1 :
考える名無しさん:
人に押し付けるべきものではない
社会の秩序を守るための正義と、誠実さが必要とする正義は別ものである
メタ倫理学のスレはすでにあった気がするけど…向こうは議論も始まってないみたいだからいいや。
スレタイのように思う根拠は?
3 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 20:17:10
>>2 現実に害を及ぼさなくとも、不誠実と思われる場合があるから。
例えば死人に関して悪口を幾ら言っても、当人や遺族の耳にさえ入らなければ
それが害になるような場合はほとんどない。
とはいえ、それは正義には反する。
>社会の秩序を守るための正義と、誠実さが必要とする正義
その正義の二種類の違いを詳しくおしえて
できれば具体例もほしいです
5 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 20:48:42
法的な対象にならないような正義・悪の問題。
蟻を無意味に踏み潰しても犯罪にはならないかもしれないけれど
あなたが親だとして子供がそういうことをしていると、普通はとめるはず。
親は子供に「法的に禁止されているからしてはいけない」というよりも
もっと抽象的に「悪いことだからしてはいけない」と教えるはず。
しかし何が悪いことなのかというのは価値観に触れる細かなことであって
法的なものほどはっきりとはしていない。
その人の主義によって異なる場合が多い。
6 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 21:05:51
>>5 そのとおりだと思うよ。
正義なんて時代や生まれた場所でも全然違うし、細かいこと言い出したら一人一人ちがうとても曖昧なもの。
テロリストの人たちだって自分なりの正義はもってるだろうし。
ベジタリアンの人もそう。
環境問題に真剣にとりくんでる人にしたら、核家族化や、お風呂のお湯の使いすぎすら悪かもね。自動車乗るのもエアコンも悪かな?
飼い犬の躾で、叩くのは悪と考える人と、必要なら軽く叩くべきなんてのもある。
まあとにかく正義はその人の嗜好と言える部分もあるんじゃない?
7 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 21:15:53
逆に言えば、法的な規制は必ずしも正義でなくてもいい。
それが主権者にとって不都合な場合は規制すればいいのであって、
それは極めて利己的なものに過ぎない。
8 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 21:21:28
意識的に「正義」を大事にしたいならば、それが世の中に必要なのではなく
単なる嗜好に過ぎないことを自覚しなくてはならない
>>1 >人に押し付けるべきものではない
押しつけられないなら、子供のしつけはどうすればいいんだ。
10 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 21:46:40
>>9 最低限社会で生きていけるマナーを身につけさせる
自分で選択できるように多くの価値観を教える
>>10 >最低限社会で生きていけるマナーを身につけさせる
これは正義の押しつけじゃないの?
12 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 21:54:14
>1はソフィストの議論だよな。
プラトンは『国家』において、正義とは権力者の都合に過ぎないと言う主張を
ひっくり返す訳だが、結局結論としては、正義とは神々の期待に沿った行動であると言ったものだったと思う。
13 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 22:09:57
>>11 押し付けだが動物として生きていくわけにも行かないだろう
仕方がないことだ
正義を人に押し付けるというよりも、人に押し付けるのが正義、とか?
15 :
考える名無しさん:2006/10/06(金) 23:16:05
16 :
考える名無しさん:2006/10/06(金) 23:21:42
あほちゃうか。
正義が、「自分の」嗜好であるのなら、押し付けるもなにも、自分の勝手じゃん。
自分で参加したスポーツの試合で、審判に「ルールを押し付けるな!」と
文句を言っているようなもの。自己矛盾でしかない。
17 :
考える名無しさん:2006/10/06(金) 23:22:18
要は全部が自分本位なんだから
自分本位を否定するその前提に問題があるんじゃないか
モラルは目的ではなく共存の手段ととらえればいい
18 :
考える名無しさん:2006/10/09(月) 23:03:57
正義云々じゃなくて、価値観の押し付けをするなって事か…?
…だとしたら、
>>1が押し付けぇ〜
19 :
考える名無しさん:2006/10/15(日) 23:55:09
という妄想を持っている人が多いのも
2ちゃんねら〜の特徴なのです。
実はこれがかなりヤバイです。
∩∩ミ ヨイショ
| U |〜
| ∧∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|(,,゚Д゚)< というもうそう
U~U \_______
∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(,,゚Д゚)< ・・・って何?
/ | \_______
(,,_/
/
21 :
考える名無しさん:2006/10/16(月) 00:35:37
正義の反対はもう一つの正義
22 :
考える名無しさん:2006/10/16(月) 00:44:32
. … .
:____:
:/_ノ ー、\:
:/( ●) (●)。\:
:/:::::: r(__人__) 、::::\: ウッ・・・
:| { l/⌒ヽ |:
:\ / / /:
____
/-‐ ‐-\
/ ( ⌒) (● )\
/::::::⌒(__人__)⌒:::::\
| l/⌒ヽ | おっと、失礼したお
\ / / /
23 :
考える名無しさん:2006/10/17(火) 14:14:47
>>9 >>1が言う「人」ってのは「他人」って意味だと思うから自分の子には押し付けていいんじゃないかな。
>>1 そうだね。
その通りだね。
24 :
考える名無しさん:2006/10/17(火) 16:25:44
正義は自分の嗜好に過ぎないからこそ押しつけ合うんだろうがw
押しつけれたら強権者。
基本中の基本だぞ?
25 :
考える名無しさん:2006/10/17(火) 16:46:01
>社会の秩序を守るための正義と、誠実さが必要とする正義は別ものである
正義は理知に基づくもので有り、社会の秩序が理知に反するもので有るならば正義とは言えない。
26 :
考える名無しさん:2006/10/17(火) 17:12:16
「〜しなければならない」と相手に言うとき、相手と共有してる価値観が必要なんだよな。
例えば、「(無闇に)虫を殺してはいけない」と言うときは、
命が絶たれるのを見て不快に思うというような共通の価値を前提にしてる。
しかし、命が絶たれるのを見て不快に思うというような価値観は、万人に共通するものとはいえないので、
この価値観を理由に、「(無闇に)虫を殺してはいけない」というのが、正義(全体に資する行為)だと言うことはできない。
万人に共通の価値は何か?
それは、幸せ(快楽)だと思う。
幸せ(快楽)を望むことができない人間はいない。
自殺する人も、それが自己の幸せを最大化する行為だと考えて自殺する。
自分の命を犠牲にして他人を救うときも、命がなくなる不幸よりも他人を救うことが幸せだからやるものだ。
正義とは、全体の幸せを増加させる行為を言うとすればいい。
無闇に虫を殺すと、(それを見た人が不快であったり、他人の幸せを軽んずる人が発生するから)全体の幸せが減少する。
従って、それは、不正義なのだと・・・
秩序を維持すると全体の幸せが増加するなら、秩序維持は正義であるし、
秩序を破壊すると全体の幸せが減少するなら、秩序破壊が正義だ。
幸せは「感覚」だよ。
28 :
考える名無しさん:2006/10/17(火) 17:35:40
「幸せ(快感)に価値がある」ってのは万人に共通の感覚だと思うんだ。
例えば、「自分の幸せを犠牲にしてあの人を助ける」なんて表現してみても、
より正確に言えば、「自分の欲求の何かを犠牲にして、あの人が助かってほしいという欲求を満たした」ってことだ。
「お金のため」というのも
「腹を満たすため」というのも
「他人のため」というのも
全て、「自己の幸せのため」と言い換えることができる。
今、PCの前に座っているのも、俺の場合は、「意見交換したい(意見交換に価値があると考える)」からだけど、
他の誰かは、「煽りたい(煽りに価値があると考える)」からかもしれない。
しかし、両方、「自己の幸せのため」と言い換えることができる。
幸せ(快感)という感覚に価値があると考える価値観は、人間である限り、逃れることができないんじゃないかな。
だから、その価値観は、共通の前提になる。
29 :
考える名無しさん:2006/10/17(火) 17:52:56
蛇好きの集団にとって、集団全体の幸福を増加させる蛇の保護は正義だろう。
蛇嫌いの集団にとって、集団全体の幸福を増加させる生活空間からの蛇の排除は正義だろう。
蛇好きと蛇嫌いの混在する集団にとっては、集団全体の幸福を増加させる、バランスのとれた施策が正義だろう。
感覚は基本的に個体的なものであり、
いかなる状況で快感を感じるかは個体により大きく差がある。
よって共通の価値観はそこで築き得ないと思うが。
>>29が、すごく解りやすい。
バランスをとるには、お互いの正義を押しつけ合いながら、妥協点を探っていく事が大事。
子供同士の喧嘩や、大人達の議論も、言ってみれば正義の押し付け合い。
>>1の様にすると、価値観の成長を妨げる事に…ナラネ?
32 :
考える名無しさん:2006/10/17(火) 20:09:40
29は形骸的な理想論であり実態が現実から剥離している。
意見の擦り合わせでバランスをとるのが大事なのは当たり前だが、その「全体の幸福の増加」を如何にして計測するつもりなのか。
そこに具体案が無い以上、役に立たない主張だ。
この世は「全体の幸福」ではなく「権力者の幸福」を目的に動いていて、要するにエゴを突き通す以外に動きようはない。
加えて多幸感はそれを感じる状況を想定することが出来ない。
つまり「幸福」を感じさせる外的環境を想定すること自体不可能なのだがw
例え話しにマジレスで申し訳ない。
35 :
考える名無しさん:2006/10/17(火) 21:36:11
>>32 極端すぎて間違った見方だと思うけれども、
仮に、実際の社会が「全体の幸福(正義)」ではなく「権力者の幸福」を目的に動いているとして・・・
何なんだ?
それで、正義の意味にどういう影響が出るんだ?
あと、幸福の計測はある程度はできる。
例えば、病気になるよりも健康でいる方が幸せだというのは、
病気を望む変わり者もいるので完全に正確ではないが、実用に耐える程度の普遍性を持ってる。
だから、「正義とは、幸せを増加させる行為」としても、
「日本人の健康を促進させる行為は、日本人全体の幸せを増加させるので、正義である」というように使えて十分実用に耐える。
仮に、幸福の測定が完全に不可能であったとしても、
それをもって、「正義とは幸せを増加させる行為」というのが間違ってることには為らないけどね。
だから何をいいたいのかさっぱりわかんねーや。
36 :
考える名無しさん:2006/10/17(火) 21:49:26
もう少し、考えてみると・・・
「日本人の健康を促進させる行為は、日本人全体の幸せを増加させるので、正義である」
これは、日本人が日本人だけに向かって言ったときに、必ず正しくなる。
仮に、日本人の健康を促進することで、日本人を含めた世界全体の幸せが減少したら
それは、世界にとっては反正義(悪)だ。
日本人が、日本人だけに向かって、ある行為が正義だと言うことの意味は、
ある行為が、日本人全体の幸福を増加させる行為だということだろう。
日本人が、世界に向かって、ある行為が正義だと言うことの意味は、
ある行為が、世界全体の幸福を増加させる行為だと言うことだろう。
北朝鮮の核保有は、世界全体の幸せを減少させると思うから、我々は、それを悪であると主張する。
普通の泥棒行為は、全体の幸せを減少させるから、悪であるが、
全体の幸せを増加させれば、泥棒行為であっても正義だ。
金持ちから金を取ってきて、貧乏人にお裾分けする。
そんな泥棒の話が美談としてあるじゃない。なんて奴だったか忘れたけど。
>>35 それって病気好きの人と健康好きの人の幸福が1:1で対応する
という前提に支えられてるけど、でもそれが一番問題なんじゃないの?
たとえば病気好きの人が全人口の1%しかいなくても、
健康好きの人の感じるより100倍幸福かもしれない。
そうだとしたら「健康増進が日本人全体の幸せを増加させる」とは言えなくなる。
それと、もし幸福の計測が完全に不可能だとしたら、
「正義とは幸せを増加させる行為」と定義してもやっぱり正義が何か分からない。
もちろん間違ってるとは言わないが、あまりにも不毛な定義じゃないか?
「Aとは何か」
「AとはBだが、Bが何かはまったく不明だ」
「なんじゃそりゃ」
38 :
考える名無しさん:2006/10/17(火) 21:59:23
健康の話や、核保有、泥棒の話は、
「全体の幸福を増加させる行為が正義」
「減少させる行為が悪」
この定義の正しさ(現実とのぴったり感)を確かめる為にあげた。
ぴったり感を感じていただけたと思ふ
39 :
考える名無しさん:2006/10/17(火) 22:05:59
>>37 確かに、
「日本人の健康を促進させる行為は、日本人全体の幸せを増加させるので、正義である」というのは、
「たとえば病気好きの人が全人口の1%しかいなくても、 健康好きの人の感じるより100倍幸福かもしれない。 」
と反論できてしまうぐらいの確かさ(もしくは不確かさ)なわけだけど、
それぐらいの確かさがある(不確かさしかない)なら、十分、実用に耐えるんじゃない。
せっかくだから、あなたの思う定義(代案)も披露して欲しいね。
40 :
考える名無しさん:2006/10/17(火) 22:09:16
>>36 で、どうやったら例えば「日本人全体の健康を促進」できるんだ?理想論の意味知ってる?
41 :
考える名無しさん:2006/10/17(火) 22:23:07
>>40 え?質問の意図がさっぱりわからないんだけど・・・
君はここで何を目的に喋ってるんだ?正義の意味を明確にするためじゃないの?
もしかしてアホな子?
>>39 現実にはその病気の例で反対されることはないだろうけど、
でもそういうときは「どうすべきか」が最初から明確なので
そもそも「正義とは何か」という問題提起が起きない。
もっと意見が分かれるような境界線的な事例で考えたほうがいい。
たとえば、宗教上の理由で輸血拒否の患者にどう対処すべきかとか。
何が正しいか分からないときこそ「正義とは何か」が必要になるし、
そういう事例で使えない定義なら実用性がないと言わざるをえない。
>せっかくだから、あなたの思う定義(代案)も披露して欲しいね。
あーでもないこーでもないとは思うけど、
実際のところ正義が何かは俺にはよく分からない。
というか、別の概念では定義できないというべきか(直観主義みたいに)。
43 :
考える名無しさん:2006/10/17(火) 22:46:56
44 :
考える名無しさん:2006/10/17(火) 22:47:09
>>42 前半、すごくいい意見だと思う。
「宗教上の理由で輸血拒否の患者にどう対処するのが医者にとって正義か」考えてみよう。
俺の定義に従えば、
医者の患者に対する正義は、患者の幸せを最大化することだ。
患者は、「生きる幸せ<信仰の幸せ」とその時考えている。
しかし、将来患者の中に価値観の変化が起こり、「生きる幸せ>信仰の幸せ」となるかもしれない。
そのような変化が例えば、90%の確率でないとすれば、
輸血しないのが90%の確率で正義で、輸血するのが10%の確率で正義だ。
医者の社会に対する正義は、患者を含めた社会の幸せを最大化することだ。
それぞれの決断で患者以外に生じる社会の不幸と、それぞれの決断で患者にもたらす幸せの大きさを比べて、
患者の幸せの方が大きいと言えれば、患者の幸せを最大化する行為が正義だ。
別に、こういう風に書いてみたところで、この微妙な問題が、微妙でなくなるわけではないのだけれど、
どうして、微妙な問題なのかがよく整理されると思う。
つまり、実用性があると思うのさ。
「どんな事情があろうとも、患者の命を救うのが正義だ!」
「いや、信仰の自由を尊重することが正義だ!」
と言い合うよりも、よほど有益だろう?
45 :
考える名無しさん:2006/10/17(火) 23:08:43
おうおう
社会性のゼロの集まりが一丁前に
舐めんな乞食風情が
46 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 01:11:42
日本国憲法の核が13条(幸福追求権)だといわれることがあるのも、
そういうところにつながってる気がするね。
47 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 01:21:34
結局は功利主義だろ
48 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 01:39:21
つーか正義なんて政治用語だろ
哲学的推考の対象ではないぜw
49 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 02:16:29
とすれば、哲学的推考の対象となるものって、具体的には例えば何?
50 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 02:38:31
真実それのみ
51 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 02:46:39
>結局は功利主義だろ
俺の考えに近いな。
52 :
44:2006/10/18(水) 03:03:37
あらゆる価値体系の根本になるのは功利主義だよね。
幸福や利益は正義じゃないだろ。
54 :
44:2006/10/18(水) 03:10:01
資本主義と言ってみても、社会主義と言ってみても、
全ては、対象とする範囲の人の幸せのためだと言える。
則天去私なんていってエゴを嫌って仙人のような生活を目指してみても、
それはやはり、自己の幸せのためと言えるし、
エゴを捨てよと人類に対して言ってみても、
それは、人類の幸せのためだと言える。
55 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 03:12:00
>>53 ある集団の幸福(利益)の総和を増加させる行為がある集団にとっての正義だと主張してるんだよ。
裕福より清貧が正義に近いかもしれない。
57 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 03:21:58
年寄りを大切にすることが正義だと言っても
貧しい国では、それが悪になることだってあり得る。
社会が貧しければ、寝たきり老人は、安楽死させて、浮いた金で餓死者を救うのが正義だという状態もあり得るんだ。
常に言えることは、「ある集団の幸福(利益)の総和を増加させる行為がある集団にとっての正義」だと言うことしかない。
つまり、正義とは、そういう意味だと言うことだ。
それ以上のことは、TPOなくして、正義であると決めることができない。
環境を損なう豊かさは現在の集団の幸福を増大させても
子孫の不幸を増大させるだろ。
59 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 03:33:31
>>58 子孫が不幸になると思われることは、現在の集団の幸福を減少させるんだよ。
自分たちの子孫が不幸になると思えると幸せが減少する人が多いからさ。
仮に、ある環境を破壊する行為が、現在の集団に食欲を満たすという幸せをもたらすとしよう。
その行為で、子孫が不幸になると予測されるなら、現在の集団は、同情心みたいなものを刺激されて不幸せを感じる。
このとき、食欲を満たす幸せ>同情心のような不幸
ならば、この行為は正義であるし、逆なら、この行為は悪になる。
国益(日本でも米国でも北朝鮮でもよいが)と
人類の未来となるとどう考えるのか?
61 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 03:43:51
62 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 03:44:31
全体を考えるならアメリカの贅沢が一番悪いだろうね。
64 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 04:27:52
アメリカじゃありませんが、イギリスからの独立宣言は一生懸命開拓したからでしょうね。
65 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 04:35:27
因数分解が何の役に立つんだよぉっ!先生よおぉっ!!
66 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 04:41:51
因数分解はステレオタイプ打開に役立ちます
67 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 08:00:11
>>62 「正義は集団の幸福増加→例えば健康促進→健康促進の方法は分からない」じゃあ「正義は集団の幸福増加→幸福増加の方法は分からない」と変わらない無益な主張なんだが。
無益な「正義」の定義なんて意味無いよ。頭悪いなぁ。
68 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 10:18:41
69 :
67:2006/10/18(水) 10:57:00
>>62 追加で質問。
犯罪も全体を幸福にすれば正義らしいが、結局その犯罪者は法によって悪と罰せられる訳だが、君に言わせれば、それは法が間違っていて、例えば「金持ちから金を盗んで配る行為は合法とするべき」となるのか?
70 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 11:03:21
>>68 確かに彼はすごい。
コテ付けるようにお願いしようと思ったら、もう付けてるし。
>>69 >>62ではないが、「法的な手続きを踏んで実施すれば合法」でしょ。
累進課税はまさにそういう制度。
殺人犯を民間人が殺せば違法だが、法的手続きを踏んで死刑にすれば
合法というのと同じ。「正義・悪」と「合法・違法」は必ずしも
重ならないのでは。
72 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 11:10:01
正義は幸福とは直接は関係ないよ。
幸福の追求は法の問題という意味で間接的に関係があるだけだ。
いろいろな幸福があり、なかには同時に実現できないもの、相反するものがある。
相反するものを同時に追おうとすれば、どちらも手に入れることはできない。
例えば、名古屋から大阪と東京に同時に進むことはできない、西へいったり東へいったりしていたら、
どちらにもたどり着けない。
ここで、「大阪へ行く」と決めるのが法律、それを守るのが正義。
そうすれば、(東京へいけなくても)大阪へはいける。
(もちろん、「大阪へ行ってから東京へ行く」という法でもいいわけだが)
一般市民も犯罪者も幸福なんて実現できない、じゃあ、
犯罪者は罰し、一般市民は守る、という法をつくれば、
少なくとも、一般市民には(ある程度)幸福な社会ができる。
正義の意味は、法を守ることによって、
(その法が論理的に破綻していない限り)なんらかの意味のある成果
(幸福とか)に向かった合理的な行動がとれるということ、
上の例で言うところのの、大阪へも東京へもいけずに、東や西へうろうろ動き回るという
状態に陥らずに済む。
73 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 11:24:36
>>71 合法が正義とは限らないときもあるからね。
死刑は悪だと主張してる人も、死刑が正義だと主張している人も、
合法が正義だとか悪だとか主張してるわけじゃない。
なぜ、多くの場合、合法が正義だと言われるのかと言えば、
法を遵守することによって、「集団の幸福(利益)の総和を増加する」からで、
違法な行為でも、、「集団の幸福(利益)の総和を増加させる」なら正義と言うほかない。
>>72 東京へ行ったとき増加する集団の幸福>大阪へ行ったときに増加する集団の幸福
なら、東京へ行くのが正義だ。
「論理的に破綻していない」法とは、集団の幸福の総和を最大化できる法を意味するんだよ。
そのような法の下では、合法が正義であるといえる。
しかし、そのような法でなければ、違法な行為が正義となる可能性がある。
違法行為は、秩序への打撃を伴うから、
それによって減少する幸福を上回るだけの幸福の増加がなければ正義といえないけどね。
74 :
72:2006/10/18(水) 11:34:19
>>73 >東京へ行ったとき増加する集団の幸福>大阪へ行ったときに増加する集団の幸福
それはどうやって決めるのですか?
>「論理的に破綻していない」法とは、集団の幸福の総和を最大化できる法を意味するんだよ。
あなたの「「論理的に破綻していない」法」の定義はそうかもしれませんが、
私の「「論理的に破綻していない」法」は純論理的に矛盾を含んでいない、という意味しかありません。
>しかし、そのような法でなければ、違法な行為が正義となる可能性がある。
違法な行為は不正義ですよ。
いいですか、間違っているものが衰退し、正しいものが栄える、これが正義じゃないですか?
したがって、ある集団の「なんらかの」幸福について考えた場合、
法が正しければ、その幸福は増え、間違っていれば幸福は減るわけですよね?
ですから、「法を守ること」は常に正義です。
75 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 11:37:27
>「論理的に破綻していない」法とは、集団の幸福の総和を最大化できる法を意味するんだよ。
ロック型の自由主義を取り入れている憲法で、、
人権の制約根拠は人権しかない、どちらの人権が大切かでどちらを優先するか決めるというのと似てるね。
これは、つまり、法は、集団の幸福(人権)の総和を最大化できるものを目指さなければならないってことだ。
76 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 11:39:53
77 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 11:47:33
いや、「法を守る」に
法に従うという意味だけでなく
正しい(純論理的に矛盾を含んでいないw)法を作って悪い法を潰すという意味を加えた彼の主張は
なかなか高度な言い訳だと思う。そこそこの知性を持ってる。
性格がすごいだけだ。
>>72 >一般市民も犯罪者も幸福なんて実現できない、じゃあ、
>犯罪者は罰し、一般市民は守る、という法をつくれば、
>少なくとも、一般市民には(ある程度)幸福な社会ができる。
>正義の意味は、法を守ることによって、
>(その法が論理的に破綻していない限り)なんらかの意味のある成果
>(幸福とか)に向かった合理的な行動がとれるということ
意味がわからない。「犯罪者は守り、一般市民は罰する」という法律も、
純論理的には破綻していないぞ。それを守れば犯罪者には(ある程度)
幸福な社会ができる。つまり、その法を守ることにより、
「何らかの意味のある成果」に向かった合理的な行動が取れるが、
その法を守ることも正義なのか?
79 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 11:57:03
いや、純論理的に矛盾を含んでいない 法の下では
法に従うことが常に正義だと言うんだから、やっぱりすごい人だ。
憲法を含めた既存の法を破棄して、
泥棒は死刑という、純論理的に矛盾を含む余地のない法律を作れば、
泥棒を死刑にするのが常に正義なんだから。
確かに、第三世界で非合法に行われた独立戦争が正義である余地はこれっぽちもないw
80 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 12:08:55
72がすごいと言っても、
>>67には適わないだろ。
81 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 12:12:50
82 :
72:2006/10/18(水) 12:18:16
>>78 というか、その部分は、正義の例の一つとして、
「そういう法を守ること」を示しているわけですが。
つまり、後半の記述の具体例として前半はあるわけで、
>その法を守ることも正義なのか?
という質問がどういう論理ででてくるのかわからないのですが?
83 :
67:2006/10/18(水) 12:22:25
結局「幸福君」は目的しか言えずそれを達成する手段について何も言えない。
理想ばかり語って現実から剥離した役立たずの主張を繰り返す。
愚昧の称号を与えようw
>>82 だから、「犯罪者は守り、一般市民は罰する」という法律でも、
(純論理的に矛盾を含まないし、それを守ることによって何らかの
意味ある成果に向かった合理的行動を取れるのだから)
同じように「後半の記述の具体例」になるのではないか?
と聞いているのだが。
イエスかノーで答えられると思うのだが、そういう法を守ることも正義なのか?
85 :
72:2006/10/18(水) 12:41:54
>>84 まず、答えておきます「イエス」です。
質問の内容からいって、引用部分の意味を誤解されているとしか思えないのですが。
86 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 12:46:32
死刑制度廃止が正義か否かについて、「幸福君」の立場から考察しておこう。
日本人が日本人に対して「死刑制度廃止は正義に適っている」という事の意味は、
「死刑制度廃止は、日本人の幸福(利益)の総和を増加させる行為である」という意味になる。
死刑制度廃止による幸福の総和の変化量が正の値であるとき、これは真になる。
死刑制度廃止による幸福の総和の変化量を構成するものは、
・死刑囚にとっての、命拾いする幸福
・関係者にとっての、殺さなくてすむ幸福
・遺族にとっての、復讐感情を満足させられない不幸(−の幸福)
・一般人にとっての、抑止力が弱まる不幸
・一般人にとっての、法を変える不幸
などがある。
意識的にせよ、無意識的にせよ、こういう風に考えるからこそ、
「死刑制度についての議論ができる。」
「死刑制度は廃止すべきだ。」
「なぜなら、命を奪うというのはあまりにも、犯罪者を不幸にする。」
「いや、それを補って余りある、抑止力の向上という幸福がある。」
「それでは、終身刑を設けるなどして、抑止力を低下させない措置をとりつつ死刑制度を廃止すべきだ。」
「しかし、それによって増加する利益よりも、法を変える労力の方が社会にとって大きい。」
とかいう風にね。
87 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 12:48:31
>>83 そうだよな。あいつの定義は理想論だよなw
やっぱり、あんたが最高だよ。
88 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 13:15:05
>>83 何によって正義を達成できるか。正義を達成する手段を考えるのはスレ違い。
それどころか板違いかもね。
ここは、正義の定義や意味を考えるスレだよ。
だから誰もあんたの質問に答えないんだよ。
89 :
67:2006/10/18(水) 13:29:28
>>88 はあ?「正義の定義や意味」を考えるのに「現実」を考慮しないのか?
達成できなくても良いなら「有益かどうか」なんて話しを幸福君がする訳ないだろ。
自分の定義の有益さを語り、それが実際は全く無益である事実が幸福君の愚かなとこだが、君は更にアホだ。
>>86 肝心な点が抜けているぞ。
・一般人にとっての、報復(公平)感情を満足させられない不幸
91 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 13:34:33
>>3 死人に対して悪口を言っても、遺族を初めとする社会の人が
それによって不快感を覚えなければ(幸福が減少しなければ)、正義に反しないし、
もし、幸福が増加すれば正義と言えると思うよ。
宅間守の悪口を言うのは正義であるTPOもあるかもしれないだろ?
92 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 13:38:19
おまえらばかだなあ。
正義とか言ってるけど
結局倫理の問題だろ。
93 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 13:39:02
67
キタ─wwヘ√レvv〜(゚∀゚)─wwヘ√レvv〜─ !!
94 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 13:40:08
>>90 他にも、
・一般人にとっての、他国から優しい人たちと思われて気分が良くなる幸福
・一般人にとっての、収監費用が増える不幸
なんてのもあるけどさ。
議論の例だからいいんだよ。ここは、死刑制度の議論をするスレじゃないし。
95 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 13:43:34
>>90 でも、「公平が正義」というのもまた、一般人の幸福を増加させるからそうのなのだとわかっていいね。
96 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 13:47:50
>>89 ミックスジュースのような意見だな。
君の意見が一番旨い。
97 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 13:54:19
現在、日本の社会では、生まれながらに財力の差がある。
私有財産制を認め、財産の相続を認めているからね。
これは、公平じゃない。
しかし、公平のために、私有財産制と財産の相続を認めないことが正義になるかというと必ずしもそうとは限らない。
それらを認めないシステムを構築した共産主義国の失敗(幸福の大幅な減少)を僕らは見てるから、
それらを認めないことは、正義ではないと主張する人が多いだろう。
公平が、必ずしも正義になる訳じゃないんだ。
だから、定義として、「正義とは、公平を達成すること」だと言うことはできない。
98 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 13:56:58
67がどんな人か知りてぇ〜
99 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 14:07:10
心の琴線に着物を着せたものが正義です。
100 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 14:11:45
>>67に対して、
【何によって正義を達成できるか。正義を達成する手段を考えるのはスレ違い。 】と言われて
【「正義の定義や意味」を考えるのに「現実」を考慮しないのか? 】と答えるんだぜ。
なんて鮮やかなんだ。。ミミ彡  ゚̄ ̄' 〈 ゚̄ ̄ .|ミミ彡 正直、感動した
101 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 14:15:15
102 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 14:42:00
みんなの意見を列挙しとこう。
・正義とは、その人の嗜好を意味する
・正義とは、社会の秩序を守ることと、誠実さを意味する
・正義とは、神々の期待に沿った行動を意味する
・理知に基づくものであることが正義であることの一つの条件
・別の概念では定義できない(直観主義みたいに)
・正義とは、(純論理的に矛盾を含んでいない)法を作り、維持し、従うこと (法を守ること)
・裕福より清貧が正義に近いかもしれない
・正義とは、心の琴線に着物を着せたもの
・ある集団にとっての正義とは、その集団の幸福(利益)の総和を増加させる行為を意味する。
キラリと光るその他意見
・正義と呼ばれるものの実態は「権力者の幸福」
103 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 14:45:25
ひもじくて子供がパンを取った。
泥棒すると手首を切られると云う国があるとするとwwwwww
A)パン屋は正義感が強い人で、すぐさま捕まえて泥棒は手首を切られた。
B)パン屋は正義感のある人で逆にパンを与えた。
105 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 14:52:31
さて、
日本語の正義にしがみ付くので埒があかない。
英語だとrighteousnessとjusticeで意味合いもかなり違うが
日本語では正義だ。
英語を基準にする必要はまったくないが、
言葉の定義自身が曖昧であることは忘れるべきではない。
106 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 14:53:02
107 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 14:58:04
>>105 考えるヒントになりそうだね。
righteousnessとjusticeはどういう風に違うの?
108 :
72:2006/10/18(水) 15:00:42
ある法に従うことは、その法についての正義でしかありませんよ。
ある種の法に従うことが不正義に見えるのは、
見る人の、常識(その人が属する社会の不文律=明文化されていない法)や、
その人個人の主義信条(個人的な法)に反しているからです。
世の中にはさまざまな法があり、共通点もありますが、
相反する点もあります。
当然、相反する点についてはどちらかに従えば、どちらかに反することになります。
(同時に従うことは不可能です。)
従って、普遍的な正義というものは存在しません、普遍的な法が無いからです。
ある法に従うことは、他の法に反する場合もあり、その場合は、
反する法については不正義であるわけです。
109 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 15:07:23
110 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 15:08:11
世の中には、フランス革命やら第三世界の独立戦争とか違法であっても正義と呼ばれる行為がある。
それを指摘された時点で、自分の意見を修正すればいいのに・・・
やっぱり性格だよ。どうしても法という言葉だけは残しておきたいんだ。
111 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 15:11:49
>>109 ざっとまとめただけだから。間違いがあったらごめんね。
俺はこういいたかったんだと言うのがあれば、勝手に修正してくれ。
112 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 15:12:50
大事なことをないがしろにして優先することでもあるまい。一度は乗り越えたんじゃないのかよ?
113 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 15:15:48
「個人の主義信条(個人的な法)」に従った行動って
個人にとって幸せと感じる行動のことじゃんね。
114 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 15:26:42
>>107 108の言葉を借りてしまうと、
[法]についての正義 = justice
その人個人の主義信条 = righteousness
と捉えても良いのだが、
互いの定義に互いを必要としたりと言葉にしにくい。
115 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 15:30:02
その人個人の主義信条へ[従順さ] = righteousness
に直す。
116 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 15:37:50
>>114 >>115 個人の幸せを増大させる行為はその個人にとって正義である。
家族の幸せの総和を増大させる行為はその家族にとって正義である。
地域の幸せの総和を増大させる行為はその地域にとって正義である。
一番上の正義をrighteousnessと呼び
他二つの正義をjusticeと呼ぶ
これでいいか?
117 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 15:48:23
>>116 >一番上の正義をrighteousnessと呼び
はこれでいいと思うが、
justiceは人により下される行為を指さないかもしれない。
118 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 15:54:48
>>108 >>「論理的に破綻していない」法とは、集団の幸福の総和を最大化できる法を意味するんだよ。
>
>あなたの「「論理的に破綻していない」法」の定義はそうかもしれませんが、
>私の「「論理的に破綻していない」法」は純論理的に矛盾を含んでいない、という意味しかありません。
こんなあほなこと言ってないで、
「論理的に破綻していない」法とは、集団の幸福の総和を最大化できる法を意味するとしておけば、
まだ、救いようがあったのに…
意固地になって自爆してるな。
119 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 15:59:30
幸福の総和を最大化?
ここの人たちは本気で「幸福」が量的に把握できると思ってるの?
120 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 16:01:25
>>117 ん〜俺にはちょっとわかんないな。
人によって下されない行為(jusuticeな行為)ってのは例えばどういうのを考えてるんだ?
121 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 16:02:35
62がコテはずしたw
122 :
72:2006/10/18(水) 16:05:57
>>118 あなたの批判は、言葉の定義の問題でしかないような気がするのですが?
123 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 16:07:00
(≧∇≦)b
124 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 16:14:56
な、やっぱり性格だろ?
みんなで、一般に使われている正義という言葉の定義を考えてるのに、
「言葉の定義の問題でしかない気がする」だもん。
125 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 16:17:19
>>120 より司法に関連した用語というのかな。
罪・無罪を分けるときに使われる言葉なので、厳密に見ていくと
罪とはなにか?と発展してしまう。
また司法機関が民に対して公平であるのならば、
その存在は少なくとも一個人に属するものではないが
それではどこに属することになるのか、など簡単に収集付けられなってしまう。
126 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 16:39:14
「ある集団にとっての正義とは、その集団の幸福(利益)の総和を増加させる行為を意味する。」
ある集団の幸福(利益)の総和を増加させる行為であるが、その集団にとって悪と呼べるものがあれば、
この定義は破綻するんだけどな・・・
127 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 16:58:18
72は正義=適法と思ってるんだよ。
しかし、一般に用いられている意味と、明らかに一致していない部分があると言われた。
(違法である正義や、合法である悪が存在する。)
そこで、法の意味を広げることで解決しようとした。
法とは純論理的に矛盾を含んでいない法としたわけだ。
ところが、それでもなお、違法である正義や、合法である悪があると言われた。
そこで、こんどは、法とは、常識や個人の信条も含むものだと言ってみた。
それは自然法って考え方で、
>>75の意見そのものなわけだけど・・・それは受け入れられないんだよね。
128 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 17:00:18
人 間 だ も の
みつお
功利主義に反対というわけではないのだが、功利主義だけで正義を
定義づけるのは、やはり無理があるのではないか。
たとえば、DQNが金欲しさにどこかの家に強盗に入って住人をナイフで
刺して重傷を負わせたら、その住人がたまたま凶悪なテロリストで、
何百人も死ぬような爆弾テロの実行直前だった、とすると、この強盗は
正義を行ったことになる。
また、たまたまそのテロリストの友人が計画を知って、説得して阻止して
自首させるために訪れたら格闘になり、柔道の心得があったので投げ飛ばしたら
たまたま打ち所が悪くて死んでしまった、という場合と比較すると、
純粋に功利主義的には、前の強盗の行為の方が後の友人の行為よりも
より正義にかなっているということになる(法的判断はともかく)。
これは、やはり一般的な考えとは言えまい。
「行為の結果」だけでなく、「行為の動機」とか「行為者の内面」も
正義の判断に影響することは否定できないと思うが。
130 :
72:2006/10/18(水) 17:08:45
>>127 まず、
>>122 それから、
>法とは純論理的に矛盾を含んでいない法としたわけだ。
この点については誤解があります。
「法とは純論理的に矛盾を含んでいない法と」はしていません。
>(その法が論理的に破綻していない限り)なんらかの意味のある成果
>(幸福とか)に向かった合理的な行動がとれるということ、
法に純論理的な矛盾があった場合、その矛盾のために従うことができないか、
従ったとしても、意味のある成果に向かった合理的な行動とはならないというだけのことです。
131 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 17:10:19
幸福の総和って・・・・・あほか 死ぬまでやってろクズ
幸福量で正義を定義するという見解に対する
最も端的な反論は
>>119だと思うけどな。
少なくとも俺はその点が一番疑わしいと思う。
量化すれば確かに問題が端的に整理できる。
そういう意味で正義を幸福量で捉える見解にも利点はある。
でも、そもそも「幸福」という語で同じ表わされてはいても、
根源的な幸福と小さな幸福感は比較衡量できないと思う。
幸福を量化すると、そういう質的な差異がどこかに消えてしまう。
(もちろん「幸福に質的な差なんかない」という意見もありうるけど)
133 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 17:27:45
>>129 なるほどね。反論してみよう。
そのDQNは、社会に対する悪を行おうとして行動したが、
たまたま結果的に、社会に対する正義を行ったことになった。
刑法は、社会に対する悪を行おうとして行動したことと、
テロリスト(人)が死んだと言うことに対して、刑罰を課すが、
彼の行為は、結果的に見れば社会にとって正義だった。
この言い方がおかしいとは思えない。
次に、柔道家の行為とDQNの行為、
どちらが正義かと言えば、功利主義の立場からも、
柔道家の行為が正義であるといえる。
なぜなら、柔道家のような動機で、テロリストを殺した方が、
DQNのような動機で、テロリストを殺すよりも、社会の幸せの総和を増加させるからだ。
なぜかと言えば、DQNのような動機で人を殺したという話を聞いたら不快を感じる人がいたり、
犯罪を助長する結果になって不幸が生じる可能性があるので不快を感じる人がいたりするからだ。
だから、功利主義の立場からは、
DQNの行動も社会にとって正義であったが、、
柔道家の行動は社会にとってより正義だったいうことになる。
さらに、違法行為を行わずに、テロを未然に防ぐ行為は、より正義だと言うことになる。
殺さなければ、必ずテロを行う(テロを防ぐ方法が他にない)状況では、
テロのによって減少する幸せがよほど小さかったり、殺すことで減少する幸せがよほど大きくない限り、
殺さないことが、悪になる。
ぴったり感あるでしょ?
134 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 17:36:59
ねーよwww
135 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 17:37:16
62が必死w
会話にならないんだよな。
>最も端的な反論だと思う。
>その点が一番疑わしいと思う。
気に入らないという感情しか伝わらない。
自分の定義でも示してみたら?
136 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 17:40:44
62?
137 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 17:44:05
功利主義で変な結論が出るときってのは、
中途半端な功利主義であるときだよ。
>純粋に功利主義的には、前の強盗の行為の方が後の友人の行為よりも
>より正義にかなっているということになる
完璧な功利主義なら、こんな結論は出ない。
完璧な功利主義とは?
139 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 17:52:28
>>133の功利計算とかね完璧とは言えないけど、
>>129の功利計算よりは完璧に近い
完璧な功利主義ってのは、全てのデータを入れた功利計算のことを言ってるんだけど、
それは、完璧な三角形をこの世に創ることができないように、実際には不可能だからね。
だからといって、功利計算に意味はないって事にならない。
三角形の内角の和180度というのが無意味にならないようにね。
コテはずした変な人がいるから念のため。
>>129 その例は微妙すぎてわかりにくい。
「知らずにテロリストを殺してしまった強盗」と
「重病だったテロリストを知らずに治療して助けた医者」
ではどうだ。
前者が正義を行い、後者が極悪な行為を行った、ということでいいのか。
141 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 18:00:49
>>139 いや、無意味。
三角形は実際に作れなくても概念自体が有用だが、
功利主義は善を判断するための手段でしかない。
完璧な功利主義とやらをどう意味づけるのか詳しく教えてくれ。
142 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 18:10:48
143 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 18:11:23
俺は良い例だったと思うけどな。
>>140の例にも、
功利主義の立場から答えてみよう。
めんどくさいから、強盗目的の殺人が行われることで社会の人が感じる不快とか2次的な者を省いて大雑把に・・・
結果として、強盗の行為は社会の幸福の総和を増加させ、
医者の行為は社会の幸福の総和を減少させたとすれば、
強盗の行為は悪で、医者の行為は正義だ。
輸血の話でもあったが、強盗をする時点、治療を行う時点の正義について考えてみよう。
目の前の病人がテロリストである確率は0.001パーセントであるとする。
その時、この病人を助ける行為は99.999%社会全体の幸福を増加させる。
従って、99.999%医者の行為は正義であった。
が、将来において、気の毒なことに、その行為は悪になった。
こう解釈してどんな不都合があるだろう。
医者は、極度に高い確率で人を救うことが正義になるのだから、良い医者は人を救うだろう。
医者が病気でも何でもなく超能力者か何か未来を見ることができて、
病気を治すと「必ず」テロが起きると言うことを知っていたら、治療行為は100%悪となり、
良い医者は治療行為を行わないだろう。
144 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 18:12:05
隗より始めよ。
>>143 個人の知不知で正義が変わるのはおかしくないか?
社会の幸福の総量は現実に増えたか減ったかでしかないんだから。
146 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 18:18:04
計算というからには計算結果によって
ある行為が正義か悪かになるわけだろ。
つまりなにかしら数量化が行われなければならないわけだ。
で、その功利主義は、なにをどのように数量化するの?
それとも、例にあるように「テロリスト」とか「強盗」っていう
言葉からくる印象で適当に答えを出してるだけ?
147 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 18:24:32
>>145 変わるんじゃなくて、未確定であったものが確定するんだよ。
その治療は99.999%の確率で正義で、0.0001%の確率で悪だったが、
テロが起こったことにより、ほぼ100%悪になった。
とはいえ、未来は、テロの後も続いていくわけだから、
治療が正義であったかは、いつまでたっても完全には確定しないけども。
とか書いてるうちに、一つ気付いた。
「ある集団にとって正義とは、その集団の幸福の総和を増加させると思われるもの」をいう。
こっちの方が正確だ。功利主義に基づく判断も、功利計算の結果、
利益が最大になると思われる選択をするってことだもんな。
148 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 18:25:17
どんな患者でも救うのが正義と言ったとき、
医者が患者を選ばないということは、結果として社会全体の幸福を増加させると考えているからだろう。
もし、そうでないと考えているなら、医者は患者を選ぶべきだという結論になる。
あらゆる「べき論」は、幸福の為に唱えられるものだ。
149 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 18:31:24
>>146 ある人の知る権利とある人のプライバシー権を比較考量してどちらを優先させるか決めるとき、
数量化が行われる訳じゃないだろう。
しかも、わざわざ
>結果として、強盗の行為は社会の幸福の総和を増加させ、
>医者の行為は社会の幸福の総和を減少させたとすれば、
こんな枕詞まで書いてあるんだぜ、
それなのに、印象で答えを出してるだけときたもんだ。
お前みたいな変なつっかかりがいなければ、文も短くなるのに・・・
概念としての有用性なら、
>>44や
>>86が示してるじゃない。
150 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 18:37:26
テロが社会に甚大な幸福の減少をもたらすものであるとして、
テロ前の人間から見れば、
医者の治療は、社会の幸福の総和を増加させると思われるものだから社会にとって正義で、
テロ後の人間から見れば、
医者の治療は、社会の幸福の総和を増加させると思われるものだから社会にとって悪
151 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 18:40:37
149偏差値ひくそうですね
152 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 18:49:46
153 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 18:50:46
>>151 62の某駅弁大学に通ってると言ってみる。真偽はわからないだろうけど参考にどうぞ。
真偽分からないし、そんなに意味もないけど、自分の偏差値を言ってみてよ。どう答えるか興味ある。
スレ汚れるから、返事はしないけど。
154 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 19:00:49
世の中は良くできてる。
人と分かり合うにはある程度頭が良くないと無理で、
人と分かり合えない馬鹿は、孤独で可哀想に思う。
しかし、馬鹿は、自分が孤独であることに気付かないから大丈夫なんだ。
155 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 19:06:45
>>149 じゃあどうやって
ある人の知る権利とある人のプライバシー権を比較考量
してどちらを優先させるか決めるんだね。
しかも「計算」するんだろw
>結果として、強盗の行為は社会の幸福の総和を増加させ、
>医者の行為は社会の幸福の総和を減少させたとすれば、
だからこんな前提がどうやったら導き出せるのよ。
それこそ「強盗」とか「医療行為」って言葉の印象じゃないの。
156 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 19:08:53
すげー良い意見だからコテつけなよ。
157 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 19:11:26
158 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 19:17:06
>>医者の行為は社会の幸福の総和を減少させたとすれば、
>だからこんな前提がどうやったら導き出せるのよ。
この文章がヤバい。阿呆の匂いばプンプンする。
先生「昌子ちゃんは200円のお菓子を買いました。
抄くんは、100円のお菓子を買いました。
その後スーパーでは全品2割引セールが行われたとしましょう。
二人はいくら損しましたか?」
67 「そんな前提がどうやったら導き出せるんだよ」
159 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 19:20:23
けいさん 0 【計算】
(名)スル
(1)数量を数えること。
(2)結果や展開を予測すること。また、その予測のもとに計画を立てること。
「雨の降ることまでは―してなかった」「相手の反対を―に入れる」
(3)〔数〕 数や式を演算の法則に従って、結果を出したり式の変形を実行すること。
ま、Aの意味だわな。
161 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 19:24:15
>>158 お菓子の値段が最初から分かってるのは例として不適切かと
162 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 19:28:07
利益考量を用いた判例なんてたくさんあるだろ。
「逆転」事件とか。表現の自由とプライバシー権のようなものを利益考量してる。
163 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 19:31:22
もしかしたら哲学じゃなくて
法学の枠内での正義論をやってたの?
だったら板ちがいだけどまぁいいや。
164 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 19:31:57
>>161 じゃあ・・・
先生「昌子ちゃんはx円のお菓子を買いました。
抄くんは、y円のお菓子を買いました。
その後スーパーでは全品2割引セールが行われたとしましょう。
二人はいくら損しましたか?」
67 「そんな前提がどうやったら導き出せるんだよ」
これでいい?
wだめだおもしれーやめられねー。
165 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 19:33:31
>>164 その場合67は「xとyが確定しないと分からない」と答えると思う。
166 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 19:34:02
>>163 ? 72はそういう感じがあったけど、他の人はそうじゃないよ。
167 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 19:36:09
168 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 19:36:56
普通 (x+y)/5 円だろ。
>>44や>>86はそういうことを言ってるんだろ。
169 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 19:41:25
もうかわいそうな子を相手するのはよそうよ。
匿名で入ってくるのは仕方ないけど、だいたいどの子かわかるじゃん。
170 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 19:43:05
自演乙
171 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 19:43:57
>>159みたいに指摘されても、それに対して何の反応もないんだから、話し合える子じゃないんだよ。
172 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 19:52:59
幸福最大論って単なる功利主義じゃん。主張を聞くだけなら耳障りは良いが、幸福最大を実現、確認する方法の無さと、マイノリティが犠牲になる多数決原理のせいで、欠点だらけの主義として有名なんだが。
誰一人とて、自分を救うなんて事などまず出来ない
174 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 19:57:12
中世の、過剰な規制・格差・競合
即ち、抑圧・差別・酷薄が、
自由・平等・博愛という近代主義の価値観で改善された現在、
価値として掲げるべきは、それぞれの間の平衡、
即ち、活力・公正・節度であるのに、
依然として、自由・平等・博愛を掲げるなら、
それは、放埒・画一・偽善に陥ると西部は言う。
自由、平等、博愛でさえ、TPOを誤れば、悪に転落するってことだ。
なぜ、それぞれの間の平衡をとることが正義か、
それは、平衡がその集団の幸福を最大化するからであるし、
平衡点はどこにあるのかと言えば、
その集団の幸福を最大化する点であるといえる。
西部の場合、功利計算に当たって、歴史が大きな参考になると考えている。
だから、伝統重視なわけだけど、なぜ伝統を重視するかと問えば、
その集団の幸せを最大化できると思うからだと答えるだろう。
175 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 19:58:18
>>171 おまえらほんとバカぞろいだなw
以前物理板にあった「長調は明るく短調は暗く聞こえるのはなぜか」
みたいなスレで必死に周波数について議論してたやつらを思い出すよ。
176 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 20:05:38
>>172 マイノリティーが過剰に犠牲になるなんて、
中途半端な功利主義なんだよ。
マイノリティーが犠牲になる事は、
(可哀想だと思ったり、明日は我が身だと思ったりして)マジョリティーの幸福を減少させるだろう。
全体として、幸福が最大化する選択ってのは、当然ある程度の公平さを含むんだよ。
なぜ、マイノリティーが犠牲になるのが社会にとって悪かと問えば、
それが、社会の幸福を減少させるからだろう?
マイノリティーが犠牲になっても、マイノリティーを含めた社会全体の幸福の総和が増加するなら、
それは、正義だ。
だから、死刑という制度が正義であり得るし、ロリコンの幸福を犠牲にすることが正義であり得る。
差別と画一の間の平衡である公正もまた、社会の幸福の総和の最大化の観点から、要請される。
177 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 20:13:09
>>147 >その治療は99.999%の確率で正義で、0.0001%の確率で悪だったが、
>テロが起こったことにより、ほぼ100%悪になった。
ここって笑うところですか?
そうですよね?
医療が善または正義だと思っているのは誤謬
寿命が延びることによる代償は現時点で判明している
179 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 20:21:28
>>178 そうね、医療が、ある集団の幸福の総和を増加させると思われれば、それは、その集団にとって正義だし、
逆だと思われれば、悪だ。
個々の正義は、個々の信念なのである
決まりごとを守るのは正義でもなんでもない。
個々の正義はそれで良いとして、ある社会の正義は?
それは正義ではなく、秩序
勇気は美徳だが、無謀は美徳じゃない
184 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 20:48:51
>>176 で、例えば死刑の無い法律と有る法律ではどちらが正義なの?
>>184 どうでも良いけどなんで名無しになっちゃったの?
>>184 私が「これが正義だ」と言ったら、それは私の信念でしかない。
死刑は見せしめなのだから、それが行われて大衆が平穏化するなら必要だろう。
秩序が正義なのではない
188 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 21:33:21
>>186要するに「完璧に近い功利主義が正義である」は正しく、ゆえに正義を果たすことは決してできない訳だ。
「ある程度」「とするならば」「バランス」便利な言葉だよね。
君が物の役に立たないことはよく分かった。
お疲れ様でした。
189 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 21:34:49
ひとり見当違いな質問してるな
190 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 21:38:32
>>186お疲れ様(⌒-⌒)bye-bye
191 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 21:43:17
煽ってる奴コテつけてくれ。
192 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 21:50:17
194 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 21:56:07
まあまとめるなら
幸福量を測れると信じてる奴=バカ
それをバカにして煽ってる奴=ガキ
ってところか
195 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 21:58:09
幸福量を(正確に)測れると信じてる奴なんているの?
どのレス見て言ってるの?w
196 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 22:03:43
>>44が、
別に、こういう風に書いてみたところで、この微妙な問題が、微妙でなくなるわけではないのだけれど、
どうして、微妙な問題なのかがよく整理されると思う。
つまり、実用性があると思うのさ。
と言ってるのは、幸福量が正確に計ることはできないから、微妙な問題は微妙な問題であり続けるってことだろ。
それなのに、幸福量が正確に測れると言ってるから馬鹿だっていうのは、アホじゃないか?
朝日新聞辺りがしょっちゅう言ってたよな。「多様性!多様性!」ってさ。
愉快殺人を是とするのも多様性だから是なんだろ。
何でも趣味の自由で許されるから、風向きがちょっと変わると
右翼国家主義になびく世俗主義のブタ。
シャツの柄の違い、襟の形の違いが「人間の個性」らしいぞw
個人の価値観の違い。
是が非でも、他人を生かすことを正義だと信じているやつが、死にたくて死のうとした奴を助けたなら、それは不幸でしかない。
201 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 22:13:59
>>197 そのように、過剰な多様性擁護は、悪になる。
が、その逆の、過剰な画一性擁護もまた、悪だ。
その間の、社会の幸福を最大化するバランスを擁護することが正義なわけだ。
今の世の中、多様性が過剰であると考えるなら、反朝日が正義に、
画一性が過剰であるなら、朝日擁護が正義になるだろうね。
このことは、右とか左とかの違いを超えた話だ。
西部は、そのバランスは、歴史を振り返ったときに発見できる伝統にあると言ってる。
これは、右の意見だから、左からのいろいろな反論があって当然だろう。
202 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 22:16:47
201
過剰かどうかなんてどうやったらわかるんだよwバランスが大事なんて誰でも言えるんだよカスw
コテつけなよ。すごく良い意見だから。
>>40のときからずっと。
また、列挙してみる。
・正義とは、その人の嗜好を意味する
・正義とは、社会の秩序を守ることと、誠実さを意味する
・正義とは、神々の期待に沿った行動を意味する
・理知に基づくものであることが正義であることの一つの条件
・別の概念では定義できない(直観主義みたいに)
・正義とは、(純論理的に矛盾を含んでいない)法を作り、維持し、従うこと (法を守ること)
・裕福より清貧が正義に近いかもしれない
・正義とは、心の琴線に着物を着せたもの
・ある集団にとっての正義とは、その集団の幸福(利益)の総和を増加させる行為を意味する。
・[法]についての正義 = justice その人個人の主義信条へ[従順さ] = righteousness 両者を併せて正義という。
・「行為の結果」だけでなく、「行為の動機」とか「行為者の内面」も 正義の判断に影響する
・ある集団にとって正義とは、その集団の幸福の総和を増加させると思われるもの
・個々の正義は、個々の信念なのである 決まりごとを守るのは正義でもなんでもない(秩序である)。
キラリと光るその他の意見
・正義と呼ばれるものの実態は「権力者の幸福」
追加
・正義とは、社会の幸福を最大化するバランスを擁護すること
正義と言う幻想に身を委ねる行為は愚かなり
根幹に自己愛のある正義は寒い。
208 :
72:2006/10/18(水) 23:13:24
>>204 >・正義とは、(純論理的に矛盾を含んでいない)法を作り、維持し、従うこと (法を守ること)
これは、私の主張とは違いますよ。
>>130 を見てください。
法を作ること、法を維持すること、もおそらく正義とは違うでしょう。
例えば、国会が法を作ることは、国会に立法権を定めた憲法に従っているという点では正義ですが、
では、憲法を作ること自体は正義といえるかというと、やはり、それに選考するなんらかの法、
(民主主義とか、人権思想とか)について、正義であるとしかいえない。
そうすると、少し考えればわかることですが、順番にさかのぼっていくと、他の法を前提とせずに定められた法がある。
(例えば「死にたくない」とか。)この法を定めること自体は正義ではないわけです。
>>208 どうぞ勝手に修正してください。
2行ほどでまとめてくれれば、次に列挙するときに直して書くよ。
210 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 23:25:04
>他の法を前提とせずに定められた法がある
やっぱり自然法じゃん。
死にたくないってのは自然権(幸福追求権)の一つだろ。
世の中、多数決がすべてだよ。
213 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 23:36:34
214 :
72:2006/10/18(水) 23:39:30
>>209 では、
・正義とは法を守ることである
でお願いします。
>>210 でも、それ自体は正義ではありませんよ。
215 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 23:40:59
>>214 法とは何か書いておかないと、普通は実定法を指すと思われるよ。
216 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 23:43:59
>>214 君の意見は、自然法を守ることが正義ってことだろって言いたいんだよ。
217 :
72:2006/10/18(水) 23:52:00
>>215 「正義とは法を守ることである 」における法というのは、
法律、主義・信条、掟、その他の、「きまり一般」のことです。
218 :
72:2006/10/18(水) 23:56:50
>>216 もちろん、自然法を守ること「も」正義ですよ。
しかし、自然法を守らなければ正義ではない、ということでhないないです。
人間の本性に反するような法があったとしても、それに従うことは、
(その法における)正義です。
219 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 23:57:40
72
例えば、泥棒は死刑という法律があって、その法律が日本社会で共有されているとする。
一方で、泥棒ぐらいで人の命を奪ってはいけないというきまりが日本社会に共有されているとする。
このときに、日本において、どちらの「法」を守ることが、どうして正義か答えることができるかい?
221 :
72:2006/10/19(木) 00:13:50
>>220 どちらの法を守ることも、その法についての正義ですよ。
>「正義とは法を守ることである 」における法というのは、
>法律、主義・信条、掟、その他の、「きまり一般」のことです。
こんなに法概念を広げたら、結局誰が何をしたとしても
それがその人にとっての正義ってことになるんじゃないの?
そうなると正義は単に「動機」でしかなくなるような。
>>221 じゃあ、泥棒を死刑にする法よりも
泥棒を死刑にしない法の方が正義であるというような表現は有り得ない(間違いな)わけですか?
誤解を招くと嫌だから言っておくけど、
>>223は、
泥棒を死刑にしない法よりも
泥棒を死刑にする法の方が正義であるというような表現は有り得ない(間違いな)わけですか?
これと同じ意味だからね。
225 :
72:2006/10/19(木) 00:24:31
>>223 そのような表現は、(その人にとって)それら二つの法に優先する法
(その人個人の主義信条、あるいは自然法とか)を念頭において言われているのでしょう。
あるいは、単に、その人にとっては、「泥棒ぐらいで人の命を奪ってはいけないというきまり」の
ほうが優先度が高く「泥棒ぐらいで人の命を奪ってはいけないというきまり」において、
「泥棒は死刑という法律」が不正義である、といっているだけなのかもしれませんが。
いずれにしても、ある法を「不正義である」というとき、
それは、それに優先する何らかの法に反しているという意味なわけです。
226 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 00:26:02
>>218 とんでもない悪法でもその法律に従うのは、(その法における)正義って言うんだよね。
それって正義じゃなくて合法って言った方がしっくりくるんじゃないの?
悪法に従うことはやっぱり悪だし、従わないことが正義って言うよ。
なんか無理矢理な気がする・・・
>>225 上の例で、日本社会において、どの「法」が優先するかは何が基準になるの?
228 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 00:28:23
>>226 俺もそう思う。「合法」という概念があるんだから、
それをわざわざ「正義」と呼ぶ必要はないよ。
無用に概念を混乱させるだけで実益もないし。
>>228 センスが良い。笑ったよ。俺にとっては君の行動は正義だった。
スレ参加者全体の幸せの総量が増加していたなら、君のレスは、スレにとって有益だった。
231 :
72:2006/10/19(木) 00:32:55
>>226 自分の信念に従って、その法律に従わないのも(自分の信念における)正義ですよ?
それでも、合法、という意味になりますか?
>>227 どの法を優先するのが正義かはより優先度の高い法によるしかありません。
そうすると、最終的には、恣意的に選択するしかないわけですが、
この段階では、どちらの法を選ぶのも正義とはいえません。
というか72は「正義」と同時に「法」もいじってるからおかしくなる。
「法」を72の意味に合わせれば単に「合法」で十分。
それをわざわざ二重に概念を変化させて「正義」を定義するのは迂遠。
>>231 俺の立場からは、どの法を優先させるのが正義になるかは、その社会の幸福の総和の増加量が多い方になるね。
実際俺たちはそういう感覚で「正義」と言う言葉を使ってるだろう?
泥棒を死刑にする法律に従うことは、社会の幸せを減少させると思うから悪だ言うんだ。
もし、泥棒が馬鹿みたいに増えて、そのせいで、経済がうまくまわらず、餓死者が出るような状況になったら、
泥棒を死刑にする法律に従うことも、社会全体の幸せを増加させる結果になるから、正義になるかもしれない。
君の意見はどうもスッキリしないね。
「ある集団にとって正義とは、その集団の幸福の総和を増加させると思われるもの 」
72の意見はこれとほとんど一致するんじゃないの。
あと、
「ある個人にとって正義とは、その個人の幸福の総和を増加させると思われるもの」
を加えれば、ぴったりじゃない。
確かに、個人にとっての正義という言い方もあるから、書き直して、
「ある集団又は個人にとっての正義とは、
その集団を構成する者の幸福の総和又は個人の幸福を増加させると思われるものをいう。」
これでいいんじゃない。ちょっと汚いけど。
235 :
72:2006/10/19(木) 00:50:25
「ある集団にとっての正義とは、その集団の幸福の総和を増加させると思われるものを言い、
ある個人にとっての正義とは、その個人の幸福を増加させると思われるものを言う」
こう書いた方がわかりやすいかな。
237 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 00:54:46
だ・か・ら
帝王学は法なのかと何べん言わせるんだろう。帝王が従う規則といったら、
君等がいるようなものなのかと。偉い人が守ってる規則だから、帝王学って
言うんだろ。
法律は民の守る規則だって。民がいっぱいるけど、こういう法律だよって
ことなんだ。十羽一唐揚げなんだ。
一般2chネラーがスレ規則を守らないとかの話じゃないんじゃないのかな。
しかし、板がどんどん増えていくことはなぜかというと、そういう方針だから
なんだ。
ようするにだ、権威のある人の考えることだから、法律の物事じゃないでしょ
うから、そういうのは特権とでもいいましょうか、そういうものなんです。
それが正しさのようですね。
239 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 01:06:06
>>235 もしかして67と同一人物??
そうじゃないなら、67の意見なんて取り入れない方が良いと思うよ。
そんなの、きまりというのはどうやって決めますか、
個人の信条はどうすれば把握できますかと聞いてるのと変わらないじゃん。
幸せを完全に計算することは不可能だよ。
けれども、ある程度おおまかな計算ならできる。
おおまかにでも計算(分解)できるのは議論のためにとても有益だ。
自然法があやふやであるけど概念としては確かにあるというのと同じだよ。
通常の状況では、人間にとって自分の命を守れることは、
その幸せは、人間を殺す幸せよりも、おそらく大きな幸せだ
(被害者の幸福追求権>殺人者の幸福追求権)といえるから、
自然法においても、普通の状況に置ける殺人は不法なんだよ。
240 :
72:2006/10/19(木) 01:21:20
>>239 >そんなの、きまりというのはどうやって決めますか、
最終的には恣意です。
>おおまかにでも計算(分解)できるのは議論のためにとても有益だ。
ですけれど、結局のところ、一つには決まらないですよね。
例えば、集団において、は、常に複数の意見がありますよね。
あなたの考えでは、幸福の総量と事柄の関係において、
複数のもっともらしい(つまり、その時点ではどちらが正しいとも決定的にいえない)
意見があるとき(例えば、死刑の是非とか)の正義はどうなるのですか?
241 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 01:24:04
>>44や
>>86が示す概念の有用性は、
先生「昌子ちゃんはx円のお菓子を買いました。
抄くんは、y円のお菓子を買いました。
その後スーパーでは全品2割引セールが行われたとしましょう。
二人はいくら損しましたか?」
生徒「(x+y)/5 円です」
このやり取りが意味のあるのと一緒だよ。
242 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 01:26:33
嗜好は自分の正義に過ぎない
243 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 01:30:12
正義の意味を明確にすれば、死刑制度の存続が正義かについて、論理的に議論できるわけだけど
正義の意味を明確にすれば、死刑制度存続が正義であるか否かを決定できると思ってるのがおかしいんだよ。
たとえば、死刑制度の是非を決定できなければ、正義の定義として間違っているというのがおかしいんだよ。
自分はどちらの法に従うのが正義かは恣意によって決まるとかわけのわかんないことをいいながら何言ってるんだろ。
244 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 01:33:45
>>242 嗜好ってのは、自分の幸せを増加させるものを言うんだから、
「ある個人にとっての正義とは、その個人の幸福を増加させると思われるものを言う」
それは、これと同値だといえるよね。
245 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 01:34:19
法律の上に居心地のいい理想とでも置きましょう。その理想に従って
ですね、居心地がいいとすると、人から掠め取りたい。そういう規則が
必要なのになんで作らないのか。こういう話をしている訳なのです。
奪うことが居心地がいいとするとですね、心をそそる財産をしっかり
備え付けてあることです。そういうものが無いから、しっかり奪えない
のです。しっかり用意してないのに、彼は奪ったと問いただしているの
は規則の不備であるということです。
しかし、初めから、これらのものを除いてですね、全体の利益といい
ます。除いているところで、ある部分なのは明らかなのに、全体の利益
が損なわれているといいます。分割の責任をある部分のせいにしている
にも拘わらず、まだ全体の話をしているようです。残りをごまかす厭ら
しさがこういうところで付き纏ってるようだ。
奪う権利もあるという話になるんじゃいのかな。全体の幸福に寄与す
るからということだからです。じゃあですね、奪う世界を作ったらいい
んじゃないですか。端から除いているのと区別してです。
>>245 なんだか少し電波を感じるが・・・
奪うという行為が社会の悪なのは、それによって社会全体の幸福が減少すると思われるからさ。
だから、奪うという行為であっても、社会全体の幸福が増大すると思われるときは、その行為は正義さ。
たとえば、現状、資本家の搾取をある程度みとめることは、その社会の正義に適うことだったりするわけさ。
犯罪者から財産を没収する(奪う)というのも、場合によっちゃ正義になるわけさ。
死刑制度の存続が正義かどうかという話は、
死刑囚にとっての、命拾いする幸福と
関係者にとっての、殺さなくてすむ幸福と
遺族にとっての、復讐感情を満足させられない不幸(−の幸福)
一般人にとっての、抑止力が弱まる不幸
一般人にとっての、法を変える不幸
(以下略)
の総和がプラスかマイナスかで判断できるということになる。
実際、議論ってのは、こうして進むんだよ。
その議論の中で、抑止力の弱まる不幸の大きさがどれほどか巡って争ったり、
殺さなくてすむ幸福がどれほどの大きさかを巡って争ったりするんだよ。
死刑制度は自分の信条に従って悪だ
いや俺の信条では正義だと、言い合ってもそれは議論じゃない。
議論をしている人の共通の価値観(幸せに価値があるという価値観)に基づいて話を組み立てていくんじゃないか。
248 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 01:56:29
>>246 量は消失するのか。これは端から除いているといわなければならない。
何故なら、彼のところから彼の人のところへ物が移るが別に物の消滅では
ないのは明らかだ。そして、彼のところから喜びが失われた分、彼の人の
ところへ喜びが移るからである。だから、それらを含んだものが全体であ
って、ある人々から財産が失われたら、幸福が減少するという全体なのだ。
金持ちから財産を奪う貧民は、ありふれたものの消失でしかないのに、
彼は生涯の生活を賄うほどの喜びである。そうすると、貧民は強奪してよ
いということです。
国は全体だ。奪うものは奪う事に従うし、働くものは福祉なのだ。こういう
事に限っているのではないか。そうじゃないなら、突然に取り潰しなんてこと
を国が言い出しかねないことにもなる。それは変だ。
249 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 02:05:14
>>248 ところが変じゃないんだよ。それはそんな結果が出るのは、功利計算が不完全だからだ。
例えば、自由な強奪を認めれば、社会の秩序にダメージを与え、社会全体の幸福が減少する。
金持ちから一定の基準に従って、財産を奪い、貧民に分け与えると、
一見、幸せが増大するように思えるが、
最終的には、働く意欲を削ぐ結果になり、社会全体の富が減り、社会全体の幸福が減少する。
共産主義がうまくいかない(正義でない)のは、こういう理由だ。
しかし、現状でも、金持ちから財産を奪って、貧民に分配するのはあるのは、
ある程度なら(社会全体の幸せを最大化する程度なら)正義だ。
だから、今の日本にも、累進課税なんて制度が、正しい法律として存在するわけだ。
250 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 03:00:10
不完全ならば、功利計算が結果を導かないのか。
確かに不完全かもしれないけれども、功利計算が少しも導くものがない
としたら、幸福の減少も考えられないことになる。幸福の減少も考えられ
ないのだから、そこから考えられなかったのだ。
間違ったものが対すると、強奪が幸福になるものも間違いであるという
のである。
だから、訳のわからないことに引き込んだことにはなる。整備が遅れて
いるので、他のことで対応を余儀なくされている。益々、強奪法の必要で
あると考える次第であります。
251 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 07:33:41
>>249 累進課税制度が正義であるとする功利計算を具体的に書いてみてよ。
252 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 08:14:36
253 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 08:35:27
254 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 08:41:07
255 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 09:01:03
>>254 じゃあめんどくさいからけど、大雑把に・・・
金持ちが、お金を奪われる不幸と
貧民が、お金を分配される幸福と
全体にとって、勤労意欲が削がれる不幸と
分配に要するコストの総和が、正の値になる累進課税は正義に適ってる。
実際、累進課税の税率を議論するときは、
これらの要素を勘案する。
例えば、1000万以上の給与部分については税率を50パーセントにするのが正義に適うと言うときは、
この税率によって、社会全体の幸福を最大化できると予測するからだ。
256 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 09:24:25
>>255 えっ・・・最も重要な税収についてスルー???
257 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 09:32:09
258 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 09:43:39
259 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 09:43:49
>正義は自分の嗜好に過ぎない
>人に押し付けるべきものではない
>社会の秩序を守るための正義と、誠実さが必要とする正義は別ものである
>社会の秩序を守るための正義と、ここに正義を使うのが間違いですね。
社会の秩序を守るため?の法律と、誠実さが必要とする正義を同じテーブルに乗せる処に無理が有ります。
それと法律と法とは本来なら同一の意識の基で創らなければ成らないのですが、
法律は時の権力の都合に合わせ創られますので法は正義で法律は正義では無い、と言うことですね。
260 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 09:48:10
>>21 悪の反対はもう一つの悪
その間にあるのが正義
差別という悪の反対は画一という悪で、その間には公正という正義がある。
>>258 もうやめとけ、一人だけとんちんかんなんだから。
ほほう、金持ちが一万円で得る快楽より貧乏人が一万円で得る快楽の方が大きい、と。
263 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 10:11:39
>例えば、1000万以上の給与部分については税率を50パーセントにするのが正義に適うと言うときは、
>この税率によって、社会全体の幸福を最大化できると予測するからだ。
集めた税金を全て正義に叶う使い方をしてるのか?と言うことが一番の問題ですね。
ここは、累進課税の是非を議論するスレじゃねー
265 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 10:26:18
264
累進課税を正義の好例として挙げている以上、その正当性を示せなければ何も語れてないのと同義だ。
この構造が君にのみ理解できないのだろう。
266 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 10:40:03
267 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 10:42:43
268 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 11:16:46
269 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 12:03:05
>>268 正義の意味を明確にして死刑が正義かを決定はできないけど議論ができるから定義は正しいと。
何を議論して、そこから何が生まれるんだ?
270 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 12:10:02
271 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 12:19:50
あんまり叩くと荒らされるよ。
>>269 「(正義の意味を明確にして死刑が正義かを決定はできないけど)議論ができるから定義は正しい」
こんなこと誰も言ってないだろ?そうだろ?わかるか?
「正義の意味を明確にして死刑が正義かを決定はできないから定義は間違っているというのはおかしい」
って言ってるだけだよ。
(言葉を新しく定義して、論理を組み立てるときは、どんな定義しようが間違ってるとか正しいとか言えないけれど)
既にある言葉の定義(意味)として、何が正しいかは、
その言葉が使われてる場面で、意味が通るものかどうかで決まる。
>>226は、「ある集団にとっての正義とは、その集団の幸福の総和を増加させると思われるものを言い、
ある個人にとっての正義とは、その個人の幸福を増加させると思われるものを言う」
これなら、意味が通ると主張してるわけだ。
意味を明確にするのがこのスレの目的だから、
意味を明確にして何が生まれるんだという問いはスレ違いなわけだけど、
親切にも、意味を明確にすることがどのような役に立つのか答えてくれてる人がいる。
>>241
273 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 12:26:00
>>272 きみすごいなあ。コテつけてよ。
>>241っててっきり皮肉かとおもったんだけど
そうじゃなかったんだね。
274 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 12:30:59
>>272 その正義の定義の意味が通るのは「幸福の総和の増加」を意味が通るように都合良く解釈してるからだろう。
な?世の中うまくできてるだろ?w
276 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 12:32:01
おやおや、なかなか面白そうなスレに育ってるじゃないか。
いまきた俺に、今までの流れを3行で説明してくれたまへ。
手段と目的を取り違えているからいつまで経っても埒が明かない。
278 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 12:37:56
>>126が良いこと言ってるのに・・・
とんちんかんな質問したりそれにいちいち答えたりしてスレが荒れるのは避けようよ。
>>276 67のすごさを見るのが楽しいと思う。途中から名無しになってるけどすごいからすぐわかる。
最大幸福=正義というのは明らかに循環があるが?
>>280 本当だ。循環がある。なんで気付かなかったんだろう。
>>271 荒らされたいw
>>こんなこと誰も言ってないだろ?そうだろ?わかるか?
あーあー聞こえないニダ。
284 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 13:55:39
285 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 16:01:09
>>284 別に構わないが・・・
より複雑な具体例を持ち出す訳は??
286 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 16:10:28
結論:正義は自分の嗜好に過ぎない。
>>1
>1 名前:考える名無しさん 2006/09/11(月) 19:51:35
>人に押し付けるべきものではない
>社会の秩序を守るための正義と、誠実さが必要とする正義は別ものである
正論だと思う。
288 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 16:15:22
「ゴミ拾いが好き」というのと「ゴミ拾いが(私にとっての)正義」という発言は意味が近いと思われるが・・・
反論:「ゴミ拾いが好き」というのと「ゴミ拾いが(社会にとっての)正義」という発言は意味が違う。
289 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 16:52:54
「ある集団にとっての正義とは、その集団の幸福の総和を増加させると思われるものを言い、
ある個人にとっての正義とは、その個人の幸福を増加させると思われるものを言う」
これで良いじゃん。
でも、ここでの幸福の意味について一般と齟齬が出るから
(自殺するのは自身の幸福のためとは言いにくい)
>>28 満たされている欲求の程度という意味の満足度に書き直して、
(自殺するのは自身の満足度を増加させるためって言い方をする。)
「ある集団にとっての正義とは、その集団の満足度の総和を増加させると思われるものを言い、
ある個人にとっての正義とは、その個人の満足度を増加させると思われるものを言う」
291 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 17:43:54
>>290 つまりあなたはここまで長く語って「自分は功利主義者です」と言いたかった訳だね。
>>291 別に長く語ってるつもりはないけど・・・
293 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 18:02:56
気に入らないなら、
>>288のように反論してみれば?
それがここでの正義だと思うよ。
>>287 例のオタク系ネオナチサイト、貴様のじゃあるまいな。
幸福という欲満たすことが正義とは、欺瞞でしかないな
正義と善は違う。ときとして、互いが対立することも見受けられる
>>295 正義と善はどう違う?
正義は互いに対立することがあるが、善は互いに対立することがない?
あと、
「ある集団にとっての正義とは、その集団の満足度の総和を増加させると思われるものを言い、
ある個人にとっての正義とは、その個人の満足度を増加させると思われるものを言う」
これに当てはまらない正義の用例を挙げてみて欲しい。
道を聞かれたときに教えることが正義なら、知っていても教えなかったら正義に反しているといえよう。
しかし、善は教えなかったとしても善なのである。本人のためにならないという考えもあるからだ。
正義は主観的であり、善は客観的である。
299 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 20:16:37
レイプを犯罪にするのは正義なのか?
レイプできて性欲を満たす男とレイプされて屈辱を受ける女の功利計算はどうなる?
レイプが容認されたときレイプへの「慣れ」で満足度の総和がレイプ容認の方が大きくなり得ると思わないか?
それともおまえは単なる結果論者か?
300 :
72:2006/10/19(木) 20:23:37
>>299 満足度の総和がレイプ容認の方が大きくなり得ると思う人は、
「レイプ容認が(社会にとって)正義である」と思ってるって事だ。
「レイプ容認が(社会にとって)正義である」と言ったときの意味は、
「満足度の総和がレイプ容認の方が大きく」ってことだ。
「レイプを容認することは(私の)正義に反する」と言ったときの意味は、
「レイプを容認することは私の満足度を低下させる(レイプ容認が自分の嗜好・信条に合わない)」と言う意味だ。
俺は、レイプなんて、慣れるもんじゃないと思うし、
仮に慣れるもんだとしても、
レイプの引き起こす様々な弊害を功利計算に入れれば、
レイプ容認が(社会にとって)正義なんて結論は出ないと思うけどね。
もちろん、レイプを容認することは、
自分の嗜好・信条に合わず、自分の満足度を低下させるから、
(自分にとっての)正義でもないしね。
おっと・・・レイプ容認が正義に適っているか否かなんてスレ違いだな・・・スマン
303 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 20:45:00
>>301 まあ要するにあやふやな計算で「多分禁止にした方がいい」と感じる訳だね。
後さ、「現実とぴったり」だからその定義にしたんだろ?
だったら「本当に現実と符合するのか」の確認はスレ違いどころか全く正しい質問だ。
君は単なる結果論者であって、「功利主義万歳」と言ってるに過ぎないんだよ。
定義の反例を見つけようとする作業は全てスレ違いって、、、ほんと御都合主義だな(笑)
>297
はあ?
挙げたところで、「全体の満足の総和を上げないからそれは正義ではない」と言われて終いだろう。
つまり、その命題は反証不可能てこと。
305 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 20:54:08
何も語らないものって全て反証不可能だよな。独我論とか。主張→矛盾の無さを確認→間違ってないだけの無意味な理論の完成。
>>303 >俺は、レイプなんて、慣れるもんじゃないと思うし、
>仮に慣れるもんだとしても、
>レイプの引き起こす様々な弊害を功利計算に入れれば、
>レイプ容認が(社会にとって)正義なんて結論は出ないと思うけどね。
>もちろん、レイプを容認することは、
>自分の嗜好・信条に合わず、自分の満足度を低下させるから、
>(自分にとっての)正義でもないしね。
俺がすれ違いだというのはこの部分。
前半が、意味が「現実とぴったり」であることを示してる。
307 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 20:57:28
308 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 20:59:18
かなり気持いいらしいよ。正しいでしょ?
>>304・305
ギブアップだろ。もうこのスレは終了だよ。乙
310 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 21:02:42
>>308 >レイプの引き起こす様々な弊害を功利計算に入れれば、
311 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 21:05:54
>>298とか興味深いこと言ってるんだけどな。
正義は主観的であり、善は客観的であるとは思えないけど・・・
312 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 21:08:26
どこか正しいところがあれば、受け入れてもいいという切ない乙女心
が判るのでしょうね。正しい作法で為されるならば、彼が少しくらい
無遠慮でも、いいでしょう。どこが正しいの、ここが正しいの、そこ
が正しいなら許しちゃう。
このようにして、人間が繁殖しているのです、わかりますね。
313 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 21:08:34
もう定義は済んだ?
じゃあそろそろ本題に入ろうか。
314 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 21:11:32
本題って何w
315 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 21:13:44
【哲学】正義は自分の嗜好に過ぎない
Hondaいい
317 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 21:17:21
さっきは、少し正しかったぞ。
もう少し正しかったら、許してもいいから。
こんなに正しくていいのかしら。
ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい…
どうしたら許してもらえますか?
319 :
304:2006/10/19(木) 21:19:44
>309
だから循環があるってるじゃん。
はい乙々。
320 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 21:26:26
列挙してみるB
・正義とは、その人の嗜好を意味する
・正義とは、社会の秩序を守ることと、誠実さを意味する
・正義とは、神々の期待に沿った行動を意味する
・理知に基づくものであることが正義であることの一つの条件
・別の概念では定義できない(直観主義みたいに)
・正義とは、(純論理的に矛盾を含んでいない)法を作り、維持し、従うこと (法を守ること)
・裕福より清貧が正義に近いかもしれない
・正義とは、心の琴線に着物を着せたもの
・ある集団にとっての正義とは、その集団の幸福(利益)の総和を増加させる行為を意味する。
・[法]についての正義 = justice その人個人の主義信条へ[従順さ] = righteousness 両者を併せて正義という。
・「行為の結果」だけでなく、「行為の動機」とか「行為者の内面」も 正義の判断に影響する
・ある集団にとって正義とは、その集団の幸福の総和を増加させると思われるもの
・個々の正義は、個々の信念なのである 決まりごとを守るのは正義でもなんでもない(秩序である)。
・正義と呼ばれるものの実態は「権力者の幸福」
321 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 21:27:12
・正義とは、社会の幸福を最大化するバランスを擁護すること
・正義とは、多数決
・正義とは法を守ることである。ここで、法とは、法律、主義・信条、掟、その他の、「きまり一般」を指す。
・ある集団にとっての正義とは、その集団の幸福の総和を増加させると思われるものを言い、
ある個人にとっての正義とは、その個人の幸福を増加させると思われるものを言う。
・正義とは、法律の上に居心地のいい理想
・正義とは法(法律ではない)
・悪の反対はもう一つの悪 その間にあるのが正義
・ある集団にとっての正義とは、その集団の満足度の総和を増加させると思われるものを言い、
ある個人にとっての正義とは、その個人の満足度を増加させると思われるものを言う。
・正義は主観的であり、善は客観的である。
322 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 21:32:48
礼儀正しい事と遠慮があることは異なる。普通このようなことであると考える
こともあり、見通しを立てて考えることがあるのだ。
方法を守ることは必要であるけれども、自分の意図ができそうな仕方を採用す
ることではない。そうでないと、丁寧であるのだ。丁寧なだけで本当に考えてい
るものは方法を守ることが主眼でないという本人自身も勘違いしてしまうことに
もなりかねない。
それは彼の趣味であるけれども、それが道徳を実践していると考えてはならな
いということである。それは彼の喜怒哀楽であるけれども、人類の発展に寄与す
るものでないと自覚しなければならないということである。
だから、通り一遍であるにも拘わらず、深く首を突っ込み過ぎたのを戒めてい
ると考えられます。動物が繁殖期にお互い争い合うようなものです。
323 :
72:2006/10/19(木) 21:36:02
>>302 ですから、そういった、「議論」に
結論がでていない段階では、
(例えば、死刑の是非についてはいまだに議論が続いていますが)
議論の対象となっている事柄について、どうするのが
あなたの考えでは正義ですか?
324 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 21:40:54
>>323
死刑制度は正義に叶っているかどうか?よそいってやりなw
>>323 死刑とは、死刑以外の刑ではない刑のことである。
死刑とは、懲役刑ではなく、禁錮刑でもなく、罰金刑でもない。
これが正義である。
正義も自己欺瞞に過ぎない
これは、個々の正義は、個々の信念による
ある宗教派の正義と、他の宗教派の正義は相違がでることにより小競り合いに発展する。
過激派と呼ばれる者も、自己の持つ信念に基づいてテロや攻撃という正義を執行しているに過ぎない
過激派が危険だからと攻撃するのも、自己の信念によるものである
誰が見ても、正義には見えない信念も本人にしたらそれは正義なのである
327 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 21:49:47
どんな発言ならスレ違いじゃないのか低脳な俺に教えてくれないか
武村さんと伊東さん
幸福君の立場の俺としては、死刑制度を廃止して、
工夫を加えた厳しい長期の懲役を設けるのが(社会にとって)正義だと思ってるよ。
場合によっては身体的苦痛を与えるような罰も認めて
厳しい労働を科すことで、
遺族の報復感情が満足させられない不幸を少なくし、
また、その労働によって、
収監費用に係る税負担を軽くすることで、
一般人の不幸を少なくする。
そうすれば、
死刑廃止国としてイメージがアップするという幸せもあるし、
・死刑囚にとっての、命拾いする幸福
・関係者にとっての、殺さなくてすむ幸福
・遺族にとっての、復讐感情を満足させられない不幸(−の幸福)
・一般人にとっての、抑止力が弱まる不幸
・一般人にとっての、法を変える不幸
(以下略)
の功利計算で、+の結果がでると考えるからね。
俺がどういう行動を正義に適った行動だと思うかなんて
正義の意味を考えるスレには不要だと思うけど一応答えた。
331 :
72:2006/10/19(木) 21:59:03
>330
同感。
俺も昔から死刑は廃止した方がいいと思ってた。
その代わり、片腕切断刑とか両足切断刑とかを設ければいい。
腐刑(去勢)なんてのもいいな。
>>331 違うの?俺も誤解してたのかな。
>>323は、「死刑制度について、どうするのがあなたの考えでは正義ですか? 」
こう訊いてるのだと思ってた。
死刑の是非も、個々の信念の違いにより論争してしまう話。
良いか悪いかは個々の判断による。
信念を並列化することは出来ない。同じく、価値観を並列化することも出来ない
あ〜あと、
>>330で幸福君の立場としてはって書いたけど、
幸福君が、死刑制度に反対の立場に立ってるって意味じゃないからね。
彼は、こういう風に功利計算(?)で
社会の正義を巡る議論は行われるって言ってるだけでそれ以上のことは言ってない。
>>334
そんなあなたにとって正義の意味は?
337 :
72:2006/10/19(木) 22:15:50
>>333 死刑制度は
(
>>86>>247 で示されたような幸福の多寡の議論に結論が出ていない事柄の)
一つの例です。
幸福の(総量の)多寡をもって正義であるか否かを判断するなら、
その点について議論の結論が出ていない段階では、
(その主張においては)何を持って正義とするのか?
というのが、
>>323 の質問意図です。
>>337 そういう場合はどちらが社会の正義に適ってるかを巡って論争してるんだよ。
幸福君は、それは、どちらが、社会の幸福の総和を最大化させるものかを巡って論争するのと同義だと言ってる。
つまり、「社会にとっての正義とは、社会の幸福の総和を最大化させるもの」だって言ってるってこと。
>>330こういう風に意見を出してね。議論するんだよ。
340 :
72:2006/10/19(木) 22:24:18
>>338 ですから、、「社会にとっての正義とは、社会の幸福の総和を最大化させるもの」について、
論争している間は、どのように処罰なり、行動したりするのが正義ですか?
341 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 22:24:56
>>339 死刑制度廃止が正義かを巡って争ってるとき、
それは建前を巡って争ってるのではないだろう?
だから、それは、正義の意味として間違ってるというか、不十分だと思うよ。
>>340 俺は、法律に従って執行するのが正義だと思う。
なぜなら、その場合功利計算は、
・違法行為をしないことで社会の秩序できることによって生まれる幸福
・死刑囚にとっての、命を奪われる不幸
・関係者にとっての、殺すという行為を行う不幸
・遺族にとっての、復讐感情を満足させられる幸福
(以下略)
になるが、
違法行為をしないことで社会の秩序できることによって生まれる幸福ってのがかなり大きいと思うからだ。
だから、前の法務大臣の態度は正義でないと俺は思う。
俺は、功利計算の結果、死刑制度について
手続きに従って法を改正し、死刑制度を廃止し、工夫した懲役刑を設けることが社会の正義だと思うが、
手続きに従わず、死刑を執行しないことは悪だと思う。
スレに関係ないけど・・・例として許してくれ。
>>341 是か非か、どちらかにしないといけない道理がどこにあるというのか。
私は、どちらでもいい。正義でもなんでもないと思っている。
344 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 22:35:58
>>343 いや・・・別に・・・正義ってどんな意味なのかを考えてるだけだから・・・
>>342 超法規的措置が正義になることもあり得るって話だな
346 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 22:40:16
>>342 でも前法務大臣は功利計算の結果
死刑を執行しないことを正義としたんだろ。
結局のところ幸福や不幸といった概念を数量化できなければ
計算結果が個人によって変わるじゃないか。
そんな正義の定義になんの意味がある。
「正義は自分の嗜好に過ぎない」とどこが違うんだ。
教えてエロいひと。
>>345 yes
>>346 死刑制度の是非の議論が、
犯罪者が命を奪われない幸福の大きさをどう評価するか
被害者の報復感情が満たせない不幸の大きさをどう評価するか
などに分解できたり、
要素を考えることで、
犯罪者の命を奪わずに、報復感情を満足させる方法を考え出したりできるのが有益って事じゃないかな。
「正義は自分の嗜好に過ぎない」と言ってしまうと
社会にとっての正義という言い方が成り立たなくなってしまうし。
だから、
・ある集団にとっての正義とは、その集団の満足度の総和を増加させると思われるものを言い、
ある個人にとっての正義とは、その個人の満足度を増加させると思われるもの(嗜好・信条)を言う。
って考えるんだ。
>>346 法務大臣に
事件の悲惨さを見せて、、
被害者の報復感情が満たされない不幸がとても大きいと説得するのは、
死刑制度の是非の議論を分解して説得してるってことだと思うんだ。
349 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 23:01:40
>>347 そういった要素は当然死刑制度の是非を論ずるさいには
当然でてきますよね。功利計算に特有のものではないでしょう。
で、それをどう評価するというのですか。
例を見ると恣意的に要素を列挙した後に突然
>違法行為をしないことで社会の秩序できることによって生まれる
>幸福ってのがかなり大きいと思うからだ。
という結論が出ていますが、それはどのような計算結果によるものなんでしょうか。
そこには個人の倫理感が介在しない、計算結果なんでしょうか。
350 :
考える名無しさん:2006/10/19(木) 23:17:42
だから
「昌子ちゃんはx円のお菓子を買いました。
抄くんは、y円のお菓子を買いました。
その後スーパーでは全品2割引セールが行われたとしましょう。
二人はいくら損しましたか?」
を
「(x+y)/5 円です」
に置き換えてるのと一緒なんだよ。
普通このような行為は有益だと考えるけど、
こんな行為に意味はないって言ってる奴に何言ったって無駄。
353 :
304:2006/10/20(金) 00:30:51
ああ、見逃してた>307
だったら総和を減ずるが正義とされているものだってあり得るわけだ。
論理的に破綻していることにいい加減気づこうな。
354 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 00:51:52
だったら総和を減ずるが正義とされているもの
それを示せば論破できるっていわれてんのに…
それさえ理解できないんだな
355 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 01:01:44
〉〉354
阿保だから仕方ない。
でも阿保は気付かないから大丈夫。
356 :
304:2006/10/20(金) 01:17:32
だから、総和が減るなら正義じゃないと言われればそれまでだってんだろ。
例ならいくらでもあるんじゃない?
非武装を正義とする集団が侵略を受けたら、武装した集団に比べて著しく減るだろうな。
357 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 03:22:13
総和ならば、正義であるとすると、
侵略する手続に添うならば、正義であると考えるということでしょう。
決っていることなら、正義ということを言っているに過ぎない。
確かに決っているかもしれけれど、そういうことから正しくないと
考えるのだ。もしそういう人間の考えを欠いてしまうと、その通りに
まかせられないことなのだ。人間と連続の無いものだと考えてしまう
のではないか。
ふ、とひっかかることがある。虫の知らせとでも言いましょう、
私達は遠くで悪いことがあると考えるのです。将来に矛盾があると一
瞬で看取るのです。こういうことからしたら、総和と言われるのは昔
起こったことがある参考ぐらいのことなのである。
>>285 亀レススマン、というか、スレ進むのはえぇな。
複雑にしたというか、具体化したのは理由としてはマイナーなんだが、
>>284でも書いたが、一口に殺人とか、死刑と言った所で、
様々なTPOがあるわけで、一概に言えない。
だったらTPO固定したケースに判断下してみてくれよってところ。
事実関係をグダグダやるのはアレだから、
こういう前提にして話を進めるとか決め事作って固定してもいい。
より注目して欲しいのは国際社会って集団に「自分」が直接属してるわけじゃないという点。
自分が属している集団(国家)が国際社会に属しているわけで。
その国際社会の中で、自分が属している国家が当事者になってないケースについてなら、
判断を下しやすいんじゃないのかと思ったから、イラク原子炉爆撃事件を選んだわけで。
ここにフランス・イスラエル・イラクの国籍持ってる人間が多いなら、別のケースでもいい。
まさか「正義は自分の嗜好に過ぎない」ってのは、
ユダヤ大好きなA君にとっては、イスラエルの行為は正義だが、
アラブ大好きなB君にとっては、悪とかいう話じゃないよな?
まぁ、20年も前の事件なんだから、その後どうなったのかも、
だいたいわかってるわけだし、話がやりやすくないか? という提案。
あと、このくらいの前提を飲み込めないおばかさんを簡単にスルーできるって利点もあるぜ。
個人にとっての正義とは、個人の幸福を最大化すること
国にとっての正義とは、国民の幸福を最大化すること
世界にとっての正義とは、人類の幸福を最大化すること
361 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 09:30:04
誰か
>>356に答えてやれよ。かわいそうだろ。
俺?俺はそんなに暇じゃないんでね。
じゃ、俺がさっさと答えよう。
>>356 >非武装を正義とする集団が侵略を受けたら、武装した集団に比べて著しく減るだろうな。
例の出し方が不完全。
非武装を正義とする集団が侵略を受けた事が、
一般的に正義とされた例を挙げれってことだろう。
俺が代わりに例を挙げてやろうか?
チベットに対する中国の侵略。
チベットは確かに非難しているが、あの行為が明らかに悪だとは国際社会では言われてない。
未だに中国が解放したってのが通ってるのが実情。
これでどうだい?
>>356の「例」というのは、
>>297の
>「ある集団にとっての正義とは、その集団の満足度の総和を増加させると思われるものを言い、
>ある個人にとっての正義とは、その個人の満足度を増加させると思われるものを言う」
>これに当てはまらない正義の用例を挙げてみて欲しい。
これに答えて、「あてはまらない用例」を挙げているのではないのか。
「非武装を正義とする集団が侵略を受けたら、その集団の満足度は減るのに、
その集団にとって非武装の選択は正義のままだ」ということだろ。
しかし、侵略を受けて満足度が減るのなら、その集団にとって非武装の選択は
結果的に正義ではなかった、というだけの話ではないのか。今の日本が
安保条約もなくて、仮に北に侵略されたら、まさにそういう議論になるだろう。
本当に「非武装」を信念としての平和主義の帰結として掲げているのなら
「侵略を受けて殺されても、武器を手にして戦って人を殺すよりずっと幸せ」
という意味だろうから、侵略されても別に満足度は減らないだろう。
>>362 ある行為はある集団の幸福の総和を減少させると行為だと考えているのに、
その行為はその集団にとっての正義であると主張するということが世の中にあれば、
・ある集団にとっての正義とは、その集団の幸福の総和を増加させると思われるものをいう
という定義が間違ってることになる。
>>356は例を挙げて、それが世の中にあることを示したつもりなんだよ。
367 :
366:2006/10/20(金) 10:13:04
「武装した集団に比べて」というくだりがよくわからんな。
369 :
366:2006/10/20(金) 10:20:41
>>363 それは、世界の多くの人が、中国のチベットに対する行為が、
チベットの幸福を減少させたことを知らないからだろ?
チベットの幸福を増大させた行為だと思ってる人はあれは解放だと主張するだろうよ。
しかし、中国の行為が、チベットの幸福を減少させたと考えてる人は、
中国の行為を侵略だと言って非難してるよ。
その中国の行為は、世界の幸せを減少させると考えてる人は、
国際正義に反するとして非難するよ。
リチャードギアみたいにね。
>>369 頭の切り替えよろしく。
「〜を知ってる人」とか「〜と考えている人」とか、一旦わきにおく。
現状の国際社会の一般的な評価として、特に非難されてないから、
リチャードギアや誰やらは運動を起こしたりしているんだということよ。
とっくに常識なら運動なんてしないでしょ?
さらに言うと、とっくに独立してた国(チベット)を、
古代の帝国がそこまで領土があったから、ぐらいの理由で侵略する行為は、
国際社会全体の幸福を増加させるわけ? させないでしょ?
なのに一般的評価としては、正義に近い評価を受けてる。
少なくとも非正義として非難されてはいない状況。
これでどうよ? って話。
372 :
366:2006/10/20(金) 11:02:20
>>370 「一般的評価として正義に近い評価を受けている」って
ほとんどの人が正義だと思ってることじゃないの?
悪だと評価してる人だっているんだから。
>>371 Q:「古代の帝国がそこまで領土があったから、ぐらいの理由で侵略する行為は、
国際社会全体の幸福を増加させるわけ? させないでしょ?
なのに一般的評価としては、正義に近い評価を受けてる(ほとんどの人が正義だと思ってる)。 」
それはどうして?
A:それは、世界の多くの人が、中国のチベットに対する行為が、
チベットの幸福を減少させたことを知らないからだろ?
(以下略
>>369参照)
373 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 11:08:29
明らかに阿呆である奴の相手をするのはスレの無駄
論破しても荒らしになるだけ放置しろ
>>371 >なのに一般的評価としては、正義に近い評価を受けてる。
そんな事実はないと思うがw
というか、仮にそれが事実だとして、あなたはその原因は何だと思うのだ?
別に侵略を正当化する理由など一つもないのに、正当だと思われている、
とあなたは言っているように聞こえるが。
普通に考えれば(というか、中国の主張はまさにこれだが)、
中国のチベット併合をやむをえない、と考えている人の根拠は、
1.チベットが独立しているより中国の管理下に入って人間と資源と金を
受け入れた方が、近代化や経済的発展につながりチベット人の生活の
満足度も上がる。
2.現実問題として、中国の方が強いし抵抗したり外部から介入したり
すると戦争になってもっと悲惨な結果をもたらすから、仕方がない。
と、こんなものだろ。戦前の日本の韓国併合でも、アメリカの日本占領でも、
現在進行中のイラク戦争でも、似たような議論はいくつもある。
要するに、これは功利主義の例であって、反例ではない。
375 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 11:14:15
>>350 ふつうそのような行為が有益だと考えるのは
xやyに具体的な数字を入れることができ 、
いくら損したのかをそれこそ計算できるからです。
それができずに「(x+y)/5 円です」と言い換えるだけのことに
どのような意味があるのか教えてください。
>>375 高校生以上の数学をやれば
それだけじゃないことに気付くだろうから
もうちょっと待っとけ
377 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 11:21:59
じゃあだれかほかのエロいひと
教えてください。
>>372 国際社会の一般的評価≠「ほとんどの人が正義だと思ってること」
世界の大多数の人々の意見が、そのまま国際社会の常識になるわけないだろ。
イラク戦争でいうなら、アメリカ国内でもイラク戦争は間違いと考えてる人が大多数になってるだろ?
だからといって国際社会の評価が変わってるか?
フセインが解放されて、アメリカのブッシュやラムズフェルドが投獄されたか?
アメリカはイラクから即時撤退して原状復帰に務めるべしとか、そんな決議案が出てるか?
>>378 国際社会の評価は、初めから「イラク戦争は間違いだ」と考える人(国)の
方が多いだろうよ。(ちなみに、本当に間違いかどうか、とは別。)
あなた自身が「アメリカ国内でも」って言ってるじゃないのw
>>379 多いからどうしたんだよ?
正義として通ってるのかと聞いてるんだよ。通ってないだろ?
>>380 通っているかどうかは政治の問題であって、正義の定義の問題とは
全然関係ないのよ。何でわからんの。
ブッシュ大統領自身が、最初から「自分にとっての正義」とか「ある種の集団
(石油企業とかイスラエルとか)にとっての正義」とか「アメリカにとっての
正義」を追求しているのであって、「世界(人類)にとっての正義」や
「アラブにとっての正義」など、最初から眼中にない可能性もある。
というか、政治というのは本来はそういうものだ。中国だって北朝鮮
だってチベットだって日本だって、変わりはないさ。
382 :
366:2006/10/20(金) 11:54:20
「国際社会の一般的評価として正義に近い評価を受けている」
=ほとんどの国が正義に近いことだと思ってる
これでもダメか?
383 :
366:2006/10/20(金) 11:56:20
修正
「国際社会の一般的評価として正義に近い評価を受けている」
=ほとんどの国が正義に近いことだと言っている。
これでどう?
>>381の言うとおり、内心で思ってるのと、政治的に評価するのは別だな。
読んで気付いた。
>>381 >>89 正義の定義を考えるのに考慮する「現実」を国家間のレベルに引き上げたものは、正義の定義問題に関係ないのか?
アメリカが国際社会全体の利益を考慮せず、
自国の利益のみを追求して戦争を行ったにも関わらず、
特に目立った制裁措置も何も受けていないという現実が、
正義の定義に関係ないのか、ふーん。
>>383 だからよ。
「多くの国が言っている」=「常識」って公式は間違いだと俺は言ってるの。
386 :
366:2006/10/20(金) 12:03:55
>>385 じゃあ、
>>371で、チベット侵略が正義というのが常識である
(国際社会の一般的評価として正義に近い評価を受けている)
という根拠は何なの?
ほら見ろ、スレがどんどん汚れていくじゃねーか。
明らかな阿呆だと分かった地点で、阿呆は放置しとけ。
建設的な反論をする人だけ相手にすれば良いんだよ。
こうやって書いても、阿呆は自分のことを言われてるとは気付かないしさ。
阿呆は阿呆同士では議論できないから
放置しとけば、自然と埋没していくんだよ。
分かる人には分かる。それで良いんだよ。
明らかな阿呆を論破したところで得るものなんてないよ。
388 :
363:2006/10/20(金) 12:30:12
まとめよう。
一つの集団の、全体の利益を考慮せず、自分たちの利益のみを追求しての行為が全体の利益を損なった場合でも、
その行為をした集団に全体に対する十分なpower(権力・支配力)があった場合、全体からの制裁は受けずにすむ。
正義として賞賛されることはないが、非正義として全体から公式に認められることはない。
このグレーゾーンは、非公式の、つまり私的制裁(私刑)によって埋めるぐらいしかないが、これは公的には非正義とされる。
つまりよ。正義の定義に公私の違いを含めないと話にならんのじゃないか、ということ。
389 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 13:12:20
390 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 17:26:38
>>389 まあまあ。正義とは、個人の嗜好に過ぎないってのは、そのことを、考慮してなかった節があるし、いいんじゃね。
>>388 ある集団にとっての正義とは、その集団の満足度の総和を増加させると思われるものを言い、
ある個人にとっての正義とは、その個人の満足度を増加させると思われるもの(嗜好・信条)を言う。
これならね。公私の違いと、行動(制裁)と内心の違いがちゃんと反映されてるんだよ。
まず、国際社会における私の利益つまり国益について・・・(こう書いたところで気付いちゃいそうだけど一応説明してみる。)
ある戦争(ある行為)によって、ある国(集団)の満足度の総和を増加させた、
そう思う国家代表(決定主体≒人)は、その戦争は、その国にとっての正義であったと思うことになる。
(そう思うけれども、政治では、自国の都合のために、あの戦争はその国にとっても悪だったと嘘をつくこともあるだろう。
が、(国)の満足度の総和を増加させたと思う人は、それはあくまで嘘だと思ってる。)
ここにグレーゾーンの余地はない。
391 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 17:27:41
次に、国際社会全体の利益という公つまり人類益について・・・
その戦争が、人類(より大きな集団)の満足度の総和を減少させた
そう思う国家代表(人)は、その戦争は、世界にとっての悪であったと思うことになる。
(そう思うけれども、政治では、自国の都合のために、あの戦争は世界にとって悪だったと嘘をつくこともあるだろう。
が、世界の満足度の総和を減少させたと思う人は、それはあくまで嘘だと思ってる)
やはり、ここにグレーゾーンは存在しない。
四角形を指しながら、多くの人が「この図形は三角形だ」と言っても、みんなが嘘だと自覚してるなら、「三角形」の定義に影響はない。
本気で言ってるなら、「三角形」という言葉の定義を考えてみる必要があるけどね。
powerによって、悪が正義とされているのは、無理矢理、悪を正義と言わせているにすぎない。
>>383 >「国際社会の一般的評価として正義に近い評価を受けている」
>とは、「ほとんどの国が正義に近いことだと言っている。」
これが受け入れられないのはやばいよ。自分の意見もう一度整理してみな。
392 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 17:46:29
自分の嗜好に過ぎないものを正義と言っては成らない。
個人の嗜好を超えているからこそ正義なのだ。
393 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 17:54:56
>>392 俺もそう思ってたんだけど、
「猫を愛することが自分にとっての正義」というような言い方があるからね。
そのときの正義は個人の嗜好を超えることを考えていない。
「猫を愛することが社会にとっての正義}」と言ったときは別だけどね。
だから、単純に、
「猫を愛することが正義」と言ったときの
正義の意味は、二つに場合分けするしかないと思うんだ。
394 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 18:05:08
「正義感」という言葉に限れば、これは個人の嗜好を示していることが多いよ。
正義感の強い人、などと専ら他人を形容するときに使う。
正義に大体強いも弱いもあるのか知らないが、
正義感と形容されるキャラにおいては、個人の嗜好を社会の前でも出す人
という意味合いがある。
>387
循環があるために反証不能に陥ってるといわれているのに
それが全く理解できない人がいるみたいだねw
あと自分で分かってないようだから言うけど
傍目で見ると君のレスが一番汚いよ。
循環?トートロジーのこと?
398 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 18:52:52
少なくともプラトンの正義観を参考にすると、それは個人や国家を超えた客観的な原理である。
正義に背く個人や国家は滅ぶのだ。
要するに、神々に喜ばれる行いこそが正義であると考えたのだろう。
399 :
363:2006/10/20(金) 18:52:59
>>390>>391 丁寧な説明ありがとう。
集団における正義について、少し俺の考えを言う。
個人レベルでも集団においても、まず「これが正義だということにする」という決め事が形作られる。
個人レベルなら間違いだと気づいてすぐに改めることもできるだろうが、
集団レベルだと一朝一夕には改められない。議論の時間が必要だからね。
このタイムラグは集団が大規模になればなるほど顕著にあらわれる。
そのタイムラグ期間は、たとえ集団の大多数が間違っていると思っていても、
次の決め事が決まらないのだから、現行の決め事で集団が運営されるしかない。
正義が決まらないからといって、集団の運営をやめることはできない。
集団は集団として運営され続ける限りにおいて集団なのだからね。
このタイムラグ期間においては、独裁国家でもない限り、
国家代表がどう思うとか、大多数の国民がどう思うとか、そんな事は関係なく、
現行の間違っていると思われている決め事が「正義」として通用する他ないって事なんだが。
悪法が悪法と理解された瞬間、議論が始まるだろうが、
議論が始まったからといって、その法律を適応停止にすることはできない。
改定されるまでの間、現行法として通用する。
この現行法(=公)であり、議論における大多数の意見(=私)という意味での、
公私の区別、グレーゾーンないかね?
>>399 それは正義じゃなくて合法ってことだろ
あくほうが改正される前は、合法であるけど、正義ではないってことだ。
たとえ、審議中であっても、観念として正義が存在するわけで、それに向かって審議してるんだろ。
もっといえば、審議されてできた法律も、観念としての正義に近いものでしかない。
少なくとも現状、幸せの量を完全に測ることはできないからね。
観念ってのはそういうもんだよ。三角形と同じ。
だから、違法と悪の間には溝があるんじゃない。
合法=一般的な正義ってのは必ずしもいえないことだよ。
401 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 19:02:35
無神論を前提とすると、相対主義に陥って、正義とは個人の趣向に過ぎないと言う結論に至る。
当時のアテネもそうで、神々の趣向こそが正義なのだと説くソクラテスは異端的存在だった。
プラトンの「国家」では、正義とは何かと議論するソクラテス一行の前で、鬼のような形相で、正義など個人の趣向に過ぎない
もっと言えば、権力者の趣向こそが正義なのだと主張するトラシュコマスなる人物が現れる。
これを反駁していく筋道は忘れたが、最後の結論はこうなのだ。
神々に愛される人間こそが正義の人である。
様々な次元の主観的正義を反駁して、客観的正義の重要性を説いた。
猫の例で言えば、猫を愛することは俺にとって正義かもしれないが、神にとっての不正であれば、その人は神に嫌われ
結果滅ぼされる。彼は客観的には不正な人だったのだということになる。
402 :
363:2006/10/20(金) 19:05:23
powerについても少し言おう。
正義を悪だと無理矢理言わせるためにpowerが使われるんじゃない。
欠陥や間違いのある決め事に対する議論を無期限に延期していくためにpowerが使われる。
これには利点もあるんだがね。
明らかに大多数の意見が間違っている場合、現行の決め事を改定することを阻止できるとも言える。
前者の用途にpowerが用いられた場合、
>>388となるわけだ。
403 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 19:12:48
猫を愛すること(個人的趣向を満足させること)が、人間的なことなのだろうか。
それとも、人間は個人的趣向を超えて「正しいこと」をなすべきだろうか
皆さんはどう思う?
404 :
363:2006/10/20(金) 19:13:34
>>400 だから! 悪法云々ってのはあくまで例示だと!
どうして合法云々の話になるんだ。
現行の一般的な正義の観念に疑念を挟む人間がどれほど増えたところで、
集団の50%や60%のラインを超えた瞬間コロッと変わるのかと。
じゃ、こういう例示でどうだよ。
惑星の定義云々で議論がなされてたよな。
議論の末に一応決まった。まだアメリカは色々言ってるが。
議論の最中や、議論の必要性が訴えられていた時期はどうなんだと。
それ以前の冥王星を含む惑星の定義で一応研究を進めるんじゃないのか?
惑星の定義が議論中で、確定しないから研究は停止しますじゃ話にならんだろうと。
405 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 19:18:36
正義と言うのが客観的な原理ならば、国家が不正であり、テロリストの集団が正義を実現する場合もある。
例えば、かつてのマルキシストなどは、自分たちこそ、正義を実現していると思い込んでいたのだろう。
しかし実際は、国家権力に粉砕される程度のものであった。
一方、国家権力を粉砕したレーニンの革命にはそれなりの義があったのではないかと思われる。
406 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 19:19:55
○かつてのわが国のマルキシスト
同じマルキシズム革命でも、神々が味方する場合もある。
407 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 19:23:58
現行のロマノフ王朝と後に現れるレーニン王朝を比較して、レーニン王朝の有用性を神々が認め
運命がレーニンの革命に味方したのだと思われる。
ヘーゲルはこういった百年に一人の世界史をひっくり返す使命を持った人物を「世界精神」と呼んでいる。
世界精神とは要するに正義の体現者なのだ。
正義は創り主をも動かす ダンテ
408 :
363:2006/10/20(金) 19:25:03
正義の定義の場合、惑星の定義みたいにはならない。
主要なテーマとしてではなく別のテーマを議論する事で、暗黙的に議論される。
農産物の輸入関税の問題を議論するときに、
暗黙的に「フェア(公正さ)」とは何かと議論するようなものだ。
>>401 なんとなくわかるよ。
ある集団にとっての正義とは、その集団の満足度の総和を増加させると思われるものを言い、
ある個人にとっての正義とは、その個人の満足度を増加させると思われるもの(嗜好・信条)を言う。
として、集団にとっての正義を
>>247のように、議論のために分解していくと
最終的には、個人にとっての正義(嗜好・信条)にまで、分解される。
ある人にとって何が幸福かまで分解されるんだ。
その集団の満足度の総和ってには、
その集団を構成する個人の満足度の総和ってことなんだからそれは当然だ。
同じ意味だけど、こういえば、プラトンの考えと一致するのがよくわかる。
ある集団にとっての正義とは、その集団を構成する個人の満足度の総和を増加させると思われるものを言い、
ある個人にとっての正義とは、その個人の満足度を増加させると思われるもの(嗜好・信条)を言う。
権力者の趣向こそが正義だというのは、性格じゃない。
世の中の多くの人は、権力者の嗜好こそが正義と言うというのが性格だ。
それは、世の中の多くの人にとって、「権力者の嗜好が正義と言う事」が、その人の満足度を増加させるからだ。
つまり、長いものには巻かれろ、寄らば大樹の陰ってことだ。
そういう、行動・発言をすることを、潔しとしないつまり自分の満足度を増加させないと思う人は、
権力者の嗜好であっても、それは正義に反すると主張する。
もうわかったろwほっとけよw
411 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 19:28:22
哲学研究の大家でもあったダンテは個人の欲望や趣向が少なくなればなるほど正義が輝くと考えた。
つまり>1の考え方とは正反対なのだ。
412 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 19:38:16
ある集団の正義も個の正義の総轄に過ぎない
正義の名の下に〜
正義の鉄槌〜
これらは、すでに個の主観的考えによるものである
誰でも誰かに対し正義を振るうことが出来る。自己の正当化なのだ
多数集まった、自己の正当化をある程度共有している状態が、「ある集団」
正義は自己の正当化に過ぎない
415 :
363:2006/10/20(金) 19:47:30
>>412 じゃ、「集団における正義」と呼べるほど、その集団に通用する正義の観念が、
どうやって形作られるのか言ってみ。
416 :
363:2006/10/20(金) 19:48:59
>>413 >自己の正当化をある程度共有している状態が、「ある集団」
共有される過程をすっとばすなよ。どうやって共有されるんだ?
417 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 19:55:04
賢い奴はほっとけよ ( ゚Д゚)
そうだな
419 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 20:06:10
佐賀
佐賀
佐賀
佐賀
佐賀
( ゚Д゚ )
420 :
419:2006/10/20(金) 20:06:49
誤爆したw
421 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 20:08:30
伝統哲学やヘーゲル的な序列で言うと
神の正義>国家の正義>個人の正義と言うことに成る。
これに対して、ニーチェなどは神や国家の実在性を疑い、「力への意志」を肯定して、
人間個人の趣向の実現こそが正義だと考えたようである。
>413
そういった各人が主張する正義を一旦疑い、何が正義であろうかとと言う直すのが
哲学的正議論である。
422 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 20:10:17
>>401>>409 なるほどな。でもプラトンは神々の趣向こそが正義と主張した方だぜ。
列挙してみるC
・正義とは、その人の嗜好を意味する
・正義とは、社会の秩序を守ることと、誠実さを意味する
・正義とは、神々の期待に沿った行動を意味する
・理知に基づくものであることが正義であることの一つの条件
・別の概念では定義できない(直観主義みたいに)
・正義とは、(純論理的に矛盾を含んでいない)法を作り、維持し、従うこと (法を守ること)
・裕福より清貧が正義に近いかもしれない
・正義とは、心の琴線に着物を着せたもの
・ある集団にとっての正義とは、その集団の幸福(利益)の総和を増加させる行為を意味する。
・[法]についての正義 = justice その人個人の主義信条へ[従順さ] = righteousness 両者を併せて正義という。
・「行為の結果」だけでなく、「行為の動機」とか「行為者の内面」も 正義の判断に影響する
・ある集団にとって正義とは、その集団の幸福の総和を増加させると思われるもの
・個々の正義は、個々の信念なのである 決まりごとを守るのは正義でもなんでもない(秩序である)。
・正義と呼ばれるものの実態は「権力者の幸福」
・正義とは、社会の幸福を最大化するバランスを擁護すること
・正義とは、多数決
・正義とは法を守ることである。ここで、法とは、法律、主義・信条、掟、その他の、「きまり一般」を指す。
・ある集団にとっての正義とは、その集団の幸福の総和を増加させると思われるものを言い、
ある個人にとっての正義とは、その個人の幸福を増加させると思われるものを言う。
・正義とは、法律の上に居心地のいい理想
・正義とは法(法律ではない)
・悪の反対はもう一つの悪 その間にあるのが正義
・ある集団にとっての正義とは、その集団の満足度の総和を増加させると思われるものを言い、
ある個人にとっての正義とは、その個人の満足度を増加させると思われるものを言う。
・正義は主観的であり、善は客観的である。
・正義とは正義でないものではないもの (正義とは正義)
・正義も自己欺瞞に過ぎない
・正義とは建前
・正義とは虫の知らせとでも言うもの
・個人にとっての正義とは、個人の幸福を最大化すること
国にとっての正義とは、国民の幸福を最大化すること
世界にとっての正義とは、人類の幸福を最大化すること
・正義とは国際社会の評価・常識
・正義とは、自分の嗜好ではなく、それを超えているもの
・神々に喜ばれる行いこそが正義
・神々の趣向こそが正義
・正義など個人の趣向に過ぎない
・正義は創り主をも動かすものだ
425 :
幸福君:2006/10/20(金) 20:24:49
うほ 良い感じだね。
>>409使わせてもらって・・・
ある集団にとっての正義とは、その集団を構成する個人の満足度(嗜好・信条の満足度)の総和を増加させると思われるものを言い、 ある個人にとっての正義とは、その個人の満足度(嗜好信条の満足度)を増加させると思われるものを言う。
これを僕の意見にする。
そして、個人にとって神々に喜ばれると思えるものが、嗜好・信条の一つなんだと思う。
426 :
幸福君:2006/10/20(金) 20:30:34
>>421 僕のはニーチェに近いね。
国家の実在性を否定する訳じゃないけど、
それは、個人によって構成される集団だと思う。
国家は法人と同じように、集団と集団の権利関係を単純化するために、実在を擬制するんだと思う。
427 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 20:37:52
佐賀からきますた
個人の幸福も、さらに欲求に分けることができる。
食欲とか睡眠欲とか社会的欲求とか宗教的欲求とか
神に喜ばれたいというのは宗教的欲求。
430 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 20:44:50
ν速のスレタイ全てに佐賀の文字が入っている件。
431 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 20:45:23
それらはすべて満足度に還元できる。
>>425 食欲を満たす行為は、個人の幸福を増加させるが、その個人の正義とは言わない
433 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 20:49:14
例えば個人にとって昼間から酒食らって「いいとも」見て寝ると言う生活はある意味「個人の趣向を満たす」ものであるかもしれないが
神々が愛する正義だろうか。共同体の論理にも反するだろうし、神々も目を覆う生活態度では在るまいか。
そこに正義は無いと確信する。
プラトンは「神々に似た人を神々は愛する」とソクラテスに言わせているが、どう見ても昼間から2ch三昧で子育てそっちのけで「逝ってよし」とか書き込んでいる主婦などは
「女神アテネー」や「聖母マリア」などとは程遠いと思う。
むしろ神々のほうから「逝ってよし」と判決されるだろう。
434 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 20:51:30
友達いないんで、明日も遊びに来ていいですか?
いいとも!
436 :
幸福君:2006/10/20(金) 20:54:46
>>432 鋭いな。確かにそうだ。定義を変える必要があるな。
>>433 >>432に似てるけど、
反論できるとこがあるのでそこは反論しとく。
僕の定義だと、
例えば個人にとって昼間から酒食らって「いいとも」見て寝ると言う生活は
それが個人の趣向に適ってる場合は、その行為は、その個人にとって正義だ。
しかし、その行為は、通常、他の人々の満足度を下げることで、
集団を構成する個人の満足度の総和が下がるので、集団にとって悪なんだ。
437 :
幸福君:2006/10/20(金) 21:02:22
でも待てよ・・・
ベジタリアンにとって食肉は悪だけど、
そうでない人にとって、通常の方法でする食肉は正義に適ってると言うんじゃないか?
ただ、増加する満足度が小さいから、正義という言葉が大げさに聞こえるだけで
>>437 それは必要悪って普通は言うよね。やっぱり、正義は神とか絶対の倫理のようなものを想定してるんじゃない。
439 :
幸福君:2006/10/20(金) 21:13:30
ある集団にとっての正義とは、その集団を構成する個人の信条的満足度の総和を増加させると思われるものを言い、 ある個人にとっての正義とは、その個人の信条的満足度を増加させると思われるものを言う。
これなら、個人の中に神が存在するのを許容できるんじゃないか?
440 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 21:18:32
ある集団にとっての正義とは、その集団を構成する個人の社会的欲求の満足度の総和を増加させると思われるものを言い、 ある個人にとっての正義とは、その個人の社会的欲求の満足度を増加させると思われるものを言う。
441 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 22:13:06
せいぎ 1 【正義】
(1)正しい道義。人が従うべき正しい道理。
「―を貫く」
(2)他者や人々の権利を尊重することで、各人に権利義務・報奨・制裁などを正当に割り当てること。
アリストテレスによると、名誉や財貨を各人の価値に比例して分配する配分的正義と、
相互交渉において損害額と賠償額などを等しくする矯正的(整調的)正義とに分かれる。
また、国家の内で実現されるべき正義には自然的正義と人為的正義とがあり、
前者が自然法、後者が実定法につながる。
国家権力の確立した社会では、実定法的正義は国家により定められるが、
これは形式化・固定化されやすい。
そこで、各人がその価値に応じた配分を受け、
基本的人権を中心とした諸権利を保障されるべしという社会的正義の要求が、
社会主義思想などによって掲げられることになる。公正。公平。
(3)正しい意味。正しい解釈。経書の注釈書の名に多用された。
「五経―」
442 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 22:22:53
公正や公平が正義であるのも、
自然法や実定法が正義であるのも、
>>440に当てはまるからといえるし、
悪法など、当てはまらない部分は普通、悪であるというから問題ない。
問題は、公正、公平、正しい道理、正しい道義。
はトートロジーを含んでる部分があることだ。
正義とは人が従うべき正しい道理。正しいとは何かという疑問が生まれる。
>>440は、正しいということの意味を説明したものといえるが、
社会的欲求というものの意味が分からない。
443 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 22:36:23
幸福とはそれ自体を目指すものではなく、
何か違う目標に向かっている過程でその状態になる
のだと思うに至ったのです
J・S・ミル 〜自伝〜
444 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 22:41:43
共感する。
445 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 22:45:43
生理欲(食欲、性欲、睡眠欲など)を超えた欲求の満足度を増加させるものが正義。
武器を持って自衛し、己の生理欲の満足度を増加させる行為は、正義ではなく必要悪と言われれる。
446 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 23:55:52
>神々の趣向こそが正義
神とは何かを考えれば、
>ある集団にとっての正義とは、その集団の満足度の総和を増加させると思われるものを言い、
>ある個人にとっての正義とは、その個人の満足度を増加させると思われるものを言う。
これにつながる気がする。
私が正義の味方です。
448 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 01:36:54
肥った豚よりやせたソクラテスである方がよいし、
集団にとっての満足度の増加は個人にとっての不満足の増加
にもつながる。
不満足が増加する個人もまた、その集団を構成する者だから
個人の満足が大幅に減少するのに、他の人の満足度が少ししか増加しないときは、
集団にとっての満足度が減少する。
従って、集団にとって満足度が増加する行為を、その集団の正義として差し支えないんじゃないか?
泥棒を罰する時、泥棒の満足度は減少しているが、他の人の満足度がその分を上回って増加してるから、正義で。
他の人の満足度がその分を上回らないほど、無駄に酷い罰を与えるとそれは正義でなくなる。
このスレってどうして急に人気噴出してきたわけ?
>個人の満足が大幅に減少するのに、他の人の満足度が少ししか増加しないときは、
>集団にとっての満足度が減少する。
意味不明
>泥棒を罰する時、泥棒の満足度は減少しているが、他の人の満足度がその分を上回って増加してるから、正義で。
>他の人の満足度がその分を上回らないほど、無駄に酷い罰を与えるとそれは正義でなくなる。
同じく意味不明
>従って、集団にとって満足度が増加する行為を、その集団の正義として差し支えないんじゃないか?
全然従えない。民主主義の世の中であろうと、少数意見が黙殺されるような
世の中になってはいけない。
これは100年前からわかっている。
比例代表制って知ってるか?
453 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 07:01:06
あげ
>452
だよな。
全体主義に理論的基礎を与えるのが功利主義だが、現在多くの社会で全体主義が人を幸福にするとは考えられていない。
それ以前に、そもそも功利主義がそれ自体、正義かどうかを問うことができる問題だしな。
455 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 08:34:27
456 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 09:05:38
ある共同体において、功利主義によって「死刑制度徹底」は「全体の幸福が減少する」ので「悪」となったとする。
その後、共同体全体へ価値観を共有させる「道徳」において、「人命の価値」を下方修正するような教育を施すとする。
すると「死刑制度撤廃」は「全体の幸福が増加する」ので「正義」となる。
以上の一連の流れにおいて、どのような「教育」が「全体の幸福を増加」させるのかを決定することはできない。
大衆の価値観は「教育」という名の「洗脳」によって培われ、「洗脳」は「権力者」が行なうものである。
即ち、「幸福観=洗脳された価値観=権力者に好都合な正義」となり、功利主義は「権力者の意向」によって決められた「皆が幸福になる状況」を「正義」とし、その本質は結局「権力=正義」に集約されてしまうのだ。
457 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 09:18:54
上記を少し噛み砕くと、死刑制度が死刑により増加する幸福の絶対値aと人数x、死刑により減少する幸福の絶対値bと人数yで、単純に「ax―by」として表され、何らかの手段によってこの式が正になることが分かったとしよう。
このとき「教育」や「事件」によって大衆の価値観が多大な影響を受ければ、a、x、b、yの全要素が変動することになる。
その変動で式の値が負になることが有り得るということだ。
>>452 しかし、いくら比例代表制だって、法律の議決は多数決だぞ。
民主主義が全体主義的要素を持つことは、否定できない。
全体主義においては、社会(共同体)が目的だけど、
民主主義では社会は手段。
>>458 お前は民主主義の要諦も理解してないのか?
決戦投票で「決定」しなければならない事態がどれほどあるというんだ。
大抵の議題は議論の最中におおよそ決定され、議決はしめくくりに過ぎない。
民主主義にとって、致命的なのは議決ができないことじゃない。
議論ができないことだ。少数者も議論の場に立つことが出来るという事が民主主義を保障する。
お前の言ってるのは全体主義。
全体主義が全体主義的なことなど当然。
>>460 >決戦投票で「決定」しなければならない事態がどれほどあるというんだ。
>大抵の議題は議論の最中におおよそ決定され、議決はしめくくりに過ぎない。
そんなことないだろうw
ほとんどの法案も予算案も最終的には多数決で「決定」されるぞ。
全会一致の例なんてほとんどない。特に総理大臣の選出なんて、多数決
以外ではやりようがない。
「民主主義の要諦」って言論の自由と少数意見の尊重だろ。
そんなの当たり前だ。誰も否定していないぞ。
ただし、どんなに議論したって最後は多数決で決定するんだから、
「民主主義が全体主義的要素を持つことは否定できない」と言っている
だけだよ。つまり、「集団全体の満足度の増加」が優先される面があることは
否定できない、ということで、ある意味当たり前だ。そんなに怒るようなことか。
ちなみに「個人主義」とか「自由主義」というのは本来民主主義とは
別の思想であって、両者を組み合わせてバランスを取ると自由民主主義になるし、
自由主義を否定して民主主義だけを強調すると、それこそ社会主義国の
ようになる。
>>461 俺のようなバカには理解できない
まで読んだ。
463 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 11:23:52
>>461 まさにそれが民主主義の問題点なんだよ。
すなわち大多数の者による少数の者への圧制が
民主主義の中にもあるという問題点だよ。
もうそろそろ飲み込んでくれるかな?
>>463 「飲み込んでくれるかな」って、俺は最初からそう言っているのだがw
「もうそろそろ」って、俺は
>>458が初めてだぞ。
>>464 そうだったのか、悪いな。
では改めて、
>俺は最初からそう言っているのだがw
は
>ちなみに「個人主義」とか「自由主義」というのは本来民主主義とは
>別の思想であって、両者を組み合わせてバランスを取ると自由民主主義になるし、
>自由主義を否定して民主主義だけを強調すると、それこそ社会主義国の
>ようになる。
の事を言ってるんだろうけど、明らかにそう言えてないのはわかるかな?
>>465 悪いけど全然意味わからん。
「明らかにそう言えてない」って、引用部分が「大多数の者による
少数の者への圧制という問題点が民主主義の中にもある」と矛盾する、
という意味か? まさにそういう問題点があるから自由主義という
別の原理とバランスを取ることがある、という意味なんだが。
469 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 11:52:39
少数者保護と功利主義について・・・(
>>126参考)
マイノリティーが過剰に犠牲になるなんて、
中途半端な功利主義なんだよ。(功利計算が不完全)
マイノリティーが犠牲になる事は、
(可哀想だと思ったり、明日は我が身だと思ったりして)マジョリティーの幸福を減少させるだろう。
また、マイノリティーも全体を構成する一部である以上、
マイノリティーの犠牲に見合った、マジョリティーの幸福を増加がない場合は、全体の幸福が減少する。
全体として、幸福が最大化する選択ってのは、当然ある程度の公平さを含むんだよ。
なぜ、マイノリティーが犠牲になるのが社会にとって悪かと問えば、
それが、社会の幸福を減少させるからだろう?
マイノリティーが犠牲になっても、マイノリティーを含めた社会全体の幸福の総和が増加するなら、
それは、正義だ。
だから、死刑という制度が正義であり得るし、ロリコンの幸福を犠牲にすることが正義であり得る。
差別と画一の間の平衡である公正もまた、社会の幸福の総和の最大化の観点から、要請される。
少数意見の尊重は、マイノリティーの幸福増加の為で、かつ、全体の幸福増加の為に行うものだ。
マイノリティーの幸福増加を図ったからと言って、全体の幸福が減少するとは限らない。
みずほの意見を国会で述べさせることは、全体の幸福増加に資すると、
民主主義の信条を持つ人は考えている。
結論を先取りして、それに計量方を合わせてるだけじゃん。
471 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 12:28:26
>>470 あなたが正義だと思うことの一つあげてみて
>>456 >>457 それは、「何が個人の社会的欲求になるか」は権力によって決まることが多いと言う鋭い指摘だが、
もし、正義の意味に対する反論として言ってるなら、それは反論になっていない。
ある集団にとっての正義とは、その集団を構成する個人の社会的欲求の満足度の総和を増加させると思われるものを言い、 ある個人にとっての正義とは、その個人の欲求の満足度を増加させると思われるものを言う。
これと、あなたの指摘は整合する。
実質的に教育によって、
「何が満足度を増加させるか(=何が正義か)」が、決まるというのは、鋭い。
だから、現代日本で、政治的思想の教育を行うことは、危険だとされている。
しかし、追い詰められたギリギリの状況で、軍国少年を育てることは、
国が失われれば大きな満足度の減少があることを踏まえれば、日本人にとっての正義であったかもしれない。
軍国少年を育てるような教育は悪だとは、前提を考えないと単純には言えないことを、
功利主義は示す。だから、功利計算は全体主義の理論的支柱のように見えるかもしれない。
が、しかし、現代日本のような状況で、軍国少年を育てるような教育が悪だと言える根拠も、
功利計算から導かれるものだ。
神を想定するなら、民主主義は神の嗜好であるから正義であると言うことができるかもしれない。
しかし、神を想定しない限り、前提なく、民主主義は正義で、全体主義が悪だと言うことはできない。
正義に守られている者、社会に守られている者、
世間様に食わせてもらっている者、スネかじり、
そういう者ほどそれらを叩きたがる。
民主主義の中にある全体主義的要素のバランス
即ち、少数者をどれだけ保護するべきかのバランスを決めるのは何だ?
>471
例えば法の遵守だね。
それは功利主義によって正当化される、と言うかもしれない。
でも功利主義を正当化する論拠はないんだよ。
ということはつまり、正義とは無条件に是とされていることと言えるだけのものに過ぎないことになる。
数学における公理みたいなものだな。
476 :
465:2006/10/21(土) 12:54:10
>>467 わるい。寝ぼけてた。確かに自由主義、個人主義と民主主義の
バランスをとる必要があるな。
同意。
>>475 日本では、法の遵守はほとんどの場合正義だけど、
世の中には違法であっても、正義と呼ばれるものがあるよね。
だから、あなたの予想通り「功利主義によって正当化される」と言うんだけど、
あなたの言うこともわからないでもない。
それは、正義とは神の嗜好に従った行いだと言うこと以上言えないってのと近いと思う。
だけど、上で言ったとおり、無条件に是とされているものの例として法の遵守は適さないと思うから、
違うものを挙げてくれ。
俺はそれに対して、屁理屈のような反論をする。
その結果、残ったものが、無条件に是とされているものだと思う。
それが何になるか。俺は興味がある。
>>474 伝統をいわば統計学的手法による結論として尊重する功利計算
479 :
465:2006/10/21(土) 13:02:16
>>475 でも法の遵守を、正義とは無条件に是とされていることと言えるだけのものに過ぎないことになる。
数学における公理みたいなもの、のような先験的なものだとすると、
たとえば、生活保護の廃止、や国民年金の廃止を法で規定すると
無条件に従うことが正義だという論理になるよね?
480 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 13:08:35
>>472 結局「功利主義」とは「権力者」が好都合に設定した「正義」を賛同する結果論だ。
例えば国が石油のために戦い、民が自由のために戦った例の「聖戦」とやらは、「功利主義」がその「正義」を保証してしまう。
そういった「本質」を理解した上で君が「功利主義」を殊更に唱えているのであれば、特に何も言うことはない。
死ぬまでやってれば良い。
>>480 えーと、、、せめて功利主義論と自由論ぐらい読んでそういってるんだよね?
482 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 13:16:27
>>480 もちろん、功利主義は全体主義も正義にしうると認識してるし、
実際、全体主義が正義であり得る場面もあると思っている。
殊更に、唱えているつもりはないが・・・
>>482 ようするにカール・ポパー的な批判的合理主義がベストだって事?
それならまたまた同意。
>>482 感覚である幸福は外部から測れないので、そんな定義には意味がない。
その定義で、死刑は正義かどうか分かるのか?
この種の問いは、〈遊び〉を知らないってことだね。
487 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 13:46:52
>>481 議論のショートカットを計る場合以外、何を読んでるかなど主張の蓋然性に無関係なことぐらいはせめて理解しろ。
>>487 功利主義は全体主義に必ず結びつく
民主主義は功利主義とは関係ない。
こういう感覚で喋ってるように見えるので、
功利主義を理解してないと叩かれても仕方ないと思う。
489 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 13:56:27
>>450 67と72のおかげ
490 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 15:01:00
491 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 15:04:22
492 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 15:10:50
個人の非社会的欲求を満たす行為は、個人にとっての正義でないが、
集団の非社会的欲求を満たす行為は、個人にとっての正義だ。
社会的欲求とは、集団の非社会的欲求を満たしたいという欲求だ。
493 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 15:12:05
>>487 おし、じゃあ率直に言いたかった内容を伝えると、
ベンサムが考え、JSミルが改良し、上梓した功利主義というのは
別に自分で判断することのできない子どもや、
未開の文明に向けてのものではなく、
ただ利己的な争いを続けるような者達の間でなら、
絶対王政や君主制といった、専制、僭主政治が相応しいといってるんだよ。
さらに立憲君主制による、少数の意見の排除の問題にも注目していた。
功利主義というのは他人の幸福をも自己の幸福に置き換えられる様な
ある意味社会主義的、もしくはそれと同等の倫理観を民主主義の中で人々が持つ事を求める
難しいイデオロギーなんだよ。
よく功利主義という文字だけ見て判断してしまう人がいるけどね。
で、少し長くなるから、ショートカットを計ったんだけど。。。
>>492 まったく同意できない。
494 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 15:34:46
欲求には、社会的欲求と、食欲などの非社会的欲求がある。
個人の非社会的欲求を満たす行為は、個体にとっての正義ではないが、
その個体を除く「集団を構成する個体」の非社会的欲求を満たす行為は、個体にとっての正義だ。
ある集団にとっての正義とは、「「その集団を構成する個体の欲求」の満足度」の総和を増加させると思われるものを言い、
個体にとっての正義とは、「その個体の社会的欲求」の満足度を増加させると思われるものを言う。
社会的欲求とは、「自己を除く「集団を構成する個体」の「欲求の満足度」」の総和を増加させたいという欲求だ。
つなげると・・・
ある集団にとっての正義とは、「「その集団を構成する個体の欲求」の満足度」の総和を増加させると思われるものを言い、
個体にとっての正義とは、「その個体の「「自己を除く「集団を構成する個体」の「欲求の満足度」」の総和を増加させたいという欲求」」の満足度を増加させると思われるものを言う。
>>494 ン〜難しい。そんな気もするし、言語矛盾を発生させている
ような気もするし。。。
わかりましぇん。
496 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 15:43:55
>>493 私は、あんたが
>>487に言ったことに同意できる。
自分の意見(
>>492)の具体例を挙げよう。まず
>>492。
私の食欲(非社会的欲求)を満たすのは、私にとっての正義ではないが、
アフリカ人の食欲を満たしたいという欲求(非社会的欲求)を満たすのは、私にとっての正義だ。
497 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 15:45:59
>>495 トートロジーがないことを確認するために、自分がやった事ながら、つなげる必要はなかったと思う。
却ってわかりにくい。
ある集団にとっての正義とは、「「その集団を構成する個体の欲求」の満足度」の総和を増加させると思われるものを言い、
個体にとっての正義とは、「その個体の社会的欲求」の満足度を増加させると思われるものを言う。
社会的欲求とは、「自己を除く「集団を構成する個体」の「欲求の満足度」」の総和を増加させたいという欲求を言う。
これでどうだろうか?
498 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 16:18:04
自己の食欲を満たしたいと言う欲求は非社会的欲求だが、
自己を除く日本人の食欲を満たしたいという欲求は社会的欲求だ。
国益は、日本という集団にとっての正義で、
人類益は、人類という集団にとっての正義だ。
日本という個体の国益を犠牲にして人類益を図る行為を日本という個体が正義と言ったとき、
その正義は、日本という個体の掲げる人類にとっての正義だ。
日本を集団と見る場面か、個体と見るか場面かで、「日本にとっての正義」の意味が変わる。
@日本が集団である場面(国内政治)では
日本にとっての正義とは、日本人の欲求(※非社会的欲求)の満足度を増加させると思われるものを言う。
A日本が個体である場面(国として発言する場面)では
日本にとっての正義とは、日本の社会的欲求を増加させると思われるものを言う。
日本が掲げる、世界にとっての正義は、世界を構成する個体の欲求(※非社会的欲求を含む)の満足度の総和を増加させると思われるものを言う。
「〜にとっての正義」と「〜が掲げる正義」は意味が違う。
個人は常に個体だが、国や法人やクラスは個体でもあり集団でもある。
国が掲げると言ったときの国は個体だ。
「〜は正義」と訊いたとき、意味を明確にするには、
その正義は、「誰の掲げる、何にとっての正義なのか」を考える必要がある。
500 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 16:34:22
>>493 まあなんか知識の羅列でよく分からんが、功利主義が結局は「権力者の正義」を反復しているに過ぎないという主張へどう反論できているんだ?
>>500 わかりやすいように正確さを犠牲にして言うと
功利主義の立場に立てば、当然、
現状、幸福量の正確な測定はできないので、
功利計算の結果、先の大戦を正義だという人もいれば、悪だという人も出てくる。
それは、何を幸福とするかは、ある程度教育によってコントロールできるから、
正義は権力によって決まることが多いというのは、わかるが、
正義は権力によって決まるというのは正確じゃない。
はっきり言って、正義の性質を語るのと、正義の意味を語るのは別の話だ。
502 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 16:50:14
>>501 正義が権力ではないものによって決まる少ないパターンとやらについてkwsk
性質を語るのと意味を語るのとの違いについてもkwsk
>>502 反権力と呼ばれる人々にとっての正義(信条)
平行四辺形の定義(意味)と性質は別。
正義は必ず権力によって決まると言えない限りは、
「権力によって決められる」というのは、「正義」の性質ですらない。
それは「正義」に見られる傾向。
あと、権力という多義語を使うなら、まず、その意味を明らかにしてもらわないと、話はかみ合わない。
権力という言葉を一般的でない意味で使うつもりがあるならなおさらね。
505 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 17:11:24
だれも功利主義的思考方法への有効な反駁ができないことまではわかった。
506 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 17:14:57
>>503 反権力と呼ばれる者はその共同体内で「権力=正義」の構造ができあがっているだけだろ。
誰も全ての共同体で画一的な教育(洗脳)が行われているとは言っていない。
平行四辺形の意味を述べよ。そして性質を述べよ。
507 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 17:16:32
>>505 功利主義は結果論だから矛盾はしないよ。矛盾しないものの矛盾点を探すのは無理。
書き込めなくなってた。悪い。
>>497 かなり納得できるけど、
最後の「自己を除く」ってのが少し納得できない。
自己の欲求も集団の満足度の総和を増加させるように
止揚(という言葉を使っていいのか迷うけど)させるように
持っていってあげないと、少し実用的ではない気がするよ。
かといって、
逆に自己の幸福と他の利益を同じ方向にもっていってしまっても
これまた、少数派の弾圧に繋がりかねなく、危うい思想、
おかしな正義を振りかざす事態になる恐れもあるしね。
だから、自分は功利主義も社会主義と同様、少し理想的すぎる
と考えてるんだよ。で、批判的合理主義に最近転向した。
「人間の造りだすものにはすべて根本的に欠陥があり、
今持っている考えも間違っているかもしれない。
でも、だからこそ、その考えは批判を受け改善される。」
っていう考え方。
また書き込めなくなってた。
>>500 480でいってる権力者とは国家権力を指している。
だから功利主義はそういう独裁的な国家権力の正義を批判していて、
その権力は民衆のものであり、さらに少数派の権利も
最大限守るべきだと述べてるんだよ。
個々人は他人を害さない限り自由だってね。
功利主義が結局は「権力者の正義」を反復しているってのは
認めるけど、権力者が誰なのかで話は全然違う。
だから480で理解できてないから読んだことあるか?って聞いたんだよ。
あと自分は力(権利、権力)に正義は附随するって考え方には賛成だよ。
ただ、それが後々に不正という言葉に変わることが往々にしてあるのも
理解していないといけない。
510 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 17:44:21
てことで、「正義は自分の嗜好に過ぎない」でFA?
>>506 マルクスは共産主義を人類の正義として掲げた。
このとき、この正義は、権力によって決まったと言えないでしょ。
>>508 功利主義と保守主義は矛盾しない。
>>54>>174 でも、「自己を除く」ってのに引っかかるのは何となく納得できるから説明する。
>>509 それは、人類にとっての正義とは何かを考えてる態度を含んでるよね。
正義の意味を考えている態度じゃないと思うんだ。
正義は個人の嗜好である部分もあると思うよ。
個人にとっての正義は、個人の嗜好に近いものがある。
(けれども、食欲を満たす行為は、個人の正義とは言わないから正確じゃないけど・・・)
しかし、集団にとっての正義という言い方がある。
その時の正義を個人の嗜好だと言うことはできない。
「私は、世界の貧困を解決することが正義だと思う。」
と言ったとき、「私は、世界の貧困を解決することが(私)個人の嗜好である」と言いたかったのではない。
513 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 17:59:25
>>511 ここで批判されてる正義とは功利主義という意味を与えられたものだろう。
514 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 18:11:47
>>459 正義としての全体主義の目的は、集団を構成する個人の幸福の総和の最大化
正義としての民主主義の目的は、集団を構成する個人の幸福の総和の最大化
全体主義も民主主義も、正義(集団を構成する個人の幸福の総和の最大化)を達成する手段であって、
それ自体に価値があるものではない。
状況においては、民主主義を推進するよりも全体主義を推進する方が正義になることがある。
民主主義が常に正義であると考えがちな日本人はちょっとあほ。
だから、社会が発展途上のイラクには、フセインの全体主義の方が、
民衆を幸せにできるのでは無かろうかという検討を為すことができなかったりする。
515 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 18:14:12
>>513 伝わらないようだから、補足する。
マルクスは共産主義を人類の正義(人類の欲求の満足度の総和を増加させるもの)として掲げた。
このとき、この正義は、権力によって決まったと言えないでしょ
516 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 18:16:57
>>509 まあなんかよくわからんが、権力者が誰なのかで「何の」話が違うんだ?
正義が後で不正となるのは別に否定してない。
>>461 >ちなみに「個人主義」とか「自由主義」というのは本来民主主義とは
>別の思想であって、両者を組み合わせてバランスを取ると自由民主主義になるし、
>自由主義を否定して民主主義だけを強調すると、それこそ社会主義国のようになる。
なるほどね。
俺は、その両者のバランスを考えることが、功利計算だと思うんだよね。
あるべきバランスは、社会の幸福の総和を最大化する点だと思うから。
519 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 18:20:11
>>519 >>515は
>>456に対する反論なんだけどな。
権力=正義とは言えない。
権力が正義になりがちとは言えるだろう。
世の中で使われている正義の意味は、
ある集団にとっての正義とは、その集団を構成する個人の社会的欲求の満足度の総和を増加させると思われるものを言い、 ある個人にとっての正義とは、その個人の社会的欲求の満足度を増加させると思われるものを言う。
だよ。ってのが俺の主張。
気に入らないなら、気に入らないなら俺みたいに、反例を挙げればいい。
522 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 18:33:00
>>512 うーん。俺は
「私は、世界の貧困を解決することが正義だと思う。」
と言ったとき、「私は、世界の貧困を解決することが(私)個人の嗜好である」
と言ってもいいと思うんだけどなあ。
>>515 でもマルクスはその正義を実行する時に革命という力を行使して
正義(権力)の移動をする必要があるといわなかったっけ?
>>561 あーまー、もうやめましょうw
523 :
522:2006/10/21(土) 18:35:20
524 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 18:41:48
列挙してみるD 独断でまとめる。
・別の概念では定義できない(直観主義みたいに)
・正義とは正義でないものではないもの (正義とは正義)
・正義とは、その人の嗜好を意味する
・正義とは、心の琴線に着物を着せたもの
・個々の正義は、個々の信念なのである 決まりごとを守るのは正義でもなんでもない(秩序である)。
・正義など個人の趣向に過ぎない
・正義とは、神々の期待に沿った行動を意味する
・正義とは、自分の嗜好ではなく、それを超えているもの
・神々に喜ばれる行いこそが正義
・神々の趣向こそが正義
・正義とは虫の知らせとでも言うもの
・正義とは無条件に是とされていることと言えるだけのものに過ぎない
・正義とは建前
・正義も自己欺瞞に過ぎない
・正義とは、法律の上に居心地のいい理想
・正義とは、多数決
・正義とは国際社会の評価・常識
・正義とは法(法律ではない)
・正義とは法を守ることである。ここで、法とは、法律、主義・信条、掟、その他の、「きまり一般」を指す。
・[法]についての正義 = justice その人個人の主義信条へ[従順さ] = righteousness 両者を併せて正義という。
・正義とは、社会の秩序を守ることと、誠実さを意味する
・ある集団にとって正義とは、その集団の幸福の総和を増加させると思われるもの
・正義とは、社会の幸福を最大化するバランスを擁護すること
・ある集団にとっての正義とは、その集団の幸福の総和を増加させると思われるものを言い、
ある個人にとっての正義とは、その個人の幸福を増加させると思われるものを言う。
・個人にとっての正義とは、個人の幸福を最大化すること
国にとっての正義とは、国民の幸福を最大化すること
世界にとっての正義とは、人類の幸福を最大化すること
・ある集団にとっての正義とは、その集団を構成する個人の満足度(嗜好・信条の満足度)の総和を増加させると思われるものを言い、 ある個人にとっての正義とは、その個人の満足度(嗜好信条の満足度)を増加させると思われるものを言う。
・ある集団にとっての正義とは、その集団を構成する個人の信条的満足度の総和を増加させると思われるものを言い、 ある個人にとっての正義とは、その個人の信条的満足度を増加させると思われるものを言う。
・ある集団にとっての正義とは、その集団を構成する個人の社会的欲求の満足度の総和を増加させると思われるものを言い、 ある個人にとっての正義とは、その個人の社会的欲求の満足度を増加させると思われるものを言う。
・ある集団にとっての正義とは、「「その集団を構成する個体の欲求」の満足度」の総和を増加させると思われるものを言い、
個体にとっての正義とは、「その個体の社会的欲求」の満足度を増加させると思われるものを言う。
社会的欲求とは、「自己を除く「集団を構成する個体」の「欲求の満足度」」の総和を増加させたいという欲求を言う。
性質
・理知に基づくものであることが正義であることの一つの条件
・「行為の結果」だけでなく、「行為の動機」とか「行為者の内面」も 正義の判断に影響する
・悪の反対はもう一つの悪 その間にあるのが正義
・正義は主観的であり、善は客観的である。
・正義は創り主をも動かすものだ
傾向等
・裕福より清貧が正義に近いかもしれない
・正義と呼ばれるものの実態は「権力者の幸福」
・正義は権力によって決まる
辞書
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?kind=jn&mode=0&MT=%C0%B5%B5%C1 >>442
527 :
522:2006/10/21(土) 18:49:20
自分の「正義」への見解は「多分に恣意的なもの」だな。
>>527 正義は常に恣意的か?
恣意的であれば常に正義か?
これに答えてくれたら、次まとめるときに分類して載せとくよ。
529 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 18:56:10
>>522 いいよ。
>>521 正義の本質は権力になりがちだが反例があり、世で語られる正義は満足増加と主張してるんだな。
その反例(正義=欲求増加)にある「欲求」が洗脳された価値観に支えられていると俺は言ってるんだが。
530 :
522:2006/10/21(土) 19:00:44
>>528 いや、その辺見極めるのが難しいよ。
正義は常に恣意的か?と聞かれればそうではない部分もあるし、
(そう思う理由は人間は同類が傷付くのを嫌う人間性を持った生き物だというのを
どかで見た覚えがあるから)
恣意的であれば常に正義か?と聞かれると恣意的な正義ほど不確かなものはない。
と答えるよ。
ま、人間は神じゃないんだからいつでも間違いはあり得る。
だから人間の考える正義は「多分に」恣意的なんだと思うよ。
531 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 19:12:10
>525
辞書
(1)正しい道義。人が従うべき正しい道理。
「―を貫く」
つまり・正義とは正しい道義を貫くこと、
もしくわ・人が従うべき正しい道理を貫くこと、
正しい道義と正しい道理が理解できるか?が問題だけど一番、分かりやすいね。
>>530 >正義は常に、恣意的か?と聞かれればそうではない部分もあるし
それなら、
「恣意的であれば常に正義か?」への答えは必然的にNOだ。
従って、傾向として分類する。
まあ、「多分に」がついてる時点で、定義でも性質でもなく、傾向なわけだけど・・・
>>508 >社会的欲求とは、「自己を除く「集団を構成する個体」の「欲求の満足度」」の総和を増加させたいという欲求だ。
「自己を除く」これが、
社会的欲求を満たすためには常に自己犠牲を強いられるように感じさせるからひかかったんだとおもうんだ。
しかし、これは、社会的欲求を満たすためには必ず何らかの自己犠牲を必要とすると言ってるわけではないんだ。
ある人には、
映画が大好きで映画を作りたいという非社会的欲求
と、他人を幸せにできる映画を作りたいという社会的欲求があったとしよう。
この人が他人を幸せにできる映画を創る行為は、彼の非社会的欲求と社会的欲求を同時に満たす。
従って、この行為は、彼にとっての正義である。
従って、個体にとっての正義であるためには、個体に何らか自己犠牲がなければならないと言ってるわけじゃない。
ただ、非社会的欲求と社会的欲求はそう反することが多いから、
個体にとっての正義は自己犠牲(自分の非社会的欲求の満足を減少させる)の精神が伴うことは多くなる。
534 :
522:2006/10/21(土) 19:23:15
>>532 うん。それでおk
>>533 あーなるほど。
今理解できたよ。
それなら納得できるよ。
自分の考える功利主義と全く同じだよそれ。
では自分はこの辺で。今日はなぜかいい会話ができてビクーリですたw
>>497 マズローの五段階説で分けると
非社会的欲求は、生理的欲求,安全の欲求,
社会的欲求は、親和の欲求,自我の欲求,自己実現の欲求
に為るのか?
537 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 21:16:47
>>536 社会的欲求はもっと狭い。
社会的欲求は自我の欲求の一つである他者愛で、
(他者の欲求を満たすことを手段として)社会的地位を獲得したいというような欲求は含まない。
社会的欲求とは、「他者の欲求」の満足度を増加させたい欲求を言う。
これでいい。
少しスッキリした。
538 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 21:20:31
書き直そう。
ある集団にとっての正義とは、「「その集団を構成する個体の欲求」の満足度」の総和を増加させると思われるものを言い、
個体にとっての正義とは、「その個体の他者愛」の満足度を増加させると思われるものを言う。
他者愛とは、「他者の欲求」の満足度を増加させたい欲求を言う。
539 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 21:27:51
欲求 満足度 総和 増加 思われる
まあ、それだけやりゃあ何もかも吸収できてしまうわなwwww
540 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 21:32:55
>>538ひとつ聞きたいんだけどさ、その定義って「構造」に関するもののつもり?「原理」に関するもののつもり?
思われるものの主語は、掲げるものだから・・・
ある個体aが掲げる、ある集団xにとっての正義とは、「「その集団xを構成する個体の欲求」の満足度」の総和を増加させるとその個体aが思うものを言い、
ある個体aが掲げる、個体bにとっての正義とは、「その個体bの他者愛」の満足度を増加させるとその個体aが思うものを言う。
短くして、
ある個体aが思う「ある集団xにとっての正義」とは、「「xを構成する個体の欲求」の満足度」の総和を増加させるとaが思うものを言う。
ある個体aが思う「ある個体bにとっての正義」とは、「bの他者愛」の満足度を増加させるとaが思うものを言う。
これは、
「ある集団xにとっての正義」とある個体aが思うものとは、「「xを構成する個体の欲求」の満足度」の総和を増加させるとaが思うものを言う。
「ある個体bにとっての正義」とある個体aが思うものとは、「bの他者愛」の満足度を増加させるとaが思うものを言う。
だから、結局
「ある集団xにとっての正義」とは、「「xを構成する個体の欲求」の満足度」の総和を増加させるものを言う。
「ある個体bにとっての正義」とは、「bの他者愛」の満足度を増加させるものを言う。
他者愛とは、「他者の欲求」の満足度を増加させたい欲求を言う。
これで良い。
「日本に学校を作ることは、(日本という集団にとっての)正義である」
「日本に学校を作ることは、日本人の満足度の総和を増加させる」
「途上国に学校を作るのは、(日本という個体にとっての)正義である」
「途上国に学校を作ることは、日本の、「「途上国の欲求」の満足度を増加させたい欲求」の満足度を増加させる」
すばらしい。情報の欠落がない。
543 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 22:25:33
でもさ、途上国の欲求って言い方はおかしいよな?
欲求は生物が持つものだぞ。
544 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 22:28:24
つーか、
>日本に学校を作ることは、(日本という集団にとっての)正義である
この日本語ヘン。
この場合、日本に学校を作ることは正義に適った行為である って言う。
545 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 22:33:43
正義という決まり事みたいなもんがあってそれに適っているという使い方をする。
541は善の意味だろ
辞書でも正義は従うべき道理となってる。
>>543 確かに
>>545 それでは
「ある集団xにとっての善」とは、「「xを構成する個体の欲求」の満足度」の総和を増加させるものを言う。
「ある個体bにとっての善」とは、「bの他者愛」の満足度を増加させるものを言う。
他者愛とは、「他者の欲求」の満足度を増加させたい欲求を言う。
正義とは、善である理論を言う。
これでどうだろう?
理論?
じゃあ、行為は正義じゃないんだな。
ある行為をさして言ったとき、良いも正しいも善い美しいも同じ意味。ただいいってこと。
「学校を作ることは正義である」
「学校を作ることは正義に適っている」
どちらが日本語だ? 俺は両方使うけど・・・
550 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 22:59:38
もうメチャクチャだな・・・・
「ある集団xにとっての正義」とは、「「xを構成する個体の欲求」の満足度」の総和を増加させる理論又はその理論に適う行為
「ある個体bにとっての正義」とは、「bの他者愛」の満足度を増加させる理論又はその理論に適う行為
他者愛とは、「他者の欲求」の満足度を増加させたい欲求を言う。
とりあえず、これでどうだろう? 理論って言葉がどうもスッキリしないけど
で、「bの他者愛」じゃなくて、bを構成する生物の他者愛の総和・・・じゃおかしいな・・・
552 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 23:03:56
土曜はアホがよく集まってるな
>>543 個体としての国なら欲求があって良いじゃん。
国を個体としてみるって事は、もともと擬人化してる。
554 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 23:07:55
人じゃないぜ大怪獣だぜ
555 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 23:11:58
>>551
いい
大義なら理論に限定されるだよ
556 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 23:15:20
>>553 そうだな。集団としてみたとき国や法人は個体から構成されているものだが、
個体として見たときは国や法人は意志を持ってる。
だから、集団は個体の集合と書けば良いんだ。
557 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 23:17:11
あーあ、せっかく俺がひさびさにレベルを上げたのに、
もうこんな状態・・・
558 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 23:21:08
559 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 23:21:44
>>557 誰?w
560 :
ソロスファンド ◆sZMOg20d0E :2006/10/21(土) 23:24:18
俺俺w m9(−−)
561 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 23:25:03
562 :
考える名無しさん:2006/10/21(土) 23:26:12
>>548 行為を指すという場合に限定して、評価的単語(?)を眺めるのか、おもしろいな
募金することは、良い、うつくしい、好い、きれい、うまい、いえす
全部同じ意味かもしれんな。
563 :
ソロスファンド ◆sZMOg20d0E :2006/10/21(土) 23:34:30
>>562 確かにおもしろいね
まとめとく
ある集団xにとっての正義とは、「「xを構成する個体の欲求」の満足度」の総和を増加させる理論又はその理論に適う行為
ある個体bにとっての正義とは、「bの他者愛」の満足度を増加させる理論又はその理論に適う行為
集団とは、個体の集り
他者愛とは、「「他の個体」の欲求」の満足度を増加させたい欲求
理論って言うのがねもうちょっと・・・
>>564 つ体系
一定の原理に基づいて構成され、内的整合性をもっている科学的あるいは哲学的命題の集合。
>>564 他者愛という高次の欲求は教育
その内容が教育で決まることが多い。
だから、個体にとっての正義は、教育でほとんど決まる。
そのほかの欲求も高次のものは教育で決まることが多い。
だから、集団にとっての正義にも教育は大きな影響を及ぼす。
567 :
幸福君:2006/10/22(日) 00:32:32
568 :
考える名無しさん:2006/10/22(日) 01:24:06
>>564 観念。
募金に価値があるというのも、個人の信条という観念であるし
民主主義も資本主義も社会主義もイデオロギー(観念体系)という観念の一つである。
>>568 だから何なの?
超越論でなくて何が価値を定めることができるのかよ〜く考えてみたまえ。
570 :
考える名無しさん:2006/10/22(日) 01:33:18
集団とは個体の集合である個体
個体とは一つの主体
集団とは一つの主体が集まって作られた一つの主体
571 :
考える名無しさん:2006/10/22(日) 01:36:28
集団とは一つの意識が集まって作られた一つの意識
572 :
考える名無しさん:2006/10/22(日) 01:48:02
>>564 欲求が満たされずとも、満たされると思っただけで、快感を感じる。
従って欲求よりも快感を使うべき
573 :
考える名無しさん:2006/10/22(日) 02:10:39
快感は、報酬系の活性度。
さらに、一次的に快感を感じさせても、そのあと不快にさせてはだめだから、
時間を考慮して、
活性度×時間、すなわち、活性量
ある集団xにとっての正義とは、「xを構成する「個体の報酬系」の活性量」の総和を増加させる理論又はその理論に適う行為
ある個体bにとっての正義とは、bの他者愛を満足させることによって「報酬系の活性量」を増加させる理論又はその理論に適う行為
集団とは、個体が集合して作られた個体
他者愛とは、「「他の個体」の報酬系」の活性量を増加させたい欲求
報酬系の活性量とは、報酬系の活性度×時間
個体は神経系
集団は、神経系が、集まって作る、神経系
ある集団xにとっての正義とは、「「xを構成する神経系に属する報酬系」の活性量」の総和を増加させる理論又はその理論に適う行為
ある神経系bにとっての正義とは、bの他者愛を満足させることによって「報酬系の活性量」を増加させる理論又はその理論に適う行為
他者愛とは、「「他の神経系」に属する報酬系」の活性量を増加させたい欲求
報酬系の活性量とは、報酬系の活性度×時間
ここでの神経系には疑似神経系とでもいえるものが含まれる。
集団とは、神経系の集合
神経系の集合は、神経系でもある。
ある「神経系の集合」xにとっての正義とは、「「xを構成する神経系に属する報酬系」の活性量」の総和を増加させる理論又はその理論に適う行為
ある神経系bにとっての正義とは、bの他者愛を満足させることによって「報酬系の活性量」を増加させる理論又はその理論に適う行為
他者愛とは、「「他の神経系」に属する報酬系」の活性量を増加させたい欲求
報酬系の活性量とは、報酬系の活性度×時間
576 :
考える名無しさん:2006/10/22(日) 05:43:02
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スレを伸ばすことが「正義は自分の嗜好に過ぎない」ということの証明となる
集団とは個体の集合
個体とは、一つの繋がった神経系、もしくはそれに見立てたもの
ある集団xにとっての正義とは、「「「xに属する個体」に属する報酬系」の活性量」の総和を増加させる理論又はその理論に適う行為
ある個体bにとっての正義とは、bの他者愛を満足させることによって「報酬系の活性量」を増加させる理論又はその理論に適う行為
他者愛とは、「「他の神経系」に属する報酬系」の活性量を増加させたい欲求
報酬系の活性量とは、ある時間の間に報酬系がどれだけ活性化したか報酬系の活性度×時間
※
集団∋個体∋神経系∋報酬系
報酬系の活性化方法は、@欲求を満たすことによる、A将来、欲求が満たされると予期させること、B薬物による
欲求とは満たされたときに報酬系が活性化する感覚
>>572 見落としていたポイント
>>573 「快感の量」で書き直し
ある猿の行為を正義と言ったとき、それは人に見立てて言っているのか
猿は猿のままで正義があるのか
理論じゃなくて思考
行為じゃなくて結論(思考と活動)
「民主主義(治者と被治者の自同性に価値があるという思考)は、独裁者を作らないことに価値があるという正義に適う」
民主主義は行動ではない。
民主主義は思考であり、独裁者を作らないことに価値があるというのも思考。
ある集団xにとっての正義とは、「「xに属する個体」の快感」の量の総和を増加させる「思考又は活動」を得ようとする思考
又は、その思考によって得られる「思考又は活動」
ある個体bにとっての正義とは、「bの他者愛を満たす方法で得る「bの快感」の量」を増加させる「思考又は活動」を得ようとする思考
又は、その思考によって得られる「思考又は活動」
ここで・・・
集団とは、個体の集合
個体とは、一つの繋がった神経系、もしくはそれに見立てたもの
他者愛とは、「「他の神経系」に属する報酬系」の活性量を増加させたい欲求
ある個体の快感とは、その個体に属する報酬系が活性化すること
ある個体の快感の量とは、その個体に属する報酬系がどれだけ活性化したか(活性度×時間)
思考とは、結論を得ようとする観念の過程
※
集団∋個体∋神経系∋報酬系
報酬系の活性化方法は、@欲求を満たすことによる、A将来、欲求が満たされると予期させること、B薬物による
欲求とは満たされたときに報酬系が活性化する感覚
ある思考によって得られる思考又は活動を、(その思考の)結論と呼ぶ
>>579 集団の欲求を満たす結論を導く思考ができるか
又は
他者愛があるか
がそのままで正義があることの条件
脳科学に還元できてきたな。普通の哲学のそこはつきそうだ そもままいけ
正義ってのは正しいってのと正しい理
正しいと言うことを考えて
585 :
考える名無しさん:2006/10/22(日) 18:38:22
>584
そうですね。
正義とは理知に叶う事柄と言うことですね。
つまり理知の会得が無ければ正義の判定はできませんね。
586 :
考える名無しさん:2006/10/22(日) 18:41:13
____ /)
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ある集団xにとって肯定的評価とは、「「xに属する個体」の快感」の量の総和を増加させる性質
ある個体bにとっての肯定的評価とは、「bの快感」の量を増加させる性質
ここで・・・
集団とは、個体の集合
個体とは、一つの繋がった神経系、もしくはそれに見立てたもの
ある個体の快感とは、その個体に属する報酬系が活性化すること
ある個体の快感の量とは、その個体に属する報酬系がどれだけ活性化したか(活性度×時間)
※
集団∋個体∋神経系∋報酬系
報酬系の活性化方法は、@欲求を満たすことによる、A将来、欲求が満たされると予期させること、B薬物による
欲求とは満たされたときに報酬系が活性化する感覚
肯定的評価とは、うまい、正しい、綺麗、美しい、良い、好い、など
588 :
考える名無しさん:2006/10/22(日) 18:43:14
肯定的評価に属する「善い」は、肯定的評価よりも意味が限定される。
○「他人の食欲を満たす行為は善なる行為である」
×「自分の食欲を満たす行為は善なる行為である」
そこで・・・
ある集団xにとって「善い」とは、「「xに属する個体」の快感」の量の総和を増加させる性質
ある個体bにとっての「善い」とは、、「bの他者愛を満たす方法で得る「bの快感」の量」を増加させる性質
ここで、
他者愛とは、「「他の神経系」に属する報酬系」の活性量を増加させたい欲求
正義とは、善い思考
又はそれによって得られる結論
結論とは、ある思考によって得られる「思考又は活動 」
※
思考とは、結論を得ようとする観念の過程
>589
言葉の構造はわかるが、「自分の食欲を満たす行為は善なる行為である」 これはあるだろ。
確かにそうだ。
○「他人の食欲を満たす行為は善なる行為である」
○「自分の食欲を満たす行為は、「(集団にとって)善い」行為である」
×「自分の食欲を満たす行為は、「(自分にとって)善い」行為である」
これなら大丈夫?
善い≠良いで、
善いは、道徳的評価。
つまり、(道徳的評価∩肯定的評価)∋善い
592 :
考える名無しさん:2006/10/22(日) 20:27:37
評価には、集団にとってのものと個体にとっての者があるんだね。
評価は性質とどう違う?
>>591 >○「自分の食欲を満たす行為は、「(集団にとって)善い」行為である」
>×「自分の食欲を満たす行為は、「(自分にとって)善い」行為である」
逆じゃね?
>>592 そこで使ってる、性質と評価は同じだろ。
どのようない対応するあり方 「質」 だ。
普遍的にある正義と個の持つ正義がある
集団の普遍的正義に個の正義を貫こうとしても、無力である。
これは、集団の普遍的正義により個の正義を屈服させたといっていいだろう。
ある集団xにとって肯定的な質とは、「「xに属する個体」の快感」の量の総和を増加させる質
ある個体bにとっての肯定的な質とは、「bの快感」の量を増加させる質
ここで・・・
集団とは、個体の集合
個体とは、一つの繋がった神経系、もしくはそれに見立てたもの
ある個体の快感とは、その個体に属する報酬系が活性化すること
ある個体の快感の量とは、その個体に属する報酬系がどれだけ活性化したか(活性度×時間)
質とは 事物についてさまざまに述べられる側面の一つで、ことに量に対するもの。「どのような」という問いに対応する事物の在り方。
※
集団∋個体∋神経系∋報酬系
報酬系の活性化方法は、@欲求を満たすことによる、A将来、欲求が満たされると予期させること、B薬物による
欲求とは満たされたときに報酬系が活性化する感覚
肯定的質とは、善い、うまい、正しい、綺麗、美しい、良い、好い、など
ある集団xにとって「善い」とは、「「xに属する個体」の快感」の量の総和を増加させる質
ある個体bにとっての「善い」とは、、「bの他者愛を満たす方法で得る「bの快感」の量」を増加させる質
ここで、
他者愛とは、「「他の神経系」に属する報酬系」の活性量を増加させたい欲求
正義とは、善い思考
又はそれによって得られる結論
結論とは、ある思考によって得られる「思考又は活動 」
※
思考とは、結論を得ようとする観念の過程
>>596 >ある集団xにとって肯定的な質とは、「「xに属する個体」の快感」の量の総和を増加させる質
>ある個体bにとっての肯定的な質とは、「bの快感」の量を増加させる質
ある集団xにとって肯定的とは、「「「「xに属する個体」の快感」の量」の総和」の増加
ある個体にとって肯定的とは、「「bの快感」の量」の増加
全ての価値が、快感に還元されていく・・・ 頭イタイ
>>597 不快感が出てきたんだな。
考えるのをやめる事がお前にとっての正義になるのか?
トートロジーが見えてきてる。
デリダがロゴス中心主義を批判した理由がわかる。
>>598 考えるのをやめる事は「肯定的な質」を持つが、私にとって「善い」とは限らない。
従って、「正義」とは限らない。
>>597 「肯定的な質」で一つの概念
肯定的質とは、善い、うまい、正しい、綺麗、美しい、良い、好い、など
だが、肯定的もまた、肯定的質で、トートロジーが見えてきてる。
質の意味を脳科学的に捉え直さないと、スッキリしない
ある概念の意味を説明するには他の概念を使うしかないよね。
概念の説明ってのは、概念をより下位の概念に分解していくことだと思うんだけど。
一番根本の概念は例えばどんなものなんだろう。
もし、下位の概念という言い方が成り立たないなら、
概念の説明は単なる言い換え以上の意味を持たなくなる。
>>603 概念はそれぞれの論の中で、一義的な意味を持つから、
やろうとしてるのは、日常の用語における正義の、哲学の概念による説明。
さらに、脳科学の概念による説明へ向かってる。
正義を、再定義することなく、正義を哲学または脳科学で扱う為に、必要な単なる言い換え。
麻薬を売るのは正義なのか。
>>604 集団にとって「善い」とは限らない。
個体にとって「善い」とは限らない。
従って、集団にとって正義とは限らない。
「「「ある集団xに属する個体」の快感」の量の総和を増加させる質を持つ」活動である「麻薬を売る行為」は、
xにとっての正義である。
「ある個体bの他者愛を満たす方法で得る「bの快感」の量」を増加させる質を持つ活動である 「麻薬を売る行為」は、
bにとっての正義である。
606 :
考える名無しさん:2006/10/23(月) 01:55:49
>>605 金のために嫌々麻薬密売してる奴はどうなるんだ?
>>606 「金のために嫌々麻薬密売する」これは、
「金を得たいという欲求を満たすために、(自己の他の欲求を犠牲にして、)麻薬を密売するという活動」
@それは個体にとっての正義か
金を得たいという欲求は、通常、他者愛ではないから・・・
「彼の他者愛を満たす方法で得る「彼の快感」の量」を増加させる質を持つ活動とは言えず、
その行為は、彼にとっての正義でない。
(金を得たいという欲求が、他者愛であるときは、彼にとっての正義
他者愛とは、「「他の個体」の快感」の量を増加させたい欲求)
Aそれは集団にとっての正義か
麻薬密売は、通常、「ある集団xに属する個体」の快感」の量の総和を増加させる質を持つ活動でないから、
xにとっての正義ではない。
(「ある集団xに属する個体」の快感」の量の総和を増加させる質を持つ活動である麻薬密売ならば、
xにとっての正義である。)
xには例えば、集団としての日本を入れる事ができるが、
集団である日本と 個体である日本との区別には注意しなければならない
ここで・・・
集団とは、個体の集合
個体とは、一つの繋がった神経系(当然にそれに見立てたものを含む・・・それに見立ててるんだから当たり前だった・・・)
>個体とは、一つの繋がった神経系(当然にそれに見立てたものを含む・・・それに見立ててるんだから当たり前だった・・・)
これについて補足すると、
「日本が発言する」とか「日本が掲げる」とか「日本が思う」という文において
、日本は「一つの繋がった神経系」として見立てられているということ。
ついでに、xに、集団としてのマフィアを入れると、
麻薬密売は、通常、「マフィアに属する個体」の快感」の量の総和を増加させる質を持つ活動であるから、
マフィアにとっての正義である。
*個体としてのマフィア の正義については略すが、
個体としてのマフィアの正義と、集団としてのマフィアの正義を混同しないように注意。
全ての「活動又は思考」は快感を目的としているか?
快感は必ず「活動又は思考」を生むか?
反射は活動か?活動ではない物理的運動か?
>>608 集団・・・マフィアに対する正義である
個体・・・マフィアにとって他の個体に対する正義である
612 :
考える名無しさん:2006/10/23(月) 13:21:57
嫌いなら嫌いでいいけど、正義を創ることはやめてくれ。
お前が好きなだけなものなんだから。
>>612 >お前が好きなだけなものなんだから。
この点が共有されてない相手に対しては、
ただの雑音にしか聞こえないという。残念。
ある集団xに対する「肯定的な質」とは、「「xに属する個体」の快感」の量の総和を増加させる質
ある個体bが思う「肯定的な質」とは、「bの快感」の量を増加させる質
ここで・・・
集団とは、個体の集合
個体とは、一つの繋がった神経系、もしくはそれに見立てたもの
ある個体の快感とは、その個体に属する報酬系が活性化すること
ある個体の快感の量とは、その個体に属する報酬系がどれだけ活性化したか(活性度×時間)
質とは、「どのようなに」対応するもののありかた
※
集団∋個体∋神経系∋報酬系
報酬系の活性化方法には、@欲求を満たすことによる方法、A将来、欲求が満たされると予期させることによる方法、B薬物による方法 以上、3つの方法がある。
欲求とは、満たされたときに報酬系が活性化する感覚
肯定的質とは、善い、うまい、正しい、綺麗、美しい、良い、好い、など
ある集団xに対する「善い」とは、「「xに属する個体」の快感」の量の総和を増加させる質
ある個体bが思う「善い」とは、、「bの他者愛を満たす方法で得る「bの快感」の量」を増加させる質
ここで、
他者愛とは、「「他の神経系」に属する報酬系」の活性量を増加させたい欲求
正義とは、善い思考
又はそれによって得られる結論
結論とは、ある思考によって得られる「思考又は活動 」
※
思考とは、結論を得ようとする観念の過程
活動とは、思考に基づく運動 (つまり、反射を含まない、星の運動を含まない)
素朴集合論において集合は集合であると同時に要素である・・・
日本の正義とは、誰かが思う「集団日本に対する正義」又は、個体日本が思う正義
正義の定義を一本にするには、
公理集合論と素朴集合論の矛盾が解決できる理論の登場を待たなくてはならない。
日本の正義とは、誰かが思う「集団日本に対する正義」又は、誰かが思う「個体日本に対する正義 」
ある集団xに対する「肯定的な質」とは、「「xに属する個体」の快感」の量の総和を増加させる質
ある個体bに対する「肯定的な質」とは、「bの快感」の量を増加させる質
ここで・・・
集団とは、個体の集合
個体とは、一つの繋がった神経系
ある個体の快感とは、その個体に属する報酬系が活性化すること
ある個体の快感の量とは、その個体に属する報酬系がどれだけ活性化したか(活性度×時間)
質とは、「どのようなに」対応するもののありかた
※
集団∋個体∋神経系∋報酬系
報酬系の活性化方法には、@欲求を満たすことによる方法、A将来、欲求が満たされると予期させることによる方法、B薬物による方法 以上、3つの方法がある。
欲求とは、満たされたときに報酬系が活性化する感覚
「肯定的な質」とは、善い、うまい、正しい、綺麗、美しい、良い、好い、など
ある集団xに対する「善い」とは、「「xに属する個体」の快感」の量の総和を増加させる質
ある個体bに対する「善い」とは、、「bの他者愛を満たす方法で得る「bの快感」の量」を増加させる質
ここで・・・
他者愛とは、「「他の神経系」に属する報酬系」の活性量を増加させたい欲求
正義とは、善い思考
又はそれによって得られる結論
ここで・・・
結論とは、ある思考によって得られる「思考又は活動 」
※
思考とは、結論を得ようとする観念の過程
活動とは、思考に基づく運動
正義は、「神経系 報酬系の活性化 観念の過程 運動」これらの概念で説明できる。
嗜好とは、好むこと・・・つまり「肯定的な質」
神の嗜好とは・・・なんだろう?
取り柄あえず、最も大きい個体にとっての「肯定的な質」としておこう・・・
コンピューターで、
プログラムの中で使われる、変数や関数は観念で、計算処理は観念の過程、その出力は結論。
計算処理は思考
苺は最後に食べるのが幸福
報酬系の活性化が価値そのものなんて報酬系を沈静化させる
知りたくないこと・・・
語るべきでないもの・・・
625 :
考える名無しさん:2006/10/30(月) 20:35:35
個々人の持つ神様の嗜好が、個々人の信条という一つの欲求。
626 :
考える名無しさん:2006/10/30(月) 21:23:33
627 :
考える名無しさん:2006/11/01(水) 04:46:52
628 :
考える名無しさん:2006/11/01(水) 04:59:02
ベンタムに対する批判で有力な物に、快楽計算の困難さがある。
そこで、ムーアは善は善としてそれ以上分析できる物じゃないと主張した訳だけだ(直観主義)。
快楽計算が困難だからと言って、直感に頼るというのは何の進歩でもないと思われる。
むしろ、近年の脳科学の発達は、快楽計算の実現可能性を見せている。
ベンタム→ムーア→ベンタム と流れるのかも知れない。
全体主義はベンタムの理論によって正当化されたところがあるのは確かだろう。
ベンタムの理論は、20世紀前半の数々の失敗を引き起こしたとして、批判が多い。
けれども、それはベンタムの理論を都合良く曲げて、あるいは誤解して、解釈した結果に他ならない。
630 :
考える名無しさん:2006/11/01(水) 14:38:01
困難さの克服のために、近年の功利主義者は、〈選好〉という言葉を使う人が多いよね。
快楽は観測不能であるが、どのような欲求を持っているかは、
購入時や投票時などにおこなわれる〈顕示〉によって明らかになる。
そこで、快楽とは、選好を充足させることだとする。
こういうところから、
>>1のような、正義とは個人の嗜好に過ぎないって主張が出てくるかもしれないが、
それは、選好功利主義を、正確に理解してない。
631 :
考える名無しさん:2006/11/01(水) 14:57:35
>>630 快楽計算は困難だけど選好計算は簡単ということ?
632 :
考える名無しさん:2006/11/01(水) 15:06:59
>>631 まあ、そういうこと。選好は顕示によってだいたい明らかになると考える。
パターナリスティックな考え方は、選好功利主義では採りにくい。
選好功利主義の元では、ヘルメットかぶれと国家が強制するのは、行き過ぎだと言われることがある。
>>620 ある個体の嗜好は、「その個体の快感」の量を増加させる質である
と言ってやれば、わかりやすいんじゃない。
正義は個人の嗜好であるというのは、正義の一部分を、不正確ながらも、捉えているくらいは言えるわけだ。
顕示が為されないときや、
十分な判断能力のない人間もいるわけだから、
パターナリスティックな施策は必要。
当然だけど、選好功利主義なんて言ってみたところで、
ベンサムの手の中から抜け出す事はできない。
顕示によって示される選好ってのは、
表示された欲求ぐらいの意味しかない。
選好≒嗜好だ。
ただ、快楽計算は難しいという批判にもなっていない批判に対して、
選好なら、計算が簡単になると応じただけだ。
選好功利主義は、古典的功利主義の枠内に留まってる。
635 :
考える名無しさん:2006/11/01(水) 19:57:24
>>633快楽計算は難しいという批判にもなっていない批判についてkwsk
636 :
考える名無しさん:2006/11/01(水) 20:03:29
選好計算はパターナリスティックではないが、権力者は「選好」を動かす力がある。
何でもかんでも投票にすれば良い社会になる訳ではない。
>>635 神は存在するかも知れないし、しないかもしれない。
そんなこと、わからなくても、システムは作られていく。
他人の自我を証明することができなくても、社会は動いてる。
快楽計算が困難だからと言って、手法が間違ってることには為らないし、
その手法が無意味になるわけでもない。
選好功利主義は、より正確な快楽計算の手法として、提示された。
ベンサムは、完璧な快楽計算ができると言ってるわけじゃない。
善の本質を示しただけだ。
乗り越えたければ、違う本質を示すほかない。
善は善でありそれ以上分析できないなんて言う否定の仕方もあるけどね。
>>636 誰もそんなこと言ってないんだよ。
ベンサムは教育についても語ってる。読んでみると良いよ。
638 :
考える名無しさん:2006/11/01(水) 20:46:13
>>637 なら君は何を言っているのか。
「何」ならばどのような選好計算が適しているというのか。
選好計算だなんて唱えなくとも社会は動く。
「何となく快楽計算を行う」より「何となく手法を決めて選好計算を行う」のどこが優れているのか。
「何となく決める」という古来よりの手法に新しい言葉を与える以上の意味がそれらにはあるのか。
>>638 「何となく決める」とはどういうことなのかを説明したんじゃないか。
快楽計算は、理性的な議論を成り立たせる。
民主主義を最初に理論づけたのも、ベンサムだった。
つっかかってばかりの君は何を語るんだ?
640 :
考える名無しさん:2006/11/01(水) 20:56:48
功利主義って拒否反応持つ人が多いね。
でも、そんな人も無自覚に功利主義に立って話してることが多いんだよね。
641 :
考える名無しさん:2006/11/01(水) 21:03:51
>>639 権力者の都合や直感で決まるものを「計算」と名付けるだけで、結局何も改善されはしない。
「計算」なんて無くとも議論は十分理性的に行われる。
それから、ある主張の無効さを指摘するときに代案を語る必要は無い。基本。
>>641 なぜ、権力者の都合や直感で決まってはいけないの?
改善ってどういう方向に向かうことをいうの?
643 :
考える名無しさん:2006/11/01(水) 21:32:45
>>642 誰も「いけない」などと言ってないだろうw
「改善」とは上の「理性的な議論を成り立たせる」を対象とした言葉なんだが・・・君は文脈の繋がりに疎いタイプだね。
功利主義が無意味かどうかなんて、
歴史を振り返ればわかる。
功利主義は、ものすごく大きな影響を歴史に与え続けてる。
「最大多数の最大幸福」もベンサムの考えを元にしてるし、
法学も、倫理学も、経済学も、功利主義なしに語れない。
>>628 科学の発展によって、厳密な功利計算が可能に為ってきて、
再び、古典功利主義が注目を集めるってのはおもしろい。
>>637 やっぱ、古典功利主義は必然的にベースだね。
その具体化作業が、選好功利主義であったり、
公平に重きを置く正義論であったりするわけだ。
646 :
考える名無しさん:2006/11/01(水) 22:33:27
647 :
考える名無しさん:2006/11/01(水) 22:37:55
40年前のスッドレかと思いました
俺が、ベンサムを超えた、今時の倫理を提示してやる。
正義とは公平だ。
649 :
考える名無しさん:2006/11/01(水) 23:14:54
>>648 10人いるのに5人分の食料しかないとき…
公平に分けて、全員、餓死するのが、必ず正義だといえるだろうか?
公平が必ず正義であるというためには、一定の環境と一定の他者愛を持つ人間を想定しなければならない。
公平は必ずしも正義ではない。
だから、ロールズも、「公平としての正義」と言ったわけで、
「正義とは公平である」とは、言わなかった。
結局、なぜ公平が正義であるかと問えば、
当時のアメリカの状況においては、公平を目指すことが、最大幸福の実現に繋がるからだと言ったような、
功利主義の基盤が、神を用意しない限りは、必要になってくる。
>>640 私は無神論者だと言ってる人はたいていそうだ。
功利とか快楽って言葉に引っかかるんだろうな。
功利主義は、ずいぶんニヒリズムを感じさせる。
それでも平気な人は超人なんだろう。
>>644 全体主義の正当化にも使われているよね。
>>651 近代のあらゆる価値は、功利主義から逃れられないんだよ。
全体主義に失敗があったとすれば、功利計算を誤ったとしか言えない。
当然、全体主義が正義になる状況もあるが、
それは許されないとわめく奴は、思考停止しているお花畑の平和主義者と同じ。
653 :
考える名無しさん:2006/11/02(木) 07:50:03
>>652 そりゃただの結果論。
失敗→計算ミス 成功→功利計算のおかげ なんて誰でも言えるし何でも言える。
問題は「ミスを減らす計算手法をいかにして確立していくか」であって、その意味で功利主義は批判される。
結局わざわざ「功利」など唱えなくても何も変わらないからだ。
「全部功利計算なんだよ〜」などと間違っていない「だけ」のことを言ってるお前みたいなのが一番思考停止しているお花畑のバカだよ。
654 :
考える名無しさん:2006/11/02(木) 07:50:49
結局、ミルもシンガーも、
ベンサムから逸脱していない。
シンガーの主張はベンサムの主張から当然に導き出される…
>>619は神経系という表現によって、種の壁を越えた倫理が存在することを表現してる。
シンガーの主張からアニマルライツを導き出す人は、
国という集団が、人間という個体の集合であることを忘れてる。
655 :
考える名無しさん:2006/11/02(木) 07:54:49
>>652 後、近代のあらゆる価値は功利計算から逃れられないらしいが、現代では逃れられる「価値」があるの?
656 :
考える名無しさん:2006/11/02(木) 08:03:42
>>640 右でも左でも議論できる人はね。
ドグマにとらわれている人はお話にならない。
657 :
考える名無しさん:2006/11/02(木) 11:47:24
市場取引も、選挙も、一種の功利計算。
選好を重視しすぎると、自由主義、民主主義が、過剰になっていく。
658 :
考える名無しさん:2006/11/02(木) 11:56:54
正義もある種の美徳、美学なんだよね。
だから自分の感じる美しさを無視して正義であることはできないんだ。
理屈だけで正義を補完しようとしても、そんな事はナンセンスなのさ。
659 :
考える名無しさん:2006/11/02(木) 12:27:39
あのさ、
毎日が
たのしけりゃ
それでいいやん。
正義なんて、誰かが思いついた便利な「概念」。
所詮すべてはパワーバランス。
正義 っていう概念なんて
そのことに関して一切の思考を停止するためのレッテル、
みんなそんな便利なレッテルがほしくて今日も論争し合う。
「快楽の質」ってのは、快感の量のことで問題ない。
麻薬による快感は、持続が少ない。
662 :
考える名無しさん:2006/11/02(木) 21:30:45
663 :
考える名無しさん:2006/11/02(木) 21:51:46
↑
妹にチンコ見せたらこういわれた
だから、こう言い返してやったのさ
↓
664 :
考える名無しさん:2006/11/02(木) 21:55:42
「なーに、空間が俺に合わせて歪んでいるだけさ」
>>662 それでは問おう。
麻薬による快感よりも、読書による快感の方が質的によいとはどういう意味か…
666 :
考える名無しさん:2006/11/02(木) 22:10:47
ある集団xに対する「善い」とは、「「xに属する個体」の快感」の量の総和を増加させる質
ある個体bに対する「善い」とは、、「bの他者愛を満たす方法で得る「bの快感」の量」を増加させる質
質は脳の神経系にどういう影響を与えるかってこと。
脳の中では、すべて量な訳だから、質が脳内物質の量に還元されるのは当たり前。
赤は、赤と感じる物質の量が強いから赤なんだ。
667 :
考える名無しさん:2006/11/02(木) 22:15:43
>>619 神経系ってことは、神経を持つ動物も含めて善悪を考えなきゃならんのか?
668 :
考える名無しさん:2006/11/02(木) 22:40:34
>>667 拡張できるってだけだよ。拡張しなければならないと言ってるわけじゃない。
動物に対する善もある。
物に対して善と言うときは、その物を擬人化したりしているとき。
社会的正義というものを考えるときは、
社会の構成員がなにであるかが大きな問題になってくる。
牧畜が善かと問うたときには、何に対する善かを明確する必要があるってことだね。
その辺を曖昧にしちゃって飛躍すると、アニマルライツがいきなり出てくる。
669 :
考える名無しさん:2006/11/02(木) 22:48:15
現代の構造においては、政治、企業、マスメディアによる三角支配です。
特に日本においては、その中のイデオロギーに左右されます。
それによって民意は左右されています。民意を動向を左右するのです。
チョムスキー言っている通り、国家からの全体主義的作用を受けているわけです。
そして、国家間のパワーゲームというところでしょう。
北朝鮮問題もその典型です。
670 :
考える名無しさん:2006/11/02(木) 23:41:15
>>666 脳内物質が一種類だとでも思ってんの?食欲を満たすことと性欲を満たすことの快感の質は違い、食欲を素晴らしく満足させたからといって性欲が無くなる訳ではない。質が量に還元されるのは当たり前って、恥ずかし過ぎるわ(笑)
君は君の主張をこの場以外で語らないことをオススメしておくよ。
671 :
考える名無しさん:2006/11/02(木) 23:50:28
>>670 一理ある。
けれども、食欲が満たされていけば、食事よって快感を感じなくなっていくだけで、
食欲を満たしても性欲がなくならないことを理由に、快感の質に違いがあるとは言えない。
ドーパミンとセロトニンどちらがよいかは、受容体に与える影響の量でしか決まらない。
快感の質が脳内物質の量に還元されるというのは間違ってるが、
神経系にどういう影響を与えるか…つまり、脳内物質と受容体の反応量に還元されるというのは間違ってない。
673 :
考える名無しさん:2006/11/02(木) 23:58:25
>>671 「食欲が満たされていけば食事によって快感を感じなくなっていく」が「性欲がなくならないこと」から「快感の質に違いがある」と言えるんだろうがw
何を言ってるんだお前は。
「快感の質≠脳内物質の量」かつ「快感の質=脳内物質と受容体の反応量」って・・・ホント恥ずかしい。
674 :
考える名無しさん:2006/11/02(木) 23:58:28
そんなことより
>>663の発言もなかなかよいのでは?
私はえらく気に入ったのだが。
>>672 ないんだよ。食事によって反応する受容体と、セックスによって反応する受容体の構造は同じ。
様々な、脳内物質によって、反応の強さや、反応の時間が変わってくるだけ。
>ある個体の快感の量とは、その個体に属する報酬系がどれだけ活性化したか(活性度×時間)
>>619は、その固体に属する受容体がどれだけ反応したか、に書き換えられる。
我々は、受容体の反応の仕方を、快感の質と言ってるわけだ。
677 :
考える名無しさん:2006/11/03(金) 00:14:30
苦しいなあ。
678 :
考える名無しさん:2006/11/03(金) 00:18:07
>>676 自分で「当たり前」と言ったことを一瞬で撤回する君の姿は、君に深く思考する癖が無いことを露呈する。
「受容体の種類」でググってみなよ。
セックス受容体、満腹受容体というようなものはないっていいたいんだろ。
快感の質が量で表せるというのは、
それぞれの脳内麻薬の量と、それぞれの受容体の量で表せるって事だろ。
ドーパミン1 α受容体5 β受容体3 ヒスタミン3 アドレナリン2 みたいなさ。
脳で何が起きてるかなんて科学者にまかせとけよ。
活動は必ず欲求の裏付けがあって起きることだけ踏まえておけばいいじゃないか。
681 :
考える名無しさん:2006/11/03(金) 05:29:35
麻薬が社会のためになることがあるのも分かり切った話だ。
麻酔打たずに手術してみるか?
682 :
考える名無しさん:2006/11/03(金) 09:22:47
>>679 で、どうやったらそれぞれの量を合わせたスカラー計算ができるんだ?
それが問題だろ。
>>682 おう。それが問題だ。脳内麻薬を受容体が受け取ることで発生するのはなんだろうな…
それも、それぞれの組み合わせで違うものが発生するのかな…
発生する物は、電気?
おはよー
例えば一人の麻薬患者に
常に麻薬を与え続けてやれば
その麻薬患者の快楽量は最大値になるから
その麻薬患者は幸福だといえるのかな?
そして麻薬を与え続けてやるという行為は正しかったといえるのかな?
>>684 最大値になれば良いが、ならない。
一時的に快感が増大しても、長続きしない。
量を増やしていけば、健康を害して、やがて死んでしまう。
死んでしまえば、それ以上快感を感じることはできない。
だから、麻薬は一般に、使用者自身に対しても害悪なんだ。
さらに、麻薬の使用は、社会に迷惑をかける、
つまり、他の神経系の快感を減少させることが多いから
国にとって悪だったりするんだ。
>>685 うーん。なるほど。なつとく。
しかしそれにしても質を量として見なすのは難しいなあ。
読書によって得られる快感と、食事によって得られる快感
快感は波であらわせて、質ってのは、その波の形じゃないかと思うんだ。
縦軸・快感度 横軸・時間 の座標をとって、
読書は、小さいけど長い間、持続していくようなのグラフ
食事は、最初、高いけど、だんだん低くなっていくようなグラフ
もしそうなら、量に還元できる。
快感が一種の電気信号なら、定量化できる。
異なる種類の快感も、量に還元されなきゃおかしい。
人間は、性欲と食欲を同時に持って、どちらか一方しか選べない状況があったりする。
時間がなくて、エッチするか飯食うか何もしないか3つのうち一つしか選べないときに、
人間がどれかを選ぶことができるということは、3つ比較が可能だって事だ。
エッチしたい欲求と飯を食いたい欲求は、ちゃんと量で比べられるてるはずだ。
けれど、これは、
「読書による快感と、食事による快感、どちらの方が(社会にとって)善いかという比較が可能か」という問題ではない。
それは可能に決まってる。
あ〜ぐちゃぐちゃな文だ。快っていったい何なんだろう…
688 :
考える名無しさん:2006/11/03(金) 13:52:49
>>687 ・・・やれやれ。
君の主張は結局現実から剥離している。
食欲を満たすことと性欲を満たすことが比較されるとき、厳密に言えば恐ろしい程多様な状況が考慮されるだろうが、結局は直感で何となく決められる。
それを「計算できる」とか言う奴は、「究極的に言えばサイコロの目は予測可能だ」とかの「間違っていないだけ」のことしか言えない役立たずに過ぎない。
「究極的に言えば全て計算できる」はいつでも正しいが、その「計算手段」が科学によって達成される保証は無い。
いいか、質は量には還元できない。
できる日が来るとすれば、もはや功利計算などしなくても良いくらい様々なことが解り、可能になっている。
本当に、この場以外でその主張はするなよ。
間違い無く相手にされないから。
>>689 功利計算はできないから
功利主義に意味はないと繰り返してる粘着
それ以上の考えは期待しても出てこない。
691 :
考える名無しさん:2006/11/03(金) 14:20:01
>>690 「功利計算で社会を良い方向に導こうとする」のが「功利主義」だから「功利計算が無理だから功利主義は無意味」という主張が成り立つ。
君は「究極的に言えば計算できる」以上の考えなど出してはいないし出せはしない。
間違っていないだけで現実と全く結び付かない誰でも言えるツマらん主張を繰り返す君は、まさに頭が悪い人の良い見本だ。
後、「粘着」とか言って、君の主張を否定する者がマイノリティであるようなイメージ操作を無自覚に行うところとか、実に素晴らしい。
いつまでもそこにいるのが君レベルには似合っている。
>>691 マイノリティーじゃん。
経済学でも、効用という言葉で表れてるし、
政治でも、最大多数の最大幸福という言葉であらわれてる。
経営学でも、費用対効果。
メリットとデメリットを比較するなんてことは誰でもやってる。
なんども言うけど、完璧な功利計算ができないからと言って、
功利計算の有用性は否定されない。
経済学のモデルが、完全に経済を捉えることができなくても有用なようにね。
693 :
考える名無しさん:2006/11/03(金) 14:40:19
君の「神経がうんたら論」が経済学と同程度の水準だとでも?
君、統計学知ってる?
それから経済学モデルは成功したり失敗したりしている。
功利計算も同様。
そんなものが例えば「こうしたらみんな幸せっぽいよね」という主張に比べてどこが優れているのか。
更に、政府が功利を掲げた上で、純粋に功利を目指した政治が行われているとでも思ってるの?
「マイノリティじゃん」って・・・ああ恥ずかしいw
>>693 あ〜あ 経済学否定しちゃったよ。
最適な公定歩合やら、デリバティブの価格やらについて、
できる限り緻密に計算して作られた主張と、
「これくらいがいいっぽいよね」という主張の価値は
同じですかそうですかw
正当は国益という功利を掲げて頑張ってるんだよ。
ちょっとまて…
マイノリティーじゃんと言われたことに対して
「統計学って知ってる?」って皮肉ってきたのか?
厨くせ〜w
696 :
考える名無しさん:2006/11/03(金) 15:01:53
>>694 そうか、君のアホ眼鏡には経済学を否定したように映るのか。
統計学の皮肉がマイノリティに対してに映るのか。
本当にアホだな。
まあそこはもういいや。
で、功利計算は経済モデルのように緻密にできるんだよな?
>>696 もういいんだw
経済モデルを使った意思決定も(不完全な)功利計算の一つなんだよ(はぁと
698 :
考える名無しさん:2006/11/03(金) 15:14:34
>>697 へぇ、そこでは神経がうんたら言ってるんだw
荒らすな! 煽るな!
スルーできない奴も荒らしだと自覚しろ!
700 :
考える名無しさん:2006/11/03(金) 15:24:29
アホな主張のアホさを指摘されて悔しいのは解るけど、無理矢理まともな学問と「神経〜」を同一視しようとしても現実とのリンク度の違いがバレバレだよw
まあ自治まで始め出したし、もうかわいそうだから暇潰しはここまでにしといてやるよ。
ネタにするには十分だw
じゃあ、いつまでもそこにいな。
701 :
考える名無しさん:2006/11/03(金) 16:27:24
いじめの原因は、100%いじめる側の「心の狭さ・貧しさ、及び多様な個性(先天的障害を含む)を受け入れる寛容・包容力・忍耐力・想像力・思いやりの欠如」即ち「愛の欠如」である
「いじめられる側にも原因が」という主張は、そう主張する人自身の「いじめたくなる原因」から目を逸らすための、すり替え・責任転嫁に過ぎない
「人格に問題がある者を矯正する手段だ」は逃げ口上である。仮に何らかの非や落ち度があったとしても、その更正法がいじめでなければならない必然性はない
寧ろいじめの目的はいじめる側の快楽・ストレス解消であるため、却って社会憎悪・人間不信を増しかねず、そのような危険性のある稚拙な対処法こそ矯正されるべきである
「学校を何度変わってもいじめられるのはいじめられる側に原因がある証拠だ」という理屈も通らない。何故なら「どの学校にも、異なる個性を容認できず不平不満を上手く自己処理・自己表現できない未熟者がいること」が本当の原因だからである
「多数派だから正しい」という安直な誤謬を盲信して、物事の本質・因果関係を見誤ってはならない
「最初にいじめられる側がいじめる側に不快感を与えたことが原因だ」も言い訳である。何故なら、そもそも不快感の原因は「それを感じる人自身の持つ価値観・固定観念」であり、他人のせいにするのは筋違いだからである(いじめの報復も同様。下記リンク先参照)
勿論、100%原因があるとはいえ、いじめる側にも様々な背景や経緯があり、それを単に責め立てれば済む問題ではない。またいじめられる側の改善努力を否定するものでもない
いじめる側をただ非難中傷するだけに終わる人は、それこそ「己の未熟さ」に気付かねばならない
また「いじめは無くならない」と主張する人は、名も無き人々の不断の努力によって人知れず解決している数多の実態をまず知るべきである
以上を読んでも尚「いじめられる側にも原因が」と正当化する人は、結局「自分自身の欠点(愛の不足)を認めたくない」のである
感情自己責任論
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1160797425/1-3
「不快感の原因は「それを感じる人自身の持つ価値観・固定観念」であり、他人のせいにするのは筋違い」なわけだから、
「キモイ」といっても、責められることはないわけだ。
703 :
考える名無しさん:2006/11/03(金) 21:40:27
>701
書き込みの評価は優の上ですね。
自己責任も人間性を高めないと、なかなか産まれてこない感情ですよね。
704 :
考える名無しさん:2006/11/03(金) 21:51:48
アンカーも出来ないバカに評価されたくないだろ
「いじめる」は能動態であり、「いじめられる」は受動態である。
能動態なくして受動態なし。スタートは能動態である。
従って、「いじめる」方に原因がある。以上。
いじめが悪いって?
それお前の持つ価値観・固定観念だよ。
原因と責任は違う。
虐められる方にも原因はある。
盗人にも三分の理
いじめられる奴って場所が変わってもいじめられることが多いだろ。
嫌われやすい人なんだよ。
周りに不快感を与えるからね。
周りを幸せにする奴がちやほやされるのは、その人がまわりを幸せにしてるから。
これを認めるなら、
周りを不快にする奴がいじめられるのは、その人が周りを不快にしてるから。
という言い方も認めなくちゃいけない。
不快にした分だけ、いじめられるのは仕方ないし、本人もその方が楽だ。
いじられキャラはいじられて幸せだ。
その分を超えていじめるのが問題なだけ。
709 :
考える名無しさん:2006/11/06(月) 08:25:45
↑だれか、このバカ、大ゴミにだしてくれ。
710 :
考える名無しさん:2006/11/06(月) 15:25:19
君は小ゴミ
711 :
鮪さん:2006/11/06(月) 16:38:26
なんといいますか、大海原を回遊するすばらしい魚が
どこから来て、どこへ行くつもりなのかという問題を
含んだ私自身を省みることを試されるとでもいえまし
ょうか。効し難い沸々と湧き上がるものを意識しまし
て、私自身とこの魚を多様なことであると考え得る自
然の驚異を間のあたりにするとでもいえましょう。
イジメの本質は多数派(体制派)と勝ち組(優越感)を強引に両立させる
点にあるだろ。
713 :
考える名無しさん:2006/11/07(火) 19:25:29
正義=社会全体の幸福を保障する秩序を実現し維持すること
あくまで全体が大切なんですね。
714 :
考える名無しさん:2006/11/07(火) 21:41:08
クラスメイトとして、こんな奴にはどう対処すれば良いんだ?
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20061107k0000e040057000c.html クラスのみんなへ なぜ僕をいじめるのですか。
「キモイ」からですか「クサイ」からですか。
なぜ僕をさけるのですか。なぜ僕のズボンをおろすのですか。ホモなのですか。
なぜかげぐちを言うのですか。僕には、わかりません。
僕は、みんながいじめたので自殺をします。自殺したあとにはんせいしたとかわるいことをしたなどうそを言うでしょう。
ぜったい反省していないでしょなぜなら反省してたらクラスみんなで僕をいじめないからです。
ぜったいなん年かたったらわすれるでしょう。なので僕が自殺しました。
そのあとでみんな責任をとって自殺してください。
11月12日の日曜日に学校の教室で自殺をしてください。
反省しているのならできるはずです。なぜみんなが責任をとらないといけないかは、わかると思います。テレビなどで
>>713 半分、あってるとおもうけど、半分足りない。
家族を守ることは正義といったとき、これは社会ではなく家族全体の幸福を目指してる。
全体は、個人が集まってできる。
717 :
考える名無しさん:2006/11/10(金) 14:36:41
家族を守ることは義務で有って正義とは呼ばないと思いませんか?
>全体は、個人が集まってできる。
だからこそ個人は社会全体の幸福を考えて生きねば成らぬ、と言えますね。
>>717 ならぬとはならないけど、個人が社会全体の幸福を考えて生きるのは、社会に対する正義だとはいえるよ。
家族を守ることは、家族に対する正義である。普通に言う。
だから、半分はあってる。
719 :
考える名無しさん:2006/11/12(日) 23:14:11
>>718 貴方の意見に反対は唱えません。
個人が社会全体の幸福を考えて生きる、大きな心の中で家族愛や男女の本当の愛が実を結ぶのです。
721 :
考える名無しさん:2006/11/20(月) 22:58:19
今現在、パワハラを上司に受けているので、訴訟準備のための証拠をかき集め中。
世の中には、正義に名を借りて陰険な事をしたくて仕方ない連中というのがいる。
非常に有難い。行く行くはその上司に、そういう連中の餌食になってもらう予定。
722 :
考える名無しさん:2007/01/20(土) 00:17:09
なにが正義だ、くだらねえ。ただのオナニーじゃねえか。
723 :
考える名無しさん:2007/01/20(土) 00:35:35
くだらなくなくて、オナニーじゃないものなんて、
この世に存在するのかい?
そういえばベイルートで。
725 :
考える名無しさん:2007/03/19(月) 02:46:18
>>688 正義を考える際に、何に対して直感を働かせるかが問題になるんじゃないか?
今の科学では、快感を量的に測定するのが不可能であったとしても、
快感の量で(全体の快感を最大化するものが)正義が決まることに替わりはない。
快感の量に対して直感を働かせることで、正義を決めていく。
現に、幸せの経済学なんてものもでてきている。
だから、快感の量を計算できないことを理由は反論にならない。
726 :
考える名無しさん:2007/03/19(月) 09:58:33
現実に害を及ぼさなくとも、不誠実と思われる場合があるから。
例えば死人に関して悪口を幾ら言っても、当人や遺族の耳にさえ入らなければ
それが害になるような場合はほとんどない。
とはいえ、それは正義には反する。
って「正義に反する」んじゃなくて、言った個人の人格の問題だろ。
都合のいいように飛躍するな。
728 :
考える名無しさん:2007/04/29(日) 07:12:55
全ての価値が、快感に帰結するとしても、
それを認めるのは私には不快だな。
ということは、知ることは私にとって価値のないことなんだな。
真理を知ることに価値があるのは、そのことに快感を感じるからであって、
虚偽であっても快感を生み出すなら価値があるんだな。
>>728 真理を知ることに快感を感じるとバカな思い込みをしているのはあなたですか。
快感=価値 だと思ってるようだね。
この浅はかすぎる言葉遊びはどうにかならんのか。
>>729 「真理を知ることに快感を感じるかどうかは人による
ゆえに、真理を知ることに価値があるとは限らない」ということでしょ。
馬鹿な思いこみしてるのは君じゃない?
>この浅はかすぎる言葉遊びはどうにかならんのか。
じゃ価値って何?
731 :
考える名無しさん:2007/06/14(木) 02:05:37 0
哲学は無駄
―――――――――終了――――――――――――――――
732 :
考える名無しさん:2007/08/04(土) 11:37:23 0
再開、と。
733 :
格之進 ◆xiPQGz7lVI :2007/08/04(土) 12:00:09 0
まず、快感と価値の関係について考えて見ましょうか。
性欲が溜まってるとき、ソープへ意ってお金を払うと、
ヌいてもらえて、これにより快感が得られる。
この快感にはソープ嬢と密接なつながりがありますが、
ここでは問題を単純にするために、お金と、快感に絞って考えましょう。
この場合のお金の価値というのは、それによって快感を得ることが可能であるということです。
お金だけあって、ソープがなければ(快感を得ることができなければ)お金には、
価値はありません(他のことに使う可能性を除外すれば)。
ソープで得られる快感はヌういてもらうことにより得られるもので、
ヌいてもらうことの快感は(不感症といった例外を除けば)他のものに依存していません。
ですから、ヌいてもらうことはそれ自体で価値があるといえます。
では、真理はどうでしょうか?
例えば、万有引力の法則。
この法則で、軌道計算をして、思ったところに砲撃ができれば、
そのことによって快感(思い通りに弾を落とせたという達成感、
あるいは、命中による敵の撃破という直接的な利益)が得られます。
しかし、この場合は、前述のお金と同じく、
万有引力という真理自体に価値があるわけではなく(それから直接快感が得られるわけではなく)、
快感を得ることができるから価値がある、というかたちでの価値です。
真理それ自体に価値があるのであれば、
それを手段として用いることにより、なんらかの他の快感を得られなくても、
それを知ること自体で快感が得られるはずです。
たとえば、「生命、宇宙、そして万物についての(究極の疑問の)答えは42である」
という真理があったとします。
この真理を知ることで快感は得られるでしょうか?
734 :
考える名無しさん:2007/09/29(土) 11:05:25 0
再開、と。
735 :
考える名無しさん:2007/09/29(土) 11:12:07 O
知りたいがわからなかった問題が解決する爽快感が得られる。出そうで出なかったガンコなウンコが出たような。真理を知って新たな疑問が生まれなければそれについての快感は二度と得られない事が想像される。
736 :
考える名無しさん:2007/09/29(土) 11:13:57 O
わからないつまらない事に躍起になって情熱を燃やす人は割に多い
737 :
考える名無しさん:2007/09/29(土) 11:17:56 O
真理の価値が不明な以上、限定出来ない。
>>735 ところがその場合、問題が実際に解決する必要は無い
(いわゆる真理である必要はない)わけですよ。
当人が「解決した(真理だ)」と確信できれば、その快感は得られるわけですから。
739 :
考える名無しさん:2007/09/29(土) 11:19:58 O
真理に価値があると思う人はイエス、行動が好きな人はノー、寄りと答えそう。程度のことしかわからない。どんな種類の誘導尋問かがわからない。
740 :
考える名無しさん:2007/09/29(土) 11:21:29 O
問題は真理が不明であることじゃないの?
741 :
考える名無しさん:2007/09/29(土) 11:24:09 O
解決する必要が無くても気になって調べる行為に快感を求めるのは異常なのか、必要なければしないのか、何を以て要、不要の判断をしたの?
742 :
考える名無しさん:2007/09/29(土) 11:27:13 O
真理は本人にしかわからなくて自分だけが納得すればいいのが真理ならばオナッた後の虚無感が答えだろう。タダだな。
別に異常ではないと思います。単に、解決する必要が無い以上、
そこで調べた結果が真理である(それで本当に問題が解決できる)
必要は無い、というだけのことです。
744 :
考える名無しさん:2007/09/29(土) 11:31:12 O
じゃあ何でそんな質問するの?
そこまでのスレの流れがそうなっていたからですが・・・・?
746 :
考える名無しさん:2007/10/13(土) 20:20:49 0
「正義」を問うってことは、「絶対的な正義」がほしいってことだよね。
子供のヒーロー番組じゃないが、「正義の味方」ってのは
すごく気持ちいいもんな。
今までの革命だって、「自分は正義の味方」って思った奴らが
起こしてきたんだろうし。
ただ悲しいかな、いわゆる人間がいままでに定義してきた「正義」とは
状況によって変わりうる相対的なもので、結局思い込みにすぎないことは
もう明白になってる。
この状況は、ナチとかの台頭をふせぐには最適かもしれないが、
一方、生きていくうえでのどうしようもない「居心地の悪さ」や
極端に言えば、精神的な病の一因にもなっているんだろう。
それでも「絶対的な正義」を求めるとすれば、いわゆる「善」「悪」
もっと言えば「言葉以前に存在する何か」に求めるしかないと思うな。
実際のところ、人間は繁栄や戦争や愚かしいことを繰り返しながら、
何か「ある場所」に向かって進もうとしているんじゃないかって思うこともある。
それはここで言ってる「正義」と呼べるものかどうかはわからないけど。
748 :
考える名無しさん:2007/11/12(月) 08:14:41 O
749 :
考える名無しさん:
嗜好にも趣味のよさと悪趣味なのがある。