1 :
考える名無しさん:
力への意思
ありえない力を夢想するルサンチマン
神々の闘争
倒しても倒しても次々とより強い敵があらわれ
毎回同じような戦いが飽きもせず繰り返される様は
まさに形而上学思惟の虚しさを示していると言える
ドラゴンボールを集めるという当初の目的が変容し
いつのまにか戦うことが自己目的化している件
6 :
考える名無しさん:2006/08/19(土) 08:28:57
結局ベジータはカカロットにかまって欲しくてしょうがない奴
7 :
考える名無しさん:2006/08/19(土) 09:47:44
語空は戦うのが好きだった。誰よりも強くなりたかった。どこまでも強くなりたかった。
とどめはささなかった。彼にとって相手は志しを共にする仲間だった。
彼は人間だった。
格の違う人間だった。
フリーザでさえ、強者には生きるチャンスを与えた。
惜しい
シェンロンは言い訳がうまい
11 :
Kurihara:2006/08/19(土) 11:00:44
新宮一成、樫村晴香、萱野稔人などが
「ドラゴンボール」に言及している。
新宮は「父殺し」の観点から(大猿化した悟空が育ての親の悟飯を踏み殺す)
樫村は「メタモルフォーゼ」の観点から(スーパーサイヤ人、フリーザ最終形態などに見られる変身)
萱野は「暴力」の観点から(過激な格闘シーン)
ゴハンのボッチャン学校受験の親面接にて、
面接官「お父さんの趣味はなんですか?」
ゴクウ「趣味って好きな事か?う〜ん、オラつええ奴とたたかう事が好きだ」
面接官「はあ…では尊敬する人は誰ですか?」
ゴクウ「ソンケイじゃねぇオラ、ソンゴクウだ!オメェ頭ワリィなあ」
面接官「…」
ドドンパこそ真理
哲学というより文学的に読んでるように見えるな。
15 :
考える名無しさん:2006/08/23(水) 08:16:24
ドラゴンボールがあっても自分の死は怖ろしいままだ。
誰かが生き返らせてくれるという保証はない。
クリリンが何度も生き返ることによって、生と死が相対化されてしまったように思う。
17 :
考える名無しさん:2006/08/26(土) 01:04:05
生命倫理学ではある。
>>11 3人とも有名人なの?
メタモルフォーゼは面白そうだが、父殺しは勉強不足+こじつけな香りがする。
19 :
考える名無しさん:
魔神ブーは天国も地獄も破壊できるから、
死は高次のもの(死→死後→消滅)になっただけ。