◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない111◆
1 :
考える名無しさん:
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
前スレ
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない110◆
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1198085768/
2 :
考える名無しさん:2007/12/24(月) 00:57:33 0
4 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/24(月) 09:35:03 0
結局
どう決定してるわけ?(爆笑
6 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/24(月) 13:05:42 0
非決定と決定しておるな。
つまり、非決定論でいいのだ。
決定論と非決定論は、互いに内包しあっておるからな。
くっくっく。
>>4 根本的に未決定らしい。
未決定がなければ決定しないのにね。
>>6 内包しあっているってそういう意味だったのか。
初めて理解できた。
でも、それってつまりは、ほとんど非決定論だよね。
自由意志の否定要素その1
自由意志の否定要素
そもそも生物はすべて物質でできている。
進化の過程の中で、どこで自由意志を得たのかがまったくわからない。
犬にも心はあるし、魚にも心はある。もちろん、単細胞生物にも心があると考えることはできる。
自由意志を肯定する非決定論者は、進化の過程のどこで自由意志が得られたのか示さなければならない。
少なくとも、進化の過程のどこかで自由意志の獲得という超大異変が起きたことを認めなければならない。
自由意志の否定要素その2
人の心をもったロボットがつくれるなら、その意志は決定論的であるといえる。
自由意志を主張する非決定論者は、人の心をもったロボットの完成を否定している。
人の心をもったロボットの完成を期待するものにとって、不都合な論理だ。
ま、決定論はおもろかったわ。
まさかこんな愚にも付かないようなオカルトが未だに通用する人が多いだなんて。
11 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/24(月) 13:18:08 0
キミ達は、自由意志がどうのとか言ってるけどね
『意思』とは何なのか
とか
そういう哲学的な考察がヒジョーに浅いんだよな
ステージが、前時代的なんですよ
物理現象の原則に従わないものはないから
などという単純な理屈で結論を急いで、「決定論は正しいのだ!」と思い込んでしまっていますよね
忘れがちなんだけれども
忘れちゃならないのが、意思とは『私』の意思である という事
そこに物理現象を適用するのであるならば
その『私』を、物理的要素に特定する必要があるでしょう
『私』が存在した事に対する因果を、物理的要素によって論理的に解明する というところまで
当然、考察しなければならないのではありませんか?
しかし何度も言いますが、それは絶対に不可能なのですよ
少なくとも物理法則は、『私の意思の存在』を決定できません
さらに『自由感』の『感』も、解明できません
科学とは、客観的存在について研究します
その思考パターンから抜け出せないまま
短絡的に、主観性についても同じように考察できると思ってしまっている所が
前時代的なわけです
主観性は、そんなに甘くはありません(笑
単純思考で結論を急ぐのではなく、もっと深く考察してみましょう
14 :
ちゅう:2007/12/24(月) 13:20:02 O
決定と非決定に共通の内包はなにかな?
こちらは
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない112◆
ですね。
>>9 その1への反論は前スレで既出として、
その2への反論。
人の心を持ったロボットとは人の脳を持ったロボットと同じだ。
今自分の四肢が機械になったとしても人間であることに変わりはない。
逆を言えば、人の心を持ったロボットを作るとは生命を作ると言うことだ。
18 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/24(月) 13:25:48 0
>>13 おやおや
「全ては決定しているのだ!」と主張している人に、似つかわしくないお言葉ですな(爆笑
>> 990 ちゅう 2007/12/24(月) 12:39:19 O
>自由意志には自分に由来する意志の上にさらにどんな条件がいるの?選択の可能性とかかな
意志の発現に際して、それが、影響を受けていないものであるなら、
自由と言っていいでしょう。
しかし、そのようなことがありえるだろうか・・・?
決定論の主張はあれだな。
因果律の連鎖が延々とずっとこの先も続いているというのを
既に決定済みとか確定未来が一意に決まっていると恣意的に置き換えたのが間違いの元。
因果律の連鎖も確定が続くだけで確定未来を約束はしてない。
>>11 わたしは以前、
鏡がなければ自分の顔が見れないように、
自分が考えたことを知るには鏡のような機能が脳内に必要だ。
意識とは、その脳内の鏡のような機能のことだ。
と主張したものだが、
私を記述するために一歩前進したのではないだろうか。
このような意識の研究の積み重ねがすすめば、いずれ私を記述することも可能になるのではないだろうか。
他人がいなけりゃ人としての心すらない。
23 :
ちゅう:2007/12/24(月) 13:36:38 O
他から影響されないと言う条件は独立であって自由とは別だろ。
24 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/24(月) 13:41:25 0
>>21 あなたは『自我』と『自我意識』という基礎的な事が理解できていませんね
『存在性』については、どんなに研究が進もうとも、記述する事は不可能なのですよ
いかなる物理的要素を以ってしても、『私』を作成する事は、絶対にできません
という事は、明らかに物理的因果、論理性を超越して存在しているのですよ
世界は、そんなに単純にはできていないのです
>>24 では、
「私」一人が死んだあとに残された世界は決定論的世界なのですか。
「私」が死んで、「私」を記述する必要がなくなったら、
決定論的世界が残るのですか。
26 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/24(月) 14:00:30 0
>>23 とんでもないw
影響を受け、そのことが意志の発現に作用しないということがあり得るのか?
いや、影響の無い所に変化(この場合意志の発現)はあるのか?
ということです。
28 :
考える名無しさん:2007/12/24(月) 14:18:25 0
29 :
ラビ:2007/12/24(月) 14:23:18 0
>初めに決定論ありきで何でも解釈する運動。
私は決定論ありきではないですし、正しいとも主張していません。
私の主張は以下のようなものです。
・決定論を否定することは原理的に不可能。
・非決定論は妄想に過ぎない。
・自由意志は因果的決定論の世界で成立する。非因果的決定論の世界や非決定論の世界では成立しない。
・決定論が正しいとするのは過去が存在するというのと同様に信仰に過ぎない。
30 :
考える名無しさん:2007/12/24(月) 14:29:36 0
,. .:,´:.:.:.:.:.`:丶.、
_r:/. :, : . `、 . :、 : ヽ-、____
, ‐'ニ-/. :,' : ハ:.:.:..:..丶:..:.ヽ:. Y´ ̄`ヾ丶、
//´ ,'..:.:.!.:,:i 、\:.:.ヽゝ、:.',:.:.! `、:.i
{..:.;′ i.:.;.::レハ_,. - ヽハLj_ヽi:. | j.:|
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ヾ`、 ノ;ィ、:.、゙'⌒` , ´⌒"ィゝ! ノ;ノ
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{__,,、‐' | i ヽ`、`ー‐--,,、-=='-‐‐‐<_r''' |、`t' ノ|っヾ、
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/ i 人 ...ノ 丶.. ..ノ :i i | i. | ヽヽ |
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| ./ i i ./ i i ヽ
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/| / i ヽ_j_ノ |' / i \
/ ノ / i: | ::| |:: l / |ヽ }
/ / / i. | ::|. |:: | ノ
31 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/24(月) 14:30:19 0
>>29 >私は決定論ありきではないですし、正しいとも主張していません。
>私の主張は以下のようなものです。
>・非決定論は妄想に過ぎない。
>・決定論が正しいとするのは過去が存在するというのと同様に信仰に過ぎない。
全く意味がわかりません
あなたは、何を主張しているのですか?
今日はこの辺で
32 :
考える名無しさん:2007/12/24(月) 14:31:32 0
/ i 人 ...ノ 丶.. ..ノ :i i | i. | ヽヽ |
/ ! / ,i :i i |iヽ| /
i iノ ,' / :i ' | |ヽ|; /
i ー''´ :,' / i ! | | |ヽ'
i / / ' } i | |\
| ./ i i ./ i i ヽ
| / i' 、 :: , 'i / | :| \
/| / i ヽ_j_ノ |' / i \
/ ノ / i: | ::| |:: l / |ヽ }
/ / / i. | ::|. |:: | ノ
33 :
ラビ:2007/12/24(月) 14:42:12 0
>>24 どんなものでも全く同じものは作成する事ができないというだけのことですね。
「私」に限ったことではありません。
また、そのことと決定論は関係がないと思われます。
34 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/24(月) 14:42:22 0
>>8 >
>>6 内包しあっているってそういう意味だったのか。
> 初めて理解できた。
> でも、それってつまりは、ほとんど非決定論だよね。
だから、そう言う文脈で書いておるわけだ。
ラビと違って、儂は一貫性があるからな。
くっくっく。
>>9 >
> 自由意志の否定要素その1
その前に、生命がどこでどのように生じたのか、決定しろ、たわけ。
出来なければ、決定論は却下だ。
> 自由意志の否定要素その2
そう言うのを詭弁というのだ。
人間と同じ心を持っていても、ロボットの心である以上ロボットの心だ、たわけ。
それから、人間の心を持ったロボットが出来るまで、それは非決定だ。
場蚊ではないか。
くっくっく。
35 :
ラビ:2007/12/24(月) 14:43:29 0
>>31 私の主張は書いたので、それがわからないということなら、
説明のしようがありません。フィルタでも何でもしていただけたらと思います。
36 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/24(月) 14:47:21 0
>>11 > 単純思考で結論を急ぐのではなく、もっと深く考察してみましょう
そのとおりだ。
そもそも、物理現象の原則に従うと言う考えも主観だ。
主観であれば、非決定だ。
物理現象と言うのは常に非決定であるから、決定されるわけだ。
くっくっく。
>>14 > 決定と非決定に共通の内包はなにかな?
お前がいつも言っておることだろうが。
くっくっく。
>>28 > これ以上のルール無視は削除依頼を出します。
珍しい決定論だな。
隔離できないのは、非決定だからだの〜。
別名、自由選択とも言うがな。
くっくっく。
37 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/24(月) 14:52:43 0
>>29 > ・決定論を否定することは原理的に不可能。
決定論の中にいれば、不可能だな。
つまり、井の中の蛙では無理だと言うだけのことだ。
しかし、その外に一旦出れば、何も決定されておらんわけだから、簡単に否定できる。
くっくっく。
> ・非決定論は妄想に過ぎない。
これも井の中の蛙がみれば、妄想だと言うだけのことだな。
井戸の外では、すべて非決定だ。
決定していると言うこと事態が、過去に依存した妄想なのだ。
> ・自由意志は因果的決定論の世界で成立する。非因果的決定論の世界や非決定論の世界では成立しない。
自由意志は因果的決定論からの跳躍だ。
そこで成立しておっても縛られることはない。
決定論では、自由な選択など成立しようも無いからな。
つまり、決定論と非決定論は互いに内包しあっておるわけだ。
> ・決定論が正しいとするのは過去が存在するというのと同様に信仰に過ぎない。
だから、過去が存在するとすれば、正しくなるわけだろうが。
過去がなければ、文明もないな。
もっとも、未来は常に非決定なわけだ。
くっくっく。
38 :
考える名無しさん:2007/12/24(月) 14:57:36 0
走召糸色のレスは過去ログから削除されるので、
走召糸色へのレスはアンカーをつけない方がいいと思われ。
スルーするのが一番だが。w
無視して他の人だけで議論を進めましょう。
39 :
考える名無しさん:2007/12/24(月) 15:14:59 0
削除依頼を出しましたので
テンプレに従ってレスをつけないようにお願いします
40 :
考える名無しさん:2007/12/24(月) 15:18:28 0
ここのおじさんたちは税金ぐらい払ってるんだろうか
心配だ
41 :
考える名無しさん:2007/12/24(月) 16:45:22 0
そもそも環境、生育状況にまったく、とらわれない自由なんてまったく意味がない
環境生育状況にとらわれるのはあたりまえ、その中で何をしようとするかが自由
麦しかとれない土地で、よし俺はおいしい麦をたくさん取ろうとこころがけるのは自由意志
しかも最大の範囲に入る自由、とうもろこしを食うために部族もろとも土地を離れようなどと空想してるのは小さいぜ
42 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/12/24(月) 16:56:48 0
>>41 麦を奴隷に作らせて、自分は他の好きなことをする、というほうが自由
だとは思いませんか。
43 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/24(月) 17:18:24 0
>>39 > 削除依頼を出しましたので
> テンプレに従ってレスをつけないようにお願いします
なんだか、必死で痛々しいな。
くっくっく。
44 :
考える名無しさん:2007/12/24(月) 17:20:11 0
走召氏が相手してほしくて必死すぎるのは笑えるw
>>41 そうです。
だから、
390 考える名無しさん New! 2007/12/22(土) 12:10:13 0
『どこからが自由か』『どこまでが自由じゃないのか』なんて、
恣意的な線引きだろw
それ以外にどのような線引きがあると言うんだね? >>ALL
となるのです。
46 :
考える名無しさん:2007/12/24(月) 17:27:47 0
このスレの人たちは、無職なのか、リタイアした人なのか
いずれにせよ
2ちゃんに必死に書込む姿は
悲しい。
47 :
ラビ:2007/12/24(月) 17:30:49 0
>>45 それは自由を感じる主体が決めることではないでしょうか。
自分の体をどこまでとするかというのと同じで。
厳密なのは無理でも、ある程度常識的な範囲というものはあると思います。
48 :
紗南:2007/12/24(月) 17:37:51 0
機体とパイロットとのシンクロ率にもよりますよね。
49 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/24(月) 17:43:17 0
ちがうな〜。
どのような選択を行うかだ。
麦しか取れなくても、稗を試しても良いわけだ。
非決定なんだからな。
くっくっく。
50 :
紗南:2007/12/24(月) 17:45:35 0
51 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/24(月) 18:14:12 0
決定論て論理的破綻が証明されて終了したんじゃないの?
予測に応じて変更を加える機構に於いて決定論的未来観は常に破綻している。
予測不能ではなく決定論的未来観に基づく確定未来が変更されるだけだから
それにも関わらず因果律的連鎖はそのまま成り立つ。
予測に基づいて行為を選択することを意志と呼ぶと意志は確定未来を常に変更し得る。
つまり予測を成立せしめる経験則が因果律に由来していることを示す。
このことは決定論的未来観(確定未来)と予測機械との相互作用を将来の任意の時点
まで予め予測することを無効にするのみなので偶然(非決定性)に依存しない。
54 :
考える名無しさん:2007/12/24(月) 19:07:50 0
52
ここしか居場所がないんだろ
あんまり虐めんな
>>47 だから、
それが「恣意的な線引き」だと言っているのです。
>自分の体をどこまでとするか
>ある程度常識的な範囲
恣意と常識の区別もつかない人がいるようだ。
57 :
考える名無しさん:2007/12/24(月) 19:58:32 0
>>53 >予測に基づいて行為を選択することを意志と呼ぶと意志は確定未来を常に変更し得る。
意志によって変更し得るならば「確定未来」ではない。しかし確定未来であろうと
変更可能でなければ「意志」ではない。
「完璧な矛と完璧な盾」の関係と同じだな。
>つまり予測を成立せしめる経験則が因果律に由来していることを示す。
因果律が厳然と存在するからこそ経験則が成り立つ。コンビニで万引きしても
捕まらなかったガキは「万引き→犯罪→いずれは捕まって酷い目に遭わされる」
という「因果律」を経験してないので、万引きを続ける可能性が非常に高くなる。
飛行機がどんなに完璧に設計し整備しても10回飛行に1回墜落するという経験則があれば、
誰一人飛行機など乗らなくなるので、飛行機そのものが存在しなくなる。
58 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/24(月) 20:08:46 0
>>53 > つまり予測を成立せしめる経験則が因果律に由来していることを示す。
因果律が経験則に由来しておるのだろうが。
場蚊ではないか。
> このことは決定論的未来観(確定未来)と予測機械との相互作用を将来の任意の時点
> まで予め予測することを無効にするのみなので偶然(非決定性)に依存しない。
予測が無効になり、予測不能な結果が生じることを偶然と言うんだよ。
本質はそもそも偶然なのだ。
つまり、予測などそもそも適当だと言うことだ。
非決定だな。
くっくっく。
>>58 因果律は我々が自覚している時間の流れ。
これはあらゆる経験則に先行しているばかりか経験則はそもそも因果律を前提しないと
経験則を他者と共有できない。
>>58 予測主体は唯一である必要はない。
予測し対応した結果が必然となれば我々は意志的に行ったと言う。
偶然とは呼ばない。
61 :
考える名無しさん:2007/12/24(月) 20:24:26 O
62 :
考える名無しさん:2007/12/24(月) 20:27:16 0
おまえらとっくにセックスタイムですよ。
なにやってるんですか……
ボクは一服して、もう一戦挑むところですよ(爆)
スイーツ(笑)
63 :
考える名無しさん:2007/12/24(月) 20:34:40 O
共有したい他者ってどういう人なんだろ。
少なくとも他人に認めてもらわないとダメな人と
は共有したくない。
わら
そもそも他者への認識なくして心はないというのが僕の基本ですから。
キリスト教が一貫して我と汝というのを機軸におくのと同じ。
信仰を持たないことが怪訝に見られる理由は信仰を持たない道徳が三者関係であり
誰も見ていないときには何をやっても構わないという道徳の持ち主だから信用ならない
とする考えから。
ま、現実に日本人の行為者はほとんどそうなんだけど。
倫理は二者間系。
66 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/24(月) 20:47:18 0
>>59 >
>>58 > 因果律は我々が自覚している時間の流れ。
そんな相対的なものでいいのか?
なんら、決定しておらんな。
> これはあらゆる経験則に先行しているばかりか経験則はそもそも因果律を前提しないと
> 経験則を他者と共有できない。
他者と経験則を共有?
それは妄想か?
共有などしておらん。
単に各人の経験が同じようなものだと言うだけの話だ。
偶然に知覚認識機構が近似であると言うだけの非決定だな。
くっくっく。
>>60 >
>>58 > 予測主体は唯一である必要はない。
> 予測し対応した結果が必然となれば我々は意志的に行ったと言う。
> 偶然とは呼ばない。
それを偶然と言うんだよ。
呼ばないのは勝手だがな。
くっくっく。
67 :
考える名無しさん:2007/12/24(月) 20:52:31 O
>>64 キリスト教は嫌いでね。
ユダヤ教徒のイエスが他人に認められる為に死ん
だわけではないが。
>>66 たぶん超絶さんは偶然とか自由とかをウィキの引き写しで浅く認識してるだけなんだと思われ。
僕は偶然必然という対の概念はないし自由もないとしている。そういう抽象化がそもそも成り立たない
という立場。単なる名辞が一人歩きするのは論理的ではない。
69 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/24(月) 21:04:42 0
>>68 > 僕は偶然必然という対の概念はないし自由もないとしている。そういう抽象化がそもそも成り立たない
> という立場。単なる名辞が一人歩きするのは論理的ではない。
必然などと言うものはない。
たまたまそう見えるだけだな。
自由しかない。
物理法則に従って、事物が動くのではない。
事物が自由に動いた結果が、物理法則になっておるだけだ。
時間のスパンが変われば、法則も変わるんだよ。
くっくっく。
70 :
考える名無しさん:2007/12/24(月) 21:11:15 0
ちょ、、超絶〜〜〜わははは !!
71 :
考える名無しさん:2007/12/24(月) 21:21:11 0
>>69 >事物が自由に動いた結果が、物理法則になっておるだけだ
自由てなに?
>>69 ビリヤードでハスラーが妙技を披露する。
何度も成功しているのを見てば成功が必然で失敗が偶然になる。
こういうもんだよ。
ビリヤード自体は必然性を楽しむゲーム。
73 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/24(月) 21:56:08 0
>>71 >
>>69 > >事物が自由に動いた結果が、物理法則になっておるだけだ
>
> 自由てなに?
自由とは自らに由ると言うことだ。
くっくっく。
74 :
考える名無しさん:2007/12/24(月) 21:58:27 0
>>73 ちょ、、超絶〜〜〜〜〜〜〜わははは !!
今すぐ吉本に履歴書送っとけw
75 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/24(月) 21:59:59 0
>>72 >
>>69 > ビリヤードでハスラーが妙技を披露する。
> 何度も成功しているのを見てば成功が必然で失敗が偶然になる。
> こういうもんだよ。
> ビリヤード自体は必然性を楽しむゲーム。
球が多くなれば、偶然性が増えるのだ。
くっくっく。
経験上、飯食ったり小便したり寝ることは避けられんだろうから、
そういうのって決定してることになるんかな。
77 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/24(月) 22:58:30 0
>>76 > 経験上、飯食ったり小便したり寝ることは避けられんだろうから、
> そういうのって決定してることになるんかな。
断食して死ぬのも勝手。
閉尿で苦しむのも仕方なし。
睡眠障害で寝れない人間もおる。
非決定だ。
くっくっく。
まあ断食とかしない人が圧倒的多数なんだが、そういうことからしても
非決定とはどうしても思えないんだよなあ。そもそも当たり前から判断すべきだし。
全く寝れないなんてありえないし、小便我慢は無理 w
超絶の自由の定義はそれで結構だけど、
事物が自らによって動くってどういう状態だよw
非因果的決定論の理屈だぞ、それw
80 :
考える名無しさん:2007/12/24(月) 23:57:43 0
再度削除依頼を出します
レスをつけず放置してください
81 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/12/25(火) 00:03:08 0
>>75 >球が多くなれば、偶然性が増えるのだ。
本気でそうお考えなのですか?
あなたは『Wii』でビリヤードをしたことがおありですか?
もしおありならば、その「プログラム」について少しお考えになって
頂けますか?
Wiiリモコンの「微妙な動き」をサンサーが読み取り、それがゲーム
結果に直結しますが、「微妙なタッチ差」とか「微妙なひねり」とかが
玉の進行方向・経路・次の球に当たる角度・速度等を決定することは
お判りになると思います。
なにしろ全部は「コンピュータ上の情報」ですので「1とゼロの連なり」
としてWii本体に入力され、Wii本体内のCPUで動いている
「プログラム」がそれを処理しているだけのことなのです。
本物のビリヤードは地のフェルトの微妙な厚みの加減や玉の表面の微妙な
凸凹やキューの先端の形状等々によってゲームより「偶然さ」は増大しますが、
キューで玉を打った瞬間の角度・速度で他のどの玉のどの辺に当たり
その「他の玉」がその結果どう動くかは(基本的に)決定されているのです。
勿論「打った直後に地震が来る」こともあり得るので、「完全に打った瞬間の
角度・速度(他には表面形状等)」で完全予測はできませんが「ほぼ予測」できる
からこそ、ビリヤードというゲームは面白いのです。
Wiiでさえ「打った瞬間」に「失敗した」とか「うん、うまく打てた」とかは
手の感覚(リモコンが震えたり)からのフィードバックで分かります。
さて収束したかなと思うけど過去においても決定論を否定することはできます。
類題として先ず過去において人の意志がないとすれば意志的行為の因果に矛盾が
生じます。だからその時点での意志的行為の実現(決定)はあったと考えられます。
ここで語られている決定論では脳の解明が前提となっています。しかし現時点では
過去において生きていた人の脳はすっかり消失していると仮定します。
確かに過去においてアインシュタインが神がサイコロを振らないと言ったとしてそれは
単に事実の記述しか残りません。
さてここでの決定論では全ては脳の解明に依存して記述可能ということが前提されて
いるわけですがそれは不可能になりました。そもそも意志は錯覚であったという他あり
ません。しかしこれは未来における考察と明らかに矛盾しております。
決定論の論理構成はあくまで抽象的に描写されたものに過ぎず一見矛盾していない
ように見えるのですが実は具体的に検証可能な再現性に依存しているだけなのです。
再現出来ない個別的事態に対しては無効になる理由はそれが再現不可能性を常に
内包しているからです。
もっと言えば決定論は一見因果律を取り込んでいるかのように記述されているが実は
因果律を観測可能性に置き換えて考えているだけなのです。通常、これは不適切な
誤用と呼びます。
83 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/12/25(火) 00:14:20 0
>>77 >断食して死ぬのも勝手。
>閉尿で苦しむのも仕方なし。
>睡眠障害で寝れない人間もおる。
>非決定だ。
そう「言う」ことだけは「自由感」の確信の下「言える」でしょうが、
そう「する自由」はあなたには何一つありませんよね?
あなたに「断食して死ぬのも勝手。」という自由はありますか?・・・絶対出来ませんよね?
「閉尿で苦しむのも仕方なし。」という自由はありますか?・・・絶対出来ませんよね?
「睡眠障害で寝れない人間もおる。」とい自由さえ・・・「無い」のではありませんか?
「非決定」はあなたの「願望思考」にすぎませんよね?あなたには何一つ「自由」など
無い・・・ということではありませんか?
あなたが「非決定論を唱える」ことも必然であり(単なる)「思考の自由感」に流されて
いるだけではありませんか?
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
くっくっく。
ま、決定論を「論」としているのは日本語なので誤解を招きやすいがあくまでイズムです。
適用範囲も前提も必要ないんです。
85 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/12/25(火) 00:21:17 0
>>82 >決定論では全ては脳の解明に依存して記述可能ということが前提されて
>いるわけですが
そんなこと誰も言っておりません。
あなたはあなたの家の風呂の水の全分子の過去一秒間の動きを「記述」可能
だと思われますか?
それが「記述」されないとあなたは心配で風呂に浸かることも出来ないのですか?
「分子・原子のぐるまいを全部記述する」ことなど無意味ですから誰もそんなことは
考えておりません。文科系の方はいつも「全部記述しなけりゃならん」という妄想に
取り憑かれているようですが、「科学」を少しでも理解されればそのような「妄想に
取り憑かれている状態」から「脱出」することが出来るのですが・・・。
本日は就寝させて戴きます。
87 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 00:32:05 O
>>85 でどの辺の何にが決定論となるんだろ。
ここは哲学板で、実験場ではないので、その辺
考慮して答えてほしい。
>>85 それは失礼。
でもこれも実は脳の解明は関係ない事例です。
脳の解明とうるさいのでウィットとして書いているだけなのでお気になさらず。
意志があるかないかだけが問題なんです。
もうおわかりになりましたね?
思想なのであれこれ言うつもりはございませんが無用な権威付けは感心しないです。
カルトかオカルトに聞こえてしまうからです。
89 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 00:44:45 0
>>88 なに言ってるのか全然分からないので解説甲。
一言やむじんくんのいた頃って良スレだったんだなぁ・・・
哲学してたよなぁ、あの頃・・・
91 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 00:45:22 0
>>89 欧米では決定論とかは思想とか個人の信条という文脈で語られます。
ですが日本語で「論」と書く為に多くの人が誤解をしてしまうのですよ。
哲学では命題の一つです。
それを真理と書くのは些か無理があり過ぎて返って興味深いです。
93 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 00:52:25 0
>>93 いいえ。
でも宗教てそういう体系でしょ。
でも決定論て広がりないし狭い体系のまま進化してないのは事実です。
95 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 01:00:54 O
>>92の人が対話が出来てない件については誰も触れないんだな。
なんかキチガイの文を読んでる気分になるんだけど・・・。
第2だってここまで酷くないと思うんだが。
>>88 最新の大脳生理学をすこし学習した方がいいかもしれないね。
ついでに分子生物学も。
98 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 01:02:13 O
>>96 前スレで独りよがりなことは注意したんだが、直るわけないわな。
100 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 01:05:45 0
>>96 確かに少し変だな。
>>94 >
>>92 >思想は真理たり得ないと?
>94 :考える名無しさん :2007/12/25(火) 00:58:20 0
>
>>93 >いいえ。
では、決定論こそが(最終)真理であるかもしれない・・・ということでいいな?
>>100 既に論駁されて論理の展開が破綻していることが証明されているのに最終真理になりようがありません。
決定論というのは過去が決定しているのと同様に未来も決定しているはずだという直観的な飛躍です。
>>99 質問されれば知っていることはお答えして来ましたが。
たぶん哲学的な論争、科学的な論争(研究室で)とか経験してる人少ないだけじゃないですか?
103 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 01:16:33 0
>>101 10年後2017年には5年後2012年は過去だから決定しているわけだ。
同様に15年2022年から見た2017年も過去だから決定されている。
その間に地球は何回か物理化学法則の慣性の法則で太陽を何回か回ってるだろう
と予測することも「非決定論者」はケチ付けるわけかい?
>>102 ん〜、ズレてるとしか言いようがない。
もしかしたら、頭が良すぎるのかもね。
嫌味じゃないよ、マジで。
105 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 01:18:15 O
>>103 既に述べた通り決定論が破綻しているのは過去においても未来においても同様です。
過去において破綻している証明は未だ書いてませんが。
この様子だと必要ないでしょ。
誰でも証明できるから。
>>105 ちゅうことですね。
理系理系という人が実は法則の適用範囲が未来に及ぶときに誰も断定しちゃなんねえなんて教わってなかったのかと。w
108 :
ラビ:2007/12/25(火) 01:20:56 0
>>101 決定論を否定できたことは歴史上ありません。
>決定論というのは過去が決定しているのと同様に未来も決定しているはずだという直観的な飛躍です。
過去が決定しているのと同様に未来も決定しているはずだという推測と信仰です。
それを直感的飛躍というのなら、現実の事象と結びつくあらゆる論は直観的な飛躍になります。
どんな論を持ってきたところで、その論が、他の時空で通用する保証なんてどこにもありません。
109 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 01:23:21 O
俺らに実験は必要だが。彼らにはもう無用。
>>108 具体的な反論をせずにお題目を唱えていればOKな立場って気楽だね。
ワンフレーズに噛み付く程度で反論したなんていかにも感情的。
ところで上の人が書いてたけどマクタガート時間論とかおもしろいんじゃないかな。
客観的に決定してるけど主観的に非決定みたいな。
112 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/12/25(火) 01:40:53 0
新スレ、おめでとうございます。
もう年末ですね。
>>108 > 決定論を否定できたことは歴史上ありません。
その手の論争て有耶無耶に終わるからね。
重要じゃないんだよ。どうでもいいから歴史に残らないか本の端にしか書かない。
114 :
ラビ:2007/12/25(火) 02:17:36 0
>>113 単純に原理的に否定できないだけ。仮に否定できたら重要どころか歴史に残る。
>>114 もしかしてダニエル・ベネットに傾倒している人ですか?
よく思考の訓練をされた方という印象を受けますが彼の決定論に関する考え方には否定的です。
何故ごく浅い思考しかできないのにそれほど確信を持てるのか不思議でした。
ラビさんにしろ、機械的唯物論者さんにしろ、この手の論法には信仰しちゃうわけか。
別に悪いとは言ってません。ただ読む人の技量が大事です。
哲学者最高位は、他者の意志を観測して非決定だと証明できなければ、非決定論の証明にはならない。
超絶氏は、あらゆる科学的成果を無視している。
だれか、「非決定論の勝利」という題名で本を書いてくれ。
それ読んで勉強する。
118 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2007/12/25(火) 08:43:31 0
>>78 > まあ断食とかしない人が圧倒的多数なんだが、そういうことからしても
例外がひとつでもあれば、非決定だ。
くっくっく。
>>79 > 超絶の自由の定義はそれで結構だけど、
> 事物が自らによって動くってどういう状態だよw
> 非因果的決定論の理屈だぞ、それw
ひとつの受精卵が成長し、全ての細胞となるわけだ。
分岐した細胞はそれぞれ勝手に動いておる。
宇宙も元がひとつであっても、その後多様な物質化が起こる。
それぞれが勝手に動いておるわけだ。
くっくっく。
>>81 > 本気でそうお考えなのですか?
> あなたは『Wii』でビリヤードをしたことがおありですか?
PCゲームでは初期値に対する鋭敏なる依存性が無視されておるな。
仮想空間と実際の自然界は、決定的に異なるのだ。
非決定と言う点でな。
非決定論を採用した場合の問題点:だれも科学的探究をしなくなる。
どうせ、非決定なんだからよ。研究しても無駄じゃねえ。
120 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2007/12/25(火) 08:47:05 0
>>83 > 「非決定」はあなたの「願望思考」にすぎませんよね?あなたには何一つ「自由」など
> 無い・・・ということではありませんか?
断食する自由はあるな。
閉尿になる自由もある。
睡眠障害になる自由もあるわけだ。
自由だから、そちらを選択しないわけだ。
決定なら、選択はないんだよ。
くっくっく。
> あなたが「非決定論を唱える」ことも必然であり(単なる)「思考の自由感」に流されて
> いるだけではありませんか?
いやいや、儂のは決定論と非決定論が互いに内包しあっておる。
儂の自由で、どちらでも選べるのだ。
くっくっく。
121 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2007/12/25(火) 08:51:17 0
>>108 >
>>101 > 決定論を否定できたことは歴史上ありません。
ひとつでも非決定であれば、決定論は普遍性を失うな。
否定されたのと同じだが?
場蚊ではないか。
くっくっく。
非決定論を証明するためには、私か他者の意志を観測して、それが非決定的であると証明しなければならない。
私の証明は、「我思う、ゆえに我あり」で簡単だが、それだと唯我論的世界が残されるだけである。
それだと他者の意志が決定的か非決定的かを外部から観察して判断できるのかという問題が残る。
124 :
紗南:2007/12/25(火) 09:05:23 0
年末年始の予定が未定だったのですが、
年内は、31日まで出勤、
年明けは、3日から出勤に決定しましたよ?
紗南としては、4日間ぐらい休みたいと思っていたが、
「出られる?」と聞かれると、意志が弱いので、
「はい、大丈夫です」と答えてしまいました?
だけど、成人の日は強い意志を持って断固休ませてもらおう、
と思ってる。
ベネット博士のクオリア批判おもろい。
>>123 それができなければ、少なくとも決定論の否定は不可能。
非決定論の否定も同時に不可能になるが。
脳に電極をばしばしぶっさして研究すれば、最後に残るのは決定論のような気がする。
特定の神経を外部から刺激すれば、脳は外部からの刺激どおりに動くのだから。
>>126 それは脳を外部から制御したことにならない?
脳の非破壊検査の技術が確立してから考えよう。
>>127 脳の自発性の発見の方法ですか。ちょっと思いつかないですね。一時撤退。
>>128 動物実験と、脳外傷者の実験だけで充分だ。非破壊検査の技術が確立したら、いっきにたたみかけるのだ。
なんだったら、高額アルバイトで、脳被験者をつのってもいい。研究するのだ。
>>118 >>120 いやね、断食したり小便がまんすりゃいいってもんじゃないのよ。
生理現象は不可避で決定的ってこと。飯食って消化せずにいられるか?
131 :
紗南:2007/12/25(火) 09:25:47 0
紗南は、他人への思いやりの技術を高度化させてゆきたい。
中曽根おもいやり予算以来胡散臭く聞こえるw
>>130 決定論で問題になるのはどのタイミングで決定しているかなんであんまり関係ないと思う。
134 :
紗南:2007/12/25(火) 09:29:08 0
紗南の場合、とうもろこしが消化されずに出てきたことならあるけど、
自分の中の自然的傾向に自ら逆らって消化しなかった、というわけでもなくて、
むしろ紗南自身がビックリして、記念に写真を撮ったぐらいでした。
>>133 誰にでもすぐに分かる決定なのに関係ないとか、無理ありすぎ。
だいたいタイミングなんてぼやけた言い方じゃ、なにがなにやら。
136 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 09:38:33 0
>>129 物質である脳は高度に複雑なコンピュータだよ。
クレーン車は高度な機能を持った腕であり、
自働車は高度な機能を持った足であり、
集音マイクは高度な機能を持った耳であり、
赤外線カメラや電子顕微鏡・ハッブル宇宙望遠鏡は高度な機能を持った眼。
そしてやっと脳の機能を拡張する為の機械コンピュータが出来た。
いずれ近いうちに自意識を持つコンピュータも出来るだろう。
もはやチューリングテストでは対話して人間と人工知能AIを区別することは
出来ない(人間側が複数の対象をどちらであるか正確には区別できない)。
137 :
紗南:2007/12/25(火) 09:48:59 0
紗南もいつか機械論的ではない機械とかを開発したいです。
紗南が貧乏だからって、そういう夢とか目的を持ったらいけないでしょうか!
雇用者の目的を達成するための手段のみとして、ただ、
手となり、足となり、クビとなればよいとでも言うのでしょうか!
すいません、一人で興奮してコーヒーこぼしてしまいました。
138 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2007/12/25(火) 09:54:38 0
>>126 > 特定の神経を外部から刺激すれば、脳は外部からの刺激どおりに動くのだから。
動かないんだよ。
くっくっく。
>>130 > いやね、断食したり小便がまんすりゃいいってもんじゃないのよ。
> 生理現象は不可避で決定的ってこと。飯食って消化せずにいられるか?
生理現象が常に安定だと言う保証はないのだ。
くっくっく。
ひとつでも非決定要素があれば、非決定論でいいのだ。
簡単なことだ。
139 :
紗南:2007/12/25(火) 10:00:37 0
>ひとつでも非決定要素があれば、非決定論でいいのだ。
あまり関係ない質問かもしれないですが、
実在決定論者は、非決定論的事実に遭遇しても、
「その背後の決定論的働きを認識できていないだけ」と言い張ることができ、
実在非決定論者は、決定論的経験をいくら積みかせねても、
「まだ非決定論的事実に出会っていないだけ」と言い張ることができる、
というようなことはないですか?
>>139 つまり、科学がひとつの真理に向かって近似していくのなら、決定論であるといえるし、
科学がひとつの真理にはまとまらずに近似しないなら、非決定論だということだね。
141 :
ちゅう:2007/12/25(火) 10:07:33 O
決定論の基本はやはり原因があればその結果があると言う因果律だろ。原因から結果までの時間は問わない。結果が予定通りでなくても追加原因を探して言い逃れするのがケイジジョウガクたる決定論だろ。
142 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 10:18:17 0
人間の脳が単なる刺激反応マシーンであると勘ちがいしてる短絡野郎多過ぎ
そうであるなら脳は決まった反応しかできないし因果律に縛られるでもよいが
困ったことに人間の脳は因果関係をばっさり断ち切ろうとする意思を有する
結果どうなるか?
137億年間綿々と続いてきた因果は一瞬で寸断されちまう
因果から解き放たれた者を神と呼ぶなら、、そう、人間は神の領域に生きてるのよ
>>138 安定って、そりゃあたまには下痢するわな。寝付きが悪くなるかもしれん。
でも生理現象が起こることは不可避で決定的なんだが・・・。
>>142 つまり、非決定論の論拠は、自由意志のただひとつに残されるわけですね。
決定論では人間の営みも物理の法則と同じで一定時間後にはこうなっていると一意に決まる。
146 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2007/12/25(火) 10:36:06 0
>>139 > >ひとつでも非決定要素があれば、非決定論でいいのだ。
> あまり関係ない質問かもしれないですが、
> 実在決定論者は、非決定論的事実に遭遇しても、
> 「その背後の決定論的働きを認識できていないだけ」と言い張ることができ、
> 実在非決定論者は、決定論的経験をいくら積みかせねても、
> 「まだ非決定論的事実に出会っていないだけ」と言い張ることができる、
> というようなことはないですか?
あるな。
しかし、言い張っておるだけでは無効だ。
決定論者は、全てが決定論的働きをしておらねば、決定論を成立させ得ない。
ひとつでも、反証があれば、非決定論で良いわけだ。
そして、決定論者は、非決定的事実に遭遇した時、それが反証できない間は、非決定論を認めるしかないわけだ。
くっくっく。
決定論て円天と同じだと聞いて飛んできました!
148 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2007/12/25(火) 10:40:24 0
>>141 > 決定論の基本はやはり原因があればその結果があると言う因果律だろ。
因果律に少しでも破れがあれば、非決定論で良いんだよ。
くっくっく。
>>143 >
>>138 > 安定って、そりゃあたまには下痢するわな。寝付きが悪くなるかもしれん。
> でも生理現象が起こることは不可避で決定的なんだが・・・。
死ねば、生理現象は無くなる。
生きている間も、不安定だ。
なんら、決定ではないんだよ。
だから、病気になるのだ。
くっくっく。
>>146 >そして、決定論者は、非決定的事実に遭遇した時、それが反証できない間は、非決定論を認めるしかないわけだ。
で、非決定的事実と思われていることも、それが決定的である可能性を除ききれない・・とw
どっちもどっちなわけだw
不毛だなw
決定論を信仰する人は不確かさとか他人の気紛れな振る舞いが我慢できない?
決定論では粒子と反粒子の結合(中間子)とかは間違った理論体系なの?
152 :
ちゅう:2007/12/25(火) 10:58:41 O
決定論と自由意志は両立するから非決定論の出番はない。
153 :
ちゅう:2007/12/25(火) 11:25:44 O
確率的決定論では結果出現の不確かさは折り込み済みだね。
154 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2007/12/25(火) 11:32:17 0
>>149 > で、非決定的事実と思われていることも、それが決定的である可能性を除ききれない・・とw
それが除かれてしまうわけだ。
可能性などを決定とは言わんからな。
くっくっく。
>>152 > 決定論と自由意志は両立するから非決定論の出番はない。
決定論では、選択の自由はない。
更に、別の可能性もない。
それらが一片でもあれば、非決定論と言うことだ。
くっくっく。
>>148 不安定ってぼけっといわれても意味わかんね。なんとなくで反論しないでね。
つか生死の区別もつかんようだしもういいや。
いいかげん隔離でやれ
157 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 12:01:14 0
削除要請出てんのによく書き込めるなw
こういうやつがアク禁くらって他人に迷惑かけるんだよな
158 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 12:07:00 0
アク禁ケテーw
>>157 では、
>>149の>それが反証できない間は
という条件づけはどのような意図のもとに付加されたものですか?w
160 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 13:01:01 O
>>141 なるほど。
統一せねばならんのだろな。
背後世界でもなんでも使って。
欲求なんだろ。
いや〜人間的なんでよく分かる。
その気持ち。
161 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 13:06:37 0
だから因果律とやらがどんだけ正しいか真理なのかを説明してミロやw
>>150 脳の働きは複雑だなあ、という感想を持つだけです。
>>152 わたしは決定論と自由意志は両立しないと考えます。
自由意志の否定は、たいへんに困難な作業です。
決定論は、ただ、自由意志を否定できずに、ゆえに非決定論を消し去ることができずにきたのです。
しかし、科学文明の恩恵を受けるためには、決定論を支持しなければなりません。
ゆえに、政府などが採用する論理は、自由意志を内包した決定論ということになるのです。
自由意志があるかないかは、今後数十年における脳科学とロボット工学の一大命題であります。
わたしは自由意志の解明、すなわち、自由意志の否定を期待しております。
>>153 確率的決定論も、自由意志を否定するために考え出されたものであると思います。
しかし、自由意志とは確率的予測からも自由な存在であります。
人の脳が確率的選択のみをしているのであれば、確率的決定論の勝利であると考えます。
その時は、実験室に入れられた人の行動はすべて予測可能になると思われます。
>>156 あんまり隔離隔離いうのも、自治厨になると思うぞ。
この連投規制の厳しい板で、それほど迷惑でもあるまい。
わたしは超絶氏はもう論破したつもりでいるから。
超絶氏は自由意志の外側にはみ出して、非決定論を展開するから失敗するんだよ。
>>161 電灯のスイッチを付けると、たいてい電灯が点灯します。
163 :
ちゅう:2007/12/25(火) 13:26:06 O
因果律は因果の法則の形式だね。因果の法則は経験則だから各自の経験に因り幾らでも作られ、修正される。
164 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 13:32:03 0
>しかし、科学文明の恩恵を受けるためには、決定論を支持しなければなりません
たいへん馬鹿な幼稚園的思い込み、本人は何でーとしか思えんだろうがな
因果ってのは、
その事象に、前段階があるってことじゃね?
だから、それが無いなんてことがありえるの?ってことじゃね?
因果を否定する人はそこを明確にすべきじゃね?
2の答えになる足し算は1+1だけではなく2+0もある
非決定論を採用すると、電灯をひとつ灯した時、それを成立させた因果を、
すべての自由意志を持つ生命と、どこにいるかもわからない宇宙人と、
それらすべての意志がその電灯を灯したことを容認するように選択したとして、
電灯が灯る未来を構築しなければなりません。
それは、とても難解で、未来の構築に毎回、それが行われているとは考えずらいです。
自由意志の否定その3
人間原理の衰退。
歴史的に見て、人間中心の世界観は次々と否定されてきた。
このままいけば、自由意志という人間固有の特権も否定されるのではないかという推測。
168 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2007/12/25(火) 13:58:34 0
>>162 >
>>161 電灯のスイッチを付けると、たいてい電灯が点灯します。
いつも点くとは限らんのだ。
非決定論で良いんだよ。
何事もやってみるまで分からん。
自由意志も同様にその時点にならねば、選択できんのだ。
無駄な論破だったな。
くっくっく。
非決定論でいいんだよって、なにがいいんだよ。バカなのか。
「A→B」という図式化で因果が説明されたとしたら、
いやいや、「A→C」「A→D」もあるだろ(あり得るだろ)とレスが付く。
「A→B」に固執する人は、どうしても≪「A→B」しかないんだ≫
という方向へ向かうことが多いように見える。
だが、どちらも勘違いしているのではないか?
(図式化の適不適はさておき)「A→B」という提示をした時に補足する文章(説明)は、
≪「A→B」が因果なのではなく、「A→B」の矢印部分(「→」)が因果である≫
と言うべきではなかろうか。
矢印以外の部分が、AであろうがBであろうがCであろうがDであろうがEであろうが・・・関係ない、とw
そして、≪この矢印が無い≫ということはあり得るのかどうか、を吟味すべきではなかろうか。
171 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2007/12/25(火) 14:13:12 0
>>169 > 非決定論でいいんだよって、なにがいいんだよ。バカなのか。
非決定論とは何か、考えれば自明だ、たわけ。
くっくっく。
>>170 あなたとは違う意味で矢印を使うことを先に断っておく。
原因→法則→結果、つまり原因に法則が作用して結果が生じる。これが因果だろう。
あなたの言う矢印は法則と言うことになる。
173 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 14:23:48 0
>>162 >電灯のスイッチを付けると、たいてい電灯が点灯します
おまえの法則の基本は「たいてい」かよ、あはははw
あとおまい166に論破されてるんだが気付いてないだろ?
>>165 >前段階があるってことじゃね?
前段階と原因はイコールで結べね〜だろ
結べるなら説明してみ
>>170は、単に「変化」のことしか述べておらず、
「因果」と称するならば
>>172のようでなければならない。
という所か。
電灯のスイッチは関わる要素が多すぎて、断定しづらいです。
代わりに、太陽の回転にします。
地上にいると、朝になると毎日、太陽が昇ってきます。
人類の誕生以来、太陽が昇らない日はありませんでした。
わたしの確認していない日にも、太陽は必ず昇りつづけたのだと信仰しています。
非決定論で、太陽の昇らない選択を教えてください。
大要の回転程度には、決定論は成り立ちます。
176 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2007/12/25(火) 14:35:07 0
>>170 > ≪「A→B」が因果なのではなく、「A→B」の矢印部分(「→」)が因果である≫
> と言うべきではなかろうか。
普通の脳味噌があれば、「因→果」だな。
ならば「→」は関係だ。
くっくっく。
> そして、≪この矢印が無い≫ということはあり得るのかどうか、を吟味すべきではなかろうか。
「A B」と言うことだな。
無関係と言うことだ。
場蚊ではないか。
>>173 >前段階と原因はイコールで結べね〜だろ
結べるわけがないwww
前段階でなくとも「原因」と言えるのだからw
何を「因」とし何を「果」とするのかさえ、恣意的な判断の下にあるんだよ。
「原因」と言ってしまうことの方がよりアバウトになるw
因果律にはどんな法則も必要ない。
>>176 >ならば「→」は関係だ。
そういう「関係」のことを「因果」と名付けたのだろう?w
くっくっく。
>「A B」と言うことだな。
>無関係と言うことだ。
また言葉遊びかw
場蚊ではないか。
電灯のスイッチは関わる要素が多すぎて、断定しづらいです。
代わりに、太陽の回転にします。
地上にいると、朝になると毎日、太陽が昇ってきます。
人類の誕生以来、太陽が昇らない日はありませんでした。
非決定論で、太陽の昇らない選択を教えてください。
大要の回転程度には、決定論は成り立ちます。
原因も結果もない点からビッグバンで始まって原因も結果もない点になって消える。
一つの原因が次々と無数の結果になってそれが繰り返して
無数の原因が一つの結果になってそれが繰り返して
消える。
変なの。
182 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2007/12/25(火) 14:45:46 0
>>175 > 人類の誕生以来、太陽が昇らない日はありませんでした。
嘘をつくな。
極夜を知らんのか、たわけ。
くっくっく。
183 :
ラビ:2007/12/25(火) 14:53:27 0
>>115 >もしかしてダニエル・ベネットに傾倒している人ですか?
いいえ。全く。
>何故ごく浅い思考しかできないのに
貴方がそうだからといって、他の人がそうだとは思わない方がいいと思われます。
日本においてです。後から、付け足してすいません。
パンゲア大陸成立以前にも、どっかその辺でです。
わたしは、わたしが確認できなかった日にも太陽が必ず昇っていたのだと信仰します。
哲学者最高位の論理では、最高位が生まれる前の太陽の回転を断定できません。
なぜなら、唯我論だからです。
決定論では、四十億年前からの太陽の回転を予測できます。
185 :
ちゅう:2007/12/25(火) 15:06:27 O
ビッグバンの原因は今のところ解明されていない。
ビッグバンが因果律の切れ目だとしたら人間が知らないだけで無数の切れ目があるかも。
因果律の条件は時間だから光速で運動し続ける物質があれば因果律はない。
あるとき突然何かに衝突して消えるだけ。
188 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 15:12:51 O
認識を拡大するか深めるかすれば、より関係が見えるかも。
しかし、事後的なモノ。生成は見えず、見えてるのは産出したものとは、よく言ったもんだ。
成長とか。
>>187 衝突して、消える、というのは因果(因果律)じゃないの?(´・ω・`)
でも因果律てそもそも相対的なもんだから仕方ないか。
因果律等価原理とか因果律エントロピーの法則とか因果律不確定原理とかいろいろ考えろ。
毎年4月1日は因果律お休みの日
宇宙のはじまりの時間はわかったけど宇宙の終わりの時間はわからない。
あれこれなっていづれ終わるはず。
だって決定論だから。
194 :
ラビ:2007/12/25(火) 15:24:29 0
>>142 >人間の脳が単なる刺激反応マシーンであると勘ちがいしてる短絡野郎多過ぎ
でも、そうでないという証拠も今のところありません。
195 :
ちゅう:2007/12/25(火) 15:25:35 O
因果の法則なら誰でも納得する例がある。
生まれた者は必ず滅する、という生滅法だね。みんな忘れとるじゃないか。
否定も肯定もできてないことってわかんないってのと何が違うの?
死ぬって地球が大爆発してアッという間に消滅するのも死ぬって言えるから。
アインシュタインは決定論だったけどそれ以降の科学者で決定論を採用する人はいないんだって。
量子力学以降。
一番よく変更されるのは決定論の内容。
決定論に対するアンチテーゼは決定論の内容が決定していないこと。
なんちゃってw
決定論は先ず完成させてから主張しないと誰も相手にしてくれないということか。
>>140 >
>>139 >つまり、科学がひとつの真理に向かって近似していくのなら、決定論であるといえるし、
>科学がひとつの真理にはまとまらずに近似しないなら、非決定論だということだね
「科学は一つの真理に向かって近似していくように見えるということは20世紀以降の
理論物理学の進展の歴史を辿れば理解することができます。」
リサ・ランドール
204 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/12/25(火) 15:45:10 O
脳は単純さを好むと書いた。これは熱力学第二法則に対する次善の策として進化が選んだものだろう。
ミクロな量子論的世界では物事は非決定で、マクロな世界になると決定的にふるまう。視点の選び方が重要となるが、そもそも生物が産まれる前に視点などというものが存在しただろうか。世界はそれぞれ、決定的に非決定な有り様で存在していたように思われる。
205 :
糸色 文寸 ネ申:2007/12/25(火) 15:48:29 0
>>179 > そういう「関係」のことを「因果」と名付けたのだろう?w
> くっくっく。
関係は関係だ。
因果ではない。
因と果ガあって、因果だからな。
関係だけで因果が生じるわけも無いな。
場蚊ではないか。
くっくっく。
>>180 > 非決定論で、太陽の昇らない選択を教えてください。
自由意志による選択で、極夜地域に住むことだな。
簡単なことだ。
>>184 > 日本においてです。後から、付け足してすいません。
極夜の地域では昇らんわけだ。
> 決定論では、四十億年前からの太陽の回転を予測できます。
予測だろうが。
決定ではないな。
つまり、非決定だ。
くっくっく。
実際は各決定論者同士での論争は熾烈なんだって。
決定論は論争の火種みたいだけど決定論は論争を常に内包しつつあまり発展できずに今日に至る。
唯物論世界観に似てる。
207 :
糸色 文寸 ネ申:2007/12/25(火) 15:52:54 0
>>194 >
>>142 > >人間の脳が単なる刺激反応マシーンであると勘ちがいしてる短絡野郎多過ぎ
>
> でも、そうでないという証拠も今のところありません。
神経システムがオートポイエーシスであれば、脳は単なる刺激反応マシーンではないな。
くっくっく。
>>195 > 因果の法則なら誰でも納得する例がある。
> 生まれた者は必ず滅する、という生滅法だね。みんな忘れとるじゃないか。
その生滅を自由意思で選択できるから、非決定論で良いわけだ。
>>201 > 決定論は先ず完成させてから主張しないと誰も相手にしてくれないということか。
結果が出てから、結果について言うのは誰にでも出来るからな。
結果が出る前に決定しておるから、決定論なのだ。
しかし、自由意思により選択の自由があれば、結果は別の可能性もある。
つまり、非決定論なわけだ。
くっくっく。
決定論は正しいはず→決定論に矛盾が生じた→決定論を修正すべき→決定論は常に正しかった
これって何かに似てる。
>>205 >関係は関係だ。
>因果ではない。
>因と果ガあって、因果だからな。
>関係だけで因果が生じるわけも無いな。
この言い逃れの仕方、最高位にそっくりなんだが
やっぱり同一人物か?
210 :
糸色 文寸 ネ申:2007/12/25(火) 15:53:56 0
>>203 >
>>140 > >
>>139 > >つまり、科学がひとつの真理に向かって近似していくのなら、決定論であるといえるし、
> >科学がひとつの真理にはまとまらずに近似しないなら、非決定論だということだね
>
> 「科学は一つの真理に向かって近似していくように見えるということは20世紀以降の
> 理論物理学の進展の歴史を辿れば理解することができます。」
> リサ・ランドール
「見える」と言うのは、非決定だと言うことだ。
くっくっく。
211 :
ラビ:2007/12/25(火) 15:54:07 0
>>198 普通に決定論者はいます。
量子論のモデルですら、エヴェレット解釈のように決定論上で成立します。
エヴェレット解釈て実証できるの?現在を起点にして常に無数の粒子の非決定な振る舞いに応じて
無段階に次元が広がる?
213 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 15:56:45 0
>>211 ラビ氏はエヴェレット解をどこまで認めるんですか?
214 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 15:58:37 0
>>211 エヴェレット解釈が「決定論」だという根拠を説明してくれ。
今いる宇宙は非決定的でも決定している次元はどこかに存在する?
あれ?エヴェレット解釈では全部非決定宇宙がどんどん増殖するんでは?
エヴェレット解釈を了とするのはラビ氏の以前の主張と異なっていると思うが
軌道修正とみてよろしいか?
よく調べてみたら物理学者の趨勢は非決定論だとわかったから軌道修正しただけじゃないの?
唯物論と決定論てのは実は同じで共に科学の在り方を規定する運動のような気がする。
そこでシステム論ですよ。
220 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 16:29:09 0
再度削除依頼を出します
レスをつけずに放置してください
ラビさんは量子力学が「モデル」だと言ってきた。
それ以上の説明がないのでその頭の中はよく分からない。
しかし俺の認識では「モデル」と言い張れるのは確率振幅を複素数で計算する間で
これは便宜上のものである。実際の物質が複素数となっているわけではない。
しかし観測時にこの複素数で表されるところの「確率振幅」が「確率」となって現れるので
これを「波動関数の収縮」と拡大解釈することが可能であり、実際よく語られる。
しかし波動関数そのものに物理的意味があるのではなく、あくまでその「絶対値」=「確率」が
物理的意味を持つのである。なので「確率記述」そのものは「モデル」とはいえないと考える。
222 :
ラビ:2007/12/25(火) 17:11:16 0
>>212 解釈は解釈であって、実証するようなものではありません。
事象はそのままで、どう理解するかのようなものです。
コペンハーゲン解釈もエヴェレット解釈でも、
事象そのものに違いがあるわけではありません。
>>217 >エヴェレット解釈を了とするのは
していません。
>>222 この問題クリアしないと先へ進めない。
科学的には実証できないが決定論を信じますという態度ならいいけど非決定論の否定を導かない。
>222
なるほど、確かにそうだな
素人的には、物理学者の量子の観測能力がまだ未熟なだけに思えるがな。
226 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 17:15:40 O
>>203 近似していくってのは、今まで一致していなかっ
たという事だ。
告白めいているな。
227 :
ラビ:2007/12/25(火) 17:16:27 0
>>221 モデルによって作られるものは、すべてモデルです。
モデルを構成しているものも、モデルです。
でも今日的には分析哲学の問題として決定論が未解決のまま残されている以上
モデル化できないと決定論の否定で終了するよ。
論理的な明晰さは概念のモデル化でしかないのだしモデル化できないものは今日的
には議論の対象から外されていくのみ。
229 :
ラビ:2007/12/25(火) 17:19:08 0
>>223 決定論が正しいなんて主張してませんし、決定論が正しいという信仰もしていません。
私の主張は以下のようなものです。
・決定論を否定することは原理的に不可能。
・非決定論は妄想に過ぎない。
・自由意志は因果的決定論の世界で成立する。非因果的決定論の世界や非決定論の世界では成立しない。
・決定論が正しいとするのは過去が存在するというのと同様に信仰に過ぎない。
230 :
ラビ:2007/12/25(火) 17:20:55 0
>>228 >モデル化できないと決定論の否定で終了するよ。
無理です。貴方の願望に過ぎないでしょう。
>>225 不確定性原理の正しさは証明されている。
>>229 それは何ら主張していないか主張を一貫して保留したまま反論のための反論を展開しているに過ぎないのでは?
例えばラビ氏が理解できない反論をされたとき相手に的確な質問ができない。
自説がないとはそういう態度。
哲学的にも科学的にも自説を持たない人とは誰も議論ができない。
>>230 そういうおまえも願望を書き連ねてるなw
モデル化できないということは他人を説得することを諦めたということだし
形而上学の問題として学問の領域から信仰の領域に格上げされるだけだから悩ましい。
決定論は正しさを説得できる形式で表現できないと実在論みたいになかったことになる。
236 :
ちゅう:2007/12/25(火) 17:28:39 O
願望も自由意思あってのものだね。
原理的に否定できないのは非決定論も一緒じゃない?
かといって肯定も出来なさそうだけど。
非決定論が妄想なら決定論も妄想ってことでどっちもどっちじゃん。
こんな話でよくここまで引っ張れるなと感心しまする。
238 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 17:32:59 0
>>9 おまえが人の心を持ったロボットを作って、不都合な論理なんて吹き飛ばして
やればいいんじゃない。
「意志」というのは「行為」となって初めて「意志」だと思います。
心で思い悩んでる間は「思い」でしかない。
そしてこの「意志」と「行為」は同時に発生するものであり、
厳密には、意志→行為という因果関係には無いのであります。
ラビさんは「意志」の結果、「行為」があると考えておられるように思う。
しかしそれは問題のあるところです。
240 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2007/12/25(火) 17:34:47 0
>>229 >
>>223 > 決定論が正しいなんて主張してませんし、決定論が正しいという信仰もしていません。
だから、決定論と非決定論は、互いに内包しあっておるわけだ。
いずれ決定されると言うことは、現状で非決定と言うことだな。
くっくっく。
>>239 思うことも行為の形態の一つではない?
作家が小説を書いていろんな意志を操って見せてもそれは書く行為に還元される。
242 :
ラビ:2007/12/25(火) 17:37:00 0
>>237 原理的に否定できるかどうか以前に、非決定論というのは論として成立していません。
私が非決定論を妄想であるといっているのは、
知らないことと、決まっていないことの区別ができていないことからです。
非決定性を生み出す仕組みを完全に知った上で説明できれば問題ありませんが、
そのような説明がされたことは歴史上一度もありませんでした。
>>231 光で観測する限り、不確定原理になるみたいだから、
光以外の観測方法を考案すればいいんじゃねえ。
おれにはムリだが。
>>240 決定されるていうのは決まったことが必然的に起こるということと等価な意味だから
既に決まっているはずのことが覆ったら終わり。
>>242 非決定論というのは決定論の裏返しだから決定論が論として成立しているとすれば
同様に常に非決定論は成立しなければいけないんじゃない?
哲学的な真理ではないんだし今の哲学は哲学的真理を求めてないんだから。
246 :
ラビ:2007/12/25(火) 17:40:06 0
>>239 >心で思い悩んでる間は「思い」でしかない。
厳密には、それも行為だと思います。
>そしてこの「意志」と「行為」は同時に発生するものであり、
>厳密には、意志→行為という因果関係には無いのであります。
これには同意です。説明の都合上、そのように書くことはありますが。
>ラビさんは「意志」の結果、「行為」があると考えておられるように思う。
いいえ。厳密にはそのようには思いません。
非決定論の偶然はデタラメじゃなく確率的に予測可能な世界観なわけだから
因果律と確率が同等に振る舞っていると考えれば問題ないね。
>>241 「思い」が心の中にあるとき、そこに厳密な因果が必要ないのです。
突然、何かがひらめいたり、偶然の発生が許される場だと考えています。
249 :
ラビ:2007/12/25(火) 17:46:27 0
>>245 全集合の補集合は空集合です。
因果的決定論の補集合は、非因果的決定論です。
>>249 それは決定論が最終真理である場合にしか成り立たないんじゃない?
でもその最終真理という考え方は形而上学だから今日的にはその定立が形而上学ですと
いう主張にならない?
ラビさんは、物理学者のなかにまだ決定論者がおおぜい残っていることを強調して説明してくれ。
それがいちばん効く。
>>243の補足。例えば、音とか、匂いとか。
音とか匂いで量子を観測できれば、不確定原理にとらわれることもなくなるんじゃねえ。
252 :
ラビ:2007/12/25(火) 17:52:31 0
>>248 偶然というのは、その主体が原因を知らないというだけで、原因が存在しないことではありません。
決定論は無限集合だから今いる宇宙以前の時間から宇宙の終焉の先も決定論が成立する?
そもそも時間がどうなっているか不明だから決定論=宇宙論と制限する?
>>251 物理学者のそのときどきの信条によって決定論であったり非決定論であったりするわけですね。
>>252 原因が存在するかどうか分からない。存在しない可能性を否定できないのだから、
あなたの主張の3番目の根拠は無くなります。
>>251 >
>>243の補足。例えば、音とか、匂いとか。
> 音とか匂いで量子を観測できれば、不確定原理にとらわれることもなくなるんじゃねえ。
あーた、そりゃトンデモない勘違いしてるべ。どちらも分子だーよ。
人知を超えたところに何か真理らしきものがありそれが決定論で観測や実験によらず
証明に頼らずもたらされた。
そういうこと?
258 :
糸色 文寸 ネ申:2007/12/25(火) 18:32:22 0
>>242 >
>>237 > 原理的に否定できるかどうか以前に、非決定論というのは論として成立していません。
>
> 私が非決定論を妄想であるといっているのは、
> 知らないことと、決まっていないことの区別ができていないことからです。
> 非決定性を生み出す仕組みを完全に知った上で説明できれば問題ありませんが、
> そのような説明がされたことは歴史上一度もありませんでした。
非決定性を生み出す仕組みは、我々の認識そのものにあるのだ。
簡単なことだ。
くっくっく。
>>256 それじゃ、重力でどうだ。
量子にも質量がある。ということは重力を持っている。
量子の微弱な重力を検知できるようになれば、不確定原理にはとらわれないはずだ。
なんか、重力にも不確定性があると聞いたことがあるような気もするが。
因果的非決定性というのは原因から複数の結果が生じてそれが独立の因果律の系を
為して再び干渉し合うときじゃないのかな?
決定論で決まるのはその仮想の単独の系での連鎖に過ぎないから今日の我々のような
知的生命体が別の場所でそれぞれ生まれて出逢うなんて偶然としか言えないよ。
初期条件を同一にできる場合とできない場合の違いを決定論はどうやって示すの?
みんな決定論と非決定論はどう区別してんの?
264 :
糸色 文寸 ネ申:2007/12/25(火) 18:55:30 0
>>263 > みんな決定論と非決定論はどう区別してんの?
主体性の有無だな。
くっくっく。
決定論にも主体性は存在します。脳の内側で決定されるものが主体です。
>>262 決定論の結論は、観測可能な範囲からの近似できる類推にすぎません。
ということで、今日は
自由意志の否定のために、脳に電極をばしばしぶっ刺して研究することと、
不確定原理の否定のために、重力で量子を観測できるようになること、
の二つを結論として、帰ります。
266 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/25(火) 19:48:02 0
>>265 > 決定論にも主体性は存在します。脳の内側で決定されるものが主体です。
決定論では、主体は決定されるものだ。
つまり、主体性を欠いておる。
非決定論では、主体は自由に自己の有様を選択するものだ。
つまり、主体性がある。
この違いだな。
くっくっく。
267 :
ちゅう:2007/12/25(火) 20:15:06 O
決定論は宇宙論だから主体はない。
268 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 21:03:43 0
>>266 >決定論では、主体は決定されるものだ。
つまり、主体性を欠いておる。
非決定論では、主体は自由に自己の有様を選択するものだ。
つまり、主体性がある。
この違いだな
決定論者がほんとに心底決定論を信じ込んでたらそのとおりだな、それは結構ひどい人生だな
こどもに大量に吹き込んだら無期懲役ものだな
決定理論者って1%くらいだろう??
君と僕が出会うのは運命だったんだ
すべてはビッグバンから決まっていたのさ
270 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/25(火) 21:12:23 0
>>269 > 君と僕が出会うのは運命だったんだ
> すべてはビッグバンから決まっていたのさ
くさすぎるぞ。
ドンビキだな。
くっくっく。
>>239 しかし、病気で体が麻痺している人などは、明らかに「体を動かそうと
必死に意志しているが、動かない」という経験をしているだろう。
明らかに意志と行為は違うと思うが。
272 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 21:36:28 0
削除依頼を出しましたので
レスをつけず放置してください
273 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/25(火) 21:39:28 0
>>271 >
>>239 > しかし、病気で体が麻痺している人などは、明らかに「体を動かそうと
> 必死に意志しているが、動かない」という経験をしているだろう。
> 明らかに意志と行為は違うと思うが。
動かせないと言う行為があるんだよ。
だから、そこに経験がある。
生物と行為は、相即なのだ。
くっくっく。
>>271 なるほど。そいつは難しいところだね。
よく「〜する意志はある。」などと言われたりもするので、意志という言葉の意味は広いかもしれない。
ただ あの書き込みはラビ氏が展開した「意志−行為」の無矛盾性というところの欠陥を突く目的だったのだ。
それゆえ、ラビ氏にのみで意味の通じるところであるかもしれないです。
実際、意志によって心臓を止めることもできませんからね。
275 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 21:45:43 0
. / / /// ./ / /j / // 〃!|| | ||ll| | | ヽヽ ヽ | | |, -──- 、 /
i l l l l ll l /!.| ,! / | /゙!゙"゙"゙"゙ll| | | !_ヾ゙r、,__.l ,. -‐''´ ̄`ーァ'"´ ヽ、/
l !. | | | |l | || li |/| l| ! | l! ! | | |ミミヾ,| .l7lー‐- 、 __/
| | | | |l l. _lki'l |! l! l+-l、_ ,j l/,!.l |三ニ、jイ l l三ヽ | r'´ _
l i l l lヽ, i´ !_i!ヽl l l! __ `メノl !l ! |=、ニ/ ! l/ヽ== 、-‐'"´ ̄ ̄`ヽ、 / /
ヽヽ ヽ ヽ,r=ミ ! ,. ==ミ、 /// j l、 }彡r'、\ \ l_、 ̄`丶、 \ / |
,. -─-、ヽヽヽヽ!::::::::: , / ::::::::::: `/// //'∠ !_{,l、 \ヽヽ, | !l ̄`ー-、`ヽ 、 / __ l、
/,r‐,=≧--‐'´__.', ___ /ノ/ //´ヽj \ ̄ ̄二>‐、-!!,_ \ r'´ /ヽ l | l
/rチ'"´ _,ィャヶ'´rt‐\. l'´ ! ///./ / lヽ/'´ ̄ | ヽ, `ヽ、 \‐' } | r ! lノ l
/_,.ィ=彡/ l ! \ ー' / / / // l、 ヽ, \ ヽヽ lノ / 」/ ヽ
276 :
ラビ:2007/12/25(火) 22:04:50 0
>>255 「わからない」はあくまで「わからない」であって、存在しないということではありません。
非決定ではなく、その人にとって不可知であるというのなら、それは正しいと思います。
なので所謂非決定論者は、不可知論者というのが正しい姿で、
非決定論を主張している間はただの妄想家に過ぎないと思います。
>>276 それはとりあえず認めます。
決定論と非決定論の決着は付いていませんからね。
私は非決定の方が広がりがあって好きですが。
決定してるという事は、新しい何かが発生することを完全に否定しています。
物質だけに話を絞っても、宇宙が現状の物質量で固定されている保証はないのですから。
新しく物質が発生するようであれば決定論は完全に崩れてしまいます。
妄想と片づけるのはちょっと頭が固い。
>>276 わからないけどそのどっちかに違いないと言ったら無責任に聞こえる。
279 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 22:23:06 O
モデルは実在に近似した観念じゃね。
決定論の自己矛盾
決定論者は信仰を否定します。
しかし信仰を否定するのは原理主義に根差す信仰のみです。
全体は部分から演繹できない。
故に決定論は不能する。
282 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 22:31:59 O
多神教的主体はどの神が支配するかはわからない
自由さ。
決定論の矛盾
決定論者は決定論を理解できる人は限られている。
理系の妄想を抱かない人だけが決定論を信じることができる。
しかし決定論を疑うことを妄想と決める根拠はどこにもない。
284 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 22:36:34 0
なんかさ〜、
走召糸色文寸ネ申って最高位とキャラかぶってない?
どっちがどっちよw
285 :
ラビ:2007/12/25(火) 22:37:52 0
>>277 >決定してるという事は、新しい何かが発生することを完全に否定しています。
いいえ。それは否定されていません。
>物質だけに話を絞っても、宇宙が現状の物質量で固定されている保証はないのですから。
決定論でもそうですね。
>新しく物質が発生するようであれば決定論は完全に崩れてしまいます。
いいえ。決定論の立場で解釈するなら、
因果的に発生するなら因果的決定論、
非因果的に発生するなら非因果的決定論になるだけのことです。
私は超絶さん好きですよ。真理に近いところにいる気がしています。
この数日ちょっとキレがなくて心配していますが。
決定論て高飛車に断定するんだけど説得力がない。
288 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 22:40:20 0
>しかし決定論を疑うことを妄想と決める根拠はどこにもない
そんなことないよ、君が知らないだけだよ
自分が知らないのを誰もしらないと同じにするのはがきっぽいが2ちゃんには良くある
自然科学的に未来は決定してないといえるという議論があったよ、大数の仕掛け、いわば逆統計力学
揺らぎの範囲で決定してないがその範囲は大きい8数学的構造を調べればわかる)
一方物理法則などで未来で使えるエネルギーなどはかなり決まってる
こっちの方はさっぱり決まってないはずと妄想する香具師が多い
289 :
ラビ:2007/12/25(火) 22:40:50 0
>>287 まあ、過去が決まっているというのと同程度には説得力がありますけどね。
要するにあれだろ。
決定論て無神論が有神論の世界観と同等以上であろうとする活動だろ。
だから徹底的に解釈する。
解釈妥当性に依存している世界観て観念論だろ。
>>285 オウム返しで否定されても納得できません。説明してください。
>>289 実は過去も決まっていないのかもよ。
だって常に初期状態にいてどこから始まってもいいんだから。
この世界が決定論的か非決定論的かはわからない。原理的に不可知である。
ならば決定論を信じるのが「信仰」で
非決定論を信じるのが「妄想」であるなどとはいえまい。
どちらを信じようが「妄想」を「信仰」しているのだよ。
>>288 理論としての決定論と信条としての決定論は区別した方がいいと思う。
295 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 22:45:32 0
>>288 まちがった
>しかし決定論を疑うことを妄想と決める根拠はどこにもない
は正しい
しかし決定論を肯定することを妄想と決める根拠はどこにもない
に対してそんなことないよだった
ともあれ自己矛盾を解消しないと決定論が真理だとは言えなくなるよ。
297 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 22:47:04 O
我々の意識が意志したのではなく、むしろそれを
受け取った。
生成は見えず、見えるのは産出。
意志を見せたので無く、見えた。
298 :
ラビ:2007/12/25(火) 22:47:32 0
>>292 >実は過去も決まっていないのかもよ。
ええ、私はその可能性だってあると思います。
そもそも世界は1秒前に作られたのかもしれませんからね。
ただ、それは妄想だろうとも思いますが。
299 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 22:48:03 0
>この世界が決定論的か非決定論的かはわからない。原理的に不可知である
そんなことないよきみがしらないだけだよ、自然科学的議論ができるよ、以下
>>288に続く
300 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 22:50:01 0
>>294 信条としての決定論は簡単だよ
そう信じればいいだけだもの
決定論は世界の外にあって知らせるものか。
302 :
ラビ:2007/12/25(火) 22:52:13 0
>>293 私が非決定論を妄想であるといっているのは、
知らないことと、決まっていないことの区別ができていないことからです。
非決定性を生み出す仕組みを完全に知った上で説明できれば問題ありませんが、
そのような説明がされたことは歴史上一度もありませんでした。
逆に、日常生活の中で、知らないが決まっていたということは多々あります。
303 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 22:53:34 0
>そのような説明がされたことは歴史上一度もありませんでした。
このスレシリーズで4回くらい在ったよ
304 :
ラビ:2007/12/25(火) 22:55:58 0
>>303 でしたら、スレとレスの番号を提示してください。
>>302 知らないことが決定していないことと思うのはその人の勝手じゃない?
決定の意味はその人によって違うわけだし。
306 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/25(火) 22:56:29 0
>>276 > なので所謂非決定論者は、不可知論者というのが正しい姿で、
> 非決定論を主張している間はただの妄想家に過ぎないと思います。
正しい姿は、決定論と非決定論が互いに内包しあっている状態だな。
要するに、バランスの問題だ。
どっちかに偏りすぎるのがそもそも間違いなのだ。
ここでは、決定論が幅を利かしておるから、儂は非決定論を擁護しておるわけだ。
>>293が正しいな。
くっくっく。
>>298 > そもそも世界は1秒前に作られたのかもしれませんからね。
> ただ、それは妄想だろうとも思いますが。
そうではない。
過去が確定出来ないと言うことだ。
まあ、大森莊蔵のように過去は存在しないと言っても良いがな。
くっくっく。
>>302 >逆に、日常生活の中で、知らないが決まっていたということは多々あります。
それは哲学的には非常に素朴な態度だといっていいだろう。
原理的に不可知であるということばの意味がよくわかっていないようだな。
ラビさん、あなたは物質が新たに発生することが「非因果決定論」となると言いましたね。
どこにその根拠があるのか示していただきたい。
309 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 22:57:26 0
>非決定性を生み出す仕組みを完全に知る
物理化学生物学的なことだから哲学スレでな無理なだけ
俺も物理化学用語に詳しいと説明できるんだけどね
いわば逆統計力学的に揺らぎの範囲でこの世には非決定が出てる と書くとさっぱりだろう
粛々と観測と実験を繰り返して思考を巡らせていればいい。
311 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 22:59:02 O
>>297 つまり意識は主体ではない。
この意識による世界説明はなんなんだろね。
312 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/25(火) 22:59:41 0
>>302 >
>>293 > 私が非決定論を妄想であるといっているのは、
> 知らないことと、決まっていないことの区別ができていないことからです。
決まっていないと言うのは、自分で選択しなければならないと言うことだな。
知らないと言うのは、認知していないと言うことだ。
知らないのに決まっていたと言うことは、自分の選択とは関係ないと言うだけの話だ。
そんな区別も付かんのか?
くっくっく。
313 :
ラビ:2007/12/25(火) 23:00:15 0
>>305 >知らないことが決定していないことと思うのはその人の勝手じゃない?
もちろん、そのような妄想するのはその人の勝手です。
一つとしてありもしない(原理を知っている非決定性)ものを信じるのは妄想で、
幾つかあるからと言って、すべてがそうだ(未知の決定性)というのは信仰だと思います。
314 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 23:00:33 0
315 :
ラビ:2007/12/25(火) 23:01:01 0
>>308 >ラビさん、あなたは物質が新たに発生することが「非因果決定論」となると言いましたね。
言っていません。
知らないまま決定してたとは言えないと思うよ。
局面を分析して知ったと勘違いすることはできるけど。
それは何かの結果を説明するときに使う方便。
>>313 あぁ、あんたが「信仰」と「妄想」を独自の基準で使い分けるのは勝手だけど
その基準を人に押し付けないでね。
318 :
ラビ:2007/12/25(火) 23:03:09 0
>>314 では、過去ログで番号を調べてから出直してきてください。
そうでないなら、無視させていただきます。
319 :
ラビ:2007/12/25(火) 23:04:38 0
>>317 押しつけてなどいないのに、押し付けられていると感じるのは、
貴方の考えの方が劣っているからです。
貴方が本能的に論理力の差を感じているに過ぎません。
>>315 そうですか。でしたら
>新しく物質が発生するようであれば決定論は完全に崩れてしまいます。
いいえ。決定論の立場で解釈するなら、
因果的に発生するなら因果的決定論、
非因果的に発生するなら非因果的決定論になるだけのことです。
この意味を教えてください。
322 :
ラビ:2007/12/25(火) 23:05:55 0
>>320 新しく 物質が、因果的に発生してもいいと思いますが。
それを否定するのはどういうことでしょうか?
323 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/25(火) 23:06:27 0
まあ、ラビが
・決定論を否定することは原理的に不可能。
・非決定論は妄想に過ぎない。
・自由意志は因果的決定論の世界で成立する。非因果的決定論の世界や非決定論の世界では成立しない。
・決定論が正しいとするのは過去が存在するというのと同様に信仰に過ぎない。
と妄想するもの勝手だがな。
いずれにしろ、決定論と非決定論は明確に互いを内包しあっておる。
簡単なことだ。
くっくっく。
ラビさんてここでは一番優秀な人なんでしょ?
博士号いくつも持ってる人だと思うけどその論理がよく見えない。
あ、先を越された…
ラビって哲学のことまったく勉強したことないんだろうな。
認識論の初歩でつまづくタイプだね。
328 :
ラビ:2007/12/25(火) 23:09:21 0
>>326 新しく 物質が、因果的に発生すること。
ラビさんには哲学は無理だと思う。
今は分析哲学で自然言語でしっかり議論して説得させる論理展開が前提。
330 :
ラビ:2007/12/25(火) 23:09:57 0
>>327 貴方がそうだからといって、他人までそうだと思わない方がいいですよ。
>>328 「新しく物質が因果的に発生する」とは、その因果の因はなんですか?
332 :
ラビ:2007/12/25(火) 23:14:21 0
>>331 例えば、自然界に存在しない元素を加速器で作ることができます。
333 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/12/25(火) 23:28:07 0
因果的な世界であるというのはいいのだが、決定されているというのは言い過ぎ
だと思う。葉っぱの舞い落ちる先を記述するのに、分子同士の万有引力と静電気的な力
が使われると思うのだが、空間はぎっしりと分子のつまった所ではなく、当然隙間がある。
そこで遠隔てきに力を受けるのだが、ミクロの物理法則とマクロの物理法則が違うという
のは前に述べたとおりである。マクロでは、微少項を無視して法則を作るのだから(肝心
要のここが本当に正しいのかちょっと私の力ではわかりませんので、詳しい方いらしたら
お教え願いますorz)決定はしていない。(カオス理論のことを言ってるのかな〜と思い
ますが、これもあんまり詳しくない)。
334 :
ラビ:2007/12/25(火) 23:36:00 0
>>333 何か勘違いしておられるようですが、ミクロとマクロに境界などありません。
支配している物理法則が違うのではなく、
人間がモデル化するときに、マクロで考えたり、ミクロで考えたりするに過ぎません。
惑星の軌道計算に分子間力を考えないのと同じです。
当然モデルですので、適用限界もあります。
335 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 23:39:26 0
因果律(法則?)がどの教本に科学法則として記述されてるかも示せず
自らその法則の論証できもせず
ただただ因果律だ、因果の法則だ、原因と結果だ・・と乱用して憚らない
おまいらの馬鹿さ加減にはほとほとあきれ返るワw
決定論て先入観じゃないの?
337 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/12/25(火) 23:40:32 0
>>334 セミミクロの場合など、モデルは作りようがないと思うが、現実に適応出来る
モデルを作り上げられるのだから、微少項を無視するのは意味のあることだ
と思うが、適用限界を持ち出されると・・・。そうですね。
人間は新陳代謝して生命を維持している。
何年かしたら形は似ていても物質は入れ替わる。
別人になれるんだ。
339 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 23:45:55 0
>>336 いや、決定論のここでの意味を言ってる連中のカキコから類推すると
「結果論」のことをそう呼んでるに過ぎないぽい
決定論のがもっともらしくカコイイてことなんじゃ?笑えるw
>>334 人類はいつになったら正しい物理法則を得るの?
341 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/12/26(水) 00:12:52 O
334
ここ四千年でここまでなったんだから、いつかは解明されると信じたい。でも、人類が滅亡する方が早いかもしれない。そうなってくると少し前のマンガみたいだけど。
342 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/12/26(水) 00:13:36 0
素朴な疑問ですが
何が、何によって決定されているのでしょうか。
343 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 00:14:36 O
334×
340○
344 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/12/26(水) 00:20:04 0
345 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 00:23:32 O
341
これ、取り消し。ケータイは使いにくい。
ラビさんお答えどうぞ。
346 :
「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/12/26(水) 01:05:37 0
>>302 >私が非決定論を妄想であるといっているのは、
>知らないことと、決まっていないことの区別ができていないことからです。
その通りですね。私も何度も口を酸っぱくして
『「決定されているか否か」と「(その「決定」内容を知り得るか否か?」とは
「別の問題(命題)」です』と申し上げているのですが、観念論者さん達はどうしても
その「当たり前の論理」を理解できないようで、やれ「証明出来ない(されていない)」
やれ「数式化出来ない(されていない)」やれ「この場で現前させられない」ということ
に「異常な拘り」をお持ちのようです。
「内容を全部解剖して現前化しなければ決定論を支持する『法則』は認めない」という
態度に固執されるのです。
デリダの指摘した「現前至上主義の誤謬」を同じ観念論者さん達が学習されていないことは
驚くべき事かもしれません。
本日は小柳ゆきさんのクリスマスディナーショウでいささか飲み過ぎたため(アルコールはやはり
「脳細胞沈静物質」のようです・・・たぶん神経内科の医者の9割は「逆だ」と否定しますが)
脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
ちなみに小柳ゆきさんは今年の紅白にも出られませんし、CDやDVDも殆ど全部「なんだこれ?」ですが、
ライヴを見れば「この人はスターだ」と思えます。最近ヒットがないのは・・
とにかく眠いので就寝させて戴きます。
>>346 知らないことと決まっていないことが区別できないと指摘された決定論者がいただけのこと。
348 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/12/26(水) 01:11:58 0
小柳ゆきは肺活量もあって、いい歌手だ。
しかし、「証明できない」「数式にもできない」で、
「最終真理」とは笑わせるw
あ、宗教だからいいのか。
>>346 別の問題ですよと申し上げられて困ってしばらく黙っていた決定論者が実は
私が申し上げていたといつの間にか言い始めた。
すごい。
350 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 01:15:19 0
351 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/12/26(水) 01:18:25 0
「証明できない」「数式化できない」「記述できない」
「何ひとつとして現前させられない」
なのに「最終真理」、だな。
352 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 01:20:18 0
基本的に超絶の言い分が最も正しいと思える。
厳密に見れば、過去は実在しない。もちろん未来も存在しない。
あるのは流動する現在のみであって、その現在の定義すら常に流動するほかない
とらえ難いものである。その現在にとって過去とは「観念」「情報」その他として
現在の一部なのだ。現在の一部であってすべてではない。そしてその現在は
相互作用であって、一方が全面的に他方の原因になるということはない。
そういう相互作用の一つの極として人の意志はあり、どういう相互作用をするかは
選択の対象となる。そこに自由は存在する。
353 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/12/26(水) 01:22:59 0
>>352 え? 超絶って、そんなこといってたの?
まあ、いちばん妥当かもね。
354 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 01:25:24 0
>>352 と超絶は名無しを含めて24時間この板でレスを続けるニートなのです。
彼の「仕事」はこれしかありませんので、みなさん悪しからず許してやってください。
てなこと言われて許せるか?!ってんだ。
355 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 01:25:29 0
>>353 超絶はバランスという言い方をしているが、中道なんだろう
356 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 01:27:34 0
>>353 所詮同じ穴の狢同士なんだから仲良くすればいいじゃんw
357 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/12/26(水) 01:31:06 0
>>356 まあ、脳味噌の替わりに、頭に粘土を詰めてるような
「機械的唯物論」者と同じ穴にいるよりゃマシだろう。
359 :
ラビ:2007/12/26(水) 01:33:04 0
>>352 >あるのは流動する現在のみであって
その根拠は?
流動しているというのも、根拠がないなら信仰です。
360 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 01:35:21 0
361 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 01:36:54 0
機械に言われて読み直すほどデリダは易しくないぜよ。
それはもう観念論者達に任せて寝るわw
362 :
ラビ:2007/12/26(水) 01:38:55 0
>>360 流動の根拠を聞かれているのだからそれは答えになっていません。
同様に流動する現在をここに連れてきて欲しいとも言えます。
流動という言葉自体、過去に似た状態が存在したことを含んでいます。
過去が存在しなかったなら、流動もないでしょう。静止画は動画ではありません。
364 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/12/26(水) 01:49:38 0
>>362さん
流動の文字の如く
それは「時間」ではないでしょうか。
365 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 01:52:32 0
>>363 レッテル貼ってないで説明してくれるといいのだが
デリダはまだちゃんと読めてないから解説もらえるとうれしいかもしれない
>>364 デリダの現前至上主義批判は「書差」と言っていたように記憶しているがね。
認識とは感覚器官と脳が受容する時間差があるので「瞬間を切り取れる」という
思いこみは間違いだということだと思う。
367 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 01:53:47 0
>>362 流動の根拠と聞かれても、何を聞かれているのかわからない
アホかもしれないw
368 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 01:55:10 0
こうして考えると、
(仏教系も含め)インド哲学って凄いな・・・。
ほとんど出尽くしてるじゃんw
369 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 01:58:50 0
>>367 これを書いたのは352。茶化してないよ。頭悪いんだ、最近。
370 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 02:03:17 0
>>366 現在と言っても、すごく幅がある。感覚的な「瞬間」という意味もあるけど、
それはすごく狭い意味でしかないと思う。脳がとらえる現在というのも、
その脳がどういう幅で現在を見ているかによって流動的だと思う。
371 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 02:06:29 0
ぶっちゃけ、無常と言ってしまえば済むんだけど
でも、それだと超絶と区別つかないし、仏教嫌いの人たちからは
読んでもらえないしw
適切な場面で諸法無我とか一回言ってみたいよ
>>371 無常は、因果が無いということではないよ。そこまで言ってない。
超絶の無常はハリボテだということを忘れないように。
373 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 02:21:39 0
>>352 過去も未来も存在するよ。
ここの人達は知識があり過ぎて、却って見える筈のものが見えていないんだね。
簡単な例を挙げてみよう。
私と私から30万km離れた場所に光源Aがあるとする。
光源Aが光を発した場合、30万km離れた私が光を認識するのは
(まぁここでは知覚と認識にラグはないものとして)一秒後だ。当然だな。
一見何の変哲もない様に思えるが、ここで言っておきたいのは
光源Aが光るのを私が認識するのは1秒後…逆に言えば光源Aは
私より1秒未来に存在しているという事だ。
という事はどういう事か?。
私からみて光源Aが光った、という事は1秒未来に決定していた、という事だよ。
これは人間の五感すべてに言える事なのだが、我々が「今」知覚、認識するというのは
「未来」に存在するものの「過去」を認識しているという事だ。
わかるかなぁ?。
決定論は何も主張できないから反論の為のテーゼなんだぜきっと
決定を未来に適用したら途端に矛盾してしまうけど未来は確定しているはずというのが決定論の特徴。
>>373 光っているときは高原Aは1秒後の未来。
377 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/12/26(水) 02:32:55 0
無常を即、決定、非決定に当てはめるのは一足飛び思います。
この辺り超絶対神さん
そして最高位さんにも通ずるものがあります。
(最高位さんの場合は読まれた書籍の思想がそれに近いと思われます)
これは仏教(特にこの場合原始仏教)の思想に拠るところが多いのではないでしょうか。
しかし宗教内批判と受け取られますし個人的見解なので指摘があればお答えします。
決定論はどうして因果律とか科学を人質に取って脅すの?
>>373 相変わらず文章力ないな。
遠い星からの光が過去からのものってだけじゃん。
神の存在を目視で確認することはできない
しかし、それは神が存在しないということとは異なる
限界ある人間には知りえないだけで、神は存在するのだ
それを分からずに神の存在を否定する輩の何と多いことよ
僕としてはずっと読んで見たんだけど呆れてる。
一個一個片づければいいのに煽って遊んでるだけじゃないの?>決定論
えーと
神の存在否定の一番大きな恩恵は実は認知科学の人工知能研究にあるわけです。
決定論は今は誰も見向きもしないけどそっち方面だけは未だに決定論を固く信じている。
ただ前世紀に見切りが付けられたような気がする。
ここと一緒で実績より反論の反論みたいな世界に変貌してる。
ここらへんも実は量子力学と同じで数学者の功績(功罪?)なんですよね。
物理屋さんは出る幕無し。
>>380 そうか、悪かったな。
しかし自分と間違われてると気づくのも面白いな。
コテ付ける気ないの?
僕は科学カルトに割と興味ある。
見込みのない研究に何故予算をつぎ込むのかてのは国家は思想だから。
>>384 すぐわかるよ。
決定論者は罵倒しかしないもん。
>>386 俺は決定論者じゃないがな。
あまりにも稚拙すぎる文章を一文で言い直したまでだ。
僕が理解したことは決定論はここでは議論の対象として成立していないということ。
つまり時間の無駄。
歯ごたえのある決定論者が出ない限りネタスレ。
>>387 文章力は表現の明晰さだよ。僕のはそれに単純さが加わっているから誰にでもわかる。
でも反論はできない。
余計なこと付け加えるのは遊び。相手の思考力の程度を吟味するのも議論には必要だから。
390 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 03:14:35 0
■ 無職のおっさん劇場
>>389 やっぱお前おかしいよ、ズレてる。
固定ハンドルネームって分かるか?
付ければみんなに遊んでもらえぞ。
>>392 きっと無職のおっさんだろうな。
こういうのは最初に言った本人を表してるもんだろ。
394 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 03:30:07 0
無職が釣れました
>>391 決定論は論理的に成り立たないことは既に証明済みだし関係ないけどね。
論理的にというのは二階の論理構成で決定論を見た場合、決定論は単に事実の書き換えしか
できないという意味。
その構造は人間理性を超えているかに見えるがありがちなパラドックス。
主張に内包されている主張というものを展開しないと決定論は擁護できないんだわ。
後、ラビさんの論法(笑)を読めばわかるけど「この場合決定論では(解釈叙述)」の方便も
詭弁の基本。
全てを飲み込みたいのはわかるけど無駄。
このスレで釣り宣言とは珍しいw
哲学的にも人生的にも、
最高位の『私』関連の方が、決定論より面白いと思うんだけどなぁ・・・。
賛同者(『私』に興味のある人)、少ないんだよなぁ・・・w
モデルとかいう話があったけど決定論こそが因果律を信じて初めて展開された
原初的な世界モデルなんだよね。
この決定論的世界観が宗教を争わせて共存を阻害する原因を作ったというのも皮肉。
何故なら複数の決定論的予言が両立しないから。
>>397 僕もそっちの方がおもしろいし僕のテーマも似たようなところあるから引っ越そうかな。
これなら一日一書き込みで真面目に議論できるかも。
ここはラフ過ぎて想定した反論すら来ない。
>>395 ラビならこう言うだろう。
論理的に否定したとしても、原理的に否定するのは無理だとな。
>>397 そっちのスレ行けば良いじゃん。
>>399 だから独りよがりだと何度も…
>>399 その代り、ひと区切りついてるから、
過去ログ読破(もしくは(リンク・アンカーで)過去ログ参照可能な環境)は前提となるけどw
寝るw
402 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 04:00:37 0
■ 無職のおっさん劇場
to be continued...
403 :
糸色 文寸 ネ申:2007/12/26(水) 08:59:59 0
>>359 > その根拠は?
> 流動しているというのも、根拠がないなら信仰です。
「根拠」とはなんだ?
まず、それを定義しろ、たわけ。
数学の公理のようなものなら、単なる思い込みだぞ。
つまり、根拠に基づくものが信仰となるな。
くっくっく。
>>362 > 同様に流動する現在をここに連れてきて欲しいとも言えます。
そんなものは常にお前とともにあるではないか。
ヴァカか。
くっくっく。
> 流動という言葉自体、過去に似た状態が存在したことを含んでいます。
> 過去が存在しなかったなら、流動もないでしょう。静止画は動画ではありません。
だから、お前はヴァカなんだよ。
過去・現在・未来は、モデルだ。
そして、お前の言う噴飯マクロとミクロ同様に、過去・現在・未来には境界が無いんだよ。
つながっており、動いておれば、「流動」だ。
くっくっく。
>>352は、なかなか頭が良いな。
唯識も分かっておる。
404 :
ちゅう:2007/12/26(水) 09:42:09 O
過去、現在、未来は意識が決めることだからその間には意識の壁がある。
405 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 09:52:17 0
>>366 >「瞬間を切り取れる」という
>思いこみは間違いだということだと思う。
この瞬間だと思ったとたん次の瞬間だから永遠に未来へ(過去へ?)逃げるのが
現在。要するに機械氏が指摘するように「現前至上主義」には根拠がない。
せいぜい「目の前に持ってこい」というなら現在の幅と対象との距離を決める
必要があるというのは宇宙を見れば遠いほど過去というのと同じ事。
>>373 それから130億光年彼方付近のクエーサーは130臆年まえのその部分の宇宙であって
それが現在のその部分の宇宙で「も」あると強弁するのはどう考えてもおかしいだろ。
406 :
ちゅう:2007/12/26(水) 09:52:31 O
因果律を否定する非決定論ならば流動も運動も無常もない。静止画像の連続があるだけ。
>>352 素朴な疑問ですが、現在のみが存在して過去と未来は存在しないとすると、
「流動」「運動」「変化」などを意味づけることができなくなりませんか。
端的に、我々が0・1秒前の「過去」の記憶すら持てない生物だとすると、
いかなる運動変化も認識しようがないと思います。
あるいは、過去や未来は存在しないが、「記憶」や「時間」は存在すると
いうことでしょうか。ただ、過去や未来を抜きにして記憶や時間を意味づける
ことも難しいと思うのですが。
408 :
糸色 文寸 ネ申:2007/12/26(水) 09:57:08 0
>>377 > 無常を即、決定、非決定に当てはめるのは一足飛び思います。
その通りだ。
決定論、非決定論はともに、「無常」の内にある。
しかし、「無常」を決定論、非決定論に当てはめることはできんな。
人間が宇宙の内にあるからと言って、宇宙を人間に当てはめることはできん。
まして、本態である「無常」と下らん概念でしかない「決定論・非決定論」などを同列にできるわけも無いな。
正に妄想だ。
くっくっく。
409 :
糸色 文寸 ネ申:2007/12/26(水) 10:02:23 0
>>407 >
>>352 > 素朴な疑問ですが、現在のみが存在して過去と未来は存在しないとすると、
> 「流動」「運動」「変化」などを意味づけることができなくなりませんか。
できるだろうが。
固定した現在が無い以上、現在だけで「流動」「運動」「変化」を語ることは可能だ。
意識にとっての現在と、実現在の間には差異があるんだよ。
くっくっく。
> あるいは、過去や未来は存在しないが、「記憶」や「時間」は存在すると
> いうことでしょうか。ただ、過去や未来を抜きにして記憶や時間を意味づける
> ことも難しいと思うのですが。
過去・現在・未来は、単なるモデルだ。
くっくっく。
410 :
ちゅう:2007/12/26(水) 10:03:55 O
今、私の身の回りにあるほとんどの事物は過去にあったし、未来にもあるだろう、という世界観が決定論の立場だね。
411 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 10:04:28 0
>>407 現在は「瞬間」でも「現前」でもないでしょう。すごく幅のある概念。感覚自体がそうなっているし、
もし感覚が「運動」や「変化」を知覚しないのであれば、そもそも感覚ではない。
「静止」をモデルにするのは、人の観念のあり方からきていると思うけど、
実際は流動・変化を知覚している。というかそれしか知覚しないというのが本当だと思う。
その切り取り方の一つが「瞬間」であって、静止画は、それ自体一つのモデルだと思う。
412 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 10:04:50 0
>>408 無常なんて仏教が信徒を煙に巻くための方便だろ?なんでも無常と言いたいなら隔離スレでやれよ。
超絶個人としては仏教徒増やしてお布施を増やして結果的にプータロ小坊主を少しでも長く続けたいだけだろ?
>>409 >過去・現在・未来は、単なるモデルだ。
だからなんでんかんでん「無常」かい?w
隔離スレ「あぁ〜むじょう」で念仏唱えながら無常について教えて貰いたい
阿呆な名無しを集めて無常教でも始めたらどうかな?。
414 :
ちゅう:2007/12/26(水) 10:19:38 O
脳科学によれば運動を知覚できない脳は実在する。
415 :
糸色 文寸 ネ申:2007/12/26(水) 10:24:42 0
>>413 >
>>409 > >過去・現在・未来は、単なるモデルだ。
>
> だからなんでんかんでん「無常」かい?w
> 隔離スレ「あぁ〜むじょう」で念仏唱えながら無常について教えて貰いたい
> 阿呆な名無しを集めて無常教でも始めたらどうかな?。
無常とは殆ど無関係な妄想だと言っておるだろうが。
場蚊ではないか。
くっくっく。
416 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 10:28:51 0
>>416 超絶が粘着してるだけ
削除依頼がどんどん増えてる
スルーでいい。そのうちアク禁になる。
>>409 >固定した現在が無い以上、現在だけで「流動」「運動」「変化」を語ることは可能だ。
「固定した現在が無い」ということが、すでに「流動」「運動」「変化」を
前提にした認識ではないでしょうか。つまり、「時間(過去ー現在ー未来)」を
前提にしているように思えるのですが。
>意識にとっての現在と、実現在の間には差異があるんだよ。
「意識にとっての現在」が、「実過去ー実現在ー実未来」を含んだ、まさに
>>411さんのいう「流動・変化を知覚している」「幅のある概念」であるのは
その通りだと思うのですが、それですと、やはり「実過去ー実現在ー実未来」の
存在は否定できないのではないですか。
それを否定してしまうと、「固定した現在が無い」ということの意味づけが
難しくなるように思うのですが。
差異があるのではなく、そもそも実過去ー実現在ー実未来などというもの
は存在せず、存在するのは「意識にとっての現在」だけである、というのなら
わかるのですが、しかし「意識にとっての過去」「意識にとっての未来」の
存在も否定できないように思われます。
419 :
ネコの味方:2007/12/26(水) 10:41:01 0
>>346 機械さん
たいていの観念論者は、決定・非決定と可知・不可知とをわけていますよ。w
ただ不可知には「決定?非決定?」もその対象に含まれるので、そのことを
問う無意味さを指摘するスレも幾つか散見される。
たとえば超絶氏は「両者は内包している」と言い、その時々で立場を自由
に(戦術的に)決めている。w
ところでラビ氏の決定論は、彼流の言い方をすればモデル上の“論”では
なく“実際の事象”を形容する語句として、彼は用いているはずである。
彼が誤解されるのは、決定論をモデル上の“論(言説)”として言揚げして
いるように映るからだろう?
もう一つスッキリしないのは、実際の事象が「なるべくして成る(因果的)」
なのか「あるべくして在る(非因果的)」なのか、この点が不明確だから。
ふ〜ん、小柳ゆき、か。まぁ、彼女は本格派なので専門的に言えばw色々と
瑕疵があるが、やめておきます。
420 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 10:41:52 0
>>420 いや相手にされてないのはあんただって。
422 :
糸色 文寸 ネ申:2007/12/26(水) 11:11:47 0
>>418 > 「固定した現在が無い」ということが、すでに「流動」「運動」「変化」を
> 前提にした認識ではないでしょうか。つまり、「時間(過去ー現在ー未来)」を
> 前提にしているように思えるのですが。
固定した現在がないと言う認識に、「時間(過去ー現在ー未来)」の前提は必要ない。
「時間(過去ー現在ー未来)」と言うに認識に「固定した現在がない」と言う前提が必要になるのだ。
> それを否定してしまうと、「固定した現在が無い」ということの意味づけが
> 難しくなるように思うのですが。
瞬間もひとつの切り取りでしかない。
だから、ゼノンのパラドックスを取り払えないわけだ。
「流動により固定した現在が無い」が、先行するのだ。
> 「意識にとっての過去」「意識にとっての未来」の
> 存在も否定できないように思われます。
「意識にとっての過去」「意識にとっての未来」はひとつの概念だ。
それらが意識にとっての現在と実現在との、差異から生じると言うことだ。
存在するのは「意識にとっての現在」だけであれば、オートポイエーシスだと言うことだ。
また来ました。
わたしの主張をまとめさせてもらいます。
わたしは、決定論者です。
決定論は、科学的仮説の集合がひとつの真理に近似していくという予測です。
しかし、不確定原理という非決定要素に遭遇し、科学の進歩が停滞するという事態に現在遭遇しております。
真理を探究するものにとってゆゆしき事態です。
真理を探究するためには、不確定原理を克服しなければなりません。将来に期待するのが現状です。
自由意志に関しては、脳科学は決定論的な近似に向かって邁進しておりました。
結局のところ妄想でないものは「我思うゆえに我在り」しかないのだよ。
425 :
紗南:2007/12/26(水) 11:31:19 0
「1足す1は、2」は、真理にはいりますか?
>>424 無常に我もへったくれもわるわけないじゃん
>>425 数学は、物理世界や情報世界を説明しやすいように、人が都合よくつくりだした産物にすぎません。
しかし、事象の説明をするためには、ひとつの数学に近似するように人が選択してつくりだしてきました。
1+1=2は、仮説であり、真理に近似する仮説のひとつにすぎません。
429 :
紗南:2007/12/26(水) 11:43:23 0
>>428 ということは、まだ1+1は、2に近いと言えば近い(近似)けど、
微妙に違ってて、実は、2.00034とか、1.9989とか、
かもしれないということですね?
>>428のつづき
数学がひとつに近似していくというのも、多くの数学者が決定論的世界観を支持していたからです。
>>429 そういうことです。
しかし、1+1=2は、もっと現状では、
2.000000そのものに近似された確立されつつある有力な仮説であります。
>>431のつづき
例えば、1+1=1.999999……も真理への近似として成り立ちます。
しかし、物理世界を観測するに、1+1=2はかなり真理に近い仮説と考えられます。
科学的恩恵を受けるとは、こういうことです。
>>431 それってよ、どうして「2」は2.000000..と定義できるんだ?
>>433 >>428で人がそう都合よく定義したと申しております。
1+1=2という仮説の近似は、大成功をおさめ、人の文明の構築に大いに貢献しました。
不等号で表せよ・・・
そもそも「近似」というからには「真値」があるというのが前提だろう。
1+1の真値は2ではない可能性の根拠を示して欲しい。
437 :
紗南:2007/12/26(水) 12:04:56 0
>>432 なるほどー。数学とか算数の解(答え)は、
「物理世界を観測」したりとかの具体的な経験から作られてゆくのですか。
なるほどー、とか書きながらも、
紗南はまだその話を理解してるかどうか自信が無いです。
生々流転では現在というのは捉えることはできんから絶えず現在の近似値を見てる。
後、過去は原因が不在(何故に答えがない)し未来は結果が不在(どのようになるに答えがない)。
因果律は現在の視点からは見ているときだけ成立しているように思われるだけ。
それでも因果律は連続するてのは実在が連続するというのと同じ。
>>436 >>432で、1+1=1.99999……を示しております。
すぐに連投規制につかまりそうです。
>>439 1+1=1.99999・・・
ならば
1=0.99999・・・もOKね?
>>439のつづき
1.99999……と2.00000の間にあるのが真理です。
決して、不可知で近似以外にたどり着くことのできないものです。
ん?新手のカルト団体か?
数学を知らない馬鹿があばれてるな
1.999・・・+1.999・・・=1.999・・・8
いつか1.999・・・は1になり0になる日が来るかもね。
>>444 いやいや 1+1=1.999・・・・・9999λνξゐゑ かも。
+ωで不等式にする話ではないのね。
なんで浮動小数点表記にしないの?
449 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 12:49:36 O
とーくのモノが小さく見える遠近法が、不思議で
ならんが、当たり前なのも不思議でならん。
感覚的には遠近法で映るが、これはモデルとはな
らんのか?ならんか。
誤謬なんだろな。
450 :
紗南:2007/12/26(水) 12:55:56 0
おぼろげで、曖昧模糊な感じの言いかたですが、
因果律とか、時間とか、空間とかは、
「人間的な、人間的な」国へのパスポートのような気がします。
紗南とて人間の端くれですから、紗南のいる国は「こっち」の国です。
「あっち」の世界は、「人間的」じゃないとしたら、何の世界なのかね。
「犬」の国なのか、「ウサギ」の国なのか、「うなぎ」の国なのか、
あるいは「魑魅魍魎」の国なのか、「超人」の国なのか。
紗南はたまに「こっち」の国で「いい子」にして暮らすことに退屈して、
「あっち」の国を覗いてみたい(自分に危害が及ばない程度に)とか思うことがある。
白ウサギを追いかけて、ウサギ穴に落ちて、
遠くのものが大きく、近くのものが小さく見えたりもするような、
不思議な地下世界で冒険したりとか。
どんな優秀な打者だって、打率は4割ぐらいじゃないですか。
紗南だって「そんな気分」になるときぐらいあったっていいじゃないですか。
ゴシック・アンド・ロリータの精神もそこにあると思います。
451 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 13:12:56 0
>>450 初めてレスするけど、的確で楽しいレスにいつも感心してます
因果律・時間・空間は人間的な国へのパスポート、いや、実に見事
これからもがんばってくらさい
>>450 因果律を突き詰めていくと任意の一点に収束されるらしい。終わりも同じ。
決定論は第一原因と終末を仮定してる。
ビッグバンから全てが始まりいつか収束してしまう。
それ以前にもそれ以降も時間も空間もない。
こういう仮定が決定論を勇気づけた。
454 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/12/26(水) 13:47:18 0
>>450 どんな小説でも優れた物はあっちの世界への入り口となっていると思いますが、
「あっちの世界」が極めつけに出てくるのが、エイモス・チュツオーラの「やし
酒飲み」。なかなか面白いのでおすすめですよ。世界中には面白い人がたくさんいる
ようだとうすうすわかってきました。
455 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 13:48:11 0
人間的とはなんであろうか・・
的、らしさ、ぽさ、ぽい、あ、ポイ捨てね !?
456 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/26(水) 13:50:55 0
>>452 >
>>450 > 因果律を突き詰めていくと任意の一点に収束されるらしい。終わりも同じ。
> 決定論は第一原因と終末を仮定してる。
宇宙は無がゆらいで生じたわけだ。
第一原因は無だな。
くっくっく。
457 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 13:56:04 0
>決定論は第一原因と終末を仮定してる
仮定とかヤメてくんない?
哲学がなんで衰退の一途つ〜か
もはや学科としての存在意義を失ってるかそろそろわかれやおまいら
宇宙誕生の謎は解明されるのかのう。
ビッグバンとて仮説にしか過ぎんしのう。
大事なのは人間が何故やどうなるに答えられるという主張が常に真かどうかだろう。
因果律と言えば聞こえはいいが地平線の先まで見通せるわけじゃない。
過去においては原因の不在感、未来においては結果の不確かだけが残るし現在さえも捉えがたい。
決定論はそれをどう記述すべきか(価値観)という運動に過ぎないように思えるが。
哲学者じゃないなら、科学が真理への近似だと考える人がいてもいい
哲学者ならそんな考えは勉強不足の恥だと考えるべきだ
真理への近似を捨てても合理主義への信頼は必ずしもそこなわれない
461 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 14:05:53 0
>>459 >因果律と言えば聞こえはいい
いい加減なヤツって印象しかないんだけど因果律とか言い出だすヤツって
信奉者なの因果律の?
462 :
紗南:2007/12/26(水) 14:14:54 0
年内はオフ会があっても参加出来そうにないです。
すいません。
463 :
全ての神々の父:2007/12/26(水) 14:21:22 0
人間に自由意志があるように思いたいだろうが、瑳抹事は別にして、大まかな
運命というのは決まっている物だ。自分で選んだように思えても、ある分かれ道
にきて、Aにいこうか、Bにいこうか、悩んでも自分の不可能な方へは絶対に
いかない。可能な方へしか行かない。だから今ある自分というのは必然の
集積であるわけだ。それでもあらがいたいから運命という物が芸術の主題に
なるわけだな。
464 :
紗南:2007/12/26(水) 14:23:06 0
運命の人
http://www.youtube.com/watch?v=HhCzdjk4P6w バスの揺れ方で人生の意味が分かった日曜日
でもさキミは運命の人だから強く手を握るよ
ここにいるのは優しいだけじゃなく偉大な獣
愛はコンビにでも買えるけれどもう少し探そうよ
変な下着に夢がはじけて叩き合って笑うよ
余計なことはし過ぎるほどいいよ 扉開けたら
走る 遥かこの星の果てまで
悪あがきでも呼吸しながら君を乗せてゆく
アイニージュー敢えて無料のユートピアも
汚れた靴で通り過ぎるのさ 自力で見つけよう神様
名無しでもバレバレですか
また来年にでも
466 :
紗南:2007/12/26(水) 14:35:21 0
相変わらず携帯からですね。
紗南が今まで紹介してきた動画とかも、携帯からだとやっぱり見れてないんですよね?
では、よいお年を。
・・・と言っても、2ちゃんには年内もまだ来ると思いますけど。
21世紀も科学が宗教に取って代わろうとする運動は収束しそうにないです。
これ、真理。
>>444 いや、現在の数学者の選択では、
0.9999……+0.9999……=2.00000とされております。
だれも、444に突っこまないのが不思議でなりません。
>>445 来ない。と信仰するのが決定論者です。
数学者が1+1=2の近似を拡散させるとは考えづらいです。
つまらない見解ではありますが、科学的文明の恩恵を受けるためには必要なことです。
古代には、12進法でつくられた世界も存在しました。
現在では、人が10進法を選択しているにすぎません。
10進法の選択は、人の指の数が10本だからに由来すると考えられます。
例えば、12進法は3で割ることができるため、
割り算を多量に使う場合は10進法より優れております。
時計などがそれにあたります。
数学による近似は、古代において大成功をおさめたため、
物理世界そのものと混同されがちですが、情報世界に存在する近似値にすぎません。
>>469 今の算数では円周率は3で割り切れる。
確かに近似値に過ぎないらしい。
哲学者最高位は唯我論者です。「我、思うゆえに、我あり」
唯我論は確かに強敵です。決定論と同じく、歴史上、完全には否定されたことがありません。
通常、唯我論を否定するには、唯我論者を殺し、そのあとにも世界が残ることを予測することです。
哲学者最高位にその問いをぶつけたら、
「あなたはアホですか」などと思考停止な解答をもらいました。
たいへん、不満です。
科学的には
数学的には
物理学的には
そう聞いたらほとんどが嘘だから。
473 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 15:52:55 0
474 :
ラビ:2007/12/26(水) 15:57:39 0
>>471 自分の中では、唯我論を否定することは無理ですが、
他人が主張する唯我論は経験的に間違いと言えると思われます。
なので、他人と自分を対等(他人に自我があるとして)に置きながら、
外に向かって唯我論を主張することは、無駄であり、愚かな行為であると思います。
逆に他人には自我がないかもしれないと想定しながら、唯我論を主張している様も、
テレビに向かって話しかけるような滑稽さがあります。
主体の中で唯我論を否定することは不可能ですが、
それを外に主張するのは馬鹿か異常者だと思われます。
>>474 思想闘争に必死すぎ。
お互いに尊重し合えばよろしい。
ラビさんは何か自分の思想を押し付けすぎる気がする。
ただ困るのはいつも中身がない。
>>474 唯我論にはそういう客観てないだろ。
デカルトはその先心身二元論を展開したんだがそれは飛躍なのかいな?
>>474 >主体の中で唯我論を否定することは不可能ですが、
>それを外に主張するのは馬鹿か異常者だと思われます。
おれもそれは思うんだよな
異常者とまでは思わないけれどw
ウィトや永井も書いていたと思うけれど、これは他者に主張するようなものじゃなくて
自己の中で抱えるものだと思う
独我論そのものを議論するのは掘り下げる上で意味のあることだと思うけれど、
それを主張するってのは??といつも思ってしまう
それは猿の惑星の話だと思う。
はじめに喋る猿が出て来てどんどん他の猿も喋り始めた。
唯我論は簡単に言うと他者のきっかけを必要にしてる。
言語で考えを述べるのは他者を想定している。
今日にも通じる問題は主体と個々の他者との経路がどのように確立し得るのかということ。
神に逃げるも良し科学に逃げるも良し。
でもそれらって結局他者からの語りかけを信じないとできないこと。
帰結。
>>479 ヴィトゲンシュタインの指摘してるのはあくまで言語哲学なんで次元の違う話なんだわ。
>>480 他者がいるのに、「唯我」論なの?
ならば、単に人がいっぱいいますよということを言っているに過ぎないんじゃない?
おれはここが引っかかるんだ
ここの説明がほしいな
>481
ウィトは私的言語を否定して尚、私的言語的にならざるを得ないような
「私」の存在を確信していたんじゃないの?
文献を直接読んだわけじゃないから、間違っているのかもしれないけれど、
永井のウィト本にそのようなニュアンスの一文が載ってたよ
>>482 どう読んだのか知らないけどデカルトは哲学を始めるに当たって懐疑のトレーニングをした
結果どうやら確からしいのは自分が思考しているという事実は否定できんぞというところに
落ち着いたってだけ。
別に唯我論ありきでそっから思考停止したわけじゃなく原点回帰を示したに過ぎない。
そこらへん読み違えて唯我論という懐疑論をウィトがそう言ったというのはおかしい。
ウィトが求めたのも主体性から始まる他者との経路なんだから。
そこらへんは簡単だけど先ず自分で考えないとわからないと思うわ。
独我論を主張することは別に他者に対してなにかを伝えようとしているのではなく
自分をとりまく世界に対してはたらきかけているだけかもしれない。
>>484 何言ってるのか意味不明だよw
だから、他者に語りえない「私」なんでしょ?
今手元に本が無いからあやふやだけれど、ウィトは文法上の位置に
「私」を示せるような位置が無いといったニュアンスのことを言っていたよ
>>486 ま、がんばって。
疑いようのないことだと思うけど最もわかりやすい事例は前述の「猿の惑星」の類。
認識主体としての他者を仮定すれば「私」はいつでも成立するてことはどういうことかが問題。
で、最高位さんの言うのは別に唯我論ではないだろう。
別のアイデア。
すれ違いなことが、ここでは盛り上がり
本スレとも言える隔離スレでは盛り上がらないんだな。
491 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/12/26(水) 16:35:22 0
>>474 馬鹿だろうが、異常者だろうが、本人にとってはそれが真実なんだから、外に出すな
というのはよけいな話し。
狼少女のことも書いたけど人間は環境によっては狼の心のまま過ごして死んでいくこともできる。
猿の惑星では最初の猿が話し出してなんとなく他の猿も真似して喋り出すとそこに規則が生じてる。
こうやってとりあえず具体的な事例を想定して考えていけばいいんじゃないのかな。
哲学でも決定論関係の思考実験の事例は割とあるみたい。(これらではないけど)
「私」の存在証明は前書いたしおもしろい思索だと思う。決定論とは結び付かない。
僕らの立場はいい加減に見えるかも知れないけど決定論とか非決定論なんてどうでもいい足元を見てる。
他者が尊重するからと言ってその他者を徹底的に侵害して心変わりすべきだと強要するから
決定論者は叩かれる。
>>486 なんでそんな簡単なところでつまずいていられるのにウィトを出すのかがそもそも意味不明。
超絶さんみたいに「莫迦ではないか」と言いたくなる。
誰かこの名無しどうにかしろよ!
>>493 どのようにつまづいているのか詳しく説明plz
おれは逆にこの問題は整理出来たと思ってるからさ
独我論は主張出来ないってことでね
主張した時点で独我論ではなくなってしまう
私的言語の限界とはそういう意味だとおれは思う
(個々の中で抱えることは出来る)
>>494 さすがに馬鹿らしくなったんでどうでもいいよ。
たださ、ここの住人て実力もないのにプライド高いんだよね。
難しいことが考えられるのが哲学だとか錯覚してんじゃないのかな?
それは所詮引き写しの他人の言葉を任意に並べて相手に叩きつけるだけの不毛な行為っすよ。
僕はそういう言語的な暴力闘争も物理的な暴力闘争も嫌いだ。
嫌いであるためにはどっちも得意になっとく必要あるんだけどね。
スレ違いだから、向こうでやれよ。
両者共に削除依頼が出てるのによく書き込むよなあ
哲学板住人は2ちゃん荒らしの縮図みたいな場所だなw
他板でこれやったらスレそのものが立てられなくなることも知らないのか
501 :
ラビ:2007/12/26(水) 17:31:51 0
>>491 外に出すなとは申し上げておりませんが。
どうしてそうも誤読するのでしょうかね。
>>501 ラビ君 君の言ってるのことは
「ぶさいくな奴だな。そんな顔で外へ出るなんてきちがいだぜ。出るなとは言わないが。」
ってことと同じだね。まともな神経ならそんな論法は使えないはずだ。
503 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/26(水) 17:42:19 0
削除依頼が出たらなんでも削除されるのか?
問題のない書き込みに、やたら削除依頼を出す方がかえって危険ではないのか?
他人事ながら、心配になってきたな。
そんなに仕切りたいならば、自分が管理人になって掲示板を立ち上げたらどうだ?
2ちゃんは自由な掲示板だからな。
くっくっく。
504 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/26(水) 17:44:27 0
>>502 ラビに、馬鹿か異常者だと思われてしまうのは、まともだと言う証拠だな。
安心してよいのだ。
くっくっく。
505 :
ラビ:2007/12/26(水) 17:46:57 0
>>502 それは違いますね。比喩なら、
『「お前らは俺様の世界の中の存在に過ぎないんだよ」なんてわざわざ言うのはキチガイだぜ。言うなとは言わないが』
という感じに近い。
507 :
ラビ:2007/12/26(水) 17:54:29 0
もっと言えば、唯我論は議論しようがないということです。
「議論」が成立するのは、唯我論の世界ではありません。
唯我論を主張することは、間違いの主張であるか、議論ではない放言に過ぎないか、どちらかです。
508 :
ラビ:2007/12/26(水) 17:56:31 0
もちろん、独我論そのものを議論するのは掘り下げる上で意味のあることだというのには同意ですが。
>>507 そうそう。唯我論は決定論と同じく議論にはならない。ナンセンスだということ。
>>508 掘り下げる必要はないよ。
唯我論を知ってればそこを出発点にしても別に構わない。
ここももはやラビの隔離スレと化したか・・・。
>>507 さらに言えば、決定論は議論のしようがないのであります。
決定論は非因果決定論(事実的決定論)という禁じ手を使う事を恥としないのであります。
これは「決まっているから決まっている。」と言っているのと同じであります。
非因果決定論などの用語を出した時点で、議論は妄想めぐるに過ぎないのであります。
513 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/12/26(水) 18:01:51 0
>>505 普通の独我論者というのは、自分の心しか知り得ないという、自閉症の
軽いものかと思っていましたが、ちがうのかな。
ヴィトゲンシュタインの話題が久しぶりにちょっと出たけど
規則は行為を決定しないっていう懐疑論があるよね。
でも何ら問題ないよね。
515 :
ラビ:2007/12/26(水) 18:05:54 0
>>512 ええ、もちろん決定論も議論しようがないと思います。
原理的に否定できない以上、どうしようもありません。
神が存在するとか、過去が存在するとか、因果が存在するとかと同じように信仰に過ぎないわけです。
私が主張しているのは決定論が正しいということではありません。
・決定論を否定することは原理的に不可能。
・非決定論は妄想に過ぎない。
・自由意志は因果的決定論の世界で成立する。非因果的決定論の世界や非決定論の世界では成立しない。
・決定論が正しいとするのは過去が存在するというのと同様に信仰に過ぎない。
ということだけです。
決定の要素
決まり
関係の定言
etc
定言に従った、他の関係の場合で、あらゆるものを考えようとする。
>>515 えーと
これは狡いと思われ。
決定論では如何なる信仰も妄想に過ぎないことになっております。
518 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/26(水) 18:09:17 0
唯我論と言うのは、他人をわかったつもりになっても、実は自分の中の他人をわかったつもりになっているだけだ。
真に分かりあえないことを前提に、相手を分かろうとしろとか言う、キンパチ先生みたいなものではないのかね?
くっくっく。
520 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/26(水) 18:11:13 0
決定論と非決定論は、互いに内包しあっておるのだ。
これが真相だな。
ラビのは、単なる妄脳の戯言であろう。
くっくっく。
>>518 金八先生が一番わかってなかったらしい。
今放映している金八先生は低視聴率が続いてる。(見てないので内容は知らない)
>>521 勝手ながら、あなたにレスを付けさせてもらうが、
スレの趣旨、テンプレに沿うのは2chでのルール。
>決定論を否定することは原理的に不可能。
原理的というからには証明したまえ。これまで否定しきれていないからといって
「原理的」に不可能などと何故言えるのかね?
524 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 18:28:34 0
ラビの隔離スレ立てようか?
適当なスレタイ考えて。
うさぎ原理概論
なぜならここがそうだから。
528 :
ちゅう:2007/12/26(水) 18:33:58 O
決定論の立場なら過去、現在、未来は全て存在する。
529 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 18:35:26 0
せっかくの名物スレなんだから、スレの保守のためにも、
ラビ氏のような人材が必要。
いなくなったら、このスレも終わってしまう。マジで。
そもそも決定論にはその立場というものが不要。
(ラビ氏的には頭の悪い連中がたくさんいるとしか思えないんだろうなあ)
535 :
ラビ:2007/12/26(水) 18:44:53 0
>>523 決定論だけだと全集合だから。
因果的決定論か非因果的決定論なら、その限りではないと思いますが。
>>535 それって「決定論が全てである。」ってこと?
>>535 A論、B論、C論・・・とあるときに
A論の否定不可能を証明するのに
「A論だけだと全集合だから」
など意味不明だ。「A論だけ」という仮定の意味と根拠は何か?
否定できないけど正しいとも思ってないというのは思考停止ということ?
539 :
ちゅう:2007/12/26(水) 19:12:56 O
決定論の否定が非決定論じゃないの?
540 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 19:13:38 0
なぁ、ひとつでもいいから未来永劫決まってる事を書けよ
決定論者にとっては非決定論は妄想なんだから。
542 :
ラビ:2007/12/26(水) 19:27:18 0
>>536 そうではなく全てを含んでいるから意味がないということです。
543 :
ラビ:2007/12/26(水) 19:30:02 0
>>537 >A論、B論、C論・・・とあるときに
A論⊃B論
A論⊃C論
NOT(B論)=C論
544 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 19:30:37 0
真理だの因果だの言ったところで
しょせん「いまのところ」の話でしかないのよね、、つまらん話だw
>>542 ラビ様へ
その意味ががわからん。
そこだけでもわかるように説明して下さい。
たぶんラビ様は理学部物理学科を卒業されて博士課程で後期まで修了された日本を代表する
物理学者なのだと思われますがそのラビ様には簡単でも下々の私たちには理解できないことが
多いのです。
よろしくお願い致します。
546 :
ラビ:2007/12/26(水) 19:32:05 0
>>539 因果的決定論の補集合は非因果的決定論です。
>>546 それはどのような学説に基づいているのでしょうか。
548 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/26(水) 19:58:43 0
>>542 >
>>536 > そうではなく全てを含んでいるから意味がないということです。
ならば、非決定論も決定論に含まれるわけだ。
妄想であろうが、信仰であろうが、すべてと言うことだ。
なおかつ、決定論は原理的に否定できないだけだから、非決定だ。
結局、決定論と非決定論は、互いを内包しあっておるな。
くっくっく。
新手の決定論の宗派ですか?
550 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/26(水) 20:06:46 0
決定論がすべてをもれなく取りまとめられる筈もない。
その程度の決定論が否定できないと言えば、その時点でそれは即座に否定される。
非決定論と決定論は、互いに内包しあっておるわけだ。
無駄なんだよ、ラビくん。
くっくっく。
内包なんて余計にわけわからん。
552 :
ラビ:2007/12/26(水) 20:12:12 0
なお、決定論の世界でも、世界がいわゆる非決定論的に見える主体というのは両立します。
ただ、その場合でも、それは非決定論というより、不可知論の方が相応しいと思います。
>>552 それは貴方個人の思いでしょう?
他人を説得できる根拠がありますか?
554 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/26(水) 20:16:03 0
>>552 > なお、決定論の世界でも、世界がいわゆる非決定論的に見える主体というのは両立します。
> ただ、その場合でも、それは非決定論というより、不可知論の方が相応しいと思います。
世界がいわゆる非決定論的に見える主体ではなく、世界を非決定として選択する主体だ。
主体によって、決定論の世界は内側より破壊され、再構築される。
決定論と非決定論は、互いに内包しあっておるわけだ。
くっくっく。
556 :
ラビ:2007/12/26(水) 20:17:48 0
557 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/12/26(水) 20:18:19 0
>>543 >NOT(B論)=C論
単純に違うし、BとCの間に共通部分があったらどうするの
558 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 20:18:35 0
13 名前:考える名無しさん 投稿日:2007/12/20(木) 15:10:21 0
走召糸色文寸ネ申
>決定論と非決定論は、互いに内包しあっておる。
>994 :ラビ :2007/12/20(木) 11:29:48 0
>決定論と非決定論は内包しあってなどいません。
>そういう認識をしてしまう人はいるでしょうけどね。
>995 :走召 糸色 文寸 ネ申 :2007/12/20(木) 11:44:02 0
>
>>994 >> 決定論と非決定論は内包しあってなどいません。
>> そういう認識をしてしまう人はいるでしょうけどね。
>決定論と非決定論は内包しあっておらんな。
>しかし、自然界では決定と非決定が内包しあっていると言うだけのことだ。
これって禅問答のテキスト何ページに書いてあるお手本ですか?>走召糸色文寸ネ申さま
559 :
ラビ:2007/12/26(水) 20:19:27 0
>>557 A論=決定論
B論=因果的決定論
C論=非因果的決定論
ほとんどの人にとって哲学自体が禅問答みたいなもんだからその区別ができる人は案外少ないと思う。
561 :
ちゅう:2007/12/26(水) 20:22:20 O
未知であることと不可知は違う。知ることが不可能ならその理由を示さなければ議論にならない。
決定論者にとっては宇宙は既に決定している。
不可知であっても何か一つの因果律がわかればそこから無段階に演繹していくことが
原理的に可能であり現にこうしてビッグバンを突き止めた。
同様にして時間の許す限りその因果律の鎖を前後に辿って進歩していけるはず。
こういう確信だとは思うんだが。
また来ました。ちょっと過去ログ読んで勉強しました。
わたしの主張をまとめさせてもらいます。
わたしは決定論者です。
・決定論は、科学的仮説の集合がひとつの真理に向かって近似していくという予測です。
この近似は、ヨウ素液をデンプンにたらすと必ず紫色になる程度に一致しています。
・しかし、不確定原理という非決定要素に遭遇し、科学の進歩が停滞するという事態に現在、遭遇しております。
真理を探究するものにとって、ゆゆしき事態です。
真理を探究するためには、不確定原理を克服しなければなりません。将来に期待するのが現状です。
・自由意志に関しては、九十年代前半まで勉強した範囲では、デジタル生命や大脳生理学は自由意志を否定する方向で近似しつつありました。
わたしは、このまま、自由意志が否定される形で集束していくのだと予測しています。
しかし、脳科学の飛躍的進歩は九十年代以後にあったらしく、その事情にはまるで精通しておりません。人工知能全般スレを見る限り、とても完成するとは思えない。
・決定論においても主体性は存在します。脳の内側で決定されるものが主体です。
・数学は、物理世界や情報世界に近似する人がつくりだした産物にすぎません。
数学による近似は古代において、大成功をおさめたため、物理世界そのものと混同しがちですが、情報世界に存在する近似にすぎません。
>>563 九〇年代はまだ人工知能待望論が大成だった気がする。
二一世紀に入って前世紀が残した遺物とか幻想ではないかという意見をよく聞く。
その背景はコンピュータが飛躍的に発展普及した結果と見ている。
>>563 哲学の初歩から勉強してからのほうが
いいんじゃないか?
>>563 数学て普通に哲学科の専攻の一つだったような気がする。
日本の学問体系(大学の体系)て意外と独創的でおもしろい。
567 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 21:09:51 0
>>563 >決定論は、科学的仮説の集合がひとつの真理に向かって近似していくという予測です
決定論が「予測」に過ぎないことよく分かりました
いやね、その外れるかもしれないものを真理と
呼びたがるヤツが多いもんで困ってたとこなんですよ
予測ね、、よ〜わかりました
真理厨どもに言って聞かせてやってください
568 :
ラビ:2007/12/26(水) 21:11:30 0
>>567 決定論にそんな予測なんてありませんよ。
人工知能にとって決定論てそんなに大事なのかな?
570 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 21:20:38 0
>>568 563の方に言ってやってください
自分の相手が誰なのか分からなくなってるようですね
>>567 ひとつの真理に向かって、というところにも注目してください。
観測不能なところに、ひとつの真理が存在します。
572 :
ラビ:2007/12/26(水) 21:26:00 0
>>570 言うだけ無駄だということは貴方はわかっていると思いましたが。
真面目そうだったラビ君を見事に電波に育て上げたこのスレ凄ス!
574 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 21:29:24 0
575 :
ラビ:2007/12/26(水) 21:32:50 0
>>574 なら、馬鹿を煽るのはやめたらどうでしょうか。
アニメのルパン三世思い出した。
決定論コンピュータがルパン三世の気紛れに破れる話。
馬鹿を煽るって客観的に見てラビを煽るって意味で正解?
578 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 21:47:37 0
ラビ先生著『渡る世間はアホばかり −決定論は原理的に否定することは不可能なことについて−』
決定論も非決定論も妄想。
確実なのはただコギトのみ。
そこから出発するほかに道はない。
ラビ先生著『科学者は逸脱する −科学する脳が退化した果てに見るのは決定論的世界像−』
ラビ先生著『似非科学のカラクリ人形 −神々を駆逐した果てに人工知能は決定論を信仰すると予言する−』
機械的唯物論者著『クオリアが科学する時代 −科学の地平は観測も実験も不要な進歩−』
584 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 22:08:29 0
ラビのオツムの弱さは決定してたのか、138億光年前から?
ラビ先生幼少の砌著『僕、7歳の大学生』
超絶対神著『世は無常、儂は無脳 −脳がなければいつでも解脱可能な件について−』
587 :
ちゅう:2007/12/26(水) 22:25:42 O
この世界の現実が決定論か非決定論かで異なることはない。
ラビにとっては決定論て名前が大事なのさ
内容はどうでもいい
それをわかって議論するべきだ
名前にこだわるな
内容にこだわれ
決定か非決定かで議論する意味はない。
590 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/12/26(水) 22:30:37 0
決定論てごく浅いほとんど何も言ってないのと同じ単純な思想なんだからどうでもいいよ。
要は決定論で何をどう解釈したらいいのか迷うだけ。
まあ・・・ラビ、頑張れ。
分かってるやつはいる。
593 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/26(水) 22:48:41 0
>>588 > ラビにとっては決定論て名前が大事なのさ
> 内容はどうでもいい
> それをわかって議論するべきだ
>
> 名前にこだわるな
> 内容にこだわれ
確かにその通りだな。
決定論は原理的に否定できないと言っておきながら、内実は不明だ。
儂なら簡単に言えるぞ。
決定論と非決定論は、互いに内包しあっておるのだから、決定論はその否定を内に持っておる。
否定できるわけもないな。
くっくっく。
ラビは何がしたいんだろうね。
誰かが決定論は否定されたと言えば、
決定論が否定されたことはないと言って出てくる。
決定論の弁護士か何かなのか?
決定論と非決定論が内包しあってるなんて言うと余計にわけわからん。
二つとも志向性でしかないだろ。
596 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 22:57:00 0
だから1つでもいいから未来永劫決定してる事柄を提示すりゃ非決定論は崩れるじゃん
逆に1つでもいいから決まっていない事柄を示せば決定論は崩れる
どっちの事例も出て来ないんだが、、てことはどっちも出鱈目ってことじゃんよw
決定に反する事柄て無数にあるだろ。
決定を覆して生きてんだから。
決定論でそういう考えに対する反論は設計のプロセスで決定していたと表現することはよく知ってるけど。
要は決定論てのは拡大して解釈して行けば行くほどどんずまりの決定してようともしてなくても
どうでもいい解釈論争になるって話だ。
そんなのはナンセンス。
議論がどんづまりなんじゃなくくてここの決定論者はロジック苦手だからいけない。
一回決定論のロジックを展開して見せてみたくなる。
だいたいここの日曜物理主義者たちは
自分で頭を使うことに慣れていないんだよ。
エロいひとの受け売りしかできないみたいだね。
601 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 00:02:40 0
どうも人間には不可知=非決定としている様だが、そんなもんでいいのかお前らは?。
602 :
走召糸色文寸ネ申 :2007/12/27(木) 00:24:06 0
>>599 >だいたいここの日曜物理主義者たちは
>自分で頭を使うことに慣れていないんだよ。
儂なら簡単に言えるぞ。
物理主義と非物理主義は、互いに内包しあっておるのだから、物理主義はその否定を内に持っておる。
否定できるわけもないな。
くっくっく。
決定への可知は即ち応用できる。
応用すれば決定は変更される。
因果律を決定=可知で演繹して確定未来を構築する決定論の弱点と言わねばならない。
不可知な領域での決定論はそれこそ不可知論でしかない。
例えば脳が解明されるから可知になる。
そうすると脳は決定論であると証明される。
従って脳に由来するあらゆる非決定に見える振る舞いは実は決定論に内包され得る。(可能未来)
こういう展開があったので決定=可知というのは誤謬だと指摘したのがいつの間にか
決定論者以外は決定=可知と錯覚していると逆に指摘するようになった。
まさにロジックのない決定論者がそれ以外のロジックから勝手に援用して既成事実化を企てただけ。
アホらし。
605 :
走召糸色文寸ネ申 :2007/12/27(木) 00:33:54 0
>>513 >普通の独我論者というのは、自分の心しか知り得ないという、自閉症の
>軽いものかと思っていましたが、ちがうのかな。
儂なら簡単に言えるぞ。
独我論と非独我論は、互いに内包しあっておるのだから、独我論はその否定を内に持っておる。
否定できるわけもないな。
くっくっく。
606 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 00:36:47 0
>>605 その論法は便利そうだけど何も説明しないという致命的弱点があるな
遊びとしては面白いから、それはそれでいいんだがw
607 :
走召糸色文寸ネ申 :2007/12/27(木) 00:38:04 0
>>601 >どうも人間には不可知=非決定としている様だが、そんなもんでいいのかお前らは?。
儂なら簡単に言えるぞ。
不可知論と非不可知論は、互いに内包しあっておるのだから、不可知論はその否定を内に持っておる。
否定できるわけもないな。
くっくっく。
脳の解明により我々の個々の思考の在り方をその論理で再記述することが可能か否か。
非論理や直観も含めて。
決定論はそれが可能であると保証している。
ではその根拠はと尋ねると解明が進までは反論は保留したいと述べるに止まる。
一種の賭けなんですね。
>>604 >こういう展開があったので決定=可知というのは誤謬だと指摘したのがいつの間にか
>決定論者以外は決定=可知と錯覚していると逆に指摘するようになった。
莫迦か?
「可知であることは決定されていることの必要条件ではない」と言っても理解できるか?
「「可知であることは決定されていることの必要条件である」という思い込みが観念論者の
キモなんだよ。
「=」だけしか使えない頭は「小学校の算数頭」以上には成長しようがないのだろうがなw
あわれだな。
くっくっく。
自分勝手な決定論を想定してしゃべってる奴が居るな。
>>610 莫迦か?
「可知であることは決定されていることの必要条件ではない」と言っても理解できるか?
どうしても「必要条件」にして貰わないと立場無いのか?
あわれだな。
くっくっく。
>>609 決定/非決定は可知/不可知と区別するべきだと書いたんだが。
しかしながら決定論者は時間の流れで決定して可知になると考えたので
予測問題が生じた。
常に予測に反する決定は可能である、と。
決定論者は決定論をまるで理解していないしその外延に関する問題も理解できていない。
だから可知の問題と決定の問題を混同してしまう。
>>612 了解。
機械が小柳ゆき論の続きやったら突っ込もうかと思ってたら来ないのでつい。
突っ込みたくなってな。寝るわ。
僕の展開は単純明快だ。
決定論で決定されている予測はそれを変更することは常に可能だ。
無価値に機械的に。
決定論は確定未来しか見ない。その点において可知であろうと不可知であろうと頓着しないわけだが
可知の領域に広げると矛盾が生じる。
不可知だと何とでも言えるからね。
そういう展開がロジックだ。
決定論的予測不能という帰結しか残らない。
>>611 そういう次元の話ではない。
僕がそこらへんを先ず整理して浮上してきた問題なので了解している。
可知と決定を関連付ける(もしくは切断する)ことに意味はない。
どんな単純な実験も決定論者が予測を告げればその時点でパァ。
無限に再計算が続くだけ。
つまり決定論者が主張する決定そのものが不能になる事態が生じる。
それは決定でもなく非決定でもない事実が大切。
これに付加するならばどちらも選べないという決定を予測に含めた場合にも同様。
人は未来に対して何らの予言もできないし決定していない。
決定論は予測が成立しないか決定が成立しないかそのどちらかしか選べないというのが
論理的帰結。
619 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 01:12:53 0
>>617 そもそも可知であることを決定論の証明として求めたのは非決定論者である
あんた達なんだけどな、まあいい。
可知であるか否かはあらかじめ全て決定されていることを主張すること(決定論)
必要条件ではないということでお互いに了解ということでいいな?
次元については今月号のニュートン、ハーバード大学リサ・ランドール物理学教授の
インタビュー参照。
寝るわ。
決定論では時間を停止できない。
また
決定論は見えては成立しない。
見えない決定論はない。
決定論を言うのは易しいがそれを証明することは不可能だしいわば反決定論との
共存関係でゆらぐしかない。
ここが理解できないで延々と決定論(または非決定論)と争うのはそもそも時間の無駄。
どちらもない。人間が作った観念に過ぎないから「反」を伴う。
621 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 01:15:38 0
莫迦…
プっ
>>619 それは同意。
読むと混同しているのがとても多かったんで改めて書いたら4象限の表を誰かが
ご丁寧に作ってくれた。
>>621 そもそもここでお利口さんな書き込みというのはあまり見ない。
決定論/非決定論をどこから切り込めばいいのかさえさっぱり着想を得ないままの人がほとんどでは?
そういうのは議論に参加して3分間もあれば構想は得られるはず。
>>618 >どんな単純な実験も決定論者が予測を告げればその時点でパァ。
そもそも実験って、結果を予測してやるから実験なんじゃないの?
決定論者が結果を予測して実験すればその時点でパァということは???
実験では非決定論者が結果を予測しないと実験ではなくなるという意味?
625 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 01:27:49 O
>>624 予測の告知も決定済みと考えれば厳密な決定論では問題ない。
この問題は一階の決定論では必ずNGになる。
それを二階の決定論でOKとするならそもそも決定論の構造をチェックする必要が生じる。
これは一般的に言われている決定論は後付けの結果論ではないかという懐疑。
但しその場合でも厳密で一様な決定論であれば予測告知が決定済みの一階の論理で
失敗しちゃなんね、ということだよ。
627 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 01:30:30 0
機械的唯物論を唱えながら誰かがやることが決定している最終真理の完成を待つ
哲学も科学も全部他人がやってくれるのは本人はとても楽だw
ついでに「最終真理」に反対する凡愚を嘲笑できるというおまけもついてくる
過去においても同じ。
予測を告知して予め白いボールか赤いボールを箱にいれて100年後に開ける等。
予測を告知する行為そのものが決定に影響を与えるというのはおかしいでしょ。
>>628 「決定論者=すべてを知っている人」という設定なのか?
で、その決定論者が、ある人に「あなたは右を選びますよ」と囁くことによって、
決定事項に干渉が起こり、決定論的世界が崩壊すると言いたいのかな?
胡散臭いと思うなら決定論の文脈で予測を探してみればいい。
決定論の枠内での予測成立を前提してる。
即ち決定論は予測を内包しているかの記述で書かれている。
こういうレトリックは明白な矛盾を生じる。
まだ決定していない未来が既に確定未来として人知を超えて決定しているとするのが間違い。
決定論者は常に真っ裸で次の一秒を迎えるロマンチスト。
過去についてしか言及できないのは自明の理。
1999年地球が崩壊するという予言を信じていた決定論者がいた。
未来への予測予言に確信があるということは常に未来は決定済みという錯覚を伴う。
>>631 予測と言うからおかしいんじゃないのか?
決定論者にとっては決定事項のはずだ。
しかし、それを決定論者が知っているとは限らない。
だからこその予測だ。それを誰かに知らせたところで決定論的世界には何の干渉もしないな。
というか人間にはそのような能力はないだろう。
言っておくけど、俺は決定論者じゃないからね。
あ、これじゃラビみたいになってきたw
そろそろ規制されるかも知れないし、俺は落ちるよ。
636 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 02:59:36 0
脳は意識の蛇口なの。
>>618 系に干渉できない予測なら問題ない。
100光年先で起きている事象の予測とか。
>>634 因果律の系に対する別の因果律の割り込みですよ。
それを決定済み(因果律故に)とする論理は自己矛盾しておりますでしょ。
決定論の最も強力な根拠は因果律の連鎖が一様に続くはずという確信にあったはずです。
でも因果律同士の結合はそれほど単純ではないんです。
決定論にとって自由意志が都合が悪い、いやそうではないという議論はありますが
問題は自由意志にあるのではなく決定論の組み立てる一様な因果律の系という概念に
問題アリだと指摘したのですが。(因果律の系には因果律が衝突する、これも決定論に
含めるには原理的に超因果律を仮定するしかない=神)
これをわかりやすく説明するためにいろいろ工夫する必要はあるとは思いますが。
原理的にこの着想で問題ないです。
そこから過去においても未来においても決定論は成立していないことが証明できます。
決定論は気分であり錯覚であり誤謬です。
かと言って非決定論的な全くの偶然性というのもどうかと思われます。
たぶん科学信仰がそういう単純な誤謬に拍車をかけているんだと思います。
過去にも人類はいろんな因果律を利用して文明を進歩させていきましたし
これからもそうやって進歩していくでしょう。
何故決定論が過去について事後的に説明できて未来について確信を持った
展開や予想が付かないのか。それは確定未来などないからです。
当然です。過去は既に因果律の系が確定していて他の因果律で干渉される
心配がないからです。タイムマシンが発明されない限り。
>>638 >でも因果律同士の結合はそれほど単純ではないんです。
その根拠は?
>そこから過去においても未来においても決定論は成立していないことが証明できます。
できてないだろ。
>>640 証明できていますよ。
因果律の系は過去は確定、未来は未確定。故に因果律の系に別の因果律を加えれば変更可能。
因果律の系が未来に於いて確定しているとするのが決定論だが因果律の系を乱す別の因果律
が加わることまで確定とするのは矛盾です。
だから決定論は因果律を人質にとったと言われる。
決定論は決定論の枠組みの中以外の因果律を認めないが決定しているものは外部の割り込み
も想定していなければいけません。
ここらへんはたぶん当たり前のことなんですが決定論の論理構造が見えていないと理解できない
と思います。残念ながら。
決定している事を知らせてそれに反した行為を行うプロセスを追加することは決定論が全体である
という主張を覆すからNGとするのはそもそもおかしいんです。
>>641 系に干渉しない予測では全く意味がありません。
因果律の系に別の因果律の系が衝突した場合を想定した命題ですから。
それ自体を決定とするには前述の通り超因果律のようなものを具体的に示す必要があります。
最も一般的に言えば適用範囲が制限されないと宣言するとどんな理論も自己矛盾が生じます。
決定論が成り立たなくても科学の有用性は十分証明されています。
可能な限り日常言語で平易に書いたつもりです。
著名な決定論者は過去に関して精緻に論理展開されております。
ただここの決定論者は未来に対して言及している。
これ、無謀だと思います。
最も精緻な決定論者と言われている哲学者は二人以上(二人しか知らない)いますが
どれも過去がメインです。僕が読んで決定論とは解釈論だと思うのはその多用な概念
の導入とそのモデルからです。でも全て過去についてのみ雄弁です。未来はわからない
というのが彼らの見解なんでしょう。
645 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 05:12:46 O
「人間なんてタンパク質の塊だ!」と言い放って勝ち誇ったような表情をする厨房に出会った事がある。
タンパク質か肉体か…
表現の違いが物体を別のイメージへと変貌させる。
「コーラなんて砂糖の塊だ!」
「ビールなんて税金の塊だ!」
「脳は物質だから意識は必然にすぎない!」
>>1は詩人になるべきなのかもしれない
非決定論によると未来だけでなく現在や過去も不確定なんだって。
>>642 証明できてないだろ。
因果律の系は過去は確定、未来は未確定。なんてことはない。
お前が勝手に変なことを言っているだけだ。
決定論の論理構造が分かっていないのもお前だよ。
決定していることを知らせるなんてことは、決定論の世界の中ではあり得ないこと。
>>643 >因果律の系に別の因果律の系が衝突した場合を想定した命題ですから。
決定論上にそんな命題などない。頭おかしいんじゃないの?
>最も一般的に言えば適用範囲が制限されないと宣言するとどんな理論も自己矛盾が生じます。
それは具体的にどういう論理?どこに書かれている?それともお前の妄想レベル?
不完全性定理でもそこまでは言えないよ。
649 :
走召糸色文寸ネ申:2007/12/27(木) 07:35:50 0
なんだ、儂にナリスマシがおるな。
まあよい。
我が名はレギオンだからな。
くっくっく。
また来ました。ニ行増やしました。これでラビさんの理論も内包していると思います。
わたしの主張をまとめさせてもらいます。
わたしは決定論者です。
・決定論は、科学的仮説の集合がひとつの真理に向かって近似していくという予測です。
この近似は、ヨウ素液をデンプンにたらすと必ず紫色になる程度に一致しています。
・しかし、不確定原理という非決定要素に遭遇し、科学の進歩が停滞するという事態に現在、遭遇しております。
真理を探究するものにとって、ゆゆしき事態です。
真理を探究するためには、不確定原理を克服しなければなりません。将来に期待するのが現状です。
・自由意志に関しては、九十年代前半まで勉強した範囲では、デジタル生命や大脳生理学は自由意志を否定する方向で近似しつつありました。
わたしは、このまま、自由意志が否定される形で集束していくのだと予測しています。
しかし、脳科学の飛躍的進歩は九十年代以後にあったらしく、その事情にはまるで精通しておりません。人工知能全般スレを見る限り、とても完成するとは思えない。
・決定論においても主体性は存在します。脳の内側で決定されるものが主体です。
・ 数学は、物理世界や情報世界に近似する人がつくりだした産物にすぎません。
数学による近似は古代において、大成功をおさめたため、物理世界そのものと混同しがちですが、情報世界に存在する近似にすぎません。
・私の記述ができなければ、非決定論の証明も不可能。
・未来永劫に決まっていることは、宇宙があることです。
651 :
ちゅう:2007/12/27(木) 07:52:30 O
人間の自由意思でできる行為が物理法則に反することはない。物理的に可能な行為の中から選択する自由があるだけ。来年も地球は1日1回自転し1年で太陽を1周公転することは決定しており誰にも変更できない。これが決定論だ。
猫の頭部を切りとって、電極だけで猫の体を動かすことには成功しております。
今では、人の頭部を切りとって、電極だけで人の体を動かすことも可能だと思います。
ゴキブリに電極をつけて、決定論的に動きを予測する研究もされておりました。
不確定原理については、観測問題だと思います。
新しい観測の仕方が発見されれば、不確定原理を克服できると考えます。
653 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 08:08:35 0
■ 無職のおっさん劇場
決定論の真理が予測しているのは、宇宙の消滅までで、
宇宙が消滅した先を決定できると考える決定論者は少ないと思います。
655 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 08:24:42 O
道具主義or功利主義なんだな。
結局制御したいって事だろ。
決定論は。
657 :
ちゅう:2007/12/27(木) 08:28:32 O
宇宙が限りなく膨張するか、収縮に転じるかはまだ人間は知らないはず。
不確定原理は、人が観測するから、量子が不確定になるのであり、
人に観測されない量子は決定論的にふるまっていると思います。
量子の物体の透過、トンネル効果でしたっけ。
トンネル効果は、素人的には、量子がもっと小さな状態に拡散して透過し、
物体を透過したあと、集合するのだと思います。
>>657 どっちにしろ、宇宙が存在する限り、永劫にです。
そろそろ連投規制でしょうか。
660 :
糸色 文寸 ネ申:2007/12/27(木) 09:06:46 0
>>651 > 人間の自由意思でできる行為が物理法則に反することはない。物理的に可能な行為の中から選択する自由があるだけ。来年も地球は1日1回自転し1年で太陽を1周公転することは決定しており誰にも変更できない。これが決定論だ。
まあ、そうだが、物理法則は人間の自由意志による行為を完全に決定できないと言う点で非決定だ。
法則と言う以上、必ずノイズが生じるからな。
また、明日太陽が消滅してしまうかも知れないと言う点で、常に非決定なわけだ。
その太陽の消滅などが、法則によらないイレギュラーであれば、更に非決定だな。
絶対に無いと言い切れない限り、非決定で良いんだよ。
くっくっく。
661 :
糸色 文寸 ネ申:2007/12/27(木) 09:09:34 0
>>652 > 猫の頭部を切りとって、電極だけで猫の体を動かすことには成功しております。
肉体は電気だけで動くわけではないぞ。
くっくっく。
>>650 > ・決定論においても主体性は存在します。脳の内側で決定されるものが主体です。
脳の内側で非決定に決定されているものが主体なんだよ。
くっくっく。
>肉体は電気だけで動くわけではないぞ。
少なくとも、歩かせることは可能。
>脳の内側で非決定に決定されているものが主体なんだよ。
その証拠はない。証明不可能はお互いさま。
664 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 09:24:54 O
>>663 実験しなければならんのか?
内観も外観せねばならんのか?
非決定論だと科学が崩れるというのが第一の間違い
第二に火山の噴火の予測、地震の予測、天気の予測と自転や公転の予測にどれほどの違いがあるのか
それを決定していると考えていいのか
これが第二の問題
666 :
糸色 文寸 ネ申:2007/12/27(木) 09:51:03 0
>>662 > >肉体は電気だけで動くわけではないぞ。
>
> 少なくとも、歩かせることは可能。
無理だ。
ロボットを歩かせるのにどれだけ苦労するか理解しておらんようだな。
>>663 > >脳の内側で非決定に決定されているものが主体なんだよ。
>
> その証拠はない。証明不可能はお互いさま。
非決定論では、主体は証明済だろうが。
無ければ、選択不能だ。
くっくっく。
667 :
ちゅう:2007/12/27(木) 10:12:52 O
非決定論なら科学できない。予測することは決定してるからできる。予測が外れたら法則を修正するだけ。科学は仮説だ。
では、決定論はただしいのだろう
しかし、それが描く世界像は運命がないという意味で非決定的である
では宿命や運命がない決定論とは何を問題にしているのか
未来が一意にあらかじめ決定しているわけではないのに決定論にこだわる決定論者は、実は何を問題にしているのか
それを明確にすることは有意義な議論となろう
669 :
ちゅう:2007/12/27(木) 10:26:55 O
非決定論を信じているなら行為の選択をすることは無駄だ。何を選択しても結果には関係ないのが非決定論の立場だろ。明日は明日の風が吹く、けせらせらなるようになるさ、先のことはわからない。これが非決定論者の生き方。
>>667 その通りですが、しかし予測が一意的に決定しなくても、「確率」を計算できるのです。
未来の状態を確率で計算出来ることで了としているのです。これを科学の不完全・怠慢と
断ずることも一見出来るかもしれませんが、しかし、直感的な可能性ですが、完全に一意的に
決定するような世界は空間も時間も広がりを持たない気がするのです。一気に縮退あるいは発散すると感じます。
ミクロにおいて、確率でしか表せないところに個人的には「自然の妙」を感じています。
実際、どっちつかずの状態とすることで、分子中の電子はそのエネルギーを安定化することができます。
単なる観測問題とは断じれないのであります。
科学の営みにおいて、主観によって左右されるような対象の設定が科学を崩すということは認める
認識に限界があっても、認識と独立した客観的な対象の設定をすることは科学において必須だろう
672 :
ちゅう:2007/12/27(木) 10:34:26 O
未来の出来事は確率的であれ一意に決定している。それを確実に予測出来ないだけ。
一意であるということは確率的ではないということだ
天気予報を例にとる
降水確立70%
これを決定論と解釈することはできる
しかし一意ではない
実際に雨は降るか降らないかのどちらかだからだ
一意に決定しているとは、確率的に決定してないということだ
674 :
ちゅう:2007/12/27(木) 10:49:11 O
確率は予測の確からしさを示すもので実際に出現する事象はひとつだろ。
675 :
糸色 文寸 ネ申:2007/12/27(木) 10:51:58 0
>>667 > 非決定論なら科学できない。予測することは決定してるからできる。予測が外れたら法則を修正するだけ。科学は仮説だ。
非決定論だから、科学は仮説なんだよ。
そして、常に修正されるわけだ。
それを進歩と呼んでおるのだ。
くっくっく。
>>669 > 非決定論を信じているなら行為の選択をすることは無駄だ。何を選択しても結果には関係ないのが非決定論の立場だろ。明日は明日の風が吹く、けせらせらなるようになるさ、先のことはわからない。これが非決定論者の生き方。
決定されたおらんから、自分で選択して決定するわけだ。
くっくっく。
>>672 > 未来の出来事は確率的であれ一意に決定している。それを確実に予測出来ないだけ。
予測不能なら、非決定だ。
決定していると考えることが妄想なんだよ。
やってみるまでわからんのだからな。
くっくっく。
676 :
糸色 文寸 ネ申:2007/12/27(木) 10:53:11 0
>>674 > 確率は予測の確からしさを示すもので実際に出現する事象はひとつだろ。
非決定だから、別の可能性もあるわけだ。
別様のあり方があると言う自転で、選択可能であり、なんら決定されておらんと言うことだ。
くっくっく。
では、未来は確率的には決まってない、一意に決まっている
だが、われわれの予測は確率的でしかない、
と表現すべきだ
それが正しいかもしれない
だが、俺はそう思わない
なぜならば、そのような考えが正しいならば
確率によって表現されるすべての科学法則が、実際の世界を対象としているのではなく、われわれの知識の度合いを対象としていることになるからだ
俺は科学は世界を対象とした知識だと考える
>>674 そうだねえ。しかし非決定論も多くの場合、世界が分裂していくとは考えていないと思うのです。
「出現する未来が現在の状態に完全に依存している」というのが決定論であろうと思います。
現在。事象として現れてくるものはある確率から何かの
679 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/27(木) 11:08:18 0
何でも計算通りになると思っている人がいるようだが
世の中そんなに単純じゃありませんよ(爆笑
『私』の存在すら、物理現象の因果律でなど説明がつかんのですし
たとえば、モノが移動する という事の根本原理すら解明されていないのですよ
そんな中で、全く同じ物理条件の二つの環境が
数千億年後も、全く同じ物理状態だと、誰が保障できるんですか?(笑
宇宙は、そんなに単純な構造にできているのではないのですよ
思索が足りません
短絡的です
知識が問題とすることは何か
「根本原理」などは根本主義者でしか興味ないだろうが
「根本」という言葉は何を表現しているのだろう
でも宗教や一部の(間違った)哲学者しか「根本原理」などという言葉は使わないだろうが
681 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/27(木) 11:17:10 0
>>680 反論の方向性を間違えてる
というか、話をすり替えてるだけだな
何の答えにもなっていませんよ(爆笑
最高位君、君が「私」以外に「私」が存在しないと主張している時点で
君は自分の頭が固いと表明しているようなものだよ。
683 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/27(木) 11:26:06 0
>>680 モノが移動する というのはどういう事か
徹底的に考えた事はありますか??
『アキレスと亀』の問題が
現代哲学を以ってしても解明できないのだ という事が理解できていますか?
距離とは何か
時間とは何か
人類はまだ、な〜んにもわかっていないんですよ
アナログとは、どういう事だと思いますか?
モノは最初、ドコにどう移動するのですか?(笑
684 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/27(木) 11:27:53 0
>>682 悪い事は言わんから
キミは病院に行った方がいいよ
最高位君、やはり分からないようだね。
オレが教えてやってもいいが。
ま煽るしか能のないその頭でよ〜く考えたまえ。
686 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/27(木) 11:34:59 0
>>685 自分では何も説明せずに
ただ煽っているだけなのは、キミだという事に気がつかないのかな?
687 :
糸色 文寸 ネ申:2007/12/27(木) 11:41:28 0
>>682 > 最高位君、君が「私」以外に「私」が存在しないと主張している時点で
> 君は自分の頭が固いと表明しているようなものだよ。
「私」以外に「私」が存在するのか?
どこにいるんだ?
くっくっく。
688 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/27(木) 12:01:56 0
>>682 >「私」以外に
と言った時点で
「私」以外 なんだから
それは
「私」以外 の存在だろ(爆笑
>>664 みな、実験による証明をお望みのはず。
わたしは、意識とは自分で考えたことを映し出す鏡のような機能だと主張している。
その鏡のような機能を発見すればいいのだ。
>>665 非決定論だと、現在の科学は維持できるが、発展できなくなる。
近似の精度が上がっていけば決定論。
おれの読んだ「ニューロサイエンス入門」という本では、猫を歩かせた実験が成功したとでてくる。
主体の証明ではなく、非決定に決定するという証拠がない。
>>668 まず、法学の再定義が必要となるだろう。
犯罪者は、自由意志で犯罪を選択したから罰せられるのではなく、
犯罪を認めれば社会が成り立たないから罰せられるのだと変えねばなるまい。
ただし、個人の主体の自由を最大化するように法律を定める必要がある。
少数派が正しい場合を考慮してでだ。
すでに法律はそのように決められているような気もするが。難しい問題だな。
>>648 決定論は因果律の連鎖(系)が一様に未来まで決定していることを示す。
因果律そのものの置き方が固定化されている以上未来も変わらない。
しかし因果律(ここでは法則)を利用した別の連鎖(系)も成り立ち得る。
それは固定化されたはずの系への干渉に他ならない。
人類はそうやって科学技術を進歩させ自然を書き換えてきた。
そういう行為そのものを書き換えるには超因果律が必要だ。
何故ならば決定論は人類が決して知り得ない因果関係というものが存在
しなければ決定論は提唱できないから。
そういうものは恐らくないでしょう。
どんな些細なほころびがあっても決定論は成り立たないのが決定論の性質。
>>667 予測というのは制御するためにやるんです。
このままでは地球環境が壊れると予測する。
いろんなものを制御してそれを避ける。
これは科学。
692 :
ちゅう:2007/12/27(木) 12:17:18 O
科学哲学とは認識論のこと。認識するのは人間だろ。人間不在の知識なんか無意味だろ。
693 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2007/12/27(木) 12:23:11 0
>>689 > おれの読んだ「ニューロサイエンス入門」という本では、猫を歩かせた実験が成功したとでてくる。
> 主体の証明ではなく、非決定に決定するという証拠がない。
どういう実験なんだね。
本来の主体に代って、他の主体が大雑把な命令しただけではないのか?
それならば、非決定に決定されておるわけだ。
くっくっく。
694 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 12:39:07 0
脳が運動を下意識で制御していることは既知
電極刺して猫が歩くとなぜ決定論なんだ?
ちゅう君
実際に、「物理学にもはやブレイクスルーはありえない」と言う連中は君と同じような考えゆえなんだ
科学が実際の事象を研究しようとしても、確率という人間の認識の限界に直面したゆえ
「物理学は終焉した」と彼らは叫ぶ
696 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 12:40:54 0
電極刺しても小説は書かせられないだろ
それでも世界は決定しているとか言い出しそうで怖い。
>>694 脳の一部はすでに解明されているということだ。
このまま、脳科学が進歩すれば、脳のすべての解明へと近似するであろう。
ヒトゲノムだって、解読されたんだし。
最高位と超絶の邂逅にwktk
700 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 12:58:57 O
>>695 いや。
まだまだその調子であらゆるものを道具化させて
ほしい。
あとは使うだけだ。
701 :
紗南:2007/12/27(木) 13:00:07 0
紗南は、紗南の鼻毛を抜くことにより、
紗南にくしゃみを出させる実験に成功しました。
>>698 そもそも脳は個体差がありすぎて解明にはほど遠いのでは?
人間の肉体ですら解剖学で学んだ知識と臨床とではほぼどっか食い違うというのに。
骨格筋の構成なんて20人に1人の割合で違う部位があるし個体差が多すぎて厄介だ。
脳を外から操作して一定の行動を示すことを観察できたとしても
それで脳が解明できるなどとは到底いえない。
704 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/27(木) 13:12:30 0
>>692 >科学哲学とは認識論のこと。認識するのは人間だろ。人間不在の知識なんか無意味だろ。
もう一歩踏み込んでみて欲しい
認識するのは『私』
知識は『私』の知識であり
哲学は『私』の哲学
『私』不在の知識なんか 哲学なんか
単に『私』の存在を忘れているだけ
そんなもんじゃ
主観性による認識を、論じた事になりはしない
705 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/27(木) 13:15:11 0
脳の構造を、いくら解明しても
主観性は解明されない
論理的に、つながる種類の問題ではないのだから
>>705 機械的唯物論の立場では脳は自然が設計した機械でしかないから解明が可能だそうです。
但し人類が個々の脳を瞬時に解明して電脳に移植できる段階になってみなければわかりません。
707 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 13:18:08 0
モバゲーのCMみたいなことできないと解明したとは言えんw
708 :
ちゅう:2007/12/27(木) 13:18:33 O
物理学にはまだ万物理論を構築する課題が残っている。怠けないで励め。
>>704 先生、その「私」はあくまで他律的であります。
>>705 論理的につながらない部分を自由意志と呼んでおります。
決定論者の脳をコンピュータに移植して神の声を聴かせる実験ができるのはいつですか?
そして適当なところでそれを元の脳に戻して再起動してみる実験はいつできますか?
712 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 13:32:00 0
主観てなに?
主観は進化論的に言えば獲得形質だから遺伝はしません。
獲得形質とは他者を含めた環境に適応した結果、生じた形質のことであります。
714 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 13:34:56 0
なに言ってんのかわかんね〜よw
>>711 できない。なぜなら、決定論者の認識は真理への近似にすぎないから。
真理、そのものになることはできない。
>>712 わたしのいう主観とは、自分で考えたことを映し出す鏡のようなものだ。
最高位の論理がおぼろげながら輪郭を現してきたな。
やつは、唯我論と自由意志のふたつを組み合わせて論理を展開していたのだ。
手ごわいわけだ。
決定論も表現を変えた唯我論だから仕方がない。
>>713の意見が助けになった。
主観を発現する遺伝子がヒトゲノムのどこかにあるはずだ。
それを発見すれば、私の記述が可能になる。
718 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2007/12/27(木) 13:47:51 0
>>698 >
>>694 脳の一部はすでに解明されているということだ。
> このまま、脳科学が進歩すれば、脳のすべての解明へと近似するであろう。
> ヒトゲノムだって、解読されたんだし。
ヒトゲノムが解明されて分かったことは、ゲノムだけでは人間にならないと言うことだな。
脳の全ての解明に近似すると言うことは、決定論が非決定論に近似すると言うことだな。
決定論と非決定論は、互いに内包しあっておる。
カードの裏表のようにな。
くっくっく。
719 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2007/12/27(木) 13:49:30 0
>>713 > 主観は進化論的に言えば獲得形質だから遺伝はしません。
> 獲得形質とは他者を含めた環境に適応した結果、生じた形質のことであります。
猿の蛇恐怖は遺伝するな。
学習傾向と言う形質が遺伝するわけだ。
しかも、強弱もある。
非決定だな。
くっくっく。
決定論か非決定論かの決め手は因果律の結合に作用する決定律を定立して考えるか否かの
違いでしかありません。
また決定論は結合した因果律の群は単数の因果律と置き換わる性質に依存した誤謬であります。
同様な誤謬が非決定論にも内在している限り、決定論と非決定論は等しく誤謬です。
人知を超えた神の意志的行為を仮定しない限りどちらの世界観も実は成立しないのであります。
決定論とか非決定論って
ビッグバンの原因は神のくしゃみか悪魔の屁か
みたいな話なんだからもういいだろ。
どっちかを信仰するのは勝手だけど他人に主張するのはキチガイだ。
>>719 猫を怖がらない鼠を実験的に作ることが先頃証明されたばかりです。
脳内に猫怖い怖い回路があったとのことです。
>>721 我が意を得たり。
他人に説得するような話ではありません。
互いに罵り合い理解できないのはアーホだなんて言い合うのはアホの実在証明に他なりませんw
>>722 そのネズミはじつは内心怖がっているのかもしれないよ。
決定論が非決定論に近似するということは、
科学が真理の探究にどこかの限界点で必ず挫折するということであります。
真理を探究するものにとって、非常に残念な見解であります。
>>725 決定論の立場では既に決定したことです。
諦めなさい。
ネズミに心があるか否か
728 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2007/12/27(木) 13:58:05 0
>>722 >
>>719 > 猫を怖がらない鼠を実験的に作ることが先頃証明されたばかりです。
> 脳内に猫怖い怖い回路があったとのことです。
あまいな。
猫に恐怖しないのでなく、全てに恐怖しないだけだろうが。
ネズミは猫を認識しなくても、自分よりでかいものを認識して恐怖するだけでいいのだ。
猿の蛇恐怖は更に複雑なんだよ。
くっくっく。
>>728 猫に対してだけ恐怖を取り除いたと聞き及びます。
実験結果に不備があるというのなら研究チームへ。
確か阪大。
729の勝利だな。
問題は、自由意志を発現する遺伝子が発見されるかどうかだが。
732 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 14:24:17 0
生まれつき蛇に接したことがないのに蛇の絵を見ただけで生理的に嫌な感じがする人や
逆に全く平気どころかペットにして可愛がる変わった人もいる。
脳の恐怖回路(コンピュータでいえばROMあるいはプリインストールプログラム)
のテンプレートを作成する遺伝子である第16番染色体の第300番遺伝子周辺が両者を
分けるという説がある。
蛇に親しむ遺伝子はだんだん淘汰されてきた結果人類の1%弱の個体が持つにすぎなくなっている。
考えてみれば、
人生なんて実験の繰り返し・積み重ねだよな。
成功した手本通りの実験、独自のやり方の実験、
手本通りで上手くいくこともあれば、失敗することもある。
独自のやり方で失敗することもあれば、上手くいくこともある。
そうして重ねられた成功や失敗が、成功例や失敗例として
後輩・子孫等へ受け継がれていく。
こうした積み重ねの中で、成功の条件が整理され一般化され
人生のモデルケースとして人々に認知されてゆく。
個々の環境・条件の違いがゼロにはならないとしても、
大勢・骨格・主軸を左右しない範囲に於いて、
それは、誰しもが参考にしうるモデルとして機能するのだろう。
>>730 それです。
猫の匂いが回路に組み込まれているんです。
猫を怖がるのは匂いで本能的に察知しているメカニズムに依存してるわけです。
735 :
走召 糸色 文寸 ネ申:2007/12/27(木) 14:36:34 0
>>734 >
>>730 > それです。
> 猫の匂いが回路に組み込まれているんです。
> 猫を怖がるのは匂いで本能的に察知しているメカニズムに依存してるわけです。
あまいな〜。
猿の蛇恐怖には、遠く及ばんな。
くっくっく。
>>730 殆ど正しいが、
『画像は遺伝子操作でネコの匂いを嗅いでも怖くないと「誤解」している超絶的莫迦マウス。』
の間違いw
738 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/27(木) 14:46:24 0
>>706 キミも根本的な事が、わかっていない
機械は構造
構造で『私』は、定義できないのですよ
そして『私』の主観性も、クオリアも
構造からは絶対に、わからないものなのです
無数にある脳の中で、なぜこの脳が『私』なのか
そもそも
なぜ『私』は存在しているのか
そんなもの
脳の構造によって解明できる種類の問題であるわけがなかろう
あと
実験とか言ってる人がいるけど
目的性のない、単なる物理現象が実験など
それこそ関係がない
決定論的に実行されていく世界に、実験する存在など
ありえるわけがないだろう
必要性 という概念そのものがないのだからね
論理的に考えろよ(苦笑
739 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/27(木) 14:47:09 0
>>713 >主観は進化論的に言えば獲得形質だから遺伝はしません。
>獲得形質とは他者を含めた環境に適応した結果、生じた形質のことであります。
主観が、環境によって後天的に獲得されるものなんだったら
勝手に獲得しといて下さい っていう話なんだけどな
それが、なんで『私』なんだ??? っていう大問題を忘れてるよ
>>715 >わたしのいう主観とは、自分で考えたことを映し出す鏡のようなものだ。
いやいや
主観とは鏡とかじゃなく、『自分』の事そのものだろ
>>717 記述で、クオリアの何がわかるのかね?
いっぺん
『赤』を記述してみたまえ(爆笑
>>722 怖いといっても、いろいろあるわな
傍からは、推測する事しかできんのです
いくら『構造』を調べても
そのネズミの気持ちは、永遠にわからんのですよ
獲得形質は遺伝しないと考えられているがそれはどういうことなのかという問いかけは
オートポイエイシスの話題のときでありましたね。
懐かしい。