
>>361
だからさ、「クオリア」があってもおかしくないなら、「緑色の小人」がいてもいいわけじゃん。
君は、「緑色の小人」の存在を無条件に前提した反論をされたらどう考える?
「そんな反論は「緑色の小人」の存在を前提にしなければなりたたないじゃないか」
と考えるのが普通じゃないのか?

「クオリア」は勝手に導入してよくて、「緑色の小人」は導入していけないという理由は何かあるのか?


366考える名無しさん:2008/02/10(日) 17:58:25 0
このパラドックスって、観測者を除いたシュレーディンガーの猫みたいな話や
ゲーデルの不完全性定理のない数学みたいなものなんだよね。第三項を入れたのは
いいけど、その第三項に対する検証が置き去りにされてる。だから完成度の低さは
すぐに感じた。200年前ならいざ知らず、言語学や現代思想の発達した時代で、
盲目的に情報というファクターを入れれば違和がありすぎる。

だから、哲学としてはザル。穴だらけの未熟な哲学だってことは素人でもわかる。
367考える名無しさん:2008/02/10(日) 18:01:06 0
>>365
それはこの話でしょう。使ってる論法が違ってる事に気付いてない。

「緑色の小人がいる」「緑色の小人はいない」
「緑色ではない小人がいる」「緑色ではない小人はいない」
368考える名無しさん:2008/02/10(日) 18:02:26 O
なんで哲板はこんなに低能が多いの?
369考える名無しさん:2008/02/10(日) 18:04:57 0
>>367
そして、ここで
「「緑色ではない小人はいない」なんて、緑色の小人の存在を前提しないと成り立たないじゃん。」

と、論法を切り替えてる訳でして。
370考える名無しさん:2008/02/10(日) 18:11:44 0
>>368
ケータイで逃げるなよ
371考える名無しさん:2008/02/10(日) 18:25:19 O
低能同士で低レベルな議論して何が楽しいのかねw
372考える名無しさん:2008/02/10(日) 18:50:48 0
>>367
なんでお前らクオリア厨は、本質を衝かれると、
各論に振って誤魔化そうとするんだ?

単に「存在について議論すること」の話じゃないよ。

「議論の対象とすることのの妥当性」を問題にしてるんだよ、」。
そもそも、誰も、
>「緑色の小人がいる」「緑色の小人はいない」
>「緑色ではない小人がいる」「緑色ではない小人はいない」
なんてことを論じようととはしないだろ?

最 初 か ら

それにはそれなりの理由があるはずじゃないの?
なぜ、クオリア厨はそういうことを平気で無視するの?
373考える名無しさん:2008/02/10(日) 18:58:09 0
>>372
だったら、>>348-349の時点で言え。クオリアを前提とした
議論や論理を展開しておきながら、途中から論じることの妥当性に議題が変われば
付いて行けなくなるのは当然だ。自分の言いたい事のために他人を使うな
374考える名無しさん:2008/02/10(日) 19:01:53 0
>>373
だから、クオリアを前提とした
議論や論理を展開すると、破綻することを指摘してるじゃないか。
お前の思考がクオリアありきで硬直してるから、
破綻の理由がクオリアを導入すること自体にあるということを
受け入れられないだけだろ。
375考える名無しさん:2008/02/10(日) 19:09:19 0
>>374
自己言及がなっちゃいない。

それをやってるのは>>348-349も同じだ。論理を構築する時に
クオリアを使ってるだろ。にも拘らず>>351では、自分は使ってない事になってる。

あんたのやってるのは、循環論法の無矛盾性の中に
他者を落とし込もうとしてるだけだよ。いわゆるレッテル貼りだ。
376考える名無しさん:2008/02/10(日) 19:32:29 0
それと、色々調べてたら、やっぱり言語や記述について言及してるサイトがあった。
似た様なこと書いてあったよ。伝えることや、記憶することや、意味することやら
色々書いてあった。

ただ、クオリアを前提にするのはおかしいと言うのはなかったけどな。
クオリアを語ることはできないと割り切るのはあった。
377考える名無しさん:2008/02/10(日) 20:17:11 0
>>375
>それをやってるのは>>348-349も同じだ。
同じつうか、「やってる」って言ってるんだよ、>>373 の文章は。

>クオリアを使ってるだろ。にも拘らず>>351では、自分は使ってない事になってる。

>>351 のどこをどう解釈すれば、「自分はクオリアという言葉を使ってません」って意味になるんだ。
お前の理屈では、背理法による反論は、
最初の仮定を提示した時点で、その仮定を認めているから、
常に矛盾しているという意味になる。
378考える名無しさん:2008/02/11(月) 01:48:22 0
ちゅーか元をたどると、言語を特別視しないのは
・小説や数学にもクオリアがあるとするのか
・小説と数学は記憶とするのか

どっちかなー って事だったわけで。
379考える名無しさん:2008/02/11(月) 03:09:02 0
とりあえず、小説本や数学書は、記憶でもクオリアでもないでしょ。
380考える名無しさん:2008/02/11(月) 04:41:33 0
じゃ、脳に影響を与えないとでも?
381考える名無しさん:2008/02/11(月) 07:17:13 0
数学がクオリアか記憶か、って一体何?プラトニズムか構成主義かって論点ならわかるが。意味不明な論点だな。
382考える名無しさん:2008/02/11(月) 11:52:04 0
この世に存在するもので、脳に影響を全く与えないものなんてあるの?

383考える名無しさん:2008/02/11(月) 14:07:37 0
クオリア
384考える名無しさん:2008/02/11(月) 22:03:30 0
>>383
いい答えだ。ではぜ私達はクオリアについて語れているのか?
これが「現象報告のパラドックス」。現象判断のパラドックスとも言う。
385考える名無しさん:2008/02/12(火) 18:54:30 0
まあ、神や幽霊についても語れているわけだが。
386131:2008/02/12(火) 19:25:50 0
先日の議論はよくわかりませんでした。

とりあえず現象報告のパラドクスが問題になるのはクオリアを非機能的ななにかと定義した場合のみでしょうから、
不都合があるなら>>359さんが言われるようにクオリアに機能的なものを認めゾンビを捨てれば良いように思います。
でなければクオリアについて語ることをあきらめるとか。
387考える名無しさん:2008/02/12(火) 19:55:40 0
現象報告のパラドクスなんて
単に物理主義を前提にしたことからくるパラドクスだろ。
そんなもん「そもそも物理主義という前提が間違い」で終了じゃん。
なにやってんの?
388考える名無しさん:2008/02/12(火) 19:58:35 0
>>386
>でなければクオリアについて語ることをあきらめるとか。
クオリアについて不満足ながらも語れることは事実じゃないの?
意識にありありと現れることを実在の事実としての事だが。
語ることは少なくとも言語として外部に情報表現されるという事実だろ。
クオリアに限らず意識が理解した情報を言語表現できることは確かな事実だろ。
これを物理現象に還元できるかと言うのがクオリア問題でしょう。
389処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/02/12(火) 20:11:33 O
などとクオリア自身が主張するわけですね。
390考える名無しさん:2008/02/12(火) 21:29:20 0
つーか2chて本当レベル低いのばっかな。
時々普通の人もいるけど、レベルの低いやつが能書き垂れだすと、もうレスしなくなってまうし困ったもんだ。
391131:2008/02/12(火) 23:46:47 0
>>388
> クオリアについて不満足ながらも語れることは事実じゃないの?

クオリアが非機能的なものである限りクオリアが発話の原因になる事はありません。
この場合、俺達がいくらクオリアについて語ろうともそれはクオリアについての語りではあり得ない、というのがこのパラドクスの意味するところだと思います。
392考える名無しさん:2008/02/13(水) 00:01:17 0
>>388
>クオリアについて不満足ながらも語れることは事実じゃないの?
>>385

じゃあ、神や幽霊が物理現象に還元できるかも議論しなきゃならんの?
アホクサ。
393考える名無しさん:2008/02/13(水) 00:01:18 O
>>391
そうだね。
394考える名無しさん:2008/02/13(水) 00:12:43 0
クオリアという概念を使わないと説明できない、という事が存在しない以上
クオリアは存在しない、と言って良いのでは?

かなり単純な話だと思うのだが。
395考える名無しさん:2008/02/13(水) 00:26:28 0
自然科学でゾンビの説明はできても、クオリアの説明なんてできないよ。
396考える名無しさん:2008/02/13(水) 03:45:04 0
できないというか、自然科学の問題としての形式をクオリアは備えてないから、扱わないだけ。
神や幽霊を扱わないのと同じ。


397考える名無しさん:2008/02/13(水) 03:50:40 0
クオリアは「全人類が見たと言っている幽霊」みたいなもんだね。
398考える名無しさん:2008/02/13(水) 07:31:16 0
文系人と文系でさえない人が自然科学について語りあうのが2chです
399考える名無しさん:2008/02/13(水) 09:02:46 0
神や幽霊が物理現象に還元できるかは既に明治時代に決着ついた
問題じゃないか。
クオリアはそれを観測する技術・手段の開発が先だろうね。
fMRIでは確実な現象がつかめない。
400考える名無しさん:2008/02/13(水) 09:05:08 0
>>391
>クオリアが非機能的なものである限りクオリアが発話の原因になる事はありません。

本当にそうなのかを探求するのがクオリア問題だろう。そこで思考停止してるなら発展は無いね。
401考える名無しさん:2008/02/13(水) 10:06:29 0
>>390
あんたの言ってる、レベルの低いが何を言ってるのか分からん
すまんが、俺の知る限り、2chが最上級だよ。なぜなら
クオリアなんて、どこの議論もただの書き散らかしに過ぎないから
どれも同レベル。もし、あんたは他のレベルが高いと思ってるなら
ただの文化的な信仰だから、気をつけた方が良いよ。
402考える名無しさん:2008/02/13(水) 10:19:31 0
>>391
あー わかった。それ物理主義のレッテルが貼付いているんだ。
おそらく>>400は、>391のことを物理主義者だと思い込んでるんじゃないか?

って言うか、物理学者たちってうざいな。
土足で、言語の領域や、情報の領域に、上がり込んで来たくせに
自分たちの慣習に乗っ取って話しはじめるから、意味が分からなくなる。
物理学なんて、中心がない学問だろう。
403考える名無しさん:2008/02/13(水) 10:24:03 0
>>392
どう考えても、神や幽霊は語れてる。なぜかは知らないが語れている。
よーするに、実在するか否かは、報告とは無関係だってことだ。

ちなみに、神や幽霊は、テレビとかでネガティブな印象を与え続けたので
バイアスがかかり過ぎだ。例えば、ドラえもんや、涼宮ハルヒは
どちらも実在しない。実在するのと語れるのは無関係だよ。

よーするに言語学からすると、この「現象報告」ってのが
耐えられないくらい汚いのよ。数学者が物理方程式を汚いと
感じるのと似たようなものでは無いだろうか。
404考える名無しさん:2008/02/13(水) 12:03:45 0
文系って頭悪いなって
こういうスレ見てるとつくづく思うよ
405考える名無しさん:2008/02/13(水) 12:34:34 0
ばっかだな、そのくくり方自体が文系が作った物だぞ。
そんな区分けっ取っ払っちまえよ。
そんな線引きに固執してるから宗教じみた発想しか出てこないんだ。
406考える名無しさん:2008/02/13(水) 12:40:52 0
クオリア問題ってのは、
聖書に書かれていない現象があることに気がついた迷信深いひとたちが
どうやってそれを聖書の記述に関連付けようかと
騒いでいるようなもんなんだよ。
407考える名無しさん:2008/02/13(水) 12:46:55 0
でも、現象報告パラドックスが、一つの考えるきっかけを与えてくれたのは事実。
たとえ最後に葬り去られたとしても、きっと進歩の助けにはなってくれる。
408131:2008/02/13(水) 12:53:29 0
>>400
そう考えるなら定義を捨てればすむことです。
というか普通はそうすると思います。
409考える名無しさん:2008/02/13(水) 13:17:37 0
どうも、現象報告から記憶の結びつきに、テーマが移行してる気がする。
クオリアが発話の原因にはならないにしても、発話とクオリアには相関関係はある。
410考える名無しさん:2008/02/13(水) 18:10:11 0
語れるから「有る」ってのは飛躍だし、「無い」のに語れるものが他に「有る」から
クオリアも「無い」ってのは存在の形式の混同。以前おれが指摘された。

クオリアは体感していると感じていることが問題なのであり、突き詰めると自己言及のパラドックスなんだろう。
だからこそかつて哲学が形而上学的に自己を規定してきたのと同じ方法でクオリアを規定するのは無意味だ。
今からやるなら、クオリアが物理世界(発話など)とどう関係するのかを考えないといけない。
で、そうなると誰もがお手上げだろう。おれも頑張ってる人らの本読むくらいしか出来んし、それで十分楽しい。
411考える名無しさん:2008/02/13(水) 19:04:25 0
>>399
ハァ?何の必要があって物理現象に還元せにゃならんの?

>>403
というか、「実在するかしないか」という問題と、
「実在するかどうかを考える必要があるかどうか」も別の問題だよ。

自然科学は、神や幽霊(やクオリア)が「実在しない」といっているわけじゃない。
扱わないだけ。
412考える名無しさん:2008/02/13(水) 19:23:42 0
何かの実在があるとすれば、あると主張する人がそれをまず提示しなければならない。
神や幽霊は、テーブルやマウスのような具体的な方法では提示できないし、自然科学は十分に無視しても構わない。

しかしクオリアは各自が内的に体感しているもののことなので、クオリア論者は「ほら、これのことですよ、この感じ」
という伝統的な語法で「ある」と主張する。その存在を提示している、と主張する。

でこれに対する自然科学の反論は、いやそれでは不十分だ、その存在性は物質や物質の振る舞いとは
違った存在性であり、さらに言えば進化心理学的、神経学的考察の上、クオリアがなくてもクオリアがあるかのように
感じると報告する現象がある、これはクオリア論ではなく、自然科学の領域だ。というようなものになる。

クオリア論者は「それでもその感じはある」と言う。
しかしその「感じそのもの」の集合が「擬似的な存在性であると認めてやまない我々自身」なのだから、
これはかつて擬似的なものだと規定して諦めた我々自身を、実在的なものへ復権させようとする試みなわけだ。

もし可能ならば哲学的考察と、自然科学的考察を交えて新たな領域を模索する試み以外には達成できないだろう。
茂木氏もそんな風に言ってる。だから自然科学の立場から目くじら立てる必要もないし、クオリア論者が自然科学とは
別の領域だけの問題だと思い込んでるのも間違ってる。まずは現状自然科学が扱う問題の外部にある問題だと認識する
必要があって、その輪郭を知ることでこそ外部を知ることが出来るってことを謙虚に理解しなければ。
413考える名無しさん:2008/02/13(水) 19:24:09 0
>>398が理系人、非理系人のいずれか?ということですが、
まず、冴えない理系人の場合は理系の一種でよいでしょう。
非理系人の場合、「理系でさえない」という場合、ここで使われている「さえ」が添加の副助詞であるとすると
このように言い換えたほうが分りやすいでしょう。
>>398は理系でさえない。まして文系であるはずがない」
ということは後者の場合、398は何系か?という疑問が最後まで解けません。
世の中に系はたくさんありまして、例えば体育会系、銀河系、セカイ系、中枢神経系などなどです。
特定することはできませんので、ここでは仮にウンコ系としておきます。
414考える名無しさん:2008/02/13(水) 19:27:56 0
>>412
だからチャーマーズがそういってるじゃん。
そんな基礎的な文献も読んでなかったのか?
415考える名無しさん:2008/02/13(水) 19:32:24 0
チャーマーズは読んでないけど、あえて言うなら読まなくても同じような現状理解には至るってこと。

で、おれ自身はクオリアよりもクオリア抜きでの人間の記述の方に興味があるんだけどね。
416考える名無しさん:2008/02/13(水) 19:34:21 0
>>415
そりゃクオリアがどういうものか理解していればそう考えるんだよ。
ようやくクオリアを真面目に語るスタート地点に立てたってだけ。
おれはチャーマーズのいう方向には懐疑的だけどね。
417考える名無しさん:2008/02/13(水) 19:40:46 0
>>416
ここがクオリアスレだから>>412のような一般的なまとめを一旦はさんでみるかと思っただけで
おれも別にもともとクオリアは否定してる人間だ。にしてもパラドキシカルなものに酔う感性は
多少なりとも哲学人なら持ってるわけで。

で、このスタート地点からさらにクオリアを真面目に語ると、どうなるの?
418考える名無しさん:2008/02/13(水) 19:45:22 0
>>417
一般的なまとめもなにもクオリアを語るにあたっての基礎知識だろ。
419考える名無しさん:2008/02/13(水) 19:49:25 0
>>412
>でこれに対する自然科学の反論は、
だからさ、そんな反論をしなければならない理由は自然科学にはないわけ。

>まずは現状自然科学が扱う問題の外部にある問題だと認識する
>必要があって、
って自分で言ってるじゃん。
420131:2008/02/13(水) 20:34:41 0
あの、門外漢の意見としては「自然科学が反論する」って言い方がピンとこないんですよね。
よくわからない現象、不思議な現象があれば「よし、よくわからんが調べてみよう!」ってゆうもんだと思ってましたが。
421考える名無しさん:2008/02/13(水) 21:33:06 0
>>401
>あんたの言ってる、レベルの低いが何を言ってるのか分からん
ごめん、ぶっちゃけていうとあなたのことさ。すまんな。
422考える名無しさん:2008/02/13(水) 21:43:35 0
>>403
分かりやすいから現象報告ってネーミングが流布してるだけ。
現象判断のパラドックス(paradox of phenomenal judgement)の方がより正確な表現なんで、そっちで議論してみてくらはい。
423考える名無しさん:2008/02/13(水) 21:58:28 0
「言語学的には」みたいな長々とした書き込みはあっても、唯名論という単語は出てこないのな。
424考える名無しさん:2008/02/13(水) 22:48:08 0
>>422
「現象判断」にしてもその結果は筋肉に「報告する」しか無いだろう。
脳の中枢神経の外部出力は所定の筋肉を制御するしか無いだろ。
425考える名無しさん:2008/02/13(水) 23:02:20 0
>>424
ふんふん、しかし脳から筋肉への「報告」はあっても、それは私達が普通に言う意味での言語、つまり自然言語ではないね。
426考える名無しさん:2008/02/13(水) 23:11:28 0
>>425
いや、最終的には自然言語で表現されることもあるだろう。
427考える名無しさん:2008/02/13(水) 23:13:44 0
頭悪いレスだな・・・ほとほと呆れる
428考える名無しさん:2008/02/13(水) 23:17:10 0
クオリアは心的領域に属するもんだよ。
429考える名無しさん:2008/02/13(水) 23:22:18 0
つまり、宗教とかと同じ。
430考える名無しさん:2008/02/13(水) 23:44:11 0
クオリアが宗教とかと同じだったら宗教は聖書とか経典とか言語で
いっぱい語ってるからクオリアを語ることには何の問題も無いでしょう。
431考える名無しさん:2008/02/14(木) 00:37:38 0
うん、宗教と同様なものとして語る分にはね。
432考える名無しさん:2008/02/14(木) 06:53:39 0
>>421
明らかに、唯名論とかシニフィエとか期待してそうだったもん。
でも、衒学になりそうだから避けた。不必要に専門用語を使うのは陶酔だと思う。

もっと一般的な言葉で語れると思うんだな
433考える名無しさん:2008/02/14(木) 06:54:41 0
>>413
スレちだけど、文系・理系の分け方が文系的だと思うぞ。
文系・理系の区分けって突き詰めて行くと分からなくなる。

絵画は文系、じゃあ人体を描いたのは理系?
鉄道は理系、じゃあ座り心地のよい椅子を造るのは文系?
人を感動させるのが文系、でも数式や機械でも感動するのでは?
434考える名無しさん:2008/02/14(木) 10:15:01 0
>>431
で、宗教やクオリアが語れるのはなぜか?
という「現象報告問題」は残るわけだね。
4352ちゃんこわい:2008/02/14(木) 10:33:34 0
クオリアって「認知」となにが違うの?
クオリアを語るとき赤の赤さと言う話がでるが、色盲の人は?
436考える名無しさん:2008/02/14(木) 10:38:06 0
>>434
クオリアっていうトンデモ理論を語りだした人がいる、というだけで何の問題も感じないのだが。
437考える名無しさん:2008/02/14(木) 12:00:30 0
神も「神を感じる」って言うくらいだから
クオリアの「クオリアあるじゃん」と大差ない
438考える名無しさん:2008/02/14(木) 12:20:20 0
恥ずかしいからチャーマーズくらい読んでから参加しようよ。
439考える名無しさん:2008/02/14(木) 12:37:01 0
その「俺知ってるんだぜ」的なのはどーでもいいよ。
知識の競い合いをやってるんじゃないんだから

大体、偉そうにしてる人も説明できてないじゃん。
恥ずかしいと思うなら、相手の無知ではなく、
己の説明能力のなさを恥じた方がいい。
4402ちゃんこわい:2008/02/14(木) 12:37:41 0
批判じゃなくて、認知でいいと思うんだけど。
441考える名無しさん:2008/02/14(木) 12:45:35 0
>>440
しょーじき、俺もよく分からん。なぜ、クオリアという名称を使い、
認知という名称でないのか、文化的な差異しか見いだせない。
心理学の言葉と、物理学の言葉で分けているだけではないか。

誰々が言ったとか、発言者を根拠にするのはカルトにしかなってない。
442考える名無しさん:2008/02/14(木) 12:51:00 0
>>439
甘えるな。
無知は恥なんだよ。
4432ちゃんこわい:2008/02/14(木) 12:54:29 0
チャーマーズが説明してる事って認知じゃないか
444考える名無しさん:2008/02/14(木) 13:02:10 0
>>442
いいや、ポピュラー化した以上は、そんなのは言い訳にもならない。
大衆にも知れ渡らせる以上は、ミドル級の内容も用意しておくべきだった。
それを怠ったから、どこに知識があるのかも不明確で、やっと出所を見つけたと思ったら
ハードルが高すぎて、ほとんどの人が脱落しちゃう状態になってる。
445考える名無しさん:2008/02/14(木) 13:09:44 0
>>444
チャーマーズの本て大衆向けなんだけどw
4462ちゃんこわい:2008/02/14(木) 13:13:40 0
だからその大衆向けの本でクオリアの定義は認知だって、クオリアと語彙をふやすのは
どうかという感想をもっちゃうんだから言い訳にならないという事を444は言ってるんじゃ
ないのか
447考える名無しさん:2008/02/14(木) 13:30:56 0
>>411
>自然科学は、神や幽霊(やクオリア)が「実在しない」といっているわけじゃない。
>扱わないだけ。
「扱わないだけ」じゃなく現在の自然科学ではクオリア問題は扱えないということ。
 だから自然科学で宗教もクオリアも扱えるように拡大しようという野がクオリア問題だろ。
448考える名無しさん:2008/02/14(木) 13:32:15 0
>>446
そんなこといってるのはおまえだけだろ。
4492ちゃんこわい:2008/02/14(木) 13:34:48 0
そうだな。
そして435に戻る。
450考える名無しさん:2008/02/14(木) 13:35:30 0
>>436
>何の問題も感じないのだが。
「問題ない」といってるのはそこで思考停止してるのだから
それでいいじゃないか。無理やりレスする必要も無い。
4512ちゃんこわい:2008/02/14(木) 13:39:16 0
447の説明でもわかるけど、やっぱそれは「認知」なんだよ。
452考える名無しさん:2008/02/14(木) 13:39:46 0
>>446
そーいう事だと思う。学んだ後に「なるほど」ってならず、疑問が膨らんで行くばかり。
実は読んでないんだけどね。お隣さんちに似た単語があるから気になってしょうがないんだ。
言葉の使い方そのものは「神」や「霊」と変わらないってのが実感。
453考える名無しさん:2008/02/14(木) 15:41:59 0
>>450
トンデモ理論を放置しておくのもどうかと思うよ。
454考える名無しさん:2008/02/14(木) 15:45:48 0
トンデモ理論?
認知科学のことか?
455考える名無しさん:2008/02/14(木) 16:15:51 0
>>450
「神様は存在しない」といったら「思考停止」か。

やれやれ。
456考える名無しさん:2008/02/14(木) 16:20:58 0
>>455
神や幽霊はみんながみんな見てるわけじゃないから
その喩えはそもそも間違いだな。
457考える名無しさん:2008/02/14(木) 16:26:05 0
>>456
俺はクオリアなんて感じて無いけど。
458考える名無しさん:2008/02/14(木) 16:35:02 0
>>457
クオリアという概念を理解してから言え。
459考える名無しさん:2008/02/14(木) 16:37:05 0
>>458
めちゃくちゃにも程がある。

「貴方は神を感じています。皆が神を感じています。神は皆の前に平等です」

って言うのと何が違うのかね。
460考える名無しさん:2008/02/14(木) 16:44:02 0
>>459
センスデータは認識の前提だが神や幽霊はそうではないし
センスデータがないという主張はそもそもセンスデータなくして成立しない。
461考える名無しさん:2008/02/14(木) 16:46:01 0
新しい用語を勝手に生み出し、「それは存在する。全員が感じている」と言い切る。

何も変わらん。
4622ちゃんこわい:2008/02/14(木) 16:52:47 0
いや、クオリアは皆にあるんだよ。でもそれは認知という言葉でいいし、それが言語学的に
忠実だと思う。例えは435から読んで。
言葉ってそれこそ認知を他者と共有しあうもので、分かりやすさというのは思いやりと言うか
賢さというか誠実さと言うか、なんだよ。
この問題で言語をいたずらに増やすのは抵抗があるんだよ。
これまでの書き込みをみてあらためて。
今日いっぱいで書き込みやめるからなんか言わせて頂きました。
463考える名無しさん:2008/02/14(木) 16:53:53 0
>>461
哲学では「センスデータ」なんて基本用語なんだけど。
「クオリア」のほうが用語としては新しいしw
自分の不勉強を棚に上げられてもな。
授業がわからないのは先生のせいだって考えるタイプだろ。
464考える名無しさん:2008/02/14(木) 16:57:10 0
>>463
神の存在を知らずにものを語るとは、不勉強だよ。
授業が分からないのを先生のせいばかりにしてはいけない。
465考える名無しさん:2008/02/14(木) 16:59:11 0
まったく新しい今までにない理論や概念や造語なら良いんだけど
どっかで聞いた様な内容だったり、今まで学んで来たことと似ていたり
するから、抵抗がある。
466考える名無しさん:2008/02/14(木) 17:01:54 0
おまえら哲学板で認識論の話するってレベルじゃねえだろw
4672ちゃんこわい:2008/02/14(木) 17:05:37 0
なんでこうなるかな・・・
多分わかってるんだと思うけど。
468考える名無しさん:2008/02/14(木) 17:06:54 0
人がごちゃごちゃ入れ替わってるから、2chだと収束しないんだ。
469考える名無しさん:2008/02/14(木) 17:10:11 0
>>467
認知科学的視点でしか考えられない連中が
レベルの低い書き込みをするからでしょうね。
4702ちゃんこわい:2008/02/14(木) 17:11:31 0
あー怒っちゃったよ わかるよ
4712ちゃんこわい:2008/02/14(木) 17:13:35 0
一応断っておくと、茂木健一郎さんはすきなんだよ。
472考える名無しさん:2008/02/14(木) 17:15:49 0
まとめると、クオリアをどう考えるかには大別して2つのパターンがある。


「クオリア=認知、クオリア=質感」のように既存の言葉を「クオリア」と言い換えるパターン


まったく新しい概念として、既存の何にも似ていないものとして「クオリア」を扱うパターン


1の場合、何故わざわざ「クオリア」という単語を登場させるのか、理由がわからない。
2の場合、せめてその存在を証明しようとするべきなのに、何故かそれをしようとしない。

今まで無かったものを他人に認めさせようとするのなら、
誰もが納得できる説明をするなり、証明をするなりする必要があるのに何故それをしないのだろうか。

「理解できないやつが悪い」で終わらすのでは、「神様はいます。信じない人に問題があります」って言うのと大差ないよ。
4732ちゃんこわい:2008/02/14(木) 17:16:42 0
469の言い分はでも違うと思う。
474考える名無しさん:2008/02/14(木) 17:23:21 0
「物質界にはクオリア素子がある」という感じなのかな
475考える名無しさん:2008/02/14(木) 17:24:28 0
どんだけ難しい単語を並べたところで、証明できないんじゃ虚しいだけだと思わないか。
他人に理解してもらえない事を他人のせいにして終わるとは、なんともはや。
4762ちゃんこわい:2008/02/14(木) 17:24:35 0
例外についてどう思う?
477考える名無しさん:2008/02/14(木) 17:29:36 0
>>472
クオリアってのは、質感や認知それ自体のことなのか、
クオリアを使って概念を表したいのか、その両方なのか、どれなんだろ。
もし概念を伝えたいのなら神学と似たような物なのだから、
ハッキリ神と同じだと言って欲しい。

神の場合は、創造主や全知全能を擬人化したものだと割り切れるけど。
4782ちゃんこわい:2008/02/14(木) 17:37:53 0
469、もう少し説明してくれないか。
4792ちゃんこわい:2008/02/14(木) 17:41:11 0
469、レベルが低い連中の俺にもう少し説明してくれないか。
480考える名無しさん:2008/02/14(木) 18:03:08 0
クオリア=茂木と思ってる時点で、まず議論できるレベルではない
481考える名無しさん:2008/02/14(木) 18:04:39 0
>>475
だからはやく嫁低脳。>>148
482考える名無しさん:2008/02/14(木) 18:05:39 0
ガン逃げだなあ。クオリアなんてねえよと思いながらも、真新しい理論でもあれば面白いなと思って
ある程度引っ張ってみたのに。
483考える名無しさん:2008/02/14(木) 18:07:32 0
>>475
最低五本ぐらいは読んでから参加しやがれこの池沼
http://www.google.com/scholar?q=qualia&hl=ja&lr=&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
484考える名無しさん:2008/02/14(木) 18:09:48 0
>>482
荒し消えろ、チャーマーズは新しい理論枠組み(パラダイム)を出してる。
NCCも大きい意味でそのひとつだ。そしてトノーニの理論も上に書いてある。
英語が読めない君は知的弱者だということは分っといたほうがいい。
485考える名無しさん:2008/02/14(木) 18:28:19 0
誤解してるようだが、理解できない人は結構な人数いるみたいよ。
人が入れ替わってるもん。仮に新しい枠組みを提示しているのが
英語だけだとしたら、単語だけ輸入した日本人の功より罪の方が大きい。
中途半端な知識を輸入されたら困る。
4862ちゃんこわい:2008/02/14(木) 18:39:23 0
クオリアがあほらしいと言う理屈じゃない事はわかるだろ?
でクオリア=茂木健一郎氏と俺が思ってない事も。
何かごめんね もういいや。なんかわかった。
487考える名無しさん:2008/02/14(木) 19:33:57 0
>>485
はぁ?チャーマーズ邦訳出てるんだが。デネットもマッギンもチャートランドも邦訳出てるしコッホも邦訳出てるんだが。
自分の無知と怠惰を棚に上げて、偉そうな事いうなこの低脳が。
488考える名無しさん:2008/02/14(木) 19:40:55 0
>>486
あんたが言いたいのは要は唯名論だろ。
で、そこへいくともちろん物理学の存在論に入っていくわけだが、科学的実在論、反実在論、道具主義、社会的構築主義、虚構主義、とまあ色々あるけど
そこはどこまで突き詰めて考えてンの?
4892ちゃんこわい:2008/02/14(木) 19:44:43 0
唯名論ではない。
490考える名無しさん:2008/02/14(木) 19:49:33 0
>>489
じゃあ何?自由意志における両立説のやり方なんかと同じように、
クオリアに関しても定義変更が必要だ、ということかい。
4912ちゃんこわい:2008/02/14(木) 19:51:41 0
じゃあ何って・・・・。
492考える名無しさん:2008/02/14(木) 19:57:30 0
>>491
そう、何?説明するのは面倒かも知れないが中身あるんだろ?
それとも別に中身なんかもともと無くて、ただの新しい概念・理論枠組みに対しての拒否反応というだけなのか?
4932ちゃんこわい:2008/02/14(木) 19:58:50 0
まずあなたの捉えているクオリアの定義ってなに?
4942ちゃんこわい:2008/02/14(木) 20:00:27 0
論文よめじゃなくて、あなたの言葉で教えてくないか。
4952ちゃんこわい:2008/02/14(木) 20:07:51 0
あなたにとって、「認知」とはそんなに貧相な言葉なのか。
4962ちゃんこわい:2008/02/14(木) 20:09:22 0
一応言っておくが、こんなに一生懸命話してくれて、うれしい。
4972ちゃんこわい:2008/02/14(木) 20:21:46 0
つーか、僕は、お風呂に入ってくるよ。ありがとう。
ほんじゃ〜
498考える名無しさん:2008/02/14(木) 21:20:32 0
>>487
それがどうした? いくら言われようと堪えないね。
こちとら、無知を武器にする術くらい心得ている。
あんたが詳しい?努力して来た? へぇ〜すごいね。それで?

実存を発生させた時点で、無知だとかんなもんは煽りとしての機能を消滅させている。
死ね。ただただ目障りな有識者はぶっ殺して権威を失墜させるに限る。


今の俺にはあんたを撃つ資格があるぜ。時間をかけ過ぎなんだよ。
499考える名無しさん:2008/02/14(木) 21:26:11 0
>>497
謙虚になることは無いぞ。こいつは明らかにお前をバカにしてる。
こういう奴は殺せ。
500考える名無しさん:2008/02/14(木) 21:26:14 0
目障りな有識者と
目障りなバカだったら
おれは目障りなバカのほうが死んでいいとおもうけどね。
501考える名無しさん:2008/02/14(木) 21:30:19 0
>>500
甘いよ。なぜ俺がこうも無知なのに
むしろ無知であるが故に強く出てくると思ってんだ?
皇帝が唯一恐れる者は失う者が何もない者だ。

バカと賢者なら、バカの方が勝つぜ。お前の負けだ
調子に乗り過ぎたな。
502考える名無しさん:2008/02/14(木) 21:31:11 0
一応覗いたけど、もう寝ますね。健康的だな俺。
誤解されているかもしれないが、認知の研究はとてもすばらしいし、クオリアを扱っている
学者さんも本当に尊敬している。
おやすみなせ〜
503考える名無しさん:2008/02/14(木) 21:32:06 0
知で身を守ってる者は、知を嫌悪する者には絶対破れる。
お前は死ね。ただひたすら死ね。知を暴力に使う者は
殺すべし。なんてことはない、こいつはただの衒学だ。
504469:2008/02/14(木) 21:35:31 0
>2ちゃんこわい

さいきんクオリアと呼ばれるようになった概念は哲学では認識論の分野で古くから議論されてきている。
新しい概念ではない。
それは古くはバークリー的な図式のなかの感覚質であり主観が認識をするうえで概念化を被る前段階の「現れ」のことを指す。
有名なところではラッセルの「センスデータ」だ。
パトナムは「クオリア」という言葉を1947年にルイスが行った講義のなかで初めて聞いたといっている。
グッドマンは同じものを「クオリティーズ」と言っている。
現象学的文脈では概念化され了解された「超越」にたいして現象学的還元をほどこした「内在」と同じようなものだ。

クオリアはあたりまえのようにあり、自然科学的探究をする主体の前提になっているにもかかわらず
同時に私秘的であり共有できないというありかたをしている。
自然科学の分野でやかましく言われるようになったのは
それが従来の自然科学では記述されていないと指摘されたことを知ったからだろう。
クオリアに対する哲学者の反応がさまざまあることはググってもらえばわかるだろうが、
チャーマーズは物理学を拡張することによって自然科学でもクオリアを取り扱うことが出来ると考えている。
チャーチランド夫妻のように既存の物理学の概念に解消できるはずだという立場もある。
そもそも知覚を概念的な部分と非概念的な部分に分けることはできないとする
パトナムのような立場もある。
以上は代表的とは言えないかもしれないが哲学的立場の一部だ。

で、おれがどう考えているかというと
・クオリアは当然ある。マリーは部屋を出たらきっとワーオというだろう。(マリーの部屋参照)
・クオリアは既存の物理学では記述できない。
・拡張された物理学でも記述できない。
・これをとりあえず記述するには認識の仕方を根本的に再編成する必要がある。
・それは学問的な研究スタイルの問題ではない。
 生物としてのわれわれが世界をどう把握するかの問題。
・しかし私秘性によって共有された知識を蓄積することはできない。
505考える名無しさん:2008/02/14(木) 21:37:19 0
>>503
おまえも親のいうことを良く聞いて勉強すればよかったのにね。
506考える名無しさん:2008/02/14(木) 21:39:51 0
ちゅーかね、>>488みたいに数が多けりゃいいってもんでもないだろ。
そりゃ継ぎ接ぎだらけで中心がありません。と言ってる様なもんだ。
答え方だって受け身だしさ。

よーするにウザイんだわ。1歩譲って、俺が無知だとしてもだ
まったく空と言う訳ではない。それなりな知識は持ってる。
で、それなりでも持ってる知識に類似しているから、気になる訳だ。
だから「なんだこれは? 隣に奇妙な者があるから気になる」と来たら
「あんたの勉強不足」←はぁ? バカにするのも大概にしろ。

最初から勉強する気なんてねーよ。うざいからうざいと言ってるだけだ。
中心がないのなら、素直に寄生虫でもやってろよ。
507考える名無しさん:2008/02/14(木) 21:43:21 0
>>506
それなりな知識ってなんの知識?
508502:2008/02/14(木) 21:44:59 0
502は2ちゃんこわいです。
丁寧な説明ありがとう。
おれはクオリアは「ある」と思っているし、先に書き込んだ所にもそう書いている。
既存の物理学で扱えないというのはわかる。
でもクオリアは認知だ。認知中の認知だ。認知のど真ん中だ。でも504の人頭いいなありがとう
ございます。俺もっと勉強します。
みなさまいろいろありがとう。愛してるよ。
今度こそマジでおっやっすっみんなっせー
509考える名無しさん:2008/02/14(木) 21:53:23 0
>>507
そもそも、説明能力ないだろ?
ただ、人の反応にリアクションをとってるだけで

>>505
決めつけるのやめてもらえるか?
510考える名無しさん:2008/02/14(木) 22:16:43 0
>>508に近いんだろうが、俺が言いたいのは
なんか、横からちょっかい出されてる感じがして
看過しがたい事だ。問いただすと勉強してこいの一点張り
総じて言うのなら、自然科学が人文科学に足を突っ込んでくるのが
不愉快なんだと思う。

学問的ではないと言ってる割には越境性には中途半端。
音楽も経済も芸術も生活もすっぽかして、学問的なまま。

>>505
それから、あんたは絶対俺にはかなわない。
お前がもしかしたら俺になった可能性もあるからだ。
お前が想像してるほど生易しいものじゃないぞ。
もしお前の知への欲求が反転した時は、俺みたいになるから覚悟しておけ。
511考える名無しさん:2008/02/14(木) 22:19:03 0
ともかく態度が悪すぎる。さっきから人をバカにし過ぎだ。
途中から人をバカにする事が目的になってやがる。
512考える名無しさん:2008/02/14(木) 22:28:18 0
>>511
2chてそういうもんでしょ
まともなものは滅多にない
でもたまあるからおもしろい
513考える名無しさん:2008/02/14(木) 22:34:34 0
相手はもう君の事をバカにしてないと思うよ。もう自分の立場は安全になったから。
言ってることわかるか? 他者の心理にしてもクオリアにしても対象には構造があることを認識しないと。
514考える名無しさん:2008/02/14(木) 22:45:37 0
ROMることにする
515考える名無しさん:2008/02/14(木) 23:14:07 0
>>433
そう思うけど、俺に言われても困る。
相手に合わせてレスしただけだよ。
516考える名無しさん:2008/02/14(木) 23:25:21 0
>>512
そうかな?
おかしいのが一人いて、意見の違う人たちに片っ端から変なレスを
返していくとたくさんいるようにも見える。
俺はまともな方が多いんじゃないかという気がする。
517考える名無しさん:2008/02/15(金) 00:17:08 0
>>504
>さいきんクオリアと呼ばれるようになった概念は哲学では認識論の分野で古くから議論されてきている。

>現象学的文脈では概念化され了解された「超越」にたいして現象学的還元をほどこした「内在」と同じようなものだ。

そのようなもの、一切無しで、刺激に対する反応がある、と考えても、
観測される現象は説明できるんじゃないの?
そのようなものが無ければ説明できない観測事実って何かあるの?
518考える名無しさん:2008/02/15(金) 02:35:26 0
>>504
ちょっと違うかもしれないけど、
(世界の構造としてではなく)人間の認知機構上の特性ゆえにハードプロブレムを私達人間は解くことはできないのだ、
というマッギンの認知的閉鎖(cognitive closure)というアイデアに近いね。
519考える名無しさん:2008/02/15(金) 06:52:00 0
>>516
錯覚だろうな。
520考える名無しさん:2008/02/15(金) 17:36:32 0
>>481
>>483
結局クオリアを新しい概念だと思うのなら何故それがどのように新しいのか説明しないのか、
今ある言葉を置き換えているものなら何故そんな事をする必要があるのか、

一つも答えてないよね。
521考える名無しさん:2008/02/15(金) 18:53:04 0
>>520
哲学では新しい概念ではないし
今ある言葉を置き換えているわけではないから
説明をする必要がない。
いずれにしても自然科学の側がクオリアという概念を
どう許容するのかという問題であり、
伝統的にクオリアを扱ってきた哲学が考えることではない。
522考える名無しさん:2008/02/15(金) 19:51:00 0
>>520
科学の発達に対して哲学が置いてけぼりを食って、かび臭く
なってたからなんじゃないの?
そこを現代的にアレンジして再構築する事で、問題点をより浮
き彫りにさせたって事だと思うが。
その意義は大きいと思う。
523考える名無しさん:2008/02/15(金) 20:18:36 0
>>521
○○ではない、というのはいくらでもいえるよ。

「○○である」という意見を是非お願いしたい。
524考える名無しさん:2008/02/15(金) 20:35:52 0
525考える名無しさん:2008/02/15(金) 20:46:14 0
>>524
で、それと「神様は存在する」というのと何が違うの?
526131:2008/02/15(金) 21:19:06 0
>>517
少し考えてみたいので質問させて下さい。

> そのようなもの、一切無しで、刺激に対する反応がある、と考えても、
> 観測される現象は説明できるんじゃないの?
ここでいう「観測される現象」にクオリアは含まれますか?
527考える名無しさん:2008/02/15(金) 21:40:33 0
クオリアって誰もが感じるものじゃないといけないんだよね?

俺はクオリアなんて感じて無いんだが、どうしたらいいんだ。
528131:2008/02/15(金) 21:56:04 0
>>527
そういう意見もたまに聞きます。
あいにくと俺はクオリアを持っていますが、そういう人がいることも十分に想像可能です。
これもまたクオリアの問題のひとつとされていますね。
この問題があるので残念ながら「クオリアって誰もが感じるものじゃないといけない」とは断言できないということですね。
529考える名無しさん:2008/02/15(金) 22:08:34 0
>>528
いやいや、「クオリアと神様や霊魂や幽霊は何が違うのか?」という話になるたびに
「クオリアは誰もが感じるものだが、幽霊などは見えるという人もいれば見えないという人もいる」
っていう話になるので。

クオリアがもし「誰もが感じるもの」じゃないのだとしたら
それは幽霊や神様論と何が違うの?という問題になる。
530考える名無しさん:2008/02/15(金) 22:13:37 0
>>519
なんで?
531考える名無しさん:2008/02/15(金) 22:21:41 0
>>529
何が?と、どのように?の違い。
532考える名無しさん:2008/02/15(金) 22:23:32 0
結局信じる人は信じる、という域を出ないね。
533131:2008/02/15(金) 22:29:03 0
>>529
基本的には同じでいいんじゃない?と思うんですが一応お約束で答えてみます。

まず、神や幽霊の報告は少数であるのに対してクオリアの報告は圧倒的に多数です。
知覚に異常のある人以外はおそらく全員と言ってよいでしょう。
ごく普通に「見える」「聞こえる」と語っているということです。
この数の違いは大きいですね。

それから神や幽霊は今はその存在が消去されてるようですね。
勿論少数意見として一笑に付されてるということではなく、
報告をデータとしてその報告の対象がなんなのかが検証された結果、のようですね。
つまり科学によって、ということらしいです。よく知りませんが。
じゃあ、クオリアでそのような検証がされたか?まだされてませんよね?
神や幽霊のようにクオリアも消去されるのだとしたら、クオリアもまたそのような検証をされた後消去されるというのがフェアなあり方ではないでしょうか?
534考える名無しさん:2008/02/15(金) 22:32:49 0
>>533
>まず、神や幽霊の報告は少数であるのに対してクオリアの報告は圧倒的に多数です。

ちょっと周囲に「クオリアって感じてる?」って聞いてみたが、誰も感じてなかったよ?
「なにそれ?」って反応。

色々な物が見えてるし聞こえてるけど、「クオリア」なんて感じた事はない、と。
535131:2008/02/15(金) 22:35:51 0
それから>>528で書いた問題の主人公は「ゾンビ」と呼ばれてますが(>>527さんがそうだとは言ってません)、
そのような「ゾンビ」が果たして本当にクオリアが有るとか無いとか語れるのか、というのが現象報告のパラドクスの論点ですよね?
もし違ってたらごめんなさい。

今日はもう寝ますが、又今度どなたか教えてください。
よろしくお願いします。
536考える名無しさん:2008/02/15(金) 22:37:50 0
>>535
クオリアを感じていない人間を「ゾンビ」とするなら
神様を感じていない人を「ゾンビ」とし、そのような存在に神について考える事が出来るのか?という問題が残る、

といわれてしまう。
537考える名無しさん:2008/02/15(金) 22:44:12 0
神や幽霊が消去されるならクオリアも消去されなきゃおかしいよ。
それが神や幽霊かはともかく、感じたものをそう表現したのなら、その感じたものは
クオリアじゃないの?
538考える名無しさん:2008/02/15(金) 23:03:48 0
時速120kmで走ってくるトラックの感触を全身全霊で確かめたいと
時々思うのですか、なんとなく嫌な感じがしてまだ実行してません。
539考える名無しさん:2008/02/15(金) 23:15:09 0
マリーが色を感じたから「わぁ」と反応したのか、
あるいは、「わぁ」とマリーが反応してるので物体マリーは
どうやら色を感じているようだと観測者は予測するのか。

神を感じた信徒がお祈りをしているのか、
あるいは、お祈りをしているから信徒は
どうやら神を感じているようだと観測者は予測するのか。
540考える名無しさん:2008/02/15(金) 23:18:35 0
>>536
神様より赤い色の方がずっと簡単そうだ。
541考える名無しさん:2008/02/15(金) 23:37:51 0
>>539
俺がよく分ってないのかもしれないけど
それだと赤のクオリアと赤の波長の光が分けられないと
分らないんじゃ?
542考える名無しさん:2008/02/16(土) 00:39:12 0
>>526
その質問に答えられるほど、クオリアの定義は明確に示されていない。
543考える名無しさん:2008/02/16(土) 02:06:27 0
生まれつき盲目だった人は、暗黒の中に音だけする様な夢しか見ない
事があるって聞くけど。
そういう人がある日手術で奇跡的に目が見えるようになれば、「わぁっ」
ていうと思う。
544考える名無しさん:2008/02/16(土) 02:29:39 0
>>543
>そういう人がある日手術で奇跡的に目が見えるようになれば
そういうのは臨床例がある。どこで読んだか忘れたが(たしかオリバー・サックスの著書だった気がする)
とりあえず最初は何か分らず気持ち悪いらしい。
545考える名無しさん:2008/02/16(土) 02:39:06 0
なにやらこのスレでは最近、神や幽霊って単語でもって批判?してる人間が多いみたいだけど、
そういうレスしてる人間の中で初等レベルの物理学理解してる人っている?
(多分いないだろうけど)もしそういう人がいるなら議論しよう。
546考える名無しさん:2008/02/16(土) 06:27:18 0
直接レスつけりゃいいじゃん。
547考える名無しさん:2008/02/16(土) 11:55:15 0
>>539
観測者が感じているその人、信じてるその人だったら判るんじゃないか?
548考える名無しさん:2008/02/16(土) 12:04:45 0
>>545
頭の悪さを誇るなよ、少年w
549考える名無しさん:2008/02/16(土) 12:12:07 0
>・しかし私秘性によって共有された知識を蓄積することはできない。

だからクオリアはそれを主張する人にとっての自己発現でしょ。
それがアートなら問題ないけどそれを科学だと言い張るからオカシクなる。
ある種の精神病だね。
550考える名無しさん:2008/02/16(土) 12:42:29 0
>>545
初等レベルの物理学と神や幽霊の関係はどうなっているの?
「そんなの関係ない!」という以外の答えを記述してみて。
551考える名無しさん:2008/02/16(土) 13:09:53 0
浮力の原理や、慣性の法則が、クオリアにどう影響するのか
552545:2008/02/16(土) 15:00:19 0
な。結局いない。というか物理知らずにブツブツ言ってるバカは一人だけだな。

>>551
初等物理って話振って出てくるのが浮力かよw
553考える名無しさん:2008/02/16(土) 15:06:22 0
>>550
奇跡と対にになる概念が自然法則による(確率論的)決定論の描像なの。
554考える名無しさん:2008/02/16(土) 15:20:04 0
更にまとめが要るな。

*物理学、認知科学、分析哲学、このどれひとつとして学んだことも無いような人には、クオリアの話は基本的に理解できません。
*「そんな俺の論でも一理ある」などと勘違いをしてスレを荒らすのはやめましょう。
555考える名無しさん:2008/02/16(土) 15:27:22 0
レス先つけるつもりがないなら、ここに書く必要ないじゃん。
自分のブログに書けば?
556考える名無しさん:2008/02/16(土) 15:30:13 0
>>554
物理学の中にクオリアなんて概念は存在しないが。
557考える名無しさん:2008/02/16(土) 15:32:48 0
>>555
読んだだろ。で、自分が対象になってるの分っただろ。それでいいんだよ。
しかしそう言ってる>>555のレスにレス先がないんだから間抜けだよな。
558考える名無しさん:2008/02/16(土) 15:34:27 0
>>556
うんうん、でどうなる?
559考える名無しさん:2008/02/16(土) 15:37:21 0
>>558
クオリアは無い。

ある、といいたいのならそれを証明して。
極々簡単な話だよ。
560考える名無しさん:2008/02/16(土) 15:40:09 0
>>559
ほう、じゃあ500年前には万有引力もなかったわけだw
知ったかぶりはやめろよ。おまえは初等物理さえ知らんのだ。
561考える名無しさん:2008/02/16(土) 15:41:48 0
>>559
あと存在を証明する、なんてマヌケな事を平気で言ってる時点でおまえは分析哲学さえ知らんのだ。
562考える名無しさん:2008/02/16(土) 15:44:37 0
不毛
563考える名無しさん:2008/02/16(土) 15:44:48 0
>>560-561
はいはい、じゃあ「クオリアは無い」で終了ね。

あるならあるって証拠を出してね。
564考える名無しさん:2008/02/16(土) 15:47:55 0
「クオリアは無い」とは思わない。「クオリアが有る」とも思わない。
そもそも、有無をまじめに議論できるほど、明確な定義が示されていない。
565考える名無しさん:2008/02/16(土) 15:49:54 0
>>562
そう不毛。

>>563
もし君が太陽が存在する証拠を出せたら出してやろう。
566考える名無しさん:2008/02/16(土) 15:50:46 0
>>554
それじゃ神秘主義だろ。ポストモダンとどう違うんだよ。
既存の人文科学や社会科学を、自然科学の発想に置き換えてるのだとしたら、
マルクスが物理学に影響受けて唯物史観を発展させました、と言ってる様なもんだ。

もしコラージュをしているなら素直に認めるべきだ。
567考える名無しさん:2008/02/16(土) 15:51:40 0
>>565
もし君が太陽の存在する証拠出せたら出してやろう。
568考える名無しさん:2008/02/16(土) 15:54:19 0
つうか、おきまりの観測問題なり、不可知論なりを持ち出すのなら、さっさと持ち出せば?
回りくどい問答はレスの無駄遣いだよ。
569考える名無しさん:2008/02/16(土) 15:58:02 0
>>551
>浮力の原理や、慣性の法則が、クオリアにどう影響するのか
水の中では浮力は体験できる。慣性もエレベータとか電車なんかで
日常体験してるはずだね。そう、「あの感じ」それがクオリアだよ。
570考える名無しさん:2008/02/16(土) 16:01:29 0
>>565
わかってるならやめれ。
そのつもりで承知の上でやってるなら、正真正銘荒らしだろ。
571考える名無しさん:2008/02/16(土) 16:01:40 0
>>569
浮力を体験した「あの感じ」は浮力の体験、慣性を体験した「あの感じ」は慣性の体験、だよ?

どこがクオリア?
572考える名無しさん:2008/02/16(土) 16:05:34 0
「あの感じ」をエレベーターや船も感じているのか
573考える名無しさん:2008/02/16(土) 16:05:58 0
>>571
何でも感じることをクオリアと言うんだよ。感覚で認識したから「浮力」
とか「慣性」という概念が作られたのだろ。
浮力の原理といえばアルキメデスのそれを思いついたとき「エウレカ」と
風呂を裸で飛び出したというエピソードで有名だろ。それだけの「クオリア」
があったということだろ。
574考える名無しさん:2008/02/16(土) 16:11:01 0
>>566
意味が分らん。どこがポモでどこが神秘主義なんだ。

とりあえずクオリアの自然化(自然科学の体系の中に位置づけること)は、昔から議論されてきたが
1990年代中盤にオーストラリアの哲学者チャーマーズによって明確に設定された方向性というのが
「クオリアは既存の物理量の組み合わせからは得られない、独自の新しい基礎的物理量だろう」というものだ。
だから容易に自然化できないのだ、と。
つまりニュートン力学の範囲で電気現象が記述できなかったのと同じように。
(電気現象の記述のためには電荷とマクスウェル方程式の導入が必要だった)
またニュートン力学と古典電磁気学の範囲で、原子の状態が説明できなかったのと同じように。
(原子の状態の記述にはプランク定数とシュレディンガー方程式の導入が必要だった)
つまり科学史のひとつの延長線上にこの問題を位置づけたのが、チャーマーズのした仕事だ。

で、こうした議論の中で
物理学は問題の焦点だ。世界を記述する普遍的な言語であり、あらゆる現象は原理的にここに含まれている(またはやがて含まれることになる)と広く信じられている。そしてこの部分の拡張がまさに問題とされている。
そしてこういう議論の中で思考のツールを提供するのが分析哲学だ。存在、理論、証明、検証、こういう概念を正面から深く掘り下げてるのが分析哲学だ。
認知科学はいうまでも無い、心について論じる際、ここを何一つ知らずして議論しても不毛の極みだ。人間の心と脳に関して確認されている範囲のことがここに沢山ある。


575考える名無しさん:2008/02/16(土) 16:12:15 0
>>573
じゃあ「体感」でいいじゃん。なんでクオリアって言わなきゃいけないの?
576考える名無しさん:2008/02/16(土) 16:15:16 0
>>574
答えてるの別人なの?
「質感も物理量とする」を主張してる人と
「既存の学問を組み合わせた新たな概念」を主張する人とで、分かれてるみたいだが
577考える名無しさん:2008/02/16(土) 16:16:27 0
>>567
は?出せないよ。でも君は何かが存在する証拠を出せるんだろ。

>>568
は?観測問題w 
きみ何いってんの?全然関係ないんだが。
この文脈で存在証明の話を始めたら、コギト・エルゴ・スムが出てきてくれないと困るんだけど、そんな事も分らない?

>>570
荒らしはおみゃーだ。無知は去れ。
578考える名無しさん:2008/02/16(土) 16:19:18 0
べつに2ちゃんに資格はいらないからね、書きたい人が書いて
読んで無知だと思えばスルーすれば?
スレなんていくら消費したってまた立てれば良いんだから。
臨機応変に対処しましょ。
579考える名無しさん:2008/02/16(土) 16:21:07 0
>>577
>は?出せないよ。でも君は何かが存在する証拠を出せるんだろ。

じゃあ「クオリアは存在しない」で終了だね。
580考える名無しさん:2008/02/16(土) 16:21:50 0
>>578
当事者はスルーして、他の人がレスしてるから、混乱してる気が…
581考える名無しさん:2008/02/16(土) 16:25:55 0
>>576
いやそこは実際とても揺れてるよ。
研究者の間での割れは勿論あるが、一人の人間が書いた一冊の著書の中でさえ揺らいでたりする。
とりあえず心の哲学の中では
「既存の学問を組み合わせた新たな概念」はおおよそ物理主義と呼ばれるし、「質感も物理量とする」という立場はおおよそ二元論と呼ばれる。
まあ、この世に存在するのは何か、という存在論に関して「保守的立場と革新的立場がある」という状況だね。
582考える名無しさん:2008/02/16(土) 16:49:04 0
>>581
ともあれ、どうして既存の学問に似ているのだろう。
そこが混乱を招いてる気がする。
583考える名無しさん:2008/02/16(土) 16:57:13 0
>>574
だからさ、いきなりその段階に議論が飛ぶから、トンデモやオカルトとしか思えないわけ。

いきなり、「自然科学の体系の中に位置づけること」をしなきゃなんない前提で、
「位置づけるためにはどうするか」という話を唐突に持ち出す。
それはもう、科学ではないわけ。

まず、それ以前に、「自然科学の体系の中に位置づける必要性」つまり、
なんらかの新たな(従来の仮説では説明できない)観測事実があって、
それを説明するために、「位置づけるためにはどうするか」を考えるのが、
科学というものの形式なわけ。

つまり、クオリアの議論の立て方は、科学が疑似科学を排除する手続きを、
平気ですっ飛ばしてるわけ。
だから、「じゃあ、神や幽霊も・・・」という話にならざるを得ないわけ。
584考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:00:54 0
質感にも物理量があって粒子があるんじゃないか、って言ってるだけだもんな・・・。
その為に既存の学問やデカルトを引用されても???ってなる。
585考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:06:05 0
>>583
1.普通の人間には主観的な現象的体験がある。
2.物理学の中でどこに位置づけたらいいのか分らない(消去の仕方が分らない)。

ただこれだけ。こういう思考は慣れてないと理解できん(特に消去の仕方がわからない、という部分ね。オカルトは容易に消去できるんだから)。
だから基本的な前提知識が要るって事。
586考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:07:28 0
>>584
>質感にも物理量があって粒子があるんじゃないか、って言ってるだけだもんな・・・。
全然違う。
587考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:08:21 0
>>585
俺、クオリアなんて体験してないけど?

「普通の人間」って何よ。
588考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:12:08 0
>>585
>1.普通の人間には主観的な現象的体験がある。

その「主観的な現象的体験」とやらは第三者によって観測可能なの?
589585:2008/02/16(土) 17:15:06 0
そもそも一般的な神や幽霊の概念は物理学と整合性を持たない。
それは一方が正しければ、一方が絶対に間違ってる。
物理学と整合性をもたせて神を定義するには、神はまったく世界に介入しない時計職人のレベルに落とさなければならない。(そうした神は奇跡を起こせない)
そして幽霊は壁を通り抜けるなら、見えないものでなければならないし、逆に見えるのなら壁を通り抜けてはならない。
こういう違いもスッと判断できない状態では話を理解するのは無理だってこと。
590考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:16:01 0
>>588
No。
それが原理的なものなのか、テクニカルなものなのかはまだ分らない。
591考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:19:34 0
>>590
では、それは「今は」科学では「扱えない」。
従って、「自然科学の体系の中に位置づける」必要は、「今は」無い。
592考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:19:43 0
>>589
そんなもの、神や幽霊の定義によるじゃないか。

それに太古の人間には奇跡としか思えないような事を現在の人間は行っているぞ。
593考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:20:00 0
>>575
「体感」は感覚の一部でしかないから。
五感といわれる身体感覚の「感じる質感」をまとめて「クオリア」
と名づけただけでしょう。感覚のどこまでを「クオリア」に含めるか
もはっきりとはしていない。
594考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:21:50 0
>>593
「感覚」とか「質感」でいいんじゃないの?
新たな言葉を作らなきゃいけないほどの事には思えないが。
595考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:22:15 0
書き方を科学的にせず、

「ボクはみかんを見るとキャッとなり、りんごを見るとウヲゥってなる。
 この感じってどこからやってくるのか知りたいな。他の人も
 みかんを見るとキャッてなり、りんごを見るとウヲゥってなるのかな?
 知りたいな。どうやって他の人の心の中も調べればいいんだろ?」

ってやってもらえれば、納得できるんだが
596考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:29:12 0
>>594
全くその通り。クオリアなんていう必要性は感じない。
このごろはカタカナ言葉がはやってるせいだろ。
597考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:29:32 0
>>591
扱えないから扱おうとしてるんだと思うだけど、
組み立てたロジックには、「質感」だけではなく
別の言葉にも置き換えられてしまうのではないか、というのが疑問です。
例えば「霊」や「神」を入れても成り立ってしまっている。
598考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:29:36 0
>>591
あらゆる理論物理の探求は未だ記述されていないものを整合的に記述できるようにすることへささげられている。
そういう営みを君が不要と思うなら君はただ去ればいい。

>>592
論外。文章が読めていない。

>>593
yes。定義がはっきりするのは研究が終わった後。
熱とは何なのか、光とは何なのか、これがはっきりしたのは研究の終わった後のこと。

>>594
それで議論できると言うならやればいい。
599考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:33:29 0
>>597
>扱えないから扱おうとしてるんだと思うだけど、

科学というのは、絶対的価値とかそういうものではなくて、一つの方法論、道具に過ぎないんだよ。
なんで、扱えないのに扱おうとする必要があるの?

プラスドライバーでマイナスねじが扱えないとしたら、
マイナスねじを探すのが正常で合理的な思考というもんだろう?
なんでもかんでもプラスドライバーを使わなければならない理由なんて無いわけだから。


600考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:33:58 0
>>598
もう何度も何度も出ているのに誰も答えないんだよね。

神様や幽霊を語るのとクオリアを語るのと、いったい何が違うんだ?
神様や幽霊がもっている特長とクオリアが持っている特長の差は何?

「論外」で片付けて逃げきろうという流れかな。
601考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:36:53 0
>>599
一時的にせよ、科学は放棄してるんじゃないかな。
最終的には科学にするつもりだろうけど、今の所は哲学でしょう。
602考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:39:07 0
>>598
>あらゆる理論物理の探求は未だ記述されていないものを整合的に記述できるようにすることへささげられている。

科学が探求しているのは、「「観測事実」と「整合的に記述できるようにすること」」であって、
「「ありとあらゆる思い付き」を「整合的に記述できるようにすること」」ではないよ。
まあ、意味の言う、「理論物理」が科学とは別のものだというのなら、別の解釈も
あるのだろうけれど。
603考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:41:40 0
>>601
であれば、

>扱えないから扱おうとしてるんだと思うだけど、

とか、、ましてや、

>いきなり、「自然科学の体系の中に位置づけること」をしなきゃなんない前提で、
>「位置づけるためにはどうするか」という話を唐突に持ち出す。

なんてことを、する必要はないんでは?
604考える名無しさん:2008/02/16(土) 17:46:44 0
クオリア初心者です。お願いします。

信号が赤だね!って二人が赤という色の名称と物質の色味を共通のように認識していても、

その赤味はAさんには、空の色と同じ色味に見えていて、Bさんには葉っぱの色

と同じ色味に見えているのに、共通認識上、赤という色の基調は

自然界の物質から色の名称と色味を関連付けて名辞されたものだから

赤は血液の色としての赤色として概念上言語化して表現せざるを得ないだけで

色の質感がAさんもBさんも、色味と色の名称は自然界の色とセットになっている

から、同じ赤だねと「言っている」だけで、実際ふたりが違う色味を見ていても

色の名称が同じであれば、二人の色味は同じとされているけれど、

実際にはどういう感じ方の色味に見えているかは個々人違いがある可能性としてクオリアがある。

でいいんでしょうか?
605考える名無しさん:2008/02/16(土) 23:31:42 0
夢の中で間違って沸騰した鍋に触って熱かった。
606考える名無しさん:2008/02/16(土) 23:36:06 0
夢は一人の人が一人で見るものだから、反論にならない
607考える名無しさん:2008/02/16(土) 23:40:38 0
いえ、反論というわけではなく、現実の物理的な作用がなくても、感じることができるということを言ってみました。

608考える名無しさん:2008/02/16(土) 23:43:07 0
>>607
貴方の脳内ではそのときなんらかの物理的な作用が起こっていたでしょう。
609考える名無しさん:2008/02/16(土) 23:47:09 0
そう、そこに答えがあるような気がします。
610646:2008/02/16(土) 23:54:10 0
クオリアの捉えかたとしてはこれでOKですか?
みなさんも、クオリアをこのように捉えていると思っていいんでしょうか?
違うという方がいたら、その違いについて知りたいのですが・・・・
611604:2008/02/16(土) 23:54:54 0
↑間違えましたすいません。
612考える名無しさん:2008/02/17(日) 00:08:17 0
同じといえば同じで、違うと言えば違う。それがクオリア。
613考える名無しさん:2008/02/17(日) 00:09:30 0
クオリアの存在があるとすると、一体何の役割があるのでしょうか?
614考える名無しさん:2008/02/17(日) 00:21:44 0
私は意識を構成する要素の1つがクオリアで、意識があると生存に有利に働くために存在すると考えます。
615考える名無しさん:2008/02/17(日) 00:28:51 0
>>614
共通概念のなかみが違うということに役割が有るというよりは
クオリアの存在を観念的に捉えられる意識が、捉えられない人の意識よりは
顕在化している分、何かで有利なのかもしれません。
生存に有利に働くという合理的説明がつけば凄いですね。
616考える名無しさん:2008/02/17(日) 00:33:36 0
>>615
例えば実際に行動を起こす前に、脳内でシミュレーションし、自分にとって不利な結果となれば、
行動にうつさず、有利な結果がでれば行動にうつすというようなことが考えられます。
これは言語を持たない動物についても言えると思います。

617考える名無しさん:2008/02/17(日) 00:37:33 0
>>616
クオリアが無くても脳内シミュレーションは出来るでしょ。
618考える名無しさん:2008/02/17(日) 00:40:00 0
どうでしょう。
619考える名無しさん:2008/02/17(日) 00:43:45 0
俺はクオリアなんて感じて無いけど脳内で何かをシミュレーションする事は出来てるよ。
少なくとも「生存に必要な範囲」では。
620考える名無しさん:2008/02/17(日) 00:51:14 0
>>619
クオリアという言葉にとらわれずに、質感であればどうでしょうか。
水の質感、風の質感、これらを使ってシミュレーションしているのではないでしょうか。


621考える名無しさん:2008/02/17(日) 01:06:01 0
>>620
そりゃ質感は感じるよ。
622考える名無しさん:2008/02/17(日) 02:59:43 0
しかし、質感を物理的に扱おうとしてるのに、
生物学やら進化論を引っ張り出してくるのは節操がないと思う。
どう役に立つのか、というのは、もっとメカニズム的な説明を
要求しているのであり、生物学に行くのは違う気がする。
623考える名無しさん:2008/02/17(日) 09:36:06 0
>>587
>俺、クオリアなんて体験してないけど?
それは「クオリア」という言葉を理解して無いだけ。
体験したとき何かを感じて無いとは思えない。
何かを感じた意識・記憶が有るから体験といえる。
624考える名無しさん:2008/02/17(日) 09:42:09 0
>>622
「クオリア」が生物学における「生命」と同じような立場の
概念ではないか、ということで生物学が参照されるのだろう。
「生命」も生物学的・物理学的に定義されない概念だろう。
でも生物は生きてるか死んでるかはたいていの人がたいてい
区別できる。少なくともイヌやネコのような動物の生死は確実
に判断できる。
625考える名無しさん:2008/02/17(日) 09:45:24 0
>>602
計器の値が観測事実でクオリアはそうではないと言いたいのだね?
よし、それを受け入れよう。
で、その立場には根本的な問題があるね。古くから知られている認識論の問題。
君は自分が水槽の中の脳かもしれず、またはevil geniusにタブかされてる哀れな精神かもしれない。
この点と上の主張と、辻褄のあった一貫性のある扱いはどうやってやる?
626考える名無しさん:2008/02/17(日) 09:47:42 0
>>607
夢は完全な無意識状態で見るものではなく半分覚醒した状態
だから意識作用としての「クオリア」が伴ってもおかしくない。
ちなみに現代では夢に色がついているという人が多数派だそうだ。
627考える名無しさん:2008/02/17(日) 09:51:23 0
>>613
それも未解決のクオリア問題のひとつだね。
あなたはクオリアにどんな役割が有ると思う?
628考える名無しさん:2008/02/17(日) 10:00:29 0
>>616
>例えば実際に行動を起こす前に、脳内でシミュレーションし
「脳内でシュミレーションし」というのは「脳内でその場面を
 想像する」くらいの意味ですか?その想像にはクオリアは伴う
 のかな?同じように思い出の想像にもクオリアは伴うのかな? 
629考える名無しさん:2008/02/17(日) 10:11:23 0
シミュレーションしてる時は襲われる恐怖の質感があり、
実際に、襲われている時は恐怖の質感ではなく痛みの質感になるので
シミュレーションの時の質感と、体現中の質感は違うのではないか。
630考える名無しさん:2008/02/17(日) 10:36:35 0
>>623
「神様なんていない!俺は見た事もない」
「それは君が神様を理解していないだけ」

こういわれて納得できるならそれでいいけど。
631考える名無しさん:2008/02/17(日) 11:18:31 0
>>627
クオリアは意識上、「色」に関する観念が広がったり、狭まったりする時に必要な概念の素地なんじゃない?
意識の中に色→色の質感→色と質を含めた良い感じor悪い感じ
こういう階層があるでしょ、クオリアは意識上階層を移行する色と他の観念を連携したりする為の「場」としての役割。

色には赤・青・黄色・緑・紫・桃色・・・・
色の質感赤→夕日の色・青→空の色・黄色→秋の銀杏の葉色・緑→アゲハチョウの幼虫の色・・・・
色と質を含めた感じという観念→季節感として彩り鮮やかなイメージ


概念にクオリアという素地がなかったら、単なる色から観念が広げられない。
クオリアがあれば、他の観念と連携することで、
色々な色を薔薇色、輝かしい、毒々しいとイメージする事もできる。
通常色を判別するほうに意識が働くから、クオリアという色に関する観念空間は認識によって彩られることで
役割を果たしているから、意識に上らない。
クオリアが色の概念の素地としてあるから、バリエーションが想起できるんじゃないかな?
632考える名無しさん:2008/02/17(日) 11:21:22 0
>>631
それって記憶を元に連想してるだけでしょ。

もし「赤」を知らず、「夕日」を見た事が無いのに
「赤」を始めて知ったときに「夕日のようだ」と思えるなら別だが。

それはあまり現実的じゃないと思う。
633考える名無しさん:2008/02/17(日) 11:33:52 0
>>632
連想できるのはなぜか?って
話は連想と表現する事もできるけど、
クオリアの役割は何か?という質問に答えたわけで。

あなたが言っているのは、記憶を元にすれば
連想することが出来るというだけ。
現実的か現実的じゃないかは、そもそも問題にしてません。
634考える名無しさん:2008/02/17(日) 11:36:58 0
>>633
クオリアが無くても連想できるんだから、「クオリアの役割は何か?」という質問の答えになってないよ。

「記憶を元に連想する事をクオリアと言います」というのなら別だが。
635考える名無しさん:2008/02/17(日) 11:51:45 0
>>634
なんといったらいいかなぁ。。。
意識を記憶や連想という理解可能な概念に広げて、クオリアを隠してるんだよね・・・
クオリアがなくても出来るんだから、クオリアなんかないと。
なら、なくて良いと思うんだよね、自覚できなくたって問題はないし。
636考える名無しさん:2008/02/17(日) 12:11:00 0
>クオリアが無くても連想できるんだから、「クオリアの役割は何か?」という質問の答えになってないよ。

連想は、クオリアを自覚しなくてもできると言えるよ、だからって、クオリアの役割が何か?
あなたには言えないでしょ、だからってクオリアがないとは言えないんだよ・・・。
クオリアの役割としては取っ掛かりになると思うんだけどね、>>631
637考える名無しさん:2008/02/17(日) 12:15:28 0
>>636
>だからってクオリアがないとは言えないんだよ・・・。

「神様がいないとは言えない」「幽霊がいないとは言えない」と何が違うんだ?
638考える名無しさん:2008/02/17(日) 12:20:45 0
逆算的に、クオリアがない生活を実験してみて、結果を列挙すればよいのではないか。
639考える名無しさん:2008/02/17(日) 12:23:30 0
>>638
あると仮定しても無いと仮定しても結果が同じだった。
640考える名無しさん:2008/02/17(日) 12:25:37 0
>>637
色と関係してない話はクオリアじゃないと思うけど。
641考える名無しさん:2008/02/17(日) 12:28:25 0
クオリアについて言いたいだけなのか、知りたいのかの違いで
読解に違いが出るよね。
642考える名無しさん:2008/02/17(日) 12:30:17 0
幽霊とクオリアの関係性や関連性を説明できないやつが
幽霊とクオリアを持ち出して説明を乞う時点で
理解できるわけがないんで。
643考える名無しさん:2008/02/17(日) 12:34:27 0
>>637
馬鹿丸だしなんだよその疑問
全然頓珍漢なの
自分が理解できそうなものと
クオリアを関連づけて違いを
探らないと、クオリアから
離れていく一方だよ。
644考える名無しさん:2008/02/17(日) 12:37:01 0
クオリアがクオリティーの差だけに、的を射てるでしょ。
645考える名無しさん:2008/02/17(日) 12:39:17 0
クオリア、少しは勉強してから出直してきます。
646考える名無しさん:2008/02/17(日) 13:00:09 0
形而上に行くと、神も質感も同じになってしまう様だが
どうやって、質感を形而下に持ってくるつもりですか。
647605:2008/02/17(日) 13:23:22 0
>>622
>しかし、質感を物理的に扱おうとしてるのに、
私はそれをおおいに疑っています。

>>626
>夢は完全な無意識状態で見るものではなく半分覚醒した状態
>だから意識作用としての「クオリア」が伴ってもおかしくない。
私もそう考えています。

>>628
>「脳内でシュミレーションし」というのは「脳内でその場面を
> 想像する」くらいの意味ですか?その想像にはクオリアは伴う
> のかな?同じように思い出の想像にもクオリアは伴うのかな? 
夢と同じように伴っていると思います。

>ちなみに現代では夢に色がついているという人が多数派だそうだ。
しかし、事故などにより色を認識できなくなると、夢でも色を認識できなくなるそうです。

>>629
>シミュレーションしてる時は襲われる恐怖の質感があり、
>実際に、襲われている時は恐怖の質感ではなく痛みの質感になるので
>シミュレーションの時の質感と、体現中の質感は違うのではないか。
かなりリアルな恐怖の夢を見たときは目が覚めてしまいます。
恐怖の感覚に痛みは必要ないと思います(生得的であったり条件付けの後では)。
648考える名無しさん:2008/02/17(日) 13:30:43 0
>>646
>どうやって、質感を形而下に持ってくるつもりですか。
それもクオリア問題の一つだね。
クオリア問題なんてまだ解の決定した問題なんてきわめて少ない。
主観的内観をどのように観測するかだね。
fMRIのような技術手段を発展させることが先決問題かな?
発想の転換が必要かも。
649考える名無しさん:2008/02/17(日) 13:59:10 0
とても素朴なことするなら、赤い色紙を用意しておいて
赤い色紙を見せれば、いつだって赤い色紙の質感を体現できる。

でも、ここでやりたいのは質感なのだから
赤い色紙がないのに、赤い色紙の質感のみを抽出したいと言うことかな。
650考える名無しさん:2008/02/17(日) 14:06:57 0
>>649
>赤い色紙の質感を体現できる。
その体現してる質感に他者からどのようにアクセスできるかという
手段のことだけど。
その体現してる人の言語による報告だけではなく質感を感じてるとき
脳はどのような状態に有るのかとかそもそも質感とは何を感じてるのか
といったことを知りたいということだろう。
651考える名無しさん:2008/02/17(日) 14:28:13 0
しかしそれは、物体マリーは質感を体現しているという
仮定から始める事になる。

そんな不確かな仮定から始めるよりは、自らの主観を
どうやって外にアウトプットするのかを、考えた方が良いのではないか。
652583:2008/02/17(日) 14:34:40 0
クオリアと神や幽霊の関連は、それらが、
「観測事実→仮説→検証」という科学の形式をそなえていない問題であるという点。

クオリアの議論では、クオリアを必要とするいかなる観測事実も示すことなく、仮説が提示されている。

もちろん、そのような問題であるから、神や幽霊やクオリアが否定されるわけではないし、
議論が禁止されるわけではない。
「自然科学の体系の中に位置づける」とか言い出すからおかしなことになるだけ。

653考える名無しさん:2008/02/17(日) 15:02:24 0
>>650
質感とは何を感じているのかを論理的に示す事に
チャレンジしようということですかね。
654131:2008/02/17(日) 15:04:08 0
>>534
既出ですが、それは周囲の皆さんがクオリアの意味を知らないだけでは?

> 色々な物が見えてるし聞こえてるけど、「クオリア」なんて感じた事はない、と。
「色々な物が見えてるし聞こえてる」ならそれはクオリアを感じてるという事です。

>>536
すみません、その論法でなにが明らかになるのかちょっとわかりません。

>>542
>>534さんの周囲の皆さんの報告にあるように「見えてるし聞こえてる」ことだと考えてよいでしょう。
> そのようなもの、一切無しで、刺激に対する反応がある、と考えても、
> 観測される現象は説明できるんじゃないの?
ここでいう「観測される現象」に「見えてるし聞こえてる」ことは含まれますか?

>>648
スレ的にはこういう技術や方法の話が本筋ですね。
面白い話題があれば是非紹介して欲しいです。

>>652
神や幽霊の目撃談は観測事実ではないのですか?
655考える名無しさん:2008/02/17(日) 15:05:52 0
>>654
>「色々な物が見えてるし聞こえてる」ならそれはクオリアを感じてるという事です。

いや、クオリアなんて感じて無いけど色んなものが見えてるし聞こえてるよ。
「色々なものが見えたり聞こえたりする事をクオリアという」って定義なの?
656考える名無しさん:2008/02/17(日) 15:06:51 0
チラシの裏にして申し訳ない。以下は独り言

この赤い色がこのように意識されるのは、クオリアがあるからなんだろう。
この赤の体験をクオリアというものにカテゴライズすれば、クオリアという概念は不自然じゃないかもしれない。
クオリアと名づけることに必要性は無い。クオリアはただのシンボル。
名前によって存在は漠然と指示されている。

するとクオリアという概念を持つこととクオリアを持つことは違う。
クオリアを持つものは赤い体験を”クオリア”と抽象化できるが、赤い体験はそれ自体存在している。
クオリアを持たないものがクオリアについて語るとき、クオリアの概念をどのように獲得したのか。
考えられる可能性の一つはクオリアという名称を知るのみで、
自然言語で文章化された情報からクオリアのプロトタイプを作り出してしまうこと。
たぶん、議論の相手と理解の構造が同じなら、概念の運用に関して相手と齟齬は起きないはず。
ならば、ゾンビがクオリアを語りえるのは、認知的な勘違いかもしれない。
クオリアを無理矢理言語に帰依してしまえば、論理によって運用できることもあるかも。
657131:2008/02/17(日) 15:10:01 0
>>655
だいたいそうです。
「色々なものが見えたり聞こえたりすることをクオリアを感じてる(経験してる)という」の方がいいかもしれません。
658考える名無しさん:2008/02/17(日) 15:11:09 0
>>657
じゃあクオリアなんて単語要らないじゃん。
659131:2008/02/17(日) 15:14:23 0
>>658
めんどくさいですよ?
そもそも>>655さんが「クオリアなんて感じて無い」というときその「クオリア」はなにを指してますか?
なにをもって「感じて無い」と言ってるのですか?
660考える名無しさん:2008/02/17(日) 15:40:03 0
>>659
「クオリア」という正体不明のものを感じてない、といっているんだよ。

なんだかわからないものを感じていれば「それがクオリアかもしれない」くらいは思える。
けど、日々生活していてそんな「なんだかわからないもの」は感じていない。

なんだかわからないものが無い以上、そこに「クオリア」という新しいものの入り込む余地はどう考えても無い。
661考える名無しさん:2008/02/17(日) 15:40:28 0
>>653
論理的と言うより神経生理学的に知りたいということでしょう。
クオリア問題は脳科学として重要な課題でしょう。
662583:2008/02/17(日) 15:49:10 0
>>654
>神や幽霊の目撃談は観測事実ではないのですか?
神や幽霊の目撃談も、十分な検証に耐えれば、観測事実といえますね。
663131:2008/02/17(日) 15:51:52 0
>>660
しかし、あなたはもうクオリアの意味を理解しました。
理解した以上、もうそれが「ない」とは言えませんね?

あなたが理解してるようにクオリアはなんら「新しいもの」ではないです。
それは俺達が普通に日々経験してるものにつけられた名前です。
にもかかわらず、正体はよくわからないままです。

だから探求する価値がある、と考えられてるわけです。
664131:2008/02/17(日) 16:00:54 0
>>662
神や幽霊の目撃談が、例えば錯覚ではないかという仮説が立てられて検証された後、
事実錯覚であったという事になれば髪や幽霊は居場所を失って捨てられるということですね。
俺はクオリアでも同様の事がされることを期待しています。
665考える名無しさん:2008/02/17(日) 16:01:44 0
>>663
「見える事や聞こえる事をクオリアといいます」と定義されるなら、俺はクオリアを感じている事になるよ。
でもそんな言葉が必要であるとする意味がまったくわからない。

こんな論法でいいならどんなものだって「ある」っていえる事になっちゃうよ。
666131:2008/02/17(日) 16:06:20 0
>>665
あなたにとって必要かどうかはあなた次第ですね。

>こんな論法でいいならどんなものだって「ある」っていえる事になっちゃうよ。
そんなことはない。「ない」ものはやっぱり「ない」です。
667考える名無しさん:2008/02/17(日) 16:21:19 0
>>666
Aはあるか?ないか?

「見える事や聞こえる事をAといいます」

よってAはあります。
668583:2008/02/17(日) 16:33:49 0
>>664
ある目撃談が錯覚である、というのは、言い換えれば、
「従来の仮説で説明がつく観測事実であった」ということです。

従って、科学のプロセスとしての「仮説」というものは、そこでは立てていません。
仮説を立てる必要が生じるのは、「従来の仮説で説明がつかない観測事実」
が現れたときだけです。
669考える名無しさん:2008/02/17(日) 16:42:36 0
>>604はクオリアの仮説になるのでしょうか?
670考える名無しさん:2008/02/17(日) 17:23:17 0
僕は、ウィキペディアに載ってる、訳のわからない
言霊信仰みたいな節のせいで、名称が過度に持てはやされて
神秘的な機能を果たしている側面があるのではないかと思ってる。

つまり、日本語版ウィキペディア有罪論だ。あの節はどうにかならんのか。
671131:2008/02/17(日) 17:50:38 0
>>668
それはつまり、神や幽霊の目撃談が錯覚という「従来の仮説で説明がつく」つまり
「自然科学の体形の中に位置付ける」ことができるからわざわざ仮説を立てる必要が無い、ということであって
「科学の形式をそなえていない」という理由からでは無いということですよね?

ではクオリアの経験、つまり見えたり聞こえたりしてるという経験、主観的な意識経験
及びそこに現われる見えや聞こえといったものがすでに「自然科学の体形の中に位置付ける」ことができているのでしょうか?
できていない、というのが大方の見解だと思います。
できていないのであれば仮説を立てる必要があるということですね。
そしてそれが「科学の形式をそなえていない」が故に扱えないのであれば扱えるようにすればよいのです。
まさにそれが論じられているのだし、又それを試みている有能な科学者もいるはずです。

583さんの話は順序が逆のように思います。
672考える名無しさん:2008/02/17(日) 17:55:33 0
>>671
「見える」は脳の機能でしょ?
実際に見たものを処理したり、以前見たものを記憶を元に再現したり。

その際に脳がどのような活動をするのかという研究が行われていないとはとても思えないが。

「見える」ことは「見える」といえばいいのであり、「クオリア」という意味は全く無いでしょ。
673考える名無しさん:2008/02/17(日) 18:18:25 0
>>672
>「見える」は脳の機能でしょ?
機能主義か。それで話が簡単にすめば神経科学者がいちいちクオリアなんて問題にこれほど注目しないわな。
674考える名無しさん:2008/02/17(日) 18:51:11 0
>>673
何主義だろうが少なくとも「見える」のは脳が必要だぞ、人間の場合。
675考える名無しさん:2008/02/17(日) 18:59:05 0
神経科学者がクオリアのどういう面に注目しているか教えてくれませんか?
見えるとか感じるとかの話は、わからない感じない人の問題なんで
ほっとく事にしませんかね?
676考える名無しさん:2008/02/17(日) 19:01:05 0
>>672
>その際に脳がどのような活動をするのかという研究が行われていないとはとても思えないが。
脳における視覚の研究がされていることは確かですがまだほとんど詳しいメカニズムは判らない
という状況でしょう。なにしろ脳は複雑すぎる器官だから。まして視覚において「質感」がどのような
機能を果たすかなんて全然判っていない。
677考える名無しさん:2008/02/17(日) 19:07:58 0
>>675
クオリアについての問題
1.色、形などの視覚と音の音色、大きさなどの聴覚などの感覚に
  よる感じ方の違いはどうして発生するか?
2.そもそも質感を「感じて」いるのはどの器官が何を感じているのか?
  (ニューロン自身が感じるのか?、それなら末端神経細胞には感じは無いか)
678583:2008/02/17(日) 19:30:31 0
>>671
>「科学の形式をそなえていない」という理由からでは無いということですよね?
なにかよく分からない質問です。

「何が」

「「科学の形式をそなえていない」という理由からではない」
というお話でしょうか?

>ではクオリアの経験、つまり見えたり聞こえたりしてるという経験、主観的な意識経験
>及びそこに現われる見えや聞こえといったものがすでに「自然科学の体形の中に位置付ける」ことができているのでしょうか?

そのような存在を前提しなければ説明できない観測事実がありませんから、
位置づけられるかどうかを考える必要自体がありません。

>できていない、というのが大方の見解だと思います。
そんなことは、まともば科学者ならやろうとしませんからあたりまえですね。

>できていないのであれば仮説を立てる必要があるということですね。
全くないですね。

>そしてそれが「科学の形式をそなえていない」が故に扱えないのであれば扱えるようにすればよいのです。
まず、「何がなんでも科学で扱わなければならない」というのは歪んだ考え方だと思います。
科学が絶対的な価値基準でも、万能の秘法でもありません。一つの方法論に過ぎません。科学に扱えない問題はいくつもありますし、それは当たり前のことです。

本当に「扱えるようにしたい」のであれば、観測事実を探すなり、観測方法を考えるなりすればいいのです。
それをせずに、科学の方法を無視して、「扱え」というのなら、科学や神や幽霊やフリーエネルギーさえも、
扱わなければならなくなります。

>まさにそれが論じられているのだし、又それを試みている有能な科学者もいるはずです
有能な科学者で、真剣に脳や精神の働きを研究している人たちは正に、
上に書いた、観測事実や方法の探究を地道にやっていると思いますよ。
679583:2008/02/17(日) 19:31:54 0
×それをせずに、科学の方法を無視して、「扱え」というのなら、科学や神や幽霊やフリーエネルギーさえも、
○それをせずに、科学の方法を無視して、「扱え」というのなら、科学は神や幽霊やフリーエネルギーさえも、
680考える名無しさん:2008/02/17(日) 19:32:32 0
>>675
疑問の中身自体は哲学者がもっているものとそう変わらないよ。
クオリアとは何か、脳とどういう関係にあるのか、ていう一般的なもの。
ただ哲学者が思索と議論を中心に問題に挑んでるのに対し、神経科学者は実験を中心に問題に挑んでる、そういう違いだけ。
有名なのでラマチャンドランの共感覚とかおもしろいよ。
文字や音に色を感じたりする人の研究。
681考える名無しさん:2008/02/17(日) 19:33:46 0
>>677
>色、形などの視覚と音の音色、大きさなどの聴覚などの感覚に
>よる感じ方の違いはどうして発生するか?

感じるものが違うから

>そもそも質感を「感じて」いるのはどの器官が何を感じているのか?




ほんとにわからん、こんな事の何が疑問なの?
682考える名無しさん:2008/02/17(日) 19:39:55 0
>>681
>ほんとにわからん、こんな事の何が疑問なの?
そうだな。>>677の書き方も妥当なものではないかもしれないが、
とりあえずペンローズのような世界的な理論物理学や、クリックのようなノーベル賞受賞経験のある生物学者達が
なぜこうした問題に注目するようになっていったのかを考えてみればいいんではないかな。
こうした人は今このスレにいるだれよりも物理や生物学についての知識と経験を持っているんだからね。
683考える名無しさん:2008/02/17(日) 19:43:15 0
Q クオリアの何が問題なの?

A 偉い人が問題だと言っている
684考える名無しさん:2008/02/17(日) 19:45:43 0
>>681
あと追加。これは基本的に理論物理の問題だから、物理しらなかったら
何が問題なのかはほんとにわからんと思う。
例えば、時間に向きがあるのはおかしい、って話知ってる?
これは理論物理の有名な問題のひとつなんだけど、
この問題を理解するにはまず前提知識として「物理法則は時間に関して反転対称」という事が理解できないダメなんだ。
クオリアの問題もこれと一緒。物理法則が数学的にどうやって記述されてるのか理解できてなかったら、
話がまったく分らない。
685考える名無しさん:2008/02/17(日) 19:48:51 0
>>684
このスレでいう「クオリアの何が問題なのかわからない」ってのはそういう意味ではないと思うよ。

クオリアっていう言葉に捉われすぎ、という事だと思うが。
686考える名無しさん:2008/02/17(日) 19:53:51 0
>>685
意味が分からん。
俺に分るのはある時期を境に非常にレベルの低い人たちが多数流入してきた、ってことと
クオリア問題という言葉で何が問題とされてるのか全く理解できない、とかとレスした人の中で物理の知識のある人は一人もいなかった、ってことだけ。
687考える名無しさん:2008/02/17(日) 19:56:15 0
>>686
脳内で何が起きているのか、が問題なのであって
それを「質感」といおうが「あの感じ」といおうが「クオリア」といおうが、それはどうでもいいって事だよ。
688考える名無しさん:2008/02/17(日) 20:01:31 0
>>687
うん、だから物理はどの程度まで学んだ?
そんな50年前の哲学者がやってたようなチンケなレベルの話ではなくて、もうちょっとおもしろい話を聞きたい。
689考える名無しさん:2008/02/17(日) 20:07:18 0
50年じゃなくて100年以上前だけどな。
690考える名無しさん:2008/02/17(日) 20:13:22 0
>>688
けっこう頻繁に登場する人だよね?
スレをずっと見てれば名称にやけに拘る人が妙な「クオリアの定義」を出してめちゃくちゃになってるのが分かると思うのだが・・・。

俺は貴方のレスに同意したつもりだったんだけどな。
691考える名無しさん:2008/02/17(日) 20:16:32 0
>>690
それは別人でしょう。多分、人が入れ替わり回ってる。
同じ人が毎度毎度、同じ質問を出してたら奇妙でしょ。
692考える名無しさん:2008/02/17(日) 20:17:13 0
人間が何かを認識するとき、脳内では何が起きているのか?どのような仕組みでものを認識するのか?
っていうのがクオリア問題なわけで、「クオリアがある、無い」というのは言い方がおかしい。

人間がものを認識する仕組み、脳の仕組みは解明されていないのだから「クオリア問題は無い」というのも今のところ成り立たない。
693131:2008/02/17(日) 20:45:11 0
「髪」「体形」誤字が多くてすみません。

>>678
> 「何が」
>
> 「「科学の形式をそなえていない」という理由からではない」
> というお話でしょうか?
神や幽霊の目撃談です。

> そのような存在を前提しなければ説明できない観測事実がありませんから、
> 位置づけられるかどうかを考える必要自体がありません。
なにか誤読されてるようです。
「そのような存在」とはなんのことですか?
ここでいう主観的な意識経験が観測事実にあたります。

> まず、「何がなんでも科学で扱わなければならない」というのは歪んだ考え方だと思います。
> 科学が絶対的な価値基準でも、万能の秘法でもありません。一つの方法論に過ぎません。科学に扱えない問題はいくつもありますし、それは当たり前のことです。
その通りです。

> 本当に「扱えるようにしたい」のであれば、観測事実を探すなり、観測方法を考えるなりすればいいのです。
> それをせずに、科学の方法を無視して、「扱え」というのなら、科学や神や幽霊やフリーエネルギーさえも、
> 扱わなければならなくなります。
その通りです。

> 有能な科学者で、真剣に脳や精神の働きを研究している人たちは正に、
> 上に書いた、観測事実や方法の探究を地道にやっていると思いますよ。
その通りです。

意見の一致を見たようでなによりです。
694583:2008/02/17(日) 21:05:25 0
>>693
>神や幽霊の目撃談です。

「神や幽霊の目撃談」 が 「「科学の形式をそなえていない」という理由からではない」  ?

すいません、ますます意味がわかりません。

あなたが、
>「科学の形式をそなえていない」という理由からでは無いということですよね?
と聞いたのは、「何かについて、なんらかの評価なり判断なりが下されているのは」
(「何が」というのは、これをさして言ったつもりです)
「「科学の形式をそなえていない」という理由からでは無いということですよね? 」
という意味だと私は理解したのですが、この段階で私の解釈が間違っていますか?

私は、

「どのようなことについてのどのような評価あるいは判断」(対象および判断結果)を前提にして、そのような質問をしているのか?


ということを伺ったつもりなのですが。

少なくとも、「神や幽霊の目撃談」という文節は、
>「科学の形式をそなえていない」という理由からでは無いということですよね?
の前提になる、「対象と判断結果」のうち、「対象」ではないかと考えることはできなくはないですが、
判断結果に対応する内容を含んでいるようには見えません。
695583:2008/02/17(日) 21:16:49 0
>>693
「そのような存在」とはなんのことですか?
>クオリアの経験、つまり見えたり聞こえたりしてるという経験、主観的な意識経験
>及びそこに現われる見えや聞こえといったも
ですね。

>ここでいう主観的な意識経験が観測事実にあたります。
ですから、
>>652
で言った「観測事実」は、そういうものは含みません。
このことは、科学と、科学に似ているけれど科学でないもの(宗教や疑似科学)との
境界を形成しています。

>> まず、「何がなんでも科学で扱わなければならない」というのは歪んだ考え方だと思います。
>> 科学が絶対的な価値基準でも、万能の秘法でもありません。一つの方法論に過ぎません。科学に扱えない問題はいくつもありますし、それは当たり前のことです。
>その通りです。
>
>> 本当に「扱えるようにしたい」のであれば、観測事実を探すなり、観測方法を考えるなりすればいいのです。
>> それをせずに、科学の方法を無視して、「扱え」というのなら、科学や神や幽霊やフリーエネルギーさえも、
>> 扱わなければならなくなります。
>その通りです。
>
>> 有能な科学者で、真剣に脳や精神の働きを研究している人たちは正に、
>> 上に書いた、観測事実や方法の探究を地道にやっていると思いますよ。
>その通りです。
>
>意見の一致を見たようでなによりです。

そこまで理解できていらっしゃるのであれば、この点についても合意していただけると思うのですが。

(少なくとも観測事実や方法が見つかるまでは)
クオリア(とやら)を「自然科学の体系の中に位置づける」必要はない。
696考える名無しさん:2008/02/17(日) 21:21:49 0
位置づけたがってるんだから、努力の足を引っ張らず応援すればいいよ。
697583:2008/02/17(日) 21:47:33 0
前向きな努力は応援しますよ。
ズルしてショートカットするのはダメだと言っているだけです。
698考える名無しさん:2008/02/17(日) 21:57:35 0
物理学にも実験物理学と理論物理学が有るように
脳神経生理学にも臨床と理論神経生理学があっても
いいじゃないか?
699考える名無しさん:2008/02/17(日) 22:07:57 0
クオリアに注目することで得られた成果って何かあるの?
700考える名無しさん:2008/02/17(日) 22:09:16 0
哲学板で、物理を声高に主張するのって何なの?
そんなに物理に限定したいなら、理系板でやってくれば良いのに。
哲学なのだから文学も扱うものでしょ。
701考える名無しさん:2008/02/17(日) 23:02:00 0
クオリアって言うけどさ、特定の刺激を受けた時の、
脳の全体あるいは一部の特定の神経の発火現象あるいはそのパターン
って言って何か問題があるのかなぁ?
702考える名無しさん:2008/02/17(日) 23:28:24 0
>>701
問題は無いけど、あるパターンになったとき何故我々はある質感を感じるのか?
というメカニズムの解明がまだ出来ていない、という話。

赤を見たときに脳が一定の状態になる事は観測によりある程度確かめられるが
その状態になったときに我々が意識として感じる「赤」はどのようなメカニズムで発生しているのか?という事。
703考える名無しさん:2008/02/17(日) 23:35:38 0
具体的にどういう反応・変化が脳に発生しているのかは研究課題としても、
それって、「脳はそういうつくりになっているみたいです」で終わる話だと重
704考える名無しさん:2008/02/17(日) 23:38:27 0
>>703
「脳はそういう作りになっています」というほど、まだ脳というものがわかってない、という事です。

なので「何かを見たり触ったりしたときに感じる質感というのは、どのように生まれるのか?」
を考えるのが「クオリア問題」です。

人間の脳の仕組みを完璧に解明しているわけではない以上、
この問題は「未解決の問題」として存在します。

「別にわからなくてもいいじゃん」と言ってしまえばそれまでですが
人間はそこで諦めない生き物なのでここまで文明を発達させてきたのだと、私は思います。
705考える名無しさん:2008/02/17(日) 23:40:39 0
引用もきちんとできないような人に、「哲学」って騒がれてもねぇw
706考える名無しさん:2008/02/17(日) 23:50:01 0
幽霊や神様の話が出ると、話がちょっと混乱してしまうのは
感じから概念まで話が広がってしまうからだと思います。
707考える名無しさん:2008/02/17(日) 23:57:01 0
>>706
幽霊や神様は「幽霊のクオリア(質感)」等の話ではなく

あるう論法でクオリアはあるとしたとき、同じ論法を使って幽霊や神様も「ある」と出来てしまう、という事だよ。
708shift-2008 ◆M2clACoxQA :2008/02/18(月) 00:03:15 0
>>707
なるほど。どちらも主観的な「ある」だから
その点では同じだね。
709考える名無しさん:2008/02/18(月) 00:11:27 0
でも、幽霊や神様はその質感じゃなくて、ある質感に対する解釈によって
できる概念だから、何かを見るという経験のある人なら幽霊を消すことはできても
その質感は消せないんじゃないの?
710考える名無しさん:2008/02/18(月) 00:12:46 0
世界のあらゆる現象を物理的な状態の変化の仕方によってのみ説明するためには、
意識上に存在していると主張されるクオリアも自然科学上で取り扱えなければならないんじゃないの。
711考える名無しさん:2008/02/18(月) 00:14:54 0
>>704
>人間の脳の仕組みを完璧に解明しているわけではない以上、
>この問題は「未解決の問題」として存在します。

だとしたら、神経生理かなんかのそっちの問題ということで良いのでは?

哲学の人が先行して名前をつけておくのは別に良いけど、
実態が分からないことをあ〜だこ〜だと言っていても、
結論も何も出ないと思うけどね

そんなところで立ち止まってないで、どんどん先に行って問題を
見つけといてくれれば良いと思うんだけどな
712考える名無しさん:2008/02/18(月) 00:16:22 0
>>709
そういうことじゃなくて、このスレで以前出てきた「クオリアはある!」っていう人の論法が
「その論法を使ったらどんなものでも ある って事に出来てしまう」ような稚拙なものだったので
「じゃあ神様や幽霊もあるって事でいいね」と皮肉を言われてしまった、というだけの話だよ。

言われたほうがそれに気がついているのかは知らないが。
713考える名無しさん:2008/02/18(月) 00:17:15 0
ぶっちゃけクオリアって客観的に観測するのムズイからどうやって科学したもんか分かんないんだよね。
714考える名無しさん:2008/02/18(月) 00:38:37 0
掲示板で引用とか言われてもね。哲学で物理に固執する方がよっぽど狂信的だ。
715哲学的ゾンビですが:2008/02/18(月) 00:45:57 0
>>712
私は意識がなく素粒子の集合の運動でしかない哲学的ゾンビですが
>「その論法を使ったらどんなものでも ある って事に出来てしまう」
に同意です。
真に物理的に述べるなら
「決定論:人間は物質だから意識は存在しない」
です。

脳だけは他の物質と違い意識を発生させる特別な物、という考えが
既に科学的ではありません。
仮に脳で意識が発生するなら
素粒子一個だってブラックホールだって何だって
意識を発生させていい事になりますし
愛やら映像や感触が存在するなら、それは物理的には存在しないので
絶対的な超越的な神やおとぎ話の天使悪魔も何でも
存在します。

哲学的ゾンビの私からすると皆さんの論は
物質が(観測も証明も出来ない)精神を生むという
極めて非科学的な論に思えるのですが・・・
716考える名無しさん:2008/02/18(月) 00:49:58 0
>>704
もしも、倫理的に人間の脳を人体実験できたとしても、どのようにうまれるのか?を
解明することは出来ないと思いませんか?別にクオリアの問題じゃなくても
例えば、全身麻酔からどうして目覚められるのかすら科学的に
解明されていないのに、クオリアなんて、意識の深部?についての解明など
物理的にできると思えない・・・・。
さらに、そんな各分野の専門家が集まっても理解不能なクオリアを説明できる
人がいないだけに、クオリアってこんなもの?程度の人達の会話しか望めないですよね・・。
717考える名無しさん:2008/02/18(月) 00:51:33 0
>>715
物質が精神を生まないなら、何が精神を生んでると?
718考える名無しさん:2008/02/18(月) 00:56:21 0
>>715
特に反論は無いけど、一点気になった。
愛は物体じゃなくて現象だと思う。

>>716
今はまだ解明出来てないから一生懸命解明しようとしている、というだけでは。
そのうち出来るのか永遠に出来ないのかは知らないけど、諦める必要も無いでしょ。
719考える名無しさん:2008/02/18(月) 01:04:51 0
諦める諦めないという選択をするのは、2ちゃんねらーじゃなくて
専門化の言う事だといういみで・・・
720考える名無しさん:2008/02/18(月) 02:34:28 0
>>715
どうして哲学的ゾンビが、意味のある文章を構成できてるんだろう。
哲学的ゾンビは物質の塊なんだから、

この文字列が
>脳だけは他の物質と違い意識を発生させる特別な物、という考えが

こんな風になっても良いはずなのに
>考えが違いを発生させるという、特別な物と意識は脳だけ他の物質
721考える名無しさん:2008/02/18(月) 08:43:13 0
>>720
>どうして哲学的ゾンビが、意味のある文章を構成できてるんだろう。
>哲学的ゾンビは物質の塊なんだから、

確かに人間でも意味のある文章などの言語処理は意識がないとできない。
だからといって言語処理などの情報処理が意識の無いコンピュータにでき
無いとはまだ判らない。文章の意味が理解できるコンピュータは意識を
もつようになるだろうか?
ただ、クオリアとその原因である物理的感覚刺激の関係は情報の理解と
物理表現された情報の関係と並行関係に有るように見える。 
722考える名無しさん:2008/02/18(月) 09:33:41 0
>>689
100年前って誰?遡るだけ遡れば二千年以上いくし。
723考える名無しさん:2008/02/18(月) 12:04:05 0
>>722
人文科学でインパクトがある事と言えば、19世紀後半から20世紀前半辺りだから
上げるなら、そこを上げた方が良いだろうと思った。
50年前に特に際立った事が起こった様には思えなかった。
724考える名無しさん:2008/02/18(月) 15:17:48 0
>>715
>哲学的ゾンビの私からすると皆さんの論は
>物質が(観測も証明も出来ない)精神を生むという
>極めて非科学的な論に思えるのですが・・・

だから心の無い哲学的ゾンビは心の科学に介入しなくてもよい
と言うことでしょう。心ある人間科学なんだから。
725考える名無しさん:2008/02/18(月) 15:31:16 0
音を例にしてみよう。

まったく耳が聴こえない人がいるとする。
その人は「音」というものがどんなものなのかを知るために
あらゆる自然科学的知識を身に付けた。
物理的アプローチの音響学からはじまって、
音声情報を一次聴覚野の細胞の興奮に変換する生理学的メカニズム、
古今東西の音楽に関する知識も持つ。
かれは「音」の科学の世界的権威である。
しかし彼は耳が聴こえない。
彼は「音」が何であるかを知っているといえるのだろうか?

彼自身「自分は音が何であるかだれよりも知っている」と
考えているとして、ある日突然聴覚を獲得したとき、
「そうかこれが音というものだったのか」と
思うことはないのだろうか。
彼の思った「これ」が音のクオリアだ。

これはマリーの部屋の二番煎じだが
自然科学による記述からクオリアが抜け落ちているにもかかわらず
あたりまえの前提となってしまっているために
それに無自覚であると言われる意味はわかるだろう。
726考える名無しさん:2008/02/18(月) 15:50:16 0
音の質感がないのに、音に関する自然科学の蓄積をすることが
人類は可能なのだろうか。仮に、音の関する自然科学の知識全てが
音の質感から生み出された排泄物のようなものだとしたら
質感から生み落とされた物で、質感を語れるのは当然である。

映画も、パソコンも、人間の質感を反映して作り出されたのだとしたら
質感の反映が、質感と同じ振る舞いをするのは当然なのだから、
思考実験に使用することは不適切ではないか。
727131:2008/02/18(月) 16:15:05 0
>>694
わかりにくかったですか?すみません。

神や幽霊の目撃談が従来の仮説で説明がつく場合の話です。
この場合更に仮説を立てる必要がないのは、もう既に科学的な検証がされて謎が残ってないからと理解していいんですよね?
これはつまり神や幽霊が「科学の形式をそなえていない」ということではまったく無いですよね?

これでわかりますか?

>>695
> >ここでいう主観的な意識経験が観測事実にあたります。
> ですから、
> >>652
> で言った「観測事実」は、そういうものは含みません。
含んでください。
神や幽霊の経験が事実存在するように、クオリアの経験も存在しますから。
ただ神や幽霊の経験が神や幽霊の存在がなくても説明できる(例えば錯覚)のに対して
クオリアの経験はクオリアがなければ説明できないと思いますよ。

>(少なくとも観測事実や方法が見つかるまでは)
>クオリア(とやら)を「自然科学の体系の中に位置づける」必要はない。
ある現象が存在してその正体がよくわからないという場合、
それを理解したいと望むことは普通のこととして理解できます。
クオリアの場合(おそらくあなたに言う「精神」もそうだと思いますけど)脳に密接な関連があると考えられているので
統一的な理解のためには自然科学が適していると考えられているのでしょう。
自然科学で理解したいのなら当然自然科学の体系の中に位置付ける必要がありますね(その結果消去されることがあるにしても)。
しかし、現状どうやって扱っていいのかわからないといったところでしょうから方法を探してるところみたいです。
ここらへんあなたの言うとおりだと思います。

以上>>652に関してです。
728考える名無しさん:2008/02/18(月) 16:41:26 0
>>726
>音の質感がないのに、音に関する自然科学の蓄積をすることが
>人類は可能なのだろうか。

不可能だろう。
クオリアを前提としなければ
自然科学はなりたたない。
729131:2008/02/18(月) 16:59:36 0
>>725
すみません、素朴な質問なんですが自分でよくわかってない部分なのでお願いします。

>自然科学による記述からクオリアが抜け落ちているにもかかわらず
メアリーの知識論法でもゾンビ論法でもこういうことが言われますよね。
クオリアの記述が抜け落ちてる、と。
ゾンビ論法ではその帰結として科学の拡張ということが言われたりもするんですが、
俺がよくわかってないのはある記述を見てそこにクオリアがないとなぜ判るのかという点なんですけど。

どんな記述であればクオリアなのかとか俺達はまだ知らないですし、
そもそもクオリアなんて主観的な経験は今のところ当事者がそれを経験することでしか把握できないものですよね?
なのにクオリアの記述がないと判るのは何故か?

変な疑問なんでしょうか?
730考える名無しさん:2008/02/18(月) 17:16:51 0
>>729
たとえば音の研究手法として
こんなものがある。

http://www-antenna.ee.titech.ac.jp/~hira/hobby/edu/sonic_wave/sound_analysis/doc_html/sound_analysis.htm

ここで色のクオリアで問題となる「逆転クオリア」を
音のクオリアにあてはめてみると
音の高い低いで表されるクオリアが逆転している人がいたとしても
この研究は難なく受け入れることができるだろう。
君と俺の音の高さに関するクオリアが逆だとしても成り立ってしまう。
これが自然科学の記述だということ。
731考える名無しさん:2008/02/18(月) 17:19:55 0
クオリアっていうのは、個々人が感じている「感じ」に
違いがあればクオリアがあることになって、違いが
なければ、クオリアはないんだけど
観念の質量って計算のしようがないから
違いはわからないんだよね。
ただ、物には質量があるんだから、脳味噌にも
クオリアという質量があってもおかしくはない。
732考える名無しさん:2008/02/18(月) 17:22:02 0
>>731
>クオリアっていうのは、個々人が感じている「感じ」に
>違いがあればクオリアがあることになって、違いが
>なければ、クオリアはないんだけど

ちがうよ
733考える名無しさん:2008/02/18(月) 17:23:56 0
>>732
え、違うんですか?
違うで見捨てないで、どう違うのか
解りやすく説明して下さい。
734131:2008/02/18(月) 17:42:21 0
>>730
ありがとうございます。
「逆転クオリア」は悩ましいですね。判りそうなものも判らなくなってしまうような。
そこ読んでちょっと考えてみます。

ところで音の記述とクオリアが逆転してることはあり得ると思いますが、
クオリアが脳の特性だとしてもやっぱりそうなるんでしょうか。
例えば、どういうものになるのか想像できませんが脳の物理的に完全な記述があったとしたらそこにクオリアも含まれそうな気がします。
もし含まれてたとした場合、俺達はそこにクオリアの記述を見つけることができるんでしょうか、って不毛な問いかなやっぱり。
735考える名無しさん:2008/02/18(月) 18:13:17 0
>>734
音の物理学的な記述も
脳の物理学的な記述も
クオリアを含まない点では同じ。
736考える名無しさん:2008/02/18(月) 18:21:16 0
クオリアの逆転ってなんですか?
737考える名無しさん:2008/02/18(月) 18:31:02 0
自分の中で赤と緑がある日突然変わったらどうなるの?
検査して欲しいと病院に来た人、いたことあるんですかね?
738考える名無しさん:2008/02/18(月) 18:52:01 0
鈴の音が、シンバルの音のなる
739考える名無しさん:2008/02/18(月) 19:56:51 0
>>734
>俺達はそこにクオリアの記述を見つけることができるんでしょうか、
「クオリアの記述」という表現があいまいですね。
「クオリア」についての科学的説明と言うことならそれを見つけ出したい
と言うのが「クオリア問題」でしょう。
「クオリア」自体を言語で表現したいということなら、それは無理でしょう。
「赤」を感じて「赤」と表現しても当然それは「赤のクオリア」ではない。
「クオリア」はあくまで脳?で「感じる」こととしかいえない。
740考える名無しさん:2008/02/18(月) 20:14:01 0
赤のリアリティーじゃだめ?
741考える名無しさん:2008/02/18(月) 20:27:48 0
言えてる
742考える名無しさん:2008/02/18(月) 21:14:54 0
どこまで脳に還元してよい物だろうか。例えば、赤いリンゴには、赤い質感がある。
それは脳が感じているからだとも言えるが、しかし脳が赤いリンゴを見た時、
青い質感で感じてくれた事はない。いつも赤いリンゴを見ると、赤い質感で感じている。
ならば、赤い質感は脳ではなく、赤いリンゴの方にあるのではないか。
743考える名無しさん:2008/02/18(月) 22:22:44 O
だから視覚野に遺伝的にプリセットされた赤を赤と感じる回路=クオリアだと何度言ったら……
744考える名無しさん:2008/02/18(月) 22:29:17 O
ドレミのクオリアが全て分かれている絶対音感の人もいれば、クオリアがまざっていて聞き分けられない人もいる。
赤だ赤だと赤の一つ覚えをしているより、聴覚のクオリア(幼少時の学習による絶対音感の形成等)
を論じたほうが有意義だと思うよ。
745考える名無しさん:2008/02/18(月) 22:43:56 0
>>744
じゃあ論じてくれ。
746考える名無しさん:2008/02/18(月) 23:14:54 0
>>743
遺伝子に視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚、すべてのクオリアに通ずる回路の情報が
組み込まれていたと言う証拠が見つかってから言うならなっとくするけど・・・
747583:2008/02/18(月) 23:49:46 0
>>727
>神や幽霊の目撃談が従来の仮説で説明がつく場合の話です。
>この場合更に仮説を立てる必要がないのは、もう既に科学的な検証がされて謎が残ってないからと理解していいんですよね?
>これはつまり神や幽霊が「科学の形式をそなえていない」ということではまったく無いですよね?

前段と後段の関係がよくわかりません。
「神や幽霊の目撃談」(といわれていたこと)に(例えばあなたが言ったように)「錯覚」と説明がつくなら、それは、そもそも、
「神や幽霊の目撃談」では無いわけですから、そこから神や幽霊についてのなんらかの判断を
引き出そうとすることは無意味だと思います。

>含んでください。
>神や幽霊の経験が事実存在するように、クオリアの経験も存在しますから。
>ただ神や幽霊の経験が神や幽霊の存在がなくても説明できる(例えば錯覚)のに対して
>クオリアの経験はクオリアがなければ説明できないと思いますよ。

なぜ、「科学」が、そんなことをしなければならないのですか?
科学は「全ての存在を説明するもの」ではありませんよ。」
あなたは、それを含んで考えたいわけでしょう?
であれば、科学というあなたの目的に適合しない道具を捨てて別の道具を使うのが合理的手段でしょう。

あなたの言っていることは、マイナスねじを回すために、プラスドライバーをヤスリで削って、
マイナスねじにはまるようにしろといっているようなものです。
狂気の沙汰としかいいようがありません。
合理的な思考のできる人間なら、プラスドライバーがマイナスねじにはまらないなら、
プラスドライバーを使うのはやめて、マイナスドライバーを持ってきます。

あなたとあなたと思いを同じくする人たちの間で、それを含んだ方法論で、
議論なり、考察なりをすればいいじゃないですか。
748考える名無しさん:2008/02/19(火) 01:08:29 0
じゃあレスしなきゃいいのに・・・
749考える名無しさん:2008/02/19(火) 01:21:56 0
>>746
聴覚については>>744にも書いてあるが後天的なものだろ。
そもそも生まれた瞬間から人体が完成しているわけじゃないし、
生まれた直後の病気とかで視覚・聴覚障害者になる人だっている。

>すべてのクオリアに通ずる回路の情報が組み込まれていた

って言葉の解釈にもよるが、そもそも人体の「発生(生物学用語だぞ?)」自体が
分化に次ぐ分化、遺伝情報の発現に次ぐ発現なわけで、
厳密に解釈すれば、発生における遺伝情報の寄与率は低くなるだろう。
万能細胞がどっちに分化するかは周囲の細胞に依存するんだからな。

とはいっても、人間には大抵、頭が一つ、手足が二本ずつ、指は五本と
決まって生まれてくるんだから、そういう意味では遺伝子の寄与率は
ほぼ100%と言うこともできる。あくまで結果論であって、瞬間瞬間の
遺伝子の発現が100%うまくいっているとは限らないが・・・。

ともかく脳が発生する過程で遺伝子が発現していることは証拠どころか
常識だろう。学校でメダカの発生とかやったはずだが?
尾ビレは納得するけど脳は別だ!とは言わないよなwww
750考える名無しさん:2008/02/19(火) 01:22:47 0
>>743
遺伝によりプリセットされているのだとしたら
遺伝子が作り出す独特の酵素・分子を、人為的に作り出して投与すれば
擬似的な作用が得られる事になるが、その理解でよろしいか。
751考える名無しさん:2008/02/19(火) 01:27:48 0
>>750
人体実験は行えないから、マウスとかによる実験だと仮定するが、
母体で成長している最中の胎児になんらかの酵素・分子を投与することで
通常と異なる色覚を持った個体を作ったりすることは可能だろうね。

この記事なんかどうだい?

RGBの三色型色覚を手に入れたマウス
http://slashdot.jp/~jonykatz/journal/397815
>霊長類以外の哺乳類は緑色と青色に対応する光の波長を吸収する細胞を
>網膜上に持っている二色型色覚であるが、ヒトを含む霊長類は赤色の波長を
>加えた三色型色覚を獲得している。
>つまり、多くの動物はヒトと同じようなカラーで物を見ることができないわけであるが、
>マウスの網膜の細胞のX染色体上に変異を起こし、長い赤色相当の波長を
>認識できるようにすると、マウスの脳が新しい信号を処理してRGBのカラーを
>識別できるようになるらしい。
752考える名無しさん:2008/02/19(火) 01:30:43 0
>>751
なるほど。
753考える名無しさん:2008/02/19(火) 01:37:05 0
識別できるのと、質感のリアリティをなぜ感じるのか?というのは全然違う次元の話じゃないの?
754考える名無しさん:2008/02/19(火) 01:40:19 0
それを文章にする際、どう記述するのが正確or望ましいのだろう。
「○の色覚を持っている」の方が、素直な感じがするけど文学的であり
「xx〜xxの光の波長を感知できる生物になる」とした方が科学的ではあるよね。

「光の波」と「感知している」と「色覚」と「質感」の、違いを科学で記述できてるのかな。
感知しているのは観察から分かるけど、色覚の定義ってのはどうすればいいのか。
755考える名無しさん:2008/02/19(火) 02:09:24 0
>>725
生まれつき聴覚に障害のある人が成人してから聴覚を取り戻しても
健常者と同じように音を認識する事は出来ないけど?
756考える名無しさん:2008/02/19(火) 02:34:59 0
>>755
絶対音感に限っても小学生以下限定らしいから、後天的つっても
そこまで無限の可能性が広がってるわけではないだろ。
757考える名無しさん:2008/02/19(火) 02:37:16 0
彼自身「自分は電波が何であるかだれよりも知っている」と
考えているとして、ある日突然頭からアンテナを生やしたとき、
「そうかこれが電波というものだったのか」と
思うことはないのだろうか。
彼の思った「これ」が電波のクオリアだ。

という言い換えもできるよな。
しかし電波のクオリアなんて無くても我々は電波を
飛ばしまくっているし、電波技師は電波を熟知していると
豪語している。それでも何の問題も無いけどな。
758考える名無しさん:2008/02/19(火) 02:38:34 0
>>756
そう、後天的にといっても限界がある。

だから>>725の話はおかしい。
759考える名無しさん:2008/02/19(火) 02:52:57 0
たしか、網膜への電気刺激か何かを利用して
(ものすごく荒いイメージなのだが)視覚を取り戻したという話もあったはず。

もともと眼が悪くて明るさくらいしか分からないという人もいるわけだから、
全く見えない人が明るさに加えて、大雑把な明暗まで感知できるようになった
というのはすごいことだと思う。

それは通常のクオリアではないが(こういうことをいうと何が通常なのか?となるが)
視覚のクオリアの一種であることは間違いないだろう。

問題は、大人の脳の中途半端な可塑性ゆえに、健常人の脳において
共通して見られる特徴とは異なった特徴を彼の脳は持っているだろうということ。

それがクオリアの差に直結すると解釈していいのか、それとももっと
根本的な回路の有無にクオリアが対応するのか・・・。
脳の状態と全く無関係という立場はさすがにオカルトになってしまうから除くとして、
では具体的に何がクオリアの差になっているか?というのはまだ未解明の領域だと思う。
いくつかの仮説はあると思うけどね。
760考える名無しさん:2008/02/19(火) 02:57:24 0
コンピューターに「1+1=?」と問うと、「2」という答えを返してくる。

このコンピューターは「1+1」のクオリアを持っている。
761考える名無しさん:2008/02/19(火) 03:06:30 0
たとえば、反響音を聞くことで感じる「距離感」のクオリアというのがあると思う。
これは誰でも持っているクオリアで、たぶん反響の時間差を定量化することで
感じているんだろうと大雑把に推測できる。

ただし、これは日常生活では普通は使わないか、ほとんど意識しない部類に
入るクオリアだと思われる。そういう意味では「気付き」というクオリアの
定義を満たさないようにも思える。

しかし、目が見えない人を考えると、このクオリアは途端に、生活に密着した、
ときには生死すら分かつ重要なクオリアに変わる。もちろん意識にも頻繁に
上ってくるし、「感じる」わけだからクオリアと言って遜色ないだろう。

この身体の差によって生まれるクオリアの重要度の違いは、脳における
面積というか、処理の量や質というか、そういうものに比例しているように思える。

私が考えている仮説は、あらゆる感覚には「解像度」があり、十分に解像度が
高くなると「リアル」な質感として感じられ、そうでないとせいぜい
「見える」「聞こえる」レベルの極めてあいまいな感じ方にしかならない、
というものだ。

解像度は、最初は(身体に依存して)入ってくる情報の量や質などに影響され、
次に意識的な学習によってより高めていくこともできるのではないか。

目が見えない人の中には、十分に訓練した結果、舌打ちの反響音を
コウモリのように知覚し、あたかも目で見ているかのように部屋の中の
間取りを知ることができる人もいるという。目ではない方法で、目と同じだけの
解像度を得ている例であると言えよう。
762考える名無しさん:2008/02/19(火) 03:20:04 0
>>761
>たとえば、反響音を聞くことで感じる「距離感」のクオリアというのがあると思う。

それ、反響音から距離感を計る「能力」の事だよね。
クオリアって単語を用いようとする意味がわからない。
763考える名無しさん:2008/02/19(火) 09:28:54 0
>>757
感覚器官があってのクオリアだからヒトは電波としては可視光線の範囲
しか視覚として知覚できない。同じように聴覚の音波も可聴範囲は限られる。
超音波はコウモリに聞こえても人間には聞こえない。
ただ自然科学が道具や理論を使って人間の認識範囲を拡大してきたのも
もともとの視覚や聴覚と言う感覚のクオリアがあったからだろう。
764考える名無しさん:2008/02/19(火) 09:43:00 0
「神や幽霊の経験がある人」というのは「神や幽霊のクオリアを持つ人」
という意味ではないのですか。クオリアは持つけれども、そのクオリアを
もたらす原因となるような物理的事実がない、という。
(あるいは外界の物理的事実がないが脳内の物理的事実だけがある、か)
「錯覚」というのはそういう意味だとしか思えないのですが。
765考える名無しさん:2008/02/19(火) 09:43:51 0
クオリアの解像度といえばよく言われる例は「虹の色はいくつ?」
という話題だね。
日本では普通、虹は「赤・橙・黄・緑・青・藍・紫」の七色といわれ
子どもたちの風景の絵でもそれらしく七色に塗られる。
ところが世界の民族の中には文化・習俗により、虹は二色から九色まで
それぞれに認識されている。これは感覚のクオリアの能力の違いではなく
後天的な脳による知覚判断の習慣であるといわれる。
虹を二色にしか色別しない人にも虹は七色だと教えればその通り色別
出来るようになる。すなわち感覚のクオリアの能力としてはたいして
違わないがそのクオリアに気がついていないだけと思われる。
聴覚でも母国語は乳幼児のときの経験から後天的に取得されるもの
で聴覚のクオリアの違いではない。
766考える名無しさん:2008/02/19(火) 10:26:59 0
クオリアというのは純粋な質の問題だから、物理と物質の橋渡しに
なんらかの役割があるんでしょうね。
767考える名無しさん:2008/02/19(火) 11:08:52 0
うーん、距離感なんてのはクオリアというよりアフォーダンスの問題だろう。
人は生まれた時から、物理的な空間の中で生き、そこで響く音を聞く。
だからこそ「音の距離」が感じられる。
物の手触りにしたって同じことだ。
知覚における環境の要素抜きに、純粋な質感なるものを対象化することに
何の意味があるのか、まだ分からないなあ。
成人して初めて耳が聞こえるようになった人になら「音のクオリア」の経験も
あり得るのかもしれないが(それは俺には経験し得ないのでよく分からないが)、
そういう特殊な状況を想定した概念でもないんだろう?
768考える名無しさん:2008/02/19(火) 11:28:51 O
標本化定理がリアルと非リアルの壁を生み出している
769考える名無しさん:2008/02/19(火) 11:38:09 0
リズムの質感。タイミングの質感。
770考える名無しさん:2008/02/19(火) 11:57:53 0
>>764
たぶん言いたいことが表現できてない。
「神や幽霊の経験がある人」というのは「神や幽霊のクオリアを持つ人」
という意味ではないと思います。
771考える名無しさん:2008/02/19(火) 12:31:44 0
>>767
>アフォーダンスは、動物(有機体)に対する「刺激」という従来の知覚心理学の概念とは異なり、
>環境に実在し、動物(有機体)がその生活する環境を探索することによって
>獲得することができる意味/価値であると定義される。

ウィキの定義によると
これからすると、環境に実在し、有機体がその生活する環境を模索することによって
獲得する事ができる意味/価値となっているように、従来の知覚心理学と
アフォーダンスの両方に関わっているのがクオリアじゃないのかな?

ところで、本能にクオリアは機能するのかな?知識を得た人間は知能を
本能から開花させたことで識別し、判断して認識する事ができるんで、
クオリアは知的動物以前の意識には必要のない質と言えるんじゃないだろうか?

772考える名無しさん:2008/02/19(火) 12:39:11 0
相反する立場の両方に関わると言われても困るんだが。
773考える名無しさん:2008/02/19(火) 13:07:09 0
>>771
もう黙ってろ。口からでまかせにも程がある。
774考える名無しさん:2008/02/19(火) 13:44:24 0
>>773
そうですか?そんな事を言出したら全員口からでまかせですよ、
クオリアを説明できたら誰も、クオリアについて語ろうとしないし。
何が気に障ったのかしらないけど、まぁ気を静めてさ・・・
でたらめに、わざわざ反応しないほうが身の為ですよ。
775考える名無しさん:2008/02/19(火) 13:50:50 0
>>774
>何が気に障ったのかしらないけど

たかがウィキペディアで概念を知った直後だというのに、
それについて平然と語れてしまうところ。
776考える名無しさん:2008/02/19(火) 13:57:05 0
>>775
書いてあるのだからしょうがないじゃないですか。
自分がが定義したものじゃないから、平然と語れるんだし。

777考える名無しさん:2008/02/19(火) 15:25:08 0
日本語版ウィキペディアは落書き帳であり、
特に人文社会科学は酷いから、引用すら慎重になった方がいいよ。
世界五分前仮説が、宇宙論や思考実験のカテゴリに
置かれているのを見て絶望した。あれ神学だろう。
778考える名無しさん:2008/02/19(火) 17:57:39 0
そもそも神学の分野の仮説の影響を受けているだけで
五分前仮説自体は、ラッセルの思考実験なのだから
別におかしくないんじゃないかと思うけど。
なんで絶望するのかよくわからん。
779考える名無しさん:2008/02/19(火) 18:58:44 0
そんな詭弁が蔓延してるから、駄目になったんだよね。
自浄力もないっぽい。英語版なら使えるから、そっちにした方がいいよ。
780考える名無しさん:2008/02/19(火) 19:29:05 0
>>779
文句言うなら自分で書いたら?
781考える名無しさん:2008/02/19(火) 19:33:17 0
>>780
だよね。
782考える名無しさん:2008/02/19(火) 19:37:18 0
>>779
ただ事実を言ってるだけなんだけど
何が詭弁だといいたいのだろう?
どこのカテゴリに入れて欲しかったのさ?
因みに英語読めないからダメだ

783考える名無しさん:2008/02/19(火) 19:46:37 0
>>779
本当に読んでる?>英語版
記事多いのは事実だが、?な記事かなり多いんだが。
特に英語版はキリスト教や懐疑主義のテーマが絡むページは定期的に荒れる。


784考える名無しさん:2008/02/19(火) 20:26:31 0
>>780-781
それも詭弁だろう。自分で書けというって事は、
その時点で間違っている事を認めている訳であるからね。

>>782
だって、宇宙論だよ?
785考える名無しさん:2008/02/19(火) 20:36:46 0
>>784
>だって、宇宙論だよ?
世界と宇宙は同義語だって事もしらないの?
世界五分前仮説だから当然宇宙論だろ。神学では断じてありえ無い。
786考える名無しさん:2008/02/19(火) 20:39:44 0
>>784
間違い?別にあの場所にあっていい文章だという認識があるのに
なんで、間違いって認めていることになっちゃうんだ?
まぁ、たしかに宇宙論にあるのはどうかと思ったけどね。
思考実験だからぎりぎり許容範囲ってことかな。
787考える名無しさん:2008/02/19(火) 20:57:56 0
思考実験の為に宇宙を持ち出しただけで
認識世界の思考実験でも十分かも。
788考える名無しさん:2008/02/19(火) 21:02:01 0
同義なはずがない。宇宙論と世界を一緒にされた溜まらない。
物理学では「世界」なんて単語は、あまり出てきません。
語源も、宇宙は「時間と空間」という意味です。
翻訳機でもいいから通して英語版を見てみなよ。
宗教哲学にカテゴライズされてるから。
神学とは違うのかも知れないけど、物理学でもない。

強いて言うなら論理学だろう。ひっくり返っても物理学には
入ってこない。まったく科学としての条件を満たしてないんだから。

そもそも思考実験でもないよ。何を実験してるのか分からないでしょう。
あくまで論理的にユニークなだけで、どちらかと言うとパラドックス
の部類に入れた方がマシ。
789考える名無しさん:2008/02/19(火) 21:04:04 0
五分前仮説は宗教的だから面白くなって行くんでしょう。

もし世界が神様に5分前に創造されたのだとしたら
地動説も引っくり返せる。進化論だって葬れる。
すべての情報や知識は、神が創ったのであり、
創造主たる神ならばそれも可能である。

そこで反論として、もちろん科学的ではない事が上げられる。
何より神様のセンスが汚すぎる、スマートさが無い。
など、批判が出て来たりするし、
他には、神が世界を創造したのは、1週間なはずであり
その1週間の時間はどこに行ってしまったのか、とか
疑問を湧いて来て、おもしろくなって行く訳であり、
宇宙論に置いたら、宗教的・論理的な魅力も半減しちゃうよ。
790考える名無しさん:2008/02/19(火) 21:09:38 0
>>788
論理学って、科学に含まれないの?
クオリアについて考える場合は含んだ方が良いと思うんだけど。
791考える名無しさん:2008/02/19(火) 21:58:23 0
一般的には含まれないはずだけど。
脳科学はその特殊性からも、文学と科学の境界線が曖昧に
なるのだろうけど、その論理展開を使って、

#文学を読んでる時の脳の状態を科学する。
#すると文学も科学になる。よって昔話の桃太郎も科学できる。
#桃太郎は科学なのだから、桃から男の子が産まれてくる可能性が
#生物学的にも検証される価値がある。

なんてことを主張されても生物学は困るでしょう。
792考える名無しさん:2008/02/19(火) 22:39:32 0
>>791
生物学的にはありえない、で終了じゃないの?
793考える名無しさん:2008/02/19(火) 22:45:51 0
>>791
>#すると文学も科学になる。よって昔話の桃太郎も科学できる。

↑と↓には論理の飛躍があるというか、論理が破綻してる。

>#桃太郎は科学なのだから、桃から男の子が産まれてくる可能性が

例え話にしても、もうちょっと・・・
794考える名無しさん:2008/02/20(水) 05:12:57 0
>>793
破綻してないよ。だから迷惑なんでしょ。

#桃太郎も科学してるんだから、桃太郎は科学です。
#脳科学の進展により、脳の中の昔話も科学できる様になったのです。
#ですから、イヌ、サル、キジが本当に会話するのかも検証すべきです。

↑これをマジで言われちゃってるんだから、言われる方は大変だ。


頭冷やせば分かる事さ。世界五分前仮説が宇宙物理なわけがない。
こんなのはどう見ても論理のお話です。仮説でもなければ思考実験でもない。
どうやら最初に執筆したものが、そのままになってるみたいだね。

例えば、脳科学でも「水槽の脳」を科学だと強弁されたら困るでしょ。
物的証拠は何もないし、証拠を探る方法すらないんだから。
795考える名無しさん:2008/02/20(水) 08:59:18 0
>>794
>#ですから、イヌ、サル、キジが本当に会話するのかも検証すべきです。
それは生物学としては正当な課題じゃないか?
意識や言葉を持つのはヒトだけの特徴なのかは生物学として当然説明
すべき課題だね。難しいからといって逃げちゃいけない。
796考える名無しさん:2008/02/20(水) 09:45:26 0
ウィキペディアのカテゴリシステムをよく理解してない御仁がおられるようだ。
797考える名無しさん:2008/02/20(水) 10:06:55 0
カテゴリなんて固定したものではない。
いろいろの考え方があって当然だね。
798考える名無しさん:2008/02/20(水) 11:10:48 0
議論がえらい逸れてるようだな。
ウィキペディアの質がどうという以前に、その項目を一読したくらいで
さも分かったように語れてしまう無神経さが問題なんじゃないの?
799考える名無しさん:2008/02/20(水) 12:23:38 O
語れることを語るのは問題ない。語りえぬことに沈黙するとしても。
800考える名無しさん:2008/02/20(水) 12:35:39 0
>>798
科学ー科学ーって言ってて、結局無神経さがどうしたこうしたって観念論で片付ける無神経さはどうするよ?
801考える名無しさん:2008/02/20(水) 12:43:22 0
>>800
まともな議論に達してもいないんだから、しょうがなくね?
802考える名無しさん:2008/02/20(水) 12:46:09 0
>>795
そうそう

> 意識や言葉を持つのはヒトだけの特徴なのかは生物学として当然説明
> すべき課題だね。難しいからといって逃げちゃいけない。

こういう感覚ってクオリアを考える点では大事だと思うんですよね。やはり
クオリアは知的動物以前の意識には必要のない質と言えるんじゃないだろうか?
803考える名無しさん:2008/02/20(水) 12:49:59 0
識別できる能力が本能だとしたら、識別した物の質を更に意識するのは知的領域以後
後天的にクオリアは発生するんじゃないかなとか、そういうの疑問に思わないのかな?
物理学や科学でそういう点はどういう解釈しているのだろう?
804考える名無しさん:2008/02/20(水) 12:55:34 0
>>802
チンパンジーと絵文字で会話できるよ。
犬に「お手」って言ったらお手するよ。
805考える名無しさん:2008/02/20(水) 12:55:39 0
>>801
まともじゃないと思う話に噛みつかず、
各々まともなクオリアの根拠を
示し続ければいいのではないかと。
色んなレベルの人がいるのが2ちゃん
だから、それは常識ですよね?
806考える名無しさん:2008/02/20(水) 12:57:34 0
>>804
人間が知識を教えた後のチンパンジーの能力は、
種として先天的にもっている本能とは言えないのでは?
807考える名無しさん:2008/02/20(水) 13:08:14 0
>>805
言葉の用法で足並みをそろえようともせず、めいめい勝手に
「俺の思うクオリア」の話をして、何か意味あんの?
808考える名無しさん:2008/02/20(水) 13:12:39 0
>>806
人間も人間が教えなきゃしゃべれないよ。
809考える名無しさん:2008/02/20(水) 13:24:11 O
個別の言葉を習得するのは後天的でも言語能力はクオリアと同様に生まれながらの能力ではないか?
810考える名無しさん:2008/02/20(水) 13:33:21 0
去年テレビでインドか東南アジアで象が鼻で筆をもって絵を描くところを
やっていたが、目の前の樹木を本当に人間が描くのと同じように
緑や茶色の絵の具を使って巧みに写生していた。
「人間がそうするように仕込んだだけだ」とも言えるのだが(それはそれで
かなりすごいことだと思うが)、どうもそういう感じではなかった。
確か他の対象も同じように描いていた。
あれは象は人間に近い視覚のクオリアを持つ、ということを意味するのだろうか。
811考える名無しさん:2008/02/20(水) 13:34:27 0
>>809
だとするとチンパンジーも犬も言語能力を持ってる事になるぞ。
812考える名無しさん:2008/02/20(水) 13:38:34 O
一口に言語能力と言ってもそのレベルには段階があるだろ。
813考える名無しさん:2008/02/20(水) 13:42:17 0
「言語」の定義って何?
仮にチンパンジーや犬が鳴き声や動作で意思の疎通をしているのならば、
それは人間にはわからないのだから「チンパンジーや犬の持つ言語能力を
人間は持たない」とも言えるのでは。
814考える名無しさん:2008/02/20(水) 13:51:05 0
大地震が起こる前に様子がおかしくなる犬やネコは
何かのクオリアを感じているんじゃないだろうか?
815考える名無しさん:2008/02/20(水) 13:54:15 0
「クオリアを感じる」っておかしな言葉だな。

クオリア問題というのは「人間はどのような仕組みで周囲を認識するのか」という問題だよ。
816考える名無しさん:2008/02/20(水) 14:30:58 0
>>795
ちがう。[脳科学]で、[昔話を科学する]のだから
[昔話が実際にあったのかを検証する]為に、[動物が会話するのか調べる]。
というのが、部分的には合ってるけど全体として無理があるの。

>>798
一読しただけで分からなかったら困るでしょ(少なくとも知ってる人は)。
そんな事言ったら「この人は嘘をついている」と常に疑わなきゃ
いけなくなる。つまり、そのくらいの信用度だと思ってます。
817考える名無しさん:2008/02/20(水) 14:33:34 0
じゃあ、もっと有名なので、「すべてのカラスは黒い」で、どうだろ。
それを、例えばイチゴでやって「すべてのイチゴが赤いとは言えないのだから
イチゴが赤だと書くのは誤りだ、確認された限りでイチゴは赤である、と書くべき」
と、言って来られても困るでしょ。そこで「いや、生物学者は検証すべき」とも
言えるけど、いい加減にして欲しいと思うのが、正直なところだろう。
確かに、なぜイチゴが赤いのか検証すべきなんだろうけどさ…。


世界五分前仮説も、似た構図でしょう。
#世界が五分前に出来たかもしれない。
#だとしたら、今までのナレッジベースが真実である確証がない。
#だとすると、科学的に調査されたものは全て信用できない。
#地質学、天文学、生物種の数、人体の臓器の配置、歴史的の資料、地球は本当に青いのか…
#すべての物的証拠は、五分前にできた可能性を否定できない。

#否定できないんだから、これは科学だ。科学なのだから、科学のどこかに配置しておこう。
#どこがいいだろうか・・・・。「世界」と「宇宙」は意味が似ているし、
#一番スケールが大きい科学も宇宙なのだから、宇宙物理に配置しておこうか。
#よって、世界五分前仮説は科学。証拠はないから思考実験という事にする。
818考える名無しさん:2008/02/20(水) 14:38:44 0
>>816
「質がどうという以前」の話だって言ってんじゃん。落ち着けよ。
819考える名無しさん:2008/02/20(水) 14:39:35 0
>>817
実際、すべてのカラスが黒いわけじゃないし、全てのイチゴが赤いわけでもないよ。
820考える名無しさん:2008/02/20(水) 15:06:16 0
第一原因というのは太古より人々の関心のまとでした。
それらは物語、宗教そして形而上学といった形で議論されてきました。
最近やっと科学の方法論に基づいて論じられるようになったものの、
実証、検証、帰納といった概念にまつわる諸問題はいまもなお残存しています。
821考える名無しさん:2008/02/20(水) 20:25:32 0
>>808
それが本能と何の関係があるのか意味不明
822考える名無しさん:2008/02/20(水) 21:32:31 0
世界五分前仮説は哲学の話でしょ。
哲学は思考するにあたって前提を排除しようとするから極端になるのはやむを得ない。
ある種の懐疑論は自然的態度から見ると荒唐無稽に映るだろうが
哲学では論理的に考えることでどれだけ確実な知にせまれるかが最も重要であり
常識的であったり日常的な直観は極端な話どうでもいい。
自然科学の成果についても思考の可能性の参考にはなるが自然科学は科学者が自覚的かどうかは別に
さまざまな前提を設定したうえでの知的営為なので
その真理性に疑問符が付くのは哲学内部ではあたりまえのはなし。
823考える名無しさん:2008/02/21(木) 01:32:41 0
クオリアとセクシャリティーの話ってあまり出ないね。
ロリコンの質感。セックスの質感。猫耳の質感。メイド喫茶の質感。
824考える名無しさん:2008/02/21(木) 02:18:37 0
で、クオリアが理解できた人て何人ぐらいいるの?
自分で理解した奴は、クオリアと発言すること
825考える名無しさん:2008/02/21(木) 02:31:25 0
質感
826考える名無しさん:2008/02/21(木) 03:24:22 0
>>821
あとで教えたからしゃべれるって場合は本能とは言えないというのなら、人間も本能ではしゃべれない。
827考える名無しさん:2008/02/21(木) 03:49:28 0
家族的類似性というか、同じ顔ではないのに何故か似ている。
828考える名無しさん:2008/02/21(木) 10:08:19 0
>>826
>人間も本能ではしゃべれない。
人間が本能だけで出来る行動なんてほとんど無い。
ほとんどは学習・体験から覚える行動だろう。
いわゆる見よう見まね、サルまねから体得する。
829考える名無しさん:2008/02/21(木) 11:11:00 0
>>826
人間が言語を認識して言選りして文章を構成するときは、マネだけ
じゃない。
理性という種独自の本能が開花された種がホモサピエンスと言う事
理性が知性によって開花するなら、チンパンがマネてしゃべるだけじゃなく
チンパンほど進化の度合いが近い種なら、理性が開花することは
ある程度有得る。
ただ、概念を意識出来る程度の知識がないと、知的に覚えた
色や臭いを独立して自覚しなければ感じないだろうクオリアの質感
は流石にチンパンには自覚できないだろう、チンパンはヒトじゃないから。
830考える名無しさん:2008/02/21(木) 13:01:54 0
感覚のクオリアのほうが知覚や知能より先天的ではないか。
意識のある動物はクオリアをもつと思う。
831考える名無しさん:2008/02/21(木) 13:20:03 0
>>828
だよね。

>>829
>知的に覚えた色や臭いを独立して自覚しなければ感じないだろうクオリアの質感
>は流石にチンパンには自覚できないだろう、

どう考えてもチンパンジーにだってそれくらい出来るぞ。
犬にだって出来る。

犬に「ボールをもってこい」という指令を覚えさせたら、ちゃんとボールを持ってくるもの。
ボールの質感を記憶してなきゃボールを持ってくる事は不可能だよ。
832考える名無しさん:2008/02/21(木) 14:58:31 0
人間を除く動物の脳は一般に領域横断性に欠ける、とかいう話があるな。
脳の異なるモジュール間をうまく協調させて動作させることが出来ない、みたいな。
833考える名無しさん:2008/02/21(木) 14:59:33 0
>>830-831
てかageんな。
834考える名無しさん:2008/02/21(木) 15:27:31 0
ageるから、低レベルになるのか。
低レベルだから、ageるのか。
835考える名無しさん:2008/02/21(木) 17:18:49 0
その、高レベルな相手が欲しければ、自分の意見を書き込めばいいのだよ。
誰も見向きもしないかもしれないけど、同じ高レベルの人がいれば
反応してくれると思うよ。
上げ下げに拘ってるより、余程いいとおもうけど。
836考える名無しさん:2008/02/21(木) 17:42:39 0
>>831
質感の記憶をたよりにボールを持ってくる事しかできないのか?と考えてみれば?
嗅覚をたよりにボールを持ってくる事は出来るだろう、だからといって
嗅覚のリアリティであるクオリアを意識しなければ持ってこられないという科学的根拠はない。

臭いの感じを思い描いている自覚が犬やチンパン、他の知性の低い動物にあるか?
犬には本能で嗅ぎわける力がそもそも備わっているのに、わざわざ質感を思い描いて
判別する必要がないだろうという事。
質感の概念を伴なう必然性で考えた時、感覚器官が機能している=質感のリアリティー
が必要とは限らない。チンパンや犬に質感のリアリティーは必然ではない可能性の方が
高そう。

837考える名無しさん:2008/02/21(木) 17:49:11 0
>>836
>犬には本能で嗅ぎわける力がそもそも備わっているのに、わざわざ質感を思い描いて
>判別する必要がないだろうという事。

人間にも本能で匂いをかぎ分ける能力があるが。
838考える名無しさん:2008/02/21(木) 17:56:17 0
>>837
本能で匂いを嗅ぎわける能力が人間にあったらなんなの?
839考える名無しさん:2008/02/21(木) 17:58:12 0
おまえらなんでクオリアと無関係の話をえんえんとやってんの?
840考える名無しさん:2008/02/21(木) 18:01:10 0
君の言うクオリアってどんなの?
話の流れ変えてくれ。
841考える名無しさん:2008/02/21(木) 18:04:57 0
>>838
クオリアとは無関係、という事だ。
842考える名無しさん:2008/02/21(木) 18:07:45 0
クオリア不在の脳を持っている人に関係性の有無は判断できないだろうな流石に。
クオリアを知っているからこそ、無関係な話と言えるわけだ。
でも無関係だとしか言えないと。
なるほど。
843考える名無しさん:2008/02/21(木) 18:34:19 0
ダメだ・・・もう我慢の限界・・・なにこの糞スレ・・・・

もうね、金融工学を学んでる自分からすると馬鹿馬鹿しくて観てられないのね・・・
高卒とか文系の人は楽しめるかも知れないけど、自分は無理っすわ・・・

っつーことで落ちるわw あとは高卒&文系の諸君で楽しんでくれやノシ
844考える名無しさん:2008/02/21(木) 18:47:56 0
金融工学w
845考える名無しさん:2008/02/21(木) 19:09:44 0
だから、出てけって言ってるじゃん
ここは哲学板。金融だけで通用すると思おうなよ。
記号論くらい押さえてこい。俺からすると、専門バカのお前の方こそ見てられんわ。
846考える名無しさん:2008/02/21(木) 19:24:12 0
>>845
なんでそうかんたんに釣られてしまうかな。きみは。
847考える名無しさん:2008/02/21(木) 19:45:21 0
>>600
神とか幽霊って自分は「不可知の存在」って表現をしてるけど、
不可知の存在は、当然五感で感知できない。感知できないし物質としては存在し
ないのにもかかわらず質感(クオリア)があるってことで、
一方、五感で感知できる対象(物質)、即ち可知の存在は、物質として存在するの
で質感(クオリア)も当然あるわけでしょう。

違いと言っても、そういう風な違いとしか表現できないと思うけど。
クオリアは五感で感知しようが、第六感で感知しようがその感知する対象に付随し
て感じられる「ありありとした感」ってことじゃないの?
848考える名無しさん:2008/02/21(木) 20:00:27 0
>>847
それは「神のクオリア」「幽霊のクオリア」って事でしょ。

>>600が言っているのは「神や幽霊を語る事とクオリアを語る事の差」だよ。
849考える名無しさん:2008/02/21(木) 20:19:57 0
=847
>>848
ごめんよ、自分バカだから、ここの意味が良く分からないよ。
→「神や幽霊を語る事とクオリアを語る事の差」

神や幽霊のクオリアであって、神や幽霊がクオリアなのではないって事じゃ駄目なの?
850考える名無しさん:2008/02/21(木) 20:30:07 0
>>849
このスレでクオリアが「ある」としている人の「何故あるとするのか」という説明に用いられている論法を使うと
神様も幽霊も「ある」とすることが出来てしまう

という話です。
851考える名無しさん:2008/02/21(木) 20:33:29 O
もう何もないんだ
852考える名無しさん:2008/02/21(木) 21:04:25 0
クオリアって普通に言う主観的な色とか匂いとか味とかのことだろ。
「ない」というのは無理じゃないの。
853583:2008/02/21(木) 22:55:13 0
いや、べつに、神や幽霊についても、「ない」と言っているわけじゃないよ。
854考える名無しさん:2008/02/21(木) 23:19:41 0
クオリアを幽霊と同じようななんらかの「対象」と考えてしまったところが
間違いのもと
855考える名無しさん:2008/02/22(金) 00:15:23 0
>>600
なんで神様や幽霊を語るのとクオリアを語るのは同じだと思っているのか
言ってくれないと、なんで関連付ける意味があるのか理解できないんだけど
856考える名無しさん:2008/02/22(金) 00:25:12 0
>>855
神様や幽霊は「ある」という「トンデモ論」とクオリアは「ある」という「トンデモ論」は同じ論法だ、って事だよ。
別に神様や幽霊じゃなくてもいいんだけどね。
857考える名無しさん:2008/02/22(金) 04:52:35 0
>>856
じゃあ君の定義で「<ある>というのに十分な条件」というのをまず言ってみ。話はすべてそこからだ。
858考える名無しさん:2008/02/22(金) 04:57:50 0
>>857
俺が「ある」と思えるもの。
859考える名無しさん:2008/02/22(金) 05:21:57 0
お引取りください。
860考える名無しさん:2008/02/22(金) 05:26:35 0
自分の想定していた答えが来ないと議論に乗らないで逃げる、いつものパターンだな。
861考える名無しさん:2008/02/22(金) 05:48:31 0
>>860
じゃあウィキペディアの存在論の項目に、出典つきでその内容書いてきて。
ttp://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%AD%98%E5%9C%A8%E8%AB%96&action=edit
862考える名無しさん:2008/02/22(金) 05:52:17 0
>>861
ご自分でどうぞ。

相手に求めるばかりではいけないよ。
863考える名無しさん:2008/02/22(金) 06:00:14 0
くだらん。
864考える名無しさん:2008/02/22(金) 10:54:17 0
>>856
論法が同じということは、神様や幽霊は単なる論法であって
実在しない点で同じであるとしか言えないんだけど
神様や幽霊のトンデモ論法とは具体的にはどういう論法?
865考える名無しさん:2008/02/22(金) 11:48:14 0
このスレを通して読んでみると、クオリアというのが
都合のいいマジック・ワードにしか見えないんだが。
ちゃんとした本を読めば全く違うことが書いてありそうだな。
866考える名無しさん:2008/02/22(金) 12:01:29 0
そもそもクオリアって哲学の領域だからちゃんとした本で読んで
理解できる人の方が少数だと思う
867考える名無しさん:2008/02/22(金) 13:12:43 0
クオリアを理解していると認識している状態というのは
錯覚を自覚しているような、おかしな状態なのかも。
868考える名無しさん:2008/02/22(金) 13:15:33 0
>>866
なるほど、そうかもしれないね。
869考える名無しさん:2008/02/22(金) 15:17:27 0
>>867
それってセンス・データ論に対する批判としての所与の神話論と同じだよな、
と思ってちょっと検索したら、クオリアに対して同じことを言っているのを発見した。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~irie/kougi/kyotsu/2007SS/2007SS09%20philosphy%20of%20mind.html
870考える名無しさん:2008/02/22(金) 16:44:16 0
>>869
神話論とか、センス・データ論とかそういう知識は皆無だから同じかどうか判断しようがない。
871考える名無しさん:2008/02/22(金) 17:14:15 0
センス・データ論も通過せずにクオリアを論じること自体、不可能じゃね?
872考える名無しさん:2008/02/22(金) 17:20:32 0
論じてるじゃん。
873考える名無しさん:2008/02/22(金) 17:37:17 0
従来の蓄積を無視して、それ以前にまで後退していいなら、論じられるだろうね。
874考える名無しさん:2008/02/22(金) 18:01:06 0
クオリアは哲学的センスが問われる問題だな。知識がどうこうよりも、ウィキ程度のまとめを見て、
ハードプロブレムがどう重大なのかわからないということのほうが重症だと思うよ。そしてウィキ程度の解説を見れば
専門書を読まなくってもクオリアの問題がどういう発展をしていくのか、必然的にどういう立場に分かれていくか、
その程度の推測は客観的に出来ないと、哲学やってる上ではぜんぜんダメだろうね。

その上で興味を持ってるなら専門書を読んで、きちんと語ることが出来る。おれが読んだのはちょっとだから
詳しい人の話をもっと聞きたいんだが…。
875考える名無しさん:2008/02/22(金) 18:07:15 0
あれが「ハード・プロブレム」と呼ばれる事自体
これまでの知識の積み重ねがあっての話なんだが……
876131:2008/02/22(金) 18:19:30 0
>>747
> 前段と後段の関係がよくわかりません。
> 「神や幽霊の目撃談」(といわれていたこと)に(例えばあなたが言ったように)「錯覚」と説明がつくなら、それは、そもそも、
> 「神や幽霊の目撃談」では無いわけですから、そこから神や幽霊についてのなんらかの判断を
> 引き出そうとすることは無意味だと思います。

神や幽霊の目撃談という一つの事例を検証した後のそれが錯覚によるものだったという判断は神や幽霊についての判断とは言えないということですか?
困りました。
では583さん自身は神や幽霊が科学の形式を備えていないという判断はどうして得たのですか?

>>735
> >>734
> 音の物理学的な記述も
> 脳の物理学的な記述も
> クオリアを含まない点では同じ。

すみません、ここをもう少し教えてください。
今考えているのは脳がとることのできる物理的な状態を全て列挙することができると想定した場合の話です。
この場合もクオリアは含まれないと考えるということですか?
877考える名無しさん:2008/02/22(金) 18:20:08 0
クオリア問題というのは「人間が自分の周囲を認識するのはどのような仕組みになっているのか」って問題だから
それを解決した人は今のところいないよ。

ずーっと昔から考えられてきているけどいまだに答えが出ていない問題、というだけで
別に「クオリア」なんていう名前をあえてつける必要もないんだけどね。
878考える名無しさん:2008/02/22(金) 18:24:23 0
哲学の知識を身につけても何の役にも立たないから
専門書を読もうという気にはならない。
ただ、クオリアがどういうモノなのか想像がつくから面白いというだけなんだよね。
クオリアってこういうものでしょ?と言ったところで誰もそうですとは答えられない
点で、哲学の予備知識があっても余り意味ないよね、2ちゃんは。
哲学自体、あの論、この論で交錯しちゃっててどれも科学的な実証は不可能なのだから
宗教と似たようなもの。
879考える名無しさん:2008/02/22(金) 18:39:09 0
>>878
きみには「金融工学」がお似合いだよw
880考える名無しさん:2008/02/22(金) 18:39:24 0
ここは2chだから笑い話で済むが、
ゼミでこんなのが来たら頭抱えるよ……。
881考える名無しさん:2008/02/22(金) 18:42:30 0
ハードプロブレムと言っても、脳はどのように情報を処理するのかが
解っていないのに、その仮定での意識体験とはなにかなど
物理学で解明できるとは思えないね。
ハードプロブレムのどの位置にクオリアが
芽生え、どの処理にクオリアが役立つのか
説明できたらノーベル賞ものでしょう。
882考える名無しさん:2008/02/22(金) 18:44:27 0
>>881
>クオリアが芽生え、どの処理にクオリアが役立つのか

クオリアってのはある現象につけた名前だから「芽生える」とか「役にたつ」とかいうものじゃないよ。
883考える名無しさん:2008/02/22(金) 18:45:42 0
>>880
ていうかゼミは金払って教えてもらいに行くところ、
2ちゃんは無料で他人とおしゃべりする場だと
考えをとっとと切り替えるべき。
ゼミレベルの会話がしたい人が2ちゃんに存在しているのが
そもそも大きな間違いかと。
884考える名無しさん:2008/02/22(金) 18:47:52 0
>>882
これはどう?ある現象クオリアがどうして感知されるのか?
感知されることで証明できる意識の構造があるのか?とか
885考える名無しさん:2008/02/22(金) 18:50:15 0
>>883
そうだな。あなたの言うとおりだ。
それでも、ここにいるようなファッショナブル・ナンセンスな連中に
基本から考える面白さをちゃんと知ってもらうにはどうすればいいかについて
頭を悩ませるのも、教育面で少しは役に立つかもしれないとついw
886考える名無しさん:2008/02/22(金) 18:50:38 0
>>884
人間は(生物は、かもしれない)どうやって「現象を感知」するのか?
を考えるのがクオリア問題だよ。

クオリアをどうやって感知するのか?は日本語としてちょっとおかしい。
いうなれば「人間がそれをクオリアと決めたとき、人間はクオリアを感知する」くらいがせいぜいだろう。
887考える名無しさん:2008/02/22(金) 19:04:34 0
>>885
>ここにいるようなファッショナブル・ナンセンスな連中に
> 基本から考える面白さをちゃんと知ってもらうにはどうすればいいかについて
> 頭を悩ませるのも、教育面で少しは役に立つかもしれないとついw

それが本心なら素直にありがたいとおもうけど、人に教えるのは現役の
生徒にはまず無理でしょ、レベルを下げてレベルの高い知識を授けるのは
大変な労力だとおもわれ。
888考える名無しさん:2008/02/22(金) 19:06:41 0
クオリアに関する問題ってさっぱり解決していないんだから、
専門に研究している偉い学者さんの言う事だから正しいんだろう、という構図がまったく成り立たないぞ。

「自分は専門家だ」と言いたげなレスを繰り返している人がいるけど、その恥ずかしさに気がついているんだろうか。
889考える名無しさん:2008/02/22(金) 19:08:01 0
>>886
そうなんだ・・・。どうやって現象を感知するのか?を考えてみた。
人間は物質の「塊」じゃなくて、物質の「変容過程」でしょ、
変容しつづけようと維持するのが動力で、維持する過程が意識の領域。
変容し続けようと維持する動力と動力によって生じる物質的違いが
肉体で起これば、維持しようとする動力は物理的な変容で消化しちゃうけど、
維持する過程に生じた変質を消化する機能は脳味噌自体には無い。
だから、意識として排出されてるんじゃないの?
890考える名無しさん:2008/02/22(金) 19:14:49 0
>>887
いや、別に自分の学生以外にまで教えたいとは思わないし、
このスレの議論も今のところ傍観してるだけ。
だが、言葉をデタラメに使って平気でいられる人間の存在は
他人事ではないし、せめてそこだけでも何とかならないかと考えてしまうわ。

>>888
>クオリアに関する問題ってさっぱり解決していないんだから、
>専門に研究している偉い学者さんの言う事だから正しいんだろう、という構図がまったく成り立たないぞ。

どっちが偉いかじゃなく、議論の手続きとしてまっとうかどうかの問題なんだが……。
891考える名無しさん:2008/02/22(金) 19:20:43 0
>>890
でも結局批判するだけで、正しい使用方法を教えているわけでもないのだから
考えてるだけ時間の無駄だと思いますが・・・何の得にもならないし。
>
>>888
まっとうな手続きを踏んでくれるレベルが集まる場を見つけた方が良さげ。
892考える名無しさん:2008/02/22(金) 19:22:50 0
>>891
そうだな。スレ違いだしこれまでにしとく。
ただ、茂木の目の付け所がいいのが分かったよ。このスレ見て。
893考える名無しさん:2008/02/22(金) 19:30:00 0
普通に考えて哲学を学問として勉強したり、教えたりする人が
2ちゃんでロムっても面白いとは思えないんだけどねぇ
894考える名無しさん:2008/02/22(金) 19:31:08 0
2ちゃんで言う哲学ってのはあれだ、昔タモリがテレビでやってたやつのことだから。
895考える名無しさん:2008/02/22(金) 19:33:29 0
タモリの世代じゃないから、わかんない。
896考える名無しさん:2008/02/22(金) 19:47:18 0
>>886
>どうやって「現象を感知」するのか?
>を考えるのがクオリア問題だよ。
ヒトが外界の現象をどのように感知するかは先ず第一には
感覚の問題でありこれは眼・耳・鼻・舌・皮膚など感覚器官
ごとに相当詳しく生理学的に解明されている。
クオリア問題はこの感覚で感じられることがどのように意識に
よる知覚認識に関わるのかという問題でしょう。
先ずは意識で「感じられる」と言うことがどういうことかが
問題とされている。
897考える名無しさん:2008/02/22(金) 19:55:45 0
>>896
そういうアプローチを前提とするなら
哲学板でやる話じゃないな。
898考える名無しさん:2008/02/22(金) 20:01:09 0
>>895
ボキャ天の後番組のことだろ
899考える名無しさん:2008/02/22(金) 20:24:49 0
カッコ付きであれ「私」という文字を使用している時点で負けということじゃないの?
クワインならそう言うよ。
900考える名無しさん:2008/02/22(金) 20:27:18 0
↑すいません間違えました
901考える名無しさん:2008/02/22(金) 20:27:35 0
>>896
感覚器官だけでは認識できない。
感覚器と脳をわけて考える意味はあまり無いだろう。
902考える名無しさん:2008/02/22(金) 20:28:41 0
>>899
ブロンソンはそうは言わないだろうな。
903考える名無しさん:2008/02/22(金) 20:34:04 0
>>897
いや、認知科学は哲学・心理学・神経生理学・情報工学・数学
などの学際科学だよ。クオリア問題は心の哲学の定番でもある。
904考える名無しさん:2008/02/22(金) 20:35:19 0
マンダム
905考える名無しさん:2008/02/22(金) 20:41:59 0
>>903
そのwikiの記述はおかしいよ。
認識論として考察する場合、自然科学的手法に制限するなんて意味がわからない。
哲学を知らない者が書いたんだろう。
906考える名無しさん:2008/02/22(金) 21:54:33 0
しかし、こんなにも過去の蓄積と知識を要求するテーマってのは
経験的に考えて奇妙すぎる。どの分野でも言葉を置き換えて
分かりやすくしたりするでしょ。
例えば、相対性理論なら、エレベーターや新幹線を使ったりね。

しかし、クオリアだと知識知識と言ってばかりで、
なんでそんなにも知識が必要になるのか、それ自体が特殊なことだ。

知識そのものが重要になってくるなら、神話みたいなものだろう。
性質や特性ではなく、名称と形式こそが本体って事になってしまう。
907考える名無しさん:2008/02/22(金) 22:10:51 0
物事には順序があるってだけだよ。

新幹線を使って相対性理論を説明するのだって、
それ以前に古典物理学を知らなかったら意味をなさないでしょ?
908考える名無しさん:2008/02/22(金) 22:13:28 0
>>906
知識ったって年号を憶えろというような意味でいってやしないだろう。
哲学というのは自然的態度から離れて科学的アプローチをあくまで理性的に相対化できる
視点が必要になるんだけど、哲学になれていないと難しいかもしれないな。
いつまでたっても自然科学的に説明しようとするくせが抜けないというか
それが唯一の知的態度だと信じて疑わないのが一般人だからな。
909考える名無しさん:2008/02/22(金) 22:18:14 0
>>897
どうして?
910考える名無しさん:2008/02/22(金) 22:22:38 0
>>906
いいところを突いてるな。
つまりここは、ニュートン力学の勉強もしたことないくせに、
エレベーターや新幹線のたとえ話だけで相対性理論を知った気になって
ああでもないこうでもないと語り合う人間の集まりだということだ。
911考える名無しさん:2008/02/22(金) 22:22:40 0
>>907
そうか?話の方向がどんどん難しくしていく方へ向かっているようにしか見えないが。
912考える名無しさん:2008/02/22(金) 22:24:11 0
>>908
意識について科学的アプローチが通用する?
どう頑張ったって理性しか使えないのに自然的態度から
離れて客観的に相対化できるわけがないよ。
人間だって自然の産物なんだから。
913考える名無しさん:2008/02/22(金) 22:27:29 0
>>910
だから、ああでもないこうでもないと言っている人の事などどうでもいいから
知識を生かしてクオリアを語れば良いだけのことだろう。
そういう知識がない人がクオリアについて考えたって別にいいのだから
平行線で行けばいいよ。
914考える名無しさん:2008/02/22(金) 22:53:41 0
>しかし、こんなにも過去の蓄積と知識を要求するテーマってのは
>経験的に考えて奇妙すぎる。

高校辺りで勉強についていけなくなったヤツが言いそうな台詞だ
915考える名無しさん:2008/02/22(金) 23:05:43 0
>>914
高卒相手にブツブツ言うより、大学いって蓄えた知識を披露して下さいよ。
掻い摘んで勉強していきますからさ。
916583:2008/02/23(土) 00:48:12 0
>>876
>神や幽霊の目撃談という一つの事例を検証した後のそれが錯覚によるものだったという判断は神や幽霊についての判断とは言えないということですか?
当たり前のことですね。
あなたは、岩をクマと見間違えた目撃談を元に、熊についての判断を下すんですか?

>では583さん自身は神や幽霊が科学の形式を備えていないという判断はどうして得たのですか?
厳密にいえば、「神や幽霊についての「議論」」が「科学の形式を備えていない」ということ。
つまり、神や幽霊についての議論が、「議論の起点となる観測事実が示されていない」という点で、
>>652
で示した、「観測事実→仮説→検証」という形式を取っていないからです。
917考える名無しさん:2008/02/23(土) 08:48:07 0
「観測事実→仮説→検証」という形式が科学的知識の形式であると
すればクオリア問題はその科学的知識の基礎や根拠をなす脳の
感覚機能・知覚機能・思考機能などの認識機能そのものを問題とする
科学哲学だろう。
観測事実ははどのようにして知覚認識されるかさえ自然科学では説明
出来ていない。
918考える名無しさん:2008/02/23(土) 10:21:59 0
>>917
おみごと。
919583:2008/02/23(土) 10:32:36 0
>>917
私は、クオリアの存在も、クオリアの議論も否定するつもりはありません。
私が問題にしているのは、今の段階で、クオリアの議論を自然科学のなかへ持ち込もうとしていること、
そのために、自然科学の有効性を損なってまでその形式を歪めようとしていること、
この点だけです。

>説明 出来ていない。
そうですね。でも、別にそれはそれで構わないんじゃないでしょうか?

科学というのは、妥協を前提とした方法論であって、
「(科学自体を含めた)全ての問題を解決すること」を目的としているわけではないのですから、
「そのような問題」を科学が扱わなければならない理由はありません。

「あなた(と、あなたと思いを同じくする人たち)」が「そのようなこと」に興味を持ったり、
議論をしたりすることは、「あなたがた」の自由であって、
「科学」という一つの方法論に拘束される必要は無いわけです。
「「クオリア(とやら)」は自然科学の外にあって、より大きな根本的な問題を扱っているんだ。」でいいじゃないですか。
あなたがそのように主張するなら、私にはあなたを批判する理由はない。

そこでなぜ、自然科学に固執して、無理に「クオリアを自然科学の体系の中に位置づけ」ようとし、
そのために、自然科学という有効な方法論をその有効性を損なうほど歪めろと主張するからおかしなことになる。
920考える名無しさん:2008/02/23(土) 11:55:10 0
>>919
いいがかり。スレ違い。
921考える名無しさん:2008/02/23(土) 12:09:25 0
自然科学の有効性を歪めてまでクオリアを自然科学のうちに体系化しろと主張している奴というのは誰なんだろうか。
922583:2008/02/23(土) 12:55:18 0
過去レスを追うのが面倒な程度の興味しかないなら、無視すればいいんじゃないでしょうか。
923考える名無しさん:2008/02/23(土) 13:00:10 0
はいはい、お前の誤解はもはや訂正不能だよ。
924考える名無しさん:2008/02/23(土) 13:09:33 0
>>919に同意だな。

科学ってのはどこかで「まあこんなもんでいいか」っていう妥協をする必要があるんだよね。
それを理解できない人を相手に議論をするのは不可能だろう。

永遠に「なんで?なんで?なんで?」って聞き続ける事が可能になってしまうから。
925考える名無しさん:2008/02/23(土) 13:21:42 0
919や924には反対。
文学部の奴らが偉そうに上から目線で「科学っていうのはこうでなければ
いけない」なんて下らない議論してるのがバカバカしい。
おとなしく科学史でもやってろ。
926考える名無しさん:2008/02/23(土) 13:24:03 0
>>925
なんでバカバカしいの?
927考える名無しさん:2008/02/23(土) 13:56:16 0
まぁ、結局科学も理論を使っている時点で論理学の応用でしかないんだし
各分野に分かれている科学の知識でクオリアを語る事しかできないんじゃない
かな。クオリアが意識の領域である以上、科学がクオリアの何たるかに
追いつけないと思うし。
928131:2008/02/23(土) 16:10:33 0
>>916
困ったな。
いや、言いたいことはわかるんですけど。
でも、そういう考え方だと我々が判断できる範囲というのが狭苦しくなっちゃいませんか?
では「神や幽霊は錯覚だよ」「神や幽霊はいそうにないね」というのはいったい何についての判断だと考えればよいのですか?

> 当たり前のことですね。
> あなたは、岩をクマと見間違えた目撃談を元に、熊についての判断を下すんですか?
これはありえますね。
「クマ」が神や幽霊と同じく今だ存在が不確かな何かだとしましょう。
「クマを見た」「クマが奇跡を起こした」という報告がある。
でもよくよく調べてみると見たのは錯覚で、奇跡はありふれた物理現象として説明がついた。
こういった事例が重なれば多くの人は「クマ」について「いそうにないね」と判断するかもしれません。
勿論「いそうにないね」という判断が「クマ」についての判断ではないとしたらこの議論はサッパリですが。

> 厳密にいえば、「神や幽霊についての「議論」」が「科学の形式を備えていない」ということ。
> つまり、神や幽霊についての議論が、「議論の起点となる観測事実が示されていない」という点で、
> >>652
> で示した、「観測事実→仮説→検証」という形式を取っていないからです。
これがわかりません。
(いや、もちろん「科学の形式を備えている(いない)」といえるのは「議論」や「理論」のほうだ、というのはわかります。)
俺自身は神も幽霊もクオリアも少なくとも現在は科学で扱いにくいと考えています
(というかエライ人がそう言ってるので鵜呑みにしてます)。
でも、「神や幽霊についての議論」はあなたの言う科学の形式を備えることは可能と思えます。
「(目撃談)→(錯覚説)→検証」は科学の形式といえませんか?
これもまたなにについての議論かとかなにが観測事実かとかで同意してもらえなければ台無しですが。
929131:2008/02/23(土) 16:29:47 0
>>919

> 私が問題にしているのは、今の段階で、クオリアの議論を自然科学のなかへ持ち込もうとしていること、
> そのために、自然科学の有効性を損なってまでその形式を歪めようとしていること、
> この点だけです。
後半、どういうことですか?よかったら具体的に教えてもらえませんか?

> 科学というのは、妥協を前提とした方法論であって、
> 「(科学自体を含めた)全ての問題を解決すること」を目的としているわけではないのですから、
> 「そのような問題」を科学が扱わなければならない理由はありません。
>>917さんが言ってるのは認知科学とかゆうんじゃないんですか?
もし、そうなら今の科学の範囲で扱ってる事柄ですよね、まあちゃんと説明まではいってないんでしょうけど。
クオリアの問題はそういった脳の機能とクオリア、現に経験しているコレとの関係ですよね。
で、この問題は今の科学の範囲じゃ扱えない。
だってクオリアをどう扱っていいのかわからないから、ということだと理解してます。
でも、扱えるのなら排除する理由はないですよね。むしろ扱おうとする積極的な理由がある。
だって脳と深く関係ありそうだから。
でも、今はやっぱり扱えない。
だからできるという方向で考えてみよう、議論してみようというのが今の段階と思います。
930考える名無しさん:2008/02/23(土) 16:32:07 0
幽霊やクオリアは錯覚です、ならいいんじゃないの?

「いる」「ある」って前提でものを考えるのも一つの方法だが
色々と検証してそれでもなお存在が確かめられないなら「錯覚です」としか言いようがないでしょう。

少なくとも現時点では。
931考える名無しさん:2008/02/23(土) 16:34:51 0
どうもわかんないな。クオリアって要するに現前する意識の中身のことで、
むしろ「存在が確実な唯一のもの」だと思っていたんだが、違うの?
932考える名無しさん:2008/02/23(土) 16:37:34 0
>>931
クオリアってのは「どうやってものを認識するのか?」
という問題を幅広く扱う概念であって特定の「もの」じゃないよ。
933131:2008/02/23(土) 16:40:27 0
>>930
いや、今の場合そこは争点じゃないと思います。

神や幽霊は多分いそうにない(でも、最近はそう考えない人も多いのかな?)。
でも少なくともクオリアはその存在を疑う方が難しい。
神や幽霊とクオリアではそこの違いははっきりしてると思います。
934583:2008/02/23(土) 16:42:24 0
>>928
>でも、そういう考え方だと我々が判断できる範囲というのが狭苦しくなっちゃいませんか?
>では「神や幽霊は錯覚だよ」「神や幽霊はいそうにないね」というのはいったい何についての判断だと考えればよいのですか?

「神や幽霊(について、今知られている目撃談)は(すべて)錯覚だ」
「(神や幽霊の本当の目撃談がないのだから)神や幽霊はいそうにないね」ということでしょう?

これらは、「個々の目撃談」についての判断ではないですね。
つまり、一つの目撃談についての判断ではなく、統計的に有為と思われる程度の目撃談があった。
という「統計的事実」を元に
(実際に存在するのであれば、数多くの目撃談があれば、それらがことごとく錯覚であるということはありえないだろうという予測から)
それらがことごとく錯覚であることから、「いそうにない」と判断しているわけでしょう?

>「クマ」が神や幽霊と同じく今だ存在が不確かな何かだとしましょう。
>「クマを見た」「クマが奇跡を起こした」という報告がある。
>でもよくよく調べてみると見たのは錯覚で、奇跡はありふれた物理現象として説明がついた。
>こういった事例が重なれば多くの人は「クマ」について「いそうにないね」と判断するかもしれません。
>勿論「いそうにないね」という判断が「クマ」についての判断ではないとしたらこの議論はサッパリですが。
すいません。
私には意味がさっぱりです。
「クマの存在」と「クマが奇跡を起す」は別の事のように思いますが。
クマが奇跡を起したという報告があって、その
「奇跡」が既存の物理現象で説明がついたとしても、
「クマの存在」を否定する根拠にならないと思いますが。
そのあたりの論理をもう少し分かりやすく説明してください。

935考える名無しさん:2008/02/23(土) 16:47:29 0
>>933
>でも少なくともクオリアはその存在を疑う方が難しい。

俺はクオリアなんて感じた事ないし、見た事もないし、聞いた事も嗅いだ事も触った事もないぞ。
そんなものの存在を信じろ、というほうが無理では?
936考える名無しさん:2008/02/23(土) 16:48:24 0
やけに文系に噛み付くじゃないか。もしや文系コンプがあるのか?
数学を、文系と捉えるか理系と捉えるかで、意見が分かれると思うけどね。
937考える名無しさん:2008/02/23(土) 16:49:47 0
>>935
おかしいな。
僕は逆にクオリアしか感じられないんだが。
938131:2008/02/23(土) 16:52:18 0
>>934

> これらは、「個々の目撃談」についての判断ではないですね。
> つまり、一つの目撃談についての判断ではなく、統計的に有為と思われる程度の目撃談があった。
> という「統計的事実」を元に
> (実際に存在するのであれば、数多くの目撃談があれば、それらがことごとく錯覚であるということはありえないだろうという予測から)
> それらがことごとく錯覚であることから、「いそうにない」と判断しているわけでしょう?
すみません、ちょっとわかりません。
結局何についての判断と考えればよいのですか?

> すいません。
> 私には意味がさっぱりです。
> 「クマの存在」と「クマが奇跡を起す」は別の事のように思いますが。
> クマが奇跡を起したという報告があって、その
> 「奇跡」が既存の物理現象で説明がついたとしても、
> 「クマの存在」を否定する根拠にならないと思いますが。
> そのあたりの論理をもう少し分かりやすく説明してください。
否定する根拠じゃなくて否定的に考える根拠、です。
939考える名無しさん:2008/02/23(土) 16:55:03 0
>>937
感じる人と感じない人がいるらしい、という事がまずわかったね。
940考える名無しさん:2008/02/23(土) 16:55:53 0
>>932
クオリアって認識の中でも感覚を扱う機能でいいのかな?
941考える名無しさん:2008/02/23(土) 16:59:17 0
>>940
感覚というよりは認識、では。
942考える名無しさん:2008/02/23(土) 17:00:05 0
>>939
クオリアに対して「感じる」というのが妥当かといわれると分からないな。
意識しているだったら僕としては分かりやすい。
943583:2008/02/23(土) 17:11:45 0
>>929
>俺自身は神も幽霊もクオリアも少なくとも現在は科学で扱いにくいと考えています
>(というかエライ人がそう言ってるので鵜呑みにしてます)。
>でも、「神や幽霊についての議論」はあなたの言う科学の形式を備えることは可能と思えます。

私も、それら(とクオリア)が科学の形式を備える可能性はあるとは思いますよ。

>「(目撃談)→(錯覚説)→検証」は科学の形式といえませんか?
>これもまたなにについての議論かとかなにが観測事実かとかで同意してもらえなければ台無しですが。

「錯覚だった」「従来の理論で説明がついた」というのは、言い換えるなら、「仮説を立てる必要が無い」ということです。
ですから、その段階で、「新しい(従来の理論で説明できない)観測事実は無かった」とプロセスを停止するなら、
科学の形式にしたがっているといえます。
そこで、(新しい観測事実がなかったにもかかわらず)仮説の工程に進むとすれば、
科学の形式を逸脱することになります。
944131:2008/02/23(土) 17:15:24 0
判断をどこから引き出すかといったほうがいいですかね。
それは知識からだと思うんです。
熊の場合は我々は十分な知識を持ってますよね。
だから熊について何かの判断をしようとしたらその知識から持ってきます。
でも、神や幽霊の場合はそんなに知識を持たないでしょ、経典の類を別にすれば。
そうすると数少ない目撃や奇跡の事例から判断を引き出さざるをえません。
それが否定的な知識であれば判断も否定的になる、というだけだと思います。

皆さん、スレ違いの話で引っ張ってごめんなさい。
945583:2008/02/23(土) 17:16:19 0
>>938
>結局何についての判断と考えればよいのですか?
「神や幽霊」についての判断ですね。

>否定する根拠じゃなくて否定的に考える根拠、です。
としても、やはり根拠にならないと思います。

なまずが地震を起こすという言い伝えが事実出ないとしても、
それを根拠に、なまずの存在を否定的に考えるという論理は、
私にはわかりません。

946131:2008/02/23(土) 17:17:52 0
>>943
> 「錯覚だった」「従来の理論で説明がついた」というのは、言い換えるなら、「仮説を立てる必要が無い」ということです。
> ですから、その段階で、「新しい(従来の理論で説明できない)観測事実は無かった」とプロセスを停止するなら、
> 科学の形式にしたがっているといえます。
> そこで、(新しい観測事実がなかったにもかかわらず)仮説の工程に進むとすれば、
> 科学の形式を逸脱することになります。
いや、こういう話にはなってないと思いますよ・・・。
俺が理解してないだけですかね?
947583:2008/02/23(土) 17:22:36 0
>>946
あなたの意図添えなかったのは残念ですが、
では、どういいう話なのかを説明していただかないと、私もどうしたらいいのかわかりません。
948583:2008/02/23(土) 17:24:22 0
>>946
ちょっと、基本的な質問をさせて欲しいのですが、なぜ、「科学であること」にそこまでこだわる必要があるのですか?
クオリアが私の言うように「科学の形式を備えていない」としたら、何か困ることがあるのですか?

949考える名無しさん:2008/02/23(土) 17:40:10 0
>>935
>俺はクオリアなんて感じた事ないし
これはクオリアと言う言葉を理解していないだけだろ。
「感じ」が有ることをクオリアと言うのだから。
眼が見えておれば視覚のクオリアは有る。
 音が聞こえておれば聴覚のクオリアは有る。以下省略。
950考える名無しさん:2008/02/23(土) 17:44:53 0
>>949
これだよ。

その論法を使うと神様も幽霊もみーんな「ある」っていう事に出来るんだよね。
951131:2008/02/23(土) 17:46:28 0
>>947
いや、こちらもどう逸脱してるのか具体例を挙げてもらわないとどうしたらいいのかわかりません。

>>948
> >>946
> ちょっと、基本的な質問をさせて欲しいのですが、なぜ、「科学であること」にそこまでこだわる必要があるのですか?
こだわるというか、邪魔する理由はないでしょという感じです。
強いていうなら科学が今までいろんなことを明らかにしてきたから、ですかね。
俺自身は科学音痴なので絶対に理解できないと思うんですが。

> クオリアが私の言うように「科学の形式を備えていない」としたら、何か困ることがあるのですか?
説明して欲しいのに説明できなかったらやっぱり落胆します。
できれば自然の中にきちんと席を占めてもらってクオリアのことなんかサッパリと忘れたい。
でも個人的にはクオリアが科学の中で一人前に扱ってもらうのは無理だ、と妄想してます。
直観的にはクオリアも脳の物理的な状態も出来事としては一つと思えるんですが、
我々が経験の当事者である以上説明のギャップは残るような気がします。
952考える名無しさん:2008/02/23(土) 17:47:32 0
>>949
いやまて、奴は確かにクオリアが分かってないのかもしれないが
本当にクオリアが無いのかもしれないぞ。
僕はクオリアを意識してるが、それを客観的に証明する方法が分からない。
奴の言うとおりだとするとたぶん奴は哲学的ゾンビなのだ。
誰かがクオリアを感じているかを客観的に証明できないとすると、
奴がクオリアを感じているかも証明できないではないか。
953考える名無しさん:2008/02/23(土) 18:08:31 0
>>950
>その論法を使うと神様も幽霊もみーんな「ある」っていう事に出来るんだよね。
だから、神様や幽霊を「感じる」人にはそのクオリアがあるで問題ないよ。
むしろ人によってクオリアのある対象が違うとしたらそれはどうして起こるのか
と言うのもクオリア問題となるだろう。「霊感」だから「非科学」と切って捨てる
だけではダメだろ。どうしたら科学的に扱えるかその手段を考えることも科学だろう。
954考える名無しさん:2008/02/23(土) 18:11:48 0
>>953
>だから、神様や幽霊を「感じる」人にはそのクオリアがあるで問題ないよ。

神様や幽霊のクオリア、なんて話はしてないんだが。

>>949の論法を使うと世の中のありとあらゆるものが「ある」と出来てしまう。
そんな議論になんの意味があるんだ?って事だよ。
955考える名無しさん:2008/02/23(土) 18:12:41 0
952による952改変
>>949
いやまて、奴は確かに神が分かってないのかもしれないが
本当に神がいないのかもしれないぞ。

奴の言うとおりだとするとたぶん神はいないのだ。
神の存在を客観的に証明できないとすると、
神の存在を客観的に証明できないではないか。


僕は神なんてものの存在を信じていない
最後のほうなど同じことを繰り返しているだけではないか。
これがクオリアと神の差だと思いたい。
956考える名無しさん:2008/02/23(土) 18:22:23 0
>>954
>世の中のありとあらゆるものが「ある」と出来てしまう。
世の中の物事で直接に自分自身で感覚し知覚できる物事は
ひとまず「ある」とすることに問題は無いはずだが。
それさえ疑っているの?
957考える名無しさん:2008/02/23(土) 18:23:26 0
>>955
酷い

>誰かがクオリアを感じているかを客観的に証明できないとすると、
>奴がクオリアを感じているかも証明できないではないか。



>神の存在を客観的に証明できないとすると、
>神の存在を客観的に証明できないではないか。

にしたら、その時点で意味が変わっているだろ。
958考える名無しさん:2008/02/23(土) 18:26:47 0
>>954

>>>949の論法を使うと世の中のありとあらゆるものが「ある」と出来てしまう。
>そんな議論になんの意味があるんだ?って事だよ。

あらゆるものが「ある」と出来ることには何の問題もないと思う。
神や幽霊などだすから訳が訳が分からなくなるが、愛や嫉妬などない人もいるかもしれない。
あらゆるものが「ある」どうして感じることができるのかが問題。
959583:2008/02/23(土) 18:29:43 0
>>951
>いや、こちらもどう逸脱してるのか具体例を挙げてもらわないとどうしたらいいのかわかりません。

最初から申し上げている、

クオリアという存在を仮定しなければ、説明できない観測事実が無いのに、
クオリアという仮説から議論が始まっている。

では、どういった点が不足なのでしょうか?

>こだわるというか、邪魔する理由はないでしょという感じです。

クオリアが科学でないと、どう邪魔なのでしょう?
私は、クオリアの存在も、それについて議論することのも否定していませんよ?

>強いていうなら科学が今までいろんなことを明らかにしてきたから、ですかね。

科学が明らかにできていないことも沢山ありますよ。
とりあえず、私が言ってきた形式を備えていない問題については、
一つも明らかにできていないはずですが。
960考える名無しさん:2008/02/23(土) 18:38:29 0
>>958
あらゆるものが「ある」と出来る論法で「それでいいじゃないか」とするなら
「あるか、無いか」を議論する意味はなくなるわけだが。
961考える名無しさん:2008/02/23(土) 18:38:58 0
とりあえずおれはクオリアを感じたことがないとか
神がどうのこうのといってる人は
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/gakuFrame.html
のクオリアの解説でも読んだらいいんじゃないかな。
そうすれば議論のスタート地点に立てると思うよ。
962考える名無しさん:2008/02/23(土) 18:39:59 0
>>957
言われると思った。だってしょうがなくない?
神の存在って共有するものじゃない?
963考える名無しさん:2008/02/23(土) 18:47:11 0
>>962
>神の存在って共有するものじゃない?

誰が決めたの?
964考える名無しさん:2008/02/23(土) 18:55:03 0
>>963
決めてないから、?って聞いてるんじゃないか
965考える名無しさん:2008/02/23(土) 18:57:16 O
流れを全く読まずに書いてみる。
科学者Sの前に、ある人Aと赤いリンゴがあって、Aは「赤いリンゴが見える」と言っている。
Sは、赤いリンゴ自体ではなく、Aが「見える」というその赤さ、その見え方を研究しようとする。

クオリアの問題は、こういう問題でいいの?いいとしたら、Aにとっての見え方、Aにとっての
赤さというものを、Sはどうやって知り、研究するの?
クオリアの問題がこれと全然関係ないのだったら失礼。
966考える名無しさん:2008/02/23(土) 19:11:21 0
>>960
>「あるか、無いか」を議論する意味はなくなるわけだが。
そんなことは無いだろう。「ある」とするためにはどういう条件が
必要なのかについては議論できるだろ。
なぜ「ある」といえるのか?
967考える名無しさん:2008/02/23(土) 19:13:34 0
>>965
>Sはどうやって知り、研究するの?
その同じリンゴがSにとっては「赤く」見えないなら科学
しようが無いだろうね。
968考える名無しさん:2008/02/23(土) 19:15:31 0
だからさあトンチンカンな話続けてないで
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/gakuFrame.html
でも読んでよ。
高校生でも分かるように書いてあるから。
969考える名無しさん:2008/02/23(土) 19:18:13 0
改めてクオリアというのは厄介な「存在」だということがわかるスレですね。
しかし、色とか熱い、冷たいとかの「感覚」の質感をさしている言葉だと
いうだけで、それ以上の意味づけは今のところ共有できていないと思う。
だからといって、科学や哲学がそれを対象として思考することを
否定するのは理解できない。「私秘」的な何かであることはみんな
承知の上で、それを科学的に扱うことや、哲学の対象として選択する
こと自体に積極的な意味があると考えられるということではないのか。
「ある」と言ってもその存在性格自体が謎だから、あることが「前提」ではなく、
「ある」こと自体が問題であって、科学と哲学にまたがる問題として浮上
しているのではないか。
970考える名無しさん:2008/02/23(土) 19:24:25 0
>>969
>「私秘」的な何かであることはみんな
>承知の上で、
クオリアが「私秘」的かどうかはおおいに疑問だね。
生物学的にいえば脳の構造が同じである限りはその機能は
たいして変わらないといえるのではないか?
イヌやコウモリとヒトのクオリアには違いがあるとしても
ヒトのあいだでのクオリアの差なんて「私秘」的と言うほど
大げさなもんじゃないだろ。似たりよったりだと思う。
971965:2008/02/23(土) 19:26:39 O
>>967
Sが同じように赤く見るかどうかというより、Sがそもそも「Aの見る赤さ」を知ることが
できるのか、と書きたかったのだけど。
972考える名無しさん:2008/02/23(土) 19:35:29 0
>>971
Aの問題ではない。Sがどうして赤く見えるかの問題だね。
973考える名無しさん:2008/02/23(土) 19:38:45 0
>>964
決めてないのか。じゃあ>>955の「言い換え」を書き換えてくれ。

>>966
どんなものも「ある」と出来る論法を認めるなら、「何故あるのか?」という問いが成り立たないぞ。
「あると決めたからある」で終了。
974考える名無しさん:2008/02/23(土) 19:42:00 0
>>973
952であり964ではないが、
君の望むように書き換えるのは僕の考え方の表現としては不当なので却下
そもそも瑣末なスレ違いだ
975考える名無しさん:2008/02/23(土) 19:44:25 0
はい、仕切りなおし。

>誰かが神を感じているかを客観的に証明できないとすると、
>奴が神を感じているかも証明できないではないか。

特に問題のある文章には見えないな。
976考える名無しさん:2008/02/23(土) 19:53:30 0
やっちゃった
「クオリアを感じる」と「神が存在する」が書き換えだからなんとも気持ち悪いものを感じざるを得ないね。
しかもそれだと神のクオリアを感じているように見えるんだよ。だからあんなひどい有様になっちゃったんだけど。
とりあえず僕の言明ではないということで。
977965:2008/02/23(土) 19:54:44 O
>>972
クオリアの問題は、自分自身の見え方、つまりこの場合だとAという他人ではなくS自身の
見え方を問題にするのだ、ということ?
しかし、実際には、そのように研究しているのではなく、むしろ被験者を多数集めて
研究しているのでは。いや、自分で直接やってるわけじゃないけどw、科学者は普通そうなのでは。
978考える名無しさん:2008/02/23(土) 19:55:35 0
>「クオリアを感じる」と「神が存在する」が書き換えだからなんとも気持ち悪いものを感じざるを得ないね。

元の文章を「神を感じる」にしても全く問題ないぞ。
どこが気持ち悪いんだ?

>神のクオリアを感じているように見えるんだよ

その論法を使うと神様も幽霊も「ある」と出来るね。
979考える名無しさん:2008/02/23(土) 19:58:21 0
>元の文章を「神を感じる」にしても全く問題ないぞ。
>どこが気持ち悪いんだ?
なんだろ、僕の考えをうまく伝えられない部分?

>その論法を使うと神様も幽霊も「ある」と出来るね。
そうなるのがイヤだから使いたくなかったのに。お前のせいだ。

もう忘れよう。お願いだ。
980考える名無しさん:2008/02/23(土) 20:06:29 0
>>960
>あらゆるものが「ある」と出来る論法で「それでいいじゃないか」とするなら
>「あるか、無いか」を議論する意味はなくなるわけだが。
だから有る無しの議論をしている訳ではなく、あると感じる仕組みを問題にしてる。
981考える名無しさん:2008/02/23(土) 20:11:34 0
>>980
>だから有る無しの議論をしている訳ではなく、あると感じる仕組みを問題にしてる。

何故あると感じるのか?それは「あると決めたから」で終了しているようにしか見えない。
982583:2008/02/23(土) 20:16:56 0
>>965
Sが知ることができるのは、
>Aは「赤いリンゴが見える」と言っている。
ということだけ。

「その赤さ」の「見え方」があって、それが、その発言に結びついている、
という、フローについては証明されていない。

今のところ、そういった過程は我々が予断を持って想定しているに過ぎない。

983考える名無しさん:2008/02/23(土) 20:23:22 0
>>981
>何故あると感じるのか?それは「あると決めたから」で終了しているようにしか見えない。
そうではなく、現在の物理学、脳科学などで説明できないから、その説明を探し求めている。
ハメロフなどは1万個のニューロンによるギャップ結合で、微小管に量子干渉が起こり、それが
意識の源ではないかとの仮説にたいし、デネットはそれをスカイフック(天からの恩寵)と
揶揄してみたりと様々。

984考える名無しさん:2008/02/23(土) 21:05:48 0
>>983
とてもじゃないがそんな話をしているようには見えない。

「君が何かを感じているって事は、クオリアがあるって事だよ」

これだもん。
985131:2008/02/23(土) 21:08:44 0
>>959
> クオリアという存在を仮定しなければ、説明できない観測事実が無いのに、
> クオリアという仮説から議論が始まっている。
クオリアは仮定じゃないってずっと言ってるのにぃ。
クオリアは色や音が見えたり聞こえたりしているそのときの意識の上の色や音をそう呼んでいます。
このクオリアが従来の仮説で説明がつきますか?

> クオリアが科学でないと、どう邪魔なのでしょう?
> 私は、クオリアの存在も、それについて議論することのも否定していませんよ?
クオリアが科学でないと邪魔なのではなく、クオリアを科学で理解することを邪魔する理由も必要もない、ということです。

> 科学が明らかにできていないことも沢山ありますよ。
もちろんそうだと思います。
986考える名無しさん:2008/02/23(土) 21:09:26 0
ねえほんとにクオリアについて知るつもりがあるなら
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/gakuFrame.html
のクオリアの部分を読んでちょうだいね。
よっぽどあほでもないかぎり理解できると思うから。
そうすればこのスレに蔓延している誤解のほとんどは
払拭されると思うんだよ。
987考える名無しさん:2008/02/23(土) 21:15:38 0
>>983
> >>981
> >何故あると感じるのか?それは「あると決めたから」で終了しているようにしか見えない。
> そうではなく、現在の物理学、脳科学などで説明できないから、その説明を探し求めている。

だよね、なのに科学だの物理学だのの分野知識でクオリアを分け隔ててあーだこーだ
語ったところで、クオリアの正体は解らない。
988考える名無しさん:2008/02/23(土) 21:17:41 0
>>986
他人が描いているクオリアなど理解できても意味がない。
みんな自分が感じているクオリアについて論争してるだけなのだから。
989考える名無しさん:2008/02/23(土) 21:18:24 0
>>986
読んでるよ。何故それを読んでないと思ったのかがわからん。

>>987
>> >何故あると感じるのか?それは「あると決めたから」で終了しているようにしか見えない。
> そうではなく、現在の物理学、脳科学などで説明できないから、その説明を探し求めている。

だよね、なのに科学だの物理学だのの分野知識でクオリアを分け隔ててあーだこーだ
語ったところで、神様の正体は解らない。



これで成り立っちゃうところが問題なんだよ。
990583:2008/02/23(土) 21:36:31 0
>>985
>クオリアは仮定じゃないってずっと言ってるのにぃ。
ああ、すいません。

>クオリアは色や音が見えたり聞こえたりしているそのときの意識の上の色や音をそう呼んでいます。
>このクオリアが従来の仮説で説明がつきますか?

「意識の上の色や音」という観測事実は確認されていません。
これは、「クオリアは無い」と断定しているわけではありません。
確認できない以上、科学のプロセスは、観測事実の確認の段階より先には進めないというだけのことです。

>クオリアが科学でないと邪魔なのではなく、クオリアを科学で理解することを邪魔する理由も必要もない、ということです。
ええ、そんな理由は私にはありません。不合理な思考をする自由はだれにでもあります。
ただ、開かれた議論の場でそのことを述べる以上、不合理であると指摘されることについては、
受け入れるべきではないでしょうか?


991考える名無しさん:2008/02/23(土) 21:45:48 0
決定論スレ以来一歩もクオリアの理解が進んでいないのがよくわかった。全然勉強しないんだね。
992考える名無しさん:2008/02/23(土) 21:56:44 0
クオリアの理解って何?

クオリアを理解してる人なんているのか?
993131:2008/02/23(土) 22:27:26 0
>>990
> 「意識の上の色や音」という観測事実は確認されていません。
> これは、「クオリアは無い」と断定しているわけではありません。
> 確認できない以上、科学のプロセスは、観測事実の確認の段階より先には進めないというだけのことです。
書きなおしてみました。
「クオリアは主観的にのみ観測され、共有された事実としては確認されていません。
確認されてない以上、科学のプロセスに乗せることはできず先に進めないというだけのことです。」
どうでしょうか?

> ええ、そんな理由は私にはありません。不合理な思考をする自由はだれにでもあります。
> ただ、開かれた議論の場でそのことを述べる以上、不合理であると指摘されることについては、
> 受け入れるべきではないでしょうか?
自然現象と考えるのに十分な理由があるものについて一貫した説明を与えようとすることは合理的な考えだと思えるのですが、このことはもういいですね。

話は変わりますが、上で妥協という言葉がでましたが、科学的な説明を求める理由として
ある種の妥協として科学的な説明で我慢する、というのを今思いつきました。
994583:2008/02/23(土) 22:58:14 0
>>993
>どうでしょうか?
それでいいと思いますよ。

>自然現象と考えるのに十分な理由があるものについて一貫した説明を与えようとすることは合理的な考えだと思えるのですが、このことはもういいですね。
とりあえず >>982 を読んでください。
私も「赤いリンゴが見える」という発言の背後には「何かがある」とは思います、
ですから、「赤いリンゴが見える」という発言について一貫した説明を与えようとすることは合理的な考えだと思います。
しかし、「赤いリンゴが見える」という発言が生まれる過程についての予断の中にしか現れないものについて、
説明しようとするのは軽率だと考えます。
「赤いリンゴが見える」という発言がそのような過程を経てなされたという証拠はどこにもないのですから。

>話は変わりますが、上で妥協という言葉がでましたが、科学的な説明を求める理由として
>ある種の妥協として科学的な説明で我慢する、というのを今思いつきました。
あなたのいう「ある種の妥協」というのは、どういった目的のためにする妥協ですか?

995考える名無しさん:2008/02/23(土) 23:34:52 0
996965:2008/02/23(土) 23:38:56 O
>>982
「今のところ」の仮定なんだろうか?Aの「赤いリンゴが見える」という発言以外に、
Aに赤く見える見え方といったものを、あるでもないでもどちらでもいいけど、確認したり
研究することが、そもそも可能なんだろうか。
冗談を言ってみると、Sが、Aの体(たぶん脳)のPの部分にQという処置を加えたら、
Aが「何てことだ、リンゴが青く見えるようになった!」と言い、Sは喜んで一生懸命研究を
進めたとする。しかし、実は、Aは目立ちたくて嘘を言っただけだとしたら、どうだろうか?
嘘だということ(逆に、間違いなく本当だということ、でもいい)を、どうやって確かめて
研究するんだろうか。まあ、普通は、被験者を増やしたりすれば大丈夫だろうとか、いろいろ
手段が考えられるんだろうけど、もしも、どいつもこいつも嘘つきだったとしたら?
997考える名無しさん:2008/02/24(日) 01:42:44 0
痛みにすれば?嘘つくのは難しいよ。
ためしに医学板とかでスレたてたら面白いかも。
痛みは主観的な感じだけど医者は無視できないはずだし。
痛みを知るには被験者の痛みによると思われる反応や言葉による報告が必要だろう?
998考える名無しさん:2008/02/24(日) 01:45:26 0
反応が同じだからといって、受けた痛みが同じだとは限らない。
999考える名無しさん:2008/02/24(日) 01:51:53 0
何を言っているのかね?
1000考える名無しさん:2008/02/24(日) 01:53:04 0

  あはははははははー!
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。