血液型と性格の関連性を哲学的に考えるスレ

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1考える名無しさん
ないので立てました
2考える名無しさん:2006/12/14(木) 03:04:00
私は現段階では肯定も否定もできないという立場です。

肯定説(SFチック)には以下の仮説があります(物理板の自称医者が教えてくれました)
1.免疫が弱いはずのA型は、病弱なはずで汚物をきらったはずだから神経質になった、とする説。
2.A型糖鎖は極性が強いはずで抑制性シナプスを形成しやすいはずだから、脳の活性部位が違うはずだ、とする説。

これらは「可能性が極めて低いが完全には否定できない」「存在の可能性を考慮しても良い」仮説だと思います。
3考える名無しさん:2006/12/14(木) 03:14:08
科学的に考えることと哲学的に考えることの違いを教えてください
4考える名無しさん:2006/12/14(木) 03:15:14
ABO血液型と性格/気質の間に相関はあるか?の
科学的議論は両者を客観的に定義、定量化出来ないと
成り立ちません。血液型は良しとして性格/気質を
検証可能な形で定義、定量化した報告を知見する事
が有りません。拠って現時点では議論不可能が正しい
と考えます。観測として「ABO血液型と性格は関係
あると感じるぞ」から「うん、絶対関係ある!」の
仮説を立て統計的、実験的に証明し、また血液型が
特定の性格を作るメカニズムを説明しなければならない
プロセスが必要で心理学から生理学という科学の枠組を
大きく飛び越えた分野に手を出せる研究者はよほどの
???でしょう。
 N氏、S氏のカッパ本に対する某教授の反論、検証も
基本的に主観、客観の区別が出来ていず、反論になって
いません。
ま、仮にABO血液型に対する性格分類を認めたとして
両者の相関が0%(血液型と性格は全く無関係!)でも
特定血液型+特定血液型性格の札を持つ人は25%(4人
に1人)になり「血液型と性格ってやっぱり関係あるかも
〜♪」と感じる人がいてもこれまた不思議じゃ有りません。
依然「占い」「話題」「現代の迷信」の位地に留まるもの。
 かく言うB型の私も自分に付いては結構「当たってる
かも〜」なんて思ってたりします。
5考える名無しさん:2006/12/14(木) 03:22:43
>>1
板違いです。

占い
http://hobby8.2ch.net/fortune/

血液型と性格の関係 パート2
http://science4.2ch.net/test/read.cgi/life/1134992687/
6考える名無しさん:2006/12/14(木) 03:25:16
四人に一人って…
A型、B型、O型、AB型と四パターンあるんだから確立的にそうなるのは当たり前じゃ…
7考える名無しさん:2006/12/14(木) 03:47:06
84 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2006/10/24(火) 04:16:46
大阪人もそうだけど「B型(大阪)はこうだ」みたいなことを言われて、
開きなおって「それの何が悪い!」みたいな感じになって自分で自分を型にはめていくんだよね
血液型による先天的な性格の違いはなくても、後天的に違いが発生してるっぽい
8考える名無しさん:2006/12/14(木) 04:16:36
よく分かんないね。何か関係ありそうななさそうな。心理学ではこれは
インチキと決めてるようだけど。哲学は血液型占いを批判する立場が
ほとんどになると思うけど、たまには肯定的な哲学側の意見(屁理屈)も
読んでみたいものだ。
9考える名無しさん:2006/12/14(木) 04:26:40
オカルト板にいけば山ほど肯定的な意見を貰えると思うよ
10考える名無しさん:2006/12/14(木) 04:32:05
いやオカルトっぽい説明ではなく哲学っぽい屁理屈を読んでみたいんだ
な。
11考える名無しさん:2006/12/14(木) 05:02:09
例えばある人間があなたは「A型だから生真面目なんだ」と言われたとする。
その人間は「そうか俺はA型だから生真面目だったのか」と思い込むわけである。
血液型による自分の性格の説明は、自分の性格に対しての責任を放棄できると同時に肯定的な部分を無条件に手に入れられる。
「俺の性格が悪いのはB型なんだから仕方ない。そのかわりマイペースでいられるんだ」と言うような弁明が可能になるわけだ。
そうして自己の血液型を自覚した者はそれに付与された性格に接近していくことを望む。
意識的に、あるいは無意識的に。
さて、ここまでは心理学によって何度も言われてきたことである。さらに視点を広げてみよう。
自己の血液型を自覚し、なおその性格に接近した人物が親になった場合、どうなるか?
周知のとおり、血液型は遺伝によって決まる。
親から同一の血液型を受け継いだ者は、やはり親のような性格になっていく。
性格が決まるのは環境によってであり、親は子に自分の分身であることを望むのだ。
こう考えていくと、本人が血液型別性格判断に対して無知であっても、親がそれについて知っているならばやはり子供も自らの血液型の性格に接近していくのだ。
これは世代を重ねるごとに深まっていくだろうし、情報が氾濫した現代では望まなくても血液型別性格判断の情報が手にはいるだろう。
つまりは血液型と脳に生理学的な関連があろうとなかろうと関係がないのである。
血液型別に性格があるという説が流布された時点で人々が段々と四パターンの性格に分類していくことは運命付けられていた。
価値観が多様化しすぎ、自己のアイデンティティーの確保が難しくなった現代ではさらに血液型別性格判断は広まっていくだろう。
血液型別性格判断は占いなのではない。
実用的な、あまりにも実用的な判断法なのである。




とか?
12考える名無しさん:2006/12/14(木) 05:31:03
なるほどなるほど。なかなかいいよ。
そうかー、現代はアイデンティティが揺らぐから、何か型が欲しいという
ことかな。ふむふむ。親と子の血の繋がりの確認、血液の因果、血縁
と類型か。なるほどなー。
13考える名無しさん:2006/12/14(木) 05:44:44
うんうん。いまだに血統、血の繋がりを大事にするよね。馬や犬に限らず
人間も。
あー、血液型は家族でも違うことが多いから、血縁と血縁からの脱却、
意識が前近代と近代の境界にいる人の気分にマッチしているのかなー。
よく分からないなー。おもしろいねー。それか人の性格を言語ゲームなんかで
屁理屈をつけられないかな。何かをめぐって言葉を使用していく中で
行動形式が性格を帯びているように見えるてしまうとか。
あーこういうのは難しすぎて僕の手には負えないや。
14考える名無しさん:2006/12/14(木) 14:48:15
>>8
>心理学ではこれはインチキと決めてるようだけど。

心理学自体もインチキ統計とインチキ解釈を駆使するから
インチキという意味では同じ穴の狢だけどなw
15考える名無しさん
>>11
あまりに実用的なワロタw

>>14
度合いが違うだろ。どっちがヒドイかは知らんがw

とりあえず血液型「占い」としてトンデモ理論展開してみるw

価値観が多様化する現代社会において人が意思決定することは困難である。
それはそれぞれの分野の専門家であっても決して例外ではない。
いくら議論を繰り返したとしても万人が納得いく結論は得られない。
結局は魂的な問題として個人の判断に委ねるしかなくなるのである。

極論を言うと人間は自らの環境からでしか物事を推測できず、
一つの問題に直面するに当たってはどうしても自らの立場を優遇せざるを得ない。
そこには自らのエゴを罰しようとする社会的な思考と無意識からくる
潜在的な自己愛との葛藤が生まれる。

この葛藤は全く非生産的であるだけでなく、またその末に得られた結論も
なんとも腑に落ちないものになりがちである。
それにその「結論」が恣意的に解釈されたとなればそれは共同体においての
不平等につながり、嫉視が生じる。

血液型占い師はそこに一つの救いを与えている。
血液型占いはほとんど無差別に自らの意思を定めることを可能にするのだ。
そしてこれは古代の日本的な多神教の儀式になぞらえることが出来はしないか。
科学的な見解や形而上学がこれほど絶対的な平等性を保つことが果たしてできるだろうか。