1 :
考える名無しさん:
/イ/::/V`i/ヽ/!:|:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::!
! /::/ /ァ=ミ N::::/:::::::::,1::::::::::::::::::::::|
__ イ/:::/イ f:::::::1 レ1/イ`レ1/::::::::ィ:::| おにいちゃん、
_,.. -― /:::イ ゞ_ノ ィ =ミヽ' | /:/:/
>>2 ゲトしたヒトは
 ̄`ヽ____/:::::::! , /:::::::1 | 7:::/::/ 働かなくてもいいんだって、
´  ̄ ト、 ト、_ ゞ_ ノ /::/}:/ この"あんちょこ"に
_ r |. ! ! !__ヽ ヽ二ニ≧-、 ./:/イ/ 書いてあるよ
.└─ヽ_」_|__ノ ノ─ < ̄ ̄`ー ' /::::/ } ねえ、どーして?
T|`::ト `ニ=-==ニ了:::::/ /
>>995 「客観」という語に対してあなたは「認識された事物」という意味を
与えていませんか。わたしはもっと狭い意味を与えています。
そういった違いを考慮すると、もしかしたらあなたが「客観的世界が存在すると認識する」というのと
わたしが「主観がなにかを認識している以上なんらかの世界が存在する」というのはさほど
ちがったことを言っているのではないかもしれませんね。
あなたは夢や妄想によって主観に映じる世界をどうお考えですか、それは「主観的」なものでしょうか
それとも「主観」が認識している以上「客観的」なものなのでしょうか。
「客観が存在する」と「あなたが存在する」は同レベルじゃないか。
5 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/17(金) 08:46:48 0
「客観世界が存在しているに決まっている
たとえ私が消滅しようとも・・・」
と考えているのは、私である という根本的事実を
大抵の人は考慮に入れていない
客観世界だけを考えようとする
考えているのは、私なのに
客観世界は存在する という事は、人間の普通の感覚であり
常識的にも自明の事実であろう
しかし、それよりも更に、私の存在性の方が、疑いようのない、より自明の事実なのである
しかし大抵の人は、それに気づかない
目の前に見えている客観的存在にのみ意識を奪われ
更に一歩、本質に至る事ができない
発想の転換が、できない
昼はカレーにするかな。
と、思いこんでいるだけ
客観世界を構成・成立させているのは言語(間主観性)である
最高位氏の「私(の存在性)」など、言語の波間から生まれてきた
(そして消えてゆく)無数の泡のひとつにすぎない。
そういう発想の逆転こそ、最高位氏には必要。
>>3 >あなたが「客観的世界が存在すると認識する」というのと
>わたしが「主観がなにかを認識している以上なんらかの世界が存在する」と
>いうのはさほど ちがったことを言っているのではないかもしれませんね。
というか、「主観がなにかを認識している」と考えるためには、まず「主観」
が確立されていなければならないわけで、そのためには同時に「客観的世界」
が確立されている(存在すると信じ込まれている)必要があるのではないか、
ということです。
>あなたは夢や妄想によって主観に映じる世界をどうお考えですか、
>それは「主観的」なものでしょうか、それとも「主観」が認識している以上
>「客観的」なものなのでしょうか。
まず「夢」とか「妄想」という概念は、客観的世界の存在を前提にしないと
意味をなしません。そうでないなら、存在するのはひたすら「混沌常なき
クオリアの渦」だけなので、夢や妄想と現実の認識を分ける理由がありません。
この場合は、「私=主観」もまた確立されません。
いったん「客観的世界」と「それを認識する主観=私」が確立された後なら、
「これは私が認識している観念だが客観的現実の反映ではないな」と私がみなす
ような事態が有り得ることになります。それが夢や妄想です。だから
「現実だと思ったら夢だった」とか「妄想かと思っていたら現実だった」とか
いう事態にも意味が出てきます。「現実だと思っているものは、すべて私が
見ている(見させられている)夢かもしれない」という考えも、可能になります。
そうなった後なら、「夢」や「妄想」と私が思っている限り、それは主観的な
観念であって客観的現実の反映ではない、ということでしょう。
以前、最高位氏が「何度確かめてもそこに便器があるとしか思えなかったが、
現実にはなかった」という体験を語っておられましたが、それもまた
「客観世界」と「認識主観=私」が確立されているから可能なわけです。
10 :
考える名無しさん:2007/08/17(金) 10:54:23 0
>>8 泡は君の脳みそでは?
「私」は君が死ぬまで消えんよ
客観的世界も君が死までは消えん
いずれも君にとってのものだけどね
「私」は最高位がそう名付けただけで、言語が無くたって存在する
>>5 「私が死んだら世界は消えるか」という質問覚えてる?
>>9 ではこの世界全体を、私にあたえられたクオリアの渦であるとしましょう、
そうであってもわたしは、物理主義者のようにこの世界が「形而上学的な実在する世界」
であると、考えることも可能です。そしてその前提から「夢」や「妄想」と「実在する世界」を
わけることになるでしょう。ここでは「客観的世界」は必要とされません。
それから「主観がなにかを認識している」という言い方はそもそも他者に対して説明するための表現ですので
そのように表現したからといってただちに「客観的世界」の実在を前提としているわけではありません。
「夢」や「妄想」を持ち出したのは、世界全体がそのような「主観」のなかで完結していることもありえることを
示すためであり、実際に「夢」や「妄想」でなくてもいいのです。
>>10 語りえないものを口にするのは止めたまえ。形而上学的主体を語ることは
ウィトのような天才ですら断念した。君や最高位が語っている「私」とやらが
そんな洗練された上等な概念とはとても思えないが、まあ、できないという
点では同じ話だ。どうしても語りたければ、まあ、キミらの水準なら、オカルト
板にでも行って、素直に不滅の「霊魂」のお話でもしていなさいってこったp
夏でごわすな。
お前がな
お前らは全部俺の妄想
16 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/17(金) 14:02:59 0
なぜ客観世界のみを考えようとするのか
考えているのは主観であるのに
>>考えているのは主観であるのに
と、言葉が考えさせている。より正確には、
と、言葉が自律的に運動している
あなたの脳という肉塊の中で
情報やエネルギーの移動も唯物論のうちだよ
地震の時に、成るように成れと日常を押し通す人の「私」は
「私」の不感症に陥っていると思います。
都市に順応して平和呆けした人達は、結局は運命論者です。
運命論者がお遊びで私を理屈で難癖つけても、
理論的に気持ちいい形に落ち着くだけで現実的ではないと思います。
結局のところ、大して「私」に興味がない人が多いのです。
19 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/17(金) 15:16:49 0
>>17 はぁ?
病院に行って、それを主張して来てごらん
20 :
考える名無しさん:2007/08/17(金) 15:20:54 0
>>9 >というか、「主観がなにかを認識している」と考えるためには、まず「主観」
>が確立されていなければならないわけで、そのためには同時に「客観的世界」
>が確立されている(存在すると信じ込まれている)必要があるのではないか、
>ということです。
【「客観的世界」が確立されている(存在すると信じ込まれている)必要がある】
なんてことは全然ないだろうね。
そう信じ込んでいるのは「素朴実在論」と言われる日常的な見方であるわけで、
そもそも哲学というのはそういう日常的な見方を疑って、そういう日常的な見方が
なぜ成立するのかを考えるところから出発しているんだから。
21 :
満足しない豚:2007/08/17(金) 15:28:47 O
あのぉ、書き込むと「長すぎる行がある」と出てきて書き込めないのですが誰が教えてくれませんか。お願いします。
23 :
満足しない豚:2007/08/17(金) 15:41:59 O
>>22 意味がわかりました。ありがとうございます。
24 :
名無し募集中。。。:2007/08/17(金) 15:58:10 O
>>11 >ではこの世界全体を、私にあたえられたクオリアの渦であるとしましょう
「形而上学的な実在する世界」の意味がよくわからないので、恐らくあなたの
真意を理解できていないことをお断りします。
「私にあたえられた」クオリアの渦、とありますが、最初から客観を否定するの
なら、そもそも「私」が成立しないので、それは「私に与えられた」と考えることも
不可能です。その外に何らかの世界が想定されるわけでもなく、ただひたすら
「クオリアの渦」があり、それがすべてであって、それ以外の何かの存在を考える
余地はないのではないか、ということです。
逆に、クオリアの渦の「外」とか「背景」とか「原因」とか「主体」とかを考え
はじめるときに、初めて「客観」と「主観」が、(論理的には同時に)成立する
余地が発生するのではないか、という意味なのです。そうでないうちは、
「世界」も「私」も存在しないのですから、「独我論」も成立不可能だと思います。
>>20 これも誤解でして、とにかくまず「客観的世界」を成立させない限り、「私」とか
「主観」も成立できないのではないか、というだけのことです。
どんな哲学者であろうと、最初は「素朴実在論者」なのであって、そこから
一旦確立した「主観」と「客観」の関係を再考していくわけです。
(そうでないなら、それこそ「病院へ行く」他はないでしょうw)
「客観世界には犬とか人間とかいろいろな個物が存在するように思えるが、
現実に存在するのは拡散するツブツブだけである」とか
「客観世界などというものはいかなる意味でも存在しない」とか
「客観世界というのは主観が持つ観念であって、主観の内部に存在する」とか
「客観世界は主観が与えられたクオリアの渦から自らの能力で構築したものであって、
その背後にある物自体の世界は認識できない」とか、
それはいくらでも考えられるのであって、そのことを言っているわけではありません。
26 :
考える名無しさん:2007/08/17(金) 16:09:59 0
>>25 >どんな哲学者であろうと、最初は「素朴実在論者」なのであって、そこから
>一旦確立した「主観」と「客観」の関係を再考していくわけです。
だから君が言ってるのは哲学の出発点には常識的な見方(素朴実在論)が
あったということでしょう?
そんなことを言うことに何か意味があるの?
27 :
考える名無しさん:2007/08/17(金) 16:33:10 0
>>25 >「私にあたえられた」クオリアの渦、とありますが、最初から客観を否定するの
>なら、そもそも「私」が成立しないので、それは「私に与えられた」と考えることも
>不可能です。
「客観」がなければ「私」もないというのはなぜでしょう?
「主観」と「客観」は対になって同時に成立するという意味なら、
その場合は「客観」の実在性については何も言えませんね。
客観とは『認識されるもの、認識の対象を指し、実在的対象のみならず
観念的対象をも含む』だから。
28 :
考える名無しさん:2007/08/17(金) 17:17:44 0
>>25 ポパーが、科学を形而上学的実在論といってた
最高位も答えられない相手にいつも病院行けじゃワンパターンで芸がないw
芸がないのは「最高位と言う泡沫なる存在性」だけで十分だ
どうして「私」が言語(客観)のなかから生じてきたという簡単な経緯が理解できない?
あなたが狼に育てられていたら、あなたの中に「私」など生じなかったのは明白なのに
>>29 >どうして「私」が言語(客観)のなかから生じてきたという簡単な経緯が理解できない?
>あなたが狼に育てられていたら、あなたの中に「私」など生じなかったのは明白なのに
狼に育てられたら「私」と言うことはできないだろうが・・
主観があるかどうかっていうのは、そういう問題じゃないんじゃない?
>>30 ではあなたが言葉を獲得する以前のことを思い出してください。いっさい言語化せずにねw
言葉を持たない犬・猫・赤ん坊は「覚醒している機械」に過ぎず、自意識のないゾンビだ
>>31 >ではあなたが言葉を獲得する以前のことを思い出してください。いっさい言語化せずにねw
>言葉を持たない犬・猫・赤ん坊は「覚醒している機械」に過ぎず、自意識のないゾンビだ
ん?
自意識と主観は違うだろ。
意識が意識を意識することで意識が対象化されて初めて自意識となるわけだから。
>>32 では、自意識のない意識とやらを想像してみてください。想像可能ですか?
可能でしたらそれを言語化して俺に伝えてみてくださいw
理解しやすいように「自意識のないゾンビ」と申したまでで、
まったく意識のない「覚醒しているだけの(眠っていないだけの)機械」と呼んでも差し障りありません
言葉を持たないものにとって、世界は「主客未分」だということです
>>12 ウィトは確か「言語の限界」とか「世界の限界」とか言ってた気がす。
どっちにしろ「私」を言語で語ろうとすれば謎めいた比喩的表現でしか語れない、いや示せない。
天才ですら、と言うよりむしろ天才ゆえに主体を語るなんて野暮はしない。
天才は「主体」を忘れて「対象」のみに専心する。
モーツアルトは「音」に、ピカソは「絵」に、アインシュタインは「物体」に、ウィトは「言語」に。
そのような対象を持てない凡人はいつまでも主体に拘泥する。
じゃあ、それは何か?と問われても語らない、語れない。
「自分探し」、なんて何をかいわんや、である。
ああ、天賦の才があったらな、「この私」にも・・・
>>33 君の言う「覚醒しているだけの」っていうのが「意識」にあたるのでは?
>言葉を持たないものにとって、世界は「主客未分」だということです
なんでそんなことがわかるの?説明できる?
>>34 形而上学的主体については『論考』に記述されています
それを語る欲望を断念して言語ゲームへと論を移したのでは?
>>35 だから、自意識のない意識を想像・説明してください
それができないということは、意識がある=自意識がある、ということ
言語の中から意識(自意識)が生まれる=主客の分離(間主観性から主観が誕生する)
そして言語を持たない機械にとって、世界はまさしく機械仕掛けの記号世界です
>>36 >だから、自意識のない意識を想像・説明してください
だから君が自分で「覚醒しているだけの」って書いてるんだから、
君が説明できるはずだろう。
もうお話にならんな・・・
>>37 だからまったく意識のないゾンビだと言っているでせう?
「覚醒しているだけの」というのは修辞です
おまえって、真性のヴぁか?
>>33 > では、自意識のない意識とやらを想像してみてください。想像可能ですか?
横レスですが、これは割と簡単に想像可能なんじゃないでしょうか?
意識はもっぱら、外のモノやコトに向ける働き、いわゆる「気付き」と呼ばれるawarenessと、
自分が自分であると認識する自己意識self consciusnessに分けられますが、
「自意識のない意識」とはつまり前者のawarenessのみがある状態のことにほかならず、
これは他でもない私達の普段の意識状態そのままだと思います。
私達は通常自分に意識を向けることはまれでむしろ特殊な状態といってよいのではないでしょうか。
というか動物解放論(ry
>>39 自己意識を持たない意識にとって「気付き」は意味があるんですか?
決してわれに返ることのない「気付き」に意味があるんですか?
私たちが通常使用する意味において、「それ」に意識があると言えますか?
あるとしても、そこに「私」はありますか?
脳の発達した非言語機械は、「トケイ」という音声の刺激を受けて、
ある一定のデザインのアナログ時計を指し示す反応を学習するでしょう
しかし同時に「うおっち」という刺激でそれらの時計に反応することや、
あるいはデジタル形式の時計に反応することはできません
非言語機械は抽象化された概念を持つことができないからです
では、言葉を持たない非言語機械の意識を想像してみてください
あなたが言語を獲得する以前の意識を非言語的に想起できますか
できません
なぜならあなたの意識は言語が習得される中で、主客と言う概念が分離して
初めて誕生したものだからです
意識を持たないゾンビである非言語機械にとって、世界は主客未分です
遺伝された生得的パターン(刺激)に反応するだけの無意識の世界です
「私」は間主観性から生まれたというお話にガッテンいただけましたか?
>>40 >なぜならあなたの意識は言語が習得される中で、主客と言う概念が分離して
>初めて誕生したものだからです
>意識を持たないゾンビである非言語機械にとって、世界は主客未分です
>遺伝された生得的パターン(刺激)に反応するだけの無意識の世界です
「意識」と「無意識」なんていう甚だ疑わしい区別に基づいた議論は、
それだけで怪しいのだwww
>>39 でも、それも既に自意識なるものを獲得した後だからこそ言えることであって
自意識のない意識(純粋意識?)を想像し説明できるのは自意識のみに可能、結局自意識が前提だわさ。
37と38にレトリックによる比喩的説明の真意を解せずそれを真に受けて、その実在を提示せよ証明せよっていう西洋哲学史を見るようだ。
全ては、世界が存在してしまった、、自意識に目覚めてしまった、言語を獲得してしまった、という結果から
存在以前を、自意識以前を、言語以前を、類推したアナロジー、つまり結果論。
言語以前を言語で語ろうってんだからそれをどう語ったとしてもレトリックによる比喩説明的になる。そしてそれを真に受ける輩。
プラトンが超越論をイデアなんぞというレトリックで煙に巻いて、その真意を解せないニーチェが罵倒して発狂、これぞ西洋哲学史の醍醐味か。
>>40 「私」があるとか生まれるとかの話がされてたとは全然知りませんで横から口を挟んで申し訳ない・・・。
ただ、私は
> では、自意識のない意識とやらを想像してみてください。想像可能ですか?
この一文に反応しただけで、
この点については想像可能どころか意識の状態としてもタイプとしても極めて普通のことだということが言いたかっただけなんですが・・・。
言語バカは早く「覚醒しているだけの」の意味を説明しろよwww
>>43 了解、了解。蛇足ですが、これはあくまでもテツガクのお話であって、
動物解放論者が直ちに間違っていると言うつもりは毛頭ありません。
俺のくどくどした話に比べて、
>>42 さんがはるかにスマートな
頭脳の持ち主であることに、orz
自演はいいからww
「気付き」と言うそうですよ
まんぞくですかw
>>25 「形而上学的な実在する世界」とはわたしがいうところの「客観世界」です。
それは物理学や素朴実在論の想定している世界のことです。
あなたは「夢」というのはそれに対する「現実」がなければ成立しないといいます。
しかしわたしは「夢」という語を「現実とはちがう像を見る睡眠中の体験」という意味ではなく
「それにおけるすべての経験が自己に由来する体験」という意味のメタファーとして使っています。
であるならばそこに「現実」は必要ありません。そしてそこには「主観」があることはできます。
カントに倣っていうとあなたがいう「客観的世界」はカントのいう「現象界」なのかもしれませんね。
「物自体」ではなく「主観」に現れるものという大ざっぱな意味で。
49 :
考える名無しさん:2007/08/17(金) 21:49:04 O
>>42 言語以前のモノは、言語では語れない事を、言語
で語れる事は比喩かな。
笑ケタケタケタ
犬がゾンビってw
生の犬と接した事あるのだろうか?
他人がゾンビってw
生の他人と接した事あるのだろうか?
哲学的な議論に向いてない人がいるようです。
言いたいことがあるなら、「反論」しましょう。
53 :
考える名無しさん:2007/08/17(金) 22:47:16 0
>>12 形而上だとする根拠は何だw?
君は「私」を理解したのか?
君が何だかわからないものは、すべて形而上もなのか?
「私」はタマシイなんかと違って、間違いなくある。
説明するのが難しいだけでね。まあ、造語を使わずに説明した場合だ。
いや、説明は簡単なんだが、君らが理解できないんだな。
>>34 お前の定義に何の意味があるwくだらん
意識を想像し説明することは自意識のみに可能であり、その想像や説明には自意識が必要かもしれないが、
自意識のない意識を想像することはできる。
自意識がないのをゾンビというのは言い過ぎだよね。
>>53 形而上という表現を使ったのはヴィトゲンシュタイン自身です。
『論理哲学論考』 五・六四一
上記の、ヴィトゲンシュタインが「私的言語の使用者」として「語りえない」と断念した
独我論の「私」、あるいはこれを継承した永井均のいう独在論の<私>なら理解しています。
それがいわゆる「超越論的な主観」といかに違うのかも理解しています。
説明も難しくありません。ごく普通の術語で平易に説明できます。
ただし、ていねいに説明すればするほど、<私>は胡散臭くなっていきます。
ヴィトゲンシュタインがその「直観」の正しさを見据えながらも沈黙したのは、
というより、周知のように私的言語の考察によって、それを語ることを断念したのは、
哲学史上の悲劇のひとつではないでしょうか。
念のため申し添えておきますが、俺はあなたの言うであろう「私」が無いなどとは言って
おりません。これについての俺の哲学的な直観はヴィトや永井と一緒です(と思う)。
ただ、あえて語ろうとするなら、覚悟が要りますよと申し上げたまでです。
気づくことも生存に結びついているということでは意味があると言える。
最近
>>3とよく似た書き込みを何度か見た。
何が言いたいのかやっと分った。
でも最高位先生にそんな発想の逆転を望むのは間違いだと思います。
>>49 一本取られた、と言いたいとこだが
事の発端である「言語以前のモノ」(非言語)も言語で語るしか手はなく
それを言語でしか語れない、と言語で語るということは
言語(表現)を言語(表現)で語り、それをまた言語(表現)で語るという言語の一連の連なり、つまりアナロジー。
事の発端が比喩ならそれに続くのも比喩。無(非言語)を語る為にはそれ以前に有(言語)がなきゃお話にならない。
「世界が言語の見る夢」なら「世界は言語で構築された比喩物語」とでもアナログってみようか。
何の比喩か?なんて野暮なこと言いっこなしね、結局言語にご登場願うしか手はないんだし。
60 :
考える名無しさん:2007/08/18(土) 00:49:48 O
>>59 「言語以前のモノは、言語では語れない」と言う
ことは、モノを知っているが故に言語の評価を行えたことなる。
つまり否定できると言うことは、モノを証明(
または示唆)したようなかたちになる。
笑ケタケタケタ
61 :
考える名無しさん:2007/08/18(土) 00:59:20 O
>>60 言語を否定したことにより、言語以前を肯定したように見える。
笑ケタケタケタ
>>60 ああ、なんだ、そういうことね。
59で
>「言語以前のモノ」(非言語)も言語で語るしか手はなく
と言っとりますが。
>「言語以前のモノは、言語では語れない」
なんて一言も言っとりませんですよ、旦那。誤解なきよう。
言語以前だろうが無だろうが何だろうが何をどう語るにせよ言語しかその手段として我々は持ち合わせておらんってこってす。
言語以前のモノを証明だなんて、私なんぞにはとてもとても、それこそ無知の知ですわ。野暮なこと言いっこなしって言ってるでしょ。
>>61 勿論、言語は肯定も否定もできないし、裏返し、言語以前(非言語)も肯定も 否定もできやせんです。
同列に並ぶとでも言っておきやしょう。アウフヘーベン。
63 :
考える名無しさん:2007/08/18(土) 01:26:24 O
言語に方向性がある限り、それ以前もあるとするのは自然だと思われ。
NGワード
笑ケタケタケタ
66 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/18(土) 11:18:47 0
人間にとって
「客観世界が存在している」
という事よりも
「私は存在している」
という事の方が、自明なのである
なぜ、そのような事実を無視して
必死で主観を否定しようとするのであろうか
あるがままに分析する事が、哲学者として誠実な態度 と言えるであろう
唯物論者は、最初に唯物論ありきなのであって、目的観を脱線させている
唯物論者は、純粋な哲学者ではなく、明らかに『思想家』なのだ
だから、あの連中は丸クスに洗脳されてますから。
一説によると過激派になって暴力革命とかしないと気がすまないような
人たちのようです。
唯物論者が思想家なら、いよいよ唯物論を否定できないだろ。
自爆してる馬鹿がいるwwwwwwwwwwwww
唯物論とともに生きるしかないようだなw
>>26 いや、私は存外大きな意味があると思っているのです。
第一に、常識的な見方(素朴実在論)を修正しなければならない必然性が、
全くわからないということです。また、現実問題として「本気で修正している」
人がいるとも、どうも思えません。
一番わかりやすいのはデカルトで、「絶対確実でないものはすべて排除する」
として客観的世界を排除して、確実なのは「我思うゆえに我あり」だとする
わけですが、客観が確実でないなら主観も同じように確実ではないわけです。
「円錐形の物体を私が見ている」から、客観としての「円錐形の物体」を
排除するなら、残るのは「三角形」とか「扇形の変形」とか「円」とかの
「クオリア」だけであって、当然「円錐形を見ることによってそれらを生じさせて
いる主観としての我」も、「見る」という作用自体も、排除しない理由はありません。
そんなものを想定する必然性はないからです。それならば、同じように「何かを
思うことによって思いを生じさせている主観としての我」も、「思う」という
作用自体も、排除しない理由はありません。
結局、絶対確実なものとして残るのは「クオリアあり」「思いあり」だけです。
デカルトのやっていることは、要するに「客観」と「主観」の素朴実在論から
「客観」だけを恣意的に排除している、ということに過ぎないように思えます。
それならば、客観の中から「犬」だけを実在しないものとして排除する、とか、
「猫」だけを排除する、とか、「触覚」の対象は実在するが「視覚」の対象は
実在しないとして排除する、とか、何でもいいことになります。実際それが
間違っているという絶対的な理由はないでしょうが、そんなことに何の意味が
あるのか、どうもよくわからないわけです。
>>27 >「主観」と「客観」は対になって同時に成立するという意味なら、
>その場合は「客観」の実在性については何も言えませんね。
その場合は、「主観」の実在性についても同じように何も言えないと思いますが。
普通は「主観(私)」も「客観(世界)」も実在していると思われていますが、
それは要するに「そうとしか思えない」からであって、それでたくさんだと
思うのですが。(というか、それ以外の理由を聞いたことがありません。)
そもそも、「客観的世界」とか「客観的事実」を否定しようとする人の動機が、
よくわかりません。それが個人の自由な考えを抑圧する、という発想がどうもある
ようですが、それは完全な誤解だと思います。
>>48 >しかしわたしは「夢」という語を「現実とはちがう像を見る睡眠中の体験」という意味ではなく
>「それにおけるすべての経験が自己に由来する体験」という意味のメタファーとして使っています。
文字通りに取ると、「自己」の存在を認める限り、「それにおけるすべての経験が
自己に由来する」というのは、自明の理だと思いますが。
「自己だけに由来し、他の何物にも由来しない」という意味ですと、これは通常の
意味での「夢」や「妄想」についても当てはまらないと思われます。それらが
現実の経験の影響を受けないことは考えにくいと思われるからです。
「あらゆる経験は自己だけに由来する夢である」という意味ですと、これは純然たる
独我論、「世界=自己である」という考えだと思いますが、違いますでしょうか。
カントのことは全く無知ですが(以前他のスレ?で説明していただいたことが
ありますが、結局よくわかりませんでした)、カントのいう現象界というのは
まさに普通に言う「客観的世界」のことだと理解していますが、違いますでしょうか。
「超越論的には観念論だが、経験的には実在論」というやつです。
72 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/18(土) 12:31:21 0
>>68 唯物論を、論理的に破壊できますが、なにか?
73 :
夏休みパート3:2007/08/18(土) 12:42:42 0
>>72 非還元主義的唯物論を破壊してみてください。
74 :
考える名無しさん:2007/08/18(土) 12:46:56 0
>>72 今まで、それができていないのは誰もが知っている。
君が破壊できたと自分では思っているかもしれないが、世界中の誰も認めていない。
君は自分の間違いが認識できないらしい。
>>72 いやいやいやwwwwwwwああ言っちゃったらもう駄目でしょう。
完全に今までの主張を自分で否定しちゃってんだもの。
最高位の最後が自爆だなんて、らしいっちゃらしいが、確かに最高だわwwwwwwwww
76 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/18(土) 13:14:38 0
>>29 >>>考えているのは主観であるのに
>
>と、言葉が考えさせている。
はぁ? なんていう言葉が?
>より正確には、
>と、言葉が自律的に運動している
>
>あなたの脳という肉塊の中で
はぁ?
まず『あなた』という主観性を、最初に前提しちゃってるよな
それじゃ主観性(あなた)について、何も説明してる事にはならない
それがわからないという事は、病的に知能が低い
77 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/18(土) 13:16:01 0
>>33 >言葉を持たないものにとって、世界は「主客未分」だということです
これももう、決定的に間違い
私は幼い頃から剣道や空手やさまざまなスポーツをしてきたが
動く前に、いちいち言語化したりしないぞ
間に合わんからね
一秒のうちに何度も攻防するのに
どんだけ早口なんだよ(爆笑
あと、痛みは感じているが、「痛い」と言語化するのは、その後だよ
『私』が痛みを感じるから「痛い」となるのであって
「痛い」と言うから『私』が生じるのではないだろ(笑
そんな事を、真顔で主張するから「病院へ行け」となるわけだ
ションベンしたいから「ションベンしてぇ〜」と言うのであってね(笑
言語化は後なんよ
んじゃ、トイレ行ってくるわ(笑
78 :
考える名無しさん:2007/08/18(土) 13:19:48 0
>>70 あなたが述べていることのうち恣意的に排除できないものが一つあって、
それは「排除している」という働き。ここから、(対象を)排除する“主(我)”が存在する、
というがデカルトでしょう?
「排除している」ことだけは排除し切れないというわけです。
79 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/18(土) 13:26:26 0
>>73 それは、どういう主張なの?
>>74 それはキミ
有効な反論ができないなら、黙っていなさい
>>75 ん? よくわからんが
ようするにキミは
「唯物論は宗教だから、信仰は論破できない」という事を主張しているのかな?
>>79 わからんのならいいよ。わかってたら自爆なんかしないだろうしな。
でも端から見て最高位は馬鹿丸出しなんだぜ?
もうね、笑うしかないんだわwwwwwwwwwwwwww
81 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/18(土) 13:45:03 0
82 :
考える名無しさん:2007/08/18(土) 14:13:49 0
>>70 >結局、絶対確実なものとして残るのは「クオリアあり」「思いあり」だけです。
どちらかといえば「クオリア」という得体の知れないものよりは、デカルトの
「思う」のほうが確実に残るように思われるけど、まぁ問題はそこからどんな
説得力ある哲学が生まれるかということだね。
>>71 >そもそも、「客観的世界」とか「客観的事実」を否定しようとする人の動機が、
>よくわかりません。
普通に考えれば、客観的世界の実在性が自明でないのはすぐわかると思うけど。
地域や時代の違いによって客観世界は違ってくるわけだし、人によっても違ってくる。
「私にとって」の客観世界はあるけれども、「私にとって」ということを離れた、
つまり主観から独立的な客観世界というのは知りようがないよね。
「客観世界」の実在性を信じたがる人に対しては、なぜ「私にとって」の
「客観世界」があるということで満足できないのか? という疑問を感じる。
>カントのいう現象界というのは
>まさに普通に言う「客観的世界」のことだと理解していますが、違いますでしょうか。
カントのいう現象界は、主観から独立したものではないから、
素朴実在論的な客観世界とは全然違うね。
「私にとって」の客観世界。
83 :
考える名無しさん:2007/08/18(土) 14:27:02 0
>>79 >有効な反論ができないなら、黙っていなさい
有効な反論になっているのに、キミには認識できないだけ。
他の人はみんなわかってるよ。最高位が論破できたことなんてないってね。
>>81 論理?どんな論理?最高位が論理的だったことってあった?
自爆してる馬鹿の論理なんかゴミだろ。普通ならこんなことありえないんだぜ?
悪いけどあまりにお粗末な程度なんで、議論とか論理とか、最高位には向いてないやwwwww
だってどこの世界に持論を根底から破壊する馬鹿がいるんだって話だろwwwwwwwwwww
最高位様には認識論的な「私」と存在論的な「私」の峻別が全然できてないですぅ。
思うて学ばざれば則ちあやうしですぅ。少しはひとの言うことも勉強しやがれですぅ。
86 :
考える名無しさん:2007/08/18(土) 16:49:13 0
>>79 >それは、どういう主張なの?
ご冗談を。
あなたはもろもろの唯物論を熟知し、その上で論破したと主張しているのではないですか?
初耳なら、Web検索してみればいいのではないでしょうか?
その方が貴方のためにもなるはずです。
最近の最高位はマジでコント化してきたな
お笑いやりたいのなら、そっちの板いけばいいのに
ここでやる積極的な理由は無いはず
88 :
考える名無しさん:2007/08/18(土) 18:57:00 0
最高位が論理を理解しているわけないでしょう。
彼の持論は「自我を物理現象として記述できなければ、唯物論は否定される」
というものだったはずだ。
この言表を科学者にぶつけても「現在では困難だが、科学は発展途上であるので将来的に可能性はある」
とでも答えるだろう。
現時点でできないことが、将来にわたってもできない根拠にはならない。
永久に出来ないと主張したいのなら、出来ない理由を論証しなければならない。
もちろん感情論を論拠にはできないし、否定するにも確たる根拠がいる。
最高位は自我が実在すると主張しているのだから、「ある」理由を論理的に示す必要がある。
ところが一度も自我が実在する根拠を示した事がない。
最高位は論理学の基本から勉強すべきだろう。そうすればどれだけ自分が非論理な事を述べてているか判るから。
>>87 構ってくれる人が絶えないからいいところだよ、ここは
>>3はよく分りませんが、
主観的な世界が、主観や認識に依存せず存在する可能性があるのではないか?
という疑問のように見える。
「主観的な世界」を「私(だけ)の世界」と言い換えてみるテスト
93 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/19(日) 00:58:53 0
>>83 また有効な反論になってないな
>>84 何度も言うが
論理的な反論は出来ないのかね?
『私』は、いかなる物理現象なのか
という質問に答えればいいんだよ
>>88 >彼の持論は「自我を物理現象として記述できなければ、唯物論は否定される」
>というものだったはずだ。
>この言表を科学者にぶつけても「現在では困難だが、科学は発展途上であるので将来的に可能性はある」
>とでも答えるだろう。
そんな事を言っているから、アホだと言われるんだよ
現代哲学的問題意識が、全く理解できていない証拠です
『私』はココにいて、唯一絶対なのに
どうやって物理現象に還元できると言うの??
唯一絶対なんだから、絶対に可能性ゼロなんだよ
そこら辺を、もっとよく考えて、少しは理解できてから来てくださいな
>>86 話が前に進まんな
自分の主張ぐらい、自分で説明できんのか??
94 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 01:00:52 0
>>93 なるほどw
科学者の方々はみんなアホということですかw
よくわかりました。
唯一絶対な物理現象なのでしょう
96 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 01:20:55 0
私とか自我は動的構造を持った情報の束みたいなもんだから、
情報科学的な方向でしょうな。
97 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/19(日) 01:25:38 0
>>94 科学者の方々が
みんな、そう答えたのですか?
それはいつですか?(爆笑
病院に行きましょう
最高位流に
私はココにいて、唯一絶対
唯識流に
私はココにいなくて、普遍
さあどちらが正解か。
私の質が違うんじゃないのw
101 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 01:58:36 0
>>100 それは、スレ40番50番辺りから
ずっと指摘し続けているんですけどね・・・ (;´ー`)y━~~
102 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 02:04:36 0
個々の「私」は唯一絶対かもしらんが、
個々の石ころもそれぞれ唯一絶対なわけだ。
103 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 02:18:22 0
どんな「私」も「石ころ」も永遠不変ではない。
いずれ消え去る運命だ。
つまり「実体」としては存在せず、はかない「つかの間」の存在である
ということだ。
今ココに在るのが私以外の何物でもないのならば、
今ココについてのいかなる説明もそれは私についての説明だろう。
物理的な説明は(一つの説明として)不可能ではない。
「私」じゃなくて「私の○○」のようにしたほうがわかりやすいんじゃない?
「私」だけだと漠然としすぎる。
もちろん今ココの全てを漏らさず説明し尽くす事などは出来ないだろうが、
それも今ココに限った事ではなく、説明とは元々その様なものであろう。
107 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 02:30:56 0
「私」の今ココは「境遇」であって、単なる時空的位置ではない。
つまり、来歴性を持った「私」であって、物理的説明は適切とはいえない。
108 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/19(日) 02:44:10 0
109 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/19(日) 02:51:38 0
『私』
これが哲学の本論である事に気づかないヤツは
アホだな(笑
自分自身を考えずして、何の為の哲学なのか
いったい誰が哲学してるのか、考えてみろ(爆笑
相手にしなけりゃ削除してもらえるそうなんで
荒しは無視でよろ
>>105 そもそも「私の」で始まれば持ち物、所有を示すから
なんでもいいだろ
>>108 原因的要素とは何でしょう?
意味が分かりません。
何か例を挙げてもらえないでしょうか?
113 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/19(日) 05:08:29 0
>>112 例?
唯物論者によると、「全ては物質であり、人間の精神も物理現象に過ぎない」
らしいからね
だから『私』の正体は、どのような物理現象なのですか? と聞いているにすぎない
例に出して説明しなければならないのは、唯物論者側なんだよ
大丈夫ですか?
自分達の主張、わかってます???
まぁ例えば
クギはFeであり、酸化すると赤錆が発生する
水は蒸発すると水蒸気が発生する
こんなところじゃないの?
であるかるからして
では『私』は、いかなる物理現象によって発生しているのか
これに答えてもらいたい って事さ
>>113 「人間の精神が物理現象である事」と「『私』の正体」とやらに何の関係があるのでしょうか?
「原因的物質」という語を使って主張している唯物論者とはどなたの事でしょうか?
>まぁ例えば
>はFeであり、酸化すると赤錆が発生する
>水は蒸発すると水蒸気が発生する
>こんなところじゃないの?
その程度の例でいいならば、
人間を燃やすと灰と二酸化炭素と水蒸気になる
とか。
火葬に立ち会った事はおありでしょうか?
115 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/19(日) 05:40:18 0
>>114 全然、答えになっていませんね
問題自体が理解できていません
『私』は、いかなる物理現象によって発生しているのですか?
ですよ
>>115 答えにはなってますよ。
挙げてくれた例と変わらないでしょう?
最高位さんも同じ人間ならば他人と変わらないと思いますよ?
第一、
>全然、答えになっていませんね
>問題自体が理解できていません
では、反論にすらなってません。
反論はないという事でしょうかね。
117 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/19(日) 05:56:52 0
>>116 いやいや
問題は
『私』は、いかなる物理現象によって発生しているのですか?
ですよ
>>117 最高位さんは人間ですか?
一応、人間だと前提して話してますけど。
119 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/19(日) 06:05:49 0
>>118 話を、すり替えようとしないで下さい
問題は
『私』は、いかなる物理現象によって発生しているのですか?
ですよ
>>119 「『私』の正体」とやらと「人間の精神」との関係についても何も答えないし、
「唯物論者の主張」と「原因的物質」とやらの関係も答えませんね。
最高位さんが言い出した事でしょうに。
話をすり替えてはいないですよ。
最高位さんが人間ならば他の人と変わらないと思います。
最高位さんは人間ですか?
釘は錆びるし、人間であるならば燃やせば灰になるでしょう。
これまで何度か目にしましたが例外はありませんでした。
(原因的物質というのは意味がよく分かりません、どちらも結果だと思いますが…)
最高位さんも人間ならば他の人同様に理解出来ると思います。違うのかな?
一応、同じ人間であるという前提で話してますけど、違ってたらごめんなさい。
もし、最高位さんだけは特別に違っているのでしたら、
私の言う「人間」とは最高位さん以外の事を言ってると思って下さいね(^^
>>93 論理的な主張ができないうえ自爆する馬鹿に、論理的な反論なんて無意味ww
だって理解できてないんだもん。それに最高位は追いつめられたらレスをスルーするカスだし。
俺はかなりスルーされたぜ?いままで議論していて、最高位が答える番になったら突然スルー。
追いつめられたらいつもスルーwwwwwwwww
お前は議論や論理に向いてないんだよ。馬鹿が背伸びすんな。
それに唯物論者は思想家なんだろ?ならそこで話は終わりじゃんwwwwwww
話がもう終わってんじゃんwwwwwwwwwwww
122 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/19(日) 07:03:11 0
>>120 そんな質問に答えても
あなたがたは、ますます話をすり替えて誤魔化そうとしますからね
ズレていくばかりです
論点は、実にシンプルなんですよ
『私』は、いかなる物理現象によって発生しているのか
です
それに答えりゃ済む話です
できるなら、できる
できないなら、できない
ハッキリさせて下さい
123 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/19(日) 07:07:05 0
>>121 うむ
唯物論は間違いだ という結論で、すでに唯物論は終わっているね
終わっているんだけれど、それを理解できない人がいるから説明してる
というだけの話だな
>>123 うむって自分が馬鹿なことは理解できてんだなwwwwwwww
つか、いかなる物理現象ですかって、ようは物理現象であることを前提にしてんじゃんwwwww
重要なのは「いかなる」なんだろうし。まず物理現象かどうかを尋ねるなら「いかなる」いらんしな。
相変わらずの自爆っぷりは見事すぎるwwwwwwwwwwwwww
>>122 何も答えてないし、論理的な反論も何一つないですねw
唯物論者は「人間は物理現象だ」と主張している。
『私』とやらを主張しているのは最高位さんですが、
これは「最高位さん自身」の事なのでしょう?
釘は酸化すれば赤錆になりますし、
(これは「最高位さんご自身」で挙げた例です)
人間は燃やせば灰になります。
(これは釘と同様の例として私が挙げました)
火葬に立ち会ったご経験は一度もありませんか?
「最高位さん自身」はまだ燃えていないでしょうが、
「最高位さん自身」も他の人と同じように人間であるならば、
そうなるだろうと類推出来るでしょう。
釘はたくさん存在しますし、唯一絶対でないのは明らかでしょう。
人間もたくさん存在しますし、同様でしょう。
もしかしたら「最高位さん自身」だけは特別な唯一の例外なのかもしれませんが、
その時はどうぞ一般に言う「人間」から最高位さんだけは除外して考えて下さい(^^
最高位さんが「普通の人間」ならば理解出来ると思います。
カスカスの論理となけなしのアイデアから成り立つ
砂上の楼閣上に乗せた揺れる通天閣の頂点に立つ「私」
それこそが最高位のお笑い哲学の骨格だと思う
ちなみに最高位さんは『私』を唯一絶対の存在とした後に、
「他人もきっとそうだろう」と論を進めますが、
この類推は論理的に誤りでしょう。
類のない存在から類推は出来ませんw
129 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/19(日) 09:38:40 0
>>124 >つか、いかなる物理現象ですかって、ようは物理現象であることを前提にしてんじゃんwwwww
ようは唯物論者が、物理現象を前提にしているわけだ
だから、いかなる物理現象なんですか? と聞いているわけだ
まぁ唯物論が間違いだと理解できりゃ、それでオッケー
まぁどうでもいいけど
おまえ私にスルーされたのか?
私がスルーするのは、よっぽど病的な書き込みだけだぞ マジで
まず病院で診てもらえって
悪いこと言わんからさ
>>125 >何も答えてないし、論理的な反論も何一つないですねw
いやいや勘違いしちゃいかん
論点は、実にシンプルなんですよ
『私』は、いかなる物理現象によって発生しているのか
です
体を焼けば灰になるが
逆に、物質をどんな組み合わせにしたって『私』にはならないだろ
そんなの当たり前だろ?
理解できませんか?
「物理現象では答えられない」という事で、おkかな?
私は人間という物理現象である。
不可逆性とかは無視なんだ
あまりに素朴すぎる物理観が逆にかわいいw
>>129 相変わらずバカチンだねぇ。
まず物理現象であるという前提を覆さなきゃ意味ないだろうよ。飛行機がいかなる理由で
飛べるのかだってきちんと解明されてないんだぜ?それでも物理現象として見なされるわけだ。
つまりいかなるとか以前に、まず物理現象じゃないって言わなきゃ否定にならんの。
分かる?分からんか?馬鹿だもんなwwwww期待はしないよwwwww
それと最高位がスルーする場合は、いずれも重要な質問が出たときだったんだが。
それまで連投してたのに罵倒もなく突然だんまり。どう見ても逃げですwwwwwwww
んでまた病院かwww病院大好きだな最高位wwwwww
つか病院行って治ると思ってんなら、それこそ唯物的な考えに近いんじゃねwwwwwww
「言語」は情報伝達のプロトコルであるから、
究極的には音圧により鼓膜から入力されたイオンの励起1ビットも、
電子同士の反発力であるアナログ量も、
身体各所の生理から導かれる満腹情報の行列も、
怒りや笑などの複雑な多次元行列も、反射運動も、
論理的思考やコンピュータにも使われる情報論理も、
言語の一種である。
「精神」はそれら低レベルな言語による緻密で複雑な集合体である。
「私」「貴方」「自分」「私たち」「これ」「それ」等は代名詞であり、
実体を指し示すベクトルである。
「精神」の有無とは切り離して考えるべき代物である。
物心付いた頃の幼少期には世界を「我」中心に捉える。
しかし人の親は諭す「他人の痛みを知る人間になれ」
「他人の気持ちになって考えろ」そうして様々な経験と学習を重ね、
世界が「我」中心に動いているのではなく、中心など何処にもないのだと
考えるようになり漸く大人への階段を一歩登る。
世界は物理現象だ。だが只の物理現象だなどと軽々しく考えて良いわけはない。
あらゆる物理現象には他には代えがたい価値がある。
貧しく暮らしていても、いやだからこそ豊かな心を持って、
物をそして経験を大切にする気持ちを失ってはならない。
にわかですけど、哲学者最高位という方の言いたいことは明瞭だと思います。
唯物論(科学的な説明)を否定して「私」とかいうものが実体だと言ってるのですから、
そしてそれ以上のことは何も言ってないわけですから、つまりそれは霊魂です。
たとえ哲学者最高位が、違う、霊魂ではない、と否定しても、やっぱり霊魂です。
まあ、自分の霊魂だけが、神様のような特別の存在性があると言いたいんでしょうけど。
こどもによくある「自分は特別なんだ」っていう思い込みそのものです。
実際、ここに書いたこと以上の説明はしてませんしね。無論、できないからです。
幼いんですよ。自分の考えてることが哲学なんだって信じてるんです。
135 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/19(日) 11:17:37 0
しかしバカばっかりで、説明するのが面倒になるなぁ
『私』は、いかなる物理現象によって発生しているのか
これに答えなさいよ
これだけでいいんだよ
答えられないのなら、正直に「無理です」と言いなさい
どっちにしても唯物論は否定できないでFA
図星であせってますね。ふふ
>>135 取りあえず四つの力からなっているのは間違いない。
139 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 12:11:14 0
>>135 いいかげん物理なんたらから離れて
私だけを考えてみwできないと思うけど
馬鹿だからね
140 :
ネコの味方:2007/08/19(日) 12:29:01 0
>>125 あなたは人間を“物(身)体”に還元してしまっている。身体を燃やせば灰に
なることは、最高位とて否定しないでしょう。
その場合、【私】の意識をどうみますか。ややニュアンスが違うけれども、
これは「心」と言いかえてもいい。私(たち)は何かを感じ、何らかの感情
を持ち、考え、決断し、行動する。
図式的に言えば、行動を司る“身体”は灰になる。では、その行動(身体)を
誘引しているかにみえる(ここは別の言い方がある)感覚、感情、思惟、意志
といった「心」も身体とともに灰になるのでしょうか。
そもそも「心(意識)」はあるのですか、ないのですか。
>>129 何の答えも反論も出来てないですねw
まず最高位さんの言う『私』と「人間」の関係を答えなさいと言っているでしょう。
『私』という語を持ち出して主張してるのは最高位さんなのですから。
人間はたくさん存在しますよ?
意識もたくさん存在するという前提なのでしょう?
たくさん存在するものについて説明しなければ人間の説明にならないじゃないですかw
最高位さんの言う『私』とは「最高位さん自身」の事なのでしょう?
そして最高位さんは人間なのでしょう?
人間ならば理解出来るでしょう。
体を焼けば灰になりますし、法隆寺も同じように焼けばそうなります。
燃えるというのは物理現象です。
どちらも元には戻せませんよw
最高位の代理のものです。「私」を説明します。
「私」は物質ではありません。肉体がホロンでも消滅しません。
唯物論や科学では説明できません(従って唯物論は誤りです)。
「私」こそが、世界で唯一の実体です。それは間違いなくあります。
馬鹿には理解できません。これ以上は説明不可能です。
「私」の存在性さえ理解できれば現代の哲学すべてOKです。
ただし、「私」のことを「霊魂」とか「最高位だけの特別な霊魂」とか
「ほとんど唯一神」とか言ってしまうのは禁止します。哲学ですからw
143 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/19(日) 12:56:06 0
>>141 だから何度も言わせるなって
ゴチャゴチャと話をすり替えてないで
『私』は、いかなる物理現象によって発生しているのか
これに答えなさい
できないなら「できません」で終わりだろ
>>140 >身体を燃やせば灰に
>なることは、最高位とて否定しないでしょう。
そりゃ、そうでしょう。
釘が錆びるという例を挙げたのは最高位さんで、
それに合わせたのですから。
「原因的物質」というのはいまいち意味不明ですけどね。
彼は答えないし。
>その場合、【私】の意識をどうみますか。
【私】の意識とは何ですか?
「人間」の意識とは別のモノですか?
>その行動(身体)を
>誘引しているかにみえる(ここは別の言い方がある)感覚、感情、思惟、意志
見えません。
>そもそも「心(意識)」はあるのですか、ないのですか。
人間の心ならば体の様子を観測して判断するでしょう。
私自身も例外なく。
体のない人間なんて知りませんし。
違いますか?
ネコの心はどうでしょうね?
>>142 では他人は物質ですか?
あなたは最高位の代わりですかw
代えがきくんですね。
>>145 臨時代理のものです。他人は物質+霊魂です。
>>143 『私』は、いかなる物理現象によって発生しているのか
これに答えなさい
答えられません。できません。素直に認めます。
だって『私』って霊魂ですから。物理で答えられるわけありません。
もし、どうしても霊魂なんかじゃないってダダこねるなら、
そんな概念、最高位以外だれひとりとして理解できないですから、
理解できないものの物理的な仕組みなど答えられるわけありません。
ふふ
>>146 霊魂というのは一つだけしかないんですか?
他人の体はたくさんありますけどどうしましょう?
物質は自分で動きますよね
149 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 13:54:51 0
>>146 >そんな概念、最高位以外だれひとりとして理解できないですから
ここにいるぞい。
>>143 だから物理現象だって認めてるんならそれで終わりだろww
馬鹿すぎて理解できないのか???
151 :
ネコの味方:2007/08/19(日) 13:57:43 0
>>144 あなたは自分のことよりも人間一般のことが理解できるらしいのでw、質問を
かえます。人間の意識(心)はあるのですか、ないのですか。
身体を否定していません。心があるかどうかを聞いているのです。
ちなみに私には、その身体を目の当たりにしなくても、その人の心の一端を窺い
知ることができる場合があります。あなただって、著者や作者の身体を直接観測
しながらでなければ、その作品を鑑賞できないというわけではないでしょう?
>>143 話をすり替えてなどいません。
論理的に答えているでしょう。
あなたが人間ならば理解出来るはずです。
人間じゃないのですか?
人間はたくさん存在する。
釘もたくさん存在する。
小学生にも分かるでしょう。
反論は何も出来ないようですねw
最高位は応用力ゼロだな。
意味が不透明な質問に自分好みの答えが返ってこないと不満らしい。
相手の意見を汲む能力に欠けてるなら議論には向いてないし、哲学も無理だな。
154 :
ネコの味方:2007/08/19(日) 14:08:04 0
>>146 その“霊魂”という言葉には少々、厚みがありすぎるのではないか。
また、その言葉を発する人の“思い”に濡れているようにも…。
それは最高位の言う【私】よりも、むしろ一般的に言われる私の“心”
に近いように感じられる。
155 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 14:15:29 0
「私」から「私の体」を取り除いても「私」だけは唯一絶対の存在として残る
という信仰です。
そのような信仰をはばもうとは思いません。
さあ、今から
>>149 さんが最高位に代わって「私」の正体を説明します!
157 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/19(日) 14:35:15 0
おまえらホントに、自分を自分だとわからんのか???
158 :
素人:2007/08/19(日) 14:41:58 0
>>151 ネコタソ・・・。
決定論スレの40番くらいから(保管サイトからなら51番からでもいい)この記述スレまで、
最高位氏との私のやりとりを読み直してみてほしい。
最近言われているいろいろなことは、既に何度も投げかけられている。
時には横から貴重なレスが入っていたりもする。
君の昨今の問いに関しても、参考になる意見は散見される(複数の者から述べられている)と思う。
(勿論、君が望む回答とは限らないが・・・)
>>129 トリビアルな論点に終始して話を逸らしてるのは
>>125さんじゃなくて最高位の方に思えるけれど。
>『私』は、いかなる物理現象によって発生しているのか
まあ、『私』の解釈次第だけど、これにはとりあえず「人間という物理現象によって」と答えとけばいいんじゃないでしょうか。
むちゃくちゃ大雑把ですが。
>体を焼けば灰になるが
>逆に、物質をどんな組み合わせにしたって『私』にはならないだろ
>そんなの当たり前だろ?
全然当たり前じゃない(苦笑。
現に『私』であるところの俺は発生史的に見ればとうちゃんの精子とかあちゃんの卵子が出会ったところから生まれている。
これは俺だけじゃないはずだ、当たり前だけど。
物質の組み合わせが『私』になる実例が人間としてあふれている様はまるでゴミのようだ。
>>151 >あなたは自分のことよりも人間一般のことが理解できるらしいのでw、
いえいえそういう訳ではありませんよ。自分の事も人間一般に含めていますしw
あなた自身の事であっても、ある一面においては確実にあなたよりも知っているでしょう。
これは同様に逆も言える事です。
私には決して知り得ない私自身の一面をあなたが知っていることでしょう。
自分も他人も同等に不可思議です。
自分が自分だけで存在できたことなど一瞬とてありませんし。
>人間の意識(心)はあるのですか、ないのですか。
あるモノの状態を、心があると言い表しているだけです。
私自身を含めて。
>ちなみに私には、その身体を目の当たりにしなくても、その人の心の一端を窺い
>知ることができる場合があります。
物理空間ならば当然でしょう。目の当たりでなくても作用はあります。
目の当たりにしても一端を窺うだけです。
人間だろうがネコだろうが石ころだろうがそうです。
自分自身についてもそうでしょう?
161 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 16:01:15 0
>>159 >物質の組み合わせが『私』になる実例が人間としてあふれている様はまるでゴミのようだ。
最高位が言うには、君の言っている「私」は「他人」でしかない。
今まで腐るほど人間が生まれてきたのに、なぜ「私」にならなかったのかというのが
最高位の疑問。
この私の体のどこに「他人」ではなく「私」の生まれる要素があったのか。それは
ないのではないか。ってこと
だけど、高分子の鎖(最初の生物)は物質による進化を重ねて今の人間
に至ったのであるから、物理現象以外の要素が人間の体にあるとは考えにくい。
でも、今の人間には物質がなぜ意識を持てるのかは解明できない。
※「私」と「意識」は微妙に違うよ
162 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 16:10:47 0
>>161 >※「私」と「意識」は微妙に違うよ
『なぜ「私」にならなかったのかというのが最高位の疑問』
だとすれば、その「私」は、「自我意識」ということだろうね。
自我意識がない意識がそんなことを問えないから。
で、『なぜ「私」にならなかったのか?』と問われている「私」は、
意識によって対象化された自我だから、それは肉体的な自我なんだろう。
で?
163 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 16:26:16 0
164 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 16:27:54 0
166 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 16:31:02 0
167 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 16:34:10 0
>>163 で、
『今まで腐るほど人間が生まれてきたのに、なぜ「私」にならなかったのか?』
という問いに答えるなら、
『今まで腐るほど生まれてきた人間を、君の意識が「私」として意識しなかったから』
ということになるんだろうな。
168 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 16:41:15 0
>>167 へ?何か急にズレたなあ。
とりあえず、164のリンクを読んで見てくれたまえ
>>164 まあ、最高位は大発見みたいなこと言っていたが、実は誰しも通る道だからな。
同じのがあっても不思議じゃない。
それでも「私」という表現まで一緒で、さすがに噴いたw
170 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 16:55:45 0
最高位……かあ。確かに最高な奴だったぜ!
´´´
171 :
絶対精神 ◆mk/rozvbWA :2007/08/19(日) 17:04:41 0
172 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 17:08:35 0
>>164 以前このスレでおいらが紹介した。
皆ペテン師扱いだった。
>>172 おれは経緯はよくわからんが、一応謝っておく。メンゴ。以後気をツケマス。
174 :
172:2007/08/19(日) 17:16:04 0
ついでに
草馬由仁子氏の存在性と、最高位の存在性は意味がまるで違う。
弱い人間原理と観測問題についてなら古くから誰もが考察している。
俺の解釈では、
世界のあらゆる時間空間物質非物質大小全ての要素が「「私」かつ「私ではない」」
「意識」の有無は関係ナッシング。
あと、今から一秒後に世界がいきなり消滅して、
100億年後に前回の世界の続きがいきなり再生したとしても、
俺を含めた全ての私は連続性を疑うことすらないだろう。
まあ実際は100億年後ではなくて100億i年後なのかもしれんが。
ちなみに強い人間原理はNGだな。俺的に
176 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 17:32:33 0
>>172 証拠を見せてみろ!
この功績は僕のもんだい!!
最高位は本当に面白いなぁ。
しっかし、あまりにも似通っていて、最高位がパクったようにも思えるな。
だから
>>164 のような類の考察はいわゆる「意識の超難問」として、
90年前後から日本の一部の哲学者がこねくり回している課題でしょう。
海外ではほとんど無視されてるようなマイナーなテーマらしいけどw
三浦某なんかは論理計算をつらねて、この問題がナンセンスであると
永井某だのを辛辣に批判してるよ。
哲学者第二位に改名か?
>>147 遅レスですが、霊魂はひとつしかありません。
たったひとつのほんとうの霊魂は最高位の中にあります。
たとえて言うなら、それだけがイデアで、他の人間の自意識は影です。
つまり最高位以外の人間は、哲学的ゾンビならぬ霊魂的ゾンビです。
「前世があるならそれを記憶してるはずです」
ってすごくね?
ちょっとビビッタ
俺はさっきトイレ行ったかどうかの記憶も曖昧だけどな。
いやですよォ、おじいさん。
おでこですよ、おでこ。
185 :
159:2007/08/19(日) 18:59:46 0
>>161 > 最高位が言うには、君の言っている「私」は「他人」でしかない。
> 今まで腐るほど人間が生まれてきたのに、なぜ「私」にならなかったのかというのが
> 最高位の疑問。
> この私の体のどこに「他人」ではなく「私」の生まれる要素があったのか。それは
> ないのではないか。ってこと
確かに最高位のこういう書きこみも見かけますけど彼のもともとの主張は
「私」と「意識」を微妙に混同した上でそれらが物質から説明できそうにないというものだと思います。
まあ、彼の書きこみをマニアックに追いかけてるわけではないので自信はないですけど。
> でも、今の人間には物質がなぜ意識を持てるのかは解明できない。
これはそのとおりです。
でも、解明できるできないは別として「『私』はいかなる物質的要素から発生するか」
という問いかけに対して「人間の身体から」と答えることは観察の結果として間違ってはいないと思いますがどうでしょうか。
それから、
>今まで腐るほど人間が生まれてきたのに、なぜ「私」にならなかったのかというのが
>最高位の疑問。
この疑問については回答ではなく疑問自体を否定することも可能だと思います。
>>159の書きこみから想像できると思いますが、
「今まで腐るほど生まれてきた人間は(ほとんど)すべて『私』だった」というものです。
前述のようにサンプルの数ではこちらの方が圧倒的に優勢だと思います。
186 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 19:04:06 0
哲学板が異様に低レベルなのは、宗教家が大挙して押し掛けているからでしょう。
宗教的な価値観を引きずったままでは、哲学など出来ないし、根拠のない空疎な言表にしかなりませんな。
いまだに「唯物論を打倒せよ」などと信者を扇動する教祖が多数いるので、唯物論系のスレが荒れるのも
信者のせいでしょう。また、宗教系の人は「教化する」ことを目的にして、哲学板へ来ている者もいるので、
このような屈折した「宗教的啓蒙意識」を持つ者が少なくない。
最高位がここへ来ているのは、その情熱的な態度から「啓蒙意識」に由来するのは明白で、
彼が「教えてやる」と連呼するのも、本心を発露している、ということなのだろう。
他者には最高位の言動が奇異に感じるのだが、本人が肥大化した教化意識に振り回されて、
熱狂しているので手に負えない。
誰しもが、最高位などから教わる事はない、と考えているのだがね。
彼が哲学を学んだ経験がないのは明白で、知識が欠如しているので正常な意思疎通が効かない。
このような体たらくで、子供じみた言動を繰り返しても、軽蔑されるだけだ。
>>185 独我論の要素も入ってるから無駄だよ。
「この私」以外は不確実なんだから。懐疑の対象なんだから。
「この私の世界(知覚認識された・主観に映じた世界)」以外は不確実なんだから。懐疑の対象なんだから。
188 :
159:2007/08/19(日) 19:10:44 0
>>187 どこを指して無駄だと言われてるのかわかりませんが、
懐疑の対象になるから無駄だと言うのは乱暴に過ぎると思います。
唯物論に関してはテーゼもアンチテーゼもどちらも懐疑の対象になりうると思います。
>>188 最高位は、
唯物論肯定のテーゼは不確実で、唯物論へのアンチテーゼは確実だと言ってますが?
「『私』の存在(『私』が実感されること)」は確実。
「『私』の物理的記述は不可能である」は確実。
と。
>>188じゃないが、「私」の定義があやふや。物理的記述が不可能な証明もできない。
これで何か言ったつもりになってるのが凄い。確実なのは最高位が馬鹿ってことだけ。
世界がフラットでカオスで虚無で完全に美しい存在ではなく、
現実のように歪で不均等で、特定の力学法則や無矛盾な論理法則の制限を受けて
広がっている理由は観測問題を考察しなくちゃダメかもだし。
「私」を考察することがそういうことを解決するのなら無駄じゃないかも。
しかし最高位の「『私』の物理的記述は不可能である」は、
左を否定するためだけに捻り出した概念だから話が通じない。
政治思想が一番の興味なのだろう。彼の本拠地は政治経済板か社会板じゃないのかな。
192 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 19:53:27 0
で、
つまり『なぜ私は私なのか?』という問いは、意識が意識されたものを
なぜ「私」と見なすのか? という問いであるので、意識と「私」との
同一性つまりアイデンティティーの問題なんだろう。
この種の問いに悩まされる人は、おそらく、『もし私が透明人間だったら・・・』
みたいな空想癖の強い人や、離人症等々の自己同一性に関する何らかの問題を抱えた
人に多いのではないかと思われる。
193 :
172:2007/08/19(日) 20:19:54 0
>>176 > 証拠を見せてみろ!
スレの2か3あたりだ。探してみそ。
それよっか功績ってほどのものじゃないだろ?
唯物論憎悪論はほかにもあるでよw
194 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 20:24:39 0
自我意識について調べていたら、俺が離人症になったことがあるのがわかったw
現実の世界に対する浮遊感(症状)ってやつ。
この世界で生きている感じがしなかったな。
体と心と意識がすべて別々のような感じがした。
あの時は、ニーチェみたいな反社会的な問いについて考えていて、自殺したくなる
くらい自己否定を重ねている時だった。
ま、いい経験だったな。それ以前のちっぽけな俺に戻るくらいなら死んだほうがましだw
物理的記述ってことに関しては、
それが物理法則に則った物体であると仮定しても、
現状、記述はしきれないという結論になりますので、
記述出来ないならば物体ではない とはならないんですよね。
彼は唯物論にラプラスの魔を夢見たようですが。
196 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 20:37:10 0
そうだった、物理的に記述できるかって問題を忘れていた。
俺には思いつかないが、誰か思いついた人いる?
物理的に記述するものを厳密に定義できればできるんじゃね。
「私」に関しては知らん。厳密に定義できてないし。
釘だって不可能なんです、実際w
素粒子一個さえw
金の原子がなぜ鉄の原子にならなかったのか説明しろと言われても
困るしな。誰がそんなもの説明できるんだ。
◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない54◆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1139407103/ 376 素人,285,352 sage 2006/02/12(日) 14:59:56
何度も言うように、あなたにとって(あなたの主張に於いて)
「『私』が物理現象であるかどうか」は、まったく関係ない。
物理現象であろうと、神様の捏ねた粘土であろうと、魔法であろうと、魂であろうと、霊体であろうと、
『私』がどのような在り様であったとしても問うことのできるもののはずだ。
なぜ物理現象であってはならないのか?という理由は、悲しいかな未だ明確にされていない。
(→作れるか作れないかという問いへのすり替えはやめてくれw)
【この私】が純粋な存在性であるなら、それが、『私はある』という素朴でストレートなものであるなら、
その在り様については、ひとまずスルーしておける問題ではないか。
各分野の研究成果を気長に待てばいい。
◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない55◆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1140273935/ 48 考える名無しさん sage 2006/02/19(日) 12:48:43
うまく言えないんだけどさ、
「主観的意識」が、脳内の、とある電荷状態であるというような意味での
全ては物理現象であるという視点はそんなにおかしいことなのかな?
(つまり、それは「静止していない、ある一定のスパンの中での現象」で、
一瞬を切り出して〈物〉としてみることは不可能であって・・・・・)
そのように見るならば、
(このような刺激に際してこのような事象が連鎖して起き、一意の反応を示すと・・・)
いつか解明される可能性もありそうじゃない?
でも、なぜそうなのかという問は依然残るのか・・・
──────────────────────
『私』というものが先に(アプリオリに?)存在するのではなく、
いまここに起きている精神活動に対して『私』とラベリングしているに過ぎない。
(当然それは、ここにあるこの肉体を離れてはあり得ないわけだが・・。)
君が言う『私』は、そうしたラベリングされたものではないのか?
少なくともそのように見做し得るのではないか?ということ。
精神活動そのものが『私』である、と。
──────────────────────
何度も言うように、あなたにとって(あなたの主張に於いて)
「『私』が物理現象であるかどうか」は、まったく関係ない。
物理現象であろうと、神様の捏ねた粘土であろうと、魔法であろうと、魂であろうと、霊体であろうと、
『私』がどのような在り様であったとしても問うことのできるもののはずだ。
『私』がどのような在り様であったとしても、
《なぜ、この私が(ここに)この私であったのか?》という問いには、最終的にぶち当たるだろう。
別に唯物論に限ったことではない。(宗教系では、答えが用意されてる場合もあるだろうが・・)
◆決定論脳は物質だから意識は必然にすぎない?61◆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1145369837/ 290 考える名無しさん 2006/04/21(金) 11:20:10
最高位のクエスチョンは、畢竟、以下の一言に尽きる。
「なぜ、そうであったのか?」と。
そして、「それを具体的に説明できない考え方は全て間違いだ。」と言う。
「どのようにあるのか?」については全く興味がないと見えるw
唯物論は、まさにこの「どのようにあるのか?」を記述するものであるだろうに・・・。
「私(主観)」が、神様のこねた粘土に宿った霊性だったとしても、
やはり、「なぜ、そうであったのか?」と問うことはできる。
「私(主観)」が、霊魂・魂等であったとしても、
やはり、「なぜ、そうであったのか?」と問うことはできる。
「私(主観)」が、脳の中のあるパターンだったとしても、
やはり、「なぜ、そうであったのか?」と問うことはできる。
「私(主観)」が、神秘的なエネルギーが凝縮してこの肉体までも支えていたとしても、
やはり、「なぜ、そうであったのか?」と問うことはできる。
「私(主観)」が、遺伝子に操られているにすぎなかったとしても、
やはり、「なぜ、そうであったのか?」と問うことはできる。
彼のクエスチョンは、様々な考え方の限界を示すものではあっても、破壊するものではない。
なぜそれがわからないんだろうか・・・。
彼のクエスチョンは、大自然のおおいなる意思を問うているように見える。
最高位はなんか日本語が不自由。
だから「なぜ」の万能性にあてられたり、自らの欺瞞性にも気付かない。
他にも、「それを思ってるのは誰?」と尋ねる方法を多用してるみたいだが、
その質問が既に私という返答を誘導している(既に誰と決めつけている)ので、
返答が最高位の望む「私」と同じ姿の私になりやすいのは当然である。
しかも、事前に私という意味の幅が広い言葉を多用し、誘導性を高めてもいる。
だから反論者は別の視点に変えて反論するのだが、最高位は質問に答えられないと
誤解か曲解かしているので、少なくとも「返答ができないのだな」と思い込むことはできる。
これを実現する為に「私」の定義を不鮮明にしているのだ。
だからそれについて尋ねられても厳密には答えられない。今度は「〜性」で誤摩化すのである。
そういったトリックに他人を引っ掛けているのか自分が引っ掛かっているのか知らんが、
どっちにしてもまともじゃない。
最高位さんはよく爆笑する人だ
>>164 >以上から、私と全く同じ物質構造のクローン人間、さらには、記憶や思考様式まで
>私と全く同じの「複製人間」が出来たとしても、その人間には、私の「自我意識」は存
>在しません。彼に存在するのは、彼の「自我意識」です。
最高位も前に同じような主張してたんだけど、この理屈からすると、
他人の自我意識ならば物理的に作成可能なんだよねw思考実験上は
私の肉体の物理的コピーを作る事によって、私の自我意識は作成出来ないが、
他人の自我意識は作成される(少なくともあたかもそのように見える)。
じゃあ他人は物質じゃんって最高位につっこんだら、
「他人にもならない死体にしかならない」って言い出して、
死体と同じ物理状態と思ってるのかよってつっこんだら、ファビョった。
ところで鏡の中の人体の姿に他人の意識を見出さないのは何故でしょうね?
ガラスの向こう側に蠢く意識ある他人ではないのでしょうか?
これは私ではないと何故言わないのでしょう?
この状況をそっくりなコピー人間とガラスで再現してみたらどう思うでしょうか?
207 :
考える名無しさん:2007/08/19(日) 23:05:48 0
>>200 たいして意味のない昔のカキコを引き出しから持ち出すんじゃねぇよ。
当時だって、ほとんど反響なかったんだろう?
いましかないんだから、いまの意識で書き込めよ。w コピペは白けさせるだけだよ。
この流れなら書ける,ややスレ違いかと思うけど。
例えば,ある人が赤いリンゴを見ている時に,(1)その人が「赤いリンゴが見える」と言った
という事実,(2)その人の目,神経,脳などの状態に関する事実は,普通に物理的に取り扱う
ことが可能なのだろう,多分。よくは知らないけど。
では,(3)「その人に赤いリンゴが見えているという事実」は,どう取り扱われるんだろう?
そのような事実は(1)(2)とは別には存在しない,というのだろうか?または,(3)のような
事実は存在するが,(2)のような事実から,物理的な因果関係によって引き起こされるという
のだろうか?しかしそうだとして,「その人に赤いリンゴが見えているという事実」自体(目,神経,
脳の状態などではなく)について,どうやって観察や実験などをするのだろうか?
その他に何らかの説明があるんだろうか?
さらに,自分が赤いリンゴを見ている時は,どうだろうか?
もし,自分の左目の前に、自分の脳みその中を覗ける特殊なカメラを設置できたとすると,
視界の右側では赤いリンゴを見て、左側ではそれに対応する自分の脳みその状態を見る,
ということができるのではないか。
そうすると,「赤いリンゴが見える」という事実と,「『赤いリンゴが見える』ことに対応した
脳の状態(が見える)」という事実が,同時に,しかも別々に,あることになるんじゃないか。
このような別々の事実が,どういう関係にあるとされるんだろうか?
二つのテレビカメラのうち
一つは赤いリンゴを見て、
もう一つはテレビの中の電子基板を見て、
二つの映像信号をミキサーで合成した後テレビに映すということ?
単に二つの映像がダブって映るだけでは?
もしかしたら自己言明や再帰性、自己組織化、フィードバックのネタを
比喩しようとしてるのかもしれないが…違うな
ところでリンゴの映像を見てリンゴだと認識する仕組みは知っているんだよね?単純だし。
音声認識も過去の記憶を思い出したり推論したりするのも同じ仕組みだな。
それらの膨大な同時並列処理が意識の正体。
>>142 君、それは宗教的信念だよ。
メタフィジックス(形而上学)とは読んで字の如く自然(身体、物理)の存在を前提とした学問。
その前提である肉体がホロンだら形而上学で「私」を云々することもできんのだよ。
ま、そう言う君も肉体が存在することを前提してるから「肉体がホロンでも私は消滅しません」と言えるわけだが
その手の仮定の話はあまり公ではしない方がいい、信念として心の中に留めておくべきだな。信仰の自由に鑑みて。
自然科学は物理法則を、形而上学は物理法則を超えてあるものをそもそも探究してたんだけどね。
>>209 ? いや別に、そんな変に複雑なこととか、まして比喩なんかじゃなくて、単純な疑問。
自分の50センチ前にテーブルを置いて、その上に赤いリンゴを置いて、その隣りにモニターを
置いて、モニターには自分の脳みそに突込んだ小形カメラの映像を映す、というのでも同じ。こちらの
方がわかりやすいか。
視界の一部には、赤いリンゴやテーブルが見える。別の一部には、赤いリンゴやテーブルが
見えることに対応するような、自分の脳みその状態が、モニターに映し出されている。赤い
リンゴを青リンゴに取り替えると、(もちろん青リンゴが見えるようになり)それに対応
して、脳みその状態も一部(色の処理に関する部分)変わるのだろう、多分。よく知らないけど。
「赤い(青い)リンゴが見える」ということと、それに対応する脳みその状態ということが、
同時に別々に視界の前にあることになると思うけど、その二つのことの関係はどうなるのか、という疑問。
少なくとも、目や神経や脳の状態のみ存在すると考えるのは変じゃないか。見えることと、
それに対応する脳などの状態が、別々にあるんだから。という素朴な疑問。
212 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/20(月) 02:20:00 0
>>164 うむ
この人は、現代哲学の持つ問題意識の、入り口あたりには立っているようだな
まぁ、このスレには、それすら全く理解できない人ばっかりなんだけどさ
猫に小判とは、この事なんだろうね
まだまだ、時代的に早すぎたって事なのかな
もう少し、人類の知能が進化しないと、こういう価値観を一般的に共有するのは無理なようだ
まぁ2ちゃんは、マルクス主義者が多いから
その人達の基地外発言によって、一般の人達まで理解が遠のいているようだけどね
私はキミ達を、マルクスの呪縛から解放し
「哲学は、もっと奥が深いのだ」と気づかせてあげようとしているのだが
あまりにも頭が固いしね
やはり、かたくなな信仰からは、なかなか脱皮できないようだね
脱皮しようがしまいが余計なお世話
布教はよそでやりな
214 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/20(月) 02:36:11 0
>>205 ホントにアホだな
何回説明しても、基本的な事すら理解できてないんだもんなぁ・・・(タメ息
例えば自分の体と、物理的に全く同じ人体を作成したとしよう
まず、一つの結論
「それは私にはならない」
では他人にはなるのか
「それに対しては、結論は導けない」
「だが、もし他人になったとしても、その理由の物理的な解明は、不可能」 だ
キミは『自我』について、基本的な事が理解できていないし
更に、論理的な思考もできていないんだよ
考え方が浅すぎて話にならない
もっと、よく考えてから発言しないと恥じかくよ?
まぁ名無しだから好き勝手してるんだろうけどさ
215 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/20(月) 02:54:04 0
>>203 >他にも、「それを思ってるのは誰?」と尋ねる方法を多用してるみたいだが、
>その質問が既に私という返答を誘導している(既に誰と決めつけている)ので、
「それを思っているのは誰?」というのは、極めて素朴な疑問であり
誘導もクソも、『私』以外にはありえんだろ という、実に当たり前の事を気づかせる為だよ
>(既に誰と決め付けている)ので
決め付けなくていいよ
しかし、今こうして思っているのは『私』以外の何なんだ???
『私』以外の『他』が思ってる なら
私が認識してる事がおかしいだろ(爆笑
キミら
マジで病院行った方がいい
こういう人に、同意してる人も、病院で診てもらって自覚しなさいよ
自分が精神病だって事をさ
俺はこれまでバカはサヨクの専売特許だと思っていたが
最高位みたいな真性を見ちまうと、考えを改めたくなるな
いかにも哲学やってます!という感じの形而上学モドキと
史的唯物論者が同じ思考レヴェルにあるといういい見本だw
217 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/20(月) 04:06:14 0
>>216 お前のその発言には、根拠が書かれてないんだけど
そんなんで、人に何かを言っているつもりなのか?
まぁ、お前にはマトモな社会生活は無理だな
他人と会話が成り立たんだろ
一生、自分と会話してろや(爆笑
218 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/20(月) 04:14:29 0
私の言ってる事が理解できない人は
結局
現代哲学的な問題意識に、気づける知能があるのか無いのか
そのレベルの事が、理解できる知能があるのか無いのか
まぁ、それに尽きるな
219 :
EOS:2007/08/20(月) 04:21:52 0
最高位氏が唯物論批判をするのは共感するのですけど、何でそんなに
変な方向へと論理展開してしまうのかは、私にはよく分かりません
けどねw
自己矛盾に気が付かずにどんどん進んでいくのは、生き方としては
楽で良いと思いますが、結局、最高位氏は哲学には向いていないと
言うしかありませんね。
最高位氏に提案なのですが、ご自身が現代哲学の先端に在ると
自負されているのらば、このような場で世界に通用しない子供みたいな
理屈を披露していないで、哲学論文の一つでも掲載してみたらどう
でしょうか?
220 :
絶対精神 ◆mk/rozvbWA :2007/08/20(月) 04:29:04 0
>>219 彼の理論はクルマの運転中とかボケーとしているときに練り上げられた貴重なものなの。
論文にはできません。
相手にしなけりゃ削除してもらえるそうなんで
荒しは無視でよろ
あと、レス自演は管理にはまるわかりなんでよろしく
222 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/20(月) 04:42:21 0
>>219 まず
変な方向とは何ですか?
あと
私の、自己矛盾とは?
詳しくお願いします
論文を書く と言ったってね
言葉という不自由な道具を使って表現したところで
正確に伝わるのは一部の人だけなんだよな
特にココにいる人は、実に誤読が多い
一言言うだけで、独自の世界で誤読しちゃう
だから何回も何回も、同じ事を繰り返し説明しなくちゃいけなくなるわけだが
しかし、それでも理解できないわけでさ (苦笑
対話形式で説明しても理解できないクセにさ
そんな人の為に論文なんて書いても、何の意味もなさないね
豚に真珠だ
私
記述することができた。
224 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/20(月) 09:02:03 0
225 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/20(月) 09:42:14 0
素人くん ありがとね
チャーマーズって、意外と役に立つようだわ(笑
けどさ
この問題が提起されたのは、1990年代らしいんだけど
オレは、それより前から気づいてたよ
小学生の時にね(爆笑
私は子供の頃、カブスカウトでね
ボーイスカウトの先輩の家に行った時に
「子供の科学」っていう雑誌があったから、そればっかり読んでたんだよね
あんまり、そればっかり読んでるから、先輩がバックナンバーを全部くれてね
んで、毎日読んでた(笑
でも、むしろ哲学的な疑問ばかりが頭の中に浮かんできてね
クオリアの問題意識も、その頃から持ってたよ
でも、そこから半歩、哲学的に前進するのに10年以上かかったね
それが『私の存在性』って事
あー、あと
そもそも『クオリア』が何なのか、そもそも理解できん人には
このサイトが、わかりやすいだろな
↓ ↓
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/kuoria.html
ですから、「私」は存在性でも物質でもなくて状態のことですって。
脳が死亡しますと意識もなくなりますが、脳という物質は残っている。
死んだ脳という物質は、「意識」にも「私」にもなりませんから
やはり、意識や私は命ある間に発生している状態としかなりません。
唯物論的に物質還元しますと、人間が死んでも脳という物質が意識を発生させて
しまいますから、これはおかしいんですね。
227 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/20(月) 09:52:38 0
>>226 >ですから、「私」は存在性でも物質でもなくて状態のことですって。
物質の状態 でなくて、状態???
それって、何の状態なん? (苦笑
全然、科学的じゃないなぁ (爆笑
>>113 >まぁ例えば
>クギはFeであり、酸化すると赤錆が発生する
>水は蒸発すると水蒸気が発生する
>こんなところじゃないの?
最高位氏、これはお話になりませんぞ。
まずクギはFeであるとは限らず、銅のクギも木のクギもいくらでもありますが、
まあそれは置いておいてw、
その話は、「ここにあるこの鉄のクギ」という個物が「現に持っている物理的要素」
を分析するとFeでした、という話であって、「Feだからこの鉄のクギである」
という「原因的要素」の話ではありません。
現にFeであってこの鉄のクギでないものはカナヅチでも橋でも自動車でも、
世間にいくらでもございますw
またFeを特定の形の固まりにすれば「鉄のクギ」にはなるでしょうが、
それは決して「この鉄のクギ」にはなりません。「この鉄のクギそっくりの
別の鉄のクギ」になるだけです。
あなたが
>>108でいうところの「Xの原因的要素」とは、
「その要素を備えていればXになるような何か」という意味なのです。
だからこそ「どんな物理的要素を備えても(他の私にはなるかもしれないが)
それはこの私にはならないではないか! だから唯物論は間違いだ!」という珍説w
につながるわけです。
ですから「この鉄のクギ」の「原因的要素」を挙げるために、
「この鉄のクギが現に持っている原因的要素」を挙げても、仕方がないのです。
それは「Feを主な成分とする一定の形の拡散するツブツブ」なのですが、
それと「全く同じ成分と全く同じ形の拡散するツブツブ」を作っても、
それは決して「この鉄のクギ」にはなりません。だって、「この鉄のクギ」は
ここにあるのですから。したがって、それは「この鉄のクギの原因的要素」には、
全くならないのです。
最高位連投しまくりだなw
>>164がそんなにショックだったのか?
まあ実際その程度の話なんだよ。信じたくはないだろうけどw
230 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/20(月) 10:09:33 0
>>228 キミは、そもそもの問題意識も
私の言っている事も
全然、理解できていません
しかしホントに、キミは何回言っても意味がわからんのだね
「このクギ」なんていうのは、単に便宜上で言ってるだけで
そんなもん無いんだよ
価値観によって「このクギ」としているだけの、単なる物理的状態だ バカ
『私』の存在性と、一緒にすんな って話だ
いい加減に、理解できろよ
まぁ・・・・キミには、無理なのかな
231 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/20(月) 10:13:44 0
>>229 はぁ?
お前はホントにアホだな
妄想が激しいぞ
病院行けって
まあ自分が必死になって見つけたことが前々からあったことだったなんてよくあることだよ。
先駆者がいて悔しいのは分かるけど、能力にそぐわない自尊心は滑稽だよ?
そもそも最高位は何を主張したいのか意味不明だしw
もうちょっと伝達能力上げてからいらっしゃい。自分の無能さを他人のせいにしないでね?
233 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/20(月) 10:24:02 0
>>232 まぁ、あの人は
どんなに少なく見積もっても、お前よりはマシだな
最高位の言っている観念論はオカルトトンデモ本の著者と変わらないくらい
低レベルのものだな。「そんなもん無いんだよ」「単なる物理的状態」
ねえ。完全にオカルトバカだね。
では「単なる物理的状態」とはなんなのか、「単なる物理的状態」の
最高位の定義をよろしくw
早く書いてね。
最高位よ、お前は俺が「意識の易問・難問・超難問」についてどう思うか
質問したら、チキン丸出しで無視しくさったが、今頃になって得意げに
チャルマーズかよ? pp お前、ホント哲学について無知なんだなw
>> ここの連中は、イージー・プロブレムしか頭に思い浮かばないようだから
自分で言ってて恥ずかしくないか? もちろん、自分のドタマの悪さにねpp
>>216 の根拠は、お前には理解できないから書かないのが分からない?pp
>>233 つまり「私」のお話は随分前からあるもので、最高位のお粗末な説明なんか誰も
理解できないだろうしいらないってこと。
駄文を連投されてもつまらないしなんか意味不明だしw
ようはもういいよって話。中身のない自己主張は寒いしね。消えていいよ。
237 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/20(月) 10:36:30 0
また基地外が、わいてきたな
238 :
考える名無しさん:2007/08/20(月) 11:10:13 0
哲学者最高位に関する逸話
最高位の問題にしている〈私〉とは何かと尋ねられて→
「デカルト様のコギトの事だよ」と発言→
お前はデカルト読んだことないだろと突っ込まれて→
デカルトは未読だと告白する
高校時代に生物の成績は学校で一番だったと発言→
高校生物UBの問題集から誰でもわかる簡単な問題を出される→
答えられず沈黙を貫く
永井均の真似をして議論していたが→
流し読み程度で永井はほとんど読んでいない事が判明する
唯心論の書き込みを唯物論と勘違いして批判レスをする→
唯物論を理解していない事がばれる
まだまだいっぱいあるよ。
>>230 >「このクギ」なんていうのは、単に便宜上で言ってるだけで
>そんなもん無いんだよ
最高位氏、奇妙キテレツですなw
「このクギ」が無いのなら、「あのクギ」も「そのクギ」も、およそ「クギ」と
呼ばれるものは、すべて無いと思われます。
そうすると「クギはFeであり、酸化すると赤錆が発生する」という経験的命題は、
一体どこから発生したのですかw?
>価値観によって「このクギ」としているだけの、単なる物理的状態だ バカ
最高位氏、もちろん「このクギ」という価値観(まあ観念とか言葉と言った方が
適当だと思いますが)が指示している客観的対象としての「物理的状態」の話を
しているのですよ。それは「在る」のでしょう。それとも「無い」のですかw?
「クギ」であれ「人」であれ「犬」であれ「猫」であれ、それは
「全く同じではないが、共通の性質を持つある種の物理的状態の群」を総称する
言葉です。それ以外のものであるはずがありません。
そして、それが指示する対象である「個々の物理的状態」は、世界に一つしかないのです。
「全く同じ物理的状態」を再現しても、「この物理的状態」には決して
なりません。「この犬」については、あなたご自身がそう力説されていたでしょうに。
「このクギ」だと、なぜお認めにならないのか、はなはだ理解不能です。
まあ、それはともかく、
>>113が「原因的要素」の例にならないことは、
おわかりいただけたでしょうかw?
>>71 土日は基本的にpcの前にいないので
レスが遅れてしまい申し訳ありません。
「主観」の実在性について何も言えないという意味がどうもわかりません。
「主観」が『「主観」はない』とはいえないと思うのですが。
私は「主観」として、どのようなかたちであれ「私は存在する」と思います。
>「あらゆる経験は自己だけに由来する夢である」という意味ですと、これは純然たる
>独我論、「世界=自己である」という考えだと思いますが、違いますでしょうか。
そのとおり、独我論です。世界認識は結局のところ独我論に行き着くのではないかと思います。
241 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/20(月) 11:51:45 0
バカばっかりで、面倒くさくなってきたな
>>241 じゃあどっかいけば?
古めかしい「私」の話なんてどうでもいいよ。
唯物論を否定とか結局できてないし、悪口しかできない雑魚はいらないよ。
最高位って鶏と似てる気がする
唯物論自体がすでに崩壊してるのにまだやるのかい
マジメな話、最高位は、認識論的な物理主義批判や存在論的な独我論、
さらには「意識の難問・超難問」etc の知識を一切持たないまま、自分が
考えついたこれらに類する問題(実のところ考えつく子供は少なくない)
がすべての哲学をひっくり返すような発見だと思い込んで、ウキウキと
有頂天だったんだろうな。だからこそ、臆面もなく自分を「哲学者最高位」
と名づけた。自分の名前が哲学史に残ることさえ夢想したにちがいない。
最高位よ、お前の哀れな勘違いに、そろそろ幕を下ろしたらどうだ?
このごろは日も暮れると、ミネルヴァのフクロウの代わりにもの悲しく
ヒグラシがないているぞ。厨の夏もいつか終わる。もうすぐ秋じゃないか。
246 :
考える名無しさん:2007/08/20(月) 12:34:54 0
最高位の自治労批判w
247 :
考える名無しさん:2007/08/20(月) 12:49:50 0
>>244 別に崩壊していないし、否定もされていない。
最高位は基地外
249 :
考える名無しさん:2007/08/20(月) 12:53:39 0
>>245 最高位批判を長々と書き込んで、なにが嬉しいん?
批判しながら何かを語るのならともかく、中身ゼロ。なんか言ってみろ。なんもないんなら、失せろ。
最高位こそ中身なしのくせに罵倒しまくりで何が嬉しいのか分からんけどなw
251 :
考える名無しさん:2007/08/20(月) 13:00:41 0
253 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/20(月) 13:50:06 0
>>245 それじゃ私の批判にはなっていないぞ
逆に、肯定する結果になっている事に気づけ(爆笑
というか
そこを指摘するならさ
そもそも私が
自力で哲学史を遡って凌駕している という事実に気づけよ(笑
ただキミは
私の言説の、一番大事な、高度な部分が理解できない というだけだという事だな
バカって、悲しいな(苦笑
>>252 あははは!!!!
お前、オモロイな
しかし、よくそんなの見つけてくるよな(爆笑
言っておくけど、私のは妄想じゃなくて『論理』な
ここで根拠も書かずに批判だけしてくるヤツ
そいつがそうなんじゃないか?(苦笑
いまさらだがスレタイの私って何を指してんのか分からんな。
何でもいいのかな。
>>254 そもそも最高位のために立てたようなもんだし、
最高位が私の中身をぜんぜん説明しないから分からないまま。
256 :
考える名無しさん:2007/08/20(月) 15:24:23 0
>>253 いやいやw妄想ですよw
そもそも、自分が私と唯物論について論理的な説明をしたという
のが妄想だと気づいてないもんなw
257 :
考える名無しさん:2007/08/20(月) 15:32:14 0
すでにある知識を「発見した」と思い込んでいたが、実はすでにあったw
誰かに自分を認めて欲しくて2chに来たが、てんで馬鹿扱い
かわいそうな奴だ、最高位
,..ヾミ彡─---.、_.
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ノ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヾ
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ヾ::;;;;;l `=・=-〉 〈 -=・=´ j:::::::ノ
ヽ_i ` ̄ / l l丶 ̄´ i_ノ丿
:| (__人__) |:
:l ) ( l:
:` 、 `ー' /:
:, -‐ (_). /
:l_j_j_j と)丶─‐┬.''´
:ヽ :i |:
258 :
考える名無しさん:2007/08/20(月) 15:42:47 0
自分自身で、「私は哲学者として最高位にある!」と豪語してはばからない者が
持論を論理的に考え抜いて理論化できてないので、子供じみた言動に終始して、
議論が成り立たない。
最高位には哲学の素養がなく、基本的な知識も欠けているし、
いま頃チャーマーズを知ったくらいだから、不勉強の一言に尽きる。
しかも、ほかの哲学の専門文献も、全く読んでないと断言できる。
最高位は浅薄なスピリチュアリズムにおぼれるだけだよ。
教わる事は、なにもない。
>>240 大したことを書いているわけではないので、レスなんぞ適当で一向に構いません。
>「主観」の実在性について何も言えないという意味がどうもわかりません。
常識的には、私は特定の人間であって、今宇宙の中の銀河系の中の太陽系の中の
地球日本の特定の場所の特定の部屋にいて、特定のパソコンを見てキーボードを叩いて
います。首や眼球を回せば3次元の広がりを持つ部屋に配置された家具や何やかやが
見えるし、見えようと見えまいとその外にも空間がずっと広がっていて、地球から
一定の距離に太陽があって、そのせいで気温が非常に高くて暑さを感じていて、
パソコンの画面の変化(書き込み)の背後にはネットワークでつながった別の
パソコンがあって、その前には私以外の別の私である人間がいて、何かを考えながら
キーボードを打っていて、それによって目の前のパソコンの画面の変化が
もたらされている…等々と「私」が考えています。
つまり、私は「客観的世界」も「主観=私」も(客観的世界の一部としての他の主観も)
同じように存在していると考える素朴実在論者なわけです。
しかし、これは決して「自明」のことではありません。
直接的に自明なのは、特定の色と形と触感と音と匂いと味と…要するに
「クオリア」(感覚与件?)があることであって、それ以外は直接的に自明なこと
などありません。
「円錐」の例で言えば、「三角形」や「円」や「変形の扇形」や「とがった感じ」
があるのは確実ですが、その向こうに「円錐の物体」があるというのは確実でも
何でもありません。ということは、それを「見る」という行為や作用があって、
それによってそれらのクオリアがもたらされている、ということも、何ら確実でも
自明でもありません。
ということは、それを「見る主体」としての「主観=私」の存在も、別に
確実でも自明でも何でもありません。自明なのは「混沌常なきクオリアの渦」が
ある、という、ただそれだけです。
「クオリアの渦」の「向こう側」に「客観的世界」が存在しないのなら、
「クオリアの渦」の「こちら側」に「主観=私」が存在する理由も、別にありません。
(続き)
ここで、いや、そう「考えている」「疑っている」「思っている」主体は
あるではないか、という反論があるのですが、そういう「作用・動き」があって
その「主体」がある、というのは、すべて素朴実在論的な「主ー客」関係の中で
作られた「思考のクセ」に過ぎません。「客観的事物が目の前にないのに、それを
思い出したり、あるいは存在しない事物を想像したりして観念を操作して考えることが
現にできている。それをしている主体は、存在する事物を見る主体と同様に、
私に違いない」ということです。
その図式を前提にして何かを「疑って」「省いて」行くという思考なら、省かれずに
残ったものとして、あるいは「省く」「疑う」「だまされる」という動作の主体(客体)
として「主観=私」が残るのは、むしろ当たり前なのであって、基本的にはつまらない
議論だとしか思えません。
本当は、「見る」が自明でないなら、「考える」も「疑う」も自明ではないので、
「主観ー客観」図式を最初から完全に「カッコに入れて」しまえば、自明なのは
「考えの渦・観念の渦」があることであって、その「こちら側」に「主観=私」
が存在しなければならない理由は、ありません。
こうして、結局は「混沌常なきクオリアの渦」「混沌常無き考え・観念の渦」
があるだけで、それ以外には、その「向こう側」にも「こちら側」にも、
何もない、という考えが成立します。それで別段矛盾はありません。
「主観」の実在性については何も言えないのでは、というのは、このような意味です。
独我論については、このように客観を否定するなら主観も否定するのが筋なのに、
主観だけを残すのは恣意的ではないか、ということと、それ以前に、個人的に
全くリアリティを感じられないというか、真面目に考える気になれない、という
のがあります(逆の人が少なからずいる、というのは知っております。)
あるいは、上のような「客観的世界」はそのまますべて認めた上で、それを
そっくり「私」の中に入れ込むというか、そのすべてを包括するような形で
「私」を考える、という趣旨かとも思いますが、その場合は、「私」と「この人間」、
「他の人間」=「他の主観=他の私」がどういう関係になるのか、よくわかりません。
261 :
考える名無しさん:2007/08/20(月) 15:54:35 0
哲学者最高位さんという人は本当にいるのですね。
実は自分の高校で同じクラスの友人が「私の存在性、私の存在性、唯物論は間違えだ」
みたいな内容のことを言ってて、最初、意味がわからなかったんですが、
どうもそれは哲学で2ちゃんねるの哲学板で憶えたらしいんですね。
「2ちゃんねるの哲学板に哲学者最高位というすごい奴がいる」とも言っていたので
来てみましたが本当にいらっしゃるのですね。
僕は哲学に興味はないですからいいんですが、あまり若い人を
ヘンテコな思想にかぶれさせないで欲しいです。以上です。
263 :
考える名無しさん:2007/08/20(月) 17:18:55 0
唯心論を論破した、って言い出すやついないかな。
264 :
考える名無しさん:2007/08/20(月) 17:24:40 0
日本語でいえば「生物」「動物」「植物」「鉱物」。
皆「物」だから唯物だなw
おそまつでした。
突っ込まれると独我論に逃げる最高位
1.私は絶対(に正しいw)
2.私以外は私の思うがまま
原理はこれだけですよ。
>>253 >そもそも私が
>自力で哲学史を遡って凌駕している という事実に気づけよ(笑
もちろんそれは客観的事実などではなくて最高位さんの主観的思いこみですよね?
>>259 地球から一定の距離に太陽があって、そのせいで気温が非常に高くて暑さを感じていて、
突っ込みどころですか?
269 :
考える名無しさん:2007/08/20(月) 17:42:42 0
>>266 それはそうでしょ。w
「霊物」というのもあるらしいww ああ、おそまつだ。
この世で確かで絶対な存在は哲学者最高位様だけです。
唯物論も最高位様の妄想です。
唯物論破壊も同じく最高位様の妄想です。
ギャー!ついに恐れていた事態が・・・・・・・・・。
↓
261 名前:考える名無しさん :2007/08/20(月) 15:54:35 0
哲学者最高位さんという人は本当にいるのですね。
実は自分の高校で同じクラスの友人が「私の存在性、私の存在性、唯物論は間違えだ」
みたいな内容のことを言ってて、最初、意味がわからなかったんですが、
どうもそれは哲学で2ちゃんねるの哲学板で憶えたらしいんですね。
「2ちゃんねるの哲学板に哲学者最高位というすごい奴がいる」とも言っていたので
来てみましたが本当にいらっしゃるのですね。
僕は哲学に興味はないですからいいんですが、あまり若い人を
ヘンテコな思想にかぶれさせないで欲しいです。以上です。
272 :
考える名無しさん:2007/08/20(月) 18:16:21 0
>>271 ネタにきまってるだろが。
最高位にはまるやつなんかいね〜
ま、俺の大学の知り合いで最高位のこと知ってた香具師はいるけど
いや、はまる人はいると思うよ。
独我論系は。
自己肯定に便利だし。
というかむしろ一度ははまって欲しい。
はしかみたいに子供の時にすませて欲しい
大発見ってマジで言ってたのか・・・。
最高位・・・。世の中は広いんだぞ?
276 :
夏休みパート4:2007/08/20(月) 20:57:13 0
「私の手」なんていうのは、単に便宜上で言ってるだけで
そんなもん無いんだよ 。
価値観によって「この手」としているだけの、単なる物理的状態にすぎんのだよ
だから「私の手」で「石ころ」を「投げる」なんていうのは『私』がテキトーに
解釈していることであってね。こんなことぐらい理解しろよ。
てな。
277 :
159:2007/08/20(月) 21:21:14 0
>>208 > そうすると,「赤いリンゴが見える」という事実と,「『赤いリンゴが見える』ことに対応した
> 脳の状態(が見える)」という事実が,同時に,しかも別々に,あることになるんじゃないか。
> このような別々の事実が,どういう関係にあるとされるんだろうか?
見えてるのはリンゴと脳なのでちょっと設定を変えないといけないのかもしれないけど
そこら辺バッサリやっても議論は変わらないと思うのでそのままで。
俺は
>>208さんの疑問は見えることと脳の状態が同一ならそれらが同時に別々に見える(ある)のはおかしいのではないか、というふうに読んだのですが、
もしそうならこれは
>>208さんの勘違いからきた疑問だと思います。
この状況で別々に見えているのはあくまで「リンゴ」と「脳」であって「リンゴが見えていること」と「脳」ではありません。
「リンゴ」と「脳」は同じモノではないので両者が別々に見えているのは「リンゴが見えている」と「『リンゴが見えている』ことに対応した脳の状態」が同一であることと矛盾しないと思いますが。
なんか読み違えてますか?
出来の悪い独我論で満足できるのは、最高位の頭が悪いからだろう。
>>259-260 クオリアのみ存在するということがよくわかりません。
なぜならクオリアとはあくまで主観が認識するものであり
それ自体として存在するものではないからです。
ということはクオリアが存在するということは主観も存在するということであり、
結局のところ「我思うゆえに我在り」に帰着します。
そして「クオリアの渦」の「向こう側」に「客観的世界」が存在しないとしても
クオリアを感じている「主観」のみは存在するということが言えるでしょう。
「向こう側」にも「こちら側」にも何もない、というのではなく「ここ」しかないのです。
そういう意味で「客観的世界」を疑うことはできても「主観」を疑うことはできません。
疑うことができるのが「主観」がどのような性質を持つかという問題までです。
独我論に対するリアリティの感じ方はよくわかりません。
が、個人的に哲学的な議論というのは論理という道具ひとつで
どこまで世界の根本まで迫れるかということだと思います。
ですからそれが論理的な可能性をもつならば十分まじめに考えるに値するものだと
思っています。
280 :
208:2007/08/20(月) 22:41:09 0
>>277 >俺は
>>208さんの疑問は見えることと脳の状態が同一ならそれらが同時に別々に見える(ある)のは
>おかしいのではないか、というふうに読んだのですが
自分の疑問点はそのとおりです。ただ,
>もしそうならこれは
>>208さんの勘違いからきた疑問だと思います。
という点は,自分としてはよくわからない。208の後半にあげた例自体が変だったかも
しれないので,まずは前半にあげた他人の例の方が単純だと思われるので,そちらから
みてもらった方がよいかと思います。(だからスレ違いなんだけど)
見えることと脳の状態が同一,というのは,どういう意味なんだろう。「ある人が赤い
リンゴを見ている時の脳の状態」という事実以外に,「ある人が赤いリンゴを見ている
こと(あるいは,「見え方そのもの」とでも表現すべきか?)」という事実は何ら存在しない
(せいぜい,「『赤いリンゴが見える』という発言」などの事実がある程度)という意味
なんだろうか。あるいは,「脳の状態」と「見ていること(見え方そのもの?)」という
別の事実が一応存在するが,その2つに何らかの特別な関係がある,という意味なんだろうか。
もし前者だとすると,素朴に考えるとムチャでは,という疑問です。
>>279 >なぜならクオリアとはあくまで主観が認識するものであり
そういう前提ではないのでしょう。
認識するしない(されるされない)に関わらず、
「そこに現われている何か」を指すんじゃないの?
だから、哲学的ゾンビという思考実験がなされるのでは?
知覚(≒経験)と認識の間にクオリアを介するのがヒトで、介さないのがゾンビ、とか・・。
また、 >クオリアのみ存在する
というのは、仏教的(特に中観的)視線を知る者には、すんなりと理解できる言い方かもしれません。
282 :
考える名無しさん:2007/08/20(月) 23:55:14 0
>>279 全体的に同意だが、「クオリアを認識する」との言い方は、いかがなものか。
“認識”には分別・判断の意味があるからだ。
クオリアは、言語に侵食される寸前の「主観の純粋感覚」を指しているのではないか。
>>280 殺人事件の裁判でも考えてみればよろしいのでは?
「殺人の事実」とは何ぞやと。冤罪とは何ぞやと。
後半の例に関しては、
左目に見える脳は、「「「リンゴと脳を見ている脳」とリンゴを見ている脳」とリンゴを見ている脳」とリンゴを見ている脳・・・
合わせ鏡のようなものです。
実は気付かないだけで普段もそうなんですけどね。
284 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/21(火) 01:38:47 0
>>279 正解ですね
『マル』です
しかし何故、この哲学板には
このような極めて基礎的な哲学的常識すら理解していない人が多くいるのでしょうかね
どう思いますか?
285 :
208:2007/08/21(火) 01:43:48 O
>>283 ? 前半については、説明がないと、何のことだかわからない。
推測すると、証拠(Aの指紋と、Bの血液型と一致する血痕がついた、ナイフ。Cの証言。
など)から、事実(「AがBを殺した」)を認定することが、脳の状態から「見ている事実」
を認定することと、似ているということ?
しかし、そうだとすると、ナイフとか証言などの証拠が、殺人の事実と同一のわけがないのは
明らか。むしろ、証拠とは別に事実があるのが前提になる。
多分、そんな指摘をされたわけではないとは思うけど、本当に何を指摘されたのかわからないので。
後半については、自分でも整理がつかないので、いっそ、当面、自分で脳を見るという例はやめてみる。
自分が赤いリンゴを見ていると、他人が、小型カメラを脳みそに突込んできて、脳の状態を
観察している。そこまではいいとして、そいつが「存在するのは君の脳の状態のみであって、
それ以外に「君が赤いリンゴを見ているということ(見え方そのもの)」などという事実は
存在しない」と言ってきたら、どうだろう。現に自分は赤いリンゴを見ているというのに、
そいつはどういう意味で、脳の状態しか存在しないと言っているんだろうか。という素朴な疑問。
(こう書くと、つまり
>>208の前半の他人の例と、状況は変わらない。つまり「私」とは関係ない
ので、ますます明確にスレ違いなんだけど。)
>>284 主観があるという哲学的常識に基づいて、あなたの非常識な論理までをも
肯定するというわけではありません。
いっしょにすんなってことだなw
288 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/21(火) 01:49:58 0
スルーしとけ
馬鹿相手にすんな
2chなんぞでふんぞり返っているヤツに常識があるとも思えん。が?
論理を道具に疑うならば主観を疑ったっていい
「主観はない」は何ら矛盾した表現ではない
仏教は主観は当てにならないっていうね
論理も疑っちゃえ
>>285 鏡を見てご覧なさい。
「鏡を見てるあなた」を見れるでしょ。
ということは、それを見ているあなたは、
「「鏡を見てるあなた」を見てるあなた」でしょ。
ということは、鏡に映るのは、
「「鏡を見てるあなた」を見てるあなた」
それを見てるのは
「「「鏡を見てるあなた」を見てるあなた」を見てるあなた」
・・・・・・・
きりがないです。
でも脳は認識しきれない物は無視します。見落とします。
「鏡にあなたが映ってる」とね。
鏡を見るという事は同時に
鏡に映される事であって、
反応というのは一方的ではないんですよね。
私が私が、主観が主観がという人は、
その感覚が鈍いので気付かずに無視しているのでしょう。
「論理に誤りがある」
「矛盾したってかまわない」
これらも表現内容は矛盾してない
それゆえ疑いうる
>>279 >疑うことができるのが「主観」がどのような性質を持つかという問題までです。
そうそう。そこが重要。
デカルトの「自我」とカントの「主観」は全然違うからね。
カントの主観はほとんど形式的なものだし。
主観の意味が大事。
>独我論に対するリアリティの感じ方はよくわかりません。
なんでそう、すぐに独我論が出てくるのか理解できない。
(単にクオリアと独我論が今の流行りだということか…)
素朴実在論から独我論へ、なんで極端から極端に飛んでしまうんだろうね。
「哲学」はその極端と極端の間にあるはずのものではないのか…
>>279 で、独我論の「我」の意味は?
「コギト」は、単語一つで「我思う」なんだからデカルトがそこから
「レス・コギタンス」を結論したのは仕方ないとして…
結局は疑い得ないものとして「思う」が残るとして、
その「思う」を疑い得ないと思っている「思い」が「我」だとすれば、
それが「我」であると思っている「我」があり…と無限背進するわけで、
そういうふうに無限背進するのが自己意識の特徴なわけだけど…
それだったら、最後に残るものを「我」なんてしないで、
(「我」と言ってしまえば、それが対象化されている感じがする。
そしてそれが対象化されているとすれば、同時に他の客観も対象化
されているのではないのか?という疑問が生じる。)
最後に残るのは、対象化し得ない「意識」であるとしたほうがすっきり
するんじゃないのか…?
つまり「独我論」じゃなくて「独意識論」のほうが語弊が少ないのでは
ないかと思うが…
>>297 横レスですみませんが、
>なんでそう、すぐに独我論が出てくるのか理解できない。
それまでのカキコにも独我論の単語は出てきているのですから、
今更こう突っ込むのでしたら、書き込みを遡って、
「どの時点で独我論が出てくるのか理解できない」
と書くべきだと思います。
>>298 >局は疑い得ないものとして「思う」が残るとして、
>その「思う」を疑い得ないと思っている「思い」が「我」だとすれば、
>それが「我」であると思っている「我」があり…と無限背進するわけで、
>そういうふうに無限背進するのが自己意識の特徴なわけだけど…
これで、何か不都合があるのですか?
「私」が「私」を対象として考えてはいけませんか?
PCのプログラム(我)が、出力された結果(意識)から、
自らのプログラム(我)を参照し、改変してはいけませんか?
>>300 >「私」が「私」を対象として考えてはいけませんか?
自己意識が生じるには、当然自己は対象化されているわけだが、
自己が対象化されるということは、「他」との関係において
「自」が対象化されているわけだろう。
だから
>>298に書いたように『それが対象化されているとすれば、
同時に他の客観も対象化されているのではないのか?という疑問
が生じる』わけであって、独我論の根拠がわからなくなる。
つまりなんで独我論が極端な考え方に見えるかというと、
「我」だけがあると言ってしまうと、それは経験的現実に反して
いるように思われるから。
根本にあるのが「我」ではなくて「意識」だとすれば、それは
経験にも反しない。
「意識」が自己を意識する際に「我」が生じるのであって、
それと同時に経験的世界が生じると考えればいいのではないのか…
>>298 これね、結局意識というものを言語によらず内省してみればすぐ分かることなんだけど
意識は常に「何かについての意識」、つまり常に「何らかの対象を伴った意識」なのね。
「山についての意識」「川についての意識」はあってもそのようなある特定の対象を持たない単なる意識(純粋意識)は概念としてはあっても実際には無いのね。
だから実際にある何らかの意識を「意識」とその「対象」に分けることはできんのね。
だから、それを言語で概念化して「意識」と「対象」に分けて論理的に説明しようとするとどうしたってあなたが言うように無限背信しちゃうのね。
ここが西洋のロゴス中心主義の落とし穴なんだろけど、何でも言語で論理的に説明するのもまた西洋思想だからしょうがないっちゃしょうがないんだけどね。
だから、我々が意識の外に出てそれを「意識」と「対象」に分けることは実際には不可能だが言語だとできちゃうという言語の万能さゆえの矛盾なのね。
こういう点では東洋思想を見習って「一切は空なり」なんて言ってみるのもまた一興かな。
いずれにしろ「我思う」にしたって「我」と「思う」を言語で分けて概念として語ることは可能だけど
実際には分けられない、「思う」とは別に「我」もなく、「我」から離れた「思う」もない。「我思う」でワンセットなのね。
単なる「我」(純粋自我)なんてないし単なる「思う」(純粋思考)もない。それは言語による概念としてしか存在しないのね。
我とは常に何ものかを思うものなのね。何ものかを思うのは常に我なのね。おしまい。
>>302 >これね、結局意識というものを言語によらず内省してみればすぐ分かることなんだけど
これも「思う」についての誤解。
「内省する」行為じたいが「思う」なのであって、「内省されたもの」はすでに「対象化」された意識。
>だから、それを言語で概念化して「意識」と「対象」に分けて論理的に説明しようとするとどうしたってあなたが言うように無限背信しちゃうのね。
「意識」と書いたのはもちろん「〜への意識」のこと。
「対象化」という言葉を誤解していると思われる…
>いずれにしろ「我思う」にしたって「我」と「思う」を言語で分けて概念として語ることは可能だけど
>実際には分けられない、「思う」とは別に「我」もなく、「我」から離れた「思う」もない。「我思う」でワンセットなのね。
これは逆だろう。
コギトが単語一つで「我思う」だったということがデカルトの思惟を
制約したのだろうし、カントが「Ich denke」をセットで考えたのも、
ヨーロッパ語が主語を省略しにくい言語であるということが大きい。
言語的制約が全ててはないが、そういう側面もある。
304 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/21(火) 10:03:11 0
>>286 返事がありませんね
めずらしく、基礎的な事を理解できるマトモな人なのかな と思ったのですが・・・
>>294 鏡に映っているのは、私の体です
だから「鏡に映っている私の体を、私は見ている」で終わりです
主観性そのものは、鏡には映りません
>>301 >「意識」が自己を意識する際に「我」が生じるのであって、
>それと同時に経験的世界が生じると考えればいいのではないのか…
ヒント
ここに無数の意識があったとしましょう
その中に、私(キミ)はいますか?
また
いるとして
それは何故、他人ではなく、私(キミ)だったのでしょうか?
主観性というものを
客観的に、また普遍性として分析しても
その本質を捉える事はできないのです
私は唯一絶対の存在性なのです
独在性です
ここにいる仏教徒は、全ては普遍だと言いますが
お釈迦様も生まれていきなり言っているのに、おかしいですね
『天上天下唯我どくちょん!』とね
『私』という主観性は、普遍性として捉えきる事はできないのです
客観的に分析するだけでは、本質を理解する事はできません
>>304 >『私』という主観性は、普遍性として捉えきる事はできないのです
>客観的に分析するだけでは、本質を理解する事はできません
>>301の「意識」は、「対象化し得ないもの」だとことわっている。
つまり客観的に分析できないものとして書いている。
この「意識」の「個」的な側面に焦点を当てれば、「実存」に近づく。
306 :
1/3:2007/08/21(火) 10:23:44 0
◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない54◆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1139407103/ 771 考える名無しさん sage 2006/02/16(木) 19:08:53
>やっぱり「認識する心」=「この私」の存在性は確実で他の存在とは
>異なるという最高位の結論を認めてもよさそうなものだが。
ああ、それはデカルトが何百年も前に言っていることです。
ただし、その場合の「認識する心」(俗に言うコギト)というのは、
確実に存在する唯一のものです。だから、異なるも何も「他の存在」など
ないわけです。だから、机や体といった物質はもちろん、「他の心」との
同一性なども問題になりません。本来は、厳密な意味での「独我論」にしか
なり得ない思想です。
しかし、デカルトは「神の善意」というおかしなものに頼って、物質の存在も
他の心の存在も認めてしまいます(これを近代思想の始まりだとする
哲学史の通説は、私はどうにも理解できません)。
しかし、物質と心はあくまでも異質なものと考えて「二元論」を唱えます。
そうなると「何で心と物質(体)が相互作用するのだ?」
という疑問に答えられません。これが心身問題の近代的な始まりで、
「結局心は物質によって説明すべきなんじゃないの?」と考える
「唯物論」も、それに対する有力な仮説の一つなわけです。
もちろん二元論も、デカルト本来の「独我論」も、皆有効な仮説の一つ
であることに、変わりありません。
最高位はそのうちの一つを「破壊した」と主張するので期待したら、
出発点と結論を取り違えた愚論wを並べるばかりなので、批判している
だけなのです。
307 :
2/3:2007/08/21(火) 10:24:27 0
774 一言 ◆84DmbwrCHo sage 2006/02/16(木) 20:00:53
>> 771
前から気になってるんですが、コギト(cogito)はcogitereという
動詞の変化形なのに名詞的な用法(心など)が可能なのですか?
むじんさんも「デカルトのコギトは人称代名詞に置き換えられない」
と仰ってましたが、動詞なんだから名詞に置き換えられないのは
むしろ当たり前ではないかと。
775 一言 ◆84DmbwrCHo sage 2006/02/16(木) 20:02:45
失礼。第一変化動詞でしたね。cogitare
778 考える名無しさん sage 2006/02/16(木) 20:30:51
>> 774
ググったらフランス語では、
Je pense, donc je suis.
みたいだな。
しかし、これだと"je pense"の時点で"je"の存在が前提されてるような?
779 一言 ◆84DmbwrCHo sage 2006/02/16(木) 20:37:46
>> 778
ええ、主語の多くが省けるのはラテン語の特徴ですね。
私はてっきり「ego」を入れたくないからラテン語で表現したのかと
勘違いしてましたが、どうも違うようです。原文にあたってみない
と分かりませんけれども。
780 考える名無しさん sage 2006/02/16(木) 20:40:18
ジュパンス、ドンクジュスイ
私は考えるから、この体が存在している
自分の意識を前提し、物質的な体を導く
ジュスイ、ドンクジュパンス
この体が存在しているから、私は考える
物質的な体を前提し、自分の意識を導く
308 :
3/3:2007/08/21(火) 10:25:09 0
781 考える名無しさん sage 2006/02/16(木) 20:45:34
>>779 本来は、「思う。故に在り。」だとは、よく聞くが
動詞の活用における性や人称はどうなのかな?
たとえば、中性三人称は特定のものを指さない、
なんて慣例があるのかしらん?
782 考える名無しさん sage 2006/02/16(木) 20:54:34
あ、原語がどうかは知らないよ・・(^^;)。
たとえばってだけで・・。
ただ、ある人称が(たとえば、一人称が)意図的に選ばれたのだとしたら、
それはやはり、「私」が想定されている、ということじゃないかなぁ・・・なんてw
788 一言 ◆84DmbwrCHo sage 2006/02/16(木) 21:05:50
>> 781
中世ラテンの専門ではありませんが、
cogito cogitareの1人称単数現在能動直説法
erugo ゆえに
sum esseの1人称単数現在直説法
ですね。ですから、egoが省略されてると見ることもできますが、
しかし、ラテン語ネイティブの感覚だとどうなんでしょうか?
3人称ではcogitat ergo estになりそうです。ただ、三人称だと
特定の人を指さないかと訊かれると?ですね。
790 考える名無しさん sage 2006/02/16(木) 21:31:10
>> 788 乙
> しかし、ラテン語ネイティブの感覚だとどうなんでしょうか?
ここ、ポイントですよねぇ・・(^^;
発話者の文化的背景・言語環境・意図はどうだったのか・・?
もちろん、文脈による変動はあろうが、
仏典におけるアートマン(アッター)は何を指していたのか?
っと、またスレ違いだw
>>306-308 コピペしても、それがどのレスのどの部分に対するレスのつもりなのかが
分からないから、ほとんど無意味だ…
311 :
夏休みパート5:2007/08/21(火) 10:40:04 0
『私』はこの掲示板に書き込みしているのではありませんよ。
「私の体」や「パソコン」を「使って」、「書き込みをしている」と
認識しているだけです。この「書き込み」なんて存在しないのも同然です。
ふふ
312 :
考える名無しさん:2007/08/21(火) 10:57:31 0
>>310 話の流れを完全に止めたなw
荒らしと同じだぞ。
(それが狙いだったのかな)
313 :
夏休みパート6:2007/08/21(火) 11:03:06 0
「認識している」という認識が
正しいかどうかなんてわかりませんよ。
へへへ
デカルトのあれにしても何で我なのかの説明がなんもないんだよな。
その辺りが限界なのか、それともまだやれるのか・・・。
>>312 まったくだ。いい感じで流れてたのにね。
316 :
考える名無しさん:2007/08/21(火) 11:42:14 0
>>315>>312 おまいらはvipか実況しか知らんのか?www
この程度で、止まったと思うのか・・・
神社仏閣とかマイナーな学問系板とか、数週間数か月レスがないことなんてざらだぞw
それに平日昼間に何を期待してるんだ?このスレの主軸は深夜だよ。
てか、スルーして続ければいいじゃん。なぜやめたの?
スルーも知らない初心者?w 3年ROMってから来れば?
>>279 >なぜならクオリアとはあくまで主観が認識するものであり
>それ自体として存在するものではないからです。
なぜでしょう。まさにこの考えが根拠のない偏見ではないか、と思うのですが。
客観的世界を否定するのならば、「人間」などというものは存在しません。
当然眼も耳も口も手も存在しません。三次元の空間も存在しないわけです。
ここで、「確実に存在する」のはクオリア・観念・考えだけであって、
それらが「それ自体として存在する」として、何の不都合も矛盾もないと思います。
たとえば客観的に私が電車に乗って窓の外の風景を眺めていて電車が動き出して
流れる風景に「美しい」と感動したら電車が事故を起こして大怪我をして意識不明で
入院した、として、客観世界を全否定すれば、無論人間も電車も病院も三次元の空間も
一切存在しないのですから、残るのは変転常なき形や色や感動や音や衝撃感や
痛みのクオリアだけです。クオリアの外には何もないのですから、客観的な意識不明
状態とはすなわち「無」となります。なぜそこに「主観」や「私」を想定する
必然性があるのか、全くわからないのですが。
>「向こう側」にも「こちら側」にも何もない、というのではなく「ここ」しかないのです。
というより、空間もなければ場所もないわけですから、「ここ」という概念自体に
意味がないと思います。まさに「クオリアの渦だけがあり、他に何もない」
ということです。
>疑うことができるのが「主観」がどのような性質を持つかという問題までです。
私は主観も客観も疑おうと思えばいくらでも疑えると思いますが、無理して
疑わなければならない理由がさっぱりわかりません。「主観」や「客観」が
どのような性質を持つか、また両者の関係は、というのはまさに哲学の問題だと
思いますが、その議論が意味を持つのはまさにそれらが「存在する」という
前提があるからであって、それを無理して疑うことにどんな意義があるのか、
どうも理解できないわけです。
318 :
考える名無しさん:2007/08/21(火) 11:50:45 0
>>316 荒しだぞという指摘に対して、荒しなんかに負けるなと言うのは論点ずらしw
(ましておまいが
>>306-308だとしたら言語道断!)
319 :
考える名無しさん:2007/08/21(火) 12:03:28 0
>>318 >>303の
>これは逆だろう。
>コギトが単語一つで「我思う」だったということがデカルトの思惟を
>制約したのだろうし、カントが「Ich denke」をセットで考えたのも、
>ヨーロッパ語が主語を省略しにくい言語であるということが大きい。
>言語的制約が全ててはないが、そういう側面もある。
と
>>306-308 が無関係だと仰りたいのか・・?
当時とメンバーが違うから、新しい(詳しい)人の解説が加わるかなと思っただけ。
私は私のこのスレへの関わり方を変えるつもりはない。
「興味が湧かなければスルーすればいい」という発言が、どうして「荒らし肯定」になるのか?
おそらく「306-308」が「荒らし」であるという判断から出てきた発言と思われるが、
ならば、「306-308」が「荒らし」であるという明確な論拠を示していただきたい。
>>317 >「主観」や「客観」が
>どのような性質を持つか、また両者の関係は、というのはまさに哲学の問題だと
>思いますが、その議論が意味を持つのはまさにそれらが「存在する」という
>前提があるからであって、それを無理して疑うことにどんな意義があるのか、
>どうも理解できないわけです。
「存在する」の意味が問題。
それが観念として存在するのか、観念とは無関係に存在するのか。
まさに、それこそが問題なのだが・・
321 :
考える名無しさん:2007/08/21(火) 12:13:14 0
>>319 読み返すと
>「興味が湧かなければスルーすればいい」という発言が、どうして「荒らし肯定」になるのか?
この文はよくないな。
「荒らしに負けるな」という発言ではないと思うし、私が306-308だったらなぜ言語道断なのか?
に差し替える。
>>318
322 :
考える名無しさん:2007/08/21(火) 12:14:20 0
>>319 >ならば、「306-308」が「荒らし」であるという明確な論拠を示していただきたい。
荒らしの明確な定義なんてないだろうからそれは無理。無理を承知でそういうことを言うのはあれだな・・・
書き込みが途絶えてる時ならまだわかるが、人が話している最中にあんな長いコピペをしたら、話の妨げになるのは常識だろ。
323 :
考える名無しさん:2007/08/21(火) 12:14:44 0
特になし。強いていうなら破壊型
>>319 >と
>>306-308 が無関係だと仰りたいのか・・?
無関係でないのはすぐわかる。
でもどう関係しているのかは分かりにくい。
だからこそ、やっかいだね。
それを考えているうちに流れが止まったんじゃないか?
で、どう関係してる?
325 :
考える名無しさん:2007/08/21(火) 12:29:52 0
>>322 >人が話している最中に
では、いつまで待てばいいんだ?1時間後か?2時間後か?
テーマの区切りがつくまで延々待てと言うのか?
書き込みが途絶えるまで待てと言うのか?
顔を突き合わせた会議室じゃない。ここは電子掲示板だ。
たまたま休みだからこうして長時間チェックできるわけだが、
昼休みにちょっと覗くということもある。その時しかないというタイミングもある。
複数の人間が複数の議題でレスを交わしながらスレが流れるというのは
(2chでは)普通の光景だと思うが?
それとも、書き込まれる内容は常に一つのテーマでなければならないのか?
そのテーマが一区切りつくまで、書き込んではならないのか?
AAの長編作品が投下されている最中なら、割り込みマナー違反は当たり前だ。
が、議論系の板では、名前欄に分数表示でもしない限りどこまで続くかわからないし、
横槍が入ることも多々ある。私は割り込まれても構わないし、
連続して読んでほしい場合・まとまった連関した内容の場合には分数表示を用いている。
(どれだけ割り込まれても一括した意見だと判るから。)
326 :
考える名無しさん:2007/08/21(火) 12:44:24 0
>>317 >客観的な意識不明状態とはすなわち「無」となります。なぜそこに「主観」や「私」を想定する必然性があるのか、全くわからないのですが。
ん? 意識不明状態で主観があるっていう話しなの?
意識≒主観 なのかと思ってた。
>>317 あなたのいう「クオリアだけが存在する」ということの意味がまだ理解できていないようです。
そこでいうクオリアは、あなたが感じているクオリアはあなたの主観を前提としない。
という意味でしょうか。それとも、たとえば「月の裏側に特定のクオリアが存在する」
ということのできるクオリアなのでしょうか。
前者であれば「主観」という語にどのような意味を与えているかがわたしとあなたでは違うのでしょう。
>というより、空間もなければ場所もないわけですから、「ここ」という概念自体に
>意味がないと思います。まさに「クオリアの渦だけがあり、他に何もない」
>ということです。
おっしゃることはよくわかります。「ここ」というのは誤解を招く表現でした。
ただ「クオリアの渦だけがあり、他に何もない」 ということの意味が「わたし」と
関係のないどこかに存在するという意味でなければ、それも同意できます。
哲学上のどの問題に意義を感じるのかは、さまざまでしょう。
>>284 別のスレには専門的な知識をもつ方もいると思います。
ここはスレの発生の経緯からしてそのような人を求めるのは酷かもしれません。
ちなみに
>>286はわたしではありません。
お取り込み中、横からなんですけど、
>>279 >>なぜならクオリアとはあくまで主観が認識するものであり
犬や猫が「主観」をもつとお考えですか? 俺は犬・猫には「主観」はないと考えます。
言語に使用されない存在で、しかも自身の鏡像すら理解しないわんこやおにゃんこが、
ほんとうに「主観」をもつとお考えになりますか?
「クオリアとはあくまで主観が認識するもの」と限定したら、主観を持たない非言語機械
には「感覚質」は存在しないことになります。そう受け取ってOKですか?
俺個人は、言語によって主客が分離されてない機械は「疑似ゾンビ」だと見なしているから
それでも構いませんがw しかし、柴田のように「フレーム問題」を解く鍵としてクオリアに
着目している一部のAI 研究者は困るじゃないでしょうか。
それとも、犬・猫には「主観」もクオリアもあるとお考えなのでしょうか?
>>独我論に対するリアリティの感じ方はよくわかりません
それは単にあなたがヴィトや永井と哲学的直観を共有していないというだけだから、まったく
無問題ですよ。むしろあなたのように、その種の哲学的な直観を有しない者が直観を持つ
ものを、情緒に陥らず徹底的に理詰めで追及してほしい。wktkで期待しています。
329 :
300:2007/08/21(火) 13:37:15 0
>>301 >だから
>>298に書いたように『それが対象化されているとすれば、
>同時に他の客観も対象化されているのではないのか?という疑問
>が生じる』わけであって、独我論の根拠がわからなくなる。
独我論に限って良いのでしたら、簡単な事ではありませんか?
独我論にとっては、「主観=客観=私の認識」ってだけではありませんか?
そう言えば独我論と言えば、「私の認識で世界は作られる」に過剰反応する
人も居たり、本当に「私の認識」だけで「物質」を作れるように錯覚する人も
居ますが、それは飛躍し過ぎでしょう。
単に「私は、私が認識した世界、私が作った世界にしか住めない」が
独我論ではないのですか?認識だけで物質が作れる訳無いでしょう。
ただ、「私はボールだと認識している」だけなんです。それが実は底から見た
皿であっても。ただそれだけが独我論ではないですか?
あとそれとは別に、
>>300でPCに例えたように、根本が意識とは思えません。
意識を生み出すものとして我があるのだと思います。
「赤いと感じる」いわゆるクオリアも、単に
「我が赤いと感じる意識を作っている」のだと解釈します。
もっと言えば、「我」を生んでいる存在もあると思います。
それがDNA等の「我」を生み出す元となるプログラムの様なものです。
しかし、「私」=「DNA」とは思いません。DNAは「私」の元となった存在、
ただそれだけです。つまり、やはり「私」=「我」なのです。
そして、「私」=「我」は、「私」を生み出したDNA、「私」の居場所である
肉体、「私」の居場所である肉体の外の世界、それらから常に影響され、
常にそれらに対する「意識」を「私」は生み出し、その生み出した「意識」に
より「私」を変化させているのです。生まれた瞬間から、「私」は死ぬまでの
間、常に変化し続けるのです。
「零時零分零秒の私」と、「零時零分壱秒に思った私」は、違う存在なのです。
と考えるのが一番簡単じゃないかなと思います。
>>328 >犬や猫が「主観」をもつとお考えですか?
うちの猫をみる限りあるように見えますが、
それはどうやってもわからないでしょう。
331 :
考える名無しさん:2007/08/21(火) 13:53:03 0
>>328 世界に言語の無い赤ん坊には主観が無いということでおk?
うさぎにだって主観はありますよ。
AのうさぎがBのうさぎにマウンティング行動をする、
それはAのうさぎの主観として、Bのうさぎをマウンティングの
対象として認めたという事ですし。
333 :
考える名無しさん:2007/08/21(火) 14:03:02 0
>>328 >犬や猫が「主観」をもつとお考えですか?
犬や猫の「意識」をどう見るかによるだろうね。
「意識」は人間において『明確な形』をとるとされているから、犬や猫にも、
人間の意識とは違うとしても、意識のようなものがあるとは推測される。
(それは推測するしかない。)
で、犬や猫が人間の意識とは違う意識をもつとすれば、犬や猫にも人間の
主観とは違う種類の主観があると推測してもいいだろうね。
(そんな推測をすることにどういう意味があるのかはわからん。)
>>329 >根本が意識とは思えません。
>意識を生み出すものとして我があるのだと思います。
それだとカント-フッサールよりも、デカルトに近いようだけど、
デカルトの「我」は端的に言えば「心」だよね。
「意識」の背後に「心」のようなものがあると想定するのは、
現代思想から見れば、「形而上学」と言われるようなものだと思うが。
(それが一つの立場としてあり得ることを否定するわけではないけどね。)
こんなやりとりで連投かかっちまったw これと次で終了します。
>>324 >それを考えているうちに流れが止まったんじゃないか?
だから、あれを流れが止まったと表現することを否定はしない。
「分刻みでレスが交わされるのが対話・議論だ」という価値観でいえば、
「流れを止めた」という表現も妥当だろう。
しかしながら、(2chという)掲示板に於いて数時間・数日レスが止まることはそんなに悪なのか?
内容があるレスなら、多くの者が一晩熟考してみようと思うかもしれない。文章を練ろうと思うかもしれない。
(他板だが、数日かけて文章を練ったことは私にだって何度もある)
また、内容のないレスならそれこそスルーすればいいだけだ。今回たまたま同一人物の3レスだが、
別々の3人が書き込んでいたとしても、間に3レス入ったという事実に変わりはない。
だとするなら、1≪同一人物であること≫、2≪長文であること≫、3≪コピペ(のみ)であること≫
の三つが「悪」ということになろう。このうちの3に関しては謝罪する。補足レスがあっても良かったかもしれない。
(が、散文であれこれ書くよりも、気になった人だけがポイントを拾い上げてレスするには、
興味のない人がスルーするには、コピペの提示はベターな手法だと考えている。
単に文章・内容を再構成するのがめんどくさいというのもあるw)
>>324 >で、どう関係してる?
(771は、以降のレスのきっかけ)
>コギトが単語一つで「我思う」だったということがデカルトの思惟を制約したのだろうし、
↓
>むじんさんも「デカルトのコギトは人称代名詞に置き換えられない」
>と仰ってましたが、動詞なんだから名詞に置き換えられないのは
>しろ当たり前ではないかと。
>しかし、これだと"je pense"の時点で"je"の存在が前提されてるような?
>たとえば、中性三人称は特定のものを指さない、なんて慣例があるのかしらん?
>ただ、ある人称が(たとえば、一人称が)意図的に選ばれたのだとしたら、
>それはやはり、「私」が想定されている、ということじゃないかなぁ・・・なんてw
>3人称ではcogitat ergo estになりそうです。ただ、三人称だと
>特定の人を指さないかと訊かれると?ですね。
>カントが「Ich denke」をセットで考えたのも、
>ヨーロッパ語が主語を省略しにくい言語であるということが大きい。
>言語的制約が全ててはないが、そういう側面もある。
↓
>ええ、主語の多くが省けるのはラテン語の特徴ですね。
>私はてっきり「ego」を入れたくないからラテン語で表現したのかと
>たとえば、中性三人称は特定のものを指さない、なんて慣例があるのかしらん?
>ただ、ある人称が(たとえば、一人称が)意図的に選ばれたのだとしたら、
>それはやはり、「私」が想定されている、ということじゃないかなぁ・・・なんてw
>> しかし、ラテン語ネイティブの感覚だとどうなんでしょうか?
>ここ、ポイントですよねぇ・・(^^;
>発話者の文化的背景・言語環境・意図はどうだったのか・・?
336 :
考える名無しさん:2007/08/21(火) 14:23:28 0
よく議論最中に、長文コピペしたり辞典コピペするバカが
しゃしゃり出てくるけど、コピペバカは低能なのでシラるけな。
横レスでも自分で書いたものなら、気にはならが、
コピペ馬鹿は自力で文章を書く能力が無く、
知的水準が異常に低いから、コピペ行為自体が議論の流れを止める
お節介だとわからないのだ。余計な世話だ。
337 :
素人:2007/08/21(火) 14:24:57 0
>>326 すいません引用文の後半は「客観世界を全否定すれば」以降の全体にかかると
ご理解ください。
>>327 >そこでいうクオリアは、あなたが感じているクオリアはあなたの主観を前提としない。
>という意味でしょうか。
まさにそういう意味です。客観世界を否定するなら、間違いなく存在するのは
クオリアだけであって、その背後にあってそれを「感じる」主体としての「主観・私」
など想定する必然性はないのではないか、という意味です。
ただし、「私の主観」の存在を認めるのであれば、私のクオリアと私の主観を
切り離せる、とは思いません。そういう意味でなら、私の感じているクオリアは
私の主観と切り離せない(不可分である)と言えると思いますが。
>それとも、たとえば「月の裏側に特定のクオリアが存在する」
>ということのできるクオリアなのでしょうか
この話はしていませんが、「客観世界」の存在を前提するなら、これも論理的には
有り得ないことではないと思いますが。いわゆる「幽霊」です。
もちろん、通常は客観的存在としてのある種の物質(通常は人間、せいぜい脳の
発達した生物、あるいは情報処理を行う高度の機械)の存在とクオリアの
存在は結び付けて考えられていますが、両者の結合は経験的なものであって
論理必然的なものではないのですから、物質が何もないところにクオリアが
あっても主観があっても、いけない理由はないでしょう。「哲学的ゾンビ」が
有り得るなら、「哲学的幽霊」も有り得て然るべきと思います。
(「仮に有っても検証のしようがない」点でも両者は共通ですが。)
また、「この私のクオリア」がある日突然月の裏側に存在する、ということも、
論理的には可能だと思います。経験的にはいつまでたっても私のクオリア・
私という主観はこの人間と離れないので、両者の間には関連があるとみなされる
というだけです。
>>330 主観とはsubject、すなわち、意識主体(コギト)ですよ。
ひょっとして、愛猫のお名前は「インサイト」ですか?
>>331 もちろん、おkですよ。「私」という主観は、言語を獲得する過程で
はじめて誕生するというのが俺の主張です。言葉に使用される
以前の段階の赤ん坊の「意識」(俺は「擬似意識」と考えている)
は主客未分の状態です。鏡像だって理解できません。赤ん坊に
はじめから「私」だの「主観」などはありません。言語を習得でき
なければ、人間にだって「主観」など生まれないということです。
>>332 哲学的ゾンビと言う議論はご存知ですか。それとも「意識なき
主観」と言う主張をお持ちなのでしょうか。
要は、あなたの主張の根拠が俺にはわかりません。行動主義
がコギトの存在を明かすことはありません。
>>333 意味のない推測は止めて、オッカムの剃刀でスパッとそっちゃい
ましょうか。犬や猫に意識の疑似的なものがあるとしても、
やっぱり「主観」はないと思います。俺はね。
>>338 >まさにそういう意味です。客観世界を否定するなら、間違いなく存在するのは
>クオリアだけであって、その背後にあってそれを「感じる」主体としての「主観・私」
>など想定する必然性はないのではないか、という意味です。
327ではないですけど、あなたの言う「クオリア」と「主観」の意味が曖昧な感じがします。
>>338に「意識」という語はでてこないけれども、「意識」は「クオリア」と「主観」に対して
どこに位置づけられているのかを説明してもらえませんか?
341 :
考える名無しさん:2007/08/21(火) 15:01:42 0
>>339 >言葉に使用される以前の段階の赤ん坊の「意識」(俺は「擬似意識」と考えている)
>は主客未分の状態です。
赤ちゃんが自分の指を眺めてるのって、対象意識の始まりとされてるんじゃなかったっけ?
342 :
考える名無しさん:2007/08/21(火) 15:13:01 0
>>339 なーんかおかしいな。言語至上主義になってないか?
あ、その前にあなたの言う「主観」について説明してくだはい
たとえば、乳を飲む赤子。
大人たちを(自分と同じものだとも思わずに)周囲を蠢く何かとしてしか見れないとき、
赤子にとってのおっぱい(乳首)は、自身の「世界」に突如現れるミルクの供給口でしかないのかもしれない。
それが、母親という自分を庇護してくれる大きな何ものかの一部分であることに気付いていくのはいつ頃からだろう・・。
それを、自分と同じである(自身も人間である)と気付いていくのはいつ頃からだろう・・。
>>339 >赤ん坊の「意識」(俺は「擬似意識」と考えている)は主客未分の状態です。
「意識」のようなものがあるとすれば、「主客未分」とは
言えないのではないかと思う。
そもそも「意識」というものは、無機物における完全な
無意識状態から、人間の明晰な意識に至るまで、なだらかに
明晰化して続いているわけだから、どこから主客が分かれる
かをはっきり線引きすることはできないはず。
また、 >自身の「世界」に突如現れる のは、何もおっぱいだけではないだろう。
およそ感受されるあらゆる情報全てが、
赤子にとっては、それぞれが無関係で、「突如として現れる」何ものかかもしれない。
そこにあるのは、関連性のないランダムな情報の蓄積かもしれない。
それが、整理されていく(関連のあるものは関連付けられ、関連しないものは区分けされていく)のは
いつ頃からだろう・・。どういう理由でそれは可能になるのだろう・・。
>>341 それは言葉の使いようでしょうね。あえて意識と言うあいまいな語を
使わずに「対象認知」でもなんでも構わないように思えます。
意識をもたない機械でも対象を捕捉することは可能でしょう。
対象を捉えたからといって機械に主客の分離した意識はありますか。
どんな科学も「意識」の存在を捉えることはできないのですから。
347 :
考える名無しさん:2007/08/21(火) 15:29:06 0
>>346 言語によって主客対立が明確化するとは言えるだろう。
でもそこから言えるのは、言語獲得以前は主客対立が不明確
だということであって、「主客未分」は言いすぎだな。
>>342 主観とは「コギト」=考える私、です。
言語に使用されない機械(ぬこ)が考えることはない、
したがって、ぬこに「主観」はない、というのが俺の主張です。
>>344 >>そもそも「意識」というものは、無機物における完全な
>>無意識状態から、人間の明晰な意識に至るまで、なだらかに
>>明晰化して続いているわけだから、
誰がアカデミックにそれを証明したのでしょうか? 単に344さんの
意見に過ぎないのでは? 俺の言う主客未分の「疑似意識」とは、
刺激-反応がクオリアを仲介して行われる場ということで、
赤ん坊にもクマにもミミズにも当てはめられるものw です。
>>347 俺は進化に対してデジタル的なイメージを抱いています。
相変化のように、中途の段階はなく、一気に劇的に変化する。
主客も分化/未分化で決着させたい。俺は単純なんです。
>>349 >主客も分化/未分化で決着させたい。俺は単純なんです。
ふむふむ。
「はじめにパトスありき」だなwww
>>338 なるほど、そのような意味で「クオリア」の語を使用しているならば
それほど相違があるわけではなさそうです。
そしてそういった「クオリア」が存在するとなると、わたしの考える「主観」は
「クオリア」の存在によって便宜的に要請されたものといってもいいでしょう。
それによって誤解が生じるなら、それを「主観」と名付けなくてもいいのです。
わたしの言う「独我論」とはまさにこのような状態です。
「哲学的幽霊」に関しては「クオリア」の存在論的なありようがわからないので
わたしには論理的に可能かどうかわかりません。もちろん「世界の5分前創造説」が
論理的に可能であるという意味で可能であるというのなら、そのとおりでしょう。
結局のところそれは『「クオリア」とは何か』というところに帰着するかと思います。
353 :
考える名無しさん:2007/08/21(火) 17:03:59 0
きょうは世界が黄色くみえる。
354 :
考える名無しさん:2007/08/21(火) 17:26:15 0
アフォーダンス理論なんぞ入り込む隙間はないな。あきらめよう。
355 :
332:2007/08/21(火) 17:36:45 0
>>339 哲学的ゾンビを持ち出すのなら、言葉を操る者にしても
同じではありませんか?言葉を発する事も、ただの行動ですよ?
中国語の部屋を例に出すまでも無く。
言葉を特別視しないのなら、その他の行動からも観察できれば、
主観を認めるべきでしょう。
例えばうさぎはマウンティングをしますが、でも相手に負けると、
その相手にはマウンティングしなくなるのです。でも、相手が
弱くなると、またマウンティングを始めます。これはつまり、
うさぎが主観的に「強い」「弱い」を判断して行っていると判断できます。
そしてこれが、うさぎのコミュニケーションです。言葉でなくとも、
コミュニケーションの手段はあるのです。
なんか、言葉だけを特別視しているように感じたのが気になって、
書かせていただきました。
>>355 それなら虫でさえ食えるもの食えないもの、交尾する仲間と
仲間はずれとを区別してるじゃないですか。あなたはどこまで
主観を認めるのですか。ロボットにまで主観があるのですか。
流行語といえば、「複雑系」はどうなったんだろう?
まだ流行ってる?
ところで、このスレの人はなんで「主観」と「客観」
なんていう近代の図式で考えてるんだろう。。ww
昔は「デカンショ」が流行ったらしいが。。ww
このへんでパラダイム転換しようか。。ww
359 :
332:2007/08/21(火) 18:45:23 0
>>356 そう仰るのでしたらまず、ロボットでも話せる言葉を、
その他の行動と比べて特別扱いする根拠を伺いたいです。
まぁ私はロボットにも主観を認めて良いと思いますよw
人間そっくりなロボットが主観的に必要と判断し、ロボット権を求めてきたら、
認めるべきだと思います。その前にそのようなロボットは作らないように
すべきでしょうけどね。
まぁ本当は問題にすべきなのは、主観よりもクオリアじゃないのかなぁ?と思います。
実は私、クオリア、つまり感覚質の受け取り方がいわゆる常人と違っている
某症候群と診断されまして。ほんと、他人と感覚が合わないのですよ。
「私の普通」=「周りの極端」なんです、一事が万事。感覚のズレを、理論で
補わなければ、社会で生きていけません。で、理論だけで生きていると、
どうなると思いますか?感覚を理論で補正するうちに、
「俺生きてるの?」となる訳です。うっかり意識しなければ、感覚すら、
忘れてしまいます。
そんな私から言わせれば、「私が判断する主観」なんて、
何が持ってたっていいんです。理論だけの高度な主観なんて、そのうち
プログラムで組めるでしょう。
でも、高度な感覚は、なかなかそういかないのではないかと思います。
高度な感覚、それこそが人間の人間たる証なのではないかと思います。
>>359 >高度な感覚、それこそが人間の人間たる証なのではないかと思います。
人間の本質となると、収拾つかなくなるね。
感覚、思惟、意志・・・どれが人間たる証なのかは意見が分かれるだろう。
高度な感覚には言葉も関係してくるはずだし。
>>355 言語機械には必ず主観があるとは主張していません。ヒト(他者)に意識があるか否かは
検証不可能な問題ですから、他者に主観があるとするのは俺の信念にすぎません。
しかし、言語が使用しない機械にコギト(意識主体)があるというのは、ゾンビ云々以前に
ありえません。言語のない思考というのは、俺には先験的な制約上から想像不可能です。
それから言語を話すロボットについて言えば、俺はドラえもんには「主観」を認めることは
やぶさかではないが、アトムに対しては否定的です。しかしそれは、ロボットが話す言語の
有意味性の程度から俺が判断している信念ですから、これ以上はやめておきます。やはり
有意味性がゾンビでないことを担保するわけではありませんから。
もちろん、俺は言葉を特別視していますよ。ヒトのコギト(主観)は言葉の波間から生まれた
「泡」に過ぎないですから。最高位にもそう言いました。あなたの「私」など、いずれ消えて
なくなりますよ、と。最高位がいわゆる独在論を理解していないのは明白ですからね。
言葉を特別視するからこそ、言語「が」機械(ヒト)「を」使用する、と言いまわしてるのです。
主観=「私」なるものがいかに不確かで儚い存在か、その意を込めているつもりです。
なお
>>356さんは俺ではないので、
>>359 には答えられません。念のため。
>>361 >言葉を特別視するからこそ、言語「が」機械(ヒト)「を」使用する、と言いまわしてるのです。
まあ、「言葉は存在の家」だからねぇ。。。
363 :
考える名無しさん:2007/08/21(火) 20:57:30 O
意識が抵抗できない数々のモノを考えると、例え
ば眠気に襲われる際、「眠れ」という言語命令では行われない。
まぁ本能と言えばそれまでだが、逆に後天的に強
烈な命令を自らの意志で発動させる手があるかも。
百メートル短距離走のスタートとか。
これを論理的思考または判断(論理は一つの強制力がある)とは対局な、思考または判断ができれば面白いと思うのだが。
笑ケタケタケタ
自分への命令って、言葉+感覚+イメージの全部を使わないと出来ない
よね。人間の意志が受身ではないかという一部の議論は、
感覚+イメージから言語だけが遊離してしまう所から出てくるんだよね。
>>328 他者にはすべからく哲学的ゾンビの疑いがかかりますよ。
そして判別の方法はありません。
あれはゾンビに見える、これは見えないという判別はナンセンスです。
…というか哲学的ゾンビ自体がナンセンスだと私は思いますが。
>>352 >あと20年もすれば「クオリア」が死語になるほうに一票w
まぁ、「感じ」で十分だろうな。
新規にラベルを貼ることで考察し易くなることもあるが、
袋小路に迷い込むこともある。
さて、「クオリア」はどちらへ我々を導くか・・・w
>>133 命令に従ってある動作をする。しかしなぜそんなことをしたか分らない。
この動作は無意識である。
意識とは表現する働きではなくて表現を知る働きである。
「意識がある=自意識がある」とする場合はこういう立場です。
言語は意識の必要条件になります。それらの言語はここでは言語とは呼ばれません。
幼少期には人称代名詞を使うのがけっこう難しいようですが、
理解してしまえば自然と自分を客体として対象化するようになるはずです。
世界が物理現象であるかどうかは分らないと思います。
>>355上記のような場合は言語を特別視します。
感じだけがあるのを独我論というのは変なのか?
>>358 ま、そういう時期ってあるからね、とりあえず一周してみないことには、それで問題が解決ならぬ解消してれば御の字よ。
>>303 あらら、「言語によらず」と前置きした真意がどうもうまく伝わらなかったみたいね。
要は「意識する」でも「内省する」でも「思う」でも何だっていいんだけど
そのような行為を「行為」自体とその行為の「対象」に分けて考えれば行為は対象に対してそのように行為するから行為は行為に対しては行為できない。
内省は内省自体を内省できない、思うは思う自体を思えない、意識は意識自体を意識できない。
だから「対象化しえない意識」が残るというあなたの物言いに何も異存ございませんわ。その通りですわ。
ただ、それは言葉の上での「お話」ってことよとご忠告申しあげたまでですの。
「意識」とその「対象」に言葉で二元化する以前の実際のそれは二つに分かれていない、ひとつのこと、ひとつのある状態。
だからそこには「対象」もなければそれを対象化する「意識」もない。だから「対象化しえない意識」もない、それは言語による「語り」。
ま、言語で概念把握したものを言語以前に還元してみればそこには「意識」も「対象」もないわよ、というこれも一旦言語で語られたものをまた言語で語るという言語による言語上の「お話」だけどね。
反哲学、逆哲学とでも申しましょうか。う〜ん、やっぱり言語で言語を語るって難しいわね。
一即多、多即一。
371 :
355:2007/08/21(火) 23:34:35 0
>>368 私=
>>359ですが、
>命令に従ってある動作をする。しかしなぜそんなことをしたか分らない。
>この動作は無意識である。
実は私は、言語を使用するにおいても、こういう事がありますよ。
インプットに対して、ただ無意識に条件反射で、脳内情報をアウトプット
してるだけの事も多いのです。それに気付いたのは最近ですけどね。
「ただの条件反射か?」「本当に考えて発した言葉か?」を考える事で、
「私」の「生きている実感、思考している実感」が強くなりました。
ですから、言語が意識の働きを示すとは限らないと思います。
>>371言語が意識の働きを示すとは限らない、と思いますが
少なくともそのように意識するために必要なのです。
私はずっと昔、右と左の区別がうまくつかず悩んでいたのですが、今はほとんど意識しません。
>>373 右とか左とかいう言葉や概念を知らなくとも、
「○○のどちら側」という判別さえできればいい、とも言えるw
375 :
371:2007/08/22(水) 00:01:41 0
>>372 書き忘れありましたorz
私は、意識の働きを示すものは、言語の前にクオリア、感覚だと思います。
それで、うさぎの主観も説明できると思います。うさぎがクオリアを
持って主観的に動けば、それはうさぎの意識なのです。
私の場合も、小便をしたい事に「気がつかない」事がよくありますw
でもそういう時はいつも「なんとなく」トイレに行きます。
これは本能、無意識でしょう。
そしてそういう時は、小便を出して、「気持ちいい」というクオリアを覚えます。
それは言葉より先です。「気持ちいい」と同時に「びっくり」のクオリアも
覚えます。
で、言葉を持たない動物の場合、そのクオリアが行動に直結するのだと思います。
私は一応言葉を持つので、私のこの例だと、様々なクオリアを言葉に変換し、
「あー気持ちいーっ...てか、こんなに小便溜まってて
出したかったのか、びっくり」
と出力する事になります。
意識の働きを示すのに必要なのはまずクオリアで、
言葉や行動は、それが変換された結果に過ぎないのでは
ないかと思うわけです。
>>374 私から見て右側が右手で、左側が左手なので非常に難しいと思います。
>>375 行動に直結しなければ、「今、自分の発表中に唐突にトイレに行ってしまうのはまずい」と考えることができるかもしれません。
>>377 そう。リアルタイムでなく文章で伝えようとすると困るかも知れません。
けど、面と向かっていれば「私のこちら側」「私のこちら側」とジェスチャーまじえて表現すればいい。
或いは、(例外もあるが)「お箸を持つ方」「茶碗を持つ方」と表現してもいい。
或いは、ジェスチャーまじえて「あなたのこちら側」「あなたのこちら側」でもいい。
そんなに難しくはないw
379 :
133:2007/08/22(水) 01:40:03 0
>>368 >命令に従ってある動作をする。しかしなぜそんなことをしたか分らない。
>この動作は無意識である。
定義論ですな。意識の単純性の下限を何処に設けているかとか。質とか。
貴方は獣の唸り声・遠吠えや小児等の肉体言語を言語に含めないのでしょうね。
俺的な定義では、命令で動作することは意識があることの十分条件です。
意識が無かったら入ってきた命令を全部スルーです。
でも貴方の言語の定義はもっともです。唯言語論?も面白いので同意させてください。
あらゆる一つの概念は他のあらゆる概念の重ね合わせである。
というのが俺的信仰ですし。(相対主義かな?)
ところで貴方は人工知能言語やフレーム問題とかも興味の対象なのでしょうか?
380 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/22(水) 01:57:30 0
『私』が『クオリア』(体験的質感)を感じ、それを『言葉』にする
こんな簡単な流れを理解できない人が多いのは、なぜであろうか
『言葉』が主観性を生み出す などと考えてしまうのは
例えば自閉症の例にもあるように
脳に構造上の特殊な欠陥がある人なのだろうか
『私』が『痛い(感覚)』から『痛い(言葉)』と言う のであって
『痛い』と言うから『痛くなった』り するのではないし
ましてや
『私』でないものが、何かを言語化したからといって『私』が発生するわけではない
『他』は『他』であって、『私』にはならない
なぜ、このような実に簡単な理屈が理解できないのか
脳に特殊な欠陥がある可能性を考える必要があるであろう
私が「病院に行きなさい」と提案するのは、その辺にあるわけです
>>380 を書いたのが最高位でないならブービー・トラップを感じるところだがw
物質とは何の関係が無くても物理現象には反応出来るってのは
何故なんだろうね
松果体には本当にそういった機能でも付いてるんだろうか?w
383 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/22(水) 04:27:28 0
デカルトの次元で考えると、そこで留まります
『私』の存在の原因性を、物理現象に見出す事は不可能だが
「反応」については意味が違うでしょう
何の関係性もありえない なんて事は、どう考えても言えないね
それについては、明らかに関係があるでしょう
その辺の事柄ぐらい、ちゃんと分別して考えて下さい
ゴッチャにしてはいけません
しかし、何故なんだろうね
不思議だね(笑
でも
どんなに考えたって
最後まで、この不思議さは消える事はありません
もちろん唯物的に答えを出すことなど、不可能なんです
問題の次元が異なるのです
松果体 についても、私から言わせれば
「それじゃ唯物論じゃん」となります(笑
デカルトは結局
完全な主観と、完全な客観を分けて考えるレベルに立てなかったのだと思いますね
それは彼の活躍した時代的背景においては、まだ仕方がない事だったのかも知れません
というか、まぁ
これを本当に理解するには、相当な視点の変更が必要であり
それのできる知能レベルが必要である という事は言えます
パズルの苦手な人には難しいかも知れません
最高位には哲学をやる資質が全く無い。最高位は宗教系の自己啓発本でも
読んでろよwお前にはそれがお似合いだw
387 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/22(水) 04:53:12 0
>>385 ありがとう(笑
>>386 キミには何度も
「発言するなら『根拠』を書きなさい」と指導しているわけだが
なぜ、それくらいの事が、いつまでも理解できないのかね?
>>387 いえいえ、礼を言われる覚えはありません。
褒めてないですし。
389 :
ネコの味方:2007/08/22(水) 09:30:03 0
クオリア、言語、主観(私)の三題噺が続いている。(意識はちょっと横に措く)
>>339 によれば、初めに主客未分があり、言語を獲得する過程で「主観」が誕生する
そうである。揚げ足をとるなら、主客未分の状態における言語獲得の「主体」は何?
という最高位流の突っ込みにどう答えるのだろう?
>>361 は同一人物だろう。彼は、主観は言葉の波間に生まれる「泡」と言い換えている。
が、そう言い直しても言葉を獲得する(言葉が寄り付く)“前主観”のようなものを想定しない
わけにはいかないのではないか。
ちなみに私は言語行為をしないイヌ、ネコにも“主”意識(自覚)はあると考えています。
>>389 なら人間やイヌやネコの「脳」が主体だろ
391 :
考える名無しさん:2007/08/22(水) 09:54:59 0
意識と主観を別に考えているらしいのね、発議者は
392 :
サイコーイ学派:2007/08/22(水) 09:58:52 0
サイコーイ先生の「私の存在性」こそ、
現代思想をリードしてゆくものなのでーす。
クォリアという問題の神秘性がどんどんと強いことなるのでーす。
393 :
ネコの味方:2007/08/22(水) 10:15:43 0
>>375 言語よりも前にクオリアがある、というのはそのとおりである。が、あなたは
こう述べている。「気持ちいい」というクオリアを覚える、と。この「覚える」
のは主観とみていいのですね。
痛いでも美味しいでもいいが、それをクオリアとして受容する「主観」抜きには、
そもそもクオリアなる“身体と意識の劇”は成立しないと思うのですが…。
主観あるいは主体を、クオリアとの絡みでどう位置づけていますか。これが
このスレのテーマですよね。
394 :
ネコの味方:2007/08/22(水) 10:22:54 0
>>391 いえ、違います。あのレスで意識なる言葉を用いるとごたつくので、
ちょっと横に措いただけです。
このスレのキー概念は主観(私)、意識、クオリア、言語、情報といった
ところではないでしょうか。
>>390 ネコや最高位の言う「主体」(=『私』)は、そうではありません。
仮に、「確固たる(大人と同様の)」「主体・主観」が、
言語等後天的情報の集積によって形成されるものだとしても、
真珠が小さな核から出来上がるように「前主観」「前意識」のようなものが想定しうるのではないですか?
と問うている。
それは、「物質的」である必要もなく、所謂(俗っぽく)「実在」である必要もない。
仮に、意識的なものが、脳内の現象として生じるもの、状態としてあるものであったとしても、
そこに『そうした事象』があることは認めうるのではないか?
それすらないとしたら、言語の習得も、情報の集積による自(と他)の確立も起こり得ないであろう。
生まれたばかりの赤子(或いは胎児であっても)が成長してゆくに際し行われる情報処理、
それは、場所的には脳であると言ってもいいが、実際に『ある』のは
そうした「情報処理そのもの」と言いうるのではないか?
だとするなら、「所謂“主観・意識”」と言われるものに変貌する前の、
「前主観」「前意識」としての『脳内の状態』があってもいい。
それは、我々が通常使用する「主観・意識」には程遠いほどぼやけて、
霧のように掴み所のないカオスなものかもしれない。
とても「主観・意識」とは呼び難い代物であろう。
が、そこには、確かに今後の「主観・意識・自我」への変貌の可能性を持った「事象」があるだろう。
(クオリアの渦という表現は興味深い。もっとも、上記の仮定の中ではクオリアとして考えてはいないが・・。)
それを指してネコや最高位は「主観」は確実、「主観」が最初にある、と言表するのだろう。
(ネコはさすがに狡猾でw、
>>389に於いて「前主観」という語を持ち出してきたが・・・。)
>>390 その意味で言えば、確かにそこには何かが「ある・いる」であろう。
が、それは、胎内での肉体の(脳の)形成以前には遡れない。
また、肉体が(脳が)機能し始めると同時発生的なものと見るべきではないか?
「主観」以前の、「前主観」的なものを認めたとしても、
それは脳が機能し始め、そこに「ある状態が生じるのと同時に顕れる」ものとして見てはいけないだろうか?
最高位もネコも、その「発生」や「どのようにあるか」については一切口をつぐんでいる。
ただ、「ある」「いる」と言表するだけ。(デカルトのように?)実感されるのはわかった。
ならば、その先へと考察を進めるべきではないか?それが哲学的姿勢ではなかろうか・・・。
>>396 答えられるわけない
答えたらそれはオカルト宗教だからね。それを論理的にこたえても宗教。
398 :
ネコの味方:2007/08/22(水) 11:15:46 0
>>395 “前主観”というのは、主客未分を主張する相手に合わせただけ。どう呼ぼうと
主観であることに変わりはありません。
“発生”については語れないでしょう? 唯物論者が物質の由来を述べることが
できないのと同じ。あなたも「ある状態のなかで顕れる」としか言っていない。
その顕れた【私】がどのようにあるかについては、意識(心)を語りつつ陰に陽に
述べてきたはずです。
こちらの元々の主張は【私】とその心は、脳という物体に換言することはできない、
それだけです。
としか
399 :
375:2007/08/22(水) 11:21:07 0
私は人間相手に説明するために「覚える」という言葉を使っただけですよ。
それはクオリアから変換された言葉ってだけです。
そして、クオリアから変換されるものは言葉だけでなく、その他の行動でも
良いはずというのが私の立場です。
言葉に変換されなくてもクオリアはあります。あなたは無いですか?
あなたは必ず言葉に変換されないと、主観として感覚は無いですか?
という事です。
◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない58◆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1142933310/ 861 1/2 sage 2006/04/03(月) 10:50:51 (一部改変)
肉 体
┌──┴────────────────────────────────────────┐
│ 神経系 脳
│ ┌─┴────────────────────────────────────┐
外界 → 刺激 → 神経細胞 →→ 発火 →→→→ 神経細胞 → 発火 → 神経細胞 → 発火 → ・・・・・
入力 出力=入力 ↓ ↓ ↓
↓ (外へ) (外へ) 外へ
外へ → 神経細胞 →→ 発火 →→→→ 神経細胞 → 発火 → 神経細胞 → 発火 → ・・・・・
→ 神経細胞 →→ 発火 →→→→ 神経細胞 → 発火 → 神経細胞 → 発火 → ・・・・・
│ → 神経細胞 →→ 発火 →→→→ 神経細胞 → 発火 → 神経細胞 → 発火 → ・・・・・
│ └──┰───────────────────────────────────┘
│ 【A】
│ ┃
│ (内面的)「私」≒自我意識≒主観≒主観性
└──┬────────────────────────────────────────┘
(日常的)「私」
※「どのような発火パターンが【私】なのか?」 → わからない。 → 将来的にはわかる???
◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない58◆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1142933310/ 862 2/2 sage 2006/04/03(月) 10:52:05
最高位の論拠の一つを上記の中で言えば、
「どの発火が、或いは、どのようなパターンが「私」なのかは(唯物論では)わからない。」ということになるだろう。
どれだけ細かく、具体的に記述したとしても、最後のこの一点で最高位は発言を続けることができる。
『どのようなパターンが「私」なのか、具体的に説明して見せてよw』と・・・。
しかし、「存在性」(という言い方をするなら!)は、上記のような「在り様」とは関係無しに、
単に[そのような「在り様(【A】)」が、(ここに)ある]という意味しか持たないはずなのだ。
たとえ、その「在り様」が、いかなるものであっても
[なんらかの「在り様」が、(ここに)ある]という意味の存在性は保持される。
『その「在り様」が、【私】として知覚されるのはなぜか?』という問いは依然残るわけだが、
その問いが、『その「在り様」がどういうものであるか?その「在り様」の中身はどういうものであるのか?』
という『「在り様」の解説』を否定するものになるわけではない。
また、「疑っている私、を疑っている私、を疑っている・・・・・」と、どれだけの無限遡及があろうが、
(時間的に、その瞬間には)【A】という状態がそこに存在しているだけ。
[【A】という状態がそこに存在している]ということが、[(私の)存在性]だと見ることに何の不都合があるのか?
現代科学は、その「在り様」を記述している最中なのではないか?
「どのような発火パターンが【私】なのか?」へ辿り着くのは遠い先の話であろうが・・・。
いや、辿り着けないかもしれない。
辿り着けないどころか、「魂]とか「霊体」とかの復権があるかもしれないw
けれども、遠い宇宙や深海底の事象等と同様に、
人体・脳(・心)というものも、いまだ未踏の部分が多くを占める以上、コツコツと積み重ねてゆくしかあるまい・・・。
>>398 >“発生”については語れないでしょう?
仮に、
>>401>>402に於いて記されるように、この肉体(この脳)を離れては、
「世界」(それがたとえ独我論的ものであっても)の構築がなされることがないとすれば、
「脳が(組織が整い)機能し始めた時が発生の時」でいいじゃない。
で、整理整頓が進み、確たる「自」(としての状態・在り様)へと変性してゆく、と。
なぜ、同時発生的に考えられない?なぜ、最初に何かがなければだめなのか?
「私」「私の主観」「私の意識(≒「私」と実感している瞬間の何か)」はいつ生まれたのか?
それは、物質の始まり・宇宙の始まりへの問とは質を異にするのではないか・・・。
唯識がそれっぽいこといってたな。
405 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/22(水) 12:30:02 0
キミらに言える事は
>>383の、最後の3行しかないな
↓
というか、まぁ
これを本当に理解するには、相当な視点の変更が必要であり
それのできる知能レベルが必要である という事は言えます
パズルの苦手な人には難しいかも知れません
布教活動はよそでやってくださいw
407 :
考える名無しさん:2007/08/22(水) 12:34:26 0
>>405 パズルなんか関係ない。
私たち唯物論者は唯物論の視点から変更することはありません。
常に唯物論の視点で世界を見ます。
そこには「私」の存在性が入り込む余地はありません。
我々にとって唯物論は絶対であり、他の如何なる観念論や
マイ哲学を許容することなく、断固拒絶いたします。
それが我ら唯物論者の使命であります。
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない99◆
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1186622024/ 753 哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 2007/08/22(水) 08:28:31 0
唯物論者の皆さんへ
『私』を原因的に規定する物質的要素を述べて下さい
なぜ、この物体(この体)は『私』なのですか?
754 考える名無しさん sage 2007/08/22(水) 09:21:57 0
>> 753
なぜ自分は自分として生まれてきたのか?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1180813863/ 360 考える名無しさん sage 2007/08/22(水) 08:55:54 O
そもそも「なぜ」と考えることに意味があるのか。どんなことを挙げれば、理由になるのか。
例えば「なぜ、このリンゴは今落ちたのか」という問いに、「重力とか風とかの条件が
整ったからだ。同様の条件が整えば、リンゴはみな落ちる」と答えるのは、理由になるん
だろうか。
それが理由になるとすると、「なぜ自分は自分として生まれてきたのか」という問いに、
「そのような両親から生まれてそのような意識を持つなどの条件が整ったからだ。同様の
条件が整えば、みな同様のことを考える」と答えるのは、どうだろうか。もしこの場合は
答えにならないとしたら、リンゴとの違いはなんだろうか。
757 考える名無しさん sage New! 2007/08/22(水) 11:26:50 0
>> 753
>> 754にも書いてあるが、なぜという問いはナンセンスだってずっと前から
言われてなかったか?
他人になぜなぜと問うてばかりでは幼児と変わらん。
どうせまたまた叩かれまくるんだから、私スレに戻っとけ。
758 哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 New! 2007/08/22(水) 11:41:51 0
>> 757
アホだなぁ
それは
なぜ を繰り返していくと、宇宙の根源的問題に突き当たるからだよ
しかし
物理現象の範疇でなら、なぜを問えるんだよ
因果関係がハッキリしてるんだからさ
でなければ、決定論もクソも主張できなくなるだろ
それとも人間の精神性の根本は、唯物論では手に負えない と認めるのかい?
759 哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 New! 2007/08/22(水) 12:02:14 0
>> 757
というか>> 754は
『私』の原因性を、両親がどうのこうのといった次元で説明しても
説明した事にならないんじゃないか?
と言ってるじゃないか(苦笑
760 考える名無しさん New! 2007/08/22(水) 12:07:23 0
>> 759
馬鹿か? 最後の一文が見えないの?w
764 哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 New! 2007/08/22(水) 12:19:25 0
>> 760
あー、すまんすまん
つい、みんな正常な人だと思っちゃうクセがあるんだよね
普通の知能レベルを持った人は
「両親から生まれたから『私』になったんだ」
これでは哲学的な答えとしては、納得できないんだよ
キミ達は、それで説明がついている と思っちゃってるわけだ(爆笑
>> 764
馬鹿か?
>> 754 >もしこの場合は答えにならないとしたら、リンゴとの違いはなんだろうか。
(本人に確認したわけではないがw、おそらく)この一文こそがこのレスの肝だよ。
感嘆子が何度も例に挙げているが、
「【このa】リンゴ」が「【このb】リンゴ」であった理由について、
イ:≪その来歴はどういうものか?≫ を理由とする
ロ:≪【このa】と【このb】との同一性はどこからきているのか?≫を理由とする
は違うということだ。
そして、リンゴについては「イ」の回答で良しとされ(ロについては不問)、
『私』「主観」等については「イ」の回答では不十分とされ、「ロ」についての回答が要求される。
それはなぜか?ということだ。
なぜ、リンゴについては「ロ」を問う必要がなく、『私』については「ロ」を問うのか?
なぜ、『私』についての「イ」は不十分なのか?なぜリンゴは「イ」で十分なのか?
754ラストの一文は、ここを提示している。
(もしかしたら反語的に、「答えになるんじゃないの?リンゴと同じじゃないの?」というものかもしれないw)
>>389 >> 主客未分の状態における言語獲得の「主体」は何?
>> 言葉を獲得する(言葉が寄り付く)“前主観”のようなものを想定しないわけには…
言語を獲得するための生得的なプログラムをもった言語機械の個体ですね。
もちろん言語を獲得する以前のこの個体に「主観」はありません(主客未分)。
ヒトが言語を獲得する現場としては、俺たちには想像不可能な場を想定する
しかありません(疑似的な意識)。(疑似的な)クオリアが記号的に刺激−反応を
仲介すると仮定したこの場は、犬や猫やミミズの個体中にも想定可能です。
しかしこれらの非言語機械には、当然言語を獲得するための生得的なプログラム
が備わってないので、ヒトとちがいそこに「主観」=「私」が誕生することはありません。
子犬に限らず成犬になっても、そして死亡するまでこの場の状態が続くでしょう。
この想定を「(言葉が寄り付く)“前主観”のようなもの」と解釈されるのは自由です。
しかし、主観をもちえないもののそれを“前主観”と呼ぶのはいかがなものでしょうか。
というよりも ↓
>>398 それはヒトに限らず、ミミズにもミジンコにも同様に想定可能であるものです。
それは決して「主観」ではありません。俺のいう主観とは「コギト」です。
>>348
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない99◆
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1186622024/ 766 考える名無しさん 2007/08/22(水) 12:25:45 0
>> 764
普通だろうが天才だろうが、両親から生まれたから私が存在しているのだよ。
こんな問題を哲学的には答えになってないと却下する貴方はどうかしている。
起点を「私」にしたいなら独我論にならざるを得ない。
最高位のはただの「私中心主義」なのだよ。
767 考える名無しさん sage 2007/08/22(水) 12:26:22 0
人間の両親から生まれた子供はだいたい『私』になるんだから、
間違ってはおらんだろうw
770 哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 2007/08/22(水) 12:33:55 0
>> 766
じゃあ
同じ両親から生まれた お前の兄弟は『お前』か バカ
>>767 それはだいたい『他人』だろ バカ基地外
774 考える名無しさん 2007/08/22(水) 12:38:51 0
>> 770
>同じ両親から生まれた お前の兄弟は『お前』か バカ
バカは貴方だろうが。何なの↑の意味不明な文章は?論点ずらすなよ。
両親から生まれたから「私」になったんだよ。
私の兄弟も両親から生まれたから「私」になったんだよ。
「私」の「私」と兄弟の「私」は言葉が同じだけだろが。
同じ「私」だから、兄弟の「私」まで自分になるわけない。
独我論者はどうしんてこんなにバカなのでしょうか。
776 哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 2007/08/22(水) 12:44:48 0
>> 774
兄弟は、それぞれに『自我』はあるだろうが『私』じゃないだろ
なんでこんな事が理解できんのだ? マジで、アホなん?
これが理解できないんだったら、病院に行った方がいいよ
いや、ほんとマジで
777 考える名無しさん 2007/08/22(水) 12:49:29 0
>> 776
本当に貴方は滅茶苦茶なことを言いますね。
兄弟にそれぞれ「自我」があるけど「私」じゃない?
私の存在性は自我のことだと貴方が言ってたのですよ。
貴方にだけ「私」という「自我」があるってことですね。
それはほとんど妄想に近いので、貴方も病院でお薬もらった方がいいですよ。
781 哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 2007/08/22(水) 12:55:30 0
>> 777
私は、『私という個人』の存在性 に焦点を絞って論じているんだよ
それをキミらは『私』という言葉の意味の多様性を利用して
無理やりに論点をすり替えようとしてるだけだろが
アホのフリをするのもいい加減にしろや
それとも真性なのか???
おまけw
769 考える名無しさん sage 2007/08/22(水) 12:33:39 0
哲学者最高位は、なぜこの両親から生まれて、他の両親から生まれなかったのか?
最高位さん。
776(
>>414)の >兄弟は、それぞれに『自我』はあるだろうが『私』じゃないだろ は、
≪兄弟は、それぞれに『自我』はあるだろうが【「私」の】『私』じゃないだろ≫
と表現すべきだったのですw
416 :
考える名無しさん:2007/08/22(水) 14:41:47 0
コピペ馬鹿は死ねよ
>>416 貴方はこのスレが立った経緯を知らないようですね。
100年ROMってから、またいらっしゃいw ノシ
隔離スレなんだな。
419 :
ネコの味方:2007/08/22(水) 15:50:59 0
>>399 たしかに、クオリアには「覚える」換言すれば言語を介在させる必要のない
ものがありそうです。うっかり熱いものを握った際の咄嗟の身体的反応…等々。
が、その種の反射的な対応を別にすれば、ヒトのクオリアは相当ていど言語に
侵食されているのではなかろうか。
かつて某学者が「ヒトの本能は壊れている」と語っていたが、それをもじって
言うならヒトのクオリアもまた「壊れている」ようにみえる。見たり聞いたり
味わったりするとき、予断(意味=言葉)がそこに介入するのではないか。
クオリアを言葉に変換するというよりも、たいていの場合、あらかじめ主観
(もしくは共同主観)が有する言葉の網に、それをからめとり回収してしまう
のではないか。つまり私は(純粋に)感じているのではなく、意味が与えられる
のではないか、ということです。
といって、私は
>>412 のように唯言語論者ではありませんが。
420 :
ネコの味方:2007/08/22(水) 16:13:09 0
>>412 これまで“言語”を回避してきました。わからない、からです。w
あなたは「初めに言語ありき」とは言っていないけれども、ヒトに
まつわる問題の端緒には言語がある、というふうには読めます。
仮にそうだとして、では言語とは何でしょう?
レスをみるかぎり、言語は生物の進化の過程、言い換えると自然史の
一齣として発祥した、ということになりますが、これでいいのでしょうか。
421 :
159:2007/08/22(水) 16:28:14 0
>>280 「見えている」と「脳の状態」が同一であるときの両者の関係ですが、
三人称的(客観的)には脳の状態として記述されるような現象が
一人称的(主観的)、つまり当の脳自体には「見えている」と経験されるという関係だと思います。
>>208の前半はどんな疑問かよくわからなかったのですが、
上の段を踏まえて言うと(3)「その人に赤いリンゴが見えていると言う事実」は
(1)(2)のどちらからでも判断できる(別の)三人称的(客観的)な事実ということになるのではないでしょうか。
>>351 興味深い議論がされており面白く読んでいます。
横レスになりますが、俺の理解の度合いを確認したいので質問させてください。
今は主観と言う語のずれを擦りあわせようとする議論がされているように思うのですが、
感嘆子さんが客観を否定するなら主観も同等に否定されるというような場合の主観は「客観-主観」関係の中で考えられるような主観であるのに対し、
351さんが客観世界は疑えても主観は疑えない、というような場合の主観はクオリアや観念の渦が存在したりしなかったりするような場所というか領域というかつまり超越論的主観性のことだ、
というふうに俺は理解しました。
というか
>>351さんはそう捉えていると思いましたがどうでしょうか?
422 :
考える名無しさん:2007/08/22(水) 16:56:13 0
「クオリア」が話題になっていることについて、まず気になったことは、「感じる」が、
「我思う」がもっていたような能動性を持ちうるのか?ということ。
認識について考えるには、その受動性と能動性との両面から考えなければならないと思うので。
(「人が言葉に使われる」というような受動的表現も気になった。人は言葉を使って、能動的
に意味を置き入れてもいるはずだから、それでは一面的すぎると思う。)
それはさておき
クオリアを感じるということを基本に考えるとすれば、「感じる」ということの〈背後〉
に「主観」があるとデカルト風に考えるよりも、「感じる」=「主観」と、カント風に
考えればいいのではないかと思う。デカルトの「思惟するもの」としての主観が批判、
反省されてカントの「主観」が考えられたわけだし、「感じている(考えている)」と
いう事柄そのものを「主観」と名づけることには何も問題はないだろうから。
(「主観」と名づける必要はないが「主観」という語を使うとすれば。)
それを「主観」と考えるとすれば、その「感じている(考えている)」ことに対応して、
「感じられた(考えられた)」ものとしての「客観」が同時に成立し、常識的な意味で
の「私」も(「主観」にとっての「客観」の一つとして)その際に成立する。
その「主観」と「私」との関係が、「自我意識」と「自我」の関係にあたると思う。
424 :
351:2007/08/22(水) 18:37:52 0
>>421 そのように考えていただいてけっこうです。
425 :
399:2007/08/22(水) 20:07:12 0
>>419 私も、そういう事は感じます。
それが人間であると言うのは、問題無い気がします。
私は感覚が周りとズレている為に、特に理論、言葉に頼らざるを得ません。
(その結果、余計な言葉を不要とする周りからウザがられる事しばしばですが)
しかし先にも書いたように、理論や言葉のみに頼っていると、生きている実感が
希薄になってしまう訳です。そういう時も、情報入力に対して脳内パターンを検索し、
それを私の主観で判断し、結果を出力する事はできます。しかし、
そんなのロボットでもできるでしょうと。そういう主観で良ければ、何が持ってても
良いよと。そして、主観を持つものはそんなのだけじゃ無い、クオリアから
言葉以外の行動に直結し表現する主観もあるというのが私の立場です。
かと言って言葉が要らないという訳ではありません。
言葉とクオリアを高度に統合し発達させた存在、それが人間だと思ってます。
片方だけではだめなんだと思います。両方必要なんです。
426 :
368:2007/08/23(木) 00:02:35 0
>>379 ちょっと紛らわしかったかもしれません。このスレで唯言語論を主張している方と私は別個の人間です。
昔、似たような主張は別のスレでしたかもしれません。
>>368はもちろん唯言語論?の説明で、うまく話が通じるように、と思って書いたものです。
ただ、別人が書いたので、もしかしたらこのスレの唯言語論者さんの考えとは多少違いがあるかもしれません。
>>378 確かにそういった過酷な訓練を経て左右の区別を学んだ記憶があります。
>>427 過酷ってwww
けどまあ、重要な(ちょっと難解な)行程であることは間違いない。
幼稚園へ上がるか上がらないかくらいの子にとっては、
右とか左とかって、結構難しいようだ・・w
かなり丁寧に説明しないと解って貰えない。(すぐ忘れるしw)
何度も何度も繰り返して、ようやく(一時停止することなくw)峻別できるようになる。
子供の成長ってすごいよね・・・。 >>ALL
>>420 >>あなたは「初めに言語ありき」とは言っていないけれども
1:1 初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。
1:2 この言葉は、初めに神と共にあった。
1:3 万物は言葉によって成った。 成ったもので言葉によらずに成ったものは何一つなかった。
1:4 言葉のうちに命があった。命は人間を照らす光であった。
1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は、光を理解しなかった。
ヨハネによる福音書の最初の5節は大変興味深いテキストです。
とりわけ5節の「暗闇」とは何を意味するのか。是非、ネコ氏と最高位氏の意見を
聞いてみたい。俺には、この最初の5節が、独在論そのものに思えてなりません。
言語は進化の産物だと思っています。言葉から生まれた「私」も同じです。
ウロコやシッポと同様に、遺伝子の自己複製を残す振舞いに寄与します。
言語とは何か、という問いに対する俺の答えは「縁起機械」です。
「縁起機械」は「世界」を産出し、そこに結晶した「私」を使用します。
言語の何たるかを語ってみるがそれも言語、それをまた語ってみるがそれもまた言語。
言語の可能性、その裏にある不可能性。
言語で「私」を語る。言語を語る私。私が「私」を語る。
言語で語れば語るほど「言語の波間から生まれては消え行く泡」のように私は言語の彼方へと疎外されていくのかもしれません。
ついに語られることもなく。
431 :
208:2007/08/23(木) 10:20:29 O
>>421 自分としては、どこでも基本的に同じ疑問を書いてるつもりで、どうも基本的なところから
食い違っている気がしますが…。
421に即してもう一度書くなら、単純に、「客観的に脳の状態として記述される現象」
と、「主観的に見えているという経験」と区別されるものがあるなら、つまり、「脳の状態」と
「見えていること」は同一ではないのでは、という疑問。
それでもそれらが同一だとするなら、例えば変な表現の疑問になるけど(繰り返し的にも
なるけど)、その同一とされるものは、どこにあるんだろうか。リンゴのある場所
だろうか(しかし客観的な脳の状態は、当然、脳の場所にあるだろう)。それとも脳のある
場所だろうか(しかし、脳のある場所をいくら探しても、当然リンゴはないし、リンゴの
映像(?)もないだろう、多分)。
そもそも、「見えていること」などというものに、脳などの客観的な物と同様に場所を
問題とすること自体、おかしいと思われるけど、では、そのような場所を問題にできない
変なものと、客観的に場所を特定できる脳とが同一というのは、やはり変じゃないか。
(と書いてみたものの、そもそも基本的な食い違いがありそうなので、意味不明と思われたら
無視を推奨します)
ということは「私」ですら思考の産物であると。
433 :
考える名無しさん:2007/08/23(木) 11:29:42 0
宇宙自体が創造の場であり、思考体。
「私」はその産物である。
>>432 だから、その「思考」をする主体が必要でしょ?w
というのが、一貫した最高位陣営の主張。
>>432 最高位陣営は、「思考のみがある」という言明を決して認めない。
まさか、最高位の主役の座を守るための自演なのか?
唯識先生論だと思考の主体ははこの脳、身体があるからという主張。
陣営って最高位だけじゃんw
440 :
考える名無しさん:2007/08/23(木) 13:03:10 O
442 :
考える名無しさん:2007/08/23(木) 13:36:44 0
>>423 >「感じる」ということの〈背後〉に「主観」があるとデカルト風に考えるよりも、
>「感じる」=「主観」と、カント風に考えればいいのではないかと思う。
自我と意識に分ける二元論は、無意味な思弁に終始するだけだな。
内観を重んじ宗教的アプローチをとって、客観性を拒絶する極端な主観主義は、
哲学というよりも、心理学の一部だと思いますが。
>>442 >自我と意識に分ける二元論は、無意味な思弁に終始するだけだな。
『自我意識』なんてないと言いたいのか・・・?
445 :
考える名無しさん:2007/08/23(木) 14:16:47 0
>444
あるのは意識だけだな。
>>445 それで終わり?
それだけで哲学になると思ってるのか・・・?
447 :
絶対精神 ◆mk/rozvbWA :2007/08/23(木) 15:10:41 0
>>445 ???。「意識」に関する問題こそが「心理学」のテーマだと思いますが・・・。
448 :
考える名無しさん:2007/08/23(木) 15:16:02 0
意識は相対性が作り出した錯覚だという考え方はできないか?
>>448 「錯覚」・・・ですか・・・。意識とは「意識されたもの」である、だから自我が問題になるのでは
ないでしょうか・・・。448さんが誰をさしているのかわかりませんので、別の人ならご容赦。
450 :
絶対精神 ◆mk/rozvbWA :2007/08/23(木) 17:21:39 0
>>449 つられてみますが「相対性」・・・とは何でしょう?
451 :
権藤有二郎 ◆EN8cDNURt. :2007/08/23(木) 18:16:31 0
「みんな」の対義語は「人」である。われわれは言葉をそう作った
ものの見方としてその両端を一気に受け取らねばならない
これからの時代「みんな」の私も「人」の私もどちらも信じあうこととを
もたねばならない。
「『私』は『私』」このトートロジーをとくことが一番近道だがその分大変でもある
個々の私を宇宙から素粒子まで挙げることは長い道だが平坦である。
このスレよがんがれ
452 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/23(木) 21:54:42 0
何としても私に反論しなければ、と思って
どんどん「あっちの世界」に行ってしまう人がいるようだね
私は極めて常識的に、論理的に分析しているのだから
それを覆そうとすると「あっちの世界」に行かざるをえないだろう
今、自分は「哲学をしている」のであり
すなわち、「考えている」のであり
その中で、いかに考えても、自分の存在を否定する事は不可能だ
『我あり』なのである
では
その『アリである我』は、いかなる物理現象なのであろうか
という事を、素朴に問うているわけだ
なぜなら
唯物論の主張は「全ては物質であり、人間の精神も物理現象にすぎない」というものであり
だから科学が進歩すれば、いずれ人間の精神も物理現象として完全に解明できる日がくるのだ
と考えられてきたからである
そこで私が出した結論は
『我』の原因性を物理現象に解明し、特定する事は不可能であり
すなわちこれは、「科学的に人間の精神性を解明する事は不可能である」という事を示す
要するに、簡単に言えば
「唯物論は間違いだった」のである
科学は科学として、科学的な事柄を、科学的に解明すればよい のであって
早とちりして、先走った結論は主張すべきではない
唯物論では、『私の存在の原因性』については
解明はもちろん、言及すらできないのだから
少なくとも、それは理解し、認めて公言すべき なのである
>>434 別に「思考」には「主体」が必要なわけではない。
「思考」があることによって相対的に「主体」があるというだけのこと。
何も悩むようなことじゃない。
「思考」と「主体」は同等にある。
それを総合して「思惟するもの」とデカルトは呼んだ。
454 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/23(木) 23:34:13 0
>>453 あっちの世界に足つっこんでますよ
>それを総合して「思惟するもの」とデカルトは呼んだ。
思惟するもの が思惟している んですよ
すなわち、主体が思惟しているんです
思惟する というのは動詞であり
動詞が成り立つ為には、主語が必要です
動詞が主語に先立つ事はない
主語が、さまざまな動作を行うのであって
思惟もまさに、そのひとつにすぎないわけです
デカルトは
「思わなくなったら、私は消えるんだけどね」と言ったらしいが
これは早とちり
そんな事は言えない
思わなければ、自分が自分を確認できなくなるわけだが
いなくなる と結論付ける事はできない
確認できないからといって、いないとは言えない
「思わなくなったら、確認できなくなる」が正しい
『思惟しない実体』の存在を、否定する論理性を導けてはいない
455 :
考える名無しさん:2007/08/23(木) 23:58:02 0
>>454 思惟するもの が思惟していないとき 何してんのw
どこにいるんw
思惟された自分と、思惟する自分はどうちがうんw
確認できなくなることもあるってどういうことことかねw
456 :
夏休みパート6:2007/08/24(金) 00:00:22 0
指示語世界。
>>454 >『思惟しない実体』の存在を、否定する論理性を導けてはいない
君の方こそ論理じゃない。
単なる実感と感情だ。
当人にしかわからないことのみが述べられる。そして、貴方も実感してみなさい、と。
宗教(体験)と一緒だ。
(最高位に釣られてる奴がまだいるんだな。。。)
459 :
夏休みパート6:2007/08/24(金) 00:08:23 0
指示語世界。自己中心的、厚かましい非論理の独我世界。
昔、はまったなぁ。
>>454 思惟が思惟しているんですよ
すなわち客体が思惟しているんです
思惟するものとは主語であり
主語が成り立つ為には動詞が必要です
主語が動詞に先立つことはない
動詞がさまざまな動作を行うのであって
思惟もまさにそのひとつにすぎないわけです
逆もまた真なり
主体って言葉を使っている時点で最高位は論理的にアウト
意味が分からないのなら、本当にバカ
462 :
考える名無しさん:2007/08/24(金) 00:18:29 0
>>461 アウトじゃない奴がこのスレにいるのか?
(最高位に反論した時点で釣られアウト。。。)
464 :
考える名無しさん:2007/08/24(金) 00:40:48 0
バイト支援。
465 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/24(金) 00:45:30 0
>>460 >思惟が思惟しているんですよ
って(苦笑
思惟は思惟という動作の事であって
動作が動作してどうすんのさ
早く『あっちの世界』から戻りましょうね
>すなわち客体が思惟しているんです
客体が思惟している などという事は
『我』には認識のしようがない
>主語が成り立つ為には動詞が必要です
>主語が動詞に先立つことはない
アホか(笑
クルマ(主語)は、走る(動詞)
しかし
走らなくてもクルマは成り立つわな
>動詞がさまざまな動作を行うのであって
>思惟もまさにそのひとつにすぎないわけです
動詞は動作の事であり
動作は動作をしません
というか 解説するのもアホらしいな・・・
ホント、病院池よ
>>465 >クルマは成り立つわな
クルマは成り立つ 主語・述語じゃねーかw
低脳最高位wバカ最高位w笑わせるなよ池沼
467 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/24(金) 00:59:57 0
思う主体の存在は常に一歩遅れて登場するから、結局想像の範疇を超えないんだよな。
思う主体が存在するから思えるのではなく、思ってしまうから後で主体の存在を捏造するみたいな。
最高位のは丁度そんな感じだな。よくある勘違い。
>>468 いや、最高位の主張する主体は思う前から存在するような実体だよ
じゃないと動詞が主語に先立つことはないとか走らなくてもクルマは成り立つとか言えんはずだ
彼にとっては何も思わなくても主体は存在するし走るという動作がなくてもクルマは存在するんだろう
何も思わずにどうやって主体を思えたのかわしゃ知らんが
470 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/24(金) 04:43:32 0
>>468 >>469 キミ達は表面的に先走りすぎだ
他人が、いくら思っても、私は認識できないんだから
思ってる事を認識できるという事は
言うまでもなく、私が思っているという事でしょう
んで
「私が思う」には、まず私がいなけりゃならないわけです
他人がいくら思っても、私とは関係がないんだからさ
そゆこと
思っているのは誰なのか という事は重要なんだよ
なんで、こんなことまで説明しなきゃわからんのですかね (マジで苦笑
471 :
考える名無しさん:2007/08/24(金) 10:25:03 0
>>452 >『我』の原因性を物理現象に解明し、特定する事は不可能であり
『我』に限らず、物質も含めてあらゆるものの「存在」の理由の解明は不可能。
唯物論ではそれらは解明するものではなく、それらを使って他のことを説明するもの。
>すなわちこれは、「科学的に人間の精神性を解明する事は不可能である」という事を示す
精神の現象は解明不可能ではない。
>要するに、簡単に言えば
>「唯物論は間違いだった」のである
なので、間違いにはならない。
最高位の唯物論の理解が間違っていただけというのは、十分証明されてきてるけど。
472 :
ネコの味方:2007/08/24(金) 11:13:13 0
>>429 ヨハネ福音書の最初の五節が「独在論」そのものだそうですが、少し説明
していただきたい。そのうえで、意見を述べます。
>>430 「言葉で語れば語るほど…」 これは具体的な語り手の発語行為を指している
のでしょう? 少しこじつければ、私が発語し言語を波立たせる。しかし、
これは泡のように言語の海に消えさってしまう。つまり、パロールとラング
のことを言っていると解していいですか。
この構制のなかでは、発語する主体(私)は不要(なにものでもない)ということ
でしょうか? そのへんがちょっとわからないので…。
ところで、ヒトの言語能力は生得的ではあるが、たとえば二足歩行のような
それとは異なるのでしょう?
473 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/24(金) 11:28:29 0
>>471 >『我』に限らず、物質も含めてあらゆるものの「存在」の理由の解明は不可能。
あれ?
人間の精神は、物理現象ではないの??
じゃぁ何?
『現象』じゃなくて、『存在』なん?(爆笑
この板おもしろい!
私にとっては、まず「我あり、ゆえに我思う」ですな
私にとって私とは、偶然によって母の胎内に集められた「宇宙のチリ(原子?」が
組み立てられて出来た感受性の受信機&送信機ってかんじ?
で、もしも「我思わず」であれば、我の存在を知ることもできないけど
「他」が我を認識する限り、我は在るから無問題だっていうわけ。
この場合、我が他を認識するかどうかは別問題なわけで。
475 :
考える名無しさん:2007/08/24(金) 13:28:27 0
>思う主体が存在するから思えるのではなく、思ってしまうから後で主体の存在を捏造するみたいな。
おもすれー
だったら、このスレには「思わない主体」というのは存在しえないの?
哲学って良くわからんが、この場合はあくまで「主体が主体について考える」ってこと?
客体?てか他力に任せてしまうことは論外なの?
バカすぎたらスルーしてください。
477 :
最高位キラー:2007/08/24(金) 16:29:29 0
ねえ、最高位は自分の言ってることが、どこか間違ってそうな気はしない?
俺はなんかおかしいような気がするんだよ。
478 :
最高位キラー:2007/08/24(金) 16:37:53 0
「私」は対象化できないんじゃないかと思うんだが、どうだろう
479 :
最高位キラー:2007/08/24(金) 16:50:11 0
何かを対象化したときに多くの場合は対象化が「可能」だが、「私」の場合は
対象化をすると「私」の最も本質的な性質を失ってしまう。
対象化した時点で、「私」は『私』でなくなってしまうというとね。
480 :
3時で1時:2007/08/24(金) 17:09:38 0
思い・認識の内容は自らの意志によってあるのではない。
私が意思・認識内容を予め決定しているのではないから「行為」なのではない。
私がこのように感じ、思い、認識しているということが内的な「生じつつある結果」であるなら
何かしらの作用があると言えるのかも知れない。しかし、それが何であるかを私は特定できないのだ。
「暑いと思ったから、エアコンのスイッチを入れる」「机の上の書類が作業の邪魔だから、
他の場所に移動する」というのは、それが為されることを分かっているから私の行為と言い得るのだ。
「暑い」とか「不快だな」とか「エアコンを使おう」とかいう思いを為す私的必然性などないのであり、
そもそも「暑い」「不快」「エアコン」「私」と分別できていること自体が私にはどういうことなのか分からない。
エアコンのスイッチを入れようとしたが、窓を開けて風を入れるだけでいい、と思いなおしたというのは
「思いなおした」と言い得るだけで、何故私がそのように思いなおしたのか分かっているということではない。
「思いなおした」という認知自体が何故に私に生じたのかも分からないから「行為」なのではない。
481 :
人間の屑 ◆8WehtkxbpU :2007/08/24(金) 17:10:35 0
「私」しか「私」を対象化できないのがそもそもおかしい。
「我思う故に我あり」というのが既におかしい。
「我が思う」と最初から言い切っている。
「誰が」思うのかを初めから「我」と決めつけている。
思っているのは「我」じゃないかもしれないじゃないですか。
「我」が「思う」と決めつけておいてさらに「我あり」って何なのw
デカルトがダメだった・・・。
482 :
考える名無しさん:2007/08/24(金) 17:11:36 0
それを考えるのがたのしーんじゃないか?
483 :
3時で1時:2007/08/24(金) 17:12:20 0
日常の細々とした行為や動作は、ほとんど内的な発話を伴わない一瞬のイメージ(意志)が先行している。
「意志が先行しているはずだ」という理解から、意志したという記憶がなかったとしても、
「私が思って為したことであり、為しつつあることに違いない」と認める場合が多いであろう。
絵を描く場合は、全体をイメージしながら絵の具の色を選び、筆を置く位置を決めて進めていくであろうが
私の前に意味を持って立ち現れるその光景や、ある質感をもっているそのモノは
一点を注視したり、そのものに意識を傾けることによって「より意味のあるものとして浮かび上がる」ものだとしても
何故に「その一点が気に掛かるのか」も分からないし「そのモノが特定のあるシーンを想像させるのか」も分からない。
先行する「私の意図・思い・イメージ」が無いから、現前するそれは「私のあらわし行為」とは言えない。
484 :
最高位キラー:2007/08/24(金) 17:18:43 0
485 :
人間の屑 ◆8WehtkxbpU :2007/08/24(金) 17:29:08 0
結論を言えば「我」などよりも
「思う」のほうが断然強いわけです。
これは人間の「念」にもつながります。
百歩譲って「我」が存在するとしても、
それは「我」があるから「思う」のではありません。(断言)
「思う」があるから「我」があるのです。
「我」よりも「思惟」の方が根源的なのです。
これはなぜ人間は思惟するのかという問題でもありましてね。
私が勝手に文句を作ると「ここに思惟あり、故に我発生す」ですね。
ここで最高位が「だれが思惟してんの?」と問うて来ますがこの問いは成立しません。
「思惟」というのは共有不可なので、「誰が」という問いは成り立ちません。
もっと簡単にすると、「この中の誰が犯人か?」や「この財布は誰のものか?」という
複数人の中の一人(または幾人)が選択される場合にだけ「誰が?」という問いが成立します。
よって初めから共有不可能な「思惟」を誰がしているか、などという問いはナンセンスなのです。
これは思惟が共有不可能なのですから、複数の中から「誰が?」などと選択する必要はありません。
>>485 最高位さんも人間の屑さんも両方間違い。
「私は考える、私は存在する」というのは推論で導いた結論ではないんだ。
直接感じた事なんだ。誰が考えてるのかなと推論していって、
僕しかいないよなーという結論に至ったのではない。最高位さんとあなたは
その点を勘違いしている。
ぶっちゃけ、
Q1.こう考えてる「私」とは何?
A1.「私」の身体を駆け巡る各種情報の動きそのもの
で終了じゃないんですか?
ちなみに「動き」が重要だと思います。
ですから、止まってしまった時、「私」は消えます。
そもそも「私」という呼び方が妥当かが分からない。
「我」でも「思う主体」でも「思わせる機械構造」でも指す事に成功していないと思う。
最高位はその辺りを諦めて、「私」で完結させようとしているが物事はそう簡単ではなくて、
どっちかというと、仏教的に「無」とくらわす方がまだましと言える。
唯識は「無」で一環しているが、最高位は認めたくないらしい。
>>454 >「思わなくなったら、確認できなくなる」が正しい
思わなかったら確認できないようなものを絶対確実に存在するとか実在するとか言えるのか?
絶対存在とか実在とは思うと思わざるとに関わらず、何があろうがなかろうがそれ自身によってそれであるような何かだろ。
>『思惟しない実体』の存在を、否定する論理性を導けてはいない
裏を返せば「思惟しない実体」の存在を肯定する論理性も導けてないってことじゃん。
絶対とか実在なんて言えないじゃん。
491 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/25(土) 01:43:52 0
やはり、この板には
頭のおかしな人しかいないようだ
>最高位
君はそろそろ哲学板からの退散を考えた方がいい
悪いが君の望むものは哲学板にはない
だが、君が哲学に少しでも興味を持つならばもう少しここで書かれた言葉を読んでみてもいいのではないか
「頭がおかしい」と言うのは簡単だ
地球について
「地球が丸いなんておかしい。地球は平らだ。
丸いと考える人たちは頭がおかしい」と言うことはたやすい
だけどそれじゃ知は止まってしまう。
なんで丸いのか、なんで平らなのか、論証してみよう。軽く思考してみよう。
(君の知覚経験は地球が平らだと言う感覚を君に与えていることだろう)
とても常識的で当然と思えることもそれを理詰めで説明するのは困難だ。
そして、論証などで常識的なことを擁護するのは非常にスリリングで面白い作業だ。
君がそれをつまらないと感じるならば退散した方がいい
>最高位
>デカルトは
>「思わなくなったら、私は消えるんだけどね」と言ったらしいが
言ってない、言ってない
「わたしが疑うことをやめた瞬間、わたしが存在すると考えるいかなる理由もなくなる」と書いている
494 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 02:09:14 0
>>493 「思わなくなったら、私は消えるんだけどね」
と
「わたしが疑うことをやめた瞬間、わたしが存在すると考えるいかなる理由もなくなる」
は、
ほとんど同じわけだが。。。w
495 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 02:18:53 O
ゆとり教育乙
>>492 彼が「頭がおかしい」と言った時は降参の意味だよ。
それぐらい読み取ってあげてください。
うむ。
498 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/25(土) 02:28:56 0
>>492 >そして、論証などで常識的なことを擁護するのは非常にスリリングで面白い作業だ。
キミらは、思いつきばかりで論理とは関係ないんだよ(苦笑
私への反論を、キミは論理的だと考えているのかな??
信じがたいが、基地外どうしなら、わかりあえるの?
>>493 >「わたしが疑うことをやめた瞬間、わたしが存在すると考えるいかなる理由もなくなる」と書いている
じゃあ
疑わず、存在する と考えた場合は、どうなんの???
「存在すると考えた瞬間、私が存在すると考えるいかなる理由もなくなる」わけか???
>>493 疑いがある、知らない、わからない
仏教では煩悩と呼ぶ。
>>498 よーく読もうな
疑うことをやめた瞬間に考える理由が消える
てことな
>疑わず、存在する と考えた場合は、どうなんの???
日本語がわからんらしいw
>最高位
基地外と言うのは簡単だ
相手に「非論理」のレッテルを貼るのもたやすい
だがね
「地球は丸い」というのだって、思いつきじゃないか
論理は思いつきと反するものではない
それは論理に対する激しい誤解だ
>「存在すると考えた瞬間、私が存在すると考えるいかなる理由もなくなる」わけか???
Yes
「『わたしが存在する』とわたしが考えたところで、わたしが存在すると考えるいかなる理由もない」
「思うゆえにあり」の構造はこう
”命題A「命題Aは存在する」”
なんだよ
>>498 >「存在すると考えた瞬間、私が存在すると考えるいかなる理由もなくなる」わけか???
そうでしょうね。
最高位はバカだな。私が存在するというのは一つの観念だろ。
私が存在するという観念は、どういう時に存在するんだ。
バカ最高位ははよく考えろよ。バカなんだから。
「何故?」と考えなくなるとういことですね。
最高位はなぜ?とか他人に質問してるだけで
本当は何も知らない
知らないやつが何を言っても無駄な議論
508 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/25(土) 02:54:21 0
>>502 やぱりキミ、頭おかしいわ
>>「存在すると考えた瞬間、私が存在すると考えるいかなる理由もなくなる」わけか???
>Yes
>「『わたしが存在する』とわたしが考えたところで、わたしが存在すると考えるいかなる理由もない」
私が存在する と結論付けて考えた理由があるだろ
理由もないのに「私は存在する」とか「しない」とかを
結論付けて考えるのは、キミらぐらいであってね
それを「論理性が無い」と言うわけだ
私が存在するということを勝手に正しいと定義してること自体
疑ってみる最重要なことw
>>508 論理性が無いのはキミぐらいであってねw
>最高位
まず、「わたし」の話から離れて論理の話をしよう
>理由もないのに結論付けて考えるのは、キミらぐらいであってね
>それを「論理性が無い」と言うわけだ
「ライプニツの充足理由律」というものがある
「十分な理由が無いものを受け入れてはいけない」ってやつだ
では充足理由律を受け入れることにはどのような理由があるのだろうか?
「Aである」と誰かが言った
理由を聞く「なぜAなの?」「Bだから」
「なぜBなの?」「Cだから」
「なぜCなの?」「Dだから」
「なぜDなの?」「Eだから」
「なぜEなの?」「Fだから」
このように理由付けを求めると、無限後退、恣意的打ち切り、循環の3すくみに陥る
このような論理的アポリアがある(「アポリア」とは「困難」という意)
このような3すくみを「ミュンヒハウゼン・トリレンマ」と呼ぶ
>>511 最高位にそういう高等な哲学は分からないよ。
513 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 03:06:02 0
Wittgenstein みたいだな〜。
514 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 03:07:12 0
>>511 理由付けを求めると「ミュンヒハウゼン・トリレンマ」に陥るということを
君が主張しようとすれば、君は「ミュンヒハウゼン・トリレンマ」に陥るよwww
論理は徹底させないとねw
515 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 03:08:50 0
オッカムはいいだろうけど、充足理由律などは妄説だとおもうよ。
>>514 「理由付けを放棄した合理主義的態度」がありえるならば、その限りではない
517 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/25(土) 03:11:00 0
>>511 ん? で?
何を言いたいのか、まとめなよ
それと
「わたし」を離れないで
「わたし」に当てはめて
具体的に「わたし」は「あり」とは言えない事を説明すればよい
それではどうぞ
518 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 03:13:00 0
>>516 理由付けと一緒に「ミュンヒハウゼン・トリレンマ」も放棄しないとねw
519 :
Ra:2007/08/25(土) 03:20:05 O
規制かかった
論理は矛盾を禁止するものであって理由付けをするものではない
520 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 03:31:20 O
無限の強調おちんこどぴゅどぴゅ
おはよう
>最高位
「わたしは存在する」というのも悪魔が騙してそう思わせているだけで
ほんとはわたしは存在しないのかもしれない
(デカルトはそう考えた)
最高位は「論理的」「論理的でない」という表現をするが
これは「合理的(reasonable)」「非合理的」の方がいいだろう
一昔前なら、「合理主義(Rationaiism)」とは「ものごとの理由を模索すること」という意味合いがあった
>>518 ミュンヒハウゼン・トリレンマはアポリアだぜ
理由付けを放棄したところでトリレンマを放棄する必要は無かろう
それに誰かが解決するかもしれんしな
この困難をいかに乗り越えるか
合理主義をやめて非合理主義者になるのもひとつの選択だろうが
合理主義を保持する選択もまだありえそうだ
朝は気持ちいいね
デカルトは「われ思うゆえにわれあり」は正しいと感じた
この明晰で真なることはどこから来るのかと考えた
だが、「われ思うゆえにわれあり」は2つのこと「わたしは思う」から「わたしは存在する」を導いたのではない
デカルトは「わたしは存在する」を明晰で真だとしたのではなく
「われ思うゆえにわれあり」を明晰で真だとしたのだ
この部分を取り違えて「わたしは存在する」に固執するならば、それはデカルトとは正反対だ
これだと「われ思うゆえにわれあり」が何を指しているのか分かりにくい
そこで次のように整理してみる
A「わたしは存在しないかもしれない」
B「Aは存在する」
これが、デカルトが真だと考えたものだ
523 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/25(土) 08:21:48 0
>>521 >>最高位
>「わたしは存在する」というのも悪魔が騙してそう思わせているだけで
>ほんとはわたしは存在しないのかもしれない
>(デカルトはそう考えた)
はぁ? それで?(笑
というか
悪魔が「誰を」騙して、そう思わせているかも知れないの??
アホか(苦笑
やっぱり頭おかしいわ お前ら
524 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/25(土) 08:26:44 0
>>522 じゃぁ
「我思う故に我あり」と思っているのは誰?
>最高位
>というか
>悪魔が「誰を」騙して、そう思わせているかも知れないの??
その問いかけ自体が、「すでに誰かが存在する」ということを前提にしている。
だが、デカルトはそのような問いかけも疑ったのだ。
「誰もいないのかもしれない」「何もないのかもしれない」とね
一応マジレスすると、君の質問は”Whom?”だから
「デカルトを」と答えるしかないね
>最高位
>じゃぁ
>「我思う故に我あり」と思っているのは誰?
「われ思うゆえにわれあり」が明晰真なのであって、
それを思ってる人が「われ思うゆえにわれあり」に関係するのか?
まったく無関係なんだよ
誰も思ってなくてもいい
>>522のように紙に書くだけでもいいのだ
誰と聞くのは既に答えの範疇を狭めていて、問いとして徹底されていない。
一応言っとくとデカルトは数学ラブの常識人だから常識擁護のために疑った
最高位みたいに疑うことで自分を哲学者っぽく見せるために疑ったのではない
そういう人間を「疑うために疑う」と言って反対している
あくまで答えを出して真理を得るための疑いであり、これを「方法的懐疑」と呼んだ
これは、デカルトは真の存在を前提にしていた、とも言えるだろう
デカルトの「われおもうわれあり」の明晰、真なる様は
「この文章は存在する」という形でも表現できるだろう
これが真であることをわれわれは直観的に感じるが
これが真であることを証明しようとすると難しい
おそらく不可能だろう
529 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/25(土) 08:57:54 0
>>525 >「誰もいないのかもしれない」「何もないのかもしれない」とね
だったら
>>526の
>「われ思うゆえにわれあり」が明晰真なのであって、
これも言えなくなるだろ
てか
「われ思うゆえにわれあり」の、「われ」って
「われ」を指してるんじゃなかったら、いったい「なに」を指してるの??
>>527 >誰と聞くのは既に答えの範疇を狭めていて、問いとして徹底されていない。
じゃあ、最初から「われ」とか、そいう言葉を使うなよ(爆笑
キミらの言う「われ」って、いったい何やねん
私などというのは言葉による砂上の楼閣
>>527 そうだね。
内容が不定ならば、「誰か」と問わないで「何か」と問うべきだよね。
>最高位
>じゃあ、最初から「われ」とか、そいう言葉を使うなよ(爆笑
翻訳だから仕方ないじゃん
原文を忠実に訳すと「思う、ゆえに、あり」みたいな感じかな
「われ」って後付けなのよ
>>「誰もいないのかもしれない」「何もないのかもしれない」とね
>だったら
>これも言えなくなるだろ
そう、「何もないかもしれない」と考えたら
「『何も無いかもしれない』という考えはある」とデカルトは気づいたんだ
だから「『何か』がある」んだ
ここで「何が?」って質問するなよ
デカルトの発見は「あり」という答えを得たところにあるんだから
最高位はデカルトを理解していない(まともに読んでいない)で
デカルトを語っているから、またおかしな議論になるんだな。
悪魔が騙して思わせているのは「思う我」ではないわなw
「思わされている何か」だw
その「何か」は悪魔の従属物だw
535 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/25(土) 09:23:02 0
お前ら、本当に頭が狂ってる
確かに正気かどうかは疑いの余地ありだな
537 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/25(土) 09:29:45 0
>>532 >「われ」って後付けなのよ
誰がつけたん?
>原文を忠実に訳すと「思う、ゆえに、あり」みたいな感じかな
他人が思っても、私は認識できないんだよ
私が認識してるって事は、私が思ってるんだろ
>そう、「何もないかもしれない」と考えたら
>「『何も無いかもしれない』という考えはある」とデカルトは気づいたんだ
デカルトは気づいたんだろ?
それを気づいたのは誰ですか?と、デカルトに聞いたら「私です」と言うだろ
「さぁ?それはわかりません」とでも言うのか??
538 :
Ra:2007/08/25(土) 09:46:00 O
デカルトを矮小化しなければお前は好きなように言っていいけど
それをデカルトのことのように語るなよ
また規制だ
539 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/25(土) 10:25:11 0
>>538 そんな解釈が通るかよ
本を読んだからって、お前みたいな基地外解釈してたらダメだろ
私のは、学校で習った一般常識だ
反論するなら
まず常識的な解釈を、ちゃんと理解してから、段階的にやれよ
突拍子も無さ過ぎるわ
話にならん
そもそも誰かと聞くことは何色かと聞くのと同じで、その質問に対する返答の内容があらかじめ狭められる。
私という返答が期待できるのはそういった理由からだってことがどうして分からないのだろう?
これは哲学以前に言葉の問題のような気がする。
541 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/25(土) 10:43:25 0
>>540 屁理屈はいいんだよ
じゃぁ
「何ですか?」でもいいから、答えろや
>>541 何かと問うこともまた、不徹底の域を出ない。
そもそもそれを他者に問うことが不徹底極まりない。
最高位は質問することでしか哲学できないのだね。
543 :
夏休みパート7:2007/08/25(土) 11:08:43 0
基地外になることだ
常識という基地から外れてみよう ポストモダン
544 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/25(土) 11:13:00 0
>>542 思ってるのは『私』ではない と主張してるんだろ?
わけがわからんけどさ
だから
「だったらそれは何が思ってるの?」と聞いてるわけだ
そしてら
「聞くな!」ってか??
お前らホントに基地外だな
>>532 >>翻訳だから仕方ないじゃん
>>原文を忠実に訳すと「思う、ゆえに、あり」みたいな感じかな
>>「われ」って後付けなのよ
ラテン語やギリシャ語の動詞は、人称代名詞を意味的に含んでいる、
少なくとも初級文法ではそう習う。cogito が本来、一人称単数ではない
(I think ではなく think だ)というRail氏の主張は正しいことなのですか?
どなたか、語学の素養のある方、お願いします。
Rail氏ご本人でも、もちろん構いません。
>>544 何でも、私でも、彼でも、あれでも、それでも同じ。
それではないとしか答えられない。
だから尋ねるなと言っているのだが、分からないだろうか。
それともいっそ「ない」と答えた方が早いのかな。
547 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 11:38:59 0
母語の問題になっちまう〜
548 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 12:11:34 0
十四歳の君たちは世界とのつながりなんて淫靡なことばかり考えてないで
純粋無垢な思考する我だけを中心に考えなさいね。
っていう池田晶子さん目線。
デカルトはもともとフランス語で
“Je pense,donc je suis.”と書きました。
この“Je”は英語でいうと“I”です。
まさに第一人称単数主格ですね。
“Cogito ergo sum”とラテン語訳にしたのは
デカルトの友人のメルセンヌ神父です。
“Cogito”は一人称の意味がそれ自体に含まれています。
二人称なら“Cogitas”
三人称なら“Cogitat”
となります。
ですから“Cogito”を「われ思う」と訳すのは当然といえます。
550 :
ネコの味方:2007/08/25(土) 12:27:00 0
>>532 どの原文を指しているのかしらないが、最初に書かれた仏語のそれには
「われ 思う」となっていたはずである。その後、ラテン語に訳された際に、
その部分が「コギト」となり、あなたのような解釈が施されるようになった
のだろう。「われ」は先付けなのある。
デカルトの懐疑は初めに【私】を前提にしている。【私】に明証的に真として
認められるものだけを受容する、というのがその出発点だからだ。
その過程で、彼は心身をも懐疑の淵に投げ入れ、周知のごとく疑いつつある
【私】の存在の絶対性に逢着する。
最高位も同じことを指摘しているが、
>>532の表現をデカルト寄りに変えると
「『何もないかもしれない』という考えはある」ということに気づいた【我】は
存在する、となるだろう。デカルトは単に「あり」を見出したわけではないので
ある。
あなたの解釈は、神を殺し次いで主体を消去する時代風潮の産物という印象
を免れない。むろん、デカルトのテクストをどう読み替えようと自由ではある。
ただし、それを祭壇に飾るのはいかがかと。それでは“哲学教”になる。
552 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/25(土) 13:14:17 0
553 :
哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/08/25(土) 13:17:20 0
私は永遠に不滅
554 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/25(土) 13:20:03 0
おい
またバレたのかよ・・・・
コレに変えるわ
555 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 13:29:50 0
物質以外のモノが生物に存在すると思っている最高位は基地外
556 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/25(土) 13:35:02 0
>>555 これは現代哲学的な問題意識だからな
素朴実在論の範疇でしか思考する事ができん知能の低いお前には理解できん話だ
557 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 13:37:38 0
おお、釣れたw釣れたw
558 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 13:41:39 0
「私」なんて君が死んだらきえるだろ、最高位くん
>>549 さん、ご回答、どうもありがとうございました。
ネコさん、こんにちは、
>>429 です。たまたま上のような経緯があったので、
>>429 のヨハネ書の引用文もまた、どれほど原文に忠実なのか問題にされて
しまいそうですが、
>>472 にお答えします。
1:1 初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。
1:2 この言葉は、初めに神と共にあった。
1:3 万物は言葉によって成った。 成ったもので言葉によらずに成ったものは何一つなかった。
1:4 言葉のうちに命があった。命は人間を照らす光であった。
1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は、光を理解しなかった。
神は「超越論的な主観(制約)」、命は「主観(コギト・自意識)」、
万物は「世界」、成った(通して造られた)とは「意味分節された」、
光は「独我論の私」、暗闇は「独在論の私」、と置き換えて読んでいます。
理解しなかった(打ち勝たなかった)は、かなり意訳するので以下参照。
肝心の言葉は「光あれ」というような特定の発話を指しているのではなく、
独在論が「この私」とか「この言語」とかいう意味での特定性だと読んでいます。
要約すると、「この言語」という超越論的な限界のもとに、認識論的な独我論の
「私」の意識が開闢した(世界が意味分節された)が、そのコギトの認識を超越した
(語りえない)場所に存在論的な独我論の「私」が「沈黙して(超意訳)」いる。―
と、こんな具合です。
>>472 >>ところで、ヒトの言語能力は生得的ではあるが、たとえば二足歩行のような
>>それとは異なるのでしょう?
俺は「足は物質だから歩行は必然に過ぎない」と某スレに書きました。
560 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/25(土) 13:54:09 0
561 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 13:56:11 0
現代哲学的な問題意識は
私が濃硫酸の池にはまりこんだ後の「私」を発見できるかなw
562 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/25(土) 14:07:05 0
存在する事と、発見できるかどうかとは、別だぞ バカ
563 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 14:16:11 0
発見できなくては存在するとはいえんぞ バカ
実在を前提にしていないか おまえ
564 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/25(土) 14:21:05 0
>>563 だから知らんと言うとるだろボケが
しかし
今は「我あり」だろ カス
ひとつ言ったら、ひとつ忘れる 鳥みたいな知能だなキミは
今日はここまでね
これからはアホ相手もほどほどにせなアカンなぁ(苦笑
565 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 14:28:03 0
刹那の「私」
566 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 14:29:41 0
今は「我あり」
こんなんでましたけど
567 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 14:32:05 0
今は「我あり」
思っているうちは「我あり」
568 :
権藤有二郎 ◆EN8cDNURt. :2007/08/25(土) 14:32:46 0
なんか古典的論理的に書こうとするので『私』ということに
たいしてのコミュニケーションが成り立ってないようですな
私の明言は「私は私」です。これ以上形而下的にも形而上的にも
範囲が広くわかりやすいものはないからです。
(誰かにこれを証明してほしいですけど)
日本語使ってこのスレを突き詰めるならば日本語の持つあいまいさをもっと
つかったほうがいいのでは(最低限)
私が思う最大限では不確定性を考慮した文がもっと出たほうがいいのでは
569 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 14:37:54 0
>>568 >日本語の持つあいまいさをもっと つかったほうがいいのでは(最低限)
なんじゃ、己は。
僕の意見を聞かせてください。
お母さん、こまっちゃう。
570 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 14:43:29 0
>>568 >日本語の持つあいまいさをもっと つかったほうがいいのでは(最低限)
誰?
どこの者じゃ?
どこの物(存在)じゃ?
>>552 どうにも尋ね癖が抜けんようだ。それに根拠の有無などどうでもいいが、
しかしあえて答えれば、指せないことだろうか。
572 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 17:11:07 0
「私」を使った時点で、西洋思想の配下。
573 :
Ra:2007/08/25(土) 17:45:19 O
解説サンクス
デカルトの我を強調するのは好きではないんだが
俺が間違っていたようだ
そこで方針を変える
思う我の存在は堅固でいかなる懐疑論者も否定できないとデカルトは考えたが、
本当にそうだろうか?
懐疑論者はデカルトに反論するのでは?
574 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 18:08:30 0
懐疑論の頂点を極めたヒュームが、懐疑の末に自我の存在を否定して、
意識だけが存在するといい、人は「知覚の束」でしかないと、述べているだろ。
デカルトのような懐疑をしていけば、思惟する我は存在すると
いう事になる。懐疑のスタイルが思想家それぞれで違うのだろう。
576 :
3時で1時:2007/08/25(土) 18:39:13 0
ありとあらゆるものを、ふるいにかけるならば、
徹底すればするほど、ふるいと、作業主しか残らなくなる。
ふるいは 作業を止めてしまえば 用無し。
「私」の一人勝ち となる。
それなら、はじめから「ふるい」なんかいらねんじゃねーの?
578 :
ネコの味方:2007/08/25(土) 18:45:29 0
>>574 ヒュームは、その“知覚の束”をも疑うべきでした。デカルトふうに疑うなら
畢竟、知覚の束を疑う“何か”までは消去できないことに至ったでしょう。
私なら、もっと常識的に知覚を束ねる“主”という留め金を外すことはできない、
との言い方をするでしよう。
とはいえ、
>>573 の述べるように【私】が精神(心)の基底をなしているかどうか、
比喩的に言うなら【私】が心の素粒子かどうか…。
579 :
3時で1時:2007/08/25(土) 18:53:59 0
>>576 >はじめから「ふるい」なんかいらねんじゃねーの?
そこが肝心。
ふるっているというまやかし。
580 :
3時で1時:2007/08/25(土) 18:56:04 0
581 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 19:07:25 0
ぼくわ わたしの勉強おしました。
大体 わたしのことわ わかりました。
十ねんも 生きていれば それくらいわ ふつうわかります。
おとうさんもおかあさんも ぼくわ あなただといいました。
ぼくもそうだとおもいます○
ぼくにわ あなたが ゐるのです。
ぼくにわわたしとあなたがゐるとわ信じられません。
わたしもあなたも なくせばいいとおもいます。
わるいあなたからわ ばっ金お とったらいいのだす○
でも 田丁にわるいあなたがふえると わたしがしんぽいになります。
だから あちこちに 山おふやすのです。
あなたはあなたにゐるのです○
「まず、疑って見よう」ってとこから嘘であって、始めからデカルトは
信じていたのだが、そのため問いが不純で徹底しないものとなったのである。
このスレの方々の発想はかなり旧いなぁ。
「疑い得ないものは何か?」なんていうのは
古臭い発想だよ。
584 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 20:36:51 0
私が存在しているという出来事、それは奇跡そのものだ。
これに比べれば、世の中のあらゆることが色あせてしまうくらい、
存在というのは奇跡的なことなのだ。
そして私が存在しているということは、
他の何ものにも置き換えることができないくらい絶対のものなのだ。
こめんね、池田晶子をよろしく。
>>573 >思う我の存在は堅固でいかなる懐疑論者も否定できないとデカルトは考えたが、
>本当にそうだろうか?
>懐疑論者はデカルトに反論するのでは?
懐疑論者でなくても、デカルトの「我」は、その後の哲学で
散々批判されてきたわけで。。。
なんで今更デカルトの「我」に拘っているのかの方が不思議。
>>550 >「『何もないかもしれない』という考えはある」ということに気づいた【我】は
>存在する、となるだろう。
ある考えがあれば必ずそこにはそれに気づく「我」がいる。
ある考えがあるからこそそれに気づく「我」がいる。
となるとそれがどのような考えであれ「ある考え」と「我」は常に密接不可分であり別々に存在することはない
「ある考え」と切り離してそれとは別に「我」のみをそれ自体として実体的なものとして「我あり」とは結論できないですね。
つまり、「思う(我思うでもいいですが)」から、「我あり」のみを抽出してそれを結論づけることはできない。
「思う」と「我」は密接不可分で切り離せないから「思う我」となるがこれも「思う」と「我」という元々別のものをつなげた表現なので分離可能。
よって厳密に言えば「思う」=「我」となり「思う我」とも言えない。「我」は「思う」へと回収される。
でも、「思う我」という抽象的存在はいないとしても
それでも何かを思うたびにそれを通してそれに気づく「我」ありとの直観はぬぐえないので
例えば「ウンコがしたい」と思えば「ウンコがしたいと思う我あり」とか「オシッコがしたいと思う我あり」とかその都度言ってしまいたいところも多分にありますが
日常会話では「私はウンコがしたい」で意味が通じて
この場合でも「私」と「ウンコがしたい」は密接不可分で「私」=「ウンコがしたい」となり「私」は「ウンコがしたい」という具体的観念へと回収されてしまうわけです。
>>586 >日常会話では「私はウンコがしたい」で意味が通じて
>この場合でも「私」と「ウンコがしたい」は密接不可分で「私」=「ウンコがしたい」となり「私」は「ウンコがしたい」という具体的観念へと回収されてしまうわけです。
日常会話の「私」と、「思う」=「我」の「我」は違うだろ。
そのへんがごっちゃになってるみたいで、わけわからん・・
そもそも、
>>550 の『「『何もないかもしれない』という考えはある」という
ことに気づいた【我】は存在する、となるだろう。』
の『気づいた【我】』の【我】が、日常会話の「私」なのか
「気づく」=「我」なのか曖昧なんだな・・
>>578 :ネコの味方
>ヒュームは、その“知覚の束”をも疑うべきでした。デカルトふうに疑うなら
>畢竟、知覚の束を疑う“何か”までは消去できないことに至ったでしょう。
>私なら、もっと常識的に知覚を束ねる“主”という留め金を外すことはできない、
>との言い方をするでしよう。
ヒュームは自我は観念の束だと考えたんでしょ。
つまり自我の実体性を否定したんだよ。
590 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 01:05:11 0
ヒュームにおいては
精神、自我だけでなく、神や物体といったものまで
すべて否定されちゃったね。
591 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/26(日) 01:26:54 0
日常会話で使っている『私』も
哲学的な意味での『私』も
同一人物である
それは
『私』なのである
『他人』ではない人 である
当たり前田のクラッカーなのである
これが わからない人は、病気かも知れません
自分は本当に居るのだろうか
と思っている のが、自分である
にもかかわらず
自分は居ない と、思ってしまう人も 、ヤバイでしょう
懐疑論を徹底すれば『私』も懐疑できるだろう
と言っているのが、私である
という事に気がつかない人も、かなりヤバイっす
意識の束とは、誰の意識の事を指しているのでしょうか
他人の意識が、いくら束になっても『私』にはなりません
他人は他人です
私は私 なのです
ですから意識は、誰の意識なのか が重要なのです
我を否定して、単に『意識の束』などと表現しても
それは本質からズレております
意識の束 であったとしても、常に誰の意識なのか は、ついてまわります
デカルト批判なのであれば、的外れな論理展開だ と言えるでありましょう
>>591 >日常会話で使っている『私』も
>哲学的な意味での『私』も
>同一人物である
哲学的『私』を「人物」とか言ってる時点で
この人はスルーw
593 :
人間:2007/08/26(日) 01:43:39 0
デカルトは一神教的発想で逐次処理。
ヒュームは多神教的発想で並列処理。
日本人にはヒュームの方が理解しやすい。
悪いけど最高位は哲学向いてないや。普通に話にならん。
596 :
人間:2007/08/26(日) 01:46:20 0
デカルトのコギトは一神教的発想が深く染みついている。
597 :
人間:2007/08/26(日) 01:52:47 0
デカルトにとって某一神教は疑えなかった。一神教信者としてのコギト。
598 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/26(日) 01:56:41 0
デカルトの思想全般に対しての批判をしても意味がありません
『我思う故に我あり』の部分を、論理的に否定せずして
私への反論にはなりませんよ
599 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 02:04:28 0
>>592 ホントあきれるね。
自我の話から「誰」っていう話かよww
以下めんどうくさいから、抜粋。
何を馬鹿な。
そう問うているのは一体誰なのか、考えてみればわかるではないか。
しかし改めて問うてみれば、自我なる感覚印象はない(我々はさまざまな
印象や仮説から「自我がある」と推論しているに過ぎない)。
自我は知覚されない。したがって(バークリーに倣って「抽象能力」の乱
用を制限するなら)、自我なる観念は存在しない。
600 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 02:12:53 0
「自我がある」と推論している僕はここに居るんだけどね。
「自我」そのものは立証できんのよ。
自我意識は「君にもあるよね」で済むようにおもうがね。
最高位の他人への質問は
自分自身になされること
無駄な馬鹿議論はおわり
602 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 02:23:23 0
無駄な馬鹿議論はストレス発散になってるんだけど。
ショボン。
最高位は(認めないだろうが)かなり頭が固い。
この手の話はできない人なんじゃないのか。煽りではなく。
604 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/26(日) 02:28:45 0
自我の無い人(哲学的ゾンビ?)は、今は議論に参加しないで下さい
そういう人は「この体には、自我はありません」とだけ発言し
今後は「私」とか「我々」といった言葉は、使用をひかえるようにお願いします
(そういう人は、「私」ではなく「この体」と表現するのが適切かと思われます)
そして、可能ならば「自我というものがある人もいるんだな」と理解して下さい
本スレに自我のプロフェッショナル
唯識大先生が現れたみたいw
606 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 02:32:10 0
むちゃくちゃになってきた。
むちゃくちやにしたいのかな。
607 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/26(日) 02:35:33 0
「自分には自我は無い」と主張する人は
その主張を、日常生活にも徹底させましょうよ
>>604 自我が無いとしたらおまえの理論は砂上の楼閣となる
だからおまえにとって自我は絶対必要条件
しかしこれが無いとしたらの議論も有効
>>604 病院に行った方がいいお
先生に相談したら?
>>604 この体と結びつけて唯物論批判の展開にはならないのでそのつもりでw
ここは「私」について考えてるからw
611 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 02:42:41 0
>>607 なに「徹底させましょう運動」してんねん。
自我意識はありますが、自我そのものはあるかどうかわかりませんってか。
運動しなくても、僕の周辺は、心そのもの、精神そのもの、自我の否定派ばっかし。
612 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/26(日) 02:51:59 0
>>609 わけわからんけどさ
いくら説明しても
「自我は無い!」と主張する人がいるんだよ
だから
「そうなんだったら、都合のいい時だけ自我があるフリすんな」
と言っているわけだ(爆笑
>>611 >自我意識はありますが、自我そのものはあるかどうかわかりませんってか。
何を意識する事を自我意識というのかな?
613 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 02:56:02 0
>>612 >何を意識する事を自我意識というのかな?
勉強しなおしたほうがいいよ。
>>612 病院の先生に、
「自我がないのに都合のいい時だけあるフリする人がいるんです。
いくら説明しても分からないんです。」
って相談するといいお^^
>>604とか
>>607は小学生の発言みたいだな。
最高位は時々すごい幼稚になるけど、それこそ頭大丈夫か?
618 :
613:2007/08/26(日) 03:01:42 0
>>612 とりあえずヤスパースでも嫁。
僕が説明するより、てっとり早いだろ。
619 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/26(日) 03:10:09 0
>>614 いやいや
自我が無い と告白してるのは、お前らだろ
だから「無いんなら、あるフリするな」と言ってるだけだ
無いんだろ? いったい、どっちなんだよ(爆笑
>>616 これぐらい下げてあげないと理解できないかな と思ったんだけどね
しかし、それでも無理みたいだな
完全放置でよろしく。
聞いてくれよ。
この間コンピューターがさ、都合良く自我があるふりなんてしやがるからさ、
俺は言ってやったのよ、「そんな事はやめろ」ってな。
そしたら通じたらしくてさ、やめたぜ。
300時間眠らないでいれば半意識になる。猿か犬の意識と同等。
クオーリアは単純鮮烈になってくる。400時間で鼠。500時間で魚類。
600時間でアメーバになる。もうヘロヘロだが僅かな意識はあるだろう。
700時間で虚無。不眠は系統発生を遡る
途中20分でも仮眠をとればどうってことないのだが、
連続で起きているのは辛いです。生き物って不思議
ウトウトとしていても意識がお亡くなりしても「私」の存在性は揺るがない。
要するにアメーバになってもウイルスになっても「私」は唯一絶対だってこと。
千の風になっても
「私」の〜お墓の〜ま〜えで 泣かないでください〜
そこに「私」は〜いません 眠ってなんかいません〜
千のか〜ぜ〜に 千のか〜ぜになって〜
死体や遺骨や仏壇に「私」はいないということ
626 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 11:47:34 0
主観の〜 霊魂の 前で〜 不安にならないで〜
主観は存在しません 夢をみてません〜
千の物質にな〜て 千の物質にな〜て
あの大きな世界を
目的にしてます〜
627 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 12:00:02 0
私の〜存在性を〜信じないでください〜
そこに〜私は〜いませ〜ん〜
存在してなど〜いませ〜ん〜
千のニューロンになって〜
千のニューロンになぁって〜
あの〜脳みその中を〜
駈けめぐって〜います〜
>>591 これ読んで理解できないとしたら相当やばいでしょう。
それこそ哲学に向いてないと思います。
629 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 13:20:37 0
自分という人間存在が在るという話と
「自分という不可視の精神的・霊的」存在が在るという話は別。
ということだろ。
誰も突っ込んでませんが
>>494 同じじゃ無い、同じじゃ無い。
>「思わなくなったら、私は消えるんだけどね」
は、「消える」と決めてしまっているのに対して、
>「わたしが疑うことをやめた瞬間、わたしが存在すると考えるいかなる理由もなくなる」
は、「いかなる理由も無くなる」と決めているだけで、その他は
「消える」とも「残る」とも決めている訳では無いでしょう。
631 :
し:2007/08/26(日) 14:01:25 O
バーチャル世界こそ至上!
>>630 >「わたしが疑うことをやめた瞬間、わたしが存在すると考えるいかなる理由もなくなる」
>は、「いかなる理由も無くなる」と決めているだけで、その他は
>「消える」とも「残る」とも決めている訳では無いでしょう。
疑うから、「私」が存在する。
疑うのをやめれば、「私」が存在するなんて言えない。(≒「私」は消える)
てことだろ。
>>632 それはあなたの憶測でしょう。
「わたしが存在すると考えるいかなる理由もなくなる」だけで、
実際に「消える」か「残る」かなんて決めてないでしょう。
憶測をして良いのなら、
「わたしが存在すると考えるいかなる理由もなくなる」の後に、
「それでも私は周りからしてみれば存在しているかもしれない」と続いても
論理的には合っているでしょう。
634 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 16:31:35 0
>>633 >「それでも私は周りからしてみれば存在しているかもしれない」と続いても
>論理的には合っているでしょう。
「我思う故に我あり」っていうデカルトの文脈で考えれば
そんな風に考えるのは無理があるんじゃないの?
「疑う」が「思う」にあたるわけだからさぁ・・
635 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 16:50:22 O
至上の時 地上の果て
636 :
Ra:2007/08/26(日) 18:24:08 O
デカルトはマジで疑ったわけじゃない
デカルトは懐疑論者ではない
第四部冒頭で「真理の探求をしたかったので、それと正反対のことをしなければなかった」と書いている
懐疑の果てに何か残るものがあるかを検討するための懐疑
だから方法的懐疑だ
637 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 18:30:52 0
>>636 デカルトのレス・コギタンスは思惟実体だから思惟(思う・疑う)と
結びついているはずだと思うけど、「思わない(疑わない)我」という
ものをデカルトは認めていた、ということを言いたいのか・・・?
639 :
Ra:2007/08/26(日) 18:56:38 O
デカルトの方法論を無視して「われおもうゆえにわれあり」だけを論じるのはどうかと思う
懐疑論のスタンスに立てばデカルトを否定できるだろう
だがデカルトは気にしないだろう
デカルトは懐疑論者じゃないのだから
Raさんは何かに反論してるようだけど、
誰のどの考えに反論してるのかわからんよ…
642 :
Ra:2007/08/26(日) 19:15:24 O
思い切り私見だが
おそらくデカルトは思わない我の存在だって認めていたし
常識的なほとんどのことを認めていたと思う
デカルトは懐疑論を馬鹿げていると思っていたことだろう
だから懐疑論を否定するためにあえて懐疑したのではなかろうか
だから、懐疑論的スタンスの結果として思う我の存在を祭りあげるような態度はよくないと思うんだ
Raの時は長文書けない
わかりづらい文ですまん
643 :
Ra:2007/08/26(日) 19:16:55 O
641
別人
>>641 >>630と
>>633の私は、
>>493さんとは違う者ですよ。
要するに、デカルトが書いた事と、
デカルトが書いた事を読んだ私の解釈をごっちゃにするのは、
誤った解釈の元になるでしょ?と言いたかっただけなんです。
「わたしが疑うことをやめた瞬間、わたしが存在すると考えるいかなる理由もなくなる」
とデカルトが書いた事を読んで、
「思わなくなったら、私は消えるんだけどね」
と私が解釈するのは良いのですが、
「思わなくなったら、私は消えるんだけどね」
とデカルトが書いたことにしてはいけないのですよ。事実が違いますから。
二つに切れば2匹に、三つに切れば3匹に再生するプラナリア。もしプラナリアにも
「私」があると仮定したら、「もと」(でも、どれが?)のプラナリアの「私」はどうなったのか?
言語を持たない犬や猫やサカナやミミズやプラナリアには、やはり「私」はないのか。
― プラナリアのシンジ君は恋人のアスカと待ち合わせをしていたところ、突然そこに
2匹のプラナリアの少女が現れて、2匹同時に命令口調で言い放った。
「いいこと、シンジ、本物のアスカはこの「私」よ! 最高位という人間の手で
おぞましくも3体に引き裂かれちゃったけど、この「私」だけが本物なのよ!」
戸惑いながらシンジは尋ねた。「え…と、じゃあもう一体はどこ?」
「ここよ」。背後からの声にシンジが振り向くと、残り1匹のプラナリア少女がいた。
「私の名はレイ。アスカとは人格が違うけれど、本当のもとのアスカは、この「私」
なの。だってこの「私」のコギト(主観)が連続しているのは、この「私」なんだから」
シンジはなんだか得した気分になってきた。「えと、とりあえずみんなとやりたいな」
>>645 私はプラナリアでは無いので分かりませんが、
推測だけさせていただくと、
恐らく分かれる前の「私」と、分かれた後の「私」の記憶は連続してますよ。
Aから分かれたA1もA2も、両方ともAの記憶と連続しているはずです。
分かれた瞬間からは、A1とA2、それぞれ別個の自我を構築していくでしょう。
分かれた後はそれぞれ座標も違いますし、座標が違う事で見え方も違いますし、
座標が違う事で恐らく水流、量子その他もろもろから、A1とA2それぞれの
自我が受ける影響も違ってくるでしょう。
あと考えられる事は、
A1とA2に分かれる時にAの自我が自動的に消える場合、
A1が元のAの頭部で、A2が元のAの尾部で、A1はそのまま自我を継続
させて、A2は全く最初からA2としての自我を構築する場合ですが、
どれにしても、A1はA1であり、A2はA2であると思うのです。
もしかしたら最後の例の場合は、A1がA2へ
「おまえは俺のクローンだ」と言うかもしれませんが、最初から
自我を構築し直すA2はすんなり受け入れるかもですね。
最初の例の場合はもしかしたら、お互いに
「あの時の事、まだ覚えてるか?」
と、紛れも無い共通の記憶について語り合う事もあるかもしれません。
647 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/27(月) 09:57:17 0
何度も言いますが
私がデカルトの「我思う故に我あり」を使って説明しているからといって
デカルトの思想の全体からアラを探してきて批判しても、私への反論にはなりません
正面から「我思う故に我あり」を論理的に否定し、我が「無し」である事を説明して下さい
>>647 >我思う故に我ありを論理的に否定し
論理じゃねーから論理的に否定もできねーよバーカ
649 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/27(月) 10:24:11 0
日常会話で使っている『私』も
哲学的な意味での『私』も
同一人物である
それは
『私』なのである
『他人』ではない人 である
当たり前田のクラッカーなのである
これが わからない人は、病気かも知れません
自分は本当に居るのだろうか
と思っている のが、自分である
にもかかわらず
自分は居ない と、思ってしまう人も 、ヤバイでしょう
懐疑論を徹底すれば『私』も懐疑できるだろう
と言っているのが、私である
という事に気がつかない人も、かなりヤバイっす
意識の束とは、誰の意識の事を指しているのでしょうか
他人の意識が、いくら束になっても『私』にはなりません
他人は他人です
私は私 なのです
ですから意識は、誰の意識なのか が重要なのです
我を否定して、単に『意識の束』などと表現しても
それは本質からズレております
意識の束 であったとしても、常に誰の意識なのか は、ついてまわります
デカルト批判なのであれば、的外れな論理展開だ と言えるでありましょう
650 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/27(月) 10:26:27 0
人間にとって
「客観世界が存在している」
という事よりも
「私は存在している」
という事の方が、自明なのである
なぜ、そのような事実を無視して
必死で主観を否定しようとするのであろうか
あるがままに分析する事が、哲学者として誠実な態度 と言えるであろう
唯物論者は、最初に唯物論ありきなのであって、目的観を脱線させている
唯物論者は、純粋な哲学者ではなく、明らかに『思想家』なのだ
651 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 10:28:00 0
デカルトが大笑いしてるかも知れません。
652 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/27(月) 10:32:52 0
>>651 理由を述べない感覚的な妄想発言は控えて下さい
653 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/27(月) 10:58:26 0
>>648 「唯物論の論理性では、この問題に太刀打ちできない」
という事でよろしいかな?
デカルトがじっさいのところ何を意図して
方法的懐疑を推し進めたのかを詮索しても
研究者でない限りそれほど意味はないと思います。
それよりも、デカルトの示した手続きに則って懐疑すると
ある否定しがたい帰結を得るということです。
それが一般的に「我思うゆえに我在り」といわれるテーゼです。
ここで重要なのは「デカルトの示した手続きに則って懐疑する」ということです。
それを理解することなく、言語分析からこのテーゼに接近しても
有力な反論とはならないでしょう。
655 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 11:01:23 0
哲学的な意味での『私』を「自我」と解釈している人がいるかも知れません。
その人は「自我=心」のことだと言い張ります。
とすると、その人にとっては、 「私」は『私』にはなりません。
同一人物である のではなく、別物でしょう。
656 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 11:01:33 0
サイコ医の発言はどれも他人の発言のパクリばかりで
統一性に欠ける。
仮に正しい事を言っていたとしても本人の性格がそれを台無しにする。
657 :
656:2007/08/27(月) 11:02:18 0
×サイコ医→○最高位
誤字失礼しました。
658 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 11:13:45 0
無茶言うなよw
659 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 11:16:00 0
日本の独立を保留にしただけでも手一杯なのに南部の独立も保留にするのかw
660 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/27(月) 11:21:00 0
661 :
Ra:2007/08/27(月) 11:30:07 O
654へ
ある否定しがたい帰結が得られるのはデカルトの前提とする思考にのっとる限りではないのか?
「否定」に対する解釈がデカルトと懐疑論者で違うのではないか?
>>661 「デカルトの前提とする思考」とはどういう意味でしょうか。
663 :
Ra:2007/08/27(月) 11:37:20 O
何度も言うがデカルトがやったのは方法的懐疑であって懐疑ではない
これは大事だと思う
デカルトを懐疑論の延長と見なすのは大きな誤解を招くだろう
>>663 デカルトが懐疑論者であったかどうかを詮索することは
あまり意味がないと思います。
665 :
Ra:2007/08/27(月) 11:43:56 O
662
これは個人的に思っていることだが、
コギトを言うには神の存在証明を前提としなければならないのではないかと思っている
いずれ長文を書くときにでも説明する
666 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 11:48:11 0
「方法的懐疑」は、あくまでも真実を知る為の方法として、疑うことだろうね。
一般的な「懐疑」は、否定する方向で疑う、ということかな。
世界は私の副次的な要素なのか、私は世界の副次的な要素なのか
668 :
3時で1時:2007/08/27(月) 12:09:23 0
>>665 デカルトは、不完全な存在であるコギトから完全な存在である神を演繹した。
この神の存在証明は、懐疑論者達に対してアウグスチヌスが行った反論と同じらしいね。
「懐疑論者達よ、諸君は神の存在を疑っているが、疑うことしか出来ない諸君も疑って
いる自分の存在まで疑うことはできないだろう。そういう疑うことしかできない不完全
な諸君が存在しているのは、完全な神に支えられているからとしか考えられないじゃな
いか」
669 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/27(月) 12:34:07 0
>>665 >コギトを言うには神の存在証明を前提としなければならないのではないかと思っている
そんなものを前提にしなくても
「我思う故に我☆⌒(*^-°)v Thanks!!」は
『どう考えたって』単体で成り立つ
というのが一般的な常識ですが、本当に否定できるんですか??(笑
>>666 うむ
あんたは、かしこい
>>668 神の存在証明に関する事は
『私』に関する説明と同じく、言葉で伝えるもが非常に困難のだが
個人的な解釈を述べさせて頂くと
我の存在は疑いえない という事実性がある という事実性を否定できず
疑っている という事実性は、すでに「疑う行為をする場(事実性)あっての行為」であり
その「場」が準備、提供されている事実を否定する事はできない
『疑う場』を『自分』は提供されているわけであり
その事実性を事実性たらしめた原因性
超越的存在を
もはや、いかにしても疑う事は不可能である
という事なのではなかろうか?
自分が『存在する』という事実性は、もはや疑いえないのだから
最高位って今まで「私」をなぜ「私」と呼ぶ必要があるのかという質問に論理的に答えられなかったよね。
そんなんで「私」が存在しているなんて言われても失笑するしかない。
たぶんどうでもいいからだと思いますよ。
どうでもいい?
デカルトの我思うもなんで我かっていう問題があるのに?
>>670に論理的に答えられなければ最高位の主張は塵になる。
673 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 12:43:49 0
>「我思う故に我☆⌒(*^-°)v Thanks!!」
これはどういう意味ですか?
私はもはや砂上の楼閣である
世界には私は存在しない。
他人だけが存在する。
これが他人たちの一般常識である。
>>670 だって他にも「我」とか「主観性」とか「主体」など
いろいろな呼ばれ方をしているでしょう。
べつに「私」じゃなくてもいいんですよ。
言語分析からこのテーゼに接近しても
有力な反論とはならないでしょう。
>>676 そうそう。
ついでに「物質」と呼んじゃいましょう。
>>676 「私」や「我」じゃなくてもいいなら、それこそ存在性が希薄になるけど?
何をどう表現しているのかあやふやになって最高位の主張はやはり塵になる。
>>679 デカルトの方法的懐疑を理解していれば
何を表現しているのかは分かるはずです。
そしてそれをなんと呼ぼうがかまわないということも。
>>680 何と呼ぼうが構わないものは存在しないのと同じだけど?
最高位の「私」もその存在性もその表現にて自己崩壊している。
>>681 >何と呼ぼうが構わないものは存在しないのと同じだけど?
そんなことはないでしょう。
>>680 えー、本当?
何と呼んでも良いような事が書いてあったら、
読んでも意味を特定出来ないじゃん?
言葉は名指すだけ
西洋人が「あの動物は何だ?」と尋ねたら、
アボリジニが「カンガルー」と答えた、みたいな
>>683 わたしは
>>654で以下のように書きました。
デカルトがじっさいのところ何を意図して
方法的懐疑を推し進めたのかを詮索しても
研究者でない限りそれほど意味はないと思います。
それよりも、デカルトの示した手続きに則って懐疑すると
ある否定しがたい帰結を得るということです。
それが一般的に「我思うゆえに我在り」といわれるテーゼです。
ここで重要なのは「デカルトの示した手続きに則って懐疑する」ということです。
それを理解することなく、言語分析からこのテーゼに接近しても
有力な反論とはならないでしょう。
>>682 いやでも、構わないのならそういうことになるけど。
知らないよあんな動物
カンガルー
つか、デカルトなんてそれこそ
>>672で書いた問題があって、何で最初に我なのかと、
我でなくても何でもいいなら、それと指すこと自体矛盾するだろうと、
それこそ我の存在性などないだろうと、また仏教の無我かよと、そういうことになるな。
>>687 あらゆるものは何と呼ばれようが構わないでしょう。
「太陽」でも「sun」でも「お天道さん」でも「soreil」でも構わないのです。
名称に必然性などありませんし、
だからといって存在しなくても構わないことにもならないでしょう。
>>692 君は「私」を現実の肉体で指差せるの?
ぜんぜん違うじゃん。
>>693 あなたは「寒さ」や「大きい」や「マイナス」を指させますか?
>>694 もうちょっと伝えたい内容を整理してね。
>>670の一つ目の「私」と二つ目の「私」がそれぞれ指してる内容に違いがある事は分かる?
表層的な言葉遊びの話じゃないんだよ。
>>695 いいえ。
それぞれに意味の違いがあるのなら
説明するべきだと思いますが。
>>696 一つ目「最高位の言いたそうなやつ」
二つ目「ある形態」
つか、文脈で分かるだろうに・・・
>>697 あなたがいう「ある形態」とはなんですか?
>>654 の
>言語分析からこのテーゼに接近しても
>有力な反論とはならないでしょう。
はどういうことを指して言ってるのかな?
具体性がなくて、さっぱりわからんよ。
(君に限らずだけどね。)
>>698 表現形態みたいなもんね。
つかなにこのやりとり・・・
701 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 18:36:51 0
またかよ・・・w
決定論スレの過去ログ
百億回読み直してこい。 >>ALL
いや、もしかしたらこのスレでもいいかもw
>>699 >最高位って今まで「私」をなぜ「私」と呼ぶ必要があるのかという質問に論理的に答えられなかったよね。
に見られる表層的な言葉遣いの面からの批判を差しています。
どっちにしても批判になってないなw
質問繰り返してるだけだし。最高位と同じで意味なす。
いや、意味不明というより、曖昧なんだな。
「表層」なんていう曖昧なことを言われても困るよw
>>704-705 そうですか?
じゃあその部分は割愛しましょう。
デカルトがじっさいのところ何を意図して
方法的懐疑を推し進めたのかを詮索しても
研究者でない限りそれほど意味はないと思います。
それよりも、デカルトの示した手続きに則って懐疑すると
ある否定しがたい帰結を得るということです。
それが一般的に「我思うゆえに我在り」といわれるテーゼです。
ここで重要なのは「デカルトの示した手続きに則って懐疑する」ということです。
>>706 「デカルトの示した手続き」というのが曖昧だねw
708 :
素人:2007/08/27(月) 19:09:42 0
>>702 重要な点だと思いますが?
「私」と表現するから、
表層的な私・日常会話の私・身体的行為の【起】点としての私、
他者との関係性に於いて現出する私、
(自我)意識としての私・心としての私・想いの弾ける場としての私、
知覚認識の【基】点としての私、
認識(とそれによる次の思惟・意識)の【起】点としての私、
etc.etc.etc.・・・・・
が、錯綜して語られてしまうのではないですか?
勿論、これらを一括りにして≪同じ「私」だ!≫と宣言することも可能ですが、
それは、考察すること(≒哲学すること?)の放棄と同義だと考えます。
※ただ、『私』と表現せざるを得ない・『私』という語を用いざるを得ないニュアンスがあることは理解できます。※
>>707 まさかデカルトも読まずに言っているわけではないですよね。
>>708 デカルトを読めばそのような疑問は出てこないと思いますが。
>>710 そうですか、もう一度読んで理解できないようでしたら
わたしが解説してもいいですよ。
>>711 ん。。。
何を言ってるのやらw
つまり「デカルトの示した手続き」というのは
デカルトの思想全体を指してるのか?
(だとしたらそんなことを言うことにどんな意味があるのか。。)
713 :
素人:2007/08/27(月) 19:23:22 0
>>711 仏典を読めばデカルトに胡散臭さを感じると思いますがw
(中論を贔屓する人なら、真っ向対立するでしょうね・・・w)
>>711 わかりませんか。
一貫して言っているのは
デカルトの示した手続きに則って懐疑すると
ある否定しがたい帰結を得るということです。
それが一般的に「我思うゆえに我在り」といわれるテーゼです。
です。
どのような手続きによってこのテーゼを得たのかは
方法序説を読んでください。
>>714 単に、『デカルトは「我思うゆえに我在り」を疑い得ないものとした』
と言えば良いだけじゃないの?
わざと曖昧な書き方をしてデカルトが正しいような書き方をするから
だめなんだよ。
>>714 デカルト信者か。
本を読めでしか語れないならデカルトスレに池
>>714 >単に、『デカルトは「我思うゆえに我在り」を疑い得ないものとした』
>と言えば良いだけじゃないの?
「デカルトの示した手続きに則って懐疑する」ということが重要なのです。
そこがわからないと「私」という概念にクローズアップした見当違いの反論が出てくるのです。
>>716 デカルト信者などではありませんが。
>>717 とにかく君は具体性がさっぱりないから
話にならんな。
何度も言われてるが、我思うの我はどっからきたのかよく分からんな。
我が月でも兎でもやっぱり分からん。
720 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/27(月) 21:56:22 0
「我」がわからんて、そんなやつぁおらんやろ
もし本気でわからんのなら
精神病院に行って聞いてこいや
「我とは何なのか、わからんのです」 とな
お前ら、我もわからんなんて言ってたら、人と会話できんだろ
「私は今日、学校に行きました」と言ったら
「私とは何ですか?」なんて聞かれたら
普通は「病院池よ」となりますよ
「痛いから、やめて下さい」と言われて
「痛いって何ですか?」
なんて、いちいち聞いてたら殴られるぞ?
せめて日常会話ぐらい理解できるようになろうや
お前らちゃんと社会生活できてるか??
721 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/27(月) 22:12:09 0
>>708 「私」とは
「私」の属性全てを含んで「私」なのですよ
なんでいつまでもキミは、そんな簡単な事が理解できんのかねぇ
ヒジョーに観点がズレている としか思えん
「私」は「私」なんよ
それ以外の何者でもないの
私は私です
722 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 22:22:38 0
ところで
「我思うゆえに我在り」
は疑い得ない事ですが、逆に
「思わない我は無し」
なんて事は無いですよね?
私ことAがした覚えが無くても、周りからは「確かにAがした」
なんて事はざらにありますしね。その場合、私が思って無くても、
確かに私が行ったという事もある訳で。
うまく言えませんが、この辺りが「私の確かさ」を疑うきっかけに
ならないかな?と思うわけで。いかがでしょうか?
724 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 22:33:10 0
>>722 私の心のことだよ。意識と言ってもいい。
きみがここで書き込んでいることも、その属性の発露だよ。
725 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/27(月) 22:35:15 0
726 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/27(月) 22:42:24 0
>>723 と、思っているのは、紛れもなくキミでしょう(笑
紛れもなくキミは、存在しているのではありませんか?
たとえ以前にキミが、無意識に行動したとしても
たとえ以前に、他人の意識によってコントロールされて行動していたとしても
少なくとも
今『キミ』が、これを読んで何かを思っている という事実は
疑い得ないのではありませんか?(笑
727 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 22:43:54 0
>>726 いちいち私が○○してるなんて「通常」考えもしない
で、他人のしてることは気になるわけね
あんた「通常」じゃねえよw
729 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 23:05:49 0
>>708 「哲学する」なんて、アホの哲学プロパーが言いそうなことを
君まで言うんじゃないの! w
そもそも哲学するって、どういうこと? w
この国で、君が哲学者だと認めているのはだれ?
時間があればあるほど哲学するリソースが増大するの法則。
私は私ですなんてアホなこと言ってる奴が他人には論理性を求めるのか。
どんだけ池沼なんだw
732 :
723:2007/08/27(月) 23:32:42 0
>>726 今「私」がここを読んでいる事なんかどうでもいいんですよ。
私が確かさを疑っているのは、我思わない私の行動を周りから指摘され、
それが確かな場合の話です。その時の「私」の確かさはどうやって証明
すれば良いのですか?という話ですよ。
みんながみんな私は私です、と連呼すればいいんだよ。
私は私です
734 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/27(月) 23:50:37 0
>>727 私の属性 っていう話をしてるんだろ?
>>728 会話が成り立っていませんよ
早く病院へ行きましょうね
>>731 「私」は何ですか?
なんていう質問をされてもね
そんなもん
どう教えてやればいいのかわからんわい
自分の事だと説明しても理解できんのだろ?
数学でも「1」って何ですか?
国語でも「私」って何ですか?
何でも、何ですか?何ですか? じゃ話が進まんだろ
幼稚園児でも知ってるぞ そんな事
まず病院で治療してもらえや
>>732 たとえそれが他人であったとしても
今そう考えている自分の存在は、疑いえないのではありませんか?
>>733 べつに連呼せんでも、普通の人は理解してる
735 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 23:55:37 0
736 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 23:56:47 0
というか、主観性が、なぜ私の属性になるんだ?
なるとしても私の属性は主観性以外にはないの?
737 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/28(火) 00:00:14 0
>>735 小学校からやり直して下さい
>>736 >私の属性は主観性以外にはないの?
自分で考えてみろ
>>723 その確かさが証明できないからそういったものを
排除した結果残るのが、
「我思うゆえに我在り」です。
これは結論ではなく、スタート地点です。
この命題以外を全て疑うから懐疑論
代名詞としての私と所謂ここで議論される「私」というのは
文法上の「位置」が全く同類を持たない「位置」にあるってことなんだよね
これは永井がウィトゲンシュタイン入門の本で少し触れている
最高位は全部一緒だと言ってしまったけれど、
これはかなり重大なミステイクだと思う
そもそもの「私」とは何かということを理解しているのかしていないのかが
この時点でバレてしまう
この混同を絶対に避けないければならないのが言わば、最先端の哲学の重要な
視点ではないかと思う
興味があったら永井のウィトゲンシュタイン入門読んでみて欲しいな
このスレのテーマにも少なからず触れているし
740 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 00:28:16 0
>>738 唯識も同様のことを言ってたな
出発点だって
742 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 00:41:22 0
なにも知っちゃいねえのに知ったかする恥さらし
>>734 私は私というしかないなら、どこから発せられた私も同じものでいいんだな。
つまりある私を特定する事は不可能ということだな。
結局私の存在性なんて中身空っぽのどうでもいい話だったんだな。
744 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/28(火) 01:32:32 0
>>743 >私は私というしかないなら、どこから発せられた私も同じものでいいんだな。
>つまりある私を特定する事は不可能ということだな。
どこから発せられた私も同じ だとすれば特定できないだろうが
同じじゃないだろ
別人だろ バカ
私から発せられた私は私自身だろ
たのむから病院いってよ
745 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 01:35:08 0
>>737 君の見解を聞いているというのに、
答えられなくなると、いつもそうやって逃げるんだな。
746 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 01:36:16 0
>>744 私ではないものはなに?
私とそうでないものを区別するには、君は何によって区別しているの?
>>721 >「私」とは
>「私」の属性全てを含んで「私」なのですよ
これおかしいな、だったら
主観性でも思考性でも身体性でも性格でも性向でも性交でも「私」に属する全ての属性を列挙した挙句の
「そのような属性を有する私あり」なら分かるが、属性を無視して純粋無垢なる「私」だけ取り上げて
>「私」は「私」なんよ
>それ以外の何者でもないの
>私は私です
と、さも属性とは無関係に「私」だけで「私」であるかのようには言えないな、で結局「私あり」って結論したいわけでしょ。
最初は属性とか言ってるから、珍しいなと思ったら結局最後はそういうオチ?
748 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 02:12:22 0
>「デカルトの示した手続きに則って懐疑する」ということが重要なのです。
これを予定調和と言う。
方法的懐疑とは「我あり」という最初の常識的思い込みをわざと疑ってみせるというフリをしつつ
それを補強するための懐疑だから、最終的に「我あり」という結論に帰着するのは当然。
そもそも「我あり」が前提で最後に「我あり」と言いたかった。疑ってみたら「我」に遭遇したというわけではない。
本気で疑う気はないから方法的懐疑は特に重要というわけでもない。
ま、参考程度に疑ってみましたといったところでしょう。
749 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/28(火) 02:19:33 0
>>745 私に質問する意図が読めん
普通に考えても
いろいろあるんじゃないか?
>>746 >私ではないものはなに?
>私とそうでないものを区別するには、君は何によって区別しているの?
面倒くさいなぁ
3才児の質問かよ
その年頃の子供の質問て、説明しにくいんだよね
石はどうして硬いの? とか
水はどうして冷たいの? とかね
知るかよ(爆笑
しかし
>君は何によって区別しているの?
君は って
キミも、ちゃんと区別しているようだぞ?(爆笑
>>747 いちいち列挙せんでも私には属性があるだろバカ
750 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/28(火) 02:23:17 0
>>748 どんなに本気で疑っても、疑っているのは私だろ バカ
751 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 02:31:16 0
もう私にとり憑かれてるな
こういうのを基地外という
752 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/28(火) 02:43:32 0
>>751 >もう私にとり憑かれてるな
ん?
私が私にとりつくのか?(爆笑
普通
>>750←こう考えるのが一般常識だぞ?
キミは、自分の基地外さ加減に無自覚なんだよ
もうちょっと、頭を冷やしてよく考えてみろ
753 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 02:46:07 0
>>752 私がひとつだと思ってるかわいそうな人
いつまでもループしてなw
754 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 02:46:52 0
755 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/28(火) 02:53:28 0
>>753 私は唯一絶対
いくつもあるというのは、自我一般
ごっちゃにすんな
756 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 02:55:14 0
>>755 私が唯一絶対だと思ってるかわいそうな人
いつまでもループしてなw
757 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/28(火) 02:58:32 0
>>756 あんたは何人もいるのか?
じゃぁ
連れて来いよ
「全員が同一人物です」ってな
バカか(大爆笑
ループしてんのは、お前の頭だけだ
758 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 03:01:54 0
>>757 ループしてんのは、お前の頭だけだ
いつまでもループしてなw
>>757 まあ少なくともおまえのような馬鹿ループとは同一じゃないw
760 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 03:30:27 0
最高位は回転室伏系ハゲ頭
>>748 懐疑論なんて言えるのは総じて半端な懐疑でしょうね。
それ以上に徹底して懐疑した人は過去に何人もいたと思います。
「あっちの世界」へ行って帰ってこれない人でしょうが。
常識を全て捨て去る事など私には怖くてとても出来ません。
763 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 07:54:56 0
>>761 もし君に『私』があるのなら「オレにも『私』はある」と連呼すればいい。w
最高位をはじめ、だれも否定しないと思うよ。w
最高位は他人の『私』の存在を否認したことはないだろう? 他人のそれは
「確認できない」と言っているだけ。
もしあるのなら、自己申告してください。w
>>763 他人にもあったら唯一絶対じゃないじゃん。
君バカでしょう?
「確認出来ない」のならば
唯一絶対かもわからないじゃん。バカだね。
唯一絶対は否定されましたね
766 :
723:2007/08/28(火) 09:19:00 0
>>734 「今」の事は
>>723で最初から認めてます。私が問題にしているのは
>>732の事です。
>>738 話が通じて助かります。結論ではなく、スタート地点ですね、なるほど。
私も結論と勘違いしていました。重力がある事を知る結論が「りんごが落ちた」
では無く、飽くまでスタート地点ですもんね。(でもこの逸話は作り話とどっかであったなw)
スタート地点として考えましょう。
「我思うゆえに我在り」、これは確かです。
でも、「今の我」と「昨日の我」は同じか?違いますよね。
それどころか、「今の我」と「一秒前の我」も実は違いますよね。
仮に同じだとしてみましょう。そうすると、「我」は永遠に止まっていなければ
なりません。確かなものが「今の我」のみでしたら、そこから変わっては
いけないので、止まっていなければならないのです。動きも思考も全て。
逆に言えば、止まってないから、常に変わっていくから、
「我思うゆえに我在り」と継続的に考えられる「我」が居るのです。
という訳で、「我思うゆえに我在り、そして、我変わるゆえに我在り」
つまりは、「唯一絶対の我」なんて存在しないのです。変わっていくのですから。
私の「我」はいくつもあります。 昨日の我、一昨日の我、一秒前の我。
そうした「我」の積み重ねから私は成っています。
ここで終わってしまうと、独我論になってしまいますよね。
この先に『なぜ「我」は変わっていくのか?』を考える事が重要であり、
科学等の出発点になるのだと思います。
とりあえずの私の結論は、哲学とは唯物論、唯識論でカッキリ分けて
考えられるものでは無いという事です。
我があって、我が認識する対象があり、その逆も言えます。ただそれだけです。
767 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/28(火) 09:58:18 0
>>761 >じゃあ、他人には私は無いんですね?
他人の自我は、その人自身の自我で「それぞれの私」だろ
他人に自我があるならば
それぞれに「私」は唯一絶対
なんでこんな事まで説明しなきゃいかんのかねぇ
キミは、小学生か?
>>766 私は私です
私が変化する とは
私が私でなくなる という事です
私が私でありながら変化しているのは
私の意識 です
もう一歩、理解を進歩させて下さい
768 :
723:2007/08/28(火) 10:24:54 0
>>767 「私」とは、変わっていく意識等の経験を包括した存在
ということでしょうか?意識が変わっても、それを「私」が
認識している限り、「私」はそれまでと同じ「私」であると?
という事は、「記憶喪失する前の私」と「記憶喪失した後の私」は
「別の私」と考えますか?
あと多重人格の例もあります。
記憶喪失の時、多重人格の時は「複数の私」が同じ体に存在すると
認めますか?そのうち統合されるとしても、それまではの話です。
あと
>>766の結論は下3行なのですが、それについてはいかがですか?
769 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 10:28:26 0
>>768 他人のいうこと絶対理解しないんだからほっとけ
>>755 >私は唯一絶対
>いくつもあるというのは、自我一般
ごっちゃにすんな
>
>>767 >他人の自我は、その人自身の自我で「それぞれの私」だろ
自我は私ですか?私じゃないのですか?w
自我はいくつ存在するんですか?
あなた真性のバカでしょう?
>>744 んん?
私はきっちり特定できるの?
できるもんならやってみろ池沼w
>>766 最高位は思考が止まっているので変化しません。
スタート地点がゴールです。
774 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/28(火) 13:59:52 0
>>766 >とりあえずの私の結論は、哲学とは唯物論、唯識論でカッキリ分けて
>考えられるものでは無いという事です。
>我があって、我が認識する対象があり、その逆も言えます。ただそれだけです。
根本的な認識が、少しズレているようです
唯物論、唯識論 は「カッキリ分けて考えられるのだ」と主張している思想ですから
>>768 同じ という問題ではないのです
「私」は「あり」なのだ という事です
「同じかどうか、わからん」では
「あり」を否定する根拠には、どう転んでも、成りえないのです
しかも、その思考方法は
時間というものが、流れる性質のものである という前提に立っています
実際、過去の私など、どこにも存在しないのではないですか?
過去の私と、今の私 という比較は、まず時間とは何なのか という事が解明されないうちは
何とも言えないのではありませんか?
ただ言えるのは
今「我はあり」を疑っても、どうやっても否定できない という事です
775 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 14:05:42 0
人の認識が、「今」を捕まえられるのかどうかが問題だなw
捕まえたものは過去かもしれないwww
776 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/28(火) 14:07:40 0
>>773 キミたちはスタート地点にも立てていないから説明しているんだよ
「我思う故に我あり」ぐらいでつまずくなよ
こんな基本的な事は、早く理解しなさい
我と私をいっしょにしてる馬鹿がいる
やはり
>>772には答えられないのか?
>>744で同じじゃないだろって言ったんだから、私の特定を早くしてくれよ。
論理的にきっちり頼むね池沼君w
どうせ私は私なんでちゅって駄々をこねるしかできないんだろうけどなー
学級崩壊した中学校って
こんな感じなんだろうな。
783 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 15:09:01 O
最高位は少し成長した
785 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 15:25:02 O
私から脱却しつつある
「我はあり」を疑ったときには、それはもう過去のことだろ。
そう疑ったり思ったりしたことに気が付いたときにも、もう過去になってる。
ようは「我はあり」は常に過去のものといえる。
つまり「我」が存在に達するまでは思い終わらねばならない。
だとしたら思い終わるまで「我はあり」ではないのではないか。
じゃあそれまでは何なんだという話になる。
しかし何でもないとしか言えないんじゃないか。
最近では、ある脳機能として処理されるかもしれないけど。
確かなのが「今ある」ことだけならば、
得意の思考実験も確かじゃなくなるんだけどなw
物質的に同じモノを作ってみたら何になるかってやつ。
未来予想だから。
788 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 16:32:20 0
独我論的な我から脱却できたのは、いいことだ。
思いっきりそのまんまの我にはなったが。
789 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 20:01:31 0
「私は唯一絶対だ、というレスを読んでふと思った。
「私」は精子と卵子のどっちにあったんだろう?。
唯一と言うからには、精子と卵子に分化されている事はなさそうだ。
どっちですか?。教えてえらい人。
そういう問題じゃないんだけど。
791 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/08/28(火) 21:19:05 0
>>766 :723:
>我があって、我が認識する対象があり、その逆も言えます。
仰るとおりだと思います。
主観と客観は相対的なものです。
主観なくして客観は無く、客観なくして主観は無い。
ですからどちらがスタートが先かという事も無い。
貴方の言説の最後は正しいとすると途中は矛盾しています。
>「唯一絶対の我」なんて存在しないのです。
>私の「我」はいくつもあります。 昨日の我、一昨日の我、一秒前の我。
要するに「昨日の我、一昨日の我、一秒前の我」を「唯一絶対の我」として統一させるのが脳「心」=「私」と言うことでいいでしょう。
>「我思うゆえに我在り」と継続的に考えられる「我」が居るのです。
このとおり、継続的に「唯一絶対の我」だとして主張し続けるんでしょう。
過去と今の自我が二つで無く同一=唯一だと言う意味でしょう。
絶対と言う意味は客観(相対)的には同一ではないから「絶対」と言うしかないでしょう。
「絶対唯一の我」と叫ぶしかないのです、それが生きていると言うことです。
「我は唯一絶対だ」
じゃなくて
「我は唯一絶対だと思っている」
でしょうにw
論理的には同時でしょうが、認識される順序としてはまず客観、それから主観だと思われます。
794 :
723:2007/08/28(火) 22:34:13 0
>>791 >>766の途中が矛盾しているという意味がよく分かりません。
あと、「我」が「私にとって唯一絶対のもの」である必然性がよく分かりません。
べつに、変わっていっても良いのではないですか?
変わって行ってしまう事によって、何か不都合がありますか?
「我思うゆえに我在り」これは当然ですが、その「我」は絶対に変わっては
ならない理由とは何でしょう?
私は実は、独我論スレの360です。
私の認識なんて後で考えれば誤解だらけで、気を抜くと生活に
支障が出る程です。
そんな間違いだらけの認識をする、意識を生み出す我は、
私にとって唯一絶対で、変わってはいけないものなのでしょうか?
経験によって我が変わる、我が変わる事によって意識も変わる、
そのように考え、実際確かに昔に比べて社会的に良く変わった私を
発見しているつもりなのですが、この我は変わってはいけないものでしょうか?
お暇があれば説明をお願いします。
ヤバッ、愚痴混じってる...ちょっと体調が悪いのでこれだけですみません。
ところで認識する物と認識される物があるとして、
両者がぶつかって現象というのができるとすると
現象は認識の形式に従うと同時に認識される物にも規定されているということでいいよね?
796 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 22:51:01 0
>>795 主観(という世界)以外に確かなものがないので、
それは、推測にしか過ぎない(対象・外界・客観の存在は不確か)。
一行目の前提が成り立たない。
確かなのは、「認識する何ものかがいる」ということだけ。
認識されるものは、映った影に過ぎない。
影のおおもとがあるかどうかはわからない。
主観の要請により、あたかも主観の外にあるようにみえるだけ。
>>796なるほど。
「認識する何ものかがいる」を「認識が起こる場がある」とすることはできますか?
成立しないということですが、その前提を仮定した場合、問いの答はどうなるでしょうか?
799 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 23:27:01 0
>>798 >「認識が起こる場がある」とすることはでき ると思いますが、
≪その「場」をどのようなものと捉えるか≫≪その「場」を物質的・物理的に規定されるものと見るかどうか≫
で、大きく変わるでしょう。
>その前提を仮定した場合、問いの答はどうなるでしょうか?
わかりません。
796は、某陣営の基本的骨格を
少し硬めに文章化したものであり、私のスタンスとは違いますので、
これ以上はお答えできません。
(
>>795一行目は、陣営の中でも意見の分かれるところでしょう。)
>>797 文字通り、そう思う((意識するという意味での)認識される)だけで、
対象は存在しないかもしれない、ということ。
主観の内でのループ(或いは自己フィードバック?)かもしれない・・と。
>>799 「主観(という世界)以外に確かなものがない」を受け入れて
その「場」を物質的・物理的に規定されるものとは見ません。
でもこの場合でも、いるというのは認識する主体がすでにいるということですが、
影が映るための壁は必要でも影を見る人は必要ではないように思います。
801 :
3時で1時:2007/08/28(火) 23:58:03 0
91歳になる俺の祖母が認知症になってしまいました。
祖母は、自宅にいながら「ここは自宅ではない」と疑っている。
そればかりか、家族の全員を余所の人だと決めつけるようになった。
「孫のアツ君」の名前は少しは憶えているようだが、目の前の俺がそうだとは思っていない。
「おばあちゃん、ここはあんたの自宅なんだよ」と教えても、混乱・興奮状態に陥ってしまうだけ。
手提げ鞄を抱えて、今にも倒れそうになりながら、「ありもしない別の自宅」を探そうと、制止を
振り切って、勝手に出かけようとする。もう、必死なのである。
興奮状態がおさまった時に「ここが自宅なんだよ」ということをゆっくりと祖母のペースで教えて
いくと、二、三十分位だけ「ここは、うちなのか?」「わしはここを出ていななくてもいいのか?」
「わしの家だったら、出ていくのはおかしい話だわな」と言って、信じようとはする。
興奮状態の祖母の意識の中では「いつまでも余所の家に厄介になっているわけにはいかない自分」
が存在するのだろうし、落ち着いている祖母の意識の中では「とにかく分からないし、もう一晩泊
まらせてもらうしかない自分」が存在するのだろう。
祖母は亡くなった祖父も、身内もすべて忘れてしまった。けど「いつか身内が迎えに来てくれる。」
祖母にはそのように「自分」が認知されるのだからどうしようもないことである。
「余所の家に居る」という緊張感がそうさせているのかも知れないが、寝たきりだった祖母がとく
かくも外出できるほどの気力・体力がついたことだけが、唯一うれしいことである。
そのように解釈している俺(自分)は、「確かに存在してる」はずだ。
しかし、人間の自覚・認知の不確かさは否めない。不条理を感じる今日この頃である。w
802 :
3時で1時:2007/08/29(水) 00:12:20 0
こんな投稿で、しらけさせてしまったとしたら申し訳ない。
ここにお詫び申し上げます。
>>799 主観の内とか外とか意味が分かりません。
内とか外とかって位置関係の認識じゃないんですか?
思っている世界の外とは何でしょう?
あの世の事ですか?宇宙の外ですか?
自分は主観の内にいるんですか?外にいるんですか?
「〜にあるようにみえる」というのも意味不明です。
「私」に拘りすぎるのは何かの症候群のような気がしてきた
病院逝ったほうが良いかも>>all
>>723 スレ違いですが、小説とか興味ないですか?
貴方の書いた小説を読んでみたいのです
ちなみに俺は軽いのを読むのは好きですが
書くのは全くダメです
805 :
ネコの味方:2007/08/29(水) 09:00:44 0
>>801 読み間違いかもしれぬが、あなたは最高位の言う「私の存在性」を否定して
いましたよね? 「私はアリ」派に転じたということですか。
おばあさんの話しですが、もし嫁いで来られたのなら、心のどこかに
「ここは自宅ではない」との思いがあったのかもしれませんね。
ここへ来て、その封印が外れたということでしょうか?
>>805 日常レベルの「私」を否定する人はいないだろ?
807 :
ネコの味方:2007/08/29(水) 10:41:48 0
>>806 非日常的なレベルの「私」とは何を指しているの? それは、日常的な「私」と
どのように関係があるの? それとも、まったく無関係なのかな?
>>807 >非日常的なレベルの「私」とは何を指しているの?
もちろん哲学における「私」。
「私」が日常的意識において存在してるのは確かなことで、
それを否定したら、それこそ「病院いけ」。
その日常レベルでの「私」を哲学的に省察した時に
それが「疑い得ない」ものなのかというのは、
日常的意識における確実さとは別次元の話だよね。
809 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/29(水) 11:25:20 0
>>808 >日常的意識における確実さとは別次元の話だよね。
どう別次元なのかね?
810 :
3時で1時:2007/08/29(水) 11:40:11 0
>>805 たぶん「読み間違い」です。
そもそも最高位の「私の存在性」の『私』が「人間たる私」を示すのか「思う精神・霊魂」を
示すのか分からないのだから、否定しようがないわけです。
最高位の「まず『私』の存在性を認め、それから『私』が何であるかを検証すればよい」とい
うスタンスには疑問を感じますが。
俺は「決定論:脳は物質だから」スレに投稿しはじめた頃から、「生活主体」「主語」「観念的
存在たる私」を否定していない。それどころか「人間たる私」を主張してきたつもりである。
「私が、思い、考えるためにはエネルギーを摂取しなければならない」「ここに存在するため
には、思惟だけでなく身体もなければならない」等、唯物論的な視点から考えもするが、「唯
物論者」なのではない。俺の妄想部分は、相当に観念論的である。
俺が否定的なのは、「思う精神・霊魂としての私」であり、人間の自由意思です。
「ここに存在するのは人間たる私」であって、「思う精神・霊魂としての私」ではない。
「ここに存在する人間たる私を思い・認識している『私』」まで想定してしまったら、独我の
世界に落ち込む。論ずる相手たる他者を認めない「論」など無意味だということです。
811 :
3時で1時:2007/08/29(水) 11:41:59 0
>>805 俺には「分かる」ということが分からない。
「俺が分かっている」という結果だけで、何故に「このように分かるのか 」が分からない。
分かるというシステムがどういうものなのかも分からず、「このように分かる 」理由など俺に
ありはしない。
「そのように解釈する理由」はあるが、それを理由とする私的必然性はないのである。
「あの娘の笑ったときの口元がかわいいから好き」だと言うことは出来るが、「笑ったときの
口元がかわいい」と思いたい訳でも、思うべきだと決定した訳でもない。
俺の祖母は「ここは自宅ではない」と思っているのだろうが、そう思いたい訳でもなく、その
ように思うべく決定した訳でもないだろう。「何がなんだか分からなくなった」と言っている
が、何故に「何がなんだか分からなくなった」のか、分からない訳です。
医者は「脳の萎縮が認められる」といいますが、それですべて説明されるのだろうか。
祖母の実家はすぐ近くにあり、行く順路さえ大体憶えている。
実際実家の前まで連れて行き「おばあちゃんが帰りたいのはここか?」と訪ねたのだが、「こ
こじゃない」と言います。「俺は家の近くまで来ているのか?」とさえ言っています。
途中まで行っても見つからず、「さっき居た家に戻るとするか。しようがない。」になる。
肝心の自宅や家族だけに集中して記憶が失せてしまったのです。
祖母の意識の中には、時々「十歳の頃の自分」や「五年くらい前の自分」がダブって現れるら
しい。「おとっつぁん(蘇祖父)に黙ってここまできちゃった。怒られる」とか、もう自力で
は入浴できない状態なのに「家に帰れば、風呂くらい自分で入れる。出来なくなったら人間お
仕舞いだ。」とか言っている。
まあ、祖母が「ここに居れば楽だわね。」といっているから、それが救い。
>>810 >そもそも最高位の「私の存在性」の『私』が「人間たる私」を示すのか「思う精神・霊魂」を
>示すのか分からないのだから、否定しようがないわけです。
方法的懐疑の帰結としての「私」なのですから
物理的な存在としての「人間たる私」でないことは当然でしょう。
813 :
考える名無しさん:2007/08/29(水) 12:13:26 0
>>812 じゃあ、最高位に「人間たる私」ではなく、
方法的懐疑の帰結としての「私」を語っているのだ、と表明してもらいましよう。
814 :
考える名無しさん:2007/08/29(水) 12:18:04 0
最高位のアホはいったいいつまでここで油を売り続けるんだ?
いい加減あきらめ消えればいいのにw
>>813 幾度となく「我思うゆえに我在り」と
言ってるはずですが。
>>813 「全部(同じ)私」です。
「『私』の属性」として色々なものが見られるかもしれないが、
(そして、それぞれの重箱の隅を反論者は突いてくるが)、
どれも、『私』(そのもの)ではない。
だから我思うの我はどっからきたんだっていう
>>817 それは
・「我思うゆえに我在り」という言い方がなにに由来するか
・方法的懐疑の帰結としての「我」とはいったいいかなるものなのか
どちらの意味ですか
>>818 どちらかっていうか、なぜ初っぱなから突然我が出てくんのって話
>>819 なるほど、ここに解説がありますよ。
www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/wareomou.html
>>820 その程度の事は分かってんだよね。それでも何で最初に我が飛び出すのか分からん。
まあ、どうせ我ありに繋げたいから最初に我ってつけただけだろうけどな。
>>822 それは盲信してるからじゃね。
リンク先は最初に我が来る説明にはなってないぞ。
>>823 なぜ最初に我が来る説明が必要なのか
その必要性を解説してください。
>>821 あーそうですよね...
「疑っている何者かが存在することは確か」
だとして、それが何故「我」「私」なのかが分からない、て事ですよね?
もしかしたら
「私の他の存在が私という物を作り出して疑わせている」
と考える事もできますし、
そうするともしかしたら「私=他者」になってしまうかもしれないと。
そういう事を疑っているという事でよろしいでしょうか?
実は思っているのは私じゃなくてキミなんじゃないのか?
>>826 デカルトはそのような可能性も検討していますよ。
>>825 初っぱなから我って決めつけてるから?って思っただけ。
>>826 そうそう。でも、何者と呼んでいいかどうかも厳密にはよく分からない。
>>829 初っぱなとはなんの初っぱなですか
まさか「我思うゆえに我在り」という文のことではないでしょうね。
831 :
826:2007/08/29(水) 15:40:53 0
>>828 という事は、実は「我」は「私」でなく、別のところにあるかもしれないとも
思ってよいですかね?
そうなら「我思うゆえに我在り」は、疑いようの無い事実で良いですね。
「我」が「私」ではなく、「他者」や「コンピュータ」から創られていても、
その創られた「我」は他には無い、唯一絶対の物ですから。
まぁ複数の我が生まれた時から消えるまで、全く同じ時間、全く同じ経路で、
全く同じ動き、変化を行うのでしたら話は別でしょうけど、そうなったら
それは「複数の我」と呼んでいいものか...。
>>831 私がじつは自分で思っているような人間という生き物じゃなくてもいいんですよ。
そう思いこんでいる「我」はかならず存在するということを言っているわけですから。
>>830 そうだよ。我思う故に我ありってなんか予定調和みたいじゃん。
最初の我っていらないんじゃね?後の我もなくなるけど。
もし、削ぎ落とす作業を極限まで進めるならば、
「思う。故に(思い)あり」(「思う。故に(これ)あり」)が極点になるんじゃないかな?
思うに、「私」とは私的言語みたいなものだと思う
自己のみが認識出来て、他人には「決して」伝わらない
伝わってしまった瞬間それは私を指しているに過ぎなくなってしまっているんではないだろうか
最高位がよく「私は唯一絶対」と言って批判されるのは、ここが大きな理由の気がする
>>834 ああ、そういう意味なら別に「我」という言葉である必要な全然ありませんよ。
「主観性」でも「主体」でもいいでしょうし「これ」といってもいいでしょう。
単にそぎ落とされた末に残ったものを「我」といっているだけですから。
軽い気持ちで書いてみましたが、図らずも
>>723とつながりましたw
>>833 逆に「思わない我は無し」と考えれば良いと思いますよ。
「我」=「思う事の主」と定義すればいいのですから。
単純に、数学の変数としてAとかBとか決めるだけの感覚で
良いのではないでしょうか?
あと、べつに「私」の中に「複数の我」があっても構わない。
多重人格もOK。いずれ統合された時に、統合される前の我が
「消える」だけ。でもそれは「死ぬ」事では無い。「統合される」だけ。
要するに、それぞれの我はそれぞれの我にとって唯一絶対の物だけど、
「私」の中の我は複数あっても良いとw そう考えました。
そして、もしかしたら「私」の中には我が一つしか無いかもしれませんが、
それも経験する事で変わっていけるし、変わらない訳では無い。
「唯一絶対」なのは「我が変わってはいけない」という事ではなく、
「一つの我が経験する事が、唯一絶対の経験」なのだと思います。
>>804 小説は好きです。
と言うか私は独我論スレに書いたような人間で、ゆえに他者の存在が
リアルに実感できてません。
「皆場合によって言うことが違うよ、
本当に同じ人なの??嘘ついてるの??」て混乱してました。
しょーが無いので、小説とかでいろんなパターンを勉強して、
何とかコミュニケーション取ることを覚えたのですが、
それが文面にも表れてますかね?w
>>838 むしろ思うことの主を捏造することが問題な訳で。
それって思ってしまってから現れるものじゃん?常に後付けなんだよね。
ユーザーイリュージョンですか
841 :
723:2007/08/29(水) 17:05:29 0
>>839 あーなるほど...
この「思い」がどこかから発生していなければならない理由は何?
根本を求めなければならない理由は何?
て話ですね...。
べつに「思い」や「意思」だけが存在していても問題無いじゃんと。
神様も自分も他者も要らないよと。
確かなのは、この「思い」「意思」だけ、ですか。
それが出発点であり、答えであるかもしれませんね。
ちょっとまだ、賛成も反対もできませんが。なんかモヤモヤしてる...
>>838 >「一つの我が経験する事が、唯一絶対の経験」なのだと思います。
「一つの我が経験する事が、一つの経験」なのだ
で十分だと思います
843 :
723:2007/08/29(水) 17:09:20 0
>>841で終わってしまうと唯識論になるんだと思いますが、
でも物質も存在しているのですよね。
そして、物質が「思い」や「意思」で作られる証拠は無い。それは確かだと思います。
逆に、「思い」や「意思」が物質からいきなり作られる証拠もありませんが。
>>843 そうそう、唯識論、独我論、唯言語論、観念論は常に
それ以前に物質、身体が存在するという前提を忘れて論を進めるから
暴走して「思い」「我」「言葉」のみがあるかのように言う。
だったら「ここに○○がある」という事実を
物質、身体なしで考えることができてから言ってもらいたい。
>>812 >方法的懐疑の帰結としての「私」なのですから
>物理的な存在としての「人間たる私」でないことは当然でしょう。
最高位やネコは、哲学的に省察された「私」と、日常的な(生活レベルの)
「私」との区別ができていない。
そして「私」の確実性の根拠として日常的意識のレベルでの「私」を考えてしまっている。
たとえば最高位は
>>591で
【日常会話で使っている『私』も 哲学的な意味での『私』も 同一人物である】
と書いている。『人物』と…。
そもそも、『そう考えているのは誰ですか?』という聞き方もおかしいだろう。
「誰」とは、…「名を知らない人や不定の人をさしていう語。」(大辞林)
この「誰」も、最高位が『人物』と言う時と同じく、日常的意識レベルで考えていると思う。
たとえばデカルトの思惟実体を考えてみれば、それは『誰ですか?』などどいう
問い方ができるものではないだろう…
日常的生活レベルの意識においては、「私」の存在も「あなた」の存在も確実なのだ。
我が子の存在の確実性を疑う親は、即刻病院に行くべきだと思う。
最高位やネコは、そういうレベルの確実性と、哲学的省察とをごちゃ混ぜにしている。
>>845 私を主体にしたいからわざと「誰ですか?」なんてうさんくさい言いかたしてるだけ
単に馬鹿の釣り
>>845 そうでしょうか
「同じ人物」というのはもちろん
自己にとって「思う事の主」である「我」は他人じゃないという
ごくあたりまえの話をしているにすぎず、
「私などいない」のような見当外れの主張に対するものでしょう。
「誰ですか?」という問いも同様です。
わたしはあまりにも無理解による見当違いの反論が多すぎるとみています。
そこへいくと723氏はするりと飲み込めているようです。
848 :
考える名無しさん:2007/08/29(水) 23:04:58 0
>>845 日常的レベルと哲学的レベルの「私」があるわけか。多重人格というわけだ。
その差異線を、もし君に引けるものなら引いてみて。w 君って、文系のクズが集まる哲学プロパー?
>>848 >日常的レベルと哲学的レベルの「私」があるわけか。
当然あるよ。
一例を挙げれば、カントの「我思う」の「我」は形式的で一般的な「意識一般」。
そこには、日常的な「私」が持つような個別性はない。
>>847 >「私などいない」のような見当外れの主張に対するものでしょう。
その場合の「私」が何を指しているのかが不明なのだから…
それを不明にしたまま話を続けている神経がわからん…
851 :
考える名無しさん:2007/08/29(水) 23:37:51 0
>>849 カントではなくデカルトだろう?w
たしかにデカルトにせよカントせよ、日常レベルの「我」や「主観」を
抽象化(一般化)して取り扱っている。だからといって、捨象しているわけ
ではない。
日常レベルのそれらを切り捨ててしまえば、哲学的言語空間は寓話、お伽噺に
堕してしまう。プラトン以来、哲学的言辞は現実と切り離されたことはない。
日常に言う私って一人称代名詞だろw
>>848 「私」論を考えればそう考えざるを得ない
人称代名詞としての私(これは誰にでも通じる私)
一つは私的言語的にならざるを得ない「私」
しかし、それは発話することにより、人称代名詞へと変容してしまう
おれ自身、レスをしている時点で変容している
(これ(「私」)は、語ることがそもそも不可能(無意味)なのではないかとおれは考える)
この変容に対して何故これほど最高位がドンカン(同一と言い切ってしまっている)なのかが分からない
私を純粋に思惟すれば、この過程が当然帰結されると思うのだが
仏教が唯識を唱える理由もここらへんに原因がありそう
分かりにくかったらゴメン
>>851 >カントではなくデカルトだろう?w
いや。カントの「我思う」はデカルトよりさらに形式的になったということ。
>たしかにデカルトにせよカントせよ、日常レベルの「我」や「主観」を
>抽象化(一般化)して取り扱っている。だからといって、捨象しているわけ
>ではない。
違うんだな。
日常的意識レベルの「私」を哲学的に省察、反省して、とらえかえし
したところに、哲学的な「私」を、いわば「モデル」として考えている
のであって、捨象とかいう問題では全然ないと思うよ。
一人称固有名詞
現象学みたいじゃん。
>>848 君にも人格が複数あるよ。
匿名掲示板用の人格と実名の人格とかねw
>>847 >そうでしょうか
>「同じ人物」というのはもちろん
>自己にとって「思う事の主」である「我」は他人じゃないという
>ごくあたりまえの話をしているにすぎず
だから、デカルトとかカントの「我」は、「人物」じゃないってww
ついでに言っとけば、「実存」も「人物」じゃないぞww
859 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/30(木) 03:48:11 0
「我思う故に我あり」みたいな
アホみたいに基本的な事が理解できないんだったら
哲学なんて無理だぞ
てか
「我」がわからないんだったら、まず病院に行くべきなんだよ
「思う」だけがある って
じゃぁ主語はなんなんだよ
思ってるのは私なんだよ
他人が、いくら思ってたって、そんなもん実感できんだろ
「思う」を実感してる時点で私だろ
どうやったって、「私」は否定できないんだよ
最初に「我」がこようが関係ないよ
ある意味、当たり前だしね
自我意識というものがあって、無条件に「我」を実感しているからね
この「我」が、全てのものを疑ってみたところ、全てのものが実際には存在しない可能性がある事がわかった
しかし、どう考えようが、その可能性に当てはまらないものがある
それは、それを疑っている「我」自身だ という事
疑えるものだったら、最初に来ようが、疑えるんだよ
「我」についても疑おうとするから、最初に持ってきているんであってね
とにかく
「我」がわからないんだったら、病院に行くべきさ
マジやばいって
>>859 君の理解が浅いってことは認めたほうがいい
別に恥ずべきことでもなかろう
>>859 >「思う」を実感してる時点で私だろ
>どうやったって、「私」は否定できないんだよ
ほら、「実感」とか言うからおまえは生活レベルと哲学レベルを
区別できてないって言われるんだろww
おまえはウンコしてる自分も実感するだろ?
だから、どうやったって、ウンコは否定できないんだよwww
>最高位
結論から言えば「われ思うゆえにわれあり」は疑える
(一部の)懐疑論者たちは、「『われ思うゆえにわれ在り』なんて堅固じゃない」と言うだろうし、
このスレですでに指摘されたように、デカルトの出発点の「我」を疑うのが現代の哲学の流行でもある。
デカルトは直観として「われ思う故にわれあり」を正しいと考えたが、
重要なことは直観ではなく論証である。
論証としてもまた、(基礎付けとしては)不十分だろう。
ちょっとクソしてくるぜ
865 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/30(木) 04:32:48 0
>>862 実感しているものを疑うんだろ
だから実感しているからこそ、ウンコも疑えるのであり
我も疑える
しかし最終的に、ウンコは疑えるが
我は疑えない という事だ
なんで、こんな事まで説明しなきゃならんのかね
議論じゃなくて中学生レベルの授業だなコリャ
>>863 >懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なことを認め、
>この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。
と書いてあるわな
私のデカルトに対する理解は間違えていない という事になる
わざわざ貼り付けて来なくても大丈夫 だという事だ
>このスレですでに指摘されたように、
>デカルトの出発点の「我」を疑うのが現代の哲学の流行でもある。
流行であろうが何であろうが
疑っても疑っても『あり』という結論にしかならんのだよ
疑っても、疑えない という事だけど
意味、わかってんの?
俺は懐疑論者ではないし、どちらかと言えばカルテジアンだが、
「われ思う故にわれあり」が懐疑論者たちが疑えないほど堅固かどうか
懐疑論の立場から検討しようと思う。
デカルトは「われ思う故にわれあり」を疑えないとしたが、本当にそうだろうか。
「我思うゆえに我あり」を正しいと感じるための道具がわれわれの夢の中の産物であるかもしれない。
(ここで言う、夢とは偽、現実とは真、と理解していただきたい)
その道具とは、論証や真偽の区別などだろうが
一例として、世界の存在、「現実が存在する」という仮想がすでにして夢かもしれない。
夢と現実という2つの区分を前提にしているが、それが夢かもしれない。
こういった想像は常識を捨て去った狂人使用だが、そうである可能性が否定できない以上、
「我思うゆえに我在り」は懐疑論者が認めるほど堅固ではないのではなかろうか。
867 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/30(木) 04:42:55 0
>>866 >「我思うゆえに我あり」を正しいと感じるための道具がわれわれの夢の中の産物であるかもしれない
疑っている と言いながら
すでに「われわれの夢の中の」と、『われわれ』を前提にしているじゃないか
全然、疑えていませんな(爆笑
>一例として、世界の存在、「現実が存在する」という仮想がすでにして夢かもしれない。
>夢と現実という2つの区分を前提にしているが、それが夢かもしれない。
その仮想
その夢 は
いったい誰の仮想であり、誰がみている夢であるのか
という問題な(爆笑
>>859を見ても、
『最高位やネコは、哲学的に省察された「私」と、日常的な(生活レベルの)
「私」との区別ができていない。最高位やネコは、そういうレベルの確実性と、
哲学的省察とをごちゃ混ぜにしている。』(
>>845)
がよくわかるなw
>最高位
デカルトの抱えた問題意識がどこにあるかを考えろ
そのためにわざわざ第四部の冒頭から引用してやったんだ
デカルトはどのような問題からあのような省察を行ったのか
それが分かれば、「夢」という言葉で何を比喩しようとしているのか分かるはずだ
「夢」や「神」なんてただの比喩だ
ついでにこれに触れておこう
近代以降の哲学にはおおざっぱに2つの主流がある。
無茶な表現をすれば、有神論の哲学と無神論の哲学だ。(これは無神論側からの表現だろうが)
この2つは相容れない。
例としては、俺が有神論、最高位も有神論、機械君は無神論、
ついでに言えば、俗流唯物論は有神論だが、弁証法的唯物論は無神論だ
870 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/30(木) 04:56:34 0
『我思う故に我あり』を、わかりやすく解説してあげよう
我を疑ってみる(思う)
しかし疑っても疑っても、疑えば疑うほどに、だからこそ強化され
故に、我あり
という結論にしかならん
こういう事だ
基礎ぐらい理解しろ
>最高位
>>870は最高位流「われ思うゆえにわれあり」だな
それはそれで構わん
以前にも言ったが、
デカルトを矮小化しない限りは君が何を言おうと君の自由だ
872 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/30(木) 04:59:50 0
>>869 >「夢」や「神」なんてただの比喩だ
誰の比喩?
その比喩、誰が使ってんの?
873 :
Ra:2007/08/30(木) 05:03:33 O
デカルトの比喩であって俺の比喩ではないんだわ
規制くらった
874 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/30(木) 05:06:12 0
>>868 根拠ナシ
>>871 >構わん
じゃなくて、人を非難するんだったら、ちゃんと論理的に反論しろよ
疑えるんだったら、ちゃんと最後まで、その説明をしなさいよ
会話のできないヤツって、イライラすんな しかし
超越論は分かる人でないと何を言ってるのか分からん
理解できない奴は哲学センスがないということだ
876 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/30(木) 05:10:07 0
>>873 いい加減にしろ基地外
デカルトが使った比喩を、あんたもそれを使って説明してるんだろ
あんたチョット頭のネジが、何本か取れてるんじゃないの?
自分の意見に反論されると
存在を否定されたと勘違いしちゃうんだよね
880 :
哲学者最高 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/30(木) 09:04:59 0
882 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 09:45:34 0
>>873 神は何の比喩?
機械氏こそ、無意識の、それゆえ揺るぎない有神論者では?(怒られるかな?)
やれやれ、規制明けにこんなくだらないこと書かなければならないとはね
>最高位
君の質問が"Whose?"だから「デカルトの」と答えたんだよ
それより、この「われ思うゆえに我在り」を論証しようとすると神の存在証明と絡むというネタをやりたかったが
最高位相手にはそれを披露することもままならないな
>>882 世界そのものの比喩
機械君はおそらく自覚的な無神論
彼の論旨の中で唯一一貫性があるのがそこだけだから
俗流唯物論っぽく見えるしゃべりはただのネタで本気じゃなかろう
ただの感覚だけれど、機械は敬虔なクリスチャンを思わせる
逆に最高位はからは共産党のような無神論者を感じさせる
885 :
723:2007/08/30(木) 10:12:13 0
>>880 >>861さんの引用によれば
「何ものか」でしょう。
>すなわち、このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているわたしは
>必然的に何ものかでなければならない、と。
とありますから。実は単に「何ものか」であって、それを特定する証拠は無いのです。
この後に
>そして「ワレ推ウ、故ニワレ在リ」というこの真理は
とデカルトは続けてますが、この「我」はデカルトが定義したものでしか無い。
いや実はそれも違いますね。もっと言うと「我」は翻訳されたものであり、
cogitもメルセンヌ神父がラテン語訳したものであり、
元々デカルトは『「Je pense, donc je suis」私は考えるので私はある』と
言ってるそうで...なんてごめんなさい、参考wikipediaですw
て訳で、結局はデカルトは「私」としたけどラテン語訳は「我」であり、
と言うかこうして読んでいるのは日本語であるので、各々勝手に
「私」とか「我」とか決めてるだけで、本当は「何ものか」でしか無く、
「何もの」と特定できる訳では無い。
という流れだと思いましたが。
まぁ私は「我」と決めてしまえば楽だよなーと思いますけどねw
他者やコンピュータから「私」の中に「我」がリアルタイムで注入されて
操られているとしても、でもこう考えてる「我」は確かにある、
そう決めてしまう方がスッキリしますし、楽なんですが、
でも哲学ってそこで終わって良いの?とも思いますw
>>884 どんな人間でも何かを信じているものだよ
何も信じずに生きる人間なんてまずいないだろう
現実の宗教団体の活動の激しさが、信じることに悪い印象を与えたんだろうが
多かれ少なかれ、人間は不確実なことを受け入れているものだ
機械君は、世界そのものへの無関心な態度が終始一貫している。
彼は世界そのものについてまるで語らない。
まるで世界がないかのような言葉の使い方をする。
最高位を有神論に分類したのは俺のミスだ。
彼はどちらに分類することもできない。
一言で言えば「バカ」だ
887 :
ネコの味方:2007/08/30(木) 10:25:19 0
>>883 世界そのものの? そうだとしたら、汎神論めいてくる。
彼は教会の神は訝しく思っていただろうが、唯一神の存在は
信じていたのでは?
「我」の疑いのなさから『神』の存在を演繹し、次いで“世界”へと論を
進めたのではなかった? (この論証は少々、怪しいけど)
ちょっと時間がないので、またあとで質問します。
888 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 10:32:22 0
>最高位を有神論に分類したのは俺のミスだ。
>彼はどちらに分類することもできない。
>一言で言えば「バカ」だ
これは激しく同意。
というか本人を除いて、全会一致じゃないだろうか。
>>887 「神」という表現でわれわれが感じるいぶかしさをもった神は
西洋では「GOD」と呼ばないと思われる
890 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 11:20:44 0
>>888 その意見で全会一致にいたるのなら、このスレは閉じたほうがいい。
対話の場として機能していないことを意味するからだ。w
オレは不同意。あと何人かいるはず。その他に保留もいるのではないか。ww
891 :
哲学者最高 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/30(木) 11:25:23 0
>>881 思ってる人がいないんじゃ思いもないわな
>>883 >俺の比喩ではないんだわ
と言うからだろ
キミも比喩として使っているだろ?
要するに、私が言ってるのは
比喩してるなら、比喩してる人(主語になる人)がいるだろ
という事だよ
デカルトのせいにして、自分は関係ない と、逃げようとするから
会話にならない と言っているわけだ
>最高位を有神論に分類したのは俺のミスだ。
>彼はどちらに分類することもできない。
>一言で言えば「バカ」だ
そう
私は無神論者でも有神論でもないし
確かにバカだと思う
しかし
キミらよりは、かなり常識的だし
哲学的にも、かなり先にいるんだよ
少し謙虚になりなさい
892 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 11:30:32 0
>>891 >哲学的にも、かなり先にいるんだよ
それはあり得ない。w
本気でそうおもっているなら、論文でも本でも書けばいいのに。w
そんな才能も知能もないことは、いくら馬鹿なお前でも自覚しているか。w
おお、バカを認めた
>>863 「我」を疑うというか、コギト論証そのものは継続的に反論を試みられてきましたよ。
ただそれが有効な反論だったかどうか疑問です。
現代の哲学者のバリー・ストラウドは20世紀から今日までの
代表的なコギト論証への反論を検証していますが
決定的な反論は出ていないと結論づけています。
最近の流行でいいますと
「我思うゆえに我在り」と思えてしまうことを前提にしたうえで
そう思えるための条件はなにかということの考察に入っていますよ。
>>866 そのような論証でよければデカルト本人がすでにやってますが…
そのうえでの帰結が「我思うゆえに我在り」なんですよ。
896 :
哲学者最高 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/30(木) 11:43:20 0
>>892 私が書いても売れるわきゃないし、何の得もないだろバカ(笑
キミがスポンサーになってくれるなら書いてやってもいいぞ?
まぁ、まずは1000万でいいや
どうかね?(爆笑
897 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 11:48:44 0
>>896 >私が書いても売れるわきゃないし、何の得もないだろバカ(笑
それは馬鹿が書いた本になるから売れないんだけどね。
自費出版に1000万もかからないよ。
サイトで発表すればタダだし、場所なら貸してあげるよ。
2ちゃんのスレにくだらない書き込みしているよりよっぽど有意義だろうが、
キミの場合は良い論を発表したいわけではなく、他人を罵倒するのが趣味のくだらない人間だろうから、
そういう建設的なことはできないだろうけどね。w
898 :
Ra:2007/08/30(木) 11:53:14 O
895
先のことを認めれば論証行為なんてアホらしくなるぞ
デカルトはそんなことやってたのかねぇ
専門用語を使えば、超越論的実際論的基礎付けはできない
これで十分
899 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 11:57:30 0
Raもしつけえぞ
理解しねえんだからやめろ
>>898 デカルトは論理的な思考そのものさえ疑っています。
>超越論的実際論的基礎付けはできない
>これで十分
結論だけ投げ出されても十分かどうかわかりませんね。
901 :
Ra:2007/08/30(木) 12:05:41 O
900
俺には排中律を捨ててもなおコギトを正しいと感じれるかは疑問だ
俺自身捨ててないから分からんがね
「私」はデカルトが創った
デカルトだけは疑えませんでした
903 :
哲学者最高 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/30(木) 12:07:45 0
>>897 >自費出版に1000万もかからないよ。
ギャラを入れて、まず1000万つってんだよバカ
>それは馬鹿が書いた本になるから売れないんだけどね。
あのな
バカが書いても、知名度や話題性があれば売れるんだよ
しかし一般の人にとって、哲学的問題なんて何の関心もないんだよ(爆笑
私が哲学の本なんて書いても、売れる何の要素もないだろバカ
>そういう建設的なことはできないだろうけどね。w
何を建設したいわけだ?(苦笑
正直言って、左翼にクチで勝てるぐらいしかメリットないんじゃないかな(爆笑
ホントのところ、キミらには理解できないから安心して教えてやってるんだよ
まぁ中にはマトモな人もROMってるかも知れないけど
そういう人には大サービスだ マジで
あとな
ちょっと聞くけど、お前らは本だしてんのか???(大爆笑
こいつ真性のバカだな
虎の威を借る狐とはこういうやつのことを言うと思う
905 :
哲学者最高 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/30(木) 12:20:55 0
>>898 >超越論的実際論的基礎付けはできない
これは唯物論の限界を表しているにすぎない
先験性は論理的に解明できないのであるが(唯物論崩壊)
しかし、その存在を先験的存在自身が否定する事もまた不可能
いかにしても『我思う故に我あり』なのである
>>891 「もう」誰もいないんじゃね。
だから思っているのは誰なんて質問になってないぞ。
907 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/08/30(木) 12:26:15 0
整理すると以下のとおり。
1.「昨日の我、一昨日の我、一秒前の我」の脳は変化する。
2.我思うゆえに我在り」と継続的に考えられる「我」が居る。
3.変化を通して継続する意識を「唯一絶対の我」として統一させるのが脳「心」=「私」
あなたの
>>766 >つまりは、「唯一絶対の我」なんて存在しないのです。変わっていくのですから。
は1.2.3.から話が戻っていると言うこと。
>この我は変わってはいけないものでしょうか?
はいそうです。意識や認識や肉体の物質は変わっても(実際物質としては数ヶ月で全部入れ替わる)、「我」だけは統一されていなければならない。
それが出来ないと
>>801 :3時で1時: の認知症の様に日常生活に重大な支障をきたします。
908 :
哲学者最高 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/30(木) 12:26:22 0
>>906 思ってる人が誰もいないんだったら、『思い』もないだろ
909 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 12:30:22 0
>>903 >私が哲学の本なんて書いても、売れる何の要素もないだろバカ
ならWebページで書けばいいだろ。
2ちゃんで馬鹿どもをいちいち相手にしなくても、同じことを何回も書かなくても、
リンクを張るだけで済むのだし。
今まで相当な書き込みをしているのだから、その労力を考えたらできるはずだが、
キミの場合は良い論を発表したいわけではなく、他人を罵倒するのが趣味のくだらない人間だろうから、
そういう建設的なことはできないんだろw
910 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/08/30(木) 12:30:28 0
>>908 だから「もう」誰もいないんだって。
せめてそう思っていたのは誰って聞かないと。
私、誰
唯物論の「物」を置き換えてるだけじゃん
913 :
723:2007/08/30(木) 12:49:51 0
>>907 レスありがとうございます。そうですね。
私も考えて気付いて、後で書いた事を整理しますと、
「我=一つの連続した経験の主」
と理解しました。
しかしその後、何勝手に「主」を決めてるんだって話も出てきて、
あーそーかも、思いが勝手に動き回っててもいーかも、
とも思ったりしてw
とりあえずは、この「思い」が存在するのは確かで、
(現実でも、夢でも、洗脳でも、それでも存在するのは確か)
でも「何ものが作ってるという証拠は無い」という事でしょうか?
私の脳が作ってる?でも、「作られた思い」は、本当に私の脳が
作ったものか?外から注入されて脳はスルーしているだけでは
ないのか?
と疑ってしまうと、思いの製作主=脳内の神経が作り出す電気の流れ、
と言い切る事もできません。面白いものですね。
916 :
Ra:2007/08/30(木) 12:59:41 O
最高位
905
否定することが不可能だと、
なぜ「疑えない」という結論が出るのか?
二重否定除去を可能にしているのは何なのか?
ヨコレスですが
>>913 >とりあえずは、この「思い」が存在するのは確かで、
>(現実でも、夢でも、洗脳でも、それでも存在するのは確か)
>でも「何ものが作ってるという証拠は無い」という事でしょうか?
そうでしょうね。そしてそれの「主」は不可避的に要請されてしまうでしょうね。
勝手に決めているわけでも無く。
認識論な意味ではなく存在論的な意味ですが
「思い」というものはそもそも単独ではあり得ないのではないでしょうか。
918 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/08/30(木) 13:19:23 0
>>913 :723:
>思いの製作主=脳内の神経が作り出す電気の流れ、と言い切る事もできません。
人間の場合、生まれてから死ぬまで脳細胞は活発に活動し続けます。
この神経細胞はその間原則として新陳代謝しません(分子原子レベルでは活発に代謝します)。
人体の消費カロリーの20パーセントくらいも脳が使っています。
睡眠中の活動も覚醒中と大差はありません。
じいさん(私)はこの異常に活発な神経細胞の科学反応が意識の出所であると考えます。
しかしながら脳の機能としての意識そのものは物質では還元できないとも思います。
919 :
哲学者最高 ◆Trvm6PB/QQ :2007/08/30(木) 13:40:08 0
>>916 ん?
言っている事の意味がわからん
おおいに疑えばいいんじゃない?
で、無い可能性を見出せたの?
否定できないことから肯定を導きだすのに神の御力が必要だとおもわないか?
最高位
>>917 >「思い」というものはそもそも単独ではあり得ないのではないでしょうか。
そんな根拠はべつになかろう
あっちのスレこっちのスレ
たいへんだなw
/ ̄ ̄\
/ _ノ \
| ( ●)(●)
. | (__人__) 「われ思うゆえにわれ在り」じゃなくて
| ` ⌒´ノ 「われ在りゆえにわれ思う」だろ、常識的に考えて…
. | }
. ヽ }
ヽ ノ \
/ く \ \
| \ \ \
| |ヽ、二⌒)、 \
925 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 17:40:50 0
926 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 17:45:47 0
「常識的に考えて…」っておもしろいな。哲学板で流行らせようぜ。
927 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 18:28:06 0
ワロタwww
とはいうものの
常識的に考えることしかできないやつ
多すぎ
我思う故に我あり何てありえないだろ、常識的に考えて・・・
常識的にしか考えられないから
その常識を哲学的に懐疑できるんだよ
で、この場合の常識とは「我あり」
この常識なくして「我なし」もなし
誰もが「我あり」と常識的に考えることしかできない
その常識があって初めて「我なし」と後から非常識に考えることも可能
最初から「我なし」と言えない「我なし」とは常に「我あり」の後付け
「我なし」と主張する裏には常に「我あり」が根強く染み付いている
「我あり」から誰も逃れることはできない
「神はいる」→「神はいない」
むしろ我ありなんて後から生まれた概念だから、我はなしで元に戻っただけだろ
常識的に考えて・・・
>>930 常識的に考えることしかできないってのは
「世間一般の常識ではどのように考えているかを知っている」ということではなくて
「世間一般の考え方からはなれられない」という意味だろ、常識的に考えて・・・
933 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 19:21:08 0
面白そうな流れになってきたな・・・、常識的に考えて・・・。
934 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 19:47:18 0
デカルトと龍樹の対談なんて面白そうなんだがな・・w
935 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 20:02:20 0
哲学板でそんなの流行るわけないだろ。
常識的に考えて・・・
936 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 21:35:19 0
この国で、神を殺し人間を抹殺し【私】を消去することは無意味。
もともと、そんなものはこの国にはないのだから。常識的に考えて。
いや、人間はいるだろう。
常識的に考えて・・・
938 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 21:48:59 0
むるぐんだ やっしゃのせえ むるぴ
とはいうものの、実際はそう認識しているとは言い難いゆえに
即今、ザーット雨が降っている音を聞いているのです。
…ふおー さっ
私が記述できる『私』は、こんなものですな。
もっと常識的に考えろよ!
940 :
夏休みもうおわる:2007/08/30(木) 22:00:02 0
寝たら【私】をOFF 起きたら【私】をON
自分で切り替えしてんのかよ。できねーだろ。そんなこと。
常識的に考えて・・・
デカルトはもう古いだろ。常識的に疑って・・・
942 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 22:01:40 0
>>940 物質が切り替えてるから、唯物論は否定できないだろ。常識的に考えて・・・
943 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 22:05:14 O
他人に認識される事で「私」を認識でき、他人を認識することで自我を形成する。
944 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 22:05:21 0
常識ねー奴って言われてんのに 常識的に考えられるかよ
945 :
夏休みおわるお:2007/08/30(木) 22:17:23 0
【私】をわかってよ って言われたお
知るか って言ったら ふられたお
常識的に考えて・・・ わかるとも って言うべきだったお
他人のことがすぐ分かる方が異常だろ、経験的に思い返して・・・
常識的に言って、それでいいだろう
つまり、「私」とは、常識的に記述し思考できるということですか?
ネタスレ
常識的には
950 :
夏休みおわるお:2007/08/30(木) 22:54:51 0
このあいだ おとんが撮った ビデオ見せられたお
おまえが 赤ん坊だった時のだ って言われたお
おかんが あーわかるんだ この子わかるらしいよ って騒いでるお
おぼえてないお
赤ん坊のころは おぼえていないのが 常識かお
あっという間にネタスレ化しすぎだろ、常識的に考えて・・・
機械論スレの怒号よりはネタの方が楽しいよ、常識的に考えて・・・
953 :
考える名無しさん:2007/08/31(金) 01:24:02 0
常識的に考えてるのが自分だろ、常識的に考えて・・・
と誰かさんにそろそろ指摘されそうだな、当スレの常識的に考えて・・・
我思うゆえに我があるのは世の常識だろ、デカルト的に考えて・・・
955 :
考える名無しさん:2007/08/31(金) 08:54:26 0
>>954 しかし「我あり 故に我おもう」のほうが
>>923 の言うように西欧では常識的だろう。
デカルトは、これを引っくり返したんだね。
まぁ、どちらにしてもこの国の常識ではない。こちらには、ハナから「我」なんかないし、
「我」が単独で自立的に思ったり考えたりする風土も習慣もなかった。いや、いまも「ある」とはいえない。
西洋的近代を経ないまま、ポ・モに突入してしまったわけだ。
向こうとは、半周ズレていることを踏まえないとね。
956 :
夏休み宿題必死:2007/08/31(金) 09:17:11 0
僕と 自分を 使い分けるろよ
自分について 考えて 作文してきなさい って言われ
今宿題しているのは 僕だろ 自分じゃないだろ
常識的に考えて・・・
957 :
考える名無しさん:2007/08/31(金) 09:26:51 0
>>夏休み君
そのように分裂するのは当たり前。何度も言われてきた常識だろう?
その二つを貫徹する「私」を記さなければ…。
958 :
夏休み宿題必死rg@:2007/08/31(金) 09:42:11 0
分裂してないお
分けて考えているだけだお
こんなとこに書いてる間に宿題やれお、常識的に考えて...
960 :
夏休み宿題オワタ:2007/08/31(金) 14:38:04 0
「自分について」の作文が 最後の宿題だったお
ものすごい量になったけど むりやり減らしたお
まとまりのない作文になったお
質は問わない と先生は 言ってたお
ということは
先生は 内容を見ないかも知れないお
常識的に考えて...
僕は 要領が悪かった のかお...
961 :
Ra:2007/08/31(金) 16:24:45 O
夏休みも終わればやっと夏厨も減るな
少しはマシになるかね
と考えてる人物が唯一絶対な思惟実体たる我だろ、最○位的に考えて・・・
と考えてる人物の想像なんて周回遅れで瑣末極まりないだろ、超越的に思って・・・
と思っている事実は何よりも確実だろ、主観的に見て・・・
965 :
考える名無しさん:2007/08/31(金) 21:58:38 0
「そう思っているのはおいら」だって信じてるの?
常識的に考えて..そりゃ甘いな。
自作自演あり、なんだぜ。
文の間に挟むと納まりが悪いよな、ネタ的に考えて・・・
と見ている主観を客観的には見れないからそれも不確実だろ、客観的に想定して・・・
968 :
考える名無しさん:2007/08/31(金) 22:06:55 0
ネタの生かし方知らなかったぜ。
センスないぜ、おいら。
気にせず、どんどん梅ろや。
964→967な、スマン
970 :
考える名無しさん:2007/08/31(金) 22:33:08 0
『私』が存在するのはどう考えたって、奇蹟!
常識的に考えて..あり得ない!
常識的に考えて..非常識!
その気になれば、思っている内容はいくらでも疑える。
世界があるかどうかも、今考えているのがこの私であるかどうかも疑える。
しかし、思っているということ自体だけは疑えない。
思っているからには、たとえ私でなくとも、また人間でなくとも、
とにかく、思っている何かがあるはずだ。
こういう考え方だとすると、思っている何かより思っていることの方が確実だ。
確かに、思っているのなら思っている何かがあるはず、というのは
別に変だとは思わない、常識的に考えて・・・。
でも「思っていること」という確実なことがあるのに
なぜ「何か」を加えるんだろう? それこそ常識や文法上の要請に従っただけとしか
俺には思えない。徹底的に疑おうとしていたのに、なぜそんなことをするのか
分らない。それとも別のちゃんとした理由があるんだろうか?
それから、「私」が自己意識だろうと一人称代名詞だろうと、独我論のだろうと
思っている何かと「私」とは当然、区別しなければいけない。
または、この何かを私と呼ぶ、というべきだと思う。でも私なんて語を使うのは
誤解の元だと思う。
私にとっての私。
この時間の私、昔の私、未来の私、
他人からの私。
つまり、定義は無限にできる。
これは科学的ではないことに気がついてほしい。
と、その誤解を指摘するためにもやはり私なんて語を再度使わなきゃならないだろう、言語論的に指摘してみても・・・
誰も科学の話はしてないと思う、常識的に考えて・・・
971→973だろ、流れ的に考えて・・・
976 :
考える名無しさん:2007/09/01(土) 00:25:52 0
>>974 常識からずれた人が974でファイナルアンサー?
977 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/09/01(土) 00:38:01 0
>>971 キミは異常です
病院に行くべきです
それだけです
自分が思っているのだ
という事すら理解できない人に、説明のしようがありません
病院に行って下さい
978 :
考える名無しさん:2007/09/01(土) 01:00:56 O
私
最高位ってさあ、本当に哲学向いてないよな。
反論するならともかく、開口一番に病院池とか、ありえないだろ。
最高位ってリアルでは厨房なんだろ?常識的に考えて、大人とは思えない。
>>979 最近、機械論スレの初期のものを見たケド、誰かもいってたが、彼も最初は
まともだったのよ。ただし最初っていっても2,3レスだけね、たしか。
それに彼はクルマを運転するって自己申告しているから、大人です。精神的にも
タフだと思います。 ただし3年以上も同じコトを言っていて、飽きないのかなという
素朴な疑問はあります。
丁寧にレスを返す点は、案外、マメなのかなと思ったりも・・・。。
981 :
考える名無しさん:2007/09/01(土) 02:29:00 0
眠れない。
私の思考はとどまることなく私を巻き込み、肥大していく。
考えまいとしても考えている私に、私は嫌気がさしている。
何も考えないようにしようと考えている私は、あまりにも無力だ。
睡魔よ。私の睡魔よ。。。。