1 :
考える名無しさん :
2006/07/25(火) 12:53:50 8月15日で没後十年。 いま、丸山眞男を再び語り合うスレ。
2 :
関連現行スレ :2006/07/25(火) 12:56:35
3 :
関連現行スレ :2006/07/25(火) 12:57:37
4 :
基本データ :2006/07/25(火) 13:00:25
5 :
考える名無しさん :2006/07/25(火) 13:07:27
6 :
考える名無しさん :2006/07/25(火) 15:07:48
age
7 :
考える名無しさん :2006/07/25(火) 15:56:06
【論文】 柄谷行人「丸山真男とアソシエーショニズム」 (「思想」8月号・岩波書店)
8 :
考える名無しさん :2006/07/25(火) 16:27:30
質問 丸山眞男って左翼ですか?
9 :
考える名無しさん :2006/07/25(火) 16:33:56
学生運動華やかななりし頃、全共闘に研究室占拠されそうになって対立したはず。 吉本隆明にも批判されてる。 だから左翼ではない。 右翼かどうかは不明。
10 :
考える名無しさん :2006/07/25(火) 16:38:55
まさおだけはガチ
11 :
考える名無しさん :2006/07/25(火) 19:32:41
学生運動やってた連中が似非左翼だったということ
12 :
考える名無しさん :2006/07/25(火) 19:58:59
>>8 70年代ぐらいまでは、右派から見れば進歩的知識人ということで左派扱い。
80年代以降は、左派から見れば国民主義者ということで右派扱い。
要するに論者の立場によって、左翼・リベラル・右翼という異なる位置づけになる。
丸山は近代主義、教養主義で ナショナリズム的なところもそこそこ あるから文字通り中道じゃないの?
頭が良いのはわかるが、嫌い。 加藤尚武の丸山批判を読んで、もやもやが少し消えた。
15 :
考える名無しさん :2006/07/27(木) 16:05:23
16 :
考える名無しさん :2006/07/27(木) 21:36:54
フーコーとの対談は活字になってないの?
今こそ右翼扱い
19 :
考える名無しさん :2006/07/31(月) 12:06:16
『思想』2006年 第8号 No.988
164ページ 定価 1,400円
特集=丸山眞男を読み直す
思想の言葉 佐々木 毅(2)
国際政治論のなかの丸山眞男――大正平和論と戦後現実主義のあいだ――酒井哲哉 (5)
回想と忘却――丸山眞男の 『神皇正統記』 論をめぐって 苅部直 (26)
丸山眞男における 「政治」 孫 歌(36)
丸山眞男とアソシエーショニズム柄谷行人 (54)
丸山眞男における 「自由」 と 「社会主義」 三宅芳夫 (70)
近代の彼方――歴史意識を手がかりに大澤真幸 (89)
丸山眞男の憲法論――宮沢俊義との関係高見勝利 (104)
丸山眞男と社会主義――いくつかの断面米 原 謙 (120)
政治社会の内部と外部 ――丸山眞男の位置をめぐって―― 都 築 勉 (146)
http://www.iwanami.co.jp/shiso/0988/shiso.html
20 :
考える名無しさん :2006/08/24(木) 11:57:11
「未来」2006年8月号(No.479) 《丸山眞男没後10年特集》 『〔増補版〕現代政治の思想と行動』への想像上の「追記」 石田雄 「知」への出発点としての丸山眞男 筑紫哲也 丸山思想史学、遠望する灯火 安丸良夫 アジア史研究から見た丸山政治思想史学 趙景達 引き継ぐということ──丸山眞男と竹内好 菅孝行 思考の起点について 市村弘正
21 :
考える名無しさん :2006/09/04(月) 15:04:20
丸山真男《日本の思想》読ませていただきました!私は彼の論じる日本の政治文化 の特性がよくわかりません!どなたかわかり易く説明していただけないでしょうか?
22 :
考える名無しさん :2006/09/06(水) 12:46:09
>>21 ・所与の現実や実感に重きを置き、抽象的な制度や理論を嫌う「実感信仰」
・外来の制度や思想を、それらが生み出された抽象化プロセスや精神性に注目せずに、完成品としてのみ受け取る「理論信仰」
これらの傾向によって制度や思想のフィクション性・可変性が理解されず、現実と同じ水準で比べられることで常に理論が退けられてきた。
退けられた理論はまた別の理論にまるごと取り替えられ、他の思想とは無関係な位相に無秩序に蓄積されるだけ。
したがって日本にはフィクショナルなレベルで制度や理論を考え、新思想と対決し、新たな思想を構築するための伝統が存在しない。
以上のことから、日本の思想には「精神的雑居性」が著しい。
漏れの理解ではこんな感じ。テキトーにまとめたので正確でないかもしれんが。
しかし書いてて思ったが、ここから「古層」論まではあと一歩なんだな。
23 :
考える名無しさん :2006/09/06(水) 17:43:29
日本では「思想」は、知的アクセサリーのような机上の価値しかないから
24 :
考える名無しさん :2006/09/06(水) 22:25:15
22さん!俺もその本読んだことあるんだけど、最初の方に書いてあって 無構造の伝統がよくわかりません!超わかり易く噛み砕いて教えてください!
25 :
考える名無しさん :2006/09/06(水) 22:34:47
>>22 いいまとめだと思うよ。暇があったらでいいんだが、Wikiの「イデオロギー」の項目を
修正してくれると助かるんだが・・
<<Wikiより抜粋>>
丸山眞男は『日本の思想』のなかで、日本社会においては伝統的にイデ
オロギー批判が理論的・政治的立場でおこなわれることがなく、現実肯
定という形で既成の支配体制への追従が繰り返されてきたと述べた。こ
の現実肯定という形である種の理論を無価値化することを丸山は「実感
信仰」とよび、西洋の「理論信仰」と対置させているが、・・・
丸山眞男氏について、谷沢氏は「国民を冷酷に二分する差別意識の権化」とし て、丸山氏の著書よりの引用として<次に問題へのアプローチの仕方として前 もつておことわりしておきたいのは、日本ファシズムをいう場合、何よりファ シズムとは何かということが問題になってきます。「お前いきなり日本ファシ ズムというが、日本にそもそも本来の意味でのファシズムがあったか、日本に あったのは、ファシズムではなくして実は絶対主義ではないのか、お前のいう ファシズムの本体は何であるか」という疑問がまず提出されると思います。こ れについても私は一応の回答は持っておりますが、ここで最初にそれを提示す ることはさけます。そういうことを、お話すると勢いファシズム論一般になっ てきます。ファシズムについてはいろいろな規定がありますけれども、こうい った問題をここでむしかえす暇はとてもありません。そこでここでは不明確で はありますが、ひとまず常識的な観念から出発することにします。> 「増補版 現代政治の思想と行動」(昭和三九年五月三十日・未来社)・p三〇 これは丸山氏が昭和二二年六月二八日に東京大学法経二五番教室において「 日本ファシズムの思想と運動」と題しておこなった講演です。谷沢氏は問題の 根幹をなす日本ファシズムの本体は何かという解答はこの講演録だけでなく、 丸山氏の著書「増補版 現代政治の思想と行動」のどこにもでてこないと指摘しています。 根拠も示さずに丸山氏は<それは日本ファシズム運動も世界に共通したファ シズム・イデオロギーの要素というものは当然持っているからであります。>・p四〇 と書きます。
そして、丸山氏は日本にファシズム運動があったか否かのなんの検証もしないままに、 <日本におけるファシズム運動も大ざっぱにいえば、中間層が社会的な担い手になって いるということがいえます。しかし、その場合に更に立ち入った分析が必要ではないか と思います。わが国の中間階級或は小市民階級という場合に、次の二つの類型を区別し なければならないのであります。第一は、たとえば、小工場主、町工場の親方、土建請 負業者、小売り商店の店主、大工棟梁、小地主、乃至自作農上層、学校教員、殊に小学校・青年学校の教員 村役場の官吏・役員、その他一般の下級官吏、僧侶、神官、というような社会層、> <第二の類型としては都市におけるサラリーマン階級、いわゆる文化人乃至ジャーナリ スト、その他自由知識職業者(教授とか弁護し)及び学生層>・p六三 <学生層ー学生は非常に複雑でありまして第一と第二の両方に分かれますが、まず皆 さん方は第二類型に入るでしょう。こういったこの二つの類型をわれわれはファシズ ム運動をみる場合には区別しなければならない。> <わが国の場合ファシズムの 社会的基盤となっているのはまさに前者(第一の類型)であります。第二のグループ を本来のインテリゲンチャというならば、第一のグループは疑似インテリゲンチャ、 乃至は亜インテリゲンチャとでも呼ぶべきもので、いわゆる国民の声を作るのはこの 亜インテリ階級です>・p六四 <先にあげた第一の範疇(「小工場主、町工場の親方」以下を指す)は実質的に国民 の中堅層を形成し、はるかに実践的行動的であります。> <しかも彼らはそれぞれ 自分の属する仕事筋、或は商店、或は役場、農業会、学校など、地方的な小集団にお いて指導的地位を占めている。日本の社会の家父長的な構成によって、こういう人達 こそ、そのグループのメンバーー店員、番頭、労働者、職人、土方、傭人、小作人等 一般の下僚に対して家長的な権威をもって臨み、彼ら本来の「大衆」の思想と人格と を統制している。
(中略)にもかかわらず彼らの「小宇宙」においてはまぎれもなく、小天
皇的権威をもつた一個の支配者である。いとも小さく可愛らしい抑圧者であ
ります。>・p六五
と、驚いた事に日本の中間層がその日本ファシズムの担い手であったと断定
し、弾劾し、職業によって二つに分けます。
谷沢氏は東大でおこなわれた丸山氏のこの講演について
<日本社会の中堅層をここまで軽蔑して、見下して、踏みつけにして、悪し
ざまに罵った文献は史上最初の出現ですから、日本人による日本国民への徹
底した罵倒として、外国人の立場からまことに、まことに興味ぶかく多くの
人の手から手へ読みまわされたことでありましょう。>と著書「悪魔の思想」
に書いています。・p八六
丸山氏自身がその著書「現在政治の思想と行動」の執筆動機について、み
ずからの回想として<私は日本社会の恥部をあばこうと試みている>「後衛
の位置から」p一〇
と自認しています。
http://www.tamanegiya.com/nonnbee.html
無理を重ねて、それでも日本にファシズム運動があると言い張らねば気のすま ぬ丸山眞男氏について谷沢氏は「身に安全なものは罵り、危険なものには擦り 寄る卑屈」と断じています。p九〇〜九一 同じ様に丸山氏について、平成大学学長である中村勝範氏が「正論」二〇〇 三年一一月号において「変節者の典型であった丸山眞男の神国日本論」という 論文を発表されています。以下はその中村氏の論文によるものです。 中村氏は<生きとし生けるものは、環境に適応しなくては生き残れない。軍 国主義時代に反軍主義を声高に唱えて世に棲むことは困難である。平和到来と 同時に昨日までの主戦論者も途端に宗旨がえをし、誰よりも強く高く、平和教 を吹聴しまくることが、生活巧者という者である。>p二六〇 <丸山はマルクス・レーニン主義が青白い秀才達にもてはやされている時代に はその走狗となり、軍国主義の時代にはそれに追従し、敗戦・占領下において は占領軍の奴隷であった。>p二六一 と丸山氏の事を書いています。 「マルキシズムの勉強ばかりしておった」(「緑陰に語る」昭和二四年) マルクス主義者にもコミュニストにもならなかったが、若い時に決定的とい っていいほど影響を受けたのはマルクス主義だと埴谷雄高氏との対談で述べ ています。(「文学と学問」昭和五三年) 丸山氏が旧制高校の時の昭和八年四月、丸山氏は長谷川如是、戸坂潤らの 唯物論研究会の第二回講演会を聞きに行き、本富士署に検挙、拘留されてい る。そして、翌九年、東京帝国大学法学部政治学科に入学早々、大学学生課 から思想犯被疑者として呼び出される。その後、特高から要注意人物として されていた。昭和一五年六月に東京帝国大学法学部助教授に任ぜられるまで、 定期的に特高刑事の来訪や憲兵隊への召喚を受け、陸軍監閲点呼の時に憲兵隊 から訊問されていた。(『丸山眞男集』第二巻所収の「年譜」)
31 :
funわか ◆8EMk6i5vZ2 :2006/09/15(金) 08:38:56
丸山氏は昭和九年、東京帝国大学法学部政治学科入学後、夏休みに岡義武の課題リポート執筆のために 岩波書店の「日本資本主義発達史講座」を読み耽った。これは「三二年テーゼ」とされる国際共産党組 織が「日本における情勢と日本共産党の任務についてのテーゼ」と題する文書をつくって、日本共産党 に授けたもので、日本左翼人にとって、絶対的な心の拠り所です。そして、正統をもって任ずる学者た ちが集まって共同執筆し、集大成であり金字塔が「日本資本主義発達史講座」(昭和七年)です。 そんな丸山氏の転向については、その転機を昭和一三年だったと中村氏は書いています。なぜ、一三 年か。二月に労農派マルクス主義教授グループである東大教授有沢広巳、大内兵衛など三八名が一斉に 検挙された。(第二次人民戦線事件) そのころ丸山氏は、同じ東京帝国大学の文学部に新たに設けられた国体講座を担当する平泉渉教授の 講座をオール出席で聞いている。平泉教授は国粋主義者、皇国史観の主導者として有名であり、学内に おいて右翼思想団体朱紅会をつくっていた。 昭和十四年九月、同じく東京帝国大学文学部に日本倫理思想講座として設けられた和辻哲郎の講座も 毎回受講するようになる。 昭和十五年春、丸山氏は「近世儒教の発展における徂徠学の特質並にその国学との関連」を発表。六 月、東京帝国大学法学部助教授に昇進した。七月、従七に叙された。
32 :
funわか ◆8EMk6i5vZ2 :2006/09/15(金) 08:40:21
昭和十七年六月、同じく「神皇正統記に現れたる政治観」を発表。これ は「神代より後村上天皇に至るまでの、皇位継承を中心とする歴史」を 叙述した『神皇正統記』の中に現れている著者北畠親房の政治思想を検 討した論稿。中村氏によると中身は真っ赤であるが、偽装としてもとに かく天皇親政、ヒエラルヒー統治を認めたと書いています。 昭和十九年七月、丸山氏は二等兵としての教育のために召集。その時 に「国民主義の『前期的』形成」を書く。第一節は「まえがき」。第二 節の冒頭に「長く輝かしい国民的伝統を担った我国に於いても(国民意 識と国民主義の誕生にはー中村氏要約)明治維新を俟たねばならなかっ た。もとより我国家体制の特性に基づく神国観念乃至は民族的自恃は建 国以来脈々として国民の胸奥の裡に流れ続けてきた」と時勢に迎合する文字を並べている。 これについて、中村氏は「営門がこわかったのである。軍隊の門を入り 無事であるためには身にしみついた赤いものはすべて洗い落としておか なければならぬ。丸山は入隊するに当り、私はこのように転向しました という証文として書いたのが該論文である」・p二六九と書く。 丸山氏は大東亜戦争が終わってすぐに、「超国家主義の論理と心理」 (「世界」昭和二一年五月号)を書いた。それには「国民の政治意識の 今日見らるる如き低さ」P十二と言及している。 結語として中村氏は <丸山は平成八年八月、八二歳で永眠した。丸山への追悼文が『丸山眞 男の世界』に収められている。その中でテツオ・ナジタは、丸山は長年 にわたり揺る宜ない一貫した姿勢を維持し、学者として知的な批評家と して非難の余地のない高潔さこそが丸山の魅力だったと述べている。ま たマリウス・B・ジャンセンは、丸山ほどのビジョンと強固な意志をも った人物は、日本では明治維新以来ということになるのでないか、と書 いている。いずれも読む者が赤面せざるを得ない>P二七〇 と書く。
そして、続いて <そもそも「非難の余地のない高潔さ」などという言葉は学者のいう べきことではない。古来、日本には、たたいて埃の出ないものはない という。まことに知恵深い諺がある。またマルクス主義が猖獗をきわ めた時にはその侍女となり、国家社会主義的革新の風潮時代にはそれ につき、戦争下においては神国日本・一君万民に唱和し、占領下にお いては占領軍公認の「超国家主義」の尺度により、丸山自身がかって 神国日本とたたえた祖国を罵倒した丸山である。変節につぐ変節であ る。これほど節操のない丸山が、日本国民の中に存在したことは日本 民族の恥辱である。>・P二七〇 「論座」に松本昌次氏が絶賛していた丸山眞男氏についての「丸山 さんはそうではなくて、いかなる場合も、広く深い学問的・時代的経 験に立って、全人格的といいますか、全身体的といいますか、持てる ものすべてを出しきって、書く主題とわたりあうようにして書かれて いるように思います。」という言葉が非常に空しく響きます。 以上の引用は・「論座」朝日新聞社 平成十八年一一月号 ・「悪魔の思想」谷沢永一著 クレスト社 平成八年 ・「正論」平成十五年一一月号 「増補版 現代政治の思想と行動」(昭和三九年五月三十日・未来社)よりの引用は・の「悪魔の思想」に記載されている引用文による。
三流学者のルサンチマンってことでいいですか?
35 :
考える名無しさん :2006/09/15(金) 18:29:34
>>32 ジャンセンの丸山評ってアメリカン・ジョークかw
本気ならまともじゃない。お世辞もほどほどにしないと
贔屓の引き倒しになりかねん。欧米人は丸山を買被りすぎ。
副島隆彦です。 下↓の土井敏喜さんの文章に対して、ありがとう、ありがとうと感謝申し上げます。 ここまで理解していただければ、美しいぐらいの結論を私の今の態度や考え方のところで理解していただいたことに なります。もうこれ以上の共感はないぐらいです。しかし土井さん。貴兄が以下の文章で何を書いたのかを、 分かってくれる人は、この「重掲」を読みに来る1500人ぐらいの人たちのうちの2割の300人ぐらいだと 思います。あとの人たちは、何を言っているのか分からない、と思うでしょう。それでいいのですが。 私の吉本隆明(よしもとりゅうめい、「たかあき」が戸籍上の読み方ですが)という思想家(過激派の教祖と呼ば れた人、82 歳ぐらいで存命)に、19歳の時から35歳ぐらいまで入れあげて、ほとんど彼の書物を読むこと で青春を過ごしたことを、私の本の読者たちでも知っている人は、1割ぐらいでしょう。 35歳ぐらいからは、「吉本隆明は、もう思想的に限界に達した」と感じて、「ソビエト・ロシアの思想と闘いつ づけた日本の稀有の左翼思想家だが、それでも、彼の終生変わらぬレーニン賛美も間違いだった。 だからやっぱり、吉本の、マルクスの労働価値説への終生の賛美=帰依と共に間違いだった」 と判断して、 以後は、私は、より世界基準である小室直樹先生の学問の方へ向かったのです。 これが、私、副島隆彦の「左翼から右翼・保守へ」の思想転向の大枠です。
それでも、最近また、吉本隆明先生の、東アジア知識人としての限界に自分もまた戻ろうとしていることを 強く感じています。「どうしようもないのだ。どうにかして、一切衆生を救いたいのだけれども、 自分 自身を現実の中で救うことだけでも大変なんだ」という気持ちになっています。 それと、吉本隆明は、丸山真男(まるやままさお)を激しく論難した(特に、1969年の東大闘争、全国 全共闘=70安保闘争の頃)けれども、この二人が、共に、「日本の戦後民主主義」という、焼け野が原の、 青空天井の、「青い山脈」という映画に現れた、日本の戦後空間を反発しながらも礼賛したことで、それが、 実は、アメリカの元祖グローバリスト(ニューディーラー)たちによる、日本民族洗脳空間であったのだ、 ということを、吉本も、丸山も理解できなかったのだ、という点で同じであり、ゆえに、それがこの二人 の思想的な限界だったと、「日本の秘密」を書いたあたりで私は解明しました。
38 :
funわか ◆8EMk6i5vZ2 :2006/09/20(水) 19:15:19
>>34 酒たまねぎや様を馬鹿にするな!!!!!!
39 :
考える名無しさん :2006/10/18(水) 03:21:00
40 :
考える名無しさん :2006/10/18(水) 03:54:16
戦前空間、戦後空間(S.30年代まで)、現代空間の異質性はどのようなものか?
41 :
考える名無しさん :2006/10/24(火) 00:43:45
谷沢永一ってバカだろ! 進歩的知識人は反日だとほざいておきながら、自分は大山誠一の説に依拠して「聖徳大子はいません」と言うし、保守派のくせに新しい歴史教科書を作る会にイチャモンつけるし無茶苦茶。 谷沢の書物を読んでも、下品だし、左翼は反日だと言うわりには、中核や革マルは叩けないチキン。
42 :
考える名無しさん :2006/11/23(木) 13:32:48
定期age
43 :
愛国主義者 ◆8EMk6i5vZ2 :2006/12/09(土) 03:39:10
http://www.tamanegiや.com/maruyamabakao1.html (や → yaに変換)
丸山眞男について
谷沢氏は東大でおこなわれた丸山氏のこの講演について
<日本社会の中堅層をここまで軽蔑して、見下して、踏みつけにして、
悪しざまに罵った文献は史上最初の出現ですから、日本人による日本国
民への徹底した罵倒として、外国人の立場からまことに、まことに興味
ぶかく多くの人の手から手へ読みまわされたことでありましょう。>と
著書「悪魔の思想」に書いています。・p八六
丸山氏自身がその著書「現在政治の思想と行動」の執筆動機について、みずからの回想として
<私は日本社会の恥部をあばこうと試みている>「後衛の位置から」p一〇
と自認しています。
「論座」に松本昌次氏が絶賛していた丸山眞男氏についての「丸山さん
はそうではなくて、いかなる場合も、広く深い学問的・時代的経験に立
って、全人格的といいますか、全身体的といいますか、持てるものすべ
てを出しきって、書く主題とわたりあうようにして書かれているように
思います。」という言葉が非榾空しく響きます。
44 :
考える名無しさん :2006/12/09(土) 05:38:38
∧_∧ 哲学のことなら俺に… ( ´・ω・`) ∧_∧ / \ ( )ハロワ池よ .__| | .| |_ / ヽ ||\  ̄ ̄ ̄ ̄ / .| | | ||\..∧_∧ (⌒\|__./ ./ ||. ( ) ~\_____ノ| ∧_∧ / ヽ 働け! \| ( ) | ヽ \/ ヽ. オマエ無職だろ | |ヽ、二⌒) / .| | | .| ヽ \∧_∧ (⌒\|__./ /
45 :
考える名無しさん :2006/12/13(水) 04:42:59
>>43 谷沢だって若いころ日本共産党員だったじゃないか。
それを棚上げしてよく丸山批判なんかできるか。厚かましいにも程があるだろ。
46 :
考える名無しさん :2006/12/13(水) 04:46:19
45 打ち間違い 丸山批判なんかできるな。
ちゃんとした丸山批判はどれかね
49 :
e1 :2006/12/16(土) 04:25:35
丸山は人の信念を根底から支えるであろう超越者を想定し、その理想に向かって 自らを律する近代人をモデルとしておいていたと思う。 だとすると、理想と現実の間で揺れ動く葛藤としての丸山の思想は理解できると しても、価値の多元化と多様性の現代にあって、丸山は自らのうちにニヒリズム を抱え込んでしまうことになる。 なぜならば、自らを律する理想を支える超越者とは、人それ自身の信念によって 支えられているにすぎない、そもそも無前提なものでしかないのだから。 丸山を超えるとするならば、無前提なものから出発しながらも、歴史によって 伝統と正統性へと昇華されていく人の営みとは何かについて再考していく方途 しか残されていないように思われる。 丸山がよって立っていた近代とて、突然に現れたものではなく、人々の粛々と 営まれてきた生活の歴史の中に育てられたものであるのだから。
>49 何か真っ当なことを言っているように見えて 実はぜんぜん意味の伝わる文章になっていない件について。
51 :
e1 :2006/12/18(月) 13:26:36
では敷衍して。 丸山が自立した個人を想定して、あるべき社会とその政治学を構想したことは良く知られている。 では、この自立した個人とは何者か。近代的理性と理想に支えられた個人のことである。 これなくして個人の自立はないという。つまり超然とした理想に支えられることなくして 個人の自立なしということだ。 ところが、この個人を支えるべき近代の理想とは何か。実はそんなものはない。 私たちの生活を眺めてみると、さまざまな相反する多様な前提に立っており、 それらが統一されることなく、現実に対してその場その場で多様に対処している のではないだろうか。 丸山にしてみれば、この現実は現実として受け止められても、近代の理想という 観点からすれば、つまり、すべてを俯瞰して統一する一貫して整合性を求める 超然とした立場からすれば、やりきれないものがあるはずである。つまり場当 たりで無責任にうつるはずだ。 しかし、そういう無責任の力が、どんどん現実を動かしていき、時代を変えてい くとき、丸山は自らの無力感を感じていた。近代的イデーこそが時代を変革する と固く信じていたからである。 OK?
52 :
考える名無しさん :2006/12/18(月) 15:17:34
近代合理主義の限界なんて実はただの犯罪者のいいわけレベルだったんじゃないのか。確かに社長が狂人だったら会社は滅びる罠
「自立した個人」なんて欧米の知識人なら常識 日本では知識階層でさえ自我確立していないという惨状を嘆いただけ
54 :
考える名無しさん :2006/12/18(月) 18:07:21
本当に自立しているのか?
55 :
考える名無しさん :2006/12/18(月) 18:40:17
当たり前だけど自立した個人や市民社会なんてものはないよ。 だけどスローガンを言い続ける事は重要だよ。
56 :
考える名無しさん :2006/12/18(月) 22:12:53
>>53 よく思うことだけど、西洋と日本を比較する際、日本人も外国人も
あまりに画一的なステレオタイプの虚像を作り過ぎる。これは変だよ。
西洋人は○○だが日本人は××。丸山も虚像の生産者兼消費者だった。
根拠なき虚像はインフェリア・コンプレックスの原因になるだけだよ。
どちらにも例外はある。比較による自己言及は「クレタ人の嘘吐き」と
全く大差がない。Comparisons are odious.は日本人が心に銘記すべき
英語の格言だよ。その意味はずばり「比較はいやなものである」だ。
何かがないなら作ればいい。眠ってるなら起こせばいい。出来るかは別に。
> よく思うことだけど、西洋と日本を比較する際、日本人も外国人も > あまりに画一的なステレオタイプの虚像を作り過ぎる というステレオタイプ乙
58 :
e1 :2006/12/18(月) 22:35:33
丸山の評伝程度のものを読み返しても思うことだけど、本当に自立した個人なんていうものが 原理的に可能なのかどうかということから出発しないといけないんじゃないかと。 だってね、それって、かなりあいまいな前提でしかないんじゃないか? できもしないようなスローガンを言い続けることが重要でもなく、欧米か日本か以前に、 晩年に丸山がやっと言い出した歴史の古層とか神話的構造とか、文化人類学とか、 そういうレアーな営々として生きられてきた歴史の上においてのみ、理性にせよ、 スローガンにせよ、自立というものが改めて言いえるのであって、いきなり近代的理性と いっても、なんだかなぁという感じがするんだか。
59 :
e1 :2006/12/18(月) 22:42:50
>>53 やっぱり丸山と同じく、真理を信じてるんだなぁ。乙。
60 :
考える名無しさん :2006/12/18(月) 22:43:02
>>57 迂闊だった、確かにそうだね。俺の盲点を突かれた。
ツッコミを入れてくれた君に感謝しないといけないね。
日本の哲学界は蛸壺だ、という名言を吐いたのは丸山だったっけ?
62 :
funわか ◆bbZx8P7qp2 :2006/12/18(月) 22:59:01
高齢になり、メッキがはげてその隠していた赤い衣が見えてきたナベツネ、
渡辺恒雄氏は、住み良いであろう元の自分の居場所に戻り福島女史やチョンイ
ル新聞の若宮啓文あたりとつるんで喜んでいる
<戦争の悲惨さを存分に語り、「回天(人間魚雷のこと)には内側から鍵は
かけられず、外側からしか鍵はかけられなかった。内側からはあけることも
できなかったのだ」と怒っていらした。そのことが頭にこびりついている。
内側からはもはやあけることはできないのだ。>
と平気でウソを喋って悦にいっている。
「回天」には脱出装置はついていないが、中から搭乗員が天井ハッチの開
け閉めができる構造になっていた。日本人を悪者にし、日本軍の残虐さを強
調するためであれば、どんなウソでも平気でつく。
こんな腐れ売国奴連中は早く表舞台から消えてほしいものである。
http://www.tamanegiや.com/nonnbee.html (や → yaに変換 )
引用: 酒たまねぎ屋URAホームページ
63 :
考える名無しさん :2006/12/19(火) 07:18:27
近代批判って何のためにやってるのかね。本当に近代社会の遺産をぶち壊しにして人間が生きていけると思ってるのか
64 :
考える名無しさん :2006/12/19(火) 14:22:11
精神的自立なんて難しくないよ。 自立できない阿呆がやたらと神聖視しているだけ。
66 :
e1 :2006/12/20(水) 02:39:10
>>51 ,56,58
ええと、いろいろ言いたいことはあるんだけど、
とりあえず他人の書いた評伝なんかを読むよりも、丸山自身の著作にあたってみなよ。
手近なところでは、
『現代政治の思想と行動』の中の「ある自由主義者への手紙」と第三部とその追記、
『丸山眞男講義録』第三冊(政治学 1960)、
『日本の思想』の中の「日本の思想」「「である」ことと「する」こと」と「あとがき」、
『忠誠と反逆』の中の「忠誠と反逆」あたりがいいかな。
そのへんをひととおり真剣に読めば、
丸山が近代を具体的現実から離れた超越的真理として絶対視していただとか、
西洋近代の虚像を信仰していただとか、現実に対して無力感を感じていたみたいなことは、
よほどうがった見方をしない限りおよそ言えたものじゃないことがわかると思うよ。
68 :
考える名無しさん :2006/12/20(水) 13:58:22
戦前の軍国主義愚民だの、戦後全共闘の自称左翼愚民だのに対して、 「莫迦はやっぱり莫迦だ」と常識的正論を述べた人物。 後知恵で採点して丸山は正しかったと言えるが、だから何だ、という気もする。
現代の市民派知識人のあり方という事について皆さんはどう思われますか? 市民派知識人なんて言い方が死語みたいなものですけど何か思うところがあれば教えてください。
70 :
考える名無しさん :2006/12/20(水) 21:56:06
市民派でない知識人なんてものが存在し得るのは、 高等教育を受ける人口の比率が極めて少ない社会だけでしょ。
71 :
e1 :2006/12/20(水) 23:06:12
ふふっ そういうご意見は百も承知二百も合点なんすよ。なんたって、丸山は戦後最大の 政治学者だし、日本政治思想史を学問として構築した功績は最大限に賞賛されるべきでさ。 ただ、正直に言うと『現代政治の思想と行動』全篇を通して持った感想は、知的な構築物として は面白いけど、やはり都会の教養の中で暮らしてる教養人の議論ですよ。 たとえば、神島二郎の日本の村社会意識の構造とか、村落共同体の崩壊とその危機に 際して最後に頼るべきよすがとしての天皇制についての議論とかね、柳田民俗学を 基礎においたような地に足の着いた議論は実感として切実によくわかる。特に田舎者とし てはね。 ところが、丸山の議論は、戦前戦中の異常な天皇制や反天皇制としてのマルクス主義 などに対する知的処方箋を作り上げることに集約されて、天皇制を無責任の体系といって 切り捨てちゃったりするわけでしょ。 じゃあ、人々が人間的自然としての村落共同体から追放されて、都会に押し出された際に、 そういう悲惨な運命を持った田舎者に対して、丸山は自立していない無責任者の一言で切 っちゃうわけだが、神島の議論は、天皇制を否定するにせよ肯定するにせよそんな田舎者 に対しても同情の余地もあるとして理解を示すことは可能なわけだ。
72 :
e1 :2006/12/20(水) 23:06:56
やっぱり、この差は大きいと思うぞ。なんたって、オラが村意識を認めるか認めないかと いうのは、俺にとっては最大の試金石だね。日本人の大部分は地方の田舎者だからな。 しかも丸山後期の日本思想についての言及は、一種の言い訳でね。 自分のルーツについてもちゃんと反省してますよ、自分たちが100年前までは、単なる みすぼらしい田舎者だったこともわきまえてますよ、ということだ。 しかし、伝統をチョイスできる、という議論には愕然としたね。 いいも悪いもないんだよ、伝統には。しかも伝統を捨てたとたんに、自らを否定すること になることを知った上で、チョイスできるというのは、理解できない。しかも、一旦チョ イスしたが最後、二度と取り戻すことも出来ないのだし、その時点で伝統は断絶されてし まう。こんな軽々しいことをよくも平気で言えるものだと思うが? 逆に聞くけど、丸山の議論で、何が重要なわけ? 作為については認めるがね。 本をどれだけ読んだか自慢なんかより、どれだけ切実に読み取ったかだよ。
縄文、古事記、万葉集、米づくり、武士道、職人気質、町民文化、幽玄、浪花節、 わびさび、 いろいろあるが、照葉樹林文化か?
74 :
考える名無しさん :2006/12/20(水) 23:56:12
今の韓国では、日本領だった頃に伝来した日本文化、 華道だの剣道だのやろうとすると、チンイルパ′トばわりされるらしい。 チンイルパ≠漢字で書けば「親日派」となり、価値中立的な用語に見えるが、 韓国語としてはむしろ「売国奴」「非国民」に近い語感の強烈な罵倒語で、 法的に処罰を受けることもある恐ろしいレッテルである。 それで、そういうのをやる人は、保身のためにアリバイ工作をする。 韓国の歴史の中から似たようなものを探し出してきて、 「それが自生的に発展したのがこの文化なのです」と、 起源を捏造するわけだ。 刀剣を使う武術の伝統なんてどこにでもあるが、 韓国のは、片手に剣、片手に盾を持つスタイルで、 両手で刀を持つ現代の韓国剣道とは断絶がある。 だから、そういうのが嘘だというのは本人たちも判っているのだが、 チンイルパ≠フレッテルを避けるために、 とにかく建前としてはそういうことにしておく必要があるわけだ。 民主主義のルーツを日本の伝統に見つけ出そうとした丸山の仕事って、 この韓国人の起源捏造と基本的に同じ構図だよ。
75 :
考える名無しさん :2006/12/21(木) 00:38:47
>>74 > 民主主義のルーツを日本の伝統に見つけ出そうとした丸山の仕事
丸山はそんなことは言ってないよ。
76 :
考える名無しさん :2006/12/21(木) 02:30:21
>>70 まあそうなんですけど普通に考えると哲学者は哲学者であって経済学者は経済学者なわけですよね。
わざわざ市民派ってつけるからには市民派的な事をしてる人でないとそう言えないわけです。
現在では市民派といえば高橋哲哉とか小森陽一みたいな人しか思いうかばないわけですよ。
だから市民派的な活動というのは相当難しくなってきているというのを感じるんですが。
77 :
考える名無しさん :2006/12/21(木) 05:54:16
丸山の評価されるべき点は天皇制を無責任の体系と言ったところ。無責任の体系は今でも続いている。2ちゃんでの反天皇制スレの圧倒的多さは在日や左翼の工作とは言えない。丸山の説が正しすぎたから
>>71 ,72
「本をどれだけ読んだか自慢なんかより、どれだけ切実に読み取ったかだよ」なんて言ってるけど、
漏れから言わせればあんたはぜんぜん読み取れてないって感じがするよ。
丸山の天皇制叩きの話にしたって、
その叩き方(無責任の体系)を「都会の教養人の議論だ、田舎者切り捨てだ」とか言って
半ば道徳的・感情的な見地から問題にするのも結構だけれどさ(およそ学問的だとは思わないけれど)、
それ以上に、丸山がそういう議論を展開するにあたって、
どういう時代状況においてどういう立場から何に問題を感じてそれを論じたかを考えないと、
ただ言ってることの表面だけなぞった薄っぺらい理解になってしまうと思うべ。
要は、当時の時代状況と丸山の問題関心とを念頭に置くことが大事だと思うのよね。
終戦直後の丸山が天皇制ファシズム論で、さんざんに天皇制の支配原理を叩いて、
口を酸っぱくして個人の主体性だ何だと言っているのは、
ともかくも戦後日本に民主的な制度が与えられたという時代状況のうえで、
ふたたび戦前の軍国主義ファシズムに戻らないために
この民主主義の制度を実効的なものにしていくために必要な精神は何か、
あるいはこれを阻害する精神は何か、という問題関心を持ったからだよ。
そのうえで天皇制ファシズムを分析すると、天皇制を支えた無責任と従属の精神はダメダメで、
日本には近代的な主体性の精神が足りないって話が生まれてくるになるわけだな。
そういうことを考えないでサラッと読んじゃったりすると、「ムラ意識を馬鹿にしてるけしからん」みたいな、
えらく外在的でとんちんかんな批判が出てきちゃうわけだ(漏れも最初に丸山読んだときはそうだった)。
もちろん、学問的な論文だから、同時代的な状況とか問題関心とかは
必ずしも文中では明記されていないし、だから誤解が生まれやすいんだけど、
よく読んでみれば丸山が一貫して「いまの日本に何が必要か」っていうのを考えて書いてるのが分かると思うよ。
(
>>78 つづき)
伝統のチョイス(?)云々ってのもそれに関連してくるわけで、
たぶんこれは『日本の思想』の「あとがき」あたりに出てくる、
日本の思想的「伝統」を将来に向かって引き出すとか生かすとかの話を言ってるんだとだと思うけれど、
ここで丸山が言ってる「伝統」ってのは、
歴史的事実として積み重なってきた、「結果」としての「伝統」的な思想のことではなくて、
過去の歴史的具体状況の中には確かにあって、結果としては必ずしもその後に続かなかった思想、
要は「可能性」としての「伝統」のことなのよ。(『忠誠と反逆』の中の「思想史の考え方について」(1960)とかを参照)
だから、そういう「可能性」をもういちど現在に引き出して生かそうっていう話ができるわけさ。
そもそも丸山は、日本の(「結果」としての)「伝統」的な思想ってものが
「精神的雑居性」にすぎなくて、もともと断絶的・タコツボ的でバラバラに並存しているって言ってたわけで、
極端な話、思想の確固たる軸となる「伝統」そのものが存在しないって考えてたってわけでしょ。
日本の思想的「伝統」を引き出すとかチョイスするとか「可能性」としての「伝統」を探るとかも
そういう認識から出てくるわけで、だから、「一旦チョイスしたが最後、二度と取り戻すことも出来ないのだし、
その時点で伝統は断絶されてしまう。こんな軽々しいことをよくも平気で言えるものだと思うが?」
みたいな批判は、あんたがなにがしか日本の「伝統」的思想を持ってこないかぎりあたらないと思うよ。
80 :
考える名無しさん :2006/12/21(木) 14:48:48
>>77 丸山があの時代に天皇制は無責任の体系と言ったのは意味があるけど
戦後60年たっていまだに天皇制は廃止した方がいいとか言ってる奴はただの馬鹿だよ。
81 :
考える名無しさん :2006/12/21(木) 18:36:45
>>78-79 だいたい同意。
哲板らしく言うと、丸山の思考方法の基本には、理念と現実もしくは当為と存在
といった二元論を前提に、両者を媒介する能動的主体的な個人という発想がある
と思う(そういう点では新カント派的な理論に近いかもしれない)。
で、つまりはそれが近代的な自立的個人ということであり、それは実体的な概念
というよりも、多分に規範的でフィクショナルな概念だと思うけど、そうした概
念的な枠組みを軸に、日本近代(現代)批判を行ったのだと思う。
あと伝統と近代との関係だけど、日本の近代の場合は、ヨーロッパの制度・文化
の移入・受容によって、伝統と切断された側面が強いから、一方ではそうした受
容についてヨーロッパ本来の文化と比較することで、また他方では伝統からの
連続面を抽出することで、日本近代の特質を解明しようとしたのだと思う。
82 :
e1 :2006/12/22(金) 00:07:15
>>78 .79
そうなんだろうね。
なるほど、丸山をそのまま、彼の思索した時代の状況を考慮すればそのとおりさ。
しかし、いまさら丸山が生きて思索していた時代の状況を何でわざわざトレースする
必要があるの?
丸山が晩年、ろくに論文もかけなかったことを考えると、その生きた時代の特殊性
とでもいうようなものを背景にして思索し敵たことは、あなたが指摘するように確か
だと思う。だが、その時代が高度成長期以降、どんどん変質していって豊かになり
情報もあまねくいきわたってきたとき、丸山が批判の対象としてきたもろもろのものも、
だんだん希薄になってきてしまって、思索の対象を喪失してしまったのではないか。
ご指摘のとおり、その時代の知的処方箋としては優れたものかもしれない。
実際優れた学者さ。学問としてね。
実際の薬がその病が癒えた後に無用となるように、必要とされなくなるという
こともあるだろう。とはいえ、今現実にさまざまな新しい病にかかっていると
きに、丸山の出した処方箋はもう有効じゃないんだよ。
83 :
e1 :2006/12/22(金) 01:16:59
まあ、つづき。
丸山の学問的功績をマンセーと認めるなら、そういう議論も成り立つだろうが、
逆に聞くけど、戦前戦中の日本の態度を自虐的なまでに厳しく批判し、毛沢東や中国
のナショナリズムに対しては比較的寛容な態度をとり続けたというのは、いったいな
んだ?俺には薬が効きすぎたというより、一種の中毒症状だと思うが?
この戦後知識人の中毒症状というのは、西部なんかがこっぴどく批判したものなんだが?
しかも非武装中立論というのも、今となってはかなり胡散臭いものだ。
それと、日本のね「精神的雑居性」は俺はやたらと高く評するけどね。まあ、日本ほど
やたらといろんな宗派や宗教が雑多に混在しているところはないし、ある意味イデオロ
ギーの異なる人たちが一緒にいても、「せっかく一緒にいるんだから仲良くしよう」という
ような女性原理的な包容力があって、そういう意味で宗教戦争もごく限られたものでしかな
かったといえる。逆に超然とした真理によって自立した個人なんてのは、真理のために徹底
的に戦ったりするからな。
だとすると
>>81 にあるとおり、自立した個人なんていう「規範的でフィクショナルな概念」
というのは、あくまでも良く言ってという程度だが、スキナーのねずみ程度のものなんじゃ
ないか?
84 :
考える名無しさん :2006/12/22(金) 04:01:57
天皇が責任を取った事がないからダメになった
85 :
考える名無しさん :2006/12/22(金) 04:13:14
今時天皇をかばう奴なんて皇族ぐらいのもんじゃないの実際
>>82-83 いや、丸山はもちろんそういう具体的状況を念頭に置いてものを書いたけれど、
それを時局的・具体的な政策なり処方箋として提示するんじゃなくて、
抽象化・一般化して普遍適用可能な形で提示したところに丸山の思想の価値があるんでしょう。
例は何でもいいけど、たとえば最近の教育基本法改正でいいや、
タウンミーティングのやらせ質問みたいな非民主的な操作を既成事実として積み上げていく姿勢だとか、
「伝統と歴史をはぐくんできた国と郷土を愛する心」なんかに見え隠れするにムラ社会的共同体意識だとか、
そういう現代の具体的問題なんかに関しても、ほとんど丸山の批判が通用するじゃないですか。
丸山が批判した具体的な対象はたとえば軍国主義だし日本の村落共同体だったけれど、
それを具体のまま語るんじゃなくて、抽象化して語るから現代の安倍政権なり愛国心論議に適用できるんだわ。
あるいは、日本の社会構造が変わっても、意識の次元でそう変わっているかと言えば、
結構怪しいのかもしれんよ。とりわけ丸山が問題にした日本人の政治意識なんかはさ。
(
>>86 つづき)
丸山が日本の軍国主義に厳しくて中国のナショナリズムには比較的寛容だったっていうのは、
まぁ一つは丸山の関心対象が何よりも第一に日本であって、
中国は周辺的な位置づけでしかなかったってことがあるんだろうけれど、
それを抜きにしても、やっぱり日本と中国の文脈の違い、
「日本はアジアの中でナショナリズムの処女性を失った唯一の国である」みたいな発言が
あるけれど、要は日本と中国のナショナリズムの歴史的・質的差異を考えていたからだと思うよ。
日本は戦前にナショナリズムに目覚めてウルトラナショナリズムにまで行ってしまった歴史があるからさ。
ついでに言うと、丸山が叩いたのは日本の「ウルトラナショナリズム」ね。
ナショナリズム一般を叩いたわけではないし、戦後日本にもナショナリズムが必要だって話もしている。
まぁ、国際政治論における丸山の見解がイマイチパッとしないというのはわかるよ。
国内政治では自由と民主主義っていう確固たる規範的&プラグマティックな拠り所があったのに比べて、
どうも国際政治での規範的要素は丸山の中では裏付けが弱い。
非武装中立論にしても一応は憲法前文と9条の規範的価値から引き出してはきているけれど、
一方で冷戦の権力・軍事力のリアリズムなんかも結構土台に置いてるぶん、時局的な要素が比較的強いとは思う。
(
>>87 つづき)
「精神的雑居性」ってのは、一見争いのない寛容の世界のように見えるけれど、
よく考えればむしろ「俺もお前もあれもこれもみんな同じ」という共同体的な原理に近い。
例のムラ社会の原理よね。だからムラ社会の秩序を乱す「異なる他者」なり「個人の析出」なりを認めないし、
そういう人間に対しては共同体全体で有形無形の徹底的なサンクションが加えられる。戦前の国体はこれの典型。
ヨーロッパの宗教戦争を解決したような、異なる他者の存在を前提にしたリベラリズムの寛容とは別物よ。
丸山にとってみれば、こういう傾向は戦後の民主主義&自由主義を実現するうえでの障害に映っただろうし、
だいいち、そういうムラ社会ではこういう異なる立場同士の対話すら認められない(笑)。
丸山が「精神的雑居性」を問題視したのはそういうことでしょう。
あと、何度も言ってるけど丸山の言う主体的個人ってのは
「”超然とした真理によって”自立した個人」じゃないからね。
常に理想と現実の緊張関係のあいだを往復する主体だから。そこは誤解なきよう。
毎度毎度長文失礼。
ホントは
>>81 みたいに哲板らしくスカッと要約して書ければいいんだろうけど、
漏れは哲学プロパーじゃないし、どこまで前提が共有できてるか分からないからさ。
>>83 規範や制度が、本来ひとつの擬制(フィクション)にすぎないということは、
同時にそれが人間によって改変可能な存在であるということをも意味する。
逆に規範や制度の実体化は、物神化につながりやすく、その場合には人間は
パターン化された状況に反応するだけの存在(スキナーのネズミ)となろう。
丸山が規範性(形式性)を重視したのはこうした理由からだと思う。
ところで、理念・理論を重視するあまり多様な現実を無視するのが「理論信仰」
だが、逆に理念・理論を空虚なものとしてこれを退ける現実主義=「実感信仰」
には、現実への追随(既成事実への屈服)という陥穽が存在する。
こうした両者の分裂・対立という悪循環を回避して、理論による現実の方向づけ
と現実による理論の活性化という生産的な相互関係を創り出すのが、人間の実践
的な行為。
そうした行為の主体として丸山によって措定されたのが、自律的な規範主義を
内面化した近代的な自立的個人という型にほかならない。
>>89 の続き
たしかにこうした丸山の主張は、1960年頃までは有効性をもつと見られたが、
同時期に始まる高度経済成長による大衆社会化の進展にともない、旧来の共同
体的社会から析出された個人は、近代的な自立的個人という形態を必ずしも十
分に達成しないまま、早々に企業社会(会社主義)に包摂されていく(忠誠対
象の戦前の国家(天皇)から会社への転移)。
こうした点で彼の主張が、その有効性を減じたことは確かだろう。
ただし丸山の最晩年の90年代半ばには、個人の私化(保守化)の根幹となって
いた肝心の会社主義は崩壊の兆しを見せ始め、再度社会に放出された個人は、
その社会的な不安定性から国家へと自らをIdentifyする傾向性(忠誠対象の会
社から国家への再転移)を帯びてきた。
そうした動向に対して丸山が対置したのは、多元的なレベルでの個人の社会的
結合=組織化による民主主義的な諸価値の内面化という代案だったと思われる。
民主主義を、それに従うべき単なる制度として物神化することを拒否し、その
内実を常に問題として、「永久革命としての民主主義」を最後まで倦むことな
く唱え続けた戦闘的なデモクラット、それが丸山だった
・・・・・とまで言うと少し誉めすぎだなw
91 :
e1 :2006/12/22(金) 23:39:10
>>86-90 なるほど、ここまで丸山の主張を要約してもらうと、俺の釣の腕前もまんざらでは。
だいたい同意。
とはいえ、ここでの共同体原理や「精神的雑居性」についての議論は、やはり希薄なものを感じるね。
ハイヌエレ神話圏に属するわれわれ日本人としては、母性原理に基づく共同体意識をもって社会を構成
してきたと考えられる。つまり、今ここにいることを重視し、共にとどまることを要求する原理でもある。
確かに没個性化の弊害やら、よそ者の排除という原理は認められるにせよ、じゃあ、父性原理的なイデオ
ロギー集団にそれがないかといえば、程度問題としても、イデオロギー集団の排除の力は、すさまじい。
共同体の攻撃性というのは、相手にとどめを刺さないという比較的ゆるいものでしかない。
また、よそ者の排除というが、物品や嫁入りなどの共同体間での交易を含めて考えると、外部・他者との
ゆらぎを前提として共同体は成立しているといえる。
92 :
e1 :2006/12/23(土) 00:12:14
ゆらぎというより、自然も含めての交わりね。 戦前も含めて戦中戦後の日本が現在まで求め続けているのは、失われた帰る場所としてのムラを求めての 葛藤だったんじゃないか。 いま、小は田舎暮らしブームだし、大は教育基本法改正とか、憲法改正とかが注目されているけど、日本人 の人間的自然としてのムラとムラの掟への憧憬の発露に見えてしょうがない。教育の基本は家庭のしつけだ という際の家庭が、俺に言わせればムラであり、しつけとはムラの掟のことよ。 明治維新以降、基本的にムラの崩壊は始まって、構造的アノミーが巻き起こり、制度的アノミーによって 都市化が起こるが、それでもここでがんばれば、いつかは帰るべき場所に帰ることが出来るという切ない 希望が日本の近代化の原動力そのものであったのではないか。もし、これが本当ならば、極めて切ない話だ と思わないか? 大なり小なり、戦後の日本人は、帰りたいがためにその一心でいろんなプロジェクトXに身をささげてき たんだ。だとしたら、俺にとっては、でっかいムラのとーちゃんかーちゃんの象徴のようなような天皇は、 やっぱりいなくちゃいかんのよ。いてくれるだけでいい。 だから、「永久革命としての民主主義」だとかいわれると、お前そこまでまだいうんか! これ以上何を がんばれというんだ、という気持ちになるわけよ。
93 :
e1 :2006/12/23(土) 00:19:59
俺にとっては、「永久革命としての民主主義」という言葉は、無限地獄と同義語だね。
94 :
考える名無しさん :2006/12/23(土) 00:52:39
土着-ムラ-共同体から産業構造の高度化に従い、擬似共同体としての会社、そして サラリーマンを中核とした大衆社会が到来し、伝統的共同体は弱体化した。 このプロセスは現在中国で進行中で大量の農民が土地、生活根拠を奪われつつある。
95 :
考える名無しさん :2006/12/23(土) 01:34:15
で、吉本の「自立の思想的拠点」「大衆の原像」「丸山真男論」などがあるわけです。
>>93 じゃああんたはどういう政治制度なり政治思想がいいの?
丸山にとっては永久革命としての民主主義だったわけだけれど。
>>95 吉本は丸山を考えるうえで格好の比較対象だよね。
丸山とはまったく正反対のことを言うんだもんな。
97 :
考える名無しさん :2006/12/23(土) 22:07:05
>>91-92 ムラだの共同体だの、そういった土着主義は、もう今でははやらないよ。
だいたいそんなもの実際どこにもないじゃん。
田舎だって生活様式は都市化してるわけだし。
吉本がそう言っていた70年代には、まだ若干残ってたかもしれない。
でもここ20年ぐらいの間に完全に消滅したよ。
だから吉本の議論も失墜したのだよ。
このポストモダンの現在にプレモンダンへの郷愁なぞ無意味だし、
ましてそれの復古なぞただのアナクロニズムだよ。
>>91-93 前レスの
>>89-90 だけど。
丸山の言説を最近の新自由主義(市場原理主義)者の言説とゴッチャに
していないかな?
平たく言えば、明治以来日本は富国強兵を国家目的として制度・組織の
設計や運営をしてきたけど、その結果は無惨に破綻した。
戦後は、ある程度の民主主義的な改革がなされたけど、それは主として
占領軍による他律的な性格が強かった。だから丸山は、そうした民主主
義を制度レベルでなく、社会に定着させるためには、その担い手である
国民の意識改革が必要だと考えて、先に述べたような議論を展開したわけ。
でも、結局は強兵が落ちて富国になっただけで、経済成長第一主義によっ
て、公害・農村の荒廃・都市部での地価高騰・バブルなどいろんな歪み
と弊害が生まれていった。
現在の新自由主義路線は、そうした部分の是正をせずに相変わらず成長
第一主義で突っ走ってるから、矛盾が限界にまで達しつつある。
丸山の言った「永久革命としての民主主義」というのは、そうしたあり方
に歯止めをかけて、不断に修正・是正していく方向を念頭に置いたものだ
と思う。
99 :
考える名無しさん :2006/12/23(土) 23:45:12
>>98 いまどき丸山なんて意味あるの?
丸山は民主主義者どころか全体主義者だったんでしょ。
ナチの法学者だったカール・シュミットを崇拝してたんでしょ。
どこが民主主義者だよ、笑わせるなw
丸山は隠れ国家主義者にすぎないよ。つまりは自由主義の敵だ。
だから批判されてるんだろ。
ポストモダン系の更なる左の勢力からは ナショナリストとして批判され、 伝統的共同体が良いとするものからも突き上げられ・・・ 今頃生きてたらきつそうだ>丸山氏
101 :
e1 :2006/12/24(日) 01:40:20
>>97 ポストモダン的状況にあって、近代の枠組みが崩壊したあとに残ったのは民族だ。
旧ユーゴや旧ソ連を見てみれや。ポストモダンだからこそ、ムラ的なものが露出す
るんじゃろが。ミンジョクニダ。
>>98 ちゃうような気がする。
市民やら国民やらと呼ばれる人たちにとっては、そんなことより家庭があって家族がいて、
田舎には親戚やら親兄弟がいて、とりあえず豊かで幸せに生きていければそれでいいと思っ
てるわけよ。それがすべて。
子供のためなら必死に働くし、家庭を守るためなら人をも殺しかねないけど、国家は非武装
中立っておかしくない? ということは、家庭がせいぜい考えられる単位であって、それ以上
のことは、急激に思考停止しちゃうわけだ。
この国家と個人の極端な遊離状態というのは、丸山だったら、どういう分析するわけ? できないでしょ。
俺は国家と個人とを媒介するムラ的なものは、有効だと思うけどね。これをプレ近代と批判す
るのは、まあ、どうかなぁ。人間なんてそう簡単には変わるものじゃあ、ない。
こんな人たち相手に丸山の「永久革命としての民主主義」なんて話がそもそも通じると思う?
丸山が間違ってるかあってるかは別問題として、相手が見えていないとしか思えない。
>>97 共同体的なものはしぶといし必ず再生産されるんだよ。
共同体や文化なんてものは粉々にしてもなかなか死なないものでもあるし。
同調圧力を基にした否定的パターンの提示による支配よりは 脱出可能な様々な共同体による重層的な統治のほうが生きていきやすいと思うな。
>>101 公的領域と私的領域を明確に区分したのが近代国家の原理なんだから、
丸山からすれば国家(政府)と個人ってのは第一には切れてて当然なのよ。
もちろん完全に切れてるってわけじゃなくて、国家と個人を媒介する論理として考えられるのは、
一つは、国家が私的領域を侵害しないか国民が常に監視する自由主義の原理で、
もう一つは、国民が自らの意見や利害を国家(政府=代表者)に伝える民主主義の原理、
だいたいこの二つに集約されるわけ。
これに対してムラ社会ってのは、そういう公私の区分が存在しない、心情倫理でもって
公的倫理が内心の領域に無限に踏み込んでくる社会構造・精神構造なわけでしょ(「涙の折檻」・「愛の鞭」!)。
これをもって国家と個人を媒介してしまっては、自由主義・民主主義はおろか、近代国家すら成立しない。
むしろ国体や家族国家観のような全体主義につながりかねないわけでしょ。
(そのへん
>>101 は、意識してるかどうかは別として、言説においては存外に反動的だな(笑))
丸山が「超国家主義」論文で国体の前近代性と批判したのはそういうところよね。
もちろん、批判したからといってすぐにムラ社会の論理や郷愁がなくなるわけでもないし、
>>97 の分析に反していまでさえ普通にムラ社会の精神は残存しているわけだけれど、
それをもって「人間なんてそう簡単には変わるものじゃあ、ない」「相手が見えていない」
なんて言って言説を無効化してしまうのは、それこそ吉本だよ。「政治的」なものの見方じゃないな(笑)。
政治は「可能性の技術」なんだからさ。
>>99 丸山の議論にシュミットの影響が大きいことは確かだけれど、
だからといってシュミット=ナチ法学者=全体主義者=丸山が成り立つわけじゃない。
丸山のどこを読んだってプレビジット民主制は出てこないし、
全体主義者丸山って説はほとんど言い掛かりレベルだと思うよ。
>>103 いわゆる集団的多元主義・文化多元主義みたいなやつ?
でもそれを政治単位として扱う場合、脱出可能との両立ってのが難しくなるよねたぶん。
106 :
98 :2006/12/24(日) 14:52:19
>>99 丸山のカール・シュミットの評価については
>>105 氏の指摘するとおり。
>>101 だいたい言わんとするところは理解できた。
で、それへの批判については、近代国家の原理を公私論から見た
>>104 氏の
内容に賛成。
近代国家の原理は、それまでに国家と個人との間に存在していた、あらゆる特権的
な中間団体(村落共同体・同職組合・領主団体など)を排除して、国家と個人に二
元化した点にある。この点は日本の帝国憲法でも現行憲法でも同じ。
あなたの主張の骨子は、かつての共同体がもっていた共同性の再生という点にある
のだろう。いわば理念的な共同体をイメージしてるように思われる。
だが戦前の社会に実在していた共同体的構造というのは、決してそうした理想的な
ものではなかった。そこでは地主小作制や個別のイエ内部での家長制など、多様な
支配従属関係が形成されており、個人にとってはきわめて抑圧的な構造として機能
していた。
つまり戦前社会というのは、近代社会といっても、そうした前近代的な要素を広範
に残存させており、むしろそれらを利用して、著しく強兵に偏重した富国政策を推
進し、一面では西欧列強諸国に匹敵するレベルの高度な産業社会を形成していた
(丸山のいう前近代と超近代との癒着)。
戦後に丸山が直面したのは、そうした社会構造だったから、それを改変して本来
の近代に相応しい社会制度や国家制度へ転換させることを先ずは目的とした。
だから丸山の言説は、そうした戦前社会の前近代性(特に共同体的構造)批判に
集中し、それらを克服すべく民主主義の形成・拡大・浸透を目指すものとなった。
そうした歴史的な条件を考慮しないと、ただ丸山は共同体的なものを批判してい
たという単純な理解に陥ることになる。
107 :
98 :2006/12/25(月) 02:52:59
>>101 前スレでは少し論点がズレたようなので書き直すけど。
>家庭があって家族がいて、 田舎には親戚やら親兄弟がいて、とりあえず豊かで
>幸せに生きていければそれでいいと思ってるわけよ。
これは一般庶民=国民の要求として当然のことだろう。丸山の主張というのも、
煎じ詰めれば、言葉や文脈の抽象性という点を除けば、決してそれ以上のことを
要求してるわけではない。
しかし「家庭があって家族がいて」というのも、ごく自然なようだが、さまざまな
理由から家庭が崩壊したり、家族が離散する例も増加してる現代では、それほど自
明なことではないし、「田舎には親戚やら親兄弟がいて」というのも、現在のよう
な農村社会が衰微してる状況では、田舎を離れたり親兄弟バラバラという例も少な
くない(田舎の喪失)。「とりあえず豊かで幸せに生きていければそれでいい」
これも今の社会では、この程度のささやかな希望さえも、必要以上の努力がなければ、
あるいは努力してさえ難しいのが現実ではないか。
つまり現在では、こうした平凡な要求さえも、もはや個人の努力の範囲を超えた社会的な
レベルの問題であり、政府や自治体の政策、つまりは政治領域とも密接に関わってこざる
負えないということだろう。で、そうした政治の問題は結局のところ、単に選挙での投票
だけでなく、庶民の日常的レベルでの多様なかたちでの活動や運動と密接に関わってくる
問題だろうし、そうした活動や運動での議論の在り方は、民主主義の問題に帰着すると思う。
丸山が民主主義の問題で重視したのも、議会などの国家制度レベルよりも、一般民衆による
日常での議論の内容や方法が、民主主義を下から作り上げる際の根底となると考えたからだ。
あと余談だが、丸山は別に非武装中立ということは明言していない。軍備の拡大は
核兵器がある現在、決して国家の防衛とは最早ならないという観点から、軍備縮小
の方向を目指した外交戦略の重要性を述べたにすぎない。丸山の眼目は、あくまで
日本及び極東の平和をどう維持していくかという点にあった。
108 :
e1 :2006/12/25(月) 12:24:26
>>106 この主張というのは、ありうべき主張の1つとして、まあ、同意できますね。
近代的社会の成立の仮定はともかく、ではなぜ近代化が発生したのか、という
ことになれば、ハイデガーを持ち出すまでもなく、一種の運命としか言いよう
のないものがあるように思う。
また、共にあること・同じくあることを体現するものとしての共同体は、近代
の目的合理性に対して悪しきものに映ることも確かでしょう。
しかし、道徳や倫理や、この社会を構成する近代の諸前提は、共同体が有する
諸機能なくして成立し得ないのではないか。
これが明治以降、近代化を1つの運命として引き受けた日本の危機感として、
強烈に人々の精神を支配し、幾たびかの戦争を繰り返してきたのだと思う。
だとすると、ここには常に1つの葛藤があって、近代化を推し進めることは、
価値観の転換を迫ることであり、過去との決別を迫ることでもある。
しかし、別の価値観へ向けて過去と決別しなければならないとしても、
この葛藤についてのもやもやしたどろどろした思いを歴史に向けてはならな
いのだし、過去としてみてはならないのだと考える。
109 :
e1 :2006/12/25(月) 13:35:26
マルクス主義の唯物史観を持ち出すまでもなく、革命は常に前体制を打倒することにおいて 成し遂げられるとすれば、これらを含めて近代化とは常に破壊を前提としつつも、破壊され るものを包摂しなければならないというひどく矛盾したものであることなのではないかと考える。 たとすれば、近代化とは、破壊と包摂を常に繰り返し続けることにおいてのみ、成立する無限地 獄だということになる。これが近代の姿だ。 このように考えると、近代の問題とは、理性による非理性の克服はありうるかということに直結する。 また別の角度からすると、共同体的価値観からすれば、個人主義など成立しないという議論が頻繁に 展開されるが、逆に近代においてこそ個人主義というものが果たして成立しうるのかという問題も同 時に立ち表れてくる。 確かに近代的価値観からすれば、個人主義を前提としてはいる。しかし、それは個人へと分断され、 孤立化させられた個人なのではないか。その個人が社会に参画する際に教育を前提とするにしても、 一定の規格に当てはめられ、分類され類型化された個人ではないのか。 だとすると、共同体のなかにおいてこそ生き生きと発揮される個人というものも考えられるのであ って、決して忌避されるべきものではない。 丸山にしても、戦後知識人にしても、この点について極めて楽観的なのではないか。 敗戦と天皇の人間宣言を目の当たりにすれば、そう思うのも仕方がないのかもしれないが。
110 :
e1 :2006/12/25(月) 14:29:16
>>104 この議論をもってあらためて
>>104 の議論を検討すると、機構制度としての国家
という議論にしかならないのではないか。国家などというものは、その程度のも
のではない。
むしろ、国家が個人の内面に立ち入らないという前提を堅持すればするほど個人
主義の拡大再生産という国家と個人の極端な遊離乖離を生み出していく。
また、教育による個人主義の啓蒙にしても、それを推し進めようとすればするほど
人々は個人へと分断され、分断されることを良しとする信念に凝り固まる。
国家はつねにどのような形であれ国家として人々の内面に介入しているのであって、
これはいかなる機構制度であってもあり得るという事を覚悟しなければならない。
だとすれば、逆に幕藩体制でも何でも良いではないかという議論だってありえると思うが?
たかだか明治維新以降の政治体制がことさら優れているとも考えないし、普遍的であると
も思えない。より普遍的なものがあるとすれば、むしろより長く続いてきたものの中にあ
るのではないだろうか。
「権力」対「市民」という一般受けするチョンボな構図がある。 西洋では「市民」は命をかけて国を守るものらしいが、 日本ではそうではない。 明治維新以降、資本主義適合国家のコースを走り続けた結果である。
>>111 国家と人民や政府と市民というのは一般的な近代の図式だよ。
ロックやルソーでもいいから読み直してこい。
岩波文庫に出てるぞw
やはり、あの1991年8月の「八月クーデター」失敗によるソビエト・ロシア(ソビエト共産主義)の崩壊という ことがなければ、この仕事は完成させることはできなかったと思う。ソビエトの崩壊と冷戦構造の終焉によって、 それまで曇っていた自分の頭がすっきりした。「やっと分かったゾ」という気になったのはこの時期である。 自分もまた、ほとんどの日本知識人たちと同じく、頭の幾分かを、ずっと引きずるようにして、ソビエト型とは 違うのだが別種の社会主義=政治的理想主義に長く囚われていて、この呪縛から開放されなかった。 一九九四年から一九九五年にかけてやっと、この本を書きあげ完成させたときに、私は世界を一極的に 支配する世界覇権国となったアメリカ合衆国の諸思想がどうのようになってできているのかを知ったのである。 (中略) このとき私は、アメリカの現代アメリカ政治思想の各派を、日本語でコンパクトにまとめて、全体的に 性格描写することで、自分が悩み苦しんできた二十年来の政治イデオロギー遍歴からも開放されたのである。 私は、今や、右(保守)でもなければ、左(リベラル)でもない。 私は、ただ、それらの全体像を大きく眺めつくすものである、ということになった。 私は左右の大きな価値対立に於いて、どちらにも組するものでは自分を発見した。 私は、ただそれらの思想の諸価値の対立点を記述する者である。 (中略) 私は日本知識人層の貧弱な土俵の上に「現代アメリカ政治政治思想の全体像」を植えつけるという大きな 仕事を先駆者としてなしとげた。今や日本知識人全てを足元に見下すほどの地位を、私は自力で 築いたのである。しかし、このことは、私が大秀才である、と自惚れているのではない。 私程度は、アメリカでは頭のいい大学院生程度だということである。ということは、日本の知識人の 大半の文科系の知識人の知能水準は、アメリカに持ち出せば、頭のいい高校生程度だ、ということである。 副島隆彦「日本の秘密」
「サッチャリズム」の原点である巨人ハイエク
http://soejima.to/boards/cb.cgi?room=libertar&page=6 ハイエクは、ロシア革命(1917年)からまだ日の浅い1930年代から1940年代に、社会主義はナチズムと同根であるとして、
社会主義批判を展開していました。
彼は、「ワイマール共和国時代の社会主義政策の反動がヒットラーを生んだという通説は全くの誤りで、むしろ、社会主義
政策の理想を追求する人々がヒットラーの登場を待望したのだ」としました。ナチスの登場を阻止できなかったのは、
「左翼がしっかりしていなかったのではなく、ブルジョアがしっかりしていなかったからだ」と指摘しました。
同じことは他の欧米諸国にも言えるというのが、当時のハイエクの主張でした。特にロンドン大学教授在任当時の同僚で
あった、英国労働党の理論的指導者ハロルド・ラスキ教授の次の言葉は、ハイエクの危機感を高めさせました。
「現在の英国議会は、社会主義政策を進めるのに適していない。議会は労働党政府にその権限を包括的に委任する法律を
立法化すべきである。社会主義化の過程が次の総選挙で覆されるのを座視すべきではない」
これは、ドイツ議会がヒットラーに全権を委任し、ナチス一党独裁政治を認めた「授権立法」と同じ考え方でした。
このような状況下で、自由主義経済の優位性を説き、社会主義化への警鐘を鳴らす目的で出版されたのが、この
「隷従への道」でした。1944年のことでした。戦後、社会主義が世界を二分する大きな勢力になる以前に、この
ような考えをまとめていたことは、大変な驚きです。
ハイエクは大変長生きし、晩年の弟子サッチャー女史が、それまでの英国労働党の政策を道徳的に完全に破産
させるのを見届けるとともに、あのソ連が解体されるのをもしっかり見届けた上で、1992年4月、92歳の生涯を
終えました。20世紀の巨人でした。
>>108-109 西欧社会での個人主義とは、法の前の平等を前提にした諸個人が、国家の干渉から自由であるという面
(自由主義)と、国家の政治に能動的に関与する面(民主主義)との両側面をもつことは自明だった。
しかし、そうした個人主義が自生したのは西欧諸国家のみで、それ以外の非西欧地域は近代化=西欧化
を(西欧に)強制されたわけだから、外発的な近代化となり伝統社会の破壊=旧来の価値観との断絶と
いう共通な問題を抱え込むと同時に、個人主義についても西欧的なそれがそのままの形で受容されたわ
けではない。
近代日本の場合、個人主義は、ともすれば国家からの自由という側面が、自由権の行使というよりは、
国家への無関心をともなう欲望的個人主義や自我閉塞的な個人主義という奇形的な形態を生み出した
(これは近代だけでなく戦後の現代についても同様だろう)。
だからそうした自由の歪曲を本来の自由主義的な権利へ是正すると同時に、いまひとつの参政権をも
担い得るような主体的・自立的な個人の形成を丸山は課題とした。
あなたの議論は、(西欧も含めた)近代・現代への懐疑から個人の自立自体にも否定的な考えのよう
だが、そうした点は丸山も考慮に入れていた。しかしその対応は、あなたが考えるような共同体的価値
の単純な再生ということではない。
その理由は、大戦前の日本でも、寧ろそうした伝統的な価値(共同体的な価値)の再生によって、日本
も陥ってると考えられていた、西欧近代的な病理を克服しえるという議論(近代の超克論)が横行した
が結局は敗戦という現実の前に破産したのを見ているから。
丸山が、西欧と日本との根本的な文化的土壌の違いを認識しつつも、敢えて西欧近代を理念とした自由
主義と民主主義の浸透を主張したのも、そうした理由からだった。
>>113 >>114 副島種彦なんて三流知識人じゃんw
これと丸山真男を比較すること自体に無理があるよ。
だって雲泥の差、月と鼈だろ。
117 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 02:50:34
>>116 同意。
>>113 は、私は、アメリカの政策と思想に完全にイカレましたという
心情告白書のようなものだ。
アメリカ主導のグローバリズムが永遠に続くとでも思ってるのだろうか?
お目出度いヤツとした言えないなw
もっともこれでアメリカがポシャれば、また別の思想でも探すんだろうな。
そのときどきに支配的な流行思想をすぐにパクッて、それがダメになると
また別の流行を追い求めるということの繰り返し。
コイツが10年後にはたしてどんなこと言ってるのか見てみたい気もするな。
>>116 > 副島種彦なんて三流知識人じゃんw
同意。それでも浅田よりは上。
119 :
e1 :2007/01/03(水) 02:27:46
>115 丸山が展開した論の基本的なところからいえばそういうことになるのは理解できる。 個人主義とは近代的理性に裏打ちされたいることが前提だが、これはすべての人に 等しく与えられている理性であって、この理性の本質に照らしていえば、すべての (近代的)人間は男・女、大人・子供程度の類にしか分類できないのじゃないか。 確かに丸山も言っているように、近代的個人主義の限界とは、その理性の本質から すれば、この程度のもの。これは丸山が言っているんだよ。 つまり万人に共通なるものとして近代的な個人を形成している啓蒙的理性を、どう して個人を個人たらしめている根拠とすることが出来るのか。丸山自身もこれを 個人主義の内在的矛盾と呼んでいる。
120 :
e1 :2007/01/03(水) 04:53:08
だとするとね、個人なんてのは単なる個体でしかないんじゃないか。単なる個体である 人間など生物的にこれほど弱い存在もない。だとすれば、共同して事にあたるという事 になり、同じくあるのであれば、共にあることをもってよしとする共同体が成立してい くことには必然性がある。つまり、啓蒙的理性が徹底されて個人主義が貫徹されればさ れるほど、人々は同じ人間になっていくという逆説を丸山は後年語っている。 ここで同じもの同士が共にある共同体で協力関係を築く際に生まれたさまざまな秩序な くして近代が生まれ得なかったとするならば、近代を貫徹させるためにはもう一度この 共同体を何かしらの形で再生させないことには、どうしようもないということがいえると思う。 これに対して、単純な共同体回帰というものが反動的というのは、単に進歩史観に立脚してそ ういえるだけであって、丸山を通してマルクス主義的言説を弄しているに過ぎないと思うが?
121 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 04:54:06
だとするとね、個人なんてのは単なる個体でしかないんじゃないか。単なる個体である 人間など生物的にこれほど弱い存在もない。だとすれば、共同して事にあたるという事 になり、同じくあるのであれば、共にあることをもってよしとする共同体が成立してい くことには必然性がある。つまり、啓蒙的理性が徹底されて個人主義が貫徹されればさ れるほど、人々は同じ人間になっていくという逆説を丸山は後年語っている。 ここで同じもの同士が共にある共同体で協力関係を築く際に生まれたさまざまな秩序な くして近代が生まれ得なかったとするならば、近代を貫徹させるためにはもう一度この 共同体を何かしらの形で再生させないことには、どうしようもないということがいえると思う。 これに対して、単純な共同体回帰というものが反動的というのは、単に進歩史観に立脚してそ ういえるだけであって、丸山を通してマルクス主義的言説を弄しているに過ぎないと思うが?
122 :
おふらんす :2007/01/03(水) 08:40:18
研究した訳でもないけれど、 副島がその文章からしても教養からしても知識人でないことは慥か。 それでも丸山に対抗出来るつもりなのは、自分が西洋の現場を知つてゐると云ふ強みからだ。 丸山が一貫して云つて居ることは、日本には哲学がない、と云ふことで、それは徂徠でも宣長でも同じこと。 思考の構造が違ふからで、学んでも身につけることは出来ないのはマルキストを見れば一目瞭然。 その点中江兆民は先見の明があつた。(福沢諭吉のことは良く知らない) 以前丸山を読んだ時は、なんて陳腐なことを云ふのかと思つたけれど、今思つてみれば、それが彼が書物を通じて(或いはワーグナーの音楽を通じてかも知れないけれど)身につけた究極的知見で、西欧をよく理解してゐると云ふことが分る。
123 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 03:41:25
124 :
考える名無しさん :2007/01/10(水) 20:21:27
>>119-120 >個人主義の内在的矛盾
一般に個人主義における個人とは、社会的で理性的な個人というのを前提として
いるが、それに対して他方に唯我論的な実存的な個人というのがある。
後者は政治・社会性を捨象した「この世に我ひとり」という絶対的な個人であり、
そうした個人にして始めて、超越的な価値(原理・主義・神)と結びつき得る。
この個人の両義的な性格が、そのままある種の緊張関係をもって相反併存している点を、
丸山は個人主義に内在する矛盾として捉えていたと思う。
>共同体が成立していくことには必然性がある。
それはその通り。社会的で理性的な個人が、社会契約や統治契約を通じてある種の共同体
を形成していくというのは、近代の政治社会の原理なのだから。
問題はそうした共同体的関係が、個人の自覚と合意によって形成されるのか、それとも
前近代的な共同体的な関係を引きずったものなのか、という点にある。
後者ならば、(丸山流に言えば)「ズルズルべったりの共同体的関係」ということになり、
個人の自発性や能動性を抑圧する集団至上主義的な特徴をもち、結果として「無責任の体
系」しか生み出さないような閉鎖的なものとなる。
戦前の国家を始めとして社会のあらゆるレベルにおいて形成されていた集団とは、そうした
意味での共同体的性格を色濃くもつのだったし、戦後の政党や企業にしても、一見現代的な
体裁をとっているが、依然としてそうした側面(例えば会社主義)を帯びていた。
丸山も、近代社会の形成・運営が個人主義だけで可能だったとは考えていない。
むしろ近代産業社会は、過度にアトム化された個人を析出することで、社会からの
個人の疎外を引き起こすとも指摘している。
ただしそうした事態への対応として、共同性を復活するにしても、それが集団至上主
義的な従来型のものでは無意味であり、個人主義を前提としてそれを包摂し得るような
高度の共同性の再構築が必要だと考えていたのではないかと思う。
125 :
e1 :2007/01/11(木) 03:47:08
>>124 個人主義の内在的矛盾について敷衍してくれているのだが、ここは晩年の座談会での
発言になるので、丸山のスキームの中でどう捉えるかという問題もあるだろうけど、
啓蒙的理性というのは、押しなべて近代人共通の理性であって、パソコンで言えば、
OSみたいなものだ。これを持って、それぞれの個人の個人である所以とするのは、
おかしいといっているわけ。
デカルト以来の近代理性の啓蒙主義そのものに内在している矛盾であって、個人の
実存を問題にしているのではない。この議論は議論として面白いのだが、
とりあえずはしょっておく。
126 :
横レス :2007/01/12(金) 03:43:31
これまでe1さんのレスとそれに批判的な人たちのレスの応酬みて、それなりにおもしろかった。
でも、e1さんが再三繰り返してる「啓蒙的理性的な個人主義」や「近代理性の啓蒙主義」の、
どういう点を批判しているのかよく判らない。
「啓蒙的な理性」というのは18世紀の産物だから、21世紀の今日にそうした議論を
することがおかしいというこのなの?
それとも「自立的な個人」などというのは、本来は存在しなかったということなの?
でも
>>124 が述べてるように、近代政治社会の原理というのは、絶対王政期までのいろいろな共同体が解体されて、
そこから出てくる個人を単位として、それらが新たに結びついていくことで、国家・社会が形成されていく。
これがヨーロッパ近代社会の形成史についての教科書的な理解だと思うけど。
127 :
考える名無しさん :2007/01/17(水) 09:55:47
>>124 >「この世に我ひとり」という絶対的な個人であり、そうした個人にして始めて、
>超越的な価値(原理・主義・神)と結びつき得る。
それは啓蒙期というか宗教改革期の産物だろ。
神と個人という一対一的な関係によって、神の個人への内在化がなされ、
それを通じて個人の尊厳性が生まれる。
また神の前の平等から個人の平等性が出てくる。
この神が法に置きかわれば法の前の平等という近代の原理が生まれる。
だから唯我的個人というのは理性的な個人の発生源でこそあれ、両者は別に矛盾関係にはないだろ。
>>125 が問題としてるのは、理性的な個人(形式)に対する実質的な個人(内容)についてなのではないかな?
いかに近代で形式的に等質化しようとも、なお残る個々人の個体性(個性)の問題だよ。
センター倫理で真男がでましたww
129 :
考える名無しさん :2007/02/04(日) 20:05:26
別に丸山は近代理性万能主義じゃないし 道元から精神的貴族主義を言うとか近代理性とはいえないものの やはり自己練磨の精神が好き過ぎだとは言えそうだけどね
130 :
考える名無しさん :2007/02/18(日) 18:36:23
丸山の『現代政治の思想と行動』は、最近新装版まで出たね。 いまだにそれなりの需要というか、新たな読者層がいるんだな。 たしかに80年代以降は、丸山の議論はすでに過去のものという理解が一般的だった と思うけど、その頃流行してたポストモダン思想もすぐ流行遅れとなったし、 その後もいろいろな思想が一時流行ったけど、今では何がトレンドなのかも判らない くらい思想傾向が多様化したというか、雑炊化してしまった。 それで丸山のような比較的骨太な議論が、再度読み直されているのかもしれない。 丸山に代表される「戦後思想」には、ほかにも経済史の大塚久雄や法社会学の川島武宜など がいたけど、結局生き延びたのは丸山だけだった。 かつて明治初年にも多くの知識人がいたけど、古典として今でも読み継がれてるのは、 ほぼ福沢諭吉だけであるように、丸山の著作は「戦後思想」の古典として読み継がれて いくのかもしれない。 それに引き替え、丸山を批判して一世を風靡した吉本隆明なんかは、今ではほとんど 読まれてないような気がするな。
131 :
考える名無しさん :2007/02/24(土) 15:31:56
「フィクショナルな国家がありフィクショナルな家庭がありフィクショナルな私という意識がある 社会は実はフィクションをベースにした実話であります」 痺れた やっぱり深すぎるよこの人
>>131 それほど深いか?
現代では自明のことのように思えるが。
ごめんよ現代を生きてなかった俺はビックリしたんだ 最近勉強中なんです
134 :
考える名無しさん :2007/03/10(土) 11:26:42
たとえば私は非常に近い将来に、「朝鮮問題にどう対処するか」という問題が 出てくると思うんです。 そうするとこれをめぐって、たとえばアメリカがかつて 日本の頭越しに中国とやったみたいに、日本がまず北朝鮮と国交を正常化する という手をうつことなしに・・・(中略)・・・日本が主体的に対処することは むつかしい。ところがそれを断行するリーダーシップが非常に困難なのではないか、と。 結局それはどこかの強国、とくにアメリカが何か北朝鮮と手を打って、もしくは打ちそうに なってあわてて日本はそれに追随するという形しかとれない。 そういう「従属ナショナリズム」・・・本当は形容矛盾だと思うんですが・・・ は日米安保もそうだし今後も十分ありうる。 しかしそうすると今度は、アメリカに一方的に従属するナショナリズムだけで やってゆけるか、と。私は世界経済の構造からいっても、そうはいかなくなるのでは ないか、と。国際政治の上でも、「冷戦」時代とちがってアメリカの世界支配 自身が、崩れていますからね。 丸山真男「日本思想史における『古層』の問題」1979年
135 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 01:24:13
>>131 夢がなければ生きていけないということ。
136 :
考える名無しさん :2007/03/21(水) 01:54:52
一言で大天才 丸山のような人間がでてくることは今後100年無いかも しれないな 100年間は丸山の時代だ
137 :
考える名無しさん :2007/04/06(金) 12:46:37
丸山真男は皇室はどうすればいいのかについては曖昧だな。 戦前の天皇制については批判しているが、かといって明確に廃止せよとは言っていないし。 丸山さんは廃止するべきだと思ったのか?象徴天皇制を支持する立場だったのか? よくわからない。
138 :
考える名無しさん :2007/04/07(土) 23:42:42
北朝鮮の主体思想は、丸山真男のゼミで学んだ人物が、北朝鮮に丸山思想を もっていって、体系化したものと、約20年前ぐらいからいわれている。 というかしばしば耳にするのですが、・・食わせ物の丸山の思想を体系化し、 ソ連のマルクス思想を中和する狙いだったようです。
そんなことはありますまい。
141 :
考える名無しさん :2007/04/08(日) 12:23:23
有益な情報ありがとう!
142 :
考える名無しさん :2007/04/08(日) 13:25:47
140は死後公刊された本 丸山が天皇制廃止に賛成なら諭吉も批判すべき
143 :
考える名無しさん :2007/04/09(月) 02:25:17
>>140 イギリス・オランダ・ベルギー・スウェーデン・デンマーク・ノルウェーなんかには今でも王
室があるんだけど、こういう国もダメなんですかね?
どう読んでも日本についての話だろ・・・
>>145 もちろんそうなんですけど、イギリス・オランダ…といった国々は王制を維持しつつ民主化
できたのに、なんで日本だけ皇室を廃止しなきゃならないんだろうって思ったわけですよ。
それにロシアや中国は、王さまが居なくなったけど、いまだに民主的とは言えないですしね。
>>146 あんたのレス自体にそのヒントが含まれてるような気がするが、
要は、単に制度を整えただけではダメで、それに見合った精神も必要だってことだと思う。
日本は神道のゴリゴリの特殊主義的精神の中にいきなり上からデモクラシーの普遍主義的な制度が降ってきて、
しかしながら特殊主義の根源であり実体的な制度だった天皇制はなお残存しているという、
かなりねじれた状態なんだってことかと。
「八月革命説」ってのがあるけど、ウィキによると、もともとこれを考え出したのは丸山真
男で、それを宮沢俊義が理論的に構築したんだそうな。
オレは今まで知らんかったよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%9C%88%E9%9D%A9%E5%91%BD%E8%AA%AC > 1946年(昭和21年)、憲法学者の宮沢俊義は、日本国憲法成立の説明理論として、八
> 月革命説を発表した。これは、「1945年(昭和20年)8月のポツダム宣言受諾」により主
> 権の所在が天皇から国民へ移行したと解し、これを法的な意味での革命(八月革命)
> と捉え、日本国憲法は国民が制定した憲法であると説明する学説である。このような考
> え方のもともとの発想は、政治学者の丸山眞男によるものであり、宮沢が丸山の了承
> を得て法学的に再構成したものと理解されている。
しかし、どう考えてもムリがあるだろ。
そもそも日本が主権を回復したのは、サンフランシスコ条約が発効した1952年だからな。
それ以前は日本に主権がなかったからGHQがあったんだろ。
149 :
考える名無しさん :2007/04/30(月) 11:55:15
>>148 丸山の言ってるのは、思想的な意味、つまり国民の意識の上での問題だろう。
純粋に形式的な議論で言えば、戦争の終結は、45年年9月2日の降伏文書調印
だろうし、国家制度の変更としては、現行憲法が施行された47年5月3日となる。
ただ当時も現在も、国民にとっては8月15日の終戦の詔書放送が、戦争の終焉と
同時に新しい時代(戦後)の開始として記憶されているから、それを前提とすれば、
8.15革命という比喩も成り立つ。
最近では、そのことを丸山批判の論点としている議論も見受けられるけど、丸山自身
は著作で「8.15革命」というのは、あまり強調してないと思う。
丸山や同世代の国民からすれば、8月15日という日付のもつ意味は、実感として非常に
大きかったことは確かだと思う。
ああ、中川洋八って丸山の弟子筋だったのか。全共闘に罵声を浴びた話は 俺ですら知ってるが、ファナチックな反共思想に染まる程、底の浅い人間で はなかったってことだろうな・・・。
>>150 中川先生は丸山の弟子ではない。弟子筋ともいえない。もしそうならあんな極右のポジションにはいないだろ。
せいぜいコメントをもらったくらいだろう。丸山からの影響もないし。
152 :
考える名無しさん :2007/05/07(月) 20:16:00
>>149 最近では、丸山=国民主義者というのと、あと戦時中の丸山に代表される
議論が、戦後主流となったけど、それは1930年代のファシズムの理論と
同じ性格のもので、つまりは戦前(戦中)と戦後の議論との間には断絶が
ないという考えが出てきているけど、この点についてはどうなの?
WIKIをどこまで信じていいか分からんが中川は丸山から絶縁状を送られてるみたいよ。 それより丸山の著作を三冊読んだ駆け出しだけど、 藤田省三の『天皇制国家の支配原理』読み始めたが丸山より難しいんだが… 引用と言い回しが読みにくい… まだまだ雑魚だな俺orz
154 :
考える名無しさん :2007/05/27(日) 16:33:15 0
>>153 藤田のその本は難解で有名だよ。まあ、当人もそう言ってたけど。
自分も最初学生時代に読んだときはチンプンカンプンだった。
要は近代国家における社会と(機構としての)国家の分離という
一般的な図式が念頭にないと理解しにくい。
2〜3年前に著作集版で再読、三読して、ようやく内容を理解出来た
と思ってる(それでも完全にというと自信ないけど)。
あと高度成長期以降の日本社会批判としては、『全体主義の時代経験』が
オススメだと思う。90年代に読んだ本の中で、一番記憶に残ってる本の
ひとつだ。
例によって中味は濃いが、文章表現的にはやや読みやすいよ。
156 :
153 :2007/06/02(土) 02:32:57 O
>>155 そうなんですか…
今学部一年生ですが、それほど気落ちすることもないんですね…
僕だけバカなのかと不安でした。
ありがとうございます
>156 このご時世に学部1年で丸山と藤田を読むとはすごいな おれが大学1年の頃は『日本の思想』すら意味不明だったよ
158 :
156 :2007/06/04(月) 04:27:46 O
>>157 いえ…
これしか取り柄がないもので…(^_^;)
ずっと大学では政治学を勉強したいと思っていたので、逆に文学とかはさっぱりです…
丸山眞男の本を三冊読んだので、藤田さんのこの本の言わんとする事はある程度分かったつもりなのですが、
やはり天皇制国家の支配原理に関しては丸山以上に詳細に考察してるので難しいです…
『全体主義の起源』も『天皇制国家の支配原理』と一緒に買ったのですが、まだ読んでないです。
でも現代の問題を指摘した本なのでとても興味深いですよね。
次はこれを読むつもりです。
余り関係ない話だが、 今年の春にyozemiで入試問題を眺めていたら 早稲田で丸山眞男関係の文章が出題されていて少し驚いた。
>>159 たしか今年のセンター入試の社会(倫理?)だかでも、
丸山に関する問題が出てたと思うけど。
倫理での出題だね。没後10年だからかな。 ということは、今年は心理学者のフランクル(1905-1997年)と マザー・テレサ(1910-1997)が怪しいかな
>>153 『全体主義の起源』は藤田じゃなくてアレントじゃないか?といってみる。
もう今年で4年なのに、アレント一冊も読んでないなあ。
1年の頃に『人間の条件』を読もうとして挫折したトラウマがwwwww
それにしても、153は意識が高いなあ。
俺なんて、丸山まともに読んだの大学3年も後半になってからだよorz
こういう1年がいると、俺も頑張らないとって気がする。
164 :
153 :2007/06/28(木) 01:39:24 O
>162 一生の不覚… 『全体主義の時代経験』が藤田省三さんのですね… 全体主義の起源はずっと読みたいと思ってるんですが、世界史が高校の必修でしかやってないので、 まず世界史をちゃんと勉強してからじゃないと難易度が… という事で夏に読むつもりです!(・ω・;) しかし俺カッコ悪いなぁ… アレントも近年注目の人ですから人間の条件も3年までには読みたいです。 まだアレントは『革命について』しか読んだことない(>_<)
「日本人はデモクラシー(Democracy)なるものを、「民主主義」などと言う気持ち悪い言葉に訳して、 それで分ったつもりになっている。何故「デーモス・クラティアDemos-kratia]が「民主」の「主義」 などであろうか。「デーモス」とは、民衆、貧乏人大衆、の事である。クラティアとは、制度・体制・ 支配(オーダー)の事である。ゆえに本当は、デモクラシーは「代議制民主政体」(民主制)と 訳さなくてはいけない。 すなわち、国民の大多数である貧乏人大衆(ピープル)が自分達の代表を選び、その者達に権力 (パウア)を握らせる政治体制、の事である。 このデモクラシーの定義さえも理解できないのなら、一切のエラソーな事を言うのを、自ら停止せよ。 だから、民主政もまた、冷酷な支配体制(政治体制)の一種なのであって、「無条件にすばらしい」 ことなど全くないのだ。 副島隆彦「ハリウッドで政治思想を読む」P85から引用
166 :
164 :2007/06/30(土) 01:52:50 O
>165 デモクラシーについて語源に拘るなら、 デモクラシーという言葉が生まれた古代ギリシャでは代議制は採用されてませんが…? ギリシャのデモクラシーとほぼ同じ様に捉えられる古代ローマのリパブリカも代議制ではないですし… そもそも代議制の元になる議会なるものも身分制議会が起源なわけで… 要は今現在重要なのはデモクラシの語源なり真の意味なりではなく、 今ある中では最良の政治制度としてのデモクラシーをいかに実現するかでは? ダールなんかは理念としてのデモクラシーに対して、現在実現されているデモクラシーをポリアーキーと呼ぶことで、 デモクラシーを常によりよい政治制度を実現するための規準として位置づけましたし… ちょっとその副島さんという方の引用部分は最後以外賛同しかねます
副島コピペに携帯電話使ってまでマジレスは正直ないわ
日本の戦後民主主義では、 民主主義は単なる政治制度にとどまらず、一人一人の個人の心の問題であり、家庭や職場でも実践されなくてはならぬもの、 とされていた。それが文部省や憲法普及会の見解だった。どこが中性国家じゃ。 なんていう実態には、丸山センセイは疑問を挟まなかったのかね。
>168 中性国家というのは個人の内面的価値判断に国家が介入しないという意味合いが強いんですよね? 民主主義を個人個人が実践“しなければならない”というのは、 そうしなければ民主主義はやがて死んでしまうという意味なのでは…? それを国家が指示するのはどうかという問題はありますが、国家は暴力装置でもある一方、 やはり貴族制や専制君主制ではなく民主制である以上権力は対称的なので、 国民のために現状ではベストな政治体制であった民主主義を維持するために国民を導くのは仕方なかったのでは… それを否定すると民主主義が下から生まれたわけじゃない日本では民主主義は維持されないんでしょう。 勿論それでもやはり国家は中性であるべきという考えは残るでしょうけど
>>168 >どこが中性国家じゃ。
はなしが完全にピンボケ。
中性国家とは、
>>169 氏が指摘するように、
>個人の内面的価値判断に国家が介入しないという
ことで、具体的には政治権力と宗教との分離を前提とした近代国家のこと。
中性国家の発想は、血みどろの宗教戦争の真っ直中から主権国家による中立
(平和)領域を創設しようとしたホッブスの理論以来、ヨーロッパ近代国家
の伝統となったが、そこでは宗教は純粋に内面的な価値=単なる私事とされ、
国家は、いかなる宗教からも自立し、個人に対しては宗教の自由を保障する。
これに対して、日本の戦前国家は、宗教(神社神道)と国家権力(天皇)が
不可分に癒着した国体観念を国民統合の中核としていたため、個人の宗教の
自由は実質的には著しく制限されていた。
敗戦により、神社は一宗教法人となり国家の保護を受けず、宗教は個人の内面的な
私事として政治権力より明確に分離され、近代国家に相応しい個人における宗教の
自由が確立された。
丸山が中性国家という場合には、そうした意味内容が込められていると思う。
>>165 >「デーモス」とは、民衆、貧乏人大衆、の事である。
>クラティアとは、制度・体制・ 支配(オーダー)の事である。
ここまでは正しい。でも
>ゆえに本当は、デモクラシーは「代議制民主政体」(民主制)と訳さなくてはいけない。
これは完全な誤り。 デモクラシーは「民衆による民衆の支配」というパラドキシカルな
概念で、何よりも直接民主制を念頭に置いている。
それに対して「代議制民主政体」とは間接民主制のこと。しかも「代議制」の起源は、
>>166 の
>代議制の元になる議会なるものも身分制議会が起源なわけで…
というのが正解。 だから、
>国民の大多数である貧乏人大衆(ピープル)が自分達の代表を選び、その者達に権力
>(パウア)を握らせる政治体制、の事である。
というのはギリシアやローマの直接民主制にもあてはまり、別に「代議制民主政体」に
限定されない。
>このデモクラシーの定義さえも理解できないのなら、一切のエラソーな事を言うのを、自ら停止せよ。
皮肉にも副島本人に言えることだなw
>民主政もまた、冷酷な支配体制(政治体制)の一種なのであって、「無条件にすばらしい」ことなど
>全くないのだ。
これもこれだけなら正しい。ただ民主制は、貴族制(寡頭制)や君主制(独裁制)に比べれば、
相対的にマシな制度というに過ぎない。
イギリスの政治家チャーチルは、「民主主義というのは、今まで歴史上存在したあらゆる他の
制度を除けば、最悪の制度だ」とも言っているw
それにしても、この副島という人は、高校生レベルの歴史や政治の知識もないのであろうか?
こんなのが知識人というのでは日本もお寒い。
172 :
考える名無しさん :2007/07/07(土) 17:31:53 0
>>170 同意。中性国家の「中性」というのは、宗教やら思想やらに対する「中立性」のことでしょ。
国家は、特定の宗教や思想・信条を保護したり支持したりせず、すべてに超越してる。
同時に国民各人には、どんな宗教・思想を持とうと自由であることを保証する。
憲法に定められている宗教の自由、思想・信条の自由のことだよね。
http://geopoli.exblog.jp/ (地政学を英国で学ぶ)
プロパガンダで負けてはいけない:その2
ネオコンの思想的源泉となったとされている亡命ユダヤ系の知識人、レオ・シュトラウスという人物がおります。
現代のアメリカの保守系知識人に相当影響力を与えた人なんですが、彼の思想のエッセンスを私なりの独断的解釈
でいうと、「世の中には絶対の善があり、政治はこれを目指さなければならない」ということにつきます。
なぜこのようなシュトラウスの思想がこれほどアメリカで受けたのかというと、それはなんと言ってもその言論が
出てきた時代背景にあります。彼がアメリカでいろいろと本を書いていた時代は50年代から60年代末までなの
ですが、この時代の後半の特徴としてはベトナムなどが絡んできたこともあり、アメリカの左翼が復活してきた
時代でもあります。
もちろんアメリカ知識人の間でも「相対論」というか「真実なんてないんだ」という議論がまことしやかに
主張されたこともあるのですが、このような時代にシュトラウスは古代ギリシャやローマの話を持ち出して、
「理想の政治を目指さなくてはならない」
と言ったのです。これは一種の復古主義なんですが、この古典関係の知識がすごかったのでアメリカでは
誰も反論できずにブッチギリの存在感があったのです。
最近のこのシュトラウスの批判で必ず出てくるのが「ノーブル・ライ」というか、「支配階級は民衆をわざとだまして
コントロールしなければない」ということを彼が言っていたということです。このようなうがった見方をするのも確かに
「あり」なのかもしれませんが、真相はまだ闇の中。
それよりも私が重要だと思うのは、シュトラウスがアメリカの保守系の知識人たちに、リベラル側の相対主義や虚無主義、
それにマルクス/共産主義の思想に対して、ギリシャ/ローマの古典的な知識を縦横無尽に駆使すれば退治できるヒント
を教えた、という部分です。この伝統を意識的に継ごうとしているのが、現在の保守系知識人ではヴィクター・ディビス・
ハンソンということになると思われますが、シュトラウスと比べるとやっぱりちょっと見劣りしますね(苦笑
174 :
考える名無しさん :2007/07/08(日) 23:03:18 0
すみません質問なんですが 「多少ともノイローゼ症状を呈していることは、 すでに明治末期に漱石がするどく見抜いていた・・・」 について、それについて漱石が触れてる著書ってありますか?
175 :
考える名無しさん :2007/07/09(月) 00:48:54 0
>>174 とりあえず、岩波文庫からでてる漱石の文明論集がいいと思う
176 :
考える名無しさん :2007/07/09(月) 01:50:32 0
177 :
考える名無しさん :2007/07/13(金) 22:33:49 0
>>164 一生の不覚でもなんでもないだろ。
そうやって狭い視野で決め付けることしかできないことが一生の不覚だ。
>>171 そうやって副島の論理を分解して吟味すると、ヤツの文章がいかにデンパか
というのが誰の目にも丸分かりだな。
断定口調という以外に能がない、あまりのお粗末さに泣けてくるよ。
「鬼面人を驚かす」というのは、この手の虚仮威しの文章をいうんだろうな。
>>178 同意。
なぜ副島のスレが立ってたり、よく引用されるんだろ。
けっこう読まれてることは読まれてるのかね、こんなのが。
自由にも2種類がある。貧しい人民大衆の、よりまともな暮らしを求める叫びのことを、だから、「フリーダム」という。 フリーダムは、だから、貧乏人=国民大衆が求める「肌を寄せ合うに、みんなで分かち合う、貧乏くさい自由」です。 リベラリズムと同根のリバティとは違う自由です。リバティの方は金持ち、貴族の、勝手放題の自由のことです。 フリーダムとは貧乏大衆の自由で、リバティは貴族や大金持ちたちの自由です。この区別は物凄く重要です。この区別を 日本人で知っている人は私以外にはいないようだ。実に不思議な感じがする。だから、リベラルとデモクラシーは、 本当は、水と油で混ざるはずが無い。そのように、今でも知識層のイギリス人は考えている。リベラルはそもそもは トーリー貴族のもので、デモクラシーは貧乏大衆のものだからだ。だから、アメリカ人をあざ笑う。 しかし、イギリスも今はアメリカの属国だから、鬱屈した表情になる。グローバリストに庇護してもらっている、 日系人の現役の思想家であるフランシス・フクヤマが、だから苦し紛れに、「ソビエトが滅んでリベラル・デモクラシー (自由民主主義)の世界的拡大で、それで、人類の歴史は(前史?)はひとまず終わる」という宣言を行ったのだ。 そういうモデル理論を提起した。それに対して、イギリス知識人たちは、リベラリズム(貴族の自由)と デモクラシー(民衆権力制)は、お互いに相い容れないものなのだ、と知っている。それで嘲笑している。 副島隆彦「属国日本論を超えて」P214〜215
まず「自由主義者」の訳であるが、「リベラリスト」と言う言葉は、ドイツ語にはあるが、英語ではリベラルズ liberalsというのだ。「リベラリスト」と言う英語は無い。日本の知識人層は、この初歩の事実から学ばなくては ならない。リベラル派の反対がコンサヴァティヴズ(Conservatives・保守主義者)である。日本やアメリカで、 自分の事を「リベラル」だと思っている人々は、そもそもの、本物の歴史上の「古典的自由主義者」とは似ても 似つかぬものだ、と言う事に気づいてほしい。今の日本やアメリカのリベラル達は、本物の自由主義者達とは 反対の立場の人だのだ。言葉だけは「リベラル」だから、きわめて紛らわしい事になったのだ。 それは、イギリス人の18世紀の初期リベラル思想が、海を渡ったアメリカで共和党系の思想になったからだ。 このねじれを理解しなければいけない。 日本やアメリカの現代リベラル達は、本当は、今でも隠れ(あるいは無自覚な)社会主義者(ソーシャリスト Socialists)たちである。だから、「本物の本来の自由思想を貫く生き方をしたい」と言う人々は、アメリカでは、 仕方なく、自分達の事を リバータリアン(Libertarians)と呼ぶようになった。 アメリカでは、民主党支持であるリベラル派は、その実態は福祉優先の弱者救済主義者である。このことに 気づいて、最近は自らを「現代リベラル派(モダン・リベラル)」と呼んで保守思想である 古典自由主義者 (クラシカル・リベラルClassicalLiberals)と区別をつけるようになった。本物の自由主義とは「この、私の 私自身の自由を、他の何よりも大切にする思想」の事だ。だから、根本的に、個人主義者なのであって、 共同体優先主義(社会主義)ではない。 以下の引用は、副島隆彦著 「ハリウッドで政治思想を読む」 P183〜184から
18世紀のイギリスの本物の古典的自由主義者たちは・「国王や教会が、私たちの生活に余計な干渉 をしないでくれ」という思想態度から興ったものである。だから本物のリベラルというのは、本当は、 徹底的に新興企業経営者層(ジェントルマン)たちの思想なのである。これが、イギリスのウィッグ党・ ホイッグ党(Whig 自由党)の支持勢力を作った。そして、トーリー党(Tory 保守党)である、貴族 たちの勢力と争ったのだ。 一般庶民(貧乏大衆)の政党などまだまだ現れない。このウィッグ(イギリス自由党)の思想が海を 渡ってアメリカに到着した時に、これがアメリカの保守勢力であるアメリカ共和党になってゆくのだ。 だから「もともとのイギリスの自由主義者が、現在ではアメリカの保守主義者」と言う事である。 いつの間にかねじくれて意味が逆転してしまった。即ち、本来の「リベラル」という言葉が、民衆 統合主義者や、左翼・社会主義者たちによって奪い取られてしまったと言う事である。この世界の 政治思想上の言語使用上の重大な逆転現象に、私たちはそろそろ気づかなければならない。 この事が分らないものだから、日本では政治学者たちですら、現代リベラル派と、本来の古典派 自由主義者の区別がつかないのだ。 副島隆彦著 「ハリウッドで政治思想を読む」 P183〜184
副島隆彦です。 私の吉本隆明(よしもとりゅうめい、「たかあき」が戸籍上の読み方ですが)という思想家(過激派の教祖と呼ば れた人、82 歳ぐらいで存命)に、19歳の時から35歳ぐらいまで入れあげて、ほとんど彼の書物を読むこと で青春を過ごしたことを、私の本の読者たちでも知っている人は、1割ぐらいでしょう。 35歳ぐらいからは、「吉本隆明は、もう思想的に限界に達した」と感じて、「ソビエト・ロシアの思想と闘いつ づけた日本の稀有の左翼思想家だが、それでも、彼の終生変わらぬレーニン賛美も間違いだった。 だからやっぱり、吉本の、マルクスの労働価値説への終生の賛美=帰依と共に間違いだった」 と判断して、 以後は、私は、より世界基準である小室直樹先生の学問の方へ向かったのです。 これが、私、副島隆彦の「左翼から右翼・保守へ」の思想転向の大枠です。 それでも、最近また、吉本隆明先生の、東アジア知識人としての限界に自分もまた戻ろうとしていることを 強く感じています。「どうしようもないのだ。どうにかして、一切衆生を救いたいのだけれども、 自分 自身を現実の中で救うことだけでも大変なんだ」という気持ちになっています。 それと、吉本隆明は、丸山真男(まるやままさお)を激しく論難した(特に、1969年の東大闘争、全国 全共闘=70安保闘争の頃)けれども、この二人が、共に、「日本の戦後民主主義」という、焼け野が原の、 青空天井の、「青い山脈」という映画に現れた、日本の戦後空間を反発しながらも礼賛したことで、それが、 実は、アメリカの元祖グローバリスト(ニューディーラー)たちによる、日本民族洗脳空間であったのだ、 ということを、吉本も、丸山も理解できなかったのだ、という点で同じであり、ゆえに、それがこの二人 の思想的な限界だったと、「日本の秘密」を書いたあたりで私は解明しました。
「816」崎谷博征(さきたに・ひろゆき) SNSI研究員 の 新刊 『グズな大脳思考 デキる内臓思考』
を紹介します。浅薄な「合理主義的思考」に代わる新しい思考法は、現実の生活にも大いに役立つ思考法です。
2006.12.24 副島隆彦が文末に加筆しました。2006・12・26
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200612.html#2401 この両派の対決は、あらゆる学問の裏側に控えている。この対決軸を中心に、今のこの世界は動いている、
と言ってもよい。だから、生来的な器質的な、異常や犯罪気質は、教育や治療によっても改善できない、
とするのが、ネイティビズムである。
つまり病気は、治せない。という考えだ。治る病気は自分の力でなおる。ただし悪い部分を取り去る
外科手術は認める、という立場が、このネイティビズムである。それに対して、人間は、後天的に
改善できる、とする考えが、ビヘイビアリズムである。
この考えは、1950年代の、シカゴ学派のスキナー、ボーマンズらの「社会心理学」(ソシオ・サイコ
ロジー)としてアメリカでリベラル派の学問として再興された。この理論の上に、タルコット・
パーソンズの「構造機能分析」と呼ばれるアメリカ社会学が大成された。さらにそれと同形的
(アイソモルフィック)に、アメリカ理論経済学が花開いたのである。そして更に、それと類推的に
政治学(ポリティカル・サイエンス)も繁栄した。アメリカの、ソシアル・サイエンスは、1950年代
と1960年代には、この「行動科学」によって、ついにヨーロッパの学問を超えた、と、みんなで
祝ったのである。これはアメリカの学問的な大勝利であり、世界をこの新規の学問潮流で支配・席捲
できる、と考えた。ここでは当時のソビエトとの対決問題は無関係である。それで、世界中から優秀な
人材がアメリカに集まるようになった。
186 :
考える名無しさん :2007/07/21(土) 18:25:44 0
私の先生の小室直樹氏は、このアメリカ行動科学の全体像を習得する運命を背負ってこの時期に、 スキナーのいたミシガン大、と、ポール・サミュエルソンのいたMITと、パーソンズのいた ハーバード大に習いにいった。ところが、帰ってきて、その成果を丸山真男氏以下の、日本人学者 たちに伝授しようとして、嫌がられた。当時の日本にはロシア型マルクス主義という宗教しか、 近代学問としては存在しなかったからである。 この ネイティビズム「固有主義、生来主義」 と、ネイテイビズム「 行動主義 、教育改良主義」の サイコロジーの分野から興った大きな対立が分かれば、おそらく、今の、というか、この100年間の 欧米の社会学問(ソシアル・サイエンス)の流れは、今の日本人にも、大づかみに出来るのではないか。 この事をもっと分り易く言うと、「氏より育ち」ということである。あるいは、「育ちよりも氏」か。 即ち、氏(うじ)=家柄、出身、血筋 の方が、人間(人物)の評価に置いては大切だ、というのが ネイティビズムで、その反対に、「家柄よりも、育ち」即ち、生活環境・教育・学習行動が大切だ、 というのが、ビヘイビアリズムである。 だから、ネイティビズムは、保守主義 を表し、ビヘイビアリズムは、現代リベラル派(人権主義者)の 立場なのである。分かり易く言えばそういうことだ。 『世界覇権国アメリカの衰退が始まる』(講談社)ビヘイビアリズムVSネィティヴィズム[65ページ〜72ページ]
187 :
考える名無しさん :2007/07/21(土) 18:29:28 0
副島はもうとっくに丸山を乗り越えた。
無関係なスレをコピペで荒らすな。副島スレ立てて、そっちでやれよ。
189 :
考える名無しさん :2007/07/22(日) 23:33:58 0
読めよ。 そんなんだから頭がよくならないんだろ。
丸山の本を読めってこと? このスレを覗く人ならみんな読んでるだろ まさか副島のコピペを読めって言ってるんじゃないだろうな?勘弁してくれよw
192 :
考える名無しさん :2007/07/23(月) 18:54:40 0
やっぱ古い年代は脳が固まってるからどうしようもないんだな。 まあ期待するだけ無駄か。
193 :
考える名無しさん :2007/07/23(月) 20:58:28 0
丸山と安丸の天皇制に対する思想の違いをご教授くだされ
196 :
考える名無しさん :2007/07/24(火) 22:05:17 0
>>193 安丸って安丸良夫のことか民衆思想史の。
だったらペリカン社から出てる「丸山眞夫論」のなかに
論文書いていた記憶があるけど。
安丸自身も天皇制について著書があるけど、それを書いてみたら、
丸山の議論とだいたい同内容であることに自分でも気づいた、
というような内容だったと思うけど。
要は、もともと多様で周縁的だった民衆思想が いかに天皇制に包摂されていったかって話でしょ。<安丸の天皇制論 民衆思想に対する評価の違いはあれど、 天皇制に関しては丸山の見解とそう大きく異なるわけじゃないわな。
>>136 なんでだ? ただの秀才だろ。
戦前から戦後にかけて言説が一貫してぶれなかったから評価されただけじゃないか。
オイラは『日本政治思想史』しか知らないが、その読みは科学的学問的客観性の裏に個人的政治的な恣意性を埋め込んだマユツバ、プンプンたるものだったぞ〜
>>200 >オイラは『日本政治思想史』しか知らないが
「サッチャリズム」の原点である巨人ハイエク ハイエクは、ロシア革命(1917年)からまだ日の浅い1930年代から1940年代に、社会主義はナチズムと同根であるとして、 社会主義批判を展開していました。 彼は、「ワイマール共和国時代の社会主義政策の反動がヒットラーを生んだという通説は全くの誤りで、むしろ、社会主義 政策の理想を追求する人々がヒットラーの登場を待望したのだ」としました。ナチスの登場を阻止できなかったのは、 「左翼がしっかりしていなかったのではなく、ブルジョアがしっかりしていなかったからだ」と指摘しました。 同じことは他の欧米諸国にも言えるというのが、当時のハイエクの主張でした。特にロンドン大学教授在任当時の同僚で あった、英国労働党の理論的指導者ハロルド・ラスキ教授の次の言葉は、ハイエクの危機感を高めさせました。 「現在の英国議会は、社会主義政策を進めるのに適していない。議会は労働党政府にその権限を包括的に委任する法律を 立法化すべきである。社会主義化の過程が次の総選挙で覆されるのを座視すべきではない」 これは、ドイツ議会がヒットラーに全権を委任し、ナチス一党独裁政治を認めた「授権立法」と同じ考え方でした。 このような状況下で、自由主義経済の優位性を説き、社会主義化への警鐘を鳴らす目的で出版されたのが、この 「隷従への道」でした。1944年のことでした。戦後、社会主義が世界を二分する大きな勢力になる以前に、この ような考えをまとめていたことは、大変な驚きです。 ハイエクは大変長生きし、晩年の弟子サッチャー女史が、それまでの英国労働党の政策を道徳的に完全に破産 させるのを見届けるとともに、あのソ連が解体されるのをもしっかり見届けた上で、1992年4月、92歳の生涯を 終えました。20世紀の巨人でした。
>200日本政治思想史研究は丸山のあまり得意でない分野なんだよな。 ソライ学を中心とした江戸期〜の日本の精神構造分析だけど、 丸山は宗教学者でもなければ民俗学者でもないからな… 近代以降の分析はなんだかんだで一番だけど、その前提となる江戸期の儒教思想が近代以降にどう繋がってくかってトコは、 細か〜く見るとちょっと微妙というか納得しきれないんだよな。 しかしそれを差し引いても丸山はやっぱり戦後最高の政治学者だと思う。 未だに読まれ続けて、これほど大学の政治学科とかで課題図書になる人いないでしょう
>203 じゃ、何がいいの?
>>203 丸山は実体験も交えてる。
戦中、戦後の自分の実体験の中でからの発言があるから
説得力はあるだろうな。
>>205 だから逆に信じられないんだけど。
>戦前から戦後にかけて言説が一貫してぶれなかったから評価されただけじゃないか。
つまり、戦争中でさえ日和らなかったってことが英雄視されてるだけじゃないの?
でも、言ってることは近代信仰への政治的発言が隠されていて、正直言って信用できない。
たとえてみれば、詐欺に等しい。
>>206 >戦前から戦後にかけて言説が一貫してぶれなかったから評価されただけじゃないか。
このぶれない事が議論する事の大切さを示しているのでは。
>>207 ぶれない、日和らないというのは言説の信頼性を高める、つまり信用できる条件であることは認めますが、
問題は、その言説の中身が、自分の政治的嗜好によって偏向されていること。
具体的に言えば徂徠学公私の意味に近代を読み込むのは政治的偏向以外のなにものでもないということ。
そして政治的に研究対象を不正確に記述するような人は、信用できないんです。
>>208 信用するって事ではなく、
後世に真実を残す偏らない傍観者だった・・・って事でいいと思いますが。
>>209 十分偏ってるし、決して傍観者ではなかったでしょう。
いったい、どう見たら貴方のように見えるのかわかりません。
徂徠学公私の意味に近代を読み込むのは政治的偏向以外のなにものでもないことは、貴方も認めざる得ないでしょう。
それは偏りだし、近代を喧伝して時代にコミットしようとしたことも、実際大きな影響を与え続けていることも否定できないでしょう。
>>210 正直、私は学のないので難しい事はわかりませんし、偏っているのかもしれませんが・・・
しかし私みたいな一般庶民でもその世界に興味を与えてくれる魅力はあります。
その魅力は何処にあると思いますか?
>>211 それは貴方が丸山さんが好きだってことでしょう。
あるいは貴方の嗜好に丸山さんが合ってるということ。
あるいは、ただ単に貴方が流行している政治学の権威としての丸山さんに偶然はまっただけかもしれません。
いづれにしろ、それは貴方の問題で、丸山さんの問題ではないと思いますが。
学のない私に理解できる著書ってどのようなものがありますか?
>>213 それって丸山さんの著書ってことですか?
>>214 誰でもいいです。ある程度わかりやすければ。
>>215 何をお知りになりたいのかわかりませんが、
分かりやすいのがポイントなら、お知りになりたい分野の薄い教科書、概説から入るのが基本ではないでしょうか?
>>216 自分の感性にあった物を選びますw
俺の基本が今まで生きてきた過程が経験だし
じいちゃん、ばあちゃんの意見も大切だし
色々紆余曲折があるかもしれないけど・・・
平和に生きれるよう努力します。
そうですね。他に優しく、がんばってください。 私もちょっとがんばります。
一つだけ言わしてください 戦争経験者の故祖父がよく言ってた事 どんな事があろうが戦争は絶対にだめだよ・・・ 以上でした。
>>220 なかなか面白そうな本ですね。
参考にさせていただきます。
>>208 なんというか、丸山に限らず思想系の論文全般は実証を重んじる人から見たら
ものすごいインチキ偏向論文に見えるんだろうけどさ、それはある意味しょうがないというか、
思想史から著者の偏向を抜いたら、単なる「誰々がこれこれのことを言いました」紹介文になってしまう。
思想史の論文ってのは、昔の人はこう言ったって紹介するだけじゃなくて、
たとえばその言説がその時代においてどんな有意性を持ったかとかのレベルで論じるものであって、
そこを考える際にはどうしても著者の視点なり偏向なりが介在せざるを得ないよ。
要は、特定の時代の思想にマクロな意味づけを与える学問なんだから(考古学に対する歴史学と同じような位置)。
もちろんそういう作業を行うにあたって、自分の偏向に無自覚だと困るけど、
この点、丸山は自分の偏向・偏見にすさまじく自覚的だよ。
『日本政治思想史研究』でも『現代政治の思想と行動』でも、序文や後記や追記・補注なんかを読めばよく分かると思う。
>>222 そうかな〜、思想史っていっても井筒俊彦、武内義雄、中村元、波多野精一なんかのものだと個別には異論はあっても根本的姿勢が信じられるんだよ。
原典をできるだけ正確に読もうという姿勢が感じられる。
ところが丸山の思想史は、始めから近代主義宣揚のための疑似思想史って感じだよ。
史なんてどんなに実証主義に立とうとも歴史現象そのものが認識の問題だから、解釈が入らざるえないのは当然。
ただ、それが解釈と呼べる範囲から逸脱しているようにしか見えないのが『日本政治思想史研究』ね。
研究というより、プロパガンダとかサブリミナル効果を狙った洗脳書としか思えないな。
平泉澄『少年日本史』に近いよ。平泉の本の方が読んで面白いだけ俺は、好き。
>>223 まぁ、たしかに『日本政治思想史研究』に関して言えばその傾向が強いかなという気もする。
戦前に書かれたものだし、発展段階論的な歴史認識が強く見えるからね。
ただ、戦後に書かれたものはどうかなぁ……近代主義なんて言われた(言われる)けどさ、
50年代以降の代表作、たとえば「忠誠と反逆」とか「歴史意識の古層」なんか、
もう日本思想史全体のマクロな認識に比重が移っていて、近代を理想化して喧伝してるなんて思えないもん。
>>224 『日本政治思想史研究』を読んで、あんな書き方する人のものは読まなくていいと思って、他は読んでません。
>>225 ∧∧
ヽ(・ω・)/ ズコー
\(.\ ノ
、ハ,,、  ̄
 ̄
いやー、『日本政治思想史研究』だけ読んで丸山見切るのはさすがに性急すぎるわ。
近代主義云々という用語法といい、なんかあなた吉本隆明とか好きそうだね。
吉本も主に『日本政治思想史研究』をもとにに丸山像を描いて批判してたっけか。
>>226 吉本さんとか、柄谷さんとか、ああいった本は読みません。
世の中、読むべきものは沢山あるのに、なんで丸山さんなんか読まなくちゃならないのか?
私は原典主義だから『日本政治思想史研究』を読むのに、その典拠となった資料と周辺も読んだからね。
228 :
203 :2007/08/11(土) 03:27:40 O
誰であれ、著者を判断する時は著書を読む順序が大事だよ。 そうでなければせめて、気に入らない著書があった時にいつくらいのか調べてみて、 古ければ後年のも調べてみるとかって姿勢がほしい。 >229はある著者を見切るのにたかが一冊とかないよ。 丸山眞男の原典への姿勢に対するあなたの批判は、 そのままあなたの丸山眞男に対する批判へと返ってくるのでは…? 大学生がよく読まされる新書なんかでは「日本の思想」がある。 俺は 「日本の思想」 →「現代政治の思想と行動」 →「日本政治思想史研究」 →「後衛の位置から」 →「戦中と戦後の間」 と読んだよ
というか、この板は何でID表示が無いのだろう・・・
>>228 それじゃ、丸山の思いしか見えない。丸山が正しいかどうかは、彼が扱った資料を読んで始めて分かる。
私は、『日本政治思想史研究』を読んでその典拠とその周辺を読んだ。
方法論というか、丸山がお手本とした資料:
マックス・ウェーバー、ヘーゲル、マンハイム、フランツ・ボルケナウ
以上は、翻訳で済ませたが、直接引用されたものと、関係書を読んだ。
ここから、ただ彼らがヨーロッパ史で行った方法を日本史にそのまま置き換えただけだという安直な方法論が分かった。
次に研究対象となった荻生徂徠、伊藤仁斎などの江戸儒学を読み。
背景を知るために武内義雄などの『中国思想史』を読み、
宋学が重要なことを知り『北渓字義』から『太極図説』『通書』『西銘』
『正蒙』『四書朱子註』『近思録』『小学』『伝習録』などを読んだ。
これは難しく、とても理解したとは言えなかったが、荻生徂徠、伊藤仁斎などの書を理解するには大いに役に立った。
そして丸山が全く宋学に無知で、荻生徂徠、伊藤仁斎などを理解してないことも分かった。
次に日本思想史ということで辻善之助『日本文化史』 津田左右吉『国民思想の研究』などを読み、思想史的流れを押さえようとした。
最後に丸山が著作した 1954年前後の歴史的背景を押さえて、もう一度『日本政治思想史研究』を読み抜き書きを作り、問題纏めてみた。
私は、著書を評するには、著者が扱った資料を読まなければならないと思っているので、
以上のような手順を踏んだわけだ。他の著作を読んでも同じような手順を踏まないと、
ただその著作を読んだだけでは、何もいえないので大変なのです。
そして何より、以上の作業によって、丸山が信じられない人だと分かったから、
読むことは止めた。それでも丸山の他の著作を読めと?
>>230 そこまでやるのはすごいね。研究者でもそれだけやった人はいるかどうか。
でも、その結果
>以上の作業によって、丸山が信じられない人だと分かったから、
という判断をしたのは適切じゃないと思うな。
少なくとも「”戦前の”丸山が信じられない人だと分かった」くらいの判断にしておかないと。
人間、必ずしも思考や方法論が生涯不変ということはないでしょ? 丸山だって時代とともに変わってる。
丸山のほかの著作を読む読まないはあなたの自由だけれど、上記の判断は正直「勇み足」だわ。
かなりいい加減な話しだけどさ、 戦前の丸山批判:京都学派系 戦後の夜店批判:吉本隆明など 戦後の本店批判:子安宣邦など 全体的に批判:ポスモダ系 なのかなぁと頭に浮かんだ。
>>231 いやいや、私が使用したのは1983年東京大学出版会版『日本政治思想史研究』で
これには1974年の「英語版への著者の序文」の和訳と、手元にないので確定できないが1983年ごろの「あとがき」が付されていて、
このように述べられているので、少なくとも 1983年ごろも『日本政治思想史研究』を否定していなかったことが分かる。
やっぱり信用できないな。
> [あとがき372頁]
> 近代の「超克」や「否定」が声高く叫ばれたなかで、明治維新の近代的側面、ひいては徳川社会における
> 近代的要素の成熟に着目することは私だけでなく、およそファシズム的歴史学に対する強い抵抗感を意識
> した人々にとっていわば必死の拠点であったことも否定できない事実である。私が徳川思想史と取り組
> んだ一つのいわば超学問的動機もここにあったのでって、いかなる磐石のような体制もそれ自身に崩壊の
> 内在的な必然性をもつことを徳川時代について――むろん思想史という限定された角度からではあるが―
> ―実証することは、当時の環境においてはそれ自体、大げさにいえば魂の救いであった。
> [英語版への著者の序文391頁] > 「日本精神論」に基く思想史の労作は(量的にはこれが最大多数を占めていた)、たとえ比較的に > ファナティックでないものでも、そこに前提されている倫理的及び政治的ドグマが、青年の私に、 > ほとんど生理的に近い嫌悪感をもよおさせた。第二の「文化史」的な類型に属する研究は、学問的価値 > においては第一のものより、概して、はるかに高かったけれども、「文化」や「哲学」を、社会史的な > 文脈や時代の階級構造から切断し、自足的な存在のように取扱って済ますには、私はすでに、あまりにも > 多くマルクス主義の方法論の「洗礼」を受けていた。しかし、他方マルクス主義者たちの業績も私を満足 > させなかった。 > [英語版への著者の序文396-7頁] > 「近代の超克」論と、それを背後から支えている全体主義的な思潮とに対して強い抵抗感を持った知識人 > や研究者は、それぞれの分野で、まさに贖罪羊にされている「近代」を擁護するのを自分たちの義務と感 > じたのである。時代の潮流に逆らったリベラルと、マルクス主義者とが、この知的戦線において「近代」 > の擁護の側に立った。 『丸山真男講義録』に 日本政治思想史について1948-1967の七冊があるから、これもホントは合わせて読むべきだったんだけど、それはしなかった。
>>234 同意。
『日本政治思想史研究』は江戸時代だけが対象だけど、 『丸山真男講義録』は、
古代〜近代までを通史で述べている。
内容的には、前者が封建的思惟の展開過程のうちに近代化的な契機を模索するという、
近代化論的視角であるのに対して、後者の方は外来文化の受容と変容を主題にしており、
後の「歴史意識の古層」につながる主題が表面に出ていると思う。
>>235 203の人かな? レス番号ずれてない?
[英語版への著者の序文391頁]の「日本精神論」に基く思想史は、平泉澄に代表され、 「文化史」的な類型は、辻善之助に代表される。 『日本政治思想史研究』は、国粋主義的思想史への近代主義者の反動で、 その方法は、マンハイム、フランツ・ボルケナウあたりにある。 つまり、ヘーゲルへの反動がマルクスの史観であるようなもので、どちらも信用するに足りない。 やっぱり信用すべきは辻善之助や宮崎市定のような実に客観的な史家であり、 思想史家としても井筒俊彦や武内義雄、波多野精一などを信用すべきだと思う。 そして、史ってのはガイドブックみたいなものだから、それを頼りに原典をなによりもあたらないとだめじゃない。
>>230 丸山の徂徠の言説分析を通じた公私論に異議があるなら、丸山の当該論述箇所
に則して批判してくれんかね。
ただ他の歴史家や思想家の名前と著書を挙げても、丸山の批判にはならんし、
ましてやあなたがホントに読んでるかも疑問だしw
宋学の主要著作以前に徂徠の主な著作(『政談』『弁名』『弁道』など)の
名前が挙がってこないのも不思議なのだが・・・・・。
あなたホントに丸山の『日本政治思想史研究』を精読したの?
ネットでも見られる、数年前の私が書いたやつを削って、まとめてみました。 徂徠学公私の意味は『日本政治思想史研究』106-115頁に集約的に論じられます。 >理念型的に言へば一般に非近代的な、ヨリ正確には前近代的な思惟は >かかる意味における公私の対立を知らないのである。[107頁] >これと異つた意味での公私の対立は前近代的な思惟にも無縁ではない。 >例へば公私の区別を領域に求めずして専ら倫理的価値に求めるごとき是である。 >そこでは「公」とは善を意味し、「私」は悪と同義である。[107頁] 前近代的な思惟にも公私の区別があるが、政治的な領域と内面的生活領域の区別ではないから、[110頁] 「理念型的」公私の区別がない、ということです。「理念型」とは、マックス・ウェーバーの idealtypus で 無限に多様な実在から、特定の諸要素を抽出し、思考の上で高めた上で、 それ自体として矛盾のない関連にまとめあげ、総合した思想像 [挿入句を省いた] [折原浩 補訳 『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』 岩波文庫、1998、269頁、また111-150、270-302、9頁を参照。] を意味するようです。ですが、丸山の使用法はとてもその意味の「理念型」とは思えず、 逆に彼の「理念型的」公私はウェーバーが注意する「プロクルーステースの寝床」としか思えません。 [折原浩 補訳 122、278-9頁] なぜなら、江戸思想における公私の理念型は、本来江戸の諸資料から抽出総合されるべきもののばずです。 ですが、丸山は多分ヘーゲル、マルクス、ボルケナウ、シュミットあたりから借りてきた。(明記されていない) だから彼も自信なさげに理念型「的」と呼んでごまかしているのだと思われます。 単純にいって丸山の「理念型的に言へば」という言葉の意味は<西洋でいう近代の公私では>ということです。 (素直にそう表現すると誰も信じてくれないので「理念型的」といって韜晦したのでしょう)
つまり、シナ、日本の伝統的意味を、西洋近代に合わせて切り刻んだのです。 なぜなら、目的が近代主義擁護だからです。論点先取、結論から資料を読み論が組み立てられているのです。 では、前近代的な思惟にも公私の区別があるが、西洋近代的には公私の区別がない、 という意味で丸山はどのように徂徠学公私を分析したのでしょうか? 徂徠学公私の意味は<赤穂義士事件における徂徠擬律書>と <『政談』での丸橋忠彌の起訴者の事例>を根拠として[107頁]公私は次のように弁別されます。 近代:公私の区別を領域に求める 公 / 私 政治的な支配関係 / 私的な経済関係 統治者の財政的支出 / 個人的な消費 行政事務の遂行 / 主従義務の履行 公法 / 私法 公的な領域の独立 / 私的な領域の解放 徂徠:公私の区別を領域に求める萌芽がある。 公 > 私 政治性の優位 > ? 公的な法 > 私的な義理 根拠:赤穂義士事件における徂徠擬律書 公的な法 > 私的な義理 根拠:『政談』での丸橋忠彌の起訴者の事例 前近代:公私の区別を領域に求めず、倫理的価値に求める。 公 / 私 善 / 悪 つまり、前近代では、西洋近代的な公私の区別がなく、徂徠では萌芽があったというのです。
丸山は徂徠の『弁名』を根拠に自説をこのように補強します。 a >領域の接触であつて一方の否定ではない。 >このことをさらに的確に示すのは「弁名」における公私の定義である。いはく、 b > 「公は私の反なり。衆の同共する所、之を公と謂ふ。 > 己の独り専らにする所、之を私と謂ふ。 > 君子の道は衆と共にするものあり、独り専らにするものあり。 c > ……公私各々その所あり。君子と雖も豈私無からんや。 > ただ天下国家を治め公を貴ぶは人の上たるの道なり」(弁名上)。 d >さうして「公」の例としては書経の「王道」大学の「平天下」等が挙げられ、 >「私」の例としては論語の「父は子の為に隠し、子は父の為に隠す」とか >孟子の「吾之を聞く、君子は天下を以てその親に倹せずと」(これは色々に解釈されてゐるが、 >君子は社会の物資を費やさぬために親の葬式道具を簡単にする様な事はしないといふほどの意味に解しておく) >とかが挙げられてゐる。その用法が上の二つの場合と全く一致することは言ふ迄もない。[108頁] つまり、私は「私的な領域」を指していると読むわけです。 以上は、公正直の三つの名義の解説で、特に公の解説です。 その文脈をみると、大きく以下の四つに構造化できると思います。 1.上引b で名義の定義 2.上引d で典拠 3.上引c で結論 4.が以下で、公の解説は完結します。 A >宋儒の「天理の公、人欲の私」を以て説を立つるに及んで、 B >すなわちこれを求むること太だ深く、恩なきに幾し。仁斎先生これを譏る者は是なり。 >然れどもつひに論語の公の字を併せてこれを刪らんと欲するに至りては、 >すなはちまた羹に懲りて膾*を吹くの類のみ。学者これを察せよ。 [岩波の日本思想体系36、105頁、膾*は代字]
以上のAは『北渓字義』の次の記述に代表される朱子学説を指し、 >義は天理の宣しきを得たものであり、利は人情の欲するものである。 >欲は、自分のものにしようと欲することである。 [『朱子学の基本用語』191頁、また113、114註12、175、195註1、196-8頁参照] Bは『語孟字義』でぴったりの所が見あたらないが、まあ、こんなところ。 >初めより欲を滅してもって性に復るの説無し。 [岩波の日本思想体系33、53頁] 朱子学では、人欲である私をなくして、天理である本性に戻ることが公だと考えた。 仁斎は、『論語』『孟子』の古代の正しい儒学に、人欲なくして本性に戻る説はないと考えた。 徂徠は、ABで両者とも違うと言って、丸山が引いたb の定義を出した。 だから、丸山が言うように「天理の公、人欲の私」を批判したのは事実である。 しかし、そこには「私的な領域」という意味はない。 儒学的転換はあることは確かなのだが、丸山の言う近代意識の萌芽ではない。 b には二つの思想が融合されているからである。それは、シナの公と日本の私である。 まず、bの公の概念は、後漢時代の儒者許慎が記したシナの字書『説文解字』のこの記述に一致する。 >公は平分なり、八に従い厶に従う。八は猶背くなり。韓非曰く「厶に背くを公と為す」 [『説文解字』中華書局出版、1963、28頁下、訓読は28がした] 厶は私と同義です。だからb の「公なる者は私の反なり」と同じ意味なのです。 韓非とは、言うまでもなく『韓非子』のことです。
しかし、「私」の意味は実に日本的な意味のようです。例えば『平家物語』で、清盛討伐計画を知り、 今にもクーデターを起こさんばかりの清盛とその兵士たちを諌める有名な平重盛の次の言葉、 >「大事とは天下の大事をこそ云へ。かやうの私事を大事と云ふ樣やある」 > と宣へば、兵杖を帶したる兵ども、皆そぞろいてぞ見えたりける。 [佐藤謙三 校注『平家物語』角川文庫、1959、84頁] 今回の事件は、公のものではなく、個人的なものだ、と言われて浮き足立って我に返る兵士たち。 このような「おおやけ/わたくし」の用例は、『源氏物語』や『枕草子』「あらず、わたくし事なり」 (いえ、私用です)にも見られるから、丸山説によれば、日本近代意識の萌芽は、 平安時代からあったことになってしまうのです。 つまり、徂徠の公私解釈は、シナの公に日本のワタクシを読み込んだ概念なのです。 徂徠の私解釈典拠d を読み返して頂きたい。それらは「私」という字義の用例ではなく、 日本のワタクシ概念を示す、江戸儒教テキストの用例なのである。 『日本政治思想史研究』というなら、以上は大雑把な把握だが、日本思想史の文脈で、その思想変遷を 論ずるのが当然の手順ではないでしょうか? いきなり西洋の便利な型に嵌めるのではなく。 こういった手法は典型的にマルクス主義歴史学に見られたが、今、その是非は論ずるまでもなく、誰も評価していないでしょう。
フリードリヒ・ハイエク 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%AF 1944年に発表した「隷属への道」("The road to serfdom")では社会主義、共産主義、ファシズム、ナチズムが
同根の集産主義であると批判し当時のベストセラーとなる。1947年にはリバタリアニズムに立脚する学者が集結
した組織「モンペルラン・ソサイエティー」を組織し、その初代会長を務めた。1974年ノーベル経済学賞受賞。
「理性主義」批判
デカルト以来の「理性主義」を「設計主義的合理主義(constructivist rationalism)」と呼び、自由主義的な
「進化論的合理主義(evolutionary rationalism)」と峻別、自由主義を体系的に論じ「理性主義」を批判した。
そもそも、人間の理性は、文明社会そのものを創造する能力はもっていない。人間の行為は、一つは先天的で
本能の欲求によるものであり、もう一つは人間社会が歴史的に経験を通して試行錯誤と取捨選択を積み重ねること
により発展してきた法(ルール)、伝統、規範に従ってのものである。文明社会は人間の営みの結果であっても、
それは人知を超えたものによって発展しているものであり、そこに人間の理性(知力)が入る余地はわずかである。
人間はその本質において、誤りに陥りやすい存在であり、人間社会は「漸進的な発展(改良、進歩)」が期待される
のであって、もし理性を乱用し「革命的な進歩」を目指した場合、文明そのものを破壊する。道徳規則の形成も、
人間の社会における実践的な営みの経験の中で成長したものであり、人間の理性による意識的な発明ではない
(この考えはヒュームの『人間本性論』に通じる)。
同様に、社会秩序も「自生的秩序(a spontaneous order)」であり、自由社会と不可分の関係にある、「法の支配
(rule of law)」と市場経済の二大原則の確立もこれにほかならない。
こうした考えから、計画経済と集産主義(collectivism)、それに基づく社会主義、共産主義、ファシズムに対して
反対し、同時にファシズムも左翼に分類した。
>>239-243 への反論
>>239-240 丸山が用いた「理念型」というコトバの使用法を批判しているが、このセンテンスでは、
「理念型的に言へば」「やはり理念型としては」という部分は挿入的で、このコトバを
除いてもセンテンスは成立するから、このコトバにはそれほど重要な意味はない。
ここでの「理念型」とは、あなたが指摘するように「西洋でいう近代の公私では」という
程度の意味であり、事実このセンテンス以下では、西洋近代の公私関係の具体的な指標を
挙げているわけだから、それは(徂徠の公私や儒学の公私を)西洋近代の公私とを比較する
ためのものであり、この一語の使用ををもって、
>「プロクルーステースの寝床」
だとか
>シナ、日本の伝統的意味を、西洋近代に合わせて切り刻んだ
とかいうのは、批判として失当で難癖のたぐいに近い。
>>241-242 「弁道」の引用箇所での内容を要約すると
・公(=衆の同共するところ)は私(=己の独り専らにするところ)の反対概念(→両者は対立概念)。
・君子(君主)の行為には、公もあり私もある。公と私にはそれぞれの領域がある(「各その所あり」)から、
君子(君主)にも私はある。
・(私よりも)公を尊重するのが、 君子(君主)としの在り方である。
となるが、これは明らかに公と私の領域性による両者の区別を示している。
そしてこれと対照的なのが「公私の区別を領域に求めずして専ら倫理的価値に求める」朱子学的な言説であり、
具体的には「天理の公」と「人欲の私」という「天理」と「人欲」の対立を基本とする林羅山の事例が挙げら
れている。
こうした丸山の解釈が、どうして
>「私的な領域」という意味はない。
という結論になるのだろうか。
またその根拠として『説文解字』の
>公は平分なり、八に従い厶に従う。八は猶背くなり。韓非曰く「厶に背くを公と為す」
を引用しているが、上記の文章には、単に公と私は対立概念という以上に、公=平分という
第一義的な意味がある点に留意すべき。
(朱子学をも含めた)中国儒学の基本には、公は平分(公平・公正)という価値的な含意があるが、
徂徠の公私にはそれが無く、むしろ前記の林羅山の公=天理にそうした含意が認められる。
従ってあなたの
>(徂徠の弁道の)公の概念は、後漢時代の儒者許慎が記したシナの字書『説文解字』のこの記述に
>一致する。
というのは完全な誤読であり、
>徂徠の公私解釈は、シナの公に日本のワタクシを読み込んだ概念なのです
という珍説!?もまったくの誤りとなる。
なお丸山は、徂徠の公(=政治的な領域)に対する私(=道徳的内面的な領域)の具体例として、
天理人欲への批判、歴史における勧善懲悪的な見方の否定、文学(詩文)の道徳性からの解放、
思想的な寛容性などを徂徠の史料に即して提示しているが、この点についての論証をあなたは
無視してるようだ。
>>243 引用の『平家物語』の叙述では、たしかに「天下の大事」(公事)と「私事」とが区別されており、
徂徠に見られる公私の区別と相似的であるから、
>丸山説によれば、日本近代意識の萌芽は、 平安時代からあったことになってしまう
という点には同意。
徂徠の思考を即近代的な意識の萌芽とする丸山説には無理がある。
ところで徂徠が批判したのは、朱子学的(中国的)な公私の区別だったわけだから、
徂徠の公私の区別というのは、実は日本的な伝統に根ざし、それを儒学的な言説で媒介したもの、
つまり後年の丸山の関心から言えば、外来思想の日本的な変容だったとも言える。
徂徠の思想が、ある意味でもっとも幕藩体制に整合的な思想であり、更にそれが否定的なかたちで
宣長の国学に影響を与えた理由もその辺のあるのかもしれない。
>>245 そうでしょうか? 丸山の論理は単純化すると、
前提:西洋でいう近代の公私では公的な領域の独立、私的な領域の解放である。それが近代だ。
証拠:徂徠には 公的な領域の独立、私的な領域の解放が見られる。
結論:江戸政治思想には近代の萌芽があった。
こう見れば、この論理が可笑しいのは明白でしょう。西洋思想史の概念装置を唯日本に当てはめただけ、
これはマルクス主義史学が、どの国の歴史にもその門切り型の時代区分を当てはめたのと同じであり、
この部分こそが、根本的丸山の非学問的方法だからです。
本来なら日本思想史の文脈で「無限に多様な実在から、特定の諸要素を抽出し、思考の上で高めた上で、
それ自体として矛盾のない関連にまとめあげ、総合した思想像」である「理念型」を抽出するのが、
学問的立場でしょう。それを為ずに、適当に借りてきて <西洋でいう近代の公私では>、
せいぜい、比較思想と呼べるかもしれないけれど、『日本政治思想史』などとは呼べないでしょう。
ここに根本的問題があることに気づかなければならない、すべてはこの近代的政治信仰に発しているのだから。
>>246 >「私的な領域」という意味はない。
言葉が足りませんでした。
物事の公共性に対する個人的物事の私で個人道徳や個人内面生活という「私的な領域」という意味はない。
に訂正します。
個人道徳や個人内面生活という「私的な領域」という意味は、『弁道』に見られないでしょう。
林羅山の解釈はシナ朱子学に添ったものであり、『北渓字義』に一致しています。
それを『語孟字義』で仁斎が批判した。単純に言えば朱子学は仏教の影響を受けているので、
儒教本来の立場ではないとしたのです。
徂徠は、その両者に異議を唱えて、なんとシナの公と日本のワタクシ概念を読み込んでいたというのです。
『弁道』の「公は私の反なり。衆の同共する所、之を公と謂ふ」と
『説文解字』の<公は平分なり、八に従い厶に従う。八は猶背くなり。韓非曰く「厶に背くを公と為す」>
は一致するし、<赤穂義士事件における徂徠擬律書><『政談』での丸橋忠彌の起訴者の事例>や
『弁道』の「己の独り専らにする所、之を私と謂ふ」と、『源氏物語』『枕草子』『平家物語』の
「私」つまり個人的な物事は一致し、そこに個人道徳や個人内面生活という「私的な領域」はないのです。
だから、以下のような丸山の論説は、西洋のキリスト教からの解放を近代とするのを、
無理やり日本に当てはめようとした政治的な論だと思う。
> なお丸山は、徂徠の公(=政治的な領域)に対する私(=道徳的内面的な領域)の具体例として、
> 天理人欲への批判、歴史における勧善懲悪的な見方の否定、文学(詩文)の道徳性からの解放、
> 思想的な寛容性などを徂徠の史料に即して提示しているが、この点についての論証をあなたは
> 無視してるようだ。
>>247 ご同意、ありがとうございます。
そもそも、シナの公私も大和言葉のおおやけ/わたくしも素朴な概念だったと思います。
そこにインドから仏教がやってきて、華厳宗などでシナ的に整備され、
それを禅宗が応用したものを宋学が使ったので、あのようなかたちになったのだと思います。
大雑把に言えば理はあるがまま、私欲は、エゴイスティクな妄想でねじ曲がった認識といった意味ではないかと思います。
それと、これ以上は、テキストに立ち返らねばならないのですが、
残念ながら現在は時間がないので、テキストを精査する時間がとれません。
ということで、すいませんがこれ以上は、つっこめません。
>>248 >西洋思想史の概念装置を唯日本に当てはめただけ
その手の批判は、丸山の論文に対して、戦後まもなくから一貫してあったし、現在でも
争点となっている。該当している部分もあるけど、それだけを理由に清算的な批判をする
のは、あまり学問的とは言えない。
あなた自身、(Marx主義は否定しているようだが)Weberの理念型のような概念装置は
提示しているから、西洋社会科学の理論を完全に否定しているわけでもないでしょう。
ちなみに丸山が提示している近代の指標は、Marxよりも、Weber『支配の社会学』が提
示する近代社会(合法的=官僚制的支配)の特質に依拠しているように思われます。
問題は、いかなる歴史観や理論的立場であっても、要はその論文の内容が正確な史料解
釈=分析を通じて説得的に提示されているかであって、その点で丸山はかなりの程度
成功しており、その内容に欠陥があるとしたら、すべての学問研究がそうであるように、
時代的な制約性という一点だけだ、というのが私の評価です。当時の学問水準では日本思
想史を分析する上で、自前の概念装置が無く西欧的な概念装置を使わざるをえなかった、
というのが、この場合の時代的な制約性です(ただの実証主義や皇国史観的な歴史学では
使い物にならなかった)。
>>249 論点をいまいちど整理すれば、中国儒学思想の公私は、公=平分で私の反対、私=姦邪([『説
文解字』中華書局出版、1963、189頁上)であり、つまり公と私は善悪・正不正という倫
理的観点で把握されており、朱子学の公=天理、私=人欲というのも、この延長線上に位
置づく、ということです。
これに対して徂徠の『弁道』に示される公私は、そうした対立関係とは次元を異にする、
領域的な区別であり、公の相対的な優位性が見られるにせよ倫理的な区別ではないという
点です。ご指摘のとおり、仁斉にも天理と人欲を二項対立関係ではなく、人欲の存在を否
定せず是認する傾向が見られますが、徂徠はその対立関係を否定して、公私の意味内容を
完全に置き換えたという画期性があります。そしてこの領域的な公私の区別という画期性
を発見=論証したのが丸山論文なわけです。
>>252 の続き
しかし、私も丸山の議論については、
>「公」とは政治的=社会的=対外的なものを指し、「私」とは個人的=内面的なものを
>示している。(106頁)
と定義された公私の内容には違和感があります。
・「徂徠擬律書」の浪士たちの行動は「私の論」に則ったものに過ぎず「公論」=「天下
の法」を害するものであるという主張(75頁)。
・訴人問題で訴人を臆病とする「私ノ義理」は、「公ノ義理忠節」とは異なるものであり、
前者は後者に従属すべきという主張(106頁)。
ここからは、「公」=「公論」「公法」=政治的&法的なもの、「私」=「私論」「私ノ義
理」=社会的&慣習的なもの、という区分が想定されます。つまり徂徠の公と私の区別は、
政治的と社会的(非政治的)との間に分界線があり、 社会的なものは政治的なものの許
容範囲内において存在を許される、ということではないかと考えます。
この点が先の丸山の主張との違いで、そして前レスでも述べたように、こうした区別は、
「近代の萌芽」ではなく、古代以来の日本社会に根強く持続している(丸山風に言えば)
「思惟様式」であったと言えるのではないか、という点です。
つまり江戸時代以来、儒者のうちでも「中国かぶれ」と言われた徂徠は、実際はもっとも
日本的な思想家であったということです。
最後に以上の検討をするに際して参考になった文献として、溝口雄三『一語の辞典 公私』
(三省堂、1996)を挙げておきます。溝口氏は中国思想史の専門家で中国の公私と日本の
公私の比較検討を行っています。
>>251 なぜ「ただの実証主義歴史学では使い物にならなかった」のでしょうか?
私は、政治的意図を実現するためには「ただの実証主義歴史学では使い物にならなかった」と見ます。
実際、丸山が徂徠の公私思想を、日本思想への回帰あるいは、宋学からの脱却とだけ指摘しただけなら、
『日本政治思想史研究』は、一般に広く評価されなかったでしょう。
政治的意図を織り込んだプロバガンダの書にしたから、戦後広く受け入れられたのでしょう。
だから、丸山は学問ではなく政治を行ったと私は考えます。
学問なら、「ただの実証主義歴史学」がよく、だから辻善之助はいまだに読む価値があるのです。
>>252-253 総論として同意です。そう思います。溝口雄三『一語の辞典 公私』は良書だったと思います。
やっぱり、上に書いたように政治を盛り込んだものは学問じゃなく、信用できないの一言です。
丸山は、秀才だから、全て意図的に行ったとしか思えません。
そういうことをする人は、学問的に終わっていると見るのが当然ではないでしょうか?
>>254-255 実証主義が悪いというのではなく、当時の実証主義的な日本儒学史の研究が、
儒学者の個人的伝記や儒学の学派別(朱子学・陽明学・古学など)の研究に
偏っていて、ある一定の視座から江戸儒学全体の特質とその生成・発展・衰退
過程を論じようとする丸山の問題関心に添わなかったということだと思います。
当時のMarx主義の歴史学についても、社会構造を重視して思想の内容的な論理
構成の検討が不十分だったという不満は、「あとがき」にも書かれています。
もちろん実証主義的な戦前の日本思想史研究でも、辻善之助の仏教史研究を始め、
丸山が先行研究として触れている津田左右吉、和辻哲郎、村岡典嗣などは現在でも
学問的な価値は失われておらず参照するに値すると思います。
ところで、戦後の江戸時代の儒学や国学の思想史研究は、肯定的であれ否定的であれ、
丸山が『日本政治思想史研究』で提示したシェーマを念頭に置いて発展してきた
と言うのは確かなことです。
もしこの丸山の著作が、あなたが評価するように
>政治的意図を織り込んだプロバガンダの書
にすぎなかったならば、多くの専門研究者たちが、丸山学説の批判とその克服を
目指して、悪戦苦闘しながら次々と著作・論文を著すという状況は考えられません。
>>256 の続き
ただ実証主義的な歴史研究者が、丸山の著作の方法や叙述スタイルに違和感を懐く、
平たく言えば「カチンと来る」点があるというのは、わからないでもありません。
それは、丸山の立場が、政治学の一分野である(日本)政治思想史だったことと
関係があると思います。
歴史研究でも、法制(国制)史や経済(経営)史などの社会科学の歴史部門(丸山
もこのうちに含まれる)と、いわゆる文学部の歴史や哲学・宗教・文学などの人文
科学分野とでは、やはり方法論的な違いがあるのだと思います。
概して社会科学の歴史部門では、理論的な枠組みを前面に出してくるのに対して、
文学部系ではそれとは逆に史料そのものに付くことを学問的なディシプリンとしいる
場合が多いように思えます。
もっとも最近では、そうした両者の懸隔も埋まってきているとは思いますが・・・・。
例えば、日本政治思想史の分野でも、渡辺浩『近世日本社会と宋学』(東京大学大出版
会、1985)のような実証的研究が出てます。これは丸山が「あとがき」でも言及していた
中国朱子学=日本朱子学という図式が妥当しない点を具体的に明らかににした著作です。
あと平石直昭「戦中・戦後徂徠論批判――初期丸山・吉川両学説の検討を中心に」(『社
会科学研究』第39巻第1号、1987)は、丸山の徂徠論を細部にわたって厳しく批判している
ようです。
ご両人とも、丸山門下のようですが、本居宣長の言う「学問では師の説に泥むな」という
立場を実践されているようです。
以上、冗長なレスになりましたが、何かの参考にでもなれば幸いです。
>>256-257 論文の紹介ありがとうございます。将来、機会があったら読んで見たいと思います。
>多くの専門研究者たちが、丸山学説の批判とその克服を
>目指して、悪戦苦闘しながら次々と著作・論文を著すという状況は考えられません。
良くも悪くも世間に広く知られ定説のようになっているのですから、
そこから始めなくてはならないのだと思います。
ちなみに和辻哲郎も評価できません。彼と丸山は、私からいうと同じようなカンジです。
表面的な客観性の下に濃厚な政治的意図が隠されている所です。
259 :
考える名無しさん :2007/08/15(水) 15:33:54 0
今日は、丸山没後11周忌。 記念age
>表面的な客観性の下に濃厚な政治的意図が隠されている所です。 政治的意図が入るのは当たり前では? 政治学として思想を扱う以上、その研究は不可避的に政治的な意味を持つことになるのでは
>>260 たぶん、それが「濃厚な」のが問題だってことなんでしょう
>>260 政治的意図を入れたら、政治学ではなく政治でしょ。
政治学が政治的意味を持つことはあたりまえ。
問題は意図的に操作しているか、どうかで、
操作しているなら、そんなもの学問的に信用できないのは当然のこと。
トマス・ミジリーが有鉛ガソリンが無害だと意図的に発表したようなもの。
日本の自称リベラル派の欺瞞 ここで面白い話を一つ書く。そもそもアメリカ合衆国のリベラル派は、日本に「リベラル」派がいるなどとは 思っていない。「日本にも自分たち同様のリベラル派な人々がいる」などとはこれっぽっちも思っていない。 これまで一度たりともそんな風に考えたことはない。そもそも東アジアの一種族にすぎない日本人に、西欧型の リベラリズムが理解できるなどとは考えない、という事だ。 そうすると、日本国内で自分のことを「私はリベラルで、反保守・反権力・反資本主義の人間だ」と考えて いる大量の人々は、一体何なのだ、ということになる。日本にいる、朝日新聞と社民党(旧社会党)を代表する リベラル派の反保守勢力といのは、欧米諸国から見れば「旧ソビエトや中国に同調してきた共産主義者がかなり ソフトになっただけの人々」ということでしかない。長い間、こういう理解しかない。世界中のの人々が、 日本の自称リベラル派のことをそれ以上とは考えないのである。 この考えは、冷徹なまでに正しい。しかも、本物の西欧の古典的なリベラリズム(自由主義)と、現代の 「リベラル」派とは、似ても似つかぬものなのである。この話をすると複雑になるのでこの本ではやめるが、 つまりアメリカ人は、日本の社民党(社会党)やその他の反戦平和・環境保護団体などの「リベラル勢力」 のことを、世界水準のリベラル派だとは微かにも思っていない。 副島隆彦著 「日本の危機の本質」
>>262 政治に関わる研究をしている以上、政治学が政治から自律していられるわけない
政治的意図を極力排除した研究でも、好むと好まざるとに関わらず必ずなんらか政治的な意味を帯びてしまう
あと、丸山が戦後の論壇でもてはやされるようになったのは、戦後まもなく書いた「超国家主義の論理と心理」からで、
「日本政治思想史研究」によってではない
>>政治的意図を極力排除した研究でも、好むと好まざるとに関わらず必ずなんらか政治的な意味を帯びてしまう 無作為にそうなってしまうのは、避けられない。 問題は、作為的に行うことで、だからプロパガンダか、サブリミナルなのです。 そんなの信じられない。まあ、信じたい人はどうぞ。
まあ自然と作為とか言ってるしな。・・て違うかw とりあえず、政治的なものが嫌で、政治的に中立でいたいなら、政治思想に関わらないほうがいいよ。
過疎スレが伸びてる!と思って見てみたら、一冊しか読んでない人が盛り上げていたのか。 そんなに政治が嫌なら、なんで政治思想史家の本なんか読んだんだろう? 政治思想研究には、現実政治との葛藤がつきものだというのに・・・
理由は単純、思想哲学の領域でも丸山的な政治的な発言をする人がいたから。
だって、ここ哲学板でしょ。
丸山だって戦後すぐに 「科学としての政治学」なんて論文を書いたくらい、 政治学がプロパガンダや御用学問になることには 批判的だったわけで……。 もちろん他方でその後のポリサイ隆盛にも別の意味で批判的だったけど。 いずれにせよ一冊読んだだけで 丸山全体をあれこれ言うのはさすがにフェアな態度じゃないな。
>政治学がプロパガンダや御用学問になることには >批判的だったわけで……。 そのへんの葛藤すら理解しようとしない人に何言ったって無駄
レス番がゴチャゴチャしてよくわからんけど。 丸山の著作を政治的なプロパガンダと主張してる人は、 どういう点がそうなんだろ。 前レスでだれかと長文のレスをやりとりしてたの読んだけど、 何をもって政治的と考えてるのかわからない。 ただ自分の独善的な印象をやたらと強調してるだけのように見えるんだけど。
丸山自身が告白してるじゃない? > [あとがき372頁] > 近代の「超克」や「否定」が声高く叫ばれたなかで、明治維新の近代的側面、ひいては徳川社会における > 近代的要素の成熟に着目することは私だけでなく、およそファシズム的歴史学に対する強い抵抗感を意識 > した人々にとっていわば必死の拠点であったことも否定できない事実である。私が徳川思想史と取り組 > んだ一つのいわば超学問的動機もここにあったのでって、いかなる磐石のような体制もそれ自身に崩壊の > 内在的な必然性をもつことを徳川時代について――むろん思想史という限定された角度からではあるが― > ―実証することは、当時の環境においてはそれ自体、大げさにいえば魂の救いであった。 > [英語版への著者の序文396-7頁] > 「近代の超克」論と、それを背後から支えている全体主義的な思潮とに対して強い抵抗感を持った知識人 > や研究者は、それぞれの分野で、まさに贖罪羊にされている「近代」を擁護するのを自分たちの義務と感 > じたのである。時代の潮流に逆らったリベラルと、マルクス主義者とが、この知的戦線において「近代」 > の擁護の側に立った。
>>273 批判してた人は、学者がそういう背景や問題意識に向き合うことが気に食わないんでしょ
哲学や思想を研究する者は、自分たちの生きている時代の政治的なイデオロギーや思潮を無視しろって言ってる
でも政治思想を研究する以上は、程度の差はあってもそういう時代的な思想の問題と向き合わなければならない
だから
>>267 じゃないけど、なぜ政治思想の本なんか読もうと思ったのかがわからない
>>272 政治的な主張が入っているもの=プロパガンダ
という図式なんだろうな。だから
>>273 は、丸山の「プロパガンダやってました」という告白ということになるw
こんだけナイーヴな人が、なぜ政治学者である丸山の著作に手をだしたのかは確かに謎だ
>>273 よくその「あとがき」部分が、丸山の政治的な偏向の例として示されるけど、
むしろ論文執筆時の「超学問的動機」や「「近代」の擁護の側に立った」と
いう点を自ら正直に述べてる点でフェアな姿勢だと思う。
確か丸山自身、「ひとは”公正中立であろうと努力すること”は出来るし、
また必要でもあるけど、ホントに”公正中立であること”は出来ない」
とも言っていたと思う。
学術論文にせよ評論にせよ、それが書かれた状況と書いた人の価値観を
ただちに偏向として切り捨てるのは間違い。むしろその点を念頭に置いた
うえで、なおかつどの程度の妥当性があり価値があるかを考えるべきだろ。
およそあらゆる(歴史的)思想全体についても言える問題だと思うがな。
私には丸山さんを支持する人がナイーヴに思えるんですけど。ただの感情論だし特に、
> 確か丸山自身、「ひとは”公正中立であろうと努力すること”は出来るし、
> また必要でもあるけど、ホントに”公正中立であること”は出来ない」
そんなこと当たり前、指摘済み
>>223 あらゆる現象は認識した時点で、あるがままではありえません。
そのことと、意図的な誤読による宣伝は明らかに次元が違います。
例えば、音楽や味覚の好みが人それぞれなのは当然ですが、科学的データを装って、
納豆が健康に凄く効果があると流すのが宣伝であり、丸山の行為は正にこれだからです。
> よくその「あとがき」部分が、丸山の政治的な偏向の例として示されるけど、
> むしろ論文執筆時の「超学問的動機」や「「近代」の擁護の側に立った」と
> いう点を自ら正直に述べてる点でフェアな姿勢だと思う。
ここまで言われると信者さんかと思っちゃいますよ。
丸山の
>>273 は、要するに平泉澄に代表される皇国歴史学に対する反動から近代を擁護したかったので、
徂徠の公私に近代の萌芽があったことを実証したというわけですが、
実際は、既に
>>247-253 で明らかなように徂徠の公私に近代の萌芽などなく、
朱子学の公私を批判した仁斎の古代儒教の公私を更に批判して、
私に関しては唯、日本的ワタクシ概念を与えただけで、そこに近代の萌芽を読み込むのは、
実証などと言えるものではなく、強牽付会以外のなにものでもありません。
そして「自ら正直に述べてる点でフェアな姿勢」などと仰るのが正にナイーヴ。
それは明らか過ぎてそういわなかったら明らかな嘘になるから、そういうまで。
まだ実証などと言っているのが、私には信じられない。
そういう意味で妥当性も信憑性も欠く、丸山の著作を読む価値があるとは思えないんです。
>>258 >ちなみに和辻哲郎も評価できません。
その点については同意w
丸山も指摘してるように「国民道徳論」臭がするからです。
あと
>>278 氏が提示してくれた過去ログで、あなたの丸山批判の全体を見ました。
以下、細かい点は省いて概括的な批判のみ摘記しますが、一般に学術論文の場合、
A問題関心(課題) B方法 C史料に則した論証
から成り立ちますが、ハッキリ言ってAとBは著者自身の自由に属する事柄で
あって、Cのみが批判の対象となりえます。つまり、どのような問題関心に立とうと、
どのような方法論を使用しようと、それは批判の対象外であるということです。
この点は先にあなた自身が引用したWeberの『社会科学方法論』にも明瞭に記載
されているはずです。
事柄(史料)に即した(=Sachlichな)批判のみが、唯一科学的(検証可能な)批判であると。
ところで丸山が「あとがき」で述べてるのは、もっぱらAとBについてです。
ですから、そうした「あとがき」部分を中心とするあなたの批判は、批判の在り方
として正当でなくかつ無意味ではないか、ということです。
そうした批判は学問的というよりイデオロギー的な批判となり、同じことが繰り返し
述べられているのもそのためでしょう(要するに不毛な水掛論です)。
ところで、前記の「C史料に則した論証」という点を更に細分化すれば、
@史料の引用の的確性 A史料解釈の妥当性 B史料解釈による論点構成の検討
(→シェーマ全体の検討)
となるでしょう。
少なくともこのスレでなされた検討は、徂徠の公私論に関する@とAという断片
に過ぎないのではないでしょうか。公私論に関するBはもとより、他の徂徠論の
@やAも行われていません。
以上ですが、今後も建設的な丸山批判を続けるのであれば、あなた自身が@〜Bに
ついての論証の労をとるべきだと思います。
>>279 (自己レス)
訂正:前記の「C史料に則した論証」という点を更に細分化すれば
→前記の「C史料に則した論証」を批判する場合を更に細分化すれば
>>279 の補足。
コトバが少し足りなかったようなので補足しておきます。
ここで述べたA:問題関心(課題)やB:方法というのは、いわば研究者の営みとしては、
いわば楽屋裏に属することです。
前レスでも触れましたが、丸山の場合は社会科学の歴史部門ということから、こうした部分を
明示したのだろうと思います(人文科学分野の研究では、この点をほとんど明示しないのが
普通です)。
吉本隆明などの専門外の批評家たちによる丸山批判が、もっぱらAとBを対象としたため、
そうした批判が流行しましたが、学問的(実証的)な批判としてはあくまでCに限定される
べきものです。
あなたの批判は、AとBをもっぱらとしてそれとの関連でCにも触れるというスタイルの
ようですが、それは本来の実証的な批判から言えば本末転倒でしょう。
例えば実証的な批判として先のレスで論じた徂徠の公私論の部分があるわけですが、それを
踏まえて始めて、そうした誤読が生まれた原因は何かと問うた場合に、それは朱子学=封建
的思惟の分界過程=近代意識の萌芽とする丸山の図式に直接的な原因があり、またその図式は
近代の擁護という問題関心から生まれただろう、という大まかな批判的見通しを得る程度なの
です。
勿論そのような批判を十全に展開するためには、徂徠の他の部分および徂徠以外の他の思想家
についても、それぞれに同様な実証的批判の手続きが必要なのです。
繰り返しになりますが、あなたのようにAとBへのアタマからの批判に集中しても、それでは
堂々巡りになるばかりです。その分の労力を実証的批判へと向けた方が建設的でしょう。
>>279 詳細なコメント、ありがとうございます。ですが、今回は、あまり支持できる点がありません。
> >ちなみに和辻哲郎も評価できません。
> その点については同意w
> 丸山も指摘してるように「国民道徳論」臭がするからです。
これでは貴方も丸山も「 学問的(実証的)な批判」「学問的というよりイデオロギー的な批判」で「不毛な水掛論」じゃないですかw
ウェーバーは、丸山が依拠しているから検討したまでで私はウェーバーを支持しているわけではありません。
私が取った方法は、できるだけ丸山が記述説明している方法とおりに対象資料を検討してみただけです。
ところが、方法は社会学の方法を用いたのではなく、ただ概念を借りただけで、
間違った方法で資料を分析し、資料の解釈を誤っていたということが明らかになりました。
これも唯、無能ゆえに無自覚に方法を応用できずに間違ったとは思えず、
そこで動機が問題になるわけで、そこで最も重視されたのが、英語版序文やあとがきになったわけです。
貴方の立場だと、徂徠に近代を読み込んだことを訂正すればいいみたいになりますが、
問題は、そんな所にはありません。
問題は、始めに結論があって、そこに向かって適当に詭弁を弄していることです。十分実証されたと私は思ってます。
それが分かった以上、そんな人の書いたものは、学問的に価値がないということになります。
ES細胞捏造や捏造原人みたいなものに近く、そんなことをする人の著作を読むのは、いかがなものでしょう?
「その分の労力を」他の文献を読むこと「へと向けた方が建設的でしょう」
283 :
考える名無しさん :2007/08/24(金) 23:16:12 0
>>282 そもそも何故丸山を読んだのか?その理由がわからん。
日本思想史をかじると必然的にぶつかるけどさ。
そこをハッキリさせてくれないと、アナタ自身がプロパガンダしてるよ。
しかも一次資料をどう「恣意的」に読み込もうが、論文書いたヒトの勝手。
「恣意的」と「捏造」とは違います。逆に「恣意的」にならずに
テキストなんか読めるもんかね?
丸山の方法論に文句たれてる割には自らの方法には無自覚ね。
そのアナタ自身のものの見方にも社会的・歴史的制約があるんだよ、
丸山も感じてた様にね。
>>283 はっきり憶えてませんが、たしか丸山を根拠に批判されたことだったと思います。
そんなに言うなら、読んでみようと。
方法論は、相手の論理の矛盾をつくことです。あいてのロジックで考え、矛盾しなければ良い論、
矛盾するものは悪い論、でもそれはしょうがない。詭弁があるものは許してはいけない政治的な論です。
もちろん、政治の世界ではありですが。
始めから言ってるように一瞬一瞬、認識すること自体、相対的で各自の背景によって様々です。
そういった認識の相対性や、解釈の問題と、丸山のような詭弁は全く別です。
認識や解釈の諸条件による妥当性の精度は、それは真面目に分析統合した結果の記述や説明として、
能力や見識の程度によって高低がありますが、それはしかたない。
しかし、丸山の場合は、明らかに西洋近代擁護のための学問の体裁をとった政治的宣伝なんです。
それは許してはいけないでしょう。捏造と変わらない。
>>284 >西洋近代擁護のための学問の体裁をとった政治的宣伝
これ自体が、それこそ反丸山的な政治宣伝にすぎんのだがね。
キミにはどうしてそれがわからんのかな。
なぜそうなのかを示さんとね。
丸山が使用している西洋理論をアレコレと穿鑿して使用法がケシカランとか言ってもなあ。
そりゃ最初から否定的な姿勢で読めば、ドンナ本でも批判したくわなるけどな。
問題はその批判が、傍から見て読むに耐えるシロモノかどうかだよ。
>>285 貴方は、何も読めない方ですね。丸山の言を読んでね。
>>233-234 「丸山が使用している西洋理論をアレコレと穿鑿して使用法がケシカラン」のではなくて、
丸山はさも社会学的方法で江戸儒学を分析したように見せているけど、
社会学的方法など使ってなくて、ただ西洋史の近代を日本に当てはめただけで、
こんなもの学問でもなんでもない、ただのハッタリだってことなんですが。
まあ、貴方に言っても無理だと思うけどね。
>>284 >西洋近代擁護のための学問の体裁をとった政治的宣伝
まあ、こうまでキメつけるのは若干問題があるだろうけど、戦前・戦中の丸山の研究が、
反近代的な言説が横行する中で、敢えて<近代の擁護>という姿勢を取ったのは確かだな。
江戸時代の儒学のなかに、近代へと発展する要因を追跡するかたちで、ひとつの<物語>を創作したということだな。
だから自ずとそうした<物語>に合うように史料が選択・解釈されてもいる。
>>279 は、問題関心・方法と史料の解釈は別だと言ってるけど、やはり両者は不可分に結びついてると思う。
つまりは、それが学問的に見て許容できる範囲か否かということで意見が分かれてるみたいだね。
>>287 そういうことです。仰るとおり。
私は、それが学問とは思えないのです。
なぜなら意図的な歪曲だから。
ところで丸山の「文明論之概略を読む」(岩波文庫)を読んだ人いるかな。 知ってたら内容の評価について聞きたい。 福沢の著作の逐条的な解説書だという話しだけど、おもしろそうだったら 買ってみようかと思ってる。
>>287 >学問的に見て許容できる範囲か否か
ギリギリの許容範囲かな。自己の思想表明と思想史との分水嶺に位置すると思う>丸山
あと後年の丸山は、この著作時期の構成を相当程度変更している。
『丸山眞夫講義録』七で近世の儒学と国学が扱われてるけど、そこでは近代主義ではなく、
外来思想の受容とその日本化という点に力点が移っている。
だから徂徠の画期性ということも、あまり述べられていない。
『日本政治思想史研究』所収の論文から30年近く経ってるから、学説内容が変化するのも
当然だとは思うけど。
>>289 それは岩波文庫でなくて岩波新書だろ。
岩波文庫の『文明論之概略』を座右に置いて読まないと
丸山の本は意味がないよ。
日本の自称リベラル派の欺瞞 ここで面白い話を一つ書く。そもそもアメリカ合衆国のリベラル派は、日本に「リベラル」派がいるなどとは 思っていない。「日本にも自分たち同様のリベラル派な人々がいる」などとはこれっぽっちも思っていない。 これまで一度たりともそんな風に考えたことはない。そもそも東アジアの一種族にすぎない日本人に、西欧型の リベラリズムが理解できるなどとは考えない、という事だ。 そうすると、日本国内で自分のことを「私はリベラルで、反保守・反権力・反資本主義の人間だ」と考えて いる大量の人々は、一体何なのだ、ということになる。日本にいる、朝日新聞と社民党(旧社会党)を代表する リベラル派の反保守勢力といのは、欧米諸国から見れば「旧ソビエトや中国に同調してきた共産主義者がかなり ソフトになっただけの人々」ということでしかない。長い間、こういう理解しかない。世界中のの人々が、 日本の自称リベラル派のことをそれ以上とは考えないのである。 この考えは、冷徹なまでに正しい。しかも、本物の西欧の古典的なリベラリズム(自由主義)と、現代の 「リベラル」派とは、似ても似つかぬものなのである。この話をすると複雑になるのでこの本ではやめるが、 つまりアメリカ人は、日本の社民党(社会党)やその他の反戦平和・環境保護団体などの「リベラル勢力」 のことを、世界水準のリベラル派だとは微かにも思っていない。 副島隆彦著 「日本の危機の本質」
私は東京に帰ってからこの本には邦訳があることを知った。「さらば吉田茂」(現在は「日本 永久占領」という文庫で発売されている)である。 私はこの本を読んで驚愕した。読みながら本当に手足が震えるのを感じた。自分が知りたかった 日本の敗戦後の政治秘話が正確に書かれていたからだ片岡教授の正確な冷静な描写は、現在日本 占領研究では最高とされるイギリス人日本研究者のイアン・ブルマ氏と共通する視座に立っている。 (中略) マックと吉田がやった日本の戦後政治体制の正確決定づけがもうひとつある。それは、この後 保守が二つに分裂するときに少数派である社会党がどちらかの保守にそれとなく加担することで ある多数派が作られ、政権を作る、という構図が生まれたことである。そして分裂したほうの 保守派に対しては殺戮にも等しい攻撃がくわわることになる。 (中略) 社会党や日教組、それから戦後日本共産党という「反戦平和・護憲、再軍備反対、海外派兵阻止」 を主張する勢力は、ソビエト・ロシアによって作られた勢力ではない。これらの勢力は、実は マッカーサーが憲法典と共に予め意図的に日本の戦後体制の中に仕組んだ装置であった。 引用は「日本の秘密」副島隆彦 P12,22
副島とかただの電波じゃん。 丸山に言わせれば、内容のない者の主張に限ってやたらと断定的で、扇情的な言い方をするって事か
>>副島とかただの電波じゃん。 内容のない者の主張に限ってやたらと断定的で、扇情的な言い方だというのは合ってるね。 君がそうだね。
297 :
考える名無しさん :2007/09/05(水) 11:21:27 0
政治思想におけるリバタリアニズムの大きな特徴の一つは、国家への人々の心情的・規範同一化に 徹底して反対するという個人主義的要素にある。 リバタリアニズムの観点からすれば、国家や政府は諸個人の基本的権利を保護するといった道具的 役割しかもたない。それ以上の価値を認めることは個人の自由だが、それを他人にまで強いるのは 不当な介入である。国民的あるいは民族的なアイディンティティなるものが各個人にとってどの くらい大切じゃ、社会にとってどれくらい有益かは一つの問題だが、ともかくその確立は政府の 任務ではない。 ところが今の日本では、ナショナリズムに一見反対している論者たちが戦後世代が戦後世代が 戦争責任の引き受けることを主張するというねじれが見られる。しかしそれは日本人すべてに、 戦前戦中戦後を通じた「日本人」という国民集団への人格的帰属を強いることになる。 これこそ否定されるべきナショナリズムの一類型である。国がなんらかの責任を負うからといって 国民が人格的な責任を負うということにはならない。 森村進「自由はどこまで可能かーリバタリアニズム入門」P132~133
ただこれは外から見るとね… 外国から見ればやはり日本という国家単位で見るし、日本人として見るからね。 ここが戦争責任やナショナリズムを論じる時の内的な場合と外的な場合の難しいとこだよな
>>295 脈略のない副島コピペは定期的に来る
無視すればいいものを、お前が反応したせいで丸山の話が止まった
丸山は、やはり国民主義的なナショナリストだと思う。 要するに民主主義にナショナリズムを接合することで、戦中以来戦後も 持続した国家主義的なナショナリズムに対抗しようとした。 でも90年代後半以降は、小林よしのりなど国民主義的なナショナリズムが トレンドになってしまった。 丸山の議論では、もはやこうしたナショナリズムには対抗できないと思う。 現代の課題は、どのようなナショナリズムが正しいか、ではなくて、どのように ナショナリズムを超えていくか、という点だよ。
しかし今のナショナリズムは共同体の崩壊による原子化された個人が、 まさに自由からの逃走的にナショナリズムに拠り所を求める形。 丸山は日本の排他性の極めて強い共同体は壊すべきだと主張した(内外論)が、帰属する共同体を完全に壊して裸の個人をさらすのには反対した。 裸の個人(原子化された個人)は全体主義を生む元だと。 しかしじゃあどうやって個人を原子化する事なく共同体を壊すのかについてはあまり述べずに逝ってしまった。 自立した市民の形成にそれを見出してはいたが、 じゃあどうすればその自立した市民が生まれるのかについてはやはり詳しく述べていない。 そういう意味では丸山の議論の限界を感じはするな。
>>301 >でも90年代後半以降は、小林よしのりなど国民主義的なナショナリズムが
トレンドになってしまった。
小林のナショナリズム論は、丸山などの「戦後民主主義」者をアカ扱いして、
その中にあったナショナリズム的な要素を踏まえてないからなぁ。
まあそういう意味では確かに対抗できないだろうな。
君たち、もっとテクストに基づいた思想分析しないと、ここは哲板でしょ。
305 :
考える名無しさん :2007/09/15(土) 20:22:39 0
>>302 その通り。(超越者が担保する)内面の自由に基づく主体的な市民(国民?)の
形成が丸山のテーゼだと思うけれど、構造的な分析に終始してしまい方法論
までは辿り着けなかった。それでも「戦後」にとっては十分過ぎる程だった。
ナショナリズムとの絡みで言えば、相対的にとは言ってるけれど日本は等質
な民族だと素直に許容してるし。確かにヨーロッパみたいに征服されて
異民族との混血が進んだ事はないけどさ。でも蝦夷の立場は?琉球は??と
敢えてツッコミたくなる。w
>>305 ま、あくまでも「相対的」だからw
でも丸山のそういったあたりを突っ込んでる人もいるよね。
丸山が戦後まもなく発表した陸羯南についての論文で、最後に陸の新聞「日本」を引き合いに出して、敗戦で植民地を失って日本だけになった云々と書いてたけど、
そういうところで丸山が旧植民地の人々の存在を看過してるのがわかる、って誰かが批判してたな。姜尚中だったかな、違うか。
>>301 >小林よしのりなど国民主義的なナショナリズム
そう簡単に言えるかは疑問だけどな。
ただ彼の「戦争論」にしても、特攻隊は家族や郷土を守るために戦った
という位置づけで、天皇はほとんど出てこない。
旧来の国家主義的ナショナリストなら、必ず天皇中心という発想があるはず
だから、その意味では国家的ナショナリズムとは違うけどな。
でも丸山は、家族や郷土の同心円的な延長に国家を考えるというナショナリズムは、
植物的なナショナリズムだとして否定的だったと思う。
国民とは日々国民たろうと意志する存在であって、ただ生まれだけで国民という資格が
あるわけではないという考え方だ。
その意味では、国民的なナショナリストかもしれん。
308 :
考える名無しさん :2007/09/15(土) 21:56:24 0
>>307 丸山の場合は意識的なナショナリズムだけど、よしりんのはパトリオティズムと区別されていないナショナリズムだと思う
丸山は封建的残滓を克服した健全なる中産市民階級の自覚的ナショナリズムを 考えたのだろうが、そんなもんはアメリカ的資本主義による個々人の アトム的無産市民化によって、すっとんでいる。
アトム的無産市民はプロテスタンティズムの「唯一神に帰依しようとする単独者」と 一致するものである。
312 :
考える名無しさん :2007/09/16(日) 00:59:59 0
「市民」て言葉の用法すら知らない人もいるみたいだな。。。 まあ世代ですかね
>312丸山は最近話題の市民社会論とかの文脈で使われる様な「市民」という使い方は特に意識してなかった。 単にシトワイヤンとほぼ同義で使ってない? >311現代日本の原子化した個人は、「唯一神との関係」すらないんだよ。 プロテスタントの単独者はまだ唯一神の前の単独者だけど、 日本の共同体が解体して横も縦も繋がりを失った人ってのは、 神とすら繋がってない
314 :
考える名無しさん :2007/09/16(日) 02:51:09 0
ウサギ小屋に住んでいるのは西洋的な市民概念には含まれず、 アトム化した無産市民にはファシズムが待ち受けているだけだ。
政治に意識が向く人は、テキストには向かないわけね。
>>315 お前は2ちゃんでのやりとりに何を求めてるんだ
>>316 最低限、テキストに基づく発言ですけどw
318 :
考える名無しさん :2007/09/16(日) 17:43:53 0
>>317 この議論の流れで「テキスト」に基づくネタ降れ。
丸山が、国民主義者かどうかは判断保留だけど、以下に丸山の『日本政治思想史研究』 (第三章 国民主義の前期的形成)の国民(ナショナリズム)に関する記述の抜粋を 挙げておくよ。 >国民とは国民たらうとするものである、といわれる。単に一つの国家共同体に所属し、 >共通の政治制度を上に戴いてゐるといふ客観的事実は未だ以て近代的意味における「 >国民」を成立せしめるには足らない。そこにあるのはたかだか人民乃至は国家所属員で >あって「国民」(nation)ではない。(321頁) >一定の集団の成員が他の国民と区別されたる特定の国民として相互の共通の特性を意識し、 >多少ともその一体性を守り立てていかうとする意欲を持つ限りに於いて、はじめてそこに >「国民」の存在を語ることが出来るのである。(同前) >国民意識は苟もそれが自覚的なる限り、早晩政治的一体意識にまで凝集するに至る・・・ >かかる国民意識を背景として成長する国民的統一と国家的独立の主張をひろく国民主義( >Nationalism ; Principle of nationality)と呼ぶならば、国民主義こそは近代国家が近代 >国家として存立していくため不可欠の精神的推進力である。(321〜322頁) >本能的な郷土愛は国民意識を培う源泉であっても、それは直ちに政治的国民を造りあげる力 >とはならぬ。郷土愛とは畢竟環境愛のほかならず、環境愛は自己の外なるものへの伝習的な >依存であるのに対し、国民の国家への結集はどこまでの一つの決断的な行為として表現され >ねばならぬからである。(322頁)
>>317 んじゃ、「テキストに基づく発言」ご存分にどーぞ↓
>>320 その「テキストに基づく発言」とやらを勝手にやればいい。
それとも、丸山を読んだことがないために、話の前提が理解できなかっただけか。
322 :
考える名無しさん :2007/09/19(水) 22:54:26 0
>>321 それを320に振ってどーする?
問題は317だろ?テキスト、テキストと喚きながら
自らはネタ振れないヤツ。
>>319 要約すると
・「国民とは国民たらうとするもの」つまり「国民の国家への結集はどこまで
も一つの決断的な行為」。
・その内容は「特定の国民として相互の共通の特性を意識し・・その一体性を
守り立てていかうとする意欲」。
・具体的には「国民的統一と国家的独立の主張」で、これが「国民主義」。
・「国家所属員」は「国民」ではなく、単なる「本能的な郷土愛」=「環境愛」
は「国民意識」とは言えない。
という点か。
ナショナリズム(国民主義)の定義としては、ノーマルだと思うがな。
これを書いた当時は、国家主義的なナショナリズムが叫ばれてた頃だから、それへ
の対抗を意識して国民主義的ナショナリズムを対置したということだろ。
ただ現在から見ると、当時の大日本帝国は植民地をもつ複合民族国家だったわけで、
被支配民族は国民の範囲から脱落してることになり、そうした点で国民主義のもつ
排他性が意識されてないという批判はあり得るかも。
ただ国民主義のもつ排他性は、世界の植民地が独立して後に指摘され始めたことだから、
それを根拠にこの時期の丸山の言説を批判するのは、すこし酷ではある気もする。
歴史的制約ってやつだぁね
325 :
考える名無しさん :2007/09/20(木) 20:56:12 0
っつーかnationにはいわゆる「国民」と「国家」という2つの意味 があるから、その2つどちらに重きを置くかによって色々な主張が 出てくるハズ。
>>319 国家と国民との関係についての記述として、同じ時期のもので、よく引用される
のは、『戦中と戦後の間』所収の「政治学に於ける国家の概念」論文(32頁)の
以下の記述。
>個人は国家を媒介としてのみ具体的定立を得つつ、しかも絶えず国家に対して
>否定的独立を保持するごとき関係に立たねばならぬ。
前者は、個人の国家に対する参政権のことで、後者は自由権のことだろう。
いわゆる「国家への自由」と「国家からの自由」ということ。
327 :
考える名無しさん :2007/09/28(金) 07:00:03 0
丸山の問題性は、国民主義者かどうかよりも、戦後に国民の主体的自由の確立を 強調した点、特にその確立のされ方についての主張だと思う。 主体的自由は、民衆自身には欠落しているけど、知識人には備わってるから、 知識人による民衆の啓蒙というかたちで確立されるという議論になってる。 民衆というのは戦中のファシズムに一方的に組織される存在にすぎず、そこには 独自の主体性をほとんど認めない。 他方で大学教授を始めとする知識人は、基本的に自由主義者でファシズムには 非協力的だった、としてその戦争への加担を免罪している。 確かに知識人は、戦前の能動的なファシズムの担い手ではなかったけど、その 自由主義的傾向ゆえに、積極的な反ファシズムでもなかったというのが事実。 こうした点には、(丸山自身もその一部である)自由主義的知識人への戦争責任の 免罪と、戦後における啓蒙の推進者という、大衆への不信感を前提とした多分に 自信過剰な期待が懐かれていると思う。
328 :
考える名無しさん :2007/10/02(火) 03:34:11 O
丸山眞男は主体的な個人の確立はインテリの啓蒙を主張したの? 俺は今まで丸山がこの方法には明確な答えを出してなくて、 それは自身が日本政治思想史が本店と称した事からきてるかなと思ってたけど… 『市民社会の政治学』所収の「丸山眞男先生を囲む特別ゼミ」で、 丸山は自身は現代政治学をやっていないから、 主体的な個人の確立の方法については他の政治学者に譲ると述べてるけど、 これは東大退官直後くらいの発言だからその後にインテリの啓蒙云々と言ったって事? まぁインテリの啓蒙ってのは至極全うな方法の一つだと思うから、 仮に丸山がそう言ってても不思議はないんだけど、 一応確認としてね。
329 :
考える名無しさん :2007/10/07(日) 08:17:05 0
>>328 具体的にそのことをハッキリと述べてるわけではないけど、全体的な論調の問題と
してかな。
例えば戦後直後の論文「超国家主義の論理と心理」で「本来のインテリ」(弁護士、
医者、大学教授などの知識専門職)と擬似インテリ(町工場の親方、土建請負業者、
小商人、大学以外の教師など)とを区別して、ファシズムの担い手を後者に比定し、
前者はそうした動向に無関心もしくは消極的な傾向だったと述べてる点など。
丸山自身を含めたインテリのファシズムへのコミットの問題を免責しているようにも
受け取れる。
だけど実際は、戦前にも政党政治や普通選挙など一定度の自由民主主義は存在していた
わけだから、問題は、彼らがいかにしてその後のファシズムに編成されていったかにあり、
またその際にそれに積極的に抵抗せず傍観していた、主に自由民主主義的な傾向をもつ
「本来のインテリ」たちの責任も当然に問題とさせなければならない。
丸山は、戦前社会を国家主義=ファシズム一色に塗り込めることで、本来その底流に存在
していた自由民主主義的な傾向性をネグレクトしてるように思える。そうした捉え方をする
ことで、本来自由民主主義的だった「本来のインテリ」たちのファシズムへの無関心=無抵抗
という実態を免罪している構図を描いているように思えるわけ。
330 :
考える名無しさん :2007/10/07(日) 08:33:55 0
>>330 (329続き)
上記のような構図を前提とすれば、戦後においてはファシズムに編成されていた
「擬似インテリ」たち以下のいわゆる民衆を、自由主義を保持していた「本来の
インテリ」たちが啓蒙して、自由民主主義を担うに相応しい個人の主体的自由を
確立するという図式の必然性が生まれてくる。
だけど、「擬似インテリ」たちにしても、戦前の自由主義的な傾向は一定度経験
してたわけだから、それらを啓蒙するというのは、あまりに高踏的な対応だと思う。
むしろそうした啓蒙を通じて、自由主義の価値を高く評価することで、自由主義(=
資本主義に整合的な政治イデオロギー)が本来もっている問題性というのを見過ごさ
れる結果になったとも思う。
素朴な疑問なんだが、蓑田胸喜や安岡正篤は知識専門職の人だけれども 彼らは本来のインテリなんじゃなかろうか。 竹内洋なんかはそれを見落としているのは何故かとか言って批判していたな。 区別の仕方に問題があるような気がしないでもない。 戦前の国家社会主義運動も、選挙への立候補を通じての 自由民主主義的な形に則った部分もあったので傾向性を無視しているかも知れん。 ただ、企画院のような官僚の方面だと 議会制なんて要らないというような考えもあったわけだからなぁ・・
>>331 丸山にして見れば、蓑田胸喜や安岡正篤などファシズムへ積極的にコミットした
知識人というのは例外という位置づけだったと思う。知識人の大半は、自由主義的で
あってファシズムには消極的反対だったということなのだろう。
丸山に言わせれば、彼らの態度が消極的反対に留まったのは、ファシズムが担った国体
観念に正面切って反対できなかった、という点にある。国体観念は戦前の天皇制国家の
正統イデオロギーで、そうした観念を支柱とする戦前の体制は前近代的なレジームだった
とされ、その点にすべての問題を収斂させるかたちの議論となっている。
だけど、戦前のレジームは、国体論的な国家主義を建前としながらも、その裏には自由主義
という基調が、(日中戦争以後を除けば)一貫して存在したという評価が抜けているように
思える。
つまり国家主義と自由主義というのは必ずしも二項対立的存在ではない。だから自由主義者
というのは、積極的な転向なしに国家主義に移行していくことが可能だった。
そしてこの点にこそ、自由主義のもつ最大の欠陥があったと思うけど、戦後はそうした問題
が看過され、国家主義の批判=自由民主主義の顕揚が主旋律となってしまった。
戦前の「自由主義者」って河合栄治郎以外にどんな人がいたっけ。 彼も反対したという点で例外的存在と看做すべきなのかな。 戦前の国家主義的レジームって統制経済を目指す部分があったから 資本主義に整合的というのは当たらないと思う。
>>333 長谷川如是閑かな。あと西田幾多郎・田辺元あたりの哲学者も自由主義といえば
言えるかも。
戦前のファシズムは、統制経済であっても資本主義自体は否定していない。
むしろ資本主義の核となる私的所有を否定して国家的所有を構想した北一輝や
中野正剛などの国家社会主義者は、共産主義者と同列に扱われてほぼ弾圧され
ている。
ってか自由主義と国家主義が同時に存在したってのは、 国家主義ってのは最終的に西欧先進国の自由主義に至るまでの手段的なものだったからでしょ? 伊藤博文みたいな開明派の流れで。 対して元田永フらの国体主義の系譜はその後国体主義的側面が国民の側には喧伝されたが故に、 なんだかそっちが正統みたいに見えちゃったんでしょう。 1945年の最後の最後まで、政府内には自由主義と表裏一体的な国家主義者と国体主義者の溝は埋まらなかった。 で、丸山が戦前を自由主義なんてないという風に言ったのは、 前者の勢力が、結局自由主義を手段としてしか認識しなかったせいで最終的に国家主義へと向かったがために、 真の自由主義じゃないと判断したからでは? 戦前の自由主義というのはどこまでも国体というブラックボックスに脅かされながらのものであったし、 それは明治憲法制定過程で近代的官僚である井上毅らが前近代勢力に抗し得なかった事からも、 いわば宿命的といえる
明治以来の日本の体制って、建前は国家主義的だけど、実際は自由民権運動、 初期社会主義、大正デモクラシーなど自由主義的だったんでないの。 国家や政府の主導者側は、国体論的な天皇中心主義をとっていたけど、 民衆の日常的な生活は、自由主義が大勢を占めていた。 でなければ、吉野作造の民本主義など流行しなかっただろうし、 昭和初年の普選制度も実現しなかっただろう。
自由主義は西欧化の流れ。 大正時代は皮肉なもので、日露戦争に勝ち条約も改正し、 一等国になって学問的にも自由主義が広まる一方で、 昭和のナショナリズム、超国家主義の下準備が進んだ時代でもある。 自由主義に対する反動としての国体思想注入の強化、家族国家観の強調などは日露戦争後から始まった。 丸山がいう、制度化の下降に対する下からの制度に感化された先進的思想の上昇をくい止めるのに近代日本政府が必死だったってやつでしょう。 普選運動くらいまでは民衆側は自由主義的だったかもしれんが、 昭和恐慌による社会不安でそれは吹き飛ぶ。 本質的な自由主義じゃないんだよ。 でなければ本当に自由主義だった美濃部などインテリたちが孤立するはずはない
>>337 >本質的な自由主義じゃないんだよ
そういう言説自体が、戦前の講座派マルクス主義が戦前レジームを
軍事的半封建的帝国主義と位置づけ、その延長線上に戦後丸山が、
それを超国家主義の論理と心理として分析することで定着させた
ある意味で戦前のレジームを一面化させた言説だと思う。
ファシズム期でも、昭和天皇とその重臣グループの発想は民主主義的
側面は希薄だが、一応リベラルと言える範囲には属していた。
また戦前に弾圧された美濃部や津田左右吉にしても、戦後直後の段階で
帝国憲法の正統性や天皇存在の万世一系性を認める発言をしている。
彼らからすれば、天皇制と民主主義は両立可能なものとして戦前から捉え
られていた。このレベルこそが、歴史的な限界性をもちながらも、戦前の
リベラリズムの実態だと思うし、国民の多数派の意見分布も同じだろう。
戦前のファシズムというのは、明治期の国家主義だけでは不十分で、ある
程度の自由民主主義的な契機を必要とした。ファシズムはドイツの場合を
見ても、民主主義を否定的な媒介として成立してくる。
この点を見落とすと、ファシズムは日本の前近代的体制を基盤としており、
現代とは無縁な過去の体制にすぎない、という誤解が生まれると思う。
339 :
337 :2007/11/07(水) 23:37:43 O
確かに俺は丸山の議論に影響受けすぎてるな。 でも、ドイツの場合も日本の場合も言ってみれば似非民主主義だったって事じゃないの? 特に日本の戦前リベラルの天皇制と民主主義の両立可能性ってのは、 制度的な両立可能性だけで、 日本の精神文化面での民主主義はかなり無理があったのでは? 丸山に言わせればパブリックの観念や自律精神がなく、 他律的で国家拡大に自我の拡大を重ねる精神性は、 民衆の国家権力への注意と秩序形成への主体的参画を実現する障害となり、 従って民主主義や自由主義も結局は外面的、制度的なものに終始したって事では? 勿論よく言われるようにこれじゃ西洋の自由主義観マンセーで無い物ねだりみたいになるけど、 自由主義とか民主主義は西洋で生まれたものだから仕方ない…
340 :
考える名無しさん :2007/11/09(金) 13:55:41 0
いろんな雑誌で、いまだに毎年丸山関係の論文が目に付く。 死んでからもう10年以上たってるのに、いまだに賛否両論で議論の対象にされている。 ただの西洋=近代崇拝主義者にしかすぎない、と思うけど何でだろう。 そんなに価値のある思想家なのかなあ。よく理解できないよ。
>>340 そう思うのなら、わざわざageるな!ヴォケ!
ただの西洋崇拝主義ではない。 本人はそんな一面的な主張はしてない。 俺は『日本の思想』 『現代政治の思想と行動』 『戦中と戦後の間』しか読んでないが、 丸山はむしろ西洋の良い点と比較することで日本の問題状況をあぶり出す事に重点を置いてる気がする。 西洋は別に理想化してるわけじゃないと思う。
343 :
考える名無しさん :2007/11/11(日) 22:36:43 0
>>340 残念ながら丸山は思想家ではなくて思想史家なんだね。
もちろん彼の作品から彼の思想(問題意識)は読みとるのは
十分可能。
しかもようやく丸山を客観的というか対象として批判できる
状況になったんだと思う。昭和の空気を十分吸い込んで生きて
きたオレにとってもね。
ただ丸山がもし今も生きていたとしても、彼の胸に応える批判
は少ないんじゃないかな?批判・批評に総て目を通した訳じゃ
ないけどさ。そんな気がしてる。
344 :
考える名無しさん :2007/11/22(木) 16:18:02 0
345 :
考える名無しさん :2007/11/24(土) 10:14:14 0
>>343 ただの思想史家=専門研究者ならば、これほど広く読まれたり批判されたりは
しなかったと思う。彼の場合は、思想史家と思想家の分水嶺に立っていたと思う。
実証的な歴史研究者から見れば傲慢だが、思想家というにはあまりに謙虚な存在、
それが思想史研究者だ、というようなことを丸山自身どこかで述べていた。
あと単なるアカデミシャンではなく、ジャーナリスト的な資質も兼ねていたことが、
彼の著作が良かれ悪しかれ話題の対象となった要因でもあると思う。
346 :
考える名無しさん :2007/11/24(土) 23:03:46 0
>>345 ただ思想史家であり続けようとしたのは間違いないと思う。
「現代政治の思想と行動」のあとがきか何かで、専門家から見れば
ジャーナリスティックに過ぎ、一般からは難解だと言われたと本人
も認めてた。
やっぱオヤジの影響大。それと長谷川如是閑かな?(オヤジの仕事仲間)
>>346 丸山自身は、自身に影響力のあった思想家として、長谷川とならんで
師の南原繁をあげている。長谷川は(ブルジョア的)唯物論、南原は
カントで、どちらも自由主義者。
あとマルクス主義では、一般に「理論と実践の一致」が説かれるけど、
丸山の場合は、「理念と現実を媒介するのが実践」という位置づけだ。
理念と現実という二元論を前提に、それを結びつけるのが、個人の
能動的で主体的な実践性というわけだ。これだと新カント派的な認識論
に近い。
こんにちは、副島隆彦です。 「財産権は人権である」 というヤン・ナーバソンの言葉を引用している『リバータリアニズム入門』からの、 重要な抜粋 が、このwebsite の頭のほうに載せられた事は、大変、重要な事だとおもいます。 財産権(所有権)は、日本では、憲法29条で、「財産権は侵してはならない。 A財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれをさだめる。 B私的財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」 このように定めてあります。この29条は、今でも猶お、共産党系が圧倒的である日本の憲法学者たちによって、不当に、 無視されてきた条文です。言論・表現・出版の自由などの、いわゆる「精神的自由権」のほうを無闇と、たかく持ち上げて、 この財産権(営業活動の自由を含む)の規定を、ものすごく低く扱ってきました。明人さんが、以前に、掲示板で、人権と 自由(権)ーーーー各種の自由とは、各種の自由権のことです。このことを知らない人が多いですーーーーについて、簡潔 にすばらしい定義を与えていました。今、過去ログを捜したのですが、見つかりませんでした。 財産権が、その他のあれこれの人権(これを、「人権カタログ論」と言います)の土台であり基礎となる人権です。 ですから、人権論を云々するのであれば、それを保証する財産権をまず、言わなければならないのです。財産権とは、財産 「への」人権である、と。 私は、20余年まえに、大学の卒論でそのことを、書いた記憶があります。ソビエトの知識人たちは、なぜ、諾々と殺され、 収容所に送られて行ったか。それは、じつは、スターリンの凶暴な性格、以前に、知識人たちが、勝手な理想主義に自ら だまされて、「私有財産の否定」とか、「私有財産の国有化(公有化)」を、みずから実践したからです。
もし、私有財産権が守られていたら、裁判で、財産を食いつぶすまで2年ぐらいは争えたでしょう。ところが、自宅まで 国有財産であることを、認めてしまったものだから、政府と争うと、すぐ追い出されました。 これでは、国家と闘う どころの騒ぎではありません。すぐに飢えて死ぬしかありませんから。 そのようにして、ロシアの知識人たちは、自業 自得でひどい目に遭っていったのです。ですから、財産権が、諸人権の土台であり基礎なのです。宗教のように、各種の 人権を、ただ、至上の権利としてたてまつっても仕方がないのです。日本共産党系を含めた、日本的リベラル派というのは、 馬鹿だねえ、といつも思うのは、こういう事を考える力が無いからです。生来知恵が足りないから隠れ党員をずーっと やっているのでしょうが。 このように私は、すでに20歳すこしの頃から、リバータリアニズムを自力でなんとなく体得出来ていた人間です。 左翼思想にかぶれてひどい目にあったという青年期をもっているからです。余談ですが、あの日本レヴェルでの碩学・丸山 真男も、どうやらやっぱり、共産党員だったのではないか、という説が最近、ちらほら学者たちの間で、語られています。 そう言えばそうですね。丸山は共産党の悪口を書いた事がないですから。 言論の自由を至上のように言いますが、一体、誰が人の意見にそれほど耳を傾けますか。言論のほとんどは商業言論 なのであり、売り物として市場で売られているものです。 この見方は、日本では、山本夏彦氏という希有の作家・コラムニストが、書いてきました。 私は、山本夏彦が、日本 リバータリアニズム的な人物だと考えています。
こういう見方をに出来るようになることが、日本人の成長なのでしょう。「地獄への道は善意で敷きつめられている」 と、書いたレーニン自身もその後の左翼たちもこの格言を、たびたび引用しながら、やっぱり、自分たち自身が「地獄へ の道」を突き進みました。 ですから、リバータリアニズムは、決して、理想主義ではありません。慎重に慎重に自分の頭の中身を吟味します。 もしかしたら、今このとき、何かの計画主義に自分がだまされていないだろうか、と。リバータリアニズムは、寛容の 思想ですから、他の人たちが、どんな思想を信じるのも認めます。 集団運動も認めます。ただし、それを、人に押し 付けるな、と言います。ここが大事なのでしょう。 ですから、財産権こそは、各種の人権の土台なのです。空論でしかない特殊日本的人権論を、神棚に飾っているような 人々は、考え直した方がいいですよ。それから、「人権にも、本当はそれぞれ価格があるのだ」という、ドキッとする ようなことを最後に書いておきます。 副島隆彦拝。
副島コピペ荒らしに突っ込むのもアレだが、 >余談ですが、あの日本レヴェルでの碩学・丸山 真男も、どうやらやっぱり、共産党員だったのではないか、 という説が最近、ちらほら学者たちの間で、語られています。 そう言えばそうですね。丸山は共産党の悪口を書いた事がないですから。 にはコーヒー噴いた
>>348-350 相変わらず妄想全開だな>副島
私有財産権は、近代社会の大原則だろうに。
それを何をグチャグチャ言ってるのかw
もうこのくだらないゴピペはヤメロよ。
353 :
考える名無しさん :2007/12/08(土) 00:29:55 0
空アゲ。
354 :
考える名無しさん :2007/12/20(木) 14:10:11 0
355 :
考える名無しさん :2007/12/24(月) 13:51:55 0
356 :
考える名無しさん :2007/12/24(月) 14:57:55 0
大宅壮一は、如是閑をある種の日本主義者と見てるようだけど、ブルジ ョア的唯物論と規定したのは戦前の戸坂潤だよ。 >今日の日本でそういうブルジョア唯物論を代表する殆んど唯一の、而 >も非常に 著名な人物は長谷川如是閑氏だろう。(中略) >如是閑氏だけが今日、割合総合的なそしてよくこなれたイギリス風の >ブルジョア唯物論者として残っているのである。 >氏の思想態度は極めて「唯物論的」である、と云うのは氏は実証的な >常識以外に何等の哲学をも認めないのである。彼の思考組織がそのも >のとして取り出されることを氏は好まない、そうした哲学が、論理が、 >嫌いであるように見える。その癖氏の思想のやり口には一定の顕著な >組織があるのであって、それが一貫した特色として誰の眼にも一眼見 >て判るように出来ている。ただその論理組織を自覚的に展開すること >が、何等か観念的な態度に堕するものと信じ切っているのである。氏 >の唯物論が弁証法の実際上の有用性を認めず従って弁証法的唯物論に >移らない理論的な根拠はここに横たわる。――如是閑氏の唯物論は決 >して唯物論の歪曲ではない、寧ろ未発展な唯物論がそのまま爛熟した >ものに他ならぬ。処がその唯物論の未発展という処から、実は色々の >観念論的な動揺が出て来るのであって、氏がファシストのレッテルを >貼られるのもそこから出て来るのだ。ブルジョア・リベラリズム(敢 >えてブルジョア・デモクラシーとは云わぬ)の思想の運命は、今日ど >れもこの道を選ぶ他はないようだが、この運命に組織的な思想根拠を >与えた唯一の思想家が如是閑氏に他ならぬ。 (『日本イデオロギー論』岩波文庫、358〜359頁)) 現在出ている岩波文庫の『長谷川如是閑評論集』を見ても、上記の評価 はだいたい当たってると思う。
357 :
考える名無しさん :2007/12/24(月) 14:59:11 0
>>356 (続き)
あとついでだけど、如是閑は戸坂が主催する唯物論研究会の最初の代表
ともなっていた。
1933年4月にこの唯物論研究会は第2回の公開講演会を行うが、その時は
冒頭の如是閑の演説途中で警察により強制的に解散を命じられた。
この講演をたまたま傍聴していた丸山真男は、左翼学生との嫌疑を受け
て警察に拘留され取り調べを受ける。そしてこの時の経験が、戦後に丸
山が著した戦前ファシズム体制を批判する諸論文の個人的な背景ともな
った。
358 :
考える名無しさん :2007/12/24(月) 15:20:13 0
ここのおじさんたちは税金ぐらい払ってるんだろうか 心配だ
>>358 ここは哲板だ。なにをボケたことを言ってるんだ>低能児がw
>>355 大宅壮一というのは、戦前左翼系だった評論家だよね。
たしか戦後にTVが普及した頃、一億総白痴化と揶揄したので有名だった。
>>360 >一億総白痴化
テレビの草創期でそうなら、現在の状況を見て大宅が生きてたら、
なんと言っただろうなw
まあ、最近のテレビのコンテンツのレベルについては、
明らかに当たってる。
というか、最近では制作者側より視聴者の側の知的レベルの方が
上回ってる場合が多いような気がするね。
>丸山真男を引っぱたいてやりたい とかいうスレがどこかに出てたけど、これは完全な勘違いだろう。 だって、丸山は一貫して戦後の反体制的な立場だったわけだから、 戦後政治や社会を主導出来るわけがない。 戦後から現在に至るまでの社会を造ったのは、自民党以下の保守層だろうに。 いったいどういう意味で言ってるのかね?
帝大助教授で超エリートの丸山も、軍隊に入ればただの兵隊なので、普通に上官に殴られたという有名なエピソードをもじったに過ぎない だから丸山じゃなくても、軍隊でひどい目に遭ったエリートなら誰でもいい。岡本太郎とか。
>>357 勅任官の助教授になるまで、定期的に特高から聴取されてたそうだな
しかし帝大出でしかもそこの助教授ともなれば、 最初は兵隊でも、ふつうは短期間で将校になるだろう。 丸山の場合、やはり特高に睨まれたので兵隊のままだったのかね。 丸山自身は、自身の兵隊経験をそれまで知らなかった中流以下の社会を 知る良い機会だったと述懐してたみたいだけど。 戦争経験だけから言うと、吉本が批判したみたいにエリートだったとは 言えないと思うけどな。
>>363 それ読んだ。
執筆者の現在社会への不満は理解できるけど、戦争になれば真っ先に徴兵されて前線へ
行かされるのは彼ら自身だろうにと思う。
戦争は社会の序列をひっくり返したりはしない。逆にそれを強化する。戦後に一時的に
ひっくり返ったように見えたのは、敗戦による混乱状況からだ。
執筆者が望む方向を言えば、戦争ではなく内乱か革命だと思うけどな。ただしその可能性は、
限りなく小さいだろうけど。
>363で上げられてるのを書いた奴はさ、 まぁ現実的に戦争が起きても筆者の望み通りにならないのは>367が書いてるけど、 それ以上に、そういう戦争の様な劇的な社会変化に何か希望を見いだす精神的態度が危険だと思う。 アレントが言った、ロシア革命やフランス革命が暴力の解放で社会問題の解決を計った結果失敗した、 っていう指摘が実に意味を持つと思う。 何か革命的に、ラディカルに社会変化を望む態度は、 ファナティシズムを生んで思考を停止させる。 ただ追い詰められた人にこんなこと言ってもそんな余裕はないわけだから、 やはり社会問題は軽視すべきじゃないということか… あれ書いた人の内容は話にならないけど、 ああいうものを生み出した背景にある社会の矛盾や問題は重いね……
>>366 丸山は特高ににらまれてたからこそ、一兵卒として招集されたんだよ。
普通は帝大助教授なら、めったなことがなければ招集されない
>>368 >何か革命的に、ラディカルに社会変化を望む態度は、
>ファナティシズムを生んで思考を停止させる。
同意だね。
それにただのファナティシズム=熱狂というのは、
実は真の意味でのラディカル性とはあまり関係ない。
すべてが変わるかのように見えて、後で冷静に見てみると
実は何も変わっていなかったという歴史的事例は多い。
371 :
368 :2008/01/01(火) 00:58:41 O
歴史を学ぶっての“も”やっぱり大事なんだね。 歴史なんて役にたたねぇみたいな感じが最近広がってるけど… ラディカル性を以て社会変革を先導しようとする輩と、 ファナティシズムでもってそれを指示する人々は別な場合が多いからね… 多くの人にとっては緻密に積み重ねられた論理や漸進性より、 単純で過激なものに身を任せてファナティシズムに浸った方が楽なんだよな… 俺もそういう気持ちに本能的になりそうになる事はしょっちゅうある… 丸山に言わせれば理論的なものそれ自体に対する反感って奴だね…
指示× 支持○
さて、そろそろ「丸山真男手帖」が来る時期だな。
374 :
考える名無しさん :2008/01/12(土) 03:07:55 0
>>373 その「丸山真男手帖」って未刊行のノートや講演、座談会などを収録したもの
でしょ。
大学の図書館で見ようと思ったけど、どこも定期的に収集してないね。
発行元に直接依頼して個人会員にならないとダメなのかなあ。
最近、丸山関係の論文でよく引用されてるのを見て、ちょっと見てみたい気が
してるんだけどね。
376 :
考える名無しさん :2008/01/12(土) 12:49:43 O
天皇を頂点とした無責任体制っていうのは そうなれ、っていう事だよな ふざけんなバカー!>丸山
丸山は、日本の現状がそういう無責任体制になってしまってるってことを指摘したんじゃないのか? しかし丸山も没後だいぶ経つのに、ひっぱたかれたりバカー!とののしられたり、大変だねぇ
378 :
考える名無しさん :2008/01/13(日) 14:20:15 0
>>376 天皇を中心とする無責任の体系というのは、本来は戦前の国家や社会体制
の特質として指摘されたものだけどな。
まあ、戦後は天皇の地位が変わったが、役所や企業などいろいろな社会の
集団レベルで同じ現象が認められる、と丸山は言ってるけどね。
さしずめ今の社会保険庁による年金問題などその典型だろうな。
責任を追求しようとしても、社保庁はもとより、監督官庁の厚労省、歴代の
政府にまで責任は分散するが、さりとて特定の個人には責任を還元できない。
それら組織がもたれ合って、全体的にアイマイな成り行き任せの結果として、
ここまで問題が深刻化してしまったという点。
無責任の体系は、日本社会に蔓延る根深い集団的な特質とも言えるな。
>>363 >「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。
関係ないけど、これって現代の社会矛盾の問題を自分たちの属する
ポストバブル世代とそれ以前の高度成長期世代という世代間の対立
にスリ替えようとしてるみたいだな。
現状認識はほぼ正しいけど、その原因を世代間の格差に求めようと
するのは誤りだと思う。
昔から日本では、人種、宗教、言語という文化的にシヴィアな対立
がないから、世代間対立にその代替機能を果たさせるタイプの議論
が多い。これもその一例だと思う。
380 :
考える名無しさん :2008/01/15(火) 04:23:29 0
江戸時代の官僚的合理的思想について知りたいんで、知ってる方がいたら教えてください。
>>380 水谷三公『江戸の役人事情』(ちくま新書)
中味は読んでないから保証はしかねる。
本来行政法が専門で、それとの関連で江戸時代の官僚制を扱っているらしい。
あとは、『丸山眞男講義録』の該当箇所でも読んでおけば。
えーと、最近の日本儒教史については、なにを読めばよいのですか? 丸山のはかなり古いから、現在の学説としては役に立たないと思うのですが。 子安宣邦氏などのものはどうなんでしょうか。
>>382 子安氏の「事件としての徂来学」が割合最新の研究で、
実証的な丸山批判の書としても有名。あとは「江戸思想史講義」あたりかね。
384 :
@ルコールオニオン ◆80j8FU9DKo :2008/02/05(火) 20:39:05 0
引用:酒*たま*ね*ぎ*やURAホームページ 丸山眞男について 谷沢氏は東大でおこなわれた丸山氏のこの講演について <日本社会の中堅層をここまで軽蔑して、見下して、踏みつけにして、 悪しざまに罵った文献は史上最初の出現ですから、日本人による日本国 民への徹底した罵倒として、外国人の立場からまことに、まことに興味 ぶかく多くの人の手から手へ読みまわされたことでありましょう。>と 著書「悪魔の思想」に書いています。・p八六 丸山氏自身がその著書「現在政治の思想と行動」の執筆動機について、みずからの回想として <私は日本社会の恥部をあばこうと試みている>「後衛の位置から」p一〇 と自認しています。 「論座」に松本昌次氏が絶賛していた丸山眞男氏についての「丸山さん はそうではなくて、いかなる場合も、広く深い学問的・時代的経験に立 って、全人格的といいますか、全身体的といいますか、持てるものすべ てを出しきって、書く主題とわたりあうようにして書かれているように 思います。」という言葉が非榾空しく響きます。 酒*たま*ね*ぎ*や様はインテリ!!!!!!!!!
>水谷三公 こいつの書いた丸山について新書はひでえ代物だった
丸山をネタにした商売はちと粗製濫造気味
>>386 同意。
なんだが丸山への恨み節が篭もった感じの要領を得ない内容だった。
丸山の隻言半句と取り上げては、どーでもよい議論をネチネチと述べている。
丸山時代の東大の助手だったみたいだけど、丸山一門からは疎外されていた
感じの人だね。あの本の書きっぷりでは当然という気もするわなw
389 :
考える名無しさん :2008/02/24(日) 09:00:50 0
今月の東急の古本市で丸山の著作集を買ってしまった。 今更どうしようかと迷ったけど、2万円で安かったのでね。 ついでに横に積んであった丸山座談(こちらは1万円)も買ってしまったw 丸山の著作は単行本でだいたい読んでたと思ってたけど、 結構知らない論文が多くあったんで驚いた、というか得した感じ。
390 :
考える名無しさん :2008/02/24(日) 22:05:10 0
>>389 モノはついでに「講義録」もいっときましょうw
でネタふり。
恩師であるナンちゃんから「存在非拘束性じゃ思想史はダメだよ」
と言われたらしいけど、その意味は?
無意識に自分のそれこそ「作為」が混入するって事?
>>390 それは丸山が助手になってすぐに南原に言われたコトバだね。
当時の丸山は、まだ唯物史観の影響下にいたから「存在が意識を規定する」式の発想、
つまり思想をその社会的な存在被拘束性を中心に考察する方法では、思想の内的構成や
その歴史内在的な変化はつかめない、という意味で注意されたんだと思う。
それで丸山は、助手論文を書く際には、存在被拘束性といっても、唯物史観的方向とは
異なる知識社会学のマンハイムの方法を使って近世儒学思想の展開過程を論じた。
マンハイムの「存在」とは、マルクス流の経済社会制度だけでなく、政治・法制度や
思想・文化領域も含めた全体的な意味で用いているから、丸山は、それに触発されて発想を
転換させたのだと思われる。
>>391 Mannheimの存在被拘束性というのは、そういう内容だったっけ。
たしか思想の存在被拘束性は、「イデオロギーとユートピア」で
述べられてた。
Mannheimの場合だと、ある思想の発生も、それ以前の文化や思想を
母胎にして出てくるという意味で、存在被拘束性を述べてたように
記憶してるけど。
要するにそこでの存在とは、マルクスの言う土台(経済制度)に
限定されない文化様式や思惟様式も含めるというのが特徴。
393 :
考える名無しさん :2008/02/26(火) 19:39:33 0
>>391 なるほど!目からウロコが落ちました!ありがとう。
ちょっと頓珍漢な発想してました、恥ずかしい・・・
そのあたりの経緯って文章になっていました?
苅部さんもズバリとは言及してなかったし、回顧録に出てるのかなあ?
未読なもので。
>>393 回顧録にはあまり出てなかったと思う。
ウロ覚えだけど、丸山が大学から助手時代にかけての自身の思想遍歴を詳しく
語ったものとして印象に残ってるのは、
「思想史の方法を模索して」(『丸山眞男集』第十巻所収)
たしかこの論文で、新カント派→マルクス主義→マンハイムという順序で述べてた
と思う。あとヴォルケノウ、ルカーチ、ウェーバーについても。
丸山の理論摂取のプロセスがよくわかる内容だったので記憶に残っている。
395 :
考える名無しさん :2008/03/02(日) 21:47:42 0
「思想史の方法を模索して」読んでるハズなんだけど、 引っかからなかったなぁ。同じ10巻の「南原先生を師として」 にも出てますね。 でも南原さんの物言いだとマンハイム、唯物史観に関わらず 「存在非拘束性」自体にダメ出ししてるみたいだけど・・・。
396 :
考える名無しさん :2008/03/04(火) 20:11:56 0
>>395 そうすると座談の方かなあ。その手の話は何遍か読んだ記憶があるけど。
あと『丸山眞男集』第十五巻読んでたら、助手に採用された頃の話として、以下のような記述があったよ。
>(南原)先生は、ぼくはマルクス主義者じゃないけど、自分より左ということは知っていたんです。
>だから解毒剤になると思っていたらしい。ぼくはマルクス主義の影響もあって、思想は社会的制約を
>受けるという考え方でしょ。先生はそういう考えでは思想史はわからないと、最初にぼくに言いましたよ。
>先生は思想は思想として内面的な価値で論ずるという立場ですからね。先生は別の意味で社会主義
>ないしマルクス主義に理解はあったけど、学問の方法としては認めないわけですよ。これは最後まで、
>ぼくが先生と考え方のうえで違った点ですね。
(「同人結成の頃のこぼれ話」159頁)
単純な言い方をすれば普遍主義者ということなのかな。 あまり関係ないけど、宮村治雄が藤田省三のことを普遍主義者と評しているね。
>>397 藤田自身が著作集のどこかで、自分は普遍主義者だと言ってたよ。
399 :
考える名無しさん :2008/03/17(月) 19:25:39 0
「普遍主義者」ってどういうこと? 教えてください。
400 :
考える名無しさん :2008/03/22(土) 12:48:00 0
>>399 個別的で具体的なことを取り上げて論じても、その背景には、
普遍的で一般的な法則や命題が常に念頭に置かれていること。
例えば丸山の場合だと、日本のファシズムを論じても、その背後には
日本における資本主義の特質だとか、西欧も含めた近代社会の構造とか、
そういう一般的な問題が念頭に置かれている。
401 :
考える名無しさん :2008/03/25(火) 20:01:58 0
>>400 ありがとう!でも「普遍主義者」のどこが悪いんだろう?
批判が批判になってない気がします。レッテル貼ってハイおしまい
みたいな。
402 :
考える名無しさん :2008/03/30(日) 16:38:04 0
>>401 「普遍主義者」というのは、別に相手を貶す言葉ではないと思うけど。
敢えて言えば、個別的で特殊な問題について、その個別性や特殊性に則して
論じることなく、ただちに普遍的な法則で割り切ったり、一般的な問題へと
拡散してしまうよう傾向が批判されているのかも。
例えばマルクス主義者の一部についてよく言われるように、文化・思想や政治
の問題を即座に経済的な関係に置き換えて論じる傾向性=経済還元論などが該
当すると思う。
403 :
考える名無しさん :2008/04/01(火) 09:57:45 I
たこ壺型とささら型てのは、有名だが有意義でない。
>>403 ささら型はともかく、たこ壷型は当たってると思うけどな。
日本の科学は西洋の科学が個別分化した時期に移入したから、それがそのまま各学部、
そのなかの各学科の分類の基軸になっている。
最近は学際的ということが頻りに話題になってるけど、個別分野横断的といいながら、
内容的には虻蜂取らずのキワモノ的な分野が多いように思う。
>>403 >たこ壺型とささら型
それって元ネタは「日本の思想」だったっけ。
406 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 13:46:50 0
>>404 それはいえてる。
某有名大学の○○学環とかがそれに当たるなw
407 :
考える名無しさん :2008/04/19(土) 10:08:43 0
『丸山眞男話文集』(みすず書房)全四巻が、5月から刊行されるみたいだね。 『丸山眞男ノート』に掲載された主な座談記録を収録したものだと。 全集・座談・講義録と揃えてあるから買おうかな。
>>407 へーえ、話文集まで出るのか・・・・・。
丸山ってホントに巨大な存在だったんだね。
409 :
考える名無しさん :2008/04/23(水) 19:22:12 0
>>407 ヤバイ!速攻予約入れとこ。
それにしても、そこまで活字化するかね、、、
と言う位出ますな、丸山本。
>>409 同意。ちょっと出過ぎる感じもあるな
。
ただこの人は座談の名手で、著作ではあまり述べないことでも、
座談だとわかりやすく展開する傾向があるから、読む価値はあるかも。
411 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 12:31:10 0
>>407 みすずのHP見たら、5月中旬の刊行みたいだね。
GW中ならすぐにでも買ったのにな。
412 :
考える名無しさん :2008/05/06(火) 07:50:19 0
>>401 やたら遅レスだけど、ググってみたらこんなものが。
http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/tolerance/tolerance_abstract4-1.html 普遍主義というのはある正義を普遍的なものと考える立場、と。
国家主義が認められて「超」国家主義が批判されるのは、究極的には対話によって合意を形成する事が出来るという考えが疑わしいから。
普遍主義と対立するのは、自分とは異なる立場を完全に理解出来ても、同意しようとは思わない、というイシューがありえて多数決があり、戦争がある、
完璧な相互理解の下でも社会の半数に満たない立場の人間は諦めるか革命を起こすかしかないという認識からくる多元主義。
多元主義の立場からは「理論信仰」は普遍主義だから良くない、という事もいえる。
リンク先で紹介されてる妥協案?としての相対主義は「精神的雑居性」のパラフレーズだろう。合意に至らなくてもいいや、というのも一つの立場だろう。
丸山の立場はといえば、普遍的な正義があればそれに越したことは無い、と思いつつも多元主義に立って、
多数決に一票を投じて相応の妥協を他者に求める位の主権を個々の民に認め、国に認めるというものではないかな。
413 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 16:14:34 0
>>412 引用の内容が政治的なレベルに限定されているせいか、よく理解出来ないけど・・・・。
普遍主義というのは、普遍的原理・原則の存在を認める立場で、世界史的レベルで言えば、
世界を貫通するような原理や法則の存在を措定する立場。これと対立するのが特殊主義や個別主義。
たしかに認識論的には、普遍主義の原理・原則を単一で唯一のものとすれば、そこからすべての現象は
演繹されてしまうから、ドグマチックで非寛容的かもしれない。
逆に特殊主義や個別主義の場合、他者に対してもその特殊性や個別性を自己と等価値なものとして
認容するのであれば多元主義的となる。
ただ丸山の経験では、戦前日本の国家主義は、特殊主義でしかもそれを唯一絶対として他者に対する
優越性を誇示する、というたぐいのものだったから、それへの反発しとして普遍主義的立場を標榜した
のだと思う。
丸山からすれば、偏狭な特殊主義こそ非寛容的なものであり、それと対抗的に措定した普遍主義というのは、
多元主義(プルーラリズム)とは対立せず、むしろ共存するものと考えていたと思う。
414 :
考える名無しさん :2008/05/09(金) 14:37:54 0
『丸山眞男話文集』をみすずに注文したけど、まだ来ないな。
416 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 20:51:12 0
「話文集」ゲット! 今読んでるけど「戦中と戦後の間」に似た感触。 ってゆーか「話文」という日本語苦しい。。。。
>>416 >「話文」という日本語苦しい
それは同意、
対談などの「話」と講演草稿や雑文的な「文」の寄せ集めだから、
たしかに話文集ではあるけどな。
いろんなスタイルのが入り混じってるから、ほかにタイトルの
付けようがなかったんだろ。
でもそれなりにテーマに即した章立をして整序はされてると思う。
418 :
考える名無しさん :2008/06/01(日) 18:42:14 0
自分の価値基準を持って善悪を判断する自立した個人。 ↑ はたして今の日本人にこのような行動をできる人、このような考えを理解できる 人がどれほどいるだろうか。
419 :
考える名無しさん :2008/06/01(日) 23:38:21 0
戦前当時の時代背景、または戦前戦後にとらわれず、西洋というものを もっと分析する必要があるね。ヨーロッパは別に知識人サークルじゃないんだよな。 批判する共同体的ムラ意識みたいな「恥部」はヨーロッパでも強固に認められる。 制度的にも固定されちゃってるから。「西洋=自立した個人」という紋切り型は いまさらながら牧歌的だなと。丸山さんにはもっと長くヨーロッパに滞在して観察して欲しかった。
420 :
考える名無しさん :2008/06/09(月) 20:04:05 0
そもそもさあ、自立した個人って本当に幸せになれていい社会を作れるわけ?
>419まぁ西洋も当然だが完璧ではないよね。 ただ一つ丸山を擁護すれば、丸山は具体的な歴史の上に現出した西洋近代ではなくて、 西洋が産み出した理念としての近代的人格を重要視したじゃないかな。 この辺は丸山に教わった平石直昭が「理念としての西洋近代」って論文で簡潔にまとめてた。 しかしそれじゃあただの理想論乙になってしまう可能性もある。 でもやっぱり近代的人格や思惟様式ってのは日本人の自己認識の道具としての価値があったんだと思う。 >420しかし根本的にまず近代的人格ってそんな薔薇色なのかって疑問は当然出てくるよね。 これは俺もまだまだ勉強不足だけど、 近代的人格のもたらす負の面はサイードやアドルノあたりを始めとして批判されてる。 ただ、一つ確実に言えるのは、民主主義を理想として実現したいならそれを支える精神は必要ってこと。 別に民主主義を理想と考えないなら話は全く変わってくるけど、 民主主義を実現すべき理想と考えるくせに、 制度だけ民主主義っぽい様に整えるだけで足りると考えるのは大間違いってことでしょう
>>418 >自分の価値基準を持って善悪を判断する自立した個人
これ自体は、人類にとって普遍的な問題だろう。
人は、自分の帰属する集団の価値に引きずられるし、自分で自主的に判断してる
と思ってもマスコミなどの情報操作に乗っけられてたりする。
自分自身で確固とした価値基準をもち、いかなる場合でもそれに拠って判断する
というのは、自明なようで実行するのは容易ではない。
>>419 主に戦前の文献上の知識をもとに、西欧を理念型化して捉えてるというのは
あると思う。戦前、特に丸山の時代は欧米に留学することは不可能だった。
しかし、逆に西欧を理念型化し、それとの比較で日本の現状を批判したから、
あれほど鋭い批判が成立したとも言える。西欧の実態をよく知ってしまったら、
ああした角度からの批判は出来なかっただろうな。
そうした点では一長一短かな。
>>420 丸山的には、自立した個人の自主的な結合が健全な社会の前提。
ただ高度成長期以降、特に現在成立したのは”孤立した個人”の
社会性を欠如した状態。これは丸山の考えとはアベコベだろう。
>>421 >民主主義を理想として実現したいならそれを支える精神は必要ってこと
レス全体の主張も含めて全面的に同意。
423 :
考える名無しさん :2008/06/12(木) 09:51:43 0
>> >丸山的には、自立した個人の自主的な結合が健全な社会の前提。 それこそ根拠がないと思うんだけどね。 明治維新以降、 ほぼ独自のやり方で近代化を達成し軍事的に躍進した日本帝国も、 戦後の民主国家日本の経済発展も、 いずれも丸山がいう「自立した個人」や「自主的な結合」がやりとげたものではなかったし、 必要とすらしなかった。
軍事も経済も社会が健全であるかどうかの指標にはならないということではないか??
>423確かに自律した個人による社会を自明の理想としていいのかって視点は要るけど、 例えばじゃあ近代日本は結局軍にしてもなんにしても恐ろしいくらいに自分が自分の責任において権力を行使したって意識がなかったわけだよね。 特攻隊の評価はここでは置いとくとして、いずれにせよ特攻作戦の実施という極めて重い決定を誰がやったか未だにはっきりしないのは、 誰が誰の責任において決断し、その結果に責任を持つという考えが欠如してるからだと思う。 これも自律した個人の無きところにおける問題の一つ。 戦後にしても、政治家や官僚が汚職まみれでも結局真相が闇の中ってのは、 一つには、あくまで一つには、自分の決定や行動に確固たる責任が伴うという意識がないからだと思う。 逆に、そういう政治家や官僚を批判するだけで、肝心な「決定」は自分たちではやらず、 結局ピーチクパーチク文句と要望だけ出す国民も、自律した個人じゃないからだろう。 なにも考えず、政治家や官僚を批判するくせにその解決も政治家や官僚に任せるだけのこの国が民主主義国家と言えるかは微妙なところ。 まぁ勿論非民主主義国家ではないだろうけど。 その点ではやっぱり日本はポリアーキーではあるが、民主主義を実現できてはいない。 日本が民主主義を理想とするなら、そこに必要な自律した個人による社会という難題に取り組まなきゃならない。 その気がないなら民主主義国家なんて標榜しても滑稽なだけ。 勿論民主主義を理想としないなら全然構わないんだけど
426 :
考える名無しさん :2008/06/15(日) 06:01:02 0
>これも自律した個人の無きところにおける問題の一つ。 「自立した個人」とやらが存在すれば解決するのかというのが問題だろうに。 アメリカは民主主義の本場だそうだが、いつになったらイラク戦争の責任追及は始まるのかね?
>>423 何か根本的に勘違いしてるな。
近代国家というのは、国制上はあくまで個人を基礎単位としている。
憲法に国民の権利と義務が明確にされてるのは、どこの近代国家でも同じ。
憲法はそうした個人としての国民と政府との関係を規定したもの。
ただ個人を制度上は基礎としても、国民各人がそれに相応しい精神的な
独立性(政治的な価値判断を行う能力)をもたなければ近代国家の運営
というのはうまくいかない。
丸山が「自立的」と冠したのは、そうした精神的な自立性のことを指している。
こんなことは、丸山に限らず近代の政治史や政治学では自明のこと。
428 :
考える名無しさん :2008/06/16(月) 01:42:15 0
>>427 じゃあなんで精神的な自立性のないはずの日本は上手くやれたんだって話だろうにw
429 :
考える名無しさん :2008/06/16(月) 01:47:13 0
第一、個人なんて近代国民国家ではあってないようなものだろう? 国家が教育と徴兵によって「国民」を創生するのであって、 個人主義も自由主義もあくまでそれを侵さない範囲に止まる。 それ以上のことをやれば非国民扱いされて社会から排除されるか逮捕。 「国民」をつくるための精神主義教育と、社会を統制するための官僚の育成こそ近代国民国家の基礎。
430 :
考える名無しさん :2008/06/16(月) 02:00:42 0
だから自由だの個人だのは本来近代国家には不要なもの。 だいたい均一な「国民」をつくるのが目的のはずの近代国家なのに、 自由や個人なんてどう整合させたらいいのか。
民主主義を支える精神、それは己を含めた人間への深い絶望である。
432 :
考える名無しさん :2008/06/16(月) 02:45:37 0
>自由や個人なんてどう整合させたらいいのか。 整合させるとしたら、あくまで国家優先で自由や個人は国家を侵さない限りは尊重される、という国家主義しかない。 つまり現代先進国の姿ですな。
433 :
431 :2008/06/16(月) 03:06:36 0
それは人間は決して自立した個人なるものになれないこと、 人間の理性には限界があること、人間の欲望には際限がないこと、 そして人間は利己的で嫉妬深く性悪で残酷であることを意味する。 神の祝福よりも悪魔の誘惑に魅せられやすいのが人間の本性である。 人間はこの本性を決して変えることはできない。 多少の糊塗をすることによりうわべを飾ることはできるが結局は化粧だ。 その素顔までも変貌させることは決して叶わない。 こうした人間への絶望と己への不信こそが民主主義の下地になるべき精神である。 人間とその集合体である民衆の理性と絶対性を過信すればナチスドイツとなる。 彼らは己の行為の正義と真理を疑わなかった、己の行為は絶対であると信じた。 民主主義はえてしてこのような過ちが起こりうる。民衆の支持は絶対正義の授与ではないのだ。 「正義」や「善」を疑うべし。所詮は絶望的存在の人間がひり出した糞に過ぎん、と。
>>433 そんな哲学的な戯言はどうでもいい。
近代国家と民主主義の定義およぼ両者の関係性について述べてみな>坊や
民主主義 民衆の支持が絶対であるとする主義。 タテマエ上の原則は国民全員が意見を主張しあって討論し、 相手を納得させ自分が納得して最後は国民全員で決定する。 しかし誰もがそんな暇も知識もないので、現代では議会制度がほとんどで、 候補者はいかに民衆を騙すかにのみ腐心する。 近代国家 民衆の暖衣飽食のために機能する国家。 個人の尊重を謳うがその個人はあまり他人を尊重しない。
>>428 >精神的な自立性のないはずの日本
それは誤り。
帝国憲法でも思想・信条の自由や言論・出版の自由は制限付きではあれ認められているし、
すでに明治初年の段階で、福沢諭吉は「一身独立して一国独立す」(『学問のすすめ』)
というテーゼを掲げ、日本が近代国家として自立するためには、国民個々人の経済的、政治的、
そして精神的な自立が不可欠な条件であることを強調した。また明治10年代の自由民権運動でも、
個人の人権(主に参政権)は天賦のもの、つまり国家の定める法律(実定法)に拠らない自然法的
なものと主張された。
(
>>436 続き)
>>429-433 レスの要点がよくわからないけど、個人、自由、民主主義といった事柄について否定的であることはわかった。ただ近代国家の成立や政策といった歴史的レベルの問題と現在の国家や社会に見られる病理をゴッチャにしてるように見える。
>自由だの個人だのは本来近代国家には不要なもの
これは完全に誤り。
近代以前の国家は、共同体や身分集団を単位として統治を行っていたが、そうした集団を解体して、
その枠内にいた個人を自立させ、これを均質な国民として掌握するところに近代国家が成立した。
だからこそ近代国家は、義務教育制や国民皆兵制を一律に施行することが可能だった。
近代国家の基底には、個人の身体・生命・財産の不可侵性、つまりは個人の私的所有権の確立がある。
これは封建勢力を市民革命によって打倒した産業資本家の経済的自由(営業の自由)の要求が結実した
もので、これを土台としてその上に言論・出版の自由、結社の自由や参政権などの政治的自由が実現した。
(
>>437 続き)
>民主主義を支える精神、それは己を含めた人間への深い絶望である。
>>433 のような人間観に立って、上記のように考えるのはその人の勝手だけど・・・・。
近代国家が確立して産業資本を中心とした資本家層が支配階級となると、産業革命の進展にともない、
彼らに経済的に従属する多数の労働者階級が形成され、両者の対立が激化してくる。そして、これらの
労働者階級による労働条件改善や賃銀値上げなどの闘争は、経済的なレベルから次第に政治的な権利の
獲得・拡大を目指すものとなり、普通選挙権の要求運動のような民主主義運動としての性格を強めていく。
他方で議会内では政治結社としての政党が、資本家や地主、中小自営業や自作農、労働者や小作農といった
階級・階層をそれぞれの基盤として成立するようになり、やがて現在のような議会内での多数党が内閣を
構成するといった議院内閣制が出来上がる。
以上が多くの地域で見られる民主主義の大雑把な歴史的プロセスだろう。
これらの経緯で問題となるのは、近代国家が、一方で資本家と労働者といった階級(階層)的な分裂・
対立関係を内包した資本主義国家でありながら、他方では均質の国民というフィクションで構成される
国民国家でもあるという矛盾。資本主義国家(その中核は私的所有権)は経済的な側面であるが、国民
国家というのは政治的・法的な側面。前者が本質的ではあるが、後者を完全に虚構とすることも出来ない。
なぜなら、前者では国家=政治権力は支配階級の階級的な支配を実現する機構であるが、後者では支配階級
も被支配階級もともに政治的には平等な権利をもち、かつ数量的には被支配階級が多数派であるため、議会を
通じて支配階級の動向を制約する側面をもつから。民主主義が機能するのは、主として後者の側面において。
(
>>438 続き)
もし民主主義に不信や絶望が懐かれるとすれば、そうした制約機能がうまく作動してないからであり、民主主義の
理念と現実との間に大きな乖離が生じているためだろう。しかし、そうした理念と現実との二元性を前提に両者を
媒介していく(現実を変革して理念へと近づけていく)のは、人間の実践的な活動であり、丸山はそれを「永久革
命としての民主主義」と表現した。
最後に。民主主義は別に善でも正義でもない。また性善・性悪いずれの人間観とも関係ない。政治が「可能性の技
術の追求 」だとすれば、民主主義もひとつの技術に過ぎない。ただ民主主義のメリットを簡単に言えば、それは
「最悪の指導者が出ても社会の受けるダメージを最小限に抑え得る政治システム」という点に尽きるだろう。
> 近代以前の国家は、共同体や身分集団を単位として統治を行っていたが、 > そうした集団を解体して、 その枠内にいた個人を自立 させることによって、中間団体から引き離された剥き出しの「個人」らによる 多数者の専制(トクヴィル)が行われ、ナポレオンやヒトラーやムッソリーニが生まれた。
>440正確に言えば、身分や共同体を完全に破壊するとジャコバン独裁のような形になってしまいかねないが、 イギリスのように身分制が残存した場合や、アメリカのようにアソシエーションの伝統がある場合にはそうはならない。 また、自立した個人は自らの行為選択の責任に耐えなければならない。 従ってナチの下のドイツ国民は自立した個人とは言い切れない。 あと、上の方で散々筋違いのことを言ってる奴がいるけど、自立した個人というのは理念型だからね。 現実のフランス人だのアメリカ人だのを無批判に肯定するんじゃないからな。 あくまでもそうした理念を置いてそこと現実のギャップを認識し、 それをいかに埋めるかを不断に考える(それがまさに民主主義の永久革命)ための認識の道具が丸山における自立した個人や西洋近代だから。
442 :
考える名無しさん :2008/06/18(水) 01:12:11 0
>>441 >従ってナチの下のドイツ国民は自立した個人とは言い切れない。
なぜ?
ナチを選び、ナチに統率され、ナチのために戦い、ナチの罪悪を背負った当時のドイツ人のほうがよほど自己の責任で動いているだろう。
全部ナチに押し付けた戦後のドイツ人こそ自らの責任を放棄している。
443 :
考える名無しさん :2008/06/18(水) 01:15:12 0
>>436 >日本が近代国家として自立するためには、国民個々人の経済的、政治的、
>そして精神的な自立が不可欠な条件であることを強調した
自立するとは一体どういうことなのかね。なにから自立するのかね。
国家? 家族? 宗教?
444 :
考える名無しさん :2008/06/18(水) 01:22:26 0
>>437 では社会や国家に反逆する政治的自由は?
社会に害を与える自由を肯定した近代国家ってある?
人間の本性は怠惰で強欲で嫉妬深い。 誰もが自立した個人なるものに成りたくもないし、成りえない。 理念型だというが、そんなものは共産主義社会を夢見るのと同じだ。 自立した個人となった自分の姿でも想像してよだれ垂らしながらオナニーでもしてろ。
446 :
考える名無しさん :2008/06/18(水) 07:07:36 0
>>436 「一身独立して一国独立す」って、それ朱子学の修身斉家治国平天下じゃねえの?
個人がよく修まれば家がよくなり、家がよくなれば国が治まり、国が治まれば天下が平和になる、という思想。
だから社会をよくするにはまず個人がよくならなければならない。
これじゃ近代国家イコール儒教国家だw
447 :
考える名無しさん :2008/06/19(木) 09:17:54 0
近代主義とは儒教である。丸山は儒教信者である。 これでよろしいですか?
江戸時代、道学先生を茶化したりした日本の庶民文化が嫌いなんだよね
449 :
考える名無しさん :2008/06/20(金) 15:59:21 0
「人生の最大の楽しみとは、豆を噛んで古今の英雄を罵倒することだ」 by荻生徂徠先生
扇情的な書き方をするだけでおよそ言葉によって理性的に相互理解をしようという姿勢は感じられない… なんつうかそういう態度で物事を論じる人ってねぇ… 丸山の言説をろくに読んでないか、自分勝手に読んでるか知らないけど、 話にならないなぁ
未だ一文も読んだことがないわけだが。
452 :
考える名無しさん :2008/06/21(土) 07:47:17 0
近代には自立した個人が存在しない、と力説してる人は、 では近代の指標はなんだったというの? まさか近代も共同体社会だったわけじゃあないでしょw
あなた自分を自立した個人だと言えますか?
>>452 多分さあ、自立した個人を否定しているヤツは、最近流行の
コミュニタリアン(共同体主義者)か何かに共鳴していて、
それで丸山をリバタリアン(自由主義者)と思って批判してるんだよ。
人間は自立した個人には成りえない。誰も成りたいとも思わない。 理念型だと奉ってズリネタに使うがいい。
456 :
考える名無しさん :2008/06/22(日) 02:02:46 0
>>450 君だって相手の文章を理解しようと言う姿勢がないんだからお互い様じゃんw
457 :
考える名無しさん :2008/06/22(日) 02:04:03 0
>>454 じゃあ「自立した個人」とやらの素晴らしさを力説してくれよw
>>443 近代国家の形成以前は、国家と社会とが未分離で、国家は特定の身分集団(貴族とか武士)に
掌握されていた。近代国家は、この身分制を解体して、政治的国家と市民社会とを分離させた。
これにより、特定の身分集団に所属していた諸個人は、単一の国家を構成する国民として平等な
政治的権利を獲得する。これが政治的な自立。
また身分制社会の解体は、個別の身分=職業への固定から個人を解放し、職業選択の自由を確立
した。これが前レスでも指摘した経済的自由=営業の自由の具体的な在り方。
こうした経済的かつ政治的な自立を獲得した諸個人は、当然それに相応しい思想=自由主義や個
人主義思想を必要とすることになる。これが精神的な独立の中味。
>>444 国民の意思に従わない暴虐な政府に対して、これを実力(暴力)で倒してもよい、という点は、
例えば現在の米国憲法にも革命権として規定されている。その前提として人民の武装=銃器の
所持が基本的人権として定められている。
米国での銃器の規制問が厄介である背景にはこうした問題もある。
>>446 完全に勘違い。
福沢の「一身独立」の内容は、上でも述べたように職業選択の自由により、誰もがどんな職業にでも
就いて生計を立てていけること(経済的自立)を前提としている。
そして従来の幕藩体制では政治は専ら武士が担い、農工商の庶民は政治から排除されていたが、身分
制の解体以降は、誰でもが一国の政治を議論できる自由が与えられた。しかしこうした経済的・政治
的独立は、文盲で知識がなくては不可能だから、それを教育(学問)によって推進することが必要と
なる。だから本書は『学問のすすめ』と題されている。
ついでに言うと、上記の内容を実現する上で、福沢が最大の障害物とみたのが旧体制の支配思想である
「知足案分」「大義名分」的な儒学イデオロギーだった。福沢の明治初期の代表作(『学問のすすめ』
『文明論の概略』)が挙げて徳川期の儒学批判という内容となっている(どちらも岩波文庫にあるから
一読をおススメする)。
あと付言すると、明治の福沢の思想を戦後的な状況のなかで、改めて再構成しようとしたのが丸山の
言説の一面にあった。
個人を解放といってるところが独りよがりなんだよ オナニー大好きだな
>>458 もうさあ、個人の自立はありえないとか言ってるバカは
相手にしなくていいよ。
封建社会から近代社会への歴史についての常識的理解に
欠けてるんだから。
それより近代社会で個人が出てくるとして、日本の場合はそれが
西欧的なプロテスタンティズムの倫理に基礎づけられた禁欲的個人
とは違うガリガリ亡者的な個人ではなかったかという疑問がある。
現代の拝金主義的風潮もその延長線上にあるでしょう。
自立した個人ということも、ひとつ間違うと近代の美化に結びついて
それを批判する点に欠けるのではないかと思う。
丸山が近代主義者といわれるのも、そうした近代批判に甘かった点に
あるんじゃないかと思うんだけど。
王や貴族による専制が封建社会で 大衆による専制が近代社会
462 :
考える名無しさん :2008/06/22(日) 20:37:34 0
>>458 >完全に勘違い。
勘違い?
政治を学び自由に議論できる能力を身につけた個人がたくさんいれば社会はよくなる、だからみんな学問しろよ、というのが福沢の主張だよね。
でもさあ、それって「誠心を身につけた人間がたくさんいれば社会はよくなる」という朱子学の主張と一体何が違うわけ?
単に掲げるイデオロギーが変わっただけじゃん。
463 :
考える名無しさん :2008/06/23(月) 23:05:34 0
問題なのはその自立した個人が価値基準を持って善悪を判断し、間違いをおかしたときに きちんと責任を取れているのかどうか。
なんだか 痛い議論だなー
なんか高校生か下手すりゃ中二病みたいだな。 ちゃんといくらかの本人の著作読んで批判してるとは思えない。
466 :
考える名無しさん :2008/06/30(月) 10:51:26 0
でも国民とうのがフィクションであるならば、 自立した個人とかいうのもフィクションでしょ。
467 :
考える名無しさん :2008/06/30(月) 17:20:12 0
>>466 丸山はフィクションを否定したのか
図書館で調べたいので、丸山がなんていう本でそう言ってるか教えて
468 :
@東大 :2008/07/01(火) 19:10:45 0
レベル低すぎ… さよなら。
469 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 20:16:12 0
丸山センセたちは欧米の自立した個人とやらを崇拝して劣等な日本人に 「これを目指せ! でないとお前ら遅れたまま! 進歩しろ!」 と啓蒙してるわけだけど、欧米人の姿って全然魅力的に見えないんだけどね。 それを目指すとどんないいことがあるのかきちんと説明してよ。
470 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 21:35:57 0
俺ら日本人が欧米人に憧れたのはその強さと豊かさにであって、それ以外はいらないんだよね。 あんまり西欧の価値観を押し付けようとしないでくれる。
471 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 23:07:27 0
>丸山センセたちは欧米の自立した個人とやらを崇拝して 崇拝?丸山が「崇拝」してる箇所を示してくれ
472 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 23:41:47 O
473 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 00:12:32 0
>>472 ソースを示せないってことですね、了解しました
474 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 07:22:42 O
やれやれこれがゆとりってやつかね
475 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 15:05:49 0
確かに典拠なしで丸山にテキトーな文句をつける
>>469 みたいなレスがあるね。ゆとりだろうね。
自立した個人云々は具体的な西洋人一般を指すものではないし、 丸山が近代日本の批判的分析の指標に用い、また同時に戦後日本に目指すべき方向性を与えるために用いた西洋近代の理念は、 あくまでも理念である(丸山の著作読めば分かることだが、例えば『現代政治の思想と行動』の追記にもある)。 ただ丸山は別に自分のユートピアの世界で自慰してたわけじゃないく、 理念というのが容易には達成できないのを前提にしつつも、現実をよりよく変えていくためにそれを主張した。 …と理解してるんですが… byまだ丸山読み始めて半年の学部一年
477 :
考える名無しさん :2008/07/03(木) 10:37:24 0
>>471 自立した個人自立した個人とうるさいところかなw
ここにいる丸山支持者だって、
やたらと自立した個人になれとか日本には自立した個人はいないとか嘆いてるんだから、
ご本尊の丸山だって同じだろうさ。
478 :
考える名無しさん :2008/07/03(木) 10:38:48 0
>>476 だからなぜ「自立した個人」とやらが出現すれば社会はよくなるのかと。
その辺の説明が足りないから一般人にそっぽむかれたんじゃねえの?
亀レスですみませんが・・・・・。
>>460 禁欲的個人=西欧、ガリガリ亡者的個人=日本という図式は必ずしも妥当でないと思われ。
近代社会の原理は、身分制の解体にともない、政治的国家(政治的社会)と市民社会(本
来的な社会)とが分離し、それに応じて人権(諸個人の権利)も、公民権と市民権とに分
裂する。公民権が、政治的社会=政治的共同体に参加して国家の公共事を議論・決定する
政治的な権利であるのに対して、市民権は、社会において私的・営利的な活動の追求を擁
護する権利(自由・財産・平等など)。前者は政治社会=共同体の対等な構成員として公
共事に参与するという本来的な人間の在り方(≒禁欲的個人)であり、それに対して後者
は私利私欲の追求のために他者を手段として利用する人間の在り方(≒我利我利妄者的人)
を示している。つまり近代社会では、本来的に個人にこの両側面が共在している。
問題なのは、近代(現代)社会では、公民的な側面が一般的抽象的な存在へと極端に貶め
られ(政治への不信・無関心・無力感)、逆に市民的な側面が具体的現実的な存在として
顕揚されている点(カネを多く儲けた者が偉いという価値観の蔓延)。この状況が極端化
して拝金主義となってるのが現代世界や日本の状況。
丸山が強調した自立的個人というのは、上記の公民としての個人とその在り方に重点を置
き、それゆえ公民的な政治的諸権利を拡大・強化すべく民主主義を強調した。反対に個人
の欲望や私利の追求のみを不当に拡大する方向には抑止的であったと考えられる。
>>479 続き
>>462 朱子学(儒学)は、君臣間の忠や親子間の孝のように、人間の差別化に基づいた道徳体系
(五倫・五常など)であり、江戸時代においては、武士や百姓以下の諸身分にそれぞれ異
なる徳目を課すことで、身分制度を補強する役割を果たした。つまり儒学は道徳を主内容
とする治者の学問。
これに対し福沢の学問とは、経済・法律・数学・物理といった社会・自然科学などの知識
の体系(実学)のことであり、旧来の道徳(虚学)に代わってこうした西欧の学問・文化
の摂取が近代化の必要条件として、四民平等のもとで万人が学ぶべき事柄とされた。
>>479 の補足
近代社会が成立した当初、公民権はすべての国民に賦与されたわけではない。通常は、公
民たり得たのは家長たちのみで、妻・成年の子供や召仕たちは除外されていたし、納税額
による制限などもあった。この段階の民主主義は限定的なもので市民的民主主義と言われ
た(ここで市民とは一定の教養と財産のある階層を指す)。それが20世紀前半頃までには、
国民の多くの部分へと参政権が順次拡大されていき大衆民主主義へと変貌していく。
市民的民主主義段階の国家は、経済以下の社会的な活動はすべて社会の自由に任せ、防衛
・治安のみが主な管掌事項であった(夜警国家、自由主義段階の国家)。それが大衆民主
主義段階になると、国民各層の多様な諸要求を実現すべく国家機構を肥大化させて社会へ
の介入を強めていかざるをえなくなる(全体的国家、帝国主義段階の国家)。 しかし当
時の社会では、経営者と労働者間の対立など社会的な分裂・対立は様々な側面で激化して
おり、世界恐慌とも相俟って社会の不安定性は増大した。
ここに自由主義(資本主義)と社会主義の対立を止揚する新たな方向を主張して全体主義
(ファシズム)国家が台頭してくる。そこでは民主主義は衆愚政治として否定され、少数
のエリートによる大衆の指導というのが統治の骨格であり、ナショナリズムを動員して神
話的かつ非合理的な言説によって支配の正統化を図った。
丸山が戦中・戦後に直面したのは、そうしたファシズム国家の一形態である日本のウルト
ラナショナリズムであった。そこでは共産主義はもとより自由主義・民主主義・個人主義
という近代の所産はすべて否定され、天皇を中心とする原始的な記紀神話を実体化した非
合理主義的な言説体系が横溢していた。だからこうした動向と対峙すべく丸山は近代を擁
護する言説を主張し、戦後はそうしたウルトラナショナリズムの構造分析を展開した。
丸山の言説にある近代の問題も、上記の歴史的な条件を踏まえて評価する必要があろう。
みんな「個人析出のさまざまなパターン」ぐらい読もうな
>478自立した個人は一つには民主主義の実現のために掲げられた理想。 そして民主主義を実現することがよりよい社会の実現に寄与するというのは丸山の判断。 だから>478は「なぜ自立した個人が実現すれば社会がよくなるのか」とかきいてる時点で今までのレスをろくに読んでないのが丸わかり。 せめて質問の仕方が違ってればまだしも… ついでにいえばよりよい社会のために民主主義が必要なのか云々は価値観の問題だから議論の余地は大いにある。 要はそうして議論してよりよい社会の実現の方法を考えていかなければならないということ。 しかしこういうことが既に民主主義的な決定プロセスでもある。
484 :
考える名無しさん :2008/07/05(土) 18:02:12 0
じゃあ「自立した個人」というのはしょせんは手段に過ぎず、 目的さえ達成できればあろうがなかろうがどうでもよいものだということだね。
485 :
考える名無しさん :2008/07/05(土) 18:05:57 0
啓蒙する相手である一般人に無視されるようじゃ丸山の思想はダメダメじゃんw 人助けしようとしたら相手から拒否されるようなものでカッコ悪いことはなはだしい。 丸山の思想そのものの欠陥思想なのか丸山の語り掛けがヘボなのかどっち?
486 :
考える名無しさん :2008/07/05(土) 18:19:48 0
>>481 >そこでは共産主義はもとより自由主義・民主主義・個人主義
>という近代の所産はすべて否定され、天皇を中心とする原始的な記紀神話を実体化した非
>合理主義的な言説体系が横溢していた。
そんなの明治と大して変わらんだろ。
明治政府は民主主義的体制ではなかったし、家父長制の下で個人は否定されていたし、言論の自由なんてはなからなかった。
自由民権運動なるものはあったが、それらは自由でもなければ民権でもなかった。
単に利権と権力の配分を求めていただけだった。
欧米流の合理主義が通用したのは経済と軍事技術に関してだけじゃ。
487 :
考える名無しさん :2008/07/06(日) 19:51:19 0
>>485 そもそも丸山が市民にどこまで期待してたかというと微妙だけどな。60年代以降はとくにそう。
でないとトクヴィルにはまったりしないよ。
488 :
考える名無しさん :2008/07/12(土) 21:42:03 0
>479 もし一人一人自立した個人が国家や共同体を作っていくとするならば それを守るための軍隊が必要となるはず。丸山さんはなぜ軍隊を持つことに反対したの?
489 :
考える名無しさん :2008/07/12(土) 21:45:50 0
軍隊でいじめられたから
>>488 >もし一人一人自立した個人が国家や共同体を作っていくとするならば
これが達成できてたら賛成したんじゃね
491 :
考える名無しさん :2008/07/14(月) 03:07:11 0
丸山は大戦前・大戦中の国民の無知や不見識を嘆いてるけどさあ、 結局のところ丸山の思想なんてインテリにしか通用しない高価なオモチャでしかなかったんだろ。 江戸時代、武士道や儒教倫理が武士階級にしか通用しないものだったのとどんな違いがあるというのだね。
日本ファシズムの担い手は商店主や学校教師などの 「亜インテリ層」です なんて言ったのが批判されたよな まあ当たってる部分もあるんだろうけど 吉本などの「庶民派」からは叩かれやすかったんだろうね
494 :
考える名無しさん :2008/07/14(月) 20:53:32 0
>>491 じゃあなんで丸山思想を支持する一般人が主流にならないんだよ。
495 :
考える名無しさん :2008/07/14(月) 20:54:07 0
496 :
考える名無しさん :2008/07/14(月) 21:03:26 0
丸山を読むことすらなくただ煽るだけのやつにいちいち反応しすぎw
>>491 大衆批判の面もあるけど、基本的には支配層の分析をしてるでしょ
『日本政治思想史研究』も徳川封建制を支えていた儒教倫理の崩壊過程を描いてるわけで
まあ本当に朱子学が当時それほど公的なイデオロギー足りえていたのかについては
溝口雄三をはじめ色々と批判はあるわけだけど、いずれにせよ、基本的に丸山の分析視角は
ルーラーに向けられていたんじゃないかな?「超国家主義の論理と心理」はちょっと別だけど
498 :
考える名無しさん :2008/07/21(月) 09:57:14 0
>>493 吉本の自称庶民派というのも胡散臭い。
ましてそれをマンセーしてる連中も。
思想といえるものがあるのは、本質的には支配層のみだ。
大衆に思想なぞない。時の政府のプロパガンダを素直に鵜呑みするだけ。
だって今だってまったく同じじゃんw
>>494 丸山がいつ自分の思想を一般人の主流にしようとしたんだw
政治思想史の世界でも丸山はもう主流じゃないのに
500 :
考える名無しさん :2008/07/24(木) 08:45:43 0
華麗に500をGET。
>498丸山自身が思想という場合、必ずしも体系的な思想だけを指す訳じゃないよ。 思惟様式とかエトスとか言われるものも含む広い意味だよ。 丸山講義録の1949年の冒頭に思想史の対象と方法云々を語った箇所があって、そこで言われてる。 思想という言葉の意味を思想家の思想とし機械的に考えすぎるのはあまりよくない。
502 :
考える名無しさん :2008/08/07(木) 13:05:36 O
丸山真男は国民を冷酷に二分する差別意識の権化である。 谷沢永一
503 :
考える名無しさん :2008/08/07(木) 13:16:12 O
賢明な丸山真男は、日本国民をいくら罵倒しても害がないから安心だけど、 東京裁判やその背後の進駐軍に楯ついたらどんなに危険な運命が待っているか十分に心得ていた。 谷沢永一
谷沢そんな仕事でいいのかよ・・・orz
507 :
考える名無しさん :2008/08/11(月) 01:44:26 0
>>503 聖徳太子はいませんでしたとほざいている谷沢永一の方が
日本人や日本の歴史を冒涜していると思う。
谷沢さんはいろいろと不安定な方なので お察しください
谷沢なんて、どうせ「成り上がり」じゃろうが
510 :
考える名無しさん :2008/08/12(火) 23:59:33 0
今年もまもなく丸山の十四回忌が来るな。 八・一五革命伝説の創始者の命日が、よりにもよって八月十五日というのは、 あまりにも出来すぎたというか、宿命的なことだと思う。
511 :
酒たまねぎや :2008/08/14(木) 17:18:49 0
丸山眞男について 谷沢氏は東大でおこなわれた丸山氏のこの講演について <日本社会の中堅層をここまで軽蔑して、見下して、踏みつけにして、 悪しざまに罵った文献は史上最初の出現ですから、日本人による日本国 民への徹底した罵倒として、外国人の立場からまことに、まことに興味 ぶかく多くの人の手から手へ読みまわされたことでありましょう。>と 著書「悪魔の思想」に書いています。・p八六 丸山氏自身がその著書「現在政治の思想と行動」の執筆動機について、みずからの回想として <私は日本社会の恥部をあばこうと試みている>「後衛の位置から」p一〇 と自認しています。 「論座」に松本昌次氏が絶賛していた丸山眞男氏についての「丸山さん はそうではなくて、いかなる場合も、広く深い学問的・時代的経験に立 って、全人格的といいますか、全身体的といいますか、持てるものすべ てを出しきって、書く主題とわたりあうようにして書かれているように 思います。」という言葉が非榾空しく響きます。
谷沢をさらし者にするのはやめてくれ!
谷沢某など丸山に比べればただのチンピラにすぎない。
514 :
考える名無しさん :2008/08/15(金) 22:36:12 0
だから谷沢はしかたないんだって。そっとしといてやってくれ。
516 :
考える名無しさん :2008/08/17(日) 01:42:53 0
自立した個人というのを考える上で大事なのは、その自立した個人というのがどこからでてくるのかと いう点にある。 西欧において自立した個人が出てきたと言われているのは、プロテスタントがベースにあって、救済の予定説によって孤独感を持つ孤立(自立)した 個人というのがまずある。 近代的な個人というのは、キリスト教プロテスタントの宗教的な規範のなかから生まれたと言っていい。 キリスト教が国教ではない日本において、自らの価値基準で善悪を判断できる自立した個人というのはむずかしい。
517 :
考える名無しさん :2008/08/17(日) 03:15:23 0
\ )ヽ_人ノ、,、ノヽ /( / ヽ`ヽノ ∩___∩ ヽ_ノ( _ノ(ヽ、. | ノ ヽ /) \_ )(((i ) / (゚) (゚) | ( i))) ( //∠彡 ( _●_) |_ゝ \'\ ( ___、 |∪| ,__ ) 聖徳太子はいなかったw | ヽノ /´
518 :
酒たまねぎや :2008/08/18(月) 17:21:10 0
自覚なしか・・・・ 谷沢も残念なファンをもって気の毒なこった
520 :
考える名無しさん :2008/08/24(日) 00:39:09 0
丸山の話文集第二巻が出たね。 さっそく買って読んでみたよ。 内容的には重複する部分もあったけど、わかりやすくておもしろかった。 巻末の最後の対談でニーチェの位置づけが議論されていた。 対談者のひとりである山之内靖氏は、20世紀社会科学のニーチェの影響力に ついて強調してたけど、丸山からすればニーチェというのは旧制高校時代の 主要な読書遍歴のひとつだったとして対応している。 ニーチェは文学者としての側面が強いから、正統派の社会科学者からすれば 従来あまり問題とされなかったのは確かだろうけど、それは精読していない ということとは別なんだなと改めて思った。
521 :
考える名無しさん :2008/08/24(日) 00:50:36 0
ニーチェ → マックスウエーバー → 丸山真男 というラインは ある。 そこに流れるのは騎士道・武士道というエートスであるが、 丸山の場合「大衆・衆愚」への屈折したものがある。
>>521 >丸山の場合「大衆・衆愚」への屈折したものがある。
丸山に「大衆・衆愚」に対する「屈折」ってあるのかなぁ
端から大して期待もしてないような気が
523 :
考える名無しさん :2008/08/24(日) 09:15:36 O
結局一度は基督教を通過しないと駄目なのかなあ。 私が中高生ぐらいの時は、皆の行動のバックグラウンドになんらかの一皮ムケタ成熟があると卑屈に思考停止してたけど、 ただの世間空気を読むのに必死な衆愚だった訳だし。 公共にアクセス出来るツールは揃いつつあるけど、公共の実態が金満家に奉仕する事じゃなあ… じゃあ仏教というと逃避かそうじゃない法華は自己省察無しにのぼせ上がるし。 天皇がマジマジと語られてたのも最近だし、保守が根幹から屑であって島国根性が同一性の根拠つーのがなんとも…
>>522 とりあえず、
丸山が育った四谷は山の手と下町の猥雑さが同居する空間だったらしいですけどね。
>>524 苅部の解釈もどうかなあ
夏休みには軽井沢に避暑しちゃうような家庭でしょ
実際には近所付き合いなんかなかったんじゃない?
いやー、家族付き合いがあればまた印象も変わるでしょう。 肩をいからしたやーさんが近所に居て、祭の熱気は感じつつもそれに参加せず、 それを横目に見る感じのイメージでしょ。 本人の語り本にはもっと詳しいことが書かれているのかもしれないが・・ 右翼は実際に家に出入りしていたとか苅部さんのに書いてあった。 それと、「期待」とはまた別だと思う。 自分の言説が浸透してほしいと考えてはいても、 吉本だの谷沢だのの思想が大衆側にあってしかもそのヘゲモニーが大きいという状況だったろうし・
そういう環境がどう丸山に影響したかというのは、論証しづらかろう
論証できるなら誰かがすでにやってそうだしね
結局自分の現実政治へのコミットした政治思想史のやり方に限界を感じて日本政治思想史に専念したのかな? 丸山がやらなくても現代政治学を担う人材が育ってきた。 日本政治思想史をやる方手間ではやれないほど現代政治学が先端的な分野になってしまった。 自分が現代政治学に挫折した。 色々言われてて、実際にはこれらを総合して夜店撤退に至ったんだろうけど、 丸山レベルの学者なら何とか踏み止まってほしかったなあ
>>530 政治学というか、現代政治評論から撤退したという感じだな
元々、狭義の政治学については、1960年の講義を除いては余り取り組んでいた形跡はない
ジャーナリズムからの撤退については、1960年代以降、近代主義対マルクス主義という
戦後初期の対立図式も消えて、啓蒙すべき大衆も現実の経済成長のなかでそれなりに
充足してしまったという背景もあったと思う
1960年代以降の在外研究期間などを経て、もう少し長いスパンで政治思想を研究する
必要を感じた結果、古層論などの原理的な問題を扱うようになっていったんじゃないかな
>>530 >丸山がやらなくても現代政治学を担う人材が育ってきた。
>日本政治思想史をやる方手間ではやれないほど現代政治学が先端的な分野になってしまった。
>自分が現代政治学に挫折した。
『現代政治の思想と行動』第三部の追記に、そういう趣旨のことが書いてある(三行目にあたる箇所はおそらく韜晦だろうが)
もっとも、日本思想史に専念したかったというのも本音ではあったのだろうけど
533 :
考える名無しさん :2008/08/31(日) 19:48:51 0
丸山の大衆理解を考える場合には、生育環境だけでなく軍隊経験も重視 すべきだと思う。 学歴から言えば、一中→一高→東大→助手というエリートコースだけど、 軍隊では大半が小卒出の上官や同僚と一緒に生活してたわけだから。 そこでの大衆と日常的に接してた経験の意味は大きいと思う。 社会での階層制が軍隊内ではまったく異質の階層制に転換するから、 東大助教授も軍隊内ではただの最下級の二等兵として扱われてイジメや シゴキの対象となる。 戦後の「超国家主義の論理と心理」のなかには、そうした経験が色濃く 反映していると思う。
>>533 >戦後の「超国家主義の論理と心理」のなかには、そうした経験が色濃く
>反映していると思う。
どのあたりの記述がそうだと思う?
535 :
331 :2008/09/03(水) 04:17:19 0
>>535 小田村は、おととし出た『思想』の丸山特集の苅部論文に少しでてくるね
丸山とは一中時代の同級生で、一時は仲良かったそうだが
537 :
考える名無しさん :2008/09/04(木) 14:33:56 O
賢明な丸山真男は、日本国民をいくら罵倒しても害がないから安心だけど、 東京裁判やその背後の進駐軍に楯ついたらどんなに危険な運命が待っているか十分に心得ていた。 谷沢永一
何言ってんだ
丸山だって、
>>537 や谷沢みたいな気の毒な人に絡まれるという害を蒙ってるじゃないか
539 :
考える名無しさん :2008/09/05(金) 20:19:19 0
>>533 で、結局「と思う」で終わり?
具体的に論証してみろよ
540 :
酒たまねぎや :2008/09/20(土) 19:03:05 0
いざその事態になった時、日本人は逃げると思いますか? 確かに戦後、日本人は腰抜けになりました。 でも、気概を一人でも見せたら、絶対に立ち上がるのが日本民族です。 アノ太平洋戦争で雄雄しく戦って、世界最強の米軍を心底震えあがらせたのは、 紛れも無く日本人です。 命を捨てて、子孫繁栄を望み、わが身を捨てて戦ったカミカゼは、世界の英雄として、 今も尊敬されています。 ある米軍高官は言いましたね。 色んな武器、兵器、兵士はどこの国でも作れるが、カミカゼの勇士は 日本人以外では無理だ。と。 自分も特別国家公務員として勤務した経験ありますが、もし老骨で役立つなら、 即座に爆弾抱いて国に殉ずる気持ちはあります。 チガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーーーーウ
その爆弾の中身を全て むっちゃうまいモスバーガーにしてしまえば、無問題。
話文集2が出てたね。 早稲田のゼミナールが丸山を読んだ時の記録があった。 慶応のは既に川原の著者に収録されてたけど、 早稲田のは見たことなかったから嬉しい。 やっぱり丸山と早稲田くらいじゃ厚い壁があるけど、 昔の先輩たちが丸山と共にゼミをやったなんて羨ましいな。
543 :
考える名無しさん :2008/10/15(水) 21:08:39 0
先日とある本屋に行ったら、現代思想の丸山特集号が 普通に売られてた。(一体何年前の雑誌なんだ??) もちろん即ゲット。 これ読むと、丸山への批判は、常に理念型として語られる「西洋近代」 に対しての”特殊”日本の分析の中に、実は自ら「日本的なるモノ」を 作り上げてしまっていると言うことに集中してる観あり。 このあたりは葛西弘隆の「丸山真男の日本」という論文にも出てる。 読んだら目からウロコぼろぼろ落ちた!
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545 :
考える名無しさん :2008/11/01(土) 20:34:47 0
加藤尚武の「進歩の思想 成熟の思想」を紹介してくれた人 ありがとう。丸山真男の正体がよくわかった。 結論、まだ丸山真男を読んでいない人は読む必要はない。
>545なんでもそうだけど、なるべく原典にあたれよ。 全ての分野で原典全てにあたるのは無理だけど、 ある人の思想を概説した本の内容が正しいのかは自分で原典に当たらなきゃわからんだろ… 少なくとも読まずに他人の論評読んでわかった気になるやつほど薄っぺらいものはないぞ
547 :
545 :2008/11/10(月) 14:45:42 0
545です。 読み返してみると、545は意味不明ですね。 まだ丸山真男を読んでいない人には、丸山真男の本を読む価値は ないということです。 546さんへ 私は丸山真男の本を読んでいて、納得できなかったので 加藤の本を読んで助かったと言うことです。 丸山真男の本を読むことをすすめる人がいますが どこにその価値があると考えているのでしょうか。
>547 あなたを攻撃する気はないと断った上でいいますが、 読まずに価値を決めるなっていったのは、 あなたが「読んでない人は読む価値ない」と言ったからです。 つまり、あなた含めて(結果としてあなたは読んでいたので除外されますが)まだ読んでない人に対して、 「自分で読んでから価値があるか自分で判断すべき」といったんですよ。 読みもせずに>547に言われたから丸山=無価値というのは短絡的すぎるだろうということです。
549 :
考える名無しさん :2008/11/14(金) 01:26:09 0
>>545 >>547 原典を読まずに、その解説書や批判書を読んでわかったつもりになるのは
最悪の思想理解の方法。
批判したいなら、他者の智恵を借りずに、テクストから自分の問題関心と
読みとを対置して行うべし。
学問に安直な近道はない。峻厳な山を自力で一歩一歩登ることでしか頂上
にたどり着く道はない。これが哲学=思想へのアプローチの王道。
550 :
考える名無しさん :2008/11/16(日) 11:12:56 0
>547 こんなのスルー。 そもそも自分で価値ないって判断したんでしょ? なんでまたそのアナタに丸山の価値を説明する必要があるのか 分からない。 反論すると待ってましたとばかり、水掛け論が始まるんでしょ? このスレの始めの頃のやりとりと同じ展開になるのが、目に見えてる。 少なくとも歴史はナラティヴだという共通理解が欲しい。
>自ら「日本的なるモノ」を作り上げてしまっている それって日本の大学っていう特殊環境すべてのことでしょ。 日本的なるモノがこれほど残っている場所も珍しい・・
552 :
考える名無しさん :2008/11/16(日) 18:46:40 0
>551 そういう見方もアリだけど、いわゆる「古層」論が念頭に・・・。
日本政治思想史の研究者が妙に少ないと思っていたが、
こういう事情があったのね。
390 :法の下の名無し:2008/10/26(日) 01:03:31 ID:9IGBps8H
>>383 福田歓一は、佐々木毅とは比較にならない程、政治学史での業績もあるし、
何しろ博覧強記の学者。
本や風説等を通じてしか知らないが、東京大学法学部での講義は、単位取得すら
難しかったとさえ言われる。人気では、東洋政治思想史を担当する丸山真男の方が
人気があり、単位取得も比較的楽だったとか。
『政治学史』は、名著として今もその意義は色褪せていない。
法学部25番教室を埋めた受講者の中で、最終的に試験を受けて無事単位取得がかなった者は
二桁もいかなかった、と伝説になっている。
非常に厳しい学者であったが、助手を一切採用しなかった丸山教授と違って、助手を何人か採用
するにはしたようだ。
篠原一も助手を採ったようだけども。
あの頃の東大法学部政治コースのスタッフは凄い面々。それに比べて今はかなり小粒になっている。
東大法学部政治コース出身の政治家で、まともな人物はいますか。 自民党の大村などしか思い出せませんが。 当時のスタッフがすごい面々であっても 東大法学部政治コースの教育の成果は何なのでしょうか。
>554一方で、学問はが書斎の享楽ではなく大袈裟な言い方をすれば社会(広義の世界)を変革を任務とするのだから、そういう批判もあるでしょう。 でも、なんだかやっぱりあなたみたいな短絡的な批判を私は好かないな。
>>554 政治コースの出身者=政治家予備軍というわけでもないでしょ。
特に東大では現実の政治現象よりも、原理的=学問的な内容が中心だろうから。
実践家=政治家は、別に政治学を勉強しなくてもなれる。
というかそういう場合の方がノーマルだろ。理論より経験がモノを言う世界だし。
竹内洋 丸山眞男の時代 中公新書 は、当時の時代背景がよくわかって、有益だと思う。
みすず書房から『丸山眞男話文集』3が届いた。 今回のは、丸山の専攻である江戸儒学の山崎闇斎についての 学士院での講演報告以下を収載してる。
559 :
考える名無しさん :2008/11/22(土) 20:12:30 0
副島隆彦「日本の秘密」 最近の、この十年間の吉本、とりわけ最近の五年間の吉本からは離れてしまった。もういい加減、書くのは やめてくれ。「あなたの書くものは、もはや読むにたえないよ」と感じていた。この八月初めに吉本が西伊豆 の海で、海水浴の最中に溺れて、死にかけたという事件があった。あのときにも、私は驚かなかった。 自殺ではないのか、と疑念が起こったぐらいのものだ。編集者のO氏に連れられて病院まで見舞いに行ったが、 面会謝絶で会えなかった。もういいよ、もう吉本の本は読まなくていい、という気持ちだ。同じく丸山の本に してもそうだ。もう読む必要はない。知識と情報としてももはや、何の足しにもならない。それよりは、 アメリカとイギリスの政治評論雑誌に載る向うの一流どころの知識人の英字評論文をコツコツ読む方が、ずっと 為になる。日本の知識人や学者の書く文章など、読む必要などない。 (中略) 私は、長い間考えた末に、日本のようなアジアのはずれの国に、世界に先駆ける何か新しい優れた大思想など 生まれることは、ありえないのだ、という結論に到達した。三十歳ぐらいの時である。イギリス、フランス、 アメリカでまだ実現していないものが、日本ごときで実現するはずがないのだ。私は、人間社会のあり方に 於いて、こういう進化論者(時間進歩主義者)である。日本の知識人がやること、考えること、書くことなんか、 全て、一切合切、輸入学問であり、欧米知識人の猿真似である。そうでしかありえない。 奈良。平安時代も室町時代も江戸時代も、ずっとそうであった。ずっと歴代中華帝国で栄えた思想・宗教の 輸入学問であった。私にとって、これは、もう確信だ。 日本の伝統―それは、文化の劣性遺伝子だ、と吉本隆明が書いていた。あの頃の吉本だったら、 私は今でも信じている。
560 :
考える名無しさん :2008/11/23(日) 16:09:48 0
吉本はちょっとなあ。 丸山のレベルには達していないから。
561 :
考える名無しさん :2008/12/09(火) 20:55:19 0
大澤真幸が戦後の思想空間の中で、丸山真男のファシズム論について 否定的なことを少し書いていますが、丸山真男についてちゃんと論じている 大澤の論文はありますか。 保守上げ
>>561 >丸山真男のファシズム論について否定的なこと
どんな内容だろ。
丸山も実はファシズムの片棒を担いだというようなことかな。
そんなドラマティックなことならおもしろいのですか、 あいまいな表現で、丸山のファシズム論には賛成できないような ことが書いてあるだけです。 それにしても最近の若い学者はだめですね。 だれか若くて面白い学者がいますか。
564 :
考える名無しさん :2008/12/20(土) 01:40:33 0
>>557 >竹内洋 丸山眞男の時代 中公新書
たしかにその本は面白くはあるんだけどね。
ただ丸山と思想的に正反対に位置する簑田胸喜を中心に分析してるのは
妥当だろうか。丸山にとっての国粋主義の脅威の源泉という点では確かに
関係のある人物だけど。
実際のところは、簑田のような狂信的右翼もごく少数なら、丸山のような
ハッキリと戦争反対だった自由主義者も少数だったと思う。
要するに知識人の多数派は、どっちつかずのまま、何となく大勢迎合的に
ダラダラと政府翼賛的な姿勢に傾斜していったんだと思う。
その辺の事情を、当時の思想や世論の動向との関わりで示してくれること
を期待していたので、若干肩すかしを喰った気もした。
565 :
557 :2008/12/20(土) 07:12:32 0
557を書いたのは私です。 箕田のことを知らなかったので、読んだときはおもしろかったが 撤回します。 サブタイトルの大学・知識人・ジャーナリズム は、ただの宣伝ですね。 思想を持っていない人が思想を語ると、つまらないですね。
566 :
考える名無しさん :2008/12/21(日) 15:17:37 0
日本の将来を考えるなら民主主義教育をすべき
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1229148881/ 政治板のスレです
丸山は民主主義というものは、人民が本来制度の自己目的化−物神化−を
不断に警戒し、制度の現実の働き方を絶えず監視し批判する姿勢によって、
はじめて生きたものとなり得るのです。それは民主主義という名の制度自体に
ついてなによりあてはまる。
つまり自由と同じように民主主義も、不断の民主化によって辛うじて民主主義で
ありうる。 国民の自由に関して、国民は「日々自由になろうとすることによって、
はじめて自由でありうる」こと、その自由は「政治秩序に絶えず立ち向かおうと
する精神」と言ってます。
丸山真男は、政治のシロウトが政治の関心をもたなければ真の民主主義は
なりたたないという。
そのために
学校教育において民主主義教育(従来のような詰め込みでは
なく、議論したり論文を書かせたり、テストも丸暗記で対応できない
ような論文形式)を行うような教育をすべきです。
同じように思われた方はどのような方法で何をまず教えるかなど
上のスレにぜひ書き込みをお願いします
567 :
考える名無しさん :2009/01/03(土) 15:19:41 0
>>566 >丸山真男は、政治のシロウトが政治の関心をもたなければ真の民主主義は
>なりたたない。
丸山が常々語ってた、政治に必要なのは、非政治的領域から発せられる政治的
発言を重視する、ということと同じだろうな。
ただポスト丸山世代(藤田省三や小田実)などは、それを更に進めて、シロウト
の政治や直接民主主義による、ラディカルな市民運動というのを構想した。
現在では、彼らと丸山は大枠では、いわゆる”左翼的”と括られて、その差異
はあまりハッキリと指摘されないようだけど、かなり世代的なギャップがある。
戦中世代の丸山は、あくまで戦後民主主義の理念を堅持したけど、それに後続
する戦後派は、そうした戦後民主主義の在り方に一定の疑問や批判をもって、
それに代わる新しい民主主義的な在り方を主張しようとした。
吉本などに代表される”戦後民主主義の虚妄”という批判もそのひとつだし、
それに対して丸山が”大日本帝国の実在よりも、戦後民主主義の虚妄に賭ける”
と切り返したのも、両者の世代的な対立による議論の分岐が背景にある。
568 :
耳寄情報-あのスキゾ・キッヅは今・・・・・ :2009/01/10(土) 22:54:27 0
浅田彰氏が京大辞職 京都造形芸術大の大学院長
2008年05月31日 20:10
京都造形芸術大の大学院長に就任が決まり、記者会見する浅田彰氏=1日午後、京都市左京区
京都造形芸術大(京都市)は1日、高階秀爾大学院長の任期満了に伴い、後任に批評家の浅田彰氏(51)が
同日付で就任したと発表した。浅田氏は1989年から京都大経済研究所の准教授(助教授)を務めていたが、3月31日付で退職した。
浅田氏は83年発表の「構造と力」がベストセラーとなり、当時「ニューアカデミズムの旗手」として話題を呼んだ。
京都造形芸術大によると、任期は2年で、教授職を兼務。芸術学部で週1回の講義を受け持つほか、大学院でゼミや演習などを行う。
京都市内で記者会見した浅田氏は「京大では研究に専念でき、恵まれた時を過ごした」と振り返り、「芸術哲学を打ち立てたい。
ニューアカデミズムを知らない白紙の人たちに直球を投げるのが楽しみ」と抱負を述べた。
タレントで俳優の松尾貴史氏(47)も1日付で京都造形芸術大の准教授に就任。演技などを指導するという。
http://qnet.nishinippon.co.jp/entertainment/showbiz/20080401/20080401_0009.shtml
569 :
考える名無しさん :2009/01/27(火) 16:35:08 0
>>568 >京都大経済研究所の准教授(助教授)を務めていたが、3月31日付で
>退職した。
浅田はとうとう京大では教授になれなかったんだな。
まあ、それで京都造形芸術大の教授&大学院長に引き抜かれたワケか。
何かウラに複雑な事情が介在していそうだな。
570 :
考える名無しさん :2009/01/31(土) 11:27:57 0
>>570 浅田は年齢的に言えば、教授になっててもおかしくないからな。
京大では助手時代に有名人になったから、いろいろとあったんだろ。
専門外のことにも随分熱心に入れ込んでたし。
で、結局教授にはなれそうもないんで、よそからの引き抜きにのったんだろ。
571 :
考える名無しさん :2009/02/01(日) 00:53:49 0
高校二年です。低レベルな質問をしたいのですが、 丸山は民主主義について、非政治的市民の政治的関心によって、 或いは「政界」以外の領域からの政治的発言と行動によってはじめて支えられると言っていますが、 丸山は今の民主主義の現状を見てどう考えるでしょうか? 僕の私見ですが、マスコミと衆愚化の悪循環は絶望さえ感じさせるもので、 正確な政治的意見を述べることができる市民は非常に限られていると考えます。 よって、選挙の投票率の低下が問題視されますが、個人的な意見では、 フィクショナルな意見を持つ市民のみが投票すればいいのであって、 付和雷同型のシロウトが投票することは控えてほしいとさえ思います。 いまのどこが民主主義国家ですか、選挙時に裁判官の国民審査で明確な意見を持って丸罰つける人間いますか?趣味囲碁とか書いてるんですよあいつらって。 そんで主な判例は省略ですし。ほぼスルーじゃないですか。何が三権分立だよ、と。 自分の首を自分で絞めて、責任は社会にあるなんて言う輩が多過ぎです。 丸山は、いまの状況をもっても、シロウトからの意見が民主主義を支えていくと言うでしょうか。それが質問です。 お粗末な文章ですみません。 貴重なご意見お願いします。
あなたの考え方は、愚民主義といいいます。 丸山は、現実の問題については何も説明しません。 説明できません。
573 :
考える名無しさん :2009/02/02(月) 22:22:46 0
>>572 可哀相なこと言うね。
現代へと応用できないのか、丸山の考えは未来に活かせないのか。
>>571 現代日本人が、
健全な民主主義を支える理想の市民でないことに、
怒り、あきれ、絶望してはるかもね。
でも、そんな理想的な市民は欧米にも大して居ないと思うけど。
しかし、民主主義が健全で賢明じゃなきゃいけないかっていうと、
そんなことはないでしょ。そうであれば望ましいには違いないけどさ。
賢明に行使されてるかどうかはともかく、投票権があることで、
政治家が国民の福利厚生を気にするインセンティブになってるし、
政府が悪政や失政をした場合に、それを選んだ国民の自己責任といいうる。
さらに、政権交代の際に内乱が起きないし、勝者の正当性も確保される。
途上国を見ると、それだってなかなか出来ないことだよ。
蛇足だけど、三権分立への批判は的はずれですな。
>>571 >丸山は今の民主主義の現状を見てどう考えるでしょうか?
丸山は、すでに今日の民主主義の現状、つまり大衆社会のもとでの民主主義
(大衆民主主義)の病理については、60年代以降の高度成長期の政治状況に
そうした点を見て一貫して指摘していた。
だから丸山の目から見れば60年代も現在もあまり変わっていないと思う。
大衆民主主義が、マスコミの”世論”なるものや、一部の政治家や知識人の
"煽動"によって、衆愚政治に転落する側面についても多くのことを指摘して
いる。
丸山は、政治をプロに一任せず、一般大衆が選挙の時だけでなく日常的に
政治的関心や行動を通じて政治をチェックする重要性を述べたのも、上の
衆愚政治へ転落することを防止するためのひとつの対抗策だと思う。
>>575 生前に公刊されていない『自己内対話』を出すのもこの板では外道かもしれないが、
自民党と民主党の二者択一を国民に迫ったんだろうね。
今回の選挙で共産党に投票するのは、自分での政策選択を放棄するに等しいから。
当時、ノンセクトラディカルとか新左翼とかを拒否して、
共産党への支持をもっとも望ましい政治的態度だと考えていたのと同じ理由で。
政治のプロの存在価値は積極的に認めていた。
というか、民主党から参議院議長になっている江田五月は、丸山ゼミの出身だったか。
577 :
考える名無しさん :2009/02/08(日) 23:05:49 0
>>574 フィクショナルな意見を持ちえる市民のみが投票する。
政治家はごまかしがきかなくなる。
よってそれが十二分なインセンティブになる。
政治よくなる。
マスコミと衆愚民だけが廃れていく。
焦る。
自主的に動くようになる。
下からの民主主義が生まれる。
世の中万々歳。
578 :
考える名無しさん :2009/02/08(日) 23:33:31 0
「日本人はデモクラシー(Democracy)なるものを、「民主主義」などと言う気持ち悪い言葉に訳して、 それで分ったつもりになっている。何故「デーモス・クラティアDemos-kratia]が「民主」の「主義」などであろうか。 「デーモス」とは、民衆、貧乏人大衆、の事である。クラティアとは、制度・体制・支配(オーダー)の事である。 ゆえに本当は、デモクラシーは「代議制民主政体」(民主制)と訳さなくてはいけない。 すなわち、国民の大多数である貧乏人大衆(ピープル)が自分達の代表を選び、その者達に権力(パウア)を握らせる 政治体制、の事である。 このデモクラシーの定義さえも理解できないのなら、一切のエラソーな事を言うのを、自ら停止せよ。 だから、民主政もまた、冷酷な支配体制(政治体制)の一種なのであって、「無条件にすばらしい」ことなど全くないのだ。 副島隆彦「ハリウッドで政治思想を読む」P85から引用
>>577 >
>>574 > フィクショナルな意見を持ちえる市民のみが投票する。
> :
それでうまくかもしれんが、それだと、
「単なる棄権票」と、
「よく分からないから分かる人に委任します票」を
分ける制度でないと不味い気がするな。
前者は民主制に参加してないので、民主制の正当性を掘り崩す存在。
(例えば、憲法改正の国民投票の投票率が10%だったらどうする?)
でも、後者は、民主制に参加し、その結果を受け入れることを表明しつつ、
他の人に任せると言ってるわけで。
(非拘束式名簿比例代表で、政党名で投票した票が、
上位得票者に案分されるのに似てる)
・・・でも、「よく分からないから分かる人に委任します票」を出すために
わざわざ投票所に足運ばないわな。
家で寝るか遊びに行くわ。
>>571 >マスコミと衆愚化の悪循環は絶望さえ感じさせるもので、正確な政治的意見を
>述べることができる市民は非常に限られている
この点は丸山も同じことを考え、そしてある程度は絶望していたと思う。
にもかかわらず、そうした絶望を前提にしつつも、敢えて丸山はいくつもの提言
をしていたのだと思う。
特に政治参加をいわゆる「専門家」や「見識ある階層」のみに限定しようとする
傾向に対しては、政治のオートクラシー(権威主義化)を招くとして反対だった。
確かに権威主義的政治も、状況次第では衆愚政治よりも遙かに勝る結果をなし得る
場合が少なくない。
しかし、それは政治権力が本来的にもつ悪魔性への自覚が乏しく、その発現(権力の
独占や腐敗)を抑えることが出来ない、という点で決定的に民主主義に劣る。
政治的判断についても、それは best より better な選択をというよりは、むしろ
worst より worse をという、つまり所詮は悪さ加減の少ないものへの選択でしか
ない。そうした中で trial & error を繰り返しながら、徐々に諸個人の政治能力を
陶冶していく点に、(独裁制や寡頭制とは異なる)民主主義の意義がある。
>>580 の訂正:
「政治的判断についても、それは」 →「政治的判断というのは」
『現代政治の思想と行動』と『日本の思想』の第T・U章部分、どちらの方が難解でしょうか・・・ 日本の思想の前半は自分にとって非常に難解で、ここの方々の討論を読んでやっと理解できるレウ゛ェルでした・・・。
よまなくてもいいよ。どうして読む気になったのか
>>582 自分の感想としては、『日本の思想』の第T・U章部分かな。
特にU章の政治と文学の問題はわからない。
あれが書かれた頃には、論壇で常識だった文学と政治との関連を
めぐる論点というのが、現在では全く存在しないから。
>>584 > あれが書かれた頃には、論壇で常識だった文学と政治との関連を
> めぐる論点というのが、現在では全く存在しないから。
今では「文学」は非政治的なものだと考えるのが通説だってか?
>>585 >今では「文学」は非政治的なものだと考えるのが通説
かどうかは知らないけど、これが書かれた1960年頃まで
とでは状況が明らかに違うだろうということ。
現在、具体的にどんな論点や争点があるのか、あるのなら教えてくれ。
自分も『日本の思想』を読んだのが、10年以上前でどんな内容だった朧気だった。 また、現在存在する「論点」「争点」もよく知らない。 にもかかわらず、ちゃかしたようなレスをしてしまい、反省。 思うに、「政治思想史」は、「政治思想」をその正当性を主張するためではなく、 「歴史」として記述するもの。日本政治思想史の泰斗だった丸山真男スレッドで、 現在において「政治」と「文学」に関連があることを否定するように取れる発言が あったのに驚いた。 普通に考えれば、「政治思想」のもっとも主要な側面である「敵と味方の区別」だって、 行政府や政党のプロパガンダによってのみ作られるわけではない。 日々書かれている小説や評論いわゆる「文学」によっても、表現され影響力を行使していると思う。 ネズミ講のような個人間のコミュニケーションのほうが重要だといわれればそうかも知れないが、 「文学」の影響は否定できない。 否定できないのにも関わらず、なんの「論点」も「争点」も存在しないというのは、 現状において「政治思想」を研究する学者先生方が、いかに「曲学阿世」なのかを感じさせる。
>>587 > 日々書かれている小説や評論いわゆる「文学」によっても、表現され影響力を行使していると思う。
> ネズミ講のような個人間のコミュニケーションのほうが重要だといわれればそうかも知れないが、
> 「文学」の影響は否定できない。
一次大戦の時は新聞、二次大戦時はラジオ・映画、ベトナム戦争時はテレビ・・・
などなど、大衆に影響力を持つメディアは移り変わっていくわけで。
(ルワンダ虐殺ではラジオが大きな力だったか)
ともあれ、今の日本で、文学に政治的意識を変える力があるとは思えないなあ。
思想的・政治的な主張のある文学なんて、一部の文学好きか、
そういう思想をもともと好む人間がめざとく見つけて
「そうそう、その通り」とオナニーするだけだろ。
「興味が無くても、意見に反対でも、
教養として読んでないとインテリとして恥ずかしい」
みたいな文学作品なんてある?
ここ20年くらいの作品で。
>>588 > 思想的・政治的な主張のある文学なんて、一部の文学好きか、
> そういう思想をもともと好む人間がめざとく見つけて
> 「そうそう、その通り」とオナニーするだけだろ。
たとえば、作者自身は、政治的に無関心又は中立的なスタンスを装っていて(又はそういう自覚で)
政治的意識又は集団をドン・キホーテに見立てて茶化す部分の存在する作品。
こういう内容で、政治的主張としては十分だし、
現実的な影響力は、露骨に政治的に読める作品よりも強烈ではないだろうか。
カンディードもどきw
> 「興味が無くても、意見に反対でも、
> 教養として読んでないとインテリとして恥ずかしい」
> みたいな文学作品なんてある?
確かに思いつかない。
「文学」かどうか分からないけど、
'90年代には佐高信、'00年代には森永卓郎が、
国民に与えた影響デカかったと思う。
二人とも活字と放送の両方のメディアで活躍した。
横槍すまんが、 「近代日本の思想と文学」は、文学と政治の関連性についても論じられてるけど、俺は「一つのケーススタディとして」、そこに描かれる政治的なものをめぐる思考様式(日本人特有の、という限定をつけるかは迷う)も大事だと思う。 過度合理主義の陥穽や、非政治主義が逆に政治主義的になりうるなどの指摘は今でも自分を省みる糧になると思う。 丸山の他の著作でも言われるけど、(値段的に)手軽な新書に収録されてる点がいい
>政治的なものをめぐる思考様式 >非政治主義が逆に政治主義的になりうるなどの指摘 ああ、確かにそうした指摘はあったね。 プロレタリア文学(運動)を題材にしてたので、何となく馴染みがなくて 敬遠していたのだけど・・・・・・・もう一度読み返してみるか。
592 :
考える名無しさん :2009/03/07(土) 21:33:36 0
この数十年間で日本の政治思想・評論業界は孤絶し、かなり立ち遅れてしまった。ドイツとフランスの 古色蒼然たる百年前、二百年前の政治思想の本を。訳も分からないまま読み続けてるのが現状だ。 全くヒドいものだの一語につきる。 日本の八十年代の言論を圧倒したフランスの構造主義の大家ミシェル・フーコのような、現代もの でも、かなり癖のある思想・哲学なのであって、本当はフーコや、ジル・ドゥールズらの思想は 「人文」である。文学あるいは文化研究なのだ。政治権力なるものを生まで扱う学問ではない。 現在のフランスやドイツの本当の最高の知識人たちとは「どうやったら、自分たちが、アメリカ の支配から脱却できる」を本気で考えている人々だ。日本知識人は文化研究しかできない人々だ。 副島隆彦「日本の秘密」 P148~149 これ以外に下等学問としての 「人文」というのがある。この人文というのはヒューマニティーズの 日本語訳である。 ヒューマニティーズとは「人間、および記録された文学に関わること」という 意味である。 簡単に言えば現在で言う文学(部)のことである。他に歴史学があり、その内容は 古文書や石碑の文の解説などを行う。これらは、学問としては下等学問である。 これとサイエンス(学問)の区別をつけなければならない。これが日本人にはできていない。 すべてごちゃまぜなのが日本の大学制度である。国家的学問犯罪と呼んでもいい。 大欠陥学問観と呼んでもいい。日本の大学は、世界基準では高等学校程度であろう。 このヒューマニティーズとサイエンスの区別がついてる日本知識人がほとんど いない。すべてごちゃまぜである。 副島隆彦「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ(上)」P324
593 :
考える名無しさん :2009/03/07(土) 21:35:35 0
私のような鋭い人間が日本にもいる、ということをCIAもそろそろ気付くだろう。さて、先ほどの、文学=夢の 世界との混合、についてだ。私はヒーローが何百人も次々に敵を殺すシーンとかいうのが嫌いだ。全て、馬鹿 大衆を操るための描写だ。馬鹿大衆は、自分が現実的には奴隷生活をしているものだから、英雄(ヒーロー) に憧れるのだ。 (中略) どうして、大衆というのは、いつの世もアホなのだろう。奴隷なのだろう。夢の中の、空想の世界に逃げ出さ ない事には、自分の現実の奴隷身分から、抜け出せないからだろう。それが、ゲーム・センターに落ちこぼれ たちが、入り浸る背景だろう。このように早くから、解明したのはニーチェだ。さすが大思想家ニーチェで ある。「アテネが陥落して、ローマ帝国に、教養ある奴隷として連れてゆかれたギリシア人たちが、文学なる ものを作った」のだと書いた。現実の過酷な自分の生活から逃れ出て、頭の中だけ開放されている。そういう 連中だ。私の周りに、そういうのが、たくさいいる。 ロマンティク romantic という言葉は、英語で「アホ」という意味である。同じくナイーブ naiveというのも、 「純朴な」とかいう意味ではなくて「脳足りんの、幼児のようなやつ」という意味だ。どうしていつまでたっても、 こういう基本事項さえ、日本国民の共通了解事項にならないのだろう。わかりたくないからなのだろう。 You are romantist 「あなたはロマンチストだね」というのは、「あなたは夢見る人だね」という意味で、 「お前は、本当にアホだね」という意味だ。夢の世界(アニメとゲームの世界)に浸りこんで、現実を嫌って 「夢の世界のお姫様(あるいは王子様)を捜し求めて、冒険物語を続けるのだ。 それが、中世ヨーロッパで成立した中世騎士道物語(アーサー王伝説)である。これを定型化すると、自分の 君主である人のお后に恋焦がれて、命を惜しまないという行動様式、これをロマン ROMANというのだ。今の北朝鮮 と同じだ。あるいは、5歳の幼児が、現実と夢(オバケや、英雄たちの住む世界)の違いがあまりはっきりしない のと同じことだ。 副島隆彦「属国日本論を超えて」P46~47
594 :
考える名無しさん :2009/03/07(土) 21:36:19 0
アメリカでは、学問(サイエンス)というのは、「自分の打ち立てた仮説(理論)を、実際の、現実の社会の中でみずから、 ポリシーメイカー(政策立案実行者)として実験してみて、その結果を冷酷に検査すること」なのである。 これを、positivism (人為的実験証明主義とでも訳すか)と言う。このポジティビズムを、「実証主義」などと、訳して、 分かった気になるな。この世で、実証できるのは、自然学問(代表、物理学)系の実験だけだ。これは厳密に同じ条件で 誰がやってみても同じ結果になるものだから、これは本当に学問(サイエンス)なのだ。 ところが、人間社会を対象にする学問、すなわち、ソシアル・サイエンス(私は、社会学者という訳語が嫌いだ)は、本当に サイエンスとして成立しているか、ものすごく、今でも怪しいのだ。なぜなら、現実の人間社会を使って実験証明(ポジティ ビズム)するというようなことは、できないからだ。ソシアル・サイエンスとは、それでも、一応、次のようなものだ。 人間社会を刺し貫く諸法則を発見すること。かつそれは、個々の人為や願望から独立した客観であり、同一条件でなら、 世界中どこにでも存在するものでなければならない。そしてそれらを、冷酷に記述することである。 だから、これは、文学即ち、=下等学問=夢の世界との混合=人文(じんぶん)=今の北朝鮮の人間たちと同じ =カルトの世界=幼児の並みの人々=なのに自分を知識人だと勘違いしている日本の文芸愛好的読書人階級。 これらの、一切を排除したものの考え方のことである。ところが、このソシアル・サイエンス(政治学、経済学、社会学、 サイコロジーの4つ)がアメリカでも、1980年代に、どうも、うまく行かない、ということが、判明し始めて、それで、 世界的に困った事になったのである。アメリカ行動科学(ビヘイビアラル・サイエンス)という、壮大な学問体系は、 50年代にアメリカで起こり、そして80年代には崩れ去ったのだ。 副島隆彦「属国日本論を超えて」P37〜38
595 :
考える名無しさん :2009/03/07(土) 21:37:04 0
日本の大学の理科系(理学部、工学部)の教育の1年生の教育では、この「実験の大切さ」を叩き込まれると私は 聞いています。これは優れた教育法だ。実験の授業では、学生が、自分でやった実験の結果や、目視した物、 それから、実験の結果(成果)として得た数値などを、絶対に、ごまかしたり、改ざんしたりしてはならない。 と教える、という。当たり前のことのように思われるが、この実験と観察の、初歩の訓練はきわめて大切である。 自分の実験の結果が、当初の予定から、どんなに外れていても、失敗に終わってもそれでも出現したおかしな 結果や数値を、そのまま、正直に書いて、教授に提出しなければならない。これが理科系の教育の良さである。 この一点で日本の理科系の学部は優れている。これだけ日本の大学教育の実情がひどいことになっており、 見るも無残な現状なのだが、それでも理科系の学部では、まだ、この実験と観察の方法学(メソドロジー)が 生きている。これが日本の優れた技術者を大量に育てた原因だろう。 それに対して、日本の文科系(社会学問系)は、悲惨である。 自分で何か仮説を立てて、それを実験的に考えて、現実の事柄に適用してみて、自分の頭で苦労して考えて、 そこから何かを導き出す、という訓練など、全く誰も、誰からも、全く、教えられていない。頭の悪い日本 の大学教授たちが書いた、どうしようもない硬直した教科書や、自分の思いつきを書きなぐっただけの本を、 ただ読まされる。あるいは寝言のような自分勝手な考えを、講義と称してひたすら聞かされるだけだ。 日本の大学の文科系の教育は腐り果てている。 文科系の学問は、学問対象が、社会や国家や、人間集団だから、簡単には実験の対象にできない。このことを 言い訳にして、それで、欧米で作られた理論をただそのまま「換骨奪胎して」(つまり日本語という言語に 置き換えて、泥棒して)「和魂洋才」で垂れ流しているのがほとんどだ。 副島隆彦「人類の月面着陸はなかったろう論」P216~217
596 :
考える名無しさん :2009/03/07(土) 21:37:59 0
まず、考古学Archseorojyアルケオロジーと、歴史学history の違いから説明する。簡単に書く。 文学lettersレターがあるものからあとが、歴史(学)だ。遺跡の中の碑文や刀剣に文字があれば(それらを 解読することで)歴史学の対象となる。文学や文章がなければ歴史学ではない。土器や石器や住居跡だけなら、 それは考古学アルケオロジーの対象だ。まず、このことをはっきりと自覚している者が、歴史学者を含めて 日本にはどれだけいるのか。文字や文献の出現からあとが、歴史の対象である。 その以前は、全て、先史時代pre-historicプレ・ヒストリックである。 「先史時代」のことは、だから、歴史学が扱ってはならない。歴史は史料(文という歴史資料)のみに 基づいて、なるべく厳密に、厳格に考証・研究されなければならない。 史料の取り扱いがいい加減で、自分勝手な「事実のふくらまし」をやったら、歴史学者としては、命取りである。 石碑や古文書を史料として、かつ、そこに書かれていることをなるべく厳密に取り扱って合理的な推論 (リーズニング reasoning)が成り立つ範囲で、当時の世界を記述するのが、歴史学である。 ただし、歴史学 historyは、人文 humanities ヒューマニティーズの一部である。であるから、厳密には、 物語storyストーリーの一部に過ぎない。サイエンス(学問)ではない。 世界の学問の分類基準では、厳密には歴史学は、人文(学)の一部であって、サイエンス scienceではない。 歴史学者がどんなに頑張ってもそうだ。ここでの分類問題では、これまでに私はたくさん書いてきたので、 いちいち争わない。 文学・石碑・文献・古文書のあることについてだけ、それらだけを証拠として、厳密に取り扱う。それ以外の ことは、すべて勝手な解釈だ。歴史の読み物を書いている書き手の物語(作り話)だ。 たとえ著者が歴史学者の肩書きを持っていても、勝手な物語は、勝手な物語だ。だから、歴史学は、 人文=下等学問(=文学)の一種なのだ。おそらく、どんなに、厳密なサイエンスの振りをしても、考古学 (の論文の類)も、歴史学と同じく人文でしかないだろう。 副島隆彦「属国日本論を超えて」P175~177
597 :
考える名無しさん :2009/03/12(木) 18:59:57 0
このスレを読むと、丸山も政治思想史の研究対象になったんだと今更ながら実感する
>>589 '00年代は森永よりも竹中じゃね?
一般向けの本も書いて、サンプロのようなお茶らけた討論番組でも活躍して、
挙句の果てに政治家だからな
598 :
考える名無しさん :2009/04/02(木) 09:33:54 0
「丸山真男を読みなおす」 田中久文著・講談社選書メチエ 「丸山真男の日本論=そのモチベーションとダイナミズム」 和久利康一著・カテラ出版会 上記の最近発刊された書籍を読み比べてみると非常に面白い。 二つとも丸山の「本店」と呼ばれる政治思想史学の領域を深く掘り下げた本である。 「歴史意識の古層」については、両書とも見事に解説していると感じた。「正統と異端」に関わる 「闇斎学と闇斎学派」では、田中氏がやや息切れした感が否めない。全体に和久利氏の書は、ダイ アローグの形式で話題が進められているため、歯切れが良く分かりやすいかもしれない。日本の正 統思想が「コンニャク玉」という比喩はなかなか絶妙な言い回しだと思えた(多少、泥臭い気がし ないでもないが)。いずれにしても、二つの著作とも田中宏和氏の「丸山真男の思想がわかる本」 (秀和システム)以来の丸山真男の思想、哲学を探った本格的な丸山本の登場だと実感した。
599 :
考える名無しさん :2009/04/02(木) 11:41:55 0
マイクロソフトの成毛眞がSBの孫正義に 丸山真男の話をしたら 「それどこの投資家?」って言われたらしい で「孫さんの愛読書はごるご13だからね(笑)」と続く
600 :
考える名無しさん :2009/04/04(土) 16:00:31 0
>>598 「丸山真男を読みなおす」は読んだぞ。確かに、後半部分は少々バテ気味だったかも。 「丸山真男の日本論=そのモチベーションとダイナミズム」はまだ読んでいない。 ネット書店で内容を確認したけど、面白うそうだから今度読んでみることにしよう。 それにしても、丸山真男の本は多いなー。
601 :
考える名無しさん :2009/04/06(月) 12:27:58 0
日本では、学問(サイエンス)というのは、欧米世界で評判を取った一流学者たちの仕事を、国内に紹介するというか、 泥棒というか、勝手に代理店を開くというか、華々しく輸入するというか、そういうことに過ぎない。これは今でもそうだ。 (中略) アメリカでは「この本を私は、翻訳して出版しました」というのは、絶対に学問業績にならないのだそうだ。履歴書の作品 欄に、書いてはないらない。「絶対に書くな」と何人かのアメリカ人の友人に、私は忠告された。「いや、そう言っても、 この本を訳すのは大変だったのだ。日本では、翻訳するだけでも大変な業績になる。翻訳書が1冊あるだけで、学者だ。と 威張ってるのがたくさんいる」と私が、反論しても、絶対に聞き入れてくれない「恥ずかしいことだから、 止めろ」としつこく言われた。翻訳は研究業績にはならないのだ。「それはインフォマート(現地人の情報提供者)の仕事で あって、学者の仕事とは、認められないのだ」と、強く言われた。 副島隆彦「属国日本論を超えて」P36〜40 日本では「政治思想」なるものはいつも断片的にバラバラに、前後の脈略なしに、適当に外側(欧米世界)から 翻訳文として押し寄せ、流れ込む。しかも、世界の知識人たちが理解している全体構図とは関係なしに自分勝手な 理解を国内に広める。そしてやがて棄て去り、次の新しいものにまた飛びつく。 「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」(副島隆彦 著 講談社)
ワーグナー
603 :
考える名無しさん :2009/04/09(木) 16:59:56 0
昨日「丸山眞男手帖4月号」が届いた。「手帖通信」には相変わらず丸山眞男に関する文献が多く掲載されている。一体、丸山眞男の研究はいつまでどこまで続くのだろうか?無限に続いていくように感じる。
604 :
考える名無しさん :2009/04/12(日) 20:44:04 0
ところで、丸山真男の「本店」と「夜店」の違いって何?? 教えて!!
>>604 本店:日本政治思想史
夜店:政治学・現状分析など
606 :
考える名無しさん :2009/05/02(土) 18:00:38 0
>>603 没後5年後ぐらいから、急にいろんな本が出てきたね>丸山
まあ、永遠に続くわけではないだろうけど、最近ある種の丸山ルネッサンスが
地味に続いていることは確かだな。
607 :
考える名無しさん :2009/05/02(土) 19:32:20 0
なるほど
「全体主義であろうが,ファシズムであろうが, 民主主義に役立つところがあるならば,その考えを 摂取する」,というようなことを,丸山さんが どこかで言っていた気がするんですが,どなたか ご存知ないでしょうか? 該当箇所がわからず,気になって仕方ありません...
丸山がそんなことを言うとは思えないが。 彼はファシズムや民主主義というラベルを張っているだけで、 中身には関心がないと思う。
>>608 具体的にどこで指摘してるかは知らないけど、その手の文脈で丸山が
具体的に念頭に置いてるのは、戦間期のドイツの法思想家で初期ナチの
理論家でもあったカール・シュミットあたりだろう。
丸山は、シュミットの民主主義や議会制に対する批判的でかつ原理的な
議論についてよく言及し、しかもその鋭さを評価していた。
で、丸山にとってシュミットは、いわば”尊敬すべき敵”という位置づけ
だったワケで、そうした自己にとって、政治的な立場上は敵対的な相手で
あっても、必要な方法や論点は摂取しろという意味だと思う。
つまり、敵の武器(論理)を我が物とし、それを逆用して闘うことも必要
ということ。
「近代日本の思想と文学」が難しすぎて理解できないんだけど・・・政治、文学、科学、マルクス主義、なんか頭がこんがらがってくる 誰か簡単に説明して
>>611 内容の大雑把な把握でいいなら、前レスでも出てた最近の丸山研究本
にでも目を通してみればよいのでは。
自分もあの論文は苦手だから、簡単に要約出来る自信はとてもないよ。
せめてもう一度読み返してみないと。
613 :
考える名無しさん :2009/05/12(火) 09:48:00 0
『丸山真男の日本論 そのモチべ−ションとダイナミズ ム』が最適じゃないかな。
>>612 613
ありがとうございます。読んでみます。
丸山はマルクス主義が文学にどのような影響を与えたと考えているのでしょうか??
作為の契機の不在
>>611 多分、「日本の思想」の中で一番難しいから無理だよ
619 :
考える名無しさん :2009/05/14(木) 16:44:17 0
和久利康一の本は出版社に注文しないと手に入らないみたいです。
620 :
考える名無しさん :2009/05/14(木) 17:31:37 0
>611 和久利康一の『丸山眞男の思想』に分かりやすく書かれている。
621 :
考える名無しさん :2009/05/15(金) 13:19:16 0
和久利康一の本が今日の朝日新聞で紹介されているな。若いころの丸山眞男はダンディーだね。
622 :
考える名無しさん :2009/05/31(日) 00:41:47 0
>>619 この本欲しいと思ったんだけどね。
出版社へ直接申し込まないとダメなのか。
623 :
考える名無しさん :2009/05/31(日) 09:30:21 0
そうみたいです。
さすがに東大は置くよなと思ってたら立命も置いたか。
>>622 以前にカテラ出版にTELしたら、即郵送(代金は郵便振替)で送ってきたよ。
『丸山眞男研究 その人と思想』(2003)
『丸山眞男の思想 その今日的意義』(2006)
『丸山眞男の「日本」論 そのモチベーションとダイナミズム』(2009)
著者は丸山ゼミ出身で元労働省の官僚。
下手な丸山紹介本よりも、はるかに内容が濃くてわかりやすいと思う。
626 :
考える名無しさん :2009/06/09(火) 09:43:33 O
「近代日本の思想と文学」だけど、あれの一番大事なところだけ抜き出すなら、 政治というものが文学主義=実感信仰と科学主義=過度合理主義の間で極端に触れてしまって、そこにはデカルト以来のトライアル&エラーによる限界性を自覚した近代合理主義がないという点の批判なんじゃないの? それを近代日本の思想と文学という「一つのケーススタディ」として論じたんじゃないかな。 まぁ他にも面白い指摘が溢れてるけど、T章との連続があるし、一番大事なのはこんな感じじゃなかろうか
×触れてしまって ○振れてしまって
628 :
考える名無しさん :2009/06/11(木) 09:20:19 0
『丸山眞男の日本論 そのモチベーションとダイナミズム』は面白い。和久利康一もさることながら、大田孝伸の論評も実に良い。
629 :
考える名無しさん :2009/07/10(金) 19:15:31 0
『丸山眞男手帖』50号が来た。 今回は、慶応大学の内山秀夫ゼミで発言した「日本思想史における 「古層」の問題 補遺」が収載されてる。
630 :
考える名無しさん :2009/08/12(水) 12:55:46 0
>>626 アレ!? そんな感じのはなしだったっけ。
理論信仰と実感信仰の問題は出ていたと思うけど。
まあ、もう一遍読み返してみるか。
631 :
考える名無しさん :2009/08/13(木) 00:13:22 0
「古層」に関してだが、丸山では縄文的アニミズム的多神教的心性は 無視されているのではないか? 外来思想の、日本化、日本的消化、土着化、庶民化という意味では 無視できないのだはないだろうか? 市民的意識へと高度化しない「庶民」という不透明を丸山は 視野の外に置こうとしたのではないか?
632 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 14:06:20 0
丸山は「近代における文化衝撃は東アジア特有の問題であり英仏独のような国は 衝撃を受けなかった」という意味の事をかいている。冗談じゃない。ドイツは フランスから衝撃を受けなかったのか、ロシアはどうかという問題はしばらく おくとして、全人類の四分の三は非欧米人なんだぞ。西アジアや南アジアだっ て衝撃をうけたんだ。人類全体からみれば近代において西欧から文化衝撃を受ける ことのほうが普遍的現象だったといえる。丸山の視界には東南アジアもインドも イスラムも入っていないのか。ミドハト・パシャとかラムモホン・ライのような 人たちの名前も知らないのかと疑いたくなる。本来ならば東アジア、南アジア、 西アジアがうけた文化衝撃の程度や態様とそれに対する反応の違いなどは重大な研究 課題ともいえる。丸山という人は意外に視野が狭くて、日本、せいぜい東アジアという タコツボからひたすら西欧だけを見ていたという印象を受ける。
633 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 20:36:59 0
私は、長い間考えた末に、日本のようなアジアのはずれの国に、世界に先駆ける何か新しい優れた大思想など 生まれることは、ありえないのだ、という結論に到達した。三十歳ぐらいの時である。イギリス、フランス、 アメリカでまだ実現していないものが、日本ごときで実現するはずがないのだ。私は、人間社会のあり方に 於いて、こういう進化論者(時間進歩主義者)である。日本の知識人がやること、考えること、書くことなんか、 全て、一切合切、輸入学問であり、欧米知識人の猿真似である。そうでしかありえない。 奈良。平安時代も室町時代も江戸時代も、ずっとそうであった。ずっと歴代中華帝国で栄えた思想・宗教の 輸入学問であった。私にとって、これは、もう確信だ。 日本の伝統―それは、文化の劣性遺伝子だ、と吉本隆明が書いていた。あの頃の吉本だったら、 私は今でも信じている。 副島隆彦「日本の秘密 日本では、学問(サイエンス)というのは、欧米世界で評判を取った一流学者たちの仕事を、国内に紹介するというか、 泥棒というか、勝手に代理店を開くというか、華々しく輸入するというか、そういうことに過ぎない。これは今でもそうだ。 (中略) アメリカでは「この本を私は、翻訳して出版しました」というのは、絶対に学問業績にならないのだそうだ。履歴書の作品 欄に、書いてはないらない。「絶対に書くな」と何人かのアメリカ人の友人に、私は忠告された。「いや、そう言っても、 この本を訳すのは大変だったのだ。日本では、翻訳するだけでも大変な業績になる。翻訳書が1冊あるだけで、学者だ。と 威張ってるのがたくさんいる」と私が、反論しても、絶対に聞き入れてくれない「恥ずかしいことだから、 止めろ」としつこく言われた。翻訳は研究業績にはならないのだ。「それはインフォマート(現地人の情報提供者)の仕事で あって、学者の仕事とは、認められないのだ」と、強く言われた。 副島隆彦「属国日本論を超えて」P36〜40
634 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 20:38:21 0
「816」崎谷博征(さきたに・ひろゆき) SNSI研究員 の 新刊 『グズな大脳思考 デキる内臓思考』
を紹介します。浅薄な「合理主義的思考」に代わる新しい思考法は、現実の生活にも大いに役立つ思考法です。
2006.12.24 副島隆彦が文末に加筆しました。2006・12・26
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200612.html#2401 この両派の対決は、あらゆる学問の裏側に控えている。この対決軸を中心に、今のこの世界は動いている、
と言ってもよい。だから、生来的な器質的な、異常や犯罪気質は、教育や治療によっても改善できない、
とするのが、ネイティビズムである。
つまり病気は、治せない。という考えだ。治る病気は自分の力でなおる。ただし悪い部分を取り去る
外科手術は認める、という立場が、このネイティビズムである。それに対して、人間は、後天的に
改善できる、とする考えが、ビヘイビアリズムである。
この考えは、1950年代の、シカゴ学派のスキナー、ボーマンズらの「社会心理学」(ソシオ・サイコ
ロジー)としてアメリカでリベラル派の学問として再興された。この理論の上に、タルコット・
パーソンズの「構造機能分析」と呼ばれるアメリカ社会学が大成された。さらにそれと同形的
(アイソモルフィック)に、アメリカ理論経済学が花開いたのである。そして更に、それと類推的に
政治学(ポリティカル・サイエンス)も繁栄した。アメリカの、ソシアル・サイエンスは、1950年代
と1960年代には、この「行動科学」によって、ついにヨーロッパの学問を超えた、と、みんなで
祝ったのである。これはアメリカの学問的な大勝利であり、世界をこの新規の学問潮流で支配・席捲
できる、と考えた。ここでは当時のソビエトとの対決問題は無関係である。それで、世界中から優秀な
人材がアメリカに集まるようになった。
これが、アメリカの「行動科学革命(ビヘイビアラル・サイエンス ・レヴォルーションbehavioral
science revolution)」であり、即ちこれがビヘイビアリズムの運動である。
635 :
考える名無しさん :2009/08/23(日) 20:40:43 0
私の先生の小室直樹氏は、このアメリカ行動科学の全体像を習得する運命を背負ってこの時期に、 スキナーのいたミシガン大、と、ポール・サミュエルソンのいたMITと、パーソンズのいた ハーバード大に習いにいった。ところが、帰ってきて、その成果を丸山真男氏以下の、日本人学者 たちに伝授しようとして、嫌がられた。当時の日本にはロシア型マルクス主義という宗教しか、 近代学問としては存在しなかったからである。 この ネイティビズム「固有主義、生来主義」 と、ネイテイビズム「 行動主義 、教育改良主義」の サイコロジーの分野から興った大きな対立が分かれば、おそらく、今の、というか、この100年間の 欧米の社会学問(ソシアル・サイエンス)の流れは、今の日本人にも、大づかみに出来るのではないか。 この事をもっと分り易く言うと、「氏より育ち」ということである。あるいは、「育ちよりも氏」か。 即ち、氏(うじ)=家柄、出身、血筋 の方が、人間(人物)の評価に置いては大切だ、というのが ネイティビズムで、その反対に、「家柄よりも、育ち」即ち、生活環境・教育・学習行動が大切だ、 というのが、ビヘイビアリズムである。 だから、ネイティビズムは、保守主義 を表し、ビヘイビアリズムは、現代リベラル派(人権主義者)の 立場なのである。分かり易く言えばそういうことだ。 『世界覇権国アメリカの衰退が始まる』(講談社)ビヘイビアリズムVSネィティヴィズム[65ページ〜72ページ]
636 :
考える名無しさん :2009/08/24(月) 01:56:40 0
丸山の知識人論って独りよがりで独善的だね。早い話が岸信介や平泉澄だって 丸山の定義によれば「正真正銘のインテリゲンチャ」ってことになる。 終戦時に抗戦を唱えたのは軍人だけじゃない。内務大臣や司法大臣も抗戦派で 彼らの経歴も丸山の定義によれば「正真正銘のインテリゲンチャ」、丸山は 「真のインテリは全体主義的統制には本能的に反発する」と言いたいんだろう けど、丸山自身が文革を礼賛していたじゃないか。それでいて中国自身が文革 を否定すると「文革はあくまでも正しかった。今の中国の方が間違っている」 と主張する勇気は丸山にはないんだよな(フランスにはそういう人もいたそう だ)。言い古されたことかもしれんが、とにかく丸山の言動を聞いていると 自己陶酔気分に酔っているんじゃないかと思いたくなる。
岸信介は頭はいいんだよね。
638 :
考える名無しさん :2009/08/25(火) 11:49:32 0
>>632 トインビーは西欧からの文化衝撃に対応しようとした例として、ロシアのピョートル
大帝、オスマン・トルコのマフムード2世、エジプトのムハンマド・アリー、タイの
チュラロンコン大王、中国の曽国藩や李鴻章などを列挙してから最後に「最も成功
した例」として「日本の明治天皇とこれを補佐した何人かの元老政治家たち」を挙げ
ている。日本あるいは東アジアというタコツボから西欧しか見ようとしなかった丸山
とは視野の広さが桁違い。
639 :
考える名無しさん :2009/08/28(金) 00:19:08 0
マッカーサーが連れてきたニューディーラーの正体 日本の戦後は、アメリカの政界の最も悪質な部分である「ニューディーラー」にたちによってつくられた。 彼らニューディーラーたちは、1930年代のアメリカのリベラル勢力である。彼らの代表がフランクリン・ ルーズベルト大統領であった。この一部が敗戦直後にマッカーサー元師の取り巻きとして日本にも上陸した。 この者たちによって私たち日本人は、敗戦直後から現在までずっと管理・教育されてきた。この事を英文で書くと 次のようになる。 The‘New Dealers'(i.e the prototypical globalists)brought int japan with their ideeas that brainwashed the japanese people duringt the Occupation years.As a result,japan has led a sheltered existence for the past half-century from the rest of the world in terms of prevailing political thoughts,thus creating a one- domineted ruling class. This ruling class then intentionally isolated the country from the outside, in order to maintain control over the japanese people. 上の英文の訳 「ニューディーラー(すなわち、グローバリストの初期の形態)が、占領時代に日本に彼らの思想を植えつけた。 その後、それらの意図的な思想が、日本国民の思考の中に根づいた。だから日本は、この半世紀の間ずっと、 世界中で通用している本物の政治思想や考え方から壁を作られて遮られてきた。そして国内に専制的なひとつの 支配階級をつくった。この支配層は日本国内の支配を維持するために、日本を外側世界と意思が通じない状態に 置く原因をつくった。」 この英文を、自分の友人や知人のアメリカ人やイギリス人その他の英語圏国民に見せてみとよい。 政治問題に 関心のある少し知的な英米人であれば、必ずそれなりの興味深い反応を示すだろう。もし、本当に頭の良い賢明な アメリカ人であったら、「どうして、お前は、このことを知っているのだ?」と驚かれたあとに、さらに多くの 恐るべき真実をあれこれ語ってくれるだろう。 引用は副島隆彦「日本の危機の本質」P33〜34
640 :
考える名無しさん :2009/08/28(金) 00:22:15 0
音楽やら芸術の教養を積んだ日本人ならたくさんいる。相当な経験と知識量の人々がいる。ところが政治 思想が分からない。そもそも世界基準での政治思想の初歩さえ全く分かっていない人間の群れが、私たち 日本人なのである。世界基準での音楽の素質や各種の芸術に対する教養人が日本にはたくさんいる。 だから決して無教養ではない。ところが政治思想(ポリティカル・ソート)というのが全く理解できて いないのが知識人、学者を含めて日本ののエリート階層である。だから、「深い教養がみについていれば 欧米人と対等に付き合える」という言い方だけは日本でも言われてきたが、ちっともうまくいってない。 「日本人は世界基準での政治思想なるものが系統だって分かってないから、アジア諸国の知識人たちほど にも欧米人から対等に相手に扱われないのだ」とはっきり気づき、公言する日本人は私以外には、まだ いないはずである。 少なくとも、十八、十九世紀のイギリスの大思想家であるジョン・ロック主義(ロッキアン)と、 エドマンド・バーク主義(バーキアン)と、ジェレミー・ベンサム主義(ベンサマイト)の、 この三派の大思想の大柄の対立ぐらい、しっかりと分かってないと、向こうの高校生並みにさえ 扱ってもらえないのである。日本の文科系の知識人の思考にはとにかく「論理に系統性」がないのである。 副島隆彦「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ」
641 :
考える名無しさん :2009/08/28(金) 00:23:32 0
今日のぼやき「722」
http://www.snsi-j.jp/boyakif/wd200601.html#1101 副島隆彦の言うことは信じられない、などど逃げ回ることができなくしてやろうと思います。すくなくとも
私たちのまわり(周囲)にまとわりついて、私たちから知識、情報の泥棒をしに来ている薄汚い連中の脳に、
大きな真実のばい菌(ウイルス、virus ヴァイラス)を注入してやろうと思います。発病まで何年かかかる
でしょうが、それでも、私たちが見舞う真実爆弾は、「現実はこのままであり、受け入れるしか仕方がない
ものだ論者」どもの脳を侵蝕してゆくでしょう。ざまあみろ、ということです。
(中略)
過去150年間の、日本の政治知識人たちの、能力の低劣と、思わせぶりの嘘八百理解と、意味不明文をあり
がたがって、それで、「自分は、これでも、日本では政治知識人だ」と思いこめた、土人のまじない師たちの
哀れな姿の問題を、何とか、継承して、表に出して、そして、「少しでも克服する」ではなくて、本当に、
大幅前進させなければならない。これは、私の決意だ。私の人生に遺された重要な、コトバ研究の分野の仕事だ。
(中略)
急いで、弟子たちに、『政治思想の本の真実読み破りと、なめらか訳の技術の伝授』をやってしまいたい。
そうすれば、以後は、私の弟子たちが、すぐれた翻訳をやって、むずかしいがしかし定評のある外国書を
日本人知識層が、嘘つきではなく、知ったかぶりではなく、いいかっこしいではない、西欧の最先端思想
を自分だけ知っている、分かっている風の、だましの思想の嘘輸入がなくなる。これを、なんとしても、
はやく実現しなければ、いけない。
642 :
考える名無しさん :2009/08/28(金) 00:25:03 0
「918」ある若い学生からのメール。それに対する、副島先生の返信。2008.2.8
http://www.snsi-j.jp/boyaki/diary.cgi 私だって、20代の頃は、君と同じような、勝手な妄想とは言わないが、勢い込んで、自説のような文章を、
山ほど書いた。内容と質は、君が今回、書いて寄越したものとおなじぐらいの出来だろう。私は、25年間、
もの書きをやってきて、それで、ようやく一人前に世の中から認めらるようになった。君も頑張りなさい。
きちんと文献(ぶんけん)を引用しなさい。
その際は、学者たちの論文のように、文末に、脚注(きゃくちゅう、フットノート footnotes)形にする
のはやめなさい。読み手にとって不便で、煩雑ですから。きちんとした引用文の形で本文の中に織り込む
のがいいです。
それでです。私が、君の文章をやや邪険(じゃけん)に取り扱ったのは、それは、私、副島隆彦の思想や、
本に対して、どういうことを考えているのか、副島隆彦の文章のどういうところに共感したり、反論したく
なったのか、を何も書いていないことだ。それは、やはり文章を勝手に送ってきた者の傲慢(ごうまん)だと
思いますよ。
評論文(論文)も、それを読んでくれる相手を想定して、手紙のように書くのです。それが、ヨーロッパの
近代知識人たちの始まりなのです。「我は、天下国家に向かってものもーす」のような、アジア型の土人
(どじん)知識人のスタイルはやめなさい。
ヨーロッパの近代の知識人たちは、自分のパトロン(生活資金の援助者)に対して、「○○公爵殿。このたびは、
私は、このような発見を致しました。ご報告します。・・・」と書いたのだ。文科系だけでなく、ライプニッツも
ニュートンたちも同じように書いている。モーツアルトたち音楽家(当時は、洋服の仕立て屋の職人などと同じ
低い階級)だってそうやって、曲をやオペラ劇を書いている。
643 :
考える名無しさん :2009/08/28(金) 00:46:56 0
そして、真に驚くべきは、日本の保守派の責任ある立場の人々の政治化までもが、このアメリカの リベラル勢力の仮面をかぶったニューディーラー=グローバリストたちに、自分たち自身が戦後 ずっと育てられてきたのだという大きな事実を知らないことである。 (中略) 日本の保守派までもがなぜ、戦後、半世紀の間、アメリカのリベラル勢力に育てられなければ ならなかったのか?ここに戦後半世紀の最大の謎がある。そして、このことが日本の最大の弱点で ある。「どうして日本の保守が、アメリカのリベラルに育てられなければならなかったのか」と いう謎に答えようとして、私はこの本を書いている。 (中略) 日本国内のリベラル勢力はどうせ責任感のない人だからほっておくしかない。私自身が、学生時代 からずっと反体制急進リベラル派だったから、自分の愚かだったことを含めてこのように書く。 このように書いて少しもためらわない。日本の戦後左翼やリベラル派をつくって育てたのも マッカーサー進駐軍以来のアメリカの民主党系の連中である。ところが、日本の保守勢力を見守って、 育ててきたのもニューディーラー=初期グローバリストなのである。だから、現在、自民党と社民党 (社会党)の野合政権という奇妙な政権が続いているのだ。お願いだから、日本のリーダーたちは、 アメリカの共和党の本物の保守派の人々ともつきあってほしい。彼らから本物の保守思想とは どんなものなのかを真剣に聞きだしてほしい。それが、ヨーロッパ近代政治思想の各流派 (ロッキアン・バーキアン・ ベンサマイト)の対立にまで行き着く事を勉強してほしい。 副島隆彦「日本の危機の本質」
644 :
考える名無しさん :2009/08/28(金) 12:00:33 0
1960年に当時有名な政治学者で慶応の教授だった中村菊男が座談会でこのような 事を言っている。「戦後の左翼ムードを分析するとき重要な事は国籍不明ならぬ党籍 不明の進歩的文化人と称する人たちが現れてきたことです。あなた方は共産主義者 なのか、と聞くと決してそうではないと言う。それでは西欧流の自由主義者、議会制 民主主義者なのかと聞くと、そうでもないという。それでいてしきりにソ連や中国の 政治体制を擁護する。それでは議会政治を否定するのかときくと、否定しないという ような一体全体どこに原点があるのかさっぱりわからない。」 丸山真男や家永三郎はその代表。
645 :
考える名無しさん :2009/08/28(金) 13:32:51 0
>>644 観念的近代主義者でしょう。丸山は。
著書はギミックで詐欺に近いと思う。
例えば江戸時代に近代思想があったとしたいために
無理矢理、ソライの公私感が伝統的日本の公私感なのに
宋学の公私感からずれているところを強引に読み込んで、
西洋の近代思想史の枠に当てはめようとするところ。
最初に結論があって、資料をそこに誘導するために用いてるとしか思えない。
なんで、かくも評価が高いのか理解できない。
同じタイプに和辻哲郎がいる。どちらも偽物だと思う。
>>645 どんな主張でも、資料の根拠がある以上、「本物」と言わざるを得ないんじゃないかな
647 :
考える名無しさん :2009/08/28(金) 19:59:01 0
>>646 それは無理がある。資料があるだけではだめでしょ。
思想の問題は、それを読む、読みの妥当性が問題なわけで、
記述のあるなしという物理的問題、テキストの問題ではなく、
テキストが何を意味しているか、指示しているかの問題だから、
その意味で丸山の読みは偽物、しかも意図的な擬装、偽造だよw
うん。
649 :
考える名無しさん :2009/08/29(土) 16:20:25 0
>>644 丸山真男や家永三郎の言動には常識では理解できない面があったね。
丸山はケネディの時代のアメリカを訪問して「今日のアメリカは1930
年代の日本にそっくり」といったそうだ。ケネディの時代のアメリカが
満州事変後の日本と同じだっていうんだぞ。家永三郎も1980年代(ソ連
崩壊の前夜だ)に「ソ連を敵視する日米同盟はかつての日独ファシズム同盟
と同じだ」と言っていた。平均的日本人には理解出来ない感覚だね。
それでいてソ連が崩壊したとき、丸山は格別の発言もしなかったし、家永三郎
は「私は共産主義については門外漢、ソ連崩壊についても特に感慨はない」と
言ってのけた。図太い神経だね。
650 :
考える名無しさん :2009/08/29(土) 23:20:14 0
私は、かつて、自分が読みあさった岩波新書を、二十年振りに、書棚の奥から、ひっぱり出して、 読み直してみた。二十年前の昔、高校生・大学生だったときに、岩波新書の青版の洗礼を浴びた。 自分は岩波新書の「思想」の洗礼を浴びながら十年間ぐらいを過ごした、と言うべきであろう。 当時の学生たちのご多分にもれず、自分もその頃「新左翼」という単純幼稚で過激なだけの思想 に走ったので、岩波の影響など、脱した、と思って、「岩波スターリン主義の文化人どもなど 小馬鹿にしていた」のだが、しかし、そうではなかった。今の今に至るまで、自分たちは、岩波 文化の大きな呪縛の下にあったのだ。あの、ソビエト帝国が、目の前で、テレビの画像をとおして、 ガラガラと崩れていったときまで。お釈迦様の掌を逃れられない如く、自分は岩波・朝日文化の 縄張りから自由でなかった。 一九七0年のあの頃、これでもか、これでもかと、社会主義礼讃、資本主義打倒、願わくば、動乱の 革命を、を暗黙の合言葉にした、岩波学者たちの新書版の一般向け啓蒙書が、大変な人気を持ちながら、 次々に出版されて書店に積み上げられていた、岩波新書は、日本の言論市場で、圧倒的に強かった。 そお優勢なパブリシティの前に、黙々と着き従ったのが、私たちの世代だった。 じつに愚かなことだった。今さら、自省の気持ちも起きないぐらいに、自分を恥じるだけだ。 もっと、目を広く、かつ細心の注意を払って、もっと、本当の事実のほうに、目を向けて、書物を選ぶ 力を身につけておれば、と悔やまれる。 今さら、「転向」という言葉は使いたくないぐらいに、左翼的な人間たちは、自分の内心で、既に、 何度となく、転向に直面し、つまづきを感じているものだ。だから、私のような一番最後の左翼世代で さえ、転向という言葉には、うんざりしてしまう。これは、旧来の転向とはちがう、何ものかである。 しかし、それを、適切に言い表す言葉を、私は、今、見つけることができない。 副島隆彦「切り捨て御免」P103~104
651 :
考える名無しさん :2009/08/29(土) 23:21:44 0
佐高は、学生時代以来の自分の政治思想の連続性と非連続性について、もっと明確に語らなければならない はずだ。佐高が、九一年八月のソビエト連邦の解体とソビエト共産党の瓦解・消滅劇に、何の衝撃も受けな かったと書くのは、明白な虚偽である。あれだけ自己讃美を含めて美文に酔うことのできる繊細な神経を している佐高が、それほど鈍感であるとはとても思えない。 私は、相当の衝撃を受けた。自分があのとき受けた内心の衝撃については、いまだによく語れないほどで ある。八五年のゴルバチョフ書記長の登場から、何かが起こりつつあるとは感じていたが、そのあとの、 ポーランドの自主管理労働組合「連帯」による民主革命の一進一退。そのあと、チェコやハンガリーでの 雪崩のような東欧諸国の民主革命の波。レーニンの銅像が民衆の手で引き倒されて、首がころがるのを ブラウン管のこちら側で呆然と見ていた。そしてベルリンの壁が壊されて東ドイツが消滅した。 私は、この間も、ずっと衝撃を受け続けた。学生時代から学び、影響を受け、読みふけった、日本の反保守 の進歩的知識人たちの思想は、ソビエト共産党(スターリン主義)の思想と同じく、大間違いであったのだ と強く感じながら。 副島隆彦「切り捨て御免」P30〜31
652 :
考える名無しさん :2009/08/29(土) 23:23:53 0
私は、二十歳の頃には既に、岩波・朝日文化人たちを小馬鹿にしていた。彼らのことを、同じ社会主義 勢力内でも、「スターリン主義者」と呼びならわすのが、60年代末から70年代初めにかけての大学 闘争の影響を受けた、いわゆる新左翼に共感を感じる数十万人の若者読者人層の共通感覚であった。 日本共産党の学生組織である民青同盟員のことを「民コロ」と呼び捨てたのは、新左翼や全共闘運動 にシンパシー(共感)を覚えた人たちだけではなく、政治的発言を好まなかった多くの学生たちであった。 だから、私は、大内兵衛や、丸山真男や、中野好夫らに騙されていたと思っていなかった。しかし、 実際には、彼らの本をその後も読んでいたのである。影響を受ける、ということは、不思議なことで あって、はっきりと軽蔑していても、それでも、大きな意味で彼らの影響下にあったことになる。 そのことにようやく気がついたのが、二年前の八月のソビエト連邦の解体劇と、ソビエト共産党の 瓦解・消滅劇を、テレビでみてからである。その後の数ヶ月間、私は、ずっと不快感だった、毎日が 憂鬱で不愉快でならなかった。その不愉快さの原因をさがし求めて、考えあぐねていたのだが、 最近、たどりついた答えが、やっぱり岩波文化人にその原因があったのだということである。 副島隆彦「切り捨て御免」P106~107
653 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2009/08/30(日) 06:13:07 0
ところで、ふつうの読者には、この「左翼」という人間たちの政治思想なるものの内部の争い、 ということが、どうもピンとこないようである。そこで、ここで超簡単に説明しておこう。 日本の左翼には二種類がいるのである。旧い方の、「旧左翼」は、簡単に言えば、共産党と 社会党である。あるいは、この二つの政党に、長い間、意識的に信念を持って投票してきた人々 は結局これである。単なる反自民党ということだけではない人々だ。それに対して、一九六〇年 の「安保闘争」(この年に、「日米安全保障条約」という、対ソビエトの日米軍事同盟条約に 反対した大きな国民運動があった)の前後に日本共産党のいうことをきかなくなった学生たちが 始めた新しい学生左翼たちの運動があって、これを「新左翼」と言う。簡単に言えば、これは、 今でも「元学生運動活動家」とか「過激派」と呼ばれる連中である。評論家の西部すすむ氏や、 日本独特の思想家・吉本隆明(吉本ばななの父親)などがこっちである。その他に、現在、 大学教授や評論家になっている人々のうち、多くの人々が、昔この「新左翼」系の活動家だったり、 あるいは、その影響を強く受けた人々である。こっちの「新」方は、全部合わせると、50万人 ぐらいいる。この元「新左翼」はたちは、「自分たちは正しかったが、「旧左翼」はソビエトに 「洗脳」されていたから集団だから、愚かである」と思っている。 結論から言えば、「旧左翼」も「新左翼」もどちらも愚かだったのである。大きな意味では、ソビエト 帝国の振りまいた病原菌に冒されていた。だから、「旧」も「新」も甲乙つけがたく日本国民多数 からは相手にされなかった。 副島隆彦「決然たる政治学への道」P242〜243
654 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2009/08/30(日) 07:04:37 0
>>652 >副島隆彦
には嘗て騙された怨みがある、今はスル〜するだけだがw
655 :
考える名無しさん :2009/09/01(火) 20:33:22 0
ソ連が崩壊した時、社会主義協会は「過去数十年間、我々は現実直視を怠り、 観念論の世界に安住していた」と言う自己批判声明をだした。 丸山真男や家永三郎が自己批判をしたなんて聞いたことがない。 これが日本の進歩的文化人。
656 :
考える名無しさん :2009/09/01(火) 20:45:35 0
>>655 丸山も家永もソ連の社会主義体制を肯定してたなんて話は
一度も聞いたことがない。
丸山にしても、現実の社会主義体制と思想としての社会主義を
区別した上で、マルクスの思想について論じてた。
それにしても、相変わらず副島はデムパだなw
これを頻りにゴピペしてるヤツの気が知れんわ。
案外、本人自身が必死にゴピペしてたりしてなw
657 :
考える名無しさん :2009/09/01(火) 21:52:11 0
>>656 家永は「議会制民主主義だけが民主主義ではない。共産主義も民主主義の一形態
である。それが私と単純な議会制民主主義者との決定的な相違点である」と言い
「中国共産党の民主主義」をさかんに礼賛していた。1970年代に北朝鮮を一方
的に賞賛した金日成の伝記が出版された時、家永はその本の帯に推薦文を書いていた。
それでいて北方領土問題については「いたずらな反ソ宣伝に踊らされてはならない」
と言い、「朝鮮戦争アメリカ侵略説」に数十年間固執していた。基本的にソ連に代表
される政治体制を肯定していたとしか思えない。丸山もベトナム戦争は容赦なく批判
しながら、ハンガリー事件の時は曖昧な態度だった。
658 :
考える名無しさん :2009/09/03(木) 10:01:59 O
GHQと戦争裁判という問題はね、単なる思想問題として考えますと(いまや僕は、政治問題としての意味よりも 思想問題として影を落としていると思うのですが)GHQの理念、あるいは戦争裁判の理念というのは、 近代的普遍的諸価値のヒューマニズムがおもてだっているわけです。 そうすると、戦後にそういう諸観念がもう一度復活して、天下をまかり通って、同時にその欺瞞をあらわしたということで、 僕はアメリカの影響というのは、日本の戦後思想史には非常に強いというふうに考える。みんなが思っているよりも。 …彼ら(アメリカ人)は、自由といい、平和といい、人類というときに、それは信じていると思う。 それは彼らの生活の根本にあって、そういうものでもって国家を運用し、戦争を運用し、経済を運用してやっている。 それが日本にきてみた場合に、日本人がそういうような、ある意味で粗雑な、大ざっぱな観念で生きられるかどうかという、 いい実験になったと思う。 三島由紀夫 林房雄との対談「日本人論」より
659 :
考える名無しさん :2009/09/03(木) 10:03:28 O
…アメリカ人の考えている自由、アメリカ人の考えている人類、アメリカ人の考えている平和というものは、 ベトナム戦争もやれるものであるということがわかってきたということだ。 これは大きな問題だと思う。 そうすると、アメリカ人はベトナム戦争をやっても、やはり自由を信じ、平和を信じていると思う。 これは嘘ではないと思う。彼らはけっしてそんな欺瞞的国民ではありませんし、彼らは戦争をやって自由のために 戦っているというのは、嘘ではないですよ。彼らは心からそう信じている。 ただ日本人は、そんな粗雑な観念を信じられないだけなんです。 というのは、日本で自由だの平和だのといっても、そんな粗雑な観念でわれわれ生きているわけではありませんからね。 そこに非常に微妙な文化的なニュアンスがあって、そこのうえで近代的な観念が生きている。 それが徐々にわかってきたというのが、いまの思想家全体の破綻の原因で、それは結局アメリカのおかげだと思うのです。 それを与えたのもアメリカなら、反省を促したのもアメリカですね。 三島由紀夫 林房雄との対談「日本人論」より
660 :
考える名無しさん :2009/09/03(木) 10:04:47 O
林房雄:…日本弱化と精神的武装解除の軍人政治にすぎないものを、アメリカニゼーションと思いこんだのが三等学者です。 新憲法とともに登場して来た三等学者がたくさんいる。彼らが新憲法を守れというのは当然です。… 三島由紀夫:…丸山(真男)さんなどでも、ファシズムという概念規定を疑わないのは不思議ですね。 ファシズムというのは、ぜんぜん日本にありませんよ。 林:絶対ありません。どう考えてもね。 三島:そういう概念規定を日本にそのまま当てはめて、恬然と恥じない。 今度彼らを分析していくと、別なものにぶつかるのですよ。 丸山学派の日本ファシズムの三規定というのがありますね。 一つが天皇崇拝、一つが農本主義、もう一つは反資本主義か、たしかこの三つだったと思う。 そうすると、それはファシズムというヨーロッパ概念から、どれ一つ妥当しはしませんよ。 林:一つも妥当しない。 三島由紀夫 林房雄との対談「日本人論」より
661 :
考える名無しさん :2009/09/03(木) 10:06:33 O
三島:はじめナチスは資本家と結んだのですからね。 日本の愛国運動というのは、もちろん資本家といろいろ関係も生じたけれども、二・二六事件の根本は反資本主義で、 当時二・二六事件もそうだが、二・二六事件のあとで陸軍の統制派が、二・二六事件があまり評判が悪かったので、 今度、やはり反資本主義的なポーズにおける声明書を発表したら、麻生久がとても感激したのですね。 やはりわれわれの徒だということになって、それで賛成演説などをやったりしたことがあるけれども、 そういうファシズム一つとってもそうだし……。 林:…それから二・二六事件にしても、進歩学派諸君は支配階級内部の対立だというふうにかたづけているが……。 三島:事実はぜんぜん違っている。 林:これは一つの革命勢力と支配勢力との闘いだということを認めないわけですね。 三島由紀夫 林房雄との対談「日本人論」より
662 :
考える名無しさん :2009/09/03(木) 10:08:13 O
僕はたとえばね、どんな思想が起ころうが、彼ら(日本の近代主義者、知識人)は もう弁ばくできないと思うのです。 だって自分たちがやるべきときやらなかったのだから、あとに何が出てももうしょうがないですよ。 …とにかく僕が「喜びの琴」という芝居を書いたとき、共産主義は暴力革命は絶対やらないのだと、 もうそんなのは昔の古いテーゼで、いま絶対にそういうことはやらないのだと…… あんな芝居を書く男は、頭が三十年古いとみんな笑ったものです。 そうしたらね、インドネシアの武力革命が起こりかけた。まあ、失敗しましたが。 ちょっと、五、六年さきのこともわからないのですね。 三島由紀夫 林房雄との対談「日本人論」より
663 :
考える名無しさん :2009/09/04(金) 20:55:23 0
三島由紀夫という人は意外にモノを知らないからね。あれほど旧軍を美化しながら 輜重兵というのが何をする兵科か知らなかったり、「昭和20年1月に激戦中の インパール戦線に出撃した」という自称元少年兵の偽作手記に推薦文を書いて恥を かいたことがある。
664 :
世界普遍価値を広げる者 :2009/09/05(土) 19:48:54 0
政治思想におけるリバタリアニズムの大きな特徴の一つは、国家への人々の心情的・規範同一化に 徹底して反対するという個人主義的要素にある。 リバタリアニズムの観点からすれば、国家や政府は諸個人の基本的権利を保護するといった道具的 役割しかもたない。それ以上の価値を認めることは個人の自由だが、それを他人にまで強いるのは 不当な介入である。国民的あるいは民族的なアイディンティティなるものが各個人にとってどのくらい 大切か、社会にとってどれくらい有益かは一つの問題だが、ともかくその確立は政府の任務 ではない。 ところが今の日本では、ナショナリズムに一見反対している論者たちが戦後世代が戦争責任を 引き受けることを主張するというねじれが見られる。しかしそれは日本人すべてに、 戦前戦中戦後を通じた「日本人」という国民集団への人格的帰属を強いることになる。 これこそ否定されるべきナショナリズムの一類型である。国がなんらかの責任を負うからといって 国民が人格的な責任を負うということにはならない。 森村進「自由はどこまで可能かーリバタリアニズム入門」P132~133
665 :
考える名無しさん :2009/09/05(土) 23:08:01 0
「日本にはファシストはいた。しかし国はファシズムではなかった。」 「いわゆる日本ファシズムなるものは、そのきわめて大きな部分が一般的 な戦時体制との混同であるように思われる。」←竹山道雄 「何人かの人が1941年の日本はファシズム化していたと言うが誤り である。1941年当時の日本は日本人自身が名ずけたように『国防 国家』であった。」←ホール(米国の著名な日本史研究者) そのような見方も存在する。
666 :
考える名無しさん :2009/09/06(日) 17:23:50 0
>>663 彼は検査で体格的に不合格で兵役についてないからね。
三島と同年齢の連中は、みんな兵隊にとられて戦死したりしてる。
彼には一貫して、そのことへのコンプレックスがあったんではないかな。
もっとも、三島が兵隊になって南方戦線か何かで生死をくぐり抜けるような
経験をしてたら、戦後の三島文学があったか、彼のああした思想が形成され
たかどうかは疑問だと思う。
667 :
考える名無しさん :2009/09/06(日) 20:05:14 0
広田照幸「陸軍将校の教育社会史」は面白い本だね。批判する人もいるし、俺自身 決して全面的に賛成するわけではないけど、当時の陸軍の将校や兵士の本音がかなり 率直に語られている箇所もあって、人間というものが丸山真男が考えるほど単純では ないということがわかる。
668 :
考える名無しさん :2009/09/07(月) 14:48:03 0
>>663 意外にモノを知らない評論家なんて沢山いるよ。いいだももが信じていたところに
よると、昭和16年の一月に昭和天皇が直接参謀総長を呼んで真珠湾攻撃計画の検討
を命じたそうだ。いいだももという人は、参謀本部というのがどんな権限を持つ機関
かということも知らなかったらしい(海軍の統帥機関は軍令部)。それで「昭和天皇
の戦争責任を追及する評論家」。ちなみに三島由紀夫もいいだももも、丸山真男の
定義によれば「正真正銘のインテリゲンチャ」。
>>666 兵隊にとられた人々が全員同じ考えになるという、その前提からして画一的で独断的で些末である。
670 :
考える名無しさん :2009/09/08(火) 11:31:30 0
>>669 全く同感。だから
>>667 の本を読んでみろ。批判の余地もある本だが、丸山真男
や家永三郎の発想がいかに硬直した公式主義的なものであるかがわかる。
671 :
考える名無しさん :2009/09/13(日) 23:29:19 0
672 :
考える名無しさん :2009/09/17(木) 20:48:11 0
どこまで知名度があるかわからんが、徳武敏夫という人物がいる。いわゆる「民主主義的 教育運動」のリーダーの一人だ。まともな学術書はほとんど書いてないようだが、児童向け の本は結構書いている。その一節「ソ連は既に第二次五ヵ年計画を達成し、1936年には 新しい憲法『スターリン憲法とよびます』を制定して社会主義の成功を世界に示しました。 同時に1936年から1938年にかけてドイツや日本のファシストとこっそり付き合って いた何人かの指導者を逮捕して裁判にかけ、処刑しました。社会主義の国ソ連は戦争をおこす ということは、戦争をおこされた国の人民を不幸にするだけではなく、戦争をおこした国の人民 も不幸にするということを世界のどこよりもよく知っていました。」 こんな男が家永教科書裁判を支援する運動の事務局長だったんだぞ。それで家永自身は「私は 共産主義については門外漢、ソ連崩壊についても特に感慨はない。」 ここまでくるとお見事だね。丸山も似たようなものだ。
673 :
考える名無しさん :2009/10/03(土) 01:14:55 0
丸山を単純に左翼的に捉えるレスが多すぎるなw まともに丸山の著作を読んだことがあるのか疑問だ。 戦後のさまざまな論争を見ても、丸山は概ね近代主義者として位置づけられて いる。近代主義は戦後思想のひとつの潮流。 吉本なんかは、丸山=近代主義的エリートとして、自身=土着主義的民衆の立場 と対置した。吉本は全共闘世代にとってのイデオローグでもあった評論家だ。 それに戦後左翼=マルクス主義を代表する共産党から、丸山は徹底的に叩かれ、 晩年の90年代まで共産党の丸山批判は続いた。 まあ、丸山の思想的立場は、自由主義左派か社会民主主義というところだな。 昨今はナショナリズムが台頭してきて右傾化するのがトレンドみたいになって るから、丸山=左翼として評価されてるのかもな。 だけど最近の反左翼の言動を見てると、左と右が対称的に入れ替わっただけで、 相手への批判や攻撃方法が、60年代末期の左翼とまったく同じなのが笑える。 世代的にも当時の左翼が団塊世代だとすれば、現在の反左翼が団塊Jr世代だろ。 親世代への反発から反左翼に走ったのだろうけど、やはり蛙の子は蛙でその思考 回路が相似形、つまりかつての左翼の思想的病理だけがシッカリと遺伝的に受け 継がれている。 これは歴史の悲劇というべきか、それとも喜劇というべきかw
日本の場合、用語の吟味なしに intellectuels の問題に接近することが、いかに危険であるか ということを強調したいために、これまでくどいほどいろいろな言葉を並べた次第です。例えば 「日本は intellectuels の社会的威信、尊敬度が伝統的に高い」とアメリカで日本を研究してい る人がよく申します。この点日本はアメリカとは対照的で、むしろフランスに近いと言うのです。 しかし、これに対しては「あなたのいう intellectuels というのは誰のことをいうのですか」という 反問をしなければならない。少なくとも第二次大戦前迄の日本では、作家とか新聞記者の社 会的な威信は決して高いとはいえず、政府の高官や大企業の経営者に比べてはあきらかに 低かったし、ホワイト・カラー一般に比べてさえも、必ずしも高いとは申せませんでした。 自分の経験で申しますと、私の父は新聞記者で大阪から東京に出て来て家を探さねばならな い、その時、新聞記者というとなかなか貸して貰えないので「会社員」といったと子供のとき母 から聞きました。これは非常に象徴的だと思うのです。文学者などは西欧的概念からいえば インテリ中のインテリなのですが、大日本帝国では、文士というと臣民の正業からはずれた、 道徳的にどこかいかがわしい存在とみなされていた。漱石とか?外というのはむしろ別格で、 例外的だったのです。こういう次第で「あなたのいうインテレクチュアルズとはどういう意味です か」という反問をしないといけないと、申し上げるわけです。 こういう文士とか「ぶん屋」というような職業に比べますと、教師に対する尊敬度はたしかに 伝統的に高かったといえます。例えば「先生」という教師に対する尊称が次第に一般化され、 今日は司会者・人気歌手までみな「先生」で、そういわれてまんざら悪い気持はしない、こうい うこと自体、教育者が歴史的に享受してきた尊敬度の高さを度外視しては理解できません。 そこには疑いもなく儒教文化の影響に帰せられる歴史的事情があります。従って「反知性主 義」の伝統の強いアメリカの学者がこの側面をみて「日本の大学教授はフランスに近い」と 羨ましがるのも無理ないことです。けれどもこの場合でさえも、若干の留保が必要ではないか と私は思います。
例えば特に伝統的な国立大学教授の社会的威信は先に述べたようにプロ フェッションの性質に基づくものでは必ずしもありません。威信が高いとすれば、それは政府 の高官とか大企業と並んで、日本国家における世俗的な階層制(ハイラーキー)の位置が 高いということに由来しているわけです。戦前でいえば高等官勅任教授勲何等ということに 尊敬度は基づいていた。 もっと広く教師一般、本来の意味での「先生」についてもその社会的尊敬度を無条件的に、 例えば中国や朝鮮の儒教的読書人と並べるわけには参りません。中華帝国や李氏朝鮮の 読書人は儒教古典の精通者であるとという建前によって文字通り統治階級を構成してきたの であり、野にあってもやがて時節が来れば官になるという前提があるわけです。ところが 科挙制度のなかった日本では儒教が政治権力によって正統といえないまでも準正統的 位置を与えられていた江戸時代でさえ、職業的儒者はせいぜい知的アドヴァイザーで あっただけで、現実に政策を決定する地位になく、仕官しても禄は一般に低かった。 式亭三馬の『浮世床』の一節にある「学者先生」にたいするつぎのような嘲弄は必ずしも例外 現象とはいえません。「唐のことばっかり探して、足もとのことに疎いだの、悪い病にとっつか れた」「孔子の道はおいて、王子の道(王子には稲荷があって繁華街だった――丸山注)も ろくそっぽうにゃしるめえ」。ここには平民の感情として、アメリカにおける”common man”の プラグマティクな生活態度から出たところの「反知性主義」とむしろ共通したものがある。 実生活に疎くて空理空論ばかりいっているということです。江戸時代に生まれた有名な川柳
676 :
考える名無しさん :2009/10/03(土) 21:17:14 0
「先生と言われるほどの馬鹿でなし」も日常実際的な事務処理能力の欠如を皮肉ったわけ です。伝統的中国や朝鮮では、おそらくこういう風刺は生まれなかったろうと思います。 むろんこの川柳の意味は非常に微妙で一概に反知性主義といい切れません。高級な知識 に対する尊敬と軽蔑のアンビヴァレントな評価が含まれており、その逆説的な含みが滑稽 さをさそうのですが、その点では、前にのべたような「お前なかなかインテリだな」という庶民 の会話の場合にも、右の川柳と共通した微妙な両義性がやはりあるわけです。いずれにし ても古典の権威と知識人への尊敬とが不可分に結びついて来たという点で、フランスと 比べられる国がもし東アジアにあるとすれば、それは日本ではなくて中国や朝鮮だろうと 思います。 丸山眞男 「近代日本の知識人」より
677 :
考える名無しさん :2009/10/03(土) 21:46:00 0
副島のコピペかと思った。教養、頭脳は違っても本質は五十歩百歩
>>674-676 丸山の言うことは近代日本の知識人については、当たってるんでねーの。
○○大学教授とか○○研究所主任(上席)研究員とかいう肩書き=社会的
ステータスが判別の基準だし、ワイドショーなどで、およそ自分の専門と
は無関係なことを話すような芸人化した大学教授もいる。
外国では博士号(Ph.D)をもってれば、医者のドクターと同様に無条件で
社会的威信をもつけど、日本ではどこの大学や研究所の組織に所属してる
か、その上でマスコミ・出版会でどれだけ売れてるかが基準だ。
だから博士号もってても就職できないと、ただのプー扱いにすぎなくなる。
日本の社会では、学者を専門家として表面尊重してるようだが、それは所属
組織のスタータスについてであり、世間では変わり者とか、社会不適応者と
いう偏見が現在まで脈々と流れている。
要は、昔から立身出世の手段という以外に、学問自体に対する尊敬が稀薄な
わけで、それは日本の学問が明治以降の西欧から直輸入されたことに加えて、
学生の方も、単位の取得と○○大卒という学歴が欲しいだけだからだろ。
679 :
考える名無しさん :2009/10/16(金) 08:55:02 0
>>678 そんな誰でも分かること指摘する丸山が恥ずかしい
しかも小難しく書くとこが副島そっくりでみっともない
680 :
考える名無しさん :2009/10/16(金) 18:42:26 0
今、日本中に大学教授が何人いるか知ってるのか? 15万人だぞ。大学教授は全部偉いなんて思い込んでいる人は、医者や 弁護士は全部大富豪だと思い込んでいるようなものだ。
>>678 >博士号もってても就職できないと、ただのプー扱いにすぎなくなる
海外でも博士号もってたら即就職とは限らないと思うけど。
博士で無職というのはけっこういるって聞いたぞ。
>学問自体に対する尊敬が稀薄
それは言えてるかも。
だけど福沢諭吉の「学問のすすめ」からして、みんな学問をして立身出世
しましょうっていう内容でしょ。つまり明治の最初からそうなってるわけで。
682 :
考える名無しさん :2009/10/21(水) 14:49:30 0
中国の科挙が典型だけど、東アジアでは一般に「学問をする」というのは 出世の手段という面があるね。
実学本位
684 :
考える名無しさん :2009/10/24(土) 01:15:29 0
東アジア全体が思弁哲学という分野では貧弱な印象を受けるけど、 そういう風潮と関係があるのかな。
>>684 哲学としての内容の優劣よりも、やはり明治以降の哲学分野が西欧偏重
だったことの影響では。
西欧、特にカント以降の19世紀哲学は、社会科学とも深い関連性がある
からかなり普及してるけど、中国の儒教哲学やインドの仏教哲学などは
一貫してメジャーじゃない(イスラム哲学に至っては皆無に近い)。
明治以降の学校教育は西欧思想中心だったから、当然それが知識人たち
の共有する知的地盤ともなった。そういう点は今も変わりないと思う。
686 :
考える名無しさん :2009/10/25(日) 16:27:41 0
丸山は井筒俊彦の本なんて読んだことあるのかな?
687 :
考える名無しさん :2009/10/26(月) 13:39:36 0
丸山は東アジアというタコツボからひたすら西欧を見ていただけ。 彼の視野には東南アジアもインドもイスラムも入っていない。
688 :
考える名無しさん :2009/10/26(月) 14:35:54 0
>>687 一昔前の日本の知識人は概してそういう傾向があったよ。
1960−1962年にでた中央公論社の旧版の「世界の歴史」シリーズ
を見てみろ。要するに西欧と中国の話だけ。インドやイスラムなんて付けたし
程度。東南アジアやロマノフ王朝以前のロシア、ロシア以外の東欧諸国、ビザンツ、
アメリカ大陸の古代文明、アフリカの記述なんて皆無にひとしい。
丸山はそういう時代の「知識人」の枠を一歩も出ていない。
689 :
考える名無しさん :2009/10/27(火) 13:59:42 0
1960年代の高校の歴史教科書にはアケメネス朝ペルシアを滅ぼした アレクサンドロスの名は出ていても、そのペルシア帝国を築いたキュロス の名なんか出てなかった。
690 :
考える名無しさん :2009/10/27(火) 23:04:09 0
丸山は言った。「西欧との文化摩擦は東アジア特有の問題である」。 オスマン・トルコでは18世紀にはヨーロッパからの圧力にどのように対処 するかが大問題になっていた。18世紀末にはすでにセリム3世という君主 が改革事業を始めて失敗している。その後のマフムード2世による改革、タン ジィマート改革、ミドハト・パシャを先頭にした立憲運動なんて丸山は知らな かったのか。トルコだけではない。イラン人もインド人も東南アジアの人たち も同じ問題に直面して苦悩したんだ。丸山がそのような問題に関心を示した 形跡はほとんどない。彼にとっては東アジアと西欧だけが全世界だったらしい。
691 :
考える名無しさん :2009/11/05(木) 14:26:14 0
>>690 >西欧との文化摩擦は東アジア特有の問題である
まあ、丸山が参照していた当時の研究レベルだと、日本のほかは中国・朝鮮
ぐらいで、東南アジア、インド、中東やアフリカ圏は視野の外だろうから。
そうした時代的な制約はあるだろう。
だけど自生的な近代というのは、西欧に限定されるわけで、残りの地域は
日本も含めてすべて近代化(西欧化)を強制された地域なわけだから、
文化摩擦の問題(伝統文化との対立)はかなり普遍的な問題だと思う。
丸山の議論は、そうした問題に関する日本についてのケーススタディとして
捉えられると思う。
692 :
ひみつの検閲さん :2024/11/15(金) 10:05:53 ID:MarkedRes
>>692 たしかKO出身だろ。
丸山著作集にKOのゼミかなにかでの講演がのってたけど、
その頃学生として参加してた人でしょ。
>丸山眞男の正統な継承者
自称でないのw
政治学っていっても何を専門にしてるのか知らんけど。
思想史のような歴史系ではなかったと思う。
694 :
考える名無しさん :2009/11/07(土) 03:36:16 0
>>688 >>691 中央公論社の旧版「世界の歴史」シリーズが西欧と中国に偏っていたのは
当時の日本の学問レベルを反映していてやむを得なかったのかもしれん。
しかし丸山は欧米の言語に通じているのが自慢だったはず。アメリカを
訪問した時には日本人しかいない席上でも英語で話をしたがったという
エピソードもある。それほど欧米の言語に通じているのが自慢なら、なぜ
欧米の文献によって西アジアやインド、東南アジアなどについての知識を
得ようとしなかった? 日本における「西欧との摩擦」とインド、東南ア
ジア、イスラム圏などにおける「西欧との摩擦」を比較研究する事は学問
的にも有益なはず。それをしようとしないところに丸山の「視野」や「見
識」の程度が現れている。
695 :
考える名無しさん :2009/11/07(土) 05:28:09 0
>>694 >しかし丸山は欧米の言語に通じているのが自慢だったはず。アメリカを
>訪問した時には日本人しかいない席上でも英語で話をしたがったという
かっこわりいな。
>得ようとしなかった? 日本における「西欧との摩擦」とインド、東南ア
>ジア、イスラム圏などにおける「西欧との摩擦」を比較研究する事は学問
>的にも有益なはず。それをしようとしないところに丸山の「視野」や「見
>識」の程度が現れている。
丸山はただの西洋近代崇拝者だから、学問もそれに合わせてねじ曲がってる。
696 :
ひみつの検閲さん :2024/11/15(金) 10:05:53 ID:MarkedRes
>>692 >自分こそは政治学における丸山眞男の正統な継承者である
本当にそんなこと言ってたのか?だとしたら随分とアレだよな。
丸山門下には、政治学や政治思想史の分野では名の知られた人たちが
多いけど、そんなこと自称してる人見たことないな。
それに丸山にとっては、政治思想史が本店で政治学はあくまで夜店だった
はずだから、政治学で「正統な後継者」というのも変だろ。
いったい何者だよ>川原
698 :
ひみつの検閲さん :2024/11/15(金) 10:05:53 ID:MarkedRes
699 :
考える名無しさん :2009/11/07(土) 22:59:47 0
丸山にとって最も理想的人間像というのは要するに「西欧型知識人」 ということらしいが、ドイツでは相当の「知識人」がナチスに協力 したし、フランスでも反ユダヤ主義を唱えた「知識人」は沢山いた。 丸山が描く「西欧型知識人」というのは多分に観念的に美化された ものだったんじゃないか。たとえばドイツ文学者の竹山道雄は西欧 の社会や文化について、かなり辛辣なことを言っていて決して西欧 を一面的に美化していない。フランス文学者の森有礼も長年フランス で生活した経験から「フランスのインテリより日本のインテリの方が 程度は高いだろう」といっている。竹山道雄も「西欧には実に偉い人 もいるが庶民はむしろ日本の庶民よりも低いように思われる」と書い ている。丸山の「日本後進社会論」は西欧を観念的に美化した上での 議論という面があったんじゃないか。もちろん戦前の日本に一定の 「後進性」が存在したのは事実だけど。
700 :
考える名無しさん :2009/11/07(土) 23:25:19 0
>>699 丸山は確信犯的な日本嫌いの西洋好きだろ、多分戦争体験が根にあって、
彼の本店という『日本政治思想史』結構酷いと思うよ。
701 :
考える名無しさん :2009/11/08(日) 00:49:50 O
ないよ
702 :
考える名無しさん :2009/11/08(日) 11:57:42 0
>>699 の者だがミスをした。
フランス文学者の森有礼→森有正
703 :
考える名無しさん :2009/11/08(日) 14:10:45 0
「典型的な西欧社会ではファシズムが大勢力になるなんてありえない」という のが丸山の主張らしいけど、フランスのヴィシー政権下での「国民革命」なんて ファシズムそのものだ。ヴィシー政権は敗戦の結果として生まれた傀儡政権という 性格も考慮すべきだが、あのような「革命」がフランス人自身によって唱えられ、 多数のフランス人がそれに協力したという事実を丸山はどう考えているのかな?
お前ら外在的に丸山を批判するのは結構だけどちゃんと読んで内在的に批判する人はいないの? 丸山という人間がどうだったかなんてどうでもいいでしょ。 言ったのが丸山ってだけで大事なのはその主張の内容でしょ。丸山の評価じゃなく、たまたま丸山という人間によって主張された考え方について議論しようぜ
丸山が現実の西欧社会をマンセーしてるわけじゃないのは著作をいくらか読んでれば常識でしょ。 理念としての近代西洋であって、それを自己認識、自己批判の糧、規準として使ったわけであって、日本が今さら西洋思想史の後追いをできないのは認めてる。 要は、日本における政治的なるものの中に問題点はなかったか考える際に近代西洋の理念を使って分析してみたのが丸山。 ただ丸山は問題の組織化には優れたけど、分かりやすい解決策を提示したわけじゃない。 でも今でも日本は西洋の制度を参照しながら制度改革を考える場合が多いから(社会保障とか選挙制度、民主党の目指す意思決定スタイルなんかもそうだね)、 やはり近代西洋の理念を使った自己批判には意味あると思う。 制度とその根底にある精神を切り離して制度改革してもなかなか期待した成果は得られないからね。 少なくとも現実のナチやフランスの問題で丸山批判する人はあまりに読まずに批判しすぎ。 近代西洋の理念が産み出した西洋ですら現実にはなかなかうまくいかない点を、 日本でそれを自己認識に用いる上での注意点として検討するってんならわかるけど…
×近代西洋の理念が産み出した西洋ですら ○近代西洋の理念がそれを産み出した西洋ですら
707 :
考える名無しさん :2009/11/09(月) 08:13:04 0
>>705 丸山は戦争に協力したのは「無知な大衆」と「擬似インテリ」であって
「真のインテリ」はこぞって戦争に反対したという意味の事を言っている。
ここで丸山が言う「真のインテリ」とは「西欧化した知識人」ということ
なのだろうが、それでは本家本元のドイツやフランスの知識人でファシズム
に協力する者が多数出たのはなぜかという問題が出てくる。
708 :
考える名無しさん :2009/11/09(月) 08:40:21 0
>>707 への追記
舌足らずだったので付け加えると、「理念としての西欧」と「現実の西欧」
との間に相違があるとしても、「西欧の真のインテリ」は「理念としての
西欧」を体現している筈だ。その「西欧のインテリ」の中からファシズム
への協力者が多数でたのはどういうわけかということだ。
丸山の西欧理解や知識人論はどこか偏っている。
>>703 >「典型的な西欧社会ではファシズムが大勢力になるなんてありえない」
>というのが丸山の主張
これは話しがアベコベだよ。
西欧近代ではイタリアやドイツのように典型的なファシズムが生まれた、という
のが丸山の議論の前提。
ファシズム論で言えば、丸山の問題関心のひとつは、なぜ日本ではナチのような
徹底した全体主義が生まれず、天皇中心の国家主義という半分は伝統的な体制に
依拠したままの括弧付きファシズムしか生まれなかったのか、という点。
この点について日独のファシズム体制を比較して、日本の統治構造や政治指導層
の特質性を明らかにしたのが「軍国主義者の精神形態」以下の諸論文。
まあ、あの論文では、日本の統治構造の前近代的性格と政治指導者の精神的矮小性
を強調しすぎた感はあるけどね。
つまりナチを(丸山にとっての)敵として、やや高く評価しすぎたw
いずれにしても、丸山はファシズムを議会制や民主主義と同じく西欧近代の生み
出した所産と見てるわけだから、別に西欧近代マンセーというわけではないよ。
710 :
考える名無しさん :2009/11/10(火) 16:58:09 0
戦前の日本の政治を「密教」と「顕教」の2つの側面に分け、「無知な大衆」 や「擬似インテリ」は「顕教」を盲信し、少数のエリートだけが「顕教」を 知っていたというのが丸山理論だよな。どうだかな。俺の親戚で地方在住の 人の話によると、戦争中その人が住んでいた田舎町でも庶民は「天皇の命令」 なんて天皇周辺の大臣とか大将とかいう連中が決めているんだろうと思って いたし、天皇を「お天ちゃん」と呼んでいる人もいたそうだ。またそうだから こそ「開戦の決定は政府や軍部によるもので天皇に責任はない」という弁明が 通用したんだろう(その当否は別として)。もし庶民が「全ては天皇の決定に よる」と盲信していたのなら、戦後の庶民は天皇にもっと激しい怒りを示した はずだが軍部首脳に対する怒りはあっても、それが天皇に向けられなかったの は「密教」が国民全般の暗黙の了解だったからだろう。庶民蔑視の丸山は庶民 へのアンケート調査なんて思いつきもしなかったんだろうな。実証抜きでドン ドン議論を進めていくのが丸山の特徴。
711 :
考える名無しさん :2009/11/10(火) 17:34:50 0
>>709 丸山は「真のインテリ」=西欧化された知識人はこぞってファシズムに反対
したと主張した。「西欧化した知識人はファシズムに反対した」という主張と
「ファシズムは近代西欧の産物」という主張は矛盾する。もしも丸山が「議会
政治とファシズムはいずれも近代西欧の産物で、西欧型社会は状況によって
どちらにも向かい得る」と考えるならば、「真のインテリ」=西欧化された知識
人がファシストにもなり得るわけで(実際にそういう例は多かった)、「真のイン
テリ」と「擬似インテリ」の相違を重視する丸山理論は説得力を失う。
712 :
考える名無しさん :2009/11/10(火) 19:31:09 0
>>710 書き間違い
少数のエリートだけが「顕教」を知っていた
↓
少数のエリートだけが「密教」を知っていた
>710 丸山は近代日本への一つの有力な分析視角を提供したまでだからね。 彼自身、ファシズムについての自分の言説は学問じゃない。ファシズムについて書く事は自分の生きた時代について書くことだと述べてるし。 ただ庶民で顕教を盲信してたのはむしろ少なかったかもしれないが、密教を自覚化してたわけでもない。 庶民の大半は国家みたいな抽象的存在はどうでもいいというのが実際じゃないかな。 河上徹太郎が日本人は政治的洒脱だと言ったけど、庶民の大半はそんな感じだろう。 とすると、庶民の大半は政治的には勢力にならないから、 たとえ全体で見れば多数ではなくとも軍と庶民の一部が顕教をわめきたてた時に密教を守る奴は誰もいない事になる。 日本人が国家とは疎遠で、天皇の絶対君主性や政治性を強調する事ができない要因として、 近代日本が権力国家原理と共同態国家原理が結合してるというのは藤田省三が論じてたけど、 ああいうのを読むと庶民の大半は確かに顕教を盲信はしてないんだろうなとは思うけど、そこにまた別の問題があると思うよ。 丸山がこの辺ラフなのは確か。 彼の近代日本についての言説(学術的研究じゃない)の意義は、彼の分析視角を活かしてもっと詳細に研究した弟子筋が出た事でしょ。 (丸山は「眞男は弟子はとらず」と言ってたが)
>>710 >戦前の日本の政治を「密教」と「顕教」の2つの側面に分け
ハッキリ言うと、それは丸山が主張した議論ではなく、久野収(や鶴見俊輔)
が主張した議論。だからそれを批判しても丸山を批判したことにはならない。
密教とは天皇機関説に代表される現実の近代国家の統治者という側面で、顕教
とは日本は神国でこれを統治してきた万世一系の天皇は現人神という側面。
後者は国民道徳として義務教育を通じて国民全体に普及され、前者は大学での
研究・講義を通じて官僚として統治を担うエリート層のみが会得した。
それで、顕教(神国的天皇観)は国家への国民統合を意図した庶民層向けの建
前的なもの、密教(機関説的天皇観)は国家を運営するエリート層向けの実用
的なもの、という二重性が生じた。
ところが、こうした顕教・密教という便宜的な使い分けが、昭和になると通用し
なくなり、本来建前に過ぎなかったで顕教が、逆にその建前性(制度的な正統性)
に依拠して、天皇機関説問題のように密教を攻撃・抑圧するに至る。
なお、その背景に藤田省三などが指摘する「天皇制の大衆化」という問題がある。
>>714 (続き)
久野等の天皇制についての顕教・密教という区分(内容・受容層の区分)は、戦前
の体制とそれが戦争へ突入していくプロセスを思想史的に考察するのに適していた。
>天皇を「お天ちゃん」と呼んでいる人もいたそうだ
そうした天皇制とは区別される天皇個人への親近感は、顕密体制とは別に国民の間
にもかなり存在していた。
丸山も、自分の父親(幹治、ジャーナリスト)や長谷川如是閑ら明治生まれの世代
の天皇観が、自分たちとかなり違っていた点について述懐してる。
>「開戦の決定は政府や軍部によるもので天皇に責任はない」という弁明
いわゆる天皇無答責論の主張の根拠は、天皇の政治行為はそれを補弼する各国務
大臣 たちが責任を負うという帝国憲法上の規定。
ただそれにも拘わらず、天皇退位論など天皇の戦争責任を問う世論も国民の間に
広く存在したし、この問題は昭和天皇の死去に際しても再度起きた(元長崎市長
本島氏の天皇の戦争責任を問う意見表明とこれへの右翼の銃撃事件)。
>>711 日本と西欧との思想的風土の違い、特に知識人の状況やそのファシズムへの
コミットの違いという点に全く無理解だよ。
ファシズムというのは、第一次大戦後に自由主義を否定する新しい思想として
西欧で台頭したもので、これをめぐって知識人たち自身が、自由主義を守って
積極的に反対する部分と、自由主義を否定してそれに積極的に賛成する部分と
に鋭く分裂した(同じことは社会主義についても言える)。
もっともその分裂の様相は、スペイン・イタリア・ドイツではファシズム派が
優勢、フランスや東欧では拮抗状態、イギリス(アメリカ)ではごく少数派と、
政権の性格に対応してそれぞれの国ごとに色合いは異なる。
ところで日本の場合、明治以後の知識人というのは、西欧の知識(技術や思想)
の摂取と受容を課題としてきたから、(政治的)思想という側面で言えば伝統的
な西欧と同じく自由主義が大勢だった(他に若干の社会主義や無政府主義)。
確かにファシズムも、西欧から日本に輸入されて一部の知識人には影響を与えた
けど、自由主義的な思想傾向が強かった日本の知識人の過半は、消極的反対もし
くは無関心だった。
だから政府がファシズム化を推進していくと、擬似的なインテリも含めた民衆は
一方的に巻き込まれていったのに対して、上のような状況にあったインテリ層は、
そうした動向へ漠然とした反感や抵抗をもった。
つまり、日本の知識人は西欧ほどファシズムにイカレた連中は出さなかったけど、
逆にそれへの抵抗という点でも西欧には遠く及ばなかった。
717 :
考える名無しさん :2009/11/17(火) 00:47:16 0
>>714-
>>715 少し迂闊な書き方をした事は認める。確かに丸山自身は「密教」、「顕教」という
言い方はしていない。しかし丸山も庶民は国体イデオロギーをそのまま受け入れて
いたのに対し、「真のインテリ」はそうではなかったと言つていて、基本的に久野
と同じ立場に立っていたのは事実。しかしこのような主張と、戦争中の田舎町の庶民
でさえ実際の政策決定は「大臣や大将」が決めているのだろうと思っていたという証言
とは明白に矛盾する。「お天ちゃん」という表現も俺が聞いたところではむしろ天皇
を揶揄する意味で使われていたらしい。第一丸山の説は人間は思想教育をうければ全て
それを鵜呑みにするものだという公式主義的な発想だ。ソビエト時代のロシアでも人民
に対し「マルクス・レーニン主義」の思想教育が行われていたが、大多数の人民にとって
そんなものは「お題目」に過ぎなかったという事が判明している。丸山は「真のインテリ」
=正規の高等教育を受けた者は国体イデオロギーを鵜呑みにしなかったと言うが、それでは
高等教育をうける以前の中学生時代の丸山自身は国体イデオロギーを鵜呑みにしていたのか。
丸山自身の思想遍歴を聞きたいと思う。
718 :
考える名無しさん :2009/11/17(火) 01:22:03 0
>>717 の続き
戦後なぜ庶民は天皇の戦争責任を追及しなかったのかという問題。ここで問題
にしているのは、終戦直後昭和20年代のことだ。全国民が戦争体験を持ち、
また戦前型の教育をうけた世代で占められていた時代になぜ天皇の戦争責任を
追求する声が多数派にならなかったのか。庶民が帝国憲法の条文の規定のこと
まで考えていたとは思えない。庶民はおそらく直感的に開戦の決定は「大臣や
大将」によるものと考えたのだろう。このことは同時に庶民が戦前の国家体制
における政策決定の実態について「建前」と「現実」との相違を感じとっていた
事を示している。天皇の神格否定宣言も多くの庶民から歓迎されて、そのために
天皇の威信が失墜するという事はなかった。むしろ戦後世代の方が左翼教師から
公式的な「天皇戦犯論」を聞きながら育った可能性が強い(その当否は別にして)。
戦後数十年たった時点での長崎市長の発言を巡る事件などは、戦前戦中の庶民の
天皇観を知る手がかりにはならない。
719 :
考える名無しさん :2009/11/17(火) 02:02:42 0
>>716 >政府がファシズム化を推進すると、擬似的なインテリも含めた民衆は一方的
にそれに巻き込まれていった
「政府がファシズム化を推進」したということは、具体的には政府の重要ポスト
についている高級官僚がファシズム化を推進したということだ。そしてその時代
の高級官僚のほとんどは旧制高校→帝国大学という経歴で丸山がいう「真のイン
テリ」に属した。「ファシズム化」を推進した高級官僚も、それを批判した
「知識人」も経歴や学歴は驚くほど共通している。丸山は擬似インテリを罵倒して
いるが日本のファシズム化は擬似インテリを組織化した勢力が政権を乗っ取るので
はなく、既存の国家体制がズルズルとファシズム化するという形で行なわれたため、
擬似インテリが国家の政策決定の中枢に入り込む可能性はほとんどなかった。
1941年という時点でも国家の枢要なポストは学歴エリート=丸山の言う「真の
インテリ」で独占されていた。終戦のときでさえ内務大臣や司法大臣は「徹底抗戦」
を唱えた。戦時体制下での擬似インテリは地域社会のボスではあったろうが、全般
的にみれば高級官僚=「真のインテリ」の決定を庶民につたえる「上意下達」の
役割を果たしていたに過ぎない。丸山の説は軍隊でいえば将校を免罪して下士官だけ
を罵倒しているようなものだ。
720 :
考える名無しさん :2009/11/17(火) 12:39:12 0
>>719 平沼キ一郎や広田弘毅も経歴から判断する限り、丸山の定義による典型的な
「真のインテリ」だが、彼らは公然と右翼団体と関係をもっていたよな。
そして首相にまでなった。
横レスだけど
>>717-719 でいわれている「真のインテリ」と「擬似インテリ」とを区別する丸山への批判は、
前の
>>327 >>329-330 あたりでも議論されてるね。
「擬似インテリ」を全体主義の担い手とすることで「真のインテリ」を免罪する論法だって。
全体主義を推進した政府や軍の高官たちだって「真のインテリ」に属する人たちだったはず
という主張は一理あると思う。
しかもそれだけでなく
>>329-330 で言われてるように、そういうふうに区別することで「真のインテリ」
に属する戦後の丸山たちの啓蒙的な主張を自動的に正当化する仕組みにもなってる。
722 :
考える名無しさん :2009/11/17(火) 16:55:32 0
少なくとも満州事変以前の時代には、「日本は立憲国家である。専制君主国 ではない」ということは、むしろ繰り返し強調されていた。天皇への忠誠と 立憲政治とは矛盾しない、というのがむしろ建前で天皇は立憲君主であって 専制君主ではなく、一応民意を尊重する存在であり、それが日本の皇室の 有難いところだというのが公式のイデオロギーだった。当時の二大政党である 「政友会」「民政党」の正式の名称は「立憲政友会」「立憲民政党」で両方 とも「立憲政治」という看板を掲げていたし、そうでなければ男子普通選挙が 実現した日本で民衆の支持を得られなくなっていた。そのような水準に達して いた民衆がファシズム化したという事実を単に「無知な庶民が国体イデオロギー を盲信していたから」という理由では説明できない。丸山の説は一方では庶民を 徹底的に愚民視し、一方では「擬似インテリ」に責任を転嫁して丸山自身がその 一員である「真のインテリ?」を現実以上に美化し、「人民共は俺達の言う事を 聞け」と言ってるようなものだ。丸山だって中国の文革を礼賛したのに、それに ついて丸山が反省したという話を聞いた事がない。丸山が擬似インテリをあれほど 憎悪したのも、本来ならば無条件で尊重されるべき自分の権威をミドル・クラスは 批判したりするという「欲求不満」から出ているのではないかとさえ思いたくなる。
立憲政治の本質をどこにおくかによるけど、丸山なんかはやはり精神の自由、私的自治領域の尊重に立憲(主義的)政治の基礎をおいてるから、 彼からすれば単に議会や政党があってそれが主導権を握った時代があっても(大正デモクラシー)、 それだけでは全く立憲政治じゃないとは言わないにしろ、やはり決定的な要素が欠けてたと考えてたのでは? だからといって、大衆と疑似インテリだけが悪いみたいな論調には問題あるが、 少なくとも彼は明治以来の国家が本質的には精神の自由を認めない構造になっていて、 たとえ自由民主主義っぽい(恐らく丸山に言わせればそれは決定的要素が欠けてるが故に似非自由民主主義なんだろう)ものがあっても、 結局は押し潰される契機を内在させていたという点を問題にしたいのでは? 丸山の問題にする国体イデオロギーもそうした精神の内面に介入可能な、 単なる制度や機構ではない「精神」としての側面を強調してる。 丸山にしてみれば単に帝大を出ただけの社会的エリートというだけでは真のインテリではないのかもしれない。
続き 帝大出身でも精神の自由の尊重なんてろくに考えないエリートは当時の官僚を見ても相当数いたし、 ここは久野と意見が割れるのか久野の説明が不十分なのかわからないが、 密教を学ぶ事は単に制度や機構が非専制君主制である事を学ぶだけで、精神の自由の重要性を学ぶ事とは別次元だったかもしれない。 また、帝大でも典型的な密教を教えてたところはがりとは限らない。帝大の中でも全体的で見れば密教派と顕教派に分かれてた可能性はある。実際、大正になっても上杉みたいのはいたわけだし。
続き もし丸山が帝大出身というような社会的地位にある=真のインテリと考えていたわけじゃないなら、戦後の丸山が旧帝大(というか東大)の学生を一律疑似インテリと区別してるのは違和感があるが、これは戦後啓蒙主体を育てるための彼の戦略だったかもしれない。 結局、丸山については、大衆への不信と東大法学部のリベラルな雰囲気を帝大の標準とした、 ないしは標準とあえて見なす事で戦後の啓蒙主体たる大学生階層をリベラルな東大法学部化≒真のインテリ化しようとしたのかもしれない。
726 :
考える名無しさん :2009/11/18(水) 20:46:50 0
>>723 「経歴、学歴、社会的地位を問わず『精神の自由』を尊重する人物が
民主主義の担い手だ」というのかな。それは確かに正論だが学問的
には無内容な定義だ。
>>724 エリートの天皇観と庶民の天皇観との間に「密教」と「顕教」という
ほどの相違があったかがまず疑問。庶民の中にも「立憲政治」という
概念を一応理解している人はいただろうし(既に大正デモクラシーを
経験している)エリート官僚で平均的庶民以上に「国体」イデオロギー
を奉ずる人もいた。平沼騏一郎や広田弘毅が関係していた右翼団体は
当時の平均的庶民からも「過激な団体」と看做されていたらしい。
その証拠に彼らが関係していた団体は大規模な大衆運動にはならなかった。
>>725 もし丸山が国民に「自分たちこそ日本の民主化の標準であり全国民
は我々を見習え」と言いたいのなら、まずなぜ自分達の「身内」
からあのようなタイプの官僚や戦犯を多く出したのか率直に反省、
考察するべきだ。それを丸山は「我々はこぞってファシズムに反対
した」と開き直っている。
>725に書いたのは、丸山にしてみれば自分たちの「身内」はリベラルな知識人だけなんじゃないかって事。 彼は彼自身がリベラルという東大法学部出身者でさえ狂信的な国体論者が出てる事については、イレギュラーな存在とみなしてるんじゃないかって事。 彼がいう真のインテリはほんのわずかな自分の周りのリベラル知識人(南原や長谷川が典型)だけに限定しすぎてた可能性があるんじゃないか。だとしたらかなり微妙な話なわけで。
あと、庶民が顕教に染まってるような書き方をしてる点は確かに怪しい。あなたのいうように、非庶民のエリートの中にも密教よりも全然顕教に近い人もいる。 この点は藤田とかが論じてる日本人における普遍意識の欠如=state意識の欠如から考えた方がいいのでは? 過激国体イデオロギーが庶民からも忌避されたのは、結局自分の周りの生活レベル以上の事に関心を示さない事からきてる可能性がある。丸山はそれを実感信仰といったけど、丸山がいうように実感信仰がそのまま国体イデオロギーに繋がるかというとそうとはいえないと思う。 実感信仰の無限包容性は、庶民においては国体イデオロギーとパラレルになるより、むしろ実感から離れた天皇や国体や国家への無関心時には反感を生む方に作用するのではないか。
729 :
考える名無しさん :2009/11/19(木) 13:16:31 0
>>727-728 丸山は一方では「真のインテリはリベラルだ」と言い、一方では「リベラル
が真のインテリだ」と言うのというのかな。これでは議論の堂々巡りをして
いるようなもので、まともに「知識人の問題」に取り組んでいない。
過激な右翼団体が庶民から敬遠されたのは、「実感信仰」という事もあったかも
知れんが、やはり当時の日本のように国民教育も普及し、既に数十年間「立憲政治」
を建前とする体制下で生活してきた平均的庶民にとっては違和感を感じさせたのだろう。
戦争中の翼賛選挙の際に非推薦の候補者が85名も当選したり、戦後新憲法が発布された
とき、多くの庶民がその内容をかなり正確に理解して支持したという素朴な事実を直視
すべき。新憲法発布のときは庶民はそれを歓迎したのに、旧エリート官僚の方が「無念
の涙」を流すという光景さえ見られた。吉田茂は戦後も不敬罪の存続を主張した。丸山
は日本の庶民を低く見すぎている。というより庶民を蔑視しながら自分たちエリートの
失態は擬似インテリというスケープ・ゴートにおしつけ、「俺達は絶対に偉い」と
実証抜きでわめくのが丸山政治学。
丸山は自分と同類のインテリを擁護して、 戦争責任を庶民に押しつけたという点だけ をとらえて非難するのは筋違いだろ。 だってフツーいわれてる丸山政治学の特徴 って、「超国家主義」の思想内容を分析して その特徴を明らかにした点だろ。戦争責任の 問題なんか直接には論じてないぜ。 「超国家主義」思想の社会での担い手につい て触れてる部分はあるけど、それは論旨の中 心ではないだろ。話しが完全にズレてないか? 末梢的な部分を針小棒大にとりあげて叩くとい うのは正攻法の批判とは言いがたいよ。 「実証抜きでわめいてる」のは君自身だよ。
731 :
考える名無しさん :2009/11/20(金) 00:35:33 0
どのような思想も、それがどのような社会を背景にして どのような社会階層によって担われたかを明らかにしな ければ真に解明することはできない。
732 :
考える名無しさん :2009/11/20(金) 01:32:15 0
>>730 思想内容の研究も重要だが、なぜそのような思想が権力を握ったのか
という問題の研究はある意味ではそれ以上に重要ともいえる。
そのような問題について丸山が擬似インテリに責任を転嫁して自分達
を免罪しその後も庶民に対して高踏的な態度を取り続けたのは事実。
批判されるのは当然。
733 :
考える名無しさん :2009/11/20(金) 11:19:59 0
なんだか話しが混みいっててわからないけど、丸山を批判してる人がインテリと庶民の違いを帝大出身といった学歴の違いに還元してるのはおかしいと思う。 インテリつまり知識層かどうかというのは、社会において果たす役割の違いだと思うから、まずは職業や職種の違いだと思う。 政府の指導者や高級官僚に帝大出が多いのは当然だろうけど、ふつうそういう部分まであえてインテリと呼ぶのには違和感がある。ただ単に知識や教養があるというのならすべて含まれるだろうけど。 インテリという言葉はいまではほぼ死語になったけど、今でいえば科学者、経済や経営のアナリスト、弁護士といった特定分野の専門家や研究者、文芸評論家や小説家など主に出版・マスコミ分野で活躍してる人たちがイメージされる。 念のため広辞苑で引いてみると、インテリはインテリゲンチアの略で「インテリゲンチア【intelligentsiyaロシア】(もと帝政ロシアの西欧派自由主義者群の称) 知的生産に従事する社会層。知識層。インテリ。」と出てくる。 丸山や当時の日本でイメージされていたインテリというのは、政府や官僚制といった国家制度のなかではなく、社会において知的生産に従事する層を指してるように思える。
三木清とか蝋山政道は? 東亜協同体論とか支那事変で近衛内閣にコミットした人たち
735 :
考える名無しさん :2009/11/20(金) 13:35:40 0
>>733 丸山自身がインテリと庶民を区別するにあたって「学歴」という要素を
非常に重視している。庶民は高等教育を受けなかったため「密教」に接触
できず、小学校で教えられた「顕教」を盲信していたというのが丸山や久野
の主張。そのうえ丸山は学生も第一類型=擬似インテリと第二類型=真のイン
テリに分かれると言い、「東大の学生はまずは第二類型=真のインテリに属
するだろう」という意味の事も言っている。東大の学生の中には官僚志望者
も多かったはず。丸山はそういう人達も含めて東大生を「真のインテリ」と
言っている。
>>733 >もと帝政ロシアの西欧派自由主義者群の称
いわゆるナロードニキやなんかになった連中か。
やはり丸山のインテリという前提には西欧自由主義者という言葉本来の
ニュアンスがあるんだろ、体制に批判的といった意味も含めて。
帝政露西亜の貴族や官僚だって知識人には違いないだろうけどインテリ
というとなんか違和感を感じる罠。
737 :
考える名無しさん :2009/11/21(土) 17:28:01 0
>>736 すると丸山によるとある人物がインテリであるかどうかはその人物の思想傾向
によって決まるのかな。「真のインテリはファシズムに反対した」というのと
「ファシズムに反対した者が真のインテリである」というのとでは、ただ議論
の循環を繰り返しているだけだ。
738 :
考える名無しさん :2009/11/22(日) 10:36:10 0
>>733 >丸山や当時の日本においてイメージされていたインテリというのは、政府や官僚制といった国家制度のなかで
はなく、社会において知的生産に従事する層を指しているように思える。
そうだったとしても大学教授、それも帝国大学の教授が典型的インテリであることは
丸山自身が強く意識していたことだ(丸山は自分が単なる教授ではなく東大=旧帝大
の教授だという意識が強烈だったという証言もある)。ところが戦時中の帝大教授の
なかからは軍部に協力する者が続出した。それどころか平泉澄のように右翼軍人の
「精神的指導者」になるものさえ現れた。丸山は当時同じ大学の助手・助教授として
そのような光景を目の当たりにしていた筈。それで戦争が終わると「我々はこぞって
戦争に反対した。悪いのは擬似インテリだ」というのだからよほどの健忘症なのか
「臭いものには蓋」を決め込んでいるのではないかと言いたくなる。
丸山の「擬似インテリ悪玉論」も帝国大学の権威を守るという政治的目的から考えだした
のではないかと疑いたくなる。
矢部貞治とか 近衛に接近したインテリ多いよね
740 :
考える名無しさん :2009/12/01(火) 11:25:50 0
インテリを擁護したとかいって丸山叩いてる香具師は、 なんか自身のコンブ丸出しだなw 戦前はもとより戦後直後にしても、大学生の比率なんて同世代の数%だろ。 だから学生はインテリだよ。 そして共産主義、全体主義、自由主義などおよそ思想の分野は彼らインテリの独壇場だった。 だからインテリといってもいろいろな思想傾向があるのは当然。 ただ当時の旧制高校や帝大の学生たちの思想的な傾向は、 自由主義が主流で共産主義や全体主義は少数だったというのは確かだろうね。
741 :
考える名無しさん :2009/12/01(火) 13:20:03 0
俺が言ってるのは、丸山の説はあまりにも公式主義的、図式主義的だ ということだ。もちろん庶民で戦争熱にとりつかれた者もいただろうし インテリの反戦論者もいただろう。しかし俺が地方在住の親戚から聞い たところでは田舎町の庶民でも日中戦争について「あんな広い国を占領 なんか出来るはずがないのに馬鹿げたことをしている」と冷めた目で みている人は意外に多かったというし、反面庶民以上に「聖戦」イデオ ロギーに取りつかれたインテリもいた。丸山の説は教科書的、一面的で 社会のナマの姿をとらえていない。
742 :
考える名無しさん :2009/12/01(火) 14:11:52 0
>>741 の続き
1940年1月に阿部信行内閣が倒れたよな。あれはある意味では議会が内閣
を倒したようなものだ。阿部内閣の評判が悪くなって衆議院議員の過半数が内閣
不信任決議案の提出に賛成するというような事態になった。そこで解散、総選挙
の声もでたが「今、選挙をすれば国民の反戦感情や軍部への不満が表面化する」
というので軍部自身が反対し内閣総辞職ということになった。
1940年という時点での軍部でさえ国民の世論をある程度考慮せざるを得な
かったという点に考慮すべき。いいかえれば当時の日本はその程度の水準には
たっしていたとも言える。丸山はそのような面は一切見ようとしない。
743 :
考える名無しさん :2009/12/02(水) 15:08:47 0
俺も旧制高校に行った人は皆インテリ候補だと思う。 だが、、 >ただ当時の旧制高校や帝大の学生たちの思想的な傾向は、 >自由主義が主流で共産主義や全体主義は少数だったというのは確かだろうね。 「当時」というのが漠然としている。 時期によってインテリのあいだでの思想の流行は様々だろう。 日本主義から自由主義あるいは共産主義に転向した人が居たら異色で面白いけど。
744 :
偽情報に :2009/12/02(水) 15:12:31 O
画像検索すらかまかけの可能性もあるわけですねw
745 :
考える名無しさん :2009/12/02(水) 16:46:18 0
>>743 戦後左翼の歴史家になった色川大吉は中学4年で旧制高校に入学し帝大在学中
に学徒兵として出征したインテリだが日本の戦争は「聖戦」だと確信していたと
自分で言っている。個人差や世代差という問題もあるんだろう。
746 :
考える名無しさん :2009/12/02(水) 20:51:53 0
前レスの
>>715 ー716だけど、大規模規制に引っかかりレスが遅れた。その間にレスが伸
びたみたいなので、網羅的な対応は無理だけど主要な争点を念頭に置いてレスする。
1,丸山の主張の断片のみを捉えて評価するのはナンセンスだろうから、まずは『現代政
治の思想と行動』(未来社)に掲載されてる諸論文に見られる丸山のファシズム論の組み
立てを概観しておく。
・最初の「超国家主義の論理と心理」(1946)では、日本における完成されたファシズム
思想を「超国家主義」と捉え、その思想の内容的な論理構成の特徴(天皇存在を中核とし
た国家主権による政治的権力と精神的権威との一元的集中)とそれが全国民の心理に強制
される論理的プロセス(「抑圧の移譲による精神的均衡の保持」)を明らかにし、ついで
「日本ファシズムの思想と運動」(1947)では、日本ファシズム運動について、多様な内
容と存在形態をもつ右翼思想が発生してくる準備期(第一次大戦後〜満州事変)、それら
が離合集散しながら運動=組織として成長してくる成熟期(満州事変〜2.26事件)、
それらの組織が国家機構に包摂され体制化される完成期(2.26事件以後から終戦)と
時期区分を行ってその変遷を歴史的に跡づけている。こうした完成されたファシズム体制
の国家機構の指導者たちを対象に分析したのが「軍国支配者の精神形態」(1949)であり、
政治指導者たちの言動の特徴(「既成事実への屈服」「権限への逃避」などの精神的矮小
性)を通じて、体制自体がもっていた病理構造(「無責任の体系」)を解明した。
・丸山のインテリ層への評価は、「日本ファシズムの思想と運動」中の「第5節 その社
会的担い手における特質」において。だから、ただの学歴還元主義によって、すでにこの
論文や別の論文で分析されている国家の指導者、右翼思想家、政党指導者などを勝手にこ
こでのインテリ範疇に含めて、丸山の議論を批判するのは的ハズレ。
>>746 (続き)
2,次ぎに先の第5節の内容を整理(『現代政治の思想と行動』未来社、63頁〜70頁)
する。
・まず丸山は、「軍部官僚がファシズムの推進力であったのはいうまでもないこと」(63
頁)とした上で「もっと広い国民的な面でいかなる社会層がファシズムの進展に積極的に
共感を示したかという問題」(同前)を提起し、中間層を社会的担い手としつつも、これ
を二つに類型化。
@第一類型:
(イ)「小工場主、町工場の親方、土建請負業者、小売商店の店主、大工棟梁、小地主乃
至自作農上層、学校教員、殊に小学校・青年学校の教員、村役場の吏員・役員、その他一
般の下級官吏、僧侶、神官、というような階層」(63頁)で、「擬似インテリゲンチャ、
乃至は亜インテリゲンチャとでも呼ばれるべきもの」(64頁)であり、「わが国の場合フ
ァシズムの社会的地盤となっている」(64頁)。
(ロ)「実質的に国民の中堅層を形成し」「彼らはそれぞれ自分の属する仕事場、或は商店、
或は役場、農業会、学校等、地方的な小集団において指導的地位を占めている・・・・・
こういう人達こそは、そのグループのメンバー――店員、番頭、労働者、職人、土方、傭
人、小作人等一般の下僚に対して家父長的な権威をもって臨み、彼ら本来の「大衆」の思
想と人格を統制している」(65頁)。そして(これらのグループは)「生活様式からいって
彼らの隷属者と距離的に接近しておりますし、生活内容も非常に近いということから、大
衆を直接に掌握しているのはこういう人達であり、従って一切の国家的統制乃至は支配層
からのイデオロギー的教化は一度この層を通過し、彼らによっていわば翻訳された形態に
おいて最下部の大衆に伝達される」(66頁)
>>746 (続き)
(ハ)「教養において彼らの配下の勤労大衆との間に著しい連続性をもっていること、大
衆の言葉と、感情と、倫理とを自らの肉体をもって知っていること、これがいわゆるイン
テリに比して彼らが心理的によりよく大衆をキャッチできるゆえんです」(68頁)「彼ら
を私が擬似インテリとか、亜インテリとか呼ぶのは、彼ら自身でいっぱしインテリのつも
りでいること、断片的ではあるが、耳学問などによって地方の物知りであり、とくに政治
社会経済百般のことについて一応オピニオンを持っていることが単なる大衆から彼らを区
別しているからです」(68頁)
A第二類型:
(イ)「都市におけるサラリーマン階級、いわゆる文化人乃至ジャーナリスト、その他自
由知識業者(教授とか弁護士とか)及び学生層」(63頁〜64頁)
(ロ)「インテリは日本においては明確に反ファッショ的態度を最後まで貫徹し、積極的
に表明したものは比較的少なく、多くはファシズムに適応し追随はしましたが、他方にお
いては決して積極的なファシズム運動の主張者乃至推進者ではなかった。むしろ気分的に
は全体としてファシズム運動に対して嫌悪の感情をもち、消極的抵抗すら行っていたので
はないかと思います。これは日本のファシズムにみられる非常に顕著な特質であります。」
(64頁)。
(ハ)日本のインテリがもつヨーロッパ的教養は、頭からきた知識にすぎず、肉体的なり
感情的なりにまで根を下ろしていない。それゆえファシズムに対して抵抗するだけの勇気
にも欠けていたが、さりとて同調することもしない。こうした点がインテリのもつ分散性
・孤立性とあいまって「インテリをどっちつかずの無力な存在に追いやった」(65頁)。
(ニ)「一般の社会層から知識的=文化的に孤立した存在であるということは、綜合雑誌
というものの存在、純文学という妙な名前があること、岩波文化といったもの、――これ
らがいずれもインテリの閉鎖性を地盤にして発生していることにも象徴されます」(68頁)
>>746 (続き)
・以上のように丸山の言説を整理すると、ファシズムの社会的基盤となった中間層の第一
類型が職種・階層、社会的な機能、文化的教養の側面について明瞭に捉えられてるのに対
して、第二類型は職種・階層以外はアイマイで社会的機能もはっきりとしてない。
・特に第二類型の(ロ)と(ハ)ではインテリ層の苦しい弁明に終始している。「ファシ
ズム運動に対して嫌悪の感情をもち、消極的抵抗すら行っていた」のが 「積極的なファ
シズム運動の主張者乃至推進者ではなかった」のは当然として、「多くはファシズムに適
応し追随」したというのでは明白な矛盾だろう。またインテリの「どっちつかずの無力な
存在」という評価にしても同じ。
・むしろインテリが、文化的な孤立性や閉鎖性をもちながらも高い教養を有していたはず
なのに「多くはファシズムに適応し追随」した問題こそが糾明されるべきであった。
・おそらく丸山の議論の方向性は、第二類型の職種・階層にあるインテリが、その孤立性
と閉鎖性を打破して、第一類型的な社会的役割を果たすこと、もしくは第一類型が再度フ
ァシズムの社会的基盤とならないよう彼らを啓蒙する点にあったのだろう。
3,ファシズム体制下での庶民感情
戦前でも一般民衆が天皇を神と思ってたわけではない、また政府の政策について批判をす
る場合もあった云々の指摘があったと思う。これは事実としてはその通りだろう。けれど、
戦時体制下ではそうした批判が社会の片隅で私語として燻ることはあっても、公式の場(上
は議会から下は村会、自治会、青年団)では口にすることは憚られたし、憲兵などによる
厳しい監視と干渉があったことも事実。
750 :
考える名無しさん :2009/12/02(水) 22:47:02 0
>>746-
>>749 なぜ第一類型が教養の点や価値観の点で大衆と連続性を持ち、第二類型は孤立していたのか。
第二類型は高等教育を通じて西欧式の教養を身につけ、また「密教(丸山自身はそういう言い方
をしていないが便宜上使うことにする)」と接していたのに対し、第二類型や大衆は高等教育を
受けなかったため、伝統的な価値観を維持しながら小学校で教えられた「顕教」を信じていたから
だというのが丸山の主張でこれは結局「学歴」という問題に帰着する。
>支配層からのイデオロギー的教化は一度この層を通過し
この時代の日本の支配層は第二類型と同じ教育をうけ、しかもそのような教育を受けた者の中でも
最も高いレベルの教育を受けたと考えられていた高級官僚によって構成されていた。
また「支配層からの教化は第一類型を通じて行われた」ということは、第一類型は客観的には国策
遂行の「実行部隊」にすぎなかったということを示している。
むしろ最も「高い」教育をうけていた筈の高級官僚の価値観と第一類型の価値観が意外なほど共通
していたという点こそ研究に値するかもしれない。
751 :
考える名無しさん :2009/12/04(金) 06:18:12 0
>>748 そうやって丸山自身の記述を並べてみると、第二類型の内容ってずいぶんとヒドイな。
知識人とかっていっても、まったく無意味な存在だったってことじゃん。
なんかそれを必死に弁解してるとしか思えない>丸山
よーするに自分が所属する階層を弁護するために、あえて中間層を二つに分けたようにさえ思えてくるよ。
>>751 支配層−中間層−大衆のうち中間層のインテリ部分は
実質的には少数で、そのインテリの大半も支配層へと
上昇するのがノーマルだったということか。
やはり丸山のインテリというのは少数派だったんだね。
753 :
考える名無しさん :2009/12/04(金) 12:52:10 0
ゾルゲ事件に関与して処刑された尾崎秀実は一高→東大→朝日新聞記者とういう 経歴で左翼思想にかぶれて反戦活動をして処刑されたのだから、丸山がいう 「典型的インテリ」なんだろうが、実は高文試験に落ちて新聞記者になったんだよね。 そのころから急速に左傾したという話もある。すると彼を左翼に走らせたのは何だった のかということになるし、当時の「第二類型の中間層」の中には高等教育を受けながら 何等かの理由で支配層に入れなかった者も多かったんじゃないかということになる。 もし尾崎が順調の高文に合格して内務官僚にでもなっていたら彼自身が「第一類型」の 人達を通じて大衆を「教化」していたかも知れない。
754 :
考える名無しさん :2009/12/04(金) 13:10:48 0
吉永小百合の父親も東大法科の出だけど、高文に落ちてある会社に就職 したけど面白くなくてそこも辞めたり、という経歴なんだよね。 もし彼がもう少しまともな会社に就職出来て、実直に長年勤めてある程度 の地位まで昇進したとしたらまさにエリートサラリーマンで丸山が言う 「第二類型=真のインテリ」ということになったろうね。
755 :
考える名無しさん :2009/12/04(金) 16:06:42 0
>>753-754 「第二類型の中間層」こそ支配層のリクルート基盤だったということになる。
むしろそのような中間層から支配層入りした連中の方が自己の特権的地位を
守るため、戦前型の国家体制を死守しようとしたのかも。
いずれにせよ丸山の解釈は皮相だ。
マル激トーク・オン・ディマンドの公開収録を12月13日(日)に新宿ロ
フトプラスワンにて行います。
神保、宮台が09年のニュースを振り返ります。
皆様のご来場をお待ちしております。
マル激トーク・オン・ディマンド公開収録 2009年総集編
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12月13日(日) 12:30開場 13:00開演
※前売券ご購入のお客様は12:50までにご入場頂きますようお願い申し上げます。
12:50過ぎてのご入場の場合、お席を確保いたしかねますのでご了承ください。
http://www.videonews.com/news/001287.php 【場所】
新宿ロフトプラスワン(新宿区歌舞伎町1-14-7林ビルB2)
【入場料】
前売券、当日券とも1000円(ワンドリンク付き)
【出演者】
神保哲生(ビデオジャーナリスト)、宮台真司(社会学者)
※前売券のお買い求めについて
11月23日(月)より前売券を発売いたします。
前売券は、ローソン各店に設置されている端末「Loppi」、
またはローソンチケットの販売サイト「ローチケ.com」にてお買い求めください。
お買い求めの際に必要となるLコードは32696となっております。
http://www.videonews.com/news/001287.php
たまごの殻というものは透明である。 キリスト教の卵が先か鶏が先かの議論であるが アタナシウス派とアリウスはに聞きゃあいいだけの話ジャン
尾崎秀実って反戦活動して処刑されたの?
759 :
考える名無しさん :2009/12/04(金) 19:28:10 0
スパイ活動だが広い意味での反戦活動だろう。
んぬぬ・・・広い意味ではそうなのかな・・・ 処刑とは直接関係ないかもしれないけど、支那事変に対しては >だが戦に感傷は禁物である。目前日本国民が与へられてゐる唯一の道は戦に勝つといふことだけである。 >その他に絶対に行く道はないといふことは間違ひの無いことである。 >「前進!前進!。」その聲は絶えず呼び続けられねばなるまい。 >尾崎秀実「長期抗戦の行方」『改造』昭和13年5月1日発行 みたいな感じのことも言う。
761 :
考える名無しさん :2009/12/04(金) 20:49:37 0
>>760 スパイが本音を隠すのは当然。
相手側の信頼を得なければ情報を得られない。
それよりも「第二類型の中間層」が当時の日本の支配層のリクルート源
だったという事実に丸山は触れようとしないことのほうが重要。
瑣末なことでごぬんね ザキさんとか蝋山とかが当時雑誌で結構「聖戦」扱いしてるのがちょっと面白かったので スレ違いっぽいので北支から撤退
>>750 >結局「学歴」という問題に帰着する
問題を勝手に「学歴」に一面化してるのは、あなた自身だろう。
丸山は政治思想史という専門分野から、戦前の国家主義、右翼、自由主義、左翼などの個
別的な思想内容とその布置関係、運動や組織について検討したのであり、これら諸思想の
思想家の社会的出自の検討に主眼があったわけではない。
思想家や運動家たちを「学歴」的に見れば、ほぼ全員が高等機関の出身という自明の答え
が出るのは当然であり、それでは思想や運動の相違や独自性は無意味化する。
ついでに言うと、戦前の高等教育機関に進学できたのは、中小地主層、(文武の)官僚層、
大企業の管理職層、(中学以上の)教員層、医者・弁護士などの専門技術者層などの子弟
が大半だから、「学歴」との対応よりも社会階層との対応を考えた方がまだ建設的。
>高級官僚の価値観と第一類型の価値観が意外なほど共通していたという点
両者にあるのは「価値観」の共通性ではない。
両者の違いは、大衆や第一類型の中間層が、一方的に国体思想(「顕教」)を内面的に価
値化していたのに対して、高級官僚など高等教育機関の出身者は、そうした価値の内面化
からは相対的に自由であり(ここに高等教育=「密教」による「顕教」の中和化作用があ
る)、「顕教」があくまで国家が被支配層を統制・教化する手段にすぎないことを知って
いた。
つまり官僚にとっての「顕教」は、彼らが自己の職務を遂行する表向きにおいてであり、
個々人として心情的には自由主義的であることは十分ありえたし、事実そうした例も多い。
むしろ自由主義を否定し、軍部と提携して国家主義へと積極的にコミットした官僚は1930
年代においては「革新官僚」と呼称されるやや特殊な存在ですらあった。
764 :
考える名無しさん :2009/12/04(金) 23:38:31 0
>>763 戦前の日本では出身階層と「学歴」が大体対応していたことは事実。
しかし当時でも貧乏人の息子が苦学して夜学で勉強し高文や司法科試験
に合格したり、中等教員の資格を得るという例は絶無ではなかった。
ちなみに当時の日本では中等教員といえば一応インテリの部類に属した。
この場合その人物は一応高等教育を受け、「密教」とも接触したことになる。
「学歴」という言い方に語弊があれば「高等教育を受けた階層」と「受けて
いない階層」と言ってもよい。両者の間に大きな断絶があったというのが丸山
の説。
庶民が「顕教」をどこまで内面化していたかがまず問題。
>>717 >>718 >>729 をもう一度読み直してほしい。
もちろん個人差があり「顕教」をかなり内面化している者もいただろうが
「立憲政治」の概念を理解している者もいた筈。天皇の「神格否定宣言」が
多くの庶民から歓迎されたのは庶民にとって「神権天皇制」などは一種の
擬制にすぎず、庶民はもっと合理的な皇室の在り方を望んでいた事を示し
ている。
765 :
考える名無しさん :2009/12/05(土) 00:02:23 0
>>764 の続き
官僚にももちろん個人差があっただろう。しかし平沼騏一郎や広田弘毅のような
右翼団体と関係を持つ人物が司法官僚や外務省の長老として存在していたことや
終戦時の司法大臣や内務大臣(いずれも官僚として典型的なコースを歩んだ人物)
が好戦派だったということは国家主義にコミットした官僚が決して「特殊な存在」
ではなかったことを示している。戦後「憲法改正」を主張した保守政治家の多く
が旧エリート官僚の出身だという点に注目すべき。
766 :
考える名無しさん :2009/12/05(土) 02:26:31 0
>>765 の続き
昭和期の日本はともかくも大正デモクラシーを経験していた。二度の護憲運動
で内閣が倒れたという事実もある。当時の「建前」では首相は天皇が任命する
のだから、もし大衆が「顕教」を完全に内面化していたのならその首相に対する
辞任要求が大衆化するなどということはありえない。そのような運動が起こった
こと自体が大衆が当時の政治体制における「建前」と「現実」の違いを見抜いて
いたことを示す。第一次護憲運動で桂太郎が「詔勅を以って弾丸に代えた」と非難
されたときも、非難されたのは桂太郎であって大正天皇にたいする怒りはなかった。
大衆は実際には誰が詔勅を「準備」したかを知っていたと言うことだ。
そのような経験も持つ昭和期の大衆が「顕教」を無邪気に信じ込んでいたとは思えない。
むしろ「体制側」の官僚のほうが危機感を感じて、単に民衆に対して「国体」イデオロギー
を押し付けるだけではなく、その過程でみずからも「国体」イデオロギーを「内面化」して
いったということもありうる。
767 :
考える名無しさん :2009/12/05(土) 11:31:55 0
>>766 の続き
こんな話がある。戦後防衛大が出来たとき、その初代校長には槇という慶応の
教授だった人が任命されて10年以上も在職して比較的リベラルな教育をした。
ところがその後大森という旧内務官僚だった人物が任命されると、大森は防衛大
の学生に「軍人勅諭の精神を学べ」というような訓示をして物議を醸した。
戦後20年たった時点でそんな事をいってたんだぞ。その旧内務官僚が戦前の
価値観をまさに内面化していた事を示す。
768 :
考える名無しさん :2009/12/06(日) 04:47:21 0
「学問は山の手のものです」だっけ?清水幾太郎が言った言葉 もちろんその批判の中心に丸山まさおがいる
>>768 丸山はたしか四ッ谷育ちだよな。
ただ本人の回顧録によると純然たる山の手でもなくて、
下町的な要素もかなり混じってたところらしい。
まあ、丸山批判で有名な吉本隆明は下町育ちだけど。
しかし昔の一高や東大なんて農村部の出身者も多くいただろう。
でもそこの教員たちはみんな山の手に住んでたみたいだな。
そういう意味でなら清水の言葉は当たってるかも。
770 :
考える名無しさん :2009/12/14(月) 03:28:22 0
>>766 天皇制(君主制)と帝国憲法の枠内での議会の民主化とは別に矛盾しないよ。
まあ大正期は天皇主権が前提だから、「民本」主義といって「民主」主義というのは避けてたけど。
顕教といっても歴史的な天皇統治の正統性を宣布する国民教化策にすぎないから、議会の改革や選挙権の拡大を目指す運動と対立するわけでもない。
だから民衆が護憲運動を支持したからといって、それが別に顕教に反するわけでもない。
つまり護憲運動=民本主義と顕教とでは同次元で衝突する性格のものではないのだよ。
けれども民本主義運動の主な担い手だった東大黎明会などが、更に進んで社会主義を主張しはじめると、政府は普通選挙法と抱き合わせで治安維持法を公布してこれらの思想傾向を徹底的に弾圧した。
社会主義は君主制と私有財産制度を否定するから、顕教としてはこれらを絶対に認めるわけにはいかなかった。
そして政権への軍部の影響が拡大してくると、共産党や社会主義の弾圧はもとより、自由主義や個人主義も否定するものとして右翼運動の追い風を受けて顕教が猛威を振るい始める。
そして戦時体制下では一切の政府・官憲への批判は反国体的として封じられる顕教一元主義に至ったわけだ。
771 :
考える名無しさん :2009/12/14(月) 12:40:52 0
>>770 色川大吉も指摘しているけど明治憲法自体が「天皇親裁説」的解釈も
「天皇機関説」的解釈も可能なようにできているんだよね。
そして前者が「顕教」で後者が「密教」だったというのが丸山や久野の
主張。しかし二度の護憲運動で天皇が任命した首相に対する公然たる
辞任要求が大衆運動として行われたということは、まさに大衆が(どこ
まで意識していたかは別として)「天皇機関説」的に行動したことを
示している。護憲運動の指導者にしたって決して帝国憲法の否定なんか
していない。ただ「機関説」的に行動しただけだ。
772 :
考える名無しさん :2009/12/14(月) 15:44:30 0
>>770 の言うことは支離滅裂。「密教」も「顕教」も天皇制や帝国憲法の
存在を自明の前提にした上での議論。美濃部達吉自身が戦後新憲法の制定
に反対している。ただ憲法の解釈、運用をめぐって庶民は「顕教」=天皇
親裁を信じ込み、エリートだけが「密教」=機関説を知っていて実際の
国政はそのように運用されていたと言うのが丸山説。
それに比べて共産主義運動などは天皇制や帝国憲法そのものを否定するの
だから当時の価値観から見れば弾圧されるのが当然で「顕教」か「密教」
などというのとは別次元の問題。
773 :
考える名無しさん :2009/12/14(月) 16:09:11 0
>>772 の続き
「顕教」によれば日本は一応立憲国家で法律の制定には議会の協賛を要するが
国務大臣の任免は天皇の大権事項で天皇陛下自身が決定されたことなのだから
人民がデモ行進をしてそれを撤回させるなどというのはとんでもない話という
ことになるはず。人民が「顕教」を信じ込んでいたら二度も護憲運動が起こる
なんてありえない。
>>772-773 俗に顕教と言われるのは、幕末の尊皇攘夷思想や維新の王政復古(天皇親政)思想に由来
する天皇存在に関する独特の思想=国体思想のことを指し、それは一貫して近代日本にお
ける「正統」思想であり、帝国憲法よりも教育勅語や軍人勅諭の内容に体現されていた。
教育勅語は小学校からすべての国民を対象に、軍人勅諭も国民皆兵制のもとですべての成
年男子を対象に叩き込まれたので、日本=神国、天皇=神という観念が普及する上で大き
な影響をもった。
それに較べて、憲法の専門的な解釈は大学の講義で初めてなされるのが通常だったから、
現在のように義務教育で憲法が教育されるのと違って、国民の大半にとって憲法は必ずし
も身近な存在ではなかったし、憲法の解釈にしても、それが天皇主権説的であれ天皇機関
説的であれ、国民にとって周知の事実だったわけではなく、むしろそうした意味では憲法
の解釈自体が密教的存在だったとも言える。
>>774 続き
しかし戦前に様々なかたちで展開した国体思想は、帝国憲法第一条「大日本帝国ハ万世一
系ノ天皇之ヲ統治ス」や第三条「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」といった規定の「万世
一系」や「神聖」という部分を根拠としていたから、それらの諸思想にとっては憲法上の
規定もまた重要だった。
例えば、第三条は天皇が刑事的訴追を受けないことを意味する内容にすぎなかったが、そ
うした本来の解釈を教示するのは大学での講義に限られおり(この点が密教)、むしろ世
間では天皇の神聖性を規定したものと受け取られ(この点が顕教)、国体思想はそうした
国民の常識をつくり出しかつ助長していった。また「万世一系」も、義務教育でなされる
歴史(国史)や修身(道徳)で神話や神武以下の天皇たちの事跡を中心に教育されるかた
ちで普及され、やはり国民にとっての常識として定着させられ、皇国史観もそうした状況
を前提に形成された。
しかも国体思想=顕教というのは、明治維新以来の日本支配層の「正統」思想ではあるけ
れど、必ずしも論理的な思想内容というものをもっておらず、それゆえに時々の政治権力
を掌握した勢力の性格如何によって伸縮自在に解釈され利用された。
ただそれが一貫して強力であったのは、支配層側が任意の思想や言説を一方的に「異端」
(反国体的)と見なすだけで、それを弾圧もしくは社会的に抹殺することが可能という恐
るべき効果をもっていた点で、つまり顕教=「正統」思想がもっていた特徴は、国民の思
想的な教化・統合と同時に「異端」思想の排除という役割にあり、しかも「何が異端か」
というのは政治勢力の側の恣意的な判断に拠っていた。
記紀神話の実証的検討をした津田左右吉の歴史研究も反国体的として著書の発禁処分を受
けたし、美濃部の憲法学説も同様にして弾圧された。なお、世間での機関説の受け止め方
は、学説上の解釈よりも現人神たる天皇をキカンと呼ぶのはケシカランというレベルだっ
たのに対して、逆に昭和天皇自身が「アレは学者の説だから別に騒がなくともよいではな
いか」という醒めた態度だった点は、顕教と密教の受容層の対応の違いを顕著に示してい
る。
>>774 続き
丸山が青年期に直面していたのは、まさにそうした国体思想を核とするウルトラナショナ
リズムが猖獗をきわめていた時期。そして国体思想を極限まで肥大化させて戦争を推進し
た指導層が、終戦直前にポツダム宣言の受諾をめぐって揉めたのは、それが国体の存続を
保証するか否かの点であり、つまりは天皇も含めた指導層においてすら「国体とは何か」
という肝心な定義がハッキリしていなかった点をバクロした。結局は天皇の統治が存続さ
れるか否かというレベルに落ち着いたが、この時点で国体は憲法第一条の天皇の統治とい
うミニマムなレベルにまで収縮したと言える。
こうした悪魔的な性格をもつ顕教=国体思想を否定する(特にその「正統」性を明示的に
否定する)ために、戦後すぐに教育勅語は廃止され、更に天皇自身の人間宣言という「儀
式」が必要だった。
>>774 (おまけ)
先に
>>775 で
>国体思想=顕教というのは、明治維新以来の日本支配層の「正統」思想ではあるけ
>れど、必ずしも論理的な思想内容というものをもっておらず・・・・
と述べたけど、まさに戦後直後にこの顕教=国体思想の性格を論理的に分析して明瞭
なかたちで提示したのが、丸山の「超国家主義の論理と心理」。
この論文が、「一体つい昨日まで日本国民全体を呪縛していた国体思想とは何だった
のか?」という国民各層の疑問に対するひとつの論理明快な解答として受け止められ
たからこそ、丸山本人も驚くような反響を生んだ。
ただ
>>775 で述べた「正統」と「異端」という視角は、この論文よりも1960年前後に
書かれた「日本の思想」のなかでより明確に叙述されていたように思う。
要は、顕教・密教の内容や受容階層の相違よりも、丸山が分析の対象とした1930年代
〜終戦までの期間は、天皇を含めた支配層すらもが、かつては自分たちが国民教化の
手段としていた顕教の「正統」性に自ら飲み込まれてしまい制御不能に陥った状態に
なった。
そうなった理由は、軍部や右翼が民衆(特に丸山が分類した中間層の亜インテリ)を
一方的に組織し煽動したという点だけでなく、彼らが一定の社会的な変革を指向して
逆に顕教がもつ正統性に依拠して支配層を批判したという点にもある。
よく言われる「一君万民」にしても、民衆側の力点は「一君」の崇拝よりは「万民」
(の政治的・社会的な平等性の実現)にあり、それを妨げている地主・財閥層や政治
的な重臣ブロックへの批判としての意味合いがあった。
顕教が威力を発揮した背景には、民衆側がそれと意識しないまでも、密教のもつ欺瞞
性(支配層に都合のよい運用)への批判が併存していたということ。
>>777 の
>彼らが一定の社会的な変革を指向して
の「彼ら」は「軍部や右翼」ではなく「民衆」(「中間層の亜インテリ」)を指す。
779 :
考える名無しさん :2009/12/16(水) 23:29:58 0
>>774-
>>778 >教育勅語は小学校からすべての国民を対象に・・・天皇=神という観念
が普及する上で大きな意味をもった。
戦前の庶民でも天皇を本来の意味での「神」と考えていたのは
よほどの変人だろう。天皇の神格否定宣言が庶民から歓迎されたのは
(前にも書いたが)庶民のほうがより合理的な皇室の在り方を望んでいた
事をしめしている。それに教育勅語は文章はやたらに重苦しいが内容は
極めて常識的な徳目を並べているだけで、あのような物が全国民の思考を
束縛していたというのは硬直した公式主義だ。
>憲法の解釈自体が密教的存在だったとも言える。
護憲運動に立ち上がった民衆はたとえ耳学問による断片的知識に過ぎなかった
としても「立憲政治」という観念を持っていた。
>第三条は天皇は刑事的訴追を受けないことを意味する内容にすぎなかった
それだけではない。天皇の政治的無答責や不敬罪の根拠ともされたし
ことらのほうがむしろ重要だった。
780 :
考える名無しさん :2009/12/17(木) 00:08:11 0
>>779 の続き
>顕教と密教の受容層の対応の違い
天皇機関説は顕教を盲信する庶民の突き上げで問題化したのではない。
最初に右翼や軍人出身議員に「機関説違憲論」を吹き込んだのは蓑田胸喜という
旧制高校→帝大という経歴の丸山が言う「真のインテリ」だった。
その上当時最大の議席をもっていた政友会が岡田内閣打倒という政治的目的から
それに呼応して国体明徴決議案を提出したりしたのが事態をますます悪くした。
当時枢密院副議長だった平沼騏一郎も暗躍していたといわれる。
平沼も、当時政友会総裁だった鈴木喜三郎も丸山がいう「真のインテリ」だった。
一方かつては護憲運動に自発的に立ち上がったこともある大衆はこの問題については
むしろ傍観者的で在郷軍人会がパンフレットをバラまいて「啓蒙」するという光景
も見られた。
ちなみに「機関説問題」は学問や言論の自由には大打撃をあたえたが
庶民の天皇観や日本の政策決定の在り方にはほとんど影響はなかった。
>>717 >>718 >>729 あたりを読み直してほしい。
781 :
考える名無しさん :2009/12/17(木) 00:23:54 0
>>780 の続き
>よく言われる「一君万民」にしても・・・・それを妨げている地主・財閥層
や政治的重臣ブロックへの批判としての意味合いがあった。
そのような形でのファシズム運動が存在したのは二・二六事件まで。
その後はむしろ軍上層部がまさに財閥や官僚と協力して日本のファシズム化
をすすめることになった。
782 :
考える名無しさん :2009/12/19(土) 11:42:03 0
>>777 最近の近代思想史が、1930年代の論壇での思想的潮流をいろいろと分析してるみたいだね。
和辻哲郎・柳田国男・西田幾多郎とか三木清、戸坂潤など。
あの頃の思想的潮流を見ると、丸山がイメージする国体論的国家主義一色だけでなくて、
いろいろな思想が分岐・対立しながら展開している。
30年代というのは、その意味でも重要な分岐点だったと思う。
それが37年の日中戦争以降は、戦時体制下で政府が鼓吹する国家主義思想へと一面化されていくように思える。
>>777 の指摘する正統思想一色に塗りつぶされていく感じだな。
ところで、最近話題になってる戦時中の”近代の超克”についての丸山の評価はどうだったんだろう。
戦後はずうっと戦争協力的で悪名が高い存在だったみたいだけど。
783 :
考える名無しさん :2009/12/19(土) 13:26:44 0
1937年以降戦時体制下で国家主義的思想統制が極限に達した事は事実。 しかしこの段階になると統制の主役の役割を果たしたのは、まさに「第二類型」 出身のエリート官僚で「第一類型」はもはや国家権力の「手足」の役割しか 果たしていない。
>>782 >戦時中の”近代の超克”についての丸山の評価
たしか一応は否定してたみたいだけどね>丸山
『日本の思想』でだったかな、うろ覚えだけど。
”近代の超克”については、最近ハリー・ハルートゥニアンの
『近代による超克』上下(岩波書店)で詳しく述べられてたのを読んだ。
あと前の方で話題になってた丸山の議論についてもこの人の
「戦後ファシズム論の系譜と戸坂潤の戦前における自由主義批判」(『Journal of Pacific Asia』2号)
というのがあるよ。
原文のアドレスは見つけられなかったけど、全文引用してるブログがあった。
http://philosophia-futurist.blogspot.com/2007/10/blog-post_28.html おもしろそうだから丸山を批判してる箇所を以下に引用しとくよ。
おもしろそうだから丸山を批判してる箇所を以下に引用しとくよ。 >社会性と主体性の欠如、さらに「暗くよどんだ」民衆という考えは、戦前のファシズム批判−その中ではファシズム >の「個人主義的世界観」の排除、軍備拡充への専心、「民族的神話や国粋主義」の賛美、マルクス主義との生死を賭 >した闘争といった面が強調された−と結び付いているのである(丸山、40頁)。日本のファシズムはドイツやイタリ >アでの例のように「大衆の目を社会機構の根本的矛盾からそら」すために資本主義を糾弾し物質主義に対して理想主 >義と精神性とを高唱したことを丸山は示そうとした(丸山、41頁)。この考えによれば、「日本におけるファシズム >運動も(中略)、中間層が社会的な担い手になってい」た。この中間層というのは軍隊と官僚制を支えた小ブルジョ >ア市民のことである(丸山、63頁)。運動のイデオロギー的な指導者は「町工場の親方、土建請負業者、小売商店の >店主」や小「学校教員」などからなる階層出身の疑似インテリゲンチャからなり、この疑似インテリゲンチャたちが >いわゆる人々の声を作り上げていった。
>しかしながら、丸山はここで自分自身のような知識人を免責した。彼が戦後熱をあげたカール・マンハイムの言う >ことろでは、知識人はすべての視点を包括する立場にあって階級の利害関係を超越した存在である。知識人は知る >立場にあるために主体制を持つとされる。ウェーバーの言う科学的管理者そしてマンハイムの「自由に浮動する」 >知識人といったかたちでとらえられた知識所有者は、戦後の論争の中で丸山理論の言う責任と学識のある主体のモ >デルとなった。知識人とは「教授とか弁護士とかいったより高度な知識を求められている職業にある人々」である >から、狭い階級利害からの主張も見通しファシズムの担い手になることにも抵抗することができる(訳者注:この >引用の部分は英語版のみに見られる箇所である。原文は次のように書かれている。「その他自由知識職業者(教授 >とか弁護士とか(丸山、64頁))。精神または本質を特に強調した「戦時中における文化主義の流行は(中略)イ >ンテリ層のファシズムに対する消極的抵抗とみられ」とまで丸山は言う。ここで、恩師である南原繁や長谷川如是 >閑の明らかな弁護のみならず自分自身の理想主義やエッセンシャリズムへの参与を表わしたのである。 この引用部分を見るとよくわかるけど、つまり丸山ってやっぱり知識人を免責するために、ファシズムの担い手を 擬似インテリにして責任を転嫁したわけだよね。
787 :
考える名無しさん :2009/12/21(月) 22:58:41 0
>「第二類型」出身のエリート官僚
丸山が中間層の「第二類型」という場合に念頭に置いているのは、
>>786 の引用
にもあるように知識人のこと(「教授とか弁護士とかいったより高度な知識を求められて
いる職業にある人々」)。
たしかに官僚もその専門性という点からすればその範疇に含まれるけど、戦前から戦後直
後ぐらいの社会常識では官僚を知識人の範疇に含めないのがふつう。
その理由は、戦前の官僚というのは、戦後のように(実態はともかく法的には)公務員と
して国民に奉仕する存在ではなく、国家(天皇)に奉仕してその支配を支える役割を担っ
たわけだから、中間層ではなく支配層に属していた(この点は軍部のエリート官僚にして
も同じ)。
だからその出身が中間層で大学出身者であっても、彼らの(意識も含めた)ステータス上
での特権性及び当時の政治に果たした役割は、明らかに中間層も含めた一般国民のとは異
なる。例えば戦前の閣僚(大臣)の大半は、(政党内閣時代の一時期を除けば)その官庁
内の昇進コースを昇って次官になった者が任命されている。
丸山が彼らの特徴を「軍国支配者の精神形態」で別個に論じた理由もその点にあった。
学歴還元主義によって、彼らを単に中間層の「第二類型」と把握したのでは凡そ支配層の
独自性は出てこない。
788 :
考える名無しさん :2009/12/21(月) 23:06:10 0
>>784-786 ハリー・ハルートゥニアンのその本読んだよ。かなり難解だったけどね。原書の”Overcome by Modernity”もざっと目を通したけどもっと難解だったw
ただこの人は、戦前の哲学者戸坂潤の視点を重視して全体を描いてる。引用された論文みると丸山についても戸坂潤と引き比べて批判してるね。
戸坂が同時代にやったファシズム批判の成果は、丸山を筆頭に戦後思想には引き継がれなかったという点。
以前から疑問だったんだけど、戸坂の『日本イデオロギー論』(1936年)の構成は第一編の「日本主義の批判とその原則」と第二編の「自由主義の批判とその原則」に大別されてるように、日本主義(ファシズム)と自由主義への批判という二正面作戦をとっている。
それにくらべると丸山は超国家主義(ファシズム)への批判だけで自由主義への批判が抜けてるんだよ。
丸山がファシズムに対する知識人の役割を免罪したのも、自分自身も含めて知識人に自由主義者が多かったことと関係してると思う。
戸坂は自由主義者が何の抵抗もなくファシズムへとずるずる傾斜していく理由を批判的に分析したわけだけど、丸山にはそうした視点がないから結局自由主義者はファシズムへは積極的に協力しなかったという弁護に終始している。
だいたい戸坂が活躍したのは1930年代だからファシズムの成熟〜完成期における同時代の批判だった。
それに対して丸山の場合はファシズムが没落してひとつの歴史的なサイクルを完了した段階だから、敗戦直後といっても事実上は歴史的な考察をおこなったことになる。
だからファシズムの分析が戸坂より具体的なのは当然として、自由主義の分析が欠けている点で戸坂よりも後退してるというのが問題だと思う。
791 :
考える名無しさん :2009/12/26(土) 02:28:52 0
>>789 >戸坂の『日本イデオロギー論』(1936年)
これ今では岩波文庫に収録されてるよね。1977年が初刷で自分がもってるのは2005年の11刷だから、
この30年間重版が続けられてたことになる。
この著作冒頭付近で戸坂は自由主義について
「自由主義は明治以来の社会常識の基調をなして来ているという他面の事実を忘れてはならない。
云うまでもなく日本に於ける民主主義は決して完全なブルジョア・デモクラシーの形態と実質と
を備えたものではなかった。封建性に由来する官僚的・軍閥的・勢力との混淆・妥協によって、
著しく歪められた民主主義でしか夫はなかった。併しそれが夫なりに、矢張り一個の民主主義を
基調としたればこそ民主主義の歪曲でもあり得た、という点が今大切である。日本に於ける自由
主義の意識は、甚だ不徹底な形に於てであるにも拘らず、吾々の社会常識の基調をなして今日に
及んでいる。ただそれが余りに常識化したものであったため、それから又、決して常識以上に抜
け出なかったために、特別に「自由主義」として意識的に自覚され強調されるような場合が、極
めて例外な偶然的な場合と見られるのに他ならない。日本主義が台頭するに当って、さし当り第
一の目の敵としなければならなかったのは、だから、この普及した社会常識としての自由主義思
想だったのであって、之は別に、それまで自由主義の思想が特に意識的に旺盛を極めていたから
ではない。で、自由主義は無意識的にしろ近代日本の思想のかくされた基調をなしている。」
と述べている。
(なお引用はWebの戸坂潤文庫
http://pfeil.hp.infoseek.co.jp/B2/FRAMEB2_3.HTM )
792 :
考える名無しさん :2009/12/26(土) 02:37:02 0
>前レスのつづき 当時の戸坂のこうした同時代の認識に較べると、丸山の戦前認識は完全にファシズム一辺倒に 偏ってる気がする。 たしかに第二次大戦中は自由主義も抑圧されただろうけど、それ以前はそれほど厳しい状況に は置かれてなかったと思う。 丸山自身はだいたい自由主義的立場だと思うけど、だからこそ彼にとっては戦中に抑圧された 経験というのは相当に強烈な印象だったんだと思う。 だけど上で戸坂が言うように、日本の民主主義はかなり歪んだものであっても、それなりに存 在していたという指摘が重要だと思う。 丸山の考え方だと、敗戦後にようやく日本には民主主義が到来して民衆のなかに受容されはじ めた段階で、それゆえその受容を促進する不可欠の要素として丸山以下の知識人の存在が位置 づけられてくることになる。 だけど、やはり戦前からある程度の民主主義的な基盤が広く分布してたからこそ、戦後の民主 主義が新しい形態として浸透し発展していくことが可能だったという点も考慮すべきだと思う。 そうした戦後民主主義の浸透や発展に寄与した丸山らの戦後知識人の役割を否定するつもりは ないけど、戦前をファシズムの暗黒時代としてのみ描き、しかもそこである程度の民主主義的 経験を積んでいた民衆を一方的にファシズムの担い手とし、逆に本来なら民衆の立場にたって 積極的にファシズムと対抗すべきだった知識人たちを、ファシズムへ積極的に協力しなかった という理由だけで免罪するというのは、やはり理屈に合わないと思う。
793 :
考える名無しさん :2009/12/27(日) 23:24:37 0
>>792 うーん初めて書き込みしますが、民主主義の前に「いわゆる」をつけたほうがいいと自分なんか思うんですが。西洋のいわゆる民主主義は日本が獲得した民主主義とは根本的に大衆の受け止めるイメージとは違うと思う。 西洋の民主主義は血を流して獲得したものだし、日本の場合は現在でも明治以前でも、封建主義下でお上から与えられてたものなので。西洋思想至上主義で考えるからそうなると思う。 だから歪んだという形容は実際の当時の状況を考えながら言わないと危険のような感じがするし、島国根性の好奇心的革命心なところも当時の一部の知能指数の高いひとたちにありがちなことだし。
日経の脅し文書
渡邉正裕
日本経済新聞社(杉田亮毅会長)から、言論の萎縮と封殺を狙ったと
みられる文書が届いた。「法的措置も検討しております」「強く警告するものです」
などと記してある。この会社は、雑誌や本などに都合の悪い事実を書かれると、
弁護士にカネを積んで萎縮・口止めを図る。SLAPPの一種だ。
過去には大塚将司氏を名誉毀損で訴えているほか、鶴田元社長が高杉良氏を訴えている。
巨大部数を持つ新聞社が名誉毀損で個人を訴えるケースなど、読売と日経くらいでしか聞かない。
http://www.mynewsjapan.com/reports/1172
795 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 00:33:48 0
>>787 丸山によれば「第二類型」と「大衆(第一類型を含む)」との決定的な違いは
「第二類型」が高等教育によって西欧式教養や価値観を身に付けていたのに対し
「大衆」は伝統的な価値観に埋没しているというものだった。
そして丸山自身が「第二類型」の一例として「学生層」を挙げている。
「学生」にもピンからキリまでいただろうが「帝国大学の学生」といえば
「学生の中の学生」で当時の日本としては最高度の西欧式教養を身に付けて
いたはず。そしてその中からさらに高文試験を突破した者がエリート官僚としての
コースを歩むことになっていた。彼らは高文試験に合格した途端、旧制高校や大学
で身に付けた西欧式教養などは忘れてしまったのか?
なまじ高文試験に合格した連中のほうが西欧式価値観を放棄して国家主義に接近し
尾崎秀美のように高文試験に失敗した連中のほうが西欧式価値観を維持したのか?
どうも釈然としない話だ。
796 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 00:44:07 0
>>795 の続き
ついでに言うとファシズムの音頭とりをしたのは官僚だけではない。
「文化人」の中にも沢山いた。
平泉澄は? 大川周明や蓑田胸喜は?
若い頃の家永三郎が平泉に傾倒していたのはまぎれもない事実だ。
797 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 01:21:16 0
>>793 たとえ「いわゆる」付きでも「歪んだ」形でもとにかく「立憲政治」
とか「自由」という観念が国民の間に存在したという事が重要。
たとえば普通選挙などは血を流さなくても数十年に及ぶ先覚者の努力
とそれに対する人民の支持があってこそ実現した。
798 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 10:24:12 0
ちなみに、私は、サイエンス(science ラテン語なら scientia スキエンティア)を、「科学」と訳すのが 大嫌いです。「科」の「学」、一体の何の意味だ? そこでずっと「学問、近代学問」と訳して使い続けています。そうすると、scientist サイエンティストの ほうも「科学者」という訳語を使いたくなくて、そのため長年自分で勝手に不便を感じて困っています。 「近代学問者」ではどうもよくありません。それで仕方なく時々は、「科学者」を使います。私は、 ナチュラル・サイエンス natural science は、「自然(についてに)学問」、ソシアル・サイエンス (social science 政治学、経済学、社会学の総称)は、「社会(についての)学問)と書きます。 「自然科学」、「社会科学」という言葉を、極力使いたくない。 副島隆彦「人類の月面着陸はなかったろう論」P208~209
799 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 10:25:01 0
日本の大学の理科系(理学部、工学部)の教育の1年生の教育では、この「実験の大切さ」を叩き込まれると私は 聞いています。これは優れた教育法だ。実験の授業では、学生が、自分でやった実験の結果や、目視した物、 それから、実験の結果(成果)として得た数値などを、絶対に、ごまかしたり、改ざんしたりしてはならない。 と教える、という。当たり前のことのように思われるが、この実験と観察の、初歩の訓練はきわめて大切である。 自分の実験の結果が、当初の予定から、どんなに外れていても、失敗に終わってもそれでも出現したおかしな 結果や数値を、そのまま、正直に書いて、教授に提出しなければならない。これが理科系の教育の良さである。 この一点で日本の理科系の学部は優れている。これだけ日本の大学教育の実情がひどいことになっており、 見るも無残な現状なのだが、それでも理科系の学部では、まだ、この実験と観察の方法学(メソドロジー)が 生きている。これが日本の優れた技術者を大量に育てた原因だろう。 それに対して、日本の文科系(社会学問系)は、悲惨である。 自分で何か仮説を立てて、それを実験的に考えて、現実の事柄に適用してみて、自分の頭で苦労して考えて、 そこから何かを導き出す、という訓練など、全く誰も、誰からも、全く、教えられていない。頭の悪い日本 の大学教授たちが書いた、どうしようもない硬直した教科書や、自分の思いつきを書きなぐっただけの本を、 ただ読まされる。あるいは寝言のような自分勝手な考えを、講義と称してひたすら聞かされるだけだ。 日本の大学の文科系の教育は腐り果てている。 文科系の学問は、学問対象が、社会や国家や、人間集団だから、簡単には実験の対象にできない。このことを 言い訳にして、それで、欧米で作られた理論をただそのまま「換骨奪胎して」(つまり日本語という言語に 置き換えて、泥棒して)「和魂洋才」で垂れ流しているのがほとんどだ。 副島隆彦「人類の月面着陸はなかったろう論」P216~217
800 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 10:26:15 0
アメリカでは、学問(サイエンス)というのは、「自分の打ち立てた仮説(理論)を、実際の、現実の社会の中でみずから、 ポリシーメイカー(政策立案実行者)として実験してみて、その結果を冷酷に検査すること」なのである。 これを、positivism (人為的実験証明主義とでも訳すか)と言う。このポジティビズムを、「実証主義」などと、訳して、 分かった気になるな。この世で、実証できるのは、自然学問(代表、物理学)系の実験だけだ。これは厳密に同じ条件で 誰がやってみても同じ結果になるものだから、これは本当に学問(サイエンス)なのだ。 ところが、人間社会を対象にする学問、すなわち、ソシアル・サイエンス(私は、社会学者という訳語が嫌いだ)は、本当に サイエンスとして成立しているか、ものすごく、今でも怪しいのだ。なぜなら、現実の人間社会を使って実験証明(ポジティ ビズム)するというようなことは、できないからだ。ソシアル・サイエンスとは、それでも、一応、次のようなものだ。 人間社会を刺し貫く諸法則を発見すること。かつそれは、個々の人為や願望から独立した客観であり、同一条件でなら、 世界中どこにでも存在するものでなければならない。そしてそれらを、冷酷に記述することである。 だから、これは、文学即ち、=下等学問=夢の世界との混合=人文(じんぶん)=今の北朝鮮の人間たちと同じ =カルトの世界=幼児の並みの人々=なのに自分を知識人だと勘違いしている日本の文芸愛好的読書人階級。 これらの、一切を排除したものの考え方のことである。ところが、このソシアル・サイエンス(政治学、経済学、社会学、 サイコロジーの4つ)がアメリカでも、1980年代に、どうも、うまく行かない、ということが、判明し始めて、それで、 世界的に困った事になったのである。アメリカ行動科学(ビヘイビアラル・サイエンス)という、壮大な学問体系は、 50年代にアメリカで起こり、そして80年代には崩れ去ったのだ。 副島隆彦「属国日本論を超えて」P37〜38
801 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 10:42:29 0
まず「自由主義者」の訳であるが、「リベラリスト」と言う言葉は、ドイツ語にはあるが、英語ではリベラルズ liberalsというのだ。「リベラリスト」と言う英語は無い。日本の知識人層は、この初歩の事実から学ばなくては ならない。リベラル派の反対がコンサヴァティヴズ(Conservatives・保守主義者)である。日本やアメリカで、 自分の事を「リベラル」だと思っている人々は、そもそもの、本物の歴史上の「古典的自由主義者」とは似ても 似つかぬものだ、と言う事に気づいてほしい。今の日本やアメリカのリベラル達は、本物の自由主義者達とは 反対の立場の人だのだ。言葉だけは「リベラル」だから、きわめて紛らわしい事になったのだ。 それは、イギリス人の18世紀の初期リベラル思想が、海を渡ったアメリカで共和党系の思想になったからだ。 このねじれを理解しなければいけない。 日本やアメリカの現代リベラル達は、本当は、今でも隠れ(あるいは無自覚な)社会主義者(ソーシャリスト Socialists)たちである。だから、「本物の本来の自由思想を貫く生き方をしたい」と言う人々は、アメリカでは、 仕方なく、自分達の事を リバータリアン(Libertarians)と呼ぶようになった。 アメリカでは、民主党支持であるリベラル派は、その実態は福祉優先の弱者救済主義者である。このことに 気づいて、最近は自らを「現代リベラル派(モダン・リベラル)」と呼んで保守思想である 古典自由主義者 (クラシカル・リベラルClassicalLiberals)と区別をつけるようになった。本物の自由主義とは「この、私の 私自身の自由を、他の何よりも大切にする思想」の事だ。だから、根本的に、個人主義者なのであって、 共同体優先主義(社会主義)ではない。
802 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 10:43:16 0
18世紀のイギリスの本物の古典的自由主義者たちは・「国王や教会が、私たちの生活に余計な干渉 をしないでくれ」という思想態度から興ったものである。だから本物のリベラルというのは、本当は、 徹底的に新興企業経営者層(ジェントルマン)たちの思想なのである。これが、イギリスのウィッグ党・ ホイッグ党(Whig 自由党)の支持勢力を作った。そして、トーリー党(Tory 保守党)である、貴族 たちの勢力と争ったのだ。 一般庶民(貧乏大衆)の政党などまだまだ現れない。このウィッグ(イギリス自由党)の思想が海を 渡ってアメリカに到着した時に、これがアメリカの保守勢力であるアメリカ共和党になってゆくのだ。 だから「もともとのイギリスの自由主義者が、現在ではアメリカの保守主義者」と言う事である。 いつの間にかねじくれて意味が逆転してしまった。即ち、本来の「リベラル」という言葉が、民衆 統合主義者や、左翼・社会主義者たちによって奪い取られてしまったと言う事である。この世界の 政治思想上の言語使用上の重大な逆転現象に、私たちはそろそろ気づかなければならない。 この事が分らないものだから、日本では政治学者たちですら、現代リベラル派と、本来の古典派 自由主義者の区別がつかないのだ。 副島隆彦著 「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ」 P143〜146
803 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 10:44:48 0
「日本人はデモクラシー(Democracy)なるものを、「民主主義」などと言う気持ち悪い言葉に訳して、 それで分ったつもりになっている。何故「デーモス・クラティアDemos-kratia]が「民主」の「主義」などであろうか。 「デーモス」とは、民衆、貧乏人大衆、の事である。クラティアとは、制度・体制・支配(オーダー)の事である。 ゆえに本当は、デモクラシーは「代議制民主政体」(民主制)と訳さなくてはいけない。 すなわち、国民の大多数である貧乏人大衆(ピープル)が自分達の代表を選び、その者達に権力(パウア)を握らせる 政治体制、の事である。 このデモクラシーの定義さえも理解できないのなら、一切のエラソーな事を言うのを、自ら停止せよ。 だから、民主政もまた、冷酷な支配体制(政治体制)の一種なのであって、「無条件にすばらしい」ことなど全くないのだ。 副島隆彦「ハリウッドで政治思想を読む」P85から引用
804 :
考える名無しさん :2010/01/03(日) 16:48:03 0
>>795 >彼らは高文試験に合格した途端、旧制高校や大学
>で身に付けた西欧式教養などは忘れてしまったのか?
当時の旧制高校→大学の卒業生たちの後年の回顧によく出てくるように、学生の
頃の自由主義というのは、文学主義や哲学主義と同じく、ある種の教養の一部に
過ぎなかったといえるだろう。
社会に出て官僚や大企業の管理職として昇進ルートを上がっていけば当然考えは
変わる。
>>787 で述べたように、丸山は支配層と大衆とのいずれにも位置づけられない独自
の階層として中間層を設定し、それをインテリと亜インテリに類型化している。
官僚が元は学生として中間層のインテリ部分をなしてると言っても、それはあくま
で学生である間のことで、官僚として組織の構成員となれば当然考え方も支配層の
それに変わってくる。
丸山が指摘していたように、戦前高等教育の西欧式教養というのは、あくまで没
価値的な専門技術=立身出世の手段としてしか機能せず、本来的な意味での思想
=価値体系として受容されなかったという弱点をもっていた。
インテリがファシズム的な非合理主義に積極的に抵抗出来なかった理由も本質的
にその辺に存在した。むしろそうした教養とは無縁の亜インテリの方がそういう
点では迷いがなく、国家の喧伝する思想に能動的にコミットしえた。
戦後にしても団塊の世代を見れば、学生時代は左翼思想に傾倒したり政治運動に
参加したり反体制を標榜した連中でも、卒業後は豹変したり、それなりの責任あ
る立場になれば変わっていった部分が大半。
この点で左翼思想は、戦前の自由主義思想と同様に学生の教養の一部をなしてい
たと言えるだろう。逆から言えば戦前の自由主義もその程度の定着性しかもたな
かったということ。
>>791-792 戸坂の視点を基準にして見ると、たしかに丸山の位置づけはそうなると思う。
丸山が青年期の頃は、戸坂が唯物論研究会を組織して旺盛な著作活動を展開し
ていた時期と重なるから相当読んで影響を受けてたはずだと思うけど、ただ丸
山の戦後の著作で戸坂に触れてるのは、『日本の思想』に収録された「近代日
本の政治と文学」で戦前の戸坂と小林秀雄との論争に関する部分のみだね。
あとどこかの座談会の席上で、戸坂と三木清が話題になった時に丸山は、戸坂
にはルネッサンス的な明るさを感じ三木清には暗く澱んだ感じを懐くけど自分
は三木に共感をもつというように語ってたと思う。
だけど丸山のファシズムや右翼の分析というのは、戸坂のファシズム論を(そ
れとは明示してないけど)内容的にかなり引き継いでいる部分が多いように感
じられる。ただ戸坂もファシズムの担い手を中間層としてはいるけど、丸山の
ようにインテリと擬似インテリというような分類はおこなっていない。
戸坂はマルクス主義で丸山と立場は異なるし、しかも丸山が活躍する戦後には
既に死んでるわけだけど、丸山にとっては対抗心というか、内面での競争相手
という位置づけをもっていたのではないかと思う。
戸坂はアカデミズムとジャーナリズムとの接点を意識的に探った哲学者だった
けど、そういう点では丸山も似たような位置にあるし、あと文体や言葉の表現
上でも丸山には戸坂の影響を受けてるのではないかと思わせるような部分が見
受けられる。
多くの丸山論のなかでも戸坂と丸山の思想的な関係を論じてる研究はないみた
いだけど、最近盛んな戦前も含めた近代日本思想史の題材としては面白いんで
はないかと思う。
806 :
考える名無しさん :2010/01/08(金) 00:45:37 0
もし
>>804 が正しいとすると戦前の「第二類型」が身に付けていた西欧式教養
などは一種の知的アクセサリーに過ぎず、状況次第でどうにでも変わるような
ものだったということになる。するとそもそも「第一類型」と「第二類型」の
間に丸山が言うような価値観の根本的相違なんてあったのか。「第二類型」で
国家主義に走る者もあれば「第一類型」を含む大衆で「立憲政治」の概念を
一応理解している者もいたというのが実態ではなかったか。
戸坂潤が言うようにたとえ歪曲された形にせよ「自由」という観念が庶民の間
にある程度浸透していなければ戦後の日本で民主主義が比較的順調に定着する
ということもありえなかったろう。
807 :
考える名無しさん :2010/01/10(日) 19:48:56 0
丸山眞男手帖52号が届いた。 今回はノーマン・都留重人との対談(1949年)と晩年(1988年)の座談会の 記録。いずれも丸山眞男座談には未収録のものだそうだ。 まだ未公開の報告や座談の記録がずいぶんと残ってるみたいだね。 いったいいつまで続くんだろ?>手帖
>>807 たしか死去したのが96年だからもう14年も経つのか。
全集、座談集、講義録、回顧談、書簡集、話文集だっけ。
全集は生前から刊行されてたけど、その他は死後この十数年の間だよなあ。
よくもまあ次から次へと出たものだ。
死去した当時はもう遠い過去の思想家という感じだったけどな。
むしろ死んでから改めて見直されはじめたような気もする。
でもこれって教え子たちが学界の主要なポストに就いてたから可能だったともいえるよな。
809 :
考える名無しさん :2010/01/15(金) 17:33:22 0
>>806 だいたい同意。
戦前社会で高等教育を受けた学生たちの大半にとって
>西欧式教養などは一種の知的アクセサリーに過ぎず
ということだったんだろう。
だから丸山の第二類型に相当する知識人というのも、知的職業としてはそれなり
の社会的地位があったとしても社会への影響力という点では多寡が知れていた。
そもそも近代日本で第二類型的なタイプの知識人がそれとして認知されるのは、
夏目漱石ぐらいからではないのかな。大学教授とかではなく文筆業のみで生計を
営み社会的な声望も得ることができるようになるという点では。
あと第二類型的な知識人たちの間には、戦前から戦中にかけて国策へ協力した点
や無関心だったことへの反省として、戦後にある種の共同性が生まれた点を丸山
は指摘し、これを後に「悔恨共同体」と表現している(『近代日本の知識人』)。
そこでは簑田や平泉のような極端な右翼思想派は別として、右は和辻哲郎あたり
から左はマルクス主義者までを包括するような幅広い範囲で、一種の知的な共同
性が論壇や文壇で発生し1950年代後半頃まで続いたという見方だ。
中間層のうちであえて第二類型を区別したのは、戦後のそうした雰囲気とも関係
してたのだろう。
810 :
考える名無しさん :2010/01/16(土) 12:30:06 0
丸山が「第一類型」と「第二類型」の相違ということを言い出したのは 戦争直後の昭和21〜22年のことで「悔恨共同体」というものはまだ それほどはっきりした形をとっていなかったと思う。 やはり丸山が観念的、公式的に頭の中で考え出したもので、ただそれが 結果的には「知識人」を免罪するような形になったため、自らを「真の インテリ」と自負する人達に持て囃されたというところではなかろうか。
812 :
考える名無しさん :2010/01/17(日) 12:01:05 0
戦後、戦没学徒兵の遺稿を集めた「きけわだつみのこえ」という本が 大ベストセラーになったことがある。この本には「反戦的」でありながら 「心ならずも」戦争に動員された学徒兵の「悲痛な心情」が充満していて 「学徒兵」というものについて非常に美化されたイメージが出来上がった。 後年暴露されたところによると編集者が遺稿の中の好戦的、国家主義的、 軍国主義的表現を勝手に全部削除していたんだよね。 丸山が描いた「第二類型」のイメージも丸山が観念的に美化したものという 印象が強い。
813 :
考える名無しさん :2010/01/17(日) 12:50:09 0
色川大吉は帝大在学中に学徒出陣した典型的な「第二類型」だが 日本の戦争は「聖戦」だと確信していたと自分で言っている。
814 :
考える名無しさん :2010/01/18(月) 20:33:43 0
色川など学徒出陣世代は、もの心ついて以来、満州事変や国内での政治抗争と いう環境で成長してるからむしろそれがノーマルだろう。 戦後知識人のひとりとされ、最近再び注目を集めてる竹内好なんかにしても、 大東亜共栄圏的発想を中国解放と結びつけて、日中戦争には否定的だったけど、 対米開戦の時点ではそれを肯定的に評価していた。 大東亜共栄圏は、実際には日本の中国や東南アジアへの軍事的侵略の合理化に 過ぎなかったけど、当時はそうした次元とは別に、西欧列強からのアジアの解放 という方向で独自に思索した人たちもいた。微妙なところでは三木清あたりかな。
>>814 戦時中の「近代の超克」や「世界史的立場と日本」なんかそうなのかな。
どちらも戦後には否定的な評価だったと思うけど。
816 :
ひみつの検閲さん :2024/11/15(金) 10:05:53 ID:MarkedRes
817 :
ひみつの検閲さん :2024/11/15(金) 10:05:53 ID:MarkedRes
>>815 「近代の超克」は冨山房百科文庫で出てるね。大きさは新書版だけど。
竹内好の論文を解説がわりに収載してる。
「世界史的立場と日本」は復刻されてないな。古本屋でも見つからない。
昔大学の演習で使うので探したけど見つからず、図書館で元の中央公論の
掲載号をコピーした記憶があるよ。
819 :
考える名無しさん :2010/02/20(土) 02:33:51 0
>>812-813 色川などの学徒出陣世代と丸山のように既に30歳過ぎて徴兵された世代とでは、
かなり戦争への感じ方や捉え方が違うと思う。
俗に「戦中世代」として一括される世代でも、年齢がひとつ異なるだけでそれぞれ
の時代経験はかなり異なる、と丸山自身どこかで述べていた。
特に20歳前後の思想形成期をどういう時代環境の中で過ごしたかはかなり決定的
だろう。
丸山の場合は1914年生まれだから、20歳前後の頃はまだマルクス主義以下の社会
科学を受容する機会があったけど、色川の世代はすでに中学生の頃には日中戦争
が始まってたからそうした経験は皆無だったはずで、それらの世代から戦時体制
への批判が出てくる可能性はない。
丸山が「第二類型」の念頭に置いてるのは、自分と同じかもしくは主には彼より
年上の世代に属する知識人(身近では恩師の南原繁や法学部教授層)だろう。
色川の世代ならば、そうした世代が当時の政治や社会の動向に対して無批判で
無力だった点を躊躇なく批判できる位置にいたわけだが、丸山の世代は彼らを
批判すると同時に自らも批判されるという微妙な世代に属していた。
上の世代の知識人たちへの批判は、同時に自分自身に対しても直接跳ね返って
くるわけだから。
戦中の知識人の動向に対する丸山の擁護的発言には、世代論的に見ればそうした
屈折が反映してるようにも見える。
820 :
考える名無しさん :2010/02/20(土) 09:59:43 0
>>819 そうだとすると丸山の説は結局自己弁護だということになるね。
821 :
考える名無しさん :2010/02/20(土) 12:09:57 O
丸山塾www
>>819 >色川の世代ならば、そうした世代が当時の政治や社会の動向に対して無批判で
>無力だった点を躊躇なく批判できる位置にいた
色川の世代というと吉本隆明なんかも同じだよね。
吉本への丸山に対する批判とそれへの丸山の反応いうのも、両者の世代間の
ギャップ、つまり戦争体験の違いを考慮する必要があるかもね。
あと吉本と同世代の丸山門下だと藤田省三がいるな。
藤田も丸山学派に数えられるけど、実際には丸山の批判的継承という気がする。
吉本なんかとも対談してるけど、同世代的な共感からか結構話しが噛み合ってるし。
>>820 簡単にそう言いきるのは、丸山に対してチト酷だろ。
そもそも戦前・戦中期に代表的な知識人と見られてた人々の過半は、戦後は完全に頬被りしたままだ。
武者小路実篤のように「自分たちは騙されてた」と被害者ヅラをした連中が大半だし、小林秀雄あたりに至っては
完全に居直っていた。
和辻哲郎にしても国粋主義に近い議論へと傾斜しながら、戦後はまた何の反省もなく自由主義的な方向へと軌道修正しているし、
西田門下の京都学派なんかも時局に便乗して舞い上がってた癖に反省のカケラもない。
それらと較べれば丸山の世代=戦後知識人というのは、自己弁護以上にかなり深刻な自己批判をしてるわけで、
その点でそれ以前の世代の知識人たちの姿勢とは断絶している。
後に彼らが戦後知識人と一括され批判されたのも、彼らが文字通り戦後の知識人第一世代としてまったく新しい立場を構築し、
後続する世代にとってその言説がひとつの指標になったという前提があったからだ。
824 :
考える名無しさん :2010/03/02(火) 21:20:10 0
>>823 >そもそも戦前・戦中期に代表的知識人と見られていた人々の過半は、戦後は完全に頬被りしたままだ。
丸山はそのような代表的知識人=典型的な第二類型は戦争に協力せず、消極的抵抗さえ行ったといってるわけ。
もしそれが本当なら彼らは反省する必要なんかないことになる。
結局丸山は自分自身がその一員と自負する「正統派知識人」が頬被りしているのを擁護している事になる。
あくまでも「正統派知識人」の権威を守るため、「正統派知識人はこぞって戦争に反対した」という
フィクションを作り上げたのではないか(あるいは自分でそう思い込んでいるのかもしれない)。
そういう意味ではやはり一種の自己弁護だよ。
825 :
考える名無しさん :2010/03/03(水) 03:42:00 0
丸山は自分自身が中国の人民公社や文革を絶賛していた事については 頬被りを決めこんでいたな。
826 :
ひみつの検閲さん :2024/11/15(金) 10:05:53 ID:MarkedRes
827 :
考える名無しさん :2010/03/20(土) 00:35:24 0
>>825 丸山真男が人民公社や文革を絶賛していたという文章ってどこにあるの?
具体的に当該文章を列挙してくださいね。
いい加減なこと言わない方がいいよ。
828 :
考える名無しさん :2010/03/20(土) 10:38:35 0
>>827 国立国会図書館に行って当時の新聞、雑誌をしらべてみろよ。
ちなみに丸山は「戦後日本の革新思想」の中で「自分はずっと反・反共で
やってきた」と言っている。共産主義の実態がどうであろうとそれへの批判
は反動化を招くから許されないということらしい。
すると89〜91年の東欧、ロシアの民主化運動について丸山はどう思って
いたのか、それについては丸山は何も言おうとしない。
829 :
考える名無しさん :2010/03/20(土) 12:15:14 0
>>827 古い時代の事はよくわからないのですが、竹内洋「丸山政男の時代」に
「(丸山が)中国の人民公社や百家争鳴運動に対して手放しに近い賛同
をした」とありますから、そういう事実はあったんじゃないんですか?
830 :
考える名無しさん :2010/03/20(土) 13:03:21 0
間違えました 「丸山政男の時代」→「丸山眞男の時代」
831 :
考える名無しさん :2010/03/21(日) 02:05:58 0
家永三郎なんかもそうだったな。「自分は共産主義者ではない」と言いながら 「中国共産党の民主主義」を絶賛し金日成を一方的に賞賛した本の帯に推薦文 を書く。アメリカを「反共侵略国家」と罵倒しながら、北方領土問題について は「いたずらな反ソ宣伝に踊らされてはならない」と言い、文部省がベトナム 戦争後の中越戦争やポル・ポトによる大虐殺も教科書に書くべきではないかと いうと「共産主義への不信感を煽ろうとするものであり憲法違反」と言って 拒否する。それでソ連が崩壊したときには「私は共産主義については門外漢、 ソ連崩壊についても特に感慨はない」と来た。
832 :
考える名無しさん :2010/03/24(水) 01:09:34 0
>>828 確かにね。90年ごろのソ連や東欧の民主化運動も共産体制を打倒したという
意味では反共運動の一種だわな。そのような運動を肯定するのか否定するのか
丸山は沈黙していた。これまた一種の頬被りだな。
833 :
考える名無しさん :2010/03/24(水) 06:14:40 0
>>828 >>832 頬被りなぞしてないよ>丸山
丸山にケチをつけたつもりが、逆に己の無知をさらけ出してるぞw
丸山は反・反共主義だが、それは政治的姿勢としてで、別にマルキストだっ
たわけではない(丸山自身は、マルクス主義に対しては戦後一貫してライバ
ル意識をもっていた)。
丸山は社会主義を思想・運動・体制という三つの次元で厳密に区分し、思想
としてのマルクス主義にはコミットしたが、ソ連以下の共産圏の現実の体制
には批判的だったし、日本共産党の運動・組織についてもかなり辛辣に批判
していた(それで代々木からは終始一貫して目の敵にされた)。
だからソ連や東欧の体制が崩壊するや否や「社会主義は終わった」式の論壇
やマスコミでの論調が風靡したことに対して、いかにも浅薄な時局迎合主義
と最新流行主義だと手厳しく批判している。
丸山からすれば、戦前のファシズム体制や大陸侵略を「世界新秩序」だとか
もて囃してたマスコミや論壇人たちの時局便乗的で軽佻浮薄な態度が現在で
も相変わらずだと映ったんだろうな。
それで「今こそ逆に社会主義思想を積極的に擁護したくなる」といったアマノ
邪鬼的発言も出てきたワケだ。
思想史家からすれば、社会主義思想(それもマルクス主義のみならず多様な
かたちで存在した)と実際の体制や制度とはハッキリと区別されるべき存在
だから、思想=体制と単純に考えたり、しかも新しい思想はそれ以前の思想
より常に優れてるといった思考パターン(○○主義はもう古いという日本で
お馴染みのステロ化した批判、平たく言えば「新しいもの何でもは良いもの
だ」という信仰!?)は、それ自体が近代以来、外来思想摂取において日本に
普遍的見られる病理的特徴を示しているというのが丸山の持論でもあった。
834 :
考える名無しさん :2010/03/24(水) 13:16:11 0
>>833 ハンガリー事件のとき、雑誌「世界」の座談会で丸山は曖昧な態度を取り、
「ハンガリーがワルシャワ条約機構からの脱退を宣言したのがマズかった」
と、むしろ責任がハンガリー側にあるような発言をしている。
安保条約は批判するがソ連との同盟なら容認できるのかな。
大内兵衛がハンガリー事件についてソ連を擁護するような発言をしたこと
は有名だがその大内を丸山は「卓抜した人物」と賞賛している。
そういえば家永三郎もベトナム戦争についてはアメリカを「かつての軍国
日本と全く同じ侵略者」と罵倒しながら大内を「マルクス主義の立場から
民主主義を守った」と賞賛していたな。
835 :
考える名無しさん :2010/03/26(金) 13:18:19 0
>>831 >北方領土問題については「いたずらな反ソ宣伝に踊らされてはならない」
と言い
家永は盛んに「現代の日本はアメリカの植民地であり日本人民は民族独立
のために決起すべし」と言っていたな。それでいて一方では「共産国になら
領土を取られてもいい」と言うのかな。そして「自分自身は決して共産主義
者ではない」と言うんだから呆れた話だね。
836 :
考える名無しさん :2010/03/27(土) 15:08:42 0
家永三郎は井上清とウマがあったらしく共同して本を編集したり 座談会でも意気投合したりしていたな。ところが井上清というのは 公然と暴力革命を唱えたり「共産主義国の核実験を支持する」と公言 していた人物だよな。家永三郎にとっては共産国の核実験を支持する 人物は民主主義者で平和主義者なのかな。そして丸山は家永と書簡の 往復をしたりして、かなりの程度まで価値観を共有していたらしい。 すると丸山の思想の原点は何なにか。少なくとも丸山は「穏健中正」 とは言えないね。
837 :
考える名無しさん :2010/03/30(火) 16:17:51 0
>>836 丸山は被爆体験があるのだから本来なら「核実験を支持する」などという発言
にはアレルギーを感じる筈。それが「共産主義国の核実験は支持する」と公言
する人物(井上清)とはウマのあう人物(家永三郎)と一緒になって「反共は
けしからん」と言っていたのだからやはり中ソに一定のシンパシーを感じてい
たのかな。
資本主義も独裁主義も共産主義も社会主義も大敗北でプラウト経済宗教同一主義の時代何打よねー。
839 :
考える名無しさん :2010/04/04(日) 10:11:44 0
「丸山真男の「日本論」そのモチベーションとダイナミズム」(カテラ出版会)はどうやったら入手できるのですか。随分、この本を図書館で検索してみるけど、見当たりません。
840 :
考える名無しさん :2010/04/08(木) 14:36:36 0
test
>>839 直接カテラ出版に電話して注文すれば、郵便振替用紙を同封して送ってくれるよ。