哲学科出身でも何でも無いんだけど、
なんで人は生きるのか教えてください。
人生とは即ち死への道程ならば、
ショートカットしたいと思う人間は何故ほとんどいないのですか?
てめえで考えるか、「ショートカット」しちゃって下さい。
人生は可能性。
道の果ては死であり、無であり、生きる意味など何もないかもしれない。
けど、何かをできるかもしれない、何かを為せるかもしれない、生きる意味があるかもしれないという可能性。
今の俺にはこれくらいしか言えない。
目的地に着くために人は近道を使うけど、
死を好んで終着点にしている人がいかほどいるだろうか?
気付いたら産まれてきてたから生きてる。
死ぬのは苦痛そうだし恐いから現状のままズルズル先延ばしになってる。
7 :
考える名無しさん:2007/01/20(土) 19:25:53
生きているの辛ければ死ねばいいし
楽しければ生きればいい。
問題を明確にし
目的を達成するためだ
苦痛はそのため過程なり
9 :
考える名無しさん:2007/01/20(土) 20:35:34
ちょっと充足理由律に毒されすぎ
10 :
考える名無しさん:2007/01/20(土) 21:17:57
人としての生き方だけを捜し求めても答えはでねぇっす
人生なんて時間軸の中での1つの事象でしかないんで
人がどうこう考えても大枠は掴めないつうの・・・
というわけで、つべこべ考えず『生きろ』
だが苦痛は意味に支配されているはずだ
12 :
考える名無しさん:2007/01/20(土) 22:05:45
>>10 同感ですね
「生きる」こと自体に価値があると俺は思います
人だけでなく、生物全体の第一の価値は「生きる」ことにあると思います
「生物の存在する意味は無い」とも言えますが、その考えでは「この世界全て何もかもが無意味である」という結論になるだけです
生物である私達は「生きる」ことに価値を感じ、それにまた人間社会での価値をプラスしていけば良い思います
それは理由なき価値でしかない
自己欺瞞でしかない
14 :
考える名無しさん:2007/01/20(土) 23:46:28
>>13 生物は誕生そのものが価値の理由になりますよ
だいたい生きる価値の理由などはそこら中に転がっています
全ては「生きている」ことに繋がっています
無から理由は生まれないと思っているかもしれませんが、それならば『理由である理由…である理由…』などとさかのぼり続けるとどこに行き着くのでしょうか?
理由は対象が生まれた後にできるモノです
つまり、無から理由が生まれるんです
価値は生物の誕生の時に生まれ、理由もその時生まれたわけです
いちいち糞スレに真面目に応えるよな。
感心するよ。
16 :
つるじょあ:2007/01/21(日) 01:03:57
サルトルは人間は出現した、といいます。これ以上でも以下でもなく、後から
色々と意味づけはされますが人間は必ずしも意味的な生を送る必要は
ありません。そもそも生きることの意味は古代や中世においては無関係
でした。言語の使用頻度もかなり限定されており、自己という観念自体が希薄
だったので自分自身の生きる意味について考える必要はなかったのです。
普通に日常を送り日常のみでは生きている実感が得られないので祭りを行う。
ここでのポイントは祭りが能動的にではなく受動的に行われたということ
です。さて、近代に入るとここで意味が生まれます。物質的欲求の充足を
目指して近代大工業が発達、価値観は一枚岩ですのでそれに向かって突き
進めばよかった。しかし現代、物質的欲求は充足されると国民的合意は失われ
大きな価値が衰退します。意味は共同体全体から個人へと内面化することと
なり、生きる意味に懊悩する人々が跋扈するようになるわけです。近代以前の
祭りを行うには2つの意味で今日的な複雑な社会がそれを邪魔します。第1に
流動性の高い複雑な社会では社会全体で祭りを行うと社会全体の運営に支障が
出てしまう。第2に祭りを個人で行うにせよ、祭りが社会全体で行われたとき
は受動性だった祭りに能動的にアクセスせざるをえず、結局意味から逃れる
ために意味を経由しなければならないという不条理があります。言語の使用
頻度が高く自己意識が発達した現代においては何事も自己の裁量で生き方を
決定しなければならないのです。さて、以上を踏まえると人間に生きる意味は
ありませんが、そもそも人々が意味を考えること自体人類史上では初めての
ことであり、意味が見つからなければそれに頼らなくても人類の伝統に則った
生き方があるはずです。しかしそれは自己自身で探すしかありません。
17 :
つるじょあ:2007/01/21(日) 01:14:25
>>4 >生きる意味があるかもしれないという可能性。
意味に可能性を見出す生き方もあるでしょうが、それだけではありません。
ポイントは祭りです。祭りは非日常を提供するものです。物に触れてみて
最初はそれを自覚していますが、しばらくすると慣れてしまい触っているのか
どうか分からなくなってきますが、日常でも同じことが言えます。生きている
ことに無自覚だと大変危険になるので祭りを行うのであって、未開の部族では
薬物を吸引したり、江戸時代では正月や公開処刑などを通じて生きている実感
を得ていたのです。
18 :
つるじょあ:2007/01/21(日) 01:22:22
>>6 >死ぬのは苦痛そうだし恐いから現状のままズルズル先延ばしになってる。
久米宏は言っています。認識する主体がなくて何が宇宙だろう、と。
人は自分の死を知ることは出来ません。何故なら自分の死を認識しようにも
認識する主体である自分が存在していないからです。人は他人の死を見て
死を一般化し自分も死ぬのだと思っていますが、人間は主観性の無限指定から
逃れることは出来ません。サルトルは人は死ぬまで生きる、という命題を否定
しました。訪れるわけもない自らの死に怯えている他人と同調しませんでした。
そう、彼は自分は不死だと思っていたのです。
19 :
つるじょあ:2007/01/21(日) 01:25:32
>>10 >つべこべ考えず『生きろ』
よく生きる、というのは比喩として存在するとしても、基本的に人間は
生きているのにそれに対して生きろとはトートロジーではないですか?
>>14 あのねえ、生物自体が認識として価値を“生み出す”のなら分かるよ。
つまり価値の創造。
だが“生まれた”っていうのはなんだ?意味不明だよ。
21 :
つるじょあ:2007/01/21(日) 01:41:33
>>11 >理由は対象が生まれた後にできるモノです
つまり相対的な意味しか人間はもてないということですよね。それは全く
その通りと思います。ただ、そこで提案があります。意味それ自体をも相対化
すると言うことです。自己に立ち返ることの重要性を、即ち実存を主題に預言
者のように主張したのが実存主義者の開祖とされるキルケゴールやニーチェ
です。両者とも生前は早すぎたために一般には受け入れられませんでした。
神の死や、ニヒリズムの到来は近代以降の問題です。つまりこの掲示板で
生きる意味を探している人たちの悩みを近代以前の大衆は持っていなかった。
これを踏まえて当方が主張したいことは、意味的に生きる我々は人類史上から
見たら特別なことであり、伝統的には意味は不要であった、意味がなければ
生きられないと苦しんでいる人を呪縛する意味的な生は相対化されるべきです。
さて、今日的な社会において生きる実感を得る困難さは2つあります。一方が
祭りが受動性だった時代と比べて能動性にならざるを得ないこと、他方は自分
自身に適合した祭りと社会の構成原理とが合意できるのかという所にあります。
一方は目的が言語の滅殺であったのにも拘らず言語を経由しなければ享楽
(ニーチェの言う光)に辿り着けないということ。他方は享楽追求
(キルケゴールの言う審美的実存)にも大別して内的享楽追及と外的享楽追及
の2つがあるのですが、外的なものは反社会性に繋がる可能性があるという
ことです。
22 :
考える名無しさん:2007/01/21(日) 02:14:51
>つるじょあ
つまり、意味がなければ生きられないとか言ってるヤツには強制的に麻薬でも打ってラリらせてれば(祭り)生きていけるようになるということですね
そうやって生きたとして虚しいじゃないですか?
要するにこの命題の本質はそこにあると思います
定期的な快楽がなきゃ生きられないのか。
24 :
考える名無しさん:2007/01/21(日) 03:35:46
>>20 生物としての価値ですよ
生物が価値を創造するのはもちろんです、「生きてる」こと自体も生物の創造した価値だと思っています
生物に「生の価値」はあるのかどうか、つまり生物が存在する理由はあるのかどうかを考えました
そして、生物は理由もなく生まれたが生まれた時に生物としての生の価値や理由も生まれたのではないかと思いました
分裂したり子孫を作ったりとするのが生物でありますし、生物は「生きてる」価値そのものであるような気がします
我々は生物であるからこそ、「生きている」価値を感じ、その根本的な所には「生」そのものを価値としてるのではないのかと思うのです
同じようなことを何回も言っていますが
生物である価値は生物として持っていると思います
25 :
考える名無しさん:2007/01/21(日) 04:37:51
>生物は「生きてる」価値そのものである
はっきり言って、それは宗教であって哲学でない
仮にそれを認め、頑張って分裂したり子孫を作ったりしても、その内ありとあらゆる生命が死滅するのだから意味がない、虚しい、「価値」とするだけの値打ちが無い
生体物質は集合してより高次の構造をとっている
27 :
つるじょあ:2007/01/21(日) 13:46:54
>>22 >意味がなければ生きられないとか言ってるヤツには強制的に麻薬でも打って
いえ、意味を相対化したいのです。意味、意味、と意味がないと生きられない
と苦しんでいる人たちにそれは一つの生き方でしかないと提案したいのです。
>そうやって生きたとして虚しいじゃないですか?
人間の実存形式はポスト構造主義哲学では意味と強度、キルケゴールの哲学
では宗教的実存Aと審美的実存、などと言われます。前者は意味、後者は
意味を経由するもののそれ自体は非論理的です。後者には外的なものと
内的なものがあり、これらは本人の相性で選択できるものです。社会の
構成原理と並存できるのかという新たな課題があるにせよ、前時代的な
意味からの呪縛をとくことが必要と思います。
28 :
考える名無しさん:2007/01/21(日) 17:16:19
人は死に向かって生かされている。
であるならば、人類を含む全ての生物は滅亡に向かって生かされている
と言えるのではないか。
いつか滅亡するのならば、人類が存在し続け発展する意味はあるのかと
いうことになるが、そのようなものは無い。
そもそも人類であろうと地球であろうと意味があって生み出されたものでは
ないわけであって、人類であれ何であれ、何がしかの意味が宿っている
特別な存在であると考えるのは傲慢というものだ。
29 :
考える名無しさん:2007/01/21(日) 18:44:37
>>1 人は何故生きるのですか?
生きる価値観、生き甲斐を得られない理由が有ります。
貴方自身が>人は何故生きるのですか?と言うことを知りたいだけか、生き甲斐を得たいのかの何れですか?
それに拠って答え方が違ってきます。
30 :
考える名無しさん:2007/01/21(日) 19:59:19
何故生きるかという問いを出す前にまず身の程を知ることだな。体を鍛え美化し洗練し生きる上での弊害となったものを見つめ直しそれをどう打ち砕くか熟考した上で排斥しつとに信念を持ち理想を掲げそこに自らの潜在意識が開花され燦然としてるから
31 :
考える名無しさん:2007/01/21(日) 20:58:55
死もフィクションなんだから
32 :
考える名無しさん:2007/01/21(日) 21:10:45
産めよ殖せよというだろう?
あとはおまけだ。
>>1 > 人は何故生きるのですか?
死にたくないから
死にたけりゃ、ほっといても死んじゃうだろうし
死なないから生きてるだけだと思うよ
> ショートカットしたいと思う人間は何故ほとんどいないのですか?
いっぺん、自分が本気で死のうと決心してみるといいんじゃないかな?
それで死ねなかったら、その時に死ねなかった理由が、あなたにとっての理由だと思うよ
なんで人は食べるのか教えてください。
食事とは即ち完食への道程ならば、
ショートカットしたいと思う人間は何故ほとんどいないのですか?
食後よりも、食べてる途中で幸せを感じます
35 :
考える名無しさん:2007/01/21(日) 22:22:46
大森荘蔵は「人生にはいかなる意味もない。生そのものに死臭が漂っている。」と断言した。
中島義道は言っている。
自殺する人には、@死ぬのは怖いぞ、痛いぞ。A家族、友人、恋人、親戚が悲しむぞ、
人を悲しませるんじゃないよ。
の2点しか言えない、と。
ぼくが言う。価値ある人生などない。それは幻想だ。それは、ニーチェのことばをもじって言えば、人生に価値があるというこの虚偽は人間がそれなしには生きられない虚偽だ。
では自殺するか。
否、人生には意味も価値もないが、生きてゆくことには快楽がある。
「悦楽はあまりに富んでいるがゆえに,苦痛を渇望する。地獄を,憎悪を,屈辱を,不具を,一口にいえば世界を渇望する。」「悦楽はすべてのことが永遠ならんことを欲するのだ,深い深い永遠を欲するのだ。」(ニーチェ手塚訳)
だから、自分からは絶対死なんぞ。
36 :
考える名無しさん:2007/01/21(日) 23:28:33
>>25 誰から見た価値を言っているのですか?
俺は生物から見た価値を言っているのですよ
生物が結果滅亡してしまえば、生物の存在価値はないなど、意味がわかりません
誰目線で価値の判断をしているのでしょうか?
結果はこうなるとかの話ではなく、「生物が生きることを価値としている」ことが重要なのですよ
あなたは、生物以外のモノが生物に価値を見出だそうとしているような目線で見ています
己の価値は己が決めるのです
生物は生物自身に「生きる」価値を見出だしているのだと思います
37 :
考える名無しさん:2007/01/22(月) 00:28:18
>>28 「生物は死に向かって生かされている」
↑こういった考えは間違っています
生物は「生かされている」のではなく、自ら生きようとしているのです
それに、「死に向かって」は変です
よく『私達は死に向かって生きている』と言いますが、『死についてよく考えようよ』ということを言っているに過ぎません
人ならではの「死」への苦悩を見つめて考えるべきだと言っているに過ぎないのですよ
本来、「生物が死に向かって生きている」はかなり矛盾した考えなのです
「死」は生物が無(生がないモノ)になることを言います
いや、無になるのではなく、無に戻ると言うべきですね
無から生物が生まれ、それ以来、生物から生物へと生を繋げています
そう、生物が生を繋げようをしようしたからこそ、生物はまだ存在しているのです
結果的に無に戻ることがあっても、それは無に向かっていることではありません
生物は無を出発点とし、生の存在維持に向かって生きていると考えるべきなのです
,========、、
│ ||||
│ DEATH. NOTE. ||||
│  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ .||||
│ 福島瑞穂 _. ||||
│ 2007/1/22 ||||
│ 白血病____.||||
│ _______. ||||
│ _ ||||
│ ||||
福島瑞穂
白血病
死ぬ直前に実際は今まで経験したことのないような
悪夢が襲いもがき苦しむが、その顔は安らかな様相を振舞い、
決して医師や家族などの人からは苦しみを悟られないようにしながら
まるで地獄に堕ちたような永遠の苦しみに包まれ、
2007年12月22日午前1時00分、白血病で死亡。
39 :
考える名無しさん:2007/01/22(月) 03:15:31
>意味がないと生きられないと苦しんでいる人たちにそれは一つの生き方でしかないと提案したいのです
それはそうですね、おっしゃる所は分かるつもりです
>前時代的な意味からの呪縛をとくことが必要と思います。
要するに、あなたの言う所は統治論ですか?
意味がないと生きられないと苦しんでいる人たちはそうやって生きればいいと思うのですが、なぜ駄目なのでしょう?
社会の構成原理と並存しなくてもいいと思うのですが、何故駄目なのでしょう?
>生物から見た価値を言っているのですよ
そうですか
要するにあなたの言葉は、人間の自我に向けての言葉では無く、何十兆という細胞へ向けて語りかけているのですね
人間の自我以外から見た価値になんの意味があるのでしょう?(「価値」とするだけの値打ちが無いと書いたのはこの意味です)
虚しいですね、観念遊びだと思います
>自分からは絶対死なんぞ
ニーチェは分かりやすい
精神医学でタナトス、死への本能なんて言われるけれども、自殺が快楽になるのなら求めるべきなのでしょうね
40 :
つるじょあ:2007/01/22(月) 03:45:16
>>39 >意味がないと生きられないと苦しんでいる人たちはそうやって生きればいい
>と思うのですが、なぜ駄目なのでしょう?
社会的立場に立って理想的な生き方を提示しているだけで駄目だなんて誰も
言っていませんよ。逆に質問です。そもそも苦しんでいる人たちはそのまま
苦しんで生きればよい、とのことですが何故そうでないと駄目なのでしょう?
>社会の構成原理と並存しなくてもいいと思うのですが、何故駄目なのでしょう?
並存すべきという主張をしたことはありません。それどころか一定の逸脱行為の
ある社会こそ正常な社会の常態ですので社会的には一定数は肯定され得ます。
41 :
考える名無しさん:2007/01/22(月) 03:58:18
>何故そうでないと駄目なのでしょう?
そうでないと駄目とは言ってないです
社会的立場に立った理想的な生き方をしても意味が無いということです
>並存すべきという主張をしたことはありません
「社会の構成原理と並存できるのかという新たな課題・・・」と書き込みされていたので、そう思いました
そして、結局の所、統治論な訳ですね?
思うに、「人は何故生きるのか?」ということを言う人は社会を存続させようとする意味に疑問を持っていると思いますので、あなたの意見はそういう意味では無力だと思います
42 :
つるじょあ:2007/01/22(月) 12:08:52
>>41 >「人は何故生きるのか?」ということを言う人は社会を存続させようとする
>意味に疑問を持っている
当方は
>>16において人生は無意味であると喝破しています。その上で苦しんで
いる人たちに苦しみから解放する一助となろうと近代以前の「人は何故生きるのか?」
と疑問に思わなかった生と、近代以降の「人は何故生きるのか?」という疑問が
生まれた背景を説明し選択肢を増やそうとしているだけです。それに社会の構成原理
と合わない実存を否定しているのではありません。最初に宣言した人生の無意味性は、
全てが自由であることを意味します。神がいなければ全ては許されるといったのは
ドストエフスキーですが、神は意味を与えるものですから無意味な人生では全て
が許されます。この様に当方の提案は端的に「人は何故生きるのか?」の問いに
快が不快を上回るから、といった自明性を超えて、意味のみを追って苦しむ
現代の生を相対化し、社会的立場に立脚した生をその相対性に加えたかっただけです。
43 :
つるじょあ:2007/01/22(月) 14:17:35
訂正
社会的立場に立脚した生
↓
現代社会に即した生
44 :
x:2007/01/22(月) 15:29:49
JAPS天皇のガン悪化しろ
JAPS天皇のガン悪化しろ
JAPS天皇のガン悪化しろ
JAPS天皇のガン悪化しろ
45 :
20:2007/01/22(月) 16:06:39
>>24 あのさ。
価値っていうのはそれを認識するものがあって初めて概念として存在するものでしょ?
あなたにとっては「価値」というのは目に見えない粒子か何かなのか?
というか実のところあなたは“何となく”言っているだけで自分の主張していることをよく理解していないだろう。
あなたは「生を選ぶ者」を肯定したい。そして「死を選ぶ者」を否定したい。
そのために「生」へ絶対的な価値を付与しようとしているだけに思える。
「後から作った価値」では心もとないので「元からあった価値」をね。
>我々は生物であるからこそ、「生きている」価値を感じ、その根本的な所には「生」そのものを価値としてるのではないのかと思うのです
それは違う。あなたが生を選んでいる者だから生に価値を感じているだけだ。
生よりも死を選ぶ者にとっては死に価値がある。
46 :
D:2007/01/22(月) 23:24:52
死への価値なんて誰も知らん
その先に価値があるやもしれんから死を選ぶんだろが
47 :
考える名無しさん:2007/01/23(火) 00:46:25
>意味のみを追って苦しむ現代の生を相対化し、社会的立場に立脚した生をその相対性に加えたかっただけです
なるほど、分かりました
意味を求めることも無意味だと考える訳ですね
あなたがどれほど頭が良いのか知りませんが、それは傲慢な考えではないでしょうか?
各個人がひたすらに意味を求めるべきであるのが筋であると私は考えます
また、人生は無意味であると喝破した上で「社会的立場に立脚した」等という配慮をするのは、やはり滑稽にしか思えません
48 :
考える名無しさん:2007/01/23(火) 01:07:54
>>47 じゃあ(((人生の意味を求める)ことに意味がない)と思ってる人)は無意味とでも
言いたいのですか?
49 :
つるじょあ:2007/01/23(火) 01:10:40
>>47 >各個人がひたすらに意味を求めるべきであるのが筋であると私は考えます
何の筋でしょうか?ある時代にはある時代に即した実存形式があり、当方は
生き方の全てを相対化した上で恩恵を受けやすい生き方を提示しています。
当方はその筋で意味的に生きることを否定しませんがそれは前時代的な
実存形式であると言いたい。
>人生は無意味であると喝破した上で「社会的立場に立脚した」等という
>配慮をするのは、やはり滑稽にしか思えません
非常に貴方はのんきな方ですね。意味の牢獄という社会進化の袋小路に到達
した「敢えて」の境地を全く理解されていません。無意味だから自由に生きろ、
快が不快を上回るから生きている、そんな自明性を主張することに何か意味が
あるのでしょうか。
50 :
考える名無しさん:2007/01/23(火) 01:15:23
>>47 何か特定の目的(x_1)のために生きてる訳ではありません。
何を欲求しているか、その欲求してるモノ(f(x_n))が目的であるのです。
51 :
考える名無しさん:2007/01/23(火) 01:35:42
>じゃあ(((人生の意味を求める)ことに意味がない)と思ってる人)は無意味とでも言いたいのですか?
無意味じゃないんですか?
補足しておくと、「人生の意味を求めることが確固とした意味を持つ」ということでなく、「意味の可能性を持つ」ということです
>何の筋でしょうか?
考えの筋であり、論理の筋です
「人生に意味は無い」と思いながらも、何かの落ち度があるのではと思って意味を求めるのです、こちらの方が自然ではないですか?
>実存形式
この言葉の意味がよく分かりません
背景の思想とともに教えてください
>意味の牢獄という社会進化の袋小路に到達した「敢えて」の境地を全く理解されていません。
私自身理解していないと思います
「人生は無意味である」とするにも関わらず、社会進化には意味を認めるのですか?
矛盾していると思うのですが・・・
>無意味だから自由に生きろ、快が不快を上回るから生きている、そんな自明性を主張することに何か意味があるのでしょうか。
確かに「ニーチェは分かりやすい」と言いましたが、私がその立場に立っているという意味で言ったのではありません
52 :
BUCH:2007/01/23(火) 01:39:10
>>51 何か特定の目的(x_1)があって、それを欲求してる訳じゃないでしょう?
不確定の要素の中から、システマチックに欲求してるモノ(f(x_n)→p)が目的であるのです。
即ち、目的を欲求より先に設定するのは、因果律的に不可逆的なのです。
53 :
考える名無しさん:2007/01/23(火) 01:42:21
>何か特定の目的(x_1)のために生きてる訳ではありません。
>何を欲求しているか、その欲求してるモノ(f(x_n))が目的であるのです。
私の論のどの部分と関わるのか分からないです、指摘して下さい
54 :
考える名無しさん:2007/01/23(火) 01:47:24
>目的を欲求より先に設定するのは、因果律的に不可逆的なのです。
書き込みが前後してしまいました
「目的を欲求より先に設定するのは、因果律的に不可逆的なのです」というのは分かります
しかし、私は人生の目的を語っているのではなく、人生の意味を語っているのですが・・・
関連すると考えるなら、どのような理論で関連するのか言って下さい
55 :
BUCH:2007/01/23(火) 01:48:00
>>53 >>[各個人がひたすらに意味を求めるべきであるのが筋]
これに対して反論しています。
決定システムf(x)が、機能してれば良いのです。何が目的であったかは、事後的に解釈してるだけです。
人生の意味を追い求めるのは、結局同一律(P→P)により、人生の意味を追い求める目的といったナンセンスです。
56 :
考える名無しさん:2007/01/23(火) 01:49:30
意味があるとも
無意味とも
極端に偏らず中道をゆけっ!
ってことは?
誰か教えて
57 :
BUCH:2007/01/23(火) 02:05:27
>>56 直観主義かな?排中律P∨¬Pを認めないのだから。
数学的には(ab=0)→ (a=0)∨(b=0) を直接結論することはできないって立場。
でも、中道を排除してるから、一寸違うな。
58 :
考える名無しさん:2007/01/23(火) 02:21:09
>人生の意味を追い求めるのは、結局同一律(P→P)により、人生の意味を追い求める目的といったナンセンスです。
>>54でも書きましたが、私は意味と目的を区別しますので、有意味なことを言っているつもりです
>極端に偏らず中道をゆけっ!
中道という言葉に思考停止しろ、と言っているのに過ぎないと思います
意味と無意味の中道とは何でしょう?
なぜ中道を行かなければならないのでしょう?
内容希薄ですよ
59 :
BUCH:2007/01/23(火) 02:30:42
>>58 ああ、そうですか。誤解があれば申し訳ありません。
「人生の意味を…が筋」の中で使用されてる意味は(≒価値)ですか?
それとも(≒内容)のことですか?
どちらのニュアンスが違いのでしょう?
60 :
考える名無しさん:2007/01/23(火) 02:37:07
>どちらのニュアンスが違いのでしょう?
(≒価値)の語義で使っています
61 :
BUCH:2007/01/23(火) 02:40:34
人生の意味(意味≒内容)であっても(意味≒価値)であっても、その時点t_aでの
評価になるでしょう?過去を振り返ることです。
ではなくて、結局「どういう人生を歩むか(価値を持たせるのか)」(≒目的)ってのが、
趣意じゃないのですか?
62 :
BUCH:2007/01/23(火) 02:56:29
>>58 で、>52に戻るのです。
人生の意味を追い求める人は、ただ人生の意味を追い求める作業が目的になるのだから、
ナンセンスだと主張しているのです。
一般に「自分の人生の意味は○○だと」いう時は、既に解が定まってるのだから、
実は振り返ってるだけなのですよ。
つまり被定義項が定まってないと、価値定義(評価)は付与されないのです。
その辺りを、ゆっくりと内省されて下さい。
僕は、もう寝ますから。
63 :
考える名無しさん:2007/01/23(火) 18:01:06
>その辺りを、ゆっくりと内省されて下さい。
なるほど
ちょっと考えを煮詰めたいと思います
64 :
考える名無しさん:2007/01/24(水) 02:42:47
精神を病んでるわけではないが、自殺したり殺されたり事故死するのが恐くて身を守り続け、
その結果として惰性的に生き続けてるようにしか思えない
生きがいも幸せの追求も、苦しみを慰める手段にしか感じられない
(どんなに苦しくても死ぬのが恐くて死ぬときまで死ねないから)
正直、1の苦しみを回避するためなら10の幸せを回避しても構わないわ
生きる苦痛が死の恐怖を超えたとき自殺が成立するんだろうか?
65 :
BUCH:2007/01/24(水) 10:21:49
>>64 そうでしょうね。
自己保存(本能?或いは決定システム)よりも、自殺したいという欲求が上回る程の
耐え難い苦痛が存在してるのでしょう。
66 :
考える名無しさん:2007/01/24(水) 14:55:29
>65
苦痛の増大による敷居の超越が原因とは限らない。
むしろ敷居自体が一時的に下がって(あるいは消えて)、
発作的に一線を超えるケースの方が多いのでは。
67 :
つるじょあ:2007/01/24(水) 19:23:16
>>51 >何かの落ち度
意味にもまだ可能性があるかもしれないということでしょうか?よく分から
ないです。
>この言葉の意味がよく分かりません
人間の存在のあり方、つまり単に生き方でもとり合えず良いと思います。
ただ、多義的な言葉ですのでとり合えずということでお願いします。
>「人生は無意味である」とするにも関わらず、社会進化には意味を認める
>のですか?
無意味であるから享楽を得るのですが、社会構成上意味を経由しないと
享楽は得られないのです。これを意味の牢獄といい、この獄鎖は外れること
はありません。
68 :
つるじょあ:2007/01/24(水) 19:25:10
>>51 >背景の思想とともに教えてください
古代ギリシャのポリスであるアテネでは、市民は初期においてはアゴラという
広場に、後期にはプニュクスの丘に集まり社会的決定を下しました。ここでは
共同性と公共性は等置的であり、この様な社会がソキエタス・キウィリス(政治
市民社会)です。しかしそういった市民社会の観念は共同体間のコミュニケー
ション領域が問題となると、古代・中世から大転換することになります。経済的
な取引が行われる商業経済は共同体の成員ではなく共同体の間に分布する
ものが担いました(網野善彦)。この商業的コミュニケーションが16世紀〜17
世紀に歴史的に漸増的に拡大すると、経済主体が一定のルールに基づいて
共生するコミュニケーション領域を市民社会と呼ぶようになります。この様な
社会がビュルガーリッヘ・ゲゼルシャフト(経済市民社会)です。こういった
間共同体的なコミュニケーションは、間共同体的ルールと想像力無しでは
成立しません。そのような領域こそが経済市民社会の公共性です。さて、マスロー
は欲求を、階層組織を形成させ配列して低次の欲求が満たされるとさらに高次の
欲求が生じると主張しました。近代は物質的欲求の時代であり、それを満たす為に
国家が一つの共同体であるかのように振舞われることになります。共同性とは
面識圏内の同空間・同時間における共通の体験地平ですが、国家と国民の
幻想の相互投射に媒介される中、会ったことも無い人間と同朋意識を持つように
なります。(つづく)
69 :
つるじょあ:2007/01/24(水) 19:27:09
>>51 これは想像の共同体(アンダーソン)と言われ、その為に無名戦士の墓や、
特定言語の標準化や、メディアによる情報が用いられることになります。
そして近代大工業が隆盛し人々の欲求を満たすようになりますが、しかし欲求が
満たされると次は心的欲求の充足の時代になり、国自体で追っていた意味が
個々人に内面化します。そうなると大いなる価値が衰退して価値観が多様化、
社会の流動性は高まります。ではこの様な現代に即した実存形式とは何でしょうか?
それを語る前段階として尊厳について説明します。尊厳観には2種類あり、一方が
崇高なものとの一体化であるという枢軸国的依存的尊厳観(スメルサー統合理論)、
他方が社会関係の中の自由な試行錯誤によって積み重ねられた自尊心とする
連合国的自立的尊厳観(ミル自由論)です。後者は市民革命や独立革命を通して
自らの血で国家を守るということが尊いという意識がありますが、前者の日本では
明治五年の学校教育令から三十二年の高等女学校令にかけての近代化教育に
おいて個人が所属する最高の共同体は国家であるという思考的枠組みが人為的に
刷り込まれていきます。天皇であれGHQであれ、自らではなく上から与えられたと
いう意識があるので依存的尊厳観が生き続けるのです。近代においては伝統的
村社会から切り離された都市労働者を国家という共同体が代替したのですが、
現代において物質的欲求が充足されると国家や会社など自己自身でないものは
尊厳として役に立たなくなります。(つづく)
70 :
つるじょあ:2007/01/24(水) 19:28:44
>>51 国自体で追っていた意味が個々人に内面化すると大いなる価値が衰退して
価値観が多様化、社会の流動性は高まり企業生命は短くなって会社では
リストラの嵐、終身雇用制度や年功序列の給与体系は退行するからです。
流動性の高い社会では他のものに依拠することは望ましくなく、自尊感情は
自立的尊厳に基づくことこそ幸福へと繋がります。ではこの自尊感情
(セルフエステーム)とはなんでしょうか?自尊感情には他者信頼と自己信頼が
あります。他者信頼は自尊感情の規範的側面、自己信頼は自尊感情の認知的
側面です。一方は、自分にとっての重要な他者を参照枠として形成し、自分がそう
あるべき理想的な意識から、そうあるはずの自分という意識までの幅のことです。
他方は自己責任で行う試行錯誤の積み重ねによって得られる自信で、試行錯誤の
繰り返しによってますます自己信頼が強化されます。価値が多様化し先行き不
透明な社会(自明性が無いという意味で分からないという意味ではありません)
では、何が良いのかは自己責任で行われるべきで、前時代的な体験による
啓蒙は意味を成しません。年長者の固まった考えでは現代社会に対応できない
のです。ではどの様な教育制度が現代に即しているのでしょうか。70年に
入って先進国の多くは従来の協調性を重視する画一的教育から脱し、
インディペンデンシー(自立)とコントリビューション(相互扶助)を重視する教育
にシフトします。授業も教師も選択性になり、流動性の高い社会に即した人格が
形成されます。(つづく)
71 :
つるじょあ:2007/01/24(水) 19:30:56
>>51 ここでは酒鬼薔薇のいう透明な存在にはなりえず、鋳型にはめ込むような
画一教育からくるストレスや、ストレス解消のための標的になることから
防衛するためのピュア・プレッシャー(同調圧力)もありません。
インディペンデンシーによって自己信頼を得そして能力主義社会に対応した
能力を身に付けていき、コントリビューションによって社会性を獲得していく。
しかしここで日本ならではの問題があります。それは西洋的個人主義という
伝統の不在です。農耕文化である日本では個が育ちません。そこで日本
ならではの時代に即した実存形式が浮かび上がってきます。西洋では個々人
を支えるものが試行錯誤で得た自己自身でしたが、日本人の場合はそれが
共同体となります。共同体といいましてもそれは崇高なるものへの一元的
所属を意味しません。つまりさまざまなレベルにある中間集団を多元的に
所属するのです。一元的所属に根を下ろす近代的生き方が現代に即しない以上、
さまざまな共同体に浅くしかも複数の根で同時的に根付く。都合が悪くなれば
複数の根の一つを抜いてしまえば良い。携帯は複数の共同体における成員で
あることを確かめるツールとして役に立つのです。このように人格とは社会
関係に基づいた一つのシステムに他なりません。社会的諸関係と切り離した
人間はもはや人間ではなく、それはフォイエルバッハの主張する抽象的人間
であり、それはもはや人間とは関係がありません。
72 :
考える名無しさん:2007/01/24(水) 22:52:30
>意味にもまだ可能性があるかもしれないということでしょうか?よく分からないです。
我ながら、表現不適当で他人には分からないと反省しています
また、自分自身引っかかることがあり、少し考えを煮詰めたいと思います
>無意味であるから享楽を得るのですが、社会構成上意味を経由しないと享楽は得られないのです。これを意味の牢獄といい、この獄鎖は外れることはありません。
詳しい説明ありがとございます、前レスの意味も分かりました
「社会構成上意味を経由しないと享楽は得られない」とありますが、麻薬でもやっていればいいと思うのですが?
西洋における人格は自分という対社会的システム。
日本における人格は立場という社会内システム。
まあ西洋では自分たちで社会を作り上げていこうという意志が強いってことですかね。
75 :
考える名無しさん:2007/01/25(木) 00:26:09
いやどうかな。
こうかな。
西洋人は社会的動物である。
日本人は社会の動物である。
西洋人は考えてもいい葦である。
日本人は考えてはいけない葦である。
76 :
考える名無しさん:2007/01/25(木) 01:24:23
日本はね、地理的によくない。
試しに土地を変えて試してみるといい。
日本全部引越し。
西洋は人がまずあって、人によって社会は作りだされたものという見方でしょ。
人が原理。社会は人を主体とする客体。
生きる意味も人が決められる。
でも日本では日本自体が原理でしかも人も日本になっている。
日本も一つの思想にすぎないんだが空気のように存在しているように思えるのは、
日本人の人格が日本で出来ているから。
日本が〜主義とか言っても、それは日本原理と矛盾しない形に整えられてしまう。
日本人が生きる意味を見いだすには日本に価値を見いだすしかない。
78 :
考える名無しさん:2007/01/25(木) 01:32:25
日本人にとっては天動説でも問題ない。
海の向こうはひたすらに、海だ。
こんな地形がまずかったんだ。
あなたは死にません。あなたは日本で出来てますから。 日本万歳ですから。
ってことか!!
だが死によって、これも思想かもしれないが、日本にも亀裂が入る。
この高齢者時代というのは、革命的時代かもしれないな。
80 :
考える名無しさん:2007/01/25(木) 01:58:57
高齢者の年金や退職金だけでやりくりする国には、亀裂もはいるだろうよ。
その亀裂がカルトを呼び寄せた。西洋を目指すなら真似をしてキリストに帰依し、乗り越える過程が必要だ。
それも嫌なら滅び行くのを待つのみだ。新世界を望みながら2ちゃんねらはそれを潰しているんだよ。
独自の案を出すことはインターターネットを含めメディアの無理矢理距離を置く手法で潰された。
文字だけ反映した反論だけがこだまする。人間的魅力は崩壊しかつてない程の地獄がやってくる。
潰れればいい。自分たちが潰していることに気づかずに。
主客身分の何のための?という論理なき日本と資本主義がくっ付くと、酷いな。
資本主義のための資本主義
成長のための成長
83 :
考える名無しさん:2007/01/25(木) 02:28:15
ある意味、「諦め」が一行目にあり、そのあとに人生スタートしてるのが、
日本人だと思う。
そんな日本人を見て、俺は、海外に当てがあってよかったなと思おうよ。
だが、
日本語を第一ヶ国語に覚えてしまった因果を解決しなければいけない。
と、心の中のことは置いておいて、
俺は思うに、
>>81氏のような、ある程度具体化した思考を持った人達が
物理的に接しあうコミュニティが欠落してることが、
それに拍車をかけ、本人にとっては、酒を飲まずにはやってられない日々を
送る要因を作ってると思う。そのままでは、崩壊しかない。
力を持つものが、物理的に分散するところまで、この日本国はプログラムしていたのか。
キミは何もわかってない、って言うつもりはない。
コミュニティは仕事場しかない。
だが、本当に言葉だけでは伝わらんよ。
新年会等でも周りにあわせておいて「本当はそう思ってない癖に」っていわれる。
非言語的領域が日本人は多くを占めてるさ。これがなぞだ。
85 :
考える名無しさん:2007/01/25(木) 02:48:17
んんん。日本的に考えると、物理的に接しないほうが、思想の実体化には効率がいいのかな・・?
というか、建前での人付き合いが、求めているものではないことはわかる。
なんというか、それぞれ個人の思考を相乗させる人間関係がなかなか築けないと言いたかったんだ。
自演臭がしてきたな。
87 :
考える名無しさん:2007/01/25(木) 03:03:58
自演は日本人のすること。
よって、
自演臭はしていなかった。
>>86 自演かよ。俺も自演じゃねかって調べたこと何度もある。
けどわかんねえんだよ。疑惑に終わる。どうでもいい。
自演でもいいが
>>86独りが哲板を操ってるのか?
俺は疑いすぎて、俺以外は自演だろうと思ったこともある。
自己の判断力に少しでも自身がありゃもうすこし大目に見れるだろ。
自己 vs 不特定多数 だろ。まあ自分のためだ。遠慮なく意見言えるしな。
驚かされて、惑わされて、揺さぶられて、頑固になって、やめちまえと思って、戻ってくる。
本当は思考停止がいやなんじゃなく思考停止していたい。俺もそうだ。楽だもん。
けどここに来れば揺さぶられる。自演だろうが何だろうが年季入ってるならくるわない筈だ。
自演的思考に偏りがちな人は弁護士向きかも
90 :
考える名無しさん:2007/01/25(木) 03:42:31
でも、日本から出たことなく、そんなにしっかりした思想を身に付けれた人が
いたとしたら、本当に尊敬する。
この社会の中で、自分にしか見えない壁を見ながら、自分を育ててきた人だってわかるから。
確かに哲学者最高位だけのことはあって素晴らしいとは思う。
俺も見習ってウルトラ哲学者にならないといけない。
92 :
考える名無しさん:2007/01/25(木) 03:55:40
いや、俺は、芯から哲学者最高位は尊敬している。
それ以外の人格は反吐以下だと思っている。
93 :
考える名無しさん:2007/01/25(木) 04:04:41
すごい自演だなw
ニート
94 :
考える名無しさん:2007/01/25(木) 04:25:17
高齢者社会を迎えつつ勝手に静かな革命が進み日本という一思想は内外の協力もあって恐らく滅びさるだろう。
日本を国をあげて対象化し始めている時点でもはや勢力が衰えてる証だし。
日本を取り戻すために知識体系として日本をしっかり浮かび上がらせるようであればもう末期ガン。
明治以来少しずつ、日本という思想、思想でありながら魂と呼べる程に根深い思想は衰退してきたと思う。
外国とあまり縁のない島国だったからこそそんな主客未分化の日本がありえたんであって、もう無理だね。
そろそろ力尽きるはず。
96 :
考える名無しさん:2007/01/25(木) 04:48:07
日本の革命は、音を立てずに訪れるよ。
前世代の特徴を捉えた結果にすぎないわけだけれどね。
でも、
革命は、事前にはわからない。
革命に気付いたときには手遅れだ。
若い人は馬鹿ではなくて、さらに賢い人達だって
何世代にも渡って歴史は言うけど、人は納得したがらないものだ。
97 :
考える名無しさん:2007/01/25(木) 04:58:40
俺が何故生きるかといったらミラクル哲学者になるためだ。
98 :
枠からは出れない:2007/01/25(木) 09:45:52
単細胞多細胞に関係なく生物全てに「自殺因子」が存在しているのだから
自殺することは本能の中のものでもあるよね
人間社会で感じる意味も快楽も全部、生を維持する本能
子孫作ったりするのも、同種を増やそうとする本能だしなー
全部は生物のプログラミングでしかねぇ??
人は生物なわけだし生物の枠を超えれるわけないっということか・・・
まあ当たり前か
そう考えると『人は何故生きているのか』なんてバカらしく思うよね
『生物だから』で終わりそうなことだ
『何故生きているのか』とかじゃなくて
人類として人類のために『人類をどうやって滅亡させないようにするか』と人類らしく考えとけば
いいんじゃねぇの???
99 :
枠からは出れない:2007/01/25(木) 09:48:01
>>98 失礼
プログラミング ではなくて プログラム だね
100 :
10:2007/01/25(木) 13:07:52
原点回帰。
何故生きるのか・・
人として生まれ、家族とふれあい、社会に接し、パートーナーを選び、
子を産み育て、病やコンプレックスと付き合って、そして死を迎える。
その過程で様々な選択を余儀なくされるわけなんだけど、僕らって
何度も間違っちゃうよね。でも、いつしか間違った箇所で正しい
選択をできるようになるんよね。だげどその先にも新しい選択肢が
でてきっちゃって・・の反復をすることで僕らの世界は前進していくわけで
101 :
考える名無しさん:2007/01/27(土) 00:48:57
/ ̄ ̄\
/ ノ \ \
| (●)(●) |
. | (__人__) | いいかい?人というものは、ときどき醜悪な本性を見せるものなのだよ。
| ` ⌒´ ノ おじさんを見てごらん、四十年この会社の為だけを考えて行動してきた。
. | } だが、今ではその会社に裏切られ、こうして命を絶たれようとしている。
. ヽ } おじさんは全てを悟った、会社の為のこの四十年は全て無駄だったと。
ヽ ノ \ そろそろ、おじさんは逝かなきゃいけない、家族の事よろしく頼む。
/ く \ \
| .\ \ \
| |ヽ、二⌒)、 \
102 :
考える名無しさん:2007/01/27(土) 10:48:45
>>71 「西洋的個人主義という伝統の不在です。農耕文化である日本では個が育ちません。」
(純粋な西洋とはいえないかも知れぬが、)現代米国社会と現代日本の社会の相似性は
どう説明するのか。あまりにも、古い図式的思考ではないか。
103 :
考える名無しさん:2007/01/27(土) 14:44:55
欲望があるから生きるだけだ。
>>12 > 「生きる」こと自体に価値があると俺は思います
> 人だけでなく、生物全体の第一の価値は「生きる」ことにあると思います
どんな価値があるの?
> 「生物の存在する意味は無い」とも言えますが、その考えでは「この世界全て何もかもが無意味である」という結論になるだけです
その結論だと思うが?
>>35 > 中島義道は言っている。
> 自殺する人には、@死ぬのは怖いぞ、痛いぞ。A家族、友人、恋人、親戚が悲しむぞ、
> 人を悲しませるんじゃないよ。
> の2点しか言えない、と。
激しく同意。
107 :
考える名無しさん:2007/02/15(木) 11:50:54
なるほど
A家族、友人、恋人、親戚が悲しむぞ
引きこもりのニートにも悲しんでくれる人はいるのでしょうか?
>>102 >現代米国社会と現代日本の社会の相似性はどう説明するのか
日本とアメリカってそんなに似てるの?
110 :
考える名無しさん:2007/02/15(木) 17:17:07
死ねないから生きている
111 :
考える名無しさん:2007/02/15(木) 17:24:05
死ぬことはできないし、前向きに生きることもできない
もう、死んだように生きるしかないよ
しょうがないじゃん!
愛されない不遇が葛藤からの逃避をうながす。
生きていればその場しのぎの優越感を浸ることができる。
優越感を→優越感に
浸る→得るでもおk。
自分の子孫を残すため
てst
>>109 そっくりなところが多い。
アメリカでの問題はそのうち日本にもやってくる。
アメリカと日本はすごい勢いで相互浸透しているようだ。
これを社会学的統計学的に実証できるひとはいない?
フジテレビの「サイエンスミステリー」早期老化症のアシュリーは有名なカナダの少女だが、15歳になった。脳の満腹中枢が遺伝子的にない娘(身長167で体重154キロ)無限の食欲を持つ。逆に
胃の細胞が作るというグレリンという空腹・食欲をおこすホルモンのない少女。(食事をしたことがない。小腸にチューブで栄養を補給して生きている。)背骨の異常で、2足歩行ができないトルコの28歳の青年。
世界で数人の難病の人間も生きている。平凡で当たり前のことがありがたいと思う。
つまり、なぜ生きるのかという問いは、平凡な、苦難のないひとの贅沢病か。
>>119 まあ、どうかなあ? 人間の幸福感っていうのはそれぞれの人の生活の範囲内で相対的に決まると思うのよね。
たとえば、日本で貧乏な人にアフリカの難民に比べればよほど贅沢な暮らしをしていると言っても、関係ない
別な世界の話だとしか思えないでしょう。日頃の生活で付き合っている人たちと比べて、自分が幸福であると
思えるかどうかなのよ。だから障害者とか取り上げて、君たちは彼らよりよほど幸福なんだよと言っても、
何の励ましにもならない。
幸福は他人と比較できるものではないと思う人もいるかもしれないけど、他人と比較しないで幸福になれる
ほど達観した人はなかなかいないと思う。そういう人は世捨て人といってもいい。
121 :
ん?:2007/02/18(日) 14:24:45
私は日々他者と比較しないでも、自分は十分幸せだと感じていますが。
世捨て人のようだといわれると心外だなあ。
122 :
ん?:2007/02/18(日) 14:26:24
私は日々他者と比較しないでも、自分は十分幸せだと感じていますが。
世捨て人のようだといわれると心外だなあ。
123 :
考える名無しさん:2007/02/18(日) 19:05:11
私も人は子孫を残すために、生きていると思います。
124 :
考える名無しさん:2007/02/18(日) 19:13:23
↑
おまえは残さなくてもイイよ。
125 :
考える名無しさん:2007/02/18(日) 19:25:56
言われなくても、残せない。
126 :
考える名無しさん:2007/02/18(日) 19:49:13
結局スピリチュアルカウンセラーの江原とかがいう輪廻とか背後霊はなくやっぱりみんな血が繋がっているとかDNAが作用して古から覚醒したり他人(誰か)が昔自分だったときの記憶とかが作用しているんだろうな。不思議なことも全部。
127 :
考える名無しさん:2007/02/18(日) 19:53:12
みんな結局どっかで繋がっている。回りにいる人間が二十五年前に自分だったか百年前に自分だったか千年前に自分だったか一億年前に自分だったかの違いでどんな人間も昔自分だったんだから嫌いになったり好きになったりするのも自然なこと。ならば嫌いでも許しあえばいいのに…
だから子孫が残らなければそのまま行き止まりになるのではないか?つまり子孫を残すべき
129 :
考える名無しさん:2007/02/18(日) 20:19:33
>>1ひょろっこい精子が人間になるんだぞ。
その生命力たるもの無限の可能性を存在付けてないかな?
精子に対して君は何故そんなに必死に泳いでるの?とは聞けないぜ源なんだから。
130 :
考える名無しさん:2007/02/18(日) 20:20:56
そうやって考えていくと自分はどこを通ってどうやってここまで生き延びてきたのかのルーツが必要になる。小説家でなくとも。歴史の洗い直しや国語から自分のルーツを知りたくなる旅が必要になる。また回りにいる親兄弟友人やあかの他人に到るまでいつの時代
いつの時代会ってきたかまたいつ自分だったか。名字名前生誕地親戚の名字や友人関係。すべての人が必要になってくる。日常会話や空気に自分のルーツのヒントが隠されている。
132 :
考える名無しさん:2007/02/18(日) 20:44:33
>>1 「ショートカットしたいと思う人がほとんどいない」
というよりも
「ショートカットしたくてもできない人が殆ど」
というかんじ。
なぜなら、やりかたをしらないから。
133 :
考える名無しさん:2007/02/18(日) 20:48:12
不思議なことはあったよ。おまえらが全員知っていて俺が知らないことがあるよな。あれは悲しいを通りこして笑いがきたぞ。笑いが起こったとき意味もわからず急に笑いが起きて次いで溜め息がついてでた。何故だ
134 :
考える名無しさん:2007/02/18(日) 21:22:51
>>132あんなに小さな精子から複雑な思考を持つ人間までになるのだから。
死に方を知っていてもそれは意味を為さない事は潜在的に理解しているという事になる。
だが例外というものは不思議と常に付き纏うので、そういう事が現実に存在する普遍的ルールにはなって欲しくはないんだよな。
そしてそれが一種のバロメーターになってる事自体以上なんだよ。
死ぬのも熱意が必要だ。
自殺に熱心な人は、
死ぬために生まれてきたんだろう。
でも、自殺は生きてる人間の積極的行為であって、
死とは関係が無いし、結果として死ぬだけ。
その証拠に、死人は自殺しないだろ。
136 :
考える名無しさん:2007/02/19(月) 05:20:49
俺を楽しませるため。
がんばって生きろ。
生きるという言葉は、個人の様々な活動の全体の結果に
ついて言っているのだから、生きる目的は本人には分からない。
いろいろ試行錯誤しているその結果、生きているわけだから。
転ぶつもりの無い人に、なんの目的で石につまずいて転んだのかと
聞いても意味がないように。
138 :
考える名無しさん:2007/02/19(月) 08:25:12
>人は何故生きるのですか?
その答えを見つける為。
139 :
考える名無しさん:2007/02/19(月) 08:25:33
人間は楽しい事をする為に生きてるんじゃなかろうか
気持ちいい事をする事が生きる活力になる
快楽に満ちた人生なら人生なら死にたいと思わないだろ
SEXが気持ちよくなく 自殺が気持ちよかったら
人間はとっくに絶滅してると思う
普遍的に人間は快楽を求めて生きてきた そして不快を避けて生きてきた
と思う
140 :
凡人:2007/02/19(月) 10:05:15
考える必要のない問題、考える必要のある問題を見極める為にも、またその答をだす為にも全て、知恵を必
要としますが、その知恵を産みだす為の仕組みと言う法則が有ります。
しかし人類社会に於いては大切な知恵を産みだせない仕組みに取り込まれるように組まれていますので
誰もが知恵を持っていると言う思い込みで人生を過ごしてしまいます。
知恵を産みだす為に必要な知能の育て方を目的とし、また人類の永久的平和を思い長年、探求した法則を
ホームページで纏めることができました。
yahoo!で「心の仕組み」を索引して一番目の心の仕組みドットコムが私のページですのでお読みに成っ
て下されば人類の抱える全ての問題を解き明かす知恵を産みだす為の方法を記して有ります。
141 :
考える名無しさん:2007/02/19(月) 14:14:45
例えるなら時計の歯車
歯車は何故回るのか?
何故なら歯車は回るのに適した形に作れており、回るように力をかけられるからだ
ただ回り、摩耗し、故障し、壊れ、次は新しい歯車がまたそこで回る
歯車は自身が時計を動かしていることなど知るよしもない
それと同じ
生命体は何故生きるのか?
何故なら生命体は生きるように作られ、生きたいという本能に押されているからだ
ただ生きて、年老い、故障し、死に、また新しい生命体が自分の変わりに生き続ける
そして生命体は何故生きるのか知るよしもない
もしかしたら俺らは神様の時計の歯車の一つなのかもしれないな
……哲学ってこんな感じか?
142 :
考える名無しさん:2007/02/19(月) 17:49:07
生きるための肉体との感動と情動があるから、FA
143 :
考える名無しさん:2007/02/19(月) 18:23:45
孤独と束縛を与えられたから。
144 :
考える名無しさん:2007/02/19(月) 18:56:48
心に純粋なところがあるから
145 :
考える名無しさん:2007/02/19(月) 18:57:51
>>141 一寸違います。
義のために自ら死のうとする者たちもかつていた。
生命体であるが故に本能が生きようとさせるのではない。
人間であるが故に本能さえも狂わせて何かを成し遂げようとするのだ。
理想やら大義などのために観念を死守するためなら何でもするのだ。
自分が何を守ろうとするのかによって生きるかどうか決まる。
結果的な状態であり、目的は無い。乾きを癒す目的で水を飲み、国を
良くする目的で道徳的に振舞う。その結果、生きている状態が、
ただ在るというだけ。国を良くするために、結果的に死んでもいい。
生きているのも死んでいるのも、結果的な状態の差にすぎない。
だから、何のために生きるかという問いについて考えるのは、
無意味である。
生命という、計り知れぬほどの大きな存在に包まれているこの世。
人類も、その大河に身をゆだねる存在のひとつ。
つまり人類は、生命という流れに右往左往しているわけだ。
生命の流れにおいて、道端に転がる石ころほどもない人類という存在が
生命の意味や理由について真理を導き出せるはずなどない。
我々が考える以上に、生命は重く大きく深い。
我々はただ、その流れに身を任せ、その限られた次元の中で
進化していくほかないのだ。
>なんで人は生きるのか教えてください。
生きる理由があるんでしょう、みんなもっている理由が。
多分、その理由が多すぎて気づいてないんだとおもう。
>ショートカットしたいと思う人間は何故ほとんど居ないのですか?
ショートカットしたゴールには意味が無いからじゃないですか?
あんまり長い間生きてないから、そう語れるわけじゃないけど。
149 :
考える名無しさん:2007/02/20(火) 02:49:02
>>145 反論ではないんだが……いや、反論という形になってしまうんだが補足させてくれ
自分は生命体の本能……大原則は「進化」と「子孫繁栄」にあると考えている
個人が生きるのはもちろん、人間という種としてより進化した子孫を残すためにな
その本能を個人ではなく元の「人間」という種にまで広げると個人が本能を押さえ込んでやっていると思っていることさえ本能に含まれるということがわかる
誰かのための犠牲
夢のための死
そんなことはそこらへんの虫は当たり前のようにやってのける
蜜蜂は巣を襲われれば自らの命と引き換えに相手を刺し、蟻は未知の餌を求めて行列から離れ死んでいく
戦争がいい例だ。こういう言い方は失礼かもしれないが神風特攻隊なんてやってることは蜜蜂と寸分違わない
生命体はどんなに進化しても本能から離れることはない。人だけが違うなんてことはないんだ
考えれば考えるほど
何に対しても意味が見出せない・・・
151 :
考える名無しさん:2007/02/20(火) 19:12:10
>>1 美味いものを食って、可愛い女を抱いて、ほどほどに博打もして、ついでに、
「人生の意味・意義」の答えを探すために生きるのよ。
153 :
考える名無しさん:2007/02/20(火) 20:04:10
154 :
考える名無しさん:2007/02/20(火) 23:07:47
>>1 人間として生まれて知性や理性、その他の言葉では言い表せない内面的なモノがあるから、その様な考えが生まれる。
でも結局は人それぞれ。
あなたがその答えを見つけ全うするのも生きる故。
あなたではない人は、他の事を見つけ生きる故。
なぜ生きるかを見つけられない人はそれが生きる故。
人間であるが故その様になります。
人間では無い生き物は今日生きるために、生きている。
なぜ生きるかなんて考えない。
人間であるが故の考えでありますね。
これにてスレ終了
俺は、今まで経験してきた幸せな出来事を忘れられないから、生きてるんだと思う。
また、心の底から楽しめるような何かがあるかもしれない、って思うから生きる。
>>149ただ本能のままに生きる動物とは違い人間には本能を抑えるための理性がある。
偏見など捨ててエヴァのTV最終回見ろ(それ以外見なくていい)
お前たちが疑問に思っていることが、お題とされているから。
エヴァ厨逝ってきます…スマソ
うん。生きることについて深く考えることが滑稽になったよ。
こんなことより、アスカについて深く知りたくなった。テヘッ!
エヴァやそのキャラクターのことなどはどうでもいい。エヴァの最後の二話はスレタイを同じ意味だから見る価値はある。
160 :
考える名無しさん:2007/03/04(日) 04:12:02
よくよく考えてみると、生き物がやってることの元をたどれば「生きるため」に繋がるよな
たとえば、
仕事をする=食べるため=生きるため
勉強する=自分の知識を増やすため=知識がある=生きやすくなるため=生きるため
でもさ、人間は他の生物とは違う、娯楽や快楽は他の生物は持っていない、
だけど娯楽と快楽は生きるために必要な訳ではない、
まぁよくわかんないけど、人間は他の生き物と違って娯楽や快楽のために生きてるって事じゃないかと思う、
もしそうだとしたら
生きる意味=死ぬと娯楽や快楽を手に入れれなくなるから
になる、
じゃあ娯楽と快楽の意味はなんだ?
161 :
考える名無しさん:2007/03/04(日) 05:11:50
オナニーをする=生きるため
にはならんだろう。
162 :
考える名無しさん:2007/03/04(日) 05:12:45
自殺の方法を考える=生きるため
になるか?
>>1 何を根拠のないことをいっているんだ。なぜ死の道程だと何故断言できるんだ。
お前が死ぬかどうかなど分かるわけがないではないか。
>>160 「幸福」と「快楽」の違いについては、プラトンやアリストテレスが論じている。
彼らは学者らしく、知の探求が最高の快楽であり幸福であるとしている。
165 :
考える名無しさん:2007/03/06(火) 21:26:20
>>1 僕は自分が不死身か確かめる為に生きています。
神の意志に従うためじゃないかな。
人間に理性を与えたのはいづれ宇宙へ子孫を広げるため。
人なんか腐るほどいるんだから、イヤなら死んじゃって下さい。
って思ってるはず。
167 :
考える名無しさん:2007/03/17(土) 17:37:20
>>120 逆に言うと他者と比較してしまうから、本来は幸福と感じていいような環境にいながら幸福と感じる事が出来なくなるのではと遅レス。
168 :
考える名無しさん:2007/03/17(土) 18:07:57
食うことは快楽の一種では? 最低でも空腹感という不快を避ける行為だよな。
そういう意味で生きることは快楽だから生きるとも言えるのではないか?
169 :
考える名無しさん:2007/03/19(月) 03:42:21
その答えを明確に知ったとしたら
170 :
考える名無しさん:2007/03/19(月) 06:02:45
かーちゃんが泣くよ
171 :
考える名無しさん:2007/03/19(月) 10:02:05
なぜ生きるか知っているがいまは教えられない。知りたきゃ生きよ。
172 :
考える名無しさん:2007/03/19(月) 14:19:47
そんなの遺伝子にプログラミングされてるからに決まってんでしょうが!
バカ!
173 :
考える名無しさん:2007/03/19(月) 20:38:28
人間は知識としていつか死ぬことを知っていますが
細胞単位では認識していません
生まれたことも死んだことも気づくことはないのです
生きていられる内は生きていくのが生物の基本なのです
実は今「生きている」という感覚こそが幻なのです。
明日の朝起きたら下の方に「最終回」と出ているかも知れません。
175 :
考える名無しさん:2007/03/22(木) 09:28:00
>>1 人は何故生きるのですか?
生きる目的は命の使い方、使命のことですね。
人は、誰もが産まれたときに過去から受け取った、時間を自分の心で温め、死ぬ時に
その心を自分の遺産として未来に受け渡すと言う使命を果たす為に生きるのです。
176 :
とある理系:2007/03/22(木) 11:56:10
人間は心を満たすために生きている。
>>175 「使命」は「命の使い方」じゃなくて「使わされた命(めい)」、つまり「与えられた任務」な。
本義を把握せずに、自分のために曲解させるのはいかん。
前半は否定するが、後半は否定しない。肯定こそしないが。
178 :
考える名無しさん:2007/03/23(金) 09:13:20
>>177 ありがとう、訂正します。
人は何故生きるのですか?
生きる目的は人間の子として産まれた時から「与えられた任務」と言う使命を果たす為です。
人は、誰もが産まれたときに過去から受け取った、時間を自分の心で温め、死ぬ時にその
心を自分の遺産として未来に受け渡すと言う使命を果たす為に生きるのです。
また、その使命を感ずる者は真の生き甲斐を得て人生を送れ、感じぬ者達は知能が育たず
その生涯を目的の無い儘、自我に溺れるか虚無感を持ち過ごさなくては成りません。
人は何故じゃなくて自分は何故を考えましょう
世界を存続させるためじゃないの
世界を破壊してやるとか自分が最高だと思ってる奴も
結局悪い意味で世界を動かそうとしてるわけだし
生き物が絶滅したり進化するのも世界の流れそのものだし
181 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 15:07:46
>>180 その世界ってのは、どのレベル?
地球か宇宙かはたまた概念としての世界か、それぞれで意味もかわってくる。
182 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 15:38:31
自分は別に生きてはいない。
体だけが勝手に生きてるだけだ。
自己は生き物ではない。
183 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 15:54:06
この質問は
地球はなぜ回るのか? 風はなぜ吹くのか? 海の波はなぜ止まらないのか?
などと似ていると思う。
これについては神が居ると思う人は神がそうしたからと思えばいいし、
神が居ないと思う人はなんだか知らないけどこうなっていると思えばいい。
一生掛けても答えは出ない。考えるだけ時間の無駄だ。
184 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 16:10:55
生きるから飯も食えるしHもできる
生きるために飯を食うしHもする
生きるというのはそれ自体は意味も理由もない
それを探すのが人生なんだな
特に探す必要もないような気がするが、探したければ探せば良い。
186 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 19:43:23
オックスフォード大学のヤング博士は瞬間移動装置を開発した。
博士はロンドンの装置に入り、NYのもう一方の装置の中から出てきて現場のマスコミを驚かせた。
博士の説明によると、入口内の物質の原子構成をスキャンし、出口内に再構築する仕組みだという。
そして入口内に残った物質はガスで毒殺するそうだ。博士はほんとうに瞬間移動したのと言えるのだろうか?
187 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 21:14:11
どう生きるかが問題だ。
必然的な肉体の結末への運動に己も積極的に参与すべきなのか、
あるいはそれは摂理や他者に任せ、己は気の向くままに時を過ごすべきなのか。
あるいは己自体を他者に任せ、肉体の保持と快楽、安全と安心を追求するのがいいのか。
他者に従うことが肉体の保持には肝要である。
肉体というのは生かされているからである。
自己というのは他者あってのものであり、事実上、自他という関係であり、
他者と対立する限りにおいて存在し、
他者と同調し和むとき、彼は引き裂かれ倒れるのである。
自己つまり自他という関係は従って肉体を繁栄させるために傷つき遂には倒れ去らねばならないはずのものなのである。
人は自己を尊重し、肉体を見放すか、その逆の態度、あるいはこの両極の間にある態度を取らねばならないのではないだろうか?
188 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 21:53:06
>>185それも答えの一つ
普遍的な解がない問題だからな
自分の答えを出すしかない問題なんだ
探したければ探すも 探さずにだらだらいくもいいさ
自己責任でな
189 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 22:20:27
肉体は必ず他者に見放される運命にある。つまり自己にもである。自己と他者は同時にしか存在しえないからだ。
それにもかかわらず、人は自己を軽視し肉体の保全を第一に考えるべきなのだろうか。
結局、人は自己を見捨て切れず、いずれ自己に帰り、肉体を見捨てていかざるをえないのだ。
ここにおいて再び、生きる意味、何故生きるのかという問題が浮上してくるのである。
どう生きるかという問題は、突き詰めれば何故生きるのかという問題に突き当たるのではないか。
190 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 22:39:43
‘この世は自己を軽視するに価するのか’
こう問うべきなのではないか?
何故なら自他という対立的関係は肉体の保持の障壁となる。従ってその壁は人々が健全に生きるために崩壊せねばならない。故に自己は生きるためには軽視されねばならないからだ。
191 :
考える名無しさん:2007/03/25(日) 00:26:11
なぜ?
それを考えるために生きてるのかもね
192 :
考える名無しさん:2007/03/25(日) 01:03:39
「人は何故生きるのか?」
この疑問自体も生きていることの一部ならば、
その答えも単に一部かもめ。
プレイヤーはプレイをあれこれ考えるだけでは上手
にはなれない。
プレイはするもんさ。
妄想好きもいいが。
193 :
考える名無しさん:2007/03/25(日) 01:45:27
アレもコレも人間であるが所以
…と単純に思った
自分の生きる理由を見出せない奴が、
人類の生きる理由に縋ろうとする。
195 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 00:26:16
唯物的な考えである限り、生きる意味を見つけるのには大きな壁がある。
それは死。唯物的な考え=肉体はもちろん意識も物質であるって考え=死んだら全部消えて自我(意識)が消える。
↑これが壁
死んだら何も残らないし感じることもできない。たとえどれだけ辛い思いをして内面を磨こうと辛い境遇に耐えようと、死んだら罪人でも宣教師でも同じ。
それなのに人生を前向きに創造的に生きてくための自分の中に確たる志のような意味を持てる?「一度きりの人生なんだから他人に尽くし、自分を高めてより充実した生活を送ろう」って考えられるほど強い自分があればいいが、皆そうとは行かないでしょ。
でもはっきり言って唯物論の死への論法は「コレがこうなのだからこうに決まってる。それしかありえない!」ってな何の根拠もない盲信を声高に叫んでるだけです。
死後の世界の存在を否定する方法は↑の論法しかない。要するに根拠を持って死後の世界の存在を否定することなんて不可能なんです。
それに比べ幽霊だ臨死体験だ幽体離脱だ退行催眠だぁと死後の世界の存在を信じるに足る事柄はこの世にゴロゴロしてる。まぁあくまで信じるに足るってことで個人の価値観の自由なんだけどね。
死後の世界があろうとなかろうと同じだよ。
「何故?」という問いには答えられない。
神でさえ、何故神が存在するのか、何故神が正しいのか、ということには答えられない。
生きたい奴が生きるだけ
死にたきゃ勝手に死ねよ
遊ぶために生きてるって、割と普通じゃないか?
俺も普通だった時代があるから、何となく分かるんだが。
いや、普通であろうと空回りの努力してただけなんだけどさ。
もちろん、今の俺はそんな世界の連中なんて宇宙人みたいなもんさ。
200 :
テスト ◆OK.....Zoo :2007/03/27(火) 00:42:44
☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺
☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻
☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ なんだか無償にコピペしたくなる
☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻
☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ なのに初心者にはコピペできない
☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻
☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺
はっきり言えば、そういう連中が俺は大嫌いでさ。
遠慮しても仕方ねえしな。
自分のことしかアタマにないよな連中に「冷たい」とか言われても
困るし。
何だこの意味不明な独り語りは
もともと俺は人に好かれようなんて考えはねえし、どっちかって
言ったら嫌われ者でいる方が気楽で良いくらいでさ。
公共の問題ってのは好きだから嫌いだからって話でもないしさ。
好き嫌いで人と付き合うのが、そもそもゴメンなわけさ
もともと、世の中ってのが大嫌いでさ、一員になりたいとか思ってる
わけでもなくてさ。
207 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 01:34:39
犯罪に走らなけりゃ、世の中嫌いで結構。こんなもの好きなやつは頭がどうかしてる。
最低限の社会ルールはね。腐った世の中。
遊ぶために生まれて来たような連中の仲間入りしてどうしろってんだよ。
人は何故生きるのか?
「遊ぶため」、決まってんじゃん。日本人だろ?
人生は遊びと交合の果てしない繰り返しでしょ?
違います。人生は遊びと交合の果てしない繰り返しではありません。
そこにしか目がいってないだけです。
みんな知ってるんだぞ?
今更、恥ずかしがったりすんなよ?
セックス大好き日本人に哲学は可能か?
処刑ライダー、言ってることが支離滅裂だぞ。
つーかあれか?心の病か?
217 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 08:51:33
人が旅をするのは到着するためでなく、旅行するためである。
218 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 09:26:52
ゲーテ
219 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 09:37:24
処刑ライダーは厭世哲学が好きなのかい?大丈夫かい?
高次脳機能障害の人は論理的な
文章が書けないが短文ならいけると聞いたことがある・・・
セックスが嫌いなのはアスペルガー症候群なのかも・・・
自分の気持ちを長い文章にしてみる事をおすすめするよ・・・
自分の気持ちがかなりわかりやすくなってコミュニケーションが円滑になるよ
誰か話を聞いてくれる人に思い切りぶちまけてみるのもいいよ・・・
単発の独り言レスなら固定じゃなくても名無しになってみたらどうだい?
220 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 09:43:57
221 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 12:33:59
>>196 んじゃあその信じるに足るというか、まぁとにかく読んでみると面白いかもって本紹介する。
つ「生きがいの創造」←これは大学教授が書いたものだから宗教的観点からは書いてない本。
でもたしかになんで?って考えると答えは出ないよね。
俺もとことん考えたつもりだが、たとえ死後の世界があったとしてもその死後の世界が存在する理由はなんなんだ?っていう疑問が出てくる。
それをとことん煮詰めても、自分の考え付く限りでは存在したいと思うほどの価値のある答えはない。←これは個人の価値観だから人によっては違うと思う。
でもまぁ一応少しくらいは死後の世界の存在の可能性がこの人生の存在意義になりえると思うんだが。
死後の世界がある。それならこの人生はその死後の世界でなにか役に立つことを学ぶためにあるのだろう。みたいな。
↑これは特に飛躍したものではないよね。だって幼稚園や小学校に無意味に行ってるわけじゃないのと同じ。←理由になってなかったらごめん。
今いる社会(次元)より上の社会(次元)が存在しているならそれより下の社会(次元)はあくまでステップアップの途中ってことになる。と思う。
でも最終的にある程度の存在意義を認識したところで満足しないと、完璧な答えを求めようにもまだそこまで完璧な誰もが受け入れられる答えは見つかってない。
これは少し精神論的な感じにもなっちゃうけど、最終的にどこかの段階の存在意義で妥協して、少し楽観的にならないと人生渡っていけない。って思う。
222 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 12:53:55
死後の世界に人間の「何」が行くんですか?
223 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 14:14:37
「人は何故生きるのですか?」って、シナ人の日本語みたいだな。
「日本人はなぜ不正歴史を認識しますか?」みたいな。
224 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 20:04:21
>>222 唯物主義と非唯物主義の人間で一番もめるのは意識や自我の存在についてだから、
まぁ行くとしたら一般に言う心なんじゃないかなぁ。
と言うより、行くとしたら精神的なものしか考えられない。少なくとも物質ではない。と思う。
月に一度の風俗のためだけに生きてる
>>220 処刑ライダーはどう見ても哲学なんぞには関係無いように見える。
自殺スレからコンニチハ。
生物にとって、自分自身が最も大切だから。
どんな生物でも、常に、大切な自分の生存を優先させれば、ぶっちゃけ死ぬまで生きる。
ところが、ときどきその生物の中に、自身の存在を、自分で否定する個体がでてくる。
その個体は、自分を肯定している個体に比べて生き残る確率は低い。時々、首吊って死んじゃう事もある。
ここから私自身への答え。
自分を常に否定してきた人間にとって生きる意味は、自分自身を常に肯定すること。
自分を全否定して、他人の生存を優先するなんてことはやめること。
自分を否定する他人の言葉を全て信用するなんてこともやめること。
「自分自身に生きる価値があるかどうか」を考える前に、「私には生まれた瞬間から、生きる価値がある」と考えること。
私を否定する人間より、私自身の生存を優先させること。
フー、スッキリシタ。
>>1の問いに何も答えてないけど、キニシナイ。反省もシナイ。
>>1が、どんな答えがお気に入りなのか、俺の知ったこっちゃねーし。
ただ、礼を言う。
長年の疑問がやっと解けた。
>>1、クソスレ立ててくれてありがとう。
さて、ちょっと早起きしたけど、また今日も生きてみっかー。
>>228 >自分を否定する他人の言葉を全て信用するなんてこともやめること。
「全て」が「信用する」にかかるのか、「やめる」にかかるのか詳しく知りたいが、もういないだろな。
228自体が、哲学(philosophy)をする者としない者の隔たりにも見える。
思い込めるか否か。放棄できるか否か。実利の価値を許諾できるか否か。
231 :
考える名無しさん:2007/05/16(水) 02:54:39 0
!
232 :
考える名無しさん:2007/05/16(水) 03:02:46 O
どう考えても 全て信用する だろ
哲学以前に国語おぼえろよ
>>228 っち。
「私には生まれた瞬間から、生きる価値がある」と考えること。
どんな価値があると考えるのか。
ないかも知れんと思うときがあったらどうする?
思い込みだけじゃ生きてゆけないぞ。
234 :
考える名無しさん:2007/06/07(木) 02:42:40 0
良スレ上げ!
悟った。
つまらないから生きている。
退屈だから生きている。
これがもっと面白くて楽しくて満ち足りた幸せで素晴らしい人生だったなら
少しは諦めもついただろうに。
幸せだったらおとなしく死んでやるのに。
236 :
考える名無しさん:2007/06/10(日) 00:05:07 0
意味も答えも無い!!!!!!!!!
237 :
考える名無しさん:2007/06/10(日) 05:54:26 0
個として
社会の一員として
生物学的存在として
形而上的存在として
宗教的存在として
いろいろあるよね。何にしてもそれには一応考える。時間がかかる。時間とはなにかという哲学的命題もあるけど
取り合えず、考えると時間が経過している。変化するからね。単純に言うと経験値なんだよね。生きる意味を問う
て生き続けてきたけど、結論は得られない。
>>236さんの発言には心底共感する。なぜ自分は生きるんだって誰もが
一度は考えると思うけど、だからってこの命題が人類永遠のテーマみたいには思えないし、答えもないのに考える
だけ時間の無駄だと思う(今の自分にはですよ)。すべてのものは、何らかの関係性を持っているけど、それが人
の場合はしがらみとなって、心を縛ることが多いような気がする。だから、なんで生きるのだろうという疑問が湧き
起こるのではないかな。それはそれでいい。とことん考えればいい。しかし、導き出された結論は決して普遍的なも
のではないと思う。俺は生きる意味が見出せず死にたいと思ってた。しかしそれは形而上的存在意味の否定ではない
ので、取り合えず今までがまんしていたことをやりつくしてやろうと思い、今実行してよ。もちろん犯罪的なことは
しいないけど、社会的には唾棄されるようなこともしている。何となく描いていた自分の人生は、現実には達成でき
なかった。一時期絶望し、自殺も考えたけど、今のままでいいと漠然と感じている。支離滅裂な内容でごめん。
238 :
考える名無しさん:2007/06/10(日) 08:10:59 0
俺もなぜ生きるかってよく考えるよ
陳腐なようだけど、幸福のために生きるという答えには
哲学板の住人はやっぱり納得しない?
人は何故生きるかって誰もが考えるテーマだと思うんだけど
これについて明確な答えを出した哲学者なり著書って何かないの?
239 :
考える名無しさん:2007/06/10(日) 11:51:03 O
生命がDNA触媒と細胞の化学反応に過ぎないとすれば、意味がなくとも生き続ける。
>>238 「幸福のために生きる」
べつに納得しないわけじゃないよ。むしろ俺は首肯する側だから。
個々の主観的な生きる答えなら、哲学者より文学者のものを推奨する。
客観的な答えなら、生物学者や歴史学者がいいんじゃない?
哲学はあくまで客観性が必要で主観性を求めることは矛盾するし、
客観性をもとめるには、あまりに排他性が強すぎる。
哲学者ってうざいんだよ。
諦観は多いし、そのくせ悟った気になってああだこうだ言う。
文学者はある程度、独断でものを書くから答えを提示できる。
生物学や歴史学のなら、
個としてより種として考えるから学者個人の主観は損なわれる(あるにはあるが)。
241 :
考える名無しさん:2007/06/10(日) 23:20:15 0
>陳腐なようだけど、幸福のために生きるという答えには
>哲学板の住人はやっぱり納得しない?
結果論としては受け入れる。納得する。
けどさ、ちょっと前に流行った?「なぜ人を殺してはいけないのか」という議論と同じように、結果論だけを社会の多数が(あなたがじゃないよ)唱え、常識とすることには、なんか違和感を感じるんだよね。
素朴な疑問、自由な思索が、それによって抑圧、は大袈裟かもしれないけど、抑制されてしまう気がする。
こんなことを考えた。
1.「人生は幸福に生きるためにある」というテーゼが絶対的に正しいと(何らかの方法で)証明された状況。
2.「人生は幸福に生きるためにあるのではない」というテーゼが絶対的に正しいと(何らかの方法で)証明された状況。
1の状況下で、人は、己が不幸のどん底にあり、未来永劫そこから抜け出せないと確信しているとき、1のテーゼを、心から肯定できるだろうか。
俺は可能だと思う(もちろん人によるけど)。
では、2の状況下で、己が幸福の絶頂にあり、未来永劫それが続くと確信しているとき、2のテーゼを、心から否定できるだろうか。
ちなみに俺は、文学部出で、哲学に関しては素人です。
242 :
考える名無しさん:2007/06/10(日) 23:37:39 O
2のテーゼは難しいなあ、 了解するなら自分の幸福感情を否定するわけだからねえ。
この場合人間は自らが幸福にあるとしたらその幸福を捨てて別の目的を捜して自己の幸福を忘却するしかないだろ。
自己の幸福を他人に分けたり、幸福か分からない実験をしたりね。
例えそうでも忘れてるだけで否定は出来ないなあ。
幸福だと認識していて幸福ではない、俺は自然だといっても嘘だしなあ。
243 :
考える名無しさん:2007/06/10(日) 23:40:49 O
242間違えた。否定するんだった。
244 :
241:2007/06/10(日) 23:54:15 0
ああごめん!
>>241の2の
「心から否定できるだろうか。」
は、
「心から肯定できるだろうか。」
でした。
242&皆様すみません。
245 :
242:2007/06/11(月) 00:18:33 O
やっぱ2は難しいよう。
以下感情論
そうだ!幸福などくそくらえだ。
神、理想、真理のために生きるんだ!
今すぐ「心の仕組教」に入信しよう!
「先生お願いします」
「私は意見など言ってません。理に素直に耳を傾けるのです。」
最高です。ドットコムさん!
早く突っ込んでください。地平線でダンスよ!
私、幸せです。
あれ、私は何故幸せなの!ドットコムさあーん!
無理だよ。
246 :
考える名無しさん:2007/06/11(月) 00:19:25 0
何故俺は、生き続けることを望んでいるのか?
う〜ん、動機の言語化か・・・
欲求を満たしたいから
かな。
しかし案外いや、やはりというべきか 自分を掴むカギはそこにあるか・・・・・・
動物は、生存本能、種存本能、存在本能の三つから生まれる欲求を動機にして、
生きています。
人は、その三つの他に、上の「達成欲求」と「秩序欲求」をも、生きる動機とします。
251 :
考える名無しさん:2007/06/11(月) 00:44:47 O
>>248 存在本能とはなんですか?生存本能となにが違うのかよくわかりません。
同種からの認識、容認ということですか?
252 :
考える名無しさん:2007/06/11(月) 00:45:01 0
本能や欲求のない生物なんていないさ
253 :
考える名無しさん:2007/06/11(月) 00:47:58 0
答えの無い事を何時までも追い求めるな。
意味も答えも無い!!!!!!!!!!
意味とかは物に内在してるのではない!
後付けで人間が定義したに過ぎない。
ただ生まれてただ死んでいく。
それだけだ!!!
神も仏もいない!!!
はぁぁ〜さっぱり、さっぱり(^o^)
256 :
考える名無しさん:2007/06/11(月) 01:04:41 0
257 :
考える名無しさん:2007/06/11(月) 01:53:24 O
生まれる細胞以前から感情を持っているわけないし生まれてから判断し始めるのであってまさに死ぬ事は細胞以前に戻るのであって生命には意味はない。
「人間が何故生きるか」を深く考えたり悩んだりするくらいなら考えないほうがましなのかな。
「生きる意味について」問う精神の秩序についての極端なエセ問答
A_真に何もしたくない時は何もしないで生きても精神の秩序は守られる。
B_やりたいことをやって生きてやりたい事を達成するか単に関わり続けて生きていれば精神の秩序は守られる。
C_やりたいことがあるような目標を達成できずにどうしてよいかわからずに悩んだまま生きると精神の混乱。
D_生きることに(元々)意味などない。意味などなく欲望やら意識が起きている間に現象として現れるだけだ。ただあるがままに生きる。
実社会において・・
「もっと働け!カス!お前は何の為に生きているのか?」と言われるような人がABCDいずれかの答をしたときの反応
A殴られて目を覚まさせられたり、やりたくないことをやらされるかやらなければクビ、飛ばし、病院研修となる
B現実をみろ!やりたい事は趣味でいいじゃないかと言われる。
Cこれはどうだと確信のないもの勧められよくわからない(結局)やりたくないようなものをさせられる。
Dえらそうな事を言うな!そんな事どうでもいいだろうが!働け!
同じ事言っても能力がないと理解されないよな。
うーん。いまいちだな
もう寝る。
258 :
251:2007/06/11(月) 01:59:10 O
259 :
考える名無しさん:2007/06/11(月) 03:56:56 0
簡単に死ねないからだろう。
この薬を飲むと楽に死ねて、死んだ後も千のチリになって大空に散っていく。
誰にも迷惑を掛けずにいなくなれる。
という薬が薬局で売られ始めたら売れるだろうな。
260 :
考える名無しさん:2007/06/13(水) 01:33:36 0
このスレタイは
理論武装をしている元気に生きている人と
絶望に打ちひしがれ彼の地に行きたい人と
哲学的厭世観に酔ってふらついている人の
板ですね
※参考資料
刑務所 さらりいまん
----------------------------------------------------
労働時間 8時間厳守 大体10時間以上
----------------------------------------------------
始業時間 7時50分 8時30分〜9時
----------------------------------------------------
終業時間 16時30分 21時〜24時
----------------------------------------------------
通勤手段 徒歩数分 満員電車1時間
----------------------------------------------------
昼食 食う 食えない日がある
----------------------------------------------------
夕食 食う 食えない日がある
----------------------------------------------------
夕食後 テレビや読書など自由 仕事
----------------------------------------------------
残業 全くない ない日がない
----------------------------------------------------
残業代 残業がないから無い 残業あっても無い場合がある
----------------------------------------------------
休憩 午前午後それぞれ15分 上司次第
----------------------------------------------------
土日祝 確実に休み 出勤する日もある
----------------------------------------------------
年数 刑罰に応じる 自動的に40年
----------------------------------------------------
262 :
爆笑神哲学者最高位 ◆UvQYeb.0dU :2007/06/13(水) 03:43:40 O
263 :
考える名無しさん:2007/06/14(木) 02:27:06 0
>>261 唾棄!
務所入ったことあってレスしてるか?
264 :
考える名無しさん:2007/06/14(木) 22:49:56 0
人は何故生きるのかって?生き物だからだよ。生きることを
プログラムされて生まれてきてる。
265 :
考える名無しさん:2007/06/15(金) 07:48:40 0
ただ、生きているからいきている。
暇人がそれにあれこれ後づけするだけ。
266 :
考える名無しさん:2007/06/20(水) 01:56:13 0
自分が望まない死に方をしたくないから
267 :
考える名無しさん:2007/06/20(水) 14:47:07 O
未だ現実を知らず、焉くんぞ生を知らん。
269 :
考える名無しさん:2007/07/28(土) 08:32:08 0
こういうスレ多いなあ
270 :
寒山&拾得 ◆IX039xsAK6 :2007/08/06(月) 08:50:03 0
セックスするために決まっている。
我々はDNA様の乗り物にしか過ぎん。
自我なんて存在しない、妄想だ。
存在しないものを存在すると妄想するから、我執に苦しむ。
DNA=縁起の法則にしたがって、あるがまま。
生きること自体には意味はない。
善悪、美醜などの相対価値は我執が生み出す共同幻想だ。
271 :
考える名無しさん:2007/08/06(月) 12:36:02 O
まだ、自分の行動や、知識に自信のない時にまず、他人の考え方を疑うのが必要なのではないかと
272 :
考える名無しさん:2007/08/06(月) 13:14:51 O
20070806
他人はどうかんがえてるかしらんが、おれにとって生きる意味などない。
というか今すぐにでも死にたいくらいだ。
だからこのまえ自殺した。
今となってはもうちょっと生きててもよかったかなあ、なんて思ってる。
274 :
考える名無しさん:2007/08/07(火) 01:34:42 0
ぶっちゃけ生きる意味なんてなくてもいいよな
自分の人生なんだし
生きるも死ぬも選んだ結果に満足できれば何してもいいと思うよ
でもあえて言うとしたら自分を思ってくれる人がいるから。だよな
誰かほかの人が自分のことを思ってくれてたら愛してくれていたら
それは生きる意味になるよな
これが戯言だとか言うやつはきっと自分が愛されてないと思ってんだろうな
でもな安心しろ
お前は愛されてる
これはほぼ100%だ
だから自信もって生きてみろ
275 :
考える名無しさん:2007/08/07(火) 03:22:48 O
ダイの大冒険にこんなセリフがある
人はいつかは必ず死ぬ
だから一生懸命生きるのよ
「だから」が意味わからんが。
それだと、永遠の命だったら一生懸命生きなくていいことになるのか?
限られた生の中で、やれることをやれるだけやって精一杯生きてるってことかな?
死なないなら、後回しにしたってあとからできるわけだし
哲学板ってけっこう馬鹿が多い
279 :
考える名無しさん:2007/08/07(火) 17:25:06 0
↑自己分析乙です。
280 :
今日から夏体み:2007/08/07(火) 18:15:13 0
よーし!精一杯2ちゃんねるやるぞ☆
生まれたから生きる。
死ぬってのも生きるってのもにたようなものではなかろうか?
て言うか、死後が「無」なら腹立たしくね?
いくら経験積み上げても全て無駄なんだし
良いことしても天国逝ける保証ないし
せいぜい今 自分の満足できる事でいっぱいいっぱいでいいよな!?
いくらおいしいもの食っても楽しみがいつまでも続くわけじゃないぜ?
そのときが幸せならやる価値あるだろ
284 :
考える名無しさん:2007/08/20(月) 09:12:53 O
死にたくないからだろ。生物として当たり前。本能だ。
自殺する人間もいるが、やはり死への恐怖はあるはず。
地獄のような生からの逃避であったとしても。
>>275 それは多分、銀河鉄道999のパクりだな。全く同じ鉄郎のセリフがある。
別に生きたいから生きているわけではないな
腹減ったら食べる、疲れたら眠る、寒かったら厚い服を着る、
車に轢かれると痛くて怖いから避ける、
病気や怪我をしたら痛いし苦しいから医者に治療してもらう・・・
要するに苦しいこと、嫌なこと、怖いことから逃れているうちに
結果的に生きているだけ
287 :
考える名無しさん:2007/08/20(月) 23:45:38 0
生きているから生きる。現状維持の方が現状を変化させるより楽なのだ。
K DUBのアルバム生きるを聞け。
289 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 02:27:54 0
何故生きるのか考えて生きてる人はすくないだろうけね
きっと死への恐怖感があるから死なない
もしくは考えるまでも無く生まれたから生きてる人が大半なのかな?
バブル崩壊後は
取り敢えず長生きしてれば幸せ の図式くずれたから
まぁ痛くも苦しくも無けりゃいつ死んでもいいよって人増えてるんだろうけど
やっぱ死んでもいいや度数が高くなるなると
殺しちゃってもおk指数も上がるのか
こんなに家庭内や老人同士の殺人が多いってのも異常な世の中だよね。
まぁ取り敢えず未だ死ぬつもりは無いから
生きてるなら出来るだけ楽しんで幸せに生きてたいな。
何故生きるかではなく、正しい生き方がある。
孔子もイエスもそれを云わんとした。
291 :
考える名無しさん:2007/09/05(水) 00:21:43 0
生きるとは最高の死に場所を見付ける事なり
292 :
考える名無しさん:2007/09/22(土) 11:26:41 O
なぜ人は生きるのか。
それは本能的に死にたくないから。
例えば狩りをしなければ、食べ物がないとする。
なら皆は毎日生きるために懸命に狩りをする。
そして狩りが生き甲斐となる。
これが根本にある。
現代は、その日を生きることが容易く(命を保つという意味で)
なったあとの「人の作った価値」を追い、苦しんでいるだけ。
ドナおめ
294 :
考える名無しさん:2007/10/17(水) 14:50:02 0
生まれたのも、死んでゆくのも 自分の意思じゃない
猿が人間に進化したりするのは目的にたどり着こうとしているわけじゃない
宇宙があること 生命があること とくに意味はない
人間以外の生命に目を向けると そんなことを考えてるものはない
自分は遺伝子を伝えていくうちの1つに過ぎない
ただ、少し知能が高かった だからそんなことを考える それだけ
295 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 14:57:03 0
ttp://www8.cao.go.jp/survey/h19/h19-danjyo/ ttp://www8.cao.go.jp/survey/h19/h19-danjyo/3.html ーーー(引用ここから)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Q3〔回答票3〕 今後,あなたが,男女が社会のあらゆる分野でもっと平等になるために最も重要と思うことは何でしょうか。この中から1つお答えください。
(13.4) (ア) 法律や制度の上での見直しを行い,性差別につながるものを改めること
(23.8) (イ) 女性を取り巻く様々な偏見,固定的な社会通念,慣習・しきたりを改めること
(23.1) (ウ) 女性自身が経済力をつけたり,知識・技術を習得するなど,積極的に力の向上を図ること
(18.8) (エ) 女性の就業,社会参加を支援する施設やサービスの充実を図ること
(11.4) (オ) 政府や企業などの重要な役職に一定の割合で女性を登用する制度を採用・充実すること
(2.2) その他
(7.3) わからない
ーーー(引用ここまで)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
全体的にひどい調査であるが一番わかりやすいQ3を例にあげました。
イウエオで「女性」問題のみが選択肢にあり、「男性」の選択肢は一つもありません。
こんな結果誘導的な調査に納得できますか?
Q3にどう答えても女の地位は上がるだけで下がることは決してない。
この調査により、女性不遇との結果が発表され、男性差別の政策がドンドン推し進められています。
誘導尋問的な「男女共同参画社会に関する世論調査」 で検索してみて下さい。
296 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 15:04:02 0
自然に理由などない。
人の人生もまた自然である。
つまり人生の何故を説いたところで
無意味だ。
297 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 15:23:55 O
o(><)o 教えないよ〜だ
魂の成長のため。
299 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 03:22:13 0
只の暇潰し
300 :
考える名無しさん:2007/11/04(日) 13:16:13 0
希望
301 :
俺:2007/11/05(月) 12:39:25 0
人生は、一冊の書物に似ている
馬鹿者達はそれはパラパラめくっていくが、賢い人間はそれを念入りに読む
なぜなら、彼らはただ一度しかそれを読むことができないのを知っているから
俺は死なない。
永遠に生き続ける。
もし俺が死ぬ様なことがあったら、笑ってくれ。
あと、ついでに墓に花でも手向けてくれ。
303 :
考える名無しさん:2007/11/13(火) 07:10:49 0
プログラムで決まってるんじゃね
ただ それだけ
理由はないが目的をつくることはできる
神様に楽園を追放され、以来つらい地上で生きることを余儀なくされました。
生きる意味?
がんばって生きていれば、また楽園に帰れるような気がするんです。
306 :
考える名無しさん:2007/11/21(水) 00:15:41 0
お金の為じゃん
快楽のためです。
欲求を満たすためです。
生も死も存在しない
ただ単に人という形状を保っているに過ぎない
喰われれば喰われた者の細胞の一部として存在する
>>1 こういう質問は生きる理由は「人による」としか答えようがない
が、強いて共通の理由を挙げるなら生きたいと望んでいるからだろう。
「生きたいと望まない人もいる」と言われれば全くその通りであり
死を望んでるなら死ねばいいのである。そして実際自殺者や実行はしなくても
死にたい死にたいと呟く人間は腐るほどいる。
そういう事から考えて
>>1の「ショートカットしたいと思う人間は殆どいない」
という大前提はちょっとした偏見である。
結局のところ人は最終的になんらかの自分の欲求に従う。
それが自殺であれ生きる事であれ、それは本人がそれを最終的に望んだからである。
だからスレタイに対する最終的な答えは「本人がそれを望んでるから」でOKだろう
それに対して「なぜ望んでいるの」と問えば今度は最初の「人による」に戻る。
それは幸せになりたいからかもしれないし、恋人と長くいたいからかもしれないし
まだ読みたい本があるからかもしれない。自殺の場合は苦痛からの開放が目的かもしれないし
独自の美学みたいなので自殺するような人もいるだろう。おしまい。
310 :
考える名無しさん:2007/12/08(土) 11:49:42 0
天罰で生きさせられてる
人それぞれ
苦痛を貪るため。生きて、死んで、それでもDNAのコピーを残さなきゃ
ならない何らかの理由がある、壮大な苦痛の連続。
そうでなければ、「何らか」は私、あなた、あなた達に苦痛に立ち向かう
ドーパミンによる快感を与え、騙し、動機付けをするはずないじゃない。
快感の対極にあるもの。それが何故の回答。
313 :
考える名無しさん:2007/12/09(日) 02:22:39 O
生きることとは死ぬことを見つけたり
人生の内容は平等ではないが、人生そのものは皆平等に与えられている。
みんな自分だけの人生について語りたくなる。
内容が同じではないので人生理論は人それぞれとなる。
315 :
考える名無しさん:2007/12/09(日) 10:53:59 0
苦痛の連続って言ってるみなさん
ファイト!
生まれたら死ぬまで生きるしか出来ないんだぜ
317 :
考える名無しさん:2007/12/09(日) 17:21:58 O
リビドーの為に生きている。
318 :
考える名無しさん:2007/12/11(火) 18:59:30 0
結局、感情論になるんだよなぁ
論理的哲学的に説明できん
319 :
考える名無しさん:2007/12/11(火) 20:16:04 0
死ぬより良いと思っているから生きている。
結局そうなる。
320 :
考える名無しさん:2007/12/12(水) 02:19:20 O
生きるのは、生まれたんだから、理解できるんだけど
どうして子ども作るかわからん
どうせ死んでしまうのに作るって虚しくないか
まだ裕福かつ幸せな人生ならわかるんだけど
たいていはそうでないと思う
みたいなことを考えてたら死にたくなったわ
321 :
考える名無しさん:2007/12/12(水) 18:15:02 0
欲望(エゴ)によって生かされる
322 :
考える名無しさん:2007/12/12(水) 18:16:21 0
生死を忘れる事によって自由になる
子供を見れば分かるように
323 :
考える名無しさん:2007/12/12(水) 18:53:39 0
>>320 魂の再生を信じれば、その考えはなくなります。
貴方が何をするか、そして何を現世に残すか、
貴方は何を現世で感じたのか、貴方はどのように現世を進んできたか、
これが貴方です。
物理的な痛みを恐怖しますか?痛みを感じずに死ぬ方法もあります。
それは触覚などの痛みで精神の痛みではないでしょう。
生きるとは死ではないのは分かっていると思います。
死とは生きている要素を1つづつ失ってゆく先にあるものです。
生き生きしている貴方はどこにいますか?
貴方の心は死にかけていませんか?
貴方の今は、過去の貴方ですか?
最終的に死という形へ変化してゆくもの、その途中こそが
生であり死なしでは生はありえません。
貴方は死を否定したいのならば、生を追及する必要が
あるとは思いませんか?貴方は生き生きした生活や行動を
していますか?
生は天から貰った魂(存在)であって、魂を存在させることが
生だとは思いませんか?
生きた証を生きた思いを何かに託すのが新しい魂の創世には
思えませんか?
「いずれ死ぬのなら、死ぬまで生きることに意味などない」
というわけではありませんよね?
生きる過程を人それぞれが
納得いくにしろ、いかないにしろ、まっとうすることが
大事なのではないでしょうか
325 :
考える名無しさん:2007/12/13(木) 21:51:46 0
種の保存
326 :
考える名無しさん:2007/12/14(金) 02:40:01 O
他の生き物にも共通するから本能に属する事なんだろうね。種の保存は確かにくさいとこだと思う。がそれなら何の為にそうプログラミングされているんだろうか?もしかしたら保存の為ではなく、なんらかの到達目標があり、様々な生命が様々な方向に放たれたのかもしれない。
とか星の見えない夜更けに我おもわん。
327 :
考える名無しさん:2007/12/14(金) 03:39:56 O
何かを繋ぐためなんじゃないか?その何かは例えば、歴史だったり種だったり。あるいはもっと単純なものかもしれない。
単純な事をいえば、種の保存の為以外の理由で生命をショートカットしたりする生物は、
自己や種を保存しようという生命力が低いのだという事が出来る。
子孫を残したいという欲求が皆無であったり、すぐ自殺するような者は
子孫を残したい、生きていたいと強く欲する者に比べて
「繁栄する確率が低い」
のであって、稀に存在したとしても、けして主流にならず、すぐ淘汰されてしまう理由はそこにある。
セックスが気持ちいいからに決まってるだろ
330 :
考える名無しさん:2007/12/14(金) 09:13:27 0
性交と暴力。自殺よりセックス(笑)
生きる事以外、知らないから。
知らない事は、恐いから。
だから、自分が知っている「生きている」という状態で存在し続ける。
自分の知らない事を知ろうと求め続け、存在し続ける。
永遠に自分が知る事が無くなる状態が恐い。
全てを忘れてしまう事も、そして多分、全てを知ってしまう事も。