1 :
考える名無しさん:
柄谷行人批判スレです。
否定、罵倒、罵詈雑言、誉め殺しetc…好きなようにやってください
本スレで啓蒙気取りで荒らしてる方々はここに集ってください
2 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 02:12:07 0
2ゲト
柄谷って取り上げるまでもない人だと思うんだが
5 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 01:58:43 0
r'^⌒⌒ヽ,r''⌒`ヽ、
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ _人从∧从人从/\
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノノ´`´`ヽ;;;;;;;;;;;;i ヽ
!;;;;;;;;;;;;イ::. \ / ヽ;;;ノ ノ おれが中学生を殴ろうが
ゝ;;;;;;;|:::: (◎) ,(◎) |シ < 奇声をあげて女を小突こうが
从从/: \ 、_! / ノ ヽ 品格ある日本人横綱!
从从 i'/エェェェヲ i l ノ
ノ从ヽ._!!l lーrー、/_/ VWvVWvVWWV
ヽニニソ
俺様のしなびた横チンのおかげで、オールドレディースファンも激増したらしい!
ステロイドだって禁止が明文化されてるわけじゃないんだ。
ステロイド抜けでやせたおかげで横チンご披露できたんだっっ!
俺様のおいなりさんにみんなもっと感謝しろ!!
6 :
考える名無しさん:2008/01/02(水) 17:33:31 O
A:「柄谷行人を解体する]]」823レスで「デリダさえ全く読めてない」と批判された。そこでこれを機会にデリダの『哲学の余白(上)』を読んでみたよ。 B:ほう。何か解ったか?
A:色んな意味で面白い本だな。何が書いてあるのかと興味津々だったんたけど、実はハイデガー読解、と言うか、読み替えと言ってもいいだろう、がかなりな分量を占めている。現代思想のカリスマであるデリダがハイデガーをどう読んだのか、
それをどう己の思想構築に向けたか、興味をそそられるだろ? B:ふうん。何?ハイデガーへの読み替えがされてるのか。まあ、興味はそそられるな。それで?どう読まれてるの? A:それなんだが、一言でいって、いかにも、といった読み方なんだな。
いかにも、ていうのは、まさにデリダみたいなタイプがやりそうな読み方が為されてる、て意味なんだ。 B:凄い凝った読み方がされてるんじゃないの? A:まあ、凝ってる、といえば凝ってる、だが、単純といえば単純だ。
ハイデガー有論から歴史性や世界性、単独性、自立性、有限性、要するに実存的意味をもたらす要素をことごとく差し引いて論じようとする。また、『有と時』のレベルの有論は有論としては不十分であることをハイデガーは自覚するようになった、とする。
そこから次にデリダは自らの土俵である差延や痕跡、といった概念へハイデガーを置き直す。因みに差延、痕跡、というのは決して表象されえない、表象を逃れてゆく、原エクリチュールだとされる。デリダはハイデガー有論をこういった自らの概念へ近付けてゆく。
デリダがハイデガーを読み込むことで自らの思想を形成した過程がよく分かるくだりだ。ただ、そこにやはり問題がある。 B:そうだね。俺もそう思う。 A:だいたい察しがつくところだが、ハイデガーの読み方としてどうなのか、というね。
7 :
考える名無しさん:2008/01/02(水) 17:47:17 O
B:つまりこうじゃないか。ハイデガーが自分の問いたいのは有の問いである、と言明した、で、実存主義とされるのを嫌い、否定した、だが、それにしても、ハイデガー思想における、根幹の一つは明らかにデリダが遠ざけた実存的部分に重なるんだよ。
例えば、なぜ一人の人間にとって、Aという選択肢を選ぶことは真であり、Dを選ぶことは偽になるか、それはまた、その人間にとって自明な事柄だったりもするんだが、
そのような決定的な選択について、事実性としてハイデガーは視界に入れている。ハイデガーの魅力の一つとして、まさにそのような事実性を自らの思索に繰り込んでいるという事がある。 A:そう。有という場合に、慮という概念がくっついついる。
慮Sorgeというのはハイデガーが非常に重要視していた概念だ。「気になる」という事。 B:そうだね、ハイデガーからそこを抜かせるとは思えない。 A:デリダが捉えていた以上に我々が抜き出した点が重要だというのは、例えば、ハイデガー有論は彼がどこまで意識したかは
ともかく、自己内倫理を呼び戻す力がある。つまり、誰に云われている訳ではないが、にも拘らず、己にとって真であること、偽であることはあるのだ、己に誠実であること、誠実でないことというのはあるのだ、という辺りね。あと、他者にたいしても、<置き移し>、
つまり、己を他者に置き移して理解する、ということをやはり実存的事実性として捉えている。そこでいわゆる市民的道徳は意味を為さなくなる。これは過激な考え方でもあるし、また人間を捉える場合に、外せない分野だとも言える。倫理は内部にある。
デリダがハイデガーを読み解く場合に、そこは綺麗に脱色されている。それはやはりまずいのではないかと思えるね。 B:うん。そもそも思想、思索を為す者としての思想家における、自己内倫理というものもあるはずで、ハイデガーの先に挙げた部分というのは、
思想家としての内部の倫理を問い直すものでもあるだろう。いかにデリダが天才か秀才でも、それを外してはならないということがある。 A:そこなんだ。そこが面白いといえば面白い所だ。また、この思考に影響された人間に悪影響を与えかねないと思える所でもあるね。
B:具体的な名前は差し控えるけど(笑)か。
8 :
考える名無しさん:2008/01/02(水) 18:08:59 O
A:因みにデリダが引用しているハイデガーの1946年の作品『アナクシマンドロスの箴言』だが、これも参考のために読んでみたが、良い作品だよ。確かに『有と時』のような語彙は使用されてはいないが、根本的には変化はないと解った。終わり近くにこう書かれている。
《人間というのは、地球とその大気圏との全体を独占し、自然の伏蔵された主宰を諸々の力の形態で強奪し、歴史の進行を何らかの地球統治の計画と順序に服従させようとしている。同じこの蜂起した人間は、真に有るところのものを単純に言うが出来ない。
すなわち、或る物が真に有るということ、そのことが何であるのかを言うことが出来ないのである。》 B:ハイデガーらしいな。 A:そうなんだ。変わってない。デリダが盛んに“問いの地平の変更”を言い立てるんだが、当の引用されてる文献に、そのような、
『有と時』以来の問題意識が書かれている。 B:聴いていると、デリダは全く的外れということになる? A:いや、それは言い過ぎだ。第一、デリダの読解というのは何といっても物凄い(笑)かなわないな、と感心させられた。但し、先に挙げたような問題が孕まれていて、
そこは違うのではないか、と云わざるをえない。思うにハイデガー有論にも、ある地層があると考えられる。例えば、『哲学への寄与』でハイデガーは、《有の真理は拒絶である》といった言い方を頻繁にするようになる。
また、《有は自らを底無しの深淵的なものとして空け透かす》といった言い方をするようになる。それはハイデガーが有について、更なる深度の歴史を思索していたことを表している。その辺では、確かに実存分析から離れた所で思索を深めていたとも思える。
もっとも、その辺りでさえも実存への眼差しは捨てられている訳ではなく、ただ、時間の深度を深めていったのだという解釈をとるけどね。つまり、有の地層への眼差しを更に深めたということ、或いは過去と未来へ、又は人間の始原と終焉を視界に入れているとも言える。
9 :
考える名無しさん:2008/01/02(水) 18:17:51 O
B:そうか。ただ、デリダの影響力というのは凄いものがあるし、亡くなった今でもそれは続いているともいえる。
A:デリダの本は面白いよ。他の思想家への言及も多い。デリダの本がなければ『アナクシマンドロスの箴言』を改めて読むこともなかったろう。ただ、デリダの読解全てを鵜呑みにするのは危ういな、とは思うね。圧倒的な力量を痛感し、目の当たりにさせられるが、
にも拘らず、要のタームからはさほど感心はさせられなかったな。
B:影響されたと思われる文化人をみるにつけ、か(笑)
A:その辺はひとまず差し控えておこう(笑)
柄谷行人を解体する??
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1195121137/ 上記スレで粘着していた
>>823及びそれに類するスレの書き込み主は、
抽象性>具体性
というハイアラーキーを無邪気に顕揚しているが、
果たしてそうなのかどうか。
>>6-9の議論に沿って言えば、具体性は差延や痕跡といった原エクリチュールに関わる概念からみればポジティブに語ってはいけないものであり、
その点では抽象的な思考力の優位をデリダ(及び構造主義?ポストモダン)は告げているのかもしれない。
しかし、差延も痕跡も単に抽象的な概念ではなく具体性を思考する時はじめて始動する概念であり、
そもそも具体性からアプリオリに自由な超越論的思考あるいは空間あるいは態度などありはしない。
柄谷の特異差は、この具体性と抽象性の「間」を思考として前景化させるところにある。
「可能世界」「教える立場-学ぶ立場」「固有名」「無限」「超越論敵統覚X」「統制的理性」といった概念は、抽象的思考を成り立たせる具体的地平を揺るがそうとする意志によって導かれた者であるのは間違いない。
そこから柄谷を読まずに具体性と抽象性のハイアラーキーを論じても、学問的には正しいかも知れないが、何の役にも立たないのは明白である。
11 :
考える名無しさん:2008/01/09(水) 21:32:25 O
A:「はてな」とかいうサイトで柄谷のこれまでの著書の年代順の読解をやっているね。 B:いいんじゃないか?やりたければ。真面目に読み込む、というのは良いことだよ。 A:第一回は『畏怖する人間』だから、まだ相当かかるな。
しかし、この人、確かサルトルと柄谷の関係を浮上させる予定、とかどっかに書いてなかったか?これからそれを分析の中で入れていくつもりかな? B:サルトルと柄谷なら関係づけるのはさほど難しくはないだろ。 A:初期サルトルは面白い、て確かどっかに書いてるしな。
B:柄谷なら好みそうな言い方が初期サルトルにはある。《意識は存在を無化する》《乗り越えの根拠は意識である》《意識によって存在は超脱される》《自由は意識による》といったテーゼがある。何れも今から読み直すとひどく楽天的な考え方だし、
人間についての浅い捉え方からしか出てこない考え方だと思える。少なくとも、現実に我々の周囲に見える風景や我々自身の姿とはかけ離れている。つまりリアリティーに欠ける。 A:まあ、そうだな。出来すぎな感じを受けるんだな。
むしろ、サルトルが唱えてるような哲学が届かない場所にリアリティーはある、サルトルは人間が解っていない、といえば実も蓋もないんだが(笑) B:人間が解っていない、といえば、柄谷の一部の著作、例えば『探究U』に可能世界論というのがあるが、
あそこで書かれていることも今読み返すと、よくこんなでたらめを書いてみたもんだとつくづく感心するよ。《現実とは、たまたまそうだったということ、を意味する》《そうではない可能性はいつもある》簡略化するとそのような話になる。
A:物事をここまで軽くしちゃっていいの?というね。(笑)少なくとも歴史や自然ということの意味がこの書き手にはからっきし捉えられていない、ということだ。 B:サルトル的乗り越えがまるっきり絵空事だといえば嘘になる。が、当のサルトル自身が自分の論理の楽天性について
晩年には意識するようになる。《乗り越え難い幼少期》というようにね。サルトルがまともになったのはこの時からだ(笑)
12 :
考える名無しさん:2008/01/09(水) 21:55:47 O
A:ただ、後半に醒めただけサルトルは流石だとも言えるよ。対するわが柄谷といえば、早とちりや妄想で下らない失敗ばかりしている癖に、自分の本には格好の良いことばかり書いているからな。
B:ただ、NAMでの西部忠への絡み方をみて、柄谷の本に描かれている<他者>の根拠が解ったところもあるな。人間の中にある負の要素―自己中、想像力の欠如、決め付け、理解する努力の怠惰、等々―を拡大したものが柄谷の中にはある。人格破綻者的なんだよ。
無論それだけではなく、一定の分野ではずば抜けた力も保有してはいるんだが、それと同じくらいに人格破綻者でもあるってことだ。つまり、そういった人間には普通我々は関わらないのを常としている。柄谷の場合、本が切れ者の様相を呈しているから、
色んなことが解っている人に違いないと過大評価されてしまう。あんまり過大評価しちゃいけないだわ、あの男のことは(笑) A:危ないオジサンなんだからな(笑)柄谷は。
NAM解散騒動に関する書物を読んでいないのだが、それにしてもNAMの破綻を全て柄谷き帰するのはどうかと思う。
オウムの信者が麻原にすべてを押し付けているようで滑稽でさえある。
柄谷が人格破綻者であるのは熱心な読者ならNAM創設以前から知ってるはず。
しかも本人と直接会話しながらそれに気づけなかった者達は…
まぁお互い様というかな。
14 :
考える名無しさん:2008/01/10(木) 03:04:24 O
>>13 A:まず、摂津って人の纏めたNAM解散と柄谷の関わりを描いた資料として『Q-NAM問題-1』同じく『Q-NAM問題-2』がある。これらは柄谷による西部忠(市民通貨Q担当責任者)らへの不信感の爆発、西部忠のNAM脱退、Q再建、Qへの見限り、NAMの解散へまでの足取りが
書かれている。また、その間の節目節目で柄谷によって書かれ、NAMの幹部に送られた文書、NAMのHP?に発表された所感、などはそのままの文章で掲載されており、貴重だと思える。『西部・柄谷論争』は西部のNAM脱退後に西部により某人物へ向けて書かれた柄谷評で、
これもそれまで柄谷によって一方的に描かれていた西部の姿とはかけ離れている。その意味で重要だと思える。どれも全てネットで検索して読めるものばかりなので、読んでみたらよろしいかと思います。
B:これらの資料を通読して、主観を交えず事実だけを列挙するとこうなる。
1.柄谷は当初、QとNAMは同一ではなく、いずれは市民通貨QはNAMとは独立し、NPOとして存続するようになる、と明言していた。にも拘らず、ある時期、それを翻し、NAMあってのQだと言い始め、それに異を唱える西部を間接・直接に非難、中傷し始めた。
柄谷によれば、西部は学問的には無能、人格的にも自己保身・出世欲にのみかまけ、Qを自分の研究の出汁(だし)にしただけの下らない男である。しかも、Qを真面目にやろうとする気も実はないと判った。学問的に無能でも実務的にやる気があるようなのでたててきたが、
もうそんなことをする義理はなくなった。
2.一方、西部による回顧を読むと、これらの記載とはまた別の事実と内情が記されている。柄谷に人格を否定され、傷ついているということも書かれている。
他にも色んな事実が資料からは伺える。是非とも読んでみたらよいと思います。
『Q-NAM問題-1』、『Q-NAM問題-2』、『西部・柄谷論争』を読んだ。
要はNAMとQの内ゲバという事なのかね。
しかし次のような柄谷の行動は示唆的でさえある。
>NAMのMLでのQへの返金要求のマニュアルつき教唆や、NAM会員のQ-hiveのメンバー宛てに送付した私信での脅迫的な辞任要求はそのごく一例にすぎないが、
たとえば氏は前者で、「Q-userに書くと隠せないので、最も効き目があるようです」「告訴しますが、その前に、告訴よりもいやな手段に訴えます。」等、
いかにも左翼の活動家崩れらしい策謀の使嗾に熱中している。
これは「左翼の活動家崩れ」というよりはヤクザ的でさえあり、ある意味ボイコットの手法でさえあるかも知れない。
原なんとかや摂津なんとかの破壊活動については何ともコメントしようがないが。
16 :
考える名無しさん:2008/01/10(木) 19:45:01 O
NAMが揉めてた時、浅田彰や山城むつみは完全に傍観してたの?
傍観してたよw
>>15 > 『Q-NAM問題-1』、『Q-NAM問題-2』、『西部・柄谷論争』を読んだ。要はNAMとQの内ゲバという事なのかね。
A:確かに内ゲバには違いないとは思うけどね。 B:俺も15氏に倣って15氏の挙げている資料を読み直してみたんだが、柄谷と西部の仲違いには大きく、周辺的理由と根本的理由があると思ったな。
周辺的理由というのは、柄谷が尊敬し、大事にしていた人間が西部の側近だった穂積といった人に厭な言い方されて、または考えが合わずにNAMを辞めていった、という柄谷側の主張。これは西部によれば柄谷側の主張とは違うことになっており、別に穂積と合わないから、
という事ではない、とされている。また別の周辺的理由もあり、西部忠の人格的問題だ。柄谷曰く、Qを私物化(研究上の業績化、或いは企業化)しようとした。これがうまく行かないと解ればさっさと放棄して辞めるであろう。
また、私利私欲の塊のように柄谷からは見られている。しかし、QがNAMと全く同一ではなく、同じく理念を掲げる必要もなければ、Q独自の活動をするものだ、という当初の合意事項からすれば、西部からすると柄谷の言い分はその方がおかしいとなる。
A:まあな。あそこは確かに西部からすると何で今頃になって?と言いたくなる所だよ。QとNAMは別組織、という前提で始めたのではないの?というね。 B:そこのところで内実としては噛み合ってないまま、隠蔽されてQ-MAMプロジェクトというのが始まった。
仲違いの根本的理由というのがその点に関わっている。つまり、『西部・柄谷論争』の「B西部忠氏により再反論」にも出てくるけど、西部はこう書いている。
《NAMの原理も完全ではないし、柄谷さんの言説すべて正しいことなどありえません。NAM原理は「暫定的仮説」であったはずで、今後もその根本的部分ですら改正の余地はあるはずです。ご自分の可謬性にもっと謙虚になられたらどうでしょうか。》
柄谷にとっては、NAM原理である「資本と国家への対抗運動」というのは「暫定的仮説」ではないだろう。むしろ「絶対的定義」だとされているだろう。何でこのような話が西部から出てくるのか。
多分、地域通貨の専門家に来てほしい余り、当初柄谷は譲歩したのではないかと推測している。
B:その辺の不徹底さが後々、柄谷にすれば憤懣の動機になっていったんだよ。 A:その辺の根本的部分が西部個人への人格的攻撃になった可能性もあるな。柄谷による西部の行動を読んでいると、大学での上司にNAMでの活動がばれるのを極度に嫌がったり、
Qでの仕事に効率を求め、ボランティアでは結局不満でボランティアでない人材を求めたり、我々一般人からすればまあ、そうだろうな、と感じる行動や思考パターンを持っている。普通の企業人的なやり方や考え方をしている。
NAMの原理に当初、全く同意してなかったかもしれないが、それでよいということになっていたので、西部自身も特に問題は感じなかったんではない?ただ、後からそれが尾を引いてくるんだな。
B:だから、仲違いの原因を作った元凶の一つは柄谷の不徹底さなんだよ。そこを棚に上げてひたすら西部を攻撃してるわけさ。阿呆らしい。
>>16 浅田もNAMの展望を見出せず苦慮していたようだが、
西部の能力についてはかなり否定的だったようで、
柄谷宛の私信でもその旨が書かれている。
詳しくは『Q-NAM問題-2』(ぐぐったらネット上で読める)
>>18 柄谷・西部論争、あるいはNAMとQの闘争において核心は、QがNAMに依存していたという事実(少なくとも柄谷のメールからはそう読める)だろう。
柄谷は、物書きとしての西部、理論としてのQ等まるで大した事がないと見切っていたようだが、
実践の場において擁護した。
しかし西部が柄谷の庇護をまるで鑑みない態度に出たため、柄谷がキレた云々…。
果たしてこれが真実かどうか当事者ではないのでなんともいえないが、
『Q-NAM問題-2』の柄谷のメールは単なる妄言と切り捨てるには余りに生々しい。
この事実に則って以下のような発言をされたら、如何に温厚な者でも、じゃあ好きにすれば、としか言いようがないだろう。
《NAMの原理も完全ではないし、柄谷さんの言説すべて正しいことなどありえません。NAM原理は「暫定的仮説」であったはずで、今後もその根本的部分ですら改正の余地はあるはずです。ご自分の可謬性にもっと謙虚になられたらどうでしょうか。》
22 :
考える名無しさん:2008/01/10(木) 23:01:26 O
西部ってそんな嫌われやすいタイプの人間なの?
23 :
考える名無しさん:2008/01/11(金) 19:10:17 O
>>22 > 西部ってそんな嫌われやすいタイプの人間なの?
A:柄谷の描いている西部忠の姿を真に受けると、これほどひどい人間はこの世にいない、と思えてくる。だが、西部本人や鎌田哲哉の書いたものを読むと、柄谷の書いている事実とかけ離れた事実がある。鎌田曰く、
《柄谷氏が『神聖喜劇』の吉原さながら、実際の出来事の一番の急所の部分にだけ捏造を施し、事実と虚偽のアマルガムに一定の説得力を付与する悪質な手法を用いているのがわかる。柄谷氏はNAMのMLでは西部氏の言動の正確な引用を決して行わず、
本当の異論を架空の異論にすり替え歪めた上で、それを非難し反駁し続けたのである。》
B:鎌田の書いた『京都オフライン会議議事録・西部柄谷論争の公開』だろ。柄谷が書いている西部の恥ずかしい姿が、実は全て、《実際の出来事の一番の急所の部分にだけ捏造を施し》たことで成り立っている、と鎌田は指摘している。
俺たちが柄谷の記載から引用し、《NAMでの活動を大学での上司に知られるのを嫌がっていた》とした西部の行動も、西部本人の説明によるとまるで違っている。
柄谷は《朽木さんが東大駒場の丸山という教授にLETSのことでNAMに誘ったら、西部が激昂したという出来事がありました。》と書いているが、西部によれば、《(遠方にいる自分の代わりにLETSのことでアドバイスをしてくれるでしょう、ということで、
先輩である)丸山さんを(朽木さんに)紹介しました。しかし、彼(朽木さん)の丸山さん宛てのメールが「西部氏は遠方にいるので、その代理として相談に乗ってもらえないか」というような書き方だったので、(丸山さんは)私の先輩なのだからもっと気を遣って、
「代理」などといわず丁寧に頼んでほしい、と忠告したまでです。》とある。
A:柄谷の話にある、《西部は、私が先日、『批評空間』を終刊したとき、猛烈に抗議してきたそうです。》《それまで載せてもらったことを感謝するというのが当たり前です。しかるに、終刊に抗議する、という身勝手さ。》も、西部によればまるで話が違っている。
《私は連載が中断することに対して「猛烈に抗議」した覚えはないですね。むしろ内藤さんや中島さんのことを考え、柳原氏に組合員の意見を聞かない、あまりに唐突な解散決定はいかがなものかと質問したのです》とある。
24 :
考える名無しさん:2008/01/11(金) 19:41:33 O
A:この西部の説明には鎌田は《西部氏の反論は事実である》と付け加えている。『批評空間』が“組合員”によって成り立っていた、というのも初耳だね。“組合員”の意味がよく解らないんだけど、共同出資してた、てこと?
B:さあ、俺もよくは知らないんだな。仮にそうだとすれば、終刊にあたって“組合員”総員の意思を確認するのは当然なことだ。また、共同出資でないとしても、何らかの意志統一があったのなら、重大な決定の前には事前に他の“組合員”の意志を確認するのは必要だ。
何もなしにいきなり終刊を知らされて、問い合わせするのはむしろ自然な反応だと言える。
A:他にも色んな事実があるね。何より驚いたのが、柄谷が西部忠を攻撃しはじめた、例の2002年8月29日の「京都オフライン会議議事録」というのがネットで現在公開されていた、ということなんだけど。よく公開したな、てね。
B:問題の席上でのやり取りが、後半は除いて、全て一言一句再生され、記録されている、というね。よくやったな、と驚かされるね。Qの名誉が掛かっているという意識からだろうが。 A:もう読んだか。 B:いや、まだ読んでない。 A:なんだよ!まだ読んでないのか。
B:そういうあんたは読んだのか。 A:いや、読んでない。 B:早く読んでやれ! A:読むって(笑)しかし、あの議事録が公開されている、ての、随分前かららしいぞ。鎌田哲哉の『LEFT ALONE 構想と批判』の奥付に既にURLも出ている。
あのブックレットが出たのは映画『LEFT ALONE』公開とほぼ同時だから、2005年だ。その時既に公開されていたんだよな。
B:鎌田によるQ-NAM騒動にまつわる全記録を集め、総括するという『重力03』も、出る出ると言われてから大分経つけど、時間がかかっても是非とも出してほしいよな。 A:そうそう。出さなきゃならんよ、『重力03』は、出さなきゃおじさんは怒るぞ、鎌田!
あ〜メダ(゚∀゚)はアメったこにメリってるホw
どうせらッパにったこなんだろうね
まあ日本で引きこもってットでチチってるカスが文化とか伝統とか分かるわけだわなw
(゚∀゚)の話しはソあ〜メダ(゚∀゚)はアメったこにメリってるホw
どうせらッパにったこなんだろうね
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まあ日本で引きこもってットでチチってるカスが文化とか伝統とか分かるわけだわなw
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健常者にはアホったらってるスが文化とか伝統とか分かるわけだわなw
健常者はホったらる
26 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 09:49:18 0
まあ日本で引きこもってットまあ日本で引きこもってットでチチってるカスが文化とか伝統とか分かるわけだわなw
(゚∀゚)の話しはソあ〜メダ(゚∀゚)はアメったこにメリってるホw
どうせらッパにったこなんだろうねチってるカスが文化とか伝統とか分かるわけだわなw
(゚∀゚)の話しはソ〜メメったこにメリってるホw
どうせらッパにったこなんだろうね
27 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 10:31:57 O
A:Q-NAM論争について、続きをやる前に、サルトルの哲学について、もう少し喋ってみようか。 B:そうだな。『存在と無』に特徴的なのが、個体において、全ては意識を濾過されてゆく、というテーゼだ。ここから自己欺瞞への指摘や、乗り越えにおける無化の根拠が表される。
サルトル哲学の根幹なんだけど。 A:そこに問題があると。 B:そう。第一、サルトルのこのような考え方というのは、我々が日常的に向かい合っている法観念と何にも違わないように見える。また、善悪の捉え方としても陳腐じゃないか、という感じを持つね。
人間というのは、意識が自然に食い破られたり、また再び意識が呑み込んだり、解釈し直したり、内部での相克を孕んでいる。サルトルではその辺の様相が捨象されている。それは人間だと言えるのか、という疑問を持つね。
意識と自然
29 :
考える名無しさん:2008/01/14(月) 23:46:22 O
>>28 > 意識と自然
A:これ(↑)は、柄谷がまさに『意識と自然』というテーマを持っている、或いはそのようなタイトルの論文を書いている、という指示かな。
B:書いているね。文芸批評家としてのごく初期に漱石論として。今回真面目に読んでみたけど、後年のような哲学的批評にならない前のもので、良い作品だよ。一言でいえば自然の威力、捉え難さ、浸透性、支配に畏怖する人間、としての漱石論、だと思う。
収録されている本にもこの本文中の「畏怖する人間」てフレーズが付けられている。ちょいとそこを引用してみよう。
《おそらく漱石は人間の心理が見えすぎて困る自意識の持ち主だったが、そのゆえに見えない何ものかに畏怖する人間だったのである。何が起こるかわからぬ、漱石はしばしばそう書いている。漱石が見ているのは、心理や意識をこえた現実である。
科学的に対象化しうる「現実」ではない。対象として知りうる人間の「心理」ではなく、人間が関係づけられ相互性として存在するとき見出だす「心理をこえたもの」を彼は見ているのだ。》(『漱石論集成』より)
この作品における柄谷は確かに漱石の核心的な部分を捉まえている。後年のようないかにも知識人然とした語り口でない頃のもので、ひたすら内省的な語り口だけで語られていて、良い作品だと思う。 A:何でその構えを維持出来なかったか(笑)
B:ホンマに、あーなっちゃったか(笑) A:なあ(笑) B:柄谷は後になるに従って初期サルトルの哲学を持ち出し、1960年代フランス現代思想にあった現前性の批判とか、既にサルトルにはあった、とか、サルトルを持ち出すようになる。 A:そこで間違えたんじゃねえか?
B:多分そう言えるね。
A:まあ、フランス現代思想がサルトルを引き摺っていたと言われればそうで、サルトルの中でも特異な部分、リアルな人間と掛け離れた、存在の無に焦点を絞った、てところがあるが、あのような人間の規定の仕方を確かにフランス現代思想が引き摺っていたのはそうだからな。
その意味では柄谷の指摘は当たりなんだけど、問題は、また止せばいいのにその手の“継承”を日本の一部知識人は鵜呑みにするところだな。典型的な舶来コンプレックスだと思うが。
B:それで世界に追い付いたつもりなのかね。止せばいいのに(涙)
30 :
考える名無しさん:2008/01/15(火) 02:25:59 0
浅田彰の柄谷行人批判
柄谷行人について言うと、彼はそういう個の倫理を正しく
唱えてるにもかかわらず、実践においては、しばしばお山
の大将的に振舞っちゃう。<中略> 彼は、実行力はあるけ
どいろいろとうるさい田中康夫より、自分の言うことを唯々
諾々と聞いてくれる取り巻きのほうを選んじゃうわけよ。
それは、彼が理論的にある核心をつかんでいながら、社会性
においてホモソーシャルな秩序、要するに、文壇バーの世界
にどっぷり浸ってるってこととも無関係じゃないと思う。
「新・憂国呆談 神戸から長野へ」p301
31 :
追加訂正:2008/01/17(木) 22:19:59 0
都市はツリーではない:資料
定本柄谷行人集索引より
アレグザンダー.Alexander,Christopher,❷M.52, 231
セミラティス,❷M.52-9(セミ・ラティス)/❸T.464(-型),513(-的)
ツリー,❷M.52-9,120(-化)/❸T(-型).276,459,464
「都市はツリーではない」
「別冊国文学」22号、前田愛編「テクストとしての都市」(1984,5、原著は1965発表)所収。
参考サイト:
http://www.rudi.net/pages/8755 http://www.patternlanguage.com/archives/alexander1.htm http://www.patternlanguage.com/archives/alexander2.htm 日本語翻訳版は以下↓
http://nam-students.blogspot.com/2008/01/blog-post.html
32 :
追加訂正:2008/01/18(金) 14:43:43 0
>>30 浅田彰の柄谷行人批判
A:浅田もたまには良いこと言うんだな。 B:浅田の指摘は浅田の立場からすれば当然かもしれない。<専制君主とその取り巻き>的図式の愚劣さについて、浅田が知らない訳がない。多様体が群生をなし、ボーダーを変えながら様々に伝染し合ってゆく、
という例のドゥルーズ達の哲学の信奉者である浅田からすれば許すべからざる愚挙になる。 A:浅田は柄谷からは離れたのかな? B:さあ、どうかなあ。何しろ、この浅田の発言の前か後かは知らないが、柄谷の『近代文学の終わり』所収座談会では浅田は変わらず
柄谷擁護派として列席しているからね。 A:ところでさっき君が挙げたドゥルーズ達の哲学だけど、聴いてると、要するに、不良が様々に派閥を作り替えてゆくのと同じじゃないのか? B:同じではないでしょ。何しろ、多様体はあるときは<女>、あるときは<幼児>、
あるときは<蝿>、あるときは<佃煮>、と無限に変わってゆくのだから。変わるのも人間へだけではないんだから。要するに無茶苦茶だと言い換えてもいい(笑) A:無茶苦茶の哲学(笑) B:『無茶苦茶の哲学』656頁。(笑) A:(笑)そんなお粗末なのか。
B:馬鹿言え!恐ろしく難解で、しかも格調高いよ。馬鹿にできる代物ではない。 A:と言いながら馬鹿にする(笑) B:ただ、あれは今の日本社会の現状とか横目で見ながら読むと、割合共感できるところはあるよ。なんでも訴訟、責任追及、賠償、
ととにかく人間が法的主体としてしか機能しなくなってきてる。多分ドゥルーズらの生活していたフランスなんかでもそうだったろうし、その息苦しさへの対抗概念というか、対抗哲学だとしたら、よく出来てると思ったよ。
A:彼らは<意味する主体>、てことをとにかく解体したがってるわな。<反オイディプス>て概念からしてそうだ。ただ、確か柄谷はドゥルーズらのあの仕事へは批判的じゃなかったか?“日本においては主体の批判は無意味である。
何故なら解体すべき主体が元々存在しないのだから”と。 B:そうだな。『批評空間』1998U-18号編集後記で柄谷はこう書いている
《…しかし、このような態度は至るところに瀰漫している。彼らの多くが口にするのはドゥルーズであるが、ドゥルーズが一方で断固としたカント主義者・マルクス主義者であることを無視し、そのために、
34 :
考える名無しさん:2008/01/19(土) 15:17:28 O
事実上ベルクソンに回帰してしまうようなドゥルーズ派は、たんに純粋痴性であるばかりでなく、戦前なら確実にファシストになったたぐいのオポチュニストである。つまり、市場経済が現実にやっていることを、否定的なポーズで支援しているだけだ。》
ここで柄谷が唱えている《カント主義者・マルクス主義者》という言い方はそのまま柄谷の『トランスクリティーク』に直結する言い方だろう。 A:それは、例の制度や共同体の間(はざま)にいて批判的視座を確保する主体、てわけだろう。
つまり、自分(柄谷)のような、日本と海外の大学を行き来しながら、双方にたいして批判的なことを言うのが<超越論的批判>であり横断的批評>だと言いたいわけだ。いや、格好いいね(笑) B:またそうやって馬鹿にする(笑)
A:ただ、何だか自分を正当化したいだけみたいで格好悪いよ。やっぱり格好悪い。 B:どっちだよ!格好いいのか、格好悪いのか! A:そういうあんたはどう思うんだ?
B:学者とか、エンターテイナーとか、特殊技術者とか、基本一人でやっていく職業を特権化してるみたいで、普遍性はないね。柄谷が言いたいことは分かるにしても。 A:たしかNAM始まるときにも、柄谷は《この運動は横断的でなければならない》とか
どっかに書いてなかったか? B:『NAM原理』だろ。意気込みだけは良かったんだろうけどねー。 A:第一、日頃虫のように這いつくばって生活している俺たちみたいなのにしてみれば、《横断的運動》なんて云われても、そうそう出来るもんではないよ。
横断するだけでもカネがいる。旅費は誰が出すのか? B:NAMのときだって、京都までわざわざ会議に来て、一時間だけ出席して帰っていった人達がいただろう。遠くから会議のために京都へ来るだけでも出費だし、大変な労力だよ。
A:横断するからカネをくれ!(笑)という声が出ても不思議はない。 B:大多数のサラリーマンやOLら、大衆の生活と遊離してるよね。 A:おかしい。《横断trans》ていうけど、例えば《横断するサラリーマン》てどんなだよ。2重契約(笑)即クビだよ。
B:《横断的視座》という発想は解るけどね。現実には困難だというしかない。 A:鎌田はまだ『重力03』出さないかな。今年中には出してほしいね。
35 :
考える名無しさん:2008/01/20(日) 10:27:13 0
面白かったのでage
ケータイ厨キモい
ここまで自演がバカだと、キモくて誰も取りつくしまがない。
174 名前:考える名無しさん 投稿日:2008/01/20(日) 17:05:21 0
柄谷さんの話をするにはどこへいけばいいんでしょうか?
175 名前:考える名無しさん 投稿日:2008/01/20(日) 17:06:21 0
ここか文学板
39 :
追加訂正:2008/01/21(月) 03:22:36 0
40 :
考える名無しさん:2008/01/21(月) 03:50:03 0
41 :
追加訂正:2008/01/21(月) 04:06:01 0
鎌田さんはNAMの前身であるMLに参加していて、そのままNAMに参加すればよかったのに、
退会してから批判している。
内在的批判を大事にしなければ組織などは成り立たないのだし、鎌田さんの問いかけにいちいち対
応できるような、組織としてのNAMの意見を代弁できる人間などいなかった。情報公開と言って
もメルアドをさらすわけにもいかないし。
鎌田さんのNAMと日本軍とのアナロジーは時代錯誤だと思う。少なくともNAMは消費社会、情報
資本主義に対抗したものだったからだ。
西部さんは、2002年のNAM代表選出くじ引きで候補から辞退している。1年くらい代表をしてい
ればQのNAMへの借りもなくなっていたのに、その点では筋を通さなかったと思う。
Q-NAM論争と言っても、西部さんが柄谷さんの私信を公開したのがきっかけであって、内実はな
かった。
柄谷さんの側も、Qを共同運営するというのは最初からQ側にその気がなかったのだから無理だと
認識すべきだった。地域通貨の名前が投票でQになった時点であきらめるべきだったのだ。
Qはその後、NAMかQかという二者択一でQを選んだひとたちを次々粛正していった。雇った用心棒
が次々人を切るのだから西部さんも戸惑ったろう。鎌田さんは地域通貨には興味がないのだから、
地域通貨に関心がある人をこれ以上犠牲にしてほしくない。
NAMはQとの関係が柄谷さんによって駄目になった後、代表の田中さんがやる気をなくして解散した。
田中さんがやる気があれば、Qのかわりにレインボーリングを採用したり、MLではなく完成していた
というSNS?ウェブシステムを活用すれば存続できた。
真相は田中さんが、柄谷さんの作品であるNAMというものを残したくなかったということだ。そこま
で田中さんは柄谷さんがQとの関係を悪化させたことに怒っていた。西部さんにせよ柄谷さんにせよ
文筆家は作品が残るからいいが、摂津さんにせよ田中さんにせよ翻弄されたひとたちはかわいそうだ
った。
そもそも摂津の正体も見破れないでのこのこ今回も見舞いにまで行ってる様な
田中正治に、何の信用性もないよ。
田中正治なんかに一部では頼りすぎだ。
彼の今までやってきた経歴を振り返ればよい。
鴨川の自然王国だが、故藤本やその妻の加藤登紀子との関係から
イデオロギー性を見ただけでも、田中という人物が論理的には禄でもない人生を
歩んできた、敗残者的な左翼であるというのは、簡単に見抜けるはずだ。
43 :
考える名無しさん:2008/01/21(月) 04:51:17 0
バカ鎌田としか言いようがないな。
自分の支持基盤になるカルト宗教として利用してるようなもんだな。
早く解散することだけが、せめてもの償いだろう。
追加訂正氏は
このスレでは近年稀に見る大馬鹿。
ピエなんて霞んでしまう。
やれやれだ。
もっとやれw
>>43 柄谷に対する意地だけだろう。
しかし、生みの親ともいえる西部が辞めたのにまだ続けるとはね。
47 :
考える名無しさん:2008/01/21(月) 15:22:18 0
914 :もうがまんできない :2007/03/09(金) 02:27:46
/l lヽ
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| 三 (_又_) 三.||゙三 (_又_) 三.||゙三 (_又_) 三゙||_.|三 (_又_)三l_.||゙三. (_又_) 三||゙三 (_又_) 三.||゙三:(_又_):三:|
.\ _ ^ _/ \ _ ^ _./ \ _ ^ _/ |_|、 _ ^ _ノl_|.\ _ ^ _/ \ _ ^ _./ \_ ^ _/
/ー(Ω)-\ /ー(Ω)-\ /ー(Ω)-\ /ー(Ω)-\ /ー(Ω)-\ /ー(Ω)-\ /ー(Ω)-\
和氣 福西 佑人 行人 浅輪 後藤 関本
NAMの文化人類学もいいけど解体板があるのでそっちでやってよ
ここは柄谷本人及び言説について語る場にしたい
ほどほどに頼みます
49 :
考える名無しさん:2008/01/22(火) 00:59:10 O
>>41 A:話の内容からするとこの人はNAMにいた人なんだろうね。言葉の端々からトラウマのような匂いが漂ってくる。そっとしたい気持ちもあるが、そうはいかないね。
B:うん。元会員からの率直な感想は有難いが、それを以て吟味を止めてはならないね。 A:まずこの件から考えてみよう。
> 内在的批判を大事にしなければ組織などは成り立たないのだし、
B:批判は内在的なものもあれば外在的なものもあっていい。内在しているときには見えなかったものが外在したときに見えてくることだってある。また、内在している時には批判できる雰囲気ではない場合だってある。NAMにもそれは該当するのではないか。
批判は内在している人間にのみ許されるわけではない。ただ、内在していた人間にしか解らなかったこともあるのだから、それには真摯に耳を傾けるつもりだよ。
>鎌田さんの問いかけにいちいち対応できるような、組織としてのNAMの意見を代弁できる人間などいなかった。情報公開と言ってもメルアドをさらすわけにもいかないし。鎌田さんのNAMと日本軍とのアナロジーは時代錯誤だと思う。
少なくともNAMは消費社会、情報資本主義に対抗したものだったからだ。
A:別に何でも鎌田の肩をもつ気もないが、一定の限界内での資料の公開は重要だ。何が起こったのか、それをひたすらに隠蔽する性格、自分に都合の良い事実だけを公開するような性格があるなら、それこそ旧日本軍と同じになる。
B:そうだ。大体摂津って人が纏め、公開した資料や鎌田たちが公開した会議記録がなければ、俺たちなどに、柄谷があの時どんなことをやっていたのか、解ることはなかった。それだけでも貴重な行為なんだ。
> Q-NAM論争と言っても、西部さんが柄谷さんの私信を公開したのがきっかけであって、内実はなかった。柄谷さんの側も、Qを共同運営するというのは最初からQ側にその気がなかったのだから無理だと認識すべきだった。
A:Q-NAM“論争”が違うなら、Q-NAM“問題”でもいいんだけど(笑)少なくとも柄谷行人って思想家の内実を検討するならば、Q-NAM問題―すなわち始まりから終わりまでの経過―は外せない素材だとみなすべきだ。
その意味で、Q-NAM問題はQ-NAM問題として、柄谷とは別個に扱うべき、とする手付きは間違っている。
このスレで攝津の話なんかだすなよ
こいつの名前を見るだけで気分悪いし
こっちを本スレにしたいようだが、どうせまともに議論をしようとすればまたPに荒らされるよ。
>>51 > こっちを本スレにしたいようだが、どうせまともに議論をしようとすればまたPに荒らされるよ。
A:アドバイスは有り難く受け流して、また無駄話から入っていくか。俺、実は昨日、柄谷の本買おうと思ってね。 B:ほう。何て本? A:『坂口安吾と中上健次』て本。 B:あれは評判いいだろ。何かの賞も取ったんじゃないか? A:そうかもしれない。
B:で、買ったのか? A:それがさ、本屋で立ち読みしてたら、後半で関井光男と柄谷の対談があるんだけど、そこで柄谷はこんなことを喋ってることが判った。
《たとえば、「堕落」という言葉は、安吾にとってもハイデッガーにとってもキーとなる概念ですが、ハイデッガーの場合、人間が共同存在から離れ私的になることが堕落であり、それはロマン主義的なものです。安吾はそうではなかった。
堕落とは、自らを突き放すような他者性に直面することです。ハイデッガーはナチであり、安吾は自由主義者でした。》(『坂口安吾と中上健次』太田出版246頁)
そこで柄谷の話を検証するためにハイデッガーの『存在と時間』を開いてみる。版は中央公論社の「中公パックス世界の名著74」。
《差し当たってたいていは、自己は、世人のなかへと喪失されている。自己は、そのときどきの今日的な「平均的」な公共的な現存在の被解釈性において「流通している」諸実存可能性にもとづいて、おのれを了解する。
多くの場合、これらの諸実存可能性は、曖昧性によって見分けがつかなくなってはいるが、それにもかかわらず熟知されている。本来的な実存的了解は、この受け継がれた被解釈性から引き退くどころか、そのつどそうした被解釈性から発し、
そうした被解釈性に反抗しながら、それでいてふたたびそうした被解釈性のために、選ばれた可能性を決意において、つかみとる。》
《すべての「善きもの」は相続財産であり、また「善さ」という性格は本来的実存を可能化することのうちにひそんでいるとすれば、決意性においてそのつど或る遺産(受け継がれた諸可能性)の伝承が構成される。いっそう本来的に現存在が決意すればするほど、
言い換えれば、死への先駆におけるおのれを了解すればするほど、おのれの実存の可能性を選びつつ見出だすことは、ますます一義的に、また非偶然的ななる。》(591-592頁)
オタクや自閉症の悲しい生存は守るべしなんだから、荒らされるなんて事はあるわけない。
A:引用した箇所から、この時点でのハイデッガーにおける<私性>ということの重要さは明らかだ。それは単なる<私>ではなく、ハイデッの用語でいう現存在、すなわち存在の問いとして問われている。
次に柄谷が提起している、<私性>と関係する<共同存在>について、どう語られているかも考証してみる。
《現存在が先駆しつつおのれのうちで死を力強いものにするとき、現存在は、死に向かって自由でありつつ、おのれの有限的自由という固有の圧倒的な力においておのれを了解するのであり、
こうして、選択を選び取ったということのうちにしかそのつど「存在」していないこの有限的自由において、おのれ自身に引き渡されていることの無力を引き受け、開示された状況のさまざまの偶然に対して明察をもつにいたるのである》
B:…おい、まだなのか、<共同存在>の話は(`´) A:待て、て(笑)。ここからだっつーの。
《だが、宿命的な現存在は、世界内存在として、本質上他者と共なる共存在において実存するかぎり、そうした現存在の生起は、共生起であって、運命として規定されている。この運命でもってわれわれが表示するのは、共同体の、民族の生起なのである。
運命が個々の宿命から合成されないのは、相互共存在が、幾人かの主体が一緒になって出来したものだと解されえないのと、同様である。
同一の世界の内での相互共存在において、また特定の諸可能性に向かっての決意性において、さまざまの宿命はもともとすでに導かれていたのである。伝達と闘争のうちで運命の力ははじめて自由となる。》(593頁)
B:なるほどね。つまり、<共同存在>とは言っても、そう単純ではないね。 A:そう。重要なのはここでの次のようなセンテンスだ。
《また特定の諸可能性に向かっての決意性において、さまざまの宿命はもともとすでに導かれていたのである。》
これは単純な、少なくとも「伝統を死守するべし」とするような思想ではない。むしろ、異なる実存がさまざまに遍在するなかで、にもかかわらずそこに或る運命的な力が浮かび上がる、というイメージになる。
55 :
考える名無しさん:2008/01/22(火) 17:45:27 O
B:なるほどね。つまり、『存在と時間』のその箇所というのは、もしかしたら、ハイデッガーにとってのナチスの運動、ナチスに何を期待していたか、という問題への手掛かりにはなるかもしれないね。
A:そう読める。そこで改めて冒頭に挙げた柄谷の対談に戻って読み直してみる。柄谷はこう言っている。
《ハイデッガーの場合、人間が共同存在から離れ私的となることが堕落であり、それはロマン主義的なものです。》
一体、柄谷がここで挙げている<ハイデッガー>とは誰なのか?柄谷に聞いてみたくなってくる。
B:そう来たか(笑)
A:というわけで、『坂口安吾と中上健次』は面白い本ではあろうが、惜しくも名著とは呼べない。また、耳知識や聞き齧りで発言することは柄谷ほどの批評家なら、控えるべきだと云わなければならない。『トランスクリティーク』が草葉の陰で泣いてるぜ(涙)
A:別スレ【柄谷行人を解体する21】259レスに面白いこと書いてる人がいるね。曰く
《柄谷行人は「日本」を精神分析とかいう前に、明らかにまず自分と、そしてNAMという組織の病像を精神分析すべき状態にあったに当時決まっているわけよ。
精神分析ということの矛先が、そういう明らかな自己自身の病理に向かわずに、日本という抽象的な対他的な対象に向かったというのは明らかに、その本を出版した時点での転倒だったんだよね。それもまた精神分析的な症例に他ならなかったという現実があるわけだ》
B:柄谷の「日本精神分析」がどういうものかは読んでないので解らないけど、基本的にはこの人の感覚に同意なんだよね。この人のもつ苛立ちがよく解るというか…。
A:この人の感覚は至極全うだと思うね。少なくとも長年柄谷の本を読んできた、或いはその延長でNAMに関わっていた人間からすれば、この人のように謂うしかない。
B:なるほど。
A:そこで本題に入りたいんだけど。 B:何だ、まだあるのか。 A:いや、この人のレスとも関係する話なんで。 B:はあ。
A:この259氏が「症例の精神分析すべきだった」って言うじゃない。氏の主張として、柄谷及び組織としてのNAMへそれをやらなければならなかったのに、「日本」という抽象的な主題へ柄谷は向かった。それさえが精神分析的な症例だと言える、と。
B:そうだね。
A:それに俺なんかも同意するんだ。ところで、「症例への分析」という辺りの問題設定、或いはそうした作業を通して、内在的な止揚を企てる、より良い方向へ修正する、そのような思考というものを、柄谷やそれに類した思考がどう扱ってきたのか、という問題が
一つあるのではないか。
B:はあはあ。
A:鍵はサルトルだと思うが、ドゥルーズはサルトルのことを晩年に礼賛している。また、柄谷もまたサルトルの復権を主張する。ところでサルトルといえば、意識の無謬性の哲学を結晶させた思考だと思われる。
《事実、対自が世界のなかに出現するのは、即自の無化としての限りにおいてであり、過去としての過去が、即自に対する対自の根源的無化的な関係として構成されるのは、かかる絶対的な出来事によってである。》(『存在と無』原書初版184頁)
57 :
考える名無しさん:2008/01/26(土) 22:27:42 O
またサルトルはこうも言っている。
《時間性は、まったくの多数性―これはあとからいかなる統一をも受け入れることができないであろうし、したがって多数性として存在することさえないであろう―ではなくて、むしろ、準‐多数性であり、統一のふところにおける分解の粗描である。》(原書初版181頁)
また、こうも書いてる。
《したがって、そこには多数性に対する統一性の優位もなく、統一性に対する多数性の優位もないとすれば、時間性は「自己を多ならしめる一(いち)」と解されなければならない。》(同上)
読めば解るが、精神分析的な思考は行き止まりになるよう、無効になるように、そのような思考の道筋が辿られている。サルトル的な自由の根拠というのはそのような、<己の過去>だとか、いうような概念を、骨抜きに近い形で葬り去る思考だとみる。
もっとはっきり言ってしまえば、ドゥルーズを持ち出すまでもなく、既にサルトルはこの時点で<アンチ精神分析>だったとみて良い。少なくとも精神分析が一定の成果を上げるような道は遮断されている。
B:なるほどね。そこは柄谷にしてもそうで、柄谷のいう単独性って、一見すると精神分析的な概念かと勘違いするが、実は違うよね。
A:違う。全然違うとみていい。
B:むしろ、ドゥルーズらが『千のプラトー』で描きだした概念で<此性>というのがあるが、柄谷が<単独性>という概念でウェイトを暗に置いていたのは、むしろ《積極的に語られることはできない》差異、
《かえって他なるものを根本的に前提し、他なるものとの関係において見出だされるものである。》(『探究U』初版18頁)とする「他との関係でのみある私」或いは
「同一性の回帰はない」とする、「出来事の一回性」の方だということだ。
《同一性の回帰がないからこそ、この一回性が歴史(出来事)性として強烈に意識される。神の無限性は、この一回性と結び付いている。》(同15頁)
つまり、柄谷が換骨奪胎したかったのが、精神分析の対象ともなるような、<同一性>の措定であることは明らかではないか、ということ…。あと、その思考のもつサルトルやドゥルーズとの繋がり方、そこが問題というわけじゃない?
A:「問題」、というより、むしろ「閉塞」、と言い換えてみたいところがあるね。柄谷的な知の権威を正当化する思考の系譜。
NAM立ち上げの頃
駒場の文化祭で 柄谷とスガが 客寄せ漫才をやっていた
浅田は寝坊を理由にサボった
同じ頃そばの教室で 岩井ゼミの発表会があり
岩井がNAMとはっきり言わず 暗示する形で
ああいうのは無理だと思います といっていた
なつかしい思い出
2-3年前に源ちゃんが、ニューヨークで柄谷夫妻と岩井夫妻と食事したって
書いてたから、今でも親交はあるんだよね。
60 :
考える名無しさん:2008/01/27(日) 18:15:59 0
mixiの柄谷コミュがよく動いてるな
A:柄谷って人は意図的に誤読するのか、それとも非意図的に誤読するのか、‥
B:また誤読か、毎度の事だね。今度は何?
A:ニーチェはカントを批判するが、実は同じ事を言っている。人はまずい事をしでかすと、すぐに社会のせいだ、〜のせいだ、と云いたがる。
しかし、全ては自分が意志したことであり、自分に原因があるのだ、とすること、それがニーチェの云う運命愛であり、超人なのだ。
B:それがニーチェだと云われれば、そりゃ違うだろ。ていうか、柄谷自身の考え方だというなら文句はないけどね。
A:柄谷って時々どうしようもない事言い出すのがまあ愛嬌ってとこあるからな。因みに先のテーゼは『新現実』最新号の柄谷と大塚英志との対談の終わり頃に柄谷が言い出してる話なんだけど。柄谷の写真も掲載されてんだけど、年取ったなあ、てしみじみ思ったよ。
【アンチ柄谷行人】なんて言ってあんまりいじめるのも気乗りしなくなってくるんだよな。あの写真見てるとさ。
B:柄谷って今幾つだ?
A:1941年生まれだから今年で67歳になるな。もう老人だよ。あと10年20年生きてるかどうか、判らんよ。奴は身体は丈夫そうだけどね。
B:我々を楽しませてくれた柄谷さんも先行き短いときたか。そう言えば、我々の黒子MR.Xも最近、感染性腸炎で入院し、点滴受けてたらしいからな。
A:老いてゆく柄谷さんもどうかいつまでも鼻息荒く批評し続けてください!そして俺たちを楽しませてください\(^O^)/
B:切れ味鈍ってきたな。スレ名変えるか。【VIVA!柄谷行人】に。
62 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 03:04:03 0
___
,r' `ヽ、 プキ?
,i"-=・=-∵-=・=
/ ;;;;;; ・・ ;;;; )
/ ´ ヽ` ̄ ヽニソ ー-゙:.、
i - 、 `ヽ_
l: 、.: ヽ -=・=-゙i"
! i ; n -=・=- ', _..ハ
| ハ/ { _,..-ァノ 、r‐、>ー ヽ
| ト./ ` ̄__,.:=彡 :.ヾ、ニ二 /
. | |ノ -=< ゙=tラ'"
| / ,-一'" ̄´ i
|:/ / \:. "ー=〓=-.'` !
| ' / ヽ:. :、 \
゙、 ノ .i:. ` ヽ
残念。おれは浅田信者だよ?
A:そういえば、アンチ柄谷の急先鋒である鎌田哲哉の『ドストエフスキー・ノート』てのを初めて読んでみたんだけどね。
B:ほう。
A:あれはまだ柄谷らと関わっていた時代に書かれたせいもあるんだろうけど、まあ、まず文体が柄谷なんだな。柄谷の影響にどっぷり漬かっていたのが露骨に出てる文体だよ。「きわめて」「無論」の使い方、など、見るからに柄谷Childrenなんだな。
柄谷の批判やるならまずあの文体から変えないと、批判している対象にいまだに取付かれているとみなされてしまうね。
B:文体ね。まず鎌田にしても、その他の『批評空間』派にしても、柄谷の文体の影響は強いからな。あれを壊すのは大変だぜ。
A:それから『重力01』の座談会を読んで気になったのが、そもそもの鎌田の発想の中に、“柄谷が勝手に放棄した運動を遣り遂げるのだ”という意味が見える。また、“真理の拘束によってしか真の自由はない”とする構え、これも「きわめて」柄谷的な構えだろう。
B:うん。つまり、『重力』っていう概念がそもそも、無重力へのアンチであり、その発想がまた実はNAMへいたる柄谷的なものだよね。
A:まさにそうで、そのように見てくると、なにか、どこまでも柄谷的な地平を地盤として話をしている、でなきゃ話が進まない。座談会のなかで鎌田は「相続権」とかしきりと言ってるんだが、むしろ「相続」し過ぎじゃねえのかとツッコミ入れたくなるぞ(笑)
B:つまり、柄谷的な思考の遺産をいまだに相続し続けているわけだよ。
A:つまり、そうやってNAMの総括まで今度はやろうていう時に、一体どこまで、どの深度までやるのかという問題が出てくるだろう。
B:あれは良い事だったのに、柄谷が途中から方針を変えて妨害したり、そうやって頓挫したのだ、だから体制立て直してまだやるのである、という構えだとするとね。
A:『重力』での鎌田らの座談会を見る限り、どうもそのようなんだな。ダメなのは柄谷とその一派なんで、運動自体は良かった、止めてはいけない、というね。まあ、そうしたいのならやればいいとしか云えないが。
B:相変わらず柄谷的な概念に則って考えると、そこに変更はない。そこに疑問は残るね。どこに新しさがあるの?という。
64 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 13:40:27 0
wikiにNAMを作ったら速攻で削除された。情報量が少なすぎるってさ。
誰か豊富に情報持っている人作ってください。
>>62 結局我慢できずに荒らしはじめるのが笑えるな
>>64 > wikiにNAMを作ったら速攻で削除された。情報量が少なすぎるってさ。誰か豊富に情報持っている人作ってください。
つまり発想から成立、経過、内輪揉めから崩壊までってことか。資料は揃ってるからやる気があれば書けると思うけどな。
そうなんだ。
それじゃあまず、摂津正にだけは、NAMのWIKIを書かれないように
我々はそれを全力で阻止しなければならないなw
摂津にネットの情報を操作されるようになったら、もう世の中終りだよ。
はてなを見てみろ。
摂津が自演で書き込んだNAMの情報だけが、
悲しく残ってるよ。
なんで蛭田さんの項まであるんだよw
A:対話形式を気取ったモノローグって何が面白いのかね。
B:それ自己言及かよ!
A:自作自演体質っつうか、自作自演そのままって感じだよな。
B:仕方ねえだろ。賛同してくれる「他者」がいないんだから。自分で自分にひたすら賛同してそれを積み重ねるまでよ。
A:それって虚しくね?
B:いいんだよ。レスの脈絡なんか繋がっていなくたって誰もそんなものを気にする必要もねえしな。
A:キャラクター造形の必要もなく、「A:」「B:」と分けて自分の考えをダラダラ垂れ流せば何となく対話形式になるだろ。
B:安直なもんだよ。
A:絶対に葛藤に陥らないしな。ただただ自堕落な自己肯定を繰り返すのみ。
B:しかし、携帯でよくやるよ、全く。しかも吉本信者ってのが泣かせるね。
A:お前、それ、自己言及だよ。
対話形式のモノローグというのは吉本の手法。
それを痛烈に批判したのは柄谷。
それを踏まえたうえでの皮肉なんだろう。
吉本も友達が欲しかったんだね。
A:蓮実と柄谷が対談している「文学・言語・制度」(1977年)てのがあるんだけど、それを改めて読んだら、意外に蓮実ってデリダに辛いんだな。
B:そうか?褒めちぎってんじゃないの?
A:例えばこう言っている。
《蓮実 …デリダは、あんなこと(ディフェランス)言ったら、あとは結局なにも言えなくなってしまうといったものですね。
あるいは、もう何も言わないつもりで、あえて言及するのか、とにかく「ディフェランス」という、概念でも単語でもないものの上に、それを模倣するようなものを何枚も何枚も重ねていく作業しか、もうできなくなっちゃう。
どこまでそれに耐えられるか、あるいはそれからまたどのように飛翔するか、ぼくにはわかりませんけども。》
《…むしろ「ディフェランス」なら「ディフェランス」というものを言わないでいることの重さを肉体でこらえている人のほうが、あるいは、派生的な問題を超えていきなり原=痕跡へと遡行せず、むしろ派生的なものの戯れの中からそれに言及する人のほうが、
鍛えられるところが多いんじゃないか。》
これはかなり的確に批評してる言葉だと思えるね。蓮実って意外に優秀だなあと思ったな。
B:そうだな。少なくともその批評からはいたずらにデリダに追随しているような姿勢は見えないね。
A:あと、これまた意外といえば意外なんだけど、デリダよりバタイユのほうを評価してるのな。
《たとえば、デリダはたしかに凄いけれども、やっぱりデリダよりもバタイユのほうが凄いんじゃないかということを、デリダを介して理解できる気がする。その意味で、よき教師だと思うんです。》
《彼(デリダ)は、特に傑出したわけでもない短いバタイユ論を書いているだけですが、ついにデリダがバタイユたりえなかったという点が見えてくる。(バタイユの)その凄さというのは、デリダの頭脳をもってしても…、
「ディフェランス」という点まで思考を到達させえた人の頭脳をもってしても、バタイユの前に無力であるという点があると思います。》
こうまで蓮実がバタイユの怪物性を買っていたというのも驚きだ。昔の本て読んでみるもんだよ。
B:それは中沢新一との対談で浅田彰がバタイユはしょせんキリスト教がなければダメな思想である、とか、二項対立を超えられなかった、と酷評してるのとえらい違いだね。
B:あの中沢との対談読んでると、浅田が論じることでどんどんバタイユが卑小になってゆくようで、つまりそれは浅田にしてみれば、二項対立を越える場所まで行かなければ嘘だ、ということなんだろうが、この読み方はバタイユに擦ってるんだろうか、という疑問があったよな。
A:バタイユって人にある、死の愛好や生の過剰さ、背徳性に宗教的な匂いがする、ていわれればそうだろうが、無い物ねだりだし、思想ってものが様々に制約を蒙る、その中でのものだということ、思想って言っても、それ自体が一人の思想家の企投であり、
その世界の表れでもある、だからこそ面白い、てことが解ってないんだ。
B:浅田って、ある一つの物事を執念深く追究してゆくような人間の狂気みたいなものが理解できないんではないかね。
A:浅田にとってはきっとスキゾとかの概念も、適当に色んな分野に首を突っ込んで摘み食いしてゆくようなもんなんだよ。断言するがあーゆー人間にドゥルーズらのいう生成変化なんて概念は実は判らんね。
B:その浅田のいうことを感心して聴いてたり、誉め言葉を鵜呑みにしてたりするからな、我が柄谷も(笑)
A:浅田に誉めてもらおうなんて思わないほうがいいのにな。どうせ読書のセンスのない人間なんだから。頭はいいけど、それだけだからね、取り柄は。それに比べたら蓮実や柄谷のほうがかなりマシだよな。
B:で、柄谷ネタは?
A:年寄りをいじめるのは良くない。先行き短いんだ。やりたいようにさせておけ!
B:柄谷さん、お体に気を付けてm(__)m
73 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 13:39:13 0
A:ドゥルーズらの本読んでるとだんだん解ってくるんだけど、『ミル・プラトー』の中に、《生成変化はアンチ記憶である。》てテーゼがあるのな。また、あらゆる存在者は根本的には無規定的な存在者である、という、正確な記述ではないが、そんな意味合いもある。
つまり、時間の経過や地層のように、意味によって領土化される、規定されることを徹底的に払い落としたい、そのモチーフなんだよ。
B:まあな。例の《アンチ・オイディプス》て概念も、あんたが今並べた、“歴史からの逃走”ってモチーフから企てられている、とも言えるわけだし。
A:この考え方ってのはモチーフとしてはよく解るわけだし、精神分析のマルチ性を批判する、という文脈からは必然的なものがある。実際にドゥルーズらはインタビューで自分たちの著作についてそう語っている。
ところで、柄谷は『批評空間』座談会「ドゥルーズと哲学」のなかで、《『差異と反復』や『ヒューム』などは凄いと思ったが、ガタリとの共著のほうは正直凄いとは感じなかった》とのべている。
B:それはだけど、無自覚な発言だね。何故ならば主体における歴史からの、同一性からの逃走、というのは、柄谷的な概念であり、一貫して柄谷の活動から滲んでくるものだよ。
A:そうそう。そう考えていくと、まさに柄谷的な哲学なんだよ。ドゥルーズ=ガタリって。実際に読んで恩恵を蒙ったかは解らないが、柄谷の支離滅裂な活動履歴を裏側から根拠づける役割を果たしている。それにたいして柄谷は気付いていない。
気付いていないから、座談会のなかで、無自覚な発言が出てくるだろう。
B:実際、ドゥルーズ=ガタリが卓越的ならば柄谷は卓越的だとなる。
A:両者はよく似ている。<間>にたいする意義の置き方もそっくりなんだな。《生成変化の線は中間にしかない》とドゥルーズらは書いている。いわゆる《トランスtrans》てところを重視したがる。
B:そんなやつが政治社会運動をやっていいのか、て疑問は、2ch.でも呈している人はいるな。信用できない、てわけだ。まあ当然だろうな。
A:ドゥルーズらはあのようなスキゾ礼賛的な本を書いたわけだけど、ただ、そのことを自らの思考や政治社会活動の支離滅裂さの根拠にしたか否か、という問題を立てるべきだろう。多分それはない。思想家としての自殺行為だからだ。
B:ここらで俺たちのことを吉本派と決め付けている見方にたいしても返答しとこうか。我々の対話形式が吉本的な形式だという。
A:いいね。ただ、形式は似てるけど、あれほどの抽象度もなければ内容もないんで(笑)、まあ、こちらのは単なる垂れ流しだとみたほうが正解だけどさ。
B:柄谷が吉本にあれほどの敵対心を抱く。それは判らんでもない。つまり、なんとかしてそこに包括されてしまうのを拒みたい、それはそうだろうと思う。ただ、柄谷が語る吉本はいつもかなりな誤読と偏向によっているので、結果的に、あー読めてない、
ないしはまともに読む気もないんだな、と解ってしまう。それは結局は負けなんだよね。あと、浅田のように最初から吉本には何もない、と決め付けるのもね。
A:吉本を正解した読み方、て未だないと言っていい。実際、吉本派といわれていた人間で、そのままずっと付き合ってきた人は芹沢俊介くらいで、あとは皆、途中で幻滅したり、オウム事件など典型的だけど、袂を分けてしまう例が多い。
B:それは結局、自分の読んできた吉本のイメージと、途中からズレを感ずるようになる。それでついて行くのを止める例が多い、てことなんだけどね。吉本って、実際に色んな事件にたいして発言することで初めて本音が見えてくることがある。
それで、吉本派でさえが異和感を抱き、離反する人が多いよ。竹田青嗣とか典型的だが。
A:吉本への評価、というのは、結局不鮮明なまま死を迎えそうな気配もあるね。
B:そう。不鮮明な評価のまま死がきて、本当の評価は死後になるんじゃないか、て予感がある。
A:柄谷と吉本というのは、良い勝負というか、1970年代以降は敵対しながら日本の思想状況をひっぱってきたと言える。ただ、人望でいうと、柄谷は吉本の比じゃないだろうな。
60年安保の後に自分と関わりがあった学生がおかしくなったり自殺したりすると、わざわざ出掛けて親と対面し、罵倒されたりしていたらしい。柄谷にはそこまでやる度胸も覚悟もないだろう。そこまで肝を据えてやっている、という意味では柄谷はやはり叶わない。
B:なんだよ、結局吉本派じゃねえか(笑)
A:浅田のように、吉本など読む価値なし、とまでは言えないわな。いたずらに追随するなど論外だけどね。第一、浅田よりは偉いだろ、どうみても(笑)
B:昨年出たハイデガーの『カッセル講演』をぼちぼち読んでるんだけど、さすがに良いね。ディルタイの仕事の意義から始めて自らの存在論へと連結する試みだ。
A:あれは1925年、『存在と時間』執筆は1923年に始まっており、その渦中での講演なんだよな、あれは。
B:そうらしいね。この本は『存在と時間』の問題意識がどこにあるのかを端的に示すものだとされている。で、その一方でドゥルーズの初期の本、『経験論と主体性』も部分的に読んでみた。
A:ドゥルーズの出発点か。
B:そう。1953年、28歳の時の本なんだな。28歳でここまでやるか、と驚嘆するほどの思考がちりばめられている。凄い哲学者だということは頁の端々に見て取れる。しかし、一方で、なんでヒュームをこうまで研究しなければならないか、理解に苦しむ本でもある。
A:あの本はヒューム論でもあるからな。
B:経験にたいする構想力、統覚の論理的措定という形でカントはヒュームを批判している。ドゥルーズも途中、そのカントによる批判を引用している。で、俺からみると、カントによるヒュームへの批判は的確で、あー、この通りじゃないか、とうながされるものがある。
超越論的統覚を措定しないヒュームにたいするカントの措定の方が説得力がある。ドゥルーズはヒュームの哲学を丁寧に辿り、その意義をもたらす。しかし、以後のドゥルーズの本を読んだ時と同じように、どこか無理強いなこじつけ感が残るんだな。
ヒュームを取り上げることで、精神の成り立ちについてはより自由な立場を確保できる。或いは人間の自由について、拠り所を確保できる。それだけなように見えるんだが、リアリティーの欠けた議論をどれだけ細かく長々とやってみせても不毛じゃないですか。
という不満が出てきてしまう。
A:“不毛”ね。一部の現代思想の孕む不毛さ、てあるからね。それが出てる、てこと…。
B:苦労して翻訳した財津理には悪いけどね。中に挿入されているカントによる批判はそのまま『存在と時間』にも通ずるものがある。ハイデガーはカントも読み込んでるからね。むしろ超越論的統覚について、より徹底的に押し進めたとも言える。
そこからみたこのヒューム論の強度の弱さ。しかし、柄谷はこのヒューム論を高く評価してる。面白いけど不毛、てとこで共通しているからね。
77 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 13:14:36 0
ウ〜
78 :
考える名無しさん:2008/02/10(日) 13:15:02 0
ウー
79 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 03:29:50 0
r'^⌒⌒ヽ,r''⌒`ヽ、
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ _人从∧从人从/\
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从从/: \ 、_! / ノ ヽ 品格ある日本人横綱!
从从 i'/エェェェヲ i l ノ
ノ从ヽ._!!l lーrー、/_/ VWvVWvVWWV
ヽニニソ
俺様のしなびた横チンのおかげで、オールドレディースファンも激増したらしい!
ステロイドだって禁止が明文化されてるわけじゃないんだ。
ステロイド抜けでやせたおかげで横チンご披露できたんだっっ!
俺様のおいなりさんにみんなもっと感謝しろ!!
A:人望で読む価値が量られるとかさすが浪花節の世界は違うね。
B:その「人望」の根拠が伝聞というのも心細いしな。
A:やめるか...この対談...
B:自分で自分に語り掛け自分で自分に賛同する。それをあたかも複数の人間の会話のように仕立てる欺瞞...
A:でも!
A&B:俺達は恥知らず!
B:面の皮もとことん厚いときた!
A:まだまだ続きますよ、吉本的ル・サンチマンに浸った際限のないモノローグ! 携帯のキーが壊れるまで!
B:ご期待下さい。
81 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 10:42:13 0
B:ここらで吉本と柄谷との不思議な一致についても一度やっておきたいんだが。
A:というと?二人の共通性といえば、全然ないわけではないし、どこを切り取るかが問題…
B:柄谷の2000〜2002年にかけての例の理論的転回についてなんだけど、まず『トランスクリティーク』(批評空間社版422-423頁)の次の箇所を辿ってみよう。柄谷の転回にとって重要な箇所だ。
《あらためていえば、『資本論』においては主体が登場できない。それは関係の場によって規定されている。しかし、資本家は、「資本」という場に立つ以上、能動的である。それは貨幣、つまり、「買う立場」(等価形態)がもつ能動性である。
一方、労働力商品を売る人間は受動的であるほかない。しかし、ここに、労働者が唯一主体としてあらわれる構造論的場がある。それは資本制生産による生産物が売られる場、つまり、「消費」の場である。
それは、労働者が貨幣をもち、「買う立場」に立ち得る唯一の場である。》
ここで柄谷は『マルクス資本論草稿集A』(35頁)から引用してみせているが、柄谷が引用してみせている箇所の他にもマルクスは同じ草稿の中で、労働者が消費する場面、消費者として流通に現れる場面に注目している箇所がある。
つまり、マルクス自身が“労働者が消費者としてあらわれる場”に注目していたことが伺われる。
《いまでは、生産過程の外部にある、生産過程の諸制限が現れる。まず第一に、まったく表面的に考察しても、商品が交換価値であるのは、ただ、それが同時に使用価値、すなわち消費の対象物であるかぎりのことであって
(ここではまだ、それがいかなる種類の消費であるかはどうでもよい)
、商品は、使用価値であることをやめれば交換価値であることをも止める(というのは、それはまだ、再び貨幣として存在するにはいたらず、その自然的な性質と合致した特定の定在様式で存在しているのだからである)。
つまり、商品の第一の制限は、消費そのもの―それにたいする欲求―である。》(『マルクス資本論草稿集A9頁』)
これも、柄谷が『トランスクリティーク』で引用しているのもいずれもあの『経済学批判要綱』からの引用なんだが、マルクスにおける消費の意義について端的に物語っている。明らかにマルクスは資本の運動における重大な制約として消費を捉えている。
B:ところで、先の柄谷が『トランスクリティーク』で挙げた、資本の運動における消費の意義についてだが、あれを読んだとき、さほど奇異な感じは持たなかった。
何故かというのは、すでに1980年代後半〜1990年代前半にかけての吉本の論考の中で、吉本は度々、消費資本主義の段階に入った社会では、一般大衆が潜在的に権力を握っており、リコール権も自覚することなしに獲得してしまっていると明言していたからだ。
A:消費への眼差しは吉本の方が早かった…
B:そうなんだが、吉本の場合、柄谷のNAMのような運動論にまで発展させる気はなく、たんに消費という場を大衆による対抗権力として暗示したに過ぎなかった。対抗運動としての消費、という概念は吉本の高度資本主義社会論の中で既に萌していたものだ。
A:何故発展させなかったのか、ということになると、理由は何なのかは?
B:そこになると、吉本のスタンスとしての前衛否定というのがまずあるだろうが、それプラス、ボードリヤールによって批判を受けたときの論点というのがある。ボードリヤールは、吉本との対論の際に、吉本の唱えている大衆によるリコール権だとかについて、
微かに疑問を呈している。 その要旨というのは、大衆が権力を獲得したとしても、それは無意識の段階に留まることによってのみ有効だろう、むしろ、現在の段階で、押しつけられる普遍的な権利を拒絶する行為として、そちらの方に、消費社会への抵抗は有り得る。
しかし、その抵抗はまだ形にされたことはない。
ボードリヤールはこう述べているが、吉本にしてもその辺りは“社会の無意識”として専ら語るに留まったわけで、ボードリヤールに言われるまでもない事柄だったとも言える。
ただ、個人消費がそれだけで剰余価値を産むまでは社会の合目的性は有り得る、とする点だけは二人は相容れなかったが。
A:ただ、柄谷の場面には、《未来の他者への倫理》というのがあって、これが当時の転回の動力でもあったはずだ。
B:他者ってのは柄谷にとって、《関係の非対称性》や《「教える‐学ぶ」の非対称性》に付き纏われるものだったはずなのに、あの理論はどうなったのかね。「現在の我々」の意図が「未来の他者」にどう取られるか、柄谷の理論によれば見当がつくはずがないのではないか?
そんな転回はあり得ないと俺には思えるけどね。
B:つまり、《関係の非対称性》に絶えず付き纏われる筈のコミュニケーション、ないしはその不可能性が、いつのまにやら、他者を未来に措定する段階になると、いきなり《「現在の我々」の責任》と接続されることになる。不思議というよりは不可解というほかない。
A:《関係の非対称性》などどこかに雲隠れしてしまった、てわけだ。たんに他者を未来に措定しただけで。
B:そうだ。そこで「責任」とか出されて、はい、そうですか、確かに責任ありますよね(^O^)と頷く馬鹿がどこにいるか。
A:しかし、実際にはその「馬鹿」が大勢いた、てことなんだけど(笑)
B:この変わり方の背景には柄谷も明言するように、ソ連崩壊により冷戦体制が終わり、それとともに自由主義が全世界的規模で拡大を始めた、て事態と関係している。柄谷自身は自らの変貌をそのように明言するわけだが、その場合にかつての自らの思想的立場というのは、
単にそうした状況的変化という理由だけでいとも簡単に放棄されてしまう。端的に言ってしまえば、柄谷の唱えている《未来の他者》も《現在の我々》も、柄谷自身の「移し置き」以外のものではない。
ハイデガーは他者について、現有は自らを他者に「移し置く」ことでしか関われない、と書いているが、まさにその典型的事例を見せてくれているわけだ。
《一人の人間が実存する限り、彼は実存する者として既に他の人間たちの中へと移し置かれているのである。事実上近くに他の人間たちがいなくても、である。》(『形而上学の根本諸概念』331頁ハイデガー全集29/30巻創文社)
ハイデガーが出たついでに言うと、柄谷がいたるところで唱えているハイデガー論―《ハイデガーが言う存在は共同存在であり、ゲルマン民族である。》―というのはSeinについて、ハイデガーが個体の歴史性に多大なる重心をかけて考えていた事実を隠蔽するもので、
話にならないものである。そのことは昨年出た、『存在と時間』執筆中での講演記録『カッセル講演』の中でも自らの問題設定として明確に言われるところである。また、『存在と時間』中でも柄谷が唱えているような「存在」と「民族」の直結は為されてはいない。
但し、柄谷によるハイデガー論とはハイデガーのナチ加担時の発言を考慮すればあながち間違いとも言えないだろう。
こいつ早速、ぴか〜にも負けまくってるわけだが。
本当に全く読みたくならない気色悪い文章だよな。
B:しかし、そのような直結化はナチ協力時のハイデガーにおける紆余曲折の一部以外のものとは捉えない方がよい。事実、そのような話はハイデガー存在論の問題意識からは出てきようもない。
A:ところで、他スレでは柄谷の単独性についての議論が花盛りなようだが?
B:我々の議論でも取り上げたが、柄谷における単独性というのは固有名の指示対象という以外の規定は排除されている。また、確定記述の対象にはならない、という解釈も為されている。これがどういうことを意味するかといえば、
この単独性は確定記述の内容としてはいかようにも左右できる、ということを意味している。『探究U』のあの章全体を読むとその意図は明らかだよ。つまり、単独性というと、いかにも実存的概念なように見えたりするんだが、それは外見だけで、
そこにはハイデガーのような、個体の生の事実性に即した議論は初めから排除されている。つまり、柄谷が意識しようとしまいと、あの議論はサルトル、デリダ、ドゥルーズらに代表される所謂フランス現代思想的なものだ。
その共通性としては個体の歴史性(世代という概念、主観は過去を担いながら生起する、という視点)の忘却ないし消去、という点が挙げられる。ここを外すことで主体は少なくとも論理的には驚異的な身軽さを獲得することができる、
それは柄谷の体現する身軽さにも現われている。むしろ、柄谷の場合、フランス現代思想の論理を体よく利用している、といった方が適切だろう。むしろフランス現代思想的思考の最も悲惨な事例として柄谷をみることは可能だろう。
87 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 15:18:45 0
あっ!
>>86 全然違う。
フランス現代思想こそがハイデガーの影響を受けている。
デリダはフッサールの起源の問題から、思考を始める。
それはハイデガーの時間性に影響され、批判することにつながる。
ハイデガーの存在に対して、デリダの痕跡。
そして柄谷はデリダに近接する。
>>88 >
>>86 > 全然違う。フランス現代思想こそがハイデガーの影響を受けている。デリダはフッサールの起源の問題から、思考を始める。それはハイデガーの時間性に影響され、批判することにつながる。ハイデガーの存在に対して、デリダの痕跡。そして柄谷はデリダに近接する。
A:ここでの議論がつまらない、はたまた気色悪い、て人にはさようなら、と言うしかないね。
B:それより面白い人が来たのでこの人↑の主張にレスしてみよう。フランス現代思想とハイデガー、というのも面白いテーマだ。そこに柄谷を加えるのも良いし。
単刀直入に言うと、フランス現代思想はハイデガーを正解しないことで、“正解”という語彙がまずければ、意図や問題意識をまともに受け取らない、もしくは受け取れなかったことで発展してきたものだ、ということだ。受け取れなかったから単純に駄目だというのではなく
、むしろ受け取れなかったから逆に面白くなった。面白くなったけども究極には発展性の失せた迷路に填まりこんだようなものだ、というのが俺の主張なんだ。
じゃあ、“受け取れなかった”てことの内容はどうなってるのか、といえば、まずサルトルについて言えば、まあ情報量の少なさにも起因するのだろうが、ハイデガーの思索にないような無の哲学、所与を無化し、自己から超脱する超越の哲学にハイデガーを結び付けた。
例えばサルトルは『存在と無』でこう書く。
《まず第一に明らかなことであるが、人間存在が―問い、方法的懐疑、懐疑論的懐疑、判断中止などにおいて―世界から自己を引き離すことができるのは、人間存在が、本性上、自己自身からの離脱であることによってのみである。(中略)。
さらに、人間的意識のうちに、自己からの一種の脱出を見るのは、現代哲学の一つの方向である。ハイデッガー的な超越の意味は、かかるものである。》(『存在と無』第一部第一章X無の起源)
ハイデガーが超越というタームで「自己からの離脱」を意味していた、というのは皮肉な解釈で、実際はハイデガーが超越というとき、それは<世界>へ、本来的自己へ、と言うべきである。つまり、サルトルは何にも解っていなかった。
解らないままに自分の本の中でハイデガーの名を使っていたことが分かる。そうして自己の哲学を編み出した。
A:何にも(笑)?
B:正確には核心的な部分では、と言うべきかもしれない。人間は絶えざる無化である、というのがサルトルにはあるけど、そこで絶えざる無化によって何処へ究極向かうのか、というのがハイデガーの問題意識で、それが被投的企投という独特な用語にも出ている。
そこでフランス現代思想の特徴が出てくるんだけど、ハイデガー存在論における本来性、というのが完全否定されている。『存在と時間』の読み方にしてもその傾向は、出ており、『存在と時間』における実存的部分はなしで済まそうとされている。
しかし、実存的部分というのがハイデガー存在論の中で無視してよい部分か、というのは違うと思う。『存在と時間』の孕む問題意識として、個体にとっての過去、個体の歴史にたいする真正な捉え方を構築したい、というのがモチーフとして強かった、
そのことは昨年訳された『カッセル講演』の中でも強烈に伝わってくる。何故あの講演、『存在と時間』執筆途上の講演の中ディルタイの再評価に比重が大きく掛けられる必要があったか、そこからハイデガーは生を真正に捉える哲学の構築を示唆し、
しかもその問題から存在の問いへと繋げゆくわけだが、『存在と時間』のモチーフについて平明に物語っている。
A:個体の、一人の生の捉え方…
B:そう。そこに問題意識があり、形而上学の批判とかもその面から読まなければ解らないよ。デリダは『哲学の余白(上)』でしつこくハイデガーに絡んでいるが、あの読み方もハイデガーにおける基礎存在論の意義については何にも解っていない、もしくは解る気もない、
ことが伺われる。デリダが批判する《存在と存在者の差異》や《本来性と非本来性》という問題意識、これも先に挙げた《生を歴史的に見るとはどういうことを意味しているか、そこから何が言えるのか》という設定と繋げることで初めて浮上する問題であり、
デリダのように、全ては形而上学、またはプラトン主義であって、そうでないのは差延だけである(と辛うじて言えるのみ)、という読み方は、読み損ないだとしか言えないだろう。無論、そうやってデリダが面白い本を書くこと自体を否定するわけではないが、
あれは不毛な試みだと俺は捉えるけどね。
91 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 21:47:10 0
全然違う。
柄谷が影響されたフランス現代思想とは(ポスト)構造主義。
構造主義はまず持って現象学に(影響されながらも)対立している。フッサール−
ハイデガー−サルトル。構造主義はサルトル批判として現れた面がある。
この対立は簡単にいうと、フロイト(精神分析)/フッサール(現象学(心理学))の対
立で考えないといけない。現象学は意識として世界(空間、時間)は連続している。
だからハイデガーは存在という起源を問う。
しかしフロイトの特長は非連続性。意識と無意識の断絶。現象学的には疑えない現
前性には、断絶を経て、無意識からきている。これがデリダの過去である痕跡(エク
リチュール)。現前性の差異の戯れからたどる同一性。しかしこの痕跡=同一性は
存在としてあるのではなく、あるように見えるものでしかない。なぜなら意識と無意
識は断絶しているから。そしてこの痕跡を根源的他者性とよぶ。自分の中にありな
がら、決して自分でたどれない断続した他なるもの。
柄谷の「売るー買う」の非対称性、「「飛躍」とはまさにこのフロイト的な断絶を意味し
ている。柄谷のいう他者はデリダの他者性に近接している。
B:91君がまだ何か書いているみたいだが、ちょいと飛び越えさせてもらって、せっかくフランス現代思想の話題を出してくれたことだし、それとハイデガーとの関係についてもうちょい喋ってみよう。『カッセル講演』を読む限り、ハイデガーの思索的モチーフには
何ら難解なものはないと解る。あの『存在と時間』でさえ、『カッセル講演』での問題意識を念頭において読むならば、平明な本だとなるにちがいない。そのモチーフというのは、個体の、一人の生を捉える方向、その模索が存在の問いと結び付けられ、
哲学の隘路を切り開き、新たな知の段階を切り開くのでは?という点にあった。形而上学批判や近代哲学批判は全てその文脈で捉えられねばならない。デリダは《ハイデガーの形而上学批判もまた形而上学である。》式の批判をする。また、《形而上学は痕跡の痕跡である。》
とする。いずれも思考を弄ることそれ自体が目的と言ってもよい作業から出てくる話に他ならない。デリダによれば、その「批判」のむかうべきは《あらゆる目的論、神学、弁証法、存在論を乱調させることにある。》そこにハイデガーが困難な道筋で辿ろうとしていた、
人間へのリアルな問い―歴史性を有の問いの根本的地平として捉えること―は雲散霧消せざるを得ない。デリダの功罪はそこに浮上する。しかし、このようなデリダの思考が日本では多大な影響力をもったらしい。信じられない話だが。
俺はデリダのような思考に付き合ってゆくほど暇人でもなければ呑気な研究者でもない。
蓮実重彦は、かつて、柄谷との対談で、デリダに触れて、あのような思考が陥る隘路について、やんわり批判していたことがある。蓮実はさすがにデリダにいたずらに追随するほどのお人好しではなかった。
>俺はデリダのような思考に付き合ってゆくほど暇人でもなければ呑気な研究者でもない。
携帯でシコシコシコシコ脳内「議論」を大量に書き込むほど暇人でもなければいったい何なの?
自己愛の強いお前に念の為に言っておくが「研究者」には間違っても思われないから安心した方がいい。
94 :
考える名無しさん:2008/02/13(水) 23:25:42 0
>俺はデリダのような思考に付き合ってゆくほど暇人でもなければ呑気な研究者でもない。
全然違う。
それは勝手だけど、ここは曲がりなりにも柄谷スレなわけで、
柄谷からデリダをとって何が残るかって話だな。
続きは、ハイデガースレでどうぞ。
本当にお漏らし厨なスレ主だな
96 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 05:58:59 0
砂韻国庫須磨奈良コッサーラ長老がいるようだなw
>>91 A:て辺りで対論を再開してみるか。
B:いいね。91君がざっと見取り図を出してくれたのでこれを叩き台にしてみよう。この見取り図はよく出来ているが、異和感が若干だがある。まず、《現象学にとって世界は連続していると考える。だからハイデガーは存在という起源を考える。》
《対してフロイトの場合、意識と無意識は断絶している。無意識は他性であり、絶対的他性である。デリダの痕跡はそのような絶対的他性である。》という辺り。
俺が見た限り、ハイデガーは<存在者と存在の差異>て概念に、91君のいう断絶を考えている。その断絶は、<存在の覆蔵性と非覆蔵性の連関>という概念にも籠められている。加えて言えば、存在を歴史的‐生起として考えるという点で、デリダのような、
否定性の隘路に填まることを免れており、無意識の具体的分析への通路も確保されている。また、柄谷が『探究U』で単独性や固有名や可能世界の議論で掠めた領野を、歴史という視点を繰り込むことで、或いは、存在の有限性という概念を繰り込むことで、
遥かにリアルな論点と為し得ている。デリダにしても、柄谷にしても、《記述を不可能にする》という点に拘るため、また、存在を無限定な概念にしたいがために歴史や生起という面に目を向けないため、却って個体の生のリアリティーから後退してしまう結果を生む。
また、抽象から具体性への通路も作れない。柄谷の『探究』について言えば、91で挙げてある通り、タームは実存的だが内実はポスト構造主義的で、その特徴をやはり引き継いでいる。あそこで論じられる諸概念が狙うのは、歴史の消去、存在の無限、偶然性であり、
デリダと違う意味での隘路を表している。
A:つまり、91君と反対に、デリダや柄谷よりもハイデガーの方が、より本質的にフロイトの方法を繰り込んでいる、と言いたいわけだ。
B:その通りで、フロイトの仕事と通路づけられ、存在の神秘化を免れているのはハイデガーの方だ、と言っているんだよ。ただ尤も、ハイデガー自身はフロイトの仕事は客観的にすぎてそこが不満だったようだが。
ただ、ハイデガーの存在論の構造を考えると、通路は明確であると言わざるをえない。
全然違う。
無意識の具体的分析、遥かにリアルな論点、個体の生のリアリティー
デリダはまさにこのような明証性を形而上学として、懐疑し、脱構築し、
他者性を取り出した。
繰り返しになるから、あとはデリダの入門書を読んでもらうしかない。
がんばれ。
99 :
中上:2008/02/15(金) 10:16:35 0
きれいなまんまやね
100 :
中上:2008/02/15(金) 10:23:00 0
枯木灘!枯木灘!枯木灘!枯木灘!
>>97 >人間へのリアルな問い
>個体の生のリアリティー
ハイデガーやデリダは、こんなことを呑気に言えるレベルでは思考していない。
こんな連中にはショーペンハウアーかヤスパースあたりがお似合いだろう。
>>101 97
> >人間へのリアルな問い>個体の生のリアリティー
>ハイデガーやデリダは、こんなことを呑気に言えるレベルでは思考していない。こんな連中にはショーペンハウアーかヤスパースあたりがお似合いだろう。
A:批判が来ているので答えた方がよくはないか?この101の書いている疑問というのは一見全うにも思える。
つまり、ハイデガーの問いというのは有をめぐる問いだろう、「生のリアリティー」ないし「実存」といったような、ありきたりなものではなかろう、という。
これは正しい反論ではないか、とも思えるわけだが?
B:まず、ハイデガーの方法というのを改めて辿ってみよう。『カッセル講演』にも明らかなように、ハイデガーは、有をめぐる問いを追究する下準備として、個体の生を問題にする。
そこから現象学の格率であった<事象そのものへ>に則り、己の探究の方法を立てる。
個体の生を意識としてのみならず、<生起>として、<歴史>として、考えてゆく、しかも絶えず内側からの世界形成として捉える。
<世界内存在>というタームはそのようにして出てくる。加えて<存在了解>、<先‐解釈>、<先‐像>、<時熟>、<慮り>といった諸々の用語も出てくる。
これらは個体の生について、絶えず事実性から、しかも内側からの歴史的生起、という概念を手放すことなく捉えようとすることで考えられている。
これらは個体生をリアルに捉えようとする試みであり、しかも同時に、その追究が、有る>をめぐる問いに繋がってゆく構造を備えている。むしろ、個体生をめぐる思考は、<有る>をめぐる問いを絶えず孕む。
<有る>とは何か?という問いと、個体生の謎めいた領域とは、平行して考えられている。ハイデガーが『有と時』で、実存的事象の事実性をどう解釈してゆくか、という問題から始めたことは、有の問いと無関係ではなく、
やはり熟考された末の方法だった。むしろ、現有の構造的分析を外すことは、有の問いとして、不十分になると考えていたのではないか。
A:つまり、そこがその後の、フランス現代思想とも違ってくる…
B:勿論その通りで、分子レベルの生成変化、記述不可能性、有の無限、偶然性、などで全体的哲学を乱調させる、という狙いをもつ一連の思考系とは一線を画する。
A:補足させてもらえば、例えばレヴィナスは『全体性と無限』の中で、ハイデガー思想について、<他者への倫理の欠如>を挙げて断罪しようとする。しかし、ハイデガーにとって、倫理はまず自己へ向けられ、自己を審問するものではないだろうか。
B:そう。そこで倫理が生じ、というのも、有は無限ではなく、世界は先に予め、先‐像によって解釈されている。何が自己にとって本質的であり、またそうでないか、は絶えず予め選別される。有は苛酷なほどに、有限である。事実性に根ざす限り、そうなるのは当然な話だ。
また、人間の中の謎めいた部分もその辺りに起因してゆく。一人の人間が円環から脱することの困難もそこに浮き出てくる。それはダサい不自由なものだよ。
A:軽やかではない、また、融通もきかない、明晰ではない(笑)…
B:生身の人間が見える。レヴィナスはひたすらにハイデガー思想について断罪しようとする。ただその手付きというのが、小林秀雄風に言えば、知的な<意匠>のように見える。レヴィナスはユダヤ人として迫害された、
その記憶が元ナチであったハイデガー否定に傾くのは分かるんだけど、それが柄谷における無限志向と同様に、リアルさを超脱した話に見える。
A:レヴィナスの名前を出したついでにレヴィナスによるハイデガー批判の検討もやっておきたいんだけどね。
B:レヴィナスによるハイデガー批判は徹底的であり、仮借なさで通っている。それをこの際検討してみようということか。
A:そう。我々がやらなきゃ誰がやる(笑)テキストはレヴィナスの大著『全体性と無限』邦訳(国文社版)50-55頁にかけて。
まず目につくセンテンスとして次の文章を挙げてみる。
《ハイデガー存在論の優位性を基礎づけている言葉、すなわち「存在者を認識するためには、存在者の存在を了解していなければならない」は自明の理ではない。存在者に対する存在の優越を肯定すること自体、哲学の本質についてある選択をすることである。
つまり、それは一個の存在者である誰かとの関係(倫理的関係)を存在者の存在との関係(知の関係)に従属させることどあり、存在者のこの存在が、非人称的存在として、存在者の把持、支配を許すのである。》
まずレヴィナスは<存在了解>について、「存在者に対する存在の優越」と言い換えているが、大きな間違いであり、<存在了解>をこのように言い換えるならば、「存在者に対する存在の“先行”」と言い換えるべきで、そうしてこれは「選択」ではなく、
生の事実性だと言うべきである。つまり、肯定や否定の対象でさえない。また、レヴィナスはここで「倫理的関係(誰かとの関係)」と「知の関係(存在者と存在の関係)」とを対照させているが、<存在了解>は「知の関係」でもない。事実的な構造である。
また、こうも書いている。
《存在との関係は、存在論として機能する限りにおいて、存在者の中立化を通じて存在者を了解し把持することをその本義としている。それゆえ、存在とのこの関係は他なるものとしての他なるものとの関係ではなく、<同>に<他>を還元することなのだ。》
《他なるものに抗して自分を維持し、自我の自足性を確たるものたらしめること、これが自由の定義である。》
まず、レヴィナスにおいては<存在>と<自我>が同一化され、つまり<同一性>とされ、この<自我>が<他者>を<同>の支配によって回収される、とされている。これに対して言わなければならない。
A:<私>は<存在>にたいして<自在>ではなく、<自由>でもない。また、<私>という<場>においては、<存在>は<脅威>でもある。つまり、そこに既に<他者性>が萌す。
つまり、レヴィナスが断罪する自我による<他者>の包摂、というのは、〈主観‐客観的対象〉という形式による圧政であり、そのような形式に先行する有の領域を名指すことに失敗している。
つまり、レヴィナスが断罪するのは、ハイデガーが批判する<集め立てGe-stel>による全体性であり、<同>である。何故なら、<私>においては、<存在>との<同>は既にない。
<存在了解>の先行による<有るもの>との遭遇は、確かに<同>を形成するが、それがレヴィナスが言うように<有るもの>を搾取し、<国家>へ回収する、ということにはならない。何故なら、<存在>は法的な権利や義務や責任の主体たりえない。
また、<集め立て>の主体たりえない。単に、<存在>は自らに近いもの、遠いものを識別するだけである。つまり、<世界形成>するだけである。
レヴィナスによるハイデガー理解の問題を繰り返すと、ハイデガー有論においては主体の<構造的‐同>は予め放棄されており成り立たない。そこにフロイトとの近接性もまたあるのである。
また、柄谷のように、《ハイデガーにとって存在とは共同存在であり、ゲルマン民族である。》と明言することに潜む虚偽、現有と民族を連結することの虚偽の根拠もまたある。
ヨ・シ・モ・ト(笑)
107 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 22:23:56 O
A・ロブグリエ氏死去 ヌーボー・ロマンの旗手
【パリ18日共同】
ヌーボー・ロマン(新しい小説)の代表的作家としてフランス文学史に一時代を築いた
アラン・ロブグリエ氏が18日、フランス西部カンの病院で死去した。85歳。
直接の死因は不明だが、心臓疾患で入院していた。地元メディアが伝えた。
1950年代以降のフランスで、物語形式の伝統的な小説を否定し、
革新的な表現を探求したヌーボー・ロマンの旗手。
登場人物の心理分析を排除し、視覚描写を徹底する前衛的作風には難解なイメージもつきまとった。
22年、フランス西部ブレスト生まれ。国立農業学校を卒業。
農業技師としてモロッコやカリブ海のフランス海外県マルティニクなどで勤務。
50年代から本格的な著作活動に入り「消しゴム」「覗くひと」「嫉妬」などの作品を発表して頭角を現した。
他の代表作に「迷路のなかで」「ニューヨーク革命計画」など。
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2008021901000165.html
A:柄谷の悪口ばかり言うのも何だから良い事も言っておきたい。『国文学臨時増刊 柄谷行人』で柄谷は関井光男と対談している。そこで柄谷は天皇の戦争責任について、示唆している。戦後の日本人の無責任さの根源は天皇における戦争責任の回避に始まるのではないか、
というのが柄谷の主張なわけだ。天皇の擁護というのは政治家たちが日本の戦争責任をうやむやにするときの動機の支柱としてあり、これを敗戦時にうやむやにしたことが、いわゆる指導者の責任というものをうやむやにする日本人の体質を決定づけたのではないか。
B:その話は確かに面白いね。天皇の戦争責任の取り方を改めて問題にする、というのは。
A:柄谷はそこで、アジアという他者の不在が日本人全体に蔓延している事実をあげ、政治家を始めとする、かつての戦争をめぐる鈍感な発言に苦言を呈している。ただ、天皇の戦争責任のうやむや化については、占領軍の政策によって、つまり天皇制が問題だということを
知っていながら占領政策の円滑化のために天皇制を使おうとした、占領軍のやり方にも原因を指摘しているけどね。
B:あの対談では関井が柄谷の批評を称して《危機的なまでに根拠を問いかける》という至言も出している。その関井の言い方は分かるし、柄谷の批評の存在感について言い当ててもいるだろう。ただ、このスレッドでも既出だが、彼の批評が成立している文脈というのが、
ハイデガーからの意図的な切断を基底にしているため、歴史概念、時間概念にたいする考察が欠けている。柄谷の個体論といえば固有名とか単独性についての議論がすぐに浮かんでくるが、あの手の議論の特徴である、脱構築的であることを倫理的と見なす考察の、
あの晦渋さ、というのは我々のように、ハイデガーへのアレルギーのない人間からすると、ひどく滑稽なものにしか見えないんだな。特殊性‐一般性、単独性‐普遍性という、柄谷の力説も、個体における世界を歴史的‐生起として捉える方法からすると、
煩瑣な議論にしか見えない。柄谷の議論はそこでは止揚されていると思われる。
自分の思い付きに「その話は確かに面白いね。」とか相槌を打ったりするのって面白いの?
傍目から見ると面白いがなw
111 :
考える名無しさん:2008/02/25(月) 17:46:07 0
>>101 >
>>97 > >人間へのリアルな問い、個体の生のリアリティー―ハイデガーやデリダは、こんなことを呑気に言えるレベルでは思考していない。こんな連中にはショーペンハウアーかヤスパースあたりがお似合いだろう。
A:思うに、柄谷もまた、いわゆる“生のリアリティー”にたいする考察を、絶えずではないにしろ、続けてきたとも言えるのではないかなぁ。例えば初期の漱石論『意識と自然』で引用された、稀少性の呪われたような呪縛、というのはリアルそのものだ。
柄谷が凄いとすればあの辺のリアリティーと言うべきではなかろうかね。
B:ただ、あの辺の考察というのは、柄谷を下らない修辞家にもしたかもしれない。考察が下らないのではなく、《一つの場所を二人の人間が占めることはない》とか《厚顔無恥な人間ほど強い》とかのあそこでの引用は、強い真理性によって柄谷に妙な影響力をもたらした
ようにも見えるんだ。倫理を云々している割りには倫理的に見えない柄谷における倫理の欠如は、あーいった漱石の毒が回ったせいじゃあるまいか(笑)まあ、元々が厚顔無恥な権力指向だからと言えば元も子もないが(笑)
A:漱石本人はといえば、あのような自然の呪縛に対して、にも拘らずそれに同化も出来ずに引き裂かれてゆく人間を描く。柄谷もまた、『意識と自然』を読む限り、漱石の引き裂かれ方を熟知している。あそこであのような分裂を取り上げた、
《意識の自然にたいする遅れ》を描く柄谷が、だんだん時代がたつにつれ、厚顔無恥になってゆく、というのが謎といえば謎なんだな。ろくに言説を検討もせずにレッテルを貼るようになる。あーなると末期的なんだよな。
B:ただ、出版業界人からすると、“ろくに検討もせずにレッテルを貼る”柄谷みたいな人間がいたおかげで、つまり平坦化した論壇を掻き回してくれたおかげで盛り上がり、良かったのかもしれないぜ(笑)出版業界における「柄谷効果」って俺は呼んでるけどね。
A:また悪口がひどくなってきたな(笑)ところで101レスが挙げているヤスパースの『世界観の心理学』て本があるけど、ハイデガーはこの本のかなり長い書評を書いてヤスパースに献上しているね。
B:全集9『道標』に収録された書評だね。ヤスパースの方法にたいする詳細な批判を加えている。二人の方法がいかに違っていたかの証明だよ。
113 :
考える名無しさん:2008/02/26(火) 16:17:39 0
____)__
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/ _  ̄ _ ヽ
/イィィ,,.,.,.,.,.,  ̄ ̄ !
f/ノノノノノノノ ヘ.__ j jノ__ノ
|/////// _ (__ ゚_>` __( ゚_イ
.!|.|i/_^ヽ|_'___r⌒ y' ヽ^)|
!|| fニ> :::::: `ー'゙ (_`___)ノ
ヽ.ニ` : /_ノ/川! /
__ノ 、 / ヾ---'´ ノ
__ノ \l ` ____,/
\ ノ リ.|`ー--
\ .//
ピ=カァ[Pi Kar]
(1979〜 日本)
114 :
考える名無しさん:2008/02/26(火) 16:45:11 0
B:ハイデガーのニーチェ論といえば、戦後に発表された二巻の『ニーチェ』が思い出されるが、ハイデガーがこの本で着目するニーチェの根本思想というのが、よく知られるように、<力への意志>である。ハイデガーはニーチェにおけるこの思想を、
西欧形而上学の完成として捉えている。ニーチェ自身は克服したと思い込んでいるが、にも拘らず、それはハイデガーからすると、紛れもない完成である…。
A:ニーチェが陥った隘路だと言うべき結末だね。つまり、ニーチェは有の忘却を完成した。
B:そう、多分このようなニーチェ論を描くことで、ハイデガーの中には、自身のナチ体験を根本的に総括しなければならない、すなわち、ナチ体験というのが不可避でありながら、どこか間違っていた、それを考えないわけにはゆかなかった。
ニーチェを叩き台に措定することで、それがやれると思ったんじゃないか、というのが俺の見方なわけなんだけどね。
この長大なニーチェ論を書きながら、一方でハイデガーは後に『哲学への寄与』と名付けられるノートも書き続けている。こちらでは現有にたいして、より有の見守りという役割の担い手として、描かれる。つまり、主体性の解体が徹底される。
二つは、双子のようなものだとも考えられる。
A:それと柄谷とどう関係するのか?
B:不思議なことに、西欧形而上学の解体が主眼だったはずの現代思想、それに同化はせずとも横目で睨んでいたはずの1970代以降の日本人批評家、その代表選手であるはずの柄谷が、<力への意志>という思想の担い手に成り果ててはいないか、
つまり、西欧形而上学の延命に寄与する「代表選手」に。
A:柄谷の思考に有の忘却の萌しはあるにはあったよね。個体は柄谷にとって、「他ではあらざる此れ」としか言い様はない存在である。また、そこには必然性より偶然性の方がより重きをおかれている。また、個体は初めから、歴史性を剥奪されており、何者なのか、
不可知なものとされている。
B:そう、しかも、明晰性への欲求だけは捨てがたく持ち続ける。自己性への洞察は廃棄されたまま、知の覇権への欲求はまた捨てがたくある。<力への意志>に取憑かれるべくして取憑かれたと言えるのではないか。
A:確かにニーチェの影というのは柄谷のみならず、浅田や蓮実といった面々に共通する。ニーチェを読んだことのもたらしたもの、だよ。
<凡庸な者>と<稀有なる者>の対照、<道徳によって生き長らえる者=弱者>と<あらゆる善悪の審判を超克する者=強者>の対照、
<弱者は滅びるべきであり、強者はそれを促進するべきである>とする思想、そうして<新たなる価値定立=力への意志>…。
B:そうなんで、まだ挙げるとすると、真(性)や様々な形而上学的価値への遠近法的洞察というのがある。ニーチェにとって、<すべての真(性)とは、遠近法的仮象であり、生の高揚の方法である。>つまり、真(性)は、遠近法的仮象である。
ただ、<力への意志>のみが生にとって、本質的なものであり普遍的である…。こうみてくると、浅田や柄谷の中の選民意識の根本が見えてくる。
A:そう。ニーチェを読むと、連中の意識の根本にある思想が見えてくるところはある。ニーチェの毒が骨の髄まで染み込んだ人間だと言えるかもしれない。ニーチェは連中の意識してきた1960年代以降の現代思想でも大きな影響力を持ち続けている。
ただ、問題はそのようなニーチェの影響力を鵜呑みにするところがまたお人好しというか(笑)
B:もう一つ挙げれば、ニーチェの遠近法的仮象という概念は凄いが、しかし、それは全ての真(性)は誤謬、というニーチェにおける有の理解と強固に結び付いている。そこから個体へのリアルな眼差しへは到らない。それがないということは
有の理解としての停滞を意味している。そうして、柄谷たちはそのようなニーチェ式の有の企投をまるごと承認する。だから柄谷たちの有の理解、真(性)の企投はニーチェの停滞と同次元に止まる。ニーチェは確かに本質的に考えようとしてきた。
が、そこには限界もまたある。柄谷たちのように全てを鵜呑みにしてはならない。現代思想におけるニーチェ評価など一切関係ない。
「確かに」「そうなんで」「そう」と何の葛藤も無いモノローグを積み重ねることこそが吉本式弁証法なんだね。
B:ちょっと柄谷達について、擁護もしなきゃならんのではないかな。
A:擁護?というと…。
B:つまり、ニーチェに毒された、という点について、いたずらに“お人好し”という見方だけで決めるのは事態の本質を見損なうのではないか、という事なんだ。というのも、ニーチェの思索というのは、西欧形而上学が行き着いた終着点であり、終わりであり、完成である
というのがハイデガーの指摘としてあった。つまり、何故ニーチェなのか、何故ニーチェに注意する必要があるのか、それは決して、その目新しさでもなければ新奇さでもなければ、毒々しさでもなければ…。
A:なるほどね。つまり、西欧形而上学の歴史におけるニーチェの思想の意味を正確に見取る必要がある…。
B:そう。そこに孕まれている必然について、見落としてしまってはいけない。何故ニーチェのような思想が現れたのか。そこには避けられぬ必然があったのではないか。そこでニーチェに射すくめられ、魅惑される、現代人の精神の行程もまた現れるはずではないか
ということ。
A:つまり、柄谷、浅田などに典型的な、ある種の知識人の姿が…、そこで浮かび上がるだろうという事。ニーチェの思索した事柄が根底的であるだけ、その分、時代と格闘する者らを捉え、浸透する度合いも深くなる。
ニーチェに感染する人間は、彼らもまた近代・現代について、思索をする人間であり、そこでニーチェの思索に時代の閉塞を破るヒントを見出だすこともあり得る。そこでニーチェの孕む諸特徴を継承する、という事態も起こり得る、という事か。
B:ニーチェは言う。《何事につけ、肝要なのは、権力問題である。それが自然性の証である。》《「群衆の犠牲による精選の可能性」は、全ての生長の条件である。》ニーチェは自然性ということを重要視している。しかし、この自然性は、公正を排した
(何故なら、公正などは生の衰弱が考えることだから)無際限な所有の欲求へ軌道づけられている。このようなニーチェにとっての諸概念は、<生‐善悪>という排中律のなかで決定的な力をもつ。そうして、ニーチェの信奉者へ、この諸概念は浸透しないではおらない。
B:ニーチェの認識上の癖がある。ニーチェは言う。《生には、権力の度合い以外には、価値をもつものは何もない―まさに、生自身が権力への意志であるとするなら。》《あの道徳への意志すらこの「権力への意志」の仮装にすぎず、あの(支配者への)憎悪や軽蔑も
またやはり一つの権力意志であることが明らかとなるなら、(支配の衝動への憎悪や軽蔑が崩壊してしまう事態は)起こり得ることである。》
このように、ニーチェは被圧迫者の抱く圧迫者への憎悪や軽蔑、公正さへの希求など、それさえ被圧迫者の中の権力意志であると見なす。また、生の関係について、全ては権力関係である、と見なすこと、生の本質は力であると見なすことは、
「自然性」の進歩だとしている。
そこでは力への信仰か、さもなくば力への不信仰すなわち力の衰弱か(例えば善悪の希求)、という二者択一が突き詰められてゆく。
ニーチェはキリスト教精神にたいして、或いはその代理としての哲学にたいしてそのようなアンチテーゼを立てた。それまで不吉、不快として蔑まれてきた力にたいして、生の根本だとみなした。すなわち価値を転倒させた。
そこにはニーチェ自身が透徹した目で眺めた西欧の歴史がある。
その真偽はひとまず別にすると、ニーチェの認識には一定の史観がみられると言っていい。
A:ただ、それだけだと実も蓋もない、て感じも受けるね。全ては「権力意志」である、となると。面白いことは面白いんだけどね。
B:実も蓋もないし、全ては覇権を狙う党派である、となり、権威や力の関係である、となる。どっちが権威があるか、とかね。
A:その、力関係への還元、てところが柄谷や浅田にも受け継がれてるんじゃないかね。覇権、ということを彼らはひどく気にするだろう。典型的な例で、「小林秀雄の批評の支配」「吉本隆明的の支配」とかね。あの見方にはどうも異和感があったんだけど、
他に検討することあるんじゃねえの?とね。
B:力関係に全て還元する、というのは「権力意志」を普遍的に据える見方から出てくる必然かもしれない。ただ、そのような見方というのは別に柄谷達の専売特許ではない。我々現代人の根本感性でもある。
B:ニーチェの唱える、生の根本は権力意志である、とするような有の企投というのは、価値の転倒によって自然性への転倒を果たし、それによって彼岸への媒介を担うと自称していた教会を此岸へ引きずり降ろした。全ては権力意志である、とすることで、
自然性への目を開かせた。真の価値はそこにこそある、と。だけども、そこで<力関係><量の比較としての力>に着目したことが、、有の理解としては失敗しているとハイデガーは見たのではないか。有るものへの操作可能性、用在化、という方向へそれは開かれる。
それは近代の諸概念を意味している。ニーチェの思索はそこで隘路に迷い込む。また、真(性)より力の高揚が一義的であり、真(性)の考察は置いてゆかれる。「生の高揚」という概念にしても、専ら「力」と関わらせて論じられるわけで、キリスト教批判としては有効だが、
ただそこで生のリアリティーへは届かないままである。生を一義的に唱える割りにはニーチェは生を捉え損なっている。
A:そこがまたポストモダン現代思想との共通項ともなるね。
B:生について重要視する割りには生について疎い。《主体などというものはない》というテーゼをニーチェは繰り返し語る。また、《生起に原因はない》と。そのように信じたかった、というのは解るが、リアルではない。
そのリアルでない有の理解を(日本、西欧)現代思想は何かと引用し、継承する。
A:それを聴いてると『探究』の中の軽業的テーゼが思い出される。《今こうなのは他なる可能性があったにも拘らずこうなのだ》と柄谷は書いている。また、《「今こうである」の因果性は不可知である》。
B:ニーチェにおける生の因果性の否定は柄谷にまるごと受け継がれたと言える。「私」という存在は不可知である、というテーゼに二人とも拘る。
B:ニーチェの考える「物」はハイデガーと非常に近いところがある。どこが、といえば、「物」の存在はみる者の立ち位置からの遠近法による、という辺りに最も出てくる。
これはハイデガー存在論の入り口みたいなもので、テキストでいえば『権力への意志』556番。そこでニーチェはこう書いている。
《「これは何か?」とは、何か当のものとは別のものからみられた一つの意味定立である。「本質」、「本質性」は、何か遠近法的なものであり、(みる者の)多数性をすでに前提している。根底にあるのは「これは私にとっては何か?」
(私たちにとって、生あるものすべてのものにとって、など)である。》
A:それは見方としては酷似してるね。
B:ただ、その遠近法の指摘によって、ニーチェは《よって「物自体」などはない。》というというテーゼへ移行する。実は「遠近法の中心」という問いを立てることで、最初の問題は現有の孕む有の歴史性、という地点まで前進することができるはず。
いわゆる<世界><有限性><単独化>という地点まで。そこへ行かないことがすなわちニーチェのニーチェたる所以でもあるんだけどね。
A:ただ、ほとんど寸前まで来ている感があるね。
B:ニーチェにおいては《物自体はない。》とすることで、現有の歴史性という呪縛からは自由になれている。なぜその先まで行かないかもニーチェの思考の癖から推測出来る。ニーチェにおいては、認識における「原因」というのを「捏造」として退けている。
自身が遠近法を取り上げているにも拘らず。ニーチェは言う。
《視覚における遠近法の一種を視覚自身の原因として立てること、このことが、「主観」を、「自我」を捏造するさいの曲芸であった!》(『権力への意志』548番)
《私たちが「生起を理解する」とは、或ることが生起したということ、また、それが生起した仕方に対して責任を負うべき主体を、私たちが捏造したということであった。》(同551番)
A:その辺りの因果性へのアンチテーゼ、を聴いてると、ポストモダンへの橋渡しになりそうにも見えるけどね。ドゥルーズらのアンチ精神分析とかとも近接している。
B:そうね。《確定記述の束には還元されない単独性》という柄谷の理論とも繋がるんじゃないかね。
ABさん乙
いつも面白い
123 :
考える名無しさん:2008/03/02(日) 14:49:16 0
嘘ツケ。全部自作自演じゃねえか
こんな場所だれも読んでねえよw
>>123 それ3つとも証明できない
わめく理由を教えてくれ
125 :
考える名無しさん:2008/03/02(日) 15:03:04 0
この気味悪いスレ立てたキモイ厨の正体のほうに興味あるw
A:珍しく褒め言葉が来たところでまた先に進むとしよう。
ニーチェにおいては、認識における遠近法からその中心へは進まない、その遠近法の分析は却下されてしまう…。
B:ニーチェは生成における因果性分析を却下する。「捏造」として否定する。ただ、遠近法の多数性があることを指摘はしている。それでどこへ旋回するかといえば、「生起」である。ニーチェは言う。
《要約すれば、生起は、結果として引き起こされたものでもなければ、結果を引き起こすものでもない。原因は、結果を引き起こす能力ではあっても、生起に捏造し加えられたものである…
因果性による解釈は一つの迷妄である…》(『権力への意志』551番)
《生起を算定しうるのは、それが或る規則に従っているとか、ないし或る必然性に服しているとか、ないし或る因果の法則を私たちがあらゆる事物のうちへと投影するとかということのためではない―、それは「同一の場合」が回帰するからである。
(たまたま同じ場合が過去にもあったからである)》(同)
このように、生起の分析もまたやはり否定されてしまう。結果、様々な異なる遠近法が様々に生起する、という地点までニーチェは来る。
A:ハイデガーの場合、ニーチェにおける遠近法と生起とを媒介する概念として、<有の歴史性の呪縛>というのがあるね。さっき出てきた<世界‐有限性‐単独化>。で、つまり現有に縛られる。かつ縛られることで、己の本来性を己へ問いかける、ということが起こる。
B:ニーチェの場合、遠近法の中心の意味は禁欲的にズラされ、しかしながら遠近法それ自体は生の昂揚のために維持されなければならない。
《仮象の世界とは、言い換えれば、価値にしたがってながめられた或る世界のことである。価値にしたがって、すなわち、この場合には、或る特定種の動物の保存や権力上昇に関する有用性の観点にしたがって、秩序づけられ、選択された或る世界のことである。》
(『権力への意志』587番
仮象による世界の解釈の働き自身が、価値定立であり、しかも、それぞれの仮象はハイデガーのような存在への問いへまで辿ることなく併存し、関係し、闘争してゆく。つまり、価値定立を媒介にした権力の拡張、有るものへの支配が帰結されてゆく。
B:ニーチェを読んでいると、柄谷の本質が柄谷の本より明確に引き出されていると錯覚させるところがある。例えばニーチェはこう書いている。
《世界は無限に解釈可能である。あらゆる解釈が、生長の徴候であるか没落の徴候であるかなのである。
統一(一元論)は惰性の欲求であり、解釈の多数性こそ力の徴候である。世界の謎めいた性格を否認しようとしてはならない。》(『権力への意志』600番)
《和解の意欲と和平の心への反対。》(同601番)
《目的の秩序がすでに一つの幻想なのである。要するに、皮相的に粗雑に概括すればするほど、世界は、ますます価値ある、確定的な、美しい、有意義なものに見える。(中略)。「すべてのものは偽である!すべてのものは許されている!」
まなざしの或る程度の鈍さが、単純化への意志があってはじめて、美しいものが、「価値多いものが生ずる。これらがそれ自体で存在するとしても、私はその何であるかを知らない。」(同602番)》
A:まあ、確かに柄谷の支離滅裂な言動や軌道の根拠がどこにあるのか、伺われるといえば伺われるね。最初から個体の自我同一性や繋がりなどは無意義だ、衰弱だ、としているとすれば分かりやすい。しかもニーチェはその皮相さについて、「力の徴候」「衰弱の否定」
だとしている。「すべては解釈である」、「自体などはそれが何であるか私は知らない」となれば、力の更なる高揚のために、矛盾を孕む解釈を繰り返す、意志の奇怪さ、不可解さが浮かび上がってくる。
ただ、不思議なのが、ニーチェといえば、ドゥルーズなどが影響されたような、命題化を逃れてゆく生成の思想でもあったんではないか、という。それは「権力への意志」とかと相容れないだろう。その側面はどうなったのか。
B:ニーチェは<生成>の思想である。<生成>は命題化を逃れ、因果律をも逃れる。それはニーチェの根本思想である。それは間違いない。ただ、ハイデガーによれば、同時に<力への意志>・<認識する生>の思想でもあった。
<認識>は仮象を立て、真理と成し、この真理をもって生の高揚のための条件とする。そのようにして<認識する生>は更なる強度への意志となる。ニーチェにおいて、真理は仮象に過ぎない。それは生の強度のためにある。
B:続けよう。放縦や権力は人間における自然的なものとしてニーチェの中に自然的なものとして肯定されている。例えばニーチェは書いている。
《認識に対する私たちの態度はより自然的である。私たちは、精神の放縦をまったく無邪気にたのしみ、激越な坊主臭い手法を憎み、このうえなく禁止されたものを嬉々として楽しみ、認識の途上で退屈するなら、認識の興味をほとんどもたぬにちがいない。
道徳に対する私たちの態度はより自然的である。原理は笑うべきものとなった。誰一人としてイロニーなしではもはやおのれの「義務」について語ることを許されてはいない。しかし慈悲深い好意的な志操は尊ばれる
(―ひとは本能のうちに道徳をみとめ、その他のものを軽蔑する。そのほかいくつかの名誉にかかわる概念がある―)。
政治に対する私たちの態度はより自然的である。私たちは、権力の問題を、権力量対他の権力量の問題をみてとるからである。私たちは、おのれを貫徹する権力にもとづかない権利を信じない。すなわち、私たちはすべての権利を征服であると感取する。》
(『権力への意志』120番)
ここで面白いのはまずニーチェが「認識における放縦」を肯定し、「認識の途上で退屈するなら、認識になど興味はない」と語るところで、これまた実に柄谷的な感性というしかない。
A:「認識における退屈」への毛嫌いは柄谷の言説活動のポリシーでもあるからな。「正確な読解」よりも、不正確でも「退屈しない読解」を彼は重視する。「正確な読解」などは「坊主臭い」し「つまらない」という感性はある。
B:「道徳的律儀さ」は邪魔くさい。話が面白くならないし、刺激的でない。
A:「本能のうちに道徳を認め、その他のものを軽蔑する。」というのも当て嵌まるね。論争相手への嘘と本当をまぜこぜにした攻撃もそこから来る。
B:あと、政治というものを「権力(量)と権力(量)の闘争」ととるところも共通しているだろう。「支配と支配の闘争」といってもいい。物理的、現前的なんだな、発想がね。物理的な力への意志というか、支配への意志。
ただ、補足すると、こうみると俗物そのものみたいだけど、このような俗物性を、現実に我々がいまだ思想として克服できない、ということが重要で、それをハイデガーも暗に注意していたと思うんだけどね。
B:ニーチェは言う。
《すべての意味は権力への意志である(すべての関係的意味は権力の意志のうちへと解消されてしまう)。》(『権力への意志』590番)
ここで気になるのが《すべての関係的意味》と名付けられているところだ。柄谷が唱える《関係の非対称性》を司る根本力動のように見える。このセンテンスの前には、次のようにも書いている。
《意味は必然的にまさに関係的意味であり遠近法であるのではなかろうか?》(同590番)
これと次のセンテンスを繋げてみよう。
《世界は無限に解釈可能である。あらゆる解釈が、生長の徴候であるか没落の徴候であるかなのである。》《解釈の多数性こそ力の徴候である。》(同600番)
A:そう繋げてみると、《関係の非対称性》という概念自体、<権力への意志>がもたらす、と読めるね。
B:『権力への意志』616番はこう書いている。
《これまでの解釈は、生のうちで、言い換えれば、権力への、権力の生長への意志のうちで、私たちの自己保存を可能ならしめる遠近法的評価であるということ》
あらゆる解釈とは力の拡大のための遠近法的評価であるということ、というのはニーチェにおいては徹底的に主張されている。ただ、《新しい遠近法を開き新しい地平を信ずる》ことが奨励されてもいるけどね。
重要なのは客観的認識などではなく、むしろそれは生の衰弱であり、大切なのは力への意志から生起する評価なのだ、<私から見られた世界>だということ。
A:ただ、この辺りのニーチェは<力への意志>という側面を除けばハイデガーとも重なるようにも見えるんだけどね。世界内存在という概念といい。
B:そこがいわゆる超越論的地平としての《時》の介在、ということで、ニーチェとは決定的に違ってくる。ニーチェはそのような《深み》を忌避する。また、超越論的地平は柄谷も取り入れているが、柄谷もニーチェとは違うが、超越論的地平に《深み》を持たせることを
忌避する。よってそれは《時》ではなく、《システム間の「差異」》(『トランスクリティーク』初版140頁)になる。
B:君の言うように、ニーチェとハイデガーを敢えて結び付けるとすれば、ニーチェの<遠近法><価値評価の定立>がハイデガーにおける<存在了解>になるんじゃないかな。
しかし、ハイデガーにおける<存在了解>の<存在>はニーチェにおいては徹底的に、今風に言えば脱構築されている。そこでドゥルーズやデリダなどの「ニーチェ」が現れる、と。また、ドゥルーズやデリダによるハイデガー批判もまたそこに現れる、と。
A:ニーチェの言う<遠近法>ていうのがイマイチよく解らないんだけどね。遠近法、て普通は絵画や写真の技法で言われるでしょ。つまり、<私>を中心にして広がる風景、とか、遠近感覚を基にして表された作品。
ニーチェが言う、<価値評価の定立>、てことが<遠近法的仮象>というのが何なのか。
B:まあニーチェ自身の説明を読んで考えよう。
《すべての価値評価にあって問題なのは特定の遠近法であるということの洞察。すなわちそれは(その目標は)、(特定の)個人、集団、種族、国家、教会、信仰、文化の保存である。》
(『権力への意志』259番)
《そして結局は彼ら(物理学者)は彼らの構成した世界のうちで或るものを略してしまったが、そのことに彼らは気付いていない。すなわち、その或るものとは、まさにあの必然的な遠近法主義であり、このもののおかげであらゆる力の中心が
―これは人間のみのことではない―おのれ自身から残余の世界を構成する、言い換えれば、おのれの力で測定し、感触し、形態化するのである…彼ら(物理学者)は、遠近法を定立するこの力を「真の存在」のうちへ加算することを忘れてきた、
―専門用語で言うなら、この力が主観であることに他ならない。》(同636番)
《無機物の世界においても、力のアトムが考慮のうちに容れるのはおのれの近隣にあるものだけである。遠くに離れている諸力は互いに協定しあっている。ここに、遠近法的観点の核心と、なぜ生物は徹底的に「利己主義的」であるかの理由が潜んでいる。》(同637番)
つまり、ニーチェの<遠近法>とは<遠いか近いかの選別><己の保存のための価値評価><私による世界の形態化>である、と言っていい。
すぐ解るように、これは<現有による有の理解>と接近してみえる。ハイデガーがニーチェから影響を受けながら、切断を決定ずけるために対決したのはだからだと思う。
A:で、その切断とは?
B:ニーチェによる生の理解は、つまり<力への意志>は有るもの性の理解の究極である、ということだと思う。それは生のリアルな姿を捉えているかにも見えるが、そうではない。有るもの性の理解の完成に留まる、てところで自分の思索との差異を決定している。
>>131 >B:すぐ解るように、これ(ニーチェにおける遠近法)は現有による有の理解と接近してみえる。ハイデガーがニーチェから影響を受けながら、切断を決定ずけるために対決したのはだからだと思う。
> A:で、その切断とは?
> B:ニーチェによる生の理解は、つまり力への意志は有るもの性の理解の究極である、ということだと思う。それは生のリアルな姿を捉えているかにも見えるが、そうではない。有るもの性の理解の完成に留まる、てところで自分の思索との差異を決定している。
A:ちょっと口を挿ませてもらうけどさ。君は“力への意志は有るもの性の理解の究極”と言うんだけど、ちょっとそれは違うんじゃないかね。ずっと君の読解を聴いていると、力への意志はどうみても、それによって有るものが開ける、暴露される場だと読めるよ。
つまり、ハイデガーでいえば、有に該当する場だと思う。つまりそれによって、すなわち力への意志によって、有るものは有る。そう考えるのが順当だろう。多分君はニーチェ=柄谷のラインとハイデガーをそうやって接近させることを避けたいんだろうけど。
B:そうか。そう考えればいいのか…。有るものが、その意味が、開示される場がニーチェにおける力への意志…そうか。そう考えた方が解りいいな。それがニーチェにおける超越論的地平だとね。
A:そうだよ。そう考えた方が両者の関係が浮かび上がってくるだろう。つまり、ニーチェにおける現象学が思考にもあるわけで、それを外さない方がより的確だよ。
B:そうなるね。解りました(笑)
A:そこまで来てから両者の差異を検討するべきだ。ニーチェとハイデガーを区別するならそこからだ。俺から言わせてもらうと、ニーチェの力への意志には絶えざる力の高揚、超克、というのはあっても、ハイデガーの言うような、何が本来性なのか、という問いはない。
ハイデガーの言う時間性や歴史性というのがニーチェにおける価値評価の定立、その基体としての力への意志と違うのはそこじゃないか。ハイデガーからみれば、ニーチェにおける人間はそこで人間中心主義に絡めとられてゆく。世界の支配へと駆り立てられてゆく、
その歴運から逃れられない存在になる。
B:ただ、ニーチェが人間中心主義に陥っていた、という今の指摘には問題がある。力への意志はニーチェにとっては生の条件ではあるが、同時にニーチェにとって、《偽造》(『権力への意志』617番)でもあるんだよ。
《私たちとなんらかのかかわりあいをもつ世界は、偽である、言い換えれば、いかなる事実でもなく、諸観察の貧弱な総計のうえに創作され彫琢されたものである。》(同616番)
《認識自体は生成においては不可能である。それゆえ、いかにして認識は可能であるのか?おのれ自身についての誤謬てして、権力への意志として、迷妄への意志としてである。》(同617番)
とまで言っている。また、ニーチェにとって、<私>というのは、様々な<私>の複合、流動、である、という見方はいたるところに見受けられる。
《主観、これは、最高の実在感情のさまざまの契機すべての間の統一によせる私たちの信仰をあらわす術語にほかならない。》(同485番)
《主観を一つだけ想定する必要はおそらくあるまい。おそらく多数の主観を想定しても同じく差し支えあるまい。それら諸主観の協調や闘争が私たちの思考や総じて私たちの意識の根底にあるのかもしれない。支配権を握っている「諸細胞」の一種の貴族政治?》(同490番)
このように、確かに力への意志は人間中心主義へ駆り立てるが、そこには同時に「誤謬」である、「偽」である、という意識も籠められている。「私」という観念からしてニーチェはそこに、実在性の信仰を認めている。<私>というのが虚構ではないのか、
という発想が既にあり、そこに後のポストモダン思想が着目したのも当然だった。
A:つまり、力への意志を絶対化するというより、生成との関わりの中で相対化している、ということか。
B:そこがニーチェの奥の深さだと思う。ついでに柄谷との関わりでいうと、『トランスクリティーク』で柄谷が拠っている超越論的主観、《異なるシステム間の「差異」》という措定があるけど、超越論的な場を複数化し、その「複数」の「闘争」、「せめぎ合い」
を重視する、というのはニーチェ的な発想だと言える。そこでもやはりニーチェの影が見え隠れしてみえる。
B:『トランスクリティーク』「第一部 カント」は例によって色々な哲学者が引用されていて、具体的にはカント、デカルト、スピノザ、ハイデガーが柱になっている。読んでるとかなり面白いし、また、疑問点も出てくる。
まず、柄谷がこの本で主張している柱たるところの《横断的批評=トランスクリティーク》の概念なんだけど。ちょっと読んでみる。
《あえて存在論というタームで語るならば、われわれはデカルトの懐疑から次のような存在論を見出だすべきである。コギト(=我疑う)は、システム間の「差異」の意識であり、スムとは、そうしたシステムの間に「在る」ことである。哲学において隠蔽されるのは、
ハイデガーが言うような存在者と存在の差異ではなくて、そのような(デカルトのような)超越論的な「差異」あるいは「間」なのであり、ハイデガー自身がそれを隠蔽したのである。ハイデガーは、カントの超越論的(transcendental)な批判を、
深みに向かう垂直的な方向において理解する。しかし、それは同時に、いわば横断的(transversal)な方向において見られねばならない。そして、私はそれを(transcririque)と呼ぶのである。》(『トランスクリティーク』批評空間社版140頁)
実は「我疑う」に表されるような、信の不在、無化による有、というのは『形而上学とは何か』(1929年)においてハイデガーは詳細に論じてみせている。ハイデはこう言っている。
《ただ無が現有の根底において開示されているが故にのみ、有るものの全き不審しさがわれわれを襲い得るのである。》
《人間的現有は、それがそれ自身を無の内へ投げ込んで保つ場合にだけ、有るものへ関わり得る。》
《「純粋な有と純粋な無とは、かくして同一である」。ヘーゲルのこの命題は、正当に存立する。有と無とは共属する。》(以上『形而上学とは何か』より)
既に上の引用において、無の問題への手掛かりをハイデガーは与えている。《有と無とは共属する》。つまり、「疑わしいものがある」と「信じ得る(疑い得ない)ものがある」とは共属する。この時初めて、《学的現有が何であるかということに関してそれ自身を理解する》
この時初めて、有が問いとして浮上してくる。
B:《ハイデガーの言う現存在は同時に共同存在―彼にとってそれは民族を意味する―である。》と柄谷は語る。しかし、有と共同体との関係について、結局ハイデガーは煮詰められなかった、というのが正しい。『有と時』においては分裂的だし、
後々『哲学への寄与』においては有について《底無しの深淵》と呼ぶようになる。そこで柄谷のように簡単に《現存在は共同存在》と片付けない方が正しい。
A:そもそも、ハイデガー的見地からすると、家郷喪失性というのは有るものへ、公共的被解釈性へ向けて駆り立てられてゆく「世人」と一体化しており、ゲルマン民族に限った話ではない。民族主義的方向へ話を限定することは問題を小さくするだろう。
プラス、「横断的」であることについて言えば、現代においてはほとんどの人間が様々な共同体やシステムにたいして「横断的」であらざるをえない、半信半疑のスタンスで対している筈で、ことさらに「横断的」であること、「差異」を称揚することに大きな意義が
あるだろうか、という疑問もあるよね。柄谷の功績というのは、現代人の、システムにたいしてのスタンスに根拠を与えた、ということにあるのかもしれない。
B:企業からして海外に支店を出し、工場を移転したり、そこの住民を雇ったり、ずいぶん「横断的」になっている。社員が多国籍化するなんて今や日常化している。その現代性にマッチしているとは言えそうだ。
A:でも、柄谷のスタンスがここに描かれている話に限るものではない、ということに注意を払うべきだ。むしろ、彼の行動や言動のパターンとしては、ニーチェ的な<主体の解体・複数化>、それによっているような形もあると思えるから。
それは言動や立場の紆余曲折になって表れてゆく。「トランス」どころじゃなくなってくる(笑)
《あえて存在論というタームで語るならば、われわれはデカルトの懐疑から次のような存在論を見出だすべきである。コギト(=我疑う)は、システム間の「差異」の意識であり、スムとは、そうしたシステムの間に「在る」ことである。哲学において隠蔽されるのは、
ハイデガーが言うような存在者と存在の差異ではなくて、そのような(デカルトのような)超越論的な「差異」あるいは「間」なのであり、ハイデガー自身がそれを隠蔽したのである。ハイデガーは、カントの超越論的(transcendental)な批判を、
深みに向かう垂直的な方向において理解する。しかし、それは同時に、いわば横断的(transversal)な方向において見られねばならない。そして、私はそれを(transcririque)と呼ぶのである。》(『トランスクリティーク』批評空間社版140頁)
A:この箇所は例証としてデカルトが「我疑う」を「我有り」の根拠としたことやカントが経験論と合理論を「横断」したこと、マルクスがドイツ観念論や古典派経済学、フランス社会主義を「横断」したこと、を挙げている。
それらの例証を辿ると柄谷の主張は至極尤もにも見える。しかし、実際にデカルトやカントの書いた文章からそのスタンスを感じ取る場合に、柄谷が主張するような「横断性」より、むしろ、(当然といえば当然だが)、何が真なのか、「疑い得ないもの」とは何か、
を追究する強度の方が迫ってくる。「システム間の差異」を見ていたとしても、それに動じず、己の問いへ迫ろうとする強度の方が強い。はっきりしておきたいが、彼らは何れも、「どっちつかず」や「どっちとも取れる」ようなスタンスは嫌った、ということだ。
また、仮にそのようなスタンスがあったとしても、それは避けられなさ故にであり、それを称揚して「横断的批評」とかは言わなかったろうということだ。
ある時にはこの哲学、また別のある時にはこの哲学。ある時にはこの立場、また別のある時にはこの立場。Aという思潮が多数派な時には敢えてBを推し、Cという思潮が多数派な時には敢えてDという思潮を推す。そうやって絶えず立場を変更し、「外部である」
ことを選択する。これは思想が意匠としてあることを表してはいないか。つまり、「己の血球の流れと共にある」「宿命的」なものではない。しかし、思想とは本来どちらであるべきなのか。
PCのブラウザで見ると汚ねえレイアウトなんだがわかんねえだろうな。
「しかし、思想とは本来どちらであるべきなのか。 」とか大袈裟なことはともかく、
この掲示板が相互的な対話の場であるという最低限の了解さえ踏まえていないアホの垂れ流しに
いったい何の意味があるのだろう。
138 :
考える名無しさん:2008/03/15(土) 02:49:04 0
こんな奴は早期に本スレから追い出しておいて、正解だったなw
139 :
考える名無しさん:2008/03/15(土) 05:26:08 0
この人の知的レベルでは、たとえば攝津問題にもついてこれないだろうしね。
携帯で本人にしか読解不能の長文を書いているという営為自体が面白いので
あって、内容的に得られるものは皆無である。
A:或る認識レベルにある限り、全てはシステムの中においてある。柄谷は自分が一度でもシステムの外部にあったことがあると思うのか?或るはこうも問える。一度でもシステムとシステムの「間」にあったことがあると思うのか?
システムの外部も、システムとシステムの「間」も、現実には存在しない。だとしたら、或る批評家がその言説の中で称揚する、「システムの外部」「システムとシステムの間」とは何を意味しているのか?答えは「システムとシステムとの掛け持ち」である。
また、或いは「システムの自己批判の繰り返し、それによるシステムの渡り歩き」である。このことに「横断的」と称して多大な意義を認める人間が今どきどこかにいることはそれ自体が驚異だと言わなければならない。
柄谷はまた、ハイデガーによる有論的思考にたいして「垂直に深さを追求する」思考だと述べる。(『トランスクリティーク』批評空間社版140頁)
しかし、ハイデガーによる有論的問いと、柄谷が「探究」してきた問いとはかなり異なる。柄谷が「探究」したような「他者」はハイデガー有論においては初めてから繰り込まれており、特に問題化されることはない。
前提されていることを何故わざわざ問題にする必要があるだろうか。しかも、ハイデガーにおいては「他者性」の生起する構造までが暗に籠められて分析される。「関係の非対称性」の成立する根拠までが暗に籠められている。それは『有と時』を丹念に読めば誰でも解る。
なので柄谷の『探究』はそこから見れば新鮮さはない。唯一、目新しいのが、『有と時』が問題にする時間への超越論的視座がまるで忌まわしいものであるかのように触れられない。それによって、著者は持論にたいして無根拠さを提示できている。
無根拠さであり曖昧化でもあるが、それが提示できている。そこに違いがある。しかし、そのように、諸概念を曖昧化することで成立する諸論が『探究』の裏表紙に書いてあるように、「これからの学問はこの本に書いてあることを前提にするべきである」
ような広さや深さを持っている、というのは到底信じがたい。
>答えは「システムとシステムとの掛け持ち」である。
爆笑! 頭の程度が知れる。
柄谷が「掛け持ち」ならお前は「出前持ち」でもやってろよ。
B:そもそも、《我疑う》を「システムの外部」や「システム間の差異」と結び付ける発想そのものに問題がある。デカルト自身、《我疑う》が《我有り》の根拠だとしても、かつそれが《システム・共同体の外部》を意味する、等とは考えないだろう。
余りにもそれは楽天的な考えだ。
A:第一、「あらゆるシステムを疑う」を「外部」の根拠にすれば、サラリーマンの中に、「外部」にある単独者はゴロゴロいることになる。「疑いながら関与する」が現代人のスタンスであり、「疑う」が責任を免除するわけではない。
B:そう。例えば水俣病でいえば、有機水銀を含む廃水を水俣の海に廃棄することに疑問を感じていた工場従業員だっていたかもしれない。上司に進言した人間だっていたかもしれない。その人間は文字通り会社の方針を「疑っていた」わけだ。
しかし、「疑っていた」ことがその従業員の責任を免除するかといえば、そうはいかない。「疑いながら」同時に廃水を水俣湾に流すことは続けていた、とすればね。この工場従業員は「外部」にいたのか、「内部」にいたのか、それとも「間」にいたのか、
柄谷はこれに答えられるのか。
A:他にも色んな例を挙げられる。オウムの信者が施設内部でサリンが製造されていること、それが一般人に向けて使われることを知っていた人間がサリン精製工程の従事者の中にいたとする。彼はその事に一抹の疑問を感じていたが、言える雰囲気ではない。
サリン事件が起こり、オウムに逮捕者が出て、彼も捕まる。彼は裁判で、「私は実は麻原らの方針に疑問を感じていました」と発言する。この人間は「外部」にいたとみなされ得るか。「内部」にいたのか、それとも「間」にいたのか。
B:なんとでも言えるだろうが、ただ一つ、そうした人間が「疑っていた」ことを根拠に責任を免除されることはない。つまり、このとき外部議論は物事の本質から解離した単なる言語ゲームに過ぎなくなる。
143 :
考える名無しさん:2008/03/15(土) 17:27:38 0
だからあなたはここで何をやっているのよ?w
それにしても、このモノローグ携帯厨はいったいどんな立場から
「柄谷はこれに答えられるのか」などと偉そうに問い掛けているのか?
「水俣」についても「サリン」についてもいかなる現実的な関与が無い全く無責任である人間が、
「倫理的責任」を云々すること自体が「物事の本質(笑)から解離した単なる言語ゲーム」以外の何ものでもない。
そもそも、「疑う」=「責任免除」という図式はどこの「柄谷」が言ってんだよ?
偶像が失墜するのを見たがらない信者達の悪あがき
146 :
考える名無しさん:2008/03/15(土) 23:43:59 0
このあたりが離婚の原因か…
【仰天ニュース】『涼子は感じるとおしっこしちゃう時があるんだよー。そのあと、やさしくなめてくれる人がいいなー。』
>>145 もう失墜しているよ。それを認めることからしかはじまらないだろ
>>145 おいおいいつものやり方で応えるんだよ。
誤った理解を共有する者同士の「対話」による反論ってのが
どういうふうになされるのかは知らんがね。
B:柄谷にとってのマルクスについてもちょいと触れておきたいんだけど。
A:柄谷のマルクス読解の転機はカントを読んだことから来ている、というのは我々がわざわざ指摘するまでもなく、柄谷自身の書いた文面からも明らかだろう。『トランスクリティーク』序文で柄谷は、
《マルクスはコミュニズムを「構成的理念」(理性の構成的使用)として考えることを一貫して拒否した。したがって、未来について語らなかった》(『トランスクリティーク』批評空間社版14頁)
とする。そうして、しばらく後のセンテンスでこう述べる。
《しかし、そのことは、彼がコミュニズムを「統整的理念」(理性の統整的使用)として保持していたことと何ら矛盾しない。》(同)
そこではまるごとカントの思索に依拠したマルクス読解が並べられている。その前のセンテンスでは1990年代に入り、マルクス主義が思潮として退潮する中でデコンストラクティブな思考が《当初もっていた破壊性を失い、まさにそのことによって
「支配的思想=支配階級の思想」となった。》(同13頁)ことが背景として挙げられている。これらは柄谷自身が述べている自身の転回の背景で、柄谷読者には周知の事柄に入る。
B:具体的にカントの著作から柄谷が影響を受けたような思索が書かれている箇所を辿ると、カント自身の内に、しかし矛盾があり、解決しえないでいたことが伺える。カントはこう書いている。
《理性は理論的に自然を考察するにあたって、自然の始原的根底の無制約的必然性という理念を想定せざるをえないのと同様に、実践的考察においても、自己の道徳的命令を意識することによって、理性に固有な(自然に関して)無制約的因果性、
すなわち自由を前提する。ところでここでは義務としての行為の客観的必然性は、そうした行為の根拠が自然のうちに存して、自由(すなわち理性の因果性)のうちに存しないとした場合に、単なる出来事としてその行為がもつ客観的必然性に対立することになる。
すなわち道徳的には絶対的に必然的な行為が、物理的自然の側ではまったく偶然的と見なされるのである(すなわち、必然的に生起すべきものが実際にはしばしば生起しない)。
またモノローグに逃げやがったよ、こいつ
(続き)それゆえ道徳的法則が命令として(また道徳的法則に一致する行為が義務として)表象されねばならないこと、ならびに、理性がこの必然性を存在(出来事)によってではなく、在るべしという当為によって表現することが、
われわれの実践的能力の主観的性質にだけ由来することは明瞭である。もし理性が感性(理性が自然の対象へ適用されることの主観的制約としての)をはなれ、自己の因果性にしたがって、すなわち道徳的法則と完全に合致する叡知的世界における原因として考えられた
ならば、このようなことは起こりえないであろう。なぜなら、そうした叡知的世界においては「当為」と「行為」の間に、もしくはわれわれによって可能であるものについての実践的法則とわれわれによって現実的であるものについての理論的法則との間に、
何ら区別は存しないであろうからである。…》(『判断力批判』76 注)
このような難問にたいして、柄谷は「未来の他者への責任」という概念を導入することによって切り抜けようとした。理性と自然との間に橋を掛けようとした。しかし、そのような概念そのものの中に、知的意匠に過ぎない、人間の現実的存立と解離したものがあった。
日常性の苛酷さ、現実存在の苛酷さのなかで耐えきれない、長続きしえないものがあった。<自然>のなかに済し崩しに回収される程度の強度しか持ちえなかった。
A:カントの中には後のハイデガーにおいて深められた有論の入口とも言える問題意識がある。全ての認識は《私は考える》という表象を媒介して現れる。その難問、<自然>の孕む難問について、カントは知っていた。
B:NAMのズッコケ、をどう取るか、というのもいろいろあろうが、一重に柄谷の理論的未熟さ、でいいんじゃねえか、と思うけどね。西部と柄谷の反目とか、柄谷信者のくだらなさ、とかいろいろ言われてるけど、そんなものに引きずられてポシャる程度の根拠しかなかった
のは如何ともしがたい現実だよ。
152 :
考える名無しさん:2008/03/17(月) 19:03:32 0
おいおい、
ここのスレ主が今度はぴかぁのスレッドに侵攻してるよw
153 :
考える名無しさん:2008/03/17(月) 19:44:52 0
>>152 柄谷厨でカント教信者のアンチ波平くんがいるからじゃね?w
A:カントが流石だと思えるのは、自然必然性と自由という難題を、既に標的にしていた、という辺りだと思えるね。幾多の世界思想が取り組んできたそれに、この時既に気付いて取り組んでみせた。改めてカントがそれに取り組んだ思考の跡を辿ると、
少々感銘を受けてしまう。あの明晰な頭脳が、これが難題であることを読者に知らせようとする件りを読むとね。
B:柄谷は柄谷なりに、この難題へ、様々な角度から取り組んでみせた。その心意気は買うんだけどね。
A:ただ、後に残された記録の内容がお粗末君だ。
B:残された記録がお粗末、というのは、誰かが言ってたと思うけど、“人間はないがしろにした問題に後で復讐される”ということの典型的事例だと思える。あれを計画した際に背景にあった、柄谷のそれまでの思考の内容全てがあそこで試されたのさ。
まず、ああいう柄谷が見出だした知的な理念・倫理によって繋がる関係が如何に虚弱で脆いものか、当時の座談会の記録がよく示している。虚弱で脆いのは当然といえば当然で、人間は知的な理念や倫理によってのみ生きているわけではない。
それを含みながら在るその他の膨大な領域に生きている。ポストモダン思想の尻尾を引き摺り、気の利いた用語で纏めることに慣れ、そういった、知的な意匠には入ってこない自然的領域をどう組織するのか、という課題が問題意識としてなかった。
生身の生活者で理念や倫理に収斂しうるような人間などいない。その、現存しないはずの架空の人格に向けて柄谷は本のなかで語っていた。だから自然的領域、というよりは柄谷が考察しえなかった自然的人間性の塊に、なすすべもなく押し流された。
ついでに柄谷自身まで下らぬ自然を露出させていった。だんだん、自身へのプライドばかりが全面に出るようになり、超越的視点に自己をたたせることで甘やかし、よく事実関係を確かめもしないで対立者について、落としめるための風評を流し続ける。
かつての新左翼の最も典型的な迷走経路、その恥を継承していることまで見せてしまった。
「生身の生活者」とか言って誤魔化しが効いてたのは1960年代前半までだよね。
A:例によって垂れ流し風にカントネタでやれ、て黒子の要請なんだけど。
B:ただ、カントの悪口、てあんまり出てこないんだよな。カントの本読むと、凄く誠実、的確、根本的だし、抜け目ない。出てくるであろう批判の先回りして先に応答してたり、苦笑するほど達人技だ。
A:カントみたいな人が教壇立って講義してたら、ひたすら頷く他ねえよな。頷きマンだよ。(笑)
B:あんな男に講義の終わりに「何か質問は?」なんて聴かれたら、逆にビビるわ(笑)
A:「ここ、解りません」なんて言おうもんなら、また懇切丁寧に答えてくれそうだし。
B:昼飯前とか、腹減ってるときにそういう質問をするヤツいると腹立つよ(笑)何でまた長引かせるかい(怒)てね。
A:カントは腹減ってても頑張って説明する。しかし、そいつは何度説明しても解らない。これは昼飯前の最悪パターンだ。
B:柄谷だったら、「君はアホだ」とけなしてさっさと昼飯に行くね。自分自身の昼飯の方を優先するだろうなあ。あいつは頭の良い悪いについて差別的。しかも、自分の都合は何より最優先だから。
A:柄谷なら講義の途中から教授控え室に届いてるはずの日替わり弁当のおかずの事考えてるよ。カントはそのような、不謹慎なことは断じてない。
B:しかし、カントの事持ち上げるね、俺もあんたも。少しくらいケチつけた方が良いんじゃない?何かあるでしょ。
A:じゃ、やるか(笑)カントって、理性の越権を排す、ていう主義だったから、“自然必然性”に収斂する思考、を徹底的に疑い、そこからの因果によって行為を説明し、納得することの無為を指摘する。
B:いかなる境遇、状況にあろうとも、人間には一様に、善悪の表象は備わっている。そのことを忘れてはならない。超越的な連鎖によって善悪の概念がなくなるわけではない。その自覚が理性にとって重要、て辺り。
A:“因果・連鎖の超越性、その他者性”とかを道徳にとっての隠れ蓑にすることへの否定的姿勢がはっきりしている。つまり、言い訳無用、て訳だ。柄谷もカントのこの考え方を採用していたような記憶がある。
B:カントの同時代の人間性への洞察というのがまだ何というか、牧歌的だったんだ。「自律」て言葉をカントも使ってたと思うんだけど、自律へのこだわり、がまだあったと思う。
B:『実践理性批判』でカントは、「自然必然性」による悪というものについて、次のように述べる。
《理性は、われわれの可想的存在の法則(道徳律)が問題となるときには、時間(すなわち、引き起こす要因の先行性)の区別などは認めないで、出来事が行為としてわたくしのものであるかどうかを問うだけである。》
《この現象(感覚的生がもつ己の絶対統一)は、道徳律に関係する意向の現象だけを含んでいる限り、現象としてのそれについている自然必然性によってではなく、自由の絶対的自発性によって判定されねばならない。》
《むしろそれ(悪)は、自発的に受け入れた悪い不変な原則の結果である。この原則がその意志をますます非難すべきもの、刑罰に値するものとするだけのことである。》(『実践理性批判』純粋実践理性の批判的吟味)
要するにカントが徹底的に非難し否定的なものは、《行為の運命性》だと言っていい。だから、行為の根本とは、行為者がそれを「自発的に受け入れた」ことにある、と見なされる。自由の根拠とはそれであり、すなわち自律性である。
だから、行為について、自己でない超越的なもの(神、最高原因、根源存在)に責を帰することは出来ない。
しかし、カントがここで述べる自律は、それが正当性を持つ持たないに関わりなく、その視点自体に盲点がある。人間が己にたいしてどこまで透明度を獲得できるのか、はそれ自体が難問を意味する。
カントが主張する自律論は己にたいして透明度を前提にしなければ成り立ち様はない。そのような観点からカントは《自由の絶対的自発性》を主張するのだし、もしそのような透明度が前提でないなら、カントが主張する自律性は成立しないし、砂上の楼閣と化すしかない。
一体、いつわれわれが己にたいして絶対的な透明度などを獲得した試しがあるか。
A:君が言ったような問題というのは、サルトルの自由論にも当て嵌まるね。サルトルにとって、やはり《自由の絶対的自発性》は重要で、しかもその根拠は今と同じく、己にたいしての透明度に依存するしかない。どこか夢物語の感がある。
158 :
1:2008/03/22(土) 01:30:26 0
ル・サンチマン®のコピペショウ
提供:日本相撲協会
A:カントがここで主張するような道徳律、自発性、行為の自己責任というのはサルトルの『存在と無』で決定的主題として主張されている。いわばサルトルの根本命題だ。
《自由とは、まさに、人間の核心において存在されるところの無であり、この無が、人間存在をして、存在する代わりに、自己を作るように強いるのである。われわれがさきに見たように、人間存在にとって、存在するとは、自己を選ぶことである。》
《言い換えれば、対自は、自由な自己企投として、魔術的実存もしくは理性的実存を、自己に与えるのでなければならない。対自は、そのいずれかについても、みずから責任者である。なぜなら、世界のいずれかの様相は選ばれることによってしか存在しえないからである。》
(『存在と無』第四部第一章T)
《われわれのこれまでの考察の本質的な帰結からすれば、人間は、自由であるように呪われているのであるから、全世界の重みを自己の双肩に担っている。人間は、世界についても、自己自身についても、存在のしかたに関するかぎり、その責任者である。》
(同書第四部第一章V)
サルトルのこのような哲学は人間にたいして強固に作用し、拘束する力を持っている。いかにも普遍的なことを書いている。このような哲学に浸透された人間が、“目覚めて”“正気になって”他人に啓蒙活動をするようになる。
カントが主張する可想的意識、自発性とサルトルの上記のような哲学は酷似している。そうして、双方とも、人間の姿について、「自由」という名目によって誤った主体性を確立しようとする点で共通する。
二人とも、上記のような意識を選ぶことで、人類の普遍性へ到達し得たかのような外見を呈する。疑うべきはそこで主張される自由にあり、その普遍性にある。
このような哲学が目指す自由に包括される「私」は己を見損なっている。
B:柄谷の『倫理21』によれば、道徳的であるときには自然は括弧入れされるだけだと言っているね。
A:己というのは、自由(もしくは責任)と自然のせめぎあいとして絶えざる闘争を内部で生きている。どちらにも包括され得ない「私」にこそ生のもつ最重要な意味はあるのではないか。
160 :
既出:2008/03/23(日) 03:50:50 0
A:カントは徹頭徹尾、理知的に人間の思考や感性を吟味する。にも拘らず、そこに包括され得ない人間の姿は残している。人間が孕む情念、心というのは、「人間が知り得るものとは何か」という問いの形式化を外れてしまう。
カントが吟味しようとする知や道徳の形式から零れ落ちるそれら全ては、カントの批判の盲点としてある。悟性や理性を基礎づけたかった思考がそれらを軽視するのは当然といえば当然で、無い物ねだりかもしれないけどね。
B:ただ、君が指摘したサルトルの『存在と無』とカントの関連。柄谷が『倫理21』で取り上げたやり方と反対に、あそこにカント哲学の問題をわれわれは見ざるを得ないね。
A:サルトルにしても、超越を称揚する場合に、何に向けて、という段になると、全体的な理念に包括されるような気がするんだよね。そこに出てくるのは意識に包括されるべく、そのための人間、自然領域の作り替えとしての歴史、というようなことになるんじゃないかね。
B:カントにしてもサルトルにしても、《意識は絶えざる選択を強いられる。よって、そこに責任が生ずる》というテーゼは揺るぎないものとしてある。これは息苦しいよ。こんな息苦しさに耐え切れるのは「ナントカ派」を自称する「公民」くらいだろ。
われわれ一般人が耐え切れるわけない。(笑)「耐えてみせるのが倫理だ」というなら、お前が一人でやってろ、とでも言うしかない。
A:だから柄谷行人は一人で耐えているわけだ。(笑)馬鹿だねえ。
B:どこかで観念のもたらす逸脱に填まってしまった。それによる「我慢比べ」だ。どけだけ洗面器の水に顔をつけて息しないでいられるか(笑)。「俺は3分我慢した。俺の勝ちだ」とか言っている人間と同じレベルだ。
A:「俺は3年〇〇〇で活動した。俺の勝ちだ」(笑)
B:いつでも思い切り息して暮らしてる人間でいることが一番尊い、てことが解らなくなった。それがもたらす逸脱だ。アホはお前だ。いや、誰に言っているわけではないけどね。
A:いや、言わなくてもみんな分かってるから(笑)
B:でも、柄谷の周囲にいる人間て偉いよ。よくついて行くもんだと感心するね、関井光男とかさ。あの人、柄谷の言っていること理解してるのかな。
A:失礼だな。(笑)理解してない、ていうのか。
B:いや、とにかく老けた顔だね。
>お前が一人でやってろ、とでも言うしかない。
鋭い自己批判ですね。
そのあとすぐ自分で自分に対して「いや、」とか「失礼だな。」とか言ってる息苦しさには、
われわれ一般人が耐え切れるわけないですけどね。
やっぱり、お前は一人でやってろ、とでも言うしかない。
A:スガ秀実なんかまだ柄谷の傘下に入っているのかな。
B:まあ、何を以て“傘下”と呼ぶかも問題だけど。俺はでも、スガは柄谷と一緒にやってはいることもあるけど、あの男は柄谷とはそんなには波長は合わないと思うんだけどね。
柄谷などは当人が近くにいない時といる時でまるで評価を変えるようなセコさやネクラさがある。浅田彰も同じだけど。証拠をあげれば、大江健三郎や村上龍などについて、柄谷も浅田も上に挙げたような豹変を自演している。
その手の人間て、人間性の根幹に既に問題がある。右翼か左翼かなんて範疇以前の問題でね。まともに付き合うなんて無理だろう、その手の人間てのは。つまり、裏切りや謀略的言動が習慣化してる、てことだから。
だけど、大江も村上も、いくら柄谷や浅田が目の前できれいごと並べてももう信用はしないよ。だっていないところでは散々悪口言ってる、てばれてる訳だからさ。これが当人の目の前でも同じ言い方するならまだ信頼も残るだろうが、
「ああ、正面からぶつけてきたな」てね。当人いたらまるで違う、て(笑)おい。
A:骨の髄からネクラ、ね(笑)
B:或いは陰謀家、謀略家と言ってもいいけど。無惨だよな。しかも、自分では無惨だとも気付いていない。典型的な機会主義者だ。あんなの他人がついてこれる訳ない。
A:初っぱなから救いのない暗い話になってきた(笑)で、スガの話でしょ。スガは違うと。
B:いや、それはどうか(笑)ただ、スガは例の書籍版『LEFT ALONE』刊行の際、及びその刊行をめぐる柄谷関連のトラブルの際、潔い態度をみせている。以下は鎌田哲哉編『LEFT ALONE 構想と批判』に掲載されたままの鎌田の言だが、
《(『構想と批判』に掲載された鎌田の文章への追記をスガに依頼したが、寄稿はもらえなかった。)但し、スガはこれだけ(『構想と批判』に自分のことを)ぼろくそに書かれてもとにかく(スガと鎌田の)対談の掲載を了承したし、そもそも書籍版刊行の時点で
「自分への批判は構わない」と言ったそうだ。公平のため、付け加える。》
対する柄谷はどうかといえば、これまた鎌田の書いたままを援用すると《結局、明石書店側は柄谷に私の追記を読ませ、柄谷がこれを掲載する場合は自分(柄谷)の対談パートの出版を中止するよう要求してきたことを理由に、(鎌田への)依頼原稿の掲載却下を選択した。》
A:つまり、相対的にみてスガの方が柄谷よりはマシでしょう、てこと?
B:ただ、あくまで“相対的”にだけどね(笑)ていうか、何で俺がスガについてそこまで細かく擁護しなきゃならんのかい(笑)
A:“相対的”にみれば違うが“総体的”にみれば似たようなもんだ、という気もするけど。
B:それは“似たようなもんだ”とされたスガに失礼だ。「批判は受ける」と公約した点で、柄谷のやったことよりはまだ良心的なんだから。ただ、柄谷と付き合いがある、て時点で「要注意」の印は付く。陰口、て割合感染するんだよ。
陰口叩くヤツの傍にいることでいつの間にか、その人間も陰口に染まっていることがある。人間て弱いものだしね。柄谷の傍にいることでいつの間にか柄谷に感染している可能性もある。
A:すっかり柄谷がバイ菌扱いになってきた。バイ菌、ていうか、ウィルスだな。空気感染あり、とか。(笑)
B:ただ、柄谷の思考力にはいつも舌を巻くけどね。さすがに海外の思想家にも注目されるだけのことはある。まさに現代日本を代表する論客だと思う。
A:なんだそりゃ、また取って付けたみたいに(笑)どうせなら「柄谷行人は現代日本を代表する論壇のウィルスです」くらい言っとけば?
B:スガは自分のスタンスとして『持続する「68年革命」』とか喋ってる。三無主義「無秩序、無思想、無節操」を学生時代から信条としている、とかね。
A:ただ、早稲田自治会室撤去反対闘争をめぐる花咲との対話を読んだ限り、スガの立ち位置も、詰まる所典型的なご都合主義、ないし便宜主義、日和見主義なように見えるね。
《つまり、ああいう空間(自治会)の撤去は大学解体をも進めているわけだから、今後はそういう空間に依拠しない運動を、こちらも模索していかなければいけないわけだし、大学は自分たちにとってプラスになることをやったつもりだけど、
実は決定的にマイナスなわけですよ。だから、撤去反対闘争自体は全くもって負けたと言えるんだけれども、7.31など一連の闘争を一回やったこと自体がある意味での勝利だと思うんですね》(『LEFT ALONE』298-299頁)
これなら、最初から撤去反対闘争などなくても良かった、というしかないのではないか。「負けたけど勝った」って、訳判らん。
B:“典型的なご都合主義、日和見主義、便宜主義”というのはどうかなあ。あれは、“闘争は負けたけども、その結果生まれた状況としては、「新左翼的な規律訓練型組織の解体」を意味するようなプラスの要素もある”くらいの意味だと思うんだけどね。
ただ、スガの発言読んでると、じゃああの闘争、勝てば良かったのか、負ければ良かったのか、というスガへの根本的疑問が払拭されないものとして湧いてくる。
A:勝てば良かったのか、負ければ良かったのか、それとも勝っても負けてもどっちでも大して差はなかったのか、じゃああの闘争の意味は何だったのか、それとも、「権力の決めることなら取り敢えず何でも反対!」という「左翼」の原理を貫くことの方が重要で、
あとは別に、機会毎に分析して、「まあ、良いところもありました」てことにしとけば、てことか?
それはしかし、そんなことを言ってる限り、どうしようもないぜ。
昔、中上健次がとある全共闘関連シンポジウムで、「いや、だから私は、ただ面白かったからやったんです。何か大層な大義名分なんて考えなかった」て喋ってた。その感性はまあ理解は出来る。だけど、その論理が社会の裾野に広がる膨大な生活者の論理に拮抗できるのか
、といえば、難しいだろう。それだといずれはそこに取り込まれて行くだけだよ。スガは柄谷との対談で、「吉本さんの思想というのは、保守回帰するときのテコになる」とし、柄谷とともに、吉本の論理が資本主義容認のイデオロギーになることを指摘している。
まずその認識についてはひとまず口を挟まないで保留するとして、ならば生活者の論理に拮抗しうる論理というものを断固として考えなければならないし、それも最早かつての新左翼とも市民運動の規模とも違う何かが出せなきゃならない筈だ。
でなければ生活者の強固な論理には拮抗できない。
B:君の言いたいことは判るんだけどね、まさにその「生活者の論理」というのが、そもそも「生活」というのが、これまで存続したような形ではなくなってきた、雇用形態の変貌、家族形態の変貌、社会に蔓延する正体不明な精神(病)、というように、
全般的な崩壊過程に入ってる。つまり、「左翼」も壊れたが、「生活」も壊れた。その辺の「壊れ」が、むしろ、ハナから何にもないスガへの遠心力になってるんじゃないかね。
C:言われるまでもなく「生活者の論理」とか言って誤魔化しが効いてたのは1960年代前半までだよね。
D:にもかかわらず、そこにしがみつくのが吉本信者の悲しい性。そこしかしがみつくとこないから。
E:もはや様式美というか伝統芸だよな。
F:そうやって「大衆」の側に寄り添っているつもりのショボい自称インテリ相手に文筆稼業続けてきたんだからたいしたもんだよ。
G:絶滅の危機に瀕しているけどね。
H:その危機に気付かないのは、「大衆」が自由に発言し意見を交換できる場でひたすらモノローグを展開する携帯厨だけという悲惨さ。
I:よせよ、奴は弔辞を諳んじているだけなんだから...
A:ちょっと目を離した間に凄い人が来てるね。前レスのC氏、《生活者の論理なんて誤魔化しが効いたのは1960年代前半までだ》と仰ってる。この人は凄いよ。何をやるにせよ、絶えざる桎梏となる「生活」について、《誤魔化し》であり、
《それが効いたのは1960年代前半まで》と「看破」している。これは「至言」と言うべきだろう。勿論このような「断言」が出来るからにはこの人物自身、「生活者の論理」なぞ鼻にもかけない徹底性を持って自在に生きているであろうことは言うをまたない。
B:その通りだ。いつも生活費に苦心している我々のような人種とはレベルが違う。さすがだと言うべきだろう。いや、叶わないね、凄い人が現れた。ていうか、「生活者の論理」が幅を効かしたのは1960年代前半までだったんだよ。
つまり、我々と違い、他の人達は皆さん、「生活」に苦心なんてしてないんだよな。いや、恥ずかしい。みっともないな(笑)俺たちももっと頑張らなきゃあ、な(^^ゞ
A:いや、C氏の話題はもういいよ。立派な人だとみんなには伝わったろうから。それよりスガの話題に戻ろう。スガといえばここ数年、1968年にスポットを当てた発言が目立つんだけど、あれは何だろうって感じ受ける。
本読んでみると、戦後の左翼運動史をスガがひもといて検証し、中でも1968年が「今に通ずる問題提起」をしたことになっている。その「問題提起」とは、様々なマイノリティの存在を俎上に上がらせたことだとされる。
B:あれは、インタビューで懐かしい話を引き出したり、出来事をを整理してたり、一定の面白さは感じたけどね。ただ、いかんせん、それ止まりというか、そこから先に、どこへ向かおうとしてるのか、見えてはこないね。マイノリティ、という概念が、
さほど斬新でもない。スガの良心なのかなあ、て気もしたけど…。
A:どこか使い古されてる気がするんだよね。勿論マイノリティ問題の提起それ自体は悪くはないんだけどね。違うんでは、と思うまとめ方もある。60年安保に欠けていたのは「民主でも愛国でもない」プロレタリア独裁の概念である。とか、
つまり、あの辺の新左翼の標語「全世界を獲得するために」が結局一国ナショナリズムやナルシシズムに流れた、という見方。それでまとめるのはどうなのかね。
B:まあ、60年安保のブントが本質的にナルシシズム=ナショナリズムに溺れていた、とか、殆んどどうでもいいというか(笑)、そういうのもあったのかもね、そうかもね、程度の設問なように思えるんだけどね。
A:俺は無理やりな感じがするけどね。ブントが戦後の経済復興の感性を濃密に漂わせていた、とか。そりゃ経済復興しつつあったわけだし、豊かにもなってきてたろうが、しかし、あの時点での左翼の闘争に“ナルシシズム=ナショナリズム”の刻印をみてそれで纏める、
てのはねえ。まあ、潜在的にはあったのかもしれない、くらいな話にしか見えないけどね。
B:スガの試みとしては、60年代新左翼運動の内実は、戦後経済成長と同伴的であった、てことを論証することにある。たしかに背景はそうだけど、新左翼の連中が同時に目の敵にして戦おうとしていたその当のものが、その戦後経済成長でもあったわけで、
じゃなきゃオフィス街に爆弾は仕掛けないでしょ。
A:その、スガが言うところのナルシシズム=ナショナリズムに一石を投じたのがナントカいう中国人留学生の団体で、日本人の民族主義、マイノリティへの差別がそこで初めて糾弾されたのだ、とする。
言おうとすることはまあ解るけど、
その手のことを言いだすなら、あらゆる政治という力動が閉鎖的かつ階級的な精神力動を孕む、越えるべき悪をいつも内部に再生産させる。集団としての人間は存在の忘却に染まり、しかも自分自身が果てしなく鈍感になってゆく、という壁を指摘した初期の埴谷の論文
の方がより根底的じゃないか、て気がするんだよね。つまり、マイノリティへの視線、をもっと徹底化・普遍化させる方が正しくはないかね。多数派‐少数派、という構図よりはね。
B:だから、そこまでスガが深いところまで行けるか、といえば、多分行かない。あれは結局フーテン左翼の血統から外れられない人だから。そこに自分の立ち位置を決めてるみたいだから。だけど、君の言うように、本当はあーゆー新左翼運動史を書くならば、
どっかでその負の遺産を断ち切る視点を持ってないと、でないと、結局この人は何が言いたいの?てことになる。
B:今、『重力01』掲載の、鎌田哲哉、大杉重男、スガ秀実の座談会読んでたら、まずいことに、大杉が我々と似たようなことをスガに喋ってるな。
A:何、同じようなこと?何て言ってるの。
B:《大杉 だからスガさんが左翼になる根拠はない。》ちなみにこの座談会でのスガも本音で喋ってる。何で左翼運動に入ったかについて赤裸々に語ってる。
《僕は好きで(趣味で)学生運動をやっているんで、(中学卒業後、集団就職した同級生への)やましさでやっているんじゃない、と思いたいということですね。》
《大杉 (昔「抒」という雑誌をスガが創刊したとき)要するに、今までの左翼はまじめだったから、これからは面白左翼で遊びでいこう、という路線を示した雑誌なのかな、と思って僕は読んでいたんですけどね。》にたいして
《スガ 僕はいまでも面白左翼なんだけどね(笑)。》《僕は68年の時から、運動というのは面白くなきゃ全然だめだ、というのは一貫して構想していたし、》と答える。つまり、<消費・享楽としての政治社会運動><好きだからやる政治社会運動>という発想が
スガの中には初めからあった、今でもそのスタンスで続いている、ということでしょ。
A:<好きだからやる政治社会運動>、<好きだからやるデモ隊>。(笑)たしかに分かりやすい。つまり、最初から「革命」とかを狙ってやってるわけじゃない、てこと。
B:そこがよく分からないけど、狙ってないのかね、「革命」は。まあ、スガの場合は自称「ナンセンス・ドジカル」なわけだから、そんなに大上段なことは狙わないのは頷けるけどね。
あと、あの人の話を読んでて、何となく育ちの良さというか、
エロ中年の外見と違い、中流家庭出身の落ちこぼれ、企業に就職したが辞めて売れない芸人になった人間に似た詫びしさ、がある。あんまり上昇志向が感じられない。他人の上に立ってどうこう、という力の志向が感じられない。
A:その辺が、<力への意志>に魅惑されたかのような柄谷などと違うところだろう。しかし、スガの代表作の一つである『花田清輝』だけど、何で花田清輝にスポット当てる気になったのかなあ。花田の残した言葉を今読むと、中途半端なスタンスばかり目立って、
これは再評価すべき人物かな、て感が起こってくるけどね。
A:花田清輝については専ら吉本隆明との論争が主として取り上げられる。けど、実は花田は近代文学派との論争の渦中で埴谷雄高とも論争しており、埴谷の政治(否定)批評で比較的有名な「永久革命者の悲哀」は実は花田清輝へ向けて書かれている。
だから「永久革命者の悲哀」の書き出しは「花田清輝よ」という呼び掛けから始まる。
ところでスガ秀実はこの花田=埴谷論争についても著書『花田清輝』で大部を割いている。(第四章 政治の死滅)
まず、スガは花田の立場について、花田自身の発言から引用しながら《正統派マルクス主義者として「主として実存主義の内在的批判を意図し」たものであった。》(『花田清輝』133頁)とする。そうしてスガは、花田のそこでの問題意識について、
《それは改めて言えば、宮内豊が花田の中にその欠落を指摘したようなレヴェルとは異なった意味における「権力」の問題であると思われる。》(同143頁)とする。それは、では一体どういうことなのか、をスガは埴谷の文章から引用しながら細かく詰めて行く。
そこでスガが花田の批判を纏めるところからすると、詰まるところ、埴谷の拠って立つ立場とは、いわば正統派マルクス主義とはまた別に成立しうる権力の立場だ、ということになる。それはまず未来に属する「弱者」としての権力であり、また、
「未来の無階級社会における統御」を為す権力である。「未来の無階級社会の眼」とは現在を裁き得る権力のことに他ならない。つまり、埴谷がその政治批評において拠って立つ立場とは、正統派マルクス主義とはまた別の権力なのである…。
B:また込み入った論証をやったものだね。つまり、スガが纏めたところの埴谷の立場も、それ自体が権力の一形態ではないのか、てこと…。
A:そうなんだけど、ただ、花田はもちろん、スガにしても、埴谷の立場というのが判りかねているんだよね。埴谷の主張していた「永久革命者」というのが何なのか、といえば、たしかにスガが言うように、「未来の無階級社会からの眼」を獲得している者、
でもあるんだけど、同時にそれによって現存するありとあらゆる階級的形態、外部の捨象、へ否定を向ける(非)存在でもある。「(非)存在」でもある、というのは、現存する共同性の中に、そのような存在はどこにも見当たらないからである。
A:つまり、スガが指摘するところとは反対に、権力や階級社会に抗するはずの組織が孕む、権力構造や統制、それへの安住という管理者の倨傲、への否定に埴谷の思考の重心は置かれていた。例えば、反権力が実は権力の新たな生成を孕む逆説だとすれば、
そのような権力‐反権力の関係に潜む暗部、様々な名目のもとに人間の隠したがる歴史の暗部から眼を離さない、それが埴谷の立場だろう。スガは埴谷の立場が《「弱者」としての権力者》《永久に権力を内面化し続ける者》だとしているが、
これは左翼運動に内在する権力の生成という負の歴史を埴谷の思考にも見ようとする試みで、埴谷の思考の力点を読み損なっている。<権力の生成の絶えざる可視化><隠滅の解除><隠滅行為の暴露>こそ、あれらの政治批評で埴谷が実践していたものだ。
B:あんたの言うとおりなら、つまりスガは埴谷が読めなかった、てことになるね、少なくとも核心部では。
A:スガに止まらず、そもそも花田自体が埴谷の批評の立場ってものが理解不能だった。座談会「政治家と文学者」(『埴谷雄高全集13巻』所収)でも、君(埴谷)の立場は「職業的文学者」か「素人文学者」か、というような、それ自体不毛な分け方をして、
それに答えさせようとする。恐らく花田にすれば、下部構造的な話題から埴谷を啓蒙し、目覚めさせよう(笑)という魂胆だったのかもしれないけどね。レヴェルが低過ぎるよ、花田のオルグは。埴谷が気の毒だわ、あんなのの相手をさせられるとは。
もう一つ、この座談会で花田は埴谷の問題意識に絡んで、興味深い発言をしている。花田が政治的なニヒリストだったことを示して余りある発言だろう。花田は埴谷と絡んでこう言っている。
《(埴谷から、階級と無階級、現在と未来、という図式に潜む矛盾、という問題を出されて)
花田 階級性ってのはなくならないんじゃないの…。なかなかなくならない。
埴谷 それはもちろんなかなかなくならないんだ。
花田 革命がおこったってなくならないよ。
埴谷 なくならない証明がこれまでの革命に残念ながらあった。》
スガによれば、《資本主義廃棄を優先させるのが花田清輝の立場を指していることは言うまでもない。》(『花田清輝』135頁)という。しかし、あのようなことを言う政治的ニヒリストにどのような展望があったのか。
A:確かに埴谷も花田に倣って、革命で階級が止揚された例はない、と認めている。しかし、《革命で階級はなくならないよ。》という断定は差し控えている。一体ここでの花田のこの断定、て何なのか。
これは埴谷と違って、ただ単にこれまでの革命で階級が止揚された例はない、と歴史を見つめている苛立つ言葉ではない。考えるほどに、何故花田はあのようなことを、自らの左翼性に泥を塗るような言葉を投げたのか、不審な気がする。
恐らく、あの言葉の背景には、花田が指摘するところの「政治のアマチュア」埴谷雄高の問題意識、「未来の無階級社会」「永久革命者」という問題に無意味さを感じていたことがあったろう。つまり、「政治のアマチュア」埴谷に、
「政治のプロフェッショナル」花田は「真理」を諭したのである。
二人は、革命によって階級がなくなったことはない、とする点までは認識を共有している。しかし、そこから先が問題だろう。
埴谷は、これまでの革命で、結果的に階級がなくなったことはない、そこから更に思考を前進させる。つまり、政治とは何か、という地点へまで潜行する。埴谷の立場はそうやって導出される。
では花田はどうなのか。この座談会での花田の発言を追う限り、「空想的な議論から脱して現実を知れ」という風な、説教じみた姿勢が終始一貫している。つまり、埴谷のような問題意識は花田からすると、「空想的、現実離れ」な思考の最たるものである。
花田の先のような「階級の不可避」はそのような「現実的」な姿勢の表れに他ならない。
B:なるほどね。しかし、花田って人の立場、てのは、君の解説を聴いた後でも、やっぱり分かりにくいね。そもそも、この人、固守すべき立場ってあったのかね。そこが既に問題なような気がするんだよね。
A:そこは俺も同感で、まさに「固守すべき立場ってあったのか」が花田って人の謎だし、どうもこの人物の胡散臭げなところでもあるんだな。
B:どこか、人間の思想とか、苦闘の歴史とかを軽んじるところが、ね。あるんじゃないかね。少なくともこの人の言葉を辿って、それは感じるね。そこがあんたの形容するところの「政治的ニヒリスト」である所以なような…。
A:自分でも自分の立場が判らなかったようなふしがあるね。
B:ただ、花田の書いた評論を読み返すと、この人は巧い人なのも確かだという気はする。
A:巧いというのは文章のことか。
B:そう。作文(文字通り“文を作る”としての)が上手だよ。フットワークは軽いし、それに博学だね。膨大な読書をしたような教養の量と多彩さが伺える。はっきり言って、文章の巧さでいえば、吉本や埴谷の比じゃない、て思うね。
A:そんなに文章巧いかね。
B:巧いよ。前のレスで取り上げたような、政治的・思想的な文脈を抜かせば、純粋に読み物として読めば、嫌いな書き手ではない、て気がした。何より読者にサービスしてるよ、この人は。楽しませる術を知ってる。
ただ、政治思想の分野は、“文章が巧み”だけで判断はされないし、“読んで楽しい”か否かは関係ないからね。読み物として読めば悪い書物ではないし、幅広い教養も感じられる。
A:つまり、花田って人は自分のテリトリーを知らなかったんじゃないか、てこと?
B:そう。花田が残した政治的エッセイというのは今読み返すと、立場が曖昧だし、その曖昧さを武器にしてるようなところがあるだろ。つまり、どのようにも展開できるような、まあ、多義的、というか。だけど、その姿勢は今からすると、きっぱりしなさ過ぎるし、弱いね。
A:確かにその、多義的、ないし両義的なものを求めようとする傾向は持ってただろうね。使うレトリックにしても、“右翼的な組織に敢えて所属し、一見国家主義的な記事を書いているかに見えて、実は理想の生産力理論を練っていた”とか、弁明してるんだけど、
ただ、その問題の記事読むと、「東亜共同体として」とか、当時の日本軍国主義と同一の概念を使ってるし、ファシズムと紛らわしい理論を書いている。所属を替えれば、ファシストにもなり、スターリニストにもなれる。
要するに、生産力主義、国家主義的な統制経済理論、なわけだから。
B:その辺がね。言い訳した分、余計に狡猾さが出てしまった。ただ、吉本も書いてるけどね、戦争協力したことを責めようとしたんじゃなくて、何故なら戦争協力したのは皆そうなんだから。妙な抵抗理論を展開しだして却って馬脚を出してしまった。
A:しかも説教臭いからな、花田は(笑)。何でお前みたいな奴に「政治の厳しさを知らないアマチュア」とか説教されなきゃならんのか(笑)。
A:花田といえば埴谷や吉本との論争が俎上に上げられることが多いでしょ。スガも花田清輝論でかなりの頁を割いてる。今回、2つの論争を改めて読み直してみたんだけどね。まず現在吉本との論争について。一般には両者による応酬がテキストとして挙げられるんだけど、
実は決定的なテキストは吉本による『日本ファシストの原像』だと思った。この評論には花田の名前は一回も挙がってはないんだけど、花田が戦争中に関わっていた東方会の会長、中野正剛の思想が社会ファシズムの理論的支柱として検証されている。
北一輝に影響されながら、農本主義的側面を切り捨て、独占資本主義、それと国家膨張政策の一体となった形を吉本は中野の思想にみてゆき、その変遷を考証している。中野の書いた綱領として、政治、経済、社会、文化、あらゆる面からの国家統制、生産力主義、
反自由主義を挙げ、それが戦時の民衆を捉えようとするがさほど支持は生まなかった。しかし、社会ファシスト中野の理論的変遷は、戦中戦後にわたる独占資本の歴史に、また「社会主義」を装った全体主義国家の成立とそれへの同伴に無批判なまま流れ込んできている。
検討されるべきはそこにある、と吉本は結論づける。評論なかばに吉本はこう書いている。
《このような特殊な事情によって、天皇制権力のイデオロギー的な戦争責任の問題は、農本ファシズムと社会ファシズムのイデオロギー構造によって追及されねばならず、この解明によって戦時下と戦後をつなぐ、農民運動と労働運動の問題点を摘出する作業が
つづけられなければならない。》(『日本ファシストの原像』)
俺が思うに花田=吉本論争の一番の成果というのは論争がほぼ終結した1960年2月に出たこの評論じゃないかって気がするんだよね。ここには花田の「は」の字も出てこないんだけど、でも実はこの評論全体にかぶさる影として花田の存在がある。
花田のような存在、戦中は転向社会ファシストで戦後は共産党系に鞍替えし、ソ連の同伴者となったヌエのように捉え難い政治主義者をどう捉えるのか、それと、そのような“人材”に仕切られて行く戦後の労働運動
(花田のように“文化運動”から戦後の労働運動へ流れ込んだ人間は花田だけではない―これは花田が「ノーチラス号応答あり」で自ら語っている)とは一体何なのか、ってことだ。
B:『花田清輝』の中で、確かスガは、花田が超越性への飛翔に禁欲的だった、としているけど…。
A:どこにも現存していなく、かつて現存したこともないもの、を仮に「超越性」「超越者」と呼び、それを希求することを「超越的」と呼ぶとすれば、階級や国家の消滅、あらゆる組織的愚劣さの止揚、それへの渇望というのは超越的だ。
その渇望というのは至極もっともであって、その場合には「超越的」であることは悪いことではないよ。何でも「現実を知れ!」とか言って現状に追随すりゃあ良いってもんではないよ。花田が埴谷との論争で大人ぶって説教していたことは結局そういうことだ。
この手の人間が言うことは決まってる。「じゃあどうすればいいのかをちっとも提示しない」と花田とか、最近では柄谷行人とかも批判するんだけど、無理やり提示する必要はない。八方塞がりが真実ならそこから始めるしかない。それが物書きの誠実さってものだ。
花田はもちろん、柄谷行人に埴谷の政治批評を揚げ足とって批判する権利なんかあるわけない。
B:花田との論争で書かれた埴谷の政治本質論は凄い…。凄いとしか言えないね、あれは。花田に色々揶揄されてるんだけど、第三者としてみると、揶揄してる花田の方が鈍感さと倨傲さにこちらは呆れ、花田が悲惨な人間に思えてくる。こうまでしらばっくれる、
というのがね。
A:埴谷の批評は真っ暗なんだけど、花田の方のは暗さを通り越して空っぽだ。何の現実感、現実との摩擦も感じられない。
B:あれはそういう意味では鈍感で、あれらの論が孕む射程の広さと深さが理解し切れなかったとしか思えないな。まあ、その鈍感さを称して「大人」だとも言えるのかもしれないけどね。
B:スガの『花田清輝―砂のベルソナ』といえば、花田吉本論争の再検討を行い、従来の見方のように“吉本の勝ち”と簡単には決められない、むしろ、よくよく読み返すと、吉本による花田ファシスト説にせよ、
花田のテキストを吉本が読みこなせなかった故の勘違いである、とした。スガの『砂のベルソナ』の影響というのは、後の柄谷、浅田、蓮実、三浦による『近代日本の批評』においても見られる。そこでもスガの読解にならった花田吉本論争への言及が為される。
まず、この論争の焦点としてスガが挙げ、検証している『復興期の精神』におけるトマス・モア論というのがあるんだけどね、スガはそこでの花田の文章を吉本がまるで読めてないことを細かに実証している。具体的にはマルクス『資本論』第二部資本の流通過程
第20章「単純再生産」に書かれている交換形態
《(1000v+1000m)T―生産者の手に生産手段の現物形態で存在するこの価値は、2000Ucと、すなわち消費手段の現物形態で存在する価値と交換される。これによって資本家階級Uは、自己の不変資本2000を、消費手段の形態から、ふたたび消費手段の生産手段の形態に
―その資本が労働過程の要因として・また価値増殖のために不変資本価値として・あらたに機能しうる形態に―転態した。他方では、これによって、Tにおける労働力の等価(1000Tv)と資本家Tの剰余価値(1000Tm)とが、消費手段に実現されている。
両者ともに、生産手段の現物形態から、収入として消費されうる現物形態に転態されている。》
を表した範式
2000Uc=(1000Tv+1000Tm)
をもって花田がこれを、未来のユートピア社会における数式であるとし、ゆえに切実さを失わないことを述べている、また、現代の課題として、《現代の課題は、資本制社会の枠内において、まず、いかにしてこの単純再生産の基礎を確立するかにあるのだ。》
(『復興期の精神』「ユートピアの誕生―モーア」)と述べている、それにたいして吉本が、資本制社会で単純再生産の基礎を確立する、というのは社会ファシズムに他ならない、とした。そのことへのスガによる反論がある。
B:どう反論したかといえば、要するに、“花田があそこで言いたかったのは、『資本論』の単純再生産理論をそのまま現代のユートピア理論へ当てはめている人々―それは戦時中の社会ファシストのことだ―をアイロニカルに批判したのである”てものだ。
つまり、花田がアイロニカルな批判として描いたものを吉本は“アイロニー”を読み取れなかったが故に誤読し、“花田は社会ファシスト”と弾劾した。スガの論旨は大まかに言えばそんなかんじだろ。
A:その問題は大雑把にやらないほうがいい。順番にやっていこう。まず、『資本論』の「単純再生産」から行こうか。「単純再生産」てのはマルクスも言ってるが、要するに、剰余価値が資本家の収入にしかならず、消費に全て使われることにより、
資本の蓄積を生まず、資本の増殖が生まれない、それが特徴だと言っていい。マルクスはこれについて、たしか「不思議な話だ」とか書いているはずだ。そりゃそうだ。拡大再生産こそが資本の運動に他ならない、それがそうならない、てわけだから。
B:スガも『砂のペルソナ』でそこを引用してるね。曰く、
《不変な規模での単純再生産は、一つの抽象として現れる。すなわち、一方では、蓄積または拡大された規模での再生産がまったく行われないということは資本主義的基礎の上では奇妙な仮定であり、他方では、生産がそのもとで行われる諸関係が
どの年にも絶対に変わらないというようなことはない(だがそれが変わらないことが前提されているのだ)という限りで、単純再生産は抽象なのである。》(『資本論』第二部 第20章 第一節)
A:確かにマルクス=エンゲルスはそう書いている。そこを引用することでスガは、《「単純再生産」は、次章「蓄積と拡大再生産」のための論理的な前提にすぎないのであって、決して実体的に捉えられるべきものではない。》(『砂のペルソナ』108頁)とする。
つまり、単純再生産を具体的に成り立つ経済循環のように扱えないし、扱うべきでない。花田の「単純再生産」についてもそうで、花田はあり得ない(空想)として書いている。それを踏まえずに本気で花田が単純再生産をユートピアと絡めて論じた
とするところに誤解の端緒がある。と。
A:だめ押しのようにスガは言う。
《だから、資本制社会において単純再生産表式を(たとえその基礎をであろうと)確立しようとすることは、「マルクス主義の典型的なファシズム化」(吉本隆明)といった代物でさえない。少なくとも『資本論』とは無関係なものなのである。》(『砂のペルソナ』108頁)
B:そのようにスガは完璧に花田を擁護した。かに思えるね。
A:そう。かに思える。実はスガが引用したマルクスのテキストには続きがある。そこは『砂のペルソナ』には書いてない。
《だが、蓄積が行われる限りでは、単純再生産はつねに蓄積の一部をなし、したがって向自的に考察されうるのであり、蓄積の現実的一要因である。》
つまり、単純再生産は資本の蓄積の一形態として考えられる。別のところでもマルクスは書いているが、拡大再生産においても、剰余価値が資本家の収入にしかならない場合は具体的にあり、そんなことをいちいち気にする必要はない、とね。
《われわれは、まず単純再生産を考察したが、そこでは、全剰余価値が収入として支出されることが想定された。現実には、正常的事情のもとでは常に剰余価値の一部分が収入として支出され、他の一部分は資本化されねばならない、―といっても、
一定の期間内では、生産された剰余価値が時にはぜんぶ消費され、時にはぜんぶ資本化されても、いっこう、さしつかえない。》(『資本論』第二部 第一篇第二章第一節)
B:先の『ユートピアの誕生―モーア』における花田の立論の特徴を改めて挙げると、君が説明したところの単純再生産の特徴、すなわち「剰余価値は全て、資本家の収入として、生活消費として支出される」があくまで《資本制の枠内で(…)確立されるか》という風に、
資本制の継続の中で確立すべき課題となっている点にあるだろう。そこに吉本は引っ掛かったのだし、花田の単純再生産理論がただのユートピア理論でなく、ある政治社会体制を導出する、と吉本が考えた理由もそこに求めるべきだろう。
A:つまり、マルクスが『資本論』の中で説明している、《蓄積の現実的一要因》としての単純再生産なわけだ。何故ならば、資本制の中で資本の運動が継続される限り、剰余価値の蓄積と資本への転態は不可避だと考えられる。そこに労働者の窮乏を加えてもいい。
とにかく資本制の固有な運動、それを強いる力動を避けることはその中にいる限り不可能だと考えるべきでしょ。
B:この辺で参考のために、花田が生前残した興味深い発言を取り上げてみよう。吉本との論争の後だと思うが、『儒生、時務を知らず』というエッセイで花田はこう残している。
《たぶん、わたしが『塩鉄論』からそんな印象を受けたのは、現代が資本主義社会から社会主義社会への転形期にあたっており、わたし自身が、ソ連の計画経済の一歩、一歩、実現されてゆく過程を、半世紀にわたり、ひそかに羨望の念をもって見守ってきたからであろう。
わたしには、いま、ここで、前漢の塩鉄論争にふれたついでに、ソ連における最近の経済論争についてもふれてみたいといったような大それた気持ちはさらさらないが、われわれの周囲に、リーべルマン方式がどうのこうのといって、ソ連の社会主義の資本主義への変質を
説くような連中さえあらわれついる状態なので、この際、一言、資本主義国と社会主義国との根本的なちがいは、それらの国々において、生産手段の生産部門が、げんに国有化されているかどうかという一点にかかっているということを、改めて強調しておきたいと思う。》
最後までソ連への幻想を捨てなかった花田の政治思想の特色がよく表れている。
B:同じエッセイのこれより前にはこう残している。
《なるほど、桑弘羊の眼中には庶民の利害などなかったであろう。しかし、かれの擁護する、塩、鉄、金、その他重要物資の生産管理、均衡経済の維持、物価の調整、税制および兵賦の整備―等々の経済政策には、管仲ゆずりの合理主義の脈々としてながれているのが
うかがわれて興味深いが、それらの政策を否定する連中には、倫理的な主張があるだけであって、つまるところ、good old daysへのノスタルジーしかみとめられないではないか。》
要するに花田の政治思想としては、統制経済、反自由主義、兵役、物資統制、総動員体制といった諸々の諸要素による国力増強、超国家主義という概念を抜け切ることは最後までなかった。その事は上のような何気なエッセイにさえ濃厚に浮かび上がっている。
先の『ユートピアの誕生』にあるのは質素倹約の染み透った戦時体制の国民生活、統制経済と、対外的な政治経済的な膨張、との併存である。
A:『ユートピアの誕生』における問題の箇所、
《いまもなお我々は、たしかにユートピアの実現をねがっているにちがいない。現代の課題は、資本制社会の枠内において、まず、いかにしてこの誕生再生産の基礎を確立するかにあるのだ。》
というのは、ここだけ読んでるとまだ花田の意図が読み取りづらいところがある…。
B:花田という人は、あの『ユートピアの誕生』を書いた戦中、既にソ連型社会主義への渇望を抱え込んでいた人間だと思う。君が“意図が読み取りづらい”とした箇所にしても、その事と関連づけて読めば見えてくるんじゃないかね。
恐らく単純再生産理論というのは花田にとって、ソ連型社会主義の核心部と同義であり、その意味は、国家総動員と内部の経済統制、倹約主義との折衷にあった。それは無論戦時中の日本社会にも該当する折衷である。
だから花田は戦時中の日本を、うまくすればソ連型社会主義へ移行させうる、と考えたのだ。しかし、戦時中の日本にしても、ソ連型社会主義にしても、双方ともにろくでもない、ファシズムの二大形態だとすれば花田はとんでもない勘違いを死ぬまで続けたことになる。
B:花田のソビエト讃歌というのは他にもある。『錯乱の論理』にある『目の鱗』にもある。ジイドがソビエト訪問の際、《行きずりのプロレタリアートの放言》を耳にし、官僚主義や貧困を感じ取り、それを帰国後にジイドが訪問記として公にしたことを
ワイルドに咎められる。花田はそこでワイルドの側にたち、擁護する。要するに“物事は多面的に見なければならない。元々が一人の人間が多面的な存在であろう”の説教を花田は垂れる。そこでのソビエト擁護の論理も奇妙なものだ。
“革命後の社会を正確に判断するのにプロレタリアートの声を鵜呑みにするやつがあるか”というものだ。じゃ、誰の声を聴けば良かったのかといえば、
《ソビエトの政治を知るためには、ソビエトの政治家におもむくべきであり、行きずりのプロレタリアートの放言を、あれほど重要視すべきではなかったのだ。》
花田はさらにソビエト官僚を擁護する。“社会の自然成長性にたいし、理知の力で乗り越えようとする偉大な試みを実践しているのはソビエト政治家達である”と。
《(ソビエト官僚達の仕事とは)いずれも反自然的な、組織する力としての理知の極度の緊張を要する仕事であり、人民と共にありながら、人民の中に埋没しない――否、むしろ、はるかに人民を超越した、抜群の理知の所有者の実践の結果であった。》
この『眼の鱗』には花田の奇妙な“理知”も唱えられている。曰く、“もっと嘘をつけ”というものだ。どう言われているか。
《苦々しげにワイルドは呟く。私は君(ジイド)の唇が面白くない。まるで一度も嘘をついたことのないひとの唇のように真直ぐだ、嘘をつくことを教えたいものだ、君の唇が、古代の仮面の唇のように、美しく歪むように。》
A:何だ、そりゃ(笑)どういう意味?
B:まあまあ、花田はジイドの作品『架空会見記』になぞらえてこう説教する。
《何故、(あのとき)架空会見記をでっちあげなかったのだ。》
つまり、ソビエト訪問の感想なんか『架空会見記』のように、上手くやっとけばよかった、てことだ。それこそが“歴史の理知の上に立つ反自然的実践”とでも言いたいのだろう。まさに『錯乱の論理』ここにあり(涙)。
A:あー…そういうこと。それはでも、ちと錯乱が過ぎるよねー(苦笑と溜息)。それは笑えないなあ、俺は。何でそんなことになったのか…。その、『錯乱の論理』て何年の本?
B:待て。調べるから…。判った。『花田清輝全集第三巻』の解題がある。それによれば、《『錯乱の論理』は、1947年9月25日、真善美社より刊行された著者の第三評論集。》とある。つまり戦争終わって2年後の評論なわけだ。
A:戦争終わって2年後に既にこのような立場なわけね。このような立場、というのは、簡単に言えば社会主義革命のためならいかなる堕落も謀略も虚言も辞さない、という立場。
B:そう。むしろ、ジイドへのワイルドの語り口を借りれば、“革命という目的のためなら唇を曲げてでも、何でも言う、それくらいの気概を持てなくてどうする”的な、組織優先主義をあからさまにしている。
A:いや、“どうする”て言われても、そうまでして何で唇曲げなきゃならないの(笑)唇曲げたくないから。
B:花田ってこんなふうに凄むのが得意な奴だった、て判る文章だよ、これ。これが花田によれば《ただ、ただ、甘いが上にも甘い》と形容された埴谷雄高などには解りっこない、“甘くない”政治の在り方だったのかね。
A:いやあ、甘いとか辛いとかの問題じゃないよね、ここまで来ると。うーん(苦笑)何度も言うが、何でこうなるの?
B:その、何でこうなるの?という問いが、多分戦時中の花田の問題になると思う。例の東方会という社会ファシスト団体に寄生しながら雑誌に論文を書いていた、というその時代のね。
花田は何とかして戦時中の日本の独占資本主義を、社会主義へ転換できないかを考えていた。『ユートピアの精神』を見るかぎり、日本独占資本主義における資本を国家が独占すれば、そうして国営化を貫徹し、民間企業への富の集中を禁止すれば、
日本型独占資本主義はソ連型社会主義へ移行できる、と考えていたのではないか。つまり、どういうことかといえば、花田にとって、戦時中の日本とソ連型社会主義とは、かなりいい線で接近している、と見ていたのではないか。戦後すぐの先に挙げた評論などを辿る限り、
戦争が終わってからあのような陰謀史観に魅せられた、とは考えにくい。むしろ、戦時中からあった。人民への圧政による全体主義の実現が最優先されるべきだった。
A:確かに言われてみれば、花田にとっての日本の戦時体制というのがどういう意味合いを持つのかは、吉本との論争文『ノーチラス号応答あり』に花田自身が抜粋した、戦時中の『軍事工業新聞』に書いた経営論文にも伺われるね。
そこに花田が書いている生産理論、生産責任者論、“大経営下での生産責任者の道徳的責任と科学的態度の止揚”“科学的因果と倫理的目的の止揚”等をみると、指揮者の生産力増強、生産効率強化の意識に道徳的責任が接続され、
二つは一つであるかのように主張されている。これは典型的な戦時総動員体制の理論――つまりファシズム理論――だと思うが、しかし、また別の角度から眺めると、ソ連型社会主義国家の典型的な生産力理論にも読める。
実は花田の中で、二つはさほど区別されてはいなかったのではないか、という疑いがある。
B:日本の戦時中の総動員体制とソ連型社会主義国家の総動員体制と並べて、ソ連型は完全国営企業化されている、という違いはあるものの、構造としては近いと見ていた可能性がある。例の『ユートピアの誕生』で引用される単純再生産理論にしても、
花田の脳裡にイメージとしてあったのは、国家に全面的に経済体制を掌握され、統制され、富の均等化を施された、ソ連の社会主義のイメージで、日本の戦時中のファシズム体制からそこへの移行が問題だったのだと思う。
そうして、それはさほど難しくはない、と考えていたかもしれない。
A:例えば、『季刊思潮』8号の座談会『ロマン主義批判の帰趨』でスガは、あの単純再生産理論が戦時中の経済学者の発想で、花田はそれを批判するためにあの批評に引用したのだ、とあるけども…。
B:スガの見方というのは面白いんだけど、花田の思想的遍歴に蓋をすることで引き出されている議論だよ。第一、あそこを普通に読む限り、他人の学説を批判するために書いたのではないことは明らかだよ。
《現代の課題は、資本制社会の枠内において、まず、いかにしてこの単純再生産の基礎を確立するかにあるのだ。》
と書かれているのは他人の学説についてなんかじゃないし、花田自身の思想だ。花田の戦中戦後の他の批評文を読み、改めてここを読めば、“他人の思想のアイロニカルな引用”なんかではないことは見えてくるよ。
B:ソ連型社会主義国家の内実については、「社会主義」という名の「国家資本主義」だとする指摘もある。その根拠としては、資本主義的生産様式の条件、
《生産手段が資本として、また労働が賃労働として、生産過程そのものによって絶えず再生産される。というのは、この過程は、たんに諸使用価値や諸商品の生産過程であるばかりでなく、
諸使用価値や諸商品がそのなかで再生産されるところの社会的諸関係、生産諸関係の再生産過程であり生産過程でもある。》(『資本論草稿集H』「いわゆる本源的蓄積」742頁)
のなかで、資本主義生産様式では生産手段が資本家の所有だとされる、そこでの生産手段の所有者を国家に変更すれば、資本制生産様式はそのままソ連型「社会主義生産様式」へ、残りを何一つ変更しないまま名称を変えることが出来る、とする。
そうして、現実にソ連で実現されていたのがそのような生産様式であったのは判っているのだから、「国家資本主義」というのは全く無根拠な名称ではなく、かなりな普遍性をもつ名称だと言わなければならない。
詳しくはネットで公開されている、『ソ連=国家資本主義論』(松尾匡)という評論で解説されているし、興味のある人は読んでみたらいい。
松尾は上記の論文で、ソ連型社会主義生産様式について、
《遅れた小農民経済が工業化して一人前の資本主義になるための強引な経済成長システム、いわゆる「本源的蓄積」のための体制とみなす。》
とする。すなわち、賃労働制の一般化を敷延するための「国家の強引な介入」が特徴だとする。そうして、この段階のソ連型社会主義生産様式を、「低い段階の資本主義」として規定している。
そのような指摘はかなりな普遍性を持っている。実際、ソ連は、本源的蓄積が達成された今、資本主義へ移行してしまっているのだから。
花田清輝が戦時中にソ連信仰に冒されたまま、国家独占資本主義からソ連型社会主義への移行を夢見ていた、それが理論的に無根拠ではない、それは「生産手段の所有者」を資本家から国家へ変えてしまえば実現されることに伺える。
同時に、その場合に民衆の貧困や圧政、国家総動員体制なども何一つ変わらなかったろうことも推測される。
A:だんだん核心部に入ってる気もするんだけど、戦時中の花田が問題意識として抱えていたものが、日本の戦時総動員体制――すなわち、財閥と国家の癒着、強力なる経済及び産業管理からなる国家独占資本主義体制――からソ連型社会主義生産様式への移行だったという事、
その事は一方で強いソ連信仰を保ちながら、別の一方ではファシスト団体に寄生し、戦時において、一見時局と無関係な批評文を書いていた、その事が暗示する花田の思想の内実に関わってくる…。
B:まさにその通りで、問題は、君が言った、「ファシスト団体に寄生しながら、一見時局と無関係な批評文を書いていた」、その批評文とは何だったのか。そこに来てしまう。
問題は、一見時局と無関係な批評文が、実はこれは花田の意図だったとも思うが、まさに花田が“時局”に託したものの内実を暗示するものであった、というところにある。
では花田が時局に託したものとは一体何だったか。
それが君が冒頭に纏めた国家独占資本主義からソ連型社会主義への移行にあった。しかし、実は花田が夢見ていたソ連型社会主義とは、「社会主義」とは名ばかりの、国家資本主義なのであり、しかも、日本の戦時中の国家と似て非なるものであり、
一部の特権階級(共産党)のみが富を独占し、労働者に精神的・物質的隷属を強制する似非「社会主義」に過ぎなかった。花田は死ぬまでそのことに気付くことはなかった。
A:スガが「花田はファシストの言説をアイロニカルに引用した」とする「ユートピアの誕生」も、その文脈で捉えられなければ解らない、てことだ。
B:花田吉本論争の再検討としてスガが持ち出した、「ユートピアの誕生」における《現代の課題は、資本制社会の枠内において、まず、いかにしてこの単純再生産の基礎を確立するかにあるのだ。》は、上記の花田の思考に当てはめれば、
国家独占資本主義からソ連型社会主義への移行を表す。しかし、二つの国家社会体制とは、日本やロシアの民衆の立場からすると、双方ともに否定されるべきものでしかない。何故なら、双方ともに、対外的な帝国主義的膨張と、
対内的な民衆への搾取、隷属――ソ連の場合は、建前上は階級の止揚された無階級社会とされる、が、それは階級社会の国家的再生産でしかなかった――を基礎とするファシズムでしかないからだ。
A:ところで『近代日本の批評U 昭和篇 下』(講談社文芸文庫)111-112頁で浅田彰という稀に見る秀才が、花田吉本論争における「ユートピアの誕生」をめぐるやり取りが理解できないとこぼしてるんだけどね。
《吉本隆明の花田清輝への批判というと、(…)もう一つは、『復興期の精神』について、トマス・モア論で単純再生産に基づくユートピアを論じているのはファシズム的生産力理論であり、(…)》
《スガ秀実に言われるまでもなく、(吉本による批判が間違いだというのは)自明のことでしょう。拡大再生産で生産力をどんどん成長させて、転向左翼の場合は資本主義的生産関係を自ずと打ち破るところまで持っていこう、というのが生産力理論で、
単純再生産では話にならない。(つまり、何で単純再生産をユートピアだとするとファシズムだと批判されるのか、話にならない。)》
としている。
B:4点だけ挙げてみれば理解できる話なんだけどね。
1.『資本論』において、単純再生産は現実には蓄積或いは拡大再生産の一要因である、として捉えられている。これは『資本論』の第二部第20章第一節に述べられている。
《だが、蓄積が行われる限りでは、単純再生産は常に蓄積の一部分をなし、したがって向自的に考察されうるのであり、蓄積の現実的一要因である。》
つまり、単純再生産といっても、現実にあり得るのは、《蓄積の一部分として》であり、でなければ《一つの抽象》になる。単純再生産が蓄積と無関係だとは言えない。
2.花田清輝は戦中戦後通じてソ連型社会主義国家への信仰から抜けたことはなかった。また、ソ連信仰と結び付くのだろうが、階級社会はなくならないと考えていた。共産党独裁は、言い換えれば、支配階級の存在は不可避だと考えられていた。
3.極度に発達した独占資本主義は生産手段の所有を巨大化した資本が請け負っている。また、資本は国家と結びつき、対外的膨張と対内的搾取を為す国家独占資本主義となる。そこから生産手段の国有化、すなわちソ連型社会主義への移行を実現させる、
というのが戦時中の花田の問題意識としてあった。
4.「ユートピアの誕生」で花田が問うのは、資本制社会の下で、如何にして単純再生産の「基礎」を実現するか、にある。
187 :
しげき:2008/04/13(日) 11:49:27 O
こんな所に人力さんがいるの?
スレッド上げないと、誰も書き込みしないでしょう?
AとBのおっさん、吉本は花田の「ユートピアの誕生」を間違って引用して、
その上で論理を組み立てているというのが、
スガの本(『花田清輝ー砂のペルソナ』)の言っていることのキモなんだよ。
その誤引用見つけたの?
>>188 > AとBのおっさん、吉本は花田の「ユートピアの誕生」を間違って引用して、その上で論理を組み立てているというのが、スガの本(『花田清輝ー砂のペルソナ』)の言っていることのキモなんだよ。
> その誤引用見つけたの?
A:188氏、「誤引用」云々のくだりは勿論知ってます。スガによる具体的な指摘としては、『砂のペルソナ』第三章、鎌田哲哉との対談、『小ブル急進主義は原理たりうるか』でスガが述べています。
スガが問題にしている箇所とはこのくだりです。
《我々の時代のユートピアは、経済的には、単純再生産の表式によって正確に表現されるでもあろう。》(「ユートピアの誕生」より)
で、スガはここでの花田が《表現されるでもあろう。》という風に、《でもあろう。》としている点を取り上げる。スガによれば、吉本はここを論争文『芸術運動とは何か』で引用した際、
《我々の時代におけるユートピアは、経済的には、単純再生産の表式によって正確に表現されるであろう。》
と、すなわち《表現されるであろう》と誤引用していた。で、その誤引用は、スガによれば吉本の単行本でも同じく誤引用されており、しかし途中、何刷目からか、正確に引用されるようになった。
で、スガによれば、この《でもあろう。》が《であろう。》に誤引用されることによって、この文章の真意は歪められてしまった。それをスガはこう指摘する。
《この末尾が間違っていて、花田の原文は『でもあろう』なんですよ。つまり花田は、ユートピアにおける単純再生産をアイロニカルに否定しているわけですが、吉本さんは花田がそう考えていると受け取って、つまり誤読して、『ファシスト!』と言って糾弾する。》
(『小ブル急進主義は原理たりうるか』より)
これが要するにスガによる“花田吉本論争の隠された真相”なわけである。つまり、花田吉本論争は吉本の誤読によって“花田ファシスト説”が措定され、それによって吉本の勝利にされたにすぎない、と。スガによれば、
《埴谷なども、この論争は吉本の勝利だ、ということを言い、そこにおいて新左翼のヘゲモニー形成がなされていく、という問題があると思うんですね。》
とされる。
190 :
考える名無しさん:2008/04/13(日) 20:09:54 0
「勝利だよ、勝利だよ」としか言わない吉本
吉本に論争で勝てるやつはいない
A:我々はスガによるそのような指摘を知ってはいた。知ってはいたが、スガが騒いでいるほど大した問題ではない、と考えた。
B:つまり、あの部分が、またそれに続く部分が、ひいては「ユートピアの誕生」が、ひいては『復興期の精神』が、どのような意味を持つのかは、花田清輝の戦中戦後にかけての思想的遍歴を明らかにすることがなければ解らない、という立場をとった、という事ね。
A:そう。だから我々の考察は、もっぱらその方面に集中した。そうでなければ、スガがやっているような、たかだか「ユートピアの誕生」の一部分に“アイロニー”があるかないか、に拘泥している限り、花田清輝という思想家の像が霞んで行くしかない。
B:例えば、『近代日本の批評』で浅田彰がぼやいてるような話、“何で単純再生産の確立がファシズムになるのか、そんなわけない”てな方向になる。
実際は、あの当時、吉本は花田の戦中戦後にかけての言説を相当程度収集していたはずで、吉本は論争する際にはそのくらいはやる人間だから、だからあのくだりの吉本の批判も、花田の戦中戦後にかけての言説を通読しながら出てきたものだと考えられる。
スガがやっているような方法では花田清輝の像は見えては来ない。また、例のくだりの吉本の真意もまた見えては来ない。
A:そこで前レスで取り上げた、『近代日本の批評』中の浅田彰による批判なんだけど。
浅田は花田清輝がどのような言説を戦中戦後にかけて述べていたか、知った上であのような疑問を呈しているのか、というのがまずあるんだけどね。
B:我々のような素人の読書と思考さえ浅田がしていたのか、という疑問があるね。していたなら、花田の思想として、戦中からの変わることないソ連信仰、それが戦中には国家独占資本主義からの移行として捉えられていたであろう事くらいは掴まなきゃいけないよ。
戦時中の日本やソ連など、国家総動員体制を基礎にしたファシズム国家であり、花田の思想における「社会主義」とか、そこの限界を終生越えることはなかった。
また、マルクスが『資本論』に書いているように、単純再生産と蓄積は、現実には両立することはあり得る。その場合、単純再生産は拡大再生産の一要因となる。それだけ聴いてまだ「ユートピアの誕生」のあのくだりが解らないってことはなかろう。
資本論の理解については、スガや浅田が言うとおり、単純再生産など現実に存在しないし、
あるとしても、どうしてそれがファシズムになるのやら不明。
花田の論争当時の「文芸時評」は読んだの?
花田は、ソ連信仰から最もとおい人間だったのも、林達夫の「共産主義的人間」を自分の月曜書房から出したことで明らか。
林もそのことを書いている。
論争当時、吉本が花田の「東大陸」その他の時局論文を読んでいた形跡はない。
読んだのは、花田全集が出て以降。
それ以後、吉本は花田をファシストとは言わなくなりました。
A:192が何か書いているんだけど、今さら白々しいというか、我々のレスに対してやみくもな否定や無理解を投げてるだけにしか見えないんだよね。この人が挙げている無理解への応答は必要ないね。解読は既に前のレスで為されてるし、改めてやってもこの手の人は無駄だ。
B:信者だからね。2ch.に最も多い。信者の精神構造というのはそれ自体考察にも値するだろうけど、まともに相手にしてもキリがない。また、信仰は信仰でいつまでも気の済むまで信仰してればいいとしか言えない。他人の信仰にケチ付ける気はないしね。
A:俺たちもやりすぎた感もあるからな。あそこまでスガの花田擁護論を破壊することもなかったろうとか。スガの一世一代の取り組みなのに微塵にぶち壊してねー。浅田の無能ぶりも指摘したわけだし、俺、だんだんスガや浅田の信仰者が気の毒になってきた。
B:バカ。今さら何言うか。もう遅いわ(笑)。
ただ、花田清輝に関して言えば、花田の思想的限界はあるにせよ、それをもって読むに値しないとまでは言えないよ。花田の文章は面白い。あれを歴史の闇に捨てるのは勿体ない。
A:あらゆる意味で吉本隆明とは対照的と言える。その面白さがあるんじゃないかね。ソ連をどこまでも擁護し、また、陰謀に魅せられる。花田の政治観というのはそれ自体が陰謀による政治観だと言えるでしょ。人を騙す事にひどく多大な意義を見出だしている。
B:吉本は花田を回想し、いつでもその場の状況で豹変し、不意討ちを食らわす事が可能な人間、としている。「あんな奴だと思わなかった、とこぼしてる人間について、今ごろ怒ってるなんて馬鹿じゃないか。あんたらが思っているような人間じゃないことくらい俺は
とっくに見破ってたよ、て思いました」て埴谷に語ってる。「花田って人は公しかない人で、いつでも人間の問題が抜け落ちてる」とかね。あの座談会は面白いね。
A:あと、花田が魅せられた政治観として、いかなる残酷な、酷い方法でも目的の崇高さがあれば肯定的になれる、またならなきゃいけない、というのがある。あの感性というのは、その後の1960〜1970代の左翼の闘争に受け継がれたような気もする。
内ゲバから企業爆破にいたるまでのね。
↑
Aこの「二人」ってブヴァールとペキュシェ?
Bそれとも、ウラディミールとエストラゴン?
195 :
考える名無しさん:2008/04/15(火) 07:05:17 0
吉本隆明自身、「大衆」にあわせてコロコロ意見を変えてるじゃねえか。
もっとも、『近代日本の批評』で言及されているように、その時々の
「大衆」の意見にたえず同情(同乗)しているという意味では、彼は
一貫しているけれど。
(吉本隆明がそのようなスタンスをいつからとるようになったかについては、
スガが批判しているところの小熊英二『<民主>と<愛国>』に詳しい。)
その表面的には常に考えが「豹変」しているように見えても、根本的には
一貫しているという構え自体、吉本は花田から学んだんじゃないのかね?
B:ところで192レスだけど、あんたの言うように、いたずらな、または投げやりな無理解がほとんどなんだけど、面白そうな話も混じってるじゃないか?ほら、ここだ。
>花田は、ソ連信仰から最もとおい人間だったのも、林達夫の「共産主義的人間」を自分の月曜書房から出したことで明らか。林もそのことを書いている。
ここのところだけ、妙に引っ掛かった。花田がソ連信仰から遠い、とこのエピソードで判る、て192は言ってるわけだから。で、192の有難い指摘に甘んじて調べてみた。
A:わざわざ読んでみたのか。そりゃまたご苦労さん。で、どうなの。192の指摘は当たってるの。
B:最初に林達夫の『共産主義的人間』を読んでみた。これは立派な文章だよ。林達夫ってのは花田(1909年生まれ?)の世代より一回り上で、略歴によれば、1896年生まれ、京都大学文学部哲学課を1922年に卒業、岩波書店の『思想』の編集やったり、
東洋大学、法政大学、立教大学などで文化史、フランス哲学などを講義したりしていた。戦前から『ファーブル昆虫記』の翻訳、ベルクソンの『笑い』の翻訳、その他の著書を発表、戦後は中央公論社理事、同出版局長を務めたり、出版の分野では平凡社『世界大百科事典』
編集長を務めた。思想的なエッセイもあり、192が挙げている『共産主義的人間』は中でも1951年、スターリン批判の遥か前の段階でソ連批判をやっている。
『共産主義的人間』では革命ソビエトの思想統制、社会主義イデオロギー至上化とナショナリズムが混宥し、対外的にはインターナショナルな主張を押しつけながら、周辺国への干渉が日常化している、内部のロシア民族は西側の情報を制限され、
これが至上の国家だと思い込まされている。
また、共産主義思想を根絶やしにしない、という目的のために、下らぬ政治ボスが支配する必然性を抱えている。聖者のような共産主義者よりか、専ら現体制を拡大維持したがる政治ボスが必要とされてしまう。
それは矛盾だが、致し方なくなっている。等々の矛盾が次々に挙げられている。
これを花田が容認していたとすれば大したもんだ。実は花田はソ連が危険な全体主義国家であることを認識し、何とかせねば、と終生思っていた。のか、と。
A:それは、だけど、俺たちが読んだ、花田のこれまでの文献にある像とは違いすぎるね。本当に花田が林達夫のそのような批判を容認してたのか?だとしたら花田の政治思想にも救いはあった、てことになるけどね。
B:ちなみに林達夫は久野収との対談『思想のドラマトゥルギー』の中で、花田にたいする謝礼を述べている。曰く、“林達夫著作集が出来たのは花田君のお蔭だ。花田君はこの著作集を支える二本の脚の一つだった。”
A:ほう、何だか相当なつながりを感じるね。本当に花田がそんな批判を受け入れてたのか…本当かねえ…(苦笑)
B:本当かねえ、と思わず首を捻ってしまう。まさか、いや、え?
A:いいから、先を言え(笑)
B:花田が林達夫の活動を支えていたのは林は回想から伺える。ただ、林の書いた『共産主義的人間』を花田がどう取ったのか。それが問題だと言える。それが見つかるかどうか…。あったよ。『さちゅりこん』所収の『ホセの告白』にかなり長く、
花田は林の『共産主義的人間』への感想を書いている。以下、花田が対話式の形で述べている、林の『共産主義的人間』への感想を並べてみよう。
《誰も林達夫を現実主義者だなんて思ってやしない。せいぜい、かれは、幻滅を感じた理想主義者にすぎん。》
《(林は)すべて公認されたものにたいしては、一応、異をたててみなければ、気のすまないようなところがあるのだ。いくらかツムジだか、ヘソだかが、まがっているのだね。》
《たしかに林達夫は批判しているが、あれは、きっと自己批判にちがいない。まったく林達夫なら(ソ連が自国に有利に科学史を捏造しているように)「ラジオを発明したのは、イタリアのマルコーニではなく、ポポフというロシア人である」なんて言いだしかねないよ。》
《おれは、もう、(ルイ・アラゴンが『共産主義的人間』に描き、林達夫に感動と当惑を与えたような)善意ばかりふりまわすような共産主義者には、飽き飽きしているんだ。》
《(『保元物語』に出てくる頼長が「夜討は卑怯だから止せ」と為朝の殲滅作戦に異を唱えるところがあるが、林達夫も同じで)一見、堂々たる見識の持ち主のように見えないこともないが、逆に敵から夜討をかけられて、ひとたまりもなく捕捉殲滅されてしまうのだから、
だらしがない。》
B:《―(林達夫のような)お公卿さんの眼からみれば、戦略戦術を心得ている人間は、為朝にかぎらず、ことごとくボスにみえるだろう。かれら(お公卿さん)に何と言われようと気にすることはないじゃないか。問題は人民の先頭に立って敵を捕捉殲滅することができるか
どうかにかかっているんだ。》
《しかし、林達夫は、べつだん、ブルジョア学者のお歴々に追随しているわけでもない。鮮やかにかれらを料理しながら、独自の見解を展開している。》
《林達夫にしても、福沢(諭吉)の孫みたいなもので、猛烈なFIGHTING スピリットの持ち主だ。もっとも、三代目だから、売家と唐様で書く可能性は十分あるがね。》
《つまり、非政治的人間の純血型か。胸に火をいだきながら、燃えくすぶってしまうやつだね。ブルジョアジーに結び付くことも出来なければ、プロレタリアートに結び付くことも出来なくてさ。ロマンティックだねえ。》
《民族資本家の牛耳っているような(他国の)民族運動を、ソ連が、無条件で支持するはずがないじゃないか。》等々…
要するに、花田はちっとも変わってない。相変わらず、込み入った論理を駆使し、その目的は何とかしてソ連がやっていることを合理化したい、また、林達夫のような理知的に分析する人間へは、彼はブルジョアの味方でもプロレタリアートの味方でもないロマン主義者、
と相手の批判のはぐらかしを狙う。
ただ、花田からみてどこか林には否定しがたい一貫性があった。花田が林をフォローしたのもその辺だろう。もちろん、政治的立場はまるで違うし、この花田の書いた批判にも、林への皮肉は随所にちりばめられている。政治的には相容れなかったのは間違いないし、
林の『共産主義的人間』を花田が読んで癇に触ったことは文章の端々から滲み出てきている。
A:花田は林達夫にたいしても変わらずに花田だった、てことだ。しかし、林達夫のような人間に力を貸すところがあった、というのは発見だね。
B:ときに君、趣味は何だい?
A:自涜だよ。
B:偶然ってのは恐ろしいね。僕も手淫が趣味なんだ。
豹柄谷間
それなんて読むのさ?
B:ところで、こう見てくると、花田清輝には見るべきものは一切ないかのような結論になりそうだけど、実はそんなことはない。スガも著書の中で取り上げている『スカラベ・サクレ』なぞ、なかなか面白い。江戸から昭和の戯作者の系譜をたどりながら、
かれらの残した言説を取り上げて批評しているんだけど、途中、戯作者の思想に託して花田の内面が吐露されている趣がなきにしもあらず、てところがある。
《その点、荷風・淳・安吾は、逍遥とは違って、世紀末のフランスのニヒリズムを媒介にして、逆に日本の戯作者のニヒリズムに近づいてきたらしいが、そのなかでも特に安吾は、ラクロやスタンダールを透かして、18世紀のブルジョア唯物論を血肉化しており、
かれの内部では、どこまでも沒価値的であろうとする要求と、颯爽と価値判断をくだしたいという要求とが、絶えず激しくせめぎあっているようにみえる。》(「スカラベ・サクレ」)
A:いや、それを言うのは早計だろう。第一、それを書いた1954年の2年後1956年に花田は例のモラリスト論争に入り、そこで柄谷や浅田も評価する、教条主義者の面目躍如の活躍を見せるのだから。
《わたし自身は、プロレタリアートおよびそれにつながる大衆の利益に役に立つものは「善」で、役に立たないものは「悪」だと思っており、さらにまた、何が役に立ち、何がやくにたたないかを決めてくれるのは科学だと信じている》(「空想と現実」)
このようなことを書いている人間に「沒価値であろうとする要求」があるとは思えないね。
B:まあ、それを考えると、先の戯作者の思想に託したもの、というのも意味深長になるね。花田はモラリスト論争の後、1957年、「ファルス(道化芝居)はどこへ行ったか」という短文を書いている。そこで花田はソ連によるハンガリー侵攻を
《2つの玉がぶっつかって、かすかな音をたてただけのことであって、べつにとりたてて問題にするほどのこともないのだ。(…)それがとりもなおさずファルスの精神であって(…)》
としている。やっぱりこいつは骨の髄からの政治的ニヒリストだな、と解る文章だった。この短文を読むかぎり、歴史の中で踏み躙られる民衆の悲しみなど、ありきたりなものだとされるしかない。花田にとって、戯作者の精神も、甘っちょろいものだった可能性があるね。
203 :
考える名無しさん:2008/04/17(木) 23:33:48 O
A:花田って人には確かに才気走ったところがあるし、教養も凄い。しかし、『共産主義的人間』への反応にしても、革命を成し遂げるには政治的ニヒリズムを避けては通れないのであって、策略の渦の中に入らないわけにはゆかない、という信念がね、抜けない。
抜けないのが本当なのだ、と思っていた。
B:だから花田からみれば多分、ドストエフスキーもまだ甘い(笑)となる。
A:埴谷雄高に影響を与えた「アマチュア」(笑)
B:ある意味、大した人間だとも言えるよ。そこまで政治を大事にできるというのは。
A:花田なりの信念もあったのだろうがね。現実をみろ、甘いことばかり言ってるんじゃない!とね。俗物的な大人によくいる。
B:どこだったかな、確か「目の鱗」だったと思うが、“真の個人主義は真の集団からしか生まれない”とか書いてる。
《個人主義の発達は、社会主義の実現をまって、はじめて可能であるとワイルドの断言して以来(…)》
《個人主義のいかなるものかをつかむためには身をもって、社会主義建設の苦難の道を、歩いてみるほかあるまい。》
とワイルドやジイド(ソ連批判前の)を引用している。
実際は社会主義国の中で、個人主義が抹殺され続けた歴史に蓋をするとんでも発言だよ。むろん、それをもって反対に、個人主義を実現するには資本主義しかない、などと言えないのは当たり前だけども。
A:あれを、個人と社会の二律背反をどうするか、という問題設定にかえれば、また面白くなると思うけど、花田の場合、社会主義というのは社会主義“国”と同義なわけだから、自ずと出てくる話には妙なな弁証法が付いて回る。
B:でも、花田の言説というのは今読み返すと、微笑ましいところがある。苦笑を誘うところがいっぱいあるし。
A:牧歌的だよね。というのは、今がそれくらい荒み切ってる、てことでもあるんだけど。1950年代だからね、花田が埴谷や吉本とやりあった黄金時代は。
B:あと、どうしても言わなきゃならないのは、花田の言説をたどると、その後の吉本隆明の仕事のモチーフが透けて見えてくる、てところはある。文学作品の価値をどこにおくか、とか、前衛の問題、マルクスとマルクス主義、その後の吉本隆明の仕事に、
花田の存在は乗り越えなくてはならない敵として相当な影を落としたね。
確かに「生身の生活者」とか言って誤魔化しが効いてた時代は「牧歌的」以外の何ものでもないよな。
さすがに「生身の生活者」じゃイケなくなったインポ気味のオナニー野郎のズリネタに無理矢理仕立て上げられて、
花田清輝も苦笑しているに違いない。
205 :
考える名無しさん:2008/04/18(金) 01:21:59 0
どうでもいいが、ここのキモ厨房は、本スレのほうに妨害をかけてこないでほしいw
基本的にマスかいてるだけだから無害だろう。
マス・イメージで自家発電だよ。
ここ相撲バカはもう過去の人。
C:今日は携帯の代わりにマラを握り締めているようです。
A:野次馬が帰ったところでまた始めるか。
花田といえば今、ネットで『連続講座「花田清輝―その芸術と思想」』とかいう連続講座が公開されている。それぞれがかなり長いし、力が入った話を展開している。生前親交の深かった武井昭夫などが花田の人と批評、思想を語り尽くす、みたいな内容だ。
読んでると、花田って人は結構人望があったんだな、て解った。吉本との論争についても武井は語り、“あの論争というのは今思うと何の積極的な益もなかった”と結論づけている。その結論についてはまあともかく、花田も死後にこうまで擁護されて幸せな人だな、
と思ったよ。
B:そのネットで公開されてる連続講座は俺も全部じゃないけど一部読んだよ。面白かったね。あー、こんな擁護の仕方もあるんだなあ、て。あんたの言うように、花田も幸せな人だな、とは思った。そこで早速だけど、この連続講座について気になったところを挙げてみたい。
A:もうやるのか(笑)またまた引っ繰り返すのか。
B:うんにゃ、引っ繰り返すも何も。そんな大した事じゃない。些細な疑問だよ。これはどうか、という箇所だけを。
A:で、どこのこと。
B:これの第一回に湯地朝雄って人が出て、『復興期の精神』の思想とその背景、てことで喋ってる。この講義自体は凄く面白かったし、教えられることもあった。ただ、この講義の中で湯地は戦時中の花田の論文について検証し、時局に迎合しているかにみえて、
いかに花田が社会主義思想をそこに盛り込んだかを事細かに分析している。ちなみにその論文というのは中野正剛が主宰する東方会の機関誌『東大陸』だ。そこに花田が書いていた論文についてなんだが。
気になった箇所というのは湯地の以下のような分析だ。少々長いが引用してみよう。
《しかし、なんといっても傑作なのは、「ブロック経済」「統制経済」によって朝鮮の工業化をはかるべしとするこの論文の結論部分でしょう。「現在は独占資本主義、帝国主義から、統制資本主義、ブロック主義への推移期である」とまず花田は言います。
そして、「ブロック経済下にある台湾、朝鮮、満州に於ける産業の発展は、まさにこれからという状態である」とし、「統制経済」について次のように言っています。(続く)
(続き)…統制資本主義は内包的に、先ずブロック内の富の開発による自給自足経済を企図する、かくて増進せる富を、その賃銀化、購買力によって、ブロック内の大衆一般に均霑しようとするものである。
…統制経済は独占資本の弊を矯め、生産を社会的な立場によって合理化し、大衆の購買力増大による必需品の生産につとめ、これに伴って、市場の拡張を計るものである。
これは要するに、統制経済・ブロック経済に名を借りた、社会主義経済そのものではありませんか。社会主義だのマルクス主義だのと一言も言わずに、何食わぬ顔をして、社会主義の経済政策を内外に向かって説いているのです。》
曖昧な概念によって埋め尽くされてるのでよく解りにくいが、花田の意図をより正確に再現するならば、ここで花田が用いている〈統制資本主義〉の前に〈国家〉を附ければ足りる。何故なら、経済を統制する、というが、誰が統制するのか、
花田の話ではちっとも解らない。すなわち、ここで花田が指示するのは、国家独占資本主義から国家統制資本主義への移行である。すなわち、国家独占資本主義への国家の介入を強化する、ということである。前にも指摘したが、花田の発想がこの辺りによく表れている。
もう一つまた、ここで花田が意図するものを知るための重要なセンテンスとして、《生産を社会的な立場によって合理化し、》というのがある。つまり、国家が生産を計画的に調整する、また生産関係を支配する経済を意味する。
また、《富を、その賃銀化、購買力化によってブロック内の大衆一般に均霑する(均質に潤す)》というのがある。湯地が指摘するように、ここで花田が想定するのは社会主義経済である。それも、国家によって生産、所有権を統制、制限された国家社会主義である。
国家によって生産を調整される、また、国家によって富が均等に分配される資本主義。これはいわゆるソ連型社会主義を念頭に置いての発想だろう。
これは湯地が言っているように、
《朝鮮・台湾への植民地支配や中国への侵略を正当化し美化する帝国主義イデオロギーにたいして、右翼の機関誌を利用し逆用して、確固としたマルクス主義の思想に立って批判するという、かなり知的労力を要する作業》
だと言えるだろうか。
亡霊をズリネタにするのってあんまりいい趣味とは言えないことは確かだよ。
B:湯地には悪いが、そうは思えない。何故ならば、花田がやっていたことは、マルクス主義的立場からの、日本の帝国主義的侵略の正当化に他ならないからだ。
如何に文明史の立場から、発展段階的に解釈し、位置付けてみても、日本がやったことがそれで尽くされるわけではない。花田が書いていたことに一分あったとしても、目的や結果がよければ全て許されるわけがない。
A:そこなんだな。つまり、花田って人の一貫した思想として、目的が崇高ならば、手段は問わなくてもよい、という発想が抜きがたくある。それは戦後にいたるまで一貫してるよね。湯地って人の解釈にはそのような問題がすっぽり抜けてるよ。
B:逆に言えば、そこが抜けてるから、戦時中において、ファシストと肩を並べ、機関誌に書くことを可能にし、また、過程の問題を抜きにした、惨たらしい現実との折衷的な革命論が可能にもなった。
A:だから、いわゆる花田=吉本論争の問題に、今の問題があったわけで、たまたま目の前に現れた歴史に乗っかって、便乗して革命的展望を考えていた、てことが抵抗と呼べるのか、という疑問が起こってくるよね。
B:しかも、花田の発想の中に、自らの革命的展望から抽出された持論、“この戦争は社会主義革命に結び付くかもしれない、故にやり方が正しいか否かは解らぬが、これはこれで良い。”という見方があるとすればね。
少なくとも、武井昭夫や『批評空間』同人の言うような、大した論点などない、などとは言えない。
A:その、“社会主義革命に結び付くかもしれない”という場合の社会主義のイメージの問題が入ってくる。帝国主義・独占資本主義と近似値的な国家社会体制―ファシズムなわけで、そこへ移行させようとする発想が既に問題だよ。
A:花田については柄谷行人[編]の『近代日本の批評』でもかなりな頁を割かれ、論じられている。ちなみにこの『近代日本の批評』というのは、“面白いけど為にはならない”本の筆頭だと思うんだけど。
B:うまい事言うね(笑)。
A:花田清輝に関して言えば、まず目につくのが浅田彰の脳天気さね。浅田は花田の『復興期の精神』について、こんなことを言っている。
《そもそもみんなが転向の問題で悩んでいるときに、サッとコペルニクス的転向を対置してみせる、その手並みは鮮やかですよね。あるいはガロア論のところだって、内面なんて言うけれども、人間の組織の問題なんて群論につきるのではないか、と言い放ってみせる。》
(『近代日本の批評T昭和篇 上』講談社文芸文庫 260-261頁)
A:「コペルニクス的転向」というのは、地動説を発見したコペルニクスが、これを宣言した際に起こるであろう弾圧やパニックを回避するため、敢えて密やかに同時代の波を泳いでいった、これを花田は、コペルニクスは敵達が互いに戦いながら潰し合いになるのを
じっと待っていた、これは立派な闘争である、とする。
ガロア論では、組織の問題を関数的に還元して、所詮組織などこのように考えて行くしかないであろう、と理知的になってみせる。このガロア論の最後には、
《すでに魂は関係それ自身になり、肉体は物それ自身になり、心臓は犬にくれてやった私ではないか。(否、もはや「私」という「人間」はいないのである。)》
という独白まで添えてある。
浅田は花田のこのような文章をしきりに感心して論じている。
俺は浅田と違い、花田のこのような文章を読んで、権謀術策に魅せられいかれた精神の悲惨さと奇形性を感じた。無論、それだけじゃなしに、レトリックの巧みさや教養やらもあるにはある、その面白さはあるし、冴え渡り方、てものもある。
だけど、大丈夫か、この人は、という冴え渡り方なんだよね。
花田って人は「理知」やら「反自然」やらを、また「方便」やらを重視した人だろう。その歪(いびつ)さを感じる。溢れるばかりの教養や冴えがあるんだけど、反面、その人間観がいびつだという気がするんだよ。
この人の考え方って他人と媒介なしにまともに向かい合う瞬間がないような気がするんだ。
B:うまい事言うね(笑)。
A:ついでに言えば、AとBのこのエセ「対話」形式自体が、他人と媒介なしにまともに向かい合う瞬間がないような気がするんだ。
B:うまい事言うね(笑)。
A:どの面下げて言ってんの? 大丈夫か、この人は、という間抜けぶりなんだよね。
B:うまい事言うね(笑)。
A:だから自画自賛はもういいって!
B:うまい事言うね(笑)。
A:それは吉本隆明が花田について言っていることとも関わる。『復興期の精神』の当時はまださほどあからさまではなく、微妙な偏光として現れてきているに過ぎないが、戦後になると、いよいよその傾向がはっきりしてくる。
というのも、戦中と違い、戦後は言いたいことをオブラートに包む必要がなくなって、言いたければかなり露骨に言っても良くなった。そこで花田の思想的な問題も露骨に現れてきた。
どこが駄目なのかといえば、花田において、人間観として、<真理に奉仕する><真理に奉公する>、という関係が疑われたことがない。いつでも物神化された対象との関係で人間が考えられて行く。花田にとってはその物神性の方が優先権をいつでも持っている。
答えは予め決まっている。また、そうならばあとは別に良い、ということも決まっている。
『復興期の精神』は確かに面白い本なんだけど、教条マルクス主義との関係で、新しい味を加味している、その分その面白さについては保留がついてしまう。
その教条マルクス主義自体がつまらないものである可能性も必ずついてまわるからだ。
浅田彰の場合、疑われるべきその信仰が先験的に存在し、検証が必要ない。だから、あれらの花田の作品が高い評価をされることになる。
B:吉本隆明は花田とその同類について、
《まあ窮極的には、この人達は政治至上主義であって、人間なんていうのはどうでもいいっていうことだろうな、ていうことですね。》(座談会『思索的渇望の世界』より)
と喋ってるけど、その発言の意味があんたが言ったことなんだろうね。
216 :
考える名無しさん:2008/04/22(火) 20:52:36 0
花田って滝川事件での学生運動にコミットしてたんだな。
浅田彰ともそこで交流があったかもしれない。
浅田が花田を評価するのも当然か。
217 :
考える名無しさん:2008/04/22(火) 20:57:16 0
↑
これは間違いだった
時代が違うorz
B:今の話、マルクス主義の同伴者の批評、というのが花田清輝だった、『復興期の精神』の面白さというのが結局それだった、というのは、花田についての批判であると同時に、花田を再評価しようとする浅田や柄谷についても当て嵌まるんじゃないかね。
彼らの批評というのは面白いところもあるんだが、それは結局、マルクス主義の同伴、または再構築という位置をめがけていくものである、その限界だよね。
A:『近代日本の批評』という本の限界の一つとしてそれを挙げることは出来るんじゃないかな。花田についての浅田や柄谷の言説にその性格はよく表れてるよ。ちょいと柄谷の言説を引用すると、花田の「群論」を解釈してこんなことを書いている。
《しかし、「魂は関係それ自体に」なったといっても、それは一切の主体を否定するということではない。なぜなら、右のようにいうこと自身が「主体的」なのであるから。戸坂は、それにかんして、「私」と「自分」は違うのだと言っている(『認識論』)。
「自分」とは、この私、シュティルナーのいう単独者であって、けっして万人に妥当する「私」のようなものではない。いいかえれば、このような「実存的」意識のゆえに、彼は逆に、「私」や「実存」を振り回す議論を拒絶したのだ。》
(『近代日本の批評T昭和篇 上』講談社文芸文庫153-154頁)
読んでて、柄谷の単独者理論もここまで通俗化したかと愕然とさせられたよ。『探究U』で語られたあの理論もこうなってはお仕舞いだと思った。あの本の時点ではけっこうイケてると思ったんだけど。よりによってマルクス主義の主体性理論に格下げするとは、
<単独性>も浮かばれまい。
A:いや、あの本の時点で、いかようにも解釈可能になるよう、柄谷は単独性については曖昧化してもいたよ。“定言命題の束には還元されない”プラス、あの章の後で出てくる可能世界論とペアになってたでしょ。あの可能世界論というのは、単独者の内実はどこまでも
非‐規定的、その意味で倫理的、というのが暗に考えられていた、と思う。あの頃、柄谷がしきりとサルトルを再評価しだしていたのでピンと来た。あー、こういう方向性か、てね。サルトルの哲学はまさにマルクス主義の同伴思想だし、だんだん読めてきた。
ミスした。やり直し(;^_^A
B:今の話、マルクス主義の同伴者の批評、というのが花田清輝だった、『復興期の精神』の面白さというのが結局それだった、というのは、花田についての批判であると同時に、花田を再評価しようとする浅田や柄谷についても当て嵌まるんじゃないかね。
A:彼らの批評というのは面白いところもあるんだが、それは結局、マルクス主義の同伴、または再構築という位置をめがけていくものである、その限界だよね。
B:『近代日本の批評』という本の限界の一つとしてそれを挙げることは出来るんじゃないかな。花田についての浅田や柄谷の言説にその性格はよく表れてるよ。ちょいと柄谷の言説を引用すると、花田の「群論」を解釈してこんなことを書いている。
《しかし、「魂は関係それ自体に」なったといっても、それは一切の主体を否定するということではない。なぜなら、右のようにいうこと自身が「主体的」なのであるから。戸坂は、それにかんして、「私」と「自分」は違うのだと言っている(『認識論』)。
「自分」とは、この私、シュティルナーのいう単独者であって、けっして万人に妥当する「私」のようなものではない。いいかえれば、このような「実存的」意識のゆえに、彼は逆に、「私」や「実存」を振り回す議論を拒絶したのだ。》
(『近代日本の批評T昭和篇 上』講談社文芸文庫153-154頁)
読んでて、柄谷の単独者理論もここまで通俗化したかと愕然とさせられたよ。『探究U』で語られたあの理論もこうなってはお仕舞いだと思った。あの本の時点ではけっこうイケてると思ったんだけど。よりによってマルクス主義の主体性理論に格下げするとは、
<単独性>も浮かばれまい。
A:いや、あの本の時点で、いかようにも解釈可能になるよう、柄谷は単独性については曖昧化してもいたよ。“定言命題の束には還元されない”プラス、あの章の後で出てくる可能世界論とペアになってたでしょ。あの可能世界論というのは、単独者の内実はどこまでも
非‐規定的、その意味で倫理的、というのが暗に考えられていた、と思う。あの頃、柄谷がしきりとサルトルを再評価しだしていたのでピンと来た。あー、こういう方向性か、てね。サルトルの哲学はまさにマルクス主義の同伴思想だし、だんだん読めてきた。
B:ただ、サルトルと柄谷、浅田の違いはあるよ。サルトルはいくらマルクス主
義同伴者だといっても、緻密な作家論ができる人だったし、誰かと違ってまめ
に本に目も通さずに論じるなんてことは(全くないとは言えないが)できない
人だった。西欧の思想家らしく、緻密な論じ方をしている。なにより違うのは
、特に晩年に資質の問題をクローズアップするようになる。資質と生きた時代
の関係が気になり出してゆく。生まれ持った資質というのが「乗り越えがたい
」こと、またそれはどのようにか、に焦点を当ててゆく。その辺の突き詰め方
というのはやっぱり一級品だという気がする。
A:それは、結局、マルクスにおける人間規定をどう解釈するか、て問題でもあ
る。マルクスは人間とは、社会的諸関係の総体である、としている。これを以
て全ては社会的諸関係に還元される、ととるのがマルクス主義だろう。この考
え方には特有な主体性概念が結びついている。これは色んな言い方が可能だろ
うが、マルクスの言説を聖典化する、てところから離れられない。普通に考え
て、「社会的諸関係の総体」てだけで人間の全活動が規定されるわけがない、
と判りそうなもんだけど、それが認められなくなる。花田とか柄谷の考え方の
根底に抜き難くあるのがそれなんだ。
A:そのマルクスによる「社会的諸関係の総体」(「フォイエルバッハに関するテーゼ」)という規定だけど、こういう規定というのは有効範囲がはっきりしていなければ無意味な規定だと思う。事実この用語が書かれるセンテンスでは、これがフォイエルバッハの
「人間的本質」を「現実的」にはどうか、という問題意識で自分が解釈し直したものだと書かれている。フォイエルバッハにしてもマルクスにしても、ヘーゲル哲学の読み換えを延々続けていた人間で、その文脈で読まれなければどうしようもない。
いいかえれば、これらのテーゼをalmightyに取るべきではない。ところで、マルクス主義というのは、今指摘した、固有な文脈でのテーゼにたいしてalmightyととるところに特徴がある。
B:『批評空間』同人は今言ったその部類だろうね。いいかえれば根本がマルクス主義だということ。
A:それで、興味深いのが、『近代日本の批評』で柄谷が戸坂潤の『認識論』を批評して言っている箇所があるんだけど、そこで柄谷は、戸坂が柄谷も『探究』で展開した単独性を理解している、と評価している箇所がある。つまり、マルクス主義的だからといって、
主体性をないがしろにしているわけではないと解った、と評価している。その、柄谷が評価している戸坂の「自分=単独性」とはいったい何か、というのが気になるんだ。
《たとえば、彼(戸坂潤)はシュティルナーを引用して、「自分」というものを「私」とは別だという。それはデカルトのコギトの問題に関係するんだけど、彼はコギトは「自分」だと言っている。それと「私」一般は違うんだと。認識論的な、現象学的な哲学には、
いわば単独性としての「自分」は出てこない。万人に妥当する「私」しかない。つまり、反映論をとることと、そういう単独性の問題が戸坂においてはつながっている。》(『近代日本の批評T 昭和篇上』255頁 講談社文芸文庫)
B:結局、問題は個体を、その存在構造をどうとるか、という問いが柄谷には抜けていた。抜けていたから単独性といっても、固有名との関わりで論じるところで止まってしまう。実は最も重要なのは、単独的なものが、外に他者をみるのと同時に自己の内部に他者を抱え、
引き裂かれるものである、というところにある。
B:西欧近代の思想家というのは、内部にある他者について、様々に論じてきた。それがマルクス主義を含めたファシズムやスターリニズムの権力にたいする歯止めでもある、というように。フーコーの場合、権力というと、内部の他者を無実化し、自己の同一性を促し、
規律を植え付ける知をひとつ意味している。
A:フーコーの論文『主体と権力』(1982)など、そうだよね。近代における<主体化>のもつ意味について、明快に分析している。
B:フーコーの論文を読むと、柄谷や浅田といった面々の思考の正体が浮き上がってきて面白いよね。彼らの思考はフーコーの知の考古学のなかにすっぽり収まってしまう質のものだ。
A:柄谷は引用のなかで、“単独性について、現象学派はいっこうに取り上げなかった”とか、またまたデマを流してるが、フッサールの分析する内在的知覚や体験流等の諸概念にはリアルで緻密な存在分析があるし、単独性の存在構造や他者の分かりにくさについて
遥かに言い当てているよ。
《(内的)知覚と(内的知覚によって)知覚されるものとは、本質的に一つの無媒介的な統一を形成し、つまり、ただ一つの具体的なコギタチオという統一を形成している。》(『イデーンT-T』168頁)
《内在的に方向づけられている諸作用、或いはもっと一般的に言い表わせば、内在的に関係づけられている志向的諸体験とは、その本質に次のようなことが属している諸体験のことと我々は理解する。すなわち、その諸体験の志向的対象がおよそ現実に(内部に)
存在している場合には、その志向的対象が、当の(今の自分の)諸体験そのものと同じ体験流に属しているということ、これである。》(同書167頁)
このようなフッサールの分析のほうが、《体験そのものの固有な単独な本質》について言い当てており、また、構造的に解きあかし得ている。また人間存在の内面性にも肉薄していると言える。ハイデガーは言うまでもない。
言い換えれば、内部の、また外部の他者性の構造について、よく分析している。“現象学派には単独性がない”、とか呆れた発言だ。こっちの方が遥かに徹底的に分析しているじゃないか。
B:『近代日本の批評』について続ける前に、先の花田清輝の「ユートピアの誕生」における<単純再生産=ユートピア>の件について補足をしとこう。
例のスガ秀実の“吉本は「ユートピアの誕生」を誤読しており、花田は当時のファシストをアイロニカルに描きだしたにすぎない。そもそも単純再生産は理論的抽象に過ぎず、ファシズムとは何の関係もない”という件だ。
これについて、花田の戦時中の思想的立場とは、国家独占資本主義からソ連型社会主義(国家資本主義)へいかに移行させるか、に課題を見出だしており、花田の戦中から戦後にかけてのソ連信仰の変わらぬ篤さについて例証した。
すなわち、「ユートピアの誕生」における単純再生産は、そのような花田の戦中戦後にかけての思想的遍歴と関わらせて読むべきである。事実そうでなければ花田=吉本論争の核の一つは掴めないだろう、と。
そこで、これについて、更にいくらか補足を施してみたい。
一つは、「ユートピアの誕生」の、スガなどが論争の再検討のためによく引用していたあの段落の前の段落。そこの末尾にこう花田は書いている。
《ユートピアは、いまでも滅びてはいない。それにあらぬか、原始社会や未来社会は、その自由さの故ではなく、却ってその不自由さの故に、なお時として我々のユートピアであり得るでもあろう。何故というに、我々の社会学者は、それらの社会を、
集団表象や鉄の規律や円滑な再生産の過程をもつものとして描きだす。》
改めてこのセンテンスを読み返した場合、花田がこの作品において、ユートピアを国家社会主義のイメージで考えようとしていたことはよく解る。でなければ先のセンテンスの最後に、《集団表象や鉄の規律や円滑な再生産の過程をもつもの》などという語彙が
ユートピアと関連させて使われる必然はない。
いまひとつの補足。花田が「ユートピアの誕生」を書く前、1935年に『東大陸』に書いたという文章を湯地という研究者が講義の中で引用している。これも先のレスで既に引用しているが、今一度引用してみよう。
《現在は独占資本主義、帝国主義から、統制資本主義、ブロック主義への推移期である。》
《ブロック経済下にある台湾、朝鮮、満州における産業の発展は、将にこれからという状態である。》
(続き)そこから花田はブロック経済下での経済について考察を加えて行く。
《統制資本主義は内包的に、先ずブロック内の富の開発による自給自足経済を企図する。かくて増進せる富を、その賃銀化、購買力化によって、ブロック内の大衆一般に均霑しようとするのである。》
今ではマルクス主義研究の中であまり使われなくなった用語で<戦時共産主義>というのがある。革命後の内戦と他国の干渉への対応に迫られたソビエトが採った経済政策で、生産の中央集権化、生産手段の国有化徹底、余剰農業生産物の国家への引き渡し、
必要物資の配給化、労働力の国家による配分、労働の軍隊化、経済生活の現物化、などが施行される。
国家による徹底した規律、余剰の収奪、総動員体制、必要物資の制限、これらを採用することによってソビエトは革命後の体制を維持せむとした。民衆の生活の安定や豊かさよりも国家体制を優先させ、それにより状況を切り抜けようとしたソビエトの方針がよく表れている。
この時代のソビエトの、徹底した生産‐消費の調整、国家による余剰の収奪、経済生活の縮小、物資の配給、それが国家による計画、軍隊的規律、集団を以て為される、という諸関係、は、そのまま「ユートピアの誕生」で花田が唱えたユートピアの風景に酷似している。
また、このような国家社会主義は、花田にとって、日本の国家独占資本主義、戦時統制と地続きに見えたに違いない。
花田にとって、単純再生産とは、強力な国家統制、戦時統制によって剰余が収奪される国家社会主義の一部である。
また、自身の論文に書いたように、ブロック経済下で自給自足経済をなし、市場の拡大をはかる、購買力を高め、富を均霑する、というのは良い発想だが、実際問題としては具体性が全くなく、そもそも統制経済を敷く、ということは、国家が中央集権経済を為し、
国民生活より国家の安定を優先させる、国民に最低限の生活をさせながら国家が自身の維持・拡張を図る、ということだから、自由主義経済のような経済発展など望むべくもない。
《たとえば、彼(戸坂潤)はシュティルナーを引用して、「自分」というものを「私」とは別だという。それはデカルトのコギトの問題に関係するんだけど、彼はコギトは「自分」だと言っている。それと「私」一般は違うんだと。認識論的な、現象学的な哲学には、
いわば単独性としての「自分」は出てこない。万人に妥当する「私」しかない。つまり、反映論をとることと、そういう単独性の問題が戸坂においてはつながっている。》(『近代日本の批評T 昭和篇上』255頁 講談社文芸文庫)
A:ここで柄谷が読んで評価している戸坂潤の論文というのは『道徳の観念』という論文なんだけど、確かに柄谷が言っているように、後半部分に「個人」と「自分」を比較し、それは違うのだ、と考えている。
《たしかに自分はあるようだ。しかし、どういうことが自分が存在しているということであるか、又、なぜ自分が存在していると云うことが出来るか、という問題になると、解答は極度に厄介なのである。デカルトの、「自分が考える、故に自分が存在する」というのが、
何等の推論でないのは言うまでもないので、この「故に」は単に、彼が自分というものの存在を事実上すでに仮定していることの告白を示す気合いか掛け声にしか過ぎない。―とにかく、少なくとも自分というものは、普通の意味での存在性を持ってはいない。
普通の意味では存在しない。従って普通の意味では無だ。》
そこから戸坂は更に進み、モラルの観念へ進む。
《寧ろモラルは常に社会的モラルだ。社会機構の内に生活する一人の個人が、単に個人であるだけでなく正に「自分」だということによって、この社会の問題は所謂社会問題や個人問題としてではなく、彼の一身上の問題となる。一身上の問題といっても決して所謂私事
などではない。私事とは社会との関係を無視してもよい処のものだ。処が一身上の問題は却って正に社会関係の個人への集堆の強調であり拡大であった。》
という具合に、戸坂は「自分」を無視することなく、それと社会との関係をつけようと試みる。この辺りが柄谷が再評価したがっているところなんだろう。
B:その論文は読んだけど、たしかに「自分」てものの存在性を考えようとするところはいい。しかし、戸坂の良いところはそこまでで、全体的に古いよ。
226 :
考える名無しさん:2008/04/30(水) 22:16:21 0
129 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2008/04/30(水) 20:57:04 0
せっちゃんのご希望に沿いそうな答えを一つ挙げるなら、
資本主義の勝ち組/プレカリアートの両極端ではない、状況の解釈と実際を
脱構築/再構築するような運動ってNAM的なものが挙げられると思う。
それは、最も虐げられた階級の爆発にこそ革命の希望をみる立場を批判する
理論から出るアイデアで、柄谷なら先進国においてこそ未来の萌芽を模索すべしと
いってた。つまり、怒りによる運動のよわいところでこそ模索すべき
(あえていうならコミュニズム)運動の形態があるはずで、それこそがNAM的なものとなろうという、ま、
自営業者や協同組合主義者をその構成員、フリーターや学生を(準)構成員・賛助会員として
迎え入れていたわけです。運動の方向性とインセンティヴがプレカリアートとは
重なり合う部分もあるけれどややずれていたといっていいでしょう。
もちろん、リストラやサービス残業に苦しんでる会社員ともずれる。
いずれにせよ、最も爆発しそうな虐げられた階級ではない者たちの運動の一つとして
NAMという形態は今後もありうるんじゃないか、とは思う。もちろん、
ま、どの階級も最も爆発しそうで、なおかつ、
それぞれの流儀で虐げられてる階級といえなくもないんだけどねw
少なくとも最も虐げられたX(ex.プレカリアート)だけが、そしてこれこそが最も革命的だ、
みたいなアイデアを呼び起こしがちだった古めかしい二項対立図式偏愛への
皮肉は、浅田はむかしっから著作なりメディアなりで述べてきた。変わんない。
B:柄谷と不思議な一致点があるのはたしかに面白いね。柄谷の単独性の立論同様に、「自分」を無だ、とするところとかね。面白いんだけど、でもそこは、柄谷の単独性が曖昧化されて、結局マルクス主義との折衷概念になってゆくのと同じ中途半端さがある。
本当なら、「自分」と社会―というよりマルクス主義―とをそう簡単には関係づけられない筈だよ。そこには謂わば千里の距離があるとみたほうがいい。そこが安易だよ、戸坂の立論にしても。
A:戸坂は文学主義とかいって、「自分」に拘る思考を排斥するんだけど、あの辺がいかにも鉄壁のマルクス主義な気がするね。社会と個体の隔たりを認めるのが理論的挫折だと考えている。もっと理論に余裕があっていいのにね。
B:切れ者は切れ者なんだけど。それにしても、戸坂潤をこうまで持ち上げなきゃならないという、柄谷のマルクス主義ぶりはある意味感心するな。他に考えることないのかなあ。
A:ハイデガーを柄谷はゲルマン民族主義者と規定して、そのまま放っておくでしょ。そのツケはいつか回ってくるとは思ってたけど、せっかく単独性とか関係の非対称性とか、斬新な概念を考えるとこまで来てたのに、たいして発展しなかったからね。
B:ハイデガーからマルクス主義へ跳躍するのは無理がある。物象化をハイデガーはルカーチからとった、て説はあるが、ルカーチがまたこれが退屈きわまりないからなあ(笑)あんまり並べて欲しくはないんだけどね。とにかくハイデガーからマルクス主義へ行く道はないよ。
ないことにしとこう(笑)ただ、マルクスになるとまた別だと思うけど。
A:いや、ないから柄谷もあれほど毛嫌いしたと思うしね。ハイデガーの思想は柄谷の毛嫌いする概念のてんこ盛り、てところがある。
B:いや、あんなのに褒められたくはない。花田と同じで謀略好きなところがあるし、信用なんか出来ないからね、あの男は。
A:ハイデガーの思想においては、自己というのは可能性を限られてる。寧ろ限られてるからこそ自己である、てところがあるでしょう。慮りSorgeて概念はハイデガーにとって根本的だけど、慮り、て全方角へ向くことはありえない。そこに有限性が付き纏う。
そこが個体の条件だとしている。柄谷とはあの辺からして水と油だと思う。
ヨ・シ・モ・ト
ヨ・シ・モ・ト
キモ厨がマスかいてる間に柄谷はベトナムに行っていたようだな。
共産党の要人と一緒に地域通貨と世界革命の話で盛り上がったに違いない。
センズリ野郎がカクカクカクカク数万字必死こいてタイプした文章って、
つまるところ「吉本最高」の4字で要約できるところが何とも貧しいよね。
229:
キモ厨がマスかいてる間に柄谷はベトナムに行っていたようだな。共産党の要人と一緒に地域通貨と世界革命の話で盛り上がったに違いない。
A:日本じゃほとんど誰も相手にしなくなったので、柄谷は海外へ出掛けたらしいね。
B:無理もないよ。論争相手のデマを流してまでコトを優位に運ぼうとする自称批評家など、おぞましくて近寄りたかねえ。取り巻きが離れていって、とうとう大塚英志にまでちょっかい出そうとしている。ところが、二人が対談している『新現実』掲載の対談写真みると、
大塚の方は、一切柄谷に裾を開いてない。猜疑心が目付きに出てるよ。“何でこの男は俺のとこなんかに近付いてきたんだろう”て。柄谷がいくら笑顔を振りまいても無駄だ。
A:230のリクエストに添って吉本の名前を出すと、吉本が花田清輝について、“なんであの人が僕ら『現代批評』に近付いてきたのか、今もよくわからないんです”と不思議がってる、そのエピソードを思い出すね。花田は対立することそれ自体が止揚をもたらす、
とかいう勝手な考えであちこちに顔を見せて論争する人間だったらしいから、吉本らの『現代批評』にもその理論たずさえて来たんだろうけど、来られる側からすれば不気味そのものだからね。
B:それはちょうど、柄谷が近付いてきた時の大塚英志の心境なわけだ。“何でこいつは俺のとこなんかに近付いてきたんだろう”なんか似ているねえ。因果は巡るとでも言うべきか。
A:しかし、海外へまで出掛けて自らの理論の宣伝するとは、そこは柄谷は花田を越えたと言うべきだろう。
B:いや、花田は柄谷ほどには孤立はしなかったと思う。『新日本文学』とは宮本が仕切りだすまでは留まってたようだし、除名されるまでは日本共産党の党員でもあった。
集団創作の理論とかも考えたそうだし、対立者と共有しうるものを模索する人間だったのは花田の言説からして確かだ。
A:無理があるけどね。でも柄谷みたいに根元から病んでる人間とは一緒にはしないほうがいいね。
B:そういえば、今の“対立者と共有しうるものを模索する”でいうと、花田と吉本って、1950年代末の論争で、二度と顔を会わせることはなかった、と思ってたんだけど、驚いたことに、1963年の『群像』の座談会で顔を合わせてたんだな。
『吉本隆明資料集1』にあるんで驚いたよ。
A:論争した同士が同じ座談会でまた顔合わせする、ていうのも珍しいし、また
あの論争の場合、罵倒や皮肉が飛び交って、ひたすら険悪なまま終わったから
ね。あれで再び同じ席に同席する、ていうのは珍しい、ていうか…。
B:普通は嫌がる。ていうか、断るんじゃないかなあ。どういう経緯で実現した
のか、編集の松岡祥男が書いててくれたら有り難かった。あれは二人とも嫌が
ったろう。特に吉本など、“論争するときは二度と顔を合わせないつもりでや
っている”と日頃公言してるくらいだからねえ。よく実現したよねえ。
A:あれは、花田のほうは、“対立したまま統一する”とかいう例の理論のせ
いか、吉本ほどは神経質ではない気もするけど。座談会の最中、一回吉本がキ
レル場面があるでしょ。
B:花田に“君は一応詩人ということになってるけど云々”と言われ、“馬鹿
を言え。俺は一度だって自分から詩人だと言ったことはない。人が俺をどう呼
ぼうが関係ない”と言う。あそこも、花田のほうは突然吉本が激昂したので驚
いた感がある。あのくだりを読むと、吉本ほどはあの論争に、花田は力を入れ
てはなかったんじゃないか、て疑いが起こってくる。
A:あれは、論争になったのは1959年だけど、それ以前、1956年の岡本潤を交え
た座談会で花田と吉本の間で戦争責任をめぐって激しい対立があり、そこに、
その後のいわゆるモラリスト論争での「近代文学」派との対立が挟まって、吉
本はあの時は埴谷の「永久革命者の悲哀」を始めとする論調に共感していたわ
けだから、そこでまた花田への反感が増幅された、と見ることができる。
B:花田は戦時中の自分の立場にたいして、“科学的にみれば一概には戦争協力
とは言えない。様々な側面があったことは科学的にみれば分かる”という立場
をとっている。そこが吉本には承諾できかねる。
A:総体的にみれば戦争協力の一形態として括れる、というね。花田にすれば軍
需工場の待遇改善は戦時中の言論としてありえないもので、革命的な意味があ
る。そこを吉本は過大な意味はない、とする。そこらへんの両者の認識の差異
があった。
B:そこは、ソヴィエト社会主義の洗礼を受けた花田らしい見方なんだけど、国
家独占資本主義と国家社会主義(或いは国家資本主義)の親近性を分析しうる
立場からすると、大きな意味はないとみなされる。待遇改善は待遇改善なんだ
けど、国家主義的な生産力の物神的意義付けその理念自体に変更があるわけで
はない。その理念の範囲内の改善なんでね。ファシズムといっても、厚生面で
の充実とか、あることは指摘もされている。決して背反する理念ではない。
A:つまり、微細にみれば抵抗はあった、自分の実践していたような抵抗もあっ
た、とする花田。どこにも抵抗と呼べるものなどなかったとする吉本の差異だ
よね。これは結局、戦時中の日本の政治経済体制とは何だったか、という問題
に直結してしまう。そこで二人の認識の落差が大きかったのだと思う。
B:その辺で我々のこれまでの分析とも関係してきてしまう。
B:参考のため、花田の主張していた、戦時中の工場の待遇改善を示す話を抜粋しておけう。花田は吉本にこう主張する。
《やはりハチマキ生産に対立してテーラー・システムを強調したりすることは、マスコミュニケーションに携わるものの大きな責任だったと思う。それをぼくはやったんだ。》(座談会「芸術運動の今日的課題」1956年)
《アメリカの生産方式の問題もありますが、もっと直接的には、たとえば工場結核の問題を取り上げますね。そうすれば、それはただちに各工場でも予防を実施しますよ。なんらかの意味でそういう目に見えない効果がないわけではないんで(…)》(同)
《軍事工業新聞の社説を読んで、実際、工場の封建的な諸施設が、ささやかながら改良されていったという事実はあるんだ。特に工場結核の問題なんかではね。》(同)
《そういうことを書くことは、あの当時は実際には禁止されていたことなんだよ。一般にはそれはふせておくべきことなんだ。ところが、そういうものを出して、しかもそれが実際に改善されていくということは、
それがつまりレジスタンスのひとつの効果だとぼくは考える。》(同)
因みに「テーラー・システム」というのは、適正な作業時間や適正な作業量など、労働者の潜在意識を分析した上で割り出される、科学的能率的な労働管理を指す。そのようなことを封建的な管理にたいして強調する、ということを自分はやった、工場の衛生面の改善を促す
記事も書いた、そういう記事というのは当時禁止されており、それをやった、というのは立派にレジスタンス(抵抗)だ、というのが花田の主張だ。これにたいして吉本は、そういった花田の行動の意義を認めながらも、それがレジスタンスかということになると
《それをどうしてレジスタンスというのかな。たとえば工場衛生とか、工場管理とか…》(同)
と疑問を呈する。
A:疑問を呈しながら、また、レジスタンスだとしたいならそれはそれでいい、とも言ってるね。
B:工場管理や工場衛生の近代化を促し、労働者の待遇改善に貢献した、というのは立派だけど、ただ、それは日本の封建的な体制に対する抵抗(或いは革命)であってね、それが当時のファシズムへのレジスタンス(抵抗)である、というのは微妙に違う問題でしょう。
A:その問題というのは、日本のファシズムの性格の分析、という問いになる。吉本によれば、日本ファシズムというのは、日本的封建制を片方に残し、もう片方に近代化な国家独占資本制を築く。その折衷型という特殊な型を持っていた。つまり、封建制から距離を取れば、
独占資本主義的イデオロギー、帝国主義へ包括され、近代的なファシズムから距離を取れば、日本的封建制イデオロギーへ包括される。殆んどの場合にはこの双方のイデオロギーの混侑に沈没していった。どちらも拒絶するならば、大衆社会において、
どこにも寄る辺のない孤立しか残されてはいなかった。その折衷型だった、というところに分析の特徴がある。花田の語る抵抗、というのは、日本的封建制への抵抗ではあったろうが、翻って、国家資本主義的イデオロギーにとっては改良的意味しか持たない。
そこで花田の思想はソ連信仰へと地続きとなる国家資本主義的イデオロギーに包括されていった、とみなすことができる。
B:確かにそこは吉本にとって、戦争体験を顧みる重要なモメントだったわけで、花田のように、軍需工場への待遇改善を以て“抵抗もあった”、と簡単に済ますわけにはいかなかった。別に花田の戦時中の業績を無だとみなしているわけではないことには
注意しなければならないだろう。あくまで戦争体験、戦争責任の問い方の問題なんだよね。そこで花田との断層が浮かび上がった。そこでの断層が、ひいては二人の革命理念の断層へとおそらく繋がっている。
A:花田は埴谷との対話のなかで、階級は革命後も残存し、労働者国家の管理をする必要がある、と公言するような思想だった。そこからして大きな違いがある。吉本は、政府などは誰も本当いえば担当したくないのだから、当番制にしてしまえばいい、という立場だ。
そこは相当違う。
B:そこが謂わばソヴィエトの評価の違いだ。花田はソ連による周辺国への軍事的干渉を是としていたからね。ソ連による支配をそうまでして擁護しようとした。そこが我々にすれば理解を絶するところだ。
>吉本は、政府などは誰も本当いえば担当したくないのだから、
>当番制にしてしまえばいい、という立場だ。
吉本って人は馬鹿なの?
>吉本は、政府などは誰も本当いえば担当したくないのだから、
>当番制にしてしまえばいい、という立場だ。
吉本って人は黄泉の国から発言しているの?
239 :
考える名無しさん:2008/05/27(火) 17:20:30 O
柄谷はくじ引きだったらレーニンとトロツキーとスターリンは仲良くやってたとか言ってたな。
花田清輝と柄谷行人ってびっくりするほど顔似てるね
親子じゃないよね
241 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 15:06:24 0
柄谷行人に心酔する人間が多いのは、福田和也がかつて指摘したように、
複雑に絡み合った事柄を委細かまわず単純化してみせ読者に納得させて
しまう「力量」からだろう。叙述されるディテールが事実と違うと指摘
されよう全く意に介さない臆面のなさは、アジテータの面目躍如である。
一時のコイズミが国民的人気を誇ったのも、ものごとを単純化しレト
リックで論理をごまかすやり方がマスコミ受けしたからだ(とこの文章
もものごとを単純化しているが)が、柄谷はいわば「知識人」版の
コイズミなのである。ハイデガーの存在論を繋辞についての議論に
すぎず、言語構造の異なる日本語で生活しているわれわれ日本人とは
縁のない哲学だ、などとのたまわっておられたようだが、解説書程度の
読書体験しかなくハイデガーを語るこの「ど」あつかましさは驚くべき
ものがある。
242 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 16:51:11 0
243 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 19:31:24 0
>>241 コネズミがアホ向けのパフォーマンス政治屋で、サルコジとかと同類
だったが、バ○谷もアホ向けであることは間違いない。
共通点は分かりやすい扇情性にある。
43 :考える名無しさん:2008/05/29(木) 10:33:27 0
見過ごせない小泉純一郎氏の言葉 2008年05月27日 天木直人
ttp://www.amakiblog.com/archives/2008/05/27/#000900 >「・・・いま、ホームレスの人もよく見かけますけども、もし東京でも、北海道でも、沖縄でも、全国、ホームレスが
>「もーう、外で寝るのは飽きた」、「たまにゃあ、うちの中で寝たい」、「風呂に入りたい」って言って、各市町村なり区役所に行けば、
>どの人も、全部住宅を世話する。洋服も世話する・・・(略)しかし、「きちっとした生活はヤダ。やっぱり野原で寝たい」という人を
>止めるわけにはいかない・・・」
>写真週刊誌「フラッシュ」はこう締めくくっている。
>「・・・ホームレスに対してのこの論評は、格差社会の「生みの親」として、軽口の度を超えていないか。」
245 :
考える名無しさん:2008/06/28(土) 00:46:28 O
柄谷の批評、いまだにフォローしてる人、いますか?
246 :
考える名無しさん:2008/06/28(土) 10:41:16 O
柄谷については前レスのA×B形式でニーチェとの関連が抉りだされていた。あの辺がこのスレッドのこれまでのハイライトかもしれない。
とネタのなくなった携帯厨が自画自賛
このスレッドは柄谷への墓碑銘の様相を呈している。単に誹謗中傷でなしに検討し、ある程度の成果は出した。
それにしても、柄谷行人と派生する批評、という系譜はここにきて本当に終わったなあ、という感が強い。あとは柄谷の業績をどう読むか、という作業が残されている。まあ、私は柄谷からはほとんど恩恵は受けてはいないが…。
とネタのなくなった携帯厨が自画自賛
自画自賛か否か、はどうでもいいとして、柄谷の批評にほとんど恩恵を蒙らなかったからこそ冷たい視線で読むことが可能であった、とは言えるだろう。
柄谷や浅田の批評は私にはほとんど何も与えなかった。受け取るほどの頭もないから、とか言われそうだが、実際、読んで不満を覚えこそすれ、感心したことは『漱石論』を除いて皆無である。
私の感想が正しいかは、このスレッドで私が書いたA×B形式を読んで判断してくれればいいと思う。
やっぱ自画自賛だったんだね。爆笑!
A×B形式(笑)、さらに念を入れて自画自賛を重ねるという、どこまでも閉じた携帯厨の言説。
こいつ決定的に欠けているのは「他者」だよね。
柄谷の問題体系がわかるはずが無い。
言わんとしていることを理解した上で否定しているのではなく、
全く理解できなかったのに情念に任せてA×B形式(笑)を延々と続けてしまった
吉本信者の恥ずべき墓碑銘としてこのスレッドのログは刻まれて残るだろう。
>>352 いや、彼こそはわれわれ(とはanyone?)にとっての「他者」だろうし、それはそれとして評価すべきだと思う。
最近思うのだが、柄谷って実は「みんな仲良くしようよ」という無邪気な想いが反転して喜怒哀楽が炸裂して混乱して、
それを必死で構造化しようとしてる気がする(むろんこれも自分の無邪気な読解だが)。
世間の人なんて「みんな仲良く」なんて思ってないよ。結局好き嫌いや欲望で人を判断してる訳だし。
自分の気が合う相手、利害関係のある相手とだけしか付き合わないし。
でも柄谷にはそれが許し難いんだね。
しかしそれ以上に、「仲良く」する事には障壁があるんだな。
この他愛のない事を理解できなければ柄谷は一生身につかないとあえて断言してみたり。
254 :
253:2008/07/02(水) 02:27:18 0
255 :
253:2008/07/02(水) 02:42:05 0
>この他愛のない事を理解できなければ柄谷は一生身につかないとあえて断言してみたり。
>>252が理解できないって訳じゃないよ。
もし気を悪くしたらスマソ。
というかもうそういう次元の問題じゃないんだな。
>>253はあくまでスタート地点を明確にしただけなんだよね。
ここから先が大変なんだ、俺も含めて。
>最近思うのだが、柄谷って実は「みんな仲良くしようよ」という無邪気な想いが反転して喜怒哀楽が炸裂して混乱して、
>それを必死で構造化しようとしてる気がする(むろんこれも自分の無邪気な読解だが)。
意味が全く理解できない。
いったい何を読んでそんな発想が出てくんの?
「みんな仲良くしようよ」って実はお前が思っているだけなんじゃないの?
>>256 無邪気な読解なんだからマジレスすんなよwww
258 :
考える名無しさん:2008/07/10(木) 20:13:54 0
>>58 おれもそこにいたw
確かに学生のあえて投げかけた質問に対し、批判的なコメントをしていたな
善男の「みんな仲良くしようよ」という呼びかけに、愛憎入り混じった返答を寄越し(他者から見ると、喜怒哀楽が炸裂して混乱しているように見えてしまう)続けているのが行人。
こんばんは。東浩紀です。
まず告知ですが、今週土曜日、新宮市で行われる「熊野大学」のシンポジウムに出席します。
何年ぶりかで中上健次をぼちぼち読み直しているのですが、『紀州』や『枯木灘』のあの文章
を中上はいまのぼくより若いときに書いていたのか!と、いささか衝撃を受けました。
そこには、単なる世代の差には還元されない、なんか日本語の質の変化みたいなものが
あるように思います。当時30そこそこだったはずなのに、なんで中上はあんなに渋いのか。
ブログとか書いていまだに学生気分が抜けない(と言われる)ぼくからすると、
それはちょっと驚くべきことです。
あと、その翌日の日曜日、テレビ朝日のサンデープロジェクトに出演します。
テーマは秋葉原事件。こちらは生放送なので、ぼくは土曜日、シンポが終わったら速攻で
東京に帰ることになります。終電を調べたら、新宮を午後5時半には出なければならない
ことがわかり、びびりました。
良スレなため東がじきじきにレスしとる。↑
提供 ル・サンチマン™
264 :
考える名無しさん:2008/08/21(木) 09:19:48 0
逆にハンニバルさんが司るとしても、それほど不思議な時間を
「意思のオブクソップティ」してないかずいぶんと哲学不能でもかまわないのです。
「合理的観点から理解できない」としてもそれを
「止めることが出来ない構造(的要因)」・・・ということになります。
それが「合理的構造的要因」・・・ということになります。
265 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 06:51:10 0
正直柄谷の本をまったく読んでいないので
266 :
考える名無しさん:2008/12/01(月) 06:33:35 0 BE:648180454-2BP(1)
267 :
考える名無しさん:2008/12/15(月) 00:04:17 O
>>239 まさか! 人の権勢欲、疑心暗鬼、相性、利害対立を考えてみたらwww。
そこにインテリで、自意識過剰に美学や思想にこだわり、
どこにでもくちばしつっこむうるさい野郎どもの集まりだよ。
たかだかくじ引き導入程度で仲良くできると本気で言ってんのwww。
268 :
考える名無しさん:2008/12/15(月) 00:06:12 O
>>243 そうですね。
柄谷ファンの人と会って話してみたら、
驚くほど単純で幼稚、思考停止だったので、
ひたすらあぜんとしたことを思い出しましたよ。
269 :
考える名無しさん:2008/12/15(月) 00:07:31 O
>>239 受験秀才は人を見る目が未熟だからな。
柄谷もそうした一人なのかも。
270 :
考える名無しさん:2008/12/15(月) 00:13:46 O
>>236 ホント論壇って利口かバカか分からない人が集まって、
偉そうにしきっているよねw。
メリハリのない構成を見るに、会議ファシリテーション技術の乏しい権力者が、
無理に仕切っているため、無難な内容だが分かりにくく面白味のない
対談や座談会が量産されているようだ。
272 :
考える名無しさん:2008/12/17(水) 19:31:36 O
>>271 そういやトラブルメーカーが多いような…w。
すぐにキレる、しょっちゅう喧嘩したがる、
デンパっぽい立ち居振る舞い、学歴・職歴の割に頭が悪い…等。
柄谷行人って在日朝鮮人なんですか?
ちょっと信じられないんですが、
真顔でそう言うヤツが身近にいたので少し気になって。
ちなみにその主張をしていたヤツは在日朝鮮人なんですけど。
柄谷は日本人だよ
277 :
g ◆0hDKYGFZm. :2009/06/12(金) 11:20:51 0
し
「未来の他者がいるから、われわれの認識は普遍的でありえない、というのではない。
逆に、それを想定しなければ普遍性は成立しないのである。」(『トランスクリティーク』p.73)
test
>「ブルータス」2月15日号 吉本隆明特集 630円
http://www.1101.com/brutus/ BRUTUS第679号吉本隆明特集の特典ページです。
このページでは、
吉本隆明さんの講演集『吉本隆明 五十度の講演』から
ふたつの講演をダウンロードいただけます。
今日の朝日新聞の書評欄は、なかなかであった。見開きの右側、一番上は八木雄二著「天使はなぜ墜落するのか」についての
柄谷行人氏の書評。
----本書には、私がこれまで知らなかった、そして、知りたかったことがつぎつぎと出てくる。著者は誰かの権威にもとづ
いて書いているのではない。わからないことをわかったふりをせずに自力で考えてきた結果として、本書がある。----
----私がつねづね疑問に思っていたのは、なぜ神の存在を証明する必要があるのか、ということである。----
- ---12〜13世紀のヨーロッパには、イスラム圏からアリストテレスなどギリシャの哲学が本格的に導入された。しかし、
それだけではない。その時期、ヨーロッパ各地で発展した自由都市で、自治的な組合組織である、大学が創られた。それがもた
らしたのは、論争によって真偽を決するという態度である。大学で支配的だったのは唯名論者であり、いわば「ソフィスト」た
ちであった。教会や修道院はそれを取りこみつつ、自己を防衛しなければならなかった。神学、あるいは、神の存在証明の執拗
な議論はそこから出てきたのである。----
柄谷行人氏はイメージと違って、優しく率直な人だと思った。
http://lastinghours.jugem.jp/?day=20100207
・81年、ホアンがエレクトロのユニットを結成し本格的に音楽活動を始める
初めて出したレコードは自分達のレーベル「ディープスペース」から
・同時にホアン、デリック、エディーフォークスらがDJチームを結成し地元でディスコを回していた。チームの名前もまた「ディープスペースサウンドワークス」
・83年頃デリックがシカゴハウスと出会いデトロイトに持ち込む
・85年からエレクトロのユニットを解散したホアンが自分で回すハウスのレコードも作り始める
・この間いくつかデトロイトにとって重要なレコードがヒットする
・88年にケヴィンのユニット「インナーシティ」のヒットなどによりTECHNOの名前が定着する。ここまで初期TECHNO
・88年イギリスでアシッドブームが始まる
・デリックやケヴィン達がDJとしてレイヴに参加。「Strings Of Life」がレイヴアンセムになる
・90年前後からシカゴ以外からもアシッドハウスを取り入れたヒット作が続々登場
・91年マイク、ジェフらのURが大活躍。ハードなTECHNOの基礎が固まる
・92年元URのジェフによりハードなミニマルが流行る。ここにほぼ現在のTECHNOの様式が決定。
・TECHNOを始めたのはゴッドファーザー達だが、現在の流れはURメンバーが作り出した
・TECHNOにとって重要なことはほぼ85年から92年までの7年間に起きた。
・機材を使った録音とレコード作成を知っていたのはユニットをしていたホアンだけなので、デトロイトの人はみなホアンにレコード作成を教わった
デリック、ケヴィン、エディー、ジェームズ・ペニントン、マイク・バンクス。みんな
・テクノとはホアンアトキンスの事である
285 :
考える名無しさん:2010/04/30(金) 18:38:31 0
横山やすし=柄谷行人
ビートたけし=浅田彰
萩本欽一=吉本隆明
松本人志=東浩紀
286 :
考える名無しさん:2010/07/04(日) 01:23:59 0
___
,r' `ヽ、
,i"(=・=) (=・=)
/ ;;;;;; ・・ ;;;; )
∧ ヽ. ヽニニソ l
/∵\ヽ /
_,./‐' 、_ ヽ、_ ' ヽ、
,r'ノ:.:.:.:/:.:./:.:''‐ ニ= '´,..-‐' ``ー、
/丿:.:i.:.:.:.l:.:/:.:.:.:.:./:/:丿:.:i ', ', ヽ
l:.:.:.:ノ:.:.:.:/:.:./:.:.:..::.:.:.:.:.:.:ノ:. lノ:. l ',
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.:..::丿:.:i.:.:.:.l:.:/:.:.:.:.:./:/:.:.:.:/:.:.:./:.l:/./ ヽ
.:..ゝヾヾ ::.. :.. , ' 〉ノ
/:l:." :. /` - 、_ノ
::::ヽ、 :.. /:,_=--"-/ 美が炉たんなんじゃろ?っぷえっぷえっwwwwwww
::::::::\ ::.. /:.(エl┼┼"´ っぷりろっちょえー
::::::::::::::ヽ " ヽニ二) ということがようやくわかったようだね?
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::::::::::::::::::::::::::\ ..::::.....:.. ` .:..、_:ノ:.ヽ
::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ、""´/ー'"::::::::::::::::::::::\
はじめて見たがキモイスレだなw
AB対談(笑)の気色悪い文体から吉本信者の香りがする
「物質的な過程あるいは経済的下部構造を生産様式という観点から見ているかぎり、そこに道徳的
な契機を見出すことができない。ゆえに、道徳的な契機は、経済的な構造にではなく、観念的な次
元に求められることになる。(略)しかし、私の考えでは、その必要はない。経済的下部構造を広
義の交換という観点からとらえなおすならば、道徳的次元を「経済」の外に想定する必要はない。
道徳性の契機は交換様式の中にふくまれている。たとえば、交換様式という観点から見れば、共産
主義とは交換様式Dの実現にほかならない。それはまさに経済的=道徳的な過程である。また、交
換様式Dは、原初的な交換様式A(互酬性)の高次元における回復である。それは、たんに人々の願
望や観念によるのではなく、フロイトがいう「抑圧されたものの回帰」として「必然的」である。」
(『世界史の構造』序文より pp.xv-xvi)