1 :
考える名無しさん :
2007/12/30(日) 12:20:28 0
記憶喪失になってそれまでの氏名も忘れてしまったときの「私」はそれ以前の「私」にとっては 「私」ではない。痴呆症になっても同じだ。 そんな極論を述べなくとも「私」は常に変化し変わっていく。 だから実存主義が「私」を一番的確に記述している。 唯我論独我論は見ている対象としての「私」でしかない。 だから「私」は決して記述できない。 そういう意味で私スレは無知が生み出した不毛な労力に過ぎない。
言語(記述)に関して根本的な誤解があるとすればそれは言語において完全なる主観という ものはあり得ないということを忘却しているということに尽きる。 客観的な言語によって主観のみの言説というのは不可能。 完全に客観的な記述というのは非常に困難だが完全に主観的な記述はほぼ不可能。 試みること自体が無意味。
4 :
ちゅう :2007/12/31(月) 09:18:08 0
仏教の創始者ブッダは有る意味で実存哲学だね。 実存に関係ない10(14)無記のような形而上学 問題は決して語らない。 そのブッダの「私」は「無我論」すなわち「私と言う実体は無い」 だからね。「私」について語るのは空理空論になる。
そうだ。 他の哲学者も同様な考えを持つ者は多い。 哲学に限っては最新の哲学が正しいだろうという推測は意味を為さない。
>>2 記憶喪失になっても
趣味・嗜好はおおかた変わらないはず
7 :
考える名無しさん :2007/12/31(月) 11:46:28 O
意味不明。終了
8 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/31(月) 14:21:49 0
>>2 しかし、今こうして考え、書き込みをしている私が、確かに存在している
他人が、いくら変化しようとも、私とは全く関係がない
私が存在しないのであれば、私は考えない
私が何かを認識している事実は
すなわち、私が存在している事に他ならない
私が、いかに変化しようとも
私が認識している以上、私は存在しているのだ という以外に結論は無い
>>8 私を想定して反論を述べている行為は他者に依存して「私」の在るべき姿を
表明していることだ。
それは即ち語りかけである。独我論であれば独り言だ。内省とも言える。
そうは考えられないのか。
10 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/31(月) 15:32:52 0
>>9 >私を想定して反論を述べている行為は
はぁ
想定して ではなく
反論を述べているのは、他ならぬ私であって、それ以外ではありえない
何かを想定する という行為は、常に私が行う行為である
独我論が正しく、キミらに自我が無かったとしても
それが正しいのであれば、そうなのであろう
しかしキミらに自我が無くとも私にはあるのだから
私が存在している事を否定する要素にはなりえないのだよ
単に独我論が正しい という結論になってしまうだけであって
唯物論が生き返るわけもない
いったい何考えて反論してんの??
>>10 それではまるでダメだ。
ちなみに唯物論はまるでなっていない未熟な妄想に過ぎない。
12 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/31(月) 15:47:10 0
>>11 キミの文章が、まるでダメだ
根拠が全然書かれていない
相手がいるんだからさ
せめて会話の基礎ぐらい押さえてから来てよ
>>12 忘我や無我という概念が理解できていないのではないか。
「私」は記述できないがあるのだろう。
しかしその「私」の在り方は捉えどころがまるでない。
捉えるのは「私」であり私の考えをこうして記述する私を常に見ている。
まあ、
>>10 の意見は妄想と詭弁のかたまりですね。
初っ端から最高位がまともにみえるような猛者がきてるなw 電波以前だなこりゃw
>>12 根拠を所望か。
それでは人間は他の動物にも心を通わせることができるし物質にも愛着を持つことができる。
言語がないことは心がないことではない。
私は薔薇の定めに生まれた。 華やかに激しく生きろと生まれた。
18 :
参考 :2008/01/02(水) 22:58:34 0
969 哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ 2007/12/30(日) 11:28:26 0
>> 967
説明しただろバカ
唯物的には説明がつきません とね
おまえも説明できないんだろ?
しかし『私』が存在している事は、どうやっても否定できないだろ
唯物的に説明できない存在があるんだから
だったら唯物論は間違いだろ
唯物論は「人間の精神は物理現象にすぎない」と主張してきたんだからさ
唯物的に説明ができるんだったら、やってみろや
975 考える名無しさん sage 2007/12/30(日) 11:39:28 0
>> 969
「ある」ということだけ分かればいいということですか?
その先には興味が無い、と。
別に、唯物的説明でなくてもいいじゃないですか。
1.「『私』がある」
2.「『私』はどのようにあるのか」
3.「『私』とこの肉体との連携は、いかにしてなされているのか」
と、考察が進んでいくのは自然なことではありませんか?
貴方は、1しか考えていない。
>>955 で >どのように というのは二の次の話 と述べているように・・・。
その先を考えてみたらどうですか?
勿論、唯物的方向ではなく、もっと別の方法で・・・。
19 :
参考 :2008/01/02(水) 23:00:07 0
978 哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ 2007/12/30(日) 12:08:49 0 >> 975 >「ある」ということだけ分かればいいということですか? はぁ? そんな事はデカルトの時代から明白なんだよ 今更、何を言ってるんだね? そっから先は、『私の存在性』の話 > 1.「『私』がある」 > 2.「『私』はどのようにあるのか」 > 3.「『私』とこの肉体との連携は、いかにしてなされているのか」 >と、考察が進んでいくのは自然なことではありませんか? >貴方は、1しか考えていない 1しか考えていないわけないだろバカ ホントに読解力ないな キミ、素人くんだろ > 2.「『私』はどのようにあるのか」 どのようにしてあるか といえば 今現在わかっているのは『純粋な存在性』として、ある という事 すなわち唯物的に説明のつく問題ではなく唯物論は間違いであった という哲学的大問題に対する答えが、副産物的にではあるが、明確になったわけなんだよ なんで歴史的に争われてきた大問題に対する答えが明確になったのに キミらはその重要性を必死で無視しようとするのかね? まず認めりゃいいだろ なんで、それをせんのだ? 反論があればすればいいし、認めたくなけりゃ考えろ キミのやっている事は、話のすり替えにすぎない
20 :
参考 :2008/01/02(水) 23:01:08 0
973 考える名無しさん 2007/12/30(日) 11:34:57 0
>> 969
いい加減に唯物論と切り離して考えられないのか?
それができたらまともに聞いてもらえるんじゃないのか?
977 哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ 2007/12/30(日) 12:07:43 0
>> 973
なんで唯物論は間違いだ と認められんのだ?
なんで、そんなに必死なんだ???
まず認めればいいだろ
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない112◆
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1198740890/ 890 考える名無しさん sage 2008/01/02(水) 07:34:45 0
で、唯物論が破壊されたその後はどうなるんだい?
『私』について何か新しい知見でもあるのかい?
892 哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ 2008/01/02(水) 07:43:38 0
>> 890
キミは唯物論が完全に破壊された という事の
意味が、よくわかっていないようだね
とてつもない大問題なんだから
まず、これまでの軌道修正を正しく行うべきだろ
まず私の言っている事の基礎を、よく理解して
今後の段取りについて
徹底的に、よく考えたまえ
21 :
参考 :2008/01/02(水) 23:02:12 0
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1198740890/ 889 哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ 2008/01/02(水) 07:19:42 0
>> 888
だからこそ、現代哲学の最先端なわけです
唯物論が前時代的な思想である という理由は、ここにあります
哲学者最高位の、最先端哲学によって
唯物論は完全に葬り去られた というわけです
言っておきますが、決して科学を否定しているのではありませんよ?
科学は客観世界を分析して応用しようとする『手法』ですからね
おおいに研究すべきだと思います
しかし唯物論は別です
心身問題をはじめとする哲学的議論において、歴史を通じて
「全ては物理現象であり、人間の精神もまた物理現象にすぎない」
と主張してきた唯物論は
ここへ来て、完全に破壊された というわけです
893 唯識 ◆Vidya0E1.s 2008/01/02(水) 07:48:06 0
>> 889最高位さん
「私」によっての「心身問題」の解決もまた最高位さん自身にとっての
「落ち着き所」厳しく言えば上記からの「逃避」ではないですか?
ただ単に「現象しない私」を唯物論の否定に設定しているだけであって
その正体、如何なるものかの具体的説明もありませんね。
物理現象でない私が実際に人それぞれの行動にどう作用するのかも
説明がありませんし、そもそも「物理現象でない私」は
唯物論で扱うものではありません。
また私の存在スレでも申し上げましたが>> 890さん同様
当然に「目的」があるわけですがそれもお答えにならない。
「私」も「言葉」を遣った表現である以上
仮に「現象しない私」を端的に言葉を遣って表現できても
それは五感、意識間のフィードバックの領域から出ることはありません。
正直言いまして、「私の存在」をマスターキーに現実を無視しているようです。
22 :
参考 :2008/01/02(水) 23:03:20 0
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1198740890/ 896 哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ 2008/01/02(水) 08:03:42 0
>> 893
>正直言いまして、「私の存在」をマスターキーに現実を無視しているようです。
いやいや
「私の存在」をマスターキーに、唯物論を論破しただけです
それは、あくまでも『論理的』な話なんですよ
『私』についての深い考察は、また別の話です
唯物論が破壊された事を中途半端にして
話をすり替えようとしないで下さいね
897 唯識 ◆Vidya0E1.s 2008/01/02(水) 08:10:29 0
>> 895さん
いえいえ、私の存在スレでも同様の質問をしましたので、特に。
最高位さんの言いたいこと、世界観はなんとなくわかります。
しかしそれを「他の人」に伝えるというには
「私」というものがあまりに堅固な壁になってしまっているのではないかと。
>> 896最高位さんへ
このスレに沿って
私の存在は「非決定」ということで宜しいでしょうか。
また唯物論は最高位さん自身で論破し納得されているので
それは特に問いませんが、上記の通り
他の人に伝える手段はあるのですか?またその目的は何でしょう?
お持ちのマスターキーはご自身の疑問を解くデコードキーのようなもので
それは最高位さんご本人しか知りえない。
他の人の鍵穴に合うマスターキーお持ちでしょうか。
23 :
考える名無しさん :2008/01/02(水) 23:13:47 0
逃げてるの一言に尽きるなwww
些か不明瞭な「私」でありますな。 それも道程。 他人が口を挟む問題じゃない気がする。
>>18-22 どういう意図でコピペしてるのか分からんけど、この部分に限っては相対的にではあれ最高位の言い分がもっともだね。
26 :
考える名無しさん :2008/01/03(木) 00:01:08 0
「私」という世界が「私」
つまんねえ私だなあ
28 :
参考 :2008/01/03(木) 07:28:41 0
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1198740890/ 900 哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ 2008/01/02(水) 08:31:46 0
>> 895
彼は唯物論者だから、必死のパッチなんですよ
>> 897
>このスレに沿って
>私の存在は「非決定」ということで宜しいでしょうか。
はぁ?? 自分で考えりゃわかるでしょう
逆に質問しますが
いったい物理的構造の、何によって『私の存在』が決定していたと考える事ができるわけですか???
具体的にお答えいただきたい
>他の人に伝える手段はあるのですか?またその目的は何でしょう?
他人に『自我』と、少しの知能があれば理解できるでしょう
残念ながら、哲学的ゾンビの方には理解できませんが、それは最初から対象外です
目的?? アホですか?
単に哲学してるだけですよ(苦笑
「唯物論の是非」は、人類の歴史を通じての大問題であり
それについての答えを考えるのは、哲学者として当たり前であり
結論を発表するのは、当然の成り行きでしょう
あなたは、「全ては物理現象であり、人間の精神もまた物理現象にすぎない」という考え方が
どれほど人類に大きな影響を与えてきたのか、ご存知ないのでしょうか?
この思想がなければ、世界は「自由と共産」という2つの大きな政治的価値観に分かれる事はなかったでしょうし
日本においても、団塊の世代をはじめ、多くの人達が本気で悩み、取り組んだが答えを出せた人はおらず
また多くの血が流されていまった歴史もあるのです
くだらない質問をしてくるところをみると
唯識さんは、まったく思想史というものを、全くご存知ないようですね
901 考える名無しさん sage 2008/01/02(水) 08:33:47 0
>>900 だからw 唯物論なんてどうでもいいんだよ。
唯物論から離れて『私』について考察しないか?
29 :
参考 終 :2008/01/03(木) 07:29:44 0
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1198740890/ 903 唯識 ◆Vidya0E1.s 2008/01/02(水) 09:04:21 0
>>900 最高位さん
単に哲学されているだけならば公言される必要もないのでは?
伝える手段が無いのであれば諦められるのが賢明でしょう
でなければいつまでも同道巡りですし、なんの展開もありません
止まってしまっています。自己完結されているならそれで宜しいでしょう。
また最高位さんは勘違いして居られるようですが
「唯識論」とは決して「現実」を軽視しないんですね。
(だからといって「物質主義では決してありませんよ。)
この点、最高位さんは「私の存在性」なる現実回避的なものを想定して
心身問題を解決されたように考えて居られる。
単に唯物的思想を嫌悪しておられるだけでありまして
それならば、それから離れればよろしい事。
また、>> 901さんの仰られるように
最高位さんは私の存在について唯物論を離れて議論することが難しいのでは?
それは「唯物論に拠って」こそ私の存在が有る、の裏返しでは?
私の存在の議論ならそちらのスレで議論の用意はあります。
これは私の存在スレでも同様に申しあげましたが。
905 唯識 ◆Vidya0E1.s 2008/01/02(水) 09:20:29 0 失礼しました >> 903唯部は唯物的思想です。 また、これはいろいろ議論が起きそうですが 唯識論は「決定論」です。 おそらく批判、反論があるでしょう。 920 走召 糸色 文寸 ネ申 New! 2008/01/02(水) 13:06:57 0 みなも元気に新年を迎えられたようだな。 祝着である。 くっくっく。 ところで唯識。 最高位の言っておる「私」とやらと、「自洲、法洲」の「自」の違いを言って見ろ。 くっくっく。
31 :
素人 :2008/01/03(木) 09:57:13 0
>>25 理由
その1:最高位氏の論旨に於いて、『私』と「唯物論破壊」(或いは「唯物論の限界指摘」)の階層は、
『私』が基底であり、それが根拠となって「唯物論破壊」へと繋がるもの。主となるのは『私』でなければならない。
『私』の扱い如何によっては、「唯物論破壊」は成り立たなくなる。
「唯物論破壊」の為の『私』になってはいまいか?本末転倒ではないか?
(上記18‐22、28-29は、主にこの点に関してのコピペ)
その2:もう随分永いこと応答をしてきたが、私は『私』について語ってきたつもりだ。
(実際には、その多くが、揚げ足取り的な細部の指摘(彼の語り口・論の組み立て方・表現等)に
偏ってしまった事実を自覚しないわけではない。)
勿論、ツールとして唯物論的アプローチが用いられてはいる。が、唯物論を擁護・護持するものではない。
唯物論否定に反駁するのではない。その根拠となっている「『私』の扱い方」について疑義を挟んでいる。
焦点は常に『私』(或いは『存在性』)だ。
それなのに彼は、事ある毎に
「どうしてそんなに唯物論に拘るのか?」「どうしてそんなに唯物論を死守しようとするのか?」
と問うてくる。(※唯物論的アプローチを援用する理由も述べたことはある)
そうじゃなくて、その根拠となっている「『私』の扱い方」はどうあるべきか?について応答したかったのに・・・。
(もし要請があれば、これに関しての参考レスを幾つかコピペしてもいい。探してみる。)
その3:唯識氏の具体的レスは稀少だからw
32 :
考える名無しさん :2008/01/04(金) 22:22:44 0
しょうがない よっこらしょ
33 :
3時で1時 :2008/01/06(日) 05:25:09 0
認識主体は人間たる私。つまり個として知覚される即物的存在だ。 だから、思っているのは誰かという話は即物的であり、他者との共有知を前提にしている。 「私が思っている」というのは、ここに居る個たる私が思っているということだ。 腕組みしたり頬杖をつきながら、頭の中の内言を意識しながら考えているということである。 この「個たる私」が、思いの表明という行為を通じて他存在と関係するということである。 筆者であれ、投稿者であれ、発話者であれ、 私は個として他者や無数の存在と関係する「結果した個の存在」である。 この個を認識する前の、まさに根源的な(原因たる)『思惟する私』が、 いかなる形態であるかも分からず、どこに居るかも分からずに、 個として(私として)存在しているという言明は、矛盾している。 「いま」「ここ」あるいは「これ(私)」「考えている」は、すでに認識されているのだ。 「私がいま、思っている」かぎりにおいて、私は、すでに根源的な次元に居ない。
34 :
3時で1時 :2008/01/06(日) 05:29:15 0
すでに何らかの知識や経験をもつこの存在ではなく、何を根拠に誰が疑うというのか? どこでどのようにあるとも特定できない「個」が、特定できない何かについて疑うというのか? 認識の原因の特定、認識作用が何に因るのか分からなくても、私は「思っている」。 自覚の私的必然性がなくても、思っている(思いの保持・結論の導きの試み)という認識はすでにある。 人間の認識は、あいまいで移ろいやすいものにさえ、そこに存在を認識してしまう。 「朽ちかけた家が」「あのぼんやりした雲が」「今吹いた冷たい風が」なのである。 意味や価値があいまいさを伴っていても、「ことば」や「行為」が無いとはいえないだろう。 認識主体が、認識原因なのではない。認識原因が1つの存在に求められるとも限らない。 主体が分かる(自己認識作用)システムがあるらしい、というだけでいいのである。
35 :
3時で1時 :2008/01/09(水) 03:31:32 0
「意味や価値がある」のは私的でよいが、 「意味を成す」ためには他者との共有が絶対条件だ。 そもそも「私」とか「認識する・思う」という言葉・概念は、 「私」が作った言葉でもなければ、「私」のみに通用する概念でもない。 「夢かも知れない」「幻覚かも知れない」「だまされているかも知れない」といった 疑いの要件も、その言表が意味を成すためには、その要件を共有する他者が 疑うべくもなく存在するのでなければならない。 「私」が何にも関係せず、「関係」さえ私の描いた絵空事であるとしたら、 「私」が自ら生みだしたもろもろの絵空事と片道的に関わるだけだ。 この身体存在(生体)が素朴存在であるだけで、これが「私」でなければ、 ここに在ること・知覚すること・働くこと・生きていることに何の意味もない。 関わりを認識するだけの、他者から知覚されない孤立した思惟体は、存在しないに等しい。 「私」が私以外のもろもろの存在と関係し、意味を共有しうる場に「私」が在るのでなければ、 私が自分を認識すること、私が私であることに意味はない。
36 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/09(水) 03:58:47 0
>>33 3時で1時くん
もうね
全然お話になりません
>個として(私として)存在しているという言明は、矛盾している。
>「いま」「ここ」あるいは「これ(私)」「考えている」は、すでに認識されているのだ。
>「私がいま、思っている」かぎりにおいて、私は、すでに根源的な次元に居ない。
>すでに認識されている
って
誰が認識してると思ってるの??
あと
>根源的次元
とか、何それ(苦笑
「私がいま、思っている」かぎりにおいて
私は存在している
という結論だよ
37 :
考える名無しさん :2008/01/09(水) 05:33:41 0
もうその繰り返しは飽きたw 同じ所で足踏みしてろ。進歩の無いやつは哲学者の落ちこぼれw
38 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/09(水) 05:39:52 0
>>37 お前らが基礎すら理解できないから、仕方なしに何度も説明してやってるんだろバカ
39 :
考える名無しさん :2008/01/09(水) 05:47:57 0
馬鹿は釣られてすぐ書きこむ 煽りがいがあるなあw
哲学最高位って何かの新書でデカルトの解説を読んだばかりの厨房だろ。 こいつのレスはいつも、哲学に興味持ったばかりの中学生レベル。 低脳だな。
41 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/09(水) 06:19:26 0
>>40 新書?
お前じゃあるまいしwww
論破どころか、基礎的な一般常識すら理解できんくせに、なんで偉そうなんか理解に苦しむ
最高位は説明してやってるって言ってるけど、ぶっちゃけ誰も聞きたくないんだよね。 叩かれたり煽られたりしてる事実から目を背けたいのは分かるがね。 唯物論がどうだかって話も、きちんとどこがどう矛盾してるのか 他人に説明できてないし、感情を爆発させてんのも愚か極まりない。 これで何年も粘着とか、基地外にもほどがある。
43 :
3時で1時 :2008/01/09(水) 10:20:49 0
>>36 >誰が認識してると思ってるの??
>私は存在している という結論だよ
はあ? いつ俺が人間たる「私」を否定したんだよ。
あいかわらず、訳の分からぬ反応をする奴だな。
「誰が? 」というのは「ピンが倒れた。どれなんだ?」というのと同じだろ。
「私」たる存在が、あまたの人間の中の1人として、
「思いつつ、存在している」ことが、結果として認識することが出来ているというだけのことだ。
「結果として」というのは、私の認識内容に先立つ私のシナリオが存在したわけではない
ということを言って居るんだよ。それを俺は、私的必然性がないと言っているわけだ。
「私が私を」というのは、「人間が人間を」というのと同じだろ。
認識作用や、人間の存在を否定する認識する人間は居ないだろw それだけだろ。
誰かであるところの私は存在するんだよ。当たり前だろ。
しかし「誰かであることを認識している別存在の私」は存在しない。
人間は人間であり、思うだけの「精神・霊魂たる私」が存在するというのは短絡である。
私たる人間に先立つ「私」、精神たる私存在しない、ということを言って居るんだよ。
「話にならない」反応は迷惑だからw
45 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/09(水) 13:03:49 0
>>43 >はあ? いつ俺が人間たる「私」を否定したんだよ。
ん?
>(私として)存在しているという言明は、矛盾している。
んじゃないの??
存在している という言明は矛盾してるんだろ???
>誰かであるところの私は存在するんだよ。当たり前だろ。
キミの言っている事の方が、矛盾していると思うが(笑
存在するなら「存在する」でいいわけで、
>(私として)存在しているという言明は、矛盾している。
などと言う方が矛盾してるだろ(苦笑
>「誰が? 」というのは「ピンが倒れた。どれなんだ?」というのと同じだろ。
これは似ているようで、実は全く違います
おそらく、ここの辺が現代哲学を理解できるか、前時代的な発想に留まるかの境目ですね
「ピン」というのは客観的に認識されている対象であり
それは価値観によって、物理世界から線引きされて切り取られ、「ピン」と認識されているにすぎないわけです
一方「私」は、それを認識している『主観性』そのものです
全然、違います
>しかし「誰かであることを認識している別存在の私」は存在しない。
>私たる人間に先立つ「私」、精神たる私存在しない、ということを言って居るんだよ。
ところでさ
で、誰が
「誰かであることを認識している別存在の私」が存在する
とか、「私に先立つ『私』が存在する 」なんて言ってるわけ??
最高位は正当化し続けねばならない。 進歩のない「私」にしがみつく限り
47 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/09(水) 13:29:07 0
>>46 正当化
じゃなくて「正論」だバカ
あのな
いくら正当化しようとしても、間違えた理屈は、正当化しきれないんだよ
唯物論のようにね
論理的に破綻する
私は存在している
そして、その私が存在した理由は
物理現象の因果関係の法則性によるものではありえない
よって唯物論は論理的に破綻し、それと同時に、決定論も破綻する
この理屈を論理的に覆し、唯物論の正当性を主張する事は不可能だと思うよ?(笑
必死で正当化、というか話のすり替えをしているのはキミ達の方だ
根拠が覆されているのに、唯物論にしがみついているキミ達こそ、進歩がないわけなんだよ
まず自分を振り返る事が必要だな
唯物論も「私」理論もアホアホな点で同じ。
49 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/09(水) 13:39:46 0
最高位の言う主観性というのは肉体の持つ性質の事だ。 「私」というのは単なる代名詞。「キミ」や「誰」と同じ。
>>45 こいつの頭をビンで殴るってことは、
こいつが「ビンで殴られる」って価値観を持つ事なのかw
場蚊はループしかできない。自分の尻尾を追いかけてる負け犬最高位w 恥さらしw
53 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/09(水) 13:58:15 0
>>50 >最高位の言う主観性というのは肉体の持つ性質の事だ。
ホントに前時代的知能レベルだな
こんなに、わかりやすく説明してるのに
いまだに、そんなこと言う人がいるとは驚きだ
肉体という物体の性質は、客観的に分析できる
だからこそ科学が成り立つわけだが
「主観性」は、客観的には知りえない世界
54 :
考える名無しさん :2008/01/09(水) 14:00:21 0
>>47 ある説明が理解されない場合は説明者に問題があるんだぞ。
犬が数学分からんからって怒る奴は馬鹿だろ?それと同じ。
また、馬鹿の言うことが理解されない事態もある。
つまり最高位が馬鹿なのか、こっちやあっちの住人が馬鹿なのかのどっちかってこと。
そこで提案だが、学術誌や知識人に最高位の考えを送ってみ?
それで認められて唯物論が否定されれば、こっちが馬鹿ってことで片付くだろ?
ほら早くやれよ。
56 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/09(水) 14:02:07 0
バカが釣れてくれるおかげで 「よくある質問集」とか「Q&A」みたいな状態になって、すごく都合いいや ありがとね(爆笑
>>53 肉体という物体の性質は、主観的に分析できる
だからこそ科学が成り立つわけだが
「私」は、客観的には知りえない世界
ばーかw
58 :
考える名無しさん :2008/01/09(水) 14:03:10 0
最高位の頭は未だにまとまらない様子
>>53 客観的に知りえないならいくら語ってもムダだろうが。
馬鹿の本質ここに晒される。
61 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/09(水) 14:11:29 0
>>57 >肉体という物体の性質は、主観的に分析できる
そうやって主観的に分析できたものの中には、他人には伝えきれない事があるわけだ
コレ、常識な
哲学の基礎教養だ
生まれつき全盲で、目が全く見えない人に
どう説明すれば『赤』の赤さを教えてあげる事ができるのかね?
脳の物理状態を説明したら伝わるか?(爆笑
最高位は差別主義者だったのか 納得
63 :
考える名無しさん :2008/01/09(水) 14:13:23 0
あれ?私だろ?他人関係ねえじゃんw
>>53 お前はゾンビだよ、最高位w
肉体こそがお前の存在。
お前が相手にしている他人もな。
違うというのなら、先ず肉体を捨ててから出直せ。
お前が「『他人』にも主観性があるだろうと推測する」という時の
『他人』が指すモノが肉体でなかったら何なんだ?w
戯言が言えるのも肉体あってだぞw
>>61 最高位、最低なやつだな
どっかで晒してやらなきゃわからんようだな。
66 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/09(水) 14:16:55 0
>>60 まず、客観的に知りえない などという事実があるのだ
という事を知る事が、一歩前進だな
少し前進したじゃないか(爆笑
>>64 私が分からんのに他人が分かるわけないだろ
>>61 >生まれつき全盲で、目が全く見えない人に
目が見えない人とはどんな人だ?目のない人の事か?視神経に障害のある人か?
お前の論理だと見えているかいないか本人しか分からんのじゃないか?w
71 :
考える名無しさん :2008/01/09(水) 14:21:58 0
さて、どんどん追い詰められてきましたw
>>66 客観的に知りえないなら他人には伝わらないってことだし、
つまり言語化も無理なんじゃないのか。
最高位の行動といちいち矛盾してるんだが・・・
目が見えないというのも肉体の持つ性質だな
最高位は妄想病の独我論者だからしょうがないよ
最高位はある意味幸せ者。 こんだけアホにされても自覚がない。
>>73 そう?まあ最高位は至る所で矛盾してるから誰かと意見は被るだろうな。
78 :
3時で1時 :2008/01/09(水) 14:44:11 0
>>45 >存在している という言明は矛盾してるんだろ???
俺は、
いかなる形態であるかも分からず、どこに居るかも分からずに、
個として(私として)存在しているという言明は、矛盾している。
と書いたんだぞ。
これの、どこがおかしい?どこが矛盾なんだ?
どこに居るかも分からないものが、どこに特定の個として存在するんだ?
まったく分からないものが私として居るとでもいうのか?
どこまで、ポエムな奴なんだ?
>存在するなら「存在する」でいいわけで、
あのなぁ、
私は個として他者や無数の存在と関係する「結果した個の存在」である。
とすでに書いてるだろ。
>>78 無駄な議論の積み重ねだからやめておうたほうがいいよ
期待できるレスくれるわけないしw
80 :
3時で1時 :2008/01/09(水) 14:48:01 0
>>45 >それは価値観によって、物理世界から線引きされて切り取られ、
あほではないか。価値観というのは何かについての有用性の判断だろw
価値観が物理世界を線引きして切り取る行為をしているのかよww
物理世界を線引きって、何なんだ、それw
>「私」は、それを認識している『主観性』そのものです
はぁ?お前は『主観性』そのものなの?なにそれ。
人間として存在するんじゃないのかよ?
>ところでさ
で、誰が
「誰かであることを認識している別存在の私」が存在する
とか、「私に先立つ『私』が存在する 」なんて言ってるわけ??
お前さんがそういう意味のことを言っているのでなければ、
無視したらいいではないか?
自分のこと言われて居るんじゃないかと、思ったのか?
世の中にはそういう考えの人が居るから、俺は、言ったまで。
81 :
考える名無しさん :2008/01/09(水) 14:48:35 0
最高位どこへいった?
最高位の自分語りはオナニーの一種 他人には伝わらないことは自明
84 :
3時で1時 :2008/01/09(水) 14:58:59 0
>>79 >期待できるレスくれるわけないし
う〜ん。本当は少しは期待して居るんだけどね。やっぱ、徒労かw?
85 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/09(水) 14:59:39 0
>>72 あのね
たとえば
「痛いです」と言っても、痛さは伝わらんだろ
でも意味は理解できないか?(苦笑
>>78 >俺は、
>いかなる形態であるかも分からず、どこに居るかも分からずに、
>個として(私として)存在しているという言明は、矛盾している。
>と書いたんだぞ。
私は
いかなる形態であろうと、どこに居ようとも
『私』は存在している という事実とは関係が無い と思うが?
>あのなぁ、
>私は個として他者や無数の存在と関係する「結果した個の存在」である。
>とすでに書いてるだろ。
他者との、いかなる関係で
『私』が存在
したと言うのか
丸っきり論理的に飛躍している
>>83 何言ってんの?
最高位以外の皆さんなんて存在しないよ?
87 :
考える名無しさん :2008/01/09(水) 15:01:20 0
>>85 >他者との、いかなる関係で
>『私』が存在
>したと言うのか
お前に親はいないのか?w
親子関係って知ってる?
最高位にとって「私」=「自我」らしい。
91 :
考える名無しさん :2008/01/09(水) 15:12:25 0
なんだ、いたのかw
ほんとループしてるなwいつまで続けるんだw
>>85 痛いからなんだって?
ちゃんと説明できずにモゴモゴしてても何も変わらんぞ。
94 :
3時で1時 :2008/01/09(水) 15:39:29 0
>>85 >私は
>いかなる形態であろうと、どこに居ようとも
>『私』は存在している という事実とは関係が無い と思うが?
『私』は存在している、という事実は「ここに居る私たる人間」という事実ではないの?
『私』は人間として存在しながら、思って居るんでないの?
『私』が「ここに居る私たる人間」じゃなかったら、他存在だよw
>他者との、いかなる関係で 『私』が存在 したと言うのか
そもそもキミは「誰と」掲示板を通じて話しているわけ?
キミにとっては他者である人間存在だろ。
他者である人間存在が居なかったら、『私』は誰でもない(どの人間でもない)だろ。
他者は『私』が描く絵空事にすぎないとか言うんじゃないだろうね?
95 :
考える名無しさん :2008/01/09(水) 15:41:52 0
なんかもうすごい圧力だなあ
>『私』は存在している、という事実は「ここに居る私たる人間」という事実ではないの? > 『私』は人間として存在しながら、思って居るんでないの? おいおいw 認識論って聞いたことある?
97 :
考える名無しさん :2008/01/09(水) 15:56:26 0
存在論って聞いたことある?
98 :
素人 :2008/01/09(水) 15:57:13 0
>>45 「私」という概念が、入れ子構造のような階層を持つということを
いいかげん理解したらどうですか?
それが解るだけでも、相手がどの「私」について述べているのか
冷静に見れるようになろう。
(少々粗っぽいが)付言するなら、
貴方は、その入れ子の中心に「核となる『私』」がある(ゴルフボールの芯のように・・)と言う。
それが全ての起点・基点である、と。
(そして、最深部の「核としての『私』」も、総体としての「私」も、階層を途中で区切ったその中間の「私」も、
「みんな同じだ」と言う。)
3時1時氏他は、(少なくとも私は)、入れ子構造の中心は空洞であり、その空洞の一段上の階層が最深部の『私』であると言う。
その、空洞の一段上の階層が、諸々の諸条件により形成され生じ(顕現し)た起点・基点である、と。
(3時1時氏は、そのゴルフボールの総体を「私」と称しているのだろう。
或いは表面のコーテイングの下からの総体を「私」と称しているのだろう。 違ってたらスマンw)
(※説明の為、図式的に「空洞」という表現をしたが、実際に空洞がある・空洞になっているわけではない。
「(中心)核」との対比、及び理解の助けの譬喩として用いただけであることをお断りしておく。
ああ、昔、玉葱に譬えたこともあったな・・・w)
さらに付言すれば、(→この2分類で言うならば)、
仏教は後者に近い立場であることを、蛇足ながら加えておく。
>>97 あるよ。認識論なくしては成立しない分野のうちのひとつだよね。
100 :
考える名無しさん :2008/01/09(水) 16:41:41 0
最高位は哲学史における、観念論の成立プロセスを学習すべきだ。 経験として「既得した形象、概念」が、抽象化された観念・概念を構成するプロセス、 存在と超越の論理の要を、誤解しているにすぎない。
103 :
考える名無しさん :2008/01/09(水) 17:03:27 0
主体(私)は論理空間の外にあるので対象の形式とはなにらない、 というだけの話か〜?。
104 :
考える名無しさん :2008/01/09(水) 17:13:40 0
105 :
考える名無しさん :2008/01/09(水) 17:22:52 0
106 :
考える名無しさん :2008/01/09(水) 17:42:29 0
107 :
考える名無しさん :2008/01/09(水) 18:31:54 0
有名な最高位の思考実験てどうなったの?
>>102 何とかした結果がこの様かよw
もっと何とかしてくださいませ、主体様
主体思想のスレはここでつか?
>>107 最高位の論理で行けば、何をどうやったって
「『私』の思考実験なんて出来ない」
となる筈なんだけどな。
>>108 なんか根本的に勘違いしてるみたいだな。
112 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/01/09(水) 21:50:31 0
>>98 >「私」という概念が、入れ子構造のような階層を持つ
とはどういうことかな?
記憶に階層性がある、と言うことならわかる。
記憶によって私が決定的な変容を受けるので、私という概念も階層性を持つ?
しかしそれは、我思う故に我有りという所から出発した最高位氏の私とは、定義
がちがうので、矛盾を生ずる。
113 :
素人 :2008/01/09(水) 22:49:47 0
>>112 ざっくり簡単にいきます。大きく2種に分けましょう。
意識とか思いとか感情とかそうした部分をひっくるめて「心」としましょう。
そうした、心の階層と、「肉体」を視野に入れた階層との2種に。
そして、「心」のみを指して「私」として捉え(“人”として)議論していくこともできる。
また、「心」なるあやふやなものは捨象して(→どうせ随伴してるものなんだしw)
「肉体」を基準に「私」として(“人”として)議論していくこともできる。
また、「肉体」に注視しつつ、且つそれが「心」という要素をも内包している
総体としての「私」として(「実存的私?」「“いのち”としての私?」「確かに生きている私」として)
議論していくこともできる。
略式で例を挙げればこんな感じ。当然、もっと細かくていい。
着眼点によってはもっとバリエーションは増えるだろう。増えた上で統合されるものもあろう。
また、今回の2種で言えば、二つは関連性が無く(薄く)、まったく別個に考察すべきものと見てもいいw
この2種が、一番顕著で判り易いでしょう。で、これらを心身二元論とでも言うのかしらん?w
114 :
参考 :2008/01/09(水) 22:50:36 0
136 素人 sage 2007/05/10(木) 21:42:44 0 一レスだけ貼っておこうか・・。 今見ると、粗雑に過ぎてお話にならないが・・・w 886 素人 ◆YLdWB0/d2s sage New! 2006/08/31(木) 03:16:47 再掲しろってことかw 1 :普遍的、一般名詞としての(単純に名称・ラベルとしての)「私」。 2 :日常会話で使用する(有効とされる)具体的行為の総合的主体としての「私」。 2a:上記の亜種として、肉体・物体としての「私」 2b:同様に、思惟するものとしての「私」。 以上は、大局で見れば1に包含されうる、場合によっては個別性の捨象が可能なもの。 以下は、個別性をより重視するもの。 3 :今ここに、この肉体を持って存在する生物としての「私」。 4 :今ここに、このように思惟するものとしての「私」。 4a:上記を享けて、思惟の根源としての「私」。 5 :3と4を享け、この肉体(外的な条件)と、この思惟(内的な条件)により、ここにある「私」。 6 :およそ内的なもの・外的なものの根源としての(全てに先立つ)「私」。 と、こんな感じだろうか・・・。 諸賢によって、より簡潔で判り易いものに添削されることを切に望む。 ちなみに、「(2としての)私」個人は、 このスレでの一連の流れの『私』を 5 と見るものであり、 6 を、(根源的実在・実体として)否定するものであり、 1〜5全て、諸条件により(仮に)そこに顕現している、と見るものである。
115 :
参考 :2008/01/09(水) 22:51:23 0
140 考える名無しさん sage 2007/05/11(金) 18:25:22 0 >> 136 指し示し方が直接的か媒介的かの違いでしょ。 何を媒介に選ぶかで示し方も変わる(言語、他人、鏡、etc) 直接的には自分の背中を見るようなものだから、どこかで 「近似的」にならざるを得ない。その折衷が「物自体」 141 考える名無しさん sage 2007/05/11(金) 19:16:58 0 >> 140 指し示されているものは全て同じものってこと? 142 考える名無しさん 2007/05/11(金) 19:20:06 0 > 141 鋭い!! 143 考える名無しさん sage 2007/05/11(金) 20:15:47 0 そして、そういったデカルトの「コギト」的な、固い核としての「わたし」 ではなくて、あらゆる言語の束を縫い止める空虚としての「わたし」という 別の定義がある。
116 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/01/10(木) 00:21:50 0
私の存在性が現象しないというものが限界と言いますか 現実を軽視し過ぎているのではないでしょうか。 現象しない私が、どういう形で思考、行動に作用し現れるのか この辺りは全く説明されておられません。 難しい問題ではありますが。
哲学者最高位の思考実験は論破されている。 最高位の思考実験をまとめると、 @ 同じ組成の体を2体用意する。 A 2体それぞれが「私」という言葉を使用する。 B お互いの「私」が不嵌入(はまり込まない)の関係である。 C よって「私」と物質は関係なく、唯物論は誤り。 と、非論理的な結論を導いている。 哲学者最高位は「同じ」というのを「時間空間を同一」にする事 と、「時空は同一ではないが記号として同一」にする事とを 混同している。 思考実験の2体は、組成としてカルシウム等が「記号として同じに」 過ぎず、さらに2体が記号として「私」という「同じ記号」を 使用しているのだから、唯物論的には何の矛盾もないのである。 よって、哲学者最高位の思考実験では唯物論は論破できない。
118 :
考える名無しさん :2008/01/10(木) 03:19:59 0
>>117 嘘はいけませんよ。機械さんw
教科書に書いてあることが正しいか?なんて、あからさまな論点ずらしもいけませんよw
次スレが立っても、この点は糾弾していきますよ。
118さんが嘘を言っているのでしょう。 最高位さんの思考実験の論理的誤謬に騙されている人の脳は、 ハードとして出来が悪いと言わざるを得ません。
120 :
考える名無しさん :2008/01/10(木) 07:47:33 0
121 :
ちゅう :2008/01/10(木) 09:06:01 0
「私」と言うのは「絶対矛盾的自己同一」とも言うとおり 「おなじだから私」ではなく「ちがっても私」なんだ。 「私」の根拠なんか名前の同一性と「私は私」と思うことくらいしかない。
122 :
考える名無しさん :2008/01/10(木) 10:25:01 0
>>121 嘘はいけませんよ。ちゅうさんw
絶対矛盾的自己同一が正しいか?なんて、あからさまな論点ずらしもいけませんよw
次スレが立っても、この点は糾弾していきますよ。
123 :
ちゅう :2008/01/10(木) 11:22:53 O
次スレと言わないでいますぐ書けばいいじゃないか。期待してるよ。どこがどう間違いなんだ?
屁理屈の知ったかぶりが目立つ
125 :
考える名無しさん :2008/01/10(木) 14:54:43 0
>>121 根拠が問われている理由は、自我が実体をもつ実在物なのか、
感覚の疑似的体験としての仮想現実virtual realityなのか、という問題だから。
他のものに依存することなく、それ自体としてある実体・基体なのか、
実際に存在するように感覚に現れながらも、実在性をもたない仮象なのか、という問いだから。
だからこそ存在根拠が求められ、根拠が真であるような証明をする必要がある。
自我には推測があるだけで証明がなく、「自我が存在する」と言う命題の、
真理か仮説か、実体か仮定か、が問われている。
「推測ができるだけ」であるならば、存在根拠は無いに同じ。
根拠がないものを「存在する」と置くのは、欺瞞である。
「私の存在性」は仮定である。
126 :
ちゅう :2008/01/10(木) 15:47:29 0
127 :
考える名無しさん :2008/01/11(金) 15:44:12 0
>126 西洋哲学で「私と言う実体は無い」という時、 輪廻転生するような実体は無い、という意味なのを理解しているのだろうね。 西洋哲学で「実体をもつ自我が無い」と言明をする時は、「人間には阿頼耶識がない」、という意味なんだよ。 証明がなく、根拠がないもの(阿頼耶識)を「存在する」と置くのは、欺瞞である。 実体をもたない「阿頼耶識」は、存在根拠がなく仮定である、という意味だよ。
128 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/12(土) 03:53:07 0
>>121 >「私」の根拠なんか名前の同一性と「私は私」と思うことくらいしかない。
思うことくらいしかない
って
それは誰が思ってんの?
ようは
『私』は、いるのかいないのか
『キミ』は、いるのかいないのか
『私』は、いかなる角度から考えても「いる」という結論以外にありえないんだよ
私はいるのよ
キミは、いないのか?
ゾンビなの?キミ
>>125 >「私の存在性」は仮定である。
誰が仮定してんの?
ホントに、いつまで経っても頭のおかしな人ばっかり来るなぁ・・・
129 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/12(土) 04:08:23 0
>>126 >「私には実体は無い」と言うことなんだが。
「実体が無い」という事と、「存在」という事は、別だよ?
実体があろうが無かろうが
『私』が存在している事を否定する事とは別問題なんだよ
実体はあやふやだが、いかにしても『私』の存在性を否定する事はできないでしょう
できる人がいるとしたら
それは文字通り、『自我』の無い人 か
もしくは基地外さんでしょう
唯物論者は、私の実体は「この体」だと言う
当たり前だな?
しかし突き詰めて行けば
「この体」の側に『私』を特定できる原因的要素は絶対に発見できないのですよ
「この体」が「この私」だ というのは、ヒジョーに浅い、素朴実在論であり
現代哲学の次元から考えれば、極めて前時代的で幼稚な思想である と言えます
バイクは体の一部だから私自身と一体だ。 乾燥重量300kg…orz 重たい一部
131 :
考える名無しさん :2008/01/12(土) 05:07:20 0
>>129 浅いのはおまえwそれで何を深く考えられるのかねえw
発見できないのもおまえが馬鹿だからw
132 :
考える名無しさん :2008/01/12(土) 05:33:13 0
他人からすればはちゃめちゃな論理でも、本人が納得しているのならば それでいいではないかな。 学問ではないけど。
133 :
考える名無しさん :2008/01/12(土) 05:37:46 0
思うものが思うんだよね。おかあさん。 この子は天才。
この体はこの私 あの体はあの私
135 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/12(土) 06:48:04 0
まともに反論できる人はいないんだな 当たり前だけどね しかし、このスレには なんとまぁ自我意識の薄い、知能の低い人が多いのかねぇ それじゃ、まともな問題意識すら持てないだろ 私が存在した不思議 の その不思議さが理解できるか?(苦笑 なんで不思議なんか、わかるか? わかんねぇんだろ〜なぁ〜
136 :
考える名無しさん :2008/01/12(土) 08:29:06 0
おかあさんには私が存在した不思議の その不思議さが理解できるよね? おかあさんにも僕にも見えないけどちゃんとその人の私がちゃんといるんだよね 僕はほんとにわかったんだ これはすご杉なことなんだって これが存在するってことは人智を超えているけどちっともわかってない人大杉 僕がこれはすごーく不思議な奇跡だってこと皆に教えてあげないとだめみたい とうぶん僕は奉仕だと思って、つづけてみるよ 僕は役立つことが好きなんだ この子天才
137 :
考える名無しさん :2008/01/12(土) 08:33:32 0
jgh
138 :
考える名無しさん :2008/01/12(土) 08:53:59 0
自我は、あくまでも経験的実在ではなく、実在を表象する作用点であり、 いわば論理的構成物に近いものだ。
最高位は頭が悪い哲学厨房かもしれないが、 哲学を純粋に楽しんでいる人だと思う。
いや、もう後に引けなくなってるだけでしょ。 他人を馬鹿にしてようやく自我を保ってるタイプ。 何年も粘着して馬鹿にされ続けた子の末路だな。
141 :
考える名無しさん :2008/01/12(土) 09:56:56 0
てか、霊魂信じてるし。 霊魂って言えないから自我とか「私」とか言う。 私が人間でなくなっても、私が私として存在するなら なんて もろだな。
142 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/12(土) 10:11:42 0
>>136 「不思議だ」は、普通の人なら思ってる事なんだよ
「唯物論は間違いだ」という事を、論理的に言える所まで行かないとね
>>139 人のこと頭悪いって、何の根拠で言ってんの??
根拠ぐらい書けよ
キミこそ頭悪そうだよ?
>>140 それはキミだろ(爆笑
>>141 霊魂て何?
143 :
ちゅう :2008/01/12(土) 10:12:08 0
>>129 >「実体が無い」という事と、「存在」という事は、別だよ?
それは「実体」と「存在」をどう定義するかによるだろう。
「もの」が他のものに依拠することなく、それ自体で「存在」する、
というときこれは「実体として存在」することを意味する。
存在するものが実体であるということだ。別のことでは無いだろ。
144 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/12(土) 10:30:00 0
>>143 する、といわないとき
または、わからんとき
は、どうなるんだ?(苦笑
そりゃあ、同じだと定義すれば同じだろバカ
ホントに頭、大丈夫か???
最高位は馬鹿なんだから人の話に割り込まん方がいいぞ。邪魔になる。
146 :
考える名無しさん :2008/01/12(土) 11:31:23 0
>>142 私たちが人間でなくなっても私としてあるものを霊魂というのだと、零の会とかいう人がもうしておりました
貴兄は零の会なんてみょうな信仰集団の人ではないでしょうけどねぇ。
147 :
考える名無しさん :2008/01/12(土) 11:40:46 0
>>142 ひとの気持ちとか感覚とか意志とか認識というものの源らしいです。
それが肉体から肉体に移行する。
実体ではないけど、非存在なのではない。皆さんが誰しもが気づいていて
その存在には気づかないものらしいです。
148 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/12(土) 12:00:12 0
>>145 バカどうしのアホ会話を聞いてるとさ
イライラして、どうしても割り込みたくなっちゃうんだよ
お前らどうして、そんなにアホなのかね?とね
まぁアホどうし楽しんでるのに、邪魔ななのはわかるけどね
我慢できんのよ(苦笑
>>146 >>147 私は
死んだ後の事はわからんけど
今『私』は存在しているのだ という当たり前の事を言っているだけだよ
死後の世界について、思い付きとか想像で語ると、まんま宗教になる
べつに宗教を否定するわけではないが
もちろん、論理的に哲学するなら分けて考える必要があるね
150 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/12(土) 12:09:04 0
仮定された有機交流電灯のひとつの青い照明です
152 :
考える名無しさん :2008/01/12(土) 12:12:45 0
はいはい 唯「物」から離れられない馬鹿学者最低位 私について議論しましょうねwww ぷっぷっぷ
153 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/12(土) 12:20:03 0
154 :
考える名無しさん :2008/01/12(土) 12:21:53 0
155 :
考える名無しさん :2008/01/12(土) 12:22:21 0
最高位さまは 【弁証法的唯物論】唯物論研究会【史的唯物論】スレッドに たまには訪れるのですか
>>150 「存在」が何かわからないのに「私は存在している」のは当たり前の事になるの?
少なくとも「存在」と「私」の二つを理解できていなければ、「私は存在している」という事は理解できないのでは?
157 :
考える名無しさん :2008/01/12(土) 12:29:58 0
12 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/31(月) 15:47:10 0
>>11 キミの文章が、まるでダメだ
根拠が全然書かれていない
相手がいるんだからさ
せめて会話の基礎ぐらい押さえてから来てよ
___
/⌒ ⌒\ ━━┓┃┃
/(  ̄) (_)\ ┃ ━━━━━━━━
/::::::⌒(__人__)⌒:::: \ ┃ ┃┃┃
| ゝ'゚ ≦ 三 ゚。 ゚ ┛
\ 。≧ 三 ==-
-ァ, ≧=- 。
イレ,、 >三 。゚ ・ ゚
≦`Vヾ ヾ ≧
。゚ /。・イハ 、、 `ミ 。 ゚ 。 ・
158 :
考える名無しさん :2008/01/12(土) 12:30:36 0
最高位って何か言うたびに矛盾かましているな。馬鹿未満だ。
存在て言語発生時からの原初的な前提。
狼少年が信じてもらえず狼に食べられたのは最高位が嘘八百並べ立てて信じて貰えないのと同じ。 存在てのは人々に復讐する。
162 :
考える名無しさん :2008/01/12(土) 14:09:44 0
私の自我が演ずるちぐはぐコントです。
163 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/12(土) 14:18:00 0
>>154 読んだけど??
で、いったい何が議論したいのかね?
>>155 行ったこと無いと思います
>>156 簡単に言えば『ある』という事だろ
少なくとも、『我あり』は否定できない
「我はいない」と、いくら思ったとしても
それを思っているのは『我』なんだしね(笑
だが、そもそも『あり』って、いったい何なんだろう と突き詰めて考えた時に
人類は未だ、それに対して明確な答えを出す事ができていないわけだよ
こういう小学生用みたいな解説を、いちいちしてあげなきゃわからんのかね??
>>158 >私もそう思いました。
そそ
「いる」んだろ? 『私』(苦笑
164 :
3時で1時 :2008/01/12(土) 16:10:51 0
〈疑っている私〉だけが疑えないのではない。 自らの認識を疑う根拠として私が挙げている夢・嘘・騙し、錯覚、勘違い、 あるいは幻覚・知覚障害があるといった事柄は、世間一般、他者達の間で、 「そういうことは、ある」と認知されているものばかりなのである。 すると、事柄を共有している世間・人間社会・他者の存在も疑いえないのである。 「これは夢かも知れない」と根拠を挙げても、相手が夢を体験したことのない、 意味さえ知らない人ばかりであるなら、それは根拠として成り立たないだろう。 私が根拠として挙げるものは、「世間で知られているはずの私が信じる事項」であり、 「あなたもそういうことは承知しているでしょう?」と言い得る事柄である。 私が疑うとき、他者達と共有しうるであろう土台を信じているのである。
165 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/12(土) 17:48:22 0
>>164 キミは懐疑論という基礎的なものが、全く理解できていないな
166 :
考える名無しさん :2008/01/12(土) 17:59:00 0
観念論の歴史的経緯を簡単におさらいしておこう。 バークリーが観念論の中興の祖といえると思うが、彼は人間の認識は全て観念の内にあると論証し、 物自体を否定して物質否定論を主張し、観念の内にない物は非存在とすると結論づけた。 そして、心(自我)と認識の観念があるだけとしたのだが、バークリーは神学者であったので、 心(自我)をどうしても論証しようとしたのだが、表象、現象、あらゆる感覚の内に自我の存在を論証することができず、 その結果、「観念の内には心(自我)は存在しない」と結論づけるしかなかったのである。 この論証をヒュームが継承し、物自体を知覚することは不可能であると認めた上で、あらゆる知覚の内に自我は存在しないとし、 「観念の内には自我はなく、人は知覚の束である」と結論づけた。 カントは現象界に認識が限定されるとし、フッサールも「実体を持った自我」に言及することが超越論になることを認め、 超越的主観と結論した。現象界に自我の存在が論証できないのだから、超越論になるのは当然の帰結である。 実存主義などで主体が強調されるが、この主体とは「意識、仮象されている自我意識」という意味がつよく、 輪廻するような実体をもった、魂のような意味での主体(自我)でないことはいうまでもない。 無知蒙昧な最高位は「自我の存在性を論理的に否定してください」などというが、 自我の存在を否定した厳密な論証など幾らでもある。しかもこれらは観念論の立場に立つ哲学者から提出されているのだ。
>>163 存在ってなんなの?
夢は「存在している」と言える?
夢の中に出てくる登場人物は「存在している」の?
「思っている」の主体が「自分」であると何故言い切れるの?
168 :
3時で1時 :2008/01/12(土) 18:15:40 0
>>165 またまたバカ妄想かい??やれやれ的はずれすぎるわw
俺が一般論やほかの分野で、絶対的な真実が存在しうると言っているとでも?
ていうか、お前は「懐疑論」という土台は信じられるというのだな?
お前の反応ワンパターンで嗤えるわw
>>166 解り易い解説蟻。
このスレ的には、
「知覚の束」という捉え方と、
「超越的にならざるを得ない」のか、
のニ点を軸とするのがふさわしいかもしれない。
170 :
3時で1時 :2008/01/12(土) 18:26:03 0
>>165 お前は
>人類は未だ、それに対して明確な答えを出す事ができていないわけだよ
と書いてるわけだが、さて、「人類」なるものは存在するのかね?
お前の書き込みは、通じるはずもない私的言語かw?
171 :
考える名無しさん :2008/01/12(土) 18:49:37 0
>169 観念という語の定義にもよるけども、カント的にいえば、知覚の集積場に自我が仮象される統覚でしかない、 というしかないかもしれない。現象界の内にないモノを非存在と定義するなら、自我は非存在とするしかない。 観念論の大テーゼ、「認識されないモノは存在しない」、とすると、 自我は知覚器官で捉えられないし、知覚されないのだから、認識もできないと結論するしかなくなる。 どうしても自我に言及しようとすると、超越になってしまうんだ。
最高位はもう馬鹿の相手をしてストレスを溜め込むようなことはしないで ちゃんと哲学の勉強をしたほうがいいんじゃない? せっかく重要な洞察を得たのにもったいない気がするよ。
173 :
考える名無しさん :2008/01/12(土) 19:18:03 0
誤解を招きそうなので>166を少し補足しとくとな。 バークリーは心(自我)を観念の外にある存在、と結論したんだよ。 彼は宗教家だったから、なにがなんでも自我を否定したくなかったんだな。 デカルトも、機械で出来た身体を、精神というパイロットが操縦しているという、 「ガンダムモデル」と提唱したんだ、これが二元論だ。 要点は、デカルトは、身体から独立して自我がある、と主張しているのだが、 バークリーの場合は観念の外に自我がある、としている点が違う。 しかしね、「観念の内に自我が無い」と結論しながら、認識内に無いけども心(自我)はある、と述べるのは強弁だね。 ヒュームの方が整合性がある。
174 :
考える名無しさん :2008/01/12(土) 19:21:01 O
仮に空間が気体であるなら、自分は物質として相反する立場に存在する。
175 :
考える名無しさん :2008/01/12(土) 19:27:14 0
>172 最高位が本当に哲学の学術書を読んだら、自説が崩壊していることに気づくよ。 もちろん勉強するのは厳密に論証されている西洋哲学の方だぞ。仏教や老荘思想じゃだめだからな。
自説というほど大したもんなのか?自我存在性理論
177 :
3時で1時 :2008/01/12(土) 19:37:48 0
「思う」とか「思っている」という語感から、対象の本質を抽出して、一挙に把握す るような能動的実体をイメージしてしまうことはあるだろうな。 画家が自らの脳裏に浮かび上がったものを捉え、キャンバスに具現化するというよう な作業をしている「我」がいるんだと。
懐疑論なんて無いよ?
180 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/13(日) 09:44:00 0
>>166 >無知蒙昧な最高位は「自我の存在性を論理的に否定してください」などというが、
>自我の存在を否定した厳密な論証など幾らでもある。
>しかもこれらは観念論の立場に立つ哲学者から提出されているのだ。
だからそれを、やって下さい と言ってるのに、わからん人だなぁ
ちなみに私は、観念論者でもありません
>>167 >夢は「存在している」と言える?
>夢の中に出てくる登場人物は「存在している」の?
そんなものは、存在してないんじゃないですか??
文学的には観念的存在なんて言ったりするでしょうが『存在性』ではありませんね
>「思っている」の主体が「自分」であると何故言い切れるの?
なぜ言い切れませんか?
言っている意味がわかりません
>>170 >さて、「人類」なるものは存在するのかね?
アホだなぁ
少なくとも『私』は存在してるんだよバカ
言っておくけど、私の哲学は、誰にでも理解できるもんじゃないぞ
自我があって、ある程度の知能がないと理解できませんよ
アホでも誰でも、万民が理解できる なんてものではありません
>>172 ありがとう
このスレにも、マトモな人は、いるんですね^^
>>180 こういう半可通っていまだにいるんだな。
哲学やり直した方がいいよ。
182 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/13(日) 12:11:28 0
183 :
3時で1時 :2008/01/13(日) 13:22:18 0
>>180 >アホだなぁ
>少なくとも『私』は存在してるんだよバカ
>言っておくけど、私の哲学は、誰にでも理解できるもんじゃないぞ
>自我があって、ある程度の知能がないと理解できませんよ
>アホでも誰でも、万民が理解できる なんてものではありません
お前は「共有しうる土台を」どうしても否定してしまいたようだな。
で、相手が存在する可能性を信じてもいないし、
自分の言っていることが理解されるだろうこともまったく信じていない。
まったく信じてもいないのに相手に求める「理解」って何だよwww?
存在をまったく信じてない相手に「誰にでも理解できるわけではありません」って
存在するはずもないのに、理解されるはずがないだろうが。当たり前だろ。
どこまでバカなんかだか。お前のバカさ加減は臨界点を超してるぞ。
嗤えるどころか、寒気さえ覚える……深刻すぎる!
184 :
3時で1時 :2008/01/13(日) 13:23:30 0
>>180 >少なくとも『私』は存在してるんだよバカ
ってさ、その『私』が何であるかが示されても居ないのに、
「解れ」ってのがバカなんだよ。無節操に『私』を書き並べるなよ。
俺だったら読む人が混乱しないようにできるだけ配慮するがね。
俺にとっては『私』は1人の知覚・認識されうる人間である。
思う主体でもあり、運動主体でもあるから、生活主体でもある。
これは知覚されるそのままの姿で「実在している」ってことじゃない。
しかし、何も知覚されなければ「これ」も「あれ」も無い。
「我」とか「思う」という概念・言葉は、俺が作ったものではなく、
俺のみに通用するものでもない。……これが重要なんだ。
「僕」でも「儂」でもでもいいけど、自分だけの概念・言葉ではない。
そうでなくては、「俺はこう思うんだ」とか「キミもだろ?」が意味を成さない。
むしろ、「俺」が「思う」という言葉を「知っている」ことに私的必然性がない。
だから、「我思う」という自覚は、「認識のはたらき」を示しているだけなんだ。
俺の思い・考えが、主観的であり、個別的・差異があるというのは、比較が前提されている。
「我」は、誰と、何と比較して「このように思う」んだ?何故、比較できるんだ?
185 :
(酔)短パン :2008/01/13(日) 13:28:16 0
多さ、少なさ、は。ネットの中では大きな意味を持つ。 ただ、それは、デジタルに巻かれた本人の世迷言に過ぎないが・・・ 私は私を解釈し、必要ならば介錯とする。 だけど、それを公表するかせずかは、また、本題からははずれてしまうだろう・・・ 書かないね。普通の神経じゃ
186 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/13(日) 13:46:01 0
3時で1時くん 結局キミは、何が言いたいの? 名前と同じで、全く意味がわからん ノイローゼか何かじゃないのか? 今日は特に、ひどい症状がでているようだ 一度、病院の先生に相談してみた方がいいよ
187 :
3時で1時 :2008/01/13(日) 13:52:43 0
>>186 「ぞんざい性」君よ。
バカ妄想もほどほどに……ってことなんだがな。
だからさ最高位よ、誰にでも理解できる程易しいもんじゃないなら、 知識人や学術誌に論文として送ってみろって。そこで認められれば白黒つくだろう? こんなところでグダグダしてるよりずっと手っ取り早いし、 上手くすれば哲学者として名が売れるだろ。いい事づくめじゃないか。 哲板でウダウダしてても時間の無駄だろ。早く世に出ろって。
「我思う故に我在り」をググってデカルトの考えたことを 追体験してみればわかるんだよ。ふつうは。 だから「私」の概念がわかっていないからどうとか 「私」とは文法的な要請で成立するとか そんな反論を目にするたびに ぜんぜん理解してないなー。と思ってしまうのさ。
190 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/01/13(日) 14:32:33 0
最高位さんの私の存在性理論は 他人に伝えることが出来るか否か これも重要だと思いますよ。 まして、唯物論を否定する為だけに用意されたものでしたら なおさらの事ですね。
191 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/13(日) 14:34:28 0
>>188 そんな事しようとすれば、ちゃんとした文章をまとめ上げなきゃいかんだろ
面倒くさいわ(爆笑
>>189 あなた、ここでは珍しい、マトモな人ですね(笑
192 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/13(日) 14:35:35 0
>>190 釈尊の悟りは、簡単に人に伝わりますか?(爆笑
>>190 もちろん他人に伝えることはできるでしょうね。
最高位は悟りを開いたと嘘吐いてるのか・・・
>>191 面倒くさい?
ばっか、一度書いたら後は「俺の論文読めこの馬鹿タレ(笑」で通るんだぞ。
後々の事考えたら超楽じゃん。こんなとこで延々と説明するよりずっとな。
それに哲学者として世に出たら、それこそ賢い人たちとも存分に会話できるぞ。
持論に自信があるなら尚更、やって損はないだろ。
196 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/01/13(日) 14:46:38 0
>>192 最高位さん
簡単に伝わらない理由は
「自我」であり第七識である「末那識」なのですよ。
五感、意識の表層ですべてを説明するには無理があるんですね。
197 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/13(日) 14:51:27 0
>>196 だったら人に、説明しろ なんて簡単に言うなや ボケ
198 :
考える名無しさん :2008/01/13(日) 14:51:37 0
>>189 このような非論理的思考を目にするたびに
純粋哲学をぜんぜん理解してないなー。と思ってしまうのさ。
最高位の「私」は自我の置き換えなのでデカルト以前の問題。
200 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/01/13(日) 14:54:41 0
補足として
釈尊の悟りに限らず、全てに当てはまることです。
これもまた重要な事であります。
>>197 最高位さん
最高位さんの論は残念ながらその手段を持ち合わせて居られないか
自ら閉じてしまっているだけですね。
それでは他に伝わらない。
201 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/13(日) 14:55:34 0
>>199 と、言うよりは
デカルトよりも、更に根源的問題
と言ってもらいたい(笑
と、デカルトを理解できない人が申しておりますw
私の主観性は完璧だと主張する最高位君に実は完全な主観性なんてものは 言語を扱う限りあり得ないんだよと教えると脳味噌が沸騰してぶち切れる。
また主観性を主張するためには唯一言語的手段しかないてのもある。
>>207 純粋に哲学するって何だ?
言葉遊びのことか?
とりあえず「私」の存在性は記述できないと最高位は降参した。 でも「私」は確かに存在しているだろと言い続けている。 要するに堂々巡り。 こんなのはデカルトの方法的懐疑(三部作の序説に書いただけのことなんだけどね)と 次元が違う。
>>208 >純粋に哲学するって何だ?
すくなくとも言葉遊びと哲学の区別がつくってことだよ。
自説を理路整然と展開できないということはその自説が存在しないということと等価。
>>210 そうではないな。
哲学は単なる言葉遊びだと言われている。
だから分析哲学が主流になった。
>>212 すごい理解だなw
すこしは勉強しろよ。
>>213 今は形而上学(最高位の私の存在性等)は文献学の範疇になっている。
ある意味、古典的な哲学というのは既に放逐されてるわけだ。
勉強しているかどうかは何かを尋ねてそれに的確かつ明晰に解答できるかどうかだ。
君の場合は勉強したけどわからないから他人もわからないに違いないと言ってるに過ぎない。
哲学には知性と素養(勉強ね)が要求されるから相手を選ぶ。
215 :
考える名無しさん :2008/01/13(日) 16:33:20 0
>>189 は仏教か神道などをしている人なのかな。
少なくとも哲学を学んだ経験がなく、学術機関で行われている哲学について全く知らないのだろう。
学術用語として普通に使われている、純粋哲学という語を知らないということは、
全く学識がない人、と判断するしかないな。この用語を知らないのは恥ずかしいぞ。低学歴だとばれてしまうから。
この板には無学な宗教家が跋扈しているので、哲学がどのように研究されているかも知らない人が多い。
酷いのになると宗教的な思索や、漫然と生き方について考えることを、哲学だと勘違いしている人もいる。
哲学書を読んだ経験がないから、哲学者の営為を全く知りもしないで、
どのような研究がなされてきたかさえ、知らないのだろうな。
216 :
鳥の味方 :2008/01/13(日) 16:58:45 0
>>200 たしかに向こうの(決定論)スレの住人も含めて“閉じた(独りよがりの)”言葉
を使いたがる輩が少なくない。そのなかで、最高位は“開いた”表現を心がけ
ているのではないか。これほどレスがつくのがその証左である。ほとんどの
書き込みは相手にもされない。
最高位の言述を「浅い」とみる向きもあるが、それこそ浅見。彼は、シンプル
に述べているだけ。長々と無意味な駄文を連ねる連中の多いなかで、機械氏、
超絶氏、ラビ氏のそれは最高位と並んでわかりやすい。2chに書き込むのなら、
すべからくw彼らを見習うべし。
なお唯識氏のそれはここへ来て、かなり開かれてきたとは思う。それでもまだ
上記の人たちと比べるなら、隠語くささを免れていない。w
最高位に論文を書け、なんぞという輩がいるけれども、噴飯もの。w 論文に
たいした価値なんかないよ。
217 :
考える名無しさん :2008/01/13(日) 17:03:31 0
デカルト読んだことないといいながら デカルトよりも、更に根源的問題 と言ってる時点でアホさらし。
218 :
考える名無しさん :2008/01/13(日) 17:12:39 0
>>215 よい指摘をさなれたと思います。
わたくしめは、応用哲学と純粋哲学くらいの区別はついているつもり。
219 :
考える名無しさん :2008/01/13(日) 17:26:49 0
705 名前:('A`) :2008/01/13(日) 16:52:34 O
両親が妹のコンサート聴きにレストランに出掛ける
706 名前:('A`) :2008/01/13(日) 16:56:39 0
>>705 彼女連れ込んでセックスするチャンスだな
>>214 おいおい現代哲学の主流は形而上学だよ。
いったいなにを勉強してるんだか。
221 :
考える名無しさん :2008/01/13(日) 17:28:57 O
全然違う。ダメだ。わかるまでよくみろ
222 :
考える名無しさん :2008/01/13(日) 17:30:16 0
自爆見本か?w
なんだよ。知らないで言ってるのかよ。
>>216 価値があるかどうかは中身次第だな。だから書いてみればいいと言っている。
持論に間違いがないと思うなら尚更ね。
そもそも、哲学ってのは 「“哲学”しよう!」と思ってするものなのか? 思索して思索して思索して、結果それが哲学だった、という方が 的を射ていると思うが・・・。 思索して思索して思索して、結果それが宗教だった、とか 思索して思索して思索して、結果それが文学だった、とか 思索して思索して思索して、結果それが宇宙論だった、とか 色々ありそうだけど、 最初から「○○しよう」というのは些か実状を外れているような気がする。
最高位については俺は論文を書けとは言わないがもう少し謙虚になって欲しいとは思う。
いや、2ちゃんでは偉そうなのも芸の内なんだろうから哲学板では「俺が唯物論を史上初めて論破した」とかぶっこいてても別にかまわない。
それを皆いろんな意味で楽しんでもいるから。
ただ実生活では哲学の本も読んで欲しい。
永井やチャルマースもネットで名前を知って終わりじゃなくて本を手にとってみてほしい。
そして哲学というものが一筋縄ではいかないものだということを知って欲しい。
俺は最高位の考え方が俺様的な幼稚なものであってもそこになにかしら哲学の萌芽みたいなものを感じるから。
以前感嘆子が最高位を「おまえ」呼ばわりしてた頃いくつか忠告してたがなかなか良いことを言っていたよ。
↓の993-995なんだけど。
意識って、いったい何だ?
http://www.emit.jp/ai/philo/1111231221.html
へー。感嘆子ってあんなんだったんだ。 意外だなあ。
230 :
鳥の味方 :2008/01/13(日) 19:21:09 0
>>227 ところで、あのスレのSYNはラビ氏のことだろう?
もっとも、だれかをだれかに擬えて当たったタメシがないので自信はないが。w
以前は、感嘆子と唯識氏を同一人物視したことがあったし、最近は超絶氏を
衒学クンとみなして、クレームをつけられた。が、これは当たっているのでは?
231 :
考える名無しさん :2008/01/13(日) 20:13:24 0
232 :
考える名無しさん :2008/01/13(日) 20:23:49 0
>>226 「しよう」と思ってやるものでないのなら、自由意志の否定。
結果それが哲学なら、決定論者。
でOK?
>>232 違う。
初めから「○○を」しよう、という
「○○の設定が先に来なければならない!」というニュアンスのレスが多かったから
茶々を入れたまで。
自由意志とか決定論とか、そんなのは眼中になかったw
>>216 コテハンの書き込みは要領が悪いせいか読みづらいのが多い。
鳥の味方(元ネコの味方)もわかりづらい。
あまりまとまった思考力を訓練して来なくて対話の経験もないからだと思われ。
日本人はこういう対話ない社会で育つから議論好きの議論下手が勢揃いする。
235 :
考える名無しさん :2008/01/13(日) 22:59:19 0
幼稚・シンプル・変わってる・かまいやすい
>>227 >以前感嘆子が最高位を「おまえ」呼ばわりしてた頃いくつか忠告してたがなかなか良いことを言っていたよ。
要は「無知」とか「馬鹿」しか言ってないじゃん。
そういう批判しかできないのは、なさけないよ。。。
237 :
鳥の味方 :2008/01/14(月) 00:20:56 0
>>234 「あまりまとまった思考力を訓練して来なくて…」といった日本語にも
なっていない文章を書く君が“まとまった思考力を訓練してきたw”とは
思えないのだけど。
名無しだと、こういう文章も終わりまでつきあわされてしまうんだよ。
コテをつけることを君には勧める。
もしかすれば、君は外国人? それなら許せ。
238 :
考える名無しさん :2008/01/14(月) 00:29:03 0
>>237 その「あまり」は「訓練して来なくて」に係ってるんじゃないの?
それぐらい読み取れw
240 :
考える名無しさん :2008/01/14(月) 03:25:29 0
2人出会った日が、少しづつ思い出になっても 愛してる〜
>>236 決定論スレも含めて過去ログ読破してから言えよw
244 :
鳥の味方 :2008/01/14(月) 11:32:30 0
>>238 「あまり」は程度を表わす副詞で、それはどうでもいい。
「まとまった思考力w」って、どんな思考力だ?と訊いているのである。
どこが突っ込まれているのかくらいは、読み取れよ。w
当面は“鳥瞰”ではなく“虫瞰”することにする。w
>>242 過去ログを読破しろ、というのは野暮の骨頂。w いま、言いなさい。
>>244 >過去ログを読破しろ、というのは野暮の骨頂。w いま、言いなさい。
マジレスか?軽口か?
>>245 過去ログなんか、2ちゃんだからどーでもいいんでない。落書き読破しろって言われてるのと
おんなじ。。それはマジレスでしょう。。
>>246 鈴木さんと田中さんが対話(議論)をしている時、
鈴木さんが、ある場所でAという事柄とBという事柄とCという事柄について述べたとする。
田中さんはそれぞれに対して、ズレた答話を繰り返し、鈴木さんはイライラがつのっていた。
意図的に文意を(或いは内容を)避けているのか、堂々巡りが続く。
そこで業を煮やした鈴木さんは、ABCそれぞれをどう扱うべきか
Aに関する(1)、Bに関する(2)、Cに関する(3)、と箇条書きにしながら(ア)という発言で非難をした。
非難には罵詈雑言が含まれていた。
その時、(ア)には、ABCそれぞれに関連する部分((1)(2)(3))が少なからずあったが、
第三者は罵倒のみを抽出し、「(ア)は罵詈雑言じゃん」という。
が、それは(ア)という文章を読めているのか?
(ア)という文章にABCの詳細が述べられていないとしても、
それは、「他の場所で散々述べられている」ことでもあり、
また(ア)という文章をシンプルにするために省略されているものだ。
わざわざABCの詳細を盛り込んで冗長にするよりは、シンプルに(ア)の文意を提示した方がいいに決まっている。
その第三者が(1)(2)(3)を読めずに天然で(ア)を罵倒のみと判断したのだとしても、
或いは、意図的に無視して罵倒のみと揶揄したのだとしても、
「(1)(2)(3)と連なるABCについては、散々述べられている」「鈴木さんが罵詈雑言のみを発言している人物ではない」、
ということを指摘することはそんなにもおかしなことか?
その第三者が天然であれば、
「鈴木さんには罵詈雑言以外の発言がある」→「(ア)という発言は堆積した応答の区切りとしてなされたものであること」
意図的な無視であれば、
「(ア)は、堆積した応答の区切りであること」「(ア)以外の発言もある、ということを再提示すること」
は、そんなにもおかしなことか?
仮にも、言葉を駆使し、作文し、応答を交わす場であるなら、
あまりにもイイカゲンで無礼な態度だろ?2ch云々ではない。
(レスの一部にしか触れない、最高位やネコの態度は面白くもあるが、頻繁過ぎて時折カチンとくるw)
>>242 は軽口のつもりだったが、
>>244 がマジレスの場合に合わせてマジレスを返してみるw
んーネコ氏の発言にカチンときてたというのは分かった。それなら指摘してもおかしくはない。。 私も最初はそういう顔の見えない独特の「2ちゃん」という場に戸惑ったが、最近は自分の発言 の後の10レスぐらいは無視しています。。 ただ2者の間の議論は顔が見えない分だけ容易にヒートアップするので(特にネコ氏のように レスにwをいれる場合には)、第3者が間接的にはいると、レスしあってる人も、気持ち冷静 になれると思いまして。。 最高位氏はどーでもいいとして、ネコ氏のレスへの対応についても、まあほどほどがいい のでは・・・。
ネコが必死になって揚げ足取りに夢中なのはとりあえずわかった。 あっちのスレでも同様だがネコはコテに頭を撫でられたいが為に必死でここに来て働いているように見えるが 如何せん能力が・・・
>>248 今回カチンと来たのは236に対して。
そこへ、ネコがいつものようにじゃれてきたのでじゃれ返したまで。
御心配には及びません。ネコともそろそろ腐れ縁になってきてるし、自分は犬より猫派だw
最近は、ネコの茶々入れにマジレスを返す、というのが定番になりつつある。
そんな中での247ですので、お気遣いなく・・・w
251 :
考える名無しさん :2008/01/14(月) 18:32:40 0
>>244 :鳥の味方
>「まとまった思考力w」って、どんな思考力だ?と訊いているのである。
>どこが突っ込まれているのかくらいは、読み取れよ。w
「まとまった思考力」の意味が分からなかったら、
「思考力にまとまりがない」の意味を考えて、
その反対の状態を想像してみなさい。
君は、応用力が全然ないタイプだろww
252 :
考える名無しさん :2008/01/14(月) 18:44:31 0
>>247 ちがうな。
>>227 が3つのレスを指示したのに対して、
>>236 が指示された3つのレスを読んで、その感想を述べている。
その
>>236 に対して、
>>242 が
『決定論スレも含めて過去ログ読破してから言えよw 』
と言うのは、おかしいだろ?
>>242 のおかしさが、君には分からないの?
993 名前:957 投稿日:2005/04/24(日) 11:19:18 さて、ここからは教訓だ。 1.唯物論の意味を正しく理解せよ。 唯物論は「精神や心や自我と呼ばれる現象は、物質(脳)の活動の結果である」 と考える。これが正しいかどうかは、わからない。 2.唯物論に対する意味のない反感を捨てよ。 唯物論は人間を卑しめたり貶めたりするものではない。「自我は物質より尊い」 という考えには、根拠がない。「単なる物質」という言い方は、どちらかというと 物質に対する侮辱である。 唯物論とマルクス主義とは、何ら必然的関係を持たない。昔の反感は、唯物論 ではなくマルクス主義に向けること。 3.永井均的疑問を、唯物論批判と混同しないこと。 「この自我が<私>であったのは、どうしてか?」というのが永井の疑問。 独我論的に考えると、この疑問は「この宇宙がこういう宇宙であったのは、 どうしてか?」という、壮大な疑問とイコールだ。当然、答えはない。 一方、「自我」の正体は何か、という、比較的つまらない(というか矮小な) 疑問に対する一つの答えが唯物論。永井なら、「自分の根本的な疑問を、 唯物論だの何だのというくだらない問題と一緒にするな」と言うだろう。 ただし、三浦俊彦などは、この永井の疑問を「論理学的錯誤に基く擬似問題 に過ぎず、きれいさっぱり哲学から排除されるべきもの」だと言っている。 興味があるなら三浦の本も読め。どうせ読まないだろうがw
994 名前:957 投稿日:2005/04/24(日) 11:21:00 4.自分の馬鹿さを自覚し、論理的思考をする癖をつけろ。 俺は哲板の中でも相当に無知で馬鹿な方だと思っているが、その俺から 見てさえお前の馬鹿さ加減は手に取るようにわかる。自覚しろ。ま、 自覚できないから馬鹿なんだがw 特に、見当違いの「思考実験」で「唯物論を完全破壊した」とか わめくのは以後慎むこと。いくらお前でも、見当違いであることは、 もうわかったろw 風車に挑んでいるドンキホーテと一緒だぞ。 5.少しは本を読んで勉強しろ。 俺は本を読んでいないことでも哲板の中で相当の部類だと自覚しているが、 その俺から見てさえ、お前はあまりに無知すぎる。 言っておくが、哲学には短くみても2千年を超える歴史がある。 俺やお前が考える程度のことは、どこかで誰かがとっくの昔に考えて、 議論している。しかも俺やお前の十万倍くらい頭のいい人たちが、 はるかに緻密にはるかに徹底的にだ。ちょっと本を読めば、そのくらいの ことはすぐにわかる。そして、そうまでしても、どの問題についても 結論が出ない。だから哲学は面白いし、人によっては「無用の長物」でも あるわけだ。
995 名前:957 投稿日:2005/04/24(日) 11:23:40 6.少しは謙虚になって、態度を改めろ。 お前はどうしてそんなに自分のちっぽけなプライドを守りたがるのか。 お前や俺なんか、所詮広い哲学の世界では雑魚の中の雑魚に過ぎないと いうことが、どうしてわからん? 2ちゃんねるなんて狭い世界で 根拠のない自信を振り回して勝ち誇って見せたって、何にもならんぞ。 誰も誉めちゃくれん。お前だっていい歳なんだろうから、そのくらい わかるだろ。 自分が間違っていると思ったら、素直に態度を改めろ。他人の批判に さらされることによって、思考というのは進歩するんだ。 え、そういうお前の態度は何だ、って? これは相手がお前だからだよ。いつもはもっと謙虚なもんよw
257 :
考える名無しさん :2008/01/14(月) 19:00:37 0
258 :
考える名無しさん :2008/01/14(月) 19:01:00 0
鹿
>>257 は正論。
しかしこんな話題で盛り上がってもしょうがないだろ。
>>257 貴方こそ、
>>247 が読めていないようですねw
それに、流れからして誰が同一人物かは判りそうなもんですが・・・w
負け惜しみの捨て台詞で終わりか。。。
という負け惜しみの捨て台詞
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ミ / ,――――-ミ / / / \ | | / ,(・) (・) | (6 つ | | ___ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | /__/ / < んなわけねぇだろ! /| /\ \__________
265 :
考える名無しさん :2008/01/14(月) 20:40:35 0
>>264 君が
>>242 なら、最初(>242)がおかしかったから、
その後全部がおかしくなったということで、一件落着だよw
まあ一般的に「正しく理解しろ」っていう命令は ホームランを打てとサインをだすようなもんだな。
誤解なき理解はない 正しいただ一つの理解を得ることは不可能だし、そんなものを求める必要もない しかし、まったくの無理解もまた理解の一つだという強弁を許すのも気が引ける それでは理解を深めようとする行為がすべて崩れてしまう
269 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/18(金) 12:21:20 0
>>209 >とりあえず「私」の存在性は記述できないと最高位は降参した。
アホですか?
「記述できない」と記述してるだろ(笑
それだけでも、哲学的進歩だと言える
記述できないものであるならば、降参しなければならんのは唯物論者なんだよバカ(苦笑
270 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/18(金) 12:57:55 0
>>253 >1.唯物論の意味を正しく理解せよ。
>
>唯物論は「精神や心や自我と呼ばれる現象は、物質(脳)の活動の結果である」
>と考える。これが正しいかどうかは、わからない。
だから論理的に検証してるんだろバカ(苦笑
>2.唯物論に対する意味のない反感を捨てよ。
>
>唯物論は人間を卑しめたり貶めたりするものではない。「自我は物質より尊い」
>という考えには、根拠がない。
キミはゴミに人権を与え、捨てずに家に大切に置いておくべきだと思いますか?(爆笑
>「単なる物質」という言い方は、どちらかというと
>物質に対する侮辱である。
物質に対する侮辱 って、あんた・・・・(苦笑
>唯物論とマルクス主義とは、何ら必然的関係を持たない。昔の反感は、唯物論
>ではなくマルクス主義に向けること。
唯物論は、どういう思想だからマルクス主義に利用されたのかね?(笑
271 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/18(金) 13:09:45 0
続き >3.永井均的疑問を、唯物論批判と混同しないこと。 > >「この自我が<私>であったのは、どうしてか?」というのが永井の疑問。 この体の何の物理的要素が原因となって『私』が現象しているのかを説明できる根拠ぐらいは言えないと 『私』が物理現象であると主張なんて、できないんじゃないの?(爆笑 >独我論的に考えると、この疑問は「この宇宙がこういう宇宙であったのは、 >どうしてか?」という、壮大な疑問とイコールだ。当然、答えはない。 そういう壮大な疑問とイコールな次元の問題が、人間の精神にはある という事なんだよ 答えがないほど難しい問題が横たわっているのに、単純に「物理現象である」なんて主張する方がおかしいだろバカ >一方、「自我」の正体は何か、という、比較的つまらない(というか矮小な) >疑問に対する一つの答えが唯物論。永井なら、「自分の根本的な疑問を、 >唯物論だの何だのというくだらない問題と一緒にするな」と言うだろう。 「言うだろう」じゃダメだな それは単なる、理解の浅いキミの主張にすぎない
>>271 低脳乙w
また馬鹿みたいに内容がまったく無い書き込みで必死になっている。
そして最後はキミには理解できないということにして締めるオカルト馬鹿の一つ覚えw
>>272 哲学者最高位様に対して無礼である。
謝罪せよ。
>>269 「記述できない」と記述することと、
「私」を記述することは全く別問題。
「私」=「記述できない」と仮定すれば記述できない神秘的な物事は全て「私」に還元されるが
それはそれでまたおもろいから理論展開なり何なりやってみんしゃい。
275 :
ちゅう :2008/01/18(金) 20:00:51 0
>>269 >記述できないものであるならば
記述できないものに対する言葉は不要だね。
すなわち「「私」の存在性」などという言葉はいらない。
「私の存在性」は勿論記述可能だね。
言葉は物事を記述するためにある。
私は存在するものだ。 でいいじゃん。
思考の停滞=私の存在
278 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/18(金) 23:34:12 0
>>275 何を勘違いしてんだろねマッタク
「記述できない」というのは、特に物理現象で説明できない という意味なんだぞ?
ちゃんと理解できてから参加してくれよ
無茶苦茶アホだろキミ
>>277 『私の存在性』は、唯物論を破壊してしまうが故に
当然の事ながら、唯物論者の思考を停止させてしまう威力がある
というだけの話
>>278 思考が停止してしまうのは、あなたの頭が悪いからです。
>>278 >特に物理現象で説明できない
物理現象で説明するとは、どういう意味なのでしょうか?
最高位はバカw
282 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/18(金) 23:41:31 0
>>279 唯物論者の思考が停止するんだが??
ちゃんと読めよアホ
>>280 アホは、すっこんでろ
アホすぎる
283 :
ちゅう :2008/01/18(金) 23:53:09 0
>>278 >特に物理現象で説明できない
『私の存在性』は物理現象ではないから物理現象として
説明できないなんて言うまでも無いことだね。
284 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/18(金) 23:56:29 0
>>283 >『私の存在性』は物理現象ではないから
うむ
それがわかってるなら言う事はないよ
なんで反発してるんかね?
「唯物論は間違いだ」という結論が、理解できてるじゃないか
285 :
ちゅう :2008/01/19(土) 00:05:44 0
>>284 >「唯物論は間違いだ」という結論が、理解できてるじゃないか
唯物論にもいろいろ有るが唯物論のすべてが間違いとはいえない。
フォイエルバッハの人間学的唯物論なんてのも有るよ。
これなら唯心論とも折り合えるだろう。
286 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/19(土) 00:17:44 0
>>285 さては、キミは歴史的に繰り返されてきた「心身問題」の論点を理解していないな
もう、いい加減にしてほしいなホント
唯物論の主張は、「人間の精神は物理現象にすぎない」だろバカ
私は唯物論者が歴史を通して主張してきた「この主張」を破壊したんだよ
キミは、どうなんかね?
「人間の精神は物理現象にすぎない」と思ってるの?
どっちなん?←コレ大事
287 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 00:29:45 0
物って何?定義できんの?
288 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 00:34:22 0
>>最高位二(三?)代目 では人間の精神は何によって生まれているのだと考えているのでしょうか? あなたは物質ではないと言うんですよね? 人間には物自体がまだよくわかっていないのに、記述できるかできないかはわからないと思うのですが
289 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 00:36:11 0
物理現象って何?定義できてんの?みんなで共通理解してんの?
290 :
ちゅう :2008/01/19(土) 00:39:11 0
>>286 >唯物論の主張は、「人間の精神は物理現象にすぎない」だろバカ
これは間違いだろ。
唯物論なら人間の精神は身体特に脳の生理機能による随伴現象だろ。
精神は決して物理現象ではない。物理現象以外の現象を認める二元論
だろ。デカルトの心身二元論と変わらない。
ただその精神は身体に影響を及ぼす物理的因果作用を行えない、とする。
デカルトの情念論が失敗したところにとどまっているのが現在の脳科学
だね。やはり人間は身体の物理と神経系の情理との相互作用で理解しな
ければならない。物理と情理の統合がちゅうの夢だね。
291 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 00:43:08 0
意識とは物理現象なのか、物自体なのか、どちらでしょう?
292 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 00:44:22 0
物理現象で説明って何の事だよ?
>>286 18-22、28-29、31、169、253-255
294 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/19(土) 01:33:00 0
>>288 『私』というのは『純粋な存在性』なのであって
何かが合わさって発生する というような性質のものではないんですよ
それに「物がわからない」なんて言うなら
私に反論する以前の問題として、そもそも唯物論じたいが成り立たないしね
>>290 >>唯物論の主張は、「人間の精神は物理現象にすぎない」だろバカ
>これは間違いだろ。
>唯物論なら人間の精神は身体特に脳の生理機能による随伴現象だろ。
ん?
なんだか抽象的だねぇ
生理機能による随伴現象 というのは、物理現象ではない という事ですか?
それでは物理現象ではない何の現象なのでしょうか?
キミの主張が、ちょっとよくわからんのですが
物理現象ではない現象によって発生?する という事でよろしいのですかな?
もう少し、具体的に掘り下げて説明してもらえますか?
なんなん?その随伴現象って
>>293 何の事?
この人が言ってくれてるじゃんか→
>>25
>>294 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1200664714/ 8 独我論に陥った者 2008/01/19(土) 01:27:20 0
略
>俺も、ほぼ唯物論支持者なんだけれど、
>なぜか考えると心身二元論になってしまう。
>「私(目線)」の所在が分からないからかな。
>「私(目線)」って足したり引いたり出来ないから物じゃないと思うんだよね。
9 考える名無しさん sage 2008/01/19(土) 01:35:08 0
>> 8
世の中に、物じゃないものはたくさんある。
が、そうした「物じゃないもの」が、「物に依存せずに(随伴せずに)」あり得るのか?
ということだよw
296 :
素人 :2008/01/19(土) 01:46:11 0
>>294 >何かが合わさって発生する というような性質のものではないんですよ
それが、仏教と(特に中論と)真っ向対立するということが
まだ理解できないようですねw
297 :
素人 :2008/01/19(土) 01:56:27 0
あっちこっちで忙しそうですねw
>>294 >この人が言ってくれてるじゃんか→
>>25 >>31 を百億回読んでからレスしてくださいwww
時間も遅いので、この辺で区切りですかね。 ではまた ノシ 歯応えのある返答を期待してますよw >>最高位
299 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/19(土) 02:30:34 0
>>296 知らんがな(爆笑
仏教と対立したら、なんかヤバイの??
>>297 なんで
>>31 が
>>25 へのレスなのか、サッパリわからんけどな
>『私』の扱い如何によっては、「唯物論破壊」は成り立たなくなる。
扱い如何によって成り立つんだから、それで全てオッケーなのよ
>それなのに彼は、事ある毎に
>「どうしてそんなに唯物論に拘るのか?」「どうしてそんなに唯物論を死守しようとするのか?」
>と問うてくる。(※唯物論的アプローチを援用する理由も述べたことはある)
>そうじゃなくて、その根拠となっている「『私』の扱い方」はどうあるべきか?について応答したかったのに・・・。
はぁ???
いい加減にしろバカ
まず唯物論が間違いである事を理解しろっつってんだよカス
だからなんで「頑ななまでに、それをせんのだ?」と聞いているわけだ
話をすり替えるなと、いつも言ってるだろ
いいかげん学習しろよ
>(実際には、その多くが、揚げ足取り的な細部の指摘(彼の語り口・論の組み立て方・表現等)に
>偏ってしまった事実を自覚しないわけではない。)
自覚してんのなら、改めなさよ という話な
300 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 06:50:34 0
>>294 >『私』というのは『純粋な存在性』なのであって
>何かが合わさって発生する というような性質のものではないんですよ
ではなぜ「私」は物理現象によって左右されるんですか?
301 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 06:59:05 0
(仏教の空が私だと言ってしまえばいいものを・・)
「私」というのは脳と環境のフィードバックの変化の中で仮構された、 変化しない不動点だろうな。数学的観念だろう。線の中の点。
303 :
ちゅう :2008/01/19(土) 09:43:22 0
>>301 仏教では私が空であるだけでなく法すなわち物事もまた空ですね。
一切法空が中道だろ。
我思う、ゆえに我ありと考えた天才は、 我を成立させているものについて考えたが、 最高位は、我を成立させているものについては思考停止をして、 純粋な自己という観念に閉じこもって肥大化した自己愛を もてあます独我論者になった。 要するに最高位は馬鹿なんだな。
305 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/19(土) 10:03:45 0
>>300 >ではなぜ「私」は物理現象によって左右されるんですか?
なぜ「ではなぜ」なのか、理解できませんな
「左右される」というのも意味がわかりません
「精神活動に影響を受ける」とは言えますけどね
『私』が「左右」されたりしませんよ(爆笑
>>302 >数学的観念
それは誰の観念??(苦笑
全然わかってねぇな
>>303 なんでいつも仏教の話になんの??
しかも全然関係ないし・・・
306 :
ちゅう :2008/01/19(土) 10:07:15 0
>>302 変化しないから「私」であるのではなく変化しても「私」だね。
「私」は日々変化するが「私は私だ」と言う自意識により「私」
と思うだけの存在だ。他人から観た私は名前に過ぎない。
307 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 10:18:18 0
>>305 >『私』が「左右」されたりしませんよ(爆笑
すると、餓死しても頚動脈をナイフで切られても散弾銃で頭を撃たれても、
『私』は「左右」されないのかw
308 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 10:19:19 0
>>305 じゃあ言い換えましょうか。
人間の精神が物理現象でないというのなら、なぜ物理現象の影響を受けるのですか
と聞いているのです。やはり精神は物理現象ですよね
309 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/19(土) 10:25:36 0
>>306 >変化しないから「私」であるのではなく変化しても「私」だね。
意味がわかってないなぁ・・・・
変化するのは、あくまでも『私』の「状態」だろ
私まで変化したら、大変な事になるよ
「『私』が変化する」というのは、「他の人になる」という事だよ?(苦笑
>「私」は日々変化するが「私は私だ」と言う自意識により「私」
>と思うだけの存在だ。他人から観た私は名前に過ぎない。
ホント病院に行った方がいいんじゃないの???
何を他人事みたいに言ってんだよマッタク(苦笑
キミは、キミだから、キミの自意識を感じてるんだろバカ
名前に過ぎないものを
なんで、いないはずのキミが、意識できているんだ???
310 :
ちゅう :2008/01/19(土) 10:28:36 0
>>309 >変化するのは、あくまでも『私』の「状態」だろ
私の状態が変化するから私が変化したと見做されるのだろう。
311 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/19(土) 10:34:58 0
>>308 まずキミは、問題を理解していない
『私』が、いかなる物理的な法則に従って存在に至っているのか
というのが問題
キミはまず、この問題意識を理解できていないか
もしくは、これから必死で逃げようとして、話をすり替えようとしているね
あと
『私の存在性』が物理現象でないとしても
物理現象から影響を受けてはいけないという決まりはないよ(笑
「そうなっている」だけなのであって
全く別の話
312 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/19(土) 10:42:14 0
>>310 『私の存在性』が変化するのと
『私の状態』が変化するのは、意味が全く異なる と言ってるんだよ
相手の言ってる事を理解するつもりあんの???
こんな簡単な事も理解できずに、私に反論してくるなんて
丸っきり話になってないね
>私の状態が変化するから私が変化したと見做されるのだろう。
誰が見做すわけ?
私だろ?
私が見做すんだろ?
だったら、変化しても、やっぱり私だろ(爆笑
変わってねぇだろバカ
313 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 10:49:11 0
>>309 >「『私』が変化する」というのは、「他の人になる」という事だよ?(苦笑
すると、人間が「変化する」というのは「他人になる」という事なのか?
そんな話は初耳だw
人間が「変化する」ことなぞ、金輪際不可能だということになるがww
314 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/19(土) 10:53:08 0
>>313 『状態』の変化と、『存在性』の変化の違いぐらい理解できろや基地外
私が他人になるなら、私が他人になるのだろうけど(不可能だが)、 私が変化するなら私が変化することだろうw 最高位って池沼?
最高位には、私は変化するから変化しないという事は理解できない。
317 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 11:15:50 0
>>311 いや、そんなことは聞いてないです。私の質問に答えてください
人間の精神が物理現象でないというのなら、なぜ物理現象の影響を受けるのですか
と聞いているのです。やはり精神は物理現象ですよね
ようはトヨタやつでもBMWのやつでも車だって言ってるようなもんだな。 確かにある車の状態が多少変わっても車としての存在性は変わらんわな。 大破したらスクラップと呼ばれるけどな。
319 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/19(土) 11:29:47 0
>>311 物理現象以外のものが、物理現象の影響を受けてはいけないという決まりは、いつできたんですか?
>>319 それこそが心身関係をめぐるアポリアだということもわからんで
書いていたのかおまいは…
321 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 11:41:38 0
いつ?そういう決まりがあるのは、物理現象の影響を受けるものは「物」だからです。 よって精神は物なんです
322 :
ちゅう :2008/01/19(土) 11:50:19 0
>>312 >『私の存在性』が変化するのと
>『私の状態』が変化するのは、意味が全く異なる と言ってるんだよ
全然意味は違わないよ。存在性と言うのも一つの性質だ。
だから私から私の存在性がなくなれば私は存在しないという状態に
成るだけだね。こんな簡単な日本語も理解できないのか。(微苦笑)
アポリー中尉ってのなら知ってる
324 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/19(土) 14:41:57 0
>>320 >>321 私は、前時代的な議論の基準そのものを昇華させてるんだよ
昔の人は、精神という言葉でしか表現できなかったんだけれども
意味は、内的世界全般を指す
キミ達は精神と聞いて、精神活動しか連想できないわけだが
私は「精神活動とは、あくまでも『私』の精神活動である」という立場に立って
『存在性』を含めた『精神性全般』によって、心身問題における唯物論の主張を退けたわけです
「それは物理現象の法則性によって解明する事が、論理性からすると絶対に不可能なのである」という事でね
それは、ある特定の物理的要素が、『私』を発生させている原因的要素には成りえない事を意味する
すなわち、唯物論の主張の崩壊だわな
「なぜ物理現象から影響を受けるのか」は、また別問題
なぜなら、今更「物理現象の影響を受けるから」なんて言ったところで
上記の理由によって退けられた唯物論が、生き返る理屈にはならないのだからね
>>322 >だから私から私の存在性がなくなれば私は存在しないという状態に成るだけだね。
その変化は、わずかでも一回変化したら、そこで私は「おわり」なんであって
その他の私の変化とは、明らかに質が違うわな
『私』の変化 は、『私』の「終わり」を意味するんだよ
『キミ』は、変化した瞬間から、「変化」も何も語れないわけだ
>全然意味は違わないよ。
って・・・頭、大丈夫か?
私は、私である限り、私である
変化するのは私の精神などの状態であり
『私』の変化は、むしろ『私』の「終わり」を意味するのである
『私』は、『私』である限り、変化していない
325 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 14:54:13 0
>>324 >それは物理現象の法則性によって解明する事が、論理性からすると絶対に不可能なのである
ではその論理とやらを示してみてください
326 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/19(土) 15:10:09 0
>>325 物体というのは
物質が、そのパターンに組み合わさったものにすぎないのであって『構造』だろ?
で、同じ構造のものは、いくつも作れるのよ
しかし、いかなる構造を以ってしても『私』は唯一絶対なのであって、作成なんてされないわな
327 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 15:15:25 0
このタワシは唯一絶対なのであって、作成なんてされない。w
328 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 15:17:15 0
同じ物体なんてこの世にひとつもないでしょうが! すべての物体には独自性があります。 仮に「私」が作れたとしましょう。どうなるんですか? 「私」に限らず、「同じもの」はひとつとして作れないんですよ。 人間の意識としては同じに見えてもです。
最高位は無知だから、バイオメトリクス認証を知らないのだろう。 人間1人1人の肉体に固有の特徴があるというのに。 これだから馬鹿と議論するのは嫌なんだ。
330 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/19(土) 15:23:31 0
私の体を、いくら分析しても、私の体の構造を記述できるだけであって 『私』の設計図には、ならんのだよ
一卵性双生児でも違いはある。 つまり遺伝子が全てではない。
332 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/19(土) 15:29:25 0
>>328 酸素原子はO
水の分子はH2O
同じ物理的構造のものは、いくらでも存在し、いくらでも作れる
これが科学というもんですよ
哲学者最高位はIQ90未満ではないかな。 同じような形と材質のコップAとコップB。 石を投げたらコップAだけ割れました。 コップBは石が当たらなかったので割れませんでした。 コップAは割れたのに、 コップBは何故割れないのでしょうか? この原因を知るために、 コップAの物理要素などいくら探しても、 コップAが割れて、コップBが割れなかった原因など見つかるわけない。 同時刻に存在している場所が「同じではなく『違う』」という事が、 哲学者最高位には全く理解できないようだ。
334 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/19(土) 15:38:09 0
>>331 さん
それは
>>329 へのレスですね?
>>333 そんな事は反論にならない
全然マト外れだな
あっちへ逝っちゃってるよ
『私』は、この体の物理構造によって『私』なのではない
という事が理解できませんか?
もう一度聞くが
『私』は、この体の、何の物理的要素に由来しているのですか?(爆笑
335 :
ちゅう :2008/01/19(土) 15:42:25 0
>>324 >私は、私である限り、私である
・・・と私が思っているだけですね。いわゆる自我意識ですね。
だから、
>『私』は、『私』である限り、変化していない
その変化しない私と言う実体は無い。
私は身体と心のよせ集まったものだね。
336 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 15:44:34 0
最高位は馬鹿だな 『私』に『存在性』などなく、論理的に退けられるから 最高位の主張の崩壊だろ
337 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 15:46:17 O
蘇我馬子
338 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/19(土) 15:49:10 0
>>335 すごい幼稚というか何というか
論理的飛躍も平気なんだなキミ(苦笑
>私は身体と心のよせ集まったものだね。
なんじゃそりゃ〜〜(爆笑
話にならん
>>336 まず「我思う故に我あり」を論理的に退けてから、ほざいて下さいね^^
デカルトは我思っちゃった時にのみあるっつってるだけだから、 客観的に正しいもなにもないし、ましてや唯物論がどうとかにも使えんのだが・・・
516 哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo 2006/04/28(金) 09:15:44 『私』を、物理的に説明できるのか? 『私』とは物理的なコノ要素です と言ってみろ 531 考える名無しさん sage 2006/04/28(金) 10:07:48 「私」というものは絶対誰にも観測できない。観測の主体なんだから。 だから観測対象と同じように扱おうとするのが、そもそもの間違い ところで、観測行為があるということはその主体が存在しないとおかしい これが最高位の主張だな。論拠はほんとにこれだけ。 539 考える名無しさん 2006/04/28(金) 10:35:44 >> 531 そう。 そして、その主体の「在り様」の記述方法の一つとして、唯物的なものがあると。 勿論それは、「なぜ」には答えない。「このようである」という描写にすぎない。 けれども、様々な分野への援用するには、利便性が非常に高い、と。 全否定する必要はなかろうに・・w ちなみに、>> 516への一つの回答は、 ○○年○月○日○時○分○秒(ま、こんな時制は確認不能だろうがw)に受精し、 以降細胞分裂し、○○国の○○という夫婦の間に出生し、これこれの世話をされ、 これこれの環境で育てられ、これこれの経験をし、 このように至っている(思考している)(このような脳内の状態になっている)のが 「私」だろう。 ま、これらの細密な一対一対応と因果関係が記述できない限り、最高位は納得しないだろうがねw が、これらと、まったく無関係に、ただ単に「そこにいる(思考している)」ということはありえるだろうか?
341 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/19(土) 15:56:15 0
>>339 いやいや
そんな事はどうでもいいんですよ
私が言ったのはコレです
↓
まず「我思う故に我あり」を論理的に退けてから、ほざいて下さいね^^
741 哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo 2006/04/30(日) 06:03:20
>>730 >ちなみに、
>>516 への一つの回答は、
>○○年○月○日○時○分○秒(ま、こんな時制は確認不能だろうがw)に受精し、
>以降細胞分裂し、○○国の○○という夫婦の間に出生し、これこれの世話をされ、
>これこれの環境で育てられ、これこれの経験をし、
>このように至っている(思考している)(このような脳内の状態になっている)のが
>「私」だろう。
いやいや
それは普通
「私」ではなく「他人」だろ?普通は
物質的に、何がどうだったから「他人」でなく「私」だったのか
解明する事は不可能だ という話
>> 738
>特定の『私』が解明できないからといって、
>別の『自我』もそうだとはなりません。
別の『自我』も、物理的に解明できる根拠がありえない と言ってるのですが?
解明できるとする根拠は何ですか?
◆決定論脳は物質だから意識は必然にすぎない?62◆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1145926566/
>>341 いやだから他人は関係ないんだよ。自己完結して終わり。
その人が我思ってるんならそれでいいんじゃねぇのってやつ。
デカルト出したんだから私もそういう類いなんだろ?
じゃあ他人は関係ないよ。
344 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/01/19(土) 16:05:12 0
>>343 キミは現代哲学どころか、近代哲学の一般常識すら丸っきり理解できてないな(苦笑
347 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 17:29:42 0
最高位は自我の存在性が、論理的に証明されてないことを理解すべきだ。 この論証は学術論文を読めば理解できる。それこそ幾らでもある。 これを知るためには、最高位自身が勉強するしかないが、実際に哲学書を読めば必ず理解できる。 しかし、彼は知ろうともしないし、全く向学心が欠けているので、自発的に勉強しないまま誤解しているのだ。 物理的要素に還元できないのは、自我自体が非存在であるためであって、 存在性の証拠にできないし、唯物論の否定にも使えない。 自我が存在するのなら、最高位自身が論理的に証明しなければならないが、 論証を全くしないまま、無根拠に「存在する」と強弁している。 しかし、自我の存在性を明晰に判明に、論理的に証明したことは一度もなく、 妥当な説明も一切ないまま「存在性」などといっている。 「我思う故に、我あり」という言明は、論破されているが、この反証は最高位自身が 哲学書を読んで理解すべきだ。自分で反証過程を検証しなければ、納得しないだろう。 自我の存在性を論理的に証明してから、主張を語るべきだろ。 しかし語れる訳がない。何故なら自我を論理的に証明するのは不可能だから。 それともう一点。君の主張は唯物論と全く関係ないから。 無関係なことぐらい理解できるように、論理的思考力を高めてくれ。 そのためには論理学を勉強することだ。論理を情緒的に理解することは出来ないぞ。 最高位が論理学を全く学んでないことは明白だから、論理を語る前に論理学を勉強してくれ。 知ったかぶりは通用しないよ。
348 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 17:34:08 0
>>332 構造は同じでしょうね。それだから同じものなのですか?
違いますね。同じものはどこにもないんですよ。
こんなの科学以前の話なんですけど
349 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 17:37:10 0
なんだか最高位ってものすごい低レベルなところで勘違いしてないかw?
350 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 17:40:34 0
「私」の存在性が特別なのは 物体の構造によるものではなくて、独自性によるものだとわからないのでしょうか。
351 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 18:00:54 0
最高位に教えてやるけども、自我と唯物論が無関係というのはな、 唯物論にとって、自我が存在しても非存在であっても構わないからだ。 物質から構成された物体としての脳がある。 この脳という物体から自我が発生しているだけだから、自我は仮象であると結論づけて否定することも出来るし、 自我は脳という物体から発生しているのだから、物体を基底とする。 自我は物体を基体とした存在である、と結論して肯定することも出来る。 唯物論に立脚すれば、自我を肯定することも否定することも可能だから、 この点を論難する限り、唯物論は崩壊などしないんだよ。
352 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 18:28:14 0
ついでに教えといてやるけども、観念論の立場に立てば自我を肯定できなくなるぞ。 観念論には、認識の外にあるモノ、観念の内にないモノは非存在とするというテーゼがあるだろ。 しかし、カントの純粋理性批判によって、純粋理性は経験認識対象外まで考えることができるが、 認識枠を超える空想に、理性を使用するのは誤りで、超越は非存在とすると定義しただろ。 バークリーのいう「観念の内」は、カントのいう「現象界」と同じ意味なのを理解しなければいけない。 つまりは、現象界というのは観念の内であり、物自体の現実界は観念の外の世界とされている訳だ。 観念論のテーゼに従えば、自我は現象しないから、非存在という結論が導出されるんだ。 例えば、霊能力者を自称する者がいるだろ。こいつらにしても他者の霊魂が見えるというだけなんだよ。 当然だよな。自分の霊魂を自分自身で見るためには、自分の霊魂から出て外から観察しなければいけないのだから。 自分自身の霊魂から出れない以上、自分の霊魂を意識の中に現象させることなどできないからな。 無理矢理、自我を空想しようとしても超越になるから、観念論に立つ限りその空想は否定されるんだよ。 観念論に立つ限り、どうやっても自我を論理的に証明することは出来ませんから。 自我を論証する可能性を持つ唯一の方法は、唯物論に立脚した時だけなんだぞ。 最高位にとっては皮肉な結果となりそうだな。自我を論理的に肯定するためには、唯物論者にならなければいけないなんてな。
「私」が「純粋な存在性」なら、 他人の「私」も私の「私」も同じ。 子供を産めば「私」を作り出すことが出来る。 ハイ、最高位は論破されました。
355 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 18:52:53 0
いまどき「私」=自我なんていってる哲学者なんぞ居るの? 近いこといっているのはアンリくらいのものかな??
そのひとが何を表現したいか、で使い分けるものだから 表現したいものがあればべつにかまわないかと
357 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 19:17:43 0
表現しようとしているのが「私」なわけで。
最高位って追いつめられるとほとぼり冷めるまでだんまりするか、 基地外感情論でヒスるかのどっちかなんだが、今回もそうだろうな。 随分長い間粘着してるのに、まともな議論がぜんぜんない。
最高位はまともに哲学書を読んでいないと公言しているのだから、 現代哲学の最先端などとハッタリかまさなければいいのに。 あくまでも最高位オリジナルとした方が説得力は上がると思う。
360 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 21:34:28 0
最高位は、俗に言う我が強いひとりよがり。 オリジナル思想なら、もうちっと整合性あげないとわらわれるだけだね。
最高位は哲学書を読まないんじゃなくて読めないんでしょ。 哲学好きでこれだけ頭が固い人も珍しい。 人の話を聞く余裕が無いから、頭に入っていかないでそ。
哲学好きというより独り善がりなだけでは?
363 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 22:40:41 0
単純 整合性のない話し 繰り返し かまいやすい
364 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 00:00:40 0
っていうか最高位が唯物論を否定したい元の感情はなんなんだろうね 死後の世界の肯定だったりしてw
決定論スレで唯物論がなければ自由と共産の争いがなんちゃらって なんか青臭いこといってたけどそれが元の感情かどうかは分からん。
唯物論が人間の尊厳への冒涜に見えるんだろうね。
367 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 01:25:21 0
物質とか物体とかいうと、 すぐにゴミを連想するあたり、変な子供だよな。
>>364 学生の時に家庭教師から共産主義を教わって信じかけたらしいよ。
かつては唯物論者だったと言っていた。
彼には禅的思考が向いていると本気で思う。
370 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 01:30:43 0
弁証法的唯物論なんて、生かされていると思うけどな。
371 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 01:36:44 0
>>364 少なくとも、想像はしているw
私が人間でなくなっても……ってね。
>>369 彼は意図的に禅問答を仕掛けているのかと最初は思った。
373 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 01:42:51 O
禅天魔 真言亡国 律国賊 日蓮の言葉だ。鎌倉幕府から続く仏教の流れ源空の言葉。室町の立国。平家・義経・那須与一・新田・日蓮呪い。こういったものを忘れて生きていくことはできない。輪廻している罪人。被害者。地獄。縁の連関
374 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 01:42:55 0
整合性のないバラバラの認識だけだと、禅問答っぽくなるよ
>>368 そうそう、過去ログで大学時代は闘士で、戦う唯物論者として生きていたと言ってた。
私はデカルトよりもさらに深く考えているのだよ、と豪語していたけど、
実はデカルトの著作を読んだことはなかったと告白して、
哲学板住人が凍り付いたという事件もあった。
最高位は学生時代に唯物論者の友達と口喧嘩して負けて、 ずっと根に持ってたんじゃないの? 卒業後何十年経って老人になって、死や宗教に関心を持ち出してから、 突然勘違いだらけの思考実験を思いついて、 学生時代に唯物論者との論争に負けた恨み辛みをここで吐き出していると思う。 だから暑苦しい。彼はパラノイア人格だと思う。
378 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 01:58:52 O
もっといってやろう。伊藤忠商事 住友財閥 三井財閥 安田 三菱フィナンシャルグループ ムサシノ 静御膳の苦難の道 江戸城無欠解除と幕末の獅子たち 篤姫
379 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 02:00:02 0
最高位出てこないねぇ。 最高位ファンの皆様、代弁してやれば?
では私めが畏れ多くも哲学者最高位様の代弁を致しましょう。 「私」というのは常に中心にございまして周囲は激しく変化し波打ってございます。 そしてその「私」というのは常に未知数なのでございますよ。 だから下々の者の無学な罵詈雑言さえも「私」を通してみれば深い洞察力の下に より一層深みのある究極の哲学的真理に容易に至るわけでございます。 かような「私」というものがございます限り科学は進歩致しますし哲学もより一層深まる に違いありません。
381 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 02:35:53 0
>>380 どこの中心ですか?世界の中心?
中心が未知数として存在するのですか?
最高位は「私」という言葉しか使えない。 「私」を使わずに持論を展開できない論理坊。 最高位を攻めるなら「私」を使わずに説明させれば退散する。 最高位も終わりだ
383 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 02:49:33 0
まあね。 「私」は存在である一方、 言葉であり抽象概念という一面があるからね。 で、最高位の「私」が皆には伝わらない。 最高位は「私は、私だろ」と強弁するのみ。
384 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 02:51:54 0
最高位は「私」を使って説明できたことはないな。 つまり論理を逆手にとって混乱させるだけの荒らしだな。 削除依頼されるのもわかる。
385 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 02:58:14 0
「私」だったら、どうして主観性やら精神性やら存在性やらが 説明できるのか、ってことになるかな?
386 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 03:01:31 0
主観性と精神性は機械が説明した。 最高位は存在論だけこだわってて唯物論は破壊されたとか ほざいてるだけの右翼崩れ。 最高位はどう見ても政治のにおいがするぞ。 何かの組織の手先だろう。こりゃ間違いない。 気を付けろ
最高位は統一教会くさい。
創価学会では?
空気読まずにマジレスすると、最高位は現象学やったらいいんじゃないかと思う。 つか、哲学板で「私」を主張するなら現象学の文脈でやれば通じる奴増えるだろ。
彼にこれ以上学ぶ気はないよ。 だって「最高位」なんだからw
確かにw しかも年寄りらしいしなw あれだな、このスレの「私」ってのはイコール「最高位」だって今気付いたよ。 私=最高位を記述しなさい、ってことなんだな。
脳は物質スレでは科学哲学をやり直せと言われていたが、 ここでは現象学をやったらいいと言われてる。 どこが最高位なんだよw ただの不勉強者最高位ではないか。
393 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 15:19:35 0
さんざん指摘されているデカルト的誤謬の大きな1つを最高位が繰り返しただけ。
>>379 フォローになるかどうか判りませんが、
彼の着眼点は秀逸です。
人が、自身を見つめる時の、非常に重要な根幹に触れています。
そしてそれは、
もしかしたら、2500年間仏教が見て見ぬふりをしてきた部分
(或いは、言わずもがなに前提とされた部分(→当たり前すぎて捨象された部分))
かもしれないのです。
(個人的には、そうではなく、仏教に於いては「それ」もまた解体される、と考えますが・・・。)
だから私は粘着する。
ブッダはアートマンを斥けた。人は、五蘊の総体としてあると見做される。
さて、ブッダは、認識の起点・基点としての『私』をも消し去ろうとしたのか?
縁により生起している「私」のそのまた奥底に「何ものか」が居る(ある)のか居ない(ない)のか?
龍樹は、自身の認識・思索の基点をどこに置いていたのか?(※起点は端から除外される)
(もっとも、そうした、「自身の」ということをも解体しているのが中論だと言えるわけだが・・・。)
唯識教学は、ここをどのように昇華させていったのか?
(ヨーガという身体的経験無しには覗けない領域なのか?)
現代哲学に於いて、もし、そうした認識の起点・基点が問われ始めているなら、
それはアートマンの復活なのか?それとも古代インド人の思惟を超えた、
ブラフマンをも超越した、新たなネオ・アートマンなのか?
禅で言う「本来の面目」や「(赤肉団上一無位の真人」と、どこが被り、どこが被らないのか?
鈴木や西田がリニューアルした禅的自己と、どこが被り、どこが被らないのか?
叩かれてばかりだが、最高位氏の出発点自体は、
評価に値する重要なものだと私は思っている。
395 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 18:20:29 0
この板には無学無教養な宗教家が跋扈して、唯物論が宗教を破壊すると、 勘違いしている人も多いけど、この誤解を解いておこう。 自我が脳という物体から発生しているとして、「自我は物体を基体とする存在」と肯定することができるし、 物体としての脳から自我が創発する、と結論して肯定することもできる。 物体としての脳から創発システムが起こり、自己組織化された神経から自我が意識内に構成される、という この理論は機械的決定論に依拠した理論だから、この方法で自我を肯定すると機械的決定論も肯定しなければいけない。 つまり、唯物論に立脚する方が自我を肯定するのに容易なんだよ。 しかし、観念論に立脚すると自我を肯定するのは困難となり、全ての宗教は否定されるようになる。 何故なら、観念論では「全ては観念の産物で、脳内の作り話である」と結論するからだ。 神も仏も、阿弥陀の浄土も弥勒の浄瑠璃世界も、天照大神もイザナギノミコトも八百万の神も、 全ての神仏に根拠はなく、脳内で捏造した創作であり、作り話であり嘘である、という結論が導出されるから。 観念論では、全ての宗教は嘘であると結論するから、宗教など信じるに値しない作り話ということになり、 嘘認定される故に、宗教を否定する結論しか導けない。学校で「宗教教育の涵養」を教える などという主張は正当性を失い、政治の世界でも宗教性を排し、徹底した政教分離が主張されるようになる。 「全ての宗教は、妥当な根拠を持たない創作捏造であり、嘘である」と帰結するから、 観念論に立脚する限り、全ての宗教は否定されるのである。
396 :
ちゅう :2008/01/20(日) 22:58:10 0
>>395 で、結局「観念論」はウソであるということは唯物論からは証明されて
いないわけであるが。
397 :
考える名無しさん :2008/01/21(月) 00:19:05 0
俺は独我論者だけど最高位には同意する部分がある。 科学は中途半端な人間原理的な定義しかしてないと思う。 科学で、生命の進化なんかは生物の意思とか神の創造とかを用いず 物理的な事、化学反応や自然淘汰で説明しようとしてる半面 生物自体に関しては特別視して 「全ての人間に意識がある」と定義してるのがおかしい。 本当に物理的に述べるなら 「全ての人間に意識は無く、人間の言葉も表情も全て 物理法則の結果そう動いてるだけ」となるのではないだろうか? しかし“自分に意識があるから” 「全ての人間に意識がある」と人間原理的な事を述べるのではないだろうか? 本当に唯物論を述べるなら、全てが哲学的ゾンビで 物質オンリーの論を持ち出さないと唯物論ではないと思う。 もし仮に「私は哲学的ゾンビです。皆さんもそうです。意識なんかを持ち出すのは 全く科学的ではありません」と述べる人が出てきたら 今の唯物論者は間違ってる事にならないかな?
今の科学では意識という呼称を示せてもそれが何であるかを明瞭に説明することはできない。 だから論争になる。同意が得られない。
399 :
考える名無しさん :2008/01/21(月) 00:41:12 0
唯物論者は意識は副次的なものだと主張しているんだから 意識を否定しているのではないよ、たぶん。 自我は胎児からの環境等の要因で形成されるものであって、 魂として宿るのではない、ということだろ。 だから親が同じでも、違う自我が育つ。 3つ児の魂100までもなんていう古くからのことばは唯物論的。
魂があるかないかということと唯物論が正しいかどうかは関係ない気がする。 魂なんて信じない人も普通に唯物論なんて発想はしない。
401 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/01/21(月) 14:25:27 O
地球の裏側で何が起こっているのか、当然私は知らない。それどころか、その存在 性さえ怪しく思える。哲学で昔から議論されてきた、見えないところで倒れた木はは たして本当に倒れたのか、と言う問題があるが、似たような点がある。ここから 何が演繹的に導けるかというと、人間の悟性には自分の世界の外で起こってい る事に関しては、存在しないと思う癖があるということだ。 その癖について、徹底的に考え抜いたのがデカルトで、外堀を埋めていくよ うに、結局自分が思うということ以外には、人間が疑問の余地が無くわかるも のはないということだ。(デカルト読んだことないけどw)
402 :
考える名無しさん :2008/01/21(月) 14:58:44 O
…。…。…………。…。…………。…。………………。…。……。…。はぁ、暇なゴミどもだ。頭悪い上に何も気が付かない。役立たずの不毛な議論んだってことを。
403 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/01/21(月) 15:13:11 O
402 何ひとつ否定さえできてないよね。
>>401 >人間の悟性には自分の世界の外で起こってい
>る事に関しては、存在しないと思う癖があるということだ。
それじゃあ自分の世界の外の存在が前提になっちゃってるよ。
残念。やりなおし。
405 :
考える名無しさん :2008/01/21(月) 15:29:27 O
存在を前提にして何がわるい? 偉そうだなオイ
>>405 何がわるいのかわからない?
哲学の本を一冊も読んだことないのかな。
407 :
考える名無しさん :2008/01/21(月) 15:41:52 0
>>406 認識の最初(の対象)は、外部か?内部か?
なぜ、人は、「外部がある」と考えてしまうのか?
この形式を吟味する必要があるんじゃないか?
408 :
考える名無しさん :2008/01/21(月) 15:49:04 O
407 ジエンオツ
>>407 そんなことはカントに言えよw
401にはそんなこと書いてないだろ。
>>407 外部というより、主観に対する「客観」
主観と客観は一対のものだから、主観があるとすれば客観もある。
問題は客観があるかどうかではなくて、客観を認識できるかどうか。
なぜ人は客観を認識できるのか?
それを根拠付けようとしたのがカントだな。
412 :
考える名無しさん :2008/01/21(月) 16:24:36 0
>>409 そうか、今は亡きカントに聞かんといかんと言うかw
最高位は「私」を探しに出かけました。行先は聞かないであげてください。
>>401 >ここから何が演繹的に導けるかというと、人間の悟性には
「私の悟性には」でしょ?w
?
416 :
考える名無しさん :2008/01/21(月) 19:23:08 0
思うんだけど、意識に関する事を特別視するかしないかは 思想よりも性格によって分かれるんじゃないかな。 なんていうか、物事の諦めがよくて まあ別になんだっていいや的な感覚の人は唯物論や決定論で 合理的に考えると思う。 それとは逆に、自我が強いというか欲求が強いというか、 意識とか<私>が物質や物理法則の一環だと嫌だって思う人は 自由意志とか物質に依存しないような唯識論に 走るんじゃないかな。 ちなみにこういう俺も自由意志大好きで唯識論者です。 合理的に考えて、意識は物質と同等の存在でしかないと思うけど 全てが法則によって支配されるというのは恐ろしいので 自由意志に走る。
合理的にというか論理的につきつめて考えると とてもじゃないが唯物論なんて主張できないと思うんだけどね。
なんかかき回されてるっぽいな(傍目にもそれわかる) まじめに考えてる人はしばらく静視してたほうがよいかと
>>420 合理的論理的に積み重ねられて構築されたのが唯物論だろw
限界を提示し、その先を指さすならまだしも、
418のような言い方では、現代社会の一般(≒多数派の)通念を打破することは困難だろ。
>>422 >合理的論理的に積み重ねられて構築されたのが唯物論だろ
ちがうだろw
>現代社会の一般(≒多数派の)通念を打破することは困難だろ。
一般的な通念がみな真だと主張するつもりじゃないだろうな
>>423 >ちがうだろw
では、言い直そう。
経験的に積み重ねられ、妥当性が認知されてきたのが唯物論だろ?
>一般的な通念がみな真だと主張するつもりじゃないだろうな
どうしてすぐ「真」とか言い出すかなぁw
「非常に大勢の人間が、妥当だと見做している」ということが
「一般的である」ということだよ。
>>424 >では、言い直そう。
>経験的に積み重ねられ、妥当性が認知されてきたのが唯物論だろ?
だからちがうだろw
>どうしてすぐ「真」とか言い出すかなぁw
へえ哲学には興味ないの?
>「非常に大勢の人間が、妥当だと見做している」ということが
>「一般的である」ということだよ。
そうだね。それがどうかした?
「私」というのを哲学の枠組みの中で語っている時点で池沼並み。
>>425 >だからちがうだろw
そうですか。じゃあ、私が馬鹿だということでいいです。
私にはそうとしか見えませんからw
>へえ哲学には興味ないの?
ありません。
>そうだね。それがどうかした?
>>423 >一般的な通念がみな真だと主張するつもり ではないということですw
429 :
考える名無しさん :2008/01/21(月) 21:26:00 O
426 おまえみたいなのを人非人っていうんだよ
哲学は真理とかそういうものを探究する思索だが
探究するということはわからないことを自明にする行為に他ならない。
だから「私」がわからなくて探究するのは哲学ではない。
加えて言うならこの「私」スレで語られている哲学と称する何かは単なる啓蒙活動に過ぎない。
>>429 知能のとても低い池沼さん毎度毎度乙。
431 :
考える名無しさん :2008/01/21(月) 21:46:29 0
難しい課題だよね、「私」は。
432 :
考える名無しさん :2008/01/21(月) 21:49:33 O
430 自分にたいする劣等感の裏返しなんだろうな。 死ぬ時までほざいてろ。
Absalom ◆owNN8RDlXo 知能が低い癖に教えたがり屋さん。
435 :
考える名無しさん :2008/01/21(月) 22:03:43 O
433 自己紹介のほかには何が書いてあるか分からなかった? ご自慢の知能で頑張ってみたらいいよ。
>>437 なぜ、合理的に且つ論理的に突き詰めると唯物論を主張できなくなるのですか?
唯物論を否定しようとして「私」の存在性を云々するのはアホ。 唯物論は捉え方なのでそれを否定しても何ら意味がない。 他方、「私」の存在性は捉え方ではなく「私」は物質にあらずという思想。
唯物論で捉えられないことや唯物論で説明できないことは多々ある。 そういうものと唯物論は対立しがちだ。 ただ「私」という意識に関しては唯物論でもそれは現象であり本質は物質に依ると説明できる。
>>438 だってアポステリオリな全称命題を真だなんて主張するほうが
おかしいだろ。論理的に。
442 :
考える名無しさん :2008/01/21(月) 22:25:34 O
434 俺が教えたがりだってよくわかったな。 少し見直したよ。
>>441 このスレ、及び決定論スレでは、
「唯物論は仮説であるが、現在の所一番もっともらしい」
というスタンスを採る人の方も見受けられますが?
あ、・・・・・
446 :
考える名無しさん :2008/01/22(火) 00:44:58 0
唯物論も唯識論も 両方に共通する根源的な謎に話を持っていかないか? つまり、 『物事はなぜ存在し、なぜこのように変化したのか』 物質でも精神でも、存在と変化の謎こそが根源的な話ではないだろうか? 存在について三通り考えられるのですが ・第一原因がある ・第一原因があり、それは意思を持った何か(俗に言う神) ・原因は無限に続く、過去は無限に存在する どう思いますか?
447 :
ちゅう :2008/01/22(火) 11:36:12 0
充足理由律は不要だろ。 物事がなぜ存在するかは答えの無い擬似問題だろ。 物度とがどのように存在するかが科学的な正しい問いだろ。
448 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/01/22(火) 13:22:08 O
知識の土台はどのように作られるのであろうか。 目で見た光景や土地の様子などをまずあげることが出来るであろう。 その上に、本で読んだ事なり、人から聞いた事なりが層をなして積み重なっていくよう に思われる。百聞は一見にしかずというように、言葉による知識は二次的な物では ないだろうか。
449 :
ちゅう :2008/01/22(火) 14:14:05 0
>>448 >言葉による知識は二次的な物では
>ないだろうか。
言葉が無ければ知識を記憶できない。
言葉が本源的な知識だろう。
先ずは物事の名前を覚えることから知識は始まる。
名前だけを覚えても意味がない。
451 :
ちゅう :2008/01/22(火) 14:26:37 0
名前の指し示すものがその名前の意味だろうが。
神様(名前)
本物と偽物の違いを見せよう 言葉を通すことで論理という枠組みによるチェックを通すことができる そして、純粋な経験というものは言語化できないし それは知識と呼べる代物でもないだろう 俺などが「言葉を通して」などと言う時 知識の獲得には経験に先行するものがあるという立場をとる それを「枠組み」と言おうが「形式」と言おうが構わないし そのようにして得られた知識は外界のことにも関わらず「知識の形成」と呼んでもいい われわれの知識はバケツに水をためる行為なのか、それとも、、、
それから、ちゅう君 充足理由律が問題となるところはもっと別のものだ 俺のハンドルネームは実はこの充足理由律に由来している
名前は重要とは思うが ちゅうさんの表現は往々にしてあまりに詩的である。 名前そのものより 名前により代表される領域の方が重要と思われる。 名前はもともと記号でしかない。しかし名前が伝統的に使用されるとき 単なる記号とは 言い切れない属性を担うようになる気がしてならない。呪術にもつながるだろうこの性質は 一体 何の作用によるものだろうか。
456 :
ちゅう :2008/01/22(火) 15:59:06 0
>>453 >そして、純粋な経験というものは言語化できないし
「純粋な経験」と言語化してるではないか。
それにそういう名前をつけたことで何かが伝わる。
言語はあいまいなものだ。
>知識の獲得には経験に先行するものがあるという立場をとる
知識の獲得に先行するものは脳を含めた身体だろう。
脳はプログラムされなくても経験を取得するようになっている。
457 :
ちゅう :2008/01/22(火) 16:03:36 0
>>455 >名前そのものより 名前により代表される領域の方が重要と思われる。
そうですね。名前はちゅうの脳をグーグル時のキーワードでしかない。
でも、名前で記憶を引き出さなければ概念も作り出せない。
>>455 言霊とか?
名前は概念を客観化するのに役立つから便利だけどときとしてその名称が錯綜する。
459 :
考える名無しさん :2008/01/22(火) 18:11:04 0
概念ってどうやって処理してんだろうな。 不思議すぐる
460 :
考える名無しさん :2008/01/22(火) 18:34:57 0
↑脳の中で概念がどういう状態かってことな
461 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/01/22(火) 19:06:58 O
453 「純粋な」経験というのは例えばどんなこと?
確かに経験そのものは言語に置き換えようがない。
>>461 体験してる状態 みたいなやつじゃない
例えば夕陽を見てて、それを言語化するにあたり、「色を重視」「哀愁を重視」「笑いを絡めた言い回し重視」等何かを言う段階で
すでに選択やらをしてしまってるわけで、それ以前の(彫刻で言えば作品を切り出す以前の原木の)状態というか
おもしろそうだったので想像してみましたよ、横レスだけど
つまりクオリアってことだね。
>>461 >453はカントが言った「概念のない直観は盲目」と同じw
>453の「経験に先行する」はカントの「アプリオリ」w
空を見上げて雲が見えた。 よく見るとその雲は綿菓子に見えた。 子供の頃お祭りの縁日で母に綿菓子を買って貰ったときのことを思い出した。 無性に綿菓子が食べたい衝動に駆られた。 言語は連関。
>>466 でもそれって全部言語抜きでも成立するよね。
他人に伝える必要がなければ。
>>467 でも言語で語られて思い浮かべることができるのも事実。
469 :
ちゅう :2008/01/22(火) 20:28:38 0
>>467 いや出来事の記憶(エピソード記憶)の再生でも言語を媒介にしないと
困難だろ。ましてイメージ連想記憶になると言語が必須だろ。
470 :
考える名無しさん :2008/01/22(火) 20:33:35 0
>>469 なに大ウソこいてんの?全くそんなことないんだが
綿菓子の思いでに言語は必要ないだろう。 思いでの全てが言語に還元できるわけがないし 当事者が言語的に自覚しているはずもない。 そのような状態で雲を見上げたときに綿菓子を想起したとしても そこに言語が介在していなければならない理由などどこにもない。
>>471 だから言語は連関。
言語を駆使しなければ雲が綿菓子に見えることもない。
473 :
考える名無しさん :2008/01/22(火) 21:08:55 0
>>472 >言語を駆使しなければ雲が綿菓子に見えることもない。
証拠はw?
私は私よ関係なーいわー♪
言語を駆使せずに綿菓子に見えたら集中できてたってことだよ。
言語化してみてそれが何を意味するか改めて考えることができる。 観念連合
そういう表現上の必死の跳躍が言語を形成する。
綿菓子でなく綿菓子そのものとか。
純粋な経験とは、 騙される前の騙し絵 雲を見る前の雲のある空 ある種の騙し絵は見ようによっては様々な絵に見える 未開部族には、われわれには立体的に見える絵がただの図形にしか見えないという例もある これは、われわれが具体的に経験を得る際に、ただの知覚ではなく文化的背景(主に言葉による文化)なくして経験を得られない、ということである 「経験」という言葉でわれわれが何かを得る際には、すでにして何らかの(主体的な)枠組みを与えているのである それ以前の純粋経験とでも言うべきものは、 獣の目からのナマの感覚、刺激みたいなものだろう ヘレン・ケラーが歓喜の叫びをあげる前後を想像してもらえばありがたい
関連用語 クラインの壼 フリース、ハンソン、あたりかな
481 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/01/23(水) 02:08:19 0
唯識的には存在そのもの、という感じでしょうか。
>>479 えと。
例えば大嫌いな人のそっくりさんはやはり第一印象は大嫌いな感じがします。
そこらへん獣も同じような感覚らしい。
ま、言語に関してはその通り。
483 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/01/23(水) 07:38:30 O
なるほど、視覚で言えば色や形、それが記号になる前の感覚が「純粋な」経験ということか。 タブロ・ラサ(白紙の状態)というやつだな。大人になっても、今までに見たことのない物、 たとえばベトナム戦争でのナパーム弾による焼き払いとかは、純粋な経験と呼べるだろう。 しかし、それは一種のまやかしである(ジミ・ヘンドリクス)。つまり、経験を増やしてい ってもそれが体系的にまとまりを持っていなければ、あまり意味がない、逆に、まとまりを 意識せずとも行ってしまうもの、それが人間の性だろう。 Are you experienced?か
484 :
考える名無しさん :2008/01/23(水) 08:14:48 O
なんかピクルみたい
485 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/01/23(水) 10:02:53 O
私というものは、二種類に分けることができると思う。 受け身的な、対象としての私と、能動的な、行為者としての私である。 このふたつの私の後ろにあるのが、考える私であり、私の実際の有りようをきめる。 この意識としての私は、産まれてから死ぬまでのあらゆる文脈の中に投げ込まれており、自己による解釈が不断に行われている。 デカルトの、我思う故に我あり、という言葉も、何かの対象を思うのではなく、思うという意識を取りだして、禅のようなことが言いたかったのではないかとおもう。
486 :
考える名無しさん :2008/01/23(水) 10:07:38 0
志向的経験の蓄積の束が私であってそれ自体が主体性を 持つようなものではない。デカルトは結局私を物象化した かったんだよ。自分にすら疑われないまできりつめてから
487 :
考える名無しさん :2008/01/23(水) 10:16:53 O
486 それ自体の「それ」ってなに?
>>486 >デカルトは結局私を物象化したかったんだよ。
だね。
それと同時にモノとしての私とココロとしての私が分裂してしまったわけだが。
490 :
考える名無しさん :2008/01/23(水) 16:33:40 0
そうそう。でまあ松果線だっけ?でつながってるだのなんだのと.... きりつめていく過程はすごいと思うよ。現象学にしても。そこまで 精神もっていくのは大変だと思うけどさ....存在についてではないし、 ぶっちゃけ行動主義的な心理学者からは笑われるような感じ。この百年 の哲学は死んでる
>>490 行動主義的心理学こそ笑われているだろ。
人生とか語りだす人がでしょ? 俺は別にどの分野がすごいとかいうつもりはなくてさ。 一連の現象主義の流れを見て少し愚痴りたくなったと言うかね.... 結局先験的〜にしろ超越論的主観性にしろデカルトの我にしろ視野が 同じ感じするんだよね。有限の哲学というか。デリダさんは良さそうだ。 まだちゃんと読んでないけど
493 :
考える名無しさん :2008/01/24(木) 01:41:38 0
最高位どころか猫すら寄りつかなくなったスレage w
個人的解釈ながら、デカルトは懐疑論反駁を試みたのだろう ピュロンに代表されるような道徳的無節操を招く懐疑論的態度 現代では相対主義として定式化できるだろう このような「真理はない」「知的探求は不毛だ」というような考え方に対する反論が「我思うゆえに我あり」だと考える この問題は現代においても通用する問題だろうし、 デカルトの「われおもうゆえにわれあり」が懐疑論を反駁できているかどうかは諸説あろう
Raしつこいな。 だからなんなんだよ。
禅じゃなくて、ゲーデルのようなある種の証明できない真の有無の方が親和性が高いんじゃないかってこと
親和性が高い? 何に対して? ほんといつも通り独りよがりだな。 相手に甘えすぎなんだよ。
デカルトのやったことは超越論的実際論的基礎付けによって懐疑論を反駁しようとしたこと、 これがポイント ゲーデルの不完全性定理が扱っていることと似ている 実は論理的な問題 解釈は人それぞれだから、禅問答と解釈してそこから自己の考えを突き詰めてもいいけど こっちのテーマの方が哲学としては本流だろう このテーマで議論してみたら?
499 :
考える名無しさん :2008/01/24(木) 20:48:54 O
禅問答ではなく禅ね。wikiでも何でもいいからみてみて。
べつにデカルトの動機はどうでもいい
「ことばあり ゆえに われおもうわれ あり」、あるいはもっと端的に、 「ことばあり ゆえに われ あり」が、哲学的にも仏教的にも正解 決定論もそうだけど、なんでみんな閉ざされた体系(縁起)ばかり観て 開かれた運動(空)を観ようとしない? ウィトのゲーデル批判じゃないが、 まだ壊れてもいないものを心配してみても仕方ないさ
>>501 「ことばあり ゆえに われ あり」なんて
デカルトの文脈からするとぜんぜんだめだな。
それとは別にソシュール以降むやみに言葉にこだわりすぎじゃないか?
言葉あり 故に 赤ちゃんは 居ず
言葉こそ超越論的な制約なのだから、言葉の限界がコギトの限界となる。 言葉を持たない赤ん坊に、われ(意識主体=コギト)が無いのは当然。 あと、ソシュールじゃなくて、言語論的転回だろw
>>504 そうは考えない。
赤ん坊にも人権はある。
506 :
ちゅう :2008/01/26(土) 09:34:32 0
>>505 人権とわれ(意識主体=自我)は別だろう。
天賦の人権はヒトならだれにでもあるんじゃないか?
法律による人権は出生届をしたことによる社会契約
としての人権じゃないか。
修行したら、私という存在がない、ということがわかるそうだが、 修行しないとなぜわからないのだ??
>>504 所詮は言語というのは相対的な手段に過ぎないからね。
誰しも赤ん坊の頃は非言語だし外国語を知らない人にとっては外国語も非言語に
等しいかも知れない。
こういう言語が通用しない場面でも人は相手の欲求や意志を思い計る術を無数に
持っている。
身体運動は基本的に非言語であり言語はその身体運動に依存して音声系列の
規則を発声させる。文字を記述させる。
有限な反復回数により言語を習得していく。
言語理解が言語によって深まることから言語が全ての始まりであると考えるのは
浅はかということだ。
>>508 知能以前に哲学のセンスがジェロ
>>507 修行しなくても観念的に理解はできる。
たとえば仏教の「無我」とはコギトが無自性(空)であるということだが、
これは認識論的な独我論の「私」の可能性の否定と通底している。
ただ、神秘主義的な傾向を持つ宗教は実践・体験を重んじる。だから、
目の前のリンゴの成分を科学的に分析した科学者と、それを食べた
子供とでは、どちらがリンゴについて理解しているかという問い立てに
子供と答えるのが(神秘主義的な)宗教の立場。哲学は科学者の方。
なぜなら、修行によって得た直観は言語化できないから。修行者が
「私」が無いと語るのは、子供が「酸っぱかった」と言うのと同じで、
検証できないから学問的にはナンセンス(無意味)だもん。
>>507 修行している最中は私はないけど修行を終えると私がまた再生される。
そこらへんの浅い神秘主義的言質というのは妄想の類で一過性の認識の誤用。
>>509 つまり仏教で言う無我の境地だとか悟りというのは極めて非論理的な妄想ということですね。
非論理的だから一切他人には伝達する手段がない。
それにも関わらず何らかの修行を経てその境地に達せよ、何か良いことがあるぞと説く?
それって今風に言えばオレオレ詐欺と同質じゃないっすか。
それから修行を経て得た直観は言語化できないと書いてあるけど直観は論理的に説明できなければ
直観とは呼べないのでは?
たとえて言うならウンコがしたいとかオシッコがしたい等の生理的欲求のようなもの?
言語化はできるし共感はできるけど実際当事者の立場になって変わりにウンコしたりオシッコして
あげることはできないからきっとそういうことなんでしょうね。
上でソシュールとかウィトゲンシュタインとかゲーデルとか書いてあるけどどこまで実際に
読んで理解しているのやら。
512 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/01/27(日) 03:04:01 0
>>511 さんへ
悟りとは「ありのままに自心を知る」という事です。
513 :
考える名無しさん :2008/01/27(日) 03:21:28 0
>>510 ヒトはふだん、言葉というフィルターがかかった世界を見ている。
そこにはコギト=意識主体としての「私」がある。
しかし、たとえば禅の悟りというのは、言葉のフィルターを外して
己自信が(あのサルトルが嘔吐感をもよおした)ナマの世界となる
ことだ。主客未分化のそこに「私」は無い。そして悟りの境地から、
再びフィルターのかかった現実へと戻る。そこは「私」の世界だ。
修行者はこのように人境倶奪(悟りの境地)から人境倶不奪の
現実世界へと「還って」こなければならない。そして、生きる。
仏教はリアリズムなのだそうです。
>>511 騙されるわけではなく、自分で望んで修行するのでは?
あなたが、ウィトの言う「形而上学的主体」を理解し、かつ
「語りえぬこと」は「沈黙すべき」に共感するなら、修行者の
欲望もまた親しいものとなるでしょう。
言語道断な、非論理・非合理の直観でも、公案(禅問答)のように
修行者同士のあいだでは伝達可能らしいしw
>>直観は論理的に説明できなければ直観とは呼べないのでは?
んなこたあない。
あと、ここにはプロパーなんていませんから。半可通ばっか。
>>513 ちげーよw
>>514 言葉のフィルターがかかった世界というのは不明瞭で意味のないレトリックに思える。
例えば誰かと一緒に花火を見る。そういう体験を共有する。
その後、そのときの思い出を語り合う。感想が各々違ってもそれは主観の相違部分。
実際に同じ花火を同じ時刻に一緒に見た事実の方が大きい。
一緒に見たこと自体は非言語的だし思い出話は言語的。
認識主体とか考えるときに陥りやすい落とし穴は認識主体のごく個人的で内面的な
経験にのみ注目してしまい易い点。実際はそういう内面的な思考は体験の後にしか
起こらない。そしてその体験は別に個人的なものとは限る必要がない。
形而上学的主体ていうのはデカルトの独我論(方法的懐疑)を回避するための方便
なので禁じ手として語り得ぬものに加えただけでそれはそれでいい。
ただ沈黙すべきとはウィトゲンシュタインは書いていない。そういう価値判断的な言及
ならその点の基準を提示する必要があるから。沈黙せざるを得ないだけのこと。
直観に関しては論理を飛び越えてひらめいた事なので後から論理的に整合している
か否かは検証してから語るもの。だから説明できなければ直観でもなんでもない。
そういう意味でウンコやオシッコが我慢できなくなったのと同じ意味で貴方は直観を
誤用しているのだと思う。我慢しろとも言えるが我慢できないとも言える。同じ冷えた
外で長時間話し込んでいると連れションということになる。この場合は別に伝達可能
とは言わない。修行とはオシッコを限界まで我慢して意志に反して失禁してしまう
ような境地なのかもね。
>>515 花火を見るという行為が既に言語に依っているのだが、
実在論者のあなたはそれを理解しないだろう。ウィトが
沈黙しなければならぬと言ったのが道徳的な動機から
だと理解できないようにね。フェルマーの数学的直観は
証明されるまで数百年間も直観じゃなかったわけだ。
修行者の件では、ボクが伝達可能と言ってるわけじゃ
ないから、そこんとこよろぴくね。Hが我慢できないから
サイアクね え〜ん どおなってるの? ぷっぷかっぷ〜
すみません、酔ってるからもう寝ます。カレもうrさいし
>>516 花火の例は普通にメタ言語的な記述なんでそれが言語的と考えるのはおかしいです。
ヴィトゲンシュタインぐらいちゃんと読んだ方がいいです。
フェルマーの定理のフェルマー自身は証明できるが書き残していないと主張しているので
直観ではなく予想。
数学的直観主義か数学的形式主義(数学はそれ自身で無矛盾性を証明可能なはず)かは
ゲーデル(及びノイマン)によりメタ数学的に証明済み。
領域普遍的な論理性というのは人間は定立し得ないということ。
518 :
考える名無しさん :2008/01/27(日) 16:02:43 0
>>517 領域普遍的な論理性 というのがわかりません。
頭の悪い中学生にもわかるように教えてください。
それ自体で無矛盾性を証明可能ではない、ということの言い換えだろう 「言語的事例」ではなく「メタ言語的事例」と言い 「直観」ではなく「予想」と言う このような言い回しは常に可能である これはウィトゲンシュタイン哲学の挫折ではないだろうか
修行が一過性の三昧状態を作るだけなら、薬とか、 手軽にはオナニーとかするのと同じことにならない?
522 :
考える名無しさん :2008/01/28(月) 01:20:09 0
クスリやオナニーで得られるのは「通常ありえない感覚」あるいは、直接的な解放感や恍惚感。 修行で得られるという不動にして、物事が正しく観れるという感覚とは違うのでは? 修行したことないからよくわからんけど。
ヨガの修行して空中浮遊するとか。
修行だと自分の足で一歩一歩登頂するわけだが、薬だと ヘリでいきなり山頂に行って飛び降りるようだ、だとさ
そりゃあみんなヘリを希望するな。マゾ以外。
526 :
考える名無しさん :2008/01/28(月) 02:00:45 0
地道だな 月5ooo円の積み立ても出来ないようじゃむりっぽ
519は517への反論になってないか? ピクニックで目的地に着くために脇目もふらず行くのはつまらん 道端の花を見るなり楽しんでたらいつのまにか目的地に着いてた ぐらいがちょうどいい
>>527 確かに反論に読めたけど520は読めてないと思う。
修行は趣味だな。個人的娯楽だよ。修行者に布施しても何の意味もない。
菅直人さんのお遍路も趣味かな。 それとも人気取りかもね。 そういうことをすると信仰心が厚い人だというより真面目ないい人だという印象操作ができるから便利。 逮捕されて復帰する芸能人もよくお寺で修行して見事に復帰していい人の演技をする。
531 :
考える名無しさん :2008/01/28(月) 02:26:01 0
妙な思惑があったり、 罪滅ぼしの意味でお布施するとかえって穢れたものになるな…
532 :
考える名無しさん :2008/02/01(金) 00:00:48 0
age
私って何?
534 :
考える名無しさん :2008/02/01(金) 03:16:39 0
〈私・自分〉を定立させる認識のシステムが、何に因るのかが謎。
535 :
考える名無しさん :2008/02/01(金) 03:45:34 0
何が「存在性」ですか?「性質性」でも考えていて下さい。
536 :
考える名無しさん :2008/02/01(金) 04:07:34 0
造語
537 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/03(日) 11:53:56 0
538 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/03(日) 11:56:59 0
>>347 長々とご苦労さん
自我を他人に証明できなきゃ存在しない という論法も変だろ
何勘違いしてるんだろね
自分自身で「我思う故に我あり」が、どうやったって否定できない以上
「あり」と考える以外なかろう
「なし」とか「わからん」としたところで、それを考えてるのは紛れもなく『私』なんだからね
それを他人に証明できるかどうかは、また別問題だ
まぁ、自我があって、理解力のある他人なら、理解できるであろう
しかし、理解できない他人がいたところで、何の問題もない
理解できる人がいれば、理解できればいいだけの話
元々、アホが何かを理解できるワケもない
>>348 もう少し、よく考えてみましょう
で、キミは、いかなる物理的要素からなら発生させられるのかね?
キミの正体は、物理的な、いかなる要素なのかね?
>>350 独自性は独自性でいいんだけどさ
それがなんでワザワザ『私』なのか という話ね
他人で良かったじゃんか という事
この体の、何が私を存在せしめたのか という問題意識が理解できませんか?(苦笑
難しい?(爆笑
>>351 >この脳という物体から自我が発生しているだけだから、
>自我は仮象であると結論づけて否定することも出来るし、
できてまへんな
539 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/03(日) 11:58:00 0
>>353 >他人の「私」も私の「私」も同じ。
他人は他人だろバカ
>>358 私が追いつめられた事など一度もないが?
何、妄想してんの?(爆笑
>>359 説得 という言葉は適切ではないね
べつに何らかの目的があるわけでもなく、支持者を増やしたい というわけでもないからね
ただ、アホには理解できん というだけの話
理解できる人は、説得なんてされなくても理解しちゃう(苦笑
>>364 その発想は、キミらの思考回路を物語っているな
私は、目的があってこじつけてるんじゃないんだよ
論理的に突き詰めていくと、唯物論は崩壊してしまった というだけの話
>>367 ゴミは物体じゃないの???(爆笑
>>391 >あれだな、このスレの「私」ってのはイコール「最高位」だって今気付いたよ。
>私=最高位を記述しなさい、ってことなんだな。
やっぱり、お前らアホだな(苦笑
お、やっぱりほとぼりが冷めた頃に出てきたな。 否定や論破されるのは嫌だけど無視されるのはもっと嫌なので、 仕方なく時間をおいて反論してるって感じか。 でも他者には説明できないけど自分的には否定出来ないって論法で 議論しても不毛じゃね。
541 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/02/03(日) 14:27:05 0
最近の最高位さんは少々ずるくありませんか? 以前の質問にお答えいただきたいものです。
542 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/03(日) 14:27:15 0
>>540 アホですか?
過去ログが残ってるんだから、ほとぼりもクソもないだろバカ
もう少し、頭使え
まぁどうでもいいから
「我思う故に我あり」を、論理的に否定してから喋ってくれないか?(爆笑
543 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/03(日) 14:30:24 0
>>541 質問に答えないのは、アンタだろ(爆笑
何考えてんの???
真剣に頭おかしいんですか?
544 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/02/03(日) 14:40:59 0
>>543 最高位さん
浅学ながら質問はお受けしますと申し上げましたが。
それ以降なんの質問もされなかったのは最高位さんでしたね。
また、そのようなお言葉、もはや哲学の相を成してはいません
単に自己主張です。
そして最高位さんのその考え方が現実(他人)との葛藤、壁を
自ら作り上げているだけです。
なぜ他人に伝わらないのか。その仕組みをご存じない
または、お考えにならないのであれば議論は有りません。
哲学とは人間が森羅万象を理解できると思い込む錯覚へのお誘い。
>>542 な〜に言ってんの。手強い議論相手が興味なくして消えるまで待ってるんだろ。
いつも重要な問いが成された場合に消えてるし。もうバレバレ。
あと、我思う〜なんて、思ったその瞬間にしか有り得ないんだから、
その質問自体ズレまくってる。いつ思った瞬間の事言ってんの?
なんかすごい唯識が攻撃的なんだけどどうしたのw
>>546 手強くないやつを釣ってたいんだろ。そのくず人間みたいなやり方もう通用しねえっての。
549 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/03(日) 15:34:01 0
>>544 >それ以降なんの質問もされなかったのは最高位さんでしたね。
いい加減にしろよ
もう一回読み返して来いバカ
>>546 手強い議論相手なんていないだろ(苦笑
「我思う故に我あり」を論理的に否定できたヤツがいるか??
まぁ今日はこれで離席するけど
話をすり替えずに、ちゃんとやってみな
じゃっ
宿題な
>>549 例えば「我考えない故に我なし」と言えないでしょ。
そういうこと。
実は最初の我と後の我はぜんぜん別物だからそういう否定の論理が成立しないんです。
これ、基本なんで覚えて下さい。
>>549 だからね、我ありはいつでもって話じゃないの。
デカルトは単にそれに通じそうな道しるべを示してみたに過ぎない。
その道しるべも、その刹那の我ありを垣間見せてくれる可能性があるだけで、
我ありの絶対性など全く保証してくれない。
つまり「私」の同一性が保たれてる保証も全くない。
>>550 よくわからないんだけどその論法で「我思うゆえに我あり」のなにがどうなるということなの?
553 :
唯識的独我論者 :2008/02/03(日) 16:14:52 0
ちょっと最高位氏に同意する立場で述べます。 真に物理的に、客観性を重視した立場で述べるなら 『決定論:脳は物質なんで私は存在しない』 になるのではないでしょうか? しかし自分に意識があるから、他人を哲学的ゾンビと思わず 誰にでも意識やらクオリアやら私があると考える。 仮に「私は哲学的ゾンビです。皆さんもそうです。私というのは 物理的にも客観的にも観測されず存在しません」 と言う人が出てきたら、一般的な意見である 「誰にでも私がある」というのは論破されるのでは? しかし、客観的に証明できず物理的にも観測されない「私」を公式に認めてるなら それは最高位氏の主張『この私は特別な唯一の存在だ』というのと あまり変わらない主張なのではないでしょうか? なので、「私」という何かが自分や誰にでもあると考えるなら 私A、私B、私C…のように 私が人の数だけあって、私Xは私X一つしかなく、 いったい何故私Xはこの脳から発生するのか? といった問いは非常に意味のある問いだと思います。 私Aと私Xは全く違うんですよ。
554 :
考える名無しさん :2008/02/03(日) 16:33:25 0
>>539 ×私が追いつめられた事など一度もないが?
○私が追いつめられたと思った事など一度もないが?
最高位は何度も追い詰められ、論破されているのに、
馬鹿な最高位はそれを認識できないだけ。
第三者が見れば、それは明らかなのに、最高位本人にはそれが理解できない。
馬鹿は自分が馬鹿だということに気がつかない。
>>553 ぶっちゃけると万物が唯一なので、その意味では特別なものなんかない。
ただ、主観的な価値観ではもちろんある。でもそれは他者と共有不可。
556 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/03(日) 16:44:45 0
「私」は一人称代名詞であり話者としての自分を示す言葉だね。 それ以外の「私」を意味させたいのだったら、スレタイに有るとおり 「【私】を記述してください。」だから【私】の定義をしてから 議論して欲しい。 ただ言葉の意味のあいまいさだけで議論が空転している。
557 :
考える名無しさん :2008/02/03(日) 17:00:04 0
最高位はブランクの間デカルト読んだのか。 最高位はブランクの間デカルト読んだのか。 最高位はブランクの間デカルト読んだのか。 最高位はブランクの間デカルト読んだのか。 最高位はブランクの間デカルト読んだのか。
558 :
考える名無しさん :2008/02/03(日) 17:09:42 0
>>555 彼は宅配詐欺師と同じなので。
「注文したのは確かだろ?」
「でも中身が何であるかわからないうちは…」
「はあ?注文したんだろ?中身が何であるかを確かめるのはその次でいいんだよ!」
「…………?!」
559 :
考える名無しさん :2008/02/03(日) 17:10:54 0
キルケゴール読め。
561 :
考える名無しさん :2008/02/03(日) 17:19:30 0
デカルト読め。 シュタイナー読め。 カント読め。 ウィト読め。 宿題な。
562 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/02/03(日) 17:52:49 O
人は自分の知っている範囲のことを擁護する。知識の中には相対立 する物もあるから(宗教とか)知識のぶつけ合いのようなことになって しまうことも多いだろう。対立するという構造が出来てしまえば、相手の 知識を知ると言うこと自体が禁忌になってしまう。子供時代の経験が 教える、教わるという行為に対する態度を決めるのだろう。
563 :
考える名無しさん :2008/02/03(日) 18:02:03 0
最高位の熱意の心理的源泉に興味があるが、かつて共産主義だの自由主義陣営などといった、 政治的対立について語っていて、唯物論が諸悪の根源みたいな、宗教右翼を絵に描いたような 主張していた事があったので、そのような心情で必死になっているのかなっと思った。 なんかね、最高位の口調をみると、過度に啓蒙的なんだよ。唯物論者を改心させてやるとか、 教導、教化してやる、なんて意識が文面からにじみ出てきてるんだけど。 君は「唯物論者を改心させてやる」みたいな、奇妙な使命感を持ってないかい。 必死過ぎて、ものすごく滑稽に見えるんだけど。 最高位は言語哲学や構造主義などを読んでみるべきだろう。 あと行動心理学や認知心理学、科学哲学の基礎付け主義を批判した文献なども読むべきだ。 近代から現代にかけての論考を一通りよんで概略だけでも掴めば、どれだけ自分が 浅薄で見識が狭いか、子供じみた発言を繰り返しているか判るようになるよ。 入門書じゃだめだぞ、概説書でもいいから、しっかりした論考を十冊以上読め。
564 :
唯識的独我論者 :2008/02/03(日) 18:16:30 0
>>555 人間一個人にとっては一番重要な問いでしょう。
なぜなら、どのような物理現象でどのような快楽・苦痛を感じるかの問題なので。
以前、最高位氏の言で
「どのような仕組みで、脳と言う物質からこの私が発生するのか解明されてない」
とありましたが心の底から同意です。
例えば風邪をひく理由を「寒いからだよ」というのは説明として
成り立ってますが、人間の快楽・苦痛にとってはそれではダメなんですね。
寒くなって何がどうなってどこがどうなると風邪になるのか、といった
明確な理由が分れば人間は風邪に対処できたりする。
意識についても同様で、脳の何がどうなってどこがどうなって
意識が発生するのか?がもっと明確に分ればそれを応用して
常に快楽とか苦痛をゼロとか、この脳以外から
<この私>を発生させ快楽を永遠に味わうとか
そういうのも可能だと思うんですよ。
なので、意識・クオリア・私について、脳から発生するという説明で終わらず
もっと解明すれば、応用化できると思うので意識についての研究は
非常に良いと思います。
>>564 歌ったり踊ったりスリルを楽しんだりする。
自我に囚われないときが快。
566 :
考える名無しさん :2008/02/03(日) 18:23:10 0
「最高位」を気取っているいるやオタンコナスがこれから学ぼうとするだろうか 「わかっちゃいねーな」「アホ」「勉強しろよ」「宿題な」を これからも連発するだけだと思うよ
567 :
唯識的独我論者 :2008/02/03(日) 18:44:23 0
>>565 そういう事よりももっと根源的な
『この私がどういう物理現象で発生し、どういう物理現象で
どういうクオリアを感じるか』を解明し自由に出来れば
不老不死やら何やら、昔からの人類の夢が全て叶うと思います。
この私に関する法則や仕組みさえ解明し自由にできれば、
あらゆる快楽を永遠に感じるとか苦痛をゼロとか
人間の欲求は全て叶えられると思うんですよ。
人間は物質を自由に動かす科学技術を発展させてきましたが
<この私>やらクオリアを自由にする科学技術を発展させた方が
欲求を叶えるのに効率的と思います。
>>564 その人の成り立ちや快楽なんて誰も世話してくれないぞ。
というより、どうなれば解明なのかは受け手の判断に委ねられるので、
もう勝手にしてくれとしか言えない。
569 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/03(日) 22:37:15 0
>>567 自分の身体も快調なときは何も意識しない。
身体を意識するときは病気や怪我など不調なときだね。
遊びでも学びでも我を忘れて没頭してるときが一番楽しい。
自分を意識してるときはたいてい苦痛だね。
570 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/02/04(月) 00:03:15 0
>>549 最高位さん
議論になりませんね。
それでは誰からも理解されませんよ。
前スレでしたか、唯物論否定の目的に共産主義批判や
物質主義を否定するような書き込みをされていましたが
ならば尚更のこと、他に伝える手段が必要なのではありませんか?
「私の存在」を他の人にも気づかせ、真に理解されてこそ
唯物論を否定できるのでは?
ご自分で完結されているのならば他に伝える手段をお考えになられては如何ですか?
そうでないと、同道巡りですよ。
>>569 そうです。
通常、自分を掘り下げて意識することは殆どない。
だから、「この法(≒おしえ)は見難い」、と言われるのですw
また、
順調な時は、楽しいし、いつまでも続いてほしいと願う。
現状を何とかしようという打開のベクトルは生まれない。
苦言が耳に入らない状態でもある。
が、苦難にある時、悲嘆・憂いにある時、
それは終わってほしいと思う、変わってほしいと思う、続いてほしくないと思う。
そこには、変化を望むベクトルが生まれる。
また、二度と到来しないでほしいと思う。平穏な今を持続したいと思う。
そこには、怖れと執着が生まれる。
どんな嘘にも、すがりたくなるかもしれない。
嘘を嘘と見れないかもしれない。
「縁」とは良く言ったものだ・・・w 「きっかけ」とは良く言ったものだ。
「藁をも掴む」とは良く言ったものだw
人には、
意識して制御しなければ、ついつい流れていく思考の傾向がある。
それを見据えることができるかどうか。
自分が、どのような思考をしているか観察できるか。
最後の最後は、自分を見つめるしかない。
さて、自分を見つめる視線を、人は持つことができるだろうか・・・。
考えてるときに私の存在が確認できる。 私があるのが分ったと。 で、私って何?
573 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/02/04(月) 01:56:01 0
最高位はさ、形而上学的主体としての「私」の存在性は誰しも否定し 得ないだろ? と言えばいいのに、言語の見る夢であるところの「私」、 すなわちコギトの実体的な存在性について否定し得ないだろ? と 主張するからブッディストの皆さんからウケが悪いんだよ。
575 :
考える名無しさん :2008/02/04(月) 03:41:54 0
>>574 最高位はデカルト的二元論の信者ではないのかな?
コギトの実体的な存在性から、
「私が人間でなくなっても私としてあるなら」と空想しているわけで。
576 :
考える名無しさん :2008/02/04(月) 04:22:54 0
仏教者がいう我とかの否定は最高位が考えているほど単純なものじゃないんじゃないか?
>>573 禅坊主なら、
それが坐禅ではないでしょうか。
と言うだろうなw
さて、キリスト者は何と言うだろう。
ムスリムは何と言うだろう。
真宗門徒は何と言うだろう。
日蓮系は何と言うだろう。
〜「私」の不思議〜 この世が全て「他者」で構成されているならば、問題はない。 しかし、「私」があることによって、心身問題が生じているのだ。 この世が全て「他者」ならば、心はいらない。 その場合、脳は、物理的な刺激によって思考・反応をするだけでよく、唯物論で成り立つ世界になる。 しかし、私の中に、「私」は確実に存在するのだ。 私という「身体(物)」を通して、「私」は確実に世界を見ている。 私が観測できるのは、私の中の「私」のみ。そこから生じた考えが独我論なのだろう。 だからといって独我論を提唱するのも、「私にとっての他者」の中の「私」を否定するだけに過ぎず、解決策にならない。 「他者」の「私」はまやかしであると断言しあう、不毛な結果で終わってしまうことだろう。 仮に、脳分割手術や、脳結合手術を行ったとしても、「私」の呪縛からは逃れることは出来ず、解決策にならない。 哲学的ゾンビが発生・消滅するのみにとどまってしまう可能性が、十分にあるからだ。 輪廻転生を真剣に考える上でも、この「私」は重大な意味を持つ。 全て「他者」の世界に、「私」が舞い降りている状態が、今、生きている状態であろう。 「私(観測者)」が死んでも、また更なる観測者として新しい「私」が降臨する可能性は否定出来ない。 その場合、新しい「私」は、古い「私」を忘れている為、あたかも初々しく振舞うことが出来る。
579 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/04(月) 08:31:45 0
仏教の無我と言うのは生きていく実存の主体である私の否定 では無い。私の独自性・独立性の否定が無我だろう。 「自由・法由」=「自分にたより、法(他者など環境すべて)にしたがう」 のでなければ生きていけない。 仏教哲学は徹底した実存哲学だろう。
仏教の無我は、アートマン(魂)の否定だよ。
>>564 >意識についても同様で、脳の何がどうなってどこがどうなって
>意識が発生するのか?がもっと明確に分ればそれを応用して
>常に快楽とか苦痛をゼロとか、この脳以外から
><この私>を発生させ快楽を永遠に味わうとか
>そういうのも可能だと思うんですよ。
解明されればされるほど、そういう事が不可能だという事が分かるんですよw
魔法とは違うのです。
582 :
sew ◆r6Jrt4nsPo :2008/02/04(月) 21:46:37 0
お邪魔しま〜す。
>>549 哲学者最高位さん
> 「我思う故に我あり」を論理的に否定できたヤツがいるか??
哲学勉強していませんが、なんとなく否定できるような気がしたので、少しだけ。
これって、普通逆になるのではありませんか?
その論で行くと自分を感じることの出来得る環境にあるから「我あり」といえるのですよね?
ならば、例えば、植物状態になった人は「我あり」とは言えないのですか?他の人の目から見れば明らかにその人は生存しているわけですよね?
それに、自分がいるから自分が居ると思えるわけで、そうなると「故に」というのも変な使い方になっていると思います。
「我思う故に我あり」については以上です。
それと、ここのスレにカオルは一度も来た事はないのですか?
事あるごとに「私」にこだわっていた書き方をしていたので、ここにくれば「私」というのが何かわかるかと思ったのですが、
書き込みを見る限り来ていないようですね。
機会があったら、今度カオルにここを紹介してもよろしいでしょうか?もしかしたらここに来ようと思うかもしれない。
>>582 哲学勉強してからこい。
話はそれからだ。
584 :
考える名無しさん :2008/02/04(月) 21:50:26 0
カオルってエヴァのカオルくん?
585 :
sew ◆r6Jrt4nsPo :2008/02/04(月) 21:54:25 0
>>583 あ、やっぱ話になりませんか。失礼しました。
>>584 カオルというのはエヴァのカヲルくんではなく、この板にいるコテハンの名前ですよ。
586 :
考える名無しさん :2008/02/04(月) 22:02:15 0
kさんはどうされてますか
587 :
sew ◆r6Jrt4nsPo :2008/02/04(月) 22:13:55 0
>>586 kさんは、ここから違う板に移ってしばらくしてから見掛けなくなりました。
今どうしているのか分かりません。
我思うゆえに我ありで分ったのは、我があってその我は思う主体であるということだけ。 思われる内容もあるね。これだけの材料でどこまで行けるかというとどこにも行けないんじゃないか? この我は俺たちが普段使っている私とは明らかに違う。 思い返すたびに我の存在を確認できるけど、それぞれの時点の我が同一であるのか、別々なのかも分らない。 思考内容の継続によって我の同一性を推測するのか?記憶は疑わしいのに? 思われた内容も客観には到達しない。対象がいくら現実的に思えてもそれは夢かもしれないんだから、 つまり、思考内容が客観と一致しない可能性によってすでに退けられているんだから、 思考内容が客観に達しないということは初めから決まっている。 で、ここから何をどう考えりゃいいの? あと、最高位製の私とデカルトの我の関係はどんな感じ?どこが同じでどこが違う?
>>539 >>他人の「私」も私の「私」も同じ。
>他人は他人だろバカ
バカはあなたです。
「私」は「主観性」であり「存在性」なのでしょう?
他人には「主観性」「存在性」はないと言うつもりですか?
590 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/05(火) 01:00:23 0
結局、誰も宿題ができてませんねぇ(爆笑 当たり前だけどね
591 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/05(火) 01:00:50 0
>>550 「我あり」が結論で、「我思う」が根拠なんだよ
思おうが思わなかろうが、結論を変える理由にはならない
キミらの多くは
我思っている から 我あり
だと勘違いしている
意味わかるかなぁ
まぁ、デカルトの基礎が理解できないくらいに頭が悪いんだから、理解できなくて無理ないけどね
>>551 ホントに頭悪いなぁ
何度言ったらわかるんかねぇ
同一性が保たれているかどうかと、「我が有る」という事は、別の話だろ
「同一性」 と言った瞬間に「我あり」は前提されてるわけでね
無いもんに同一性もクソもないだろ
「あり」なんだよ
同一性なんて持ち出しても、「あり」は全然、否定されません
マジで、アホなんですか??
もう少し、マトモになってから参加して下さい
592 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/05(火) 01:13:43 0
>>589 元はコレな
↓
353 :考える名無しさん:2008/01/19(土) 18:28:44 0
「私」が「純粋な存在性」なら、
他人の「私」も私の「私」も同じ。
子供を産めば「私」を作り出すことが出来る。
ハイ、最高位は論破されました。
他人に自我があれば
通常、その人は、それを自覚できるでしょう
(ここでは、「自我などない」と主張してくる人もいるので、その人が本当に自我がないのか、単に頭が悪いだけなのかは、私には判断できませんが・・・)
他人に自我がある
それは、その本人が自覚できれば問題はありません
ただし『私』とは別人です
「同じ」ではありません
子供を産んでも
それは私ではない「他の人」なのであって、絶対に「私」ではありえません
当たり前ですね?
こんな事を説明されなきゃならないなんて
頭、大丈夫ですか?
593 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/02/05(火) 01:19:53 0
>>577 さん
それもまたヨーガでは?
信仰のヨーガでしょう。
>>590 最高位さん
その宿題の答えは遥か以前にお答えしております。
それが違うと言われるのならば見解の相違であります。
同道巡りは終わられては如何ですか?
そうなってしまう原因こそ
最高位さんの理論では説明出来ない仕組みが隠されているのですよ。
594 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/05(火) 01:22:58 0
>>593 『私』を論理的に解き明かす事はできない
という事が真であるならば
それこそ、唯物論は崩壊するのですよ
何考えてんですか???(苦笑
595 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 01:24:44 0
596 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/02/05(火) 01:26:58 0
>>594 最高位さん
なぜ「唯物論」なのですか?
私の存在理論と唯物論は関係無いでしょう。
そういった事も一旦止められて、本当の意味で
「私」の考察をしませんか?
>>591 だから死んで灰になれば我なしでごじゃろうと言うておる。
598 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/05(火) 01:29:59 0
>>595 「我思う故に我あり」
この、どうやっても否定できない「我あり」
「あり」である『我』を、物理的要素に還元し特定する事は、絶対にできない
であるからして
唯物論が間違いである という結論は、絶対なのである
599 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 01:31:09 0
600 :
唯識的独我論者 :2008/02/05(火) 01:31:20 0
確かに、「私」も物質同様に 特別ではないと言う理論も自然でありますが・・・ 人間一個人にとって考えると、そういう学問的なことより 『なぜ人間に生まれたのか?死んだ後どうなるのか?』 といった問いを考え、そこから「数ある私(私abcde...)のうち この私こそ最重要だ』という疑問に行き着くのでは? そして、別に宇宙のビックバンとかはどうでもいいけど 「この私が快と苦を感じる仕組み」のみは 法則による支配的だとまずいので研究するのでは?
601 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/02/05(火) 01:38:49 0
>>598 最高位さん
その「我」というのはデカルト自身が何を指して言われたのでしょうか?
デカルト自身にしか分からないことでは?
この質問も何回目でしょうか。
同じ一点に留まらず、先へ進みましょう。
602 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/05(火) 01:39:34 0
>>596 話をすり替えるなって(苦笑
私は、この板に来た当初から、唯物論は間違いだ という事を主張している
それは、キミも知っている事だろ
本当に唯物論が否定されちゃったからといって、必死で話題をすり替えようとしても無駄無駄
まぁ
キミが『私』を説明したいのなら、キミの見解に従って説明すればよかろう
さぁ
やってくれたまえ(爆笑
聞いてあげよう
そうとは言っても出来んだろうがね(苦笑
しかし
少なくとも、唯物論者には、説明の義務がある
もし出来なければ、唯物論は崩壊だ
唯物論とは、この世の全ては物理現象で説明がつく とする思想なのだからね
しかし、あれだな
何で唯識を名乗るキミが
唯物論の擁護に、そこまで必死なんだ???(爆笑
603 :
唯識的独我論者 :2008/02/05(火) 01:41:26 0
>>569 無我、という表現でいいのか分りませんが
そういうのでは苦痛は消えないんですね。
例えば身体的苦痛は人間の意志で感じてるのではなく
なぜか存在する。宇宙が無から発生し
そこからなぜか強制的に「この私」が存在し苦痛も強制的に存在するって考えると
人間の日常的な意思とは無関係な、もっと根源的な
強制・根源的法則のようなものが苦痛の原因だと思うんですよ。
だから身体的修行とかは苦しむ確率を下げるだけで
死んだらどうなるか分らないし、なんていうか
『どういう物理現象でこの私が発生し
どういうクオリアを感じるか』
を全て解明し自由にしないとまずいと思うんです。。
>>581 そういう考えだとテクノロジーは無いと思います。
出来るか否か証明不可能なので、出来る方を選択し行動するのが
賢明では?
人間はいつか死ぬ。 そのことが明かだから死んでもなくならないものを残そうとする。 そういうものの中に哲学もある。
605 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/05(火) 01:45:18 0
>>601 デカルト自身が「わかってた」んなら
デカルトが哲学する上で、それは充分な事でしょう
デカルト自身が「わかってた」んですから(笑
『我』!と言って、わからん人がいるとするならば
それは自我が無いゾンビか
もしくは
自我があるのに自覚できない わけですから
相当、頭が悪いか の、どちらかでしょう
606 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/02/05(火) 01:55:00 0
>>602 最高位さん
唯物論の擁護者でも支持者でもありません。
前にも述べましたが唯識論というのは現実(物質と呼ばれるものも含め)
全ては関連、繋がりあっているというものです。
(物質と呼ばれるものは唯識では「器世間」と呼ばれ阿頼耶識です)
(阿頼耶識が詳しくお知りになりたいなら、どうぞ検索を)
自らの全ての拠り所が阿頼耶識であり、原因と結果もすべてその中にあります。
つまり「私」という存在も現実を離れるものではない、ということです。
最高位さんは「現実」イコール「唯物論」
物質世界、物理法則、そしてそこからの精神性自由を求められているのですか?
また頭が悪い云々と他の方を罵られますが
「私の存在」は物理的肉体とは関係無い、現象しない存在のはずですが。
いずれにせよ、最高位さんの理論ではご自身の唯物論の否定は出来ても
他の人の唯物論に対する考え方は変えられないですね。
最高位さんの理論は惜しいところがあるんですよ。
それは、何度も申しましたように「唯物論否定に用意された私の存在理論」だからです。
>>591 あのね、「我あり」と「我あった」は違うんだよ?
「我あり」はデカルト的には否定しえないけど、「我あった」は懐疑の対象。
だから、「我あり」を確かめるにはその都度懐疑しなくちゃならない。
んで「我あり」に達したとして、その経験はすぐに過去のものになるから、
やっぱり懐疑の対象になる。だから「我あり」に同一性があるとは言えず、
証明も不可能といえる。すぐ懐疑の対象になるからね。
要は最高位は「我あった」を絶対化してるに過ぎないってこと。
でもそれってデカルト的にはまっ先に懐疑の対象なのよね。
608 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/02/05(火) 02:09:39 0
最高位さんの理論ですと 私イコールデカルト ではないはずですが。
609 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/05(火) 02:12:20 0
>>606 唯物論は『思想』なんですよ
純粋な哲学ではないんです
で、要するに、これを論破する という事は「思想戦」なわけです
どういう事かと言うと
唯物論も『価値観』なのであって、考え方
すなわち、人間の『観念』なわけです
ですから
主観性のある人どうしでしたら、その価値観は共有できます
当たり前ですが、残念ながら主観性の無い人には通用しません
私が「唯物論は間違いですよ〜」と言っている事が理解できる人は
最低限、この『主観性』というものが無ければ不可能です
しかし
私と同じく「主観性」のある人でしたら、その主観性の立場から、それは理解できるでありましょう
で
最終、私以外の誰にも主観性がなかったとしても
極論すれば、独我論が正しかった
という事であったとしても、唯物論は間違いでありますから
私の考え方は、正しかった となるだけなのであります
キミ達に、主観性が無くとも
とんでもないアホであったとしても
要するに理解されなくとも
いずれにせよ私の主張は、くつがえされない という事ですね
アホや
主観性の無い人 に反論されても『無効』である事は、言うまでもありませんね?
>>592 バカはあなたです。
別人なのは私という人と他人であって、
「主観性」と他人は別人
では意味不明です。
そして、あなたが二人の他人を別人と判断しているのならば、
その二人の「違い」は「主観性」にないことは明白です。
例え死体であっても別人として扱われます。
一方で、あなたの言う「主観性」「存在性」は、
他人があなたと同じように自覚しないと理解出来ないものなので、
もしあるのならば、他人と違いはない同じものであるはずでしょう。
「主観性」といえば客観的になる不思議を知れ>最高位
612 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/02/05(火) 02:16:39 0
>>609 最高位さん
何の答えにもなっておりませんね。
ただの自己主張でしかありませんが。
最高位さんと同じ主観性(以前に申し上げました「マスターキー」)を
いったい誰が持っているのでしょう。
>>609 >唯物論は『思想』なんですよ
>純粋な哲学ではないんです
>で、要するに、これを論破する という事は「思想戦」なわけです
つまり、あなたの主張も純粋な哲学などではなくて、
唯物論と戦う為の『思想』だということでしょうか?
この世界に他人はたくさんいるのに何故か私は一人しかいない。 何故、いくら説明してもこんなに簡単な事が理解出来ない他人がいるのだろう? まったく不思議だ。 いや待て、しかし、 その前に何故、私は「他人にも当たり前に理解出来るはずだ」などと考えているのだろう? そもそも何故、それを他人に説明しようとしたりなんかするのだろう? この世界でたった一人、私だけが他人ではないのだから、 他人が考えている事と私の考えている事も違っているのが当たり前ではないのか? こんな事を考えているのは世界でたった一人この私だけであって然りではないのか? いったい何故に、私は、「他人もそうに違いない」なんて考えてしまっているのだろうか? 他人は絶対に私ではありえないのだから、世界でたった一人の私の例が当て嵌まる道理がないではないか。 なのに不思議と考えてしまうのだ。
615 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/05(火) 04:26:26 0
>>608 当たり前です
デカルトと私は、別人です
そんな事は、確認するまでもないでしょう(苦笑
しかし
私は、デカルトさんの言っている事が理解できますよ?
キミはできないんでしょうか?
主観性
ないんですか?
それとも、アホなんですか?
>>612 はぁ?
このスレでも、理解できて、考えが変わったと言った人がいましたけど?
その人は何なんですか?
>>613 対唯物論に焦点を絞れば、それで事足りる という話です
気づく人は気づけるし
アホには説明しても理解できん というのは、無理もない当たり前の話
デカルトの一般常識的解釈も理解できんのだから
そんな人は、ハナから理解なんてできるわけない(爆笑
そんなの相手にしてませんよ
一応は、説明してあげるけどね(苦笑
616 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/05(火) 04:30:05 0
>>614 一人じゃつまらんし
他人も自分と同じように、主観性があるように見えるからじゃないの?(笑
「キミらも主観性があるんですか?」という事でしょう
一人も無かったら独我論だし
淋しいね(笑
617 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/05(火) 04:36:27 0
>>610 >「主観性」と他人は別人
>では意味不明です。
ちょっと聞きたいのですが
私がドコで、そんな事を言っていますか?
618 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/05(火) 04:58:18 0
私は「唯物論は間違いだ」と言っているんですよ 私に反論するなら、最終的に唯物論の正当性につなげなければなりません でなければ、私に反論する意味がないわけです 唯物論は「人間の精神」に言及しています 要するに、人間の内的世界全般に対して、「それは物理現象だ」と結論付けているわけです ならば『私』について、物理的要素で説明する義務がありますね? 説明できる可能性すら、実はありえないのですが 頭の悪い人は、それが全く理解できない こんなのは、現代哲学を少し応用すれば常識的に理解できる内容です しかし、どんなに考えても、その知能レベルの問題意識に立つ事すらできない人がいる そういう人は、まず せめて、デカルトの常識的解釈 と 『クオリアの起源』という基礎問題を理解してから来るようにしてもらいたいです それも理解できないのに、私の言っている事が、理解できるはずもないからです せめて 自分には、まだ理解できない次元の高い話をしているかも知れないな という可能性を考えるようにしてもらいたいですね でなければ、一生理解できないと思いますよ デカルトを、無理に人と違うトンデモ解釈に捻じ曲げて 「オレは次元の高い哲学をしている」なんて思っているトンデモな人がいますが まず基礎を理解してからにしましょう
>>617 >ちょっと聞きたいのですが
>私がドコで、そんな事を言っていますか?
>>592 >ただし『私』とは別人です
「私」とは「主観性」で「純粋な存在性」であると言ったのはあなたですよね?
もうボケられましたか?
別人とは人と人を比べての区別であって、あなたの言うような「主観性」とか「存在性」と
他人とを比べての区別ではありません。
どうやらあなたには少し難しいようですが。
最高位氏。
二人の他人がいる時、あなたはそれを別人と区別出来ますか?
もし出来るのなら、二人の人間の違いはあなたの言う「主観性」と無関係なのは明白です。
あなたの言う「主観性」があなたが他人とは違っているという根拠とはなり得ません。
620 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/05(火) 07:38:56 0
>>619 キミは、マジで日本語が不自由なようですね
「『私』は主観性である」
と言ったとしても
それは必ずしも、主観性=『私』
ではないのですよ
「私は人間である」
と言えますが
もちろん人間は他人もいるのであって、逆が成り立つわけもないでしょう
キミは、小学校からやり直す必要がありそうですね
哲学なんて、とてもじゃないが出来るレベルじゃありませんよ
まず、日常会話が不自由なくできるようになってから来て下さい
621 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/05(火) 08:20:59 0
>>606 >(阿頼耶識が詳しくお知りになりたいなら、どうぞ検索を)
しかし、いつも藁かしますね(苦笑
いつも言いますが
ここは哲学板ですので、宗教用語は宗教板でお使い下さい
阿頼耶識?についてなど「詳しくお知りになりたい」などと思っていません
ただ
普通の日本語で表現してくれれば理解できるかも知れませんけれどもね
そんな宗教用語は、あなたの所属する宗教団体内などでお使い下さい
私には、関係がありません
繰り返しますが
あなたの信ずる一宗教団体の教義で、哲学板を荒らさないでもらえますか?
仏教用語は、仏教スレでお願いします
>>616 >他人も自分と同じように、主観性があるように見えるからじゃないの?(笑
他人にも自分と同じように主観性があり得る、と考えた時点で、すでに
主観性を客観化していることに気付け。
なんか最高位の圧勝みたいだね。
624 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/02/05(火) 11:57:31 0
子供の頃、テレビのヒーローにあこがれてまねをして遊んでいたことがある。 また、成長するに従って、反抗期という物が表れる。 人間は、赤ん坊という自我の無い状態から、他人のまねをすることで自我を 拡大し、自分の表現方法をさぐる。 そして、自我が完成に近づくに当たって、それを守り、世界の中で自分をため そうとする。 まね、と言う方法で自我を拡大し、能力の拡大を図るのである。その際、何を まね、何を否定するかは個人個人の小さな自我の性格によるだろう。 三つ子の魂百まで、である。
>>621 唯識ってのは仏教上最強の理論集団だからなあ
おまえ勝てないよ
にしても唯識って釣り氏だよなw
627 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/05(火) 12:39:45 0
>>622 気づいたら、何なの?
>>624 まねをする
というのは、学習の一つの形じゃないかな
自我というのは、もっと根本的な問題だよ
まねをしたいから
まねをしよう と思って、まねをするのであってね
実際にまねる というのは単なる行動にすぎないのであって
行動したからといって、自我が『拡大』する とかいうのも
論理的に意味がわからん
的外れな思いつきだね
>>625 そうなん?
それにしても手ごたえ無いけどなぁ(爆笑
まぁ、理論武装してるヤツは、こんな事は言わん
↓
>(阿頼耶識が詳しくお知りになりたいなら、どうぞ検索を)
理論武装してるんなら
自分で説明できるはずだし、したいはずだからね(苦笑
というか根本的な話、彼はボケと話のすり替えばっかりで、話にならんのよ実際
まぁ、『仏教上』での最強の理論集団 は
一般の哲学者から見れば、お話にならない程度の理論武装だ
というのなら、とても納得できるけどね(爆笑
>>627 >一般の哲学者から見れば、
一般の哲学者を知らないくせに。妄想で語るなよ。
629 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 12:48:27 0
>>627 結局誰がなんと言おうと認めないんだろ?
意味がわからんのなら黙ってればいいじゃねえか
630 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/02/05(火) 12:49:22 0
>>627 最高位氏の「私」についての考えは非常に高度な物だと思うが、
我思う故に我有り、については少し疑問の余地が有るように思うの
です。つまり、考えるという私は疑い得ないが、自我とはもっと
世界と影響を与え合う物で、複雑に出来ていて、あたかも引力や斥力
を持った原子のような物ではないかと思うのです。
最高位氏の自我観をお聞かせできませんか。
631 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/05(火) 12:51:49 0
>>628 中途半端な一言だけ言って
サッと引っ込む
そういうセコいクセ、というか卑怯な姿勢
なおしたほうがいいよ
あんま意味ないしね
というか
たのむから早く、普通の会話ができるようになってくれよな
>>627 少しは学んだらどうだなんだ?まあ阿頼耶識とかが出てきたらおまえの屁理屈なんぞ歯が立たんのは明らか。おまえ釣られてることに気づいてないのかw
634 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 12:55:17 0
思い込みと哲学をいっしょにされては困る
635 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/05(火) 12:56:46 0
>>630 私が自我と言っているのは
『私』という『主観性』の事ですよ
これは『存在性』ですね
それを自分で意識する心の働きを『自我意識』とし
存在性と、その『精神活動』は、ハッキリ区別しています
これをゴッチャに考えている人が多い
>>630 私の存在性と物理を完全に切り離してるのにその問いは愚問だぞ
637 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/05(火) 12:59:55 0
>>632 全然、論理的な話になってないから、説得力ゼロだな
とりあえず
なんか説明してみ(爆笑
>>620 >「『私』は主観性である」
>と言ったとしても
>それは必ずしも、主観性=『私』
>ではないのですよ
これはどういう意味でしょうか?
『私』は「主観性」や「存在性」であったりなかったりすると言う事ですか?
ならば少なくとも「純粋な存在性」とは言えませんね。
では改めて、
「『私』は他人とは別人である」と言う主張における
『私』とは「主観性」でないならいかなる意味ですか?
それと、
二人の他人がいる時、あなたはそれを別人と区別出来ますか?
まともに答えてください。
唯識氏は論理的でないにしろ説明はしている。最高位が認めてないだけ。
640 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 13:02:51 0
しかし、「思う」というのは「精神活動」ではないのかね? 両者をハッキリ区別するなら、「我思う故に我あり」は成り立たないだろうに。
>>637 おまも論理的じゃねえなw屁理屈こいてるだけw
642 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/05(火) 13:09:20 0
>>638 >>「『私』は主観性である」
>>と言ったとしても
>>それは必ずしも、主観性=『私』
>>ではないのですよ
>
>これはどういう意味でしょうか?
>『私』は「主観性」や「存在性」であったりなかったりすると言う事ですか?
はぁ???
ホント頭、大丈夫か???
『私』は「主観性」そのものな「存在性」だが
主観性や存在性が、必ずしも『私』だとは言えない という当たり前の事が理解できんのか???
主観性や存在性は、私でない他人である可能性もあるだろ
ホントに言ってる事わからんの??
キミ、基地外なのか?
>>639 論理的でない説明の、何を認めろと?(爆笑
ここは宗教板ではないんですよ?
643 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/05(火) 13:11:35 0
>>640 はぁ???
精神活動によって、自我の存在性を自覚できるんだろバカ
アホばっかしで、疲れてきた・・・・
644 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/02/05(火) 13:11:45 0
>>635 私という主観性が自我であるとおっしゃるが、それは言葉にしてしまうから
そうなので、実際の人間の自我は主観性と客観性の間で揺れ動く、まさに
ゴッチャになったもの、あるいはその両方を含む物、である、と思う。
まあ、そう言う定義というか、理解も、どちらがいいのかと言われると、
よくわからないのですが・・・。
645 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/05(火) 13:15:07 0
>>644 自我は、完全な主観性です
その主観性が、客観的角度からとか、いろいろ考えるのであって
客観性 なんてものは、ありません
客観的に考えようが何をしようが、全て主観性による精神活動です
唯識ってのは心の分析学。最高位が分析されてるんじゃね?
>>644 彼のは一般的じゃないからまともに受けないほうがいいよ
「我思う故に我あり」 に反論しようと試みるかたは この一文だけをリテラルに解釈するのではなく 検索するなりして少なくともデカルトがどのようにしてこのテーゼに至ったかを 理解してから行うようにしてください。 参考検索語彙 ・デカルト ・我思う故に我あり ・方法的懐疑 ・コギト
649 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/05(火) 13:24:21 0
>>638 もっと子供用に説明し直してやるわ
犬は動物である
これは普通、正しい発言だよな?
しかし
動物は、犬とは限らんだろ
猫の場合も考えられるし、トラも動物だよな
逆は必ずしも真とは言えないわけだ
こんなのは、幼稚園児でもわかる国語だぞ(苦笑
>>642 >主観性や存在性は、私でない他人である可能性もあるだろ
ますます、意味不明です。
他人が「主観性」であるとはいかなる事をいうのでしょうか?
「主観性」とは「人間」と同じ意味ですか?
以前は「他人にも『主観性(自我)がある』かもしれない」と
仰っていたような覚えがありますが、主張が変わられたのですか?
では「『私』は他人とは別人である」と言う主張は
「『私』と他人は別の『主観性』である」という意味でしょうか?
だとしたら、それは
「『私』と他人は別の『主観性』である可能性がある」
でしかないですね。
もう一度きちんと説明し直してください。
それと、
二人の他人がいる時、あなたはそれを別人と区別出来ますか?
まともに答えてください。
651 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/02/05(火) 13:28:23 0
>>645 視点をある物に合わせているときに、私はああ、○○だな、と思ってしまう。
客観性というのは言葉が悪かったですが、対象と自分の分離、これはそう容易には
なされないでしょう。完全な主観性が自我だとしても、それは世界の影響をうけて、
完全にはいかないでしょう。つまり、我と対象は切り離して認識されるのでは
ないということです。
652 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 13:29:19 0
>>643 >精神活動によって、自我の存在性を自覚できるんだろバカ
それじゃ「主観的に自覚できようができまいが、自我は客観的に存在する」
ということだぞ。
全然「我思う故に我あり」じゃないじゃないか。
653 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 13:30:16 0
最高位、そろそろ打ち止めだなw
>>649 はい。それはその通りです。
「犬は動物である。犬という動物は、猫という動物とは別の動物である。」
これは意味が分かります。
しかし、
「『私』は『主観性』である。『私』という『主観性』は他人とは別人である。」
これでは、意味が分かりません。
犬と猫はどちらも動物ですし、別人と言った場合はどちらも人間でしょう?
私の日本語の問題ではないと思います。
ここでの「主観性」とは「人間」の意味でいいのですか?
「犬は動物である。犬という動物は、マグロとは別の魚である」 と言われても意味分かりませんよね? 「『私』は『主観性』である。『私』という『主観性』は他人とは別人である。」 これはどういう意味でしょう?
そういう重箱の隅をつつくようなことはよせよ。 なんだかみみっちいんだよ。
657 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 13:48:04 0
もうなにがなにやらわからなくなっている模様>最高位
>>658 それは専門家同士の論争だろ。
最高位は別に哲学の専門教育を受けてきたわけじゃないから
自分の気付いたことを説明するのに万全じゃないのは当然だろう。
だがデカルトを引用したりしてがんばってるじゃないか。
ところが同じく非専門家の批判者の多くはデカルトすら知らず、
ろくに調べもせず専門家のマネだけして論理的な欠陥を突こうとする。
批判する前にその主張を理解しようという気がないんだよ。
相手の主張の意味もわからずその他大勢の尻馬に乗っていっしょに叩いてるだけじゃねえか。
そういう姿勢がみみっちいっていってんの。
660 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 14:10:36 0
662 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 14:15:22 0
>>659 最高位に言ってやれよ
勉強不足、相手を理解しない
議論にならない
663 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 14:17:00 0
>>659 >それは専門家同士の論争だろ。
>最高位は別に哲学の専門教育を受けてきたわけじゃないから
>自分の気付いたことを説明するのに万全じゃないのは当然だろう。
これは的外れな指摘だと思います。
彼は「哲学者最高位」なのですから、専門家以上でしょう。
人は独りでは生きていけないもの。 主観性というのは営々と生存を賭けた闘争を繰り広げる人類の部分に過ぎない。 従って我思う故に我ありはたとえ繰り返され得る問いだとしても儚い我への固執に過ぎず そこから脱出して何も語らず。
667 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 14:25:50 0
やっぱ打ち止めかw
結局、主観性だとか自我とかいう「私」には他に原因があるということで終了。
唯識氏が何度も言ってるんだがな。
赤ん坊に気付いた時点で誰でもわかる。 (赤ん坊の例示は哲学の基礎)
>>668 「我思うゆえに我在り」の「我」の原因てなに?
672 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/05(火) 15:31:08 0
673 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 15:37:51 0
『なぜ自分は人間に生まれたのか?』 という問いは愚か。 人間である前に自分は何ものかであったことを証明してから問え。 少なくとも、自分が人間である前に自分は何ものかであった記憶がなければ 問えない問題。また、そのような記憶のない他者に問うべきことでもない。 幼稚園児なみの問いだ。
675 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 15:51:35 0
「我思う」という「認識」が何に因るものか? 脳の機能なのか?「精神」の働きなのか? 双方とも仮説にすぎないのだから、先送りすればいいだけだろう。
でも物質由来ではないと主張するなら根拠が必要になる。
我、モノを思う故に我在り
>>618 「我あり」とする為にはその都度懐疑する必要がある事が分からんのかな?
それこそ常識的に考えて、全てを懐疑するのがデカルト式なんだから、
「我あり」だった記憶すらも疑うのなんか当然のこと。
そうして「我あり」に達しても、すぐにそれは過去の記憶になる。
だからデカルトは「我あり」を証明したんではなく、それに至れるかも
しれない手法を考案したってだけの話。ちなみに「我あり」って
便宜上そう表現してるだけで、その表現が正しいとは言いきれない。
あることは証明できないしね。あとなんかこういう話もあるらしい。
デカルト「我思う、故に我あり」
弟子「でもその言葉じゃ思うものが存在するってことの証明がないし、
論理的に真ではないんじゃないですか」
デカルト「これは霊的直観によって生まれた真理だからいいのだ。
哲学的証明はいらない」
679 :
675 :2008/02/05(火) 16:24:16 0
「仮説」として認めるというのは、示された根拠を否定し得ないということであろう。 つまり「決定的な根拠が示されているとはいえないが、それもありえる」ということ。 ではないかな。
>>679 とりあえず赤ん坊には私はないと言う人も多いみたいなんでそこらへんははっきりさせないと
哲学的命題にすらあがってこない。
681 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 17:01:13 0
>>680 「私が無い」とは何を意味するか、ということから始めねば。
自らが何者かをはっきり認識できない状態をいうのか?
682 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 17:10:28 0
>>609 >で、要するに、これを論破する という事は「思想戦」なわけです
「思想戦」などという、運動家の価値観で必死になってたのですか。
運動のつもりで、唯物論と戦っているつもりなって、独善的な使命感に浸ってたんだな。
このような熱狂的な態度では、健全な議論は無理だね。
社会には多様な世界観があり、唯物論も世界観の一つであるけども、
信念の多様性を容認することができずに、排斥すべきだとする
排外主義的な立場という事なんだな。
唯物論とは、物質や物体を基体として世界を探求する立場で、
物事の把握の仕方、概念などを科学的な思索によって理解しようとする、
世界観の一つでしかないから、否定しえないよ。
>唯物論は『思想』なんですよ 純粋な哲学ではないんです
どうも最高位は、「純粋な哲学」というのが、無謬でなければいけないと、考えているのかな。
最高位は哲学書を読んでないから哲学の漸進的進歩や、反証主義とか可謬主義とか知らないように見受けられる。
683 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 17:11:04 0
>>598 >この、どうやっても否定できない「我あり」
>「あり」である『我』を、物理的要素に還元し特定する事は、絶対にできない
『「あり」である』との主張が、無根拠であって、証明が無いと言われているんだよ
684 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 17:18:00 0
「思って居る」というのは、思いつつここに居るという言明。 ここに居ない私がどこかで思っているという言明ではない。
ヒノキオ
686 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 17:25:52 0
「人間の私」と「思う私」とに分けてしまうところに無理がある。
人間は万物の霊長にして神の似姿というのが大前提の議論だから仕方ない。
>>687 じゃあどうやって「我あり」に達すんの?
>>692 ? やっぱりその都度懐疑するんじゃん。それとも都度が余計だったかな?
「我あった」を絶対化する事への反意として表現しただけなんだけど。
>>694 余計かもしらんけど、人は寝たり微睡んだり、別の事を考えてたりして、
「我あり」はまた過去の記憶に成り下がるでしょ。それが「我あった」状態。
そうなってる事に気付いてしまったら、またその都度懐疑しなくちゃならない。
だって過去の記憶なり経験なりも徹底した懐疑の対象になるんだから。
そういう面では「我あり」って言葉も常に懐疑に晒されてる。
だからこそ他者に論理的には証明できないし、デカルトも霊的直観として
パワフルにまとめている。
霊的なものを前提にして考えていない人にとっては無意味ということか。 オカルト主義の人も実際多いんだなと実感した。
松果体で繋がってるんですか?
A「すべては存在しないのだよ」 B「いやいや、君は存在するだろ」 A「私も存在しない」 B「そのような君の考えは存在するだろ」 A「いや、それすら存在しない」 B「そうすると 君の「存在しない」という考えも存在しないことになる これって何かがおかしくないか? 君の言うことは明らかな詭弁に感じる しかし、君の発言は矛盾しているわけでもないし、ある情報を含んでいる だが、まるでのどにひっかかった魚の小骨のように それは理性的思考をひどく煩わせる」
>>695 なんだか「思っている間しか我があるとはいえない」
と思っているみたいだけどなんか勘違いしてない?
自分は続いていると考えているが それすらも怪しい 昨日の俺は今日の俺と似ているけど 何か全く違う物の気もする 移り変わっていくのが世界だと言い 諸行無常とか言い 人も国も山河も無くなっていく はたして、時間をとめた時 そこに俺は存在しているのだろうか
>>699 思ってないときに「私」はどこにあるんだ?
>>701 だからその疑問が
「思っている間しか我があるとはいえない」を
前提にしてるだろっての。
703 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 19:21:06 0
ははは、『霊なる私』と脳の松果体は繋がっているらしい。 当時としてはたいした理論だと思う。
704 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 19:40:09 0
>>702 思ってなくても私はあるという前提がわからん。
>>705 じゃあ「我思うゆえに我在り」をぐぐれ。
どこにもそんなこと書いてないから。
707 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 19:46:50 0
思うたびごとに『私』は存在するらしいぞww
つまりここで例えば最高位に話しかけてあげることで最高位の「私」は喚起され存在を促して もらっているわけか。 感謝せえよ!>最高位
>>699 「我あり」の事なら、確かめるには懐疑するしかないんじゃないの。
思うゆえにある「私」は、実は思う「私」の認識対象であって、 思う「私」=認識主体ではないよ、とブッディストなら言うだろう。
711 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 19:57:31 0
たとえ精神というものが実体として存在したとしても 『私』呼ばわりするとは片腹痛いわwwww
それは実存主義的な「私」だろう。
今、現に考えている「私」という「私」は明らかに゛既に゛認識の対象であって、 考えている当の「私」ではない。では、この認識主体の当の「私」そのものを 認識できるのか? 答えは原理的にもちろんNOだ。無限後退せざるを得ない。 では、ほんとうに考える「私」=コギトなんてあるのか? 実体的に?
714 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 20:18:06 0
二項対立的思考の罠だな。あほらし
716 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 20:46:43 0
明証性を尊重したデカルトと、 人間の主観や「あいまいさ」に価値を認めたパスカル。
「我思うゆえに我ありなら、思っていないとき(眠っているときとか)には 私はないことになる」というのは、デカルトに対する批判として 有名な哲学者も書いていたぞ。
想い想われる私
>>717 思ってない時は疑わしいというだけで、即ないとはならんだろう。
まあ、ないならないでも一向に構わんが。
デカルトは第二原理もおもろいよ われ思うゆえにわれあり これが第一原理 不完全な思惟が存在するのは完全な神が存在することによってであり 完全な神が存在するから世界が存在する これが第二原理 なんで、第一原理の後にこの第二原理が建てられるのだろう 「われ思うゆえにわれあり」って うたがうためにうたがい続けた結果、残るものではないっぽくね? じゃあデカルトの第一原理は何をしようとしているんだろう
てゆーか、 疑うために疑ったら、何でも疑えるんじゃね?
実は疑うって行為は信じるて行為と同じなんだな。 何も信じないてことは何も疑えないんだから。
>>699 デカルトに従うなら、思ってる間しか我ありは成立しないよ。
>>720 考えるときの一番確かな出発点が欲しかったんじゃないの?
第二原理は論外と思ってるけど、俺が何か重要なことに気づいてないだけなのかな。
色々あってとりあえず、私を欺くこの上なく老獪な欺瞞者があるとする。 彼が私を欺くのならば、疑いなく私はある。 そして、できる限り多く彼は私を欺くがよい、しかし、私は或るものであると私の考えるであろう間は、 彼は決して私が何ものでもないようにすることはできない。こうして、一切のことを十分に考量した結果、 最後にこの命題、「私は有る」という命題は、私がこれを言表するたびごとに、 あるいはこれを精神によって把握するたびごとに、必然的に真である、として立てられねばならぬ。 ということは考えていないとき私があるのかどうか分らない。
>>720 「我あり」に達せた事からして懐疑そのものには強い意味があるはず。
ならば懐疑できる世界の不完全さは、完全さ、即ち神の存在を証明している。
なぜなら、完全があるからこそ不完全もあるからだ。
よって神が存在するからこそ、この疑わしい世界も存在するのだ。
・・・という風にでもデカルトは言いたかったのだろうか?
729 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/02/05(火) 23:25:37 0
>>621 最高位さん
その問いにもかなり以前にお答えしました。
そろそろ前進されてはどうですか?
いつ「私」があるのか、というような議論になっていますが
PCに喩えれば分かり易いかと。
普段PCを使って作業している時に、常にその「コンピューター名」を
意識していますか?プロパティを開いて確認するという行為をしないと
普段は現れてこないのではないでしょうか。
こうして、思惟するところの「私」が思惟されるところの「私」へと 無限後退していく図式は、すべてを見ることができる眼が、当の 眼という器官そのものを見ることができないという図式と重なる。 私の中の小人。その小人の中の私。その私の中の小人…。 認識する「私」は当の「私」そのものを認識できない機械仕掛け。 つまり「私」とは、言語ゲームの波間にただよう泡に過ぎない。 これと通底したブッディズムは、「私」を縁起の紡ぐ泡と見る。 デカルトの誤りは、人間を神の不完全な雛形と捉えている点だ。
732 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/06(水) 01:35:07 0
>>655 >「『私』は『主観性』である。『私』という『主観性』は他人とは別人である。」
>
>これはどういう意味でしょう?
はぁ???
私と他人は、別人だろ
なんで私と他人が同一人物だと考えるのか、意味がわからん
そっちを答えてくれ
>>659 >それは専門家同士の論争だろ。
え?
キミも、私と他人は同一人物だと思ってるクチなの???
ここの人間は、わけがわからんわ・・・・
733 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/06(水) 01:54:15 0
>>729 >その問いにもかなり以前にお答えしました。
はぁ?
問い???
私は、哲学板で宗教用語を使うのは板違いだ と言ってるんだよ
一般的に使用されてる言葉か、哲学用語を使って発言しなさいよ とね
何かを問うているわけではないのよ(苦笑
せめて日常会話が普通にできるレベルになってから話しかけてくれませんか
>PCに喩えれば分かり易いかと。
これも重要な事を忘れている
PCは、主観性である『私』が存在し、使用しているのですよ
PCがあるだけでは、画面はジ〜ッとしていて動きませんよ
動いても、何の目的性もなければ、PCはPCとして機能しているとは言えません
機能というのは、誰かが目的性を達するために、物理現象を応用して利用する事だからです
キミ達の多くは、PCのみで機能できている と勘違いしている
そうではなく
私がいるから、私がPCを機能させているわけです
なんでこんな、当たり前の発想が、理解できないのですかねぇ・・・・
精神病院級ですよ
仏教、仏教言う前に、せめて現代国語の基礎的な読解力を身につけましょうよ
734 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/06(水) 02:08:53 0
>>730 >認識する「私」は当の「私」そのものを認識できない機械仕掛け。
>つまり「私」とは、言語ゲームの波間にただよう泡に過ぎない。
と思っているのは、しかしやっぱり私以外にはありえない (大爆笑
私じゃなきゃ、いったい誰?何?
しかし、なんでココの人は、基礎が理解できんのだろうかねぇ・・・
そんなに難しくないと思うんだけどなぁ (苦笑
情報過多で、頭が混乱してんのかねぇ
基礎が重要よ基礎
と思ってるのは何々って表現は後から付けてる文だから原子に対する石ころみたいに 根源性みたいなもんが薄れてると思うがなあ。 文章読んでる途中にその内容全部わかっちゃったよみたいな不自然さがあるなあ。
736 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/06(水) 02:25:11 0
私が確認できた私の存在 私は存在している と、確認できちゃってるわけだな これは結論なんよ この結論は、どうやったって否定できない 必死で考えて「否定できた!!!」と思うのも私だしね(笑 要するに、否定できたと思ったけど、それは勘違いだった という結論にしかならない 確認作業をしていない時は、確認作業をしていない というだけであって 存在するかしないかを導ける理由になどなりはしない 私は存在する これは結論なんよ
737 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/06(水) 02:27:57 0
>>735 って、誰が思ってんの?
他人? (爆笑
>>736 その確認というのは非常に疑わしい。
人間が何かを確認しているというときそれ自体とは別の何かも同時に認識に上るから。
つまり世界から何かを分別しているだけ。
それが認識の唯一の手段なわけだけどそれが非論理的に作用するのは認識がそもそも
ある種の錯覚を宿命的に背負っているから。
例えば宇宙を認識するというとき宇宙はそれ自体が世界の全てであるはずなのに宇宙の
外の空間も仮想してしまっているというような宿命を人間は背負ってしまっている。
翻って「私」に関して言えば「私」を認識または確認しているということは既に「私」以外の
他者も仮想してしまっているしある捨象が起こり主観性だとか自我という一般的な観念に
囚われてしまっているということ。
わかるかな。わかんねえだろうな。(ぜんぜん期待してない)
739 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 02:34:36 0
なんか取り憑いているようだな
740 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 02:40:12 0
最高位にはもう1個の私が憑いてまんねん
>>737 だってそれを言う為にはあの文やこの文を読み終えてないと言えないだろ?
上の『だってそれを』の時点では機械的に読んでるだけで、私なんて蚊帳の外だったろ?
それを誤摩化す為に後から誰が思ってんの?って自分や相手に問い掛けたりするんだけど、
それって蝶がさなぎに芋虫になるような不自然さで満たされてる。
というか誰と聞かれても、本当にそう思ってたのかっていう自覚もないし、
俺的には半ば無意識的にこの文章書いてるし、厳密に問われると自分とは答え辛いんだよな。
最高位の様に、後から、ああ俺が書いたんだなって自覚するんだけど、それも事後の事だし
最中には私なんて感じないよ。いっつもそのすぐ後に確認できるだけ。
>>730 とか、こういうことを言ってるんだと思う。多分だけどな。
742 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/06(水) 02:42:30 0
>>738 全然アホだな
そう思ってるのは、どう転んでも私だからね (大爆笑
>わかるかな。わかんねえだろうな。
私が、それを理解した んなら
(うんうん書いてある事は理解できるよ^^間違えてるけど)
理解したのは私だろ(苦笑
マジで、バカですか?
なんでこんな事もわからんの??
743 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/06(水) 02:47:45 0
>>741 >最中には私なんて感じないよ。いっつもそのすぐ後に確認できるだけ。
確認できてるんだろが!!!(大爆笑
常に「私はいる。私はいる。私はいる。」なんて確認してるヤツがいたら基地外だぞ
ホント、病院池よ〜
>>743 あー、そうか。そのレベルの事を言ってたんだ。でもそれって日常生活で自分をさす私だよな。
いや、わかったよ。最高位の最小単位は一センチなんだな。
でもみんなは一ミリで自我とか語ってんの。もっと小さい単位の人もいるかもね。
だからよく見えないし、私なんてないんじゃねっていってんだと思うよ。
もちろんこれは例え話だからそのままの意味でとらないでくれよ?
そりゃあ話が噛み合わんはずだわな。納得!
745 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/06(水) 03:04:48 0
>>744 1センチだろうが、1ミリだろうが
もっともっと小さかろうが
有りは、有り なんだよ
こんなアホみたいな理屈が、わかりませんかね?(苦笑
有りを否定できてから、偉そうなこと言うなら言えよ バカ
私は何回も、「小さくても有りは有りだろ」と
「小さくても、有りを否定できる理由になりはしないだろ」と、教えてやってるわけだな
話が噛み合わないとしたら、キミらがバカだからだろ
>>742 最高位さんは何となく「私」があるような気がしているだけなのですね。
それでは全く駄目です。
最高位さんの「私」は厳然とした唯物論世界が実在していると理解して初めて存在しているのですよ。
最高位さんの理解している「私」は唯物論世界にしかないということです。
もしかして先鋭的な唯物論者ではありませんか。
747 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 03:27:23 0
この世が他人だけだったら唯物論で説明がつくと言っていたらしいから かなーりな潜在的唯物論者
>>745 ミリとかセンチは例えだからそのままの意味でとるなって言ったばかりじゃんw
だからよく見えないんだって。あるかどうかも分からんの。
そういうのを綿密に探るから自我とかを題材にして本が生まれたりする。
最高位のは、あ、それ僕のペンなんだけど、みたいなレベルでしょ。
そりゃあ有るよ。どこでもみんな日常的に使ってるもん。
でもそんな大雑把なもんで何がどうたら言われても噛み合わんでしょ。
749 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 03:43:07 0
最高位のおもりも大変だことw
ねぇ、最高位 「ある」とか「ない」とかってどういう意味なの? 最高位は「わたし」にばっかりこだわるけど 「あり」の方を説明してよ
751 :
素人 :2008/02/06(水) 10:32:27 0
>>745 >有りは、有り なんだよ
だから・・・w
何度も何度も、
『≪「どのようにアルのか」について意見が分かれている≫んでしょ?』
と言っている。
で、中には、
『その「在り様」次第では【寧ろ、(実体的には(或いは厳密に言えば))『ない』と表現する方が適切だ】』
という立場の人もいる、と・・・w
>>730 さんの >縁起の紡ぐ泡 という表現が、
最高位氏には理解不能なんでしょうね・・・。
752 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/06(水) 10:56:02 0
>>747 キミらは、ホントにアホだな
説明がつく なんて言った覚えないぞバカ
他人だけだったら唯物論の間違いは見つからなかったかも知れない
と言ったんだよ
キミらアホなんだから、少しは自覚しろよ
>>748 だから私も例えで返したが?
>最高位のは、あ、それ僕のペンなんだけど、みたいなレベルでしょ。
なんだそりゃ
それは『私』が有りだから言える事だろ
有りを否定してから偉そうなこと言えって
キミはバカなんだから、早とちりなんだよ
753 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/06(水) 10:56:42 0
>>750 それは難しい質問だねぇ
しかし、無ければ、こうして考えたり書き込んだりしないんじゃないの?(苦笑
>>751 >『≪「どのようにアルのか」について意見が分かれている≫んでしょ?』
どのようにアルのか
という事は、アルが前提になってるんだけど?
というか
あなた、それを考えているわけでしょ
無いのに、考えてるの? あなた (苦笑
知らんけど
私は、考えてるよ?
考えている事実が存在している
それを否定する事は、私は絶対にできない
キミらが、論理的に否定できる と言うのならば
やってみて下さい と言ってるんだよ
理解できんの?
まず、やってから言いなさいよ
754 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 11:04:14 0
デカルトの「私」の記述。 私は一つの実体であり、その本質または本性はただ考えることだけ であり、そしてその実体は、有るためには、何の場所も要らないし、 何の物質的なものにも依存していない、と。 この「私」は、言い換えれば、「魂」である。(方法序説より) デカルトの私は思惟する主体すなわち精神(魂)のことである。
755 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/06(水) 11:11:35 0
>>751 追記
>>縁起の紡ぐ泡 という表現が、
その表現で済むんだったら、「勝手に紡いでいて下さい」という事になる
私とは関係性がないわな
その表現の中に、他人と私の区別がついていないからね
それじゃ私が私という特定の主観性を認識している事実とは関係が無い表現であって
問題意識が丸っきり理解できていない事になる
756 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 11:15:14 0
私が有るためには何の場所もいらないとすると、 「私は人間であって机でない」とか 「私はこの人間であってあの人間でない」とか 「私はここにいてあそこにいない」等々は すべて不条理だということになる。
757 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/06(水) 11:17:20 0
>>754 デカルトの哲学は、完全なものではないよ
でも、基礎を理解する上で便利なんだよね
まず「我思う故に我あり」という事の常識的解釈という基礎的な事を理解する事が大事
それすら理解できないと、知能が低すぎて、とてもその先には進めません ということ
758 :
素人 :2008/02/06(水) 11:23:33 0
>>753 >という事は、アルが前提になってるんだけど?
そうですねw
「愛」や「友情」、「喜び」「悲しみ」、
「欲望」「意志」、
「理念」「理想」、「夢」「希望」、
「思想」「人生観」「世界観」、
「国家」「世論」、「仲間意識」、
「生」「死」、「老い」「病」、「苦しみ」、
「石ころ」「山」「川」「島」、「台風」「エルニーニョ現象」、等々等々、
全部『アル』ですねw
ということは「ある」ってのは 言葉に表して会話する際の前提みたいなものだね
760 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/06(水) 11:32:06 0
>>756 そんなの関係ねぇ〜
私の体は、この体なんだけど、この体の物理的要素を、いくら探っても
私を存在せしめた原因的要素を特定する事は、絶対に不可能である という事
原因性そのものが有りえんわけですよ
物理現象と『私』の因果関係がね
論理的なつながりが、有りえないわけです
唯物論は完全に破壊されてるんですよ
という話ね
761 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/06(水) 11:34:08 0
>>759 というよりは
会話している私は、「いる」という事だわな
762 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/06(水) 11:36:30 0
>>758 それは無いんじゃないかな?
それは全部、私の『価値観』ですからね
763 :
独我論者 :2008/02/06(水) 11:42:03 0
「私」がなければ
「愛」や「友情」、「喜び」「悲しみ」、
「欲望」「意志」、
「理念」「理想」、「夢」「希望」、
「思想」「人生観」「世界観」、
「国家」「世論」、「仲間意識」、
「生」「死」、「老い」「病」、「苦しみ」、
「石ころ」「山」「川」「島」、「台風」「エルニーニョ現象」、等々等々、
すべて「ナイ」!
それらは「私」の一部である!!
>>756 「場所」? 「ここ」? 「あそこ」? 「机」? 「この人間」? 「あの人間」?
「素人」? 「哲学者最高位」?
それらはすべて「私」の一部である!!!
764 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/06(水) 11:50:20 0
>>763 そうとも言えない
私がいないと
ある物理状態に、名前をつけて認識する事はありえないが
その物理状態そのものを否定できる根拠も、また無いわけだからね
765 :
独我論者 :2008/02/06(水) 12:03:39 0
>>764 「物理状態」? 「認識」? 「名前」?
それらはすべて「私」の一部である!!!
766 :
素人 :2008/02/06(水) 12:07:31 0
>>755 >その表現の中に、他人と私の区別がついていないからね
当たり前ですw
他人と私の区別を消す為の表現、視点なのですから・・・w
>>762 >それは全部、私の『価値観』ですからね
ほう・・・w
では、『価値観』は『ナイ』のですね?
(´ー`)y━~~
767 :
ちゅう :2008/02/06(水) 12:13:09 O
世界は私の世界である、が独我論の世界だ。
私なんてあってもなくても同じだろうにな。 あることにこだわる方が小さいな。
>>764 >その物理状態そのものを否定できる根拠も、また無いわけだからね
ほほお、これは興味深いw
そもそも、「私」と「物理状態そのもの」とが別個独立の存在ならば、
どうして私に「物理状態そのもの」が「存在する」と認識することが可能なのか?
(認識せずして「肯定する」ことはできまい)
認識したそれが「私ではない」と、なぜ言えるのか?
両者をつなぐ謎の架け橋とは、果たして何か?
わたしの精神が存在する ゆえに、わたしの身体が存在する 最高位はこう勘違いしてないか?
デカルトの我ありは結局哲学の前提としてのデカルトや他の哲学者(人)がそもそも 単なる物理現象としてあるのではなく思う主体として存立しているという前提なくしては 何も語れないということだろ。 外部からは他人に主体があるかどうかは単なる音声系列や文字列を認識するだけでは 判断できないからね。
デカルトにとって三部作は神様への信仰だからその序説にそれらしいことを書くのは 今風に言えば社交辞令。
774 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 17:04:45 0
最高位は哲学書を読んでないから、日常生活レベルの浅薄な問題意識でしかないし 中学生レベルの大雑把な発想だから、哲学なんて出来るレベルじゃないよ。 しかも「思想戦」などといって、戦っているつもりなっているし。バカバカしい。 重要な指摘が何度もされているのに、哲学の基礎知識もないので、理解できんのだ。 最高位の見識が浅過ぎて、教わることなど何も無いんだけど。
既出だが最高位の「私」は結局神様に寄りかかる代わりに唯物論に寄りかかって成立してる。 残念。
>>351 :考える名無しさん:
>この点を論難する限り、唯物論は崩壊などしないんだよ。
わたしは崩壊する必要は無いと考えますが、唯・・・・・・・・
>脳という物体から自我が発生しているだけだから、自我は仮象であると結論づけて否定することも出来るし
若しそうであるならば唯物論としては「自我」の問題に係わる事は出来ない。
自らが仮象と看做したものには言及できないはずだからだ。
私は「唯物論」が「自我、心、意識」を扱えないと考えます。
従って人間社会とか歴史の問題に唯物論を適用するのは「誤用」だと考えます。
>>352 :考える名無しさん:
>観念論の立場に立てば自我を肯定できなくなるぞ。
・・・・・・・・・・・・・
>つまりは、現象界というのは観念の内であり、物自体の現実界は観念の外の世界とされている訳だ。
それは違うのではないでしょうか?
「主客」と言うのは相対的観念です。
心の中の主観(自我)が外界を客観として捉える訳でしょう。
だから「心の中」も「外界」も両方「対」になってるんです、この対のことを「観念論」と言うのじゃあないですか?
ですから当然「観念の外」の事物を存在は否定される。
当たり前の話です「観念論」と言うからには。
>>732 >はぁ???
>私と他人は、別人だろ
>なんで私と他人が同一人物だと考えるのか、意味がわからん
>そっちを答えてくれ
質問にちゃんと答えてください
あなたが提唱している『私』という『主観性』について尋ねているのです。
何故そこで『』を外すのでしょうか?
「『私』は『主観性』である。『私』という『主観性』は他人とは別人である。」
つまり、ここでの『主観性』とは「人間」という意味でよろしいのですか?
YESかNOでお願いします。
>>649 であなたが示した幼稚園児にも分かる例えの犬や猫と動物で
考える限り『主観性』=「人間」という意味にしか取れません。
幼稚園児もそう理解すると思います。
>>642 >主観性や存在性は、私でない他人である可能性もあるだろ
この意味もわかりません。説明してください。
他人は目に見えると思います。他人という「主観性」は目に見えるのですか?
それともうひとつ、
二人の他人がいる時、あなたはそれを別人と区別出来ますか?
以上の三つに誤魔化さずに答えてください。
逃げないで一度ですっきりと答えてください。
次も誤魔化すなら逃げたと見なします。
>>355 :考える名無しさん:
>いまどき「私」=自我なんていってる哲学者なんぞ居るの?
へえ・・・びっくりしました。
「私」=自我 でないなんていってる哲学者が居るのですか?
なんという人ですか?
>>779 じいさんは相変わらず馬鹿だね。
論理というものがまったくわかっていない。
A=Bという人がいないからといって、
「A=Bではない」が成立するわけではない。
A=Bの場合があったり、なかったりする時に、A=Bという馬鹿はいないというだけのこと。
最高位が正しい理由の根拠はない 最高位が間違っている理由の根拠もない 後者は口うるさく大声で声高に叫ぼう 前者についてはひっそりと静かに隠しておこう
782 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/06(水) 22:54:09 0
>>766 素人くんへ
>>その表現の中に、他人と私の区別がついていないからね
>
>当たり前ですw
>他人と私の区別を消す為の表現、視点なのですから・・・w
ん?
キミは、『私』と『他人』は区別などなく、全て同一人物だ
と主張してるって事?
私は、私と他人は同一人物ではなく、区別されるべきだと思うが・・・
頭、大丈夫か???
>>774 もっと具体的に内容のある事を書けよ
キミは子供か?
>>775 なんで、お前らは何かを発言する時に、その発言の根拠を述べんのだ??
それじゃ意味ないだろ
子供かよ (苦笑
>>778 キミの言ってる事が、全くわからん
話を一番最初に戻そう
私は、「私と他人は別人だ」
と言っているだけなのだが、いったいドコが間違えていると言うのかね??
>>782 「私」は根拠にならないから。
逆に宗教でも唯物論でもそれなりに根拠になるしそれを前提に論理展開できる。
特に唯識、素人の仏教派は最高位の難敵だろw彼らは唯物論を否定すらしてないわなw
785 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/06(水) 23:09:55 0
>>783 何の話だ?
もう少し、まともに喋ってくれないか?
786 :
一般人 :2008/02/06(水) 23:10:06 O
つか、自我なんて言うものは単なる思い込みだろ。 原因に対する結果がたまたま自我なだけで、自我(結果)は原因となり新たな結果を招く。 先の思い込みは、あたかも自由に振る舞っている自分を知るということから始まる。
787 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 23:11:12 0
I am that I am.
そもそもあるなしに大した違いはないと思うがな。 「私」だって有無の違いはそう明瞭ではなく、 むしろどちらかにこだわることの方が妄想的のような気がする。
789 :
一般人 :2008/02/06(水) 23:14:11 O
自分があたかも自由であるという思い込みが、観念論(ごめんね、哲学あんまりしらんからあってるかわからんが)の生みの親だな。
790 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/06(水) 23:21:29 0
>>786 >つか、自我なんて言うものは単なる思い込みだろ。
その思い込んでるのが、『私』である という事が、ものすごく重要なんだが・・・
『私』が、『いる』という事がね
普通は、私がいる事に、何の疑問も持たないで、当たり前の前提にしてしまうのだが
よくよく考えてみると、それはとんでもない事実なんだけどね
そこが、わかるかわからないか
知能と、哲学的センスの問題なんだよね
う〜ん・・・
これだけ毎日のように説明しても、理解できる人が少ないという事は
『現代哲学的観点』というものは
一般の人には、それほど難しいものだという事なのかな・・・
確かに、かなりの発想の転換が必要ではありますけどね
791 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 23:22:25 O
自由であることか、観念論の内容かどっちかを否定したほうが生産的だとおもうよ
やっぱ私って物差しがでかすぎるんだよな。 最小単位が一センチだから、一ミリの集合一つ一つを計れず、 それを幾つかまとめて私は一センチなんだって言ってるだけだもんな。 精神文房具屋行って一ミリ以下まで計れるノギス買ってこいっての。
793 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 23:24:32 0
最高位君 論文でも書きたまえ。
794 :
一般人 :2008/02/06(水) 23:29:49 O
「『私』が『いる』」と無条件に信じているだけじゃね?
795 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/06(水) 23:32:33 0
>>792 う〜ん
キミも、私と他人が、完全に別人だという事が理解できていないなぁ・・・
『私』について、そんな一般論的な客観的解釈で語れるもんじゃないのよ
『私』は、純粋な存在性なんよ
何かが合わさって出来上がってるものでもなく
そんな次元の考え方で、推し量れるものじゃないのよ
物理現象を、どんなに調べようが、何を研究しようが
その原因性を、解明できる可能性すらありえんのよ
考えてみりゃわかるだろ
796 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/06(水) 23:33:06 0
797 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/02/06(水) 23:36:11 0
>>792 どのように(なぜ)大きいのか、一ミリとは具体的になんなのか、小さく
分けることとまとめて機能を論じる事の間の優劣がどのようにあるのか。
798 :
一般人 :2008/02/06(水) 23:36:38 O
きっとさ、「私」は原因の結果として「いる」と同時に、周囲に影響を及ぼす原因にもなりうる。 でも、周囲に自由に干渉できることはなく、「私」の生みの親である原因が「私」を媒介して、周囲に干渉するにすぎない、と思う。
799 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/02/06(水) 23:40:58 0
>>784 さんの後で気が引けるのですが、
唯物論といいますか、まず現実、現象を完全に否定する
それが仏教の基本なんですね。
諸行無常、諸法無我、涅槃寂静。これが根本です。
>>733 最高位さん
直接的に捉えてもらっては困りますね。
喩えとして前置きしておりますので、よく読まれるように。
「私」という認識作用をPCを例にしたまでです。
私が居るから云々とありますが
物理的実体の無い、現象しない「私の存在」がなぜ物理に関わるのですか?
「私」の「置き場所」にも無理があるのではないですか?
800 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/06(水) 23:41:46 0
>>798 何の宗教?(苦笑
>きっとさ、「私」は原因の結果として「いる」と同時に、
その原因的要素は何なのか考えてごらんよ
論理的に因果関係が解明できたら、スゴイよ!!! (大爆笑
別人て。私は人なのか?
802 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 23:48:48 O
>>796 誰がて「結果(私)」がだよ。
ほんとに現代哲学はそんなんなの?
なぜ、「私のこの思い」が結果であると言うことに気付かないの?
「私のこの思い」をさらに感じている私も結果。それを思い込んでるのも結果。
でも結果の原因を遡ってくと、私以外の物質にたどり着くだろ?「私」は物事や他者の影響を受けてるだろ?
その原因に規制されてる私だけが特別といいのは不自然。
803 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 23:49:15 0
ふたつの『私』をあやつって煙に巻いてりゃいいよ。
>>782 >私は、「私と他人は別人だ」
>と言っているだけなのだが、いったいドコが間違えていると言うのかね??
やはり、答えずに逃げましたか。
あるいは素で質問が理解出来ないのか。
どちらにせよ、これ以上は無駄ですね。
805 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 23:58:33 0
最高位は「私と他人は別人だ」 と言っているだけなのか? それだけのことを言うために粘着しとるんか???
806 :
一般人 :2008/02/07(木) 00:00:39 O
>>800 だからさ、私は私以外のものから必ず影響を受けている。この影響すべてが、私を構成する原因である。その結果が私である。
「私がいる」と感じている「私」の原因は、「私がいる」と感じていること。
では「私がいる」となぜ感じるの?それは私が私以外のものを認識したり、自由に何でもできると感じるからだ。
私以外のものから影響をうけ著しく不自由な私が、なぜか自由を感じてしまっている。
>>795 えっ、誰が同一人物みたいなこと言ったっての?
どっからそういうのが出てくるか分からんけど、なんかすげぇや最高位は。
という上の文章を読んでる最中にも私はなくて機械的に読み進んだだろ?
その後ようやく、今の経験こそ存在性なのだとかなんとか思うんだろうけど、
それは単なる記憶に過ぎないし、その記憶、かの一瞬を回復することは不可能だろ?
だから私なんてあやふやだなあって気付く人もけっこういるわけよ。
もち私なんてないと証明された訳でもない。でもあるとも言い難い。
でもなにやらそれが絶対ありなのだ!って言ってる変な人がいればやっぱ違うんじゃん?
みたいな話になる訳よ。そんであるかないか「?」のもんに原因性を求めても
答える以前に質問として「?」なわけ。
808 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/02/07(木) 00:04:03 0
>>806 さん
お見事です。こういうのを哲学的表現と呼ぶなら
私はまだまだですね。
809 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 00:06:41 0
いや唯識さん 俺は802のほうが深いと思うぜ。
810 :
一般人 :2008/02/07(木) 00:13:20 O
私はいるんだが、最高位の言う様にはいない。 最高位的には「我思う、故に我あり」だよね? この本読んだこと無いから、精密な意味はわからんが、文章通りならこれだけは言える。 「我思う、故に我あり」の「我思う」という根拠が不明。 原因結果を主張する僕が書き直そう「我思わされる、故に思わされている我あり」。よって、私のいう「我」は主体的に行動できない。思わされる原因によって行動させられている。
811 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 00:17:47 0
>>799 >物理的実体の無い、現象しない「私の存在」がなぜ物理に関わるのですか?
そんなこと知るかよ(笑
つーか
キミは、物理的実体が無いの?
キミは、現象しないの? (爆笑
ホントに頭悪いなキミは・・・・
キミが理解するのは、ちょっと無理ちゃうかな
頭が固すぎる
もう黙ってた方がいいよ
>「私」の「置き場所」にも無理があるのではないですか?
置き場所って、あんた・・・・
置き場所探してんの???
つーか、置き場所って何?
置く空間の事??
ぉぃぉぃ、そこまで素朴実在論の中でしか発想できないのかよ(苦笑
よくそんなんで『唯識』とか言えるな(爆笑
>>803 なんでそれがわかってるのに、理解できんのだ???(大爆笑
普通それが理解できてりゃ、私の言ってる事が矛盾してない事ぐらいわかるはずだけどな(苦笑
無理に必死こくの、そろそろヤメたらどうだ?
812 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 00:18:52 0
>>804 話を戻したら逃げた事になんのか?
戻されたら、なんか都合悪いんか? 必死だな(爆笑
アホですか?
最初はコレだ バカ
↓
>353 :考える名無しさん:2008/01/19(土) 18:28:44 0
>「私」が「純粋な存在性」なら、
>他人の「私」も私の「私」も同じ。
>子供を産めば「私」を作り出すことが出来る。
>ハイ、最高位は論破されました。
>539 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/03(日) 11:58:00 0
>>353
>>他人の「私」も私の「私」も同じ。
>
>他人は他人だろバカ
あのな・・・
子供を産めば「他人」を作り出すことが出来る。 んだよ
何人産もうが、「私」を作り出すことは出来んのよ
まだ理解できんか???
最高位はデカルト持ち出しときながらやっぱあんまり関係ないんだけどね みたいなことを平気で言いやがるからな。奴の引用はマジで信用ならん。
814 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 00:22:47 0
815 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/02/07(木) 00:24:25 0
>>811 最高位さん
「私は現象しない」のではないですか?
それがどう物理的肉体と関われるのですか?
お答えになられないなら逃避ですが。
その程度の「私」に対する哲学でしたら、少し期待はずれだったかもしれませんね。
816 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 00:29:00 0
期待も何も最初から何もないんだって。 最高位はいわば真空地帯にいてそこから出ないだけ。 彼には何もない。キャラがあるだけ。 しかし俺も1ヶ月前に来た時は少し期待した。 少し残念だ。
>>790 自我のないときは気楽だぞ。
歌ったり踊ったり夢中で遊んでるときは自我はない。
スポーツだっていいプレイしたときの話はたいがい身体が勝手に動いたという。
818 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 00:30:25 0
>>807 とかなんとかいくら思っても、それを思ってるのは
どう転んでも、『私』なんだよな
今、この瞬間に存在する『私』を、どうやったって否定できてないわけだ
結局、『いる』っつー事な
なんで『以前』とか考えて、今存在している『私』まで、わからんくなるのか
理解不能 (苦笑
以前は関係ないだろ
『今』いるだろ
819 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 00:31:19 0
期待も何も・・最初から何もないんだって。 最高位はいわば真空地帯にいてそこから出ないだけ。 彼には何もない。キャラがあるだけ。 しかしそういう俺も1ヶ月前にここに来た時は少し期待した。 少し残念だ。 こんなことを何年も続けている精神力には嫌味でなく、まじで感服する。
820 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 00:34:02 0
>>817 >歌ったり踊ったり夢中で遊んでるときは自我はない。
はぁ?
キミ、精神病ですか?
歌ったり踊ったりしてる時は、私は楽しいけどな
歌ったり踊ったりしてる時は、他人が楽しんでると思ってんのか???
それとも、いったい誰が楽しんでると思ってるの?(苦笑
頭、大丈夫ですか?
821 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 00:39:18 0
>>815 いったい、何を期待してたんですか?
キミは、何か自分に都合のいい事を、勝手に妄想でもしてたんでしょうかね
私は、「『私』は純粋な存在性』であり、唯物論は間違いだ」
と教えてあげてるんですよ?
それは理解できたんですか???(苦笑
>>818 最高位の今はデカ過ぎなんじゃね。でもまあいいや。
そのうち誰かが気付かせてくれるよ。多分。
824 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 00:43:30 0
この瞬間に存在する『私』を『私』が否定できないものとして確認し、 それをまた『私』が…… いいかげん循環あほや
>>820 わしらが声かけてやってるから最高位の「私」が呼び覚まされているんだから感謝しなよ。
826 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/02/07(木) 00:49:06 0
>>821 最高位さん
相変わらずお答えになってませんね。
その「純粋な存在性」が通じるのは最高位さんただ一人。
単なる最高位さんだけの「魔法の呪文」ですね。
他には伝わりません。
その仕組みもご存知ない。
「誰」というのも何度も指摘しましたね。
「誰」ではなく「五感と意識」のフィードバックということを。
「私」という言葉を遣わずに表現してみては?とも言いました。
また、「頭」「知識」が関係無いことも指摘しました。
(存在性は物理云々は関係無し。最高位さんの私理論ですと)
いずれにしろ、答えられない以上、最高位さんの見識はその程度ということです。
>>824 さん
フィードバックですから。或いは鏡あわせでしょうか。
>>821 君はもう少し賢いかと期待していたけど、
都合のいい勝手な妄想だったようだ。
すまなかった。
「私」は絶対無敵です。 それが理解されないのは「他」のせいです。 けっして「私」のせいではありません。 ゆめゆめ忘れぬよう。
829 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 00:54:56 0
>>822 デカいも小さいもナイんよ
アルんよ私
キミら、そもそも
全然『あり』を否定できんクセに、なんでそんなに偉そうなんだ?(爆笑
>>823 キミは、いちいち言葉に出して確認作業しないと
その瞬間は、いなくくなってると思うわけか?
なんで?
なんで踊り終わった後に確認できる『私』を無視しようと必死なんだ???
今も、いるやんけ『私』
この『今いる私』を否定してみろや(笑
ところでもし「私」がないとするならなんだってんだろう? そのことについての弊害とは?
831 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 01:03:29 0
ははw『今いる私』というのも私の認識なんだわいw 循環ぐるぐるあほ
832 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/02/07(木) 01:05:42 0
>>830 それは、言葉にしない「私」を仮定してるね。
「私」が発生したり途絶えたりする理由はなんですか。 催眠術?
834 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 01:08:37 0
>>824 あははは!
循環させてる『私』が『いる』って事だろバカ(大爆笑
>>825 べつに、お前らは関係ないけどな
まぁアホな質問をしてくれるお陰で、初心者にも理解できやすい内容を書くことができてるけどな
>>826 >相変わらずお答えになってませんね。
うむ
『観念』というものは、論理性で解明できるものじゃないからね
だからこそ唯物論は崩壊するわけ
唯物論には答える義務があるけどね
物理現象だ!って主張してるんだからね
だけど、それは無理だろ(爆笑
>>827 私こそ、すまなかった
キミにも理解できる なんて思っちゃってたからね
先ず「私」なんてのはどこにもないことに気付いたときから思索は始まる。
最高位=バカの壁 今ある「私」を決して越えて成長できない最高位の惨状を如実に物語っている書き込みはおもしろい。
837 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 01:13:37 0
最高位。 お前確信犯だな。 循環させてる『私』が『いる』って白状したw
838 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 01:18:00 0
循環思考してしまうバカな『私』が『いる』って告白
839 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/02/07(木) 01:18:23 0
>>834 最高位さん
誰も唯物論のことなど申しておりません。
誤魔化すのもいい加減にされては?
その程度の「純粋な存在性」ですか?
分からないなら分からないでよろしいでしょう
またこういう関わりがある、でもいいでしょう。
どちらですか。
「私」がわからないなんて「私」じゃないんじゃね? もしかして「私」とは別人かもしれない。 そうだ、きっとそうに違いない。
841 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/02/07(木) 01:24:08 0
追伸
>>834 について別の角度から読みますと
単なる説明放棄ではないですか。さすがにこれはあまりに無責任ですよ。
最高位さんらしくない。
842 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/02/07(木) 01:24:44 0
>>834 >『観念』というものは、論理性で解明できるものじゃないからね
各人の観念の共通部分である「概念」についてはどうなるんでしょうね。
なかなか難しい問題のように思いますが。
843 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 01:28:46 0
>>842 チョムスキーの普遍文法仮説が手がかりになるのでは?
>>841 いや、とても最高位さんらしいと思います。
昔から最高位は無責任 最高位との掛け合い暦が長い俺が保証する でもあいつが傲慢な態度をとるようになったのは途中から 何が彼を変えたのか そっちの方が興味深い
846 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 04:35:20 0
>>831 循環してるアホなお前が『いる』
>>835 じゃぁ、あんた居ないの?
じゃぁ、誰が気づくの? 誰が思索するの?
>>839 いい加減に、自分がバカだと自覚したらどうかね?
純粋な存在性に程度なんてないのよ
その程度 とは、何かね?
関わりはあるだろ
見りゃわかるわな(爆笑
しかし、何度も言うように、論理性で説明する事など不可能
説明できなけいという結論なら、唯物論は崩壊
説明できれば唯物論の正当性は保たれる事になる
当たり前だが
私は、説明ができない という立場ね
何回説明したら理解できるわけ?
そろそろ頼むわ
>>845 >でもあいつが傲慢な態度をとるようになったのは途中から
>何が彼を変えたのか
>そっちの方が興味深い
お前らが、どうしようもなくアホすぎるからに決まってるだろバカ
>>845 隠すなよ・・・。最高位LOVEなんだろ。。憎いねぇww
848 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 04:54:56 0
>>846 おいらは人間だから循環はせんよ。1人だからな。
ところがお前の「思う我」はお前と循環してるんだよ。
お前は「思う我」と無限循環している『アホ』な のさ。はははww
849 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 04:56:04 0
>>826 >その「純粋な存在性」が通じるのは最高位さんただ一人。
そんな事はない
まぁ、主観というものは本人にしかわからんのは当たり前だがね
しかし意味は通じるんだよ
「痛い」という感じは、本人にしかわからんけれども
「痛い」と言えば、意味は通じるんだよ
赤ちゃんじゃ通じないけどね
それと同じで
「純粋な存在性」と言われて、チンプンカンプンなのは、頭が悪いからさ
ある程度の知能を有する人には、意味は通じる
まぁ、こんな事を平気で言ってるようじゃ、まず理解できんだろけどね
↓
>「誰」というのも何度も指摘しましたね。
>「誰」ではなく「五感と意識」のフィードバックということを。
五感と意識 なんて、人の数だけあるだろ
誰の、五感と意識なのか特定しなきゃ、どうしようもないだろバカ
はぁ???? だろ(苦笑
850 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 04:56:23 0
851 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 04:59:02 0
>>848 私は「我思う故に我あり」で結論でてるんだよ
キミが循環してないんだったら問題ない
で、キミの結論は何なんだ?
どっちなわけ?
852 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 05:01:54 0
>>850 勝手に崩壊しとけや基地外
「我思う しかし我なし」?
アホだな(爆笑
勝手に崩壊しろバカ
854 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 05:07:31 0
狂いはじめた
855 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 05:15:47 0
>>853 ちょww おまwwww
消えたって、なんでわかるんだ???
自演か?
まぁいいや
『唯識』ってのは、単に彼が自分でつけたハンドルネームだぞ?
まさかキミは
彼が、wikiの『唯識』の項目を書いた人だと思い込んでるわけか?(苦笑
>>846 >純粋な存在性に程度なんてないのよ
これは非常に疑わしいですね。
最高位さん、あなたはいつから存在したのですか?
程度がない事が分かるのなら答えられる筈です。
>>855 んなわけないじゃんwぐぐったらトップにきたんで張っただけだw
唯識 に一致する日本語のページ 約 92,700 件中 1 - 50 件目 (0.04 秒)
こんだけあるのにどうやってひとりでするんだよw
858 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 05:29:42 0
唯識ってのは仏教だろ この前 45年ぐらい仏教を学んでいる と言う人が、こう言ってたぞ? 「仏教では、たとえこの肉体が滅んで消滅しても、我々の魂というか『核』のようなものは、永遠に残るのだ という考え方です」とな コレ、どうなんだ? 私には、そこまではわからんけどな ここで私に反論してくる仏教徒とは、考え方が丸っきり正反対だよな どうなんだ???
859 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 05:35:13 0
>>856 「程度」というのと、「いつから」は、関係ないだろ
なんでキミらは、そうやって
いつも突飛な発想に飛んでっちゃうんだ???
まさに基地外だな
>>857 じゃぁなんで
『唯識』というハンドルネームを名乗るタダのバカの引き出しが
無限にありそう なんて妄想したんだ??
861 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 05:45:25 0
アンドロペニスはなぜアンドロペニスとして存在するのかお教えください。 宜しくお願いいたします。
862 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 05:45:41 0
863 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 05:47:51 0
>>860 恥さらしだろうがかまわずヒットするぐーぐる先生に敬礼
>>859 >「程度」というのと、「いつから」は、関係ないだろ
関係ないという根拠を示してください。
あなたが「存在している」か「存在していない」かのどちらかしか
ないのが分かっているのなら、それがいつからなのか分かるはずでしょう。
分からないのなら、あなたの存在の認識には曖昧さが残っており、
程度がある可能性が考えられます。
>>859 あなたは少なくとも過去にも存在していたのでしょう?
ならば関係ないことはない筈です。
有ることにおいては物証が自他共に分かりやすい。 目の前のリンゴは誰も疑わないしな。誰しも有るという。 「私」が有るんなら、少なくともリンゴと同等でないと他人は納得しない。 しかしリンゴと同等なら「私」は物理的な何かになってしまう。 これを避けるには無いとするか、避けないのならば物理的な何かと承認すべき。 どちらもノーで、かつ有ると豪語するなら、いかようにしてあるのかを 説明する必要があるだろうな。でも最高位はまずしないだろうな。
>>866 よくわかりませんが、
唯識的に(或いは仏教的に)言えば、
「リンゴ」も「私」も、同様に「ある」し、同様に「ない」、
となるんじゃないかな?
868 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 08:33:49 0
唯識だって物事の本質や実体はないと言うが 物事が現象としても無いとはいっていない。 物事は無常であるが現象として存在する、が仏教の立場だろ。 カントの「物自体」も否定するのが仏教だろう。 仏教は無神教だから物自体もいらない。
>>867 よく知らないが、唯識的にいいならいいんだろうな。
>>869 素人は、
>>758 で全部「ある」って言ってるなw
仏教ってのは何なんだ?
「ある」と言っておきながら、「ない」と言う。
「ない」と言っておきながら、「ある」と言う。
摩訶不思議な思想だwww
「私」も脳内睡眠物質とかいうのには勝てず。 酒を浴びて「私」「私」と絡む日々。 最高位
「ある」ということは一つの実体である わたしの思惟と、認識対象となる事物 どちらも「ある」と言えそうだが 思惟のような数学的なものが なぜ延長できるような物体と関われるのか はたまた関われないのか 「異なる実体が相互作用をもつ」ということはおかしいのではないか
最高位は自らのアイデンティティの喪失をここで取り戻そうとしているのか?
874 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 11:05:47 0
>>864 なんで、「いつから」なんだ?
なんで、わかるハズ なんだ??
純粋な存在性 という事が理解できないんだったらな
「いつから」じゃなくて
『私』を存在せしめる為の、因果関係を考えて示してみなさい
>>866 おいおい、懐疑論の基礎も理解できてないぞオマエ
全然ダメダメ
中学生の、思いつきマイ哲学レベルだな
>>871 お前らホントに、内容が理解できないんだな (ため息
ホントに哀れ
お前らに話してやっても『ブタに真珠』 ってやつだな
>>872 >「異なる実体が相互作用をもつ」ということはおかしいのではないか
だが、そうなっている
という事は
おかしくないから、そうなっているのだ(苦笑
事実を無視し、おかしいと思うのは、間違えた価値観に縛られているからに他ならない
自分の思想に都合のいい方向へと、こじつけようとするから、変な方向へ行く
最高位鸚鵡返しの巻 哲学の基礎w
>>874 >だが、そうなっている
おいおいw、キミは「認識対象たる事物」は「私の価値観」だから「無い」と
言ったのだぞ(
>>762 )。
「私の思惟」も「認識対象たる事物」もどちらも「ある」実体で、相互作用している、
などと認めてしまってはダメだろうよw
どちらも「ある」で、相互作用している、のが事実だと認めるなら、
「私の思惟」と「認識対象たる事物」が「異なる実体である」という前提が
おかしいのではないか、という疑いが当然発生するわけだよ。
(自分の思想に都合のいい方向へと、こじつけようとしないなら、だがw)
わからんかね。
最高位の言ってることは近代哲学の基礎だよ。 それを理解できないひとがこんなにいるとは思わなかった。
>>877 というか一時期「私」を対象にした時期があったのが哲学の特異点。
キルケゴール辺りから。
>>874 そうは言っても、最高位の言う「私」よりリンゴの方が確実に思えるのは事実。
なぜなら最高位の言う「私」が具体的にどういうものなのか説明が無いからな。
そんなものを有るとはできないだろ?
>>879 方法的懐疑でぐぐれ。
最高位の「私」はそれを経て導き出したものだから。
これ基本。
>>874 >なんで、「いつから」なんだ?
あなたは過去に居なかったのですか?
それなら「いつから」とは問えませんがw
>>880 それが他人の何かを否定出来る根拠に成りうるでしょうか?
883 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 12:06:59 0
最高位は、私が存在する原因を問うておるのだろ。 何かが存在する原因を問うのなら、それが「いつから」存在しているのか はっきりさせなければ考えられないのは当たり前ではないか。
>>880 それで、最高位の「私」が有ると他者に証明できるのか?
その面では「私」はリンゴにも劣る。
>>885 理解できてないな。
100回読めば理解できるようになるって
昔の人が言ってるよ。
>>884 さあ、どうでしょうか?
正直、分かりません。
誰の主張であれ、自分ははたして理解出来ているのかどうか・・・
どうなったら理解したとなるのか?
ただ、懐疑論を人と話すのにはある種の滑稽さを感じますね。
>>887 >誰の主張であれ、自分ははたして理解出来ているのかどうか・・・
そんなこともわからないのか。
まだ若いね。
>ただ、懐疑論を人と話すのにはある種の滑稽さを感じますね。
当然だ。
>>883 だから最高位は知らず知らずの間に唯物論者になっちまったんだよ
>>888 若さのせいだったのかw
年を取ると分かるようになるのですか。
それは楽しみですね。
>>886 証明できないんだろう?ならば唯物論が間違いだとも証明できないな。
それとも体験から共通認識を芽生えさせようとでも思ってるのかな?
仮に疑いえないものが出てきたとして、それが我でなくてはならない
事などないし、そもそも有ると表現しなくてはならない事もないぞ。
しかし大量にリンゴが転がってきたら、誰しもリンゴ有りを体感し、共通の
認識を瞬時に得るだろう。やはりリンゴにも劣るな。
老化するとどうでも良くなってわかった気になりやすいらしい。 普通の人は老化したら理解力が衰えるのは実感する。
>>891 なぁ、基本的な知識がないとふつうは相手してくれないよ。
なにかに興味があるなら自分でその分野の情報を得ようとするだろ。
2つのスリットがあるならどっちかを通り抜けたとしか考えられないって
物理学者に文句言ってみろよ。勉強してこいっていわれるだけだよ。
894 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/02/07(木) 12:47:20 0
大学の時に脳科学の専門の先生の授業受けたんだけど、リンゴを認識 出来るのは、リンゴ用の脳細胞というのが元々脳の中にあってそれを使って いるからかもしれない、というような話しをきいた。私はもっとたくさん の脳細胞をつかうわけだが・・・。
>>894 いまはそういった「おばあさん細胞」は無いということが
わかっているようだよ。
>>893 だからそんな前提条件が必要な時点でリンゴに劣ると言ってるだろう。
リンゴは犬にも有ると直観されてるんだぞ。
「私」なんぞリンゴの足下にも及ばん。
>>896 おまえが犬なみの知性しか持ってないんだよw
898 :
一般人 :2008/02/07(木) 12:59:27 0
俺思うんだが、 「私」は私以外の人や物の影響の結果として「いる」んだな。 「いる」というよりはむしろ「ある」。 そこに石があるごとく「私」がある。 石が蹴飛ばされると転がるがごとく、「私」は蹴飛ばされたら倒れるし 「痛い」と感じる。楽しいと感じても、苦しいと感じてもそれは 私以外のものからの影響にすぎない。 だから、私は自ら感じているのではなく、私以外から感じさせられている。 そのように感じさせられる私が「ある」。 感じたことから我々は考えるが、これは感じたことの結果であるにすぎない。 感じたこと(原因)によって、我々は「考えさせられている」。 「私」は「考えさせられている」物体として「ある」。 考えさせられている私(原因)を感じさせられている「私」(結果)も、 またある。 ところで、原因をさかのぼると、私以外のものに必ず行きつく。 「私」は連なる原因と結果の中の、一存在にすぎない。 石などの無機物とも、平等な一存在である。
最高位の「私」というのは生への執着だろう。
>>897 堕ちたな。話にならん。
リンゴの皮だけ食って去ね!
901 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 13:03:20 0
>>898 それは決定論というものでは?しかし、あなたもの凄くエッチだな。
唯識って釣り氏だなw
>>900 じゃあまじめに話をするが、
目の前にリンゴがあるとどんなに自分で確信したところで
それが夢である可能性が残されているだろう。
夢を見ているときにはそこで見ているものの存在を
信じて疑わないように。
だがそれを見ている「私」は夢をみていようと存在することは確信できる。
リンゴなど「私」の足下にも及ばん。
904 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 13:15:23 0
>>876 >おいおいw、キミは「認識対象たる事物」は「私の価値観」だから「無い」と
>言ったのだぞ(
>>762 )。
それはキミの解釈が間違えている
認識対象たる事物は、私の価値観だから、無い なんて言ってないよ?
もう少し、頭使え
>>877 だろ?
デカルトなどの、極めて基礎的なレベルの話が理解できないんだから
彼らに、現代哲学を理解するなんて無理なんだけどね(苦笑
まぁアホ相手に解説してたら、非常にわかりやすい解説にしなきゃいけないわけで
そのお陰で、まともなら中学生でも、読んで理解できる内容になっているんじゃないかな と思う
私が意識してるのは、実は理解できるマトモな人なんだよね
ホントは、彼らじゃないんだよな(笑
>>896 キミは、対象物しか考える事ができないんだよ
しかし
リンゴは、キミが認識してるんだろ?
キミがいなきゃ、リンゴはキミに認識されないわけだ
こんな事を説明されなきゃわからんか?
おかしいなぁ・・・
人間は、原因的な事まで思索できる知能があるはずなんだけどなぁ
ひょっとして、犬レベルの知能なのかなキミ
905 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 13:21:58 0
「私」の存在性は理解したからその先の展開はないの?
906 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 13:23:17 0
>>883 いやいや(苦笑
唯物論の主張に従って、『私』が存在するに至った物理的原因を明らかにできれば
おのずと『いつ』は導かれるであろう(大爆笑
ちゃんと論理的に、順番を間違えずに考えようよ
>>898 いかなる原因を作れば、『私』が発生するのかね?(爆笑
>>906 おまえほんっとに唯「物」論どか頭にねえのか?
それなしじゃ生きていきねえなら唯物論と結婚しろよw
>>898 >だから、私は自ら感じているのではなく、私以外から感じさせられている。
>そのように感じさせられる私が「ある」。
いや、感じているのは私だろ。もちろん、相手に感じさせられているということ
はある。
909 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 13:29:54 0
>>905 「理解したからその先」なんて言ってるヤツが、理解できてるわけないんだよ
ちゃんと理解できたら、価値基準が大転換するから、そんな悠長な考えに、なるわけがないんだよ(苦笑
「理解できました〜」なんて簡単に言えるような、そんな単純なものではない
目玉が飛び出すほどピツクリしてなくちゃオカシイわけよ マジで
まぁいいや
では順番に行こう
唯物論が間違えている事も理解できたのかね?
>>909 つまりなんの益にもならんわけだ
ほんとゴミ哲学だなw
898を読んで『I was born』て詩を思い出した
リンゴもデカルトも私も同等に怪しい
913 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 13:35:29 0
>>911 吉野何とかっていう詩人の代表作だよね。
>>909 論に間違いなんざねえ。あったら成り立たんだろうし続かんだろう
おまえひとりが間違いだって叫んでるだけ
このスレみて思ったんだが、最高位の支持者いないな
916 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 13:40:16 0
>>910 功利主義の押し付けか?(苦笑
私は、論理的に真実を追究している
益を追及する哲学は、別にやっているよ
しかし、それはある種、宗教的価値観にまで言及するが故に
ここではスレ違い
>>903 こういう人って「夢」をめちゃくちゃ信用してると思うんだよね。
918 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 13:42:30 0
>>916 >功利主義の押し付けか?(苦笑
おまえは独裁主義の押し付けだな
真実は一人で追究して一人で納得してろ
他人を巻き込むな、オウム真理教
>>917 別に夢じゃなくてもいいんだよ。
薬物でもいいし錯覚でもいいよ。
920 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 13:42:58 0
>>917 夢を信用?意味が分からん。夢見るのが楽しくって仕方ないって事?
おそらく本気で懐疑している人とはまともな話にならないと思う。 話になる人はみんななんちゃって懐疑だ。
922 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 13:45:24 0
>>912 おまえ哲学の一般常識的ぐらい理解してから来いや(苦笑
>>915 たま〜に、おるよ?
ただ
まともな人は、こんなスレッドには、あんまり来んわな(爆笑
要するに
「このスレにいる大多数は、おかしな人だ」 という実験結果なんよ
>>904 >認識対象たる事物は、私の価値観だから、無い なんて言ってないよ?
これこれw、ごまかしてはいかんぞ。
>>762 で
>それは無いんじゃないかな?
>それは全部、私の『価値観』ですからね
と言っておるだろw
ちなみに「それ」とは
>>758 の「石ころ」「山」「川」「島」…etcのことだ。
それとも、石ころや山や川は私の価値観だから「無い」が、
リンゴは「ある」ということか?w
>>903 なんだまだいたのか・・・。他人の確信なんて糖度表示並に胡散臭いぞ。
というか自分の体験がそのまま他人に通じるという錯覚をどうにかしろ。
「私」なんかマイブームと同じで他人には知ったこっちゃないんだよ。
愛想笑いされたり馬鹿にされたりして寂しい思いするのが関の山だろうが。
そもそも我思う故に我ありって言葉を信じ過ぎなんだよ。
疑って疑いえないものがあったからって、そこに我なんてブチ込んだオッサンの
トリックに引っ掛かってんじゃないよ。
どうして疑いまくってるのに我なんて言葉を引っぱり出せるんだよ。
ワックス塗られまくりでテカテカのリンゴくらい怪しいじゃないか。
己は空ならず喰うなんだよ。そこんとこ覚えておきなさいよ。
925 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 13:47:26 0
最高位残り3発 煽って弾切れにしましょう
928 :
905 :2008/02/07(木) 13:52:39 0
>>909 >唯物論が間違えている事も理解できたのかね?
「私の存在性」→「唯物論が間違えている」は直結するの?
「物」の正体って「私」からは分からないんでしょ?
929 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 13:53:08 0
>>914 おいおい! 理解できとらんじゃないかバカ
それからな
>論に間違いなんざねえ。
相反する論も含めて、いかなる論であろうとも、全ての論は正しい という主張か???
何だそりゃ! アホか
>>903 意味不明。
自分の腕や脚や腹も夢で出来ていると疑うなら、
じゃあ、自分の腹や胸に包丁を深く刺してみればいいんじゃないの。
何で包丁刺さないの?
それは、夢ではなく現実だと分かってるからでしょ。
あなたは自分に嘘ついてるし、そんな欺瞞に簡単にだまされてて、
馬鹿みたい。
>>904 ついでに最高位な、あんたたまに「そう思ってんのは誰?」って聞くだろ、
俺に聞いたら俺はもちろん「俺」と言うさ。そう言って欲しいんだろ?
でもな、それは証明できないんだよ。最高位が信じるって言っても同じ。
わかるかな。他人に証明は不可能な事がさ。だから唯物論否定はまず無理。
でもリンゴはそういうことないから。人から虫まで喜んで食うしな。
リンゴは無我だろうが、みんなに有ると認知されてる。
「私」と違ってな。
リンゴの偉大さが分かったか?
932 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 13:55:46 0
>>929 おまえの場合、俺の論は正しい、他の論は全部間違いだろうw
同じことだろ、くだらん言い訳ぬかすなカス屑が
>>903 >夢を見ているときにはそこで
それって、夢を見ているときを思い出してるだけでしょ。
何で夢を見ているときはとハッキリ言えるの?w
夢も見ないで眠っているときの「私」は存在するのでしょうか?
>>930 そうなんだよね。
自分の場合、本気で懐疑したら発狂するのではないかと思う。
理屈以前に怖くて出来ない。
狂ってしまった人、自殺した人なんかはある意味根性あるとおもう。
とてもそこまで徹底出来ない。
それと、俺は脳梗塞で脳に障害を負って、 自分が無くなる恐怖と常に戦わざるを得なくなった人を 身近に知ってるから、ただのお飯事にしか見えない。
937 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 14:22:28 0
>>925 おまwww
そんな風に、必死さを露骨に出しちゃったら
「反論できません」 と告白してるのと同じだぞ(大爆笑
「反論できんから、玉切れにさせろ!」てか?
アホ丸出し
あきらめろ
>>928 全然、理解できてないじゃんかよ〜
次の展開なんて、キミにはマダ無理だ
もっと、よく考えなさい
『私の存在性』というのは
最近話題にしている「我あり」という程度の次元の話ではないよ?
現代哲学の部類です
938 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/02/07(木) 14:23:30 0
>>931 >俺に聞いたら俺はもちろん「俺」と言うさ。そう言って欲しいんだろ?
あのな
言って欲しいんじゃないんだよ
「俺」だと理解しろ と言ってるわけ
理解できなきゃ アホだろ
>わかるかな。他人に証明は不可能な事がさ。
あのな・・・
何度も説明するけど、主観を証明なんてできんのよ
しかし
「痛いよ〜痛いよ〜」と痛みを訴える子供に
「痛みを証明しろ!できなきゃ知らん!」なんて言うヤツがいるか??
いたら異常者だわな
証明しなくても、普通は誰でも理解できるんよ
理解できれば十分に通じる
それでオッケー
キミも、これぐらいの事は、理解できたまえ
939 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 14:24:01 0
>>782 >なんで、お前らは何かを発言する時に、その発言の根拠を述べんのだ??
>それじゃ意味ないだろ 子供かよ (苦笑
最高位が「私」の根拠を述べた事は一度もないし
具体的な説明もないからね。
何の疑問も持たないで、『私』が、『いる』と無条件に信じているだけで
論理的に説明できないという結論なら、私の存在性も無根拠という結論になる。
940 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 14:24:25 0
>>906 >唯物論の主張に従って、『私』が存在するに至った物理的原因を明らかにできれば
>おのずと『いつ』は導かれるであろう(大爆笑
>ちゃんと論理的に、順番を間違えずに考えようよ
何を言うとるんだ(苦笑
常識的にはこの人間が生まれる前には私はなかった、と考えるから、
この人間が生まれて脳が活動し始めたから私が存在した、と考えるだろ。
唯物論かどうか知らんが。
この人間が生まれる前から私は存在した、とするなら、もちろんこんな考えは
間違いだということになる。だから、論理的に、順番を間違えずに考えれば(苦笑
「私はいつから存在したのか」が決まらなければ、私が存在した原因も考えようがない、
というのだよ。
941 :
905 :2008/02/07(木) 14:27:18 0
>>937 >全然、理解できてないじゃんかよ〜
そうかい?多分結構理解してるぜ。
現代哲学って誰のことかな・・。
永井均なら読んだことあるぜ。
942 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 14:30:54 0
最高位の知能って浅田美代子レベルじゃないの?w 「最高位の思考実験」あれがいけなかったな。 あのインチキ論理で最高位のIQが低い事がばれちゃって、 最高位シンパが去った。
俺は現代哲学の最先端にいると、最高位は自分で言っているけど、 最高位は、認知論や現象学や分析哲学や科学哲学も 何にも知らないんだもの。 それでどうやって自分は現代哲学の最先端だと言えるのか。
>>909 この無邪気さがちょっと羨ましい。
宗教の勧誘の人が本当に目をキラキラさせながら同じ事言ってた。
あと自己啓発セミナーの人も
>>930 ぜんぜんわかってないなぁ。
夢ではなく現実だと思っているよ。
たとえこれが夢だとしてもね。
っていうことなんだけど。
これこれ最高位w、ごまかしてはいかんぞ。
「認識対象たる事物」(「石ころ」「山」「川」「島」「りんご」…etc)は、
@「私の価値観」だから「無い」
A「私の価値観」として「ある」(私が無ければ無い)
B「私とは異なる実体」として「ある」
Cその他
おまえの考えはどれなのだ。
>>872 氏はBの前提に立って、認識対象たる事物と私が関わっているとすると
「異なる実体が相互作用をもつ」ということはおかしいのではないか、
と疑問を呈しているわけだ。これはデカルト的二元論に対するよくある批判だ。
それに対しておまえが
>>874 で
>だが、そうなっている
>という事は
>おかしくないから、そうなっているのだ(苦笑
などと、単純ソボクwなことを言うから、
「じゃあ、Bでいいわけ? 私の価値観だから無い説と矛盾してない?」
と聞いているわけだ。
さあ、じっくり考えて答えるがよろし。
>>938 「私」の有無を他人に証明できないならそれを根拠に唯物論を否定できないぞ。
俺の「私」が有る証明を他人にできない以上、他人の「私」も同様であり、
疑えない俺の「私」と疑える他人の「私」で差異が生じることになる。
ということはお互い唯物論を否定したとしても、他人の方には疑いが残る。
「私」が無く、それでも唯物論を否定したという不可解な結果であった可能性があるからだ。
ということは俺は他人の唯物論否定を信じるわけにはいかないことになる。
それでも他人の「私」は有ったんだと信じるならば、互いの「私」は等価になり、
俺から見た他人がおかれている状況をも自身に与えなくてはならず、
俺の「私」が有ることが疑えてしまうという状況に陥ってしまう。
949 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 15:46:26 0
>>893 君は勉強不足で哲学をあんまりしらんだろ。
近代から現代にかけての文献を一通り読んでみるべきだ。
そうすれば、「方法的懐疑」そのものが、懐疑の対象とされている事に気付くであろう。
学問的に疑問の余地が有る方法であること、コギトも常に懐疑に晒され、
コギト命題の批判に至ったかを、知る事になるでしょう。
ここに来て最高位を批判してる人は、哲学勉強している人だということ、
哲学を勉強すれば常識的に理解できる批判内容です。
君はろくに勉強もせず、批判の意味もわからず、浅薄な見識で感情的な反発を繰り返しているけど、
ある程度の学問知識を有する人には、方法的懐疑を無条件で認められない理由が、判るようになるよ。
わかってないなぁと誰かに言われてしまうのは仕方ないけどね。 それこそが現実。 人から教わるということは、自分よりも他人を信じるということだろう。 人からそれを教われるのならば方法的懐疑は正しくないと思える。 あなたが私以上に分かっていると思えるのならば。 あなたは私の知らない私を知っているということだ。 私の知る私が私の全てではないということだ。 そこには未だ余地があるということ。
>>949 もちろんデカルトのコギトが現代に至るまで批判にさらせれていることは百も承知だよ。
でもね、いまだ説得力のある反論がなされていないんだよ。
実際は哲学者はデカルト的な問題を無視しているのが正しい。
それは単にすでにだれかが論破しているだろうという思い込みか、
細分化してしまった分析哲学の専門領域に閉じこもっているかのどちらかだ。
そこに未解決の問題があることに気がついていない。
もちろん中には気がついた哲学者もいるしそのときどきで反論を提示している。
それはいまリアルタイムで続いていることなんだよ。
もっともきみは哲学を勉強したことなどないのだろうから知らないだろうけどね。
952 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/02/07(木) 16:05:53 0
何かの議論に加わっているとき、自分の考えとともに感情が生まれる。 そしてその感情に煽られるままに、自分が何のためにこの反論をしよう としているか、顧みようとしない。哲学的意味よりも、一時的な感情 に意見が支配される。そうならないためにも、まず自分の意見を 疑ってみるべきだ。
>>951 >でもね、いまだ説得力のある反論がなされていないんだよ。
でもね、いまだ私を納得させる反論がされてないんだよ。
と言ったら?
「我思う故に我あり」 これを 1.すべて、思うものは存在する。(大前提) 2.我は思うものである。(小前提) 3.ゆえに、我は存在する。(帰結) と3段論法的に理解すると、実に愚劣極まるものとなる。 要するに、小前提の「思う」が、他の動詞だと懐疑の余地があるが 「思う」だと懐疑の余地がない(懐疑もだまされることも思うことだから)、 という、ほとんどとんち話のレベルである。 しかし、こういう意味でないとすると、ではどういう意味なのか、 別に共通理解があるわけでもない。 「デカルトの真意はまだ全く誰にも理解されていない」と主張する人すらいる。 このように、「我思う故に我あり」は大いに問題含みの言葉なのであって 「絶対正しい」とか「近代哲学の基礎」とか「無意味なタワゴト」とか「時代遅れ」 とかいう理解は、それぞれ一つの態度であって、それ以上でも以下でもない。
>>954 共通了解はあるよw
もちろん三段論法なんかじゃないことも含めてね。
956 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 16:23:11 0
最高位は異常なほど過度に啓蒙的で、病的な態度だけど、 論理的でない説明の、何を認めろと?ここは宗教板ではないんですよ? 宗教の勧誘にしか見えないんだけど。 最高位から教わることなど何も無いんだけど。
>>954 >1.すべて、思うものは存在する。(大前提)
三段論法的に考えると「自我思う故に自我あり」か「精神思う故に精神あり」
というのがデカルトの言いたかったことになるのか。
別にそれでいいんじゃないの?
というか、そうでないと無意味じゃね?
958 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 16:42:43 0
959 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/02/07(木) 16:54:56 0
デカルトは、感覚器官で捉えた物が、実際の客観物であるということを 疑ったんだろう。しかし、それは何物かであるわけで、感覚に訴える ものは、自分が統合して作り上げた、つまり自分の思惟である、と 考えたのではないか。そうすれば、他人も、自分が理解している範囲に 表れた、思惟物であり、世界の全てが上手く説明できる。こうして、思う という堅固な土台の上に世界を築いてゆける。
961 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 17:09:09 0
>>951 最高位の思索とやらは、君が期待しているレベルじゃないよ。
中学生レベルの、素朴で大雑把な発想だから。
最高位の狂気を帯びた、病的な啓蒙的態度が異常だろ。
962 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 17:11:34 0
ところで数学は自分自身の正しさを数学で記述できるのですか?
963 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 17:17:16 0
>>962 それを証明するのがゲーデルの不完全性定理だね。
数学は完全ではないと証明された。
964 :
905 :2008/02/07(木) 17:26:16 0
>>962 そいつは無理だ。
俺もそれが知りたいのだ。
「私」の存在性からそこへ発展するのかと
期待していたのだが。
>>961 そんなことはどうでもいいよ。
理解もせずにそれを批判しているやつはそれ以下ってことだから。
966 :
素人 :2008/02/07(木) 17:33:55 0
なにこのスレのスピード・・・w
>>782 >キミは、『私』と『他人』は区別などなく、全て同一人物だ
>と主張してるって事?
>
>私は、私と他人は同一人物ではなく、区別されるべきだと思うが・・・
単に、
『必要な場面で、必要な基準で、必要な区分を行っている』だけですw
「私」と「他人」の区別が必要な時は区別します。
場面場面で採用する基準が違うだけです。
それに、
≪【同一人物“として”】同じとしている(区別していない)≫のではありませんよw
≪【同類(同種)のもの“として”】同じとする(区別しない)≫視線のことです。
ま、お解りにならないでしょうね・・・w
(´ー`)y━~~
967 :
素人 :2008/02/07(木) 17:40:10 0
再掲しておきましょう。
>>965 394 考える名無しさん sage 2008/01/20(日) 17:31:34 0
>>379 フォローになるかどうか判りませんが、
彼の着眼点は秀逸です。
人が、自身を見つめる時の、非常に重要な根幹に触れています。
そしてそれは、
もしかしたら、2500年間仏教が見て見ぬふりをしてきた部分
(或いは、言わずもがなに前提とされた部分(→当たり前すぎて捨象された部分))
かもしれないのです。
(個人的には、そうではなく、仏教に於いては「それ」もまた解体される、と考えますが・・・。)
だから私は粘着する。
ブッダはアートマンを斥けた。人は、五蘊の総体としてあると見做される。
さて、ブッダは、認識の起点・基点としての『私』をも消し去ろうとしたのか?
縁により生起している「私」のそのまた奥底に「何ものか」が居る(ある)のか居ない(ない)のか?
龍樹は、自身の認識・思索の基点をどこに置いていたのか?(※起点は端から除外される)
(もっとも、そうした、「自身の」ということをも解体しているのが中論だと言えるわけだが・・・。)
唯識教学は、ここをどのように昇華させていったのか?
(ヨーガという身体的経験無しには覗けない領域なのか?)
現代哲学に於いて、もし、そうした認識の起点・基点が問われ始めているなら、
それはアートマンの復活なのか?それとも古代インド人の思惟を超えた、
ブラフマンをも超越した、新たなネオ・アートマンなのか?
禅で言う「本来の面目」や「(赤肉団上一無位の真人」と、どこが被り、どこが被らないのか?
鈴木や西田がリニューアルした禅的自己と、どこが被り、どこが被らないのか?
叩かれてばかりだが、最高位氏の出発点自体は、
評価に値する重要なものだと私は思っている。
>>967 別にデカルト的コギトと仏教の関連には興味ないよ。
そういうことを言いたがるひとはどこにでもいるけどね。
それから仏教に興味があって哲学かじってるのなら
後期のホワイトヘッドでも読んでみたら?
ここの板の仏教ファンは唯識論にご執心のようだけど
ホワイトヘッドは唯識どころか倶舎論+量子論のようだから。
969 :
素人 :2008/02/07(木) 17:56:07 0
>>968 別に貴方の興味なんか聞いていませんが?
>>969 遠回しに仏教はどんな思想にもくっつけられるもんだって
教えてあげているんだよ。
しかし、それを言うならデカルト的コギトもどんな思想にも くっつけられそうな気がするが
972 :
素人 :2008/02/07(木) 18:15:03 0
>>970 余計なお世話ですw
私は、そういう「何でもかんでも結び付ける姿勢」と一線を画したいと思ってますからw
>くっつけられるもんだっ たとしても、(勿論、応用は可能だと思っているが)
「それは無理があるんじゃないの?」と、一歩引く姿勢を忘れたくはない。
ここではたまたま仏教仏教という論者が多いだけで哲学論争から遁走するのが 一番早いのは仏教徒高僧とか仏教学者と相場は決まっている。
>>967 :素人:
仏教の基本的考えは「私の存在性を問うてはならない」と言う事だと思います。
心は主観と客観の相対主義に陥ったとき苦悩が生まれる。
客観を否定すれば主観も無くなる、そうすれば苦悩も無くなる、と言う筋書き。
ですから「無、空」と言うのは「主客の相対」の否定です、どっちも無いと言っている。
>>971 ま、そうだろう。
こういう一見一致しているような部分をして仏教は哲学だとか言う輩が後を絶たない。
977 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 18:49:23 0
>>847 手間がかかる子供ほどかわいいってねw
なんだかんだで哲学に興味をもってくれてるし、
間違いだらけだけど哲学用語を使用しようとしているしね(功利主義って・・)
あれで、多くの本を読んで用語の使い方がまともになって
自分の問題をまとめることができて(その前に本人が問いを発さねばならんが)
多くの批判に目を通すことができれば、うれしいのだが、
彼は途中から「理解できない奴はバカ」で思考停止しちゃったからねぇ
それでも素人が哲学に興味をもって自分で考えて議論に参加してくれるのはうれしいよ
哲学を愛する一人として素直に喜びたい
>>979 根拠?
そんなの関係ねぇー
君はちょっと根拠にこだわるのは控えたほうがいいよ
「根拠」って言葉をよく口にするコテは誰がいる?
最高位とか決定論のあいつ(名前ド忘れした)とかだろ
そういうのに毒されているから
>>979 みたいな文章になっちゃうんじゃないの?
「われ思うゆえにわれあり」
「ゆえに」の前にくるのは根拠なのかな?
「われ思う」という根拠によって「私は存在する」?!!
だいたい根拠って何よ?
「根拠付けることができる」って
まるで「自分の髪の毛をひっぱって沼から自分を引っ張り上げる」みたいじゃない?
それじゃ「ほらふき男爵」って言われちゃうよ
982 :
一般人 :2008/02/07(木) 20:21:07 O
自由意思なんてものはない。 「我思う」ように、我々は自ら思うことはない。 私以外のものが私に影響を及ぼさなければ、私は何も思わない。 私以外のものが私に影響を及ぼさない世界では、私は無知である。 もっとも自分が無知と思うことすらないが。 この世界の私には、快・不快はあるが感じない。何も私に影響を及ぼさないから、何も感じない。 快・不快を持っていることすら気付かない。 この世界では、私は動くことはない。動きを学習していない。例え動いたとしてもへんてこな動きだ。 しかも、私が動いている情報すら私には影響を及ぼさないのだから、 動いていることに気付かない。 通常、神経が動作の情報を私に伝達するが、動作しているのは私であっても、 情報は私以外だから、私には影響を及ぼさない。 その世界では私は石のようにある。石が自分の存在に気付かないように、私も気付かない。 ところが、この世界で私に木の枝が突き刺さった。 この枝がはじめて私に影響を及ぼした。 私は生命だからその特有の性質によって、枝が突き刺さって不快と感じた。 生命特有の性質は私ではない。鉄は熱すれば熱くなるという性質を持っているが、この性質が鉄で
983 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 20:21:14 0
>>975 >仏教の基本的考えは「私の存在性を問うてはならない」と言う事だと思います。
どこにそんな仏教が有る。仏教は実存哲学だね。私の存在は実存に徹底することだ。
その実存の私を徹底的に追求するのが仏教だろ。
>心は主観と客観の相対主義に陥ったとき苦悩が生まれる。
仏教に限らずインド哲学に主観・客観の対立が有るか?
仏教ならアビダルマでさえ境・根・識の三点セットで世界を捉える。
主観・客観の対立などもとから存在しない。
>客観を否定すれば主観も無くなる、そうすれば苦悩も無くなる、と言う筋書き。
>ですから「無、空」と言うのは「主客の相対」の否定です、どっちも無いと言っている。
なるほど。ブッダが「無明」が「苦」を生み出すとはよく言ったものだね。
バカの壁は死んでもなくならないかもね。
上から目線は悪かった なんか最高位には上から目線になっちゃうんだよな 幼稚だからかな でも、昔からそうなんだけど、本を読んでないからあいつは言葉が稚拙なんだよ だから他人の文章も誤読しやすい 会話が成立しないことが多い、昔からだ 哲学用語に慣れ親しんでない 昔はそれでもまじめに対話しようとしていたけど 最近は投げやりに会話しているよね 「君が循環させているだけではないか」 「循環させているわたしがいるということだ」 なんて開いた口が塞がらないよ
985 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 20:30:42 0
>>982 なるほど。自分の思考の無いレスの見本だね。
もう少し自分で考えてからレスしても遅くない。
彼≠ヘ最高位という名前に縛られてるんじゃないだろうか。 esって映画のアレじゃないけど、役割に没頭しているというか、 最高位という名を語り呼ばれるから尊大になり、頂点でなくてはならないという 自己暗示にかかってるとか。
>>982 君のその文章も君は"書かされている”に過ぎない
"書かされた"文章に議論を挑む者はいない
滝から流れる水に論戦を挑まないように
君の言葉は結果の一つとしてスレに鳴り響く
下駄を放り投げる天気占い
落ちた下駄から必死にメッセージを読み取ろうとする
シャッフルしたカードから一枚ひくタロット占い
めくったタロットからメッセージを読み取ろうとする
だが、それらはただの結果だ
君の言葉も同じだ
それはただの結果であり、そこから君の文意やメッセージを読み取るのは占いに等しい行為だ
俺は酒でも飲むよ
>>982 「私」というのは基本的に自己完結する客体だからそういう記述も可能でしょうね。
989 :
一般人 :2008/02/07(木) 21:00:12 O
>>987 私の文章は、私以外のものによって書かされたにすぎない。
この結果は新たな原因となり
>>987 に筆をとらせた。
連続する原因結果の一過程に我々はいるのだよ。「私」は原因結果を媒介しているにすぎない。
990 :
一般人 :2008/02/07(木) 21:00:20 O
>>987 私の文章は、私以外のものによって書かされたにすぎない。
この結果は新たな原因となり
>>987 に筆をとらせた。
連続する原因結果の一過程に我々はいるのだよ。「私」は原因結果を媒介しているにすぎない。
俺は占いには興味なくてね 数学の方が好きなんだ
992 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/02/07(木) 21:06:20 0
なんかデカルトの話ばっかり持ち上がるけど、自分としてはパスカルの 「人間は考える葦である」のほうが好きだ。子供の頃、考えると言う言葉 を習ったとき、感動でどきどきした。
>>983 :考える名無しさん:
>仏教は実存哲学だね。
>その実存の私を徹底的に追求するのが仏教だろ。
正反対ですね、見解の相違でしょうか。
>仏教に限らずインド哲学に主観・客観の対立が有るか?
あの・・・・・少しは読んで・
「対立」なんて無いですよ。
相対的の意味が判らないのですか?
994 :
一般人 :2008/02/07(木) 21:21:33 O
>>991 は私の意見を占いした。彼は、彼以外のものから影響を及ぼされながら生きてきたわけだが、その結果、私の意見を占いとしたことはいうまでもない。
彼は私にたいしてレスしたと思い込んでいるが、実はそうではない。
彼以外の私が彼に影響を及ぼし、他の事情も加わり、彼はレスさせられた。
>>994 決定論の布教はあっちのスレでやってくれよw
万物は流転する 万物ってなに?自らの思考のなかに存在する概念?
997 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 22:46:25 0
>>964 要するに、記述というのは外部からじゃなきゃ原理的に無理ってことでしょ。
でなきゃ自己言及のパラドクスに陥ってしまうんじゃないの?
998 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 22:46:49 0
>>993 >見解の相違でしょうか。
でつね。仏教のお経である「スッタニパータ」でも読んでみたら?
>相対的の意味が判らないのですか?
主観・客観を相対的といわないの?
相互に対立してるから相対だろ。
境・根・識の近くの三点セットは合理的であり主観・客観の問題が無い。
>>993 それから特別な定義付けしない限り西洋哲学でも主観と客観の対立なんてのはないよ。
じいさん独自の主観と客観(それと相対)というのは書かれていないのでわからない。
久々に時間できたから最高位と絡みたがったが、絡む機会がなかった 最高位の関心がどこにあるかは分からないけど、彼は唯物論に対する強い反発がある これは彼がもともと共産主義の活動と縁があって、 そこで間違った唯物論を享受したのが元凶だと俺は想像している 今の彼は共産主義の活動と決別して、反唯物論としてデカルトをもってくる。 10年ぐらい前に共産主義者の文章を読んでて、 デカルトの「われ思うゆえにわれあり」の誤った解釈とそれへの批判と、そこから唯物論を唱える文章に出会ったことがある。 (確か「われ思うゆえにわれあり」ではなく「われありゆえにわれ思う」だという主旨だったはず) それを読んで、「デカルトの誤解だ」と同じ大学の仲間と笑ってたけど それを真に受けてしまう人たちもいたんじゃないかな もちろん、誤解も解釈の一つだし、様々な解釈から様々な思考が産み出される余地はある だけど、「唯物論」やら「われ思うゆえにわれあり」などの言葉が 彼らの関心、彼らが抱える問いとはかけ離れているような気がしてならない 哲学用語とその難解さがもつ議論で煙にまくように隠されている彼らの関心を汲み取って それを議論の上に乗せてみたい あれだけ熱くなるんだ 最高位と認められるとか馬鹿と思われるとか以前に、彼の関心ある何らかがあるはずだ それに対する最高位の意見が正しいか間違ってるかはわからんが それらが議論できたらな、と思う
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