952 :
856:2008/05/06(火) 21:52:49 0
>>944 赤が赤であるというのは、言語的分節化を経なければいけない。そして
言語とはそれ自体、社会的なもの。
「僕が感じる赤」という記述には、だから何か別の主体が隠されている。
つまり、そういう記述自体を成立させている何か、この記述中の「僕」を
成立させている何かだ。
>>950 >ライブ中にステージに上がり込む、
>という行動を脳が水槽の中でした場合、そのライブ中の人々は
>ステージに変な人が上がり込んだ、と受け止めて反応するのだろうか?
反応する。水槽の脳は「世界をシミュレートしている」という設定だから。
つまり映画のマトリックスなんかと一緒。さも本当にそこに何かがあるように、
ちゃんと脳からの出力に対して辻褄のあったレスポンスをコンピューターが脳に対して返してくる。
実際そこまで高速の物理演算ができるコンピューターが僕達の現在の技術で作れるか、となるとそれは無理。
>>951 テクノロジーを参照して議論するなら、人工内耳を対照にしたらいいと思う。
954 :
856:2008/05/06(火) 22:06:22 0
>>946 何で?脳を刺激して音楽を再生するというのは、人為的に聴覚を操作する
ということでしょ?CD、というか録音技術ってのはそれと同じことをしてるわけ。
人間の聴覚に対してどうアプローチすると効果的か、という。
空気が振動「してしまう」ということと、人為的に振動「させる」ってのは違う
でしょ。後者は脳をどう刺激すれば音楽が再生できるか?というのと等価。
955 :
856:2008/05/06(火) 22:12:06 0
>>949 カントが物自体という場合、それは社会システムに対する政治的な操作
ではもちろんなくて、「プラクティス」として、つまり現在進行形の中にある
主体の決断のようなものを指している。これは認識から逃れざるを得ない。
カントが問題にしたのは、自由ということ。認識の領域においては自由は
可能とも不可能とも言えてしまう。しかし、「プラクティス」において、我々は
事実として自由なのだ、と言うわけ。
>>940 「外界は存在しないかもしれない」というのは、外界を「否定している」わけではないよ。
外界は存在するかもしれないけれど、しないかもしれない、
存在しようとしていなかろうと、「水槽の中の脳」には区別がつかないのではないか、という話。
>>955 主体の決断?
なおさら、
>認識の領域だけで事足りるんじゃないの?
と思うんだけど?
>>954 CDが「操作」しているのは人間の聴覚ではなく、空気の振動。
CDを再生すると空気が振動する、人間はその振動を感知する。
人間は空気の振動がなければCDに収録されている音楽を認識することは出来ない。
もし人間にプラグを直接挿して空気の振動に頼らずに音楽を流し込む技術が出来れば別だが
今のところそういうものは無いはず。あったらごめん。
>>953 ひとまず、「なるほど」と思考としては一端落ち着く……。
そこで再び疑問なのだけど、では『シミュレートされた世界』の
『ライブ会場の人々』は実在したことにならないのだろうか?
もちろん仮定として、シミュレートに過ぎないとしているのだから
『ライブ会場の人々』は実在していない事になるだが、
そもそも本当に仮定が成り立つことなんてあり得るのだろうか?
つまり、実在と認識の因果系に言及してるのだが、「対象が実在しなくても、
認識と行為の範囲で、自己完結した世界は構築ができる」を前提とするなら
じゃあ、逆に「実在」ってのは、なんの為に存在してるんだ?
1.認識されようとされまいと在ることが、実在すると言うことだ。
2.しかし、時として実在する物は、主体に認識されることがある。
3.そして認識する主体をいじる。そこで主体に認識された世界には実在がない。
この論理に死角はないか?
>>959 難しく考えすぎ。
睡眠中に夢って見た事ない?
もし貴方が夢を見ているときに「これは夢だ」と常に自覚できるタイプなら例にならなくなってしまうが、
もし夢を夢と自覚できないタイプなのであれば、シミュレートがどうとか考えずに夢を例に考えればいいだけでは。
水槽脳の思考実験を夢に置き換えると色々勝手が違ってくるぞ。
>>961 うん、「水槽脳」の話からはいったん離れてるよ。
>「対象が実在しなくても、
>認識と行為の範囲で、自己完結した世界は構築ができる」
こういう話に関する例として、です。
単純に「実在しないものを認識する事は出来るのか?」という話です。
>>960 難しい様に思えて基本はとても簡単なはず。
・脳内でシミュレートされた世界
・実在する世界
果たして、この両者は本当に別物なのか? これだけ
>>963 もしそれが別じゃないとする人がいたら、夢と現実の区別がついていないという事で
人としてけっこう重症だと思う。
>>951 >>958 それの方が違うんだ。
ここでは、物理的な現象を主体が認識することではなく
認識した主体から見た世界とは何か、を言及している。
どちらかと言うと、CDと脳を直接刺激する装置が似ているでしょ。
CDや脳を刺激する例は、主体の方からCDや脳の装置に行動が取れない。
しかし、ライブではライブ会場にいる人に対して色々と行動がとれる。
空気の振動が問題だとするのなら、脳を刺激しているだけなのに
あたかも空気が振動している様に思わせる装置が必要になる。
「音楽を脳で聴く装置」ではなく
「音楽を脳で聴いているのに、スピーカー音を聴いている様に感じる装置」です。
となると、スピーカーに触れたくなる。
で、実際に触れてみると脳の中の音楽だから、スピーカーには・・・・ってなる。
>>964 でも、それじゃあ、『水槽の脳』って「ただの夢です」ってことになっちゃう。
>>965 >CDや脳を刺激する例は、主体の方からCDや脳の装置に行動が取れない。
>しかし、ライブではライブ会場にいる人に対して色々と行動がとれる。
いや、CDプレーヤーの停止ボタンを押す事も出来るし、叩き壊す事もできるし
耳をふさぐ事も出来るし、その場を立ち去る事も出来るが。
十分すぎるほど働きかける事が可能だよ。
>で、実際に触れてみると脳の中の音楽だから、スピーカーには・・・・ってなる。
夢の中ではよくある事だね、特に問題になる点は無いよ。
じゃなくって、この場合は演奏者に対してですよ。CDには演奏者いないです。
>>968 CDの「演奏者」はCDプレーヤーやオーディオアンプ、スピーカー等の機器ですよ。
>>964 じゃあ、こう言い換えたら?
1.当人が、自覚的に脳内でシミュレートした世界
2.実在する世界
3.当人以外の存在が、シミュレートして当人の脳に入力した世界
君の言っているのは、1と2が違う、ってことでしょ?
でも、 2と 3 の違いは当人には識別できない。
で、1と3の違いは、当人がシミュレートされたものであるということに
気づけるか気づけないかの違いでしかない。
>>970 それじゃダメだよ。
自覚夢でない夢は1にあたらない。自覚してないんだからね。
かといって2でも3でもない。
>>959 >3.そして認識する主体をいじる。そこで主体に認識された世界には実在がない。
>この論理に死角はないか?
ある。
実在という言葉で実際に起きてる物理現象を意味してるようだけど、
水槽の脳でも対応する物理現象はあるから。
それは脳とコンピュータ。
これは基本的にCGなんかの状況と一緒。
CGはコンピュータの中で、物理的な因果作用の結果として計算されてる。
そしてそれがモニターから光の波として発せられ、網膜を通じて人間の脳に情報が至ればCG。
脳神経に電気信号として直接情報が入力されれば水槽の脳。それだけの違い。
>>971 >自覚夢でない夢は1にあたらない。自覚してないんだからね。
単に条件を増やせばいいだけでは?
4 夢だと自覚できない夢
で、4と3は識別できない。
識別できるなら、4と1は同じもの。
974 :
考える名無しさん:2008/05/07(水) 08:08:28 0
クオリアの問題なら夢・現・幻の区別はなくいずれにもクオリアは
感じられるんじゃないかな?
クオリアが無いのは無意識の場合だけだろ。
夢・幻を見ているときには現と区別できなくても自覚・意識はある。
とすれば、外界の実在とクオリアには直接的な関係は無いということになる。
976 :
考える名無しさん:2008/05/07(水) 08:36:54 0
夢・現・幻を正しく識別するのは身体行動だろうね。
身体がなければ正しい認識は得られない。
自分が空を飛んでいることで夢と自覚することもあるよね。
つまり身体的にあり得ない、経験上おかしいことが起きてるとき自覚する。
クオリアを感じるときはなにかの脳内エラーなのかもしれない。
哲学の素養がない人間が相手だと議論もまったく深まらないな。
クオリアは記憶や経験がべったりで哲学で論理的に説くことが可能なのか。
論理性からはみ出したところに意識が生まれるのではないか。
生まれてから一度も赤色を見た経験のない人間が
生まれて初めて赤色を見たとき、恐怖か歓喜かなんらかの情動が伴うのではないか。
そしてこう言う。
「この色はなんとも言葉にし尽くせない色だなあ!想像だにしなかった色だよ!」
「これが赤色というものか!」
981 :
856:2008/05/07(水) 21:37:22 0
>>958 CDがターゲットにしているのは空気の振動を経た人間の聴覚だろ?
脳からの距離はあるが、脳細胞を刺激して音楽を再生することと
質的な違いはない。
じゃあ、生演奏だってコンサートホールは人間の聴覚刺激をどう扱うか、
という工夫があるから同じじゃないか、と言われればその通りだね。
982 :
856:2008/05/07(水) 21:43:58 0
>>957 何で?君の行動はある必然にしたがっており、その必然は君は事前に
認識済みってことか?
983 :
考える名無しさん:2008/05/07(水) 23:23:38 0
>>976 その考えはさ、単に、
「我々の意識は外界の実在を確実に検証できない」という問題に、
「身体という証明不要の実在が存在しているという前提」を持ち込んでるだけなんだよね。
「証明不要な実在」を持ち込めることにしちゃったら、意味無いじゃん。
>>982 >何で?
主体の決断は、その主体の「認識の領域の中」の出来事でしかないじゃん。
>君の行動はある必然にしたがっており、その必然は君は事前に
>認識済みってことか?
どういう思考経路でそういう疑問が湧いてくるか理解できん。
必然なんて話は全然してない。
>>973 だからなんなの?何が言いたいのか結論が見えないのだが。
986 :
考える名無しさん:2008/05/08(木) 00:56:16 0
文献引用のグラフが欲しいなぁ。
ひとことでクオリアといっても定義から結論まで結構ばらばら。
誰が誰の反論をしているかよくわかんない。
特にデネット。もっとリチャードドーキンスみたいにすっきり眠れる本をかいてほしいよぉ。
議論を客観的に詳細にまとめてる本とかどっかにない?
>>985 演繹的に展開してきた議論のレス先見ずに
最後のレスだけ見たら、結論が見えないのはあたりまえ。
>>987 夢と現実の区別がつかないというのは人としてけっこう重症
ただそれだけの事だが?
それに対していったい何がいいたいの?
そこへ向けたレスだから、だが。
もっと言うとそもそも
>>970があまりにトンチンカンなんだよ。
>君の言っているのは、1と2が違う、ってことでしょ?
この「君のいっていること」がまずまったくあっていない。
間違った前提を元に何か言われても答えようがない。「違うよ」としか言いようが無いよ。
>>983 それだと意識も検証できなくならないか。
水槽の脳に電気信号を送る入力器官はなんであれ身体の役割。
脳が自家発電で意識を生むなんてことはありえない。
よって外界が存在せず我々の意識のみ存在しているという発想は
霊や魂と違いなく信仰の問題なので却下。
とりあえず脳の活動が止まったら意識の無い状態ということにしておかないと
心脳問題から外れる。
>>943 犯罪実行前のリスクの認識があるかどうか、正常に判断できたかも問題になるよね。
この世は必然か偶然か。
このスレの流れは必然か偶然か。
操作可能なのか操作不可能なのか。
自由意志はあるのかないのか。
意識は自然か不自然か。
夢・現・幻のときクオリアを感じてるのかという話ね。
1) 夢・現・幻の区別なく意識があればクオリアを感じてる。
2) 夢・現・幻の自覚があるときクオリアを感じている。
3) 夢・現・幻のズレがあるときクオリアを感じている。
やべ。幻という字だけゲシュタルト崩壊を起こした。
>>992 それほどラディカルでもない「心脳問題」なんてものにこだわる必要なんてあるの?
もうこのスレ次たてなくてもいいよ。
>>972 物理現象と実在は、まったく違いますよ。
ついでに言っておくと、『水槽の脳』を信じすぎ。
盲目的に思考実験を信じるのは、それは哲学ではない。
水槽の脳の死角を探ってるのに、探ってる人の死角を探ったら
やろうとしてる事が、あべこべだ。
水槽の脳を信じる、って何?表現が意味不明。思考実験に信じるもクソもないんだけど。
想定が不可能だというのなら、その点を議論すればいいんだが。
1001 :
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