501 :
考えない名無しちゃん:
フランスの左派系哲学者でエコロジストのアンドレ・ゴルツ氏(84)
と妻のドリーヌさん(83)がパリ南東のオーブ県にある自宅で並んで
死亡しているのを近親者が発見した。
心中したとみられる。
AFP通信が24日報じた。
502 :
486:2007/09/25(火) 22:42:38 0
>>500 信者とかかぶれというレッテルだけで苦しまぎれに乗り切ろうとしているだけで
何も言ってない。唯一いったのは、また聞きでもいいじゃないかっていう馬鹿な発言だけ。
まずそれについてきっちり説明してから、大きな口をたたくこと。
俺への応答としては
>>496のきちんとしたレスだけで十分尽くされているので、
ごみみたいなゴシップでの立論は何にもいみはもたない。デリダと分析哲学
の並行性、分析哲学とひとくくりにすることの危険性・・・などなど、俺の興味と重なる
所が参考になった。
少なくとも、また聞きや、読んでいないサールの気持ちがよくわかる
テレパシーの持ち主をどういう理由で擁護できるのか教えてくれよ。
お前の、意見が近いから賛成するっていう節操のなさは、いかがなものなんだ?
俺は何度でも言うが、デリダの文学主義的だったりハイデガー的な
レトリックの危険性がないとは言ってない。
>>496の出した、ロックモア
によるデリダの批判も、またハイデガーのテクストに対する政治的な介入の問題
なども考える必要はあるとも思っている。
問題は読まずにサールの気持ちがわかったているかぶれでも信者でもない
テレパシーの持ち主のご都合主義、これはお前のご都合主義でもあるが、
それに対して形式的に切れてやっているんだから、早く気づけよ。
503 :
考えない名無しちゃん:2007/09/25(火) 22:54:56 0
>>486 しつこくて本当に申し訳ないんだけど、おまえの言ってることがさっぱりわからんのだよ?
あやまって済むなら、何かについてこの場で謝罪はさせてもらうよ、もちろんね。
その「ご都合主義」とかさあ、唐突になんなの?
「擁護」ってなによ?
「それに対して形式的に切れてやっているんだから、早く気づけよ。」これも
全体の文脈から完全に独立しているねえ?
おまえさあ、日本語はちゃんとできるのか?
ひどいよ、今回のレスは特にひどい。
なにを激怒してんの、このスレで?おまえさんニートだろ?俺は某シンクタンクの
研究員をやっているけど、仕事くらい教えてくれよ。
504 :
考える名無しさん:2007/09/25(火) 22:57:55 O
「また聞き」という事態に過剰に反応・嫌悪を示し、
生のテクスト体験との階層秩序的二項対立を作り上げ、
伝聞は二次的な、汚染されたものであるとして、ナンセンスなものとして葬り去ろうとする。
そこには一体どんな欲望が働いているのだろうか。
「サールの気持ちもわかる」程度の発言のあげあしとっておもしろいのか?
又聞きに基づいたその人の意見なら疑問も持つが、又聞きを紹介したに過ぎないのだからそんなに噛みつく必要性はないのでは?
んだね。あと、俺も
>>496で大した議題を言えてるわけでもないので…。
507 :
考える名無しさん:2007/09/25(火) 23:11:54 O
まあとりあえず落ち着け
508 :
486:2007/09/25(火) 23:12:34 0
>>503お前は馬鹿だからもう放置でいいが、お前が一番取り乱してるレスしてるよなw
俺はシンクタンクとか言い出したらもうおしまいです。ありがとうございました。
>>504 「伝聞」だから俺は全く責任をとれない、でも、読んでないサールの気持ちはわかるし、
そこからデリダのことも読まなくてもわかる、という状況と、「伝聞」、「噂」の構造的
問題を一緒くたにして、それを利用するお前の欲望をまず考えたほうがいい。
デリダが生のテクストと「伝聞」、「フィクション」の分離不可能性を述べることと、
伝聞だけで話すやつと、少なくともデリダのテクストに基づいて話すやつとの
ここのでの対立を無化したらだめだろ。そういうのは脱構築とは言わない。
何でも一緒なんですよっていう相対主義的なバカ読解こそお前のようなへたれがやる。
お前もまた無責任の方便としてのデリダ利用をしているだけだ。
さもそれっぽく書いてもお前の無責任さは隠せないよ。まずお前の
その対立無化の欲望こそ分析されるべきだろう。
509 :
考える名無しさん:2007/09/25(火) 23:20:28 O
まあまあ、
>>497も読まずに批判してるわけじゃないみたいだしさ、
とりあえず落ち着きなよ。
510 :
考える名無しさん:2007/09/25(火) 23:24:48 0
511 :
考える名無しさん:2007/09/25(火) 23:27:52 O
いわゆる「分析哲学」と「ポスト構造主義」の対立みたいに見えちゃうから、白熱してしまうのだろうか。
そこで、ワンクッション置いて違う角度からってことで、ガダマーとデリダの論争について語ろうぜ。
512 :
考えない名無しちゃん:2007/09/25(火) 23:38:02 0
>>486 そうか、やっぱりニートか。
こっちから言ってやったんだよ、図星じゃあ仕方ないよね。
名前は少しだけ違うからもう区別つくよな?
>>508の文章も滅茶苦茶なんだもん、どうしたの?
おまは基本的に批判対象ではないし、こっちは伝聞を紹介してやっただけ。
簡単に作文できるような程度の話ははさあ、作文しなよ、ニートのあんちゃん。
こんなに短い文章すら作文に手間取るようじゃあ、笑いものだぞ。ぼく、きいてるかい?
操作子とかいう未定義の扇動用語はむやみに使わないことね、まず。
脱構築の意味は結局デリダも定義出来なかったしね。
それから後半は
>>504へ「へたれ」か(笑)
失礼な奴だね、ぼくちゃんは。
手に負えなくなると、投げ出すニート特有の「切れてしまう状態」。
もう俺以外の人にも程度がみぬかれちゃったね。
こんな2chなんかで、マジ切れする奴ってまだいたんだ。
面白かったよ、いまさあ、会社の連中が見て大笑いしているんだけど、
おまえみたい本当に程度が低い人間にはみんな優しいよ、荒らさないから
誰もね。さいなら、ニートのヒステリー坊や、バイバーイ(笑)
彼はただ「シンクタンク」言いたかっただけと違うのかと
まあ、サール・デリダ論争に関しては
論争というわりには論が噛み合ってないというのが大方の見解じゃねーの?
514 :
486:2007/09/26(水) 00:04:13 0
>>513 ハイデガー・カッシーラー論争も読んでいてなんて噛み合わない
論争だと思ったもんだが、つまり用語の意味合いが全く違う。
カッシーラーは現存在なんて全く想定していないのに、ハイデガーは
現存在から話し始める。あれは歴史的な新カント派との絡みで読めば
いろいろ読めるとしても。
じゃあ、サールとデリダは全くかみ合ってないかというと
>>492のいういみで、
あれをアカデミックの枠内でかみ合っているかといえば問題がある。
デリダの応接が公平なものだったかも含め。
でも、思想的な並行性はあったともいえる。デリダは行為遂行性、言語と行為の
間を考えてたわけで、サールとデリダの間にはテレパシーがあったと考えてもいいとは思うんだよね。
ちょっと上の方でクリプキとデリダはまったく相いれないようなレスがあったけど
読んでみると固有名の問題で重なっていると読める。そういう並行性を
見つけるというのは意義があることだと思う。
蛇足をつければ、シンクタンクとニートという対立軸をもってくるようなやつが、
まともに読めているとは思えないけどね。シンクタンクなんて器用な人がなるもんでしょ
515 :
考える名無しさん:2007/09/26(水) 00:45:17 O
君ら、そろそろいい加減にしときなさい。
503=512の必死ぶりにワロタw
↑↑
同感ですね
でも定期的に湧いてくる刺客を返り討ちにしたようでいて
何にも理解していないデリダニ513と514ですか
まあ痔炎ですけどね哀しい一人芝居さね
一句
デリダニは 秋の虫なり 潰して遊べ
518 :
考える名無しさん :2007/09/26(水) 15:55:29 0
>>517 あはは、デリダニかあ、上手いこと言うじゃん
でもさあ、そのデリダニは悪気はないと思うよん。
そいつ、空気読めないだけだからねん。
器用コンサル氏もさあ、せっかくいいレスしてくれたんだから
もっとオレたちの知らない伝聞おしえてよ。
デリダニ氏は無視すればいいじゃん
オレも伝聞を聞きたいよん。
ま 翻訳本も誰かの翻訳だから
伝聞のようなもんだけれどねん♪
「郵便」じゃなくて「伝聞」ね、
いい言葉がこのスレから誕生したな。
じゃあ、以下みんなで、
「伝聞」について語ろうじゃないか!
お断りだ
522 :
考える名無しさん :2007/09/26(水) 18:20:18 0
「伝聞」か、難しいテーマになりそうだな…。
器用コンサルが言ってた「伝聞」は普通に使う〔伝聞〕とは確かに違うよね。
「メタ伝聞」と言い直したほうがはっきりしそうだ。
デリダニが批判した《伝聞》は〔伝聞〕に近いように思える。
器用コンサルの「メタ伝聞」とはどういうことか、つまり語の意味の側面が
明らかにスライドしているということだ。
ラカンとソシュールはこの辺の定義が違うから、ここではソシュールの意味での上記述としよう。
ではデリダニは器用コンサルの「メタ伝聞」に気づいていなかったのかというと、そうではない
だろう。むしろデリダニは器用コンサルの「メタ伝聞」を受け取っている。しかしそれを無視した。
これは戦術的なものだろうか、そうではないみたいだ。とするとデリダニは器用コンサルの「メタ伝聞」
をあえて隠蔽して〔伝聞〕という常用漢字の意味であることを強行した。
隠蔽するということは都合が悪いから隠蔽したわけである。
思い切って核心に一足飛びしよう、器用コンサルのディスクールはデリダニにとっては羨望の他者のディ
スクールであり、器用コンサルは「父の名」としての存在とも化したのだろう。
俺の「伝聞」序章のほんの一部はこんなところかな。
「論争」の不毛さ といわれた路線そのものをやってる馬鹿がいるな。
こういう展開、こういう言及の対象にされるがゆえに「不毛」だといわれたはずなんだが。
524 :
考える名無しさん :2007/09/26(水) 19:38:50 0
>>523 へ
違うよ
「論争」には「不毛な論争」と「重要な論争」がある
どちらも結果であり、解釈する人間ごとに違う
「不毛」だといわれたはずなんだが→「不毛」だ といわれた はず なんだ が
上のように文を分解してみよう
断定 伝聞 不確定 断定 疑問
このように単純に一文を抜き出しただけでも筆者の「心の揺れ」が見て取れる
この筆者(推定デリダニ)は自分の意見がが決定されてしまうことを極度に恐れているのだ
不安なる「自己」の表出は「断定」し「負けない」ためにはあらゆる表現を駆使する
しかしそれは意識的行動ではない
「負けない」ための「必死の抵抗」は自らの論を分裂させる
そして筆者(推定デリダニ)はシュレーバーのように「言葉」ばかりか「存在」すらも喪失する
そう、これが「逃走犯」の悲しい末路なのだ
筆者よ、これを「明記」しさらに「銘記」したまえ
精神の自死から逃れるためにはそれしかないのだから
き‐よう【器用】[名・形動]
1 からだを思うように動かして、芸事・工作などをうまくこなすこと。また、そのさま。「手先が―だ」「―に箸(はし)を使う」
2 要領よく、いろいろな物事を処理すること。また、そのさま。「何事も―にこなす」
3 抜けめなく立ち回ること。また、そのさま。「世渡りが―だ」
4 不平不満なく、受け入れること。いさぎよいこと。また、そのさま。
5 すぐれた才能のあること。また、その人。
やっぱりひぐらしはおもしろいな
ごめ誤爆
528 :
考える名無しさん:2007/09/27(木) 21:03:55 0
「マルクスの亡霊たち」を買ったが4940円と言われ、高いなと思い
思わず「グフェ!」といってしまい、店員が唖然とした。
529 :
考える名無しさん:2007/09/27(木) 21:07:21 0
「マルクスの亡霊たち」を買ったが5040円と言われ、高いなと思い
思わず「グフェ!」といってしまい、店員が唖然とした。
530 :
考える名無しさん:2007/09/27(木) 21:10:53 0
「マルクスの亡霊たち」を買ったが5140円と言われ、高いなと思い
思わず「グフェ!」といってしまい、店員が唖然とした。
今まで人文書を買ってきてるのなら、その値段は普通に買えるくらいの感覚になってると思うのだが・・・
532 :
考える名無しさん:2007/10/02(火) 19:03:05 0
「マルクスの亡霊たち」を買ったが5140円と言われ、高いなと思い
思わず「アーーォ!」と言ってターン一発決めた後に腰を落としキンタマを掴むような動作をしてしまい、
店員が唖然とした。
値段がどうこうではなく、フジワラの本を買うときには「てめー、足元見てぼったくりやがって
、おまいの師匠の佐藤金三郎が生きてたらピース缶ぶつけられるぞ」という怨念から意図せずして
奇声を発してしまうのよ。
藤原はこの前だしたハイデガー×ラクー・ラバルトの方が割高感があったなぁ。
今ちくま学芸文庫の『声と現象』を読んでいます。
これが一冊目のデリダで、すごく苦戦しながら少しずつ読み進めているのですが、
お訊ねしたいことが二つあります。
1.p67の注釈に音声的エクリチュール(=表音文字)というのが出てきます。
これはエクリチュールの純粋な音声的部分らしいのですが、それってパロールと同じなのでしょうか?
2.あと音声的エクリチュールというのは人間の五感のうち聴覚に対応していますが、
他にも嗅覚的エクリチュールや触覚的エクリチュールというものはないのでしょうか?
どなたかご教示頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。
536 :
考える名無しさん:2007/10/11(木) 11:12:22 0
亀田切腹age
537 :
考える名無しさん:2007/10/14(日) 19:12:40 0
うはー誰も答えてくれないー
>>537 答えてくれないのではなく、
全員の合意を得れるような答えなんて無いから
答えられない、と考えるべきじゃないかな。
というか、答えを求めるような読み方はよくないな。
もうちょっと批判的に読まないと、肝心なところが
見えてこない。答えがわからないからこそ、
解釈がいろいろあるからこそ、デリダは何冊も本を
出版できたわけだ。
はっきりとした答えがあるなら、デリダの主張は
コピー用紙一枚で終わってしまう。
539 :
考える名無しさん:2007/10/15(月) 00:00:04 0
じゃあデリダ初心者の俺が答えてみる。
>>535 1.音声的エクリチュールは、=表音文字と書いてるように
単に表音文字のことを指しているのではないのかな。
パロールは純粋な発話行為でしょ。
まあデリダの言うエクリチュールの意味って文脈によって違ってくるから
よくわからんけど。
>>535 嗅覚も触覚も、それが感覚として感じられるのならそこに差異化が起こってる
はずだから、当然触覚的エクリチュールというのもあるだろう。
ただしそれを目に見える形で表現するのは難しいだろうけど。
540 :
考える名無しさん:2007/10/15(月) 00:56:19 0
>>538、
レスありがとうございます!
答えを求めずに批判的に読む……そうできるように頑張ってみます。
解釈がいっぱいあるのは分かるんですが、僕みたいな初心者だとただの誤読になってしまう
恐れがあるのでこれからもよろしくお願いします。
>>539の説明は分かりやすかったです。ありがとうございます。
エクリチュールってシニフィアンって言葉と置き換えられるイメージで読んでます。
一番質問したかった聴覚以外の五感に対応したエクリチュールの回答が得られて満足しています。
点字やモニュメントの「LOVE」とかって触覚的エクリチュールだなって思ってたんです。
>>535 触覚的エクリチュールってのは、点字の問題として展開できる議論かもね。
542 :
考える名無しさん:2007/10/15(月) 18:33:15 0
視覚と聴覚は脳の中で別な風に処理されているという話もあるから、
その辺に注目して解釈しなおして何かに応用してみると面白いかもね。
もう誰かやってるかな。
543 :
535:2007/10/17(水) 10:39:13 0
>>541、
>>542 嗅覚についても、例えば「公衆便所」とか「ワキガ」とかいう文字見たらなんか臭くないですか?
エクリチュールから匂いがすることもあると思うんです。
触覚と組み合わせると、点字から錆びた鉄の匂いがする場合、その点字は
触覚的で嗅覚的なエクリチュールということになりますね。
そして点字を撫でている時に音がするならその場合は聴覚的エクリチュールになる。
ていうの考えたんですけどどうでしょう?
サイエンス社で高橋とかが訳しているのかと思ってたが、そのうちおじゃんになったがちゃんとみすずが出してくれるのね。
でも、合田さんか・・・デリダとか平気なのかな?
合田は以前、『ユリシーズ・グラモフォン』訳したよ。
合田の出自はメルロだったと思うから、割に遠くないはずだが。
547 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 23:39:19 0
合田さんは何でもこなせる気がするw
でも、結構訳が雑だって聞いたことあるけどなぁ、合田。
いや、実際に細かく検討したことないから偉そうなこといえないけど。
>>544のは共訳だね。
多分荒金という若手に下訳をやらせて
合田が手を入れるというパターン。
出来は下訳次第。
550 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 10:59:15 0
荒金のフランス語の授業出てたが、とてつもなくつまらなかったw
あまり切れ者という印象も受けなかったな。
ただフランスに留学してたみたいだし、一応フランス語力はあるんじゃない?
おお、デリダの修論の邦訳がでるのか。
以前あの本は、デリダが23才のときの作だと知って
腰を抜かした記憶がある。
552 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 22:47:49 0
さすがノルマル。
秀才ではなかったと聞くが、それは面接に限ってのことだったんだろうな。
553 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 01:02:18 0
YO、自称「学燈」さんらよ
何、社会の木鐸自任してんだよ
あんたらに誰もそんな期待してねぇよ
日本社会は<分>社会なんだよ
才(ざえ)は目出度くとも、分を知らぬは恥ww
以上が、普遍的民威の一具現の芟言だ
>>550 荒金って建築学科出身なんだな・・・変わりもんだ。
『マルクスの亡霊たち』帯に載ってた告知
近刊
別冊『環』13 ジャック・デリダ
〈講演〉「赦し、真実、和解――ジャンルは何か?」(生前最後の講演) デリダ
〈講演〉「希望のヨーロッパ」 デリダ
〈対談〉「言葉から生へ」 デリダ+シクスー
〈鼎談〉「映画『デリダ、異郷から』をめぐって」 ファティ+鵜飼哲+増田一夫
〈寄稿〉バディウ/カムフ/浅利誠/鵜飼哲/藤本一勇/増田一夫/港道隆/守中高明ほか
環の特集はつまらんのが多いが・・・
557 :
考える名無しさん:2007/11/04(日) 15:39:42 0
うむ
>>3 >『フッサール哲学における発生の問題』高橋哲哉・檜垣立哉
>ほか訳 サイエンス社
これどうなったんすかw
559 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 00:49:48 0
ボツでしょ
今度合田が出す
>>558 ボツになったけど、みすずから違う人の翻訳で今月でるよ。
2007年11月21日発行予定
フッサール哲学における発生の問題
[著者] ジャック・デリダ [訳者] 合田正人 [訳者] 荒金直人
A5判 タテ210mm×ヨコ148mm/360頁 定価 6,720円(本体6,400円)
ISBN 978-4-622-07352-9 C3010
えっと、360ページで6720円はボリすぎかと・・・
せめて5000円にしてくれよ。
>>561 >定価 6,720円
高杉。。。とても手が出ない。。。
いつも思うんだけど、学術書って、高い→売れない→どんどん高価に→売れない…
負のスパイラルなんだよな。これじゃ、いずれ破綻するわな。
「ホームレス中学生」みたいなクソ本は学術書とセットで売れよw
>>563 それいいなww
「ホームレス中学生」目当てで買って、学術書はブクオフヘ→安く買えるww
いつも思うんだけど、みすずって他の出版社より割高だよね。
こっちは4000円か。何故だかお得に感じるwww
>>568 ページ数で割れば納得できるし、人文書だから理解できる。
みすずの一ページ18円はさすがにねー。
みすずは明日倒産するかもって会社だから仕方ないよ・・・。
フッサール哲学における発生の問題
LE PROBLEME DE LA GENESE DANS LA PHILOSOPHIE DE HUSSERL
著者 ジャック・デリダ
訳者 合田正人
訳者 荒金直人
ジャック・デリダが20代で書き上げた最初の著作である。1953年から54年に修士論文として執筆され、周囲の強い勧めにより1990年にようやく刊行された。
本書でデリダは「発生」の問題を導きの糸として、驚くべき精密さでフッサールの思考の道程を辿っていく。
〈この道のりの全体を支配する問いは、すでに、「いかにして基盤の起源性がアプリオリな綜合でありうるのか。いかにしてすべてが錯綜から始まりうるのか」というものだ。現象学的言説が構築される基盤となるすべての境界が、
このようにして、「混交・感染」の運命的な必然性によって問いただされることになる。〉(「はじめに」)
フッサールとともに、フッサールに反して、幾重にも折り畳まれ練成していく特異な思考の道筋は、現象学が当時及ぼしかつ蒙った影響への見取り図を与えながら、脱構築のスタイルを予告するものである。
弁証法から差延へ、代補や痕跡の思考へ、のちに展開される思索のすべてが萌芽の形で凝縮された、哲学者デリダの出発の書。
買うしかないな!
印象、デリダらしいくない感じの本だな。
俺は昔のデリダより最近のデリダの本ばっかり読んできたせいか、なんか体系的になってるまじめな文章だと違和感が・・・
比較的最近の著作だとほとんどが公演がもとになっているせいか、こういった体裁ではないんだよね。
昔の本を見てもこういう感じではないし、やっぱり学生の頃の論文だから、こういうスタイルにせざるおえなかったんだろうね。
修論なんだから、らしくないのは当然かと・・・
574 :
考える名無しさん:2008/01/07(月) 18:34:04 O
詩文3科目軽量入試脳の馬鹿田生は、哲学専攻のくせに、「記号論理学は抽象的すぎてわからん」などとほざき、
ポモや、自分の数学ル・サウンチ鏝を晴らすためだけの浅薄な相対主義・反自然科学に熱を揚げるww
あわれ滑り止め馬鹿田生www
878 考える名無しさん sage 2008/01/07(月) 02:16:16 0
確かに早稲田生は頭悪いヤツ多いと思うよ。
しかし、ルサンチマンの塊は教員の方だよw
ポストモダンマンセー厨はほとんどがフランス哲学、
フランス文学のヤシだ。
難解な言葉いじくって思想してるかっこいいオサレな俺様的な
自己陶酔オナニー臭しか感じられなくて、
私もこいつらは不愉快だ。
ポストモダン厨は頼むから、仏文行ってくれ。
結局、環の特集買った人いるの?
近くの本屋ではずっと山積みなんだけどw
今回の環の別冊は、メンバーはそう悪くないけど、いかんせん値段が。
3800出すなら、ハイデガーとかのテキスト買いたくなってしまう。
2000前後ならもうちょっと買う気になるんだけどね。
でも環はバックナンバーが消えにくいから、3年以内にこの号もつい買ってしまうと思うが。
ふたこと って事はエッセイが2つ?
「ユリシーズ グラモフォン」は英語で読んだが、極めて不愉快な内容だった。
ユリシーズ グラモフォン―ジョイスに寄せるふたこと (叢書・ウニベルシタス) (単行本)
ジャック デリダ (著), Jacques Derrida (原著), 合田 正人 (翻訳), 中 真生 (翻訳)
¥ 2,310
「今となってはジョイスについて何かを書くのは非常に困難である。が、ジョイスについて何かを語るのはもっと難しい。そうではあるが、何かを話すよう努めてみたい-。」デリダによるジョイス論。
http://www.amazon.co.jp/dp/4588007238
578 :
第三の波平 ◆q5y3ccmqnw :2008/02/14(木) 01:19:11 0
『時間を与える──贋金』 みすず書房 どなった?
月曜から「条件なき大学」が出るとのこと。
しかし、こんなの買う気が起きないな。
それしょっちゅう言われてるよなぁ。
さすがにショボイと言われていたのは「雄羊」「フィシュ」だけど、その他の小著は小著だけど大事みたいな扱い。
翻訳されているものについての話だけど
個人的にはデリダ最後の書であるL'animal que donc je suisを早く訳して欲しい
583 :
考える名無しさん:2008/02/28(木) 06:59:26 0
東浩紀の「動物化するポストモダン」ってのはデリダのその
アニマルなんとかってのから来てるのか?
>>583 むしろコジェーヴのヘーゲル講義から。
しかし東の議論では、コジェーヴの動物論と不可分な、
弁証法と歴史の停止・終焉という主題が掻き消えてちょっと意味不明。
デリダの言うハイデガーにおける人間/動物の区分とは何の関係もないと思う。
しかし動物化するポストモダン刊行より以前に
東自身がこのデリダ/ハイデガーの議論にかんして論文書いてるから、
一見つながっていそうな奇妙な受容があるのかもしれない。
コジェーヴにおける動物論、ハイデガーにおける人間/動物の境界論については、
それぞれコ『ヘーゲル読解入門』、ハ『形而上学の根本諸概念』が、その議論の発端にあたる。
この二つについて、小著ながら安価に手に入る本で言うと、アガンベン『開かれ』がある。
585 :
第三の波平 ◆q5y3ccmqnw :2008/02/28(木) 09:14:59 0
アガンベン『開かれ』にあるように、人間/動物というのは人類学機械として、
西洋思想の根底に流れてきたもので、要するに「人間の尊厳」という倫理の基本。
人間(の尊厳)は動物との差異でしか見いだせない、という。
当然、ヘーゲル−ハイデガーコジェーブとつながっている。
それでも、コジェーヴの動物論は、ヘーゲルの人間/動物、歴史の終焉を
継承していて、東はコジェーブそのまま。
ヘーゲルの歴史の終焉では、フクヤマも有名だけど、
結局、東もフクヤマも資本主義(経済)が最終形ってことでしょ。
東=ヘーゲルってのは謎だなwwwデリダはどうしたwwww
587 :
第三の波平 ◆q5y3ccmqnw :2008/02/28(木) 09:29:02 0
ヘーゲルによればホモ・サピエンスはそのままで人間的なわけではない。人間が人間であ
るためには、与えられた環境を否定する行動がなければならない。言い換えれば、自然と
の闘争がなけれならない。対して動物は、つねに自然と調和して生きている。したがって、
消費者の「ニーズ」をそのまま満たす商品に囲まれ、またメディアが要求するままにモード
が変わっていく戦後アメリカ消費社会は、彼の用語では、人間的というよりもむしろ「動物
的」と読まれることになる。
「動物化したポストモダン」 東浩紀 (ISBN:4061495755)
ホモ・サピエンスは、明確に定義された実質でも種でもない。むしろそれは、ひとつの機
会、あるいは人間認識を生み出すためのひとつの装置なのである。・・・この人間発生装置
(人類学機械)は、人間が見つめると自分の姿がつねにすでに歪んで猿の容貌として見え
るような一連の鏡からなる、ひとつの光学器械なのである。人類とは「人間の形をした」も
のとして構成された動物であり、この動物が人間的たりうるためには、人間ならざるものの
うちにみずからを認識しなければならないのである。
「開かれ」 ジョルジョ・アガンベン (ISBN:458270249X)
>ヘーゲルによれば
デリダ派の東がなぜ「ヘーゲルによる」んですか?wwwwwww
デリヘルってどうよ?
590 :
考える名無しさん:2008/02/28(木) 10:33:53 0
珍奇な我流ヘーゲル論開陳すんな、この腐れ豚=ハゲ
>>588 波平の論旨はさておき、
デリダとヘーゲルが密接に関わってるってのは事実なんだよ。
だいたい、日本知識人は、私の「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」と、佐々木毅(現東大総長)の
「アメリカの保守とリベラル」(講談社学術文庫)が現れるまでは、現在のあるいは、この100年ぐらいの、現代
アメリカ政治知識人たちが、一体どういう人たちであり、どういう思想を持っていて、それはヨーロッパの知識人の
伝統から、どのように分岐していったのかまったく分からなかったのだ。
政治思想系の日本の知識人たちというのは右(保守派)だろうが、左(リベラル派)だろうが本当にひどいものなのだ。
昔、大繁栄したドイツ思想や、ドイツ哲学の研究者や、フランス思想の紹介・解説専門の知識人たちも今から考えれば
相当にひどかった。しかし、日本の文科系で一番頭のいい者たちは、70年代までは、ドイツ語かフランス語に熱中した
人々だ。英語系は馬鹿だけが行った。真面目に、一生懸命、ドイツ語やフランス語を勉強して、なんとかこの独仏思想系
の秀才たちがヨーロッパの知識と伝統に接近しようとした、涙ぐましい努力は、私も同情するし馬鹿にしない。誰が
やってもあんなものだっただろうから。きっと生来秀才だった日本人たちが、真剣に「文化移植」使用としてもこの程度
だったのだ、と憐れみの気持ちで同じ東アジアの原住民知識人として共感できる。
ところがアメリカ理解となるとこれが桁違いにひどくなる。今もひどい。 「一体、アメリカ合衆国なんかに政治思想
なんかあるのか?」という態度で、岩波・朝日文化の連中が、ずっとそういう感じで何十年もやってきた。彼らが、
ソビエト思想の精神的な奴隷だったから、ではなくて、そもそも、英語でアメリカ知識人から、しっかりとした
「世界基準での政治思想」を学んだ人間がいないのだ。また日本でアメリカ研究をやる連中が、政治思想も思想センス
もないうえに輪をかけて頭が悪くて、「政治思想」というのは、そもそもこういうものなのだ、という理解の基本枠が
ない人々だ。このような生まれたときから政治思想理解の適正を欠いた人間たち(即ち、日本の大学の文学部出の
アメリカ研究のような連中)が、アメリカ思想を自分たちの縄張りとしてやってきた。自分は左翼ではない、という
信念だけに支えられて。本間長世(成城学園園長)に、最大の責任がある。
この人が、公然と、アメリカのロックフェラー系に見込まれて育てられた、「日本人アメリカ研究学の一番偉い先生」
だものだから、日本のアメリカ研究(アメリカン・スタディーズ)は世界最低にならざるを得なかったのだ。
副島隆彦「属国日本論を超えて」P226~227
とりあえず東スレ行けよ 何のことかと思ったぞ
余白 下でたよ
下巻は背表紙を見るかぎり、藤本単独訳となっている。
まあ、高橋訳を下敷きに参考にはしてると思うけど。
>>597 昨日、本屋で見かけたが、
既訳との関係はなぜか触れられていなかった。
600 :
598:2008/03/06(木) 13:16:14 0
素朴な疑問なんだけど、■ ジャック・デリダってスレ無くなってるね。ちょっと前まであったような気がしたんだけど。
「形式と意義作用」は高橋訳を、
「署名 出来事 コンテクスト」は廣瀬訳をそれぞれ持ってるから、余白下を熟読したときには、
訳語の異同対照を整理してここに投下してもいいよ。まあ、忘れたごろに書くってことで。
「署名〜」は『有限責任会社abc』にも入った新訳もあるから、何気に3種類も翻訳あるんだね…。