1 :
考える名無しさん:
理系の俺が大学の図書館で哲学に関する本を読んだが、全く理解不能
2 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 14:37:04
だろうね、哲学が難しいんじゃ無くて哲学の事を知っている人がいないだけだよ。
4 :
Yukko:2006/07/16(日) 14:43:54
はじめまして。
私は中学のとき『ソフィーの世界』を読んで学問としての哲学に興味を持つようになりました。
知っての通り、『ソフィー』は難しい専門用語を使わないで哲学を語ってくれる本です。
しかし、当時はそれすらほとんど理解できませんでした。
なぜなら、私は常識的なものの見方に捕われていたからです。
哲学者は普通とは違う発想の持ち主なので、先入観を捨て去らないと全く分からなくなります。
しかし逆に一度分かってしまえば実に簡単なことを言っているケースが多いのです。
某心理学者の『頭の体操』シリーズと同じですよ。
5 :
Yukko:2006/07/16(日) 14:49:14
図書館ではどんな本を読んだのですか?自分と似た考えの哲学者についての概説書からだと入りやすいと思いますよ。
日本では哲学科は文学部の中にあるのがほとんどなので、理系で哲学やる人は貴重です。
がんばってください☆
(なんて書いて年上だったりしたらごめんなさい)
6 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 14:55:03
哲学は言葉という抽象概念を使用して、
なんらかの普遍的洞察を提示してるだけなので、
順番に読んでいけば、誰にでも理解できます。
理系なら、言葉の数学と思えばいい。実際にそう。
7 :
四式:2006/07/16(日) 15:27:03
哲学なんて勉強した事もないから良くわかんねえが
疑問が持たれるその闇に光を当てて答えを見つけ出すのが哲学じゃねえか?
昔の人が哲学として考えて出した問いと答えをなぞる事は哲学とは言えないと思う
哲学とは疑問を見つけ出し何故かに答えようとする精神性を持って哲学者と言うんじゃないか?
理解するということは、実際に知識を役立てられるという状態なのかも。
哲学書を記憶することは出来てもそもそも元の情報が役に立たなければ
理解は出来ないな。
>1
まず哲学の歴史について学んだほうがいいよ
10 :
z:2006/07/16(日) 18:38:37
俺なんか自分がやってたことが
高校に入って哲学としってなんの違和感もなかった
哲学なんてのは「なんで在るのか?」
「これがこれと呼べるのはどうしてか?」
を延々と繰り返してるだけです。
12 :
法学部生:2006/07/16(日) 19:19:25
哲学が言葉の使い方の雑すぎるから、学問的には魅力が無い。
芸能としては面白いと思う。
13 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 21:11:39
>>1 哲学は学び物ではないと思うが。
行うもので。他人の真似しても暗記しても哲学ではないと思う。
自分でヤレ!悟れ!w
14 :
四式:2006/07/16(日) 21:39:03
自分でヤレというのも違うような、
先人が実証検証を費やして多くの人に認められ
人々の脳のライブラリに定着した哲学語を学ぶのは
重要なことでしょ。その陰を踏まえない哲学なんてものは
独我論的正しさでしかない。
それは人々を啓蒙する所か根拠のない自信で人を惑わし
学問の発展を妨げる無意味で無価値な代物でしかない。
15 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 21:44:03
そうだね。哲学語はないもんね。
16 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:00:24
結論
論理学を学び、後は自分で考えろ
17 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:06:10
結論:勉強しながら考えろ。考えながら勉強しろ。
18 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:07:23
結論:哲学は必要ない。
なら死ぬまで思考停止してろ
21 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:12:52
こころだっていってるだろうが。それでこい
22 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:13:01
何の必要もない。
自縄自縛ですよ、人間
24 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:18:52
哲学入門クッキング
てきとーに哲学書を選ぶ(なるべく貫禄のあるものがよい)
↓
哲学・思想辞典も併せて購入する(これも分厚いものがよい)
↓
部屋の書棚に置く
↓
自室がインテリな感じになったことに満足感を覚える
もし満足感を覚えちゃっなら、君の人生には哲学は必要ない
しかし、満足感を覚えなかったら、哲学書を辞典を引きながら読めばよい
25 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:20:01
おっさんって誰のことよ
26 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:24:12
既存の哲学の99%は論理学的には完全な誤謬
最初のうちは、過去の哲学者による失敗の歴史は無視して
正しく考える技法を学ぶべきです。
27 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:25:28
おまえら時間ありあまると思ってんのか?こえーぞ
「理系の俺」ってのがポイントだろ。
29 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:29:23
ヤッヴェ
2ちゃんねる
やってるところ見られた。はずかしーーーーーーーーーーーーー
帰ろう
かな
今どき恥ずかしいことでもないと思うが。
ちんちん見てまんまんおっき
とカキコしてたところを見つかったのなら恥ずかしいが。
31 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 23:05:01
> 既存の哲学の99%は論理学的には完全な誤謬
どういうこと?
32 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 23:24:41
>>31 書店に平積みされてた新書に書いてあったんじゃねえw
33 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 00:04:13
ジャンル分けされてなければ
ハウスと浪曲を間違って買ってしまう程度の頭だったり
遺伝子的および血統的分類ができる犬と、
音楽とを同列に扱うような抜けた頭だったりするなら
そんな頭にバレアリックハウスなんぞ聞かせても無駄!
病院に行った方がよっぽどよいと思う。
世の中のすべての音楽はバレアリックハウスが基本だと思う。
バレアリックハウス以外いらない!
音楽=バレアリックハウスなんだからジャンルなんていらない!!
バレアリックハウス=哲学!!!!
34 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 00:36:26
通信でいいから勉強しなおしたい。
ななめ読みで調子に乗ってたけど真剣に思えば思うほどちっともバカにできない事が次々頭に浮かぶ。
そしてどんどん不安になってくる。
35 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 00:39:25
教養主義だ絶対的真理の不在だなんだと言うけれどもやっぱりどうしても、
一部の領域に専門的に特化して理解していくしか道はないと思う。
どうしたってそうなっていく。
自分が恥ずかしい。
36 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 00:43:13
あれこれ興味あるものがどんどん出てくるのは自分が一つところ真摯に取り組んでいないからかもしれない。
真剣にやってたら他のことに手がまわらないし、気付かないから。
何より哲学書ってそう時間をかけずスラスラ読み進めない。
たしかに読む量って少なくてもいいんだなぁ…昔よく注意されたよ…
37 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 00:45:24
教授の言っていたことは正しかった。
まずあれこれ我がもののごとくこなすなんてどうにも無理な話だよ。
やっぱり自分は素直に聞くことができていなかった…。
38 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 01:20:26
哲学は、今まで意味のあることだと思ってやってきたことを
根底からあっけなく否定する力を持ち得るので、他の分野の学徒諸氏には
学ぶ前に憤りさえ覚えてしまう代物なので危険だ。
「今の自分」を否定されるのが恐いのならば触れないことだ。
39 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 01:41:01
否定するだけでなんの力もないことを楽しめない人間は触れないことだ。
>>38-39 物理法則を否定したところで、
その中で踊っている状態には変わりない。
そういう意味で、哲学ではなにも否定できませんが、なにか?
現代哲学はちゃぶ台ひっくり返して笑ってるようなところがあるからあまり好きではない。
お前はただ皮肉な笑みを浮かべたいだけちゃうんかと。
42 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 04:31:23
学ぶ価値があるのはフレーゲ系列の哲学だね。
その他の西洋思想は神学と科学のつじつま合わせのものだから、日本人が読む意味はないでしょう。
43 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 12:22:39
44 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 16:02:30
↑ただのインテリ趣味だなw
45 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 16:25:21
↑馬鹿はけーん
哲学なんて否定上手になるだけ。
「何でだろう」なんて肯定側の時は絶対抱かない感情だし、
それが哲学の入り口ってことなら否定の入り口ってことじゃないかな。
幸せ生きてるんだったら要らないものだし、>1は人が良いんだよ。
そして肯定も否定も強弱も過去未来現在も全部儚いものなんだから
どんな問題でも愛してあげよう。過ぎ去っていく事象を覚えてあげよう。
48 :
1:2006/07/18(火) 00:13:32
まさかここまでレス数が進んでるとは・・
本のタイトルは論理学と書かれていましたよ。ヘーゲル??だっけ??詳しくは見てないけど、かなり分厚い本でした。
49 :
考える名無しさん:2006/07/18(火) 00:26:24
ヘーゲルは西洋哲学史の文脈では重要ですが、哲学を理解し構築するという観点では
読む価値はないですよ。
50 :
考える名無しさん:2006/07/18(火) 11:40:45
言っとくけど、哲学書を読んで覚えても哲学を知ることはできないよ。
哲学は知識を集める事では無く、人の知能を育てる事が目的だからね。
人類にとって哲学ほど大切なものは無いし条件さえ揃えば知識など持たずとも
誰でも会得できるのが哲学ですよ。
>26番の言ってる事は本当だよ。
>>1 難しいでは無く、解らないのでは?
理解不能の筈は無い、何故ならば、既に、哲学と言う用語を使用しているからだ。
結論、オマエは嘘をついている。
52 :
考える名無しさん:2006/07/18(火) 13:34:02
勝手に結論つけてんなwwwwwwwww
↑
必死だな
54 :
考える名無しさん:2006/07/18(火) 16:41:37
否定するだけなら2chねら〜でも出来るよね
55 :
考える名無しさん:2006/07/18(火) 16:56:36
哲学という学問において
「結論」というのはやってはいけない行為だな
56 :
考える名無しさん:2006/07/18(火) 17:05:20
57 :
考える名無しさん:2006/07/18(火) 18:46:43
時代的に哲学の答えをだしても良いんじゃないか。
>>57答えを出したら出したでまたその答えは本当に正しいのかという問いが始まる
59 :
考える名無しさん:2006/07/18(火) 21:47:05
それでも哲学の目的は、こうなんだって一口で言って貰いたいよね。
60 :
z:2006/07/18(火) 22:09:51
まあ一言でいえば自分の生き方を
さがすため?
61 :
考える名無しさん:2006/07/19(水) 09:22:59
哲学を辞書で索引すると「愛智の意」だけで哲だと「道理にあかるいこと」だよね。
だれか、この意味教えて、、
>>61 「哲学」は、philosophy(ギリシア語のphilosophia)の訳語で、
philosophiaをそのまま直訳すれば「愛智」。
だから「哲」という字をいくら分析してもphilosophiaには到達しないね。
63 :
考える名無しさん:2006/07/19(水) 12:37:14
愛智を分析すると哲学が分かるってこと?
だったら愛智の意味教えて、、、
香具師〓種も仕掛けも御座いません
哲学者〓真理は普遍で本質だ
魔術士〓君に未来と富を約束しよう
本 屋〓エロ本、アニメ、週刊誌、啓発本
求道者〓取り敢えず本を読む
哲学というのはな、お前らのような能書きを垂れるやつの言葉を
いかにも難しいそうな言葉を使って垂れ直すわけだ。
一見難しく聞こえるわけだか、近所の頑固爺の小言みたいなもんで
右の耳から入って左の耳へ抜けていく、それが哲学ってもんだ。
67 :
考える名無しさん:2006/07/19(水) 23:14:29
智を愛することが哲学なら何故、智を愛さなくては成らないのか?その理由は何でしょうか?
そして智とは何なのか?
68 :
考える名無しさん:2006/07/19(水) 23:33:58
とりあえずソクラテスからだな。
69 :
考える名無しさん:2006/07/19(水) 23:40:11
> 一見難しく聞こえるわけだか、近所の頑固爺の小言みたいなもんで
> 右の耳から入って左の耳へ抜けていく、それが哲学ってもんだ。
いわゆる、馬の耳に念仏ってやすですな。
70 :
塩水 ◆1FrMT.vzQQ :2006/07/19(水) 23:59:06
哲学かじり出して一週間くらいだけど、なんとなく感じていたことや思っていたことが
明文化されていて、目から鱗がぽろぽろ。
哲学者ってマジ頭いいですね。
字にするのは難しい
ゆえに小難しくなる
哲学は感じるといい
72 :
考える名無しさん:2006/07/20(木) 18:26:07
哲学とは知能を育て智恵を産みだし活用することを目的します。
哲学の哲とは道理にあかるいこと、を指し知能を育てる基礎と成ります。
道理にあかるく成ると育つ心の人間愛が知能を育てる事を指し哲学を愛智とも呼びます。
パラパラも踊れない哲学者なんて・・・
74 :
考える名無しさん:2006/07/25(火) 12:47:45
哲学は難しすぎる?
哲学書を読んで知識を集めても哲学を理解できないよ。
記憶力と言う力を崇拝する無知蒙昧なノータリンが他人の記した哲学書を読み覚えて
得意げに吹聴するけど、あれは具の骨頂の者達がやる事ですよ。
哲学を知りたいと哲学書を読み始めた時から哲学の道を逸れてしまいます。
哲学は物事の理を悟り、産みだされる智恵を人生に活用する事を目的とします。
75 :
考える名無しさん:2006/07/26(水) 17:07:20
物事の理って、本当にあるのかな。
76 :
考える名無しさん:2006/07/26(水) 22:55:22
辞書で智恵を索引すれば
広辞苑【智恵】物事の理を悟り、適切に処理する能力。
と記して有ります、ように人が知恵を得る為には物事の理を悟る事が不可欠なのです。
哲学の道理にあかるいこと、との事は物事の理を悟ると成される事で人に智恵を得る事を促しているのです。
その哲学の基本を無視して書物から知識を得て哲学を知ろうとしても無駄な事なのです。
知識と知恵は相反する全くの別ものですからね。
>74
>得意げに吹聴する
これが正しい使い方。哲学は人生に活用するべき(つまり自分の財産にするべき)でない。
なぜなら全ての価値は社会(偉い人)が決めるから。そして偉い人が新しい価値を作る。(偉い人=新しいものを作る人)
偉い人がさらに広げた空間の中で、俺たちは切磋琢磨、(作られた価値の)上を目指せばいい。
他人に価値を否定されれば(これは誰でも簡単に出来る)自分の財産の価値は下がる。いらないものなのか、と。
つまり自分の人生が磨り減る。
どうでもよい事だけ哲学してれば良いってことになる。と俺は思った。まんこ。
78 :
考える名無しさん:2006/08/01(火) 10:27:16
>77
君は現代の奴隷か?
79 :
考える名無しさん:2006/08/01(火) 12:37:09
(~o~)(~o~)(~o~)
哲学は簡単だ!
哲学の本質は人の根本原理を探ることが目的だから物事の理を悟れば哲学を修める事ができる。
物事の理を悟らぬ者達が記した哲学に関する本を見ても哲学の本質に関わる事が記されて無いのは当たり前の昏々知己。
80 :
考える名無しさん:2006/08/01(火) 13:38:57
____
/ \ /\ キリッ
. / (ー) (ー)\ <問題を解く技術は専門家に任せ、
/ ⌒(__人__)⌒ \ 我々哲学者は物事の根本原理を探りましょう。
| |r┬-| |
\ `ー'´ /
ノ \
/´ ヽ
| l \
ヽ -一''''''"~~``'ー--、 -一'''''''ー-、.
ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) (⌒_(⌒)⌒)⌒))
____
/_ノ ヽ、_\
ミ ミ ミ o゚((●)) ((●))゚o ミ ミ ミ
/⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\ /⌒)⌒)⌒)
| / / / |r┬-| | (⌒)/ / / // だっておwwwwwwwwwwwwwwwww
| :::::::::::(⌒) | | | / ゝ :::::::::::/
| ノ | | | \ / ) /
ヽ / `ー'´ ヽ / / バ
| | l||l 从人 l||l l||l 从人 l||l バ ン
ヽ -一''''''"~~``'ー--、 -一'''''''ー-、 ン
ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) (⌒_(⌒)⌒)⌒))
81 :
考える名無しさん:2006/08/02(水) 12:07:21
哲学なんてオタクとかいじめられっこのするもんだろ?リア充は哲学書よんだり哲学科入ったりするなんて想像もできんよ。
何を思ったのか先週古本屋でツァラトゥストラを買って
読んだんだが、なんだか意味不明なのだよwww
哲学なんて初めてで全然解らんのだが、
だれかアフォな俺にも解るように解説してくれまいか?
ちなみにネットで調べつつ読んだ限りは↓こう読み取った訳なんだが
あってるか?
・宗教(既存の心理的な価値?)なんざ糞。
・救いなんてない。人は永遠に苦しみつづけんだよ!
・でも、それでも向上心を捨てない貴方の意志が好き♪
83 :
考える名無しさん:2006/08/02(水) 13:09:29
じゃあ数学は簡単なんですか。
俺にとっては哲学は別に難しくない。
中学のときカント読んで面白かった。
84 :
考える名無しさん:2006/08/02(水) 13:15:45
>>82 きみは哲学なんかに関わらなくても生きていけるよ。
イヤほんとに。
哲学とは弁論術に対抗するものだった。プラトンによれば弁論術とはたぶらかしと扇動の技術で、
彼ら弁論術家が説くものはまやかしの知識であるとする。弁論術とは訴訟や議会の議論で
相手を論破するための技術のこと。当時の裁判は陪審制であったので、陪審員をいかに
扇動し味方につけるかが勝敗の要因となる。要するにプロパガンダである。
だれかが何らかの政治的意図をもって流した偽りの情報に満ち満ちたこの世の中で、
真に正しい知(ソフィア)を愛し求める(フィレインことが、フィロソフィアである。
>>85 しかし実際は自分の妄想を愛し求めている。
87 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 16:32:23
真に正しい知を愛し求める、には正しい知を産みだす正しい愛が必要です。
88 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 16:36:21
へえ、それでその「正しい愛」を生み出すには今度は何が必要なのさ?
89 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 16:39:05
>86
>しかし実際は自分の妄想を愛し求めてる。
何故〜矛盾を感じたとき、その答えを求めたとき、貴方は哲学をしています。
90 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 16:39:53
哲学は絶対学ぶな。悩みを増やすだけだから。
哲学ってのは悩むのが好きな奴のための学問なんだ。
91 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 16:43:47
悩みのない人生は薄っぺらな感じがする
92 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 17:09:44
悩みの比率が大きすぎる人生はもっとやばい
93 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 08:40:09
>88
その質問、以前に知を望む純粋で謙虚な心が必用です。
94 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 08:52:51
問題が解けない時に悩みに成ります。
哲学は人の巻き起こす問題の全てを理を以て瞬時に解き明かす心(潜在知能)を育てる事を目的としています。
95 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 08:57:06
逆に簡単すぎると思う
96 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 11:29:53
>>1 簡単だったりわかりやすい、ということが対象を魅力的にするわけではない。
「わかりやすいストーリー」「わかりやすい人間」
なんかを考えてみればいい。
難しいからダメだ、というのは、単に自分が理解できないものを受け入れる気がない
っつー意欲のなさなんだが、その壁が厚いにしても
対象そのものに否定因子が存在するとする態度は、実証的ではなく、その人間の
エゴでしかない。そういった人間性に迎合して思考しても
それは単なるうすっぺら虚栄心でしかないから、クソつまらない思考しか生まれないんだよ。
もう、才能がないっていうか向いてないっていうか。
たとえばフッサール現象学みたいなあからさまなわかりやすさ重視で構築されたものは
読んでみると、いかにそういった思考をする、ということがくだらないかよくわかるよ。
97 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 12:37:29
>95
哲学とは物事の理を悟り、育つ知能が産みだす智恵を以て、人類の抱える全ての問題の解決を旨とする。
これでどうでしょうか?
哲学とは万人にとって普遍的な真理の探究
>>97 それは朱子学でいうところの「格物致知」というものだ
100 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 16:44:56
>99
私の哲学は己の心と問答を繰り返す自己探求で進んできました、ので朱子学も挌物致知と言う言葉も知りませんでした。
確かに朱子学の挌物致知は私の探求結果と類似している所が多々、有りますね。
私の考えは哲学の真意は理に反する蒙昧的意識の比較的薄い、大衆の中より産みだされ、やがて全てに浸透すると考えます。
そして大衆が物事の理を悟るには理に反する意識から、理を重んじる意識に心の切り替えをする事です。
心の切り替えに必要な条件は知を望む、謙虚で純粋な心のみです。
朱子学の挌物致知が世の中に浸透しなかったのは難解で有った為、人々に受け入れられ無かった事が原因と思われます。
101 :
考える名無しさん:2006/09/26(火) 18:58:24
>98
>哲学とは万人にとって普遍的な真理の探究
確かにその通りですが、探求ばかりで万人を結論(真理)に導かないと不味いんじゃないの?
103 :
考える名無しさん:2007/02/06(火) 00:35:34
104 :
考える名無しさん:2007/03/06(火) 23:08:51
どうもみんな哲学のことを誤解しているように思います。
というか、批判する前に実はあまり読んでない、というか、
もっと言うと読めないで終わっちゃったのかな?、というか。
近代以降、哲学が真理の探究を目指したことなんてほとんど無いです。
むしろ、一つの真理を見出すべく思考することがどれだけ単純思考にはまり込むかを哲学者自身が自覚していました。
哲学が目指したのは、その時代に見合った世界の有り様の説明だったし、これからも変わらないでしょう。
哲学ってのは宗教と違って「物語」を用いずに「抽象概念」で世界説明をするべく言葉を鍛えているわけです。
だから時代によって説明は変わるし、人間のやることだから、うまい人材が出なくて紆余曲折する時代もあるわけです。
>>98の言葉を借りて訂正するなら
「哲学は万人にとって普遍的な『認識』の探求」と言えるでしょうか。
それは時代によって変わるものだし、変わらなければならないものです。
106 :
考える名無しさん:2007/03/08(木) 10:16:00
認識とは真理のことでしょう。
107 :
考える名無しさん:2007/03/09(金) 02:24:22
>>105 >>104です。
一元的に何かを見定めるということではなくて、
信念の対立が起こったときに、共通了解できる認識を探し出すということです。
だからそれぞれの哲学者が唱えるのは、思考の方法論だとも言えます。
しかし社会の在り様はどんどん変化して流れの中にありますから、
時代によってその認識は変わっていきます。
皆さんの言う「真理」とは「変わらぬ理(ことわり)」のことを言っているでしょう。
「哲学は真理を見出すもの」と捉えている人が多いので、
哲学が役割を果たしていない、と的外れな批判が出てしまうのでしょう。
哲学の役割は、あくまでも同時代的な世界説明です。
>>1 哲学の本を書いてる奴等なんて「自分が優れてるんだっ!」って主張したいだけ
足が速い人が「俺は足が速いんだぞ」って自慢してるのと同じだから気にしなくていいよ
109 :
考える名無しさん:2007/03/11(日) 11:43:38
哲学は創作なんだよ。
簡単なことを難しく語る学問のこと。
ナルシシスト向けの学問と言えるね。
哲学は利用価値がある!ということは、
ゴミやクソは利用価値がある!と言っていることと同じ。
111 :
考える名無しさん:2007/03/11(日) 12:14:36
真理の泉。
その水の中では、真理のあるものしか形を留める事ができない、
あの真理の泉。
いわゆる難解な哲学書をポチャンと落としたら、跡形もありませんでしたとさ。
めでたしめでたしw
>>110 わかっとらんなぁ。
考える=マナス manasという言葉の起源を調べてきたほうがいいぞ。
貴方は感情的な思考と理屈だけで物事を表現しているにすぎない。
記憶の甦りである考え事における考察(思量)などの動きが
まったく建前の哲学という言葉にすりかえられている。
考え決意し、選び取るそこにはいろいろな想いを想像して巡廻させ
重み付け意味を特定化し比較し分類や類推などの作業をすることだろ。
煩悩に従って考えることで誰でもできることであり、
単に哲学と呼んでいるだけだ。
決して特別なことでもなく、原始的な思考で理屈や論理などは後天的に
生まれたものに過ぎない。
難しいなどと勘違いしているようだが、特定されない概念を特定できない
からといって受け取らない姿勢に問題がある。
仏教の言葉に良いものがある「阿弥陀」=はかりしえないもの。
はかれないものを理解しようとして計ろうとしても無駄であるし。
計れないものは計れないものと認知すればいいだけなのだが、
それを何か別のもので認知したがる癖が貴方には存在するんだろう。
113 :
考える名無しさん:2007/03/11(日) 18:23:59
>>107 真理とは時代は変われど変わることの無い「まことの理」のことですよ。
哲学は哲の文字が示すように道理にあかるいこと(哲)希求する(学)ものですので真理をみいだすものと解釈しても同じ事です。
まぁ即物的な凡人には難しいのは当たり前
わからないことを腹いせに役に立たないと吠えるしかない
>>114 役に立つか立たないかはどこに視点を持ってくるかで変わるからね
早く凡人になりたい。
117 :
考える名無しさん:2007/03/12(月) 03:01:42
>>113 >>107です。
>真理とは時代は変われど変わることの無い「まことの理」のことですよ。
このことは全く否定していないです。「真理」という言葉の意味はそういうことでしょう。
私が言っていることと何ら変わり無いのですが、何故このように繰り返しているのか理解に苦しみます。
あなたの文章読解力の問題のように思えます。
>哲学は哲の文字が示すように道理にあかるいこと(哲)希求する(学)ものですので真理をみいだすものと解釈しても同じ事です。
西周が philosophia を訳した時に、確かにそのような意味で規定しましたが、
それはあくまでギリシア哲学に対してです。
もちろんギリシア哲学でも、今に活かせる思考を見出すことはできますが、
近代を経た我々が、わざわざそこに思考停止させる必要はないのです。
思考停止した方との議論は、宗教者と議論するのと同じで不毛です。
>>104に書いたので、私に反論するなら
>>104について反論を頂けると助かります。
118 :
考える名無しさん:2007/03/12(月) 03:09:56
119 :
考える名無しさん:2007/03/12(月) 03:48:46
>>118 理系なら唯物論を理解できる。
観念論の系譜は自己満足用語満載妄想文学の世界だから
関わるのは人生の無駄。
実存主義だの現代哲学だの、小難しい言葉で粉飾しているが、
言葉の遊び、観念の遊びに過ぎないから。暇な奴が小説として読むべきもの。
120 :
113:2007/03/12(月) 09:49:04
>>117 >それは時代によって変わるものだし、変わらなければならないものです。
理=ことわり、の意とする所の認識に問題が有ると思われます。
ことわりとは物事の理非を分かち定める意、のことで全体無比、不変を指し時代に関係するものでは有りません。
時代に拠って変われば、その「ことわり」は意味を成さぬものに成ってしまいます。
つまり「ことわり」とは『人間として磨かれた良心が物事の理非を分かち定めることを意とするもの』ですので時代に拠って変えることも、お「ことわり」する、と言うことです。
数千年の時を経て、未だに物事の理を悟れぬ人類にとって「ことわり」とは人類が足を踏み入れたことの無い真っ新な領域ですので、常に新鮮そのものなのです。
もしも人類が「ことわり」に足を踏み入れることができれば力を崇拝し理に反する蒙昧に支配されてきた人類社会が自由と平和を重んじ理に準ずる社会に一変します。
哲学はこの「ことわり」と言う、全ての人類の希望が封じ込められている箱の蓋を開く大切な役目を担って産まれてきたのです。
121 :
考える名無しさん:2007/03/12(月) 21:20:12
>>120 >>107、
>>117です。
文章が冗長で弱りますが、あなたの文を読んで明確なことは、
あなたも、世の中の誰も、歴史上の誰も、その「ことわり」というものを理解したり、確認したりできていないということですね。
哲学者はそういうことを「物語」と捉えます。
あなたが言っているのは「哲学」の分野で語ることではなく、「宗教」の分野で語ることです。
これを勘違いしてしまう人が多いので、哲学は分かりにくい、とか、役に立たない、という批判が出てしまうのです。
あなたが言っていることを全否定するつもりはありません。
しかし、語る文脈を間違うのは、やはり良くないことだと思います。
あなたの言う哲学は「人生哲学」とか言う時の素朴な「哲学」の意味に近いようです。
一考をお願いします。
122 :
120:2007/03/12(月) 22:46:31
>>121 「ことわり」に一言、加えますと
『人間として磨かれた良心が物事の理非を分かち定めることを意とする絶対無比、永遠に不変もの』です。
とお伝えしていますよ。
一人が「ことわり」を理解しても普及しなければ人類が「ことわり」に足を踏み入れた、とは申せません。
ですから>世の中の誰も、歴史上の誰も、その「ことわり」というものを理解したり、確認したりできていないということですね。
と言う解釈は成り立ちません。
宗教は一方的に哲学を商売に利用しているだけですが哲学から心の作用を抜いたら哲学には成りません。
広辞苑の引用ですが「智恵=物事の理(ことわり)を悟り、適切に処理する能力」と記して有り、他の辞書の内容も、ほぼ似ています。
つまり人の心の仕組みは、物事の理(ことわり)を悟らずば知能が育たず智恵を産みだせない、と示唆しています。
人類が智恵を産みだすために「ことわり」を悟り、道理にあかるく成らなければ成りませんが、それには理を悟れない心から理を悟れる心に切り換えなければできません。
その方法を見いだし広めることが真の哲学の目的では有りませんか?
冷静な心で再考をお願いします。
123 :
考える名無しさん:2007/03/12(月) 23:20:38
哲学って「将棋」みたいなもんじゃないの?
こうするとこうなって、こうなっていくみたいな・・
ポエマーかよ
126 :
251:2007/03/13(火) 18:19:17
>>125 一人で考えた思い込みの記された哲学書と数百人が間違ったことを記しては成らぬ、と言う気持ちで考えた辞書とどちらが使えるかな?
言葉の意味を知りたければ辞書を引きますが言葉の意味を知りたくて哲学書を読む人は誰もいませんよ。
恐らく、貴方は自分の使っている日本語の意味を知らないでしょう。
哲学の意味、知ってるの?
>>110 「Gさん(七十歳の癌患者)
私はこのまえの検診で癌に侵されていることがわかり、(中略)余命は一年程度であろうと
勝手に思い込んでいます。いままで自分の好きなことは何もしてきませんでした。自分の時間
はすべて他人のために捧げてきました。結婚前は親に絶対服従し、そして結婚後は夫そして子供の
いいなりになっていました。私はそれでいいと思っていました。「幸福だ」とさえ思っていたのです。
でも、癌が私の体内に発見されたとき、このままで死んでしまうのは厭だという強烈な思いが身体の底から
立ちのぼってきました。(中略)はたして神はいるのか、魂は不滅なのか、絶対的真理はあるのか。
(中略)私は死ぬ前にいろいろ真剣に考えてみたいのです。(中略)残された時間を彼(カントのことー引用者)
と共にじっくり真剣に考えてみたいのです。」(中島義道「カントの自我論」p329-330)
実は、カントの「純粋理性批判」のテーマはそれなのです。
>>126 >数百人が間違ったことを記しては成らぬ、と言う気持ちで考えた辞書
あー、これどういうことかな。
辞書っていうのは数百人が共通した意味で言葉を使えるようにするのが目的だろう?
そこに間違いとか正しいとかはない。
共通した意味で使える、ということが大事なのではないかと思うのだが。
>哲学の意味、知ってるの?
哲学の意味について、思うことは色々あるが、「正しい意味」なんてのは知らないな。
そんなものあるのかい?
重要なのは同じ意味、意図で使えてるかどうかだろう?
そのために辞書を基準にする、というのならわかるが。
>>126 つまりお前は、世界が天動説を支持してたら、犬みたいに従うっつーことか。
高校生のとき、倫理の先生のすすめでヤスパースの「哲学入門」を
読んだら、何が何だかわからず挫折しました。
133 :
考える名無しさん:2007/03/14(水) 06:45:46
>>121です。
まずあなたが思い込んでいる「ことわり」に到達しなければならない、という考えが宗教と同じだということに気付いて下さい。
と言っても、あなたの思考からはおそらく無理ですね。
これもいくら言っても分からないでしょうが、あなたの状態を「思考停止」と言います。
おそらくあなたはかなりの長い間同じ問題に取り組み、そして答えのない状態が続いていることでしょう。
それは「ことわり」というものがあるのか無いのかも分からない状態だからです。
哲学ではそういう場合、意識的に「判断停止」をして、もう一歩踏み込んだ「問い」を見つけ出します。
「何故私は(あるいは人間は)『ことわり』というあるかないか分からないようなものを求めてしまうのだろうか」と。
「私がそう考えたかったのは、どのような契機によるものなのか」と。
このように考え進むことができるから、哲学的思考は進歩していくのです。
しかし、きっとあなたは「人類にとって大切なことだから」という意味の無いことを、
わかりづらい冗長な言葉で書き連ねるのでしょうね。
ところで
>>125で言われていることですが、
辞書を引用すること自体は特に問題ないと思います。
しかし、
>>126のように
>一人で考えた思い込みの記された哲学書と数百人が間違ったことを記しては成らぬ、と言う気持ちで考えた辞書とどちらが使えるかな?
このような意味で辞書を引用するなら、それはアウトです。
辞書というものが、例外なくイデオロギーに基づいて作られていることを意識しないのは浅薄と取られてもしかたありませんよ。
ましてや広辞苑を持ち出すとは。あまり辞書を使ったことがないのかもしれませんね。
ヒステリックに反応せずに、
>>125さんの意見は忠告として聞いた方が良いように思います。
また長ったらしい文章が投下されたもんだ。
「ことわり」が何かって?
んなくだらねーことで議論してんじゃねーよ。
俺ならこう言うね。
俺がことわりだ、と。
135 :
122:2007/03/14(水) 12:51:49
>>133 >>122をもう一度、読み返して下さい。
ブッダやキリストの想いを盗用して商売に利用したのが宗教ですよ。
物事の真理を探ろうとしたブッダやキリストは宗教と無縁な存在です。
集団的自己愛に人々の心を取り込み人の人生と言う命を利用する宗教に「ことわり」を悟る術は有りません。
宗教家達が一番、恐れることは人々が「ことわり」を悟れば知能が発育し智恵が産みだされて宗教の騙しに気付かれることです。
つまり、全ての宗教は信者を失い自然消滅の道に立たされる、と言うことです。
「ことわり」を悟ることで産まれる本物の智恵は人類に希望をもたらせますが神話にバンドラが希望を箱にのこし蓋を閉めた、と言う話は御存知ですよね。
人類が本物の智恵を持てぬ訳が神話の時代に既に明らかにされていたのです。
パンドラの箱の中味は「ことわり」で、その蓋が開かれれば人は幻想の価値観から真の価値観に目覚め価値観の逆転(アルマゲドン)が始まり、人類は始めて恒久的な平和を手にすることができるのです。
次に哲学書の話ですが哲学書の全てを読み覚えても哲学とは何であるのか、と言う答も見いだせないのは事実ですね。
哲学者の誰々がこう言っています。いや誰々はこうも言っています、と他人の思いを読み覚え吹聴することが哲学ですか?
それなら聖書の第何条、、何項にこう記されています。いや教典にはこう書かれていますと言うのと変わり有りません。
そして、哲学と言う言葉の意味や愛智の意とするところ、諸学の源とされる由縁を話ても覚えたことが正しいと思い込み完全に耳を塞いでしまいます。
この様に、哲学から人の心を遠ざける哲学を哲学と認める分けには参りません。
ですから誰にも大切な哲学から人々が離れる原因は、この哲学に有るのです。
哲学をやる人って、みんな↑こんな人ばっかりなんですか?
>>135 >宗教家達が一番、恐れることは人々が「ことわり」を悟れば知能が発育し智恵が産みだされて宗教の騙しに気付かれることです。
「ことわり」という独自っぽいものを使って説明しようとするところがカルト臭いが
「ことわり」を「全てについて疑うこと」と言い換えればこの文には同意だ。
139 :
考える名無しさん:2007/03/15(木) 00:54:22
>>135 >>133です。長くなります、ごめんなさい。
私が書いたことから意識的にズラしているのか、答えられないだけなのか分かりませんが、
とりあえず会話を続けようと思うのであなたに合わせます。
>>122読み返してみました。
結局あなたが哲学と称しながらながら宗教屋の言葉になっていることが分かっただけです。
まず聞きますが、
>『人間として磨かれた良心が物事の理非を分かち定めることを意とする絶対無比、永遠に不変もの』
とは何ですか?
もし私がこの質問をされたらこう答えます。「思いやりの心」と。
道徳の授業みたいですね。そうです、あなたの言っていることは皆が当たり前に持つ理想なのです。
それを冗長に言っているだけです。なので、それは素朴な意味で全く否定するつもりはありません。
もしそれ以上の意味を持たせて語った言葉なら、それは間違っています。
このようなことは、殊更「ことわり」などという言葉を使う必要はありません。
(続く)
140 :
考える名無しさん:2007/03/15(木) 00:54:52
(続き)
それと哲学的思考をする上で、神話を題材に語るのは、神話の創作自体が人間の世界説明欲求を満たす方法なので「あり」ですが、
神話を根拠に思考を進めるのは「なし」です。
どうも宗教や神話について誤解されているようですが、
神話は「物語」で世界説明をするものです。つまり説明つかないところで思考停止して、そこに「物語」を挿入して補完するのです。
しかし、「物語」は地域特性に左右されるので、信念の対立が起こります。
哲学は「抽象概念」で世界説明をするものです。「抽象概念」なら、言語・文化レベル等の諸々の差異を超えて議論が可能だからです。
宗教を否定的に語っているあなたが、結局宗教の文脈で語っていることに気付いて下さい。
議論以前の問題です。
で、突然哲学書の話が出てきたので、さっぱり文脈が分かりませんが、
前半のあなたの文自体がほかからの引用と影響の連続なのに、ずいぶん強気で弱ります。
全てのことは先人の智の積み上げであり、しかし哲学は認識の学問なので、
新たな論を展開する場合は、それらを更地にしながら、より共通了解できる「抽象概念」を見出そうとする言葉の鍛錬なのです。
哲学から人々が離れる原因は、あなたのように当たり前のことを冗長に言い、
哲学的思考をするつもりで、いつの間にか宗教的思考で語ってしまう人が多いからだと思います。
141 :
考える名無しさん:2007/03/15(木) 12:04:43
>>140 抽象概念で話を進めるのなら御自分の思い込みと言う概念を外してお聞き下さい。
>全てのことは先人の智の積み上げであり、しかし哲学は認識の学問なので、と言う概念もです。
もちろん自分で探せなかったから「ことわり・理」とは宗教が扱うものだとか、人は「ことわり・理」を悟れぬ、等の思い込みもです。
真理の探究とは嘘偽りのない、まことのことわりを探しだすことで、そのことわりを悟れば知能が育ち、人は始めて本物の智恵を産みだせる道筋に乗ることができるのです。
>哲学は「抽象概念」で世界説明をするものです。「抽象概念」なら、言語・文化レベル等の諸々の差異を超えて議論が可能だからです。
貴方の仰る、この「抽象概念」とは万人が納得する真理を指すのでは有りませんか?
「ことわり・理」を「抽象概念」に言い替えただけですね。
哲学は正しく物事を考える頭(知能)を育てることが目的ですので考えられぬ頭で考えることが目的では有りません。
142 :
考える名無しさん:2007/03/15(木) 12:30:46
哲学って最終的には
「これって、どういう事なんだろう、何故なんだろう」
「まぁ、自分が感じたままでおkじゃね?おまいさんにとってはそれが真実だろ?」
「そっか」
って事な気がする
太陽が地球のまわりを回ってるんじゃなく、太陽の周りを地球が回ってるって言われても
太陽だって静止してるわけじゃないんだし、銀河だって動いてるんだし
だったら地球の周りを太陽や惑星が回ってるって考えたっていいじゃまいか、とか
哲学の一番の目的は「こんな事考えてる俺カッコイイ」って事か
143 :
142:2007/03/15(木) 12:37:02
>だったら地球の周りを太陽や惑星が回ってるって考えたっていいじゃまいか、とか
↓若干訂正
だったら地球の周りを太陽や惑星が回ってるって感じたっていいじゃまいか、とか
電車に乗って移動している人は、電車と同じ速度で移動してるから
車内は静止していて景色が動いて見えるだろう。
踏切待ちしてる徒歩の人からは電車と電車の中の人が
動いているように見えるだろう。
地球上で地球と一緒に動いている人からは地球は静止していて
太陽や星が動いているように見えるだろう。
太陽の位置からみれば太陽は静止していて地球が自分の周りを
まわっているように見えるだろう。
さらに離れた場所から太陽系をみれば
地球も太陽も1つのまとまりとして移動しているのだろう。
俺カコイイと言う満足に行き着くのはただの中二病
考えることに楽しみを見いだし、
楽しむために考えることができることが
哲学だと私は自分勝手に定義してる。
別に哲学でなくてもかまわない。
>>142 議論が苦手ならそれでいいんじゃない
哲学っぽくて気持ちがいいなら
146 :
考える名無しさん:2007/03/15(木) 17:31:43
哲学が中二病って言いえて妙だな
147 :
考える名無しさん:2007/03/15(木) 20:41:18
>>141 >>139、
>>140です。
本当に議論をズラす方ですね。閉口します。
次のレスでは必ずこの質問にだけは答えてくださいね。
>>139 >>『人間として磨かれた良心が物事の理非を分かち定めることを意とする絶対無比、永遠に不変もの』
>とは何ですか?
>もし私がこの質問をされたらこう答えます。「思いやりの心」と。
で、以下の言葉ですが、
>貴方の仰る、この「抽象概念」とは万人が納得する真理を指すのでは有りませんか?
>「ことわり・理」を「抽象概念」に言い替えただけですね。
びっくりです。読解力が無いにも限度があります。
なぜこれを「言い替え」と言えるのでしょうか?文章はパズルではありません。
もっと言葉は大事に使った方が良いです。
あなたの得意な広辞苑で「抽象概念」を引いてみてください。それがあなたの言う「ことわり」なのですか?
こんなことを言うようでは、やはりあなた自身が「ことわり」というものについて何も分かっていないことを証明するようなものです。
その自覚の無さに脱力します。
>哲学は正しく物事を考える頭(知能)を育てることが目的ですので
何度も言うように、こんなことが哲学の目的ではありません。
それはどの辞書に載ってますか?
まーたことわりマンが現れたのかい?
お話の台に乗れてないことに気付いたらどうせ心の仕組みどっと込むに繋げてまた修行の旅に出るんだろ?w
その内容はさ、心のか弱い人向けなんだよ。メンヘル板とかさ。
そういう弱い人を立ち直らせてあげて、そしてお金を取ればいいじゃない。
哲学は何かとほんの少し考えればあなたもハッピー、そしてみんなもハッピーさ。
149 :
考える名無しさん:2007/03/15(木) 22:32:42
>>147 おつむ変じゃないの?
感情論と理屈の区別もできないのかw
>>147 議論を装って、延々ダラダラ粘着な品のない批判を続けてるお前が、
>>『人間として磨かれた良心が物事の理非を分かち定めることを意とする絶対無比、永遠に不変もの』
>とは何ですか?
>もし私がこの質問をされたらこう答えます。「思いやりの心」と。
笑止!!たんなるスレ汚しだ。さっさと消えろ。
151 :
考える名無しさん:2007/03/16(金) 00:23:33
抽象は一切の経験や知識、思い込みに捕らわれず物事を把握する心の作用ですが、それを概念として保つ為には物事の理を悟る以外に方法はないのでは有りませんか?
>哲学は「抽象概念」で世界説明をするものです。「抽象概念」なら、言語・文化レベル等の諸々の差異を超えて議論が可能だからです。
貴方は貴方の言われる抽象概念で世界説明がきますか?
哲学の哲は道理にあかるいこと、を指しますね。そして哲学の学は学問の学が示す学び覚えることでは無く、望み、求め、希求することを意味しますね。
つまり哲学とは道理にあかるく成ることを目指すものです。
道理とは理の道ですので道理にあかるく成る為には物事の理を悟らなければ理の道にあかるく成れませんね。
次に智恵とは物事の理を悟り、適切に処理する能力、を指し人が知恵を得る為にも物事の理を悟らなければ成らないのですね。
何故、物事の理を悟ると智恵が得れるのか、と言いますと、智恵を産みだす母体の知能が物事の理を悟ると育ち始めるからです。
ここで>哲学は正しく物事を考える頭(知能)を育てることが目的です、と言った意味がお分かりですか?
智恵とは知の恵みですので知とは何かと言うことです。
知とはものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用、ですね。
理を持って物事を解する理解が知には必要だ、と言うことですね。
そこで是非・善悪を弁別する心とは何か、を考えますと理の姿が現れる、と言う分けです。
普通の場合に善悪の判断は自分の良心が行いますが、その良心は曖昧で損得や精神的な利害で直ぐに変わりますね。
これ以上は人類史との関わりまでも説明しなければ成りませんので止めておきます。
152 :
考える名無しさん:2007/03/16(金) 00:25:42
抽象は一切の経験や知識、思い込みに捕らわれず物事を把握する心の作用ですが、それを概念として保つ為には物事の理を悟る以外に方法はないのでは有りませんか?
>哲学は「抽象概念」で世界説明をするものです。「抽象概念」なら、言語・文化レベル等の諸々の差異を超えて議論が可能だからです。
貴方は貴方の言われる抽象概念で世界説明がきますか?
哲学の哲は道理にあかるいこと、を指しますね。そして哲学の学は学問の学が示す学び覚えることでは無く、望み、求め、希求することを意味しますね。
つまり哲学とは道理にあかるく成ることを目指すものです。
道理とは理の道ですので道理にあかるく成る為には物事の理を悟らなければ理の道にあかるく成れませんね。
次に智恵とは物事の理を悟り、適切に処理する能力、を指し人が知恵を得る為にも物事の理を悟らなければ成らないのですね。
何故、物事の理を悟ると智恵が得れるのか、と言いますと、智恵を産みだす母体の知能が物事の理を悟ると育ち始めるからです。
ここで>哲学は正しく物事を考える頭(知能)を育てることが目的です、と言った意味がお分かりですか?
智恵とは知の恵みですので知とは何かと言うことです。
知とはものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用、ですね。
理を持って物事を解する理解が知には必要だ、と言うことですね。
そこで是非・善悪を弁別する心とは何か、を考えますと理の姿が現れる、と言う分けです。
普通の場合に善悪の判断は自分の良心が行いますが、その良心は曖昧で損得や精神的な利害で直ぐに変わりますね。
これ以上は人類史との関わりまでも説明しなければ成りませんので止めておきます。
/゛ヽ 丿 ゝ、、_ \  ̄\ |\ )、 、 i
/ ヽ | / ヽ||iii';;=、 、 \ \| \丿 \ ||/
/ ,| |/ `"'< `i ゛ヽ`='' 、,___,;--―'ノノ /
| / ヾ || ' ノ-,=―--_,/'/ ,i ノ
| | | ; ''~ i ( / ||ii|||""> / / ''
| ヽ ' | |  ̄゛゛ ' / /ノ/
ヽ / , | //i
イリガライによれば、物理固力流体遅理学の男性性にあるという。
固体は硬い男性器を想像させるので男性的だが、
流体は経血や膣からの分泌液を想起させるので女性的であり、
それゆえ軽視され、乱流理論が発達しないのだという。
「最終学歴 東大法学部卒」・・・・
わざわざアンカーで自分を示すならコテでも付けてろ
だがことわり
だれがうまいことわりを言えとry
157 :
考える名無しさん:2007/03/17(土) 14:57:32
哲学は難しい、それに役にたたないからまた…
158 :
考える名無しさん:2007/03/18(日) 00:53:26
2 :考える名無しさん :2006/08/15(火) 13:57:24
割 り 箸 で う ん こ を ち ぎ っ て み ま せ ん か ?
159 :
152:2007/03/20(火) 09:33:30
>>147 抽象概念の話は終わりですか?
宗教も神話の歴史や内容も含め全てを抽象的見解から真実を見極める心を抽象概念と言うのでは有りませんか?
どうしたら物事の理を悟らずに抽象概念で物事を考査できるのか、お聞かせ下さい。
去るものは追わず
彼はもう来ない。
君の勝ちだ。
それで君が何を得たかは知らないが。
162 :
159:2007/03/20(火) 15:49:49
>>161 私は彼と話し合いをして、彼の意見が正しければ受け入れる用意が有りますが勝敗
に拘る愚かな精神の持ち合わせは微塵も有りません。
しかし、その逆の場合は彼にも受け入れて戴きたい、と思い話し合いをしています。
>>159 では代わりに私がお答えいたします。
宗教も神話の歴史や内容も含め全てを抽象的見解から真実を見極める心を抽象概念と言うのでは有りません。
164 :
159:2007/03/20(火) 19:02:06
>>163 否定のついでに抽象概念の説明、と言う答を加えて下さると分かりやすいのですが、、
>>162 君は彼を不快にさせ、呆れさせたみたいだよ。
それと、何が正しくて何が間違っているのかが全てわかるのなら、
君に「受け入れる」という選択肢は存在しないんじゃないかな。
ついでに、「話し合い」というものがいかに難しいものか考えたことはあるかな?
君は、彼と「話し合えた」つもりなのかな?
>>135 「運命と功績の不一致の根拠に関する問いに満足のいくような合理的な答えをあたえうる、
そうした思想体系の姿をとったもの」(「苦難の神義論」Theodizee des Leiden)は世界の中で
3つしかない。((ウェーバー「宗教社会学論選」みすず書房pp.48-49)インドの業(Karman)の教説、
ゾロアスター教の二元論、隠れたる神の預定説(これはキリスト教)
そして、これらの思想体系は「人々が「ことわり」を悟れば知能が発育し智恵が産みだされて宗教の騙し
に気付」いてしまうほど底が浅くない。運命と功績の不一致の根拠に関する問いは人間の生そのものから
湧き出てくるものなので、「ことわりを悟ることで産まれる本物の知恵」で解決されてしまうような浅薄な問いではない。
167 :
考える名無しさん:2007/03/20(火) 23:10:22
独り言、俺の場合。
哲学書を読んだ最初は何が書いてあるか分からず「哲学は難しい」と思い、
次第に少しずつ分かり始めてもまだ全体像が見えないのでしばらくのうちはやはり「哲学は難しい」のだが、
やがてポンと哲学史や哲学についてのレス等を統一的に一望出来る視点を得て「哲学なんて簡単だ」と悟った気になるが、
しばらくするとその視点から見える景色がゲシュタルト崩壊を起こしたように浮遊した幻に見えてきて再び「哲学は難しい」となる。
いまここ。
なんでも哲学 難しい 簡単 難しい
┝ - - - - ┿━━━━━┿━━━━━┥
∩___∩ /)
| ノ ヽ ( i )))
/ ● ● | / /
| ( _●_) |ノ / いまここクマ――!!
彡、 |∪| ,/
/__ ヽノ /´
(___) /
ヽ /
/ /\ \
/ / ) )
/ / ( \
(_/ \_)
小説家に自殺が多い理由がわかりました。
171 :
考える名無しさん:2007/03/21(水) 01:25:13
そもそもいかさまなんだから
真剣に取り組めばそりゃ混乱するわな
172 :
162:2007/03/21(水) 11:51:33
>>165 不快、呆れさせた。
>>147さんの書き込みを見る限り、
思慮深い方と思われますので他の事情で書き込みされていないと思いますよ。
173 :
135:2007/03/21(水) 12:36:17
>>166 >「ことわりを悟ることで産まれる本物の知恵」で解決されてしまうような浅薄な問いではない。
物事の理を悟れば物事の理非・善悪を明確に弁別することができます。つまり、人が長年連れ添ってきた力を崇拝し理に反する蒙昧から抜けだして物事を明確に見定めることができるのです。
蒙昧に捕らえられ自己陶酔に陥入り、物事を曖昧な判断でしか捕らえることのできたかった人の心を利用して創られた全ての宗教は人々が、その陶酔から目覚めれば自然消滅する以外に逃れる術は有りません。
>運命と功績の不一致の根拠に関する問いは人間の生そのものから湧き出てくるものなので、
この>人間の生そのもの、とは自己陶酔が産みだす数々の自我や思い込みのことを指していると思われますが「ことわりを悟ることで産まれる本物の知恵」は自我を産みだす要素も生じませんのでご心配には及びません。
人の知恵は知能が産みだされますが、その知能は物事の理を悟ることで始めて育ちます。ですから物事を智恵を産みだせぬ常態で考えるのと智恵を産みだせる常態で考えるのとでは、まるっきり違うのです。
その違いは100mの距離を目を瞑って歩くのと目を開いて歩く、位の違いが有りますので難しいと簡単の差が生まれるのです。
174 :
164:2007/03/21(水) 12:45:32
>>163>>169 >鋭意検索中です。
知らないで先に否定したの?まずいな、
ついでに抽象概念で世界説明をするとは、を教えて下さい。
宜しく、、
なんだこのスレw
哲学は難しすぎるじゃなくて、哲ヲタは難しすぎるだなw
ふう、暇だから逐行お付き合いってなことをしてみるか。あ、スレの皆様、初めまして。
哲学に限らず、分析者にとっては「誰がどのような状況下において、いかような物言いをしたのか?」
ってなことも大切らしいので、初発言から固定ハンドルにて登場という暴挙、皆様には目障りかもしれませんが、ご容赦ください。
なお、改行はこちらで都合のいいように決めてしまいました。
>>「ことわりを悟ることで産まれる本物の知恵」で解決されてしまうような浅薄な問いではない。
>物事の理を悟れば物事の理非・善悪を明確に弁別することができます。
真っ向から対立してますねぇ。135さんの「れば」以前の物言いが理解できるのであれば、
どちらの言い分がよりわかりやすいか判断できるかもしれません。
135さんの「物事の理を悟る」とは、じゃあ、一体どういうものなのか?
>つまり、人が長年連れ添ってきた力を崇拝し理に反する蒙昧から抜けだして物事を明確に見定めることができるのです。
これは「れば」以前を獲得できた場合の効用ですね。
>蒙昧に捕らえられ自己陶酔に陥入り、物事を曖昧な判断でしか捕らえることのできたかった人の心を利用して創られた全ての宗教は
>人々が、その陶酔から目覚めれば自然消滅する以外に逃れる術は有りません。
ええっと、宗教集団は集団としての利益を守りたいために「蒙昧」を守りたい、ということのようですね。
ここまでで前半部終了。
「物事の理を悟る」ということについては、直接説明してない。
>>運命と功績の不一致の根拠に関する問いは人間の生そのものから湧き出てくるものなので、
>この>人間の生そのもの、とは自己陶酔が産みだす数々の自我や思い込みのことを指していると思われますが
>「ことわりを悟ることで産まれる本物の知恵」は自我を産みだす要素も生じませんのでご心配には及びません。
(続く)
>>177は
>>173へのレスです。整形している間に落としてしまいました。申し訳ないです。これはその続き。
135さんの発言の前半部分、166さんの「人間の生そのもの」の意味するところを解釈しています。
僕個人としては「? そういうこと言っているかなぁ?」と疑問もっちゃいますが、各人の解釈のしよう/
されようを通してこそ、その時代精神ってなものが発露されちゃったりしてるところもあるようだから、スルーしておきます。
ここでは、後半部分の括弧で括られた文章内に「れば」が内包されていることに、より注意を喚起しておきたい。
>人の知恵は知能が産みだされますが、その知能は物事の理を悟ることで始めて育ちます。
「人の知恵から知能が産みだされる」のか「人の知恵は知能から産みだされる」のか、
意味ベクトルの向きが逆になってしまう誤入力には、僕も含め皆さんも要注意ですね。
「初めて」と表記されるべきところが「始めて」となっているような初歩的な微笑ましい
誤りに比べると、自分の意図するところが誤読される可能性、非常に高まっちゃいますから。
後半部、「物事を悟る」→「知能が育つ」。ここに隠れた「れば」があります。
>ですから物事を智恵を産みだせぬ常態で考えるのと智恵を産みだせる常態で考えるのとでは、まるっきり違うのです。
「常態」。んーっ、日常用語で使われている「状態」の意味っぽいが、ここは哲学板だからなぁ。
下手に「誤植みっけ」と指摘したりしたら、「専門用語も知らないのけ? ひゃひゃっ」と
冷やかされそうだ。(悶々と悩む小心者一名)
まあ、内容としては、「前提条件が違えば結果も違う」という当たり前のことを言っていますね。
>その違いは100mの距離を目を瞑って歩くのと目を開いて歩く、位の違いが有りますので難しいと簡単の差が生まれるのです。
当たり前を積み重ねているわけですな。
あらら、これでおしまいかい?
結局、「れば」以前について、僕の理解をより進めてくれるような文章がないわけでして、
これじゃあ、135さんの言わんとしていることが、哲学板の趣旨に沿ったような形では
僕の頭には入ってこないわけでして……。
179 :
考える名無しさん:2007/03/23(金) 16:56:13
E2さん
無駄話しを省きましょう。
>「物事の理を悟る」ということについては、直接説明してない。
物事とは人の心が産みだすあらゆる事象に関して、と言うことです。
理とは、道理と言うそうあるべきすじみち、正しい心の在り方を指します。
悟るとは、その道理を明らかに知る、つまびらかに知ることです。
「物事の理を悟る」ということは
人の心が産みだす全ての事象に関し、そうあるべきすじみち(道理)を明らかに知る、
と言うことですよ。
「物事の理を悟る」ことで知能が育ち智恵が産まれますが、その逆も然りです。
哲とは道理にあかるいこと、で学とは望みそして希求することを指しますので哲学板の趣旨に沿っていますよ。
人が智恵を産みだせれば、どんな難問も簡単に解けますが、智恵を産みだせなければ何事も解決できませんよ。
知能は智恵の母体ですから「人の知恵から知能が産みだされる」何て子供が母親を産む、と言う馬鹿な話はしません。
そして「物事の理を悟る」ことで知能が育ち智恵を産みだしますので物事の理を悟らずに智恵を産みだせる、
何て馬鹿なことも考えないで下さいね。
180 :
考える名無しさん:2007/03/23(金) 18:32:38
デカルトの方法序説が簡単だぞ
あとウィトゲンシュタインの論理哲学論考も
理系ならわかりやすいと思うよ
割と簡単で楽しい学問だよ がんばれ
181 :
考える名無しさん:2007/03/23(金) 21:46:55
そりゃデカルトは簡単だよ
基本は直感だからな
>>173 ちょっと自己陶酔しすぎではないか。
きみは何なのか。
日常生活をきちんとできる人なの?
きみはどんな「知恵」を持っているのか。
はしはちゃんと使えるんか。
好き嫌いなくにんじんも食べるのか。
とにかく幼児のようなばかさがある。
>>173 人間の生は思い込み?
人類の数千年の歴史を勉強したのか。
ちょっとひどすぎないか
うぬぼれすぎできもちわるいぞ。
>>173 物事の理を悟れば、人を説得できるとか
物事がうまくいくとか思っているのか。
きみはいままでどんな生活をしてきたんか。
失敗の連続ではなかったのか。
>>173
>>173 ライプニッツの「充足理由律」は以下のとおり
「現に生起する現象が一見いかに不可思議で理不尽に見えても、そう
見えるのはわれわれの眼や思考が限られているからであって、すべての
出来事はわれわれには知られえない無数の理由によって起こる。」
今までの歴史を見てみると、目的論的連関(われわれの意志と行動)
が客観的因果連関と常に乖離するということは、この 充足理由律 と
微小表象(人間の認識能力を超える微小な原因が連続して作用する
ことで生起する)があるからである。
ここには、人間の認識の限界を見極めた、きわめて正確な説明の理がある。
「理を悟れば」「本物の知恵」があれば、なんだって。
きみは何歳なのかな。人生は思い通りにいくことはほとんどない、という実感が
腹の底からわかれば、そんな幼稚な理屈は出てこない。
いかん!「原因」などと言ったら、「質料」「形相」「作用因」等々の
わしらの大好きな用語が、わらわらと脳裏に涌いてきたがな!
>>179(=
>>135)さん
>物事とは人の心が産みだすあらゆる事象に関して、と言うことです。
>理とは、道理と言うそうあるべきすじみち、正しい心の在り方を指します。
>悟るとは、その道理を明らかに知る、つまびらかに知ることです。
「あらゆる事象」というものの範囲はどの程度のものであるのか?
この範囲を規定しているものは何なのか?
何がどう「『ある』べき」なのか?
「正しい」とはなんであるのか、あるいは、どのような状態であるのか?
これらを論理的な流れの上で理解できるのか? 知ることができるのか?
このような疑問符付きの文章を巡って、知的格闘してきたのが「哲学」なのだろうと、僕は思います。
少なくとも「西洋哲学」というものはね。
そして、これらは哲学的に解決したのか、と言えば、ぜ〜んぜん、なわけです。
だから、みな、新しい道筋を模索し、様々な流派が興っては廃り、廃っては興っている状態なわけです。
なぜか? 「哲学の武器=『論理』というもので克服してみたいという知的欲求があるから」
ということなのかもしれません。これが現状なのだろうと、僕は思います。
>「物事の理を悟る」ことで知能が育ち智恵が産まれますが、その逆も然りです。
これ以降の文章、前回までより、遥かに読解しやすくなりました^^ ありがとうございます。
1.「物事の理を悟る」→「知能が育つ」→「智恵が産まれる」
逆もしかり、と書いてありますので、
2.「智恵が産まれる」→「知能が育つ」→「物事の理を知る」
という道筋もある、とのことらしい。
でも、最後のほうで第2項の道筋は「馬鹿な話はありません」と否定している。
自ら提示し、自ら強く否定している。僕にしてみれば不可思議な文章表現です。
まあ、ここに関しては前回、「文法的にどっちの方向かわからなくなる校正ミス」という指摘をした部分なので、念を押してくれたのでしょうか?
で結局、「物事の理を悟る」という前提が、論理的によく理解できないままなのです、僕には。
188 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 09:57:33
>>187 >物事とは人の心が産みだすあらゆる事象に関して、と言うことです。 全てですので範囲は有りません。
>理とは、道理と言うそうあるべきすじみち、正しい心の在り方を指します。
物事の理を悟る、の理を悟るとは曖昧な自己の良心を磨き上げ心の目を開き無知蒙昧から抜けだすことです。
「あるべき」とは万人の良心が受け入れ納得できること、そう「あるべき」を指します。
全ては物事の理を悟ることから始まります。物事の理非・善悪・正誤を見極める心も
>これらを論「理」的な流れの上で「理」解できるのか?「知」ることができるのか?
この質問の論理的に理解し、それらを知ると言う理と知に通ずることも物事の理を悟ることを起源として為されます。
貴方の文章「このような」から「僕は思います」に、御自分で気づかずとも哲学に関する答が書き込んで有りますよ。
従来の哲学は、その答が自分の心の中に、自分の手の中に、目を開くと自分の目前に、有るのを気付かず遠くを見て捜していたのです。
つまり物事の理を悟れば全てが終わり、そして新しい全てが始まることを気付くに至らなかったのです。
>「物事の理を悟る」ことで知能が育ち智恵が産まれますが、その逆も然りです。
物事の理を悟らなければ知能が育たず人は一切の智恵を産みだすことができません、と言うことがその逆も然りです。
>で結局、「物事の理を悟る」という前提が、論理的によく理解できないままなのです、僕には。
もうお分かりでしょうが論理的に理解する、と言う言葉には理が二つ含まれていますが物事の理を悟らなければ理と知
に通ずる心を会得できませんので論理的に理解することは無理なことです。無理=道理のないこと、理由の立たないこと、
つまり哲学界も、この無理を通して哲学を解明しようと無謀な試みに挑戦し続けているのです。
ですが「物事の理を悟る」ことは知を望む純粋な心と聞く耳と言う謙虚な心が有れば誰でもできることです。
189 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 13:26:43
精神分裂!
190 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 19:15:47
とりあえず貫成人の“哲学マップ”という本を買ってみた。
今から読む。
>>188 う〜む、同語反復、同意反復、文脈の見通しの悪さ、推敲足らず、が満載ですね。
もう少し、読む者の身になって考えてもらえるとありがたいのですが。
>貴方の文章「このような」から「僕は思います」に、御自分で気づかずとも哲学に関する答が書き込んで有りますよ。
おお、具体的にどの部分がそうなのか、ご指摘いただきたい。
>従来の哲学は、その答が自分の心の中に、自分の手の中に、目を開くと自分の目前に、有るのを気付かず遠くを見て捜していたのです。
『青い鳥症候群』か。まあ、わからぬでもありません。
>>「物事の理を悟る」ことで知能が育ち智恵が産まれますが、その逆も然りです。
続く文章も『逆もしかり』で終わってます。
『ギャグも叱り』つけ、黙って聞いてろ、ってことなのですか?
>物事の理を悟らなければ理と知に通ずる心を会得できませんので論理的に理解することは無理なことです。
>無理=道理のないこと、理由の立たないこと、つまり哲学界も、この無理を通して哲学を解明しようと無謀な試みに挑戦し続けているのです。
でも、無理を承知でさまざまな哲学的道筋をつけようとし、
その道程でさまざまな収穫をあげてきたものもあるんじゃないでしょうか?
無謀な試みと切っちゃうのは簡単なことですがね(笑)
>ですが「物事の理を悟る」ことは知を望む純粋な心と聞く耳と言う謙虚な心が有れば誰でもできることです。
僕としては、あなたにこそ、「知を望む純粋な心」でもって語り、「聞く耳」をもって、人の意見を聞き、
「謙虚な心」でもって、改善すべきところがないかどうかを自問していただきたいのです。
これが、あなたの言うところの「物事の理を悟る」というものなんじゃないのかなぁ?
と、哲学徒の僕ではなく、人間の僕としては思ったりしているのですが。
192 :
考える名無しさん:2007/03/25(日) 10:43:52
>>191 私のお伝えすることを、貴方が物事を論理的に理解できないからと言って、私に敵対心を燃やさずにお考え戴きたい。
論理とは思考の法則ですので、その法則(物事の理)を悟らなければ物事の全てを論理的に理解することは叶いません。
この法則(物事の理)を無視することを無理すると言いますが無理から産みだされる物の全てはゴミの山です。
>>187の哲学に関する記述は的を得ていますが、自分の言葉を翻した
>でも、無理を承知でさまざまな哲学的道筋をつけようとし、
>その道程でさまざまな収穫をあげてきたものもあるんじゃないでしょうか?
>無謀な試みと切っちゃうのは簡単なことですがね(笑)
この書き込みは戴けませんね。
この言葉を、もっと素直にお聞き取りに成って下さい。
「物事の理を悟る」ことは知を望む純粋な心と聞く耳と言う謙虚な心が有れば誰でもできることです。
>>192 >私のお伝えすることを、貴方が物事を論理的に理解できないからと言って、私に敵対心を燃やさずにお考え戴きたい。
「「敵対心」? もし、このように受け取られているのなら、心外です。
まあ、「敵愾心」と言いたいのだろうと判断した上でのことですが。
>
>>187の哲学に関する記述は的を得ていますが、自分の言葉を翻した
何も「翻して」はおりません。
ちと「無理」ってのを勇み足で使ってしまったかな? とは思ってましたが(笑)
「知的格闘」というからには、少々虚をつくことも必要になってきますから。
(と、これもちと無理気味か^^;;)
>「物事の理を悟る」ことは知を望む純粋な心と聞く耳と言う謙虚な心が有れば誰でもできることです。
このようにおっしゃられる地平に、あなたはどのようにして、いかにして到達したのか?
どのような人生経験をされ、いかなる思考、実践でもって到達されたのか?
これをお聴きしたいのです。何度も何度も尋ねているのです。
文字表現空間である2ちゃんねる、そのなかでも「論理的思考」を重視するとされる哲
学板にあなたは舞い降りた。となれば、われわれに了解可能な形で、あなたなら平明
に語られうるのではないのか、語る義務があるのではないか、と考える次第です。
194 :
考える名無しさん:2007/03/25(日) 12:31:50
=でむすばれて
Y=X(α)という関数式で表されるものが物理
哲学は法則が無い 好き勝手に概念も語法もレイプし放題
理解できないのは正常な人間であれば当然
理解できるといってる人間がダウト
ウィトゲンシュタインを読め
何ここ。いい加減、くだらねぇ議論なんかやめちまえ。
他人と議論する暇あったら図書館に行って本をかたっぱしから読めよ。
馬鹿を相手にしてても時間の無駄だろうが。
っつーと、そういうお前もこんなところに書き込んでる暇があったら本読め、
っていう奴がでてくるんだろうな。
さて、ではまた読書にでも戻るか。あばよチンカスども。
197 :
考える名無しさん:2007/03/25(日) 17:15:53
>>193 互いに互いを高め合う為の話し合いの場で「知的格闘」と言う言葉はそぐわないと思いませんか?
「論理的思考」を重視するとされる哲学板で有るなら「論理的思考」ができる体制「物事の理を悟る」ことが必要ですね。
「理」抜きで「論理的思考」ができますか?ご飯無しの茶漬けですか。それも面白いですね。
互いに互いを低め合う為の話し合いの場だろ、ここはw
>>194さん
物理にせよ、哲学にせよ、科学といわれるもの全て、「=」で結べるようにしてきた
/しようとしてきた歴史というものがあるんじゃないでしょうか? 理解できないも
のを、どうすれば理解できるように仕立て上げられるのか、という歴史もあると思い
ます。物理は「=」で結び付けやすい対象があった、哲学はそうじゃない、ってこと。
僕は「理解できる」と断言しているわけではありません。「理解しようとする、理解
できるようにする、理解できるようになりたい」という「能動性」を持っているだけ
です。これを「ダウト」といわれることはないと思いますが。
>>195-196さん(同一人物と判断させていただきましたが)
最初の発言、>177にて「暇だから」と断り書きしてますよ、俺(笑)
本を読む気にもなかなかなれない時ってあるでしょ?
課題提出しなきゃあかん、てな切羽詰まった状況でもないですしね。
>>197さん
いまさら、上品ぶっても駄目ですよ(笑) 俺にせよ、>135=>197さんにせよね(笑)
「知的格闘」ってな言葉使ってますが、ガリガリと言葉をぶつけ合い、お互いの立脚
点をより明らかにしていく作業をしている、という意図をもってこの言葉を用いてい
るわけで、僕の中ではイメージ合うんですけどね^^;
>>194さん >ウィトゲンシュタインを読め
>>197さん 「物事の理を悟る」
ウィトゲンシュタイン、『論考』じゃ「論理」を言語でもってあれこれすることに限
界を示したってことでしょ? その限界でがつんとぶつかったもの、それをどう語っ
ていけばよいのか、ってのが『論考』以後の彼の課題だってことだと思います。
「論理」を論理たらしめているものはなんなのか。ア・プリオリとか先在性とかいう
んでしたっけ? 共通理解しあうためには「論理」の共有があれば楽だが、じゃあ、
俺らはア・プリオリに「論理」を理解し、共有しているってことになるのか?
「物事の理を悟る」論者、この鵺的に逃げ回るものをガチリと押さえ込み、そこに
「=」らしきものがもし見えたとしたらラッキーなわけ。どうせ暇つぶしなのだし(笑)
200 :
考える名無しさん:2007/03/25(日) 20:29:21
とりあえず理系=利口じゃねぇんだよ
201 :
考える名無しさん:2007/03/25(日) 22:01:07
一度読んで解らなくても、数年たって読んでみる
と解ったりする。
202 :
考える名無しさん:2007/03/25(日) 22:28:55
>>199 「物事の理を悟る」ことは知を望む純粋な心と聞く耳と言う謙虚な心が有れば誰でもできることです。
ですから>どうせ暇つぶしなのだし(笑)、と言う方には物事の理を悟るとは遠いい存在ですね。
>>202 >「物事の理を悟る」ことは知を望む純粋な心と聞く耳と言う謙虚な心が有れば誰でもできることです。
相も変らぬお題目を唱え、まるで「悪霊退散!」と念じられてているかのようだな(笑)(笑)
しかし、そのお題目自体が悪霊を呼び寄せていることに気がつかれないとは哀れなり。
>ですから>どうせ暇つぶしなのだし(笑)、と言う方には物事の理を悟るとは遠いい存在ですね。
相手の意図を読むという作業、僕が何を目論んでレスを付けているのか、あなたは自ら
何を言わされているのか。こういったことに思いも馳せられずに、何で「物事の理を悟る」
資格云々を発言できるのだろう?
僕の意図は簡単。スレタイへの反論、「哲学なんて難しくない」ということを示す。辞書的
にではなく、レスの応酬という形で、専門用語を使わずに。少なくとも日本語が通じる同
時代人になら、僕の意図が伝わるんじゃないか、と僕が思える方法でさ。
成功しているか、失敗しているかは、僕の関知できるところではないんだよねぇ、これが。
ま、成功してりゃあ気持ち良いけど^0^
>>203 ああ、もちろん、
>>175-176の前振りを受けて、劇場型に登場しちゃったわけだけどね(笑)(笑)
あ、自演じゃないから、って言ったって、この点は信用してもらうしかないが(笑)(笑)
205 :
考える名無しさん:2007/03/26(月) 16:10:11
E2さんへ エクセレント君はエクセレントだよ 僕は194ね
哲学はイージーなんだよ ベリーベリーね そして素晴らしく楽しいものだ面白いものだよ
わかりやすくて面白いんだ素晴らしいんだ
「ウィトゲンシュタイン、『論考』じゃ「論理」を言語でもってあれこれすることに限
界を示したってことでしょ? その限界でがつんとぶつかったもの、それをどう語っ
ていけばよいのか、ってのが『論考』以後の彼の課題だってことだと思います。
「論理」を論理たらしめているものはなんなのか。ア・プリオリとか先在性とかいう
んでしたっけ? 共通理解しあうためには「論理」の共有があれば楽だが、じゃあ、
俺らはア・プリオリに「論理」を理解し、共有しているってことになるのか? 」
イエス ここで君と僕がウィトをどの程度理解してるかは問わないがこの方面に嗜好が向かう人にはこれにもお勧めがある
「クリプキ」だ 「クリプキ」を読みたまえ そして沈思黙考し自家薬籠中のものとしたまえ
「哲学は難しすぎる」?ノー ノー ノー オーマイゴッドだ
E2さんのような明晰な人間が生まれるのは哲学があればこそなんだよ!
デカルトを読んでウィトゲンシュタインを読むそして考える・・・・・すると・・・
その時ある知性が忽然と目の前に現れる・・・・・・・・・・・・・・
「アルキメデス」だ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「アルキメデス」・・・・・・
「アルキメデス」「アルキメデス」「アルキメデス」「アルキメデス」「アルキメデス」
こっからが難しいんだ・・・・・「アルキメデス」・・・何故彼のような発想を人類が
持ちえたのか?・・・・・・「アルキメデス」よ・・・お前が憎い・・・
206 :
202:2007/03/26(月) 17:59:50
>>203 専門用語は哲学のって意味?
智恵とか知能って言葉も駄目なのかな?日本語の意味にも関われないのなら会話も成り立たないよ。
つまりイヌとネコとニワトリがめいめいでワンワン、ニャンニャン、コヶコッコーって騒ぐのと一緒だよ。
例えば、智恵は智の恵みで知の恵みは知の能(はたらき)と言う知能から産みだされます、よね。
これも辞書的で駄目な分け?辞書で智恵は物事の理を悟り、適切に処理する能力、と記されているけどね。
貴方は言葉の意味を言われると不合理が暴露するので悪霊なんて言葉で逃げているんでしよ。
智の能を促すには知能を育てなければ成りませんね。智能を育てるには物事の理非・善悪を明確に弁別する心、
つまり物事の理を悟ることが不可欠と言う順番が有るのですよ。
ご飯を炊くのにお米がいるよ、って言ったらそんなデタラメを言うお前は悪霊に取り憑かれている、
って言われたんじゃかなわないな。
207 :
考える名無しさん:2007/03/26(月) 22:08:31
哲学自体が難解なのではなく、その対象(この世界)
そのものが人間の思考では捉えきれない、可視化しきれない、
認識しきれない、共有しきれない、事にあるからだよ。
208 :
考える名無しさん:2007/03/26(月) 22:08:51
【ゴールデンレス】
∩ ・∀・)∩∩ ´∀`)∩ このレスを見た人はコピペでもいいので
〉 _ノ 〉 _ノ10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
ノ ノ ノ ノ ノ ノそうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
し´(_) し´(_) 出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
>>205 >194さん サンキュー^^
あの発言は釣りだったのか(笑)
釣り甲斐があったようで何より(笑)
>>206 『智恵』にせよ『知能』にせよ、哲学界で専門用語としての意味付けがなされている
のならば、僕はその意味合いで使用してはいませんし、そのような意味合いで理解し
ようともしていません。そもそも「専門用語としての意味付け」がなされているのか
どうかも知りませんしね(笑)
>つまりイヌとネコとニワトリがめいめいでワンワン、ニャンニャン、コヶコッコーって騒ぐのと一緒だよ。
ここなのです。大雑把に言ってしまえば、言語哲学が問題にしているのはここのこと
なんだろうと、僕は思います。人間それぞれが勝手に意味不明の言語を喋っているわ
けではない。「なぜ、『意味』が『意味』として成立し、お互いに『意味』を了解し
あい、それに反応しちゃえるのか?」
>ご飯を炊くのにお米がいるよ、って言ったらそんなデタラメを言うお前は悪霊に取り憑かれている、って言われたんじゃかなわないな。
「その米はどこの米?」と尋ねているだけなんですけどね。美味しそうだから(笑)
でも、教えてくれないから、リンダ、困ッチャウ状態なんでしてね(笑)
>>207 >哲学自体が難解なのではなく、その対象(この世界)
>そのものが人間の思考では捉えきれない、可視化しきれない、
>認識しきれない、共有しきれない、事にあるからだよ。
「できる限り可視化したい、認識したい、共有したい」という意思。これがニーチェ
の「力への意思」ってことじゃないの? 鼻から諦めてどーすんのよ^^;
難解なパズルだからこそ解きがいがあり、ましてや誰かが創ったものではない(とさ
れている)この宇宙というパズル、はまったら中々抜け出せないものなのです(笑)
210 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 04:26:28
>>147です。
ご無沙汰でした。
レスしなくなったのは、私と議論めいたことを交わしていた方が
全く言葉の意味を履き違えている文章を並べ立てるので、面倒になったからです。
あと年度末で仕事が忙しくもなったので。
私自身、別に自分の知性にものすごい自信があるわけではありませんが、
>>141さんには、どんなに言っても理解できないのだろうという
>>141さんの知性の限界が見えてしまったので、
もうあきらめるしかありませんでした。
やはり知性を高めるのはキャッチボールが成立するのが前提なので、もううんざりです。
勝ち負けで言えば、完全に私の勝ちなのですが、それもきっと理解されないので、どっちでもいいです。
そちらの世界で頑張ってください。
また気が向いたら書き込みに来ます。
>>209 訂正
誤> でも、教えてくれないから、リンダ、困ッチャウ状態なんでしてね(笑)
正> でも、教えてくれないから、リンダ、困ッチャウ状態だったのでして(笑)
212 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 06:30:58
194ですE2さんへ 釣りではありません!真剣です!! 物理=サイエンスというのが米での一般表現なのでスイマセン
ここでは哲学界の永遠のアイドル「真理探究」に説明のため登場して頂きます
デカルト「方法序説」を読めば彼が中世のスコラ哲学という世界のなかでどのように真理を探究しようと
したか知る事ができます 教会によって自由な考え方が制限されていた時代だったのです 異端は迫害を受け現代のように自分の考えを発表するのは命がけでした
哲学をする上でデカルト的態度を学ぶことは重要です まず生存が哲学の前提条件になりますからね 日常性生活との関連で真理探求を
語るうえでこの上ない教訓と崇高な知性の発現をとらえる事ができます 哲学の意志と生存のためのストラテジーがあります
ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」は言語との関連で真理探究を語る上で外せない重要な知見です
ここではさらにメタなレベルで言語と向き合う要請がなされます 言語とは何かが重要な主題になります 言語そのものが思えば何を伝達してるのか?
「真理探求」という語句と使用者の関連が重要になります ここに我々は哲学ではなく言語の限界を見ます 言語がそもそも厳密に考えると何を指示してるのかわからないのです
言語を使用した思考では我々の言語世界の限界がそのまま我々の世界への理解の限界になります
次にクリプキです ここでは残念ながら「真理探究」ちゃんは登場しません スキャンダルが発覚し哲学界から引退してしまいました
しかし地下アイドルになって個人で応援してる人はいますし それは素晴らしい事です
クリプキにおいては論理理解が主題です 言語とそれを用いた文章においてどのように論理を人間が取り扱ってるのか
共通の前提があるのか?人類に同じように先天的な理解力があって理解してるのか?どなような論理的な文章でも初見で論理的に理解できる
理解力を持ち、しかもそれが何によってもたらされる「理解してると自分で了解できる」状態なのか理解できるのか?
これも実はそんな前提とよべるものは無いのです 社会で生きていく過程でおよそそうであろうという他者からの承認を得てきただけの事です
E2さんのような明晰であろうとする人物こそ社会で生きる=哲学する友とすれば困難な事はありません むしろ楽しいものだと思います
>>205にかこつけての言葉遊び
「アルキメデス」のジェームス・ジョイス風発想法(柳瀬尚樹流)
1.分解
アル=有る、在る、或る
キメ=決め、木目、極め、キメラ、ガメラ、ゴジラ
デス=death、ですます体、これはデスクです
アルキ=歩き、春樹、アルミ、ある意味
メデス=愛です、飯島、直子、林葉
2.同意変換
有る→有、在る→存在、或る→任意
決め→決定、極め→極限
death→死/滅、ですます体→認識
ある意味→有意/存在意味/任意
愛です→愛
3.シャッフル及び造語、任意の意味付け
存在決定認識 → デカルト「我思う、故に我在り」
4.出版
『アルキメデスの秘密! 〜隠されたデカルトの謎とは?〜』
増刷につぐ増刷で大儲け^0^
こーして僕は平和になった(笑)(パクリby太田総理)
214 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 08:32:22
>>209 >哲学自体が難解なのではなく、その対象(この世界)
>そのものが人間の思考では捉えきれない、可視化しきれない、
>認識しきれない、共有しきれない、事にあるからだよ。
この話にニーチェで誤魔化してどうすんの?
きれない、全ての原因は智恵がないからでしよ。
ご飯を炊くのにお米がいる。
問題を解くには智恵がいる。
問題が起こすのは智恵がない。
215 :
141:2007/03/27(火) 08:44:08
>>210 >哲学は「抽象概念」で世界説明をするものです。「抽象概念」なら、言語・文化レベル等の諸々の差異を超えて議論が可能だからです。
「抽象概念」
216 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 08:55:31
194です E2さん面白い!しかし言葉遊びはそのぐらいにしよう
さらにその先アルキメデスの恐ろしさを知りたいかな? 天才の真髄を知りたいかな?
人間の思考に重大な方向性を形づくり 人類の知性の巨大なルートをつくった人間の作為に震えたいか?ゆこうか
論理命題「〜〜は〜〜である」 これが普通の人間だ 生きる人間だ
何もおかしくない これでよかった これだけでよかった ここで終わり 完成だ 文句ない
目の前の現象ついて語るとき これでよい その場の数人の間もしくは一人で了解された認識がある パーフェクトだ
しかし天才アルキメデスはとんでも無い事を言い出した
論理命題「全ての〜〜は〜〜である」 ??????????????????
はぁ?? 「全ての」!!!!「全ての」!!!!!!!はぁあああ????「全ての」?
「全ての円の中心を通る線は円を等しく二分する」!!!!!!!!!!!!何を言ってる?全てとは何だ?
ここに普遍が生まれる かくしてユニバーサルという悪魔が誕生する 世界中の全てのカラスを
集められない人間は絶望する 見たのか?確認したのか?実際線をひいたのか?
ここに普遍と特殊は対立し続ける命運が決まった
全ての人間は普遍概念と特殊概念を操作する運命となった
「私は人間である」「人間は死すべき運命である」「全ての生物は死すべき運命である」
もうここには論理の問題では扱えない理解の仕方が拡がるざるを得ない 当たり前だ「全ては」超越的な絶対者が
知覚できる領域だ(いるとしたら)=人間の思い込み となる
「哲学は暇つぶしである」 ユニバーサルを巡っての全人生をかけての美学的対決があるのだ
まずは普遍の旗を立てる(これは仮説 定理 またはフィクション)そこに特殊概念を
わんさかしょった戦士がやってきて戦う 隙あればその旗すらへし折ってしまう
アルキメデスは我々に素晴らしいゲームを用意した 「アルキメデスは神かもしれない」
数学のノーベル賞であるフィーールズ賞の記念コインには今もアルキメデスがいる
217 :
141:2007/03/27(火) 08:56:42
>>210 「抽象概念」と自分で説明の付かない言葉を使って困ったんでしよ。
理非で賄われる人類社会の何事にも捕らわれず、全ての事象を精査する。
つまり、己の心を理非から理に切り換えなければ「抽象概念」で物事を語ることができませんよ、と言っているのです。
>>141 >>163ですが、再び私が説明いたしましょう!
>>140の言っている「抽象概念」とは万人が納得する真理を指すのでは有りません。
あなたの言う「ことわり・理」を言い換えただけでもありません。
>>174 大丈夫です。心と概念が異なることだけ分かっていれば問題ありません。
「抽象概念で世界説明をするとは」については、広辞苑を引いてみます。
221 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 09:51:51
ちょ194ですwwwwwwww!!
みなさん!! 落ち着いて!!
>>212を読んでください!そして
>>216も読んでください!
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwみなさん!!スルーしないでwwwww
すべてのカラスはカラスである!
223 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 09:55:41
ちょwwwwwwwwwwなんかキタコレwwwwww
トートロジー俺も好きだけどwwwwwwwwwwwwwwwwww
俺の頑張りwwwwwwwwww無駄wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>223 ∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵。∴∵
∴∵∴∵:。∴∵∴∵∴: --─- ∴∵∴∵∴∵∴∵
∴∵゜∴∵∴∵∴∵ (___ )(___ ) ∴∵。∴∵∴∵ ゜
∴∵∴∵∴:∵∴∵_ i/ = =ヽi ∴∵∴∵。∴∵∴
∴∵☆彡∴∵∵ //[|| 」 ||] ∴:∵∴∵∴∵:∴∵
∴∵∴∵∴∵ / ヘ | | ____,ヽ | | ∴:∵∴∵∴∵:∴∵
∴゚∴∵∴∵ /ヽ ノ ヽ__./ ∴∵∴∵:∴∵∴∵
∴∵∴∵ く / 三三三∠⌒> ∴:∵∴∵:∴∵
∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∵∴∵∴∵
∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧
( )ゝ ( )ゝ( )ゝ( )ゝ ムチャシヤガッテ・・・
i⌒ / i⌒ / i⌒ / i⌒ /
三 | 三 | 三 | 三 |
∪ ∪ ∪ ∪ ∪ ∪ ∪ ∪
三三 三三 三三 三三
225 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 10:12:38
194だ お前らもーいいよレベル低すぎ
俺の哲学についての考察は凡人には理解できない あいぼんなら可能
引退した地下アイドルを勝手にレイプしたり片思い続けたり好きにしな
読みました。
227 :
141:2007/03/27(火) 10:54:10
>>218 否定するならば「抽象概念」とは何かを分かりやすく説明するのが礼儀でしよ。
それは違いますよ、「抽象概念」とは、こうですよ、とね。
「抽象概念」の説明は貴方の知性の限界を超えているのなら、素直に言えばいいでしよ。
全ては決定されている、と言ってみる。
でたらめに対する一部の成果が秩序である!
229 :
救急車:2007/03/27(火) 13:32:18
でたらめを自由とするか、不自由とするかは自由である。(,,;д;)オオォ
いめーじは具体的である。
231 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 16:07:47
>>220 抽象概念とは人類が捕らえられている理非の概念から抜けだし、理の概念から過去、未来、現在の全てを考査し
世界を説明することですので広辞苑でも乗っていませんよ。
232 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 19:13:51
194です
>>226どうですか?質問とか無いですか?何でも答えますよ
あらら、>194さん、
>>212:06:30:58、
>>216:08:55:31 までは、まだどうにか冷静
を保っていられたようだが、約1時間後から始まる
>>221:09:51:51、
>>223:09:55:41、
>>225:10:12:38との発言、急激に燃え上がった気持ちを抑えきれず逝ってしまわれ
たらしい。準コテハン「194(いくよ)」と名乗っていたことを鑑みるに、この事
実を軽く見ていた自分に腹が立つやら、敏感すぎるのも罪だなぁと思うやら。
しかし、逝かれたのは僕がレスをつけられなかったからだろうか?
>>212 を興味深
く読ませていただき、ここはじっくりと考えどころだなぁと思いつつ、
>>213「アル
キメデス」なんかを思いつきついそっちに夢中になってしこしこやってレスあげてみ
たら、
>>212と畳み掛けてきていたのに気づいたが、なんせおいらも人間、「全ての
人間は睡眠が必要である」、「全ての人間は何らかの事情によりネットから離れざる
を得ないときがある」という命題に支配されちゃってるわけでねぇ。あ、これらの命
題、少なくとも僕にとっては「真」であるのだが、はてさて「全て」をつけても成り
立つものなのやら、僕の見通しとしては成り立つだろう、という予感があるに過ぎな
いわけなのだけれども。
「物事の理を悟る」論者さんの非を指摘する人は多いように見受けられる。頑迷でな
かなか受け入れてもらえないことにカリカリするやら、呆れ果てるやら、うんざりす
るのやら、揶揄しまくるのやら、これが2ちゃんの宿命さと諦観している者やら……。
(続く)
>>233 僕が炙り出したいのは、彼の価値判断基準というものであった。「謙虚な心」という
言葉の持つイメージ、どっか「きれいごと」の範疇に僕のクオリアは受け止めてしま
う。そして多分、このスレに登場した考える名無しさん達も。
「『物事の理を悟る論者』さん、あなたは『きれいごと』という価値判断に纏われ憑
かれているよ」と、多くのクオリアは忠告を発していたのだが、いかんせん、直接言
えるわけではない。人間の思考回路、発話回路を通してそれらはなされ、その時々の
感情により変形され、幾種もの物言いの仕方で発せられる。
「きれいごと」という価値判断を自ら下していることに気づかぬ論者さんは、自らの
「純粋な思い」というものがどうして伝わらないのかに悩み惑い、それでも純粋な思
いなのだから繰り返し繰り返し訴えることで何時の日かは通じることがあるだろうと、
挫けそうな思いを奮い立たせているのだろう。
しかし、彼のクオリアは逆の行動をとり、彼に発話させる。
>>214 この話にニーチェで誤魔化してどうすんの?
>>217 「抽象概念」と自分で説明の付かない言葉を使って困ったんでしよ。
>>227 否定するならば「抽象概念」とは何かを分かりやすく説明するのが礼儀でしよ。
これらの発言に毒を感じるのは、僕だけでは(多分)ないだろう。「きれいごと」と
いう価値判断に纏わり憑かれていることに気づかぬことに、彼のクオリアは警告を発
している、という風に僕は解釈してみると、すんなりくるんだな、なぜか(笑)
もちろん、以上は俺なりの分析でしかなく、真理というものを探求したものでもない。
物語でしかない。俺自身の持つ気づかぬ価値判断に惑わされている可能性も否定でき
ない。しかし、それでもこのスレにあげるのが妥当であろうと僕は判断し、実行した
までである。これこそが「意思」。他人の介入を恐れることなく貫く能動性なのだ。
おお、アップしようとした直前、
>>232で194さんが帰ってこられた^^
やっぱり、逝ったきりってのはないんだな(笑)
おかえりなさい、194さん
>>233 参照番号の訂正
誤 しかし、逝かれたのは僕がレスをつけられなかったからだろうか?
>>212 を興味深
く読ませていただき、
正 しかし、逝かれたのは僕がレスをつけられなかったからだろうか?
>>205 を興味深
く読ませていただき、
194さん。
>>216(句読点の追加、表記上の些細な誤りは訂正してあります)
>もうここには論理の問題では扱えない理解の仕方が拡がるざるを得ない。
>当たり前だ。
>「全て」は超越的な絶対者が知覚できる領域だ(いるとしたら)=人間の思い込み
>となる。
そう、この通り。そして、君が求めているだろう「答え」は出ているんじゃないか?
「全て」とは思い込みだと。「全て」という「神」からの脱却。これこそが、今、僕ら
がなすべきこと。
「全て」の効用はある。こう仮定することにより、物事が単純に捉えられうる、とい
う効用。思考/現実への適用、応用が簡単になるわけだ。
さまざまにある特殊状態を任意の価値基準からまとめ上げてしまい、そこに「全て」
という性質を持たせたとしよう。「さまざま」の範囲はその価値基準を定めた人の判
断で行われうる。そして他の批判を取り込み、適用範囲を広げていく可能性を持たせ
ておけば良い。決定的な反証があがった時点で、価値基準を定めた人の判断が誤って
いたことになる。価値基準を定めるのはある特定の個人である必要はない。その価値
基準を受け入れた諸個人、諸社会も同様である。
判断が誤っていたからといって、じゃあ、それまでに積み上げてきたもの全てが駄目
になるのか? んなことはない。科学の世界においてはそれまでの常識とされたもの
がひっくり返されたことなんて日常茶飯事じゃないか。
(この文章内において用いられている「全て」が前段落で僕が言及しておいた「『全て』
の効用」である)
194さん
>>212(前発言同様、整形済み)
>クリプキにおいては論理理解が主題です。
>言語とそれを用いた文章においてどのように論理を人間が取り扱ってるのか。
(中略)
>これも実はそんな前提とよべるものは無いのです。
>社会で生きていく過程でおよそそうであろうという他者からの承認を得てきただけの事です。
これも答えそのまま、書いているではないですか。正に、他者の論理を自分が承認し
受け入れ/受け入れず、自分の論理は他者からの承認を得て/得られずにきただけ。
人間の歴史を紐解けばこれの連続/不連続が手にとるように見えます。
そして、大多数の者が承認しあったひとつが「論理」であり、共通理解しあっている
との前提で「言語」が成立している。これは「論理・言語の絶対性」という「神」か
らの脱却。「論理・言語の相対性」と言えば通りがいいかもしれませんね。
「じゃあ、俺は俺の論理で行く、俺独自の言語で行く」という者が現れることも何ら
不思議ではないし、あって当たり前のことです。ただ、完全に「my論理、my言語」
が成立しているのか? というと、不完全な例しか見たことないなぁ。
238 :
考える名無しさん:2007/03/28(水) 09:53:28
論理や理解・理性の理とは法則ですので多数決と言う曖昧で決められる理は何一つ有りません。
そして理は知の源ですので物事の理を悟らずば人の知能が育たず一切の智恵を産みだせない、と言う法則も有ります。
この智恵不足が人類に理非的歴史、矛盾の繰り返しをもたらす、と言う理に叶う由ですな、、
239 :
考える名無しさん:2007/03/28(水) 10:01:42
少し思考すれば「理系」などというものは存在しないことが
わかるので「理系の俺」も存在し得ない。
そうとわかれば「理系の俺」という前提を信ずる人間が、
哲学だけでなく、あらゆる面で、認識力・理解力が弱いこと
が自明となる。
さすれば、
>>1は哲学に限らず、科学から美術まで、世界の
あらゆる分野の書物を読んでも真に理解することはできまい。
240 :
考える名無しさん:2007/03/28(水) 12:38:50
>>238 人間の理解の仕方自体に法則はありませんよ!
この世界は不可知世界ですのです!!
何事も根元にさかのぼると何もないのです
だから創造する必要があります
そしてその時に知恵が必要なのです
しかし、大学生の時、哲学科の友人は何人もいたが、みんな普通の感じのいい人ばっかりだったな。
これまで延々と書かれているようなことは全く言わなかったし、哲学に関して質問すると、専門用語を
極力使わないように気をつけながら平易に説明してくれたし。
このスレに延々と書き込みしている人って、哲学をきちんと勉強した人って感じが全然しないんだなあ。
このE2とかいう人って、ただの哲学ヲタで、哲学をきちんと勉強した人からすれば、哲学を誤解させる
迷惑な人間ということにならないのかな。
まあ、哲学が専門でなかった素人が口を出すなと言われればそれまでだけどね。
>>238 >論理や理解・理性の理とは法則ですので多数決と言う曖昧で決められる理は何一つ有りません。
「多数決」なんて、僕はひとっことも申してませんよ? 多くの人が受け入れてきた、
承認した、というニュアンスでは確かに語っておりますが、「多数決」により、否認
する者達への強制力の行使というようなニュアンス、う〜ん、どっかにありますかねぇ?
>>241 うらやましいですねぇ、そういう方々を友人に持たれて。僕にもいてくれたら、どん
なにありがたかったことか。
僕自身は、哲学ヲタにもなりきれていない、しかし、なんかしらこの方面に対する興
味だけは持ってしまっている、という者です。もし、僕が理解していると思い込んで
しまっている誤解があるのなら、そして、その誤解を解いてくださる方が舞い降りて
いただけるのならば、僕は感謝こそすれ、そして、どんな目に会おうともかまいはし
ません。
>まあ、哲学が専門でなかった素人が口を出すなと言われればそれまでだけどね。
んなこと、2ちゃんで言える者がどこにいるんだろ、ってな感じ?
多くは素人の集まりじゃないですか、元々。それに、あなた自身も言っているじゃな
いですか。
>しかし、大学生の時、哲学科の友人は何人もいたが、みんな普通の感じのいい人ばっかりだったな。
>これまで延々と書かれているようなことは全く言わなかったし、哲学に関して質問すると、専門用語を
>極力使わないように気をつけながら平易に説明してくれたし。
こういう友人のような方が、2ちゃんにいないとも限らない。
あ、一言申し上げておきたいことがありますが、「延々と」について。たかがこの程
度のレスの応酬量が「延々と」でしょうか? あなたが友人との会話においてやり取
りしたであろう情報量に比べれば、屁の河童じゃないかなぁ? と僕は想像してしま
います。
>>241 学校で学ぶ哲学は「考える」ではなく「覚える」だからな。
本気で哲学に打ち込もうとする人間は大学には行かないだろ。
むしろニートや河原の人達のほうが哲学者は多いと思うぞ。
244 :
考える名無しさん:2007/03/28(水) 15:13:48
>>240 貴方には残念なことですが人の心にも例外はなく、全ては理と言う法則に依って賄われています。
その理を悟ると不可思議なものは何もなく、その逆は全てを理を以て解することができず不可思議に覆われることに成ります。
全ての根っこは、この法則の空間です。
本物の智恵とは物事の理を悟ることで知能が育ち、知能を母体として智恵が産みだされます。
偽物の智恵は物事の理を悟らぬ為に知能が育たず、物事の理非・善悪の弁別もできずに考えだされた正誤の不明な答です。
この根っこを辿ると、理に抗う心を理に準ずる心に自分の意志で切り換えれば誰でも簡単に人類が長年、希求した真理に辿り付けます。
つまり、理に抗う心を理に準ずる心に自分の意志で切り換えれば誰でも簡単に人類が長年、希求した哲学の真理に辿り付けます。
>>242 訂正 語句追加
>「多数決」により、否認する者達への強制力の行使
>「多数決」により、保留/否認する者達への強制力の行使
>>242 における『あなたが友人との会話においてやり取りしたであろう情報量に比べ
れば、屁の河童じゃないかなぁ?』と想像した理由について
>241さんと発言番号で言うのもちとなんなんで、241 → にし一 → 西一(にしは
じめ) さんということにしておきたい。哲学科の友人も固有名に変換しておく。ま
あ判りやすい名称として、東さんでいいか。東さんは後に宮崎で名をあげたってなプ
ロフを作り上げてもそりゃ構わないが、ここでの話には当然ながら何の関係もない。
西さん、ある日、ふと思った。「ん? 『○○』ってどういう意味だ? なんなんだ?」
その『○○』は哲学関係で使われている用語であった。
幸いなことに、西さんは哲学科のある大学に籍を置いていた。苦学の果てにか、勉強
なんざはしないでも楽々に入ったのかどうかまでは、何の関係もない。希望した大学
に入れたのか、滑り止めにどうにかどうにかもぐりこんだのか、これも何の関係もな
い。ともかく西さんはそういう大学に籍をおいている。
大学というのもひとつの社会であるからには、そこには他の人間もうじゃうじゃいる。
彼は言語/非言語コミュニケーションを用い/用いられ、知己を得、あまつさえ友人
を獲得することにも成功した。その友人の中に、幸いなことに哲学科に籍を置く者、
東さんもいた。
その『ある日』以後の時点において、西さんは東さんと遭遇し『○○』についてその
場で問うたのか、問い得る場を設定するために会う約束を交わしたのか、までは関知
しないけれど、ともかく問えたとしよう。
東さんは、これまでの西さんとの交遊を通じて、彼がどの程度、哲学について理解し
ているのか、西さん自身がどの程度一般的なもの/ことに対しての理解能力があるの
かを把握している。これらを踏まえて、どのような説明の仕方、いかようなる会話の
流れをもってすれば、西さんにとってより判りやすい話をすれば良いのか、が判って
いるのである。
これら全てを2チャンネル上のレスの応酬で再現しようと思ったならば、いかほどの
情報量になるだろうか?
247 :
考える名無しさん:2007/03/28(水) 17:00:57
>>243 その通りです。
覚える、記憶するは「物事の理非・善悪を弁別する心で知る」とは全くの別ものです。
それを力を崇拝し理に反する蒙昧主義者達が大衆でしか得ることのできない哲学を難解なものとして大衆の手から奪い取ったのです。
ですから如何に名を馳せた哲学者よりも我々大衆が哲学の道を開く可能性を秘めているのです。
>>238 >論理や理解・理性の理とは法則ですので多数決と言う曖昧で決められる理は何一つ有りません。
もちろん、『法則』というものは、十分な一般性を持ち例外がぞろぞろと並んでしま
うようなものに対して使わている言葉ではないでしょう。
>そして理は知の源ですので物事の理を悟らずば人の知能が育たず一切の智恵を産みだせない、と言う法則も有ります。
僕が読み取った論理形式
(理 → 知)→(not理 → not知能 → not智恵)
これはある種のトートロジーってやつか?
『物事の理を悟る論者』って今まで呼んできたけれども長ったらしいしいろいろと面
倒なので、ああ、そうだ、これを拝借して、俺は『トートロ爺』と呼ぶことにしよう。
どっか愛らしくないか? あ、ジプリには通報しないでくれよな(笑)
>この智恵不足が人類に理非的歴史、矛盾の繰り返しをもたらす、と言う理に叶う由ですな、、
(智恵不足 → 理非的歴史、矛盾を繰り返す)という理(法則)
この理からの脱却をするにはどうすればよいのか? そのためには「物事の理を悟
れ」と彼は主張しているわけね。ということは、「理」に二つの意味がこめられてい
るっぽいな。
(続く)
>>248の続き
>>239 どうやら、字義にまで遡っているようだが、学問している/しようとしている人間集
合の部分集合として「文系」あるいは「理系」という集合名を用いているだけでしょ、
これ。掘り下げすぎ(笑)
>>240 僕はトートロ爺の自作自演と読んでしまうのだが、違っていたら申し訳ない。
なんで「不可知」「何もない」と断言できてしまうのか?
これが不思議。創造するために智恵が必要、という論拠も不明。
>244
要約すると、「人間は『理』を自ずから持っている。このことを自ずから理解しさえ
すれば、哲学の真理に辿り着けるのだ。ついでに世の中も平和になる」ってことだ
ろ? トートロ爺。
しかしだ、トートロ爺。「自ずから理解することの困難さ(「なんで自ずから理解し
なければいけないの?」という自問/反問を含めた上での困難さも含む)」、「自分
さえも疑わずにはおれない人間理性」、「自分の頭の中で考えていることすら『言
語』を用いなければ明晰化されえぬ悲劇」。こういう人々に取り囲まれ、僕は生き、
爺も生きているのだろう。そして、僕は僕なりの方法論を持ち、爺は爺なりの方法論
を持って、これらに対処しようとしているわけだ。正否は神のみぞ知る。
>>249 訂正 補完
>こういう人々に取り囲まれ、
>こういうものをわんさか抱え込んじゃっている人々に囲まれるのみならず、
>これらをわんさか抱え込んじゃっている自分に追い立てられつつ、
251 :
194 ◆JMEUe1jdXc :2007/03/28(水) 20:34:21
194です コテハンでいきます
>>212>>216で私の好きな方向はわかっていただけたと思います
まず
>>244を見てください 彼は日常言語を自分勝手に乱用したうえに
論理的にも滅茶苦茶です 「彼は人類が長年希求した哲学の真理」の存在を確信しています 私は人類を
構成する部分要素として人間であると信じていますがこのような希求をしたことがかつてあったのだろうか?
しかし彼は物凄い立脚点で物を言います遥かな高みにいます 嗚呼これはこれこそは宗教的天才であるための重要な条件です
「貴方には残念なことですが人の心にも例外はなく、全ては理と言う法則に依って賄われています」
この大胆な断言が哲学の魅力です 人間の魅力です この説は思弁的過ぎるため
他者である我々には確認ができません 残念どころではありません悔しいです とにかく言い切ってみること
言葉にする事 これが人間の偉大さです 決して共有できないかもしれないが彼の「理」がある
それが何かはわからない 私の「理」と彼の「理」は違うかもしれない 分かり合う事ができなくとも
何が違うのかは知りたい そして何より重要なのは彼は「理」について
それが何かを言及していないのです!!!!!これが世界の恐ろしい所です言葉の恐ろしさです
我々が普段使う「時間」「物」「意識」「心」「真理」「空間」「今」この意を問うとき
人間と哲学は飛翔しまたは沈黙しました そして苦心のおもいで語り得るものは
語られてきました それが体系化された学問分野になっていきます
ここにアルキメデスの狙いが見えます とりあえず「全て」と言い切ってしまう
そこから「全て」を巡る壮絶な作業が行われます 恐るべきは「アルキメデス」
252 :
244:2007/03/28(水) 22:52:55
>>251 ちょつと待って下さい。
>「彼は人類が長年希求した哲学の真理」の存在を確信しています
私は真理を探究する上で物事を信ずることは有りません。全て確認しています。
ですから言い替えて下さい。>「彼は人類が長年希求した哲学の真理」の存在を(確信)確認しています、とね。
理とは何人も抗うことのできぬ全ての事柄に一つずつ存在し、人類史が続く限り不変の法則です。
ですから私の理、貴方の理などは存在しません。理とは覚える記憶することでは得られず悟ることで会得するのです。
つまり他者の意見を書き綴った哲学書を読み覚えても哲学の目的とする道理にあかるく成れない、と言うことです。
理とは何か、を知りたければ説明もしますし物事の理を悟る方法もお伝えします。
辞書にも記されているように人は物事の理を悟らずば知能が育たず智恵を産みだすことができません。
智恵が産みだせなければ何事も理解できる訳が有りません。【智恵=物事の理を悟り、適切に処理する能力】
適切とは全てに痛みを与えず問題を解決することで、適当を指すのでは有りません。
物事の理を悟らぬ者達には及びも付かない、素晴らしい解決方法が智恵の為せる業です。
人間とは物事の理を悟り、人格を中心に考える人科のホモサピエンスで人格を中心に考えることのできない人科の
ホモサピエンスは人と呼びます。
ですから人が全ての間だを保つ心、人と全てを思いやる間を繋ぐ意味で人間と呼ぶのです。
253 :
考える名無しさん:2007/03/28(水) 23:19:43
>>252 @何人たりとて、殺してはならない。
A家族を助ける方法は、敵を殺すしかない。
このような葛藤の場面のでは、理性的な解決方法
は、家族を見捨てること?
>>232 同語反復が問題にならないなら、経験科学の問題かなーというくらいしか
思いつきません。
全てのライオンは哺乳類である、はよくて
全てのライオンは尻尾がある、はよくない・・・みたいな。
255 :
194 ◆JMEUe1jdXc :2007/03/29(木) 00:18:58
>>252 理とは何か、を知りたければ説明もしますし物事の理を悟る方法もお伝えします。
是非教えてくれ!!!!アルキメデス以来天才の言説に飢えて久しいのだ!!!!
>>254同語反復は物凄い効果がある 神経シナプスなんたらかんたらで
記憶に残りやすいし「何で二回言うたん?」て周りが言いやすいし
あとしつこい感じが好きだ
おーロミオあなたはどーしてロミオなの?
何だ、低脳スレか・・
何だ、低脳レスか・・
>>251 まずはコテハン「194」の誕生を祝す。おめでとう、194さん^^
>私の「理」と彼の「理」は違うかもしれない。
トートロ爺の「理」が何を指し示しているのか不明瞭な段階でさえ、194さんは
「私の『理』」と使用してしまえる事実。これが言語の持つ恐ろしさであり、了解可
能性というものの持つ摩訶不思議さである。
>分かり合う事ができなくとも何が違うのかは知りたい。
「違う」と言えるのは、ある価値基準をもとに下した判断をしたからである。価値基
準を持てるということは(違う/同じ)という二分法、あるいは(違う/判断保留/
同じ)という三分法が適用できうる、ある種の集合らしきものを想定している、とい
うことになる。「それがどうした」と突っ込まれれば、それまでのことでしかないの
だが^^;;
>>252 >理とは何人も抗うことのできぬ全ての事柄に一つずつ存在し、人類史が続く限り不変の法則です。
前の発言(>238)で、トートロ爺は「理=法則」という形で説明を加えている。だが
しかし、「=」では結びきれない関係も示唆されていた。それで僕は以下の実験を
行なってみた。
1.この文章に「理=法則」を当てはめてみると、「法則とは(中略)存在し、(法則は)
(中略)不変の法則です」。さすがトートロ爺(笑) ただし、法則に「不変性」という
性質も入れ込んでいるね。
2.では、未だ見えてこない「理」をそのまま入れ込んで、第1項と同様の手法でや
ってみる。そうすると、「理とは(中略)存在し、(理は)(中略)不変の法則です」。
これもさすがトートロ爺(笑) でも、ちょいと違うな。こっちは「理」とい
う言葉に「不変の法則」という説明を加えている、という違いだ。
で、第1項、第2項の結果を並べてみたら、ん? あ〜ら、不思議。両方とも同じ結
果になってしまっただ。
以上の実験によって、トートロ爺のいう「理」には「不変の法則」という定義を与え
るのが相当であろう、という結果を、私は持った。反証、傍証、意見、求む。(くだ
らねぇことやるな! というサイレント発言が一番多そうだが(笑))
最後になって、人間と人との定義付けが出てきた。なるほど、「人の間」が「人間」
か。うまいこと言うもんだな、爺^^ でも、「人」っての、「ヒト」と表記したほうがより
鮮明に違いがわかるんじゃなかろうか? 生物としての人間を扱う分野で一般的
な使用法を借用してね。
>ですから人が全ての間だを保つ心、人と全てを思いやる間を繋ぐ意味で人間と呼ぶのです。
うむむむぅ、また読解に悩む文章を。僕なりの解釈で書き直してみます。
ですから、全ての関係を、思いやりをもって保とうと努力する心を持つヒトを
「人間」と呼ぶのです。
もし、解釈の間違いがあるのであれば、ご指摘いただきたい。
261 :
194 ◆JMEUe1jdXc :2007/03/29(木) 01:31:41
ありがとうE2さん E2さんも長ったらしい嫌味っぽい文章書くねぇ
そのしつこさ嫌いじゃないぜ
今日の俺の結論!!哲学は哲学である!!!!!!!!!!!!!!!!
同語反復は凄いんだ 過不及なしってんだ でも日常で使うと
またその効用は変わる 言葉凄いね 文脈凄いね 定義凄いね
262 :
考える名無しさん:2007/03/29(木) 02:23:04
>>217 >>210です。結局また来ちゃいました。
で、
>>217を読んでちょっとイラっときてしまったのですが、
>>147にもう書きました。
あなたのように知識の足りない人が辞書を引きながら書き込んでいることが分かったので、
辞書に書かれている意味で間違いないですよ、という意味です。
「抽象概念」程度の言葉の意味は、辞書毎に違うことはありません。安心して辞書の意味に頼って下さい。
多少の意味のズレがあっても、私が書いた文はビクともしません。
ちゃんと意味が通るように書いています。
辞書に書かれていることが分からない、という意味であれば、まずは国語の勉強から始めなさい。
その程度知性の人間とここまで議論めいた(議論にもなっていませんが)ことを書き綴った自分が逆に恥ずかしいです。
私は時々このスレをやっぱり見てしまうので、
もうこの文に反応しないで下さいね。またちょっとイラっとすると面倒なので。
もう一度言います、「あなたの近くにある辞書に書かれている意味で大丈夫です」。
>>261 のーのーのー 194さん。
「長ったらしい」じゃなく、「(2ちゃんのレスとしては)長い」だし、
「嫌みったらしい」じゃなくて、「嫌み」でもあり、しかし、かつ、
愛着の意をもそこにはそこはかとなく含まれている、という構造をもつんだな(笑)
只今、次作に向けて鋭意執筆中(笑)
なぜ、「哲学は難しい」と思われるのか、という問題に対するひとつの返答。
まずは、以下を読んでみてください。
ニーチェ セ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1172057256/219-220 丁寧にニーチェが言うニヒリズムという概念を説明してくれています。執筆者に感謝。
でも、僕がここで取り上げたいのは、その内容についてではありません。言葉の使用
方法ということについてです。
この文章内においては、「受動的ニヒリズム」と「能動的ニヒリズム」という対比させら
れている2つの「ニヒリズム」があります。そしてこれとは別の、意味合いが異なる3種
の「ニヒリズム」もあります。同じ単語を用いながら、単純に合計しただけで5種類。読
む者はそれぞれの意味するところを文脈に沿いながら読み分けないといけません。ま
た、「ニヒリズム」について話し合うときは、相手がどの「ニヒリズム」について語ってい
るのか、自分の意味するところの「ニヒリズム」が相手にそのまま伝わっているのか、
色々と細心の注意を払わなくてはなりません。
この状況を大雑把ながらに例えると、ローカル変数に用いている変数名がそれぞれ勝
手にグローバル変数としてふるまいかねない状況、とでも言えるのではないかと思い
ます。そして、これはなにもニーチェのニヒリズムに限ったことではない。
そしてこれと逆の現象もあります。誤読、誤解釈を恐れるあまり、厳密に定義しすぎて、
専門外の者にはその意味が容易には伝えられない概念。また、一見日常用語らしく見
えながら、実は日常用語では用いられないようなイメージでもって造られてしまって定
着しちゃった概念。これらの概念の意味するところを掴むためにはえらい苦労を重ねな
ければいけません。
>>194 哲学は法則が無い 好き勝手に概念も語法もレイプし放題
という発言は、これらの状況を指して言ったことではないか、と僕は思うのです。
言葉に対するセンシティブな感性、トートロ爺の言うところの「思いやりの心」の欠如が、
哲学を難しく感じさせてしまう、思わせてしまう原因のひとつになっているのではないか
と、僕は思っちゃったりするわけです。
>>264 追加訂正 このレスにおける引用語句発言者
誤>言葉に対するセンシティブな感性、トートロ爺の言うところの「思いやりの心」の欠如が、
正>言葉に対するセンシティブな感性、トートロ爺ひいては
>>139(=>262)さん言うところの
>「思いやりの心」の欠如が、
266 :
217:2007/03/29(木) 07:52:46
>>262 抽象概念を辞書で引けば、その意味合いは分かるでしょう。
ですが抽象概念で世界説明をする、となると話は別ですね。
世界説明をする為の抽象概念は辞書に記されていません。
貴方は、その接続が理解できずにイラつく、んでは無いのですか?
逃げを打たずに真面目に取り組んでイラつく、性格を直しちゃいましょう。
私は勝ち負け等に拘りませんので、、
267 :
252:2007/03/29(木) 09:02:33
人類は、たった一つのことができぬ為に今日まで争いの絶えぬ歴史を繰り返してきました。
それは誰もが生まれつき育てる機能を備え持ちながら生涯、育てずに捨て去ってしまう潜在知能です。
皆さんも御存知のように知能は人が知恵を産みだす為に大切な役目が有りますが、その知能を育てなければ智恵を産みだすことは叶いません。
ところが、誰でも考えることができ正誤はともかく答をだせますので自分には智恵が有る、と思い込んでしまいます。
自分には智恵が有る、と思い込んでいますので智恵がなくとも智恵を産みだす方法を知ろう、何て考えないのですね。
その思い込みで、子育てから人類社会の全てまで賄われていますので人類社会が平和に成ろうはずが有りません。
哲学は、その思い込みを外す為の方法を示唆していますが思い込みに捕らわれ探求する為に哲学を難解なものと位置付けてしまったのです。
それが原因で、哲学に近い立場の大衆から哲学を遠ざける結果として大衆の哲学離れを産みだしたのです。
要は、思い込みに捕らわれる心を思い込みに捕らわれぬ心に自分の心の切り替えをすれば物事の理を悟れ知能が育ち、個人や人類の抱える全ての問題を適切に解決する智恵が産まれる、と言うことです。
学歴も年齢も人種も過去も一切に関係せずに、です。
268 :
252:2007/03/29(木) 09:11:27
>>260 >ですから、全ての関係を、思いやりをもって保とうと努力する心を持つヒトを
「人間」と呼ぶのです。
全ての関係を、思いやりをもって保つ心を平常心として持てるヒトを「人間」と呼ぶのです。
保とうと努力する、のでは駄目です。それに、努力と言う力が加わると疲れますよ。
>>268 おお、ようやく僕はある程度のところまで辿り着けたようだ。
>全ての関係を、思いやりをもって保つ心を平常心として持てるヒトを「人間」と呼ぶのです。
ふむ。あ、もう少し手を入れたほうが、文章としては伝わりやすそうだ。
全ての「関係」というものを、思いやりの心でもって保つ。
このことを常に平静にできるヒトを「人間」と呼ぶのです。
「関係」というものが指し示す意味内容は何なのか? という疑問はまだ残るが、
だいぶすっきりしてきたんじゃないだろうか?
>保とうと努力する、のでは駄目です。それに、努力と言う力が加わると疲れますよ。
そう言われりゃそうだ(笑) 疲れるのは沢山だしな^0^
しかしトートロ爺も何十回、何百回となく同じ文句を言い続けて、疲れてるんじゃないの?^^;;
270 :
268:2007/03/29(木) 10:02:18
>>269 答です。
@そう言われりゃそうだ(笑) 疲れるのは沢山だしな^0^
しかしトートロ爺も何十回、何百回となく同じ文句を言い続けて、疲れてるんじゃないの?^^;;
A>保とうと努力する、のでは駄目です。それに、努力と言う力が加わると疲れますよ。
B>全ての関係を、思いやりをもって保つ心を平常心として持てるヒトを「人間」と呼ぶのです。
271 :
268:2007/03/29(木) 13:32:25
>>269 >「関係」というものが指し示す意味内容は何なのか? という疑問はまだ残るが、
>だいぶすっきりしてきたんじゃないだろうか?
全ての関係、とは貴方が見聞きし感じることの全てですよ。
親や友人、テレビで見る世界の人々、自然や過去、未来に至るまでの全てに対して、と言うことです。
その中で一人でも、一つでも否定するものが有れば知能は育たず、人格を中心に考える人間では無い、と言うことですね。
>>262(=>220=>147=>107=>104その他にもあるでしょうが)さん
勝手ながら、また僕の悪い癖で命名させていただきたい。人名をつけた方が何かと便
利なので^^;; 262 → にろに →じろうにぃ → 二郎兄
二郎兄のイラッとする気持ち、僕にも十分わかりますし、それはこのスレを見ている
方々の多くも感じていることだろうと容易に推測できることです。
「なぜなんだ? なぜこのトートロ爺はこっちの問いかけにはまともに答えず、ご託
宣を述べ連ねるばかり。そして、屁理屈にもならぬような屁理屈を捏ね、都合のいい
ときには辞書を用い、都合が悪ければ『辞書には載っていませんよ』などとほざける
んだ? なぜなんだ? こいつ、最初は人間かと思っていたけど、そうじゃなさそう
だぞ? ああ、そうだ、こいつ単なる馬鹿だ! なんてこったい、俺は馬鹿を相手に
まともな議論をしようとしていたのか! ちっくしょうめ、俺の費やした時間を返
せぇ!!!!」
二郎兄の叫び、僕にも手にとるようにわかります。>147で二郎兄は問いに対する答え
を得られずに一旦スレから離れてしまいます。見限ってね。
しかし、僕はこのように読めたのです。>139において
>>『人間として磨かれた良心が物事の理非を分かち定めることを意とする絶対無比、永遠に不変もの』
>とは何ですか? もし私がこの質問をされたらこう答えます。「思いやりの心」と。
二郎兄は「思いやりの心」という答えを示したのです。>268-269でトートロ爺が明かし
てくれたように。しかし、この答えに続けて二郎兄はよけいなことまで発言してしまう。
(続く)
>>272 >道徳の授業みたいですね。そうです、あなたの言っていることは皆が当たり前に持つ理想なのです。
この「道徳の授業」、「理想」などという価値判断を纏わりつかせてしまったため、
トートロ爺は答えることを拒否した、この発言の段階では拒否せざるを得なかっ
たのではないか?
「理想」という言葉に、「きれいごと」を感じてしまうクオリア。しかたありません、
こんな世の中だもの、こんな歴史をたどってきてしまった世界なんだもの。
でも、これらを乗り越えて、「『ある』『理想』」。任意の「或る」ではなく、存在の
「在る」ではなく、「理想は有るんだ!」という認識を確固たるものとして持ちえ
る「理想」。
これがトートロ爺の訴えたかったことではなかろうか。
↓◆↓◆↓◆↓◆↓◆↓◆↓◆↓◆
「きれいごと」と感じられ排斥されてしまわぬよう細心の注意を払い、時には道
化を演じ、時には化け物を演じ、時には涙を誘うような言説、その他のテクニッ
クを用い、そしてその上「きれいごと」と片付けられないような段階に達した時に
おいてのみ、その発話した意味が丸ごとそのままで受け取られうる概念。
↑◆↑◆↑◆↑◆↑◆↑◆↑◆↑◆
この範囲内において形成された概念は「共通概念」として共有される。
これが僕にとっての「共通概念」の定義である。
274 :
考える名無しさん:2007/03/29(木) 19:18:36
哲学とは、「philosophia(ギリシア語の愛智の意)」を、賢哲を希求する意味の希哲学と訳し、それが哲学という訳語に定着したものです。
哲学の「哲」には、「道理にあかるいこと」の意味が込められており、したがって、哲学とは、道理にあかるくなることを会得するという
目的を持っています。
ところが、人が道理にあかるくなるためには、物事の理(り/ことわり)を悟るという関門も通らなければなりません。なぜなら、道理とは、
理(り/ことわり)という枠組みに納められているものの一部ですので、物事の理(り/ことわり)を悟らなければ、真理や道理・倫理や
論理という、理絡みのすべてを会得できず、理(り/ことわり)と関連の深い、知の枠内にある、知能や知恵・知性なども会得できないために、
人格や品性なども得ることはできないからです。
ヒト科のホモサピエンスの「人」が、人格を中心に考えることのできる「人間」に進化するために、道理にあかるくなることを人に促す大切な
役目を担っているのが、哲学なのです。ところが、哲学は、「philosophia(ギリシア語の愛智の意)」を勝手に解釈した当て語であり、
愛智の意とは、知を愛することではないのか、という言い逃れをする御仁に、一言申し上げます。
275 :
考える名無しさん:2007/03/29(木) 19:19:21
愛智の意を知を愛することだ、とするのは結果論であって、愛智の意とは、自己愛を含まぬ揺るぎなき人間愛が、人の知能を育て、
知恵を産みだすことを意として付けられた名称なのです。その結果、育った知恵が、世の矛盾のすべてを明らかにし、
そこに探究心が膨大に膨らみ、人は矛盾を解決するための更なる知恵を望むものなのです。ですから、愛智の意とは、人が自己愛から
人間愛に切り換えるための直接論で、哲学とは、人が自己愛から人間愛に切り換えるために通る道を、道理で示した出発論といえます。
哲学は、人が物事の理(り/ことわり)を悟れば、自己愛から人間愛に心が切り替わり、人は知能が育ち、知恵を産みだすことができる、
と示唆していますが、一方の愛智の意は、自己愛から人間愛に切り換えれば、物事の理(り/ことわり)が悟れ、人は知能が育ち、
知恵を産みだせる、と伝えているのです。つまり、哲学の物事の理(り/ことわり)を悟る目的と、「philosophia(ギリシア語の愛智の意)」
の自己愛から人間愛に切り換えることは、人の知能を育て、知恵を産みだすための同じ方法なのです。
哲学は、既存の権威に捕らわれぬ大衆であれば、学歴や年齢や性別、人種などは一切関係なく、誰でも会得でき、産みだされる知恵で、
楽しい人生を送れる仕組みになっている、ということですね
276 :
194 ◆JMEUe1jdXc :2007/03/29(木) 20:17:23
なるほどね そんな素晴らしい仕組みだったのか ループ感も心地よい
このどこまでも「あるべき人間」が語られる そんな哲学の志向性こそ
我々は宗教的天才として評価すべきではないのか?いつから人間を
世界と関連させて語るときに「博愛なるもの」がなくなった?
正しかろうが偽だろうが関係ないのだ そこに「愛」があるかどうかが
重要だ!!天才よ 思考を止めることなく続けてくれ語ることを止めないでくれ
諸行は無常だがそこに揺れる「愛」を掴まえるのが天才だ
>>274 トートロ爺、相も変わらずの悪文どうも(笑) 以前に比べればだいぶ判り
やすくなったよ、ありがとう。僕なりの解釈を交えて一種の翻訳、超訳といえるも
のをここに提出します。
「哲学」とは、「philosophia(ギリシア語で愛智の意)」を、「賢哲を希求する」という
意味で「希哲学」と訳したのが始まりです。そもそも「哲学」で用いられている「哲」
という言葉には、「道理にあかるいこと」の意味があります。『学問』と結びついて
『道理にあかるくなることを会得する』という意味も生まれてきました。こうした現状
に対し「哲学」は本来成立した熟語の由来である「philosophia」の訳語でしかない、
と主張される方もいます。しかしながら「哲学」の第二義「道理に明るくなることを会
得する」の意味の方が、実は熟語本来の意味として適切ではないか?
ヒトが道理にあかるくなるためには、「道理」とは何かを会得しなければなりません。
「道理」とは「ヒトが希求する理想」を目指す道筋。しかしそこを辿るには「理」という
ものを自分のものにしておかなくてはならないのです。「物事の理」というものを。
この「物事の理」を悟ることにより、「理」のみならず、「理」から派生する「真理」や
「道理」、「倫理」、「論理」など、また「理」と関連の深い「知」から派生する「知能」や
「知恵」、「知性」なども会得できるようになるのです。これらを会得することにより、
ヒトは、人格や品性を伴った「人間」になるのです。
では、どうしたら「物事の理を悟る」ことができるのか? 「知を望む純粋な心」で
もって語り、「聞く耳」をもって、人の意見を聞き、「謙虚な心」でもって、改善すべき
ところがないかどうかを自問することで得られるのです。
西洋哲学は「論理」をもって、「真理」あるいは「世界認識」というものを得ようとして
きました。しかし、私から言えば、「物事の理を悟る」段階を経ずに用いている「論理」
は偽でしかなく、この偽から生まれた「哲学体系」ひいては現代社会を席巻してい
る西洋文明というものも偽でしかないのです。ヒトが人間にならずして何の未来が
あるぞや!
こういう意味において「哲学」という熟語を、私は使用し、皆さんにも使っていただき
たいと願っているのです。
>>275 あらら、すぐに続きをアップしていたのか、気がつかなかったな。道理で>274
の最終部分のつながりがちとおかしいなぁと思えたわけだ。てっきり最初に戻って「こ
のこと物申す」ってな感じなのかな、と受け取ってしまっていたよ。じゃあ、>277同様、
引き続きやってみるか。ん? そこまでする必要もなさそうだな。
大意は、ギリシャ哲学時代には「愛智→ 知能 → 智恵」という流れがあった。真の
愛智とは、自己愛から脱却し人間愛の境地を悟った者だけが到達できる地平である。
哲学= 物事の理を悟る → 自己愛から人間愛への切り替え
愛智= 自己愛から人間愛への切り替え → 物事の理を知る
ふむぅ。このふたつはどちらからからでも他方へ進める道、ということなわけね。とこ
ろが、途中でどっかおかしくなっちゃった。最初の段階を踏まぬまま「論理」一点が幅
を利かせてしまって、その後のヒト社会に多大なる悪影響を与えてしまった、というこ
とを言いたいようだなぁ。
トートロ爺は、その原因を「哲学界の閉鎖性」ってなものに求めている。
しかし、これ、どうなんだろう? そんな簡単な原因で起きちゃうことなんだろうか?
俺は激しく悩むね、悩んだね、お風呂に入ってのんびりお湯に漬かりながら激しく考え
込んじゃった。で、ピンと来たんだ。「湯ぬりぃや!」。(ハイ、笑うところよ、ここ)
ギャグの出来はどうでもいいが、神学とかスコラ哲学ね、こういったものの存在にぶち
当たったんわけよ。こいつらは「神の存在証明」とかばっかりに熱あげてたんじゃなかっ
たっけ? 今そこにいる人間達の苦悩の解明、解決なんてものそこのけでさ。そいでも
「論理」のものすごい力は使えたわけでんね、いろいろと有用な哲学上の道具などもこ
さえ上げたわけ。で、今でも、その「論理」が生き残っているわけなんだよな。でも出生
がこうだから、悟りの境地とか愛智とかは知らずにいるわけなのさ。
「神は死んだ」ってニーチェは言ったが、その申し子は「You are only 論理」のテーマソ
ングとともに、ひとりぽつんと孤高の位置に一人わびしく佇んでいるのであった。
279 :
275:2007/03/30(金) 00:28:55
>>278 哲学= 物事の理を悟ると言うことは → 自己愛から人間愛への切り替えをすることですよ。
愛智= 自己愛から人間愛への切り替えると → 物事の理を悟れますよ。
何れにしろ、自己愛から人間愛への切り替え方法を知れば、人々が物事の理を悟れば眠り続けていた人の潜在知能
が育ち、人類の抱える問題の全てを円満に解決する智恵を産みだせるのです。
出生と言う人類史との深い関わりが有りますが、全ては気持ち次第と考えます。
ニーチェの「神は死んだ」と言う言葉には人の心から良心が消え去った、と言うことを意味していると思います。
ただ彼は自分は百年、産まれてきたのが早かった、と言っていますので、その言葉から人類の未来に期待を寄せて
いたことも伺い知ることができますね。
話は外れましたが人の心を啓発し自己愛から人間愛に切り換える方法は、もう世にだしています。
理に叶う夢は必ず達成しますが、少しでも多くの人々が物事の理を悟り、産みだされる智恵を使い社会に君臨し
平和な人類史を築いて戴きたいと言うのが私の夢です。
貴方には馬鹿に見えるでしょうが私には大切な夢ですので、それでも良いんですよ。
280 :
考える名無しさん:2007/03/30(金) 00:53:48
E2、
おれはお前みたいな言葉遣いをする人が大きらいだ
粘着気質丸出し
優越感丸出し
しかも、そう指摘されてもお前のプログラムでは条件反射的に否定しにかかるだけだろ
ほんとうの内省ができないだろ
281 :
考える名無しさん:2007/03/30(金) 01:00:11
まあ、こんな語りをする奴らを昔の人はソフィストと呼んだわけだ。
ただ、ここまでキモい語り口であったかどうかはわからないけどw
子供のときにだけあなたに訪れる、不思議な出会い。
>>233-234 において、「きれいごと」という価値判断を下し云々の話をした。が、今
になって振り返ってみると、僕は逆に「アンチきれいごと」という価値判断に纏わり
憑かれていたのだな、ということに気がついたの。
トートロ爺が怒るのも当たり前だな、「そーゆーお前もとり憑かれてるじゃないか」と。
すまんかった、トートロ爺。
ああ、人が良い気持ちに浸っているときに、ったく(笑)(笑)
誰かが書き出すと、わらわらと湧いてきやがる(笑)
>>280 そうさ、粘着だしな、俺(笑)
優越感を出さずに日常生活過ごすのに、ものごっつぅ苦労してる(笑)
内省? 内務省の略称かソレ? 戦争終わって何年経っていると思ってんだ?
>>281 テメエにはこんな名文書くのは無理だからって、スッパイ葡萄理論に逃げ込むわけか。
まあ、しょうがないな。だって無理な奴には無理だもんな(笑)
>>282 >子供のときにだけあなたに訪れる、不思議な出会い。
子供のときに抱いていた思い、夢。すっからかんになってしまったテメエの今。
>>284 秘密の暗号も、森へのパスポートも知らないようだな?
>>279 トートロ爺、細かい修正ありがとう。僕は爺が言いたかったこと、どうやら大
体掴めた感じだ。そしてその内容にどのような判断を俺が下すのかは、まあ、また別
の話ってことで(笑)
>>285 哲学板内務省
>秘密の暗号も、森へのパスポートも知らないようだな?
おお、おお、内務省! あったのか。そいや、自治スレとかどこそこスレやらで何と
か省とかカニヤラ隊とか、いろいろ名乗っているのがいるなぁ。その手の人か?
ま、言ってみるもんだな(笑)
しかし、「秘密の暗号」やら「森のパスポート」やら、んーっ、『ソフィーの世界』に
あったような気もしないではない。で、それを知らないとどういうことになるんだ?
小水キボンヌ と慣れぬ2ちゃん用語を使ってみたりして(笑)
>>286 ああ、そうか。>282 もそういや『ソフィーの世界』の有名なフレーズだったか。
ってことは、僕もようやく哲学の入り口に立ったってことを言ってくれたのか?
んーっ、ってことは、俺、誤爆しちゃった? すまんのう、内務省さん。
やっぱ、頭に来てたんだな、俺。内省が足りないや。
すまんのう、>280さん、あんたの言う通りやった。
まあ、俺の物言いが気に食わないようだから、嫌いなのは変わらないだろうけどな。
そう言われても俺は困らないからいいけどさ。
だけど、食べ物の好き嫌いは言わないで、ちゃんと食べたほうがええぞ。
って、こういうこと言っちゃうのも輪をかけて嫌いにさせてしまうんだろうなぁ。
だからといって、「じゃあ削除してしまいましょう」って気にもならないのが、
より輪をかけてしまうわけで、んーっ、同語反復同義反復くるくる回る循環論理の罠。
>280 において、僕はこう言われた。
>ほんとうの内省ができないだろ
と。「本当」という言葉は知っている。意味も知っている。現実世界ではどのような
行動をとれば「本当」という言葉の意味するところを表わし得るのかも知っている。
しかし、言葉のやり取りの世界、2ちゃんねるにおいて「本当」であることをそのま
んま理解してもらうためには、いかなる手段を用いなければならないのか。
1.友好的な関係を結べている間柄においては、ごく簡単である。
「本当だよ」、「ああ、本当だろうな」で済む。
2.友好的とまではいかない場合は、3種類の受け取り方をされる。
「本当だよ」、「(まあ)本当だろうね(信じておくよ)」
「本当だよ」、「(どうかわかんないけど、まあ)本当だろうね(と言っとくか)」
「本当だよ」、「(眉唾)本当だろうね(眉唾眉唾、事を荒立てるのもなんだしな)」
3.敵対的な関係だと、また、ごく簡単である。
「本当だよ」、「本当だと? 何ほざいてるんだ、証拠出してみろよ、ケッケッ」
そして、2ちゃんねるにおいては、ものすごい数の第三者が存在しているとのことら
しい。これらの第三者にも「本当」をそのまんま受け取ってもらうためにはいかなる
手段をとればよいのか? 「本当だよ」と言った後に、その本当が指し示した内容に
即したもの=証拠を提出したとしても、「言った後に慌てて取り繕ったんじゃないか?」
という突っ込みが入る可能性がある。
(続く)
>>288 解決策はあるのか? うん(笑)。事前に「本当」に見合った発言行動を当該スレで
行なっておけばいいのだ、それも固定ハンドルで。だから俺は固定ハンドルで登場し
た。証拠を求められたときに提示できるようにね。「固定ハンドルを騙られたらどう
するのか?」ってな問題が起きたときは内務省なり自治省と名乗っているような方々
に相談してみればいい。彼らがきっとどうにかしてくれる(笑)
で、俺は結局、内省できている人間なのだろうか?
>278 名前:E2 ◆igyenga13c [sage] 投稿日:2007/03/29(木) 23:35:23
>>275 あらら、すぐに続きをアップしていたのか、気がつかなかったな。
>280 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2007/03/30(金) 00:53:48
>ほんとうの内省ができないだろ
>283 名前:E2 ◆igyenga13c [sage] 投稿日:2007/03/30(金) 01:40:43
>>233-234 において、「きれいごと」という価値判断を下し云々の話をした。
>284 名前:E2 ◆igyenga13c [sage] 投稿日:2007/03/30(金) 02:00:41
>ああ、人が良い気持ちに浸っているときに、ったく(笑)(笑)
この時間経過、僕の発言内容、このことから判断できるんじゃないか、と僕は期待す
るのみである。
なんてね(笑) まあ、本当のこといやぁ、僕にはどっちでもいいんだけどね。ただ、
「本当」を巡るテストケースにもってこいだなぁ、と思って材料に取り上げちゃった。
どもね、>280さん。感謝^^
290 :
279:2007/03/30(金) 09:36:05
>>283 >トートロ爺が怒るのも当たり前だな、
もしも私のことでしたら怒ってなんかいませんよ。
怒りは自我の連鎖で産まれる感情の一つですが、その感情の表れ安い人ほど思慮が浅く蒙昧の度合いが強いのです。
かと言って、その事を誰も批判できるものでは有りません。
蒙昧に支配されている人類社会では怒りの心を持つのが普通人として当然と受け止められているのですから、
ただ、育つ段階で怒りの感情が表れ安い育ち方をしただけで有って、皆ドングリの背比べ、でその差は広く有りません。
喜怒哀楽の努抜きですと異質と思われますが、私は精神的に無理な怒抜きでは有りませんので別に疲れませんね。
291 :
280:2007/03/30(金) 11:31:10
>> E2
ちょっと感じの悪い書き方をしてすみませんでした。
反省しています。
基本的にはあなたのように哲学的な思索をする人には親近感を持ちます。
私自身もそういう傾向があるからだろうと思っています。
さて、私が伝えたいのは、
どうしてもあなたの思考の内容よりもその動機というか目的が気になる、ということです。
自己正当化に熱心だし、正確さというか無謬性を懸命に模索しているように思えます。
その副産物として精緻な理論が日々アップデートされているかと思いますし、
その内容をこそ問題にしてほしいと希望されているかもしれません。
でも私はそちらには興味はなく、むしろあなたはそうすることでどうなりたいんだろう?、
また、そうなりたい理由として、そうでなかったら何がいけないと思うからなんだろう?、
というようなことのほうが気になります。
そして、それはあなた自身がいつか思索の円環を閉じて、ある種の落ち着きを得るまでは、
周りが何を言ってもうまくあなたの胸には届かないだろうということも、よく分かっているつもりです。
その意味で、内省的になるのはまだ先のことだろうなあ、
その途中であるあなたは、今は余裕がなくて、周りの人たちからしたら接しにくいだろうなあ、
と想像しました。
>>290 トートロ爺^^;;;
>もしも私のことでしたら怒ってなんかいませんよ。
よくもまあ、こうもしゃあしゃあと言えるもんだ(笑) よしんば、トートロ爺自身は
全く怒っていないにせよ、トートロ爺の発言によって、どれほど僕が「怒り」という
感情を持たされ、どれほどの数の考える名無しさんが「怒り」の感情を持たされた
ことだろうか。これらのことか全く見えていないのか?
人に「怒り」の感情を持たせるような言動・行動をとる、そんな人物のことを世間が
何と言うか知っているか?
「この、ならず者!」
もちろん、表立って言える者は少ない。だってトートロ爺のような発言行動を取れる
人物は大概、こう言われたらものすごい攻撃(口撃)を加えてくることを経験的に知
っているからな。そして、荒らされることも少なくない。荒らされてしまったら、そのス
レはおしまいになる。板内の他のスレに波及することも想定される。板全体がダメー
ジを蒙る事態さえ考慮に入れなければならなくなることもあるだろう。だから、【無視
せよ】という警告が2ちゃんねるのどこかしこでも言われている訳だ。少なくとも僕は
そういう理由もあっての警告だと思っている。
現段階での僕のトートロ爺に対する認定は以下の通り。
1.トートロ爺は「物事の理を悟る論」を構成する三つの主要な要素のうち、「聞く耳を
持つ」、「謙虚な心でもって」の項目をクリアしていない。
2.「物事の理」と密接な関係を持つとされている「思いやりの心」という言葉が持って
いるであろう意味内容を鑑み、それと照らし合わせてみると、「相手の立場に立って考
えてみる」という要件が決定的に欠如している。
以上2点、このスレの発言をたどれば論拠は明らかにされていることと確信する。
結論:
トートロ爺は自らが唱える「物事の理を悟る論」を自らが実践しておらず、逆に自ら
「反『物事の理を悟る論』主義者」として過激な行動を実践している者である。
>>291 280さん。僕の言葉に耳を傾けてくれたようで、ありがたいことです。感謝。
あなたが前半部で推測なさっている通りの意図を僕はもっています。
そしてあなたが疑問に思うことも当然のことでしょう。
>でも私はそちらには興味はなく、むしろあなたはそうすることでどうなりたいんだろう?
トートロ爺の唱える「物事の理を悟る論者」。但し、僕が>277-278で解釈したような
意味においてのね(除く「哲学」の持つ意味の変更要請)。
>また、そうなりたい理由として、そうでなかったら何がいけないと思うからなんだろう?
この、多くは腐り切った世の中をこのまま放置したいと思う? これをどうにかでき
る道筋を僕は発見したと確信/妄信し、それをどのように行なえば実現可能か、その
方法論を持ったと確信/妄信したわけ。
で、この「確信/妄信」。「確信」であれば、世の中が腐った状態から脱却できるよ
うになるわけだし、「妄信」であれば、フィクションとして楽しめるだろうと。少な
くとも僕自身が楽しめているのは事実なんだ。他の人はともかくね。
つまりはどっちに転んでも、僕自身の意に叶う状況が望める。こんなおいしい話、誰
が乗らないってんだ? ってことね。
(続く)
>>293 >そして、それはあなた自身がいつか思索の円環を閉じて、ある種の落ち着きを得るまでは、
>周りが何を言ってもうまくあなたの胸には届かないだろうということも、よく分かっているつもりです。
僕の思いも、皆さんには届きにくいだろう。僕の思いそのまんまを受け止めてくれる
ような人、「了解した」という立場ではなく、「判断保留」という立場に立ってくれ
るような「受け止め方」をしてもらえる人でさえもね。「そのまんま」と言う意味は、
僕が意図し意味づけている「モノ/コト」を過不足なく他者が受け取れる状態。>273
において僕が定義づけしている「共通概念」の意味する状態だ。
申し添えれば、僕の言わんとするところ、円環構造をもっているわけじゃない。どっ
ちかって言えば、螺旋構造を持つんだよ。完全に一致した元の地点に戻るわけじゃな
くて、微細ながらも異なったところに到達する。その違いに敏感になることで次の道
が開けていく構造。今までは「同義」と簡単に片付けられていたモノ/コトが実は違
うんだ、ということに気づくこと。
>その意味で、内省的になるのはまだ先のことだろうなあ、
はぁ、やはり、>288-290において僕の示した証拠は役に立たなかったのか。僕自身も
時間経過という曖昧なところに寄りかかる危険性は承知していたんだよな。人によっ
て、その時間をどのように過ごしていたのかは違うからな。うーむ、やはりまだまだ
改善の余地があるな。ありがとう。バグ出しに協力してもらって、280さん。
>その途中であるあなたは、今は余裕がなくて、周りの人たちからしたら接しにくいだろうなあ、
ええ、でしょうね。僕自身思いますからね(笑) でも、余裕がないのは表面上のこ
とだけなんです、僕の中では。皆さんにはご迷惑をおかけします。それでも、280
さん、接しにくいだろうに、それを乗り越えて僕に話し掛けてくれた。感謝です。
295 :
280:2007/03/30(金) 18:13:53
>> E2
私ももっとよくあなたの書き込みを読み直してみます。
「接しにくいだろうなあ」なんて書きましたが(これも失礼しました)、
こうして返信してくれて私こそ感謝しています。
296 :
290:2007/03/30(金) 19:05:25
>>292 では、私が真実をねじ曲げ仲良し理非クラブに参加すれば世の中が良く成りますか?
>トートロ爺の発言によって、どれほど僕が「怒り」という
>感情を持たされ、どれほどの数の考える名無しさんが「怒り」の感情を持たされた
>ことだろうか。これらのことか全く見えていないのか?
今までは哲学とは他人の記した書物を読み覚え吹聴することだと思ってた人達の中に
全く別な異質な論者が現れると排除するのが蒙昧社会特有の傾向です。
怒りは蒙昧に依って作られる自己愛の欲望が自我の連鎖と成って現れる無知の測定器です。
貴方は何を目的として哲学板に書き込んでいるのか、もう一度、良く考えて下さい。
呉々も冷静にね。
297 :
考える名無しさん:2007/03/30(金) 20:44:48
まったく初心者なんですけど、、
哲学って「何で生きているのか」「なんのために生まれたのか」を本気で考える学問なんですか?
298 :
考える名無しさん:2007/03/30(金) 20:47:02
こっちも専門家じゃないけど、ちょっと違う気がするな。
299 :
考える名無しさん:2007/03/30(金) 20:51:09
>298
それでは生きるに限らず何事にも意味づけをしようと考えることを哲学というのですか?
300 :
考える名無しさん:2007/03/30(金) 20:51:31
かなり、いい線をいっているような気もするのだが、
出だしである、問いの立て方が哲学的じゃないし、
中間の、展開の仕方が哲学とはいいがたいし、
結びの、結論にいたっては完全な的外れって気がする。
301 :
考える名無しさん:2007/03/30(金) 20:55:03
>300
うーん、、むずかしいですね。。でも、こういう考えるっていう行為自体は好きなんですよね。
哲学とは○○である。と要約してみて頂きたいです
302 :
考える名無しさん:2007/03/30(金) 20:55:54
>300
うーん、、むずかしいですね。。でも、こういう考えるっていう行為自体は好きなんですよね。
哲学とは○○である。と要約してみて頂きたいです
303 :
考える名無しさん:2007/03/30(金) 20:56:49
哲学は存在論だよ。デカルトのコギト(我)から始まっている。私とは何かが哲学の根本でデカルトが私を思う私がいるのだから私は存在する。そこからが哲学。
まぁ、色々な哲学があるだろうね。
色々あって一言では要約はしがたく、統一した見解はない、
という見解では一致している、ということさえ
出来ないってところじゃね?wwwwwwwwwwwww
305 :
◆V.SS8u5Q9Q :2007/03/30(金) 21:05:40
(*_*)
306 :
考える名無しさん:2007/03/30(金) 21:05:46
そうなんですか。。まだ全体像がつかめません・・・
疑問なんですが、例えば生きる意味を考えたとして結論って出るのですか?人間の考え方は人それぞれなので答えってないような気がします。
生きる意味に限らず死についても人それぞれの考えを持っているので同様に思います。答えが出たとしても私は違うっていわれたら終わりというか・・・
それを話し合うことに意義があるのでしょうか?
307 :
296:2007/03/30(金) 21:34:05
>>301 哲学とは道理にあかるいこと(哲)を望み希求する(学)ことです。
「何で生きているのか」「なんのために生まれたのか」を考えるにも全て智恵が必要です。
人は誰でも考えることができ、そして産みだされる答を智恵だと思い込んで生きています。
しかし人が知恵を産みだす為には法則と言う誰にも変えることのできない順番が有ります。
智恵と言う智の恵みを人が受けるには知能と言う智の能(はたらき)を促さなくては成りません。
その智の能(はたらき)を促さす為には智を育てなければ成らないと言う順番が有ります。
そして智を育てる為には道理にあかるいこと、が不可欠ですので、それを望み希求する哲学が有るのです。
人類が道理にあかるく成り、本物の智恵を使い始めたら世界は瞬時に争いの無い平和な社会に変わります。
誰が記した哲学書を読み覚えても道理にあかるく成れないことは保証します。
その証明は哲学書を読み覚えて道理にあかるく成れた人が誰もいないからです。
道理にあかるく成ることは誰でもできます。大衆の一人で有ることと、智を望む純粋で謙虚な心が有ればですけど、、
>>295 280さん。ありがとう。
そうそう。螺旋構造についてのところで言った「微細ながらも異なったところに到達
する」については、>185「充足理由律」で説明してくれている「微小表象」というも
のと何か関わりがあるのかもしれません。
>>296 トートロ爺
>今までは哲学とは他人の記した書物を読み覚え吹聴することだと思ってた人達の中に
>全く別な異質な論者が現れると排除するのが蒙昧社会特有の傾向です。
異質なものが現れたら、まずは排除しようとする。これ、免疫系ですね。ごく当たり
前の生体反応です。この問題をどう潜り抜けるかがまずは第一の最初のそして大きな、
とても大きな問題なのです。
僕は本を読む気にもなれない暇な人間(>199)として、「変なこと言っている奴がい
るな。ちょいと相手してやるか。へへぇ〜ん、ちょいちょい、こんなもんでグーの音
も出ねぇだろう」という感じの発言者を装い登場しました。このような性格を持つ発
言者としてスレ住人に思われるようにね。本当は>293で白状した「物事の理を悟る論
者」なのにね。つまり、先住していたスレ住人の人達をだましたのです。もうしわけ
ない、スレ住人さんの方々。
しかし、何故こんな回りくどいことをしたのか、しなければならなかったのか。最初
から「僕の真意」というものを明らかにしたならば、トートロ爺と同じ目にあうから
です。最初に纏わりついたイメージを払拭するためには、並大抵の苦労じゃあ追いつ
きません。
今、この段階になってようやく僕は真意を明らかにしつつあります。なぜか?
「僕の真意」というものに「判断保留」という形であれ耳を傾けてくれそうな状況に
なってきた、と僕が判断できたからです。
おっと、発言アップしようとしたら、わんさか増えている。どういうことになっている
んだろうな、楽しみである(笑)
309 :
194 ◆JMEUe1jdXc :2007/03/30(金) 21:41:44
あまり意味とかにこだわる人は哲学やるのは辛いかも
仮定と過程を楽しめる人に向いてる
>>297 まったく初心者なんですけど、、さん
>哲学って「何で生きているのか」「なんのために生まれたのか」を本気で考える学問なんですか?
ええ、あなたの言う通り。だけど、その前に片付けておかなければならない問題
があることに気がついた。例えば「『本気』ってのはどういうことだ?」ってな問題。
「私、本気です」って言った「本気」は、じゃあ、一体どのような「本気」の状態なん
だろう? どういう状況の下で発話者が用い、それを受話者はどのような意味に
受け取るのか。
「なんだぁ、そんなの『本気』なんだから『本気』じゃない。それ以外ないじゃない。
わかんないのなら、辞書引きなさいよ」
辞書を引いたところで、どういう風に受け取られるのかまではわからないのが現
状なんです(>288-289試み、>294結果「本当の『内省』」参照)。
>306であなたが取り上げた問題、実はこの「『本気』問題」と同様の構造を持ってい
るのです(多分同じ方だと僕は思っているけど、もし間違っていたらごめんなさい)。
>答えが出たとしても私は違うっていわれたら終わりというか・・・
もし、何らかかの『答え』が見つかったと想像してみて下さい。決定的な答えがね。
でもほんの少しでも「なんか『違う』ってな感じぃ?」と受け取られないようにするた
めには、どのようにしておかなければいけないのか? こういう事態にも対処して
おかなければいけない、ということに気づいたんです。これは言語関係の学問とも
関連する分野です。面倒です。でも、こんなのに興味を持ってしまってしまう人間
が俺も含めていたりするわけです。
>>299(横レスですが^^;
>それでは生きるに限らず何事にも意味づけをしようと考えることを哲学というのですか?
それぞれの哲学者が必要だと思った対象、興味を持った対象にはそれぞれの方
法で色々働きかけたりするとは思いますが、それ以外のことには無頓着なんじゃ
ないかなぁ?
311 :
考える名無しさん:2007/03/31(土) 00:12:10
297 299 301 306 です。なんか哲学は○○だ。にしても皆さんそれぞれの意見があるんですね。おそらくこれも答えがないのでしょうか。
皆さんの意見を読んだ限りでは「自分の興味の有る対象についてそれが何であるのかをとことん論理的に追及して行くもの。」のようにも思えますが、、、。そしてその過程が面白いんでしょうね。
私的には様々な捉え方があるものを、また、言葉で表しにくい目に見えないものを自分なりに論理できちんと定義している作業に見えます。
少しはあたっているでしょうか?
>>311 えっと、発言番号を書き出してくださってありがとうございます。
311さんのようにしてもらうと、僕にとってはものすごく助かります。
>なんか哲学は○○だ。にしても皆さんそれぞれの意見があるんですね。
>おそらくこれも答えがないのでしょうか。
持論は脇に置いといて、強いて言えば「哲学は考察する学問だ」ということを筆頭に
あげておけばいいかな? 他の学問分野は「何某」について「観察/観測/実験/
その他の方法」を用いた上で考察するので、「『何某学』とは(何某の意味内容)を考
察する学問です」、「『なんたら方法』を用いて(何某の意味内容)している分野の学
問です」という分かりやすい説明が可能です。例をあげれば『天文学とは宇宙につい
て考察する学問です』ってなことなんだけど。
これを踏まえて考えてみると、「哲学は(○○について)(△△方法論を用いて)考察
する学問だ」という言い方ができます。括弧内に何が入るのかは各々の目的意識に
よって違ってくるわけです。括弧内に入る目標を考察する人々がある程度まとまり、
それなりの学問分野として充実してくると、その分野は「○○(△△)学」として独立し
ていくわけです、哲学者の見地からするとね。現在ではかなりの分野が充実し、それ
ぞれ独立していったので、一見、隙間産業的な感じに見えちゃいますが。
>皆さんの意見を読んだ限りでは「自分の興味の有る対象についてそれが何であるのかを
>とことん論理的に追及して行くもの。」のようにも思えますが、、、。
>そしてその過程が面白いんでしょうね。
ええ、そうです。でもって、追究していった挙句「『論理的』ってなんだ?」ってなことを
考えはじめた人も現れてきます。自分が武器にしている「論理」、この論理そのものを
まで考察対象にしてしまったわけですね。有名な本にウィトゲンシュタインの『論理哲
学論考』というものがあります。最後の文章、しびれちゃいます。
語り得ぬものについては沈黙しなければならない
かっこよく感じてしまうのです。少なくとも僕にとっては。
>>18 結論:哲学は必要ない。 ← これに対する僕なりの反論ね。
お題:どうしましょう!!!
「ねぇ、考えると悩むってどう違うの?」って子供に質問をされちゃった!!
悩むってのはね、「あれがいいかこれがいいかって比べること」で、その結果、
【どっちか選ぶか、どっちも選ばないか、どっちも選ぶか】を決めることよ。
考えるってことは、「あれ、これはどうして? → ああ、そうか^^ああ、すっき
り」ってなったら、どうしてすっきりしたのかを他の人に説明できること。
これでいいのだが、なぜこれでいいのか、についてのバックボーンを与えられ
るのが哲学である。
悩むというのは、「どの価値基準を選択するのか」の問題なのだ。「価値基準」
が複数ある状況をイメージするとわかりやすい。品物で悩んでいる場合、金額
という価値基準か、品質という価値基準か。もちろん、両方を交差させていわゆ
る座標平面を作り上げてもよい。そして選択した価値基準を元にして判断を下
すわけである。【購入/保留/断念】という三つの中から。
考える場合には、疑問を持ち、それがどのような結果になったのであれ、その過
程を他者に言語を持って説明できることが必要である。なぜか?
悩んで選んだ結果は、「何でそれ選んだの?」、「んーっ、適当ってぇ感じぃ?」
という答え方でも許される場合がある。
だが、考えた結果は、「なんでそうなった?」、「んーっ、適当ってぇ感じぃ?」とい
う答え方が許されないからである。
つまり、両者の違いは言語化できるかどうか、ではなく、言語化を強制的に要請
されているのか、そうではないのか、という違いなのだ。こういう明晰な分析を下し、
かつ、言語表現するのが哲学なのだ。
結論:哲学はあると便利である。
314 :
考える名無しさん:2007/03/31(土) 09:46:23
>>310 問題をすり替えている。原因は答を知らない為です。
>>312 >強いて言えば「哲学は考察する学問だ」ということを筆頭にあげておけばいいかな?
哲学は何を考察するのか、が抜け落ちている。
>語り得ぬものについては沈黙しなければならない
この言葉を
>>312は自分に対して戒めの言葉とするべきです。
>>313 >「ねぇ、考えると悩むってどう違うの?」
>悩むってのはね、「あれがいいかこれがいいかって比べること」で、その結果、
>【どっちか選ぶか、どっちも選ばないか、どっちも選ぶか】を決めることよ。
この場合は『迷う』で悩むとは別ものです。
問題に対して答えを見いだそう、と思うことが考えること。
そして答が見いだせない、と悩みと成りストレスに成長する場合が有ります。
勿論、迷いが進んでも悩みに発展します。
>>297 哲学って「何で生きているのか」「なんのために生まれたのか」を本気で考える学問なんですか?
に対する答が「結論:哲学はあると便利である。」ですか?
>語り得ぬものについては沈黙しなければならない
物事の理を悟り万人が納得できる答、のだせぬもの(もの・事象・者)に付いては言及しては成らぬ、と言うことです。
ウィトゲンシュタインが泣くよ、、
>>253 横レスですが
>@何人たりとて、殺してはならない。
>A家族を助ける方法は、敵を殺すしかない。
>このような葛藤の場面では、理性的な解決方法は、家族を見捨てること?
敵と家族とどっちが大切か、あなたが大切だというほうを選択なさったらいかがでし
ょう。敵を殺すのは直接的信条違反。家族を見捨てるのは間接的信条違反。どちらに
しても信条違反になると思いますから、選択肢を考慮する上で信条は外されることに
なると思います。
>>314 トートロ爺、なんか発言スタイル違う感じ。逐行で来たねぇ(笑)
>310 問題をすり替えている。原因は答を知らない為です。
ええ、現段階では答えを知りません。でも、知った場合に備えて環境整備もしておか
ないといけない、ということです。
>312>強いて言えば「哲学は考察する学問だ」ということを筆頭にあげておけばいいかな?
>哲学は何を考察するのか、が抜け落ちている。
ガクシ。続く段落を読まれたし。
>>語り得ぬものについては沈黙しなければならない
>この言葉を
>>312は自分に対して戒めの言葉とするべきです。
はい。十分に戒めております。
>313 この場合は『迷う』で悩むとは別ものです。
ああ、「迷う」もありましたねぇ。忘れてました。感謝^^
>>297 哲学って「何で生きているのか」「なんのために生まれたのか」を本気で考える学問なんですか?
>に対する答が「結論:哲学はあると便利である。」ですか?
なんで他のレス内の文章を無理矢理持ってくるの^^; こっちは冗談(笑)
316 :
考える名無しさん:2007/03/31(土) 12:31:19
>>253 @何人たりとて、殺してはならない。
A家族を助ける方法は、敵を殺すしかない。
このような葛藤の場面のでは、理性的な解決方法
は、家族を見捨てること?
双方、死なせぬ選択肢を見いだすこと、(智恵)
317 :
314:2007/03/31(土) 13:06:38
>>315 >ええ、現段階では答えを知りません。でも、知った場合に備えて環境整備もしておか
>ないといけない、ということです。
ウィトゲンシュタインの教訓、、
>語り得ぬものについては沈黙しなければならない
教訓は活用することに意味が有る、、
>>301哲学とは○○である。と要約してみて頂きたいです
の返事は?できないのならウィトゲンシュタインの教訓を生かしなさい。
>語り得ぬものについては沈黙しなければならない
貴方の哲学に対する姿勢は評価できますが、その発言は地に足が付いていません。
それを補う為に私が同語反復を繰り返していることに気付きなさいよ。
トートロ爺、とは何たる言いぐさですか。
貴方を育てるも放置するも、全て私の手のひらの中に有ります。
過去の無礼は許しますが、これからは、それを踏まえて書き込みをしなさい。
318 :
考える名無しさん:2007/03/31(土) 13:38:42
なに、この威張りんぼさんは?
>>316 ふぅ、良かった。ご指名質問なのにレスするの、もしかして忘れているかなぁ、
と思って僕なりの仕方で注意を喚起してみた。やや経ってレスをしてる。僕の注意喚
起が効を奏したのか、それともたまたま偶然こうなったのかはわからないけど、28日
の夜11時過ぎの質問にこの間隔でのレス、スレに登場している頻度からしてみたら、
かなり長期にわたって放置していることになっていると思われていることだろう。
>>317 >
>>301哲学とは○○である。と要約してみて頂きたいです
>の返事は?できないのならウィトゲンシュタインの教訓を生かしなさい。
返事しているんだけどなぁ。>301=>311さんと自ら明かしてもらってますから、311さ
んへの返答として>312の中で。あなたからの>314内の指摘に付いては>315内で「あ
なたにはご指摘の文章の次の段落を読んで欲しい」という意味内容の文章で答えて
います。といっても無理かなぁ? じゃあ、無駄に重複して文章を上げるのは2ちゃん
の特性を活かさぬことなのであまり気が進まないんですが、自己引用しますね。
>これを踏まえて考えてみると、「哲学は(○○について)(△△方法論を用いて)考察
>する学問だ」という言い方ができます。括弧内に何が入るのかは各々の目的意識に
>よって違ってくるわけです。括弧内に入る目標を考察する人々がある程度まとまり、
>それなりの学問分野として充実してくると、その分野は「○○(△△)学」として独立し
>ていくわけです、哲学者の見地からするとね。現在ではかなりの分野が充実し、それ
>ぞれ独立していったので、一見、隙間産業的な感じに見えちゃいますが。
僕は上記の意味内容を持つ、より簡明な表現をすることは却って「言語明瞭意味不明」
状態になるだろうと判断しました。伝わらなかったかぁ。
>貴方の哲学に対する姿勢は評価できますが、その発言は地に足が付いていません。
ええ、そうなのです。僕が思考した果てにたどり着いた結果を言語化させるためには、
簡単に地に足をつけられるような言語表現の仕方では無理なのです。この2ちゃんね
るの哲学板の、あなたのような方がいるスレッドという「場」があってこそ、初めて僕は
言語化でき得るのです。感謝。
320 :
317:2007/03/31(土) 15:36:17
>>319 >ええ、そうなのです。僕が思考した果てにたどり着いた結果を言語化させるためには、
>簡単に地に足をつけられるような言語表現の仕方では無理なのです。
貴方は自分の頭を少しも使っていませんので思考の果てにたどり着いた結果、と言う表現は思い込みです。
思考の入口に辿り着いてない、と言うのが正しい表現です。
>320
>貴方は自分の頭を少しも使っていませんので思考の果てにたどり着いた結果、と言う表現は思い込みです。
>思考の入口に辿り着いてない、と言うのが正しい表現です。
ああ、言われてみればそうかも。「自分が思考した」というのは、俺の思い込みだけ
でしかないかもしれない。
自分が思考しているという思い込みからの脱却。
なんかかっちょええな(笑)
>253 に対する、僕の解答(>315)とあなたの解答(>316)を僕なりに捉えなおしてみた。
僕のは、いわゆる西洋哲学で用いられてきた論理を使って解答した、と自分では思っ
ている。あなたの解答は「物事の理を悟る論」から生まれた論理を用いて解答している。
結果、僕は選択条件から「信条を捨て去る」という道を辿った。あなたは「信条を守る」
ために他の選択肢を産み出そうとする。僕のはなんか窮屈だな。あなたの結果のほう
は、守りつつ新たなものを産み出そうとしている。
僕からすると「物事の理を悟る論的論理」が未だ了解不能なのだ。あなたからは僕の
論理が手に取るようにわかっている。この一方的なディスコミュニケーション状態。
このような場合、何を持って僕は価値判断を下したらいいのだろう? 結果生み出さ
れた状態の違いが手がかりにならないだろうか?
僕の結果の状態 「除去」−(家族 or 敵)
あなたの結果の状態 「保守」+新たな選択肢を産もうとする
俺のは減る、あなたのは増える。この設問の状況全体を考えてみると、減るよりか増
えたほうが、より豊か(僕にとってはプラスイメージとしての豊か)な状況になっている。
結論:あなたの解答を支持する。(って、いいのか? これで?)
新展開にわくわくしますが、ちょっと割り込ませてくださいw
「哲学は難しすぎる」というスレタイにひかれてやって来ました。
ちょっとその線に沿ったことを言いたいのですが、
私は、ある人がほんとうに切実に問題意識を持つことができる事柄は限られている、
と思うのです。
そして、そういう切実な問題については他人の考察が自分にも比較的わかりやすいのだけれど、
そうでない問題、つまり正直なところ自分にとっては切実ではない問題、については、
精密な思考実験みたいな作業になってしまって、
ちょっと気を抜くとすぐにわけがわからなくなる、という面があると思うのです。
それが「難しい」と感じる一因ではないかと思います。
自分にとってリアルな問題を持たない人が、ただのお勉強として哲学史を学び、
せいぜい「おもしろそうだ」というぐらいの理由で考察の主題を選んでみても、
嫌味な理屈ヲタクになってしまうだけだろうなあ、と。
そして、自分にとってリアルな問題、切実な問題、というのは、
誰もそんなに多種多様には抱いていない。
自分にとってリアルでない問題については、ほんとうの理解力はない。
そんなことを思いました。
「ほんとうの」とか「リアルな」とかのアヤシイ言葉遣いで成り立っているので、
厳密性という意味では突っ込みどころ満載ですが・・・
323 :
320:2007/03/31(土) 20:03:11
>>321 >結論:あなたの解答を支持する。(って、いいのか? これで?)
支持など望んでいません。
これから貴方の人生で生じる全ての問題を物事の理を悟り、産みだされる智恵を使って即刻、
解決し楽しい人生を送って戴きたいと思うだけです。そう成る為に必要な心は貴方が私にオウム返し、
した言葉ですので私よりも良く知っているでしょう。
だたし、その心は自分の心ですから貴方が常用している誤魔化しは一切、効きませんよ。
心の器ができたら、その器に貴方の望む全てが叶う(物事の理を悟る)方法を入れて差し上げます。
324 :
194 ◆JMEUe1jdXc :2007/03/31(土) 20:03:56
>>322近年の「馬鹿の壁」という養老さんのベストセラーで
同じこといってましたな 人間は「興味関数」が0の事は理解できないらしい
ですよ
トートロ爺の言うように
哲学が難しくなるのはもしかしたら権威的な知性主義がその要因にもあると思います
しかしその戦略とかも楽しいと思う人はいると思います そこからまた
メディオロジーなど新しい哲学が生まれてきますし・・・
現代思想とか西洋観念論はオシャレなファッション感覚で
セクシーな箴言とか警句を言い放つのも魅力ですし
逆にネチネチとやる系の神学とか論理学とか修辞学、現象学で
徹底的にコツコツ積み重ねていくのも楽しい
そしてたまにデカルトとかソーカルとかゲーデルとかウィトのような
一夜で衆目を掻っ攫って行くスーパースターというかトリックスターが
現れるのもまた楽しいものです
325 :
320:2007/03/31(土) 20:51:38
>>322 哲学の道は権威に拘らぬ大衆でしか開くことができない理由が、そこに有るのです。
戦争で苦難に立たされる人々を思ったり、自分の人生を考えたり、身近な問題を沢山抱えて切実な思いに浸るのは大衆です。
もしも貴方が大金持ちならば、他人のことに思いを馳せたり、大衆の持つ切実な問題も生じませんよね。全て、お金で問題を解決することを考えますから、、
貴方が政治家ならば票集めと金集めに走るでしょう。哲学の教授なら生徒に聞かれて何でも答なければ成らないと資料集めに専念するでしょうね。
諦めず、現状に矛盾を感じリアルに解決を望み人間として生きる道を真面目に模索する人は我々大衆の中でも考えるゆとりと心の有る、ほんの一部だけです。
ほんとうの愛、本当の心、真理と本当と言う言葉が産まれる原因は人類社会が自己陶酔に支配され人々の心が幻覚の中に漂っているために本当を求める心が生じるのでは、と思います。
326 :
322:2007/03/31(土) 21:07:20
>>324 さん
なるほど、その「興味関数が0」というのが同じようなことを指しているのかもしれませんね。
だとしたら賛成だなあ。
精密な思考実験のような作業、それを進めて行く戦略、それらを楽しいと思う人は確かにいるのでしょうね。
そしてそこから生まれてくる事柄もあるわけなのですね。
考えてみれば、例えば数学や物理学を研究している人が、
自分にとって切実な問題、だからといってその研究テーマを選んでいるかというと、ちょっと違いますね。
でもそれらの分野の枠組みの中で様々な成果を生み出して行くわけですね。
ただ、哲学には、やっぱり「興味関数」との関係が他の分野よりも深く食い込んでいるように思います。
「難しさ」として立ちはだかるような何かが・・・
>>323 >>結論:あなたの解答を支持する。(って、いいのか? これで?)
>支持など望んでいません。
あ、いやぁ、統一地方選真っ盛りだからね。時事ネタ時事ネタ(笑)
それに、僕の疑問発言は自分の論理をねじ伏せての結果だからさ、当然ながらものご
っつう不満を持っている、その不満表明なのね。
で、この理不尽ながらも現段階では従わざるを得ない前近代的な抑圧体制に対し、僕
は、どのような方策をもって立ち上がらなくてはいけないのか? 「選挙体制にして、
多数決で決めればいい」ってのは当然ながら無効だしな。
「あなたが解答(>316)を提示したときの反応」について考察する、という道もある
か。まあ、馬鹿にされるだろうなぁ。「2つの選択肢から選べって言ってんじゃん」
ってね。
ん? 2つの選択肢でいいのか? 2つの条件ってこと? 1つの状況下における2
択問題? ん? ん? なんかワラワラと湧いてきたな、いろいろと。「専門用語知
らずんばこの門、入るべからず!!」と叫びつつ、ってな感じのわけわかんなさ。ほ
うほうの体で逃げ出さなくてはいけないような、そんな感じで攻め立ててくるような
恐怖感を憶えさせられるような、グロテスクなSFX駆使しまくりしか売りのないホ
ラー映画を無理矢理観させられているような、そんな感じ。
ぐぇ。気持ち悪。
328 :
322:2007/03/31(土) 23:33:55
>>325 さん
失礼しました、324さんへのレスを書いている間に 325さんからもレスをもらっていました ...
私のイメージでは、
「,,, 真面目に模索する人」は「... 考えるゆとりと心の有る」人というよりは、
もっとこう、不安に駆られて切迫していて(時間的にではなく心理的に)、それが解けないままでは先に進めない、
という全的な感じ(というか片手間に取り組んでなんかいられないという感じ)に包まれた状態の人、が浮かんできます。
>>327 あ〜っ、気持ち悪。
吐いてばかりもいられないしな。まずは設問を検討することからやり直しだ。字句訂
正、見た目の整形をして読みやすくし、Vとローマ数字で3行目を表わしてある。
>@ 何人たりとて、殺してはならない。
>A 家族を助ける方法は、敵を殺すしかない。
>V このような葛藤の場面では、理性的な解決方法は、家族を見捨てること?
気を取り直して、「時間」ってな面から見てみるか。@は、この場面になるまでずっと
この家族の信条とされてきた。Aは場面における現時点と言っても良いだろな。ちょ
うど今の時間ってやつ。Vは場面時間とは関係ないが、この問題を解決するために
は咄嗟の判断をしなければならないとの緊迫感を漂わせている。そして、瞬時に正
解を導き出さないと馬鹿にされるなぁ、と思わせられるような「理性的」などという修飾
語も用いている。まあ、この場合は「『理(ことわり)』性的」だろうけどね、発言者の真
意としては。
ん? 現時点? この場面における「現時点」。あら? そういやさ、ん? あれ?
敵を「いつ」殺さなければいけないんだ? 僕はてっきりこの場面を見せられた
「現時点」に殺さなければならない、と……
ありゃ? 「思い込んでた、わ〜たぁ〜し〜♪」か?
決断を下す締め切り時間が不定だな、これ。あらま。これじゃ、
>>316 の解答「双方、
死なせぬ選択肢を見出すこと」ってのもありだな。納得。
結果:決断保留状態の時間が不定なので、双方とも死なないですむような方策が見出
せる可能性がある。決断保留状態を保てる間は必死に考えること。
(続く)
>>329 しかし、問題文をつらつらと眺めるに思ったんだけどね。@、Aと丸数字付きの箇条
書きしてあったんで、2つの選択肢から選べってすぐに受け取ってしまってぎゃふん
しちゃったが、こういう使い方どうなんだろ? 普通はさ、
以下の3人の中から○○と呼ばれている人を選びなさい。
@ ソクラテス
A ウィトゲンシュタイン
B E2
ってな感じでさ、同じ要素(この場合、人間ね)を持つ集合で構成されるもんじゃない?
>>325 いやぁ、読みやすい。すんなり理解できる文章。書こうと思えばかけるんですねぇ。
だけど、最後の文章だけはごちゃっとしてるんで、我流ですが整理、解釈してみます。
>ほんとうの愛、本当の心、真理と本当と言う言葉が産まれる原因は人類社会が自己陶酔に支配され人々の心が幻覚の中に漂っているために本当を求める心が生じるのでは、と思います。
「本当の愛」とか「本当の心」、「真理」、これらに「『本当』という意味内容」を
含む言葉が生まれる原因はなぜなんでしょうか?
人類は自己陶酔のあまり、生体として存在している現実の世界にではなく、幻覚世界
の中に社会を構築してしまい、ここが「現実社会」だと思い込んでしまっています。
「現実社会」ですから言葉も「『非本当』という意味内容」を持たざるを得ません。
そのため、「『本当』という意味内容」を持たせるために、現実世界では付け加える
必要もない「本当」という修飾が必要になってしまいます。次には、「本当」が本当
であるのか? 「『本当』に本当だ」は本当かよ? 「『(本当)に本当』に本当だ
よ」は「ホントに『ホント』」? という一種の自己増殖を止めどなく続けてしまう
ことになったのです(注:一部に過剰演出あります)。幻覚世界の中に構築された
「現実社会」ですので、可能性としては無限。現実世界では起こりえない状況が生起
されてしまうのです。
(参考:>288-289「本当の『内省』」テスト。>294テスト結果)
332 :
325:2007/04/01(日) 10:49:54
>>328 私の「ゆとり」と言う表現が誤解を招いたのかも知れないですね。
「考えるゆとりと心の有る」を「考える心のゆとり」と直したら如何でしょう。
人の心は産まれてから現在はでに受けた全ての要因が折り重なって今の自分の心が有るんですね。
現在の自分は過去から現在までの結晶で、その結晶は次に受ける要因を吸収しながら正確に刻々と変化を繰り返すのです。
ですから哲学を真面目に取り組む方、遊びの一旦とする方、興味の無い方の心は現在の結晶がだすそれぞれの答なんです。
この書き込みも、その結晶の産みだすもの、ですから書き込み一つで本人の過去と現在の心と未来も全て伺い知ることができるのですよ。
例えば、私のこの書き込みを貴方が読まれると貴方の過去に依って創られた結晶が文面を分析し、それを取り入れて新たな結晶として変わるのです。
良い情報を取り入れるのか、悪い情報を取り入れるのか、も全て過去から現在に至るまで受けた要因の結晶と言う心が決めることなのです。
人は、それぞれが知能と言う素晴らしい機能を備えて産まれてきますが、その機能を使えないものとする人類社会の歴史的構造も有るのです。
そして、その機能を使えるようにすることが哲学の目的ですが私の見渡す限りではその機能を活用し活躍している方はいますが、
その機能を使う方法を見いだした哲学関係の者は誰もいませんね。
過去、誰も開いたことが有りませんので、非常に難しいと思われていますが「ほんとう」は誰にも分かる簡単なことなんです。
333 :
考える名無しさん:2007/04/01(日) 11:24:01
哲学は難しくない。
ただ飛び越えなければならない幾つかのハードルがあるだけ。
頭を鍛える作業が必要なだけだ。
飛び越えた向こう側は別天地だ。
あとは糞訳な著作に出会わないようにするだけだ。
334 :
325:2007/04/01(日) 11:51:52
>>331 最初の文面にもう少し心遣い、を加えて戴きたいな。
>いやぁ、読みやすい。すんなり理解できる文章。書こうと思えばかけるんですねぇ。
を「読みやすい。すんなり納得できる文章。でも僕がもう少し分かりやすく変えて見ますよ」
とすると、対象の心を害さずに済みますでしょう。性格だからしょうがない、って諦めると
>>320の話になっちゃうでしよ。
諦めると諦めないの差は大きいんですよ。
それから「心遣い」は「思いやり」で「人間愛」に「通ずる心」ですので、これから先、貴方の知能を育てる重要な役目を果たすのですよ。
『理解を納得と訂正したのは理解とは理を以て解する(解き明かす)作業ですので物事の理を悟らなければ理を得ていませんので
「ほんとう」は理解できないのですよ』
それを納得して戴く為に同語反復を繰り返す必要も有るんですよ。
E2さんも良い所を沢山、持っていますので、それを使わないと「ほんとう」に人類の損失ですよね。
訂正、有難うね。
335 :
考える名無しさん:2007/04/01(日) 12:29:50
理解したなら、理解したと言わなくていい。
証明すればいい。
336 :
194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/01(日) 13:50:53
その証明が正しいのはどうやったら証明できるんだろう?
「クレタ人はみんな嘘つきだとあるクレタ人がいった」
337 :
考える名無しさん:2007/04/01(日) 13:57:24
クレタ人には無限に証明させればいいだろ。
いい加減正しいことを云うな。
>>334 いやぁ、確かにあなたの言う通り「書こうと思えば〜」発言は、失礼にとられる可能
性高いだろうなぁと思いましたけどね、いかんせん、まだまだ途上な者で、「こっ恥
ずかしい」感情がどうしても制御できないんですよ。
根がパンクなんです。高校3年生のとき、友達の家にクリスマスを口実に集まりまし
て、酒飲んだり音楽聴いたり麻雀したり煙草吹かしたり部屋の窓から外に小便したり
本やら雑誌やら読んだりしてたんです。そんとき、ミュージックライフだったかな?
音楽雑誌のグラビアに「sex pistols」が見開きでどどどーんと載ってまして。なん
だなんだなんだなんだ!? ひょえぇぇぇぇ……
「このセックスピストルズってやつのある?」
友達の答えが「ない」だったか「ある」だったかまでは憶えていませんが、ともかく
その後レコードを手に入れて聴いて「かっちょえぇ」で。
で、僕はその後いろいろな変遷辿ってますが、「あなたはどういう音楽で?」と問わ
れれば「心にパンク聴くクリムゾン唄うブルース、たまにゃあサティもいいけどモン
クもね」と平気で答えられる人間になってます。ニルヴァーナの『レイプミー』をこ
ないだカラオケスナックで歌ったときに、「こんな俺はひとりじゃないんだ。だから
犯してくれても構わないんだ。君の思うままに痛めつけてくれて構わないんだ。だっ
て俺は一人じゃないから、俺がいなくなっても誰かがが俺のしている役割を果たして
くれる。だから気の晴れるまで心行くまで僕を痛めつけてくれ。犯してくれ。あなた
の心が晴れるまで」ってな「意味内容」がすとーんと了解できてしまってね。あららぁ、
なんかさ。「石持て撃て!」と言う人いるから、じゃあ遠慮なく、ってわーっと
寄ってたかって投げつけて、あ〜あ、気が済んだ。あら死んじゃってるわこいつ。で
また別なとき「石持て撃て!」って言う人いるからってんで、これまた遠慮なくわーっ
と寄ってたかってあらま死んでる。また違う日「石持て撃て!」な人が来てさ、ん?
なんだかなぁ、なんでこいつみたいなやつがいるんだ? ま、だけど遠慮なく……。
こんな「物語」が浮かんでね。まあ、キリストの話じゃあ、誰も撃てずに円満解決し
てるけどね。
339 :
325:2007/04/01(日) 14:28:17
>>333 >ただ飛び越えなければならない(幾つか)たった一つのハードルがあるだけ。
たった一つのハードルは「物事の理を悟れぬ自分の心」を「物事の理を悟る心に切り換えれば良い」のです。
>頭を(鍛える)切り換える作業が必要なだけだ。
>飛び越えた向こう側は別天地だ。これは「ほんとう」です。
>あとは糞訳な著作に出会わないようにするだけだ。読む前に頭を切り換えれば著者の心が読めますので、この危険は回避できます。
頭を切り換えれば、自分の知能が育ち智恵を生みだせますので読む必要も無くなってしまいます。
だって自分よりも頭の使えない人が書いた著書を読んでも、足しに成らないでしょう。
頭の切り替えは哲学を卒業するのです。
>>330 でもって、また別のことも思ったわけ。「時間指定されたら、この結論じゃ逃げられ
ない」ってこと。そんときは、俺、どうすればいいのか?
>327で「反応」面において考察しようとして、俺はえらい目にあっちゃったのだけど、
この設問自体を作った作成者の面の考察を今度はしてみよう。出口が駄目なら入り口
を、ってわけね。
箇条書きの仕方見てもわかるように、出題者は相当意地悪い。それに「信条を捨てる
のか人間殺すのか、どっちか選べ」ってな意図をもった出題をしてるんだもの。
で、だ。この出題者も俺がどのような論理を使うか知っているわけだ。で、俺が窮地
に陥ることさえ見通した上で出題している、と判断していいだろう。なんせ、彼が作
り出した問題なわけだから。言わば「問題世界」の創造主だもんな。彼の手玉にのっ
からざるをえないわけだ。
ん? 「彼の手玉」? 「のっからざるをえない」? どっか聞いた憶えが……。
>>317【物事の理を悟る論者】さん
>貴方を育てるも放置するも、全て私の手のひらの中に有ります。
あら、これと同じことだな。ってことはだ、出題者も俺を「育てよう」と思っている
わけか?
ってことは、「出題する」という行為は「出題を通して、被出題者を特定の思想傾向
に誘導指導教育訓練しようとする」という意味内容を持つわけか。
ってことは、「出題の意図」がどのようなものであるのか? どのような傾向に被出
題者を向かわせてようとしているのか? を問わなくてはいけなくなるな。
>>338 なんか思い出話しちゃったんで、もうひとくさり、思い出しちゃって。
ある夜、テレビでドラマ見てたわけ。なんだったかの若者受けするようなドラマね。
茶の間で母親と二人でさ。で、主人公は女医者だったか看護婦だったか忘れちゃった
がともかく医療現場の主役として、つまり医療業務補助者(会計窓口やっているとか
施設運営しているとかの人ね)じゃない人が主人公のうちの最低一人なわけ。ああ、
七面倒臭い喋り口になってきたな。この厳密性の罠(笑)嫌いじゃないけど聞かされ
る方はたまったもんじゃないだろう^^;;
主人公が夜街を知り合いと一緒に歩いていたとき、たまたまそこに急病人が発生した
の。で、駆け寄って言ったわけね。
「○○君、タクシー呼んで!」。そして携帯電話を掛けるよう促す。
とたんに、俺、切れちゃったわけよ。「馬鹿者がぁ!!!」って。母親もびっくり。
説明したよ。荒々しい言葉でね、途切れ途切れにね。なだめすかそうとされながらも
拒否しまくりでね、最後まで言わせてくれと、俺の論理をともかく最後まで聞きやが
れとね。俺の怒りの原因は、
なんで、「○○君、救急車!」ってシナリオに書いておかないの?
なんだけどさ。
このドラマを楽しみに見ている女性がいるとする。でこの回も勿論見ている。そんな
女性がある日、急病人に遭遇したとする。直ぐにでも病院に運ばなければならない急
病人。そのとき、咄嗟に浮かんだ。「あ! タクシー呼んであげよう」。
(続く)
地域によっては、タクシーが早いところもあるだろうが、通常は救急車の方が早いだ
ろうと思われる。そして普通の人なら救急車を呼ぶだろう。ところが彼女は社会生活
のことに無頓着なんで救急車の存在なんて滅多に意識したことがない。彼女の頭はフ
ル回転している。この状況においてどのような行動が適切であるのか。そして思い浮
かんだ。好きなドラマのあのシーンが。「○○君。タクシー呼んで!」。彼女は誠実
な人だ。どうにかしてあげたいと必死になってなって考えた悩んだ。そのとき思い浮
かべた「タクシー」。
タクシーを呼ぼうが救急車を呼ぼうが大差ないこともあるだろう。だがしかし救急車
であれば助かったのに、というケースも想定可能だ。そんなとき、タクシーを呼んだ
彼女を責められる人がいるか? で、このドラマの場面、その後急病人がどのように
なったのかは別に何の問題もなく、つまりは「○○君、救急車呼んで!」という台詞
に書き換えたところで何の問題もない。ドラマの筋書きには大して影響も及ぼさない。
だけど、現実にそういう場面に遭遇した人が咄嗟に瞬時に判断を下す際、「タクシー」
であるか「救急車」であるかによって大きな違いを生む「可能性」があるのだ。この
ような点にまで配慮できるようなシナリオライター、演出者、プロデューサー、番組
制作者、番組提供者であれば、助かる命があったかもしれない可能性がないとは言え
ないのである。
これが、僕がこのシーンで切れた理由なのである。「タクシー/救急車」を操作でき
うる人たち「タクシードライバー」の責任を僕は問いたかったのである。でも、その
ときの俺が現実に行なえるわけもない。鼻であしらわれるのが落ちなのである。もの
ごっつう悲しい現実に俺は怒ったんだ。そしてそばにいる母親に当たったわけである。
俺の悲しみを、言語化できる悲しみなのにそれを聞いてくれる耳を持たない持てない
人々の中に存在しちゃっている俺の悲しみを知ってくれって怒ったんだ。
343 :
325:2007/04/01(日) 16:53:56
>>338 私はセックスピストルズを知りませんでしたが貴方の心を捕らえる良い歌だったんでしょうね。
ところで、ビートルズとかセックスピストルズのトルズって言うのはグループを指すのですか?
>>340 そうじゃないよ。
思考を尽くした、と思うと先がないでしよ。
思考の入口にも辿り着いてないのなら、思考の入口に辿り着いて思考の楽しい旅が始まる、と言うことですよ。
これは事実だけどね。
>貴方を育てるも放置するも、全て私の手のひらの中に有ります。
その言葉には、この前の貴方が私に対する非礼を諌める意味も含まれていますが、嘘、偽りでは有りません。
貴方を育てることもできますが関わらず放置するもできます。私に何れを選ばさせるのか、は貴方の心次第ですね。
私は教育で人を変えることはできない、と思います。教育は教え育てることですから教えられ覚えることでは物事の本質を知ることはできません。
覚えることと知ることは基本的に違うのです。頭の良し悪しも本来ならば知ることのできる人のことですが記憶力の良い人が頭の良い人とされていますでしよ。
そこにも幻覚に捕らわれた人類社会が伺えますよね。私は導育と言う言葉を使いますが導育の目的は特定の思想に誘い込む為ではなく物事の理を悟り思想の枠を外した真の人間としてほんとうの意味で自由な心を備え持って戴くことの一点だけです。
貴方は結構深く物事を考査しますが、その頭の使い方を変えれば将来が楽しみな人に成りますよ。
頭を良く使えば周りがも良く成りますが、悪く使えば無理(無い理)がきて早くに頭がくたびれますよ。
344 :
考える名無しさん:2007/04/01(日) 17:40:33
>>343 The Beatles
The Sex Pistols
>>340-342を踏まえて
出題者の意図が作り出した「出題者世界」、ドラマ制作者の意図が作り出した「ドラ
マ世界」の例からも容易に推測できるように、能動性をもって何らかを提示する者は、
その「世界」が現実の世界においてどのような影響を及ぼすのかを熟慮した上で制作
しなければならない。
これが、僕の、道徳だか倫理だか規律なんだかそういう風に言われているやつに相当
もののようだ。
その価値基準のもと、僕がどっちを選ぶか、ってぇと、出題者(>253)の立場ではな
く、【物事の理を悟る論者】さんの立場に立つ。人間としてはね。
さて、でも、論理も捨て難い。なんせ強力だからな。これをどうすれば自分のものに
できるのか? だ。
>>343 >私はセックスピストルズを知りませんでしたが貴方の心を捕らえる良い歌だったんでしょうね。
良い歌? あらたまってそう聞かれると、うーん、ビミョウ? まぁ、だけど、「この糞ッたれな馬鹿共がぁ。ケッケッ、EMIからたんまりと金もせしめたしぃ(笑)
(笑)」ってなところにかっちょえーと思うような心情はありますねぇ。でも、パン
クファッションに身をつつんだ人と話す機会があったりしたとき、内心わくわくして
「ね、パンクな人?」って聞いてね、「いやぁ、単にこういう格好が好きなだけで」
ってな答えが返ってきてさ、はぁぁぁぁ、ってな溜息。俺自身は心はパンクだけど格
好はほらさこっ恥ずかしいからさ、そういうパンクファッションとかできないわけよ。
まだまだパンクそのものに成りきれていないってな自覚もあるしさ、そんな俺なんぞ
が身に纏っても馬子にも衣装っていうか仏作って魂入れずってか画龍点晴を欠くって
か馬の耳に念仏ってか猫に小判ってか豚に真珠ってか
>ところで、ビートルズとかセックスピストルズのトルズって言うのはグループを指すのですか?
>>344 >The Beatles
>The Sex Pistols
と説明してくれてますが、老婆心ながら補足説明。それぞれの単語の最後についてる
「s」ね。これついちゃうと複数形。彼らはグループを構成して音楽を奏で、それで
もって金を稼いでしのぎしてる構成員だから複数形。ちなみに、「びーとるず」の方
は、カブトムシの意味の「ビートル(beetle)」と、音楽の拍子ってな意味の「ビー
ト(beat)」からなる造語なわけね。よく見ると「e」と「a」が違っているところ
も味噌な訳ね。でもって、「せっそく・ぴすとるず」は「性・拳銃」だから、男性器
のことなんだなぁ。ついでながら、ドアーズってのも俺好きなバンドなんだけど、
「doors」=「扉たち」って意味になるな。「The End」って曲がコッポラの「地獄の
黙示録」の冒頭で使われててね、最初に「最後」だなんてお茶目だなぁ、と思ったも
のであった。「思考の入り口」の扉叩く者なんて連想したりもするのだった。
347 :
343:2007/04/01(日) 18:41:34
>>345さん
人類社会は力を崇拝し理に反する蒙昧に支配され賄われていますので、そこに道徳心や倫理観を求めることに無理が有ります。
ドラマ制作者の意図が作り出したドラマの目的は視聴率を如何に上げるか、だけで創られているのです。
>>342のお母さんに対する仕打ちは冗談でしよ。
自分で産み育てた我が子にドラマの話で怒られる、なんて理不尽な話は有りませんからね。
自分が見ること、聞くこと、話すこと、感じること、考えることのできる全ては親が産んでくれたお陰ですよ。
大切な命をくれた親に感謝しますが何が有っても親に身勝手な振る舞いは許されるものでは有りませんね。
冗談だった、と願うばかりです。「ほんとう」に親御さんの気持ちを思うと涙がでてきちゃいますよ。
親の人生は一度だけ、命は一つだけなんですよ。その命を粗末に扱わないで下さいよ。
>>345 において書いた、俺の価値基準、道徳だか倫理だか規律だかそういうふうな
物言いされている価値基準に対して、「わかった、話としてはわかる。だけどさ、現
実にはいろんな人がいていろんな感情を持っていていろんな状況に陥っている人がい
る。それらの人々のことまでも想定していたんじゃ、何も作れないじゃないか。君の
話は話としてはわかるけど、全然現実的じゃあない」って言われるだろうな。この問
題をどうクリアするのか。彼は「全ての事態を想定して現実的じゃない」という反論
を持ち出す。その上、僕に対して、「じゃあ、お前自身はどうなんだ?」という現実
の僕自身のことも言い出すこともあるだろう。この問題をどうクリアすればいいのか?
答えはあるのか? ある。
「全て」の持つ意味内容を>236で言っているように変えておけば良いのである。つま
り、「『全て』の範囲」は「価値基準を定めた者が想定し得た範囲」と。そして柔軟
性を持たせておく。フェイルセーフってことだな。批判を受けたら、その批判が正当
なものであれば受け入れる、ということ。「全て」の拡大ってことになるな。批判が
不当なものであれば受け入れることはできないが、じゃあ、その「不当性」とは如何
なるものか。単なる言いがかりなら無視しとけばいいが、そうじゃない「不当性」と
は何か? 「決定的な反証」というものだろう。
この時点で「全て」の反証があがり、僕の「全て」の定義は誤っていたことになる。
素直にごめんなさい、と謝るのみである。無責任とそしられるかもしれないが、こう
するしか現実の俺は対応のしようがない。
>>347 なんだ、あんたも信用してくれないのか
ふぅ
どこまでも続くこの螺旋
あきらめちゃいないけどね。
悲しくもないけどね。
まあ、どうにか、乗り越えなきゃな。
この糞ッたれな世界ってものを。
>>348 「全て」に対する「決定的な反証」というもの。
「決定的な反証」ってなんだ? と言われるだろうな。容易に想像できる。どんなも
のが「決定的反証」となり得るのか? ん? 俺の頭じゃ「決定的反証」を生み出せ
ない。なぜか。
生み出したとたんそれは俺の「全て」に取り込まれてしまうからだ。「全て」の中に
は「俺が想像した全て」という限定された「全て」もある。「俺が想像した『全て』」
という表記ができるかな。で、その「俺が想像した全て」の中に「決定的反証」があ
る。数学の集合使うとわかりやすいか。
「俺が想像した全て」集合の中に「決定的反証」要素がある。要素がその含まれてい
る集合の存在を否定する場合、その集合は集合として成り立つのだろうか?
これっていわゆる、矛盾ってやつじゃねぇの?
これは、明らかに偽。
結論:僕の提示する「全て」の意味内容変更は、真であり、
かつ、この意味にしか持ち得ない。
ご批判、願う。
>>349 「なんだ、あんたも信用してくれないのか」について。
>>237(再掲)
>これも答えそのまま、書いているではないですか。正に、他者の論理を自分が承認し
>受け入れ/受け入れず、自分の論理は他者からの承認を得て/得られずにきただけ。
>人間の歴史を紐解けばこれの連続/不連続が手にとるように見えます。
>
>そして、大多数の者が承認しあったひとつが「論理」であり、共通理解しあっている
>との前提で「言語」が成立している。これは「論理・言語の絶対性」という「神」か
>らの脱却。「論理・言語の相対性」と言えば通りがいいかもしれませんね。
>>273(再掲)
>↓◆↓◆↓◆↓◆↓◆↓◆↓◆↓◆
>「きれいごと」と感じられ排斥されてしまわぬよう細心の注意を払い、時には道
>化を演じ、時には化け物を演じ、時には涙を誘うような言説、その他のテクニッ
>クを用い、そしてその上「きれいごと」と片付けられないような段階に達した時に
>おいてのみ、その発話した意味が丸ごとそのままで受け取られうる概念。
>↑◆↑◆↑◆↑◆↑◆↑◆↑◆↑◆
>
>この範囲内において形成された概念は「共通概念」として共有される。
>これが僕にとっての「共通概念」の定義である。
352 :
333@似非至高者(笑:2007/04/01(日) 20:30:22
>>339 そうですね。
までも、鍛えないとその境地に辿り付けませんがね。
353 :
考える名無しさん:2007/04/01(日) 21:13:04
で、なんのはなし?
>>350-351「客観性の保持」ということ。
>>249(再掲。細部訂正済み)
>しかしだ。「自ずから理解することの困難さ(「なんで自ずから理解しなければいけな
>いの?」という自問/反問を含めた上での困難さも含む)」、「自分さえも疑わずには
>おれない人間理性」、「自分の頭の中で考えていることすら『言語』を用いなければ明
>晰化されえぬ悲劇」。
>こういうものをわんさか抱え込んじゃっている人々に囲まれるのみならず、これらをわ
>んさか抱え込んじゃっている自分に追い立てられつつ、僕は生き、あなたも生きている
>のだろう。そして、僕は僕なりの方法論を持ち、あなたはあなたなりの方法論を持って、
>これらに対処しようとしているわけだ。
自分の頭の中で「自分の論理」を用い「自分の言語」を用いて思考する。そしてその結
果を、他者がそのまんま受け入れてくれたなら、そこで使われた「自分の論理」、「自分
の言語」というものが共通概念として、自分抜きの「論理」、「言語」として成立する。もち
ろん、その結果を受け入れない者にとって、共通概念化はしない。今ある、「論理」、「言
語」というものは共通概念化の連鎖として発展しているだけであり、最初から「絶対的に
存在している」というものが指し示すような対象は存在しない。これまで人類が築き上げ
てきた「全ての『論理』」、「全ての『言語』」も同様である。
これを証明するためには、どうしたらよいのか? 「俺の言っていることは本当なんだよ」
と言っても、「それ、本当? my論理だろ。my哲学じゃん」で片付けられてしまう。
ここで、「客観性」というものを使うわけである。第三者というものの存在。僕が使った言
語、論理がどのように受け取られ、任意の者がそれに対してどのような反応を示したの
か、これにより、僕の発話した「意味内容」がどう相手に伝わり、相手の反応により、そ
の「意味内容」がどのようなものであったのかが、手に取るようにわかる。なんせ「純粋
文字表現世界」なのだからね、2ちゃんねるは。そして、どこまでも纏わりつく「それって
本当かよ?(眉唾)」攻撃に対して、有効な武器となることだろう。
>>353 で、なんのはなし?
エイプリルフールでしょ。俺の法螺話。
嘘の許される日に、虚構の「現代社会」(>331)に対し、法螺話というものをぶっ掛けて、
偽の偽は真なり なんてなことを(笑)
ケーブルテレビでツェッペリン「天国への階段」かかってるよ、なんかかっちょええ。
356 :
347:2007/04/01(日) 21:53:26
>>349 >なんだ、あんたも信用してくれないのか
信用と言う言葉は都合よく使われます。信用してたが裏切られた。信用してくれない。
信用とは裏打ちのない曖昧な言葉ですよね。
何事も自分で確認し相手を確認できる所まで相手を認めなさい。
そうすれば人生で裏切られることも騙されることも有りません。
人から貴方を信用しますので全てお任せします、仕事で言われることが有りますが、いや信用は必要有りません。
私の行動や実績をみてそれに叶う分だけ認めて下されば嬉しいです、と私は言います。
相手の方に、これから先も人に騙されたりして苦労する人生を送る羽目に陥らないように、との気持ちが有るのです。
ですから貴方も私の言葉を信用せずに自分で確認し事実か偽りかを見極めることが大切です。
私は何度もお伝えしています。
物事の理を悟れば知能が育ち産みだされる智恵で人類が抱える全ての問題を適切に処理できます。
と、勿論、貴方が物事の理を悟れば御自分の抱える問題も誰にも痛みを与えず適切に処理することができます。
論理や真理・倫理や道理・道徳・知能・智恵・知性・人格・品性などの全ては物事の理を悟れば得れることです。
従って自分の論理や他人の論理なるものは無いのです。
私は書き込みで貴方を認めている所は明確に記していますよ。それでは不足ですか?
物事の理を悟る方法を書き込んである私のホームページで早急に問題を解決したいのですが、どうすれば良いのでしょう?
との問い合わせに時間の許す限りお返事をしていますよ。
>この糞ッたれな世界ってものを。
世界がこれだから、それを修正する楽しみが有ると思いませんか?
悲しいことを言いなさんなよ。食えない意地を張らずに何でも相談して見なさいよ。困ったときの347頼み、だから、、
357 :
考える名無しさん:2007/04/01(日) 22:01:39
信用は、人が言う理屈を信じるか、人の感情の元である心を信じるか、
人の行動の根本である魂を信じるかによって違う。
358 :
339:2007/04/01(日) 22:02:45
>>352 頭は鋼じゃないんですから鍛える必要は有りませんよ。
自分の心を切り換えれば良いだけですので物事の理を悟るのにお金も係りませんし、その気に成れば誰でもできますよ。
>ただ飛び越えなければならない(幾つか)たった一つのハードルがあるだけ。
たった一つのハードルは「物事の理を悟れぬ自分の心」を「物事の理を悟る心に切り換えれば良い」のです。
359 :
考える名無しさん:2007/04/01(日) 22:16:06
>>357 理屈は「ことわけ」と言って現実を無視した条理ですので、理に反するものですが、
それを信用したら大変なことに成りますよ。
360 :
考える名無しさん:2007/04/01(日) 22:29:44
その漢字とかの字源?を使って、ものごとを説明することを指す、専門用語とかありますか?
>295 280さん
僕は、ようやく、>354に至って自分が語りたいこと、訴えたかったことを、ようやく
言語化することができました。「言葉」、「論理」、これらは【共通概念】でしかな
いということを、とりあえずは「my哲学」されないですむ、「証明」という形で提
出すること。あれ? 「命題」でしたっけ? ま、ともかくそういう類いのやつ。
僕の証明が立証されれば、「神」という前近代的な概念の実在性が即座に否定され、
また、「世界認識」などという浮遊したものを相手に格闘することは、趣味としては
いいでしょうが、それは遊びだよ、ということが、すぐにわかることでしょう。
誰かが言い出した「神」という言葉。その「意味内容」はなんなのか。素朴に共有で
きている共通概念としての「神」なのなら、それは何の問題もありません。しかし共
通概念化されていない「神」の強制が生み出すもの。訳のわからないものを押し付け
られる者が「それは何を意味しているんだ?」と問い返しても、「あるんだからある
んだ!」としか答えず、拒否できず無理矢理受け入れさせられてきた歴史。
そういう強制を伴う「言葉」の数々に苦しめられるのは誰だ? 「意味内容」が伴わ
なくとも強制さえできれば、うまい汁を吸えるってわかっているのは誰だ?
直視せよ。言葉に惑わされず、そこを乗り越えて「現実の世界」を見て聞いて感じて
味わって触れて嗅いで笑って泣いて怒って嬉しがって笑って悲しんで
哲学者よ。言語遊戯、論理遊戯に耽る時間は終わった。現実の世界で苦悩に陥る人々
の助けになってその原因を探りその解決策を解いてまわれ。
280さん。僕の提出した証明らしきものが、もし立証されれば、役に立つと思うん
だけどね。立証されなかったら? また、道を探す(笑) まだ、俺は何かを思い込
んでいるのかもしれない。俺を縛り付けている枠があるのかもしれない。そういうも
のを想定できるのかどうかはわからないけどね(笑)
「哲学は考察する学問だ」って、どういう意味?
なにを考察するの?
雲のことをずっと考えても哲学になる?
でも雲の形を分類するのは、たぶん気象学者の仕事で、
その仕事は気象学とよばれているような気がするんだけど?
363 :
280:2007/04/02(月) 00:09:59
>>361 E2さん
うまくリアルに分かるわけではないけれど、とにかくよかったですね!
とりあえず「神」という言葉も重要らしい。
この「神」という言葉が指し示すものを、みんなで仲良く信じ合い
共有しあっている、という状況がまず考えられ、
素朴な感じで?これは、おっけ、なんだ。
しかし、そこに他所の人がやってきて、それまで、みんなには共有しあっていた
「神」にというものに対し、それは違うよ、それは「神」なんて呼べるしなものじゃないでしょう、
なんでもいいから、こういうのを「神」ということにしましょう、と無理矢理おしつけるのは、
とても良くないことなんだけど、そうした、良くない出来事の連続がこれまでの歴史で、
これからは、どんな「神」についても、個人の?
拒否権を与えるのがいいでしょう、という風に読んだけど、
これって、いわゆる信仰の自由ってやつとは、ちょっと違うのかな?
ああ、なんか、空気嫁ない?
スレタイに「哲学は難しすぎる」って書いてあったから、
なんでもレスして、最後に、哲学って難しいよね、と書いておけば
大丈夫でしょう、って軽い気持ちだったんだ。
ごめんよー。さいなら、
>>362 >「哲学は考察する学問だ」って、どういう意味?
>でも雲の形を分類するのは、たぶん気象学者の仕事で、
>その仕事は気象学とよばれているような気がするんだけど?
ええ、そうでしょうね。でも、基本的には哲学の範疇なんだよなぁ。
>>312(再掲)
>これを踏まえて考えてみると、「哲学は(○○について)(△△方法論を用いて)考察
>する学問だ」という言い方ができます。括弧内に何が入るのかは各々の目的意識に
>よって違ってくるわけです。括弧内に入る目標を考察する人々がある程度まとまり、
>それなりの学問分野として充実してくると、その分野は「○○(△△)学」として独立し
>ていくわけです、哲学者の見地からするとね。現在ではかなりの分野が充実し、それ
>ぞれ独立していったので、一見、隙間産業的な感じに見えちゃいますが。
これ読むとわかるように「哲学」ってのは、何を考察対象にしてもいいわけです。ど
んな方法論を用いてもOK。で、同じ趣味を持った人たちが集まって、趣味サークル
を作ったりするでしょ? あれと同じで、同じような対象、この場合だったら「雲」
ですが、雲を中心に考察しようってなグループができるわけね。で、前からそういう
グループがあるんだったら、入会するもよし、あそこはいやだなぁ、と思えば入らな
ければいいし、もちろん、別なサークル立ち上げても言い訳。これが「学派」とか「流
派」とか言うやつかもしれないね。どうせ同じ趣味なんだから、一緒に楽しめばいい
じゃん、てなね。でも、やっぱ考察する主体は人間だからさ、そこはそれ、いろいろ
あるだろうな(笑)
あ、話が逸れた。すみません。だから、雲を考察対象にしても哲学になります。それ
を物理的に考察対象にするのであれば、「気象学」ってなサークルに入るのが楽だろ
うってことだな。雲を詩的に考察対象にしてもいいけど、それなら「文学」のサーク
ルでわいわいやるのが楽だろうね、こっちは女の子も多そうだからお勧め(笑)
豆腐は?純粋、猛烈に、豆腐を攻究していけば、豆腐哲学というものが出来る目もある?
世に現れていないだけで、深淵なる豆腐哲学を構築中の豆腐屋もいるかもしれないと
考えられますよね。豆腐屋の化学とか、豆腐家の経済学とか、豆腐家の存在論とかには、
かぶらない、独特で、固有の展開力をもつ、純粋豆腐哲学!
いまのぼくには想像するのが、むずかしいけれど、今夜はそんな夢を見て眠ることにします。
どうも、こんどこそ、もうお邪魔はしません。><
369 :
194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/02(月) 01:21:41
どうやらみなさん成長しましたな 哲学してますな
私が思うに
「信じるものは救われる」結局はこれに尽きる 街角でよくみるやつだ
信じるものは即救われる
信じないものは永遠に疑い続けるかいずれ自分の信ずるところを信ずるの
選択を行う
ここには「入信」と「救済」の地平が広がり続ける
その世界を「もうそろそろここらでよか」というところまで歩き続ける
そこには充足があり休息がある そしてそれは魂の救済である
>>367君が信じてやり続ければ体系的なものが必ず出来上がる必ず
しかし他人はそれに耳を貸さないだろう そればかりか君に
豆腐を投げつけて嘲笑するかもしれない 豆腐にまみれた君の最後は・・・・
「豆腐の角に頭をぶつけて死ぬ」 これだ これがふさわしい
哲学と矛盾を凝縮した再現豆腐モニュメントが豆腐職人によって建立される
そしてたくさんの人が笑顔で醤油片手に食い崩すであろう
豆腐哲学大いにがんばってくれ
>>364 「強制」ということについて。
>これからは、どんな「神」についても、個人の?
>拒否権を与えるのがいいでしょう、という風に読んだけど、
>これって、いわゆる信仰の自由ってやつとは、ちょっと違うのかな?
うーん、理由付けの仕方がまた多分違ってくるけど、結果としては「信仰の自由」と
同じになりそうだなぁ。現実にもう存在しているって信奉している方々もいらっしゃ
いますから、あまり刺激しないように言葉一般でもって考えてみます。
ある言葉があってその言葉に対してある個人、んーっ、「彬さん」という名前をつけ
ときますか、で、彬さんがとりうる態度ってなことを考えてみます。
1.その言葉の存在自体を知らない
2.言葉は知っていても、その言葉が指し示している「意味内容」は知らない
3.言葉も知ってて、その言葉が指し示している「意味内容」も知ってる
の3つの場合に分けられます。「意味内容」ってのがわかりにくいと思いますけど、
要は「おお、あれのことか。ふむふむ、それなら俺知っているよ」ってなやつ。
第1項では問題起こりようがありません。その人にとってその言葉はないんですから。
第3項では、その言葉に対する態度、価値基準というものを持てます。価値基準はひ
とつとは限りません。その言葉の持つ語感とか、「意味内容」に対する評価とか、い
ろいろな価値基準を持てます。ああ、そうだ、「好き/どうでもいい/嫌い」とか、
「受け入れる/まだまだ/いやだめ!」とか判断する際の元になる基準のことを、「価値
基準」と言うんですけどね。
さて、第2項なんです。僕が問題にしたいのは。
(続く)
>>370 「それ、どんな意味?」と彬さんが聞きます。この質問に対して、彬さんに説明をし
ます。@「おお、そういう意味か」と納得すれば彬さんご満悦で顎の下をなでまわす
かもしれません。あるいはA「もそっと説明してくんねぇか?」と再度説明を求めて
くるかもしれません。あるいはB「なんだ、そんな意味なのかよ! てめえ、俺を馬
鹿にしやがったのか!」と鶏冠にくるかもしれません。
@とBの場合は彬さん、その言葉に対しての何らかの価値基準を持つことができ、こ
のとき、その言葉は第3項に分類されることになります。Aの時はもう一度説明しな
いといけません。この作業は、ともかく彬さんが何らかの価値基準を持てるようにな
るまで繰り返されます。第3項へ移動するまでね。
(参考:>331「無限」>350「全て」)
「それ、どんな意味?」と彬さんが聞きます。この質問に対して、「ともかく受け入
れてくれ、彬さんがわけわかんなくてもね」という要請をした場合、@彬さんは「じ
ゃあ、ともかく受け入れてみるだけ受け入れてみるか。そのうちわかるかもしんない
し」という態度をとれます。あるいはA「や〜だね」と拒否できます。
@はユークリッド原論の冒頭部分がこのタイプですね。Aは数学の教科書見るのもや
な人って感じかな?
「それ、どんな意味?」と彬さんが聞きます。この質問に対して、「問答無用! 成
敗してくれるわ!」と彬さんの質問に対して答えずに無理矢理使えと強制する。
この最後の意味における「強制」を僕は問題視したわけです。>361においてね。
で、挙証責任って言うんでしたっけ? 証拠を提出しなければいけないってないう意
味のやつ。ここにこれを当てはめると、言葉の意味する内容を問う者が挙証責任を持
つわけではない。だって、わかんないんだもの、あげようがない。問われる者に挙証
責任があるわけです。だから、必死になって「神の存在証明」ってなのに血道を上げ
てきた歴史があるわけだろうなぁ、と僕は思っちゃうわけです。
>>371における「それ、どんな意味?」についての補足説明
3つの「それ、どんな意味?」を並べ、それぞれの内容と大雑把な構造について説明
を述べました。これの構造についてちょいと一言。
1.説明
@肯定
A判断保留
B否定
2.要請
@仮受諾
A拒否
3.強制
第1項のAの場合、彬さんと対面している者の道筋は、第1項、第2項、第3項です。
第2項の@の場合、結果、受諾すればOK。否定すればそれはそれなりに終わりを迎
えます。疑問が生じて聞きたくなったら、最初に戻ります。「それ、どんな意味?」
という最初の段階ね。疑問が生じても聞きたくなかったら聞かなくてもいい、ってと
ころに注意しておいてください。まあ、尋ねないで結局損しちゃったってこともある
だろうけど、それはそれだからなぁ。聞いていれば得したかもしれないけど、何の得
にも損にもなんない場合もあるしねぇ。
あ、「疑問を生じても聞かなくていい」っていう選択肢、とっぱじめの3択(その言
葉を知らない、意味は知らない、両方知っている)のどっかに入れとかなきゃいけな
かったかな? ありゃま、なんてこったい!
ああ、「意味は知らない」から2択にしとけばいいか。@「それどんな意味?」と聞
く。A意味を聞かない。ふむ。これでよし。この程度なら、修正した上で再度アップ
するまでもないな。フリーソフトならマイナーバージョンアップってなやつに相当す
る程度だろ。差分よろ(笑)
このように、構造としては割と複雑なのです。道筋があっちこっちに分岐するので。
【論理が難しいのではない、言語の意味内容の了解性が難しいのである】
ふぅ。一服。
証明に使われたもの一覧ってなものを、大雑把ながら拾い上げてみる。
【定義】
共通概念(>273)
【言葉の意味内容の変更】
全て(>350)
僕の証明において使われているいわゆる一般的に通用している論理は、単純なものばかりだ。以下の3つぐらいかな?
二分法と三分法(>259)
集合とその中にある要素の関係 背理法(>350)
客観性の保持 帰納法みたいなもの(>354)
ところが、言語の意味内容を捉えて証明に取り込むってのが難しい。言語の非絶対性
(>237)ということですんなりわかってもらえるならいいんだけど、疑いを持つ人は
どこまでも持ってしまう。>288-289においてテストした「本当」を「本当」として受
け取ってもらうことの困難さ、>294において結果が出て失敗し、だけど、>295にて、
どうにか僕の「内省」というものに対して「本当っぽいな」という感触を持っていた
だけたようだ。これは、彼の発言行動の変遷(>280→>291→>295→>363)を辿ればわ
かっていただけるのではないだろうか。これをも疑うのなら、それはそれで今のとこ
ろはしょうがない。僕の手には負えないどこまでも疑うデカルト並みの方だろう。
とはいえ、デカルトも「疑う自分」は疑えなかったからなぁ。「『自分が思考した』
と思い込んでいるだけかも?」(>321)と疑うことで「自分の論理」というものに目
を向けさせられ、その後をどうにか続けられた。【物事の理を悟る論者】さん、心か
ら感謝。あなたの叱咤激励がなければ、僕は乗り越えられなかっただろうな。
(続く)
>>373 なぜ、こんなに難しいのか? 言語の持つ性格そのものに由来する。言語は2人以上
の間でやり取りし、お互いにお互いの言語の意味内容の確認を絶えず行なっている。
道端での会話であれチャットであれ2ちゃんであれ。そして、「納得/判断保留/拒
否」ってな価値判断を絶えず絶えず下しながら進んでいくわけだ。動的にね。これを
どうやって補足するのか?
現実の生活では、身体表現(身振り、話し方など)、環境(映画館、教室、茶の間、
宇宙船内など)などの影響も受けた上での意味内容の確認なども行なわれたりしてい
るので、言語の意味内容を正確に捉えることは、言語のみの分析では不可能だ。
そこで2ちゃんなのだ。純粋文字世界(>354)。僕が発話し受け手がどう受け取りど
のような反応を示すのか。発言という反応を示してくれたら、僕はその意味内容を読
み取り、返す。これの繰り返し。言語の持つ「意味内容」が発言行動という形で炙り
出されてくることになる。
そして2ちゃんだと、「客観性の保持」という利点もある。僕はこのスレではE2と
いうコテハンでだけ発言している。まあ、信用してもらうしかないが、現時点では。
でも、見ず知らずの誰かがこのスレで発言していることは確実なのである。僕以外の
全ての発言者、誰か一人が演じ分けている可能性も否定できないけどね。まあ、可能
性はほぼないだろう。
「見ず知らずの他人」という点が重要な「客観性の保持」の条件なのである。日本語
を使用する任意の他者との会話。「お前らグルだろ」と言われないためのね。グルー
プになると、それはグループ外の者からすると、特定の一法人のごときに扱われかね
ない。「女子高生」というグループはAV界に興味を示す人だけでなくともそれだけ
で萌えってな対象にされるってなね。まあ、「やらせ」疑惑を払拭しないといけない
わけ。スレ外で今後の発言の方向性を打ち合わせして、示し合わせてスレ進行を図っ
たってな邪推に対しての反論材料としての「『見ず知らずの他人』性の保持」。
(続く)
>>374 そして、僕の真意をここまで明らかにできなかったのもここにある。部分的には散り
ばめてはいるけど。僕の真意を明らかにした上で進行したら、他の人たちは僕の真意
に沿うような発言行動をとる可能性があるから。これでは「意味内容」の正確性が落
ちてしまう。
なぜここまで「客観性」ってなのに拘ったのか? 簡単だ。「my哲学」との批判に
対して反証能力を持たせるためである。
さて、言語は僕の中にもある。思考するということは、自分の中に他者を持つことな
のだ。いわば彬さんと徹さんとの会話なのだ。徹さんが「○○だなぁ、彬は」と言っ
て、彬さんが「お? 徹よ、その○○って、どういう意味だ?」と問い返す作業の連
続。で、思考する大元は一人なので「意味内容」のブラッシュアップは簡単にすむ。
言語の持つ「意味内容」の構造分析ってなところはあまりしないですんでいるのである。
僕の思考した結果を言語化するには、この内なる会話を外在化させなければならない。
つまりは聞いてくれる人がいて、反応してくれる人がいないといけないってこと。僕
の思考で得た結果ってのは、「言語」そのものの持つ性質ってなやつだから、完全な
る他者、全くの見ず知らずの他者が僕と会話してくれる必要があったんだ。2ちゃん
のような存在が必要なわけだ。
なぜか? 本にせよ論文にせよ、それは「my哲学」と批判される範疇を超えられな
いから。共同執筆したとしても、それは「1つのグループ」として捉えられ、言わば
法人としての一体性を持つものとして受け取られる可能性をもっているからね。
そんなんじゃ満足できない結果を僕は持ったと確信/妄信した(>293:>353)。そし
て2ちゃんねる哲学板という僕の思考を言語化するには持ってこいの「場」(>319)
が現代にはある。そして【物事の理を悟る論者】さんがいた。彼の存在は僕が僕の結
果を言語化させるためには必須の人物。このスレ住人としてたまたま偶然いたとは思
えぬほどの。重ね重ね、感謝。
(続く)
>>375 ソクラテスが本を書かなかった理由も僕には分かっていた。本という媒体では著し得
ない論証だもの。だから、彼はその思考経過結果をバックボーンにして、知を愛す
人々と会話していたんだと僕は思う。
ウィトゲンシュタインは、日常会話の分析をせずに「論理」の分析に向かわざるを得
なかった。だって、彼の時代には2ちゃんなかったもの。「論理」も「言語」の一種。
「論理」を極めようとしてそこに「言語」の摩訶不思議(>259)なものにぶち当たっ
てしまった。「論理」を提示するために必須の「言語」の持つ「意味内容」の不確定
性。確定し得ない言語に頼らざるを得ない「論理」も当然、不確定性を持たざるを得
ない。でも、とにかく、日常言語以外の「論理」については結論を持ったようで。
語り得ぬものは沈黙しなければならない
で、僕は「言語」の持つ不確定性を立証しえると目論めたので、僕の真意が「世界史
的な意義を持つ哲学の提示」と容易には悟られないように饒舌に語りつつ、そして絶
えず「きれいごと」と片付けられないように「荒らし」として片付けられないように
しつつ、論拠となる会話を収集し続けていたわけで。無駄な会話をして散漫になるの
は極力避け、一般的に流通していると思われる「意味内容」でもって発言するよう心
がけ、レスをつける際にはそのレス元から受ける「意味内容」に即した態度を心がけ、
でも感情に流されることなく。でも流れてしまったこともあったけどね。絶えず自己
修正を心がけ、発言してきた。これも自らの結論に自信を持ち立証され得ると確信し
ていたから。
194さん。発言内のループを超えるスレ内の螺旋を楽しんで(笑) 哲学は難しす
ぎる? 論理が難しいわけじゃない。専門用語が難しいわけじゃない。これらは知的
遊具として編み出された知恵の輪(リング)。俺はあんまし得意じゃないんだ、知恵
の輪。言葉を信じきれない人々の中にいるから、難しいんだ。
スレのみなさん、真意を明かすことなくやってしまって、まことにすみませんでした。
>> E2さん
E2さんが今実感している『哲学の難しさ』について、
あらためて平易な説明をしてもらえるとありがたいです。
今すぐでなくてもいいので、ぜひ。
>143
>>だったら地球の周りを太陽や惑星が回ってるって考えたっていいじゃまいか、とか
>
>↓若干訂正
>だったら地球の周りを太陽や惑星が回ってるって感じたっていいじゃまいか、とか
どっちだっていいんだ、俺的に言えば。感じからしたら、地球の周りを太陽や惑星が
回っているほうが当たってるもんな。ただ、考える際に、どっちがより簡単/面倒に
結論が出るか?ってこと。今、見えている現象を論理的に説明する際に、説明する量
ってな価値基準で持って(少ない/判断保留/多い)のうちからどれを選ぶかってこ
とになる。で、今は地動説の方が楽だから、地動説が主流になっているだけのことだ
な。もっと楽な思考量で済む学説が出てきたら、今度は「ふる〜〜っ、まだ地動説な
んて信じてんのぅ」って言われると思う。天動説で説明するために、多くの方があん
まり好んでないだろうサインコサインタンジェント君なんかが発展改良駆使されまく
りしているんで、まあ、天動説の役割もかなりでけぇんだなぁ。価値観の多様化が進
む現在、訂正文など載せず、堂々と、俺は「天動説のしっちゃかめっちゃかなあのグ
ロテスクなまでの複雑怪奇な論理構造が好きなんだ! だから、俺は天動説を支持す
るぜ! ただ今のままの天動説だと説明つかないところあるから、そこんとこは突っ
込まんでくれぇ。そのうちきっと誰かがそんな弱点を克服するようなスーパー天動説
Z〜永遠の彼方に〜ヴァージョン作ってくれるからさぁ(作れない自分の力量にガク
シ)」ってなところまで突っ走るのが2ちゃん的には受けが良かったと思われ。
>>377 >>E2さんが今実感している『哲学の難しさ』について、
実感といわれても、直前の文章の最後の段落ですねぇ。特に「言葉を信じきれない
人々の中にいるから、難しいんだ」 ←ココね、ココ。
平易に説明ってなことになってるかなぁ。これで。うーん、僕の証明、全て、このレ
ス全て、俺が登場する前からの発言含めて、全ての発言の上に成り立っているからなぁ。
「哲学」って言葉が指し示す「意味内容」がなんなのか。人によって違うでしょ。>312
で僕も説を出したけど、これだって、俺の説ってだけでしかない、今のところ。ん〜っ、
ああ、そうか。言葉を信じきれないんじゃなくて、
「どこのだれそれが発した『言葉』だから信じる」
「どこのだれそれが発した『言葉』だから(一応)信じる」
「どこのだれそれが発した『言葉』だから(いやいや)信じる」
「どこのだれそれが発した『言葉』だから信じない」
という場合分けができるな。人か言葉を選んでいるわけか。ふむふむ。
@「人」を (信じる/判断保留/信じない)
A「言葉」を(信じる/判断保留/信じない)
このふたつの掛け算みたいなものですね。単純なケースだけで9種類のパターンでき
るなぁ。これじゃあ、意味内容がめっちゃくちゃ違ってきても当たり前ですよねぇ。
おお、また、ひとつ考えられた。感謝^^ 377さん
380 :
考える名無しさん:2007/04/02(月) 14:17:13
>哲学は難しすぎる
>>1 >理系の俺が大学の図書館で哲学に関する本を読んだが、全く理解不能
そこで気づかないのですか?
貴方の頭が悪いんじゃ無くて哲学に関する本を書いた者達が哲学のことを知らないんじゃ無かろうか、とね。
哲学を知らない者達が書いた哲学に関する本を読んで貴方が哲学を理解できれば貴方は人智を超える知能を備えています。
つまり>哲学は難しすぎる、ではなくて哲学を理解できる者、がいないと言うことです。
哲学は簡単で有るが故に、哲学を難しく考える者達には難しいのだ、と言うことです。
哲学が難しい原因は貴方には無いのですよ。これで、お分かりですかな?
381 :
377:2007/04/02(月) 14:34:01
>>379 レス、ありがとうございます。
E2さんの『言葉を信じきれない人々の中にいるから、難しいんだ』というあたりがポイントであるように思ったのですが、
そこまでの展開のスピードについていけていなくて・・・
さらに噛み砕いてもらえたようだから、精読してみます。
>170
>小説家に自殺が多い理由がわかりました。
あなたがどうわかったのかはわかりませんが、僕が思うに、ってなことを一くさり。
小説家の名前、城さんとでもしときますか。彼は僕のように「ユリイカ!」になった。
彼は小説家です。その職業的立場を利用して、どうにか言語化できないかと奮闘し、
そしてそれを言い尽くそうとした。言い尽くさなければ判ってもらえないからです。そ
れまでの人生の全経験を精査(これには自分の直接体験だけではなく、本を読むと
の間接体験なども含みます)し、それらを全てつぎ込んだ作品を作ろうと企てた。だ
が、この方法では無理なのです。もし、出来上がったとしても、それは「彼の作品」、
「フィクション」、「彼の哲学がこめられているが文学」という「my哲学」の範疇に留ま
らざるを得ないからです。
完全なる他者との会話が成立したとしましょう。他者を柳さんとでもしておきます。こ
の際、第三者がそばについてその場の状況、城さんと柳さんの会話のやり取り、身
体的コミュニケーション具合も含めて克明に記録し、発表しえたとしても、それは、
その会見場所外からみれば、ひとつの法人格内からの発信、つまりは「my哲学」の
範疇になります。
まあ、だけど、多分、その前に駄目なのです。170さんが想定した小説家は、「自殺
した」という修飾語がついています。このような修飾語がついた小説家は、もうそれな
りに高名な方であろうと容易に想定できるからです。柳さんは勝手に「ご高説ごもっ
とも」的な対応に出ちゃうでしょうね。対等な立場だとしても、そういう小説家との対談
なので何かと取り繕わなくてはいけない状況にあるだろうことは容易に想定できます。
となると、言葉の「意味内容」に関わる精度が落ちてしまい、彼がユリイカ!しちゃった
結果の証拠能力としての価値がなくなることでしょう。
いろいろ彼なりに努力してそれでもあるレベル、「これなら分かってもらえるんじゃなか
ろうか?」というレベルの「作品」を書いても「my哲学」、次に出しても「my哲学」、対談
しても「my哲学」、どこまでも付きまとう「my哲学」、その深刻な事態にどんどん追い
込まれていくことになってしまい、小説家も芸術家ですから繊細な心が……
E2証明までの流れ、概略。【その1/3】
>>177-178 自己紹介
分析者の存在を意識。対立点の洗い出し、明確化。
意味内容の外形的特徴。誤入力レベルの差。専門用語という存在。
不明点の指摘。
>>187 私の思想的立脚点。
西洋哲学の武器=論理。西洋哲学の現状。会話相手とのコミュニケーション。
評価。論理の流れの明確化。不明点の一歩踏み込んだ指摘。
>>191 相手に対しての親しみの表現。読者への配慮要請。
指摘範囲の明確化要請。合意事項表明。苛立ち表明。反論。揶揄的表現。
不明点の推測。
>>193 攻撃。(相手。西洋哲学の僕の解釈に合意)。再反論(冗談付き)。
不明点の境地に至った経緯教授要請。
>>199 他参加者へ広げる。
科学というものの性質。能動性。自分のスレにおける立場表明(嘘)。
会話というもの(共通概念化を目指すこと)。ウィト論考解釈。
ウィトの限界。論争の意図表明。
>>203 論破らしきもの
お題目。知っている者なら知っているはずのことを知らぬのはおかしい。
偽者断定表明。論争のスレタイに沿った意図表明。方法論開示。
>>204 第1部終了宣言 街頭ハプニング演劇手法を用いていたことを白状。
自演という罠。信用。
>>209 専門用語への僕なりの位置付け。言語哲学の問題意識。諧謔。ニーチェ。パズル。
>211 訂正による、現在形→過去形。解決したとの暗黙の表明。
>>213 言語遊戯。連想変換。ジョイス原作。柳瀬尚樹訳。別視点からの解釈。
>>233-234 「全て」の範囲。論者に対する住人の反応を観察。価値基準。
クオリア物語としての解釈(not哲学)。力への意思=能動性。
(続く)
>>383 E2証明までの流れ、概略。【その2/3】
>236 「全て」の意味内容変更。
>237 言語・論理の非絶対性。
>242 多数決強制。哲学履歴書。批判時の対応姿勢表明。素人と玄人。現実世界と2ちゃん世界での情報量の違い。
>245 被多数決強制範囲の変更。
>246 現実との情報量の違いについての論拠。
>248-249 法則の意味内容。トートロジー。「理」の多義性。集合名。多様な方法論。
「自ずから理解することの困難さ」、
「自分さえも疑わずにはおれない人間理性」、
「自分の頭の中で考えていることすら『言語』を用いなければ明晰化されえぬ悲劇」。
>259 194の名乗り
言語の恐ろしさ。了解可能性。価値基準。二分法。三分法。
>260 「理」代入実験。ヒトと人間。文解釈の提示。
>264 スレタイへの一解答。専門用語の持つ多義性/厳密性/日常イメージとの乖離。
>269 論者解釈の進展。
>272 二郎兄心境推測。論者寄りの解釈。クオリア。現実認識。超えた地点。共通概念の定義。
>277-278 論者を翻訳。論者の考える原因、僕の考える原因。論理の非人間的性。
>283 価値判断についての自己批判。「内省」
>284 虫退治。
>286 論者解釈(判断保留)。板保守。ソフィーの世界。
>287 感情誤爆。謝罪。
>288-289 「本当」の意味内容テスト。「意味内容」の保証条件。
>292 論者への認識表明。
>293-294 僕の意図。僕が望む地平。僕の理論の立証「場」、及び方法論としての
スレ登場。螺旋構造。本当の意味内容テスト結果。バグ出し感謝。
>308 充足理由律。免疫系。
>310 「生きている/生まれた」問題。言葉の「意味内容」という問題意識。
>312 哲学は○○する学問。「論理」。
>313 哲学の効用。明晰な分析を下し、かつ、言語表現するのが哲学
(続く)
>>384 E2証明までの流れ、概略。【その3/3】
>315 信条人間問題。
>319 レス放置への嫌み。2ちゃん特性。言語明瞭意味不明。言語化する場。
>321 自分が思考しているという思い込みからの脱却。一方的ディスコミュニケーション状態。信条人間問題の結果比較。
>327 論理をねじふせることへの不満。信条人間問題の解答提示時の反応。嫌悪感。
>329-330 信条人間問題の時間面からの検討。箇条書きの性格。
>331 幻覚世界の中の「現実社会」。「意味内容」の不確実性。
>338 パンクスとしての自覚。ニルヴァーナ「レイプミー」。キリスト。
>340 信条人間問題の作成者の意図。
>341-342 ドラマ制作者の配慮不足。自分の無力さ。
【証明の主要部分】
>345 僕の道徳律。
>346 外見と中身の違い。
>348 「全て」の意味内容変更要請。
>349 信用。詩。
>350 「全て」の意味内容変更の証明。集合。要素。背理法。
>351 再掲示強調。言語の非絶対性。共通概念。
>354 「客観性の保持」による、言語・論理の歴史的発展ということの証明。
【先在的にある「言語」、「論理」の否定】が証明された
こっぱずかしい告白をしなければならない。「自分の頭で考えたという思い込みから
の脱却」かっこいい台詞だぁ使っちゃえってさう〜む心底意味が判って使ったわけじ
ゃあなかったなぁ。心底パンクスって自覚がないからパンクファッションを身に纏うな
んて俺自身はこっぱずかしくてやってられねぇと同時にパンクスじゃないのにそうい
うのを身に纏っている奴に対してぐぬぅぅぅってなあほじゃねぇとか判断下している癖
して自分だって同じことをやっているってのにさ内心じゃ判ってたのに告るのをため
らってた。自分のものだけにしたいなんてさもしい根性持ってる自分。どうもすみま
せんでした。みなさん。僕が登場した時点では証明できるという目論みは確かにあ
りましたが今振り返って鑑みるに最初の発言時点(>177)における僕の中にある証
明は穴ぼこだらけで使い物にならない品物で……。【物事の理を悟る論者】さんの
「理」がなければ最後までたどり着けませんでした。194さんが提示してくれた「=」
「全て」「言葉と論理の思い込み」ってな発言がなければ最後の乗り切りはできませ
んでした。280さんぴったんこのタイミング「本当の内省」を利用させてもらいました。
311さんの一見素朴な質問によって僕の問題意識が大きくブラッシュアップされま
した。コンタロウの漫画「ルーズルーズ」に出てくる哲学するおじさんを髣髴とさせる
考える名無しさんの発言に元気付けられました。信条人間問題提示者に感謝。信
仰の自由で「意味内容」の持つ複雑な構造について考察できました。人と言葉の相
乗作用ってなので天文学的な「意味内容」に気づきました。ナイスタイトルな理系の
人に感謝。発言者に感謝。2ちゃんに感謝。プログラムとかハードとかわかりやすい
哲学しやすくなった道具に感謝。気が済んだ。偽:俺の頭が考えたという思い込みか
らの脱却。真:全ての人間の思考による共同作業によって作り上げた(真実/妄想)。
ん?これ真か? 真。
>>347 >
>>342のお母さんに対する仕打ちは冗談でしよ。
>自分で産み育てた我が子にドラマの話で怒られる、なんて理不尽な話は有りませんからね。
冗談でもなんでもねぇよ。理不尽だろうがなんだろうが事実なんだ。母親去年死んだ
から証言はさせえられねぇけどな(笑)(笑)
それほど、俺は怒ってたんだ、俺の話を聞いてくれる相手がいないとどうしようもね
ぇほど怒ってたんだよ。馬鹿か、てめぇ。そんな人間がいることにさえ、思いがおよ
ばないないなんてな。くそ。
ってな心をこめてあんたを馬鹿にした言葉だ ↓
>>349 なんだ、あんたも信用してくれないのか
>>356なんぞ、ほとんど嘘しか書いてないじゃないか。俺の真意も読み取れずに、よ
くもまあ、ご託宣並べられたもんだ。
>私は書き込みで貴方を認めている所は明確に記していますよ。それでは不足ですか?
こっちも明確に認めているところは認めてるって伝えているじゃないか。ここまでや
りあった仲だからこそ、俺のあの文章を「嘘でしょ」とか言ってもらいたくなかった
んだよ。こんばかやろ。
あーっ、これも言いたかったんだ。忘れてたな(笑)(笑)
あーっ、すっきり。
「物事の理を悟る」ことでなんでも解決するというファンタジーに行き着いて、
そこで力尽きてか、もう安心したかったのか、とにかく思考停止してしまった人、
をこのスレで目にしました。
そういう物語に取り憑かれてしまった人は、もうオープンな世界へ出てくることは難しいんでしょうね。
なんだか残酷だなあ、と思いました。
それに比べれば "E2" さんはまだオープンな世界の側にいるようだけれど、
つまり教条的に凝り固まってはいないけれど、
そのぶん模索の真っ最中のテンションの高さや攻撃性(悪いことではないと思う)が感じられて、
とにかくここが果てだと思えるところまで到達してください、と願うのみです。
私はいわば途中で力尽きたというか満足できてしまったというか、
要するにその程度の問題意識や必要性しかなかったということなんだろうと思っています。
哲学は、それに意味があるというよりは、
人々の問題意識や不安を引き受けてくれる分野として、
試行錯誤や思考の鍛錬の場として、あるいは自分の不安を和らげるための取り組みの場として、
昔から役割を果たしてきたんじゃないかなあ、という感想に行き着いています。
多くの人がここで焚き火や掘っ立て小屋を建てて過ごしていた。
後から来た人がその残り火や燃えかすや廃材を利用して、また野営してしばらく過ごす。
そんなイメージです。
390 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 11:05:56
あ〜びっくりしたな、もう、
其処にある井戸の中の蛙が二匹でひそひそ話を聞いて驚いたよ。
外にいるヤツラも此処に来て上見れば分かるけど針の穴にしか見えない外界なんて狭っ苦しい所にいないで、
この広い井戸の中に来れば良いのに、だって、、。危うく言って見ようかな何て思っちゃつたよ。
日本語でおk?
>388 なんだか残酷だなあ、と思いました。
いやぁ、実はですね。彼、屁の河童だと思っていると思いますよ。僕の>387の発言読
んでも。これまでもそうでしたしね(笑) 僕は怒る過程も必要だった。今になって彼の
発言を冷静になって読めるようになって、そしたらそんなに悪いことばっかり言ってい
るわけじゃない。まあホームページなんたらのあたりはご遠慮申し上げたいけど(笑)
俺が「ほとんど嘘だ」って断言したほうが嘘。ただね、
>信用とは裏打ちのない曖昧な言葉ですよね。
>何事も自分で確認し相手を確認できる所まで相手を認めなさい。
これって無限の罠。どこまで行けば相手を確認できるのか、いつになったら終わる作
業なのか。どうやったら両者完全に確認しあったと了解しあえるのか。論理的に考え
ると無限に陥る。現実世界では適当なところで手を打つだろうけど僕は納得できない
んだな、こういう無限の存在。どうやったらこの問題を回避できるか?
「信用」の裏打ちをするのは自分しかいないんだ、という引き受け方。僕の道徳律に沿っ
た解決策。僕が想定でき得る範囲=全てで相手を「信用」する、という解決方法。「信用」
の裏打ちは人間だけが引き受けられる。信用して裏切られたとしたなら、それは信用し
た人の想定した範囲が狭かっただけ。相手に何の責任もない。「あんたが勝手に思い
込んだんでしょ」。これは「僕が勝手に『思い込み』をしてたんだ」と気づかせてくれる言
葉、相手からのメッセージ。思い込んでしまって目が眩まされてしまって判断停止状態
になっている状態に気づかせてくれる、ある意味誠実な言葉。という風な、ある意味、回
避と受け取られるかもしれないけど、こういう定義の仕方で「信用」という言葉が指し示す
「意味内容」とする。こうしときゃ、
>そうすれば人生で裏切られることも騙されることも有りません。
「信用するもしないも勝手。信用して騙されたら自分が至らなかったってだけ。信用され
たのならその信用に応えればいい(引き受ける/保留/拒否)」という言い方で僕は反
論できるんだな。ひょえ、しかし、これってきついなぁ。俺の身元引受人になんか誰もなっ
てくれないだろうな、こんな感じで「信用」を定義しているような奴。
393 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 13:51:46
自分の生き様に対する良心の呵責、、
身勝手な思いが産みだす更に我が侭な思い、、
>信用とは裏打ちのない曖昧な言葉ですよね。
>何事も自分で確認し相手を確認できる所まで相手を認めなさい。
>そうすれば人生で裏切られることも騙されることも有りません。
<そうすれば人生で人を裏切ることも騙すことも有りません。
E2さんの言う通り、「相手を確認」するなんていうデタラメな言葉、迷惑ですよね。
言葉遊びですね。
「物事の理を悟れば知能が育ち産みだされる智恵で人類が抱える全ての問題を適切に処理できます」
という類の、願望なのか物語なのかわからないよう短絡した思考パターン、辟易しますよね。
395 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 15:41:27
「物事の理を悟れば知能が育ち産みだされる智恵で人類が抱える全ての問題を適切に処理できます」
知ろうが知るまいが事実は事実。
もう神学の域だなあ・・・
個々の事実は全て事実である。
どのくらい知能が育ったら知恵が生まれるんですか?
まあ、医学や工学などと違ってどんな「哲学」を持って生活していようとあまり問題はないけれど、
こうやって私的な信奉、私的な生活信条、自分では何でも切ることができると思い込んでいるナイフ、
などの乱立する中で生きて行くしかないわけか・・・
もう「哲学」はなくて、「思想」があるだけなんだねえ・・・
400 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 16:31:38
>もう神学の域だなあ・・・
当たり前なことが神学とは恐れ入ったよ。
当たり前なことを理解しろ、と言っても理解する体制(智恵)が整っていないと理解できないことも当たり前だよね。
智恵を産みだすためには知能を育てなければ成らない。知能を育てるには物事の理を悟らなければ成らない、と順番(当たり前)が有るわけだ。
その事を広辞苑で索引すると「智恵=物事の理を悟り、適切に処理する能力」と書いて有るわけだ。
問題が解けないのは智恵が無いからだろ、違うか?智恵が無いのは物事の理を悟らないのが原因だろ、違うか?
ただ考えて産みだされる答は適切じゃ無いから智恵じゃないだろ、、違うか?
こと適切とは全てに痛みを与えず処理する方法で智恵が無ければできない作業なんだよ。
戦争や飢餓・テロ・虐めや犯罪の問題も全て人類が智恵を産みだせぬ為に起こされる現象だよ。
だから
「物事の理を悟れば知能が育ち産みだされる智恵で人類が抱える全ての問題を適切に処理できます」
知ろうが知るまいが事実は事実。 と言ってるんだよ。
哲学が長年、探し求めてきたものは物事の理を悟る方法だよ。何故か分かるだろ、、、
401 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 16:46:49
>>398 >どのくらい知能が育ったら知恵が生まれるんですか?
質問が違うんだよ。物事の理を悟れば知能が育ちます、と言っているんだよ。
物事の理を悟れば自分の望む限り、その知能は成長をし続けます。死ぬまでね。
>>392 「信用してるよ」って言われること。
「信用」の定義してこれは俺なりに解決したんだが、「信用してるよ、君ぃ」と上司
に言われたりとか、「あなたのことなら何でも信用するわぁ」ってスナックのママさ
んなんかに言われたり、こーゆー、「被信用状態」というやつ、最初の例はびびるの
が大半だろうし、後者のは結局は金すっからかんってな状況になったりすることもな
いではないようだし、うーん、どうも、「信用」に比べると恐怖感が強い。こういう
状況も何とか回避したいもんだ。
言うほうをシンちゃん、言われるほうをビビル君にしとこう。「チみぃのこトゥ、信
用しちョルもんねぇー」お尻ぺんぺんして行ってしまうのである。ビビル君、「ん?
あ、はぃいーっ、信用一番っす!」なんて気軽に返事なんかするけど、公園の大木
に寄りかかり、ふと沈思黙考しちゃったりするのである。鼻すすったりしながら。
「シンちゃん、ボクの、どこらまで信用しちゃったんだろ? ボクの全人生老後の事
まで引き受けちゃった?」と。深遠な問題に深く沈思黙考し考え込むビビル君、大木
に寄りかかりながら鼻すすりながら。
おお、ポンド大木! さすがわしゃ凡人じゃあないなぁ。伊達に樅の大木に寄りかか
っているわけじゃない。聞き返せば良いんだな。言葉の意味内容の構造分析と同様の
パターン(>370-372)だ。大雑把に受け取ってそれでよけりゃ尋ね返すまでもないが、
聞きたくなったらこの構造分析使えばいいわけ。おお、現実にも応用可能とは!(笑)
ビビル君、圧制に立ち向かえ。聞けないまんまだと損する可能性もあるからなぁ。
>>394,396,398-399
いやぁ、【物事の理の論者】さんの言っていること、本当のことなんですよ、僕なり
に言わせてもらえば。このスレで生まれたE2証明がバックボーンになります。
>>277(再掲)(細部訂正)
>では、どうしたら「物事の理を悟る」ことができるのか?
>
> 「知を望む純粋な心」でもって語り、
> 「聞く耳」をもって、人の意見を聞き、
> 「謙虚な心」でもって、改善すべきところがないかどうかを自問すること
>
>で得られるのです。
僕はこの手法を用いE2証明にたどり着き、否、この手法でなければE2証明にはた
どり着けないんです。そしてE2証明をバックボーンにしてこの手法は正当化されま
す。お互いがお互いを必要とするそういう関係性を持っています。
僕は【物事の理の論者】さんの根拠を明らかにするため、及び自らの証明のため、自
ずとこの手法を使わざるを得ない状況に追い込まれ、そしてこの手法でもって乗り越
えられたのです。
わかってしまえばコロンブスの卵。ごくごく当たり前の、人間として求められている
当たり前のことをやり抜けばいいだけのこと。僕は【物事の理の論者】さんにない武
器、【物事の理の論者】さんが軽蔑してしまった武器、「論理」を使っただけ。
僕は好戦的に立ち向かい、論者さんは人間の良心に訴えた。この違いなのです。
405 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 17:59:07
>どのくらい知能が育ったら知恵が生まれるんですか?
方法通りに心の切り替えを始めたら直ぐに知能が育ち始め智恵を産みだします。
406 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 18:13:47
>>404 >わかってしまえばコロンブスの卵。ごくごく当たり前の、人間として求められている
>当たり前のことをやり抜けばいいだけのこと。
は正解です。次が戴けない、、
>「論理」を使っただけ。
何度も言ってるでしよ。物事の理を悟ることは全ての理と智に通ずる心を得る、と
物事の理を悟らなければ論理に通ずる心を得られないので理抜きの論しか語れません。
物事の理を悟る、と言うことは人の持つ曖昧な良心に磨きをかけ、心の全てを推し量るものさしを作ることです。
だから物事の理を悟る為に、武器とか好戦的などの心は不用です。
407 :
396:2007/04/03(火) 18:14:14
>>400 >問題が解けないのは智恵が無いからだろ、違うか?
それは結論の先取りだと思いますよ。あるいは、循環論法というものだと。
あなたは「人類が抱える全ての問題を適切に処理でき」る能力がこの世に有り得るという前提の上に立っています。(有るという確信の上に、でもいいですが)
そしてその能力のことを「智恵」と呼んでいます。
なるほどその設定さえあれば、問題が解けないのは智恵が無いから、となりますが、
これは実は、問題が解けないのは問題を解く能力が無いから、というだけの当たり前の意味になるじゃないですか。
内容は空っぽであり、少なくとも「智恵」という特殊な用語は余計です。
>>404 「信用」の裏打ちとして、人間が出てきました(>392)。
「全て」の適用範囲の限界として、人間が出てきました(>350)。
ここには、【無限】という罠を食い止めるものとしての人間が出てきてます。
そして、現実の世界にもいます。実際に存在しています。無限の罠を自ら引き受けて
いる人間が。
2ちゃんの ひろゆき (名前こーだったよね、確か?)
2ちゃんねる上に表明されている人間の思考=発言全てに対し彼は責任を取るってな
大法螺を吹いてますが、責任取るってことは信用しているってことです、ここに来る
どんな奴に対しても。
>>392 >「信用」の裏打ちをするのは自分しかいないんだ、という引き受け方。
これが「責任」の意味内容だと、僕は思うんです。
409 :
396:2007/04/03(火) 18:16:58
>智恵が無いのは物事の理を悟らないのが原因だろ、違うか?
これも実は、そもそも「人類が抱える全ての問題を適切に処理」する能力という意味であなたが構想した「智恵」、
そのようなものがこの世に有り得るのかも検証せずに、疑いようのない事実だと言わんばかりに扱っているのが根本的におかしいと思います。
そんな「智恵」などという万能が何から生まれるかだなんて、もうフィクションの世界そのもので、
まるで、『デビルマンは何と合体して生まれたか知っているか?』『答は・・・、デーモン族の中でも恐れられていた勇者アモンだ!』と得意げに言われているのと同じ(ちなみにおれは実在のマンガから題材を取りました)で、
あなたの作った物語の設定なんか誰もわからないですよ。
「違うか?」と言われても、作者はあなただし・・・。
410 :
396:2007/04/03(火) 18:18:16
>ただ考えて産みだされる答は適切じゃ無いから智恵じゃないだろ、違うか?
「全てに痛みを与えず処理する方法」という意味らしい「適切」な答、それも「智恵」と同様で、
そんなものがこの世に有る、またはこの世の全ての問題についてそんな答が有り得るという必然も必要も保証もないでしょうに・・・。
あなたの理論の中心には「物事の理」とやらがあるようだけれど、
それをもとにして循環する理論を組み立ててしまったら、それは無敵に思えて、また完全に思えて、抜け出すのは難しいでしょうね。
でも抜け出てきてほしいけれど・・・。
>>406 >>「論理」を使っただけ。
>何度も言ってるでしよ。物事の理を悟ることは全ての理と智に通ずる心を得る、と
>物事の理を悟らなければ論理に通ずる心を得られないので理抜きの論しか語れません。
>物事の理を悟る、と言うことは人の持つ曖昧な良心に磨きをかけ、心の全てを推し量るものさしを作ることです。
なんだかなぁ。それほど単純じゃないのよ。「曖昧な良心に磨きをかける」ってこと
がさ。特に「西洋的な理性」を持った方々ってのはね、俺も含めて。「なぜ、良心に
磨きをかけなければいけないの?」という素朴な疑問を抱かざるをえないんだよ。
「なぜそうなのか?」と。誠実であればあるほどね。自分の良心に誠実であろうとす
ればするほど「なぜそうなのか?」という疑問を抱く構造を持っているんだ。「ああ、
そうかぁ、納得した」となるまでの道のりがえらく険しい人間もいるんだ。論者さん
のように、ある時すとんと心に入ったらそれはそれでいいんだよ。でも、それすらを
疑うのが「理性的人間」という悲しい性(さが)なんだよ(>354)。
これを乗り越えるために、俺は、俺の道徳律(
>>345)
>>340-342を踏まえて出題者の意図が作り出した「出題者世界」、ドラマ制作者の意
>図が作り出した「ドラマ世界」の例からも容易に推測できるように、能動性をもって
>何らかを提示する者は、その「世界」が現実の世界においてどのような影響を及ぼ
>すのかを熟慮した上で制作しなければならない。
をまずは作り、「全て」についての批判、「全て」の意味内容変更要請(>348)を行
い、そして、「全て」の意味内容変更の証明(>350)でもって乗り越えて、E2証明
の提示(>354)ができ、この証明が正しいのならば、【物事の理を悟る論者】さんの
言うことも正しいって、「理性的人間」は心から納得できるんだよ。心から納得でき
ないことには抗ってしまう、そんな荒々しい心を持つ人間が実は理性的人間なんだ。
412 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 19:15:20
>>410 まずは、覚えると知るの違いが分かるかな?
意味は分からなくても記憶すれば覚えることに成るよね。
例えば「それをもとにして循環する理論を組み立ててしまったら」と言う貴方が
「あなたの理論の中心には「物事の理」とやらがあるようだけれど」理の存在を疑っていますね。
貴方の理論の理とは何を指すのですか?どうやら貴方は理論の意味を知らずに覚えているだけですね。
理論について知ると言うことは理論の現象や常態を隅々まで自分のものにすることですよ。
そうして貴方は理論と言う言葉を使っていますか?物事の理を悟れば敵対する心は有りませんし完全な論理を語れます。
井戸の底にいる貴方が井戸の外にいる私に「抜け出すのは難しいでしょうね」と言うのは可笑しいでしょう。マンガですよ。
>これは実は、問題が解けないのは問題を解く能力が無いから、というだけの当たり前の意味になるじゃないですか。
そうです。私は当たり前のことしか言いませんよ。
413 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 19:31:51
理性を持たぬ理性的人間って思い込みだけで生きる人科のホモサピエンスのことかな〜
哲学とは、さまざまの事象を観察し、考察し、その共通点を探り、そこから宇宙の本質・原理を見いだし、得られた原理を適用し
あらゆる事象を変革してみせる思考プロセスのことであり、すなわち科学のことである。
415 :
396:2007/04/03(火) 19:56:23
>>412 >これは実は、問題が解けないのは問題を解く能力が無いから、というだけの当たり前の意味になるじゃないですか。
>>そうです。私は当たり前のことしか言いませんよ。
そうじゃなくて・・・
ポイントはあなたが引用しなかった続きの部分で、
「・・・少なくとも「智恵」という特殊な用語は余計です」であって、
意味内容が当たり前なだけでなく空っぽであって、
「智恵」についてなにも説明になっていない、という点です。
また、私はあなたのいうような意味での「物事の理」の存在は疑っています。
私の言う理論の理とは、物事を疑いようのない捉え方で扱うための、
そして条件を限ればの話だけれども現象を予測できる体系的な考え方、
ぐらいの意味です。
万能であるかのような理の存在は決めてかかっていません。(あってもかまわないけれど)
ところで、あなたご自身はもしかして、
「理論の現象や常態を隅々まで自分のものにする」ことができていて、
「完全な論理を語れ」るところまで到達している
という位置付けですか?
「物事の理を悟る」ことができている、という自覚とともにあるのですか?
そして、その境地から発する見解がこれら書き込みだと?
あなたの発言をどういうものとして受け止めればいいのか、
をクリアにしたくてお聞きします。
>>389 >それに比べれば "E2" さんはまだオープンな世界の側にいるようだけれど、
まだじゃないです。真昼間(笑) ともかく、俺の言いたいこと、E2証明する過程
で、その後もですが、論理的に明晰にぶっちゃけられましたからね(笑)
>>414 「哲学とは(○○について)(△△法を用いて)考察する学問」なんですからなんで
もありなのです。ここまで力む必要ないし、そもそも、哲学が科学(理系の学問分野
を指すのだと思いますが)と同じってのは集合論上無理があります。(参照:>312)
>>415 ふぅ。彼の言いたい「真意」は、僕から言わせると正しいのです。突っ込みたいのは
判りますが、僕のE2証明(>345-354)が正しければ、「彼の真意」=訴えたいこと、
判ってもらいたいことがごく当たり前のことなんだってわかるんです。でも、彼、文
章表現力が乏しくて、物分りが悪くて、絶対に後に引きません。彼とやりあう暇があ
るのなら僕のE2証明を是非ともお読みください。お願いします。
417 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 21:19:26
>>415 >少なくとも「智恵」という特殊な用語は余計です。
>「智恵」についてなにも説明になっていない、という点です。
一体、どっちなの?
智恵とは智の恵みですね。智の恵みを受けるには智の能(はたらき)が必要ですね。
知能の活動を促す為には知能を育てなければいけませんね。その知能を育てる為に物事の理を悟り、
物事の理非・善悪を弁別する心(智)を会得する必要が有ります。
物事の理非・善悪を弁別する心(智)を会得しなけば人は智を産みだせない、と言う当たり前の道理が有ります。
【ところで、あなたご自身はもしかして、
「理論の現象や常態を隅々まで自分のものにする」ことができていて、
「完全な論理を語れ」るところまで到達している
という位置付けですか?
「物事の理を悟る」ことができている、という自覚とともにあるのですか?
そして、その境地から発する見解がこれら書き込みだと? 】
当然です。それを遙か下に見て誰でも物事の理を悟る方法を探求し見つけだしたのですからね。
私には物事に対する勝敗の意識は有りませんが、聞かれる方が闘争心を持ちますと絶対に分かりませんよ。
418 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 21:28:26
何を考えても良いが正しく考えられる頭を創ることが哲学の目的です。
正しく考えられる頭を持たずに正しい答がだせますか?
魔法の世界じゃないんです、全てに仕組み(理と理非)と言う法の世界ですからね。
420 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 22:46:39
哲学ならば、思想とか信条とかとは違って
言葉の意味や論理(というか公理系みたいなもの)を数学的に扱うことができて
解釈の多様性を生まないような厳密な論考ができるんだろうか
と期待していましたが、そう簡単な世界ではなさそうですね
421 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 23:46:49
>>【ところで、あなたご自身はもしかして、
「理論の現象や常態を隅々まで自分のものにする」ことができていて、
「完全な論理を語れ」るところまで到達しているという位置付けですか?
「物事の理を悟る」ことができている、という自覚とともにあるのですか?
そして、その境地から発する見解がこれら書き込みだと? 】
当然です。それを遙か下に見て誰でも物事の理を悟る方法を探求し見つけだしたのですからね。
脱帽です。それでは私は消えるとするか ...
>420
>哲学ならば、思想とか信条とかとは違って
>言葉の意味や論理(というか公理系みたいなもの)を数学的に扱うことができて
>解釈の多様性を生まないような厳密な論考ができるんだろうか
>と期待していましたが、そう簡単な世界ではなさそうですね
言語自体が持つ不確定性。「1」がいつでも「1という意味」を持つ数学世界ではな
く、現実に生きている人間が発する言葉には感情が伴いその時々の状況により、厳密
に言ってしまうと同じ単語を発していても同じ「意味内容」を持ち得ないのです。
「雲」と言う単語を聞いて、全く同じ「雲の形」を頭の中で思い浮かぶことがないよ
うに。論理はその点、感情に支配されることはありませんので、確定してます。
ですから、どういう論考をなされようと思っているのかは判りませんが、論理で分け
ていくという作業じゃないと意味がありません。で、最後には「わかった!」と人間が納得した時点でおしまい。で、一人が「わかった!」では意味がない。「わかった!
あなたは?」、「うん、僕も」というように2人以上が【自由意志】で同意しないと
「わかった!」ということにはならないのです。片一方がまだまだ納得いかないとな
ると、また論理作業が続きます。(
>>370-372:言葉の構造分析と同様)
構造的にはこれの連続。最終的に誰もが納得という時点で解答が出たといえるのです。
物質という対象物がない純粋思考なので、これしか正当な結末はありえないのです。
ですから、哲学においては「2」が基本になるということです。
「1」では意味がない。違いを比べる対象物がないのですから。
「0」は意味をもてない。思索に思い浮かばないものを思考することはできませんから。
「2」の次に重要なのは「3」です。三分法(左/中/右)ですね。
これまで主流と言われてきた哲学は、「言語」を相手にしようとしてたので面妖にな
り複雑怪奇化しわたけです。人間相手なら相手が心から納得すればいいだけなので簡
単ですし、楽しいと思います。
>>422 論理の限界 道徳律の上位性
論理は感情に流されないので、ばっさばっさと考察対象を分割し疑問点を洗い出して
くれます。便利です。
でも、限界を設けておかないといけません。それが、道徳律の上位性ともいえる限界
(>345)。道徳律を犯すような論理の用い方は、論理が人間の尊厳を損ないかねませ
んからね。人間がいるから論理も使えるのです。人間いなかったら論理はロンリーど
ころじゃなく存在できません。
道徳律を持ったら片っ苦しくてなんねぇ、と思うかもしれませんが、ちゃんと逃げ道
作ってます。
>能動性をもって何らかを提示する者は、その「世界」が現実の世界においてどのよ
>うな影響を及ぼすのかを熟慮した上で制作しなければならない。
「世界」の影響範囲に見合った「現実的な想定範囲の全て」(>348,350)という枠。
「『現実的』ってどの程度の?」といわれるでしょうけど、それは「設定する人それ
ぞれの熟慮=良心に従った程度の」と言う以外にありません。これが一番安上がりな
方法。間違ってたり、うっかりしてたりしたら、ごめんなさいと誠心誠意謝る。で、
以後の教訓とする。ソフトのヴァージョンアップです。これだけですね。過剰防衛と
か過敏症だと割高ですから。
424 :
考える名無しさん:2007/04/04(水) 08:02:02
何このオナニーShow
物理、科学、数学等の学問は一つの真実があるから理解なり証明なりできるし、間違った意見にも否定できる。
哲学なんてどれが真実かわかったもんじゃない。つか、真実なんてない。
そんなもんについて証明なんて出来るわけないしするべきじゃない。
結局のところ哲学は相当な暇人の余興かナルシストがオナニーしてるだけ
425 :
考える名無しさん:2007/04/04(水) 08:13:28
晒しage
426 :
考える名無しさん:2007/04/04(水) 08:23:37
物理、科学、数学等は子供の学問だな。夢の中で「これは夢ではない。まさに現実なのだ」とわめいてるようなもので、まさにオカルトと同類だ。
また変なのが湧いてきた・・
428 :
考える名無しさん:2007/04/04(水) 10:40:04
>>421 脱帽です。それでは私は消えるとするか ...
不適切な表現です。正解は
脱帽です。それでは私は逃げるとするか ...
ですね。
429 :
考える名無しさん:2007/04/04(水) 11:09:59
>>424 E2さんは自分でも何を言ってるのか、が分かっていないんだから許してやってね。
でも何とか、分かろうとして頑張っているのは分かりますよ。
>物理、科学、数学等の学問は一つの真実があるから理解なり証明なりできるし、間違った意見にも否定できる。
それは何故か?細かいことは抜きにして学校で説く方法を覚えたからですよね。
ところが哲学は覚えることでは会得できず、全ての物事の源となる、物事の理を悟ると言う悟ることが必要なんです。
この物事の理を悟ると人の脳は三輪車からジエット機に乗り換えて目的地に向かえる位の違いを見せるのです。
ただ悪意を持つと物事の理を悟ることができませんし物事の理を悟り育つ知能は良いことにしか使えないのです。
ですから哲学は物理、科学、数学等の諸学に及ばす子育てから教育・政治など全ての諸学の源と言われる場所に控えているのです。
覚えると悟るの違いが有りますが哲学は人の心の法則の上に有るのですね。
>>424 >何このオナニーShow
うーん、まだわかってもらえないようですねぇ。じゃあ、説明します。
>物理、科学、数学等の学問は一つの真実があるから理解なり証明なりできるし、
>間違った意見にも否定できる。
「『ひとつの真実』ってのは何?」と僕が問います。
あなたはなんらかの答を言うことでしょう。例えば『数学の答』と。
でも、考えてみてください。数学は人工言語です。最初に『要請』があり、それに同
意した者がその『被要請内容』の中身を聞く。そして、複数の『要請』を組み合わせ
て、それぞれに同意した者が、それぞれの『被要請内容』を様々に組み立てて、組み
立てていく。壮大な論理体系を作り上げていくのも面白いでしょう。その過程におい
て、たまたま「現実の世界」におけるある現象を説明するのに適した論理体系があっ
た。それだとみんなが納得しやすい。ってな。
「ふむ。そうか」
これが、あなたの主張する「ひとつの真実」です。
物理も数学使っています。ってことは、物理現象を解明するために数学という人工言
語の何らかの論理を用いて説明して、みんなが納得する。
「ふむ。そうか」
(続く)
>>430 ニュートン物理学の時代、納得できない現象が見つかってきました。で、それにはア
インシュタインの相対性理論で説明できるようになったものもあります。そして、量
子力学で説明できるようになったものもあります。片一方はでかい方、片一方は小さ
い方の説明に適している。で、これを統一できないか、というのが今の課題です。
>哲学なんてどれが真実かわかったもんじゃない。つか、真実なんてない。
「真実」が指し示す「意味内容」が不確定性を持たざるを得ないのは当たり前です。
>そんなもんについて証明なんて出来るわけないしするべきじゃない。
そう、「真実」というひとつの「言葉」について、この「言葉」の持つ「意味内容」
について、これを哲学できるわけがない。というか無意味(>422)。でも、社会学的な
手法をとれば、哲学できる。各人が思っている「真実」の指し示す「意味内容」の集
計を取ってさまざまに分析する、という方法。
>結局のところ哲学は相当な暇人の余興かナルシストがオナニーしてるだけ
そうとも言えるし、そうとも言えない。どちらとも言えない。
>>431 で、ですね。ぼくらはこうやって日本語でやり取りできてるわけです。お互いに「意
味内容」を了解しあっている。なぜか。
社会学的な手法による分析集計結果をそれぞれ各人が意識せずやっている、からです。
その重なり具合によって、ある文章に対する「理解度」が違ってくる、という構造。
「なにそれ?」と問い、問われた者が応える。(
>>370-372:言葉の構造分析)
これの応酬です。単にいえば、これだけのこと。
>>432 >430-432の説明で、わからないことがありましたら、ご質問ください。
よろしく。