壱思想

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750:2007/11/09(金) 04:03:44 O
んーでも「結果における不均衡」は「不利益」という言葉で既に意味されてるので
もっかい定義し直すと
「Aが他者に対して故意に何らかの損害を与え、
その手段において何らかの不均衡があった場合、
Aの行為は道徳的に許されざるものとしての悪と見做される」
て感じかな
751:2007/11/09(金) 04:16:54 O
例えば手段が均等に与えられていて公正に競争したのであれば
結果として相手方に故意に不利益を生じさせることになったとしても悪とは言われない
あーでもまだうまく定義できた気はしないけど眠いのでまた明日
752:2007/11/09(金) 08:35:48 O
正当防衛による殺人が悪と見做されないのは
その行為と動機の程度が釣り合っていると見做されるからだ
動機が不十分であり結果との間に不均衡が存在する場合それは悪となる
753:2007/11/09(金) 08:55:01 O
こうしてみると不均衡もいろいろあるので整理する必要がありそうだ
・動機が行為と釣り合っているか(動機均衡性)
・交渉や競争の際の手段が均等に与えられていたかどうか(手段均衡性)
・交渉や競争による結果がその過程と整合性を持つかどうか(結果均衡性)
これらのうち一つでも不均衡が生じているとそれは悪の判断材料となる
754:2007/11/09(金) 09:04:49 O
行為における悪の条件 ver1.1
・故意に行われた行為であること
・動機、手段、結果のうち少なくとも一つに不均衡が認められること
・結果として他者に何らかの不利益を生じさせたこと
以上の三条件を全て満たすとき、その行為は悪と見做される
どう?
755:2007/11/09(金) 10:52:28 O
それをふまえて自殺が悪かどうか考えてみると
自殺した事によって他者に一切不利益を与えることが無いか
もしくは動機が自殺するのに十分と認められるなら
その自殺は悪ではないということになる
切腹や特攻は当時は動機が十分と認められたので悪とは見做されなかった
756:2007/11/09(金) 11:02:21 O
また生そのものや死そのものには故意性が存在しないので少なくとも悪ではない
格差社会や金儲けや出世は汚いことがまかり通ることがなければそれ自体は悪じゃない
また壱には故意性が無いので少なくとも悪ではない
757:2007/11/10(土) 05:50:38 O
では善とはなんだろうか?
私は善とは悪の欠乏のことだと考える
まず悪があり、それが無い状態が善であるのであって
まず善があり、それが無い状態が悪であるのではない
我々は善いことをしたときによく「当たり前のことをしただけです」と言う
善い行為とは自然で当たり前の行為のことを言う
758:2007/11/10(土) 06:02:20 O
>>754の悪の条件をひっくり返してみると
・行為が何の気なしに自然に行われること
・行為の手段や結果において公平性があること
・他者に不利益を与えないこと
これらが善い行為の諸性質といえる
759:2007/11/10(土) 06:17:39 O
我々の道徳観念はまず悪への不快感から始まるのだ
「ずるい!」というのが最初の根本感情であり
ずるくない当たり前の状態は当たり前であるが故に何の感情も引き起こさない
まず善ありきとする西洋哲学はその実情をわかってない
だからむりやりにでも超越神を想定せざるを得なくなる羽目に陥るのだ
760:2007/11/10(土) 06:24:34 O
だから生や死そのものは善でも悪でもない
なぜなら善とは悪の欠乏のことなので悪がなければ善もないから
同様に壱もまた善でも悪でもない
761:2007/11/10(土) 17:29:03 O
ではなぜ悪は不快を感じさせるのだろう?
自分にふりかかる損害に対して不快を感じるのは生存本能から説明できる
動機、手段、結果における不均衡や人為的(非自然的)な行為に不快を感じるのは
美意識から説明できる
美意識は>>500-538によれば均衡を指向する本能に依るものであるから
善悪の感情の源泉は神に求める必要はないということになる
762:2007/11/10(土) 18:39:16 O
日本人にはあまり善行を積んで神様に見てもらいたいという気持ちがわからない
むしろ神様より世間様が大事だと考える
「人に迷惑をかけちゃいけません」というのが一般に広まっている道徳律であり
それはまず悪ありきの発想であって西洋的神を全然想定していない
私にはそういう善悪観の方がリアリティがあると思われる
763考える名無しさん:2007/11/11(日) 03:39:12 0
日本人にとっての神は、世間。
世の中全体が神。

しかし多くの場合自分も世間を作っている一人だということを忘れている。
764考える名無しさん:2007/11/11(日) 04:20:13 O
なんだこれ
765:2007/11/11(日) 10:48:08 O
>>763
んーというか世間とは他人の集まりのことなので
結局のところ世間様というのは人様の複数形なんだと思う
人様に迷惑をかけないことが世間様に恥ずかしくない行為にそのまま繋がる
日本人の道徳の指向はストレートに他人に向けられるのであって
世間様という超越的存在を隣人より先に指向するわけではない
一方で一神教社会における道徳の指向はまず超越神に向けられ隣人はその次となる
だから比較的向こうの人は人に迷惑をかけても平気でいられるのだ
766:2007/11/12(月) 17:26:39 O
まあもう死語だけど遠くの親戚より近くの他人という言葉もあるし
神様仏様もいいけど一番大切なのはまわりの他人とうまくつきあうことだ
そういう思想から人様という言葉が昔は使われてたんじゃないかな
767:2007/11/12(月) 17:34:07 O
遠くの神様より近くの他人に対する敬意が敬語の文化を育んだ
80以上くらいの人たちは自分より全然年下の人に対しても敬語な人が多いよね
もう20年もしたらそんな光景は絶滅しちゃうんだろな・・・
768:2007/11/13(火) 18:47:16 O
私事で大変恐縮ですがワタクシ明日家を引き払いボロ車で旅に出ます
とりあえず新潟に出てそこから海沿いに鹿児島まで行く予定です
まずいないとは思いますが私と呑みたいという奇特な人は連絡くださいな
[email protected]
769考える名無しさん
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