資本とネーションと、時々、国家 2

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1第三の波平 ◆v97jOX.oqY
「感情労働」とは働き手が表情や声や態度でその場に適正な感情を演出することが職務として求められ
ており、本来の感情を押し殺さなくてはやりぬけない仕事のことだ。ここにきて、この「感情労働」があら
ゆる職種、さらには、社会全体が「アーキテクチャー化」するなかで、人間関係が「感情労働」化している
といえる。

このような「感情労働」の時代は、ボクが言及した社会の「アーキテクチャー化」と関係するだろう。社会
の「設計事項」が剥き出しになると、先生と生徒、医者(看護婦)と患者などの、様々な道徳、習慣、地域
的に支えられていた社会関係が、アーキテクチャーとして剥き出しになる。そして社会がアーキテク
チャー化するからなおさら、失われつつある「繋がり」(ネーション的なもの)を過剰に担わされ、その
ギャップに「感情労働」は生まれていると言えるだろう。

そして社会の流動化の大きな潮流の中で、アーキテクチャー化、感情労働化は、「マクドナルド化」へ向
かう。マクドナルド化は儀礼的無関心という不干渉を積極的にとりこむことで、居心地のよい空間サービ
スを提供する。あいまいな価値観による軋轢が貨幣交換という関係により代替される。学校にクーラー
を入れるか。金を払えば優秀な教師、空調完備がえられる。そして規則に反すれば、契約違反で排除さ
れる。市場原理の導入である。

このような傾向は、柄谷的な3元、<資本=国家=ネーション>において、国家が「小さく」なり、資本が
強くなることという「ネオリベラル」化をしめす。そしてネットがこれだけ短期間で発展したのは、地域コ
ミュニティや終身雇用的な会社社会のような前世代のコミュニティ(ネーション)の崩壊を補完するため
だったのではないか。だからもはやネットにおける無償の労働や、繋がりの社会性を求めるような傾向
は切り離せない。

1 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1173442180/
2考える名無しさん:2007/06/27(水) 20:39:28 0

  ______    / //       /        / i,           i   ヽ
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   ノ ノ  ┌┐       /   / / / /    / |  /    `、 i  !  |i   i  ,  l
 / 二~フ | ,二]     ./  ,ィ / / //   /    | /       | |  |  l !  i  |  |
 `"<ヽ /  | L_/|  7_i//`/ー- 、/ /     | /      | l   |  l l  !  !  i
  _//  L__/     ,/ / ,,,,- ニ=x-、_    !/        |i  _, +十'イ  i  !  !
   ̄             /   ''" / :;;r jヽ`\,/, ,リ     i_,, x=、 レ | / /  :|
  ┌┐         /|    /:::::;;;;;;;:`::::::l   "      "/ :;;r ヽヽ   |/| /   :!
 [二  ] __     {::|   |::::::::;;;;;;;;:::::::l             l:::;;;;;` ::| l  //    :!  。
   | |/,ー-、ヽ      ̄フ"`'、:_ '''' ,ノ           l  '''' ノ,,.., /○    :|
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3純一:2007/06/27(水) 22:50:42 0
ぴかぁ〜に真面目に理論を開陳すると
いつも後になって無駄なことを言ったなと思います
4考える名無しさん:2007/06/27(水) 22:51:44 0
すげぇ、前スレで第三の波平がタジタジになってる。
純一おそるべし。
5純一:2007/06/27(水) 22:52:22 0
歌に関しては性的な表現と暴力の表現が
ドクサとして存在していることで創価が入り込む隙ができるという話でした
では我々は歌で何を主題とすべきなのか
6考える名無しさん:2007/06/27(水) 22:53:33 0
もったいぶらないで具体例をあげなよ、純一君。
7純一:2007/06/27(水) 22:57:14 0
ラップとか聴きますか?
ラップならyoutubeから引っ張ってこれますがね
8第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/27(水) 23:00:17 0
>>7
おい電波童貞、あちいったり、こっちったりわかんねぇよ。
で、なんで電波童貞は風俗いかないんだ?w
9考える名無しさん:2007/06/27(水) 23:12:59 0
pikarr必死すぎ!!!!!!!!!!!!1
10第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/27(水) 23:15:33 0
>>9
で、電波はなんで風俗いかないんだ?w
11考える名無しさん:2007/06/27(水) 23:15:56 0
988 名前:純一 本日のレス 投稿日:2007/06/27(水) 21:41:20 0
>>986
カントの超越論的仮象の柄谷的独自的解釈の用語です
ぴかぁ〜の場合はカントの超越論的仮象の意味をわかっていないので
ぴかぁ〜が超越論的仮象という場合全てこの柄谷的独自的解釈の超越論的仮象であり
カントの超越論的仮象ではないのですがブログでは超越論的仮象と言えば
柄谷的独自的解釈の超越論的仮象でありカントの超越論的仮象ではありません
しかも東浩紀の段階になると柄谷的独自的解釈の超越論的仮象が更に
東浩紀の独自解釈の超越論的仮象になりカントの超越論的仮象の面影はそこにはありません
話を戻します

ぴかぁ〜の弛んだ脇腹に、純一の膝蹴りが入ったようだな。
12第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/27(水) 23:18:33 0
>>11
で、柄谷的超越論的仮象って何?
それと東浩紀的超越論的仮象は始めて聞いたんだけどw
もしかして中年童貞で、電波で、馬鹿?w
13純一:2007/06/27(水) 23:21:07 0
改めて純一のレス読むとわかりにくくてしょうがないですね
しかしぴかぁ〜にはこれぐらいのハッタリが丁度良いでしょう
14第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/27(水) 23:25:16 0
>>13
なんで風俗いかないか、話さないのか。
そこまで電波でないとつまらんよ。
所詮、電波は演技か。ただの童貞馬鹿どまりだったかw
15第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/27(水) 23:28:37 0
しかしダラダラ長い割だけでほんと人間としてつまらんな。
電波のふりしても、ビビってなにも自分のことはなさないヘタレだし、
超越論的仮象もしらない低脳だし、
初老で童貞だしw
16純一:2007/06/28(木) 00:16:54 0
童貞で結構だってことです
日本のラップで純一のお気に入りの曲です
メロウな曲なのでラップを嫌いな人にも聴けるでしょう
Nujabes and Shing02 Luv Sic pt.3
http://www.youtube.com/watch?v=LZ4LhgngbxY
17第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 00:26:51 0
>童貞で結構だってことです

しるかポケ!w
18純一:2007/06/28(木) 00:27:08 0
こちらはややアングラなラップになります
RINO - 夕陽のタンガンマン live
http://www.youtube.com/watch?v=3xYG7m9l9Kw
聴く人を選ぶ曲かもしれません
私はどっちも好きなのですがでは次にフリースタイルについて
19第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 00:32:18 0
通勤電車付近というのは、殺伐としてむさ苦しいものである。
そんな中で、いまならばエビちゃん風、はやりのファッションをしている女性を見つけると、
なにかドキッとするものだ。
単にかわいい女性というよりも、流行りのファッションを身にまとっていると、
それだけで引かれるモノがあることを感じる。

なぜだろうと考えていると、おもしろいエントリーを見つけた。
20純一:2007/06/28(木) 00:34:10 0
フリースタイルはつまり即興ラップのことです
freestyle tokyo
http://www.youtube.com/watch?v=gsJM2L4hPNM
21純一:2007/06/28(木) 00:41:23 0
私が焦点にしているのはこれです
freestyle - mc battle kakato(鎮座dopeness+環ROY)
http://www.youtube.com/watch?v=OKtV7rwJvOM
見る人によっては汚く感じるかもしれないのでグロ注意です
22第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 00:46:46 0
>>
めちゃモテ日本
http://blog.tatsuru.com/2007/06/27_1049.php

社会的リソースを競争の「勝者」に優先的に分配する「グローバリゼーション・システム」においては、自己
責任でシティライフを享受できるのは、「強い個人」に限られた。・・・結果的に「自分程度の才能では、いくら
じたばたしても社会的勝者になる見通しは薄い・・・」という痛苦な事実を先行世代の「負け」ぶりから学習し
たより若い世代は、「強者が総取りする」競争システムよりも、「弱者であっても生きられる」共生型社会の
方が自分自身の生き残りのためには有利だろうという判断を下した。

「周囲のみんなからちょっとずつ愛される」結果的に選ばれたのが、このCanCam的「めちゃモテ」戦略で
ある。みんなに愛される、ラブリーな女の子になること。・・・私はCanCam型の「みんなに愛されるラブリー
な女の子」志向は、そのふやけた外見とはうらはらに、実は私たちの社会がより生きることがむずかしい社
会になりつつあるという痛ましい現実をシビアに映し出していると思う。
<<
23純一:2007/06/28(木) 00:50:54 0
上はバトルというものでマイクで闘いますエミネムの映画でもありましたね
櫻木響か鎮座DOPENESS
http://www.youtube.com/watch?v=AXZPFA25Swo
midnight breaking fishman - 環ROY
http://www.youtube.com/watch?v=Dvtzl6HijiM
私としてはこの2つとも普通の人が見れば汚い類のものではないかと思います
上の鎮座の曲はともかくとしても下の環の曲はぴかぁ〜のような自意識の強さを感じます
24純一:2007/06/28(木) 00:53:53 0
ここまで来て私純一が何を論じたいのかと申しますと
ラップのシーンは哲学や思想のシーンと非常に似通っているということです
フリースタイルは即興でラップをすることですが
今我々がやっているように即興で哲学や思想を開陳することもできます
同じように我々は純一とぴかぁ〜のようにMCバトルの真似事のように
ここで哲学や思想同士を闘わせることもできる
25第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 00:57:42 0
CanCamの人気は「めちゃモテ」戦略にあるらしい。「オレはオレ的にオレがすごく好き」
という自閉傾向のうちにとどまっていることから、トレンドのメインストリームは「みんなに
ちょっとずつ愛されたい」方向にゆっくりと舵を切っている、ということだ。

たしかにエビちゃんの特徴は、逆に無個性派にあるように思う。
エビちゃん自身はそれほどかわいいということではない。
ただファッションに身を包むと、魅力的になる。
これは逆にいえば、誰でもファッションによってエビちゃんになれる可能性がある、
という受け入れやすさがあるように思う。
26第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 01:02:55 0
これは>>1の社会の「感情労働」化に繋がるように思う。誰からもちょっとずつ愛されるように、
波風を立てない。そして「エビちゃん」とは、誰でも手頃に受け入れられる、ファッションの
マクドナルド化であるといえるのかもしれない。

しかし疑問は、それでもCanCam的「めちゃモテ」の位置に居続けられるのだろうか。
どこかで。「オレはオレ的にオレがすごく好き」 という自閉傾向を「発散」せずに、
生きられるのだろうか。
27純一:2007/06/28(木) 01:06:35 0
日本のラップのバトルではフェイクという用語が使われてたりします
DEV LARGE VS K-DUB SHINE まとめサイト
http://nejire.gozaru.jp/
フェイクはリアルの対置語であって
リアルでないものでフェイクです
ここも哲学とよく似ています例えば私純一が
ぴかぁ〜をフェイクと罵るといったところです
28第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 01:10:00 0
■CanCam的「めちゃモテ」戦略

通勤電車付近というのは、殺伐としてむさ苦しいものである。そんな中で、いまならばエビちゃん風、はやり
のファッションをしている女性を見つけると、なにかドキッとするものだ。単にかわいい女性というよりも、流
行りのファッションを身にまとっていると、それだけで引かれるモノがあることを感じる。なぜだろうと考えて
いると、おもしろいエントリーを見つけた。

>>
めちゃモテ日本
http://blog.tatsuru.com/2007/06/27_1049.php

現代の若者たちの一部は依然として「オレはオレ的にオレがすごく好き」という自閉傾向のうちにとどまって
いるが、トレンドのメインストリームはどうやら「みんなにちょっとずつ愛されたい」方向にゆっくりと舵を切っ
ている。「わたし的には、これがいい」という自己決定を断固として貫くことが個人にとって最優先する、とい
う考え方が生存戦略上かならずしも有利ではない、ということについての国民的合意が今形成されつつあ
る。

社会的リソースを競争の「勝者」に優先的に分配する「グローバリゼーション・システム」においては、自己
責任でシティライフを享受できるのは、「強い個人」に限られた。・・・結果的に「自分程度の才能では、いくら
じたばたしても社会的勝者になる見通しは薄い・・・」という痛苦な事実を先行世代の「負け」ぶりから学習し
たより若い世代は、「強者が総取りする」競争システムよりも、「弱者であっても生きられる」共生型社会の
方が自分自身の生き残りのためには有利だろうという判断を下した。

「周囲のみんなからちょっとずつ愛される」結果的に選ばれたのが、このCanCam的「めちゃモテ」戦略で
ある。みんなに愛される、ラブリーな女の子になること。・・・私はCanCam型の「みんなに愛されるラブリー
な女の子」志向は、そのふやけた外見とはうらはらに、実は私たちの社会がより生きることがむずかしい社
会になりつつあるという痛ましい現実をシビアに映し出していると思う。
<<
29第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 01:11:57 0
CanCamの人気は「めちゃモテ」戦略にあるらしい。「オレはオレ的にオレがすごく好き」という自閉傾向の
うちにとどまっていることから、トレンドのメインストリームは「みんなにちょっとずつ愛されたい」方向にゆっく
りと舵を切っている、ということだ。

たしかにエビちゃんの特徴は、逆に無個性派にあるように思う。エビちゃん自身はそれほどかわいいという
ことではない。ただファッションに身を包むと、魅力的になる。これは逆にいえば、誰でもファッションによっ
てエビちゃんになれる可能性がある、という受け入れやすさがあるように思う。

これは社会の「感情労働」化に繋がるように思う。誰からもちょっとずつ愛されるように、波風を立てない。そ
して「エビちゃん」とは、誰でも手頃に受け入れられる、ファッションのマクドナルド化であるといえるのかもし
れない。

しかし疑問は、それでもCanCam的「めちゃモテ」の位置に居続けられるのだろうか。どこかで。「オレはオ
レ的にオレがすごく好き」 という自閉傾向を「発散」せずに生きられるのだろうか。
30純一:2007/06/28(木) 01:19:19 0
ここで焦点になるのは私純一は環のラップに関しては
フェイク臭を感じているという点です鎮座にラップには好感が持てます
環のラップからは団塊ジュニア特有の自意識の強さ
あるいは宮台周辺的な創価らしさと言ったら良いでしょうか
胡散臭さを感じますこれは純一が小谷野淳を読んだ時にも感じたことです
皆さん小阪修平を御存知でしょうか朝生にたまに出てくる知識人です
この人は東大で全共闘を体験した人なのですが
彼が言うには切通理作とオウム論議になった時に
切通のが自分の興味ある面だけ読んで論議しているという指摘をしています
私は切通理作知らないのでどこまで本当なのはわかりませんが
ぴかぁ〜や環を見ていると団塊ジュニアの特徴として
相手の論議との中で自分の興味ある面だけをピックアップして返してしまう
という性質があるのは確かなことです
31純一:2007/06/28(木) 01:35:49 0
日本のラップシーンで
さんピンCAMP
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%82%93%E3%83%94%E3%83%B3CAMP
というイベントがあったのが96年であり
ウインドウズ95とインターネットの普及がこの付近ですね
ラップは今かなり普及していてインターネット文化またも普及しています
ラップとインターネット文化は共に団塊ジュニア世代が作り上げたものであろうと
私純一は思っていますが違うかもしれません
彼等は私純一がひとまとめにすると90年代組と呼べます
または団塊ジュニア世代とも呼べます
32純一:2007/06/28(木) 01:42:46 0
90年代とは日本での表の思想史では宮台の時代です
援助交際やブルセラやいじめといった雰囲気になります
宮台や東がよく口にするスーパーフラット等も彼等が90年代組
に親和性があることがその理由になります
正史では宮台から東へという形で90年代の乗り越えという形に
繋げたという形になっていますがこれはあくまで正史での話です
私純一が考えるにはそういう風には接続していないと思います
少なくとも東浩紀によって90年代に入ったということはありえません
東浩紀も宮台真司もまだどちらも90年代の産物であります
33純一:2007/06/28(木) 01:54:43 0
私純一は何度も申しました通り
環のラップには腐臭を感じるのです
それはつまり90年代組がありもしないコミュニケーション論を振りかざしているように見えるのです
90年代組は基本ディスコミュニケーションをベースにしています
しかしラップはそれを打ち破るものとして日本に取り入れられたという背景があります
またしかしそれは環のラップによってディスコミュニケーションのラップへと逆戻りしたという印象を受けます
哲学や思想でも同じことですエスノメソドロジー等のルーマン派社会学つまり宮台シンパあたりには
この環と同じ腐臭を感じます彼等はルーマン論者なので合言葉はコミュニケーションなのですが
彼等が一番ディスコミュニケーションなのです
34純一:2007/06/28(木) 01:58:51 0
重要なのは環のラップもぴかぁ〜もルーマン論者も
いずれもコミュニケーションが合言葉ですが
一番閉じているという点ですね
それは彼等の肥大した90年代の自我を維持しようとするから起きる現象です
そして我々にはそれはわかりくにいのです
ぴかぁ〜程度のレベルのものであってもずぶの素人がぴかぁ〜のどこらへんが
フェイクかを言い当てるのは難しいことでしょう私が代わりにやってやりますが
通常普通の人間はそんな論破には付き合ってられないというのが本音でしょう
35純一:2007/06/28(木) 02:12:35 0
ここからグロになりますので読みたくない人は読まないで下さい
光市母子殺害の福田も残念ながらこの90年代の臭いを感じます
彼は犯罪を犯しても全く反省していなかったのですが
これは残念ながらぴかぁ〜や環やルーマン論者と同じ精神構造から来ています
言うなれば団塊ジュニア世代の特徴的な性格なのです
私純一が何故この世代をディスコミュニケーションと言ってるかわかるでしょうか
例えばぴかぁ〜は批判や間違いを絶対に認めません
これは団塊ジュニア世代の環のようなラッパーや思想や哲学でのルーマン論者の反応と同じです
36考える名無しさん:2007/06/28(木) 02:14:58 0
資本、ネーション、国家の話をするなら、最初に
「自分が固有名をこんなにたくさん覚えたのは
ネーション国家が護ってくれている書籍再販と流通寡占のおかげです」
ぐらいは言わないと。



37純一:2007/06/28(木) 02:15:08 0
例えばぴかぁ〜は批判されても間違いを一切認めません
同じように光市母子殺害事件では福田は間違いを認めないのです
その代わりにぴかぁ〜や福田はあらゆる誤魔化しや責任逃れをします
これが団塊ジュニア世代に特有の性格的反応になります
私純一にも何故この反応が起こるのかはよくわからないのですが
主にディスコミュニケーションが原因でしょう
38考える名無しさん:2007/06/28(木) 02:40:23 0
>>37 
身内の話はいいから>>36に返答しなさい。
39純一:2007/06/28(木) 02:44:39 0
>>36はぴかぁ〜への質問だと思いますが
40純一:2007/06/28(木) 02:48:23 0
焦点はラップを元の姿に戻すことです
ディスコミュニケーションを解消しなければ元の姿には戻らないでしょう
しかしラップの本来の姿とは何かそれが焦点になります
どう考えても環のラップはフェイクでありますが
逆に環のラップがフェイクと見抜けるのは稀であります
何がリアルなラップかという線引きが必要なのです
41考える名無しさん:2007/06/28(木) 02:52:20 0
>>39
仲が良い兄弟なんだから責任をもって答えなさい。
42純一:2007/06/28(木) 02:55:31 0
本人に聞いて下さい
ラップは曲でありますがラップは同時に曲ではありません
話し言葉に限りなく近いからでもあります
そういう意味ではラップは音楽でありつつも音楽ではないという
中途半端な音楽でありましてそこに創価が介入する隙があるということでしょう
43純一:2007/06/28(木) 02:59:54 0
では何が問題なのでしょうか
1つはラップというものがリアルを求める為にこそ選ばれた形式であるという点です
それが本音と建前に別れていては意味がない代物になるという点があります
哲学もある種のリアルや本質を求めるものであってぴかぁ〜のように
フェイクではならないものです
ではラップとはリアルを表現する手段なのかということになります
44純一:2007/06/28(木) 03:04:10 0
現在のラップシーンではぴかぁ〜のように
単語を混ぜておけばそれなりに見えるということがあります
環も似たようなもんですが本来のラップはそれ以上に何か
リアルさを求める為にフェイクさを防止する何かを秘めているのではないかと思います
45考える名無しさん:2007/06/28(木) 03:10:24 0
なんか純一とぴかぁがやりあってるの見ると
哲学板が正常に戻った気がするよ
46純一:2007/06/28(木) 03:12:27 0
そうですか純一とぴかぁが哲学板にいないのが正常だと昔よく言われました
私純一が考えるにラップという表現形式には
何か一般的に言われている以上に別の意味があるのではないかと思っています
そうでなければラップはフェイクを防げないのです
言葉を話す場合での詩の形式を使っているところに何か秘密がありそうですね
例えばぴかぁ〜のようにフェイクな言葉を混ぜればそれ風に見えるというのは
リアルではありませんし哲学の場合も同じです
ではラップではどうか嘘の言葉であれ曲に乗せることはできますが
それはどこかで何か嘘が出てくるところがあると予想できるでしょう
それは何か
47純一:2007/06/28(木) 03:18:11 0
1つ厄介なのは環はフリスタができるという点ですね
これではフリスタができるのがリアルだとは言えない
フリスタそのものが環の場合胡散臭いのです
バトルの本質とは何か私純一とぴかぁ〜のバトルの場合では
本質的なバトルに近いのかもしれません
哲学板でのバトルとなると大抵の場合は同じグループに属し
わからないことはわからないままに終わるというのが通常ですから
これはバトルとは言えません何故バトルをするのかという点では
お互いの切磋琢磨という点は勿論ですがリアルを求めるという点が大きいでしょう
環の場合リアルを求めるバトルではなくそれ風のバトル風のバトルをやってるという感じです
ではバトルの原初の役割は何だったのか私純一が考えるには
ラップは1人でやっていては歌なのですがラップにはおそらく1人での歌を超え出る力があるのです
そこがラップが注目される理由でありますが私純一とぴかぁ〜のバトルのように
ぴかぁ〜のような相手の場合バトルが成立しないことが多いですね
環も根本的に閉じているのでバトルが成立していません
48純一:2007/06/28(木) 03:26:17 0
ラップには個人でラップを延々歌うという側面と共に
muro
http://www.youtube.com/watch?v=7ByISpffLjI
この映像でもあるように観客に語りかけるというところや
客演での他のMCとの掛け合いやマイク・リレーといった
団体戦としての側面がありますこれがラップの根本的な醍醐味です
即ちコミュニケーションする歌としてのラップという側面が
我々が熱狂させるラップというものの根本的な本質なのです
ですから閉じてるラップはラップではないですね
しかしそれを一体どこで判定すれば良いのかがわかりません
しかし通常の歌が閉じている以上はラップが歌の解体として存在しているのは確かなことです
49純一:2007/06/28(木) 03:40:02 0
ラップのもう1つの側面としては恋愛系の歌詞が少ないことです
Soul Scream - Freeway (Live version)
http://www.youtube.com/watch?v=1supgCMiYvY
これはわかると思いますがリアルを求める為に
わかやりすく言えば恋愛資本主義の外部から歌詞を書く
即ちそういう社会の嘘やフェイクからは離れた次元から歌詞を書くということです
しかし環はとりあえず恋愛系は避けておけばリアル風味になるかと思ってやってる感じがしますね
言うなれば元々リアルを求める為にやっていたことも後世になるにつれて
それが形式化してマネが可能になるこうして見るとマネばかりしてるぴかぁ〜のようですね
環からは何と言うかどんな汚い手を使ってでも売れよう(セル・アウト)とする意思が感じられて嫌ですね
例えば恋愛資本主義の外部で歌詞を書こうと思うのなら環のように進んでリアルに見せかけて
セル・アウトしようとするならダメです哲学者にもある程度同じことが言えます
50考える名無しさん:2007/06/28(木) 03:49:08 0
東浩紀系の口からウンコをもらす連中。
51純一:2007/06/28(木) 04:13:25 0
一時的話題になりましたが
Radio Aktive Project (K DUB & DJ OASIS) "That Aint Right"
http://www.youtube.com/watch?v=zqgqV4Wmcv0
ラップのシーンではこのようなDISと言われる
貶めあいがあります自分達が作った曲の中で他のアーティストを貶めるのです
上の映像はk dub shine等のグループによるm-floへの批判ソングです
返答の為につくられたと思われる映像が見つからなかったので歌詞だけ探してきました
>超すげーよ なのに hater 誰がリアルとか言い合ってる
>愚痴なら書き込め 2ちゃんねる
>リアルじゃない 俺たちゃ surREAL
実際このように歌っています
面白いのは通常歌というものはコミュニケーションしないということです
ラップぐらいのものです曲同士が貶めあったり
観客と対話を行うのは
52純一:2007/06/28(木) 04:23:43 0
以上このように見てくるとラップの特徴的な面がわかると思います
ラップは掛け合いをするし観客の参加を勧めていますし
曲同士で批判しあったりとか曲同士でコミュニケーションをとったりするものです
歌詞は現在ではどうかわかりませんが恋愛の外側を書こうとする傾向がありますし
セルアウトを罵る傾向もまだ僅かながら残っています
環の登場は有名になりたい90年代が場所を求める場になってきたというところでしょうか
ラップ自体は皆さん御存知のようによく売れていますから
上のような性質に関しては今後は失われる可能性が高いですね
しかしこのようなラップの初期の性質は何を示しているのでしょうか
1つ私純一が考えるのはラップは個人としての歌を超え出る意味での
導入された歌なのではないかという点です
掛け合いや観客参加や曲同士のコミュニケーションは今までの曲の性質としては
珍しいものです曲同士というのは我々の認識では完全に独立して影響を受けないもので
あるというのが一般的ですからね個人の歌を超え出る性質としてのラップを何らかの
形であるいは私純一の哲学の中に組み込むというもできるやもしれません
53考える名無しさん:2007/06/28(木) 04:34:10 0
純一は博学だなぁ
54純一:2007/06/28(木) 04:40:54 0
博学ではなくてぴかぁ〜を恐れさせる為のハッタリなのです
私純一が考えるに詩というものはおそらく
個人的な自意識に凝り固まった自我を外側へと開放する力を持っているのです
ラップはたまたまその一種であったということでしょう
環のラップを聴いていると90年代組の団塊ジュニア世代の肥大した自意識を
無理矢理押し付けられているような気分になります
詩がリアルであるにはおそらく詩自体が開放でなければならず
そうでない限りはおそらくリアルではないのです
詩は気分を共用するものであります
とするのなら詩を書いたり歌を歌ったりすることラップをすることは
己を破壊して己を他人にさらけ出して開放して他人と気分で融合することです
55純一:2007/06/28(木) 04:45:41 0
さて本当にそんなことができるのでしょうか
詩や歌で他人と融合する?そんな馬鹿なという話です
ラップを見る限りではラップは観客に語りかける
他の歌手との掛け合いで歌う曲同士が批判し合う等をします
我々は哲学者ですからこれを詩の段階で行うのです
詩はあまり現代人にとっては馴染みの無いものです
そもそも詩が何かよくわからない場合が多いでしょう
56純一:2007/06/28(木) 04:51:14 0
音楽と詩というものはどちらもウタであるわけですが
詩は現代人にとっては無意味に近いものでしょう
しかし音楽にも詩は歌詞という形で書かれています
詩は通常の言葉とは違った形で書かれています
何故でしょうかそれは感情を表すのに必要な言葉の使い方だからです
我々は言葉を使いますがその用法の中で良く使うのは
このような日常用語の言葉が多いことはよくわかると思います
詩はこのような日常用語の用法とは異なっています
例えば歌詞カードをだしてみましょう
通常の日常用語として歌詞カードを読めば意味不明になってしまうことが多いでしょう
例をあげていきます
57純一:2007/06/28(木) 05:14:38 0
いつものKICK THE CAN CREWのアンバランスという曲より
見えるもの全部 見させてくれ 
聴ける音全部 聴かせてくれ
行かせてくれ 言わせてくれ 
もう少しガキでいさせてくれよ
という歌詞なのですがこれも詩の一種ですね
詩というのは日常用語のように他人に伝えるのにわかりやすい言葉は使いません
いきなり意味不明な単語や本人にしかわからない単語が飛び出しますし
そういう意味不明なものが詩だというのが我々の認識であると思います
しかし詩というものの本当の力は一見意味不明な並び方をした言葉が
1度でもその気持ちを体験したことのある者にだけはその感情を呼び起こすという効果があります
58純一:2007/06/28(木) 05:35:28 0
歌詞カードに書いてある詩は通常極端に個人的な体験が書いてあります
“君には何でも話せるよ”と笑う顔が淋しかった
あの夜 重ねたくちびるさえ忘れようとしてるみたい
もう一度出会った頃に戻れたなら
もっと上手に伝えられるのに
二人近くなりすぎて心はいつも裏腹の言葉になってく
古内東子の誰より好きなのにという曲からですが
当然のことながら上のような想い出は我々は知りません
詩の作者は極めて個人的な体験を前提に
詩を書いてる人の世界に入り込むことを前提に書かれているのです
59純一:2007/06/28(木) 05:42:54 0
何故なら歌というものは誰かの気持ちに入り込ませる為のものだからです
なのでその詩をかいた主体から見た言葉が出てくるというわけです
ですからあの日とかあの人とか意味不明の単語が出てくるのですが
それは詩を書いた個人のみならずそういった体験をした人間ならわかるのです
ねえあの日から一度も會ってないのにね
もう大丈夫なんてなんで解るの私?
會いたい氣持ちでさえ もう忘れたはずだと思ってたのに
心の片隅でギュッと痛むこと 否定してた
こんな風に自分以外の誰かを大切に思うとは
自分に?ついてた事、今頃ね氣付いても遲いけど
つまらない事で笑い合えた二人の日日も今は
もう思い出す事さえするのが辛いから
これは日之内絵美のcryingからですが失恋ソングですね
あの日とかの固有名詞はわからないものの
重要なのは詩を書いた彼女から見た言葉が詩だという点です
ですから我々はその言葉を読むことで彼女の世界に入り込めるわけです
60純一:2007/06/28(木) 05:54:53 0
本筋に戻りましょう
重要なのは詩を書いた主体の内面世界に
詩を読むことを通じて入り込めるという点です
歌も同じで相手が持つ内面世界に歌を通じて入り込むことができるのが
我々が歌を聴く理由です
そしてもう1つ重要なのは実は詩の方が我々の主体よりも先にあるということなのです
これは変な話ですがラップとも関連がある話なのでしましょう
我々が詩や歌でそれを作った相手の内面世界に入り込めるというのは
相手の内面世界に入り込んだ時点で主体から開放されているということでもあります
わけがわからないかもしれませんがつまりこういうことです
我々は通常歌のように個々人が別々に存在していると思っていますが
詩や歌のように相手の内面世界に入り込むことは個人から開放されているということでもある
つまり1人で個人で存在しているというのは憶見なのです
61純一:2007/06/28(木) 06:05:02 0
基本的な話から始めるのが良さそうですね
我々は普通個々の体を持ちそれぞれの頭を持ち
その頭の中に精神が宿っていると考えると思います
しかし詩や歌で見たように実は詩が先なのです
体や頭が他人と分断されているというのに
たかだか詩や歌で相手の内面世界に入り込めるのは何故でしょう
体や頭が他人と分断されている以上は物理的に考えれば
相手の内面に入り込むのは無理でしょう
しかし詩や歌でそれらの分断をすっ飛ばして相手の内面に到達するのは何故か
それは本来体や頭が他人と分断されているということが
相手と分かり合う為には別に不要なものだからなのです
しかし同時に言語がそれを可能にしているのではないという点も気をつけましょう
我々は日常使っている言語で分かり合っているのではないのです
ラップ等から見てもわかるように実際は言語ではなく詩でわかりあっているのです
62純一:2007/06/28(木) 06:20:26 0
トンデモ理論を言ってると思われそうですがそうではありません
我々が言語で分かり合っているというのはちょっと違います
言語は詩やラップとはまるで違います
言語は客観的な面を持っていてその言葉を言う主体の個人的な面を切り捨てます
対して詩やラップは個人的なものです
重要なのは言語というのは詩がなければ理解もできないという点です
我々が歌を理解できるように言語というのは元々個人的な詩でしかなかったのですが
後々言語に分断されたのです
だから我々は体や頭で他人と精神が分断されているというのは嘘でありまして
そういう分断があると勝手に思い込んでいるのが人間という生物なのです
詩や歌で相手に共感できるように体や頭で精神が分断されているというのは迷信です
そして重要なのはラップや歌はそういうことを気付かせるいい機会になってるって点ですね
63純一:2007/06/28(木) 06:35:08 0
さて問題なのは環や福田やぴかぁ〜やルーマン論者は
私純一から言わせれば主体論者ですね
時々構造主義とかで偽装してたりするので厄介ですが
言語を強調する論者に性格が良い者は少ないと言えましょう
64純一:2007/06/28(木) 06:43:05 0
そして最大の問題が我々がどうラップするかですね
環に任せておけば崩壊してしまいますから
何か別の本質的な詩とラップが混ざったようなやり方でやらなければならない
そう思ってよく歌を作ろうと試行錯誤してるのですがなかなか上手くいきません
ラップの基本的な仕方は韻を踏むというやり方です
皆さんもよく駄洒落を言うと思いますがラップも基本的に同じです
ラップは音を重要視するのでふとんがふっとんだ等の駄洒落は
単語の音が似ているのでラップとして成立するのです
しかしこれは同時にラップで駄洒落を考えることによって
普段の言葉の使用法から離れていくというところにその効用があるのかもしれません
65純一:2007/06/28(木) 06:48:40 0
例えば純一がラップで韻を踏んでみましょう
明日、秋だ、足だ、歳だといった単語は音が似ています
これを組み合わせるとラップになります
しかしこれは同時に意味的に関連の無い単語を
音の類似によって繋ぎ合わせるという方法でもありますから
普段の言語の正常な意味連関の破壊でもあります
そういう意味でラップで韻を踏むこと即ち駄洒落というのは
普段の日常世界での意味連関即ち言語世界を破壊するという効果があります
66純一:2007/06/28(木) 06:57:42 0
実際にプロのラップでは
58片手にドンパチがおっぱじまる
というフレーズがありますが
ゴパチ片手にドンパチがオッパジマル
というようにパジという単語の語尾の音でリズムをとってることがわかります
しかし我々は哲学者なのでむしろそれによって
彼等の言語世界の意味連関が破壊されていることに注目する必要があります
例えば精神病患者ではラップのような症状が見られることがよく知られています
音の類似かは知りませんが現実世界の認識の仕方が破壊されてしまうのです
ラップはこれを意識的にやっているところがありますね
それによって現実の世界に風穴をあけていこうというところがラップの原点でしょう
67純一:2007/06/28(木) 07:03:40 0
ここで疑問に思うのは日本という環境でラップが必要なのかという点です
ラカンとか有名ですがある時ラカンは言いました
日本のように読み方や意味が多様な漢字を使う国では
精神分析は必要ないかもしれないと
ラカンの精神分析がどんなものなのかは置いておくとしても
ラップのようにガス抜きが可能であれは精神分析は必要ないのかもしれない
ということなのですではそういった環境でラップをするとはどういうことなのでしょうか
68純一:2007/06/28(木) 07:13:03 0
まずありえるのは哲学や思想と同様に
外国から輸入されたファッションの品であるという点です
これはラップについても哲学についてもファッション的な面は否定できません
漢字が多い日本でラップの意味があまりないというのもたしかに言えています
哲学に関してもそもそもぴかぁ〜のようにあまり深刻に物事を考える国柄ではないですね
ではそれぞれの日本での存在意義はあるのかという点ですが
哲学については私純一が知っていますのである程度は存在意義があると言えます
ラップはどうかと言えばそれなりに市場を確保していますのでそれなりにあると言えます
しかし哲学は宮台や東に関しては西洋の本流にあった頃の理論とは名前は同じでも
中身が全く違うものになっているということは多いのです
日本でも外国に輸出されているペットボトル入りのお茶は日本人の知らないところでは
砂糖等を入れて甘くした状態で売られていますがこれと哲学の関係も似ています
西洋でのポストモダンと日本でのポストモダンは名前が同じでも意味が違います
日本でのポストモダン化と言えば殆どIT化と同様だと思いますから
69純一:2007/06/28(木) 07:26:25 0
ラップは言語を破壊する性質を持っていると言ったのですが
破壊すべき言語が日本に存在するか否かですね
西洋では言語というのは神であって全ての中心です
ですから破壊する必要があるのです
最初から神が存在しない日本では言語を破壊することがどういった意味を持つのか
私純一がラップを聴いた感じでは反社会的というか
村社会的なものを打ち破ってでも正義を行おうとする場合に
ああいうラップが必要になるのかなという感想を抱きました
しかしその場合は動機は逆ですね
存在しない言語というよりも社会全般に向けての怒りといったところでしょうか
そうであるなら日本のラップは言語の破壊というよりも破壊する気分の表現ですね
70純一:2007/06/28(木) 07:54:31 0
そうなると日本語ラップの場合には
音の類似による意味連関の破壊はあまり意味がなくなる
となると何を帰れば良いのか
意味連関かあるいはその他の部分かちょっと考えておきましょう
71第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 07:57:11 0
おはよ!w
72純一:2007/06/28(木) 07:57:49 0
重要なのは日本では言語の破壊が主体の反省には
繋がらないということですね
主体は言語とは別のところにある
73第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 08:22:03 O
電波、なにしてんの?中年童貞な上に中年無職かよ。ばっかみたいw
74第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 08:29:11 O
中年童貞って本の著者は自分が中年童貞なんだよな。
電波もわけのわかんないこといってないでその自分のクズさを赤裸々に語ればおもしろいんじゃないか。
オレが分析するよりリアリティがあるだろう。
どうせ先ないんだし、夢の印税生活にかければ?
でも問題は根本的なへたれぶりだな。電波のフリじゃないとまともに人としゃべれないとか
やっぱダメなやつはなにをやってもカスなのかねぇw
75第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 08:31:59 O
まー、その死相みてると萎えるし、オレの目の前から永遠にきえてくれればなんでもいいだけなんだけどね。w
76考える名無しさん:2007/06/28(木) 08:50:22 0
「w」←最後につけて余裕のあるフリをしたいぴかぁ
77第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 08:57:28 O
で、風俗いくのか、エセ電波中年童貞無職は?w
78第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 09:39:03 0
■なぜCanCam的「めちゃモテ」は人気があるのか

エビちゃんという新しい「正しさ」の圧力

通勤電車付近というのは、殺伐としてむさ苦しいものである。そんな中で、いまならばエビちゃん風など
流行りのファッションをしている女性を見つけると、なにかドキッとするものだ。単にかわいい女性という
よりも、流行りのファッションを身にまとっていると、それだけで引かれるモノがあることを感じる。

これは、そのファッションのもつ魅力であるとともに、そこに新しい「コミュニティ」を見るからではないだろ
うか。そのファッションを指示する多くの若い女性たちという「コミュニティ」であり、そこに新しい「正しさ」
がある。その「正しさ」は漠然とした社会的な圧力として働くある種の虚像であり、だから早すぎても、遅
すぎるてもダメなのである。
79第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 09:39:53 0
「なぜCanCamの「ひとり勝ち」なのか」

と、考えていると、CanCamの「ひとり勝ち」状態について、女子大生の意見をもとに分析したおもしろ
いエントリーを見つけた。

>>
めちゃモテ日本(内田樹の研究室) http://blog.tatsuru.com/2007/06/27_1049.php

現代の若者たちの一部は依然として「オレはオレ的にオレがすごく好き」という自閉傾向のうちにとど
まっているが、トレンドのメインストリームはどうやら「みんなにちょっとずつ愛されたい」方向にゆっくり
と舵を切っている。「わたし的には、これがいい」という自己決定を断固として貫くことが個人にとって最
優先する、という考え方が生存戦略上かならずしも有利ではない、ということについての国民的合意が
今形成されつつある。

社会的リソースを競争の「勝者」に優先的に分配する「グローバリゼーション・システム」においては、自
己責任でシティライフを享受できるのは、「強い個人」に限られた。・・・結果的に「自分程度の才能では、
いくらじたばたしても社会的勝者になる見通しは薄い・・・」という痛苦な事実を先行世代の「負け」ぶりか
ら学習したより若い世代は、「強者が総取りする」競争システムよりも、「弱者であっても生きられる」共
生型社会の方が自分自身の生き残りのためには有利だろうという判断を下した。
80第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 09:40:54 0
「周囲のみんなからちょっとずつ愛される」結果的に選ばれたのが、このCanCam的「めちゃモテ」戦略
である。みんなに愛される、ラブリーな女の子になること。・・・私はCanCam型の「みんなに愛されるラ
ブリーな女の子」志向は、そのふやけた外見とはうらはらに、実は私たちの社会がより生きることがむ
ずかしい社会になりつつあるという痛ましい現実をシビアに映し出していると思う。
<<

CanCamの人気は「めちゃモテ」戦略にあるらしい。ネオリベラルな「グローバリゼーション・システム」
では、「オレはオレ的にオレがすごく好き」という自閉傾向は下流にいたることを学習した若者が、「みん
なにちょっとずつ愛されたい」方向にゆっくりと舵を切っている、ということだ。

たしかにエビちゃんって、タレントして特別美人という感じではない。ただファッションに身を包むと、とて
も魅力的になる。これは逆にいえば、誰でもそのファッションを真似ることで、エビちゃんのようにかわい
くなれる可能性がある、という受け入れやすさがあるように思う。
81第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 09:41:45 0
彼女たちは「エビちゃん」で居続けられるのだろうか

このCanCam的「めちゃモテ」戦略の分析は、ボクが指摘した人間関係の「感情労働」 化に深くつなが
るように感じる。人間関係の「感情労働」 化とは、本来の感情を押し殺さなくて、場に適正な感情を演出
し、人間関係を円滑にしようとすること。さらにはエビちゃん化とはファッションの「マクドナルド化」である
のかもしれない。

>>
「感情労働」とは働き手が表情や声や態度でその場に適正な感情を演出することが職務として求められ
ており、本来の感情を押し殺さなくてはやりぬけない仕事のことだ。ここにきて、この「感情労働」があら
ゆる職種、さらには、社会全体が「アーキテクチャー化」するなかで、人間関係が「感情労働」化している
といえる。

このような「感情労働」の時代は、ボクが言及した社会の「アーキテクチャー化」と関係するだろう。社会
の「設計事項」が剥き出しになると、先生と生徒、医者(看護婦)と患者などの、様々な道徳、習慣、地域
的に支えられていた社会関係が、アーキテクチャーとして剥き出しになる。そして社会がアーキテク
チャー化するからなおさら、失われつつある「繋がり」(ネーション的なもの)を過剰に担わされ、その
ギャップに「感情労働」は生まれていると言えるだろう。

そして社会の流動化の大きな潮流の中で、アーキテクチャー化、感情労働化は、「マクドナルド化」へ向
かう。マクドナルド化は儀礼的無関心という不干渉を積極的にとりこむことで、居心地のよい空間サービ
スを提供する。あいまいな価値観による軋轢が貨幣交換という関係により代替される。学校にクーラー
を入れるか。金を払えば優秀な教師、空調完備がえられる。そして規則に反すれば、契約違反で排除さ
れる。市場原理の導入である。

なぜ「感情労働」は「マクドナルド化」によって対処されるのか
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20070611
<<

しかし疑問は、「生き残りのためには有利だ」と学習しても、彼女たちはCanCam的「めちゃモテ」の位置に
居続けられるのだろうか、ということだ。彼女たちはどこで「発散」させているのだろうか。
82考える名無しさん:2007/06/28(木) 09:53:05 O
自分がいつもいわれてることを純一にいってどーする。

純一のほうがおもしろいから、しばらくおとなしくしてろや。
83第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 09:54:33 0
>>82
いいから、早く風俗いけよ。
家から出られないのかw
84考える名無しさん:2007/06/28(木) 10:14:13 O
それもおまえがよく言われる台詞だな。
85考える名無しさん:2007/06/28(木) 10:32:58 0
なんかぴかぁ〜は人がかわっちゃってガッカリだなあ。
今までまじめにコツコツ文章書いてきてたのに。

やっぱぴかぁ〜は違法風俗業者の人だったのか。
86第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 10:45:43 O
わかったか、はよいってこいw
87第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 11:09:17 O
アーキテクチャー化難民の受け入れとしてネットはいかにあるべきか
88考える名無しさん:2007/06/28(木) 13:55:08 O
こんなゴミ男の書き散らすゴミ文に変な期待してる奴がいるとはね。
89純一:2007/06/28(木) 16:37:20 0
以上のラップの性質から言っても
ポストモダン的現象はIT化ではなく
ヒップホップ文化がおそらくポストモダン化を象徴する現象なのです
90純一:2007/06/28(木) 16:40:08 0
では哲学は一体このラップにどう対抗できるのでしょうか
ラップは音の類似性によってそれを繋ぎ合わせて歌詞即ちリリックにします
そうすることで我々の普段使っている言語という制約から逃れていく
言葉遣いを生むことになります
我々哲学者の場合は逆です
我々は意味連関そのものを脱構築という方法によって壊していくのです
ここは置いておくとしても
問題は我々がラップにどの程度対抗できるのかという点です
91純一:2007/06/28(木) 16:43:36 0
ラップは言うなれば音の類似性による言葉の脱構築です
哲学的に言うならば
お笑い芸人でもラップができます
それは音の類似性によっているからです
しかし我々哲学者はそうもいかない
環のようなフェイクラップが増えてはラップも所詮ポストモダンにはなりえない
ですから我々は意味連関の脱構築を行う必要性があるのです
92純一:2007/06/28(木) 16:47:52 0
イギリスで「携帯電話をバックに街頭でラップ」がブームに
http://hotwired.goo.ne.jp/i/news/20050729206.html
格好良いですねイギリスは
それは良いとしても我々は漢字のある国でありますから
イギリスのように比較的ライム即ち韻を踏むことに意義がある場合は別としても
我々の場合は哲学のように意味連関の脱却の方が向いているのではないかとも
思えます次にこの意味連関によるラップらしきものが日本の哲学でどの程度できるかです
93考える名無しさん:2007/06/28(木) 16:51:09 O
あげちゃえよ
94第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 17:27:58 0
回数、満足度で日本最下位

フランス公共ラジオは27日、世界26カ国で行われた性意識に関する世論調査の結果、
性交渉の年間平均回数が最も多いと推定されるのがギリシャで164回、最下位は日本の48回だったと伝えた。
上位はブラジル、ポーランド、ロシアなどで、インド(同130回)が5位、中国(122回)は9位、フランスは11位。
自身の性生活に対する満足度では「満足している」と答えた人が67%のナイジェリアが1位。日本は15%で、
これも最下位だった。米大手調査会社ハリス・インタラクティブが計約2万6000人を対象に調査したという。
[2007年6月28日14時36分]

95純一:2007/06/28(木) 17:30:15 0
さんピンcampではあったものが今は感じられないですね
バラバラになったラッパーによってラップの開放性が失われたというところでしょうか
弱ったシーンに環のようなウィルスにとりつかれたというところでしょうか
さんピンは90年代への乗り越えや対抗として意義を成したと言えると思うのですが
環で再び悪い90年代前のドクサに戻ったという感じですね
元々ラップが日本に根付かない理由は90年代の乗り越えとなると
日本の根幹をなしている何らかの概念をラップが潰す傾向があり
逆にそれが良かったのですが今のラップにはその力はないですね
これは奇妙なことですm-floのverbalが言うには
外国と日本でのストリートの違いは外国でのヒップホップ文化が
ストリートから出るものであるのに対して日本のヒップホップ文化は
ストリートに出る為のものだと言っていた時がありました
彼自身は今はセルアウトに近い感じなのですがこれは当たっていますね
では日本のラップに関しては言葉の破壊ではなくて何なのか
96純一:2007/06/28(木) 17:33:21 0
もう1つ外国と日本で違うのは
ラップの黎明期に日本で歌っていた面々は
大体金持ちが多いということですね
外国と同じようにゲットー出身といったことは少ない
カルチャーの先駆者という印象が当たっています
97第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 17:33:31 0
これってほんとかな。
日本の48回って週一ペースでしょ。普通じゃないの?
しかしギリシャ164回って、2日に1回ってすごいな。
他にやることないのかね。
世界ではみんなセックスやりまくってるんだね。
日本では中年童貞が問題になっているというのに・・・

98純一:2007/06/28(木) 17:37:55 0
日本のラップはカルチャーとして輸入された側面が強いですね
では何の為に輸入されたカルチャーなのか
90年代がそういうラップによる乗り越えを必要とした程に
援助交際やブルセラやいじめと陰湿だったという部分があるでしょう
それを代表する社会に対しての反抗という面が日本にラップが導入された
本懐であると言えると思いますが環では陰湿なラップに逆戻りしてますね
99第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 17:38:38 0
>>
ストレス社会といわれる現代においても、性関係が人々の衝動が向かう方向でありつづけることには代
わりがない。それは、性産業が氾濫しても代わりがない。性関係のニーズがタブー性にあるということ
は、性への衝動は性産業が提供する性関係の外を目指す運動としてあり続けるからだ。

だから最近、夫婦間や独身者などで言われる「セックスレスに象徴される性的退却」は、性衝動の減退
を意味しない。むしろ性関係の氾濫が、夫婦や恋人の性関係を社会的で陳腐なものとして、性衝動をそ
のような社会的な関係の外(タブー)へと向かわせているのではないだろうか。

なぜセックスレスは性衝動の減退を意味しないのか
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20070531
<<

ボクがこのように言いましたが、世界の旺盛な性欲を見ると、日本の性欲減退は否めないようですね。
ただボクがいったのが、性交渉のみで性関係を考えることはできないだろうということ、だから
この統計では表されない。
100純一:2007/06/28(木) 17:40:34 0
環やぴかぁ〜やルーマン論者や福田は
90年代の援助交際やブルセラやいじめという文化に
いつまでも捉われている90年代組ですから
90年代の空気をいつまでも世界理解の基準にしている部分があります
従って彼等にラップをやらせても90年代の乗り越えにはならない部分があります
例えばぴかぁ〜にしても展開する思想は90年代のこういった陰湿な空気に
感化された論しか書けないのです環も同じですこの世代には
90年代に感化された作品しか作ることが出来ない
101考える名無しさん:2007/06/28(木) 17:43:47 O
なんでもそうだけど、インパクトという役割を果たすとその後定着しようという過程では腐敗臭を発散する。
このスレのように。
102第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 17:51:16 0
NGワードに設定するとすっきりなあ。
中年童貞、まあ早く風俗いけよw
103純一:2007/06/28(木) 17:55:07 0
90年代の代表的なドクサとは自意識です
宮台は自意識を乗り越えたと言っていますが
宮台周辺にルーマン論者が集まっていることから考えても
自意識を乗り越えられなかった人間が集まっているという印象が強いです
社会学なんて自意識の強さの代表ですね
自分を分析せずに社会を見下ろしている気分になれるわけですから
104純一:2007/06/28(木) 17:59:42 0
面白いのはルーマン論者は自意識を乗り越えたと思ってるところです
何故かわかりますかそれは精神分析や実存哲学のように
自意識を主題として扱わなければ自意識を乗り越えられたと思っているからです
つまり社会学は社会全体を扱って見下ろしているから
それを扱う社会学は客観的であり精神分析や実存主義に代表される
自分の自意識を見つめる哲学に関しては自意識に捉われていると言うのです
しかしこれは逆です小谷野淳のようにもてない原因を社会学で分析しようとするのは
自分の自意識が間違ってないと思い込んでいる幼稚な反応です
環のラップも同じですがこれをどうやって乗り越えるかですね
105純一:2007/06/28(木) 18:05:56 0
さんピンの場合少なくとも自意識の強さは感じられない
90年代的自意識を破壊しようとすれば
ぴかぁ〜のように社会に責任を求めるようではいけません
恋愛弱者が恋愛強者になる為にはその90年代的自意識を破壊する必要があります
私純一はこれをラップでやろうと考えて模索しているのですが
まだいいアイデアが出ませんがきっと今日中には何か結論が出るでしょう
106純一:2007/06/28(木) 18:13:59 0
良いアイデアが浮かびました
ぴかぁ〜のように社会に責任を求めることは環やルーマン論者もよくしている
そうならばそのルートを遮断してしまえば良いのです
ラップは何らかの意見をぴかぁ〜のように社会に責任を求める行為でもあります
これを内面へ責任を求めるように改造してしまえば全て終わりますね
107純一:2007/06/28(木) 19:19:43 0
ラップの攻撃的な面がフリスタという制度で
自意識が破壊されないまま何故か残っている部分がありますね
それから性的な表現ですねこれも何か問題が自意識にあります
環のフリスタ見てて思うのは自意識が攻撃されない安全なところでやっているんだろうなということです
何故か知りませんがそう感じるのですぴかぁ〜の場合も私純一に言われたことを
そのまま返してきてる感じがありますがこれもぴかぁ〜の自意識を守るためですね
環やぴかぁ〜の場合哲学やラップでの主張はあくまで自意識の幼稚さを隠すというよりも
幼稚さを正当化する手段として哲学やラップが選ばれているという側面が強いですね
108純一:2007/06/28(木) 19:23:49 0
従ってぴかぁ〜のように恋愛資本主義を持ち出す必要がないのに
恋愛資本主義などの用語を持ち出してもてないことを正当化したりしますが
環も本来のラップを単なる自己顕示のラップとしている部分があります
さんピンの場合のラップで感じるはある種の社会的な意識ですね
社会派のラップもありますがつまりはラップも哲学と同様に
語る内容はある程度の社会性を意識して語るものであるということでしょう
しかしぴかぁ〜や環がそういうことをやると途端に胡散臭くなります
何故でしょうかそれはぴかぁ〜が本来恋愛資本主義等の壮大な問題には
根本的に感心がなく環も同じように社会性等持ち合わせていないのです
何故なら90年代組だからだと思います
109純一:2007/06/28(木) 19:27:10 0
ぴかぁ〜が恋愛資本主義を持ち出して
もてないことを柄谷的な超越論的仮象などと言い出す時には
ウンザリしますが
環のフリスタでの清い心でラップし続けるなどのリリックを聴いた時には
またウンザリします
ぴかぁ〜が恋愛資本主義を真面目に考えてるわけがないですし
また環が清い心なんて持ち合わせているわけがないからです
ぴかぁ〜は単にもてないことを社会の責任にしたいだけですし
環は自己顕示をラップで社会に意見という形で正当化しているだけです
110純一:2007/06/28(木) 19:41:03 0
ですがぴかぁ〜が社会的な意見として
恋愛資本主義を語る以上たまは環が社会的な意見として
ライミングする以上そこにはバトルが介在する余地がある
何かを競うのですからそこに私純一が介在してもおかしくはない
111純一:2007/06/28(木) 19:42:05 0
私純一が彼等が社会性に介在しようとする時に
そこを討つおそらくそういう方法しかないのです
112純一:2007/06/28(木) 20:41:41 0
以下グロ注意です
福田の裁判がニュースに出てますが
あれの精神構造も基本的にぴかぁ〜や環と同じものに思えます
己が悪いことをしているのに反省しないというのは
絶対に批判されない自意識という憶見を持っているからです
問題はこれを破壊する方法ですね
私はぴかぁ〜やルーマン論者の自意識なら完膚なきまでに叩きのめすことができます
それは皆さんが見ているのでわかることでしょう
しかし環のラップに関しては私はラップをやったことがないので
破壊しにくいのです今はそれを破壊する方法を考えています
113純一:2007/06/28(木) 20:47:58 0
キーワードはおそらく詩です
詩は個人を超え出る力を持っていますが
彼等の詩は個人的な詩に過ぎません
ラップでバトルをする時やこうして他人と言い合いをする時
詩は個人の枠を超え出る力を発揮します
そこで韻即ちライムではなくフロウつまり意味連関の方に
重点をおいて哲学者としてのライミングを考えてみましょう
114純一:2007/06/28(木) 21:10:01 0
敵側のライミングは90年代です
私純一のライミングはそれを超え出る詩の予定です
まだまだ全然作っておりませんが
フロウに何か秘密があるのでしょう
予想ではフロウが確実に私純一の方が勝っていると思うのです
それが超え出る基点になりましょう
1つはライミングのライムではなくフロウを
ライムを取り巻くライムをこちら哲学者側で勝手に変えてしまうという戦法です
115純一:2007/06/28(木) 21:13:05 0
日本と外国では予想するに
ライムとフロウの重点が逆なのです
向こうではライム即ち韻が重要ですが
日本でこれをやるとぴかぁ〜や環のようなフェイクを生み出す温床になります
従ってライムを取り巻くフロウでライムの意味連関を勝手に書き換えるという方法が
おそらくは本物の脱構築的な哲学者発のラップになりましょう
では今後はそのあたりを視野に入れて皆さんと共に実行していこうと思います
116考える名無しさん:2007/06/28(木) 22:25:56 0
中年男性の24.3%は性体験なし!

 国立社会保障・人口問題研究所の調査(05年)によると、18〜34歳の未婚男性7割が恋人なし。30〜34歳の男性では、24.3%に性交渉の経験がなかった――。
そんな“恋愛格差”の現状を豊富なデータと事例から分析し、その実態を赤裸々にリポートした「中年童貞」(渡部伸著 700円)が扶桑社から刊行された。

 著者は最初で最後の失恋をきっかけに「全国童貞連合」を立ち上げ、世間に童貞をカミングアウト。99年に数人でスタートした同会は現在、会員数517人まで増加中だ。

「童貞はアンケートへの協力を拒んだり、見えでウソの回答をするのが普通。風俗体験しかない男も多いから、実態はより深刻なはず。中年童貞は少なくても全体の1割強はいるでしょう。
恋愛なんて誰にでもできるものじゃない。それを努力が足りないというのは強者の意見で、そもそも中年童貞は努力の仕方がわからない“恋愛弱者”なんです」

 と、34歳にして童貞記録更新中の著者。先の調査では「交際している異性がいる」比率は男性より女性のほうが軒並み高く、モテる男が女性を独占している現実がうかがえる。
深刻化する、“モテ男”と“非モテ男”の二極化の実態とその背景を、“非モテ”当事者が切々と明かした話題の一冊だ。

http://www.cherrybb.jp/

http://www.sankei.co.jp/shakai/wadai/070624/wdi070624006.htm
117第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 23:02:46 0
■なぜ日本は性交渉回数が最下位なのか。

「性交渉回数、満足度で日本最下位」

>>
回数、満足度で日本最下位
http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20070628-219281.html

フランス公共ラジオは27日、世界26カ国で行われた性意識に関する世論調査の結果、性交渉の年間
平均回数が最も多いと推定されるのがギリシャで164回、最下位は日本の48回だったと伝えた。上位
はブラジル、ポーランド、ロシアなどで、インド(同130回)が5位、中国(122回)は9位、フランスは11
位。自身の性生活に対する満足度では「満足している」と答えた人が67%のナイジェリアが1位。日本
は15%で、これも最下位だった。米大手調査会社ハリス・インタラクティブが計約2万6000人を対象に
調査したという。
<<

これってほんとでしょうか。日本の48回って週一ペースですね。これって普通じゃないでしょうか?しか
しギリシャ164回って、2日に1回ってすごいですね。他にやることないのでしょうか(笑)。日本では中年
童貞が問題になっているというのに・・・世界ではみんなセックスやりまくってるんだね。
118第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/28(木) 23:04:09 0
日本人の性衝動は減退しているのか

>>
ストレス社会といわれる現代においても、性関係が人々の衝動が向かう方向でありつづけることには代
わりがない。それは、性産業が氾濫しても代わりがない。性関係のニーズがタブー性にあるということ
は、性への衝動は性産業が提供する性関係の外を目指す運動としてあり続けるからだ。

だから最近、夫婦間や独身者などで言われる「セックスレスに象徴される性的退却」は、性衝動の減退
を意味しない。むしろ性関係の氾濫が、夫婦や恋人の性関係を社会的で陳腐なものとして、性衝動をそ
のような社会的な関係の外(タブー)へと向かわせているのではないだろうか。

なぜセックスレスは性衝動の減退を意味しないのか
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20070531
<<

ボクは「セックスレスは性衝動の減退を意味しない」と言いましたが、世界の旺盛な性欲を見ると、日本
の性欲減退は否めないようです。ただボクがいった「性衝動」とは性交渉のみで考えることはできませ
ん。いわばもっとメンタルなもので、統計化するのがむずかしいでしょう。
119考える名無しさん:2007/06/28(木) 23:56:23 O
性衝動やセックスについてむやみに言及し、はたまたあからさまに中年童貞などと決め付け見下す態度にこの男の知的水準の低さをみる。

哲学ゴッコの鎧をきているつもりなのだろうが、実はぼろ布に等しいものなのに気がつかないのは幸せなんだろうか。
なんともいえないが、素直にいうとうざい奴だ。
120考える名無しさん:2007/06/29(金) 00:07:00 0
ハゲは、自分語りしかできない。
ハゲの関心は、常にハゲの身の回り、ハゲ自身のこと。
ハゲ語録での総称は、常にハゲ一人称でしかない。
121第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/29(金) 00:49:53 0
>>119-120
欲求不満だろう。
だからは早く風俗いってこいよ。
おまえの息子に一生辛い思いをさせるのかw
122考える名無しさん:2007/06/29(金) 01:04:42 0
ハゲよ。ハゲよ。ハゲたちよ。
ハゲの子は、民に告げた
ハゲのものは、ハゲに返せ、と。
ハゲの悲哀は、ハゲのもの。
123純一:2007/06/29(金) 04:11:55 0
以下グロ注意いよいよやることになりそうですが
ニュースの裁判では福田の言い訳に呆れましたが
あれはおそらく伝説をつくるつもりなんでしょう
宮崎勤や宅間守のように
それは置いておくとしても今材料を集めていました
2pacをちょっと探してきてsoulheadを聴いてみました
何も変わらないとは思いますが何か力にはなるでしょう
124考える名無しさん:2007/06/29(金) 09:17:26 O
以下グロ注意
http://2.new.cx/?1s8h6
125考える名無しさん:2007/06/29(金) 10:49:59 0
純一のほうが面白い。
126第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/29(金) 11:23:34 O
わしもそう思うんだよ。新スレ立てて独り立ちすれば爆発的人気がでることは間違いなしだね。
こんなところでくすぶってるのはもったいないよ。さあいますぐ旅立て!w
127考える名無しさん:2007/06/29(金) 12:15:15 O
あほか
そんな手にのるか
愚か者めが
128第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/29(金) 12:17:22 O
ぶっちゃけどうでもいいよw
129第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/29(金) 12:21:14 O
コテにしてくれればNGにできるから。あとは、どーでもいいですよ♪w
130考える名無しさん:2007/06/29(金) 12:57:55 O
どーでもいいなら黙っとけボケっ。
131考える名無しさん:2007/06/29(金) 13:00:02 O
以下ゲロ注意
↓↓↓↓↓↓↓↓
132考える名無しさん:2007/06/29(金) 14:33:18 0





上から来たものを左へ受け流す
133考える名無しさん:2007/06/29(金) 14:39:08 0
>>132 の勝利
134第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/29(金) 16:42:06 0
■なぜ日本人のセックスは「オナニー化」するのか

「性交渉回数、満足度で日本最下位」

>>
回数、満足度で日本最下位
http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20070628-219281.html

フランス公共ラジオは27日、世界26カ国で行われた性意識に関する世論調査の結果、性交渉の年間
平均回数が最も多いと推定されるのがギリシャで164回、最下位は日本の48回だったと伝えた。上位
はブラジル、ポーランド、ロシアなどで、インド(同130回)が5位、中国(122回)は9位、フランスは11
位。自身の性生活に対する満足度では「満足している」と答えた人が67%のナイジェリアが1位。日本
は15%で、これも最下位だった。米大手調査会社ハリス・インタラクティブが計約2万6000人を対象に
調査したという。
<<

これってほんとだろうか。日本の年間48回って週一ペースですね。これって普通じゃないでしょうか?し
かしギリシャ164回って、2日に1回ってすごいですね。他にやることないのでしょうか(笑)。日本では
「中年童貞」が問題になっているというのに・・・世界ではみんなセックスをやりまくっているということですか(笑)
135第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/29(金) 16:43:07 0
「瞬間恋愛」から「二人オナニー化」へ

と考えていると、「宮台ブログ」(http://www.miyadai.com/)でおもしろいエントリーを見つけた。

>>
二十代から三十代まで(80年代?90年代)の我が「ナンパ師人生」を振り返っても、かつては、会ったば
かりの女たちとまるで恋人のようにセックスでき、会ったばかりで旧知の間柄のようにお喋りが止まらな
かった。故・東ノボル氏が「瞬間恋愛」と名付けた所以だ。

それが90年代に入ると急に困難になってきた。親しくない女たちとの性交を通じて共同身体性を確認で
きた時代が、90年代に失われるのだ。「恋人のようなセックス」と述べたが、身体感覚を互いに熟知し
合ったセックスのことだ。これについて昨今、逆説的事態が目立つ。

我々世代の(元)ナンパ師が口々に証言するのは、恋人なのに「恋人のようなセックス」が得られぬがゆ
えに抑鬱状態にある若い女性の急増だ。彼女らの中には、若い恋人がいるのに、「恋人のようなセック
ス」をしてもらえる中年男を愛人にするケースも目立つ。

〈生活世界〉の空洞化が、我々から共同身体性を奪い、他者の身体感覚を再現することを困難にしたの
である。・・・かくして、若い人たちのセックスが「二人オナニー化」(『サブカルチャー神話解体』第4章参
照)する・・・〈生活世界〉空洞化に伴う共同身体性の消失という・・・原因だった。

MIYADAI.comBlog http://www.miyadai.com/index.php?itemid=518
<<

会ったばかりの女たちとまるで恋人のようにセックスできる「瞬間恋愛」という感覚は今ひとつわからな
いが、セックスが「二人オナニー化」するのはなるほどなーとも思う。
136第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/29(金) 16:44:14 0
セックスのアーキテクチャー化

ボクなりに解釈すると、それは恋人への愛がないということではなく、性産業の氾濫によって、恋人との
セックスそのものがそのうちの一つになっているように感じる。たとえば性産業から大量の情報が伝達
されるとき、「愛」という曖昧なものは伝達されにくい。伝達されるのはテクニック(技術)である。そして
セックスは身体的な快感へのテクニックという基準で一元化=「オナニー化」される。>

ここでは恋人とのセックスとは愛という特別なものではなく、AVビデオをみる、風俗へ行くなどの性産業
などと連続性をもつ。「共同身体性」が消失しているということは、個人身体性が上昇しているということ
だろうか。これは、「セックスのアーキテクチャー化」とも言えるのかもしれない。
137第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/29(金) 16:45:27 0
ギリシャ人はなぜ2日に1回セックスをし続けられるのか

ボクは「セックスレスは性衝動の減退を意味しない」と言った。ボクがいった「性衝動」とは「性交渉回
数、満足度」で考えることはできない。現代日本では、性的な刺激は多様化し、氾濫しつつ、個人身体
へと一元化=「オナニー化」している。そして性交渉(セックス)、満足度という基準そのものが、「共同身
体性」的なものであり、解体されている。

しかしさらには「性衝動」は、セックスのテクニック(技術)に還元されることはないだろう。どのようなうま
いテクニックでも飽きてしまう。人は個人身体へと一元化=「オナニー化」に充足することはない。その
意味で、ギリシャ人が2日に1回セックスをし続けられる「性衝動」はどのように保たれているのか、不思
議だ。(笑)

>>
ストレス社会といわれる現代においても、性関係が人々の衝動が向かう方向でありつづけることには代
わりがない。それは、性産業が氾濫しても代わりがない。性関係のニーズがタブー性にあるということ
は、性への衝動は性産業が提供する性関係の外を目指す運動としてあり続けるからだ。

だから最近、夫婦間や独身者などで言われる「セックスレスに象徴される性的退却」は、性衝動の減退
を意味しない。むしろ性関係の氾濫が、夫婦や恋人の性関係を社会的で陳腐なものとして、性衝動をそ
のような社会的な関係の外(タブー)へと向かわせているのではないだろうか。

なぜセックスレスは性衝動の減退を意味しないのか
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20070531
<<
138第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/29(金) 17:34:55 0
以前、ワイドショーにはコメンテーターとして精神分析、心理学者などが呼ばれた。
不可解な事件の原因を理由づけることで人々の不安は解消された。
しかしいくら理由づけようと、不可解な事件はあとを立たず、人々は欲求不満に陥る。
だから最近のワイドショーでは弁護士が多く呼ばれるようになった。
不可解な事件の原因を考えることはあきらめられ、どのように処理されるのか。
それが良いか悪かではなく、法律は一つの明確な答えを導き出す。
それで人々は安心するのだ。
139第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/29(金) 17:42:03 0
原因が追及できるというのは、理解できるという共同体が想定されている、ということである。
そこにはまだ、話せばわかる、なにかきっと大変な原因があったのだろうという想いがある。
必ず物語の終わりは落ちつくところに落ちつくはずだ、ということである。
ラカン的には「手紙は必ず宛先に届く」のである。

しかしこんなに衝撃的な事件であるのに、そこにはもとめる原因が見つからない。
もはや話せばわかることはあきらめられた。
そして物語の終わりは、理解でなく、システムの処理に求められる。
とにかくそれで、物語を終わらせることができるのだ。
140考える名無しさん:2007/06/29(金) 18:00:16 0
>>1
今までの流れは知らないけど、何となくわかるな。
俺たちの疲労の正体は労働における感情の演出の強要なのだろう。
かつてデパートのエレベーターガールを消耗させていたものが、今社会全体を消耗させている。
141第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/29(金) 18:12:50 O
エレベーターガールは象徴的かもしれませんね。なぜなら消耗は速度と関係するからです。
他者とコミュニケートする速度
一年かけとわかりあうか、60秒でわかりあわないといけないか
142第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/29(金) 18:16:59 O
ギリシャ人のセックスにあるのはある種の鈍感さかもしれない。一昨日のセックスの気持ち良さを忘れる鈍感さ
143第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/29(金) 19:42:25 0
■なぜワイドショーに弁護士が呼ばれるようになったのか

世界はまだ「信じられる」という安心

最近は凄惨な事件が多い。人々は凄惨な事件を、「目の前にすると」不安になる。そしてそこに生まれ
た不安をなんとか解消しようとする。たとえば中学生が母親を惨殺した、とする。人々はなぜだと思う。
そしてその母親は継母で小さい頃から虐待していた。特に妹が死にそうな虐待を受けたとき、その中学
生はとうとう母親にキレたのだ。という原因が明らかになると、人々はそれは仕方がない、と納得するこ
とで、不安は解消する。

この不安の解消とは、自分たちが信じている世界観内に物事が収まったことによる。世界はまだ「わた
したちの世界」だという安心である。

以前、ワイドショーにはコメンテーターとして精神分析、心理学者などが呼ばれた。彼らの仕事は、不可
解な事件の原因を人々の信じる世界価値の中に理由づけることである。彼らは、人々には一見、理解
不能な事件も納得できるように説明するのだ。それによって人々の不安は解消された。
144第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/29(金) 19:43:11 0
システム設計によって処理されるという安心

しかし、最近は、いくら理由づけようと、不可解な事件はあとを立たず、人々は欲求不満に陥っている。
このための最近のワイドショーでは弁護士が呼ばれることが、多くように思う。もはや不可解な事件の
理解することはあきらめ、弁護士はどのような理由であれ、この事件がどのように処理されるのかを語
る。それが良いか悪かではなく、法律は一つの明確な答えを導き出す。不可解さが理解できなくても、
その不可解さは終わるのである。もはや人々はそれで安心するしかない。

安心はこの世界への信頼によってではなく、システムによって保証されている。とにかく無法地帯ではな
いのだ。理解できないことが多くおこっても、それはシステムによって適切に処理されるという安心であ
る。それが、アーキテクチャー化である。
145純一:2007/06/29(金) 20:04:28 0
ただいまラップ製作中製作中の間お気に入りの曲でもかけます
メロウ即ち人を選ばずに聞けるラップですどうぞ
OZROSAURUS - ROLLIN' 045
http://www.youtube.com/watch?v=g2n6lZHqxPE
146純一:2007/06/29(金) 20:33:15 0
私純一のお気に入りの曲の中で哲学板住人でも聞くに耐えると思われるのは
このROLLIN'045とLUV sic pt3とRip slymeの黄昏サラウンドという曲です
黄昏サラウンドは削除されたようなので変わりに似た雰囲気のoneを貼っておきます
[PV]Rip Slyme - One
http://www.youtube.com/watch?v=WiZUu-TMPZI
147純一:2007/06/29(金) 20:42:52 0
EAST END、RIP SLYME、KICK THE CAN CREW等が属するコミュニティーで
FUNKY GRAMMAR UNIT
http://ja.wikipedia.org/wiki/FUNKY_GRAMMAR_UNIT
主催者格のRHYMESTERというグループの中の宇多丸がやや左翼的な思想ですが
第三会議室で右翼的な思想のk dub shineと仲良く話してたりするので面白いですね
RIP SLYME、KICK THE CAN CREWの左翼的な曲では哲学板住人は
ノリ系の曲を聴くよりもしっとりしたシリアスな曲の方が色々と考えるきっかけになるかもしれません
148第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/29(金) 21:16:05 0
Water Me

小さな嘘で世界が振り向くのなら 嘘つきになろう
あなたに書いた手紙で泣いてくれるなら
何万通でも書こう 
ある事無い事書こう
月灯りででも書こう

乾いた砂漠に凛と立つ花は 枯らさないでと叫ぶの
”Water,Water me!”(水を、私に水を)
傷も痛みも癒えてゆくのなら ずぶ濡れでいいと
だから”Water me!”(私を潤して)

なぜだろう なぜこんなにも愛する気持ちが
時には過ちで
時には醜くて
時には情けなくて

白い煙に咳き込んだ花は 私を見てと叫ぶの
”Water,Water me!”(水を、私に水を)
それで全てがきれいになるなら一滴だけでいい
”Water me!”(私を潤して)

誰しも自由に飢えていた 模範などなぢ教室の隅
あきらめ顔で泣いていた友よ 微笑んで
この水をあげよう
このペンをあげよう
一つの本当をあがよう

by BONNIE PINK
149考える名無しさん:2007/06/29(金) 21:52:06 0
496 :哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/06/27(水) 10:51:10 0
>>482
>ぴかぁが最近の哲学板はレベルが低いって嘆いてたけど

ん? 言っておくけど
ぴかぁって、バカだぞ(苦笑
150第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/29(金) 21:57:56 0
最高位ってまだいるんだ。
昔、泣かしたな。
いまだに独我論ネタ1本で押してたりしてw
151考える名無しさん:2007/06/29(金) 22:35:25 O
馬鹿であることに違いはなかろう。
152純一:2007/06/29(金) 23:14:55 0
詩の構成を考えてみましたが
フロウで構成すると哲学の脱構築になりました
これを音楽の領域でやろうとすると別の方法が必要になりました
それにはフロイト等を応用することになると思います
しばらく実践して試行錯誤してみます
153純一:2007/06/29(金) 23:55:13 0
私純一はrino latinaが生き方としては好きなのですが
さんピン以後のこのラッパーの曲の質は落ちるのです
私にもその原因がよくわからないのですが
おそらくは若さ故にもった正義感がどこかで変質してしまったのではないかと思います
今の彼の曲を聴くと単なる不良という感じになっています
はじめの頃は世界全体に対する社会性に接続する意識があったのですが
ぴかぁ〜や環のようにそれを失うと質が落ちます
154純一:2007/06/30(土) 00:07:45 0
こちらが最盛期のrinoで
Lamp Eye - Shogen (Live version)
http://www.youtube.com/watch?v=JTFuj43ec3g
こちらが最近のrinoです
DJ Yas - Dead or Alive feat. Lamp Eye
http://www.youtube.com/watch?v=eeuZVhnauh8
下は中年太りで声も鋭さがありません
今彼はラッパーで生計を立ててるのではなくて
実家の焼き鳥屋を手伝っています
鳥居亭
http://www.youtube.com/watch?v=lQLwZ9LL3fc
これが哲学者とラッパーの末路です
rinoはこの映像に出てる長谷川理恵の恋人なので
私生活は充実してそうで幸せなのかもしれません
そういう市井の人になるともはや鋭さはなくなります
155純一:2007/06/30(土) 00:39:28 0
哲学者ラップがたった今完成しました
156純一:2007/06/30(土) 00:56:43 0
これで環を潰すことがてきます
今哲学者ラップは試験型ができました
これを洗練すると環のラップを脱構築することができるようになります
157純一:2007/06/30(土) 01:19:24 0
やってみましたがこれにも練習が必要なようです
やり方が分かったので皆さんにもお教えします
フェイク(偽者)ラッパーやぴかぁ〜のような似非哲学者は
例えばぴかぁ〜のようにもてない原因を恋愛資本主義といった
社会の責任に求めますしかしこれはぴかぁ〜がもてない
内面的な自意識の問題点に焦点を合わせて反省することを阻害します
もてない原因を社会に求めていてはぴかぁ〜の内面を反省する機会を奪うでしょう
ぴかぁ〜や環の場合顕著なのが言いたい内容と実際に語ってることが
大幅にズレていることです
158純一:2007/06/30(土) 01:24:53 0
ぴかぁ〜が現実的に語りたいことは
中年童貞であるぴかぁ〜が悩んでいるという点です
しかし用語によってこれは恋愛資本主義の問題に刷り帰られています
環の場合は自己顕示欲これは90年代特有の意識ですが
それが社会に物申すという形式を持つラップによって正当化しようとしているという点です
ぴかぁ〜の場合には意味を理解していない用語を散りばめることによって
環の場合は意味が読み取りにくい詩によってですが
この2人の場合圧倒的に他人の真似が多いということでもあります
詩は個人的な情景が描かれる為に環のように適当にそれらしい詩的な言葉を
散りばめておけばそれが自己顕示ラップとは気付かれないでしょう
ぴかぁ〜も精々用語を導入しておけば中年童貞の悩みというのは隠せます
159純一:2007/06/30(土) 01:30:33 0
ぴかぁ〜を倒す方法は私純一のように
フロウを重視して意味連関の脱構築を行うことです
つまりわかりやすく言うとぴかぁ〜が嘘を言ってることを
見抜くことです環も同じように韻即ちライムの脱構築を行い
環が嘘を言ってることを見抜かねばなりません
まずぴかぁ〜の場合には私純一が行っているようにフロウ即ち意味連関の脱構築を行います
@ 「情報化が進んだ現代社会では、形而上学的な転倒は困難になっています。
   常に「脱構築」が作動する、街であの娘が可愛いなと思っても直ぐに他の娘に目が行く。」
A 「情報化が進んだ現代社会では、絶対的な安定は困難になっています。
   常に「不安」が作動する、街であの娘が可愛いなと思っても直ぐに他の娘に目が行く。」
@はぴかぁ〜の文章でありAはそれを純一が変えたものです。
フロウ即ち意味が同じであってもまたその意味がくだらないものでも
@のように専門用語を入れればそれらしく見えるという良い実例です
次に環
160純一:2007/06/30(土) 01:36:18 0
環のラップのリリック即ち歌詞は嘘だらけです
これを破壊するには韻即ちライムの脱構築を行わなければなりません
環が言いたいことは90年代的な己の自意識が
ラップというシーンでは強行に正義を行うように見せかけることが許されるシーンだということです
そのため環のラップは90年代的な幼稚な自意識が無批判に肯定される場として
ぴかぁ〜が哲学を幼稚に振舞える場として使うように環も90年代的自意識が肯定される場として
ラップシーンを使うのですしかし私純一は彼等にそういう勝手なことはさせません
ぴかぁ〜も環も己が語りたい内容と語ってる内容が違うのです語っている内容は確かに
一見すると高尚なものに見えます何も知らない人から見るとですが
しかしそれは用語の力です
161純一:2007/06/30(土) 01:43:48 0
環もぴかぁ〜も本当に語りたいことは
90年代的な自意識がそのまま肯定されるのを許されたいということです
しかしそういう自意識の肯定は芸能人等の一部にしか許されません
それは置いておくとしても環のライムの破壊の仕方です
ライム即ち韻による歌詞の破壊は音に依存します
つまり音が君達の知ってる言い方では郵便的になっていることからですが
ここは普通に言うと音は多様に聴くことができます
環のラップだと清い心でラップし続けるのところなんかおかしいですね
ではここを韻的にはどう変えるのか
例えばキモい心でラップし続けると変えると環の本当に言いたいことに繋がります
これがライム即ち韻の脱構築です
実際はもっと複雑に洗練した形でやれるのですが
私純一は他にも殺さなければならない相手が沢山いるのでこのへんで失礼しましょう
162考える名無しさん:2007/06/30(土) 06:39:31 0
韻を踏むのってべつにラップがはじめたことじゃないでしょう。
昔の「うた」もしゃれとか縁語とか季語とかさまざまに言葉遊びをしてきたわけで
ヤコブソンのボードレールの詩の構造分析とか、バシュラール、マラルメ、テマティズム
という詩の分析の仕事さえ踏まえないで脱構築も何もないと思うけど。
ラップに関して言えば文字通り「騒音」なんだから過剰に「歌詞の意味」にとらわれる
ことがむしろ反動的なんじゃないの。歌詞にメッセージを託すのは
フォークでもロックでもやってることだし。むしろラップのやってることって
自身の発信しているメッセージそのものを容易に聞き手に受け取らせない
その閉じた聞き取りづらい歌い方によって
メッセージそのものを否定することに新しさがあると思うが。
コミュニケーションをコミュニケーションで殺すみたいな。
ラップについて詳しく知らないがロックやジャズみたいな黒人発祥の音楽が白人に奪われたあとに
生れてることが結構重要なんじゃないか。
フランツ・ファノンのいうみたいにあらかじめ白人たちに与えられた
「言葉」と「自由」と「平等」のフォーマットで何かを積極的に語っていく
こと自体が欺瞞的であるとするならむしろコミュニケーションを殺していくことが
ラップなんじゃなかろうか。
163考える名無しさん:2007/06/30(土) 11:24:46 O
ぴかぁを倒すとは、どういうこと?
純一は以前も同じこといってたけど標的はびくともしてないよ。
ぴかぁがはったりやで嘘つきで馬鹿なのは、純一にいわれるまでもなく見抜いちゃいるけど

それだけに反って、健在ぶりを誇示することになる。
まあ純一がここにいるのは楽しいし歓迎だがね。
あいつは、自滅するしかないのだ。
164第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/30(土) 15:32:02 O
わかったから、風俗いってこいw
165第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/30(土) 16:12:36 0
てす
166第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/06/30(土) 21:29:15 0
男性は性器が性感帯であるが、女性は全身が性感帯となる。
女性のオーガズムは男性の射精のオーガズムの数十倍である。
男性のほとんどがオナニーをするがオナニーをする女性は一握りだ。
このようなことを信じている人はもはやいないだろう。
167考える名無しさん:2007/07/01(日) 06:21:04 0
やはり、あの1991年8月の「八月クーデター」失敗によるソビエト・ロシア(ソビエト共産主義)の崩壊という
ことがなければ、この仕事は完成させることはできなかったと思う。ソビエトの崩壊と冷戦構造の終焉によって、
それまで曇っていた自分の頭がすっきりした。「やっと分かったゾ」という気になったのはこの時期である。
自分もまた、ほとんどの日本知識人たちと同じく、頭の幾分かを、ずっと引きずるようにして、ソビエト型とは
違うのだが別種の社会主義=政治的理想主義に長く囚われていて、この呪縛から開放されなかった。
一九九四年から一九九五年にかけてやっと、この本を書きあげ完成させたときに、私は世界を一極的に
支配する世界覇権国となったアメリカ合衆国の諸思想がどうのようになってできているのかを知ったのである。
(中略)
このとき私は、アメリカの現代アメリカ政治思想の各派を、日本語でコンパクトにまとめて、全体的に
性格描写することで、自分が悩み苦しんできた二十年来の政治イデオロギー遍歴からも開放されたのである。
私は、今や、右(保守)でもなければ、左(リベラル)でもない。
私は、ただ、それらの全体像を大きく眺めつくすものである、ということになった。
私は左右の大きな価値対立に於いて、どちらにも組するものでは自分を発見した。
私は、ただそれらの思想の諸価値の対立点を記述する者である。
(中略)
私は日本知識人層の貧弱な土俵の上に「現代アメリカ政治政治思想の全体像」を植えつけるという大きな
仕事を先駆者としてなしとげた。今や日本知識人全てを足元に見下すほどの地位を、私は自力で
築いたのである。しかし、このことは、私が大秀才である、と自惚れているのではない。
私程度は、アメリカでは頭のいい大学院生程度だということである。ということは、日本の知識人の
大半の文科系の知識人の知能水準は、アメリカに持ち出せば、頭のいい高校生程度だ、ということである。
副島隆彦「日本の秘密」
168考える名無しさん:2007/07/01(日) 11:39:54 0
「風俗へ行け」と感情的に煽るのと「感情労働のアーキテクチャー化」という流れが
これからどのようにつながっていくのか?
た・の・し・み。
169第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/01(日) 12:07:43 0
セックスのオナニー化(アーキテクチャー化)の時代では、
自慰だろうが、風俗だろうが、恋人とのセックスだろうが、
身体的な快感に一元化されていく。(俗にいう動物化に近い)

オタク、中年童貞はこの流れに逆らおうとするナイーブな純愛派なんだろうね。
しかしこのようなナイーブさは社会的に退却するしかない。
純愛ってとてもエゴイスティックで”高飛車”な姿勢だから。

アーキテクチャー化では、「オレはオレ的にオレがすごく好き」という
自閉傾向から、CanCam的「めちゃモテ」=「みんなにちょっとずつ
愛されたい」方向へ舵を取る必要があるらしいから。

170第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/01(日) 12:14:23 0
「風俗へ行け」と感情的に煽るのは、強くなれ、ということに近い。
「愛」を得るために金を払う。それだけのことだろう。
そしてセックスだってオナニー化しているのに、
セックスに愛の幻想を抱き、童貞であることに
アイデンティティを見いだしても仕方がないよ、ということ。

しかしCanCam的「めちゃモテ」(動物化)だって、
些細なこだわりに、どこかで純愛を担保しているのだろうから、
別に良いのだけどね。
171第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/01(日) 12:23:49 0
最近のニュースでほのぼのしたのは、これだね。既婚者女性の9割が「結婚して幸せになった」と
いうのは、驚異的な数字だね。

>>
結婚で幸せに? 独身女性の4割「悲観」・日経ウーマン調査

独身女性の約4割が「結婚しても幸せになれない」と考えている一方、既婚女性の9割は「幸せになった」
と満足していることが月刊誌「日経ウーマン」(日経ホーム出版社発行)の調査で6日分かった。調査は
3―4月にインターネットで実施。独身女性1715人、既婚女性558人から回答を得た。

独身女性に対する「結婚すると幸せになれると思うか」の問いに「はい」は59.2%、「いいえ」は40.8%
だった。既婚者への「結婚して幸せになったか」との質問には、90.5%が「はい」と回答した。「シングル
の人には結婚を勧めたい」という人も73.8%にのぼった。

独身女性の5人に4人が「結婚と仕事の両立は大変そうと感じる」とする一方、既婚者の2人に1人は「大
変ではない」と答えるなど意識の違いも浮き彫りになった。独身女性に結婚相手に求めるもの(複数回
答)を尋ねたところ「価値観の一致」(79%)が最も多く、次いで「優しい性格」(74.1%)。既婚女性が夫と
結婚を決めた理由(複数回答)は「この人なら一緒に生活できると思ったから」(59.6%)がトップ。以下
「結婚してもいい年齢だと思ったから」「プロポーズされたから」の順だった。

http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/eigyo/index.cfm?i=2007060700163b6
<<
172第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/01(日) 12:48:51 0
これをどのように取るかだな。
未婚者がCanCam的「めちゃモテ」に苦しんでいる?、
また日本は先進国でもめずらしく女性の社会進出が難しい国と言われてるのに、
既婚者の9割は、後進国の選挙投票率ぐらい怖い数字だけど、

日本では女性は結婚すると、家庭にはいるなど、楽になるというのもあるのかな。
あるいは、結婚するという「開き直って」みると、「私だけ」という充実があった。
夫、子供にとって、妻、母は一人だから。ん〜・・・
173第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/01(日) 13:00:32 0
逆に、独身時代の「宙づり」があまりに大変すぎて、
そして晩婚化から長すぎて、
結婚することで解放されるのだろうか。
結婚がすばらしいというよりも、あの「宙づり」から解放されたことの安堵?
174第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/01(日) 13:03:29 0
■なぜ既婚女性の9割が「幸せになった」のか
175第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/01(日) 13:13:38 0
中年童貞にしろ、独身女性にしろ、「ナイーブ」すぎる、ということがある。
「ナイーブ」すぎるとは、他者に対してナイーブすぎるということ。
ボクは「日本の「貧しさ」は、世界的な貧困である物質的な貧しさではなく、他者依存しないですむような
生活を送るための「貧しい」である。だから「ネットカフェ難民」で象徴されるような日本の「貧しさ」には、
ハングリー精神がない。」と言った。
自分であるために他者に干渉しないのか、他者への干渉が怖いから自分であろうとするのか。

>>
ネットカフェ難民が演出かどうかではなく、特に日本の「貧しさ」が「ネットカフェ難民」という「神話」で象徴
されるのは、ネットカフェが、他者回避社会の象徴であるからだ。(最近ではマック難民もいるらしい。)
日本の「貧しさ」は、世界的な貧困である物質的な貧しさではなく、他者依存しないですむような生活を
送るための「貧しい」である。ここに自由でなければならないためにお金に拘束されるという閉塞があ
る。そして少ないお金で他者依存しない生活をするために、もっともコストがかからないことの象徴として
「ネットカフェ」がある。

日本の70年代ごろまではそうだったが、貧しさにはハングリー精神が付き物だった。今は貧しいが、い
つかはのし上がってやる。いまの中国の驚異的な成長を支える活気には、このようなハングリー精神が
ある。彼らはほんの少し前まで、物質的に貧しかったからだ。いまの億万長者も、子供の頃は必ず貧し
かった人々である。そしていまも多くの物質的に貧しい人々がいる。・・・「ネットカフェ難民」で象徴される
ような日本の「貧しさ」には、ハングリー精神がない。

なぜ「ネットカフェ難民」という「神話」は語られるのか http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20070508
<<
176第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/01(日) 13:19:04 0
世界的な貧困は、社会情勢や地域格差などによって、貧困に巻き込まれる。
どんなに努力しようが、簡単に貧困から抜け出せない。
それに対して、日本の貧困は、政治のネオリベラル傾向、地域格差もあるが、
「ナイーブさ」故に、貧しいということがあるのではないか。
177第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/01(日) 13:22:38 0
環境問題とは、環境変化が生命が環境に対応するスピードよりも、あまりに早すぎるということだろうか。
178第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/01(日) 13:49:25 0
■なぜ結婚して9割が「幸せになった」のか ナイーブな純情の時代

ナイーブな純情派の時代

セックスのオナニー化(アーキテクチャー化)の時代では、自慰だろうが、風俗だろうが、恋人とのセック
スだろうが、身体的な快感に一元化されていく。オタク、中年童貞はこの流れに逆らおうとするナイーブ
な純愛派なんだろう。

しかしこのようなナイーブさは社会的に退却するしかない。純愛ってとてもエゴイスティックで”高飛車”な
姿勢だから。アーキテクチャー化では、「オレはオレ的にオレがすごく好き」という自閉傾向から、CanC
am的「めちゃモテ」=「みんなにちょっとずつ愛されたい」方向へ舵を取る必要があるらしいから。

だから「とっとと風俗へ行け」と感情的に煽るのは、「強くなれ」、ということに近い。「愛」を得るために金
を払う。それだけのことだろう。そしてセックスだってオナニー化しているのに、セックスに愛の幻想を抱
き、童貞であることにアイデンティティを見いだしても仕方がない、ということ。しかしCanCam的「めちゃ
モテ」女性だって、些細なこだわりに、どこかで純愛を担保しているのだろう。
179第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/01(日) 13:50:11 0
他者への「ナイーブさ」故の貧しさ

中年童貞にしろ、独身女性にしろ、「ナイーブ」すぎる、ということがある。「ナイーブ」すぎるとは、他者に
対してナイーブすぎるということ。ボクは「日本の「貧しさ」は、世界的な貧困である物質的な貧しさでは
なく、他者依存しないですむような生活を送るための「貧しい」である。だから「ネットカフェ難民」で象徴
されるような日本の「貧しさ」には、ハングリー精神がない。」と言った。「自分である」ために他者に干渉
しないのか、他者への干渉が怖いから「自分であろう」とするのか。

>>
ネットカフェ難民が演出かどうかではなく、特に日本の「貧しさ」が「ネットカフェ難民」という「神話」で象徴
されるのは、ネットカフェが、他者回避社会の象徴であるからだ。(最近ではマック難民もいるらしい。)
日本の「貧しさ」は、世界的な貧困である物質的な貧しさではなく、他者依存しないですむような生活を
送るための「貧しい」である。ここに自由でなければならないためにお金に拘束されるという閉塞があ
る。そして少ないお金で他者依存しない生活をするために、もっともコストがかからないことの象徴として
「ネットカフェ」がある。

日本の70年代ごろまではそうだったが、貧しさにはハングリー精神が付き物だった。今は貧しいが、い
つかはのし上がってやる。いまの中国の驚異的な成長を支える活気には、このようなハングリー精神が
ある。彼らはほんの少し前まで、物質的に貧しかったからだ。いまの億万長者も、子供の頃は必ず貧し
かった人々である。そしていまも多くの物質的に貧しい人々がいる。・・・「ネットカフェ難民」で象徴される
ような日本の「貧しさ」には、ハングリー精神がない。

なぜ「ネットカフェ難民」という「神話」は語られるのかhttp://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20070508
<<

世界的な貧困は、社会情勢や地域格差などによって、貧困に巻き込まれる。どんなに努力しようが、簡
単に貧困から抜け出せない。それに対して、日本の貧困は、政治のネオリベラル傾向、地域格差もある
が、「ナイーブさ」故に、貧しいということがあるのではないか。
180第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/01(日) 13:50:47 0
中年童貞は「風俗へ行け」ば、9割が幸せになる?

最近のニュースでほのぼのしたのは、これだね。既婚者女性の9割が「結婚して幸せになった」と
いうのは、驚異的な数字だね。

>>
結婚で幸せに?独身女性の4割「悲観」・日経ウーマン調査

独身女性の約4割が「結婚しても幸せになれない」と考えている一方、既婚女性の9割は「幸せになった」
と満足していることが月刊誌「日経ウーマン」(日経ホーム出版社発行)の調査で6日分かった。調査は
3―4月にインターネットで実施。独身女性1715人、既婚女性558人から回答を得た。

独身女性に対する「結婚すると幸せになれると思うか」の問いに「はい」は59.2%、「いいえ」は40.8%
だった。既婚者への「結婚して幸せになったか」との質問には、90.5%が「はい」と回答した。「シングル
の人には結婚を勧めたい」という人も73.8%にのぼった。

独身女性の5人に4人が「結婚と仕事の両立は大変そうと感じる」とする一方、既婚者の2人に1人は「大
変ではない」と答えるなど意識の違いも浮き彫りになった。独身女性に結婚相手に求めるもの(複数回
答)を尋ねたところ「価値観の一致」(79%)が最も多く、次いで「優しい性格」(74.1%)。既婚女性が夫と
結婚を決めた理由(複数回答)は「この人なら一緒に生活できると思ったから」(59.6%)がトップ。以下
「結婚してもいい年齢だと思ったから」「プロポーズされたから」の順だった。

http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/eigyo/index.cfm?i=2007060700163b6
<<
181第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/01(日) 13:51:21 0
未婚者がCanCam的「めちゃモテ」に苦しんでいる?また日本は先進国でもめずらしく女性の社会進出
が難しい国と言われてるのに、9割というのは、後進国の選挙投票率ぐらい怖い数字だけど、日本では
女性は結婚すると、家庭にはいるなど、楽になるというのもあるのかな。

あるいは、独身時代の純情な「宙づり」があまりに大変すぎて、そして晩婚化から長すぎて、結婚するこ
とで解放されるのかもしれない。結婚がすばらしいというよりも、あの純情な「宙づり」から解放されたこ
とへの安堵。だから中年童貞も「とっとと風俗へ行け」ば、9割が幸せになったと回答するのかもしれな
い。それでオールライト!という簡単なことではないとは思うが・・・(終)
182第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/02(月) 10:29:16 O
不景気で就職難もあって、自分さがし、おたく、ひきこもりなど一時期、ナンパな話題(想像的なもの)が中心だったけど
グローバル化の波がきて、話題はシステム(象徴的なもの)に移った感じがあるね。
景気はよくなったか格差を生むシステムの問題。そこにはそのようにならざる終えない中国の台頭などのグローバル化がある。
日本だけ閉じて、内省ばかりしていられないし、また外圧を幼稚なナショナリズムではねのけることはできないってことだね。
日本も貧困のグローバル化に飲み込まれるのかな。そうなると単に国に泣き付いてもどうにもならないよね。こわあ〜
183名無し草:2007/07/02(月) 14:03:34 0
■ナイーブ純情派

ナイーブであるとはどのようなことかといえば、精神分析的に去勢が行われない、と表現される。
簡単にいえば、全能感をもって育った子供は、社会という秩序を学ぶという「去勢」によって、
社会の成員となる。時代劇などをみると、封建社会では生まれた場所で、どのように生きる
べきか教えられる。自らの死よりも、与えられた社会的な使命が優先されるほどに、「強く」去勢される。
これを単に「洗脳」ということではなく、「私」とはそもそも社会的な位置によって、獲得されるものである。
現代日本のように、豊かで価値が多様な社会では、社会的な位置が明確に与えられない。
それは「自分探し」という自ら社会的な位置を見いだすことになるが、それも、強く「去勢」される
ことがなく、いやなら次へというようになる。そして強いプライドと傷つくことに弱いという幼児的な
全能感をもっとまま、大人になる。これがナイーブな純情派である。

リバタリアンほどの根性はだれも持ってない。だからネオリベラルだある。
ここで大切なのは、リバタリアン傾向を人々が望んでいるのは、個人の尊重ではなく、自らのナイーブな
小さなコミュニティを守るためである。そのコミュニティが物理的でなく、漠然と情報で繋がれているから、
社会的にみれば、個人的、リバタリアン的であるように見えるだけで、だれも、リバタリアンほど、
個人で責任をもつというような 覚悟などもっちゃーいない。

年金問題でも、なんでも、どこかで最後は誰かがなんとかするだろうと思っている。年金に困る人々という
コミュニティがあるんだからと。そしてそれをネットの祭りで、やっぱりコミュニティがあった!と確認して
安心する。
184第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/02(月) 14:04:42 0
そして、世界的な貧困のような、社会情勢や地域格差などによって、貧困に巻き込まれるのでなく、
「ナイーブさ」故に、貧しいということがあるのではないか。 そこにはハングリー精神はない。

不景気で就職難もあって、自分さがし、おたく、ひきこもりなど一時期、ナイーブな話題が
中心だった。グローバル化の波がきて、話題はシステム(象徴的なもの)に移った感じがある。
景気はよくなったか格差を生むシステムの問題。そこにはそのようにならざる終えない中国の台頭など
のグローバル化がある。 日本だけ閉じて、内省ばかりしていられないし、また外圧を幼稚なナショナリズムで
はねのけることはできない。日本も貧困のグローバル化に飲み込まれるか。
そうなると単に国に泣き付いてもどうにもならない。
185第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/02(月) 16:33:06 0
>>
「社会(象徴界)」は本来「底が抜けている。」他者とのコミュニケーションの同一性は自明ではない。
ラカンによる、乳幼児期の幼児的全能感=母子の想像的関係から、「父親の審級」による去勢に
よって、「象徴界」を獲得する。すなわち自分の思い通りに行かない他者とコミュニケーションしなけ
れば、何事の達成できない、ことをしる。しかし現代は、「父親の審級」による去勢が行われず、
幼児的全能感から抜け出せず、高い「プライド」、低い「自己信頼」によって、「脱社会的な存在」となる。

宮台真司 「サイファ 覚醒せよ!」 (ASIN:4480422595)
<<
186考える名無しさん:2007/07/02(月) 16:53:44 O
風俗いってきた。やーいいもんだわ。
パパこれからは毎月いっちゃうぞ。
187第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/02(月) 16:58:46 O
卒業おめでとう
188考える名無しさん:2007/07/02(月) 19:00:25 O
>>185
やっと自己言及に及んだわけだ
189考える名無しさん:2007/07/02(月) 20:27:11 0
>>185
宮台が第3の審級だと?
190第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/02(月) 20:30:51 0
>>189
級友だからね。
191第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/02(月) 21:01:24 0
ひろゆきの「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」読み始めたが、すごいな、これ。
192考える名無しさん:2007/07/02(月) 21:16:20 0
「審級」つうのは、地裁、高裁、最高裁てな裁判用語からの転用だぞ、と。
193第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/02(月) 21:21:36 O
とうとう車が売れない時代がきたか
194第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/02(月) 22:21:55 0
車って、結局、
車→恋人→結婚→家庭→子供
という産業革命以降の「サラリーマン装置」の第一歩だよね。
家庭という装置が崩壊する中で、重要性は薄れているね。

しかし自動車産業はいまや日本の屋台骨なわけで、
これが傾くとほんと日本はヤバイね。
これから中国メーカーも世界的に台頭してくるして。
195第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/02(月) 23:17:19 0
■去勢されないナイーブな純情派

ナイーブであるとはどのようなことかといえば、たとえば宮台はラカンを引いて次のように表現している。

>>
ラカンによる、乳幼児期の幼児的全能感=母子の想像的関係から、「父親の審級」による去勢によっ
て、「象徴界」を獲得する。すなわち自分の思い通りに行かない他者とコミュニケーションしなければ、何
事の達成できない、ことをしる。しかし現代は、「父親の審級」による去勢が行われず、幼児的全能感か
ら抜け出せず、高い「プライド」、低い「自己信頼」によって、「脱社会的な存在」となる。

宮台真司「サイファ覚醒せよ!」(ASIN:4480422595)
<<

封建社会では生まれた場所で、どのように生きるべきか教えられる。自らの死よりも、与えられた社会
的な使命が優先されるほどに、「強く」去勢される。これを単に「洗脳」ということではなく、「私」とはそも
そも社会的な位置によって、獲得されるものである。

現代日本のように、豊かで価値が多様な社会では、社会的な位置が明確に与えられない。それは「自
分探し」という自ら社会的な位置を見いだすことになるが、それも、強く「去勢」されることがなく、いやな
ら次へというようになる。そして「高い「プライド」、低い「自己信頼」」をもったナイーブな大人になる。

そして、世界的な貧困のような、社会情勢や地域格差などによって、貧困に巻き込まれるのでなく、「ナ
イーブさ」故に、貧しいということがあるのではないか。そこにはハングリー精神はない。不景気で就職
難もあって、自分さがし、おたく、ひきこもりなど一時期、ナイーブな話題が、中心だった。グローバル化
の波がきて、話題はシステム(象徴的なもの)に移った感じがある。景気はよくなったか格差を生むシス
テムの問題。そこにはそのようにならざる終えない中国の台頭などのグローバル化がある。日本だけ閉
じて、内省ばかりしていられないし、また外圧を幼稚なナショナリズムではねのけることはできない。日
本も貧困のグローバル化に飲み込まれるか。そうなると単に国に泣き付いてもどうにもならない。
196考える名無しさん:2007/07/02(月) 23:17:26 O
おまい免許ないだろ
あっても運転できないだろ
できてもへただろ
ついでにアレもへただろ
つーかシロウトとやったことないだろ
しろうとといっても哲板のコテじゃないぞ
そのぐらいはわかるか いくら低脳でも
でもハゲだろ
197第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/02(月) 23:19:28 0
>>196
で、風俗いったか?w
198考える名無しさん:2007/07/02(月) 23:23:45 O
ならざる終えない
ってなんだ?
そんな日本語ないぞ。
偉そうに意見開陳するまえに基本的な言葉遣いぐらい覚えろ。
それとも洒落か?ダサいな。
199第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/02(月) 23:24:39 0
>>198
半泣きかw
200197:2007/07/02(月) 23:28:45 O
相当数いってるがそれがどうかしたか?
遍歴でも披露するか?
201第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/02(月) 23:30:57 0
>>200
197はわしだが、自演か?w
202考える名無しさん:2007/07/02(月) 23:53:47 O
自演せざる終えない
ってかWWW
203考える名無しさん:2007/07/03(火) 00:56:24 0
いまや車の話してるやつなんか低脳ドキュソばかりだからな
ヨーロッパじゃ10年前からすでにそうだが
日本もようやく先進国に追いついたというわけだ
204第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 01:19:07 0
欧米では車に違う文化があるだろう。
あれだけ国がでかいから、ベタに交通手段として必要とされる。

日本は特に都会に住むと、車いらないよな。
そもそも駐車代が高すぎだよ。
205考える名無しさん:2007/07/03(火) 01:35:01 0
ヨーロッパとアメリカでは車に対する捉え方がかなり違う
ヨーロッパ都市部のインテリ層は車離れがかなり進んでる
アメリカは車ないと生活できないということもあるけど
豊かさの象徴としての車といった産業社会の意識がインテリ層にも強固にある
206第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/03(火) 01:40:25 0
ヨーロッパの都市部って限られている。
少し離れると車なしじゃ生活できないよ
アメリカほどではないにしても。
207考える名無しさん:2007/07/03(火) 05:24:56 O
車がないとカーセックスができない。
ワンボックス型デリヘルができるかも。
208考える名無しさん:2007/07/03(火) 06:41:54 O
不安から全てが始まる。
209第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/04(水) 09:02:08 O
資本至上主義
国家のような中央集権は小さく
ネーションは小さな物語化する
資本の創発な自由な運動にまかせる。
しかしこの傾向で格差がうまれている。
資本至上主義的にはこれは自由が足りないため。
仮にそうであっても、完全な自由競争はどこまで可能か?勝ち組は力をもち勝ち続ける
情報は長期的に世界をフラット化し、豊かさもフラットにするのか
210第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/04(水) 09:29:00 0
情報化社会への変化
ネーション→ポストモダン(大きな物語の凋落、小さな物語化)
資本→市場のグローバルな活発な動き、マネーゲーム、格差社会
国家→小さな政府
外部→BRICsの対応、資源の枯渇、環境問題

さらなる情報化
ネーション→反転としての大きな物語への回帰(ナショナリズム、瞬間的炎上)
資本→さらなる市場主義、格差社会
国家→小さな政府、反動としての保護主義
外部→世界機構としての抑制

小さな地球 世界的な対立
資本(グローバリズム)/世界機構(環境規制)
 イラク戦争でもアメリカの挫折
 BRICsの台頭
211第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/04(水) 12:07:53 O
ひろゆき本を読んだ。簡単にいえばもはやこの流れはとまらないだろう、ということ。
この流れとは需要と供給がバランスする流れである。人々が望めば誰かが供給し、そこに利潤が発生する。
この流れは誰も管理されず法もあとから追従することになる。
このような流れの中で、誰が強い発言をもつということない匿名たちのフラットな場を提供しつづけたいというのが2ちゃんねる、であるということだ。
フラットな場こそが、需要と供給が活性化される健全性をためてるということだ。
212第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/04(水) 12:13:58 O
倫理面でさまざまにいわれる2ちゃんねるであるが、この健全性には倫理的な面、公共性も含まれている。
そもそも2ちゃんにかぎらず健全な場など存在しない。いまの2ちゃん批判は過剰であるとともに、できるところは社会との協調はすすめているし、
ネットそのものの問題であって、ならネットを止められるの?、ということだ。
213第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/04(水) 12:29:37 O
たとえばネットイナゴ批判の池田が2ちゃんをデリダのエクリチュールのようだと批判したが、言説をちゅうずりにするのはひとつの批判的な姿勢である。
このような批判はいくらでもいえるが結局この流れはとまらないでしょ、ということになる。

ひろゆきはあえてなのか、関心がないのか、需要がうまれることは語られていない。池田の精神分析的悪意が放出されているということだ。
214第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/04(水) 12:33:33 O
デリダ的であるなら池田のような知識人の強い発言、そして池田がのぞむ強い反論を、ずらし発散させるためにイナゴは発言するという戦略ということになる。
これはひろゆきのフラット化そのものになる。
215第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/04(水) 12:48:10 O
このような開き直りの強さは、グローバル化、ネオリベラル化といおうが、ネットの爆発的普及が先導している面があるからだろう。
どのような思想にあと付けしようが、現実に起こっているネットの普及は世界の流れをつくっている。
それは法という国家さえこえているのである。この流れの前になにをいっても付け焼き場でしかない。
ひろゆきのフラット化は漠然であるが、2ちゃんねるで共有されているところがある。
それはネットそのもの可能性として人々が感じるものではないだろうか。
216第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/04(水) 13:36:44 0
■「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」

「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか」

ひろゆきの「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか」(ISBN:4594053882)を読んだ。簡単にいえば、「もはやこ
の流れはとまらないだろう」ということなんだろう。この流れとは需要と供給がバランスする潮流である。
人々が望めば、誰かが供給し、そこに利潤が発生する。この資本主義の流れは、誰も全体を管理でき
ず、グローバル化することで国家(法)さえもあとから追従することになる。

そして、2ちゃんねるはこのような流れの中で、強い発言をもつ誰かがない匿名たちの「スーパーフラッ
ト」な場を提供しつづける、ということだ。フラットな場こそが、需要と供給が活性化されるという「健全性」
が保たれるだろうということ。

「スーパーフラット」な健全性

倫理的に様々に批判される2ちゃんねるであるが、ひろゆき的にはその批判は理想論すぎるとことなの
だろうか。そもそも2ちゃんにかぎらず健全な場など存在しない。現状でもできる限りの社会との協調は
進めている。さらにいえば、2ちゃんねるというよりも、ネットそのものの問題であって、「もはやこの流れ
はとまらないだろう」し、「スーパーフラット」という「健全性」は、ネット社会という新たな変革の中での現
実的な倫理の一つなのだろう。

たとえばネットイナゴ批判の池田が「ウェブは資本主義を越えていく」で、2ちゃんねる批判を行ってい
る。2ちゃんねるのレスがデリダのエクリチュールのようだと批判したが、逆にデリダ的であるなら池田
のような知識人の強い発言、そして池田がのぞむ強い反論を、ずらし発散させるという戦略でもある。
これはひろゆきの「スーパーフラット」に対応する。
217第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/04(水) 13:37:24 0
ネットイナゴはベタか、ネタか

ひろゆきはあえてなのか、関心がないのか、需要とはなにかということが語られていない。レッシグの
「法、慣習、市場、アーキテクチャー」を引き合いにだして、市場としての「需要と供給」を擁護している
が、2ちゃんねるが市場原理で動いていないことは明かである。では2ちゃんねるというパワーはなに
か。池田は、精神分析的悪意で説明する。この面が大きいだろう。ボクは、実社会がアーキテクチャー
化する中で、ネーション的なものがネットへ向かっているといった。

ただストレス発散だけなのかととえいば、ひろゆきのいう「スーパーフラット」は漠然であるが、2ちゃんね
るで「健全性」、さらにはネットの可能性として共有されているところがあるようにおもう。いわば、池田が
思うほどネットイナゴは馬鹿ではないのでは、ということだ。

「もはやこの流れはとまらないだろう」

様々な批判がある中で、ひろゆきの「開き直り」の強さを支えているのは、グローバル化、ネオリベラル
化といおうが、ネットの爆発的普及が先導している面があるからだろう。どのような思想もあと付けでし
かなく、現実に起こっているネットの普及は世界の流れをつくっている。それは法という国家さえこえて
いるのである。この流れの前になにをいっても付け焼き場でしかない。「もはやこの流れはとまらないだ
ろう」ひろゆきが逮捕されようが、2ちゃんねるがつぶれようが・・・
218考える名無しさん:2007/07/04(水) 17:03:39 0
>>31
ウインドウズ95とインターネットの普及がこの付近ですね
ラップは今かなり普及していてインターネット文化またも普及しています
ラップとインターネット文化は共に団塊ジュニア世代が作り上げたものであろうと
私純一は思っていますが違うかもしれません
彼等は私純一がひとまとめにすると90年代組と呼べます
または団塊ジュニア世代とも呼べます





インターネット文化は、
有名所だと ホリエモンやCAの藤田、ハテナの近藤が第一世代だよ。
いまだに多くの同世代が君臨してるじゃない。
君は実に馬鹿だなぁ
219考える名無しさん:2007/07/04(水) 17:07:42 0
>>31
ウインドウズ95とインターネットの普及がこの付近ですね
ラップは今かなり普及していてインターネット文化またも普及しています
ラップとインターネット文化は共に団塊ジュニア世代が作り上げたものであろうと
私純一は思っていますが違うかもしれません
彼等は私純一がひとまとめにすると90年代組と呼べます
または団塊ジュニア世代とも呼べます





インターネット文化は有名所だと
ホリエモンやCAの藤田、ハテナの近藤が第一世代だよ。
いまだに多くの同世代が君臨してるじゃない。
君は実に馬鹿だなぁ
220考える名無しさん:2007/07/04(水) 22:34:11 0
堀江って世代的には団塊ジュニアじゃないの
221第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/05(木) 00:52:13 0
動物化する情報化社会

ムーアの法則による情報処理速度の向上→情報の低コスト化→情報(生産物)の氾濫
→逆に人間の認知側(消費)に限界→より消費を引きつけるコンテンツの重要性
→人の時間の取り合い→よりすみやかに楽しめるコンテンツ→欲望からすみやかな欲望の消費
→限りない欲求に近い欲望→動物化

たとえば作り込まれた笑い→エンタ的な瞬間の笑い
PCからケータイ
PSPよりDS的ゲーム
たとえばYouTube的な動画

たとえば2ちゃんねるをするヤツは暇だなと思うが、2ちゃんねるをするということは、ほんのわずかな好
きも楽しみたいのだ。すみやかにかまってもらうために煽る。すみかやに他者を関わり、すみやかに退
避する。とてもせき立てられて行為である。

現代はわずかな時間も楽しむことをせきたてられている。「生きる意味」もまたせきたてだ。重要でない
ことはすみやかに済ます。めんどくさいことは他者回避。ファーストフードで食事、コンビニで買い物

すると不思議なことがおこる。マルクス的にいえば、守銭奴はお金を持つことが優位な位置であるため
に、終わりなき金儲けに走る。お金を溜めることそのものが楽しみなのである。しかし楽しみが過剰なの
だから、それほどお金への執着がなくなる。下流の特徴の一つがここにある。お金を稼いでいるひまは
ない。貴重なのは時間なのだから、楽しまなければ。
222考える名無しさん:2007/07/05(木) 01:19:22 0
動物は買い物しないだろ。
223第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/05(木) 11:58:03 O
現代は消費者としてちやほやされる。これはマルクス的な金持ち優位位置であるが、
さらには情報化はたいして金をもたなくても楽しめるようになった。
いやネットはかぎりなくただで楽しめてしまう。ある意味で消費者は王さまになったのだ
224第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/05(木) 12:17:13 O
ただで楽しめる。これは資本家にとって脅威である。著作権、コピーの問題はここにある。
しかしグーグルはただで楽しむ人から金をとる方法を考えだしてしまった。これはある意味ですてきな共存である。
このような解説は経済学的需要と供給にのっとっている。
人間としての欲望は楽しみたいに還元され、安い方向へ流れていくのだ。
欲望とは本来ズレるものである。みんながよいからズレる。
それがコントロールできない流行というものである。
たとえば大量生産は低コスト化につながるが、人々は少量生産品を欲望する。だから商品は多様化している。
しかしネットにおける一局集中は大量消費とは異なる。2ちゃんねるはみんなが集まるからみんな集まる。そしてみんなが集まるところにはロングテールも発生する。
低コストで多様化が可能になった先の一局集中なのである。
225第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/05(木) 12:23:21 O
多様になりすぎ、多様そのものに価値なくなっている。問題は速度である。いかに短い時間で大量に消費するか、楽しむか。その経済性の問題である。
欲望的なズレは位置ではなく、時間的差異に求められる。いかに早くのっかるか!
ネットで行われていることはこれである。
226第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/05(木) 12:25:17 O
欲望の高速化
227第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/05(木) 12:39:30 O
このような終わりなき欲望論はデリダ的に否定神学ということになる。このような強い主体は錯覚である、あるいは情報化の中で揺らぐ。
しかし現実に情報化は主体の揺らぎを反転させより否定神学化、すなわち欲望的にした。
位置的に揺らいでも、速度的により早くという方向性により、否定神学化しているのだ。
あたかも欲望は欲求のようにみえながら
228第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/05(木) 16:11:15 0
動物化=欲望の高速化

現代は消費者としてちやほやされる。これはマルクス的な金持ちが優位の位置であるが、さらには情報
化はたいして金をもたなくても楽しめるようになった。いやネットはかぎりなくただで楽しめてしまう。ある
意味で消費者は王様になったのだ。ただで楽しめる。これは資本家にとって脅威である。著作権、コ
ピーの問題はここにある。しかしグーグルはただで楽しむ人から金をとる方法を考えだしてしまった。こ
れはある意味ですてきな共存である。

欲望とは本来ズレるものである。みんながよいからズレる。それがコントロールできない流行というもの
である。たとえば大量生産は低コスト化につながるが、人々は少量生産品を欲望する。だから商品は多
様化している。しかしネットにおける一局集中は大量消費とは異なる。多様になりすぎ、多様そのものに
価値なくなっている中で、重要なのは意図の差異ではなく、時間の差異=速度である。いかに短い時間
で大量に消費するか、楽しむか。欲望的なズレは位置ではなく、時間的差異に求められる。いかに早く
のっかるか!ネットで行われていることはこれである。高速化において、人間的な欲望は動物的な欲求
のようにみえる。

たとえば東がいうデータベース化において重要なことも速度である。高速な情報化によって大量の反復
がある対象に収束させていく。たとえば「萌え要素」は今まで以上に大量の反復の中で収束したもので
ある。そのような要素がデーターベース化するのだ。動力が欲望であってもその速度故に欲求のように
見えてしまう。ワンパターンなものがズラされるのでなく、いかに早くつぎのワンパターンに向かうのか。
その速度の差異に欲望が生まれるのだ。
229考える名無しさん:2007/07/05(木) 23:33:28 O
ツマンネ(∪o∪)。。。
230第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/05(木) 23:47:24 0
>>229
高速欲望、乙!w
231考える名無しさん:2007/07/06(金) 00:09:22 O
いやどうも…
232第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 00:44:41 0
ネットにおける製造コストが劇的に下がることで、池田がいうように「ウェブは資本主義を越える」の
かもしれない。しかし現実には社会は資本主義の展開である。この理由は誰でもわかることであるが、
ネットでの製造されるものとは、情報というとても限られたものでしかないということだ。
人は情報だけでは、生きていけないし、楽しめない。さらにはネットで加速された情報は、
実社会の消費を触発している。

233考える名無しさん:2007/07/06(金) 04:26:59 0
いいこと教えてあげるよ

人はパンのみにて生きるにあらず
パン=賃労
2ちゃんは監禁(換金)されない時間の自由な浪費が原動力になってる
人間が人間たり得るアイデンティティーの回復の一助
自傷行為みたいなもの
でも本当はこの掲示板でひろゆきは金を稼ぐのだけど
癒し系自動集金システム
2ちゃんねる肥大化は市場経済原理の双子の弟だから
風俗みたいなもの
当然兄は資本
資本家は金儲けが好きであるとは限らない
より多くの資本を集めるには規制緩和せざるをえないお金本来の仕組みに
振り回されているだけの企業家
共産主義は資本主義拡大の引き立て役として仕立てられたピエロ
危険な賭けではあったが、最終的に思想は暴力に屈するという既成事実に
基づいて描かれたシナリオ
234第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 08:23:00 O
こりゃいいこときいたなあ
235第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 20:13:31 0
コジェーブ的動物化とデリダ的動物化

動物化を二つに分けて考えましょう。

@コジェーブ的動物化
コジェーブはハイデガーの現存在を繋ぎつつ、ヘーゲルの人間/動物の形而上学的二項
対立から人間を考えます。ラカンがコジェーブを師と仰ぎ、フロイト+コジェーブ(ハイデ
ガー、ヘーゲル)として、精神分析的人間を思考したのは有名です。そしてコジェーブは消
費文化に埋没するアメリカ人をみて、ヘーゲル的人間というよりも、動物のようだと考えま
す。形而上学的動物化です。

Aデリダ的動物化
デリダは、このようなヘーゲル的、ラカン的人間/動物を形而上学的二項対立と考えて、
脱構築します。人間が動物化しているのではなく、人間はそもそも人間であり、動物であ
る、ということです。これは倫理的な動物化です。

では東の動物はどちらか、まず脱構築されたところのデリダ的動物化の意味を持つでしょ
う。そもそも精神分析的な強い人間は存在しない。だから人間も動物もどちらが正しいとい
うことは脱構築されているでしょう。

それとともに、コジェーブ的な動物化でもあります。これが人間分析的な動物化です。そこ
では、人間/動物の形而上学的二項対立をもとにしています。だから東の「動物化」という
言葉は、つよい力を持ちます。たとえば、勝ち組負け組、山女壁女と同じ、神的な力をもつ
のです。そしてオタクはそれに感染しています。東の「動物化」にある種の選民性の匂いを
嗅ぎつて、東をオタクの救世主として奉る。
236第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 20:14:38 0
そもそも、人間/動物の形而上学的二項対立は、ヒエラルキーの構造にあるわけです。哲
学ではずっと動物とは違う人間とはなにかと考えられてきた。たとえばアフリカ奴隷があれ
ほど、悲惨に扱われたのは、彼らが人間ではなかったからです。これはほんの最近の事で
すよ。18世紀の産業革命後に世界博覧会などで、チンパンジーなどの頭の良い猿が欧州
に持ち込まれたとき、彼らは人間か、真剣に話し合われました。あるいは有名なジューンゲ
ルグ「七日間世界一周」では、人は生まれか、育ちかと議論されますが、これはようする
に、人間とは生まれてなるのか、教育してなるのかと議論されます。あるいは最近の遺伝
子研究でも、生まれ、育ちの話がありますね。ここにも人間/動物の形而上学的二項対立
は、ヒエラルキーの構造、すなわち選民主義が働いているのです。

デリダが、人間/動物の形而上学的二項対立を脱構築するというのは、このようなヒエラル
キー、選民主義を挫くと言う意味で、倫理的なのです。

しかしオタクが「動物化」に熱狂する姿をみると、いかに脱構築するということが難しいかわ
かります。精神分析はこのような人間が脱構築に逆らい、人間/動物の形而上学的二項
対立に執着する(欲望する)ことを示します。北田の人間化を僕も支持をしているわけです
が、このような「動物化」を脱構築する意味ももつも思います。動物化がデリダ的からコ
ジェーブ的に転倒すること、それが人間化なのです。
237第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/06(金) 20:15:53 0
動物と人間の間を揺れ動くようなイメージでとらえるとよいでしょう。そしてデリダは人間化
を動物化へ引き戻し、ラカンは動物化を人間化へ引き戻す。ともに倫理的には、どちらに落
ちてはいけないよ、ということです。これがデリダとラカンが裏表というようなことが言われる
理由です。

(精神病)<動物>A←動物化(揺れる想い)人間化→B<人間>(否定神学、神経症)

このザード理論で考えると、デリダ的動物化としてのA方向が、熱狂しているうちにコジェー
ブ的動物化B方向へ転倒している。オタクの否定神学の中心に東がいる。そして神経症的
に東に転移している。このスレでの東への粘着ぶりをみればわかります。しろうとは、まる
で東ですね。

工学化が動物化へ作用している、そして反動で転倒が起こるということも、誰も否定しませ
ん。しかしなんとかなる、オタクは楽しくやってるだろというのが東です。正確にはこれはオ
タクの動物化というか動物化に順応する人間だとおもいます。反動を問題にするのが北
田、宮台、波平などです。2ちゃんのネットウヨや、オウム的な感染、小泉フィーバーなど
すなわち帝国とマルチチュードですね。マルチチュードとはだれか?

一時期、宮台のウヨ発言が話題になりましたよ。あれはラカンと似た作戦なんですね。悪性
に転倒し変な宗教などに走るのは、日本には正しい転倒先、サイファがないからだ、と考え
ました。宮台は日本人のサイファは天皇だろうということでウヨ発言したのですね。最近は
作戦をかえて工学、アーキテクチャをよく作り替えれことをめざしていますね。
238第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/08(日) 00:57:22 0
なぜ2ちゃんねるにむかうのか

2ちゃんねるとは板、スレと興味に分類された場にすみやかに到達し、耐えず誰かがいてすみ
やかにコミュニケーション可能である。ケータイメールが爆発的に普及したことからもわかるよ
うに、コミュニケーション、簡単には「おしゃべり」は基本的なゲームである。「欲望とは他者へ
の欲望である。」ゲームは基本的には他者とのコミュニケーションを元にしているといっても良
いだろう。

あるいは、最近ではYouTubeにも、効率的に楽しめる特性を見いだせるだろう。しかしここにも
他者へ向けてというコミュニケーションの構造があることは見逃せない。だからネット上で重要
なコンテンツとして、効率的に高速に欲望を充足するようなコミュニケーションが上げられるの
だ。この場合の効率化とは情報が適切に伝達されたという意味ではなく、逆に適度に失敗する
こと、そこにコミュニケーションの楽しみが生まれるからだ。

グーグルが求められるのは、効率的に望む場へ到達する時間の効率化であることで補助的な
ものであり、ネットの原動力は、効率的に高速に欲望を充足するような、ケータイメールや2
ちゃんねるやmixiなどのコミュニケ−ションメディアである。このような原動力を生み出す場とし
て、スーパーフラットであり、自生的秩序が望まれ、ネットはリバタリアン化するのだろう。
239考える名無しさん:2007/07/08(日) 01:49:24 0
周りをイナゴ扱いしていると
またこあい荒らしさんがくるよ
240考える名無しさん:2007/07/08(日) 14:42:06 0
恣意性は現象の追随となるとフラット思想の先ってなんだろう
241第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/09(月) 23:21:08 0
■ZARD理論再び

「高速欲望」と反動としての「人間化」

>>
2ちゃんねるとは板、スレと興味に分類された場にすみやかに到達し、耐えず誰かがいて
すみやかにコミュニケーション可能である。ケータイメールが爆発的に普及したことからも
わかるように、コミュニケーション、簡単には「おしゃべり」は基本的なゲームである。「欲望
とは他者への欲望である。」ゲームは基本的には他者とのコミュニケーションを元にしてい
るといっても良いだろう。

だからネット上で重要なコンテンツとして、効率的に高速に欲望を充足するようなコミュニ
ケーションが上げられるのだ。この場合の効率化とは情報が適切に伝達されたという意味
ではなく、逆に適度に失敗すること、そこにコミュニケーションの楽しみが生まれるからだ。

グーグルが求められるのは、効率的に望む場へ到達する時間の効率化であることで補助
的なものであり、ネットの原動力は、効率的に高速に欲望を充足するような、ケータイメー
ルや2ちゃんねるやmixiなどのコミュニケ−ションメディアである。このような原動力を生み
出す場として、スーパーフラットであり、自生的秩序が望まれ、ネットはリバタリアン化する
のだろう。

「なぜネットはリバタリアン化するのか」 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20070708
<<

工学的、そして経済学的にいうと以下のようになる。ボクはこれを「高速欲望」と呼ぶが、
明らかに「動物化」だよね。isedでは「3秒ルール」の話として出ていたね。これにポスモダ
文脈の精神分析的(否定神学的)な人間を重ねると、人間はどこにいくのか。反動としての
「人間化」が現れるという危機感がある。また東も同じ構図を持っているとおもうよ。
242第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/09(月) 23:22:03 0
より 人間的に、より動物的

>>
それでは、なぜ情報技術はこのような二面性を帯びているのか。前回までの議論で明らか
になったように、それは実は、私たちの生がそもそも二面的だからである。私たちはつねに
「人間的」「主体的」「能動的」に「市民」として生活しているわけではない。むしろ、私たちの
生活の大半は、目の前に積まれたタスクを「動物的」に惰性でこなし、与えられた商品や メ
ディアで何となく渇望を満たしていく、「非主体的」で「受動的」な「消費者」としての時間 で
満たされている。アーレントの言葉を使えば、私たちの生は、「活動」の領域と「労働」す な
わち「消費」の領域とに大きく二分されている。

そして、情報技術革命がもたらした個人のエンパワーメントは、この両者の特徴をばらばら
に強化し先鋭化する役割を果たしている。言い換えれば、情報社会の到来は、人間をより
人間的にすると同時に、ますます動物的にもする。

「情報自由論」第11回 東浩紀 http://www.hajou.org/infoliberalism/
<<

どちらにしろ、動力は人間的な欲望であると思うわけ。動物は充足して、暴走はしない。欲
望は、止まることはない。満たされた瞬間にズレる。だから工学化は高速に対応する必要
がある。この欲望のズレと、工学的なフィードバックの戦いがあるわけ。たとえばマーケティ
ングは必ず失敗して、流行は予測不可能なところから、現れる。

この環境管理と対抗するところに、創発性というのがあるわけです。ネットでいうと、サイ
バーカスケード。暴走する高速欲望は管理されるのだろうか?環境管理はただ、暴走への
防波堤ではないのか?グーグルってほんとに世界征服できるの?
243第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/09(月) 23:22:57 0
ZARD理論再び

ZARD理論に戻りましょう

>>
これは、動物と人間の間を揺れ動くようなイメージでとらえるとよいでしょう。デリダは人間
化を動物化へ引き戻し、ラカンは動物化を人間化へ引き戻す。ともに倫理的には、どちらに
落ちてはいけないよ、ということです。これがデリダとラカンが裏表というようなことが言われ
る理由です。

(精神病)<動物>  A←動物化(揺れる想い)人間化→B  <人間>(否定神学、神経症)

この「ZARD理論」で考えると、デリダ的動物化としてのA方向が、熱狂しているうちにコ
ジェーブ的動物化B方向へ転倒している。オタクの否定神学の中心に東(の「動物化」)が
いる。そして神経症的に東に転移している、ことが起こっています。

「動物化」とはなんだったのか? http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20070706
<<

このZARD理論では人間とは揺れる存在ということです。たとえば先の「情報自由論」の東
の言説、「情報社会の到来は、人間をより人間的にすると同時に、ますます動物的にもす
る。」とは、A−Bの振幅が大きくなっていると考えることができます。ボクがいうことも同じこ
とです。動物化Aするから揺り戻しとして、人間化Bが起こる。 だから人間化でいっているこ
とは、「プレモダン的な物語が復活するような」ことではなく、大きな物語はA−Bの振幅を
押さえて、安定させる働きがあったと言える。情報化社会では、大きな物語が解体され、A
−Bの振幅が大きくそして速く不安定になる、ということ。この大きな振幅の不安定性の中
で、波が立つように、創発性が生まれは、消えていく、ということ。
244考える名無しさん:2007/07/09(月) 23:51:47 O
ろっぽんぞー
245考える名無しさん:2007/07/10(火) 00:40:24 O
ぬるぽ
246考える名無しさん:2007/07/10(火) 01:28:44 0
感情労働って>>1みたいな意味じゃなくて
感情を込めてできる労働という意味なら良い言葉だ。
今の商品は主に便利さだけを追求するものばかりで
人間の喜怒哀楽から離れすぎてる。それはその商品に
関わる労働でただ効率性ばかり求められることに繋がる。
その結果人生の大半を過ごす労働という時間が人間の素の
感覚から離れ歪んだものになっている。
感情を刺激することを目指し感情を込めて商品を作る
行為こそ効率の良い労働、生き方だと思う。
そしてそうゆう商品は環境にもやさしい
感情を金や資本のように動かせだ
247第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/10(火) 01:40:06 0
>>246
マルクス?
248考える名無しさん:2007/07/10(火) 07:54:16 O
>246
がいう意味の感情ならむしろ過剰なんじゃないの。
しゃーせーなどと無機的に連呼しているのだって、一種の感情だしポテトはいかがですかだって感情でしょ。
音程もろくにとれない歌い手に感情こめろいうのと同じでさ。
まずは労働の音符を正確に読み取るのが先でないの。
演出過剰でしょ。
249考える名無しさん:2007/07/10(火) 08:20:34 0
>>246
初期マルクスの疎外論みたいだな
労働の疎外は止揚されなければならない
感情によって?
250第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/10(火) 09:06:25 0
美しい労働とは分業の廃止ですか。
251第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/10(火) 09:34:10 O
マルクス的であるのは、その幸せな労働が類的存在、すなわち自然と調和した野性動物のような労働として考えられるからですね。
そこに幸せな感情も生まれる。しかし野生動物は動物で大変ですよ。人間の進歩をむやみに否定できません。
そして進歩は、分業化による効率化にささえられ人は部品化せざるおえない。
そこに感情労働的な軋轢はうまれざるおえない。むずかしいですね。
252第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/10(火) 10:13:42 0
■ネットという高速欲望装置

95年の特別性は、Window95の発売という実質的なネット元年であることに尽きるでしょ
う。人間そのものには変化する動力はないわけです。こんな短期で進化が起こるわけはな
いし、動力は工学側にしかない。ならネットというのはものすごく大きな変化点です。現に世
界は大きく変わった。ネットへの怒濤の流入。まるで飢えた難民が新天地を求めて移動す
るように。現代の民族大移動とも言える。ここで起こったのは、高速欲望化だ。

高速欲望装置としてのネットを考える場合に、TVと比べるのがよいだろう。TVはいまも優秀
な高速欲望装置である。優秀とは、安価であること、二つ目に高速であること。この二点に
おいて、ネットと比較すると、安価という意味では、どちらも優秀であるが、TVに比べて、
ネットには一般に言われるインタラクティブ性がある。インタラクティブ性の意味とは、コミュ
ニケーションが成功しそうで、失敗するということである。

TVも一方向でも一つのコミュニケーションとして考える必要がある。一方向であるとともに
マスメディア倫理の限界として、予定調和で、その限界も暴露されつつあり、失敗すること
が少なくなっている。予測されたところに到達する。作り物より、ハプニング、ドキュメンタ
リー化するのは、作り物より事実は奇なり、であり、そこにコミュニケーションの失敗がある
からだ。

それに対して、ネットは表現が自由度とともに、多様な他者との実際のコミュニケーションの
失敗の連続である。逆説的であるが、テキストベースという極端な情報量の少なさが、この
ゲーム性を高めているのだ。この新たな高速欲望装置の出現に、人々が熱狂したのであ
る。もはや「ネット中毒」という言葉さえ、死語と化すほどに当たり前になっている。
253考える名無しさん:2007/07/10(火) 10:42:35 O
254考える名無しさん:2007/07/10(火) 10:44:22 O
255考える名無しさん:2007/07/10(火) 10:49:03 O
256第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/10(火) 10:56:50 0
インタラクティブ性の意味とは、コミュニケーションが成功しそうで、失敗するということである。
これこそが欲望の対象の条件である。ジジェク風にいえば、(仮想化しきれない)残余である。
すなわち現実界(リアル)である。
257第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/11(水) 12:42:22 O
そこあるのは、サヨ的な資本家への反発ではなく、
下部構造としての工学化という潮流への対応ですね。工学化、そして動物化が悪いとかではなく、
人間は生物学的に動物なわけで簡単に進化しない以上、工学化の潮流の仲でに歪みが生ざるおえない。
たとえば環境問題は欲望をめぐる問題でしょ。
そこにイデオロギーがあるというよりもヒューマニズムに描写したいということです。
本当なら芸術の方がよいのですが才能がないのでね。
258第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/11(水) 15:50:14 0
アーキテクチャー化によって自由を触発して創発性を重視するリバタリアン的な自由は良
いと思うけど、その裏でアーキテクチャーへの楽観的な信頼が隠されていることを、納得で
きないわけ。ここでは人間の持つ人間化=(幻想の)共同体への執着が軽視されている。

ネットや商品消費や文化(オタクなど)で、人間化による小さな物語の乱立は良いけど、社
会制度的な面は勝ち組/負け組のような小さな「コミュニティ」の保守的な差異化が起こっ
て、入れ替えされない固定化が起こる。だから自由を促進する意図的な、行政的な制度は
必要になる。それは規制緩和ということよりも、もっと積極的な弱者救済のシステムが必要
じゃないかね。
259第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/11(水) 16:02:16 0
さらにえいば、自由至上主義が考えるような市場は存在しないということです。
貨幣による等価交換という自由で、平等な関係は存在しないのです。
貨幣は等価交換という実現する道具であって、道具を使って実現している現実とは
もっと複雑なものであり、等価に交換できない人間関係なのです。
彼が好きだ、嫌い、あるいはコミュニティへの帰属意識、排他意識などの
想像的な力が作用しています。

それはホッブスが考えるような無法地帯ではなく、秩序が存在するのですが、
それは単に等価交換とう関係で繋がる等価な個体の運動から生まれる
ハイエク的な自生的な秩序ではなく、多くにおいて想像的な力が働くなかで
生まれる慣例的な、ヒューム的なコンベンションなものです。

そこでは、楽観的に自由が実現されるわけではなく、勝ち組/負け組のような
「コミュニティ」の保守的な差異化が起こります。
260考える名無しさん:2007/07/11(水) 20:58:16 O
ダイナムは等価交換だよ、確か…
261第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/12(木) 00:08:32 0
■リバタリアンの限界

市場は存在しない

アーキテクチャー化によって自由を触発して創発性を重視するリバタリアン的な自由は良
いと思うけど、その裏でアーキテクチャーへの楽観的な信頼が隠されていることを、納得で
きないわけ。ここでは人間の持つ人間化=(幻想の)共同体への執着が軽視されている。

ネットや商品消費や文化(オタクなど)で、人間化による小さな物語の乱立は良いけど、社
会制度的な面は勝ち組/負け組のような小さな「コミュニティ」の保守的な差異化が起こっ
て、入れ替えされない固定化が起こる。だから自由を促進する意図的な、行政的な制度は
必要になる。それは規制緩和ということよりも、もっと積極的な弱者救済のシステムが必要
じゃないかね。

さらにえいば、自由至上主義が考えるような「市場」は存在しないということです。貨幣によ
る等価交換という自由で、平等な関係は存在しないのです。貨幣は等価交換という実現す
る道具であって、道具を使って実現している現実とはもっと複雑なものであり、等価に交換
できない人間関係なのです。彼が好きだ、嫌い、あるいはコミュニティへの帰属意識、排他
意識などの想像的な力が作用しています。

社会的な秩序とは、ホッブスが考えるような最初に無法地帯があるから強制的秩序が
必要なのでなく、単に等価交換とう関係で繋がる等価な個体の運動から生まれる
ハイエク的な自生的な秩序ではなく、多くにおいて想像的な力が働くなかで生まれる
慣例的な、ヒューム的なコンベンションなものです。そこでは、楽観的に自由が実現
されるわけではなく、当然、勝ち組/負け組のような保守化した「コミュニティ」が生まれ
るのです。
262第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/12(木) 00:09:38 0
信頼に基づいた曖昧な市場

市場なんかいい加減ですよね。日本にいるとわかりにくいけど、価格なんかだいたいいい
加減で、日本人だとボリまくりでしょ。市場価格なんてのはほんと市場のごく一部。これは
発展途上国で、市場がちゃんと機能していないからというかもしれないが、先進国だって、
数百億とか、反復性のない買い物など、もうボリまくりの世界ですよ。これがリバタリアンが
考える楽観的な自由秩序の実情ですよ。これが人間というものの現実世界ですよ。

リバタリアンは、「信頼」のような曖昧さが排除され、アーキテクチャーによって管理された
純粋な(動物化された)市場を夢想しているわけです。そのようなものはいつまでたっても
存在しない、市場はいつも信頼に基づいた曖昧な(人間化された)市場でしかない、言って
いるわけです。
263第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/12(木) 00:10:54 0
信頼の力学

後期ヴィトの言語ゲームはなぜ成立するのか。それをヴィトは「規則に従う」という。ここに
「信頼」の原点がある。確かにヴィトは、「規則に従う」としかいわない。ヴィトその立場から、
信頼しているから言語ゲームが成立するんだ、とは言えない。しかし大澤が、これを第三者
の審級へつなげたように、「信頼」への間際に立っていることは確か。すなわち言語ゲーム
という内部を形成すること、それが信頼である。そして内部を形成するとは、外部を排除す
るということ。信頼にはこのような力学は働く。

この力学に、自由至上主義(リバタリアン)の不可能性がある。日本人という信頼には、日
本人外への排他が働く。勝ち組の信頼には負け組に排他が働く。勝ち組は勝ち続けたい
故に、協力し会う。これを単なる利己的なものと考えてはいけない。そこには、信頼、愛着、
情などが生まれる。その裏返しで、新参者を排除しようとする。信頼とはこのようなものである。

ラカンのボロメオの輪  象徴的−想像的−現実的
これとそのまま対比はできないが、
柄谷のボロメオの輪  資本−ネーション−国家
この力学をたえず考えないといけないということ。リバタリアンは資本を「信頼」しすぎる。そ
してネーション(想像的なもの)を軽視しすぎる。
264考える名無しさん:2007/07/12(木) 08:20:37 O
35歳です。たわいのない話ですがあきれながら読んで下さい。
10日ほど前にたまにはゆっくりと風呂に入りたいと思い、何年かぶりに銭湯に行きました。
あいにく近所にないので自転車で10分ほどのところです。まだ昔ながらの番台におかみさんが座ってるタイプの銭湯。
風呂はやや熱めで一部が泡風呂になっていて、あらためて銭湯の良さを味わいました。
実はこの10日間で3度、同じ銭湯に行ってるのです。
265考える名無しさん:2007/07/12(木) 08:23:29 O
風呂の居心地の良さも気にいったのですが、番台に座っているおかみさんが気にいりました。
歳は50代半ばで眼鏡をかけていて、決して美人ではないのですが気さくな感じ。初回風呂上がりに庭に面した縁側でカラダを冷ましていた時に、そのおかみさんが灰皿を片付けにきました。
その時に軽く話しかけたのですが、こちらの問いかけに答える仕草がなんとなく可愛い感じさえしたのです。
夜11時半までやっていること、最近は遅い時間にくる客が少なくなったこと、そして「ここの風呂はいいですね」という私の台詞に嬉しそうに「また来て下さいね」と答えるおかみさんに僅かですが陰茎が充血しました。
たわいのない会話が終わり番台に戻るおかみさんを観察したのですが、やせ形でノースリーブの脇から胸の付根がのぞき、なにより尻の張りがいいのです。
特別に熟女好きというわけではないのですが、その日おかみさんで抜いてしまいました。
266考える名無しさん:2007/07/12(木) 08:26:29 O
翌日夜10時半頃にふたたび訪れました。
「すごく気持ちいいのでまた来ちゃいました」番台で料金を払う時にそう話しかけると「あら、嬉しいわね」と微笑むおかみさん。
昨夜聞いた通り先客は年配者2名で、その2人も間もなくあがっていきました。
11時過ぎに風呂から上がり番台脇の鏡のところで扇風機にあたりながら髪を乾かしていたのですが、その時おかみさんの視線を感じたのです。
タオルで髪を拭きながら表情を盗み見すると確かにおかみさんが私の陰茎を見ています。
おかみさんにとって珍しいものを見るわけじゃないと思うのですが、品定めをされているような妙な感覚を覚えました。
思い切ってそのままおかみさんに話しかけます。
全裸のままの会話です。
さすがにおかみさんは普通に応対してましたが、時折一瞬ですが陰茎にも視線がいくことを確認しました。
つい反応しそうになったので早々に服を着て終了。
「仕事でどうしても遅い時間になりますが、また入りにきますね」というと「貸切りみたいでいいでしょう。また来てね」といわれました。
267考える名無しさん:2007/07/12(木) 08:29:49 O
そして昨夜3度目1週間ぶりのおかみさんです。
先客はゼロ。女湯の方にはまだ客がいたようですが、私と入れ替わりで出て行ったようです。
「しばらく来なかったね」おかみさんがそう話しかけてきます。服を脱ぎながら「なかなか時間がなくて」という私。
そして全裸になってから(持ってきていたのですが)番台でシャンプーを購入します。やや縮みがちの陰茎を見てもらいます。
そして入浴。番台をうかがうとどうやら女湯の方も客はいないようです。
早々に入浴をすませ先日同様鏡の前で髪を乾かしていたのですが、おかみさんの視線を感じついつい陰茎が膨らみはじめました。
勃起するわけにいかないので必死に仕事のことを考えます。
それでも下向きではありますが恥ずかしくない程度に膨張してしまいました。
268考える名無しさん:2007/07/12(木) 08:32:27 O
そのまままでおかみさんと会話します。
今回もおかみさんは微妙にチラチラと私の陰茎を観察しています。
「左足がずっと痛くて、お湯の中で揉んでるんですよ」と私がいうと「あらら、足がねえ。
でも暖まってマッサージするのが一番いいわよね」と話に乗ってきたので、椅子に左足をのせて「腿とここの付根が痛いんですよね」と陰茎を右によせるようにして付根を揉むと
「筋が張っているのかもね」と期待通りに陰茎を正視してくれました。
269考える名無しさん:2007/07/12(木) 08:35:16 O
私「湿布は置いてないですよね」
おかみさん「ごめんねー、置いてないのよ」
私「でも付根に貼ったらヒリヒリしちゃいますね」
おかみさん「ハハハ、そうねえ」
私は一瞬陰茎をしごくようにしてから番台脇のロッカーに向かい服を着ました。
帰り際、「ここはお湯が熱めで本当にいいです。また来ますね。」というとおかみさんは
「遅い時間がいいわよ。待ってますね。」と微笑んでくれました。
今回はおかみさんに縮んだ陰茎とやや膨らんだ陰茎を観察してもらいました。

今後も犯罪にならない程度におかみさんに陰茎を見てもらおうと思っています。


妄想の中の話ですが昨夜おかみさんが私の足の付根に湿布を貼ってくれて、はち切れんばかりに勃起した陰茎を優しくしごいてくれました。
270第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/12(木) 17:18:14 0
■なぜ「資本−ネーション−国家」のバランスが重要なのか  「動物化」をめぐって その3

@「市場」は存在しない

アーキテクチャー化によって自由を触発して創発性を重視するリバタリアン的な自由は良いと
しても、その裏でアーキテクチャーへの楽観的な信頼が隠されている。そして人間の持つ人間
化=(幻想の)共同体への執着が軽視されている。

市場なんかいい加減だ。日本にいるとわかりにくいけど、価格なんかだいたいいい加減で、日
本人だとボラれまくり。市場価格なんてのはほんと市場のごく一部。これは発展途上国で、市
場がちゃんと機能していないからというかもしれないが、先進国だって、数百億とか、反復性の
ない買い物など、もうボリまくりの世界である。

だから自由至上主義が考えるような「市場」は存在しない。貨幣による等価交換という自由で、
平等な関係は存在しない。貨幣は等価交換という実現する道具であって、道具を使って実現
している現実とはもっと複雑なものであり、等価に交換できない人間関係だ。彼が好きだ、嫌
い、あるいはコミュニティへの帰属意識、排他意識などの想像的な力が作用している。
271第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/12(木) 17:19:50 0
A「信頼」の力学(帰属と排他の力学)

勝ち組は当然勝ち続けたい。自由な競争をするよりも勝ち組同士手を組んで、負け組を排除し
ようとする。これは勝ち組同士の利己的な契約というだけではなく、継続した繋がりの中で、
「信頼」の力学(帰属意識と排他意識の力学)が働くだろう。

そして勝ち組/負け組のような保守的な「コミュニティ」によって、固定化することが起こる。だ
から自由を促進する意図的な、行政的な制度は必要になる。それは規制緩和ということより
も、もっと積極的な弱者救済のシステムが必要じゃないだろうか。

リバタリアンは、「信頼」のような曖昧さが排除され、アーキテクチャーによって管理された純粋
な(動物化された)市場を夢想しているが、そのようなものはいつまでたっても存在しない。市
場はいつも「信頼」の力学に基づいた曖昧な(人間化された)市場でしかない。
272第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/12(木) 17:20:34 0
B「資本−ネーション−国家」のバランス

ボクがいう人間化=信頼の力学(帰属意識と排他意識の力学)を重視する姿勢を社会主義で
考えると、国家社会主義では、中央集権において信頼の力学が作動し、身内の強力な権力体
勢によって、まさにソビエト連邦、あるいは北朝鮮のような独裁的な凶行に至るだろう。あるい
は中国のような汚職国家が生まれてしまう。

ではアソシエーション社会主義においては、柄谷の失敗がなぜ起こったのか説明する。あの試
みが柄谷への転移集団でしかなかったことは良く言われる。すなわち柄谷を中心に信頼の力
学が作動したということだ。アソシエーションはリバタリアンと同じく、信頼の力学(帰属と排他
の力学)を軽視して、自立し強い個人というものに重きをおきすぎるということだ。

資本は近代以降の工学化の発展によって、社会の中心として作動し、人々を動物化する。し
かしだからこそ、その裏で(小さな)ネーションとしての人間化が作動し続ける。このバランスを
とるために、国家としてのある程度の機能は必要とされる。これは、柄谷のいう「資本−ネー
ション−国家」のバランスを考えることが重要であるということ。
273第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/12(木) 17:21:23 0
C環境問題と「資本−ネーション−国家」

たとえば環境問題を考えると、「資本重視の対策」とは、日本が進めるような技術革新である。
環境の優しい製品を販売し、資本は活発化し、環境問題も解決される。これが資本中心の対
策である。しかしこのような対策がうまくいっていないことは明かである。なぜなら、そんなせず
にただ安い商品を売る方が儲かるからだ。国家的な補助政策があってかろうじて、成り立っている。

「ネーション重視の対策」とは、環境問題を欲望の対象とすることである。簡単にはダイエット
ブームのようなものである。食事制限、運動は辛いがこれを、逆に流行りもののようにみせる。
みなが求めているものとすることで、欲望の対象へ逆転する。これは少しずつ成功している。
いまや「環境にやさしい」のかっこよさは、子供にまで浸透している。しかし強い欲望の対象ま
でにはなりにくいのが、現実である。多様な趣向のコミュニティが乱立する中で、環境問題へ
感染するのは、グリンピースぐらいだろう。

そのように考えると、国家の機能が重要になる。資本への補助、あるいは環境税のように、上
からの力が働かなければ、環境問題のようなものは機能しない。かといって、強い国家として
の政策は、逆に資本やネーションの動きを抑制し、環境問題を悪化させる。国家は、資本、
ネーションの動きを活性化しつつ、バランスをとり、機能する必要がある。
274第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/12(木) 17:22:11 0
D資本−ネーション−国家−<環境>

しかし本当は、資本−ネーション−国家のバランスではなく、資本−ネーション−国家−<
環境>で考えないといけない。

たとえば近代以前は、<環境>の影響が巨大だった。自然災害の猛威であるとともに、天の
恵みのように豊かさも<環境>という巨大な力として作用されていた。このような時代では、と
ても一人では生きてはいけないので、集団性という助けあいが重要になる。それは、国家とし
てできあがっていなくても、ネーションとしての人間化=信頼の力学(愛着と排他の力学)が重
要になる。うかつに資本=自由に走れば、個人は環境に殺されてしまう。

しかし近代以降の工学化による技術革新は、<環境>の猛威への強力な対抗策となった。こ
のために集団性という助けあいが重要でなくなる。むしろ資本を活性化する個人の自由が重
視される。そして集団性につながるネーション、国家が軽視される。
275第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/12(木) 17:23:00 0
E動物化への反動としての人間化 「どうせ死ぬのになんで生きるの?」

工学化とはなにかといえば、予測可能性を高めることだ。<環境>世界はなにが起こるかわ
からない予測不可能で不確実な世界である。工学化は、それを分析、定式化することで、予測
可能なものに変えた。宇宙の運動、気象、建築強度、人間工学などなど。そのための今ボクた
ちは、とても予測可能性の高い世界、突然、予測可能なことが起こりにく、安心した社会に住
んでいる。

しかしこのような予測可能な世界で人は、不安になる。予定調和の人生では「どうせ死ぬのに
なんで生きるの?」というギャクがマジに浮上してしまう。だから疑似的な予測不可能性を楽し
む。ジェットコースターは予測された安全な遊具であるが、危険があるように演出することで、
予測可能性の閉塞を誤魔化す。

たとえばオタクも、安心な場所において、倒錯的な非モラルを楽しむ。2ちゃんも匿名な場所か
ら、非社会的な発言を楽しむ。これら、予測可能性の反動として、安心にいながら、スリルを味
わう。これが、動物化への反動としての人間化である。
276第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/12(木) 17:23:52 0
F<環境>の回帰

しかし911が示したことは、予測可能性というポスモダ的一部の人々に閉じた虚像を解体する
ことだ。だから天災のように不確実性として到来してきた。予測可能性の象徴、ボクたちの安
心の象徴は、みごとに不確実性に破壊された。

だから911は、ある意味で<環境>の回帰と言える。テロリストを<環境>という外部へ位置
づけることが、一部の先進国のおごった考えであるが、そのおごった考えへの一撃として、
911がある。<環境>の戦いは終わってない。世界はいまも戦っていることをしれ、と。911
以降、内部は先進国で閉じることができずに、世界は広がり、人間化は回帰した。再び、以下
の構図が現れた。資本−ネーション−国家−<環境>

ボクが<環境>と呼ぶのは、この世界の不確実性である。次の瞬間になにが起こるかわから
ないということ。もはやこのよなことは克服したように考えていますが、それが、のほほんと小さ
な内部に困った一部の人の勘違いでしかなかった。

環境問題も同じである。環境問題が意図するものはなにかといえば、<環境>は回帰してく
る、ということだ。工学化によって乗りこえたつもりだったが、結局、環境問題として回帰してき
た。<環境>を乗りこえたというのは、先進国の一部の人々の幻想でしかなかった。工学化と
いう予測可能性の進めた先に現れた、予測不可能性である。予測可能性が独りよがりな小さ
な世界であることが明らかにされた。
277第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/12(木) 17:24:44 0
Gいかにボロメオの輪を機能させるか

<環境>の回帰は、ポストモダな幸福な時代の終わりとしての21世紀のキーワードになっ
ている。それは、イスラム圏の問題、環境問題さらに、環境資源の問題として現れている。BRI
Csの発展と共に、資源の国際的な確保が問題になっている。これも<環境>の回帰の一つと
言える。中国が国家戦略として、世界の資源確保に走っているように、これは一企業では太刀
打ちできないものになっている。

日本における下流の問題のひとつに中国の発展がある。安い賃金をもとに製造する中国に対
抗するためには、低コスト化を進める日本では、正社員を減らし、バイトなどに走る。日本の景
気が良くなっても、労働者の賃金が上がらないのは、潜在的な中国を含めたグローバル化へ
の危機感が根強いためである。

このような流れが示す、フラット化といわれるものが、先進国の市場主義を世界に広めるだけ
ではなく、その中で、外部が流入してくるということでもある。日本の下流には、先進国/後進
国という格差が、フラット化として、先進国に流入した現象としてもとらえられる。フラット化は、
先進国というポスモダを享受する小さな内部の境界を解体し、外部からの不確実性が流入し
てきている。

だから、資本−ネーション−国家vs<環境>として考えることで、資本だけ、国家だけでな
く、ボロメオの輪として重要性をもつだろう。(終)
278考える名無しさん:2007/07/12(木) 17:25:48 O
うん、エロチックです、私も露出願望があり、公園の囲いのあるトイレで、子供連れの主婦にさりげなく小便するそぶりで勃起陰茎しごいたことありますもん。
279考える名無しさん:2007/07/12(木) 17:27:16 O
僕もおかみさんに陰茎見てもらいたくなっちゃいました。そして厳しく評価されたい。
280考える名無しさん:2007/07/12(木) 17:38:19 0
銭湯での戦いの相手は、おかみさんではなく、男湯の客だ。
仮性の私は、皮をむき、大きさには自信があるので、それで勝負。
記憶の限り、負けたことはない。
281考える名無しさん:2007/07/12(木) 17:45:31 O
ぴかぁと同じの自己満族。
282第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/12(木) 17:55:26 0
「動物化」をめぐって

その1 「動物化」とはなんだったのか? http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20070706
その2 [議論]動物化したら何が困るのか http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20070710
その3 なぜ「資本−ネーション−国家」のバランスが重要なのか http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20070712
283純一:2007/07/12(木) 23:17:05 0
東スレ見てて思うのですが、みんな東や宮台のタームが、
哲学の本流で通用する概念と思って使ってますね。
宮台の環境や東のポストモダンは、哲学の本流の意味とはかけ離れているので、
本当は、ルーマンの環境とかポストモダンとかは、本来の意味とは全然違う概念になっています。
284純一:2007/07/12(木) 23:27:36 0
例えばですね、動物化やポストモダンという概念は、
そもそも、オタクの生態を記述する為に生み出された概念では無いのです。
もっと広い概念であって、オタク文化は関係無いのですが、
東や宮台やいかにも関係があるように言うのです。それはそういう商売だからですね。
285純一:2007/07/12(木) 23:42:54 0
ポストモダンというのは、歴史的区分ですから、
大まかに考えても、100年単位で考えるものなのです。
でも、東や宮台の言うポストモダンというのは、
精々、1990年〜2000年位までの10年単位の短い区分なのです。
これは、本来の語義を無理矢理日本の一過的現象に嵌め込んでいること、
即ち、本来の語義を商品用に使っているので、意味が違ってくるのです。
286純一:2007/07/12(木) 23:53:52 0
ですから、ぴかぁ〜もしろうとも、その他の、
東や宮台の概念を使っている人全員に言えることなのですが、
>>282のように、哲学という名目で哲学概念を使用してのオタク文化の解析には、
実は動物化やポストモダンは全く関係ないのです。
287純一:2007/07/13(金) 00:00:44 0
ぴかぁ〜が良く言う、資本−ネーション−国家という概念も、
それが、1990年〜2000年位までの10年単位の短い区分に集約されるというのは、
まず有り得ない話です。何故なら、資本−ネーション−国家という概念そのものが、
まず、100年単位位をベースに考えられた概念であるのですから、
100年単位を念頭に置かれた概念で、10年単位の現象を説明するというのもまた有り得ません。
288第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/13(金) 01:45:22 0
なぜはてなスターは気持ち悪いのか
289第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/13(金) 02:12:39 0
ブログはゆるい繋がりでできている。

趣味は多様で、興味を同じくするようなコミュニティの集まりである。
プログラム関連、オタク関連など多くの人を集めるものもあれば、
ニッチなものもある。小さなコミュニティの集まりである。

このコミュニティは、必ずしもブクマに対応していない。
ブクマは、ブクマランキングにのることで増える。
「あとで読む」ものである。

アンテナに対応する。しかしアンテナはブログそのものであり、
強い繋がりはない。

スターはこのコミュニティの繋がりを浮き彫りにしてしまう。
強化してしまう。
mixiのように、コテであるコミュニを浮き彫りにしてしまうことは、
閉塞感を生んでしまう。
290考える名無しさん:2007/07/13(金) 06:39:44 O
露出趣味というわけではないのですが、年上の女性に陰茎を見られることに興奮しました。
ここ十何年か銭湯に行かなかったせいもあるかも知れませんね。考えてみれば番台に座っているおかみさんにとっては毎日視界に入っているわけですが、それは日常的な光景ですよね。
私が今、そしてこれからしようとしていることは「意識して陰茎を見る」ことをさせたいのです。
チラチラ見るのではなく、私の陰茎はじっくり見るという慣習をつけさせたい。
サウナやエステのアカスリで勃起した陰茎を見せようとは思いません。
銭湯の50代半ばのおかみさんだからいいのですよ。
そして「夜10時半になるとじっくり陰茎を見る」ということをおかみさんの日常にしてみたいのです。
週明けにまたおかみさんに見てもらいに行く予定です。
291考える名無しさん:2007/07/13(金) 13:02:28 0
動物化から人間化の振幅をメビウスの帯にしちゃって、
永遠の帯にマトリョーシカ人形を並べると<感情>っぽいですね。
292第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/13(金) 14:58:59 O
空谷的なボロメオはすでにフランス革命のシンボルとしてしめられていた。
またこの3項は経済学、社会学、政治学という近代以降発展した学問分野に対応するというウォーラステンの指摘もある。
すなわち近代の特徴とはこれら3項が分離したことに特徴があるのだ。
だから乱暴にいえば、経済学、テクノロジーのシニフィアンに強いものはリバタリアン傾向にあり、社会学、心理学に強いものはリベラルをめざし、政治的なシニフィアンをもつものは保守主義をめざす。
293第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/13(金) 15:01:42 O
これらの分離は外部の消失と関係する。再び外部が回帰する中では、3項の連帯をいかにはかるか、ボロメオイズムが重要になるだろう。
294第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/13(金) 15:15:23 O
だから東が動物化、環境管理、リバタリアンと傾倒するのは構造主義的、象徴界に必然である。
オタクに理系が多いのにはこのような理由がある。

295考える名無しさん:2007/07/13(金) 15:15:33 O
おまえって成長しないね。
ずーっと同じことばっかりじゃね。
296第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/13(金) 15:30:40 O
この3項の分離は科学の発展による資本主義的な跳躍によるだろう。
経済力をつけた個体は制度とはことなる新たな社会的な関係としてのネーションを模索する。
297第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/13(金) 22:53:22 0
プレモダン 階級社会

モダン 産業革命、大量生産、国家、植民地、古典自由主義

ポストモダン 多様消費 内部への閉塞、ケインズ主義(共産主義)、

グローバリズム 個別生産性、外部からの流入、フラット化、自由市場主義(ネオリベラル)
298考える名無しさん:2007/07/13(金) 23:04:15 O
週明けと考えていたのですが・・・
台風が接近していることと台風明けが月曜日で銭湯が休み。
火曜日まで待てないのと皆さんのコメ読んで我慢できなくなりました。
で、これから行きます。
おかみさんに陰茎を見てもらいに行ってきます。
進展はないと思いますが忠実にレポートしようと思ってます。今日は半勃起ぐらい見てもらいたい気分(ヤバいかなあ)。
読んでいただける方がいれば帰ってすぐ書き込みます。
299第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/14(土) 00:47:33 0
柄谷は、ネグリの帝国に対して、そう簡単に国家は消失しないといったが、
ボクがそう簡単にネーションは消失しないといいたい。
帝国の資本主義システムというグローバルで合理的なシステムの透明さは
イメージでしかない。そこには自らを守るために、自由化を抑止する資本家
たちの戦略は作動している。

ただブルジョア/プロレタの対立構図が解体されているのは、そのような
抑圧が見えにくくなっていることと、労働者たちにも生産手段が解放されているからだ。
300純一:2007/07/14(土) 00:59:47 0
しばらく私が書いてみましょう。
301純一:2007/07/14(土) 01:05:46 0
ここで主題となるのは、ぴかぁ〜の理論の内容ではなくて、
何故、ぴかぁ〜のような種類の人間が生まれたかです。
302純一:2007/07/14(土) 01:09:11 0
ぴかぁ〜やしろうと、その他の東や宮台派に特徴的なのは、
ある種類の学派の理論を、そのまま哲学主流で使える理論だと思い込むという傾向です。
例えば、ぴかぁ〜が連発している、資本、ネーション、国家という概念を見ていきましょう。
303純一:2007/07/14(土) 01:12:43 0
ぴかぁ〜の言う、資本、ネーション、国家という概念は、
柄谷行人の世界共和国へという本からの盗用ですが、
ここで第一の問いが生まれます。即ち、ぴかぁ〜は何故、
柄谷の理論からパクったのかという点です。
304純一:2007/07/14(土) 01:18:18 0
何故、ぴかぁ〜が柄谷からパクったのかと言うと、
そのプロセスはおおよその予想はつきます。
まず、東浩紀と柄谷行人との関係があります。
ぴかぁ〜の理論の殆どはしろうとのブログからのパクリですが、
しろうとの理論は東浩紀からであり、東浩紀の理論は柄谷行人の理論です。
元々、ぴかぁ〜はこの流れを知らなかったのだと思いますが、
ブログを見ながら、しろうと、東、柄谷の流れを知ったというところでしょう。
305純一:2007/07/14(土) 01:21:10 0
また、別の流れも考えられます。
例えば、しろうとや東浩紀の理論を読む流れで、
しろうとや東が柄谷を引用していたのを見て、
それを同じように真似て柄谷の資本、ネーション、国家をパクったという説です。
306第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/14(土) 01:22:59 0
???急に、NGが増えたぞw
307純一:2007/07/14(土) 01:26:34 0
いずれにせよ、強いのは、
ぴかぁ〜が柄谷の、資本、ネーション、国家を連続で引用する意味です。
この流れだと、ぴかぁ〜が柄谷のこの図式を引用する意味は次のようになります。
@しろうと、東が柄谷を尊敬している為
Aしろうと、東が柄谷を引用している為
つまりは、ぴかぁ〜が柄谷の資本、ネーション、国家を引用する意味は、
まず、しろうとや東といったオタク用の哲学にぴかぁ〜が感銘を受け、
その感銘を受けた哲学者が尊敬、または引用しているから、
ぴかぁ〜も同じように引用しているという根拠でしか無いように思えます。
308考える名無しさん:2007/07/14(土) 01:29:00 0
純一が指摘するまでもなく、ぴかぁ〜は、汚れキャラなので、
クレバーな純一が、すべきことは、ぴかぁ〜の節操のないパクリの証明ではなく、
ぴかぁ〜のサクヒン(肉まん)に含まれる段ボールの痕跡の指摘だよ。
309純一:2007/07/14(土) 01:30:04 0
ただし、この場合、しろうとや他の東派のみんなも同じだと思います。
つまりは、東浩紀がオタク用哲学を展開しているところに、しろうとやその他東派のみんなが出会い、
その東が柄谷の流れの中で、引用なりをしているという点が無ければ、柄谷を引用してはいないということです。
でも、ぴかぁ〜の場合は、東が柄谷を引用していた点を意識しているのではなく、あくまでしろうとや他の東派の
ブログを見て、同じように柄谷を引用すれば、その流れの中に入ったと思い込めるということでしか無いように思えます。
310純一:2007/07/14(土) 01:41:10 0
即ち、非常にぶっちゃけてしまいますと、
ぴかぁ〜が柄谷の資本、国家、ネーションを引用する理由は、

@オタク用哲学を展開するしろうとが、東浩紀を尊敬し引用している
Aその東浩紀は柄谷行人を尊敬し、引用している
Bしろうとも東浩紀も、柄谷を尊敬し引用している
Cぴかぁ〜はオタク用哲学にしか興味が無いが、しろうとや東浩紀のように、
 柄谷を引用することで、オタク用哲学という枠組みから、哲学に昇格できると思い込む

という流れの中で、ぴかぁ〜が柄谷の資本、ネーション、国家を引用しているように思います。
311純一:2007/07/14(土) 01:51:08 0
つまり、それはこういうことでもあります。

@ぴかぁ〜はそもそもオタクの自我を持っており、
  このコンプレックスを理論的に正当化し、補強する理屈を求めていた。
Aしろうとの理論は、オタクをポストモダンという新時代の
  ニューエイジとして祭り上げる理論として、格好のものにぴかぁ〜には映った。
B更に、しろうとの拝する東浩紀に至っては、評論家として多大な評価を受けている為に、
  ぴかぁ〜には、オタクとしての自我が正当化できるまでではなく、偉人になれるものと映った。
C更に、東浩紀が拝する柄谷に至っては、世界的評論家として評価されるという特典が付くものと映った。
312純一:2007/07/14(土) 09:26:39 0
それは即ち、こういうことです。

@オタクとしてのぴかぁ〜はコンプレックスを持っていた
Aしろうと理論ではオタクのぴかぁ〜は新時代のニューエイジになれる
B東理論ではオタクのぴかぁ〜は多大な評価を受ける評論家になれる
C柄谷理論ではオタクのぴかぁ〜は世界的評論家になれる

という流れの中で、ぴかぁ〜の観念では、
こうした理論を盗用することで、オタクとしてのぴかぁ〜の自我が、
世界的評論家の自我に昇化するものだと思い込んでいるということです。
313純一:2007/07/14(土) 09:59:30 0
ぴかぁ〜の理論の殆どはこういう動機からであり、
それによって、A〜Bの理論は権威付けとなります。
ぴかぁ〜本体はそもそも、オタクとしてのコンプレックスを、
学問的な権威で補強しようという動機から来ているのです。
ですから、ぴかぁ〜のレスの殆どはA〜Bの、
オタクとしてのぴかぁ〜の自我の学問的権威付けであると言えます。
314純一:2007/07/14(土) 10:16:59 0
ぴかぁ〜は以上の様に、オタクとしての自我の学問的権威付けに使用されるが為に、
AはBと関連しているというブログや書物から得た知識を、BはCに関連しているという
別の知識とただ繋ぎ合わせるという方法でしか書けないのです。
例えば、柄谷は資本、ネーション、国家であるという記述と、資本、ネーション、国家が、
ラカンの図式であるといった知識自体を、書物やブログからの知識の間に合わせでありまして、
AはBと関連し、BはCと関連し、CはDと関連しているということをただただ書き連ねているだけです。
ですから、コジェーブやハイデガーといった記述も、ブログや書物で見かけたものを、
キーワードごとにリンク付けしているだけで、そこに何かの思考があるわけではありません。
私純一にとっては、こういうぴかぁ〜の哲学の消費の仕方それ自体が動物化という現象で
あるように思えます。ただし、私純一は、これを動物化とかポストモダンとか言わないのが
正確であるという点です。一昨日申しましたように、オタクの生態と哲学とは実はあまり関係が無いのです。
ここで私が言う動物化も実はコジェーブとは全く関係ありません。コジェーブはヘーゲルの解説者であり、
共産主義の擁護者であるわけですから、動物化はその中のキーワードの1つに過ぎません。
私純一としましては、ぴかぁ〜のこの哲学の消費の仕方は、言わばオタクの物の消費の仕方です。
そして、それはつまるところ、90年代組のオタクの意識の形成の問題でしかなく、ポストモダンは全く関係無いのです。
315純一:2007/07/14(土) 10:45:09 0
ぴかぁ〜は、柄谷の資本、ネーション、国家が出ると、脊髄反射的にボロメオの輪を出し、
それをラカンに関係付けるということをこれまた脊髄反射的にやります。
これは確かにデータベース的な消費の仕方ですが、残念ながらこれはポストモダン的現象ではありません。
これは単なるオタク的な消費の仕方であって、団塊ジュニア世代のぴかぁ〜達だけに特有の現象なのです。
一昨日言いましたように、ポストモダンという概念はもっと広く100年単位で考えるもので、
1990〜2000年の10年単位での分析は稚拙であると言え、また情報化とポストモダンは全く関係ありません。
情報化はそもそも1990〜2000年程度であり、対してポストモダン思想はその殆どが全共闘時代に書かれたものです。
ですから、正確にはポストモダン思想というのは、ぴかぁ〜の親の世代である団塊の世代の思想なのです。
例えば、ドゥルーズは五月革命やその周辺の共産運動をきっかけに思考をしており、ネグリも殆ど共産、つまりは、
ぴかぁ〜の親の世代である全共闘世代、団塊の世代の思想としてあるのです。つまりは、東や宮台は、
全共闘世代の思想を、団塊ジュニア世代の思想であるかのように語っているということでしかないのです。
即ち、ポストモダン思想本流と、日本で東や宮台がポストモダンと言ってる現象に関連性は全く無く、
それは団塊ジュニア世代が己の消費の仕方を分析することで自己を確認するか優越感に浸る為の商品であるということです。
では、ここからはそういった全共闘世代の思想を団塊ジュニア的に歪めたものは拝してぴかぁ〜のようなオタクの生態を
観察していきましょう。
316純一:2007/07/14(土) 11:10:48 0
ぴかぁ〜の思想は、先程も申しましたように、
A〜Bの権威付けに利用されているもので、
思想ですらなく、データベース的(動物的)な脊髄反射でしかありません。
東の思想では、これがポストモダン的現象、即ち、オタクは新人類であるという論調になりますが、
これは、先程も私純一が言いました様に全く違います。
ポストモダンはそもそも全共闘主義がベースであり、今の思想とは根本的に違うものです。
ぴかぁ〜のようなオタクがそもそもデータベース的な思考になるのは、
思想が思想としての意味を持っておらず、単に他の商品と同じように、
中身が無く消費されているということを意味しているものなのです。
例えば、ぴかぁ〜のように哲学のキーワードをただリンク付けして語るという言い方では
哲学には成り得ません。でも、ぴかぁ〜のようなオタクは残念ながら、そういう消費の仕方しかできないのです。
これはポストモダン的現象ではなく、90年代組の団塊ジュニア世代に特有の精神構造であるというだけです。
317純一:2007/07/14(土) 11:16:42 0
その点を踏襲すると、以下のことが分かると思います。
つまり、東や宮台の思想はそもそも全共闘の思想であるポストモダンとは関係なく、
その学問的権威を利用して語だけ同じにしているに過ぎないということであり、
東や宮台のポストモダン思想というのは、現実には90年代組の団塊ジュニア世代向けの、
非常に範囲の狭い思想であるということです。
318純一:2007/07/14(土) 11:35:17 0
では、東や宮台がデータベースと言い始めるのは何故でしようか。
実はここが一番の問題なのです。その前にぴかぁ〜のプロセスを見てみましょう。

@ぴかぁ〜はそもそもオタクの自我を持っており、
  このコンプレックスを理論的に正当化し、補強する理屈を求めていた。
Aしろうとの理論は、オタクをポストモダンという新時代の
  ニューエイジとして祭り上げる理論として、格好のものにぴかぁ〜には映った。
B更に、しろうとの拝する東浩紀に至っては、評論家として多大な評価を受けている為に、
  ぴかぁ〜には、オタクとしての自我が正当化できるまでではなく、偉人になれるものと映った。
C更に、東浩紀が拝する柄谷に至っては、世界的評論家として評価されるという特典が付くものと映った。

ぴかぁ〜の意識では、@〜Aのプロセスは削除されています。
そして、BとCを語るので、結果論としてデータベース的(中身の無い知識の並べ立て)になるだけです。
更に、この@とAのプロセスを削除した状態でのBとCを語るのは、動物化(中身の無い脊髄反射的な知識)
にも見えます。つまりは、東や宮台が語るポストモダン化というのは、このように、
@とAのプロセスを削除して、BとCを語るからそう見えるというだけです。
319純一:2007/07/14(土) 11:39:14 0
試しに@〜Aを消してみましょう。

B更に、しろうとの拝する東浩紀に至っては、評論家として多大な評価を受けている為に、
  ぴかぁ〜には、オタクとしての自我が正当化できるまでではなく、偉人になれるものと映った。
C更に、東浩紀が拝する柄谷に至っては、世界的評論家として評価されるという特典が付くものと映った。

>299 名前: 第三の波平 ◆v97jOX.oqY 投稿日: 2007/07/14(土) 00:47:33 0
>柄谷は、ネグリの帝国に対して、そう簡単に国家は消失しないといったが、
>ボクがそう簡単にネーションは消失しないといいたい。
>帝国の資本主義システムというグローバルで合理的なシステムの透明さは
>イメージでしかない。そこには自らを守るために、自由化を抑止する資本家
>たちの戦略は作動している。

これでは、単なる知識の並べ立て(データベース的、動物化)に思えるのも仕方ありません。
320純一:2007/07/14(土) 11:43:51 0
では、反対にB〜Cを消すとどうなるか。

@ぴかぁ〜はそもそもオタクの自我を持っており、
  このコンプレックスを理論的に正当化し、補強する理屈を求めていた。
Aしろうとの理論は、オタクをポストモダンという新時代の
  ニューエイジとして祭り上げる理論として、格好のものにぴかぁ〜には映った。

>299 名前: 第三の波平 ◆v97jOX.oqY 投稿日: 2007/07/14(土) 00:47:33 0
>柄谷は、ネグリの帝国に対して、そう簡単に国家は消失しないといったが、
>ボクがそう簡単にネーションは消失しないといいたい。
>帝国の資本主義システムというグローバルで合理的なシステムの透明さは
>イメージでしかない。そこには自らを守るために、自由化を抑止する資本家
>たちの戦略は作動している。

これなら、上の引用文をぴかぁ〜が語る意味が、データベース等の用語を使わなくても分かると思います。
つまりは、ぴかぁ〜がやりたいのはオタクの自我のコンプレックスを、どうやって解消するかという点なのです。
B〜Cはそのコンプレックスの補強として存在しているに過ぎません。
だからこそ、ぴかぁ〜がオタクの自我のコンプレックスとして、哲学を語るので、
内容が無意味(データベース的、動物化)になるのです。
321純一:2007/07/14(土) 11:51:05 0
ですから、簡易にするとこうなります。

ぴかぁ〜の表層的な意識に現れる面

B更に、しろうとの拝する東浩紀に至っては、評論家として多大な評価を受けている為に、
  ぴかぁ〜には、オタクとしての自我が正当化できるまでではなく、偉人になれるものと映った。
C更に、東浩紀が拝する柄谷に至っては、世界的評論家として評価されるという特典が付くものと映った。

ぴかぁ〜の深層的な意識に潜んでいる面

@ぴかぁ〜はそもそもオタクの自我を持っており、
  このコンプレックスを理論的に正当化し、補強する理屈を求めていた。
Aしろうとの理論は、オタクをポストモダンという新時代の
  ニューエイジとして祭り上げる理論として、格好のものにぴかぁ〜には映った。

ですから、ぴかぁ〜の理論というのは、オタクとしてのコンプレックスを
どうやって、知的権威で覆い隠すかという為に仕立てられた装置でしかないのです。
ところが、@〜Aを分析しないので、知識の並べ立て(データベース的、動物化)になるだけです。
322純一:2007/07/14(土) 12:03:13 0
ぴかぁ〜の表層的な意識に現れる面
B更に、しろうとの拝する東浩紀に至っては、評論家として多大な評価を受けている為に、
  ぴかぁ〜には、オタクとしての自我が正当化できるまでではなく、偉人になれるものと映った。
C更に、東浩紀が拝する柄谷に至っては、世界的評論家として評価されるという特典が付くものと映った。

ぴかぁ〜の深層的な意識に潜んでいる面
@ぴかぁ〜はそもそもオタクの自我を持っており、
  このコンプレックスを理論的に正当化し、補強する理屈を求めていた。
Aしろうとの理論は、オタクをポストモダンという新時代の
  ニューエイジとして祭り上げる理論として、格好のものにぴかぁ〜には映った。

つまりは、データベース化や動物化といった、団塊ジュニア世代に特有の現象というのは、
現実には、@〜Aを分析することを敢えて避け、B〜Cばかりに目が行っているから起こるのであって、
素直に@〜Aを分析すれば、データベース化や動物化はそもそも起こらないということです。
323純一:2007/07/14(土) 12:11:20 0
ところが、ぴかぁ〜やその他東派や宮台派の、
90年代組の団塊ジュニア世代に特有の現象として、
B〜Cは容易に認めるのですが、@〜Aは絶対に触れられたくないという反応があります。
例えば、ぴかぁ〜もB〜Cは認めるでしょうが、
@〜A、即ち、ぴかぁ〜のようなオタクがコンプレックスを解消しようとして、
知的権威に頼っているということはまず認めないでしょう。
B〜Cは実は知識(情報、データベース)なのですが、@〜Aは自意識なのです。
B〜Cは私純一がいくら触れても、自意識ではないので痛くも痒くもないのですが、
@〜Aはぴかぁ〜の自意識に触れるので、まず絶対に触れさせないでしょう。
即ち、データベースとかはB〜Cばかりを扱っているから、@〜Aの己の自意識の問題に
触れていない、触れていないからこそ、データベースに見えるということでしかないのです。
324純一:2007/07/14(土) 12:20:15 0
つまりは、こういうことです。

ぴかぁ〜は、本当は90年代の団塊ジュニアのオタクの自意識にコンプレックスを持っており、
これを哲学等の知的権威で覆い隠そうとしていること、それ自体を本当は分析しなければならないが、
それを避け、コンプレックスを覆い隠す知的権威だけを取り入れようとする為に無意味な文章
(データベース化、動物化)になるということです。

これはつまり、東や宮台は90年代的団塊ジュニアの自意識を分析を避けているということであり、
それが最終的なドクサであるということなのです。データベース化とか動物化とははその付属でしかありません。
325考える名無しさん:2007/07/14(土) 13:52:00 O
その通り
326純一:2007/07/14(土) 14:36:51 0
この文章を御覧下さい。

>588 名前: 第三の波平 ◆v97jOX.oqY 投稿日: 2007/07/14(土) 14:13:54 0
>しろうとには野矢がお似合いなんだよ。
>時代と関係がない。
>もともとそういう田舎臭い、木訥なヤツだったのを、
>ちょっとボクが最初持ち上げすぎて、勘違いして、こーなっちゃた。
>
>ポスモダ的言葉遊びの動物の世界を生きるには
>あまりにまじめで人間くさすぎる。
>必死で動物のふりして、壊れちゃった。
>なにはともあれ、原点である野矢でしばらく休むんだな。

注目すべきはこの文章です。

>ポスモダ的言葉遊びの動物の世界を生きるには
>あまりにまじめで人間くさすぎる。
>必死で動物のふりして、壊れちゃった。

>ポスモダ的言葉遊びの動物の世界を生きるには
という言葉からも分かるように、ぴかぁ〜達団塊ジュニア世代の頭では、
@〜Aに触れずに、B〜Cにだけ触れることを、
>ポスモダ的言葉遊びの動物の世界を生きる
と言ってることになります。
327純一:2007/07/14(土) 14:43:37 0
ぴかぁ〜達団塊ジュニア世代の言う、
ポスモダ的言葉遊びの動物の世界を生きる、という状態は、

B更に、しろうとの拝する東浩紀に至っては、評論家として多大な評価を受けている為に、
  ぴかぁ〜には、オタクとしての自我が正当化できるまでではなく、偉人になれるものと映った。
C更に、東浩紀が拝する柄谷に至っては、世界的評論家として評価されるという特典が付くものと映った。

このように、B〜Cにしか触れないことを、ぴかぁ〜達団塊ジュニア世代は、
ポスモダ的言葉遊びの動物の世界を生きる、と言っていることになります。
でも、私純一に言わせれば、これは勘違いの産物です。
ぴかぁ〜達団塊ジュニア世代は、はデータベースの中を戯れで生きていける程に
強くは無いのです。本当は何故、データベース論を必要とするのかという理由は、

@ぴかぁ〜はそもそもオタクの自我を持っており、
  このコンプレックスを理論的に正当化し、補強する理屈を求めていた。
Aしろうとの理論は、オタクをポストモダンという新時代の
  ニューエイジとして祭り上げる理論として、格好のものにぴかぁ〜には映った。

という人間臭い理由でしかないのです。
つまりは、人は動物のように見えたとしても、動物にはなれないのです。
328純一:2007/07/14(土) 14:48:31 0
では、ぴかぁ〜達団塊ジュニア世代が必要とする、
データベース論、システム論は何故、団塊ジュニア世代に必要とされたのかを考えてみましょう。

@ぴかぁ〜はそもそもオタクの自我を持っており、
  このコンプレックスを理論的に正当化し、補強する理屈を求めていた。
Aしろうとの理論は、オタクをポストモダンという新時代の
  ニューエイジとして祭り上げる理論として、格好のものにぴかぁ〜には映った。
B更に、しろうとの拝する東浩紀に至っては、評論家として多大な評価を受けている為に、
  ぴかぁ〜には、オタクとしての自我が正当化できるまでではなく、偉人になれるものと映った。
C更に、東浩紀が拝する柄谷に至っては、世界的評論家として評価されるという特典が付くものと映った。

まず、これはぴかぁ〜が哲学をやる動機ですが、
特に@〜Aは他人に伝わると非常に格好悪いものです。
従って、@〜Aを都合で削除し、B〜Cにすれば格好良くなります。
後は、@〜Aに全く触れずに、B〜Cにだけ触れてる状態を、
「ボクはデータベース的戯れの中で生きている動物ですから」
とでも言って置けば、@〜Aに触れずにごまかせられるということです。
329純一:2007/07/14(土) 14:56:55 0
分かり易く説明しましょう。
ぴかぁ〜達、団塊ジュニア世代の精神構造はこうなっています。

◆ぴかぁ〜達、団塊ジュニア世代の自意識
@ぴかぁ〜はそもそもオタクの自我を持っており、
  このコンプレックスを理論的に正当化し、補強する理屈を求めていた。
Aしろうとの理論は、オタクをポストモダンという新時代の
  ニューエイジとして祭り上げる理論として、格好のものにぴかぁ〜には映った。

◆データベース論、システム論
B更に、しろうとの拝する東浩紀に至っては、評論家として多大な評価を受けている為に、
  ぴかぁ〜には、オタクとしての自我が正当化できるまでではなく、偉人になれるものと映った。
C更に、東浩紀が拝する柄谷に至っては、世界的評論家として評価されるという特典が付くものと映った。

このうち、@〜Aはぴかぁ〜達、団塊ジュニア世代は触れられたくないものです。
それは「データベースの中で戯れる動物」を演じているつもりだからです。
でも、よく考えてみて下さい。そもそもB〜Cのデータベース論やシステム論だけで
人が生きてるわけがないのです。@〜Aを削除するのは、他人から見て格好悪いからですね。
だからこそ、@〜Aの団塊ジュニア世代の自意識が無かったことにする為に削除して、
データベース論、システム論だけで成り立っているように見せかけているというだけです。
330純一:2007/07/14(土) 15:01:36 0
◇ぴかぁ〜達、団塊ジュニア世代が表立って語る部分

◆データベース論、システム論
B更に、しろうとの拝する東浩紀に至っては、評論家として多大な評価を受けている為に、
  ぴかぁ〜には、オタクとしての自我が正当化できるまでではなく、偉人になれるものと映った。
C更に、東浩紀が拝する柄谷に至っては、世界的評論家として評価されるという特典が付くものと映った。

(◇ぴかぁ〜達、団塊ジュニア世代は絶対に触れられたくない部分)

(◆ぴかぁ〜達、団塊ジュニア世代の自意識)
(@ぴかぁ〜はそもそもオタクの自我を持っており、)
(  このコンプレックスを理論的に正当化し、補強する理屈を求めていた。)
(Aしろうとの理論は、オタクをポストモダンという新時代の)
(  ニューエイジとして祭り上げる理論として、格好のものにぴかぁ〜には映った。)
331純一:2007/07/14(土) 15:05:16 0
試しに、@〜Aを削除してみます。

◇ぴかぁ〜達、団塊ジュニア世代が表立って語る部分

◆データベース論、システム論
B更に、しろうとの拝する東浩紀に至っては、評論家として多大な評価を受けている為に、
  ぴかぁ〜には、オタクとしての自我が正当化できるまでではなく、偉人になれるものと映った。
C更に、東浩紀が拝する柄谷に至っては、世界的評論家として評価されるという特典が付くものと映った。

従って、こうなります。

>588 名前: 第三の波平 ◆v97jOX.oqY 投稿日: 2007/07/14(土) 14:13:54 0
>ポスモダ的言葉遊びの動物の世界を生きるには
>あまりにまじめで人間くさすぎる。
>必死で動物のふりして、壊れちゃった。

でも、本当は違います。

(◇ぴかぁ〜達、団塊ジュニア世代は絶対に触れられたくない部分)

(◆ぴかぁ〜達、団塊ジュニア世代の自意識)
(@ぴかぁ〜はそもそもオタクの自我を持っており、)
(  このコンプレックスを理論的に正当化し、補強する理屈を求めていた。)
(Aしろうとの理論は、オタクをポストモダンという新時代の)
(  ニューエイジとして祭り上げる理論として、格好のものにぴかぁ〜には映った。)

つまり、ぴかぁ〜達団塊ジュニア世代の言うような、
「データベースで戯れの中を生きる動物」というのは虚像なのです。
332純一:2007/07/14(土) 15:14:02 0
彼等が、データベース論やシステム論を必要とする本当の理由はこうです。

(◆ぴかぁ〜達、団塊ジュニア世代の自意識)
(@ぴかぁ〜はそもそもオタクの自我を持っており、)
(  このコンプレックスを理論的に正当化し、補強する理屈を求めていた。)
(Aしろうとの理論は、オタクをポストモダンという新時代の)
(  ニューエイジとして祭り上げる理論として、格好のものにぴかぁ〜には映った。)

というオタクとしてのコンプレックスがまずあり、
そこでオタクとしてのコンプレックスを逆転させる発想であるデータベース論、システム論に出会います。

◆データベース論、システム論
B更に、しろうとの拝する東浩紀に至っては、評論家として多大な評価を受けている為に、
  ぴかぁ〜には、オタクとしての自我が正当化できるまでではなく、偉人になれるものと映った。
C更に、東浩紀が拝する柄谷に至っては、世界的評論家として評価されるという特典が付くものと映った。

つまり、「オタクは劣っている」という状態を、「オタクは稀少な優生態である」という具合に、
コンプレックスをデータベース論やシステム論を使って、逆転させているのです。
そして、これは私純一から見ると、本来劣っているぴかぁ〜達オタクを理論の世界だけでは、
稀少な新人類という形で価値を逆転させているルサンチマンに他ならないのです。
333純一:2007/07/14(土) 15:23:01 0
>588 名前: 第三の波平 ◆v97jOX.oqY 投稿日: 2007/07/14(土) 14:13:54 0
>ポスモダ的言葉遊びの動物の世界を生きるには
>あまりにまじめで人間くさすぎる。
>必死で動物のふりして、壊れちゃった。

ですから、このぴかぁ〜の言説自体、ルサンチマン以外の何者でもありません。
「ぴかぁ〜はオタクである」を「ぴかぁ〜は言葉遊びの動物の世界に生きる新人類」と言い換えて、
言説世界だけでの価値の逆転=ルサンチマンを図ろうということです。
私純一としては、そんなことしなくても、@〜Aのぴかぁ〜達団塊ジュニア世代の、
オタクとしての自意識を反省して分析すれば済むんじゃないかと思うのですがね。
334純一:2007/07/14(土) 15:28:14 0
「ぴかぁ〜はオタクである」を「ぴかぁ〜は言葉遊びの動物の世界に生きる新人類」に
言い換えて、価値の逆転を言説の世界で図ろうとする為に、
データベース論とかシステム論といった、大舞台装置が必要になるのです。
言ってみれば、ぴかぁ〜達団塊ジュニア世代の、現実での評価を、言説の世界で
逆転させる為に、データベース論とかシステム論といった大きな物語による救済が必要になる
というだけのことに過ぎません。でも、私純一から見ても、これは不健全な思考です。
素直に@〜Aのオタクとしての自意識を分析すれば良いのです。
335第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/14(土) 16:24:14 0
愛とはなにかといえば、その特徴の一つが加算的であるということです。
ある対象とであう。その対象と過ごすことで、積み上げられていく。
それは時間に正比例するわけではないですが、加算的です。
そしてなにものにも変えられない対象となるのです。

それに対するのが、消費です。消費は減算的です。
対象と関係することで、価値は劣化していきます。
価値が落ちると、他のものへと取り替えるのです。

たとえば処女信仰は減算的です。最初に性関係を知らない
純粋な女性がいて、性関係を重ねることで劣化していきます。
これは、男尊女卑に根付いた、女性を商品として扱うことです。

恋愛関係は、加算的な面、減算的な面があります。
336考える名無しさん:2007/07/14(土) 18:13:03 O
たいしたもんだわ
337純一:2007/07/14(土) 18:28:05 0
もう1つ気になっていることですが、
ぴかぁ〜はしろうとからパクリ、しろうとの元ネタは東であり、
東の元ネタは柄谷です。でも、柄谷の元ネタは意外と知られていません。
実は柄谷の元ネタはウィトゲンシュタインなのです。
そして、焦点となるのは、実はカントもラカンもハイデガーも正確ではない
ということです。
例えば、カントの超越論的仮象はウィトゲンシュタインの語りえぬものでありますが、
ラカンの現実界もウィトゲンシュタインの語りえぬものでありますが、
ハイデガーの形而上学もまた、語りえぬものであるというのが、元々のネタたる
柄谷の主たる理論なのです。
338純一:2007/07/14(土) 18:34:04 0
ぴかぁ〜はこれをよくパクっておりまして、
柄谷のそういうウィトゲンシュタインを元ネタにした理論を、
そのまま真似ていることが多く見受けられます。
さて、問題なのは、このぴかぁ〜他がパクっている理論が、
果たして哲学史的には正しいのか?という部分です。
339純一:2007/07/14(土) 18:37:06 0
柄谷の元ネタがウィトゲンシュタインだとするとどうなるか、
例えば、ぴかぁ〜の得た知識の殆どは、柄谷からの流れのパクリです。
ウィトゲンシュタインから柄谷へ流れ、柄谷から東、しろうとへ流れ、
それをぴかぁ〜がパクってるのですが、私純一から言いますと、
ウィトゲンシュタインは正規の西洋哲学という流れからは多少違うということがあります。
340純一:2007/07/14(土) 18:42:57 0
カント、ハイデガー、ラカンという流れと、
ウィトゲンシュタインという流れは大きく違います。
つまりは、英米系哲学による大陸哲学の解釈の問題がここに絡みます。
柄谷の流れが、英米系の流れを汲むものである限りは、
英米的思考による大陸哲学の曲解が避けられないのです。
カントにせよ、ハイデガーにせよ、ラカンにせよ、
一部で受けられているならともかくとしても、これは本流の理解とは
また別の解釈でありまして、あくまでウィト寄りにしたカント、ハイデガー、ラカンという
形で流通しているもので、本流の理論とはまた違います。
でも、ぴかぁ〜はそこは知らずにパクっているのをよく見かけますが、
これは特に哲学を考えたことが一度もないから気が付かないのだと思います。
341純一:2007/07/14(土) 18:47:06 0
つまりは、ぴかぁ〜を代表として、
間違った哲学史で書いているのですが、
ぴかぁ〜自身自分で考える能力がないので、
そこに気付けないのです。
ウィト=柄谷的な流れでは、哲学史はその理論に沿うような、
哲学史としてあり、正史の哲学史とはまた違ったものであります。
342純一:2007/07/14(土) 18:54:40 0
では、ぴかぁ〜が何故間違った哲学史に気が付かないのかと言うと、
ぴかぁ〜が主にブログからパクっていることにその理由があります。
ブログは今見たような、ウィト=柄谷的な恣意的な哲学史を受け入れて
作られており、これをぴかぁ〜がパクってる内に、次第にその恣意的な
哲学を受け入れてしまったということでしょう。
反対に言うのならば、ぴかぁ〜は正史の哲学史からは何も学ぶことが
できなかったということでもあります。ブログはある程度、完成された
文章で書かれる為、乙の現象に甲の理論を当てはめるといった具体的な
記述が多いのです。ですから、ぴかぁ〜はよくその文章をまるごとパクリ、
ラカンはボロメオであるとかをブログで見かけて、それをそのままコピーします。
そうすることで、何個かブログでの書き込みを集めると、ぴかぁ〜の一個の
エントリーが書けるぐらいには、パターンが溜まるのです。
反対に、哲学史をそのまま読んだ状態では、ぴかぁ〜は現実に
理論を応用できないのです。何故なら、哲学史には応用の仕方が書いてないからです。
ですから、そのまま正史の哲学史からはパクることができないのです。
343純一:2007/07/14(土) 19:00:52 0
ブログはウィト=柄谷的な思想史を受け入れてつくられているので、
ぴかぁ〜はそのままパクっている内に間違った哲学史を覚えます。
ウィト単体でカント、ハイデガー、ラカンができるというのは嘘ですが、
そういう理解をぴかぁ〜がするようになりますが、ブログの外には
ぴかぁ〜は出ないので、その哲学史が正史だと思い込むということです。
その後は、ブログからパクったパターンを、ぴかぁ〜の個人的なオタク日記に
沿わせる形で書けば満足ですので、特にその間違った哲学史に気付くこともありません。
344純一:2007/07/14(土) 19:07:28 0
最も重要なのは、ブログ界隈には、
ぴかぁ〜を代表する、ウィト=柄谷の自意識の肥大化という作用から、
逃れる理論がブログ界隈のどこにも記述されていないという点です。
これは考えてみれば、簡単に分かります。
まず、ブログを書いている自意識は、まず自意識の肥大を乗り越えていません。
自意識の肥大を乗り越えていない自意識が、ブログを書くのですから、
そこには間違った哲学史を超える理論はないのです。
ですから、ブログ界隈というのは1つの閉域であり、宗教団体のようなものです。
345純一:2007/07/14(土) 19:10:57 0
思想、哲学系のブログを書いてる者の大半は、
およそ20代〜30代だと思われます。
更にこの大半が、東浩紀と宮台真司を支持いると考えられます。
となると、ブログ界隈自体が、同じような年齢層の同じような思想層が
固まっていることになるのです。これはウェブという性質上の問題もあるでしょう。
パソコンに近しい者がブログに近いというのもありますから、情報化=東浩紀
に近い理論になるということです。
346第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/15(日) 01:31:54 0
■なぜ環境対策は市民レベルが必要なのか

規律訓練型環境対策/環境管理型環境対策

たとえば人がいない部屋の電気をつけっぱなしにする無駄を考えましょう。規律訓練では、
「つけっぱなしはやめなさい」と指摘します。環境管理では、人がいなくなるとセンサーで関
知して、電気が自動的に消えるようにします。

どちらかというと、欧州の環境対策は規律訓練型です。市民活動として、環境倫理を考え
ます。たとえば分別などは普通で、雨水を溜めて、生活水に使うなどの、市民レベルの努
力をしています。日本は産業主導型です。国の支援もあり、機器の省エネ化などを開発し、
人々はそのような機器を買うことで、いままでと同じ生活をしながら、環境対応をします。す
なわち環境管理型です。この違いは国民性などとも言われています。日本人は村社会と言
われながら、国の強制的な指導がなければ、市民レベル連帯=公共性の意識が低いと言
われます。
347第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/15(日) 01:32:36 0
規律訓練型環境対策の重要性

どちらでも良いようですが、問題は、環境問題が国、地域レベルに閉じていないということ
です。たとえば欧州、日本がいくら環境対策をいしょうが、いまや世界第二位のCO2排出
国になった中国で足り流しされると、日本にも影響が及びます。これは国際レベルで規制を
呼びかけていくことになりますが、基本的に国際的に環境が悪化することを考えると、規律
訓練と環境訓練はどちらが良いだろうかということです。ともにやっていくのですが・・・

環境問題から、資源が不足し、様々な消費財が高騰する中で、環境訓練は贅沢品です。
そして環境管理はお金で解決するという個人的なものです。規律訓練的は、市民の強力の
中で助けないが重要になります。<環境(外部)>の回帰では、動物的に個人だけでは生
きられない。他者との関係、助け合いとしての人間化が重要になるということです。
348第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/15(日) 01:33:28 0
<環境>の回帰

マルクスもいうように、資本主義は共同体を解体し、個人主義的にしました。個人主義とい
うのはとても贅沢なもので、物質的な豊かさによって支えられるのです。先進国という内部
に閉じたポストモンダンな状況のみが可能にした状況です。

時代は、もはや幸福なポストモダンを超えた。それは先進国的な閉塞に閉じることができず
に、<環境>が回帰しはじめたということです。その象徴が、環境問題であり、911、世界
的資源争奪などに現れています。グローバル化、帝国、フラット化は一見、環境管理、動物
化が広がるように考えがちですが、これはかつての絶対主義時代の先進国/植民地の差
異が保たれた中での、侵略の様相です。しかし<環境>の回帰はむしろ外部が先進国へ
侵入してくるイメージが必要です。
349考える名無しさん:2007/07/15(日) 08:52:44 O
感無量であります
350考える名無しさん:2007/07/15(日) 12:50:20 O
すごい!
351考える名無しさん:2007/07/15(日) 16:04:52 O
きっと自分じゃ凄いこといってるつもりなんだろうな。
352考える名無しさん:2007/07/15(日) 19:43:10 O
ポマエラ『ウィキノミクス』日経BPでつよ

タイトル:
ウィキノミクス:紀伊國屋書店
URL:
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/j/wsea.cgi?W-NIPS=9982093460
353第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/15(日) 20:03:19 0
>>352
最近売れているが、Web進化論以上のおもしろさはあるのかね。
354考える名無しさん:2007/07/15(日) 21:36:19 O
テメエで読め
355考える名無しさん:2007/07/16(月) 08:22:05 0
>>352
ポマエラという著者かと思ったorz
タプスコット・ドンというのも変わった名前だが
356考える名無しさん:2007/07/16(月) 10:01:58 O
ただいま夜勤からもどりました。
韓国式垢すりはおっしゃるとおりのもので、風俗ではありません。
チンチンにタオルをかけるだけ、店により、トランクスもありますが・・・肛門あたりまでよく手入れしてくれます。
チンチン以外は全身スリスリですから、胸とかに来ると、たまりませんなぁ。
韓国姫も丁度好みのお年頃だし、勃起するのは私だけではないでしょう・・・韓国姫も「お客さん、若いね、元気いいよ」みたいな感じなので、遠慮なく勃起です。
もともと露出狂なところがあるので、タオルが外れようと勃起みせてます。
でも、となりに別の客がいるときはさすがにね・・・お試しあれ。
357考える名無しさん:2007/07/16(月) 11:18:22 O
すてきなスレですね。
358第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/16(月) 21:14:53 0
エイズやエボラなどの病原菌はもともとアフリカの密林にすむ動物たちに
感染していたものが、人間が密林を開拓する中で人に感染し、そして世界に
広まったと言われる。
かつての植民地政策と異なるグローバル化のイメージとはこのようなもの
ではないだろうか。
359考える名無しさん:2007/07/16(月) 22:13:25 0
都市ウイルスなんて言葉が流行ったりもしましたね。
はじめの人に正嫡した『ある因子』が人を経て進化し続け、
やがて人を凌駕するほどの大きさになって一人歩きを始めるってことかな
360第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/16(月) 23:25:13 0
ボードリヤールは「透きとおった悪」と呼びましたね。
361考える名無しさん:2007/07/17(火) 02:49:11 0
>>純一
柄谷の哲学史はなんでもごちゃごちゃにするし、正統派ではないけど
ウィトとはあんまり関係ないよ。彼のウィト解釈そのものがそもそも正統派じゃないから。
362第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/17(火) 10:09:13 O
侵略することにより、支配という内部と被支配の外部が保てるか、ということです。
かつての植民地時代は物理的な距離が障壁になるなどにより、保たれていましたが、
現在のグローバル化では境界は解体される。すなわち支配もまた侵食されるのです。
このイメージがまだ低いように思います。
363考える名無しさん:2007/07/17(火) 11:07:34 O
そうですか。
俺の陰茎は45度じゃおさまりませんでしたwwこの興奮は何を意味するの???!!!wいやぁー なんか久しぶりに期待で股間が膨らんでいますw
364純一:2007/07/17(火) 18:59:15 0
>>361
私が言ってるのは、そもそも英米系のウィトをベースにしても、
大陸系哲学の正史は身に付かないと言ってるだけです。
つまり、ウィト正統解釈派でも同じことです。
365第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/18(水) 16:20:47 0
■否定神学としてのマルクスの労働価値説

ラカンは人間は二度「疎外」されると言いますが、一度目は想像的な他者との鏡像関係で
二度目は象徴的な他者(大文字の他者)による去勢(すなわち言語の獲得)によって。そし
てこの去勢前の主体が芽生える未分化な状態が現実界です。

人はこの現実界へ向けて欲望し続けるが、決して到達しないということです。ただこの現実
界はそのようなものがあるという「ロマンチックな形而上学的」ではなく、ないことであるよう
に人々の欲望を想起するものである。これが否定神学と呼ばれる構造です。

たとえばマルクスが商品の物神性をいうとき、商品に交換によってしか価値は表れない
が、あたかも最初に価値があるように振る舞われるというとき、ないが価値かあるようにみ
せる何かがあるということ、これが否定神学です。マルクスにとっては「労働」ということで
しょう。初期マルクスの「類的存在」が神学的なものであるなら、後期マルクスの類的な「労
働」は否定神学的なものということでしょうか。

これを柄谷、岩井の貨幣論とつなげることができます。彼らは、マルクスの商品貨幣論を、
ソシュールの言語論とつなげ、「労働価値」を使わなくても、商品価値は説明できるといま
す。しかしそこには「人々が貨幣を価値あるモノとする錯覚するもの」が想定されています。
たとえば柄谷なら、それは「命がけの跳躍」、そして「他者」です。ようは、ここにも否定神学
の構造が作動しているということです。

ここでは、商品の価値、すなわち貨幣は価値があるとは限らないと脱構築することができま
す。しかしこのような否定神学的感染は人間の一つの症候であり、否定し切れるものでは
ないでしょう。(とまた「症候」に否定神学してしまいました。)
366第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/18(水) 16:34:20 0
■「恋愛弱者」という幻想

「恋愛資本主義」ということばが流行っていますが、恋愛とは資本主義によって可能になっ
た最近の発明品です。簡単にいえば、「(核)家族」はサラリーマンが全盛の高度成長期の
ときに生まれ、また日本における「恋愛」がうまれたのは好景気80年代のトレンディードラマ
です。これらは資本主義的好景気と終身雇用にささえています。

3高、ドラマのような恋愛、結婚、年功序列、安定した家庭生活。これはとても幸せな時代
の産物と言えます。欲望は社会的な欲望だから、「恋愛」が社会的に生まれることで、欲望
の対象となります。そしてそこにあるのは、始めから欲望される対象としての、恋愛格差、
モテ/非モテの構造です。

最近は、ネオリベラル化による市場主義の中で、幸せな時代が終わりつつあります。この
ような幸福な夢が解体されると、社会的に自立を阻まれている日本の女性はパニックにな
ります。いかにみずからの将来を安定させるか。よりリスクの低い金持ち男性を求めて自
分を研きつつ、そんな幸運はなかなかないので、遊び上手な男との遊びでごまける。男は
逆に経済的にある程度確保しつつ、社会的な拘束から逃げようと退避する。恋愛、結婚と
は違いみずからの趣味にはしる。

最近は、恋愛格差が広がっているというよりも、「恋愛」そのものが解体されているというこ
とです。「恋愛プア」というのは、そもそも「恋愛」自体が解体され行く中での郷愁であるとい
えます。多くにおいて非モテの人は、自らが育った家庭での清楚な母のイメージをもとめ、
実際の女性の社会的なハングリーさの前に挫折するのです。彼らが求める恋愛は、たとえ
モテになろうがもはや存在しないのです。彼らはそこに、まだ「恋愛(格差)」が存在している
ように振るまっているのです。
367考える名無しさん:2007/07/18(水) 19:35:43 O
どんだけー どんだけー

女子高生や新宿2丁目のゲイの間で流行っているという感嘆詞。
疑問形のようだが、やや平板に言うそう。
元々は、一部の女子高生の間で「非難」の意味で使われていたが、広まるに連れ、驚き・感心・相槌などの意味でも使われるようになった。
「すごい」「超○○」「とんでもない」と同様の意味。関西の「なんじゃそら」「どないやねん」にも似ているが、あまり強いツッコミではなく、共感の意味が強い。
新宿2丁目では、やす子ママが生みの親とされる。一般的によく知られるようになったのは、TBSテレビ「リンカーン」で
FUJIWARAの藤本敏史が新宿2丁目に滞在した際に取り上げられことがきっかけ。その後、雨上がり決死隊・宮迫博之らが連発してネタにしている。
また、メイクアップ・アーティストのIKKOもよく使っている。タモリもお気に入りだとか。
フジテレビ系ドラマ「プロポーズ大作戦」劇中でも、主演の山下智久が多用している。
一般の女性、若い男性の間に広まり始めており、ブレイク間近か。
368第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/19(木) 16:03:48 0
■なぜ消費社会において愛の関係は難しいのか

「怒りオヤジ3」 

>>
それぞれ問題を抱えつつも、一人では脱却できずに、世間からは「ダメ人間」の烙印を押さ
れた者たち。そんな彼らに芸能人が愛のお説教をし、広く日本の世直しをする!史上初の
一般応募型叱られバラエティ『怒りオヤジ3(さん)』。

彼氏が4人もいるという浮気性女に、本当の愛を涙で語った出川哲朗…35歳の無職ニート
に、大声で喝を入れた阿藤快…中絶してもヤリまくるバンバ女を、母の心で包んだ松野明美…

「怒りオヤジ3」 http://www.tv-tokyo.co.jp/ikarioyaji3/
<<

「怒りオヤジ3」という深夜番組がある。「ダメ人間」をタレントが説教する。しかしその「ダメ
人間」のダメさも筋金入りで、「なんでダメなの?」と開き直り、タレントがしどろもどろする。

最近気になったのが、ショタ好きの二十代の女性である。10代の男が好きで、何人かを
囲って定期的にHをする。Hをすることでつなぎ止めておく。しかし男が20才をすぎると「キ
モい」ということです。ショタは汚れていないが、歳を重ねることで汚れていくということです。
そして別れて、また新しいショタを探す、というようなことでした。「ダメ人間」も「あれ、こいつ
他のバラエティーみたぞ」というのものもあり、どこまでマジかわからないですが、彼女をみ
て、「愛」とはなにか、考えてしまいました。
369第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/19(木) 16:05:47 0
消費の関係と愛の関係

彼女はショタへの愛情があるといっていましたが、彼女の行動は簡単にいえば、消費の関
係でしょ。消費とは相手を商品とみる。商品をそのはじめにすでに価値があり、使っていく
ことで価値が減算していきます。そしてどこかでそれを捨てて、代替品を買う、ということです。

彼女にとって、ショタは商品であり、最初に価値があり、Hすることで消耗し、価値が下が
り、次のショタに代替する。これは処女信仰と同じ構造です。処女信仰は男尊女卑の構
図、男性が主で、女性は従です。彼女にとってショタはおしゃれな服や、アクセサリーと同じ
ような好きなものではあるが、かけがえのない者ではない。大切なのはどこまでも自分です。

愛の関係とはこの逆で加算的です。関係していくことで、その他者がかけがえのない者と
なっていきます。そのような愛の関係が構築されると、親子、師弟、友達など、いなくなる
と、その人への代替がききません。ある意味で自らの一部であり、そして自分を犠牲にして
でも、その他者を守るようなことが生まれます。
370第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/19(木) 16:06:37 0
オタク的な商品への倒錯的な愛

消費社会において、愛の関係を維持することはとても大変なことです。消費社会はたえ
ず誘惑を仕掛けてきます。「消耗しきったボロぞうきんのような関係をいつまで大事にする
んだ。ちょっとお金を出せば、ほらこんな新製品を楽しむことができんだぜ。いや、契約さえ
してもらえれば、この最新の本体はだたでもよいよ。」

愛の関係は、自分だけが築こうとしてもできません。なにを考えているかわからない他者に
対してお互いに根気強く、向き合っていかなければなりません。だから現代の消費社会で
は多くにおいて人は、好きなものを回りにはべらせて、自からを維持させています。

ここでは、消費材である商品が代替がきかないかけがえのないものであるように転倒しま
す。たとえばオタク的なもの、アイドル、萌え商品など、あるいはペットなど。ここにあるのは
商品そのものへの愛というよりも商品が擬似的な他者として倒錯されています。
371第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/19(木) 16:07:42 0
愛の関係の欠乏

愛の関係は、マルクス、柄谷的にいえば、「他者を手段でなく目的とする」アソシエーション
でしょう。ボクは理想主義者ではないので、これだけで社会が形成されるとは思いません
が、資本主義社会が市場主義的リバタリアン化しても、人は愛の関係がなければ、生きて
いけないというような、人間として必要とされるものでりつづけるでしょう。

そして「動物化」だけでは生きられず、愛の関係の欠乏からくる不安は、愛を求めて過激
な行為に走ってしまうという極端な「人間化」へと転倒してしまいます。

ショタ好き女性も、このような愛を求めた転倒してといえるでしょう。ショタからHさせるかわ
りに、お金をもらう/はらえは、愛のない等価交換としての金銭関係であることが明確にな
るでしょうが、決して金銭関係にしないことで、そこに愛があるように見せているのです。こ
こに素直に「愛」を求めることができない彼女の悲しさがあります。

たとえば、「オレオレ」詐欺のような手口になぜかかるのか、不思議がありますが、もしかす
ると「オレオレ」詐欺の要因の一つもここにあるのかも知れません。寂しい現代人にとって、
貴重な身内との愛の関係はたとえば騙されたとしても、愛情を証明しなければならないとい
う愛への強迫的な不安があるのかもしれません。
372第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/19(木) 16:52:29 O
ではネットコミュニケーションは愛の関係を築けるでしょうか
すなわち他者を手段ではなく目的とできるでしょうか
ネットは他者とのコミュニケーションを求めるということです。だからそこに愛の関係を築くことは可能でしょうが
匿名である、入れ替えがよういであるなど、ある他者との関係を構築することに必ずしもむいているとはいえません。
むしろ不特定多数とコミュニケーションすることで、その場だけの消費関係を作ることにむいているます。
他者を手段として消費するメディアです。だからかまってほしい過激発言、炎上、祭り、あるいはブロガーのジレンマなどの不安が生まれます。
373第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/19(木) 17:53:44 O
このような手段と目的の二面性と使い分けやすさがネットの魅力かもしれません。
374考える名無しさん:2007/07/19(木) 22:46:31 O
虚しくならない?
375第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/20(金) 09:41:56 0
好意のある人に「私はあなたを愛しています」ということに対して、
「私はあなたに萌えています」という場合どうだろうか。
この違和感はなんだろうか。

ここに「愛の関係」と「消費の関係」の違いがある。

>>
「消費の関係」
・減算の関係。
・相手を商品としてみる。商品はそのはじめにすでに価値があり、使っていくことで価値が減算
していきます。そしてどこかでそれを使い捨てて、代替品を手に入れる。
・他者を手段とする「他者」回避。
・処女信仰


「愛の関係」
・加算の関係。
・関係していくことで、他者がかけがえのない者、代替がきかない関係となる。ある意味で自ら
の一部となり、自分を犠牲にしてでも、その他者を守るようなことが生まれる。
・他者を目的とする他者との関係構築
・なにを考えているかわからない他者に対してお互いに根気強く、向き合っていかなければならない。
<<
376第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/20(金) 09:46:56 0
萌えのフェティシズムとは、物神性である。本来は消費の関係であるものを
愛の関係へと倒錯している。

たとえば宮崎アニメの特徴に、ナウシカ、コナンなど主人公が、成長して超人になるの
ではなく、なぜかすでに超人であることが上げられる。成長という地道な努力の欠落が、
宮崎アニメの爽快さを支えている。

これは宮崎アニメの主人公が、成長以前のロリータであり、そこに処女性が
あることに関係する。萌えが、ロリータに向かうのは、成長過程の消失したところに
意味がある。

ここに消費社会の特徴があるだろう。面倒な愛の関係よりも消費の関係へ。しかし
「動物化」だけでは耐えられずに、そこに愛の関係を捏造する。
すなわち消費関係のような、(お金を払うような)素早さで、愛の関係を手に入れる手法である。
ボクはこれを「高速欲望」と呼ぶ。

>>
消費社会の特徴

・面倒な愛の関係よりもお金で解決する消費の関係へ
・「商品への倒錯」と「想像のコミュニティ」の間の揺らぎ
・商品への倒錯(フェティシズム)・・・消費の関係であるが、愛の関係であるように倒錯する。ア
イドル、キャラクター、ペットなどへ愛
・「想像のコミュニティ」・・・消費の関係を起点に同じ趣向の他者たちと「想像のコミュニティ」を
形成する。
・愛への強迫的な不安・・・愛の関係の欠乏からくる不安は、愛を求めて過激な行為に走ってし
まう。極端な「人間化」への転倒。
<<
377第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/20(金) 09:49:32 0
すなわち萌えとは、高速欲望である。「愛している」ということは重いが、
「萌え〜」ということで、高速に愛を手に入れることができる魔法の呪文である。
378考える名無しさん:2007/07/20(金) 13:59:45 0
379第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/20(金) 14:52:57 O
だからロリのポイントは無垢にある。消費材の特徴とは誰もまだ使っていないこと、無垢であり、使うことで古くなる。
ロリの魅力は消費の快楽である。
380第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/21(土) 10:55:53 0
生産とは生活手段の生産である。
生産は個人に閉じるものではなく、協業によって成り立っている。
この協業関係を交換という。
381考える名無しさん:2007/07/21(土) 14:18:29 O
ちんこがムクムクおっきしたど〜とボクは言った。
まで読んだ。
382考える名無しさん:2007/07/21(土) 16:24:52 O
東以来の衝撃だ
383第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/22(日) 00:15:00 0
命がけの飛躍とは否定神学。
384考える名無しさん:2007/07/22(日) 03:25:50 0
385第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/22(日) 17:51:38 0
ネットが世代論のようになってきた。
2ちゃんねる世代
mixi世代
モバゲー世代
386純一:2007/07/22(日) 17:56:18 0
そして、それらを総称して、
団塊ジュニア世代と呼びます。
ぴかぁ〜は現在29歳ですから、
2007年から29歳とすると、1978年位の生まれになりますね。
団塊ジュニア世代は基本的に1970年〜1980年代生まれとされているので、
この世代論は正しいのです。
387第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/23(月) 09:51:07 0
想像的なものとはなにか。象徴的なものからずれて、残余として現実的なものを生み出す。
この残余を生み出す過程は否定神学と言われる。
決して語られない残余。しかしその生まれるもとは想像的なものにあるだろう。

象徴的なものとは大文字の他者との関係であるのに対して、
想像的なものとは小文字の他者、すなわち現前する「この他者」との関係である。
「この他者」は限りなく、象徴的なものに回収される。
たとえば「私の母」がたった一人の「この私の他者」であるのは、
血のつながり、それは現代ならば遺伝子による証明にまで繋がる。
あるいは社会システムとしての象徴的秩序に母の特別性を求めることができるかしれない。
しかしこれらは相対的である。それが構造主義的な回答である。

このような言説を並べても、越えていく、「この私の母」の特別性。
これは固有名の議論につなげれば、確定記述の束に回収されない残余が残るということだ。
ジジェクはこれを現実界に求めるが、その生まれは想像的なものである。
この、目の前の「私の母」という強い転移。それは決して相対化されない、
そして語り得ない。
388第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/23(月) 10:13:54 0
サヨクは主知主義と言われるように、人々がサヨクを欲望するのは、社会を設計することにある。
現状の構造を徹底的に暴露して、それをよりよく再構築する。
まさに最高の知的ゲームである。

このような象徴化において問題にあるのが、「大文字の他者の他者は存在しない」ということだ。
象徴的なシステムの正しさを保証する上位の象徴界は存在しない。
最後は神にゆだねるしかないということで、超越論に至る。
正確には現在において「神は死に」否定神学として生き残っているが、
現在のこのような否定神学を乗りこえ方法は、速度に求められる。

たとえば否定神学の基本に、柄谷の「命がけの飛躍」がある。
柄谷は、ヴィトゲンシュタインははじめてのコミュニケーションに
そしてマルクスははじめての交換に、共通項としてこの場面を見いだした。
異国の他者がはじめて出会うときに、いかにコミュニケーション(交換)が可能であるか。
それは論理的には説明できない、何らかの跳びこえが必要である。

システム論ではここに時間のファクターが入る。異国の他者と他者がであるときに、
この緊張の場面でとにかくなにかを言わなければならない。
それは「命がけの飛躍」ではなく、時間的な「せき立て」である。

たとえばこの「命がけの飛躍」は人工知能の不可能性である「フレーム問題」に繋がる。
これに関する問題として「中国人の部屋」の問題がある。そこでも問題になったのが、
「せき立て」であったのは、偶然ではない。コミュニケーションとは「せき立て」である。
コミュニケーションにおいて、無数に考えられるフレームの中で、正解を見いだせず
フリーズせずに、「せき立て」られることで、妥協する。

ラカンはこれを「囚人のゲーム」として突き詰めて、そこの「せき立て」の瞬間に
現実界を見いだす。しかしこのゲームはあまりに正解の一点に向けて、集約されすぎる。
実際に人は「せき立て」の中でもっといい加減に振る舞うだろう。
389第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/23(月) 10:32:54 0
ここにあるのは、人の認知限界と応答速度の関係である。
人は人工知能ほどに計算速度が速くない=「かしこくない」
もっといい加減である。

ここに否定神学の乗りこえの可能性がある。
否定神学を論理的に乗りこえなくても、速度によって乗りこえられる。

たとえばアマゾンの提案システムは、私がいまほんとうの求めている本を
提案できないだろう。ほんとうに求めている本を提案することなど、
不可能である。
しかしアマゾンはデータベースから、次々にそれなりに提案する。
人はそれなりに、答えを得る。ここではそれなりに否定神学的な
不可能性は乗りこえられている。

情報化技術(環境管理)は認知限界を利用して、それなりの回答を与えることが
できる。完全な回答はいらない。ただ人が充足すればよい。
ここに新たな、サヨク的、主知主義的な、社会を設計の可能性=知的ゲーム
が生まれる。「計算不可能性を設計する」

ここにおいて、従来の対立、国家設計=社会主義/自由資本主義の
境界は解体される。現在のリバタリアンほどサヨ的(主知主義的)である。
390第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/23(月) 10:41:15 0
それでもやはり、「計算不可能性を設計する」 のは夢であることは変わりがない。
最近の日本における、ホリエモン、村上の実刑や、M&Aへの反発をみれば、
そこにある、リバタリアンへの嫌悪である。
嫌悪とは日本人という「想像的な」ナショナリズムであり、決して計算されないとともに、
速度で対応することにも失敗している。
あるいはこの反市場主義も一つの環境管理技術によるものと言えるのだろうか。
人々はある種の計算された下部構造によって誘導されているのだろうか。
391第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/23(月) 10:53:07 0
このように考えると、グローバル化、フラット化、「帝国」、グーグル化といわれる
冷たいイメージ環境管理が世界をネットワーク化することに疑問がある。
このイメージこそが環境管理技術として作動しているのではないだろうか。
そこでは、「想像的なもの」が隠蔽されている。

透明化するのは、環境技術(アーキテクチャ)だけではない、
そこでは「想像的なもの」が透明化されている。

たとえば有名なローレンス・レッシグの「CODE」で語った人を動かす力
法律・市場・アーキテクチャ・規範において、「想像的なもの」はどこに
位置するだろうか。

すなわち想像的な力とは、大文字の他者のような規範に近いが、
より「この他者」によって生まれる。より身近な者との関係で生まれる。
必ずしも社会性を勝ち得てないが、この人(たち)との関係を崩したくない、
というような力である。

このような力は現在において、社会的に身近な人々よりもネット上において
働いている。「CODE」では欠落しているのではなぜか。
それは「想像的なもの」の隠蔽性、透明化していることによるだろう。
392第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/23(月) 11:03:11 0
「想像的なもの」は、愛の関係と近づけることができるだろう。
この速度社会において、愛はあまりに扱いにくく、「うすのろ」である。
しかしなければ生きていけない故にたえず人々をつまずかせる。
この躓きの石をいかに乗りこえるか。

>>
「消費の関係」
・減算の関係。
・相手を商品としてみる。商品はそのはじめにすでに価値があり、使っていくことで価値が減算
していきます。そしてどこかでそれを使い捨てて、代替品を手に入れる。
・他者を手段とする「他者」回避。
・処女信仰

「愛の関係」
・加算の関係。
・関係していくことで、他者がかけがえのない者、代替がきかない関係となる。ある意味で自ら
の一部となり、自分を犠牲にしてでも、その他者を守るようなことが生まれる。
・他者を目的とする他者との関係構築
・なにを考えているかわからない他者に対してお互いに根気強く、向き合っていかなければならない。


消費社会の特徴

・面倒な愛の関係よりもお金で解決する消費の関係へ
・「商品への倒錯」と「想像のコミュニティ」の間の揺らぎ
・商品への倒錯(フェティシズム)・・・消費の関係であるが、愛の関係であるように倒錯する。ア
イドル、キャラクター、ペットなどへ愛
・「想像のコミュニティ」・・・消費の関係を起点に同じ趣向の他者たちと「想像のコミュニティ」を
形成する。
・愛への強迫的な不安・・・愛の関係の欠乏からくる不安は、愛を求めて過激な行為に走ってし
まう。極端な「人間化」への転倒。
<<
393第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/23(月) 11:17:27 0
「想像的なもの」の隠蔽とは、たとえばグーグルなど、情報化社会においては、
ある一部に力が集中する傾向があるとして、そこに「想像的な」力が働くと
どのようになるとという、単純な疑問である。
グローバル化、フラット化、「帝国」、グーグル化と言われる中で、
身近な他者を優遇するような、身近な他者への気持ちがによって
そして小さなエゴによって、社会システムが過剰に反応してしまうようなことが
おこらないのだろうか。
リバタリアンという主知主義的な理想の裏で生まれる、格差は
ほんとうに冷たいシステムによるものだろうか。
394第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/23(月) 12:18:11 O
想像的なものは決して語れない。象徴秩序からこぼれる。それはないことであるという否定神によってしか語りえない。
395第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/23(月) 13:45:10 0
マルクスがいったように、資本主義の根底にあるのは、商品・貨幣へのフェティシズムである。
面倒な「愛の関係」をお金で解決する「消費の関係」へ転倒するというフェティシズムである。
この人間としての症候が、グローバル化、フラット化、「帝国」、グーグル化などの
無機質な透明性の中で、さらに深層に透明化されている。
396キチガイは死ねよ:2007/07/23(月) 15:43:53 0
おまえらが真っ先に知らねばならんことは
現在の保守政党が右翼からの献金で立ち上がったという事実である。
その右翼どもは
どこからカネを集めてきたかというと
日本の敗戦と同時に忽然と消えた隠退蔵物資などが主な財源なのである。
戦時中に軍部高官だった者や軍部に出入りしていた業者たちが
敗戦と同時に隠退蔵物資を横領し私物化して
ヤミ市で大もうけしたのである。その汚いカネを政治家に配って
うちたてたのが自民党だ。
そもそものはじまりからして、こいつらは犯罪者集団なのである。

戦後に大金持ちになったような連中はたいてい
敗戦のドサクサに紛れて盗みを働いた連中なのである。
いまの政治家が一様に下品なのはそこに原因がある
といってよい。
397第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/23(月) 15:46:28 O
下品なレスはやめてくだされ
398第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/23(月) 16:49:46 0
■なぜ「想像的なもの」は透明化するのか

ネオリベラルへの反動

最近の日本における、格差社会批判、ホリエモン、村上の実刑や、M&Aへの反発という傾
向はなんだろうか。少し前までの小泉構造改革への熱狂が嘘のようである。これはネオリ
ベラリズムへの反動して語られるが、この社会圧はどこから来るのだろうか。

かつてのビートルズが来日したときに日本人の議論をみたことがある。ビートルズのような
不良少年に熱狂すること、神聖な武道館でロックミュージックのコンサートを開くこと、を社
会秩序の低下として議論されていた。現在の市場主義への反発も数十年後には滑稽な物
語となるのだろうか。世界的な市場主義の潮流をみれば、その可能性は高いように思う。

決して相対化されない「想像的なもの」

「想像的なもの」とはなにか。「象徴的なもの」からずれて、残余として「現実的なもの」を生
み出す。この残余を生み出す過程は否定神学と言われる。決して語られない残余。しかし
その生まれるもとは想像的なものにあるだろう。

象徴的なものとは大文字の他者との関係であるのに対して、想像的なものとは小文字の
他者、すなわち現前する「この他者」との関係にある。「この他者」は限りなく、象徴的なもの
に回収される。たとえば「私の母」がたった一人の「この私の他者」であるのは、血のつなが
り、それは現代ならば遺伝子による証明にまで繋がる。あるいは社会システムとしての象
徴的秩序に母の特別性を求めることができるかしれない。しかしこの考えは相対的であ
る。それが構造主義的な回答である。

このような言説を並べても、越えていく、「この私の母」の特別性。これは固有名の議論に
つなげれば、確定記述の束に回収されない残余が残るということだ。ジジェクはこれを現実
界に求めるが、その生まれは想像的なものである。この、目の前の「私の母」という強い転
移。それは決して相対化されない、そして語り得ない。
399第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/23(月) 16:50:53 0
サヨクを挫く「命がけの飛躍」

サヨクは主知主義と言われるように、人々がサヨクを欲望するのは、社会を設計することに
ある。現状の構造を徹底的に暴露して、それをよりよく再構築する。まさに最高の知的ゲー
ムである。

このような象徴化において問題にあるのが、「大文字の他者の他者は存在しない」というこ
とだ。象徴的なシステムの正しさを保証する上位の象徴界は存在しない。最後は神にゆだ
ねるしかないということで、超越論に至る。正確には現在において「神は死に」否定神学とし
て生き残っている。

たとえば否定神学の基本に、柄谷の「命がけの飛躍」がある。柄谷は、ヴィトゲンシュタイン
ははじめてのコミュニケーションにそしてマルクスははじめての交換に、共通項としてこの
場面を見いだした。異国の他者がはじめて出会うときに、いかにコミュニケーション(交換)
が可能であるか。それは論理的には説明できない、何らかの跳びこえが必要である。

「せき立て」論

そしてこのような否定神学を乗りこえ方法は、「速度」に求められる。ラカンの「せき立て」論
では、「囚人のゲーム」としてそこの「せき立て」の瞬間に現実界を見いだす。しかしラカン
の言説はあまりに正解の一点に向けて、集約されすぎる。

実際に人は「せき立て」の中でもっといい加減に振る舞いあう。システム論ではここに時間
のファクターが入る。異国の他者と他者が出会うときに、この緊張の場面でとにかくなにか
を言わなければならない。それが時間的な適当な「せき立て」である。

たとえばこの「命がけの飛躍」は人工知能の不可能性である「フレーム問題」に繋がる。こ
れに関する問題として「中国人の部屋」の問題がある。そこでも問題になったのが、「せき
立て」であったのは、偶然ではない。コミュニケーションとは「せき立て」である。コミュニケー
ションにおいて、無数に考えられるフレームの中で、正解を見いだせずフリーズせずに、
「せき立て」られることで、妥協する。
400第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/23(月) 16:52:53 0
「計算不可能性を設計する」

ここにあるのは、人の認知限界と応答速度の関係である。人は人工知能ほどに計算速度
が速くない=「かしこくない」もっといい加減である。ここに否定神学の乗りこえの可能性が
ある。否定神学を論理的に乗りこえなくても、速度によって乗りこえられる。

たとえばアマゾンの提案システムは、私がいまほんとうの求めている本を提案できないだろ
う。ほんとうに求めている本を提案することなど、不可能である。しかしアマゾンはデータ
ベースから、次々にそれなりに提案する。人はそれなりに、答えを得る。ここではそれなり
に否定神学的な不可能性は乗りこえられている。

情報化技術(環境管理)は認知限界を利用して、それなりの回答を与えることができる。完
全な回答はいらない。ただ人が充足すればよい。ここに新たな、サヨク的、主知主義的な、
社会を設計の可能性=知的ゲームが生まれる。「計算不可能性を設計する(宮台)」。

ここにおいて、従来の対立、国家設計=社会主義/自由資本主義の境界は解体される。
そして現在のリバタリアンはサヨ的(主知主義的)へと向かう。
401第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/23(月) 16:53:38 0
第5の力「想像的なもの」の隠蔽

このような主知主義は、最近の、グローバル化、フラット化、「帝国」といわれる冷たい環境
管理が世界をネットワーク化するイメージにつながる。光速の信号が世界中を飛び回る。し
かしことはそれほど簡単だろうか。最近の日本における、ホリエモン、村上の実刑や、M&A
への反発は単なる戯言だろうか。そこでは、「想像的なもの」が隠蔽されている。冷たく透明
化する環境技術(アーキテクチャ)のイメージのなかで、「想像的なもの」が隠蔽されている。

たとえば有名なローレンス・レッシグの「CODE」で語った4つの社会的に人を動かす力、法
律・市場・アーキテクチャ・規範において、「想像的なもの」はどこに位置するだろうか。想像
的な力とは、大文字の他者のような規範に近いが、より「この他者」によって生まれる。より
身近な者との関係で生まれる。必ずしも社会性を勝ち得てないが、この人(たち)との関係
を崩したくない、というような力である。

このような力は現在において、社会的に身近な人々よりもネット上において働いている。な
のに情報化社会を語る「CODE」では欠落しているのではなぜだろうか。

小さなエゴにより左右されやすい「帝国」

マルクスがいったように、資本主義の根底にあるのは、商品・貨幣へのフェティシズムであ
る。面倒な「愛の関係」をお金で解決する「消費の関係」へ転倒するというフェティシズムで
ある。この人間としての症候が、グローバル化、フラット化、「帝国」などの無機質な透明性
の中で、さらに深層に透明化されている。

たとえばグーグルなど、情報化社会においては、ある一部に力が集中する傾向があるとし
て、そこに「想像的な」力が働くとどのようになるだろうか。「小さなエゴ」によって、社会シス
テムが過敏に反応してしまうようなことが、おこるだろう。

たとえば、リバタリアンから生まれる格差社会とは、ほんとうに創発的な結果だろうか。主
知主義的な理想論の裏で、一部の勝ち組の「小さなエゴ」によって、リバタリアン的な流動
性は勝ち組に優位に固定化されているのではないだろうか。 そもそもにおいて「計算不可
能性を設計する」などできるのだろうか。
402第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/24(火) 11:53:39 O
あげ
403第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/24(火) 14:31:22 O
帝国、環境管理というサヨ的思想はなにを隠蔽するのか
404考える名無しさん:2007/07/24(火) 20:50:51 O
キャンタマじゃね
405第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/25(水) 09:12:35 O
マルクスの唯物史観、生産、交通様式が上部構造を規定するという考えはある種の説得力をもつだろう。
特にマルクスの時代の機械論が隆起した高揚の時代には。
しかしその後、違和感をもつことになるのは、生産様式もひとつの次元でしかないということである。
たとえば構造主義では言語、すなわち欲望が下部構造におかれる。その典型がボードリヤールの消費論である。差異の体系によるシュミラークルな消費社会に先導する。
しかし情報社会において、再び、マルクスが回帰している。インターネットなどの情報技術の発展の中で人々の交通様式への期待の高揚感が高まっている。
これを下部構造としてネオリベラルなグローバルが語られている。
フラット化、帝国、環境管理、グーグルなど冷たいネットワークとして語られる。
ここに唯物史観の本質があるのではないだろうか。唯物史観は一つのパラダイムシフトに対する期待への高揚感である。
この高揚感は機械論への欲望である。ここでいつも隠されるのなにか。
406第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/25(水) 09:20:47 O
マルクスの革命とは私有財産の廃止による下部構造のとりもどしと改革、それにともなう上部構造の作り直しである。
この失敗は下部構造という冷たい様式への過剰な期待であり、実際は切り離せない、すなわちそこには血が通い、冷たくはないということだろう。
407第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/25(水) 09:43:39 0
■なぜ「機械論への欲望」は回帰するのか

マルクスの唯物史観、生産、交通様式が上部構造を規定するという考えはある種の説得
力をもつだろう。特にマルクスの時代の機械論が隆起した高揚の時代には。しかしその
後、違和感をもつことになるのは、生産様式もひとつの次元でしかないということである。た
とえば構造主義では言語、すなわち欲望が下部構造におかれる。その典型がボードリヤー
ルの消費論である。差異の体系によるシュミラークルな消費社会に先導する。

しかし情報社会において、再び、マルクスが回帰している。インターネットなどの情報技術
の発展の中で人々の交通様式への期待の高揚感が高まっている。これを下部構造として
ネオリベラルなグローバルが語られている。フラット化、帝国、環境管理、グーグルなど冷
たいネットワークとして語られる。ここに唯物史観の本質があるのではないだろうか。唯物
史観は一つのパラダイムシフトに対する期待への高揚感である。この高揚感は「機械論へ
の欲望」である。ここでいつも隠されるのなにか。
408第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/25(水) 09:44:38 0
>>
近代以降、「機械論」はなぜ回帰するのか、という話があります。人間は機械であるというと
きには、その時代の最先端のテクノロジーによって説明されます。たとえば古くは機械仕掛
けの時計であり、あるいはオートメーションラインであり、最近ではコンピューターであり、
ネットです。これは、テクノロジーの発展が、人間身体を拡張する方向で発達するためだと
言われます。だから新しいテクノロジー進歩のたびに、機械論は回帰してくるのです。グー
グル的な「世界征服」は回帰する「機械論の欲望」の新バージョンでしょう。

そこにあるのは私であるが私でない「人間」というフロンティア(無垢)を征服したい欲望で
す。心身論における「身体」のように「機械」に還元できない(コントロールできない)「心」を
抑圧するように現れます。先の産業革命後の大量生産ライン化における抑圧では、労働者
を(機械のように扱う)過剰労働と搾取の構造が生まれました。今回の「ネットの欲望」で
は、たとえば素朴な世界の民主主義化の「強要」や、あまりに空間を超越し急激に短絡し
ずぎる反動としてのナショナリズムの台頭と対立を生んでいます。

Googleはなぜ「世界征服」をめざすのか その2 ttp://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060214
<<

マルクスの革命とは私有財産の廃止による下部構造のとりもどしと改革、それにともなう上
部構造の作り直しである。この失敗は下部構造という冷たい様式への過剰な期待であり、
実際は切り離せない、すなわちそこには血が通い、冷たくはないということだろう。そして機
械論への欲望が回帰している。現在の下部構造への期待の弊害はなんでしょうか。
409第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/25(水) 11:50:58 O
還元主義への強い欲望により排除されるものはなにか。
それはたとえば固有名の議論につなげることができるだろう。
410第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/25(水) 12:45:53 O
生産がいかに進もうかそれを受け入れる消費がなければならない。
需要と供給のバランスで価格がきまる。しかし原価割れすることはできない。
そのために消費は耐えず欲望を想起しつづけなければならない。
生産、交通が改善されても価格がさがってもそれだけでは不十分である。
それがシュミラークルするポストモダンである。
情報化社会においても情報の価格はさがり、だれもが容易に世界中と情報交換がかのになった。
そこでは供給としてのコミュニケーションが想起されなければならない。
411純一:2007/07/25(水) 16:29:55 0
このスレが今もっとも雑談スレに適していますね。
412純一:2007/07/25(水) 16:42:35 0
ラジオをやっても良いのですが、ここで色々と振り返ってみたいと思います。
まず、1つ目は何故私があかねでは無く、哲板に頻繁に現れるのかです。
先述と同様、アソシエの失敗は現実的な社会参加を不可能にしました。
本来アソシエで使われる種々の能力はアソシエの崩壊により、不可能になったのです。
この点から、哲学板で理論的革命を行うのが先決であるという考えに到ります。
理論的な革命は、哲学板を確かに変えました。理論的共産革命はこの板では成功したのです。
ですが、それも一時的、且つ私純一の活動による部分が大きく、度々巻き返しが来ます。
1つ、私純一が現実的な巻き返しに使用したのも、また、思想的なソフトウェアの更新です。
焦点となるのは、ウェブ上はテキスト・ベースであるのに対して、現実はそうはいかないという点です。
思想的な更新はテキスト・ベースになる可能性が高く、効用が低いのは当然のことですので、
こうなってくると、現実でのあかねのような、だめ連のような反乱は難しくなってきます。ここをまず
考えなければなりません。
413純一:2007/07/25(水) 17:01:11 0
前々から考えていたのですが、ロフトプラスワンの様な、
私純一がトークライブをするという方法は案外有効な反乱にはなります。
自分で言うのも何ですが、私純一の理論は実際聞くと面白いものであると思います。
ただし、これにはテキスト・ベースの問題があります。私のトークライブを聞きたいという人は、
どう考えてもテキスト・ベースの人間です。ウェブ上に引き篭もっている人間である可能性が高いのです。
つまり、これでは果たして現実に抵抗ないし、反乱を起こしていると言えるのか分からない部分があります。
社会や世間全体から見れば、私純一がトークライブをすることは、私純一が教祖と成って、
新しい宗教を布教しているのと何ら変わらないのです。それは、社会と世間から見れば、
小さな電波コミュニティーに引き篭もっていることと何ら変わりがありません。市井の人はそれで
良いと言います。そうなのか私純一にも良く分かりません。ですが、私の行動は、あくまで
スレを出て、他のスレにまで電波してゲリラ的、テロ的にビガロと活動するという行動であったのですから、
それは社会で活動する上でも最初の段階を通じて以外は、そこに留まるのは最善では無いと言えます。
414純一:2007/07/25(水) 17:14:04 0
私純一のトークライブはいつかはやるべきものです。
最初の段階であっても、いつかは捨てるべきものであってもです。
社会と世間は、その実像を一挙に変える様な手法はなかなか受け入れ難いと考えられます。
もし私の統一理論が、社会や世間での核心となる理論的核心を更新できるとしたら、
それは政治的中心のような、政党の中でのみ、つまりは権力の中枢での効果を発揮すると
いったことが考えられます。それで良いのでしょうか?勿論、それは政党なり教団なりを
中心にして、布教活動をするといった視座にも立てるのならば、どんな宗教団体も、
布教をしており、小さなコミュニティーからの拡大を目指します。会社でも定款を作ってから、
実際に現実に効果を与えるまでは、長い道のりがあり、平坦なものでは無かったと思います。
ですが、こういう段階的な革命には腐敗が付き物であり、そもそも私達が変えようとした
現実の何を、目的を達成してから変えたと言うのか、現実をもっと複雑に、混乱させただけ
ではないのか?という地点にも必ず行き着くのです。ですから、私は現実の一挙変革、
そして、その全体の一挙変革、全ての一挙革命を謀る為の理論として我が純一統一理論はあるのです。
415純一:2007/07/25(水) 17:41:26 0
共産主義を実現しようとする際に、最も問題となるのは、
ぴかぁ〜やポールのような俗人の問題です。あかねやだめ連、ロフトプラスワンで、
女性問題や派閥抗争が発生するのは、ひとえにこのぴかぁ〜やポールのような俗人の影響です。
本来、アソシエとは資本への対抗であるが、ぴかぁ〜やポールはポケットマネーにくすねる、
女性問題を起こす、派閥抗争で一党支配ということを臆面も無くやります。
ですが、私純一はそんな彼等の行動を止めさせようとして、色々と工作を練ります。
ぴかぁ〜やポールのような俗人を権力の座から引き摺り下ろした時、その俗人はいつものように、
命乞いをして、あの時の権力の座に座った時に見せた、悪政とは全く違った、
俗物としての面を見せるのです。その時に私は思います。こんなぴかぁ〜やポールのような、
俗人に権力を乗っ取られ、共産主義を実現しようとした際にも、そのコミュニティーに
ぴかぁ〜やポールのような役立たずが入り込み、支配した挙句に権力の座から引き摺り下ろされた時は
こんなものか、と思います。つまり、あかねやだめ連やロフトプラスワンでの教訓では、
私純一が直々に、特権的に一党支配にしない限りは、ぴかぁ〜やポールのようなレベルの精神では、
そもそも共産を実現する意思はなく、商品社会によって育てられた感覚によって、
容易に独裁者になってしまうということなのです。だが、これはある不徹底を示唆するものです。
私純一は共産を実現しようとしても、ぴかぁ〜やポールのような俗人が入り込めばコミュニズムは
直ぐにでも崩壊する、崩壊するので私純一が特権的に支配する他ない。これを考えなければならなくなりました。
416考える名無しさん:2007/07/25(水) 17:50:34 0
youtubeでやれよ
417純一:2007/07/25(水) 18:07:22 0
音声+映像はやり過ぎだと思います。
音声のみで十分だと思いますが、純一の映像を見たいですか?
418考える名無しさん:2007/07/25(水) 18:37:25 O
みたいね
419考える名無しさん:2007/07/25(水) 19:31:30 0
みたいねみたいなみたいにね
420考える名無しさん:2007/07/25(水) 19:41:34 0
はっきり言うが、見たくねえよ。声も聞きたくねえな。
できれば発言を読むのも避けたい。
421純一:2007/07/25(水) 19:51:56 0
でも、もうupしました。
422純一:2007/07/25(水) 20:02:09 0
423純一:2007/07/25(水) 20:09:43 0
髭を生やしたスキンヘッドの男が私純一です。
424考える名無しさん:2007/07/25(水) 21:12:26 O
携帯でも見せてください。
425純一:2007/07/25(水) 21:17:01 0
ギャグですので安心して下さい。
私の声が聞きたかったら、ラジオを聴いてください。
顔が見たくなったら、オフ会にどうぞ。
426純一:2007/07/25(水) 21:26:31 0
久々にホームページでも作ろうかと考えています。
なんでも哲学のホームページです。面白そうですね。
427純一:2007/07/25(水) 21:34:53 0
ラジオやろうかと思います。
少し準備してきます。
428純一:2007/07/25(水) 22:22:25 0
放送中
429純一:2007/07/25(水) 22:28:06 0
まだ、特に何も喋っていません。
430純一:2007/07/25(水) 22:29:24 0
ただいま、純一の生活音公開中です。
431純一:2007/07/25(水) 22:31:39 0
純一が溜息を付きました。
432純一:2007/07/25(水) 22:33:18 0
純一が歌の練習をしています。
433純一:2007/07/26(木) 00:01:16 0
434純一:2007/07/26(木) 00:06:54 0
声が小さいので聞き取りにくいですね。
もう少し精度を上げた方が良いでしょうか。
435第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/26(木) 00:43:56 0
セカイ系リバタリアン

ラカンが重要になる。図式かするとこのようになる。ただラカンが定義とは異なり、このよう
な感じということ。

象徴界的(規則、法)−国家・・・ナショナリズム(保守主義)
想像界的(対面的他者との関係)−ネーション・・・コミュニタリアニズム
現実界的(認識されない下部構造)−資本・・・リベラル(リバタリアン)

東はポストモダニストなので、基本は「大きな物語の凋落」からはじまる。ここで大きな物語
=象徴界と言える。ここから東がセカイ系を象徴界の喪失といったことに繋がる。そして東
のポスモダ二重構造も、国家(象徴界)が小さく、資本が環境管理として下部構造となり、
上部構造に分散したネーションがあるという構図になる。だから東は自称リバタリアン。

一つこれは柄谷と同じ構造になる。柄谷がいうアソシエーション的世界共和国とは、資本の
ネットワークをつかい、ネーションをつくる。ここでは国家は消失する。そしてこれはマルクス
がいった共産主義の地点なんだよね。

二つ、セカイ系って否定神学の構造を持っているんだね。それが意味するところは東も否
定神学の構造を持っていると言うこと。これに対する逃げが、分散したネーションであり、し
ろうとがよくいう超越論の複数性。斉藤だけでなく、ラカン知っている人はみんな、笑ってい
るんだけど、否定神学のファルスって、複数化できるものじゃないんだね。ファルスの対象
が様々なで、複数でも、ファルスであることには変わりがない。デリダも複数性なんていって
いないし、幽霊、郵便的でいうことは、いわばファルスへの感染の強弱みたいなこと。すな
わち東も否定神学から逃れられていないと言うこと。柄谷も否定神学だし、弟子としてはあ
とに続いている。

三つ、そして本当のリバタリアン的徹底はセカイ系ではないということ。資本を徹底する。セ
カイ系リバタリアンは隠れ否定神学のヘタレリバタリアン
436第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/26(木) 00:44:38 0
オタク時代の終焉?

いま格差社会でいわれているのは、ほんとうのリバタリアン化にどのように対応するかとい
うこと。東のセカイ系リバタリアン=オタクでは下流で生きるのがオチ。リバタリアン化する
なかで、決断主義もまた、夢だな。デスノートもネットウヨみたいなもの。新共同体なんって
ネットイナゴにしか存在しない。まだ東のセカイ系リバタリアンの方がまし。脱社会すれば、
まったりは生きていけるし。

本当のリバタリアンは厳しすぎるので、決断主義、新共同体なんっていうのはイタい。象徴
界を取り戻す北田的リベラルか、東的な脱社会的なセカイ系リバタリアン。セカイ系リバタリ
アンは古いので、いまはこの北田、東の中間ぐらいが主流になるのではないかな。

そう考えると、「時かけ」ってエヴァ、ハルヒの流れから考えると普通すぎるなと思ったが、そ
ういうことなのかな。セカイ系からの普通への揺り戻し。しかし「時かけ」、「絶望先生」が面
白いって、もうオタクじゃないじゃん。戦闘美少女的なセクシャリティへの否定神学はどこに
いったんだ。オタクの時代の終焉?
437純一:2007/07/26(木) 00:45:33 0
そろそろ、ラジオ終了します。
438考える名無しさん:2007/07/26(木) 00:47:32 0
>>433
聞こえません。
439純一:2007/07/26(木) 00:48:28 0
電池切れです。
440考える名無しさん:2007/07/26(木) 00:51:39 0
なんでも哲学をお願いします。
441純一:2007/07/26(木) 00:54:53 0
>>436は、生き延びるためのラカンの斉藤の口真似ですかね?
今、>>433のアドレスをクリックすると、純一の書き込んでいる生活音が聞こえます。
本名も出るかもしれませんので、要チェックです。
442第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/26(木) 01:56:40 0
セカイ系リバタリアンからネットリバタリアンへ

世界はリバタリアン化(ネオリベラル)している。北田は象徴界(社会秩序)の再構築訴え
る。東は想像界(身近な関係)への逃避を進める。これらはどちらも下流補完計画である。
しかし景気も良くなり、就職難も解消されて、若い世代はもっとポジティブであるのかもしれ
ない。リバタリアンそのものを受け入れ、立ち向かおうとしているのかもしれない。オタク世
代は取り残された世代となってしまうのか。

大塚の新書を読んで、あそこにオタク世代が生まれた瞬間がありありと描かれていたんだ
よね。オタクは三次元から二次元への転換でしょ。エロトピアからロリ画への転換でしょ。マ
ニアはシャーロックホームズの昔からいたが、この変化は日本のある時期にしか起こらな
かった。そう考えると、社会のオタク化と、オタクの終焉は同じなんだよ。世代的なオタク(=
戦闘美少女萌え)は終演し、マニアックに近いオタク化は社会に広がった。オタクって世代
論で、終わりかけてる。暴走族が終わったように・・・

ではオタクの次に何が来るのか、というと、ベタだけど、ハッカー的プログラマーだと思う。
すでにたくさんいるわけで、いまさらだけど、カリフォルニアイデオロギーだっけ、オタク=セ
カイ系リバタリアンよりもネットリバタリアンの方が自立心が強い。さらに経済的に自立もできる。
443考える名無しさん:2007/07/26(木) 10:07:09 0
このキチガイは
どこから沸いて出たものであろうか?

キチガイを野放しにすると
こういう不具合が生じるから
やはり、さっさと\\\\
444第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/28(土) 23:10:53 0
■なぜ環境問題は現代最大の神話なのか

トヨタはなぜ燃料電池車を開発するのか

たとえば燃料電池車が将来普及すると思っている技術者はほとんどいないでしょう。なぜ
か。とても簡単なことです。めちゃくちゃ高いのです。ガソリン車のシステムは簡単です。基
本、ガソリンを燃やすだけです。しかし燃料電池のシステムは複雑で繊細です。いまは1台
億単位で、どこまで安定するか不明です。それが数百万円まで下がるのか。まず無理でしょう。

ではなぜトヨタなど多額の研究費を投資して開発を進めるのか。一つはもし普及したときの
リスクです。まあ、研究投資とはいつもリスク管理なのですが。もうひとつは広報です。環境
に力を入れているという広報です。

トヨタが燃料電池など環境問題に取り組むのは、ハイブリッド車という得意分野があるから
です。環境問題が大切だ。古い車、低級の車は捨てちまえ。将来は燃料電池車だろうが、
それまではハイブリット車が主流だ。だからトヨタの車をみんなで買うのだ。トヨタの誰も燃
料電池車を売る気などありません。ハイブリット車をみんながほしがることで、トヨタが有利
になる。

ハイブリット車の技術を持たないメーカー、特にトヨタに負けているアメリカは政府の方針と
して、エタノール車を重視しようとしています。基本的に高い技術がいりません。これによっ
て、トヨタ優位を阻止するための、国策です。
445第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/28(土) 23:11:51 0
「環境問題」はリスク管理

企業が環境問題に取り組むのは、このものが売れない時代にPRになり、そして実際に買
い換えが進み、ものが売れるからです。たとえば現在、「環境にやさしい」という製品のうち
ほんとうに環境にやさしい製品は一握りでしょう。少し前に電気代が大幅に下がる省エネ冷
蔵庫が、実際に使ってみると効果がなかったということが問題になりました。

なぜか、電気代が下がるのは嘘ではありませんが、それは効果が上がる条件でテストする
からです。しかしそれは実際に使われる条件をかけ離れています。企業(あるいは業界)は
PRのための、良い条件を選ぶわけです。

地球の気温が上がっていることは測定されているので確かです。しかしこの原因が人間の
活動によるものというのは証明されていません。なぜなら地球上の二酸化炭素の動きの多
くを人はまだ解明できていないのです。しかしその可能性があるから、みんなで減らす努力
をしましょう。というリスク管理の問題です。そして京都議定書をめぐる動きのように、各国
が自分の経済活動が有利になるような規制をかけようと、駆け引きをしているのです。
446第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/28(土) 23:12:30 0
「環境」という現代最大の神話

たとえばボクたちは、西洋中世などのキリスト教世界を知り、神への強い信仰による魔女
狩り、地動説などを、ドグマだな〜と笑います。それと同じ事が現代では環境問題の回りで
起こっています。なにが問題なのかを知らずに、「環境にやさしい」が超越的に作動するこ
とで、多くのドグマが作動しています。

新たに作るよりも、リサイクルするエネルギー消費が多い商品まで「リサイクルは正しい」と
信じるドグマなどなど省エネ効果があやしい太陽電池、エコキュートのドグマ等々

さらに最近はそれが資源問題に飛び火していますね。研究によると、新たな発見で、世界
の石油埋蔵量は増えているのに、環境への不安とリンクしながら、枯渇の漠然として不安
がうまれ、それにマネタリズムが乗っかったこともあり、意味不明にガソリン価格が高騰して
います。この傾向は、当分続くでしょう。

ボクは、環境問題はうそっぱちだと言っているのではなく、リスク管理の問題であり、意味
はあると思いますが、また現代の最大の神話であり、ドグマが巣くう場であるということで
す。さらにいえば、環境問題が幻想でもよいと思います。「大衆」はそのように動かすもので
すから。環境問題はよりリアリティある幻想になるべきです。そしてみんなが日が沈むと寝
て、日が昇るとおきましょう。
447純一:2007/07/30(月) 04:39:58 0
思い出したのですが、前々から私純一はこれと闘っていました。
448純一:2007/07/30(月) 04:44:33 0
ぴかぁ〜や太郎がある程度の、どうしようもない、俗っぽい思考の型に嵌っているのは分かるのです。
最近、その正体が大体分かってきました。さて、焦点となるのは、この正体の問題であります。
音楽を特権化するのは、若い思想での良くある傾向でありますが、これは青春で大体終わるものです。
音楽からの意味を読み取り、それを永遠のものとして生かせるかはまた別の技術が必要です。
では、私純一はどのような思想を作ったのか?と言いますと、私純一はぴかぁ〜や太郎とは
また違った思想を作ったのです。それは、ぴかぁ〜や太郎とは真逆とも言える思想です。
今は詩でそれを再現するのに苦労しているのですが、おぼろげながら見えて来ました。
449純一:2007/07/30(月) 04:48:30 0
私純一は、社会がある程度の病魔を抱えている点に最近気付いたのです。
それも、私純一が思うよりも、もっと普遍的に存在しているということなのです。
では、問題は別の設定に書き換えられなければならなくなります。
詩を考えなければなりません。
450考える名無しさん:2007/07/30(月) 05:04:00 0
<訃報>小田実さん75歳=作家、元「ベ平連」代表

 元「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)代表で、ベトナム反戦運動など市民運動の先頭に立った行動派の作家、
小田実(まこと)さんが30日午前2時5分、胃がんのため東京都内の病院で死去した。75歳。自宅は兵庫県西宮市大浜町1の41の801。
http://news.livedoor.com/article/detail/3249497/
451純一:2007/07/30(月) 05:13:53 0
良く思うのですが、太郎もぴかぁ〜も本上も実は共通のあるイデオロギーがあります。
そして、私純一はそれが、ある種、オタク特有の認識の方法、即ちエピステーメーの一種
なのではないかと思っています。つまりですね、オタク特有の認識方法を特化していないか?
といつも思うのです。純一の思想は単純に言えば、この認識方法を越えるものだと思っていただければ良いのです。
452純一:2007/07/30(月) 05:17:05 0
結婚は別に良いと思うのですが、問題なのは友人関係のネットワークが、
自分の周りだけで良い関係を構築できれば良いという発想は、巡り巡って普通であるということです。
それは良いのですが、学問の方法論自体がそもそも間違っている、イデオロギーが入っていると
なれば、皆さんも純一理論を摂取すれば良いのですが、そうも行かないでしょう。
453第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/30(月) 14:05:21 O
小泉大勝したと思ったら、大惨敗。固定票が減少し票が浮遊化しているということだろう。
その場の空気にセンシティブに反応してしまう。これはイラクの人質バッシングなどにもあらわれた現代の市民の流動性であり、創発性である。
そしてこれを支えるのがフラット化である。政党間の違いなどもはや見いだせない。
フラット化するから瞬間的な立ち上がりとしての一人勝ちが可能になる。これを指摘したのが、「グーグル・アマゾン化する社会」である。
454第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/30(月) 16:52:32 0
■瞬間的な「巨大な一極」としての歴史的自民党の惨敗

小泉大勝したと思ったら、今度は自民党の大惨敗。固定票が減少し、票が浮遊化している
ということだろう。そしてその場の空気にセンシティブに反応してしまう。これはイラクの人質
バッシングなどにもあらわれた現代の市民の流動性であり、創発性である。

そしてこれを支えるのがフラット化だろう。もはや政党間の違いなど見いだせない。フラット
化するから、瞬間的な「巨大な一極」が立ち上がる。しかし仮に近々、衆議院解散選挙が行
われても、同じように民主党が勝つとは言えないだろう。

>>
売れているものがメディアに取り上げられることで注目度を増し、さらに売れるというスパイ
ラル現象。マーケティング用語でティッピングポイント、経済学では収穫逓増(ていぞう)と呼
ばれる現象が起き、一極集中へとひた走る。そうした情報の流通環境を加速させているう
えで大きいのは、やはりインターネット−−とくにウェブの存在だろう。

いまや誰でも何か知りたいことがあれば、パソコンや携帯電話で検索すればよい。億単位
におよぶほどふんだんな情報が出てくる。しかも、情報を引き出す際には、より個人に特化
(パーソナライズ)した絞り込みでセグメント(区分)することすら可能だ。

だが、どういうわけか、何かが起きる際には一極集中のような現象が見られる。そこにこの
新しい時代の逆説的な傾向がある。・・・いま訪れつつある社会は、本当にフラットなのだろ
うか。もうひとつの大きな要素が見逃されているように映るのだ。・・・巨大な一極とフラット
化の社会というべきか。P49-50

「グーグル・アマゾン化する社会」 森健(ISBN-10:4334033695)
<<

考えて見れば、これはとても恐ろしい社会である。
455第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/30(月) 16:54:17 0
またこれ故に、安倍総理が退陣しない理由にも繋がる。政治運営の優劣というよりも、
まさに「時の運」でしかない、ということだ。
456考える名無しさん:2007/07/30(月) 19:36:21 0
亀井さんはいつ総理やってくれるのさ?
457考える名無しさん:2007/07/30(月) 20:31:07 O
ぴかあさんお久し振りです。
ドクター苫米地こと、苫米地英人はお読みですか?
あれは、読み物としてわりと面白いですよ。
458純一:2007/07/30(月) 23:34:34 0
ぴかぁ〜は下衆という種類だと思いますが、後で見て行きましょう。
459純一:2007/07/30(月) 23:53:02 0
私純一は、行く先々でぴかぁ〜や太郎、ポールのような下衆という種類の人間に出会います。
ぴかぁ〜は、知っての通り、削除依頼を無料ホストを使ってしていて、殆どの削除依頼を出している一方で、
ぴかぁ〜のブログ宣伝スレは削除依頼を出していません。
460純一:2007/07/30(月) 23:54:34 0
太郎やポールは、自治議論で良く複数コテを使い、
議論を有利に運ぼうとして、自演をよく行います。
面白いのは、二酉や飲み屋メンバーがこれを知りながら何も言わないことです。
これは不思議なことです。
461純一:2007/07/30(月) 23:59:12 0
ぴかぁ〜の犯罪について言及されないのは何故でしょうか?

@ 哲学板住人は、ぴかぁ〜が殆どの削除依頼を出している事を知らない
A 知ったとしても、それを確かめる程には私純一程には暇では無い
B 哲学板に直接的被害が出ていないうちはどうでも良い

太郎やポールの犯罪は、何故二酉や飲み屋メンバーに肯定されるのか?

@ 哲学板を高レベルにするという名目の内には犯罪は許され得るという思想
A それよりも私純一の思想が余程気に入らない
B そもそも私純一は敵の陣営であり、太郎やポールは二酉の仲間の陣営である
462純一:2007/07/31(火) 00:46:41 0
毎回言ってることなのですが、ぴかぁ〜や太郎やポールの哲学というのは、
この自演や媚を売るという方法が根本的に本質であると思います。どういうことか?
つまり、ぴかぁ〜が哲学の知識を手に入れる方法も、太郎やポールが哲学の知識を仕入れる
方法も、知識を持ってそうな人に媚を売るという方法であるということが分かります。
ところで、この知識の仕入れの仕方そのものには疑問は差し挟まれないのでしょうか?
そうです、差し挟まれないのです。それが彼等の哲学の限界であると言えます。
私純一が彼等、ぴかぁ〜や太郎やポールを見てて思うのは、下衆だなということなのです。
そして、私の周りのリアル友人にもこういうタイプは多いですね。他人の持ってる知識や、
他人が何が良い物を持っている時に、それを盗用するという人ですね。私純一もそうですが、
まともな職に就いている可能性は低いと言えます。ぴかぁ〜は最初は松本人志のように、
勝手なことを言っても、周囲から賞賛されるという自我像を松本人志に転移していました。
この点をラカン理論に応用すると、本物のラカン理論が見えてきます。この板で言われているのは
偽ラカン理論ですね。
463純一:2007/07/31(火) 00:52:19 0
ぴかぁ〜をラカン理論で分析するとどうなるのでしょうか?
ぴかぁ〜は始めは、松本人志のシニフィアンに自我像を転移していました。
この自我像は、勝手な事を言っても周りから賞賛されるという自我像でした。
そして、今は東浩紀です。これもまた勝手なことを言っても、学問的に周りから賞賛される
という自我像でありますから、ぴかぁ〜は松本人志のシニフィアンから、しろうとの
シニフィアンに自我像を転移して、それを東浩紀にまで転移したと考えられます。
フロイト理論では、しろうとへの愛は憎しみとなって現れるのですから、しろうとへの
憎悪はぴかぁ〜が向けた自我像への倒錯であるのですと色々言えますね。
464純一:2007/07/31(火) 01:03:46 0
私純一の虚無を調べてみると、これら下衆の氾濫が私純一を虚無に陥らせている要因の様です。
ぴかぁ〜は削除人に媚を売って、自分のブログ宣伝スレが削除されない様にするのですが、
残念ながら、こういった光景は私純一の友人やリアルでも何度も見てきた光景であります。
太郎やポールもそうでしょう。太郎やポールについても、知識の仕入れ方は同じです。
これも残念ながら、現実で会ったことのある友人と同じですね。それなら、ここで見た者達も、
現実での私純一の友人に限りなく近いと思われますから、ぴかぁ〜はオタクであるけれども、
ぴかぁ〜自身はオタクと認めたくないオタクであるということが分かります。こういった友人は
私純一の周りにも沢山居ます。ポールはkyrieと同じであると思われますから、格好付けですね。
リアルでの話しになりますが、ぴかぁ〜とそっくりの私純一の友人は、非常に下らない事で、
しょっちゅう裏切る人間です。私純一はぴかぁ〜の裏切りを知らない振りをしています。
ポールにそっくりの友人もいるのですが、このポールの様な友人は、強い人間や強い陣営に
常に付きたいと思っているらしく、私純一の勢力の力がある時は良いのですが、力が無くなると、
次に力の強そうな陣営に、色々と理由を付けて寝返っていくということが度々あります。
465純一:2007/07/31(火) 01:18:21 0
外見で言えば、ぴかぁ〜とそっくりな友人は格好と顔と体型がどれも最低ですね。
ポールとそっくりの友人は顔は中の下位ですが、強者に付こうとして、そこから
服装等を強者から模倣する為、顔が中の下でも格好やその他の趣味を強者の真似をして、
そうは見られないとするという小手先の技を良く使っているのを見ますね。
太郎は良く分からないのですが、まず、私純一の人生の中で何度も会っていると思います。
接点が無いのか、可能性が高いと思われるのは、案外、リアルでは太郎とは仲良くやっている
という可能性です。私純一の友人の中でも多少まともな判断が出来ると思われるが、
それ故に必要以上に私純一との関り合いを避ける友人が居ますが、これは賢明ですね。
太郎は案外そういう接し方をしているのではないか、と思います。二酉は私純一と根本的に
そりが合わない人間ですね。生き方自体がそもそも違いますから、これは私の親類に多いと
思われます。チーズは時々合う、他校の生徒という感じですね。深く事情を知らないという。
466純一:2007/07/31(火) 01:35:22 0
私純一は、二酉の居るような高級な空間には、もう帰らないと思いますね。
そういうイデオロギーの中では、私純一は息が出来ませんから。
今、私が居る周波数は、ポールやぴかぁ〜や、太郎が結果的に見せる醜悪な面ですね。
そういう周波数に居ると言えます。ぴかぁ〜は意思的に醜い行動をしているのではなく、
高尚なことをやってるつもりなのですが、これは滑稽になってしまう。これを観察して、
醜悪な方向へわざと向かおうとしているのが私純一なのです。ポールはスノビズムの
塊ですね。これも高尚に成りきっているつもりですが、私純一が見ているのはそのスノビズムが
垣間見せる醜悪さです。太郎は元々高級な空間に居たか居ることが分かりますが、
行動から結果的に醜悪さ見出せるのです。そこを私純一がその醜悪さを開く道標として見るのです。
467第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/01(水) 10:38:04 0
ラカンの象徴界を考えるときに重要な言葉は、「無意識はランガージュ(言語)のように構造化されている」
ということだろう。ランガージュ(言語)で意味することは、構造主義的な言語の導入を意味する。
構造主義の原点となった、ソシュールの言語論では、ランガージュはパロール(言葉)とラング(言語)に
分類される。ラングは共時的な差異の体系をもつ。また記号(シーニェ)はシニフィアン(聴覚記号)と
シニフィアン(概念)に分けられる。

このような基盤をもとに、ラカンはランガージュのように構造化された無意識、すなわち象徴界を
検討していく。主体が言いたいこと(意図)を語るときには、シニフィアンの連鎖として語るしかない。
そしてシニフィアンの連鎖によってえられる意味は、シニフィアンの用法の束(大文字の他者A)
としての意味しか与えることはできず、意図とはずれている。主体はシニフィアンによって分裂
されている。(斜線を引かれたS)

このような主体の分裂は子供の頃に起源を持つ。主体が主体たろう、真の意味を獲得しようと、
母の望むもの(想像的なファルスS1)になろうとするが、父の名(象徴的なファルスS2)によって去勢されるという、
言語を習得することで、その後Sシニフィアンは換喩的にずれていく、すなわちシニフィアンの連鎖によって、
分裂される。すなわち主体はランガージュによって疎外されている。

468第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/01(水) 11:08:54 O
しかしそれで満足するわけではない。大文字の他者でさえ不完全であり、そこに象徴界にあいた穴としての享楽がうまれる。
それは決して満たされることがないが一時的に幻想が穴を塞ぐのである。
469純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/01(水) 18:26:39 0
つまり、ぴかぁ〜の大文字の他者は、
松本人志 → しろうと → 東浩紀
と段々と疎外されて行っているということですね。
470純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/01(水) 18:30:21 0
>しかしそれで満足するわけではない。大文字の他者でさえ不完全であり、そこに象徴界にあいた穴としての享楽がうまれる。
>それは決して満たされることがないが一時的に幻想が穴を塞ぐのである。

ぴかぁ〜大文字の他者である、しろうとや東浩紀になれきれたと思っているが、それで満足するわけではない。
そこに象徴界にあいた穴としてのパクリが生まれる。それは決して満たれることはないが、
パクリによって、ぴかぁ〜は一時的にわしはしろうとや東浩紀になったんや〜と満たされるということですね。
471純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/01(水) 18:37:05 0
 522 名前: 純一 投稿日: 2007/08/01(水) 15:26:05 0
 東浩紀が政治的にリバタリアニズムを評価する理由は
 至極簡単なところにあると思います。リバタリアニズムの社会
 のほうが、エロゲーや同人誌を売買しやすいからです。

 ぴかぁ〜に関しても事情は同じで、ぴかぁ〜の場合は児童ポルノですが。
 その際、東もぴかぁ〜も哲学理論その他を援用して、リバタリアニズム
 の妥当性を主張するでしょうが、それは粉飾であって、エロゲーや同人誌が
 見たいから、児童ポルノが見たいから、リバタリアニズムが支持されるのです。

偽者のレスですが、案外はずれではないですね。

 467 名前: 第三の波平 ◆v97jOX.oqY 投稿日: 2007/08/01(水) 10:38:04 0
 主体が言いたいこと(意図)を語るときには、シニフィアンの連鎖として語るしかない。
 そしてシニフィアンの連鎖によってえられる意味は、シニフィアンの用法の束(大文字の他者A)
 としての意味しか与えることはできず、意図とはずれている。主体はシニフィアンによって分裂
 されている。(斜線を引かれたS)

 このような主体の分裂は子供の頃に起源を持つ。主体が主体たろう、真の意味を獲得しようと、
 母の望むもの(想像的なファルスS1)になろうとするが、父の名(象徴的なファルスS2)によって去勢されるという、
 言語を習得することで、その後Sシニフィアンは換喩的にずれていく、すなわちシニフィアンの連鎖によって、
 分裂される。すなわち主体はランガージュによって疎外されている。

これとも矛盾しません。
472純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/01(水) 18:44:02 0
 522 名前: 純一 投稿日: 2007/08/01(水) 15:26:05 0
 ぴかぁ〜に関しても事情は同じで、ぴかぁ〜の場合は児童ポルノですが。
 その際、東もぴかぁ〜も哲学理論その他を援用して、リバタリアニズム
 の妥当性を主張するでしょうが、それは粉飾であって、エロゲーや同人誌が
 見たいから、児童ポルノが見たいから、リバタリアニズムが支持されるのです。

これがぴかぁ〜の元々の疎外されていない主体と考えられます。

 467 名前: 第三の波平 ◆v97jOX.oqY 投稿日: 2007/08/01(水) 10:38:04 0
 主体が言いたいこと(意図)を語るときには、シニフィアンの連鎖として語るしかない。
 そしてシニフィアンの連鎖によってえられる意味は、シニフィアンの用法の束(大文字の他者A)
 としての意味しか与えることはできず、意図とはずれている。主体はシニフィアンによって分裂
 されている。(斜線を引かれたS)

つまり、これを簡約すると、

@ ぴかぁ〜はそもそも、児童ポルノを消費したいオタクである
A リバタリアニズムを使って、児童ポルノを合法化しようとして理論武装するが
B それだけ、元々の児童ポルノ好きなぴかぁ〜の主体からは疎外されていく

驚く程に当て嵌まりますね。
473純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/01(水) 18:50:17 0
ぴかぁ〜やルーマン派の掲げるリバタリアニズムというのは、
児童ポルノの規制緩和もそうでしょうが、基本的に電波に陥り易い思想ですね。
同性愛の規制緩和とかもリバタリアニズムが良く言うことですが、
これもぴかぁ〜と同じで、そもそも理論によって違法を合法と言い包める以外に
何か使用法があるのでしょうかね?ぴかぁ〜と同じく違法性の高いものを合法化か、
あるいはそれを合法であるかのように語りたいということでしょう。
474純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/01(水) 18:52:32 0
リバタリアニズムで重要なのは、むしろ、ぴかぁ〜やルーマン派が捨てている。
ベーシック・インカムや、脱原発の方ですね。これが最大の焦点となります。
ぴかぁ〜もニートなんですから、ベーシック・インカムの問題をそろそろ採り上げないとマズイでしょう。
475純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/01(水) 20:05:01 0
例えば、ぴかぁ〜は児童ポルノ好きですね。これが高じると、そこいらに居る、
援交する同世代の団塊ジュニア世代と同じになってしまう。
ところで、宮台は塾講師や家庭教師時代にも教え子に手を出すことをよくしています。
蓮實は東大総長になる際に、東大総長は断固拒否すると言いながらも、最終的には
周りがどうしてもと言うのだからしょうがなくなったという言い方をする様になります。
ポールや太郎は知っての通り、自治議論を有利に進める為に複数コテを使って自演をしています。
二酉や飲み屋メンバーはそれを見ていても何も言わない、ただ見ているだけです。
蓮實はそば屋で出くわして奢ってもらっただけでも、次に会った時にタカったという目で見るそうです。
ところで、この人々の行動を見てて分かるのは何でしょうか?日本の思想というやつですね。
476考える名無しさん:2007/08/01(水) 20:08:53 0

       ,. -ー冖'⌒'ー-、    
       ,ノ         \
       / ,r‐へへく⌒'¬、  ヽ
       {ノ へ.._、 ,,/~`  〉  }    ,r=-、   
      /プ ̄`y'¨Y´ ̄ヽ―}j=く    /,ミ=/
    ノ /レ'>-〈_ュ`ー‐'  リ,イ}    〃 /
   / _勺 イ;;∵r;==、、∴'∵; シ    〃 /
  ,/ └' ノ \   こ¨`    ノ{ー--、〃__/
  人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\
. /   |/ |::::::|、       〃 /:::::/    ヽ
/   |   |::::::|\、_________/'   /:::::/〃


477純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/01(水) 20:10:57 0
まずは、ぴかぁ〜から行きましょうか。

@ ぴかぁ〜は削除人に媚を売って、自分のブログ宣伝スレが削除されないようにする
A ぴかぁ〜は連続スレ立て規制や連投規制が効かない
B ぴかぁ〜はブロガーの書いたものをパクることで思想をしたつもりになっている

ぴかぁ〜には私純一のような意味での思想はできないと考えて良いでしょう。
尤も、これは太郎やポールが自演をした時点で同じことです。
何故なら、パクる技術と考える技術は違うのであり、ぴかぁ〜が伸ばしているのは、
考える記述ではなく、パクる技術であります。ですが、東スレを見ていても分かるように、
それで通ってしまう。ならば、日本に於ける思想とは、パクる技術であるとも言えましょう。
478純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/01(水) 20:14:34 0
@ ぴかぁ〜は削除人に媚を売って、自分のブログ宣伝スレが削除されないようにする
A ぴかぁ〜は連続スレ立て規制や連投規制が効かない
B ぴかぁ〜はブロガーの書いたものをパクることで思想をしたつもりになっている

これを簡約します。

@ ぴかぁ〜 「思想をしなくても権力者に媚を売れば良いんや〜」
A ぴかぁ〜 「思想をしなくてもズルをすれば良いんや〜」
B ぴかぁ〜 「思想をしなくてもパクれば良いんや〜」

@〜Bを日本の思想としましょう。
面白いですね。確かにこれなら、思想なんていらないと言えます。
479純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/01(水) 20:18:16 0
@ ぴかぁ〜 「思想をしなくても権力者に媚を売れば良いんや〜」
A ぴかぁ〜 「思想をしなくてもズルをすれば良いんや〜」
B ぴかぁ〜 「思想をしなくてもパクれば良いんや〜」

@〜Bを更に簡約しましょう。

@ ぴかぁ〜 「考えなくても、権力者に媚を売れば良い」
A ぴかぁ〜 「考えなくても、ズルをすれば良い」
B ぴかぁ〜 「考えなくても、パクれば良い」

@〜Bは俗人の思想とも言え、ぴかぁ〜のような下衆の思想とも言えますね。
更に簡約します。

@ 権力者に媚を売る
A ズルをする
B 盗用する

この@〜Bをどう考えるのかが、ぴかぁ〜等下衆の思想を理解する上では必要不可欠になります。
480純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/01(水) 20:22:12 0
私純一は>>466でも申しましたように、>>467の様なぴかぁ〜の表の思想には興味無いのです。
私純一はぴかぁ〜が見せる下衆の面、即ち、

@ 権力者に媚を売る
A ズルをする
B 盗用する

こういう思想が必要ない行動をとってしまうという点に関してのものです。
そして、蓮實や太郎やポールの行動を見ていても、こいつらに本当は思想は必要ないなと思うのです。
ぴかぁ〜のように@〜Bの方法を使っているのですから。
481考える名無しさん:2007/08/01(水) 20:25:18 0
>>479

純一さんって
昔に比ヤングとか夫馬とか名乗ってたんですか?
482純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/01(水) 20:32:31 0
   蓮實 「東大総長は断固拒否する」 
 → 蓮實 「みんながなれっていうならしょうがないな〜」

私純一はこれを、小さい頃、近所の公園で遊んでいる時に見た光景ですね。

   ポール 「真摯に語ればマイ哲学も学哲だって認めてもらえる!」 
 → ポール 「マイ哲学なんていう天然記念物(笑)は・・・」

これは私純一が中学生位の時に見た光景ですかね。

  ぴかぁ〜 「ラカンのランガージュという概念は・・・」
 →ぴかぁ〜 「削除人ミントさんありがとうございました〜」

これは私純一が働いていたところの上司が、更に上の上司に採る態度ですね。

  kyrie 「全然違うよ・・・全く合っていない、恥ずかしいよ?純一君?」
→ kyrie 「さっきと違ってこれは否定可能と思われる、是非意見を聞かせて貰いたい」

この一連の動きが私純一を虚無にさせる理由ですね。
こんな動きでは思想なんてものが成り立たないのも当然であると言えましょう。
483純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/01(水) 20:34:14 0
>>481
昔はqlkdqと名乗っていました。
484純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/01(水) 20:40:57 0
ありがちなのは、

@ 権力者に媚を売る
A ズルをする
B 盗用する

こういった動きは何度も見てきたものですね。
例えば、太郎に媚を売って知識を教えて貰うという動き、これは自演かもしれませんが、
そもそも権力者に媚を売って知識を教えてもらうポールの動きにポール自身は何も疑問を持たないのですが、
これはアホかと思いました。それでは、例えば権力を考えるという議題の場合、太郎へポールが媚を売るという
権力関係そのものは分析されないのか?ということになってしまいますからね。
しろうとも同様ですね。本上まもるの登場によって、知識を持ってそうな人間に媚を売るという関係が
できあがってしまう。勿論、これは私純一が現実を過ごす中で散々見てきた光景なので、
理論的に純化されていると思われる哲学の領域にまでこういう現実での俗界の仕来たりが侵入してくると
いう点に誰もが無頓着であるという点が馬鹿馬鹿しいですね。それ位何故避けられないのか。
485考える名無しさん:2007/08/01(水) 20:48:49 0
純一の洞察力と文章をまとめる力には感心する。
鋭すぎるから敵も増えていくのだとも感じる。
テンポ良く流れる文章には清々しささえあり、続きを読みたくなる。
でも、何か邪悪なものが後ろをつけてきて詮索しているのも気になる。
486純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/02(木) 05:28:03 0
>でも、何か邪悪なものが後ろをつけてきて詮索しているのも気になる。

良く見ていますね。
確かに、何か邪悪なものを持ち合わせています。
487第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/02(木) 18:19:23 O
後期ヴィトの規則に従うは、行動心理学に近接していた。行為の反復がコンテクストをつくり、意味を作り出す。
ラカンにおいて意味は事後的に生まれるというシニフィアンの連鎖において、コンテクストは存在しない。
大文字の他者はシニフィエ意味を指し示すのである。しかしこれは「真実」ではない。主体が意図したことはすでに抑圧されているのだ。
488第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/02(木) 18:31:44 O
ヴィトがコンテクスト主義であるというのは全体の辻褄としてはあわない。
デリダがいうようにコンテクストは事後的にしか成立しないといったのはヴィトであったからだ。
ではヴィトとラカン、デリダの差はヴィトがコミュニケーションが成立するという端的な事実を受け入れたことにある。
たとえば大澤は第三の審級というラカン的超越論でヴィトを説明する。
それも可能だろうが、ヴィトは実際にただ「石板」をもってくる事実に根ざすのである。
489純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 00:58:15 0
やあ、
490純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 00:59:10 0
>でも、何か邪悪なものが後ろをつけてきて詮索しているのも気になる。

今日はこれを考えてみましょう。
491純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 01:09:45 0
私純一がここに来たのは、2003〜2004年の事です。
その頃には、太郎やポールの全盛期でした。
その後、私純一とビガロ達がキキキ等と結託して革命を起こして、
全盛期は終わりを告げるのです。
私純一に感じる邪悪なものは、ズバリこの太郎やポールが作っていた
何かに対する破壊衝動であると言えるでしょう。
私純一は、実はこの太郎やポールが抱えている前提に関しては、
以前に、アメリカ、ヨーロッパ文明批判スレで書いた様に、
創価学会員との闘いで同種の詭弁を弄する姿を見ていますので、
そいつに対する破壊衝動であったことが大きいと思います。
ですが、本質的には太郎やポールの思想が哲学的であるとは
言えないのに、哲学的であるかの様に振舞っているという二重の問題が
最たるものであったことであろうと思われます。例えばこれを見てください。

【ルーマソ】酒井泰斗統一スレ【エスノ】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1172314104/

私純一が良く馬鹿にするルーマン論者なのですが、
今度本を出す様ですね。この酒井は性格的には太郎やポールであると言えますし、
どうも創価系の臭いを感じます。ですが、出版は個人の自由としても、
何か腑に落ちないものがあります。まず、本上まもるや十川幸司も哲学板に
良く宣伝に来るのですが、こういうあらゆる売名行為の果てに出版というものがあったと言えます。
その周辺を論じてみましょう。
492純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 01:15:40 0
酒井は知ってるだけでも、かなりのホームページを持っていたと思いますし、
それを上手く売名行為に使っていると言えます。メーリングリストが存在しますが、
これも、事実上の酒井泰斗の売名行為と言えるでしょう。
私純一が興味があるのは、その理論の内容ではありません。
理論自体はぴかぁ〜みたいなもので、批判しようと思えば幾らでも壊せます。
ですが、問題なのは、その理論を発表するまでの過程にある何らかの定型が存在している事です。
その中でも特に気になるのは、太郎やポールに性格的にそっくりであるという点です。
性格は、本来人間バラバラでありますが、何故、思想出版に関して、こういう人種が固まるのか?
これは謎です。私純一は、酒井泰斗は本上まもる位性格が悪いのですが、見事出版できていると言えます。
木棚環樹等も出版しているのですが、これとは多少性格が違う様に思われます。
では、この現象は一体何を現しているのでしょうか?
493純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 01:19:19 0
仮説を幾つか立ててみましょう。

@ 今の時流では、宮台派、東派を基調とした力関係の世の中である
A 多数のホームページ、2ちゃんねるでの売名行為、メーリングリストでの読書会等の売名行為が実を結んだ
B 性格が太郎やポールと似ているから、あるいは創価学会の力

@〜Bの中に答えが含まれていると思われます。
さあ、どれでしょうかね?
494純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 01:29:46 0
まず、Aから行きましょう。

>A 多数のホームページ、2ちゃんねるでの売名行為、メーリングリストでの読書会等の売名行為が実を結んだ

これは最もらしく聞こえますが、人を集める場合であれば、@の様に、

>@ 今の時流では、宮台派、東派を基調とした力関係の世の中である

が素地として存在していないと、メーリングリストや読書会に人は集まらないでしょう。
ですから、@を素地としたAという結果であると思われます。では、私純一が問題としているのか何か?
それは、

>B 性格が太郎やポールと似ているから、あるいは創価学会の力

マズイ傾向ですね。ルーマン理論は創価が作っているのは間違い無いのですが、
これを消費する人間はこれを知らずに使うのですから、創価が裏で糸を引いている事を知らないのです。
殆どの人はNHKで公明党の支持母体が創価学会である事を放映するのを妨害された事を知らないでしょう。
さて、意外にもBに行き着きましたが、これが何を表しているのかが良く分かりません。
495純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 01:34:37 0
>B 性格が太郎やポールと似ているから、あるいは創価学会の力

>さて、意外にもBに行き着きましたが、これが何を表しているのかが良く分かりません。

分かりました。これは「理論的欠陥」ですね。
今の流布している理論は、酒井泰斗のものも含めて、裏が宗教団体のものであれ、
それを判定する術を持たないという事ですね。
例えば、共産党にも学会員が侵入してきて、共産を公明化しようとする動きがありました。
酒井泰斗が書いた本が出版され、それが教科書にでも採用とすると、創価化ということになりかねません。
これが危険な兆候と言えます。ですが、私純一はまだそれでも燃えないのです。
まだ、何か怒りが足りない様に思われます。いずれ、この連中を潰す事になると思います。
それは間違いないでしょう。その時に、皆さんの前に純一は姿を現すに違いありません。
496第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/04(土) 09:33:56 0
>>
女は妥協して結婚する

「ひとつ目をつぶれば彼氏ができる。3つ目をつぶれば結婚できる」とは、30代独身女性の
結婚観を描いた人気コミック『30婚』のセリフ。結婚する相手を妥協で選びたくないと考え
る、独女たちの胸に突き刺さる名言だ。それでは、実際に結婚した女たちは、結婚相手に
求める条件で妥協したところはあったのだろうか?・・・10代で結婚している女性の約36%
が「容姿」を妥協。20代〜30代の既婚女性の場合は、「性格」「容姿」「価値観」が妥協ポイ
ントのトップ3だった。
<<

あまりに当たり前なことである。逆にいえば、妥協しないことを一つの基準におけるということ。
結婚そのものが経済的、生活の必要なものから、選択肢の一つとなっているということだろう。
さらに妥協点に「容姿」が上げられているということが、結婚の形骸化をしめしている。
コンビニ、ファミレスなどなどの他者回避社会では、結婚システムに頼らなくても、良くなっている。

すなわち、「女は妥協して結婚する」には、妥協してまで結婚する必要があるのか、という意味を
含んでいるのだろう。そしてさらには「それでも結婚したい」とという想いがある。

497第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/04(土) 09:59:17 0
たとえば象徴界という概念は、知らないうちにシニフィアンの網の構造に
囚われている人間像である。ラカンにおいて主体はシニフィアンであるからだ。

たとえば大人の中に一人いる子供は、無邪気であることが求められるし、
同じ子供がより幼い子供達といる場合には、しっかりすることを求められる。
これは差異化であり、求められるというのは、象徴界という無意識に働く
力である。

たとえば”藤原紀香"を見ていると、強烈な象徴界の構造を感じる。
自らが商品であり、ブランド企業そのものである。
だから構造の中で、"藤原紀香"の位置を保ち続けなければならない。
498考える名無しさん:2007/08/04(土) 10:10:04 O
簡単に申しますと、生体は環境にあわせて、
適応しているということであります。
でありますから、環境=社会=他者に合わせて
自己を変える、プロデュースしていくといふ、
ソーシャル・ホメオスタシスの機能を働かせているわけであります。
499第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/04(土) 11:18:26 O
環境にあわせるとはなにかですね。
なにをもってバランスはとられるのか。それが生存ではないことは確かです。
だからシニフィアンなのです。
500第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/04(土) 11:23:57 O
たとえば工学化がシニフィアンを越えるというとき、工学化はなにに対して働くでしょうが。
工学化は経済性により作動します。僕たちがコンビニにいくのは経済性がよいからです。
これは価格がやすいからではありません。情報化社会の経済性は時間です。よりすみやかにほしいものが手に入るからです。
それにより空いた時間をより大切なことに使えるのです。
501第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/04(土) 11:27:04 O
しかしこれでは不十分でしょう。貴重な時間はどこに向かうのか。
当然、少しでも稼ぐためではありません。本当に大切なことをするためです。
本当に大切なことという超越論に辿り着きます。すなわちそれこそがシニフィアンの領域です。
502考える名無しさん:2007/08/04(土) 11:29:58 O
合わせるとは適応だと書きました。
適応といふ能力をもつものだけが現時点で生き残っています。
人間はいつからか、環境を人間に適応させるべく環境を造り変えています。
ですから、自然環境に適応してきた生物は、
人間が手を咥えた環境に適応でかなくなりつつあります。
503第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/04(土) 11:35:48 O
人々がネットに殺到したのは工学化により通信費が安くなったためですが、
また通信費が安くなったのは人が殺到したからです。
これこそが資本主義の基本原理でしょう。
504考える名無しさん:2007/08/04(土) 11:48:34 O
大切な時間を過ごす。
本当でしょうか?
あなたにとっての密度の濃い時間を過ごしていますか?
つまり、
どんだけぇ〜?
ということです。
驚き・感心とともにその内に潜むアイロニー。
わたしが思うに、結果として無駄な時間が増えたということです。
利便性により余剰が増えたわけですが、かといって特に他にやることもない。
人間、そんなにやることなんてないわけなんです。
とくにやることがないまま進化してきているので、
急にやることを急かされてしまうと、適応障害がでてくるのです。
このような近年の社会病理は生物学的にみて必然なのです。
505第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/04(土) 11:59:46 O
マルクスの物神性、なぜ商品は価値をもつのか。
人々がほしがるか価値をもち、価値をもつからひとがほしがる。
しかし再度いえば、問題は貨幣価値でなく、時間価値重視になっています。
マルクスは商品の超越論的価値を労働時間に求めましたが、いまの問題は消費価値です。
506考える名無しさん:2007/08/04(土) 12:06:02 O
余剰により生じた幻想です。
食えればいい、生きていければいい。
しかし、余剰により生じた幻想の消費方法は生物進化の想定外です。
身体(脳)が適応障害を起こし、逆転現象により幻想に支配されていくのです。
507第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/04(土) 12:09:39 O
フロイトでいえば快感原則という生物学的経済性の彼岸である超越論性です。

シニフィアンの構造とはまさにこの超越論性を明確にするためにあります。

しかし本当に大切なことを求めているのか。これはまさに無意識の次元にあります。
たとえばコンビニにいくというようなことでしか表出しません。
508考える名無しさん:2007/08/04(土) 12:24:40 O
進化とは環境に適応しているということです。
つまり、生物は無駄のない合理的な存在なのです。
おわかりのように自然の秩序に無駄などありません。
他方、地球の覇者たる人間はどうでしょう?
自然環境にさからう=非合理性を育むという
変異をもってして、環境支配による突然進化をしました。
そう、人間とは動物から受け継いだ合理性の上に、
非合理的要素を内包する人間意識があいのりしながら
階層構造を形成しているのです。
ですから、実証されているように、
人間意識はイリュージョンに騙されやすく、
動物から受け継いだ「知覚」は、イリュージョンには騙されずに、
正しい身体反応を出力するのです。
これが、合理性を内包する身体知、無意識の合理性の
意味する生物学的仕組みです。
509考える名無しさん:2007/08/04(土) 12:41:15 O
ジュンク堂に行きます。
ぴかあさんもよろしかったらどうぞ。
510第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/04(土) 21:48:47 0


”藤原紀香"というシニフィアン

たとえば象徴界という概念は、知らないうちにシニフィアンの網の構造に囚われている人間
像です。ラカンにおいて主体はシニフィアンです。たとえば大人の中に一人いる子供は、無
邪気であることが求められるし、同じ子供がより幼い子供達といる場合には、しっかりする
ことを求められる。これは差異化であり、求められるというのは、象徴界という無意識に働く
力である。

たとえば”藤原紀香"を見ていると、強烈な象徴界の構造を感じる。自らが商品であり、ブラ
ンド企業そのものである。だから構造の中で、"藤原紀香"の位置を保ち続けなければなら
ない。
511第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/04(土) 21:49:43 0
消費者の貴重な時間をいかに使わせるか

たとえば工学化がシニフィアンを越えるというとき、工学化はなにに対して働くでしょうが。
工学化は経済性により作動します。僕たちがコンビニにいくのは経済性がよいからです。こ
れは価格がやすいからではありません。情報化社会の経済性は時間です。よりすみやか
にほしいものが手に入るからです。それにより空いた時間を「より大切なこと」に使えるのです。

マーケティングでは、消費者の貴重なお金をいかに使わせるか、ではなく、消費者の貴重
な時間をいかに使わせるか、が問題になっているのです。TVを見ること、ネットをすること、
ケータイをすること、CDを聞くこと、映画を見ること、消費者の時間になにを選択させるか。

>>
情報生産においては、資本主義の法則が逆転し、個人の時間を効率的に配分するテクノ
ロジーがもっとも重要になったのである。だからユーザーが情報を検索する時間を節約す
るグーグルが、その中心に位置することは偶然ではない。資本主義社会では、稀少な物的
資源を利用する権利(財産権)に価格がつく。情報社会では膨大な情報の中から稀少な関
心を引きつける権利(広告)に価格がつくのである。P97

池田信夫 「ウェブは資本主義を越えていく」
<<
512第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/04(土) 21:50:32 0
資本主義の超越論性

しかしこれでは不十分でしょう。貴重な時間はどこに向かうのか。当然、少しでも稼ぐためで
はありません。「本当に大切なこと」をするためです。本当に大切なことという超越論に辿り
着きます。すなわちそれこそがシニフィアンの領域です。人々がネットに殺到したのは工学
化により通信費が安くなったためですが、また通信費が安くなったのは人が殺到したからで
す。マルクスの物神性、なぜ商品は価値をもつのか。人々がほしがるか価値をもち、価値
をもつからひとがほしがる。これこそが資本主義の基本原理でしょう。

しかし本当に「大切なこと」を求めているのか。フロイトでいえば快感原則という生物学的経
済性の彼岸である超越論性です。シニフィアンの構造とはまさにこの超越論性を明確にす
るためにあります。これはまさに無意識の次元にあります。だから「大切なこと」を求めてい
るは、コンビニにいくというようなことでしか表出しません。
513考える名無しさん:2007/08/04(土) 21:52:04 0
藤原紀香はそんなレベルは超えてるだろ。
別にファンじゃないけど。
514純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 21:55:04 0
>私自身も良く分かっていなかったのですが、私純一の哲学には、
>感情的な痛みが必要なのでしょう。その為には何か裏切りを経験しなければならず、
>その裏切りを最大級のものとするには、感情的に丸裸の状態でいなければならない。
>そうすると、最大の哲学の動機付けが手に入ると、こういう流れだと思いますね。

これで、私純一の精神分析は完了した気がしますね。
ですが、まだ良く分からないところはかなりありますね。
515純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 21:59:19 0
>つまり、私はオールオアナッシングの白黒主義の人生を生きる中で、
>何度も何度も大きな裏切りを経験しますが、いつからか純一は、
>それを哲学の力に強制変換する術を学んだところがあるのです。
>即ち、こういう事です。最初は、親との関係で無条件の愛情を求めていた
>純一であったが、段々と裏切りを経験していく内に、そんなものは無い
>という感覚は身についてきたものの、裏切りがなければ哲学の動機は
>枯渇してしまう。だから、裏切りが必要であり、その為には無条件の愛情が
>この世の中に存在しているという前提で動かなければ哲学理論の精緻はできない。
>つまり、愛情を求めていたのが最初だったのに、今は哲学理論を作る為に裏切りを必要としているのです。

これは面白いですよね。
感情的な衝動が最初の動機であったものが、
徐々に理性によってコントロールされています。
そして、現在に至ってはその強力な感情の衝動を哲学を生成する材料としている。
材料が枯渇すれば、哲学は出来なくなるので、多数の裏切りを必要とするという
何とも歪んだ形になっていますが、これは面白いと言えます。
516純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 22:03:12 0
つまり、

純一が無条件の愛情を求める → そこを利用されて裏切り
 → 感情的な怨みの蓄積? → 哲学に於ける理論生成の材料

という順序であったものを成人してくるにつれて逆転して、

哲学理論を生成する為にわざわざ感情を丸裸にする → いつもの裏切り
 → 感情的な衝動 → 無条件の愛情を求めるというクレバーな純一

という順序に逆転していますね。
517純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 22:13:27 0
>純一が無条件の愛情を求める → そこを利用されて裏切り
> → 感情的な怨みの蓄積? → 哲学に於ける理論生成の材料
>
>という順序であったものを成人してくるにつれて逆転して、
>
>哲学理論を生成する為にわざわざ感情を丸裸にする → いつもの裏切り
> → 感情的な衝動 → 無条件の愛情を求めるというクレバーな純一

私自身も前々から思っていたのですが、純一は相当複雑な性格をしていますね。
もう少し、分かり易くしてみましょう。

@ アル中の影響で子供時代を自由奔放に過ごせず
A そのお陰で世界に無条件の愛情が存在するという幻想を持つが
B そこをつけこまれて大きな裏切りを何度も経験するが
C そういう事が頻発している内にその感情的な痛みを哲学理論を強制変換する術を学び
D 今現在では逆に哲学理論を生成する為に感情的な痛み、即ち哲学理論生成の動機となる
   裏切りを必要としている為、感情を丸裸というポーズにしておくクレバーな純一である

となります。
518純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 22:21:55 0
@ そもそも純一は、本当にこの世の中に無条件の愛情等というものが存在すると思っているのか?
A 純一で問題なのは、「人との距離のとり方」であり、哲学とは関係無いのではないのか?
B では、そこが直れば、哲学は不要となるのではないか?

そうなりますと、@は違いますね。
@はそういうポーズをとることで、哲学理論精緻の為の動機付けとして、即ち材料として必要だから、
感情が丸裸であるかの様に振舞っているというだけのクレバーな純一と言えましょう。
ABはそれが無くなってしまうと、逆に哲学が出来なくなってしまうから、
やれるのにやらないといった流れであると思われます。ですから、

@ おそらく今は思っていないが、哲学理論精緻の為にはそういうポーズで
   裏切りを待ち構える事が必要であるので、半分わざとそういうポーズをとる

A 処世術という位置づけでは距離のとり方の変化で十分であるが、
   それでは哲学理論を生成できないので、わざとやらない

B 動機付けがなくなれば哲学する理由もまた無くなってしまうからである

こういうのが私純一の精神であると言えましょう。
519純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 22:32:15 0
これをもっと分かり易くする為に喩え話でいってみましょう。

@ 純一は幼い頃から蛇によく噛まれる子供であった
A ある時、自分の肉体が血清として売れる事に気が付いた
B もっとよく売る為に蛇が多くよく噛まれそうな地域に住んで待ち構える様になった

つまり、

@ 純一は幼い頃からよく利用される存在であった
A ある時、自分の人生から生成した理論が売れる事に気が付いた
B もっとよく売る為には更なる裏切りが必要である為、わざと感情を丸裸にしておく

こんなところですね。
520純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 22:45:07 0
これが当て嵌まるとすると、私純一は非常にけったいな性格をしていると言えますね。
私純一は、普通の人々、つまり二酉の様な人物とはそりが合わないのですが、
これは二酉がそもそも自分の生に罪の感覚を持っていない事が要因だと思われます。
純一は常に自分の生に何らかの罪の感覚を持っており、それが普通の人々の交流を阻害します。
では、ぴかぁ〜や太郎やポールはどうか?と申しますと、逆に彼等の場合、
人の道から外れた事をしているので、私純一から言わせると、彼等の様な下衆の場合だと、
普通の人々とは違い、私純一が多少関っても彼等の人生にマイナスではあるまいとどこかで考えるのです。
現に彼等の理論は、私の力を使う事で、より哲学理論としては精緻が可能なのです。
私純一は、逆に二酉の様に普通の人々がもし、哲学理論を語らないのであれば、そこに
私純一が論争を仕掛ける事は悪いなと思いますが、ポールやkrieや太郎やぴかぁ〜の様に、
理論的立場で語っているのに、その理論が精緻されずに個人的な都合から語る者が居て、
尚且つそれに対して注意しても応じない様な場合、いくら叩いてもマイナスにはなるまいと私純一は考えるのです。
521純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 23:07:15 0
例えば、ぴかぁ〜のスレで私純一が勝手に思想メモとして使う事は、
ぴかぁ〜が幾らでもスレを無制限に立てる事が出来ると知ってるからです。
そして、無制限にレスが付けられると知ってるからこそ、逆に私純一は気兼ねなく
ぴかぁ〜のスレと知れば思想のメモ帳として使う事が可能になります。
これがもし、二酉の様にそういう卑怯な事をやっている形跡が無かったとしたら?
私は気後れして、そんな風な使い方は出来なかった事でしょう。
太郎やポールやkyrieも同じ事です。彼等が卑怯な事をやってる下衆と知ったからこそ、
私純一は気兼ねなく好き勝手に理論を披露することが出来るのです。
522クウォンタム ◆HfD2XMemw6 :2007/08/04(土) 23:10:13 O
純一さん久し振りです。
相変わらずネガティブなのに元気ですねw

レスしようか迷いましたが、やっぱ懐かしいんで挨拶しときますね〜

ちなみに俺の人間関係のコツは「信用する=もし裏切られても許すことを前提とする」です。
だから失敗や裏切られて許せない場合は相手を信用しません。
523純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 23:18:08 0
見た事がある様な無い様な、そんな感覚です。
524クウォンタム ◆HfD2XMemw6 :2007/08/04(土) 23:23:00 O
えー純一ラジオ聞いたことあるのに悲しいなあ

まあでもそんな感覚でいて下さいw
525純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 23:23:46 0
>ちなみに俺の人間関係のコツは「信用する=もし裏切られても許すことを前提とする」です。
>だから失敗や裏切られて許せない場合は相手を信用しません。

それが一般的な成人の上手い方法だと思います。
私純一の場合はかわすという発想が、今は哲学理論精緻の為には不要なのでしょう。
信用するのであれば、極端に白であり、裏切りがあれば極端に黒にします。
526純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 23:25:50 0
>えー純一ラジオ聞いたことあるのに悲しいなあ

リスナーの人でしたか、でも話した回数が少ないのか記憶が無いんですよね。
527純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/04(土) 23:55:34 0
思い出しました。
東スレでしょうかね。
528クウォンタム ◆HfD2XMemw6 :2007/08/05(日) 00:00:37 O
>>527
実はどのスレだったかは俺も覚えていません。。

しかし純一さんの紹介でエゴグラムやったのを今でも覚えてて、懐かしくて。
529純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/05(日) 00:22:11 0
>実はどのスレだったかは俺も覚えていません。。

そうですか。

>しかし純一さんの紹介でエゴグラムやったのを今でも覚えてて、懐かしくて。

逆N型の診断が出た人でしょうかね?
530クウォンタム ◆HfD2XMemw6 :2007/08/05(日) 00:33:36 O
あ、そうです逆Nの人です。

あの頃純一さんは統一理論を創ると言っていたよーな。
531純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/05(日) 01:06:29 0
>あ、そうです逆Nの人です。

ハイパワー型ですね。

>あの頃純一さんは統一理論を創ると言っていたよーな。

純一統一理論の基本構想は2003年〜2004年頃には出来ています。
それの精緻に何年かかかって、今は完成形ですが、
発表する場所も機会も無いというだけです。
532クウォンタム ◆sZMOg20d0E :2007/08/05(日) 01:17:49 O
>>531
HPとかブログとかで発表しないんですか?
見に行きますよw

そいじゃ、もう寝るんでオヤスミなさいzzz
533純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/05(日) 01:22:29 0
1つ、面白い事に気が付きました。
@ 純一は幼い頃から蛇によく噛まれる子供であった
A ある時、自分の肉体が血清として売れる事に気が付いた
B もっとよく売る為に蛇が多くよく噛まれそうな地域に住んで待ち構える様になった
こうした無茶な事は、ある1つの焦点を中心に成り立っていると気が付きました。
それは感情の根底からの揺さぶりです。私純一は良く、youtubeからクリップを
引っ張って来ますが、これは私純一の心を揺さぶったものか、皆さんの心に
揺さ振りをかけようとするからです。ですが、この行為そのものはある地点を
中心に立てられている事に気が付きます。それはリアンであります。
このリアンを中心に私の哲学は立てられているのです。これは私の文章を
読んだ人から度々指摘されてきたことで、虚無を中心に立てられていると言えます。
私純一が心を裸一貫にして置くのは、こういう虚無を取り逃がさない為ですね。
534純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/05(日) 01:32:24 0
ですから、格好の良い言い方をするなら、
純一の哲学は虚無の哲学であるという事になりますね。
虚無に魅入られているとか、虚無に親しい哲学というのが適切だと思います。
クウォンタムには合わない理論なのではないかと思いますね。
上昇志向が強い人の場合、根底から揺さ振りをかけるこの理論は、
上昇の邪魔にはなるでしょうが、上昇のプラスにはならないと思われますから。
上昇志向には、ある程度の強引な合理化が必要なのであって、
私の理論は、重箱の隅を突付く様な理論だからですね。
535純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/05(日) 01:34:50 0
今、どうしてもある音を作らなければならなくなっていますが、
これはある意味では非常にその取っ掛かりには成り得ます。
それを作らなければ私純一は次のステージに進めないのです。
ですから、また、虚無に身を浸さなければなりません。
536純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/05(日) 02:11:52 0
今、少しばかりやる気になりました。
新しいものを作ります。
537純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/05(日) 02:22:50 0
今は、泰斗の思想を崩す、社会的な動きが必要です。
これを放って置くと、学界の創価化が進んでしまいますから。
でも、そんな需要は無い。私純一は今は動けません。
ですが、理論は完璧であり、いつでも倒せます。
今は、地下に潜って、音から改革を始めなければならないでしょう。
538純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/05(日) 02:25:32 0
酒井泰斗がブログを閉じたのは、おそらく、
出版できる様になって、ブログがPRの為に不要になったからでしょうかね。
私純一も哲学板で書いてアピールになってるところもありますが。
539第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/05(日) 14:32:27 0
昨日、バラエティ番組を見ていたら、止まったエスカレーターの話をしていた。
なぜ止まったエスカレーターを歩こうとしたときに転けそうになるのか。
答えは脳のメカニズムにあるとのことだ。
認識としてはエスカレーターが止まっていることは理解しているが、
脳の自動作動プログラムはいつものエスカレーターが動いているときの
体を前に傾ける動作を体に与えようとするからだ。

人の多くの行為は、認識によってでは遅すぎる、認知負荷が高くなるためだろう。
状況判断からの反射的な自動プログラムによって動いている。
そこにズレが生まれる。

その実験をしていたのは、目を閉じてルームランナーで片足飛びをしたあとに、
普通の平面で目を閉じて片足飛びをすると、体がかってに前へ飛んでしまう。
これも作動した自動プログラムが継続して作動するためということだ。
540S田:2007/08/05(日) 16:49:49 O
流れぶったぎってスマンなのですけど。
やっばりオウムやエヴァの総括って結局なしくずし的にフェードアウトなんすね。(非オタでもRadioheadとか流行りましたよね)
セカイ系で戯画・陳腐化&ネオリベ決断主義で害虫駆除みたいな…
氷河期以降は就職いいみたいだし、ちょい上の世代がボロいって都合いいでしょうしね。
なんかみんな適応力凄いんすよ。俺ついてけないすよ。
541S田:2007/08/05(日) 17:08:59 O
結局、氷河期は肉骨粉になれって事すか…もし仮に自分一人蜘蛛の糸でもなあ…
ホリエモン事件etcて「終戦」だったんじゃないすか?
やり場のないルサンチマンが…
542第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/05(日) 17:54:10 0
日本には年代論に近い、世代論というのはありますね。
大学入学、就職に年代格差があって、不条理ですが、これを挽回するシステムがない。
社会の流動性が低いんですね。結局の所、いまだに終身雇用、年功序列的な
保守的なシステムです。

前にも言いましたが、引きこもり、フリーターが可能なのは、それを養える父親の
稼ぎがあるからで、日本では、若い世代よりも、すでに就職している父親世代を
保護し、そこに金を落としている家庭を成り立たせているわけです。

だから不況世代、就職氷河期難民などは可哀想な世代といしか言えません。
しかし社会システムでいうと、中小企業に高学歴、優秀な人材が回る、
行き場のない若い女子が仕事で急がしい上の世代の嫁として供給される、
また多くのフリーターとして社会に大量の安い労働力が確保される、ということで、
社会システムの「健全性」が保たれるわけです。
543第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/05(日) 18:04:56 0
それでも世界的な潮流もあると思います。
日本という内部に対しての外部圧があって、
黒船ではないですが、日本は保守的である故に、外圧に弱い歴史があります。
だから長期的には流動性は高まると思います。

ボクは、将来には、ホリエモン事件は笑い話になると思います。
時代の象徴、生け贄ということです。
変化というか、社会の去勢には生け贄が求められるものです。

80年代?に初の本番女優というのがありました。
エロ映画ではすべて擬似セックスで、本番をしたのはその女優が
はじめということです。といっても、映像倫理はかわっていませんから
局部が映るわけでも、挿入部が映っているものでもなく、変わりがありませんが、
これは本番だ、ということだ画期的だったわけです。
いまのAVの氾濫を考えると、笑い話です。
544第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/05(日) 18:08:04 0
なんといってもこれからは中国でしょ。
中国の経済圏の一部に取り込まれるでしょ。
中国人は、日本人よりもアメリカ人的と言われていますね。
オタクも含めて、日本にとっての幸せな時代は終わりつつあるのではないでしょうか。
545第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/05(日) 18:56:00 0
毎年、夏にお台場に行くのですが、今年はびっくりしました。
とにかく、中国、韓国など外国人のツアー客だらけです。
彼らが豊かになっているということと、物価の差も縮まっている
ということでしょ。

少し前に話しましたが、いままで日本で独占していた
マグロ、カニなどの世界の限られた海鮮供給が、
中国などに流れて、日本に回って来なくなっているということです。
将来の日本の世界のエネルギー資源供給も問題視
されていますね。

日本の格差社会と言われますが、世界的な格差、貧困を
考えると、とても豊かな社会です。
しかし世界的な潮流は、日本の世代論などの甘い格差論を
吹き飛ばし、貧しさも等しく日本に分配しながら、
フラット化していくのではないのでしょうか。
546第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/05(日) 19:05:06 0
>>
総人口、2年連続減少=3大都市圏に集中、半数超に−3月末住基台帳人口・総務省

総務省は2日、住民基本台帳に基づく2007年3月末時点の人口を発表した。
総人口は前年比1554人減の1億2705万3471人となり、初めて減少に転じた昨年に
続き2年連続で減った。内訳は、男性が6212万9560人、女性が6492万3911人。
<<

高齢化社会はすでに始まっています。年金問題が争点で自民が負けたのは、
一次的なものではなく、人々の将来への不安を反映した根本的な問題だと思います。
いってしまえば、政治など誰がやってもいっしょです。
しかし年金問題のいい加減さは問題外です。極端にいえば、銀行の納めたお金を
バックれられたという詐欺です。それも将来への担保です。
なぜ暴動が起こらないのか、という海外メディアの指摘がありました。
547第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/05(日) 22:38:10 0
ヒトラーはマスゲームにメディアを活用したが、
マスメディアはそもそもにおいて、強力な共時性を生んでいる。
特に今ならばテレビだろう。
この少ないチャンネルに満足し、10%の視聴率は概算で1000万人に
相当する。これは冷静に考えれば、驚異的な装置である。

それは誰かが洗脳しているということではなく、
人々がそれを望んでいるのである。
548第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/06(月) 00:45:38 0
■日本はどこへいくのか

日本の保守システム

日本には年代論に近い、世代論というのはあります。大学入学、就職に年代格差があっ
て、不条理ですが、これを挽回するシステムがない。社会の流動性が低いんですね。結局
の所、いまだに終身雇用、年功序列的な保守的なシステムです。

前にも言いましたが、引きこもり、フリーターが可能なのは、それを養える父親の稼ぎがあ
るからで、日本では、若い世代よりも、すでに就職している父親世代を保護し、そこに金を
落としている家庭を成り立たせているわけです。

だから不況世代、就職氷河期難民などは可哀想な世代といしか言えません。しかし社会シ
ステムでいうと、中小企業に高学歴、優秀な人材が回る、行き場のない若い女子が仕事で
急がしい上の世代の嫁として供給される、また多くのフリーターとして社会に大量の安い労
働力が確保される、ということで、社会システムの「健全性」が保たれるわけです。
549第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/06(月) 00:46:15 0
「本番女優」という滑稽

それでも世界的な潮流もあると思います。日本という内部に対しての外部圧があって、黒
船ではないですが、日本は保守的である故に、外圧に弱い歴史があります。だから長期的
には流動性は高まると思います。ボクは、将来には、ホリエモン事件は笑い話になると思
います。時代の象徴、生け贄ということです。変化というか、社会の去勢には生け贄が求め
られるものです。

80年代?に初の本番女優というのがありました。エロ映画ではすべて擬似セックスで、本
番をしたのはその女優がはじめということです。といっても、映像倫理はかわっていません
から局部が映るわけでも、挿入部が映っているものでもなく、変わりがありませんが、これ
は本番だ、ということだ画期的だったわけです。いまのAVの氾濫を考えると、笑い話です。
550第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/06(月) 00:46:57 0
フラット化する貧困

毎年、夏にお台場に行くのですが、今年はびっくりしました。とにかく、中国、韓国など外国
人のツアー客だらけです。彼らが豊かになっているということと、物価の差も縮まっていると
いうことでしょ。

少し前に話しましたが、いままで日本で独占していたマグロ、カニなどの世界の限られた海
鮮供給が、中国などに流れて、日本に回って来なくなっているということです。将来の日本
の世界のエネルギー資源供給も問題視されていますね。

日本の格差社会と言われますが、世界的な格差、貧困を考えると、とても豊かな社会で
す。しかし世界的な潮流は、日本の世代論などの甘い格差論を吹き飛ばし、貧しさも等しく
日本に分配しながら、フラット化していくのではないのでしょうか。
551第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/06(月) 00:50:43 0
年金問題は選挙負けで済んで良かった

>>
総人口、2年連続減少=3大都市圏に集中、半数超に−3月末住基台帳人口・総務省

総務省は2日、住民基本台帳に基づく2007年3月末時点の人口を発表した。総人口は前年
比1554人減の1億2705万3471人となり、初めて減少に転じた昨年に続き2年連続で減っ
た。内訳は、男性が6212万9560人、女性が6492万3911人。
<<

高齢化社会はすでに始まっています。年金問題が争点で自民が負けたのは、一次的なも
のではなく、人々の将来への不安を反映した根本的な問題だと思います。いってしまえば、
政治など誰がやってもいっしょです。しかし年金問題のいい加減さは問題外です。極端にい
えば、銀行の納めたお金をバックれられたという詐欺です。それも将来への担保です。なぜ
暴動が起こらないのか、という海外メディアの指摘がありました。
552純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/06(月) 06:49:37 0
何かサイトかブログかで作るべきでしょうね。
純一統一理論の紹介記事でも書きましょうか。
553純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/06(月) 06:56:02 0
純一統一理論とは?
今の日本での現状で維持される思考形式(イデオロギー)を乗り越える為、
純一統一理論を摂取します。摂取すると、以下の様な効能が得られます。

 @ 理系の学問をしている事の先入観に気付き、多少理系と距離を取れる
    あるいは理系学問のイデオロギーに気が付いてやる気が無くなる
 A 数学や論理学が信用出来なくなります
 B 東浩紀や宮台真司というトレンドな思想を受け付けなくなります
 C イデオロギーから1人だけ脱する為、時代に取り残されます

マイナスの部分が大きいですね。
正直、こんな思想必要無いですよね。
554純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/06(月) 07:21:25 0
私純一も最近思うのですが、私もいずれは働かなければなりません。
ですが、私の思想を世間に公表したところでどうなるのかとよく考えます。
私純一の思想は非常に突飛且つ反抗的な理論であり、
社会性を必要とする我々の日本社会では邪魔にはなるが、
有用とはならない様に思います。そもそも、社会に風穴を開ける為に作った理論
である部分も大きく、哲学を一通り見知った人であっても畏怖する内容であると言えるでしょう。
世間に公表したところで流れて行くだけであると思いますが、これは私純一のこれからの
行く末もそんな流れだと思います。つまり、私と同じく私の思想も同じ様に流れていくのでしょう。
社会は思想の領域でも、ある種のイデオロギーを必要としているどころか思想そのものが、
そのイデオロギーに操られている状態だと言えますが、純一統一理論ごときでこのイデオロギーを
一挙に変えるなんて事は無理に近いと思います。それでは、残った理論はどうするのか?
即ち、この処分の方法に困っているのです。
555純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/06(月) 07:36:59 0
私純一も、思想や哲学が社会性と両立できるか?と考えましたが、
答えはNOであると思われます。私純一の統一理論は労働とは離れた場所で
構成されたものでありますし、労働とは親和性が無いと思うからです。
それでは、この作ってしまった思想は何処へ行くのでしょうか?
純一統一理論がもし、世間の他の真理と同じ様に、例えば、
創価学会や統一教会、仏教等と同じく世俗の組織の一部として存在するとしたなら、
私純一はそういう事をやりたいが為に作った理論では無いと思います。
YESや釈迦を、宗教色を抜いて、黎明期の思想だけ抜き出し、これを哲学とすると、
今と全く教義が違う事が分かります。これは良く出来た思想であれ、
社会性を持つとこうなってしまうという事の良い例です。私の思想も同じだと言えます。
社会性を持った思想は、本来やろうとした事と正反対に動いて行きます。
ですが、それを再び元来の形に戻して理解しようとする者が稀に居ますが、
これも社会性によって、そして、同じ思想界での闘いという名目で消されてしまいます。
消した主体は社会なのですが、表向きは学者同士の論争という事になります。
社会性を持つと、同時に、社会に使われる理論になってしまい、本質が歪みます。
これが思想を公表する際に起こりうる難しい事です。
556純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/06(月) 07:49:53 0
純一をYESや釈迦になぞらえるのも変なのですが、
YESは磔にされて早々と死んでしまいましたし、釈迦も入滅後は
彼等の思想通りに事が進んだとは思えません。
つまり、純一が死んだら理論は主体から離れて行ってしまい、
害悪にしかならないという事が十分考えられます。
歴史から言っても、こういう入滅後や磔後のつまり死後の理論というのは、
教祖の主体から離れるので、思想家が登場しなかった頃よりも、
更に強力なイデオロギーとなって鎮座するのが定石と言えます。
難しい話になりますが、YESと釈迦とソクラテスの理論だけ取り出すと、
それが如何に権力化、即ち、イデオロギー化を防ぐのに巧妙な理論や
実践であったか分かります。釈迦はどんと理論を置くのでは無くて、
相手に合わせてアドバイスします。YESもそんな感じです。
ソクラテスもそうなのですが、これは後々相当なイデオロギーとなって君臨します。
この過程を上手く見越しておかないと、思想を単に捨てるというだけでは済まない
とも言えます。
557考える名無しさん:2007/08/06(月) 13:04:19 0
ぴかぁ〜にうってつけの小金稼ぎみつけたぞ。

あなたの漫画レビュー買い取ります 「ほんのきもち」
ttp://www.itmedia.co.jp/news/articles/0708/02/news080.html
558純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/06(月) 22:33:25 0
面白いですね。
これならぴかぁ〜にうってつけでしょう。
559純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/06(月) 22:42:29 0
今、食事中なんですが、
最近食の味覚が備わってきました。
食べられるか食べられないかの判断しか無かったのですが、
最近、食品の味が分かる様になってきました。
少し前までは食に回す小遣いがあれば、哲学書に回していましたので、
食に関しては量が主に重要なものでした。
ですが、食の格を少し上げるとうまいかまずいかの判断が出来ていきます。
多少良い所で食べるとそうなる様です。人間らしい生活になってきているとも言えます。
いずれ、労働の世界に帰るのであれば、こういう事はやるべき事であり、
賃金によって、何かサービスを受けるというシステムに己を組み込むという回路は、
労働をする上で必要不可欠な事です。同時にこれは奇妙な感覚です。
何か遠回りな回路を通っている感じがします。不自然な行動をとっている様にも感じます。
何処かで思想を道端に捨てなければなりません。問題なのは捨て場所です。
560考える名無しさん:2007/08/07(火) 11:49:09 O
ぴかがこの板で行った一番善いことは一人の廃人の更正をたすけてることだ
561第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/07(火) 12:44:01 0
ボクは以前ネットには精神分析の効果があると言いました。
ネット上にテクストを書くことによって他者に見られるということですが、
ここはラカンのテーゼ「手紙は必ず宛先に届く」の一つの解釈あります。

すなわち、書くということで客観視できますが、この客観視のとは、
自らを他者としてみるということ、ヘーゲル的な対自即自です。
そしてこの他者とは自らであるとともに、大文字の他者です。
すなわちそこには他者の承認があるのです。
これは誰にも見せない日記でも同じです。日記は必ず(大文字の)他者へ
向かって書かれます。
そしてそこで承認されることによって、自らの中でどこにもいかなかった、
抑圧されたものが緩和されます。

そしてネット上は、日記などに比べて他者を捏造しやすい場所です。
ネット初期には、ネットになにかを公開するだけで、「世界中から見ることができる」
と言われました。
さすがにいまはそこまでのんきではありませんが、可能性としては
開かれているというとてもドグマティックな場所なのです。

ネットは冷たいネットワークシステムのイメージで語られますが、
このようなドクマが巣くう場所であることを考えないといけません。
562考える名無しさん:2007/08/07(火) 12:52:45 0
>>560
それは結果的に悪いことなのかもしれないとは考えられないか?
御札が貼られた仏壇を開けてしまうというか、要らんモノを眠りから起こしてしまうというか。
563第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/07(火) 20:10:02 0
>>
コミュニケーションと新しい主体

メッセージ・サービスのきわめて新しい点は、ある個人のユーザーが大勢の中でもつ唯一
の同一性が名前か「ハンドル」であり、それはたいていの場合そう思った方がいいが、虚構
のものかもしれないということである。・・・電話での会話は声や調子の中に個人の特徴を
保持しているので、会話者は彼らの「真の」同一性が自分の気分の中に現れて出てしまう
と感じている。メッセージ・サービスにおいては、そのような同一性の痕跡がまったく保持さ
れない。匿名性は完全なのだ。同一性はコミュニケーションの構造の中で虚構化されてい
るのである。

部族社会の小さな共同体においては、諸個人は誕生から「知られて」おり、日常の経験に
よって同一性を再生産するような広大な親族関係の構造の中に組み込まれている。こうし
たコンテクストにおいて、主体は社会的であり、相関的な自己として構築され、再生産され
ている。都市においては、対照的に、諸個人はそのような同一性の再生産から引き離され
ているが、ここでの会話は、情報様式以前には対面状況的な位置を必要としており、それ
ゆえ個人を特定する身体的な「署名」をされており、必要ならば実際の同一性は後から召
喚することができるのである。書き言葉と印刷によって、同一性はコミュニケーションからさ
らに取り除かれるようになったが、著者性は、たとえ筆名であっても、同一性を固定する役
割を果たした。コンピュータのメッセージ・サービスと共に、言語使用は根源的に伝記的同
一性から分離されたのである。同一性はコミュニケーションの電子的ネットワークとコン
ピュータの記憶システムの中で錯乱したのだ。

情報様式論 マーク・ポスター 
<<
564考える名無しさん:2007/08/07(火) 21:32:01 0
フリードリヒ・ハイエク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%AF

「理性主義」批判
デカルト以来の「理性主義」を「設計主義的合理主義(constructivist rationalism)」と
呼び、自由主義的な「進化論的合理主義(evolutionary rationalism)」と峻別、自由主義を
体系的に論じ「理性主義」を批判した。
そもそも、人間の理性は、文明社会そのものを創造する能力はもっていない。人間の行為は、
一つは先天的で本能の欲求によるものであり、もう一つは人間社会が歴史的に経験を通して
試行錯誤と取捨選択を積み重ねることにより発展してきた法(ルール)、伝統、規範に
従ってのものである。文明社会は人間の営みの結果であっても、それは人知を超えたものに
よって発展しているものであり、そこに人間の理性(知力)が入る余地はわずかである。
人間はその本質において、誤りに陥りやすい存在であり、人間社会は「漸進的な発展
(改良、進歩)」が期待されるのであって、もし理性を乱用し「革命的な進歩」を
目指した場合、文明そのものを破壊する。道徳規則の形成も、人間の社会における
実践的な営みの経験の中で成長したものであり、人間の理性による意識的な発明ではない
(この考えはヒュームの『人間本性論』に通じる)。
同様に、社会秩序も「自生的秩序(a spontaneous order)」であり、自由社会と
不可分の関係にある、「法の支配(rule of law)」と市場経済の二大原則の確立も
これにほかならない。
こうした考えから、計画経済と集産主義(collectivism)、それに基づく社会主義、
共産主義、ファシズムに対して反対し、同時にファシズムも左翼に分類した。
565純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/08(水) 03:01:13 0
やあ、
566純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/08(水) 03:02:48 0
ドラッグのスレを見ましたが、私純一はドラッグを摂取したよりも、
突飛な思考を、ドラッグを摂取せずに出来ると思います。
ドラッグを摂取した常人よりも、シラフの私純一のアイデアが実際聞いて面白いと思います。
567純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/08(水) 03:23:51 0
今、現在、思想の捨て場所に困っている次第です。
候補は幾つかあります。

>御札が貼られた仏壇を開けてしまうというか、要らんモノを眠りから起こしてしまうというか。

この様に、純一の突飛な思想を欲しいという人は少なからず居るでしょう。
ですから、色々と考えました。

@ 純一が弟子を取る
A 純一が出版する
B 純一が理論をネット公開

Bが現実的ですね。
568純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/08(水) 07:05:35 0
でも、個人的にやってみたいのは@なのです。
弟子を育てるというのも面白そうな感じがしますし、
これからはそういう仕事しか無さそうな気がします。
弟子と言えば、丸山の弟子に加賀野井が居ますが、
これは弟子の失敗例ですね。加賀野井は弟子なのですが、
師匠の理論を良く貶しているのを著作で見ますね。
私純一は加賀野井の論は下品なので買いませんがね。
569純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/08(水) 07:11:04 0
加賀野井の様な、出来損ないができるのも、
教義が伝達されていく上で仕方の無い事なのかもしれませんね。
そうであれ、伝達しなければならないという事情が、
現実での教義の授受なのかもしれません。
570純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/08(水) 07:26:22 0
ですが、教授でも無い限りは弟子を取る等という事は難しく、
最終的にはBしか無い様な気がしますね。
私はここ2〜3日、思想の捨て場所を熟考しているのですが、
未だにその捨て場所が見つからないのです。
ネットでばら撒いてしまおうかと考えているのですが、
皆さんはこれを危険な行為だと思うのでしょうか?
つまりは、世の中に純一2号や純一3号を量産する可能性を高めるのですが。
571純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/08(水) 07:34:48 0
私純一は過去にもブログを作った事がありまして、
ピエール・リヴィエールの犯罪というはてなブログだったのですが、
理解者はいませんでしたね。ですが、あれは現実で取りうる最上の方法であった様に思います。
また、再びブログを始めて、何か意味があるのか?いや、あんまり無さそうですね。
ブログでやるよりは、こうして哲学板で書く方がまだ意義があります。
572純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/08(水) 07:37:43 0
では、哲学板で発表するのはどうか?
これが最良の方法であると思われます。
ですが、それは今やってる事じゃないかという事もあります。
すると、私が公開している情報のレベルを上げるという事になります。
これなら、確かに受けは良いと思われますし、また弟子も取れます。
となると、これが最良の方法になるのでしょうかね。講義もできますしね。
ブログやホームページはまとめという形で良いでしょう。
573純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/08(水) 07:54:27 0
純一統一理論スレ立てようとして躊躇したところです。
574考える名無しさん:2007/08/08(水) 08:39:07 O
>>561
純一が粘着するのはぴかぁ〜が大文字の他者だからと
575純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/08(水) 09:44:47 0
ぴかぁ〜が書いてませんか?
576考える名無しさん:2007/08/08(水) 09:59:58 0
純一はぴかぁ〜と離れて自立することは不可能だからここにいろと
577純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/08(水) 13:58:29 0
逆ですよ、ぴかぁ〜は私が指摘しなければ妄想理論のままなのです。
578考える名無しさん:2007/08/08(水) 14:13:44 0
ぴかぁは親分肌っぽい腰巾着だな。こういう人間を今までに何人か見てきたことがある。
性格が思考の妨げになっているようで、見てて不憫に思うよ。
579第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/09(木) 11:15:16 0
■なぜウェブは資本主義を超えないのか

「なぜウェブは資本主義を超えるのか」

池田信夫氏のインタビュー「なぜウェブは資本主義を超えるのか」
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Interview/20070802/278983/?P=1&ST=ossは面白い。ここ
で重要なことは「ムーアの法則」でしょう。インターネットが成功しているのは、資源が無限にあ
ることで、「ユートピア」が実現されている。

さらには、情報が溢れるように提供された時,相対的に希少になるのは、情報が消費するも
の,すなわち「人間の関心」である。そして関心を取り合うことで、ネット上の経済は活発化して
いる。「Googleの検索広告はその典型です。世の中に何十億もページがある中で,自分の
ページを見てもらうために1クリックいくらで費用を払う。(池田)」ということです。
580第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/09(木) 11:16:23 0
「書き込みは必ず宛先に届く」

たとえば、ネット上にテクストを書くことによって他者に見られるということですが、ここはラカン
のテーゼ「手紙は必ず宛先に届く」の一つの解釈あります。

書くということで自分を客観視できますが、この客観視のいうのは、自らを他者としてみるとい
うこと、ヘーゲル的な対自即自です。そしてこの他者とは自らであるとともに、「大文字の他者」
です。すなわちそこには他者の承認があります。

これは誰にも見せない日記でも同じです。日記は必ず(大文字の)他者へ向かって書かれま
す。そしてそこで承認されることによって、自らの中でどこにもいかなかった、抑圧されたものが
少し緩和されます。

そしてネット上は、日記などに比べてこのようなまなざしの他者を捏造しやすい場所です。ネッ
ト初期には、ネットになにかを公開するだけで、「世界中から見ることができる」と言われまし
た。さすがにいまはそこまでのんきなことはいいませんが、可能性としては開かれているという
とてもドグマティックな場所です。ネットは冷たいネットワークシステムのイメージで語られます
が、このようなドクマが巣くう場所であることを考えないといけません。ネット上のメディアが
ホームページ、ブログ、mixiと日記形式であることは、まさに象徴的です。
581第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/09(木) 11:17:11 0
資本主義の超越論性

ネットの成功には、「人間の関心」が重要というときには、他者の関心が重要になります。まさ
に、「世の中に何十億もページがある中で,(他者に)自分のページを見てもらう」ということです。

そしてこの「人間の関心」の重要性はネットの特徴というよりも、資本主義そのものの特徴では
ないでしょうか。「私的な欲望や財産権を肯定することが「近代化」なのだ(池田)」というとき
に、欲望とはまさに、「人間の関心」です。

マルクスのいう商品の物神性、なぜ商品は価値をもつのか、を考えるときに、人々がほしがる
から価値をもつ、価値を持つから人々が欲しがる、というパラドクスがあります。同様な使用価
値をもつ安いバックはたくさんあるにもかかわらず、なぜシャネルのバックは人気があるのか。
シャネルがみんなに人気があるから価値がある、そして価値があるから人気がある。というこ
とです。

資本主義の正常な作動においては、産業革命による大量生産だけではダメで、それを大量消
費すること必要です。そして大量消費を可能にしているのは、必要だからほしいを超えていく、
終わりのない欲望、すなわち「人間の関心」という超越論性です。まさにこれこそが、資本主義
の基本原理です。

そして、「ムーアの法則」によって、情報が溢れることで、ネットにおいてより傾向が加速してい
るということでしょう。さらにいえば、「ムーアの法則」でさえも、下部構造ということはできませ
ん。「ムーアの法則」による生産には、それに対応する消費(欲望)があります。
582第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/09(木) 11:18:45 0
「解離的近代の二層構造論」

東浩紀の「解離的近代の二層構造論」(http://www.hirokiazuma.com/archives/000194.html)、
価値中立的なインフラ/アーキテクチャ(市場)の層と、価値志向的なコミュニティ(共同体)の
層が意味するものは、「ムーアの法則」によって情報が溢れることと、「人の関心」を消費(欲
望)することが、解離していることを表しています。

「私的な欲望や財産権を肯定することが「近代化」なのだ」と言う意味で、近代の祖、デカルト
の心身二元論に対応しています。生産性の加速的な構造とそれを消費する欲望の加速は資
本主義において相補的な運動であるとともに、また加速されることで、解離しています。そして
その傾向は、ネットにおいてより顕著になっているということです。

たとえば「主権国家(領土国家)は,17世紀にできたもので,ほぼ資本主義と同時に誕生した
制度(池田)」であると、想像の共同体であることを強調し、また現にネオリベラル化によって
「小さな国家」化が進んおり、情報化社会、グローバリズムでは国家の重要性が低下すると言
われる反面、反してネーションとそしてナショナリズムが台頭するという逆説がおこっています。
583第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/09(木) 16:37:14 O
資本主義が終わりなき欲望を基本にするならば 地球という資源消費の限界への危機感があります。
欲望がネットなど情報の次元に向かうならば、物質的な資源消費は減るのではないか、という期待がありますが、そう簡単にはいかないようです。
情報はより個別化を促進するなど、むしろ消費を活発化し生産上のエネルギー消費を増加させています。
さらに後進国が急激に資本主義的成長をとげており
エネルギー消費量は増すばかりです。
そしてどこかで限界がくるのか、それは新たな社会システムへの移行がおこなわれます。
584第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/10(金) 18:00:39 0
たとえば、小さな社会を考えてみる。基本は農業によって自給自足する閉じた社会である。
そこで年間の生産と消費を固定してみる。毎年、同じように収穫し、同じように消費する。
はたしてこの閉じた小さな社会に問題はあるだろうか。
585第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/10(金) 19:32:50 0
時間をながさなければならない。反復で時間が止まっている。
まず人が歳をとるだろう。死に、生まれる。
それだけで、同等の生産、消費の反復はむずかしくなる。
しかしさらに大きいのは、環境変化である。
毎年、同じように作物が育つとは限らない。
豊作もあれば、凶作もある。
すなわち時間が流れると言うことは、不確実性があるということだ。
そして不確実性に対応するために、リスク管理が必要になる。
たとえば十分な貯蓄があれば、が死に生産力が下がっても、凶作になっても、
対応することができる。
586第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/10(金) 19:34:27 0
たとえば、近代以前は地域に閉じた社会であり、経済成長も横ばいで、
人々には進歩史観がなかった。このような時代は、現代のような
流動性の高い社会からは、牧歌的に語られたりする。

しかしこれはロマン主義である。このような時代は、外部環境に
大きく依存し、作物のでき、病気などに苦しみ、不確実性は高く、
生存は今以上にずっと重要な問題だっただろう。

経済成長率や、人口増加が横ばいであるのは、そのような
不確実性との懸命な戦いの結果、人々が懸命に生きた結果である。
近代以前が反復する牧歌的社会ではなく、日々生き死にをかけた
日常であった。

このような不確実性は、現代では感じなくなっている。
科学技術とは、予測可能性を高めることにある。
しかし不確実性はたえず身近にある。
いまも綱渡りをしているのだ。
だから安易に、進歩をとめることはできないのだ。
587第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/10(金) 19:36:27 0
しかしさらには、人は反復する世界をいきられるのか、ということがある。
一見、牧歌的な近代以前も、生死をかけた日常であった。
仮に牧歌的な日常が可能になっても、そこに耐えられない。
588第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/10(金) 19:48:05 O
マルクスは資本主義社会が歴史的に特殊な社会であるといったが
長期的に不確実性に対するという意味で必然性がある。
それはリスク管理であるがフロイトのいう死への欲動などのようにある種、破滅的であるのは
不確実性とは決して管理されない外部であり、対応にはいつも錯乱的な過剰性をうむ。
589考える名無しさん:2007/08/10(金) 21:42:16 0
いつまでこの生活が続けられるのか分からないとゆう不確実性に
向き合っている、引きこもりニート(ヲタ)はどう?
590第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/10(金) 23:06:02 0
■資本主義に必然性はあるか

閉じた社会の不可能性

たとえば、小さな社会を考えてみる。基本は農業によって自給自足する閉じた社会である。
そこで年間の生産と消費を固定してみる。毎年、同じように収穫し、同じように消費する。は
たしてこの閉じた小さな社会に問題はあるだろうか。

時間をながさなければならない。反復で時間が止まっている。まず人が歳をとるだろう。死
に、生まれる。それだけで、同等の生産、消費の反復はむずかしくなる。しかしさらに大きい
のは、環境変化である。毎年、同じように作物が育つとは限らない。豊作もあれば、凶作も
ある。すなわち時間が流れると言うことは、不確実性があるということだ。そして不確実性に
対応するために、リスク管理が必要になる。たとえば十分な貯蓄があれば、が死に生産力
が下がっても、凶作になっても、対応することができる。
591第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/10(金) 23:07:07 0
科学技術の意味

近代以前は地域に閉じた社会であり、経済成長も横ばいで、人々には進歩史観がなかっ
た。このような時代は、現代のような流動性の高い社会からは、牧歌的に語られたりする。
しかしこれはロマン主義である。このような時代は、外部環境に大きく依存し、作物のでき、
病気などに苦しみ、不確実性は高く、生存は今以上にずっと重要な問題だっただろう。

経済成長率や、人口増加が横ばいであるのは、そのような不確実性との懸命な戦いの結
果、人々が懸命に生きた結果である。近代以前が反復する牧歌的社会ではなく、日々生き
死にをかけた日常であった。このような不確実性は、現代では感じなくなっている。科学技
術とは、予測可能性を高めることにある。しかし不確実性はたえず身近にある。いまも綱渡
りをしているのだ。だから安易に、進歩をとめることはできないのだ。
592第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/10(金) 23:10:29 0
資本主義の必然性

マルクスは資本主義社会が歴史的に特殊な社会であるといったが、長期的に不確実性に
対するという意味で必然性がある。それはリスク管理であるがフロイトのいう死への欲動
などのようにある種、破滅的であるのは不確実性とは決して管理されない外部であり、
対応にはいつも錯乱的な過剰性をうむ。

人は反復する世界をいきられるのか、ということがある。一見、牧歌的な近代以前も、生死を
かけた日常であった。仮に牧歌的な日常が可能になっても、そこに耐えられない。

資本主義のもつこのような過剰性は、資本主義特有ではなく、人間そのものがもつものと
考えることができる。そして資本主義が選ばれたのは、不確実性をもっとも確実に飼いなら
すからだ。
593考える名無しさん:2007/08/10(金) 23:26:07 0
>そして資本主義が選ばれたのは、不確実性をもっとも確実に飼いならすからだ。

社会主義は?
594第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 00:01:29 0
>>593
自由と平等という民主主義という形態が資本主義を補完してきたは、
良く言われます。大量生産、大量消費には、個人という労働力と
消費欲が求められたということです。

では社会主義はどうか。なにをもって社会主義というかですが、
マルクスについては言えば、たとえば労働価値説というのがあります。
抽象的な人間労働時間を一つの単位として、商品価値を還元しようと
しました。均質な人間労働という強力な還元主義。

柄谷、岩井のマルクス解読では、商品価値には労働価値は必要がありません。
商品の価値は交換によって決まることで説明できる。
唯物史観であれ、労働還元主義であり、サヨの基本には計画管理された
完全な経済という思想があります。
マルクスが労働としていったものは、柄谷の(超越論的)他者であり、
完全性を挫くものです。マルクスは商品の物神性に到達しながら、
この超越論性を還元主義によって隠蔽した。

まさにこの超越論性こそが、不確実性です。完全性を躓かせる石です。
商品の価値はだからなににも還元できない、不確実なものです。
社会主義でなく、資本主義が選ばれたのは、不確実性を放置することで、
もっとも確実に飼いならすからだ。
595Rail:2007/08/11(土) 00:03:31 0
自由主義⇔社会主義

資本主義⇔共産主義

「社会主義」とは
自分たちの住む社会のあり方を先に自分たちで決める社会のことだよ
596第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 00:22:26 0
社会主義にも国家社会主義、アソシエーションなどがあるからね。

自分たちの住む社会のあり方を先に自分たちで決めることができる(=主知主義的)と
考えることだね。
597第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 00:25:53 0
自由主義もリベラル、リバタリアンがあって、
リバタリアンも自由を重視すると、アソシエーション社会主義に近づく。
598考える名無しさん:2007/08/11(土) 00:26:31 0
>>594
不確実性を、「科学技術」で「予測可能性を高める」ことでもなく
「資本主義」で「飼いならす」ことでもなく・・・・・・んんん?

>>595
了解

>>596
社会主義や共産主義は不確実性を隠蔽するから、資本主義の
ほうがまだマシ・・・・・がFA(ファイナルアンサー)?
599第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 00:29:31 0
改訂

人間に内在する不確実性

マルクスは商品の価値について、労働価値説をとっていた。抽象的な人間労働時間を一つ
の単位として、商品価値を還元しようとした。均質な人間労働という強力な還元主義。柄
谷、岩井のマルクス解読では、商品価値には労働価値は必要がありません。商品の価値
は交換によって決まることで説明できる。

唯物史観であれ、労働還元主義であり、サヨの基本には計画管理された完全な経済という
思想がある。マルクスが労働としていったものは、柄谷の(超越論的)他者であり、完全性
を挫くものである。マルクスは商品の物神性に到達しながら、この超越論性を還元主義に
よって隠蔽した。

まさにこの超越論性もまた一つの不確実性である。それは、外部から到来する不確実性で
はなく、人間に内在する不確実性である。人間に内在する不確実性とは、フロイトのいう死
への欲動であり、破滅的である。そして商品の価値は還元できず、不確実なものであり、人
間の経済の完全性を躓かせる。


資本主義の必然性


人は反復する世界をいきられるのか、ということがある。一見、牧歌的な近代以前も、生死
をかけた日常であった。仮に牧歌的な日常が可能になっても、そこに耐えられない。それ
は、外部が不確実性として回帰し続けることへの錯乱的な過剰な防衛であるとも言える。

マルクスは資本主義社会が歴史的に特殊な社会であるといったが、長期的に外部からの
不確実性に対するという意味で必然性がある。社会主義でなく、資本主義が選ばれたの
は、人間に内在する不確実性を解放することで、外部から到来する不確実性をもっとも確
実に飼いならすからだ。
600第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 00:42:07 0
外部不確実性の回帰

しかし環境問題によって、資本主義は終わりなき欲望(人間に内在する不確実性の解放)
を基本にすることで、地球という資源消費の限界への危機感が叫ばれている。これは、外
部からの不確実性の回帰である。

ここで再び、選択を迫られている。マルクスのいうように人間の不確実性を抑圧し、計画経
済へ向かうのか、引き続き終わりなき欲望(人間に内在する不確実性の解放)による科学
技術の発展によって、乗りこえるのか。

601考える名無しさん:2007/08/11(土) 00:42:27 0
>>599
>仮に牧歌的な日常が可能になっても、そこに耐えられない。

そこで「宗教」や「祭り」があったりするのでしょう。
構造主義的にはあまりにも安易なかたちではあるが。

資本主義に必然性があるのであれば、これからも続くだろうと
考えて宜しい?
社会主義も共産主義もダメなら、消去法からも、資本主義しか
ないのである、が結論のようですね。
602第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 00:45:02 0
>>601

>近代以前は地域に閉じた社会であり、経済成長も横ばいで、人々には進歩史観がなかっ
>た。このような時代は、現代のような流動性の高い社会からは、牧歌的に語られたりする。
>しかしこれはロマン主義である。このような時代は、外部環境に大きく依存し、作物のでき、
>病気などに苦しみ、不確実性は高く、生存は今以上にずっと重要な問題だっただろう。
603考える名無しさん:2007/08/11(土) 00:57:44 0
>>602
近代以前からも「都市」はあって、商品の交換(交易)は盛んに行われてました。
中世がどのようであったのかについて、例えば「江戸」は一方では町人文化が
栄えたとも言えるが、その一方で、江戸時代は「暗黒の時代だった」という人も
います。どちらともとれるでしょう。

資本主義をどのようにすれば継続できるのか、持続可能な資本主義のあり方
(環境問題もあるので)が現代の私たちに問われてるということですね。
604第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 01:05:00 0
>>603
たとえば江戸時代の平均寿命は30前半と言われます。
あるいは中世には時間という概念が希薄だったと言われます。
いまからさかのぼって同じであると、共感するのはロマン主義です。
605純一:2007/08/11(土) 01:09:38 0
ぴかぁ〜の言いたいことをまとめるとこうです。

@資本主義社会ではロリコン趣味は許容される
A共産主義社会ではロリコン趣味は抑圧される
Bぴかぁ〜はロリコンである
Cゆえに、ぴかぁ〜は@を選ぶ

何てことはないですね。
ぴかぁ〜言いたいことはこれだけのことです。
606第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 01:12:57 0
>>603
いまさら資本主義的な欲望を抑圧することはできないと思います。
基本的には技術で乗りこえるしかと思いますが、
歪みは世界的な競争の激化、格差社会として現れるでしょう。
607考える名無しさん:2007/08/11(土) 01:12:58 0
>>604
それは平均値。子どもの死亡率が高かったから(だから子をたくさん産んでいた)。
10才以上まで生きれた人の平均寿命は60才は越えてたと思います。
それから江戸時代前半は日本の人口が急増してます。後半は横ばいですが。

では「科学技術」との関連で「医療」についてはどうですか?
人の生死という不確実性を無くす方向で駆り立てられてる「科学技術」です。
これについてどう思われますか?

とりあえず「持続可能な資本主義」でFAですね。
608第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 01:22:00 0
>>607
確かに幼児の死亡率が高いことが特徴ですね。
60才ということはないと思いますよ。

当然、医療は科学技術(予測可能性)の一部ですね。

「持続可能な資本主義」は美しすぎますね。
「資本主義の持続」でFAです。
609考える名無しさん:2007/08/11(土) 01:22:46 0
国家が存在する以前から市場経済は存在した。
国家が崩壊しても市場経済は残る。戦後の闇市。
そして市場経済が必要としなければ国家は駆逐される。

EUは欧州の国家の枠組みをブレイクスルーした。
グローバル経済の進捗と共に従来の国家の枠組みは形骸化しやがて無くなる。

国家とは市場の下僕である。
610考える名無しさん:2007/08/11(土) 01:27:04 0
>>608
江戸時代後期の平均寿命は男子20.7歳、女子28.6歳といわれる。
成人した者(21歳以上)の平均死亡年齢は男子61歳、女子60.1歳。

10歳以上ではなかったですが、検索したらこれがでました。

>「資本主義の持続」でFAです。

そうですね。
「外部から到来する不確実性をもっとも確実に飼いならす」ことが
何より大切なのですね。

答えが出たのでこれで終了します。
611第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 01:27:09 0
江戸時代いえば、ハラキリが有名ですが、
武士社会の「忠義」というのは現代からは理解しがたいものがあります。
組織の一部としての強力な帰属意識。
敵であっても、当然のように相手の美しい死を尊重するわけです。
612考える名無しさん:2007/08/11(土) 01:27:28 0
死はいつ訪れるかわからないけど、生き延びたとしてさ、
自分自身が老人になったときに持ちうる思想ってのを一応
想像しといてもいいとおもうなぁ。青年期はやっぱり威勢の
いいこと言うし考えるしそれはそれでまっとうだと思うけど。
ナニ主義云々ってのより、健康問題、自己資産、福利厚生
のが最優先事項にならざるをえない、みたいな。
613第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 01:33:17 0
>>609
柄谷になりますが、国家は市場経済を前提に生まれています。
国際的に市場経済を安定するためです。
対立する概念ではないのです。

>>610
答えがでましたか。
ボクはでないので、続けてみます。
614第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 01:37:18 0
>>612
寿命というのは、社会の新陳代謝であり、
必ずしも悪いことではありません。
新陳代謝が悪いと社会そのものが腐敗します。

寿命が延び、個人の生が重視され、高齢化社会によって、
社会が保守化することは、
ある意味で資本主義の成功の弊害ですね。
年金、保険は破綻することが見えていますから。
615武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/11(土) 01:46:06 O
>>614
そうかねえ。
資本主義が自壊してくれりゃいいんだという立場もあるんだが。
ユナボマーみたいなやり方じゃなくて何かないかなって日頃考えてる私としてはね
616第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 01:49:46 0
「外部から到来する不確実性をもっとも確実に飼いならす」ことが
何より大切であるというとき、
人にとって、外部の不確実性が外傷(トラウマ)的であるということが重要です。

だから、

>外部が不確実性として回帰し続けることへの錯乱的な過剰な防衛であるとも言える。

資本主義が勝利したのは、外傷をもっとも抑圧したからです。
しかしそれはなくなったわけではありません。
環境問題として回帰しました。

そして環境問題とはほんとうか?と問わなければなりません。
人間の環境問題への怯えもまた、錯乱的な過剰な防衛であるとも言えます。

資本主義の勝利とは、このような意味です。

そして、
>「持続可能な資本主義」は美しすぎますね。
>「資本主義の持続」でFAです。

ということの意味です。



617考える名無しさん:2007/08/11(土) 01:50:54 0
EC・欧州経済共同体が発展し、EU欧州共同体が生まれた。
欧州各国の国家は形骸化した。同一ルールの市場経済が発展すれば
旧来の国家は関税や国境など経済発展にはり不要なものである。

市場経済にとって国家は必要不可欠なものではない。必要とあれば使用するが
不要と判断すれば排除していく。
618第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 02:03:49 0
>>617
市場経済を平等なイメージで語りすぎる。
市場経済は駆け引きの世界です。
いかに自らに優位に策略するか。

EC共同体は、各国の策略的な思案、
わかりやすく言えば、欧州内よりも対アメリカの脅威が大きいことの連帯です。
だからEC経済共同体ができても、国家が解体されたわけでも
なんでもない。
変わらず国家は国際的な市場経済の駆け引きにこそ、必要とされています。
619第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 02:05:10 0
改訂

資本主義の必然性

マルクスは商品の価値について、労働価値説をとっていた。抽象的な人間労働時間を一つ
の単位として、商品価値を還元しようとした。均質な人間労働という強力な還元主義。柄
谷、岩井のマルクス解読では、商品価値には労働価値は必要がない。商品の価値は交換
によって決まることで説明できる。

唯物史観であれ、労働還元主義であり、サヨの基本には計画管理された完全な経済という
思想がある。マルクスが労働としていったものは、柄谷の(超越論的)他者であり、完全性
を挫くものである。マルクスは商品の物神性に到達しながら、この超越論性を還元主義に
よって隠蔽した。

まさにこの超越論性もまた一つの不確実性である。それは、外部から到来する不確実性で
はなく、人間に内在する不確実性である。人間に内在する不確実性とは、フロイトのいう死
への欲動であり、破滅的である。そして商品の価値は還元できず、不確実なものであり、人
間の経済の完全性を躓かせる。

マルクスは資本主義社会が歴史的に特殊な社会であるといったが、長期的に外部からの
不確実性に対するという意味で必然性がある。社会主義でなく、資本主義が選ばれたの
は、外部から到来する不確実性をもっとも確実に飼いならすからだ。そしてそれは人間に
内在する不確実性を解放することによって達成される。
620第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 02:05:58 0
資本主義の勝利の意味

ニーチェの永久回帰、人は反復する世界をいきられるのか、ということがある。一見、牧歌
的な近代以前も、生死をかけた日常であった。仮に牧歌的な日常が可能になっても、そこ
に耐えられない。それは、外部が不確実性として回帰し続けることへの錯乱的な過剰な防
衛であるとも言える。人にとって、外部の不確実性が外傷(トラウマ)的であるということだ。

資本主義が勝利したのは、外傷をもっとも抑圧したからである。しかしそれはなくなったわ
けではありません。環境問題として回帰した。そしてまさにここで、環境問題とはほんとう
か?と問わなければなりません。人間の環境問題への怯えもまた、錯乱的な過剰な防衛
であるとも言えるからです。資本主義の勝利とは、このような意味です。
621第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 02:18:49 0
>>618のつづき

解放された自由競争とは、なんでもありの無法地帯です。
そこに市場ルールが守られる保証などどこにもありません。
だから国家が必要なのです。
国家間の約束において、市場ルールは守られるとともに、
国家間の暴力的な駆け引きの上で、それが不平等であろうが、
市場ルールは機能する、そこにしか秩序は生まれない。

国家が合法的な暴力装置であるとは、このような意味です。
市場主義を推進するアメリカがもっとも合法的な暴力を
こうし続けるのは必然なのです。
622考える名無しさん:2007/08/11(土) 02:22:11 0
>市場経済は駆け引きの世界です。
>いかに自らに優位に策略するか。

別に経済をクリーンとは思っていないが。
人の本質は弱肉強食。それは経済も政治も同じ。

政治や宗教・思想も主義者の自らを優位にするための道具
じゃないかい。イデオロギーの対立や宗教戦争でどれだけ
血を流したことか。

経済がクリーンじゃないということは同意するが、同じように思想・宗教もクリーンではない。
623第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 02:26:07 0
だから柄谷は世界共和国と言ってのです。
世界共和国が徐々にでなく、一気にできるときにだけ、
国家の消失した市場経済が成立するのです。

ボクはこれは宇宙人が攻めてこない限りこれは無理だと思います。
地球人と差異化される宇宙人の登場によって、
はじめて、利害が一致した地球人という世界共和国が可能になる。
624武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/11(土) 02:26:15 O
>>620
資本主義は勝利したけど鬼子を何人も生んだよ。
鬼子をも食いつくすか、はたまた鬼子にしてやられるか。
まあどっちでもいいや
625第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 02:33:50 0
>>622
マルクスは商品交換は共同体と共同体の間で生まれたと言いました。

ここで強調されているのは、互酬贈与ではなく、等価交換ということです。
等価交換とは知らない者の間でないと成立しない。
知り合いは、等価交換に見えても、そこに互酬贈与が働くからです。

そして等価交換という知らない者同士だから、国家のような
秩序を維持する暴力が必要なのです。
国家がなければ、すぐに無法地帯に陥ります。

宗教は知り合いの贈与互酬の世界です。
だから国家は必要がない。

政治は共同体内では、贈与互酬=知り合い助けないですが、
多くは国家間の駆け引きのためにあります。
626武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/11(土) 02:36:53 O
>>623
宇宙人は私のいうところの「鬼子」(環境問題及び核などの安全保障などね)でもいいじゃない?
滅亡寸前まで行けば団結するよ。
柄谷もそういうことども射程に入れてるでしょ。
ただ世界共和国を困難とするあなたのいうところのニュアンスは賛成
627考える名無しさん:2007/08/11(土) 02:39:20 0
>>621
>国家間の約束において、市場ルールは守られるとともに、
>国家間の暴力的な駆け引きの上で、それが不平等であろうが、
>市場ルールは機能する、そこにしか秩序は生まれない。

EU内に限定した話だが。ECができたことにより、欧州の国家同士の戦争の可能性は
ほぼ永久に駆逐された。経済を共同体とし地域内国家間の労働・資本・社会インフラを
共有・相互依存することで域内市場経済の効率は高まる。

一度経済共同体に依存するようになると、その枠組みから孤立することはできない。
今、ドイツがフランスに侵略すればドイツ経済は永久に死ぬことになる。
核の傘のように、経済の傘が欧州の国家間の戦争を永久に駆逐した。

血塗られた欧州の歴史、政治・宗教・武力で止めることのできなかった戦争を
経済の枠組みを共有することにより恒久平和をもたらす。

例えるなら、日本の村落共同体、稲作という共同作業を村人全員で協力する。
秩序を乱すものは村八分。経済の利害を共有化することが平和と秩序を生み出すということ。
628第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 02:41:05 0
>>626
確かに柄谷は世界共和国の成立条件に、
環境問題、核などの世界的な危機感を上げていましたね。

ボクが宇宙人で言いたかったことも同じことですが、
環境問題はやはり虚像的に弱いと思うのですね。
地球の温度が上がってなにが問題か。
ツバルが沈没する?後進国を搾取し続けてきて、いまさら弱者救済
でもないですね。格差が広がるだけでしょう。

やはり強烈に差異化する他者の登場、宇宙人の来襲しかないと、
思うのです。
629第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 02:46:05 0
>>627
では、ECとアメリカ、ECと日本の戦争の可能性はどうですか?
マクドナルドのある国は戦争をしない、という話がありました。

戦争も一つの経済的な駆け引きなのです。
だから国家は暴力装置なのです。
国家の暴力を作動するとき、武力戦争と経済戦争、どちらが経済的にリスクが低いか。
経済戦争の方がリスクが低いから先進国間は戦争をしないのです。
630武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/11(土) 02:55:22 O
>>628
なるほど。
631考える名無しさん:2007/08/11(土) 03:03:04 0
>>629
第二次大戦後、西側陣営、自由主義経済国間で戦争になったのは
イギリスとアルゼンチンのフォークランド紛争ぐらい。
小競り合いは除くとして、自由主義経済国同士の総力戦は今後起こる可能性は
ほとんどない。

産業革命以後、もはや一国で経済を自給自足できる国はほとんどないから。アメリカにしろロシアに
しろ他国との輸出入なしでは経済は成り立たない。同じ経済共同体に属するならば
ヒトラーやフセインのような行動を取ればその国の軍事的・経済的な死を意味する。

今やロシアや中国ですら市場経済に取り込まれた。
もちろんゼロでは無いが、ロシア・中国と資本主義国との戦争のリスクも冷戦時代より大幅に低下した。

経済戦争という言葉は市場競争と置き換えることができる。競争の無い市場原理が
働かなければ経済は成り立たない。ソ連や中国の社会主義経済が崩壊したように。

人間の本質は弱肉強食であり、競争の無い社会は存在しない。
武力による戦争よりも、経済戦争の方がよっぽどいいと思うけどね。
632考える名無しさん:2007/08/11(土) 03:10:56 0
中国やロシア、旧共産主義国は経済が成り立たなくなり、資本主義の軍門に下った。
キューバ、ベトナムもしかり。唯一下ってないのは北朝鮮くらいか。この国は資本主義国
の方が拒否している感があるが。

資本主義にまつろわぬものは、宗教。アルカイダやイスラム過激派は資本主義・市場原理に屈しない。
後は資源ナショナリズム、ベネズエラ・イランが米国に対して強硬な態度を取れるのは
自国に石油資源があるため。今後の世界の紛争のキーポイントは資源。
633第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 03:14:14 0
>>631
たしかに、先進国は経済的な密接な結びつきによって、他国を破壊すると、
自国の経済も深刻的な打撃をうけるという状況なりました。

それとともに、世界大戦の教訓は、もはや戦争がいかに非経済的な行為
であるか、ということでしょう。
以前、戦争は人間同士の闘争という面がありました。
娯楽とは言いませんが、自らの強さを示す、闘争本能をかき立てる
者であった。
第一次世界大戦に本格的な兵器の戦争になり、主体性はなくなり、
人は兵器を動かす身体部品になりました。
そしてただ悲惨で、大規模な損失を生みました。
634考える名無しさん:2007/08/11(土) 03:17:42 0
>>631
>ロシア・中国と資本主義国との戦争のリスクも冷戦時代より大幅に低下した

武力で威圧する代わりに石油パイプラインを止めれば済むからね。
(実際にロシアはそれで脅してる)

>>632
>ベネズエラ・イランが米国に対して強硬な態度を取れるのは自国に石油資源があるため。

イランと米国の関係はじつはフランスと米国の代理戦争。
イラクと米国の関係もじつはそうだった。イラクが機軸通貨をドルからユーロに変更したから
イラクは爆撃された。イランもドルからユーロに変えようとしてるから米国に睨まれている。

通貨の価値が何によって保障されてるのかがキーポイント。
635第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 03:20:37 0
昔から、ほんとに多くの戦争が行われてきました。
日本の戦国時代などありますが、地域的ないざこざが当たり前です。
そしてこれは一つの経済活動だったと思います。
他国を占領することで、経済的に潤う。
そして負ければ終わりということではなく、次の機会に
挽回するといような・・・
それが巨大兵器によって、あまりに非経済な行為となってしまった。
戦争の楽しみは失われたのです。
636考える名無しさん:2007/08/11(土) 03:25:54 0
>>633
>戦争がいかに非経済的な行為であるか

経済が回らなくなったときに戦争が起きる。
日本が戦争を起こした理由もそれ。
それから、戦争は儲かる。
第一次、第二次世界大戦で米国は大儲けした(欧州が大損した)。
朝鮮戦争で、戦争特需に沸いたのが戦後の日本。
それから、軍需産業の規模も馬鹿にならない。
沖縄の米軍基地の移転に日本政府はいくら支払った?

>>635
>戦争の楽しみは失われた

そんな発想は古今東西にない(一部のネット右翼は除くが)。
孔子の兵法にも、戦争は一番最後にとる手段だと書かれてる。
637考える名無しさん:2007/08/11(土) 03:35:22 0
>>634
>通貨の価値が何によって保障されてるのかがキーポイント。

最近ユーロの国際通貨としての価値は上昇している。アメリカを牽制する手段として
ユーロ保有量を増やしますというのも有効。中国もユーロ保有量を増やしている。

通貨の価値が何によって保証されているかというのを突き詰めて考えると
結構面白い。金本位制と違って金と一定の交換価値があるわけでもない。
発行する中央銀行が属する経済システムが裏づけになるとも言えるが、
通貨の絶対的な価値というものは非常にあやふや。
638第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 03:36:49 0
>>636
アメリカは世界大戦に参加しないことを方針の基本にしてきた。
パールハーバーまでは。
朝鮮戦争特需は日本にとって戦争ではない。

戦争が儲かるのは、決定的に弱者に対してか、部外者かです。
先進国間同士の戦争が与える損害は図り知れません。

>>636
>孔子の兵法にも、戦争は一番最後にとる手段だと書かれてる。

この考えが必ずしも正当なものではありません。

まあ、ドラマですが、いま放映中の風林火山で
だから戦わずして勝つという戦争合理主義者の山本勘助は
卑怯者と言われたのです。
このような策士は、本来の戦争では受け入れらないものです。
戦争とは正々堂々と戦う、ところに意味があった。


639考える名無しさん:2007/08/11(土) 03:48:45 0
>>637
論理的には「自己言及」するはずなんだけどそうはならないミステリー。
国際通貨と(いわゆる普通の)通貨はじつは同じではなかったりする。
言ってしまえば、それは、国際通貨=商品と変わらなくなる世界。

最近は徐々にドルがやばくなりつつありますね。
米国は底力があるから分からないが、アメリカ経済はちょっとこの先
危ないかも知れない。

>>638
>アメリカは世界大戦に参加しないことを方針の基本にしてきた。

そのほうが儲かるから。一番儲かるのは戦争に参加せず武器を売ること
が第一次大戦後の新しい形であると言えるだろう。
おかげで大戦後、米国と欧州の力関係は逆転した。世界を支配していた
イギリスは債務国に転落。

>先進国間同士の戦争が与える損害は図り知れません。

だから先進国間同士での戦争は起きにくい。

>戦争とは正々堂々と戦う、ところに意味があった。

昔の戦争ほど、お互いに犠牲者を出さないような仕組み(としての戦争の形)
が確立されてたのかも知れない(これは俺は詳しくない)。
ただ、徐々にそれが崩れて(?)、夜襲をかけたり、鉄砲を使ったり、相手を
騙したり、何でもありになった(いや、これは違うか)。
その辺は君主や側近の実力・判断でいろいろあるだろうから一概には言えない
が、しょっちゅう戦争を仕掛けるような、戦争好きな君主がうまく国を治められた
とは考えにくいかな。
640第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 03:51:21 0
物語になりますが、山本勘助、斎藤道三、織田信長
忠義、正々堂々の素朴は戦争世界に、
合理主義を導入し、策士であり、いかに勝つかに特化した
革命児として描かれます。そしてどこか異端児であるとともに、
卑怯者です。

合理主義者が、卑怯者として描かれるのは、
シェークスピアのベニスの商人です。
あの時代、等価交換というのは軽蔑すべき行為でした。
たとえば、時代劇の商人が悪役であるのも、
その名残かもしれません。

現代ではマルクスが、資本家を守銭奴と呼ぶのも、
ホリエモン、村上ファンドへのバッシングにも残っています。
641第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 03:58:24 0
>>639
アメリカが第一次世界大戦に参加しなかったのは、
欧州中心の世界で、まだ植民地上がりの経済的、政治的に弱小国家だったから。
結果的に、2つの世界大戦を経て、アメリカは強国になった。
642第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 04:05:19 0
合理主義者というのはいつも外部から来るよそ者です。
身近な者は助けないの贈与互酬の関係になりますが、
合理主義は人間関係を排除したところにあります。

山本勘助、斉藤道三はよそ者、
織田信長はよそ者でないがうつけ者

ベニスの商人などかつての商人はユダヤ人というよそ者
ホリエモン、村上も今までの慣習を破る外部からの者です。

これが、マルクスは商品交換は共同体と共同体の間で生まれた、に繋がります。
643考える名無しさん:2007/08/11(土) 04:07:17 0
>>641
そうだっけ。第一次大戦でも、ずいぶん後のほうになって美味しいとこ
取りしてたと思うが。

しかし「第三の波平」さんは、戦争を美化したいとお考えで?
644考える名無しさん:2007/08/11(土) 04:10:18 0
>>642
イギリスで合理主義的思考が育まれた背景には、国家(王国含む)の
腐敗・汚職・不正が蔓延してたという事情があった。

だから、「贈与互酬の関係」と腐敗・汚職・不正を予防するということを
論じなければならない。
645第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 04:12:59 0
それが、マルクスがいう資本主義の特殊性です。
本来、関係性とは贈与互酬などの助けないが一般的なのです。

昔から市場はあったといいますが、それは一部であり、
経済活動の基本は、贈与
あるいは上下関係の再分配です。
等価交換が全面化する資本主義社会というのは、
ほんとに不思議なことなのです。

再度話を戻せば、>>619-620のように、
資本主義の必然性を、

外部から到来する不確実性をもっとも確実に飼いならすからだ。
外部の不確実性が外傷(トラウマ)的であり、外傷をもっとも抑圧しえたという意味で、
といった。
646第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 04:20:23 0
>しかし「第三の波平」さんは、戦争を美化したいとお考えで?

危険ではあるが、機械化される前後で戦争の意味は大きく変わったと思います。
なかなか語れないタブーですが。


>イギリスで合理主義的思考が育まれた背景には、国家(王国含む)の
>腐敗・汚職・不正が蔓延してたという事情があった。
>だから、「贈与互酬の関係」と腐敗・汚職・不正を予防するということを
>論じなければならない。

これは面白いかもしれませんね。
ボクは資本主義への転換の一つに、社会の規模を考えています。
贈与関係の知り合いの同士の村が、ある大きさになり、
知り合いとして見分けられなくなるときに、いかに秩序を保つか、
そこに上下関係の権力が必要ですが、そこに贈与関係が
働くとときには、腐敗・汚職・不正が生まれます。
大きな社会の贈与は汚職と呼ばれるといってもいい。
それを緩和するところに、資本主義的合理主義は要請されるのかもしれません。
647第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 04:21:40 0
資本主義の必然性にはまだまだ考察が必要なようです。
648考える名無しさん:2007/08/11(土) 04:23:12 0
>>645
中世のヨーロッパなんてほとんどが農民ですからね。
でも市場は(一部だが)あった。交易の拠点となる場所には
都市も誕生していたし、そこで発明されたルール(関係性)は
その後の市場〜資本主義への足掛かりとなった。

社会をシステム化・透明化するのがいいのか、それとも贈与互酬的
なほうがいいのかは、一概には言い切れないところがあるでしょう。
突き詰めれば性善説・性悪説の話になる。

で、「第三の波平」さんは資本主義がどうあるべきだとお考えで?
649純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/11(土) 08:43:26 0
>ぴかぁは親分肌っぽい腰巾着だな。こういう人間を今までに何人か見てきたことがある。
>性格が思考の妨げになっているようで、見てて不憫に思うよ。

私の友人にも沢山居ます。
しょっちゅう下らない事で裏切りますが、私純一は知らない振りをしています。
650考える名無しさん:2007/08/11(土) 09:04:58 0
ああ、いるなそういう奴w

会議とか言って人集めといて、要点もないまま延々と喋り続けて自分が満足すればそれで終わる。
で、俺らは「はぁ?これ何の会議だったんだよ」状態へと突き落とされる。

ただ、その人は俺らの上司だった。だからそれで済んでたし俺らの誰も特に文句は言わなかった。
ぴかぁも上司になれればそれなりに人生も軌道に乗れたと思うよ、いや本当に。

占い師の顔も持つ俺がプロファイルすると、ぴかぁは乙女座(8/23-9/22生まれ)だなw
651第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 09:38:12 0
>でも市場は(一部だが)あった。交易の拠点となる場所には
>都市も誕生していたし、そこで発明されたルール(関係性)は
>その後の市場〜資本主義への足掛かりとなった

教科書的な歴史観と、マルクスの語る歴史観の差を考えないといけません。
たとえばマルクスがいう、共同体の間に貨幣交換が生まれる。
贈与が一般的で、資本主義的な貨幣交換は特殊である。
このような言説は、教科書的な歴史観はでてきません。
マルクスの言説は一つの系譜額なのです。
歴史観は、必ず現在の人からさかのぼった認識によって作られています。
系譜学はその認識を疑うのです。
哲学は人々の素朴な世界観を、懐疑していました。
だから系譜学は、哲学的懐疑的歴史論ということです。

市場も貨幣も都市もあった。それは市場〜資本主義への足掛かりとなった、という
素朴な歴史観を、どのように疑っているのか。
マルクスの画期的な点は、それまでの資本主義が歴史の当然な帰結である、
という歴史観が、資本主義世界に住む住人が自己中心的に考えた歴史観でしかない、
と懐疑したのです。

共同体の間に貨幣交換が生まれる。
贈与が一般的で、資本主義的な貨幣交換は特殊である。
というのはそのようなとらえないといけません。

マルスク、ニーチェ、あるいはフーコーの語る歴史が
どこまで正しいか、そもそも歴史の正しさはないわけですが、
ただ彼らは素朴に歴史の何を懐疑しているのか、
この点を理解しないといけません。

652考える名無しさん:2007/08/11(土) 09:56:12 0
>>651
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A8%E5%B9%A3#.E8.B2.A8.E5.B9.A3.E3.81.AE.E6.AD.B4.E5.8F.B2
>「貨幣の歴史」
>いつごろ使われ始めたのかはよく分かっていないが物々交換が盛んに行われるようになると物資の交換に
>伴う不便が生じるため不便を取り除くため、(1)誰もが欲しがり、(2)集めたり分けたりして任意の値打ちを表
>すことができ、(3)容易に持ち運び、保存できるような品物が、交換の媒介物として用いられるようになった。
>これが物品貨幣(自然貨幣)または原始貨幣と呼ばれるもので、日常的に良く使うものが利用された。

よく知らない話なので調べてみたが一般的な貨幣の認識はほぼこれでは?

「歴史」が時の権力者を正当化するために書き換えられるということは歴史研究してる人には当たり前の話
であって、彼らはステロタイプ化された「歴史」を常に疑い、検証・物証する作業を地道にやってると思う。
653第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 10:14:10 0
>>652
現代における哲学の存在意義はどこにあるでしょうか。
大きなものは、現代の真実を作り続ける科学への批判理論においてです。
哲学的歴史学(系譜学)が科学的歴史観を懐疑しつづけるのです。
だからいかように疑ったのかが重要なのです。
654考える名無しさん:2007/08/11(土) 10:17:47 0
反論を渇望している理由が見つかった。
これだろ。

ttp://homepage1.nifty.com/eggs/iryou/gihou/projectiv_id.html
655第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 10:18:26 0
マルクス経済学の意味は、古典派経済学の素朴な経済科学を、
それはアダムスミスの「神の見えざる手」のような、
人類のとって資本主義へ向かうことは当然な帰結であるという歴史観を
懐疑したところにあるのです。
たとえば古典派経済学では当然であった商品の価値を、
なぜ商品に価値があるのか、と疑ってように。
656考える名無しさん:2007/08/11(土) 10:28:32 0
>>653
>現代における哲学の存在意義

哲学を専攻してたわけじゃないから知らないよ。w
じゃあ逆になぜ哲学を専攻してない私が哲学に興味は持つかと言えば、そこに新しい発見があるだろうと感じるから。
哲学者が「懐疑し続ける」ことには、それなりの理由があるのでしょう。
既成のステロタイプ化された、権力者によって歪められた真実に反旗し、なにが人間にとって本当に必要であるのか
を改めて知らしめてくれるような、そんな学問ではないか。
あらゆる常識を疑った果てに見えてくるような、もっとも人間的であると同時に美しいくらいに抽象的な世界、それが
良い哲学だと思う。

そこで、哲学のスタンスとしては、大雑把に言えば2通りあるでしょう。
1つは、「懐疑し続ける」というスタンス。過去の哲学が明らかにした抽象はまだ間違いが多く完全ではない可能性が
まだあるから。
2つは、その抽象的な世界(図式)から、今までに気づかなかったような真に人間的な事柄、迫害され続けてきた真実
を自らが発見して社会に向かって発言するというスタンス。哲学を熟知していなければそれに気づくことができないよう
な事があるという事です。

それはいいとして、では、>>651で「資本主義的な貨幣交換は特殊である」と書かれてるけどではその「資本主義的な
貨幣交換」がいつ・どのように・なぜ誕生し得たのかを説明してもらえますか?
657第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 10:42:08 0
>あらゆる常識を疑った果てに見えてくるような、もっとも人間的であると同時に
>美しいくらいに抽象的な世界、それが良い哲学だと思う。

否定神学だな。

>それはいいとして、では、>>651で「資本主義的な貨幣交換は特殊である」と
>書かれてるけどではその「資本主義的な
>貨幣交換」がいつ・どのように・なぜ誕生し得たのかを説明してもらえますか?

まず起源を強く望むことも否定神学的です。
起源は問うてはいけません。
だからどのよに疑うかが重要です。
マルクスはどのように資本主義を疑ったのか、ということね。
共同体の間に貨幣交換が生まれる。
贈与が一般的で、資本主義的な貨幣交換は特殊である。
658第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 10:46:09 0
共同体の間に貨幣交換が生まれる。

とは、歴史上のどこか1点(起源)をさしている、
求めているわけではなく、原理を想像、考察するわけですね。
659考える名無しさん:2007/08/11(土) 10:50:46 0
>>657
>否定神学だな

・「懐疑」することは否定神学ではないの否定神学なの?
・波平氏は否定神学ではないの否定神学なの?
・否定神学はダメなのいいの?

これらをまずはっきりさせてもらえますか?


>マルクスはどのように資本主義を疑ったのか

ケネーの計算表とか使って地道に計算したのでは?
経済を「科学」した人がマルクスなのでは?
660考える名無しさん:2007/08/11(土) 11:06:33 0
米国 低所得者向け住宅金融の焦げ付き世界株安問題

投資家による住宅の抵当権の実行。住民強制退去で多数の路上生活者発生。
米国社会の内部崩壊で所得格差が増大し中流階級が没落している
例)所得格差の増大 (1929年世界恐慌前のレベルになっている。
全人口の上位10%が全資金の42%の所得を占有している。
特に上位1%の所得増加が目立つ)
この傾向は、社会的緊張を増大し世界的に波及している。 (日本も例外ではない)

『Europe2020』は、昨年の2月頃から、ドルを中心とした経済体制が崩壊する
日が近いと警告し続けているフランスのシンクタンク。

2ch-アメリカ経済はすでに瀕死?Europe2020の警告-2
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/eco/1180112666/
661考える名無しさん:2007/08/11(土) 11:48:16 0
今の市場はオプションやレバレッジを効かせ実体経済の貨幣流通量を
はるかに上回る資金が循環している。

資金が順調に循環しているならば問題はないが、サブプライムローンのように
一度デフォルトを起こすと資金循環が一斉に止まり市場から流動性が消える。

ロシア通貨危機や日本の金融機関の連鎖破綻。不安が市場を覆う時
資金は信用力の低いものからパニック状態で逃げだす。
サブプライムローン自体は世界経済に与える影響は少ない。
今、恐れられていることは加熱した過剰流動性相場がパニックに陥ること。

市場は崖の上のタイトロープをバランスを取りながら歩いているようなもの。
そのバランスを取ることを可能にしたのはFRBのグリーンスパン。
グリーンスパンの後継のバーナンキはまだ手腕は未知数。
彼が采配を誤れば世界経済は恐慌をきたし奈落の底へ転落するかもしれない。
662考える名無しさん:2007/08/11(土) 11:49:56 0
>>660
パクス・アメリカーナは後10年持てばいいとこでしょう。でも一気に崩壊することはないか。
そのスレには「アメリカ国債の買い手を失う結果になるだろう」とあったけど、この指摘は間違い。
なぜなら日本がアメリカ国債を買いまくる、いや、正しくは無理やり買わされる。w


国別アメリカ国債保有高(2002年4月末現在)

日本     3173億ドル ←異常に多い
中国      820億ドル
英国      494億ドル
ドイツ     455億ドル
OPEC諸国  448億ドル
香港      421億ドル
韓国      346億ドル
台湾      319億ドル


日本オワタ・・
663考える名無しさん:2007/08/11(土) 11:59:38 0
市場では債権の投資先を最上級のAAA〜CCCの投資不適格まで細かく分けている。
サブプライム自体は最底辺に属するものであるが、信用不安が高まれば、
ジャンクボンド、低格付け諸国の国債へと信用不安は拡大する。
パニックをきたせば、ロシアやアルゼンチンのように国債のデフォルトを起こす。

過剰流動性相場が崩壊すれば経済は壊死する。バブルで日本が被った失われた10年。
今、人類は史上例を見ない過剰流動性相場の中にいる。これが崩壊した時どうなるか。
誰も予測することはできないが、とんでもないことになるのは間違いない。
664考える名無しさん:2007/08/11(土) 12:06:51 0
バブルの絶頂期、日本はアメリカ経済を凌駕し、日本の地価でアメリカ全土が2つ買える。
ジャパン アズ NO・1と言われた。そのわずか10年後絶対に潰れないと言われた
都銀・長期信用銀行が次々に破綻。日本経済壊死寸前の崖っぷちに追い込まれた。

0金利という史上例を見ない劇薬によってかろうじて回復したが、日本のバブル崩壊
と同じことが世界規模で起こる可能性は0ではない。
665考える名無しさん:2007/08/11(土) 18:40:27 0
>>664
>日本のバブル崩壊と同じことが世界規模で起こる可能性は0ではない。

いや、もうダイナマイトの導火線に火花がバチバチしてるだろ。w

来週の株価がどうなるか誰か教えろ。
666第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/11(土) 22:30:00 0
数年前に、インターネットは誰かが管理しているわけではなく、
通信量の急増で破綻すると騒いだて学者がいたな。
667考える名無しさん:2007/08/11(土) 23:26:10 0
>>662
米国が保有するアメリカ国債保有高もよろ。

日本の保有高より多いんだろ?
668考える名無しさん:2007/08/11(土) 23:39:59 0
>>667
米国が保有するアメリカ国債は大体で7割。
残りの3割が海外保有でその内訳の1/3が日本。
反対に、日本の国債で海外保有されてるのは5%。

一応確認したから間違ってはない数字。
669考える名無しさん:2007/08/12(日) 01:08:26 0
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■▲▼
【17:150】生命,宇宙,そして万物についての(究極の疑問の)答え
beチェック
1 名前:考える名無しさん 2006/05/13(土) 18:50:27
って、この板の住人なら、当然知ってるよね?

※知ってるなら、一行で答えられるはず。



141 名前:考える名無しさん :2007/07/09(月) 20:13:23 0
そろそろ地球へ帰ってくる一人の少年がいる、これもテレパシーかな?!
宇宙はどんなところだったか聞いて見たい、早く帰ってこいよwwwww



142 名前:考える名無しさん :2007/07/09(月) 23:01:44 0
帰って来たら音楽が待っているかもw


143 名前:考える名無しさん :2007/07/12(木) 20:33:19 O
46億7000万年後


144 名前:考える名無しさん :2007/07/13(金) 22:23:36 0
絶対自由。

670考える名無しさん:2007/08/12(日) 01:32:57 0
ドイツの金融当局者は、今回のアメリカ発の信用収縮は「1931年の
世界金融恐慌以来の金融危機に発展するかもしれない」と警告した。

http://blog.goo.ne.jp/2005tora

ぎゃあああああ・・・
671考える名無しさん:2007/08/12(日) 01:59:40 0
そのうちコーヒー1杯1兆円の時代がくるな。
672考える名無しさん:2007/08/12(日) 02:03:48 0
>>671
電子マネーなら持ち運びには困らないな。
673考える名無しさん:2007/08/12(日) 02:30:27 0
10兆円札や1京円札ができるから大丈夫だお。
674考える名無しさん:2007/08/12(日) 02:36:09 0
いや、10兆円玉や1京円玉だろw
675考える名無しさん:2007/08/12(日) 02:57:05 0
昔どっかの国で年のインフレ率が20000%になり、レストランで飯を食っている間に
値段がどんどん上がっていくからみんな早食いになったって話があった。

バーナンキはインフレターゲット論者でデフレになったらヘリコプターで空から
金をばらまけばいいと発言。
それ以来バーナンキのあだ名はヘリコプター。
676第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/12(日) 08:19:40 0
■なぜ資本主義は必然なのか

閉じた社会の不可能性

たとえば、小さな社会を考えてみる。基本は農業によって自給自足する閉じた社会である。
そこで年間の生産と消費を固定してみる。毎年、同じように収穫し、同じように消費する。は
たしてこの閉じた小さな社会に問題はあるだろうか。

時間をながさなければならない。反復で時間が止まっている。まず人が歳をとるだろう。死
に、生まれる。それだけで、同等の生産、消費の反復はむずかしくなる。しかしさらに大きい
のは、環境変化である。毎年、同じように作物が育つとは限らない。豊作もあれば、凶作も
ある。すなわち時間が流れると言うことは、不確実性があるということだ。そして不確実性に
対応するために、リスク管理が必要になる。たとえば十分な貯蓄があれば、が死に生産力
が下がっても、凶作になっても、対応することができる。
677第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/12(日) 08:21:13 0
科学技術の意味

近代以前は地域に閉じた社会であり、経済成長も横ばいで、人々には進歩史観がなかっ
た。このような時代は、現代のような流動性の高い社会からは、牧歌的に語られたりする。
しかしこれはロマン主義である。このような時代は、外部環境に大きく依存し、作物のでき、
病気などに苦しみ、不確実性は高く、生存は今以上にずっと重要な問題だっただろう。

経済成長率や、人口増加が横ばいであるのは、そのような不確実性との懸命な戦いの結
果、人々が懸命に生きた結果である。近代以前が反復する牧歌的社会ではなく、日々生き
死にをかけた日常であった。このような不確実性は、現代では感じなくなっている。科学技
術とは、予測可能性を高めることにある。しかし不確実性はたえず身近にある。いまも綱渡
りをしているのだ。だから安易に、進歩をとめることはできないのだ。
678第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/12(日) 08:22:46 0
資本主義の必然性

マルクスは商品の価値について、労働価値説をとっていた。抽象的な人間労働時間を一つ
の単位として、商品価値を還元しようとした。均質な人間労働という強力な還元主義。柄
谷、岩井のマルクス解読では、商品価値には労働価値は必要がない。商品の価値は交換
によって決まることで説明できる。

唯物史観であれ、労働還元主義であり、サヨの基本には計画管理された完全な経済という
思想がある。マルクスが労働としていったものは、柄谷の(超越論的)他者であり、完全性
を挫くものである。マルクスは商品の物神性に到達しながら、この超越論性を還元主義に
よって隠蔽した。

まさにこの超越論性もまた一つの不確実性である。それは、外部から到来する不確実性で
はなく、人間に内在する不確実性である。人間に内在する不確実性とは、フロイトのいう死
への欲動であり、破滅的である。そして商品の価値は還元できず、不確実なものであり、人
間の経済の完全性を躓かせる。

マルクスは資本主義社会が歴史的に特殊な社会であるといったが、長期的に外部からの
不確実性に対するという意味で必然性がある。社会主義でなく、資本主義が選ばれたの
は、外部から到来する不確実性をもっとも確実に飼いならすからだ。そしてそれは人間に
内在する不確実性を解放することによって達成される。
679第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/12(日) 08:24:13 0
資本主義の必然性の意味

ニーチェの永久回帰、人は反復する世界をいきられるのか、ということがある。一見、牧歌
的な近代以前も、生死をかけた日常であった。仮に牧歌的な日常が可能になっても、そこ
に耐えられない。それは、外部が不確実性として回帰し続けることへの錯乱的な過剰な防
衛であるとも言える。人にとって、外部の不確実性が外傷(トラウマ)的であるということだ。

資本主義が勝利したのは、外傷をもっとも抑圧したからである。しかしそれはなくなったわ
けではない。環境問題として回帰した。そしてまさにここで、環境問題とはほんとうか?と
問わなければならない。人間の環境問題への怯えもまた、錯乱的な過剰な防衛であると
も言えるだ。それが、資本主義の必然性の意味である。
680考える名無しさん:2007/08/12(日) 10:13:56 0
おいおい、哲版も経済学になったのかい?
哲版はあくまで哲を論議するのだよ。
資本主義が外傷を抑圧したって?
労働者への搾取はどうなんだ?外傷ではないのか?
ネグリのマルチチュードはグローバルな資本の運動への反対運動
以外の何物でもないだろう?
外部の不確実性を否定し、全てが見通せるようになったからと言って
トラウマの全てが無くなると言えるのか?
そうではないだろう。
681考える名無しさん:2007/08/12(日) 11:46:46 0
外部の確実性を求めるのならば、それは、全てが決定されている
事を証明できないといけないだろうし(これは不可能)
また、仮に全てが分かれば、これは人間としての可能性が否定され
どのように働きかけても、答えが決まっていると言うことで
逆に、可能性としての人間性が疎外されるって事が分かっていない。
682考える名無しさん:2007/08/12(日) 11:49:36 0
ニーチェの永劫回帰をすべてを見通したと言う意味でのみ捉えると
全く間違った方向=決定論者に陥る。つまり、ニッチェが否定した
西洋形而上学になる。このことが分かっていない、だから、
デリダをもっと読むべしだね。
683考える名無しさん:2007/08/12(日) 11:56:36 0
外部の不確実性がるから、可能性もあるのだよ。
外部がすべて確実に捉えれるならば可能性もない。
ニーチェの言う、永劫回帰とは、この外部の確実性が無限に回帰する
と言うことよりも、確実性の無い人間のあり方を問う事には答えが無く
何度となく自問すると言う行為が無限に回帰すると言う事、
答えの無い中を問い続けると言う事ができるか、ニヒリズムに陥ることなく
回帰できるかとすることである。
だから、これは差異を無限に反復できるのかと言うデリダやドゥルーズ
が引き継いだモチーフなのだよ。
684第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/12(日) 14:47:10 0
>>680
>労働者への搾取はどうなんだ?外傷ではないのか?
>ネグリのマルチチュードはグローバルな資本の運動への反対運動
>以外の何物でもないだろう?

良い点をついていますね。ボクは不確実性を、
外部からの不確実性と人間に内在する不確実性に分けました。
外部の不確実性を抑圧し、内部(人間に内在する)の不確実性を
解放する。
では、マルチチュードは内部と外部どちらでしょうか。

>資本主義が勝利したのは、外傷をもっとも抑圧したからである。しかしそれはなくなったわ
>けではない。環境問題として回帰した。そしてまさにここで、環境問題とはほんとうか?と
>問わなければならない。人間の環境問題への怯えもまた、錯乱的な過剰な防衛であると
>も言えるだ。それが、資本主義の必然性の意味である。

ここで言っていることも同じです。環境問題は外部の不確実性だ。まさにここで問う。
しかしほんとにそうだろうか?
685考える名無しさん:2007/08/12(日) 15:05:30 0
不確実性に内面と外面があると言う二元論を復活させる奴はいない。
君以外には。外面は内面にしかなく、内面は外面の中にしかない
と言うことが君は分かっていないと思うね。
つまり、外面とは我々の内面が意識する事に過ぎない。
よって、外面=外の世界を認識するのは我々の意識であり、
意識とは外と内との蝶番である。
分かりましたか?
686考える名無しさん:2007/08/12(日) 15:15:29 0
現代の進歩した科学が君の言う様にすべてを予測できるのならば、なぜ
Co2の問題は発見が遅れたのか、気温の上昇は今後どのように推移し、
世界の農作物の精算は100年後にどうなるのか?
今回のアメリカの住宅資金に端を発した、株の下落はどうして予測できなかったのか?
すべてが予告可能ならば、株価の暴落は見とうせたし、仮にすべて見通す事が
できるならば、株価の下落は、すべての株所有者は売るだろう。
そうなると、すべての株価は無限に0円に下がる。
687考える名無しさん:2007/08/12(日) 15:20:37 0
ところが、そうはならないのは、株価が下落しても、株価はもう底値だろう
と考える奴らもいるからで、客観的な予測など出来ないと言う事は明白だ。
今までの人間の歴史を俯瞰する時、すべては人間の視点の変遷である。
よって、予測の確実性は次の予測の確実性の理論に置き換えられると言う
歴史に過ぎない。
688考える名無しさん:2007/08/12(日) 15:26:43 0
686で言い表わしている事は、コンスタティブではなく、言語がゲーム(パフォーマティブ)
であるように、人間の認識は他者の認識に左右されると言う、ある意味でウィトゲンシュタインの理論の
延長線上にある事を付け加えよう。
689考える名無しさん:2007/08/12(日) 15:34:54 0
>>686
株が上がるか下がるかを予想するのは占い師のお仕事。
今の金融工学は変動率・リスク管理・ポートフォリオ理論がメイン。
ボラティリテイを予測し、裁定取引で利益を上げる。

ブラック・ショールズモデルが有名。ノーベル賞を受賞後ヘッジファンドを立ち上げ破綻。
もちろん金融工学が万能ではない。

>すべての株価は無限に0円に下がる。

これは間違い。企業にはPBR・解散価値(自己資本-負債)があり、債務超過企業で
無い限り0円にはならない。
690第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/12(日) 15:48:13 0
>>684のつづき

生き物は、生きるために食料の確保しなければ、なりません。
しかしたえず外部の不確実性に悩まされます。
人の進歩、狩猟→農業→工業、は、外部の不確実性を
確実なものへすることで、生存の安定を図ることです。

マルクスが労働価値説をとるときも、このような考えが根底に
あったと思います。価値の基本を「労働」におくということは、
外部の不確実性を確実性へと回収することが正しい方向ということです。
そして資本主義は、それに対して間違っている。貨幣価値という
交換価値を基本におくことで、剰余価値を生み、そして金が目的化
する、ということです。

マルクスは資本主義の全てを否定しているわけではなく、資本主義が
技術の発展を進め、外部の不確実性を確実性へと回収することを
進めることは間違っていない。それは、資本主義が破綻したあとの、
社会主義の下地になる、ということです。
691第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/12(日) 15:49:05 0
ここには、外部=不確実性/内部=確実性の形而上学的な二項対立が
あります。ここで見失われているのは、不確実性は内部に内在するもの
である、ということです。

資本主義が成功したのは、この二項対立を超えて、内部に内在する
不確実性を解放したことです。そしてそこにはたえず、錯乱的な過剰な
防衛があります。

>人にとって、外部の不確実性が外傷(トラウマ)的であるということだ。
>資本主義が勝利したのは、外傷をもっとも抑圧したからである。しかし
>それはなくなったわけではない。環境問題として回帰した。そしてまさに
>ここで、環境問題とはほんとうか?と問わなければならない。人間の環
>境問題への怯えもまた、錯乱的な過剰な防衛であるとも言えるだ。それが、
>資本主義の必然性の意味である。
692第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/12(日) 15:57:30 0
>>685-688
二項対立の否定するのか簡単です。
しかし人間は二項対立の上でしか語ることができないのです。
たとえばデリダは二項対立をただ否定しているのではないのです。
人は二項対立から逃れられないから、疑うことをとめるな、
ということです。
なぜなら二項対立を否定するときにこそ、二項対立が生まれている
からです。

科学は不確実性をすべて確実生に回収することはできません。
科学ができることはほんの少しのことです。
693考える名無しさん:2007/08/12(日) 16:18:25 0
デリヘル9000円
エッチありなら16000円

結構可愛い子が来たりするよ。
694武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/12(日) 16:33:46 O
>>692
確かに正論だ。
695第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/12(日) 17:19:38 0
哲学解読について書くと、

>>682
ニーチェの永久回帰はこれという解はなく、様々に理解されています。
ボクが理解しているのは、有限の世界では、どのような不確実性も
無限の反復の中で、再現されるときがくる。すなわち確実性となる、
ということです。
ニーチェもまた形而上学者であることは、良く言われることですね。

>>685
>つまり、外面とは我々の内面が意識する事に過ぎない。

外部とは、カントの超越論性を考えるとよいと思います。
外部は人間には認識できない超越論的な領域です。
だから不確実性であり、外傷(トラウマ的)で、
錯乱的な過剰な防衛をするのです。
ラカン的に言えば、外部とは錯乱的な過剰な防衛という内部として
しか現れない。すなわち外部というものがほんとうにあったのか。
だから、環境問題は、内部か、外部か、ということです。

それでも外部はあるのです。外部がなければ、まさに
世界はすべて確実性になってしまいます。

>>688
なぜここでヴィトの言語ゲームがでてくるのか、わかりませんね。
それとヴィトを単なる認識論に回収してはいけません。
ヴィトのすばらしさは、デカルト以来の認識論を躓かれるのです。
すなわち人間の認識は他者の認識に左右されるのでなく、「規則に従う」のです。

まあこの当たりは細かいですが、哲学議論ということで。
696第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/12(日) 17:55:14 O
外部(不確実性)
内部(確実性/不確実性)
2項対立でなく、2項対立を崩すための内部の不確実の導入という、デリダ、ドゥルーズ的なものですが、
不確実性でみると内部/外部になっている点で2項対立の再導入になっています。
これは一つの道具立てとしてあえて導入してみました。
かつては不確実性は自然の偶然性でした。これは妖怪、幽霊などのメタファーとして語られました。最近は恐いのは人です。なにを考え、なにをするかわからない。
697第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/12(日) 18:56:05 0
>>マルクスはどのように資本主義を疑ったのか

>ケネーの計算表とか使って地道に計算したのでは?
>経済を「科学」した人がマルクスなのでは?

マルクスは様々な文献のもと研究を進めたのですが、
一つのポイントは、互酬贈与ではないでしょうか。

いまで簡単にいえば、家族内の関係です。
家族内ではお金のやり取りはありますが、
本質ではありません。
食事も、住宅も、互酬贈与です。
流動性の低い村社会では、基本は贈与互酬です。
すなわち間関係の基本は、交換でなく、贈与互酬です。

たとえば、家庭の中ですべてが貨幣交換になるとどうですか。
それぞれが誰の所有か明確にして、食事をするのも
お金をはらう。とても他人行儀で冷たい関係ではないですか。
たとえば、ここにマルクスのいう所有の否定の源泉があります。
家庭の全てのものを明確に誰かの所有物で
かってに勝手に使ってはいけない、ということは、ギスギスする。
まあ、マルクスはみんな仲良くしようということでなく、
所有によって生まれる資本の弊害を指摘するわけですが。

市場や、貨幣交換は、昔からありますが、いまのように
社会関係の基本ではなかったのです。
そして商人や、高利貸しなど、貨幣交換をする人は、
社会で必要とされていましたが、守銭奴として、蔑視されていました。
698純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/12(日) 19:43:42 0
ぴかぁ〜は宛てに成りませんので、これでも見ましょう。

(Workingpoor The warning fromUSA)070517 1/3
http://www.youtube.com/watch?v=DfmY0TMKlu4
699純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/12(日) 19:52:03 0
続き

(Workingpoor The warning fromUSA)070517 2/3
http://www.youtube.com/watch?v=FYv5YBGjKB4

(Workingpoor The warning fromUSA)070517 3/3
http://www.youtube.com/watch?v=VD-GC89aP8k
700純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/12(日) 20:10:21 0
貧困は純一の発言をさせて貰えれば、ある程度は防げるのですが、
格差擁護の酒井泰斗等のルーマン派社会学徒が出版してしまったので、
貧困は防げません。
701純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/12(日) 20:11:48 0
困った事に、酒井泰斗等を代表として、
ルーマン派社会学徒は、格差の原因を個人に求めてしまうのです。
これは学説の問題というよりも、ルーマン派社会学派の実態が創価である点が関連していると思います。
702純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/12(日) 20:14:08 0
残念な事に、東派や宮台派とルーマン派は関連しているので、
貧困の原因を個人に求めるこの酒井泰斗等のルーマン派社会学徒の理論に
残念ながら同調してしまうのです。つまりは、我々ニートやネットカフェ難民も含めて、
こういう貧困を助長する様な学説を支持してしまっているというのが今の状態であります。
703純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/12(日) 20:16:42 0
ルーマン派や宮台派社会学徒が何故、貧困を個人に求めるのかというと、
ぴかぁ〜や酒井泰斗の様に、親の金で学問をやる者か、塾講師の様に、
貧困の実感が湧かない職業に就いている率が高いからです。
704純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/12(日) 20:18:12 0
ですから、ルーマン派は言わば貧困の実態を知らない公務員側からの発言と
見て良いでしょう。我々には不利にしか働かない理論です。反対に私純一の理論を
使えば、これの理論は一瞬にして、粉砕できます。非常に面白いです。
705考える名無しさん:2007/08/12(日) 21:34:07 O
ルーマンは役人向けですね。当人もお役人ですし。
抽象化された個人の扱いは
ネオリベ国家に最適ですから。
706考える名無しさん:2007/08/12(日) 21:48:58 0
株価の下落について述べたのは、実際は0円になることは無いのは事実だし、
債務超過で無い限りその通り。例として、すべてが予測可能と捉えるならば
ほとんどの株主が売りに出るだろうと言う事を言ったまでだ。
君の言うのはその文章全体が述べることの意味を理解せずに、金融論的視点
に立った指摘に過ぎない。前にも述べている様に、ここは哲板であり、
金融論は経済の方でやってくれない。そうでないと、哲学的な論点がボケる。
707純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/12(日) 21:54:21 0
そういう知識を書くとぴかぁ〜にパクられますよ。
ぴかぁ〜と対話というのは有り得ません。
単に、貴方の知識をパクる為に対話という名目を用いているだけです。
708考える名無しさん:2007/08/12(日) 21:54:40 0
ぴかぁ〜の言っている事は、無理である。
ニーチェの読みについては、確かに多くの見方があるが、同じ事が繰り返す事
を予測可能と見る見見方は皆無だ。俺の見方では、実存主義にしても
ニーチェの影響を受けていると考える。つまり、可能性としての実存は
零度としての、非決定性と等しい。実存とは、どの様に考え生きるかは
考えるものの見方に起因して現れると言うことであり、客観的なものの
判明が可能である点としての実存ではない。実存主義とは非決定の中に
投げ込まれた人間存在であるのだ。
709考える名無しさん:2007/08/12(日) 22:01:01 0
純一君アドバイス有難う。
俺も知っているよ、彼が、横に柄谷のマルクス論を読みながら
即興的に繋いでいることは。だから彼の論点は一貫性がないと言う事。
時代としてマルクス論・ニーチェ・ドゥルーズ・デリダ・フーコーと言う流れを
理解できないのは、個々の要点を解説本から持ち込んでいるので
時代としての、間テクスト性として読めていないことは。
まあ、東チルドレンとしては、東だけは読んでいるよ。それと、柄谷について
少し読んでいるらしいこともね。
710考える名無しさん:2007/08/12(日) 22:06:34 0
マルクスを労働価値説として資本主義の表面の複雑な(そうは俺は思わない)
現象を一貫性のある物として分析しているのもすべての解明が可能である
と言う君の定義についても、限界効用説による反論もあるのだよ。
そもそも、今頃労働価値説のみにたより、経済分析するなんて、時代遅れだよ。
今ごろ客観的な世界の解明が可能でその事によって人間が解放されるなんて
考える奴はいないな。
711考える名無しさん:2007/08/12(日) 22:13:54 0
つまり、ぴかぁ〜の決定的な欠点は、ポスト構造主義を全く理解できていない
中で、東−柄谷の本を読み、いきなり、ポスト構造主義の言う「語る自分とは何か」
と言う重大な主体論を考えずに迂回して、語り、言語による外部の解明が
可能であると思い込んでいる点である。そして、一昔前のユートピア論的に
科学の発展と解明が人間を解放すると単純に考えている点である。
712考える名無しさん:2007/08/12(日) 22:28:44 0
>>708
では最初から株を例に上げなければいいのに。あまりにも株式の知識が稚拙なので指摘したまで。

マルクス経済学と銘打っているならば、このスレ自体が板違いじゃないかね?
713第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/12(日) 23:24:00 0
>>710-712
キレちゃいましたか。
もはやしどろもどろでよく聞き取れませんw

基本的はお勉強が必要なようですね。
>>695に書いてあげた当たりを参考に当たってみてください。
本論からニーチェもポスト構造主義も関係がありませんが、
これは、ボクのサービスです。

>つまり、ぴかぁ〜の決定的な欠点は、ポスト構造主義を全く理解できていない
>中で、東−柄谷の本を読み、いきなり、ポスト構造主義の言う「語る自分とは何か」
>と言う重大な主体論を考えずに迂回して、語り、言語による外部の解明が
>可能であると思い込んでいる点である。そして、一昔前のユートピア論的に
>科学の発展と解明が人間を解放すると単純に考えている点である。

しどろもどろ、意味不明です。こんなことどこにも書いていません。
科学の発展と解明が人間を解放するって・・・w
714第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/12(日) 23:32:10 0
いまだにポスト構造主義に熱いのは、キミは構造主義スレの「理屈ジジ」でしょ?
さびすくなってこっちに来たのですか。
ボクは歓迎しますが、あちらでいったように、レスする前に、相手のレスを読んでください。
あなたの言いたいことだけ言う態度は、ボケ老人か、社長ですよ。
715考える名無しさん:2007/08/12(日) 23:33:56 0
ぴかあさんと戦うにはまだ早いですね。
完全に呑まれてしまっています。
私のように勝利するには、分析が不可欠です。
716考える名無しさん:2007/08/13(月) 00:01:38 0
>>713
第三の波平 さんに聞いてみよう。
マルクス経済学で今の金融市場を分析するとどうなりますか?

717考える名無しさん:2007/08/13(月) 00:46:23 0
歴史に残る最古のオプション取引をしたのはギリシャ哲学者タレスといわれている。
伝承で哲学は何の役にも立たないと非難され、天文学の知識を駆使してオリーブの
豊作を予想して儲けたそうな。

昔の哲学者は偉大だね。
718第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 01:06:11 0
>>710-712は議論としてつなげられないか、もう一度読んでみたが、
は読めば読むほどひどいな。薬物やってるんじゃないのか。

>マルクスを労働価値説として・・・一貫性のある物として分析しているのも
>すべての解明が可能であると言う君の定義

どこをどう読めば、こう読めるんだ。
どう読んでも労働価値説を批判的に読んでいると思うんだけど
理解できないではなく、まったく読まずに反射的に長文反論を書いてくる?
こういうヤツいるよな。
昔、意味不明に議論することで有名な先輩がいて、
試しにこっちもあえて、話をズラして意味不明な反論したら、
かまわずに、熱く1時間議論が続いて、怖くなったことがあった。
こういう人って、どういう頭の構造しているんだろう・・・
719712:2007/08/13(月) 01:14:00 0
ん?>>710>>711は俺じゃないぞ。
720第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 01:16:07 0
間違えた>>706-711だ。
721第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 01:20:39 0
限界効用説とか、レスそれぞれの言って単発では面白いとこもあるけど、
流れと関係がないし、反論になってないし、
なんとか、文脈にのせてあげたいと、
>>695のような文脈とは関係ない反論を書いてあげたりするんだけど、
自由に暴投なげすぎてでさすがにフォローの限界があるw
722712:2007/08/13(月) 01:38:28 0
マル経は門外漢なのでwikiから。

恐慌 ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%90%E6%85%8C
---------------------------------------------------------------------------------
マルクス経済学における恐慌論
マルクス経済学において、恐慌は貨幣が媒介する商品流通の現象であると考えられている。
なぜなら貨幣が媒介した商品の流通は時間的・場所的な制約を突破するが、同時に商品交換
に存在する自分の商品の譲渡(販売)と他人の商品の入手(購買)との直接的な一致が分裂する
からである。購買と販売の無条件一致の前提は直接交換でないと成立しない、としている。


[編集] 恐慌の必然性
商品経済と階級社会を特徴とする資本制経済においては、生産手段の私的所有と、生産の社会的性格が矛盾する。したがって、
生産の決定は資本家が行うことになり、供給がもっぱら利潤拡大を念頭に置かれるとともに、労働者の搾取は激しくなる。
このことから、生産の拡大傾向と労働者の消費制限の対立(生産と消費の矛盾)が生じ、生産と消費の不均衡が生じて
経済が立ち行かなくなる。この不均衡を暴力的に解消し、再生産をもとどおり可能にさせる手段が、恐慌という装置である、と説く。

--------------------------------------------------------------------------------

商品と貨幣の譲渡と入手のギャップというのは今の実体経済とレバレッジの効いた市場の流通マネーのギャップと通じるものがある。
恐慌の必然性は金融市場にはあてはまらないが、土地取引などの実物にはあてはまるかな。
今の金融市場は人類史上例を見ないほど加熱している。バブルは加熱するほど破裂した時の
被害が大きい。世界経済が焼け野原になった後どうなるか、誰も予想できない。

一回日本共産党のホームページを見たが経済政策に関しておそまつ過ぎて頭が痛くなった。
今の時代にマルクスが生きていたら、どうだったろう。

723第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 01:49:55 0
>>722
それをいうと経済学そのものがおそまつ過ぎて頭が痛くw
限界効用ってw
724考える名無しさん:2007/08/13(月) 02:06:01 0
よく言われるが、経済学なんて飾りです。

ちなみにヘッジファンドの親玉で悪の権化のように言われているジョージ・ソロスのもう一つの
肩書きは哲学者。カール・ポパーの影響を受けている。

哲学で身を立てるための資金稼ぎにウォール街に出稼ぎにやってきた。
その後、稼いだ資金をポーランドの連帯に援助。東欧諸国の民主化に貢献したとされる。
たいしたもんだ。
725考える名無しさん:2007/08/13(月) 02:16:25 O
素人さんお久し振り
726第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 03:33:33 0
たとえば最近、またマルクスが注目されるのはなぜか。
一つはネット上の経済について、もうひとつは環境問題から
すなわち資本主義の外部を考えるときに、回帰するわけです。

マルクスは、資本主義を乗りこえるために、歴史的、生産様式として、
外から資本主義を分析しました。
資本主義の内部としては、高度化する経済学には勝てない、
古くさいものですが、資本主義の外部を語るときには、
いまだにその方法論は重要性をもつのです。

727考える名無しさん:2007/08/13(月) 03:39:46 0
共産主義革命なきマルクスとは?
728純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 06:03:33 0
ラカンスレのぴかぁ〜分析の続きはこっちでやりましょうかね。
729純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 06:10:38 0
暫定的にまとめて置きます。

森山: 民主グループの話は最後にしたい。あなたが“暁に祈る”を行った事実を認めるかどうかについて答えてもらいたい。
吉村: “暁に祈る”とは何ですか?
森山: それは営内のあの電柱にしばりつけ一晩中立たせた処罰だ。
吉村: あれは全部命令によってやった。逃げるからしばりつけたのだ。
命令である。
3人: .....
吉村: もう、これ以上水かけ論をしたくないので終わらせてもらう。
(一方的に席を立つ)

純一   : あなたが“不正に削除依頼”を行った事実を認めるかどうかについて答えてもらいたい。
ぴかぁ〜: “不正に削除依頼”とは何ですか?
純一   : それはあなたが無料ホストを使って削除依頼した事件だ。
ぴかぁ〜 : あれは全部削除人がやったのだ。規約違反だから削除したのだ。命令である。
住人   : .....
ぴかぁ〜: もう、これ以上水かけ論をしたくないので終わらせてもらう。
(一方的に席を立つ)

この類似が成り立つのは、基本的にここが類似ポイントであるからだと思います。
即ち、「ぴかぁ〜の様な弱者が権力を握るとこういう事になる」という事ですね
730純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 06:13:02 0
今回の参考資料はこちらです。

吉村隊・「暁に祈る」事件
http://yabusaka.moo.jp/akatuki.htm
http://www.nazoo.org/misteries/yoshimura.htm

これはぴかぁ〜の様な下衆タイプを放置しておいて発生した事件ですね。
面白いのは、ぴかぁ〜の様なパクリみたいな行為も放置しておけば、
こういう事になるという良い例であるという事です。もう少し考察してみましょう。
731純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 06:19:19 0
> 吉村は捕虜の中のゴロツキ連中などを従えたボスにのし上がり、
> さらにソ連側の収容所長に媚びへつらい、「自分を捕虜の監督に任命してくれれば
> 作業率を2割上げてみせる」と自分を売り込み、中佐にまでなったのだという。
> そのような作業効率の遂行を請け負った吉村の管理体制は、捕虜にとって地獄だったが、
> 当の吉村は作業には参加せず、毎日酒を飲むていたらくだったという。

これもなかなか下衆同士として、ぴかぁ〜と吉村に共通する部分が多く存在します。
吉村が収容所所長に媚を売る様に、ぴかぁ〜は削除人ミントさんに媚を売り、
ぴかぁ〜のブログ宣伝スレは削除されない様に働きかけるのです。
732純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 06:24:48 0
@ ぴかぁ〜はラカン論者等、知識がありそうな人間に媚を売る
@ 吉村はソ連の収容所所長に作業能率が上がると自分を売り込む

A だが、ぴかぁ〜はそもそも自分で思考する能力が無い
A 吉村も自分では作業をせずに飲んだくれていただけである

B ぴかぁ〜は思想の力ではなく、削除依頼やスレ立て制限無視等の強制力を使う
B 吉村も取り巻きのゴロツキを使って、暴力によって隊員に強制労働をさせていた

これを見ると、私純一は笑ってしまいますね。
思想が関係無く、媚を売るという行為によって哲学しているつもりのぴかぁ〜という図が浮かび上がるからです。
733純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 06:26:36 0
森山: 民主グループの話は最後にしたい。あなたが“暁に祈る”を行った事実を認めるかどうかについて答えてもらいたい。
吉村: “暁に祈る”とは何ですか?
森山: それは営内のあの電柱にしばりつけ一晩中立たせた処罰だ。
吉村: あれは全部命令によってやった。逃げるからしばりつけたのだ。
命令である。
3人: .....
吉村: もう、これ以上水かけ論をしたくないので終わらせてもらう。
(一方的に席を立つ)

「“暁に祈る”とは何ですか?」 とは何ですか? つい先日の報道記事で記者に対しては、答えていたはずだ。
元隊員を前に平然とこう答える吉村の人間性とは一体どんなものだったのだろうと疑問に思う。
吉村に対して同情的な意見を持つ人は少なくないが、私は、こういうあからさまなとぼけ方をする人間には
好意を持てない。むしろ鼻持ちならない。この言葉には、“疑惑”を“確信”に変えてしまうほどの不誠実さが
表れているように思う。相手をバカにしているとしか思えず、図太さを感じるのみである。
吉村のこういう人間性も、隊員たちにより憎悪を抱かせた原因のひとつであると思われる。
734純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 06:27:39 0
純一   : あなたが“不正に削除依頼”を行った事実を認めるかどうかについて答えてもらいたい。
ぴかぁ〜: “不正に削除依頼”とは何ですか?
純一   : それはあなたが無料ホストを使って削除依頼した事件だ。
ぴかぁ〜 : あれは全部削除人がやったのだ。規約違反だから削除したのだ。命令である。
住人   : .....
ぴかぁ〜: もう、これ以上水かけ論をしたくないので終わらせてもらう。
(一方的に席を立つ)

「“不正に削除依頼”とは何ですか?」 つい先日の自分のスレで名無しに対しては、答えていたはずだ。
住人を前に平然とこう答えるぴかぁ〜の人間性とは一体どんなものだったのだろうと疑問に思う。
ぴかぁ〜に対して同情的な意見を持つ人は少なくないが、私は、こういうあからさまなとぼけ方をする人間には
好意を持てない。むしろ鼻持ちならない。この言葉には、“疑惑”を“確信”に変えてしまうほどの不誠実さが
表れているように思う。相手をバカにしているとしか思えず、図太さを感じるのみである。
ぴかぁ〜のこういう人間性も、純一により憎悪を抱かせた原因のひとつであると思われる。
735純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 06:35:12 0
吉村とぴかぁ〜が類似している点は、色々ありますが、
基本的には媚を売るという方法であると思われます。

> 578 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2007/08/08(水) 14:13:44 0
> ぴかぁは親分肌っぽい腰巾着だな。こういう人間を今までに何人か見てきたことがある。
> 性格が思考の妨げになっているようで、見てて不憫に思うよ。

> 649 名前: 純一 ◆Fn0dptrDJw 投稿日: 2007/08/11(土) 08:43:26 0
> >ぴかぁは親分肌っぽい腰巾着だな。こういう人間を今までに何人か見てきたことがある。
> >性格が思考の妨げになっているようで、見てて不憫に思うよ。
>
> 私の友人にも沢山居ます。
> しょっちゅう下らない事で裏切りますが、私純一は知らない振りをしています。

私の周りにも多いのです。
736純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 06:37:44 0
ぴかぁ〜哲学(下衆思想)の基本信条を振り返ってみましょう。

ぴかぁ〜下衆思想の本質

@ 盗用
A 媚を売る
B 不正をする

この三点がぴかぁ〜哲学の本質と言えます。
737純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 06:39:13 0
ぴかぁ〜下衆思想の本質

@ 盗用
A 媚を売る
B 不正をする

これを吉村とぴかぁ〜に共通する思想として、比較してみましょう。

@ ぴかぁ〜はラカン論者等、知識がありそうな人間に媚を売る
@ 吉村はソ連の収容所所長に作業能率が上がると自分を売り込む

A だが、ぴかぁ〜はそもそも自分で思考する能力が無い
A 吉村も自分では作業をせずに飲んだくれていただけである

B ぴかぁ〜は思想の力ではなく、削除依頼やスレ立て制限無視等の強制力を使う
B 吉村も取り巻きのゴロツキを使って、暴力によって隊員に強制労働をさせていた
738純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 06:44:07 0
最も大きいのは、A媚を売るという点でしょうかね?
まず、基礎的な要件について確認してみましょう。

@ ぴかぁ〜の言う、ラカンやマルクスの知識は要するに媚を売るという、
   ぴかぁ〜の下衆思想の結果であって、その本質では無い。

A 従って、ぴかぁ〜の言うラカンやマルクスの知識を分析しても無駄である。
   それは、ぴかぁ〜の下衆思想に拠って、盗用した結果としてあり、その本質では無い。

B 削除人ミントさんに媚を売るという行為を分析すると、ぴかぁ〜の下衆としての生態が分かる。

こんなところでしょうかね。
739純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 06:46:33 0
ぴかぁ〜下衆思想の本質

@ 盗用
A 媚を売る
B 不正をする

@〜Bを繰り返すと、思考力が低下します。
吉村の場合は、労働しない為にこれらの方法を使いますが、
ぴかぁ〜の場合は、思考したくないからこれらの方法を使いますね。
740Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/08/13(月) 08:38:53 0
>>724
「いつ、自分がお金儲けを好きになことに気づいたのですか?」
というインタビューに答えて、ソロス曰く、
「好きではありません。上手なだけです」
痺れるね。いってみたいもんだ、こういうセリフ。

実際、経済学は何の役にも立たない。
哲学もいい加減、役に立たないが、それ以上に役に立たない。
金融工学ならどうだろうと思って数冊読んでみたが、これも話にならない。
ちょっと良かった本はこれかな。
『市場間分析入門』
http://www.amazon.co.jp/dp/4775970518/
もうちょっと軟らかいところでは『ニュースと円相場から学ぶ使える経済学入門』
http://www.amazon.co.jp/dp/4535552142/
741第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 09:29:53 0
近代において、社会を分析する学問として、政治学、社会学、経済学が
生まれたと言います。
これは学問が多様化したということでなく、社会そのものが、
民主主義、資本主義化によって変容するのですね。
すなわち
社会と統治する学、大衆を分析する学、資本を分析する学
柄谷的にいえば、国家−ネーション−資本に対応します。
近代以前は、分離されないものでした。
742第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 09:43:39 0
経済学はどこに存在するのか、というのがあります。
近代的な市場は経済学以前にすでに存在し、
基本的には、経済学は跡づけで説明します。
社会学がなくても市民社会はあるように、
経済学がなくても市場経済活動は存在します。
すなわち経済学的経済は、経済学にしかありません。
743考える名無しさん:2007/08/13(月) 10:24:21 0
>>740
経済学者ケインズも金儲けが旨かった。w

>>742
逆だよ。w
744第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 11:20:42 0
>>743
ん?
745考える名無しさん:2007/08/13(月) 11:32:36 0
経済学にせよ社会学にせよ、規模の問題があるでしょ。

>社会学がなくても市民社会はあるように

近代化によって人口は急増して都市化が起きて、それ以前の農村社会とは
まったく違った環境が生まれてしまったんだよ。

政治でも、例えばもし人口が100人なら、「代議士」制なんて必要ないでしょ。
みんなで話し合えばいいわけだし。でも人口が1億人だとそうはいかない。

という意味。
746第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 11:45:44 0
>>745
ん?
規模が大きくなって、政治機構、市民社会が生まれたとして、
政治と政治学、社会と社会学は違うけど?
747考える名無しさん:2007/08/13(月) 11:51:07 0
>>746
ん?
話が食い違ってるのか?

ならいいや。
748第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 11:51:17 0
というか、逆だよ、ということで良いところついてるかな、
と思ったんだけどな・・・

ようするに、経済学という言語が経済を構造化する。
経済を記述するための経済学が、言語化されることで、
経済を規定する、ということ。

たとえば企業はPL表など経済学的資料で評価されることで、
PL上で良いことが目指される。
PL上の良さが、企業のめざすものと同じではないにもかかわらず。
749考える名無しさん:2007/08/13(月) 12:05:14 0
そりゃそうだ。w
どんなに有能な医者でも無免許医に診てもらうのは気が引けるみたいな。w
まぁ、アウトローを行くブラックジャック先生はカコイイけど。ww

>規模が大きくなって、政治機構、市民社会が生まれたとして

僕の意味は、規模の大きい市民社会は政治学や社会学を使って形成されてきた、ということのほう。
全然違う話やな。
750第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 12:13:03 0
たとえば中国では、短期間の間に世界有数の企業が誕生したように、
劇的な市場の変化が起こりましたが、
彼らの多くは数年前は町工場のオヤジだったりします。
そこでは日本の大企業行うような、経営指標でなく、
経営者の勘で運営されています。
日本でも将来的な経営方針は、経済学と異なるところで行われる。

経済学という言語が構造主義的に働く部分と、
偶然性が働く部分があるわけです。

経済学は医者ほどに客観性はないでしょう。
なぜなら経済学は未来を扱う(外装する)からです。

751考える名無しさん:2007/08/13(月) 12:26:52 0
>>750
まぁ、ロクに経営収支計算ができないようなオヤジに日本の銀行は金貸さないからね。w
だから日本の産業が硬直化してるとも確かに言えるけど「経営者の勘」で動くオヤジに金貸すのは
リスク高すぎる。そういう人は自分で資金調達するしかない。

日本社会なんてそんなもん。w

>なぜなら経済学は未来を扱う(外装する)からです。

未来を扱うというか、未来が予測不可能だから事前策をとるというほうじゃないかな。
貨物船が難波するかも知れないから、あらかじめ保険に加入しておくみたいな。
すると保険金額をいくらに設定すればいいのかというところでその予測不可能な未来を統計使って計算するわけ。
先物取引なんかまさにそれだよね。
752純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 12:46:15 0
ぴかぁ〜下衆思想の本質

@ 盗用
A 媚を売る
B 不正をする

これがぴかぁ〜の思考の本質ですね。
経済学や政治学は表面的なものです。
753考える名無しさん:2007/08/13(月) 12:47:12 O
そのとおりです。
たえず、見積もりをしているからこそ
人間は自然解の狂騒に勝ち残って来たのです
見積もり上手はますます繁栄し、下手はますます衰退する
これが自然解の掟です
もちろん、偶然の要素により勝ち残る場合もあります
そう、ナリ金です
ですが、見積もり上手のノウハウがないので
たいていは、次世代で衰退するのです
754第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 12:48:29 0
たしかに科学とは不確実性を確実性への回収するためのものですね。
たとえば道を舗装するのもそうです。
凸凹道ではなにがおこるかわかりません。
標準化された方法で舗装することで、道を移動する行為が
予測可能なものになります。
ケータイを見ながらあるけます。凸凹道ではそうはいきません。

経済学は未来を扱う(外装する)というのは、
正確には、不確実性が高い未来、反復性が低いということです。

経営などはほんといい加減なものでしょう。
山勘の世界です。
755純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 12:48:38 0
暁に祈るでも、吉村が権力を奪取した仕組みが分からないままであったと思います。
同様に、ぴかぁ〜も権力を奪取する意味が分からないまま続けている事でしょう。
756純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 12:50:52 0
ぴかぁ〜・吉村の下衆思想の本質

@ 盗用
A 媚を売る
B 不正をする

では、この両者の下衆思想はどう解釈されるべきでしょうか?
それは、顕在化しないが、本質としてあるものとして解釈されます。
757純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 12:53:12 0
まず、吉村とぴかぁ〜は非常に「弱い」生物だという点があります。
自己保全の意思が周囲の事を考える長谷川隊よりも強いのです。
同時に、これは吉村やぴかぁ〜が、収容所以前にもこういう、
媚を売るという生き方しかしてこなかったという事をも示しています。
つまり、この下衆思想は弱者の生来の物と考えられます。
758第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 12:53:28 0
>>753
不確実性を確実性へ回収する安定性と、
その安定性をあえて飛び越える創造
のバランス、これが成長の基本です。

たとえば寿命の大切さは、
古い者がいつまでも生きながらえると、保守化して、閉塞します。
そこに新しい者が引き継ぐことで、成長がおこります。

なぜ成長が必要なのかは、環境が耐えず変化するからです。
今日の鉄則、明日に通用する保証はありません。
759純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 12:56:00 0
@ 盗用
A 媚を売る
B 不正をする

弱者のライフスタイルとしてある思想をどう解釈すべきでしょうか?
ぴかぁ〜は言わば、クラスに居るとすれば、ボスに媚を売るかで
己を利益を保全する人間だと容易に想像が付きます。
760考える名無しさん:2007/08/13(月) 12:57:52 0
柄谷スレを荒らしているのも純一ってほんと?
761純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 12:58:05 0
@ 盗用
A 媚を売る
B 不正をする

これは、言ってみれば、普通の人の在り方でもあります。
私の周りにもよく見かけますから。
ですが、これを繰り返していても、ぴかぁ〜の思考力や
吉村の生産力は伸びません。
ですが、彼等がこの思想を変える事は無いでしょう。
つまりは、非常に既に固定化された思想とも言えます。
762純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 13:00:30 0
柄谷スレはビガロです。

@ 盗用
A 媚を売る
B 不正をする

ぴかぁ〜や吉村のこの思想は、私純一によれば、
生き方として固定化された思想であると言えます。
つまりは、これが彼等の思想の限界点でもあるのです。
ですが、同時にこれは面白い事です。
つまりは、これが固定化されているという事は、
この先も基本的にはこの思想が変わらないという事を示しており、
その間にもマルクスであるとか、ラカンであるとかを、
@〜Bが変わっていないのにも関らずぴかぁ〜は語るだろうという事なのです。
763考える名無しさん:2007/08/13(月) 13:01:05 0
>>753
>たいていは、次世代で衰退するのです

そうそう。ww
たとえ「勘」の鋭い経営者(元オヤジ)でも死んだらそれでおしまい。w
二代目はパパの手法をひたすら真似ることしかしない(よって時代に遅れる)。
で、三代目で会社は倒産。ww

>>754
>経営などはほんといい加減なものでしょう。

それでも成功する人と失敗する人がいる。
で、成功した人のことを有能な経営者と人は呼ぶ。
764純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 13:07:34 0
@ 盗用
A 媚を売る
B 不正をする

言ってみれば、ぴかぁ〜や吉村は、実力の無さを他力本願で埋める
という程度でしょうかね?現在遍く見られる組織の腐敗の一端をぴかぁ〜タイプが担ってると
いうところでしょう。
765純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 13:10:50 0
@ 盗用
A 媚を売る
B 不正をする

この様な、ぴかぁ〜や吉村の様な事をしていたら、
組織というものは、天下り等が横行してしまいます。
媚を売るという点からしても、日本の組織でのよく見られる構造でありますから。
766純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 13:13:47 0
@ 盗用
A 媚を売る
B 不正をする

つまりは、

@ ぴかぁ〜には実力なんて無く、盗用の産物である
A ぴかぁ〜のブログ宣伝スレが残っているのは
   削除人ミントさんに媚を売った結果であって実力では無い
B ぴかぁ〜の書き込みが多数なのは、連投規制を技術的に
   無視しているからであってぴかぁ〜の実力では無い

@ ぴかぁ〜に実力は無い
A ぴかぁ〜に実力は無い
B ぴかぁ〜に実力は無い

@〜B共に
「ぴかぁ〜に実力は無い」と示しております。
767純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 13:16:56 0
@ 盗用
A 媚を売る
B 不正をする

@ ぴかぁ〜には実力なんて無く、盗用の産物である
A ぴかぁ〜のブログ宣伝スレが残っているのは
   削除人ミントさんに媚を売った結果であって実力では無い
B ぴかぁ〜の書き込みが多数なのは、連投規制を技術的に
   無視しているからであってぴかぁ〜の実力では無い

阿部内閣にぴかぁ〜を於いたとすると、
盗用、媚を売る、不正をするという行動指針なのですから、
ぴかぁ〜は総理に媚を売り、不正をして利権を得て、幹事長の傘で生きるという程度の人間である
事が分かりますが、これでは組織は駄目になってしまいます。ここが問題です。
768純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 13:18:24 0
再び原点に戻ってみましょう。

> 578 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2007/08/08(水) 14:13:44 0
> ぴかぁは親分肌っぽい腰巾着だな。こういう人間を今までに何人か見てきたことがある。
> 性格が思考の妨げになっているようで、見てて不憫に思うよ。

> 649 名前: 純一 ◆Fn0dptrDJw 投稿日: 2007/08/11(土) 08:43:26 0
> >ぴかぁは親分肌っぽい腰巾着だな。こういう人間を今までに何人か見てきたことがある。
> >性格が思考の妨げになっているようで、見てて不憫に思うよ。
>
> 私の友人にも沢山居ます。
> しょっちゅう下らない事で裏切りますが、私純一は知らない振りをしています。
769純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 13:20:31 0
@ 盗用
A 媚を売る
B 不正をする

@ ぴかぁ〜には実力なんて無く、盗用の産物である
A ぴかぁ〜のブログ宣伝スレが残っているのは
   削除人ミントさんに媚を売った結果であって実力では無い
B ぴかぁ〜の書き込みが多数なのは、連投規制を技術的に
   無視しているからであってぴかぁ〜の実力では無い
> 578 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2007/08/08(水) 14:13:44 0
> ぴかぁは親分肌っぽい腰巾着だな。こういう人間を今までに何人か見てきたことがある。
> 性格が思考の妨げになっているようで、見てて不憫に思うよ。

> 649 名前: 純一 ◆Fn0dptrDJw 投稿日: 2007/08/11(土) 08:43:26 0
> >ぴかぁは親分肌っぽい腰巾着だな。こういう人間を今までに何人か見てきたことがある。
> >性格が思考の妨げになっているようで、見てて不憫に思うよ。
>
> 私の友人にも沢山居ます。
> しょっちゅう下らない事で裏切りますが、私純一は知らない振りをしています。

つまり、@いつからぴかぁ〜はこんな卑怯な精神に形成されたのか?
A他力本願に生きる事をどの時点で覚えたのか?B何故そういうのが純一の周りにも溢れているのか?
この点が日本の問題だと言えますね。
770考える名無しさん:2007/08/13(月) 13:21:34 0
ビガロという名前の純一?
771純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 13:21:39 0
@いつからぴかぁ〜はこんな卑怯な精神に形成されたのか?
A他力本願に生きる事をどの時点で覚えたのか?
B何故そういうのが純一の周りにも溢れているのか?

@ 盗用
A 媚を売る
B 不正をする

@ ぴかぁ〜には実力なんて無く、盗用の産物である
A ぴかぁ〜のブログ宣伝スレが残っているのは
   削除人ミントさんに媚を売った結果であって実力では無い
B ぴかぁ〜の書き込みが多数なのは、連投規制を技術的に
   無視しているからであってぴかぁ〜の実力では無い

> 578 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2007/08/08(水) 14:13:44 0
> ぴかぁは親分肌っぽい腰巾着だな。こういう人間を今までに何人か見てきたことがある。
> 性格が思考の妨げになっているようで、見てて不憫に思うよ。

まとめました。
772考える名無しさん:2007/08/13(月) 13:23:06 O
>>758
なるほど
環境が変化するから成長が必要なのですか
生命の世代交代は、環境適応のためであり
だからこそ、成長(進化)が起こるというわけですね
たしかに一理あります
ですが、急な環境変化に対応できるほど進化のスケールは短くありません
だからこそ、恐竜は滅びたのです
つまるところ、変異は環境変化に適応するために起こるのではなく
結果として、環境に適応しただけにすぎないのです
そこに適応のためだというような意味などはありません
意味は人間の幻想の中にあります
773純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 13:23:16 0
> 578 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2007/08/08(水) 14:13:44 0
> ぴかぁは親分肌っぽい腰巾着だな。こういう人間を今までに何人か見てきたことがある。
> 性格が思考の妨げになっているようで、見てて不憫に思うよ。

@ ぴかぁ〜には実力なんて無く、盗用の産物である
A ぴかぁ〜のブログ宣伝スレが残っているのは
   削除人ミントさんに媚を売った結果であって実力では無い
B ぴかぁ〜の書き込みが多数なのは、連投規制を技術的に
   無視しているからであってぴかぁ〜の実力では無い

@いつからぴかぁ〜はこんな卑怯な精神に形成されたのか?
A他力本願に生きる事をどの時点で覚えたのか?
B何故そういうのが純一の周りにも溢れているのか?

@〜Bを分析しようと思えば、ぴかぁ〜を精神分析するしかありませんね。
774純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 13:26:10 0
@いつからぴかぁ〜はこんな卑怯な精神に形成されたのか?
A他力本願に生きる事をどの時点で覚えたのか?
B何故そういうのが純一の周りにも溢れているのか?

@は成育環境だと思いますが、Aは中学位のぴかぁ〜のクラス内での位置の問題だと思われます。
つまり、ぴかぁ〜は実力は低いのに、実力が高い風を装いたいという、言ってみれば、
大文字の他者が大き過ぎ、ですが、反対にぴかぁ〜自身の実力は非常に小さいという自我を持っている
事が分かります。そのおかげで実力は無いのに、口ばかり先行して、第三者から観ると醜い存在になって
いるという人間だと思われます。
775第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 13:31:05 0
>>772
>環境が変化するから成長が必要なのですか
>生命の世代交代は、環境適応のためであり
>だからこそ、成長(進化)が起こるというわけですね

この正しい読み方は、
急な環境変化に対応できるほど進化のスケールは短くありません
だからこそ、恐竜は滅びたのです
そしてほ乳類へと世代交代したのです。
すなわち進化は突然変異を繰り返し、多様性を目指すのです。

キミの意見も一つの意味であり、ボクの意見も一つの意味です。
意味は人間の幻想の中にありますが、幻想こそが現実なのです。
776考える名無しさん:2007/08/13(月) 13:35:03 O
ぴかぁ〜も純一も俺は知らないし、興味もない。また、面白い考えを披瀝するのならば両方とも肯定する。ちっとくらいの(または大幅な、だとしても)パクりは許容してやって、議論そのものを進行させるべきだ。

例えパクってるとしても話者でなくその考えそのものを相手にすればいい。繰り返すが、議論を続行させるべきだ。
777純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 13:37:27 0
ぴかぁ〜はクラスの中では、不良グループに圧力を受けながらも、
お笑いによって、不良グループの支持を得て、そこに媚を売って、
生きて行くという生き方であると思われます。そして、自分より下と見るや、
威張り散らすという感じでしょう。
778第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 13:38:30 0
>不確実性を確実性へ回収する安定性と、
>その安定性をあえて飛び越える創造
>のバランス、これが成長の基本です。

ここでやっと、本論に戻ります。
■なぜ資本主義は必然なのか
>>676-679

<外部の不確実性>を確実に回収する安定性と、
その安定性を飛び越える創造という<内部の不確実性>
のバランス、これが成長の基本であり、資本主義の必然性です。

>マルクスは資本主義社会が歴史的に特殊な社会であるといったが、長期的に外部からの
>不確実性に対するという意味で必然性がある。社会主義でなく、資本主義が選ばれたの
>は、外部から到来する不確実性をもっとも確実に飼いならすからだ。そしてそれは人間に
>内在する不確実性を解放することによって達成される。
779第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 13:55:24 O
再度いえば、社会の基本はいまなら家族の贈与互酬です。なのになぜ商品交換を基本にする資本主義が出現したのか、ということです。
最近の情報化社会では贈与関係は排除され、ネオリベによりさらに市場主義にむかっています。
780第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 13:58:26 O
ボクたちは贈与関係をとてもめんどくいモノでお金で解決されることに望んでいます。
その反面、ネットでは金銭関係を嫌悪し、贈与関係を重視する回帰現象がおこっているのです。
781考える名無しさん:2007/08/13(月) 14:37:22 O
>>775
ただし、そこには論理の飛躍があります
数十、数百万年単位のスケールの事象を
我々の社会生活に疑似的にあてはめてしまうことです
恐竜から哺乳類へ
つまり、人間以外の生命体による突然変異を想定して
世代交代論を論じていることになってしまいます
だから、具合が悪いのです
私たちのハードの突然変異は、私たちの認識外です
ただし、情報の進化というソフトに関しての疑似的進化を
導入する限りにおいてはあながち的はずれとはなりませんが
782考える名無しさん:2007/08/13(月) 14:41:06 0
根拠を偉い人の書いたことに置くことで、何でもかんでも理にかなうという幻想をみているのか。
「大手ゼネコンの下請けをやっている弊社としては、こうこう、という意見を持っております。何しろ、大手ゼネコンですからね、私たちは。」
783考える名無しさん:2007/08/13(月) 14:43:53 0
>>782
孫請けカワイソス(´・ω・)
784考える名無しさん:2007/08/13(月) 14:46:15 0
>>781
どの水準までがハードなの?
コンピュータのハード・ソフトの概念を当てはめる必然性とは何か?
785考える名無しさん:2007/08/13(月) 14:56:27 O
>>784
わかりました
ここでは、情報をソフトとしましょう
つまり、実体がハードとなります
786考える名無しさん:2007/08/13(月) 14:59:29 O
情報といっても遺伝的に伝達される情報とは区別してください
世代間に生得的に伝達されない情報
それが、私たちや社会という幻想なのです
787純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 15:01:44 0
ぴかぁ〜の中学時代に、不良グループから圧力を受けつつも、
己の身を使い、お笑いによって不良グループからの支持を得るという
媚を売り方を覚えたぴかぁ〜は、次第に大文字の他者にこの様な幻想を抱きます。

ぴかぁ〜 「よし、わしは松本人志になるんや〜!」

という、つまりは、不良グループによる圧力から逃れる為に、
自分だけお笑いで媚を売って、圧力を避けようという生存方法が、
松本人志という具体的な大文字の他者に転倒されたのがこのぴかぁ〜の中学時代だったのです。
788考える名無しさん:2007/08/13(月) 15:04:24 0
>>786
>世代間に生得的に伝達されない情報
>それが、私たちや社会という幻想なのです

何やら意味深が着想ですね。

では、コンピュータの処理速度が飛躍的に向上したとします。
その理由はハードにあるでしょうしソフトにもあるでしょう。
そうすると、ハードかソフトかという分類は技術者にとってはもちろん意味がありますが、
ユーザーにとって(新製品を購入する以外)はさほど重要ではないと言えないでしょうか?
789第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 15:10:04 0
>>781
自然主義の誤謬ではありませんよ。
進化論の話は、あなた>>772が、突然話したので、
それに対する反論をしたまでです。

資本主義の必然性とは違う話です。
それはわかりますよね?
790純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 15:11:41 0
ここで転倒が起こります。
はじめの内は、ぴかぁ〜が不良グループからの圧力を逃れる為に、
進んでお笑いをやって、不良グループにやられない様に媚を売っていたのですが、
この時点でぴかぁ〜にはある自我像が生まれます。

ぴかぁ〜 「よし、わしは松本人志になるんや〜!」

という、つまりは、不良グループによる圧力から逃れる為に、
自分だけお笑いで媚を売って、圧力を避けようという生存方法が、
松本人志という具体的な大文字の他者に転倒されたのがこのぴかぁ〜の中学時代だったのです。
791純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 15:14:52 0
つまり、こういう事です。

不良グループにお笑いで媚を売るという生存方法を見つけるぴかぁ〜 → ぴかぁ〜 「わしは松本人志なんや〜!」

→ 松本人志、知的芸人として売り出す → ぴかぁ〜 「わしも知的芸人なんや〜!」という勘違い

→ オタク論者、東浩紀 → ぴかぁ〜 「わしもポストモダンなんや〜!」 → 柄谷へ
792純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 15:30:21 0
ぴかぁ〜の下衆精神がどの様に形成されたかを振り返ってみましょう

@ 不良グループにお笑いで媚を売って、自分だけ助かろうとする方法を見つけるぴかぁ〜
A 松本人志等に代表される様に、「お笑い芸人は実は頭が良い」という説に踊られるぴかぁ〜
B 松本人志は天才である=ぴかぁ〜も天才であるという倒錯
C オタクなのに実は頭が良い東浩紀という説に踊らされるぴかぁ〜
D 東浩紀は天才である=ぴかぁ〜も天才であるという倒錯
793純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 15:36:14 0
もう一度ぴかぁ〜の下衆精神の形成を振り返ってみましょう。

@ 盗用
A 媚を売る
B 不正をする

つまりは、

@ ぴかぁ〜には実力なんて無く、盗用の産物である
A ぴかぁ〜のブログ宣伝スレが残っているのは
   削除人ミントさんに媚を売った結果であって実力では無い
B ぴかぁ〜の書き込みが多数なのは、連投規制を技術的に
   無視しているからであってぴかぁ〜の実力では無い

@ ぴかぁ〜に実力は無い
A ぴかぁ〜に実力は無い
B ぴかぁ〜に実力は無い

@〜B共に
「ぴかぁ〜に実力は無い」と示しております。
794純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 15:40:12 0
ですが、その一方で、ぴかぁ〜自身が思い込んでいる自我像は全く違うものです。

@ 不良グループにお笑いで媚を売って、自分だけ助かろうとする方法を見つけるぴかぁ〜
A 松本人志等に代表される様に、「お笑い芸人は実は頭が良い」という説に踊られるぴかぁ〜
B 松本人志は天才である=ぴかぁ〜も天才であるという倒錯
C オタクなのに実は頭が良い東浩紀という説に踊らされるぴかぁ〜
D 東浩紀は天才である=ぴかぁ〜も天才であるという倒錯

@ ぴかぁ〜には実力なんて無く、盗用の産物である
A ぴかぁ〜のブログ宣伝スレが残っているのは
   削除人ミントさんに媚を売った結果であって実力では無い
B ぴかぁ〜の書き込みが多数なのは、連投規制を技術的に
   無視しているからであってぴかぁ〜の実力では無い

@ ぴかぁ〜に実力は無い
A ぴかぁ〜に実力は無い
B ぴかぁ〜に実力は無い

つまり、こういう事です。

ぴかぁ〜が哲学板で実際やってる作業と言えば、知識を持ってそうな者に媚を売り、
技術的な制約無視による強制という方法をとるのが関の山であり、思考力は無いに等しい。
が、それにも関らず、ぴかぁ〜の自我イメージは松本人志や東浩紀に比定され得るものとして
置かれている。
795純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 15:43:05 0
もう一度、まとめてみましょう。

@ ぴかぁ〜には実力なんて無く、盗用の産物である
A ぴかぁ〜のブログ宣伝スレが残っているのは
   削除人ミントさんに媚を売った結果であって実力では無い
B ぴかぁ〜の書き込みが多数なのは、連投規制を技術的に
   無視しているからであってぴかぁ〜の実力では無い

@ ぴかぁ〜に実力は無い
A ぴかぁ〜に実力は無い
B ぴかぁ〜に実力は無い

@〜Bをまとめると、「ぴかぁ〜に実力は無い」という結論が出ます。その一方で、

@ 不良グループにお笑いで媚を売って、自分だけ助かろうとする方法を見つけるぴかぁ〜
A 松本人志等に代表される様に、「お笑い芸人は実は頭が良い」という説に踊られるぴかぁ〜
B 松本人志は天才である=ぴかぁ〜も天才であるという倒錯
C オタクなのに実は頭が良い東浩紀という説に踊らされるぴかぁ〜
D 東浩紀は天才である=ぴかぁ〜も天才であるという倒錯

基本型は、「ぴかぁ〜は弱者だが、実は強者なんだ」という倒錯です。
796純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 15:45:00 0
>@〜Bをまとめると、「ぴかぁ〜に実力は無い」という結論が出ます。その一方で、
>基本型は、「ぴかぁ〜は弱者だが、実は強者なんだ」という倒錯です。

つまり、ぴかぁ〜の下衆精神を構成しているのは、主にこの2つであるという点が分かります。

@ ぴかぁ〜には実力が無い
A だが、実はぴかぁ〜は凄いんだとぴかぁ〜自身は思い込んでいる

という精神構造です。
797純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 15:47:44 0
@ ぴかぁ〜には実力が無い
A だが、実はぴかぁ〜は凄いんだとぴかぁ〜自身は思い込んでいる

これを簡約してみましょう。

@ ぴかぁ〜はそもそも社会的弱者である
A ぴかぁ〜は知的領域でのルサンチマンに陥っている

@ 社会的弱者が
A 知的ルサンチマンに陥っている

というだけですね。
798純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 15:50:55 0
@ ぴかぁ〜には実力なんて無く、盗用の産物である
A ぴかぁ〜のブログ宣伝スレが残っているのは
   削除人ミントさんに媚を売った結果であって実力では無い
B ぴかぁ〜の書き込みが多数なのは、連投規制を技術的に
   無視しているからであってぴかぁ〜の実力では無い

@ ぴかぁ〜に実力は無い
A ぴかぁ〜に実力は無い
B ぴかぁ〜に実力は無い

これは誰も疑うべくも無いと思いますが、

@ 不良グループにお笑いで媚を売って、自分だけ助かろうとする方法を見つけるぴかぁ〜
A 松本人志等に代表される様に、「お笑い芸人は実は頭が良い」という説に踊られるぴかぁ〜
B 松本人志は天才である=ぴかぁ〜も天才であるという倒錯
C オタクなのに実は頭が良い東浩紀という説に踊らされるぴかぁ〜
D 東浩紀は天才である=ぴかぁ〜も天才であるという倒錯

これは分かりません。
そもそも、松本人志=ぴかぁ〜という自我像と、東浩紀=ぴかぁ〜という自我像が、
果たして比定されるものか?という疑問があるからです。
799考える名無しさん:2007/08/13(月) 15:57:57 O
>>788
ぴかりさん
混乱なさるのはわかります
コンピュータの話をしたいならまず別に立論してからにしてください
今は我々の社会幻想について論じているのです
そして、我々のみぢかいスケールでハードの進化を論じるならば、
当然、遺伝子操作をせねばならない話になります
これは、ちとキツいですからソフト=情報進化論を論じているわけです
これが、賢い思考という幻想です
800考える名無しさん:2007/08/13(月) 16:07:00 0
>>799
>混乱なさるのはわかります

別に混乱してないが。
801考える名無しさん:2007/08/13(月) 16:11:56 O
キレたらまけですよ
ぴかりさんの論理からでた結論です
お気に召さないなら自身の論理を訂正しましょう
802考える名無しさん:2007/08/13(月) 16:28:33 O
安心してください
長居はしませんから
お盆に現れた幽霊だと思ってやりすごしてください
803考える名無しさん:2007/08/13(月) 16:31:22 0
>>801
>キレたらまけですよ

ぜんぜんキレてないよ。

のんびり家で仕事しながらカキコんでるっすよ
804考える名無しさん:2007/08/13(月) 16:35:30 O
やっちゃいましたね
最後の一言が余計でした
805考える名無しさん:2007/08/13(月) 16:45:03 0
>>804
>やっちゃいましたね

なにもやっちゃいないが。

お盆なのに帰省しないのはおかしいってこと?

よく分からないが、そんなにこっちに気を配らなくていいよ。

もうちょっと図々しくても全然おkだよ。
806純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 17:02:50 0
つまりは、

@ 松本人志はお笑い芸人だが、著書も売れる等知性派としても認知されている

   → ぴかぁ〜 「わしもお笑いで媚を売るのは得意や〜わしは松本人志なんや〜」という倒錯

A 東浩紀はオタクではあるが、著書も高く評価される等知識人としても認知されている

   → ぴかぁ〜 「わしもオタク趣味が得意や〜わしは東浩紀なんや〜」という無意識的な倒錯

が成り立つかどうかですね。反対に言えば、

@ 松本人志とぴかぁ〜が決定的に違う部分は何か?
A 東浩紀とぴかぁ〜が決定的に違う部分は何か?

とも言えます。
807純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 17:07:47 0
@ 不良グループにお笑いで媚を売って、自分だけ助かろうとする方法を見つけるぴかぁ〜

A 松本人志はお笑い芸人だが、著書も売れる等知性派としても認知されている
   → ぴかぁ〜 「わしもお笑いで媚を売るのは得意や〜わしは松本人志なんや〜」という倒錯

B 東浩紀はオタクではあるが、著書も高く評価される等知識人としても認知されている
   → ぴかぁ〜 「わしもオタク趣味が得意や〜わしは東浩紀なんや〜」という無意識的な倒錯

こういう倒錯が成り立つのかどうかですね。
808純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 17:08:58 0
@ そもそもぴかぁ〜は、松本人志と同じか?
A そもそもぴかぁ〜は東浩紀と同じか?

これが問題になります。
809考える名無しさん:2007/08/13(月) 17:10:03 O
ん?
810純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 17:11:10 0
@ 不良グループにお笑いで媚を売って、自分だけ助かろうとする方法を見つけるぴかぁ〜

A 松本人志はお笑い芸人だが、著書も売れる等知性派としても認知されている
   → ぴかぁ〜 「わしもお笑いで媚を売るのは得意や〜わしは松本人志なんや〜」という倒錯

B 東浩紀はオタクではあるが、著書も高く評価される等知識人としても認知されている
   → ぴかぁ〜 「わしもオタク趣味が得意や〜わしは東浩紀なんや〜」という無意識的な倒錯

C 東浩紀の発展型としての柄谷の自我像を借りる=今のぴかぁ〜の書き込み状態

これがぴかぁ〜の自我像の全てですね。
811純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 17:15:45 0
@ 不良グループにお笑いで媚を売って、自分だけ助かろうとする方法を見つけるぴかぁ〜

A 松本人志はお笑い芸人だが、著書も売れる等知性派としても認知されている
   → ぴかぁ〜 「わしもお笑いで媚を売るのは得意や〜わしは松本人志なんや〜」という倒錯

B 東浩紀はオタクではあるが、著書も高く評価される等知識人としても認知されている
   → ぴかぁ〜 「わしもオタク趣味が得意や〜わしは東浩紀なんや〜」という無意識的な倒錯

C 東浩紀の発展型としての柄谷の自我像を借りる=今のぴかぁ〜の書き込み状態

このぴかぁ〜の自我像の遍歴は面白いですね。

@ 他の弱者仲間を犠牲にしてでも、
   自分だけは笑いをとって不良グループの圧力から逃れようとするぴかぁ〜

A その自我像は格好悪いので、
   お笑いが出来るが実は知性派という松本人志の自我像を借りる

B 松本人志よりも、オタクでも学界に認められる東浩紀の自我像を借りる

C 東浩紀の発展型としての柄谷の自我像を借りる=今のぴかぁ〜の書き込み状態
812純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 17:19:30 0
@ 他の弱者仲間を犠牲にしてでも、
   自分だけは笑いをとって不良グループの圧力から逃れようとするぴかぁ〜

A その自我像は格好悪いので、
   「お笑いが出来るが実は知性派」という松本人志の自我像を借りる

B 松本人志よりも、オタクでも学界に認められる東浩紀の自我像を借りる

C 東浩紀の発展型としての柄谷の自我像を借りる=今のぴかぁ〜の書き込み状態

これは所謂ルサンチマンの繰り返しであるとも見れます。
そもそも、@に原因がありますが、@を覆い隠す為により強い自我イメージで補修していますね。

@ 仲間を犠牲にしてでも笑いをとって生き残ろうとするぴかぁ〜 → A 実はぴかぁ〜は松本人志並の知能の持ち主

→ B 実はぴかぁ〜は東浩紀並の知能の持ち主 C 実はぴかぁ〜は柄谷並の知能の持ち主

もちろん、Aから幻想の領域ですがね。
813純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 17:30:09 0
@ 仲間を犠牲にしてでも笑いをとって生き残ろうとするぴかぁ〜
A 実はぴかぁ〜は松本人志並の知能の持ち主
B 実はぴかぁ〜は東浩紀並の知能の持ち主 
C 実はぴかぁ〜は柄谷並の知能の持ち主

もちろん、Aから幻想の領域ですがね。

これはAから完全に、ぴかぁ〜が病気になっている事を示しています。
現実のぴかぁ〜は、第三者から見ると@であり、これは誰もが確認出来ます。
すると、

@ 仲間を犠牲にしてでも笑いをとって、
   不良グループの圧力から逃れ様とする無様なぴかぁ〜という現実の惨めなぴかぁ〜

A だが、実はそんな下衆なぴかぁ〜は、松本人志の傍流であった!(というぴかぁ〜による自我補修)

B だが、実はそんな下衆なぴかぁ〜は、東浩紀の傍流であった!(というぴかぁ〜による自我補修)

C だが、実はそんな下衆なぴかぁ〜は、柄谷行人の傍流であった!(というぴかぁ〜による自我補修)

ですから、都合A〜Cの間の3回程、ぴかぁ〜の大文字の他者による補修が行われていますね。
814第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 17:32:40 0
>>802
では、お盆さんということでよいでしょうか。
改行と、話を混乱させるところから、
なんとなく、特定できますよ。

まあ、みんなお盆でのんびりモードなので、
まったりといきますしょうw
815純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 17:36:08 0
@ 不良グループにお笑いで媚を売って、自分だけ助かろうとする方法を見つけるぴかぁ〜


ここから上はぴかぁ〜の主体本体ですが、
ここから下はぴかぁ〜の倒錯した偽の主体、つまり大文字の他者であります。


A 松本人志はお笑い芸人だが、著書も売れる等知性派としても認知されている
   → ぴかぁ〜 「わしもお笑いで媚を売るのは得意や〜わしは松本人志なんや〜」という倒錯

B 東浩紀はオタクではあるが、著書も高く評価される等知識人としても認知されている
   → ぴかぁ〜 「わしもオタク趣味が得意や〜わしは東浩紀なんや〜」という無意識的な倒錯

C 東浩紀の発展型としての柄谷の自我像を借りる=今のぴかぁ〜の書き込み状態


A〜Cに至ると、主体から切り離されて、
ぴかぁ〜自身何を言ってるのか自分でも分かっていない状態になります。
816第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 17:38:21 0
では、ここで「資本論」から引用してみましょう。マルクスが目指す社会主義(アソシエーション)を
語るところです。

>>
人々は、共同の生産手段をもって労働し、彼らの多くの個人的労働力を、意識して一つの
社会的労働力として支配する。ロビンソンの労働の一切の規定がここで繰り返される。た
だ、個人的であるかわりに社会的であることがちがっている。ロビンソンのすべての生産物
は、もっぱら彼の個人的な生産物であった。したがってまた、直接に彼のために使用対象
であった。この協力体の総生産は一つの社会的生産物である。この生産物の一部は、再
び生産手段として用いられる。それは依然として社会的である。しかしならが、他の部分は
生活手段として、協力体の成員によって費消される。したがって、この部分は彼らの間に分
配されなければ成らぬ。この分配の様式は、社会的生産有機体自身の特別な様式ととも
に、またこれに相応する生産者の歴史的発展の高さとともに、変化するであろう。ただ商品
生産と比較するために、各生産者の生活手段に対する分け前は、その労働時間によって
規定されると前提する。・・・このばあい生産においても分配においても簡単明瞭であること
には変わりがない。
<<
817純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 17:39:38 0
> 814 名前: 第三の波平 ◆v97jOX.oqY 投稿日: 2007/08/13(月) 17:32:40 0
> >>802
> では、お盆さんということでよいでしょうか。
> 改行と、話を混乱させるところから、
> なんとなく、特定できますよ。
>
> まあ、みんなお盆でのんびりモードなので、
> まったりといきますしょうw

これは、

 C 東浩紀の発展型としての柄谷の自我像を借りる=今のぴかぁ〜の書き込み状態

なので、今はぴかぁ〜は柄谷の自我像を借りて語っています。
つまりは、今のぴかぁ〜は柄谷に成り切っています。
ですが、

 @ 不良グループにお笑いで媚を売って、自分だけ助かろうとする方法を見つけるぴかぁ〜

本体はこっちなので、ぴかぁ〜の文章を良く読むと、本体が見えてきます。
818純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 17:41:45 0
> 816 名前: 第三の波平 ◆v97jOX.oqY 投稿日: 2007/08/13(月) 17:38:21 0
> では、ここで「資本論」から引用してみましょう。マルクスが目指す社会主義(アソシエーション)を
> 語るところです。
>
> >>
> 中略
> <<

皆さんは、ぴかぁ〜が何故突然マルクスと言い出したのか、それが分かるでしょうか?
これは、

 C 東浩紀の発展型としての柄谷の自我像を借りる=今のぴかぁ〜の書き込み状態

なので、今はぴかぁ〜は柄谷の自我像を借りて語っています。
つまりは、今のぴかぁ〜は柄谷に成り切っています。
ですが、

 @ 不良グループにお笑いで媚を売って、自分だけ助かろうとする方法を見つけるぴかぁ〜

本体はこっちなので、ぴかぁ〜の文章を良く読むと、本体が見えてきます。
819純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 17:43:34 0
@ 不良グループにお笑いで媚を売って、自分だけ助かろうとする方法を見つけるぴかぁ〜

ここから上はぴかぁ〜の主体本体ですが、
ここから下はぴかぁ〜の倒錯した偽の主体、つまり大文字の他者であります。

A 松本人志はお笑い芸人だが、著書も売れる等知性派としても認知されている
   → ぴかぁ〜 「わしもお笑いで媚を売るのは得意や〜わしは松本人志なんや〜」という倒錯

B 東浩紀はオタクではあるが、著書も高く評価される等知識人としても認知されている
   → ぴかぁ〜 「わしもオタク趣味が得意や〜わしは東浩紀なんや〜」という無意識的な倒錯

C 東浩紀の発展型としての柄谷の自我像を借りる=今のぴかぁ〜の書き込み状態

A〜Cに至ると、主体から切り離されて、
ぴかぁ〜自身何を言ってるのか自分でも分かっていない状態になります。

皆さんは、A〜Cのぴかぁ〜の偽の主体の理論に反論しようとするのですが、
A〜Cは偽のぴかぁ〜の倒錯自我なので、攻撃しても意味が無いのです。
@の本体を攻撃しなければダメージはありませんよ。
820第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 17:48:17 0
マルクスの基本にあったのは、一生懸命働いた者が多くをもらうべきである、
とても単純なことです。資本主義では、労働と価値は解離しています。
一生懸命働いて、大量の生産物をつくっても、その価格は、市場という
別のところで決まってしまいます。
だから労働を基本とした、みなに平等なわかりやすい社会を作ろうと
いうことです。

でもここでの問題ななんでしょうか。簡単です。自然を舐めているのです。
自然とは不確実性なものです。「一生懸命働いた者が多くをもらう」という
平等性は、人間社会に閉じた理想でしかありません。
自然の不確実性には、通用しません。

すなわちこの平等性という安定志向は、<外部の不確実性>を弱く
見積ることで、<内部の不確実性>を抑圧するのです。

><外部の不確実性>を確実に回収する安定性と、
>その安定性を飛び越える創造という<内部の不確実性>
>のバランス、これが成長の基本であり、資本主義の必然性です。

ここにあるのは、マルクスの時代の技術に対する過剰な期待であり、
高揚感です。
821純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 17:50:02 0
@ 不良グループにお笑いで媚を売って、自分だけ助かろうとする方法を見つけるぴかぁ〜

ここから上はぴかぁ〜の主体本体ですが、
ここから下はぴかぁ〜の倒錯した偽の主体、つまり大文字の他者であります。

A 松本人志はお笑い芸人だが、著書も売れる等知性派としても認知されている
   → ぴかぁ〜 「わしもお笑いで媚を売るのは得意や〜わしは松本人志なんや〜」という倒錯
B 東浩紀はオタクではあるが、著書も高く評価される等知識人としても認知されている
   → ぴかぁ〜 「わしもオタク趣味が得意や〜わしは東浩紀なんや〜」という無意識的な倒錯
C 東浩紀の発展型としての柄谷の自我像を借りる=今のぴかぁ〜の書き込み状態

問題なのは、@のぴかぁ〜本体の主体です。
この卑怯なぴかぁ〜本体を隠す為だけに、A〜Cの他人の自我の模倣が必要とされています。
ここにもラカン理論が適用できます。
822第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 17:55:23 0
マルクスが「一生懸命働いた者が多くをもらう」ことを基本にしたとすれば、
資本主義の基本は、「機会は平等にする。あとは好き勝手にかってにやれ」です。

この違いは、マルクスは自由を抑圧し、人間を均質化させ、平等を強め、
資本主義は平等は弱く、自由を強調しました。

しかしそれよりも問題はなぜ資本主義が選ばれたのかです。
823純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 17:55:26 0
@ 不良グループにお笑いで媚を売って、自分だけ助かろうとする方法を見つけるぴかぁ〜は、
   どう考えても、卑怯で下衆な最低の人間であるという現実的な評価がまずあります。

A だが、それを認めたくないぴかぁ〜は第一の倒錯に出ます。
   即ち、ぴかぁ〜が不良グループに笑いをとる事で媚を売り、仲間には威張り散らすのは、
   松本人志の様に、ぴかぁ〜自身もお笑いをやりながらも松本の様に知性があるからや、
   他のオタク仲間とは違うんや!という倒錯に出ます。

B 更にそれが発展し、オタク趣味をぴかぁ〜は持っているが、
   他のオタク仲間とぴかぁ〜は違う!わしは東浩紀の様に学問なんや〜!という倒錯をします。

C 東浩紀でもオタクという評価から逃れる為、柄谷に手を出します=今のぴかぁ〜の書き込み状態
824純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 17:59:22 0
@ 不良グループにお笑いで媚を売って、自分だけ助かろうとする方法を見つけるぴかぁ〜は、
   どう考えても、卑怯で下衆な最低の人間であるという現実的な評価がまずあります。

A だが、それを認めたくないぴかぁ〜は第一の倒錯に出ます。
   即ち、ぴかぁ〜が不良グループに笑いをとる事で媚を売り、仲間には威張り散らすのは、
   松本人志の様に、ぴかぁ〜自身もお笑いをやりながらも松本の様に知性があるからや、
   他のオタク仲間とは違うんや!という倒錯に出ます。

B 更にそれが発展し、オタク趣味をぴかぁ〜は持っているが、
   他のオタク仲間とぴかぁ〜は違う!わしは東浩紀の様に学問なんや〜!という倒錯をします。

C 東浩紀でもオタクという評価から逃れる為、柄谷に手を出します=今のぴかぁ〜の書き込み状態

私純一が、@〜Cを分析してみて思うのは、ぴかぁ〜という人間は、
一方では、

@ オタク趣味を楽しんでいるオタクという素顔

がありながらも、

A それの世間的な評価による劣等感に怯える

という一面があり、

B その劣等感を隠す為に、有名人の自我像を借りる

という倒錯を繰り返している人間だという事が分かります。
825純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 18:00:55 0
私純一が分析してみて思うのは、ぴかぁ〜という人間は、

@ オタク趣味を楽しんでいるオタクという素顔
A それの世間的な評価による劣等感に怯える
B その劣等感を隠す為に、有名人の自我像を借りる

という倒錯を繰り返している人間だという事が分かります。
826純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 18:03:56 0
まず、これがぴかぁ〜の本体です。

 @ オタク趣味を楽しんでいるオタクという素顔

ですが、直ぐに現実が襲ってきます。

 A それの世間的な評価による劣等感に怯える

それを避ける為に、こんな方法が使われます。

 B その劣等感を隠す為に、有名人の自我像を借りる
827純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 18:07:01 0
@ オタク趣味を楽しんでいるオタクという素顔
A それの世間的な評価による劣等感に怯える
B その劣等感を隠す為に、有名人の自我像を借りる

簡約しましょう。

@ ぴかぁ〜はオタク趣味を持っているが
A ぴかぁ〜自身が世間からオタクと認知される事に耐えられない
B だから、あくまでぴかぁ〜は有名人の様にオタク趣味が知的行為であると理解させたい

@〜Bはぴかぁ〜に拠る、ある種の倒錯と言えます。
828考える名無しさん:2007/08/13(月) 18:17:01 0
>>822
話をそらす気はないが、お盆さん?の「ソフト・ハード」論も含めて考えたら面白いと思う。

マルクスの言う「生産機械」=「ハード」と捉えてみてはどうか?
現代ではコンピュータの発達によって「ソフト」面では低価格でも質の良い画像処理・文書製作と配布・DTPから
フラッシュ作成・アニメ作成・音楽作成・ゲーム作成などなど・・様々な文化が可能になった。
その背景には、もちろん技術革新があるわけだけど、その話はおいといても「ソフト」面においてはマルクスが言う
ような「生産機械」がもはや一部の資本家の独占所有物ではなくなっていることが大きいとは言えないだろうか。
逆に言えば、「ハード」面ではまだそれが進んでない。製本が自宅でできるという人は少なくKINKO’Sに行ったり
そういう同人誌の製本を専門にやってる会社にもってくなどして、いわゆる資本家の「独占所有物」を使用せざるを
得ないのが現状である、となる。
つまり、現在においての「ソフト・ハード」は「個人で作成できる・資本家の所有物を使用して作成する」という分類に
書き表せないだろうか。

波平さん、お盆さん、どうでしょう?
829純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 18:21:53 0
@ ぴかぁ〜には実力なんて無く、盗用の産物である
A ぴかぁ〜のブログ宣伝スレが残っているのは
   削除人ミントさんに媚を売った結果であって実力では無い
B ぴかぁ〜の書き込みが多数なのは、連投規制を技術的に
   無視しているからであってぴかぁ〜の実力では無い

@〜Bをまとめると、「ぴかぁ〜に実力は無い」という結論が出ます。 -@

@ 不良グループにお笑いで媚を売って、自分だけ助かろうとする方法を見つけるぴかぁ〜は、
   どう考えても、卑怯で下衆な最低の人間であるという現実的な評価がまずあります。
A だが、それを認めたくないぴかぁ〜は第一の倒錯に出ます。
   即ち、ぴかぁ〜が不良グループに笑いをとる事で媚を売り、仲間には威張り散らすのは、
   松本人志の様に、ぴかぁ〜自身もお笑いをやりながらも松本の様に知性があるからや、
   他のオタク仲間とは違うんや!という倒錯に出ます。
B 更にそれが発展し、オタク趣味をぴかぁ〜は持っているが、
   他のオタク仲間とぴかぁ〜は違う!わしは東浩紀の様に学問なんや〜!という倒錯をします。
C 東浩紀でもオタクという評価から逃れる為、柄谷に手を出します=今のぴかぁ〜の書き込み状態

@〜Cをまとめると、「ぴかぁ〜は実力が無いという事を認めたくない」という結論が出ます -A
更にもう一度、@〜Cをまとめると、「それを埋める為に、ぴかぁ〜は有名人の自我に成りきる」という結論が出ます -B
830純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 18:23:57 0
ですから、ぴかぁ〜の根本的な精神構造はこうなっているという事が分かります。

@〜Bをまとめると、「ぴかぁ〜に実力は無い」という結論が出ます。 -@
@〜Cをまとめると、「ぴかぁ〜は実力が無いという事を認めたくない」という結論が出ます -A
更にもう一度、@〜Cをまとめると、「それを埋める為に、ぴかぁ〜は有名人の自我に成りきる」という結論が出ます -B

@ ぴかぁ〜に実力は無い
A ぴかぁ〜は実力が無いという事認めたくない
B ぴかぁ〜はその為に有名人の自我を借りる

これが基本的なぴかぁ〜の生き方ですね。
831純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 18:27:52 0
@ ぴかぁ〜に実力は無い
A ぴかぁ〜は実力が無いという事を認めたくない
B ぴかぁ〜はその為に有名人の自我を借りる

つまりは、@のぴかぁ〜には実力が無いというところが根幹なのですが、
甘やかされて育ったぴかぁ〜には、本質的な努力というものが見についてなく、
楽して、他人の思想をパクるという方向に進んでしまったので、
他力本願に生きるというか、反対に言えば、他人に頼らなければ生きていけない人間に
なってしまったという事なんでしょうね。
832純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 18:40:44 0
もう一度、>>829を見直してみましょう。
ぴかぁ〜の下衆思想で特徴的なのは、

@ 自分で考えようとしない
A 理想とする自我像と、現実の自我像の乖離が大きい
B 理想とする相手の自我像を真似る事で本人になったと思い込んでいる倒錯の傾向がある

こういうのは、私の周りでも沢山居ます。
833純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 18:44:49 0
ぴかぁ〜の様な下衆の精神構造で焦点となるのは、

 A 理想とする自我像と、現実の自我像の乖離が大きい

ですね。
自分では何も努力していないに等しいのにも関らず、
ぴかぁ〜自身は世界最強の自我を持ちたいと思っている。
つまり、@実力が無いのにA最高の自我を持とうとして、
B理想とする相手を真似て、滑稽になるという事でしょう。

834純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 18:47:47 0
ですから、ぴかぁ〜の自我に問題があるとすれば、

A 理想とする自我像と、現実の自我像の乖離が大きい

が問題である事が分かります。
一方で、@実力の全く無いぴかぁ〜の現実があり、
もう一方で、B理想の相手の自我像を真似て滑稽になる。
というものに引き裂かれたぴかぁ〜の自我あります。
ですが、私純一の分析では、こういう人間というのは、
実社会では、病人の一種として扱われると思います。
835第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/13(月) 19:09:31 0
>>828
ん〜お盆さんのいうことをあまり真剣に考えない方がよいと思いますよ。
しょせん、お盆さんですからw

それとは別に、生産機械の低コスト化については、
池田信夫氏のインタビュー「なぜウェブは資本主義を超えるのか」は面白いですよ。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Interview/20070802/278983/

「これまでは資本が希少だった。そのため資本を工場に集約し,人間は相対的に
過剰なので工場に集めた。それが最も効率的だった。しかし,コンピュータの世界
ではムーアの法則により,トランジスタの価格は1960年代からの40年間で1億分
の1になった。これはかつて100億円したコンピュータと同等の計算能力が100円で
買えることを意味します。人類の歴史上類を見ない爆発的な技術革新により,
計算力は圧倒的に過剰になりました。 ・・・」



すでに、ここでも言及しましたが・・・
■なぜウェブは資本主義を超えないのか
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20070809
836考える名無しさん:2007/08/13(月) 19:33:20 O
私は主義などという幻想に興味はありません
なぜ、やるき茶屋の「や」が大きいのか?
ここに人間をコントロールする秘密があるのです
837純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 20:10:55 0
 @ 実力の全く無いぴかぁ〜の現実
 A 理想の相手の自我像を真似て滑稽になる
 B 理想とする自我像と、現実の自我像の乖離が大きい

となっているのですから、
@の実力を付ければ良いのですが、ぴかぁ〜が実際やっている事と言えば、

 @ 盗用
 A 媚を売る
 B 不正をする

という他力本願な事ばかりなので、

 @ 実力の全く無いぴかぁ〜の現実

という状態は全く解決されないという事ですね。
838純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 20:13:32 0
ぴかぁ〜にそっくりな私の知り合いは沢山居ますが、
ぴかぁ〜も実際に見ると、障害者みたいな感じなんだろうと思います。
839純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 20:14:30 0
現実のぴかぁ〜と理想のぴかぁ〜が乖離しているので、
ちくはぐな印象を受けるのです。
840純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 20:15:22 0
ぴかぁ〜の様なオタク特有のあり方と言えます。
841考える名無しさん:2007/08/13(月) 20:26:00 0
純一、成長したな。
842純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 21:16:08 0
いえ、今回のレスは前の焼き直しです。
843純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 21:19:44 0
ぴかぁ〜のレスには、現実のぴかぁ〜が反映されてないのは確かです。
私の知り合いにも沢山居ます。ぴかぁ〜の様なタイプの場合、
ぴかぁ〜自身も弱者でありながらも、オタクである事を認めないので、
弱者同士なのに、争うという事になりがちなのです。
844純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 21:23:22 0
つまり、ぴかぁ〜の様な私の友人であれば、
弱者同士で連帯して、助け合わなければならない時でも、
 ぴかぁ〜 「わしはお前等オタクとは違うんや〜」
といった事で、わざわざ弱者同士で争う火種を作る場合が多いですね。
ぴかぁ〜の様な人はそもそも自分は弱者であっても、自分だけは弱者では無いと思い込んでいますので。
845純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 21:33:43 0
私純一は、ぴかぁ〜の様な友人が沢山居ますが、
ぴかぁ〜の自我イメージに合わせて振舞わなければならない事が多いですね。
ぴかぁ〜本人は、自分が理想の自我像に成り切っていると思い込んでいるので、
それに合わせてあげなければなりません。
例えば、ぴかぁ〜が東浩紀や柄谷行人に成り切っている自我像を持っている場合、
それに合わせて話をしなければなりません。皆、やってる事だと思いますが。
そこであえて指摘したりする事は、タブーであると言えます。
反対に、私純一は、自我イメージが現実と乖離しているものの、
ぴかぁ〜と違うのは、現実の純一はそれ程悪くは無いのに、過剰に過小評価している
であろうという点です。ぴかぁ〜の場合は、実力が無いのに過大評価していると言えます。
ですから、現実のぴかぁ〜は醜く、現実の純一はそれ程悪くはないのですが、
それぞれ、実力が無いのに実力があると思い込んでいるのがぴかぁ〜であり、
実力は無い訳ではないのに、実力が無いと思い込んでいる純一という構図があります。
846純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 21:39:19 0
ぴかぁ〜は理想に値するだけの努力をしないのですが、
パクリや媚を売ったり、不正をしたりして容易にそうなれると思い込んでいます。
反対に純一はどうでしょうか?
努力はしていますが、理想には近づけないか、あるいは
理想から遠ざかっていると判断している部分があります。
この違いはどこから生まれるのでしょうか?
まず、純一は理想は高いと思うのですが、それ以上に現実の純一に対しての
評価が非常に低いという点が挙げられます。
ぴかぁ〜は反対に現実に対するぴかぁ〜の評価が非常に甘いといえます。
847純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 21:49:03 0
もう少し踏み込んでみましょう。
ぴかぁ〜の場合、理想の自我に近づく方法は、
まず、己を変えない事です。それが盗用や媚を売る、不正となって表れます。
これは、自分を努力して理想に持って行くのではなくて、理想の自我像の局所局所を
そのまま真似るというやり方です。
反対に純一の場合はどうでしょうか?
純一は理想の自我に近づく為には、ぴかぁ〜の様な方法は採りません。
まず、己を変えますが、ここで何か変な動きがある事が特徴です。
己を変えるという事は、それだけ己を変える動機が備わっていたという事でもあり、
それだけ、私純一は普段の純一に満足していない、つまりは現実に満足していない
という事でもあるからです。ですから、理想の為に努力するものの、現実には満足しない
という形になります。
848純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 21:55:20 0
ですから、どこが違うのかと言えば、
ぴかぁ〜の場合、周りが甘やかしている部分が大きいと予想されます。
厳しい環境にはいないという事ですね。
これは私もぴかぁ〜の様な友人には、自我イメージを保たせようとするからでしょう。
反対に、純一の場合は、甘やかされているどころか、
本来評価されるべきことまで、評価されていないという事がありえるでしょう。
これが自我イメージの違いとなって表れます。
つまり、ぴかぁ〜と純一で共通する部分は理想とする自我像が大きい事ですが、
現実に対する評価が両者は異なるという事だと思います。
ぴかぁ〜は現実の自分に対する評価が甘過ぎ、実力が伴っていない事が大半です。
ですが、純一の場合は、既に実力が伴っているものの、協調性の無さによって、
評価されるべきところまで評価されていないと考えるのがまず妥当でしょう。
849純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 22:04:46 0
例えば、私は本上まもるや太郎やポールに関係無く喧嘩を売りますが、
ぴかぁ〜は例外無く、これらの人物に媚を売ります。
その結果、ぴかぁ〜は本上まもるや太郎やポールから評価されます。
これは媚を売った結果としてありますが、同時に協調性とも呼ばれます。
反対に私純一は彼等に喧嘩を売るので、現実では評価されません。
これは協調性が無いとも呼ばれます。が、哲学の理論性というものや
ものの正当性というものは、媚を売るという形式では、成長しないのも
また事実であり、媚を売ってそこで理論の正当性を曲げるという様な
事が介在すると、理論的純度が落ちるというのもまた確かな事です。
そういう意味では、私純一の理論は実力はあるが、評価はされない、
何故ならば、喧嘩を売るからだ、と言えましょう。反対にぴかぁ〜は
本当は実力は無いものの、権力者に媚を売る事で現実の醜さを
甘やかされて覆い隠されてしまうという点があるものと推測されます。
850純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 22:17:10 0
これらの事が、私純一の現実での評価を過剰に過小評価する傾向を生み、
ぴかぁ〜の場合は、過剰に過大評価する傾向を生み出していると思われます。
つまりは、

@ ぴかぁ〜は実力が無いが、権力者に媚を売る等して、
   周りに必要以上に甘く評価されているのでその結果過剰な自信を持つ

A 純一は実力があるが、権力者に喧嘩を売ってばかりいるので、
   周りに必要以上に厳しく評価されているので過剰な劣等感を持つ

@とAは似て非なるものだという点がお分かりだと思います。
問題なのは、この@とAがどの点で「同じに見える」のかという点です。
@は馬鹿であるというのは明白ですが、Aは権力者の理解を超えるという意味で
理解不能のものです。どちらもUNKOWNでありますが、この両者は性質の違う
UNKOWNです。@は理解できるが、アホであり、Aは理解できないであるが故に
馬鹿であると判断せざるを得ないというものであり、その意味で同じに見えるものです。
言ってみれば、ぴかぁ〜は江頭2:50の様な気持ち悪さであり、見知った恐怖と言えますが、
私純一は捕まった猟奇殺人犯の様に不気味な者に見えているという点ですが、
両者共、気持ち悪いという言葉の上では同じ存在に分類されます。
851純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 22:24:30 0
@ ぴかぁ〜は実力が無いが、権力者に媚を売る等して、
   周りに必要以上に甘く評価されているのでその結果過剰な自信を持つ

A 純一は実力があるが、権力者に喧嘩を売ってばかりいるので、
   周りに必要以上に厳しく評価されているので過剰な劣等感を持つ

例えば、ぴかぁ〜はいじめの首謀者には積極的に媚を売ります。
吉村の様に、収容所所長に媚を売ったりします。
対して、純一は不利益であっても、収容所所長に喧嘩を売るタイプなのです。
その結果、ぴかぁ〜は実力が無いのに、過剰評価され、私はその反対であると言えます。
852純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 22:31:58 0
@ ぴかぁ〜は実力が無いが、権力者に媚を売る等して、
   周りに必要以上に甘く評価されているのでその結果過剰な自信を持つ

A 純一は実力があるが、権力者に喧嘩を売ってばかりいるので、
   周りに必要以上に厳しく評価されているので過剰な劣等感を持つ

説明しにくいですが、@とAではやはり努力の量が違うと言えます。
全然関係無い話ですが、私純一はよく、ぴかぁ〜そっくりの友人に
仕草や振る舞いを真似されます。どうやら、私の振る舞いが良いものに思えたらしく、
ぴかぁ〜に盗用される対象になった様です。
@とAでは、努力と評価の反比例が非常に開きがあるという点ですね。
ぴかぁ〜はあまり努力していないが、媚を売る事で権力者に評価される。
一方では、純一は努力しているが、喧嘩を売るので権力者から邪険にされる。
つまりは、私純一はハードルの高いコースを、ぴかぁ〜は非常にハードルの低いコースを
選んで走っているものの、周りには同じスピードに見えるという事でしょう。
853純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 22:39:50 0
@ ぴかぁ〜は実力が無いが、権力者に媚を売る等して、
   周りに必要以上に甘く評価されているのでその結果過剰な自信を持つ

A 純一は実力があるが、権力者に喧嘩を売ってばかりいるので、
   周りに必要以上に厳しく評価されているので過剰な劣等感を持つ

ここから、現代社会の色々な現象に当て嵌める事が出来ます。

@ 実力
A 評価

は、時には反比例するという事ですね。
Aの評価は、ぴかぁ〜の様に媚を売る事で獲得できるという事を示しています。
854純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 22:44:33 0
@ ぴかぁ〜は実力が無いが、権力者に媚を売る等して、
   周りに必要以上に甘く評価されているのでその結果過剰な自信を持つ

A 純一は実力があるが、権力者に喧嘩を売ってばかりいるので、
   周りに必要以上に厳しく評価されているので過剰な劣等感を持つ

@ 実力
A 評価

ここから見えて来るのは、「協調性」の問題です。
「協調性」というか、媚を売るというぴかぁ〜の方法論が、
結果としては、理論の正当性を脅かす程の影響を与えてしまうという点ですね。
855純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/13(月) 23:56:38 0
もし、「協調性」が重要となると、ぴかぁ〜の様に媚を売るという行為が、
全面的に肯定される事になり、哲学の意味が無くなります。
とはいえ、これは実社会でもよく見られる現象ですがね。
ぴかぁ〜の場合、特に媚を売るという行為だけで、哲学とは全然関係行為に
なってしまっているところが大きいですね。別に哲学で無くても、
集団の中で、権力者に媚を売るというのは、どこでも起きている現象ですが、
それを哲学の実力と認識されたのでは困りますね。
856純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/14(火) 00:01:33 0
@ ぴかぁ〜は実力が無いが、権力者に媚を売る等して、
   周りに必要以上に甘く評価されているのでその結果過剰な自信を持つ

A 純一は実力があるが、権力者に喧嘩を売ってばかりいるので、
   周りに必要以上に厳しく評価されているので過剰な劣等感を持つ

さて、これは困った事に、社会のどんな様相でも起きている現象です。
談合とか、これの代表的な例と言えますし、天下りなんかもそうですね。
容易に、下衆(ぴかぁ〜)の媚売りに落ちてしまうのです。
857純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/14(火) 00:05:54 0
ぴかぁ〜の「媚売り」が成功するには、最低条件として幾つかの要件が必要です。

@ 媚を売る人(ぴかぁ〜)
A 媚を売られる人(ポールや太郎)
B それによって全体の不利益を蒙る人(純一)

@のぴかぁ〜もまた、いらない存在ですが、
媚を売られてそれにかかってしまうAのポールも必要ありませんね。
858純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/14(火) 00:09:06 0
これで分かりました。
ぴかぁ〜の媚売りが何故成功するのか?と言えば、
Aのポール達が安々とぴかぁ〜の媚売りにかかってしまうからですね。
859考える名無しさん:2007/08/14(火) 01:21:36 0
徒弟制の悪い部分、利権の確保と身内の保護だけが実社会に残ってしまい、
徒弟制の良い部分、自分で考えさせる厳しさが、はめ込み教育に置き換わってしまった。
860第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/14(火) 09:04:39 0
■なぜ商品交換を基本にする資本主義が出現したのか

贈与関係と交換関係

マルクスは様々な文献のもと研究を進めたのですが、一つのポイントは、互酬贈与ではな
いでしょうか。いまで簡単にいえば、家族内の関係です。家族内ではお金のやり取りはあり
ますが、本質ではありません。食事も、住宅も、互酬贈与です。流動性の低い村社会では、
基本は贈与互酬です。すなわち間関係の基本は、交換でなく、贈与互酬です。

たとえば、家庭の中ですべてが貨幣交換になるとどうですか。それぞれが誰の所有か明確
にして、食事をするのもお金をはらう。とても他人行儀で冷たい関係ではないですか。たと
えば、ここにマルクスのいう所有の否定の源泉があります。家庭の全てのものを明確に誰
かの所有物でかってに勝手に使ってはいけない、ということは、ギスギスする。まあ、マルク
スはみんな仲良くしようということでなく、所有によって生まれる資本の弊害を指摘するわけ
ですが。

市場や、貨幣交換は、昔からありますが、いまのように社会関係の基本ではなかったので
す。そして商人や、高利貸しなど、貨幣交換をする人は、社会で必要とされていましたが、
守銭奴として、蔑視されていました。

最近、またマルクスが注目されるのはなぜか。一つはネット上の経済について、もうひとつ
は環境問題からすなわち資本主義の外部を考えるときに、回帰するわけです。社会の基
本はいまなら家族の贈与互酬です。なのになぜ商品交換を基本にする資本主義が出現し
たのか、ということです。最近の情報化社会では贈与関係は排除され、ネオリベによりさら
に市場主義にむかっています。ボクたちは贈与関係をとてもめんどくいモノでお金で解決さ
れることに望んでいます。その反面、ネットでは金銭関係を嫌悪し、贈与関係を重視する回
帰現象がおこっているのです。
861第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/14(火) 09:05:37 0
外部(不確実性)、内部(確実性/不確実性)

生き物は、生きるために食料の確保しなければ、なりません。しかしたえず外部の不確実
性に悩まされます。人の進歩、狩猟→農業→工業、は、外部の不確実性を確実なものへ
することで、生存の安定を図ることです。

マルクスが労働価値説をとるときも、このような考えが根底にあったと思います。価値の基
本を「労働」におくということは、外部の不確実性を確実性へと回収することが正しい方向と
いうことです。そして資本主義は、それに対して間違っている。貨幣価値という交換価値を
基本におくことで、剰余価値を生み、そして金が目的化する、ということです。

マルクスは資本主義の全てを否定しているわけではなく、資本主義が技術の発展を進め、
外部の不確実性を確実性へと回収することを進めることは間違っていない。それは、資本
主義が破綻したあとの、社会主義の下地になる、ということです。

ここには、外部=不確実性/内部=確実性の形而上学的な二項対立があります。ここで
見失われているのは、不確実性は内部に内在するものである、ということです。資本主義
が成功したのは、この二項対立を超えて、内部に内在する不確実性を解放したことです。
そしてそこにはたえず、錯乱的な過剰な防衛があります。

外部(不確実性)、内部(確実性/不確実性)。2項対立でなく、2項対立を崩すための内部
の不確実の導入という。これは一つの道具立てとしてあえて導入してみました。かつては
不確実性は自然の偶然性でした。これは妖怪、幽霊などのメタファーとして語られました。
最近は恐いのは人です。なにを考え、なにをするかわからない。
862第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/14(火) 09:06:51 0
経済学はどこにあるのか。

近代において、社会を分析する学問として、政治学、社会学、経済学が生まれたと言いま
す。これは学問が多様化したということでなく、社会そのものが、民主主義、資本主義化に
よって変容するのですね。すなわち社会と統治する学、大衆を分析する学、資本を分析す
る学柄谷的にいえば、国家−ネーション−資本に対応します。近代以前は、分離されない
ものでした。

経済学はどこに存在するのか、というのがあります。近代的な市場は経済学以前にすでに
存在し、基本的には、経済学は跡づけで説明します。社会学がなくても市民社会はあるよ
うに、経済学がなくても市場経済活動は存在します。すなわち経済学的経済は、経済学に
しかありません。

たとえば中国では、短期間の間に世界有数の企業が誕生したように、劇的な市場の変化
が起こりましたが、彼らの多くは数年前は町工場のオヤジだったりします。そこでは日本の
大企業行うような、経営指標でなく、経営者の勘で運営されています。日本でも将来的な経
営方針は、経済学と異なるところで行われる。

その反面、経済学という言語が経済を構造化する。経済を記述するための経済学が、言
語化されることで、経済を規定する、ということ。たとえば企業はPL表など経済学的資料で
評価されることで、PL上で良いことが目指される。PL上の良さが、企業のめざすものと同じ
ではないにもかかわらず。経済学という言語が構造主義的に働く部分と、偶然性が働く部
分があるわけです。
863第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/14(火) 09:08:17 0
不確実性を確実性へ回収する安定性と安定性を飛び越える創造のバランス

科学とは不確実性を確実性への回収するためのものです。たとえば道を舗装するのもそう
です。凸凹道ではなにがおこるかわかりません。標準化された方法で舗装することで、道を
移動する行為が予測可能なものになります。ケータイを見ながらあるけます。凸凹道では
そうはいきません。

不確実性を確実性へ回収する安定性と、その安定性をあえて飛び越える創造のバラン
ス、これが成長の基本です。たとえば寿命の大切さは、古い者がいつまでも生きながらえ
ると、保守化して、閉塞します。そこに新しい者が引き継ぐことで、成長がおこります。なぜ
成長が必要なのかは、環境が耐えず変化するからです。今日の鉄則、明日に通用する保
証はありません。

ボクは不確実性を、外部からの不確実性と人間に内在する不確実性に分けました。外部
の不確実性を抑圧し、内部(人間に内在する)の不確実性を解放する。では、マルチチュー
ドは内部と外部どちらでしょうか。環境問題は外部の不確実性だ。まさにここで問う。しかし
ほんとにそうだろうか?
864第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/14(火) 09:16:10 0
「一生懸命働いた者が多くをもらう」

では、ここで「資本論」から引用してみましょう。マルクスが目指す社会主義(アソシエーショ
ン)を語るところです。

>>
人々は、共同の生産手段をもって労働し、彼らの多くの個人的労働力を、意識して一つの
社会的労働力として支配する。ロビンソンの労働の一切の規定がここで繰り返される。た
だ、個人的であるかわりに社会的であることがちがっている。ロビンソンのすべての生産物
は、もっぱら彼の個人的な生産物であった。したがってまた、直接に彼のために使用対象
であった。この協力体の総生産は一つの社会的生産物である。この生産物の一部は、再
び生産手段として用いられる。それは依然として社会的である。しかしならが、他の部分は
生活手段として、協力体の成員によって費消される。したがって、この部分は彼らの間に分
配されなければ成らぬ。この分配の様式は、社会的生産有機体自身の特別な様式ととも
に、またこれに相応する生産者の歴史的発展の高さとともに、変化するであろう。ただ商品
生産と比較するために、各生産者の生活手段に対する分け前は、その労働時間によって
規定されると前提する。・・・このばあい生産においても分配においても簡単明瞭であること
には変わりがない。
<<
865第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/14(火) 09:16:58 0
マルクスの基本にあったのは、一生懸命働いた者が多くをもらうべきである、とても単純な
ことです。資本主義では、労働と価値は解離しています。一生懸命働いて、大量の生産物
をつくっても、その価格は、市場という別のところで決まってしまいます。だから労働を基本
とした、みなに平等なわかりやすい社会を作ろうということです。

でもここでの問題ななんでしょうか。簡単です。自然を舐めているのです。自然とは不確実
性なものです。「一生懸命働いた者が多くをもらう」という平等性は、人間社会に閉じた理想
でしかありません。自然の不確実性には、通用しません。すなわちこの平等性という安定
志向は、<外部の不確実性>を弱く見積ることで、<内部の不確実性>を抑圧するので
す。ここにあるのは、マルクスの時代の技術に対する過剰な期待であり、高揚感です。

マルクスが「一生懸命働いた者が多くをもらう」ことを基本にしたとすれば、資本主義の基
本は、「機会は平等にする。あとは好き勝手にかってにやれ」です。この違いは、マルクス
は自由を抑圧し、人間を均質化させ、平等を強め、資本主義は平等は弱く、自由を強調し
ました。
866考える名無しさん:2007/08/14(火) 10:04:06 O
現状記述は、わかった。
で、それをもとに、これから何が必要であり
何をすべきなんだ?
867第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/14(火) 10:11:50 O
ともにかんがえましょうぞ
868考える名無しさん:2007/08/14(火) 10:24:25 O
ともに考えてもよいが、まず言い出しっぺが取っ掛かりになるべき
構想を描き出す必要があるのではないかね?
未来を描けない二番三番四番五番六番煎じの物真似評論家として
終わりたくないなら、真剣に考えてください。
未来を描くことには、未来という結果によりシビアに評価されてしまいます。
しかし、それを恐れて口を閉ざすならばそれまでです。
つまらない現状報告などやめてしまいなさい。
869第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/14(火) 10:31:32 O
ごたくいらね
870考える名無しさん:2007/08/14(火) 10:47:57 O
負け犬いらね
871純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/14(火) 14:12:48 0
充電完了致しました。
時々、初心を忘れてしまうのは、現実に関るとそうなるのです。
自分がこの世の中で何をやるべく生まれ付いているのか、
どこかで踏ん切りをつけなければなりません。
私はもうすぐで現実的な流れに逆らえなくなるのですが、
是非ともその前に、見定めて置きたいと考えております。
恋愛や結婚も結構だと思いますが、それ以前には、色々と御座います。
例えば、ベルセルクという有名漫画を私はよくネカフェで読むのですが、
グリフィスのとある台詞をよく読みますね。そこにも、恋愛や結婚の前に
人間にはとあるものが控えているという意味の台詞なのですが、
これは夢なのです。私純一の夢とは純一統一理論ですから、
今、私純一は夢の捨て場所に困っているという事になります。
872純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/14(火) 14:25:26 0
リアル友人にぴかぁ〜そっくりの友人が私純一に居ますが、
この人にはよく、私の仕草とか振る舞いを格好良いと思って真似されます。
同様に、このリアルでのぴかぁ〜そっくりな友人は、夢に関しても、
よく私純一からすると、胡散臭い台詞がよく出てきます。
例えば、どこか別の人から盗用してきたであろう台詞を語っていたりするのです。
ですが、これは夢の堕落と言えます。ぴかぁ〜そっくりの友人は、
よく、格好よい他の友人に寄生する形で、彼女をゲットしようとしている様です。
そんな事は私純一には関係無いのですが、私の周りでも、夢というものは、
年齢を経るに連れて、その内実が変質していくものだと考えられます。
私も世間に飲み込まれる前に、何か打ち立てなければならないと最近焦っているのです。
理論は既に完成しており、残るはこれをどういった形で残すかです。
873純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/14(火) 14:35:44 0
ハッキリ言って、ポールや太郎の理論は堕落しており、
初心を忘れた論と言えます。酒井泰斗の論も一言で言えば汚いと言えます。
何故汚いのかというと、生き方が汚いからそうなるのです。
やろうとした事と、やってる事象とのズレ、言ってる理論と、
それを利権に変えようとする酒井泰斗の動き等、本上まもるの文体等を見れば
分かると思いますが、これを私純一は安々と超える事ができる理論なのです。
ですが、問題なのはこの運用方法です。強力な理論程、扱いには注意しなければなりません。
最初にこういう理論に飛びつくのはぴかぁ〜の様な下衆でしょう。これは実験によって、
分かっている事です。YESの弟子もそんな下衆でした。この理論はただ公開すれば良い
というだけの代物では無く、扱いに十分注意しなければならない理論と言えます。
ですが、まだ、やはり公開するには早いと言えます。何か別の方法を使わなければ、
安全に運用は出来ないと考えられます。この理論の使い手は私が最強だと思いますが、
私がトップで管理すれば、堕落はある程度防げるでしょう。もうあげちゃっても良いかもしれません。
874純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/14(火) 14:54:22 0
ぴかぁ〜は現物を見ると、障害者みたいな感じなんだろうと思います。
私の友人にもこんなろくでもない者が多いですから。
私の友人に最も多いのは、こんな障害者の様なぴかぁ〜の様なろくでなしか、
あるいは統一教会等の宗教にイカレてしまっている友人等が多いですね。
ぴかぁ〜は、こんな私純一の論を聞いてこう思うのかもしれません。
ぴかぁ〜 「わしは金と論理を信じるリバタリアンや、宗教なんぞにイカレるか〜」
そういう事ではないのです。ぴかぁ〜という現物を見て感じる、その違和感が問題なのてす。
ぴかぁ〜は現物を見ると、やはり障害者という言葉がぴったり来る人間だと思います。
それはやはり統一教会にイカレてしまっている友人達ともある種の同じ臭いを感じるのです。
どちらもやはり障害者っぽいからです。私は行く所、行く所、こういった最下層の人達と
関りを持ちます。ぴかぁ〜の様に、平気で人を裏切る者や変な宗教にイカレている者達です。
私純一は非常にのっぺりとした人なのですが、同時に彼等にどっぷりと浸かり馴染む事が
出来ないのです。それは私純一が哲学者であるからです。一方では、統一教会等の宗教観にも
馴染めず、もう一方では、ぴかぁ〜の様に、リバタリアンを免罪符にして援助交際や犯罪に
手を染めるという気には成れません。私純一には哲学を用いた第三の道があり、そこに
誘導したいと考えているからです。
875考える名無しさん:2007/08/14(火) 19:34:50 0
純一よ・・・・
おまえは知能を無駄遣いしてないか?
876考える名無しさん:2007/08/14(火) 19:52:40 0
>>867
>ともにかんがえましょうぞ

うそつけww
877考える名無しさん:2007/08/14(火) 19:58:58 0
純一、読むのが面倒くさいから三行にまとめてくれ。
878考える名無しさん:2007/08/14(火) 21:34:29 0
>>877
@(大衆は)盗用する
A(大衆は)媚を売る
B(大衆は)不正をする
879828:2007/08/14(火) 23:22:55 0
>>835
池田信夫氏のインタビュー読んだが何が面白いのか分からんわ。
キラリと光る知性とか全然感じない。

トランジスタの価格が下がったのは、技術開発が方向づけられてたからですよね?
小型したほうがいい、製造コストは(販売コストもか)低いほうがいい、と強いて言えば
数値目標化しやすいところから、その方向に投資も突っ走ることができたわけで、それ
の何を称えてるのかよく分からん。技術者って凄いという話でもなかろうに。

着想の「なぜウェブは資本主義を超えるのか」も何かのパクリではないか?
もっと違った理由でその説を唱えてたのが(いろいろあるが)ボードリヤールですよね?
池田はそこからずっと退行してるような。

どこか面白いのかさっぱり分からんね。
880第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/15(水) 00:56:18 0
>>879
・・・
881考える名無しさん:2007/08/15(水) 01:53:21 O
あの記事には注意が必要です。
池田の斜め45度からのキラーショットが
すべてのページに巧妙に仕掛けられています。
気付いていると思われますが、ユニクロです。
これは、計算されています。
我々の無意識の知覚機能にプライミング効果として
知らぬ間に精神をコントロールしています。
882考える名無しさん:2007/08/15(水) 04:43:58 0
>>872-873
それは今の日本社会全体を覆ってる問題でもある。

とりあえず、本論より小論から発表してみてはいかが?
その小論は本論から派生した論文で、本論そのものは明かさないが
世間にたいして発見的な何かを提示できるような論文。

若干、高等な技術を要するかも知れないが理論の発表にあたっては
慎重であるべき。
883純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/15(水) 08:24:02 0
私純一の周りの友人が、障害者らしく感じるのは、
現在のメインイデオロギーから離れた位置に彼等が属しているからです。
このイデオロギーとは、言うまでも無く、商品社会であると言えます。
広義には資本主義と言えると思います。私純一は主に、理屈からの理論的理由で、
ぴかぁ〜はそもそも恋愛等の資本主義の恩恵を受けにくいオタクという性質上、
そして、宗教関係の友人はこれらの資本主義のシステムの要素を成す、
イデオロギーを許容しないという意味で、これら資本主義の商品社会から
はじき出された人間達であると言えます。私は、そんな社会の最下層に位置しているのです。
私はアソシエーションの一環として、だめ連やNAMを視察しましたが、こういう集まりに
集まるのは、ぴかぁ〜の様に資本主義や商品社会の恩恵を受けられないオタクや
ろくでなしが多いのです。つまりは、だめ連やNAMは理念通りに行けば、資本主義や
商品社会に対抗するものでなければ意味が無いものなのですが、そういう
だめ連やNAMに集まるのは、資本主義や商品社会の恩恵をできれば受けたいが、
ぴかぁ〜の様に、その能力の低さから受けたいのに受けられないという人達の集まりと
化してしまった事でしょう。これを避けるには、統一教会等の資本主義のイデオロギーに
対抗する教義を持った者を入れなければなりませんが、これでは理論的な運営に
なりません。ですから、アソシエーションというのは、普通にやろうとすると、
ぴかぁ〜の様に、資本主義の恩恵を受けたいが受けられないというオタクの様な
人種の墓場と化してしまい、資本主義の対抗にならないというのは、あかねを視察
した事があるのならば分かるでしょう。
884純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/15(水) 08:49:05 0
二酉は資本主義や商品社会という、ある程度のメインイデオロギーに属しています。
私も昔そこに居たのですが、まだ帰る気にはなりません。
メインイデオロギーもまた病気であり、嫌悪感を感じますが、
だからといって、ぴかぁ〜の様に資本主義の恩恵を受けられない者の腐った別種のイデオロギーも
また汚いものです。そこで宗教にイカレるという方法を採るのもまたいけない事です。
第三の道は、これらの道を絶ってこそ成り立つと言えます。それが集まって、はじめて、
真のアソシエーションが可能になるのですが、私の予想ではだめ連やNAMにはぴかぁ〜の様な
変形リバタリアン、それはつまり論理と金さえあれば、犯罪を肯定する、つまりは資本主義の
恩恵を受けられなかった者が、倫理的に不埒な方法で違法に快楽を享受する事を正当化する
理論としてのろくでなし用リバリアニズムという方法がだめ連やNAMでの、別種のサブイデオロギーに
なってしまっています。私も彼等に倫理的な道を示したいのですが、ここでのぴかぁ〜の説得にも
意味が無い様に、リバタリアニズムによって、例えば援助交際が肯定できると思っている
ぴかぁ〜達には私の説得は無意味である場合が多いと言えます。同様に、宗教の場合でも、
おいそれと教義を捨てるという事は困難であろうと思われますから、なかなか布教は難しいのです。
885考える名無しさん:2007/08/15(水) 09:40:47 O
ニトリってまだいんの?
あいつはただのボーダーだよ。
話も内容がなくつまらない。
886考える名無しさん:2007/08/15(水) 10:16:46 0
NAM NAM (-人-)
887考える名無しさん:2007/08/15(水) 10:35:47 0
純一は他人に期待しすぎ
888純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/15(水) 10:37:20 0
二酉は普通の人ですね。
889純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/15(水) 10:49:12 0
期待し過ぎなのではなくて、NAMやだめ連の目的から、
構成員の指針がズレるという事ですね。
NAMの場合、原理があったのにそれからはズレて行くのですが、
これには、先程申しました様にぴかぁ〜の様な資本主義の恩恵を
受けられないというところから離れられないサブイデオロギーがあり、
また、それとはズレたメインイデオロギーが存在するのです。
つまり、原理がいくらしっかりしていようが、アソシエとして成り立つには、
根本的に各自持っているイデオロギーをどれだけ相殺できるかが問題なのでしょう。
その為には訓練が必要なのですが、アソシエで訓練等出来るでしょうか。
890考える名無しさん:2007/08/15(水) 10:57:47 0
どういう原理なのか知らないけど(別に書かなくていいけど)イデオロギーの
多様性は認めてもいいのではないか?
「資本主義の恩恵を受けられない」からそのアソシエに加わる人がいたって
別に構わないのでは?
NAMが崩壊したのは、なぜか柄谷批判をする人が紛れ込んでいたからだ
とどこか(の掲示板)で読んだことがあるが、そのような危険分子さえ排除
すれば問題ないような・・・NAMあまり詳しくないけど。
891純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/15(水) 11:08:13 0
ポンと原理を置いて、これを鳥瞰してアソシエを始めようという
方法が無理に近いのかもしれません。
意識としてイデオロギーが強い以上は、原理を置かず、
周辺からイデオロギーの意識を変える物体をそこに置くべきなのかもしれません。
ですが、この意識の変容はどうしても理性的に変えるという事が難しいものです。
何か別の方法を考えておきます。
892純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/15(水) 11:13:30 0
893考える名無しさん:2007/08/15(水) 11:27:16 0
>>891
うーん、イデオロギーね、、
よく分かりませんが「来る者拒まず」とか「枯れ木も山の賑わい」(??)とかそんなアバウトな
出発点からでもいいのでは。

>ポンと原理を置いて、これを鳥瞰してアソシエを始めようという

僕は逆に考えるんですよね。
原理は足元に置く、みたいな感じで、原理とは基礎・土台にあるものとして捉えます。
だから、その構図ではおのずとイデオロギーは人それぞれでいいんじゃない?となります。
土台がしっかりしていれば平気なわけだし。

生意気にあれこれ書きましたがアホの戯言ですので忘れて下さい。では。
894純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/15(水) 11:33:24 0
定款を原理と考えると、普通の会社員のイデオロギーが様々であっても構わない
というのは分かります。それもまた現実的な方法であるのでしょう。
これはまた考えなければなりません。確かに、枯れ木も山の賑わいという状態は、
現実的に組織を作る上では、そこまで管理できないという面はあります。
これはまた考えなければなりませんね。
895考える名無しさん:2007/08/15(水) 11:40:37 0
>>894
僕はそういう組織的なことは苦手なので、あまり参考にしないで下さい(汗)
そんなわけで僕は今は自営業してる訳でもあって…。

組織については歴史書・文献をあさってみれば色々とありそうです。
純一さんの考えと合致するような型があればいいですね。
896考える名無しさん:2007/08/15(水) 13:19:22 O
ぴかあさん、これもあなたの力量ゆえの結果です
努力を怠らずに
897第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/15(水) 13:23:48 0
>>896
お盆くんは、年中お盆系?
898第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/15(水) 13:25:42 0
お盆って頭がぼーとなるよね・・・w
899考える名無しさん:2007/08/15(水) 13:43:28 0
>>896
>努力を怠らずに

何だよそれ。w

>>836>>881は「お盆くん」かな?
表象デザインとその効果について論じてくれよ。
900純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/15(水) 13:49:31 0
ここ最近は体調が悪いですね。
視界がぐるぐる回って気持ち悪いです。
901純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/15(水) 13:50:55 0
冗談か分からないのですが、
純一はもしかしたらこのまま死ぬのかもしれません。
ここ最近急激に体が弱ってきているのを感じます。
902純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/15(水) 13:56:03 0
運動不足でしょうかね。
ですが、昨日も途中から体調が悪くなり、
続きを今日まで書く事が出来ませんでした。
現実からくる圧迫が精神的に負担をかけているのかもしれませんね。
焦ってはいますが、何かが出来る事でしょう。
先程の組織の件について、十分考えてみましたが、
ぴかぁ〜の様なのを相手にすると計画が前に進まないという事が分かりました。
組織では無い、別の共同体の可能性に賭けてみようという計画で行ってみましょうかね。
与える影響は考慮しても、まず断片的に公開といったところでしょうか。
903第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/15(水) 14:00:49 0
>>899
キミも無理にからまずにのんびり遊んできな・・・
904純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/15(水) 14:04:07 0
どこでそれを確保するかが問題ですね。
905純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/15(水) 14:05:19 0
いや、どの次元と言うのが正しいですね。
906第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/15(水) 14:06:32 0
こう熱いとやはりプールですね。流れるプールなんかで漂うと良いですね。
あと、水着ギャルは目の保養になります。
しかしそれもいい加減飽きますね。
町中で見るほどみんなかわいくないというか、
基本的にスタイルを露出すると、みんなスタイル良くないですね。
グラビアなどでみるのがかなり頑張っているんでしょう。
そのうち飽きてしまいます。
でもそういうものかもしれませんね。
街中で露出が多いから良いのであって、
全員、水着だともーどうでもよくなります。
しかしほんとに今年の夏は暑いですね。

暑中お見舞いということで・・・
907純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/15(水) 14:14:04 0
こんな風にぴかぁ〜はよく私の文体を真似ますね。
908第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/15(水) 14:17:22 0
■なぜ平等であることは「自然」なことではないのか

謙遜の意味

人は他者へ転移する。他者が私であり、私が他者を指向する。このような力学において、
人はそこにある差異を平準化しようとする力が働く。たとえば自分だけが幸せになるとあま
りそれを全面に出すことははばかれる。この転移関係において、他者よりも幸せであること
は負債感がともなう。

人が社会生活で謙遜するのは、転移の力学が無意識に働いてしまうことを抑制するためで
ある。転移の力学は他者に嫉妬を生み、また自らの中に後ろめたさを生み、幸せへの純粋
は努力を無意識に抑制する。このように謙虚であることは、社会生活において重要な意味
がある。
909第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/15(水) 14:18:09 0
「等価交換関係として平等」と「贈与関係の公平」

このような転移の力学による「平準化」は、「平等」とは異なる。平等とは、近代的な思想で
ある。歴史上、人が平等であったことの方がめずらしい。男尊女卑、階級制、現在も貧富の
差など、実質的には不平等である。

近代の平等の本質は、基本的人権の自由であるとともに、経済活動に参加する機会の平
等という資本主義的リベラリズムによる面が強い。資本主義社会に平等に参加できること
が、資本主義社会を促進する。

資本主義的な平等とは、負債を生まない「等価交換関係として平等」である。簡単にいえ
ば、1万円は誰にとっても1万円であるということだ。しかしボクが先にいった転移を元にし
た「平準化」とは、負債感の消失を目指すものであり、「贈与関係の公平」である。

「贈与関係の公平」とは、単に貨幣価値にも、数量に還元されない。もっと主観的、質的な
ものである。様々な他者との関係の中で、負債感の消失を目指す平等である。だからたと
えば封建的な階級制は平等でなくても、公平ではありえる。互いの関係の中で、それぞれ
が負債感を生まなければ、それは公平なのである。
910考える名無しさん:2007/08/15(水) 14:18:40 O
>>899
オペさんこんにちは。
デザインは君にはまだ早い話です。

ジュンイチくんいるかな?
911第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/15(水) 14:18:56 0
小さなコミュニティの公平、大きなコミュニティの平等

たとえば現代においても、なんらかの「小さなコミュニティ」に参加した場合、ある種の力関
係(順位付け)ができることは自然なことである。たとえば職人の師弟関係、仲間の尊敬の
関係、恋人、家族の愛情の関係などなど。これらは「贈与関係の公平」であり、そこに負債
感がうまれなければ、それは一つの安定状態である。それでもこのような力関係に大きな
負債感が溜まるようだと、公平の安定状態は破綻する。

このような公平状態に、逆に「みな平等」だと強制するのは、逆に不安定な状態を生む。し
かしコミュニティが大きくなりすぎると、コミュニティへの帰属意識は低下し、力関係によって
安定を保つことが困難になる。

たとえば小さな仲間内でのいざこざは話を良く聞き、なめらかな判断で仲裁することができ
るが、大きなコミュニティの問題は、それぞれの話を聞いていけはきりがなく、杓子定規で
あっても、何らかの取り決めをしておいて、それに従うしかない。公平による安定状態が限
界に達した時に安定状態を生むために、「みな平等」だと強制する取り決めが必要になる。
912純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/15(水) 14:19:09 0
今日も柄谷の威光を借りて論述するのですか?
913第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/15(水) 14:19:49 0
「自然状態」とは公平を求める状態である

これは、「自然状態」の議論に繋げられるだろう。「小さなコミュニティ」ではロックが言うよう
な自然状態、公平な秩序が可能であるが、「小さなコミュニティ」の乱立は、コミュニティ間
の闘争が生まれ、「大きなコミュニティ」においてはホッブスがいうように強制的な力が必要
であるということだ。これはヒュームの「人間本性論」に近い。

人間にとって「自然状態」とは「公平」を求める状態ということだ。そして公平とは主観的なも
のであり、大きなコミュニティの秩序を実現するために、国家などによる強制的な取り決め
が必要とされる。

だから政治とは、公平を目指した制度作りである。主観的な公平と制度が達成しようとする
公平には必ず差異がうまれる。
914純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/15(水) 14:20:08 0
>ジュンイチくんいるかな?

いますよ。
915第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/15(水) 14:21:57 0
ロールズの「善に対する正義の優位性」

ロールズのリベラリズム「正義論」において、正義とは、「公正としての正義」、「自由で平等
な人々が完全に「自発的な意志」のもとで、合意する取り決め」である。だからロールズが
「善に対する正義の優位性」というとき、「善」がボクが言う主観的な「公平」であり、「正義」
が取り決めによる「平等」に対応するだろう。

ロールズの正義論の核心である「善に対する正義の優位性」をボクの考えで説明すると、
人々は公平(善)を求める。しかしこれは小さなコミュニティの主観的な価値であり、コミュニ
ティ間で調整することはむずかしい。よって、大きなコミュニティにおいては、より客観的な
取り決めによる平等(正義)を目指される。しかし人々は公平(善)を求めているので、取り
決め(正義)との差異が生まれ続ける故に、終わりなく、取り決め(正義)を試行錯誤(内省
的均衡)し続ける、ということになるだろう。

しかし取り決めがロールズのいう「公正としての正義」すなわち自由と平等である必然性は
ない。すなわち正義が封建社会的階級制、あるいは宗教的な原理主義的平等、社会主義
的平等、修正的資本主義的平等によって目指されてはならない前提はない。ロールズの
正義がリベラリズムであるのは、あくまで現代の資本主義社会を支えることを前提としたイ
デオロギーであるからだ。
916第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/15(水) 14:22:41 0
環境×公平(ネーション)×正義(国家)

だからヘーゲル、フクヤマ的な「歴史の終わり」、すなわち資本主義的リベラリズムによって
公平への試行錯誤の方法は終結するということには根拠がない。「環境」が変われば、当
然、公平を目指す方法論も変化が求めるだろう。

重要なことは、公平(内部)と環境(外部)のバランスの中で「正義」(公平を目指す取り決
め)は決定する。ラカンの想像界、象徴界、現実界のボロメオの輪に対応させて、転移の力
学による「公平」、公平を目指す取り決めとしての「正義」、「環境」の相補的な関係を上げる
ことができる。柄谷的にいえば、「環境×公平(ネーション)×正義(国家)」ということでしょう。

たとえば現代、資本主義的リベラリズム、すなわち「平等」の「正義」が勝利しえたのは、「環
境(自然)」を征服し、人々に豊かさを提供することで、人々の「公平」を満足させることに成
功したからだ。そこには緩やかでも資本主義的グローバルなネーションが芽生えている。
917第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/15(水) 14:23:17 0
「歴史は終わらない」

しかしこれも一時的である。資本主義は産業革命からの短期において、環境問題をうみ、
このまま維持することは難しく、何らかの修正を求められるだろう。環境問題に対応するた
めの「正義」(公平を目指す取り決め)は、国際協調の必要があるが、社会主義的なものが
求められるのではないだろうか。

また資本主義的な豊かさは先進国などの一部の人々であり、それに対する後進国からの
不公平であるとの反動が起こっている。資本主義リベラリズムが生んだ不公平に対して、
異なる「正義」(公平を目指す取り決め)が求められるのは当然でもある。国家社会主義が
破綻した今、宗教的な原理主義による正義が台頭しているのである。

今後も環境が変化することは否めない。そして環境が変化しつづけることで、公平への「正
義」の試行錯誤は終わらないだろう。
918純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/15(水) 14:24:17 0
> 906 名前: 第三の波平 ◆v97jOX.oqY 投稿日: 2007/08/15(水) 14:06:32 0
> こう熱いとやはりプールですね。流れるプールなんかで漂うと良いですね。
> あと、水着ギャルは目の保養になります。
> しかしそれもいい加減飽きますね。
> 町中で見るほどみんなかわいくないというか、
> 基本的にスタイルを露出すると、みんなスタイル良くないですね。
> グラビアなどでみるのがかなり頑張っているんでしょう。
> そのうち飽きてしまいます。
> でもそういうものかもしれませんね。
> 街中で露出が多いから良いのであって、
> 全員、水着だともーどうでもよくなります。
> しかしほんとに今年の夏は暑いですね。
>
> 暑中お見舞いということで・・・

これがぴかぁ〜の本体ですね。
哲学を語る必要が無いのに語るのですが、
哲学の理論を抜くと、要するにこういう要旨が出てくるという事ですね。
919純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/15(水) 14:26:47 0
> 906 名前: 第三の波平 ◆v97jOX.oqY 投稿日: 2007/08/15(水) 14:06:32 0
> こう熱いとやはりプールですね。流れるプールなんかで漂うと良いですね。
> あと、水着ギャルは目の保養になります。
> しかしそれもいい加減飽きますね。
> 町中で見るほどみんなかわいくないというか、
> 基本的にスタイルを露出すると、みんなスタイル良くないですね。
> グラビアなどでみるのがかなり頑張っているんでしょう。
> そのうち飽きてしまいます。
> でもそういうものかもしれませんね。
> 街中で露出が多いから良いのであって、
> 全員、水着だともーどうでもよくなります。
> しかしほんとに今年の夏は暑いですね。
>
> 暑中お見舞いということで・・・

思うのですが、この絵は現実で見ると、
非常に気持ち悪い絵であると思います。
というのも、ぴかぁ〜そっくりの私のリアル友人もそうなのですが、
やはり、障害者に見えるからなのです。
ですから、この絵は障害者っぽいぴかぁ〜が水着ギャルをじぃ〜と見つめている絵なのです。
920純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/15(水) 14:28:25 0
とはいえ、ぴかぁ〜本人が障害者っぽく見えている自覚は無いでしょう。
921考える名無しさん:2007/08/15(水) 14:31:42 0
あいかわらず鋭いな。どこかに投稿してみたらどうだ。>波平
922純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/15(水) 14:35:08 0
それも面白いかもしれません。
果たして、誰が評価してくれるのでしょうか。
923純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/15(水) 14:38:07 0
> 906 名前: 第三の波平 ◆v97jOX.oqY 投稿日: 2007/08/15(水) 14:06:32 0
> こう熱いとやはりプールですね。流れるプールなんかで漂うと良いですね。
> あと、水着ギャルは目の保養になります。
> しかしそれもいい加減飽きますね。
> 町中で見るほどみんなかわいくないというか、
> 基本的にスタイルを露出すると、みんなスタイル良くないですね。
> グラビアなどでみるのがかなり頑張っているんでしょう。
> そのうち飽きてしまいます。
> でもそういうものかもしれませんね。
> 街中で露出が多いから良いのであって、
> 全員、水着だともーどうでもよくなります。
> しかしほんとに今年の夏は暑いですね。
>
> 暑中お見舞いということで・・・

これが団塊ジュニア世代の意識ですね。
これならば、援助交際に手を出す理由も納得できる気がします。
924純一 ◆Fn0dptrDJw :2007/08/15(水) 14:42:06 0
ですが、こういう気持ち悪いであろうぴかぁ〜と、
純一が同じ社会階層に属してるというのも事実ですがね。
925考える名無しさん
>>906
水着ギャルの画像貼れよ、糞ボケ。w

>>910
うぇww
どうでもいい事だが僕はそのデザイナーの端くれ。
自営業というのはそゆことです。

波平さんのは微妙に現状認識が少しズレてる気もするが
投稿してみたらいいと思うよ、ほんと。